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娘。達のサッカー小説
- 1 名前:らいず 投稿日:2002年02月27日(水)21時00分42秒
- 娘。達の挑戦
突然娘。達にサッカーをさせてみたくなりました。架空の世界のお話です。
娘。のサッカー小説といえば 素晴らしい145センチシリーズがあって、僕も半泣き
になりながら読んでいました。大変影響も受けました。
設定は大分違いますが、頑張って書きますので、よかったらお付き合いください。
*この物語はフィクションです。この物語に出てくる個人名や地域や国、団体やリーグ
は実在するものとは一切関係ありません。(こんなのでよかったっけ、、)
- 2 名前:らいず 投稿日:2002年02月27日(水)21時02分34秒
- 第1章
安倍なつみ コンサドーレ札幌所属 背番号9 ポジションCF 利き足 右
昨シーズン、得点王の座こそ2年続けて逃したが、練習中の彼女から明るい笑顔は絶える
ことがなく、失意の様子はみじんもうかがうことは出来なかった。もちろん彼女はそんなこ
とはもう気にしていないのかもしれないのだが、、、、
- 3 名前:らいず 投稿日:2002年02月27日(水)21時04分12秒
- 3年前に得点王を取った頃は、日本代表のFWの座もしばらくは安泰という評判どおり、素早いDFの裏への抜け出しからゴールを量産し続けた。華麗なフェイントも(実際は抜ける事は少ないのだが)彼女の人気を押し上げるのには十分な要素でTV映えするその映像はどこでとなく使われた。当たりには弱く、ゴール前に飛び込む前に倒されることの多い彼女だったが、それでもDFの裏を狙い続けた。
2年前の短いオフシーズン、元来真面目な性格の彼女は世間の期待に応えるため、何よりも応援してくれるサポーターのために、従来弱点であった当たりの強さを克服するため肉体改造を試み、大リーグなどで実績のあるコーチのいるニューヨークへと単身渡米した。連日の昼間の激しいトレーニングに加え、夜になっても走込みを行い筋肉のつく身体作りを目指した。その結果彼女は当たりに強い体を短い時間でなんとか作り上げた。しかし過剰とも思われるトレーニングは彼女の肉体を強くするだけでなく明らかに余分な筋肉までもつけていた。
- 4 名前:らいず 投稿日:2002年02月27日(水)21時06分49秒
- その結果、確かに以前のように簡単に倒されることは少なくなったが、トレーニングを行ない続けたリーグ中盤戦頃には、ゴール前には誰が見てもスピードを失った彼女がいた。肉体改造は彼女に倒れない強い身体に変え、強いシュート力でゴールキーパーの手を飛ばしてのゴールも見られるようになったが、自慢のスピードは急激に失われスルーパスに反応出来ないこともしばしば起こった。しかしそれはそれでポストプレーという新しい境地を開き、遠目からの強引なシュートが打てるようになり、彼女自身はプレーの幅が広がったと思っていた。
- 5 名前:らいず 投稿日:2002年02月27日(水)21時07分37秒
- しかし華麗なフェイントと、裏へ抜け出す一瞬のスピードこそ安倍と勝手なイメージを押し付けたサポーター達は、ゴールの枠にいかない強いシュートを打つたびにブーイングを繰り返した。海外移籍の話も立ち消えになっていった頃には世間やTVも手のひらを返したようにバッシングを行うようになっていった。真面目な彼女はストレスに悩まされ、体重をさらに増やし、そして調子を落としていった。安泰と思われていた代表のレギュラーからも外れ、リーグ戦でもベンチを暖める日が幾度となくあった。肉体改造は失敗かと聞くマスコミに対して彼女は何も答えず、黙って、ただ笑顔だけを向けていた。
去年、今年と得点王には遠く届かなかったがそれでもチャンスに強いところは変わらず、ここぞというところではしっかりとゴールを決め、チームを降格の危機から救った。今年に入り身体も以前のように無駄な筋肉はなくなった。しかし黙々とトレーニングを続け、新しい境地を見つけた彼女にもうただのスピードはいらなかった。この強いシュートでもう一度世界にチャレンジする決意を固めていた。
後悔は、していない。
- 6 名前:らいず 投稿日:2002年02月27日(水)21時08分56秒
- ***最初の方 改行失敗してしまいました。
読みにくくてごめんなさい。***
- 7 名前:らいず 投稿日:2002年02月27日(水)21時10分10秒
- 第2章
後藤真希 FC東京所属 背番号51 ポジションCF/LWG 利き足 左
今シーズン開幕前のキャンプも最終クールに近づき、練習が終わる頃には、いつものように彼女の周りには人だかりができていた。昨シーズン2年続けて得点王となった後藤真希には今でも海外移籍の話題が絶えず、しつこく迫るマスコミに対して彼女はもう肯定も否定もしなかった。ただ、その話は終わったでしょ、あまりかまわないでよ という視線だけを投げ掛けぶっきらぼうに答えるその様はたしかにとっつきにくそうなイメージを持たれるのには十分だった。
- 8 名前:らいず 投稿日:2002年02月27日(水)21時11分04秒
- 2年前のリーグが始まる前に行なわれたFC東京のセレクションで、一人圧倒的な輝きを見せ一人だけ合格した無名の彼女は、あっという間に1軍に定着し、リーグ3試合目で早くも途中交代から同点ゴールを決め、なんと逆転ゴールまで決めてみせた。それ以降はスタメンにも定着し、誰もが驚くシンデレラストーリーを成し遂げた。
試合を静観しながらもゲームの流れに合わせて強弱をつけ、ユニークな応援と“俺”の東京というスタンスでこのチームを愛するサポーター達は彼女のゴールが決まるたびに「東京ブギウギ」を歌い、YEAH!と誇らしげに手を挙げ、歓喜に浸った。そして彼女の快進撃はそこで終わらず、その後もゴールを奪い続けた彼女はデビュー1年目で得点王のタイトルを勝ち取った。当然どこからともなく海外移籍の話も持ち上がり、冬の天皇杯が始まる頃には‘後藤真希 ペルージャ移籍決定!’という無責任な記事も出始めた。
- 9 名前:らいず 投稿日:2002年02月27日(水)21時13分24秒
- この頃には彼女はもう“キング オブ トウキョウ”でありJ1昇格を果たしたばかりのこのチームの得点の大半をたたき出し結果、総合7位に押し上げた。彼女がいない時にはチームは得点力不足に悩まされた。
そんな中始まった天皇杯3回戦、バンフォーレ甲府戦に出場した彼女に対して、試合中サポーター達はずっと“ゴ、トウ、マキ! ゴ、トウ、マキ!”と力の限り応援し続けた。普段は静観する事の多い東京のサポーター達だったが、この日ばかりは彼女が少しでもプレーにからむたびにプレーの如何にかかわらずコールを送り続けた。結局この日彼女はゴールを決める事もなく、チームも無得点でJ2のチームに敗れ去り、短い天皇杯が終わった。彼女のデビューシーズンも騒動の中終わりを告げた。
- 10 名前:らいず 投稿日:2002年02月27日(水)21時14分19秒
- この年MVPや新人王など各賞を獲得した彼女は、Jリーグ・アワードのスピーチの席上で突如残留を表明し(もともと移籍するとは彼女は一言も言っていなかったのだが、、)ひとまずこの騒ぎは一段落を迎え、東京サポーター達もほっと胸をなで下ろした。サポーターのおかげですか?というマスコミの質問に対し彼女はそうですねっとどちらでもないような顔で答えこの騒動を終わらそうとしていた。
そして昨シーズンもゴールを奪い続け2年続けて得点王を獲得した。しかしチームは年間総合8位で終わり、どちらかといえば表情を表に出すほうではない彼女が悔しそうな顔を見せる事が多くなった。そんな彼女に対し相変わらず海外からのオファーが殺到していたが彼女は首を振らず早々と残留を表明した。理由を聞かれてもワールドカップのため、とだけ答え多くは語らなかった。
- 11 名前:らいず 投稿日:2002年02月27日(水)21時15分56秒
しかしサポーター達は彼女にはもっとチャレンジすべき世界がある事を誰もが承知しており、その時が来るまで応援し続ける“キング オブ トウキョウ”として。
***今日はここまで。
- 12 名前:らいず 投稿日:2002年02月28日(木)18時00分55秒
- 第3章
吉澤ひとみ 浦和レッズ所属 背番号4 ポジションOH/CF 利き足 右
J1に復帰した去年、再び降格の危機にさらされるかもしれない状況を救ったのは間違いなく彼女だった。シーズン中盤にようやく前評判通りのセンスと運動能力を見せ、熱い声援に応えていった。
- 13 名前:名無しさん 投稿日:2002年02月28日(木)18時03分38秒
-
もともとDFだった吉澤は2年前入団した頃からセンスは一番あると太鼓判を押されていた。しかしJ2ですらなかなかその片りんを見せる事のないまま彼女はボールを追いづけ、前目に出たところでボールを奪われ相手のカウンターをくらっていた。ふわふわした性格の通り何故か地に足が着いてないような感じの受ける彼女のプレーはサポーターからもじっとしていろ とやじを飛ばされる事が多かった。それでもセットプレーや攻撃参加はチームの攻撃にアクセントを加え彼女自身も7点ほど点を決めた。得点の形のない浦和にとって、貴重な攻撃源であると同時に、埋める事のできないぽっかり開いた穴は大きな相手の格好の餌食だった。それでもJ2で圧倒的な選手層を誇る浦和は苦しみながらも最終節、吉澤のVゴールでJ1に復帰した。
- 14 名前:らいず 投稿日:2002年02月28日(木)18時04分59秒
-
きっかけは監督が変わった事だった。ブラジルから来た監督1年目のこの監督は何の先入感も持たずに、彼女を見て驚いた。確かに恵まれた身体はDFには向いているが彼女の能力はもっと他で活かせると考えた。パスが特別上手いわけでもなく視野もそんなに広くない、どちらかといえば熱くなりやすく、カッとすると周りが見えなくなる事も多かった。それでもこの監督はプレシーズンマッチで彼女をセンターに、DFではなくOHとしてコンバートをして試合に臨んだ。
その結果、パスミスが少なくない訳ではなかったが、彼女のボールに触りたがる性格が良い方向に働き、浦和は以前に比べボールを支配する時間が明らかに多くなった。また彼女が前線からプレッシングをかけ続けた事により、彼女の抜けたDF陣もラインを押し上げる事ができ、チーム全体としてコンパクトなサッカーが保つ事ができた。そして得点も決め結果を出した。
- 15 名前:らいず 投稿日:2002年02月28日(木)18時06分55秒
- もともとセンスのあった彼女は徐々にこのポジションに慣れていき、1.5列目もこなすようになっていった。以前はあまり話したがらなかった彼女もマスコミやチーム関係者に対して、たーのしーっ と無邪気に笑顔を見せる事が多くなった。彼女いわく、以前はとにかくボールを奪って、ボールに触りたかった。今は自分にボールが集まってくる。もっと上手くなってかっけー(かっこいいという意味)サッカーをしたい。と。
彼女は今でもふわふわしたプレーをしている。しかしこのポジションでは相手が動きを読みにくく、DF達を翻弄するのにいいアクセントになっていた。
まだまだ安定性には欠けるところがあって、リーグ戦では、強い相手にボールを支配されるとどうしても彼女にボールが集まりにくく、そうなると以前のようにボールを追い、調子が良い日はそれがプレッシングとなっていたが、調子が悪いとチームのバランスを崩していた。それがチームの順位にも影響したが、彼女の得点力で浦和はJ1に残留を果たした。
- 16 名前:らいず 投稿日:2002年02月28日(木)18時08分42秒
-
しかしまだコンバート1年目であり、この順位にも納得はしていない。来年こそは更なる飛躍を目指す。
今、吉澤ひとみはサッカーを楽しんでいる。
- 17 名前:らいず 投稿日:2002年02月28日(木)18時11分06秒
- ***13 が 名無しさんになってる、、、
しまった、、、****
- 18 名前:名無しさん 投稿日:2002年02月28日(木)18時15分22秒
第4章
矢口真里 横浜Fマリノス所属 ポジション RSH/RWG 利き足 右
右サイドのスペースに出たボールにあっという間に追いついた彼女は、追いかけてきたDFの足の届かないところにちょんとボールを出し、自分だけ追いついてセンタリングを放り込んだ。あまりゴールの方向を見ている時間はなかったが、それでも蹴った瞬間いったと思った。しかしFWのヘディングはわずかに枠を逸れ、こちらを見てごめんと目で送ってきた。監督からブラボー マリー!と拍手され、このキャンプ紅白戦を見に来ていたサポーターからも拍手がわいた。
- 19 名前:らいず 投稿日:2002年03月01日(金)00時13分17秒
-
この右サイドを切り裂く、圧倒的なスピード突破からのセンタリングで、昨シーズ後少しで海外移籍が決まりそうだった。ただ小柄な体格と、何といっても昨シーズン降格すれすれ、というチーム事情が話を暗礁に乗り上げさせた。別に悔しくないですよーとけたけた笑いながら取材に答えていたが、内心狙っていた、というチャンスだったので幼なじみの親しい友人にだけ悔しいと漏らしていた。
もともと彼女はスポーツが好きでなく、どちらかといえば自分で苦手だと思っていた。多分何をするにしてもこの体格はハンデになる、と思い込んでいた。転機は高校2年のとき。駅伝大会県予選に出るはずだった陸上部の彼女の幼なじみが、大会1ヶ月前に足を骨折し参加する事が絶望的となった。残念ながらこの高校では駅伝は人気がなく、部員が駅伝の人数きっかりしかいなかったので、大会参加は見送られるところだった。
- 20 名前:らいず 投稿日:2002年03月01日(金)00時14分55秒
そんな時病院にお見舞いにいった矢口は、幼なじみに代わりに走って欲しいと伝えられた。矢口の幼なじみは、矢口はほんとはスポーツが好きで、部活でバスケットやバレーしている風景をぼーっと見ているのを、知っていた。ほんとは運動神経もいいし、なによりもこんなところでくすぶっている彼女をいつまでも見ているのが嫌だった。
陸上は身長関係ないし、代わりに出てよ、とだけ、見舞いに来てくれた矢口の顔を見ずに言った。
矢口も一方この幼なじみがこの大会の為にどれだけ練習してきたのか知っていた。そして彼女がいつも矢口にスポーツしなさいよー、とこんな自分に何かしらの期待をかけてくれているのも知っていた。普段ならおいらには無理だよー、とかわしていたが、今回だけ、彼女のために走ろうと思った。
- 21 名前:らいず 投稿日:2002年03月01日(金)00時16分21秒
- 大会本番。第4区を走った矢口は1ヶ月もない準備期間のなかで51チーム中24位という好成績を収めた。幼なじみはやればできんじゃん、と言い、そして矢口の中では何かがふっ切れた。
大会本番。第4区を走った矢口は1ヶ月もない準備期間のなかで51チーム中24位という好成績を収めた。幼なじみはやればできんじゃん、と言い、そして矢口の中では何かがふっ切れた。
スポーツの楽しみを改めて実感し、スポーツやる、とだけ言い残し矢口は病室から出ていった。
駅伝は身長関係ないけれど、また逃げるのも嫌だし、けどバスケットとかは絶対無理だし、、と考えていた頃、サッカー部の顧問を兼ねていた陸上部の先生が声をかけてくれた。サッカーは相手に当たられなければ身長は関係ない、とおまえのスピードならそれができる、と。
遅い入部となったが、持ち前のスピードと、そしてセンスと努力でレギュラーを勝ち取り3年の時にはチームを初の選手権県予選ベスト4まで導いた。
- 22 名前:らいず 投稿日:2002年03月01日(金)00時17分52秒
-
地元の横浜マリノスに入団した誰よりも小柄な彼女は、誰にも負けない負けん気で練習に励み、サイドからのクロスを上げ続けた。ゲームを重ねるたびに精度を高めていき、ついに代表の座もつかんだ。
そして今、陸上のオリンピック候補の一角とも言われている幼なじみと、どちらが先に世界に出るかーー世界は違えど競争している。
- 23 名前:らいず 投稿日:2002年03月01日(金)00時20分55秒
- ***きょうはここまで。 たくさん失敗してる、、、
ほんとごめんなさい しっかり確認します。***
- 24 名前:名無しさん 投稿日:2002年03月01日(金)12時33分22秒
- なかなかおもしろそうですんね
2CHに紹介しときます。
- 25 名前:らいず 投稿日:2002年03月01日(金)22時04分45秒
***わーー、、ありがとうございます。
、、ですんね?、笑
今日は書けませんがまた頑張って書きます。***
- 26 名前:らいず 投稿日:2002年03月02日(土)21時56分18秒
- 第5章
加護亜依 セレッソ大阪所属? 背番号5 ポジション LSH/LWG 利き足 左
加護亜依はもう決めていた。
昨シーズンセレッソはJ1降格が決定し、来期からJ2で戦う事になっていた。
彼女以外のメンバーはほとんど他チームに流出する事なく残留を決めていた。ただ代表メンバーでもある彼女がJ2でプレーして代表監督にアピールできるのか、という彼女自身の不安や、心配する周りの声もあり移籍するのではとささやかれていた。
J1からのオファーはもちろん届いていた。左サイドを補強したいクラブはたくさんあり、FC東京や浦和やガンバ、主力選手の抜けそうな磐田、大型補強をしている神戸などからオファーがあった。中でもユース代表時代から、ずっと一緒に戦ってきて、今でもA代表で加護と息の合ったプレーを見せている辻希美や、あの後藤真希がいるFC東京は条件も良く、後は加護に返事を待つだけという状態にあった。
- 27 名前:らいず 投稿日:2002年03月02日(土)21時58分25秒
今シーズンセレッソ大阪は、昨年優勝を後一歩で逃して悔しい思いをした借りを返すためにブラジル人監督を雇い優勝を目指した。
この監督は規律を重んじ、戦術の枠に選手を縛り、ドリブルをほとんど許さずワンタッチ、ツータッチでの早いパス回しを好んだ。個性を出すよりは、組織プレーを大原則としていて、今までこのやり方で結果を出していた。
加護はこれまでこのチームで主に左のサイドハーフから左のウイングまでの高い位置でプレーしていた。同じサイドハーフでも横浜Fマリノスの矢口真里がスピードを最大限に活かし縦に突破するタイプであるのに対して、加護は左利き独特のリズムでステップを踏み、フェイントをかけ、爆発的な加速力のドリブルで、ペナルティーエリアに切り込んでいくプレーを得意としていた。
ドリブルで抜けなかったとしても彼女は抜けるまで果敢にチャレンジしていくタイプだった。
- 28 名前:らいず 投稿日:2002年03月02日(土)22時00分32秒
ところが前監督はこの加護も戦術の型にはめ、長くボールを持つ彼女に対して、何度も注意したが、加護も今までの自分のプレーが否定されているようで簡単には受け入れられなかった。 このプレーだけは譲れへんし、そんな簡単に変えられへんわっ、と自分の言い分を主張し続けた。
しかし結果、両者の溝は埋まらず、以後ちゃんとした話し合いの場もないまま加護は徐々に出場機会を失っていった。2ndステージにもなると、メンバーのアクシデントがなければピッチに立つ事はなかった。
- 29 名前:らいず 投稿日:2002年03月02日(土)22時02分44秒
加護という武器を失ったチームは負けを重ね、ついに次負けると降格が決まるところまで来てしまっていた。そしてカード累積による出場停止やけが人も続出し、監督は投げやりな様子で、次節、加護のFC東京戦への出場を明言した。
加護にとっては久しぶりの試合であり、チームの降格を避けるため、監督を見返してやるため、そしてなによりも自分の信じるプレーのために勝利を誓った。
- 30 名前:らいず 投稿日:2002年03月02日(土)22時04分47秒
アウェーでの東京戦では辻希美の激しいマークにあい、試合からも遠ざかっていたために加護自身チャンスすら作れる気配なく、試合も前半15分に早くも後藤真希に先制点をゆるし、何もできない彼女のイライラは早くも最高潮に達していた。そんな中前半20分過ぎ、加護は相手選手から後方からの激しいバックチャージを受け相手の選手と一緒に倒れ込んだ。一瞬我を忘れて、起き上がりざまに相手の足を蹴った。
あ、っと思った時にはもう遅く、加護にレッドカードが提示されていた。
あまりにも早すぎる退場。
そして10人になったセレッソは為す術もなく2−5でFC東京に敗れJ2降格が決定した。
加護は試合後も一人責任を感じ、茫然自失で控室から動けず東京サポーターの“さよならセレッソ”コールをどこか遠くに感じながら聞いていた。
- 31 名前:らいず 投稿日:2002年03月03日(日)01時59分28秒
- ***続く***
- 32 名前:らいず 投稿日:2002年03月03日(日)23時46分18秒
その試合から2日後、監督は辞任し、新しい監督に変わった。ユース代表で加護を選んだ事のある監督で、加護の性格や特徴もある程度理解していた。
彼は先の東京戦ももちろん見ていた。先制点があの試合を決めた、と思っていた。
あの試合の先制点、東京の後藤真希のゴールは、加護が無理にドリブルで突っかかって、相手にとられてからのカウンターから生まれたゴールだった。あの場面、加護にはフォローが2人来ていて、どちらを使えば数的優位だっただけに、簡単にボールを失う事はなかったはずだった。しかし加護は1人で勝負した。
必ずしも間違いではないが、結果がああであれば批判されても当然だった。
- 33 名前:らいず 投稿日:2002年03月03日(日)23時48分40秒
前監督はそんな加護の一人で何でもしたがる性格を、もしかしたら見抜いていたのかもしれなかった。だから早いタッチでパスを回させ、加護のプレーを広げ、そのなかでできれば、人を使う事は人に頼る、という意味ではなく、ましては勝負から逃げている事でもない、と自分で気付いて欲しかったのかもしれないな、と新監督は加護に自分の考えをそのまま伝えた。
加護は少し怒ったような、困ったような顔で練習の輪の中に戻っていった。
そして練習終わりに加護は監督のところへやって来て、ぼそっと、そんな難しい事言われてもすぐには分からへんけど、、これからは分かるようにする。と小さく震えた声でそう告げた。
その後チームは2ndステージ残り3戦を3連勝で終え、そのままの勢いでなんと天皇杯の決勝まで進んだ。
- 34 名前:らいず 投稿日:2002年03月03日(日)23時49分56秒
加護も獅子奮迅の働きで、これまでのうっぷんを晴らすような活躍をした。慣れないながらも、周りをルックアップしながら味方を使い、味方に自分を使わせた。完全に組織の一員としてプレーしようとしていた。
相手チームはこれまで、加護の加速力抜群のドリブルに対して、選択肢がドリブルだけならばそれだけを気をつけていれば何とか対処は出来ていた。ところがそれに味方を組み合わせた、3つも4つにも増えた彼女のアタックは、もう簡単には止められなかった。
優勝こそ逃したが、嬉しそうに準優勝の表彰台に上る加護の顔は晴れ晴れとしていた。
- 35 名前:らいず 投稿日:2002年03月03日(日)23時51分16秒
J2でもちゃんと見ててや、って代表監督に伝えといて、とマスコミに言い残し加護は残留を表明した。その元気な声からはJ1への未練など全く感じなかった。
- 36 名前:らいず 投稿日:2002年03月03日(日)23時52分53秒
第6章
保田圭 柏レイソル所属 背番号6 ポジションDH/CB 利き足 左
「もう大丈夫かな?ねえ?、、ねえってば!」と保田圭は自分の右足にじゃれている子犬に話しかけた。
練習グランド横のベンチに腰掛け、午後からのミニゲームに向けて昼食後のしばしの休憩を楽しんでいた。
- 37 名前:らいず 投稿日:2002年03月03日(日)23時56分35秒
-
***きょうはここまで***
この小説は一応私のホームページと少なからず連動しています。作ったばかりですが、、
もしご興味のある方はぜひ覗いてみて下さい。
http://homepage2.nifty.com/riserise/index.html
- 38 名前:らいず 投稿日:2002年03月04日(月)23時31分02秒
昨シーズン保田は試合中にひざの半月板を損傷し、その後手術も行なったためしばらく戦列を離れていた。
今日も午前中はリハビリメニューを順調にこなしていた。保田圭は午後から始めるミニゲームに向けて午前中に少しひざに強い負担をかけてみたが痛みはほとんどなく、思いのほか順調な回復ぶりに安心していた。
実践形式の練習に参加するのは4ヶ月ぶりで今日のひざの状態次第では復帰が遅れる可能性もあった。
今年の大事なビッグイベントの為にもここで、ある程度しっかりプレーできる必要があった。
- 39 名前:らいず 投稿日:2002年03月04日(月)23時32分55秒
入団以来柏レイソルで保田は中盤の底にポジションをとり、走力こそないがその高い危険察知の力と相手のスペースを的確にうめるプレーで、相手の攻撃の芽を摘んでいた。
パスのミスなども少なく、その抜群の安定性はチームの監督が変わろうとも重宝され、守備の中心としてすえられる事が多かった。
もちろん現在代表でもその安定性は必要とされている。現に来月行われる代表合宿に、保田は怪我をしているにもかかわらず招集されている事からもその期待の高さが伺われた。
Jリーグデビューした当初の彼女はミスこそ少ないものの、味方と連携して指示をする事も少なく、攻撃参加も数える程しかなくとにかく守備に専念にしていた。どちらかといえば地味で玄人受けする選手であったが、何か物足りない感じもしていた。
もちろん昨シーズンが始まるまでJリーグでの得点は0だった。
- 40 名前:らいず 投稿日:2002年03月04日(月)23時35分45秒
-
しかし、徐々に個性を発揮し始めた昨シーズン、3年目にして初代表に選ばれた。
代表での役割も守備を引き締めるDH。しかし代表監督は保田に守備だけでなく攻撃への参加も求めた。柏レイソルではそれほど求められない役回りに戸惑いは隠せなかった。
そんな彼女の代表デビュー戦、監督はスターティングメンバーから彼女を使っていった。しかも彼女に左腕には、チームでも1回もつけた事のないキャプテンマークがつけられていた。(もっとも後先にも保田がキャプテンマークを巻いたのはこの試合だけだったが)
この試合、保田は何かずっときっかけを待っていたかのように声を荒げ、自ら味方に指示を出し、攻撃にも保田なりに積極的に顔を出した。
そして保田のラストパスから吉澤が点を決め日本が勝った。
後に雑誌の取材にも、「キャプテンマークを巻いた事で、責任を感じました。何か自分の中で殻を破れた気がするんです、(代表)監督に感謝してますよ。ほんとに。」とコメントしていた。
- 41 名前:らいず 投稿日:2002年03月04日(月)23時39分50秒
これを機に柏でも味方と連携し声が出るようになり、少しずつではあるが攻撃にも参加していった。もともとパスミスの少ない選手であったため、その確実なつなぎは別の意味で味方の守備の負担を減らす事が出来た。
そして昨シーズン2ndステージアウェーでのヴィッセル神戸戦。ヴィッセルが柏陣内で責める時間が多く、保田も守備に忙殺されていた。
しかし0−0のまま前半40分コーナーキックのチャンスを得た柏。
ファーサイドに流れた球を保田が拾い、相手のプレッシャーがかかるなか、身体をひねって少し無理な体勢から得意の左足でもう1度センタリングを放り込んだ。
しかしボールはDF陣にはじき返されてヴィッセルのカウンターをくらう格好になった。
保田は戻ることができず、ヴィッセル陣内に残ったままだった。
- 42 名前:らいず 投稿日:2002年03月04日(月)23時41分56秒
- このヴッセルのカウンターもすんでのところで柏DFがストップし大きく蹴り出された。 前がかりになっていたヴッセルサイドにはぽっかりとスペースが開いており、その先には普段いるはずのない保田がいた。
慌ててチェックに向かうDF。
保田はすぐにFWにボールを預けてすっと前に出た。
FWはボールを少しの時間だけキープし、左にちらっと味方のユニホームが見えたので右足のアウトサイドでその方向にはたいた。
そのボールをもらった保田は、ペナルティーエリア少し外から思い切って左足を振り抜いた。
1−0。
彼女自身Jリーグ初ゴールを決めた。
- 43 名前:らいず 投稿日:2002年03月04日(月)23時44分44秒
-
しかしその直後自ら×印をだして交代を申し出た。先のセンタリング時に右ひざを激しくひねり、シュートを打ったあと、もう歩く事が出来なくなっていた。
試合は1−1の引き分け。柏は保田の抜けた後こらえることができず同点ゴールを許した。
試合が終わる前に病院に向かった保田は 慣れない事するもんじゃないねー、とつぶやいていた。
診断の結果は右ひざ半月板損傷。全治4ヶ月で手術も必要だった。手術をしても場合によってはその後プレーするたびに右ひざに水が溜まる可能性があるから、注意して経過を見るように言われた。
- 44 名前:らいず 投稿日:2002年03月04日(月)23時46分06秒
- ・・午後からのミニゲーム、保田は医者の言葉を思い出していた。その後のリハビリではそのような症状は出ていなかったが、実戦形式の練習で激しく体勢を変えたりする中でどうなるかはわからなかった。
マスコミも数人ほどきており、リハビリに付き合ってくれたトレーナーも見守るなか保田はプレーをした。
皆気を使い、激しく当たる事はないものの、数プレーする中で彼女はやれるという実感をいだいた。まだ30%程度だが、ある程度自分のイメージしているプレーができたし、読みの感覚も忘れてはいなかった。
- 45 名前:らいず 投稿日:2002年03月04日(月)23時48分10秒
ミニゲーム後、少し照れ笑いを浮かべながら、トレーナーにできました、と報告した。
そしてすぐにグランド横のベンチに鎖がつながっている保田の愛犬に寄っていって、できたよー、と顔にほうずりをした。
愛犬は少し驚いて嫌がったが、すぐに保田の顔をなめ始めた。
- 46 名前:らいず 投稿日:2002年03月05日(火)00時01分57秒
第7章
辻希美 FC東京所属 背番号22 ポジションCH/DH 利き足 右
相変わらず眠そうな顔をしている辻希美に向かって、後藤真希は「辻ちゃん、昨日ちゃんと寝た?」と聞いた。
辻は「はいい」と答えたが、キャンプ先のホテルで辻の隣の部屋だった後藤は、何だか夜中となりで暴れている辻を思い出したが、「そう、」とだけ答えといた。
多分いつものように、海外のリーグの試合を観ながら、自分もプレーしている練習(?)でもしていたのだろう、と思った。
- 47 名前:らいず 投稿日:2002年03月05日(火)00時05分08秒
- ***今日はここまで
ホームページからメール下さる皆さん ありがとうございます!
これからも頑張りますっ***
- 48 名前:名無し読者 投稿日:2002年03月05日(火)10時40分57秒
- 続きが早く見たいぞ
- 49 名前:名無しさん 投稿日:2002年03月06日(水)13時46分24秒
- あーたもうちと待ちなさいよ。
- 50 名前:らいず 投稿日:2002年03月06日(水)18時23分39秒
今日は地元の大学生との30分×3本の変則テストマッチがあり辻は2本目に出場した。辻は自分より大きい大学生の選手に対して、横方向からその体の懐にぐいっとに飛び込み、自分の体をどんっ、とぶつけバランスが崩れたところを、あっという間にボールを奪いさった。そして顔をすぐに上げて左サイドの後藤真希に長いボールを出した。
辻の特徴はその小柄な身体からは想像もつかない、フィジカルコンタクトをもろともしないその強い足腰にあった。その足腰は辻の強いキック力を生み出していた。
決して精度に優れるわけではないが、相手の足や頭の上のとれそうでとれないところを、すっ、と流れるその早いパスは、守る側にとっては嫌なものだった。
- 51 名前:らいず 投稿日:2002年03月06日(水)18時25分03秒
また「辻は勝手に身体が動くのです」と本人が語った通り、高い運動能力でピッチ狭しと駆け回り相手からボールを奪い、ルーズボールを的確に拾っていき、気がつけばゴール前に現れるその様子に「ノンストップのぞみ号」と名付けたライターなどもいた。
20分過ぎ、ゴール前の混戦からどこからともなく現れた辻がこぼれ球をゴールに押し込んだ。嬉しさを隠そうともせず無邪気な笑顔を振りまいて「次々いくのでーす」と叫んだ。
辻の最近の目標は海外でサッカーする事、特に「すぺいん」にいく事であった。
以前のワールドユースのガーナ戦が始まりだった。
- 52 名前:らいず 投稿日:2002年03月06日(水)18時26分47秒
- 当時ユース代表だった辻はガーナの10番のマンマークにつく事になった。臆する事なくいつものように相手の10番に強く当たっていった。10番は最初の一度だけバランスを崩したが、後は辻のアタックをかわし続け、ボールにさえ触らせなかった。
そして前半25分過ぎ辻の足が止まった。
ショックのあまり足が止まったわけではなく、ただあまりのすごさに、体の使い方、柔軟性、そのしなやかな動きに思わず見入ってしまった。
「のの!のの!!」と辻の愛称で左サイドから加護亜依が叫んでも、辻の耳には入らずただのろのろと動くだけだった。
結局前半で交代させられ、試合もガーナに敗れた。
- 53 名前:らいず 投稿日:2002年03月06日(水)18時28分31秒
試合後辻がマークしていた10番が、相変わらずぼーっとしていた彼女を見つけ近寄ってきた。辻はなんだか分からないけどあやまろう、と思い「ごめんなさいです」と頭を下げた。10番は?マークを顔に浮かべたがすぐに辻に握手を求め「ユーアーグレード!」と言った。今度は辻が?マークを出す番だったが、右手で親指を突き上げ、左手でばんばん、と辻の肩をたたき、笑顔で何だか色々と言っているのを聞いて、ほめられているんだ、と思った。
周りは呆気にとられていたが、辻は「今度は勝つのです!」と今度は自ら握手を求めた。
加護は「何なんあいつ、変なのー、のの、あんなん気にしたらあかんで」と言ってくれたが、それは違うのです、と言いかけてやめた。
今は自分の胸にしまっておこうと思った。
- 54 名前:らいず 投稿日:2002年03月06日(水)18時30分54秒
それから1年ほど過ぎた頃、チームメートが見ていた海外のスペインリーグの試合を一緒に見ていると、見覚えのある選手を見つけた。
「ああ!この前の!」と叫びTVをつかんでいた。
そこではあのガーナの10番あの時と同じようにTVの中で生き生きとプレーしていた。
ボールを奪われまいと深い懐でボールをキープし、相手が体を寄せていたところを一瞬、驚異的な瞬発力でDFの横をすり抜け、そのままキーパーもかわしゴールに流し込んだ。
地響きのような歓声が起こり、10番は両手を上げながらくるくる回りながら喜びを表現した。そしてゴール裏のTVカメラを見つけ目ざとく近寄っていって、両手を合わせ“おじき”をした。
辻にはそれが自分に対するメッセージに見えた、“こちらへ来い”と、、呼んでいるように思えた。
「もっと上手くなるのです。」とつぶやいたきり黙ってしまった。
- 55 名前:らいず 投稿日:2002年03月06日(水)18時32分11秒
それ以降今までほとんど興味の無かった海外リーグの試合も観るようになっていった。そこで見る、数々のスーパープレーや、辻のいる東京サポーターとはまた違う応援風景などその魅力にとり憑かれていった。そして日を追うごとにその思いは強くなっていった。
あの時ガーナの10番がどうして何も出来なかった辻に声をかけたのかは今でも分からなかった。でももう一度対戦して確認したかった。
ガーナ代表は今回のワールドカップには出てこない。対戦するにはスペインへ行くしかなかった。その為についに今年、代理人とも契約をした。
夢に向かって、辻希美は今日もピッチを駆け巡る。
- 56 名前:らいず 投稿日:2002年03月06日(水)19時01分06秒
第8章
石川梨華 横浜Fマリノス所属 背番号14 ポジション LSB /LSH 利き足 左
CBが奪ったボールはすぐに左のサイドバックの石川に預けられた。
石川は顔も上げずに、右のサイドライン際を疾走する矢口の少し前方にぴたっとロングパスを通して見せた。
それでも「少しずれちゃった、、」とつぶやく彼女の目には輝きが戻っていた。
- 57 名前:名無しさん 投稿日:2002年03月09日(土)20時29分12秒
- さっかーみてたらつづきがみたくなった
- 58 名前:4126 投稿日:2002年03月10日(日)23時16分22秒
- がんがれ。
- 59 名前:らいず 投稿日:2002年03月12日(火)18時23分25秒
2年前のJリーグMVPである石川梨華にとって、昨シーズンは飛躍の年になるはずだった。
しかし度重なる怪我、そしてチームの低迷、石川自身の不調により飛躍するどころか、つかみかけていた代表のポジションすら奪われてしまった。
華麗なテクニックを持ち、“魔法の左足“ともいわれる、精度の高いボールを送る事の出来る彼女は、Jリーグに入団当初は攻撃的なMFでセンターとして期待されていた。
しかしJリーグに入り、すぐにプロならではのフィジカルコンタクトの洗礼を受け、悩まされ続ける事となった。
その持ち前のテクニックを活かす前にバランスを崩され、幾度となく地面に転がった。
石川対策としてマンマークをつけ、仕事を封じられると、石川は接触プレーを避ける為ずるずると後方に下がり、その結果ゲームから消え、チームのバランスを崩す事が多くなってしまった。
彼女自身ネガティブな気持ちが先行し、自分のプレーを見失っていった。
石川はデビュー4試合目にしてスタメンから外れた。
どんな綺麗な花も、風が吹くだけでその姿を横たえてしまえばその種を残せないように、石川もこのまま舞台から消えていく、と誰かがつぶやいた。
- 60 名前:らいず 投稿日:2002年03月12日(火)18時26分38秒
もともと石川のロングフィードでの展開に一番期待をしていた当時の監督は、この展開力を何とか活かしたいと考え、守備の面には少々目をつぶっても、4−4−2を採用していたFマリノスの比較的コンタクトの少ない左SBに回す決断をした。
さらに当時左SBが怪我による長期離脱を余儀なくされていたチーム事情なだけに、石川にすぐに出場機械が巡ってきた。
石川は、これはチャンスなんだ、前向きに考えなくちゃ、と今までのネガティブなプレースタイルをも変えるぐらいの強い意志をもって試合に臨んだ。
- 61 名前:らいず 投稿日:2002年03月12日(火)18時28分25秒
周りにはかなり彼女の守備力を不安視する声も聞かれていたが、石川は自分自身すら想像出来なかった高い読みと判断で、狙われていた左サイドのボールを次々と奪っていった。
さすがにこの位置ではプレーシャーがかかる事も少なく、自慢のロングフィードで攻撃をここから展開していった。
プレーに少しずつ自身を取り戻していった彼女は、不思議と少しくらいのコンタクトなら耐えられるようにもなっていった。
そしてチームのシステムが3-5-2になっても、やや後方に位置する左のSHとして上手くプレッシャーをかわしながらプレーしていけるぐらいの自信も持つ事が出来た。
そしてそのプレーは認められて、初の代表入りも果たした。
- 62 名前:らいず 投稿日:2002年03月12日(火)18時30分36秒
当時の代表は攻撃的な右のSHの矢口と、守備的な左のSHの石川とでチームのバランスがとれていた。
しかも後方から攻撃の作れる石川のプレーは大事なアクセントになっていた。
しかしユース代表で大活躍した加護亜依がこのチームに合流すると、代表監督はこの位置に加護を据えた。
石川はその守備力を買われDHへとポジションを移した。
石川自身サイドでのプレーを本来希望していたが、この代表チームの監督の頭の中には4バックという考え方はなく、あくまでも3バックにこだわっていた。
3バックの中で石川は完全に構造から外れており、プレーするならDHか、左SHの控えだ、と明言された。
「代表で出られるならどこでもいいです、出たくても出られない人も沢山いますから」と慣れないポジションに四苦八苦しながらもDHでそこそこの結果を残していった。
- 63 名前:らいず 投稿日:2002年03月12日(火)18時33分45秒
昨年3月の運命の親善試合、アウェーでのフランス戦。
前年のアジアチャンピオンになった日本代表は自信を持ってフランスに乗り込んだ。
石川もDHとして出場した。しかし石川はボールに触れる事もできず、何度となく突破を許す羽目になった。
前回のワールドカップのチャンピオンチームとはいえあまりの次元の違いに石川はついていく事が出来なかった。
前半で2点を取られ、石川は前半だけで辻希美と交代しベンチに退いた。
試合も結果0−5で敗れ、アジアチャンピオンの自信も木っ端みじんに砕け散った。
試合後監督は「完全にフィジカルで負けた。体力の限界が見えた。このグラウンド状況で、唯一しっかりとプレーできたのが後藤だ。あとは厳しい。」と怒りにまかせコメントした。
石川は「これくらいのレベルの相手だったら、やっぱり左サイドで私のプレーを試したかったです、、慣れないところだと体が思った通りに動きませんし、、この試合で判断されても、、、」と終始うつむきかげんにコメントした。
- 64 名前:らいず 投稿日:2002年03月12日(火)18時35分46秒
-
次のスペイン戦に石川は選ばれなかった。
「あのプレーじゃ仕方ないと思います、、もちろん悔しいですけど、、プレーに迷いがありました。気持ちを整理して、また代表の座を取り返したいです。次は左サイドで選ばれるようにJリーグで結果を出したいと思います。見ててくださいね。」
しかし運は石川に味方しなかった。右内転筋痛と右足首痛が併発しゲームを長期にわたって欠場せざるを得なかった。
その間チームは低迷し、さらに風邪も悪化させ、石川は代表に呼ばれる事なく、コンフェデレーションカップも病室からのTV観戦となった。
- 65 名前:らいず 投稿日:2002年03月12日(火)18時38分33秒
この頃から石川は、強く環境を変える事を望んでいた。
代表のポジションを勝ち取る為には環境を変えて、またステップアップするしかないと考えていた。
しかしチームも大事な戦力である石川をそう簡単に移籍させる事は出来ず、交渉は難航した。
長い間交渉は粘り強く続けられ、結果レンタル移籍という事で、2ndステージのみコンサドーレ札幌に移籍する事が決定した。
そこにはあこがれの安倍なつみがいて色々と相談をもちかけた。安倍も代表落ちを経験した事があるので良いアドバイスをもらう事ができ、少し石川も精神的に落ち着く事が出来た。
さらに石川は短い時間の中で何かをつかもうと、札幌で初の3バックに挑戦した。りんね、あさみと組む3バックは、代表でもそのまま移行してもおかしくない組み合わせの1つで、ここでも代表に向けてしっかりとアピールした。
フィジカルが弱いという理由で3バックの構想から外した監督に対してプレーで答える為に。
そして札幌はJ1に残留し、石川もFマリノスへ戻っていった。
- 66 名前:らいず 投稿日:2002年03月12日(火)18時40分30秒
怪我や彼女自身の不調、チームが低迷していた頃の石川の目には、マスコミ似対するコメントとは裏腹に目に力が無かった。
しかし札幌へのレンタル移籍を終えて帰ってきた彼女の目は以前にもまして輝きを放っていた。
代表に向けてやり残した事はない、という満足感と、これから始まる代表合宿での厳しいサバイバルに勝ち残る為、彼女の得たものは大きかった。
キャンプ中、Fマリノスの慣れた左サイドで彼女は躍動した。開けたスペースにきっちり相手を誘い込みボールを奪う、早い判断でボールを展開し、チャンスと見れば攻撃参加する。
いつもの石川のプレーだが、いつもよりプレー中に笑顔が多く見られたのは気のせいだろうか、、、
- 67 名前:らいず 投稿日:2002年03月12日(火)18時43分06秒
- ***ホームページでサカつく2002の日記とかつけてたらこっちがなかなか書けなくて、、
メールくれた皆さんここでお礼を言っておきます。***
- 68 名前:らいず 投稿日:2002年03月15日(金)01時08分05秒
第9章
飯田圭織 コンサドーレ札幌所属 背番号1 ポジションGK 利き足 右
アヤカ ジュビロ磐田所属 背番号20 ポジションGK 利き足 左
2月の初旬、コンサドーレ札幌は暖かい高知県でキャンプを張っていた。
今シーズンより“闘将”と呼ばれる監督を迎え、「ポジション争いも一から」と早々に打ち出した事により、グランドないにはピリピリとした雰囲気が流れていた。
そんな空気の中だからこそ、安倍なつみと飯田圭織の2人の笑顔は取り立てよく目立っていた。
この激しいポジション争いの中で、唯一替えの利かないポジションが飯田圭織の守るGKである。
堅守でならす札幌の守備の最後の砦であり、昨年からのキャプテンは、言葉少なくとも独特の雰囲気でこのチームを後方から鼓舞していた。
- 69 名前:らいず 投稿日:2002年03月15日(金)01時10分56秒
札幌は3バックを採用していた。
左から新人で代表候補にも選出された、紺野あさ美。
中央に代表でもフラット3を形成する、りんね。
そして右に、しつこい守備が自慢の、あさみ。この3人で構成されていた。
(ちなみに昨年、紺野がひざの怪我をした時に、レンタル移籍で札幌に来たのが現在横浜Fマリノスの石川梨華である)
代表でのフラット3とは少し違い、代表よりもやや後方でラインを位置し、りんねがやや余り気味になり、他の2人がゾーンで守る形をとっていた。
これに飯田を加えた4人の代表候補が揃う札幌のDF陣は鉄壁の守りを築いていた。
3バックがお互いにカバーし合い、飯田が後ろから声を出す。
相手の体にきっちり体を寄せ、シュートコースを消し、そのDF陣をすり抜けたとしても飯田が的確な反応でゴールを守っていた。
事実札幌の総失点数はジュビロに継ぐ少なさであったが、攻撃が安倍なつみ頼りで、安倍が押さえられると、得点の匂いはとたんに薄れていった。
- 70 名前:らいず 投稿日:2002年03月15日(金)01時12分57秒
以前なら感情がもう少し表に出ていただろうが、左腕のキャプテンマークが間違いなく彼女を変えていた。
飯田自身まだまだGKとして1対1での飛び出しへの反応に不安定な面を残すが、それを補って余りある程の素晴らしいボールに対する反応が魅力だった。
特にペナルティーエリアの外からのシュートはほとんど飯田によってゴールを阻まれていた。
また彼女にはいわゆる“神懸かった”セービングを見せる時があり、まるで何かが乗り移ったかのような時の彼女からゴールを奪うのは簡単ではなかった。
その状態を‘ノッている’とか‘あたっている’などと言われるが、本人はそれを嫌う。
「いつもの積み重ねがプレーに出てるのっ」と怒りを隠さない。
しかし飯田には失礼だが、そのプレーはまさしく「未知の領域」というフレーズが思わず浮かんでしまうくらいの、魅惑のプレーである事は間違いない。それが毎日の積み重ねだとしても、、
- 71 名前:らいず 投稿日:2002年03月15日(金)01時14分46秒
飯田も昨年3月のフランス戦で0−5で敗れた時ピッチ上にいた選手である。
2度ほど相手ゴールに繋がる決定的なミスを犯し、チームの流れを断ち切ってしまう原因を作ってしまった。
それ以降、飯田は代表の試合に出ていない。
次のスペイン戦から飯田に代わりゴールを守ったのがジュビロ磐田のアヤカ、であった。
神戸出身だがハワイで育ち、アメリカ国籍を持っていた。
そして昨年3月に日本国籍を取得したアヤカに代表でのチャンスはいきなり巡ってきた
- 72 名前:らいず 投稿日:2002年03月15日(金)01時17分22秒
アヤカのGKとしてのプレースタイルは飯田のそれと全く正反対のように言われる。
“突撃”と表現される出足の鋭い飛び出しで、広い守備範囲をカバーし、また1対1の場面でも躊躇ない飛び出しは、相手のシュートミスを誘った。
またアヤカ自身が「攻撃への起点となるように」という精度の高いフィード、素早いフィードは攻撃のリズムをも作り出していた。
2年前までアヤカは第2の地元であるヴィッセル神戸に所属していた。
デビュー当初の彼女は失点が非常に多かった。
GKは言うまでもなく、コミュニケーションをもっとも求められるポジションである。DF陣へのコーチングから、FK時の壁の指示、味方を後方から支える鼓舞に至まで多種多彩である。
入団当時Jリーグで唯一の外国人GKだったアヤカは、味方のミスで失点してもアヤカの判断ミスやコミュニケーションによる連携不足からきた失点、と責められた。
もちろんアヤカ自身前へ、というプレースタイルがなかなかDF陣に浸透しなかったことに対する焦りや、助っ人として結果を出したいという焦りで、飛び出しを躊躇するなど判断を危うくしていた点も確かにあった。
- 73 名前:らいず 投稿日:2002年03月15日(金)01時19分38秒
しかしもともと日系アメリカ人であるアヤカは言葉をハンデにしたくなかったので、同時期に入団したSBのミカと一緒に必死で日本語を吸収していった。
1年もした頃、彼女のプレースタイルは味方にしっかりと認識され、コミュニケーションに困る事もなく失点も格段に減り、試合ごとに高いレベルのパフォーマンスを見せつけていった。
そしてそこでの活躍が認められ昨シーズン、ジュビロ磐田に移籍した。
常勝を求められるチームにおいて1点、の重みは非常に大きな意味を持つ。
以前とは比べ物にならないプレッシャーの中で、アヤカはプレーに磨きをかけていった。前に出る、出ないの判断に迷いがほとんど見られなくなった。
- 74 名前:らいず 投稿日:2002年03月15日(金)01時21分09秒
そして3月に日本国籍を所得してすぐのスペイン戦に彼女は招集された。
「私は代表に合流したばっかりで、りんねちゃん達と連携を確認する時間もほとんどなかったので、飯田さんが出るものだとばっかり思ってました。それが試合の朝にいきなり、、」
と答えたように、当日の朝、スタメンを告げるボードにアヤカの名前があった。
「正直パニックになりました。皆から大丈夫って言われても、心臓がどきどきして、倒れそうでした。もう何が何だか分からない感じ。」
しかし、あまり知られてはいないが、意外にもアヤカを落ち着かせる事になったのは、今ライバル関係にあり、冷戦状態!などと派手な見出しでいろんな週刊誌等に勝手な憶測を書かれている飯田圭織その人だった。
「飯田さんが、普段通りすればできるよ、って。ミカちゃんからも同じ事言われてたけど、飯田さんに言ってもらえたら、気がすごく楽になった気がして、、」
- 75 名前:らいず 投稿日:2002年03月15日(金)01時23分47秒
そしてアヤカはこの試合で素晴らしいパフォーマンスを見せた。
相手のコンディションが今一つだった事を除いても世界トップクラスのFW陣のシュートをことごとくブロックしていた。試合前の緊張など微塵も感じられなかった。
試合はロスタイムに、ミカの不用意なパスミスで1点奪われて敗れはしたものの前回フランスに同じくアウェイで0−5で敗れた事を考えれば、守備敵布陣にある程度計算ができる事が確認できた貴重な試合となった。
その後もコンフェデレーションカップやイングランド遠征でも期待に応え続けた。
特にGKの本場イングランドでの2試合で評価が高く、地元クラブのスカウト陣が色めき立っていた。実際簡単な身分照会は何チームかあったようだ。
そして代表での地位を着実に固めていった。
- 76 名前:らいず 投稿日:2002年03月15日(金)01時34分13秒
しかし昨シーズンアヤカにはどうしても忘れる事のできない悔いの残るプレーが一つあった。
それは鹿島アントラーズとのチャンピオンシップ、第一戦ホームを2−0から2−2に追い付かれての第2戦アウェイ。
勝ったチームの年間総合優勝が決まる大一番、両チームとも0−0で迎えた延長前半10分。
鹿島にフリーキックが与えられ、蹴るのは攻撃的MFの平家みちよ。
アヤカは平家が蹴る瞬間、ほんの少し重心を右に移した。壁の右側上を巻いてくると思ったからである。
しかしそれを見透かしたように、壁の左側を美しい軌道で飛んでくるボールに対して重心を移していたアヤカは一歩も動けなかった。
刹那、大歓声が起き鹿島の赤いシャツが重なり合った。
味方の選手は倒れ込み、アヤカも仰向けになって天を仰いだ。
アヤカ自身の初優勝を成し遂げる事はできなかった。
「普段、あの場面で動いてはいけないものだとは分かってましたが、、、頭と体が反応してしまいました、、、悔やんでも悔やみきれないです、、、まだまだですね、、、」
と泣きながらインタビューに答えた。
- 77 名前:らいず 投稿日:2002年03月15日(金)01時36分14秒
***今日はここまで。
この9章、もう少し続けるかもしれません、、、***
- 78 名前:らいず 投稿日:2002年03月16日(土)18時12分36秒
そして今シーズン、王者奪還を目指すチームとともに、アヤカも静かに始動した。
---代表の正GK争いから一歩抜け出した感がありますが
「まだ9試合しただけです。分からないです。もちろん出る事が出来たら嬉しいですけど。」
---これからもアピールを続けていくと
「アピールとかは考えてないです。これからも私のプレーをして、それが監督に認められればいいです。」
---海外移籍の話も出ていますが
「まずはジュビロで優勝する事しか考えてないです。もしその話があればそれから考えたいです。
もし行けるのならEnglishの通じるイングランドがいいかも、言葉覚えなくていいし、笑」
たしかにアヤカはもうある程度代表監督の信頼を得ているかもしれない。しかし競争をさせる事でここまでチームを作ってきた監督だけにまだどうなるか分からない。
そしてここにまだ諦めていない挑戦者もいる。
- 79 名前:らいず 投稿日:2002年03月16日(土)18時14分10秒
飯田は現代表監督の中で最も出場試合数の多いGKである。シドニー五輪では接触プレーで血を流しながらもプレーした。監督も交代しなかった。
しかしフランス戦を最後にポジションを失ってしまう。アヤカが負傷していた11月のイタリア戦は出場して再アピールするチャンスだったが、試合当日の朝の練習中に怪我をしてしまい、前田有紀にスタメンを譲った。
---イタリア戦は残念でした
「さすがに、思いっきり落ち込みました。もう今は引きずってないですけど。」
- 80 名前:らいず 投稿日:2002年03月16日(土)18時15分23秒
---長い間代表の試合から遠ざかっています
「確かに試合は出てないですけど、りんね達DF陣とのコミュニケーションは札幌でやってる事とあんまり変わんないので、心配はしてないです。
チャンスは欲しいですけど、それだけでプレーする事はしたくない。圭織が今まで積み重ねてきたものが無くなるわけじゃないし。
札幌にいる時は、札幌の事だけ考えてます。あのチームで優勝したいし、チームの成績がよければ、監督も見てくれると思う。」
---スペイン戦の前アヤカ選手に声をかけたそうですが
「あまりにもがちがちだったから、笑。
以前までの圭織だったら、悔しくて怒ってただけだと思うけど、札幌でキャプテンをして、実力があるのに出せない選手の気持ちが少しは分かるようになっていたから、、
大人になった、ってことだね、笑。」
終始穏やかな表情を浮かべていたが、その口調には揺るぎない意思が感じられた。
これからだ、と。
- 81 名前:せさ 投稿日:2002年03月18日(月)19時30分00秒
- おもしろいです。
いつも楽しみに見ています。
一つだけ・・第何章、の後にサブタイトルがあるといいかも
余計な事でしたら素通りしてください。
- 82 名前:名無しさん 投稿日:2002年03月18日(月)19時34分40秒
あっ、俺もそう思ってた
- 83 名前:らいず 投稿日:2002年03月21日(木)22時24分04秒
- >81
>82
らいずです。
サブタイトルの件ですが、僕も考えてたのですが、気付いた時はもうだいぶ進んでたので、、
後先考えずに書いてしまったので、、
いずれ加筆、訂正してホームページに載せたいと思っていますので、その時に考えたいと思います。
この後しばらくしたら多分続き書きます。
- 84 名前:らいず 投稿日:2002年03月22日(金)02時42分09秒
第10章
高橋愛 鹿島アントラーズ所属 背番号10 ポジションSH/WG 利き足 右
小川麻琴 鹿島アントラーズ所属 背番号3 ポジションCB 利き足 右
紺野あさ美 コンサドーレ札幌所属 背番号16 ポジションCB/DH 利き足 右
新垣里沙 湘南ベルマーレ所属 背番号21 ポジションRSB 利き足 右
アジアクラブ選手権2回戦 鹿島アントラーズVS BECテロ サーサナ
スピードの乗ったドリブルからスローダウンし、相手が詰めてきたところを大きな切り返し一発で抜いていきゴールへと切り込んでいった。
慌ててカバーにはいる2人のDFを引きつけてから、高橋愛は後方から走込んできた味方に合わせてボールを流した。
ゴールネットが揺れ、味方の選手が次々に高橋の頭を叩いていった。
昨年まで10番をつけていた選手が抜け、新エースとして10番を任され、期待を一身にを背負う高橋愛の今シーズンの船出はまずアシストから始まった。
- 85 名前:らいず 投稿日:2002年03月22日(金)02時47分33秒
昨年まではスーパーサブとして、その変幻自在なドリブルで試合の流れを変え、得点を奪う役割だったが、今年から先発メンバーとして多くの役割と責任をになう事になった。
その最初のゲーム、高橋はきっちりと仕事をして見せた。
そして後半30分、鹿島のコーナーキックのこぼれ球を拾った高橋は右サイドからアーリークロスを上げた。
コーナーキックの流れでゴール前に残っていた小川麻琴は、そのボールに豪快に飛び込み、ヘディングでゴールに突き刺した。
高橋2アシスト目。
昨年アルビレックス新潟での活躍により、今年から鹿島アントラーズ移籍してきた小川も十分に持ち味を発揮し、チームにも馴染んでいるようだった。
1対1での強さと、セットプレーでの嗅覚には定評があり、熱い闘志を胸に秘め、冷静にファイトするCBの小川の首脳陣の評価も高く、層の厚い鹿島のDF陣の中で早くもレギュラーとして定着しつつあった。
- 86 名前:らいず 投稿日:2002年03月22日(金)02時52分42秒
Jリーグ王者の鹿島はこのアジアクラブ選手権に参加しており、優勝できれば世界クラブ選手権への道も開けるという事でモチベーションが高く、他チームより早くフィジカルコンディションを仕上げていた。
それにもましてこの2人が切れているのは、やはりこの後招集されている代表合宿に向けて、高い意識を持っていたからである。
鹿島からは高橋、小川の他にOHの平家みちよ(以前は名古屋グランパスエイトに所属)の3人が代表候補として合宿に呼ばれているが、3人ともまだ代表で確たる地位を得ている訳ではなかった。
代表でのレギュラーを目指しての大きなチャンスとしてはこの代表合宿が最後と、意気込む3人のモチベーションは特に高く、試合もその後積極的に責めたて、圧勝で3回戦に進出した。
高橋も小川もここで立ち止まっている訳にはいかなかった。
- 87 名前:らいず 投稿日:2002年03月22日(金)02時55分08秒
紺野あさ美は幸運だったのかもしれない。
コンサドーレ札幌の3バックの一員として、そのたぐいまれな運動神経と高い戦術理解をいかん無く発揮している紺野の入団のきっかけは偶然とも言える出来事からだった。
現在代表でもフラット3の一員としてプレーする紺野だが、全国高校サッカー選手権大会の北海道予選時、彼女の高校と、何よりも彼女自身全くの無名であった。
キャプテン紺野が率いるチームは部員が13人しかおらす、個人技に長けた選手の集まったチームではない事を承知していた彼女は、「13人がかりの組織プレー」を掲げ戦い、1回戦を勝ち上がってきた。
このチームにおいてボランチの紺野の役割と期待は大きく、確実なプレーでチームを支えていた。
続く2回戦。この日は多くのスカウトと僅かながらの報道陣が集まっていた。
残念ながら紺野が目当てではなく、この日は1回戦シード校で、当時の期待の新人、藤本美貴が初登場する日であった。
この日の目玉は藤本であり、紺野のチームはその引き立て役でしかないーはずだった。
- 88 名前:らいず 投稿日:2002年03月22日(金)02時57分23秒
しかしこの試合、紺野は徹底的に藤本を押さえた。
1対1では負けるものの、2人3人とで囲み仕事をさせず、組織プレーの真骨頂といった感じのプレーを展開していった。
もし紺野のチームに高い得点能力を持った選手が1人でもいれば、あっさり勝てたであろう流れだった。
藤本は押さえ込まれ、後半半ばで交代したが、紺野に疲れが見えた頃、自力で勝る相手のシード校が1点を奪いそのまま逃げ切られた。
この試合を観ていた当時のコンサドーレのスカウトはこう言う
「個人のテクニックだけを見れば、紺野より藤本の方が上手かったと思う。
しかし味方への的確な指示に高い戦術理解が垣間見えたし、時折見せる体の使い方も魅力だった。
全体的に見ればまだまだ足りないところが多く粗削りな感じもしたが、磨けば光る素材だと思った。
そして何よりも、試合中ずっと感じていた不思議なオーラが気に入った。
あの日は見に行けて良かった。」と。
- 89 名前:らいず 投稿日:2002年03月22日(金)03時08分49秒
紺野は入団会見で、
「沢山実績を持っている人の中で、私はまだまだ下手かもしれないけど、その分人より伸びるところが沢山あると思うので、これから頑張っていきたいです。」と語った。
彼女は最初の劣等感からか、居残り練習や、自主トレなど必死の努力を続けていった。
そして出番は意外と早くやって来た。
リーグ序盤から怪我人が続出したDF陣の中で紺野は入団2ヶ月という早さでデビューを果たす事となった。
その試合で紺野はボランチではなく、最初から3バックの左サイドとしてプレーした。
高い理解力が必要とされるシステムのなかで美しい守備を見せ監督をうならせたーまるでりんねとあさみと長い間一緒にプレーしていたようなプレーで。
しかもセットプレーから紺野自身が1点を決め、0封で勝利した。
その後右ひざを怪我などしてしばらく戦列を離れたが監督の信頼は揺らぐ事なかった。
代表に呼ばれた時も臆する事なくフラット3の一員としてしっかりと結果を出していった。
磨けば光る、と言われていた彼女は自らの努力でその輝きを見せ始めるようになっていった。
- 90 名前:らいず 投稿日:2002年03月22日(金)03時11分00秒
彼女の不思議なオーラは見るものを引き込んでしまう何かがあるのかもしれない。
紺野あさ美は、無名の自分を入団させてれたクラブの期待に応える為、そして何より好きなサッカーを続けていくため、もっと上手くなりたい、とボールを蹴り続ける。
その不思議なオーラはこの初心を忘れない気持ちから来ているのだろうか、とふと思った。
新垣里沙は代表史上、最年少代表候補プレーヤーとして呼ばれた。
豊かなスピードとしたたかなドリブルでチームではアクセントをつけていた。
まだ判断の遅い部分も目立つが、話題性は十分であり、今後候補がとれ、残っていくか期待されている。
「自分の居場所をしっかり確認して、アピールしていきたい」
と語る彼女に“最年少”、という肩書きはいらない気がした。
- 91 名前:らいず 投稿日:2002年03月22日(金)03時17分26秒
第11章
今回福島のJービレッジでの代表合宿に参加する29名の代表候補が発表された。
代表メンバーと所属チームは以下の通り。
- 92 名前:らいず 投稿日:2002年03月22日(金)03時19分47秒
GK
飯田圭織 コンサドーレ札幌
アヤカ ジュビロ磐田
前田有紀 ガンバ大阪
DF
中澤裕子 京都パープルサンガ
りんね コンサドーレ札幌
あさみ 同上
里田まい 同上
紺野あさ美 同上
小川麻琴 鹿島アントラーズ
柴田あゆみ 横浜Fマリノス
新垣里沙 東京ヴェルディ
斉藤瞳 アルビレックス新潟
ミカ ヴィッセル神戸
MF
吉澤ひとみ 浦和レッズ
加護亜依 セレッソ大阪
保田圭 柏レイソル
辻希美 FC東京
平家みちよ 鹿島アントラーズ
矢口真里 横浜Fマリノス
石川梨華 同上
村田めぐみ ベガルタ仙台
稲葉貴子 ガンバ大阪
石井リカ サンフレッチェ広島
藤本美貴 清水エスパルス(現在コンサドーレ札幌からのレンタル移籍中)
- 93 名前:らいず 投稿日:2002年03月22日(金)03時20分49秒
FW
安倍なつみ コンサドーレ札幌
後藤真希 FC東京
松浦亜弥 ヴィッセル神戸
大谷雅恵 名古屋グランパス(現在コンサドーレ札幌からのレンタル移籍中)
高橋愛 鹿島アントラーズ
以上
尚、今回代表復帰が期待されていた市井紗耶香(現時点未所属)は2年間所属していたスペイン1部リーグのデポルティーボ・ラ・コルーニャから国内復帰であり、現時点での状況や市井のコンディションを考えた上で今回は招集しない、との発表があった。
- 94 名前:らいず 投稿日:2002年03月22日(金)03時24分02秒
- ***今日はここまでです。眠い、、
1部はこれで終わりです。
2部も引き続きここで書かせてもらいます。
ご意見あればよろしくお願いします。***
- 95 名前:澤登 投稿日:2002年03月23日(土)14時06分28秒
- おもしろいです!自分あんまりサッカー詳しくはないんですけど、
なんかすごくイイです!第2部も期待して待ってます。
更新のほう頑張ってください!
- 96 名前:らいず 投稿日:2002年03月24日(日)22時00分48秒
第2部
第1章 〜代表について話をしよう
フィリップ・ツゥンクシエ代表監督が語る
今回の合宿で私は29名の選手を選んだ。
次のウクライナ、ポーランドの2戦にむけてまずこのメンバーを25名に絞る事になる。
このメンバーの多くがワールドカップに参加する事になるだろう。
里田まい、藤本美貴、石井リカといった選手も今回初めて選出した。
私の中ではある程度メンバーは固まってきたが、しかし市井紗耶香のようにコンディションがなかなか戻らず呼んでいない選手もおり、彼女達3人も十分チャンスがある。
まだ最終登録まで代表の門は開いている。
彼女達はこの合宿で私の戦術をしっかりと理解し、ついて来られるか見極めたい。
- 97 名前:らいず 投稿日:2002年03月24日(日)22時02分23秒
私は選手に合わせたチーム作りをするタイプではない。
監督にはさまざまなタイプがあるが、コムロ・クライフ(元バルセロナ監督)やイガラーシ・サッキ(元イタリア代表監督)、
マックス・マツッピ(元ユベントス監督)、タミオン・ベンゲル〔現アーセナル監督〕といった優れた監督は自らの哲学を前面に押し出し、どのチームへ行ってもやり方を変えない。
私もその点では彼らと同じタイプだと思っている。
選手に応じた戦術を用いるのではなく、私の戦術を選手が実践する。
それが私のスタイルだ。
もし私が音楽プロデューサーなら、歌手の個性に合わせた歌を作るのではなく、私の表現したい歌を歌手に歌わせるタイプというと分かりやすいか。
- 98 名前:らいず 投稿日:2002年03月24日(日)22時03分54秒
私は言葉だけの説明はしない。
私自身が練習や指示の中でやり方を示す。
つまり、ミーティングや日常生活の中でのメッセージを通じて私のコンセプトを理解させるのが私のやり方だからだ。
ご存知の通り私は主に3−5−2で両サイドを高い位置に置くシステムを採用している。
攻撃的なスタイルは私の理想とするスタイルであり、このチームには特に合っている。
1−0を守りきる文化の無いこの国では(鹿島アントラーズだけは別だが)、2点取られても3点取り返すスタイルが好ましい。
もちろん場合によっては両サイドのどちらかを下げて、4−4−2に近い形も採用するし、ワントップにして3−6−1や4−5−1に近い形をとる事もある。
様は3−5−2の基本さえしっかりしていれば対応できるのだ。
幸いにも才能豊かな選手が多く私の戦術を体現してくれている。
- 99 名前:らいず 投稿日:2002年03月24日(日)22時05分16秒
FWについては実績のある安倍なつみ、後藤真希を中心に、成長著しい松浦亜弥、高橋愛。
潜在能力が楽しみな大谷雅恵などがいる。
中盤ではOHとして高い得点能力の吉澤ひとみ、ダイレクトプレーの冴える平家みちよ。
走力とパスセンスが魅力の村田めぐみ、新鋭の藤本美貴。
右サイドには、圧倒的なスピードスターの矢口真里、ディフェンス能力も高い柴田あゆみ。
そして高橋や村田もこの位置でプレーできる。
左サイドはその突破力にますます破壊力の増した加護亜依。フィードの正確な石川梨華。
左サイドを引き締める事の出来るミカや、里田まい、そして平家もプレーできる。
2枚のDH(CH)には怪我からの復帰次第だが、安定した守備の要、保田圭。
ピッチのダイナモ辻希美、経験が生きる稲葉貴子。ハードディフェンスのあさみ。
- 100 名前:らいず 投稿日:2002年03月24日(日)22時06分54秒
- 落ち着きを与える石井リカや後方からゲームを作る石川。
そして戦術の高い理解力を誇る紺野あさ美も出来るだろう。
そして私の攻撃的な戦術を支えるフラット3(CB)には先程の紺野。
強いリーダーシップと強気のラインコントロールでDF陣をまとめる中澤裕子。
その高い身体能力とスピードが魅力のりんね。札幌でも組んでいるあさみ。
高さに自信の小川麻琴や同じく高さならFWの大谷も使える。
強さに自信の斉藤瞳。ミカや、相手によっては新垣里沙、柴田や里田も考えられる。
GKには広い守備範囲のアヤカ。乗せると止らない飯田圭織。
安定したプレーで支える前田有紀がいる。
- 101 名前:らいず 投稿日:2002年03月24日(日)22時09分01秒
私はこの無数とも思える中から最善の組み合わせを見つけ出さなければならない。
責任は重大だ。
そしてそれは同時にこの合宿の最大のテーマになるだろう。
選手同様に私も緊張を強いられる。
だがきっと私のチームとして完成にまた一歩近づく事になるだろう。
なぜなら私には絶えない活力があるからだ。
監督というのは逆に、私にしか選べない組み合わせに、喜びを感じる事が出来るのだから。
さてここで、私はある選手について少し話をしなければならない。
それは世間やサポーターの間で今いろんな論議を呼んでいる石川梨華の起用法についてだ。
私はこの件で一方的に誤解を受けている可能性がある。
私より人気のある選手が嫌いだとか、世間が騒ぐ選手は使わない等々。
私には私の考え方がある事を伝えたい。
- 102 名前:らいず 投稿日:2002年03月24日(日)22時10分59秒
石川は誰の目にもその能力の高さは明らかだ。
しかし彼女は私のコンセプトを十分理解できていなかった。
石川梨華は誇れるべきテクニシャンであり、左サイドからのゲームメーカーだ。
ここ何年間、技術の向上に精力を尽くしてきたこの国のサッカーが生み出した結晶。
それが石川であり、平家みちよであり高橋愛であった。
なかでも石川は、ダイレクトプレーに特徴のある平家や、スピーディーなドリブルで勝負する高橋とは異なり、独特なリズムと間合い、そして多彩なテクニックから繰り出される精度の高いロングパスがノスタルジックな雰囲気を感じさせてくれる選手だ。
我々は石川のプレーに郷愁を感じる。
それがあの熱狂的な人気に繋がっているのかもしれない。
- 103 名前:らいず 投稿日:2002年03月24日(日)22時12分36秒
ただし問題は彼女のフィジカルにあった。
平家のようにダイレクトプレーではなく、ある程度間合いを必要とする彼女のプレースタイルでは吉澤ひとみやりんねのようなフィジカルの強さが不可欠だ。
加護亜依のように相手をドリブルでかわせる技術やスピードがあれば話は別だが、石川にそこまでのスピードはない。
しかし彼女のフィードは確かに魅力であったので、私は石川をDHに据えた。
比較的プレッシャーの少ないこのポジションで彼女のゲームメーク能力が生きると思ったからだ。
アジアカップなどでは比較的上手く行ったかに見えた。
しかし昨年3月のフランス戦。
私はこの試合もDHとして石川を先発で起用した。
この試合で石川の意識は明らかに攻撃に向いていた。
もともと左のサイドハーフをしていて、そこでのプレーを希望していた感もある彼女はこの超1流国との戦いで自分を試したかったのかもしれない。
だが彼女のプレーはチームの秩序を狂わせ、あの大敗の原因の1つとなってしまった。
私は前半で石川と辻希美とを交代させ、それ以降試合では起用していない。
- 104 名前:らいず 投稿日:2002年03月24日(日)22時14分11秒
以前私はマスコミに対して、石川は3バックの構想に入っていない、試合に出るならDHか、ベンチだ、とコメントした事がある。
彼女はいわゆる途中出場から力を発揮できるタイプ、いわゆるジョーカーではない。
そのメンタリティーは他の選手に劣る。
そして私のコンセプトが受け入れられないのならば生命線であるCBを任せる事も出来ない。
だからそうコメントした。
しかしあのフランス戦の後、石川はJ-リーグで安住の横浜Fマリノスを自ら飛び出して、札幌にレンタル移籍して、そこで3バックの1角を高いレベルでこなしていた。
フィジカルではまだ不安な面が残るが、新たな発見だった。
自己表現というものを彼女のやり方で伝えてきた。
今までに無いメンタリティーを感じる事が出来た。
彼女はまた私のグループに帰ってきたと言ってもいいだろう。
- 105 名前:らいず 投稿日:2002年03月24日(日)22時19分04秒
そういう理由で今回久しぶりに彼女を代表に呼んだ。
決して彼女の人気や、世間の声だけで再び呼んだのではない。
後は彼女にかかっている。
結局彼女がポジションを勝ち取るかどうかは彼女次第なのだ。
私は見守っていきたいと思う。
ツゥンクシエ監督談〔通訳:ワダディー氏〕
第2章 物語はまだ始まらない
〜2月代表合宿レポートより
- 106 名前:らいず 投稿日:2002年03月24日(日)22時29分36秒
- ***今日はここまでです。
>95 沢登さん
ありがとうございます。
楽しんでいただければ幸いです。
分かりにくい点は多々あると思いますが、
ご容赦ください。。。。。。。 ***
- 107 名前:名無しさん 投稿日:2002年03月26日(火)20時53分34秒
- ワダディー、って、、、少し笑いました、
- 108 名前:らいず 投稿日:2002年03月28日(木)02時22分10秒
2002年、ワールドカップに向けた代表を巡るストーリーは3月のウクライナ戦から始まる。
そのウクライナ戦に向けて今年最初の代表合宿はスタートした。
この合宿でウクライナ・ポーランド遠征に参加する25名をこの29名から選ぶ事になる。
合宿の焦点は3つあった。
1つ目は新戦力の確認
里田、藤本、石井の3人がどれだけチームに溶け込めるか、である。
3人ともJーリーグでのパフォーマンスは申し分なく、個人技も高いのだが、正直この短い合宿で力を出しきれたとは言い難い。
初めて、と言う事もあるだろうし、特にある程度の約束事と戦術が共通の理解になっているこのチームでは、適応するにある程度時間が必要なのかもしれない。
アピールは最終日の紅白戦を待つ事になるだろう。
- 109 名前:らいず 投稿日:2002年03月28日(木)02時23分41秒
2つ目は守備陣の再構成。
保田と中澤が万全ではないだけに、新たな編成も視野に入れなければならない。
保田は手術後のリハビリ中で、もうボールを使った練習も出来るが、まだ時間はかかりそうだ。
中澤も、右太もも裏を痛めており保田と一緒に別メニューをこなしていた。
2人とも守備陣の中心選手であり、精神的な柱である。
特に長い間、フラット3の中心であった中澤のバックアップは急務であり、この合宿でもりんねや、もともとCBであった稲葉が務めていた。
稲葉とりんね。
それぞれ持ち味は違うが、なかなか安定したラインを保っていた。
稲葉はクレバーに、りんねは強気に統率していた。
またツゥンクシエが今回、石川を初めてフラット3の左でも少し練習させていたのも初の試みである。
コンサドーレで経験はしているが、代表でどこまでこのポジションが出来るのか、大きな楽しみである。
以前フラット3では使わないと明言していただけに、起用方法に注目が集まる。
- 110 名前:らいず 投稿日:2002年03月28日(木)02時24分35秒
3つ目は注目の両サイド争い。
右サイドは今までは矢口が務める事が多かったが、ツゥンクシエは高橋もこの位置で使うつもりがあるらしく、マンツーマンで動きを指導している場面が多く見られた。
また村田もサイドに張るタイプの先ほどの2人とは異なり、もともと中央の選手なだけあって有機的に吉澤や平家と絡みながら、中央にも進出し多くのチャンスを作っていた。
柴田は危険察知能力にも優れているので、バランスをとる時に必要な選手だといえる。
左サイドは加護が一歩抜け出した感もあるが、まだ単独プレーに走りがちなところも抜けきってはいないので、守備時のミカや里田、そして何といっても石川にもまだ十分チャンスはあるといえる。
平家もこの左サイドもだんだんモノにしつつあり、まだ守備時のポジショニングに不安は残るものの、貪欲に取り組む姿勢が目を引いた。
ツゥンクシエはいろんな組み合わせを試していたが、明日の紅白戦で最後の確認をするつもりのようだ。
お客さんも入り、テストも兼ねた紅白戦は実践さながらの度合いを強めるだろう。
ワールドカップへのプロローグも最後の1幕を迎えることになる。
- 111 名前:らいず 投稿日:2002年03月28日(木)02時26分09秒
*
2月某日
紅白戦メンバー
青ユニフォーム組
安倍
松浦
吉澤
加護 矢口
辻
石井
里田 りんね あさみ
アヤカ
- 112 名前:らいず 投稿日:2002年03月28日(木)02時27分04秒
- ×
白ユニフォーム組
後藤 大谷
平家 村田
石川 柴田
紺野
小川 稲葉 斉藤
飯田
×
高橋、藤本、ミカ、新垣、前田はベンチスタート。
- 113 名前:Yosuke 投稿日:2002年03月29日(金)14時58分28秒
- この小説、メチャメチャ面白いっすね!
メンバーが実際にユニフォームを着て試合をしている姿が
目に浮かんできますよ!
- 114 名前:名無しさん 投稿日:2002年03月30日(土)12時00分39秒
- 娘。一推しの石川のイメージが代表一推しの俊輔なのが嬉しいです。
ポーランド戦は海外組の強さを見た気がします。
現時点ではあれがベストメンバーなのかな。
でも俺は俊輔が見たいなぁ。
- 115 名前:名無し読者 投稿日:2002年03月30日(土)13時33分03秒
- >>114
それぞれ実在の日本選手がモデルみたいだね。
作者さんがんばって下さい。
- 116 名前:名無しさん 投稿日:2002年03月30日(土)18時30分24秒
- 私の中では安倍はOH何ですが・・・。
でも楽しみです。期待してます。
- 117 名前:らいず 投稿日:2002年04月02日(火)03時15分15秒
-
第3章 25人への種
春が近づいてきた、と言うのにはほど遠い寒さの2月某日。
入念にウォーミングアップを繰り返す選手達の蒸気が白く漂っていた。
中澤裕子は満員の観客席--代表の紅白戦をお金を払って見に来てくれているサポーター達--の静かな熱気に奥歯が噛み合わない興奮を覚えた。
(やっぱり出たかったなぁ、、)
数時間前、中澤はツゥンクシエ監督に紅白戦の出場を願い出たが、あっさりと却下された。
もちろんまだ右足の状態は万全でなくターンなどで踏ん張るのが少し怖い。
それでも中澤は試合に出たかった。
- 118 名前:らいず 投稿日:2002年04月02日(火)03時18分49秒
中澤は現代表の中で、安倍、飯田とともに代表歴は長く、その中でもこれまでも最も多くの試合に出場してきた。
代表デビューは24才の時だったが、今では代表最年長となった。
これまで培ってかってきた経験には自信がある。
数々の修羅場も乗り越えてきた。
しかしその経歴は今の代表ではポジションを約束してくれるものではなかった。
ここ最近では怪我する事も多くなり、スタミナの低下などもあってフルシーズンの活躍が難しくなってきた。
それでもツゥンクシエが代表に招集し、起用し続けるのは、中澤の素晴らしいキャプテンシーとラインコントロールに信頼を寄せているからである。
苦しくなった時にこそ頼れる代表の支柱ム中澤の存在は大きかった。
だが彼女が試合に出られない時でもりんねや紺野の成長により代表は確実に前に進んでいた。
- 119 名前:らいず 投稿日:2002年04月02日(火)03時20分59秒
「私もアピールせんとあかんねんけどなぁ」
「何言ってるのよそんな足で、しかもアピールって」
「あのな、圭坊、25人に残らんと意味ないんやで」
「だから動けないでしょーが、、今はじっくり直さないと」
「あせるわー」
今回紅白戦には出場しない中澤と保田はピッチの外でストレッチをしていた。
保田も中澤もボールを使った練習はできるが、今回は大事を取っての欠場となった。
もちろん2人のいない時のテストでもあるのだが。
ピッチの中ではもうすぐ始まる紅白戦に向けて、各自準備を始めていた。
×
(ふー)
石川梨華はスパイクの靴ひもを結ぶと、そのままひざを抱えこみ大きく息を吐いた。
(サイドハーフ、か、、)
もしかするとフラット3の左で出るのかな、と思っていたので左サイドハーフでの先発は意外だった。
サイドでのポジションの方がDHよりプレーしやすいのでアピールするには良い機会だったが、
(何考えてるんだろ、監督、、、)
今まで何度となく繰り返した言葉が頭の中で浮かんでは消えた。
- 120 名前:らいず 投稿日:2002年04月02日(火)03時22分20秒
しかしどこのポジションであれ勝ち残っていくためには、監督にもう一度自分の力を見せつけなければならない。
ワールドカップには絶対に出なければならなかった。
「大丈夫ぅ」
誰かが肩を叩いていった。
「あさみちゃん」
「頑張ろうねっ!」
あさみは右腕でガッツポーズを作って、それだけ言うと笑顔で去っていった。
昨年石川が札幌にレンタル移籍した時、真っ先に声をかけてくれたのがあさみだった。
どちらかといえば人見知りするタイプの石川にとって、同じ年のあさみの存在は大きく、ありがたかった。札幌の3バックの戦術に短期間で慣れる事が出来たのは、公私共に仲良くなったあさみのおかげといっても過言ではなかった。
あさみはりんねとともに札幌で不動の右ストッパーとして強固なディフェンスラインを築いていた。
しかしそのあさみとて代表では確たるポジションを築いている訳ではなかった。彼女も慣れないDHでプレーしたりして、本来のポジションではないところで苦労していた。
(そうだね、がんばろ、ポジティブ、ボジティブ、、、)
念仏のように唱えながら石川もピッチ中央へと向かっていった。
- 121 名前:らいず 投稿日:2002年04月02日(火)03時24分26秒
- +
ピッチ中央では選手達が集まりツゥンクシエを中心に輪になっていた。
「今日は試合形式の中で戦術の再確認とコンビネーションなどを主にテストする。
怪我だけには十分注意してプレーするように、特に辻と加護。」
ツゥンクシエの言葉に少しだけ笑いが起きた。
そして自然と声がかかり、先発メンバーはピッチへと散っていった。
+
- 122 名前:らいず 投稿日:2002年04月02日(火)03時26分57秒
-
後藤真希と大谷雅恵の白組がボールをセットし紅白戦がスタートした。
ボールはすぐに村田めぐみに戻され、平家みちよへと渡った。
平家は左サイドで待つ石川にパスを預けて、前へと走り出した。
石川には矢口真里が少し距離を取って、縦のコースを消していた。その間に辻希美が詰めてきて体を寄せていった。
ぎりぎりまで辻を引きつけてから石川はその僅かなすき間から平家へパスを通した。
平家はそのボールをダイレクトで、りんねとあさみの裏を狙ったが少しだけ長く、後藤は追い付く事が出来ずにボールはゴールラインを割っていった。
開始早々のテンポの良い攻めにサポーター席から拍手が起こった。
(相変わらず上手いなぁ、みっちゃん(平家)も、石川も、、)
見慣れているとはいえ中澤は苦笑するしかなかった。いつもはリーグで苦しめられているのだが、、
「裕ちゃん?」
「ん?、、ああ、、今のはりんね、オフサイドとりにいかな、、」
「きびしっ、、」
- 123 名前:らいず 投稿日:2002年04月02日(火)03時28分08秒
-
その後しばらくは白組が大谷、村田、柴田あゆみ、斉藤瞳の右サイドが連携よく絡みチャンスを作っていった。
6分に村田のロングシュート、10分に柴田のセンタリングから大谷のヘディングシュート。
いずれもぎりぎりのところでりんねとあさみとGKのアヤカがはね返していた。
赤組が守る左サイドは初選出の石井リカと里田まいがいたが2人ともやや浮き足立っている様に見え、りんねから大声が飛んでいた。
加護亜依もそれを見て徐々にポジションがズルズルと下がっていった。
「石井さんが村田ちゃんのマーク外しすぎてる、、」
「圭坊もボランチには厳しいな、、」
「うーーやっぱり私も出たいぃ、、」
「あんたもかいな、、、」
- 124 名前:らいず 投稿日:2002年04月02日(火)03時30分36秒
青組はチャンスを右サイドの矢口から作ろうとしていたが、左の加護がほぼ消えている分、白組の守備の意識が矢口に向いていた事、そして白組の石川とボランチの紺野あさみの守備によって青組の右サイドの攻撃は遅々として前に進まなかった。
そして前半20分矢口の辻へのバックパスを紺野がさらい、左前方の石川へ。
石川は自慢の左足で、フリーで上がってきた右サイドの柴田へ美しいサイドチェンジのロングパスを送った。
柴田の少し前方でふわりと止ったボールは走込んできた柴田の足にぴたりと収まり、石井と里田が慌てて詰めてくれる前に2人の頭上を越していた。
ゴール前に入ったボールに大谷とりんねが競り合うが、2人ともボールに触る事なくもつれるようにして倒れ込んだ。
そしてあさみがクリアしようと前に出たところで、後藤が後ろから矢のように飛び込んで右足のボレーでゴールに流し込んだ。
青0−1白
- 125 名前:らいず 投稿日:2002年04月02日(火)03時33分13秒
石川は柴田と軽くハイタッチをかわした。横浜でプレーしているのとなんら変わりはなかった。
横浜では左のSBに石川、右のSBに柴田というポジションでプレーしており、この白組の中で2人はややそれより前方に位置する、石川にとってそれだけの事だった。
(くっ、、)
矢口は悔しそうに顔をゆがめた。
ツゥンクシエが、このポジションに高橋愛を持ってきて矢口と競争させようとしているのは分かっていた。
つまらない焦りが、パスミスを招いた。
「ごめんなさい、、フォローが遅かったです、、」
辻が珍しく誤ってきた。
「ごめん辻、こっちこそ声出すのが遅れた.。取り返そ!」
「はいー!」
練習試合でも負けるのが悔しい矢口である。ましてやこれだけ多くの観衆の前でのミスは絶対に取り返さなければ気が済まなかった。
「辻、ちょっと、、」
「??」
- 126 名前:らいず 投稿日:2002年04月02日(火)03時43分22秒
- ***今日はここまでです
間違いを一つ、、
>>123 赤組→青組です。
失礼しました。
>>113 いつもありがとうございます。励みになります。
>>114 僕も俊輔好きです。後輩の顔に似てるんだなぁ、笑
>>115 その通りです。メンバーまでそのまま、とはいきませんが
>>116 違和感あるかもしれませんが楽しんでください。
***
- 127 名前:らいず 投稿日:2002年04月05日(金)00時22分47秒
-
前半35分。中盤のこぼれ球を辻が拾った。前には大きなスペースが出来ていた。
それまで精彩のなかった加護が猛然と左サイド上がっていった。
「のの!」
村田が後ろからユニフォームを軽くつかんだが、辻が強引に振りほどいてグラウンダーのパスを加護に送った。
加護がトラップしようとした瞬間に白組の柴田がカットを狙い、体を入れてきた。
加護はさらに前に出て、左のアウトサイドライン際にトラップして柴田をかわし、ゴールに向かって直線的に向かっていった。
白組の斉藤が対応に入った。
吉澤は加護にフォローで寄って行って2対1の局面を作り出そうとしていた。
紺野は吉澤に付きたかったが、辻が上がってきており、1ボランチという事もあり稲葉貴子に任せ、自分は辻を見る事にした。
吉澤は白組の斉藤と稲葉の間に走り込んでいった。
「斉藤!任せたで!」
稲葉が叫ぶ。
加護は心置きなく斉藤と1対1の勝負を挑む事が出来た。
(抜くっ)
- 128 名前:らいず 投稿日:2002年04月05日(金)00時23分57秒
-
一旦体重を右足に乗せ、ぐっと体を沈み込ませてから一瞬で左へ切り返した。
ナイフのような切れ味の切り返しと、爆発的な加速で一気に縦へ抜けていった。
斉藤が出来たのは、届かない手を伸ばすだけだった。
加護は白組のGKの飯田圭織の届かないところに左足でセンタリングを上げた。
安倍なつみは小川麻琴と空中で競り合い、バランスを崩しながらもかろうじて頭でゴールへ押し込んだが、飯田の素晴らしい反応でなんとかはじいた。
稲葉がゴール前の混戦からかろうじてクリアしたが、きちんとミートせずペナルティーエリアの少し離れたところにいた辻にボールが渡ってしまった。
稲葉は斎藤と小川に手で合図し、混乱しかけているラインを強引に押し上げて行った。
- 129 名前:らいず 投稿日:2002年04月05日(金)00時26分22秒
「つじぃー!!」「ののー!」
ラインに吸収されかけていた吉澤と、左サイドに開いて待っていた加護が辻に向かってボールを要求した。
白組の紺野が、加護と吉澤側へのコース、左側を消さんと辻に寄ってきた。
辻はそれでも加護の方に視線を移し、体を左へと向けた。
紺野がそのコース上にスライディングをした。
辻は左に体を向けたまま右足のアウトサイドで、右サイドのオープンスペースへボールを出した。
---このプレーの中で辻は一度も右サイドを見なかったのだが---
誰もいないと思われたスペースに矢口が無言で飛び込んで来た。
ボールをかっさらうと、ものすごいスピードで大きく穴が開いた右サイドを突き進んで行った。
石川も吉澤に気を取られ、完全に遅れた。矢口は諦めゴール前へ向かった。
ノーマークのまま矢口は丁寧にゴール前へカーブをかけながら巻いていくボールを上げた。
いち早く反応した安倍がヘディングで今度こそ、とねじ込んだ、が、石川が体ごと投げ出してボールをはね返した。
しかしてんてんとボールが転がった先にいた吉澤が難なくゴールに蹴り込んだ。
青1−1白
- 130 名前:らいず 投稿日:2002年04月05日(金)00時27分40秒
「うっしゃー!」
矢口が大きく右腕を回しガッツポーズを作った。
「せいこうでぇぇす!」
辻が嬉しそうに矢口に飛びついた。
矢口の“必殺、黙ってダッシュで奪取作戦”が成功した。
その後はお互い攻め手が掴めず膠着状態のまま前半が終了した。
得点者
白組 前半20分 後藤真希
青組 前半36分 吉澤ひとみ
- 131 名前:らいず 投稿日:2002年04月05日(金)01時04分22秒
×××××× ×××××× ×××××× ×××××× ××××××
後半に向けてメンバーの変更があった。
青ユニフォーム組
安倍
松浦
吉澤
加護 矢口
辻
あさみ
ミカ りんね 新垣
前田
里田 out → ミカin
石井 out → 新垣in
アヤカout → 前田in
- 132 名前:らいず 投稿日:2002年04月05日(金)01時06分17秒
×××××× ×××××× ×××××× ×××××× ××××××
白ユニフォーム組
後藤
高橋
藤本
平家 村田
紺野 小川
石川 稲葉 大谷
飯田
柴田 out → 藤本 in
斎藤 out → 高橋 in
×××××× ×××××× ×××××× ×××××× ××××××
- 133 名前:らいず 投稿日:2002年04月05日(金)01時09分31秒
- >>132 修正版
×××××× ×××××× ×××××× ×××××× ××××××
白ユニフォーム組
後藤
高橋
藤本
平家 村田
紺野 小川
石川 稲葉 大谷
飯田
柴田 out → 藤本 in
斎藤 out → 高橋 in
×××××× ×××××× ×××××× ×××××× ××××××
- 134 名前:らいず 投稿日:2002年04月05日(金)01時16分38秒
- ***短いですが今日はここまでです。
上の>>132 >>133がおかしいです、、悲
高橋愛の位置は藤本美貴の右斜め前です(後藤真希の右斜め後方)
飯田圭織の位置はまあ、真ん中です。
フォーメーションは大事なところなのに失礼いたしました。
(原因が分からない、、、、
ホームページに載せる時にはしっかり直します)***
- 135 名前:らいず 投稿日:2002年04月05日(金)20時51分15秒
- ***間違いもう一つ見つかりました。
>>129 下から7行目 矢口は諦め→矢口を諦め
です。
重ね重ねすいません。
4月は色々忙しいので、、と言い訳してみる、、***
- 136 名前:名無し読者 投稿日:2002年04月05日(金)20時54分34秒
- おもしろいです
無理しないで更新してください(笑)
期待しています
- 137 名前:らいず 投稿日:2002年04月09日(火)21時15分26秒
石川は後半に入る前にツゥンクシエからフラット3に入る様に言われた。
前半、左の下り目のSHとして先制点に絡むパスも出していたし、それ以外にも何本かチャンスになる起点となった。
しかし、同点に追い付かれた場面では、マークを見誤ってしまい矢口をフリーにしてしまった。
もちろん石川だけの責任ではないが石川自身は納得していなかった。
左のSHとしてツゥンクシエにどう移ったか分からない。ただポジションは違うが、CBとして後半も出場できる。テストだとは思うがチャンスには変わらない。
しかし動きの確認に稲葉の元に向かう石川に、ふと、不安がよぎった。
青組は吉澤が辻や加護や松浦と動きの確認をしていた。
安倍があさみと新垣里沙にアドバイスを送り、りんねがミカと話し込んでいた。
白組も稲葉を中心に石川と大谷が約束事の確認と、小川、紺野、高橋愛と藤本美貴が輪になって体を動かしていた。
短い休憩の間、ゆっくりと体を休めているものはだれ一人としていなかった。
×××××× ×××××× ×××××× ×××××× ××××××
- 138 名前:らいず 投稿日:2002年04月09日(火)21時19分38秒
後半開始直後、青組の吉澤、松浦とボールが渡り、白組の稲葉が詰めてきたところを松浦が安倍にバックパスをし、安倍がペナルティーエリアの外から強烈なシュートを放った。
飯田が素早く反応し、指先で触れてコースの変わったボールはゴールバーを叩き、下に落ちたところを大谷がヘディングでクリアした。
ボールは白組の村田が拾い、交代で入ったばかりの藤本へとつないだ。
青組のあさみと辻が藤本を囲み、りんねがラインを押し上げた。
藤本が懸命にキープするも、パスの出しどころが無かった。
平家が中央に寄って藤本のフォローに入り、藤本から平家にボールが渡された。
平家はダイレクトで右サイドの村田にパスを出した。
すぐに青組の加護が対応にはいるものの、村田もダイレクトで前方のスペースへスルーパスを通した。
白組の高橋と、同じく交代出場で入った青組ミカとの競争。
- 139 名前:らいず 投稿日:2002年04月09日(火)21時21分17秒
僅かばかり高橋の方が早く追い付き、ちらっとゴールの方向に顔を上げた瞬間、辻が斜め後方から滑り込んできた。
高橋は少しだけボールを浮かせ、辻のアタックをかわし、体勢を崩しながらも後藤へグラウンダーのパスを送った。
後藤まであと僅か、というところで新垣が戻りながらスライディングで足に当て、なんとかコーナーへと逃れた。
りんねが手を叩いて鼓舞する。
高橋が悔しがり、吉澤が新垣の頭をぽんぽんと叩いた。
ピッチから伝わってくる熱気に押されるように、観客席のざわめきもだんだんと静かになっていった。
「裕ちゃん、これ紅白戦、だよね、、、」
「あの子らはそう思ってないはずやで。
こういう形式で練習する事もほとんどないし、気合いも入ってるんやろうけど。」
「ふぅ、、。まあ、私が出ててもこうなるかな。」
「圭坊出てたらもっと激しいやろ?」
「・・・・・・」
- 140 名前:らいず 投稿日:2002年04月09日(火)21時23分19秒
白組の左コーナーキック。
キッカーは平家。
左足で蹴られたボールは、キーパーから逃げるような弧を描いていき、後ろから走込んだ小川の頭にドンピシャでヒットした。
地面に叩きつけられたボールは青組のGKの前田有紀の反応むなしくゴールネットを揺らした。
青組1−2白組
松浦亜弥はゴールネットからボールを拾い上げ、憮然とした表情を隠そうともせずセンターサークルへ走って行った。
「安倍さん、早く取り返しましょう。」
口元をきゅっ、と引き締め、そのまっすぐな瞳で安倍にそう話しかけた。
- 141 名前:らいず 投稿日:2002年04月09日(火)21時25分55秒
松浦はここまで“エリート”として順調なサッカー人生を送ってきた。
選手権得点王を引っさげヴィッセル神戸入り。
リーグでは1年目からレギュラーを獲得し、新人王にも輝く活躍を見せた。
得点王やチームの優勝のタイトルこそ取ってはいないが、今まで挫折らしい挫折は経験していない。
今期前にも名古屋グランパスや横浜Fマリノス、浦和レッズやガンバ大阪からオファーもあった。
結局移籍交渉は成立しなかったが、松浦の評価は高いままだった。
繊細なボールタッチに似合わぬゴール前で見せる激しいプレーに、恐れを知らない松浦の勢いが感じられた。
安倍は松浦のそのまっすぐな瞳の向こうに、昔の自分には無かったものを見た気がした。
羨ましいような気もしたが、おんなじ事は出来ないさ、とも思い、少し苦笑した。
「なっちがポストになるから。」
松浦は頷きボールをセンターサークルに置いた。
- 142 名前:らいず 投稿日:2002年04月09日(火)21時32分49秒
後半15分 加護からゴール前の安倍にボールが入った。
安倍は稲葉とゴールポストに背を向けボールをキープしていた。稲葉が体を入れてくるものの、安倍のバランスはなかなか崩れる事無く、腕を上手く使って稲葉を押さえていた。
安倍のそのしなやかなポストワークは、何年か前には見る事の出来ないものだった。
加護がリターンをもらいに安倍に寄っていった。
後半FWから右のCBに変わった白組の大谷が加護のマークに入る。
加護は構わず突っ込んで行く。
安倍は反転すると見せかけて左足でちょん、とボールを落とした。
そこには松浦が反応していた。
安倍からボールを受けた松浦の前には石川ただ一人だった。
ボールをもってぐいぐいと進んで行った。
すでにペナルティエリアに進入している為、石川も無理なアタックは出来なかった。
石川は体をすっとゴールの方向に絞り中央のシュートコースを消しにかかった。
(いける!)
外へのコースが空いたのを見逃すはずもなく、松浦は外へ持ちだして体をひねりながら、狭いところをシュートに狙いにいった。
- 143 名前:らいず 投稿日:2002年04月09日(火)21時38分11秒
ボールを右足がまさにとらえる瞬間、松浦は足元にボールが無い事に気がついた。
(うそ、、、、)
最初からそこへボールを誘っていた石川は、松浦の目線がゴールを見た瞬間そのボールを奪い去っていた。
石川は左サイドの平家につなぎ、その平家が中央に切り込んで行ったのを見て、紺野とアイコンタクトをかわし、左サイドをオーバーラップしていった。
紺野は石川の上がったスペースをカバーしに後方へと下がった。
平家は矢口を藤本とのワンツーでかわし、藤本からのリターンパスをダイレクトで後藤に合わせにいったが、辻の足に僅かに当たり、少し勢いの弱まったパスはりんねがまるで飛びつくようにカットした。
前半の里田とあさみと組んだフラット3は、2人共普段札幌で一緒にプレーしているだけにりんねにとってまだプレーしやすかった。
しかし後半は新垣とミカ。
練習でも一度も組んだ事の無い組み合わせに苦しみ、ラインコントロールも息の合わない場面が続いていた。
りんねは後半開始早々の失点も、小川をフリーにした事で悔やんでいた。
紅白戦とは言えりんねも相当の負けず嫌いであることに変わりはなかった。
- 144 名前:らいず 投稿日:2002年04月09日(火)21時41分28秒
後半になって、はじめていつものりんねの破壊力抜群の守備の片鱗を見る事が出来た。
(しょっ!)
りんねは左腕をピーンと伸ばした独特のフォームからボールを前方へ蹴り出した。
ロングフィードは大きく延びて、ペナルティエリア中央少し外近くで大きくバウンドしたが、吉澤が無理やりトラップして、腕を伸ばす小川を押さえつけながら松浦にパスを出した。
右サイドに流れていた松浦は食い下がる紺野をなんとかスピードで振り切ると右足を振り上げた。
紺野が捨て身で飛び込むが、シュートを打たずにワンステップ、切り返した。
飯田と稲葉が向かってくるのが松浦にはスローモーションのように見えた。
左サイドが空いているのを確認してから、小さなモーション、右足インサイドでシュートを流し込んだ。
飯田の右わきの下を通り、ボールはゆっくりとゴールに転がって行った。
(はーしゃいじゃぁーって いいのかなぁー)
今度こそ、と無邪気にガッツポーズを取ろうとした松浦の視界に、猛烈なスピードで滑り込んできた選手の姿が見えた。
- 145 名前:らいず 投稿日:2002年04月09日(火)21時43分52秒
その選手はゴールに吸い込まれそうなボールを、ぎりぎりのところでスライディングで弾き出した。
ボールは呆然としている松浦の横をすっ、と通りすぎ、松浦についていた紺野の元へ渡った。
紺野はすぐにボールを大きく左のサイドラインに蹴り出し、ほっ、と胸をなで下ろした。
スライディングした時に、少し右の足首を軽くひねったようだったが、石川は紺野に親指を立てて、ありがとう、と微笑んだ。
稲葉や飯田や大谷が、ナイスプレー、と石川の体を揺すった。
石川はひざの泥を払い、ひざに手をついて少し下を向きながら息を整えた。
(はぁ、はぁ、、、、、)
首もとのユニフォームを左手でぎゅっ、と掴み鼓動が少しでも収まるように。
さすがに相手ゴール前までオーバーラップして行ってからの戻りはきつかった。
しかもりんねのロングフィードから展開の早い青組のカウンターだったのでなおさらの事だ。紺野が粘ってくれなかったら、石川が戻りきる時間はなかっただろう。
だから石川は紺野に感謝した。
もともとは石川がいるべき場所だったから。
- 146 名前:らいず 投稿日:2002年04月09日(火)21時47分51秒
元々石川は代表の中では体力がある方ではなかったし、代表の試合の中でも先発途中交代が多かった。
だから今回の紅白戦でフラット3への適性を試すのなら体力十分な前半からだと思っていた。
もうCBでの構想はないんだ、と思い、左のSHとして目一杯アピールしようと前半から飛ばしていった。
それだけに後半からCBの左、とツゥンクシエに言われた時は正直どうして?と思った。
石川の中でまた不信の念がもたげたが、もうそんな事を言っている場合ではないのは十分理解できたし、やる事は変わらない、と切り替えていた。
体はもうだいぶ悲鳴を上げていたが。
(負けない、加護にも監督にも、自分にも、、、出たいの、ワールドカップに、、)
大きく深呼吸し、ユニフォームを掴んだまま自分に言い聞かせた。
もう一度マークの確認を稲葉とした。まだ青組の攻撃は終っていない。
中澤と保田が今日の紅白戦に出ない以上、もう選手交代は、ない。
- 147 名前:らいず 投稿日:2002年04月09日(火)21時51分08秒
「石川きつそうやな。」
「前半から目一杯飛ばしてたからね。」
「まぁ、残りたい気持ちは分からんでもないけど、紅白戦なんかでムチャまでして体壊したらどうすんねん。」
「、、約束したんだよ、石川は。」
「?」
中澤は保田にその理由を聞いたが保田は答えてくれなかった。
「ごめん、思わせぶりな事言って。しかも言えないのに。」
「まぁええよ。圭坊のことやから、なんか理由あるんやろ。石川にも。
ええ先輩やな圭坊は。」
「違うよ、裕ちゃんは優しいから、だよ。」
「?? ますます訳分からんわ。でもいずれはきっちり教えてや。2人だけで、仲間外れは嫌やでぇ。」
「ははは、分かった。」
ピッチでは青組のスローイン、矢口がボールを出す相手を探していた。
- 148 名前:らいず 投稿日:2002年04月09日(火)22時04分04秒
- ***きょうはここまでです。
>>136 ありがとうございます。
4thCD聞きながら頑張ります。
個人的報告:ホームページに1部の細かい加筆訂正版をのせました。
興味ある方はどうぞ。
http://homepage2.nifty.com/riserise/index.html ***
- 149 名前:ヤグヤグ 投稿日:2002年04月11日(木)18時25分27秒
- HP寄らせてもらいました。
初めの方にタイトルがついたんですね。
これからも楽しみに待ってますんで、頑張って下さい。
- 150 名前:らいず 投稿日:2002年04月15日(月)01時11分58秒
安倍と吉澤が激しくポジションを入れ替えながらマークを外しにかかった。
矢口は一瞬フリーになった安倍にスローインから足元に送り、安倍からリターンパスを受けて、少し縦へと走りこんだ。
白組の小川が縦へのコースを遮り、突破に備え構えた瞬間に矢口は早めのクロスをゴール前に放り込んだ。
矢口独特の緩くカーブのかかったボールは松浦目指して飛んでいった。
松浦がジャンプしようとしたが石川に肩を少し押さられて、バランスを崩したところを石川に先に飛ばれヘディングでクリアされた。
クリアボールは白組が拾う事が出来ずに、運悪く青組の辻の目の前に転がった。
辻は大きく息を吸い込み腕を小さく振りながら助走し、ゴールを一切見ずに、何のためらいもなく豪快にボールを蹴った
少しアウトにかかったシュートはDFの網をすり抜けゴールに向かっていたがGK飯田の正面に飛び、難なくキャッチされた。
- 151 名前:らいず 投稿日:2002年04月15日(月)01時13分20秒
飯田はすぐに2,3歩ダッシュするとカウンター狙いで大きく腕を振りかぶった。
目の前は先程の流れで両方の選手が沢山いてとても出せない。
右サイドの村田の位置は加護のマークで守備に戻っていた為に少し低く、そばに加護もいた。これはダメ。
後藤と高橋と藤本が前線に残っていたが、りんねやあさみ、ミカなどの屈強な選手がしっかり見ていた。ロングボールを出しても良いがこぼれ球になる可能性が高い、これも却下。
左サイドは誰も上げって無いし一旦ボールは落ち着けようか、、と思った飯田の視界の左端にフリーの選手が走り出しているのが見えた。
(石川!)
飯田は左サイドセンターサークル手前まで上がっていった石川にボールを力強く投げた。
石川は綺麗にトラップし前を向いた。
(カウンター!)
首を振り、周りを見た。
今、石川の周りには誰もいない。
後藤と高橋と藤本が青組のDF陣を引き連れてゴール前に走りこんだ。
どの選手も石川の精度の高いキックを信じて全力で走っていった。
平家が空いた中央のスペースに走る。あさみがカバーに入る。
石川の前には新垣がいたが、股下を通しあっさりとかわしていった。
- 152 名前:らいず 投稿日:2002年04月15日(月)01時17分45秒
サイドラインを走る、走る。
ゴール前は4対3でこちらの方が多い。
後ろから、股下を抜かれた悔しさで少しかっ、となった新垣がファール覚悟でユニフォームを掴んできたが、石川は後ろも見ず右ひじで払いのけた。
(心臓が苦しい。)
(頑張りすぎかな。)
(後ろからここまではやっぱり遠いよ。)
(ののが来た。すごい顔。当たりに来るんだろなぁ。あっ、平家さんフリー。)
(ナイスリターン。さすが。)
辻のアタックは平家が十分引きつけてからのダイレクトリターンパスでかわし、石川はフリーでクロスを上げた。
美しい放物線を描いたクロスはジャンプしたりんねと藤本の頭を越えて弧を描くように落ちていき、ノーマークの後藤のもとへ。
難しい位置だったが左からきたボールの落ち際を、体を上手くひねり左足ボレーをノートラップで叩き込んだ。
左隅に刺さるゴールに、GKの前田はすくむようにその場から動けなかった。
青組1−3白組
- 153 名前:らいず 投稿日:2002年04月15日(月)01時19分11秒
石川は喜ぶよりも前に、とんとん、と胸の辺りを叩き深呼吸を繰り返した。そうでもしないと息が出来ない様な、そんな感覚にとらわれた。
緊張の余り足をつってしまったデビュー戦以来、久しぶりに同じ感覚が石川の足を襲っていた。
ゆっくり歩きながら、ポジションに戻っていった。
サイドからの崩しにまずベースを置くツゥンクシエの戦術からして、代表に選ばれるには、今の石川には欲張るしかなかった。守備をし、攻撃にも参加する。
今にも切れそうな集中力と気力を必死で支えていた。
ゲームはその後、石川の動きが伝染したように激しいものとなった。
FWの後藤や安倍達もディフェンスまで戻る。
両サイドの矢口、加護、もアップダウンを繰り返し、平家、村田も負けじと対峙する。
ボランチの辻やあさみ、紺野が縦横無尽に駆け回る。
石川も先程のスライディング時に少しひねった右足首が気になり、やや動きが鈍ったが、それでも攻撃参加を繰り返した。石川はもう言葉も発しなくなった。
- 154 名前:らいず 投稿日:2002年04月15日(月)01時21分13秒
後半25分に加護が左の角度のないところから決めて青組が1点を返した後は膠着状態が続いた。
お互い紅白戦とは思えないような激しいプレーで時間が過ぎていった。
観客席のサポーター達は固唾を呑み、歓声をあげる事もなく、ただピッチから聞こえて来る選手達の声と、ボールが弾み、きしむ音を聞いていた。
そして後半43分。それは得点の匂いすら感じない、少し苦し紛れのロングボールだった。
りんねの蹴ったボールは中央で吉澤が紺野に競り負け、こぼれたボールは白組の平家が拾った。
平家は無理せず一旦バックラインの石川へバックパスをした。
「石川ぁ!!」
「石川!」
中澤と保田が同時に叫ぶ。
ボールは反応せず立ち尽くしている石川の横を力なく転がり、松浦がカットした。今日何度も石川に阻まれていた松浦が。
松浦は中央の安倍に折り返して、安倍はそのボールを流し込むだけで良かった。
青組3−3白組
- 155 名前:らいず 投稿日:2002年04月15日(月)01時23分41秒
石川はもう足が痙攣して動けなかった。何とか立ってはいたが周りの声も届かないくらい消耗していた。限界は突破していた。
代表スタッフが判断し、ここで紅白戦が終了となった。
石川だけでなく、どの選手も疲労の表情を浮かべ、座り込む選手もいた。
実際最後の方、いつでも出れるように急ピッチでアップしていた保田と中澤も汗をかきながら、少しお互い苦笑いの表情を浮かべピッチの外で座り込んだ。
そしてそんな選手達に観客席からは今日一番大きな拍手が送られた。
サポーター達への簡単なお礼を兼ねた挨拶と、クールダウンを済ませ練習を終え、選手達は控室に戻っていった。
石川はスタッフに支えてもらいながら戻っていった。
ツゥンクシエは練習終了後も、終始腕を組んだままじっとベンチに座ったままだった。何かを考えているようだったが、サングラスの奥の表情は読み取れなかった。
サポーター達も一様に満足げな表情を浮かべ、帰宅の途についた。
- 156 名前:らいず 投稿日:2002年04月15日(月)01時25分48秒
青組 3−3 白組
得点(アシスト)
白 前半20分 後藤真希(柴田)
青 前半36分 吉澤ひとみ
白 後半2分 小川麻琴(平家)
白 後半18分 後藤真希(石川)
青 後半25分 加護亜依(吉澤)
青 後半43分 安倍なつみ(松浦)
そして今日で一旦代表合宿は打ち上げられ、その3日後に25名の代表が発表された。
- 157 名前:らいず 投稿日:2002年04月15日(月)01時30分37秒
- ***今日はここまでです。
まだ25名は決めていません、、、
>>149
宣伝していただき、笑 ありがとうございます。
いろいろ書いた後に、あれしたいこれしたい、と欲張り、、***
- 158 名前:名無し読者 投稿日:2002年04月18日(木)01時54分16秒
- 本物の日本代表もこの代表も、選ぶと言うのは大変な事だ
それにしてもいつから全日本と言わなくなったのか、、
- 159 名前:らいず 投稿日:2002年04月20日(土)00時53分06秒
第4章 スペインの扉
昨日の代表紅白戦の結果を各スポーツ紙が大々的に1面で取り上げられる中、真ん中の方のページ、そんなに大きくない記事が下の方に載っていた。
“市井紗耶香、練習試合で移籍後初ゴール”
- 160 名前:らいず 投稿日:2002年04月20日(土)00時55分12秒
2年前、スペイン1部リーグの強豪『デポルティーボ・ラ・コルーニャ』に移籍した時、市井の様子はまさしく日本を飛び出した、というのがぴったりだった。
ジェフ市原でデビューしその後浦和レッズへと移籍して代表にも選ばれ、確実に将来を渇望されるMFになっていた市井だったが、彼女自身は物足りなさを感じていた。環境を変え、自分が世界でどこまでやれるのか試してみたかった。
そんな折、デポルティーボから移籍の打診があった。
1906年に創立され、スペインリーグ、スペイン国王杯、スーパーカップの3大タイトルを全て過去に取っている。3大タイトルを全て取っているクラブはデポルティーボを含め僅か6クラブしかない。レアル・マドリー、バルサ、ソシエダ、アトレティコ、バレンシア、そしてデポルティーボ。
そのことに誇りに愛される、ガリシア地方を代表するクラブである。
主に4−2−3−1の布陣を敷くこのチームは、ワントップの下の1列、“3”の右サイドの補強として市井にオファーを出した。
- 161 名前:らいず 投稿日:2002年04月20日(土)00時56分25秒
縦への突破、中央への切り込み、チャンスメーク、高い位置からの守備、そして何よりも1トップを追い越してのシャドーストライカー的役割など、様々な能力が必要なこのポジションには求められた。
このポジションに対する市井へのオファーに繋がるきっかけは2000年3月の国際親善マッチ、対中国戦での事だった。
現代表でのセンターライン、背骨は後藤真希ー吉澤ひとみー保田圭、だと言われている。しかし短い間だが、もしかするとそれを越えていたかもしれない輝きを見せた時期があった。
後藤ー市井ー保田という縦のラインを形成した時期があった。そしてその一つの完成形ともいえる試合を見せたのが2000年の中国戦だった。
神戸ユニバーでの中国戦。
この日の市井のプレーはキレていた。
後藤がサイドに流れ、空いた中央のスペースに市井がドリブルで切り込んでいく。相手を引きずりながら前へ前へ、と突き進んでいくそのプレーは鬼気迫るものがあった。
- 162 名前:らいず 投稿日:2002年04月20日(土)00時57分24秒
保田がボールをカットする
保田が市井にボールを渡す
市井がドリブルで相手のDFラインをぼろぼろに切り裂く
崩れたDF陣の裏を後藤が走る
市井が溜めて後藤にラストパスを送る
後藤が決める
後藤が市井とのワンツーで抜け出す
シュートを打つがGKに弾かれる
こぼれ球を保田が折り返す
市井が押し込む
- 163 名前:らいず 投稿日:2002年04月20日(土)00時59分19秒
市井自ら高い位置でボールを奪う
反転してドリブルで持ち込む
後藤が囮になる
コースが開く
市井がミドルシュートを突き刺す
市井がドリブルで突っかかる
相手がファール覚悟で市井の足を払う
市井は倒れない
2人目をかわす
3人目もかわす
キーパーもかわす
無人のゴールへ転がす
- 164 名前:らいず 投稿日:2002年04月20日(土)01時00分26秒
中国代表DF‘Tong Lu’のスカウティングの為に来日していたデポルティーボのスカウトは浮き足立った。
何せ自分たちが獲得直前という選手を、豪快にぶち抜いていく選手がいるのだ。
4−0 全ての得点に絡み、1アシスト 3ゴール。市井自身初の代表ハットトリックだった。
市井はこの試合をのちに
「味方だけでなく、相手を含めた22人をコントロール、支配出来た気がします。」
とまで話している。それだけ彼女の動きはキレを見せ、自信を持ってプレーしていた。
次の4月のアウェーの韓国戦でも市井は輝きを見せこの試合、0−1から土壇場で同点ゴールを決めるという活躍を見せた。代表での未来は前途揚々だった。
ちなみに当時、吉澤ひとみは浦和でJ2デビューを果たしたばかりで、同僚の先輩の活躍に目を輝かせ、喜んだ。もちろんこの時市井がシーズン途中で移籍し、チームが最後までJ2で苦しむ、とは思いもよらず、ましてや将来自分がMFに転向して、もしかすると市井とこの代表で将来ポジションを争う事になるかもしれない、なんて考えもしなかった。
- 165 名前:らいず 投稿日:2002年04月20日(土)01時03分03秒
そして中国戦の活躍がスカウトの目に留まり、市井はその年の6月、昨シーズンスペイン1部リーグ、リーガ・エスパニョーラを優勝し、最終節を終えオフシーズンに入ったばかりのデポルティーボに入団の準備をする為にスペインへ飛んだ。
移籍自体は前々から市井が内々で移籍を熱望していたのと、中国戦での活躍で一気に移籍金が跳ね上がり浦和として悪くない話であった為、あっという間に話がまとまった。まだこの時点で浦和は今の戦力でも十分昇格はいける、と計算していたのだが、、
突然の移籍話に驚いたのはサポーターよりもむしろチームメートだった。シーズン途中で主力、しかも代表選手、が抜けるとは思っていなかったし、あまりにも突然の話だった。
しかしチームメートは仲間の活躍を信じ、笑顔で送り出した。市井の活躍はこの国のサッカーステータスを上げる事に繋がる、と。自分たちの戦場であるこの国のサッカーに目が向く、と。
- 166 名前:らいず 投稿日:2002年04月20日(土)01時04分05秒
吉澤も市井の出発前日に一緒に食事をした。僅かの時間であったが市井と共にした時間は吉澤にとって貴重だった。
市井のアドバイス「自分を出す前にサッカーを楽しんだら?」という一言は吉澤にとって大きな言葉となった。食事の最後の方は涙であまり覚えていないが。
市井はサポーター達への挨拶もきちんとする事も出来ず、メディカルチェックの為、すぐにスペインへ飛び立つ事になった。
移籍が決まってからわずか3日後の事だった。
- 167 名前:らいず 投稿日:2002年04月20日(土)01時05分50秒
- ***今日はここまでです。***
- 168 名前:名無し読者 投稿日:2002年04月23日(火)23時16分39秒
- いっつも楽しみにしてます。落ちるのは誰かなあ?
- 169 名前:らいず 投稿日:2002年04月24日(水)02時27分10秒
×××××× ×××××× ×××××× ×××××× ×××××× ××××××
7月の某日。デポルティーボの入団会見の日、雨が多いガリシア地方はこの日も雨が降っていた。
デポルティーボ初となるアジア人の入団ともあって多くの報道陣が集まった。その多くは日本から来た報道関係者ではあったが、地元のTV局も多かった。
華やかなフラッシュの中、市井の横にはあの中国代表のDF‘Tong Lu’ 通称‘ルル’もいた。
一気に2人のアジアの選手が入るとあって、会見のムードは期待や不安が入り交じった複雑な雰囲気になっていた。
99-00シーズン、リーガ・エスパニョーラを制し、チャンピオンリーグへの出場を決めているデポルティーボはより多くの優秀な選手を抱える必要があり、市井紗耶香もその一人だった。背番号は「27」になった。
「私、雨女なんですけど、ここなら気にしなくていいですね。」と笑いを誘う市井の表情とは裏腹に足元は武者震いで小刻みに震えていた。
- 170 名前:らいず 投稿日:2002年04月24日(水)02時28分45秒
市井はこの時すでにある覚悟を決めていた。
ここで確たるポジションを掴むまでは、しばらくは代表などの招集があったとしても、日本には帰らない、と。
当時海外で活躍している日本人は1人しかいなかった。早々に代表引退を表明し、市井がスペインに来た時イタリアのローマに所属し、現在パルマの10番として活躍している福田明日香、ただ一人だけだった。
市井はサッカー選手として、日本人として、ここで認めてもらいたかった。
そして市井のデビュー戦は10月21日 第6節ホームでのマジョルカ戦まで待たなければならなかった。
×××××× ×××××× ×××××× ×××××× ×××××× ××××××
- 171 名前:らいず 投稿日:2002年04月24日(水)02時30分05秒
前節R・マドリーのホームでデポルティーボが0−3で完敗するのを市井はスタンドから見ていた。
味方の選手は決して悪いサッカーをしている様には見えなかったが、マドリーはすでに完成されたまとまりを見せているように見えた。
練習ではついていけない、というよりも場面によっては自分の方が上手いと感じていた。
それでも、もし自分がこの試合に出ていたらどんなプレーが出来るのか、と思うとまだまだ分からない部分が多かった。早く試合に出たい、そればかりを願っていた。
そして第6節のマジョルカ戦。今シーズン初めてベンチに入り試合を眺める事になった。前半に早くもマジョルカに1点を奪われホームスタジアムであるリアソールはやや静かな、そして少し殺気立っている雰囲気を感じた。同時にそれは横にいるチームメイトからも同じ空気が感じられた。ベンチから味方の消極的なプレーにやじ(スペイン語はまだ余り分からないがおそらく)をとばし、ディフェンスのバランスが大きく崩れても、フィニッシュまで持ち込めれば拍手をする。
なるほど、これはスタンドじゃ味わえないわ。
- 172 名前:らいず 投稿日:2002年04月24日(水)02時32分14秒
前半30分過ぎに監督からアップを命じられ、ジャージの下だけ脱いでランニングを始めた。スタジアムの左端に小さな日の丸が見えた。日本人が振っているのではない事を確認すると改めてここが日本のスタジアムでない事に気がつき、膝が笑い出した。
スタンドから身を乗り出して日本語で「こんにちは!」と叫ぶスペイン人のおやじの姿も見えた。何言ってんのよ、と下を向き小さく笑った。それでスパイクがざくっと初めて芝を噛む音が自分の耳に届き、少し冷静さを取り戻した。
後半30分が過ぎても監督とは目が合わず、それまでには2人の交代選手がピッチに入っていった。
それでも試合は膠着したままの展開になり、このままじゃあ終るよ、と思った後半40分、監督がこちらを見た。
いけるのか?、と目で合図され市井は頷いた。最初からいけたけどね、と。
ジャージの上も脱ぎ、第4審判にスパイクの裏と背番号を確認させ、サイドライン際に立った。
ボールがピッチの外に出てプレーが中断される。審判がこちらに気付き交代が認められた。
交代選手と抱擁をかわし、サイドラインを越えてピッチの中へ入っていった。この日一番の拍手が市井に送られた。
- 173 名前:らいず 投稿日:2002年04月24日(水)02時33分32秒
スペイン最初のプレーはスライディングだった。味方が囲んだところを滑り込み味方へとはたいた。
すぐに起き上がり右サイドを駆け上がり日本語でこっち!、と叫んだ。そしてボールが渡り、ドリブルを開始した。
最初のトラップで一人をかわしていた。まだ市井の目の前には縦に2人いた。鋭い切り返しで一人をかわす、2人目もバランスを崩したところを抜けようとして、後ろから引っ張り倒された。
一斉にブーイングが起き、市井を倒した選手に黄色い紙が提示された。
ルルが手を引っ張り起こしてくれた。泥を払い立ち上がった。まだセットプレーがある。
ファーポストにルルが立ち、市井はニアサイドで相手選手とポジションを取り合った。
コーナーキックのボールはルルが折り返したところを市井がヘディングで押し込んだ、が無情にもオフサイドの旗が上げられていた。
ここはホームでしょ?、と思ったが判定が覆る事はない、諦めてさっさと戻った。
- 174 名前:らいず 投稿日:2002年04月24日(水)02時35分27秒
デビュー戦で負けるなんて考えたくもなかった。しかし刻々と時間がなくなっていき、市井がボールに触れる事もなくなっていた。
ロスタイムが2分と掲示されてから1分が経っただろうか、こぼれ球が自分の足元に転がってきた。
相手はもう疲れ切っている。味方を見たが味方も疲れ切っていて、ゴール前に走りこんでいる選手に相手を振りきるスピードはなかった。
私がいかなきゃ。
慌てて体をぶつけてくる相手選手をかろうじてかわしてもう一度ドリブルを始めた。スライディングで止めにきた選手をジャンプしてかわすともう目の前にはGKしかいなかった。
中央でようやくマークをはずした味方オランダ人FWの7番がこちらだ、と呼んでいた。
キーパーが両手を大きく広げて飛び込んできた。
足の裏でボールを右側へ転がし、GKをかわした。左足首を掴まれ転びそうになったが、右足で倒れながらゴールへ押し込んだ。
もしはずれてもPKでしょ。
転がったボールは相手DFと詰めてきた味方FWと一緒にゴールに入っていった。
- 175 名前:らいず 投稿日:2002年04月24日(水)02時42分30秒
土壇場での同点。市井紗耶香はデビュー戦で貴重な同点ゴールを決めた。
叫んでいたFWの7番が、渡してくれていればもっと簡単にきめたよ、とでも言いたそうな顔をして肩を叩いた。他の選手も次々に祝福に来た。
このチームに合流し約4ヶ月が経つが、ようやくチームの一員として認められた気がした。
ゴールネットにまだ絡まっている相手DFを横目にボールを拾いあげセンターサークルへ走った。
観客達も逆転を信じたが、その20秒後終わりを告げるホイッスルが鳴らされた。
僅かの時間しかピッチにいなかったが、ホイッスルを聞いた瞬間ど、っと疲れている自分に気付いた。気付かなかったが、右膝も転んだ時に切れて血を流していた
ふー。大きく息を吐き腰に手をあて、空を見つめた。
何とかやっていけそうだよ、後藤。これからがホントに大変なんだろうけどね。
- 176 名前:らいず 投稿日:2002年04月24日(水)02時44分28秒
こちらに来てから日本の昔のチームメートや友達にさえ連絡は一切していない。
しばらくは帰らないけど、きっと上手くなって帰るから。
そういって日本で別れた後藤真希の泣き顔を久しぶりに思い出して、危なくピッチの上で泣きそうになった。
同点ゴールじゃまだ泣けないよね。誤解されるよ。マスコミに説明つかないし。
大きな歓声を受けながら、市井はサポーターに手を振り笑顔でロッカールームへと戻っていった。
×××××× ×××××× ×××××× ×××××× ×××××× ××××××
- 177 名前:らいず 投稿日:2002年04月24日(水)02時50分54秒
- ***きょうはここまでです。
>>168
どうもです。もう少し先までお待ちください。では***
- 178 名前:gau 投稿日:2002年04月28日(日)00時45分18秒
- いつも楽しみにしています。
これからも期待です
頑張ってください
- 179 名前:ふぃーこ 投稿日:2002年05月05日(日)02時05分52秒
サッカーのビデオ見ていたら続きが見たくなりました(笑)
期待してますさ。
- 180 名前:名無しさん 投稿日:2002年05月11日(土)01時55分08秒
- 続きが見たいです。強い娘達を。
- 181 名前:名無し読者 投稿日:2002年05月14日(火)20時40分13秒
- もうすぐノルウェー戦ですねえ。楽しみだ。そちらも楽しみですが、この小説も楽しみです。
- 182 名前:らいず 投稿日:2002年05月14日(火)23時02分35秒
- >>178>>179>>180>>181
少し間が空きました。仕事が忙し過ぎて毎日バタンキュー、の何も出来ない状態でした。
水曜日中に上げますので、いままでこちらやメールで励まして下さった方、お待たせしました。
これからもよろしく、です。
- 183 名前:らいず 投稿日:2002年05月15日(水)19時37分24秒
デビュー戦で目に見える結果を残した市井は続く第7節、アウェイのヌマンシア戦にも1−1の状態から途中出場を果たした。
市井の加速したドリブルはファールでしか止められず、ペナルティーエリア手前でフリーキックのチャンスを得た。味方がきっちりと決めてこの試合2−1でデポルティーボが勝利した。
続くラス・パルマス戦で初の先発スタメンを果たした市井は、直接点には絡まなかったが、キレのある動きで相手をかき回し、後半25分に退くまで攻撃のリズムを作り4−0の快勝に貢献した。
この頃になると当然日本代表からの招集がかかったが、市井はクラブに専念したいとの意を表明し、代表に合流しなかった。スペインでのこの生活リズムも変えたくなかったし、もっともっとこの異国の空気を吸っていたかった。
- 184 名前:らいず 投稿日:2002年05月15日(水)19時39分19秒
その後今までの疲れが出て体調を崩し、ビジャレアル戦、サラゴサ戦、オサスナ戦には出場しなかったが次の11月26日の第12節、セルタ戦に先発出場する事が決まった。
セルタはデポルティーボと同じくガリシア地方を代表するクラブである。
「過去にスペインリーグ、スペイン国王杯、スーパーカップの3大タイトルを全て取っているクラブは6チームしかない。、その中にデポルティーボはいる。セルタは何もない。
以前はガリシア地方を代表するクラブはセルタかデポルか、という論争があったけれどセルタはデポルの足元に及ばないんだよ。はっきりしているだろ?」
市井がチームメイトから聞いた言葉である。
いかにこの2チームが強烈なライバル関係にあるか理解出来た。表向きは。
日本人である市井には、街同士の激しく憎み合い、激高する関係がいまいち分からなかった。レアル・マドリーとバルセロナのそれは支配関係と抑圧によるもの、というのでまだ分かりやすいのだが。
- 185 名前:らいず 投稿日:2002年05月15日(水)19時40分24秒
-
ただ負けられない事は容易に想像出来た。
シーズン前半の一つ目の山場の試合に出る事の出来る喜び、そして同時にスペインへ渡ってきて初めての強豪クラブとの試合に高まる興奮を押さえる事が出来なかった。
市井はその試合、生まれて初めて自分に向けられた耳を覆いたくなるようなブーイングがあるのを知った。ホームでここまで耳に届くなら、アウェイでは、と思うと少しぞっとした。
試合は案の定激しいものとなり、市井がボールを持つたびに色んなところから足や腕が伸びてきて、地面に転ばされる事になった。ゴールから近かろうが遠かろうが関係なくセルタの守備陣は市井を潰していった。
デポルティーボのサポーターから頼もしくも強烈なブーイングがセルタ選手に送られるも、相手は意に介す事もなく市井に対して激しく容赦なくプレッシャーを掛け続けた。
(一応認められているのかな)
- 186 名前:らいず 投稿日:2002年05月15日(水)19時41分32秒
しかしそんな状態でチャンスも作れるはずもなく、ゴールに近づく事さえ出来ず、だんだんと市井を焦り、いらだたせる事になった。
もがけばもがくほどプレーの精度が落ちていくように感じた。
試合は激しさの割にミスの目立ち、ボールはどちらのチームにも落ち着かず雑な試合になっていった。それでも後半半ばを過ぎてもお互い点が入らなかったのはダービーならではのお互いの異様な集中力によるものだった。
後半20分過ぎ、ボールが持てずドリブルすら仕掛けられないプレッシャーの中で、市井は自分に代わる選手が用意されているのを見た。
(ボールが外に出たらおしまい、か)
何も出来なかった悔しさで唇を噛みしめた。この程度のマークで自分の仕事が出来ないと思うと血も凍る想いがした。
- 187 名前:らいず 投稿日:2002年05月15日(水)19時45分21秒
セルタも同じく交代選手がジャージを脱いで用意をしており、それまで張りつめていた両チームともが一瞬気を抜いた。
その時セルタの選手が簡単なパスを大きくトラップミスをして市井の前にボールが転がってきた。デビュー戦といい、この場面といい、もしかすると市井には幸運の女神がついているのかもしれなかった。その時はそう思った。
(ラストチャンス)
市井が見逃すはずもなく、素早く右足のインフロントで引っかけて、足を止めていたセルタのゴール目指してドリブルを開始した。慌てて走り出すセルタのDF達とデポルティーボの攻撃陣。
- 188 名前:らいず 投稿日:2002年05月15日(水)19時48分02秒
トラップをミスしたセルタの選手が足を伸ばしてくるが、キックフェイントを一度入れて一発でかわしていった。小さく歓声が沸く。
(まだシュートを打つのには遠い)
首を素早く振って周りを確認する。後ろは一人だけ、左右はいない。前に2人、縦に並んでいる。
もう一度市井はドリブルのギアを1段上げ加速する。詰めてきた一人目をフェイクを入れて振り切った。また歓声が沸いた。
抜かれた相手のひじが市井の頬の辺りにヒットし、僅かに視界がブレたがここで倒れる訳にはいかなかった。
(倒れたらファール、私は交代)
よろめきながらもゴールへと前進していった。
さらに後ろからユニフォームを引っ張られたが、ひじを振り回し振り切った。バランスを崩したのは後ろから引っ張ったセルタの選手だった。審判が両腕を前に伸ばしアドバンテージを取り、続行を示した。歓声は大きくなる。
(まだ行ける。こんなの何でもない。後一人も)
- 189 名前:らいず 投稿日:2002年05月15日(水)19時50分00秒
急激にドリブルのスピードを落とし、相手DFが合わせてスピードを落とした瞬間右、左、と上半身を振り、最後は右足のアウトサイドでボールを押し出し、相手の重心の反対側へ持っていきかわした。
残るはGKのみ。サポーター達は立ち上がり、ベンチの監督も立ち上がった。市井には息を飲む音までが聞こえるようだった。
(私はやれる)
その瞬間市井はスペインへ来る前の神戸での対中国戦での感覚がよみがえった気がした。
「味方だけでなく、相手を含めた22人をコントロール、支配出来た気がします。」と語ったあの感覚を体で、心で感じていた。
誰も私を止められない。
- 190 名前:らいず 投稿日:2002年05月15日(水)19時53分07秒
Gkが飛び出してきた。
同時にそれまで市井が完璧にコントロールしていたボールがグランドの小さなでこぼこに当たり、僅かにイレギュラーバウンドをして少し前に転がった。
GKと市井の間。
GKが触れるよりも先に市井は思いっきり右足を投げ出し、つま先でボールを流し込んだ。
ボールは鬼の形相で足から飛び込んできたGKの横をすり抜けていった。
市井はボールがゴールに収まるのを見届けた瞬間、「ドン」という衝撃とそして「ブンッ」という音を聞いた。
ついに均衡が破られ、この日一番の割れるような歓声がスタジアム中に響いた。
デポルティーボのスタッフも飛び上がり、抱き合い、最大限の喜びを体で表現した。
監督も両腕でガッツポーズを作り、グラウンドを見た。
その時セルタゴール前に小さな円が出来ていた。
- 191 名前:らいず 投稿日:2002年05月15日(水)19時55分30秒
市井を讚える歓声がこだまする中、チームメイトが歓喜の表情で市井に駆け寄ろうとしたが、そこには市井がGKと接触し右ひざを押さえながら倒れているのが見えた。
苦しみの表情を浮かべいつまでも起き上がってこない様子にチームメイト、そしてスタジアムはだんだんと静かになっていった。
次々と人が市井の周りに集まってきた。
担架が運ばれ、チームドクターもグランドに入ったが、見るまでもなく市井がプレーを続けるのは無理なのは誰の目にも明らかだった。
バツ印が出て市井は担架に乗せられた。
ガリシアダービーで因縁の相手から先制のゴールをあげた市井は喜びのポーズも取ることもなく、ただ小さくうめき声をあげ、脂汗を浮かべながらグランドの外に運びだされていった。
当初の目的とは違う理由で市井との交代選手がグランドに入った。
まだスタジアムは騒然としていた。
- 192 名前:らいず 投稿日:2002年05月15日(水)19時56分41秒
この試合結局市井のゴールを守り抜いたデポルティーボが1−0で勝ち、その時点でシーズン初の首位に立った。
しかし市井はこの後長い間戦列を離れることになった。
まだスペインで僅か4試合に出場しただけだった。
×××××× ×××××× ×××××× ×××××× ×××××× ××××××
- 193 名前:らいず 投稿日:2002年05月15日(水)19時57分50秒
- ***
今日はここまでです。
- 194 名前:ちば 投稿日:2002年05月19日(日)01時59分13秒
- おもしろいぃぃぃぃ!
あまりサッカー詳しくないけど、絵が浮かんできます。
これからも期待してます。
- 195 名前:ddk 投稿日:2002年05月20日(月)01時14分14秒
- HPからこちらへきました。
続きが非常に楽しみです、いちーちゃんが、、
- 196 名前:どっく 投稿日:2002年05月31日(金)02時47分35秒
- 続きが見たいです。頑張って下さいな。
- 197 名前:名無し読者 投稿日:2002年05月31日(金)12時23分31秒
- 続き期待sage
- 198 名前:らいず 投稿日:2002年06月05日(水)02時30分09秒
- ×××××× ×××××× ×××××× ×××××× ×××××× ××××××
セルタ戦で相手GKと激しく接触し、右膝の前十字靭帯を断裂した市井は手術を行い、全治6ヶ月と診断された。
日本に帰りリハビリや治療を行う選択肢もあったが市井はスペインでのリハビリを希望した。
もちろん市井が希望する、しないに関わらずクラブとして怪我をして使えない選手に給料を払い続けることは大きな損失で、いらないと言われればそれまでなのだが、それまで市井のプレーを見続けていたデポルティーボの首脳陣は復帰すれば大きな戦力になると考え、解雇しようとはしなかった。
首脳陣の目にもセルタ戦の最後のワンプレーは強烈に印象に残るものだった。
- 199 名前:らいず 投稿日:2002年06月05日(水)02時31分20秒
それから6ヶ月、市井はリハビリを続けた。
リハビリというのは、つらいとか苦しいとかいう類いのものではなく、地道な作業である。その努力も成果も市井しか知らない。
この前十字靱帯断裂という怪我は、手術をすればそれで終わりではない。その後のリハビリ期間はとても長い。それでも市井はただひたすら復帰に向けて長いリハビリ期間を過ごしていた。
後日市井は「手術後の約6ヶ月間の集中力には私自身に感心しました。この集中力をもってすれば、あともう一人、GKぐらい突破できたかもしれませんねぇ。」と笑って言った。
そして6月17日 最終節、対マラガ戦。すでに00−01シーズンの優勝をレアル・マドリーに奪い返されてしまったデポルティーボにとって消化試合となったこの試合。
怪我をした日からほぼ半年ぶりに市井が試合に戻ってくることになった。
日本ではその頃日本代表がコンフェデレーションズカップ2001で準優勝に輝き大きな話題を集めていたが、市井の復帰戦と言う事で興奮さめやらぬ日本からの報道陣も駆けつけた。
- 200 名前:らいず 投稿日:2002年06月05日(水)02時33分34秒
3−0で勝っている後半の頭から出場した市井はサポーターから大きな拍手で迎えられた。
この6ヶ月、チームがリーガの優勝を逃した瞬間も、チャンピオンズリーグのベスト8で敗れた試合もTVで観ていた。どの試合も何も自分が貢献出来ない事が悔しかった。
試合に出られる、サッカーが出来る喜びをぐっと抑えてピッチに出て行った。
サポーターもあのドリブルをまた見せてくれと言わんばかりの大きな歓声を送った。
しかし市井の動きは予想以上に重かった、長らく試合から離れていたとはいえボールが足に付かず、ドリブルで仕掛けても簡単に奪われた。
頭で動きを理解していても体が言うことを聞かない感じだった。
練習などでは問題なく動けているだけに気持ちが焦り、さらにプレーに粗さが目立っていった。
- 201 名前:らいず 投稿日:2002年06月05日(水)02時34分32秒
後半25分に右足でのクロスが相手の体に当たり結果的にゴールを奪ったが、動きの悪さはどうしようもなく結局40分過ぎに交代させられた。チームは4−0で大勝したが市井自身全然納得のいかない復帰戦になった。後2,3試合ゲームをすれば試合勘や動きを取り戻せると思ったが今シーズンはもう試合はなく、後はリハビリでいじめた体をもう一度ゆっくりと休め、足の状態を確認しなければならなかった。
スペインとは違い日本の各紙は比較的楽観的な記事が多く「完全復活ゴール!」「代表復帰弾!」などの話を聞くにつれ少し市井はうんざりした。
どこが完全復活なのよ。
スペインリーグがオフシーズンに入った7月に行われたキリンカップサッカーや開幕直前の8月に行われたAFC/OFCチャレンジカップ2001に市井の姿はなかった。辞退したのでなく、単純に代表に選ばれなかったからである。
×××××× ×××××× ×××××× ×××××× ×××××× ××××××
- 202 名前:らいず 投稿日:2002年06月05日(水)02時37分14秒
×××××× ×××××× ×××××× ×××××× ×××××× ××××××
8月26日にリーガエスパニョーラ01−02が開幕した。
デポルティーボの開幕戦の相手はバジャドリー。
4−0で勝つ事になったがここにも市井の姿はベンチにもなかった。
相変わらず練習での軽快な動きとは別に、ミニゲームでのキレの無い動きに監督・首脳陣も悩ませていた。
試合勘が戻っていないのか、スタミナの面か、それとも怪我が直りきっていないのか、市井の良い動きを知っているだけに判断が難しかった。
その後も市井はベンチに入ったり入らなかったりする状態が続いた。
途中交代で試合に出ても流れに乗れず、目立つ活躍が出来ない事が多かった。
かと思えばいきなり後半途中から出て来てハットトリックを奪うという事もあったが、代表の中国戦やセルタ戦での最後のワンプレーの輝きにはほど遠い出来であったし、現にその次の試合でまた動きが沈黙するなどなかなか安定してプレーが出来なくなっていた。
- 203 名前:らいず 投稿日:2002年06月05日(水)02時41分40秒
代表入りさえすれば周りに触発されてまた輝き出すさ、という声も多く市井の代表入りを熱望している声も日本では多かったが、その後市井がデポルティーボを退団するまで日本代表には1度も声はかからなかった。
デポルティーボでも10月に入ったあたりから出番はほとんどなくなっていた。
復活を信じて市井をゲームで使い続けてきた首脳陣も、さすがに見切りをつけなければいけない時に来ていた。
結局冬の短い移籍市場中にデポルティーボからレンタル、もしくは放出の意向を伝えられた市井は日本に帰る決断をした。
怪我をして復帰してからはなかなか結果も残せず、市井自身も納得出来る動きが出来なくなっていたし、一度原点に帰らなければならない気がしていた。
- 204 名前:らいず 投稿日:2002年06月05日(水)02時43分38秒
- 市井の退団を受け、天皇杯が終ったばかりの日本の各クラブチームは一斉に獲得に動き出した。
そのなかでも古巣である浦和、資金力のあるガンバや名古屋、横浜が有力と見られていたが、市井が最終的に選んだチームは意外にもヴィッセル神戸であった。
今年から3−4−3の布陣をとり、市井を前の3の右で使いたいという監督の戦術の話にスペインでの経験が試せると思った上に、松浦亜弥という新星と組むのにも興味があった。
しかしもっと大事な理由があった。
市井には神戸を選んだ理由の一つに、神戸ユニバーに対する想いがあった。
スペインへの扉を開く鍵を手に入れたあの中国戦。あの感覚、芝の匂い、スタジアムの景色。
市井にとっては自分を取り戻すのにどれも必要に思えた。あの感覚を忘れる訳にはいかなかった。
それを支えにして代表復帰を目指したいと、考えていた。
2月の代表候補合宿でのメンバーに市井の名前はなかった。
連日代表合宿の様子が取り上げられる中、黙々と練習に励む市井の姿があった。
- 205 名前:らいず 投稿日:2002年06月05日(水)02時49分54秒
そして代表の紅白戦が行なわれていた日、ヴィッセル神戸はセレッソ大阪と練習試合を行っていた。
日本に帰ってきてからの初めての試合に市井は先発出場した。
代表の合宿と重なっているにもかかわらず多くのファンが市井の姿を見に神戸に集まった。
試合にはもちろん神戸の代表選手松浦、アヤカ、ミカ、そしてセレッソの代表選手の加護はいないが、市井はまずまずの動きを見せた。
積極的に周りと声を掛け合いコミュニケーションをとり、連携を確認しながら走った。
激しい前線からのプレスでボールを奪い、素早くアシストにも結びつけた。
後半4分には鋭いドリブルから2人かわしてゴールも決めた。
- 206 名前:らいず 投稿日:2002年06月05日(水)02時51分20秒
ワールドカップの為スペインへ渡り、途中代表合宿を辞退してまで自分の力を試しにかかったスペインリーグで、怪我の為に約半年棒に振り、代表でのポジションさえなくなってしまった。
開いたかに思えたスペインから世界に続く扉は、ほんの少し開いただけでまた堅く門を閉ざしてしまった。この扉を再び開く鍵を手に入れる為には結局ワールドカップで活躍するしかなくなった。
今、代表候補ですらない市井にとって全てはこれからのJリーグでの活躍にかかる事になった。
ワールドカップの為の中断期間がある第7節まで、どんな試合もアピールしなければならなかった。
たとえ練習試合であっても。
このままでは終れない。
スペインから帰る飛行機の中でつぶやいていた言葉を、市井は小さくガッツポーズを取りながら何度も頭の中で繰り返した。
×××××× ×××××× ×××××× ×××××× ×××××× ××××××
- 207 名前:らいず 投稿日:2002年06月05日(水)02時53分42秒
×××××× ×××××× ×××××× ×××××× ×××××× ××××××
第5章 候補取れる
3月某日
今回のウクライナ戦、ポーランド遠征に参加する25名の代表が発表された。
★印は初選出
GK
飯田圭織 コンサドーレ札幌
アヤカ ジュビロ磐田
前田有紀 ガンバ大阪
DF
中澤裕子 京都パープルサンガ
りんね コンサドーレ札幌
あさみ 同上
★里田まい 同上
紺野あさ美 同上
小川麻琴 鹿島アントラーズ
柴田あゆみ 横浜Fマリノス
- 208 名前:らいず 投稿日:2002年06月05日(水)02時55分45秒
MF
吉澤ひとみ 浦和レッズ
加護亜依 セレッソ大阪
保田圭 柏レイソル
辻希美 FC東京
高橋愛 鹿島アントラーズ
平家みちよ 同上
矢口真里 横浜Fマリノス
石川梨華 同上
村田めぐみ ベガルタ仙台
稲葉貴子 ガンバ大阪
★藤本美貴 清水エスパルス(札幌からのレンタル)
FW
安倍なつみ コンサドーレ札幌
後藤真希 FC東京
松浦亜弥 ヴィッセル神戸
大谷雅恵 名古屋グランパス(札幌からのレンタル)
以上
- 209 名前:らいず 投稿日:2002年06月05日(水)02時57分51秒
- なお、今回の代表合宿のメンバーから新垣里沙(東京V)、石井リカ(広島)、斉藤瞳(新潟)、ミカ(神戸)の4名が外れた。
日本に戻り注目が集まっていた市井紗耶香(神戸)は今回も選出されなかった。
ツゥンクシエ監督も「この25名のメンバーのほとんどがワールドカップの登録メンバー23名に残る事になるだろう。」と語った。
ツゥンクシエニッポンは、2002年ワールドカップに向かって今年最初の国際Aマッチ、ウクライナ戦からいよいよこのメンバーで始動する。
- 210 名前:らいず 投稿日:2002年06月05日(水)03時02分56秒
- ***第2部はここまでです。
途中長い間空いてしまいました。すみません。
第3部も引き続き書ければ、と思っています。
皆さまのご感想お待ちしています。 ***
- 211 名前:名無しさん 投稿日:2002年06月18日(火)16時01分03秒
- 期待age
スポーツもの好きです。頑張ってくださいね。
- 212 名前:名無し禿 投稿日:2002年06月22日(土)11時21分02秒
- 待ってますよ〜
- 213 名前:らいず 投稿日:2002年06月25日(火)01時39分52秒
番外:おまけ
馳 ○周風コラム
私は神戸のの三宮の某にんにく料理店にいた。そこで私は「タラバガニのスパゲティー」を注文した。横にいる市井が美味しいからと勧めたからだ。
しばらくすると、オレンジ色のソースがかかったスパゲティーが運ばれてきた。
美味い。不思議な味だが、味が口から消える前にもう一口頬張りたくなる。
あっという間に平らげてもう一皿、しかもLサイズで追加注文した。横で市井が笑っていた。
- 214 名前:らいず 投稿日:2002年06月25日(火)01時41分15秒
- 私は市井がヴィッセル神戸に移籍するのが決まった時少なからず不安を覚えた。
ディフェンスは強固だが、攻撃に移る時はボールこそよく回るものの中々前に進まない。
攻撃の形が無いのか、明確な意志がないのか、ただいたずらに後方までボールが下げられうろうろする。悪いがそんな印象しか持っていなかったチームに市井が入る事のメリットが分からなかった。
しかしこの前の練習試合で市井は言葉でなく、プレーでその答えを見せてくれた。(いつだってそうしてきたところが市井の凄いところだ)
市井自身が明確な意思としてドリブルで突き進むーそう、このチームにはそういうタイプのプレイヤーがいなかった、いやいたが市井ほどの意思と技術がなかっただけだーこんなにアピール出来る事はない。もちろんツンクシェに、だ。
- 215 名前:らいず 投稿日:2002年06月25日(火)01時42分02秒
- 今の日本代表に、あの圧倒的なフィードとセンタリングが繰り出せる石川をお世辞にも上手く使いこなしているとは言い難い監督がいる代表に市井が入りこむ余地があるか分からないが、少なくとも私は友人として再び世界相手に戦う市井が見たい。
ウクライナ戦のメンバーには選ばれなかった。怪我気味の中澤と保田は選ばれているのに。(2人とも必要なのは確かだが)
ツンクシェは市井がスペインに渡ってから一度も代表の招集に応じなかった事をどう思っているのだろうか?
自分で世界に出ろと言った以上今後はどういう判断をするのか、いや、出来るのか。今の市井は応じないのではなく、呼ばれていないだけだ。コンディションも戻りつつある。だが小さな事にこだわる監督なので心配だ。
- 216 名前:らいず 投稿日:2002年06月25日(火)01時43分19秒
結局私は何も言わず市井と馬鹿話をした。私なんかが言わなくてもきっと今までのようにプレーで見せてくれるだろう。誰の為でもなく市井自身の為に。
心配はいらない。その証拠にこんな美味しい店を知っているではないか。美味しいものが分かる奴は何をしても美味く行くものだ。
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