インデックス / 過去ログ倉庫 / 掲示板
sha la la
- 1 名前:S3250 投稿日:2002年01月07日(月)23時08分56秒
- 吉澤主役のバレーボールものを書きたいと思います。
娘。だけではなく、吉澤と年齢の近いハロプロメンバーも
何人か出てきます。
物語の設定上、彼女たちの実際の身長+10cmをイメージして
読んでいただければ幸いです。
なお、文中に出てくる学校名や選手名などは架空のもので、
実在する学校や選手とは一切関係ありません。
- 2 名前:Prologe −10月29日 sideA− 投稿日:2002年01月07日(月)23時12分29秒
- 忘れない。
あれは本格的な秋が始まりを告げたころ、10月29日の放課後。
わたしたちバレーボール部員は、午後練前のストレッチに入っていた。
いつもと違うのは、夏のインターハイ予選敗退後、引退となっていた
3年生にも集合がかかっていたこと。
それ以外はいつもと何も変わらない一日になる、はずだった。
「集合っ!!」
顧問が体育館に入ってくるのを見るやいなや、キャプテンの一声で部員たちが
一斉に列を作る。いつもならここで練習の指示が出て、いつもの練習が始まる。
でも、あの日は違った。
「みんな、その場に座ってくれ」
そう言った先生の目が真っ赤だった。だれもがただならぬ空気を感じている。
そして、沈痛な面持ちの先生がかみしめるように語ったその言葉が
わたしのその後の人生を大きく変えることになるなんて、知る由もなかった。
- 3 名前:Prologue −10月29日 sideA− 投稿日:2002年01月07日(月)23時15分43秒
- 「みんな、落ち着いて聞いてほしい。わが上前女子高等学校バレーボール部は
今年いっぱいで強化を…やめることになった…」
先生、最後のほうは震えてて、声にならなかった。
秋が始まり、少しばかり冷え始めた体育館を凍りつかせるような
あまりに突然の話に、わたしたちは言葉を失った。
その言葉の意味を理解できなかったというか、理解したくなかった。
事実上の廃部――。
日ごろ厳しい先生の目には涙が浮かんでいて、わたしたちは何も言えなかった。
うつむく人、抱き合って泣く人、ぼうぜんとする人…。
いったい、わたしはどんな顔をしてたんだろう。
ぼんやり窓を見上げると、外は冷たい秋雨が降っていた。
- 4 名前:Prologue −10月29日 sideB− 投稿日:2002年01月07日(月)23時20分47秒
- もう死んでしまいたくなるくらいつらい告白をされたのは、
学園祭が終わったあと、10月29日のことだった。
最近いちーちゃんは、明らかにあたしのことを避けていた。
部活が休みの日も、なんやかんやと理由をつけて会ってくれない。
苦しくて、声を聴きたくて、電話をかけるけれど、
どこかよそよそしく切られてしまっていた。
何か嫌われるようなことをしちゃったのかな…。
ふだん、ただでさえボ―ッとしてると言われがちなあたしは、
さらに深い空想の世界で暮らしていた。
そしてあの日。
部活が終わったあと、「久しぶりに一緒に帰ろーぜ」って、
大好きなあの凛々しい笑顔でいちーちゃんが誘ってくれた。
ほんとうに久しぶりだったからうれしかったけど、
得体の知れない胸騒ぎがしていた――。
- 5 名前:Prologue −10月29日 sideB− 投稿日:2002年01月07日(月)23時27分47秒
- 降りしきる雨の中、ゆるやかな坂道を下りながら、
あたしたちはいつものモスバーガーへ向かった。
傘がいちーちゃんの微妙な表情を隠してる。
傘で出来た二人の距離がもどかしい。
沈黙が怖いから、あたしは一人でしゃべりまくる。
店に着き、オーダーしてイスに座ってからも、あたしは一人しゃべりまくる。
ポテトをほおばりながら笑ういちーちゃんは、やっぱりどこか上の空だ。
苦しくて、悲しくて、とうとうあたしは切り出した。
「ねぇいちーちゃん、あたしのこと…、嫌いになった?」
ずっと聞きたくて、聞けなかった言葉。でも、聞かずには、いられない。
いちーちゃんの顔は、見れなかった。
「大好きだよ…。でも…。
ごめん言わなくちゃ言わなくちゃと思ってたんだけど、
どうしても自分から言い出せなくて…」
ズキッ。悲しい予感が全身を貫いて、胸がジンジン痛い。
「……他に好きな子が、でき…」
「そんなんじゃないよ!!」
ふりしぼるようなあたしの言葉を途中でさえぎった声はびっくりするほど大きくて、
思わず顔をあげたら視線がぶつかりあって…。
あたしは、たまらずに目を伏せてしまった。
- 6 名前:Prologue −10月29日 sideB− 投稿日:2002年01月07日(月)23時29分39秒
- 「ごめん、大きな声出して。でも、そんなんじゃないから…」
ちょっと震えた深いため息一つ。
そして、いちーちゃんは意を決したように話し始めた。
「私の付き合いが急に悪くなったから、不安にさせちゃったこと、
ほんとに悪いと思ってる。実はね………。私、大学に進学してバレーボール続ける
って言ってたじゃん。でも、いろいろ将来のこととか考えてさ、結局、Vリーグの
西洋紡にお世話になることに決めたんだ」
「西洋紡? って…大阪?」
どうして、わざわざ大阪に行く必要があるの?
あたしを置いて?あたしが嫌い?あたしと別れたい?
一気に頭の中がぐじゃぐじゃに混乱して、言葉を失った。
長い、長い沈黙のあと。いちーちゃんが重苦しい沈黙の騒音を破った。
「私ね、バレーボールでトップを目指したいんだ」
- 7 名前:Prologue −10月29日 sideB− 投稿日:2002年01月07日(月)23時32分49秒
- だから、わかってほしい…って、涙まじりの声でいちーちゃんは言うけど、
簡単に“はい、わかりました”なんて言えるはず、ないでしょう?
「そんなに大事なこと、なんにも相談してくれないんだね…。
いつもそうやって、一人で簡単に決めちゃうんだね」
あたしは涙声をかみ殺して、精一杯の抵抗を試みた。
「これだけはわかって。簡単に決めたわけじゃないから。
ずっとずっと、ものすごく悩んで悩んで決めたことだから」
どんなに悩んで決めたことでも、あたしと離れ離れになることを選んだ
いちーちゃんが信じられなかった。
いちーちゃんにとって、あたしはそれくらいの存在だった?
いちーちゃんは、あたしよりバレーを選ぶの?
大きな瞳を伏せて、少し間を置いたあとで、いちーちゃんの長いまつげが
ゆっくりと上がった。
「夢の真ん中を、歩いて行きたいんだ」
光り輝いた、強い瞳だった。
そんないちーちゃんがまぶしくて、うらやましくて、ものすごく遠く感じて…。
あたしは傘もささずに雨の中へ飛び出した。
どこへ向かっているのかわからないまま――。
10月の秋雨は、冷たかった。
- 8 名前:S3250 投稿日:2002年01月07日(月)23時35分12秒
- 今日はここで終わります。
また明日、同じくらいの時間に更新する予定です。
- 9 名前:ななし 投稿日:2002年01月08日(火)19時14分06秒
- いちごまか、いちごまかあーっ!?しかも何だかちょい痛め。
かなり気になります、今夜が楽しみだ・・・(w
- 10 名前:「転校生」 投稿日:2002年01月08日(火)23時47分49秒
- 1月8日。今日から3学期が始まる。
玄関のドアを開くと、きーんと冷えた空気が張り詰めていて
思わずマフラーに首をすくめてしまったが、気持ちよく晴れた朝だった。
昨夜のうちに降った雨がアスファルトをたっぷりと濡らし、
朝日が反射した路面がきらきらと輝いている。
私立高校1年生の吉澤ひとみは、冬休みが始まる前とは違う制服を
身にまとっていた。
いつもと違う制服、いつもと違う電車、いつもと違う通学路。
きりりと胃が痛む。しかし、これは自分が決めた道なのだ。
今日からひとみは都内の女子校、私立淑女学園高等学校に転校する。
ひとみ自身、まさか引っ越し以外で転校することになるなんて、
思いもしなかった。
- 11 名前:「転校生」 投稿日:2002年01月08日(火)23時49分07秒
- 2学期までひとみが通っていた私立上前女子高等学校は、文武両道を掲げ、
学業にもスポーツにもかなり力を入れてきたが、今後は学業を優先する方針を
打ち出し、10月下旬に開かれた緊急理事会で突如、スポーツ部の強化を取りや
めることを決定した。
全国から有望選手をスカウトしていたバレーボール部にとっては、事実上の
廃部勧告だった。
寝耳に水の報告に部員たちは途方に暮れたが、学校側としても一方的に廃部に
するはしのびなかったのか、希望する者は練習試合などでよく行き来している
学校へ新学期から編入する道を開いてくれた。
2年生は転校しても実質バレーボールを続けるのは半年足らずとあって転校を
断念し、同級生の1年生の中にも迷っている者もいたが、
バレーボールでトップを目指しているひとみに迷いはなかった。
とにかくバレーボールを続けたかった。
- 12 名前:「転校生」 投稿日:2002年01月08日(火)23時51分00秒
- 駅の改札口を出ると、大きく深呼吸して気持ちを落ち着かせたひとみは、
再びコートのポケットに両手を突っ込み、早足で構内を抜けて大通りへ出た。
人込みに流されまいと、前をしっかり見据えてゆるやかな坂道を登りきると、
約束の7時30分より少し早めに私立淑女学園高等学校の門をくぐった。
エントランスの右手にあった窓口に声をかけると、女性職員に案内されて
2階の職員会議室に通され、椅子に座って待っているように言われた。
おしりの芯まで冷えそうな折りたたみ椅子に腰を掛け、あたりをキョロキョロ
見回していると、学年主任だという貧相な顔をした50代の男性教師が入って
きて、とおり一ぺんのあいさつと校舎の説明をした。
「じゃあ、そろそろ吉澤さんの担任の先生が迎えに来ると思いますから、
もうちょっと待っててくださいね」
「はい」
ガラガラガラッ…
ひとみの返事とともに大きな音が静寂を破り、会議室の扉が開いた。
めったに緊張しないひとみだが、一気に心拍数が跳ね上がった。
「おはよう。はじめまして!」
元気な声で入ってきた一人の女教師。茶髪で見かけはちょっとヤンキーっぽいが、
とても美人で、ひとみは思わず見惚れてしまう。
- 13 名前:「転校生」 投稿日:2002年01月08日(火)23時52分58秒
- 「1−C担任の平家みちよです。よろしく!」
「あ、あ、あの、よ、吉澤ひとみです。よろしくお願いします。」
緊張のあまり、思いっ切りどもってしまった。しかし、そんなひとみの不安を
吹き飛ばすかのように、ニッコリ笑って平家が元気よく声をかけた。
「うわさには聞いてたけど、ほんまに美少女やね。じゃあ早速だけど、
これから朝のホームルームがあるから、いっしょに行こっか」
「はい」
1月の冷えた渡り廊下。平家の後ろを2歩遅れてついていく。
結露した窓はとめどもなく涙を流していて、まるでひとみの心の中のようだ。
細かく震えているのは寒さのせいか、それとも緊張か。
「うちのクラスの子たちはみんな人なつっこいから、心配しなくて大丈夫よ」
「はい…」
そのとき、(一人を除いてね)という言葉を平家が飲み込んだのを、緊張で固ま
っている吉澤が見抜けるはずもない。
1−Cの扉を開く直前、無口なひとみを見かねて一声、平家が気合いを入れた。
「頑張っていきまっしょい!!」
少し照れた笑顔を浮かべてうなずいたひとみに、大丈夫、というように優しく
微笑み返すと、平家は勢いよく扉を開けて教室に入っていった。
- 14 名前:「転校生」 投稿日:2002年01月08日(火)23時55分24秒
- 「みんなー、あけましておめでとさーん♪」
一人元気な平家のあいさつに、おめでとうございま〜す、とだるそうな声が返
ってくる。
「なんだよ、みんな正月ボケしてんのかー?」
しかし、転校生らしき姿を発見した1−Cの生徒たちは、もう平家のことばな
ど耳に入っていない。クラス中が一斉にざわめいた。
「はい、見てのとおり、今日はめっちゃかわいい転校生を連れてきたぞぉ」
「ひゅ〜、かっわい〜♪」
だれかが茶化した声を上げた。23人の好奇の視線が窮屈で、ひとみはずっと
下を向いていた。
「じゃあ吉澤、早速、自己紹介!!」
平家に促され、意を決して大きく息を吸い込んだひとみは、
何気なく教室の一番奥に視線をやった。
そのとき、ほんの一瞬だけ、窓際の一番後ろに座っている茶髪の生徒と
視線が絡んだ。
(あっ、あの子バレー部の…。すっごいきれい…)
- 15 名前:「転校生」 投稿日:2002年01月09日(水)00時02分19秒
- 「私は上前女子高校から転校して来ました吉澤ひとみといいます。
よろしくお願いします」
「おねがいしま〜す」
どこかよそよそしい声が、教室のあちらこちらから戻ってきた。
「この吉澤は、バレーボール部の期待の星だから、みんなよろしくたのんだよ。
はいっ、じゃあ吉澤は一番後ろの後藤の隣に座る。あの茶髪娘が後藤だから。
お、めずらしくごっちん、起きてるな。ちゃんと教科書見してやってよっ」
平家のやかましい呼びかけにも答えず、後藤はぼんやりと窓の外を見ていた。
平家に言われるまでもなく、ひとみは後藤のことを知っていた。
一度も会話を交わしたことはなかったが、中学時代から大会や練習試合などで
よく顔を合わせていたし、なんと言ってもひとみと後藤は高校バレーボール界
ではちょっと知られた存在だった。
『キレの吉澤ひとみ』『パワーの後藤真希』
これが1年生エース二人のキャッチコピーだ。
本来であれば、3月に代々木体育館で開催される春の高校バレーの出場権を
かけて、順当に行けば来週末には東京都予選で対決するはずだったのだ。
- 16 名前:「転校生」 投稿日:2002年01月09日(水)00時06分04秒
- 「よろしくね」
ひとみは極上の微笑みを浮かべ、後藤にぺこりとあいさつした。
しかし、後藤はひとみのほうには見向きもしないで、「よろしくー」と、
ぶっきらぼうに言い放った。
早速へこみそうになったひとみに、右隣りの生徒が明るく声をかける。
「ひとみちゃん、おんなじクラスになれてうれしいよ。よろしくね♪」
同じくバレーボール部の石川梨華。人当たりのいい梨華とは、中学のときから
練習試合などで顔を合わせたときに何度も話をしたことがあった。
ひとみはこのとき、梨華の屈託のない笑顔に
どれだけ救われたかわからなかった。
- 17 名前:「転校生」 投稿日:2002年01月09日(水)00時08分23秒
- 朝のホームルームが終わると、早速、ひとみの周りには人だかりができ、質問
攻めにあっていた。自己紹介したときの寒い反応とは裏腹に、どうやら、この
クラスの生徒が人なつっこいという平家の言葉はあたっているようだ。
練習試合などで見たことのある子もいてすぐになじめたのだが、ひとみは猛烈
に左隣りが気になってしかたがなかった。
これだけ大騒ぎしていても、机に突っ伏している後藤真希。
彼女だけはひとみに無関心だし、ひとみのことだけでなく、多分、他のことに
も無関心のようだ。
「上高のバレー部、第2シードだったのに、残念だったねぇ」
梨華の甘くて高い声に、ひとみは我に返った。
「うん。でも、もう決まったことはしかたがないしね…。みんなで力を合わせ
てさ、春高に出られるようにがんばろっ」
「そうだね」
ひとみは後藤にも聞こえるように言ったつもりだったが、当然のように無反応
な後藤は、朝日を浴びながら規則正しい寝息を立て、細い肩を小さく揺らして
いた。
- 18 名前:S3250 投稿日:2002年01月09日(水)00時15分46秒
- 今日の更新はここまでです。
>>9さん
早速のレスありがとうございます。
本人全く無自覚でしたが、けっこう痛め?かも(W
また明日、更新します。
- 19 名前:「予感」 投稿日:2002年01月09日(水)23時46分28秒
- 「市井先輩、こんちはー」
「ちーっす」
16時から始まる午後練の30分前、後輩たちがあいさつを連呼するなか、
教室の清掃当番を終えた市井紗耶香が体育館に姿を現した。
Vリーグの前回覇者、大阪の西洋紡に入社することが内定していた
3年生の市井は、週末になるとVリーグの遠征に同行していたが、
春高予選を直前に控えた大事な時期であるため、前キャプテンとして
時間の許す限り後輩たちの指導にあたっていた。
「真里ッペ、オッス」
「おー紗耶香。めずらしく早いな」
「今日は上高の転校生が来るって聞いたからさぁ。もう来てんの?」
「うん。今教官室でいろいろ説明受けてるみたいだぜ」
歌うようにしゃべる同級生の矢口真里の肩越しに、市井の視線は体育館の入口
でシューズを履き替えている後藤の姿をとらえた。
「んじゃ、ちょっとのぞいてこよっかなーっと」
「センセーに見つかってどなられるなよ」
「そんなドジしねーよっ」
市井はいたずらっぽい笑顔を残し、ウインドブレーカーをシャカシャカ鳴らし
ながら、体育館の入口横にある体育教官室に向かって走っていった。
- 20 名前:「予感」 投稿日:2002年01月09日(水)23時48分04秒
- ごほごほっ。
「ごとーちゃん、元気?」
入口に3段ある階段の一番上に座り込み、シューズのひもをていねいに結んで
いる後藤に、わざとらしい咳ばらいをしながら市井は声をかけた。
「…はい」
市井の声と知っていながら顔を上げることもしない後藤の声は、市井の耳に届
かないくらい消え入りそうに小さい。
(もう目すら合わん…)
市井、心が痛い。
「おい、後藤知ってたか? 今日、上高から転校生が来るんだぜ!
今から教官室のぞきに行くけど、いっしょに見に行かない?」
「ヤです」
小さいが、きっぱりとした拒絶が言葉に表れていた。
「そっかぁ〜。んじゃ、一人で見てくっかな〜」
極力明るい声で後藤に背中を向けて走り出したものの、市井は泣きそうだった。
別に転校生に興味はない。ただ、単に後藤としゃべるきっかけがほしかっただ
けだ。しかし、むげに断られた市井は、そのまま体育館へ戻るわけにも行かず、
傷つきながらも形だけ教官室に向かった。
- 21 名前:「予感」 投稿日:2002年01月09日(水)23時52分38秒
- ガチャ。
教官室の前にたどり着くといきなりドアが開き、市井は驚きのあまり
2〜3歩、後ずさってしまった。そんな市井に、
「なんや、紗耶香。転校生を出迎えにきてくれたんか?
さすがVリーガーともなると、心がけがちゃうねんな〜」
と何やら勝手に憶測してキャピキャピしている女教師。
この人こそがバレーボール部の名物顧問、中澤裕子だ。
まだ20代後半という若さで、淑女学園を全国大会常連校にしたすご腕である。
「見てみぃ。上高の有望新人ちゃんが来よったで〜。
鍛えがいがあるっちゅうもんや」
中澤のうしろに目をやると、真新しいジャージに身を包んだ、見覚えのある
少女が立っていた。
(あ、彼女だったんだ…)
- 22 名前:「予感」 投稿日:2002年01月09日(水)23時55分25秒
- 身長170cmくらいの色白で綺麗な顔だちをしたショートカットの美少女。
確か、ヨシザワヒトミという名前だった。
夏のインターハイ予選で後藤と壮絶な打ち合いを繰り広げ、かなり苦戦を
強いられたと記憶している。
恐らく、近いうちに後藤のエース対角を組むのはあの子になるんだろう。
「前のキャプテンをやってた市井紗耶香です。
中澤先生の指導は厳しいと思うけど、覚悟して頑張ってね」
「吉澤ひとみです。よろしくお願いします」
にこりと笑顔を向けた市井にペコリとお辞儀をすると、
吉澤ひとみがまっすぐな強い視線で見つめていた。
そのとき、ふと、市井の胸中にはある予感が生まれた。
それは心の弱い場所をきゅうとつかまれるような、切なすぎる予感だった。
- 23 名前:「予感」 投稿日:2002年01月09日(水)23時58分23秒
- 「集合〜!!」
久しぶりに、市井の大声が広い体育館に響きわたった。
市井のうしろには、中澤とひとみが続いている。
「礼!」
「よろしくお願いします!!」
淑女学園高等学校バレーボール部1年生11人のあいさつが静寂を破って
体育館じゅうに響くと、不敵な笑顔を浮かべた中澤が口を開いた。
「この前からゆーてたとおり、今日から上高の転校生が入ってくる。
今までだれが来るのかは隠してたけど、みんなもよーく知ってる
この吉澤が入るからなぁ。レギュラーも、気ぃ抜いたら容赦なく
チェンジするから、覚悟しろ!!」
「はいっ」
体育会系の快活な返事が返ってきた。
中澤は部員たちを驚かせようとして、誰が入ってくるのかを一切口外せずに
いたが、耳の早い女子高生である彼女たちは、1時間目が始まる前にはもう、
1−Cにバレーボール特待生の転校生がやってきて、
しかもそれが、あの吉澤ひとみであるということを知っていた。
だから中澤に紹介されてもだれ一人も驚きはしなかったが、
今まで敵としてさんざん苦しめられてきた1年生bPエースの吉澤の加入に、
チームは歓迎ムードに包まれていた。
- 24 名前:「予感」 投稿日:2002年01月10日(木)00時00分08秒
- ひとみが自己紹介を終えると、コートネームを決めることになった。
コート上で「さん付け」で呼ぶわけにはいかないから、
すぐにニックネームを決めるのが恒例だ。
「吉澤は今まで、何て呼ばれてたんだぁ?」
新キャプテンの柴田あゆみを差し置いて、すでに神奈川の短大に推薦入学が
決まっている3年生の矢口が仕切り始めた。
「えーと、よっしーとか、ひとみとか…です」
「吉澤だからよっしーか。上高は芸がねーなぁ。
んじゃあ、よっすぃ〜に決定!!」
“し”を“すぃ”にしただけで芸になるんだろうか…という心の声を飲み込み、
ありがとうございます、とお礼すると、早速ウォーミングアップに入った。
ひとみのストレッチ&対人パスのパートナーには梨華が指名された。
恐らく、エースのひとみとセッターの梨華を少しでも早く打ち解けさせたいと
いう配慮があってのことだろう。
「梨華ちゃん、よろしくね」
「こっちこそよろしく、よっすぃ〜」
ウインクした梨華からいたずらっぽく新しいニックネームで呼ばれたひとみは
ちょっぴりくすぐったかったが、そんな梨華がかわいいと思った。
- 25 名前:「予感」 投稿日:2002年01月10日(木)00時01分59秒
- ウォームアップが終わると、すぐにスパイク練習に移る。
5日後の13日から「春高」の出場権をかけた東京都予選が始まるため、
転校生が入ってきたからといって一切、練習メニューが変わることはなかった。
石川が上げるトスを、次々と部員たちが打ちこんでいく。
そのなかでも、後藤のスパイクの威力は群を抜いていた。
「ドスッ!!」
本人は6割くらいの力で打ったスパイクでも、ミートする音がまるで違う。
(さすが、後藤さんだね…)
心の中で感心していると、ひとみに順番が回ってきた。
中澤と、その隣りに並んでコートサイドで見守っていた市井、矢口の目が光る。
中澤がコート上の梨華に目配せをした。
他の部員たちも「キレの吉澤」に注目するなか、梨華のトスが上がった。
“バシッ!!”
「…ひゅ〜♪」
少し間があいたあと、感嘆の声が上がった。
梨華は他の部員に上げるよりもかなり低くて速い平行トスを打ち合わせもなし
にいきなり上げたのだが、ひとみは何事もないかのように、
ホレボレするほど美しいフォームで鋭角なスパイクを突き刺した。
- 26 名前:「予感」 投稿日:2002年01月10日(木)00時04分03秒
- 「相当使えるやん」
腕組みをしたまま、中澤はニヤリと口角を上げて右隣りの市井を見つめる。
「かなり…いいですね。確かクイックも打てたはずですからね」
細い指でうなじのあたりをなでながら市井が言うと、
「試してみよか」と中澤が意味深に笑う。
「吉澤! あんた確かAも打てるはずやな?」
「はい」
ひとみのポジションはレフトだが、本来センターが打つAクイックも得意と
しており、その速さには相当自信を持っていた。
中澤みずからがコートに入り、セッターの梨華へパスを出す。
その瞬間ひとみは短い助走に入り、梨華がジャンプトスを上げると同時に
最高点に到達していたひとみの右手がボールをジャストミートし、
高い打点からほぼ真下へスパイクをたたきつけた。
「ひゅ〜、ひゅ〜」
ひとみの光速Aクイックがコートに突き刺さると、今度は一斉に歓声が上がり、
大きな拍手がわき起こった。
(夢のエース対角誕生や。ええ夢見させてもらえそうやで…)
中澤は密かにほくそ笑んだ。
予選まで残された時間はわずかだったが、ひとみのレギュラー入りが
このたった2本のスパイクで決定した。
- 27 名前:「月光」 投稿日:2002年01月10日(木)00時11分31秒
- 冷たい三日月が夜空に白く浮かんでいた。
部活の帰り道、市井はマフラーに顔をすっぽりうずめながら、
ぼんやりと後藤のことを思っていた。
10月中旬にVリーグの西洋紡に入社することを決め、
悩みに悩んだあげく、10月の終わりに後藤に伝えてからというもの、
ほとんど言葉を交わしていない。
目も合わない。
クリスマスにも、12月31日の自分の誕生日にも会ってもらえなかったし、
今日も思いっ切り避けられた。
離れ離れになってしまえば今までのように毎日会うことはできなくなる。
だから卒業までの残り少ない日々をできるだけいっしょに過ごし、
二人だけの思い出をたくさん作りたいと思っていた。
だが、それはムシのよすぎる話だったようだ。
(くっそ〜、いっしょに年越したかったのにな…)
深いため息をつくと、白く長い息が宙にたなびいた。
前方から車のヘッドライトが市井の心を中を探るように全身を照らし出し、
次の瞬間に通りすぎていった。
- 28 名前:「月光」 投稿日:2002年01月10日(木)00時13分11秒
- 《いちーちゃん、あたしのこと、嫌いになった?》
あの日の後藤の声がリフレインする。
絶対に言わせてはいけなかったことだ。
自分が早く言わなかったばかりに、彼女に言わせてしまった。
Vリーグでプレーすること、それは確かに市井の夢だった。
と同時に、自分の身長ではVリーグでプレーすることはムリだと思っていた。
しかし、インターハイ前に合宿させてもらった西洋紡の監督から直々に
「うちのセッターにどうしても市井紗耶香が必要なんや。来てくれへんか?」
と声をかけられ、市井の心は踊った。
元全日本のセッターだった西洋紡の監督の下で、どれくらい自分の力が通用す
るのか試してみたかった。もしかしたら全然ダメなのかもしれないが、はじめ
からダメだと思いたくない。あきらめたくない。何も行動を起こさないで、
あとからああすればよかった、こうすればよかったと後悔するのだけは絶対に
イヤだったし、市井の性格がそれを許さなかった。
でも、後藤と離れ離れになるのはもっとイヤだったから、気持ちが揺れていた。
後藤は知らないかもしれないが、それくらい彼女への想いは本気だった。
- 29 名前:「月光」 投稿日:2002年01月10日(木)00時14分49秒
それでも最終的には大阪の西洋紡へ行くことを選んだ。
母子家庭に育った市井には、母親に「大学に行かせてください」と言えるだけ
の勇気がなかったのだ。
(お姉ちゃんが、もっと頑張って稼ぐから大丈夫って言ってくれたけど、
中・高6年間も私立に行かせてもらったうえに、
これ以上私だけぜいたくさせてもらうわけにはいかない…)
結局、家計を助けることを選んだ。
最後の最後まで悩み抜いた末の苦渋の選択だった。
(ほんとのことを話せば、きっと後藤だってわかってくれるだろう。
でも、家庭事情を言い訳にはしたくなかったんだ…)
知らぬ間に、市井は泣いていた。
ぬれた頬が冷たい外気に触れ、薄い氷がはり付いたように痛かった。
それでもあふれる涙をぬぐおうともせず、
ギリリ…と音がするくらい強く歯を食いしばり、家路を急いだ。
- 30 名前:S3250 投稿日:2002年01月10日(木)00時19分52秒
- 今日はここまでです。
次の3連休でストックを書き溜めるつもりが
3日とも出勤になってしまい、早くもピンチ(泣
- 31 名前:「ささくれ」 投稿日:2002年01月11日(金)01時42分52秒
- “ズゴーン”
“ズゴーン”
ただならぬ音が地響きを伴って、体育館じゅうに反響している。
春高予選を3日後に控えて、後藤は絶好調。
というよりも、「パワーの後藤」はおそろしいほどスパイクの威力を増して
いて、たたきつけたスパイクで床に穴があきそうだった。
「きょうもごっちん、荒れてるね…」
梨華は首をすくめた。
しかし、表情を表に出さない後藤が胸の中で何を思っているのか
ひとみにはわからなくて、思わず聞いてしまう。
「どうしてごっちんが荒れてるって、わかるの?」
「そりゃ、4年もいっしょにやってれば音を聞いただけでわかるよ。
まぁ、市井さんのことでいらだってるのもわかるけど、
怒りがパワーに変わるなら、チームにとってはありがたいことなのかもね」
と言って、梨華は苦笑した。
市井と後藤の間にどんな関係があるのか、ひとみには見当もつかなかったが、
なんだか聞いてはいけないことのような気がして、そのまま聞き流した。
とにかく梨華の言うとおり、怒りのパワーがスパイクのパワーアップに
変わるのなら、こんなにありがたいことはなかった。
- 32 名前:「ささくれ」 投稿日:2002年01月11日(金)01時45分02秒
- 通称「春高」と呼ばれる全国大会には、東京から3校が出場できるのだが、
東京都の女子は「5強」と呼ばれる私立の強豪がひしめく激戦区。
どこが出場してもおかしくないほど、各校の力は拮抗していた。
この予選には、昨年11月23日に行われた新人戦でベスト16に残ったチームが
出場する。新人戦の結果により、第1シード成功学園、第2シード上前女子、
第3シード七王子実践、第4シード共存学園がすでに決定していた。
しかし、第2シードの上前女子が昨年末に廃部となったため、
一つずつ繰り上がり、5位の文東女子が第4シードに入った。
新人戦でエースの後藤を故障で欠いていた淑女学園は、ベスト8で敗退して
いたため、シード権を逃しており、そのうえ組み合わせ抽選では、
中学時代から何度も因縁の対決を繰り返している共存学園と同じ山に入って
しまい、中澤は頭を抱えていた。
- 33 名前:「ささくれ」 投稿日:2002年01月11日(金)01時46分58秒
- しかし、ライバルたちにとっても悩みは同じで、後藤の復帰、吉澤の加入に
よって、新人戦の頃とは比べ物にならないほど戦力アップしている淑女学園
がトーナメント表の右側に入ったことにより、第3シードの共存学園と
第2シードの七王子実践が戦々恐々とし、一方、第1シードの成功学園と
第4シードの文東女子は、とりあえず準決勝にはほぼ確実に進出できる
ことが決まり、ホッと胸をなで下ろしていた。
予選はまず、各校とも、13日に2つ勝てば準決勝進出が決定し、
翌週の19日の準決勝で勝てば、その時点で3月20日から代々木第一体育館で
開催される春高出場が決定する。
負ければ3位決定戦に回り、それに勝てば開催地枠で出場できるが、
実質、準決勝からが勝負になる他のシード校に比べ、その一つ前の準々決勝
で直接対決を迎えてしまう淑女学園と共存学園は完全に不利であった。
- 34 名前:「ささくれ」 投稿日:2002年01月11日(金)01時49分15秒
- 吉澤が加入する前、実は淑女学園の下馬評はかなり低かった。本来であれば、
昨年夏のインターハイ出場権獲得に大きく貢献した1年生エース後藤が故障か
ら復帰するだけに、もう少し評価が高くてもよかったはずだが、キャプテンで
セッターの市井紗耶香引退後、気性の激しい後藤にブレーキをかけられる存在
が見当たらず、後藤のその日の出来しだい、というのが他校の評価だった。
インターハイ本番前に大ケガをし、今回の予選が5ヶ月ぶりの実戦となる
後藤が連戦を戦いぬけるのかどうかにも疑問符がついていたし、
このチームには精神的な柱となるべき2年生が一人もいないのも
評価を下げている一因だった。
しかし、全日本ユース代表の180cmトリオを擁する成功学園とともに、
「春高出場当確」とウワサされるほど前評判の高かった上前女子が廃部に
なったうえに、センス抜群の1年生bPエース吉澤ひとみの獲得に成功し、
正に「棚ボタ」の連続で後藤―吉澤の夢のエース対角を誕生させた淑女学園は、
一気に優勝候補に踊り出ていた。
- 35 名前:「ささくれ」 投稿日:2002年01月11日(金)01時50分09秒
- 昨年の7月下旬に右ひざじん帯損傷の大きなケガをし、復帰したばかりの
後藤に無理はさせらないことは、中澤自身も重々承知していた。
後藤の周りを固める選手も粒はそろっていたが、いかんせん上背がなく、
オール1年生チームでスタミナ面の不安も抱えていたため、吉澤が来る前
までは、正直、今年の春高はあきらめていた。
しかし、他校のたぬきおやじたちから
「ことしの淑女はビジュアルだけならbP」
と嘲笑され、「ほんとにもう、うちは顔だけでして…」と愛想笑いを
振りまいていた中澤の胸中が穏やかであるはずもなく、
グツグツ煮え繰り返った腹の中では8月のインターハイでのリベンジを
誓っていた。
だが、吉澤が来たからにはもうそんなことは言わせない。
「ビジュアルも実力もうちがbPやで。
あのたぬきどもをギャフンと言わしたる…」
腕組みをしてコートサイドでウォームアップを見つめていた中澤は、
笑いをかみ殺すのに苦労していた。
- 36 名前:「ささくれ」 投稿日:2002年01月11日(金)01時54分55秒
- 試合形式の練習に入る前、部員を整列させた中澤は、
予選に臨むスタメンをセッター石川梨華、ライト木村あさみ、
レフト後藤真希―吉澤ひとみ、センター柴田あゆみ―藤本美貴、
リベロを帰国子女のミカ・トッドの7人で行くと発表した。
控え選手に市井、矢口が加わってBチームとなり、共存学園の
仮想チームを作ってAチームの相手をする。
早速、Bチームのサーブで練習ゲームが始まった。
矢口の強烈なジャンプサーブをいきなりリベロのミカがはじき、
後藤がフォローに回る。
ひとみが「オープン!」と呼び、レフトで大きく開いて待っている。
すると何を思ったか、後藤はレフトに二段トスを上げず、
アンダーでBチームコートにゆるいボールを返してしまった。
「チャーンス」
もちろん、このチャンスボールをなんなくレシーブしたBチームは
簡単にスパイクを決めた。
「ゴルァ、ゴトォ!! なんで吉澤にあげんのや!!」
「……気づきませんでした」
ぷい、とそっけなく後藤が返す。
「気づかなかっただぁ? 吉澤はちゃんと呼んでただろーが!!」
ひとみには、中澤のこめかみの血管が4〜5本は軽くブチ切れている音が
聞こえる気がした。
- 37 名前:「ささくれ」 投稿日:2002年01月11日(金)01時55分42秒
- 「すいません。わたしの呼ぶ声が小さかったんです。今度はもっと呼びます」
誰の目から見ても明らかにひとみのせいではないが、
場を静めるために、ひとみは自ら犠牲になった。
その後も、ひとみがシャープなスパイクを決めても知らん顔。
自分がダイナミックなスパイクを決めても知らん顔。
とにかく後藤の態度が悪く、チームのムードも最悪だった。
「後藤、練習終わったら、居残りやで」
中澤は怒りをこらえ、極めて冷静に後藤に言った。
しかし、汗をふきにいくふりをした後藤はそのままとっとと帰ってしまい、
ついに中澤を本気で逆上させた。
「あいつ、絶対一度しめたるわ!! 覚えとけっ!!」
梨華とのコンビ合わせのために居残りをしていたひとみは
中澤の怒声が耳に入り、余計なお世話と知りつつ、口をはさんだ。
「先生、ごっちんを責めないでください」
けなげなひとみに、「よっさんがかばうことないで」と中澤は気遣った。
- 38 名前:「ささくれ」 投稿日:2002年01月11日(金)01時56分35秒
- 「いえ、こんな大事な時期にわたしが入ることになって、ごっちんも混乱して
ると思うんです。むしろ彼女をいらだたせているのはわたしなんです。
ですから、ごっちんを怒るのなら、わたしをレギュラーから外してください」
怒りで熱くなっていた中澤は、今度は感激のあまり目頭を熱くした。
「ええこやな、吉澤は…。でも、よっさんが気にすることないで。
後藤がいらだってるのはよっさんのせいちゃう。もっと違うことなんや。
だから気にせんと、自分のプレイに集中してくれればええねん」
もっと違うこと…?
それは練習が始まる前に梨華が言っていた、市井のことと関係があるのだろうか。
後藤をいらだたせていること、それが何なのか知りたかったが、
ひとみは「わかりました」と言って梨華とのコンビ合わせに戻った。
自分の胸にひっかかった、ささくれの実態が何なのか、わからないまま――。
- 39 名前:S3250 投稿日:2002年01月11日(金)01時58分49秒
- 今日の更新終了です。
- 40 名前:名無しさん 投稿日:2002年01月11日(金)10時33分32秒
- 能力は高いのに気紛れなエース後藤って、すごい当てはまりますね(w
これから吉澤との関係がどう変わっていくのか、そして市井とはどうなってしまうのか、
とても楽しみです!
- 41 名前:「秘めた想い」 投稿日:2002年01月12日(土)01時54分14秒
「わたしって、ごっちんに嫌われてるのかな?」
しびれるような寒さも幾分緩む昼休み。
教室の窓際で弁当をつついていたひとみは、今まで気になっていたこと
を何気なく、梨華と美貴に打ち明けた。
1−Aの美貴はクラスは違うが、中等部入学当初、ともにバレーボール
を始めた梨華の親友であり、いつも一緒に昼食をとっていた。
「そんなことないでしょ? だって、よっすぃーは嫌われるようなこと
なんにもしてないじゃん、ねぇ?」
プチトマトをほおばりながら美貴は、梨華に同意を求める。
「そうだよぉ。ごっちんはさ、人見知りするし、感情表現が下手だから
一見冷たく見えるかもしれないけど、ああ見えても根は優しいから、
慣れれば変わってくると思うよ」
甘い声で梨華もすかさずフォローを入れた。
「うーん…。でもさぁ、わたし上高にいたときから思ってたことが一つ
あるんだけど…バカにしないで聞いてね」
梨華と美貴は顔を見合わせ、「?」の表情を浮かべてうなずいた。
- 42 名前:「秘めた想い」 投稿日:2002年01月12日(土)01時55分55秒
- 「ごっちんってさ、ものすごい絶不調で、
“ああ、きょうはダメなんだ、ラッキー”と思うような日でも、
うちらと対戦するときになると急に絶好調になるってことなかった?
ごっちんにボカスカ打たれて、結局うちら、淑女にはほとんど勝てな
くてさ、そのたびにみんなから“ひとみがゴトー嫌われてるせいだ”
って言われて、トラウマになってるんだよねぇ…」
左手でほおづえをつき、右手に持ったフォークでゆで卵をいじりながら、
ひとみが愚痴った。
「そーお? 私はよっすぃーにボカスカ打たれた記憶しかないけどなぁ」
お嬢様系の柔らかな笑顔を浮かべた美貴は、「だからムカついてたけ
ど、実はすっごいあこがれてたから、こうやって同じチームで一緒に
プレーできるようになって素直にうれしいよ」と続けた。
「そう言えば、上高の廃部が決まったあと、よっすぃーのとこに
スカウトがいっぱい来たらしいね?」梨華がうれしそうに訊ねる。
「いっぱいって言っても、淑女入れて5校だよ」
「じゃあ、5強すべてから声がかかったってわけだ。さすがだねぇ!」
梨華と美貴は顔を見合わせ、心の底から感心していた。
- 43 名前:「秘めた想い」 投稿日:2002年01月12日(土)02時01分22秒
「その中でどうしてうちを選んでくれたの?」
美貴が一番知りたかったことを聞いた。
「うーん。上高に近かったというのもあるし、中澤先生の下でやって
みたかったのもあるし、あと、昔からよく話しかけてくれた梨華ちゃん
がいたからっていうのもあったかなぁ」
ひとみはあえて、本当の気持ちは言わなかった。
しかし、ひとみのリップサービスに“キャア〜”という黄色い悲鳴を
あげてバンザイし始めた梨華は、ガバッ、と隣りの美貴に抱きついた。
目が合ったひとみと美貴は思わず苦笑してしまう。
「ものすごくうれしいよ!! だって、私、中1のときよっすぃーに
一目ボレしてから、会うたびに何かと話しかけるようにしてたんだもん」
胸の前で指を組み、目をぎゅっとつぶって感激に浸る梨華。
そんな梨華を横目に、
「梨華はさ、よっすぃーに話しかけるたびに、今日もすごく
かっこよかったぁ、とか言って、逐一私に報告してたんだよ。
彼氏がいるの知ったときはかなりブルーになってたけどね〜」
と言って、美貴が茶化し始めた。
すると慌てた梨華は両手を顔の前でブンブン振り、言っちゃダメ〜!」
と言いながら、耳まで真っ赤になってしまう。
- 44 名前:「秘めた想い」 投稿日:2002年01月12日(土)02時03分32秒
「梨華ちゃんのこと、かわいいなぁとは思ってたけど、まさかそこまで
思ってくれてたなんて知らなかったよ。彼氏とは転校する前に別れた
から、告白するなら今がチャンスだよ?」
女の子から好意を寄せられることは少なくないひとみは、これ以上、
梨華が恥ずかしくならないように、わざとふざけてみせた。
こういうことには慣れていた。
「じゃあ私、頑張るよ」とガッツポーズを作りつつも、一刻も早く話題
を切り替えたい梨華は、「あ〜そういえば…」と言って、ガッツポーズ
で作ったこぶしを下ろして、ポンっと机をたたいた。
「私、昔ごっちんに聞いたことあるよ。上高と対戦するときの
ごっちんってすごく頼りになるねって」
「そしたら?」
美貴がフォークを唇にあてたまま、興味津々に身を乗り出した。
「いつもは頼りにならないって言うの?ってすごまれた」
「アッハハハ…」
あまりに後藤らしくて3人とも思わず笑ってしまった。
- 45 名前:「秘めた想い」 投稿日:2002年01月12日(土)02時04分47秒
「でもそのあとでね、“上高とやるときは燃えるんだ”って言ってた。
それ以上理由は聞かなかったけどさ、ごっちんとよっすぃーって注目
されてたから、ごっちんの中にもライバル意識があったのかもしれない
ね。よっすぃーはそういうライバル意識ってなかったの?」
「そりゃ、あったけどさぁ。それは違う学校のエースだからであって、
おんなじチームにいたら、あれ以上頼りになる人、いないでしょ?」
ひとみがウインクすると、すかさず美貴が
「スパイクだけならね」
と絶妙な突っ込みを入れて再び3人で爆笑したあと、チャイムが鳴るまで
ひとしきり思い出話に花を咲かせた。
- 46 名前:S3250 投稿日:2002年01月12日(土)02時08分58秒
今日はここまでです。
一応、自分が導入部分と考えていたところまで更新できました。
>>40さん
ありふれた設定、ありふれた言葉で、をテーマにしているので
刺激は少ないと思いますが、よろしければお付き合いください。
仕事が急に立て込んできてしまったので、
1週間ほど更新できないかもしれません。
一段落したら、また来ます。
- 47 名前:名無しさん 投稿日:2002年01月12日(土)23時42分26秒
- スポーツもの、そしてよっすぃー!
嬉しい。作者さん早く戻ってきて〜!
- 48 名前:「戸惑い」 投稿日:2002年01月20日(日)23時31分20秒
1月13日、日曜日。
ひとみが転校してから1週間とたたないうちに、春高東京都予選の日が
やってきた。
淑女学園の1回戦はBコートの3試合目、準々決勝は6試合目に組まれている。
「いや〜中澤さん、とんだ棚ボタ続きでうらやましいかぎりですわ。
ことしは淑女さんの圧勝ですな〜」
会場の東京スポーツセンターに到着すると、名門校の大御所たちから
さんざん嫌味を言われた中澤だったが、何を言われようと他のことは
気にならなかった。
- 49 名前:「戸惑い」 投稿日:2002年01月20日(日)23時33分13秒
気になるのは、後藤のこと。
12月初旬から本格的な練習を再開したばかりで体力が持つのか、
大の苦手としているサーブレシーブを拾えるのか、
ウルトラマン並みに短い集中力が続くのか、
そして、転校してきたばかりの吉澤とうまく連携がとれるのか、
心配ごとをあげればキリがなかった。
しかし、練習会場となっているサブアリーナで打ち込みをしている
後藤のスパイクの轟音を聞いていると、少しは心も落ち着いてくる。
(とにかく後藤を、彼女たちを信じよう)
中澤はもう心配するのはやめた。
そんな中澤の胸中を見抜いたように、コーチ登録でベンチ入りする矢口が
「あいつならやってくれますよ、絶対」
ときっぱり言い切って、白い歯を見せた。
- 50 名前:「戸惑い」 投稿日:2002年01月20日(日)23時34分24秒
12時すぎから始まった1回戦の梅華女学院戦は、監督の中澤、チームメイトた
ち、そして恐らくは後藤自身の不安を吹き飛ばすかのように、エースの後藤と
ひとみが打って打って打ちまくり、25‐15、25‐10のストレート、
30分であっさりと片付けた。
いい体慣らしを終えた淑女学園の選手たちは、次の試合で共存学園が圧勝した
のをスタンドで見届けると、地下にあるサブアリーナで各自、ストレッチやラ
ンニングを始めた。
緊張感が徐々に高まり、だれもが口数が少なくなっている。
- 51 名前:「戸惑い」 投稿日:2002年01月20日(日)23時35分20秒
準々決勝の対戦相手、共存学園は、強烈なジャンプサーブと攻撃重視の正統派
バレーを売り物にしており、淑女学園と全く同じタイプのチームだった。お互
いに中・高一貫校であるため、中等部時代から何度となく対戦してきた両者は、
そのたびに激しいスパイク合戦となって勝ったり負けたりを繰り返しており、
いつからか両校の対戦は「因縁の対決」と呼ばれるようになっていた。
昨年の春高予選では、ことしと同じく準々決勝で激突し、フルセットの末に
淑女学園は共存学園に敗れている。共存学園もまた、3位決定戦で七王子実践
に敗れて春高出場を逃しているだけに、お互い今年にかける意気込みは並々な
らぬものがあった。
- 52 名前:「戸惑い」 投稿日:2002年01月20日(日)23時36分25秒
「ごっちん…私たち、勝てるかな?」
「勝つよ」
隣りでストレッチをしている柴田の問いかけに、事もなげに後藤は答えた。
「ひざは大丈夫?」
「大丈夫もなにも、全然痛くないよ」
白い歯を見せて、後藤が笑った。久しぶりに見せた、いい笑顔だった。
「今日のために、あんなに頑張ってきたんだもんね」
「今日のためなんかじゃないよ。すべては来週優勝するため、
春高で優勝するため!」
「そうだね。頑張ろう!」
柴田の冷たい両手が、後藤の大きな右手を握り締めた。
自分の中にある、弱気も、迷いも、緊張も、情熱も、信頼も、
すべてを預けるように強く、強く――――。
- 53 名前:「戸惑い」 投稿日:2002年01月20日(日)23時39分08秒
コートの周りをひとみと並んで走りながら、その様子を見ていた梨華は、
緊張で強張っていた心も身体も、少しずつほどけていくような気がしていた。
「きっと勝てるよね、よっすぃー?」
「勝つよ、絶対」
顔を見合わせて微笑んだあと二人が視線を前方に戻すと、サブアリーナの
入口で10人くらいの女子高生が手を振っているのが視界に入ってきた。
「ちょっと行ってくる」
と梨華に言い残し、ひとみは入口に向かって走って行く。
「あの、久しぶり…ってゆーか、なんというか…」
ひとみがしきりに髪をいじりながら照れくさそうにあいさつしたのは、
先月まで一緒に練習してきた上前女子高時代の仲間たちだった。
- 54 名前:「戸惑い」 投稿日:2002年01月20日(日)23時40分22秒
「なんか、ひとみが淑女のユニフォーム着てるなんて、おかしいね」
私服を着た同級生や先輩たちが、ユニフォームのあちこちをひっぱりながら
笑っている。
「よしざわの“4”から、2番になったんだね」
「セッターが1番、エースが2番をつけるのが淑女の伝統らしいんだけどさ、
ごっちんが2番をつけたがらないらしくて、この番号が空いてたみたい」
「そういえば後藤って、中学時代からずーっと10番つけてるもんね」
「あいつもごとうの“とう”で10番がいいとか言ってるクチなんじゃない?」
「それなら、ごとうの“5”でもいいじゃん」
そんな他愛のない話でも、吉澤の気持ちは和んだ。
「で、その後藤とはうまくいってるわけ?」
「…は、ははははは…」
痛いところを突かれ、ひとみは苦笑いするしかなかった。
- 55 名前:「戸惑い」 投稿日:2002年01月20日(日)23時42分25秒
「絶対共存に勝ってね、ひとみ」
「ひとみの夢がかなうことが、私たちの夢がかなうことでもあるから」
「………」
急にまじめな顔になり、先輩たちが万感の思いを込めて送った激励の言
葉に、ひとみの中で張り詰めていた細い糸がぷつん、と鋭い音を立てて
切れた。バレーボールを続けたくても続けられなかった仲間たちの心中
を思うと、ひとみの胸は張り裂けそうだった。
3年9ヶ月、いつも同じ夢を追いかけてきた仲間たち。ほんの2ヶ月半
前までは、この仲間たちとともに春高出場を目指し、泣きながら、歯を
食いしばりながら頑張ってきた。10月末に廃部が発表されたあとも、
モチベーションを落とすことなく最後の最後まで練習を続け、11月23日
の新人戦では、この予選の第2シードを勝ち取った。
しかし、本来であれば鮮やかなブルーのユニフォームを着て、
今日この場所にいるはずだった仲間たちは私服を着、
自分は淑女カラーのグリーンのユニフォームを着ている。
(どうして、こんなことになっちゃったんだろう…。)
- 56 名前:「戸惑い」 投稿日:2002年01月20日(日)23時43分32秒
考えても仕方のないことと、今まで心の奥底に閉じ込めてきた思いが、
ひとみの全身を駆け巡っていた。今までやってきたことのすべてが
嘘のように思えてきて、涙が出そうになった。
「スタンドで応援してるからね」「頑張ってね」
口々に激励の言葉を残して去って行く仲間たちの姿を見送り、
ひとみは一人、置いてけぼりにされたような気がしていた。
悲しみだけが、ひとみの心にあふれていた。
- 57 名前:「戸惑い」 投稿日:2002年01月20日(日)23時44分57秒
淑女学園ローテーション
○〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜○
(木村)(柴田)(吉澤)
(後藤)(藤本)(石川)
リベロ:ミカ
「お願いしまーすっ!」
14時40分。本日のメインイベント、Bコート第6試合準々決勝。
『共存学園VS淑女学園』の大一番。
スタンドでは両校の大応援団と、一足先に準決勝進出を決めた第1シー
ドの成功学園、第2シードの七王子実践が見守るなか、「因縁の対決」
の始まりを告げるホイッスルが鳴り響いた。
- 58 名前:「戸惑い」 投稿日:2002年01月20日(日)23時48分09秒
共存自慢のジャンプサーブが、後衛スタートの後藤をいきなり襲う。
後藤の唯一の弱点がサーブレシーブにあることなど、長年のライバル
たちは百も承知だ。
だが、後藤は難なくAキャッチを梨華に返すと、
センター柴田が矢のようなAクイックを共存コートに突き刺した。
幸先よいスタートを切って沸く淑女学園。
次のサーバーはジャンプサーブにも定評のあるひとみ、
そして前衛に後藤が上がってくるだけに、
一気に共存を突き放すチャンスがやって来た。
「よっしゃ吉澤、強烈なの1本かましたれ!」
ベンチの中澤からゲキが飛ぶ。
共存のレシーバーも相当警戒し、明らかに硬くなっている。
右手で高くボールを上げ、弓のようにしなやかにひとみの上体が反る。
- 59 名前:「戸惑い」 投稿日:2002年01月20日(日)23時49分26秒
しかし、ボールはひとみの手にしっかりとミートせず、ふらふらと力な
くネットに引っ掛かった。
中澤と矢口がベンチでずっこける。共存のレシーブ陣も一瞬拍子抜けし
たあと、1本で切れたことに胸を撫で下ろし、コートじゅうを走り回っ
て喜んでいる。
「どんまい、よっすぃー」
チームメイトたちの声に、ひとみは軽く手をあげて「ごめん」と謝った。
この時点ではまだ誰も、ひとみの異変に気づいている者はいなかった。
ある一人を除いて――。
- 60 名前:「戸惑い」 投稿日:2002年01月20日(日)23時50分35秒
中澤はまるで、大乱調時の後藤を見ているような錯覚に陥っていた。
しかし、乱調の主は後藤ではない。当の後藤はと言えば、故障する前よ
りさらにパワーもジャンプ力もアップし、爆音を伴ったスパイクをおも
しろいように炸裂させて、完全復活を遂げていた。
問題なのは、ひとみだった。1年生とは思えないほどの安定感がウリだ
ったひとみが、これまでに見たこともないほどひどい状況に陥っていた。
2Fのスタンドに入る大ホームランを放ったかと思えば、次はネットに
引っ掛け、また次はエンドライン側の壁一直線に向かう大ホームランと、
目も覆いたくなるような惨状だった。
(最初のサーブのときに気づくべきやったな…)
中澤が気づいたときにはもう、ひとみは大ホームランを打たなくなって
おり、ほとんどのスパイクをネットにかけるようになっていた。
アウトボールを打っている分にはまだ、それだけ腕が振れているという
ことで、微調整さえできれば回復の見込みがあるが、ネット超えしない
スパイクは精神面の問題であるため、周りにはどうすることもできない
のだ。
- 61 名前:「戸惑い」 投稿日:2002年01月20日(日)23時52分13秒
「相当、重症ですね。あんなよっすぃー見たことない…」
足を組んで難しい顔をしている中澤の隣りで、信じられないといった表
情の矢口がつぶやいた。
いいときと悪いときがはっきりしている後藤のことならあきらめもつく
が、悪いときには悪いなりにどうにかできるはずのひとみがこうなって
しまっては、中澤もお手上げだった。
だが、今日の後藤は、ひとみが不調な分を取り返してお釣りがくるほど
に、前衛でもバックでも強烈なスパイクをぶちかまして共存学園のレシ
ーブ陣を粉砕し、第1セットを25‐20でもぎ取った。
- 62 名前:「戸惑い」 投稿日:2002年01月20日(日)23時53分49秒
「吉澤、お前な…」
コートチェンジをし、うなだれたまま円陣に加わったひとみに、中澤が
何か言おうとすると、
「梨華、今日は全部あたしに上げていいよ」
タオルで汗をぬぐった後藤が、機嫌よく声をかける。
「ひざ、大丈夫?」
あまりにも飛ばしすぎている後藤を柴田が気遣うと、
「だから何でもないってば。人を病人扱いしないでよ」
後藤がふにゃっと笑う。相変わらず口は悪いが、その表情は、ケガする
以前の後藤のものに戻っていた。
「後藤、調子がいいからって、絶対気ぃぬくなよ!!」
中澤が喝を入れる。
共存学園が逆境に立たされてから強くなることは、今まで何度となく
痛い目にあわされてきた淑女学園の選手たちが一番よく知っていた。
「わかってますよ。でも、勝つのあたしたちです。見ててください」
こんなに頼もしい後藤の姿を、中澤は今までに見たことがなかった。
今日は見たことのないものばかりを見る不思議な日だ。
- 63 名前:「戸惑い」 投稿日:2002年01月20日(日)23時55分17秒
第2セットに入っても、ひとみは相変わらず弱気なスパイクをぺちょん、
ぺちょんと打ち続けていたが、後藤がスパイク、ジャンプサーブ、
バックアタックにレシーブと八面六臂の活躍でチームをひっぱった。
ゲームも終盤に差し掛かったところで20‐14と淑女学園リード。
あと5点。勝利は淑女学園の選手たちの手に届くところまで、
すぐそこまでやって来ていた。
しかし、さすがの後藤に疲れが見え始め、肩で息をし始めたのを共存学
園の選手たちが見逃すはずはなかった。
共存学園のエース伊藤のジャンプサーブがうなりをあげて後藤を襲う。
後藤が豪快に後ろに弾いたボールを追える者はいない。
共存学園の選手たちが、後藤の集中力が途切れたことを知る――――。
- 64 名前:「戸惑い」 投稿日:2002年01月20日(日)23時56分23秒
そこからは容赦がなかった。
サーブで徹底的に後藤をねらってサーブレシーブを乱すことに成功する
と、チャンスボールはすべて、後藤に向けてスパイクを打ち込まれた。
完全に集中力の切れた後藤は梨華にバックアタックを要求したが、力み
すぎてひとみ張りの大ホームランをスタンド一直線にぶち込んでしまう。
一度後藤がこうなると手がつけられない。こんなことはよくあることで、
慣れているつもりの中澤だが、一番大事な試合で一番悪い癖が出てしま
い、思わず顔をしかめた。結局、共存学園におもしろいようにコンビを
決められて7連続得点を許すと、20‐21と逆転を許し、たまらずに中澤
はタイムアウトを取った。
「な〜にが見てて下さいだ、あほんだら! あんたの胸くそわる〜なる
プレイなんか、もう二度と見たくないっちゅうねん!!」
中澤は後藤のほっぺたをきつくつねり上げた。
- 65 名前:「戸惑い」 投稿日:2002年01月20日(日)23時58分05秒
「後藤、サーブレシーブがつらいなら、リベロと代わるか?」
矢口が声をかける。
「いえ、あたしのバックアタックがなくなったら相手の思うツボだから」
後藤の言っていることは的を得ていた。現在のローテーションでは、
絶不調のひとみとセッターの梨華が前衛におり、実質、前衛のアタッカー
はセンターの柴田一人。しかし、後藤のサーブレシーブが返らないために
センターの速攻はないに等しく、後藤がバックアタックで頑張るしかない
状況だった。
「このセットを落としたら負けだというつもりで、死ぬ気でやり!」
中澤は鬼の形相でゲキを飛ばし、選手たちを送り出した。
もし、このセットを落としてフルセットにもつれ込むようなことになれ
ば、この試合に勝機はないだろうと中澤は考えていた。
久々の実戦となる後藤の体力がそろそろ限界に近づいていることは、
中澤だけではなく、チームメイトの誰もが悟っていた。
- 66 名前:「戸惑い」 投稿日:2002年01月20日(日)23時59分22秒
いつもより深めのポジションについたひとみは、振り向きざまに後藤に
言った。
「ごっちん、サーブレシーブはわたしが絶対上げるから、後はお願い」
後藤は小さくうなずいた。
ノー回転のジャンプサーブが後藤を目掛けて飛んでくる。
いつもならその時点でレフトに回り込むひとみがバックしてレシーブに
いくと、後藤はバックライトへ回り込んだ。
ひとみが態勢を崩しながらも、梨華にピンポイントのボールを返す。
後藤がバックアタックを呼ぶ――。
- 67 名前:「戸惑い」 投稿日:2002年01月21日(月)00時00分30秒
“ズキューン!!”
高く、しなやかなフォームで、後藤は稲妻を共存コートに突き刺した。
共存の選手たちが微動だにできない、会心の一撃だった。
結局、この1点で完全に復調した後藤が4連続得点して因縁の対決にケリ
をつけ、見事、昨年のリベンジを果たした。
うれし涙を流す選手たち、それをクールに装いながらも実は涙ぐんでいる
後藤、そして、号泣するひとみ、涙の意味はそれぞれだが、淑女学園は、
来週土曜日に駒沢体育館で行われる準決勝にコマを進めたのだった――。
- 68 名前:「戸惑い」 投稿日:2002年01月21日(月)00時01分55秒
「梨華ちゃん、今日はごめん……」
試合の帰り道、池袋の駅に着いて改札口のそばまでくると、それまで電車
の中で黙り込んでいたひとみが頭を下げた。神奈川から越境している梨華と
埼玉から越境しているひとみは、ここで別れなければならない。
「試合前に上高のみんなとしゃべってたら、
いろんなこと思い出しちゃったんでしょう?」
ひとみはこくりとうなずいた。
「私たち、春高に出るのが夢だった。去年、先輩たちが出られなかったの
をスタンドで見てて、自分たちが高等部に入ったら絶対に出るんだって、
みんなで頑張って…、新人戦でも2位になって…それなのに…」
うつむきながら泣き始めるひとみ。梨華はひとみのジャージの袖をつかみ、
人通りの少ない売店の後ろへ引っ張っていった。
- 69 名前:「戸惑い」 投稿日:2002年01月21日(月)00時03分01秒
「わたしたちは上前のユニフォームを着て、今日あの場所にいるはずだった。
それなのにどうしてみんなは私服を着てるんだろう…、どうしてわたしは
淑女のユニフォームを着てるんだろう…、結局、わたしたちが今まで
やってきたことって何だったんだろう…って、急にいろいろ考え始めたら、
止まらなくなっちゃったんだ」
「うん」
「わたしね、淑女に転校する前に、どこかで今までの自分を捨てなきゃ
ならないような気がしてた。今までの自分を閉じ込めなきゃいけない気が
して、知らないうちに自分の周りにバリアー張ってた。それが、みんなの
笑顔を見てたら、なんか肩に入ってた力が一気に抜けちゃって…」
ひとみのあふれる思いは、涙とともにとめどなく流れた。
ひとみと向き合って絶句する梨華は、しゃくり上げるひとみの髪を優しく
撫でながら、一緒に泣いていた。
- 70 名前:「戸惑い」 投稿日:2002年01月21日(月)00時04分46秒
「よっすぃー…、私じゃ上高のみんなの代わりには、なれない、かな?」
「……そんなことない…、そんなことないよ」
震える声でそう言うと、ひとみは頭を左右に振った。
「私じゃ頼りないかもしれないけど……、これから私たち、同じ夢に向かって
頑張ろうよ。その夢をかなえるためなら、私はどんな努力も惜しまない。
どんな協力だってするよ。だから、これからは私たちと一緒に夢を見よう?」
「ありがとう…梨華ちゃん……。もう二度とこんなこと言わないから。
もう絶対にこんなこと言わないから。だから今日だけは……ごめん」
梨華がうなだれたひとみの頭を優しく抱き寄せると、梨華の華奢な肩の
上で、ひとみはいつまでも泣き続けていた。
- 71 名前:S3250 投稿日:2002年01月21日(月)00時06分35秒
- 更新終了です。
>>47さん
ようやく戻ってこれました。
またぼちぼちやっていきます。
- 72 名前:名無しさん 投稿日:2002年01月21日(月)14時54分31秒
- 最高におもしろいですね〜。
お忙しい中、長編を書くのは大変でしょうが、是非、予選にとどまらず最後(春高の決勝)
までガンガってください。
- 73 名前:「温もり」 投稿日:2002年01月22日(火)23時35分12秒
「へぇ〜、あの吉澤がねぇ…」
月曜日の午後練が始まる前、中澤は体育教官室に矢口と市井を呼び、
Vリーグの遠征で昨日の試合を見られなかった市井に一部始終を報告
していた。
「まだ転校してきたばかりの吉澤に対して、過度な期待をかけてしまっ
たんやろか」
中澤が人差し指の爪でポリポリと頭をかく。
「いや、あんなにひどいプレーをする吉澤も、あんなに泣いてる吉澤も
初めて見たって、上高の連中も言ってましたよ。多分、試合前の緊張し
ている時に自分たちが会いに行ってしまったのがいけなかったって、謝
ってましたけどね…」
「スタメンで使うのは、もう少し気持ちが落ち着いてからのほうがええ
のやろか…」
「吉澤しだいですよね。心の問題は、自分自身で乗り越えないと、
周りがどんなに頑張っても解決できないから…」
市井は自分自身に言い聞かせるようにつぶやいた。
昨日のVリーグの試合で、市井は先輩たちがお膳立てした一番おいしい
場面でピンチサーバーとして起用されたのだが、一瞬の迷いから吉澤同
様、ジャンプサーブをネットに引っ掛けてしまい、そのことをずっと気
に病んでいたのだ。
- 74 名前:「温もり」 投稿日:2002年01月22日(火)23時36分49秒
- コン、コン。
三人の会話が詰まったところで、教官室のドアをノックする音がした。
「どうぞ〜」
中澤の代わりに矢口が声をかける。
すると、矢口と市井の姿を見つけて少し驚いたような表情をしたひとみ
が姿を現した。
「おお、どうした、よっさん!?」
中澤はひとみに気を遣わせないように、明るい口調で問いかけた。
「あの…、昨日はどうもすみませんでした!」
入口でペコリと頭を下げたひとみは、そのままの姿勢で一気にまくし立
て始めた。
「昨日の試合で先生の期待を裏切ってしまったのはわかってます。
信用を失ったのもわかってます。でも、もう一度だけ、もう一度だけ、
私にチャンスをください。お願いします!!」
- 75 名前:「温もり」 投稿日:2002年01月22日(火)23時43分12秒
「まぁ、入ってここに座り」
中澤は、空いている隣りの教師の回転イスをゴロゴロと転がしてきて、
ひとみを自分の隣りに来るように促した。
「失礼します」
大きな声であいさつをして、ひとみは勧められたイスに腰をかけた。
「なぁ、吉澤。あんたの揺れる気持ちはようわかる。
実際、うちのバレー部が上前のようなことになった時、
正直、自分が冷静でいられるとは思えない」
中澤はひとみの肩に手を置くと、わずか16歳で人生の岐路に立たされた
少女の、閉じかけた心の奥にまで届くようにと優しく訴えかけた。
「でもな、吉澤はもう淑女学園の仲間なんや。だからと言って、
焦る必要は全然ないよ。上前時代の思い出も、先生の指導も、
なんにも捨てる必要はない。全部持っておいで。
そして、ありのままの吉澤ひとみで、うちらに飛び込んでおいで」
- 76 名前:「温もり」 投稿日:2002年01月22日(火)23時45分03秒
ゆうべ散々泣き疲れて、もう涙など出ないと思っていたひとみだが、
思わず大粒の涙が一筋、こぼれ落ちた。
「もう、迷いません…」
それだけ言うと、ひとみは中澤の胸に思いっ切り飛び込んだ。
人の温もりに触れた安心感から、ひとみは声をあげて泣き始めた。
市井と矢口はうなずき合って立ち上がると、
そのまま何も言わずに教官室をあとにした。
- 77 名前:「誓い」 投稿日:2002年01月22日(火)23時48分04秒
――
――――
――――――
都予選最終日、1月19日土曜日、AM8:30。
決戦の場、駒沢体育館が開場すると、各校の選手、父兄、応援団たちが一斉に
スタンドを埋め尽くした。
ひとみはあえてスタンドには向かわず、一人、正面の階段を早足で下りていき、
試合会場となるアリーナへ向かった。
まだ誰にも乱されていない、ピーンと張り詰めた冷たい空気が心地よかった。
今日、準決勝第二試合で、第2シードの七王子実践と対戦する。
その試合に勝てば、春高バレー全国大会への出場が決定する。
もし廃部にさえならなければ、上前女子と淑女学園が対戦するはずだったのか
と思うと、人生ってほんとにわからないと思う。対戦相手である七王子実践の
エースが、上前時代にひとみと対角を組んでいた大森素子なのだから、なおさ
らのことだ。
同じチームで同じ夢を追っていた人たちと、今は別々の場所で同じ夢を追い、
別々の場所で同じ夢を追っていた人たちと、今は同じチームで同じ夢を追う。
大きく息を吸い込んだひとみは、しばらく目を閉じてみる。
脳裏には、今まで思い出さないようにしてきた様々な想いが交錯していた。
- 78 名前:「誓い」 投稿日:2002年01月22日(火)23時51分51秒
転校前――。
バレーボールに打ち込むために、約2年付き合った彼氏と別れた。
上前時代のことを思い出さないように、飾っていた写真とアルバムを隠した。
ユニフォームや練習着、制服、指定カバン、教科書、ノート、生徒手帳に
いたるまで、泣きながらクローゼットの奥へ押し込んだ。
まるで自分が、温かい家から追い出された迷子になったように感じていた。
自分で自分を追い詰め、すっかり心の舵を失ってしまった。
だから、目の前で両手を広げて受け入れてくれる人たちのことがまるで
見えていなかった。でも、自分は独りじゃなかったのだ。
- 79 名前:「誓い」 投稿日:2002年01月22日(火)23時53分45秒
もう、『もし…』と思うのはやめた。独り善がりなセンチメンタルで、
『仲間』たちが今まで築いてきたものを台無しにするわけにはいかない。
先週の分まで取り返そう、特に後藤に迷惑をかけてしまった分、彼女の助け
になることなら何でもしようと思った。
あの日、誰よりも早く、自分の異変に気づいてくれた後藤は、明らかに
オーバーペースでスパイクを打ちまくり、最後には体力を消耗してサーブで
ねらわれたが、それでも黙々と、一人で重い荷物を背負ってくれた。
お礼やおわびなどを言っても、きっと後藤は受け入れてくれないだろう。
だから必ず、プレーで返す。
そう心に誓っていると、後ろから誰かに優しく肩をたたかれた。
- 80 名前:「誓い」 投稿日:2002年01月22日(火)23時54分52秒
ひとみがゆっくり振り返ると、案の定そこには、心配そうに眉根を八の字に
寄せた梨華が佇み、困ったような笑顔を浮かべていた。
困った顔もかわいい…と思いながら、ひとみは自然と笑顔になって言った。
「もう心配しないで、梨華ちゃん。今日は準決勝一発で春高出場を決めて、
それを梨華ちゃんの誕生日プレゼントにするからさっ」
「よっすぃ…」
ホッとしたような表情で、ひとみの右肩におでこをのせる梨華。
ひとみはもう大丈夫、と言う代わりに、梨華の頭をぽんぽんっと軽くたたくと、
バッグを肩に引っ掛けて、スタンドへ上がって行った。
ずっとあこがれていた『強さ』と、先週見せた『脆さ』が同居する背中を
見送った梨華は、この時、ますますひとみのことを好きになっている自分に
気づいてしまったのだった――――。
- 81 名前:S3250 投稿日:2002年01月23日(水)00時06分45秒
- 更新終了です。
予選はさっさと終わらせてしまうつもりが、この先全く話が進みません…。
>>72さん
け、決勝ですか!? 決勝かぁ…(遠い目)
自分の表現力があまりにも未熟なので
そこまでたどりつけるのかどうか(汗
- 82 名前:名無しさん 投稿日:2002年01月27日(日)13時38分49秒
- スポーツもの、いいですね。
お気に入りに追加して、楽しませて頂いてます。
- 83 名前:「罠」 投稿日:2002年01月27日(日)20時28分09秒
スタンドに荷物を置いた淑女学園の選手たちは、体育館前に集合し、
駒沢公園内へランニングに出た。
木々の隙間からは木漏れ日が差し込み、小鳥がさえずっている。
決戦を迎える前とは思えないほど、穏やかな朝だった。
ランニングで体を温め、軽いストレッチと対人パスで体をほぐすと、
9:30から始まる女子準決勝第一試合の成功学園vs文東女子の試合
を観戦するため、全員スタンドに上がった。
向かい側では、全校応援の召集をかけられた両校の生徒たちが、メ
ガホンを鳴らしながら、センターコートの中央で一礼した選手たち
に声援を送っている。関東一円で放送されるテレビ用のライトも華
やかにコートを照らし出し、いやがおうにも緊張感が高まってくる。
- 84 名前:「罠」 投稿日:2002年01月27日(日)20時29分09秒
ピーッ。
主審のホイッスルとともに、決戦の火蓋が切って落とされた。
平均身長177cmという超大型の成功学園に対し、平均身長で10cm
も下回っている文東女子が、持ち味である“ミラクルレシーブ”で
食い下がり、一進一退の攻防を繰り広げている。
センターの柴田と美貴が両校のスパイクのコースを見極め、ブロッ
クの位置取りを確認し合い、その隣りでは梨華が相手のブロックシ
ステムを食い入るように見つめている。
ひとみとあさみ、そして今回はリベロではなく控えのエースとして
登録しているミカの三人は、レシーブ隊形に穴がないかどうかをチ
ェックし、研究用のビデオにも出てこなかったコンビがあれば、徹
底的に頭にたたき込んだ。他の控えの選手たちも分担して、ひとり
ひとりのスパイクコースをノートに書き込んでいる。
一人、後藤だけがチームメイトから少し離れ、雑念をはらうかのよ
うに目を閉じて、目の前の試合を見ようともしなかった。
- 85 名前:「罠」 投稿日:2002年01月27日(日)20時30分09秒
「よっしゃ、みんな下行くぞ!」
第2セット、成功学園が10点目を取ったのを見届けて、矢口が声を
かけた。
言い知れぬ緊張感がメンバーの全身を駆け巡る。
後藤の長いまつげがゆっくりと上がった。
ひとみは誰よりも早くアリーナへ下りて行き、コートサイドで再び
戦況をにらむ。その場でジャンプをしたり、屈伸したりしてせわし
なく足を動かしていると、誰かにベンチコートの背中を引っ張られ
て振り返った。
「ひとみ、久しぶりだね」
声の主は、先月まで上前女子でエース対角を組んでいた、同級生の
大森素子だった。上前女子中学3年の春からバレーボールを始めた
とあってキャリアこそないが、180cmを超す長身で、ツボにはまっ
た時の打点の高さとスパイクの角度はひとみの比ではない。素材だ
けなら超高校級と言われている逸材だった。
- 86 名前:「罠」 投稿日:2002年01月27日(日)20時30分55秒
「久しぶりだね、素子。元気だった?」
「うん。先週スタンドで見てたけど、ひとみのほうは全然元気ない
みたいだね。今日もそうだとうれしいんだけどな」
「先週みたくはならないよ。今日は絶対うちが勝たせてもらうから」
「私ももう、いつまでもひとみの裏エースじゃないからさ、ひとみ
にだけは絶対に負けないよ」
ライバル心をむき出しにした言葉を残した大森に笑顔はなく、
じゃあ、と片手をあげると、そのまま背中を向けて去っていった。
大森が心理戦を仕掛けてきたことはわかっていた。
先週ひとみが大乱調に陥った原因など、瞬く間にライバルたちに
知れ渡っているはずだ。一度弱みを見せたら徹底的に攻め込まれる、
勝負の世界では当たり前のことだ。
- 87 名前:「罠」 投稿日:2002年01月27日(日)20時31分45秒
しかし、今は何を言われようと、ひとみの心は揺れなかった。
1週間足らずの間に心の整理がつき、完全に吹っ切れていた。
(絶対、次の試合で春高行きを決める!!)
心の中でそう決意したとき、成功学園が粘る文東女子を振り切り、
セットカウント2‐0のストレートで春高出場と決勝進出を決め、
ひとみの目の前で喜びを爆発させていた。
- 88 名前:「罠」 投稿日:2002年01月27日(日)20時32分43秒
第1試合が終わると、一斉に淑女学園と七王子実践の選手たちが
コートに散らばり、対人パスを始めた。
コート中に白球が飛び交うなか、梨華の肩に余計な力が入り、
パスがぶれていることを見てとったひとみは、
梨華のほうに小走りで近づいていく。
「梨華ちゃんに怖い顔は似合わない♪」
おでこがくっつくくらいの近さでひとみは言うと、
軽く梨華のほっぺたをつねり、優しく微笑みかけた。
- 89 名前:「罠」 投稿日:2002年01月27日(日)20時34分02秒
「怖くないもん!」
顔を真っ赤にしてほっぺたをふくらませた梨華もすぐに笑い返した
が、副審のホイッスルが公式練習の開始を知らせると、二人とも
引き締まった表情になり、早速3人レシーブに入った。
まだ、故障が完治したわけではない後藤だけが輪から外れて矢口と
対人パスを続け、他のメンバーたちは、中澤が四方八方に飛ばす
ボールを追いかける。先週と同じ光景だ。
ベンチにどっかりと座って足を組み、悠然とその姿を見ていた
七王子実践の名将・菊名は、ニヤリ、と不気味な笑みを浮かべた。
- 90 名前:「罠」 投稿日:2002年01月27日(日)20時34分58秒
プロトコールの終わりを告げる笛が鳴ると、両校のベンチ前で円陣
が組まれた。
「えーか、今年の七王子はたいしたことあらへん。くれぐれも名前
負けしたらあかんで。自信持って行ってこい!!」
「淑女は所詮、ケツの青い1年生連中だ。弱みにつけこめばすぐに
自滅するからな、作戦どおりに行け!」
監督のゲキを受けた選手たちがサイドラインに整列すると、主審、
副審とともにコート中央まで歩いて行き、正面スタンドのほうへ振
り返る。今までの喧騒がウソのように、一瞬の静寂に包まれた。
- 91 名前:「罠」 投稿日:2002年01月27日(日)20時36分02秒
==これから、女子準決勝第二試合、七王子実践対淑女学園の試合
が行われます。両校の選手たちに盛大な声援をお送りください==
会場じゅうに響くアナウンスとともに、両校の全校生徒と父兄たち
が手にしていたメガホンを打ち鳴らし、再び大騒音が沸き起こった。
選手たちはスタンドに一礼すると、ネットに駆け寄ってこれから対
戦する相手と握手を交わし、再びベンチ前で円陣を組む。
中澤は多くを口にすることなく、
「とにかく打って打って打ちまくれ。思いっ切り暴れてこい!!」と
大声でゲキを飛ばした。
12人の選手たちと、中澤、矢口の右手を重ね合わせると、
キャプテン柴田の発声でいつもの気合いを入れた。
「頑張っていきまっ」「しょい!!」
その掛け声とともに、淑女学園スターティングシックスが決戦の場
へと散って行った。
- 92 名前:「罠」 投稿日:2002年01月27日(日)20時37分02秒
中澤は深い呼吸を一つすると、七王子コートに目をやり、ローテー
ションの確認をした。吉澤、後藤とともに全国屈指の1年生エース
と言われている福田明日香と、182センチの長身エース大森素子の
表裏が、先週とは逆になっている。
(フン。大森を吉澤に当てて、動揺を誘おうって魂胆か)
しかし、中澤のこの予想は、まんまと的を外していた。
監督歴40年、春高最多出場記録を持つ七王子の菊名は、もっと恐ろ
しいこと――、淑女学園に精神的にも肉体的にも大きなダメージを
与える“奇策”を考えていたのであった――。
- 93 名前:「罠」 投稿日:2002年01月27日(日)20時38分11秒
リベロ:中川
(S加藤)(C斉藤)(L福田)
(L大森)(C山崎)(R川原)
○〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜○
(R木村)(C柴田)(L吉澤)
(L後藤)(C藤本)(S石川)
リベロ:なし
ピーッ。
長い笛の音が鳴り、梨華のジャンピングフローターサーブでゲーム
が始まった。
リベロの中川が正確なサーブレシーブを返し、山崎のAクイックが
炸裂する。
(さぁて、今日の吉澤はどうかな…)
菊名は、あごのひげをさすりながら、相手エースの様子を刺すよう
な視線でうかがっていた。
大森の緩いサーブが後藤の前にふらふらっと落ちる。
床にはいつくばりながらも後藤が拾うと、すばやくボールの下に入
った梨華はきれいなバックトスを上げ、ひとみのライト平行が鮮や
かに決まった。
- 94 名前:「罠」 投稿日:2002年01月27日(日)20時39分09秒
(ほう。1週間で戻してきたか…)
名将・菊名が相手の調子を見極めるには、この1本のスパイクで
十分だった。
ひとみがサーブに下がる。
ひとみの脳裏には、先週の悪夢の映像がよぎっていたが、
なぜか大昔のことのような、他人事のような気がしていた。
きれいなフォームから繰り出された強烈なジャンピングサーブは、
ものすごいスピードでネットぎりぎりを通過し、大森の代わりに入
っているリベロの中川を正面から襲った。中川の肩口に当たったボ
ールは、彼女の小さな体もろとも、後ろへ吹っ飛んだ。
レシーブの要であるリベロが、全くレシーブの形を取れないまま吹
き飛ばされた姿を目の当たりにした七王子の選手たちも、この一球
ですぐさま、先週の吉澤ひとみとは別人であることを悟った。
- 95 名前:「罠」 投稿日:2002年01月27日(日)20時39分55秒
間髪入れず、次はスライス回転のかかったジャンプサーブが中川を
襲う。右へ逃げて行くボールを追い切れず、中川の右腕を弾いたボ
ールは遥か後方へ飛んでいった。この2本でまず、中川がつぶれた。
次は、川原か斉藤か。ひとみが選択したのはレシーブが苦手な斉藤
だった。エンドラインぎりぎりに落ちるサーブを斉藤がアウトジャ
ッジをしたが、無情にもオン・ザ・ライン。
すっかり弱気になった斉藤は自分の範囲に飛んで来たサーブを中川
任せにして追わず、鋭いサーブが斉藤と中川の間に突き刺さった。
やむを得ず、川原と福田が2歩深めに守ると、今度はコート中央に
サーブを落とされ、全員一歩も動けずにお見合い。
淑女学園が5‐1とリードを広げたところで、早くも菊名が1回目の
タイムアウトを取った。
- 96 名前:「罠」 投稿日:2002年01月27日(日)20時40分46秒
「お前ら、逃げるんだったらこのまま棄権しちまえよ!!」
「いいえ!!」
「全員ユニフォーム脱いで、とっとと家に帰れ!!」
「いいえ!!」
「だったらあんなサーブ、顔面であげるくらいの根性見せろよ!!」
「はい!!」
菊名の強烈な怒声を浴びて、七王子のメンバーはコートに散った。
ひとみ次の標的は、1年生エースの福田だった。
ジャストミートした強烈なジャンプサーブが福田を襲う。
しかし、なんと福田はレシーブの構えを取りもせず、
直立不動でひとみのサーブを待っていた。
- 97 名前:「罠」 投稿日:2002年01月27日(日)20時42分07秒
“グワッシャ”
鈍い音を立てて、ボールが顔面を直撃。
少し間があいてポトリ…と福田の足元にボールが転がった。
騒がしい会場が一瞬にして静かになったが、すぐさま淑女学園側の
スタンドが喜びに沸く。
「明日香、大丈夫?」
慌てた七王子のメンバーが、うつむいている福田に駆け寄った。
顔を上げた福田の鼻からは赤黒い血が流れている。
「鼻血!」
ベンチに向かってティッシュを要求した斉藤をさえぎるように、
福田は淡々と2年生たちに言った。
「先輩、あの強烈なサーブをまともに食らったって、たかだかこの
程度の鼻血ですよ。これくらいの血なんて、今まで何度となく流し
てきたじゃないですか。怖いことなんて、何もないですよ」
福田の体を張った顔面レシーブは、勢いに押され、弱気になってい
た七王子の2年生たちを一気に勇気づけた。
- 98 名前:「罠」 投稿日:2002年01月27日(日)20時43分42秒
「よしっ! 1本、1本!」
「ここから、ここから!」
このワンプレーですっかり立ち直った七王子実践は、
サイドアウトをきっちり取って4‐8とし、
ついに『秘密兵器』の大森が前衛に上がってきた。
(さぁ、ここから淑女の諸君にお楽しみいただこうか)
福田のサーブが手前に落ちてあさみのサーブレシーブが乱れ、梨華
がすばやくフォローしたものの、トスがネットに近すぎたため、
レフトの後藤が体をひねってかろうじて押し込んだ。
それを福田がレシーブすると、セッター加藤がきれいに弧を描いた
理想的なトスを、レフトの大森に上げる。
ブロックに跳ぶ美貴と梨華、腰を低くして待ち構える淑女レシーブ陣。
背中を大きく反った大森の右手から繰り出されたクロスは――――、
- 99 名前:「罠」 投稿日:2002年01月27日(日)20時44分40秒
レフト後藤の目の前にポトリと落ちる、フェイントだった。
- 100 名前:S3250 投稿日:2002年01月27日(日)20時49分25秒
- 更新終了です。
自分で100ゲット。なんだかむなしい…。
>>82さん
せっかくお気に入りに追加していただいたのに
更新遅くてすみません。
バレーボールものを書くと言いつつ、全く書けず…。
もう少々、このぐだぐだの予選にお付き合いください。
- 101 名前:名無しさん 投稿日:2002年01月28日(月)20時40分50秒
- いやあまじ面白いっす!
作者さん、気長に待ってますんで、自分のペースで
続けていってください。
- 102 名前:名無し 投稿日:2002年01月29日(火)02時37分49秒
- 初めて読みました。
試合の風景が目に浮かぶようです。
続き期待してます。
- 103 名前:「罠」 投稿日:2002年02月19日(火)23時25分24秒
(!!!!!)
目の前に転々と転がるボールをあ然と見つめる後藤。
(打ち損ねた?の?)
後藤は戸惑いを表情に出さないように立ち上がり、左手で拾い上げ
たボールを副審に手渡して自分のポジションに戻ったが、まったく
腑に落ちなかった。
(どうしてフェイントした?)
ひとみも、心の中で自問自答を繰り返していた。
助走もタイミングもバッチリだった。
トスも長さも高さも打ちごろだった。
(素子なら、真上からたたきつけられたはず…。)
(打ち損ね? 違う! 作戦? わからない…)
- 104 名前:「罠」 投稿日:2002年02月19日(火)23時26分57秒
福田は淑女学園に考える時間を与えないうちに、強烈なドライブサ
ーブを今度は柴田に向けて打つ。ふだん後衛でリベロと交代してい
る柴田が、サーブレシーブに不安を抱えていることは容易にわかる。
案の定、柴田はボールの勢いをコントロールできず、七王子コート
にダイレクトボールが返った。福田がすばやくレシーブを返すと、
セッター加藤がレフト平行トスを上げる。
大森の助走の入りはドンピシャ。
再び、梨華と美貴がブロックに跳んだが、美貴がレフトに寄るのが
遅れ、間を抜かれることを予測した柴田がブロックの間チャンをフ
ォロー、あさみがストレートを塞ぎ、ひとみと後藤がクロスをケア、
一瞬のうちに万全のレシーブ態勢を整えた。
しかし、速いスイングから大森の繰り出したスパイクは、またして
も後藤の前にフワリと落ちていった。
後藤は躊躇なく、右手を伸ばして思いっ切り突っ込んだが、間一髪
間に合わず、勢い余って七王子コートまで滑り込んで行ってしまっ
た。後藤の頭上では、七王子の選手たちがコート中を走り回り、喜
びに沸く声が響いている。
- 105 名前:「罠」 投稿日:2002年02月19日(火)23時28分17秒
(上等じゃん!!)
後藤の負けず嫌いに着火した。
“待ち”のサーブレシーブは大の苦手だが、反射神経と運動神経が
必要とされるスパイクレシーブは、むしろ得意なのだ。
(これは策略だ…。ごっちんにフェイントを拾わせるため、の?)
ひとみは七王子が意図していることの真意をつかみかねていた。い
や、本当はわかっていたのだが、そんな卑怯な手を大森が使うなん
て信じたくなかった。
ワックスの効き過ぎたフロアーを気にした後藤は、シューズの裏に
手のひらをこすりつけて即席の滑り止めにし、キュキュッとシュー
ズを踏み鳴らす。汗で重くなった長い前髪をかき上げると、強い視
線で大森をにらみつけた。
(もう絶対、落とさない!!)
- 106 名前:「罠」 投稿日:2002年02月19日(火)23時29分16秒
そんな後藤の殺気立った様子を気にするでもなく、福田のドライブ
サーブは淡々と、しかし確実に柴田をねらう。柴田はまたしてもボ
ールの勢いを殺すことができず、サーブレシーブは梨華の頭上を超
えていった。梨華は思い切りジャンプして辛うじてツーで押し込ん
だが、簡単に拾われてまたしてもセッターにきれいにボールが返る。
その瞬間、後藤が一歩前に出てフェイントを拾いに行く構えを見せ
る。それを見たセッター加藤はリリースの直前までボールを引き付
けると、絶妙なバックトスを上げてライトに振った。
(やられた!!)
センターからライトに移動していた斉藤のストレートが炸裂――!!
- 107 名前:「罠」 投稿日:2002年02月19日(火)23時30分07秒
とだれもが思ったとき、コースを読み、サイドライン際に構えてい
たひとみが、いとも簡単にレシーブを上げた。
「梨華あ、上がったあ!」
ほぼ低位置に返ってきたボールを梨華がジャンプトスでレフトオー
プンを上げると、後藤は驚異的なジャンプ力で、ブロックの上から
力まかせに叩きつけた。
“うっわあああぁぁぁぁぁ!!!”
大歓声がうねりのように会場中から沸き起こリ、淑女学園の選手た
ちもコート中を走り回って喜びを表現した。
ぴりぴりと神経が張り詰めていた後藤はサーブに下がると、2回、
3回とボールをフロアーにバウンドさせて、ようやく一息つくこと
ができた。
- 108 名前:「罠」 投稿日:2002年02月19日(火)23時31分21秒
しかし、ここでサイドアウトを取られることも七王子実践の計算通
りだったとは、淑女学園の誰もが知る由もない。
(それでいい。それでいいんだ)
足を組み、あごひげをさすりながら、菊名は大きく一つうなずいた。
七王子の悪魔のトラップは、ここから始まるのだ――。
- 109 名前:「罠」 投稿日:2002年02月19日(火)23時33分06秒
(L福田)(R川原)(LB中川)
(C斉藤)(S加藤)(L大森)
○〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜○
(L吉澤)(S石川)(C藤本)
(C柴田)(R木村)(L後藤)
後藤はひざへの負担を考えてジャンピングサーブをやめ、深い位置
から手元で変化するフローターサーブを福田めがけて放った。しか
し飄々とボールの正面に入った福田は、難なくサーブレシーブを返
すと、加藤が大森に平行トスを上げ、またしても大森はフェイント
を落とした。あまりに速い切り返しに、サーブ位置から戻り切れな
かった後藤の前で、力なくボールがバウンドしていた。
- 110 名前:「罠」 投稿日:2002年02月19日(火)23時34分18秒
その後、サーバーの斉藤は徹底的に後藤の前にサーブを落とし、乱
れて返ったボールはすべて大森がフェイント、フェイント、フェイ
ント――。大森は自分に上がったボールはすべて、絶妙なコントロ
ールで後藤の前に落とした。あさみがフォローに行こうとすると、
強打やセンターの速攻に切り替えるため、周りのレシーバーは下手
に動けない。
本来であれば、サーブレシーブの後にシフトチェンジし、後藤をバ
ックレフトに移動させてレシーブのいい吉澤に近づけたいのだが、
サーブレシーブで前に態勢を崩されてしまう後藤は、バックライト
から身動きが取れることができなかった。
(フフフ…。そこにいるかぎり吉澤は助けてはくれないゾ、後藤君)
菊名は笑いが止まらない。
一方の中澤は、イライラの局地に達していた。
「今のはホールやろ、ホール! 審判どこに目ぇつけとんねん!!」
中澤のホールディングを指摘する抗議の度が過ぎ、キャプテン柴田
が主審に呼ばれて忠告を受けたあと、ベンチに向けてイエローカー
ドが提示された。中澤は手を上げて反省のポーズを見せたが、腹の
虫は収まらない。
- 111 名前:「罠」 投稿日:2002年02月19日(火)23時35分13秒
(私の弱気が裏目に出てしもた…)
ヒザに爆弾を抱えている後藤にフェイント攻撃を仕掛けてくる七王
子の戦略よりも、むしろ中澤は自分の弱さに腹を立てていた。
一見吹っ切れたように見える吉澤が、今週もまた不調に陥らないと
は言い切れない。それにもし、故障明けの後藤に万一のことが起き
た場合、代わりとなる選手がいない。中澤はどうしてもあともう一
枚、控えのエースをベンチに置いておきたかった。
適任者はひとみが来る前まで後藤の対角を担っていたミカしかいな
かったが、ルール上、リベロで登録した選手は、その試合中に他の
ポジションで起用することが出来ない。そこで、レシーブ面に不安
を抱えることに目をつむってでも、あえてリベロを置かずにエース
に保険をかけることを選んだ。
だが、結局それが裏目に出て、選手たちを心理的に苦しめることに
なってしまったのだ。
- 112 名前:「罠」 投稿日:2002年02月19日(火)23時36分25秒
4連続得点を許し、9−10と逆転されたところで重い腰をあげた
中澤は、1回目のタイムアウトを取った。
「とにかく1本サーブレシーブ頑張って、ワンローテしよ。
1本、1本。1本頑張ろっ!!」
中澤はパンパンっと手をたたき、選手たちを激励した。
「頑張っていきまっ」「しょいっ!!」
掛け声一発、6人がコートに散っていく。
引き続き七王子の斉藤のサーブが、後藤の右前、サイドラインぎり
ぎりに向かって放たれる。ヒザをついた態勢で、自信を持って見送
った後藤だったが、ボールはストンと、線上に落ちた。
“ピッ”
後藤の頭上で主審がサイドラインを指差し、「イン」を告げる。
9‐11。
- 113 名前:「罠」 投稿日:2002年02月19日(火)23時37分18秒
(ちきしょー!!!)
何もかもがうまくいかず、珍しく感情を表に出した後藤は、
手のひらで床をたたきつけて悔しがった。
(弱点をつくのはあたりまえだとしても、
故障箇所を痛めつけるなんてやり方、絶対に許せない!!)
ふだんは温厚で人前で怒ったことなど一度もないひとみだが、はっ
きりと七王子の策略の意図を悟り、思わずこぶしを強く握りしめた。
そのとき――――――。
“ピ――ッ”
精神の高ぶりをかきむしるような、副審のホイッスルが鳴り響く。
何気なく顔を上げた後藤が、ひとみが、そして淑女学園のメンバー
がベンチの前に見たのは、まるで信じられない光景だった。
- 114 名前:S3250 投稿日:2002年02月19日(火)23時42分59秒
- 久々の更新です。
と言っても、話はほとんど進んでないのですが…。
また忙しくならないうちに予選は終わらせます。
>>101-102さん
本当に書けなくて凹んでいるときにレスをいただいたので
ものすごく励みになりました。
かなりまたーりしてますが、お付き合いくださいね。
- 115 名前:名無しさん 投稿日:2002年02月21日(木)01時21分57秒
- バレーは唯一好きなスポーツなんで、この作品とっても楽しみにしてます。
試合の描写がすごく大変そうですけど、がんばって下さいね。
- 116 名前:「罠」 投稿日:2002年02月23日(土)21時32分22秒
コート上のメンバーの視線は、一斉に中澤に向けられていた。
ベンチを立ち、胸の前でぐるぐると両手を回してメンバーチェンジ
を告げる中澤。その横にはミカが立ち、悲しげな瞳で後藤をまっす
ぐに見つめていた。
床に四つんばいになっていた後藤は、メンバーチェンジの相手が自
分なのだと悟るのに、少し時間がかかった。中学時代から、どんな
にミスをしても、どんなに不調でも、メンバーチェンジをされたこ
となどただの一度もなかったからだ。
「…先生……」
梨華は眉根をひそめ、今にも泣き出しそうな顔で中澤を見ていた。
ひとみは下を向いて唇をかみしめ、爪が手のひらに刺さって血が出
そうになるくらい、両こぶしを握り締めた。
他のメンバーたちも責めるような視線で中澤を見ている。
ゆっくりと立ち上がってふらふらと歩いていった後藤は、ミカと手
を合わせてコートを出ると、振り返って軽くコートに一礼した。な
ぜかミカが「ゴメン…」と後藤の耳元でささやき、コートに入って
いった。
- 117 名前:「罠」 投稿日:2002年02月23日(土)21時33分04秒
「前衛からまた行くで、ごっちん!」
中澤は短く後藤に声をかけたが、その声が後藤の耳に届いているの
かどうかはわからなかった。
矢口からスポーツタオルとドリンクボトルを受け取ってベンチに腰
掛けた後藤は、頭からすっぽりとタオルをかぶってうなだれた。
中澤も矢口も、後藤の肩が小刻みに揺れているのに気づいていた。
見て見ないふりをしてコート内の選手たちにゲキを飛ばし続けたが、
その間も中澤の胸中には、鈍い痛みが走っていた。
(ずっとチームを支えてきてくれたエースのプライドを、
ボロボロに傷つけてしまった…)
ミスをしたから引っ込めたわけではない。
後藤なら、どこかできっかけを作って立ち直り、必ずチームを勝利
に導いてくれるはずだと信じていたし、もし、立ち直れないのであ
れば、後藤と心中でも構わなかった。
- 118 名前:「罠」 投稿日:2002年02月23日(土)21時33分50秒
しかし、中澤にとって、勝敗よりも、後藤のプライドよりも、後藤
の身体のほうが大切だった。このままひざを打ち付ける動作を繰り
返していれば、そのうち爆弾が悲鳴を上げ、日常生活にも支障を
きたしてしまうおそれがある。
非情だと思うかもしれない。それでもいい。今まで築き上げてきた
信頼関係を壊してしまうかもしれない。それでもいい。
中澤はメンバーたちの責めるような視線を正面からすべて受け止め、
冷血に徹した。
この非常事態を受けて、淑女学園の選手たちのアドレナリンが一気
に噴出した。
口を真一文字に結んだ梨華が、ネットを背にしてサインを出す。
前衛のひとみと美貴、バックの柴田が小さくうなずいた。
斉藤の伸びるサーブが柴田を襲ってくる。
- 119 名前:「罠」 投稿日:2002年02月23日(土)21時34分43秒
(そう何度もやられるか!!)
態勢を崩しながらも柴田がオーバーハンドでサーブレシーブを返す
と、すかさずひとみがB、美貴がCに入る。しかし、このダブルク
イックをおとりに跳ばせて梨華が選択したのは、バックセンターに
回り込んだキャプテンの柴田だった。
“ヴァズンッッ!”
ノーマークの柴田が目の醒めるようなバックアタックを放ち、七王
子のレシーバーを体ごとふっ飛ばした。
その後も、ひとみの容赦ないスパイクの雨あられでレシーブ陣を総
くずれにし、20‐13。淑女学園7点リードでひとみがサーブに下が
ると、ミカが前衛に上がってきた。
「ごっちん、行くで」
中澤はメンバーチェンジを告げて後藤をコートに戻した。コート上
もスタンドも大いに沸き立ったが、後藤はクールな表情を崩さない
まま、コート上のメンバーとハイタッチすると、ぐるりと大きく右
肩を回し、ブロックの構えをとった。
- 120 名前:「罠」 投稿日:2002年02月23日(土)21時35分54秒
ひとみのジャンプサーブがリベロの中川を襲い、乱れたレシーブを
川原がフォローして二段トスを上げる。後藤がすばやいサイドステ
ップでブロックにつき、3枚ブロックで止めにかかったが、福田は
全身をバネのようにしならせると、起死回生の強烈なクロスを淑女
コートに突き刺した。
右手で軽くガッツポーズをした福田は、ネット越しに後藤を見据え
て小さくうなずくと、それを見た後藤もうなずき返した。
言葉は交わさなくとも、二人はここで正々堂々の勝負を挑んだのだ。
柴田が時間差のサインを出し、それを確認した後藤がオープン、あ
さみがワイドのサインを後衛の梨華に出す。
山崎のサーブを美貴がしっかりと腰を落としてAキャッチ。定石な
らばセンターかライトのクイックだが、梨華はセンター・ライトを
使うつもりは毛頭なかった。
「ごっちん、行け――――!!」
梨華、そして、バックで守るチームメイトたちの叫ぶような声に押
されるように、後藤はものすごい高さの打点から、アタックライン
の内側に突き刺す伝家の宝刀、“超クロス”を炸裂させた。
とどめの一発だった――――。
- 121 名前:「罠」 投稿日:2002年02月23日(土)21時38分12秒
結局、この後、淑女学園は一度もサイドアウトを許すことなく、25
‐14でこのセットをもぎ取った。
第2セットは大森のクセを見抜いたひとみが徹底的にフェイントを
拾いまくって後藤を助けると、後藤vs福田の壮絶な1年生エース同
士の打ち合いを後藤が制し、ついに24-18のマッチポイント。
最後も後藤が必殺の超クロスをさく裂させ、後藤は右腕を高々と上げ
ると、高い天井を見上げて大きなガッツポーズを作った。
私立淑女学園高等学校
3年ぶりの春高出場と、5年ぶりの決勝進出決定
後藤を囲んだ淑女学園の選手たちが一つの輪になり、
大きな夢をつかまえた喜びを、抱き合いながら分かち合う。
そこに涙はなく、誰もが笑顔、笑顔だった――。
- 122 名前:「涙の重み」 投稿日:2002年02月23日(土)21時39分14秒
控え室に戻ってからも一人一人が抱き合って喜びに沸いていたが、
テレビ局のインタビューを終えた中澤が入ってきた途端、室内に
静けさが戻った。中澤は目にかかった前髪を軽くはらうと、両手
を腰にあて、ゆっくりと口を開いた。
「去年の夏からほんまにいろいろあったけど、みんなご苦労さん。
そして、おめでとう。今、みんなを一人一人抱きしめてやりたい
気持ちでいっぱいや。でも、まだそれはせえへん。
あともう一試合、決勝に勝って、第一代表で春高に行くで」
「はいっ」
それだけ言うと、中澤は控え室を後にした。
それからも歓喜の時間は続いていたが、後藤は一人、興奮さめやら
ぬ控え室を出て、冷え切った床に座り込んでぺりぺりとテーピング
をはがし始めた。
スタンドで応援していた保健教諭兼メディカルトレーナーの保田圭
は、後藤の姿を見つけると、小走りに駆け寄ってきて、残りのテー
ピングをはがすのを手伝った。
- 123 名前:「涙の重み」 投稿日:2002年02月23日(土)21時40分46秒
「ま、とりあえずは春高出場、おめでと」
「とりあえず、ありがと」
後藤が照れたような笑顔を保田に向けた。
「ったく〜。無理するから炎症起こしてるじゃんか」
「あは、ごめん」
保田は後藤の右ひざを触診し、早速、処置を始める。
「大丈夫?」
「痛みはないけど、やばいかもしんない」
「そんなのはわかってるって。そうじゃなくて、ベンチに下げられ
たとき、泣いてたみたいだから、さ」
保田はアイシングの袋を後藤の右ひざに置くと、袋ごとぐるぐると
テープで巻きつけて、しっかりと固定した。
- 124 名前:「涙の重み」 投稿日:2002年02月23日(土)21時41分54秒
「決勝は、みんなにまかせたらどう?」
心配そうに後藤の顔を覗き込む保田。しかし、束ねた髪をほどいた
後藤は、目を閉じ、無言のまま首を左右に振った。
「心配かけてごめん。でも、後藤はどうしても第一代表で春高に行
きたいから…。半年間、それだけを目標にして頑張ってきたから…」
「ねぇ、後藤。どうしてそんなに第一代表にこだわるの? 春高に
行けるなら、1位でも2位でもいいじゃない」
「よくない。1位じゃなきゃ、ダメなの」
後藤は小さなため息を一つつくと、アイシングしているひざを撫で
ながら、ポツリと漏らした。
- 125 名前:「涙の重み」 投稿日:2002年02月23日(土)21時43分41秒
「いちーちゃんとの…、約束なんだ」
「紗耶香との、約束?」
「…去年ね、いちーちゃんがこの予選で負けたあと、あの控え室で
ずっと泣いてたのね。後藤はさ、そんないちーちゃん見るのが初
めてだったから、どうやって励ましたらいいのかわかんなくて…。
来年は絶対、後藤が第一代表で淑女を春高に連れてくからって、
だから泣かないでって言ったの。そしたら、いちーちゃん、泣き
ながらだけど笑ってくれて、“絶対、連れてってくれよ”って
言ったんだ」
「そうだったの…」
「インターハイ前にケガした時、こんなつらい思いするくらいなら
バレーやめようって本気で思った。でも、その時、いちーちゃん
のあの日の声を思い出したの。人が聞いたらバカみたいに思うか
もしれない。でも後藤にとっては、あの約束だけが心の支えだった」
きついリハビリに文句一つ言うでもなく、全身を貫く痛みと、思う
ようにいかない悔しさに涙を流しながらも黙々と頑張ってきた姿を
間近で見てきた保田は、胸がじんと熱くなった。
- 126 名前:「涙の重み」 投稿日:2002年02月23日(土)21時44分58秒
「圭ちゃん、春高って、どうして3月の終わりにやるんだろうね。
卒業式前にやってくれれば、3年生も出られるのに…。一度で
いいから、いちーちゃんと一緒に、全国大会出たかったなぁ…」
健気な後藤の言葉に涙が出そうになる。
保田はそれを悟られないよう、怒ったような口調で後藤に言った。
「完治の時期は遅れるし、まだまだつらいリハビリが待ってるんだ
から、覚悟しときなさいよ!」
「迷惑かけてごめんなさい。またよろしくお願いします」
軽く頭を下げた後藤の肩まで伸びた髪を、保田は優しく撫でてそっ
と抱き寄せた。
(紗耶香がここにいれば、この子の心の傷も、ひざの痛みもきっと、
癒してあげられるのに…)
一時凌ぎの痛みを取り除いてやることしかできない保田はもどかし
さと歯がゆさを感じながら、今日もまた、地方のどこかでVリーグ
に参戦している市井のことを想った。
- 127 名前:「涙の重み」 投稿日:2002年02月23日(土)21時46分44秒
そんな二人の視界に、音もなく人影が差し込む。
二人が振り返ると、今、戦いを終えたばかりの七王子実践のエース、
福田明日香が、まだ汗のひかない頬を上気させて佇んでいた。
「じゃあ、私は他のメンバーの様子を見てくるね」
機転を利かせた保田が外すと、福田は後藤に向かって深々と頭を下
げた。
「今日は、卑怯なマネしてごめん」
「どうして謝るの? 福田さんは正々堂々と戦ってくれたじゃん」
後藤が座ったまま上目遣いで首をかしげると、福田は後藤の隣りに
そっと座り込み、両ひざを抱えた。
「ほんとはね、あの役目、私がするはずだったんだ」
苦悩に顔をしかめながら、福田は続けた。
「でも、私も昔、じん帯伸ばしたことがあって、あの痛みのつらさ
がわかってたから、どうしても出来なかった。そしたら素子が、
チームの役に立つんだったらって、誰もやりたがらない汚れ役を
引き受けてくれたの」
- 128 名前:「涙の重み」 投稿日:2002年02月23日(土)21時48分05秒
「そう…だったんだ…」
「上前から転校してきて2週間足らずで、早くチームに溶け込もう
と必死だったんだと思う。だから、こんなこと、私が言うのも変
だけど、恨まないであげてほしい」
「大丈夫。恨んでなんか、ないから」
「ありがと」
ようやく、肩の荷が下りたのか、福田は小さく笑顔を作った。
「それにしても、後藤さんとひとみ、きっといいコンビになるね。
もしうちにひとみが来てくれたら、もっといいコンビになる自信
あったんだけど、土壇場でフラれちゃったからね」
「えっ?」
「ひとみと素子が一緒にうちに来るって話がほとんど決まってたの、
知らなかった? だからうちの監督もそれを前提にチーム作りを
考えてたんだけどさ、最後に淑女に持ってかれちゃって、最悪よ」
そう言って、今度は楽しそうに笑った。
「でも、彼女たちもかわいそうだよね。しなくてもいい苦労してさ。
…って、人の心配してる場合じゃなかった。3決で勝たなくちゃ」
- 129 名前:「涙の重み」 投稿日:2002年02月23日(土)21時49分05秒
そう言って腰をあげ、その場を去ろうとした福田の背中に、後藤は
思い切って声をかけた。
「福田さん」
「ん?」
「今度は、春高の決勝で戦おうね」
「…うん。その時は正々堂々と戦うよ」
- 130 名前:「涙の重み」 投稿日:2002年02月23日(土)21時50分57秒
そのころ、駒沢通りを往来する車の流れを、橋の上からぼんやりと
見下ろしている中澤の姿を見つけた梨華は、ゆっくりと歩み寄って
行った。
「先生…ちょっとよろしいですか?」
おずおずと問いかける梨華を見た中澤は「ええよ」と短く返事した。
何を言いたいのかは、話を聞かなくてもよくわかる。
「先生、もう二度と、ごっちんを途中で下げるのはやめてください。
お願いします」
梨華は額がひざにつくくらい深いお辞儀をして、一息に懇願した。
「代えたくて代えたわけちゃうわ。あのまま無理させてケガを再発
させるわけにはいかんことくらい、あんたにもわかるやろ?」
凹んでいる中澤には、いつもの元気と勢いはない。
「でも、ごっちんがこの半年、どんなに努力してきたか、先生だっ
てよく知ってるはずじゃないですかっ!!」
梨華の勢いに押され、一瞬目を伏せた中澤は、鋭い眼光を梨華に向
けて、静かにつぶやいた。
「知ってるからこそ、ここでつぶすわけにはいかない」
- 131 名前:「涙の重み」 投稿日:2002年02月23日(土)21時52分09秒
言葉の重みと中澤の迫力にに圧倒され、梨華は返す言葉が見つからず
にうつ向いてしまった。後藤への想いは、形や表現こそ違えど、中澤
も梨華も、同じくらいに深かった。
「だけどな、もう二度と後藤を代えたりせぇへん。
あんたらがしっかりと、ごっちんを支えてやり」
その一言で、さっきまで世界中の不幸を全部背負い込んだような暗い
顔が一気に晴れた梨華は、「はい。わかりましたっ」と元気よく返事
をし、中澤に一礼すると、軽やかに体育館へと戻っていった。
「吉澤に、柴田に、石川、か…。おせっかいばっかりや…」
ふう…と深いため息一つ。中澤は青白く晴れた空を見上げ、瞳を閉じた。
- 132 名前:S3250 投稿日:2002年02月23日(土)21時59分24秒
ようやく準決が終了しました。
>>115さん
ほんとはランニングスコアだけなんとなくつけて
さくさく終わらせるつもりだったんですが、どうせ
バレーボールというマイナー競技を書くのなら、
ボールを触っていない人の動きも伝えられたら…と
思ったが最後、泥沼にはまって、ホント大変っ(w
とりあえず、あと1試合だぁ…。
- 133 名前:名無しさん 投稿日:2002年02月23日(土)23時04分54秒
- おもしろい。スポーツの熱さと現実の娘。たちの熱さがリンクするね。
バレーボールマイナーじゃないと思ふ…
三屋さん、カッケーかったなぁ。と、歳がっ(笑
- 134 名前:名無しー 投稿日:2002年02月24日(日)01時37分32秒
- 初レスざんす。いや〜、バレー好きのオレにはたまらん小説ですわ!しかしこの小説、吉澤主役ぢゃなかったでしたっけ?
- 135 名前:名無しさん 投稿日:2002年02月24日(日)18時11分45秒
- クールで通してきたごっちんの熱い想いが・・・。
それを支ようとする裕ちゃん圭ちゃん梨華ちゃん他のメンバー達
の優しい気持ちが・・。
そして試合後ライバル明日香との爽やかな和解が・・。
いやぁ〜、今回の更新は、熱くて熱くて、もう目がウルウルです。
- 136 名前:独りじゃない 投稿日:2002年03月03日(日)17時05分58秒
男子準決勝、男女3位決定戦を終え、ついに迎えた東京都女子決勝。
優勝候補筆頭、第1シードの成功学園vs小粒なタレント集団、ノー
シードの淑女学園戦の大一番は、すでにプロトコールが始まっている。
淑女学園の決勝戦の相手となる成功学園は、U‐17全日本ユース代
表を3人擁し、全国大会でも優勝候補筆頭の、高校バレーボール界
最強チームである。
187cm横山加奈と186cm荒川エリカの日本女子最高にして最強のタッグ
「ツインタワー」の二人と、横山加奈の妹、180cmの大型1年生エース
横山未来が、打って打って打ちまくるという、平均身長177cmの超大型
かつ、超攻撃型チームだった。
- 137 名前:独りじゃない 投稿日:2002年03月03日(日)17時06分57秒
「梨華ちゃん、あとボール1個分、アンテナまで伸ばしてもらえるかな」
「うん、わかった」
まだ、コンビを合わせて間もないひとみと梨華は、本番直前のこの
期に及んでも、入念にトスの確認作業をしていた。梨華がひとみの
打ちやすいトスを体得するにはあまりに時間がなく、まだまだひと
みの持っている力を最大限に発揮させることが出来ていなかった。
梨華がネガティブになってパニックに陥りやすいことを、敵同士で
あるころから知っていたひとみは、極力、試合前や試合中の要求を
控えめにしていたが、今回は相手が相手だけに、トスが短くては打
つコースが限定され、すべてシャットアウトを食らってしまう。だ
から、あえて要求をはっきりと伝え、梨華もそれにこたえようと、
必死に指先の感覚を調整していた。
- 138 名前:独りじゃない 投稿日:2002年03月03日(日)17時08分27秒
“ピーッ”
副審の長い笛とともに、両校の応援団が鳴り物を止めると、会場中
がしーんと静まり返る。
大きな掛け声とともに二つの円陣が解けると、両校の選手たちが主
審、副審とともにコート中央で整列した。
==大変長らくお待たせいたしました。これから、東京都女子決勝、
成功学園対淑女学園の試合が行われます。会場のみなさま、
両校の選手たちに、盛大なご声援と拍手をお送りください==
ドドドドドドド…という腹の底まで響き渡るような鳴り物の音とと
もに、両校のスタンドから大声援が降り注ぐ中、握手を終えた選手
たちは両サイドに分かれ、再びベンチ前で円陣を組んだ。
「小よく大を制す、っちゅーとこ見せたれっ!!」
中澤がゲキを飛ばすと、12人の選手たちは、右手を重ね合わせる。
「頑張っていきまっ」「しょい!!」
掛け声とともに、淑女学園スターティングメンバーが決戦の場へと
散って行った。
- 139 名前:独りじゃない 投稿日:2002年03月03日(日)17時10分28秒
- (正直、ここまで来れるなんて思わんかったで……)
ベンチに腰かけ、感慨深く選手たちの背中を見つめる中澤。
しかし、視線をずらして成功学園のローテを確認し、隣りに座って
いる矢口と目を合わせると、思わず、ふっと声を出して笑ってしまった。
(今日はことごとく、弱気が裏目に出る日っちゅーことやな)
- 140 名前:独りじゃない 投稿日:2002年03月03日(日)17時11分32秒
実は、第1セットのローテーションを提出する際、中澤は最後の最
後まで悩んだあげく、AとIの番号を入れ替え、ひとみと後藤の表
裏を逆にした。そうすることによって、ツインタワーとぶつかるの
は、大きな選手を苦にしない、技巧派エースのひとみとなる。あま
りフォーメーションをいじりたくはないが、後藤の身体のことを考
えると、これが最善策だと思えた。
しかし、成功学園も一か八かでローテーションをずらし、ツインタ
ワーを後藤にぶつけてきたらしい。
成功学園の監督歴12年の大川も、淑女学園のローテを確認し、中澤
がまんまと思惑通りに引っ掛かってきたことに思わずニヤリとして、
慌てて右手で口元をごしごしとさすった。
(まったく、菊名監督の言うとおりにハマッてきたな…。
吉澤に打ちまくられたらやっかいだが、後藤相手ならどうにかなる)
- 141 名前:独りじゃない 投稿日:2002年03月03日(日)17時12分12秒
そして、15時ジャスト。
全国の強豪校の関係者も偵察に来ている注目の大一番は、
梨華のサーブから始まった。
LB:広瀬
(R国 仲)(L横山妹)(C太 川)
(C荒 川)(L横山姉)(S大 神)
○〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜○
(R木 村)(C柴 田)(L後 藤)
(L吉 澤)(C藤 本)(S石 川)
LB:ミカ
センター太川に代わって入ったリベロの広瀬が、きれいにレシーブ
を返すと、セッター大神はセオリーどおり、エースにオープントス
を上げる。
思いっ切り助走を取り、両腕を高く振り上げた横山姉は、
梨華とミカの間に強烈な爆弾を落とした。
- 142 名前:独りじゃない 投稿日:2002年03月03日(日)17時13分12秒
サーブ権が成功学園に移動すると、今度は後藤が、第一試合の影響
をみじんも感じさせないような高さで、横山姉のブロックを弾き飛
ばす、猛烈なパワフルスパイクで応酬。
後藤に代わって前衛に上がってきたひとみも、バネのような跳躍力
から切れ味鋭いカミソリスパイクをたたき込むと、それに負けじと
横山妹が、大型エースらしからぬ器用さでコース打ちを披露。
第1セットは、レフトエース4人のスパイクショーとなり、一進一
退の白熱した攻防が続く。
20‐20の同点の緊迫した場面で均衡を破ったのは、ひとみだった。
弓のようにしなる全身から放たれた矢のようなスパイクを、前衛レ
フトの横山妹と後衛レフトの横山姉の間に絶妙に突き刺すと、姉妹
は肩口から思い切り衝突した。ここで一瞬のためらいと戸惑いを見
せた成功学園は、大型チームにありがちなレシーブの不安をさらけ
だして一気に崩れ、25‐20で淑女学園が第1セットを先取した。
- 143 名前:独りじゃない 投稿日:2002年03月03日(日)17時14分18秒
「いや〜、淑女学園、ノーシードとは思えない強さですねぇ〜」
この試合の実況を担当している男性アナウンサーが思わずうなると、
解説の元全日本・増子直美が、
「精神面で心配されていた吉澤さん、身体面で心配されていた後藤
さんですが、このエースコンビが結成されてから、初めてと言って
いいほど、二人のバランス関係がうまく機能していますね」
と分析した。
そう。吉澤ひとみという大きな戦力を得た淑女学園だったが、メン
バーが一人変われば、作戦もフォーメーションもガラリと変わる。
今までアイコンタクトで通してきたことがそうはいかず、チームと
してのバランス感覚を失っていた。
しかし、たった11日間の短い間に様々なハードルを乗り越えた選手
たちは、今、ようやくここで一つのチームになったのだ。
汗がほとばしり、イキイキとプレーしている選手たちを見て、
中澤は目頭が熱くなっていた。
コート上の選手一人一人の顔も、充実している。
- 144 名前:独りじゃない 投稿日:2002年03月03日(日)17時15分10秒
しかし、人知れず時間と闘いに焦りを感じている選手が一人――。
エース後藤真希に残された時間は、あとわずかしかなかった。
- 145 名前:独りじゃない 投稿日:2002年03月04日(月)00時25分46秒
チェンジコートをした後、中澤はもうこれ以上、ローテーションを
いじるのはやめようと決め、矢口に「このまま行く」と告げた。そ
の言葉を受けた矢口は第1セットと同じローテを書き込み、副審に
提出した。成功学園サイドも同様に、動きはなかった。
成功学園、国仲のサーブから始まった第2セットは、全日本ユース
トリオがプライドを見せて、怒とうの猛反撃に転じた。
体重80kg近くある横山姉、荒川のツインタワーが、高い打点から体
重の乗った砲弾を真下に浴びせたのでは、淑女のレシーブ陣も手の
ほどこしようがない。
高さとパワーの成功に対し、スピードとコンビで対抗する淑女だが、
すべて1回でサイドアウトを奪い返され、連続得点に持ち込むこと
ができない。
結局、このセットを19‐25で成功学園に奪取され、後藤が最も恐れ
ていたファイナルセットへ突入してしまった。
ベンチに座り、タオルに顔をうずめた後藤は、イライラして貧乏ゆ
すりを始めた。
- 146 名前:独りじゃない 投稿日:2002年03月04日(月)00時26分54秒
(早く試合を決めなくっちゃ…)
何やらキリキリとしていて様子のおかしい後藤を見て、
「ごっちん、どうしたの?」と、メンバーたちが口々に声をかける。
しかし、メンバーたちのいたわりさえも、今はうざったく感じられ、
「何でもないっ!!」と、思わず大きな声を出してしまった。
そのとがった自分の声に驚いて、ハッと我に返った後藤は、
「ごめん。ちょっと考え事してたから…」とすぐに謝り、そのまま
ベンチに背を向けて立ち上がった。
目を閉じて天井を仰ぐ。
歓声やざわめきが、洪水のように降ってくる。
軽いめまいを感じて大きく息を吸い込むと、
深いため息を一つ、吐き出した。
(あと15分、いや10分持つかな…)
後藤の右ひざには、ぴりぴりとした感覚が戻り始めていたのである。
後藤は、この試合が始まる前、通院している病院のドクターから
『お守り』としてもらっていた、痛み止めの錠剤を服用していた。
- 147 名前:独りじゃない 投稿日:2002年03月04日(月)00時28分01秒
-
――――いいかい、この薬はね、どうしても痛くて痛くて仕方がな
くなった時、病院に着くまでの時間稼ぎのために渡しておくものだ
からね。ものすごく効力が強くて、副作用がきつい薬だから、むや
みに飲んじゃいけないよ。
――――この薬は…、何分くらい効き目が持つんですか?
――――長くて40〜45分かな。でも、間違っても、試合前や試合中
に服用しちゃだめだよ。その後の回復が約束できなくなるからね。
-
- 148 名前:独りじゃない 投稿日:2002年03月04日(月)00時29分24秒
(この試合だけ、この試合だけは、どうしても勝ちたい――)
その後のことはどうでも構わなかった。もし、バレーボールが続け
られなくなったとしても、未練はない。
後藤には、この試合を戦い抜くために、不安なんてなんない魔法が
必要だった。しかし、その魔法のタイムリミットが、しびれととも
に、すぐそこまで近づいている。
(お願い、早く始まって…)
タオルで口を押さえて一点を凝視する後藤。汗をふきながらその姿
を注意深く見ていた吉澤は、“彼女のために自分が出来ること”を、
ずっと頭の中で考えていた。
成功学園の選手たちが、小細工なしで真っ向勝負を挑んでくる後藤
より、コースを打ち分け、ブロックを利用したスパイクを得意とす
る自分のほうを苦手としているのは、ひとみ自身よくわかっていた。
(マッチポイントまでは、何が何でもわたしが取る!)
ひとみが、鬼気迫る後藤の小さな背中に誓った時、会場の興奮と熱
気の空気の層を引き裂くように、ファイナルセットの開始を告げる
ホイッスルが鳴り響いた。
- 149 名前:独りじゃない 投稿日:2002年03月04日(月)00時30分23秒
とにかく、ツインタワーがバックに回ったときが勝負とばかりに、
ひとみは序盤から、カミソリスパイクを打って打って打ちまくる。
上背では横山妹より10cm近く劣っているひとみだが、80cmを超え
るズバ抜けたジャンプ力を持つひとみのほうが、最高到達点で15cm
近く勝っていた。ブロックの上から、あるいは巧みにブロックを利
用してブロックアウトを狙い、12‐5と大差を広げる。
会場中が、淑女学園がこのままストレートで優勝か、という雰囲気
に包まれたその時、異変は目に見える形で起こった。
梨華が前衛に上がってきた後藤にオープンを上げ、後藤が両足で強
く踏み切ったその瞬間、右足が外側に傾き、グラリ、と右に態勢を
崩したのだ。
すばやくバックから飛び込んだひとみが、ツインタワーの上にふわ
りとフェイントを押し込んで事無きを得たが、驚いて腰を半分浮か
せていた中澤は、振り向きざまにブザーを押してタイムアウトを要
求し、後藤に詰め寄った。
- 150 名前:独りじゃない 投稿日:2002年03月04日(月)00時31分53秒
「ご、後藤、あんた、足…」
「あは、ちょっと滑っちゃって…。カッコわるいなぁ、も〜」
頭をかいて、わざと軽い調子で言い逃れたが、この時間さえ、後藤
にとっては惜しかった。心の中では、カチコチカチコチと時を刻む
音が響いている。
「ほんとに何でもないんか? どう見てもおかしいやろ」
「ほんとに何でもないです。大丈夫です」
ひとみは後藤の横顔と右ひざを交互に見て、絶望感に襲われていた。
気づかれないように必死で我慢しているのだろうが、後藤のひざが、
わずかに震えている。
今すぐここで、プレーをやめさせたい。
しかし、第一代表に異常なまでの執着を見せている後藤に、最後の
スパイクを決めさせてあげたかったし、決めてほしかった。
後藤の異状を中澤に伝えたほうがいいことはわかっている。でも、
もし伝えれば、この試合で後藤が使われることはないかもしれない。
果たしてそれが、後藤のためになることなのか…。
ひとみは自分の中に渦巻くジレンマを周りに気づかれまいと、必死
に耐えていた。
- 151 名前:独りじゃない 投稿日:2002年03月04日(月)00時32分37秒
一方、成功学園監督の大川は、中澤の慌てぶりを遠目に見て、ほく
そ笑んだ。
「後藤が前衛レフトにいる今が一番のチャンスだ。エリカも加奈も、
スパイクは全部後藤に打て。七王子のようにフェイントもありだか
らな。お前ら絶対、負けんなよっ!!」
「はいっ!!」
タイムアウトが明けると、ツインタワーが作戦どおり、強烈な集中
砲火を後藤に浴びせる。
ひとみ、あさみ、ミカの三人が懸命にフォローしたが、サーブ権を
奪い返した時には、13‐10まで詰められてしまった。
ようやくコートチェンジとなり、小走りでコートを移動する後藤の
額には脂汗が浮き、無意識のうちに奥歯で歯ぎしりしていた。
(時間が、ない!!)
後藤もひとみも焦っていた。
狙い打ちされる後藤を、ひとみがさりげなく、しかし徹底的にカバー
する。真下に落とされるスパイクにも、手のひら一枚すべり込ませて
つなぎ、後藤が痺れるひざをかばいながらスパイクを決める。
2ローテして、ようやく後藤がサーブに下がった。
- 152 名前:独りじゃない 投稿日:2002年03月04日(月)00時33分51秒
ひとみは、自分が前衛にいるうちに、できるだけ時間と得点を稼ごう
と、サーブレシーブもこなしつつ、レフト平行、柴田のクイックを絡
めた時間差、ストレートにクロスと、自在にコースを打ち分けていく。
少しブレたトスでも、スパイクを決めるたびに、「ナイストス!」と、
まずはトスを褒め、1本1本笑顔で声をかけてくれるひとみに、
梨華は心の底から信頼を寄せ、安心してトスを上げることができた。
ひとみの優しい笑顔を見るたび、梨華はともすると緊張で縮こまっ
てしまいそうになる自分を奮い立たせ、大胆かつ繊細になることが
できた。
柴田も、ひとみが「1年生bPエース」と言われる本当の理由が初めて
わかった気がした。技術だけがすごいのではない。
プレーで周りをひっぱり、笑顔でみんなに自信を持たせてくれる。
本来、キャプテンである自分が持ち合わせていなければならない能力が、
ひとみには完ぺきに備わっていたのだ。
- 153 名前:独りじゃない 投稿日:2002年03月04日(月)00時34分41秒
梨華とひとみのホットラインが最大限の力を発揮した今、成功学園
は右往左往するばかりとなり、ついに24−19、淑女学園が1回目の
マッチポイントを握った。
スパイクを決めたひとみにサーブ順が回り、代わりに後藤が前衛に
上がってくる。
マッチポイントはあと4回。
そのうち1本決めれば、淑女学園の優勝が決まる。
(どうにか、間に合ったかな…)
ひとみはサーブに下がりながら、ホッとひと息ついた。ベンチで足
を組み、表面上では難しそうな顔をしていた中澤も内心では安堵し、
「よっすぃー、サーブ1本!」と声をかけた矢口も、今にもベンチ
を飛び出していきそうだった。
ひとみのジャンプサーブは、リベロのサーブレシーブを乱したもの
の、難しい二段トスを荒川に打ち切られて24−20とされた。しかし、
その次の攻撃で後藤が決めてゲームセット、となるはずだ。
- 154 名前:独りじゃない 投稿日:2002年03月04日(月)00時37分58秒
サーブのいい成功学園・横山妹の重いサーブが入る。
それを柴田がAキャッチ。
梨華がぎりぎりまでブロッカーを引き付け、美しい弧を描いたトス。
後藤が最後の力を振り絞って会心のジャンプ――。
一瞬、美貴のクイックに気を取られた荒川の寄りが遅れ、横山妹と
荒川の間に間チャンが出来た。
後藤の視界にレシーバーが二人いたが、恐らく弾き飛ばせる。
(決まった!)
後藤は、ゲームセットを確信した。
しかし――――。
次の瞬間、喜びを爆発させたのは、淑女学園ではなく、成功学園サ
イドだった。後藤が足元に視線を落とすと、クロスに突き刺したは
ずのボールがコロコロ…と転がっている。
(えっ? ブロックされたの?)
- 155 名前:独りじゃない 投稿日:2002年03月04日(月)00時39分19秒
「ごっちん、どんまーい。1本、1本!」
チームメイトたちが何事もないように声をかけ、人差し指を立てる。
どうやら遅れて跳んだ荒川の指に、ほぼ奇跡的にボールがひっかか
ってブロックされたらしい。
あれはまぐれだと、すぐに気持を切り替えるべきだったのだが、渾
身のスパイクを止められた後藤の中には、迷いが生じていた。
再び、小山妹が重いサーブを打つ。手元で伸びるサーブに柴田のカ
ットが多少ズレたが、すばやくボールの下にもぐりこんだ梨華がき
れいにオープンに上げる。
「ごっちん、おねがーい」「行け―!!」
叫びにも似た声が錯綜するなかで、再び後藤は痛むひざにムチを打
って高々とジャンプし、豪快なスパイクを放った。
“バッチーン!!”
- 156 名前:独りじゃない 投稿日:2002年03月04日(月)00時40分19秒
キャァ〜〜 ウワァ〜〜〜ッッ!!
歓声なのか、悲鳴なのかわからない声が、会場じゅうに轟いた。
後藤が思い切り体重を乗せて打った、重い音のするパワフルな
“超クロス”を、待ち構えていた小山姉がシャットアウトしたのだ。
コート狭しと走り回り、喜びを爆発させている成功学園の選手たち。
そして、呆然自失の後藤。
24-22
この1本でがぜん、わからなくなった。
いまだマッチポイントを握っているのは淑女学園である。
しかし、まるで形勢が逆転したような雰囲気。
たまらず中澤が、1回目のタイムアウトを要求する。
- 157 名前:独りじゃない 投稿日:2002年03月04日(月)00時40分59秒
「ごっちん、自分を信じて!!」
円陣に加わる前、ひとみは後藤に歩み寄って声をかけたが、
「えらそーに言わないでよっ!! たかだか2本止められたくらいで」
気の立っている後藤は、めずらしく声を荒げた。
(ごっちん…。私のせいだ、絶対…)
後藤のあからさまな不機嫌な態度を見て、柴田は準決勝後のやりとり
を思い出すと、胸がズキン、と痛んだ。
- 158 名前:S3250 投稿日:2002年03月04日(月)00時51分39秒
夕方、更新中に急用が入って変なところで止めてしまいましたが、
今日の更新はここまでです。
>>133さん
バレーって、マイナーじゃないですかね? メジャーだったら
うれしいんですが…。ちなみに自分は江上派でした! って歳が(W
>>134さん
あ〜痛いとこ突かれました。基本的に吉澤主役のアンサンブルって
ことにしといてください(汗
ビバヒルのように、いつの間にか主役一家がいなくなって、最後の最後は
ドナ(ここで言うと石川?)が主役だったわけ?なんてことには
ならないように気をつけます(W
>>135さん
実は、熱さが伝わらない! というのが自分の悩みだったので
非常にうれしいレスでした。ありがとうございます。
ようやく、予選が終わるメドが立ちました。
ごっつぁん、もう少しだ。がんばってくれ〜と、エールを送りながら
書いているアホ作者であります。
- 159 名前:名無しさん 投稿日:2002年03月04日(月)01時55分27秒
- >141
もう、歳がばれるとか なんであろうが 書き込まずにいられようか!!
そうです!恐らく現在までの最強のリベロは”広瀬美代子”です!
あの頃にこのルールがあったなら!と現在の試合を見つつ唸り続けて
います。 …… ごめんなさい 内容とは全く関係なくて。
- 160 名前:しーちゃん 投稿日:2002年03月04日(月)15時11分09秒
- がんばれぇぇ〜!ごっちん!!
すごく話に引き込まれました。がんばって下さい。
- 161 名前:名無しさん 投稿日:2002年03月04日(月)19時39分56秒
- う〜ん、いいところで・・・。
つづき、待ちきれませ〜ん。
- 162 名前:S3250 投稿日:2002年03月05日(火)00時58分30秒
- ごめんなさい。間違えてました。
>>155
×小山妹→○横山妹
>>156
×小山姉→○横山姉
他にもいっぱい誤字脱字はあるのですが、登場人物の名前を
間違えるのはあまりにもひどいので…。すみません。
レスくださった皆さん、ありがとうございます。
今日はまだ仕事が終わらないのですが、
明日(遅くとも明後日)には更新できると思います。
レスはまたあらためて…。
- 163 名前:名無しさん 投稿日:2002年03月05日(火)20時37分03秒
- お忙しい中、ご苦労さまです。
続き、気になりますが、どうか作者さんのペースでガンガってください。
- 164 名前:独りじゃない 投稿日:2002年03月06日(水)00時52分19秒
―
「あ、こんなとこにいたんだ! 探したよ〜」
スタンドの一番上で、男子の準決勝を見るでもなくぼんやりと視線
を漂わせていた後藤を見つけた柴田は、持っていた仕出し弁当を一
つ手渡した。
「はいっ、おべんと。この試合が終わったらアップ始めるらしいか
ら、早く食べたほうがいいよ」
「わかった」
じゃあ、と言って一度階段を下りかけた柴田は、勢いよく振り返っ
て「ごっちん…」と呼ぶと、いきなり頭を下げた。
「さっきは足ひっぱってごめん…」
ふっと鼻先で笑った後藤は、静かに首を左右に振る。
「サーブレシーブのこと言ってんなら、人のこと言えないから気に
しないでよ。あたしにどうにかする力が足りなかっただけだから」
一番付き合いの長い自分にさえ弱音を吐くことをしない後藤の強が
りが、柴田にはつらかった。
「決勝は、ごっちんに負担かけないように頑張るから!」
ふわっと笑ってみせた後藤に、先にアップしてるね、と言い残して
階段を下りていく柴田の背中を、今度は後藤が呼び止めた。
- 165 名前:独りじゃない 投稿日:2002年03月06日(水)00時53分09秒
「柴ちゃん」
「え?」
「ちょっと聞いてもいい?」
何? という顔で再び階段を上り、後藤の前の席に横向きに座った
柴田は、「どーしたの?」と聞いた。
「よっすぃーってさ…、七王子に行く話があったってホント?」
後藤から“よっすぃー”という言葉が発せられたのを初めて耳にし
た柴田は、一瞬驚いて突っ込もうとしたが、後藤がそういうことで
からかわれるのが大嫌いなことを知っている柴田は、あえて触れな
いでおいた。
「うん。私もてっきり七王子に行くもんだって思ってた」
「なのに、なんでうちに来たの?」
「あ〜、私は本人から直接聞いたわけじゃないけど、美貴に聞いた
話だと、上前から近いからみたいだよ」
「…って、それだけ?」
「昔からよく話してた梨華がいたからとか、そんな感じだった」
「ふーん。ずいぶん、いい加減なんだね」
- 166 名前:独りじゃない 投稿日:2002年03月06日(水)00時53分56秒
それきり無言になった後藤に不安を感じた柴田は、前から気になっ
ていたことを、意を決して聞いてみた。
「ごっちんは、よっすぃーのこと歓迎できない?」
少し間があいたあと、冷めた口調で後藤は言い放った。
「できるわけないじゃん」
二人の間に決定的な溝を作ってしまったような気がして、柴田は
ひとみをかばう言葉を探したが、何か言えばムキになる後藤の性格
を知っているだけに、何も言えずにその場を無言で去った。
(私は何を言ってあげればよかったんだろう…)
―――――――
- 167 名前:独りじゃない 投稿日:2002年03月06日(水)00時54分40秒
「吉澤、あんたバックアタック打てへんか?」
中澤の衝撃的な一言で、柴田は我に返った。そしてこの一言は、
自信を失いかけていた後藤のエースのプライドを決定的に傷つけた。
「最後はあたしで勝負させてくださいっ!!」
後藤はいつになく、熱っぽい口調で訴えた。
「あんたには聞いてへん。吉澤に聞いとるんや!!」
「打てますけど、梨華とは一度も合わせたことないですし、まだ2
点リードしてるんですから、ごっちんで勝負すべきだと思います」
と冷静に返答するひとみに、
「悠長なことゆーとる場合やないやろ!! セッターがあと2ローテ
も前衛にいるときにエースが決められなかったら、スクランブルで
いくしかないんや!!」
つかみかかるように中澤が怒鳴りつけた。
- 168 名前:独りじゃない 投稿日:2002年03月06日(水)00時55分37秒
たかが1点、されど1点。
その1点の取り方こそが、このチームにとって、後藤にとって大事
だということを、誰に言われるでもなくひとみは悟っていた。
第一代表にこだわる後藤。
それをフォローし続けるチームメイトたち。
事情はわからないが、最後の1点を後藤の右腕で取らなければ、
優勝してもきっと、意味がないのだ。
- 169 名前:独りじゃない 投稿日:2002年03月06日(水)00時56分28秒
ピーッ。
あっと言う間にタイムアウトの終わりを告げるホイッスルが鳴った。
円陣を組み、掛け声をかけたあとで、中澤は梨華のユニフォームの
袖口をひっぱって呼び止めた。
「Aキャッチ入ったら、美貴のクイックで終わらせろ」
と小声でささやいて送り出す。
それを見て、梨華に歩み寄っていった後藤は「全部あたしに上げて」
と声をかけ、ベンチに背を向けたひとみも、「ごっちんで勝負だよ」
と梨華の肩をたたいて守備位置についた。
横山妹の3本目のサーブが入る。あさみが完ぺきにレシーブを返す
と、おとりのひとみが「バック〜!」、ライト側へクイックに入った
美貴が「C入った」と呼んでブロッカーを2枚引き付け、今度こそ
後藤でフィニッシュと思われた。
- 170 名前:独りじゃない 投稿日:2002年03月06日(水)00時57分10秒
(!!!!)
しかし無情にも、後藤の魔法は目前まで迫った夢の実現を待たずに、
煙のように消えていった。後藤の右ひざには、いつかの痛みが蘇っ
ていた。思い切り踏み切ることの出来なければ、後藤は、ただの人
である。レフトオープンを読んでいたツインタワーの一角、186cm
荒川の壁のような両手がニョキッと後藤の目の前に現れ、みごとな
までのドシャットで、後藤のスパイクを真下に叩き落す。
スローモーションで目の前を過ぎていくボールに、後藤は思った。
所詮あたしなんて、こういう運命なんだ…と。
腐って勝負を捨てかけた後藤の視界に、何かが弾丸のように突っ込
んでくるのが目に入った。
キュキュ――――ッ
とん、とんとん…
レシーバーの指先がボール半個分届かず、成功学園コートに力なく
ボールが転がっていく。
24−23
- 171 名前:独りじゃない 投稿日:2002年03月06日(水)00時57分53秒
一瞬の躊躇もなく、ヘッドスライディングでブロックフォローに突
っ込んできたのは、ひとみだった。転がっていくボールを目で追い、
右手で思い切り床をたたきつけると、すかさず立ち上がった。
「ごめんっ! 次は絶対拾うから。あと1本頑張って」
汗に濡れた前髪をかきあげたひとみは、少年のような凛とした瞳で
まっすぐに後藤を見つめて、声をかけた。
(この人、あきらめてないの?)
だめだと思った時のあきらめが人一倍早い後藤は、驚きを隠せない。
しかし、次の瞬間には、目の前で起きた3本連続のブロックシーン
がフラッシュバックしていた。
激励の声をかけてくれているらしいチームメイトの声も、騒音のよ
うにうるさすぎる会場の歓声も、後藤の耳には遠く聞こえ、ヒザの
ドクン、ドクンと脈打つ音が、気味悪いほど大きく響いている。
- 172 名前:独りじゃない 投稿日:2002年03月06日(水)00時58分37秒
スタンドでは平家と保田が顔を見合わせ、すばやくコート上の後藤
の変化を見抜いていた。
「やばいね、圭ちゃん…」
「うん…」
保田は今すぐにでも駆け下りていって、後藤をコートの外へ引きず
りだしたかった。
夢は実現することも大事だが、その過程こそに意義がある。
後藤のこの半年間の過程は、誰にでも誇れるものだった。
さらさらした砂の山は途中、何度も崩れ、崩されたが、少しずつ土
台を固めて少しずつ山を大きくし、予定より2ヶ月も早く復帰した。
しかし、ここで無理をすれば、すべてが波にさらわれてしまう。
《いちーちゃんとの約束なんだ…》
後藤らしくもない、弱々しい声が蘇る。
(ちきしょー! なんで紗耶香のヤツ、ここにいないんだよお)
切なさと理不尽な怒りとがごちゃまぜになって、保田の視界はぼや
けていた。
- 173 名前:独りじゃない 投稿日:2002年03月06日(水)00時59分27秒
「石川ぁっっ!! 今度勝手なことしたら承知せーへんぞ!!」
中澤はあえてタイムアウトを取らずに、コートサイドぎりぎりまで
寄っていって石川を一喝する。
さっきのスパイクでいつものジャンプが出来なかった後藤は、恐らく
限界に来ている。タイムアウトを取るのは時間の無駄だろう。
今すぐにでもベンチに引っ込めたい。しかし、準決勝後にした約束
が、中澤の決断を鈍らせていた。
(頼むから次で決めてくれ。じゃないと、約束は守れない)
形相が一変した中澤の顔をちらりとうかがい、梨華は迷っていた。
後で中澤に怒鳴られることは、どうということはない。4年間苦楽
をともにし、インターハイを棒に振った後藤にウイニングスパイク
を打たせたかった。
しかし、後藤が初めて見せた弱気な表情に、このまま後藤にトスを
上げ続けるべきなのかどうか、判断がつかなかった。
(市井さんならこんな時、どうするだろう…)
梨華に迷っている時間はなかった。ひとみがとっさの機転を利かせ
て、ユニフォームの袖でフロアーの汗をふいている間に腹を決めた。
(絶対、ごっちん勝負!!)
- 174 名前:独りじゃない 投稿日:2002年03月06日(水)01時00分06秒
横山妹の4本目のサーブは、今度は手元でストンと落ちた。コート
に這いつくばりながら、かろうじて食らいついたひとみがレシーブ
を上げると、体をねじるようにして梨華がトスを上げる。
こうなればもうクイックもバックアタックもない。
後藤勝負だ。
「ごっちーん!!」
梨華の叫ぶような声と、バックでフォローするチームメイトたちの
祈るような声を背に、成功学園自慢の高い3枚ブロックもブチ抜い
てやるとばかりに、後藤は全身全霊を込めて、クロス打ち込んだ。
「ドリャー!!」
後藤の手元で暴れたボールはツインタワーの指先をはじき、大きく
エンドラインを超えていく。左足から着地をし、ボールの行方を見
守った後藤は、(やっと終わった…)と、小さくため息をつき、右手
でガッツポーズを作りかけた。
- 175 名前:独りじゃない 投稿日:2002年03月06日(水)01時00分57秒
と、次の瞬間、全力でボールを追いかけていったリベロの広瀬が、
思い切り手を伸ばして頭から飛び込むと、背面フライングレシーブ
で執念のチャンスボールを上げた。横山妹が体をよじって二段トス
を上げると、ドスッという鈍く重いミート音とともに、横山姉が
全体重を乗せてクロスを打ち切る。
ひとみはスパイクコースに入り、真正面でレシーブしたが、あまり
のパワーに圧倒され、しっかりとコントロールできなかった。
「ごっちん、おねがーい!!」
ひとみが、後藤を指差して叫ぶ。
しかし、スタンディングで打たざるを得なかった後藤の弱いスパイ
クは、ネットに引っかかって後藤の目の前にポトリ、と落ちた。
24−24。ジュース。
- 176 名前:独りじゃない 投稿日:2002年03月06日(水)01時01分32秒
マッチポイントを失い、中澤はやむを得ず2回目のタイムアウトを
取った。すばやく円陣に加わったひとみは、中澤に口を挟むスキを
与えずに口火を切る。
「ごっちん! ごっちんが自信を持って打てば絶対に決まるから、
迷わずに思いっ切り打ちなよ!」
「たかが1週間や2週間で、あんたにあたしの何がわかんのよ」
「わたしはごっちんの知らないごっちんのいいところ、たくさん知
ってる」
「知ったかぶんないでっ!!」
興奮している後藤は、自分の肩におかれたひとみの手を荒々しく振
り払ったが、それでもひとみはひるまなかった。
- 177 名前:独りじゃない 投稿日:2002年03月06日(水)01時02分19秒
「ごっちん!! 一つだけ覚えておいて。
わたしはごっちんに好かれようとは思わない。
嫌われててもいいよ。
でも、せめてコートの中では助け合える、
信じ合える存在になりたいって、真剣に思ってる。
ごっちんがスパイク打つ時は、いつもわたしたちがフォローする。
ごっちんがスパイク打つ時は、いつもわたしたちは声で背中を押す。
ごっちんのスパイクがブロックされた時は、全力でわたしたちが拾う。
ごっちんの後ろには、いつもわたしたちがいるんだよ。
ごっちんは独りじゃない。
それだけは、忘れないで――――――」
ひとみはまっすぐに後藤を見つめながら、自分の中に潜むパワーが
すべて、肉体的にも精神的にも疲れ果てた後藤に伝わることを祈り
ながら、体温の上がった両手で強く、後藤の右手を握り締めた。
- 178 名前:独りじゃない 投稿日:2002年03月06日(水)01時02分57秒
ピピーッ!
副審のホイッスルがタイムアウトの終わりを告げる。
結局、中澤は何一つ指示することができなかったが、吉澤が言った
ことがすべてだった。
一匹狼になりかけていた後藤が、市井以外に心から信頼できるパー
トナーに出会えたことを、中澤はこの時、確信したのだった。
- 179 名前:S3250 投稿日:2002年03月06日(水)01時13分03秒
- 更新終了です。
>>159さん
こんなに細かいところに反応して下さる方がいるとは!カンゲキです。
実は広瀬さんのことはリアルタイムで知らないのですが、バレー一家の
家族たちが国際大会を見るたびに「広瀬なら今のは拾えた」とか、
「横山や白井なら決められた」とか言うので、お名前を拝借させて
いただいた次第です。自分の中で名レシーバーというと、中村Qちゃん
とか佐伯美香になってしまいます。
>>160さん
一緒にごっちんを応援していただいてありがとうございます。
もう少しです。
>>161、163さん
ありがたいお言葉、身にしみます…。
バレーボールをテーマにしても、あまり相手にしてもらえない
だろうなぁと思っていたので、うれしいです。
レスくださった方々、本当にありがとうございます。
- 180 名前:名無しさん 投稿日:2002年03月06日(水)02時27分59秒
- 連日の更新お疲れ様です!
読んでてドキドキしますね!
続き楽しみにしています。
- 181 名前:名無しさん 投稿日:2002年03月08日(金)02時39分31秒
- ようやく、両エースが信頼し合えるパートナーに・・。
オキニの連ドラでも観てるようにつづきが気になります。
- 182 名前:「独りじゃない」 投稿日:2002年03月10日(日)13時56分53秒
「ジュースに追いつかれたときは、さすがにあかんと思うたで〜」
ビール片手にほろ酔い気分の中澤は、気の置けない仲間である平家、
保田とともに、心置きなく飲みながら、先ほどまでの熱戦を振り返
っていた。
結局、あのタイムアウト後、後藤が痛みも疲労も感じさせないほど、
魂のこもった豪快なストレートを2本連続で決め、淑女学園がみご
と、東京都第一代表の座をもぎ取ったのだ。
試合後は、テレビ局のインタビューもミーティングもそこそこに切
り上げてその場で自由解散にし、3人の教師たちは父兄のワゴン車
で、後藤をかかりつけの病院に搬送した。
後藤本人も、教師たちも、最悪の状況を覚悟していたが、ヒザにた
まった水を抜き、1週間も安静にしていればまた徐々に練習に復帰
できるだろうという診断を受け、中澤は思わず天を仰いだ。
その後、後藤を父兄たちに預け、女3人でこうして居酒屋に繰り出
してきたというわけである。
- 183 名前:「独りじゃない」 投稿日:2002年03月10日(日)13時57分37秒
「今日のテレビ放送で、裕ちゃんファンが増えたこと請け合いや♪」
不安とストレスが一気に解消された中澤は、超ご機嫌だ。
平家はそやね、そやね、と愛想笑いしながら、あんなに鬼の形相で
怒鳴り散らしたら泣く子も黙るわ…という心の声を飲み込み、
「吉澤かっこよかったわー。さすがうちのクラスの子やね〜」
うん、うん、とうなずいて小さく拍手した。
「何ゆーてんねん、それは私のセリフやろ!! さすが私がスカウト
した子や」
「それは言えてる。裕ちゃん、よくあんないい選手をうちにひっぱ
ってこれたよねぇ。それだけは感心する」
と言って保田もうなずいた。
「それが、うちにもわからへんねん。うちは他と違って、学費免除
にしてやることもできなければ、校則もきっついし、練習だってど
こよりも厳しいっちゅう根も歯もないうわさが立ってるやろ〜?
どうせウチになんて来てくれへんやろってはじめっからあきらめて、
声もかけてなかったんや」
ビールをぐい、と飲み干し、気持ちよさそうに中澤が言うと、目を
丸くした平家が「じゃあどうしてうちに来たのさ」と突っ込む。
- 184 名前:「独りじゃない」 投稿日:2002年03月10日(日)13時58分16秒
「年末にな、ある企業で全国の強豪校がぎょうさん集まって合同合
宿やったんよ。そこに上高も最後のあいさつに来ててな、顧問の先
生に、みんな編入先は決まったんですかって聞いたら、吉澤だけ迷
って決めてないゆう話や。8割がた七王子に決まってるっちゅー話
もあったんやけど、“一度、話させてもらってもいいですか?”って
ゆうたら、彼女を呼んできてくれたんや」
「それで、それで?」
平家と保田は目の前にある刺し身や揚げだし豆腐を食べるのも忘れ、
身を乗り出した。
「ずいぶん迷ってるらしいなって聞いたら、こっくりうなずくんや。
だから冗談半分で、“そやったら、一緒にうちでバレーやらんか”っ
て聞いたら、あいつ、“よろしくお願いします”って速攻で頭下げて
きよった」
「その場で?」
「その場で! あの時はもうびっくりしたで〜。そのあと、食堂で
談笑してた他校の監督達に“うちが吉澤もらいます”って報告した
ときは、おやじ連中も口あんぐりやったわ」
- 185 名前:「独りじゃない」 投稿日:2002年03月10日(日)13時58分53秒
「すっごい話だねぇ〜。裕ちゃん、何か隠し玉持ってたわけ?」
「なーんにもない。今言ったことがすべてやもん。ま、強いて言う
なら、裕ちゃんの魅力やろうな」
平家と保田はあきれ顔を見合わせると、よく味のしみ込んだ
揚げだし豆腐をほおばり、コメントするのを避けた。
- 186 名前:「独りじゃない」 投稿日:2002年03月10日(日)13時59分53秒
「しっかし裕ちゃん、吉澤にバッチリ決められて、監督としての
立場ないよなぁ」
キヒヒと歯を見せて笑いながら、平家はジョッキの生ビールを飲み
干すと、「おっちゃん、おんなじのもう一杯!」と注文する。
「正直ゆーてな、後藤は限界に来てたし、決まらなくて熱くもなっ
てたし、何て言葉をかけてやればええんか、わからなかったんよ。
タイムアウト明けにメンバーチェンジさせることも頭によぎってた
しな。しっかし、そこで吉澤のあの決めゼリフや。生徒ながらあっ
ぱれやった〜♪」
心地いい酔いが回ったせいもあり、うっとりとした顔をした中澤は、
「ま、これでごっつぁんも変わってくれるとええんやけどな…」
と言いつつ、ぐつぐつ煮えた鍋をつつくと、
「ごっつぁんはもう、変わり始めてるよ」
と、保田が意外なことを言った。
- 187 名前:「独りじゃない」 投稿日:2002年03月10日(日)14時00分40秒
「裕ちゃんも、みっちゃんも気づいてないかもしれないけど、今年
に入ってからあの子、は保健室にサボリに来てないんだよ。理由は
わからないけど、確実に変わってきてると思う」
「言われてみれば、授業中に突っ伏して寝てても、意識は起きてる
ような気がするね…」
宙に視線をさまよわせ、思い出したように言う平家。目の前にある
寒ブリに箸を伸ばして舌鼓を打つと、不思議そうに続けた。
「それにしてもなんだって後藤は吉澤に対して、ああやってかみつ
くんやろ。愛想は悪いけど、突っかかったり熱くなる子やないやろ?」
すると、「みっちゃんは鈍感やなぁ…」と中澤が軽いため息をつく。
- 188 名前:「独りじゃない」 投稿日:2002年03月10日(日)14時01分23秒
「昨日のよっすぃー、かっこよかったねぇ〜♪」
朝のランニングのために校門へ向かう途中の中庭で、梨華はジャー
ジのポケットに手を突っ込んで寒がっているひとみの右腕に、自分
の腕を絡めてニコニコしていた。
昨日の帰り道、後藤のヒザが大したことにならずに済んだと知って
からはずっと、こうである。
しかし、明るい梨華の表情とは正反対に、ひとみの顔は曇っている。
「なんだか昨日はさしでがましいこと言っちゃって…
柴ちゃん、ごめんね」
「えっ? なんで私?」
美貴と一緒に少し前を歩いていたあゆみは、ひとみに突然名指しで
謝られたことに驚いて、振り向いた。
「昨日は興奮してて気づかなかったんだけどさ、キャプテンでもな
いのにタイムアウト最後まで使って演説しちゃってさ…。昨日の夜、
ベッドの中で急に思い出して、ものすっごい反省したんだぁ…」
ひとみはもう一度ごめん、とつぶやくと、うつ向いてしまう。
- 189 名前:「独りじゃない」 投稿日:2002年03月10日(日)14時01分58秒
「やだ、何言ってんのー? すっごい助かったよお。ごっちんがあ
あなっちゃったら、私たちはどうすることもできないんだからさー。
ほんと、ありがとね」
柴田はポンポンッとひとみの左肩をたたいて微笑んだ。その笑顔に
ひとみは多少、救われた気持ちになったが、「ごっちんにもちゃんと
謝っとこ」とうなだれた。
「えぇっ? 謝る必要ないっしょ! ブスッとしてたけど、ああ言
ってもらえて、きっとすごくうれしかったんだと思うよ。現に、あ
のタイムアウトの後、簡単に2発決めて優勝したんだからさ」と、
うしろから追いついてきたあさみがニコニコしながら言った。
- 190 名前:「独りじゃない」 投稿日:2002年03月10日(日)14時03分44秒
「ねぇ、よっすぃーが最後に、“ごっちんがストレートしか打てない
トスを上げて”って言ったのは何でだったの?」
からめた腕は組んだままで、梨華はひとみの顔をのぞき込む。
「ヤバイなぁと思ったり、迷いが出てくると、ごっちんはクロスし
か打てなくなるでしょ? もちろん、ごっちんが超インナーを得意
にしてるからといえば、そうなんだけどね。でも、24‐20になった
あとのスパイクで、ガラ空きのストレートに打たずに、あえてレシ
ーバー二人が完ぺきにコースに入っているクロスを打ったのを見て、
弱気でクロスを打ってるかぎりは絶対に決まらないと思ったんだ」
「へぇ〜、ごっちんにそんなクセあるの気づいてなかったよ。切羽
詰まってくるとストレート打つのもかなり勇気がいるもんだしね」
チームメイトたちは感心するばかりだった。
「やっぱり、よっすぃーかっこいい!」
ひとみと梨華がじゃれあい、チームメイトたちが笑い合っている姿
を、後藤は3Fの教室から見下ろしていた。
1週間、練習には参加しなくていいと言われていた後藤だが、一度
だけきちんと顔を出して、病状を自分の口から報告しようと思って
出てきたのだ。
- 191 名前:「独りじゃない」 投稿日:2002年03月10日(日)14時04分27秒
窓のサンに頬杖をついた後藤は、まぶたの裏で交錯する様々な想い
に目眩がして、思わず目を閉じる。
第一代表で春高に出るのが夢だった。
そしてその夢を、つかまえた。
しかし、後藤の本当の夢は、ひとみのいる上前女子に勝って、
第一代表になることだった。
昨日の印象的なシーンを、一つずつ思い出してみる。
突き上げてくる痛みと、自分の力のなさに目の前が真っ暗になり、
自分のことさえ信じられなくなったとき、一つだけ、心の底から
信じられるものがあった。
あの時の、ひとみの言葉を信じることができたのだ。
- 192 名前:「独りじゃない」 投稿日:2002年03月10日(日)14時05分09秒
自分に欠けていて、ひとみにあるもの――――。
リーダーシップ。
包容力。
そして決定的に違うのは、“陰”になれること。
今までひとみの派手なスパイクにばかり目を奪われていた。
しかし、本当にすごいところは、目立たない部分で目立つ部分以上
のプレーが出来ること。同じコートに立ってみて、初めてわかった。
そして、自分だけではない。
他のメンバーたちがどれほど、ひとみに助けられたかわからない。
(だから、彼女の周りにはああやって自然と人が集まる…)
朝の光を浴びているせいか、きらきらと、みんなが、
そして、一際吉澤がまぶしく見えていた。
またひとみにかなわないところを一つ見つけて、
後藤の心はぐらぐらと音を立てて、揺れ動いていた。
- 193 名前:S3250 投稿日:2002年03月10日(日)14時07分06秒
- 1st Set『Girl meets Girl』
更新終了です。
>>180‐181さん
そう言っていただけると、気の向かない日でも「書かなきゃ!」って気になります。
ネタバレしてしまうと、吉澤が中学時代に一緒にプレーしていたチームメイト達が、
春高に出場することを信じて、この話を始めました。結果もすべて、淑○学園の実際の
戦いぶりにリンクしていこうと思ったのですが、まさかの都予選ベスト8負け。
テレビ局もずっとこのチームを追っかけてたんで(昨日も番組でやってたようですが)
行けると思ってたのに…。
ここでも負けさせるか、1度くらい勝たせるか、悩みに悩んだあげく、後先考えずに
優勝させてしまいました。
汚い終わらせ方をしてしまいましたが、そのへんはお許しください。
さて、次から第2章に入ります。第1章でいろいろまいてきた種を刈り取っていきます。
と言いつつ、しばらく更新できそうにないのですが…。
20日をメドに戻りたいと思ってます。
さ、勉強のためにVリーグ女子の決勝でも見よ(w
- 194 名前:S3250 投稿日:2002年03月10日(日)17時52分48秒
- ごめんなさい!!
>>1871と>>188の間の1ブロックが抜けてました。
「市井がもうすぐ卒業して、大阪に行ってまうとこにもってきてや
で、前々から比較されてうざったいと思うてた吉澤が突然、同じク
ラスに転校してきて、同じチームに入って来たんやから、イライラ
するのもしゃあないやん」
「前からうざったく思ってたわけ?」
「そや。いつも集中力とぎれとぎれで、やる気があんだかないんか
さっぱりわからんあの後藤がや、上前戦になると対抗心ムキ出しで、
信じられないくらいの力発揮すんねん。なにかっていうと、1年生
エース対決みたいに言われて、イライラしとったんやろ」
「そういうことでイライラする子じゃないと思うけどな…」
怪訝な顔をする保田。しかし、
「もうその話はおっしま〜い!! 楽しく飲もや〜!!」
という中澤の絶叫とともに、日ごろ悩み多き女教師たちの
楽しい夜は、更けていくのであった――――。
- 195 名前:S3250 投稿日:2002年03月10日(日)17時57分33秒
- 1871じゃなくて…
>>187と>>188の間です。
もうボロボロ…。
第2章から出直します。
- 196 名前:名無しさん 投稿日:2002年03月11日(月)00時38分56秒
- Vリーグ久光だったね。やった。先野が好きなんよ。
- 197 名前:名無し読者 投稿日:2002年03月11日(月)01時57分19秒
- いやー、面白い。
バレーの事は全然分かりませんが、これ読んだら試合を見たくなってきた。
第二章も頑張って下さい。後藤と吉澤、二人のエースの今後の絡みに期待。
- 198 名前:名無しさん 投稿日:2002年03月19日(火)06時04分25秒
- この小説、今一番のお気に入りです!第二章も楽しみにしています。
- 199 名前:S3250 投稿日:2002年03月23日(土)18時22分07秒
予定より遅くなってしまいましたが、なんとか戻ってこれました。
>>196さん
彼女はセンターエースって感じがカッケーですよね。
実は、自分も応援してました。
>>197さん
もし、バレーボールに興味を持っていただけたのなら、
自分にとって一番の褒め言葉です!
>>198さん
これまたうれしいお言葉! ありがとうございます。
では、今日から第2章に入ります。
第1章でもご指摘を受けましたが、第2章は紛れもなく
後藤がメインになります。でも、主役はあくまでも吉澤!
と言い張る見苦しいヤツですが、よろしくお願いします。
- 200 名前:Diary −12月31日 sideA− 投稿日:2002年03月23日(土)18時23分35秒
上前女子高等学校バレーボール部、最後の日。
朝8:00 体育館集合。
現役と何人かのOGたちが、くる日もくる日も滑り込んだフロアーを
心をこめて丹念に磨きあげた。
下を向いていたら、込み上げてくるものがあったけど、
わたしは泣かなかった。
あっけないくらい簡単な解散式が終わったあと、
お昼から横浜のVリーグチームの体育館へ。
全国の強豪校8チームが集まって合同合宿しているこの体育館に、
今までお世話になった人たちと、これからお世話になる人たちへ
あいさつに行ったのだ。
- 201 名前:Diary −12月31日 sideA− 投稿日:2002年03月23日(土)18時24分44秒
2001年最後の日。
今日はわたしにとって、ラストチャンスの日。
もし、今日、あの学校から声がかからなければ、
わたしは別の学校へ行くことを決めなければならなかった。
昼休みの間に直談判にいこうと思ってた。
待っているだけじゃ、道は開かれないから。
でも、待ち焦がれていたチャンスは、向こうからやってきた。
中澤先生が、淑女学園の中澤先生が、声をかけてくれた――。
- 202 名前:Diary −12月31日 sideA− 投稿日:2002年03月23日(土)18時25分39秒
――まだ、転校先、決めてないらしいね。
「はい…」
――何をそんなに悩んでるん?
「…行きたい学校から、声がかからないんです」
――そやったら、うちに来ーへんか。
「え、えっ?」
――うちやったら、幸か不幸か2年生もおらへんし、気楽やで。
「よ、よろしくお願いしますっ!」
――へ?
「わたしでよければ、お願いします!」
――そやかて、行きたいチームあるんやろ?
「淑女です、淑女に行きたかったんですっ!!」
――ほ、ほんまに? …うち、学費免除にはできひんで。
「そんなの、かまいません」
――うちのエース、茶髪やけど、あれは例外中の例外で、校則きっついで。
「全然かまいません」
――練習もきついで。
「ビシバシ鍛えてください」
――うちのエース、故障上がりで、春高は厳しいかもしれへんで。
「あの………誘っていただいたのは、冗談だったんですか?」
――冗談やないっ、本気やて! でも、ほんまにうちでええの?
「いいんです。淑女がいいんです。よろしくお願いします」
- 203 名前:Diary −12月31日 sideA− 投稿日:2002年03月23日(土)18時26分33秒
中澤先生は、1月7日までに書類をそろえて
新学期から編入できるように根回しすると約束してくれた。
わたしはついに、あの子と同じユニフォームを着る――。
- 204 名前:Diary −12月31日 sideB− 投稿日:2002年03月23日(土)18時27分30秒
23日から始まった冬の合同合宿が、3時に終わった。
だけど…。
クリスマスプレゼントも、バースデープレゼントも、バッグの中。
いちーちゃんに誕生日プレゼント…渡せなかった。
大阪までの新幹線の切符を買うお金が、なかった。
4年間ずっと一緒にいたのに、一つ歯車が狂ってしまえば、
話すきっかけすら、つかめないものだね。
東京と大阪なんて近いよって言ってたけど、
後藤に大阪まで行くお金はないわけで…。
さびしいよ、いちーちゃん。
なんだか、泣きたくなってきた…。
- 205 名前:Diary −12月31日 sideB− 投稿日:2002年03月23日(土)18時28分21秒
泣きたくなったことが、もう一つ。
合宿の最後に集合がかかった時、淑女学園の子たちがあいさつしにきた。
上前を破って第一代表になることを目標にしてリハビリに取り組んできた
あたしの夢の行き場は、どこに行けばいい?
すでに転校先の決まった子たちがあいさつしてたけど、
まだ、あの子の編入先は決まってないらしい。
- 206 名前:Diary −12月31日 sideB− 投稿日:2002年03月23日(土)18時28分52秒
どこに行くんだろ…。
もしかして、うち? …来るわけないか。
ってゆーか、うちに来られたら絶対、困る。
あの子とあたし、しょっちゅう比べられるけど、
そんなのほんと、冗談じゃない!!
- 207 名前:センセーション 投稿日:2002年03月23日(土)18時31分33秒
1月30日。春高を1ヶ月半後に控え、今日から後藤が練習に復帰する。
中澤は部員全員をミーティングルームに集めると、今後の強化メニューを各自に
手渡した。そのプリントにビッシリと、“サーブレシーブ”の文字が書き連ねられ
ていた後藤は、反射的に唇をとがらせた。
「えーか、それぞれ強化するメニューを書いておいたから、重点的にやるように。
質問あるやつおるかー」
中澤が部屋を見渡すと、予想どおりの一人が手をあげた。
「センセー」
「…なんや、後藤」
「この前の都予選で、自分の課題はスタミナだと思ったんで、
今後はどんどん打ち込みをしたいんですが」
これまた予想どおりの言葉が返ってきた。
- 208 名前:センセーション 投稿日:2002年03月23日(土)18時32分24秒
もちろん、ひざの故障が完治していない後藤にスパイクを打たせることは無謀
である。しばらくはスパイク練習をさせるつもりはなかった。
しかし、それより何より後藤の場合は、サーブレシーブの安定が急務だ。
いくらひとみが技巧派エースであると言っても、あれだけ梨華が右に左に走り
回らされてトスがブレたのでは、100%の力を発揮できるはずもなかった。
「あんたなあ、今から無理してどないすんねん。スパイクは3月に入ってからや。
それまでは頼むから、その小学生以下のサーブレシーブをどうにかしてくれ」
返ってくる返事がわかっていながらも、中澤は後藤を諭した。すると…。
「あたしの仕事はスパイクで点を取ることで、サーブキャッチではありません!」
(出た〜。ごっちん名言集その@)
ひとみ以外の部員たちは、笑いをこらえるのに必死だった。ミカは腹を抱え、
あさみは口を両手で押さえてはいるものの、今にも声をあげてしまいそうだ。
- 209 名前:センセーション 投稿日:2002年03月23日(土)18時33分18秒
「だから、何度もゆーてるけどな、レフトがサーブレシーブの要をになうのが
バレーボールのセオリーやろ!」
「あたしも何度も言ってますけど、1本目をあたしが触ってしまったら、
その分だけ助走に入るのが遅れてスパイクの威力がダウンしてしまうんです。
だから、サーブレシーブはみんなに任せます」
セオリーからすればむちゃくちゃだが、後藤の言っていることも一理あると、
後藤を斜め後ろから見ていたひとみは思った。
「とにかく今日から後藤には矢口が、石川には市井がマンツーマンでコーチにつく
から、そのつもりでな。さぁ、練習、練習!」
聞く耳を持たないといったように、中澤がパンパンッと両手をたたいて質問を打ち
切ると、部員たちはいっせいに腰をあげ、アップに向かった。
口をとがらせたままの後藤の肩を抱いた矢口は、
「今日から鬼になるで〜。覚悟しとき〜」
と、得意の中澤のモノマネを披露すると、キャハハと笑って体育館へ走っていく。
ふくれっつらの後藤は、梨華と肩を並べて歩く市井の後ろ姿が目に入り、ますます
悲しい気持ちになっていた。
- 210 名前:センセーション 投稿日:2002年03月23日(土)18時34分12秒
「A入った」「C、C!」「バック〜!」
ズキュ〜ン!
ひとみがシャープなバックアタックを決めると、中澤はいったんプレーを止めた。
「柴田のAもあさみのCも入りが遅いっ! 石川のトスもバレバレやないか」
都予選のように前衛の後藤が不調だった時の対策として、コンビの中にひとみの
バックアタックを取り入れることになった。
ひとみのバックアタックを生かすためには、あくまでもコンビネーションの流れの中
でトスを上げなければならず、そのためにはセンターの柴田もしくは美貴、ライトの
あさみがどれだけ速くクイックに入れるか、そして梨華がいかにクイックを上げると
見せかけてバックに上げられるかにかかっていた。
「石川、焦りすぎてすぐにネットに背を向けちゃうからバレるんだよ」
市井が手取り足取り、細かに指示していく。
梨華がバックアタックのトスを上げるのは、もちろん初めてではない。今まで何度も
後藤に上げてきた。しかし今までは、決まっても決まらなくてもとにかく後藤に上げ
ておけばいいという、よく言えば小細工なし、悪く言えば行き当たりばったりのトス
しか上げてこなかったのだ。
- 211 名前:センセーション 投稿日:2002年03月23日(土)18時35分07秒
だが、全国大会でオール1年生のチームが体当たりでぶつかっていっても結果は
見えている。これからのチームだけに、春は小手先に走らなくてもいいと思っていた
中澤だったが、実力よりむしろビジュアル面でテレビ局から注目され、ライバル校の
監督連中から嫌味を言われたことで、中澤の負けず嫌い魂がもたげてきた。
人並み以上の努力を重ねてきた生徒たち。特に後藤は大きなケガから復帰する
ために、想像を絶する厳しいリハビリメニューをこなして2ヶ月も早く復帰してきた
のに、ビジュアルだけがいいように言われるのは我慢ならなかった。
(こうなったら夏と言わず、この春に、全国ネットで実力を証明したろうな…)
鬼の中澤はそれまでにも増して鬼となり、気になるところは重箱の隅をつつく
ように、容赦なく注意しまくった。
- 212 名前:センセーション 投稿日:2002年03月23日(土)18時36分13秒
「よし、今日はこれで終わり。気ぃつけて帰りや」
21時きっかりに中澤が練習の終わりを告げたときには、もうみんな足にきてフラフ
ラになっていた。しかし、一汗ぬぐったひとみは、タオルに顔をうずめている梨華に
歩み寄っていき、声をかける。
「梨華ちゃん。疲れてると思うけど、あと30分だけコンビ合わせにつきあってもらっ
ていいかな?」
「うん。私もよっすぃーにお願いしようと思ってたとこ。もうちょっと頑張ろ」
チームメイトたちがコートサイドでクールダウンをしている間を縫って、ひとみと梨華
がボールかごをひっぱっていくと、「手伝うよ」と言って、市井も続いた。
第一体育館の下にある第二体育館で一日中矢口のサーブを受け続け、とうとう1本も
スパイクを打たせてもらえなかった後藤は、クールダウンしている矢口に声をかけた。
「やぐっちゃん、ちょっといいかな」
下を指差して、先に行ってしまう。
よいしょっと、一声かけて起き上がった矢口は、「サーブ打ちすぎて肩いてーよー」と
こぼし、ぐるぐる肩を回しながら後藤のあとをついていった。
- 213 名前:センセーション 投稿日:2002年03月23日(土)18時37分22秒
長い階段を降りると、そこが第二体育館だ。
バレーボールコートが一面はれるだけの小さな体育館に、トレーニングルームが
併設されている。
後藤は矢口の足音を確認すると、振り返って照れくさそうに言った。
「やぐっちゃん、トス上げてほしいんだけど」
「エエッ!? ごっつぁんが居残りするっていうのか〜」
矢口は目をまん丸にして、大きな声で叫んだ。
「シ―ッ!」
唇に人差し指を当てた後藤が耳まで真っ赤になっているのを、矢口は見逃さなかった。
「ご、ごめん…。だって、練習嫌いのごっつぁんが急に居残り志願するからさ…」
としどろもどろになっている矢口に、
「ボール感覚を失いたくないの。だから、お願いします…」
と、らしくないセリフを言って、後藤は頭を下げた。
- 214 名前:センセーション 投稿日:2002年03月23日(土)18時38分27秒
「ごっつぁんさぁ、矢口がこういうこと言うの、ほんと余計なおせっかいだってわかっ
てる。でもレシーブのことならともかく、こういうことは紗耶香に頼んだほうがいいん
じゃないかな。ほら、あいつセッターだし、おいらより的確なアドバイスを…」
「わかってる。…だからそれ以上言わないで」
矢口の言葉を遮って、後藤は矢口に背を向けた。
コートに立っている時の威風堂々とした姿とは違い、抱きしめたら壊れてしまいそう
な後藤の背中を見ていたら、矢口はそれ以上何も言えなくなり、「わかった」と、一言
言い残し、ボールかごを取りに倉庫へと歩いていった。
- 215 名前:センセーション 投稿日:2002年03月23日(土)18時40分19秒
――それから10日たった2月8日。
サーブレシーブ練習に明け暮れていた後藤が、ようやくチーム練習に合流した。
「名レシーバー矢口が10日間つきっきりで指導したからには、
楽しみにしてええんやろな」
ニヤリと笑う中澤に、「たぶん…」と矢口は頼りない返事をして、へラッと笑った。
(ごっつぁん、頼むからちゃんとこなしてくれよ)
矢口は手を合わせ、心の中で祈る。
しかし、その切なる願いもむなしく、フォーメーション練習に入ったとたん、後藤の
サーブレシーブがまるっきり進歩していないことが判明した。
結局10日間、中澤の目が届かないことをいいことに、サーブレシーブ練習はほど
ほどにし、ほとんどの時間をスパイク練習に費やしていたのだ。
後藤も矢口も大目玉を食らったが、過ぎた時間は戻らない。
後藤のサーブレシーブのフォローに右往左往するチームメイトたちは、我慢に我慢
を重ねたが、だれもが爆発寸前だった。
こうして2月12日、事故は起こるべくして起きてしまった――。
- 216 名前:センセーション 投稿日:2002年03月24日(日)19時47分10秒
「ごっちん、いいかげんにしてよ!」
怒鳴ったのは中澤ではなく、ふだん決して感情的な部分を表に出すことのない、
キャプテンの柴田だった。サーブレシーブを2本連続であさっての方向へ弾いた
後藤のやる気のない態度に、たまりかねてキレたのだ。
これには中澤をはじめ、チームメイトたちも、そして恐らくは怒鳴られた張本人の
後藤自身さえも、驚きを隠せない様子だった。
「ごっちんのサーブレシーブのせいで、みんなに迷惑かけてんのわかってんでしょ?
エースが得点を取るのはあたりまえ、でも、キャッチが返らなかった話になんない
じゃん。いいかげん、ちゃんとやってよ」
険悪な空気が漂うなか、強い視線で柴田をにらみつけた後藤は、
「ちゃんと拾えばいいんでしょ、拾えば」
と言い捨て、すぐにそっぽを向いた。
- 217 名前:センセーション 投稿日:2002年03月24日(日)19時48分19秒
Bチームのサーブが入る。
バックライトの美貴と、バックセンター後藤のちょうど中央。ボールは美貴のほうへ
スライス回転していき、普段なら絶対に後藤が追わないボールだったが、さっき
柴田に怒鳴られたばかりの後藤は、無理矢理手を伸ばした。
しかし、逃げていくボールに後藤の手が届かず、邪魔された美貴のカットが大きく
後ろに乱れたのを見ると、俊足の後藤はそのボールを追っていき、いいかげんな
ニ段トスをレフトへあげた。
それがかなりネットに近いトスになり、思いっ切り助走に入っていたひとみは、
かぶり気味にスパイクを打たざるを得なかった。
「よっすぃー、危ないっ」
チームメイトたちの悲鳴に似た叫びとほぼ同時に、腕をネットにひっかけて完全に
バランスを崩したひとみは、ブロッカーの足の上にのっかってしまった。
ガクンと崩れるように、フロアーに倒れ込むひとみ。
その瞬間、誰もが拳銃を突きつけられているかのように、微動だにせず凍りついた。
ひとみの左足首が90度以上内側を向いているのが、誰の目にも明らかだった――。
- 218 名前:センセーション 投稿日:2002年03月24日(日)19時49分11秒
中澤と保田に付き添われて近くの大学病院に運ばれたひとみは、
『左足首脱臼、全治4ヶ月』という絶望的な診断を下された。
2ヶ月は完全に静養しないと今後も癖になってしまうタチの悪いケガだと宣告され、
ひとみも中澤も、目の前が真っ暗になった。
自分への憤りとふがいなさとが交ざり合って一晩中泣き続けたひとみは、翌朝、
病院に寄って処置を受けたあと、母親に車で送られて学校に到着した。
(淑女に来てからのわたしは、泣いてばっかりだな…)
上前にいたころのひとみは、どんな状況に陥っても取り乱すことはなかったし、
ましてや、感情をさらけ出して泣くことなど、一度たりとてなかった。
弱くなったのか、自分の感情に素直になったのかは、ひとみ自身にもわからない。
頭の中で渦巻く自己嫌悪――。
4時間目の途中から授業に入るのも面倒に思ったひとみは、とうてい教室に行く気
にはなれず、自然と足が保健室へと向かっていた。
- 219 名前:センセーション 投稿日:2002年03月24日(日)19時50分04秒
「失礼しま〜す」
慣れない松葉杖をつきながらよたよたと保健室へ入っていくと、窓際のデスクから
保田が歩み寄って手を貸してくれた。
「保田先生、きのうはいろいろとご迷惑をおかけしてすみませんでした」
ぺこりと頭を下げる吉澤に、「もう教室に行ったの?」と保田は聞く。
「いえ、病院に行った足で直接ここに来たんでまだ…。4時間目が終わってから
行こうと思って…」
「そう。じゃ、それまでストーブにあたって休んでなさい」と保田は目を細めた。
「どう、少しは落ち着いた?」
「は〜、まぁ少しは…。あの、昨日は取り乱してしまって、すみませんでした」
カーテンのかけられた左脇のベッドに2本の松葉杖を立てかけると、もう一度ひとみ
は頭を下げた。
「あー気にしない、気にしない」
パタパタと顔の前で左右に手を振った保田は、
「よっぽど、ごっつぁんのほうが取り乱してたしさ」
と言って、ケラケラ笑った。
「えっ、ごっちんがですか?」
驚いて大きな目をさらにまん丸にしたひとみが、半分腰を浮かせて聞き返す。
- 220 名前:センセーション 投稿日:2002年03月24日(日)19時50分56秒
気が動転していたせいもあって記憶はあいまいだが、コートに倒れたあと真っ先に
駆け寄ってきて自分を抱き上げ、保健室まで運んだくれのは、他の誰でもなく後藤
だった…と、ひとみは思い出していた。自責の念から大声を上げて泣いてしまった
自分をぎゅっと抱きかかえ、必死に何か励ますような言葉をかけてくれていたよう
な気がするが、何を言ってくれたのかまでは、思い出すことができなかった。
「そう、あのごっちんが! あの顔は淑女学園代々、保田家末代まで語り継ぎたい
ほど感動的に必死だったね。ごっつぁんのあんな顔、久しぶりに見たわ〜」
遠い目をして大げさに言う保田。
「わたしが重いから、苦しい顔してたんじゃないですかね」
「そうじゃないと思うけど、ま、そういうことにしといてあげようか」
とウインクし、ひとみも小さく微笑んだ。
そして保田はデスク上の書類に視線を戻すと仕事に戻り、何やら書き込みを始めた。
- 221 名前:センセーション 投稿日:2002年03月24日(日)19時51分48秒
ふぅ…。
ひざの上でストーブにかざしていた両手を組み合わせ、眉間にあてて目を閉じた
ひとみは、深いため息をつく。
「どした? ため息なんてついて」
保田はわざとひとみを見ないように、書類に目を落としたまま訊ねる。
「わたしを拾ってくれた中澤先生のためにも、快く受け入れてくれたチームメイトの
ためにも、わたしはこれから頑張らなくちゃいけなかったんです。それなのに…、
恩をあだで返すようなことになっちゃって…」
短い沈黙の後、右手に持っていたボールペンをコトリ、とデスクの上に置いた保田
が視線を上げた。
「その口ぶりだと、吉澤はもう、春高はあきらめたんだ?」
ぶんぶんと左右に首を振ったひとみも、保田に視線を戻す。
「可能性がある限りは絶対にあきらめません。それに、自分に出来ることなら球拾い
でも声出しでも何でもやります。だけど……。先生は、間に合うと思いますか?」
「間に合うと思ったら間に合う! 間に合わないと思ったら間に合わない!」
- 222 名前:センセーション 投稿日:2002年03月24日(日)20時00分55秒
キーンコーンカーンコーン…
保田の言葉にかぶさるように、4時間目の終わりを告げる鐘が鳴り響いた。
保田はひとみを見つめ、ひとみもまっすぐな強い瞳で保田を見つめ返していた。
ベッドに立てかけておいた松葉杖に手を伸ばし、すくっと立ちあがったひとみは、
「ありがとうございました」
と、大きな声で礼を残し、出入口に向かってゆっくりと歩み始める。
そして扉の前で振り返ると、「絶対、間に合わせますから」と言い、
少年のような涼しげで凛々しい表情を残し、扉を開いて出て行った。
- 223 名前:センセーション 投稿日:2002年03月24日(日)20時01分50秒
強い意志を感じる背中を見送り、(まっすぐすぎるところがそっくりだ…)と、心の中
でつぶやいた保田は、閉じられたままのカーテンをじっと見つめていた。
すると、扉が閉まる音とともにカーテンがジャッと音を立て、カーテンレールを壊して
しまいそうなほど豪快に開いた。
「圭ちゃん、しゃべりすぎ! 嫌いっ!!」
顔を真っ赤にした今年初めてのサボリ魔は、そう言い放つと、再び豪快にカーテンを
閉じてしまった。
「ああ結構だね! もう二度とサボリに来るんじゃないよ」
少し強めに言ってデスクに戻った保田は、「かっわいい、ごっつぁん♪」と小さく
つぶやき、笑いをかみ殺すのに苦労したのであった。
- 224 名前:センセーション 投稿日:2002年03月24日(日)20時03分53秒
ふて寝を決め込もうとした後藤だが、さすがに空腹には勝てず、昼休みも残り15分
となったところで弁当箱を取りに教室へ戻った。この時間になれば、食事を終えた
クラスメイトたちが中庭に出て、円陣パスに興じているのを知っていた。
だから、教室の中を確認もせずに後ろの扉から入っていた後藤は、窓際で泣いている
梨華、それをなぐさめているひとみと美貴の姿が目に飛び込んでくると、思わず一歩
後ずさってしまった。何を話しているのかは、聞いていなくても察しがつく。後藤は
逃げ出したくなったが、それもおかしなことだと思い直し、表情一つ変えることなく、
何食わぬ顔で、窓際の一番後ろの自分の席へと歩みを進めた。
音に気づいたひとみが振り返ったが、後藤は視線を合わそうともせず机の横のフック
にかけていた指定カバンに手をかける。
「あ、あの、ごっちん、きのうは保健室に連れてってくれてどうもありがとう。
それと、迷惑かけてごめんね」
後藤がすぐにでも立ち去りそうなのを察知し、ひとみは早口で礼と詫びを伝えた。
目をふせたままの後藤を見て、多分、言葉は返ってこないだろうと思った。
それでもよかった。
- 225 名前:センセーション 投稿日:2002年03月24日(日)20時05分17秒
案の定、後藤は右手に持ったカバンを肩にかけ、ひとみたちに背中を向けたが、
右足のつま先がわずかに迷ったあと、ぴたりと歩みを止めた。
「足が動かなくても他にも鍛えられるところがあるんだから、気ぃ抜かないでよ」
そっけなくそれだけ言い残し、後藤は教室をあとにした。ひとみは驚きで言葉が
見つからず、ただただ、後藤が去っていった方向をぼーっと見つめていた。
「一言くらい、あやまったっていいでしょ!!」
梨華の涙交じりの叫び声を背中に受けながら、一言素直に謝ることができたなら、
一言謝れば済むのなら、どんなに気が楽だろうと、後藤は思った。
都予選の最後の最後、自分がくじけ、夢さえも簡単にあきらめそうになった時に、
励ましてくれたひとみ。以来、わずかに開きかけていた心の扉を、自らの軽率な
言動で完全に閉ざしてしまった。
ささくれだった自分の心の中を、さらにかきむしってしまった後藤は、これから
自分がどうすればいいのか、どうすべきなのか、気持ちのやり場が見つからず、
昨日の夜から一睡も出来ずに苦しんでいた。
- 226 名前:センセーション 投稿日:2002年03月24日(日)20時06分24秒
鬼気迫るオーラを放ち、足早に通りすぎる後藤とすれ違いざまに、たまたま廊下を
通りかかった中澤は、後藤の行方を振り返りながら、心配そうにひとみたちに近づ
いてきた。
「何かごっちんが嫌なことでもゆーたんか?」
「いえ」
興奮してしゃくりあげている梨華の髪を撫でながら、ひとみはゆっくりと首を
振って否定する。
「足が動かなくても他のところを鍛えろって言ってました。一応、励ましてくれた
んだと思います」
そっか…とつぶやいて、中澤は宙に視線を泳がせる。
(あいつ、言葉足らずで中途半端な励まし方しよって…)
中澤は一つ大きくうなずくと、後藤の椅子をひとみの席の横まで引きずってきて、
ひとみと向き合うようにして座り込んだ。
そして、「よっさんも知っといたほうがええやろ」と言って、左手でひとみの右手
を軽く握り締めると、「今から話すことは去年の7月の話や…。よう聞いとってや」
と、静かな口調で語り始めた。
- 227 名前:センセーション 投稿日:2002年03月24日(日)20時11分07秒
「7月のはじめ、インターハイ予選前にな、後藤をレギュラーに抜擢した。吉澤も
知ってのとおり好不調の波の激しい子やったから、不安はぎょうさんあった。けど、
後藤はそれだけの力を持っていたし、それだけの努力もしていた。
1年生の後藤にとっては最初のインターハイ、でも、3年生の市井と一緒に出られる
最後のインターハイでもあった。たった一度きりのチャンス。だから絶対に一緒に
行くんだって張り切って、みんなが帰った後も、第二体育館で市井に何百本という
トスをあげてもらって、いつまでもいつまでも、居残り練習して頑張ってたんや。
そのことを1年生は知ってたけど、2年生も3年生も知らんかった。そやな、石川」
真っ赤になった鼻をすすりながら、梨華はうなずいた。
「そんな努力をしてることも知らずに、後藤にレギュラーの座を奪われた2年生が
逆恨みして、4人で恐ろしいことをたくらみよった…」
中澤は苦虫をかみつぶしたような顔で続ける。
- 228 名前:センセーション 投稿日:2002年03月24日(日)20時12分00秒
「予選でよっさんのいる上前に勝って、インターハイの出場権を獲得したあと、
夏休みが始まってすぐのことや。10日後に迫ったインターハイに向けて練習ゲームを
してる最中に、あの忌まわしい事件が起こった」
ひとみは、これから告げられようとしていることに悪い予感がし、ぶるっと小さく
身震いすると、中澤は握っていたひとみの手に、力を込めた。
「Bチームのサーブを、Aチームの2年生レシーバーが市井にトスを上げさせない
ようにわざと大きくはじく。カバーに行くふりをして、もう一人の2年生が乱れた
二段トスを上げる。後藤が自分に上がったトスはどんなに悪いトスでも必ず打ち切る
ことを知っているBチームの2年生ブロッカーは、わざと少し早めにブロックに跳び、
後藤が着地する場所をねらって着地する。……そしたらどうなるか、わかるやろ?」
悲しげにまつげを伏せて、中澤はひとみに問いかける。
「ごっちんが、ブロッカーの先輩の足に思いっ切りのっかった…」
その時のことを思い出したのか、梨華は机に突っ伏して嗚咽をあげ、美貴は眉間に
しわを寄せ、窓の外へ視線をそらした。
- 229 名前:センセーション 投稿日:2002年03月24日(日)20時12分57秒
「そや。故意であったか、なかったか、というだけで、全く今回と同じ状況や。
後藤、気ぃ狂ったみたいに泣いとった。多分、のっかった瞬間に、足があかんこと、
わかったんやと思う」
中澤と市井はすぐに後藤を抱きかかえ、昨日のひとみの時と同様に、保田の車に
乗せて病院に連れて行ったが、医師から下された診断は非情なものだった。
『右足首じん帯損傷。全治6ヶ月』
「そいつらもちょっとねんざさせてやろう、くらいの軽い気持ちだったらしいから、
真っ青になってたけどな。故意でやったのは絶対許せないし、許しちゃあかん。
せやから、4人ともすぐにバレー部を辞めてもらった。うちに2年生がいないのは
そういうワケや。そんなことがあってな、うちらはインターハイを棄権したいくらい、
どうしようもない状況になってたんや」
- 230 名前:センセーション 投稿日:2002年03月24日(日)20時22分38秒
インターハイで淑女学園が予選敗退したことを新聞で知った時、ひとみは正直、
がっかりした。自分達に勝って全国へ行ったからには優勝してほしかった――と、
確かに去年の夏、心の中で思っていた。
後藤がインターハイ前にケガしたことは後から知ったが、スポーツにケガはつきもので
あるため、淑女学園に来てからもその理由まで聞くことはしなかったし、そんな修羅場
があったとは、考えもしなかった。
後藤の心の痛みがどれほどのものだったか、ひとみには想像もつかない。その悲しみに
思いを巡らせていると「本題はこっからやで、よっさん」と言って、中澤は話を続けた。
- 231 名前:センセーション 投稿日:2002年03月24日(日)20時24分32秒
「そんな大ケガをしても、後藤は決してあきらめなかった。誰の目から見ても、絶対に
インターハイに間に合わないのは明らかやし、もちろん後藤自身が一番よくわかってた
はずや。それでも、足が動かないならって、上半身を徹底的に鍛えた。当時の後藤は
背筋が弱くてな、せっかく下半身と腹筋が強靭なのにバランスが悪いせいでパワーを
生かしきれてなかった。それで来る日も来る日も、とにかく黙々と上半身を鍛えよった。
泣き言一つ、言わずにな。そして、そのトレーニングは今も続いてる。
今のあのパワフルなスパイクは、その賜物なんや」
“練習嫌いな天才”と聞かされてきた後藤の真の姿を初めて知ったひとみは、
胸が熱くなり、思わず涙があふれそうになってしまった。
「今回のことでは誰より、後藤が胸を痛めてるはずや。
気持ちを言葉にするのが下手な子やさかい、気に触ることも言うかもしれん。
でも、本当は素直で、純粋で、一途すぎる子なんや。それだけはわかってやってほしい…」
しばらく沈黙した後、「わかりました」と言って、中澤の左手を強く握り返したひとみは、
今聞かなければもう二度と聞けないと思い、言葉をつないだ。
- 232 名前:センセーション 投稿日:2002年03月24日(日)20時25分57秒
「もう一つだけ…、ごっちんのこと、教えてください。
市井さんと、ごっちんの…、関係を、教えてください」
短い間が、張り詰めた空間に流れた。
梨華と美貴はどう答えるのだろうかと緊張したが、中澤は隠そうとはしなかった。
「ただの先輩と後輩の関係じゃないことは、もうわかってるんやろ?」
「はい」
「じゃあ、そういうことや。吉澤は、女の子どうしの恋はありえへんか?」
一瞬返答に詰まった後、ひとみはコクリとうなずいた。
「少なくとも、わたしの中では…」
- 233 名前:センセーション 投稿日:2002年03月24日(日)20時26分39秒
その瞬間、ずっと泣き続けている梨華の涙に、まだ打ち明けてもいない恋に破れた
失恋の味が加わった。実は、明日のバレンタインデーに手作りチョコを渡して、
ひとみに告白するつもりでいたのだ。
それを知っていた美貴も切ない気持ちになり、梨華が泣き止むまで、優しく背中を
撫で続けたのだった。
- 234 名前:センセーション 投稿日:2002年03月24日(日)20時28分02秒
そして、翌日の2月14日、聖バレンタインデー。
気持ちよく晴れたこの日の朝、淑女学園に一大センセーションが起こった。
栗色の長い髪を自慢にしていた後藤真希が
ばっさりと短く髪を切り、黒髪のショートをなびかせて現れたのだ――。
- 235 名前:S3250 投稿日:2002年03月24日(日)20時36分19秒
- 更新終了です。
春が終わってしまう前に、どんどん更新したいところなのですが、
またしても、繁忙期の大波が押し寄せてきました。
春高やってるうちに終わらせたかったのに、これではいつになったら終わるのやら…。
- 236 名前:理科。 投稿日:2002年03月24日(日)21時07分17秒
- 一気に読ませていただきました。
中高と、私もバレーやってたのですが
描写も凄ければ、内容も面白くて。
何だか懐かしく感じました。
期待してます。頑張ってください。
- 237 名前:ぷー 投稿日:2002年03月25日(月)02時52分01秒
- どうも!いつも読ませてもらってやす。
自分もバレーはかじってたんですごいおもろいです。
読んでてプレーが目に浮かびますね。エクセレント!
ところでよっすぃーや辻ちゃんは実際のバレーの腕は
どれくらいなんでしょう?
- 238 名前:センセーション 投稿日:2002年03月31日(日)00時50分51秒
冷え切った体育館の寒さに肩をすくめながら後藤が姿を現したとき、バレー部も、
卓球部も、バトミントン部の部員にも、一体それが誰なのか、すぐにはわからな
かった。そこに居合わせた全員が一瞬、目を見開き、息を飲み、絶句した後、
“ひゅ〜”だの、“きゃ〜”だの、“うお〜”だのといった悲鳴やら嬌声やらが
一斉にあがり、体育館中が騒然となった。
ぷはははは…と指をさして大爆笑しているのはあさみとミカ。
「これ、地毛だよね? うわ、うわ〜」と、後藤の髪をひっぱりながら驚いている
のが柴田で、昨日の昼休みのこともあり、困惑気味なのが梨華と美貴だ。
他の部の部員たちからも囲まれ、ここまで大騒ぎされるとは思ってもみなかった
後藤は、顔を赤くして無言のまま立ち尽くし、嵐が過ぎるのを待つしかなかった。
体育館の隅で独り、壁打ちをしていたひとみも、あっけに取られたまま開いた口が
塞がらない。後藤の短い髪を見たのはいつ以来か。思い出せそうになかった。
でも、よく似合ってる――。
心の中でつぶやいて微笑むと、にぎやかな輪に背を向けて再び壁打ちを始めた。
- 239 名前:センセーション 投稿日:2002年03月31日(日)00時52分54秒
この騒動に一番驚いたのは、もちろんこの人、バレーボール部顧問兼風紀担当の中澤
である。今までいくら注意しようと茶髪を直してこないため、頭から墨汁をぶちまけて
やろうかと思ったことも数知れず。しかし、ようやくここにきて自分の指導が実を結
んだのだと勝手に解釈し、今すぐに平家に電話をして、この喜びを伝えたいと思った。
「ごっつぁん! やっぱ、私がゆーたとおり、黒髪のほうが似合うやんか〜」
首に腕を回して頬ずりをし始める中澤に、後藤は露骨に嫌な顔をした。
「う〜ん♪ 怒った顔も、黒髪ならかわい〜わ〜」
後藤と中澤のリアクションに周りが大喜びする。
しかし、後藤にはそんな騒ぎも耳に入らない。
揺れ動く視線の先には、黙々と壁打ちをしているひとみの姿があった。
彼女を見るたび胸は痛むが、優しい言葉は何一つ、持っていない。
そんな自分が腹立だしく、悲しくもあった。
- 240 名前:センセーション 投稿日:2002年03月31日(日)00時54分36秒
朝練が終わった後のフィーバーも、後藤の想像を絶するものだった。
すでに3年生が月曜日以外は自由登校となっており、市井の目を気にしなくてもよく
なった隠れ後藤ファンたちが、チョコレートとプレゼントを持って殺到したのだ。
もちろんそのファンたちも、後藤のショートを初めて目にしたため、ちょっとした
パニックになった。
そして、それ以上にひとみの取り巻きはものすごい数にのぼり、体育館を出ると、
二重、三重もの輪ができていた。今までも毎年いくつかチョコレートをもらってきた
ひとみであったが、これほどではない。中高一貫校における“転校生”という特異性
と、都予選効果は絶大だった。
- 241 名前:センセーション 投稿日:2002年03月31日(日)00時55分20秒
「ごめん、もらえない」
差し出された包みにはいっさい手も触れず、そっけなく断り続ける後藤。
一方のひとみも、涼しい笑顔をふりまくものの、松葉杖が邪魔をしてすべてを受け
取ることは出来ない。見かねた梨華が、両手に抱えきれないほどの包みや袋を代
わりに預かったが、ひとみのあまりのモテぶりに気持ちは複雑だった。
――こうしてバレーボール部の誇る2大エースを取り巻く騒ぎは、休み時間、昼休み
に放課後と、午後練が始まる前まで延々と続いたのである。
- 242 名前:センセーション 投稿日:2002年03月31日(日)00時56分00秒
その日の午後練は筋トレに当てられていたが、中澤はトレーニングに入る前にミー
ティングを開いた。エースの大ケガで動揺している部員達の、意思統一を図りたか
ったのだ。
「残念ながらみんなも知ってのとおり、吉澤のケガは全治4ヶ月、しばらくはチーム
練習から離れてリハビリとトレーニングに入る。そこで、今日の練習からミカをレフト
に戻すことにする。これから約1ヶ月ちょっと、一日一日が大切になるからな。春高
本番に向けて気ぃ抜かんように、そして絶対にケガせんように、心して練習しいや」
「はいっ」
部員達の返事がミーティングルーム中に響くなか、廊下側の一番後ろに座っていた
ひとみが、「あの〜…」と手をあげて、もぞもぞと立ち上がった。
「今回は、わたしの不注意でみんなに迷惑をかけることになってしまって、ホントに
ごめんなさい。リハビリしながらですが、わたしにできることは何でもしますので、
よろしくお願いします」
そう言って頭を下げたひとみの言葉を受け、
「よっすぃーが戻ってくるまで、みんなで一丸となってガンバロ」
とキャプテン柴田が言うと、一斉に拍手が沸き起こった。
- 243 名前:センセーション 投稿日:2002年03月31日(日)00時56分56秒
その音が鳴りやみ、「他になければ…」と中澤が切り上げようとした時、
「先生!」と、いつになく覇気のある声で後藤が手をあげた。
「お、黒髪がかわいい、モテモテのごっつぁん、なんや?」
茶化されるのが大嫌いな後藤は、ニヤニヤしている中澤を一にらみしたあと、
突然、思いがけないことを言い出した。
「……あたしに1番をください」
「はい?」
唐突な後藤の申し出に、中澤は言葉に詰まったあと、思わず素っ頓狂な声を出して
しまう。
「あたしに、背番号1をください」
「今ごろ何言ってんだよ、おまえっ! 今までさんざん、2番つけろって言ったって、
10番がいいって言って嫌がったくせに!」
また始まった後藤のわがままにうんざりといった表情で、窓際に立っていた矢口は
目の前の机をバンッと叩きながら怒り始めた。
しかし、矢口の横やりには耳を貸さず、後藤はいつになく熱っぽい口調で中澤に、
そしてチームメイトたちに訴えた。
- 244 名前:センセーション 投稿日:2002年03月31日(日)00時57分58秒
「セッターが1番をつける部の伝統も知ってます。
梨華がずっと、1番にあこがれてたことも知ってます。
それを知ったうえでのお願いです。
あたしに、……いちーちゃんの1番を、ください」
長い沈黙。
その間に、この部屋にいるすべての人間が、後藤が髪をばっさり切ってきた理由を
悟った。ひとみへの懺悔、そして、これから真のエースとして淑女学園をひっぱって
いこうとする、後藤の決意と覚悟の証明だったのだ。
また重い荷物を独りで背負わせてしまったような気にとらわれ、斜め後ろから後藤を
見ていたひとみの心もズシリと重たくなった。
腕組みをして難しい顔をしていた中澤が、静かに口を開く。
「…石川しだいやな。どうする、石川?」
一番前の席でうつむき、指を組んでずっと考え込んでいた梨華は、立ち上がって
後藤のほうに振り返ると、真剣なまなざしで言った。
- 245 名前:センセーション 投稿日:2002年03月31日(日)00時58分37秒
「わかった。1番は譲るよ。その代わり、いいかげんなプレーしたら承知しないからね」
「うん。ありがと…」
後藤はまっすぐに石川を見つめたあと、深々と頭を下げた。
「石川はどうする? あんたの希望も一応聞くけど」
チームメイトに対して初めて頭を下げた後藤に驚きつつ、中澤は問いかけた。
「4年間ずっと頼りにしてきた10番は、私に引き継がせてください」
「じゃあ、決まりや」
この一言でミーティングはお開きになった。
中澤は、まだ見慣れないショートヘアの後藤を目で追いながら、理由もなく胸が締
めつけられた。
いつか保田は、後藤が変わり始めていると言った。
その時、中澤は確たる変化を感じていなかったが、今ならはっきり言える。
後藤は、変わった――。
- 246 名前:センセーション 投稿日:2002年03月31日(日)01時03分20秒
騒がしい一日が過ぎ、とっぷりと日が暮れた街並み。街灯と車のヘッドライトに
照らされたひとみと梨華は、駅に向かって肩を並べて歩いていた。
3時間みっちりと筋トレのメニューをこなした二人は、全身に疲労を感じている。
大会2週間前にもなれば徐々に減ってくるが、この時期は最もハードなメニューが
組まれており、年頃の部員たちにとっては憂うつの種となっていた。
「あ〜あ、また二の腕に筋肉ついちゃうよ〜」
帰り道、今にも泣きそうな顔で梨華が愚痴る。
「さすがに、筋トレの後はプルプルしちゃうよね〜」
と言いながら、大げさに松葉杖を揺らしてひとみも笑った。
自分がこんなにひどいケガをしたら、果たして笑顔を浮かべていられるだろうか――。
傷ついた心を奥におしやり、無理に明るく振る舞っているひとみの強さに、あらため
て梨華は尊敬の念を抱いていた。
感情をさらけ出したのは、あのケガのあと泣きじゃくった時だけ。それからは一度も
恨みつらみを言うでもなく、「絶対に春高に間に合わせるから」と言って笑う。
常に前向き。そんなひとみを少しは自分も見習わなければ、と梨華は思った。
- 247 名前:センセーション 投稿日:2002年03月31日(日)01時03分55秒
「それにしても、今日のよっすぃーフィーバーはすごかったね」
話題を変えようとして、自ら振った話に早速へこむ梨華。
「ハハ…。今までの人生の中で、最大にモテたかもね」
苦笑まじりのひとみ。
「あんなにチョコもらって、一人で食べれるの?」
「あ〜全部は無理だよねぇ。モテない弟クンたちと、お父さんと一緒に食べるかなぁ」
夜空を見上げたひとみは、白く鋭く光を放つ三日月に向かって、ふぅ…と白い息を吐
いた。
淑女学園高等部、中等部の生徒のみならず、東京都予選をテレビで見ていたファン
から郵送や宅急便で届いたチョコレートを含めると、恐らく今日だけで70〜80個の
プレゼントを受け取ったひとみは、学校から自宅へ宅急便を出さなければならない
ほどの人気ぶりだった。
後藤とは違い、少しも嫌な顔を見せることもなく、大人の対応をしていたひとみを
一日中見続けてきた梨華はかなりブルーになり、最後の最後まで悩んでいたが、
こうして二人きりになれたのも何かの縁だと信じ、勇気を振りしぼった。
- 248 名前:センセーション 投稿日:2002年03月31日(日)01時04分32秒
「ひとみちゃん…」
「ん?」
信号待ちで立ち止まった梨華に呼ばれたひとみは、昔のように、“ひとみちゃん”と
呼ばれたことに幾分驚きながら、梨華の顔を覗き込んだ。
荷物になって悪いんだけど…と言って、梨華が差し出したピンク色の小さな包み。
たまたま車の往来が止まっていたが、もし今ライトに照らしだされたら、梨華の頬は
ラッピングの色以上にピンクに染まっていたかもしれない。
「エエッ!? 吉澤にくれんの?」
白い息を弾ませ、あたりに響き渡るような大声でひとみは喜んでみせた。
「よかったら、家族のみんなで食べて」
梨華の葛藤など知るはずもないひとみは、わーい、わーい、と子供のようにはしゃ
ぎ始めた。
「ね、ね、開けていい?」
「え、でも、家族のみんなと…」
「梨華ちゃんにもらったチョコを、家族になんて食べさせられるわけないじゃん」
戸惑う梨華を気にすることもなく、松葉杖を両脇に抱え込んだひとみは、リボンと
包装紙をほどき始める。
- 249 名前:センセーション 投稿日:2002年03月31日(日)01時05分09秒
小さな箱を開くと、そこには、いかにも手作りです、といった感じのいびつなハート
型のチョコレートが詰まっていた。キッチンで悪戦苦闘したであろう梨華の姿を想像
したら、胸がジンとしびれた。
「うわっ、おいしそ〜♪ ね、梨華ちゃん食べさせて。あ〜ん」
両手で箱を持ったひとみは感激を押し隠し、このうえなく幸せそうな表情で大きく口
を開ける。梨華は思い切り照れながらも、一粒つまみあげると、ひとみの口の中に
ポイッと放り込んだ。
突然吹いた強い風に二人の髪がはらりと揺れ、
二人の間をチョコレートの甘い香りが漂う――。
「チョーおいしーよ! 梨華ちゃん、サンキュ」
そう言ってひとみは、ためらうこともなく梨華の小さな体をギュッと抱きしめた。
- 250 名前:センセーション 投稿日:2002年03月31日(日)01時07分01秒
カツン、カツン、と松葉杖が道路に倒れる音。
その音とともに、梨華の理性も崩れ落ちる。
やっぱり、私、あきらめられない――。
すぐに体を離そうとしたひとみから離れないよう、梨華は背中に回した指先に力を
込めた。
「梨華ちゃん…」
わずかに戸惑いの色を見せたひとみの声も、あえて聞こえないふりをする。
三日月と点滅する信号に照らし出され、ひとみの肩に顔をうずめた梨華は、
いつまでもこの温もりに抱かれていたい……
そう思いながら、打ち明けることのできない想いに胸が締め付けられるのであった。
- 251 名前:S3250 投稿日:2002年03月31日(日)01時08分59秒
- 更新終了です。
>>236さん
バレー経験者に読まれるのが一番ドキドキなので、
そう言っていただけるとすごくうれしいですし、ホッとします(w
>>237さん
ほんと、どれくらいなんでしょうねぇ?
いつか全日本合宿1日体験みたいなのをやってほしいです(^^
- 252 名前:名無し読者 投稿日:2002年03月31日(日)08時24分13秒
- 何だろう、忘れかけていた青春を思い出すような…
更新お疲れ様です。日常的なお話も面白いですね。
そして黒髪ショート後藤、想像しただけで萌え(w
- 253 名前:名無しさん 投稿日:2002年04月02日(火)20時31分26秒
- いつも楽しく拝見しております!梨華ちゃん諦めずにがむばれ
- 254 名前:名無しさん 投稿日:2002年04月02日(火)23時34分04秒
- いいですね〜なんかすごいイイです。
- 255 名前:名無しさん 投稿日:2002年04月14日(日)18時50分18秒
- 続き激しく期待しております
- 256 名前:S3250@作者 投稿日:2002年04月21日(日)20時00分59秒
- 長らく放置していて申し訳ありません。
今日、4月に入って初めて休みをとることができ、ようやく仕事が
片付くメドがついたので、1週間後を目標に再開したいと思っています。
>>252さん
しばらくは日常的な話ばかりになると思います。
読まれている方にとってもそうだと思いますが、
書いてる側にとっても試合描写はかなりヘビーなので(^^;
>>253さん
梨華ちゃんには諦めてもらっては困ります。がむばってもらいましょう(w
>>254
うわ〜ありがとうございます。
>>255さん
ご期待を裏切らないよう頑張ります。
ここまで下がってしまうと、もう見限られているかもしれませんが、
時間はなくともやる気だけはありますので、またよろしくお願いします。
- 257 名前:名無しさん 投稿日:2002年04月26日(金)04時13分41秒
- 見限るなんて、とんでもない。
ずっと、作者さんの復活をお待ち申し上げてました。
- 258 名前:恋のチカラ 投稿日:2002年04月27日(土)19時01分18秒
2月18日月曜日。
2月に入ってからは自由登校となっている3年生だが、毎週月曜日は登校日と
定められている。しかし、この時期は受験や受験を間近に控えた生徒たちが欠
席するため、教室の中もまばらである。
昨日までVリーグの北陸遠征に同行して少し気疲れしていた市井は、昼休みを
告げる鐘が鳴り、お弁当をさっさと食べ終えてしまうと、日の当たらない窓際
の机に突っ伏してまどろんでいた。
喚起のためにわずかに開けた窓のすきまから、中庭で生徒たちが遊びに興じる
声が遠く聞こえる。
ゆるやかで穏やかで、そしてなぜか寂しい昼下がりだった。
- 259 名前:恋のチカラ 投稿日:2002年04月27日(土)19時03分21秒
いちーちゃん…
遠くで愛しいあの声が呼ぶ。
もうどれくらいあの声を聞いていないんだろう。
怒ってても、笑ってても、泣いてても、いつも私を動かしたあの声。
今はもう聞くことができないあの声。
夢の中でも涙があふれそうだった。
ねぇ、いちーちゃん…
声のするほうへ、市井は自然と顔をあげていた。
冬の弱い日差しを真後ろから受け、逆光で顔が見えなくても、市井には目を
細めてふにゃっと笑っている後藤の顔を簡単に想像することができた。
「疲れてるのに起こしてごめんね…」
その言葉でようやく、これが夢ではなく現実なのだと市井は悟った。
「あっ、いや、あの、あ、あの、こんちは」
夢と現実がごっちゃになって、市井は取り乱してしまった。
- 260 名前:恋のチカラ 投稿日:2002年04月27日(土)19時04分35秒
「あ、髪、切ったんだね」
木曜日からチームに合流していた市井は、後藤がバッサリと髪を切ったことを
矢口のメールで知らされていたが、実際に目にするのはこれが初めてだった。
「うん。似合わないかなあ…」
短い髪をさらりとかきあげ、唇をとがらせた後藤は、市井の反応を気にしている。
「すっごいよく似合う」
驚きはしたが、本当にそう思った。白い歯を見せてきれいに笑ってみせた市井
につられて、「アハッ。よかったぁ〜」と言って後藤も笑う。そんな無邪気さに
出会ったころの後藤を思い出して、きゅうっと胸が締めつけられた。
「ねぇいちーちゃん、ちょっとついてきてもらってもいい?」
「いいよ」
慌てて乱れた髪をなでつけた市井は、すばやく立ち上がって後を追った。もう
付き合い始めて3年以上になるが、こうして制服の後藤の後ろ姿を見るのは初めて
のような気がしていた。
- 261 名前:恋のチカラ 投稿日:2002年04月27日(土)19時05分27秒
渡り廊下を久しぶりに並んで歩く二人に、周囲から好奇の視線が集中した。
市井も後藤もそれに気づいていたが、まるで気にはならない。むしろ市井に
とっては、懐かしくてくすぐったくて、純粋にうれしかった。
手をつないで歩きたい、市井はそんな衝動に駆られていた。
少し手を伸ばせば届く、愛しい長い指。
何度もつないだその指に、なぜか触れることができない。
どうして二人、こんなふうになっちゃったんだろう…。
自分の決断がそうさせたことはわかっていても、やりきれない市井は、
うなじのあたりをかいて自嘲気味に笑った。
- 262 名前:恋のチカラ 投稿日:2002年04月27日(土)19時06分29秒
後藤が向かった先は、第二体育館――、筋トレ好きな後藤のお気に入りの場所
だった。
(ここでよく、二人っきりで居残り練習をしたっけ…)
市井は床に転がっていたバレーボールを一つ拾い上げると、人差し指の上で
くるくると回し、感慨にふけっていた。
ひんやりとした静寂が二人を包む。
まるで、大阪へ行くことを告げたあの10月の雨の日のようだ。
そしてあの日のようにまた、沈黙に耐えきれなくなった後藤が口火を切った。
「今まで意地張っててごめんなさい。なかなか心の整理がつかなくて…」
指を後ろで組み、長いまつげを伏せた後藤は、深々と頭を下げた。
「こっちこそ、ごめん…」
言葉をつなごうとしたが、感極まった市井はそれ以上、言葉にならなかった。
- 263 名前:恋のチカラ 投稿日:2002年04月27日(土)19時07分44秒
「いちーちゃん、もうすぐ卒業だね。そして…ごとーも、
いちーちゃんから卒業しなきゃいけないんだね」
市井と視線を合わさないように、目を伏せたまま、後藤は小さくつぶやく。
(卒、業……)
初めて自分の卒業を実感した市井は何も言えず、両手を前に伸ばした後藤に、
持っていたボールを軽くパスした。受け取ったボールを見つめて優しく微笑む
後藤はドキリとするほど美しく、そして大人びて見えた。
出会ったころはまだ12歳だったあどけない少女は、16歳になっていた。
- 264 名前:恋のチカラ 投稿日:2002年04月27日(土)19時08分53秒
「だからいつまでもいちーちゃんに甘えてちゃいけないの、よくわかってる。
でも、最後に一つだけ、ごとーのお願い、聞いてください」
「………なんでも聞くよ…」
市井は震えた声で、精一杯答えた。
「いちーちゃん、あのね…」
そう言って後藤が告げた最後のお願い。
自分にできることすべてを後藤のために捧げたい、市井は強く思った。
- 265 名前:S3250 投稿日:2002年04月27日(土)19時18分41秒
- 久々の更新なのに少ないのですが、今日はここで終了です。
なんか、感覚がつかめません(^^;
>>257さん
そう言っていただけるとホントにうれしいです。
ゴールデンウィーク中は少し頑張って更新していきたいと思ってます。
吉澤主役なのに、後藤がメインになりそうと言ったのに、久しぶりに市井を
登場させたら、しばらくは出ずっぱりになりそうな気がしてきました。
- 266 名前:名無しさん 投稿日:2002年04月27日(土)21時24分12秒
- お待ちしてました。
この2人にも幸せになって欲しいですが。
続き、マターリお待ちしますんで、頑張って下さい。
- 267 名前:名無しさん 投稿日:2002年04月29日(月)01時06分50秒
- 作者さんの完全復活、マジうれし!
お忙しいと思いますがどうかガンガってください。
- 268 名前:恋のチカラ 投稿日:2002年04月30日(火)01時54分30秒
2月最後の日。バレー部員たちの話題は後藤のことでもちきりとなっていた。
トレーニングルームのフロアーに輪になって座り込み、憂うつな筋トレ前で
あることも忘れてイキイキと目を輝かせていた。
「サーブレシーブはあたしの仕事じゃない! って言い張ってきた人が、一体、
どういう心境の変化なんだろーね?」
「やっぱ市井さんを追いかけようとしてるんじゃない?」
「市井さんはセッターだからあの身長でもVリーグに行けるけど、ごっちんが
生き残ろうと思ったらリベロしかないもんねぇ」
- 269 名前:恋のチカラ 投稿日:2002年04月30日(火)01時55分08秒
春高まであと1ヶ月を切ってからというもの、「ウルトラマン並み」と言われ続
けていた後藤の集中力が目に見えてアップし、サーブレシーブが急激に上達し
た。それにより梨華のトスも、センターライトのクイックも、後藤のスパイク
も安定するという、2倍、3倍の相乗効果で、一気にチーム力が上がったのだ。
その後藤の急激な変貌ぶりに、あれやこれやと原因を分析しながら楽しんでい
るチームメイトたち。とりわけ、今までどこに飛んでいくかわからない後藤の
サーブレシーブに振り回されていた梨華は、ひとみの右隣でしっかりと腕を組
みながら楽しそうに話に花を咲かせている。
それをどことなく上の空で聞いていたひとみは、
(やっぱり恋の力ってすごい…)
と、心の中で思っていた。
- 270 名前:恋のチカラ 投稿日:2002年04月30日(火)01時56分00秒
1週間前の昼休み――。
昼食を終えたひとみは、おしゃべりに夢中になっている梨華と美貴には何も告
げずに教室を抜け出し、体育館へと向かった。リハビリでしばらくボールに触
れていないのが気になって、ボール感覚を忘れないように壁打ちでもしておき
たいと思い立ったのだ。
しかし、5限目の授業の生徒たちが早くも体育館に来て、バスケットのシュー
ト練習をしたり、円陣パスに興じたりしていたため、人目に触れたくなかった
ひとみは体育館を素通りして、第二体育館へ下りて行った。
すると、誰もいるはずのないフロアーから、ボールの弾む音とシューズの擦れ
る音が聞こえてくる。
ズドン
キュキュ…
ポーン
ズゴン
キュッ…
ポーン
- 271 名前:恋のチカラ 投稿日:2002年04月30日(火)01時56分42秒
(こんな時間に誰だろ…)
ふだんはあまり使われることのないこの場所から音がするのを不思議に思い、
大きな柱の陰から誰がいるのかを確認したひとみは、驚きのあまり大きな瞳を
さらに大きく見開き、思わず声をあげそうになってしまった。
そこでは市井が黙々とジャンプサーブを打ち、
後藤がひたすらサーブレシーブをしていた。
柱に身を隠し、息を殺してしばらく二人の様子を見ていると、今までボールの
見切りが早く、レシーブポイントがバラバラだった後藤が、すばやくボールの
正面に入り、最後の最後まで球筋を目で追い、ぎりぎりまで我慢してレシーブ
しているのが、離れているひとみにも伝わってきた。
元々バレ―センスのいい後藤のことだから、上達の早さにはさほど驚きはしな
いものの、あれほどサーブキャッチはしないと言い張っていた張本人が、こう
して人目をはばかりながら特訓していることが、にわかに信じられなかった。
- 272 名前:恋のチカラ 投稿日:2002年04月30日(火)01時57分34秒
会話を交わしているわけでもないのに、二人のパッションが絡み合う濃密な空
間のなかで、単調な作業は続いていく。
――――いつのまにかひとみは、後藤の真剣な横顔に、見惚れていた。
果たしてどれくらいの間そうしていたのか、自分のほうに転がってきたボール
にようやく我に返ったひとみは、二人がこれまで重ねてきた、自分の知らない
長い歳月に思いをはせ、長いまつげをふせた。
なぜか無性に寂しかった。
二人に声をかけることもなくその場を去ったひとみの胸の中には、その日以来、
説明することのできない複雑な感情が芽生えていた。
- 273 名前:恋のチカラ 投稿日:2002年04月30日(火)01時58分21秒
3月1日。この日は追加募集の受験が行われる都合で在校生の授業はなく、
バレー部は朝7時からみっちりしごかれた。午前練習につきあった市井は、
夕方から西洋紡と引っ越しやら入社前のスケジュールやらを打ち合わせする
ために大阪へ向かわなければならず、一汗ぬぐって私服に着替えると、すぐに
学校をあとにした。
お昼は何にしようか…と考えつつ駅に向かって歩いていると、前方に松葉杖を
ついているひとみの姿を見つけた。
- 274 名前:恋のチカラ 投稿日:2002年04月30日(火)01時59分35秒
「お〜い、吉澤〜」
大きな声で叫んで右手を振ると、まぶしい日差しに目を細めて市井の姿を確認
したひとみが、唇の両端を上げて律儀にお辞儀する。肩にかけたトートバッグ
を押さえながら駆け寄っていった市井が、「おう、これからリハビリか?」と
元気よく声をかけると、「はいっ」と気持ちのいい返事が返ってきた。
ひとみは週に2回かかりつけの病院に通い、専門のスタッフとともにリハビリ
メニューをこなしている。
「急いでんの?」
「3時からなんで、そんなに急いでもないですけど…」
「じゃあ、昼ごはん一緒に食べようよ。もう腹へっちゃってさ〜」
大げさにおなかをさすってみせた市井は笑顔でうなずくひとみを確認すると、
通りに面した行きつけのファミレスに連れて行った。
- 275 名前:恋のチカラ 投稿日:2002年04月30日(火)02時00分13秒
「リハビリはどう?進んでる?」
ドリンクバーで自分のアイスコーヒーとひとみの分のオレンジジュースを手に
した市井は、椅子に腰かけながら問いかける。
「とにかく与えられたメニューを必死で頑張るだけで、正直言って、今自分が
どういう状況なのかわからないんです」
ありがとうございます、と礼を言って受け取ったオレンジジュースをストロー
でかき回すと、氷がカラカラと涼しげな音を立てた。実は、焦りとストレスから
うまくリハビリは進んでいなかったのだが、ひとみの性格上、ウソもつけず、
かと言って弱音も吐けず、うまくごまかすしかなかった。
「そっか…。ま、無理してひどくしたら元も子もないから焦るなよ」
ニコニコした市井がひとみの頭を撫でると、「子供扱いしないでくださいよぉ」
と言ってひとみがほっぺたをふくらませ、思わず二人で笑ってしまった。
- 276 名前:恋のチカラ 投稿日:2002年04月30日(火)02時00分54秒
市井はアイスコーヒーにガムシロップとミルクを注いでいる間、ひとみに聞いて
みたかったことを切り出すキッカケをうかがっていたのだが、卒業まであと数日、
こんなチャンスも最初で最後かもしれないと思い、アイスコーヒーを一口含むと
迷いを捨てて早速本題に突入した。
「吉澤、ずっと聞きたかったこと、聞いてもいいかな?」
「あ、はい。何ですか」
「どうしてあの時、無理して打った?」
「は?」
「あのケガした時――、市井はいなかったから状況はよくわかんないんだけど、
無理して打ちに行かずに、チャンスボールを返すことは考えなかったのか」
突然のストレートな質問に絶句するひとみ。何か気の利いた冗談の一つでも言
って避けたい話題だったが、射るような市井の視線に、逃げられないことを悟
った。ストローに添えた右手を下ろし、観念したように一瞬うつむいて考えた
あと、ひとみは視線をあげてきっぱり答えた。
- 277 名前:恋のチカラ 投稿日:2002年04月30日(火)02時01分41秒
「上前にいたころの私ならきっと、普通に返してたと思います。でも、ここに
来てから、なんていうか、スパイクに対するごっちんの執念みたいなものを間
近で見てきて、とにかく、自分に上がってきたボールは何が何でも打ち切ろう
って思うようになったんです。
――正直、自分でも、自分の中の変化にものすごく驚いています」
ひとみが来てから後藤が変わったように、ひとみも人知れず後藤に影響を受け
ていたことに、市井は軽いショックを受けながらも質問を続けた。
「その後藤のことだけど…、吉澤は最近の後藤のこと、どう思う?」
「見違えるようにサーブレシーブがうまくなりましたね。でもそれは…、
市井さんが猛特訓してるからなんですよね」
「えっ?」
誰かに知られているとは思ってもみなかった市井は、思わず息を飲んだ。
「3、4日前、昼休みに第二体育館でたまたま見ちゃったんです。好きな人と
一緒ならプレースタイルも変えられるんだ、短期間のうちにあんなにうまくな
れるんだって、なんかすごく……すごくうらやましかったです」
- 278 名前:恋のチカラ 投稿日:2002年04月30日(火)02時02分21秒
見られてたのか…、とつぶやいた市井は苦虫をかみつぶしたような顔をして、
くしゃくしゃっと前髪をかいた。
「知ってると思うけど、後藤って努力してるとこ人に見せるの異常に嫌がるか
らさ、みんなにも後藤にも言わないでね」
市井が顔の前で手を合わせると、ひとみはほんわかした柔らかい笑顔を浮かべ、
大きくうなずいた。
「後藤が急にサーブレシーブを頑張り出したの、なんでかわかる?」
「それはやっぱり、市井さんと同じチームに行くためにレシーブ力をつけなきゃ
いけないって思ってるからじゃないですか? みんなもそう言ってますよ」
「吉澤も、そう思うの?」
「思います」
弄んでいたストローの袋を小さくたたんでテーブルの上に置いた市井は、静か
に左右に首を振ると、「余計なことかもしれないけど最後まで聞いてね」と前置
きした。
- 279 名前:恋のチカラ 投稿日:2002年04月30日(火)02時03分11秒
「後藤がサーブキャッチを頑張り始めたのは、市井の存在は全然関係なくて…、
吉澤の影響なんだ」
「わたしの影響なんて…」
口をはさもうとする吉澤の唇に、身を乗り出した市井は細い人差し指をあて、
「シッ! 最後まで聞く」と言ってウインクした。
凛々しさと愛らしさをあわせ持った市井にドキリとし、ひとみはごくりと唾を
飲み込むと、そのまま言いたかった言葉までも飲み込んだ。そしてその瞬間、
市井が誰からも慕われるゆえんと、他人には全く興味を示さない後藤までもが
惹かれる理由があらためてわかったような気がした。
- 280 名前:恋のチカラ 投稿日:2002年04月30日(火)02時03分57秒
「後藤は、スパイクこそが自分の最大にして唯一の武器だと思ってたのね。
だから中澤先生や私がどんなに言っても、絶対にキャッチを頑張ろうとはしな
かった。そんな頑なだった後藤を動かしたのは、吉澤なんだよ」
そんなはずはないと思いながらも、ひとみは黙って市井の話に耳を傾ける。
「あの事故があって、吉澤もめちゃめちゃつらかったと思うけど、後藤も夜も
眠れないくらい苦しんでたんだ。自分が今でもトラウマになっているのと同じ
シチュエーションでケガをさせてしまった吉澤のため、そしてまたしても大き
な迷惑をかけてしまったチームメイトたちのために罪滅ぼしとして何ができる
のか。その答えが、サーブレシーブだったんだと思う。
――10日前だったかな、登校日の昼休み、後藤に第二体育館に連れ出されてさ、
“サーブレシーブを徹底的に鍛えてほしい”って急に頼まれたんだ。それから
毎日昼休みに出てきて、ああやって特訓してるってわけ」
- 281 名前:恋のチカラ 投稿日:2002年04月30日(火)02時11分44秒
10日前といえば、後藤が髪をバッサリ切ってからすぐのころだ。
(ごっちんが責任を感じる必要なんて何もないのに…)
ひとみはがっくりと首をうなだれて、唇をかんだ。
「正直、後藤が急にサーブレシーブを頑張り出したのに驚いてるのは、他の誰でも
なく市井だったりするんだ。それこそ、はじめのころはうぬぼれて、さっき吉澤が
言ったみたいに、市井のこと追いかけようとしてくれてるのかもしれないと思った
りもした。でもね、それはまるで見当違いだった。おとといの昼休みが終わった後、
つぶやくように後藤が言ったんだ。
“もっとサーブレシーブがうまくなれば、追いつけるかなぁ…”って。
“何に?”って聞いても笑ってるだけで答えてくれなくて、その時は全然わから
なかったんだけど、今ならわかる気がする。
後藤は今までも、今もずっと、吉澤の背中を追いかけてる」
- 282 名前:恋のチカラ 投稿日:2002年04月30日(火)02時12分24秒
「お待たせしました〜」
何か言おうとした吉澤の言葉を遮るように、声の甲高い小柄なウエイトレスが
二人の注文したパスタをテーブルに並べ始め、一時会話は中断された。その間、
ひとみの頭の中では市井の言葉が高速回転でぐるぐると駆け巡っていた。
――吉澤の背中を追いかける?――ごっちんが?――わたしの背中?――
ウエイトレスが去り一呼吸おくと、目の前で湯気を立ち上らせているパスタに
は手をつけようともせずに、市井はゆっくりと言葉を続けた。
「それに気づいてから今さらいろんなこと思い出したんだけどね、後藤は上前
と戦うときだけ目の色が違ってたような気がするんだ。
そして、上前と戦った後はいつも、目的を持って練習してた。
吉澤が2cm高く跳べば後藤は3cm、吉澤が3cm高く跳べば後藤は4cm高く跳べる
ようになっていった。“吉澤には負けない”そんなライバル心が、今まで後藤を
突き動かしていたんだと思う」
- 283 名前:恋のチカラ 投稿日:2002年04月30日(火)02時13分01秒
そう言って市井は寂しげな表情を見せたが、ひとみがうつむいていたおかげで
らしくもない顔を見られずにすんだ。こうしてしゃべりながらも、自分には変
えられなかった後藤の頑固なまでの信念を、ひとみの存在があっさりと変えて
しまえることに、市井はジェラシーを感じていた。
しかし、その一方で、素直な気持ちを言葉にしたり行動で表したりすることの
下手な後藤ことを、誤解することなく、ひとみに知っていてほしいと思った。
- 284 名前:恋のチカラ 投稿日:2002年04月30日(火)02時13分38秒
ずっと黙りこくって市井の話を聞いていたひとみだったが、
「それはわたしも同じです…」と言って顔を上げると、口を開き始めた。
「中1までのわたしは、ただやみくもに跳んで、クロスさえ打っていれば、
おもしろいように決まっていました。それがある日、ジャンプ力だけじゃ
かなわない相手が、突然現れたんです」
「それが、後藤?」
市井の問いに、ひとみは深くうなずいた。
中2の5月、春季大会の準決勝のことだった。ひとみは1本目に上がってきた
トスを、いつものように軽快に跳んで電光石火のクロスをたたきつけた。右手
はすでにガッツポーズを作っていたが、次の瞬間、笑顔が凍りついたように固
まった。去年の秋の新人戦では失笑してしまうようなプレーを見せていた後藤
が、ひとみのスパイクコースを読んで飄々と拾い、梨華にトスをもらうと、見
事なクロスで切り返してきたのだ。
- 285 名前:恋のチカラ 投稿日:2002年04月30日(火)02時14分17秒
「あれはまぐれだと思って、何本もごっちんに向かって超インナーに打ち込み
ました。でも、全部完ぺきにコースに入られて3本に2本は拾われてしまって…
逆に、目の醒めるようなものすごいクロスを目の前にたたきつけられたんです。
あのパワーで、あの角度で打たれたら、わたしはひとたまりもありませんでした。
ちゃんとコースに入っていても、弾き飛ばされて拾うことができなかったんです」
今ではコース打ちのうまさが絶賛されているひとみが、当時そんな技術を持ち
合わせていなかったことを市井もおぼろげに思い出してきた。
- 286 名前:恋のチカラ 投稿日:2002年04月30日(火)02時14分58秒
「市井さんも知ってのとおりわたしにはパワーがありません。コースに入られ
てしまったら簡単に上げられてしまいます。だから、パワーのごっちんに対抗
するために、わたしはキレとスピードとコースの打ち分けを身につけるしか
なかったんです」
後藤と吉澤の二人の間に、二人しか知らない世界があったことを初めて知った
市井は、後藤のことなら何でも知っていると思っていた自分の愚かさを心の中
であざ笑った。そして、自分が傷つくことがわかっていながら、最大の疑問を
ひとみにぶつけた。
「そこまでわかっていながら、去年のインターハイ予選準決勝……、
どうして吉澤はクロスを打ち続けた?」
- 287 名前:恋のチカラ 投稿日:2002年04月30日(火)02時15分45秒
ひとみの脳裏には、当時のチームメイトたちの前で、
――今度の淑女戦は、クロスで勝負させてください――
と頭を下げたことが瞬時によみがえり、軽い目眩がした。
少しの間、目を閉じ、渇ききったのどにオレンジジュースを流し込んで心の中
を整理する。できればこの答えは後藤本人に伝えたかったが、小さく息を吸い
込むと、市井にまっすぐな視線を向けて、かみしめるように答えた。
「真っ向勝負を挑んでくるごっちんと、真っ向勝負したかったからです」
- 288 名前:恋のチカラ 投稿日:2002年04月30日(火)02時16分21秒
その勝負が自分に不利なことはひとみ自身十分に承知していた。しかし、常に
自分に向かって正々堂々と勝負を挑んでくる後藤に対して、背中を向けること
ができなかった。来る日も来る日も、セッターの先輩に何百本、何千本とトス
を上げてもらってクロスを打ち込み、淑女学園戦に備えた。
1年生のエゴとも言える申し出を、快く受け入れて応援してくれた先生や先輩
たちのためにも、ひとみはどうしても後藤に勝ちたかったし、勝たなければな
らなかった。3年生たちと最初で最後のインターハイに出たかったのは後藤だ
けではなく、ひとみも同じだったのだ。
結局、2時間を超える死闘の末、後藤の執念のクロスをひとみが拾い切れず、
上前女子は敗れた。お互いにフェイントも打たなければ、入れとけサーブも打
たなかったガチンコ対決は、高校バレー史上に残る名勝負だと言われている。
- 289 名前:恋のチカラ 投稿日:2002年04月30日(火)02時17分11秒
「自分が意地を通したのに、自分の力不足でごっちんに打ち負けてしまったこ
とは、今でも先輩たちに申し訳なく思ってますし、その後、廃部になってしま
ったとあっては、なおさらです」
市井はこの時初めて、ひとみの背負っている十字架の重さを知り、不覚にも涙
がこぼれそうになってわずかに声が震えた。
「もし、あの試合で、ストレートを打っていたら、上前は勝ったと思う?」
ひとみはゆっくりと首を左右に振り、わずかに微笑んだ。
「いえ。ストレートを打った時点で、精神的に負けですから」
その言葉で市井は確信した。バレーボールで後藤に影響を与えてきたのは自分
ではなく、ひとみだったのだと――。
ひとみが転校してくるまで一度も言葉を交わしたこともなく、視線さえ合った
記憶がないという二人が、ことバレーボールに関して自分よりも深いところで
つながっていたと知って切なかったが、何となく予感していたことでもあった。
- 290 名前:恋のチカラ 投稿日:2002年04月30日(火)02時17分55秒
「もし、わたしがホントにごっちんに影響を与えられるのなら、わたしはこの
ケガを乗り越えて、精神的にも技術的にも今よりもっと強くなります。そして、
ごっちんから淑女学園のエースの座を奪います」
ひとみは力強く市井の前でそう誓った。
そうすればもっと後藤は強くなる――。
ひとみはこれからのリハビリを死ぬ気で頑張ろうと思った。
- 291 名前:S3250 投稿日:2002年04月30日(火)02時26分56秒
- 更新終了です。
>>266さん
マターリがこんなにいい言葉だとは思いませんでした。
マターリしすぎですが、頑張ります。
>>267さん
完全復活ではないですっ(焦&汗
期待せずに待っていていただければうれしいです。
とりあえずGW中に、最悪でもあと1回、できれば2回更新したい
と思っています。
こうやって宣言しておかないとサボッてしまう弱いヤツです(w
- 292 名前:名無しさん 投稿日:2002年04月30日(火)04時15分32秒
- あぁ、よしごまなんだ。
最後まで頑張ってください。
- 293 名前:名無し@(O^〜^O) 投稿日:2002年04月30日(火)07時21分42秒
- やっぱり面白いっす♪
マタ〜リがんがってください!
ホント、描写がウマすぎです…。
- 294 名前:名無し読者 投稿日:2002年04月30日(火)20時16分27秒
- >>292
そういうわけではないんでない?
- 295 名前:名無しさん 投稿日:2002年04月30日(火)21時14分36秒
- お互いずっと前から意識し合っていたんですね。
そしてお互いを認めて高め合っていく2人。
ここのよしごま、大好きです。
- 296 名前:名無しさん 投稿日:2002年05月01日(水)03時01分19秒
- >>294
後藤が市井から卒業して、恋(=よしごま)のチカラで吉澤を追いかけて頑張ってると思ったのですが。
私の読み間違い? だったら恥ずかしい。
- 297 名前:よすこ大好き読者。 投稿日:2002年05月02日(木)17時01分26秒
- 一気に読みました。
正直バレーってよくわかんなかったんですが・・・・・。(スマソ^^;
これ読んで、すごく面白くってちょっとバレーを勉強しました。(笑
続き楽しみにしています。
- 298 名前:雨の雫 投稿日:2002年05月06日(月)06時57分59秒
卒業式を翌日に控え、折りたたみ椅子がずらりと並べられた体育館。
ほんの1時間前まで、この場所で予行演習が行われていた。
その余韻が、冷えた外気の侵入により少しずつ失われていく。
後藤は壁にもたれ、壇上の花瓶に色とりどりの花が活けられたり、校旗が掲げ
られたりして、それらしき装いが手際よく整っていくのをうつろな瞳で見つめ
ていた。頭の中では、「卒業証書授与」のアナウンスがパワープレイされている。
ふと、さっきまで心にしみわたる音をたてていた雨の音がやんだのに気づく。
視線を移して2階の窓を見上げると、降りしきっていた冷たい雨がいつのまに
か雪に変わっていた。
その空の白さから、なぜか目が離せない。
- 299 名前:雨の雫 投稿日:2002年05月06日(月)06時58分47秒
清掃当番を終えて体育館に入ってきたひとみの視界には、一番奥の壁際で窓を
見上げたまま微動だにしない後藤の姿がいきなり飛び込んできた。
こうして見ているだけでも痛々しいその姿が、ひとみの心を締めつけた。
(寂しいだろうな。ごっちんも、市井さんも…)
ひとみは明日の卒業式が終わった後、時を同じくして明日、式が行われる上前
女子高校の先輩たちの祝福に駆けつけるつもりでいた。しかし、とうてい後藤
は、卒業証書を手にした市井に「おめでとう」と言える心境ではないだろう。
2ヶ月前の2学期の終業式に親友たちとの別れを経験したばかりのひとみには、
不安や寂しさ、そして大きな喪失感が十分に理解できた。
ひとみは後藤の視線を遮らないように、遠回りして第二体育館へ向かった。
- 300 名前:雨の雫 投稿日:2002年05月06日(月)06時59分25秒
「せいれ〜つ。礼」
「よろしくお願いしま〜す」
今日の午後練も思春期の彼女たちを悩ませる筋トレである。
号令をかける柴田も、それに続く部員達も、練習開始のあいさつに覇気がない。
しかし、次の中澤の言葉でトレーニングルームの冷えた空気は一変した。
「雪がひどくなって電車が止まってしまうとあかんからな、今日は各自のメニ
ューを1セット。終わった者から自由解散。はい、はじめっ」
一瞬耳を疑ったあと、お互いに顔を見合わせて目を輝かせた部員達は、軽い足
取りで各所に散り、一刻も早く上がるために普段からは信じられないくらい積
極的に取り組み始めた。
- 301 名前:雨の雫 投稿日:2002年05月06日(月)07時00分48秒
背筋を鍛えるマシーンに陣取ったひとみは、先程の虚無的な様子が気になって、
後藤の姿をさりげなく目で追う。すると、全身を映し出す大鏡の前で早速100kgの
バーベルを軽々と上げている。最高でも80kgまでしか上げることのできない
ひとみは、(とうていかなわないや…)と心の中でつぶやくと、下を向いて
誰にも気づかれないように苦笑した。
一人で黙々とできるところが、後藤の筋トレ好きな理由らしいが、こうした姿
を見るにつけ、後藤が努力の人なのだということをひとみは思い知らされる。
かつて、「練習嫌いな天才」には練習量で対抗するしかないと、努力で才能を
打ち負かそうと思っていた自分がばかみたいに思えた。
- 302 名前:雨の雫 投稿日:2002年05月06日(月)07時01分45秒
「先帰るね〜、バイバ〜イ」
「おっ先〜」
メニューを一通り終えた部員達が、一人、二人と顔をほころばせながらあがっ
ていく。
「よっすぃー傘させないでしょ? 私、着替えて待ってるよ」
最後のレッグカールを終えて一息ついた梨華が、ベンチプレスのほうに向かっ
て立ち上がったひとみに声をかける。
「あー、まだ時間かかるし、今日はお母さんが車で迎えに来てくれることに
なってるから大丈夫。電車止まるといけないから、梨華ちゃん先帰ってて」
「あ、そうなんだ。じゃあ先に帰るね」
「うん。気をつけて」
「よっすぃーもね。じゃあ、ごっちんお先に」
- 303 名前:雨の雫 投稿日:2002年05月06日(月)07時02分54秒
手を振って梨華が去ると、狭いトレーニングルームの中にひとみと後藤の二人
きりになった。スパイク打数の多いレフトはそれだけ体力が必要とされている
うえ、リハビリメニューも加わったこの二人は、他の部員たちに比べてやらな
ければならないことが多い。
それでなくとも春高まで時間が残されていないひとみは、通常どおり3セット
こなしてから帰るつもりだった。
苦しさに顔をゆがめた二人の乱れた呼吸だけが、室内に響きわたる。
どうやら後藤も1セットで切り上げるつもりは毛頭ないらしく、先にメニュー
を終えたひとみは、そろそろ終わりそうな後藤のことを待っていようかと考えた。
しかし、(嫌いなわたしに一緒に帰ろって言われても迷惑か…)と思い直すと、
母親との約束の時間もあるため、休憩もそこそこに腰を上げた。
「じゃあごっちん、わたしも帰るね。お先に」
「…お疲れ」
ほとんど聞こえないくらい小さな声で、短く後藤は返事した。
- 304 名前:雨の雫 投稿日:2002年05月06日(月)07時04分05秒
下駄箱の前で右足の上履きだけ革靴に履き替えたひとみは、昇降口の前まで
歩みを進めると、グレイの空を見上げたまま絶望的な気持ちで立ち尽くした。
雪なら傘をささなくても大丈夫だと思っていたのだが、みぞれまじりの雨に
なっていたのだ。雨の日の送り迎えは母親にしてもらっているが、学校付近の
道路に駐車できるスペースがないため、駅前のロータリーで拾ってもらうこと
になっていた。しかしこのみぞれでは、駅にたどりつくころにはびしょ濡れに
なってしまう。こんな日にかぎって携帯を忘れてきてしまったことを悔んだ。
――しばらく待ってもやみそうにない。ベンチコートのフードでもかぶって
帰ろうかな…と思いつつ、空をもう一にらみしていると、ひとみの頭上に
すうっと影が出来た。視線を移すとそこには水色の傘がさしかけられており、
反対側に振り返ってみると、左手で傘をさしかけてそっぽを向いている
後藤が立っていた。
- 305 名前:雨の雫 投稿日:2002年05月06日(月)07時06分10秒
「ごっちん…」
驚きのあまり、ぽかんと口を開けて立ち尽くしているひとみに、「入りなよ」と、
そっけなく後藤は言う。
「あ、歩くの遅いからいいよ。ベンチコートでもかぶって帰るし…」
「いいから」
後藤はじれったそうにひとみの背中を押し、「これも持つよ」と言って、ひとみの
背負っているリュックをひっぱり上げた。
「大丈夫、大丈夫。背負ってればどってことないから」
「いいって」
少しためらったものの、こうして荷物を持つために追いかけてきてくれたことを
悟ったひとみは、素直に「ありがとう」とお礼を言って、後藤の言葉に甘える
ことにした。
ぶっきらぼうだが、その優しさに胸が熱くなる。
- 306 名前:雨の雫 投稿日:2002年05月06日(月)07時13分12秒
駅に向かって並んで歩き始めた二人――。しかし、後藤の負担にならないように
できるだけ早く松葉杖をつくことに精一杯なひとみは、なかなか話すきっかけが
つかめない。沈黙が苦痛で会話の糸口を探してみたのだが、何を話せばいいのか
さっぱりわからなかった。
(なんか、ごっちんのこと意識しすぎだよなぁ…)
あまりにも自分らしくない態度に戸惑っていたひとみは、ふと後藤が持っている
傘が、自分のほうに大きく傾いているのに気づく。
「ごっちん。肩が濡れる…」
校門の前で立ち止まって傘の端をつまんだひとみは、後藤のほうへ押し返した。
それでもしばらくするとまた、ひとみのほうに傘は傾き、ひとみのリュックを
抱きかかえた後藤の右肩がびっしょりと濡れていた。
「肩冷やしちゃだめだって」
後藤はひとみのほうを見向きもせず、まっすぐ前を向いたまま、
「こんくらいで壊れる肩じゃないよ」とつぶやいた。
- 307 名前:雨の雫 投稿日:2002年05月06日(月)07時14分26秒
気まずい空気のまま、20分以上かけてようやく駅にたどりついた。
ひとみはぐるりとロータリーを見渡してみたが、母親の車は見当たらなかった。
「もうすぐ来ると思うからここで待ってみる。
ごっちん、今日はほんとにありがとね」
何か言葉が返ってくることは期待せずに、ひとみは礼を言った。
後藤は相変わらず視線を合わせようともせず、濡れないように胸に抱えていた
リュックをひとみに返すと、傘を丁寧にたたみ始めた。そんな仕草をぼんやりと
見守っていると、急に後藤が顔を上げ、「一つ聞きたいことがあるんだけど…」
と言った。驚いたひとみはまゆげを上げたまま、後藤の次の言葉を待った。
「――七王子に行くはずだったのに、どうしてうちに来たの」
しばしの沈黙――。雨の音だけがやけに大きく聞こえた。ほとんど会話らしい
会話をしたこともなければ、他人には無関心な後藤から、そんなことを聞かれ
るとは夢にも思ってもみなかったひとみだが、自分の本当の気持ちを伝える
チャンスなのかもしれない、と思った。
- 308 名前:雨の雫 投稿日:2002年05月06日(月)07時15分30秒
「七王子に行くなんて、一言も言ったことないよ」
ひとみは低い声で、ゆっくりと答える。
「じゃあ、どうしてうちに来たの?」
後藤と視線がぶつかり合い、ひとみの鼓動は早くなる。
後藤はいつものように視線をそらそうとはしなかった。
「ごっちんと一緒にプレーしたかったから」
雨の音に負けないよう、ひとみははっきりと自分の気持ちを伝えた。しかし、
誰に聞かれてもはぐらかし続けてきた答えを、ようやく本人に伝えることが
できたにもかかわらず、即座に「ウソ」と吐き捨てられてしまった。
「うそじゃない。自分が一番尊敬出来る人と一緒に、日本一を目指したかった」
思いもよらなかった答えに後藤は言葉を詰まらせたが、視線はひとみに釘付け
だった。
「ごっちんはいつも正面から正々堂々とぶつかってきてくれた。だから勝った
時は他のチームに勝つより断然うれしかったし、負けたとしても淑女に負ける
なら仕方がない、今度また頑張ろうと思えた」
- 309 名前:雨の雫 投稿日:2002年05月06日(月)07時16分32秒
(それはあたしのセリフだよ…)
心の声を後藤は言葉にできない。
後藤の心の中には常に、ひとみの存在があった――。
(まだ追いつけない)(まだ負けてる)(まだあれはできない)
後藤はひとみと対戦するたび、自分に足りないものを見つけた。しかしそれは
つらいことでも悔しいことでもなく、ある意味楽しみだった。ひとみと自分を
何かと比較したがる大人たちの雑音がうざったかったが、課題を一つずつ克服し、
少しずつ強くなっていくのが楽しかった。
だから上前女子が廃部になった時、ひとみにはライバルのままでいて欲しいと
思う反面、もし、自分を認めてくれているのなら、淑女学園でプレーすること
を選んでほしいという気持ちが複雑に絡み合っていた。
- 310 名前:雨の雫 投稿日:2002年05月06日(月)07時17分45秒
「…じゃあ、七王子に行くはずだったって話は?」
「菊名先生が素子と私を誘ってくれてたのは本当だけど、七王子に行きたいと
思ってたわけじゃないよ。わたしはずっと、淑女から声がかかるのを待ってた。
いつまでたっても声はかからなかったけど、どうしてもごっちんと同じチームで
プレーすることをあきらめられなくて…。だから年末の合同合宿の時、ダメ元で
中澤先生にお願いにいって、それでだめならあきらめようと思ってた。そしたら
その前に中澤先生に呼ばれて、ようやく誘ってもらえたんだ。
だから、七王子に行くはずでも、行くつもりも、わたしにはなかった」
「上前から近いから、うちを選んだんじゃないの?」
「違う」
「仲のいい梨華ちゃんがいたから、うちを選んだんじゃないの?」
「梨華ちゃんのトス回しが好きだったっていうのはあるけど、仲のいい梨華ちゃん
がいたからっていうのは違う」
後藤の心の中に巣くっていた氷山のように大きなわだかまりが、
雪崩れのように音を立てて崩れていく。
- 311 名前:雨の雫 投稿日:2002年05月06日(月)07時18分30秒
「わたしは、一番のライバルであり、一番尊敬してるごっちんと力を合わせて、
日本一を目指したい。きっと、一番てっぺんに登った人にしか見えない景色が
あるはずだから…。その景色を、ごっちんと一緒に見たいと思ってる」
去年の夏にケガをしたあの日以来、人間不信に陥っていた後藤の心に、ひとみ
の言葉はストレートに胸に響いた。そして、その瞬間、自分の中に特殊な感情
が生まれたことにも気づいてしまった。
後藤の頬を、一筋の光が流れ落ちる――。
知らぬ間に自分が泣いていることに気づいた後藤は、ごしごしと顔をこすると、
「ごめん」と言って背中を向け、そのまま改札口へ向かって走り去っていった。
取り残されたひとみは、「ごめん」の意味を考えながら、後藤が見せた二度目の
涙に激しく心を動かされていた。
- 312 名前:雨の雫 投稿日:2002年05月06日(月)07時19分31秒
――――そのころ、市井と矢口は行きつけのファミレスに来ていた。
注文を済ませた二人は大急ぎでドリンクバーへ向かうと、湯気の立った温かい
スープをカップに注いで冷えた手を温めたあと、ゆっくりと胃袋に流し込んだ。
「ぷはぁ〜。胃にしみわたる〜」
ぎゅっと目を閉じ、気持ちよさそうな矢口。しかし、急に神妙な面持ちになり、
「こうやって紗耶香とここに来るのも最後だね」などと言うものだから、二人
とも思わず感傷的になって、会話が途切れしまった。そこで市井は話題を変え
るために、今思い出したかのように先週の話を持ち出した。
- 313 名前:雨の雫 投稿日:2002年05月06日(月)07時20分32秒
「そういえばさ、この前の金曜日に吉澤とここに来たんだよ」
「へぇ〜、珍しい組み合わせだな。何しゃべったの?」
「後藤のことを、いろいろと」
「おまえ、ごっつぁんのことしか話すことないのかよ」
その突っ込みは心外だったが、恐らく矢口の言っていることは、もっともなの
だろう。市井は思わず苦笑してしまった。
「ま、後藤と付き合ってから、目が悪くなったからね」
「ほんと、周りが見えてないもんなぁ…。で?」
「今まで気づかなかった後藤のこと、市井の知らなかった後藤のことを、
いろいろ知ることができた」
「よっすぃーって、昔はごっつぁんと仲よかったのか?」
「いや、口を利いたことも、目が合ったこともなかったらしい」
…それで一体何がわかるんだ、という言葉はあえて口にはせずに、矢口は一気
にスープを飲み干した。
- 314 名前:雨の雫 投稿日:2002年05月06日(月)07時21分14秒
それからしばらく思い出話に花を咲かせ、笑ったり怒ったりしていた二人だが、
デザートが運ばれるころになって、話はやはりここに戻ってきた。
「ねぇ、矢口ぃ」
「ん?」
「矢口は、どうして後藤がキャッチを頑張り始めたんだと思う?」
「う〜ん…。やっぱみんながウワサしてるように、紗耶香の後を追いかける
ためって考えるのが一番妥当なんじゃないのかな。なんてったって、
“いちーちゃんの1番ください”だもんな。うれしいだろ、いちーちゃん?」
ニヤついた顔で矢口が茶化す。
「そりゃ、まぁ、うれしいけどね…」
市井はうれしそうでいて寂しそうな、微妙な表情を浮かべた。
- 315 名前:雨の雫 投稿日:2002年05月06日(月)07時22分00秒
「後藤がバレー部に入るって言った日のこと、覚えてる?」
「確か、紗耶香が嫌がる後藤を春季大会にむりやり連れて行って、その帰りに
急に入るって言い出したんだったよな」
「うん。あの日、後藤に聞いたんだ。あれほど嫌がってたのに、どうして心変
わりしたのって。しばらく考えたあとで、目標ができたからって後藤は言った」
「目標…」
「小さくてもすごいって言われる選手になるんだ、って…」
その時の後藤の表情や声を、市井ははっきりと思い出すことができた。
「へぇ〜。あのごっつぁんに目標があったとはね。で、それが紗耶香なわけ?」
「違う…。あの大会で、小さいのにものすごいジャンプ力で一躍有名になった
1年生のこと覚えてない?」
「4年も前のことなんて忘れちまったよ」と言って両手で頭を抱えた矢口は、
しばらく考え込んだあと、「あ…」と発したまま絶句した。
鼻と口を両手で覆った市井は、伏し目がちに一つ一つかみしめるように言った。
- 316 名前:雨の雫 投稿日:2002年05月06日(月)07時23分03秒
「そうなんだ…。鈍感だった…。
やっぱり目が、悪くなってたんだ…。
昨日、その時のプログラムを引っ張り出してみたらね、
吉澤の、背番号が……
……10……だった……」
- 317 名前:雨の雫 投稿日:2002年05月06日(月)07時24分09秒
まるで時間が止まってしまったかのように、二人は身動き一つしなかった。
重苦しい空気を打開する方法を探した矢口も、かける言葉さえ見つからない。
市井の大きな瞳に涙がにじんでいることに気づいてはいたが、いつものように
突っ込むことは出来ず、見ていられなくなって窓の外に視線をそむけた。
雨の雫が絶え間なくしたたり落ちる窓までもが市井の心の中を現しているかの
ようでつらかったが、その窓を隔てて見えたものは、もっと残酷な光景だった。
一つの傘で向こうの通りを歩く、後藤と吉澤――。
すかさず市井に視線を戻した矢口は、目の端をゆっくりと過ぎて行く二人に
細心の注意をはらいながら、いつもしっかり者を演じてきた友が泣き止むまで、
いつまでも待ち続けた。
- 318 名前:卒業 投稿日:2002年05月06日(月)09時30分01秒
旅立ちの日にふさわしくすっきりと晴れあがった3月5日、
淑女学園高等学校の卒業式が執り行われた。
――卒業証書授与
3−A 市井紗耶香
「はい」
出席番号1番の市井がトップでアナウンスされて学園長から卒業証書を受け取
ると、はからずもバレー部員や市井ファンの在校生から大きな拍手が贈られた。
少し照れながらも満面の笑みを浮かべた市井は、卒業証書を持った左手を軽く
あげてその拍手にこたえた。視線の先には後藤だけがいた。
その市井の姿をまっすぐに見つめていた後藤は、この笑顔をしっかりとココロ
のフィルムに焼き付けておこうと思った。
- 319 名前:卒業 投稿日:2002年05月06日(月)09時30分57秒
式が終わり、HRが終わった後藤は、弁当を食べようともせず、午後練に向か
おうともせず、指定カバンを手に、校庭に向かってふらふらと歩き出した。
雪解けの水たまりを避けながら、カギのかけられた体育倉庫の扉の前にたどり
着くと、制服であるのもかまわずにべったりと座りこんだ。
晴れ渡った空を見上げると、うららかな春の日差しが降ってくる。
そのまぶしさが、心に痛かった。
両ひざを抱え、ひざに顔をうずめて、市井に出会ったころのことを思い出して
いると、笑ったり、涙が出そうになったりした。
どれくらいそうしていたのか――――。
ざっ、と砂を踏む音。
少し間を置いて、愛しい声が呼んだ。
- 320 名前:卒業 投稿日:2002年05月06日(月)09時31分49秒
「はじめまして後藤さん。私、バレーボール部キャプテンの市井って言います」
中1の4月の終わり。この場所で、初めて市井に声をかけられた時の言葉。
今でも覚えてる。
そして、覚えていてくれた――。
「覚えててくれたんだね…いちーちゃん」
「あたりまえだろ」
「あの時告られるのかと思ったのに、勧誘だったんだもん、びっくりしたぁ…」
ハハ…と短く笑って、市井はまつげをふせた。
「いちーちゃん、卒業、おめでとう」
立ち上がって市井に向き合った後藤は、万感の思いを込めて言った。うまく笑
えていたかどうかはわからない。でも、もしかしたら言えないかもしれないと
思っていた言葉を、泣かずに伝えることができた。
「ダハッ。サンキュウ」
感極まって後藤を抱きしめたかった気持ちを振り払うかのように、市井はわざ
と明るくふるまって、ウインクした。
- 321 名前:卒業 投稿日:2002年05月06日(月)09時32分40秒
「実は後藤にさ、渡したいものがあって探してたんだ」
はいっと言って手渡されたのは、長年見慣れた巾着袋だった。
「中、見てもいい?」
「うん」
巾着を開けると、中には後藤が予想していたとおりものが入っていた。
出会ったときからずっと市井がつけていた、背番号1。
「いちーちゃん、これ…」
「市井の1番が欲しいって、みんなの前で言ってくれたんだって? すごい
うれしかったよ…。だからこのユニフォームは、後藤に持っててほしい」
目と鼻を真っ赤にした後藤は、背番号の部分を愛しそうに撫でたまま、黙って
いた。何か口にしたら、泣き出してしまいそうだった。
「でもさ、何で急にそんなこと言い出したの?」
あれほどこだわっていた10番を捨て、今さらなぜ自分の番号を欲しがったのか、
最後に市井は知っておきたかった。
- 322 名前:卒業 投稿日:2002年05月06日(月)09時33分19秒
「――おそろに、なれないから…」
「おそろになれない?」
「今まであたしたち、制服も、ユニフォームも、ジャージも、決められたもの
を着てきたから、何もかもがおそろだったでしょ。でも、いちーちゃんが卒業
しちゃったら、もうおそろにはなれない。だから、形に残る何かが、どうして
も欲しかったの…」
そんなこと思いもしなかった。卒業するってそういうことなんだと、あらため
てしんみりした気持ちになったのと同時に、後藤がこのうえなく愛しく思えた。
「ありがと。このユニフォーム、後藤の一生の宝物にするね」
しめっぽい雰囲気を吹き飛ばすかのように、後藤はいつものふにゃっとした笑
顔を浮かべた。
そして、「実はあたしもいちーちゃんにあげたいものがあったんだ」と言うと、
足元に置いてあるぱんぱんに膨れ上がったカバンの横に座り込んで、ごそごそ
袋をひっぱりだした。
- 323 名前:卒業 投稿日:2002年05月06日(月)09時34分12秒
「えっと、これはクリスマスプレゼント」
「でー、これはいちーちゃん18回目の誕生日プレゼント」
「そしてこれは、バレンタインのチョコレート」
そう言って、渡すことのできなかったプレゼントの袋を三つ差し出した。
市井も後藤の横に座り込み、うれしそうな顔をしてひざの上でラッピングを開
き始めると、市井が欲しがっていた長Tとスウォッチ、そして、お菓子作りが
得意な後藤らしく、おいしそうなチョコレートがたくさん詰められた箱が入っ
ていた。
市井は、チョコを一粒つまみあげてほおばると、しばらくの間、言葉を失って
しまう。慌てた後藤は、市井の二の腕をがっちりつかんで揺さぶりだした。
「い、いちーちゃん、もしかしてまずい? 昨日作り直したから腐ってるわけ
じゃないよ!!」
外見がクールな後藤があたふたしている様子がおかしくて、少しじらしたあと、
舌をぺろっと出して上目遣いでいたずらっぽく笑うと、「んにゃ、めっちゃおい
しーよ。ありがと」と言って後藤の前髪をくしゃっと撫でた。口では「もうっ」
と怒っている後藤だが、市井の笑顔につられて子犬のように笑った。
- 324 名前:卒業 投稿日:2002年05月06日(月)09時34分59秒
「それで、これは…」
後藤が急に笑顔を消し、まじめな顔になった。そして小さくため息をつき、
ブレザーのポケットから見覚えのある小さな箱を出すと、市井の手のひらに
のせた。
「いちーちゃんが後藤の誕生日にくれたプレゼント――、返します」
市井はケースのふたを開け、太陽を反射して光輝くシルバーリングをじっと
見つめると、静かに次の言葉を待った。
- 325 名前:卒業 投稿日:2002年05月06日(月)09時35分45秒
「いちーちゃん。今日であたしたち…、別れよう」
ついに決定的な一言を、後藤が言った。
そう言われることもわかっていたし、後藤が言わなければ、いつか自分が言わ
なければならないことだったが、こうして言葉にされると、やはりショックは
隠せない。
(ふられちゃった…)
市井は押し寄せる悲しみに、どう対処すればいいのかわからなかった。
- 326 名前:卒業 投稿日:2002年05月06日(月)09時37分02秒
「それは、吉澤と関係あるの?」
冷静なつもりでいたが、知らぬ間に、言うつもりのなかったことを口にしていた。
後藤が目を伏せ、言葉に詰まっている。
「後藤がバレーボールを始めたのは…、吉澤の影響だったんだね」
隣の後藤の顔は見れない。、緊張で身を強張らせ、呼吸が乱れているのがわずか
に触れた左腕から伝わってきた。
――こんなことを言って、後藤を困らせるつもりはなかった。
謝って前言撤回しようとした時、後藤がこくんと一つ、うなずいた。
「でもね、いちーちゃん。これだけは信じて。いちーちゃんへの想いと、
よっすぃーに抱いている気持ちは全然違うものだから…」
そう前置きしてから、後藤は心の中の葛藤を語り始めた。
- 327 名前:卒業 投稿日:2002年05月06日(月)09時38分31秒
「いちーちゃんに声かけられて、むりやり大会に連れてかれて…。でも、本当
にバレーボールなんか興味がなかったから、どうやって断ろうかって、それば
っかり考えてた後藤の目に、上前の10番が飛び込んできたの。名前も知らない
その子のジャンプ力ときれいなフォームに、後藤は一発であこがれた。あの10
番を見てたら、自分もあんなふうに高く跳べるような気がしたんだ…」
「うん」
「だから、あたしにバレーボールの魅力を教えてくれたのはよっすぃーだけど、
バレーボールの楽しさを教えてくれたのは、いちーちゃんなの。いちーちゃん
が一緒じゃなきゃ、楽しくなかった。いちーちゃんが一緒じゃなきゃ、つらい
ことも乗り越えられなかった。いちーちゃんが一緒じゃなきゃ、あたしはバレ
ーボールをやろうとは思わなかった。
――練習のときも、試合のときも、後藤は常によっすぃーを意識してたけど、
部活以外の時によっすぃーのこと思い出したことなんて、一度もない。
後藤にとってよっすぃーは、あこがれのバレーボーラーで、それ以上でも、
それ以下でもないから…」
- 328 名前:卒業 投稿日:2002年05月06日(月)09時39分51秒
「じゃあ、どうして別れようなんて言う?」
「あのケガをして、ものすごく傷ついて、誰も信じられなくなって…。でも、
何に一番傷ついたかっていうと、みんながあたしを腫れ物に触るように扱うこ
とだった。いちーちゃん以外、もう誰も信じられなくなって、みんなが優しく
してくれても、なんか同情されてるような気がしてつらかったんだ」
「うん…」
「でも、昨日初めてよっすぃーと一緒に帰って、“一緒に日本一を目指したい”
って言われた時、純粋にすごくうれしかったし、よっすぃーの言葉を信じるこ
とができた。よっすぃーはいつも、後藤を頑張ろうって思わせてくれる…そう
思った時、もしかしたら、あたし、この人のこと好きかもしれないって思った
んだ。全然そんなんじゃないかもしれない。実は自分の気持ち、全然わかって
ないんだけどね、でも、こんな中途半端な気持ちを抱えたまま、いちーちゃん
と付き合っていくこと、後藤にはできないから…」
- 329 名前:卒業 投稿日:2002年05月06日(月)09時40分49秒
不器用な後藤らしいや…と思ったら、愛しくておかしくて、何だか泣けてきた。
恋と気づかぬ恋――。
遠回りしか出来ない恋なら、そこから始めればいい。
「気づいてたよ…」
「え?」
「吉澤が転校してきて、初めてあいさつした時、
“後藤はきっと、この子のことを好きになる”って、予感がしたんだ。
悲しい予感だったけど、多分そうなるって、何となくわかってた」
「いちーちゃん…」
市井はケースからリングを取り出し、ブレザーのポケットにしまっていた袋か
らお守りを出すと、ひもの間から強引にリングを入れて後藤に差し出した。
「このお守りは、後藤がこれからケガをしませんようにって、たくさんお祈り
してもらってきたものなんだ。もうそばで後藤を守ることはできないし、その
役目をするのは市井じゃないこともわかってる。でも、せめてこれだけはそば
においてほしい」
- 330 名前:卒業 投稿日:2002年05月06日(月)09時41分30秒
後藤は受け取ろうはせず、ひざに顔をうずめて泣き出した。
「いちーちゃ……
ごと…勝手なことばっかり言ってるのに…
やさしくしないでよおおお………」
市井は後藤の右手に強引にお守りを握らせた。左手で後藤の肩を抱き、右手で
頭を撫でると、短くなってしまった後藤の髪に、春風のようにそっと、口づけた。
後藤はきっと気づいていないだろう――。この失恋の痛手が市井のほうが大き
いことを。後藤が市井を思う気持ちより、市井が後藤を思う気持ち、後藤を求
める気持ちのほうがはるかに大きかった。それなのに、本気を見せたくなくて、
いつも最後の最後で距離を作っていた。
まさか、年下の女の子に本気になるなんてね…。
- 331 名前:卒業 投稿日:2002年05月06日(月)09時42分23秒
「後藤…。今さらこんなこと言ってももう遅いんだけど…。こんなこと、
もう二度と言えそうにないから…今しか言えないから…最後に言うね」
市井の何かしらの決意を感じた後藤は、真っ赤になった目をこすり、顔を上げ
ると、しゃくりあげながらもまっすぐに市井を見つめた。
「あのスポーツテストの日に初めてここで後藤に声をかけた時、ハンドボール
投げで学園記録作ったあの強肩にホレて声をかけたのは本当だよ。でもね、そ
の前に、1年生にものすごい子がいるんだって、矢口に手を引っ張られて後藤
を見た瞬間、恋に落ちてた。つまり…、一目ボレだったんだ。だから、あれは
勧誘なんかじゃなくて…正真正銘の告白だったんだよ」
そこまで一息に言うと、小さな深呼吸を一つして、ずっと大切に胸にしまって
いた思いを打ち明けた。
「ずっと照れてばかりで、言えなくてごめん。後藤のこと…、大好きだった」
最後の最後にずっと聞きたかった言葉を打ち明けられた後藤は、耐え切れずに
市井の胸に飛び込み、再び声をあげて泣きじゃくった。
- 332 名前:卒業 投稿日:2002年05月06日(月)09時43分35秒
「もう泣くなって。ふられたのはこっちなんだからさあ。市井が帰ってきた時
には、たまには遊ぼうな。後藤ん家なんて、千葉県みたいなもんなんだし…」
背中をぽんぽんっとたたいてなだめると、涙でぐしゃぐしゃの顔をあげた後藤
は、ぐずぐずの鼻声でいつものように言い返した。
「ひどーい。23区内だもんっ。都民を県民と一緒にしないでって、いつも言っ
てるでしょ!」
最後に笑ってくれた後藤を、市井はもう一度優しく抱き寄せた。
この温もりを忘れないように――。
「4年間、楽しい思い出をありがとう…」
そして、どうしても言えなかった四文字は、市井の心の中に閉じ込めた。
さよなら――――。
- 333 名前:卒業 投稿日:2002年05月06日(月)09時44分13秒
- 2nd Set『My Graduation』
- 334 名前:S3250@作者 投稿日:2002年05月06日(月)09時45分53秒
第二章、更新終了です。
隠しタイトルは、『市井の卒業、後藤の卒業』でした。
実は、2回に分けて更新するつもりだったのですが、容量がヤバイことに急に
気づき、なんとか第2章まではこのスレで終わらせたいと思ってバタバタで
仕上げました。いろいろおかしなところがあったらごめんなさい。
>>292さん >>294さん >>296さん
最後まで成り行きを見守っていただければ幸いです。
>>293さん
もうボキャブラリーが尽きて苦しんでます(苦笑
>>295さん
ほんとですか? 書き甲斐あります。
>>297さん
勉強にはならないと思いますが(汗
バレーボールに興味を持っていただけたならすごくうれしいです。
- 335 名前:S3250@作者 投稿日:2002年05月06日(月)09時48分41秒
え〜と…。実は、また今日を境に当分更新できなくなってしまいました。
こんなことばかりで本当にごめんなさい。
ここでぐちっても仕方がないのですが、二つ誤算があり、かなり悩みました。
@ 毎日更新を目指すほどヒマだったのに、スレを立ててから3日目で、まとも
な時間に帰れなければ休みもない部署に異動になりまして…、これから
1〜2ヶ月はもっと忙しくなるため、再開のメドが立ちません。
A このスレで終わらせるつもりだったのに、スレ数ばかり気にして、意外に
容量を食ってしまっていることに気づくのが遅れてしまいました。
こんな駄文にもう一スレ立てるのもどうかと思い、強引に終わらせてしまうこと
も考えたのですが、もともとラストシーンから書き始めた話なので、初志貫徹で
その部分は変えないことに決めました。
ですので、一応、ここで一区切りさせていただき、最終章は新しいスレを立てて
再出発したいと思っています。
必ず完結させますので、再開した際にはまたよろしくお願い致します。
- 336 名前:925 投稿日:2002年05月06日(月)11時53分40秒
- この作品が大好きなので、再開されるのをずっと待ってますよ。
必ず、戻ってきて下さいね。
- 337 名前:名無しさん 投稿日:2002年05月06日(月)16時54分06秒
- 待つのは全然慣れているので大丈夫です。
吉澤、後藤の心理描写がとても上手くて
作品に引き込まれっぱなしです。
再開楽しみにしています。
- 338 名前:名無しさん 投稿日:2002年05月06日(月)20時14分22秒
- うう、いしよし者には辛い話の展開ですが、作者さんの描写が上手くて
ついつい読んでしまう……。
生活にも精神的にも余裕できたら再開して下さい。
まったりと待っています。
- 339 名前:名無しさん 投稿日:2002年05月07日(火)15時13分45秒
- あぁ、はっきりとよしごまになったのね。
最後まで成り行きを見守っていけるのだろうか、自分。
- 340 名前:名無し読者 投稿日:2002年05月07日(火)20時01分23秒
- いしよしでもいちごまでもよしごまでも何でも、イイ!
俺はこの話が好きだ(言っちゃった
作者さん、いつまでも待ってるよ。頑張れ。
- 341 名前:名無しさん 投稿日:2002年05月11日(土)05時38分49秒
- 一気に読ませていただきました。すっげぇイイ!!!!
いつまでも待ってます。
再開楽しみにしてますので、頑張って下さい!
- 342 名前:名無しさん 投稿日:2002年05月13日(月)06時22分51秒
- このお話し、いいですねぇ。
お互いの気持ちに気付いたよしごまが今後どうなっていくのか?
つづきが気になって、気になって・・・。
作者さんの復活を信じて、待ち続けたいと思います。
- 343 名前:S3250@作者 投稿日:2002年05月27日(月)01時03分49秒
- 最近、軟禁状態から10日間ばかり解放された作者です。
現れるヒマがあったら、続きを書け!!とお叱りを受けてしまいそうですが(w
個別レスできるほど容量が残っているかどうか微妙なので、まとめてで申し訳ありませんが、一言お礼をと思い、現れました。
レスをくださった皆さん、たくさんの温かいお言葉、励ましのお言葉、ありがとうございました。
正直、多くの方に受け入れてもらえる分野でも文章でもないと自覚していたので、
新しいスレを立てることにはものすごい抵抗があったのですが、皆さんのレスのおかげで少し安心しました。
今度はこのようなことにならないよう、全部書き上げてから再スタートしようと思っています。
かなり時間がかかってしまうかもしれませんが、またどこかで見つけ出していただければうれしいです。
それではまた、お目にかかる日まで…。
- 344 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2002年06月16日(日)03時38分57秒
- 保全。。。
作者様、復活マタリとお待ちしてます。ファイトー
Converted by dat2html.pl 1.0