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ペルセポネー
- 1 名前:三文小説家 投稿日:2001年09月11日(火)01時57分41秒
- 初めてこちらで連載をさせていただきます。
ゆったりと書いていきますので、
更新は遅いかもしれませんが末永くご愛読下さい。
- 2 名前:プロローグ−1 投稿日:2001年09月11日(火)02時01分05秒
- 私は走る。
その先には重々しい扉があり、私は勢いよくその扉に向かい飛び込む。
眼前に広がったのは幾重の死体。
血と炎の匂いが鼻をつき、自然と腹の奥から汚物が押し寄せてくる。
燃えさかる炎に立つ少女の影。
彼女はこちらに気が付くとゆっくりと手を差し伸べてくる。
その清廉な顔立ちは、その白魚のような手は、その萌草色のワンピースは真紅の血に染まっている。
『終わったよ』
静かで美しい声が事の終わりを告げる。
- 3 名前:プロローグ−2 投稿日:2001年09月11日(火)02時06分26秒
- どこまでもにこやかな微笑み。
私は驚愕に目を見開き、彼女の姿とまるで糸の切れた操り人形のような死体たちを見る。
私は自分の頭を抱えて、その現実を振り払おうとする。
少女はまるで不可思議な光景を見るかのように首を傾げてから、
手に持つ銃を私の方へと向ける。
私の脳裏に何か危険信号が点るのだが、
私はこのときほど目の前の少女が美しいと思ったことがない。
私は逃げることも忘れて、少女に目を奪われた。
『……次はあなたの番』
彼女は笑みを崩すことなく、躊躇いも見せずに引き金を引く。
………
耳心地のよい音と共に私は身体に熱を感じる。
私の目の前に広がる赤い海。そしてゆっくりと闇の中へ……
- 4 名前:プロローグ−3 投稿日:2001年09月11日(火)02時09分14秒
- 少女はうっすらと目を開けた。
いつの間にか微睡んでいたようだ。少女は身を暖めるように着ている茶褐色のマントをかき寄せる。
辺りは深夜の静けさに包まれて、天空には一つ一つの星々が異なる光で瞬き、
近くにそびえる東京タワーの影からは、月が不気味なほど丸く、怪しい閃光で地上を照らしている。
どこか遠くから野犬であろうか、遠吠えが聞こえくる。
夜も深まり公園には誰の姿も見ることもできない。
少女は安心したようにベンチの上に自分の足を乗せるとぎゅっと抱きしめた。
公園前の通りでは時折、空気を切り裂いて車が通り過ぎていく。
車のライトが周囲を明るく照らす度に少女は眩しそうに顔をしかめる。
だが、それも一瞬のことですぐに静寂と暗闇が戻ってくる。
少女は確認をするように自分の腹部に手を当てた。
そして目を閉じると、思い出したかのように立ち上がり、
ゆっくりとした足取りで公園を出ていった。
- 5 名前:第1話 出会い 投稿日:2001年09月11日(火)02時14分17秒
- シャワーから溢れ出る湯は私の身体を清めていく。
タイル張りの床に湯は落ち、ぴちゃぴちゃと気持ち悪い音を立てている。
じっとりと濡れていく髪は私の視界を遮り鬱陶しい。
背後に人が立っている気配がする。
私は振り向くも、そこにあるのは白煙のみで誰の姿も見つけることはできない。
私が前を向くと再び気配がする。今度は振り向かない。
そこに立っているのは亡霊だということが分かっているからだ。
目の前にかけられた鏡には私しか映っていないが、私には分かる。
燦々と照りつける太陽の下で横になっている死体。
顔は青白く血に汚れ、身体には無数の弾痕。
静かに目を伏せ、口元に浮かぶ微かな笑み。
懐かしい歌声……。
私の脳裏に様々な光景が蘇る。その記憶が今の私の存在意義である。
私は睨み付けるように鏡を見て、激しく自分の髪を洗う。
私に取り憑く幻を洗い流すように……。
- 6 名前:第1話 出会い 投稿日:2001年09月11日(火)02時18分24秒
- リビングで携帯電話の鳴る音がして、吉澤ひとみはシャワーを止める。
それから急いで身体にバスタオルを巻き付けると浴室を出た。
「はい」ひとみは緊張した面もちで電話に出る。
「ちゃお〜、ひとみちゃん。元気にしてる?」
そんなひとみの様子を知ってから知らずか電話の主、石川梨華は気分が悪くなるほどの高音で喋ってくる。ひとみはうんざりした表情でソファーに腰を下ろすと、濡れた髪を扇風機に向ける。
「元気だよ。おかげさまでね」
「だったら、たまにはひとみちゃんから連絡頂戴よ。私、寂しいんだからね」
ひとみは梨華の言葉を無視した。このまま相手のペースにはまるといつ本題に入るか分からないからである。
- 7 名前:第1話 出会い 投稿日:2001年09月11日(火)02時21分09秒
- 「それで、仕事は?」
「んもう、つれないんだから。今日はお偉いお役所のお役人さんだって。結構、裏でやばいことに手を出してるみたいだよ。詳しいことは送っておいたから」
ひとみはパソコンの前に座る。古びたパソコンはひどい音を立てながら起動を始める。
「どうせ、クライアントだってやばいことやってるんでしょ」ひとみは皮肉を込めて言った。
「クライアントのことは触れない約束。どうせ、やばかろうとやばくなかろうと私たちにはお金になるんだからかまわないじゃない。うふ」
電話越しに梨華の軽やかな笑い声が聞こえくる。ひとみは舌打ちをして不快感を相手に伝えた。
「こんなご時世じゃ誰だって一人ぐらい殺したい人はいるもんよ。私たちはそのお手伝いをちょこっとしてあげてるだけだよ。もちろん有料でだけでね」
梨華はひとみと話していることが嬉しいのか、ずいぶんと上機嫌で語っている。
ひとみはマウスを掴むと、メールを確認する。その中の『愛しいあなたへ』とタイトルの付けられたメールを別のソフトに通す。するとそこに書かれていた内容が、すぐさま変換されていく。
- 8 名前:第1話 出会い 投稿日:2001年09月11日(火)02時23分15秒
- 「たぶんSPとか心配ないと思うよ。どうせ日本なんてずっと平和で、ぼけちゃってるんだから」
ひとみはメールの内容を確認すると、顔をしかめながら濡れた髪を手で整える。あまり気分のいい仕事依頼とは言えなかった。
「それで、これはいつまで?」
「できれば早いほうがいいって。今晩か明日の晩か‥」
「今晩、始末するよ」
ひとみはそう言うと、パソコンの前を離れて部屋の隅に置いてあるクローゼットに近づく。クローゼットの中には服と一緒に愛用のベレッタM84がぞんざいに放られていた。
「こんな吐き気がするような仕事はさっさと終わらせるに限る」
ベレッタの調子を確かめるようにひとみはスライドを引いた。
「ああん、さっすがひとみちゃん。格好良すぎて、梨華、痺れちゃう。こんな楽な仕事さっさと終わらせて……」
ひとみは携帯電話を切った。これ以上、梨華の戯言に耳を貸していると、気分が悪くなり、今夜の仕事に差し支える。
- 9 名前:第1話 出会い 投稿日:2001年09月11日(火)02時25分10秒
- ひとみは拳銃を持って、リビングを移動する。高級マンションの最上階から見下ろす東京の風景はどこか虚ろで、どこか物悲しかった。首都高速上には絶え間ない光が川となり流れていく。高層ビルたちは漆黒の影となりのっぺりと立ちそびえている。遠くに東京タワーが航空機目印用の赤いランプを点滅させていて、その背後には満月が涼しげな光を放っている。
ひとみは窓に映る自分の儚い像を見た。まるで自分がここに存在していないかのような錯覚に陥る。ひとみは自嘲気味に笑うと、バスタオルを落とした。白い肢体が月光によく映える。そして自分の裸をきつく抱きしめる。乳房が形を失い、痛みが身体を走る。つかみ合った両腕には両指がつけた引っ掻き傷からはうっすらと血を滲み出している。
ひとみは完全の闇の訪れない街並みを冷ややかな目で見つめた。そして着替えるために再びクローゼットに向かった。
- 10 名前:第1話 出会い 投稿日:2001年09月12日(水)00時26分33秒
- 21世紀を無事に迎えることのできてから早15年経った。そこには想像をした以上に混沌とした社会が待っていた。
世界市場を率いていたアメリカで株が大暴落をした。それにつられて世界中は再び大不況の波に襲われることになる。
第二次世界大戦のように戦争に突入をする事態は避けることができたが、ほとんどの国はその力を低下させ、それまで裏社会で静かに利を得ていた者たちが徐々に国を動かすようへとなってきた。
こと日本は20世紀から未曾有の不景気の影響もあり、それまでの緊迫感が一気にほどけたかのように、国家がその機能をほとんど停止してしまった。
つまり政治家や官僚たちがその役割を放棄してしまったのである。
- 11 名前:第1話 出会い 投稿日:2001年09月12日(水)00時29分00秒
- 名前ばかりの民主主義のみが残り、その実体は権力を有するものたちに楽園であった。
まるで下々のことには感心なしといったその態度は政策に現れ、自らの利潤を満たすことだけを考えている。
その背後には力を持つ者たちが役人を養護し、また自らも国の利権を得るようになっていった。
マスコミ各社もその監視能力を失い、事実か虚実かも判断の付かないニュースを、面白可笑しいように脚色し毎日のようにばらまいている。
それまでおかしいとされてきたことは常識となり、影がゆるりと日本を覆い尽くす。巷では麻薬や拳銃の売買が自然と行われるようになり犯罪も急増していった。
法治国家の名の下に安全神話を築いてきた日本は、その過去の看板に反発するようにその身を痩せ細らせていった。
- 12 名前:第1話 出会い 投稿日:2001年09月12日(水)00時30分22秒
- ひとみがターゲットの在宅しているはずである邸宅に到着したのは、すっかり闇夜も深まった深夜2時過ぎである。
ひとみは塀に寄せるようにバイクを止めると、革手袋をした手でその壁をなぞってみる。
鉄線は張られていないが、それでも真っ平らで足をかける所が存在しておらず、越えて行くには少々高い。
ひとみは辺りを見渡してみる。贅を凝らした大門はしっかりと閉じられていて、門柱には監視用のカメラが抜け目なく辺りを見渡している。
「正面は…やめとくか」
今回は暗殺を目的としているため、ハリウッド映画張りの突入は避けたいところである。
ひとみは壁を二、三度軽く叩くと、胸ポケットから鉤付きのピアノ線を取り出した。慎重に狙いをつけて、それを塀に引っ掛ける。
ひとみは軽々とそのロープを伝い、塀の上に登る。
- 13 名前:第1話 出会い 投稿日:2001年09月12日(水)00時32分56秒
- この辺りがさすがに日本である。
海外の要人宅であれば、ここら辺に一つぐらいトラップを仕掛けてあるものだが、一向になにも起こる様子がない。
ひとみは唇をちろりと舐めると、そのまま芝生の上に飛び降りる。
邸宅内は広々としていて、東京にこのような場所があったのかと思わせる。よく手入れされた芝生の庭が一面に広がり、その向こうには漆黒の闇によく映える白壁の豪邸が建っている。
どの部屋も明かりが消え失せ、人の気配は感じることができない。
大陸で仕事をしていたときはここからが緊迫の連続であった。
邸宅内に進入でもしようものなら、すぐに雇われた用心棒たちが駆け寄ってくる。
そして、誰もがこれから行われるゲームに多額のチップを賭け、生死のやりとりを楽しむ。
- 14 名前:第1話 出会い 投稿日:2001年09月12日(水)00時34分55秒
- それに比べて日本はどうだろう。番犬もいなければ、用心棒たちが駆け寄ってくる気配もみせない。ただ、門番代わりの監視カメラだけが一定の動きで辺りを見渡しているだけである。
ひとみはあまりの無警戒ぶりに拍子抜けをしてしまった。確かに梨華の言うとおり日本はすっかり平和の底で眠りすぎて、ぼけてしまっているのだろう。
ここ1、2年の間に政府要人や会社役員たちが暗殺などの不条理な死を与えられる事件が増えてきた。
だからこそ、ひとみたちも稼ぐことが出来るのだが、それでも自分たちの身を守ろうとしない日本人たちは余りにも楽天家で、余りにも愚かである。
きっと自分だけは大丈夫だと根拠のない自信に満ちあふれているのだろう。
- 15 名前:第1話 出会い 投稿日:2001年09月12日(水)00時37分06秒
- ひとみは堂々と芝生を横切る。闇が黒装のひとみを自然に消してくれる。
ひとみはこの服装で仕事をするように先輩からずっと言われてきた。自らを闇に塗り込める実用性と面識がない相手への最大の謝辞を黒衣は表していると常に言っていた。
だから、現在も黒味がかったジャケットに、黒々としたズボンを着用している。ブーツにもしっかりと墨が塗られていて、鈍い光沢を放っている。
- 16 名前:第1話 出会い 投稿日:2001年09月12日(水)00時40分23秒
- ドアは乳白色に塗られており上品な感じがした。ひとみはジャケットからベレッタを取り出すとそっと構える。
多分ドアの向こう側もあまり期待が出来る状況ではないが、一応はプロである。いつ何時、敵が襲いかかってくるとも限らない。
ひとみは、深く息を吐いて呼吸を整えるとドアノブをゆっくりと回す。
意外なことにドアは鍵がかかっていなかった。
ひとみは妙な感覚に襲われた。さすがに危機意識がないとはいえ、ドアの鍵まで閉め忘れることなどない。
ひとみは家内に飛び込む。ドアは激しい開き、何度か気持ちの悪い音を立てながら軋む。
次の瞬間、二階から、パンと乾いた銃声が響いてきた。
ひとみは広いフロアーの中央に備え付けられた階段を駆け上がる。
間違いなく何かがあった。それは予測外の出来事であり、自分にとってあまりよい結果をもたらすものではないと思いつつも、ひとみは走ることを止めない。
そしてベレッタのスライドを引いた。
- 17 名前:第1話 出会い 投稿日:2001年09月12日(水)23時56分20秒
- 二階に上がると、ひとみは唾を飲むと緊迫した面もちで壁に背をつける。
自分の他にもう一人いる。いつ遭遇するか、いつ敵と間違えられて襲われるか分かったものではない。
じりじりとすり足で前に進んでいく。前方に何かがある。
ひとみは目を凝らした。そしてそれが何かを悟るとすぐにベレッタを辺りに向けた。そこにあるのは多分要人を守っていたSPだろう。
ゆっくりとひとみは近づく。
遺体は二体あり、二体とも銃痕は見あたらなかった。首元が何か紐のようなもので絞められた跡があるため、隙を狙って二人の首を素早く絞めたのだろう。この手口からすると相手はかなりの手練れである。
ひとみも一応武術の心得はあるものの、果たしてこのような鮮やかな手口で二人も始末をすることができるだろうか。
- 18 名前:第1話 出会い 投稿日:2001年09月12日(水)23時59分20秒
- ひとみは眼球を這わせて辺りの気配を伺う。屋敷内は銃声の後は静かすぎるほど静かである。
ひとみは走りだした。深々とした深紅の絨毯がひとみの足音を優しく受け止め、天井のぼんやりとした明かりが廊下を照らしてくれている。
再びドアの前に死体を見つけた。今度もSPのようでグレーのスーツに不釣り合いの自動拳銃を握っていた。彼にも銃痕はなく、首が不自然に曲がっていた。
ドアが微かにひとみを誘うように開いている。
- 19 名前:第1話 出会い 投稿日:2001年09月13日(木)00時04分21秒
- ひとみは一息整えるとベレッタでドアを押し、中へ転がり込んだ。
入り口正面には巨大な木製のデスクがあり、電気は灯っておらず、机の上にある蝋燭の炎が揺らめいていた。
背後にある硝子の壁は外の風景を余すことなく見せてくれている。今は雲が月明かりを隠しているのか、濃い影が室内に蔓延っている。
豪華な家具が居並び、デスクから離れた場所にあるオーディオ機器からは音が絞られてはいるが、バッハの『カンタータ第147番』が流れていた。その機器の隣には寝室へと続く扉があり、開けられたままになっている。
ひとみは嫌な雰囲気を全身で受け止めていた。これほど嫌な気になるのは久しぶりのことであり、その嫌な予感はひとみを確実に不幸の底へと導いてくれる。
叫びたい心を押さえつけ、ひとみはゆっくりと扉の方へと近づく。ベレッタはすぐにでも撃てるようにトリガーに指をかける。
そっと隣室に身を滑り込ませると、そこにはすでに事切れた初老の肥えた男性の死体がベットの上に転がっていた。純白のシーツの上には鮮血が、まるでバケツに入っていたペンキをこぼしたかのように散っていた。目を見開き、口はだらしなく開かれたままである。
- 20 名前:第1話 出会い 投稿日:2001年09月13日(木)00時07分55秒
- 素早くひとみは室内に視線を踊らす。
いきなり眼前に誰かの気配を感じた。途端にひとみは軽快にバックステップで室内から身を引き、身体をよじる。
次の瞬間、相手の銃器が火を噴き、弾丸をはじき出した。ひとみの反応がよかったおかげか、その弾丸は部屋の壁に突き刺さる。
ひとみはバックステップを利用して、勢いをつけると室内に戻り、相手に銃弾を放つ。二度三度と手にずっしりとした感触が伝わり、バリンとベット横に置かれていたランプの硝子傘が割れる音がする。硝煙の匂いが辺りに立ちこめる。
「どうして…」
気が付かなかったのと自分自身への罵倒の言葉を続けたかったが相手は容赦をしてくれないようだ。ひとみの弾丸を避けた相手は硝煙の影から、再び弾丸を放つ。
- 21 名前:第1話 出会い 投稿日:2001年09月13日(木)00時08分56秒
- 「ちっ」
ひとみはドア影に隠れて避けようとしたが、相手の銃弾はひとみの左足をかすめていく。焼けるような痛みがひとみを襲う。
ひとみは歯を食いしばりながら再度ベレッタを相手に向けようとしたが、その相手はいつ間合いを縮めたのか分からないほどのスピードでひとみの左足を払う。
「しまっ‥」
不意を付かれたひとみは痛みに呻き、バランスを失うと柔らかい絨毯の上に身体が打ち付けられた。じわじわと右半身に痛みが走る。
「っう」
ひとみは身体を起こそうとしたが、相手はその行為を止めるようにひとみのこめかみに銃口を向けた。
- 22 名前:第1話 出会い 投稿日:2001年09月14日(金)00時41分55秒
- その時ちょうど空にあった雲が移動をしたようだ。薄暗かった室内に月の光が射し込んでくる。さっと室内は薄黄色い光に包まれていく。
ひとみはそろそろと目線を銃を向けている相手に持っていく。
その月影に映し出された相手の姿は少女であった。
ふっくらとした輪郭に肩辺りまでの黒々とした髪。緩やかに描かれている眉と血気の薄い小さな唇。美少女というわけではないが、知的で愛らしいという印象をひとみに与えた。茶褐色のマントを身につけているのだが、そこから覗く銃を構えている細い腕とスニーカーを履いた透き通るような白色の足は、月影に照らされて美しく輝いている。
無表情で銃を構え、少女は目を伏せ、口内で何かを呟いている。
- 23 名前:第1話 出会い 投稿日:2001年09月14日(金)00時43分12秒
- ひとみが手を少しでも動かそうとすると、銃口がひとみのこめかみに押しあてられ、口元がぎゅっと真一文字になる。銃口は先ほど放ったばかりであるためか少々の熱さを持ち、ひとみはその熱に顔をしかめる。先ほど撃たれた左足もじんじんと鈍痛がある。
まさかこのような状況に追い込まれるとは思いもよらなかった。しかも相手は年端もいかない少女である。
この仕事は楽だと言っていた梨華のことをひとみは恨みつつも、この状況の打破のための策に頭を働かせる。
- 24 名前:第1話 出会い 投稿日:2001年09月14日(金)00時46分10秒
- ひとみはベレッタを手放した。ごとりと鈍い音がして絨毯の上に愛用の銃が転がる。
少女はうっすらと瞼を上げる。その瞳は虚ろで薄茶色であり、這い蹲っているひとみを無言で見る。それから相手が手から銃を手放したことを知り、少しほっとした表情を浮かべた。
次の瞬間、ひとみは自分の腕を相手の足に絡ませる。今度は不意を付かれた少女が身をくねらせる。そのままひとみは相手の足を引く。
「あうっ」
少女が頭から倒れる。鈍い音と愛らしい呻き声にもひとみは躊躇無く少女に馬乗りになる。
「形勢逆転ね」
ひとみは勝ち誇った顔をして、腰元に備え付けておいたサバイバルナイフを相手の喉元に突きつける。
少女はそうした状況でも相変わらず無表情で、ぼんやりとひとみの顔を眺めていた。ひとみは薄気味悪さを感じながらも、少女の手から銃を取り上げる。意外にあっさりと少女は銃を手放した。
「ワルサーPPK。いい銃使ってるじゃない」
ひとみはそれを弄ぶと、右手に握っていたサバイバルナイフを左手に持ち替え、オーディオに向けて撃った。曲は中途半端に止まり、オーディオは二度と唄うことが出来ない状態になった。
- 25 名前:第1話 出会い 投稿日:2001年09月14日(金)00時48分32秒
- ひとみはにやりと笑うと、今度は少女の方へと向けた。
「さて、どうしてこんなところにいたのか、ちゃんと言ってもらわないとあたしも納得がいかないんでね。隣の部屋のあの男を殺ったのあんたでしょ」
少女は喋ることなく、ただこくりと頷いた。
「表のSPの連中もあんたがやったの?」
再び少女は頷く。ひとみは口笛を吹いた。
「あんたいくつよ。見たところまだ中学校にでも行って青春を謳歌してる年頃じゃないの?それなのにこんな危ない玩具で遊んじゃって」
ひとみはワルサーに目をやる。ずいぶんと使い込んだ様子がある。もちろん彼女がずっと使っていたとは限らないのだが、それでもこの年の少女がこんなものを持っていることを、日本に住むお偉い方に言ってやりたいものだ。
「あいつはあたしのターゲットだったんだけど、あんたもどっかから依頼されたの?」
ひとみの問いかけに少女は困惑した表情を浮かべたが、すぐに首を横に振った。
「じゃあ何?個人的な恨みでやったってこと?」少女は少し考えると頷いた。
「なにやられたの。もしかして売春とかそっちの方で‥」少女は激しく首を横に振る。
- 26 名前:第1話 出会い 投稿日:2001年09月14日(金)00時50分18秒
- ひとみは溜息を吐いた。
「質問変えるね。あんたずいぶん腕が立つみたいだけど、どこでそういうの覚えたの?それにこの銃ずいぶん使ってるみたいじゃない。どこで手に入れたの?」
少女は困ったように顔をしかめ、口をもごもごと動かした。
「あのさ、今あたしずいぶん穏和に話し合いをしているわけ。正直に答えてくれなければ、こいつであんたの脳味噌ぶちまけてもいいわけだし、こっちのナイフでその可愛らしい顔に傷をつけてもいいわけ。それは分かってる?」
ひとみは相手を脅すつもりでナイフで二、三度少女の顎を軽く叩く。しかし、少女は動揺した様子もなく、ただひとみの顔を眺めたままである。その小さな身体からは未だに気が消えることなく、隙あらば牙を立てようとひとみの動向をうかがっているようだ。
- 27 名前:第1話 出会い 投稿日:2001年09月14日(金)00時52分14秒
- ひとみは再び溜息を吐く。
それからゆっくりと少女の上から退いた。少女は不思議そうな顔をしたが、ゆっくりと立ち上がる。それから相手に敵意がないことを探ろうとひとみの表情をじっと見つめる。
「まぁいいか。ターゲットは始末しちゃったわけだからね。あいつの関係者じゃないあんたを尋問したって仕方ないし」
ひとみは相手に銃を差し出した。少女は当然、怪訝そうにひとみと差し出された銃を交互に見る。
「撃たないことが条件。あたしだってあんたみたいな女の子を撃ち殺したら目覚めが悪いからね」
少女は怖ず怖ずと手を出して、自分のワルサーを受け取る。ひとみも自分のベレッタを拾い上げるとジャケットの中にしまう。
「……どうして?」
少女が初めて声を発した。それはか細く、静かな声であった。
ひとみは少女をちらりと見てにっと笑った。
「あたしは細かいことを気にしないんだよ。それにあんたみたいな無表情な顔を見てると、やる気がなくなる」
- 28 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月14日(金)15時08分59秒
- 少女って誰なんだろう?
おもしろいんでがんがって下さい!
- 29 名前:第1話 出会い 投稿日:2001年09月15日(土)00時49分14秒
- ひとみは隣室に入る。
ターゲットは左胸に被弾しており、大量の血液を流し絶命していた。シーツなどが乱れているところを見ると、どうやらベットの上で暴れた様子がある。辺りには枕や時計などが散乱しており、死への恐怖があったことを物語っている。
少女も静かに部屋に入ってきた。手にはもうワルサーが握られておらず、ひとみの一挙一足を興味ありげに眺めている。
ターゲットの男は官庁に勤めていて、かなり裏では税金を着服していたらしい。そのことに気が付いた同僚がその事実を公表しようとした。その数ヶ月後、準備を着々と進めていた同僚の男は東京湾で魚の餌になった。復讐を誓った依頼者はその男の婚約者である。このご時世よく聞く話である。
彼の無謀な勇気が幸せな時を奪い、婚約者に悲しみを与えた。ひとみは彼らに同情をする気はない。力がなければ大切なものを守り抜くことは不可能なのだ。
ひとみはそっと遺体から離れて窓に近づく。この静かな街は知っているのだろうか。ひとみたちのような影に生きる者たちの思いを…。力を得た者がのさばり、弱い者は淘汰されていく悲しみを…。
- 30 名前:第1話 出会い 投稿日:2001年09月15日(土)00時53分34秒
- ひとみは少女と目を合わせた。少女は避けることなくひとみと対峙した。先ほどまで放ったれていた殺気は消え失せ、ただその抜け殻のみがそこに残っているような感じである。
この少女は強い。ひとみは感じる。それもただ強いだけでなく、何かに取り憑かれたかのように強いのである。
先ほどの手合わせも、きっと彼女は全力を出していたわけではないのだろう。そうでなければ足を狙ったりはしない。自分が何者であるかを問いただそうとして手を抜いていたのだろう。
自分はこの不思議な少女に惹かれている。いや、きっと圧倒的な強さに惹かれているのだ。
ひとみがずっと欲しいと望んでいるものをこの少女は持っている。どんなに身体を鍛え、射撃の練習をしても得ることが出来ない神からの贈り物、天賦の才を…。
「あんたは持ってるんだね、力を」ひとみは囁くように呟いた。
少女はただ黙って小首を傾げた。
- 31 名前:第1話 出会い 投稿日:2001年09月15日(土)00時55分35秒
「さて、あたしは行くかな」
ひとみは塀を来たときと同じように乗り越えると、少女に向かって言った。少女は道具も使わず身軽に壁を駆け上がって降りた。
「ありがとう」少女はぼそりと呟く。
「何が?」礼を言われる覚えがないためひとみは聞き返す。
「これ、大事なものなの」少女はワルサーPPKをひとみに見せた。
「ああ、気にしなくていいよ。てっきり命を奪わなかったことを言ってるのかと思った。……ねぇ、これからあんたどうするの?」
ひとみはヘルメットを被りながら少女に聞く。少女は困ったような顔をして、曖昧に笑う。
「もしかして帰る家がないとか…?」
ひとみの問いかけに少女はますます困ったような 表情を浮かべる。その少女の顔を見て、ひとみはますます勢いづいたように言う。
- 32 名前:第1話 出会い 投稿日:2001年09月15日(土)01時00分38秒
- 「それだったらさぁ。あたしの所に来ない?あんた腕が立つみたいだし、あたしん所で手伝いをするの。ちょうど、そろそろ相棒が欲しいなって思ってたところなんだ。こんな仕事一人でやってると気が滅入ってくるからね」
少女は驚いたように目を見開いた。
「私が……」
「どうせ行くところないんでしょ。だったらあたしん所に来なよ。どうせ気ままな一人暮らしだったんだし。そう、そうしよう」
ひとみは勝手に納得するとぱちんと手を叩いた。
「そうと決まったら名前教えてよ。あたしはひとみね。吉澤ひとみ。あんたは?」
「……あさ美」少女は恥ずかしそうに上目遣いでひとみを見ながら答えた。
「名字は?」ひとみの問いにあさ美は首を左右に振った。
「分からない。私はずっとあさ美って呼ばれてたから、それが名前」
「ふーん。そっか。まあ、いいよ。呼び方さえ分かればいいんだから」
ひとみはにこりと笑って、あさ美に手を差し出した。あさ美は戸惑ったが、緩やかにその手を握った。
To be continued
- 33 名前:三文小説家 投稿日:2001年09月15日(土)01時09分29秒
- 第1話「出会い」はここまでです。
読んでくれた方々、本当にありがとうございます。
感想をお待ちしております。
第2話「コンビネーション(仮)」は近日掲載予定です。
>>28
初レス、とても嬉しいです。
本当にありがとうございます。
駄文ではありますが、どうぞ今後もお付き合い下さい。
- 34 名前:名無しさん 投稿日:2001年09月16日(日)13時03分06秒
- お、紺野さん登場??と思いましたが、カントリー娘。にも
「あさみ」さんはいるので、まだどちらか判りませんね(笑
次の話期待してます。
- 35 名前:三文小説家 投稿日:2001年09月16日(日)23時35分48秒
- >>34
確かに(W
設定上、名字を出すのはおかしいと思い、伏せましたが、
登場している「あさ美」は紺野さんなので、今後はその方向でよろしくお願いします。
第2話更新予定は9月19日になる予定です。
どうぞお待ち下さい。
- 36 名前:第2話 コンビネーション 投稿日:2001年09月19日(水)23時42分48秒
- ひとみは暗闇に在する螺旋階段を上り続ける。どこまで行っても途切れることがない。
やがてひとみは激しく肩を上下させ、息を吐く。足は重くなり、徐々に上がらなくなってくる。それでもひとみは止まることが出来ず、ただ階段を上がり続けるほかにない。
目の前に白い人影が見えた。ゆらゆらと揺れていて、ひとみと同じように階段を上っている。
ひとみはその見覚えのある影に声をかけようとする。
次の瞬間、響き渡る銃声。
人影は柔らかな笑みを浮かべながらひとみの方へと倒れてくる。
その影の向こうには、もう一つの人影が銃を向けて立っていた。その顔は影になっていて見ることができない。
ひとみは狂ったようにその影に飛びかかろうとする。しかし、ひとみの身体は動かない。
コツコツと靴音が響き渡り、影はひとみに近づいてくる。手に銃を構えながら……。
ひとみは憤怒と恐怖に打ち震えながら、影と対峙した。
影は何かぶつぶつと呟いている。
ゆっくりと引かれていく引き金……。
- 37 名前:第2話 コンビネーション 投稿日:2001年09月19日(水)23時43分50秒
- ひとみはばっと身を起こした。眠る場所がソファーに変わっていたため身体が転げ落ちそうになる。寝汗に髪やTシャツは濡れている。不安に自分の額に手を当ててみるが、そこには穴はなく、粒のような汗が浮かんでいた。
「……いつもの夢か…」
ひとみは忌々しげに呟いた。乱暴に身体をソファーに横たえる。そして頭の後ろに両腕を回し、天井を眺める。
カーテンからは薄明かりが入ってきており、遠くから電車の走り始める音がする。雀たちも鳴き始めて、まもなく朝がやって来るのだろう。
ひとみは何度か寝返りを打ったが、すっかり身体の方は目覚めてしまい、渋々とソファーから立った。そして渇ききった喉を癒すために冷蔵庫に向かう。
- 38 名前:第2話 コンビネーション 投稿日:2001年09月19日(水)23時44分48秒
- ふと隣室を覗き込み、ベットに視線を送った。そこにはあさ美が軽やかな寝息を立てながら、布団にくるまっていた。
愛用のワルサーPPKはベット頭上の棚に置かれていて、眠っているにも関わらず身体からは鋭い気が放たれていた。本当に眠っているのかも疑わしく感じられる。
「信頼されていないってわけか…」ひとみはあさ美を見て、頭を掻いた。
あさ美と出会ってから早一週間近く立つのだが、未だにその関係はぎくしゃくしていた。ひとみはそれほど気を使うなとは言っているのだが、あさ美自身が元々無口のためか、会話が弾むということはなかった。
- 39 名前:第2話 コンビネーション 投稿日:2001年09月19日(水)23時46分34秒
- あの屋敷で手合わせした時の高揚感をひとみは忘れることが出来なかった。
あさ美自身は手を抜いていたのだろうが、殺気は正直であり、ひとみを生と死の狭間に否応無しにも導いた。甘く麻薬のような誘惑がひとみを襲ったのだ。
正直、手放したくないという欲が出た。天才的な能力を持ち、影を引きずる少女は完全にひとみを虜にしていた。
「だからって、『一緒に仕事しよう』か?」
自分にひとみは苦笑をしながら冷蔵庫を開け、ミネラルウォーターを取り出した。外から入り込む光がペットボトルに歪む。
- 40 名前:第2話 コンビネーション 投稿日:2001年09月19日(水)23時47分33秒
- 今まで大陸から引き上げてきてからひとみはずっと一匹狼であった。一人でいることに慣れすぎたし、人と馴れ合うには傷つきすぎた。
それが急に年端もいかない少女に惹かれ、コンビを組もうというのである。勢いとはいえ、ひとみは少々後悔をしている。
そもそもコンビを組むということはお互いの命を預け合うということでもある。名前のみで他は何も知らない少女に自分の命を預けることができるのであろうか。
「あたしもついに焼きが回ったのかな」
ひとみはミネラルウォーターに口を含むと、机の引き出しに手をかけた。中には俯せに寝かされた写真立てが入っている。
「…結局、あたしはあさ美を身代わりにしようとしてるだけなのかもしれない」
ひとみは写真立てを見ることなく引き出しを閉め、汗を流すために浴室に入っていった。
- 41 名前:第2話 コンビネーション 投稿日:2001年09月20日(木)23時13分29秒
- 梨華からの電話があったのは昼食が終わり、のんびりと午後の時間を読書で楽しんでいたときであった。同じ空間にいると無言の重圧に息が詰まりそうになるため、あさ美には買い物に行かせている。
「ちゃお〜。ひとみちゃん、元気にやってる?」
梨華の声は相変わらず甲高く、気分を害してくれる。ひとみは顔をしかめながら応答した。
「この間の仕事の報酬はちゃんと振り込んでおいたから。いつも通り7対3の割合でね」
「それはどうも。それで今日は?」
梨華から電話がかかってくるということは仕事の依頼である。ひとみはそれまで読んでいた本を硝子テーブルの上に投げると、ソファーの上で胡座をかく。
「今日はねぇ、ひとみちゃんの声が聞きたかったから電話しちゃった」
梨華がうふふと笑う。
「あのなぁ、用事がないときは電話するなって何回言えば分かるのよ。大体あんた、今、仕事中でしょ」
ひとみは不機嫌そうに言う。
- 42 名前:第2話 コンビネーション 投稿日:2001年09月20日(木)23時15分15秒
- 梨華は普段はある官庁で働く国家公務員である。いつから情報屋をしているのかは知らないが、ひとみは先輩から紹介された。裏ではずいぶんときわどいことにも手を出しているらしく、何度かその尻拭いをさせられたこともある。
基本的には依頼者をインターネット上のサイトで募集をしているらしく、書き込みをしている者に直接連絡をとって依頼を確保しているらしい。
裏家業者たちはこのような方法で仕事を得るのが常識的となってきており、本来ならば警察が取り締まらなければならないのだが、一部では警察も利用していると噂されている。 現に梨華のサイトも裏社会ではそこそこ有名であるようだが、取り締まり対象になったことはない。
特別に懇意になっているものには直接的に依頼を受け取ったりもしているようだ。そういう場合は大概、政府の重鎮などといった、それ相応の身分を持ち合わせたものである。おそらく占い屋に行って自分の未来を占ってもらうのと同じような感覚で、梨華に暗殺や護衛の仕事を依頼しているのだろう。
- 43 名前:第2話 コンビネーション 投稿日:2001年09月20日(木)23時16分28秒
- 「うそ、うそ。ちゃーんと仕事の依頼よ。んもう、そんなに怒らなくったっていいじゃない。でも、怒ってるひとみちゃんもす・て・き」
ふざけ口調で梨華は言うと笑った。ひとみは携帯電話を床に叩きつけたい気分になる。
「いつもの方法で送るからね。今度のは目黒辺りのチンピラさんを仕切っているボスだって。簡単でしょ」
いつも離れた場所で指示を送るだけの梨華は気楽なものである。
「本当にあんたはお気楽ね」
ひとみは毒づきながらパソコンを起動させる。
「たまにはあんた自身が身を曝して仕事をしてみたら」
「私のお仕事は仕事の斡旋と情報提供だけ。『君子危うきに近づかず』ってね。あ、それと税金の無駄遣いも仕事か」
梨華は悪びれた様子もなく言うと、くすくすと声を潜めて笑っている。
「泥棒」
ひとみは呟くと、一方的に電話を切った。
- 44 名前:第2話 コンビネーション 投稿日:2001年09月20日(木)23時17分30秒
- ひとみは背後に人の気配がして振り向いた。そこには買い物袋を抱えたあさ美が静かに立っていた。
あさ美は白いシャツを着て、薄茶色のパンツを穿いている。これはひとみがあさ美に買い与えたものである。出会ったときのあさ美が着ていたのものはすっかりぼろぼろとなっていて、東京の街並みを歩くには少々目立ちすぎる。
「……ひとみ‥さん、買い物に行って‥来ました…」
静かにぼそぼそとあさ美が喋る。どことなく他人行儀で、敬語もまだ抜けていない。
「あ、ありがとう。冷蔵庫の中に入れといてくれる」
ひとみは再びパソコンの方を向くと、メールをツールに通す。暗号文はすぐさまターゲットの情報へと変換されていく。
- 45 名前:第2話 コンビネーション 投稿日:2001年09月20日(木)23時19分34秒
- 「依頼が来たんだけど、仕事の」
とりあえずひとみはあさ美に聞いてみる。
「一応世話をしてるわけだしさぁ。あたしのモットーは働かざる者食うべからずなんだよね…」
半強制であることを言葉に匂わせる。これから拳銃を握って命のやり取りに行くわけである。あさ美にもそれなりに覚悟を決めてもらわなければならない。
冷蔵庫に牛乳を入れていたあさ美の手が止まる。それからゆるゆるとひとみの方を向いて、こくりと頷いた。
「あ、そう。それじゃあ、それを入れたら準備始めて。対象者はチンピラのボスらしいから、それなりの壁はあるって思ってて」
ひとみは背もたれに寄りかかりながら指示を飛ばした。あさ美は聞いているのか黙々と食材を冷蔵庫に入れている。
ひとみはそんなあさ美の姿を見て、不安に髪を掻き上げた。
- 46 名前:名無し読者 投稿日:2001年09月21日(金)00時17分37秒
- 官庁で働く国家公務員の梨華ちゃん萌え〜(w
これからよっすぃ〜とあさ美はどうなってくんだろう?
- 47 名前:第2話 コンビネーション 投稿日:2001年09月25日(火)01時16分22秒
- 日が落ちた頃、ひとみは赤坂のある料亭の裏にバイクを止める。
後ろにはしっかりとあさ美が掴まっている。頭には多少大きめのヘルメットを被り、服は着替えることもなく今朝からずっと着たものと同じである。まさかこの普通の少女がこれから拳銃を持つとは誰にも予測はできないだろう。
「ターゲットはここで食事をしているらしいわ。どうせ碌でもない悪巧みを兼ねてでしょうけどね」
ひとみはバイクを降りるとヘルメットを外し、髪を整える。それから黒いジャケットの中に手を入れて愛器のベレッタM84を確認する。
「本来なら自宅で寝ているときを狙った方がいいんだけど、自宅はそれなりの対処をしてだろうから、こっちで殺ることにするわ。こっちの方が引き連れてくる人数も少ないだろうし、相手も酒が入っている可能性が高いから仕事しやすいしね。
- 48 名前:第2話 コンビネーション 投稿日:2001年09月25日(火)01時17分31秒
- 「気をつけるのはターゲット以外はなるべく手にかけない。料亭の人間とかには絶対に発砲とかしない。暗殺が日常茶飯事になってる今、マスコミが暗殺された人の悪事を勝手に曲解して報道してくれるから、殺されて当然みたいな風潮が働くのよ。そうなると警察側も裏がある分、こっちには口を出しづらくなる。だけど罪人でない人間を手にかけると、すぐに欲求不満の上に飢えた犬たちが追いかけてくるからね」
あさ美がヘルメットを脱いでいる間、ひとみは心得を話した。
だが、ヘルメットの下から現れるのは相変わらずどこを見ているのか分からないあさ美の虚ろな目であった。
「まあ、ともかくあんたはあたしをサポートしながら、自分の身を守ることだけを考えて。失敗は厳禁。もちろん自分が死ぬのも厳禁よ。つまり必ず仕留める。それがあたしたちの掟。分かった?」
ひとみの言葉にあさ美は頷いた。
「OK?ならば始めるわよ」
ひとみは塀を見上げて、自分の唇を舐めた。
- 49 名前:第2話 コンビネーション 投稿日:2001年09月25日(火)01時18分48秒
- 二人は料亭の壁を乗り越える。中は高級料亭によくある日本庭園が広がっている。小さな池があり、水中では鯉たちが優雅に泳いでいる。
時折、獅子脅しが軽やかな竹の音を辺りに響かせている。苔石の上には蛙たちが雨乞いをするように濁声をあげている。
木陰の向こうには立派な日本家屋が建造されており、その周りに不釣り合いの派手なシャツなどを着込んだ男たちは暇そうに立っていた。どうやら食事は離れた家屋で行っているようだ。その付近には黒スーツの男たちが堅固に守っている。そのため出入り口は確認できないが、おそらく離れで間違えはないだろう。
そう判断をしたひとみはあさ美に反対側から回るように無言の指示をした。あさ美は普段と変わった様子もなくこくりと首を振ると、静かに木陰を移動していく。
「さてと…」
ひとみはベレッタのスライドを引く。それからゆっくりと様子を見るように場所を移動していく。
- 50 名前:第2話 コンビネーション 投稿日:2001年09月25日(火)01時20分58秒
- 細く低い木々が並び立ち、土の匂いがひとみの鼻をつく。葉は徐々に色素を失い始めていて、地面には散り果てた木の葉も多い。
空は雲が覆いだしているのか、月の明かりは一切感じられない。日本家屋の方からは光が漏れてくるため支障はないが、それと共に聞こえてくる騒ぎ声がひとみの集中の邪魔をする。
ひとみは肩で激しく呼吸をする。息音が辺りに聞こえるのではないかというほど大きい。血液が暴れるように全身を駆け巡り、身体が燃えるように熱い。喉もからからに渇いてくる。何度か生唾を飲み込み、絡み付く渇きを誤魔化そうとする。
これほど緊張したのは久し振りのことである。いつもであればこの程度の仕事など、あっという間に片付けてしまうのだが、心の隅であさ美のことが気にかかってしまうのだ。
「こんなことなら一人でやればよかった」
ひとみは吐き捨てるように呟く。
丁度、今の場所から離れ家屋の出入り口が見える。煌々とした明かりが灯っいるのだが、中からは何の音も聞こえてこない。出入り口には二人の男が不動の体勢で立っていた。
- 51 名前:第2話 コンビネーション 投稿日:2001年09月25日(火)01時23分10秒
- ひとみはタイミングを計る。銃で片付ければ簡単だが、出入り口前で銃を使えば中の人間に気づかれてしまう。
一人の男が横を向いた。
ひとみは勢いよく木陰から飛び出る。木々は騒々しく揺れる。音に、慌てて男は振り向くが、一瞬の内にベレッタの持ち手の部分で殴られ、うめき声を上げながら倒れた。
隣にいた男も反応が遅れた。スーツ内に手を忍ばせるのだが、ひとみはそれよりも早く相手の急所部を狙い、蹴りを入れた。相手の男は苦しそうな顔をしながら地面に座り込む。
ひとみはその間に出入り口を開ける。中は明るい電灯に照らされ、数個の御膳が並べられている。ずいぶんと前に運ばれたのか、すっかりと冷め切っているようだ。煙草も硝子製の灰皿に乗せられており白煙が立ち上っている。
「いない?」
ひとみは土足で室内に入り込む。ひとみは人影を見つけようとベレッタを左右に振るが人の気配はそこにはなかった。
「どういう……」
ガチャリ。嫌な金属音が後頭部でする。
- 52 名前:第2話 コンビネーション 投稿日:2001年09月25日(火)01時24分25秒
- 「哀れな子羊がかかったようだな」
ひとみは目を伏せると、ベレッタを座敷に投げた。それは御膳に当たり、食器から食べ物がこぼれる。それからゆるゆると手を上げる。
「賢い選択だ。どうやら狙われているというタレコミは正しかったようだ」
渋く低い声が背後で笑い声をあげた。
「チンピラ風情がずいぶんと賢いことをするじゃない」
ひとみは皮肉を込めて言った。
こんな単純なトリックに引っかかってしまった自分への怒りもある。
普段ならばこの程度の考えなど読める。だが、今回は状況が違った。やはり一人でやるべきであったと後悔の念が過ぎる。
「我々もいつまでもチンピラというわけにはいかなくてね。それなりのルートを確保しているんだよ。君たちのような暗殺者に狙われないようにな。しかし驚いた。このようなうら若き乙女が拳銃を握って、男勝りのことをしてるなんてね」
背後の男は後頭部にぐいぐいと銃口を押しつけてくる。ひとみは痛みに頭をくゆらせる。
- 53 名前:第2話 コンビネーション 投稿日:2001年09月25日(火)01時29分45秒
- 「がっかりさせてしまったようね。最近の女は一筋縄ではいかないのよ。それが今から分かるから……」
ひとみは背後に立つ男の気配を探る。どう足掻こうと相手は猿山のボスにすぎない。命のやり取りならば、ひとみの方がプロとして一枚上手である。どこかに隙があるはずだ。
「おっと、動かない方がいい。私は素人だからいつ撃ってしまうか分からないからな。さて、せっかく出会えたのだが、残念なことにもうお別れだ。忙しいことに君の名前を聞いている暇がない。我々はこれから大事なお客様をお迎えしなければならないからね」
強気なひとみの様子に男はからかうように言った。その男の後ろからも幾重の笑い声が漏れる。
ひとみは状況がかなり切迫していることに焦った。
おそらく背後には部下の人間たちがひとみに好奇の目を向けて、公開処刑を待ち望んでいるのだろう。銃を突きつけている男を片付けるのは簡単だが、その結果、間違いなく蜂の巣にされてしまう。
「さよなら、薄汚い子猫ちゃん」
男が楽しそうに笑った。
- 54 名前:第2話 コンビネーション 投稿日:2001年09月25日(火)01時33分52秒
- その時、背後で囲っていたと思われる男の一人がうめき声をあげた。
ひとみの銃を突きつけていた男は何事かと振り向く。と、男の動きが止まった。
その隙をひとみは逃さなかった。素早く銃口から離れて、座敷に転がるベレッタを拾い上げ、男に照準を定める。
「‥動かないで」
静かな声であった。
状況を見て飛び出してきたのだろう。あさ美が銃を持つ男の腰部にワルサーPPKを突きつけていた。
「…あなた達も動かないで」
離れを囲っていた烏合の衆にも警告の言葉を飛ばす。控えていた男たちの動きが一斉に止まる。
ひとみはあさ美のこれほどはっきりとした声は聞いたことがなかった。
「…銃を捨てて」
あさ美の有無を言わせない口調に男は銃を手放した。あさ美はその銃を足で払う。
「‥これはこれは、小さなお嬢ちゃんもいたのか」
男が引きつった笑い顔を浮かべながら、あさ美を睨む。
「最近の学校では銃の使い方も教えているのかね」
「喋らないで!」
あさ美は苛立つかのように声を出す。男は肩をすくめた。
- 55 名前:三文小説家 投稿日:2001年09月25日(火)01時50分50秒
- 旅行へと出かけていたため、しばらく更新ができませんでした。
そのため、今回は多めに掲載します。
申しわけありませんでした。
>>46
石川はかなり力を入れて書いています。
気に入ってもらえて、とても嬉しいです。
今後も石川はサポート役として登場、暴走しますので、
どうぞお楽しみに(w
- 56 名前:三文小説家 投稿日:2001年09月26日(水)01時09分14秒
- 「どうやら状況は一変したみたいね」
ひとみはベレッタを相手の額に押し当てる。初めて相手の顔をまじまじと見たが、なかなかいい年の取り方をしている。口元に髭を生やし、シャープな輪郭を持っている。ポマードをたっぷりと塗った髪はオールバックである。アルマーニのスーツを着込み、客人と何か大切な商談でもしようとしていた様子がうかがえる。
「パソコンの画像よりもいい男じゃない」
冗談めかしてひとみは相手の頬を抓る。男は屈辱に顔の色を染めた。
「素人のくせに玄人を騙すから、こういうことになるのよ。罠にかかった獲物をボス自らが喜び勇んで捕りに来てこの結果。何ともお粗末ね」
ひとみがにやりと笑う。
「いいのか。これから来る客人は警視庁の要人だぞ。お前たちがここで私を殺せば、すぐにその両手に手錠がかかることになるんだぞ」
男は死が間近に迫り、怯えたように声を震わせた。
- 57 名前:第2話 コンビネーション 投稿日:2001年09月26日(水)01時11分37秒
- 「あんたたちが警視庁とここで何をしようとしていたかなんて関係ないの。あたしたちはあんたを邪魔だと思っている人から消してくるように言われただけだから。それが殺し屋ってもんでしょ。それに言ったでしょ、今の女は一筋縄ではいかないって」
「…くぅ、お前たち……」
男の声は最後まで発せられなかった。鋭い音が響くと、男の頭には空洞ができていた。そこからは煙が立ち上る。
血がひとみのジャケットにかかる。ひとみは舌で唇をなぞった。あさ美も緊張の面もちで囲む集団に身体を向ける。
その銃声が合図になったかのようにチンピラたちが動き出した。黒スーツの男たちは一斉に銃器を懐から取りだし向けてくる。一方、派手なシャツの男たちは逃げ出す者たちもいて、日本庭園は大騒ぎになる。
何事かと奥の方から着物に身を包んだ給士たちも姿を見せるが、拳銃を向けあっているのを見て金切り声をあげる。その声に客間で騒いでいた客人たちも顔を出してくる。
そして事の状況を知ったのか、取るものも取らずに慌てたように出口へと向かって走り出す。出口は逃げる人たちで押し合い状態になり、激しい罵倒と叫び声で埋め尽くされていた。
- 58 名前:第2話 コンビネーション 投稿日:2001年09月26日(水)01時15分31秒
- ひとみは飛び交う銃弾を避けながら、弾丸を相手の身体に的確に埋め込んでいく。
あさ美は銃を使わず、体術で相手を倒していく。その動きはまるで水のごとく流れるようで、雲のごとく柔らかなものであった。相手の懐に上手に入り込み、拳や蹴りを使い、時には獣のように押し倒していく。巷で虚勢を張っているチンピラ相手ではまさに天と地ほどの違いがあった。
「あさ美、こっち!」
ひとみはベレッタの弾倉を交換しながら怒鳴った。あさ美はその声に反応して、素早く対峙していた相手の右頬に右の裏拳を入れると、ひとみの方へと駆け寄ってくる。
- 59 名前:第2話 コンビネーション 投稿日:2001年09月26日(水)01時16分33秒
- ひとみはサポートをするようにベレッタを撃ち続ける。何人かが苦しそうな声を上げ、地面に横たわっていく。
「先に行きな。バイクの所で気を抜かずに待ってな」
ひとみは再び弾倉を変える。
「…ひとみ……」
「さっきあんたに助けてもらったお礼だよ。しんがりぐらい先輩に任せろって」
あさ美は何か言いたげであったが、こくりと頷いた。ひとみは木陰に転がりながら入る。あさ美は眼前の塀を軽やかに駆け上がっていく。ひとみはスライドを引いた。
「ちゃんと呼べるじゃん。ひとみって呼び捨てで」
ひとみは微かに笑うと、木陰から追っ手を撃った。
- 60 名前:第2話 コンビネーション 投稿日:2001年09月26日(水)01時17分52秒
- ひとみは鍵を回して部屋のドアを開けた。すっかり闇に包まれた室内の電灯を灯す。
「あ〜あ、疲れたぁ〜」
ひとみはソファーに倒れ込む。服はすっかり血と泥に汚れ、生々しい血の匂いが染みついている。
後ろからゆったりとあさ美が室内に入ってくる。顔や服には飛び散った血が染みを作り、黒髪もぼさぼさである。
「どうだった?初めて仕事」
ひとみはソファーの上でもぞもぞと身体を動かす。
「あたしは結構よかったと思う。まぁ、あたしの方がドジっちゃってあさ美に助けてもらっちゃってさ、格好悪かったよなぁ。でも本当に助かったんだけどね」
ひとみはまとまらない言葉で、何とか自分の思いを伝えようとする。
あさ美は何も言わずに隣室に入って行き、ベットの縁に座った。
「どう?これからやっていけそう?」
ひとみは気になるようにあさ美の方を向くと尋ねた。あさ美は何も答えずゆっくりと後ろへ倒れていった。
ひとみは慌てて身体を起こす。そしてベットに近づく。
- 61 名前:第2話 コンビネーション 投稿日:2001年09月26日(水)01時18分56秒
- 「なんだ、寝てるのか…」
ひとみは胸を撫で下ろした。
そこには普通の少女の寝顔があった。緩やかに寝息を立てながら、心地よさそうに眠っている。血に濡れている顔もどこか清らかなものに見えてくる。今まで罪場にいたのが信じられないほどである。
ひとみは呆れたように溜息を吐いた。そして布団をあさ美に掛けてやった。あさ美は僅かに身をよじらすと、布団に潜り込んでいく。
「せっかく先にシャワーを譲ってやろうと思ってたのにさ」
ひとみはソファーに再び転がり込む。じっとりとした重さが身体を襲う。ソファーに自分の身が飲み込まれていくような気分である。
- 62 名前:第2話 コンビネーション 投稿日:2001年09月26日(水)01時22分28秒
- ひとみはそのままの体勢で窓の方へと顔を向ける。空には月も星もなく雲が覆っている。それなのに地上は光を失うことを恐れているかのように、いつまでも消えない光を灯している。明かりは街並みを浮き上がらせて、高みからの光景は幻想的である。幾重の輝きはまるで箱に納められた宝石にも思える。
「あたしもこの街と一緒ね」
今まで仕事が終わって帰ってきても誰もいなかった。だが、今はベットの上には不思議な少女が眠っている。それだけでもなにかが満たされている。再び一人になることに恐怖を感じる。
あの時のように大切なものが消えてしまうことが怖い。
「だから、あたしは強くなりたいんだっけ……」
ひとみは自分に尋ねるように呟く。
ひとみはゆっくりと瞼を下ろす。ひとみは襲い来る睡魔にそっと身を委ねると、やがて眠りへと落ちていった。
To be continued
- 63 名前:三文小説家 投稿日:2001年09月26日(水)01時35分13秒
- 以上で第2話「コンビネーション」は終了です。
読んでくれた方々、本当にありがとうございます。
どうぞ感想なんぞを書き込んでやって下さい。
1,2話は物語のイントロダクション的なもので、第3話からは他のメンバーの登場、ひとみやあさ美の過去など本格的に物語が進んでいきます。
表題にある「ペルセポネー」についても徐々に明らかになっていきます。
どうぞのんびりとお待ち下さい。
第3話「青の時代(仮)」は10月1日より掲載予定です。
- 64 名前:第3話 青の時代 投稿日:2001年10月01日(月)00時40分55秒
- 空はよく晴れ渡っており、点々と白い絵の具を垂らしたような雲がいくつか浮かんでいる。快適な風が通り抜けるごとに木々の枝が優しく揺れる。そのたびに色を失いつつある木の葉は、アスファルトの上に身を散らしていく。
日差しも夏から秋のものへと代わり、柔らかな光が地上を照らしている。そこには雀や鳩などが餌をついばみながら、心地よさげに日向ぼっこをしていた。
上野公園は土曜日ということもあり、人で賑わいをみせている。あさ美はその人混みの中をゆるゆると歩を進めていく。時々、暇そうな男性から声をかけられたりもするが、あさ美は意に介した様子も見せず、目的の地へと歩く。
何度も西郷隆盛像の前に出てしまった挙げ句、ようやく見つけた長蛇の列の最後尾にあさ美は並ぶ。
- 65 名前:三文小説家 投稿日:2001年10月01日(月)00時42分28秒
- あさ美は持っていた赤いハンドバックからチラシを取り出す。そこには『ピカソ展−平和への願い』と派手な文字が踊り、パブロ・ルイズ・ピカソの名画「ゲルニカ」が印刷されていた。
あさ美はそこに書かれているものを何度も読み返すと、丁寧に折り畳み、満足したようにバックへと仕舞う。それから少し背伸びをしてどの程度の列か、確認をすると、そっと目を閉じて入り口に着くまでの時間を過ごす。
ひとみに『ピカソ展』に行きたいとあさ美が言ったのは昨夜のことである。新聞の広告欄をひとみに見せると、ひとみは意外そうな顔をして、二度三度あさ美と広告とを見比べた。
結局、ひとみは絵画に興味がないと言ったため、あさ美一人で上野の国立西洋美術館まで出てくることになった。とはいえ、あさ美も絵画に造詣を持っているわけではない。
ただ、ピカソだけは別であった。特にピカソの『ゲルニカ』はあさ美の記憶の奥底に深く刻み込まれている。
- 66 名前:第3話 青の時代 投稿日:2001年10月01日(月)00時49分09秒
「あさ美ちゃん、ピカソって凄いよね。絵全体からエネルギーが溢れ出てる」
暗く小さな部屋で、ピカソの画集を広げながら、隣に座る少女が可愛らしい声で何度も感嘆の溜息をもらす。あさ美はその凄さが分からず、ただ小首を傾げた。
「私、この絵が好きなんだ」
少女は嬉しそうに指で示す。そこには『ゲルニカ』と命名された絵が縮小されて載せられていた。
「この絵って、ピカソが爆撃されたゲルニカの街を描いたんだって。絵で爆撃を批判したのよ。本当のはこの画集のよりも大きくって、きっと迫力があるんだろうね。いつか本物を見てみたいなぁ」
少女はあさ美に笑いかける。あさ美はまじまじとモノクロ印刷されたページを眺める。
ちょうどその時、鋭い音でベルが鳴る。少女は慌てたように画集を閉じるとそれを本棚に戻す。
あさ美は身体が急激に重くなっていくのを感じる。腹部に痛みが走り、その部屋から動きたくないという欲求が身体を縛り付ける。
「行こう、あさ美ちゃん」
少女は再び太陽のような笑顔を浮かべて、あさ美の手を取った。あさ美はその手に引かれるようにのろのろと立つ。そして暗闇の扉をくぐっていく……。
- 67 名前:第3話 青の時代 投稿日:2001年10月01日(月)00時50分05秒
「お嬢ちゃん、一人?」
あさ美は目を開ける。困惑した表情であさ美を覗き込もうとするチケット売場の年輩の女性がいた。列に並んでいた人々も不思議そうにあさ美を見ている。
どうやら人波に押されながら、いつの間にか入り口に辿り着いたようだ。
「……はい」
あさ美は状況を認識すると、慌てたように答えて、チケットを購入した。
- 68 名前:第3話 青の時代 投稿日:2001年10月02日(火)01時23分05秒
- あさ美は頭を振り、昔の記憶を追い払う。
そして館内に入ろうと人の波に乗って歩く。すると右手に巨大な鉄製の門を見ることができた。
あさ美は自然とその門に引かれ、列から離れて近寄る。それはブロンズで作られており、ぴったりと閉じられている。その門上には数多くの人間たちが縋るように在していた。
「これが気になるの?」
急にあさ美の肩に手がおかれた。余りにも不意であったためあさ美はびくりと身体を震わせ、反射的にその手を払う。
振り向くとそこには見たことのない女性が驚いた顔であさ美の方を見ている。
- 69 名前:第3話 青の時代 投稿日:2001年10月02日(火)01時23分49秒
- 「驚かせるつもりはなかったんだけど‥」
「…ごめんなさい、余りにも急だったから」
あさ美は謝りながら、相手の気配を探る。
相手の女性は黄土色に染められた肩ほどまでの髪を、払われた手で掻き上げる。大きな瞳に、小口が少々アンバランスに配置されており、口右下には印象に残る黒子を見つけることができた。露出の高い服を着ており、肩とへそはむき出しになっている。日によく当たっているのか肌は褐色に染まり、一部は赤くなっていた。
「さっきまでぼうっとしてたくせに、意外と素早い動きも出来るのね」
女性は息をおいて和やかな口調で話しかけてくる。低音ではっきりと響き渡る声である。
- 70 名前:第3話 青の時代 投稿日:2001年10月02日(火)01時24分42秒
- 「……すみません」
あさ美は危害を加えてくる様子もないため、警戒心を緩める。
「この門がさ、なんか気にかかってたみたいだから声をかけたんだけどね。これはねぇ『地獄の門』っていってロダンの未完の大作なのよ。依頼されてダンテの『神曲』を元に作ったみたい」
女性は腰に手を当てると、眩しそうに目を細める。あさ美も門へと目を向ける。
「何だか今にも開きそう……」
「本当に?本当にそう思う?やっぱりなぁ、分かる人には分かるんだよ。あたしもいつもこれを見るたびにそう思うんだ。何だか開いて悪魔とかが這い出てきそうな感じがするのよね。意外に芸術を見る目を持ってるんじゃない?」
女性は嬉しそうにあさ美の肩を叩いた。あさ美は痛みに顔をしかめる。
- 71 名前:第3話 青の時代 投稿日:2001年10月02日(火)01時26分06秒
- 「何だか、あんたとは楽しく話せそうな気がするよ。あたしは保田圭ね。美大を目指して現在浪人中。今日もさぁ、ピカソでも見て勉強しようかなぁなんて思ってきたんだけどね。あんたは?」
「……あさ美‥です」
あさ美は渋々名乗る。どうやらこの女性にずいぶんと気に入られてしまったようだ。
「そっか、あさ美か。あんたもピカソを見に来たんでしょ。だったらあたしと一緒に行こうよ。一人で見るよりも二人で見たほうが違った見方があるから、あたしの勉強にもなるしさぁ」
圭はにやりと笑って、あさ美の肩に手を回してきた。あさ美は本当に迷惑そうに顔を歪めた。
- 72 名前:第3話 青の時代 投稿日:2001年10月03日(水)01時23分15秒
館内は絵を見る雰囲気ではなかった。どこを見ても人波であった。絵画を鑑賞に来たというよりも、これでは人を見に来たと言ったほうが正しいように思える。
冷房の調子がおかしいのか、会場は蒸し暑く入り口で配っている資料でぱたぱたと仰ぎながら、人々が眼前の絵について、己の知識を披露しあっている。
あさ美は圭に手を引かれながら、人混みを縫っていく。そのためあさ美はほとんど絵を見ることが出来ない。
「…あの、絵が見られないんですけど…」
あさ美は小声で圭に言うのだが、一向に聞こえていないような様子で圭は足を止めない。あさ美は諦めて圭に引かれるまま通路を辿る。
「やっぱりピカソって言ったらこれよ」
圭は前触れもなく足を止めた。あさ美はゆるゆると人壁の向こうに掛かっている絵を見つめる。そこに並べられた絵は背景が青い色で彩られ、どこか鬱々しい人物たちが描かれている。
- 73 名前:第3話 青の時代 投稿日:2001年10月03日(水)01時24分01秒
- 「青の時代の絵よ。やっぱりこの青春で悩んでいるピカソの姿が思い描かれてあたしの心を打つのよねぇ。幾何学化されたピカソの絵もいいけどさぁ、こっちからは想いっていうのかなぁ。そういうのが伝わってくるのよね。あさ美もそう思うでしょ」
圭はうっとりしたように壁に掛けられた絵に目を奪われている。
「あの、『ゲルニカ』ってどこにありますか?」
あさ美にとって圭のピカソに対する感想はどうでもよかった。圭は質問を無視されて少々むっとした表情を浮かべ、黙って人が一番集まっている場所を指さした。
「ありがとう」
あさ美は圭に礼を言うと、そちらに向かう。
- 74 名前:第3話 青の時代 投稿日:2001年10月03日(水)01時25分02秒
『ゲルニカ』は今回の展覧会、最大の見せ物であった。
今でこそマドリーヌのプラド美術館に普段は展示されているが、ピカソの故郷スペインに落ち着くまでは様々な政治的事情があった。そして現在の美術館に展示されてからは海外への持ち出しが禁止された。
それが今回、日本政府たっての願いが叶い、上野に展示されることになったのだ。つまり日本初であり、世界初の試みであるのだ。
それだけに厳重な注意が施されている。空気清浄装置つきの特製硝子ケースが周りを囲み、ケース前には頑丈な柵が立てられている。
その上、左右には自動小銃で武装した警備員が抜け目無く視線を動かしている。そのためケース前では観客たちも何やら厳かな雰囲気に飲み込まれ、黙って鑑賞を行っている。
- 75 名前:第3話 青の時代 投稿日:2001年10月03日(水)01時26分10秒
あさ美は『ゲルニカ』の前に立った。
ピカソ特有の幾何学化された人物や家畜たちが重なり合いながらも、天を仰ぎ見ている。背景は真っ黒く塗られていてどこか暗い。ピカソは地獄を描いた。どこかコミカルにも見えるのだが、それなのに苦悩が浮かび上がっている。それはオーラが絵から溢れ出て来ているとあさ美は感じた。
あさ美は震える。
長い間見たかった絵が目の前にある。本当ならばこれは一人で見るべきものではなかった。
私は彼女と見たかったのだ……
あさ美はそっと唇を噛みしめた。
- 76 名前:名無し読者 投稿日:2001年10月03日(水)22時35分28秒
- Musixみるとあさ美たんはこういうキャラぽい、と思いました。
石川さんが、どうしようもなさそうで好きです。
- 77 名前:第3話 青の時代 投稿日:2001年10月04日(木)01時05分08秒
美術館を出ると、心地よい空気をあさ美は胸一杯に吸い込んだ。太陽はすでに西に傾き始めている。白色であった雲は夕日に薄紅色に染まりだし、東京に蔓延る烏の群が上野の森に集まりだす。
「はい、疲れただろ」
急に目の前にソフトクリームが差し出された。あさ美は驚き、差出人に目をやる。そこには同じソフトクリームを舐めながら圭が立っていた。
「あんたずっと『ゲルニカ』の所でぼおっとしてたからさ。先に出て来ちゃったよ」
あさ美は圭からソフトクリームを受け取る。圭は美術館前に設置されたベンチに腰を下ろす。あさ美もそれに従った。
「あんた、よっぽど『ゲルニカ』が見たかったんだね」
「……私にとって思い出の絵なの」
あさ美はソフトクリームを舐める。冷たいクリームが舌の感覚を奪い、頭に冷たさが響く。
- 78 名前:第3話 青の時代 投稿日:2001年10月04日(木)01時06分55秒
- 「そっか。あたしにとっての青の時代の絵と同じなんだね。あたしさぁ、中学生の時なんだけど、ピカソの『スープ』っていう作品見たんだ。大人が子どもにスープをあげてる絵なんだけどね。何かさぁ、よく分からないけどすっごく印象に残ってね。それであたしも絵描きになるんだって決めてさ。それで美大受け続けてもう2年目」
圭は苦笑しながらスケッチブックを取り出した。
「全然駄目。プロの描いたもの見ると余計にそう思うよ」
圭はぺらぺらとスケッチブックをめくる。あさ美も興味深く覗き込むが、そこにはあさ美の理解の範疇を越えた絵が並んでいた。上手いか下手かと聞かれれば十人中十人が下手と答えてしまうものばかりである。
あさ美は気まずくなって、圭から視線を逸らした。
「親からも見放されて、そろそろ諦めようかなぁなんて思ってたんだよね」
圭はそこで言葉を切った。どこか嬉しそうである。
- 79 名前:第3話 青の時代 投稿日:2001年10月04日(木)01時08分23秒
- 「だけどね。今度スペインに行って本格的に絵を習うんだよ」
「スペイン?」
あさ美はコーンを囓りながら聞き返す。
「そう、情熱の国で、きっと射すような日差しが眩しいんだろうね。ピカソとか有名な芸術家って結構スペインから出てるんだよ。スペインに行って、画家のアシスタントしながら絵の勉強をしようってずっと考えてたんだよ。だけど資金がね‥足りなかったの。でもさぁ、ようやく資金に目処がついたのよ」
「……大丈夫なんですか?」
あさ美は不安になり尋ねた。このような絵で画家が雇ってくれるのだろうか。人ごとではあるが、ここまで話を聞いてしまうと気になってしまう。
「‥それ、どういう意味?」
圭は頬を膨らませる。自分でも多少の自覚はあるようだ。
「大丈夫だよ。ピカソだってああいう幾何学的な絵で大成を為したんだ。あたしだって何とかなるよ…。それにね、あたしは絵が好きなの。だからこれだけは絶対に辞めたくないんだ。どうせ後悔するなら、やってから後悔した方がいいだろ」
圭はにやりと笑った。
- 80 名前:第3話 青の時代 投稿日:2001年10月04日(木)01時10分29秒
- 「……前向きなんですね‥」
あさ美は圭に対して好感を持つことができた。
「まあね。あ、そうだ、今度あんたを描いてあげるよ。なんか無表情の娘って珍しいし、あんたってどっか影があって何かピカソの青の時代に近い雰囲気を持ってるんだよね」
圭があさ美の肩を叩いてくる。あさ美としては余り期待は出来ないのだが、それでも嬉しさが込み上げてきた。
「スペインに行くまでまだ時間があるだろうし…。あ」
圭は誰かの姿を見つけた。あさ美もそちらに目を向ける。どうやら男性のようである。
茶色く染めた髪にほっそりとした顔立ちであり、目はどこか不安げに辺りを見渡していた。体格も立派なほうではなく、どことなく弱々しさを感じさせる。
- 81 名前:第3話 青の時代 投稿日:2001年10月04日(木)01時13分42秒
- 「ごめん、ちょっと用事があるんだ。あ、そうだ。連絡先教えておくよ。後で絶対にモデルをやってもらうからね」
圭はスケッチブックのページを破るとそこに連絡先を書いていく。
「今はちょっと事情があって上野公園でテント暮らしだから見つけるのは難しいかな?でも、携帯はちゃんとつながるからね。はい、多分まだこっちにいると思うからいつでも連絡してきてよ。っていうか、絶対に連絡してよ。あんたみたいな可愛い娘なかなかいないしね」
圭は器用にウインクをすると、あさ美に連絡先を記した紙を渡し、手を振りながら男のほうへと走っていってしまった。
あさ美は手渡された紙を大事そうに、ハンドバックへと仕舞った。
- 82 名前:三文小説家 投稿日:2001年10月04日(木)01時24分05秒
>>76
感想ありがとうございます。
キャラに関して言ってもらえるのは、正直とても嬉しいです。
実は他の小説と異なり、ずいぶんとイメージが違うのではと不安に思っていました。
今後も他とはちょっと違うメンバーの姿が出てくると思いますが、作者の戯れだと思ってお付き合い下さい。
どうしようもない石川さんがずいぶんと人気のようです。
石川好きな作者としては嬉しい限りです(W
- 83 名前:第3話 青の時代 投稿日:2001年10月05日(金)01時43分32秒
マンションに帰り着いた時はすっかり日が落ちきっていた。
あさ美がリビングに入ると、ひとみは誰かと携帯電話で話していた。ひとみはあさ美の姿を見つけると手で挨拶をする。あさ美は邪魔をしないようにパソコンの乗る机へと近づくと、そこに買ってきたパンフレットを置いた。
「……何言ってんのよ!あさ美とはそういうんじゃなくて、仕事仲間よ。パートナー。…そりゃ、あんたに言わなかったのは悪かったけど‥。…って何であんたがあさ美のことを知ってるのよ!」
梨華からの電話のようだ。ひとみは必要ないと思って梨華にあさ美のことを話していなかったのだろう。そのことを今、追求されているのようだ。
あさ美は特に意に介した様子もなく、ハンドバックの中から圭から渡された紙を取り出す。自然と圭の顔が思い出され、あさ美は顔を綻ばせた。
「……だから話を変えるなって。その仕事には警察も絡んできてるんでしょ。そういう危険なのはやらないの。……駄目。いくらあんたのお得意先だからってあたしには関係ないよ。それよりも何であんたがあさ美のことを知っているのかってことを……」
ひとみは電話に吠えている。
- 84 名前:第3話 青の時代 投稿日:2001年10月05日(金)01時44分30秒
- あさ美はハンドバックをパンフレットの上に乗せた。するとパソコンにメールが届いている。『愛しいあなたへ』と銘打たれているため仕事の依頼である。
あさ美は前にひとみに教えてもらったように、そのメールをツールに通した。暗号が徐々に解読されていき、画面に仕事内容とターゲットの画像が映りだす。
あさ美の顔が強張った。画面に映った男に見覚えがあるのだ。
仕事内容はある組織に所属していたターゲットが大麻を大量に奪い逃走したため、ターゲットの捕獲もしくは始末である。
あさ美は置いたばかりのハンドバックを手に取ると、ひとみが声をかけてくるのも聞かずにマンションを飛び出していった。
- 85 名前:第3話 青の時代 投稿日:2001年10月05日(金)01時45分59秒
上野公園は昼間の喧噪が嘘であるかのように静かである。空には満天の星が煌めき、上弦の月が輝かしい光を放っている。森には東京に住む様々な鳥たちが眠りについている。木々は黒々とした影をアスファルトに落とし、どことなく不気味な雰囲気である。
その影に隠れるように二人の人影がビニールテントから現れた。どこか不安げで、焦ったように荷物を引きずり出している。
「早くしろよ、電車が出ちまうぞ」
苛立つような男の小声がする。相手は何度も頷き、自分が急いでいることを示す。
「見つかったら俺たちは終わりなんだ。死にたくなかったら急げよ!」
男は声を荒げて辺りを注意深く見渡す。そして荷物を引き出している相手の手伝いをするように荷物の一つを肩に担いだ。
- 86 名前:第3話 青の時代 投稿日:2001年10月05日(金)01時46分51秒
- その時、突如銃声がした。荷物を引きずり出していた人影ははっと顔を上げる。見ると男が肩を押さえて呻いている。荷物がドサリと重たげな音を立てる。
「……あんたは!」
荷物から手を離したのは圭であった。震えながらも憎々しげな目線を、銃を構えている少女に向ける。
「……今晩は、保田さん」
あさ美の声は静かであった。
- 87 名前:第3話 青の時代 投稿日:2001年10月06日(土)01時41分12秒
「まさか、本当に訪問してくれるなんてね。今時あんたみたいな義理堅い娘がいたんだ。あたし間抜けなことをしたみたいね」
圭は本当におかしそうに笑った。だが、その笑いは決して楽しげというものではなく、どこか自嘲気味である。
あさ美は答えず、銃口を男に向けたまま動かさない。男はすっかり声を失い、肩を押さえながら逃げだそうとして地面を這いつくばっている。
「……私は保田さんを助けに来ただけです。その男は組織から狙われています。一緒にいると保田さんも狙われます。その男は始末しますから、保田さんは離れていて下さい」
「……そう、何だか影のある娘だと思ってたら‥人殺しだったの、あんたは‥」
圭はあさ美の忠告を無視して男の前に立った。圭はジーンズのポケットから拳銃を取り出す。男はまるで意外そうに圭を見上げた。
「まさか使うとは思わなかったわ。その上、殺し屋と対決するなんてね。マサキはあたしの大事な人よ。あんたが何を言おうと、あたしはマサキと逃げることを約束したの」
圭があさ美に向けて銃を構えた。
- 88 名前:第3話 青の時代 投稿日:2001年10月06日(土)01時42分28秒
- 「あんたはあの『地獄の門』から出てきた悪魔ね。あたしとマサキとの幸せを邪魔する悪魔よ」
圭は撃った。しかし震える手で撃つ銃は当然あさ美に当たることはなかった。弾丸は闇夜に消えていく。
「退いて下さい。私は保田さんのためを思って……」
あさ美は苛立ち、声を荒げた。
「あたしのためを思うなら、邪魔をしないでよ!」
圭は再び撃ってくる。背後にある木に当たり、バシュッと木片が散る。その音に鳥たちが慌てふためいたように翼を羽ばたかせ、その木から飛び立っていく。
「マサキはあたしの夢に共感をしてくれた。あたしをスペインまで連れていってくれるの!あたしに絵を勉強させてくれるの!そのために組織を裏切って、危険なことまでしてお金を作ってきてくれた。だからあたしもマサキを守るのよ!」
圭は引き金を引いた。狙いは徐々に正確になってきているようで、あさ美のすぐ脇を弾丸が抜けていく。
- 89 名前:第3話 青の時代 投稿日:2001年10月06日(土)01時43分56秒
あさ美は目を伏せた。心の中で自分に聞く。自分は正しいことをしているのか、と。
だが、その答えの代わりに深淵の縁から闇が首をもたげて、あさ美の心を触り始める。
押し寄せてくる苛立ち、全てを破壊したくなる衝動、理解してもらえない自分の行動…
あさ美の中で何かがはじけそうになる。
あさ美は迷いを振り払うように、ワルサーPPKの引き金を引いた。弾丸は圭の頬をかすめ、通り抜けていく。薬莢が澄んだ音を立ててアスファルトの上に落ち、カラカラと転がる。それでも圭は動かなかった。
「……次は当てます」
あさ美はゆっくりと目を開けて、警告を発する。
「殺しなさいよ!あたしは死んだってここを動いたりしない」
圭の声はかすれ、上擦っている。それでも男の前を動く気配はない。
- 90 名前:第3話 青の時代 投稿日:2001年10月06日(土)01時44分53秒
あさ美は口の中で唱え慣れた言葉を呟き始める。段々と心に平穏が訪れ、自然と集中力が上がり、あさ美の目からは目標以外の姿が消えていく。肩や銃を持つ右手から力が抜けていくのがよく分かる。
あさ美は左手を右手に添えて、両手で銃を構えた。ぴったりと銃口は圭を指す。あさ美はゆっくりと引き金を引き、同時に目を瞑った。
パンと乾いた音が響く。衝動が肩に伝わり、スライドがバックする。そして薬莢が地面に落ちた音がする。
- 91 名前:第3話 青の時代 投稿日:2001年10月07日(日)01時18分24秒
手応えがあり、呻き声があがる。
あさ美は目を開けた。だが、そこにいたのは圭ではなく、男の方であった。
圭は先ほど立っていた所から弾き飛ばされたように、地面に倒れていて、代わりに男が銃弾をその身に受けて蹌踉めいている。
反射的にあさ美は再度弾丸を放つ。次の弾丸は男の左胸に直撃をして、男は後ろに引かれるように倒れた。
「マサキ!」
圭が叫び声をあげて、男に近づく。
「…どうして‥、どうして…」
圭は二度三度相手の身体を揺する。だが、男はただ微笑むのみで何も答えず、圭の手を握ると静かに瞼を閉じていった。
あさ美は力が抜けたように、のろのろと圭から離れていく。ワルサーはまだ弾丸を放った熱を持ち、銃口からは薄く細い煙が伸びていた。
- 92 名前:第3話 青の時代 投稿日:2001年10月07日(日)01時19分30秒
「……待ちなさいよ」
圭の涙に濡れ、怒りを含んだ声が背後から聞こえてくる。
あさ美は振り向かなくとも相手が銃をこちらに向けていることが分かった。相手の気が悲しみに満ちているのだ。自分を恨み、自分を殺したいほど憎んでいるのだ。
「あたしは楽しみにしてた。マサキと二人で生活しながら、絵の勉強をすることを。そしてその夢がようやく叶うところまできていた。…それなのに……あんたが!」
圭は言葉が終わると同時に銃を撃った。パンパンと途切れることなく銃弾が放たれる。
あさ美は素早く身をかわした。自然に身体が動く。素人の圭の放つ弾丸は狙いもままならず、訓練を受けてきたあさ美にとってかわすことは造作もないことであった。
「……私はただ‥保田さんを…助けに……」
「そういう要らぬお節介なんか焼かないでよ!あたしはマサキとならどこまでだって逃げる覚悟でいたんだから!あんたさえ来なければ…。あたしがあんたと出会わなければ!」
- 93 名前:第3話 青の時代 投稿日:2001年10月07日(日)01時20分24秒
- 圭は声を振り絞り、銃を撃った。あさ美の動きが止まる。どうやら左腕を銃弾がかすめていたようで、微かに血が流れ出てくる。
しかし、圭の持つ拳銃も弾が切れたようで、圭は慌てたように弾倉を落とした。
その隙をあさ美は逃さなかった。ワルサーを構えると2発銃弾を放つ。一発は圭の持つ銃に当たり、もう一発は圭の右足に当たった。拳銃が派手な音を立てて手から落ちた。圭は顔をしかめながらアスファルトの上に倒れ込む。
あさ美は銃を仕舞い、圭から離れようと身を翻した。
だが圭は叫び声をあげながら、あさ美の背後に飛びかかってきた。
あさ美は驚くが、身体が自然に反応をして、肘が圭のみぞおちに入る。圭は苦しそうに顔を歪めると、恨みに満ちた目線を残しながら、地面に眠るように倒れた。
「……さようなら」
あさ美は寂しげに呟くと、その場を後にした。
- 94 名前:第3話 青の時代 投稿日:2001年10月07日(日)01時21分25秒
上野公園付近では深夜だというのに、パトカーの点滅ライトが赤々と回っている。
警察官たちは公園内に先ほど遺体となったばかりの男をつぶさに調べている。当たりには薬莢が散らばり、よく日本に入ってきているトカレフも落ちている。どうやら何かの抗争があったのだろうというのが大半の見方であった。
入り口に立つ警官に警察手帳を提示して、黄色いテープを越えて一人の女性が入ってきた。警察手帳には「後藤真希」と明記されている。
真希はグレーのスーツスカートを穿き、何か気怠そうな表情を浮かべている。焦げ茶色に染まったロングの髪を掻きむしりながら、現場で働く捜査官たちを見て、気持ち悪そうに顔をしかめる。よくこんな時間に働く気になるものだ。
「お疲れさまです、後藤刑事」
顔見知りの制服警察官が近寄ってきて敬礼をしてくる。真希は面倒そうに手を上げて挨拶をした。
- 95 名前:第3話 青の時代 投稿日:2001年10月07日(日)01時22分41秒
- 「それで?被害者は間違いないの?」
「はい、本庁でマークしていた男に間違いないと思われます。たぶん追っ手に殺られたのでしょう。近くには応戦した後もありますし」
「通報者は?」
真希は爪が気になるのか、指で触りながら尋ねる。
「通報者はこの公園に住むホームレスでした。それと、男に他に女性も撃たれて倒れていました。今、救急車で病院に搬送されました。まあ、男の恋人だと思われますが、この女性がずっと妙なことを言い続けているらしいんですよ」
「妙なこと?それって何?」
真希は気を引かれたようだ。大きく魅力的な目を警官に向けた。警官はその目に惹かれたのか、顔を赤らめつつ報告を続ける。
「いえね。『女の子が殺した』って言ってるんですよ。名前は『あさ美』って娘らしいんですけど…。たぶん銃撃戦の後で気が立ってて、口走っているだけだと思われますが…。一応、そっちの方も調べてみるようです」
「うん、ありがと。大体分かったから」
- 96 名前:第3話 青の時代 投稿日:2001年10月07日(日)01時23分51秒
- 真希は警官に礼を言うと、辺りをぶらぶらと歩き出した。周辺からは上野公園に住み着くホームレスたちの話し声が聞こえてくる。たぶん後で聞き込みにこなくてはならなくなるだろう。
「女の子‥か」
このご時世、少女が銃を持っていてもおかしくない。現に少年課には毎日のように銃刀法を無視した少年少女が連れてこられている。
「うん?」
足が何かを蹴飛ばした。真希は暗がりにしゃがみ込みそれを眺める。近年の警察捜査は手が非常に抜かれたものになっているため、気をつけていなければ見つけることができなかっただろう。
「いいもん見つけた」
真希は目を細め、ハンカチを取り出すとそれをそっと掴む。それから大事そうに自分のスーツポケットに仕舞うと、遺体側にいる捜査官を呼びに走った。
- 97 名前:第3話 青の時代 投稿日:2001年10月08日(月)01時11分47秒
あさ美はそっとドアを開ける。室内はまだ光が灯っていて、ひとみがソファーに寝そべりながら、あさ美が購入してきた『ピカソ展』のパンフレットを暇そうに眺めていた。
「…ただいま」
あさ美はそっと声を出す。ひとみは物憂げに振り向いた。
「……どこへ行ってたのさ、こんな時間まで」
「‥ちょっと…」
あさ美はハンドバックをパソコン机に置く。そこには粉々に砕かれた板状の盗聴器の残骸があった。
- 98 名前:第3話 青の時代 投稿日:2001年10月08日(月)01時12分36秒
- 「これは?」
「ああ、梨華のやつが、いつ忍びこんできたのか知らないけど、そんなもん仕掛けていやがってさ」
ひとみはソファーから立ち上がると、パンフレットをあさ美に手渡す。
「ったく、鍵屋を呼んだりして無駄な出費だったよ」
ひとみは苦笑をし、溜息を吐いた。
「……そう」
あさ美はパンフレットを胸に抱きながら応えた。
「…私、シャワーを…浴びたいんだど……」
あさ美はひとみから離れると、パンフレットをベットの上に乗せた。
- 99 名前:第3話 青の時代 投稿日:2001年10月08日(月)01時13分26秒
「…何も言ってくれないの?」
ひとみは静かな声であさ美に尋ねた。あさ美はひとみを見る。ひとみはあさ美の左腕を取った。そこには無地のハンカチが巻かれていて、血が滲んでいる。
「さっき梨華から電話があったよ。ターゲットを始末してくれてありがとうってね。御陰でお得意先を一つ失わなくてすんだって喜んでたよ。……あさ美がやったんだろ?」
あさ美は答えず、ひとみから目を反らす。ひとみはそんなあさ美を見て深々と息を吐く。
「どんな事情があったかは知らないけど、一言ぐらいあたしにも言って欲しかったよ。あたしたちコンビだろ。そりゃあ、プライベートのことまで踏み込むつもりはないけど、仕事のことに関しては二人で息を併せなきゃ…」
ひとみはそこで言葉を切った。じっとあさ美の目を覗き込んでくる。あさ美は逃げるように目を閉じた。
- 100 名前:第3話 青の時代 投稿日:2001年10月08日(月)01時17分07秒
- 「…それが出来ないなら、あたしたちいつか死ぬよ」
ひとみの声は怒るでもなく、ただ淡々としたものであった。
「あたしはまだ死にたくないし、あさ美だって殺したくないよ」
「……ごめんなさい」
あさ美は微かに震える声で謝った。そしてあさ美はひとみへと倒れ込んでいく。ひとみは慌てたようにあさ美を受け止めた。ひとみは困惑した表情を浮かべたが、身体を震わしているあさ美を感じると優しく抱きしめた。
「…ごめん‥なさい」
そこにいたのは普段の無表情のあさ美ではなく、普通の少女のあさ美であった。ひとみはなだめるようにあさ美の背を何度も撫でる。
「まあ、あんたはあたしの大事なパートナーだからね」
ひとみは軽やかな口調で言う。それを聞いてあさ美はますますひとみの身体に顔を埋めた。
To be continued
- 101 名前:三文小説家 投稿日:2001年10月08日(月)01時26分20秒
- 以上、第3話「青の時代」でした。
いかがでしたでしょうか?
普段からお読みになって下さっている方、新しく読んでやろうという気になって下された方、つたない文章ではありますが感想なんぞを書いていただければ幸いです。
さて、今後も作品を続けていく上で、小生より2つほど読者の方々に申し上げておきたいことがあります。
1つはこの作品にはアレンジはされてますが、元ネタが2つあります。本来ならば最初に言っておくべきことでした。なにぶん初心者であるため申しわけありません。
- 102 名前:三文小説家 投稿日:2001年10月08日(月)01時42分23秒
- 次に第3話でもそうでしたが、現実に存在する建物や地名、人物名などが今後も登場しますが、フィクションであるため、一切、関わりがありません。
その2点を最初に述べておくべきでしたが、このように中途半端な場所で述べることになってしまい、本当に申しわけありません。
第4話の更新予定日はまだ未定ではありますが、あさ美のライバルが登場や、ある巨大な組織が出てきます。そして題名のペルセポネーの意味もついに明らかになります。
第4話「死を織る乙女たちのラプソディー(仮)」をどうぞ楽しみにしていて下さい。
- 103 名前:名無し読者 投稿日:2001年10月11日(木)22時55分01秒
- ヨカタヨ
お姉さんな吉澤ですね。
4話もたのしみです。
- 104 名前:三文小説家 投稿日:2001年10月12日(金)01時23分57秒
- >>103
レスありがとうございます。
後輩が入ってきたことでこれからは吉澤さんもお姉さんになっていくかな?
そういえば、吉澤さんはあんまり活躍をしていませんねぇ。
今後はどんどん活躍できる場を作っていきたいと思ってます。
それでは第4話「死を織る乙女たちのラプソディー」をどうぞお楽しみ下さい。
- 105 名前:第4話 死を織る乙女たちのラプソディー 投稿日:2001年10月12日(金)01時26分03秒
- 秋深まりつつある空は雲一つない心地のよい日であった。真っ青な色がどこまでも広がり、自然と鼻歌でも出てきそうな天気である。
男は硝子張りの窓から下界を見下ろしながら、鼻を鳴らした。それから喉の渇きを潤すようにワイングラスを傾ける。
高みから見下ろす東京の街はまるで模型のようである。この作られた街で息をする者が様々な感情を抱え、己に迫り来る運命も知らずに動いている。
男はぴっちりと折り目の付いた黒いスーツに小豆色のネクタイを締めている。髪は黄金色に染められ、少々乱雑である。顔はそろそろ余分な肉が目立ち始めたようにぷっくらとしていて、顔には疲れの表情が広がっているが、黄色いサングラスの奥にある目だけは輝きを失っていないようだ。
「…つんく様、飯田圭織様がお越しになりましたが…」
ドア越しに秘書をしているアヤカの声が聞こえてくる。
- 106 名前:第4話 死を織る乙女たちのラプソディー 投稿日:2001年10月12日(金)01時27分10秒
- 「入れろ」
つんくと呼ばれた男は樫の机にワイングラスを置くと、そこの椅子に腰を下ろした。黒色の椅子はどっしりと身体を受け止めてくれて、つんくはこの椅子が好きであった。どこか支配者になった気分になれる。
重々しい扉が開くと、そこには純白の僧衣を身に纏った飯田圭織が立っていた。圭織は深々と礼をすると、長い栗色の髪が垂れる。
「お呼びでしょうか」
圭織の声は柔らかく、聞き心地がよい。
「まぁ、そんな所におらんで、こっちに来いや」
つんくは関西弁で圭織を招き入れた。圭織は再度礼をすると室内に入る。そして、つんくの座る机の前にまで歩を進めてきた。
圭織は女性にすると長身のほうである。全身はいつも長く純白な僧衣によって隠されている。つんくは何度その下に隠れるほっそりとした白い腕や、まるで折れそうな、形のよい脚を想像したことだろう。清純な顔立ちに大きく漆黒の瞳を持ち、口元は見るものを安心させるかのように優しく微笑んでいた。
- 107 名前:第4話 死を織る乙女たちのラプソディー 投稿日:2001年10月12日(金)01時29分20秒
- 「研究所のほうはどないやった?うまくやってるみたいやったか?」
つんくは肘を机の上に置き、手揉みをしながら興味深そうに圭織に尋ねた。
「さあ、どうでしょう?ただ、私が研究所を視察したときには、さほど成果があったとは思えませんでしたが…」
「そうか。なかなかうまくいかんもんなんやなぁ。金は十分費やしてるのになぁ」
つんくは苦笑をした。圭織も微笑んでくる。
「今いるペルセポネーでは駄目ですか?」
圭織がやんわりとした声で聞いてきた。
「あかん。不安定過ぎや。もっと安定した奴を作らな、いざという時に使えへんぞ」
つんくは背もたれに身を委ねる。何度か身を揺るってその心地よさを確認する。
「愛はどうですか?」
圭織は硝子窓の前まで歩き、外で輝く太陽を眩しそうに目を細めた。
「……愛か。まぁ、今いる中では一番マシやな。せやけどな、人間ってのはな、次から次へと欲が出てくるもんなんよ。俺はより完璧なものを目指したいんや」
つんくはワイングラスにワインを注ぎ、椅子を回転させると圭織に差し出した。圭織は首を左右に振って断る。
- 108 名前:第4話 死を織る乙女たちのラプソディー 投稿日:2001年10月12日(金)01時31分05秒
- 「そう言えば逃げ出した奴はどないした?あいつは結構、出来がよかったって聞いてるで。確か捜索中やなかったか?」
つんくは自身でワインを仰いだ。
「……さぁ、私は聞いていませんが…。情報は寄せられていないのですか?」
圭織は一瞬の沈黙をおいた後、再び窓に視線を移した。飛行機が空に二本の白雲の線を引いている。
「まだ、知らせは来てへん。‥損害を出したうえに、逃げられるとはな。まるで飼い犬に手を噛まれた気分や」
つんくは舌打ちをする。
「‥お忙しいのですから、ご自愛ください。焦ってもいい結果は得られませんよ」
圭織は微笑みながら労りの言葉をかける。つんくは自嘲気味に笑った。
「ほんなら、上の連中に言ってもらいたいなぁ。早う結果を出せとうるさい」
その時、扉が開き、アヤカが入ってきた。アヤカは丁寧に圭織とつんくに頭を下げた。圭織もアヤカに軽く会釈をする。
- 109 名前:第4話 死を織る乙女たちのラプソディー 投稿日:2001年10月12日(金)01時33分57秒
- 「つんく様。そろそろ公演の時間でございます。お支度のほうを」
つんくはアヤカの姿を見てやれやれという顔をした。それから圭織に肩をすくめてみせる。
「慈善活動や。ったく、面倒くさい」
つんくは勢いをつけて、椅子から腰を上げた。それから圭織の耳元に顔を近づけ、囁いた。
「俺はな、いつまでも慈善活動をしとるつもりはあらへん。情報があったら知らせてくれや」
耳元からつんくは離れるとにやりと笑った。
「分かりました」
圭織は微笑んだ。
「それとこの間言っていた愛の再教育は任せる。安心して使えるぐらいまでにしといてや。今のところ期待をかけてるんやからな」
つんくの言葉に圭織は無言で頭を下げた。つんくはそれを満足そうに見ると、ワイングラスを机に置き、部屋を出ていった。
圭織は頭を下げたまま、つんくを見送る。
それが済むと圭織は机の上に置かれている電話の受話器を取った。その顔には変わることのない笑みがこぼれている。
「……もしもし、鈴音。私よ。愛の使用許可が下りたわ。すぐに私の所に呼んで。計画を実行に移すわ」
圭織は受話器を置くと、忙しそうに部屋を後にした。
- 110 名前:名無し読者 投稿日:2001年10月12日(金)02時27分01秒
- なんと、ペルセポネーは一人じゃなかったのか。
- 111 名前:第4話 死を織る乙女たちのラプソディー 投稿日:2001年10月13日(土)01時30分40秒
「ちゃお〜、ひとみちゃん。元気にやってる?」
「挨拶はどうでもいいからさっさと仕事の依頼を言いなさいよ」
ひとみは梨華に冷たく言い放つ。あさ美はベットの上で自分の銃の手入れをしていた。
「んもう、ひとみちゃんたら今日はいつになく冷たいんだから」
梨華は相変わらずの口調で、まるで受話器に擦り寄るように喋ってくる。
「仕事の依頼じゃなきゃ、あんたからの電話なんて受けないよ」
ひとみは不機嫌そうに携帯を耳から離す。
「意地悪。でもそれって愛情の裏返しでしょ。梨華はいじめられるのも結構好きだよ。きゃ、言っちゃった。恥ずかしい」
ひとみは自分の頬が怒りに震えているのを感じる。今度から梨華の電話はあさ美に取らせるようにしようと心に決めた。
- 112 名前:第4話 死を織る乙女たちのラプソディー 投稿日:2001年10月13日(土)01時32分16秒
- 「今回の依頼は『デメテル』って所の裏切り者だって」
「『デメテル』?何それ?」
ひとみはパソコンの電源を入れた。あさ美が顔を上げてひとみの方を見ている。その顔は強張り、口内でぶつぶつと何か呟いている。
「何か最近流行ってる宗教団体だってよ。私もよく知らないから分からないけど。あ、ほら、最近じゃ、よく国会議員とかも裏で繋がっているとかって週刊誌とかが載せてたりするじゃない。まあ、ヤバイ団体でしょ。そこの信者がどうせ修行に耐えかねたか、何か危ないものでも持ち出したて狙われたんじゃない?」
「じゃない?って、あんた詳しく聞いてないの?」
ひとみは呆れたように聞き返す。
「何か連絡が取れないのよ。でも、もう前金が振り込んであって引き受けざるえない依頼になっちゃって」
梨華がうふふと嬉しそうに笑う。きっと前金に惹かれて疑いもせずに回してきたのだろう。ひとみは溜息を吐いた。
- 113 名前:第4話 死を織る乙女たちのラプソディー 投稿日:2001年10月13日(土)01時32分59秒
- 「あんたから引き受ける仕事っていつも苦労させられるのよね」
ひとみはメールをツールに通す。後ろにはあさ美が真剣な面もちでパソコンの画面を眺めている。
「そんなことはないよぉ。ちゃんと裏をとって安全なのをひとみちゃんに送ってるんだから。大体私がね……」
梨華が少々膨れた声で立てしまくる。ひとみはこれ以上は聞くのも時間の無駄だと考え、携帯電話の電源を切った。
- 114 名前:第4話 死を織る乙女たちのラプソディー 投稿日:2001年10月13日(土)01時35分20秒
梨華から送られてきたメールにも目新しい情報はなく、ただ仕事成功報酬金、ターゲットの所在場所とターゲットの写真のみが載せられている。
「こんな下らない依頼で850万?しかも情報がこれだけ。何か匂うね」
ひとみはこつこつと画面を叩いた。
「……仕事するの?」
あさ美が不安げに聞いてきた。ひとみは背もたれに身体を預けて頭の後ろに腕を回す。
「うん?まあね。裏があってもこれだけの報酬金だし。たまには、梨華の顔を立ててやらなきゃね。あさ美は反対?」
あさ美は微かに首を上下に振る。
「…理由は?」
ひとみは不思議そうにあさ美の顔を見た。今までこれほどはっきりとひとみの前で自己主張をしたことがない。それほどまでに今回の件をあさ美は嫌がっているのだ。当然、気にかかるし、興味もある。
- 115 名前:第4話 死を織る乙女たちのラプソディー 投稿日:2001年10月13日(土)01時36分44秒
- 「……危険」
あさ美はただそう答えた。ひとみは何か大層なことが聞けると思って期待をしていたのだが、この返答に気を抜かれた。
「あたしたちの仕事はいつだって危険じゃない?まぁ、いいけどさ。もし嫌ならあたし一人でやるよ」
この言葉にあさ美は今度は首を左右に振った。
「そう?それならいいけど……」
ひとみはどこか腑に落ちない様子で、パソコンの画面を見つめている何事か呟いているあさ美の横顔を見つめた。
- 116 名前:三文小説家 投稿日:2001年10月13日(土)01時42分58秒
- >>110
レスありがとうございます。
ペルセポネーについては、物語の中核ということもあり、現時点では詳しくお伝えすることが、残念ながらできません。ただ、1人ではないのは確かです。
後は第4話を読んでいっていただければ、後半に説明が出てきますので、どうぞ、その時まで楽しみにしていて下さい。
- 117 名前:第4話 死を織る乙女たちのラプソディー 投稿日:2001年10月14日(日)01時47分05秒
ひとみはバイクの後ろにあさ美を乗せて、中野にあるターゲットのアパートの前に到着をした。付近には閑静な住宅街があり、子どもたちの騒ぎ声が近くにある公園から溢れ聞こえてくる。近くでは主婦たちが昼下がりのお喋りを楽しんでいて、誰もひとみたちに注意を払う者はいない。平和的な光景であった。
ひとみはバイクを降りると、アパートの外装を眺めた。白塗りの壁にはすでに黒々とした汚れが染み入り、郵便物入れにはどの箱にも山のようなチラシが押し込まれている。
ひとみはジャケットの裏にベレッタがあるかを確認すると、あさ美に目で合図をした。あさ美もバイクから降りて、銃を確かめる。
「あたしが殺るよ。あさ美は何か乗り気じゃないしさ」
ひとみはあさ美に笑いかけた。あさ美は未だに硬い表情を崩していない。普段から無表情なあさ美がこれほど顔を強張らせているのは何らかの理由があるに違いないとひとみは勘ぐった。
- 118 名前:第4話 死を織る乙女たちのラプソディー 投稿日:2001年10月14日(日)01時51分15秒
- 「……気をつけて」
あさ美はそっとポケットに手を忍び込ませる。
「…誰かいる」
あさ美の言葉にひとみは視線を巡らす。しかし人の姿を見つけることはできない。だが、いつでも銃を抜けるようにジャケットに手を入れた。
「信者たち?」
ひとみの問いにあさ美は分からないというように首を振る。
そのとき、コツコツと誰かが外付けの階段を降りてくる音がして、ひとみはそちらに目線を回す。そこにはパソコンの画像に映っていた男が、呑気に口笛を吹きながら降りてくる。趣味の悪い文字の書かれたTシャツに青いジーンズを穿いている。丸刈りで銀縁の眼鏡をしていて、頬は痩せこけている。
「あたしは部屋に忍び込むから、あさ美はあいつを尾行して。もし事情を知らない信者が狙ってきたら邪魔をしてくれる?」
あさ美が頷くと、ひとみは親指を立てた。そして男とすれ違いながら上の階へと上がっていく。男はひとみをちらりと見て好色そうな視線を送りながらも、相変わらず口笛を止めず階段を降りきり、道を歩いていく。
あさ美は十分な距離をとると男の後ろを歩きだした。
- 119 名前:第4話 死を織る乙女たちのラプソディー 投稿日:2001年10月14日(日)01時52分27秒
相手の姿が完全に見えなくなると、ひとみはベレッタを取り出し、注意深く男の部屋のノブを回す。近場に出かけたのだろうか、鍵がかかっておらず、すんなりとドアが開いた。
ひとみは唇を舐めると、ゆっくりと室内に進入する。部屋はビル影に覆われていて薄暗い。ひとみは念の為にベレッタのスライドを引く。
次の瞬間、奇妙な感覚に襲われた。余りにも殺風景なのだ。室内には人が住んでいる気配がない。それを証明するかのように日常用品が全く存在していなかった。
ひとみは慌てて閉じたばかりのドアを開ける。すると額に銃口が押し当てられた。
「こんにちわ」
銃を持つ相手は朗らかな声で挨拶をしてくれた。甘い匂いがひとみの鼻を擽る。
- 120 名前:第4話 死を織る乙女たちのラプソディー 投稿日:2001年10月14日(日)01時53分28秒
- 「…また罠ね。それも……依頼ごと罠とはずいぶん手が込んでるじゃない」
ひとみは自身の読みの浅さに苛立つ。何度こんな下らない罠にかかればいいのだ。
「その上、あんたみたいな娘が真っ昼間から銃を持ってるし。最近の日本って本当に物騒になったね」
ひとみは眉を上げる。
「あなたの相棒も銃を持っているんじゃないんですか?」
少女は冷ややかな笑みを浮かべた。それは冷たくも愛らしい笑顔であった。
「…それでこんな大仕掛けを用意した目的は?」
ひとみの問いに少女は何も答えなかった。銃口を強く押しつけひとみを室内に押し入れると、少女も入ってきた。
「心配しないで下さい。私は目的外の人間は殺さないことにしているので……」
- 121 名前:第4話 死を織る乙女たちのラプソディー 投稿日:2001年10月14日(日)01時55分01秒
- 少女は美しかった。ストレートの黒髪を持ち、大きな目に形のよい鼻がバランスよく配置されている。薄い唇から覗く白い歯は行儀よく並んでいた。服装は黒一色で統一しているようで、黒いシャツに黒のロングスカートである。
「そう、それはありがとう。……でも、あたしもそれなりのプロなんでね。‥黙って相手の言うことは聞けないんだよ!」
ひとみは銃口から逃れるように腰を屈めて、相手の腹部にベレッタを押し当てる。銃口越しに軟らかな肉の感触が伝わる。そこから間も入れず引き金を引く。
少女は逃れるように身体を反転させた。ロングスカートの裾がはためく。銃弾はドアに当たり、プラスチック版に突き刺さる。
「やっぱり、そうこなくちゃ」
少女は予想はしていたようで、嬉しそうな顔をした。
- 122 名前:第4話 死を織る乙女たちのラプソディー 投稿日:2001年10月14日(日)01時56分17秒
- 少女は手持ちのサイレンサー付きのグロック17を構えて撃った。パシュッと空気を切り裂く音がして、ひとみの肩から血が飛び散る。少女は容赦なくひとみを狙った。続けざまに弾丸はひとみの身体をかすり、そのつど血が吹き出る。
少女は目を細める。その冷ややかな視線は、獲物を目の前にして遊んでいるようだ。
「まだ、やります?」
ひとみは痛みに顔を歪めながら、ベレッタを相手に向けた。
少女はひとみの無駄な抵抗を楽しそうに見つめながら、指を止めずに引き金を引き続けた。徐々に腕や脚から感覚が失われていき、ひとみはまるで糸の切れた操り人形が不格好に倒れていくかのように、足下から崩れていく。少女は床に倒れ込むひとみを見つめながら、撃つことを止め、前髪を掻き上げた。
「よく踊れてましたよ。感動できるほどにね」
少女はからかうように声を上げた。
- 123 名前:第4話 死を織る乙女たちのラプソディー 投稿日:2001年10月14日(日)01時57分32秒
- 「くっ……」
ひとみは絞り出すように呻くと、手放さなかったベレッタを少女に向ける。持ち手は血滑りし、引き金を引くことも辛い。2発ほどようやく放つことができたが、少女の脇を通り抜け、見当違いの方向へと飛んでいった。
「それで終わりですね」
少女はひとみに近づくと右手を蹴り上げた。少女の履くブーツは堅く、ひとみは痛みに叫び声を上げ、手からはベレッタを落とした。ひとみは自分の右手を左手で押さえながら、少女を恨みがましく睨んだ。身体中の傷口はどれもそれほどのものではないのだが、流れ落ちる血が床に血溜まりを作り出す。室内には血の匂いが染み渡る。
「これで無駄な抵抗もできないでしょ。まぁ、抵抗してきても大したことはないでしょうけどね。あなたにはもう一匹を捕まえる餌になってもらうため、殺しませんから安心して下さい」
少女は床に落ちたベレッタを足で払った。それからようやく満足をしたように、にこりと微笑んだ。
- 124 名前:第4話 死を織る乙女たちのラプソディー 投稿日:2001年10月15日(月)01時31分02秒
男が急に角の付近で走り出したため、あさ美は慌てたように男の後を追う。先ほどの尾行から何かがおかしいと直感的に感じていたが、どうやら自分の行動は筒抜けのようだ。
あさ美はワルサーPPKをポケットから引き出すと、男の背中を追って角を曲がる。男は振り向きつつも、必死に走っている。
あさ美は身を低くし、息を吐くと加速をつける。身体は矢のように風を切り、男との距離が徐々に縮まっていく。男は小さく引きつった悲鳴をあげて、足を縺れさせながらも走ることを止めない。
男は路地に入り込む。先ほどの道よりも幅が狭く、人目にもつきにくい。
あさ美はタイミングを見計らうと、相手の背後に飛びついた。二人は堅いアスファルトの上に転がる。あさ美はすぐに体勢を整えると、相手に銃を向けた。
相手の男の眼鏡は地面に弾き飛ばされ、銃口を見つめた瞳は大きく開いていた。口元はわなわなと痙攣を起こし、噛み合わせの悪い歯音がうるさい。
- 125 名前:第4話 死を織る乙女たちのラプソディー 投稿日:2001年10月15日(月)01時32分22秒
- 「……どういうこと」
あさ美はワルサーのスライドを引く。
「お、俺は知らない。きゅ、急に神官が俺の所に来て、な、中野のアパートで連絡があるまで待機してろって……。…お、追われるかもしれないから、で、出来るだけ遠くに逃げろって言われて……そ、それと‥これを…お、追ってきたやつに、わ、渡せって」
男は恐怖に声を震わせながら、ポケットに入っていた携帯電話をあさ美に見せた。あさ美は携帯電話を受け取った。
「……他には何も聞いてないのね」
あさ美は声を低くして相手を威圧する。相手の男は首をかくかくと振る。
「……ならば殺さないわ。さっさと行きなさい」
あさ美は男を立たせると、銃口で相手の背中を押した。男は上擦った声で悲鳴をあげるとその場を逃げ出した。
「……ひとみ」
あさ美も歩いてきた道を急いで引き返した。
- 126 名前:第4話 死を織る乙女たちのラプソディー 投稿日:2001年10月15日(月)01時33分17秒
あさ美がアパートに着いたときには、誰もいなかった。ひとみのバイクが同じ位置に停車しており、ひとみが帰った様子がない。あさ美は先ほど男が出てきた部屋に入る。
ドアを開けると血の匂いがあさ美の鼻を襲う。土足のまま、あさ美は部屋に上がり込む。靴底にはぬめりとした血がこびりついてきた。
あさ美は窓の所まで歩いていくとカーテンを開ける。さっと薄明かりが入り、室内は多少は明るくなった。あさ美は改めて室内を観察する。出入口付近には血溜まりができていて、少し離れた場所にはひとみのベレッタが転がっていた。
その時、待っていたようにあさ美の持つ携帯電話が電子音をたてる。あさ美は画面を見るとメールが届いた。
『神に救いを求める儀式を、真夜中に約束の地にて行う。哀れな生け贄の羊は祭壇の上に…。汝の参列を楽しみにしている』
あさ美はベレッタを拾った。グリップは血に濡れ、銃身からも血が落ちる。あさ美はそれを大事そうに抱きしめると、部屋を出ていった。
- 127 名前:名無しさん 投稿日:2001年10月15日(月)16時21分10秒
- 続きが気になりますね。
ここの梨華ちゃんは、ポジティブなんですね。かわいい!
- 128 名前:第4話 死を織る乙女たちのラプソディー 投稿日:2001年10月16日(火)02時04分03秒
いつから雨が降り出したのだろう。初秋の雨はまるで霧のように街を覆い、ゆっくりと地面や身体を濡らす。粒のはっきりとしない水の糸はじっとりと身体に染み渡り、徐々に体温が奪われていく。
闇夜に包まれた東京の街はうっすらとぼやけるライトに照らされていて、どこか虚ろである。人影を見ることは出来ず、ただ時折、轟音を立てながら道を走っていくトラックの音だけが耳に残る。
あさ美は白いウィンドブレーカーに付いているフードを被り、ゆるゆると歩を進める。フードからは滴が垂れてきて、あさ美の前髪を濡らしていく。頬に垂れ落ちる滴はまるであさ美が涙を流しているようにも見える。白地のスニーカーは泥に汚れて、靴下にも染みを作っている。
- 129 名前:第4話 死を織る乙女たちのラプソディー 投稿日:2001年10月16日(火)02時04分51秒
- あさ美の足は、とある教会の前で止まった。
そこにはすでに人がいなくなっているのか門はぼろぼろに錆び付き、不格好な形でひしゃげている。その奥には十字架を天高く備え付けている大聖堂があり、十字架の下には聖母の像が雨に打たれながら、慈愛の視線であさ美を迎えてくれていた。
あさ美はウィンドブレーカーのポケットからワルサーPPKを取り出す。そしてそれを雨に濡れないように優しく撫でると、スライドを引いた。ガチャリと弾が装填される音がした。
そしてあさ美は朽ち落ちた扉をくぐり、教会の中へと入っていく。
- 130 名前:第4話 死を織る乙女たちのラプソディー 投稿日:2001年10月16日(火)02時05分39秒
教会内は薄暗く、所々にステンドグラスが落とすカラフルな影が床を照らしている。しんと静まり返り、あさ美から垂れる水の音でさえよく響く。
石柱が立ち並び、正面奥には誰も祈りに来なくなって久しいのか、十字架が寂しげに鈍い光を放っていた。その十字架の手前には祭壇があり、木製の柩が置かれている。両脇に並べられたベンチも色がすっかり落ち、所々腐っているようだ。教会内はどこかかび臭い。
あさ美は中央に引かれているぼろぼろになった絨毯の上を歩く。
「……久しぶりね、あさ美ちゃん」
教会内にはっきりとした声がよく響き渡った。あさ美は足を止めた。
- 131 名前:第4話 死を織る乙女たちのラプソディー 投稿日:2001年10月16日(火)02時08分32秒
- 「きっとこの素敵な儀式に参加をしてくれると思ってたわ」
「……ひとみは無事なんでしょうね」
あさ美は降ってくる声に聞く。
「ひとみ?‥ああ。大丈夫よ。私はターゲット以外は殺さない主義なの」
声が笑った。
「そんなことよりももっと楽しいことを話そうよ。私たち別れてもう一年以上経つんだよ」
「……どうしてこんなに手が込んだことをしたの。私が目的なんでしょ。私だけを狙えばいいじゃない!」
あさ美は怒気を含んだ声で尋ねる。相手はあさ美の憤怒の様子に驚いたように息を飲んだようだが、すぐに可笑しそうに笑い声をあげた。
- 132 名前:第4話 死を織る乙女たちのラプソディー 投稿日:2001年10月16日(火)02時10分11秒
- 「私もね、そうしたかったんだけど、…飯田さんがね、どうしてもあなたに戻ってきて欲しいっていうから。こうしなくちゃいけなかったの」
こつりこつりと靴が床を蹴る音がした。あさ美は視線を這わせる。自然と銃を持つ手が緊張する。
「だから飯田さんの顔を立てて帰ってきて。あなたの力も必要なんだって」
あさ美は背後に気配を感じ、振り返った。そこには闇に紛れるように少女が立っていた。
「……愛ちゃん」
あさ美はワルサーを構えた。愛と呼ばれた少女は動じることなくあさ美を見ている。
- 133 名前:第4話 死を織る乙女たちのラプソディー 投稿日:2001年10月16日(火)02時11分14秒
「ペルセポネー。半身を地獄に置き、半身を地上に置くギリシア神話の女神。そして私たちのような地上での死の織り手に付けられた名前。人を殺すために育てられて、情を持たず、冷静に相手に死をもたらす古からの暗殺者たち」
愛は唄うように言葉を紡いだ。
「ずいぶん頑張ったみたいじゃない。ペルセポネー計画に参加した研究者や出資者、計画者なんかを片っ端から殺してきたんだって?‥あさ美ちゃん」
愛は楽しそうに言った。
「飯田さんが言っていたわ。『計画は遅れたけど、あさ美の成長は著しい。外に出した甲斐があった』って」
「私は自分の意志で外に出たの!ペルセポネーなんかになりたくなかったし、自分を失いたくなかった!」
あさ美は引き金に指をかける。
- 134 名前:第4話 死を織る乙女たちのラプソディー 投稿日:2001年10月16日(火)02時12分31秒
- 「飯田さんは、今あなたが戻ってくるならば、これまでのことを全部許すって言っていたわ。どうする?」
愛の顔から笑みが消えた。
「……私はひとみを救いにきただけ」
「そう、…よかった。……そう言ってくれなければ私は安心してあなたを殺すことができないもの」
愛は悦ばしそうにそう言うと、腰元にぶら下がっている銃を引き出した。
「……私はひとみを救い出して、早く自由になりたいだけよ」
あさ美も顔に笑みを浮かべた。そしてワルサーの引き金を引く。炸裂する音が教会内に響き、それが開戦の合図となった。
- 135 名前:三文小説家 投稿日:2001年10月16日(火)02時22分30秒
- >>127
レスありがとうございます。
続きが気になると言っていただけると、書いている者としては嬉しい限りです。
ポジティブというか、したたかというか…、何はともあれ石川さんが大人気のようです。(w
今後は出番が増えるかも?
- 136 名前:第4話 死を織る乙女たちのラプソディー 投稿日:2001年10月17日(水)01時48分19秒
あさ美はベンチに隠れると、愛の気配を探す。愛の優秀さはよく知っている。あさ美でも無事にひとみを救い出すことができるかどうか分からない。
木片が飛んだ。正確にベンチの背もたれに穴を開けていく。あさ美は慌てたように首を引っ込めると、急いでその場を移動する。気配が右に走る。あさ美は闇雲に銃弾を放ちながら、柱の影に転がり込んだ。
「そんな腕で私を殺せると思ってるの」
愛が意外そうな声をあげた。それと同時に隠れている柱を銃弾が削る。
あさ美はともかく銃弾が飛んできた方向へ向かって放つ。腕に心地よい衝動が走り、弾丸が流れるように闇に消えていった。しかし手応えはなく、愛の走る靴音だけが教会内に響く。
愛の気配が掴み取れなかった。自分の気配を上手に消しながら、一箇所に止まることがなく、常に移動を繰り返しながらあさ美を狙っている。この調子であれば遅かれ早かれ蜂の巣は間違いないだろう。
- 137 名前:第4話 死を織る乙女たちのラプソディー 投稿日:2001年10月17日(水)01時49分18秒
- あさ美は動く愛を追うように銃を撃つ。愛はベンチの間を縫うように移動しながら、隙を見てはグロックを放ってくる。分が悪いことに相手の銃はサイレンサーが付いていて、音から相手の位置を判別するのが難しい。ともなれば自分の感覚を信じるより他に方法がないのである。
あさ美は柱から飛び出ると残った銃弾を全て撃つ。木のベンチは脆く崩れ、その陰を愛が駆け抜けていく。
あさ美の右腕に痛みが走る。小さく呻くとあさ美は急いで向かいの柱に隠れる。そこで弾倉を落とすと新しいものへと変えた。右腕には血が流れ落ちてくる。腹部の古傷も痛み出す。あさ美は目を閉じるとゆっくりと呼吸を整えた。
- 138 名前:第4話 死を織る乙女たちのラプソディー 投稿日:2001年10月17日(水)01時51分12秒
「どうせ勝てないんだから、相棒をさっさと救い出してしっぽを巻いて逃げれば」
愛のからかうような声が聞こえてくる。愛も弾倉を落としたらしく、床が乾いた音を鳴らす。
「それとも、相棒を殺せればあんたも本気になってくれる?」
愛の言葉にあさ美は目を開く。静かにいつも嫌っている闇が胸の奥から首をもたげてきた。
自分に巣くう黒い欲望。血と肉を何よりも好み、全てを破壊したくなる乱暴な感情…
あさ美はその闇に対抗せずに、自分の身を委ねた。自分の心がそっと包み込まれていく感じが分かる。あさ美は目を細めるとワルサーのスライドを引いた。
- 139 名前:第4話 死を織る乙女たちのラプソディー 投稿日:2001年10月17日(水)01時52分41秒
柱の影から躍り出て、銃を放つ。愛は普段と異なるあさ美の気配に圧倒されたのか、動きに戸惑いが表れた。銃を持つ手は止まっている。
あさ美はそのまま愛に飛び込むように襲いかかった。愛が焦るように放った銃弾はあさ美の頬を削る。鮮血が飛び散り、頬に赤い線が走る。あさ美はそれを気にかけた様子なく、雄叫びをあげながら撃った。手応えがあり、愛の身体がふらついた。
そのままあさ美は愛に飛びかかった。愛は倒れながらもあさ美の左胸に銃を突きつける。あさ美も愛の左胸に銃口を当てた。そのまま愛は堅い埃まみれの床に身体を横たえ、あさ美はそれを上から見下ろす形になった。お互いは銃の引き金から指を離さず、緊迫した状況の中、気配を探り合う。
「…あんたに私が殺せるの?」
愛は余裕のある笑みであさ美に聞く。
「……言ったはずよ。私はひとみを助けに来たって。あんたがこれ以上邪魔をするなら、私はあんたを殺す…」
あさ美は静かに冷たい目を愛に向けた。
「ならば殺してみな!」
- 140 名前:第4話 死を織る乙女たちのラプソディー 投稿日:2001年10月18日(木)01時45分50秒
愛が引き金を引くと同時にあさ美も引き金を引いた。二つの銃弾がお互いを貫く。二人とも瞬間に身体をよじったため、銃口は胸部からずれ、肩から深紅の血が飛び跳ねた。血に床が赤く染まる。
あさ美は苦悶の表情を浮かべて、後ろから引かれるように蹌踉めきながら愛から離れた。右手から力が急激に抜けていく、銃が手から滑り落ちる。
外から聞こえてくる雨の音が止んだ。あさ美の脳裏が真っ白になり、黒い感情がまるで役目を果たしたかのように、静かに消えていく。
愛も苦痛に顔を歪めながら、素早く身を起こす。愛のグロック17は床に転がっている。
- 141 名前:第4話 死を織る乙女たちのラプソディー 投稿日:2001年10月18日(木)01時47分59秒
- 「半人前がいくら粋がったって半人前に変わりないのよ!」
愛は力を振り絞るように、あさ美の頭を手で掴む。愛の口からは激しい息が漏れた。あさ美のこめかみの当たりにまるで万力のような力が加わる。あさ美は頭を振り、手で愛の手を引き剥がそうとした。しかし、肩に負った傷が痛み、思ったように腕に力を入れることが出来ない。流れ落ちる血が床に落ち、斑模様を作る。
あさ美は苦しみながらも汚れたウィンドブレーカーの右ポケットに右手を滑り込ませる。
耳を突くような鋭い轟音……
次の瞬間、愛の手があさ美から離れ、右脇腹部分を抑える。鮮紅の血が愛の手の隙間からこぼれ落ちていく。
あさ美は何度か咳き込むと、穴の空いたポケットからベレッタM84を取り出した。
- 142 名前:第4話 死を織る乙女たちのラプソディー 投稿日:2001年10月18日(木)01時48分52秒
「……ひとみはどこ?」
あさ美は息荒く、愛にベレッタを向けながら尋ねた。唇は切れており、あさ美はそこの血を指で拭い取る。
愛は苦しみの中で笑みを浮かべながら、顎で祭壇を指した。あさ美は身体を引きずるように祭壇へと近づく。途中、自分のワルサーを拾う。
祭壇の上には木で作られた柩があり、その中に傷だらけのひとみが眠るように横たわっていた。あさ美はひとみの手首を取る。そして安心したように後ろを振り向いた。
愛は這いながらも自分の銃の元へと行こうとしている。あさ美はグロックに向かってベレッタを放った。金属が弾き合う音がしてグロックは床を滑っていく。
「私を殺すんじゃなかったの?」
愛は諦めたようにベンチに手を掛けながら立ち上がる。
- 143 名前:第4話 死を織る乙女たちのラプソディー 投稿日:2001年10月18日(木)01時50分24秒
- 「……私はひとみを助けに来ただけだって言ったわ」
あさ美はひとみを柩から起こし、背中に担ぐ。ずっしりとひとみの全体重があさ美の背にのしかかってくる。あさ美の足はもたれるが、辛うじて踏みとどまる。
「でも、まだ狙うようならば、私は容赦をしない。次はあなたでも殺す」
あさ美はそう言うと出口に向かい歩き出した。愛は力が抜けたようにベンチに腰を下ろした。
「『デメテル』はあなたのことを探してるわ。飯田さんもあなたのことを諦めていない。…私もあなたのことを許していないわ。結局あなたはどこへ逃げようとしても過去から逃げられないのよ」
愛は頭を垂れた。セミロングの黒髪が愛の表情を隠す。黒衣で統一した愛の服には血の跡が、点々と染みついている。まだ左肩と腹部は出血を続けており、流れ出る血は服をよりどす黒く濡らしていく。
あさ美はひとみを背負ったまま、愛の脇を通り過ぎた。
「……じゃあね、愛ちゃん」
あさ美はいつもの無表情に戻ると、教会の扉を開ける。
- 144 名前:第4話 死を織る乙女たちのラプソディー 投稿日:2001年10月19日(金)01時31分38秒
外ではうっすらとした雲がまだ空を覆ってはいるが、雨はいつの間にか上がっている。気温も雨後であるためか低い。
あさ美は肩に掛かる痛みに顔をしかめながら、ひとみを背負い直した。気を張っていなければ倒れてしまいそうである。目は少々かすみ、あさ美は何度か頭を振る。その度に左肩から降り散る血が、ぽたぽたと煉瓦並びの道に落ち、雨と混じり合い、滲んでいく。背負うとはいってもひとみの方が身長が高いため、どうしても足を引きずらせてしまう。
「…っうん」
ひとみが微かに声を出し、もぞもぞと居心地悪そうに身体を動かす。
「……気が付いた?」
あさ美はほっとしたようにひとみに話しかける。
「こ、ここは?」
まだはっきりとしない意識下でひとみは寝ぼけた声で尋ねてくる。ひとみは足で地面を探すと、あさ美の肩から手をそろそろと離す。
- 145 名前:第4話 死を織る乙女たちのラプソディー 投稿日:2001年10月19日(金)01時33分59秒
- 「……っ、そう言えばあたし‥あさ美、どうして」
ひとみは自分の身に起こったことを確認しようと辺りを見渡した。それから自分の左手にべっとりと付着した血を見て驚く。あさ美は弱々しい笑みを浮かべた。
「ここどこよ!あたしターゲットの家で騙されて、何か変な女の子にやられて……。あさ美!どうしたの、その傷!」
ひとみは慌てたようにあさ美の身体を抱きしめた。あさ美がゆっくりと崩れてきたためである。
「……よかった、無事で」
「無事でって、あんたが無事じゃないじゃない。…もしかしてあさ美が助けてくれたの?」
あさ美はひとみの問いに答えずに、手に持っていたベレッタをひとみに差し出す。
「‥ありがとう。助けてくれて……」
あさ美はひとみにベレッタを渡すと、ゆっくりと気を失っていった。
- 146 名前:第4話 死を織る乙女たちのラプソディー 投稿日:2001年10月19日(金)01時37分26秒
優しく美しい歌声が聞こえてくる。
閉ざされた暗闇の部屋。あさ美はその歌声に引かれるようにベットから身を起こした。愛は隣のベットで深い眠りについていた。あさ美は愛を起こさないようにベットを降りると、ドアにしがみつく。夜はドアには鍵が掛けられていて、逃げることが出来ない。
あさ美はドアにある小さな窓から外の様子をうかがう。廊下には小型のランプが僅かな範囲を照らしている。夜も遅いためか誰の姿も見つけられない。
その中で静かに響く歌声。懐かしく、優しくあさ美を包み込んでくれる。あさ美はその声に聞き惚れる。身体の奥から暖かい思いが胸を締め、言葉が自然と溢れ出そうになる。
- 147 名前:第4話 死を織る乙女たちのラプソディー 投稿日:2001年10月19日(金)01時39分14秒
- コツコツと静かな足音が、廊下で聞こえた。あさ美は慌てたように首を引っ込める。こんな時間まで起きていることが知られては、罰を与えられてしまう。
徐々に足音と共に歌声が近づいてくる。あさ美は知られないようにそっと顔を上げる。胸が苦しいほど動悸を起こす。
一瞬、女性の姿が窓の外を通った。まるで楽しげに女性は小声で唄いながら廊下を通っていく。あさ美は女性に合わせるように囁くような声で唄った。それがあさ美の覚えた初めての歌だった……。
- 148 名前:第4話 死を織る乙女たちのラプソディー 投稿日:2001年10月19日(金)01時40分01秒
あさ美はゆるゆると目を開けた。身体中は痛みと包帯で巻かれているためか動かない。ぼんやりとした視界に見慣れた白色天井を見ることができる。そこにはシーリングファンがのんびりと回っている。
どうやらひとみのマンションのベットに横になっているようだ。あさ美はそっと痛みが響かない程度に首を横に向ける。そこには絆創膏や包帯で傷口を覆っているひとみが、林檎を不器用な手付きで剥きながら、鼻歌を歌っていた。
「……その歌…‥」
あさ美がかすれる声を出すと、ひとみは気が付いたように手を休めた。
「お、気が付いた?2日間よく眠ってたよ。一応医者には見せたから。モグリだけど信用できる奴だから大丈夫だと思うよ」
ひとみはあさ美の額に手を当ててくる。あさ美はくすぐったそうに、目を伏せた。
- 149 名前:第4話 死を織る乙女たちのラプソディー 投稿日:2001年10月19日(金)01時42分15秒
- 「熱は…下がったね。傷はそのうちに閉じるよ。あたしも昔は無茶してそういう傷を負ったこともあるから、よく分かるんだ。あ、林檎食べる?」
あさ美は剥かれすぎて小さくなった林檎を見て、首を振った。
「……後で食べる‥。もう、少し眠らせて……」
「そう、まぁ、意識が戻ったんだし大丈夫か。何かあったら遠慮しないですぐに呼びな。あたしはリビングにいるから」
ひとみはそう言うと、そっと椅子から立ち、部屋を出ていこうとした。
「あ、それと……助けてくれてありがとね」
部屋を出ていく間際、ひとみは振り返ってあさ美に声をかけた。あさ美は固定されている頭を小さくこくりと振った。ひとみはようやく胸に支えていた言葉を言えたことでほっとしたのか微笑みながら、右手を振ると部屋を出ていった。
あさ美は大きく息を吸い込むと、ゆっくりと吐き出す。そして静かに目を伏せると、再び深い眠りへと落ちていった。
To be continued
- 150 名前:三文小説家 投稿日:2001年10月19日(金)01時56分26秒
- 以上第4話「死を織る乙女たちのラプソディー」でした。
お読み下された方々、どうもありがとうございます。
レスを下される方々、書く者としてはいつも励みとさせていただいてます。
初めて読んでみようかと思われている方々、どうぞ作者の戯れをお楽しみ下さい。
第4話まで終わりまして、取りあえずは一段落いたしました。そのためシートカットを用意いたします。どうぞ活用して下さい。
第5話「ストリート・ブルース(仮)」は10月23日より掲載予定です。
ミニな2人が登場しますが、話はちょっと重めです。
どうぞお楽しみ。
- 151 名前:三文小説家 投稿日:2001年10月19日(金)02時05分10秒
- ショートカット
>>2-4 「プロローグ」
>>5-32 第1話「出会い」
>>36-62 第2話「コンビネーション」
>>64-100 第3話「青の時代」
>>105-149 第4話「死を織る乙女たちのラプソディー」
- 152 名前:三文小説家 投稿日:2001年10月23日(火)01時17分42秒
- それでは第5話「ストリート・ブルース」を掲載します。
どうぞお楽しみ下さい。
- 153 名前:第5話 ストリート・ブルース 投稿日:2001年10月23日(火)01時19分27秒
- ミカは乱暴に椅子を引くと、そこに腰を下ろした。眼前に座るスーツ姿の男はサングラス越しに鋭い視線を投げかけてくる。ミカはそれを気にかけた様子もなく、稼いできた金を木製テーブルの上に広げる。札束がバサリと落ちた後、硬貨がぶつかり合い派手な音を立てながら、テーブルの上で転がる。
「コンゲツはこれだけよ」
不確かな日本語でミカは不機嫌そうに言う。男はミカの言葉に気にかけた様子もなく、札束を拾うと数え始めた。
ミカ・トッドはオーストラリア人の父と日本人の母との間に生まれたハーフである。若くとも、どこか大人びた落ち着いた印象がある。それでも切れ長の目の奥にある黒々とした瞳は好奇心に輝き、子どもから完全に脱却をしていないようだ。
頭にバンダナを巻き、焦茶色の髪を後ろに垂らしている。おそらくきれいに洗えば愛らしいのだろうが、彼女の顔は汚れに汚れていて、頬の辺りに黒い筋が走っている。着ている物も何日洗っていないのであろう、ぼろぼろで煤のようなものが付いた赤々しいツナギをぞんざいに着込んでいた。
- 154 名前:第5話 ストリート・ブルース 投稿日:2001年10月23日(火)01時20分19秒
「ねぇ、もう少しマワシテくれたっていいじゃないよ」
ミカは上目遣いで哀願をする。
「そういうことはちゃんと稼いできてから言え」
男は一向に無関心といった表情で金を数える。ミカは舌打ちをすると口内でぶつぶつと英語で何かを言う。
ミカは通い慣れた部屋で暇そうに視線を巡らす。時計は夕刻の5時を指している。事務所内では人相の悪い男たちがどこかに電話をかけており、時折、電話の向こうにいる相手が気にくわないのか大声を上げて威圧をしている。
ミカが今いる場所は渋谷区にある高利貸し屋である。
日本へ移ってきて親が仕事に失敗をすると、ミカは親元を飛び出して、スリなどの犯罪行為をしながらストリートチルドレンとして生活をしている。
だが、ただではそのような行為を行うこともできない。素人などの出来心からおきる犯罪は咎められることはないのだが、ミカのような常習犯は名前が警察や周辺組織に回っていてマークもされている。そのため付近を仕切っているチンピラや組織に場所代を上納することで、見逃してもらっているのである。
- 155 名前:第5話 ストリート・ブルース 投稿日:2001年10月23日(火)01時23分12秒
ミカはその連中を鼻で笑うと、眼前の男に視線を戻す。
「…その袋ナニ?」
ミカは男のスーツポケットから封筒が覗いているのを見つけた。十分な厚さがあり、見るからに大金が入っているとしか思えない。男はミカの質問を無視して、最後の札束を指で弾くと、小銭を目で数える。
「今月は少ないな」
男はいくらかの札と硬貨をミカへと渡した。
「エー、コレだけ?仕方ないじゃない。このフケイキに誰だってオカネなんて持ち歩いてないよ」
「渋谷周辺だけでなく、出張すればいいだろう。別にうちらはいいんだぞ。はした金あってもなくても同じなんだからな」
- 156 名前:第5話 ストリート・ブルース 投稿日:2001年10月23日(火)01時23分51秒
- 煙草に火をつけると男は細めた目で笑う。ミカは唇を噛みしめると男から金を奪い取った。
「何ならいい店を紹介するぞ。そうすればたんまり儲けられるのによぉ。お前の妹分だって、そこそこいけるんじゃねーか」
男はにやにやしながら、煙を吐き出した。ミカは怒りに満ちた表情で席を立つ。
「またライゲツ来る!」
「さっさと帰りな。これから大事なお客を迎えるんだ。貧乏娘にうろうろされると邪魔になるんだよ」
- 157 名前:第5話 ストリート・ブルース 投稿日:2001年10月23日(火)01時25分20秒
- ミカは相手の男を睨むと、鼻息を荒げてその場を立ち去ろうとした。
ちょうどその時、来客を知らせるチャイムが鳴った。
ミカがそちらを見ると、女が立っていた。黒いジャケットを着ていて、サングラスをかけているため表情は読みとることはできない。ミカと比べるとずいぶんと長身であるようだ。
女性社員がいそいそと対応に出ていく。女性は2言3言尋ねると、女性社員は先ほどまでミカと話していた男の方へとやってきた。
「…社長、あちらの方がお話があるそうですけど……」
「何の用だ?」
男は女性の姿を訝しげに見つめると女性社員に尋ねるが、彼女は困惑した表情で小首を傾げるだけであった。男は頬をかきながら渋々と立ち上がり、応対へと向かう。やくざ者とはいえ商売慣れをしている。顔にはうすら笑みがすぐさま浮かぶ。
「何かご入り用ですか?うちは他に店に比べて金利はずいぶんと相談させてもらってるんですよ」
女性は少しサングラスを下げると相手の顔をまじまじと無言で眺めている。
- 158 名前:第5話 ストリート・ブルース 投稿日:2001年10月23日(火)01時25分55秒
- ミカが男の側を通り抜けるとき、まだいたのか、というような表情をして払うように右手を動かした。ミカは男の背後に舌を出して、女性の脇を通り抜けて外へ出ようとする。
何気なくミカは女性を見ると、彼女はジャケットから取り出しのであろう、黒々と光る拳銃を構えている。
男も不意の事に言葉がでないようである。店内に居座る社員たちも何事かと緊張した面もちで二人組の方を見つめている。
女性は意に介した様子もなく、引き金を引いた。乾いた銃声の後に社長であった男はゆっくりと倒れていく。
女性社員の悲鳴が店内に響き渡る。それが合図となったのか一斉に椅子が音を立てる。社員たちは自分たちのデスクから拳銃を取り出して、女性に向けた。
女性もこうなることを十分予測していたようで、手慣れた様子で動き出す。すぐにお互いの銃が火を噴き始めた。
- 159 名前:第5話 ストリート・ブルース 投稿日:2001年10月23日(火)01時26分35秒
ミカは急なことに何が起こったのか分からなかった。気が付いたときにはカウンターに隠れるように身を縮め、頭上を行き交う銃弾から身を守っていた。
「Shit!」
ミカは瞬間的に英語で状況を罵ってしまう。何故罪のない自分がこのような銃撃戦に巻き込まれなくてはならないのか。ミカは震えながらも周りに目を向ける。カウンターの内側には見慣れた社員たちが、銃弾に倒れて赤々とした血を流している。
その向こう側には先ほどまでミカに対して侮蔑の目を向けていた社長であった男の身体が床に転がっている。
その時、ミカの脳裏に先ほどまで話していた社長のポケットが煌めくように思い出された。そして今、視界に男の姿があるのだ。
ミカは目を細めると嬉しそうに床を這いながら男の死体へと近づいていく。どうせあの世まで金を持っていくことはできないのだ。それならば自分のような恵まれない子どもが使っても誰も文句は言わないだろう。
- 160 名前:第5話 ストリート・ブルース 投稿日:2001年10月23日(火)01時27分27秒
- ゆっくりと息をしていない男の身体へと手を伸ばしていく。男は額から血を床に広げており、くわりと瞳を見開いている。その凄まじい形相にミカは一瞬、躊躇をした。だが、できるだけその顔から目を背けつつ、目標物へと手をもっていく。
ポケットからはミカを誘うように白い封筒が覗いている。自然と綻びゆく顔を押さえながら、ミカは相手に触れないように白い封筒の口を掴んだ。
「Yes!」
ミカは歓喜に小声をあげる。
「何をやっているのかな?」
耳元で金属音がした。ミカは反射的に封筒から手を離して、頭よりも高く両手をあげた。
いつの間にか銃声は止んでいる。見れば銃を捨てた人間もいれば、床に倒れている人間もいる。女性社員は窓際で気を失って横になっている。
「……ハ〜イ」
ミカはサングラスをかけた相手ににこやかな笑みを浮かべながら挨拶をした。
- 161 名前:第5話 ストリート・ブルース 投稿日:2001年10月24日(水)01時28分30秒
「ダカラ、ワタシ別に悪いことしてないよ。それよりもコレカラのカセギ場所どうしてくれるの!」
ひとみは疎ましそうにミカ・トッドと名乗るハーフの女性を見つめた。
警察が来る前に脱出しなければならないため、ひとみはとりあえず害が無く、動けそうなミカを連れて、代々木公園まで逃げてきた。いざとなれば人質にもなるし、警察に囲まれたときには盾にすることもできると踏んだのだ。
「だからね。あたしはただ依頼を受けてあいつを殺しただけなの。あんたが抵抗しなければ何もしないよ」
ひとみはゆっくりと相手に分かるように説明をする。
「ソウいうこと言ってるんじゃないよ。コレカラのカセギ場所のこと。アナタが何とかしてくれるの?」
状況に慣れてきためかミカはずいぶんと強気に出てくる。ひとみは困ったように肩をすくめ、逃避するように園内に視線を巡らせる。
- 162 名前:第5話 ストリート・ブルース 投稿日:2001年10月24日(水)01時29分37秒
- 夕闇迫る代々木公園は人が少ない。園内では灰色の鳩たちが呑気そうに首を揺すりながら餌をついばんでいる。その近くを老齢の男性たちが軽やかにジョギングをしながら汗を流している。どこか遠くから激しいギターの音が風に乗って聞こえてきた。
「どうにかしてくれって言われたって、あいつはかなり恨まれてたらしくて殺したい奴が山のようにいたらしいんだよ。だからさ、今回あたしたちが行かなくてもいつかきっと職を失ってたと思うけど……」
ひとみはため息混じりに言う。
今回は高利貸し屋の暗殺依頼であった。梨華の言うには一度ネット上にその名前が挙がるやいなや多くの人間が同名の名前を書き込んできたらしい。そのため今回の依頼は珍しく依頼者たちが依頼料を頭数で割っている。それだけあの高利貸し店が悪名を轟かせていたのだろう。
- 163 名前:第5話 ストリート・ブルース 投稿日:2001年10月24日(水)01時30分28秒
- 先日の依頼で怪我を負ったあさ美は、今回は仕事に参加をさせなかった。怪我の方はずいぶんとよくなってきたのだが、いざとなれば命に関わる仕事である。できる限り万全の状況で仕事に取り組む。それはひとみが先輩から教えられたことであった。
「アナタはそれでいいけど、ワタシたちは明日食べるものにもコマルの!せっかく大金が転がってたのに、ソレも取らせてくれないなんて。Oh My God!」
ミカは天を仰ぎ見た後、心底憤慨した様子でひとみを睨んでくる。ひとみは無視をして行ってしまおうかと思案する。
- 164 名前:第5話 ストリート・ブルース 投稿日:2001年10月24日(水)01時31分35秒
「ミカちゃ〜ん」
不意に遠くから声が聞こえてきた。ミカが振り向く。ひとみもつられてそちらを見る。
そこにいたのは小柄であさ美と同じぐらいの年齢の少女であった。丸顔で髪をツインテイルにしている。口から覗く歯は不並びであるが、笑うと口端から八重歯が覗き、頬にはえくぼができて愛らしい。大きく鳶色の瞳はくりくりとしていて魅力的である。服はぼろぼろに擦り切れている薄空色のオーバーオールに、古びて色あせた茜色のバックを背負っている。
「ミカちゃん。ほら、見て。ののの今日の稼ぎだよ」
舌っ足らずで一生懸命になって喋る。手には幾枚かの硬貨が握られていた。
「Good!ヤルじゃない」
ミカは硬貨を受け取りながら少女の頭を撫でた。少女はどこか誇らしげに胸を張る。
- 165 名前:第5話 ストリート・ブルース 投稿日:2001年10月24日(水)01時32分35秒
- 「これでののも一人前かなぁ?……誰?この人」
少女はひとみに気が付いたようでミカの背後に隠れる。それでも関心があるのかひょこりと顔を覗かせている。
「ヒトゴロシよ。オーナーをコロシタの」
ミカは吐き捨てるように言った。少女は人殺しと聞いて臆したように完全に隠れてしまった。
「あんたたちストリートチルドレンなのね」
ひとみは納得したように呟く。
「スリとかで金を稼いであそこに上納してたって訳か…」
「それもアナタのせいでシツギョウだけどね」
ミカは皮肉めいた口調で言う。
近年東京ではストリートチルドレンが急激に増えた。元々、渋谷では「プチ家出」など若者にとっての駆け込み寺的な要素を持っていたのだが、不景気の影響で家を失った者や、親との対立により家に帰ることができなくなった子どもたちが、自立する場所として選んだ場所が渋谷であった。近くに代々木公園があるため、いざというときはここが寝床となる。
- 166 名前:第5話 ストリート・ブルース 投稿日:2001年10月24日(水)01時33分52秒
- 「言っておくけどスリも立派な犯罪。あんたたちは法を犯しながら生活してるんだからね」
ひとみは自分のことを棚に上げて、くどくどと説くように言った。
「アタシたちは生活のために、オカネを貰ってるの。アナタたちこそ、ヒトゴロシじゃない。そっちのホウがジュウザイよ」
ミカはすぐ言い返してくる。どことなく楽しんでいるようにも見えるのは、何かを期待しているからであろう。
ひとみはほとほと疲れてきた。どう言おうとミカは自分たちから稼ぎ場に変わる何かを提供しなければ放してくれはしないだろう。
「……分かったよ。知り合いに頼んで仕事見つけてもらうから。それでいいだろ?」
ひとみの言葉にミカは顔を輝かせた。後ろから少女も首を出す。
「Really?ホントに?仕事紹介してくれるの」
ミカは喜び勇んでひとみの手を取った。突然のハイテンションにひとみはあっけに取られる。
「ミカちゃん。この人怖くないの?」
少女が上目遣いでひとみのことを恐る恐る見る。
- 167 名前:第5話 ストリート・ブルース 投稿日:2001年10月24日(水)01時34分49秒
- 「No Problem。モンダイ無しよ。この人いいヒトゴロシ。ワタシたちに仕事をくれるの」
「ち、ちょっと。聞いてみるって言っただけでしょ。このご時世にそう簡単に仕事なんて見つかるかどうか……」
ひとみはミカの喜びように慌てて釘を差した。しかし、ミカの様子は変わることなくひとみの肩を抱き寄せる。
「Oh。そう言えば紹介してなかったね。コッチの娘は辻希美ちゃん。ワタシの妹分で、ストリート生活の後輩。ええっと、アナタは?」
「…ひとみ。吉澤ひとみ」
言葉を遮られたひとみは渋々ながら自己紹介をする。希美は警戒心を解いたのか、にこりと笑うとひとみの手をミカの手の上から握った。
「ののです。どうぞよろしくお願いするのです。ぜひ、いい仕事を下さい」
希美の舌っ足らずの言葉を聞いているとひとみはどこかほっとして、自然と顔が緩んでいくようだ。
「あ、笑えるんですね」
希美は意外そうに目を丸くしながら言った。
「ネエ、言ったでしょ。この人いいヒトゴロシなのよ」
ミカは嬉しげに言った。ひとみは苦笑をしながら、まあねと頷いた。
- 168 名前:第5話 ストリート・ブルース 投稿日:2001年10月25日(木)00時51分21秒
「はろはろ〜、こちらは石川で〜す」
梨華のしつこいほどのアニメ声が電話越しに響き渡る。ひとみは顔をしかめながら一度咳払いをして声の調子を整えた。
「もしもし。あたしだけど……」
「もしかしてその声はひとみちゃん?いやだ、どうしたの急に。あ、仕事が終わったのね。その祝賀会を2人でしようっていうんだ。もちろん大丈夫だよ。ひとみちゃんのためならば、これからすぐに早退して飛んでいってもいいんだから」
梨華は突然の出来事に混乱しているのか一人走りをしている。
「…違う。仕事は終わったけど。その際にちょっとしたトラブルに巻き込まれちゃってさぁ」
ひとみはにこにこと笑みを浮かべているミカと希美を横目で見ながら言う。
「トラブル?もしかして怪我でもしたの?大丈夫?それとも警察に捕まって保証人が必要とか…。駄目だよ。一応、私、国家公務員なんだから」
- 169 名前:第5話 ストリート・ブルース 投稿日:2001年10月25日(木)00時52分52秒
- 「違う!ちょっと黙ってあたしの話聞いててくれる。厄介者を拾ったんだ」
「またぁ?この間の娘で十分じゃなかったの?‥そんなに飢えてるならいつだって私に言ってくれればいいのに。私、いつだって待ってるんだから。なんだったら今晩ホテル予約するけど…」
梨華は艶やかな声を出してくる。ひとみは怒りにまかせて携帯電話を芝生の上に一度叩きつけた。急のことに希美はびくりと身体を震わせ、ミカの背後に再び隠れる。
ひとみは息を整えると、携帯電話を拾い、耳をつけた。
「…み‥ちゃん。大丈夫?何だかひどい音がしたんだけど…」
「黙ってあたしの話を聞いてろって言っただろ!その厄介者が仕事を探してるんだって。それで梨華に見つけてもらいたいの。分かった?」
ひとみは畳み掛けるように言葉を吐き出す。
「ええっ、仕事の斡旋を私にしろって言うの。‥だってそれって殺しとかじゃないでしょ?」
「仕方ないだろ。そうじゃないとあたしが帰れそうにないんだ」
ミカがにやにやしている。ひとみは鼻を鳴らして不機嫌さを表す。
- 170 名前:第5話 ストリート・ブルース 投稿日:2001年10月25日(木)00時54分12秒
- 「もしかしてストリート?」
梨華はすっかり気の抜けた口調で尋ねてくる。
「だったらお断りよ。ひとみちゃんのお願いでもそれは聞けないの」
ひとみが返した答えを聞くと、梨華は冷たく突き放してきた。
「どうしてさ。ストリートチルドレンだって別に何か変わるわけじゃないだろ」
「私が嫌いなの。自分たちで稼ぐ努力もしないで人ばっかり当てにしてる。路上で呑気にやってる若い奴なんて棚からぼた餅が降ってくるのを待ってるだけよ。そんなの待ってる暇があるんだったら自分で仕事を探させて。用事がそれだけだったら電話切るよ」
梨華は冷め切った事務的な口調で電話を切ろうとする。
「ちょ、ちょっと…」
ひとみが慌てたように言葉を続けようとすると、雲行きが怪しくなってきたのを悟ったのかミカはひとみから携帯電話を奪い取る。
「仕事チョウダイヨォ」
そのままミカは希美に携帯電話を渡す。
「仕事をくれたら、のののお菓子分けてあげますぅ」
希美は満足したようにひとみに電話を返す。ひとみは呆れ顔で再び電話を耳に当てる。
- 171 名前:第5話 ストリート・ブルース 投稿日:2001年10月25日(木)00時55分27秒
- 「どう聞いた?」
「今の二人組が努力もしないで、棚から落ちてくるぼた餅を待っているのね」
梨華も呆れたようにため息を吐いている。
「……分かった。ひとみちゃんのお願いだし、今回は特別に探してみる。だけどストリートだと警察とかにもマークされてる場合があるから、表の仕事は難しいと思うよ。下手すると私たちにも手が回る場合があるからね」
「とにかく何でもいいから紹介してやって。それできっと満足すると思うから。あ、でも売春系は駄目だからね。これは同じ女としての忠告」
ひとみの言葉に梨華は舌打ちをした。どうやら簡単に済まそうと画策をしていたようだ。
「まあ、最近また迷惑防止条例が厳しく改正されたからね。そっち関係の店も危ない橋は渡りたがらないだろうし…。じゃあ、条件飲む代わりにひとみちゃんが今度食事に誘ってよ。でないとこの話は無かったことにするからね」
ひとみは仕方なしに返事をした。それでようやく梨華も普段の調子を取り戻してきたようだ。
- 172 名前:第5話 ストリート・ブルース 投稿日:2001年10月25日(木)00時56分40秒
- 「それじゃあ、仕事があったら直接彼女たちに知らせるようにするわ。場所は代々木公園でしょ。……ミカ・トッドと辻希美ね。まぁ、期待しないで待たせておいて。それじゃあ、今晩の相談しよっか。祝賀会はどこの店に行く?あ、ホテルもちゃんと予約しておかないと……」
梨華は楽しげにうふふと笑った。
「調子に乗るな」
ひとみは携帯電話を切った。それから疲れた顔で二人を見た。
「仕事探してくれるって」
ひとみの科白にミカと希美は抱き合いながら喜んだ。
「やっぱりアナタいい人よ」
「ありがとうございますなのです」
二人は各々の言葉で感謝を表した。
「連絡は仕事があったら直接来て知らせてくれるってさ。だから期待しないで待ってろって。じゃあ、あたしはちゃんと役目を果たしたから…」
- 173 名前:第5話 ストリート・ブルース 投稿日:2001年10月25日(木)00時57分47秒
- 「チョ、チョット待ってよ。一緒に食事をしましょうよ。ようやく仕事が決まったオイワイを3人でしましょう」
「わーい、ののは焼き肉がいいです」
「お祝いって、だって金を持ってないんじゃないの?」
ひとみは二人に腕を掴まれて完全に逃げる体勢を失った。
「大丈夫、大丈夫。No Problem。アナタが持ってるじゃない」
ミカは本当に嬉しそうに顔を綻ばせながらひとみの腕を引っ張る。
「のーぷろぶれむなんです」
希美もにこにこしながらひとみの足にしがみついた。ひとみは疲れ切ったように深々とため息を吐いた。
- 174 名前:第5話 ストリート・ブルース 投稿日:2001年10月26日(金)00時06分09秒
ひとみは会って3日目には、すっかりミカたちのことが脳裏から消えていた。ストリートチルドレンなど街中に溢れかえっている。上野、渋谷や新宿の駅を出ればすぐに年端もいかない子どもたちが群がってきては、金をせびってくる。ミカたちはそんな中の一人に過ぎないのだ。彼女たちは時代が産み落とした子どもたちなのかもしれない。
ひとみは人に同情をしている暇はなかった。ほぼ一日置きぐらいに簡単な依頼が舞い込んでくる。冬が近づくにつれて人の心は寂しくなっていくようだ。聞いてみれば、くだらない理由での依頼も多い。梨華に文句を言っても金を支払ってくれるのであればクライアントだと諭されてしまい、人の業を毎日のように背負っていく。
「あんたは何を考えて仕事をしてるのかねぇ」
ひとみはソファーの背もたれに寄り掛かりながら、台所で不慣れな手付きでフライパンを握っているあさ美に対して呟いてみた。
- 175 名前:第5話 ストリート・ブルース 投稿日:2001年10月26日(金)00時07分19秒
- あさ美はひとみの声がよく聞き取れなかったのか、不思議そうに大きな目をひとみへと向けた。
「何でもないよ。‥ずいぶんと身体の調子、よくなってきたんじゃない?」
ひとみの言葉にあさ美はこくりと頷いた。ひとみは疲れたような笑みを返すと、目線を窓の外にもっていく。曇っているのか空には星も月も見ることができず、ただ人工的な灯りが地上を覆っている。首都高速を走り抜けていく車のテイルランプが、赤い光の川を作り、都心を離れていく。
その時、ひとみの携帯電話が電子音を立てながら光り出した。ひとみはため息を吐くと、嫌々そうに電話を耳に当てる。
「もしもし?」
「…………」
電話越しではいつものような梨華の耳を突くような高音声ではなく、無言であった。微かに車が風を切る音が聞こえてくるため、外の公衆電話からかけてきているのだろう。
- 176 名前:第5話 ストリート・ブルース 投稿日:2001年10月26日(金)00時08分17秒
- 「もしもし、誰?」
ひとみはソファーの上で姿勢を正しながら、相手に問いかける。
「…………吉澤‥さん」
聞き覚えのある舌っ足らずの声である。濡れたような声でどうにか言葉を出したように聞こえる。時折、鼻をすすり、何かを必死に耐えているような感じがする。
「もしもし、その声、希美ちゃん?」
あさ美も何事かあったのかというように、火を止めてひとみの方を見ている。
「‥吉澤…さん……。‥ミカちゃんが……ミカちゃんが…」
「ミカがどうかした?梨華からちゃんと仕事紹介してもらったんだろ?」
希美の様子が普通ではない。ひとみは逸る気持ちを抑えながら、希美に聞く。
「……ミカちゃんが‥…殺された」
希美の絞り出すような声がひとみの耳に入ってくる。瞬間、ひとみは身体中から力が抜けていくのを感じた。
「…殺されたって、どういうことだよ!」
ひとみは声を荒げた。それ以上、希美の言葉は続かなかった。がちゃりと電話が切れた音がする。
- 177 名前:第5話 ストリート・ブルース 投稿日:2001年10月27日(土)01時48分10秒
ひとみは急いで梨華に電話をかけた。指が自然と震えてくる。目は前を見ているはずなのに、何も目に入ってこない。
「もしもし!梨華」
「はろ〜。どしたの、ひとみちゃん。あ、もしかしてこの前のこと?それだったらちゃんと果たしたよ。ひとみちゃんの電話番号も聞かれたから教えちゃったけど大丈夫だよねぇ」
梨華の眠たげな声が聞こえてくる。残業でもしているのだろうか、コピー機が立てる騒音が入り込んでくる。
「ミカたちにどんな仕事を紹介した!」
「ど、どしたのよ。そんなに怒鳴り声あげちゃって。どんなって、普通のバイヤーの仕事だけど……」
「普通って何を運んでるやつ。もしかしてチャカとか…」
梨華の普通の観点は他と異なりすぎている。ひとみは舌打ちをしながら尋ねた。
- 178 名前:第5話 ストリート・ブルース 投稿日:2001年10月27日(土)01時48分58秒
- 「違うよ。ただのキノコだよ、キ・ノ・コ。まことさんっていって渋谷の一等地にね、『ノーウェジアン・ウッド』っていうキノコショップを開いているのよ。結構、信頼できる人だからね。表は普通のキノコ専門店なんだけど……。ほら、最近巷で流行ってるでしょ、トリップできるやつ。そういうのって法律で規制されちゃったから、公に売買できないじゃない。だから裏でバイヤーとかが必要となるみたいよ。さぁ、ちゃんと仕事したんだから、ひとみちゃんも……」
「ミカが殺された。さっき辻から電話があった」ひとみは梨華の言葉を遮るように言った。
「……うそ…。だって私が話を持ちかけた時は、すっごく乗り気で…。あのミカって娘、警察にずいぶんマークされてたから大変だったんだけど、まことさんはそんなことも気にしないで受け入れてくれたんだよ」
梨華も声を震わせながら反論をしてくる。
- 179 名前:第5話 ストリート・ブルース 投稿日:2001年10月27日(土)01時50分43秒
- 「…あたしが行って確かめてくる。もしかすると辻が何かを企んでの狂言かもしれないし…。有り得ないと思うけど」
「ちょ、ちょっと待ってよ。ひとみちゃん、もし本当だったらどうするつもりよ。もしかして……」
ひとみは無言で梨華に答える。その様子から梨華は全てを察したようだ。
「駄目よ!まことさんはお得意先の一つなのよ。それにこれは誰からも依頼されていないわ。勝手なことは私が許さないよ」
梨華の声は強いものであった。
「…状況によっては殺るよ。喜んでミカたちを引き受けた所が引っかかるんだ」
「勝手なことをしないでって言ってるでしょ。だからストリートに関わるとろくな事がないのよ」
梨華は後悔の念が抑えられないように吐き捨てる。
「私たちは依頼のある仕事でしか動かないのよ。もし勝手な行動をすればあの時の矢口さんみたいに……」
梨華は言ってからはっと息を飲み、言葉を止めた。
- 180 名前:第5話 ストリート・ブルース 投稿日:2001年10月27日(土)01時51分55秒
ひとみは黙って電話を切った。どのみちこれ以上話し合いをしても梨華は自分の主張を曲げることはないだろう。すぐに携帯電話は鳴り出すが、ひとみは電話に出ず、電源を切った。
あさ美が不安げにひとみの横に座っている。
「……どうかしたの?」
「心配しなくていいよ。これはあたしが勝手にやることだからね」
ひとみはそう言うとソファーから立ち上がった。
「もしかすると辻希美っていう女の子から電話がかかってくるかもしれないから、あさ美はここに居て電話番をしてて。それでその娘からかかってきたらここに来るように言ってあげて。梨華からの電話は無視していいからね」
ひとみは携帯電話をあさ美の渡した。
「…帰ってくるよね」
あさ美が顔を強張らせながら尋ねてきた。そのあさ美の様子をみてひとみは笑った。このようなあさ美を見るのは初めてである。
「当たり前だよ。たかだかバイヤーに会いに行くだけなのに、あたしが死ぬと思ってるの?それにまだ、あさ美が作った夕食も食べてないんだよ。帰って来るに決まってるじゃない」
ひとみはそう言うとクローゼットに向かい、中から銃器を取り出した。
- 181 名前:第5話 ストリート・ブルース 投稿日:2001年10月29日(月)01時09分54秒
渋谷駅前は夜になっても灯が落ちることがない。ひとみは黒いジャケットをかき寄せると、『ノーウェジアン・ウッド』と銘打たれた店の前で足を止める。テナントビルの2階分を借り切っていて、そこそこ繁盛をしているようだ。表には派手に彩られた紙の広告が所狭し貼り付けられていた。意外と会社帰りのOLなどの姿が多く、店内はBGMがかき消されるほど騒々しい。
ひとみは出入口付近に立っている、屈強そうな男の横に身を寄せる。
「扱っていないマッシュルールはないって聞いてるわ」
「何がお望みだ」
男は視線を動かさずに、ひとみに尋ねる。
「そうね、北欧のマジシャンなんてどうかしら。古めかしくてなかなかいいんじゃない?」
ひとみは男に選別されている視線を感じる。ひとみは緊張に唾を飲み込む。
「即金か」
男の言葉にひとみは頷いた。
- 182 名前:第5話 ストリート・ブルース 投稿日:2001年10月29日(月)01時11分08秒
- 男は一旦その場を離れる。ひとみは大きく息を吐くと、ジャケットを上からさする。やがて男が戻ってくると、ひとみについてくるように言った。
微かに天井に灯る明かりを頼りにひとみは、男に続いて奥へと進んでいく。やがて木製のドアがあり、男はノックをするとドアを開けた。
中には大きなデスクがあり、室内犬がそのデスクの横に身を縮めていた。デスクにはマッシュルームカットの細面の男が、唇をひくつかせながら座っている。まるで時代遅れの詰め襟のグレースーツを着込み、手では二つの胡桃をこりこりと回している。男の真横には硝子張りの巨大水槽があり、中では蘭鋳や出目金などが優雅に泳いでいた。
「あんたか?『ルーン』がすぐに欲しいって言うのは。最近は警察の目も厳しくなってきてなぁ。身分がしっかりとしたものでなければ売ることができないんだよ」
「あんたがまことさん?」
ひとみは口元に笑みを作る。男もにやりと笑った。
- 183 名前:第5話 ストリート・ブルース 投稿日:2001年10月29日(月)01時11分55秒
一瞬であった。ひとみは素早く身を動かすと、ジャケットからサイレンサーの付いたベレッタM92Fを取り出し、まことの顎下に突きつける。先ほど部屋に案内をしてくれた男も不意のことに対応が遅れた。犬は何事かと首をもたげ、主人の危機にうなり声をあげた。
「動かないで!動けばこいつの頭がぶっ飛ぶわよ」
ひとみは胡桃を落としたまことに強く銃を押しつけた。
「な…何だ。何が目的だ……」
いくら裏があるとはいえこういう状況に慣れていないのか、まことは歯をがちがち言わせながら、声を発した。
「あんたが雇ったミカっていう娘のことが聞きたいの。正直に話せる?」
ひとみは睨みを利かせながらまことに尋ねた。自然が力が入り、銃をまことの顎に押し当てる。
- 184 名前:第5話 ストリート・ブルース 投稿日:2001年10月29日(月)01時12分37秒
- 「ミ、ミカ?…ああぁ、石川の連れてきた娘のことか。あいつならば今頃東京湾で‥ひっ」
「余計なことは言わなくていいの。何であの娘を殺したのかが知りたいのよ。今度余計なことを言ったらあんたは好きなキノコを一生見ることができなくなるよ」
「‥け、警察に言われたんだ。今度の視察報告を甘くしてもらいたければ、何か手柄を立てさせろって…。そ、それで偶々、石川から警察にマークをされているストリートチルドレンの話が舞い込んできて……」
「あんた、最初からミカを警察に売るつもりだったのね」
ひとみの顔が険しくなる。
「ち、違う。お、俺はただ、情状酌量で早く出してやるって警察から言われたから、と、特に悪意があってやったわけじゃ…。そ、それに悪いのはあの女だ。あいつが警官に反抗をしないで黙って捕まってれば‥。あいつは自分で自分の状況を悪くして殺されたんだ」
「警官が殺したの。ミカは今どこに?」
ひとみは舌打ちをした。
- 185 名前:第5話 ストリート・ブルース 投稿日:2001年10月29日(月)01時13分27秒
- 「い、今頃、俺の部下たちがコンクリート詰めにして…東京湾に……」
「すぐに止めさせろ!すぐに止めなければあんたも同じ末路を辿ることになるわよ」
ひとみはデスク上の受話器をまことに渡す。まことは震える手でダイヤルを押した。犬は小柄ながらもずっとひとみから目を離さず、低いうなり声をあげている。男はひとみの隙を伺いながら、状況の打破を考えているようだ。
「動けば分かってるわね。あんたたちの大事な頭が死ぬことになる」
ひとみは一人と一匹に注意をうながす。その間にもまことは電話に何かを話している。
「い、今、部下たちに遺体を持って戻ってくるように命令した。こ、これでいいか?」
まことはようやく息がつけると思ったのだろう。どこか表情にほっとしたものがある。
「本当ならばあんたも許さないんだけど‥警察の連中相手じゃあたしにも手を出せないからね」
ひとみはすっかり怯えながぺこぺこと頭を下げているまことを見下ろしながら、ベレッタM92Fの銃口を下ろそうとした。
- 186 名前:第5話 ストリート・ブルース 投稿日:2001年10月29日(月)01時14分25秒
その瞬間を背後に控えていた男は見逃さなかった。身体に合わないスピードでひとみの首に腕を回してくる。ぐっと力が込められ、腕の筋肉が盛り上がりひとみの首を締め付ける。
「っく…」
男の生暖かい息を耳に感じながら、ひとみは身体を必死によじらす。
その様子を見たまことは急に強気になった。椅子から立ち上がり、憤怒の目をひとみに向けてくる。床に落ちた胡桃を拾い、左手でカチカチと音を立てながら、足下に犬を従えて、ひとみの顎を掴む。
「ずいぶんと粋がってくれたじゃないか。あんなストリートの娘のために一人で乗り込んできて、その挙げ句このざまか?」
まことは好色に満ちた目でひとみを撫で回す。
「許しを請えば命だけは助けてやってもいいぞ」
まことの神経質げな笑いを見ながら、ひとみは苦しげに右手でベルト辺りをまさぐる。
「‥だ、誰があんたみたいな奴に!」
ひとみはまことの手を顎で振り払うと、右手を思い切り振り下ろした。
- 187 名前:第5話 ストリート・ブルース 投稿日:2001年10月29日(月)01時15分47秒
- 「ぐわぁっ」
男が高い悲鳴をあげ、呻きながらひとみから腕を離した。男の右股にナイフが突き刺さっている。開放されたひとみは二、三度咳き込むと、そのまま、まことに再度銃を向けた。今度は相手の口内に突き込む。
「あんたらみたいな小悪党にあたしが殺れると思ったの?」
まことは先ほどまでの強気が嘘のように、すぐに哀願するような目で首を横に振る。死への恐怖のためか、目は大きく見開かれ、涙がこぼれ落ちようとしている。
「慈悲の心であんたたちを許してやろうって思ったのが間違いだったみたいね。あんたに大事な人を奪われた時の悲しみが分かる?あんたたちにとってはあんなストリートの娘だろうけど、でもね、そんな娘を必要にしている人がいたのよ!」
ひとみは引き金を引いた。
- 188 名前:第5話 ストリート・ブルース 投稿日:2001年10月29日(月)01時16分29秒
- まことは瞬間大きく瞳を開き、そのまま力が抜けたように後方へと倒れた。厚手の絨毯がまことのしっかりと身体を受け止め、口から流れくる血を吸い始める。
ひとみはそのまま振り向くと、ナイフを引き抜いている男に向かって銃を放つ。銃弾は空気を切り裂く音を立てながら、男の身体を貫いた。
犬は急に動かなくなった主人の顔を舐め回す。ひとみはその犬の頭を撫でてやると、犬は嫌がるようにひとみの手を逃れ、部屋の隅の方へとうずくまってしまった。ひとみは寂しげに笑みを浮かべると、まことが座っていた椅子に腰を下ろした。
「…さて、何人帰ってくるのかな」
ひとみは白地のハンカチを取り出すと、まことの唾に汚れたベレッタの銃身を拭った。
- 189 名前:第5話 ストリート・ブルース 投稿日:2001年10月30日(火)00時18分25秒
ひとみがマンションに帰ると、希美がソファーに座り、陶器のカップを傾けていた。希美はひとみの姿を認めると勢いよく立ち上がった。顔は疲労が表れており、頬には涙の跡があった。目は充血しており、不安げにひとみを見てくる。
「ミカちゃんは……」
ひとみは左右に首を振った。
ミカの遺体はコンクリート詰めにされる前であったようで、身体はまだドラム缶に入れられただけであったようだ。眠るように青白い顔をドラム缶に寄せていた。身体には暴行を受けたのか、所々に傷があり、胸部には凶弾で撃たれた跡があった。赤々とした目立つミカの服にはべっとりとどす黒い血の跡が染み込んでいた。
ひとみはミカの遺体をドラム缶から出すと、部屋にあった黒皮のソファーにそっと寝かせた。その後、部屋の電話から匿名の電話を警察に入れた。これでミカの身元が分かれば警察の方が葬ってくれるだろう。
- 190 名前:第5話 ストリート・ブルース 投稿日:2001年10月30日(火)00時19分36秒
- ひとみはそのことを希美にありのまま話した。希美は力が抜けたようにソファーに崩れ落ちる。どこか放心した表情でぼんやりと口を開けている。カップはごとりと床に転がり、絨毯の上に染みを作っていく。あさ美が無言で台拭きを持ってくると、その染みを拭いた。
「…ミカちゃんはののの大事な人でした‥。ののに色々なことを教えてくれた大事なお姉ちゃんでした。……ののはミカちゃんがいなかったら生活ができませんでした……いつもミカちゃんがののを助けてくれました…」
希美がミカとの過去を思い出すようにぽつりぽつりと語り出す。ひとみは血に汚れたジャケットを脱ぎ捨て、希美の隣に座った。
「ののはこれからミカちゃんがいないのにどうやって生きていけばいいんですか!ののは……」
希美は言葉を詰まらせ泣いた。涙が止まるところ知らずにこぼれ落ちてくる。ふっくらとした頬は涙に濡れ、赤く染まっている。
- 191 名前:第5話 ストリート・ブルース 投稿日:2001年10月30日(火)00時21分41秒
- ひとみは優しく希美の肩を抱いた。希美は嗚咽しながらひとみの胸に顔を埋める。
「あんたさぁ、どうしてストリートチルドレンなんかになったの?」
「‥ののはお母さんと喧嘩をしたんです。それで家出をして……ミカちゃんと知り合いました。それで家に帰らなくなって……」
「じゃあさ。あんたは帰った方がいいよ、帰る家があるんだから…。ストリートにいて裏の世界と関わっていると、また大事なものを無くしちゃうよ。帰って辛かったことを全部忘れちゃいな。こんな事いつまでも覚えていないほうがいい。希美はストリートをしたくてしてるわけじゃないんだから。家出の延長で帰ろうと思えばいつでも帰れるんだ。だから全部悪い夢だったと思って忘れるほうがいい。希美はミカなんて娘と出会ってないんだ」
ひとみの言葉に希美は顔を上げた。その顔は戸惑いと不安に満ちたものであった。
「でも……ミカちゃんは…」
「その名前は二度と言わない!」
ひとみは強い口調で言い、希美を強く抱きしめた。
「全部悪い夢だったんだから……」
ひとみは呟くように言った。
- 192 名前:第5話 ストリート・ブルース 投稿日:2001年10月30日(火)00時22分47秒
ひとみはソファーの上でため息を吐いた。重々しい息が肺の奥から吐き出されていく。
携帯電話に電源を入れると、すぐに梨華からの電話があった。梨華は一方的に捲し立てた。ひとみはただ黙って全ての言葉を受け、結局、今後しばらくは仕事の取り分を五分五分にすることで梨華はようやく機嫌を直したようだ。梨華にとってまことの命よりも、そこから得られる利益が損なわれなければ問題はないのだろう。
希美は今、隣の部屋のベットで物音も立てずに眠っている。明日になれば希美は自分の家へと帰っていく。ベットに入る寸前に希美がようやく自分から言ってくれた。
「…ひとみ」
いつの間にかあさ美が背後に立っていた。ひとみは振り向いて弱々しい笑いを浮かべた。
「ごめんね。希美にベット貸しちゃってさ。今度、もう一つベット買わなきゃね」
ひとみの言葉にあさ美は黙って首を横に振った。
- 193 名前:第5話 ストリート・ブルース 投稿日:2001年10月30日(火)00時23分34秒
- 「今、ここ退くから。あさ美は今晩ここで寝て。あたしはちょっと外に出てくるよ」
「…気にしないで。私も居候なんだから。私はどこでも眠れるよ」
あさ美が微笑んだ。
ひとみは窓の外に目をやる。まるでひとみの心を表すかのように雲が空を覆い尽くし、空には光を見つけることはできない。
- 194 名前:第5話 ストリート・ブルース 投稿日:2001年10月30日(火)00時24分38秒
ひとみは深々とため息を吐き出すと、静かに語りだした。
「……あたしね。昔、仕事を一緒にしてた先輩がいたんだ。刑務所から助けてくれた人なんだけどね。素人だったあたしにとっても好くしてくれてさ。今ある力も全部その先輩から教えてもらったものなんだよ」
あさ美がそっとソファーに腰をかける。
「…とても尊敬してたし、……すごく大事な人だった。でも、先輩は殺された……。どこの誰だか分からないけど、身体には無数の穴が空いていて、それなのに顔だけは綺麗だったよ。あたしは先輩を前にして復讐を誓った。殺した奴をこの手で殺してやるって。だから今でもこんな仕事をしてるんだよ」
ひとみは顔を苦悶に歪め、拳を自らの手にぶつける。乾いた音がし、ひとみは顔を上げる。そこには弱々しく、疲れ切った笑いが浮かんでいた。
- 195 名前:第5話 ストリート・ブルース 投稿日:2001年10月30日(火)00時26分03秒
- 「…分かるんだよ、希美の気持ちが…。大事な人を失った時の気持ちがさ。だから乗り切ってもらいたい。ミカが希美にとって大事な人で、希美が忘れたくないのも分かるけど、いつまでもそれに縛られていてもらいたくなんだよ」
そっとあさ美がひとみの手に自分の手を重ねてきた。ひとみははっとしてあさ美を見る。彼女の手は柔らかく、ひんやりとした冷たさを持っていた。
「……大丈夫。ひとみの気持ち、辻さんにちゃんと伝わる。……それにひとみももう一人じゃない。私がひとみを守る。ひとみが私を守ってくれる。それがコンビだって前にひとみが言ってたよ」
あさ美は静かに、そして恥ずかしそうにそう言った。
ひとみの険しさを持っていた顔はゆっくりと崩れていく。そしてひとみはあさ美の手をぐっと握る。
「…そうだね。今のあたしはあさ美のことを守っていかなきゃね」
ひとみはそう言ってあさ美に笑いかけた。
To be continued
- 196 名前:三文小説家 投稿日:2001年10月30日(火)00時34分25秒
- 少々思うところがあって下の方で書くことにしました。
一応全16話、番外1話の構成になっておりまして、ようやく4話が終わった段階であります。
先はまだまだ長く、最近ちょっときつくなってきたかなぁと弱音を吐いております。
それでも読んで下さる方がいらっしゃることを信じながら、今後も続けていきますので、どうぞよろしくお願いします。
第5話は海外への休暇のお話です。初めてあの御方とあさ美嬢が顔合わせをします。それと関西弁のあの2人がカジノで……
第5話「ホンキン・トンク・ウィメン」は11月2日から掲載予定です。
どうぞお楽しみに
- 197 名前:三文小説家 投稿日:2001年10月30日(火)00時37分28秒
- すみません。タイトルを間違えました。
正しくは「ホンキィ・トンク・ウィメン」です。
- 198 名前:名無し読者 投稿日:2001年11月01日(木)22時00分29秒
- 読んでおりますので、五話からも期待sage
- 199 名前:三文小説家 投稿日:2001年11月02日(金)01時17分15秒
- >>198
レスありがとうございます。
感謝感激雨霰、久しぶりのレスに心躍る思いであります(w
今後とも駄文ではありますが、どうぞよろしくお願いします。
いつの間にか話数がズレておりました。
見てみればもう第5話まで終わってましたね。
と、いうことで今日から第6話「ホンキィ・トンク・ウィメン」の始まりです。
ちなみにタイトルは某バンドの曲からと某番組のタイトルから付けました。これで元ネタの一つが分かるはずです(w
- 200 名前:第6話 ホンキィ・トンク・ウィメン 投稿日:2001年11月02日(金)01時18分47秒
ひとみはシャワーを止めて、バスタオルに身をくるみ、山吹色に染めた髪を拭きながらリビングへと出てくる。
リビングではあさ美が普段と同じように薄い空色のシャツと狐色のショートパンツを穿いて、ぼおっとした顔で窓の外を眺めていた。外は秋空で、雀たちが心地よさそうに飛び回っていた。
「用意はできたの」
ひとみはソファーにどかりと座り込む。あさ美はひとみの方を見るとこくりと頷き、小さなスポーツバックを指さした。
「…‥ひとみのも用意した」
あさ美は寝室の方へ行くと、もう一つ同じ大きさのボストンバックを持ち出してきた。
「サンキュウ。そんじゃあ、あたしが用意できればいつでも出かけられるってわけか」
- 201 名前:第6話 ホンキィ・トンク・ウィメン 投稿日:2001年11月02日(金)01時20分17秒
- ひとみは時計に目をやると、少し急いだようにクローゼットの方へと向かう。あさ美は暇な時間を潰すように、バックを開けて荷物を確認している。
「今ならどこ行ったってコンビミで何でも手に入るんだからそんなに気にする必要もないんじゃない?」
ひとみは服を当てては鏡でチェックをいれる。
「やっぱりこっちか」
ひとみは漆黒のタイトスカートを引っ張り出すと、その場でバスタオルを外し、着替え始める。
「そんじゃあ、行きますか?」
ひとみはパソコンの乗る机に近づくと、サングラスを手に取った。あさ美は自分の荷物を持つ。
「……行ってくるね」
あさ美はまるで部屋に言うようにぼそりと呟いた。
- 202 名前:第6話 ホンキィ・トンク・ウィメン 投稿日:2001年11月02日(金)01時21分08秒
羽田空港はいつも通りの賑わいを見せていた。
2001年、羽田空港が正式に国際化されたため、海外への出口は成田から羽田へと移った。世界各国からこの措置は歓迎され、よりいっそう日本はグローバル化の道を進むことができたと言ってよいだろう。
その反面、東京上空の空の交通量が飽和状態に陥り、飛行機事故が増加した。特に近くに自衛隊の基地や米兵基地などが多々存在しているため、羽田上空は空の混線地帯と化してしまった。また滑走路を拡大しなければ航空機を受け入れられなくなってしまい、近隣の住民たちと衝突が起こった。
そのことが原因で、東京都知事と国土交通大臣が激しく糾弾されることとなり、責任を取る取らないの大騒ぎになったこともある。
しかし、それももう十年以上昔の話である。様々な欠点はありつつも羽田空港は日本最大の空港になったことは誰の目から見ても明らかである。
- 203 名前:第6話 ホンキィ・トンク・ウィメン 投稿日:2001年11月02日(金)01時23分54秒
「あたしが航空チケットを取ってくるから、あさ美はここにいてよ。姿が見えなくなったら、放って一人で行っちゃうからね」
ひとみはそう言うと航空カウンターの方へと行ってしまった。
あさ美は待合いホール中央にある噴水の囲いに腰を下ろした。空港内は日本語と各種様々な外国語が飛び交っている。子どもたちの叫び声や恋人たちの熱い抱擁、サラリーマンたちの疲れ切った表情、黒人たちの大げさな身振り、フライトアテンダントたちの華やかな話し声などをあさ美はぼんやりと眺めていた。これほど賑やかな場所に来たのはいつぶりだろうか。落ち着くことができない。
あさ美はゆっくりと瞳を閉じる。全てが闇に包まれ、自分が徐々に解けていくような感覚があさ美を襲う。それは決して不快なものではなく、このまま解けていってもいいような心地よさがあった。
- 204 名前:第6話 ホンキィ・トンク・ウィメン 投稿日:2001年11月02日(金)01時25分06秒
「ここ、いいかなぁ?」
不意に甲高い声をかけられあさ美は慌てて目を開き、相手を見た。ピンク色のスーツを身に纏い、同じくピンク色のスーツケースを転がしている。頭には鍔が広い白帽子を被っていた。サングラスをしていて表情を読みとる事が出来ないが、口にも薄桃色の口紅を塗っている。
「……どうぞ」
あさ美は動く必要もないのに少し腰を上げて場所を空けた。女性は口元に笑みを浮かべると、あさ美の隣に座る。
「ねぇ、あなたはどこ行くの?」
女性はあさ美に話しかけてきた。あさ美は警戒をして身を強張らせる。自然と身体がいつでも動ける状態を作り出す。
「‥香港ですけど…」
「偶然。私も香港なのよ。あなた一人?」
女性はあさ美の顔を見て笑った。
- 205 名前:第6話 ホンキィ・トンク・ウィメン 投稿日:2001年11月02日(金)01時26分35秒
「おーい、もう搭乗するぞ。‥って何で…」
ひとみがあさ美の手前で足を止める。
「もぅ〜、ひとみちゃ〜ん。何で休暇なら休暇って言ってくれないのよぉ。梨華、寂しいじゃない」
突然、女性はひとみの姿を認めると、まるで子どものようにはしゃいだ。あさ美はただ状況を知らず、ぼうっとひとみを見つめた。
「どうして、梨華がここに……」
ひとみはあっけに取られて声が出てこないようだ。
「んもう、ひとみちゃんったら情報屋の私をなめてるの?偽造パスポートが作れる場所を紹介してほしいなんて言ってくるから、何かあるのかなぁなんて思って各航空会社のパソにハッキングしてみれば、香港までの航空チケットが2枚取ってあるじゃない。だから、私もそれに合わせて有給取ってきたんだよ」
石川梨華は不器用にウインクをして見せた。ひとみは助けを求めるような表情であさ美を見るが、あさ美は興味もなく自分の荷物を持って搭乗口へと向かった。
- 206 名前:第6話 ホンキィ・トンク・ウィメン 投稿日:2001年11月03日(土)00時29分40秒
香港は1997年まで英国領であった。返還されて以後は中国政府の統治下となる。21世紀大不況の際、アメリカに代わり、世界に経済的支援を行った中国の庇護下にあった香港もその害を最小限に抑えている。各国から安くブランド品を輸入し、それを目当てに集まる観光客たちをターゲットに発展の一途を辿っていく。
日本人の観光スポットとしては上場で、年間のべ数百万とも数千万ともいわれる邦人が香港を訪れている。
しかし、その目的は観光のみでなく、暗黒街に潜むマフィアたちの甘い汁を吸おうと試みる者たちも多数存在しているという。そのため中国マフィアと日本には見えざる橋があり、日本各地にその拠点があると言われている。
実際、ひとみたちも大陸系の人種を相手に仕事をしたことも多々ある。それだけ大陸と日本とはつながりがあると言えるのだろう。
- 207 名前:第6話 ホンキィ・トンク・ウィメン 投稿日:2001年11月03日(土)00時33分13秒
ひとみたちは、市街地の北西部にある香港最大の島、ランタオ島に建設された香港国際空港に降り立った。
初対面であった梨華とあさ美を話させて自分は害を逃れようとしたが、二人とも関心がないのか軽い挨拶程度の言葉を交わしただけであとはそれぞれが思いのまま行動した。
どこで細工を施したのか、ひとみの隣席はあさ美であったはずなのに梨華に変わっていた。四六時中、高く甘ったるい声で下らない話をされ続けていると気分が悪くなってくる。これが3日間も続くとなると、せっかくの休暇が台無しにしれたような感じでひとみは機嫌が悪かった。
一方、ほど近い席に座ったあさ美はずっと小さな窓から外を眺めていた。変わり映えのない景色を見ていて何が楽しいのかと尋ねたくなるほど、あさ美は空の光景から目を離さなかった。
- 208 名前:第6話 ホンキィ・トンク・ウィメン 投稿日:2001年11月03日(土)00時34分10秒
「で、あんたはどうすんの?」
ひとみは刺々しい口調で梨華に聞く。
「うん?そりゃあ、もち、ひとみちゃんと一緒に……」
ひとみがわざとらしく息を吐く。
「って言いたいんだけど、ちょっと私も用事があるのよ。だから今日は駄目なの」
梨華の本当に残念そうな顔に対してひとみは心より嬉しそうに顔を輝かせた。
「だけど大丈夫よ。ホテルもちゃんと同じ所に泊まるから。ひとみちゃんとの熱い一夜楽しみにしてるからね。あ、これ、持っていってね」
梨華は自分のトランクをあさ美へ押しつける。そして同室に予約されているあさ美はまるで邪魔だと言わんばかりの目を向ける。あさ美は別に梨華の目を特に気にかけた様子もなく、着たばかりのウインドブレーカーのフードをしきりに指で触っている。
「じゃあまた後でね」
梨華は投げキッスをひとみにすると、べっとりと茜色に塗られたタクシーを拾い先に出発した。するとひとみはぐっと手を組んで上に伸ばした。
「さて、やっとうるさいのが行った。あたしたちは休暇を楽しむか」
あさ美は相変わらずの無表情で頷いた。
- 209 名前:第6話 ホンキィ・トンク・ウィメン 投稿日:2001年11月03日(土)23時38分19秒
香港中心街の九龍にはかつて巨大な廃墟があった。
1993年にペンシルビルが取り壊されていくまで、そこには異界へと通じる場所であった。職を持たない者たちが集い、マフィアたちが巣窟としてのさばっていた。阿片患者がところかまわず長パイプを楽しみ、女たちは春を売り歩く。まさにそこは黒い天国であった。乱雑なまでの通りは来る者を拒み、薄暗い裸電灯は怪しさを照らし出していた。洗濯物が通りに干され、どこからか鼻をもぎ取るような匂いが漂っていた。人々はどこか虚ろな目を漂わせていながら、生きる気配を絶つことはなかったとよく言われている。
今はずいぶんと平和的になり九龍公園とショッピングモールが建ち並ぶ観光スポットへと変わっていき、廃墟の影はすっかりとなりをひそめていった。その場を楽しんでいた地元の人たちはどこか遠くへ引っ越したのか、それとも崩れ落ちる廃墟と共に消えていったのかのどちらかであろう。
- 210 名前:第6話 ホンキィ・トンク・ウィメン 投稿日:2001年11月03日(土)23時39分17秒
梨華は九龍中心路のネーザンロードに在する重慶大廈の前でタクシーから降りた。運転手からチップを強請れて、渋々5HKドルを握らせる。それでも不満そうであったが、梨華は無視をして、さっさと道を歩く。
すぐに黒色肌の男性たちが梨華を店に引き込もうと声を掛けてくるが、梨華は曖昧な笑みを口元に浮かべながらやんわりといなしていく。
表の観光客たちが騒ぎ立てる声が、絶えることなく路を覆い尽くしている。立ち並ぶ食道には鶏や豚がそのままの姿で焼かれ、串刺しになり軒先にぶら下がっている。その奥からはココナッツミルクの甘ったるい匂いが流れ出てきて、表のゴミ置き場の匂いと混じり合い、否応なしにも吐き気が込み上げてくる。梨華は顔をしかめながら、ハンカチで鼻を押さえる。
- 211 名前:第6話 ホンキィ・トンク・ウィメン 投稿日:2001年11月03日(土)23時40分28秒
梨華は『四川菜店』と、けばけばしく蛍光ランプで形取られたビルの前で足を止める。確認するように梨華はサングラスをちょっと下げて再度店名を読み直すと、その扉を押し開けた。ぎぎぎっと嫌な音を立てて内側に扉が開く。
店内はそれなりに賑わっていて、かちゃかちゃと陶器食器を叩く音が激しい。怒鳴り声にも似た広東語や英語がけたたましいぐらいに響き渡る。きわどいスリットの入った中華ドレスに身を包む女性たちが、にこやかに接客を行っていた。日本からの来客もあるようで点心をつつきながら、飲茶を楽しんでいた。
梨華が店内の様子を見ていると、白い中国ドレスを着込んだ娘が近づいてきて席に案内しようとする。梨華は女性にニコリと微笑むと、流暢な英語で話しかけた。
「こちらのオーナーに最上級の唐辛子を持ってきたの。四川出身のこちらのオーナーが気に入るような麻婆豆腐がきっと作れますわ。うふふ」
女性は少し困った顔をして、店内の端の方に立っていた男の元へと報告へ行った。男は事情を知ったらしく、梨華の方を見る。梨華はこれ以上ない顔で笑った。
- 212 名前:第6話 ホンキィ・トンク・ウィメン 投稿日:2001年11月03日(土)23時41分34秒
「最近の日本は女性も出稼ぎに来なければならないほど困窮してるのか」
皺と脂肪の化け物と化した『四川菜店』のオーナーは梨華を物珍しげに眺めた。その視線は老いてもなお健在を示しているか、少々しつこいものであった。はっきりとした英語で話しかけてきてくれるため梨華としては有り難い。
梨華は前髪を左手で払うと、二つのMOを机の上に置いた。
「それにしてもずいぶんと優秀だ。こんなぼろ料理店を見つけるのだからな。その上こんなに可愛らしい」
オーナーは水パイプを口にくわえる。
「お金はいくらあっても困らないものですよ、オーナーさん。それに日本の国家公務員なんてエリートでもない限り安月給なんです」
梨華はサングラス越しに相手の出方をうかがう。
「これは?」
オーナーの脇に控えていた黒縁の眼鏡をかけている男が用心深げに尋ねてくる。
- 213 名前:第6話 ホンキィ・トンク・ウィメン 投稿日:2001年11月03日(土)23時42分50秒
- 「警視庁の公にされていない情報です。こちらを上手に使えば日本のルートもしっかりすることも可能になるでしょう」
オーナーが吸う水パイプが煙たかったが梨華は我慢しつつ交渉を続ける。お気に入りのスーツにきっと匂いが付くだろう。こうなるとクリーニング代もふんだくらなくてはならない。
「今は日本もすっかり白い粉ブームですからね。各国から大量に輸入されていますよ。おいていかれたら、せっかくの副産業を失ってこんなぼろ料理店だけやっていかなければならないでしょう」
「ぼろ料理店とはひどい。これでも日本からのよい友だちたちが遊びに来てくれているんだがね」
オーナーは笑った。梨華も愛想笑いを浮かべる。
「本物か?」
眼鏡の男は言葉少なに梨華に聞いてくる。
- 214 名前:第6話 ホンキィ・トンク・ウィメン 投稿日:2001年11月03日(土)23時44分10秒
「あら、嘘などついたら私は無事に帰れないでしょ」
梨華は余裕を持って答える。今まで何度となく危ない橋を渡ってきたのだ。この程度の小組織のボス猿との交渉ならば赤子の手を捻るよりも楽である。男は梨華を睨むとMOを持ってパソコンに向かう。
「いくら欲しい?」
オーナーは楽しげに聞いてきた。
「いくらでも。オーナーさんが気に入ってくだされば、それなりの値を付けて下さいますでしょ」
梨華は自分のハンドバックに手を入れる。中には闇で買った中古の中国製トカレフが入っている。交渉はこの段階が常に危険なのだ。決まったと喜んでいるところを狙われて、金を持っていけない地に旅立ってしまった愚か者は大勢いる。
梨華はまだ死ぬつもりはない。生きている間、稼げるだけの金を稼ぐのだ。そのためには国を裏切ることになってもいとわない。どのみち汚いところで生み出された金なのだ。それならば汚く儲けても誰も文句を言えないだろう。
- 215 名前:第6話 ホンキィ・トンク・ウィメン 投稿日:2001年11月03日(土)23時45分32秒
パソコンの前に座っていた男が頷いた。オーナーはふむと鼻を鳴らし、男に命じて小切手を取り出させた。男は不服そうに梨華を見ながら、オーナーを見るがその命に従う。オーナーは小切手を受け取るとそこに金額を明記していく。梨華は素知らぬ顔で男に笑いかけたが、無視をされてしまった。
「これでどうだ。日本にいる連中に渡せば日本円で受け取ることもできよう。もしこちらに長く滞在するのならこちらで変えてもいい」
梨華はオーナーから小切手を受け取る。
「ありがとうございます。話が分かる御方で私も嬉しいですわ。‥それともう一つお願いなんですけれども、私、こちらでスーツを新調したく思ってまして」
こういうときはぬけぬけと言ったほうが勝ちである。オーナーは目を丸くして、しゃがれた声で笑った。
「日本の女性はずいぶんと男を扱うのが上手いようだ。どうだろう、その調子で今宵の世話も見て欲しいな。金ならばいくらでも出すぞ…」
オーナーが顎で男に命を下す。それからオーターは下卑た笑いを浮かべた。男は舌打ちをすると懐から財布を取り出す。
- 216 名前:第6話 ホンキィ・トンク・ウィメン 投稿日:2001年11月03日(土)23時47分23秒
「生憎先約がございまして。せっかくお知り合いになれたのに残念ですわ」
ずいぶんと安く見られたものだ。梨華は怒りを抑えながら、男が差し出す100HKドルの束をもぎ取ると席を立った。
「それでは、お互いによい夢を」
梨華は静かに微笑むと、すぐさまその部屋を出ていく。
「猿ジジイが!調子に乗りやがって」
梨華は廊下で吐き捨てるように日本語で言うと、100HKドル束をハンドバックの中に押し込んで老人の好色に満ちた目を振るい落とすように身震いをし、いそいそと階段を降りていった。
- 217 名前:第6話 ホンキィ・トンク・ウィメン 投稿日:2001年11月05日(月)00時01分36秒
ひとみがレンタルした赤いスポーツカーを港手前の駐車場に入れる。あさ美はひとみの乱暴な運転で乱れた髪を整えながら、ゆっくりと車を降りる。海風が磯の香りを運んできてくれ、夕闇迫る空には海鳥たちがみゃあみゃあと鳴いていた。黒猫が防波堤の上で彼方を眺めるように寝そべり、観光客と思われる人々も忙しそうに港の方へと向かっていく。ここ香港仔湾で有名な船上レストランがネオンの煌めきで浮かび上がっていた。
「気持ちいい」
あさ美は胸一杯に空気を吸い込む。その後ろではひとみが駐車場の管理人と何やら言葉を交わしている。ひとみは頷くとあさ美を呼んだ。
「こっちだって」
ひとみは船上レストランへ向かう一団と逆の方向を指さした。
- 218 名前:第6話 ホンキィ・トンク・ウィメン 投稿日:2001年11月05日(月)00時02分53秒
- 「梨華さんがホテルで待っているんじゃないですか?」
あさ美がひとみの後ろに付き従いながら尋ねた。
「梨華なら、どうせどっかで小遣い稼ぎでもして遊んでるよ。ったく、何度それでこっちが危ない橋を渡ったことか。あさ美もあんまりあいつと仕事以外で付き合うんじゃないよ。骨の髄までしゃぶり尽くされるからね」
ひとみは唾を吐き捨てた。
「公僕のくせして裏の家業にまで手を出してるんだからね。さぁ、あいつのことは忘れてさ。こっちはこっちで楽しもうよ」
ひとみが振り向いてにやりと笑う。あさ美は足を止めた。
- 219 名前:第6話 ホンキィ・トンク・ウィメン 投稿日:2001年11月05日(月)00時03分54秒
- 「香港まで来て、ただ食事をするだけじゃつまんないだろ。せっかく着替えたんだしさぁ」
先ほどの買い物でひとみは白いパンツスーツとあさ美は黒いドレスを購入して、それを着込んでいる。
「だから…ここで稼いでからゆっくりと豪華な食事をいただいこう」
ひとみは嬉しそうな顔をすると、ネオンに輝く船の前で止まった。その周りには黒ずくめのスーツを着ている男たちがしきりに警戒をしている。動きからするとマフィア関連の者たちだろうか。あさ美はただこくりと頷いた。
- 220 名前:第6話 ホンキィ・トンク・ウィメン 投稿日:2001年11月05日(月)00時05分14秒
船中はかなりの紳士淑女たちが集まり、かなりの賑わいをみせていた。カラカラとルーレットが回る音がする。中国ドレスを着ている女性たちが酒を客に配っている。どこかから派手はドラム音が聞こえてきては大きな落胆の溜息が聞こえてくる。オーケストラが生演奏をしているのか静かな音楽が船内に流れている。
香港市中ではカジノは禁止されている。そのためマフィアたちは船上レストランに紛れて夜な夜なカジノ船を香港仔湾に浮かべているようだ。かなり知られた話であり、香港市警もその事実に気づいているのだろうが、近年は特にマフィアと警察のつながりが密となっており、その取り締まりもずいぶんと甘いものになっているらしい。これは建設されたばかりのお台場のカジノでも言えることで、マフィアたちは警察の手を余らせない程度に法を犯していっているようだ。
- 221 名前:第6話 ホンキィ・トンク・ウィメン 投稿日:2001年11月05日(月)00時05分59秒
- 客はマフィアが絡んでいても関係がないようで、毎晩のように大量の金が船内で動く。日本のカジノはまだ堅い部分が多いため、どうしても賭博好きの者たちは海外へと流れていくものが多いらしい。
近場ではマカオのカジノへ流れていくようだが、香港は買い物目当ての女性を連れた若い男が、格好をつけようとして手を出すことが多い。ただ、あまりにはまりすぎてしまいマフィアに目をつけられて、本国へ戻っても狙われ続けるという人もいるようだ。
- 222 名前:第6話 ホンキィ・トンク・ウィメン 投稿日:2001年11月05日(月)00時07分14秒
あさ美は特に何もすることなく壁際によって邪魔にならないように窓の外を眺めている。ゆっくりと船が香港仔湾内を動いているのを見ることができる。百万ドルの夜景が徐々に遠ざかっていく。湾内には同じようにネオンサインを輝かせる船がゆったりと浮かんでいる。
ひとみはすっかり梨華の脅威を忘れたかのようにポーカーの台で熱くなっている。時々、あさ美の側に飲み物を持った女性が近づいてきてくれるのだが、あさ美は断った。
あさ美の足に鈍い光沢を放つ銀色のコインが転がってきた。あさ美はそれを拾い上げると、少し指で遊んでみる。
- 223 名前:第6話 ホンキィ・トンク・ウィメン 投稿日:2001年11月05日(月)00時08分09秒
- 突然、背中に鋭い視線を感じ、あさ美は振り返った。指からコインが転げ落ちる。それは殺気に溢れ、それでいて冷やかしも含まれている。
あさ美はきょろきょろと辺りを見回してみるが、すぐにその気配は消えてしまった。用心棒が動きもしないあさ美を不審に思ったのだろうか。
あさ美は息を吐くと、コインを拾い、それを指で弾くと、掴み直しとスロットに向かった。
- 224 名前:第6話 ホンキィ・トンク・ウィメン 投稿日:2001年11月06日(火)00時23分05秒
ひとみは自分の手札を見ては、おかしいと指先で額を叩く。先ほどから全く願っているカードが入ってこないのだ。ディーラーの涼しげな笑顔を見ているとついつい殴りたくなってきてしまう。
一方、隣に座っている日本人女性はほくほく顔である。時折ひとみを刺激するように顔を覗き込んできてはにやにやと笑っている。ひとみが睨むと、女性はわざとらしく、剥き出しの肩をすくめて手元のコインを弄りだす。
「チェンジ!」
憮然とした表情でひとみは三枚のカードをディーラーに返す。すぐに投げ返されるカードを見て、ひとみは台に突っ伏したい気分になった。
- 225 名前:第6話 ホンキィ・トンク・ウィメン 投稿日:2001年11月06日(火)00時24分39秒
- 「それではよろしいでしょうか?」
日本人の客が多いためかディーラーは不器用な日本語を用いて聞いてくる。ひとみは投げ捨てるようにカードを表にする。
「すまんなぁ。またうちの一人勝ちや」
隣の女が賭けられたコインを自分の元へと集める。ひとみは忌々しく、その関西弁の女を見た。
年頃は二十代後半といったところであり、厚く化粧をほどこしていた。肉付きのよい輪郭に、黄金色に染め乱雑に刈った髪を持ち、藍色の艶やかなドレスを着ている。胸元は強調するほどないのか、ずっとテーブルと左手で上手に隠していた。
- 226 名前:第6話 ホンキィ・トンク・ウィメン 投稿日:2001年11月06日(火)00時25分51秒
- 「香港であんたらみたいな鴨に当たるなんて、うちにとってラッキーやな。まるで葱を背負って鍋の前で待っててくれてるみたいやな」
豪快に女性が笑う。ひとみ以外に座っていた男性と初老の男性はすごすごと席を立った。
「あんたはどないするんや?まだうちに貢いでくれるんかいな」
ひとみは相手の言葉に我を失い、歯軋りをしながらディーラーにカードを要求した。
「ほんなら、とことん頂きましょうか」
女性は余裕ある表情でコインを積んだ。
- 227 名前:第6話 ホンキィ・トンク・ウィメン 投稿日:2001年11月06日(火)00時27分22秒
あさ美はコイン口に一つコインを入れる。すぐにドラムが回り始め、あさ美は焦ることなくボタンを押していく。チェリーが三つ揃うと微々たるコインが申し訳なさげに転がり落ちてくる。すると再びあさ美はその中の一枚を取り、コイン口に入れる。
元々動体視力の高いあさ美にとってスロットは簡単な遊びである。しかし、一度に大量のコインを出してしまうとそれだけで遊びが終わってしまう。ひとみが終わるごろまで時間が潰せればよいのだ。あさ美は飽きることなく無表情で回り続けるドラムを眺めていた。
「もう少しコイン出さへんの?」
あさ美はその声に隣を見る。いつの間に座ったのか小柄の少女がにこにこしながら、あさ美を見ていた。
- 228 名前:第6話 ホンキィ・トンク・ウィメン 投稿日:2001年11月06日(火)00時29分30秒
- 髪は漆黒で前髪が左に流れていて、二つのお団子を乗せている。色に焼けていない白面には小さく細い目がついている。笑うたびに不並びの白い歯がのぞく。似合っていないグレーのスーツに身を固め、だらしなくネクタイがぶら下がっている。歳はあさ美と同じぐらいに思えた。
「もっと出せるんやろ。ほんなら儲ければええやない。カジノなんやから」
流暢な関西弁で、どうやら日本人のようだ。
「……私、お金はいらないから」
あさ美の答えに少女は口笛を鳴らした。
「カジノで遊んでる人の科白とは思えんわ。ここで金を落としてく大人たちに聞かせてやりたいもんやなぁ」
少女はわざとらしく目頭を押さえる真似をする。
- 229 名前:第6話 ホンキィ・トンク・ウィメン 投稿日:2001年11月06日(火)00時30分16秒
「……あなたがさっきの‥」
あさ美は警戒をしながら少女に尋ねる。身体はいつでも動ける。
「あら、気づいてたんや。まぁ、そうこなきゃな」
少女はあさ美のスロット台からコインを一枚拝借して、それを自分の座っているスロット台に入れる。
「……私に何か用事があるの」
少女は答えずスロットを回すとすぐに止めた。7のドラムがきれいに3つ揃う。壊れたようにスロットがコインを落とし始めた。客たちも大当たりを見ようと拍手をしながら近づいてきた。
- 230 名前:第6話 ホンキィ・トンク・ウィメン 投稿日:2001年11月06日(火)00時31分41秒
- 「こうやってやらなあかんよ。どうせうちらは汚い場所で生きてるんやからな。いつでも三途の川を渡れるぐらいは稼いどかな」
少女はコインの一枚をあさ美に弾き返した。それから素早くスーツの懐に手を入れる。あさ美は受け取ったコインをスロットに入れる。ドラムは回り、そして止まる。どの柄も揃わなかった。
「うちは意外とミーハーでな。あんたみたいな有名人を見かけたら、『デメテル』のもんとしては一度ぐらいは手合わせしたいもんやって思うのは当然やろ」
少女はその小柄な身体に似合わない鈍い光を放つ重々しいデザートイーグルを取り出した。少女はにやりと笑うとスライドを引き、両手を添えて引き金を引いた。弾丸があさ美の身を目掛けて飛んでくる。
- 231 名前:第6話 ホンキィ・トンク・ウィメン 投稿日:2001年11月07日(水)00時25分27秒
あさ美はさっと座っていた椅子から飛び退く。椅子に数個の穴が空く。
買ったばかりの靴ではあるがヒールが高いため動くには適していない。あさ美は靴を足で脱いだ。スカートの裾がひらひらとしていて動きづらいが、それもスピードで補うことができるだろう。あさ美はゆっくりと相手を見据える。スロット台の近くにいた客たちは少女が持つ拳銃を見て叫び声を上げた。
「うちの名前まだ言うてなかったな。うちは亜依や。あんたと同じ『デメテル』でペルセポネーの教育を受けた先輩で、今は香港地域で稼いでる。一応、世界的組織やからなぁ。あんたも大変なもんを敵に回したもんやで」
亜依は眉を上げて楽しそうな笑った。
- 232 名前:第6話 ホンキィ・トンク・ウィメン 投稿日:2001年11月07日(水)00時26分27秒
突然の銃声に客たちは大騒ぎになった。一体何が起こったのかと騒ぎだし、状況を把握しようと右往左往しだす。どうしていいのか分からず、ただ人間の本能に従うのみで出口の方へ向かい駆け出した。
それに続くように激しい音が船内カジノ中に響き渡った。ひとみが人の波をかいくぐりながら、スロット台の方へと駆け寄ってくる。
「あさ美!逃げるよ」
亜依がひとみの声に気を取られる。あさ美はその隙を逃さず亜依の右手を蹴り上げた。銃口はあさ美を見失い、天井を見る。
「ちぃ」
声を上げると同時に亜依は引き金を引いてしまう。ドンと銃弾が天井を貫く。天井からシャンデリアが落ちてくる。硝子が絨毯の上に落ち、きらびやかに散っていく。
ひとみは何事かと歩を一端止めたが、危険な状況であると瞬時に判断をしたのかスーツのからベレッタM84を取り出す。
「待ちいな。金踏み倒して、うちらから逃げようとしたってそうはいかんでぇ」
藍色のドレスを着ている女性が叫ぶ。ポーカー台がひっくり返っており、ディーラーは目を回している。
- 233 名前:第6話 ホンキィ・トンク・ウィメン 投稿日:2001年11月07日(水)00時27分30秒
あさ美は亜依が構え直す前に右の拳を繰り出すが、亜依はバランスを整えつつ左腕でその拳を反らす。あさ美はそのまま左の掌底を亜依の顎辺りを狙い突き出した。相手は軽やかなバックステップを踏み、あさ美の掌から逃げる。その逃げたところをあさ美ははじかれた右手で相手の腹部に発勁を放つ。
身をよじったが避けきることの出来なかった亜依は苦悶に顔を歪め、よろめきながらも、デザートイーグルを両手で構える。
「あさ美!」
ひとみの声にあさ美は亜依から離れる。
それを見たひとみは引き金を引く。乾いた音がすると亜依の脇を通り抜けスロット台に穴を空けた。スロットはひしゃげて、コインを吐き出す。亜依は憎々しげにひとみを一瞥する。
- 234 名前:第6話 ホンキィ・トンク・ウィメン 投稿日:2001年11月07日(水)00時28分36秒
「逃げるよ」
ひとみはあさ美の手を掴む。船内からの銃声に用心棒たちが集まりだし、拳銃を構えだした。だが、客の作り出す波に飲み込まれて思うように進んでこられないようだ。
「……あなたは‥」
あさ美はひとみに引かれつつも亜依に声をかけた。亜依は薄笑みを浮かべると何も答えずに連続で弾丸を放った。
「危ない!」
ひとみが無理矢理あさ美を床に押しつける。弾丸は二人を通り抜けて逃げまとう客たちを無差別に直撃した。何がおきたのか理解することなく数人が床に倒れていく。亜依は舌打ちをすると弾倉を落とし、新しいものをセットした。そして再び狙いをつけると引き金に指をかける。
- 235 名前:第6話 ホンキィ・トンク・ウィメン 投稿日:2001年11月07日(水)00時29分39秒
「亜依!撃ったらあかん。客が大勢おるんやで。それにその女を殺したらあかん。捕まえてこれからたっぷり搾り取るんやからな。忘れたらあかんでぇ、あんたはうちの管理下におるんやぞ」
藍色ドレスの女がこちらに駆け寄りながら声を張り上げる。
「うっせーよ、中澤のババァが!こっちが楽しんでるのによぉ」
亜依は二人に銃口を向けた。その顔にはまるで人を殺すことを楽しむかのように笑っている。
「ガキの分際で、粋がってそんなもん振り回すんじゃないよ!」
ひとみは伏せながらベレッタで相手の銃を狙う。鈍い金属のぶつかり合う音がすると亜依は呻き声を上げて右手を押さえる。重々しい銃は床に落ちる。
- 236 名前:第6話 ホンキィ・トンク・ウィメン 投稿日:2001年11月07日(水)00時30分30秒
「ほら、さっさと行くよ」
ひとみはまだ何か言いたげなあさ美の手を引くと出口ではなきく、窓に向かって走る。ひとみは窓に向かい弾丸を撃つと穴が空く。そこへひとみが激しく体当たりをする。すると窓硝子が割れて、眼下に広がる潮の匂いが船内に入り込んできた。
「泳ぎは?」
ひとみの問いにあさ美はこくりと頷く。
「上等!」
ひとみはにっと笑うと、スーツの上着を脱ぎ海に飛び込む。あさ美は再び背後に視線を送る。苦々しげで、嫌な笑いを浮かべた少女がこちらを見ている。
「……さよなら」
あさ美は寂しげに微笑むと、ひとみに続いて海へと飛び込んだ
- 237 名前:第6話 ホンキィ・トンク・ウィメン 投稿日:2001年11月09日(金)00時06分56秒
ホテルのボーイはぎょっとした顔で二人を見た。それはそうだろう。びしょ濡れになった服に身を包み、髪を乱した二人の女が入ってきたのだから当然の反応である。
「意外と泳ぎ上手いじゃない」
ひとみは壊れたように言った。あさ美はそれに答えず、自分のドレスの裾を絞る。ぽたぽたと水がホテルの赤絨毯の上に染みを作る。
「ったく、これは一体何なの!あたしは休暇を楽しみにここへ来たのよ。それがすっかりボラれるわ、銃撃戦に巻き込まれるわ、香港仔湾で水泳大会に参加するわで普段と全く変わらないじゃない」
ひとみの白いスーツはすっかり水を吸い込み重々しげだ。
あさ美はホテルマンたちの視線を気にかけた様子もなく、フロントで部屋の鍵を受け取った。
- 238 名前:第6話 ホンキィ・トンク・ウィメン 投稿日:2001年11月09日(金)00時08分03秒
- 「損をしたのはひとみの運が悪かったから…」
あさ美は鍵をひとみに見せるとクルクルと回した。逃げてくるとき硝子窓で切ったのか右腕には赤い血の線が走り、乾ききっていない血が絨毯に落ちていく。素足であったため足裏も硝子で切っているようだ。歩くたびに血が付着していく。
「そっ…、あれはねぇ、あの関西弁の女がディーラーとグルだったのよ。イカサマ試合を持ちかけて客からコインをふんだくってんだよ。あたしだけのせいとは言えないだろ」
「…すぐに熱くなる人はギャンブルにはむかないよ」
あさ美は冷たく言い放つと、エレベーターの方へと向かった。
「ちえっ、船上で助けてやったのに」
ひとみは滴垂れる髪を絞った。微かに両手が震えている。ひとみは苦々しげな顔をすると、両手をさすり、震えを抑えようとした。
- 239 名前:第6話 ホンキィ・トンク・ウィメン 投稿日:2001年11月09日(金)00時09分09秒
- 「あっ、ひとみちゃ〜ん。どこ行ってたの。梨華、待ちくたびれちゃったよぉ。わっ、水も滴るいい女だ」
ホテル入り口のカフェから甲高い声が響いてきた。どこで拾ったのか買い物箱を持たせた男を従え、桃色のチャイナドレスを纏った梨華が嬉しそうに手を振っている。
ひとみは梨華を無視すると、あさ美の後を追った。だが、ひとみがエレベーターに乗ろうとすると閉じてしまった。すぐに梨華が背中に張り付いてくる。
「もお、こんなに濡れちゃってどこ行ってたの?すぐに暖まらないと風邪引いちゃうよ」
梨華が耳元で艶やかな声を出してくる。ひとみは疎ましげな顔で梨華を睨んだ。
- 240 名前:第6話 ホンキィ・トンク・ウィメン 投稿日:2001年11月09日(金)00時10分07秒
あさ美一人が乗るエレベーターが上昇する。ぐっと重力から切り離されていく感じはいつ乗っても慣れるものではない。硝子張りの外面にはネオンサインに包まれる香港の夜景が、まるで宝石の海のように光り輝いていた。
あさ美は右腕を左手でさする。ぬるっとした感触は気分を高揚させてくれる。身体は濡れて冷え切っているはずなのに、芯はまだ興奮に打ち震えており、押し寄せてくる乱暴な感情があさ美を塗りつぶそうとする。
知らず知らずに顔が綻んでいく自分が硝子に映っていた。冷静にその像を見つめてみるも、硝子に映る彼女はまるで意に介した様子もなく微笑んでいる。その顔は何をそんなに苦悩しているのと言っているように見えた。
- 241 名前:第6話 ホンキィ・トンク・ウィメン 投稿日:2001年11月09日(金)00時11分10秒
「……楽しかった?」
あさ美は硝子に映る自分に尋ねてみる。彼女は答えてくれない。あさ美は目を閉じるとゆっくりと座り込み、壁にもたれて膝を抱える。ぼたぼたとまだ濡れた服は水を落とす。
「きっと生きてちゃいけない人間なのね、私は」
エレベーターの薄明かりが閉じた瞼をこじ開けて入り込もうとしてくる。
「でも、まだ……」
あさ美は目をゆるゆると開く。瞳が熱くなってくて、目に映る香港の夜景が歪んで見えた。
- 242 名前:三文小説家 投稿日:2001年11月09日(金)00時27分34秒
- To be continuedを忘れてしまいました!
以上で第6話「ホンキィ・トンク・ウィメン」は終了です。
最近すっかり寒くなってきて、気分も萎え状態。
話がまだ本格的なものに入っていないので、読者の方々には退屈をさせてばかりで申しわけありません。
どうにか完結できるように頑張りたいのですが…。
取りあえずはこのままsageで続けさせてもらいます。
こんな下の方でも読んで下さる方がいらっしゃるならば、
物書きとしましては本当に嬉しい次第です。
第7話「遙かなるポロネーズ(仮)」は11月13日から掲載予定です。
- 243 名前:名無しさん 投稿日:2001年11月09日(金)00時47分21秒
- おもしろいです
- 244 名前:三文小説家 投稿日:2001年11月10日(土)00時06分04秒
- >>243
掲載後すぐの感想ありがとうございます。
そのお言葉がいただけるだけで、天にも昇る気分です(w
今後ともどうぞ不束者ですが、よろしくお願いします。
- 245 名前:名無しさん。 投稿日:2001年11月10日(土)01時17分18秒
- 一番好きです。この話
- 246 名前:名無し読者 投稿日:2001年11月10日(土)02時22分46秒
- がんばってください。ずっと読んでましたよ。
- 247 名前:三文小説家 投稿日:2001年11月13日(火)01時31分43秒
-
>>245
レスありがとうございます。
もし、全体の中で一番好きと言ってもらっているのならば、最大の栄誉です。
仮にそうでなくとも、第6話は個人的にも気に入っているので、
それでも嬉しい一言です。
どうぞ、今後ともよろしくお願いします。
>>246
レスありがとうございます。
ずっと読んでいてくれて本当に嬉しいです。
今後ともよろしくお願いします。
少々弱気なレスを打ったため、皆様方に心配をかけてしまったのかなと反省気味です。
途中で話を切らせることはしたくないので、時間はかかるかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします。
もし、何らかの感想や意見、質問などがありましたら、遠慮なく書き込みをして下さい。
質問に関しては答えられる範囲で、感想等のレスには必ず返答をするようにします。
- 248 名前:三文小説家 投稿日:2001年11月13日(火)01時39分53秒
それでは第7話「遙かなるポロネーズ」を始めさせていただきます。
さてこの話、この時期に掲載するのはどうなのか、というものであります。
あくまでフィクションの話でありますが、もしかすると不快に思われる方もいらっしゃるかもしれません。
作者としましては、決して茶化して書いたつもりはありません。
その点を踏まえていただき、もし気に入らないということでありましたら、
削除願いを出しますのでお伝え下さい。
それでは始めさせていただきます。
- 249 名前:第7話 遙かなるポロネーズ 投稿日:2001年11月13日(火)01時41分43秒
小川麻琴はサングラス越しに、眼下に広がる雲海を物憂げに見つめていた。天候がよいため、澄み切った青にまぶすような雲が浮かんでいる。遠くには眩い光を放つ太陽の姿を見受けることができる。
航空機内でアテンダントの放送が始まった。まもなく目的地である羽田空港に到着するのだろう。麻琴はリクライトニングシートを元に戻すと、足掛けを軽く蹴り上げる。
「もうすぐ着くね」
大連から乗り合わせた、隣席の若い日本人女性が、にこやかに麻琴に声をかけてきた。まだ、少女の麻琴が一人で飛行機に乗っていたことで、飛行中何かと気を使ってくれたのだ。
- 250 名前:第7話 遙かなるポロネーズ 投稿日:2001年11月13日(火)01時43分06秒
- 麻琴は女性の問いに冷ややかな態度で反応した。女性はサングラスを外さない麻琴を、少々不可思議に思っているようだが、それでも人のよさげな笑みは崩さない。
「あなた、どこへ行くの?」
麻琴は女性の質問を無視して、女性の尻下に紛れ込んだシートベルトを引き出すと、それを締める。それから再び小窓に顔を向ける。
飛行機の高度は徐々に下がりだし、真下の海はまるでモルタルの床のように見える。伊豆半島の形もしっかりと認識することができ、遠くには人が生活を営んでいるであろう、ビルの群れが見え始めている。
女性は麻琴が返答してこないため、肩をすくめて、足下にある自分の荷物を膝の上に乗せて、降りる準備を始める。
- 251 名前:第7話 遙かなるポロネーズ 投稿日:2001年11月13日(火)01時45分00秒
- 麻琴は、そっとサングラスを指で下げた。5年ぶりの日本である。5年では何かが変わるということは少ないが、それでも、麻琴を取り巻く環境は日本を発ったときから、ずいぶんと変化をしてしまった。この5年間で麻琴は得たものよりも、失ったものの方が遙かに大きい。麻琴は懐かしさと悲しみの混じり合った感情を心の内で噛みしめる。
「…あたしは帰ってきたんだ」
麻琴がそっと声を出す。女性がふっと麻琴の方を見た。少し発音はおかしかったが、それでもはっきりとした日本語である。
「何だ、あなた日本人なのね?話してくれないから中国の人かと思ったわ。それだったは話してくれてもよかったのに…」
大連を出発してから一言も喋ってくれなかった相手が、ようやく声を出したのである。女性は頬を膨らませながらも、嬉しそうに喋りかけてきた。
麻琴は横を向き、女性の方を見た。何て呑気な女性だろう。これからあたしがどんなことをするのか知らないから、そんな風に笑ってられるのだ。
「あたしね、サッカーを見に来たのよ…」
麻琴はそう言うと、にやりと少女には似合わない笑いを女性に見せた。
- 252 名前:第7話 遙かなるポロネーズ 投稿日:2001年11月13日(火)01時46分17秒
ひとみは退屈そうにソファーの上で欠伸をしながら、伸びをする。それが終わると、首を左右に振り、骨を鳴らす。何度かそれを続けると、次に力を入れて首筋を揉む。それから、ひとみは硝子テーブルの上から読みかけの本を取り、退屈そうにその字面を流し読んでいく。
あさ美は早い時間ではあるが、台所に立ち、何やら料理の本を片手に格闘をしている。ひとみがたまに視線を向けると、あさ美は危ない手付きでジャガイモやら人参やらの皮を剥いている。
ひとみも決して料理が上手いわけではないので、お互い様ではあるが、その危うさに、はらはらさせられてしまう。
- 253 名前:第7話 遙かなるポロネーズ 投稿日:2001年11月13日(火)01時47分18秒
- その時、携帯電話がいつものように、けたたましい電子音を立てて鳴った。
ひとみは携帯を手に取り、あさ美を手招きする。あさ美はちょっと小首を傾げると、包丁をまな板に置き、ひとみの方へと寄ってくきた。ひとみはあさ美に携帯電話を渡すと、あさ美はそれを耳に当てた。
「……もしもし‥」
あさ美が瞬きをしながら、電話に出る。するとすぐにそれを耳から離して、ひとみに返した。
「どうしたの?」
「…すぐ、切れたけど‥」
ひとみが怪訝そうに電話を見ていると、再び着信音が鳴り始める。ひとみは顔をしかめると、仕方なさそうに電話に出る。
「もしもし?」
- 254 名前:第7話 遙かなるポロネーズ 投稿日:2001年11月13日(火)01時48分35秒
- 「あ、ちゃーお。ひとみちゃん?よかったぁ。さっきね、ひとみちゃんの携帯電話にかけたつもりだったんだけど、ひとみちゃんじゃない女の子の声が聞こえてきたの。間違い電話しちゃうなんて、梨華もちょっと疲れてるのかなぁ。失敗、失敗。うふふふ」
聞き覚えのある甲高い調子はずれた声が、ひとみの耳を通り抜けていく。
「‥あんた、あさ美だって分かって、わざと切っただろ」
「あれ〜、ああ、あの声、あさ美ちゃんだったの?ごめ〜ん。梨華、まだひとみちゃんが一人で暮らしてるって思ってたから、あさ美ちゃんの声だって気がつかないで切っちゃった。ごめんねってあさ美ちゃんに謝っておいてくれる?」
梨華はまるっきり悪びれた様子もなく、とぼけた振りをする。
「本当にあんたは嫌なやつだね」
ひとみは苦々しげに言い放つ。
「あら、この携帯の番号はひとみちゃんのでしょ。ひとみちゃんが出なかったら、当然切るに決まってるじゃない」
梨華は気にかけた様子もなく、笑い混じりに言ってきた。
- 255 名前:第7話 遙かなるポロネーズ 投稿日:2001年11月14日(水)01時44分40秒
「それで、今回の依頼は?」
ひとみは舌打ちをしながら、あさ美に台所に戻っていいと手で合図をした。あさ美は別に気にかけた様子もなく、台所に戻るとガスコンロの火をつけ直す。
「あ、そうそう、今回の依頼ね、すっごくビックよ。何せ外務省直々なんだもん」
梨華の声が弾んだ。ひとみは本を硝子テーブルの上に放ると、姿勢を正した。
「外務省?それって面倒な依頼だろ‥」
大概国からの依頼は警察や自衛隊などが処理しきれないもの、もしくは公に処理をすると問題になるものが多い。そういう依頼は依頼金は高いが、様々な条件が厳しく面倒なものであることがほとんどである。
「今回は何か大々的にやってるみたいよ。情報が回ってきたの私の所だけじゃないみたいだし」
- 256 名前:第7話 遙かなるポロネーズ 投稿日:2001年11月14日(水)01時46分23秒
- 「だったら警察でも動かせばいいのに。あんたを首にすれば有能な警官が一人ぐらい動せるんじゃない」
ひとみが半ば本気で言ってみた。
「んもう、そんなこと言わないでよ。まるで私が税金を無駄遣いしてるみたいじゃない。何だか内々に処理しなくちゃいけないみたいで、警察とかが動くと結構ヤバイみたいよ。もしかすると戦争になるかもしれないって…」
梨華が声をひそめる。
「戦争?それはずいぶんと物騒な話ね」
ひとみは頭を掻きながら、窓の外に目をやった。
秋もまもなく終わりが近づいているのか、風が鋭い音を立て、木の葉を舞わせながら通り抜けていく。空には鰯雲が並び、雀たちは翼を広げ、激しく吹く風を優雅に乗りこなしている。
- 257 名前:第7話 遙かなるポロネーズ 投稿日:2001年11月14日(水)01時47分37秒
「ひとみちゃんってサッカーに興味とかある?」
梨華が突然、話を変えてきた。
「別に。新聞でスポーツ欄を見るぐらいだけど…それが何か関係あるの」
「じゃあ、覚えてるかなぁ。2002年のワールドカップのことを」
電話越しに梨華がキーボードを叩く音がする。
「日本と半島で合同開催ってことになってたでしょ。だけど直前に半島が南北統一しちゃって、国内が混乱しちゃってさ。それで結局、その年のワールドカップは開催が出来なくなっちゃじゃない」
ひとみはぼんやりと記憶を探る。確か21世紀を迎えると、それまで分断されていた半島が統一された。お互いの国のトップが境界線となっていた場所に集まり、合意書にサインをしていたのを、小学生だったひとみはテレビで見ていた。好きだったドラマが中止されて、テレビ越しに統一に文句を言っていたのを覚えている。
- 258 名前:第7話 遙かなるポロネーズ 投稿日:2001年11月14日(水)01時49分16秒
- だが、文句を言っていたのはひとみだけではなかった。国内でもそれまで統一推進ムードであったのに、統一をして技術を手に入れたい北側と、統一されることで社会水準が下がることを恐れた南側が、急に対立を始めたのだ。一部で過激派が誕生し、国内は混乱を始めた。その影響で日本と南側とが合同開催で行う予定であったワールドカップは協議の末中止ということになってしまい、全世界のサッカーファンの抗議は凄まじいものであった。
「…そんなことがあったような気がする。それが何か今回の依頼と関係があるわけ?」
「それでね、次回の2018年のワールドカップが日本で開催されることが、ついこの間、決まったでしょ。そのせいで、半島側が抗議をしてきたのよ。何で日本一国だけで開催をするんだって。あのときは合同開催の予定だっただろってさ」
梨華は、ほとほと困ったような声を出してくる。ひとみは呆れてしまった。
- 259 名前:第7話 遙かなるポロネーズ 投稿日:2001年11月14日(水)01時51分13秒
- 「そんな下らないことで……」
「ひとみちゃんにとっては下らないことだけど、半島側にしてみるとずいぶんプライドをかけた抗議みたいね。ほら、日本と半島って21世紀に入ってから大戦時のことでもめあったりして仲があんまりよくないし、サッカーも日本のチームはずいぶん力をつけてきたからね。そんなこんなでの抗議みたいよ」
「それで外務省が出てくるってことは……」
「そう、向こうの諜報工作員を国内で暴れさせるぞ、って半島側から脅しがあったみたい」
梨華の言葉にひとみは手を額に当てた。
ひとみにとっては、たかだかサッカーであるが、国にとってはそれなりの経済効果をもたらすし、世界的にも大きなお祭りである。だが、それで国が狙われるのは全くのお門違いとしか思えない。
- 260 名前:第7話 遙かなるポロネーズ 投稿日:2001年11月14日(水)01時52分46秒
- 「サッカー会場が標的で、外務省は手当たり次第、賞金稼ぎとか裏家業の人とかに声をかけてるみたいよ。それで私たちの所にもお鉢が回ってきたのよ。どう闘志が湧いてきた?」
「あのねぇ、そういう他にも回ってる依頼は持ってこないでよ。あたしは面倒くさい仕事は嫌なんだよ。今回はパスね、パス」
ひとみは電話を切ろうとした。
「あ、あっ、ひとつ言うの忘れてた。今回の依頼ね、何でも亜弥ちゃんの所にも回ってるみたいな噂聞いてるんだけど…」
遠のいた梨華の声に、ひとみは電源を切る指を止め、再度電話を耳に当てる。
「そりゃそうよね。こんなビックな仕事なんだもん。腕の立つ亜弥ちゃんが出てくるのも当然よね。鮮血に踊る美少女、松浦亜弥。きっと今回も総取り間違いなしかなぁ。‥どうする?」
梨華はうふふと意味深げに笑った。
梨華の言葉はひとみを明らかに誘っていた。ひとみは言葉に詰まる。仕事がたきの松浦亜弥が出てくると聞いてしまって、仕事依頼を受けないのは自分の沽券に関わる。
- 261 名前:第7話 遙かなるポロネーズ 投稿日:2001年11月14日(水)01時54分10秒
- 亜弥のような高額の賞金稼ぎはどこかひとみのことを見下した感があり、顔を合わせるごとにひとみは亜弥に食ってかかっていた。亜弥はそんな下々の者は相手などしていないといった雰囲気で軽くあしらい、そのことがますますひとみの機嫌を損なわせている。
「……わ、分かった。やるよ、やりゃあいいんだろ。すぐに情報を送って」
ひとみは忌々しげに電話を切ると、携帯電話をソファーに投げつけた。
「‥どうかしたの?」
あさ美が何事かといった顔でひとみを見つめている。
「何でもないよ。仕事の依頼。プロの諜報工作員を相手にしろってさ」
ひとみはソファーの背もたれに身体を預け反らせる。それから部屋中に広がる香ばしい匂いに鼻をひくつかせた。
「ずいぶんいい匂いがするね。なに作ってたの?」
「……ボルシチ。あと5時間ぐらい煮込めば美味しくなるって」
あさ美がわざわざ料理本を持ち上げてひとみに見せてくれた。
- 262 名前:第7話 遙かなるポロネーズ 投稿日:2001年11月15日(木)01時03分25秒
梨華からの情報が届くと、すぐにひとみは依頼を受けたことを後悔した。外務省としても半島側が本気で襲いかかってくるとは思っていないような感があり、取りあえずは東京や関東近県のサッカー場を回って、それらしき人間を見つけろという大ざっぱなものである。
人物に対する情報もずいぶんと大まかで世界各国のテロリストが並んだリストや、数年前から行方が知れなくなった人間などの捜査書などがまとめられて送られてきた。ひとみは唖然としたものの、渋々ながら一つ一つに軽くチェックを入れていった。
それにしても、いつどこでどの様に襲うのかという計画も全く分からず、テロを止めろというのは、この広い東京だけでも大変なことだ。そのためか一人捕まえれば1000万という賞金がでる。もちろん殺害してしまうと無効になる上、刑務所への招待券がもらえるとの注意書きがされている。全く持って都合のいい依頼である。
ひとみはパソコン画面を睨みながら、この依頼が本当に外務省から通達されたものであるのかと疑ってしまった。おそらく梨華のことだから外務省に電話でもして、確認をしていることとは思うが、これほど情報のない仕事は初めてである。
- 263 名前:第7話 遙かなるポロネーズ 投稿日:2001年11月15日(木)01時05分19秒
「どうする?」
テーブルに対するように座ったあさ美に、ひとみは疲れた目を揉みしだきながら尋ねた。もちろん仕事の話である。
「……仕事は仕事だから‥。私はひとみが受けるって言えば、仕事をするだけ…」
あさ美は皿のボルシチをスプーンですくいながら、上品に口に運ぶ。
「まぁ、適当にサッカー場を回って、犯人はいなかったって梨華に報告すればいいか」
ひとみは肘をついて、スプーンを口にくわえて上下させながら、自分を納得させた。あさ美はそんなひとみの姿を見て、目で諫めてくる。意外とあさ美は食事作法に対して厳しい。ひとみは肩をすくめると、ボルシチをスプーンでかき回して口に入れた。
「でも、これ本当に美味しいよ。5時間も待っただけのことはある。あさ美は結構、料理の味付けが上手いよなぁ。あたしとしては助かるよ」
ひとみの方は料理はさっぱりである。その点ではあさ美が居候を始めてからずいぶんと助かっている。
「…私はただ、料理の本に従って作ってるだけだから‥」
そう言いつつも照れたように顔を綻ばせるあさ美を、ひとみはにやにやしながら眺めた。
- 264 名前:第7話 遙かなるポロネーズ 投稿日:2001年11月15日(木)01時06分36秒
ひとみは横浜国際総合競技場の西ゲート前でバイクを止める。後ろに掴まっていたあさ美が先にバイクから降り、大きめのヘルメットを外す。強めの風があさ美の頬を撫で、髪を踊らせる。あさ美は髪を押さえつけるように頭に手を置き、大きな目をしばたたいた。
ひとみはバイクに跨ったまま、広大な鉄筋コンクリート建ての会場を眺める。鼠色の壁には、誰がやったのか派手なペンキで卑猥ないたずら描きがされている。
平日の夕刻であるためか、閑散としていて、どこか遠くからチャイムの音が聞こえてくる。舞い降りるカラスがゴミ置き場の辺りを漁りながら、時折しゃがれた鳴き声をあげている。近くのチケット売場には暇そうな小母さんが欠伸をしながらも、ひとみたちの方を興味深げに見つめている。
「さて、周囲をぐるっと回ったら帰ろうか」
ひとみはヘルメットをバイクにかけると、身体を伸ばし、バイクから降りる。二度三度首を回すと、ジャケットの内にあるベレッタM84があることを一応確認をした。
- 265 名前:第7話 遙かなるポロネーズ 投稿日:2001年11月15日(木)01時08分02秒
ひとみが散歩がてら、ぶらぶらと歩き始めると、あさ美もその後をついてくる。歩を進めるたびに靴が心地よい音が立ち、傾く夕日に競技場の影が長くなっていく。日が落ちるのも早くなってきているため、上空高くには微かに星が輝きだし、ゆっくりと夜の帳が下ろされてきている。
平日といえども競技場内の店は開店しており、客のいない時間が貴重であるかのように店員たちは談笑に浸っている。ひとみたちが通り過ぎるごとに、ふいと顔を向けるのだが、すぐに素知らぬ顔で会話の続きを楽しみ始める。
「……大体、テロをやったって誰も得なんてしないんだからさ、半島側がわざわざ諜報員を送り込んでくるわけなんてないよ」
ひとみの問いかけにあさ美は答えない。ただ、黙ってひとみの脇に並ぶように足を踏み出す。ひとみは反応のないあさ美に語りかけるのは無意味だと思ったのか、視線を空へと向けて、晩秋の空気を胸に吸い込んだ。
- 266 名前:第7話 遙かなるポロネーズ 投稿日:2001年11月16日(金)00時09分29秒
「……ひとみ」
あさ美が緊迫した声を出し、足を止めた。
「何?どうかした?」
「……あの娘、行方不明者リストに名前が載ってた娘…。写真は幼かったけど、多分あの娘、間違いない」
あさ美が静かに顎で示す方をひとみは笑いながら見やる。まさかあの膨大なリストに載っていた娘がこんな所にタイミングよくいるわけはない。
「まさか」
ひとみはあさ美の指した方を見ると、一人少女が物珍しげに競技場の柱を眺めている。焦げ茶のハンチングを被り、長袖のボーダーシャツに、濃い青のジーンズを穿いている。遠目であることとサングラスをかけているため、その表情を伺い知ることはできないが、どう見ても普通の学生のようにしか見えない。
「あんたも冗談が言えるようになってきたんだね。だいたいさ、こんなに情報が少ない依頼で、すぐにリスト者が見つかると思う?あさ美の思い違いだよ」
「……小川麻琴。新潟県出身で8歳のときに行方不明になってる。その後の捜索でも発見できてない。そのため半島の工作員に拉致されたのではないかという疑いがある……」
- 267 名前:第7話 遙かなるポロネーズ 投稿日:2001年11月16日(金)00時13分02秒
「…それ本当?」
ここまで言ってくるあさ美に対して、ひとみもさすがに気を取られた。あさ美はひとみを見て頷く。本当であれば、ずいぶんと幸運の女神に好かれたものだ。
「‥分かった。あたしがまず行って様子見て、話をするから、あさ美はもし相手が本物だったら逃がさないようにする」
ひとみは懐のベレッタを再度確認する。あさ美は神妙な面もちで首を上下に振った。
ひとみが少女へと近づくと、少女も柱から目を離し、ひとみの方を見た。サングラスの奥にある瞳はどこか緊張をしており、それでも無理に笑顔を作ろうとしている。口端が持ち上がるたびに、頬には小さくえくぼができる。見た目少女ではあるが、あさ美のように落ち着き、強さを秘めた印象がある。あさ美が指摘したように、工作員であってもおかしくはない雰囲気が、そこはかとなく感じられる。
「‥こんな所で何やってるの?学校は?」
ひとみはできるだけ自然に声をかけた。少女は答えず、笑みを浮かべながら、近づくひとみから後ずさりをする。
- 268 名前:第7話 遙かなるポロネーズ 投稿日:2001年11月16日(金)00時14分37秒
「今日はサッカーも何もやらないよ。それなのに、こんな所にいて、ぼうっとしてるから気になってさ」
ひとみは言いながらジャケット内に手を入れ、ショルダーホルスタにつり下げられたベレッタのグリップを握る。
「…それともここに爆弾でも仕掛けてみようかな、なんて思ってるの?」
少女はサングラスを取ると、それを胸ポケットにしまった。細めの目はしっかりとひとみを捉え、身体から気配が立ち上る。
「…あんた、邪魔しにきたの」
少女が初めて口を開いた。どこか発音のずれた日本語である。低音ではっきりと聞こえてくる。
「邪魔?勘違いをしないで欲しいね。あたしはただ日々の糧を稼ぎに来ただけだよ。‥小川麻琴さん」
少女は名前の所で驚いたようにひとみを見つめてきた。どうやらはったりが効いたようだ。
ひとみは瞬間的に銃を抜いた。銃口は麻琴を捕捉する。だが、次の間には麻琴の姿はひとみの懐に潜り込んでいた。
ひとみは危険を感じ、身体を反らせるが、麻琴の掌底が左脇腹を削り、蹌踉めく。素早い動きが風を切り、麻琴の頭からハンチングがひらひらと舞った。
- 269 名前:第7話 遙かなるポロネーズ 投稿日:2001年11月16日(金)00時17分18秒
- 麻琴は、そのまま右の拳をひとみの喉を目がけて打ち上げていく。ひとみが銃を持った手で受けようとすると、麻琴は左拳で払いのけ、その勢いでひとみの額を衝いた。
間一髪でひとみは避けたが、麻琴は引き寄せいていた右を手刀として左こめかみに打ち下ろした。その直撃がひとみのバランス感覚を失わせ、ひとみはタイル張りの地面に膝をつく。胃物が自然と喉元を登り上がってきて、目に涙が溜まる。
「…あたしは小川なんて名前じゃない。李巧姐っていう名前をもらったのよ。悪いけどこれ以上邪魔を続けるならば、死んでもらうよ」
麻琴の見下ろすような視線を受けながら、ひとみは頭を振り痛みを払いながら麻琴を見上げた。落ち行く太陽に照らされた麻琴は影となり、その表情を読みとることは難しい。だが、彼女が身体から放つ気は明らかにひとみを殺すためのものであることだけは肌で感じることができる。
「‥あんたが半島から送られてきた諜報員ね。‥小川さん」
「違う!あたしはその名前を捨て……」
麻琴の足下でタイルの破片が跳ねた。麻琴は銃弾が飛んできた方向を見る。そこにはあさ美がワルサーを構えていた。
- 270 名前:第7話 遙かなるポロネーズ 投稿日:2001年11月16日(金)00時19分05秒
- ひとみはその隙を逃さなかった。ベレッタの銃口を麻琴の顔に向ける。
「残念ね、こっちは2人よ。おとなしく捕まる?それとも…」
ひとみは立ち上がりながら、麻琴の頭に銃を突きつける。
麻琴は舌打ちをすると、横目でひとみを見た。あさ美もワルサーを向けたまま近寄ってくる。
「…あんたはあたしが何で送られてきたのか分かる?」
麻琴が低い声でひとみに聞いてくる。
次の瞬間、ひとみのベレッタは麻琴の姿を見失った。ひとみは目を見開く。すぐに下腹部に鈍痛が走り、続いて顔にひどい痛みを感じた。間を入れず、胸部に麻琴の捻るように右手が入り込み、ひとみは声にならない悲鳴を上げる。
「…あたしが有能で、それだけ信頼されてるからよ」
麻琴はそう言うと、ひとみをそのまま地面へと押し倒した。
- 271 名前:第7話 遙かなるポロネーズ 投稿日:2001年11月16日(金)00時20分29秒
あさ美はワルサーを向けるも、ひとみと接近している麻琴に撃つことはできない。
「ひとみ!」
あさ美は駆け寄り、麻琴の背後を狙って蹴りを入れようとするが、麻琴はそれよりも早く動いた。
あさ美の足から逃げると、麻琴はあさ美の銃を持つ右手を捻ろうとする。あさ美は左腕でその手を払い、そのまま相手の胸部を掌底で狙う。麻琴はその腕を左腕で落としながら、引き寄せた自分の右手でがら空きになった相手の顎を打ち上げようとする。
あさ美は身体の軸を横にずらしながら、麻琴の腹部にワルサーを押し当てる。麻琴の流れるような動きが止まった。
「やるじゃない。あたしの動きにここまで付いてこられたのはあんたが初めてだよ」
麻琴はにやりと笑った。それに対してあさ美は息荒くも無表情でワルサーを相手の腹部から離さない。
「でも、それもここまで。後3分でここの競技場は爆発するの。残念ね、あたしが爆弾を仕掛ける前だったらよかったのに…。早く逃げないとあんたたちも死ぬよ」
- 272 名前:第7話 遙かなるポロネーズ 投稿日:2001年11月16日(金)00時22分18秒
- あさ美の顔に動揺が走り、床に倒れているひとみへと目をやった。ひとみは虚ろな視線で周囲を探るように巡らしている。
麻琴は視線の逸れたあさ美の右手を左肘で落とすと、あさ美の身体を突き飛ばす。急なことにバランスを失ったあさ美は蹌踉めきながらも銃を撃った。だが、狙いも十分でなく、麻琴には的中しなかった。
「まぁ、今日はこのくらいにしておこうかな。下見は十分にできたし。あんたたちみたいな面白い連中とも出会えたし」
麻琴は服に付いた埃を払うと、地面に落ちたハンチングを拾い頭に乗せた。
「……下見?」
麻琴の余裕のある表情にあさ美は尋ねた。
「本当だと思ったの?こんな人もいない日に花火を上げたって面白くないでしょ。‥言っておくけど、撃ったって無駄だよ。撃つよりも早くあんたの懐に入り込む自信はあるからね」
麻琴はあさ美にそう言うと、あさ美は銃を下ろした。それを見て、麻琴は満足したように微笑み、二人の側を離れ、ゆっくりと夕日の中に姿を消していった。
- 273 名前:第7話 遙かなるポロネーズ 投稿日:2001年11月17日(土)00時31分32秒
「…ひとみ、大丈夫?」
あさ美はワルサーをズボンポケットに仕舞うと、床に身を倒したままのひとみの身体を起こそうとする。左頬は腫れ、血反吐に汚れている。何度が咳き込み、その度に胸を苦しそうに押さえた。
ひとみはあさ美に目線を合わせると、情けなさそうに笑った。
「油断した。やっぱりプロの工作員はそれなりの訓練を受けてるね」
そう言うとひとみは痛々しげに身を起こし、柱に掴まりながら立ち上がろうとする。まだ、膝に力が入らないのか何度かふらつくが、それでもあさ美の手を借りながらどうにか立ち上がった。顔の具合を確かめるように、ひとみは手で傷口をなぞるが、痛みに顔をしかめ、歯を食いしばった。あさ美が転がっているベレッタを拾い、ひとみに手渡した。
「……またきっと来る。大勢の前で競技場を爆発させるつもりみたい」
ひとみはあさ美の肩を借りながら、あさ美の推測を聞いた。
「そりゃあ、よかった。十分復讐ができるからね」
ひとみは強がるように笑うと、額に眉を寄せて前を睨み付けた。
- 274 名前:第7話 遙かなるポロネーズ 投稿日:2001年11月17日(土)00時33分27秒
麻琴はカーテンを開けて、朝の眩しい光を室内に入れた。空はよく晴れていて、綿菓子のような雲がぽんぽんと浮いている。
ホテルの高層階から見下ろす風景は、半島にいたときには見たことのない不思議なものであった。もう3日見ているが、それでも毎日姿を変える光景は、麻琴を純粋に喜ばせてくれた。遠くには巨大な観覧車が回り、高層ビルが幾重にも重なっている。線路がいくつにも分割され、色とりどりの列車が鈍い光を放ちながら滑っていく。
麻琴はこれほど発達した場所はテレビの画像でしか見たことがない。半島の南側で何度かこれに近い風景を見たことはあるが、それでもこのような日本のきらびやかな発達ぶりは麻琴の心を躍らせてくれた。
それと同時に悲しみも押し寄せてくる。この国にはもう自分が住む場はない。故郷にいたとき何度も憧れた都会をこのような形で見ることになるとは、誰が予測できただろう。
- 275 名前:第7話 遙かなるポロネーズ 投稿日:2001年11月17日(土)00時35分58秒
- 麻琴は後ろ髪を引かれながらも、巨大な窓硝子から離れ、ベット脇に置いておいたボストンバックをベットに上げる。中身は思ったよりも軽く、持ち運びも楽そうである。初めて作ったにしてはよくできたと自負している。日本だと、言われた道具を揃えるのも苦労はない。麻琴は口端を持ち上げた。
「これで最後ね」
この仕事を成功させて半島に戻ることができれば、麻琴は晴れて自由の身になることができる。日本にちゃんとした形で帰ってくることができるのだ。そうしたら今度は両親たちと東京や横浜に遊びに来よう。ディズニーランドで好きなだけ甘えよう。何度も夢にまで見たことが実現させることができるのだ。
麻琴は唇を噛みしめた。流すことを忘れていた涙がこぼれ落ちそうになってきたからだ。
「これが本当に最後なんだ」
麻琴はぼろぼろになったベージュのコートを羽織り、焦げ茶のハンチングを頭に乗せる。それからボストンバックを手に持つと、最後に名残惜しそうに部屋の窓を見て、部屋を出ていった。
- 276 名前:第7話 遙かなるポロネーズ 投稿日:2001年11月18日(日)00時23分13秒
麻琴はバスで横浜国際総合競技場に向かった。横浜国際総合競技場は先日とは異なり、多くの人で溢れていた。青いユニホームで身を包む少年集団、顔にペイントをして熱烈に語り合っている青年たち、幼い子どもを連れているにこやかに談笑をしている親子たち、女性に手を引かれながらいそいそと走る男性。誰もが今日という日を楽しみにしていたのだろう。競技場からは割れんばかりの歓声がすでに聞こえてきている。
麻琴は日本へ来て、いかにこの国が平和に寝ぼけているのかを知った。空港での税関では気を張っていたのだが、思ったよりもすんなりと通ることができた。ホテルも麻琴の年齢詐称を見ぬことができず、少々いぶかしりながらもカードキーを渡してくれた。
最後の仕事というには余りにも拍子抜けするようなものである。麻琴の頭の中には、すでに仕事が終わった後の楽しみしか思い浮かばなかった。
- 277 名前:第7話 遙かなるポロネーズ 投稿日:2001年11月18日(日)00時24分04秒
麻琴はチケット売場で売れ残りのチケットを購入した。それから人の列に紛れ込むように並ぶ。おそらく麻琴が競技場を離れるときは、これらの客たちは顔を引きつらせ、悲鳴をあげながら逃げ纏うことだろう。自分としては多少は心苦しいことではあるが、自分が今まで受けてきた苦渋の体験に比べればさしたものはないだろう。怯え、戦いてもらうだけである。
麻琴は2階席の上段、廊下に最も近いと場所という最適な場所に座ると、競技場を見渡した。世界を呼び込むために十分な整備がされ、彼方此方にはより活性化をさせようとするチラシが柱に貼られている。
麻琴は席の下に皮鞄を押し入れると、試合が始まるまでのしばらくの間、ぼうっとフィールドを眺めた。
- 278 名前:第7話 遙かなるポロネーズ 投稿日:2001年11月18日(日)00時25分37秒
「そういえば…」
麻琴の脳裏の先日会った2人組の姿が思い描かれた。日本に来て唯一緊迫感のある時間を与えてくれた。特に小柄で自分と同じぐらいの少女は、ずいぶんと腕が立つようで、時間があれば一度本気でやり合ってみたかった。
「でも、もうその機会もなさそうだなぁ」
インターネットカフェで今夜の北京行き航空券を購入している。仕事が終われば、一度この国を離れなくてはならない。
「まぁ、いいか。邪魔されなければそれだけ早く終わるんだから」
麻琴は満面の笑みで眼下のフィールドを眺め続けた。
試合が始まって5分もしないうちに、麻琴はゲートを出た。係員に再入場はできないと忠告されたが、二度と戻る気などない。すっかり人の波は引き、競技場の周辺には諦めきれずにダフ屋に縋り付く人か、暇そうに休日の昼間を過ごす人々しか見ることができない。
ちょうど昼時であるため、設置されたレストランからは香ばしい匂いが溢れてきている。麻琴の腹がその匂いに反応をするが、のんびりと食事などをしている場合ではない。唾を飲み込み我慢をした。
- 279 名前:第7話 遙かなるポロネーズ 投稿日:2001年11月18日(日)00時26分55秒
麻琴は歩を進めている内に、背後から別の気配が追ってきていることに気がついた。麻琴は自然と込み上げる笑いを堪えながら、新横浜公園の方へと方向を変えた。どうせやるのならば広い方が動きやすいし、人の目を気にかける必要もない。
公園内に入ると麻琴はわざと人から姿が見えなくなる方へと動く。相手も一定の距離を保ちながら、しっかりとマークをしている。麻琴は足を止めた。それからゆるりと振り返る。
「……何だ、誰かと思ったら、先日のあんただったの」
「残念だった、あたしで?」
そこには頬に絆創膏を貼ったひとみがジャケットに手を入れて立っていた。
「…あの女の子は今日はいないの?」
明らかに落胆している麻琴にひとみは苦笑をした。
「あんたが仕掛けた爆弾を回収してるころだよ。だからあんたの相手はあたし。不満?」
「ちょっとね。でも、あんたがあたしを満足させてくれれば、文句は言わないよ。‥無理だと思うけど」
- 280 名前:第7話 遙かなるポロネーズ 投稿日:2001年11月18日(日)00時28分11秒
-
麻琴はそう言うと動いた。ひとみはジャケットから手を出すと、相手の攻撃に備える。麻琴は右手でひとみの胸部を狙ってきた。ひとみは左腕で下から持ち上げるように、麻琴の右手を払おうとする。
すると麻琴は右手でひとみの左腕を掴み、自分の左手を斜めからひとみの顔を引っ掻くように振り下ろしてくる。ひとみは瞬間的に左手を挙げて、麻琴の手を避ける。
「やるじゃない」
麻琴は身体を一旦引いて、間合いを計り直すと、ハンチングを脱ぎ捨てた。
「どうやら満足してくれそうだね?」
ひとみは一度首を回して、全身の力を抜くように手をぶらつかせると、麻琴を見据えた。
- 280 名前:第7話 遙かなるポロネーズ 投稿日:2001年11月18日(日)00時31分44秒
-
麻琴はそう言うと動いた。ひとみはジャケットから手を出すと、相手の攻撃に備える。麻琴は右手でひとみの胸部を狙ってきた。ひとみは左腕で下から持ち上げるように、麻琴の右手を払おうとする。
すると麻琴は右手でひとみの左腕を掴み、自分の左手を斜めからひとみの顔を引っ掻くように振り下ろしてくる。ひとみは瞬間的に左手を挙げて、麻琴の手を避ける。
「やるじゃない」
麻琴は身体を一旦引いて、間合いを計り直すと、ハンチングを脱ぎ捨てた。
「どうやら満足してくれそうだね?」
ひとみは一度首を回して、全身の力を抜くように手をぶらつかせると、麻琴を見据えた。
- 281 名前:第7話 遙かなるポロネーズ 投稿日:2001年11月19日(月)00時48分23秒
「あんたを片づける前に一応理由を聞いておくよ。あんたが何で半島の工作活動に手を貸してるのか」
ひとみの問いかけに麻琴は意外そうに目を見開いた。
「それってどういうこと?あたしが嫌々仕事をしてるとでも思ってるの?」
麻琴が皮肉げに型を解く。ひとみも麻琴の交戦意志が止まったためか、全身の気配を抑える。
「あんたはこの国の出身なんだから逃げようと思えば、逃げられるんじゃないかなって思ってさ。それに生みの親がいる国で破壊活動が平気でできるのかも聞いておきたいし」
ひとみの質問に麻琴は腹を抱えながら笑い出した。それはまるでひとみが何も知らないでいることを笑っているようにも感じられた。
「……ならば教えてあげるよ。半島にはね、あたしが拉致されてからずっと世話を見てくれた親代わりがいるの。その人たちはあたしが日本に行って逃げ出さないように、政府の人質になってる。だから、あたしは仕事をする。仕事が終わればあたしも、その肉親代わりも無事に解放されるわけ」
麻琴はそこで息を継ぐように、胸に息を吸い込んだ。
- 282 名前:第7話 遙かなるポロネーズ 投稿日:2001年11月19日(月)00時51分18秒
「今回この計画に送られてきたのは半島の工作員12名。全員が別々のルートで日本に入り、それぞれが与えられた場所で仕事をする。全員が日本から連れ去られた人間で、あたしと同じように人質が取られているの。分かった?それがあたしの仕事をする理由なの!」
ひとみは麻琴が喋るたびに感情面が高まってきたのを感じた。どこか苛つくように爪先で地面を穿り返している。
「…その親代わりが演技をしてるかもしれないじゃない。だいたいその育ての親は向こうの人間なんだろ。口裏を合わせればいくらでも……」
ひとみの言葉に麻琴は顔を上げた。顔には怒りと不安がありありと浮かび上がってきている。
「……そんなことは分かってる。あたしだって国に戻ればまたいいように利用されるかもしれないって分かってるのよ!だけど仕方がないじゃない。あの人たちはあたしに演技でも優しくしてくれた。あたしが暗い部屋で1人で怯えてるときに、いつも側にいてくれたのよ。あたしが強くなれば日本に戻れるようになるっていつも励ましてくれた。それがたとえ演技でも、あたしは嬉しかったのよ!」
- 283 名前:第7話 遙かなるポロネーズ 投稿日:2001年11月19日(月)00時53分39秒
- ひとみは初めて冷静であった麻琴が感情を剥き出しにした姿を見た。それはずっと5年間溜めてこんできた感情だったのかもしれない。
「ずっと怖かった。こんな風になったあたしを見てお父さんやお母さんがどう思うのかって。日本に帰って来たいのに、反面、帰りたくもなかった。あたしはこのまま一生国の玩具として使われるんだって。ねぇ、あんたみたいに日本でのうのうと暮らしてきた人間にあたしの寂しさが分かる?あたしの苦しさが、あたしの悔しさが分かるの。今日だってそう、みんな幸せそうな顔をして呑気に休日を楽しんでいる。あたしみたいに消えた人間のことなんて誰も興味がないのよ!」
麻琴はそこで自嘲したように笑った。
「この国の対応だってそう。半島は20世紀の終わりに変わったのよ。それなのにこの国は素知らぬ顔で相変わらず拉致されている子どもたちを放っておいてる。お父さんとかお母さんもあたしはもう死んだものだと思って、新しい暮らしを始めてるかもしれない。あたしなんか結局誰からも認められていない娘なのよ!」
- 284 名前:第7話 遙かなるポロネーズ 投稿日:2001年11月19日(月)01時01分37秒
- 麻琴はすべての吐き捨てた言葉を、かき消すように右腕を大きく振るった。その目には決意と憎しみが宿り、気が全身を覆い尽くす。
「だから、あたしは幸せそうなこの国を騒がせてやるの。‥本当はね、半島の仕事なんてあたしには、名目だけで意味なんてない。人質?そんなの関係ない。あたしはあたしの意思でやるのよ。あたしの味わった苦しみを僅かでもこの国に与えてやる。あたしの恨みが晴れるまで、誰にも邪魔なんかさせない!それが今のあたしの最大限の幸せなのよ!」
- 285 名前:第7話 遙かなるポロネーズ 投稿日:2001年11月20日(火)00時41分21秒
ひとみは、睨みつけ突進をしてきた麻琴に左右の拳を交互に打ち出す。麻琴は身体をよじるように避けると、伸ばされたひとみの腕を上手に使い、ひとみの顔面を左手を広げて捕らえようとする。その手はまるで龍の手のように見え、ひとみはバックステップを踏む。麻琴の猛攻は止まらず、腹部に鋭く尖らせた右腕を潜り込ませた。ひとみは突き刺さるような痛みに歯を食いしばり耐える。
麻琴が一瞬笑ったように見えた。勝ちを確信したのだろうか。ひとみの中で屈辱と不屈の情が混じり合い、ひとみは知らず知らずの内に雄叫びを発した。麻琴がひとみの気に押されたように攻撃の手を躊躇させる。ひとみの右腕は、麻琴の腕をかいくぐり、自らの意思を持ったように、麻琴の左肩に衝撃を与える。予定外のダメージに、ステップを踏んで体勢を整えようとする麻琴に、ひとみの左腕は敏速に動き、右下腹部に突き刺さった。
- 286 名前:第7話 遙かなるポロネーズ 投稿日:2001年11月20日(火)00時42分26秒
「しまっ…」
ひとみは、痛みに顔をしかめた麻琴の狼狽の言葉を聞いた。直撃に麻琴の身体が崩れ落ちる。
そのままの勢いで、ひとみは麻琴に肩から当たり、落ち葉が敷き詰める地面に押し倒した。乾いた落ち葉が小気味よい音を立てて、潰されていく。ひとみはジャケットからベレッタを出すと、麻琴の額に銃口を押し当てた。
「…今度はあたしの勝ちね」
ひとみは息を荒く切らしながら、相手を押さえ込む。麻琴は自由な動きが取れなため、抵抗するようにひとみの下でもぞもぞと動く。だが、ひとみはそんな麻琴には気を払わずに、自分の内にある荒々しい感情を抑えることに夢中になっていた。
「……あたしをどうすつもりよ」
麻琴は怒りを含んだ声で、ひとみの脇下から声を出す。
「……この国の警察に突き出すだけよ」
ひとみの側に影ができた。ひとみが見上げると、そこにはあさ美の姿がある。
- 287 名前:第7話 遙かなるポロネーズ 投稿日:2001年11月20日(火)00時43分49秒
「爆弾はちゃんと確保してきた?」
ひとみの質問にあさ美はこくりと頷いた。
「…あんまり威力がないやつだったから、爆発してもそれほど被害はでなかったと思う」
あさ美の言葉に麻琴は驚いたように目を広げる。急に抵抗していた力が弱くなっていく。
「そう、じゃあこの娘をお願いね」
あさ美は麻琴の両手を掴むと、その手に麻縄をぐるぐると巻き付けた。ようやく自由の身になれたひとみは疲れたように腕を回し、うつむく麻琴を見やる。
「…あのさ、あんたに1つ言っておきたいんだけど。あたしにはあんたの気持ちなんてさっぱり分かんないよ。そりゃあ、あんたが連れ去られて苦労したのは分かるけど…。ただ、さっきあんたは1人で自分が不幸を全部背負い込んでるみたいに話をしてたけど、辛いのってあんただけじゃないんだよ。幸せそうな顔の裏側に、どんな気持ちを持ってるかなんて誰も知らないんだからさ」
ひとみはそう言うと、地面に落ちているハンチングを拾い、麻琴の頭に乗せてやった。麻琴はひとみを見るが、すぐに顔を下げてしまった。
- 288 名前:第7話 遙かなるポロネーズ 投稿日:2001年11月20日(火)00時44分54秒
「それじゃあ、あたしは梨華に電話して引き渡しの方法を聞くから、あさ美はちゃんと見張っててくれる。まぁ、その様子じゃ逃げそうもないけどね。ただ、工作員なら情報漏洩を防ぐために自殺をしたりする場合があるから、気を付けてね」
ひとみは携帯電話を取りだした。
「……お父さんやお母さんはあたしが見つかったら喜んでくれるかなぁ」
麻琴がぼそりと呟いた。ひとみは振り返る。あさ美も麻琴の手をしっかりと握りながら、目をしばたたいた。
「……娘だからね。喜んでくれるんじゃないの。どんな形の再会であれね」
ひとみは、そう言うと電話をかけるために木々の間を抜け出した。
- 289 名前:第7話 遙かなるポロネーズ 投稿日:2001年11月20日(火)00時46分21秒
「はろはろ〜、石川でーす」
テンションの高さに、ひとみはうんざりしたように顔をしかめる。
「あ、梨華?先日の半島諜報工作員の仕事なんだけど、1人捕まえたよ。どこに連れて行けばいいの?」
「あ、ひとみちゃん。んもう、何やってるのよ。1人捕まえたって、1人だけ?」
梨華がどこか不機嫌そうな声で捲し立ててくる。
「1人だけって‥。あんたは捕まえるところ見てもいないからそんなことを言うけど、こっちは怪我まで負って大変だったんだぞ」
ひとみは不快な気分になり、ついつい声を荒げる。
「えっ、怪我してるの?大丈夫」
すぐに猫なで声で擦り寄るように梨華が声を出してくる。一体どこから声を出しているのか、一度声帯を調べてみたいものである。
- 290 名前:第7話 遙かなるポロネーズ 投稿日:2001年11月20日(火)00時47分54秒
「それで、どこに行けばいいわけ。手負いとはいえ、結構強いんだからね」
「あ、それは外務省に持っていかないと駄目なの。私も行くから、外務省の前まで連れてきて。それよりも、ねぇ聞いてよ、ひとみちゃん。亜弥ちゃんなんだけど、1人で8人も捕まえたらしいよ。他の人にも捕まえちゃった賞金稼ぎとかがいるんだよ。今回はまるっきり駄目だったのかなぁなんて……。あ、別にひとみちゃんのことを全く信頼してないわけじゃないんだよ。だけど、あのあさ美ちゃんが足を引っ張ったりしてるんじゃないかなって思って。なんせこの業界でひとみちゃんって言ったら格好よくって、強くって……」
梨華のうっとりとした言葉は、まだまだ続きそうだ。ひとみは黙って電源を切った。
「ったく、身体曝して稼いでるのはこっちだってのに……」
ひとみは疲れたようにため息を吐くと、あさ美の所へと戻って行った。
To be continued
- 291 名前:三文小説家 投稿日:2001年11月20日(火)01時04分31秒
- 以上で第7話「遙かなるポロネーズ」は終了です。
のんびりのんびり、やらせていただいているうちに、そろそろ移転の容量になってきました。
話の方はまだ終わる気配がないため、長編用の空版か海版に移転させていただくつもりです。
ここまで読んで下された読者の方々、本当にありがとうございました。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
次回更新予定日はまだ未定ですが、しばらくお休みをいただきましたら、再び始めさせていただきます。
次回掲載予定の作品は、第8話「闇より引く手 前編(仮)」か、番外編「犯罪者は国境に逃げる」のどちらかです。
第8話は第4話で出てきた『デメテル』の面々や、後藤さんが再登場します。
番外編は第7話で名前だけ出てきた、松浦さんがメキシコで、復活されるあの御方と……。
どうぞお楽しみにして下さい。
再びショートカットを置かせてもらいます。活用して下さいね。
それでは、三文小説家でした。m(_ _)m
- 292 名前:三文小説家 投稿日:2001年11月20日(火)01時05分56秒
- ショートカット
>>2-4 「プロローグ」
>>5-32 第1話「出会い」
>>36-62 第2話「コンビネーション」
>>64-100 第3話「青の時代」
>>105-149 第4話「死を織る乙女たちのラプソディー」
>>153-195 第5話 「ストリート・ブルース」
>>200-241 第6話 「ホンキィ・トンク・ウィメン」
>>249-290 第7話 「遙かなるポロネーズ」
- 293 名前:名無し読者 投稿日:2001年11月20日(火)06時15分58秒
- お疲れ様でした。
おもしろかったです。
移転後もがんばってください。
- 294 名前:名無し読者 投稿日:2001年11月23日(金)15時38分56秒
- 一気に読んだためか、続きが早く読みたい!
完結を待てばよかったよ・・・
作者さん頑張ってね〜
- 295 名前:三文小説家 投稿日:2001年11月27日(火)01時57分36秒
- >>293
レスありがとうございます。
最近、気分的に中だるみなので、
おもしろいと言って下さると嬉しい限りです。
>>294
レスありがとうございます。
期待に添える作品になるかどうかは分かりませんが、
精一杯頑張らせていただきます。
今後ともよろしくお願いします。
あと案内版の「こんな俺に〜」にカキコされた197&200さん、273さんにも、
この場で感謝の言葉を述べさせていただきます。ありがとうございます。
今週か来週中には番外編「犯罪者は国境に逃げる」を掲載する予定です。
どうぞもう少しお待ち下さい。
- 296 名前:名無し読者 投稿日:2001年11月28日(水)13時01分36秒
- いつも読んでます。
どんどんよくなっていく作品なので、「国家公務員の梨華ちゃん萌え〜」
と前に書いたくだらないレスで汚すのは…と思ってましたがやっぱりレスします(笑
やっぱりよっすぃ〜と梨華ちゃんの電話でのかけあいは面白いです(w
そこにあさ美まで入ってきたら…(・∀・)イイ!!
番外編楽しみにしてます。
- 297 名前:名無し読者 投稿日:2001年11月29日(木)00時23分01秒
- 一気に読みました。面白いですね。
自分も書いてるんですけど、かなりふざけた感じなんで…
こういう真剣におもしろい小説が書けたらいいなぁ〜
- 298 名前:さるさる。 投稿日:2001年11月29日(木)03時30分04秒
- 初めて読みましたがすっごい内容濃くておもしろい。
次はごっちんの登場かぁ、待ち遠しい。
やたら強いあややにも感動(笑)
よっすぃとあさみちゃんの展開も楽しみです。
- 299 名前:三文小説家 投稿日:2001年12月02日(日)01時06分27秒
- >>297
レスありがとうございます。
レスで汚すなどと心配をしないで下さい。
どんなことでも書いて下さると、それがアイデアになるかもしれないのです(w
今後もどうぞよろしくお願いします。
>>298
レスありがとうございます。
一度の読むと疲れてしまうでしょ(w
お堅いとなかなか読みづらいのではと思ってしまいます。
小生はふざけた感じの方が、読みやすくて楽しくて好きですよ(w
>>299
さるさる。さん、レスありがとうございます。
後藤さんの登場は少々後になってしまいました。済みません。
その代わり、松浦さんの登場です。彼女の場合は情報屋がかなり優秀なんですよ(w
どうぞ今後ともよろしくお願いしますね。
- 300 名前:三文小説家 投稿日:2001年12月02日(日)01時08分56秒
- いつの間にかレスの番号が一つずつずれてしまってました。
そのため第7話のショートカットが上手に繋がってませんでした。
申しわけありませんでした。
>>249-291 第7話 「遙かなるポロネーズ」
- 301 名前:三文小説家 投稿日:2001年12月02日(日)01時11分54秒
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