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案内板発企画、リレー小説。
- 1 名前:181 投稿日:2002年01月19日(土)10時50分24秒
- このスレッドは、案内板のリレー企画専用スレッドです。
以下の注意書きの熟読をお願いします。
☆読者さんへ
・このスレッドは”投稿”専用です。感想・批評・雑談は
『リレー小説スレ』
http://mseek.obi.ne.jp/cgi/hilight.cgi?dir=imp&thp=995192376&st=111
にお願いします。
・また、企画の性質上過剰な先読み(「○○のあの行動は、絶対複線で××になるんだって」等)は、
後の作者さんの迷惑になる恐れがありますので、ご遠慮ください。
・なお、作者としての参加希望はすでに締め切っています。
- 2 名前:181 投稿日:2002年01月19日(土)10時51分52秒
- ★作者さんへ
・投稿前に、まず自分の順番かどうかをもう1度確認してください。
・投稿ができる状態であれば、前の作者が終了を宣言していることを確認したうえで、
自分の開始宣言をし、その後投稿を開始してください。
・自分の順番になって、5日以上放置の状態が続く場合、参加意思なしとみなし、
次の方に順番が移ります。
・ただし、投稿意思を締めしたうえでの投稿期間延長は2日間まで認められています。
・最後に投稿が終了したら、その旨を必ず宣言し、次の方への引継ぎを行ってください。
・以上の引継ぎに関する手続きはすべて
『リレー小説スレ』
http://mseek.obi.ne.jp/cgi/hilight.cgi?dir=imp&thp=995192376&st=111
にて、行ってください。
・実際の投稿に際しては、1-20レスで収めてください。また、名前欄には通し番号以外は
書き込まないで下さい。ただし、メール欄は自由とします。
- 3 名前:タイトル 投稿日:2002年01月19日(土)10時56分54秒
つじのかじ
- 4 名前:1 投稿日:2002年01月19日(土)10時59分17秒
- 辻の家が火事にあった。
マネージャーが駆けつけた時、辻は火事を見つめていたという。炎よりも暴力的な
野次馬たちの視線にも気づかず、身じろぎひとつせずにただ。
舞い散る火の粉、吹き上がる煙、鼻孔につきささる焦げくささ。
炎の照り返しで頬をてらてらとかがやかせた辻は、守るように取り囲む家族の中で、
ただまっすぐに見ていた。
家を燃やしつづける炎を。
闇を照らしつづける赤い光を。
- 5 名前:1 投稿日:2002年01月19日(土)11時00分17秒
- 「なにやってんの」
声をかけてきたのは矢口だった。
テレビ局、楽屋近くの廊下。集合時間30分前。
ずっと出入り口に目を据えていたはずなのに、入ってきたことに気づかなかった。
どうやら相当深く自分の中にトリップしていたらしい。
「おはよ」
質問には答えずに、飯田は軽く手をあげた。
「おはよう。なんでこんなとこいんの? 着替えもしてないじゃん」
矢口は怪訝そうだ。
「うん? ちょっと……」
「あ、辻」
矢口はこちらの言葉を聞き終わらないまま、納得したように顔をしかめた。
まあ、当たりではあるのでうなずくと、矢口はますます痛そうな顔になる。
「火事、なったって」
「うん」
「ゼンショウらしいね」
「うん」
「ニュースしてたね」
「うん」
どんどん二人の声は小さくなっていく。
- 6 名前:1 投稿日:2002年01月19日(土)11時03分20秒
- 『今日、午後10時頃、東京都xx区の民家で火災が発生、家屋が全焼しました。
火災が発生したのは、辻正隆さん宅で、当時、家族は全員外出しており、怪我人は
ありませんでした。辻さんの次女は人気アイドルグループ、モーニング娘。のメン
バー、辻希美さん(14歳)で、火災の原因は現在の所不明ですが、警視庁では放
火の恐れもあるとのことで、調査を進めています』
メンバー御用達のワイドショーならともかく、ニュースである。遠い情報をもたら
すだけだったメディアの中に出てくる知った名前は、現実感がなかった。
――しかも放火ってなに?
大きな目をますます見開いて、飯田はニュースが終わってからもしばらくテレビ画
面を見つめていた。
- 7 名前:1 投稿日:2002年01月19日(土)11時05分24秒
- マネージャーから切迫した声で電話があっても、メンバーから次々とFAXやらメ
ールやらが舞い込んでも、現実感はいっこうに湧かなかった。
床につくまでに何度も思ったものだった。
どっきりだよね? 私、だまされてるんじゃないの?
そんな思いのまま早めにやってきた仕事場。憔悴しきったマネージャーの説明を聞
いてもまだ、その思いはつづいていた。
ある意味それは現実逃避だとも自覚している。こんなひどいことが起こったことを、
自分はどうも認めたくないのだ
- 8 名前:1 投稿日:2002年01月19日(土)11時07分19秒
- 「昨日辻、どうしたの? どこ泊ったの? 連絡網、火事のことしか回ってなかっ
たから、気になってて。みんなも知らないみたいだったしさ。カオリ、マネージャ
ーからなんか聞いてんでしょ」
矢口は矢継ぎ早に質問を繰り出した。
「あーっと、家族みんな親戚の所に泊ったって。あとは私もあんまり知らない。
電話するにもそういう状況なのにかけらんないし」
「そっかぁ。昨日は『イモムシ爆弾〜』とかゆって、あんなにはしゃいでたのに、
なんかウソみたい……」
矢口はしんみりとつぶやく。
「イモムシ爆弾?」
「あ、ミニモニ。だからカオリいなかったか。ほら、おとついモーたいのロケだっ
たじゃん。加護と二人で山梨の昆虫館かなんか行ったってって、またイモムシのお
もちゃとか、カマキリのタマゴとかいっぱい仕入れててさぁ。最悪だったんだよ」
- 9 名前:1 投稿日:2002年01月19日(土)11時08分09秒
- 矢口はふいに飯田の顔をまじまじと見上げた。「カオリ、クマすごい」
飯田は頬をこすった。
「寝てないんだよね」
「マージで? 入念に消してもらわないとだめだよ、ソレ。すげー怖い。つーか、
だめじゃん! 寝てないって、収録中……」
矢口の言葉がとぎれ、その口もとがこわばる。
視線の先を追うと、ツインテールがぴょこんと揺れた。
「おはよーございます」
いつもより熱心な二人分の視線を受けて、申し訳なさそうな顔になる。
まっ赤な目をした辻は、なんだかうさぎみたいに見えた。
- 10 名前:1 投稿日:2002年01月19日(土)11時09分35秒
- そんな状況にもかかわらず、休ませないのはさすが強欲事務所といったところで。
辻はいつも通り収録に参加していた。もっともさすがにテンションの低さは否めな
い。それ以前に周りが気をつかってしまって、話を振られず、カメラに抜かれず、
辻は終始あいまいな笑みを浮かべていたものだった。
楽屋での休憩時間も、さまざまに話しかけてくるメンバーにたどたどしい返事は返
すものの、すべてが素通りしていっているといった様子だ。
「大変だったね」
大きくうなずく。
「怖かった?」
大きく首を振る。「怖くはない、なんか、熱かった」
深刻と心配の入り交じった顔をしているみんなに囲まれて、辻は落ち着かなくポッ
キーをかじっている。
輪には加わらず、飯田は鏡台の前の椅子に後ろ向きに座ってそれを見つめていた。
さきほど、話しかけた瞬間、辻より先に泣き出してしまったのがさすがに恥ずかし
くて――というより、声をかけたらまた泣いてしまいそうで――飯田は辻に近づけ
ないでいる。
- 11 名前:1 投稿日:2002年01月19日(土)11時12分21秒
- 実際辛い目にあったのは辻なのに、どうして自分が泣くのだろう。
やさしいんだよとみんなは言うけど、わかってる、あたしは弱いだけだ。ダメリー
ダーだよ。
飯田はナイーブな自分がときどき嫌になる。
加護までブルーうつってるよ、隣にやってきて、そうささやいたのは保田だった。
――ほんとだ。
輪の中に加わりながらも、辻を慰めるでもなく、コミカルな仕草でみなを笑わせる
でもなく、加護の瞳は不安げにまたたいている。
意識しすぎて眉間にしわを寄せたまま何も言えないでいる石川なんかとは大違いで、
「気を使いすぎると余計に傷つくかも」などといった感傷とは、加護は無縁のはず
なのだけど。まあまるで双子の二人のこと、マイナスの感情が伝染しても、ちっと
も不思議ではない
- 12 名前:1 投稿日:2002年01月19日(土)11時13分59秒
- なんだか微妙な空気が楽屋を支配していた。
辻のことを心配だという終わったことに対する素直な感慨と、ひょっとしたらとい
うあまり考えたくない疑念。全員が感じていることだろう。
もし放火だったら。犯人が辻希美の家だと知って火をつけたなら。
「ほんとに放火なんてことだったらさ、犯人みんなで刺しとくか」
保田は鋭い目で笑った。
いいかもね、飯田もうなずく。冗談に紛らわせてはいるが、保田も理不尽な事態に
ひどく腹を立てているようだった。
結局、その日、飯田は辻をうまく慰めることができなかった。
- 13 名前:1 投稿日:2002年01月19日(土)11時15分15秒
- 火事の晩から3日ほどたった。
仕事中、マネージャーに「ちょっと」と呼び止められる。いまだにマネージャーか
らこうやって呼ばれると、誰か脱退するんじゃないかと構えてしまう。ちょっとし
たトラウマだ。
予想に反して、話は辻のことだった。
家が燃えてしまったので、あれ以来、住居をなくした辻一家は、親戚宅に間借りし
ており、辻も家族といっしょに疎開生活を送っていた。が、当然いつまでもそこに
いるわけにはいかない。辻父は新しい家を必死で探しているようなのだが、そうそ
うすぐに見つかるものではない。よって、一家は新しい家が見つかるまで、辻父の
会社の寮に住まうことが決定した。もう明日にはそちらに引き移るということだった。
問題は辻である。
辻父の会社の寮は、ちょっとしたマンション状になっているのだが、六世帯と14
人の独身男性が住んでいた。腐ってもモー娘。人気アイドルグループの一員が、
会社の寮に入ることに、大家が難色を示したのであった。
曰く、「何か問題があっては困る」とのこと。
ここまで聞いて飯田はムカツク、そんな会社つぶれちまえと思ったが、それでは辻
父が困ると考え直した。
それはさておき。
- 14 名前:1 投稿日:2002年01月19日(土)11時17分08秒
- 「そんなに怒らないでよ、飯田。こちらとしても、社宅みたいな所に辻を住ませる
のはちょっと不安だから、まあ、おあいこよ。まだあの件もはっきりしてないわけ
だし」
飯田は思い当たって、声をひそめた。
「放火ですか」
マネージャーはひっそりとうなずく。「三日もたったのに、まだ出火の原因が特定
できないなんて言うんだもの。マスコミは好き放題書いてくれてるし、さんざんよ」
大きなため息。
――辻もあいかわらず元気ない。
思わず飯田もため息をつくが、あわてて気を取りなおした。
「で、どうするんですか」
「うん、ホテル暮らしは辻にはムリでしょう」
「絶対ムリ」
「だからさ、一時的にメンバーの所に同居させるのはどうかと思って。送り迎えも
いっしょだから安全だし、セキュリティもばっちりでしょ」
「なるほど」
事務所としては、管理するにも固まってもらった方が楽という訳だ。
「でね、とりあえず石川か飯田あたりが無難かなって思うわけ。石川からはもうオ
ッケーもらったし、自宅組もじぶんちおいでって言いそうだし、こっちとしては誰
の所でもいいわ。で、そういうことだから、辻にどこがいいかって聞いといてくれ
ない?」
「わかりました」
- 15 名前:1 投稿日:2002年01月19日(土)11時21分16秒
- 言いながら、飯田は漠然とした不安も感じていた。
あれ以来、捜査は難航していて、火事の原因どころか火元すらまだわかっていなか
った。マスコミで最近取りざたされているのが、ストーカーによる放火説。笑って
しまうことに犯行声明まで出ていた。あまりにも低レベルな内容だったため、悪質
ないたずらと放置されてはいたが。
毎日自分たちに大丈夫と言いきっているくせに、この様子では事務所が一番不安を
感じているのだろう。
辻とはあまり話せていない。火事の翌日長い長い手紙を徹夜で書いたが、朝になる
とすべてが自己満足に思えて、渡すことができなかった。忙しさのせいもあるが、
それだけではない。
辻と向き合い、ちゃんと話を聞くべきだった。ものすごく不安を感じてるだろうに。
――もし辻が嫌じゃなかったら。
飯田は思う。
ウチに来たらいい。一人の方が落ち着くタチだけど、辻だったら大歓迎だ。
辻が元気になるよう、おいしいゴハンをたくさん作ってあげる。
- 16 名前:1 投稿日:2002年01月19日(土)11時23分00秒
- その日一日はそのことを辻に話す機会がなかった。
仕事のあと、帰りぎわを捕まえようと飯田はあわてて着替えを終えた。辻は隣の楽
屋だ。ドアをノックすると、後藤がのんびりした顔で出迎える。
「辻は?」
「もう帰ったよ」
「うっそ」
さっさと踵を返そうとする飯田の袖を後藤がとらえた。
振り返ると、後藤はまっすぐにこっちを見ている。
「辻になんかあった?」
真剣な声だ。
「なんもないよ」
「ほんとに」
「ほんとに」
「あそう」
後藤はほっとしたように笑った。ひっくり返したようにゆるい表情になる。
「だったらいいんだ」
後藤の後ろから、心配そうにこちらをうかがっているメンバーたちに気づいて、
飯田は苦笑いした。
「あんま心配すんなよ」
精一杯頼もしく言ったつもりの捨てぜりふ。
「リーダーも」という声がユニゾンで背中に飛んできた
- 17 名前:1 投稿日:2002年01月19日(土)11時24分20秒
- 辻はすぐに見つかった。階段を下りてすぐの廊下を、一人で歩いている。後ろ姿に
声をかけようとして、飯田は躊躇した。
どうも様子がおかしい。
いつもはのんびりぼんやり歩いている辻なのに、まるでひと目を避けるように、
すり足で廊下を進んでゆく。視線も落ちつきなく周囲をうかがっている。
思わず飯田は柱の影に隠れてしまった。
そのまましばらく様子をうかがうと、辻はとあるドア前で立ち止まった。周囲を見
渡す。飯田はあわてて頭を引っ込めた。しばらくして顔を出すと、辻の姿はドアの
向こうに消えていた。
飯田は足音を殺してドアに歩み寄る。
そこは利用者の少なそうな女子トイレだった。
そうっとドアを細く開けてみる。
「……は……で……」
辻の声が聞こえてくる。誰としゃべっているのだろう。
一番奥の個室のドアが閉じている。
飯田は音がしないよう注意して、隣の個室にすべり込んだ。
ひそひそ声がドアの閉まっていた個室から、さらにクリアに聞こえてくる。
後ろめたさに心臓が高鳴った。
- 18 名前:1 投稿日:2002年01月19日(土)11時26分15秒
- 辻がいる。いったい誰と話してるの?
- 19 名前:2 投稿日:2002年01月24日(木)19時50分19秒
- 「・・・・・・はい、それじゃ。」
好奇心が罪悪感を押さえ込み、飯田の耳が個室を仕切る壁に押し付けられた瞬間、
辻の会話は終わった。
わずかに聞き取れたいくつかの単語だけでは、電話の相手は分からなかった。
けれど、辻が出て行き、一人になってよくよく考えてみると、それでよかったと
思った。
辻の家が火事にあってからというもの、どうも余計なことを考えすぎる。いまの
電話にしてもいつもなら気にも留めない些細なことだ。辻だってメンバーに
聞かれたくない電話もあるはず。ましてや、あんなことがあった後なのだから、
家族に泣き言の一つも言いたい、けれど、そんなところをみんなに見られたく
ない、そんな風に考えることもできるのではないか。
- 20 名前:2 投稿日:2002年01月24日(木)19時51分01秒
- 考えすぎるのは悪い癖。分かっていたのに大事なときに思い出せないようじゃ、
何の役にも立たない。
反省を大きなため息に変えて、個室を出る。
手洗い場の鏡に映った顔は、ひどく情けないものだった。
「な〜にやってんだか」こんな話を矢口にでも聞かれたら、きっと
心底馬鹿にした声でこう言うだろう。
「あっ!」
トイレを出たところで、本来の用事を思い出して、角を曲がって消えていく
小さな背中を追いかける。
「つじ〜、ちょっと帰るの待った!」
- 21 名前:2 投稿日:2002年01月24日(木)19時52分48秒
- 「おじゃまします。」
いつも、ドアを開けたとたんに靴もかばんも放っ散らかして、駆け込んで
いくのが嘘のように、遠慮がちに靴をそろえ、初めて来た家のように神妙な
顔をしている辻を見ていると、普段よりも強く、他人をいたわりたいという
心がむくむくと湧いてくる。
いわゆる2DKの間取りは、一人で住むには時々薄ら寒さすら感じていたが、
今はこの部屋を用意してくれた事務所に久しぶりに感謝している。
最初、メンバーの部屋に世話になることを躊躇していた辻の目の色が
変わったのは、「一人部屋」という言葉を聞いた瞬間だった。あんなことが
あったうえ、突然の生活環境の変化は、辻の精神をひどく傷つけていた。
心の回復にはもちろん人のぬくもりが不可欠だが、同時に一人になる時間も
欠かせない。そんな彼女にとって、飯田の提案は、無意識の欲求を
叶えてくれるものだった。
- 22 名前:2 投稿日:2002年01月24日(木)19時53分47秒
- 「今晩何たべたい?」
「なんでもいいです。」
荷物を置いて、部屋着に着替えると、真っ先に夕飯のことが浮かんだ。
短くない付き合いの中で辻が最も喜んでくれるが、食に関することだと
信じている。それをいやしいとか言う人もいるけれど、とんでもない。食事を
楽しめるということは、それだけでその人の人生をひときわ素晴らしいものに
していると思う。
けれど、そんな飯田の考えは、今の辻には伝わらない。昼食もそれほど
食べていないにもかかわらず、興味なさげに答える辻はついこの間までとは
別人のようだった。
- 23 名前:2 投稿日:2002年01月24日(木)19時55分11秒
- 「じゃあ、外で食べる、うちで食べる?」
それでも、飯田は先程と変わらぬ、母親が子どもに問い掛けるような
穏やかな口調で再び辻に訊いた。辻と一緒に荷物を取りに行って、家に
着くまでの間に決めていた。何があっても差し出したこの手は離さない、
どんなに時間がかかっても、取り戻すために。
「飯田さんのおうどんが食べたいです。」
そう、信じていれば、その歩みは遅くとも必ず通じる。
もらい物のちょっと上等な乾麺を湯がきながら、ちらちらとテーブルの辻に
目をやる。パラパラと雑誌をめくっている顔からは、先程同様、
あまり興味があって見ているようには感じられないが、時々視線が合うと
少しはにかんで目をそらす仕草は、前の辻を少し思い出させた。
- 24 名前:2 投稿日:2002年01月24日(木)19時56分23秒
- 「よく食べたね。」
「はい。」
食欲がなくても食べやすいようにと、釜揚げにしたのが良かったのか、
途中二度も薬味を作りに立たなくてはならかった。結局二人で五把、
普段の量から考えてもちょっと食べすぎなくらいだ。日ごろから
マネージャーには辻と加護、最近はそれに石川も加わった3人の食事の量には
注意して欲しいといわれているが、湯気の向こうに時々見え隠れする辻の
笑顔を見ていると、そんなことはすっかり忘れていた。
辻を家につれてきて本当に良かった、その時はそう思ってそれまで
張り詰めていた気持ちも少し緩んで、安心していた。けれど、それが少し
早かったと気付かされたはその直後だった。
- 25 名前:2 投稿日:2002年01月24日(木)19時58分23秒
- 「眠れません。」
辻が家に来るという大きなイベントを終えて興奮していたのか、
なかなか眠れずに二時も回った頃だった。辻用にと用意した見覚えのある
枕を抱えて、部屋の入り口にたたずむ辻はひどく小さく見えた。
忘れそうになっていたが、いくら笑顔を見せても、ご飯をしっかり食べても、
まだまだ目を離してはいけなかったのだ。
ほんの少し自分の思うようにことが運んだからといって、安心していたことが
腹立たしかった。人の気持ちを考える、いつも心がけていることもここ一番で
発揮できないようでは何の意味もないではないか。
「いいよ。」
けれど、そんな自責の念を顔に出したところで辻に余計な心配をさせるだけ、
それが考えられるほどには飯田は大人だった。
布団を少しめくり、笑顔で辻を迎入れると、ポンポンと布団を
整えるように辻の肩を優しく叩いてやる。
- 26 名前:2 投稿日:2002年01月24日(木)19時59分31秒
- 「飯田さん何してたんですか?」
「うん、最初は絵描いてたんだけど、上手くいかないから本読んでた。」
「飯田さん絵好きなのに、描けないときがあるんですか?」
「時々ね。」
「本読んでるとまた描けるようになります?」
「そうだね、気分転換が一番いいんだけど、本よりもこうやって辻とか
メンバーとか友達と話してるほうが、いろんなことを描いてみたいって
気持ちになるかな。なんか幸せな気分が創作意欲に繋がるんだよね。」
「飯田さんはすごいですね。」
「そんなことないよ、それより明日も早いからもう寝よ。」
明日の朝早く起きなければいけないのも、体が疲れていたのも本当だ。
だけど、あとほんの少し、辻の話を訊いてあげるべきだったのかもしれない。
- 27 名前:2 投稿日:2002年01月24日(木)20時00分54秒
- それにしても、何があっても朝から晩まで。まったくうちの事務所の
労働意欲には頭が下がる。
あの日以来、何事もなかったようにそれまで通りハードスケジュールを
組みつづける事務所に悪態をつきながら、今日も辻をつれて仕事場到着。
「おはよう。」
「おはよ、あれっ、カオリ母さん、今日はクマも控えめで、最近良く
眠れてるんじゃない?」
同居3日目にして辻の“お母さん”となった飯田は、照れくさそうに
しながらもまんざらではない。それに、矢口の言う通り、辻と
同居し始めてからの方が、普段よりも良く眠れている気がする。
それに、今日はあの日以来特別気分がいいこともあった。
「そういや、放火じゃなかったらしいね。」
「うん、まだ断定はできてないらしいけど、火元が台所じゃないかって
ことで、事故の可能性が高くなってきたらしいよ。」
楽屋外のソファーで、辻が近くにいないことを確認しての矢口との密談。
事件当初は辻以外のメンバー同士でも火事の話はなかなかできない
雰囲気だったが、最近では少しみんな慣れてきたのか、
ちょっとずつではあるがあの火事の話をするようになってきた。
- 28 名前:2 投稿日:2002年01月24日(木)20時06分23秒
- それにしても、マスコミの無責任ぶりというか、刹那主義は知ってはいても
腹が立つ。当時あれほど放火説を煽っておきながら、こうして事件が
収束してくる頃にはもう他の話題に夢中で、肝心な情報は流してくれない。
おかげで、放火ではなくて、事故だったという話も、辻の家族、マネージャー
という伝言ゲームの末にやっと今朝方回ってきた始末だ。
- 29 名前:2 投稿日:2002年01月24日(木)20時07分08秒
- 「まあ、なんいせよこれは良しとしていいんじゃない。辻に悪いってことで
みんな口には出さなかったけど、やっぱり心配だったみたいだよ『次は
私じゃないか』って。」
「うん、けどまだおおっぴらにその話はしないで欲しいんだ。」
「わかってるって。さて、それじゃそろそろもどるね、続きはまた
夜にでも。」
メンバーが増えて、取材なんかの場合こうして待ち時間が増えたことは、
意外と結束を固めるのに役立っているんだなあ。お辞儀なんかしながら、
取材用の部屋に入っていくちっこい金髪頭を見ながら、そんなことを
考えていた。
同居が始ってはや3日、辻は少しずつだが以前のように笑い、冗談も
言うようになってきた。それに飯田自身も今のようにぼんやりと
考え事をする余裕も出てきて、すべてが以前のように戻ろうとしていた、
それはそんな日だった。
- 30 名前:2 投稿日:2002年01月24日(木)20時07分55秒
- 「じゃあ、なっちの言うことよく聞くんだよ。」
「はい。」
たった3日の同居だったが、たった一晩の別れなのに、どうしてこんなに
切ないんだろう。そう言うと矢口はおろか、石川と加護にも笑われて
しまった。
超多忙グループ、その中のユニットは本体の仕事の空き時間を縫うように
仕事を入れられる。大体石川と加護なんてまだ18歳になっていないのに、
こんな夜中に働かしていいのか。と、そんな事を言ってみたところで
どうなるものでもないことは、最古参の自分が一番よく知っていた。
それでも今ばかりは、一瞬でも長く辻のそばにいてやりたかったのに。
一人にするぐらいならと、安倍に預けることを決心してからというもの、
こうして口から出るのは恨み言ばかりだ。
- 31 名前:2 投稿日:2002年01月24日(木)20時09分25秒
- 「なんだかんだで、一人が寂しいのはカオリなんじゃないの?」
「そうですね、辻ちゃんと一緒に住むようになってから飯田さん
優しい人になりましたしね。」
「ちょっと、石川。それじゃ、それまでの私は何なよ!」
まったく、この失礼天然2号は。と、言いかけたところで、こういう
騒ぎになると必ず中心で大騒ぎしているはずのちびっこがおとなしいことに
気付いた。
「どうした、おなか痛いの?」
飯田より先に異変に気付いた矢口が、うつむく顔を覗き込んで訊くと
加護はブンブンと大きく首を振ると、両手で自分のほっぺたを挟むように
何度か叩いて、いつもの崩れそうな笑顔を見せた。
「ちょっと、眠くなってただけです。大丈夫です。」
「なんだよお、心配しちゃったじゃないかよ。眠いのはいいけど、
本番中寝るなよ、誰かさんみたいに。」
人が忘れかけてたことを・・・・・・
一緒になって笑う石川に掴みかかろうとしたが、視界の片隅の笑顔が
それにブレーキをかけた。
そう、その時の加護の笑顔はあまりに似すぎていたのだ、ここ何日かで
見慣れた辻の笑顔に。
- 32 名前:2 投稿日:2002年01月24日(木)20時10分41秒
- 家に向かう足取りは重い。
誰かが家にいる生活に慣れてしまうと、それ以前の独りの生活が、ひどく
辛く感じる。もしかして、安倍の家から出てきて、自分を待っているのでは。
そんな想像もしてみるが、家族が出て来てくれた時にも同じ事をして、
逆に切なさが増した事を思い出して止めた。
鍵を開ける音はいつもより大きく、扉はいつもよりも重い、そんな錯覚の
延長かと最初は思っていたが、部屋に入るとたしかに誰かの声がする。
こんな時反射的に怖いと思う自分と冷静に状況を分析する自分がいて、
今回は冷静な自分が勝った。
ブーツを蹴っ飛ばして、部屋に駆け込むと思ったとおり、“留守”の
ランプを点滅させた電話から聞き慣れた声が響いている。
- 33 名前:2 投稿日:2002年01月24日(木)20時12分37秒
- 「・・・・・・した用事じゃないんで、また・・・・・・」
「もしもし!」
「わっ!」
おもちゃ箱をひっくり返したような声は、電話の向こうの狼狽振りを
十二分に伝えていた。
「どうしたの?」
走ってきた勢いを大きく息をついて落ち着けるといつも通りの、いや、
いつもよりも意識した優しいトーンで話し掛ける。
「その、別に大したことじゃないんです。」
そんなわけない。加護が自分から電話してくることなんか滅多にない、
それもこんな時間に。しかも、さっきの様子じゃ何かあるのは間違いない。
「言いにくいこと?」
さっきよりも更に優しく問い掛けると、暫くの沈黙の後、テレビ用とは違う
メンバー同士でまじめな話をする時のイントネーションで加護は重い口を
開き始めた。
- 34 名前:2 投稿日:2002年01月24日(木)20時13分58秒
- 「私が言うたって言わんといてほしいんです。」
「言わないよ。」
「この前ののと山梨に行ったんです。」
「昆虫館の取材?」
「はい。その時ののめっちゃ機嫌よくて、娘。に入った頃のこと
話してくれたんですけど」
そこまで話すと加護は再び黙り込んでしまった。きっと加護の中で話すべきか
どうか強い葛藤があるのだろう。こういう時本当ならば無理に聞き出す
べきじゃないと思ったが、どういうわけかその時は今聞いておかなければ
ならない、そんな気がして、らしくないと思いながらもズルイ手を使った。
「大丈夫だよ、加護が辻の事を思ってるんなら、それは裏切りとかには
ならないから。」
本当にそうだろうか、心が言葉に問い掛けるが、意識的にそれは無視した。
「のの、火事初めてやないんです。娘に入るって決まった時、家の中が
もめたらしいんです。いきなり芸能人になんかなって大丈夫なんか、
そんなんやめとけって。けど、その時今回みたいに火事になったら、
あっ、でも、そのときはボヤやったらしいんですけど、そしたら、なんか
家族が一つになって、ののにも好きなことやらしたろうってことで
まとまったらしいんです。」
- 35 名前:2 投稿日:2002年01月24日(木)20時15分08秒
- そんなことがあったなんて。考えてみれば娘が突然芸能人になることに
すべての家族が諸手を上げて賛成するとも思わない、それに、13人も
集まれば、誰か一人くらい今までにボヤ騒ぎにあっていてもおかしくない。
しかし、それが辻だったことがショックだった。今回の火事の後、辻は
前にもそんなことがあったことは飯田をはじめメンバーの誰にも
言っていない。何かが飯田の中に引っかかり始めた。そして、加護の次の
言葉は更に飯田の心に大きな釘を差し込んだ。
「それで、その時ののこんなことも言ってました・・・・・・」
「えっ、ゴメンよく聞こえないかった、あっ、ちょっと待って。」
加護の声が聞こえなかったのは嘘だ、しかし、その言葉の意味をのみ込むには
インターバルが必要だった。加護には悪いと思ったが、けたたましく鳴り響く
携帯に飛びついた。
- 36 名前:2 投稿日:2002年01月24日(木)20時16分58秒
- 着信は矢口から。普段から直感には自信があると公言していたが、この時は
加護の言葉のショックがそれを妨げていたのか、何も考えずとりあえず、
電話に出てしまった。
「カオリ、何してたんだよ!ずっと、電話してたのに。」
「なに、どうしたの?声上ずってるよ。」
加護との話のテンションを引きずらないよう、意識して明るい声で
対応したのだが、その必要はなかった。
「嘘でしょ?笑えないよ、そんな冗談。」
- 37 名前:2 投稿日:2002年01月24日(木)20時18分11秒
- 「嘘じゃないよ!マネージャーの話じゃボヤだったらしいし、なっちも辻も
コンビニに行ってる間のことだから何ともなかったらしいけど、なっちの
部屋がさっき火事になったらしいから○○ホテルまで来てほしいって、
なっちはそのままホテル泊まるらしいけど辻はどうなるか分からないから
カオリの家の辻の着替えとか持ってきてほしいって、ってカオリ
聞こえてる?」
聞こえてる?聞こえるよ、矢口の音が
携帯を持ったままその場にへなへなと座り込んだ飯田の頭の中には矢口の
言葉も加護を待たせていることも、ましてやこれからするべき事もなかった。
ただ、あの時のトイレで隣の個室から聞こえてきた途切れ途切れの辻の会話、
それに加護の言葉がグルグルと頭の中を回っていた。
- 38 名前:3 投稿日:2002年01月27日(日)09時23分42秒
- 「なっちさぁ、もうびっくりしたさぁ。だって、コンビニから帰ってきたらすごい
人一杯で入れないんだよ? なんか警察の車とか来ててさぁ。なにかなぁって辻、
辻と話してたらさぁ、辻が火事って気付いて…ね、そうだったよね?」
安倍は興奮したように一気に喋って、言葉を切った。
話をふられた辻は、夢を見てるかのようにぼうっとした様子で、促されて少し
頷く。
「…はい」
「そんでさぁ、消防の人にいろいろ聞かれたんだけど、なんか、なんかさぁなっ
ちの家が火元らしくって。も、冗談じゃないべ? 家とか出る前にちゃんと辻と
二人で確認したんだよ? 電気オッケー、ガスオッケーって。ちゃんと元栓から
締めてさぁ。ね、そうだったよね?」
「…はい」
「そんでさぁ…」
尽きることが無さそうな話を続ける安倍を身振りで黙らせて、飯田は辻に手
を掛けた。
「今日はさ、もういっから。辻も疲れてるみたいだし、今日はうちで預かるか
らさ。なっちも今日はゆっくり寝て。詳しいことは明日、みんなと一緒に聞く
よ。ねっ」
- 39 名前:3 投稿日:2002年01月27日(日)09時35分27秒
- 飯田の言葉を聞いて、安倍は、え?と心細そうな表情をした。
「……帰っちゃうの? 辻も?」
「う……」
ん、とは続け辛かった。このハイテンションさは、不安さの裏返しであること
に気付かない飯田ではない。かと言って、このまま周囲への反応がどんどん鈍く
なってきている辻と、周りがまるで見えてなさげな安倍を一緒にしておくのは、
まずいような気がしないでもない。
「……じゃあ圭織もここ泊まろうか?」
「ほんと? ほんとに?」
「うん… だけど話はもうおしまい。今日はもう寝て、明日に備えよ? ね?」
安倍は嬉しそうに手を叩いた。
「やった。なんか今日もうなっち一人じゃ不安でさぁ……あれ? これ置いたの
カオリ?」
「ううん? なにそれ?」
- 40 名前:3 投稿日:2002年01月27日(日)09時43分32秒
- それは、くしゃくしゃに丸められた細長い短冊状の紙だった。
安倍は、ライティングデスクの上にこすり付けるようにして短冊を伸ばした。
二人で短冊を覗き込む。
定規で引いたようなクセのある字で、白地に朱いインキでこう書きつけられて
いた。
『ははは またかじがおきただろ み』
文章はそこで終わっていた。飯田はいやなものでも見たかのように眉をひそめた。
「…げ。なにこれ」
「…み?」
「み、ってなに?」
「なっち最後の言葉がよくわかんない…。……み?」
「いや最初から意味不明だからこれ」
飯田は不愉快そうにそう言うと、紙片を再びまるめてゴミ箱に投げ捨てた。
- 41 名前:3 投稿日:2002年01月27日(日)09時57分00秒
- 「ああ、それ知ってる。アタシも見たことあるよ。ほら」
翌日の楽屋で、昨日の火事の仔細を聞いた保田はこともなげに言うと、バッグか
ら一枚の紙片を取り出した。綺麗に折りたたまれた短冊状のそれは、まるでオミク
ジのようだった。
『んなおれのいういことをきけ たま』
「なにこれ。意味全然わかんない」
飯田は気味悪げに紙片を見る。
「なんかさぁ、悪質なイタズラだって山崎さん言ってた」
「山崎さん?」
「社長、つった方がいい?」
「あぁ…」
モーニング娘。が所属する悪徳ごうつく事務所、アップフロント・エージェン
シーの社長だった。
「なんかいろいろかかれてたっしょ? 悪質ないたずらの犯行声明文ってやつ。
これね。これが、それ」
「そんなん持ち歩く感覚が理解できない…」
飯田は触りたくもないという風に腕組みをすると、不思議そうに首を傾げた。
その後ろから紙片を覗き込んだ安倍も、難しい顔で考え込む。
- 42 名前:3 投稿日:2002年01月27日(日)10時42分51秒
- 「ね、なっち思ったんだけどさ、昨日の『み』ってこの『んな』に繋がるんじゃ
ないかな?」
「ん? 昨日のってカオリが捨てたってやつ?」
「なっち昨日の覚えてるべ。確かこういう内容」
安倍はサラサラとメモ用紙にひらがなを書き付けた。
「あ、ほんとだ…」
『ははは またかじがおきただろ み』『んなおれのいういことをきけ たま』
「…つながるね」
「ねぇ、みんなさぁ。こんな感じの手紙とかビラみたいの、来たことある?」
保田がヒラヒラと短冊を持って振ると、なにげに動向を窺っていたらしく、
あちらこちらから即答があがる。
「あ、それアタシも持ってる…」
「実は…」
「あ、はいはいはーい。加護も持ってまぁすっ」
「えっ、ちょっと待ってちょっと待ってちょっと待って、あたしも…」
「見たことある。すぐ捨てたけど」
「うそっ」
楽屋のなかがちょっとした混乱に陥った
- 43 名前:3 投稿日:2002年01月27日(日)10時45分00秒
『ははは またかじがおきただろ み』『んなおれのいういことをきけ たま』『にはふぁんさーびすするのもいいも』『んだぜ きょうのごご6じに おれ』『はまた かじを おこす 』『つじのかじだけじゃない あべのか』『じだけじゃない もっと もっと 』
- 44 名前:4 投稿日:2002年02月12日(火)01時19分34秒
- 楽屋は騒然となった。
「ちょっとみんな! 静かにして!」
飯田の声も届かない。今まで全員が漠然と抱いていた不安がここへきて溢れ出したようだった。
「ねぇ、みんな……ねぇ」
飯田はぐっと唇を噛み締めた。思わず涙がこぼれそうになる。
「お願いみんな、落ち着いて……」
リーダーとして毅然とした態度を取らなければいけないことは分かっている。
でも、できない。他のメンバー以上に先程の文章に打ちのめされていた。
そんな自分が情けなかった。
パンパン!!
大きく手を叩く音がして、楽屋の空気が止まった。全員の目が音を出した張本人に向かう。
「気持ちを切り替えて。もうすぐ本番なんだから」
大きな目をいつもより吊り上げて保田が静かに言う。
「でも、圭ちゃん……」
「アタシ達はプロなんだよ」
後藤の言葉を途中で切るように続ける。
「スタッフの人に迷惑かけるわけにはいかない。分かるでしょ」
沈黙がその場を支配した。
- 45 名前:4 投稿日:2002年02月12日(火)01時20分37秒
- 「よし! 元気出していこう、みんな!」
沈黙を破ったのは矢口の声。
「そうだよ。だいたいこんなもの、イタズラに決まってるっしょ」
安倍の声がそれに続く。
「何言ってんだよ。なっちが一番びびってたクセに」
「な! なぁにー。なしてそんな失礼なコト言うかな」
そのやり取りにようやく場の空気が和らいだ。
それでもまだメンバーの顔に笑顔は戻らない。
仲のよい者同士、おびえたように身を寄せ合っている。
「それじゃ、なっちと矢口はみんなを連れて先に行ってて。
アタシはちょっとカオリと話があるから」
「分かった」
頼もしくうなづく矢口。小さな体が大きく見える。
昨夜の事件の当事者である安倍も、そんなそぶりはおくびにも出さず、軽くウインクをして出て行った。
- 46 名前:4 投稿日:2002年02月12日(火)01時21分56秒
- 「ごめんね、圭ちゃん」
二人きりになり、また静けさの戻った楽屋で飯田が呟く。
「あたしやっぱり駄目リーダーだなぁ」
大きな体を子供のように縮める飯田に、保田は優しく微笑みかける。
「気にしないでよ。アタシはサブリーダーなんだし。
二人で協力してやってこうって決めたじゃない。
それより、いい? 時間も無いから気が付いた事だけ言うよ」
「うん」
「この文章だけど、ただのイタズラってわけじゃないと思う」
「なんで?」
戸惑う飯田に保田は真面目な顔で言葉を続けた。
「これって今朝届いたんだよね」
問題の紙片は飯田と辻、それに新メンバーを除いた7人に届けられていた。
それぞれのところにあの紙が届いたのは違う日。
最後の紙が加護のもとに届いたのが今朝。
出かける前に見たポストの中に入っていたらしい。
「なっちの家が火事になったのは昨日の深夜。
それから手紙を出したって今朝までに届かない。
てことは、これを書いたヤツは、なっちの家が火事になることを知ってたことになる」
- 47 名前:4 投稿日:2002年02月12日(火)01時22分37秒
- 「あ……」
飯田は思わず言葉を失くす。
テーブルの上に置かれた紙片に目をやり、そこに書かれた文章に再び息を飲む。
「ねえ、それじゃこれ……」
そう言って、途切れ途切れの文章の一部を指差す。
『きょうのごご6じに おれはまた かじをおこす』
もしかしてこれも予告どおりに……。飯田はブルっと身を振るわせた。
「『きょう』ってのがいつの事かは分からないけどね」
「どうしよ。マネージャーに言ったほうがいいかな」
「そうだね。下手すると警察に届けたほうがいいかもしんない」
──信じられない。
わざわざこんなものを送って来るなんて。
私達が怖がっているのを想像して、喜んでいるのだろうか。
それほどの悪意が、自分達に向けられているという事に恐怖を感じた。
「ほら、カオリがそんな顔しててどうすんの。
アタシがマネージャーに話しとくから、先にスタジオ入ってて」
「あ、うん。分かった」
小刻みに首を振って飯田は楽屋を出た。
- 48 名前:4 投稿日:2002年02月12日(火)01時23分31秒
- スタジオに集合したメンバーの顔には、まだ不安が色濃く残っていた。
安倍と矢口がどうにか気分を盛り上げようとしているようだが、残念ながらあまり効果はなさそうだ。
泣きそうな顔をした小川の手を、新垣がぎゅっと握り締めている。
「みんなー、元気出して!」
その声に全員が飯田のほうを向く。縋るような視線に囲まれて、先程の不安が蘇る。
──ダメ。ここでがんばらなくちゃ。私はリーダーなんだから。
「みんな、笑顔を見せて。そんな顔、テレビの前の人には見せらんないよ。
暗い顔してたら、もっと暗くなっちゃうっしょ。
明るくなるためには明るい顔してなきゃ。だからみんな……」
──よし、ここだ。息を吸い込んで真面目な顔になる。
「ねぇ、笑って」
凍りついたように静まり返る場。
「ぷ! っくくく。な、何いってんのカオリ。う、うける……」
「あ! なにそれ矢口! そんな笑うことないじゃんか」
「だって、カオリが笑えって言ったんでしょ」
「や、そ、それはそうだけど……」
「大体恥ずかしいんなら、やらなきゃいいのに」
真っ赤に染まった飯田の顔を見て、ようやくメンバーの顔に笑顔が浮かんだ。
- 49 名前:4 投稿日:2002年02月12日(火)01時24分09秒
- ほっとした飯田はみんなを集め、円陣を組んで手を合わせる。
「みんな大変かもしれないけど、力を合わせていこう!」
「「「はい!」」」
「それじゃ、がんばっていきまー」
「「「しょい!」」」
「やるじゃない。さすがリーダー」
空元気ではあろうが、笑顔でセットに向かったメンバーを見送る飯田に、
何時の間にか後ろに立っていた保田が声をかけた。
「もー、からかわないでよ。
いつも不安なんだから。こんな頼りないリーダーでいいのかなって」
「カオリはそれでいいんだよ。アタシは優しくしたりするのは得意じゃないし。
もっと自分に自信を持ちなって」
「……うん、ありがと」
保田の話だと事務所の人間もあの文章を見て不安に思ったらしく、
一人暮らしをしているメンバーの部屋を見に行ってくれる事になったようだ。
またメンバーの実家にも、用心するよう連絡がいくことになった。
さすがに大事にはしたくないらしく、警察へは届けないようだが。
- 50 名前:4 投稿日:2002年02月12日(火)01時24分45秒
- 本当にこのサブリーダーは頼りになる。
改めて飯田は思った。
自分ひとりだと、動揺して何をしていいか分からなかっただろう。
いや、保田だけではない。
安倍や矢口も本当によく助けてくれる。
仲間って大事だな、とつくづく思う。
セットのほうに目をやると、安倍や矢口だけでなく、後藤や吉澤や石川も幼いメンバーを励ましているのが見えた。
その光景を見て顔がほころぶ。
うん、大丈夫だ。どんな事があっても仲間がいれば。
みんながいれば辛い事だって乗り切れる。そう思った。
でもすぐに、そんな考えはやっぱり甘かったと思い知らされることになった。
- 51 名前:4 投稿日:2002年02月12日(火)01時25分39秒
- 楽屋から煙が出ていたのを見つけたのはマネージャーだった。
ちょうど時計の長針と短針が一直線に伸びた時間。
燃えていたのは高橋のかばん。
もちろん楽屋には誰もいなかったし、鍵だって掛かったまんまだった。
幸い他には畳が少し焦げた位の被害しかなかった。
それでもやはり、精神的なショックが大きかった。
誰も彼も気が抜けたように無表情だった。
当の高橋も、いつも驚いたように見える大きな目をさらに見開いて、
ただ立ち尽くしていた。
さすがに事務所もこの事態に危機感を感じたのか、その日の予定は全て中止。
とりあえずみんなすぐに家に帰るよう言われた。
しかもこの事務所にしては珍しくタクシーまで呼んでくれるそうだ。
いつもこのくらいしてくれればいいのに。
不謹慎だとは思いつつ、心の中で悪態を吐く。
タクシーがくるまで少し時間がある。
緊張していたせいか、今ごろになってのどが渇いてきた。
飯田は後ろから声をかけてついてきた矢口とともに、自動販売機を目指した。
- 52 名前:4 投稿日:2002年02月12日(火)01時26分24秒
- 「今日、辻はどうすんの?」
「あ、今日はあたしが連れて帰るよ」
「大丈夫? カオリかなり参ってそうに見えるけど」
「うん、大丈夫。しばらく泊まってたから、辻もうちが一番落ち着けるだろうし」
「そっか。うん、そのほうがいいかもね。
辻が泊まってたころってカオリも調子よさそうだったもん」
そこまで話をして、今日一日ほとんど辻を見ていなかった自分に飯田は気付いた。
あんな事があって、誰よりも不安な気持ちでいたはずの辻。
それなのに、その姿は全くと言って良いほど記憶に残っていない。
まるで無意識のうちに見るのを避けたかのように。
軽く首を振って嫌な考えを追い出す。角を曲がると自動販売機の明かりが見えた。
その前にはいくつかの影があり、ひそひそとしゃべる声が聞こえた。
「あんた達何話してるの?」
「あ、飯田さん」
影がその顔を上げる。そこにいたのは後藤、吉澤、石川の三人だった。
- 53 名前:4 投稿日:2002年02月12日(火)01時26分54秒
- 「あのですね。あたし達は勇者なんですよ」
「へ?」
吉澤の言葉に思わず飯田の口から間抜けな声が漏れる。
昔からとっぴな発言の多いコではあったが、最近その傾向が顕著になってきていた。
隣の矢口と顔を見合わせる。
「勇者ですよ、勇者。ほらよくゲームとかに出てくる」
「いや、よっすぃー。何言ってるか分かんないから」
矢口の言葉に吉澤は首をひねる。
「えー、カッケーじゃないすか。勇者」
「だから勇者って何だって聞いてんだろ!」
「いや、違うんです。そうじゃなくて」
暴走する吉澤をはらはらと見守っていた石川が、耐え切れなくなったのか口をはさむ。
「わたし達、辻ちゃんのこと話してたんです」
- 54 名前:4 投稿日:2002年02月12日(火)01時27分49秒
- どうやら三人とも今日の一件が気になっていたらしく、自分達で犯人を見つけようと
いろいろと考えをぶつけ合っていたらしい。
「ね、困ってる人を助けるのって勇者じゃないっすか」
「いや、間違ってるってよっすぃー。勇者って魔王とか倒したりする人だろ」
「あー、じゃあ魔王は中澤さんで」
「なんでだよ!」
さすがは失礼天然1号。はあ、と飯田はため息をついた。
「気持ちは嬉しいけど、そんなこと考えるのやめときな。
これは遊びでもドラマでもないんだから」
「そうだよ、こういうことは事務所の人に任せて……」
「駄目だよ!」
強い口調で後藤が口をはさむ。
「だって……辻が可哀相だよ」
真剣な顔つきの後藤に誰も何も言えなくなる。
「辻は……まだ…中学生なんだよ……。なのに……こんな目にあって……」
「後藤……」
「なっちも高橋も……ううん、あたし達だって……みんな酷い目にあわされた。
あたし許せない。こんな事したヤツ絶対に許せない!」
めったに怒ったところを見せない後藤の怒りに、おちゃらけていた吉澤の顔も引き締まり、
石川の眉が八の字に下がる。
飯田はゆっくりと眼を伏せた。
- 55 名前:4 投稿日:2002年02月12日(火)01時28分35秒
- とにかく今日は家に帰るよう後藤を説き伏せてタクシーに押し込む。
今日は辻も連れて帰らなくてはならない。
先に帰らせてもらうことにして、辻を楽屋に呼びに行く。
ひとり残っていた辻は、ぽつんと足先を見つめて座っていた。
最後まで残る事になった保田と矢口に悪いと思いつつ、辻とともにタクシーに乗り込む。
タクシーの中でも辻は口を開かなかった。
ただ、じっと前を見つめていた。
その隣で飯田も自分の考えに沈みこんでいた。
さっきの後藤の言葉が胸に突き刺さる。
あんな後藤を見るのは珍しい。それだけ辻の事を心配しているのだろう。
自分はそこまで辻のことを思っていただろうか?
もちろん心配してはいる……でも……。
昨日の夜、加護から聞いたあの言葉が頭から離れない。
ずっとそれが心に引っかかっていた。
- 56 名前:4 投稿日:2002年02月12日(火)01時29分21秒
- 部屋に戻っても会話はなかった。
何か食べる?と聞いてもただ首を振るだけ。
今日は早く寝かせたほうがいいのかもしれない。
そう思い、お風呂にお湯を張り先に入らせる。
ひとりになって、ふうと息をつく。
しばらく感じることのなかった痛みを胃の辺りに感じた。
薬を飲もうとしてバックをあける。
そこには短冊状の白い紙。
──そっか。ついつい持って帰っちゃったんだ。
その白い紙が悪意の象徴のように思えた。
しまおうとして、ふと気が付いた。
紙の切り口がいびつになっているところがある。
しかも、まるでジグソーパズルのように、その切り口がそれぞれぴたりとあう。
どうやらこの紙切れは、もともと一枚の紙をいくつかに切り離したものであるようだった。
別に深い意味があったわけではない。
なんとなく、飯田はその紙を一つに並べてみた。
すでに捨てられたものは別の紙に書いたものだし、くしゃくしゃに丸められたものも
あったが、どうにかきれいに並べる。
- 57 名前:4 投稿日:2002年02月12日(火)01時30分20秒
- 『ははは またかじがおきただろ み』
『んなおれのいういことをきけ たま』
『にはふぁんさーびすするのもいいも』
『んだぜ きょうのごご6じに おれ』
『はまた かじを おこす 』
『つじのかじだけじゃない あべのか』
『じだけじゃない もっと もっと 』
「うそ……」
一文字目を拾って読んで、飯田の体が固まった。
偶然であるとは思えなかった。
不自然な文章の切り方も、これが目的だったなら理解できる。
なぜ、自分は辻の事を見ようとしなかったのか。
加護の電話。
安倍の家が火事になった日。その報告を聞く前に受けたあの電話。
そのときのあの言葉。
──それで、その時ののこんなことも言ってました……
『また火事が起こればいいのに……』って
- 58 名前:5 投稿日:2002年02月19日(火)23時22分27秒
――― ―――
背後でカタッという物音がして、飯田はビクッと体を揺らした。
振りかえると、パジャマ姿の辻が申し訳なさそうな表情で立っていた。
飯田はとっさに短冊状の紙をかき集め、辻の目に触れないように背中に隠した。
「飯田さん」
「‥‥どうした、辻?」
「飯田さん‥‥眠れないんです」
一緒に寝ようか、という言葉が喉元まで出かかっていたが、飯田はそれを無理やり押しこめた。
今夜は一人でじっくり考えたい事がある。
「コレ‥‥使ってみてもいいですか?」
辻の手の中には、辻の使っている部屋に置いてある、テレビ番組の景品でもらったアロマオイルの小ビンがちょこんとのっていた。
「いいよ‥‥使い方わかる?」
アロマオイルは付属の加熱器で熱しなければならない。
もし、使い方を知らないのなら教えてあげなければ、そう思い、飯田は辻に尋ねた。
「はい、わかります」
神妙な顔で辻が頷く。
- 59 名前:5 投稿日:2002年02月19日(火)23時23分23秒
「‥‥辻‥‥」
飯田は辻のその表情を見ると、何故か心がざわついて、思わず声をかけてしまう。
「何ですか?」
辻は不思議そうに首を傾げる。
しかし、結局、飯田は何も言えなくて、モゴモゴと言いよどみ、長い睫毛を瞬かせた。
「‥‥ごめん、何でもない。‥‥おやすみ」
「おやすみなさい」
辻はニコッと八重歯を見せて笑うと、ペコッと頭を下げた。
辻が隣の部屋に消えるのを見送りながら、飯田は自分に言い聞かせた。
私は疲れているんだ。
そうに違いない。
あの愛らしい辻を疑うなんて。
もし、仮に辻が犯人だとしても、あのような脅迫文を送るようなまどろっこしい手段を使うだろうか。
ありえない。
飯田はふるふると軽く首を振り、大きなため息をついた。
- 60 名前:5 投稿日:2002年02月19日(火)23時24分17秒
辻がオイルを火にかけたのだろう。
アロマ独特の甘い香りが隣のドアの隙間から漂ってきた。
辻に蝋燭の火の始末について言及してなかったことに気づいた飯田は、その事を辻に伝え ようと隣のドアのノブに手をかけた。
しかし、ドアはちゃんと閉まってなかったらしく、少し押しただけでス−っと開いてしまった。
「つ‥‥‥」
辻、と声をかけようとした飯田の声は途中で止まってしまう。
明かりを消した部屋の中で、辻は布団の上で上半身を起こしたまま、テーブルの上に置かれたアロマオイルを見つめている。
いや、正確には、アロマオイルを熱している蝋燭の炎が室内の微風に揺れ、左右に動く様をうっとりと見つめている。
その表情は、まさに、恍惚。
この蝋燭の炎を食入るように見つめている辻は、私の知っているあの辻希美なのだろうか?
辻はドアが開き圭織が自分を見つめているのにも気づいていない様子だ。
飯田は唖然と立ち尽くした。
- 61 名前:5 投稿日:2002年02月19日(火)23時25分04秒
――― ―――
「後藤、吉澤、石川は無事帰宅。‥‥加護も無事に家に着いたみたい。‥‥矢口の方はどう?」
安全確認のため、矢口と分担してメンバーの携帯に連絡を取っていた保田は、加護との通話を切った後、隣の席に座っている矢口に声をかけた。
「んー‥‥高橋、小川、新垣、紺野も家に着いたって。なっちは帰りのタクシーの中だってさ」
テーブルに突っ伏していた矢口はノロノロと顔を上げ、保田の顔を見つめた。
矢口の顔も保田の顔も疲れきっていた。
矢口が着けている明るいグリーンのパーカーでさえも色あせて見える。
「‥‥加護は大分参っているっぽいよ。電話の声も元気なかったし。今日の収録だってかなり辛そうだったもん。辻と加護は一番の仲良しだもんね」
保田の耳に『おやすみなさい』という加護の電話ごしの元気のない声が残っている。
- 62 名前:5 投稿日:2002年02月19日(火)23時25分39秒
「ムカツク。こんな悪戯するヤツなんか‥‥圭ちゃんじゃないけど、本気で刺してやりたいよ」
矢口が小さな体を震わせて、高い声で叫んだ。
「‥‥悪戯ならいいんだけど」
保田は心持ち顔を俯かせ、低い声で呟いた。
「圭ちゃん?」
「‥‥底抜けの悪意を感じるよ。‥‥みんなを驚かせたくなかったから伏せていたんだけど、楽屋にコレが落ちていたんだ」
保田は身に着けているジャンパーのポケットから、クシャクシャに丸められた厚手の紙を取り出し、矢口の手のひらに置いた。
「‥‥何、コレ‥」
見れば見るほどに今朝楽屋で見た脅迫状を彷彿させて、矢口の胸にふつふつと嫌悪感を沸き起こってくる。
矢口は眉をひそめ、保田の顔と自分の手のひらの上の紙を交互に見た。
「‥‥言っておくけど、あたしじゃないわよ。‥‥最初からこんな風に丸められていたんだから」
保田の言葉に、矢口は渋々といった様子で頷くと、丸められた紙を伸ばしていく。
その厚手の紙は、どうやら写真のようだ。
矢口は皺だらけのその写真を見て、喉の奥で唸った後、一言、最低、と言った。
- 63 名前:5 投稿日:2002年02月19日(火)23時26分20秒
「‥‥とりあえずマネージャーには一応見せておいたけどさ。‥‥事務所としては警察沙汰にはしたくないみたいで、黙ってろって言われたけど。‥‥すごく嫌な気分なんだよね。だから‥‥悪いと思ったけど、矢口に見せたんだ」
そう言うと、保田は落ち着かない様子で、視線をキョロキョロとさまよわせた。
「‥‥‥」
矢口はきゅっと唇を噛み締め、グッと拳を握り締める。
その拍子に伸ばした写真が再びクシャっとなってしまったが、そんな事気にしていられなかった。
「‥‥こうなると、あの脅迫状もちゃんと調べなきゃ、だね。‥‥とにかく、犯人は身近にいると思う。じゃなきゃ、メンバーの家に脅迫状を送りつけることなんてできっこないし。‥‥今日の火事だって‥‥楽屋のカギ持ってりゃ、火をつけることは可能でしょう?‥‥そう考えていくと、楽屋のカギをコピー可能な人間は限られてくると思うんだよね」
「‥‥スタッフの中にいるってこと?」
「それと‥‥考えたくないけど‥‥メンバー‥‥ね」
保田はそう呟くと、腕を組んで目を閉じ、考えこんでしまった。
矢口もつられたように、んー、と唸りながら保田の言ったことを頭の中で整理する。
- 64 名前:5 投稿日:2002年02月19日(火)23時27分02秒
「ひゃぁっ」
いきなり、背後から肩を叩かれた矢口は、大きな悲鳴をあげ、座っていた椅子から転がり落ちた。
保田も驚いたように目を大きく見開いている。
「な‥‥なっちぃ」
矢口はよく見知った顔を見つけて、安堵の声を上げた。
「‥‥そんなに驚かなくったっていいっしょ」
コート姿の安部はあきれたように肩をすくめ、床に寝転がる矢口を見ている。
「いきなり人の後ろに立たないでよ。びっくりするじゃんか」
保田に手を貸してもらって、立ち上がった矢口は安部を睨みつけた。
「今日の矢口は怒りんぼさんだねぇ」
「そういう問題じゃないっ」
矢口がジタバタと地団駄を踏むと、金髪の髪がピョンピョンと揺れた。
- 65 名前:5 投稿日:2002年02月19日(火)23時28分29秒
「‥‥なっち‥‥帰ったんじゃなかったの?」
保田は再び自分が座っていた椅子に腰掛けながら尋ねる。
心持ち、安部を見つめる眼光が鋭い。
「それがさぁ、ホテルに着いて、タクシーの運転手さんにお金払おうとしたら財布がなくってさ。なっち、焦っちゃって、そんで、財布楽屋に忘れたぁと思って、取りに戻ってきたの。一応、楽屋のドアを開けるときノックもしたよ。‥‥そしたら、二人とも腕組んで云々唸ってるんだもん」
「‥‥なっち、矢口達の話、どこから聞いてた?」
「ん?‥‥なっち、今来たばっかりだけど。‥‥矢口、何ソレ?」
安部の目は矢口の右手に握られたままの、皺だらけの写真に向けられている。
矢口が困ったように保田の顔を見ると、保田は肩をすくめ、小さく頷いた。
- 66 名前:5 投稿日:2002年02月19日(火)23時29分07秒
「‥‥楽屋にあったって」
矢口は安部に写真を見せた後、消え入りそうな声で説明する。
「‥‥‥」
安部は蒼ざめた表情で、その写真をじっと見つめている。
「なっち?」
「どうかした?」
「‥‥‥そういえば、あの燃えた高橋のカバン‥‥あれって、高橋が圭織からもらったものだったよね」
写真から視線を上げると、安部は弱々しく呟く。
「あ‥‥‥」
安部の言葉に、保田と矢口は顔を見合わせた。
- 67 名前:5 投稿日:2002年02月19日(火)23時29分50秒
――― ―――
「面白くないっ」
真希は部屋の中央に置いてあるソファーに寝そべり、すらっと伸びた両足をジタバタとばたつかせた。
そのせいで、部屋中に真希の足の動きで発生した小さな埃が舞いはじめる。
「ごっちん、うるさいよ。さっきから同じことばっかり言ってさ。たまには違うこと言ってよ」
フローリングに敷かれたカーペットの上に直接腰を降ろした吉澤は、真希の動きを横目で見ながら、舞い上がった埃を手で払った。
「だって、そう思わない?今日だって、さっさと帰れって感じだったじゃん。うちら頼りにされてないんだよ」
後藤はソファーから身を起こし、ギッと部屋のカーペットの上に仲良く並んで座っている二人を睨みつけた。
「‥‥確かにソレは否定できないけどぉ、保田さん達も、きっとあたし達のことが心配なんだと‥‥」
「否定してよ。梨華ちゃんのバカっ」
- 68 名前:5 投稿日:2002年02月19日(火)23時30分48秒
「‥‥でもさぁ趣味が悪いよね。あの脅迫状。センスを感じないもん」
真希に馬鹿呼ばわりされ、石川はムッとした表情を浮かべたものの、気を取りなおし、隣に座る吉澤に話しかけた。
「あー‥‥それは言えるね」
吉澤がのんびりと相槌を打つ。
「後藤、考えたんだけど‥‥犯人はうちら全員の住所を知っているってことだよね?」
「あ‥‥そうかぁ」
吉澤は眠そうに大きなあくびを一つすると、のんびりと相槌を打った。
「‥‥怖い」
梨華が隣に座る吉澤の腕にしがみ付き、震える体を押しつけた。
吉澤が大人しく石川にしがみ付かれるままになっているため、石川と吉澤は一緒になって震えている。
- 69 名前:5 投稿日:2002年02月19日(火)23時31分18秒
「‥‥あのさぁ‥‥人の目の前でいちゃつかないでくれるかなぁ。‥‥こっちは珍しく真面目な話をしてるってのにさぁ」
「‥‥ごっちんはどうしたいわけ?」
石川に抱きつかれたまま、吉澤がのんびりと尋ねた。
「決まってるじゃん。犯人を捕まえるの。うちらの手で」
「どうやって?」
「ソレを考えるために、わざわざ梨華ちゃん家に集合したんでしょっ」
そのために、保田からの電話に、皆で口裏を合わせて、家に帰ったとウソをついたのだ。
「‥‥ごっちんが強引に、あたしのマンションに集合って言い出し‥‥」
「かっけー。いいよ、それ。」
吉澤の眠そうな目がかっと見開いた。
「‥‥よっすぃ〜‥‥」
後藤に反論しようとした所を吉澤に遮られて、石川は長い睫毛を瞬かせ、悲しそうに目を伏せた。
- 70 名前:5 投稿日:2002年02月19日(火)23時31分51秒
「うちら勇者だもんね。」
「こんなにやる気になったのって、久しぶりだよ。犯人を引きずり出すんだぁ。あたし達の目の前に。圭ちゃん達に目にモノ見せてやるんだから」
「‥‥それって、単に保田さんにいい所見せたいだけなんじゃ‥‥」
「何か言った?」
「‥‥別に‥‥何も」
後藤に軽く睨まれ、石川は再び悲しそうに目を伏せ、小さく鼻をスンと鳴らした。
「じゃあさ、名前決めようよ。うちらのグループ名」
吉澤が弾んだ声を出す。
「んー‥‥けっこう仮面とか」
「ごっちん‥‥頭隠して尻隠さず‥‥だよ?」
「あっ、そうか」
石川の言葉に、後藤は素直に頷いた。
- 71 名前:5 投稿日:2002年02月19日(火)23時32分38秒
「美少女戦士セーラーモーニングってのは?」
「‥‥よっすぃ〜‥‥セーラー服着けるの?」
「衣装さんに頼んで用意してもらってさぁ。きっと可愛いと思うんだぁ」
吉澤は大きな目をキラキラと輝かせた。
「駄目だよそんなの。目立っちゃうじゃん。うちら目立っちゃ駄目なんだよ」
後藤は吉澤にそっけなく言い放ち、ソファーから立ち上がると、カバンからノートを取り出し、鉛筆で『作戦会議』と書き込んだ。
「もう、面倒くさいから、グループ名は梨華ちゃんが決めてね」
後藤はチラッと石川に振り向くと、こともなげに言った。
「えー‥‥」
「それでは、作戦会議に入ります」
石川の抗議の声を無視し、顔をキッと引き締め、後藤は高らかに、そう宣言した。
- 72 名前:5 投稿日:2002年02月19日(火)23時33分12秒
――― ―――
結局、飯田は辻に声をかけることができないまま、まんじりともせず過ごし、隣の部屋とのドアの隙間から蝋燭の炎が消えたのを確認した後、自分の布団に潜り込んだ。
真っ暗な部屋の中、飯田は布団の中で一人考える。
「‥‥それで、その時ののこんなことも言ってました‥‥『また火事が起きればいいのに‥‥』って‥‥」
電話ごしに聞いた加護の言葉。
『‥‥‥はい、それじゃ‥‥』
テレビ局で辻が隠れるようにトイレでかけていた電話。
メンバーに送られた不自然な脅迫状。
そして―――蝋燭の炎を見つめる辻の恍惚の表情。
辻はもう寝てしまったのだろう。
隣の部屋からは物音一つしない。
胃がキリキリと悲鳴をあげ、飯田は、うー、と呻き声を出しながら、寝返りをうった。
多分、今夜も眠ることはできないだろうと確信しながら。
- 73 名前:6 投稿日:2002年02月22日(金)02時30分37秒
- ベッドの下にひかれた布団で深い寝息をたてる後藤と、隣で眠る吉澤を、
どうしても眠れなかった石川は息をひそめて見つめた。
喉がからからに乾いていた。
石川は彼女達を起こさない様に部屋から抜け出して、キッチンに立った。
水道から流れる水をコップに受け止めて、石川は薄暗い部屋を見渡した。
石川は火事にあった事がない。だから辻の痛みは分からない。
だがそれは辻が痛がっている事が分からない訳ではなく。
ざぁざぁと流れ出る水道の水が煩くて、きゅっとカランを閉めた。
後藤が犯人を許せない気持ちもよく分かった。
しかし石川の頭には拭いきれない恐怖の方が大きかった。
連続放火だとしたら。そして、それがモーニング娘。を狙っているものだとしたら。
次は誰かの家かもしれない。次は、自分の家かもしれない。
背筋の凍る話だった。
辻や安倍が、高橋が、被害にあっててもどうでもいいのかと問われたら、
どうでもいいわけではない。
だけど、自分達が動いてまた新たな被害が出る方が石川には恐かった。
犯人退治なんて、忘れてくれないかな…?
深いため息を水と共に飲み込んで、石川はベッドに戻った。
- 74 名前:6 投稿日:2002年02月22日(金)02時31分32秒
- 体が濡れているのが気持ち悪くて飯田は目を開けた。
暖房が効き過ぎているのではなく、目を閉じると考えてしまう嫌な想像の所為だった。
時計を見ると、先程時計を見てから15分程度しか進んでいない。
「嫌だ……」
すっかり湿ってしまったパジャマを脱いで、着替えていると、
ドアのノック音が耳に届いてきた。
「ちょっと待って」
急いで着替えを終らせて、ドアを開けると辻が立っていた。
「どうしたの?」
自分はちゃんと笑えているだろうか?
優しい眼差しで、辻を見られているだろうか?
「飯田さん、あの…これ」
明日にでも返してくれればいいのに、
辻はアロマオイルのセットをおずおずと差し出した。
飯田は仕方がないな、と笑って辻の頭を撫でた。
「眠れなかった?」
コクン。頷く辻がどうしようもなく愛おしい存在に思えた。
- 75 名前:6 投稿日:2002年02月22日(金)02時32分19秒
- 飯田は、先刻から考えていた想像も、あのメモの縦書きの部分も、
全部下らない嘘の様に思えてきた。
もう、今夜は考えるのを止めようと思った。
疲れていると下らない考えばかりが浮かんでくる。
石川の様にネガティブ思考に陥ってしまうのだ。
「一緒に寝ようか?」
飯田が笑うと、辻は少し心配そうな顔を見せた。
「いいんですか?」
「もちろん」
辻の肩を抱いて、飯田は少し安心している自分を知った。
もしかしたら、辻よりも自分の方が一緒に寝る事が必要だったのかもしれない。
先刻よりもずっと暖かい温度が布団の中に広がった。
「飯田さん」
「ん?」
辻の手が、飯田の頬に触れた。
「ごめんなさい」
- 76 名前:6 投稿日:2002年02月22日(金)02時32分57秒
- 「なんでだよぉ」
わざと明るい声を出した。
辻の手が少し震えていたから、ふざけた振りして抱き締めてくすぐった。
「きゃぁっ」
楽しそうな声を上げて辻が布団の中で身をよじった。
「ほら、寝るのっ」
「飯田さんがやったんじゃないですかぁっ」
笑い声が布団の中でくぐもって聞こえた。
飯田は辻が呼吸が整うのを待って、
「ほら、寝るよ」
笑いながらそう言った。
「ぁい。おやすみなさい」
飯田の小指を握ったまま、辻はすぐに規則的に息をした。
早いなぁ。
笑いをかみ殺して、飯田は辻の呼吸に合わせて自分も眠ろうと試みた。
- 77 名前:6 投稿日:2002年02月22日(金)02時33分35秒
- 仕事はどうあってもやってくる。
それは13人全ての肩の上にのしかかっていた。
「おはよぉー」
「はよ」
矢口が楽屋に入ると保田が既に机の前に座っていた。
紙コップの中にある珈琲の量で、彼女が大分前からここにいた事を物語っていた。
「圭ちゃん、何時から来てたの?」
「ん?三十分ぐらい前かな。今日は珍しく早く起きたから」
保田の前に座って、矢口は顔を少し引き締めた。
「ねぇ圭ちゃん。辻って昨日は圭織の家でしょ?」
「うん」
保田には、少しだけ矢口の言いたい事が分かった気がした。
しかし、それには気付かない振りをして違う話題を切り出した。
「今日はさ、この部屋でマネージャー待機してるらしいよ」
「ふーん。やっぱり心配だしね」
矢口は「ジュース取ってくるね」と立ち上がって
楽屋から出ていった。
保田はまだ来ていない飯田に、どんな顔をすればいいのかまだ悩んでいた。
- 78 名前:6 投稿日:2002年02月22日(金)02時34分12秒
- 朝から絶対に犯人を見つけてやるんだと意気込む後藤を、
石川は相変わらず悲し気に見つめていた。
「梨華ちゃん?」
少し前を後藤と共に歩いていた吉澤が振り向いて石川に声をかけた。
「もー!梨華ちゃんたら早くっ」
後藤が振り向いて石川をはやし立てた。
「分かったよぉ」
小走りで追い付いて、石川は眉を八の字にして笑った。
後藤のやる気は朝起きてもなくならず、寧ろ昨晩から倍増していた。
「あ、梨華ちゃん。グループ名決めた?」
「まだ……」
唇を尖らせる後藤をはぐらかして、
石川はトイレに行ってから楽屋に行くと言ってその場から逃げだした。
- 79 名前:6 投稿日:2002年02月22日(金)02時36分00秒
- 吉澤と一緒に入ってくる後藤を見て、保田は眉をひそめた。
「あんた達、なんで一緒に来てるの?」
「えー?べっつにぃ」
わざとらしい返事をする後藤は見ずに、保田は吉澤に声をかけた。
「ねぇ、吉澤。石川はどうした?」
「今、トイレ行ってる」
「あっ!よっすぃーの馬鹿っ!」
後藤と吉澤の頭を平等の力で叩いて、保田は楽屋から外に出た。
「あれぇ?どっかいくのぉ?」
廊下の端からやってきた矢口に笑顔を見せて、保田は
「トイレ」と口だけ動かした。
保田がトイレに向かう途中で、加護を見つけた。
「加護。おはよ」
声をかけた保田には気付かず、加護は階段に続くドアの中へと消えていった。
何処か挙動不振な、少し焦った顔をしていた加護を追い掛けようか、
迷っていた保田の耳に、高い、か細い声が届いてきた。
「保田さん……」
石川が涙で瞳を潤ませてそこに立っていた。
- 80 名前:6 投稿日:2002年02月22日(金)02時36分42秒
- 石川は、トイレの個室で深いため息をついた。
結局、このまま自分達は犯人探しに乗り出すのだろう。
それをとめる事は、自分には出来なかった。
3人の中で一番年上だったとしても、自分の立場は弱かった。
「嫌だなぁ…」
いつも少しだけ下がっている石川の眉がもっと下がっていた。
カタン、と音がして誰かがトイレに入ってきた。
カチン、カチン、と音が聞こえてそれが気になった。
いつもなら誰かがいると出るのを躊躇するが、
この時はどうしてもその音が気になって、石川は個室から出た。
そこにいた見覚えのある少女に、石川は呼び掛けた。
「あいぼん?何、してるの?」
加護が振り返った拍子にガタンッとゴミ箱が倒れた。
「あいぼん…それ、何?」
石川は、自分の顔から血の気がひくのを妙にリアルに感じた。
これは、夢?
なんでそんなものをあいぼんが持ってるの?
石川から逃げる様に加護が走り出した。
「あいぼんっ」
思わず追い掛けようとした石川は、結局追い掛けなかった。
- 81 名前:6 投稿日:2002年02月22日(金)02時37分26秒
- −−今、私は何を考えた?
凄く酷い事。こんな考えを浮かべる時点で私は裏切り者だ。
だけど。
石川は考えた。
−−だけど、どうして今まで考えなかったのだろう。
石川は頭を横に振って、考えない様にしようと試みた。
−−簡単な事じゃない?
犯人が、メンバーなら辻褄があうんじゃない?
石川の思考は、止まらなかった。
加護の顔が何度も石川の瞼の裏側に浮かんだ。
「石川梨華の、馬鹿っ!」
自分で自分の頭を叩いて個室に戻ると、鞄を手に取った石川は
加護の落としていったものを鞄にこっそりしまった。
誰に言えばいい?
石川の頭に浮かんできたのは後藤と吉澤。
彼女達に教えたら、犯人探しを止めてくれるかな?
石川は首を横に振った。
とにかくここから出よう、と石川はトイレから出た。
少し離れた場所にいる保田を発見して、石川は保田にすがりつく思いで声をかけた。
「保田さん……」
- 82 名前:6 投稿日:2002年02月22日(金)02時38分16秒
- 「石川、どした?」
いつもの表情で保田が石川に話し掛けた。
石川は保田の服の袖を引っ張って廊下の端へと連れていった。
「あの、これ」
石川の手の中に光るライターを見て、保田は顔をしかめた。
「ライターなんて、なんで持ってるの?」
「これ…あいぼんが持ってたんです。
なんで持ってるの?って聞いたらあいぼん逃げちゃったんです」
石川が泣きそうになりながら保田に言った。
「あの時のあいぼん、普通じゃなかった!どうしよう、もしあいぼんが」
「石川っ!」
保田が加護や辻が悪戯をしてる時にする恐い顔を見せて石川を叱った。
「メンバーを疑うなんてしちゃいけない!
大体、加護は辻の時も、なっちの時も、自分の家にいたんだよ?」
「……」
石川が俯くと、保田はライターを自分の手に収めて石川の肩を叩いた。
「楽屋に戻ってな。これは、内緒にしとくんだよ?」
「……はい」
保田はまだ暗い顔を見せる石川を置いて、階段へと向かった。
- 83 名前:7 投稿日:2002年02月26日(火)03時00分38秒
- その日の仕事は特に変わったこともなく、無事に終了した。
ただ石川だけは心ここにあらずといった感じでだった。
それも、イタズラで出されたニワトリのはく製に気が付かないほど。
それほどトイレで見かけた加護のことが気になって仕方なかった。
仕事中でも楽屋でも、加護の方すら見ることができなかった。
それに比べると保田は何事も無かったように振る舞っている。
楽屋の鏡に向かって座り、今日一日で濃くなった目の下のクマを気にする。
「はぁ…ダメじゃない…ポジティブポジティブ!!」
その背後に忍び寄る2つの影、といっても怪しいものではない。
「今晩も梨華ちゃんのところね」
「時間も昨日と同じね」
後藤と吉澤、このところ石川が振り回されている2人。
飯田や保田らに気づかれないように石川の耳にささやくと、さっと離れていく。
石川、反論のタイミングを逃してしまう。
- 84 名前:7 投稿日:2002年02月26日(火)03時01分39秒
- それから約1時間後。3人はファミレス…保田のマンションを見渡せる場所にある…にいた。
目立たなくて窓際、そして保田の部屋がよく見える席を陣取り、3人はひそひそと話をしていた。
「やっぱりさ、犯人は懲りずにまた放火を起こすと思うわけ。だから、こーやってメンバーの部屋を見張るの」
「さすがごっちん、カッケー!」
「で、でもメンバーって13人もいるし、それに何時起こるかわからないよ…」
「「梨華ちゃん!」」
石川の言葉に一瞬場が静まり、冷たい視線が石川を襲う。
「だから次のターゲットは保田さんだってば」
「なんでそんなことがわかるの?」
「ごとーの勘。でも、根拠だってあるんだから」
チョコレートパフェを長いスプーンでこねくり回しながら、自信満々に答える後藤。
- 85 名前:7 投稿日:2002年02月26日(火)03時03分51秒
- 「今度の新曲の振り、いまいちだと思わない?」
後藤の言葉に頷いた吉澤が、追加のベーグルを手に取りながら言う。
「ムンライみたいな感じするならまだしも、今回のはちょっと、って気がするね」
ひとみちゃん一番オイシかったからね、と反論しようとする。
が、自分その前はメインだったのを思い出して、こらえる。
「…でさ、理由考えたんだけど。やっぱ人が多すぎるからでしょ」
後藤の言葉に青くなる石川。そんなことを軽々と口に出すなんて…。
今朝の加護といい今の後藤といい、メンバーの本心をかいま見た気がして、ゾッとした。
「ウチらは大切なメンバーを減らしたくない。けど、ファンの人は減らしたほうがいいと思ってるんだって」
少しほっとする石川。でも、なんでそんなことを知ってるの?と疑問に思う。そして口に出しづらいことも。
「…って、それで保田さんなの?」
「そだよ。だって、インターネットにそう書いてあったんだもん」
あっけらかんと言う後藤。ガクッ、と脱力する石川。
「あと、よく見えるファミレスがあるってのも理由だけどね」
「ごっちん、それが一番の理由でしょ」
吉澤がベーグルをほおばりながら答える。
石川、さらに脱力する。
- 86 名前:7 投稿日:2002年02月26日(火)03時06分04秒
- 見張りという名の雑談が続く。
年頃の女の子が3人も集まっているのだ。話題はつきない。
ファッション、食べ物、テレビ、その他諸々。
この時だけは、ここ数日の事件を忘れるくらい楽しい時間が流れていた。
吉澤が保田の部屋に向かう小さな人影を見つけるまでは。
「あれ、あいぼんじゃないの?」
「あの体型は新メンじゃないし。辻か加護…たぶん加護でしょ」
後藤も吉澤の指す方向を見てつぶやく。
「なんでここにいるんだろ。それも1人で」
石川が恐る恐るのぞき込んだ窓の向こうには、確かに加護そっくりな人物が歩いていた。
鼓動が速くなる。トイレに落ちていたライターが脳裏によみがえる。
「ね、行こう!あいぼんを止めよう!」
立ち上がって2人の手を引く石川の顔は、引きつっていた。
その雰囲気に圧倒される後藤と吉澤、目を丸くして顔を見合わせる。
- 87 名前:7 投稿日:2002年02月26日(火)03時07分57秒
- ファミレスを出て、加護と思われる人影を追う3人。
が、いくら近いとはいえ追いつくことはできなかった。
見ればその人物はすでに保田の部屋の玄関前に到着して、ポケットをあさっていた。
「…まさか、本当にあいぼん!?」
怖じ気づいて立ちつくす石川。
「ねえ、あいぼんがどーしたの?」
不審そうな表情で後藤が訊ねる。
あのときの加護の強い視線がよみがえる。そして、メンバーを疑った自分への嫌悪感も。
言ってしまおうか…。でも、保田さんには口止めされているし…。
しかし、事実は事実。それに、今ならまだ止められるかもしれない。
「あれ…いなくなったよ」
石川がウジウジしているうちに人影は消えていた。
「見てなかったの?」
「うん。ちょっと目を離した隙に…」
「じゃぁさ、圭ちゃんの部屋まで行ってみようよ」
後藤の提案は2対1の賛成多数ですんなりと実行されることに。
- 88 名前:7 投稿日:2002年02月26日(火)03時09分03秒
- 保田の部屋の前に到着した3人。扉に張り付いて様子を伺う。
しかし、中から物音がしているわけでもなく、異変は感じられない。
そのまましばらくじっとしている3人。
「どーしようか…」
「うーん…」
「ねえ、帰ろうよ…」
最後に出た石川の意見は却下されるが、他にいい考えがあるわけでもない。
再び沈黙。ただ時間だけが過ぎていく。
が、急に後藤が
「そうだ電話かけてみよ。圭ちゃん家に」
と言うのと同時に、携帯電話を取り出して電話をかけた。
後藤の後先考えない行動にハラハラする石川、それを見守る吉澤。
が、話し中らしい。肩をすくめて首を傾げるゼスチャーをする後藤。
もう一回、とかけ直そうとした瞬間、扉が勢い良く開いた。
「ちょっと!アンタ達なにやってるのよ!」
保田、いつも以上の迫力で3人に怒鳴りつけた。
- 89 名前:7 投稿日:2002年02月26日(火)03時11分12秒
- 床に並んで正座させられた3人。
そこから少し離れて、うつむいた加護も正座。
部屋の主の保田は、テーブルに腰掛けて腕を組んで4人を見下ろしていた。
「気になってもう一度電話してみたら、アンタ達3人がつかまらなくて
まさか!って心配していれば3人そろってコソコソと…。
なによこれは!!やめなさいって言われたでしょ!」
保田の説教にただただ縮こまるだけの3人。
「…ったく。で、なんでここにいたわけ?」
後藤と吉澤の視線が石川に集中する。捨てられた子犬のような目になる石川。
「やっぱり石川か…。アレは喋ってないのよね?」
その言葉にハッとして顔を上げる後藤と吉澤。加護はさらにうつむいたように見えた。
「圭ちゃん、アレってなに?」
「私たちに隠し事してたの?梨華ちゃんヒドイね…」
攻勢に出る2人。保田は失言にうろたえ、石川は首をブンブンと横に振る。
「…ア、アンタ達には関係無いことよ!」
「圭ちゃんってメンバーに隠し事するんだ…。だからいちーちゃんも…」
- 90 名前:7 投稿日:2002年02月26日(火)03時13分29秒
- 「ごっちん、これには深いわけがあってね…」
「梨華ちゃんは保田さんと深い仲なんだ。吉澤とは遊びだったのね!」
「失礼ね!私は石川よりも2丁目界隈の方が好みよ!」
「それ石川ショックです!だいたい保田さんが口滑らせるからこんなことに…」
口論は本題から逸脱しながらもヒートアップしていた。
「…もういいです。…もう、いいんですよ…」
その言葉に、一同は動きを止める。
石川ら3人が来てから初めて、加護が口を開いた。
いつものやんちゃな雰囲気は微塵もなく、その姿には悲壮感が漂っていた。
「加護…本当にいいの?」
「いいんです。全部自分が悪いんですから…」
「場合によっては娘。にいられなくなるかもしれないのよ」
「梨華ちゃんに見られたとき…いや、保田さんに気付かれたときから覚悟してました」
加護と保田の張りつめたやりとりから重い雰囲気が伝わってくる。
ライターの件を知る石川でなくとも、事の重大さを理解していた。
「アンタの反省の気持ちは十分わかったわよ。加護が自分で告白して、罪の重さを感じなさい」
「わかりました…」
加護が石川ら3人に向き直って、姿勢を正した。
- 91 名前:7 投稿日:2002年02月26日(火)03時15分00秒
- 「本当にすみませんでした。みなさんにご迷惑をおかけしました!」
それだけ言うと、加護は深々と土下座した。
呆気にとられる石川、手を掛けてまぁまぁと起こそうとする後藤。
「加護は、してはいけない事をしちゃいました。謝っても許されへんでしょうけど、
こうやって謝ることしかできへんのですわ。ホンマ、出来心だったんですわ…」
涙声に、関西弁が混じりだす。
いつもは標準語の加護だが、感情が高ぶったり本音が出るときは関西弁になるクセがある。
クセを知る石川。本心から出た関西弁が胸に迫り、涙が出てきた。
加護をあやすように抱く石川。
「そっか…つらかったんだね。同期でタンポポでもいっしょなのに気遣ってやれなくてゴメンね…」
「ええんですわ。ウチが…ウチが弱かっただけやし…」
「大丈夫だよ。まだやり直せるって!」
「梨華ちゃん…ありがとう。ウチはもう絶対、もう絶対吸わないから…」
「うん。あいぼん、もう絶対吸っちゃダメだよ……え!?」
- 92 名前:7 投稿日:2002年02月26日(火)03時16分35秒
- 「なーんだ、梨華ちゃんの早とちりだったわけね」
保田のマンションから駅への帰り道、一部始終を知った後藤がぼやく。
少し前、加護は仕事のストレスに耐えきれず、出来心でタバコに手を出したのだという。
それに気付いた保田が咎め、同時に2人の秘密とした。加護の喫煙はそこでいったんは収まった。
が、一連の火事騒ぎでストレスが溜まり、我慢しきれなくなったところを石川に見られたのだという。
「これでこの件は一件落着!良かったね〜」
吉澤が浮かれた気分で歩いていた。
「良くないよ。だってあいぼんがタバコ吸ってたんだよ。中学生がタバコだよ!」
「いんじゃない?もう吸わないって言ってるし」
「私なんか小6から娘。に決まるまで吸ってたよ」
「…え」
立ち止まる石川。
喫煙の低年齢化は娘。にまで浸食しているのか…。
そりゃ浜崎あゆみも怒るよな…。
あぁ、愛しいあの人、お昼はトイレで喫煙ですか?
そんな事が頭の中をぐるぐる回り石川は混乱する。
「でも、娘。になってから、それも仕事場のトイレで吸うなんて、それはマズイよね」
「そうそう、高校生じゃ無いんだからさ」
「ちゅーか、あいぼん中学生だし」
- 93 名前:7 投稿日:2002年02月26日(火)03時20分32秒
- 「見て見て〜この猫かわいかったんだよ。ほんと、連れて帰りたかったくらい!」
安倍が持ってきたメンバーの写真集を見ながら盛り上がっていた。
ここ数日ロクに寝られない飯田は、預かっている辻とどちらが保護されているのかわからないくらい憔悴していた。
リーダーとして辻を預かっているが、1人では限界に近かった。
散々悩んだ挙げ句、安倍にいっしょに泊まってくれるよう頼んだ。
安倍も被害者であるが、立ち直っていたようで頼ってしまった。
飯田の願いに二つ返事で了解してくれた安倍。すぐに飛んできてくれた。
人数が1人増えるだけで雰囲気は変わり、話もそこそこ弾んだ。
「ねぇねぇ、これ撮ったときの苦労話とか何か聞かせてよ」
「聞かせてください」
飯田がソロで、辻が加護といっしょの写真集の発売が決まっていた。
撮影の期待と不安からか、撮影の経験豊富な安倍を質問責めにする2人。
「うーん、裏表紙の写真とかかなぁ。ここの駐車場の代表って人がすっごい怖そうな人でね。
スタッフにいろいろと文句言ったりしてたんだ。
でもなっちのサインもらえる事になったらすっごい優しくなってね…」
- 94 名前:7 投稿日:2002年02月26日(火)03時21分30秒
- 辻を先に隣の部屋に寝かせると、飯田と安倍も明かりを消して布団をかぶった。
「なっち、今日はありがとね」
「うんん、いんだよ。なっちも寂しかったし」
テンションが上がり口数が増えた安倍を思い出した。
自分が不安で呼んだが、安倍には迷惑だったかもしれない。
安倍もまた、今回の被害者だ。私なんかよりもずっとつらいに違いない。
そう思うと、心がズシンと重くなった。思わずため息をついた。
静寂がその場を支配する。たまに車の通る音が聞こえてくるくらい。
身体は疲れているが、精神は過敏で眠れそうになかった。
耐えきれなくなって、飯田が口を開く。
「ねぇ、私たちいつになったら安心できるのかな…」
安倍も眠れないのか、静かに答えた。
「犯人が逮捕されるか…それとも…」
「それとも?」
「犯人の気が収まるまでは、安心できないんじゃないかな…」
「気が収まる?」
「高橋のカバンが燃えたあとはなにも起きていないじゃない。それで満足してるかもしれない」
「そっか…でも、もう起きないなんて、わからないよね」
「だよね。ちゃんと解決してもらいたいよ」
- 95 名前:7 投稿日:2002年02月26日(火)03時22分55秒
- 「そういえば、高橋の燃えたカバンってカオリがあげたものだよね?」
「うん。辻も欲しがってたけど。高橋の方が先だったから」
「で、辻には?」
「辻に?…お詫びにアイスおごってあげた」
飯田の言葉に笑い出す安倍。つられて飯田も笑い出す。
隣で寝る辻のことを思い出して、必死に笑いをこらえる。
「ねぇ、なっち目が覚めちゃった。寝られないや」
安倍が寝返りを打って飯田の方を向く。
暗闇の中で、安倍の瞳がキラキラ光っていた。
飯田は安倍の嘘に気付く。違う、ずっと目が覚めたままでしょ。
「なっち…」
布団から手を伸ばし、安倍の手を握る。
安倍も強く握り返す。その手は、思っていたよりも小さかった。
- 96 名前:7 投稿日:2002年02月26日(火)03時25分45秒
- 安倍がようやく寝静まったころ、今度は辻が起きてきた。
「飯田さん、お願いがあるんですけど…」
「どした、辻?」
「気分転換にコンビニ行きたいんですけど…いっしょに行ってくれますか?」
なっちを1人にしちゃって大丈夫かな、と思ったが、ようやく寝た所を起こすのは気が引けた。
かといって辻を1人で出歩かせることなど、もってのほか。
悩んだ末に、安倍が起きたときのための書き置きを残し、火元と戸締まりを確認して出かけることに。
もっとも、コンビニまでは徒歩2〜3分の距離。すぐ帰れば大丈夫だろう。
そう思って玄関を閉めて、鍵をかけた。
外は寒かった。辻が飯田の手を引いてリードしていく。
外の空気を吸って、少し元気になったようだ。
コンビニではお菓子と飲み物、それに加えて辻が選んだおでんを少々を買った。
ありがとうございました〜と気の抜けた返事を背中に店を出る2人。
行きと違うのは、手に持つおでんから上るぬくもりがあること。
ぬくもりがいとおしく感じて、うれしいような悲しいような複雑な気分になった。
「おでん、これから食べるの?」
「ちょっとだけです。それに、朝にでもいいかなと」
辻は微笑んで答える。
- 97 名前:7 投稿日:2002年02月26日(火)03時27分44秒
- 「飯田さん、明かりちゃんと消しましたよね…」
辻が飯田の部屋の方を見上げて言う。
「ガスもストーブも、電気も確認したけど」
飯田も言いながら見上げた。視界には、飯田の部屋の窓から微かに光が漏れている。
その光は、赤っぽくてゆらゆらと瞬いていた。
スイッチを確かに切ったことを、思い出す
…ということは?あれはなに?もしかして?そして寝てるなっちは?
飯田は駆け出した。
部屋に駆けつけると、まだ熱や煙は感じられなかった。
まだ燃え広がっていないのか、あるいは炎ではないかもしれない。
少しためらうが、勇気を出して部屋に入る。
「なっち!、なーっち!」
叫びながら土足のまま上がり込んで、ズンズン進んでいく。
熱も煙も、焦げた臭いすら無かった。恐れていたことではないのかもしれない。
しかしなっちの返事も無いのだ。不安にかられる飯田。
と、ドンドンという物音に気が付いてそちらの方を見る。
「なっち!」
ベランダの外に真っ白になった安倍の姿があった。
鍵を指さし、ガラスを叩き続ける安倍。
「安倍さん、閉じこめられたんですね」
辻が、なぜか冷静にベランダの鍵を開けた。
- 98 名前:7 投稿日:2002年02月26日(火)03時34分04秒
- 燃えたのはベランダに積んで置いた古雑誌だった。
幸い安倍の適切な消火が効いて被害は軽く、安倍も真っ白になった以外、怪我もなかった。
しかし、飯田の部屋は現場検証のため立入禁止となってしまった。
3人はホテルの1室…本来は安倍のための部屋だが…で夜を過ごすことになった。
「物音がして目が覚めたの、そしたらベランダに炎が見えたのね。で、あわてて消火器探して。
でも消火器ってすごいんだね。反動で振り回されちゃってさぁ〜。それで消化剤を頭からかぶっちゃった」
うんうん、と飯田は聞いているふりをする。
安倍が無理矢理テンションをあげているのはバレバレだった。
以前、自分の部屋が火事になったときと同じ状態。
こうしていないと不安に耐えられないのだろう。
警察からの情報では、火の気の無いベランダからの出火なのと、ベランダに閉じこめられた安倍、
そして割られていた窓から、何者かによる侵入と放火と推測されていた。
しかし、足跡など犯人が残したものはいまのところ見つかってなかった。
「犯人はまだ気が収まってないのかなぁ」
見上げた飯田の目に、少しずつ明るくなっていく空が映った。
- 99 名前:7 投稿日:2002年02月26日(火)03時45分00秒
- 翌日の仕事はそれほど早い時間ではなかった。
しかし、メンバーの表情は曇っていた。
ぼや騒ぎの当事者である3人はもちろん、
連絡に駆り出された保田と矢口もつらそうだった。
そして、なぜか加護と石川も神妙な表情で、後藤と吉澤もどこかよそよそしい。
もちろん、そんな雰囲気の中で新メンが明るくなれる訳もなく。
事務所もいつまでもこの状態をほっておけないと思ったらしく、
明日の予定はキャンセル。その先も長めの休みを取るべく交渉中だという。
事務所の考えもわかる。でも犯人を捕まえることが一番の解決方法なんじゃないの?
ぼやく飯田。無駄だとわかりながらも。
個別の収録がメインのこの日、飯田は早めに仕事が終了し、楽屋に戻った。
楽屋には矢口と保田が先に帰ってきていた。
飯田がイスに座ると2人が囲むように寄ってきた。
「あんな騒ぎのあとでアレなんだけど…これ見てもらいたいんだ」
そう言って保田が差し出したのはくしゃくしゃになった写真。
それを受け取って、ゆっくり広げていく飯田。
保田が高橋のカバンが燃えた日に楽屋に落ちてたんだ、と説明を添える。
「あっ!」
- 100 名前:7 投稿日:2002年02月26日(火)03時46分39秒
- 「辻っていつもは楽しそうだよね。でも、この写真の表情は違う」
「楽しいを通り越して、狂ってるみたい」
「8段アイスを目の前にしたって、この目にはならないわ」
「だいたい、なんでこんな写真にこんな言葉…ホント許せない!」
口々に文句を言う矢口と保田。
再び写真に目を移す飯田。
蝋燭の炎を見つめていたときと同じ目をした辻。
そこに、ペンで殴り書きされた言葉。
『辻は火が大好きなのです!』
強烈な既視感に襲われて、目眩がした。
「そうだ、カオリも見てもらいたいものが…」
なんとか気を取り直した飯田、カバンから短冊状の紙片を取り出す。
それがなになのかは知っていたが、おとなしく飯田の行動を見守る矢口と保田。
「…で、ここをこっちに読むと」
「「は・ん・に・ん・は・つ・じ!?」」
さすが同期、キレイにハモって読んでくれた。
しかし、意味を理解するのは多少の時間がかかった。
「なにこれ!信じられない!」
「これ作ったヤツ、許さない!」
「ちょっと…どうゆうこと?」
4番目の声に振り向く3人。
そこには目に涙をためた安倍がたたずんでいた。
- 101 名前:8 投稿日:2002年03月02日(土)17時55分08秒
- いそいで短冊そのほかをかき集めた飯田だが、遅かった。
安倍は唇をかんで、もう何もないテーブルを見つめたままだ。
「なっち、これは……」
矢口が安倍の腕をつかむ。安倍はちいさく息を吸いこんだ。
「なんか3人、こそこそ話してたから、なんだろなって……。なっち、こういう時
だけカンいいんだよね、つい隠れちゃった。盗み聞きするつもりなんかなかったんだけど。
ていうかさ、聞かれてまずいことだったら、楽屋なんかでしゃべっちゃだめっしょー」
安倍は、らしくない皮肉な表情で笑った。「放火犯が来たら、どうすんのさ」
「どこから聞いたの」
保田の声は比較的冷静だ。
「さあ」
「さあってなによ」
「さあはさあだよっ」
安倍は大きな声をだした。「そんな話、聞いてない。聞きたくもないよ。ののが犯
人だなんて、そんなことカオリたち思ってんの? あきれるよ。辻をなんだと思っ
てんの? 辻がそんなことするわけないじゃん! ばっかじゃないっ」
- 102 名前:8 投稿日:2002年03月02日(土)17時59分01秒
- 3人を順々ににらみつけると、安倍はいまいましそうにこぼれる涙をはらった。「こんなの」
べそをかきながら飯田に飛びかかる。めちゃくちゃに引っ張られて、たちまちに手
のなかにあったものは奪われ、破りすてられてしまった。
「ああっ。なんてことすんだよぉ」
矢口の嘆き。
安倍はびっしょり濡れたまつげの下から、飯田をにらみつけた。
「辻の話、聞いてあげなぁ。側にいて、抱っこして、大丈夫だよって、抱きしめて
あげるん、カオリでしょ。そんなくらーい顔して、辻が関係あるんじゃないかとか
勝手に考えこんで、ののそれ気づいてないわけない!」
- 103 名前:8 投稿日:2002年03月02日(土)18時01分10秒
- ――そうか、なっちも。
飯田は胸をつかれて何も言えなかった。保田がいさめるように安倍の肩に手をかける。
「ちょっと待って、なっつぁん。誰も辻が犯人だなんて言ってないでしょうが」
「わかってる、わかってるよ」
安倍は駄々をこねる子どもさながら、顔をくしゃくしゃにした。「でもやなの。
すごい嫌なの。こんなもんに振り回されんの、もうやめようよ。辻、かわいそうだよ。
こんな話しないでよ、いないところでこんな話、されてるのたまんないの。
なっちのいない、辻のいないとこで、こんな話すんなあっ!!」
声を限りのさけび。
右腕にかけられた矢口の手、左肩の保田の手、呆然と見つめる飯田の目。
すべてを振り払って、安倍は思いきりドアを閉めて出ていってしまった。
とり残された3人。
- 104 名前:8 投稿日:2002年03月02日(土)18時04分06秒
- 「キてる……」
ぽつりとこぼれた保田のひとことに、凍っていた室内の空気が息を吹きかえした。
「ワケわかんね。自分でもきっと、なに言ってるかわかってないよ、あの人」
両手を広げる保田。
「ほんっと、なっちはあっ。人の話聞けっつーの」
矢口はがたんと立ち上がる。
二人目の退場者を見送ると、保田は言った。
「なっちは困ったもんだけど、でもね……好きだなぁ」
ドアに向けられたやさしい目。「なっつぁんの言ってること、ワケわかんないけど、
言いたかったことは、わかる気がする」
飯田は苦い気分でうつむいた。
「なっち、偉大だよ。不覚……なっちに教えられた気がする。カオリの今すること
って、これじゃないよね。いろんな事件があってさ、わけわかんない悪意があって、
頭んなかぐちゃぐちゃだけど、でも、なんかちがう。うん、ちがう。わたしらしく
ないね」
「そうかもね」
「わたしは信じる。辻と話してみるよ、ね……」
「おう。がんばれ、リーダー」
いつの間にか流れていた涙を、飯田はぬぐった。
- 105 名前:8 投稿日:2002年03月02日(土)18時08分42秒
- 天井にするすると煙が昇ってゆく。それを見つめていた。
両手を枕に、仰向けになってベッドの上で。顔の真上でちんまりと赤くくすぶって
いる煙草の先端から、見えない手でたぐり寄せられるように、煙は宙へ昇る。
「ああっ!」
とんでもない奇声に、思わず煙草を落としそうになった。「なにやってるの、ごっちん!」目だけ動かすと、悲愴な顔をした石川と、口をまるく開けた吉澤。
「かっけーっ。ごっちん、タバコ超似合うよ!」
「ばかっ」
どっちに言ったのか、大きくさけぶと石川は、ベッドに突進してくる。その勢いを
恐れて、後藤は半身を起こした。
「わっ。灰、灰落ちちゃう!」
石川は泡を食って両手を振り回す。後藤は煙草を唇から離した
「だーいじょうぶ。今つけたばっかり」
「もー。人の部屋でなんてことするの。ベッドに焦げついたらしゃれになんないよ。
ていうか、タバコなんか吸っちゃダメだよ! ごっちんまでそんな……」
「フカしてるだけだよ。あたし吸えないもん」
指の間に挟んだ煙草を後藤は見つめる。
- 106 名前:8 投稿日:2002年03月02日(土)18時09分49秒
- 「そういう問題じゃ……」
「そうなんだぁ」と相づちを打ちつつ、吉澤は両手に抱えていたお菓子の袋、缶ジ
ュース、カップのアイス、その他もろもろを床の上にぶちまけた。
仕事が昼ではけ、まっすぐ帰るようにとの厳命にもかかわらず、3人はまたここに
集まってしまっていた。駅前スーパーでゲットした戦利品の選定をしている2人を
よそに、後藤は、ベッドに寝そべった。
ひどく疲れていた。今日はほとんど仕事もしていないのに。
ごろんと寝返りを打ったとき、ポケットのなかの固いものに気づく。
加護から取り上げた煙草の箱とライターだった。
- 107 名前:8 投稿日:2002年03月02日(土)18時11分39秒
- 部屋を飛びだした飯田を見送ると、保田は床に散らばった証拠物件を拾い集めた。
それらを見つめて再び考えをめぐらせる。
「カオリ、行ったんだ」
言葉とともに矢口が入ってきた。なっちは、と聞くと肩をすくめる。
「大丈夫そう。ちょっと興奮気味だったけどね。つか、マネージャーに捕まっちゃ
ってホテル直行みたい。なんのかんの言って、なっちが一番被害受けてるからなぁ。
オイラも早く帰れって怒られたよ。大事なミーティングあるから、タクシーで帰る
って言いはって逃げてきた」
「もう……」
「うん。矢口と圭ちゃん以外は全員帰った」
あいかわらず如才ない矢口に、保田はため息をつく。「だめだって言ったってムダ
だからね、圭ちゃん。矢口だって怒ってんだから」
「ううん、正直ひとりじゃきついって思ってたとこ。……ありがと、矢口」
「さてと」
照れかくしか、保田の言葉に聞こえないふりをして矢口は腰を下ろした。「メンタ
ル面はカオリやなっちにまかせてさ」
こちらを見つめるつぶらな瞳。
「うちらは考えてみようよ、なんでこんなことが起こったのか」
- 108 名前:8 投稿日:2002年03月02日(土)18時14分06秒
- 「まったくもう信じらんない……」
ぶつぶつ言う石川、お菓子の袋を計画性なく次々と開けてゆく吉澤を後目に、後藤
は右手に持ったタバコをつくづくと眺めた。
口もとに持っていって、肺に入れないようにひとくち吸いこむ。
じじ、とちいさな音を立てて、煙草の先が焦げることに、妙な高揚感があった。
紅く光るちいさなちいさな炎。これも火なのだ。
「だめだってばっ」
横様から伸びた手をよけると、石川がバランスを崩しベッドの上にへたり込んだ。
「ちょっと、ごっつぁんねぇ……」
大声が出かかった石川の口を手のひらでふさぐようにして、なんとなく煙草をくわ
えさせてみる。
「!!!??!??」
声にならないアクションのあと、石川は洗面所へと駆けてゆく。盛大にむせる声が
聞こえてきて、後藤はさすがに廊下に向かってごめんねーとさけんだ。
「私たちは、こんなことをしている場合じゃないのではないだろうか」
修行中の僧侶さながら、虚ろで厳しい目つきの吉澤がつぶやいた。
「わかってるよぉ」
後藤は語尾をねじれさせて、鼻から息を吐いた。
- 109 名前:8 投稿日:2002年03月02日(土)18時15分22秒
- なにも好きで、こんな風にのんきにじゃれ合ってる訳じゃない。
いらだち。
吸いたくもない煙草に火をつけてしまうような、石川をついからかってしまうような、
何かをしなきゃいけない、したいのに退屈な、自分たちに対するいらだち。
- 110 名前:8 投稿日:2002年03月02日(土)18時16分57秒
- 「今までのこと、整理してみよっか」
矢口が鞄から手帳をとりだすと、さらさらと書き付けはじめる。
「まずは辻の火事」
2人でそれまでに起こった事件を思い起こしつつ、箇条書きにしてゆく。
先ほど飯田と話したこと、安倍の思いとは矛盾するかもしれない。けれど、保田は、
矢口は考える。
自分たちにできること、今、したいこと。
「こんなもんか」
矢口が書き終えた手帳のページを破って、テーブルの真ん中に置いた。
火事の回数=4回。
メンバーの名前、焼けたもの、被害状況、気づいたこと。
1・辻。
辻家。家族は全員出かけてて無事。
2・なっち。
部屋の一部(ボヤだった)。でも部屋は消火で水浸し。泊りに来ていた辻とコンビ
ニに出ていて無事。犯行セーメーあり。
3・高橋。
カオリからもらった鞄。まっ黒になってたけど、ケガはなし。仕事中だったので、
メンバーは全員スタジオ内にいた。犯行予告どおり。
4・カオリ。
ベランダに置いてた雑誌束(これもボヤ)辻とコンビニに出かけてて2人は無事。
部屋にいたなっちがベランダに閉じこめられた。自分で消化器の粉をかぶったから、
被害には入らない。
- 111 名前:8 投稿日:2002年03月02日(土)18時18分12秒
- 保田は、思わず矢口と顔を見合わせた。4度の火事、すべての現場に辻がいる。
「それで極めつけにこれか」
テーブルに広げられた脅迫状が示す「はんにんはつじ」
「辻は火が大好きなのれす!」の写真。
さきほど飯田から聞いた「また火事になればいいのに」との加護に漏らした辻の言
葉。火を見つめていた辻の表情。
飯田が疑心暗鬼に陥るのも当然だ。すべての状況が辻を指している。だが。
なにかが保田の心に引っかかった。
「でもさ、これってかえっておかしくない? たとえば、たとえばよ、ほんとに辻
が犯人だったとして、誰が何の目的でこんなことする?」
矢口は脅迫状と写真を指さした。
「考えられるのは、辻の犯行を知った誰かが、うちらにチクるつもりで、した」
保田は考え考えつぶやく。
「でもそれムリ」
矢口は脅迫状をにらみつけた。「これ、なっちの火事と高橋の火事も予告してるよ。
犯人以外に書けないじゃん」
「あきらかに犯人からの予告状に、辻が犯人だって書いてるわけね。矛盾してる」
さっきからなにかが引っかかっている。
- 112 名前:8 投稿日:2002年03月02日(土)18時19分43秒
- 「あーああ、もう。いらつくなぁ……」
「あーあじゃないよ」
石川は力なく後藤をなじった。タオルケットで口を押さえているその目は、実に恨
みがましい。
「ごめん、梨華ちゃん。吸っちゃった?」
「ばっちり肺に入ったんだから。一回吸ったら、もう三ヶ月は消えないんだよっ。
保健体育で習ったんだから。肺ガンであたし死んだら、ごっちん責任取ってね」
「うん、オヨメにもらってあげるよ」
「いらないっ」
にらみ合う後藤と石川を意に介せず、吉澤は口を開いた。
「犯人は何をしたいのだろう」
- 113 名前:8 投稿日:2002年03月02日(土)18時20分47秒
- 「唐突なんだから、よっすぃーは」
臨戦態勢直前で毒気を抜かれて、石川が鼻を鳴らす。
唐突でもないと後藤は思う。
―――後藤といっしょで、梨華ちゃんもよっすぃーも、ぐるぐるぐるぐるそればっ
かり頭んなか回ってるはずだ。
「本当に嫌だ。こんな感じ。すっきりしない。ムカツクよ」
吉澤はお菓子をばりばり食べた。
「もう警察にまかせた方がいいと思う。捜査に本腰入れてくれるって言ってたし」
遠慮がちな石川の声に「んだよそれぇ。うちらなんにも役に立たないってか」と吉
澤が声を荒げる。
なんとなく3人はしゅんとなった。張りきって犯人を捜そうとしても空振りばかり、
事件解決の兆しはまるでない。年長組に釘をさされたといえ、こんな風にくすぶっ
てるのは性に合わない。無敵の3人パーティーも形無しだ。
玄関のチャイムが鳴る。
不安をにじませた表情で受話器をとりあげた石川は、すぐにほっとしたように笑った。
1分後、石川に伴われてリビングに入ってきたちいさな姿、その表情を見た後藤は、思わず眉をひそめた。
「加護、どしたの」
- 114 名前:8 投稿日:2002年03月02日(土)18時21分52秒
- 「うー、わかんねぇ」
矢口が金田一耕助さながら、頭をぐしゃぐしゃとかきむしった。
「この犯人さぁ、絶対バカだよ。矢口だったらこんな変な暗号絶対使わない。話が
ややこしくなるだけじゃん。写真だってそうだよ、こんなん見て、辻が犯人だなん
て誰が思うんだよ」
保田は、はっと顔を上げた。さっきから引っかかっていたこと。
犯行、そして脅迫状のちぐはぐさ。
「ねえ、矢口。この脅迫状……」
『ははは またかじがおきただろ み』『んなおれのいういことをきけ たま』
『にはふぁんさーびすするのもいいも』『んだぜ きょうのごご6じに おれ』
『はまた かじを おこす』『つじのかじだけじゃない あべのか』『じだけじゃない もっと もっと 』
何度見ても胸の悪くなる文面を、ふたりはのぞきこむ。保田は思わず矢口の腕をつかんだ。
「この脅迫状には、本来文字通りの意味しかないとしたら」
- 115 名前:8 投稿日:2002年03月02日(土)18時22分59秒
- 「……ごめん意味わかんない」
「こういうことだよ、この脅迫状は、ちぎってはじめてふたつの意味を持つんだ。
犯行声明と脅迫は文面のなかにある。辻が犯人だって示すのは、この形に切った場
合に限定される」
「はあ? なに言ってんの圭ちゃん。そんなの、あたりま……」
矢口は言葉を切った。問いかけるようにこちらを見つめる。保田はうなずいた。
「そう、この脅迫状を書いたのは犯人。でも、これをここの所で……『はんにんは
つじ』この文字の部分で、脅迫状を切り離した人間が別にいたとしたら」
「それって……」
「すべての状況が辻に向かってる。でも、この脅迫状の切り目、写真は、どうだろ
う。さっき矢口が言ったみたいに、これを見て辻が犯人だなんて誰も思わない。
悪質ないたずらだって、放置されるに決まってる。つまり、このふたつによって、
すべての火事の現場にいた辻への疑いは、かえって和らぐようになってるんだ。
みんなの目は、逆に辻からそらされることになる。それが、目的だったとしたら」
- 116 名前:8 投稿日:2002年03月02日(土)18時23分50秒
- 「つまり……この暗号や写真は、結果的に辻をかばってる、ってこと? 犯人以外
にそれをした人間がいるってこと? でもそれじゃ……」
不安げな矢口の言葉をさえぎって「あくまで仮説だよ」と保田はつづけた
「そしてもうひとつ。一連の火事、不思議なことに誰も怪我ひとつしてない。なっ
つぁんは別にしてね。燃えたのだって、辻の家以外はボヤレベル。こういう言い方
不謹慎だけど、火事って言うのも恥ずかしいくらいの小ささだった。おかしいと思
わない? なにもかもがちぐはぐなんだ。そう、まるで何人かがてんでバラバラに、
ちがう目的のため動いてるみたい」
「それ……それって」
矢口がわざとらしいくらい、ごくんと息を呑んだ。保田の目を脅えたように見つめかえす。
「犯人はひとりじゃないってこと?」
- 117 名前:8 投稿日:2002年03月02日(土)18時25分06秒
- メールの送信ボタンを押して、飯田は再び走りだした。
携帯電話を握りしめたまま。コートの裾が足に絡まり、転びそうになる。それでも走る。
―――信じなくちゃ。
信じてみること、すべてはそこからだ。
わたしは逃げてきた。辻が火事にあってからずっと。信じてる、心配してる、そう
思いながらも、辻をうまく包み込んであげることができなかった。大きな悲しみや、
痛みとうまく向き合えないわたしは、人一倍辻が心配なくせに、辻のこころを聞く
ことを無意識に避けてたんだ。そんなんじゃ、辻がほんとを話してくれるわけがな
い。
弱虫なわたしを笑うみたいに、炎はつぎつぎと世界にちいさなぼやを出しつづけた。
現実に火をつけた悪意の炎は、疑惑の油を吸って、どんどんとわたしのこころにも
燃えひろがったんだ。
カオリの心のなかの火事。
なっちがしてくれたように、辻のこころにも、一刻も早く水をかけなくちゃならない。
辻の火事を消さなくちゃならない。
愛情という名の水をぶっかけて、辻の火事を消すんだ。
- 118 名前:8 投稿日:2002年03月02日(土)18時25分57秒
- 辻はひとりだった。
ホテルまでついてきたマネージャーをまいて抜けだすのは、一苦労だった。
目深にかぶった帽子を押さえる。髪を下ろしているから、気づかれないはずだ。
冷たい風が、むきだしのふくらはぎをかすめる。もう日は暮れかかっていた。
ポケットに入れた手は、しっかりとにぎりしめられていた。人気の少ない住宅街を
過ぎ、早足で歩きつづける。見なれた通りを過ぎ、角を曲がる。
目の前に広がった風景に、さすがに息を呑んだ。
かつて、家であったもの。自分の家であったものの残骸。
涙の息が喉の奥からせり上がってくるのを、辻は必死でこらえた。
泣いてる場合じゃない。
先ほど楽屋で立ち聞いてしまったみんなの会話。
―――もう、終わらせなくちゃ。
辻は電源を切りっぱなしだった携帯電話をオンにしてみる。入っていた1通のメー
ルにひと言だけ返事を返し、再び電源を切った。
- 119 名前:8 投稿日:2002年03月02日(土)18時26分55秒
- 張ってあったロープを跨いで、焼け跡に足を踏み入れた。スニーカーの下で瓦礫が
きしみ、くずれる足場に転びそうになる。辻は転ばないよう足に神経を集中させな
がら、ずんずん進んでゆく。リビングのあたり、焼け残っているコンクリート壁が、
足下に影を落とした。
……ぬりかべみたい。
いささか緊張感に欠ける感想を抱きながら、辻は顔を上げた。
身長より少し高いあたりで空に溶けてしまっている壁の後ろに、まわりこむ。道路
からはもう見えない。
「おつかれ」
笑いをふくんだ声。
その人はもうそこにいた。
すくむ足を踏みしめて、辻は大きく息を吸いこむ。自分自身を奮い立たせるために。
「もう、やめてください」
辻の声は、燃えるように赤い夕焼けのなか、震えて響いた。
- 120 名前:9 投稿日:2002年03月09日(土)23時29分52秒
- 「もうこんなことやめてください」
お腹に力を入れ、さっきよりも少しだけ強い口調でもう一度声を出す。
目の前の人物はただじっと辻を見つめていた。
燃え上がる炎を思わせる夕日が逆光となり、その表情は伺うことができない。
しかし、辻はその身を振るわせた。
ごくりとつばを飲み込む。震える膝に力を込める。
じっと立っている。それだけのことが恐ろしく苦痛に感じる。
気を抜いたらその場にへたり込んでしまいそうな、そんな気がした。
だが、それも仕方のないことだろう。
目の前にいる人物こそ、今回の一連の事件の──
真犯人なのだから。
- 121 名前:9 投稿日:2002年03月09日(土)23時31分23秒
- 「どうしたの? 加護」
黙って俯いたままの加護に、再び後藤が声をかける。
「……力を貸してください」
「ちから?」
「ののを……ののを助けたいんです。力を貸してください!」
悲痛な表情を見せる加護を見て、石川は唇を噛んだ。
ダメだ。危険すぎる。
いくらなんでも中学生の加護まで巻き込むわけにはいかない。
「もうやめようよ。やっぱりわたし達だけじゃ……」
「梨華ちゃん何言ってんの! あたし達勇者なんだよ!」
「だって! ……だって、わたし達ただの女の子なんだよ。
怖いよ……わたし……。こんなことして犯人とかに狙われたりしたら──」
「……ののから手紙もらったんです」
加護の言葉で部屋の中が静寂に変わった。
「手紙って?」
優しい口調で後藤が話し掛ける。
「家に帰って、カバンを開けたら入ってたんです。多分楽屋でこっそり入れたんだと思います」
「なんて書いてあったの」
「……全部終わらせるって……。自分でちゃんと終わらせるって……。
あの人に会って、全部終わらせるからって……」
石川の息を呑む音が響いた。
「あの人って……誰?」
「わかりません」
加護はゆっくりと首を振った。
- 122 名前:9 投稿日:2002年03月09日(土)23時34分14秒
- 「のの……ホテルにもいないんです。携帯も電源切ってるみたいで……」
「もしかして……辻、犯人のこと知ってるんじゃ……」
吉澤の言葉を聞いて、加護はびくりと肩を振るわせた。
同じことを考えた。
辻は犯人が誰だか知っている。
そしてその犯人と対峙しようとしている。
それもたった一人で。
それは背筋がゾクリとするような想像だった。
「保田さんに相談しようと思ったらまだ帰ってないみたいだし……。
もう、どうしたらええのか……。
うち……うち……」
小さな両手がぎゅっと握りこぶしを作る。
震える肩を抱こうと吉澤は手を伸ばした。
「大丈夫よ! あいぼん!」
「り、梨華ちゃん!」
その手を弾き飛ばし、加護の両手を包み込んだ石川を見て、吉澤は目を丸くした。
「安心していいよ。わたし達がついてるからね」
「梨華ちゃん、さっきと言ってることが違う」
口を尖らせる吉澤。
「困ってる人は助けなきゃ。だってわたし達勇者なんだし」
気合の入った顔で唇を引き結び、むんと胸を張る石川。
- 123 名前:9 投稿日:2002年03月09日(土)23時34分57秒
- そんな二人を見て、くすりと笑った後藤は、おもむろに口を開いた。
「じゃ、行こうか」
「行くって……どこへ?」
「きっと圭ちゃん達、楽屋に残って作戦会議してるはずだよ」
「なんでそんなこと」
「わかるよ。一応この中じゃ一番付き合い長いからね」
そうだ。こんなところでくすぶってたってしょうがない。
今しなくちゃいけないこと。
それは子供扱いされて膨れてることじゃない。
見えない敵に怯えて震えてることじゃない。
仲間を──かけがえのない仲間を救うこと。
「待ってなよ、辻」
後藤はタバコの箱をくしゃりと握りつぶした。
- 124 名前:9 投稿日:2002年03月09日(土)23時35分46秒
- 「犯人はひとりじゃないってこと?」
「ある意味じゃそうかもしれない」
矢口の視線を受け止め、保田は静かに語り始める。
「ずっと気になってたんだ。
だってさ、おかしくない?
なっちの時にしろ、圭織の時にしろ、ほんの少し部屋を出てただけだよ。
すぐ帰ってくるのは分かってた筈なのに。
まして、楽屋なんて何かあったらすぐ気が付きそうなところじゃない。
本気で火事にしたいんだったらあまりにお粗末だよ」
「でもさ、実際に辻の家はゼンショウしちゃったじゃん」
「そう、だからあの事件は別なの。あれは本当に事故だったんだと思う」
「え?」
「だってそういう話になってたでしょ。火元が台所じゃないかって。
それが次の事件が起こったから全部一緒に考えるようになっただけ」
保田の言葉に矢口は腕を組み、右手であごを掴んだ。
「そっか、確かに最初の事件だけ浮いてるもんね。
それで……そうだったらどうなるの?」
「あたし達はもしかしたら、大きな勘違いをしてたのかもしれない」
「どういうこと?」
保田は猫のような大きな目で矢口を見据えた。
「辻は本当に犯人じゃないのかしら」
- 125 名前:9 投稿日:2002年03月09日(土)23時37分52秒
- 冷たい風がふっくらとした頬をなでてゆく。
しかし、今の辻にその冷たさを感じる事はできなかった。
目の前の人物にはいまだ動きはない。
緊張に耐えられなくなった辻は、もう一度口を開こうとして、すうと息を吸った。
「どうして気がついた?」
漏れてきた小さな声に辻の動きは止まった。
「見たんです。あのとき。
飯田さんの家が火事になったとき。
マンションの脇にあなたがいたのを」
再び沈黙がおちる。
「どうしてこんなことを」
「辻のせいだよ」
静かに響いた声音に辻は息を呑んだ。
「やっぱり……ずっとメールを送ってきてたのはあなただったんだ」
「そう、だって知っているから。
辻が……モーニング娘。の辻が……」
──聞きたくない。
覚悟してきたはずなのに、体が小刻みに震える
思わず塞いでしまった耳に、言葉が呪文のように滑り込む。
「辻希美が──放火魔だってこと」
ぎゅっと目を閉じた辻はその場にうずくまった。
- 126 名前:9 投稿日:2002年03月09日(土)23時39分10秒
- 「圭ちゃん!」
真剣な顔で突っかかってくる矢口を保田は手で制す。
「最初の辻の火事を外して考えてみるよ。
全ての事件に絡んでいるのは辻となっちだけ。
いつも辻がその場を離れた後に火事が起こってる」
「…………」
「なっちと圭織から聞いたんだけど、
コンビニに行こうって誘ったのはどっちも辻なんだよね。
部屋を最後に出たのも辻。
ゆっくりと燃えるようなものに火をつけてから外に出れば──」
「ちょ、ちょっと待って、圭ちゃん!」
「わかってる。
でもね、全ての事件が可能なところに辻はいる。
その反面、わざと辻に疑いを向けさせることで逆に辻をかばおうとする動きがある」
唇を引き結んで矢口は頷く。
- 127 名前:9 投稿日:2002年03月09日(土)23時40分01秒
- 「考えられることは二つ。
辻が自分の疑いをうやむやにするためにわざとやってる可能性」
「そんな! 辻がそんなこと……」
「わかってるってば、ただの可能性よ。
実際あの子がそこまで頭まわるとは思えないし」
「ぶ! それってちょっとひどくない?」
軽口を叩いて息を抜き、あらためて仕切りなおす。
「それで、もう一つの可能性って?」
「それは……」
「圭ちゃん!」
大きな声とともに飛び込んできた後藤たちを見て、保田は目を見開く。
「な! なんであんた達ここへ!」
「もちろん、辻を助けるためですよ!」
「言ったでしょ。あんた達はおとなしく──」
「辻が……辻がいなくなったんだ」
後藤の低い口調に保田の口が止まった。
- 128 名前:9 投稿日:2002年03月09日(土)23時40分49秒
- 固くつぶった目の奥にゆらゆらと揺れる炎が見える。
幼い頃から燃える炎を見つめるのが好きだった。
誕生日のケーキの上のろうそく。
落ち葉を集めた空き地の焚き火。
林間学校のキャンプファイヤー。
赤い炎を見ると気持ちが落ち着いた。
火、それこそが人類の英知。
火、それは畏怖と崇拝の対象。
もちろんそんなこと、辻は意識してはいなかったけれど。
火は自分を守ってくれると思っていた。
火は自分の味方だと。
だが、やはりそれは甘い考えだった。
辻は今、自らの熾した火に飲み込まれていた。
- 129 名前:9 投稿日:2002年03月09日(土)23時42分22秒
- 無機質なアナウンスの声を聞いて、終話ボタンを押す。
やはり辻は携帯の電源を切っている。
ほう、と飯田はため息をついた。
ようやくたどり着いたホテル。
そこに辻の姿はなかった。
慌てふためくマネージャーをその場に残し、飯田は再び走り始めた。
手の中の携帯には一通のメールが届いていた。
辻へと送ったメールの返信。
そこにはただひと言だけ
『ごめんなさい』
と。
湧き上がる不安を押さえ、飯田は走った。
辻の行く先に心当たりはない。
それでもじっとしてはいられなかった。
昏い炎に身を焼かれているであろう辻を求めて、飯田はただ走った。
- 130 名前:9 投稿日:2002年03月09日(土)23時43分46秒
- 「辻がいなくなったってどういうこと?」
「ホテルの部屋にもいない。携帯も電源切ってる」
「そんな……いったいどこに」
「加護のかばんに手紙が入ってた。『自分で全部終わらせる』って」
「なんですって……まさか…あの娘……」
「ねえ、あたし達だって辻が心配なんだよ。
辻を助けてやりたい。だって、仲間じゃない。
もう仲間はずれはやめて!
あたし達だって……あたし達だって『モーニング娘。』なんだよ!」
畳み掛けるように話し掛ける後藤の顔を、保田は真正面から見据えた。
後ろに立つ石川、吉澤、加護も真剣な顔で様子をうかがっている。
「ったく、いっちょ前の口聞くようになったじゃない。
……わかったわ。力を貸して」
その言葉に後藤の顔がへらっと笑み崩れる。
石川と吉澤も手を取り合ってほっとした表情を見せた。
「ま、それにちょうど聞きたいこともあったしね。
……加護!」
「は、はい!」
突然名前を呼ばれた加護は直立不動の体勢になった。
「この写真と脅迫状……これやったのあんただね」
- 131 名前:9 投稿日:2002年03月09日(土)23時44分16秒
- 「写真? 脅迫状? 何のこと?」
「圭ちゃん! それって」
目をぱちぱちさせる後藤と、目を丸くする矢口の視線を浴びて、加護は顔を蒼白にしていた。
「脅迫状を作ったのは別人かもしれない。
でもこんな風にちぎってみんなのところに送ったのはあんたでしょ。
それとこの写真を楽屋に置いたのも」
「あ…あの……」
ただ口をパクパクさせるだけの加護に保田は優しく微笑みかける。
「辻のため……なんでしょ」
びっくりしたたように顔を上げた加護は、保田の目を見る。
その黒目がちな目にじわっと涙が浮かんだ。
「加護は……加護は悔しかったんです。
みんな……ののは犯人じゃないって口では言ってるけど……。
ほんとは心のどこかで疑ってる……。
火事の前と目が……ののを見る目が違うんです」
加護の言葉にその場にいる全員が顔を伏せた。
決して辻を疑っていたわけではない。
だが、今までと同じ接し方ができていたかどうかわからない。
そんなわずかな歪みを、辻の親友であるこの多感な少女は敏感に感じ取っていたのだろう。
- 132 名前:9 投稿日:2002年03月09日(土)23時44分54秒
- 「その脅迫状、楽屋においてあったんです。加護はそのとき一番乗りで……。
ムカムカしながら見てたら、ちょうどうまい具合に暗号に使えるなって思って……」
「まったく、あんたがいらないことするから話がややこしくなったのよ」
「う……ごめんなさい」
「まあまあ、圭ちゃん。それよりも辻が今どこにいるのか、それが一番の問題だよ」
矢口の言葉に保田は再び顔を引き締める。
「そうね。多分犯人の狙いは辻が火事と関係があるって思わせることだったんだと思う」
「どういうこと?」
「さっき矢口と話してたんだけど……」
──────
「なるほど、つまり辻が居たところに火をつけてる奴がいるってことか」
そう言って後藤は唇を噛む。
「ただし、火事を起こすことが目的じゃない。あくまで辻の立場を悪くしようとしてるってことね」
「確かに脅迫状とか写真がなければ、辻の行くところで火事が起こるだけ。
今以上に辻の立場は悪かったかもしれないね」
「ひどい……」
矢口の言葉に石川は眉をひそめた。
- 133 名前:9 投稿日:2002年03月09日(土)23時45分52秒
- 「保田さん」
「なに?」
ずっと黙っていた吉澤の声で保田はそちらに目を向けた。
「あたし考えたんですけど、何がきっかけだったんですかね」
「きっかけ?」
「そう、今回の事件が起こったきっかけ」
「あ、わかった!」
急に手を叩いた石川。
「な、なに!?」
「火事よ、火事! 辻ちゃん家の火事!」
「おー! そっか。梨華ちゃんあったまイー!」
「だー! 二人だけで納得してないでちゃんと説明しろよ!」
独自の世界を作る二人に矢口が突っ込みを入れる。
「だから火事ですよ、辻ちゃん家の」
「だって、あれは事故だって──」
「でも、あの火事が起こってからですよ。ののが狙われるようになったのは。
あの後から、ののの周りで火事が起こるようになった。
きっとあの最初の火事が今回の事件のきっかけなんです」
──確かに。
あの火事は警察も事故だろうと判断している。
でも、そのときに何かが起こったのだとしたら。
それが今回の事件を引き起こしたのだとしたら。
「辻は……そこにいる?」
確証はない。しかし、他にあてがある訳でもない。
「矢口! 圭織に電話!」
「わ、わかった!」
- 134 名前:9 投稿日:2002年03月09日(土)23時47分01秒
- 「うん、わかった。辻の家だね」
何時の間にか楽屋には後藤たちまで集まっていたらしい。
みんな、力を合わせて辻を助けようとしている。
それぞれの立場で自分のできることを考えてる。
仲間のために。
「そっからだと圭織が一番近いからね。矢口達も他の心当たりをあたってみるから──」
「圭織、さっきも説明したけど、多分辻は……」
矢口から携帯を奪ったらしい保田の心配そうな声が静かに響く。
「大丈夫。何があっても辻は圭織が守る。
『モーニング娘。』のリーダーとして。みんなの代表として」
「うん。がんばれ! リーダー!」
携帯の向こうでメンバー達それぞれのエールの声が聞こえる。
いっつも怖いことから真っ先に逃げちゃうような、
いっつもヘタレだって言われちゃうような、そんな頼りないリーダーだけど。
今日だけは。今だけは。
みんな勇気をちょうだい。
「おう! 任せとけ!」
迷いを吹き飛ばすように大きな声で叫んだ。
- 135 名前:9 投稿日:2002年03月09日(土)23時47分57秒
- 携帯を切った保田はそのままじっと考え込んだ。
「どうしたの? 圭ちゃん」
「ねえ、辻が犯人でないんなら、誰がこんなことできるんだと思う?
メンバーの家を知ってて、その部屋にも入れる。
高橋の時には楽屋の中にまで入ってきてる。
さっきの加護の話だと、脅迫状も楽屋においてあったって言うし」
「あたし達の身近にいる人だってこと?」
硬い声で後藤が言う。
腰にしがみついてきた加護の肩を、石川はぐっと抱き寄せる。
しかし、その石川の眉も不安げに下がっていた。
「多分ね。辻はその人の事を知っている。
ううん、辻だけじゃない。きっと犯人はあたし達も知ってる人物……」
ごくり、誰からともなく息を飲む音が聞こえた。
「とにかく! 早いとこ辻の居場所を見つけないと!」
「そうだね。よし! それじゃみんな行くよ!」
- 136 名前:9 投稿日:2002年03月09日(土)23時48分40秒
- 「辻は……辻は……」
うずくまったままつぶやく辻を、目の前の人物は静かに見下ろした。
「知ってるんだよ。辻が火を好きだってこと。
いつも火を見ていること。
そして……あの時何をしたのかも」
耳を抑えたまま辻はふるふると首を振る。
「あの所為で……あの所為で……全てが狂ったんだ。
辻の……辻の所為で!!」
「やめて!!」
「辻!」
「飯田さん!」
後ろからかけられた声に、弾かれたように辻は振り返った。
飯田の目の前には、暮れかけた夕日を背にした一つの影があった。
辻を真中に挟んで飯田は影と退治する。
「そんな……嘘……あなたが犯人なの?」
焼け跡にはただ沈黙だけが流れた。
「どうなの!? 答えて!」
影からは何の応えも無い。
「ちゃんと答えて! ……マネージャー!」
- 137 名前:9 投稿日:2002年03月09日(土)23時51分06秒
- 目の前の男は、人差し指でメガネを上げた。
そう、安倍の家も飯田の家も、マネージャーならば合鍵を作る事ができる。
もちろん、楽屋の鍵も。メンバーの住所や行動を把握できるのも。
マネージャーならばできる。
ぐっと、飯田は男を見据えた。
それはつい最近入った、まだ若いマネージャーだった。
モーニング娘。は人数が多いだけにマネージャーの数も多く、入れ替わりも多い。
飯田はその男の名前を覚えていなかった。
「どうして……あなたが」
「僕の人生はその娘に狂わされたんだ」
何気ない口調。それが逆に飯田に不安を感じさせた。
「どういう……こと?」
「ニ年前、その娘の家の火事。その所為で僕の人生は狂った」
二年前……加護の言ってた、辻がモーニング娘。に入る時にあったっていう火事……。
「だから、これはフクシュウなんだ。その娘に対するフクシュウなんだ」
シルバーフレームのメガネの奥には、感情を見せない乾いた目があった。
何時の間にか近づいてきていた辻をぎゅっと抱き締める。
「おかしいよ! いくら辻の家が火事になったからって。
そんなの辻には関係ないじゃん!」
「そんなことないさ。だってあの火事はその娘の所為なんだから」
- 138 名前:9 投稿日:2002年03月09日(土)23時52分40秒
- 腕の中で蒼白になった辻の顔を飯田は見た。
「嘘だろ……辻。辻はそんなことしないよな」
「嘘じゃないさ。辻は火が好きなんだ。辻は放火魔なんだ」
「やめて!」
きっと飯田は男を睨む。
「あの日……」
ポツリともらした声に飯田は再び辻を見つめた。
「あの日辻は火を見てました。ちょうどその頃モーニングに入るかどうかで家の中がもめてて。
昔から、火を見てたら……気持ちが落ち着いたから……。
辻は自分の部屋でろうそくを見てました。
そしたら……そのままうとうとして……。気が付いたらその火がカーテンに……」
「辻……」
「あれは辻がやったんです」
抱き締めた腕に、ぽとりと涙が落ちた。
「でも、その火事がきっかけで、家族が辻の気持ちをわかってくれて。それでモーニングに入れて。
辻は前よりもっと火が好きになりました。火を見てればなんでもできるようなそんな気になりました」
ぽろぽろと涙をこぼしながら、辻は言葉を続ける。
「でも、最近また家族が芸能界やめないかって……。
だからまた火事になればって……。そう思って……でもまさか本当に火事になるなんて。
……きっとあれは罰だったんです。辻があんな事考えたから」
- 139 名前:9 投稿日:2002年03月09日(土)23時53分25秒
- 「この間の火事のとき見たんだ。炎を見つめるこの娘の顔を」
相変わらず穏やかな口調で男が口を挟む。
そういえば、あの時辻の様子を見に行ったのはこのマネージャーだった。
「そのとき気がついたんだ。ニ年前の火事もこの娘のせいだって」
飯田は想像した。そのときの辻の顔を。
恍惚としたその顔を。罪悪感に歪んだその顔を。
思わず溢れそうになる涙をぐっとこらえる。
「メールを送ったら、思った通りひどく動揺していた。
だから、今度は携帯に電話した。今流行りのプリペイド携帯ってヤツからね。
もちろん声は変えておいたよ」
携帯……もしかしてあのときの……。
人目を避けるようにトイレの中に入る辻の姿を思い出す。
やはりあの時、無理にでも声をかけていれば……。
飯田は唇を噛み締めた。
「これは罰だよ。あんな火事を起こした辻に対する罰なんだ」
「でも、でもそのときの火事はボヤだったって!」
「そう、火事自体はたいしたことなかった。
でも、あれが原因で僕の人生はすっかり狂ったんだ」
「なにが……なにがあったの……」
- 140 名前:9 投稿日:2002年03月09日(土)23時54分04秒
- 「遅刻したんだ」
「え?」
「あの火事があったのは明け方だった。
その日は会社の入社式だったんだ。
それなのにやじうまが集まって大騒ぎして、警察が事情聴取して。
おかげで僕は入社式に間に合わなかった。
僕は……新入社員代表だったのに」
「そんな……そんなことで!」
「そんなことだと!
一流の中学! 一流の高校! 一流の大学! そして一流の会社!
せっかく……せっかくここまで来たのに。
それが……それがあんなことで!」
「そんなの逆恨みじゃない!」
男は人差し指でメガネを上げる。
レンズの向こうの目は、せわしなく瞬きを繰り返した。
「君たちには分からないんだ。
いつもちやほやされて、綺麗な衣装を着て歌ってるだけの君たちには。
僕の苦労なんて、僕の苦労なんて!」
「そんなことない! あたし達だって苦労してるんだよ。
それでも……それでも一生懸命がんばってるんだ!」
- 141 名前:9 投稿日:2002年03月09日(土)23時55分04秒
- 「うるさい!
その娘の所為だ。僕は期待されてたのに……。
その娘があんな事したから。
だからあんな部署に……。
だからあんなミスを……。
だからリストラなんか……。
僕は……僕は選ばれた人間だったんだ……。
それなのに……こんな、生意気な子供達の世話なんかさせられて……。
そう、辻にも同じ目を味あわせるんだ。
火事を起こして……芸能界にいられなくしてやるんだ」
ぶつぶつ呟く男の言葉を聞いて、飯田の胸にふつふつと怒りが湧き起こる。
「ふざけないで! そんなの全部自分の所為じゃない!
アンタこそ、辻がどれだけ苦労したのか知らないくせに!
『モーニング娘。』に入って、ひとりだけユニットに入れなくて……。
それでも辻はがんばった。いっつも笑顔で。
ずっと…ずっと辻はがんばってきたんだ!
アンタみたいに他人の所為にして逃げたりしない!
辻はアンタなんかより、ずっとずっと強くて、ずっとずっと立派な娘だよ!」
- 142 名前:9 投稿日:2002年03月09日(土)23時55分40秒
- 「うるさい!
うるさいうるさいうるさい!!」
かんしゃくを起こした子供のように男はぶんぶんと首をふった。
そのまま、頭を抱え込む。
大きく息をついた男は、顔を上げ、ずり落ちたメガネを人差し指で押し上げた。
「どっちにしても、僕はもう終わりだよ。
こうなったら、もうどうなっても」
そう言ってコートのポケットから取り出したもの。
それは透明な液体の入った500mlサイズのペットボトルとライターだった。
あれは……もしかして……ガソリン!?
突きつけられた恐怖に飯田の体はこわばる。
足が震える。思わずその場にへたり込みそうになった。
駄目、とても逃げられそうに無い。でも…ならばせめて。
「辻! 逃げて!」
「飯田さん!」
辻を後ろに押しやり、両手を広げて仁王立ちになる。
「駄目だよ逃げちゃ。みんな……みんな燃えちゃえばいいんだ」
怖い……。でも守らなきゃ……みんなと約束したんだ……辻を守るって。
じゃり、じゃり、と音を立てて男が近づく。
飯田は思わず目を閉じた。
- 143 名前:9 投稿日:2002年03月10日(日)00時02分40秒
- ガン!
鈍い音が響いて、飯田は恐る恐る目を開いた。
ゆっくりと崩れ落ちる男の後ろには……。
「なっち!」
しっかりと木刀を握り締めた安倍は、そのままへなへなとしゃがみこむ。
「はは、腰……腰ぬけた」
「なっち! どうして」
「いやー、それがさ、なっちこの人にホテルまで送ってもらったの。
したら、後姿に見覚えがあって。で考えたら、ほら!
圭織の家でベランダに閉じ込められたとき。
あの時の後姿にそっくりだったのぉ。それで慌てて後を追っかけて。
でも、途中で見失って。あー、でも間に合ってよかったぁ」
下弦の月を思わせる目で笑う安倍を見て、飯田はこらえていたものが溶けていくような気がした。
「なっちぃ……」
しゃがんだままの安倍の肩に、飯田は頭を寄せる。
「うんうん、よしよし、怖かったねえ。もう大丈夫だよ」
その長い髪を、安倍は優しく撫でる。
「最近怖い事ばっかだから、護身用に木刀買っといたんだ。
でもさ、これ持ってホテルのロビー通るのすっごく恥ずかしかったんだよぉ」
「もう……なっち……」
「そんなことより、ほら」
安倍に言われて見上げたところには、長い髪を風に揺らした辻の姿があった。
「辻……」
- 144 名前:9 投稿日:2002年03月10日(日)00時03分20秒
- パトカーの音がその音色を変えながら遠ざかる。
安倍が呼んでおいた警察に、男は連れられていった。
静けさを取り戻した場所で、飯田は辻と向かい合う。
「辻……。ごめんな。圭織が……圭織がもっとしっかりしてれば。
もっと辻の事ちゃんと見てれば……こんなことにはならなかったのに」
こみ上げてくるものを隠すように、飯田はうつむいた。
「圭織、何にも知らなかった。
辻が火を好きだってことも。
辻の家族が芸能界辞めさせようとしてるのも。
辻が……どれだけ悩んでいたのかも。
やっぱり、駄目なリーダーだね」
「そんなこと無い」
顔を上げた飯田の目に、辻の顔が映った。
帽子を脱ぎ、髪を下ろして口を閉じたその顔は、なんだかひどく大人びて見えた。
- 145 名前:9 投稿日:2002年03月10日(日)00時04分08秒
- 「飯田さんは辻を守ってくれました」
「違うよ、守ってくれたのはなっちだよ」
「違います」
ふるふると首をふる。
「あの時、飯田さん辻はがんばってるって言ってくれた。辻は立派だって。
あの言葉うれしかったんです。なんか、救われた気がしたんです。
辻は間違ってないんだって。辻はここにいていいんだって。
飯田さんは辻の心を守ってくれた。
……だから飯田さんは、辻にとって大事なリーダーです」
にっこりと八重歯を見せて笑った顔は、いつもの幼い笑顔だった。
「つぅじぃ……」
小さな体にしがみつく大きな体を、安倍は両手を腰に当てて静かに見つめた。
こうして、『つじのかじ』から始まった一連の事件はようやく幕を閉じた。
- 146 名前:9 投稿日:2002年03月10日(日)00時05分10秒
- 「リーダー! そろそろ出番だよー」
「はぁーい、ちょっと待ってぇ」
あの事件から二週間が過ぎた。
実際、あの後は本当に大変だった。
なんと言っても国民的アイドルが巻き込まれた犯罪。
マスコミという猛火にわたし達は焼き尽くされそうになった。
なにしろ、『モーニング娘。』という名前が、テレビから消える事が無かったくらいなのだから。
でも、それももうさすがに下火になった。
わたし達はようやく、元のペースを取り戻しつつあった。
「圭織! 大変! 紺野がまたいないよ!」
「マジ!? あいつまた楽屋でボーっとしてるな!」
「すみません! 遅くなりました!」
「こぉんのぉ! あんたなにやって──」
「まあまあ、もう時間も無いし」
ふう、と息をついてメンバーを見渡す。
「じゃ、みんな集まって」
いつものように、13人で円陣を組む。
- 147 名前:9 投稿日:2002年03月10日(日)00時06分25秒
- ふと、辻と目があった。
ふわっと、幸せそうな笑顔を見せる。
最近、本当にいい笑顔を見せるようになった。
どうやら家族への説得もうまくいったようだ。
あの出来事も決して悪い事ばかりではなかった。
なっちや圭ちゃん、矢口が頼りになるのをあらためて認識できたし、
まだまだ子供だと思ってた後藤や石川、吉澤に加護もしっかりしてきた事が分かったし。
なにより、前よりもいっそう深い信頼関係ができたように思う。
雨降って地固まるってやつかな。
今はまだ溶け込んでいるとはいえない五期の娘達も、いずれはかけがえの無い仲間になることだろう。
うん、やっぱり私はモーニング娘。が好きだ。
この娘達が好きだ。
だから……がんばっていこう。リーダーとして。
「さ、いくよ! がんばっていきまー」
「「「しょい!!」」」
──── 『つじのかじ』 了 ────
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