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KNOCKIN' ON HEAVEN'S DOOR(続き)

1 名前:ジョニー 投稿日:2001年11月17日(土)22時35分28秒
緑から移転してきました。

前スレ
http://mseek.obi.ne.jp/green/index.html#995637529
2 名前:Keep yourself 投稿日:2001年11月17日(土)22時36分13秒
大きなため息をつき、
こんなになるまで気づかなかった自分を激しく責めた。
病院の廊下は日の光が届いているにも関わらず
重い空気が立ち込めている。
タバコも吸えず、長椅子に座ったまま
長い時間を過ごすだけだった。
3 名前:Keep yourself 投稿日:2001年11月17日(土)22時36分49秒
「ごっちん、何があったの!?」

聞こえてきた足音に反応して顔を上げると
息を切らせて駆けてくる吉澤と加護が目に入った。
後藤は、またすぐに下を向いて廊下を見つめる。

「帰ったら話すよ……。」

長い沈黙を終えると、石川が両脇を固められて出てきた。
その目はうつろで、1度もこちらを向くことなく他の部屋へ連れて行かれた。

そして、その後に診察を終えた医師も。

何ヶ月も前から摂取していたようで
精神的な後遺症を完全に取り除くには数ヶ月かかる
面会は1ヶ月はできない

吉澤と加護は目を閉じて、現実を受け入れないように努力しているが、
後藤は医師の目を捉えたまま説明に深く頷いた。
そして、医師から渡された指輪を強く握り締めた。
4 名前:Natural-born lover 投稿日:2001年11月17日(土)22時37分47秒
後藤は独り、石川の部屋で携帯を握っていた。
主の居ない部屋はカーテンが閉められたまま
無気味な静けさを保っている。
ディスプレイが光るとそこには矢口の名前が表示された。

このことを知らせなければ。
矢口は何て言うだろう…
自分への怒りは、全て甘んじて受けなければ。
5 名前:Natural-born lover 投稿日:2001年11月17日(土)22時38分19秒
長いダイヤル音


『もしもし?』

「あ、やぐっつぁん…。」

『ん?……ごっつぁん?』

今からそっちに行く。
それだけを伝えるのに
後藤の神経はかなりの量をすり減らされた。

「ちょっと出かけてくるから…。」

ソファに座ったまま空を見ている吉澤と加護にそう言って
車にキーを差し込んだ。
6 名前:Natural-born lover 投稿日:2001年11月17日(土)22時38分49秒
やぐっつぁん…何て言うだろ…
あたしが何も気づかなかったから…

夜の道路はやけに冷たい表情で
ライトに照らされてもその堅い顔を崩すことない。
赤信号で止められるごとに
後藤は自己嫌悪に苛まれた。
ハンドルに顔を埋めて全ての世界を遮っても
何も変わらない。
そんなことしているうちに
矢口のマンションの前まで来た。
7 名前:Offensive notice 投稿日:2001年11月18日(日)23時00分30秒
エントランスの呼び鈴は
無神経に大きな音を鳴らす。
綺麗な照明も、床に敷かれたカーペットも
全てが邪魔でしょうがなかった。
その中で、いつもの矢口の声だけが
後藤の心を揺らす。

「こんばんわ…。」

「汚いけど、上がっていいよ。」

飲み物を用意して、テレビをつける矢口の姿は
見ていて居たたまれない。
何も知らないほうが幸せなのかもしれない。
8 名前:Offensive notice 投稿日:2001年11月18日(日)23時01分05秒
「ごっつぁんは家に来るの初めてだよね?
…そういえば、前から欲しかったバッグ買ったんだよ!
ちょっと待ってて、持って来るから。」

「やぐっつぁん…ちょっと話があるんだ…。」

忙しく部屋中を歩き回る矢口を静かに呼び止めた。
双方の口調の温度差は、火を見るより明らか。
矢口の笑顔も、後藤の一言でどこかへ消えていった。

「今日、梨華ちゃんが入院した。」

「はっ!?」

矢口は口元を緩ませた。
後藤の一言が余りに重かったために。
9 名前:Offensive notice 投稿日:2001年11月18日(日)23時01分35秒
「梨華ちゃんおっちょこちょいだから、転んで怪我したんじゃない!?」

矢口も事の重大さは承知した。
そして、脳は現実を受け入れることを拒んだ、頑なに。

「違うよ…。梨華ちゃんは…」

「言わないでよ!!」

「麻薬に手を出して…」

「嘘だよ!!!」

「精神障害を起こして入院したんだよ…」

「…言わないでって…言ってるのに…何でそんなこと言うんだよ…」
10 名前:Offensive notice 投稿日:2001年11月18日(日)23時02分08秒
泣き崩れた
後藤の膝の上で
止まらない涙は矢口の心をくっきりと映し出した。

「ゴメン、やぐっつぁん…あたしが何も気づかなかったからこんなことに…」

「何でも知ってるようなこと言わないで!!」

起こした顔と目は紅潮し
激しく後藤を睨みつける。

「ヤグチが梨華ちゃんのことを一番知ってるんだよ!
それなのに……それなのに……ごっつぁんが何でも知ってるような言い方しないでよ……。」

「ゴメン…ゴメン、やぐっつぁん…」

「独りにして……悪いけど帰って…。」

「…うん。」

これ以上矢口を悲しませたくない
素直に従おう

帰り際にポケットを手でかき回して
石川の指輪を玄関に置いて帰った。
11 名前:Offensive notice 投稿日:2001年11月18日(日)23時02分41秒
これが現実なんだ
もう目の前のことを受け入れたくないなんて
言ってられないんだ

心に誓ったが、矢口の泣きじゃくる光景が頭に浮かぶ度に
自分の無力さを恨んだ。

「梨華ちゃん……ずるいよ……。」

いつも人が関われないことばかりして

そういう意味だろうか?
真意は分からない。
不意に一筋の涙が頬を伝い、
楽屋で石川を張った感覚が右手を襲った。
12 名前:Confusing nightmare 投稿日:2001年11月19日(月)22時39分56秒
ベッドで布団に包まったまま
身体は引きつることを止めようとしない。
もはや、何が悲しくて泣いているのか分からない。
矢口はとにかく大声を出して泣いた。

いつしか、涙は枯れ果てて
そのまま疲れて眠りについた。


石川との思い出が夢の中で蘇る


一緒に買い物したり
一緒に食事したり
一緒に仕事したり

キリが無く思い出される光景たち。
13 名前:Confusing nightmare 投稿日:2001年11月19日(月)22時40分28秒
『梨華ちゃん…好きだよ…。』

『わたしもですよ、矢口さん。』

2人は激しく唇を寄せ合う
抱き合ったままで
どれだけでも
一緒に居た

『あれ?…梨華ちゃん?…どこ?』

急に訪れた闇
矢口は石川を見失った

『そんな…梨華ちゃん!どこに居るの!?
ヤグチ、独りじゃヤだよ!!』
14 名前:Confusing nightmare 投稿日:2001年11月19日(月)22時41分05秒
夢は醒めた
汗だくの自分の身体が酷く惨めで、
しかし、泣けなかった。
泣いてしまったら現実を認めてしまう。
悪夢はまだ続いているなんて…

「…もうヤだよ……。」

枕元に置かれた指輪を握ると
ポツリと呟いた。
15 名前:Kick the distress 投稿日:2001年11月21日(水)01時07分07秒
「おはよう。」

静かな朝に静かな挨拶。
この屋根の下に1つだけ足りない顔。

ピンク・スコーピオンズヴォーカルとギターが足りない。

食卓では吉澤と加護がこれからのことについて相談している。
内容は、やはりまた休止したほうがいいのだろうか、
ということだが
後藤の意見は違った。
コーヒーを注いで戻ってくると早速考えを2人に伝える。
16 名前:Kick the distress 投稿日:2001年11月21日(水)01時07分38秒
梨華ちゃんだったら何て言うと思う?
多分『ごめんね、わたしのせいで…』って言うと思うんだ…。
だから…活動は続けようよ。

『わたしのせいで…』

何度も耳にしてきた石川の言葉
責任感が強く、全てを背負い込む性格
また活動を休止したことを石川が知ったら、
また悲しむだろう。

後藤はなんとしても続けたかった。
少しでも、それが回復したあとの石川のためになるのであれば。

そして、後藤にはアテがあった。
穴の開いたヴォーカルとギター。
17 名前:Kick the distress 投稿日:2001年11月21日(水)01時08分14秒
「どうするの?3人じゃ、昔の曲くらいしかできないよ?」

一瞬ためらったが、ついに開かれた後藤の口から出た名前…

「市井ちゃん…」

Mr.Big解散後、市井はどのバンドに入ることもなく、
第一線から姿を消していた。
市井ならきっと力になってくれるはず…
中学時代の思い出が浮かび始めたが
それはすぐに胸のうちにしまい込んだ。
今はそれどころではない、と。

「市井ちゃんがベースで、あたしはギターをやる。」

「ヴォーカルは…?」

「それなら、ウチに考えがある…」

どん底の状態は何とか脱しつつある。

なんとか石川が戻ってくるまで活動を続けよう
3人の意気込みが1つになって、今動き出そうとしている。
18 名前:In search of the peace of mind 投稿日:2001年11月21日(水)01時09分31秒
「…はい…後藤真希って伝えてください
…多分分かると思うんで…お願いします。」

後藤の心は未だに複雑に絡み合ったままで
純粋な感情のありかを探すのは非常に困難。

レコード会社に、市井にコンタクトを取ってくれるようにお願いに来ていた。

後藤はいつか市井と同じバンドで演るのが夢だった。
それがこんな形で実現してしまうとは…
皮肉以外の何物でもない
素直に喜べない状況でその感情を押し殺すことで精一杯
自分の拠り所はどこなのか
どれだけ迷って、もがいて、それでも答えは見つからない。
19 名前:In search of the peace of mind 投稿日:2001年11月21日(水)01時10分45秒
キーボードを打つ手つきは相変わらず鈍いが
文面には表れないのがEメール。

「あー…肩凝ったなぁ…」

送信をクリックすると、全世界どこでもメールを送ることができる。
もちろん…アメリカにも。

辻希美にメールを送るのは久しぶりだった。
加護がアメリカから帰ってきたころは
1週間に1回はメールのやりとりをして
お互いの近況を報告しあっていた。
しかし、ピンク・スコーピオンズがツアーに出かけてからは
すっかりメールをする機会もなくなって
今日で1年ぶりくらいになっていた。
20 名前:In search of the peace of mind 投稿日:2001年11月21日(水)01時11分21秒
『このバンド、おもしろくなくなっちゃったよ。』

数ヶ月前の辻のメールにはそう書かれていた。
クールで、しかしステージ上では
はじけたパフォーマンスが印象的だった辻の言葉だけに、
加護には印象深くそれが今回に繋がっていたのだ。

『のの、一緒にバンドやらない?』


「あー、何か飲み物あったっけな…?」

パソコンの電源を落とすと、肩をポンポンと叩きながら冷蔵庫へ向かった。
21 名前:Number 投稿日:2001年11月21日(水)21時18分03秒
半袖だと涼しく、長袖では暑い。
季節の変わり目を肌で感じる季節になった。

スポーツ新聞の芸能面を
『ピンク・スコーピオンズ、石川梨華
精神病で入院』
の記事が飾ってから間もなく1ヶ月になろうとしている。
後藤、吉澤、加護の3人はニューアルバムの構想に
鬼気迫る勢いで取り組んでいた。

内容は、カヴァーアルバムにほぼ決定。
石川がいないときに曲を作りたくない
というのが3人の意見で一致したのだ。
そして曲選びに朝から会議中だった。
22 名前:Number 投稿日:2001年11月21日(水)21時18分42秒
「こんにちわー!」

なんやねん、こんな朝早くから…
煮詰まった頭で出迎えた加護の表情には
若干の不満と驚きが入り混じっていた。

「こんにちわ。市井です…って…間違えた?」

確かに後藤は市井に要請するとは言っていたが…
事前に何も知らされてなかったに等しいこの状況で
目の前にいきなり現れた市井に
口をぽかんと開けた顔で初対面。

「いや…待ってましたよ、市井さん…。」

肩まで伸びた髪の毛
特徴的な笑顔
間違いない…
23 名前:Number 投稿日:2001年11月21日(水)21時19分23秒
「市井ちゃん…。」

後からやってきた後藤は
思わずその名を呼んだ…。

「おっす!ごとー。」

数年ぶりの再会にも
胸に込み上げるものを必死に堪えて

「待ってたよー!!」

嬉しさだけを表面に押し出した。
24 名前:Our Power 投稿日:2001年11月21日(水)21時20分04秒
久々の再会もほどほどに
市井も加えて選曲の話し合いは続けられる。
一旦煮詰まった会議も、
1人が新しい風を吹き込むことによって
活気を取り戻す。
市井は、ピンク・スコーピオンズのスコアを眺め
しばらく無言でベースを弾いていた。

フェンダー・Sayaka Ichiiモデル
オレンジと黒の配色が鮮やかで
本人の超人的なプレイと相まって
見るものをひきつけて止まない。
25 名前:Our Power 投稿日:2001年11月21日(水)21時20分41秒
後藤とはまた違った魅力がこの人にはある

加護にもその凄みが一目、いや一聴ですぐに分かった。

一通り楽譜を弾き終えると
1つの質問が飛び出した。

「ヴォーカルは誰?」

今回の経緯は後藤から聞いていた。
ヴォーカル&ギターが入院したから
ギターは後藤が演る
それならヴォーカルは誰?
当然の質問に後藤と吉澤は口をつぐんだ。

「あ、…今日来るって言ってたんで…」

少々ばつが悪そうに加護が説明を施し
とりあえず、今日のところはお開きとなった。
26 名前:Our Power 投稿日:2001年11月21日(水)21時21分15秒
「のの遅いなぁ。」

時計を眺めても何も変わらない。
午後5時過ぎ

「梨華ちゃんの面会に行こうよ。
そろそろ1ヶ月経ったし。」

加護の焦りをなだめるように
吉澤が切り出した。

留守番は中澤に任せよう

耳元でそう呟くと、加護の背中を押して病院へと向かう。
27 名前:Nowhere 投稿日:2001年11月22日(木)21時53分27秒
感情の起伏
喜怒哀楽
そう、まさに、麻薬などに依存した人間でなければ
短期間に激しい変動を迫られないことには
落ち着いてしかるべき行動が取れる。

一同は石川が回復の方向に向かっていることを祈りつつ
自分達が彼女のために何もできなかったこの1ヶ月の無力さは
不安に取って代わり、今まさにその人物のところへと向かう最中。

廊下を歩く足の裏の感触は
なんとも言えない硬さで脳に響く。
そして相も変わらず病院独特の嫌な空気が辺りに立ち込めていた。
刺激臭と呼ぶにはあまりに感情がこもった…。
28 名前:Nowhere 投稿日:2001年11月22日(木)21時54分09秒
3人は医師のところへ趣き、石川の容態を尋ねた。

『一時期のような、激しい中毒病は回復しました。
しかし、まだ精神が安定していないので、
面会は10分程度でお願いします……』

とりあえず喜んだ。
医師の言葉は、単語単位でしか飛び込んでこなかったが
3人は早足で病室へと急ぐ。
医師の最後の言葉をほとんど聞かずに…。
29 名前:Nowhere 投稿日:2001年11月22日(木)21時54分46秒
ノックに反応した声は
当たり前だが彼女の声。
それだけでホッとする。
何年も一緒に居た声を1ヶ月聞くことができなかったのだから
当然といえば当然だろう。

当然

その言葉が通用しないとしたらどうするだろう?

一斉に石川の名前を呼ぶ。
困惑気味の当人の表情にも
笑顔の3人は気づかなかったに違いない。
30 名前:Nowhere 投稿日:2001年11月22日(木)21時55分18秒
「ごっちん、よっすぃ〜……と…そのコは…誰?」

「だいぶ回復してるね。いつものサブいボケが出てる、あはは。」

3人と石川の間の3、4メートルの間には
あまりに大きすぎる温度差が存在する。

一方は笑顔でごまかし、
もう一方は

真顔で尋ね返す。

「ボケじゃなくて……ホントに知らないんだけど?」

「梨華ちゃん…同じネタを2回使ったらあかんわ、あはは……。」
31 名前:Nowhere 投稿日:2001年11月22日(木)21時56分16秒
「ごっちん、よっすぃ〜……と…そのコは…誰?」

「だいぶ回復してるね。いつものサブいボケが出てる、あはは。」

3人と石川の間の3、4メートルの間には
あまりに大きすぎる温度差が存在する。

一方は笑顔でごまかし、
もう一方は

真顔で尋ね返す。

「ボケじゃなくて……ホントに知らないんだけど?」

「梨華ちゃん…同じネタを2回使ったらあかんわ、あはは……。」
32 名前:Nowhere 投稿日:2001年11月22日(木)21時56分54秒
「そんじゃ……また来るね…。」

苦笑いを浮かべるしかなくなったこの状況で
面会時間が短かったのは皮肉なことに幸いとなった。
重い足取りと呼ぶには、
あまりに重過ぎるそれで部屋を出る2人は
廊下でうずくまって泣いている加護を見つけた。

「加護ちゃん……大丈夫だよ…絶対治るから…。」

吉澤の胸に泣きつく加護の姿はあまりに痛々しかった。
そして、後藤の頭に医師の最後の言葉が蘇る。


『記憶は…どうやら高校卒業時までのものしか残っていないようです…。』
33 名前:名無しさん 投稿日:2001年11月24日(土)04時01分38秒
作者さん更新お疲れ様です。
これからどうなるか、ハラハラドキドキしております。
お体に気をつけてがんばってください。

市井ちゃんのベースの配色って、スクープ写真のバッグ!?
34 名前:名無し読者 投稿日:2001年11月25日(日)00時24分37秒
記憶がないということは、
愛しの矢口さんも忘れちゃっている、ってことですよね。
どうなるんだろう〜〜?
楽しみに待っています。
35 名前:Hard to move 投稿日:2001年11月25日(日)20時14分41秒
静かな夜

加護は疲れて、いや、悪夢を振り払うために
眠りについた。
月が綺麗な夜空
この世で尊重される全ての物が皮肉に映る。

この屋根の下には加護と中澤しかいない。
後藤は市井の泊まっているホテルへ、
吉澤は矢口のマンションへ来ていた。
36 名前:Hard to move 投稿日:2001年11月25日(日)20時15分13秒
「どうもこうも…それなら、プロでやってるってことを見せてあげるしかないじゃん。」

市井はあくまで冷静にそう言った。
それは、石川梨華という人間を、今も昔も知らないからでもあるが
何より不安定な後藤を諭すという意味があった。

「そんなこと言ったって…どうすればいいの…」

昔から
後藤は一見太い神経の持ち主のように見えて
市井の前ではポロリと弱音を吐くことがあった。

「ごとーは変わってないなぁ。」

あくまで冷静なその口調に
後藤はハッとして顔を上げた。
37 名前:Hard to move 投稿日:2001年11月25日(日)20時15分43秒
「世界がどうこう…って言ってたよね?
今のごとーじゃ、そんなこと言っても全然説得力ないよ?」

普段は優しく親身になって相談に応じてくれた。
でも今は違う
いや、今だからこそ
後藤がしっかりしなければいけないのだ。
いくつかのバンドを渡り歩いてきた市井は
ピンク・スコーピオンズの高いポテンシャルに気づいていた。
それだけに、ここで潰れてしまうのは惜しい。

「だから、ごとーが迷ってたら何もならない。」

「……。」

「石川のことは吉澤に任せて、
うちらはアルバム作ることに集中したほうがいいんじゃない?」

「…うん。」
38 名前:Hard to move 投稿日:2001年11月25日(日)20時16分16秒
後藤に車で連れてきてもらった矢口のマンション
もちろん初めて見る部屋

「最近初めて来る人多いんだよね。」

そして、矢口も察しはついている。

「梨華ちゃんのことでしょ?」

「えっ…っと、そうです…。」

やけに冷静な矢口の眼差しに
吉澤のほうがたじろぐほど。
ただ、逆に事情を説明することは
易くなったは確かだった。
39 名前:Hard to move 投稿日:2001年11月25日(日)20時17分03秒
「今日、面会に行ってきたんですけど…
その、何て言うか…」

「何て言うか?」

「…高校卒業してからの記憶が戻ってないんです…。」

矢口の表情は全く変わらない。
むしろ、柔和な顔で微笑んだかのように思われた。

なぜ?

吉澤には、矢口の今までの想像を絶する苦悩と葛藤を
知る術はない。
40 名前:Hard to move 投稿日:2001年11月25日(日)20時17分40秒
「もう梨華ちゃんはヤグチのこと知らないんだよね…。
その方がいいよ…。
これ以上不幸にならなくて済むんだから…。」

「なんでそんなことを…」

「あ〜あ…ヤグチももっと早く梨華ちゃんと知り合ってればなぁ。」

自虐的ともとれるその発言の真意は分からない。
それが苦悩の末に導き出された矢口の結論なのかもしれないが、
それは間違っている。

「それなら、また一からやり直せばいいじゃないですか!」

俯いたままの矢口に自分の言葉は届いたのだろうか。
いつまで様子を伺ってもそれは分かりそうもない。

「また、明日来ますから…一緒に梨華ちゃんの所に行きましょう…。」
41 名前:Hard to move 投稿日:2001年11月25日(日)20時18分17秒
マンションの外では後藤の車が待っていた。
空は星が輝いているが
それは何の救いにも、ましてや気休めにすらならない。

「先輩何て言ってた?」

「ん?…ああ…梨華ちゃんのことはよっすぃ〜に任せて、
アルバム作るのが先だ、って。
…やぐっつぁんは?」

「…何も。」

「何も…か。」

市井の言葉を思い出して、それ以上の言及は避けた。
42 名前:Hard to move 投稿日:2001年11月25日(日)20時19分14秒
「ん?加護ちゃん?」

Grape Recordsの前まで来ると
背の低い人影が壁際に立っているのが分かった。
しかしよく見ると、加護ではない。

「何か用?」

パワーウィンドウを開いて尋ねて、
やっと誰だか分かった。

「加護亜依ってここに居る?」

「あっ!…ヴォーカルやってくれるっていう…?」

「辻希美。」

「あの…ねぇ、もっと言葉遣いに気を…」

「です。」

これでメンバーは一応揃った。
まだ辻がどの程度歌えるか、は分からないものの
加護の推薦であればある程度のレベルは超えているだろう。
辻の言葉遣いに若干苛立ちながらも
車庫入れを終えて
やっとシャワーを浴びて眠りについた。
43 名前:ジョニー 投稿日:2001年11月25日(日)20時27分08秒
>>33
名無しさん

どうもありがとうございます。
健康は大丈夫ですよ。馬(略は風邪引かないですから(w
ちゃむのベースの色、大正解です(w
誰も気づかないかなと思ってたんで、うれしいです(w

>>34さん

ありがとうございます。
そろそろクライマックスです。
よかったら最後までお楽しみください。
44 名前:Early...too early 投稿日:2001年11月26日(月)22時10分18秒
矢口は相変わらず無言。
しかし、吉澤には矢口がどうであれ関係なかった。
要は、石川に会わせること
そうすれば何かが変わるに違いない。
そう確信した上でのことなのだから。

「ヤグチを受け入れてくれるかなぁ…。」

後藤の車の後部座席に座った矢口は
隣りに座る吉澤にポツリと漏らした。
45 名前:Early...too early 投稿日:2001年11月26日(月)22時10分52秒
「そんじゃ、また後で迎えに来るから。」

「うん、ありがと。」

そして矢口は一歩一歩、最愛の人であったはずの、
石川の元へと歩み寄る…。
病室の前、矢口は歩みを止めた。

今まで聞かされてきたイメージが
その再会の邪魔をする。
自分を知らない、しかし自分は愛している。
特異な状況はこれまでに味わったことのない感情を生み出し
そして心を揺らす。
46 名前:Early...too early 投稿日:2001年11月26日(月)22時11分28秒
「よっすぃ〜……ヤグチここで待ってるよ…。」

「なんでですか!?会わなかったら何も変わらないですよ!?」

「…ヤグチ自信がないんだよ……。」

悲壮な顔色にその言葉が滲み出ている。
強い言葉をぶつけるのはあまりに酷で、
うなだれたその人を廊下に残して
吉澤は独りで病室へと入っていった。

「梨華ちゃん…。」
47 名前:Early...too early 投稿日:2001年11月26日(月)22時12分07秒
「あっ、よっすぃ〜。」

読書中の本にしおりを挟み
訪問者に笑顔を投げかける。

「調子はどう?」

「どこも悪くないよぉ。
大体、なんでわたし入院してるの?」

無邪気な表情で問い掛ける石川に
吉澤も笑顔で返す。

根気の要ることだけど、やるしかない。
あの石川に戻ってもらえるまで。

「そのうち説明するよ。
これから毎日来るから、さ。」

「ホント?よかったぁ。
暇で暇でしょうがなかったんだよぉ。」
48 名前:Aberration 投稿日:2001年11月26日(月)22時13分14秒
もしかしたら
無理に記憶を戻そうとするのは
いけないことなのかもしれない…。
その思いが頭の中を駆け巡る。
石川を困らせることになるかも。

「今日はね、梨華ちゃんに会いたいって人が来てるから
紹介するね。」

迷いの中、踏み出した一歩。
微かに表情を曇らせる石川を尻目に、
吉澤は矢口を連れて戻ってきた。

「…初めまして……。」

「初めまして、梨華ちゃん…。」

矢口の表情は穏やかだった。
もう後には戻れない…。

「じゃ、ちょっとトイレ行ってくるから…。」

その場から離れ、祈る。
全てが上手くいくように、と。
49 名前:Aberration 投稿日:2001年11月26日(月)22時13分50秒
「あの……矢口さんは…なんでわたしのことを知ってるんですか?」

「なんで……なんでだろうね……。」

「高校が一緒……じゃないですよね…?」

「ヤグチは…ヤグチは梨華ちゃんのことが……好きなんだよ…
梨華ちゃんは…ヤグチを受け止めてくれた…
戻って…よ……梨華ちゃん……
あの頃みたいに……ヤグチを抱きしめてよ…」

「わ、わたしのことが好きなんですかぁ!?
…そんな…急に言われても…。」

「急じゃないよ!梨華ちゃんは記憶がないだけ!!
早く!!思い出してよ!!!……ヤグチのことを…。」

泣きながら石川の両肩を掴んで
どれだけ揺すっても…
失ったものは戻らない。
50 名前:Aberration 投稿日:2001年11月26日(月)22時14分25秒
途切れた記憶
それはあまりに大きなものだった。
一から始めるには
矢口の心はあまりに傷だらけだった。

「矢口さん!!」

「あっ、よっすぃ〜…どうしよう…急に泣き出しちゃって…。」

戸惑う石川と泣き崩れる矢口の
残酷なコントラストが視界に飛び込んで
自らも絶望する。

「ゴメン、よっすぃ〜……ヤグチにはもう無理だよ…。」

嗚咽が止まない矢口に
かけてやる言葉は全て安過ぎて
罪悪感のみが胸を打つ。

「また明日来るから…。」

そう言い残してその場を立ち去る。
大きな後悔は微塵も無くなることはなかった。
51 名前:ジョニー 投稿日:2001年11月26日(月)22時17分50秒
小題ミスった…。
>>47も『Aberration』です。あんまり意味ないけど。
52 名前:Vanished my memories 投稿日:2001年11月27日(火)22時43分04秒
「ねぇ、この前来た金髪の人はもう来ないの?」

「ん?…矢口さんは仕事があるから…。」

吉澤が石川のところへ通い始めて1週間余りが経過した。
新しい記憶は徐々に増えていったが、
未だ空白は埋まらなかった。
面会時間も徐々に延びて中毒病のほうは回復に向かっているようだが。
53 名前:Vanished my memories 投稿日:2001年11月27日(火)22時43分42秒
「あの人に…なんか悪いことしちゃったかなぁ。」

「なんで?」

「だってぇ…急に泣いちゃったから。」

あの日以来、矢口がこの部屋に姿を見せることはなかった。

「心配ないよ。多分…梨華ちゃんに会えたのが嬉しくて泣いちゃったんだよ…。」

「そうかなぁ…。」

吉澤も、矢口を誘って面会に来るのは気が引けて
連絡も取らないでいた。

矢口さんにはあまりに酷なことばかり要求しすぎたのかもしれない…

その思いが全て鍵を握っているのは間違いない。

「また来てくれないかなぁ…。」

「じゃ、また誘って来るね。」

「うん。それと……1つ聞いていい?」
54 名前:Existed your memories 投稿日:2001年11月27日(火)22時44分31秒
なぜ

これを知らせないと何も動き始めないのに

なぜこんなに緊張するの

「…なに?」

「この前、そのヤグチサンが
『梨華ちゃんは記憶がないだけ』
って言ってたような気がするんだけど
…それってどういうこと?」

きた
55 名前:Existed your memories 投稿日:2001年11月27日(火)22時45分12秒
臆病者の心臓が
鼓動を高めて危険を知らせる
理性は臆病な本能を抑えようと
全ての神経を注ぎ込む

それでもわたしの身体は…

「梨華ちゃんはね…」

勝手に動き出す

「クスリを…麻薬をやってオカシクなっちゃったんだよ。
それで、高校を卒業してから今までの記憶がなくなっちゃったんだ…。」

「だから…」
56 名前:Existed your memories 投稿日:2001年11月27日(火)22時45分59秒
反応が怖い
怖くて…その純粋な眼差しが失われそうで…
梨華ちゃんを見れない…

「だから、私達はプロでやってるし、
梨華ちゃんは矢口さんと…愛し合ってるんだよ…。」


夕焼けの空には微かに雲が浮かんで
しかしそれでも赤い光は大地に溢れ出している。
長い沈黙の末に
『そうなんだ…。』
とだけ言ってまた沈黙が訪れる…。

「そう…だよ…。」
57 名前:Existed your memories 投稿日:2001年11月27日(火)22時46分36秒
太陽は沈みきるまで十分時間をかけて、
時の流れを錯覚させる。

いつしか眠りに落ちた石川が
目を覚ましたときには部屋には吉澤の姿がなかった。
空にも太陽の姿はなく黄金色の月が輝いていたが、
その景色を眺めることもせずにカーテンを閉め、
石川は再び眠りについた。
58 名前:Not too late 投稿日:2001年11月28日(水)20時18分55秒
「おかえり。曲決まったよ。」

吉澤が帰宅すると
すでに市井は帰って曲を決める会議は終わっていた。
長い距離を自転車でトロトロと帰ってくるのは
非常に辛かった、今日は特に。

「あ、そうなんだ…じゃ、明日から録り?」

満身創痍で何も考えられない。

「昼から…だけど、梨華ちゃんのほうは大丈夫?」

後藤の問いかけに鈍く頷くと
重い足取りで自らの部屋へと向かった。
59 名前:Not too late 投稿日:2001年11月28日(水)20時19分33秒
「はぁ〜…。」

窓を開け、タバコに火をつける。

どんな行動にも後悔の念が付きまとう。
あまりに自分の行動が意味を持ちすぎて、
先を考えると何もできなくなってしまう。

「…ふぅ〜……。」

白煙は天へと昇り、やがて消えて見えなくなった。
その先に光る…月は雲の隙間から見え隠れ。
窓とカーテンを閉め、灰皿に乱雑にタバコを押し付けると
無心で眠った。
60 名前:Not too late 投稿日:2001年11月28日(水)20時20分10秒
「こんにちわ。」

「あ、よっす……。」

病室に現れたのは吉澤ではなかった。

「あ…っと…ヤグチサン…。」

矢口も悩んでいた。
泣いて帰ったあの日以降
この部屋に近づくことはないだろうと思っていたのに。
61 名前:Not too late 投稿日:2001年11月28日(水)20時21分02秒
よっすぃ〜とかごっつぁんが、わざわざヤグチのところまで
お願いに来たのだから…
ヤグチにしかできないことがあるはず
ヤグチよりも梨華ちゃんのことを知ってる2人がそう言うのだから…

それは、決して卑下した考えではなかった。
冷静になって考えたときに達した結論。

それに

ヤグチはやっぱり

梨華ちゃんのことが好きなんだよ

それはまだ口にしてはいけない。
焦ってもしょうがない。
何年もの月日はすぐに戻ってこないのは分かったから…
これから失った時間よりも長い月日を過ごせばいい。

「これから毎日来ていい?」

「えっ…お忙しいんじゃないんですか?」

そういえば、前もこんなこと言ったよ
なんか、懐かしいなぁ

「梨華ちゃん、敬語じゃなくていいよ。」
62 名前:Sacred place 投稿日:2001年11月29日(木)21時58分06秒
スタジオとは思えないほどの熱気と迫力。
ピンク・スコーピオンズはライヴ感を最も重視するがために
スタジオ一発録音にこだわり続けてきた。
慣れない市井と辻は当初は戸惑ったが
そこは2人ともプロで鳴らしただけあって
すぐに溶け込んで実力を発揮した。

「あー、疲れた。」

スタジオから出てきた辻は
開口一番に率直な感想を述べた。
滴る汗は熱気を物語り、
外の空気と触れてヒンヤリと冷たい。

「のの〜!!アイス買ってあるから食べよ〜!!」

後ろから猛ダッシュで冷凍庫へ直行の加護を追いかけるように
辻もその味覚をスタンバイさせながら走っていった。
63 名前:Sacred place 投稿日:2001年11月29日(木)21時58分36秒
「市井ちゃん、ありがとう。」

レコーディングが終わり
後藤、吉澤、市井はそのままスタジオの中に残った。

「よっすぃ〜、大丈夫?」

後藤と市井が話している間、
吉澤はスティックを握ったままドラムに伏せて
微動だにしなかった。
そして、後藤の問いかけにやっと顔を上げて微笑む。

「大丈夫だよ。」

顔の前でスティックを振り回すも、
精根尽きたのは明らかで後藤もそれ以上何も言わない。

「お疲れさん。」

市井はそう言ってスタジオを後にした。 

「な〜んか、先輩とまともに喋ってないなぁ。」

「あはは、でもね、市井ちゃんは『吉澤は巧くなった』って言ってたよ。
…梨華ちゃんのとこ、送ってってあげようか?」

「ん?ああ、大丈夫。あとはアノ人にしかできないことだから。」
64 名前:Deep,inside 投稿日:2001年11月29日(木)21時59分17秒
何日通っただろう…

楽しみ

石川のところに通うのが楽しみに変わったのは
1週間程した頃だった。

やっと会話のぎこちなさも取れて
矢口は色んな話をした。
しかしそこには
もう、石川の記憶を蘇らせようという気持ちはない。

これから記憶を作っていこう

矢口の心は完全に吹っ切れたが、
誰も知らないところで…

石川は戸惑っていた。
65 名前:Deep,inside 投稿日:2001年11月29日(木)21時59分50秒
「わたしはヤグチサンのことをほとんど知らないのに
……それでもわたしのことを好きで居てくれるんですか?」

矢口は気づかなかった…その言葉の意味を…。

「うん…ヤグチは梨華ちゃんのことが好きだよ…。」

もちろんそう答えた。
自分に正直な答えが出るのは当たり前、
むしろ、石川が聞いてくれたのが
物凄く嬉しかった。

その頃からだろうか


石川が何かを憂うような顔を
一瞬だけ見せるようになったのは…

もちろん誰にも気づかれないように。
66 名前:Only you can save yourself 投稿日:2001年11月29日(木)22時00分38秒
盲目の旅人は
目の前に橋が現れたことを突然知らされた。
同行者は共に渡ろうと促す。

橋は今にも壊れそうで…
しかし、もはや引き返すという選択肢は失っていた。

盲目の旅人は、危うい橋の第1歩を進んだとき
初めて目前の障害の存在を知る。

その時、天から光が降り注がれると
盲目の旅人は僅かな視力を手にした。

今まで歩いてきた道のりを振り返ると
たくさんの人達が自分を支えていた。
橋が落ちないように支えていた。

長い橋の先はまだまだ見えない。

目の前には穴が開いている。
そこから覗く谷底もまた
先は暗闇の中まで続いていた。

そして旅人は
また1歩先へと進む。

真の幸と不幸の選択権は
本人しか持ち得ない。

優しい心の持ち主は
何を考えるのか…。
67 名前:October rain 投稿日:2001年11月30日(金)22時16分30秒
わたしって…もしかして…
この何ヶ月もの間
知らないうちに周りの人を

傷つけていた

こんなに…
みんながわたしを一生懸命助けてくれて…

この先も数え切れないくらいの
迷惑をかけてしまうだろう…
68 名前:October rain 投稿日:2001年11月30日(金)22時17分08秒
「梨華ちゃん!明日退院できるってさ!!」

喜びのあまり、ノックも忘れて部屋に飛び込んでくる吉澤。
ここまでの笑顔にたどり着いた過程が
いやがうえにも石川の脳裏をちらつく。

「そうなんだぁ……ついに、だね…。」


『やっと』ではなかった。


『ついに』


「なんだか、眠くなってきちゃった…。」

言い直すことはない。
思いが言葉に具現化されたものを
自ら考えて納得した。

「そう?じゃ、荷物まとめたら帰るね。」

自らが撒いた種は
自らが……
69 名前:October rain 投稿日:2001年11月30日(金)22時17分40秒
独りの部屋は静かで
時折、綺麗な空に誘われて
小鳥が奏でる歌が聞こえる。
それは
石川が数年間歌っていたはずのものとは
対極をなすように
あくまで優しく
あくまで清らかに…。

幸か不幸か…
本人のみぞ知る…。
70 名前:Rusted edge & heart 投稿日:2001年11月30日(金)22時18分49秒
病院の外には見なれた3つの顔が待っていた。

「おかえり!」

「うん…ただいま。」

吉澤の元気な出迎えに石川は不思議な笑顔で返した。

「梨華ちゃんがいないからレコーディングできなかったじゃんか。」

「ホンマに。レコード会社に怒られるよ。」

冷やかし混じりの言葉にも、後藤と加護の喜びは隠し切れない。

「うん…ごめんね…。」

石川は、ただただ涙をこらえていた。
71 名前:Rusted edge & heart 投稿日:2001年11月30日(金)22時19分25秒
家につくと、『今日はごちそうつくるから、楽しみに待ってて』と、
後藤、吉澤、加護は買い出しの準備を始めた。
いよいよ、石川の心臓の鼓動が高まっていく。

「そんじゃ、すぐ帰ってくるから待ってて。
それと、もうすぐ裕ちゃん帰ってくるって。」

そういって車にキーを挿し込む後藤。
そして石川は…

「いってらっしゃ〜い!!……それと……。」

玄関の鍵はかけずに、自分の部屋に入っていった。
その後姿は、暗く、そして重かった。
72 名前:Rusted edge & heart 投稿日:2001年11月30日(金)22時20分01秒
石川は、泣きながら笑顔を浮かべていた。

「きっと、わたしよりいい人と巡り会えるよ…」

誰に言った言葉かわからない。
ただ、もう本人の決意には変化が訪れることはなさそうだった。

カバンの中には入院生活で使っていたものが入っていた。
歯ブラシ、箸、コップ、それらをかき分けると、封筒が1枚出てきた。
おもむろに封筒を机に放り投げると、大きく深呼吸をして涙を拭った。

久しぶりのシャワー。
全てを洗い流したかった。
予想以上に落ち着いている自分がいる。
左手首に宛がわれた冷たい感触は
一瞬のうちにシャワーの熱に奪われ、
覚悟したかのように刃を押し付ける…。
73 名前:Rusted edge & heart 投稿日:2001年11月30日(金)22時20分33秒
『ただいま〜!いしかわぁ〜!!退院おめでとぉ!!』

玄関口からは元気な声が

「なかざわさん……」


薄れゆく意識の中
頭に浮かぶ名前を口にする


「おとうさん…おかあさん…ごっちん……よっすぃ〜……かごちゃん……」


目の前が暗闇に包まれた
最後の名前を口にしたときには

すでに

意識はなかった


「やぐちさん」



『今まで出会ってきた全ての人達へ

迷惑かけてごめんなさい

みなさんがこれから幸せな生活が送れますように



 石川梨華』
74 名前:Knockin' On Heaven's Door 投稿日:2001年11月30日(金)22時21分32秒
「次に会えるのは…1年後くらいかな…これでもわたし達結構忙しいんだから…。」

夏の日差しも強い昼間。
雑木林の中の墓地に5人の女性が訪れていた。

「日本の夏て、ホンマに暑いやろ?」

後藤は、石川に会えない寂しさを強がりでごまかした。
加護は、敢えて普段と変わらない言葉をかけた。

「…アンコールだってさ……梨華ちゃん
…もう1回一緒にやろうよ…。」

スタジアムのように周りを囲む林から、
セミ達が止めど無い歓声を上げ続ける。
線香を供える吉澤の泣き声は、
シャーシャーという歓声にかき消され
石川には聞こえていないかもしれない。

「あとはさ…あたし達任せてよ。絶対石川の後を埋めて見せるからさ。」

市井の言葉に辻は決意を新たにし、
全員が強く頷いた。
75 名前:Knockin' On Heaven's Door 投稿日:2001年11月30日(金)22時22分07秒
「……それじゃ…またね…。」

しばしの静寂の後、人々はその場から立ち去り始めた。

「石川…ゆっくり休みや…。」

「裕ちゃ〜ん!置いてくよ〜!?」

「あんたなぁ!誰が運転してきた思っとんねん!!
…ん?…これは…?」

ロウソクの横に光りを放つ物が置いてあった。
小さなピンク色の石がついた…石川の指輪だった。

「石川も幸せもんやなぁ〜。好きな人が会いに来てくれてうれしいやろ?」

石川の耳に聞こえる声はだんだん小さくなっていったが、
いつものみんなの会話を聞けて、
寂しさの中に安堵を覚えたかもしれない。
76 名前:Knockin' On Heaven's Door 投稿日:2001年11月30日(金)22時22分43秒
アメリカの空に歓声がコダマする。
そして・・・新生『ピンク・スコーピオンズ』が石川に呼びかける。

「This song is for Rika.… It's called……"Knockin' On Heavens Door".」


 〜Pink Scorpions is never ending〜
77 名前:ジョニー 投稿日:2001年11月30日(金)22時24分52秒
終わりです。
ダラダラと長くなってしまった(w
このスレも容量余りまくりだし。
日曜にでも外伝的な1話を載せます。

今まで読んでくださった方、ありがとうございました。
78 名前:レイク 投稿日:2001年11月30日(金)23時41分07秒
完結おめでとうございます。
毎回楽しく読ませていただきました。
外伝も激しく期待しております。
79 名前:名無し読者 投稿日:2001年12月01日(土)01時29分12秒
ついに完結ですね、おめでとうございます。

「Only you can save yourself」の
石川の内面世界の描写、スッゲーです。感動です。
扉を通り抜けた石川に幸あれ…。

外伝の主人公は誰でしょ?楽しみです。
80 名前:After Story 投稿日:2001年12月02日(日)14時15分49秒
「あの…僕と付き合ってもらえませんか?」

「ごめんなさい。」

右手の薬指につけていた指輪を
左手の薬指に替えてから1年ちょっと。
その間に、告白してくる男性に向かって
そのセリフを何回か言った。

ピンク・スコーピオンズは世界中を駆け回り
知名度も上がったが、
その分日本に滞在している時間は短くなった。

雑木林の中にたたずむ1つの墓石
何度も花を供え、線香に火を灯し、
手を合わせて祈った。

「こんにちわ、矢口さん。」

石川の母親と出くわすことも少なくない。
でも、特別話をするでもなく
軽く挨拶を交わすのが常。

「こんにちわ。」
81 名前:After Story 投稿日:2001年12月02日(日)14時16分29秒
「Would you please welcome from Japan!!」

大歓声が迎える
夜の野外ステージは地平線まで人で埋め尽くされている。

「Pink!! Scorpions!!!」


「矢口さんのこと言ってましたよ。
金髪の人が…って言ってましたから。」

「そうなんですか。」

矢口がいつも通りのお参りを終えて帰ろうとする所を
石川の母親に誘われて喫茶店でしばらくの時を過ごすことになった。

「実は…これ、梨華ちゃんと色違いで買った指輪なんです。」

控えめに差し出す左手には
いつも通り光る黄色の石。

「ああ…お墓にあるのが、そうなんですか。
梨華も幸せだったと思いますよ…。
こんなに想ってくれる人がいるなんて。」
82 名前:After Story 投稿日:2001年12月02日(日)14時17分13秒
矢口はやっとのことで
石川との思い出を懐かしむことができるまでになった。
でも、この言葉にまた当時の記憶が蘇る。

「なんか…わたしが梨華ちゃんを…
梨華ちゃんの記憶が戻るように急がせちゃったから…」

石川の母親は、一瞬何かを言おうとして
とっさに口をつぐんだ。
コーヒーはまだ熱く、少し飲むとまたソーサーに置かれた。

「あの子…本当は頭のどこかに矢口さんのことを覚えてたんだと思います。
でも…」

黙って聞くしかないこの状況で
矢口の脳裏には病室での石川の一言が強烈によぎった。





『わたしは矢口さんのことをほとんど覚えてないのに…
それでもわたしを好きでいてくれるんですか?』




83 名前:After Story 投稿日:2001年12月02日(日)14時17分49秒
「あの子…自分の記憶が完全に戻ってしまわないように
…自殺しちゃったのかな…なんか…そんな気がするんですよ…。」

母親の言葉は、矢口の思いと合致した。
生まれて初めて、石川に怒った。


母親と別れ、自宅へ戻る。
何度も涙で濡らした、石川と抱き合ったベッドは
シーツを取り替えられ、
もうその面影を残していない。

力尽きてベッドに横たわる矢口の胸には
2番目にお気に入りだった豹柄のクッションが
抱かれている。
中に入っている繊維はすでによれて
弾力は失われている。


やっぱり…
梨華ちゃんの

バカ

ヤグチはそんなに弱くないよ…

絶対もう梨華ちゃんのことで泣かない…

だから…安心して…

安心して休んでね…


『Knockin' On Heaven's Door』の大合唱は
天国まで届いているに違いない。
84 名前:ジョニー 投稿日:2001年12月02日(日)14時22分08秒
終わり。

>>78
レイクさん
外伝もこれで終わりです。
どうもありがとうございました。

>>79さん
あの箇所は、書いてて回りくどいかな、と思ったんですが
そう言ってもらえるとうれしいです。
ありがとうございました。
85 名前:名無しさん 投稿日:2001年12月08日(土)20時42分43秒
打ち切りになったんですかね?
この話好きで前のスレからずっとROMしてたんですが
できれば作者さん、続けてくれると嬉しいです
86 名前:85 投稿日:2001年12月08日(土)20時44分07秒
あ、すんません、なんか間違ってたみたいです
85のレスは無視しちゃってくださいませ
応援しとりますです、作者さん
87 名前:85 投稿日:2001年12月08日(土)21時01分22秒
なんかレス全てが空回りw
すんませんです
お疲れ様でした、作者さん
88 名前:ジョニー 投稿日:2001年12月09日(日)13時06分50秒
>>85さん
分かりにくい終わりですいません(w
読んでくださってありがとうございました。
89 名前:ラック 投稿日:2001年12月11日(火)23時57分42秒
結構前に読み終わってて、直接言おうかと思いましたが
やはり、ここに感想を書かせていただきます。
なんていえばいいんでしょうか、ジョニ−さんの
奥深さと言うか、音楽に対する思い入れ
小説に対する思い入れ、もちろん娘。に対する思い入れ
自分なりにかなり感じました。
凄くいい小説でした、有難う御座います。
90 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月11日(金)02時31分26秒
『From The Other Side Of Heaven's Door』
「1週間くらいで退院できるって。」

自動車事故で腕を骨折した加護は
レコーディング先のイギリスで入院生活を過ごしていた。
幸い軽い骨折で済んだためか、
趣きある街並みを見下ろして
退屈な日々に溜息をついている。

「なんかなぁ、こっちの信号が青やったのに
いきなり横から突っ込んで来よってん。」

フルーツを盛り合わせたカゴ片手に
見舞いに訪れた吉澤の心配は
いつもの加護らしい口調を聞いて吹き飛んでいった。

「加護ちゃんの車見てきたよ。
しっかり左側が凹んでた、あはは。」

「ホンマに……高かったのに…、はぁ。」

赤いポルシェ911
物を大事にする加護が免許をとってから
ずっと大事に乗ってきた愛車は
見事にぶつけられていた。

「まあ、加護ちゃんが酷い怪我しなかっただけ
よしとしようよ。」

車体だけでなく加護もかなりの凹み具合だったため、
吉澤は帰り際にしっかりフォローを入れて部屋を出て行った。
さすがはピンク・スコーピオンズのドラマーというところか。

「まあねぇ……怪我は酷くないからいいんやけど。
…日記でもつけようかな…。」



91 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月11日(金)02時31分52秒
ピンク・スコーピオンズはこの5年間、
止まることなく突っ走ってきた。
ライヴに次ぐライヴ、そしてレコーディング。
そんな日々が日常になった故に
入院という非日常の時間がいい休息になった。

そして、前々から感じていたことを
病院のベッドの上で改めて考え直す。


「ウチ、脱退するわ。」


加護の脱退は瞬く間に世界中の音楽メディアに伝えられ
それについてのインタビューが毎日組まれていく。

『後藤との不仲が囁かれていたが、それと脱退は関係あるのか?』

『マネージメントに不満があると聞いたが?』

へぇ〜、そんな事言われてたんかぁ〜

インタビュアーは的外れ、というよりも
どこから湧いてきたか分からないような質問を
雨のように投げかけてくる。

なぁ〜んだかなぁ〜

聞かれている当の本人は
別に不満げな表情をするでもなく
しかし笑顔ではなかった。
ただ、どうしようもないマスコミにはウンザリだったが。

そんなインタビューで、加護が言うことはいつも一緒だった。

『新しい環境でやってみたい。』
92 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月11日(金)02時32分24秒
日本

こちらのスポーツ紙の一面は
別の人物が飾っていた。

『やぐっつぁん、よかったね。』

「ホ〜ント!やっとだよぉ〜。」

『久しぶりに歌うから声出ないんじゃない?』

「大丈夫。カラオケで歌いまくってるから。」

国際電話の相手は後藤真希。
石川が亡くなってから
何かと矢口のことを気遣ってくれたのが彼女だった。

『じゃ、そろそろ切るよ。』

「は〜い、ばいば〜い。」


『矢口真里、歌手復帰へ』

一世を風靡したアイドルの歌手復帰を
スポーツ紙は一斉に報じた。
奇しくも一面は矢口、そして三面は加護の記事だった。
93 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月11日(金)22時13分25秒
リードギタリストを失ったバンドは
とりあえず今後のことを考えるために
活動を一時休止する。
後藤1人で全てのギターパートをこなすには
あまりに困難な楽曲が揃うピンク・スコーピオンズにおいて
加護を失ったことはすなわちエンジンを失った車に等しい。
しかし、加護とその他のメンバーの間にわだかまりがあるわけではないことは
本人達のインタビューでも明らかで、もちろんその言葉に偽りはない。

「加護の言うことも分かるよ。
バンドのためってのも大事だけど、
やっぱ個々のミュージシャンが集まって
初めてバンドになるんだからさ。」

市井の言葉は全てを理解した上でのもののように聞こえた。

「日本に帰ろうかな。」

親友がバンドから抜けていった衝撃は大きいが
辻はあくまで冷静に後藤の質問に答えた。

「一旦、みんなバラバラで活動しよう…。」

「……。」

市井の呼びかけにも、後藤と吉澤は無言を貫いた。
94 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月11日(金)22時14分00秒
ホテルの一室。
吉澤は後藤の部屋を訪れていた。
暖色系の明かりが、いかにも洋風な雰囲気を醸し出しているが
部屋の中に居るのは2人の日本人である。

市井の言うことももっともだが
それはあくまで一メンバーとしての立場での発言。
しかし後藤と吉澤にはオリジナルメンバーとしての意識も高く、
それだけに市井の提案を素直に飲み込むのは不可能だった。

「なんか…これからどうすればいいんだろ…?」

生気を失った言葉が部屋の中を彷徨う。
ピンク・スコーピオンズは
石川を失うという大きな悲劇があったものの、
これまで順調にやってきた。
しかし、これまで闇雲に走ってきた彼女達は
ふと気がついたときに、目指すべき場所を見失っていた。

「急にやる気が冷めちゃったね…。」

「…のんびり休もうか…。」

タバコを一服してウイスキーの入ったグラスを揺らす後藤。
燃え尽きるのはまだ早すぎるというのは
本人達も分かっているはず。
トビトビでしか理解できない英語のテレビをしばらく眺めた後、
いつの間にか眠っていた後藤の横で
吉澤も目を閉じた。
95 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月11日(金)22時14分38秒
翌日、後藤と吉澤はとりあえずの予定を決めた。

「あ、もしもし吉澤です。」

『おお、なんや…どうすんねん?』

もちろん中澤の元にも知らせは届いている。
口調は少し驚いた感じだったが
それでも予想していたよりもはるかに冷静に聞こえた。

「…明日、日本に戻ります。」

『さよか…気ぃつけてな。』
96 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時09分01秒
辻には、日本の地に降り立つと
真っ先に向かうところがあった。
というよりも、そこぐらいしか場所が無かったというべきか。

「どうも。」

「あら、辻ちゃん。」

不意の来客に、完全なノーメイクの矢口は驚いたが
辻も驚いた。

「矢口さん、眉毛ないですよ。」

いつまでも中澤のところに世話になっているわけにもいかず
しかしマンションを借りるのも億劫で
結局矢口のところに来てしまった。
97 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時09分39秒
辻の頼みを快く承諾した矢口は
結構独り暮らしに飽きてきたところだった。
広いマンションの台所とリビングと寝室を行ったり来たりするだけで
昔に比べて家の中に居る時間は極端に減少した。

「これ、見ないですか?」

荷物を降ろした辻は、一杯になったカバンの中から
パッケージもラベルも貼ってないビデオテープを取り出した。

「これ、まだ売ってないライヴビデオなんですけど。」

矢口の反応を伺う間もなく、
テレビ台のガラス戸をカチっと開いてビデオデッキに挿しこむ。

「何のビデオ見るの?」

遠くから聞こえた声に気づいてとっさに声を発した。

「だから、できたてのライヴビデオを……あっ!…。」

振り向いた辻は、さっきまで独り言を言っていたことに気づいて
かなり恥ずかしかった。
矢口は台所で飲み物を注いでいたために
辻の言葉は全然届いてなかったのだ。
98 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時10分15秒
「はい、どうぞ。」

「ああ、どうも。…あれ…?」

グラス一杯のオレンジジュースを受け取るときに
不思議な違和感を覚えた。
すぐに解決されたものの、原因は分からない。

「指輪…外したんですか?」

不意の質問を、いや、ある程度予想はできていたかもしれないが
辻の言葉に矢口は特別な表情を作ることはしなかった。

「外したよ。」

「なんで…」

矢口は座ったばかりのソファーを立ち、
無言で歩き出す。
話し声が途絶えた部屋には
流しっぱなしのビデオの音声だけが響き、
辻はそれを停止させる。
99 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時10分52秒
「ほら、見て。」

淡々と語る矢口が作る空気に
辻は従うしかない。
呼ばれて向かったところはベッドの横のローボード。
そこには小さなアクセサリーボックスがスタンドライトに照らされている。

それとは別の引き出しから矢口が取り出したのは
小さなダイヤがはめ込まれたリング。
それが意味するものが
辻にはすぐに察知できた。

「結婚……するんですか?」

今日初めての笑顔を見せたが
それでもすぐにその指輪をしまい込む。

「いい人なんだよ…。梨華ちゃんのことも全部話した…。
それでもヤグチのことが好きなんだ…って。」

「それなら…あたしが泊まってたら邪魔じゃ…?」

「ううん、辻ちゃんは気にしなくていいよ。」

辻が矢口に初めて会ったとき、
矢口はヒステリックで不安定だった。
それを思い出して、そして今の矢口の顔を見ると
複雑な気分になるのは否めない…。

「ほらビデオ…も一回見よ?」

「えっ…ああ…そうですね。」

辻には何をどうすればいいのか
さっぱり分からない。
アクセサリーボックスの中では
暖かい照明に照らされて
黄色とピンクの指輪が浮き上がっていた。
100 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時11分37秒
「おお、おかえり。」

久しぶりの帰国は
思ってもいなかった形で実現した。

「裕ちゃん、またシワが増えたんじゃない?」

「アホ!んなことあるか!めっちゃピチピチやっちゅーねん!」

懐かしいフィーリングの会話は
少しばかり心を落ち着かせてくれる。
後藤と吉澤は、微笑むことに新鮮さを覚えた。

「ゆっくりしてったらエエ。」

これまでも、事あるごとに中澤は
焦らずやれ、と助言してきた。
その意味がなんとなく分かる。

「辻にも同じこと言うたんやけどなぁ。」

吉澤が辻はどうしたのか尋ねると、
中澤はそう答えた。
101 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時12分08秒
「ただいま〜。」

矢口の帰りは日が沈んで数時間経ってからが日常。
独り暮らしの寂しさは、玄関を開けたときの暗闇が感じさせるものだ。
この日も、なぜか部屋は真っ暗な状態で矢口を迎え入れた。

「あれ?……辻ちゃん!?」


「周りはどんどん変わっていくのに。」

独り言を呟きながらタクシーの中でポケットを手探る。

「あたし達は変わってないのかな。」

角張った感覚が手のひらに当たる。
ポケットから取り出したものは
国際線のチケットだった。

「変わらないとダメなのかな…。」
102 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時13分36秒
「なんか…浦島太郎だね、わたし達。」

こうやって散歩するのは何年ぶりだろうか。
田舎町特有の時間の速度、
空気の味、太陽の暖かさ、
しかし全てが昔とは少しだけ変わっているような気がした。
色んな所にいつの間にか建てられたビルがそびえ、
もはや後藤と吉澤がこの町であるということを認識できる場所は
Grape Recordsぐらいのものになってしまった。

過去は振り返らない
そう心に決めて走り続けてきた故に、
幸か不幸か、周りを気にすることは無くなった。
しかしその足を一旦止めて気づく。
走り始めた頃とは周りの景色が変わってしまったことを。

「『ゆっくりしてったらエエ』……か…。」

今まで何度か聞いてきた中澤の言葉には
どれも彼女達を決して焦らせないような気遣いが伺えた。
今回も…そうなのであろうが、
言葉の純粋な意味まで意識が及ばない。
103 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時14分10秒
ロサンゼルス

加護は独り、アパートを借りて暮らしていた。
緑の並木道沿いにポツリと建つそのアパートの一室。

「あ、どうも。」

『加護ちゃん、どう?返事は。』

電話の相手は
ピンク・スコーピオンズがアメリカで注目されようとしていたその頃、
ちょうど同じように新進気鋭のバンドとして活躍していた。

「えっ…と、OKですよ。」

3人組のそのバンドはピンク・スコーピオンズとは少し違う、
もっとロックンロールを軸としたバンドである。
メンバーは日本人。
ツアー先やイベントで顔を合わせることも少なくなく
加護とも仲が良かった。

『ホント!?良かったぁ〜!』

加護は電話口の女性に了解の返事を出した。
話を聞いてからしばらく考えた末の結論だったが
加護には興味的な誘い。
断る理由は見当たることなく、この電話となった。

バンドの名前は『Origin』。
ギター&ヴォーカルの安倍なつみ、ベース飯田香織、ドラムス保田圭。
そしてそこに加護が加入することになったのである。

「オレンジ…か。」

加入が決まったのに、バンドの名前を間違えている加護さんに幸あれ。
104 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時14分46秒
「えーー!?矢口さん結婚するんスかぁ!?」

大声は部屋を突き破って隣りの部屋にまで達した。
電話先の鼓膜も突き抜けそうだったが
なんとかデンジャラス・ゾーン手前で止まった。

「で…結婚式はいつなんスか?」

しばらくの沈黙の後、
矢口の言葉に一瞬耳を疑った。

『…10月28日。』

紛れも無いその言葉。

『大安だし…。』

もちろん真意はその後の省略された部分に潜んでいる。
吉澤にもそのことはわかった。


梨華ちゃんも祝福してくれるよね?


敢えて口にしなかったその部分、
吉澤はその問いかけに答えた。

「ええ、きっと…。」
105 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時15分18秒
加護が加入して1ヶ月。
バンドは全米ツアーに向けて順調にリハーサルをこなしていった。
ストレートなロックンロールは加護にとって久しぶりで、
毎日が充実しているのを実感していた。
そして何より、安倍、飯田、保田が快く迎え入れてくれたのが大きい。

「加護ちゃんいい感じだよ。」

安倍は常にメンバーのことを考え
そしてバンドのスポークスマンとして
メディアなどへの対応もこなしている。

リーダーの飯田は入ったばかりの加護のことを
気遣って色々助けてくれる良き姉といった感じ。

保田は元ジャズドラマーのテクニックを生かして
バンドの土台をガッチリと固める。
一見怖そうだが、打ち解けていくと共に
意外な一面が見えてきて、
今では加護にオバチャンと呼ばれている。
106 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時15分50秒
翌日にツアー初日を控えて
Originのメンバーは会場でリハーサルを行っていた。
と、締め切られた客席の奥から一筋の光が射してくる。
遠いのと逆光によってすぐに誰か分からなかったが、
その人間は、客席でサウンドチェックをしているスタッフに
挨拶をしているようだ。

「あれ…誰?」

当然の感想をポツリと漏らした飯田だったが
その人間の声を聞いて、すぐに疑念は吹き飛んだ。
107 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時16分35秒
何をするでもなく、ただボーっとベッドに寝転ぶ生活。
学生時代はこんな時間が至福だったのに、
今ではなんとなく落ち着かない。

「ん〜……買い物行こうかな〜…。」

特に欲しい物もないが、
暇つぶしに買い物に行こうと
免許書と車のキーと携帯電話を手にしたその時、
久しぶりの着信音が鳴り始めた。

後藤の嬉しさは、口元を見れば一目瞭然。
もちろん相手は

「いちーちゃん!久しぶり〜!
電話してって言ったじゃんかぁ〜!!」

『あんたねぇ、あたしが喋る前にまくし立てないの!』

そして後藤はいつもこう言うのだった。

「えへへ。」

『あのさ、暇?ってか暇だよね?』

「よくご存知で。今も暇つぶしに買い物に行こうとしてたんだよぉ。」

『もっと他にやることあるっしょ〜!?
そんでさ、レコーディング手伝ってくれない?』

「レコーディング?…いいけど、何の?」

『ソロ。』
108 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時17分53秒
「ソロ?」

「ソロアルバム作るんだって。」

「ごっちんが?」

「いちーちゃんが。」

電話は、要するに後藤と吉澤にレコーディングを手伝って欲しいというものだった。
市井は3日後には日本に帰ってくるから
レコーディングはGrape Recordsで、ということ。

「ふ〜ん。ドラム叩けるかな〜、久しぶりだから。」

吉澤はそう言って腕をグルグル回すと、
棚に小指を激しくぶつけて悶絶した。
それを見て笑いながら部屋を出る後藤も、
鈍い音と共に足の小指を抑えて飛び跳ねるハメになるのだが。
109 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時18分27秒
「それじゃ、そろそろ帰ります。」

「あ、辻ちゃん。ちょっとリハーサル見てったら?」

話を終えて帰ろうとする辻を呼び止める安倍は
そう言って笑顔で促した。
いまだ仕事でザワついている場内なのに、
2人だけの張りつめた空間が形成される。
決して険悪ではない、しかし緊張した間合いに
お互いの思いが錯綜しているのかもしれない。

今まで辻は、ヴォーカリストとして自信を持ってやってきた。
しかしピンク・スコーピオンズに入ってからそれが揺らぎ始めていたのも
また事実であった。
石川という大きな十字架を背負ってステージ立つこと。
それは辻が考えていた以上に意味を持っていた。

傍らでは早速リハーサルが始まったようだ。
軽快なロックが演奏され、少なからず同じ世界で生きている辻の身体には
そのビートが伝わってくるのが感じられた。
そして、楽しそうにギターをかき鳴らす加護の姿を目にして

ああ、やっぱり

そう思った。
そして目で安倍に挨拶を済ませると
静かに去っていった。
110 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時19分32秒
幼少の頃から、表向きは明るく内面は暗い性格だった。
人前では元気に振舞っても、
独りの空間では悩みに押し潰されそう。

辻は、加入を要請されると
まずピンク・スコーピオンズのライヴビデオを見た。
激しいサウンドながらも、メンバーはみな演奏を楽しみ、
客と一体化して熱狂している。

こんなバンドだったら、ぜひ一緒にやってみたい

自分のワンマンバンドに疲れ果てていた辻には
これ以上ない誘いだった。
それなのに…

自分が入ったバンドは
あの時見て、確信したものとは違っていた。
ステージ上で笑顔を見つけることはできなかった。
決してメンバーがやる気を失っているのではない、
ただ、最高のリズムギタリストを失った穴を
必死で埋めようとしているだけ。
それに気づくと同時に
自分の無力さを嘆いた。

そして大きな十字架を背負った新しいフロントマンは
苦悩の日々を過ごしてきたのだった。
111 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時20分08秒
「お、やっと来た〜!」

「やっとじゃないよ。ちゃんと予定通りだったでしょ?」

吉澤はいつかのことを思い出した。
こんな風に市井がやって来て
そのときは圧倒されたのを覚えている。
実績や知名度、パフォーマンス
どれも遠く及ばなかったその人が
今は同じバンドのメンバー。
月日が経つのが早いのか
それとも自分達が急激なスピードで加速していったのか。

出発前に忘れ物を確認したけど
旅に出てから気づく物もある。

そうだ…
地図を置いてきた…

どこに置いてきたっけ……?

「お〜〜〜い!ヨシザワ〜!」

「……ん…?なんスか?」

「リズムがちょっとずつ狂ってるぞ〜。」
112 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時21分18秒
陽が落ちると
吉澤は独りで出かけた。

「梨華ちゃん……地図持ってった?」

黒の墓石は秋の月明かりに照らされて
鮮やかに光り輝く。

「あれがないと困るんだ……お気に入りのやつだったから。」

『え?わたし持ってないよ?
無くしちゃったの?』

「うん…。」

『そっかぁ…わたしもアレ、大好きだったのになぁ…。
でも…』

「でも?」

『覚えてるでしょ?目的地。
あれだけみんなで何回も確認して進んできたんだもん。』

「目的地…。」

『うん、目的地。
それに…旅は楽しくなくっちゃイヤになっちゃうよ?』

「……。」

『もぅ…よっすぃ〜!元気出してよ!』

「梨華ちゃん…何でも知ってるんだね…。」

『当たり前でしょぉ〜?一応まだメンバーのつもりなんだから。
それに、ライヴだって付いてってギター弾いて歌ってるんだよ?』

「…そうなんだ…。」

『聴こえなかった?』

「……ごめん。」

『だからさぁ…わたしのことは大丈夫だから、さ。
頑張って!!』
113 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時21分54秒
薄い雲が月の前にかかって
秋を象徴するような夜空を作った。
吸い込まれそうな夜空を見上げると、
吉澤は墓前で手を合わせて去っていった。

確かに聞こえた。
虫の音に遮られながらも
その優しく温かい声はしっかりと吉澤の耳に届いていた。

「振り向いたらそこで終わりなんだよね…。」

もう一度夜空を見上げると、
深呼吸して歩を強めた。


「ヨシザワ〜、今日はボケーっとするなよ?」

「大丈夫ですよ〜!任せてくださ〜い!」

音楽の場所でこんなに顔がほころぶのはいつ以来だろう。
自分の中で完全に吹っ切れたことで
いやが上にも笑顔がこぼれ出てしまう。

「なんかいいことあったの?」

「いいこと?毎日ハッピーよ!」

首をかしげる後藤にそう言うと
早速ドラムを叩きだした。
114 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時22分26秒
無言でギターを弾き、
静かに譜面を書き連ねる。
そして、その顔は複雑を通り越して
完全な無表情を装っていた。

「ふぅ〜…これで全部か…。」

タバコに火を付けて煙を泳がせる。

「のの…。いや…ま、エエか…。」
115 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時22分59秒
移動には慣れているとはいえ、
日本とアメリカをトンボ返りするのはさすがにキツイ。
せめてもの救いは、飛行機なら寝過ごす心配がないということか。
眠い目を擦って空港から出ると
眩しい程に太陽が光っていた。
思えばしばらく月を拝んでない。
ホテルに着いたら思いっきり寝ることに決めて、
辻はタクシーに乗り込んだ。
116 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時23分35秒
窓を全開にしてクッションを叩くと
ボスボスという鈍い音がテンポ良く鳴る。
吉澤は完全に新しいやる気を自分の中に作り上げ、
音楽を楽しむ感覚を取り戻していた。

「あ、タバコが切れてる……ダイニングにあったっけな…?」

床から立ち上がってドアの方に歩いていくと、
ちょうどノックされる音が聞こえた。
持っていた吸いかけのタバコを咥えて
ノブをひねると、見慣れた顔のはずなのに少し驚いて固まった。

「あのさ、ここんとこに……」

市井と二人だけの時間を過ごすことは
長い付き合いでもほぼ皆無だった。
いつも後藤が一緒というのもあるが
なにより互いに深く入った話をすることがなかったからかもしれない。
市井のことを『先輩』と呼び続けるのはそこだった。

「あ……中入っていいですよ。」
117 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時24分35秒
私生活に関しては、この距離が一番シックリきているのは確か。
しかし、同じメンバーとして考えるなら
この透明な壁は決してプラスになるものではない。
フィルターの手前で燃え尽きたタバコを灰皿に入れ、
曲の話を始めてもそんなことを考えていた。

「じゃ…明日はこれで一回やってみるか。」

「分かりました。」

「ところで、さ。」

スコアに走らせる筆の方に目を遣りながら
市井が尋ねる。

「地図がなんとか…って言ってたけど、何の地図?」
118 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時25分18秒
ちょうどいい機会だった。
個々のメンバーがいかに優れているとはいえ、
音楽的にも精神的にも絶対的な柱である市井に
自分の考えを伝えておくことは
このマンネリ化したバンドに新たな、
そして真の目的地へと進ませることになるだろう。

「ああ…それは…今は無くしちゃったんですけど…っていうか…」

「っていうか…何?…もしかして緊張してる?」

苦笑いで誤魔化しきれないほど顔が赤くなって
それでも伝えなきゃ。

「あの…市井さんって…なんで音楽やってるんですか?」

「えっ!?なんでって…そりゃ音楽が好きだからさ。」

「わたしも…音楽好きなんですけど…
その…何て言うか…ライヴをみんなで楽しみたいんです…。」

薄々感づいてはいたが、なかなか口に出すことが出来なかったことを
見事に吉澤が突き動かしてくれた。
プレイすることを心から楽しんで、
観客と共に歌うことを心から喜ぶ。
音楽の持つ本質を忘れ
内輪な演奏をしたって観客は反応してはくれない。

「でも…最近のライヴって…その…」
119 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時25分47秒
「楽しくなかったね…。」

今まで下を向いて淡々と話してきた吉澤は顔を上げて、
開け放たれた窓を静かに閉めた。
少し間が欲しかったのだ。
ゆっくりとカーテンを閉めて、タバコに火を付ける。

「もっと…楽しくやりましょう…。ダメだったらわたしが責任取りますから…。」

大きく吸い込んだ煙を一気に吐き出すと
その大きな瞳を瞑って、
市井の返事を待ち、そして覚悟する。

「中学のころが一番楽しんでたのかもしれないね…。」

床に置かれた吉澤のタバコの箱から1つ取り出して火を付ける。

「人間って…歳をとると…色んな出来事を体験すると…
賢くなって知識が増えて…その代わりに純粋な心を失うんだね…。」

煙の臭いに目を開ける吉澤の方を見ると
市井は少しだけ微笑んだ。

「頼もしくなったね、ヨシザワ!」
120 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時26分18秒
インターネットでなんでもできる時代。
もちろんピンク・スコーピオンズの公式サイトも
それなりに賑わっている。

「明日は燃えるゴミの日やんな…?」

ゴミカレンダーを無くしても焦ることはない。
インターネットで調べれば、おっちょこちょいな方も
すぐにゴミの日が分かるのだ。

「無くしてないで…無くしてないねんけど…どっかいってもうてん…。」

どうやら明日は燃えるゴミの日らしい。
中澤はいつものようについでに公式ページを覗いてから
電源を切るつもりでいた。

「ん?…何やこれは…?」

スピーカーのボリュームを上げてじっくり聴いてみるが、
どう考えても辻の声だった。しかも英語の。

「……これは裕ちゃんへの重大な挑戦やな…
ウチかて中学校の頃は英語の成績5やってんぞ…。」

遥か昔の成績も今では全く意味を成さず、
結局辻が何を言っているのか分からないまま
ディスプレイの前を離れた。

「クソ…数学やったら自信あるんやけどな…。」

負け惜しみをこぼしながら。
121 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時26分53秒
「うぅ〜……よく寝た…し、よく働いた〜…。」

ホテルの一室で、辻はやっと深い眠りから覚めた。
カーテンを開けるとそこに見えるはずの太陽は
すでに西に傾き、赤い世界が寝起きの両目を刺激する。

熱めのシャワーで脳を起こして窓を開放すると、
秋特有の心地よい涼風が身体を癒してくれる。
と、電話が鳴り出して、強制的に涼みは一時中断。

「はい……はい、どうも。」

やっぱり少し愛想が足りないか、などと考えながら
ロビーに届いたという小包みを取りに足早に部屋を出る。
カードキーを忘れそうになりながら。

30分後

右手に小包み、左手にアイス・カフェオレ、
口にはカードキーという姿でやっと戻ってきた。

「ふぇ〜…。」

口を開けてベッドの上にカードキーをポトリと落とすと
替わりにカフェオレの紙コップを口に咥えて
飲みながら器用に小包みを…

「…見えない…。」

…口に咥えた紙コップをテーブルに置いて、
改めて小包みをマジマジと眺める。

「さすが。仕事速いね、あいぼんは。」
122 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時27分27秒
「ははは!!今のソロってなんかオカシくない!?」

場所はGrape Recordsの地下スタジオ。
市井のソロアルバムのレコーディングも
いよいよ佳境を迎え、
しかし3人からは必要以上の緊張感は伝わってこない。

互いのプレイが刺激し合い、熱いエネルギーは相乗効果を得る。
久々のこの感覚を楽しめる。
この至福の時を続けていこうと、吉澤は胸に刻み込んだ。

「もう1曲やる?」

「やろうよ……ん?ちょっと待って…。」

防音ガラス越しに後藤が見たのは
二つ縛りの久しぶりの顔。
123 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時28分01秒
「辻ちゃん、久しぶり〜。どこ行ってたのよ?」

「どこって…色々。」

そう言いながら厚い紙の束を取り出すと
長くなりそうな説明を始めた。

「これ、演奏できるようにしといて。
10月28日までに。」

「これ…覚えてどうすんのよ?」

スコアに目を通しても、さっぱり覚えのない曲に
当然の疑問だった。
ただ、10月28日には、2つほど思い当たる節があるが。

「10月28日、空いてるよね?
ライヴやろうよ、復活ライヴ。」

唖然とする3人に構うことなく、
辻は八重歯を見せてニコニコ笑っている。

「考えがあるんだ。」

3人は尚更訳がわからなくなり、
辻はさらに嬉しそうな顔になった。
124 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時28分33秒
何かに初めて本気で取り組める
今までそんなことは無かった
帰り道、タクシーの中でも顔のほころびを抑えることはできず
運転手に話し掛けられてもスムーズに愛想良く返すことができた。

自分は無力なんかじゃない

そう確信できる日を待ちわびて
胸の高鳴りを抑えることができない。
そして部屋の電気は夜明けまで灯されたままだった。
125 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時29分06秒
飛び跳ねるギターに軽快なドラム。
スウィングするベースと楽しそうに歌い続けるヴォーカル。
ロックの真髄を携えてついにOriginは全米ツアーを開始した。

「おつかれさんで〜す。」

シャワーを浴びた加護は心地よい疲れに身を任せ、
ドカッと椅子に腰掛けて深呼吸をした。
ツアーはまだ始まったばかり。
1ヶ月先にあるひとまずのゴールの
そのまた少し向こうに目線を向けては
頭脳を働かせる。

「加護ちゃん、おつかれだべ〜。」

「あ、おつかれさんです。」

「何考えてたんだべ?」

安倍はいつもの笑顔でビールを差し出し、
加護の横に座って蓋を開けた。

「えっ?いや…ライヴはいいな〜って。」

「そうだよね。…ライヴはいいべ、うん。」

そして散らばった星達は
自ら光を放ちながら集まっていく…。
126 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時29分36秒
「…くちびる〜にだけ〜♪」

目を覚ましてこの風景を見るのは何回目だろうか。
シャワーを浴びていつものように窓を全開にすると
自然と歌を口ずさんでしまう。

やっとわかったことがある。

それは、毎日のホテル代とアメリカへの飛行機代を合わせても
遠く及ばないほどの価値をもっているもの。

そして、数日前にタクシーの中でこぼした言葉を取り消して、
それでやっと自分の心の整理は終了。

『変わらなきゃいけないのかな』
なんて勘違いだった。

『いつの間にか変わってしまっていた』

そして、あの時に見た加護の顔は笑っていた。
そう…加護は変わってはいなかった
所属バンドが変わっても、心の底にあるものは不変。

「早くライヴやんないかな…」

これが辻の今の本音

「…楽しいライヴを。」
127 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時30分59秒
「…なんで…なんでですか?」

加護はしばらく絶句した後
険しい顔でこう漏らした。

「やっぱりウチが入ったのがマズかったんじゃ…」

「そんなことないよ。加護ちゃんが入ってくれてホントに嬉しかったよ。」

ドアが開く音につられてそちらを向くと
タオルで頭を拭きながら保田が入ってきた。

「カオリどこ行った?
…ん?何か真剣な話?」

安倍は表情を崩すことなく保田に打ち明けた。

「アノことをさ、話そうと思って。」

「ああ…あたしが言おうか?」

黙ったままの加護に気を使って
保田に『大丈夫だから』というゼスチャーを送って
また目線を小さなギタリストへと向ける。
128 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時31分50秒
「どっかでキリをつけないと…なっち達悔いが残っちゃうから。
加護ちゃんが入ってくれて、最高の音楽をやれたって思ってるし。」

加護の目は泳いだままで、
安倍は哀れみの感情を精一杯押し殺した。
全ては辻が現れてわかった。
彼女達は今、再び動き出そうとしているのを。
そして、その場に加護がいることの重要性も。

「ピンク・スコーピオンズには…やっぱり加護ちゃんが必要なんだよ。
退屈になったから辞めたのは分かってる。
だけど、もう一回よく見てごらん、みんなの顔を…。」

「……。」

加護は、正直もうピンク・スコーピオンズに戻ることはないだろう、
いや、戻ることはできないだろうと思っていた。
自分の考えだけで脱退して、
それでまた復帰させてほしいなんて虫が良すぎる。
それでも…辻の提案が自分を揺るがしているも事実。

再びドアが開くと長身のベーシストが、やっぱり髪を乾かしながら入ってくるのが見えた。
129 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時32分21秒
「じゃぁ…安倍さんと飯田さんとおばちゃんは…これからどうするんですか…?」

今にも泣きそうな加護の表情に
笑いかける安倍。

「それは大丈夫。なっち達もやりたいことあるんだから。
あのね…なっちはプロデューサーを目指すんだ。
そんで、カオリと圭ちゃんはデザイナーなんだって。」

「そっ。まぁ、カオリよりはあたしのほうが上だけどね。」

「何言ってんのー!?圭ちゃんの絵、酷いよ、正直。」

「何よ!!」

「うふふっ。」

笑顔で迎え入れたばかりのメンバーを
笑顔で送り出すことがどれだけ辛いことか
加護には分かっていた。
たとえ解散するからといっても。
それでも3人の笑顔に影は感じられない。

「ほら。辻ちゃんも、ごっちんも、よっすぃーも、
紗耶香も…梨華ちゃんも…みんな加護ちゃんの事を待ってるよ。」

「安倍さん…ウ…ウチ…ホントに……」

最後は嗚咽で聞き取れなかったが
自分の胸に泣きついてきた加護の頭を
安倍は優しく撫でた。

「……ありがとうございました…。」

「あっ、それは違うよ〜加護ちゃん。
まだメンバーなんだからね。
このツアーが終わるまで、最高のライヴ続けようね。」

「……はい!」
130 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時32分53秒
「ツジ〜、これって…もしかして今度やるっていうライヴの曲?」

市井は怪訝な顔で辻に尋ねた。
今日もGrape Recordsの地下スタジオでは
熱気ムンムンのロックが展開されている。
辻も、ホテルでぼけーっとしているのももちろん悪くないが
それよりも、踊り高ぶる胸の鼓動に促されて
頻繁にここを訪れるようになっていた。

「そうだよ。」

必要以上のことは言いたくない。
というよりも、必要に満たない程度のことしか伝えていないが。

「はは〜ん、分かったぞ。」

「言っちゃダメ!!」

「な〜んでさ?」

口の前で人差し指を立てて
おどけた表情をすると、
他の3人から笑い声が漏れた。

「でも…4人でやるの?」

もちろん誰もが気づいていること。
後藤が敢えてそれを口にしたのは
もうライヴまで期限が迫っているからに他ならなかった。

「大丈夫…バンドに戻ってきてくれなんて言わないけど…
あいぼんはきっと力になってくれる…。」

そう信じて、4人での音合わせは
直前まで毎日続けられた。
131 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時33分29秒
「がんばっていきま…」

「「「「っしょい!!」」」」

最後となるこの掛け声には
色んな思いが詰まっている。

今までありがとう

今日のライヴも最高のものにしよう

そして…これからもがんばろう

ステージの袖から見える会場は
この世の何物よりも光り輝いているように見えた。

こんな眩しい世界に身を置くのも今日で最後なんだ

でも決して後悔なんかしたくない

次に目指すものも、
いつかこんなに眩しく見えますように…。
132 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時34分04秒
「Vocal!! Natsumi Abe!!」

飯田のメンバー紹介と共に怒涛の歓声がホールにこだまする。
何とも言えぬ感慨が込みあげて
飯田の涙腺が緩むと
メンバー達はそれに気づいて笑いかけ、
飯田も涙を拭いながらそれに頷く。

「On the bass!! leader!! Kaori Iida!!!」

飯田のコールに観客は大きな拍手と口笛で応える。

「On the drums!! Kei Yasuda!!!」

お決まりのことがある。
保田のコールの後は一瞬シーンとしてから
一斉に大きなリアクションが返ってくるのだ。

「何なのよ!!」

メンバーはいつものことながらこれに大ウケするのだった。

「On the guitar!! Miss.Flying V!!…」

名前をコールされる前から観客はその小さな神に
精一杯の大声を届ける。

「Ai Kago!!!」

加護はペコリと頭を下げた。
そして、しばらくして頭を上げると
頬に一筋の涙が流れていた。
133 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時34分34秒
「加護、ありがとね。」

「おばちゃん…。」

「ホント。加護のおかげで悔い残らないよ。」

「飯田さん…。」

互いと抱き合い、遂にOriginは終焉の時を迎える。

「God bless you,thank you.」

4人は一列に並び、繋いだ手を高々と掲げた。
その手は今にも天に届きそうなほど
堂々と、そして力強かった。
134 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時35分09秒
上を向いて帰る廊下
思わぬ顔が立っていた。

「おつかれさま。」

「ありがと。」

「急に解散って言うから驚いて来ちゃったよ。」

「紗耶香達だって急に活動停止っしょ?」

互いに実力と魂を認め合う者だけが許される労いの言葉。
改めて達成感を得て、安倍は満面の笑みを漏らした。

「あれ?1人足りないけど?」

「ああ。辻ちゃんはまだやることがあるからって、
先にあたし達だけ来たんだ。」

後藤はそう言いながら
目を逸らす加護の方だけを見ていた。
135 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時35分51秒
「サブイなぁ…もっと着てくればよかった…。」

花を供える手も少しかじかんで、
両手に息を吹きかけて人を待った。
しばらくして、その人はやってきた。
挨拶もせずに姿を消してから十数日、
久しぶりの再会に特別な表情を作ることはしなかった。

「あと1週間ですね。」

「うん。」

気まずくはないけれど、特別話すこともなかった。
辻は線香に火を付けると束の半分を矢口に手渡して
墓前に供えた。

「多分…28日はわたし達にとって…
色んな意味の日になると思いますよ…絶対忘れられない…。」

「辻ちゃん…ピンク・スコーピオンズは…最高のバンドだから。
頑張ってね…。」

「はい。……矢口さん、そのお腹ってもしかして…!?」
136 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時36分33秒
「加護ちゃん…おつかれさま。」

いつまで経っても目線を合わせようとしない相手に
後藤は自分から声を掛けた。
それでも加護は『ありがとう』と言うだけで
横を通り過ぎていった。

「加護!ちゃんと挨拶くらいしなさいよ!」

「まぁまぁ圭ちゃん。」

そう言いながら、市井は後藤の肩をポンと叩いて
小声で何か呟いた。

「ちょっと…加護ちゃんのとこ行ってきます。」

その声と共に廊下を走る足音が響き渡った。
137 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時37分04秒
「よっすぃ〜…。」

控え室で、加護は泣いていた。
ステージ上では一滴だけに堪えた涙も
止まることなく流れ続けている。

「どうしたの?」

「…なんでもない…ゴホッゴホッ!!」

「風邪!?熱すごいよ!?」

「なんでもないって…ちょっと動きすぎただけやから…」
138 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時37分47秒
空港に降り立って数時間。
ニューヨークの街並みは綺麗で
それなのに落ち着いた雰囲気が感じられる。
ホテルから臨む夜景は
人工的な光であることを抜きにしても
鮮やかですんなりと心に染み入ってくる。

「ビール飲む?」

電話の受話器を取り、市井は後藤と吉澤に尋ねた。

「要らない…。」

「え、あっと…じゃ…要ります。」

元気を失った後藤は、全てに無気力で
窓際の椅子に座ったまま数時間を過ごしていた。

「ごっちん…大丈夫だって。
加護ちゃん、ちょっと体調が悪かっただけだから、さ?」

「もうピンク・スコーピオンズでやりたくないんじゃ…」

「……。」
139 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時38分18秒
言いたくなかったが、吉澤は久しぶりに強い口調で
後藤のことを正した。
全員が同じ気持ちじゃなければ
バンドなんて上手くいくはずもないのだから。

「ごっちんがそんな事言ってるようじゃ、
そりゃ、加護ちゃんだって戻って来たくないよ。」

『そうそう…なっち達も一緒にやらない?…うんうん…』

少し離れたところから聞こえる電話の声も
少し気にしながら、さらに続ける。

「加護ちゃんが戻るんじゃないよ。
わたし達が戻るんだよ。
昔みたいに、みんなで楽しくライヴやってた頃に…。
そうすれば加護ちゃんだって…
きっとまた一緒にやりたいって思ってくれる。」

『はいはい…そんじゃ、また連絡するわ…はいはい、じゃね。』

「ホントに…?」

「ホントだよ。もうごとーだけだよ、そんなテンション低いの。」

電話を終えた市井も、
『らしい』励まし方で一言。
140 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時38分54秒
と、部屋のインターホンが鳴り
開けられたドアの向こうには

「遅れまして。」

「ごくろうさん。」

「これ、頼んだビールでしょ?」

ビールを両手に2本持った辻は
部屋の中を覗き込んでから入っていった。

「ヨシザワ〜!晩御飯食べに行かない〜!?」

「えっ!…ああ、はい…。」
141 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時39分29秒
落ち葉で一杯の並木道。
人も車も皆無でその中を突っ走るスポーツカーは尚更目を引いた。

「加護〜、大丈夫か〜?」

飯田はインターホン越しにそう言うと
鍵が解除された玄関を通り抜けていった。

「大丈夫ですよぉ。荷物もまとめたし、行きましょうか。」

悩んでいてもやって来るものはやって来る。
初めは自分の決断を疑うこともあったが、
なにより安倍、保田、そして飯田が自分の事を励ましてくれるから、
その期待に応えないわけにはいかないのだ。

ただ、1つだけ気がかりなこと、
それは…風邪が悪化していたことだった。

「飯田さん、スピード出しすぎですよ!
一般道で100キロは出しすぎでしょ!」

「しょうがないでしょ!?もうなっちと圭ちゃんが空港で待ってるんだから!!」
142 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時40分02秒
後藤には悪いことをした。
あの時は色々考えて混乱していただけで、
別に後藤に嫌悪感があったわけではなかった。
しかし、あの態度ではそう取られても仕方ないかもしれない。
もしかしたら、またピンク・スコーピオンズに戻ることを
快く受け入れてくれないかもしれない。

爆走する車の助手席に座ると、
ふと、昔、後藤が免許取りたての頃に乗った助手席を思い出した。

「遅い!カオリ早く!!」

飛行機の中ではずっと寝ていた。
自分でも体調が思わしくないのを感じるが
それでもライヴには代えられない。


「らから〜、らいじょうぶらってば。
あいぼんはぁ〜、いっしょにやってくれるっれば〜。」

「何言ってるのかよくわかんないんだけど…。」

辻はアルコールに弱かった。
143 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時40分38秒
MSGこと、マジソン・スクエア・ガーデン。
数多のミュージシャンが憧れ、
数多のミュージシャンが演奏した素晴らしい会場で
リハーサルしているのは7人。

いよいよ明日は本番となったが、
隅に置かれた主の居ないフライングVは
その魔法のような音色をあげることはなかった。

後藤の表情に曇りはなかった。
しかし、胸中はマイナスの考えが支配し
それを隠すのに精一杯。
この企画を自分1人のために台無しにすることはできない
そう思うと僅かなやる気に押されてなんとかリハーサルをこなすことができた。
144 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時41分08秒
「はい?」

一日中眠っていた加護は
夜中だというのに目が冴えて眠れなかった。
ベッドから出るのが億劫だったが、
ノックに返事をしてしまったために
居留守を使うこともできずに
渋々ドアへ向かった。

「Who's…あ…。」

「起こしちゃった?」

部屋着のままの加護を見て
苦笑いの後藤はそう言った。

「これ、冷めちゃったけど…
ハンバーガー買ってきたから食べよ?」

「ああ…ありがと。
中…入る?」
145 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時41分42秒
「明日…来るよね?」

部屋の中央に置かれたソファーで向かい合うと
コーラのストローを咥えた加護に
単刀直入にそう言った。

「ああ…明日…。」

「来てよ。みんな…あたしも加護ちゃんのこと待ってるんだから。」

加護も先に言っておきたいことがあったが
後藤が話を始めてしまったために
少しだけ混乱して、間を置いた。

「あのさ…この前、変な態度でゴメン。」

「え?ああ…いいよ。体調悪かったんでしょ?」

「体調もそうやけど…色々頭が一杯で…。」

「何考えてたの?」

Lサイズのポテトは見かけ以上に量があって
幾らか食べてもその箱の中身はあまり減っていないようだ。
対照的に、時間は刻々と過ぎていく。
146 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時42分13秒
「ウチが戻りたいって言っても…受け入れてくれるんかな…とか。
自分のわがままで抜けてったから…ごっちんの顔を見るのが怖かってん…。」

「加護ちゃんが辞めたくなったのは…」

「?」

「あたし達が…じゃなくて…あたし達とやってても面白くなくなったから?」

時計の秒針は気を遣っているのかそうでないのか、
時折音を立てずに時を刻む。

「……。」

「明日のライヴは絶対面白いよ…。」

「…ホンマに?」

「うん。絶対。」

加護は小さな笑い声を漏らした。

「そっかぁ〜。どうしよ〜かな〜。」

「……。」

「うそうそ!…ゴホッ!ゴホッ!!」

「大丈夫!?」

「あ゛あ゛ん゛!!……大丈夫、だといいね、明日。」

「無理しないで…って言いたいとこだけど
無理して来い!!」

「なんでやねん!!」

「あははは!!」

それからしばらくして、
加護の部屋の電気は消えた。
147 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時42分44秒
人並みは大きく膨れ上がり
MSGの入り口へと長く長く続いている。
会場は超満員で、開始2時間前というのにも関わらず
熱気はどんどん高まっていく。

「加護遅いな〜!始まっちゃうよ、早くしないと!」

飯田は時計に目を遣ると
ベースを手にとって紛らわす。

ライヴのセットリストは物凄いことになっていた。
持ち曲を全て演奏する、
そして出来るカヴァー曲を多数。
それには訳がある。
完全に貸しきられたMSGは
1人のためのものでもあるのだ。

「時間だね…。」

「しょうがないね…行こうか。」

ギリギリまで待ったが
加護は遂に間に合わなかった。
集中を高めたミュージシャン達は
その張りつめた空気を壊すことなく
ステージへと向かった。
148 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時43分16秒
会場が暗転すると
超満員に膨れ上がった会場が
一斉に騒ぎ始める。
ファン達はその耳で
久しぶりの『Enter Sandman』を聴き
そしてエキサイティングなステージを想像し口笛を鳴らす。
遂にピンク・スコーピオンズが帰ってきたのだ。

『Say your prayers little one don't forget,my son to include everyone』

「「「「「「「1,2,3,おしっ!!!」」」」」」」

『Exit light enter night take my hand we're off to never never land』

「Hello!! Fans!!」

暗闇の中から現れたのはピンク・スコーピオンズとOriginのメンバー。
辻の第一声も伴って、観客のテンションは一気に上り詰めた。

そして演奏は始まっていく。
飯田と保田は一旦下がり、
安倍は辻とのツインヴォーカルとリズムギター、
後藤がリードギターという慣れないパートだが
もう彼女達にとってそんなことは障害に成り得ない。
149 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時43分54秒
「…今何時や…ん?」

髪をかき上げ、壁時計をじっと見つめて
焦点が合うまでの時間をボケっと過ごす。

「8時か…まだ……!!!ウソ!!夜やん!!!ゲホゲホッ!!」

電話の受話器は見事に上がっており、
モーニングコールは寝ぼけたまま止めてしまったようだ。
そして、風邪は治っていなかった。

「ヤバイ……えっと…タクシーは…」
150 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時44分25秒
『○○様からご祝辞を賜っております。』

晴れ舞台は人生に何度もあることではない。
結婚式はやはりハイライトとなる出来事の1つである。

中澤はなぜか母親の気分で矢口を見守っていた。

「んなことあるか!!ああ…ウチも結婚したい…。」
151 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時45分33秒
「Shot through the heart!!
And you're to blame!!
You give love…」

『A bad name!!!』

「Thank you!!!」

ライヴはカヴァー曲まで進んでいた。
ひとまずのステージを終えた吉澤は
熱気が収まることのないその場を抜け、
駆け足で控え室に向かってその人物を待つ。

「加護ちゃん…」

「絶対来るさ。」

ベースを飯田と交代した市井は
確信していた。
静かに頷く吉澤の顔を見ると
市井も椅子に座ってその時をひたすら待つ。

加護はやって来る。
何よりも楽しいライヴが好きだから…。
絶対…。
152 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時46分06秒
「あ〜!!ヤバ…おお!!ゴホッゲホッ!!!」

「「加護ちゃん!!!」」

「遅れてゴメン。今から…でも遅くないよね?」

「遅くないよ…。行こう…一緒に。」

一歩一歩、廊下を踏みしめて
遂に戻ってきた。
ステージの隅に立てかけられたフライングVへ
エネルギーを送りながら。

「Into The Arena!!!」

インスト曲に差し掛かり
辻が袖に戻ってくるときに見たものは

「来た…あいぼん!待ってたよ!!」

「スマンのの。寝坊した…ゴホッ!ゴホッ!」

「ののが居なかったら成り立たないんだから…
ほら!ギターパートが始まるよ!」

加護は一瞬笑顔を消し去り
真っすぐな目で辻を見た。

「のの…ウチ……いや、後で話すわ。」

頼もしいギタリストが戻ってきた。
ステージに目を移すと
ワクワクしてくる胸に促されて飛び出していった。
153 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時46分44秒
隅に置いてある愛器に肩を通すと
ピックを手に後藤の所へ近寄っていく。

「ただいま。」

「遅いよ〜!あたしとなっちじゃソロはキツイんだってば!」

「ゴメン。最後まで…」

加護の言葉は途中でかき消された。
観客が見たものがあまりに衝撃的だった故、
その歓声はまさに割れんばかりのものになった。

伝えたいことは後で伝えよう。
会話することもままならない状況で
加護と後藤は笑顔を交わして離れていった。
154 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時47分15秒
ああ…頭痛いけど…気持ちええわ。


肉体はもう限界を超えていた。
それでも
精神がそれを凌駕して欲するもの。

「I can't hear you!!!」

さらに客を煽り、脳はガンガンに揺れて、
それでも嬉しかった。
そして皆のところへ回っていく。
安倍、飯田、保田…
そして曲の終盤に差し掛かって再びステージに現れた辻、市井、吉澤にも
全員に一言、伝わって欲しいメッセージを送った。
そして…このライヴのクライマックスはこの後に待っていた…。
155 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時47分54秒
「○○様、ありがとうございました。
続いて、ピンク・スコーピオンズ様からご祝辞を賜っております。
準備の為、少々お待ちください。」

場内は俄かにざわつきを見せ、
矢口も何が起こるのか全く分からない。
そして、大画面のテレビが運び込まれると
矢口は中澤の方に視線を遣った。

中澤は…笑っていた。
156 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時48分29秒
『We want more!! We want more!!』

アンコールを要求する声が聞こえる廊下で
辻はこれからやることを全員に説明した。

「えっ!?って言っても…日本語分かんないっしょ?」

「まぁ、日本語は無理だけど…それなりに手はうってあるから。」

心配する安倍の言葉をさらりと流した辻の表情には
余裕とワクワク感が溢れていた。

「じゃ、行こう。」

「なんで辻ちゃんはあんなに余裕なわけ?」

「さぁ?」

後藤は練習したから分かってはいるのだが。
157 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時49分43秒
暗転したステージに8つのスポットライトが照らされた。
観客はアンコールを止め、一斉に口笛と拍手を開始する。

矢口はようやく、画面に映っているのが誰なのか判別できた。
そして、また中澤の方に視線を向けると、
今度は頷いていた。

後藤が首に掛けたアコースティックギターをかき鳴らすと
聞き覚えのあるメロディが流れ出す。
そして、辻と観客は俄かにイントロを歌いだす。

「ダダッダダ〜、ダ〜ダッダダ〜♪Come on!!」

『ダダッダダ〜、ダ〜ダッダダ〜』

「悩みのない様な顔をして、そこそこの格好で〜♪」

8人は全員で矢口の結婚を、歌手復帰を祝った。
このために、辻は公式ホームページにコメントを寄せていたのだ。
そしてファン達も共に歌う。
158 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時51分06秒
「One! Two! Three! Say!!」

『ラ〜ラ〜ラ〜ラ〜ララ〜ララ〜、ララ〜ララ〜ララ〜』

そしてライトが切り替わるとピアノの前に座っていた後藤が弾き出す。
『ラストキッス』のイントロはMSGの観客に迎えられるように響き渡る。

加護がアレンジしたこれらの曲は見事なまでに矢口の胸まで届き、
笑顔で涙を零し続けた。
8人の綺麗なハーモニーは最初で最後。
聴く者全てが感動するような、身震いするような
そんな時が今、目の前で過ぎているのだった。

「Congratulations Mari!!」

辻の言葉に、観客とメンバーは大きな拍手を添えた。
そして後藤はピアノの前に座ったまま続ける。

「Next song is…」

『For Rika!!! It's Called Knockin' On Heaven's Door!!!』

「Right.」
159 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時51分50秒
「よちよち…こっちおいで…」

ピンク・スコーピオンズは拠点をGrape Recordsに戻して
相変わらず活躍を続けている。

「おお!!歩いてるやん!!こっちおいで…こっち…って…」

名実ともに最高のバンドとなったピンク・スコーピオンズは
『The Rock』という愛称で世界中のファンから応援されている。

「おまえどこ行っとんねんゴルァ!!」

吉澤と加護と中澤は、赤ん坊のおもりを任されていた。

「おまえ……よっすぃ〜はウチのもんやぞ!!トゥ!!」

「ホギャ〜!!」

ピンク色のピックを投げつけると
見事に赤ん坊の額に直撃。
もちろん泣かしてしまった。

「ゴルァ!!赤ん坊相手に何ムキになっとんねん!!」

「おばちゃん、許したって。しゃーないねん。」

「何が、しゃーないねん、や!!アホンダラ!!」
160 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時52分27秒
「ただいま。アレンジ終わったって。
なっち、なかなか仕事速いよ。」

安倍はピンク・スコーピオンズのプロデューサーに就いた。
そして、アルバムジャケットのデザインは

「でも…未だにカオリと圭ちゃんのデザインの意味がわかんないんだけど。」

市井が手にしている絵は飯田と保田の共作。
でも、後藤だけでなくやっぱり他の人にもよく分からないようだ。

「何!?誰よ、泣かしたの〜!」

「加護ちゃんがピック投げつけて泣かしたんだよ〜!」

「しゃーないねん……痛っ!!」

「真里っぺが戻ってきたら怒るぞ〜!」

「矢口さんと辻ちゃんが戻ってきたらお墓参り行くんだよね?」
161 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月12日(土)01時53分06秒
10月28日
今年もやって来たこの日

矢口の結婚記念日で

石川の命日

「ただいま〜!んん〜!?誰〜!?泣かしたのは!」

「「加護ちゃ〜ん!!」

「だからしゃーない…痛っ!!何回も殴るなや!!!」

赤ん坊が1人居るだけでこんなにテンヤワンヤ。
加護は一身に悪者を見る視線を浴びて
半ばふて腐れ気味になってしまった。

「あいぼんって、結構いいおねぇさんかもね、あはは。」

辻はそんな光景に笑いを堪え切れなかった。

「梨華ちゃん大丈夫でちゅか〜?よちよち…。」

「矢口さんもお母さんがハマってきてますね。」

吉澤は、初めて矢口と会った時のことを思い出して
感慨深げな表情を浮かべていた。

周りの風景は全く変わってしまったけれど、
そこに生きる人達は変わらない。
今日もGrape Recordsのネオンは輝き、
墓に供えられた2つの指輪は輝き続けていた。


〜From The Other Side Of Heaven's Door END〜
162 名前:名無し読者 投稿日:2002年01月12日(土)03時32分19秒
よかった…良い話でした…
お疲れ様でした。
中澤のキャラがよかったです。
終わったのが寂しいかぎり…です。
163 名前:名無し読者 投稿日:2002年01月13日(日)23時11分31秒
今日始めて読みました。
矢口が幸せになって嬉しかったです。
感動しました。どうもありがとう。
もう番外編とかはないのかな?
164 名前:ジョニー 投稿日:2002年01月14日(月)23時13分23秒
>>162さん

どうもありがとうございます。
姐さんはアクセントがつくキャラなので、こっちも色々助かりました。

>>163さん

一応『Knockin'〜』が前・中編、『From The Other〜』が後編といった感じなので
続編、番外編は考えてないです。
ホントは『Knockin'〜』で終わりにしようと思ってたのですが
禿しく続編キボンされる方が1人居られたので(w
また書きたくなったらヒソーリと更新しようと思います(スレが生きてた)
ありがとうございました。
165 名前:名無し読者 投稿日:2002年01月16日(水)23時16分01秒
『From The Other Side Of Heaven's Door』
皆が幸せになってよかった…(涙
大円団(・∀・)イイ!!

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