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メメントモリ
- 1 名前: 投稿日:2002年01月10日(木)17時03分44秒
- ―――――科学は、絶え間なく発展し続け
―――――遺伝子は、徹底的に研究され
―――――ある日、その結論が生まれた
【生命が生命たりうる条件とは】
その時代、生命はもはや奇跡の産物ではなくなった。
爆発的に進む遺伝子の研究と人工生命の開発。
はじめて生命が合成されるのは数年とかからなかった。
そして数十年後、研究資料と合成技術の漏洩。
満足な研究施設を持たない者たちによる実験が闇で行われる。
そこから日々誕生するいびつな生命。
そんな中、稀に誕生するのは―――――
- 2 名前: 投稿日:2002年01月10日(木)17時06分08秒
- ――――冬――――
人通りの激しい深夜一歩手前のアーケード。
若者からサラリーマン、学生服の少女から水商売の女性まで、様々な職種の
人間が通りを埋め尽くしていた。
そんな人ごみの中で、わずかだが浮いている集団。
昼間ならば完全に浮いている集団。
4人の少女たち。
人ごみの中を彼女たちはバラけずに突き進んでいく。
先頭を歩く長身の女性、彼女の放つオーラが人の波を裂いていた。
その女性の印象は赤。
長身に合わせた真紅のロングコートを身に纏い、かつそれを完璧に着こなして
みせる見事な体型。
誰もが彼女の視線の先に立つことをためらうほどの強い眼差し。
飯田圭織は、まさに攻撃的な赤の印象を与える人間だった。
一切揺るがない瞳を前方に向けたまま、一言だけ後ろにむかって発する。
「どの程度の妨害があるの? 圭ちゃん」
- 3 名前: 投稿日:2002年01月10日(木)17時09分41秒
- 「まあ仮にも事務所だからね〜。
昨日ちょっと見たところじゃ10人前後ってところかな」
突然の質問にもかかわらず聞き逃さない。
聞き返すこともなく、日常会話となんら変わりのない様子で意見を述べる。
安くて質がいいと評判の店で買った水色のフリースにジーパンを着用し、
飯田とは対称的にせわしなく周囲にめぐらせる視線。
飯田の斜め後ろを歩き、警戒を怠らず歩く。
天性の才能を持つ補佐役。
副リーダーというポジションが彼女の天職なのだろう。
必要以上にも必要以下にもならないが必ず必要な人間、保田圭。
保田圭が仲間に与える印象は月。
飯田という太陽の光を受け、夜でも仲間を照らす月。
決して自らは輝かず、その気もない。
まぶしく光りすぎて仲間を傷つけることのない、優しい月を体現していた。
「まあ問題があるとすれば、後藤のやる気だね」
- 4 名前: 投稿日:2002年01月10日(木)17時11分22秒
- 「へへへ・・・・・」
話をふられた少女は、さきほどの保田とは正反対に、はっきりとしない態度で
笑顔を浮かべる。
憎めない笑顔なのは彼女の持つ立派な才能だった。
今日の仕事のことなど忘れかけていたのだろう。
上下はパジャマ用に着ていたと思われる黒のジャージのままで、靴だけは有名な
スポーツブランドのスニーカーを履いている。
保田の隣を歩きながら、無関心な瞳をただ前方へと向かせている。
服装の色が示すように、彼女を表現する言葉は黒。
圧倒的な存在感を持つ黒だった。
時には飯田と保田をも飲み込んでしまうような暗闇を秘めた少女。
黒を染める色はないように、彼女は誰にも従わない。
後藤真希は縛られない。
ともすれば飯田以外には、その暴走を止めることが不可能なほどの爆弾。
平常時では、なぜか保田に一番なついている。
曖昧なままの表情で、感情を読み取らせることなく彼女は歩き続ける。
結局、会話はいったんそこで中断される。
- 5 名前: 投稿日:2002年01月10日(木)17時13分49秒
- 先頭を歩いていた飯田がふと立ち止まる。
少し間を空けて後ろに振り返ると、全員に伝える。
「なるべく短時間でね」
短い言葉だが、一人一人の顔を見回して丁寧に言って聞かせる。
「ここからは私と加護、圭ちゃんと後藤に分かれていくよ!」
今度は喝を入れるために、声を張り気味に言い聞かせる。
保田が少しだけ目を細める。
後藤は外見こそ変化のないままだが、周囲の空気を硬くさせる。
加護も淡々とした表情で感情を全く表さない。
「それじゃ行こう。1分後に圭ちゃんたちは来て」
「了解」
「加護、頼むよ」
「はい」
会話の後半は顔も見ないでのやりとりとなった。
人ごみでにぎわう通りから入れる路地、薄暗く人の気配が極端に少ない路地へと
姿を消す飯田と加護。
飯田の後ろ姿は先ほどまでの威圧的なオーラは感じ取れない。
代わりに目立たない、冷徹な殺気を纏い歩いていく。
- 6 名前: 投稿日:2002年01月10日(木)17時15分07秒
- 保田と後藤と別れてからしばし歩くこと3分。
歩いている路地には既に誰もいなくなっていた。
周囲に展開されるのは廃ビルといまだ使用されているビルの群れ、それらの
ほとんどが夜という時間帯もあってか電気すらついていない。
「ここよ」
そう言い放つと足を止め、目の前のビルを見上げる。
同じ仕草で加護もビルを見上げた。
5階建ての薄汚れた白い商社ビル。
ざっと飯田が観察したところ、電気が点いているのは2階の一部屋と3階の
二部屋だけで、多人数の気配はしない。
おそらく残業の人間だろう。
それにしてもターゲットの部屋にも明かりが点いているのは少々めんどくさい。
- 7 名前: 投稿日:2002年01月10日(木)17時16分23秒
「作戦は特になし。やりたいようにやりな」
加護の返事を待つことなく飯田は動きだす。
はっきり言ってその場に存在すること自体が不自然な二人、違和感に誰かが
気づく前に動きださなければならない。
5歩でビルの入り口の扉まで到達した。
歩いたのはその5歩で終わりだった。
体が扉をくぐった途端に、飯田の姿が一瞬にして加護の視界から消え去る。
正確には、一時的に飯田の姿を目で追えなくなった。
- 8 名前: 投稿日:2002年01月10日(木)17時18分45秒
- 風のような疾走で、飯田は一気に2階へとつづく階段に駆け寄る。
10段を越える階段をたったの2歩で昇りきる。
尋常ではない跳躍力に加えて、足の長さ・ボディバランスと全ての要素を
パーフェクトに兼ね備えた飯田ならではの離れ技だった。
2〜3秒遅れて加護が後を追う。
2歩で階段を昇りきった飯田、負けじと加護も3歩で昇りきってみせる。
足の長さから身体能力まで何から何まで飯田に1歩及ばない加護。
3歩で階段を昇ったのはそういう差があったからだ。
加護からはその姿を見ることはできないが、飯田がビルの通路を走る足音が
聞こえてきた。
目標は2階にある部屋。
そこにある事務所。
加護が通路へとさしかかった瞬間、飯田が扉を蹴破る姿を確認する。
おそらく鍵などかかっていないはずだが、これから行う仕事のことを考えれば
効果的ではある。
すなわち、相手に混乱を与えることが効果的な作戦だった。
- 9 名前: 投稿日:2002年01月10日(木)17時21分03秒
- 「何してんだ〜? 姉ちゃん?」
部屋の中にいた人間が訊いてきたのは、飯田が踏み込んでから数秒後だった。
人相の悪いヤクザ風味の顔をした男が10人程度。
予想通りの人数。
最初こそ驚いた表情を浮かべていたが、入室してきたのが女性だと知った途端に
態度が大きくなる。
その態度の変化を見た飯田。
「さすがヤクザだね」
「はぁ!?」
首を傾けながら精一杯の虚勢を張り近づいてくる男。
男の姿は映していても自らの感情は全く写していない飯田の瞳。
――――そして、横薙ぎの飯田の手刀と、へし折れる男の首。
- 10 名前: 投稿日:2002年01月10日(木)17時23分27秒
- ドアを蹴破られた時の男たちの心に走ったものが混乱だとすれば、
その瞬間に男たちを支配したものは驚愕。
「このヤ・・・・・!!?」
度胸のある者から順番に、驚きの表情から怒りの表情へと変わり、飯田へと
殺到する。
しかし再度男たちを混乱へと導く乱入者。
静かに走っているのか、速く歩いているのか区別がつかないほどの微妙な小走り。
小さな迷子、空から降ってきた天使。
なすすべなく、反射的に目と心を奪われる男たち。
――――そして、その少女は命をも奪う。
- 11 名前: 投稿日:2002年01月10日(木)17時25分08秒
- 黒目がちの潤んだ瞳。
パーマ気味の色素の薄い髪。
もしも彼女が天使ならば、あとは背中に羽さえあればよく、右手のナイフが
なければよい。
肉体と霊魂とを分離する死神の鎌。
加護亜依の握っているナイフは確実にその役目をこなした。
銀色の残像が男の喉元を通過した一瞬後、赤い飛沫が周囲に舞う。
10秒にも満たない時間で2人が死に、あるいは死につつある。
その真実を受け入れられない者、恐怖に立ちつくす者。
どちらにしても動けない男たち。
部屋の中央へと移動する飯田と加護。
「どこに隠してんの? お金」
「―――!!?」
- 12 名前: 投稿日:2002年01月10日(木)17時27分25秒
- 明らかな動揺を浮かべる男たちと、静まりかえる室内。
無論のこと、飯田の質問に答える者などいるはずもない。
しかし言葉だけが答を伝える手段ではない。
「飯田さん・・・・・」
飯田にむかって加護が囁く。
動揺した男たちの中の一人が咄嗟に動かした視線をたどり、加護は全てを悟った。
そして加護の視線をたどり、飯田も全てを悟る。
「なるほど、そこにあるのね。
まああることさえ判ればどうでもいいんだけど」
飯田が言い終わるころには男たちの警戒は最高潮に達していた。
飯田たちを囲む男たち。
自然と円形になり包囲する。
実戦の経験も度胸も兼ね備えた人間が揃っていると見ていい。
一番関わりあいたくない人間たちの集まりである。
しかし恐れて動けないのは包囲している男たち。
目の前で仲間を2人も殺された男たち。
- 13 名前: 投稿日:2002年01月10日(木)17時30分11秒
- 飯田が先か、加護が先か。
殺戮の嵐の発生源は飯田と加護、ただタイミングが違っただけのこと。
あらかじめ決めていたかのような滑らかな動き。
殺人をものともしない冷酷な瞳。
血ではなく命を求める鋭い殺気。
度胸や経験など2人の前では何の救いにもならない。
彼女たちを超えるパワーとスピードだけが彼女たちを止める唯一の手段。
おそらくそれは、この世で最も困難な作業。
赤い血の海が誕生し、獰猛な死の風が吹き荒れる。
加護のナイフで確実に急所を切り裂かれ、あるいは突かれていく男たち。
ことごとく飯田に骨を砕かれ、絶命させられる男たち。
『人がゴミのよう』とは、昔の映画で誰かが言ったセリフ。
そのセリフを言った者がその場にいたならば、間違いなく同じことを言ったはずだ。
この場合はゴミのように死ぬのではなく、二人がゴミのように殺しているわけだが。
- 14 名前: 投稿日:2002年01月10日(木)17時34分54秒
- 加護が2人目の標的を狙う。
ナイフを少し上に動かしただけで顔面をかばう男。
ガードした2本の腕の隙間を縫うようにナイフを差し込む加護。
喉にナイフを突き立てられたまま、男は床に倒れ伏す。
他の人間が止める間もなく、また一人葬り去る。
ぬかりのない動きで新しいナイフをポケットから取り出し、加護は次の
標的を求める。
加護が2人目を殺した時点で、飯田は3人目の標的を殺し終えていた。
それら全ての人間が一様に首を折り曲げられて。
ある時は手刀で、ある時は握力に任せて強引にへし折られていた。
やぶれかぶれだが団結を見せ始める男たち。
なりふりかまわず飛びかかり、2人の動きを封じようとする。
が、時既に遅し。
新たなる乱入者、もう2人の死神、後藤と保田
- 15 名前: 投稿日:2002年01月10日(木)17時36分40秒
- 男たちの注意は飯田と加護に全て向けられていた。
無理もない、その時点で殺しを働いているのはその2人なのだから。
飯田たちに襲いかかろうとする男の1人。
その男の肩を軽く叩いて振り向かせる。
強烈なパンチを男のボディに突き刺す後藤。
うつぶせに床に倒れこんだ男の首を踏み抜く。
大きく1回痙攣した後、二度と男が動くことはない。
後藤の乱入に驚き、その戦闘力に戦慄する男。
飯田を目の前に致命的な隙を自分からつくってしまう。
背後からその男の髪を掴むと、首筋に拳をめり込ませる飯田。
男の首は90度以上に折れ曲がり、飯田のとって4人目の餌食となる。
そこでいったん止まる死の連鎖。
絶望というブレーキが男たちの動きを止める。
室内で生存している人間は6人。
つまり生き残っている男はたったの2人。
- 16 名前: 投稿日:2002年01月10日(木)17時37分49秒
- 「こんなことしといてお前ら無事にはすまんぞ」
わずかに震える声で、精一杯の平静を装いながら警告を送る男。
このような事態を引き起こしたのが、飯田たちのような少女ということが
いまいち現実感をもたせていないのかもしれない。
「目撃者はいないよ」
男の背後から、言われた言葉を否定したのは保田。
背後から首を掴むと、たいして力を入れた様子も見せず折り曲げる。
「ね?」
- 17 名前: 投稿日:2002年01月10日(木)17時40分16秒
- 床に崩れ落ちる男。
聞いているはずのない後ろ姿にむかって保田は理由を教える。
その様子を確認もせず、飯田に問いを投げかける。
「金の在り処は吐かしたの?」
「大丈夫、見当はついてるから」
「そう・・・・・」
気だるい雰囲気を漂わせながら、保田は最後の男にむかう。
理由は単に保田が最もその男に近かったから。
保田の持つモノが男の顎から脳にかけて突き刺さる。
凶器は、笑ってしまうほどお粗末な代物。
たこ焼き造りに用いるクシ、旧時代の遺産。
その時代では絶滅寸前の食物、たこ焼き。
- 18 名前: 投稿日:2002年01月10日(木)17時42分05秒
- 最初に死んだ男の体が、まだ完全に冷えきらないほどの短時間。
飯田が乱入して2〜3分ほどしかたっていない。
「たしかにここらへんを見たんですけどね〜・・・・・」
そうもらした本人、加護は3つ並んだロッカーの中を調べている。
少し離れた場所からその様子を観察している飯田。
一緒になって、ロッカーの中にある物を片っ端から調べていく保田。
後藤はドアのそばに立ち、外の様子をうかがっている。
「・・・・・・ないですね」
遠慮がちな声で加護がつぶやく。
誰も加護を攻めはしない。
加護の観察眼は十分に信頼できるほどの代物だということは誰もが認めている。
勘違いだということはまずない。
「圭織? さっきから何ボーっとしてんの?」
「わかった」
「ん? 何が?」
- 19 名前: 投稿日:2002年01月10日(木)17時44分20秒
- どうやらボーっとしていたわけではないらしい。
先ほどから黙っていたのは何か考えごとをしていたからだったようだ。
おもむろにロッカーの方へと歩いていく飯田。
ひとまず探索の手を休め、飯田の行動を見守る保田と加護。
飯田はロッカーではなく、その横にかかっていた絵画の額縁の前に立った。
「ここかな?」
そう言って額縁を持ち上げると、そこには壁に開いた長方形の穴。
そしてそこに収まっているボストンバッグ。
ボストンバッグを取り出すと、中身を確認する。
バッグ容量の3分の2ほどを埋める札束に、加護は小さく感嘆の声を漏らす。
中身を確認した飯田は、チャックを閉めると一言。
「後藤!」
「オッケ〜よ、誰もいない」
ドアから廊下の様子を眺めていた後藤が間延びした声で返事をする。
見張りに飽きてきた頃だったのかもしれない。
- 20 名前: 投稿日:2002年01月10日(木)17時46分01秒
- 実にスマートな仕事ぶりを発揮した4人。
しかし仕事は現場から立ち去るまで終わらない。
バッグを脇に抱えた飯田を先頭に、やや速めのスピードで歩く。
ビルを出ても決して走ったりはせず、自然な振る舞いを意識して動くことに
留意する。
やがて薄暗い路地を抜け、再び人通りの激しい深夜一歩手前のアーケードへと
たどり着く。
飯田たちがアーケードから離れてそう時間は経過していない。
そのためほとんど変わった様子もない。
馬鹿騒ぎをしている若者の集団、閉店した店のシャッターにもたれかかり
座っている少女たち。
彼ら、彼女らには保障がある。
親という保障がある限り、夜など必要のない人間たちだった。
「いつまで夜遊びしとんねん・・・・・」
下手をすれば聞こえるような声で、もしくはわざと聞こえるように言ったのかも
しれない。
加護は怒りをあらわにその言葉を発した。
- 21 名前: 投稿日:2002年01月10日(木)17時47分51秒
- 違法な人口生命。
合法な人工生命。
違いは言わずもがな、法律に従っているかいないかの1点。
法律に従っている生命には法律の保護があり、従っていない生命には
法律の保護がない。
他者からの救いのない生命は、自立する以外に生き抜く術はない。
最も一般的な術は犯罪。
常人よりも発達した身体能力を扱い、法に従わない金儲けの方法。
今は誰も知らない、日のあたらない場所で生き抜く彼女たち。
誰もが知らない彼女たちを誰もが知るようになるのは、もう少し先の未来のこと。
- 22 名前: 投稿日:2002年01月10日(木)17時54分04秒
Chapter1 飯田・保田・後藤・加護の夜
- 23 名前:名無しさん 投稿日:2002年01月11日(金)13時39分33秒
- アナタの文章、内容に惚れた。。
- 24 名前:名無し読者 投稿日:2002年01月11日(金)15時31分38秒
- 早くも名作の予感
- 25 名前:名無しさん 投稿日:2002年01月12日(土)22時10分57秒
- 間違いなく、名作ですね。
惚れました。
- 26 名前: 投稿日:2002年01月12日(土)23時14分51秒
『あのうちを出るお金が手に入るかもしんない・・・・・』
『死ぬかもしれないんだよ?
あの人たちに見つかったら絶対に殺されるんだよ!?』
『私は・・・・・もう耐えられない・・・・・
死ぬのと引き換えに楽になれるんなら、それでもいい』
- 27 名前: 投稿日:2002年01月12日(土)23時15分27秒
Chapter2 飛べない天使 @
- 28 名前: 投稿日:2002年01月12日(土)23時18分27秒
- ――――昼――――
法に従い、日のあたる場所で暮らす人工生命。
そんな中でも、彼女の場合はごく平凡なケース――――だった。
平凡に限りなく近いながらも、決して普通ではない。
それは決して本人の才能ではない。
しかし、彼女が持って生まれたモノ。
彼女が背負い続けなければならないモノ。
「それじゃ、いってきます」
「・・・・・ああ」
少し無理をして出した元気な少女の声と、気のない老人の声。
玄関で靴を履いている少女と、食卓で新聞を見ている老人。
彼女と老人の冷めたやりとりは、クローン人間を養子に迎えた人間と
クローン人間の典型的な例。
すなわち老人は、すでに娘に飽きていた。
- 29 名前: 投稿日:2002年01月12日(土)23時19分46秒
- 悪しき例ではあるが、止めようのない事実だった。
クローン人間にも人権はある。
愛される権利もある。
だがあくまでも法律の上でのこと、それだけで人の心は左右できない。
クローン人間を養子として迎えるには、数々のアンケートやカウンセリングなど
をクリアする必要がある。
ペットを飼うのとはわけが違う。
きちんと子を愛せない親に子を持つ資格はない。
人間を育てる以上は、それなりの倫理観を持つ者にしかその資格は与えられない。
しかし、それだけの試験をクリアしようとも、人の愛はいつか消える時もある。
生命をコントロールできても、愛だけは自由にできない。
安倍なつみは、正にそんな事態に直面している少女だった。
- 30 名前: 投稿日:2002年01月12日(土)23時21分13秒
- かわいがられて育てられたのは7才まで。
それ以降は、徐々に薄れていく老夫婦の愛情を感じながら育った。
歪んだ性格に育つには十分な幼少時代をすごしたわけだが、彼女はそうは
ならなかった。
なんだかんだで楽しいことの多い人生は送れている。
生きているだけで素晴らしいとは言えないが、生きている限り素晴らしいことに
めぐり合えることは知っている。
(お金が貯まったら一人暮らしをしよう!)
将来を考えるのは楽しい。
どんなに愛されていなくとも、育ててくれた老夫婦への恩は感じている。
これ以上面倒をかけるのは気が重い。
お互いに楽になるには自分が独立することが最もいいことだと思う。
- 31 名前: 投稿日:2002年01月12日(土)23時22分55秒
- いつか実現させたい夢を考えながら、道路を早歩きで進む。
向かう先はバイトをしている蟹料亭。
なかなかに名の知れたところである。
働くことは嫌いではない。
住まわせてもらっているという感じの家に比べて、自分の作業で成り立つ
職場の方が居心地はいい。
できれば1日中でも働いていたい。
家には、正直あまりいたくない。
家を出た直後は、将来を想い軽快な足取りで進んでいた。
バイト先に着く頃には、現状を愁い重い足取りとなっていた。
そしてバイト先の社員用の入り口の扉を開けた瞬間、おもわずこぼれる笑顔。
生きていれば素晴らしいことに出会える。
扉のむこうにいる彼女に出会えたのは、安倍なつみにとって素晴らしいことの一つ。
- 32 名前: 投稿日:2002年01月12日(土)23時24分29秒
- 「お〜っす、なっち」
「早いね、矢口」
扉を開いた瞬間、安倍の目に入った金髪の少女。
安倍よりも早く反応し、挨拶の言葉をあびせかける。
その少女が、矢口真里。
背の低い、金髪の少女。
元気を人に与え、悲しみを人から貰う運命を背負った少女。
安倍は知っている、そんな矢口の心の芯にうずまく暗黒を。
それでも一生懸命に元気をふり撒く矢口を安倍は好きだった。
「そりゃなっちは着替えなくていいから遅いんだよ」
「あはは、ホール係は大変だね」
「そうだよ〜、厨房と代わってほしいよ。
給料もなんか微妙にそっちの方が高いしさ〜」
「それがいいね、たまには私もホールやってみたいな」
「ダメ!」
「おお・・・・・」
「厨房やってると蟹クサくなっちゃうんだもん!」
(矢口が代わりたいって言ったのに・・・・・)
理不尽な話の流れに安倍は言葉につまる、会話も止まる。
- 33 名前: 投稿日:2002年01月12日(土)23時27分00秒
- 「あ、もう始まるね」
「そ〜だね、んじゃいってくるよ」
「がんばるんだよ! 矢口」
ふと安倍の目に入った壁掛け時計を手がかりに、再び会話は復活する。
とぼとぼと自分の持ち場へ移動する矢口。
その背中に励ましの言葉をおくる。
傷ついた羽を持つその背中に。
(いつか自由になる日は・・・・・くる)
その背中を見て、無意識のうちに安倍の心に浮かんだ言葉。
そうなれるかを考えるのは怖い。
そしてその言葉は矢口にむけて思ったことなのか、それとも自分にむかって
思ったことなのか。
それを考えるのは、つらい。
- 34 名前: 投稿日:2002年01月12日(土)23時28分46秒
いくら働くことが好きとはいえ、仕事自体は楽なわけがない。
次から次へと繰り出される注文の嵐。
夕方になるにつれ、客の入りも多くなっていく。
「蟹なべ用の蟹5人前ね」
「は〜い」
安倍に注文してきた声には余裕がない。
声色だけで、どれだけホールが修羅場であるかを察することができる。
急いで冷凍庫から5人前分の蟹を取り出す。
大きめのざるに蟹を入れると、水道水をおもいっきりかけて強引に解凍する。
ほどよく解凍されたら、両手で握って水分を搾り出す。
客が見たら目を回しそうな工程を経て、なべ用の蟹は完成した。
こんなものをサラリーマンの、部長クラスの人間が偉そうに部下に振舞うの
だから、知らぬが仏とはよく言ったものである。
- 35 名前: 投稿日:2002年01月12日(土)23時30分29秒
- ――――夜――――
閉店時間間際、オーダーストップの時間。
いそいそと調理場の片付けをこなす安倍。
ホールでテーブルの片付けをする矢口。
そして閉店時間を30分ほど過ぎた時、その日の安倍と矢口の労働は終わる。
「なっち〜、晩御飯食べに行こ〜よ〜」
「おっ、いいね〜。
どっか矢口のおすすめのお店に行こうよ」
「それじゃとっておきのところに連れてってあげる。
あんまりキレイなお店じゃないけど、別にいいよね?」
「全然オッケーよ」
着替えながらお気に入りの店に誘う矢口。
安倍に断る理由はない、断ることなど考えもしない。
これは必要なことなのだから、矢口には自分と話をすることが支えになり、
自分もまたそれを支えにしている。
- 36 名前: 投稿日:2002年01月12日(土)23時32分59秒
道路を二人で歩く。
二人の手には自動販売機で買ったミルクティー。
ただの道路が、今の二人には天国。
空を飛ぶことはできないが、二人はしっかりと自分の足で歩く天使。
「矢口は一人暮らししようとか考えたことない?」
「・・・・・・」
「訊かないほうがよかった?」
「しょっちゅう考えてるっての!
でもなっかなかお金が貯まんないから毎日毎日ブルーになってんの!」
「そ、そうですか」
矢口の怒りは、質問をした安倍に対してのものではい。
それは安倍もわかっている。
矢口の怒りの真実の理由もわかっている。
自分も矢口も、毎日何かに抗いながら生きている。
ただ、それはいつ終わるとも知れない戦い。
些細なきっかけで、いつ暴発するかわからないストレスを抱えた戦い。
- 37 名前: 投稿日:2002年01月12日(土)23時34分34秒
- 「まっ、今は働くしかないんだよね、がむしゃらに」
落ち着きを取り戻した矢口が、おどけた様子で話し始める。
突然声を荒げたことを反省しているようだ。
そんな一連のやりとりがあった後、彼女たちは目的地へと到着する。
「ここよ」
「・・・・・・まじで?」
「まじよ」
「帰ろう」
「・・・・・・・」
急展開をむかえる安倍と矢口の晩御飯計画。
安倍の心境の変化は、万人が理解できるもの。
高確率で食中毒になりそうな店構え。
薄汚れた、というよりもかなり濃く汚れた建物。
極めつけは入り口のドア。
全面スモークガラスの怪しさだけを強調した代物。
正に地獄への門、もしくは羅生門。
- 38 名前: 投稿日:2002年01月12日(土)23時36分35秒
- 「まあまあ、建物と料理の味は関係ないんだからいいじゃん」
「そう言えるなんてあんたは偉いよ・・・・・」
「ヤなほめ言葉だよね、それって」
苦笑しつつ、矢口は冥界への門を開く。
ガラガラと音をたてて横にスライドするドア。
正直、安倍はむこう側の光景を見るのが怖かった。
「大丈夫よ、外見ほどのインパクトじゃないから」
そう矢口が言った次の瞬間に、安倍は店内を目にする。
確かに外装とはうってかわって、簡素な造りと清潔そうな雰囲気があった。
しかし外と中とのあまりの違いように、ある意味安倍にはインパクトがあったが。
店内にはカウンターの席と4人用のテーブルが3つ。
カウンターのむこうでは20代後半の女性が暇そうに新聞を読んでいる。
そこまで観察した時点で安倍の店への好感度はかなり上がっていた。
あまり気取らない雰囲気が気に入った。
そこは天国でも地獄でもない、が傷ついた羽を休めるにはもってこいの場所。
ただの直感だが、そう確信させるほどの何かを安倍は感じた。
- 39 名前: 投稿日:2002年01月12日(土)23時38分19秒
- 「カウンターでいいよね?」
そう言うと矢口はさっさと席につく。
何度も来たことがあるのだろう、手慣れた様子で壁に貼られたメニューを
眺めている。
少し遅れて安倍も矢口の隣に座る。
矢口を真似て壁のメニューに一通り目を通した。
10個ほどのメニューの中から選んでいると、いつの間にか自分の前に
水の入ったコップが置かれていることに気づく。
早わざ、ではなく気づかせなかったのだろう。
カウンターのむこうの女性は、先ほどと変わらず新聞に目を落としている。
安倍の脳内のお気に入りに、ついにこの店が追加される。
注文を急かすでもなく、黙々と新聞を読み続ける女性。
地味な店内に溢れる柔らかい雰囲気。
全てが自分を癒してくれる気がする。
できることなら、ここが自分の帰るべき場所でありたい。
安倍は、ごく自然にそう思った。
- 40 名前: 投稿日:2002年01月12日(土)23時39分24秒
- 「から揚げ定食」
「はいよ」
妄想ばかりでメニューのことなど忘れていた安倍をよそに、矢口がカウンターの
奥に注文する。
さすがに焦りを感じた安倍。
「あの、私もから揚げ定食」
「はいよ」
咄嗟にあまり考えもせず同じ物を注文する。
もしかすると安倍の動揺を読み取ったのかもしれない、女性の声には
少しだけ笑みが含まれていた。
- 41 名前: 投稿日:2002年01月12日(土)23時42分04秒
注文を伝えて数分後、雑談に花を咲かせる安倍と矢口。
カウンターのむこうからは、包丁がまな板を叩く音と油の沸騰する音が
小気味よく聞こえてきていた。
その情景は、あたかも食卓での姉妹の会話のよう。
実に久しぶりに、安倍は家以外で家庭を感じていた。
「おまちどうさん」
そう言って、女性がお盆にのった料理を差し出してきたのはさらに数分後。
多めのご飯に湯気のたつ味噌汁、大皿には鳥のから揚げ、2つの小皿には
サラダと漬物が盛り付けられている。
派手ではないが、丁寧に作られていた。
それを見て、自分の職場での仕事ぶりを考えると安倍は恥ずかしくなった。
「から揚げはもう味がついてるから。
それとね、お味噌汁がこれまたおいしいのよ」
目の前の料理に魅入る安倍に矢口がいろいろと勧めてくる。
それを聞きながら、安倍は割り箸を手にとった。
- 42 名前: 投稿日:2002年01月12日(土)23時43分35秒
- 予想以上のおいしさに、しばし無言が続く安倍。
ただの味噌汁にしか見えないが、矢口の言うとおり味わったことのない
おいしさを感じていた。
つくづく外見と中身が一致しない店だった。
本当は感想を訊きたい矢口だったが、とりあえずは夢中で食べ続ける安倍の
横顔を見るだけで我慢しておく。
そんな料理を作った本人は、カウンターのむこうで再び新聞に没頭していた。
(けっこう幸せじゃん。
悩むほどのことじゃないよね、家がつまんないことなんて・・・・・)
今の状況で考えると、不幸に耐えていると感じていた自分が恥ずかしい。
こんな時間が週に何度かあるだけで、人生捨てたもんじゃないと矢口は感じた。
まだまだ頑張れると思った。
- 43 名前: 投稿日:2002年01月12日(土)23時45分48秒
- 二人の食事は止まる暇もなく進行していった。
他に客もなく、黙々と食べ続ける二人と新聞を読みふける女性だけの
店内はとても静かなもの。
そんな時間がしばし続いた。
「――――へった〜。
久しぶりに暴れちゃったからもうペコペコだよ」
ドアの開く音にまぎれて話の前半は聞き取れなかった。
聞くつもりもなかったが、なぜか安倍には暴れたという単語がひっかかった。
入ってきたのは4人、全員女性。
時間帯を考えれば、小さな少女の混じっているその集団は違和感を感じさせた。
4人の客がテーブルに座った気配を背後に感じながら、安倍は箸を動かす。
「コロッケカレー」
「私カツカレー」
「から揚げ定食」
「うちもから揚げ定食」
「はいよ」
彼女たちは常連らしく、座るやいなや注文を投げかける。
それらをキャッチし、カウンターのむこうでは新聞を折りたたんだ女性が
調理にとりかかる。
- 44 名前: 投稿日:2002年01月12日(土)23時47分34秒
- 『ところでさ、そのお金どうすんの?
いつもみたいにアジトに保管しといて必要な時に使うの?』
離れたテーブルから聞こえてくる小さな声。
常人には聞こえるはずのない声。
感覚機能の発達したクローン人間だからこそ察知できた背後からの声。
それは決して喜ぶことではない。
利点以上に厄介ごとの多いこの特殊能力。
発達しすぎた感覚・運動能力はクローン人間が公式の運動競技に参加できない
理由でもある。
他にも様々な差別を生む原因にもなっている。
『ちょっと後藤、もしあそこの二人が私たちと同じなら聞こえるよ』
『大丈夫だって、滅多に出会うもんじゃないし。
もしそうだったら私が後始末するから問題ないよ』
背筋が一瞬で凍りつく安倍。
隣の矢口も箸を動かす手が急に止まったところを見ると、背後の会話は
聞こえているらしい。
(気づかれたらやばい!
何者かわからないけど、あの人たち危険だ)
安倍の脳裏でけたたましい警告のアラームが鳴りはじめる。
- 45 名前: 投稿日:2002年01月12日(土)23時49分36秒
- 些細な仕草の変化も見せるわけにもいかない。
具体的にどうするとは言ってないが、おそらくバレたら殺される。
急に話しはじめるのはかえって怪しい。
変わらぬペースで、一言も発することなく食事を続ける安倍と矢口。
極度の緊張から、すでに料理の味などわからない。
『・・・・・・飯田さん、あそこの二人、もしかして聞こえてるかもしれませんよ』
(バレた!?)
背後で誰かが言った言葉に、安倍の鼓動が速まる。
『そう見えたの? 加護』
『チラッと、ですけど。
でも今は全然平気そうなんで見間違いかもしれません』
『でもあんたがそう思ったんなら気をつけないとね』
『確かめればいいじゃん。
お〜い。カウンターで食べてるお二人さん。こっちむいてよ〜』
『こらこら後藤』
のん気な呼びかけに緊張は最高点に達する。
横目で矢口を見ると、どうやら限界を迎えるのは彼女の方が早いようだった。
さまよう視線と震える手。
ボロを出すのは時間の問題。
- 46 名前: 投稿日:2002年01月12日(土)23時51分04秒
- 「あんたら、味噌汁おかわりしてあげよ〜か?」
救いの声の主は、カウンターのむこう側にいる女性。
こちらの顔色を察してくれたのか、はたまたただの偶然か。
「あ、それじゃお願いします」
「私も」
即答よりも少しタイミングを遅らせて、安倍が返答し矢口もそれに続く。
全身を支配していた緊張が、返事の言葉とともに抜けていく。
味噌汁のお椀を女性に手渡した時には、安倍も矢口もすっかり平静を
取り戻していた。
お代わりをすませた女性は、それ以上話しかけてくることはなく、調理に
集中している。
『・・・・・・』
『そういや圭織、なんであの時絵の後ろに隠してあるってわかったの?」
『それはね――――』
『――――!?』
『―――――』
- 47 名前: 投稿日:2002年01月12日(土)23時53分27秒
- 安倍たちへの詮索は途切れた。
どうやら興味を失ったらしく、4人組の雑談は別の話題になったようだ。
(助かった。 危なかった。
だけどやっぱりこのお味噌汁はおいしい)
いったん冷静を取り戻し、食事を味わえるほどになった安倍と矢口。
今日はやたらと天国と地獄を行ったり来たりする日だと感じる安倍。
こんな事態になって、ここに連れてきたことを安倍に申し訳なく思う矢口。
カレーとから揚げの同時進行の調理に集中している女性。
そして数分後、注文した料理を受け取った4人組は完全に安倍たちのことを
無視していた。
さらに数分後
「「ごちそうさまでした」」
仲良く食後のお礼を言う安倍と矢口。
満腹になったせいか、もはや4人組に対しての警戒心はない。
幸せになる方法はお金だけではない。
矢口の心の中で何かが変わった気がする。
だからといって、やはり幸せへの一番の近道はお金だという考えは変わらないが。
- 48 名前: 投稿日:2002年01月12日(土)23時55分20秒
- 「800円ね」
レジなどないために、直接女性にお金を手渡す。
お金の分は確実に堪能できた自信はある。
まったく惜しむことなく支払いをすまし、二人は店を出た。
「どうだった? あのお店」
「よかった! 滅茶苦茶おいしかった!」
「でしょ〜?」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
途切れる会話、考え込む二人。
危険な話題に触れようとしている。
そして、口火を切ったのは
「なっちは、あの4人組のことどう思った?」
「・・・・・感じたままを言うなら、だけど。
まっとうじゃない方法で手に入れたお金を持った危ない集団、ってとこかな」
「そうだよね〜、やっぱ・・・・・」
「もう一つ。
もし私たちが聞いてることがバレたら、口を封じられてた・・・・・」
「やっぱり・・・・・だよね」
今更ながら、あの4人組の恐ろしさを実感する矢口。
しかし同時に、考えてはならないことを考え始めている矢口。
- 49 名前: 投稿日:2002年01月12日(土)23時56分46秒
- 「矢口、あの人たちにはこれ以上関わらないほうがいい」
ふいに黙り込み、考え事をはじめた矢口に安倍が忠告する。
矢口が甘い罠にはまろうとしている。
傷ついた羽の天使が、天国へ行けるチャンス。
堕天使となって天国に行くか、悪魔の罠で殺されるか。
絶望にまみれた矢口にとって、これ以上ない一発逆転のチャンス。
「な〜に心配してんのよ!
私が馬鹿なこと考えてるって思ってるの?」
「ごめんごめん、ちょっと思っちゃった。 ごめんね矢口」
「ひど〜い、ちょっと傷ついた」
「わるかったよ、反省してます。
ほら、ジュース奢ったげるからさ、許して」
手近にあった自動販売機を指差し、矢口の機嫌をとる。
安倍は、矢口を疑っていたというよりは確信に近いものを感じていた。
なぜなら、自分も矢口と同じことを感じていたから。
それこそ、あんなおいしい料理を食べていなければ矢口を止めなかった
かもしれない。
- 50 名前: 投稿日:2002年01月12日(土)23時58分56秒
自動販売機で買った温かいお茶を手に、二人は家路を急がない。
急ぐ気にはなれないし、帰らなければならない理由もない。
最初は家族だった、しかしいつしかただの居候同然の扱いとなった二人。
家に帰っても喜ぶ人間はいない。
家に帰らなくても悲しむ人間はいない。
しかし、一緒にいる時間はいつか終わる。
「それじゃバイバイ」
「うん、また明日」
運命の三叉路、というのには少々大袈裟な分かれ道。
二人の前にある左と右に続く道路。
安倍は左、矢口は右を行かねばならない。
たった半日ほどの別れにもかかわらず、安倍も矢口も一様に声のトーンが
下がっていた。
- 51 名前: 投稿日:2002年01月13日(日)00時01分15秒
「あのさ!」
「んん?」
お互いの方向へ2〜3歩進んだとき、矢口が安倍を呼び止める。
「今日、一人暮らしのこと話しかけたでしょ」
「うん」
「あれさ、もしなっちさえよければ・・・・・
・・・・・もしなっちさえよければ二人暮しでもいいと思ってるんだ」
「・・・・・・・・」
「・・・・暇なときにでも、考えといて」
どんどん小さくなる声で伝えながら、矢口は表情を隠すように安倍に背を向ける。
そして言い終わった瞬間、走りはじめた。
「矢口・・・・・」
元々小さな背中が、走り去ることでさらに小さくなっていくのを眺めながら
安倍はつぶやく。
とっさに返事ができなかったことが悔しかった。
返事を言うのに半日も待つのがもどかしい。
そのときは、半日たてばまた会える、そう思っていた。
次の日、矢口は仕事を無断で休んだ。
- 52 名前: 投稿日:2002年01月13日(日)00時07分38秒
- >>23
このスレ最初の読者からのレスでそう言われて、とても喜びました。
>>24
その期待にこたえられるように、精進します。
>>25
嬉しい言葉です。プレッシャーを感じつつ、それをバネにして頑張ります。
- 53 名前:名無しさん 投稿日:2002年01月13日(日)00時15分14秒
- 最初からひき込まれました。
全員出てくるんでしょうか?更新がとても待ち遠しいです。
頑張って下さい!
- 54 名前:名無しさん 投稿日:2002年01月13日(日)00時42分03秒
- 久しぶりに緊張感がある文章を楽しめた気がします。
これからの展開に激しく期待してます。
- 55 名前:名無しさん 投稿日:2002年01月13日(日)00時55分49秒
- 名作の予感が・・・。
期待度大!!
- 56 名前:師匠と呼ばさせてください。 投稿日:2002年01月13日(日)11時33分14秒
- こないだ本屋で買った著名人の小説より遥かに面白いし、うまい!
完璧にはまってしまいました。
なっちが「〜だべさ」といわないのが良い!
やたら、「だべさ」つけている小説あるけど、実際そんなに使ってないべさ。
- 57 名前:とまときっど 投稿日:2002年01月13日(日)13時54分54秒
- …おもしろいです。
それ以外に言いようがない自分の陳腐な語彙力が恥ずかしくなるほど。
まだ出ていないメンバーの登場も気になりますが、
しばらくは黙って読ませていただきます。
更新期待しております。頑張ってくださいマセ。
- 58 名前:名無しさん 投稿日:2002年01月13日(日)23時08分22秒
- A24さんっぽい・・・それほど名作の予感がするってことです
勘違い&気を悪くされたならすいません
- 59 名前:58 投稿日:2002年01月15日(火)17時03分39秒
- 上のレスでバカなことを書いてますが・・・・・
すいませんでした、でも面白いのは確かなので頑張って下さい
- 60 名前:唄人 投稿日:2002年01月16日(水)04時47分43秒
- 貴方のすばらしい文章に引き込まれました。
また、文章だけではなく世界観も斬新なので、この先が楽しみです。
これから先、物語の最後までお付き合いさせていただきます。
のびのびがんばって下さい。
- 61 名前:名無しさん 投稿日:2002年01月17日(木)02時16分22秒
- キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!
と久しぶりに思った。駄レススマソ
- 62 名前: 投稿日:2002年01月17日(木)07時03分53秒
- ――――深夜――――
安倍と別れてから数十秒でだいぶ走った。
それでも矢口は走り続けていた。
季節は冬、そして今は深夜。
走っている矢口の息は荒く、その手に持っているのは温かい飲み物。
矢口は、白い息を吐きながら道路を疾走していた。
(言うの早かったかな? やっばいな〜、なっちが困ってたらどうしよ〜)
後悔が矢口の心の大部分を占める。
だが一方で言いたい事を言ってすっきりした気持ちにもなっている。
実は、安倍なら賛成してくれるのではないかという期待も大きい。
- 63 名前: 投稿日:2002年01月17日(木)07時05分11秒
- どんどん速くなっていく走り。
どこまでも走られる気がする。
心の中に安倍がいるなら、いくらでも走り続けられる気がする。
空は飛ぶことはできないが。
(どうってことないんだ・・・・・)
やっと、何かの答がでたような気がする。
空を飛ぶよりも力強く、光の中を進むより晴れやかに、暗い夜道を走り抜ける。
- 64 名前: 投稿日:2002年01月17日(木)07時06分20秒
- 今日1日の仕事の疲れは全く感じない。
全力疾走が終わった直後にでも、再び仕事に行ける。
おいしい料理と友達の存在だけで、人は幸せに生きていける。
(こんなこと気づくのに何年かかってんのよ)
腹も立たないほど自分に呆れてしまっていた。
(そうよ、なんにもわかってないんだ。
もしかしたら、今からだってあの家にとけこめるかもしれない)
次々と湧いてくる希望。
疲労の入り込む余地など、今の矢口の頭にはない。
結局、家に着くまで矢口の走るスピードが落ちることはなかった。
- 65 名前: 投稿日:2002年01月17日(木)07時07分45秒
- 家の門を前に、矢口は作戦を練る。
思い立ったが吉日。
何かを変えるなら今日の今ほど最適なタイミングはない。
(まずは大きい声でただいまって言おう!
最初は無視されるかもしれないけど、絶対めげるんじゃないぞ!)
自分に強く言い聞かせる。
期待ばかりで、もし思い通りにならなくても傷つかないことを。
(そうよ、もし私でもいきなりそんな愛想よくされたらとまどうもん)
例え無視されても、最初はそんなものだという覚悟をしておく。
悲しいが、おそらくそうなるだろうし、今の自分なら耐えることができる。
幼い頃はあれほど自分をかわいがってくれた夫婦。
どんなに時間がたっても、あのときの心は今も持っているに違いない。
そこに期待する。
悪いが甘えさせてもらう。
仮にも一人娘だ、そんなに悪いことではないはずだ。
- 66 名前: 投稿日:2002年01月17日(木)07時08分55秒
- (ドアを開けたら「ただいま」・・・・・
ドアを開けたら「ただいま」・・・・・
ドアを開けたら「ただいま」・・・・・・・でもお風呂に入ってたり寝てたらどうすんの?)
考えすぎだが、考えてしまうほど矢口は緊張していた。
それほどまでに、どうしてもこのチャンスはものにしたい。
考え込んだ挙句、矢口は静かに庭の方に回りこみ、家の中の様子をうかがう。
それは空き巣か放火魔のような行動。
さすがに少しばかり情けなくなる。
(大丈夫だ。多分テレビ見てるな、あれは・・・・・)
カーテン越しに、少しだけ光が点滅するのが見えた。
こんなところを見られてはたまらない。
再び足音を殺して玄関へとむかう。
カギは持ってない、つまり本当にドアを開けて「ただいま」と言うだけでいい。
- 67 名前: 投稿日:2002年01月17日(木)07時10分22秒
(ドアを開けたら「ただいま」・・・・・・・・)
ともすればその小さな体から溢れ出そうとする緊張を、
気を抜けば声に表れてしまいそうな恐怖を耐え、
右手をドアのノブにかけた――――
そのとき風が吹いた。
とても冷たい風だった。
雪こそ降っていないものの、季節は冬。
冬の深夜に吹いたその風は、とても冷たかった。
ドアのノブは、回らなかった。
ドアのカギは、しまっていた。
希望への転機をもたらす扉は、開かなかった。
風が通り過ぎたとき、矢口の背中の羽は暗黒に染まる。
それは、もう元には戻らない堕天使の証。
こうして、矢口の絶望の夜は誰にも知られることなく、静かに始まった。
- 68 名前: 投稿日:2002年01月17日(木)07時10分58秒
Chapter3 飛べない天使 A
- 69 名前: 投稿日:2002年01月17日(木)07時14分21秒
自分の足で進むことを矢口は覚えた。
他人に頼ることは、羽で飛ぶことと同じ。
そして、矢口にはもう飛べる羽はない。
逃げるように、走る。
実際、少しでも家から離れたかった。
動悸が激しい。
呼吸もこれ以上は続きそうにない。
全力疾走がこうも疲れるものだとは、数分前の矢口なら気づくことはなかっただろう。
重力を感じ、疲労を感じ、それでも地面を踏みしめながら走る。
彼女は地上に堕ちた天使。
- 70 名前: 投稿日:2002年01月17日(木)07時15分26秒
(必要なのは・・・・・・・やっぱりさしあたってはお金か〜)
混乱せずそう考えられたのは、あまり良くないこと。
冷静なのではない。
麻痺している。
絶望に耐えられなかった心が、その機能を停止させていた。
幸いにも、銀行の通帳やカードはいつも携帯している。
銀行には今までのバイト代の全てが貯金されている。
仮にも一人暮らしを目指して貯め続けたのだから、当分はホテル暮らしでも
やっていけるだけはあるはずだった。
こうして、さしあたっての問題は勃発とともに解決された。
(次は・・・・・もうない?
・・・・・あ〜あ、お金だけなのか〜、私に必要なものって)
走るのも飽きてきた。
信じるのは諦めた。
それでも生きることをやめようとは思えない。
そうさせるのは、さっきから矢口の心に浮かんでは消えることを繰り返す一人の人間。
ずいぶんと家から離れた所で、ふと立ち止まる。
冷え切った手が、無意識にポケットの中の携帯電話を握り締めた。
- 71 名前: 投稿日:2002年01月17日(木)07時16分50秒
- 寒さでかじかんだ手でボタンを押す。
無意識ではなく、本能が選んだ相手。
2回目のコールで彼女は電話にでた。
『どしたのよ? なんかあったの?』
出るなり質問を浴びせかけてくる安倍。
勘の鋭い彼女のことだ、おそらく自分に何かあったことは気づいているだろう。
「声よ声。声が聞きたかっただけ」
『それだけ? 何かヤなこととかあったんじゃないの?』
「まあね、あったよ。
でも、それについてはもういいかな〜って思ってるから大丈夫だよ」
『そうか・・・・・。
今どこ? 家じゃないよね? そこって』
安倍の質問で、初めて自分の周囲へ視線をめぐらせる。
大通りの横の歩道に立っていた。
ときおり通る車の音で、自分が家にいないことを安倍は察したのだろう。
- 72 名前: 投稿日:2002年01月17日(木)07時17分55秒
- 「家にはしばらく帰らない、つもり」
本当はもう帰る気などないが、そう言っておく。
勘の鋭さ以上に、気遣いのできる人間なのが安倍。
胸中をそのまま語るのは余計な心配をさせすぎる。
『・・・・・・』
「お金ならあるから心配しないでよ。
これからのバイト代も計算にいれれば、半年は家出できるぐらいはあるから」
『・・・・・・・・』
「だから、心配することないよ。
・・・・・じゃあね。 声聞けてよかった、おやすみ」
『きらないで!』
響いた声に驚いて、ボタンを押す指が止まる。
安倍の判断は、素晴らしく早く、非のうちどころがないほど的確だった。
- 73 名前: 投稿日:2002年01月17日(木)07時19分16秒
- 携帯電話のむこうから安倍のたてる物音が聞こえる。
ゴソゴソと動く音。
『どこ? そこ。
今からそこ行くから、場所教えて』
「はぁ!? ちょっと、何考えてんの?
言っとくけどなっちが来てもどうにもなんないよ?」
『あんたにどうにかなってほしくないから行くのよ』
「うまいこというのね・・・・・・」
『ふふふ』
安倍は、矢口のことを救おうとした。
矢口は、もう一度他人に甘えることを考えていた。
後藤と保田は、そんな二人を引き裂こうとして矢口の目の前を通り過ぎた
わけではなかった。
ただ、偶然のタイミングがそうさせただけ。
- 74 名前: 投稿日:2002年01月17日(木)07時20分38秒
- 大通りの両脇にある歩道。
その片方に矢口、もう片方に保田と後藤。
偶然の出会いだが、矢口にとっては運命の出会い。
ただ後藤と保田が通り過ぎるのを見過ごすことは不可能だった。
保田が抱えたバッグを見たとき、矢口の心に走った衝動。
それは、自立への衝動。
「ごめん、なっち。
来てほしくないわけじゃないんだけど、会うのは無理」
『なに? なんで?』
「・・・・・・」
『こたえてよ!
変よ、なんで黙っちゃうの!?』
「・・・・・」
『矢口!!!』
「あのうちを出るお金が手に入るかもしんない・・・・・」
観念して自白した、というよりは決意を固めるための宣言。
そして、告白を終えた矢口に逃げ道はない。
- 75 名前: 投稿日:2002年01月17日(木)07時21分25秒
- 『あの4人組ね!?
ダメよ! あんたが考えてるより危険なヤツらよ』
「そんなこと知ってるって」
『わかってない!
死ぬかもしれないんだよ?
あの人たちに見つかったら絶対に殺されるんだよ!?』
「・・・・・なっちは、知らないから・・・・・・・」
『え?』
だましとおす自信はあったのだが、こぼれかける本音。
限界まで水の入ったコップに、嘘というコインを入れ続けた結果だった。
いったん溢れると1滴ではすまない。
- 76 名前: 投稿日:2002年01月17日(木)07時22分54秒
- 「そうとう我慢したんだよ。
もう一度ぐらいなら、努力してもいいって思って変わろうと・・・・した」
『でも』
「私は・・・・・もう耐えられない・・・・・
死ぬのと引き換えに楽になれるんなら、それでもいい」
『矢――――』
必死に止めようとしてくれる親友の声は、何よりも嬉しい。
だが、今の自分に必要なのは死への恐怖と緊張感。
笑顔のままでいることは許されない。
通話の途切れた携帯電話に目を落とす。
そこに安倍の顔は見えないが、発光する待ち受け画面に安倍のぬくもりを感じる。
ボタンを押し、電源が切れるとともに、ぬくもりも消える。
今日1日で、自分は劇的な変化をとげた。
他人からのぬくもりがあれば生きていけることを安倍に教わった。
だが、安倍からのぬくもりだけで生き抜くには、自分の絶望は大きすぎる。
- 77 名前: 投稿日:2002年01月17日(木)07時24分04秒
追跡は、予想していたほど困難ではなかった。
発達した五感を持つクローン人間。
それゆえか、第六感は普通の人間に劣るものがある。
要するに、背後から距離をとって追うかぎりは比較的安全だった。
二人の背後、50メートルほどを離れて追跡する。
気を抜けばすぐに見失いそうな距離だが、発見された場合のことも考えて
おかなければならない。
(だけど、やばい。
どんどん人のいないところにむかってる・・・・・)
人の気配が少なくなるにつれて、二人を見失いにくくなるのはいいが、
今度はこっちが発見されやすくなっていく。
(もうバレてんじゃないでしょうね)
- 78 名前: 投稿日:2002年01月17日(木)07時25分38秒
尾行は、20分は続いたかもしれない。
昼間なら確実に発見されていた。
深夜の暗闇が上手く矢口をサポートしてくれた。
(いかにもって場所だけど、誰も予想できそうにはないとこだな・・・・・・)
犯罪ごとにはお似合いの建物。
まさか大金が隠されているとは予想もしない薄汚れた外観。
二人が消えていった建物は、ちょっと小さめの体育館ほどの広さをもつ倉庫。
もとは資材置き場かなにかだったのだろう。
(入っていくべき・・・・・のはず。
見当だけでこの広さの中からバッグをみつけるのは無理)
そう思ったのだから、最良の判断であると信じるべきだ。
迷ったまま行動しても上手くいくはずがない。
- 79 名前: 投稿日:2002年01月17日(木)07時27分04秒
- 自分の身長の倍はある重そうな扉の前に立つ。
その扉が第一の関門だった。
扉に耳をあてて中の様子をうかがう。
全く中の様子はうかがえないし、物音すら聞こえてこない。
(聞こえるわけないか・・・・・)
なんにしろ、そのままの状態でい続けるわけにはいかない。
中途半端が一番まずい。
このまま帰るか、中へ入るか。
極端な選択肢、前者ならば生きることはできるがそれまで、後者ならば
死ぬかもしれないがあの家と決別することができる。
そして、自分にはもう退路などない。
携帯電話の電源を切ったとき、安倍のぬくもりを失ったとき、ゆるやかに
生きることは放棄した。
- 80 名前: 投稿日:2002年01月17日(木)07時28分18秒
- 賭けにでた。
負ければどうなるかを、ほぼわかったうえで。
わずかに、自分が通り抜けられるギリギリの幅の分だけ扉は開いていた。
一呼吸で体を倉庫の中へ滑り込ませる。
最も無防備になる瞬間。
第一にやらなければならないことは、身を隠すこと。
暗闇に慣れない目で、必死に内部の様子を探る。
想像よりもはるかにゴチャゴチャとしている内部。
そこには使えなくなった乗り物、廃材、ドラム缶が所狭しと並べられていた。
とりあえず5つほど並んでいるドラム缶の背後に身をひそませる。
そして目を閉じ、耳をすませる。
闇に慣れることと、気配を探ることを同時に急ぐ。
- 81 名前: 投稿日:2002年01月17日(木)07時29分25秒
- 耳をすませると、不鮮明ながらも話し声が聞こえてきた。
『1コぐらいいいじゃん』
『バカ! あんた1コって1束もっていくヤツがあるか!』
『・・・・・・んじゃ1枚でいいよ』
『それぐらいだったら私がくれてやるよ』
『エ!? いいの? 圭ちゃん』
『ほら! ったくあんただけに任せないでよかったよ』
『ありがと〜!
・・・・・・・・これ千円じゃん!』
『おだまり! 私の全財産の半分よ』
『・・・・・・・』
だんだんと聞こえてくる二人の雑談。
その声と内容から、二人までの距離と場所、何をしているかを判断する。
自分の五感のよさを考慮にいれると、かなり遠くにいることがわかる。
そしてまだ、バッグを隠してはいない。
- 82 名前: 投稿日:2002年01月17日(木)07時30分50秒
- ドラム缶の横からむこう側をのぞく。
闇に慣れた目が保田の水色の上半身をとらえた。
その場所までは距離にして約20メートル。
二人が立っているのは白い乗用車の前。
塗装の剥げた外見から、その車が廃車であることが想像できる。
ドアを開け、車に体を突っ込む保田。
直後、後部のトランクが音をたてて開く。
『それにしても貯まったね〜』
トランクの中を覗いた後藤が素直な感想をもらす。
その言葉を聞いて、ドラム缶の影からつい必要以上に身を乗り出しかける。
- 83 名前: 投稿日:2002年01月17日(木)07時31分43秒
- 『チェックは私がするから、あんたは帰ってもいいよ』
『あ、そう? そんじゃ頑張ってね〜』
『無駄使いすんじゃないよ』
『は〜い』
後藤が出口へと歩き始める。
二人の会話に聞き入っていたためにとっさには動けない。
何より迂闊に動いて物音でもたてれば終わりだった。
(何もしないほうがいい。
動かないでいれば、この暗闇が私を隠してくれる)
そう信じることで心を落ち着かせる。
冬眠中の動物のように静かな心臓。
後藤のことは考えない、視線もやらない。
矢口の横、数メートルを後藤が通り過ぎる。
足音に変化はない。
おそらく、気づかれてはいない。
だがそれすらも意識せず、闇に溶け込む。
- 84 名前: 投稿日:2002年01月17日(木)07時35分18秒
- 扉を開いた音、小さくなる足音。
初めて背後を振り返ったとき、既に後藤の姿はなかった。
(あとは、もう一人がどっか行くまで待ち続けるだけか・・・・)
賭けには半分勝った。
ここまでくれば半日だろうと隠れ続ける自信はある。
目を細め、闇の一点だけを見る。
大事なのは見ることではない、どれだけ集中力を耳に集めることができるか。
保田の呼吸をも逃さず聞き取ろうと、耳をすませる。
しばらくは、保田がトランクの中のものをひっかき回す音だけが聞こえた。
次にトランクを閉める音。
(ここからが勝負!
さっきよりも上手く気配を消すんだ・・・・・)
後藤が通り過ぎたときよりも静かに。
心臓の鼓動よりも大きな音はたてない。
心臓の鼓動以外に動くものなどない。
数秒後に自分の横を通り過ぎるであろう保田を意識し、万全の準備を整える。
- 85 名前: 投稿日:2002年01月17日(木)07時36分33秒
- 異変は起きなかったとも言えるし、起きなかったことが異変だとも言える。
何もないはずがない。
何かなければならない。
保田が、動き始めなければならないはずだった。
(なんで動かないの!?
もしかして、こっちの様子を探ってる?)
止まりかねないほどに抑えていたつもりの鼓動が、急速に速まる。
覚悟の裏をつく保田の行動。
作戦の練り直しが必要だった。
隠れ続けることは危険だ。
このままだと保田が自分を探し始めることだって十分ある。
そうすれば簡単に発見されるのはわかりきっている。
(この距離なら追いつかれないかもしれない・・・・・
逃げるなら今しかない、少しでもこっちに近づかれたら逃げ切れなくなる)
決断を急ぎすぎるのはよくない、だが事は急を要する。
- 86 名前: 投稿日:2002年01月17日(木)07時37分18秒
『今なら私一人だよ』
(――――バレてる!!)
限界だった。
保田のつぶやきが引き金となり、矢口は弾丸になる。
限界以上の脚力を振り絞って出口へ突っ込む。
わずかな隙間に、無謀ともいえるスピードで滑り込めたのは、極限を超えた
緊張と集中力が可能にさせた奇跡。
扉から抜け出ると、背後は見ずに逃走だけを意識する。
それでも逃げきれるかどうかは運次第。
- 87 名前: 投稿日:2002年01月17日(木)07時38分51秒
「こんばんは」
「―――!!」
出口から出た矢口の動きを止めた者。
弾丸のような動きの前に立つ者。
待ち伏せしていたのは、帰っていったはずの後藤。
(罠だったんだ!!)
逃げることだけを考えていた頭で、そうわかったのは単なる偶然。
判断を誤った。
あのまま倉庫の中に隠れているべきだった。
「いや〜、正直あのまま隠れられてたらめんどくさいことになってたよ」
矢口の背後からは、いつの間にか倉庫から出てきた保田の声。
- 88 名前: 投稿日:2002年01月17日(木)07時40分39秒
- 矢口の存在には気づいていたものの、その正確な位置までは把握してなかった保田。
彼女は簡単に矢口を発見する罠を使った。
それが、一つしかない出口で後藤を待ち伏せさせること。
賭けには、負けた。
悔いは残る。
だが、こうなっては逆転は不可能。
「で、もう一人のコは?
あんたともう一人いたよね、裕ちゃんのとこで会ったとき」
「あのコはただの人間だから。
足手まといになるし、お金を分けるのが嫌だったから何も言わずに来た」
後藤が1歩前に出る。
矢口は横に体を向きなおし、保田と後藤の両方を視界におさめられるよう
移動する。
- 89 名前: 投稿日:2002年01月17日(木)07時42分32秒
不思議と、恐怖に我を失うことはなかった。
死ぬ覚悟ができたわけではない。
ただ、生きることはもう諦めた。
生きるのはつらい。
たとえ安倍がそばにいてくれたとしても、どうしようもなくつらい。
死ぬのもつらい。
だが死んだ後は楽だ。
目を閉じて、心の中で叫ぶ。
(後悔なんてしない。
自分のためにやって、自分の判断で間違えたんだから・・・・・)
そして目を開いたとき、保田の右手に光る何かが目に入った。
保田は、音もなく目の前に迫っていた。
矢口は、再び目を閉じる。
最後に脳裏に浮かんだ安倍の顔が、とても悲しそうな顔だったのがひどく残念だった。
- 90 名前: 投稿日:2002年01月17日(木)07時57分16秒
- >>53
いきなり期待されて、緊張しまくりです。
とにかく期待は裏切らないよう全力を尽くします。
>>54
慎重にこれからの展開は練っていきます。
緊張感ばかりにならないように注意していきます。
>>55
予感だけで終わるのが一番恐ろしいです。
期待はされているようなので、全力を尽くすしかなさそうですなこれは。
>>56
そうですね、「―――だべさ」って言うのはあんまり聞きませんね。
下手に使うと、それ間違ってるって言われそうなのでこうしました。
- 91 名前: 投稿日:2002年01月17日(木)07時57分46秒
- >>57
おそらく気になっていることは近いうちに解決されるでしょう。
気長に読んでもらえると助かります。
>>58-59
いえいえ、こっちにしてみれば嬉しい間違いですから全く問題ありません。
むしろ励まされました。
>>60
そう言ってもらえると助かります。
気長にやって読者もついていてくれれば、言うことなしですからね。
>>61
わかりやすいレスでとてもいいです。
言いたいことは無事に伝わりました。
- 92 名前: 投稿日:2002年01月17日(木)07時59分14秒
Chapter3 >>62-89
- 93 名前:流星 投稿日:2002年01月19日(土)14時41分55秒
- やっぱり天使書いてた人だ!時期といい文章といい、そうか〜。
謎は解けた!それではがんばって〜。
- 94 名前: 投稿日:2002年01月19日(土)16時20分44秒
- >>93
おお! やっとレスがついた。
sageわすれたけどたまにはいいかな〜と思ってたら見事に放置されていた
ので落ち込んでました。
更新はもうちょっと時間がかかりそうですが、あまりにも嬉しかったので
レス返ししました。
- 95 名前:名無しさん 投稿日:2002年01月19日(土)18時55分51秒
- おもしろいです!矢口がどうなるのか気になります〜
続きを楽しみにしてます。頑張って下さい!
- 96 名前:名無しさん 投稿日:2002年01月19日(土)23時45分03秒
- ぬおー、いい!
- 97 名前: 投稿日:2002年01月20日(日)06時56分18秒
Chapter4 彼女の勇気が招いた死
- 98 名前: 投稿日:2002年01月20日(日)06時57分15秒
- ――――夜――――
「――――!? ――――!!!」
「もうもたない!」
「やば――――――」
「おさないで!!」
異様に大きい騒音で、手の届く距離にいる仲間にも言葉が伝わらない。
騒音と言っては失礼なのだが、もはや騒音となった観客の声と楽器の音と
ボーカルの歌声。
それは、繁華街から少し離れた小さなコンサートホールでの光景。
ステージの上では熱唱する女性歌手。
ステージの下では熱狂して少しでもステージに近づこうとするファンの群れ。
そして女性歌手の前、さらにファンたちの前で両方の熱を受け止めるスタッフ。
ファンとステージの境界。
人間の身長と同じぐらいの高さの鉄柵。
今にも殺到するファンたちに倒されそうな鉄柵を必死で支えるコンサートスタッフ。
「た・お・れ・る〜〜〜!!!!」
絶叫をあげながら全力をつくすスタッフの一人。
スタッフ用の黄色い帽子を逆にかぶり、致命的に傾いた鉄柵を支えている
彼女の名は、吉澤ひとみ。
- 99 名前: 投稿日:2002年01月20日(日)06時57分48秒
「ごめん、もう、ダ・メ・・・・・」
「――――!!!!」
限界まで頑張った、吉澤は自信をもってそう言える。
ふともらした弱音を隣にいる仲間は敏感に感じ取り、何事か叫んでくる。
励ましの言葉か、罵倒の言葉か、ただの悲鳴か。
ステージ上では女性の歌声。
歌い終わるのはまだまだ先のはずだった。
「あっ!!!」
誰もが予想外、鉄柵が倒れることよりも予想外な事態。
鉄柵が倒れることよりも危険なアクシデントが発生する。
戦慄は、たった一人を除いて、コンサートホールにいる全ての人間に走った。
刃物を握り締め、鉄柵を乗り越えてステージにのぼった男を除いて、全ての
人間に等しく。
歌声が止まり、観客の悲鳴が響き渡る。
- 100 名前: 投稿日:2002年01月20日(日)06時58分20秒
- 瞬間で見極めるには、最も困難な選択。
考えた者は動けない。
動ける者は、勇気で動く人間だけ。
勇気は、恐怖と迷いなどものともせず人をつき動かす。
「任せたよ!」
言うが早いか、というよりも動いた後に言い放った吉澤。
鉄柵を放棄し、ステージに飛び上がる。
次の瞬間、あっさりと倒れる鉄柵。
だが誰もステージへ乱入する者はいなかった、誰もそんなことはできなかった。
女性歌手との距離は、男の方が吉澤よりも数歩分近い。
しかし、差はそれだけではない。
男はおそらくただの人間。
吉澤は、クローン人間。
距離の不利は帳消しにできるほどのスピードを、吉澤はもっている。
- 101 名前: 投稿日:2002年01月20日(日)06時58分56秒
- 「さがって!」
歌手に一言注意をおくる。
しかし女性が反応して動けるほどの暇はなかった。
おもいきってステージに乱入したものの、実際に手に持った凶器を振り回す
ほどの度胸はなかったらしい。
男の動きが目に見えて鈍いものになる。
それが衝動で動いてしまった者の限界だった。
(チャンス!!)
男とは逆に加速する吉澤。
衝動と違って勇気は持続する。
刃物を目の前にしても、吉澤の心に迷いなど生まれない。
- 102 名前: 投稿日:2002年01月20日(日)06時59分35秒
- 男が間近に迫った吉澤にナイフを振るう。
横なぎの閃光が吉澤の頭部を襲う。
腰よりも低く頭を下げる吉澤。
吉澤の動きについていけなかった帽子を男のナイフが吹っ飛ばす。
スライディングしながら、男への足払い。
キック力に突進の勢いをプラスした足払い。
受けた男は派手に転倒しかけた、そして回避した。
(ただの人間じゃない!!?)
並みのバランス感覚ではできない動き。
ネコのように身をひねり、床と頭との衝突を回避する男。
運動神経だけでできる芸当ではない。
ケンカよりも一段上の技術、格闘を知っているものの動きだった。
- 103 名前: 投稿日:2002年01月20日(日)07時00分20秒
- (ただの変態ヤローじゃない・・・・・ていうかファンですらない)
自分の手にはおえない相手だということを悟る。
同時に、自分たちをいつの間にか包囲していた警備員たちの手にもあまる。
- 104 名前: 投稿日:2002年01月20日(日)07時11分27秒
終了
- 105 名前:影武者 投稿日:2002年01月20日(日)07時14分04秒
なんじゃ『雪の妖精-15分間の恋人-』っての?
はっきりいってあれがこの板きてからやる気が失せました。
伝統の白とか、そういうこだわりはないけどあれが来てマジでテンション下がった。
もう書かん。
この作品と海板の作品の削除以来は読者の人が出してください。
少しでも削除したいと思った人は。
一切文句はないです。あるわけないです。
管理人さんには、本当にごめんなさい。
- 106 名前:名無しさん 投稿日:2002年01月20日(日)07時44分56秒
- んー・・・残念。でも気持ち、わからんでもないしなあ。
まあ、ここでなくてもいいから気が向いたら続き書いてよ。
- 107 名前:名無しさん 投稿日:2002年01月20日(日)08時01分11秒
- 一大事なのでage
- 108 名前:名無しさん 投稿日:2002年01月20日(日)08時01分55秒
- >影武者
俺も一応書き手だけど、ちょっと大人気なくない?
それに、管理人さんにせっかく遊び場提供してもらっといてそりゃ失礼でしょ
自分の気に入らない作品なんていくらでも出てくるって、少し休めばまた書きたくなる
んじゃない?そうなったとき書く所無いと寂しいよ。考え直したら?
- 109 名前:名無しさん 投稿日:2002年01月20日(日)08時08分41秒
- >>108
だいたい同意。
っていうか件の作品に失礼とかは思わないんだな(w
- 110 名前:名無しさん 投稿日:2002年01月20日(日)08時53分10秒
- あまりに読者を馬鹿にしすぎ
- 111 名前:名無しさん 投稿日:2002年01月20日(日)09時48分52秒
- >>110
ははは(w
おもろいなぁ、あんた
- 112 名前:名無しさん 投稿日:2002年01月20日(日)10時56分58秒
- 108の意見とかぶるんだけど、自分も書き手。
気持ちはよくよくわかるけど、そゆこと気にしてたら、2ちゃんで書けないよ。(w
もちろんここは飼育。でも、楽しみに読んでる読者がいることを考えた方がいい。
それなりに書ける人だからこその感情だと思うけど、ちょっと傲慢すぎやしないかな。
- 113 名前:名無しさん 投稿日:2002年01月20日(日)11時22分49秒
- 名作ぞろいの板なんてないわけで…。
ぞれぞれ佳作と駄作が入り乱れている。
カチンとくる気持ちがわからなくもないけどね。
- 114 名前:名無しさん 投稿日:2002年01月20日(日)11時58分58秒
- 仕切って悪いが小説スレをこれ以上汚すのはやめたまえ。
案内板のこのあたりのスレッドが適当だ。
「名作集で起こった問題を話すスレッド(2)」
http://mseek.obi.ne.jp/cgi/hilight.cgi?dir=imp&thp=1005379821&ls=50
作者さんは、続けたくなったら気楽に続けてくれよな!
- 115 名前:名無しさん 投稿日:2002年01月20日(日)17時01分57秒
- とりあえず、件のスレは消えるようなので、
作者さん、気が向いたら、続けてください。
- 116 名前:名無しさん 投稿日:2002年01月20日(日)18時59分14秒
- 件がどうのこうのっていうわけじゃなくて
初めから駄作を書きたくて書いてる奴なんていない
能力の問題なんだしいくら上手くても放棄する人より書き上げる人の方が
評価できると俺は思う
書き続ければ多少の上達はあるだろうし
- 117 名前:名無しさん 投稿日:2002年01月20日(日)19時04分25秒
- >>116
ここに書くことか?
なぜ >>114 をよく読まない?
お前みたいなのが神楽の擁護してると思うとむかつくんだよ。
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