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案内板発 リレー小説 2
- 1 名前:名無しさん 投稿日:2002年04月11日(木)22時54分35秒
- このスレッドは、案内板のリレー企画専用スレッドです。
以下の注意書きの熟読をお願いします。
☆読者さんへ
・このスレッドは”投稿”専用です。感想・批評・雑談は
『マルチキャスト短編集』感想用スレッド
http://m-seek.net/cgi-bin/read.cgi?dir=imp&thp=1017368562&st=28
にお願いします。
・また、企画の性質上過剰な先読み(「○○のあの行動は、絶対伏線で××になるんだって」等)は、
後の作者さんの迷惑になる恐れがありますので、ご遠慮ください。
・なお、作者としての参加希望はすでに締め切っています。
- 2 名前:名無しさん 投稿日:2002年04月11日(木)22時56分09秒
- ★作者さんへ
・投稿前に、まず自分の順番かどうかをもう1度確認してください。
・投稿ができる状態であれば、前の作者が終了を宣言していることを確認したうえで、
投稿を開始してください。
・自分の順番になって、3日以上放置の状態が続く場合、参加意思なしとみなし、
次の方に順番が移ります。
・ただし、投稿意思を示したうえでの投稿期間延長は2日間まで認められています。
・最後に投稿が終了したら、その旨をメール欄で必ず宣言してください。
なお詳細は
『リレー小説スレ』
http://m-seek.net/cgi-bin/read.cgi?dir=imp&thp=995192376&st=401
にあります。ご確認ください。
・実際の投稿に際しては、1-5レスで収めてください。また、名前欄にはあらかじめ決められた
ステハンを記入してください。最後のレス以外のメール欄の使用は自由です。
- 3 名前:スペードJ 投稿日:2002年04月12日(金)00時07分50秒
- ――― 静かやなあ。
窓の外の国道沿いの車の音や、なぜかいつもこの時間になると
騒ぎ出す上の階の子供たちの足音や、外で鳴いているはずの虫の声や。
そんな今も聞こえているはずの音たちが、不自然なほど耳に届いてこない。
その代わりに響いてくるのは、自分の呼吸する音と心臓の脈打つ音。
こんな鼻息荒い女、永遠に彼氏できへんやろな。
暗闇の中、微かに浮かぶ目の前の光景をただ静かに見下ろしながら、
平家はそんな場違いといっていいかもしれないことをぼんやりと考えていた。
- 4 名前:スペードJ 投稿日:2002年04月12日(金)00時11分10秒
- 「・・・・・・どないしよお」
いつまでもそこに立ち尽くしていたって仕方がないとはわかっていても、
頭の中が目の前にある現実になかなかついてこない。 とりあえず落ち着くのが
先だと考えた平家は、三十路前の友人が以前テーブルの上に置きっぱなしに
していった煙草へと、手を伸ばした。
なるべくその他の物には手を触れないようにしながら。
オイルは余っているはずの百円ライターの石が、上手く回らない。
何回目かの挑戦でようやく煙草に火をつけることに成功してから、
立ち上る煙の揺れ方で自分の指先が震えていたことに気づく。
そんな自分に何故か苦笑いして大きなため息をついてから、
平家はもう一度誰に聞かせるでもなく呟いた。
「ホンマどないしよっか、コレ・・・・・・」
- 5 名前:ダイヤA 投稿日:2002年04月13日(土)00時41分44秒
煙草から立ち上る煙の色の白さがやけに鮮明なのは、平家の足元のすぐ先から広がる暗闇のせいに相違ない。
全く非現実的な空間が展開されていた。
平家の立つ位置から後ろは、いつもの見慣れた自分の部屋。
しかし煙の流れていくその先は、果てしもない暗闇。
どちらが上で、どちらが下かも分からない。 ひたすら黒く、暗い。
平家は煙草をふかしながら、一応確かな空間の中をぐるぐると歩き回った。 何度も歩き回って煙草がすっかり短くなる頃、再び暗闇を覗き込んでみた。
「なんやろうなぁ。これも。あれも」
暗闇の空間と、その先に微かに浮かぶ、白い光景に、平家は首をひねった。
- 6 名前:ダイヤA 投稿日:2002年04月13日(土)00時43分30秒
◇◇◇
吉澤は途方に暮れていた。
「… 何処まで続くのかなぁ…」
歩きながら、何度考えても、自分がこの非現実的な空間の中に存在していることが理解できない。
何度頬をつねっても、感じるのは痛さだけで、いっこうに夢から醒める気配はない。 つまり、それは、自分が間違いなく覚醒している状態であり、その空間が一応は「現実」であることを意味する。
雲も星も太陽もない、真っ白い空。
白い小石が延々と敷き詰められた真っ白い地面。
だが、硬いはずの地面は何故か柔らかく、歩くたびに身体が揺れた。
吉澤は目が醒めてから、ずっと白い空間の中を歩き続けていた。
だが、まったくアテもなく歩いているわけではない。
白い地面に、点々と残された赤い血のあと。
まだ完全に凝固していない、その赤い軌跡を追って、ずっと歩き続けていた。
- 7 名前:ダイヤK 投稿日:2002年04月15日(月)09時49分50秒
- 一通り歩き回った平家は、また同じ場所に腰を落ち着けた。
明日のことを心配しつつも、平家は全くその場を動けないでいた。
「はぁ〜せっかく久しぶりのシングルやのに・・・・・振り付けは夏先生やったよな・・・・・」
再び誰に聞かせるでもなく、ぽつりと呟く。
しかし今足元のこの状態を見ると、明日の予定どころか、この先どうするかも皆目見当がつかない。
指に挟んでいた煙草が、大きな音を立てて燃えているように感じるのはこの暗闇の静けさの所為・・・・・
その唯一(と言って良いほどの)音を立てていた煙草もフィルター部分まで火が達し、消える。
ここは紛いなりにも我が家だ。
電気のスイッチも今なら目をつぶってでも押せるほど慣れた家。
しかしあかりを点けるのが恐いと思ったことは、未だかつて無かった。
足元の惨劇を見るのがとてつもなく恐ろしく、現実から必死に目を逸らしていた。
- 8 名前:ダイヤK 投稿日:2002年04月15日(月)09時50分44秒
- ―――・・・
吉澤もまたこの現実から目を逸らしたい人間の1人だった。
「う〜・・・・・」
吉澤はいつも困ったことがあると、回りには聞こえない程度の声でこう唸る。
今回はそれが普段より少し大きな声であった事以外、いつもの吉澤になんら変わりはない。
変わりはないと思いたかった・・・・・・・
一見して様子がおかしいこの世界・・・足元の血痕、真っ白い空、砂利だらけの地面・・・・・
信じられない現実に遭遇した時に、夢だと思い込むのは一種の自己防衛機能が働くからであろうか。
この時の吉澤も見事にそれに当てはまった。
「ん〜・・・明日は雑誌の撮影とインタビュー・・・あとは・・・・・」
日常生活に戻ることを考えるより前に、日常生活に戻った時のことを考える。
しかしここに来る前の記憶をたどって行くと、おぼろげながらここがどこだか理解できた。
- 9 名前:ダイヤK 投稿日:2002年04月15日(月)09時51分44秒
- まずこの血痕。―最近どこかで見た気がする・・・
この白い空。――キレイだな・・・・・変化はないけど見てて飽きないって言うか・・・
砂利の地面。――さっき触ったけどこの石やーらかいんだよね・・・何て言うか、マシュマロみたい・・・
体がフワフワする理由は、単純にこの石の所為だと思い込んだ。
落ち着いて考えてみた。
娘。に入りたての頃はクールキャラで通っていたので、思考力はあるほうだと自負する。
「今日(かどうかもわかんないけどね)仕事が終わったのは10時・・・ラジオだったよね・・・
平家さんも一緒にいたっけ・・・・・そのあと―――」
そこまで考えて思考が全く働かなくなる。
「この血・・・・・ひょっとしてさっき・・・私?」
「平家さんの家・・・・・・・・・・」
愕然としながら自分を保つために声になっていない声を出しつづける。
「もしかして・・・・・私・・・・・もう・・・・・?」
- 10 名前:ダイヤJ 投稿日:2002年04月15日(月)20時35分48秒
- 背中から汗がどっと吹き出すのが分かった。
――そんなこと、ある筈がない。
そう思ってはいたが、どうしてもその考えを抑えることができなかった。それでも吉澤は、頭に浮かんだ其れを振り払うべくかぶりを振る。身体の震えはどうしようも無かったが、其れだけは払拭したかった。
程無くして、自らの腹部がぐっしょりと湿っていることに気付いた。始めから濡れていたのか、それとも先ほどから止まない汗の所為なのか、それすら判断も付かないほどに吉澤は混乱していた。
地肌に貼り付く濡れたTシャツの厭な感覚に、吉澤は眉を顰めてとりあえずと腹部を拭った。――その掌が、朱く染まる。
「え、何、これ……」
- 11 名前:ダイヤJ 投稿日:2002年04月15日(月)20時36分52秒
- そこで、景色が変わった。先ほどまでの幻想的とも言える白い世界とは裏腹に、生活観溢れる、何の変哲も無いマンションの一室。
その変貌は、吉澤を更に混乱させるには充分過ぎるほどだった。
「座っとき。コーヒーでも淹れてくるわ」
不意に声がした。聞き覚えのある、関西訛りの声。吉澤が慌てて振り返ると、グループは違えども仕事仲間である平家みちよの姿がそこにあった。
――ああ、此処、平家さんの家だ。
未だ曖昧な思考の中で、吉澤はぼんやりとそう思った。自分が平家宅に訪れたことは記憶にも新しい。否、ついさっきのことだ。
そこまで思い出して、吉澤ははっと息を呑んだ。そして、リビングに置かれた白いソファへと目を遣る。そこに、居た。自分が平家宅でそうしていたように、少し落ち着かない様子で腰掛けた――、
吉澤ひとみが。
- 12 名前:ダイヤJ 投稿日:2002年04月15日(月)20時37分31秒
- 吉澤は愕然とした。自分が、自分と同じ姿形の人間が目の前に居る。何か叫ぼうとも思ったが、声が出なかった。何時の間にか動くことすら儘成らなくなっていた。
「おまっとさん」
リビングに併設されたダイニングキッチンからトレイを抱えた平家が戻ってくる。そして“もう一人の吉澤”が腰掛けたソファの前に置いてあるテーブルへとそのトレイを下ろす。
「どないしたん? 今日はえらい静かやなあ」
微かな揶揄混じりに、平家が笑う。そう言いながら、運んできたコーヒーポットからカップへとコーヒーを注ぐ。そこでようやく、ソファに腰掛けた吉澤が口を開こうとした。
それを眺めていた吉澤にも、“もう一人の吉澤”が何を言おうとしているかが分かった。正確には、思い出した、と言うべきかもしれない。
再び白んでいく世界の中で、二人の吉澤の声が重なった。
- 13 名前:ダイヤJ 投稿日:2002年04月15日(月)20時38分18秒
-
「平家さん。――私、知ってるんですよ」
- 14 名前:クラブK 投稿日:2002年04月16日(火)23時20分44秒
- 平家の顔がきょとんとなる。
「なに? 何のことや?」
「とぼけないでください。あたし聞いたんです。
毎晩、平家さんがこの部屋で何をしているか」
すう、と平家の目が細められた。
その表情も口調も、先程とは違う硬いものへと変わる。
「あんた……その事誰から聞いたんや」
「……中澤さんから」
「姐さんから? ちっ、余計な事を。
にしても、あの人からそのことを聞き出すなんて、一体どんな手を……」
「ま、それはご想像にお任せしますよ」
先程までの不安そうな様子は影をひそめ、不敵に笑う吉澤。
それを見て、平家の目がさらに細まる。
- 15 名前:クラブK 投稿日:2002年04月16日(火)23時21分37秒
- 世界が白く変わってゆく。
部屋の中で向かい合う二人は、もうその白さの中に溶け込もうとしていた。
ひとり残されようとする吉澤は、薄れ行くもうひとりの自分の口を食い入るように見つめていた。
その口がゆっくりと開く。
「いやー、それにしても驚きましたよ。まさか平家さんが──」
──ダメだ。その言葉を言っちゃいけない。
吉澤はそれに続く言葉を必死に止めようとした。
どうにもならないと分かっていながら。
既に部屋はほとんどが白に侵食されていた。
そんな中、なぜか自分が見つめる自分の唇だけがくっきりと浮かび上がる。
「まさか平家さんが──占いに凝ってるなんて」
空間は再び全ての色をなくした。
- 16 名前:クラブK 投稿日:2002年04月16日(火)23時22分21秒
- ふう、と再び平家は大きなため息をついた。
吉澤のあの言葉には正直驚いた。
この趣味は誰にも(年上の悪友を除いて)知らせずにいたというのに。
いい年をして毎日占いの本と首っ引きだなんて、あまり他人に知られたい事じゃない。
──いや、そんなことはどうでもええねん。
問題は平家が毎晩行っていたのは、占いなどという生易しいものではなかったことだ。
もともとどうにもツキの無い自分をどうにかしたくて始めたのが占いだ。
しかし、なかなかうまくいかない。
元来凝り性の平家は、どんどんと深みにはまっていった。
海外からも希少な魔術本を取り寄せ、研究に研究を重ねた。
そしてついに完成した究極の占術。
中世ヨーロッパに伝わるドルイドの秘術、そこに風水と易を組み合わせた独自のもの。
占いのレベルを超えたそれは、既に黒魔術と呼んでもよいものになっていた。
どんな願い事でもかなえる事のできる、文字通り秘術中の秘術。
しかし、この秘術には最大の問題点が残った。
それは──。
占い師自身には効果が無いのである。
- 17 名前:クラブK 投稿日:2002年04月16日(火)23時23分07秒
- ──にしても、あの子があんな願いをもっとったとはな……。
この秘術は危険すぎる。
そう言って断ろうとする平家に、真剣な顔で食い下がってくる吉澤。
その勢いにとうとう平家は折れた。
それがこんな結果を生み出してしまうとは……。
──やっぱり、いけにえの鶏の変わりにフライドチキン使うたんがまずかったんやろか。
意を決して、足元の惨劇に目をやる。
絨毯の上に描かれたカバラの魔方陣。
その上に散らばる、とねりこの枝。
いくつも転がる空になったワインの瓶。
そして……。
まるで魂が抜かれたようにぐったりと横たわる吉澤の体。
その腹部は──真っ赤に染まっていた。
- 18 名前:クラブQ 投稿日:2002年04月17日(水)23時53分55秒
- 「ダメェ!」
祈りを込め叫んだ言葉が、虚空に響いた。
いつしかまた、風景は模様を替え、辺りは白一面の世界に戻っている。
平家も、もう一人の吉澤も、飲みかけのコーヒーも、かかっていた洋楽も、
この広い静寂に飲みこまれたように感じた。
そしてその事実を確認した途端、吉澤のカラダから力が奪われた。
ベタリと音を立てて、崩れ落ちた膝が地面に連なる血液を踏みにじる。
自分の行動を激しく責め、後悔した。
何故、平家にあんな事を頼んでしまったのか。
危険だと言う平家の忠告に耳を傾けなかったのか。
先ほど見えた映像も影響して、今の自分と、平家の家を訪れた自分は別人ではないかという気さえする。
だが、そんな事を考えている時間は吉澤にはなかった。
全身に力をこめ、未だに先の見えない血液を追って走り出す。
血に濡れた腹部には、痛みは感じなかった。
「中澤さんに……逢わなきゃ」
- 19 名前:クラブQ 投稿日:2002年04月17日(水)23時55分50秒
- ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
カラダの調子がおかしい。
朝起きてからずっと纏わりつく倦怠感と右腕の異変に、中澤は首を傾けていた。
確かに昨晩は少々飲み過ぎてしまった。
おかげで頭はチクチク痛むし、いつ自分の家に帰ってきたのかまったく覚えていない。
そのせいか冷たい水が恋しくて、またミネラルウォーターに手を伸ばす。
が、先ほどからその右手が動かない。
いや、正確には動くのだが、まるでクラゲにさされたかのように痺れを帯びているのである。
しかも、時間と共にだんだんと酷くなってきている。
今では、正常に稼動するのは左腕一本という状態にまでなってしまっていた。
「ま、エエか。どうせそのうち直るやろ」
記憶のない昨晩に何かあったのだろう。
大した危機感も持たず、中澤はのんきに構えていた。
- 20 名前:クラブQ 投稿日:2002年04月17日(水)23時57分30秒
- ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
平家は恐怖を感じていた。
自然と、煙草の量が増える。
灰皿に山となった吸殻を見て、泣きたくなってしまった。
気にかけ始めたのは、ついさっきの事だ。
何周目になるか、くどくなるほど部屋を歩き回った時に。
「なんやぁ……」
広がる暗闇の奥に微かに見えていただけの白い光が、いつのまにか、手のひら程度の大きさになっている事に気がついた。
得体の知れないモノが先の見えない動きをしていることが、不気味で仕方がない。
「クソッ!」
足元に転がっていた雑誌を蹴飛ばした。
不安感と苛立ちで、これ以上落ちついていられない。
何か行動を起こさなければ…気持ちばかり焦ってしまって、頭が回っていないのが自分でもわかる。
悪循環だが、出口が見付からない。
そしてこう言う時に、得てして予期せぬ事態は起こるものである。
- 21 名前:クラブJ 投稿日:2002年04月20日(土)22時30分47秒
- 「…を…んだ…だ…れ…」
びくっ、として後ろを振り向いた。
どこだ。
それらしき影は見えない。当然だ。
足もとの様子だけがかろうじて確認できる以外、すべてが闇に飲み込まれているのだ。
声がどの方向から聞こえたのかさえ、判断できぬほどの漆黒の闇。
ねっとりとまとわりつく熱帯の湿潤な空気のように淀んだ闇の濃さは、足もとの不如意
なのとあいまって言いようのない不快感と恐怖を平家に与えていた。
じわじわとせりあがる恐怖感を紛らわせるため、何か叫ばずにはいられない。
「だ、誰や!?」
答えはないが何者かが意志を発しているとの気配はむしろ強まっている。
どこだ…どこにいるのだ。
先程からほわりと浮かんだと思えば消える。鬱陶しい動きを繰り返していた白い塊が
再び平家の前方に浮かびあがった。
「わ…しを呼んだの…だ…れ?」
その声が白い塊から発せられたのは明らかだった。
今やその青白く光る浮遊体は表面を微妙に隆起させてどくどくと脈打っていた。
まるで心臓の静脈と動脈が微妙に入り組んだ網の目のような模様を浮かびあがらせて、
それは何かを目前にして昂ぶっているようにさえ見えた。
- 22 名前:クラブJ 投稿日:2002年04月20日(土)22時31分48秒
- どくん…どくん……
大きく伸縮しては脈打つような動きのリズムが段々と早まっていく。
波のようにうねるその振幅が最大限に達したとき、目も眩むような閃光が弾け跳んだ。
弾けた…というほか、言いようのない光景だった。
それは玉となって四方八方に跳び散った。
光の玉…粒子、とはもはや言えない拳程の大きさを持ったそれらは暗闇を突き抜けるように
まっすぐな白い描線を残像として残すと、深い深い闇の中へと消えていった。
一本、二本、三本……と数えて八本すべてを確認し終えたところで、ようやく平家は
眼前に浮かぶ小さな存在に気がついた。
「な、なんや自分!なにしてんねや!?えらい、また小さなったやんか。」
「私を呼んだのは誰?あなたですか?」
「いや呼んでへん、呼んでへんけど…あんた…」
平家が混乱するのも無理はなかった。
丁度平家の目線の高さでコウモリのような羽をゆっくりと羽ばたかせて浮いている小さな
生き物、それは人間の形をしていた。そしてその顔、それは平家のよく知るものと瓜二つ
だった。
「なんでそんな格好してますのん…?」
「勘違いしているようなので説明しておきましょう。あなたが施した術…あれ、失敗です。」
- 23 名前:クラブJ 投稿日:2002年04月20日(土)22時32分47秒
- 「なんやとぅ……でも、そんな感じやな…」
平家自身、失敗したことは理解していた。何しろ、肝心の吉澤はいない。自分は闇の中。
すべてが失敗したことを意味していた。
「あなたが行おうとした術は本来、もっと慎重に行うべきものです。」
それは、わかっている。充分思い知らされた。
「なにしろ、魔界の四大悪魔の一人を召喚しようとしたんですからね。」
「なっ!うちは、そんなことしてへんで!」
「あなたが直接、呼び出そうとしたわけでなくても、そうなってしまうんです。」
「なんでやねん?」
「あなたの願いを適えるには、四大悪魔の一人を呼び出して直接契約を結ぶしかないからです。」
「なっ……」
平家は、二の句が告げなかった。
そんな危険なことをやらかそうとしていた自覚はまったくなかったからだ。
術が失敗してむしろ良かったのかもしれない。
いや、この状態から解放されればの話しだが。
「で、あんたは何者やねん。」
「術そのものは失敗でしたが、悪魔召喚の機能だけは働いて私のような下級悪魔が
呼び出された…そういうわけです。」
「下級……つまり、小悪魔っちゅうことかい…えっ、松浦?」
- 24 名前:クラブJ 投稿日:2002年04月20日(土)22時33分24秒
- そう、その下級悪魔を自認する浮遊生物は松浦亜弥そのものだった。
「何と呼んでもかまいませんが、取り急ぎ、あなたにしてもらうことがあります。」
「なんですのん?」
「あなたが妙な術のかけ方で魔界から悪魔を呼び出してしまったので、本来きれいに
繋がるはずの魔界と人間界の入口が複雑にねじれた形で繋がってしまいました。
そのため、両世界を含めて本来交わるはずのない異世界が混在し大変なことになっている
のです。」
松浦悪魔は淡々と説明するが、平家には今一つ実感がわかなかった。
何しろ魔界などというものの存在を前提に術をかけたわけではない。
すでに事態は平家の理解力の範疇を超えた次元で展開しているようだった。
「で、うちがしなあかんっちゅうのは何やねん?」
「ハイ、先程、私が出現するときに光の玉が八つ、跳んで行ったのをご覧になりましたか?」
「見たよ。」
「あれは、それぞれ”仁” ”義” ”信” ”礼” ”智” ”忠” ”勇” ”愛”を表します。」
「ほんで?」
「それぞれの玉の持ち主が集まって八つの玉を合わせることができれば、世界の秩序は
再び元に戻ります…ほとんどは。」
- 25 名前:クラブJ 投稿日:2002年04月20日(土)22時34分48秒
- 「で、うちはどうすればええねん?」
「祈ってください。」
「はぁっ?祈るぅ?」
平家はとても悪魔の口から出たとは思えない言葉を反芻した。
「何もしなくても、おそらく玉の持ち主は元の場所へ戻ろうとします…帰巣本能という
やつでしょうか。」
「で、なんでうちが祈らなあかんの?」
「光の玉と同じように無数の黒い玉が飛んでいます。それらは八つの玉がここへ向かうのを
阻止しようとするでしょう。彼らが集まるべき目標を見失わぬよう…あなたの祈りが導く
はずです。」
「わかった。祈ればええねんな。」
「ええ、世界の秩序に関してはそうです。」
「まだあんのかい?」
平家は訝(いぶか)しんだ。
ひどく注文の多い悪魔だ。それにこの能弁。なんだか本物の松浦のようで、平家は一発、
殴りたいという衝動に駆られ、それを抑え込むのに苦労した。
「あなたが術を行ったとき、側に誰かいませんでしたか?」
うっ、と平家は言葉に詰まった。
忘れていた。吉澤はどうしたのか?そもそも、術自体が彼女の望んだものであった。
であるなら、今頃、自分同様に無事ではおられまい。
「吉澤…あいつはどないしてん?」
- 26 名前:ハートK 投稿日:2002年04月21日(日)15時17分06秒
- ◇
ぎゅるる…と、腹が泣く。そこで初めて吉澤は、自分が空腹であることに気付いた。
「くぅ…ハラ減ったぁ〜…」
力ない呟きが漏れた。さっきまではまったく気づかなかったことなのに、
意識しだすと、ことさら空腹感が増す。
――いったいあたし、どうしたらいいんだろ…。
立ち止まり、漫然と視線を周囲に巡らせてみる。
とっくに見飽きた、呆れるほどに真っ白な視界にひとつ、変化があるのを発見した。
遥かに人影があった。ぼんやりと浮かぶそれは米粒ほどに小さく、ともすれば幻のように頼りない。
――誰かいる…っ!
吉澤は唯一の命綱を求めるように、必死に駆け出した。こんなに思い切り走ったのは久しぶりだ。
人影が徐々に近づいて来ると共に、吉澤の脳裏に、もしかして…という疑念が湧いた。
さらに近づくと、疑念はやがて確信へと変わった。
バカな。そんなバカな。しかし、こうして目の前に現われたのは紛れもなく――
そのひとはスーツを着て、
見覚えのある広い背中を吉澤に向けて歩いていた。吉澤の気配に気付いていない様子だ。
息せき切りながらも、吉澤は振り絞るように叫んだ。
「ガッツさぁぁぁんッ!!」
- 27 名前:ハートK 投稿日:2002年04月21日(日)15時27分38秒
- ガッツは振り返り、駆け寄る吉澤の姿を認めると、
「あー…えーと……」と眉を潜めたのち、「ひとみちゃん!ひとみちゃんか!」
吉澤は駆け寄るや否や、
「どうしたんですか?!こんなトコで」
とりあえず「いつもの世界」に戻れる手掛かりが掴めるかもしれない…
そう思って、頬を紅潮させた。
だが、ガッツの答えに吉澤は失望した。
彼もまた、なんだか分からないうちに、この空間を歩いていたからだ。
ひとつため息をつくと、忘れるなよ、と言わんばかりに、腹がひときわ大きく喚いた。
「なんだ、ひとみちゃん、腹減ってんのか?」
「え、あ…ええ…」
吉澤も女の子である。さすがに空腹をあからさまに口にするのははばかられたが、
この場合、背に腹は変えられぬ、と言うか、背と腹がくっつきそうだ。曖昧に頷く。
するとガッツはスーツのポケットからおもむろにバナナを1本取り出し、
「これ、食べな」
いつもの強面のまま言った。
嬉しかったが、それ以上に気になったのは――
「いつも、こんなもの持ち歩いてるんですか?」
「バナナ好きなんだよ。それに、世の中、なにが起こるか分かんねえからな。
実際に、こういうことになってるわけだし」
- 28 名前:ハートK 投稿日:2002年04月21日(日)15時31分01秒
- なるほど、と吉澤は深々と頷き、バナナの皮を剥いてひと口食べた。
あと、身体の調子が悪いのなら、これを付けるといい、と、
ガッツは自分の手首に巻いていたリングを外して吉澤に差し出した。
自分のグッズとして作っているもので、巻くと血液の循環がよくなるらしい。
しかし吉澤は、それはなんとなく遠慮することにした。ガッツの顔にかすかな寂しさが滲む。
バナナを半分ほど食べたところで、
「ガッツさん、残り食べてください」
気遣って、吉澤は残りをガッツに手渡そうとする。
しかし、ガッツは、「いや、俺はいい」と、こうべを振った。
「どうしてですか?」
「さっきからずっと、腹がしくしくするんだよなぁ」
「そんな…こんなところに薬なんてないし…」
吉澤が不安げに困惑すると、
「ここらへんなんだよ」と、よっぽど気になっているのか、
べつに求めてもいないのにガッツはシャツを豪快に捲り上げ、
「この腹の真ん中あたりがなぁ…」と、腹をたぷたぷとさする。
ぷっくりといい具合に膨らんだ腹は、かつて「幻の右」を武器に世界を席巻した男のそれとは思えない。
だが、吉澤の視線はある一点に吸い寄せられていた。
- 29 名前:ハートK 投稿日:2002年04月21日(日)15時32分23秒
- 「…ガッツさんって、おへそ、出てますか?」
「いやぁ、人並みだと思うけど」
ガッツは呑気そうに答えた。
人並みのへそ、というのがどういうものかはよく分からないが、それは明らかに異常だった。
しかし、なんと言っていいか、分からない。
へそに当たる部分には、まるでなにかが埋め込まれたかのようにつるりと白い球面が露出し、
そこには「仁」という文字が浮かんでいたのだ。
「なんだい? どうかしたのかい、ひとみちゃん」
ガッツが怪訝そうに尋ねたとき、吉澤の手からぽろりとバナナが落ちた。
「な、なに、これッ?!」
そう叫んだ吉澤の身体には、黒い光が幾重にも巻きついていた。
「うおー、なんだこれ!」
ガッツも叫んだ。
- 30 名前:ハートK 投稿日:2002年04月21日(日)15時35分18秒
- ◇
中澤は相変わらず身体の調子が悪かった。
外界と自分とを薄い膜が遮断しているかのように、すべてがぼんやりとしていた。
気分を変えようと窓を開け、洗面所で顔を洗う。
徐々に、昨夜のことが思い出されてきた。
――昨夜はウチに帰ってから、矢口が来て、吉澤が来て…
――そいで、平家のコトがなんとかかんとか…
居間に戻ると、テーブルの上に小さく光るものが目に付いた。一見ピンポン球のように見えたそれは、
手に取ってみると、痺れのせいか、思いのほかずっしりと手ごたえがあった。
ぼんやり眼で記憶の引出しに手を掛ける。
――矢口が持ってきやったオモチャかなんかかなぁ?
つるりとした表面には「愛」という文字が浮かんでいた。
――なんや、コレ?
そのとき、再び頭痛が中澤に襲い掛かった。
「いたーい……あー、もおっ、痛いっちゅーねんッ」
手にしていた玉にはすっかり興味をなくし、苛立ち紛れに傍のゴミ箱に放り込むと、
中澤はセデスを探し始めた。
玉はゴミ箱に入ったかと思いきや、高く跳ね上がり、
そのまま緩やかな弧を描いて吸い込まれるように窓の隙間から飛び出した。
その直後だった。窓の外に聞き覚えのある女性の悲鳴が響き渡ったのは。
- 31 名前:ハートのQ 投稿日:2002年04月23日(火)14時53分20秒
- ――女性といえば女性の悲鳴ではあるが。
ぎぇええええええええ!
きょわぁぁぁぁぁぁぁ!
屑タイヤのブレーキ音でもまだマシかと思える騒音を耳にした中澤は、
窓をがらりと開けるとその姿を確認するより早く声が出た。
「うっさい辻加護!」
叫んでから、マンション高層階の窓の外に悪ガキ二人の気配がしたという異常事態に思い当たり、
窓の向こうのその光景を目の当たりにして時を凍らせた。
隣りの住人宅のどら猫が辻の上にマウントポジションを取って暴れていて、
加護は猫の背中を引っつかんで覆い被さるようになっていた。
地上十二階の空中で。背中にプラスチックのおもちゃのような羽をつけて。
- 32 名前:ハートのQ 投稿日:2002年04月23日(火)15時11分16秒
- 「……なにしてんねん」
中澤はようやくのことでそれだけ口にする。
「ええと。飛んでたら猫さんびっくりして落ちかけちゃって大変でした。いじょう」
わやくちゃな説明を終えると加護は中澤の部屋の中に猫を放り入れた。
ネズミ花火のように足元を駆け回る猫には気を止めず、空とぶ辻加護の出方を見守る。
加護はもじもじしていたが
「とりあえずー」
顔中に引っ掻き傷を作ってべそをかいてる辻を押し出して
「オロナインぬってくださーい」
中澤はこめかみを指先で揉みながら問い直した。
「それで、あんたらは辻加護じゃなくて……」
二人は立ち上がって、両手を振り回して様々なポーズをとった。
「うちらぁ」
「愛のぉー天使ぃー」
「ラブラブエンジェルでぇーす!」
「コンサートの小芝居ネタまんまやん……」
遠の昔の引退時の幻覚を見るなんて、裕ちゃん飲みが足りないんやな。
台所に戻り、日本酒とするめを掴むとフローリング床のその場に座り込んだ。
やり始める。
するとドラ猫がするめを狙って飛びつき、
加護はするめを引きさくとエサにして猫を構いだして、
顔を軟膏でべとべとにした辻は退屈そうに冷蔵庫をあさりだす。
- 33 名前:ハートのQ 投稿日:2002年04月23日(火)15時29分29秒
- 「天使さんなら天使さんらしく酔っ払いを幸せに酔わせたりいや!」
怒声一つで、辻と加護と猫は飛び上がってびしっと正座をした。
「よろしい」
とくとくとコップに酒を注ぐ音だけが大きく響く。
やがて加護がおずおずと話し掛けた。
「魔界との歪みを正すために協力してください」
中澤さんの体調が変なのも関係あるはずです」
中澤は酒を一気に煽ると座った目つきになった。
「こりゃ二日酔いや。魔界がなんの関係あるちゅーねん」
「いや、まだわかんないけど」
「アホくさ」
動かない右腕をうっちゃって、左腕で一升瓶を抱きかかえて器用に酒を注ぐ。
加護がフラフラ揺れる瓶の尻を支えてやった。
「おっとっとぉ。とにかくぅ魔界の桃尻女に負けるわけにはいかないんです!」
「はいはい。しっかりやりんさい。ピーーチがなんぼのもんやちゅーんやなぁ」
加護の頭をぐしゃぐしゃすると、加護は嬉しそうに
「はい!」
と、猫とするめをしゃぶっている辻の背中をつついた。
- 34 名前:ハートのQ 投稿日:2002年04月23日(火)15時32分30秒
- 目配せで部屋の隅の植木鉢を示して意思を伝える。
「えー、それではぁ」
辻はこほんと咳払いをすると、大げさな動作で植木鉢を指差した。
「太陽と土の理を持って召し付ける!出でよ聖土人形デイアー!」
鉢が不気味な共振を始めて左右にパッカリと割れた。
中の土が膨張し、縦に伸び、それはシンプルなデザインで巨人サイズの『ハニワ』に形を変えた。
ハニワの頭には、鉢に植えられていたベンジャミンがそのままふさふさカツラのように生えている。
- 35 名前:ハートのQ 投稿日:2002年04月23日(火)15時37分50秒
- 「今から中澤しゃんをお持ち帰りするのれす。
魔族に奪われることのないようにしっかり保護するのれすよ」
すっかり出来上がった中澤は動くハニワに抱き上げられ、
『なんや太陽の塔の分際でうちをハグハグする気かドアホウ』と暴れてわめき散らす。
「そのまま、私たちの後からついて来るのれす」
辻が命ずると、ハニワは円らな二つの空洞で辻を見て、
『ワカリマシタ ゴシュジンサマ』と胴体の中でカチカチしたスクラッチ音を響かせた。
「じゃ、これ回収な」
加護は愛の玉を拾うと、貯金箱にお金を入れるようにハニ輪の口へ玉を押し込む。
「ほないくで一!」
「あいあいさー!」
辻と加護が開けた窓から飛び出ると、後を追うハニワは窓枠ごと窓を破壊して外界に飛び出した。
後に残るのは、内側から弾けた窓と植木蜂の破片と日本酒の空ビンと隣家の猫。
謎に満ちた失踪現場を残して中澤は天に消えた。
- 36 名前:ハートJ 投稿日:2002年04月24日(水)21時34分36秒
東の空が白みはじめる暁の時刻に、紺野は公園に面した道路の路肩を小走りで急いでいた。
向かう先に嫌な気配を感じ、どういうわけか自分が行かなければならない気がしていた。
「あれ?紺野ちゃん?」
不意に声を掛けられ振り向くと、そこには見知った人物がピンクのバックを片手に佇んでいる。
「こんな所でどうしたの?」
「石川さんこそ……」
「あっ、ここ、あたしん家の近くなんだ。これからコンビニ。ねえ、もし良かったらこれから家来ない?」
そう言いながら、石川は、意味不明に幸せそうな笑顔を浮かべて紺野に歩み寄った。
何時もなら嬉しい申し出も、先を急ぐ紺野にとって正直今は迷惑でしかない。
紺野は、石川を傷つけぬよう遠回しに断る事にした。
「すみません、あたし急いでるんで……決して行くのが嫌なわけじゃないです」
「ふ〜ん。そう……あっそうか!あたしの部屋がトイレ臭いと思ってるんでしょ!それで行きたくないのね」
「いっいえ、そんな事ないです。今日はどうしても……すみません」
石川は、残念そうな顔をするが再び笑顔に戻ると明るい声で答えた。
「そう、分かったわ。紺野ちゃんも気をつけてね」
「はい、失礼します」
- 37 名前:ハートJ 投稿日:2002年04月24日(水)21時36分04秒
- 紺野は石川にお辞儀をすると、そのまま背中を見せて歩き去ろうとした。
その時、石川は徐にピンクのバックから黒い携帯ほどの大きさの物を取り出すと紺野の首筋に先端を宛がった。
「!!!!」
石川がその物体のスイッチを入れると、宛がった先端から青白い火花が飛び散ちり、紺野は声にならない
悲鳴を上げてその場に力なく倒れ込み、そのまま意識を失った。
「くっ、アハハハハ!馬鹿な子。あたしの言うことを聞いていればこんな目に会わずにすんだのにね」
石川は、先ほどと変わらぬ無邪気な笑顔を浮かべながら紺野を嘲笑すると、先ほど取り出したスタンガンを
無造作にバックに放り込んだ。
それから、石川は、紺野の背後に回ると両脇に腕を通して抱き上げ、公園の方へと引きずりだした。
意識を失った人間を運ぶのは予想以上に労力を使う。
今だ朝の冷気が肌寒い季節であるというのに、石川の額にはうっすらと汗が滲んだ。
「まったく、重いわね。アイドルだったらもう少し痩せなさい」
紺野の踵が擦れ、所々に擦り傷が出来るのをお構いなしに引きずりながら、二人は、今日に限って不思議と
誰もいない静かな公園の奥へと消えていった。
- 38 名前:ハートJ 投稿日:2002年04月24日(水)21時39分32秒
――その頃平家は、足元の光景に愕然としていた。
「どうして……こんな事に……」
「悪魔との契約に何の代償も無いと思っていたのですか?」
薄暗い部屋の床に描かれた魔法陣の中央で、腹部を血で濡らした吉澤が倒れていた。
身動き一つせず、顔面を蒼白にしている。
吉澤の周りには、彼女を取り囲むように置かれた8本の蝋燭の内の一つが炎を上げており、その僅かな明りが
彼女を照らし出していた。
それは、平家が儀式を行なう際に用意した蝋燭であるが、儀式が失敗した際に全て消えてしまい、室内を僅か
数歩先が見えないほどの暗闇に閉ざしていた。
だが先ほど、突然その蝋燭の一つがひとりでに燃え上がり、この惨劇を照らし出したのだ。
「どうやら、玉の持ち主の誰かが扉(ゲート)に接触したようですね」
「代償?ゲート?いったい何のことや」
「本来、生贄である生命を媒介として魔界とのゲートが開きます。通常、小動物を生贄にするのでしょうが、
今回それが用意されてなかった為に身近にいた術者でない彼女が身代わりになったのでしょう。しかし、
貴方がやり方を謝ったため、彼女の魂はゲートとしての役割を果たせず、狭間を彷徨っているのです」
- 39 名前:ハートJ 投稿日:2002年04月24日(水)21時47分01秒
- 「はざま?」
「この世界でも魔界でも無い曖昧な世界の事です。異世界、別次元、呼び名は様々ですが、あたし達は狭間と呼んでいます」
平家は、小悪魔の説明を聞きながらも心配そうに吉澤を見つめていた。
「安心してください。彼女はまだ生きています。ですが、それも長くは持たないでしょう」
「それは、どういう……」
「考えても見てください、魂の抜けた肉体がそれほど長く持つと思いますか?あたしの計算ではもって後40時間……もっと少ないでしょうね」
「そんな……どうすれば……」
「ですから祈って下さい。八つの玉さえ揃えば、術は完成し魔界と人間界は正常に繋がりますから」
「っ!それじゃ、集まらん方が良いやんか!」
「そんな事は無いです。もし、このまま放置すれば歪みは拡大し、世界は混沌に飲み込まれてもっと酷い事になります」
他人事のように淡々と話す小悪魔の言葉に、平家は、漸く事の重大さを実感すると共に、
負の感情が波のように押し寄せてきて胸に深くのしかかる。
「……そんな、他に方法はないんか?」
「それは魔界と繋がらずに世界も混沌としない方法ですか?もしあったとしてあたしが話すと思いますか?あたしは何に見えます?」
- 40 名前:ハートJ 投稿日:2002年04月24日(水)21時53分15秒
- 平家は、そう言われて言葉を失った。
小柄ながらも見た目は松浦にそっくりではあるが、その姿は伝承などに出てくる悪魔そのものだからだ。
「玉を八つ集めたら、世界の秩序は元通りになる言うたやないか!」
「ほとんどは、とも申しました」
声を荒げて話す平家とは対照的に、小悪魔は、にっこりと微笑みを浮かべながら落ち着いて受け答えをする。
その小悪魔の微笑みに苛立ちを募らせながら、平家は別の方法を必死に模索していた。
精神的に追い詰められ、その様な状態でまともな思考など出来る筈も無く、知らず知らずの内に
平家は声を出しながら考えに耽っていた。
「くっ、ある筈や……何か……」
「ふふっ、一つだけありますよ」
先ほどとは違い、明らかに高みから語る口調で平家に言葉を投げかける。
そのことに気づかずに、平家は小悪魔に縋る様に瞳を向けていた。
「何や!教えてくれ!」
必死の形相で叫ぶ平家を横目に、小悪魔は、冷淡な表情を浮かべて2、3度羽をばたつかせると、
何が楽しいのか口の両端を上げて嬉しそうに言葉を発した。
「術者である貴方が死ぬ事ですよ。そうすれば、ゲートである娘が滅んでも世界は今のままです。永久に……」
- 41 名前:スペードJ 投稿日:2002年04月25日(木)16時00分47秒
- 紺野が石川に拉致られている頃、中澤を拉致った奇妙な二人組は不毛な言い争いを
繰り広げていた ――― 中澤のマンションの、1F駐車場で。
二人の目の前には粉々になった聖土人形デイアーと、着地寸前で危うく二人に引っ張りあげられた中澤。
光の玉が土の上に寂しげに転がっている。
「このドアホ! 飛べへんのやったら最初からそう言わんかい!」
「ドアホとはなんれすか! だいたい言わなくたってわかりそうなもんれす。
うちら天使と違ってデイアーは土人形なのれす。土が空飛ぶなんて話は聞いたことがないのれす!」
「何やと? 宮崎アニメの最高傑作『天空の城ラピュタ』を見てみい! 土どころか城まるまる一個飛んでるで!」
「宮崎アニメなら 『紅の豚』 の方が好きなのれす。 他人事のような気がしないのれす」
「あ、その気持ちわかるわ。『飛べない豚はただの豚だ』って、何や身につまされる言葉やもんな・・・・・・ってうちらは天使や! 豚とちゃう! 」
おばかなやりとりを横目で見ながら、12階から1階への紐なしバンジーを体験した中澤は、酔っ払った頭の中で密かに
(結構気持ちよかったな・・・・・・)
などと考えていた。
- 42 名前:スペードJ 投稿日:2002年04月25日(木)16時01分36秒
- 『おーい、二人とも聞こえるかー?』
いつまでも続きそうな漫才を止めるように、3人と1体の上から声が響く。
中澤はその聞き慣れた声に空を見上げたけれど、もちろん見当たるわけもなくて首を捻る。
(・・・・・・圭坊の声? あかん、まだ酔っとるんかいな)
一方の二人組はといえば、声を聞いたその瞬間からガタガタブルブル。
「・・・・・・う、うち逃げるんであと頼むわ」
「ずるいれす! 死ぬ時は一緒って言ってたれはないれすか!」
そう言ってその場から飛んで逃げようとする二人。
しかし晴れ渡った空から降ってきた雷が二人を直撃、あえなく撃沈。
(晴れてんのにカミナリ? やっぱまだ酔ってるわ)
- 43 名前:スペードJ 投稿日:2002年04月25日(木)16時02分43秒
- 「痛た・・・・・・容赦ないな、あのおばちゃん」
『誰がおばちゃんよ、誰が! ・・・・・・ったく。それよりも!
あんたら遊んでたせいで、玉一個向こうにキープされちゃったじゃないのよ!』
「マジでっか!?」
『マジマジ、大マジ。 つっても、狭間に落ちちゃったヤツだから、あんたらには
どうしようもなかったんだけどね』
天界、魔界、人間界。
そのいずれにも属さない狭間の世界には、二人のような下級天使は入るすべを持たない。
たまたま偶然に滑り落ちるか、熾天使のような上位の天使のバックアップがない限り。
「なーんだ、よかったあ」
『よくない! 残りの七個はそっちの世界にあるんだから、遊んでないで
さっさとキープしてきなさい! できなかったら・・・・・・どうなるかわかってるよね?
わかったらさっさといってらっしゃい!』
「「へいっ!」」
二人は任務に失敗した時を想像して身震いしながら、慌てて中澤を抱えて次の目的地 ――― 山田邸へと飛び立った。
・・・・・・三十秒後、マッハの速さで置きっぱなしにしていた玉を取りに戻ってくる姿に気づいた者はいなかった。
- 44 名前:ダイヤA 投稿日:2002年04月27日(土)04時42分39秒
黒い光が吉澤の身体に幾重にも巻きついていく。
(… そうだ… 思い出した… )
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
平家は魔方陣の外側で呪文を詠唱していた。
「… テトラグラメーション、アドナイほか崇高にして聖なる神の御名により請い願う 愚かなる者、無知なるものにその秘密を分け与えることを EL ELOHIM ELION EIECH SHIROS ATHANAON……」
魔方陣を取り囲む全ての蝋燭がふっと消え、部屋に生暖かい風が吹く。
トントン …
部屋をノックする音が聞こえた。 既に儀式に集中している平家を尻目に吉澤は扉を開けた。
「え…?市井さん…?」
扉のむこうに立っていたのは、黒ずくめの衣装に身を包んだ市井だった。
「何か用?」
「市井さんを呼んだ覚えはありませんけど?」
「市井じゃない! みだりに悪魔を呼び出すとはけしからん!」
「え?!」
市井 ──の姿をした悪魔の背後から闇が溢れ出す。 そして、長く鋭く伸びた紅い爪が、吉澤の腹部を貫いた…… 。
- 45 名前:ダイヤA 投稿日:2002年04月27日(土)04時43分51秒
- ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
(… ったく、悪魔だったらさぁ…もっと悪魔らしい格好して
ほしいよね… なんだって市井さんの姿してんだよ、全く… )
暗闇の中を意識が彷徨う。 腹部の激痛で全身が痺れて指一本さえ動かせない。
「… っすぃー… よっすぃー」
…… え?
懐かしい声に名前を呼ばれて、吉澤は目を開けた。 いつの間にか、身体を覆う闇は晴れてなくなっていた。
「よかったー。なんか人が倒れてるから近づいたらよっすぃーでさー。
なんか血まみれだし。 びっくりしたよー」
「(…いや…びっくりしたのはこっちもなんだけど…)
…ええっと… ごっちん…なんだよね…」
「そうだよ」
「一応聞くけど。その格好と、ここに居る理由」
「えーっとね。目が覚めたらこの格好で、この世界にいたんだよね。それだけしか分かんない」
肩口から2対の翼、腿の付け根から1対の翼を生やしたロシアンブルーの雌ライオン…… そんな奇妙な生物が、吉澤の目の前に存在していた。
吉澤の知る後藤真希とは、明らかに違う外見。 だが、吉澤はそれが、後藤であることを確信していた。何の確証も根拠もないが、何となく、そう思うのだ。
- 46 名前:ダイヤA 投稿日:2002年04月27日(土)04時44分35秒
「あー!!」
「な、なに?!」
「それ、今朝ごとーの貸したシャツじゃん!」
「え?!」
「うー。 ボロボロじゃん… よっすぃーのばかぁ…」
後藤の視線は吉澤の腹部に注がれていた。 シャツは血にまみれ、ボロボロだった。だが、肉体のほうに傷はついていない。不思議なことに。 そして、闇の中で感じた痛みも、今は嘘のように感じない。
「あははは、そうだったねぇ。ごめんごめん。同じの買って返すからさ。 ま、とりあえず歩こうよ」
「気に入ってたんだからね、そのシャツ」
「うん。 あー、でも私、いい加減歩くの疲れたから。 ごっちん、載せてね」
「ええー? 重いよ、ヤダよ」
「失礼だなー。失礼なこと言った罰として私を乗せて歩く。ほらほら」
「わけわかんないよ…」
ぶつぶつ言いながらも後藤は吉澤を乗せて歩き出した。
吉澤は手に握っていた”仁”の文字の刻まれた、白く光る珠を見やり、そして、相変わらず広がる白い世界の空を見上げた。
空はやや赤らんでいるように見えた… 。
- 47 名前:ダイヤA 投稿日:2002年04月27日(土)04時47分18秒
「… あー、ごっちんさ」
「んあ?」
「よく考えてみるとさ、これってさ、裸のごっちんの上に乗ってってことだよね」
「………」
「………」
ぴたり
「バカバカバカー!! よっすぃーのばか!ヘンタイ!どスケベ、エロおやじ! 降りろー!!」
「ちょっと!ごっちん!全速力で走んないでよ! 落ちるー」
- 48 名前:ダイヤA 投稿日:2002年04月27日(土)04時48分57秒
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「とりあえず状況説明してや。 うちにはあんたらもさっきの声もさっぱり分からんのやけど」
中澤は夜の街を見下ろしながら、自分を抱えて飛行する2人の天使に問い掛けた。
「えっとれすね。 おばちゃ…ガブリエル様は昨日、ラファエル様と喧嘩したのれす」
「バラバラに飛んでった珠をどっちが早く回収するか競争しとんねん」
なんちゅう低レベルな… 中澤はこめかみに拳をあててひくついた。
「天使」ってもっと神々しいモン違うんかいっ !
「それでですね。珠の1個はラファエル様がキープしちゃったようなのれす」
「あれ?でもマコピエルが狭間の世界に入ったっきりラファエル様と連絡とれへん言うてなかった?」
「そうれしたかねー?… あ、山田邸発見なのれす!」
- 49 名前:ダイヤK 投稿日:2002年05月02日(木)22時45分06秒
- ◇
「ところでごっちんさぁ?どこに行ったらいいかわかってるの?」
一通り走り回ったライオン姿の後藤は、疲れたのかさっきからゆっくりと歩いていた。
その後藤の2対4本の足がぴたりと止まる。
「よっすぃーが知ってんじゃないの!?さっきからごとーはよっすぃーに動かされてんだよ!?」
「え?い、いやぁ体傾けてる方が楽なんだよね〜・・・・・どうしよう・・・?」
「もう、知らないよ〜。ここがどこだかわかんないし、こんな格好だし・・・」
ライオンの姿の後藤から溜息が漏れる。
「(あ、やっぱ動物でも溜息ってつけるんだ・・・プププ)」
「ちょっとよっすぃー?」
「あ、はいー!?」
「ライオンの溜息がそんなに面白いの?ひょっとしてバカにしてる?」
「いや、そんなこと・・・」
言いかけた瞬間、吉澤にある考えが浮かびあがる。
「ごっちん!ごっちんはライオンじゃないんだよ!!」
「はぁ?今更何いってんの?」
「だからこの羽だよ、ライオンにはこんなの生えてないじゃん?色だって変だし。」
「羽?羽なんてついてんの、ごとーに?」
「え?自分でわかんないの?動かせない?」
- 50 名前:ダイヤK 投稿日:2002年05月02日(木)22時45分43秒
- 後藤は自分の背中を見ようと体をくねらすが、どちらかというと上を向いている羽は拝めそうになかった。
「ちょっとよっすぃー降りてみて、動かしてみるから。」
そう言い、吉澤を降ろすと後藤は背中に力を入れてみた。
「駄目、動かないっぽい・・・・・でも羽なんか使ってどうするの?アテなんかないのに。」
そう言われた吉澤は黙って空を指さした。
「空?ふつ〜の夕焼け空じゃんか・・・・・何かあるの?」
「さっきごっちんが来る前にはこの空白かったんだよね・・・・・でも今は赤い・・・何かあると思わない?」
「う〜ん、考えすぎじゃない?てゆーか他に人はいなかったの?私が来てるみたいに。」
そう言われて一つ思い出した・・・・・・・ガッツ石松の存在を忘れていた。
「あーーー!!そういえばガッツさんどこいったんだろうガッツさん!?」
「え・・・?ガッツってあのオッケー牧場の・・・・・?」
「そう!ゴリッチュのガッツさんだよ!!ごっちんが来る前に黒い影に覆われて・・・」
その時吉澤の手に握られていた”仁”の文字の珠に変化が起こる。かすかに揺れたのだ。
はじめは弱く、しかし徐々に強くなるにつれて気のせいでないことがわかった。
- 51 名前:ダイヤK 投稿日:2002年05月02日(木)22時46分22秒
- 「この珠・・・」
「え、何?」
「ガッツさん?ガッツさんですか?」
このときの吉澤は後藤からはどう見えていたんだろうか?気違いにみえていたのかも知れない。
この何も無い空間にガッツ石松がいた、などとぼやきだし、果ては持っていた珠に話し掛ける。
どこから見てもアブナイ人である。
「(よっすぃー・・・・・止めるべきかな・・・・・でも恐い。)」
「(あ、よっすぃーが珠を耳に入れてる・・・本格的にヤバいよ〜)」
珠を耳に入れた吉澤は何やら嬉しそうな顔をしたり、真剣に頷いたりしていた。
「ちょっ、よっすぃー・・・・・?」
「わかったよ!ごっちん!!」
・・・・・思わずビクッとなってしまった・・・・・
「この珠はガッツさんだったんだよ!さっき言った黒い影にのまれた時にこうなったんだって。
それで影にのまれた時に現実の世界も見てきたらしいんだよ!!」
「う、うん。それで?」
「現実世界では悪魔みたいに羽の生えた小さな人と女の人が話してるのを聞けたんだって!!」
「ここからの脱出方法?」
「そう、ガッツさんが聞いてきた限りではその方法は―――――」
- 52 名前:ダイヤJ 投稿日:2002年05月03日(金)18時18分49秒
- *
石川は人の姿の見当たらない公園の隅に設置された、薄汚れた公衆トイレの個室へと紺
野を身体を降ろした。個室の中に二人もの人間が入るには少々狭かったが、他人の目に付
かないに越したことは無いだろう。
一息吐く間も無く、石川は手早に紺野が背負っているリュックサックの中へと手を突っ
込んだ。所狭しと詰められたその中を漁る内に、微かな熱を帯びたものが手に触れる。
“普通の人間”には感じることができないだろう、極々僅かな熱。石川はそれをしっかり
と握り締めると、そのままその手を引き抜いた。
「やっぱり……」
石川は己の掌中に在る其れを目にして、うっすらと微笑んだ。自らが捜し求めていた、
淡い光を放つ球体。紺野の身体から発せられていた匂いは、確かなものだったのだ。何故
紺野が持っていたのかは些か不可解ではあるが、既に自分の物となった今、そんなことは
どうでもいい。石川はその白く光る珠の中心を、目を細めて見遣った。
- 53 名前:ダイヤJ 投稿日:2002年05月03日(金)18時19分36秒
- ――礼。
そう、はっきりと読み取れる。石川は何時だったか耳にした名前を心中で反芻した。
仁、義、信、礼、智、忠、勇、愛。それが間違い無く本物であることを確認して、石川は
礼の珠をバックの中へと押し込んだ。そして意識の途切れた紺野の身体をそのまま捨て置
いて、足早にトイレを後にした。
――あと、七つ。あと七つ揃えば、待ちに待った“あの日”が訪れる。
石川は緩む頬を隠し切れずに、けれども足を止めることはせずに公園内を立ち去ろうと
した。入り口を抜けてすぐの場所に設置された、石像の脇を抜けようと足を動かす。その
時、不意に人影が視界に入った。
石川は狼狽した。その人影が一般人であるなら、何食わぬ顔で通りすぎれば良い。だ
が、石川はその人影から何か厭なオーラを感じていた。
――もしかして。
- 54 名前:ダイヤJ 投稿日:2002年05月03日(金)18時20分26秒
- 自分たちは容易に人間界へと立ち入ることは許されていない。石川は、いや人間界でい
う所の石川梨華の姿をした彼女は、何者かによって人間界へと召喚を受けた悪魔の一人が
球体を散らばせたために生じた歪みから抜けてきただけだった。
けれども。“彼ら”が人間界へと降りてくることは極々容易なことだろう。自分のよう
な下級悪魔が彼らに会った所で、叶う筈が無い。
石川が心の迷いを捨て切れぬ内に、その人影がゆっくりと此方へ近付いてきた。
「梨華ちゃん!」
人影の正体が安倍なつみであったことを認めると同時に、石川はそっと安堵の息を吐い
た。姿を借りている以上、最低限のデータはインプットされている。先ほど感じた厭な気
は、気の所為だったのだろう。石川はそれと悟られないように、驚いたような表情を作った。
- 55 名前:ダイヤJ 投稿日:2002年05月03日(金)18時21分27秒
- 「安倍さん? どうしたんですか? こんな所で」
「梨華ちゃんこそ何してたんだべ。うんこかい?」
「み、見てたんですか!? ――じゃなくて、う、うんこって……」
石川の言葉に、安倍は首を傾げる。それから何時も通りの飄々とした表情を湛えて、続
けた。
「うんこはうんこっしょ」
「そ、そうじゃなくって! 私たち、ほらアイドルなんですから、そんなうんことか……」
「したら何かい? アイドルはうんこしないってのかい?」
「そ、それは、その……」
石川は安倍の口車に乗せられ、その場をなかなか立ち去ることができないでいた。何か
話を切り出そうにも、タイミングが掴めない。スタンガンを使おうにも、距離が微妙に離
れている。石川がどうしようか迷っている内に、安倍が言葉を発した。
「そんな話はどうでもいいんだべ。それより梨華ちゃん」
- 56 名前:ダイヤJ 投稿日:2002年05月03日(金)18時22分38秒
- 安倍はそこで一度言葉を切ってから、続けた。
「早くその珠をなっちに寄越すべさ」
石川の背筋に、冷ややかな汗が流れた。
「な、何のことですか?」
「とぼけても無駄だべ。なっちは知ってるんだから」
そう言う安倍の背中に何時の間にか、一対の白い翼が揺らめいていた。石川は己の不注意
を呪いながら、僅かに後ずさった。石川の背中にも、安倍の物とは形の違った一対の黒い翼
が生える。
「あ、安倍さん、どうしちゃったんですか」
「なっちはなっちだけど、なっちじゃないかもしれないっしょ」
じりじりと後ずさる石川の姿を、にこやかな表情そのままで安倍が緩慢に追い掛ける。わ
ざと支離滅裂に言ったかのようなその言葉に、石川は苦々しい笑みを浮かべながら、問うた。
「――じゃあ、ほんとの名前は何なんですか」
「なっちかい? なっちのほんとの名前は、――ラファエルだべさ」
安倍の微笑に、石川は戦慄した。
- 57 名前:名無しさん 投稿日:2002年05月04日(土)06時14分18秒
- 死ボーン
- 58 名前:クラブK 投稿日:2002年05月06日(月)22時15分58秒
- ◇
「あたしが死ねばええゆうんか」
低い声で平家が言う。
対照的に弾んだ声で、小悪魔は言葉を返した。
「はい。術者の魂が消えてしまえば、術自体が無効になります。
当然、全ては元通りになるわけです」
「つまり、ゲートは繋がらず、吉澤も元に戻るって事やな」
「そうです」
「ほんまやな」
「ほんまです」
ふう、と平家はため息をついた。
自分の軽率な行為がこの事態を引き起こした。
その責任は取らなければなるまい。
名張の女は一本気で義理堅かった。
──思えば報われん人生やったな……。
今までの人生が走馬灯のように脳裏をよぎる。
オーディションでの優勝。
ファーストライブ。
落選組のデビュー。
落ち込んでいくCD売上。
短期間で味わった栄光と挫折。
- 59 名前:クラブK 投稿日:2002年05月06日(月)22時16分28秒
- 「この証文に署名してください。
そうすれば、あなたの魂はこの世から消え失せ、全ては元の状態に戻ります」
差し出された羊皮紙と羽根ペンを受け取る。
ラテン語だろうか、ミミズがのたくったような文字からは、その内容は伺えない。
「これにサインすれば……」
「それだけで全てが終わります。
全てが……」
──満ち足りた人生やったとは思わんけど、最後に誰かのためになるんやったらそれもええかもしれん。
ごくり、とつばを飲み込む。
震える手でペンを握る。妙にどす黒いインクのついたペン先を、黄ばんだ紙に近づけた。
そのとき──
『だめーーーーー! 平家さん、やめてくださーーい!!』
大きな声が聞こえた。
「な、なんや!」
慌てて辺りを見回す。
目の前の小悪魔はきょとんとした顔でこちらを見ていた。
どうやらこの声は平家にだけ聞こえているらしい。
- 60 名前:クラブK 投稿日:2002年05月06日(月)22時26分08秒
- 「この声…吉澤か? あんた無事なんか?」
『はい! ガッツさんとごっちんに助けてもらいました』
「ガッツ? ガッツさんってあのゴリッチュのかいな」
『そうです。ガッツさんバナナくれたんですけど、今、珠になってて。
あ、でもそのおかげでそっちと話できるようになったみたいで。
んで、ごっちんもライオンになってるし。ん、違うな。ライオンじゃないな』
「いや、よっすぃー。あんた何ゆうてるか分からへん」
マイペースな吉澤に、平家はあきれた声を出す。
『とにかく、変な事考えちゃダメですよ』
「けど、このままじゃ……。
あ、あんたなんでこんなことになったんか分かっとるんか?」
『それが良く分かんないんですよ。いきなり市井さんにお腹刺されて』
「市井? なんであの子がそこで出てくるんや」
『つーか市井さんによく似た悪魔らしいんですけど』
『え、なに!? 市井ちゃんがどうしたの!?』
『わ、ちょっとごっちん、あぶないって!!』
「どないしたんや!?」
『よっすぃー! 市井ちゃんに会ったの? どうなの?』
『ま、待ってよごっちん。そんなに動いたら……。あ、わあああ!!』
声は聞こえなくなった。
- 61 名前:クラブK 投稿日:2002年05月06日(月)22時26分39秒
- ──まったく、何やっとるんやあいつらは。そんなことより……。
不審そうにこちらを見ている小悪魔松浦を厳しい目で睨む。
「どうしました?」
「あんた、あたしに嘘ついてたな」
「嘘?」
「今、吉澤の声が聞こえた。あいつは市井に似た悪魔に腹を刺されたってゆうとった。
あんた、最初にゆうたよな。悪魔召還が失敗して、代わりにあんたが来たって。
おかしいやないか。悪魔召還は成功しとる。なのになんで──」
「あー、ばれちゃいました?」
「は?」
ぽかんと口を開けた平家を尻目に、松浦はあごに人差し指を当てて小首をかしげる。
「もうちょっとで契約まで持ち込めたのにな。
後一つ魂集めたら今月のちょうど100個だったんだけど。うーん、残念」
「あ、あんたやっぱり……。
じゃ、じゃああたしが死んだら元通りになるっちゅーんは」
「はい、嘘です」
「こ、こ、こ、この……」
プルプルと震えるこぶし。
「あ、ひどいことしたらホントの事教えませんよ」
振り上げたこぶしがぴたりと止まる。
──あー、腹立つ! あー腹立つ! めっちゃ腹立つ!!
- 62 名前:クラブK 投稿日:2002年05月06日(月)22時31分47秒
- 「でも、ほとんどホントですよ。
あの珠が揃えば、繋がった世界は元に戻り秩序は取り戻されます」
「それならええやん」
「ただあなたの術は……今途中で止まった状態になってるんです」
「止まってる? ソレどういう事や?」
「生贄が足りなかったせいで、あの子──吉澤さんですっけ──
あの子が代わりに魂を飛ばされ、狭間の世界に落ちてしまいました。
そのため、願い事を唱える者が消えてしまった。術は中途半端になってしまったんです。
集められた力は珠となって散らばりました。
つまり術は成功しているものの、根本となる部分、願い事はまだ決定してません」
「それで?」
「珠が全部揃ったとき、再び願い事を唱えることができます。
そして、それは誰が唱えても良いのです」
「つまり、珠を集めることができたものはどんな願い事も唱えることができるってことか。
いや……しかし……それは、あんた……」
──ド〇〇ン・〇ー〇やないか……。
心の中でツッコミを入れる。
「それともう一つ重要なことがあります」
「なんやねん」
不機嫌そうな平家に、小悪魔はにっこり微笑む。
「珠を狙っている勢力は……複数あるんです」
- 63 名前:クラブQ 投稿日:2002年05月09日(木)13時02分47秒
- ――――
「これさ〜、いいんだよねぇ…」
矢口は無意識のうちに、誰に聞かせるでもない独り言をつぶやいていた。
「これさ〜、ホンモンだよねぇ…」
手にしている携帯の画面に映っているのは着信履歴。
時間はちょうど十分前。
「これさ〜、どうなんだろぉ…」
三度似たような言葉を口にした矢口。
携帯には、「安倍なつみ」の文字。
「え〜、なんか、怖いなぁ…」
現実から目をそらすかのように、矢口は携帯から目をそらした。
しかし、目をそらした先にあるものもまた現実。
「義」「信」「智」
見なれた自分の部屋に、見なれない三つの珠。
わずか十分の間に、どこからか湧いて出たように部屋から見つかったこの珠は…。
「なっちの言ってたやつだよなぁ、きっと」
- 64 名前:クラブQ 投稿日:2002年05月09日(木)13時03分48秒
- ――――
「ふぅ、今日はたくさん動いたべ」
その頃安倍は、こじんまりとしたカフェで激戦の疲れを癒していた。
ホットコーヒーがノドに染みる。
心地よい快感に、自然と気分が昂揚してくる。
「いや〜でも、この調子なら楽勝なんじゃない?」
カップを置き、こみ上げてくる笑いに備えたが、なかなかうまく防ぐことが出来ない。
仕方ないだろう。
早速、「礼」の珠が手に入ってしまったのだから。
「梨華ちゃんには悪いことしたべ。
でも、もっと悪いのはガブリエルのやつだべ。
梨華ちゃんには、その辺わかってもらえばOKっしょ」
「礼」の珠を「献上」してくれた石川には、しっかりと敬意を払う。
ところが珠を手に入れた途端、憎きガブリエルの顔が目の前をちらつき出した。
自分の行動を否定した、あの顔が。
- 65 名前:クラブQ 投稿日:2002年05月09日(木)13時05分00秒
- 『あのね、そんなの駄目に決まってるでしょ』
『エラ〜イ天使のくせに規則も守れないわけ?』
わざわざ嫌味ったらしい言い方でけなしてくれたガブリエル。
腹が立つ。
「…大体、あいつは固いべ」
わかってはいるのだ。
正しいのはガブリエル、間違っているのは自分。
それでも、どうしてもしょうがないことだってある。
「かわいいもんはかわいいべ、仕方ないべ……」
そう言って、首にかけてあるロケットを手に取った。
中には、満面の笑顔を浮かべる吉澤ひとみの写真が入っている。
もっともお気に入りの、もっとも美しい写真が。
「…よし、そろそろ行くべ」
そう言って、安倍は席を立った。
ガブリエルを見返すためにも、自分個人のためにも、どうしても珠を集めなくてはならない。
もう一度言うが、どうしたってしょうがないものはしょうがないのだ。
- 66 名前:クラブQ 投稿日:2002年05月09日(木)13時06分10秒
- ――――
その頃、例の二人の天使は、上空でおかしなやり取りをしていた。
「ちょお待って。山田邸ってなんや?なんかあんの?」
「そんなのしらねーれすよ、ガブリエル様が渡してくれた紙に書いてあるんれす。
ほら、住所に電話番号、旧姓にメンバー在籍期間に……」
「…いや待とう。それは、うちらの予習用のカンペやろ」
「…ったく、これらからオバチャンはらめれすね。
そろそろ引退れすかね」
「いや…でも確かにそうやな。
オバチャンならうちらの行動は予測できそうなもんや。
うちらに声かけたときに、なんか一言言ってくれりゃよかったんや」
「まったくれす。
悪い上司を持つと部下が苦労する典型れすね」
どうやら先ほどの天の声に向かって文句を言っているようだ。
まぁ文句を言うのは勝手なのだが、間には二人に抱きかかえられている中澤がいる。
こんな上空でこんな愚痴を聞かされるなんてたまったものではない。
――大体、自分らの失敗は棚に上げてかい。
先ほどから見せられ聞かされた天使の実態に、少々気落ちしている中澤。
そんなところに、まさに踏んだり蹴ったり。
突然、動かなかった右腕に激痛が走った。
- 67 名前:クラブQ 投稿日:2002年05月09日(木)13時09分57秒
- ――――
「んぁ〜っ!」
「うわ!」
平家との通信を断ってしまった罰として正座(ライオンが寝ているようにしか見えないが)をさせられていた後藤が、突然大声をあげた。
なんとかもう一度平家と話しをしようと、一生懸命珠に話し掛けていた吉澤がひっくり返るほどの大声を。
「よしこ、なっちだよなっち!
なっちに連絡すればなんかわかるよ!」
「安倍さん?なんでさ?」
「ごとーなっちに言われたの」
『急で悪いんだけどさごっちん。ちょっと行って欲しいトコがあるんだ』
後藤の話によると、眠いからヤダ、と断ったらしい。
安倍は必死にお願いしていたようだが、今から寝ようとする後藤の耳に届くはずもない。
そのまま、幸せに眠りについた。
ところが、目がさめたらこの始末というわけだ。
「…自業自得だよ」
「あは」
だがそれならば、安倍が何か秘密を握っていると考えるのは難しくない。
しかし、吉澤に安倍と連絡をとる手段は見当たらなかった。
そこで、
「ごっちんさ〜、そんな普通じゃないカッコしてるんだから、安倍さんと話したり出来ないの?」
ムチャクチャな話しだが、何が出来たって驚けるような状況ではない。
- 68 名前:クラブJ 投稿日:2002年05月11日(土)17時42分53秒
- 「ちょっと……あんた、何よこれ?」
「いや、だから知らないって……」
妻に突きつけられた深紅の珠。
それ自体には覚えがないものの、そこに浮かび上がった文字はどうにも都合が悪かった。
その表面には「愛」という文字が浮かんでいる。
「知ってんのよ、あたし……」
ぎくっ……
声のトーンこそ穏やかだが、こんなときほどやばいのだ。
しかも目が据わっている…
下手な言い訳はなおさら火に油を注ぐようなものだったが、それでも何か言わずには
いられない。
それほどの恐怖を妻は夫に与えていた。
「何よ、あのうちわ……」
ぎくぅ!
なんでだろう…たしかに隠しておいたはずなのに…
「な、なんの話だ…?」
「すっとぼけても、無駄よ。あんたの隠しそうなとこなんて、すべてお見通しなんだから。」
その表情はいかにも余裕たっぷりで、何でもお見通しだぞ、と言い誇っているかのような
印象を与える。
そして、もともと細い目がさらに細められて三日月形に歪み、能の翁面のように無機質な
笑みを浮かべた時点で、夫の恐怖は頂点に達した。
「いや、あの、う、うちわは悪かった。で、でも、その珠は知らないよ……」
- 69 名前:クラブJ 投稿日:2002年05月11日(土)17時46分54秒
- 「そんな言い訳が通じると思ってんの?大体、あんた、こないだの日曜日、どこ行ってたのよ?」
ぎ、ぎくぅっ!!
「なんか浦和であんたの姿見たって人がいるんだけど…」
「ひ、人違いじゃないかなぁ……」
その声は既に裏返っていた。
自ら、非を認めているようなものだ。
「イノランさんがあんたの姿、見間違えるわけないでしょ!」
「なにぃ!あ、あのやろぉ…」
「認めるわね…」
「く、くそぅ…裏切りやがって…」
「大体、あんたの携帯の待ち受け画面、あれ何なの?」
「えっ……」
「すっとぼけんのもいい加減にしなさい!高橋愛くらい、私だって知ってるわよ!」
く、ぐぅ……
筋金入りの高橋ヲタ、山田真矢の進退ここに極まれり…
「あんた、私が娘。にいたときコンサートなんか来たことなかったじゃない!」
「いや、あれはまだ俺も忙しかったし……」
「しかも何よ、高橋って、まだ15歳よ!このロリコンおやじ!」
妻の怒涛のような口撃に晒されつつも、真矢は考えていた。
守らねばならない…あれだけは…
見つかってはならない…あの生写真だけは。
そのときだ。
ドスン!
2階から聞こえた激しい衝撃音に二人は顔を見合わせた。
- 70 名前:クラブJ 投稿日:2002年05月11日(土)17時48分01秒
- ◇◇◇◇◇
「で、ブーちゃん得意の隠し場所にこの珠が入っとったと。」
「いやぁ、こいつのお陰でえらい災難ですよぉ。」
「あんたは、黙ってな!」
しゅんとする真矢を他所に中澤と彩は何やら深刻そうな顔で二つの珠を交互に見比べている。
「お前らどういうこっちゃ、これは? 説明せい。」
「いやぁ…うちらも、ようわかれへん、なぁ。」
「うん、同じ珠が2個もあるなんて、聞いてねーのれす。」
二人の天使も顔を見合わせている。
「考えられるのは――ラファエル様が仕組んだか。あるいは……」
「あるいは?」
「珠を狙ってるのは天界だけやないっちゅうこっちゃ。」
「魔界の勢力が妨害のためにわざと偽物をばら撒いた……そういうことね。」
一同、再び二つの珠に注目する。
中澤の左手の上で淡く白い光を放つ珠、そして山田彩の右手が持つ吸い込まれそうなほどの鮮やかさで
艶めいて輝くバーミリオンレッドの球体。
共通しているのは、そのどちらにも「愛」という文字が刻まれているということ。
- 71 名前:クラブJ 投稿日:2002年05月11日(土)17時48分48秒
- ◇◇◇◇◇
「おい、お前。お前だ、そこのつぶれ大福!」
ふいにどこからか聞こえる呼びかけに二人は顔を見合わせた。
「呼んでるよ、マコちゃん…」
「誰がつぶれ大福じゃゴルァ!喧嘩売ってんのか!!」
「だってこのスタイル抜群で触れれば折れそうなほど可憐な愛の使者、ニイニイにそんな
下賎な表現は100%当てはまらないもの。」
「やる気か!くぬやろぉっ!!」
マコピエルがニイニイの首を締め上げようとしたその瞬間、
耳を劈(つんざ)くかのような大音声に二人は跳びあがった。
「人の話を聞け!」
いきなり、ぬっと姿を現した人影にマコピエルが反応する。
「うっ、あなたは…」
「あっ、市井さん…うわぁ、こんなとこで会えるなんて♪」
「何言ってんだ、お前、このお方は…」
緊張で身を竦めるマコピエルに向けて、その人影が口の端を吊り上げてニッと笑った。
「なんだ下級天使か…久しぶりに人間界に呼び出されたが、どうにもおもしろくない。」
「な、なんであなたがこんなところに…ということは、珠が生じたのは…」
「ふっ、察しがいいな。生贄を屠(ほふ)る前に、術が崩壊した。」
- 72 名前:クラブJ 投稿日:2002年05月11日(土)17時51分03秒
- 「まったく、最近はろくに技術もないのに悪魔を呼び出そうなどという不届きものが多くてかなわん。」
「しかし、なんでこんな狭間に…」
わけがわからず、二人の顔を交互に眺めるニイニイをよそに、マコピエルは固い表情を崩さず、
市井らしき人物との会話に没頭する。
「ふっ、久しぶりの人間界だ。サバトでも開いて若くて粋のいい魂をいただいていくのも
悪くない。」
「それなら直接、人間界に…」
「生贄の少女が上玉だったからな…どうやら狭間に飛ばされたらしい。そいつをいただいて
からでも遅くはなかろう。」
ふっ、とまたしても冷たい笑みを浮かべる相手にマコピエルはやはりこの人は悪魔なのだ
と改めて実感した。
傍でわけのわからない会話を聞いて退屈していたニイニイがマコピエルの脇腹を小突く。
(ねぇねぇ、誰なの?この人?)
(知らないのかよ?魔界の大公爵アスタロトだぞ!)
小声でひそひそと話す二人に市井の顔をしたアスタロトが告げた。
「それでだ。お前たちには、生贄を探してもらおうか。」
「まさか。私たちはこれでも天使なんですよ!」
「悪いようにはせん。珠の在り処を知りたくはないか?」
二人は顔を見合わせた。
- 73 名前:ハートK 投稿日:2002年05月15日(水)21時46分33秒
- ◇
♪ぴんぽーん
彩がインターホンに出る。
ふたりの天使はひそひそと相談していたが、いつしか言い合いになっていた。
「は? あの、どなたですか?」
彩が眉を潜めている。
「ウチ、そういうの結構ですから。はい?」
真也と中澤は顔を見合わせ、首を傾げた。
「宗教の勧誘かなぁ、ワケ分かんないから切っちゃった」
子機を置き、彩は肩を竦めて笑う。
「あのう」
突然、声がした。
「こんにちは。悪魔ですが、珠を頂きに上がりました」
松浦がバルコニーに立っていた。そして、
「埒あかないんで、勝手に上がらせて貰いますね」
と、ガラス戸を開けて部屋に入ってくる。
「ちょっと、困るよ勝手に――」
真也が近寄ろうとした瞬間、彼の身体は宙に浮き、そのまま壁に叩きつけられていた。
「大丈夫ッ?!」
彩がぐったりした真也のもとに駆け寄る。
「邪魔しないで下さい」
にっこりと松浦は笑う。と、残りの3人の姿がないことに気付いた。
窓の外に小さな人影が集まって飛んでいくのを認めると、松浦は翼を羽ばたかせる。
「待てー」
背後からの声に、加護と辻は顔を見合わせると、中澤を抱き抱えたままひらりと公園に降り立った。
松浦も続いて3人の前に降り立つ。
- 74 名前:ハートK 投稿日:2002年05月15日(水)21時48分23秒
- 「珠は渡さへんっ」
加護はちらと辻に視線を遣ると、「ここは加護がやるから。のの、中澤さんを!」
でも…と、後ろ髪を引かれる辻だったが、「早よぉ!」と急かされるまま、中澤を背後から抱き抱えて舞い上がる。
「ちょっと待ってよぉ」と、辻を追って飛び立とうとした松浦の両手を、
飛んできた光の輪が括った。空間に磔されたように動けなくなる。
松浦は笑いながら、「なにこれぇ?」
加護は、この小悪魔から漂う「力」を感じ取っていた。こんな手段はせいぜい時間稼ぎにしかならない。
と、松浦の背中の翼がひと息に広がった。その身の丈の倍以上はあろうかという、身体とは不釣合いな長い翼。
広げた時に燐粉のように散った無数の黒い羽が、身構える加護の前をふわりふわりと円を描きながら舞い降りていく。
足元から這い上がる怯えを堪えながら加護は尋ねた。
「なんでそんなに…珠が欲しいの?」
「わたしと彼女にとっては、待ちに待った『審判の日』のために
…まぁそんなこと、あなたには関係ないわね。こっちも、もう遊んでられないし」
「彼女…?」
「天国に行けるといいね、可愛い天使さん」
一瞬、翼全体に真っ黒な光が瞬いた。
加護の瞳が大きく見開かれる。
- 75 名前:ハートK 投稿日:2002年05月15日(水)21時49分16秒
- 様子の変化を感じて振り返った辻の瞳に、遥か眼下の加護の胸元を黒く光る矢が貫く様が映った。
「あいぼんッ!!」
加護の身体がゆっくりと前に崩れると、身体に刺さったままの矢の先端が地面を突き、
串刺しになった華奢な身体はそのままずるずると滑り落ちていく。
辻は中澤を抱えたまますぐに取って返し、加護の元へと降り立った。
刺さった矢は白煙となって消えていた。
「ちょ、ちょお、しっかりし!」
中澤が駆け寄り、加護を仰向けてやる。胸元には傷ひとつないというのに、もはや虫の息だ。
加護の手を握り、
「あいぼん…あいぼん…っ!」
唇を小刻みに震わせて、辻が搾り出すように言った。
加護の顔の彩りが見る見る失せ、手のひらの熱が消えていく。
翼を閉じた松浦は済まなさそうに、
「大人しく渡してくれないからぁ…」
加護がダメージを受けたせいか、その手を括っていた光の輪は跡形もなく消えていた。
「さて、次はぁ…」
と、中澤と辻に視線を往復させる。買って貰うオモチャを迷っている子供みたいに。
中澤と珠を引き渡すわけには行かない。絶対に。
辻は思った。
それは世界のためだけじゃない。かけがえのない友達のために。
- 76 名前:ハートK 投稿日:2002年05月15日(水)21時51分28秒
- 辻は、中澤と加護をかばう形で立ち上がると、
「だめ」
潤んだ強い目で言い、手のひらから光の輪を放つ。今度は松浦の両手ごと上半身を縛る。
「無駄だってば」
そう言って、松浦は腕に力を込めた。力のあまり、ぶるぶる震えるその華奢な肩の皮下を、
膨隆した筋肉が蛇のように這い回る。
「なぁ、珠、いったん渡した方がええんとちゃう…?」
中澤の口調はいつになく弱々しい。とにかくここは、大人の判断だ。どちらか一個ぐらい…。
――だってめっちゃ強そうやん、このコ…。
だが辻は動かない。松浦を見据えたまま、呪文めいた言葉をぶつぶつと呟いている。
松浦を縛る光の輪に細かな亀裂が走っていく。相当の力を込めているはずなのに、
松浦の表情は「困ったなぁ」と、笑みを浮かべたまま。
辻の呪文が途絶えた。
「ねえ、もうだいじょうぶでしょ?」
と、今度はなにやら懇願口調。
中澤は眉を潜めた。「辻、あんた、なに言うて――」
しかし、中澤の言葉は耳に入っていないらしく、辻は言葉を続ける。それは祈りのようにも聞こえる。
「もう、いっぱい休んだでしょう? だから、助けて。わたしたちを助けて。
このままじゃ、あいぼんもわたしたちもダメなのれす…」
- 77 名前:ハートK 投稿日:2002年05月15日(水)21時52分10秒
- パニック状態に陥っているのだろうか。
中澤は辻の肩を引っ掴むようにし、「ちょぉあんた、しっかりしぃ」
――ドクン…ッ!
そのとき中澤は確かに感じた。地面が脈打つのを。
地表が小刻みに揺れ始める。
「なに? 地震…?」
中澤は周囲を見回す。
地震にしては妙だ。揺れが大きくなったり小さくなったりしている。まるで生き物のように。
虚空に視線を漂わせ、かすかな、しかし、確かな声で辻は呟いた。
「来た…」
「なにワケ分からんことほざいとんじゃ、このダボがぁ!!」
その言葉とは裏腹に可愛らしい松浦の叫びと共に、彼女の身を拘束していた光の輪が粉々に砕け散る。
「これでおしまいね♪」
辻に向けて漆黒の翼が広げられた、そのとき――
「ディアァアアァァァ!!!!」
ある種の感情を伴ったその「叫び」は「波」となり、空間全体を震わせる。
「な、なんやッ?!」
中澤の鼓膜に「波」は痛みとして伝わり、思わず両耳を手で塞いだ。
地面のうねりがいっそう激しさを増す。
なにかの気配を感じて振り返った松浦の目の前で、無数の地割れが縦横無尽に走ったかと思うと、
吹き上がる土煙と轟音のなかで地盤が大きく盛り上がっていく。
辻の口許がゆっくりと綻ぶ。
- 78 名前:ハートのQ 投稿日:2002年05月19日(日)23時43分52秒
そして、天と地をつなぐ稲光が正邪の域を切り分けた。
- 79 名前:ハートのQ 投稿日:2002年05月19日(日)23時45分56秒
- 玉を安倍に奪われ、平家宅に近い閑散とした住宅街の道をしょんぼりと歩いていた
石川は、背後に響く轟音に驚いて振り返った。
高級マンションの自室で三つの球をこねくり回していた矢口は、
球たちが突然はなった閃光に目を焼かれて悲鳴を上げた。
コーヒーショップで安倍は、人に聞こえない音をとらえた犬のように耳を傾かせて思案顔になる。
吉澤を背に乗せてどこともしれない空間を走る後藤は全身の毛を逆立てて身を震わせた。
下級天使の、そのまた下位にいるマコピエルとニイニイは空気中を伝わる衝撃波に
きりきりと吹きとばされ、
下級天使の前で腕組みをして立っていた市井は片眉を下げた不快気な顔をして
押し寄せるエネルギーを受け流した。
ソファに座り込んで大人らしい冷静な態度で事態を考え直そうと努力していた平家は、
高速回転で窓を割り入ってきたマコピエルとニイニイを見て考えることをあきらめた。
窓から天使がやってくる世界に理性がなんの役にたつっちゅーねん。
- 80 名前:ハートのQ 投稿日:2002年05月19日(日)23時47分52秒
- 上から稲妻を見下ろしていたガブリエルは、
自分の部下の子供天使を溺愛する長髪の同僚天使を思い浮かべていた。
カオリのやつ、辻に上位精霊の力なんか与えちゃったのね。
満を持して呼び出された聖土人形は、先ほどの失態を反省していたらしい。
ちょっとやそっとで砕けぬ鉄分を多く含んだ巨大な塔として主人の下に馳せ参じ、
有り余る忠誠心を聖電波としてゆんゆんと発信させた。
不幸なことに、その電波が雷雲につながってしまったようだ。
ガブリエルは額の汗を甲でぬぐって、それらしき箇所を見つめた。
破片ぐらい残ってるのかしら。
「で、でぃあああああああああ!」
悲嘆にくれた天使・辻の鳴き声が響く町は広地域にわたって停電した。
- 81 名前:ハートJ 投稿日:2002年05月21日(火)23時21分00秒
- 「どういうつもり!」
不意に背後から声を掛けられ、松浦はゆっくりと振り向いた。
そこには、息を切らして松浦を睨んでいる石川の姿があった。
「嫌な気配を感じて来てみれば……貴方の役目は術者の監視のはず、どうしてここに居るのよ!答えなさい!」
「ふん、誰かと思えばまんまと珠を奪われた……あんたの尻拭いをあたしがして上げてるんじゃない。礼ぐらい言ったら」
「ふざけないで!この事をあの方は知ってるの?」
「ふふっ、あの方の命令であたしはここに居るの。そうそう、命令はもう一つあるんだった……」
そう言った刹那、松浦が放った黒い刃が石川を直撃する。
辺りには鮮血が飛び散り、石川は悲鳴を上げてその場で膝を突く。
「あの方は、無能なものなど必要としない……今ここで殺してあげるわ」
松浦は、再び黒い刃を作り出すと石川目掛けてそれを放った。
しかし、黒い刃が石川を捉えようとした瞬間その姿が消え、刃は虚空を切り裂くと地面を打ち突け粉塵を巻き上げた。
「チッ!逃げたか……まぁいいや、先ずはこいつ等から……」
松浦は微笑を浮かべながら天使達に視線を移す。
辻は瞳に悲愴な決意を浮かべて立ち上がると、加護と中澤を庇うように立ち塞がった。
- 82 名前:ハートJ 投稿日:2002年05月21日(火)23時22分36秒
その頃紺野は、劈く雷鳴に耳を打たれて漸く目を覚ました。
「ここは……そっか、あたし、石川さんに……」
周囲を見回し、ここが公衆便所の個室である事を認識する。
辺りには、先ほど迄背負っていたリュックの中身が散乱していた。
紺野は溜息をつくと、荒らされたリュックを整理して背中に背負う。
いまだ痛む体を無理に起こして外へ出ると、取り合えずこの場を離れようと公園の出口へと向かう事にした。
「なに……これ……」
公園の出口へ向けて歩いていると、並木道の赤茶色の地面に点々と血痕が付着しているのを見つけた。
不審に思い血痕の続く先へ目線を向ける。
その先には、地面に赤黒い水溜りを作った石川が倒れていた。
「石川さん!!」
急いで駆けつけると、石川の腹部は鋭利な刃物で切り裂かれたように裂け、大量の血を流していた。
顔面を蒼白にし、震えるように呼吸を繰り返しながらもその意思ははっきりしており、悲しそうに紺野を見つめている。
「石川さん!大丈夫ですか!」
紺野の呼び声に弱々しく頷くが、直ぐに苦しそうにうめき声を上げる。
「待ってください。直ぐに救急車を呼びますから」
紺野は救急車を呼ぼうとリュックから左手で携帯を取り出す。
- 83 名前:ハートJ 投稿日:2002年05月21日(火)23時24分11秒
- 不意に携帯を持つ手を血で濡れた石川の右手が掴んだ。
「ごめんね……紺野ちゃん……ごめんね……」
紺野はいきなり腕を捕まれ驚くものの、見詰められ何度も謝る石川に首を横に振って答える。
「気にしないで下さい」
「ありがとう。許してくれるんだ」
「はい」
石川は優しく微笑む紺野に辛そうに笑顔を返すと、ゆっくりと上体を起こした。
「無理しないで下さい」
紺野は洋服が血で汚れるのもお構い無しにしゃがむと、優しく肩を抱いて体を支える。
「ねぇ、紺野ちゃん」
石川は妖艶な笑みを浮かべると、重傷を負った人間とは思えない力で掴んだ手を引いて紺野を正面に据え、空いた右手で左肩を掴むと覆い被さるように地面に押さえつけた。
「もうこの体はダメなの……だから、貴方の体をちょうだい」
自らの血で濡れた栗色の髪が下から覗く紺野の頬にかるく掛かる。
石川は、額と額が触れるか触れないかの距離まで顔を近づけそっと呟いた。
「許してくれるよね。優しい優しい紺野ちゃん」
「なに、いや、いやぁ!」
石川に捕まれた場所からどす黒い何かが紺野の中に流れ込んでくるのを感じる。
体を捩りながら必死に抵抗するも空しく紺野の精神は黒い闇に飲み込まれていった。
- 84 名前:ハートJ 投稿日:2002年05月21日(火)23時25分29秒
――暗く深い混沌の世界。
暗い闇に浮ぶ無数の大地。
揺蕩う混沌の海は拡大と縮小を繰り返し、刻刻とその形を変え、大小様々な星を生み出しては飲み込んでゆく。
その混沌に浮ぶ琥珀色の大地に影が生まれる。
影は大地に飲み込まれ、深い闇へと落ちて往き、やがて、小さな箱庭に辿り着いた。
その箱庭の小さな湖の中央に波紋が生じ、その澄んだ湖の上に沈むことなく黒髪に赤い瞳の美しい男性が降り立った。
『ここがあの娘の精神か……』
膝を曲げて腰を屈め、右手を湖面にそっと当てる。
すると、その男を中心に静かだった湖が波立ち、渦を作り始める。
渦は光となり、赤目の男を飲み込むように広がった。
『何だこの光輝は!この娘には既に何者かがいる』
男は慌てて障壁を張るが、徐々に光の奔流はその勢いを増し、障壁ごと男を飲み込んだ。
『ここは貴方の居るべき場所ではありません。去りなさい。リリスの子よ』
不意に、光の遥か彼方から凛とした美しい声が響いてきて、その声に呼応するように光が爆発した。
『なっ!馬鹿な!!』
男は障壁と共に光に掻き消され、尚も光は天空を切り裂きながら拡大を続けてゆき、小宇宙に輝ける恒星と化した。
- 85 名前:ハートJ 投稿日:2002年05月21日(火)23時27分00秒
――丁度その頃、石川は、見えざる力で弾き飛ばされた。
紺野の体内から微細な光が発生し、その体は宙に浮び静止する。
頭上に光輪を、背中に1対の光の翼を作り上げ、開花する花のようにその翼を広げた。
光の羽が粉雪のように降り注ぎ、辺りを金色に彩る。
ゆっくりと開くその瞳は淡青色に輝いていた。
紺野は、恐怖と痛みで硬直する石川に近づくと、彼女の上に覆い被さりそっと傷口に唇を這わせた。
「はうっつあぁぁっ!!」
痛みは消え、傷口が熱を帯びたように熱くなり、全身に電流が走ったように喚起が駆け巡る。
(はあうぅ!だっだめ……好きになりそう)
紺野が執拗に唇を動かす度に、石川の肉体は激しく彼女を追い求め、最上の喜びに身を震わせる。
やがて唇を離すと、完全に傷口は消えていた。
石川は喚起の余韻に浸りながらも乱れた息を整えると、目の前で光輝く乙女に視線を向ける。
紺野は、神々しい微笑を浮かべ、そっと石川に手を差し伸べた。
石川は、紺野の助けを借りて立ち上がると、恐る恐る声を掛けた。
「貴方は……何者なの?」
紺野は、真剣な眼差しを石川に向け、徐に口を開いた。
『話は後です。急ぎましょう、全てが手遅れとなる前に』
- 86 名前:スペードJ 投稿日:2002年05月22日(水)17時47分07秒
- 「――― で、あんたらは何者?」
窓をぶち破って勢いよく飛び込んできた、よく知っている二人に似ている天使に平家は尋ねた。
飛び散った破片を掃除する面倒さと、新しいガラス代について頭を痛めながら。
姐さんやったらブチ切れて怒るんやろうな、こんなんされたら。
あ、それとも酒飲んで現実逃避するんかな?
・・・・・・当たっていた。
天使たちは平家の声が聞こえているのかいないのか、身体についたガラスの破片を
一通り払いながら、部屋の中を見回す。
倒れている吉澤、果てしなく続いていそうな黒い穴、中途半端に上手く作ってある魔法陣。
なぜかそれらには見向きもしないでひそひそ話。
「狭いね」
「男っ気もないね」
「稼ぎ少ないのかな?」
「うちらほどじゃないとは思うけどね」
「いい子なのにね」
「いい子なのにね」
なんであんたらに言われなあかんねん。
- 87 名前:スペードJ 投稿日:2002年05月22日(水)17時49分03秒
- 「あー、あー、あんたらいったいドコから来たん?」
怒りを静に押し隠して、再度平家は天使に接触を試みる。
ようやく自分たちを呼ぶ声に気づいた天使たちは、振り返ってそこに平家がいることに驚いた。
(あ、いたんだ)
(全然気づかなかった)
(さっきの聞かれたかな?)
(別にいいんじゃない?)
「さっきのも今のも丸聞こえやっちゅーに・・・・・・。 っつーか質問に答えんかい!
あんたらは何者でどっから飛んできて人んちのガラスぶち破ってん!」
傍若無人な天使たちの振る舞いに、温厚で知られる平家もさすがに少し苛立っていた。
それでもマジギレしないのは、もうすぐ三十路の姐御のワガママに慣れきってしまったせいもあるのだが。
やれやれといった表情で天使たちは顔を見合わせると、まるで子供を諭すような口調でニイニイが答えた。
「えーと・・・・・・私たちは天使で、狭間の世界から飛ばされてきて ――― あ、最初は
天界にいたんですけど。 で、あなたのかけた術のせいで散らばっちゃった八つの白い玉を
捜してます。 これでいいですか?」
「結構です」
結構ですけど・・・・・・なんやムカつくな。
- 88 名前:スペードJ 投稿日:2002年05月22日(水)17時50分58秒
- 「しっかし小川と新垣にそっくりやな、自分ら。 さっきまでおった悪魔もせやったけど・・・・・・」
「あ、そっくりじゃなくて本物ですから」
「はあ?」
平家は頭を抱えた。
またわけわからんコト言い出すヤツが現れよった。
も、何でもええから早よ玉集めて終わらしてくれや。
「天使とか悪魔って、そのままの姿じゃ人間界に降りてこれないんで。 まあ悪魔よりは全然楽にこれますけど」
「魂の形が似てる人に憑依しなきゃ動けないんスよ」
「その人がもってる資質次第で憑く人も変わってきますが」
「ま、普段からいいヤツなら天使が憑くことが多いし、逆なら悪魔が憑くことが多いってこと」
「だから本物っていえば本物なんです、私たち。 人間のときの記憶も多少残ってますし」
ニイニイとマコピエルが、ものわかりの悪い生徒に講義するように交互に語りかける。
マコピエルなどはかなりイライラした様子で。
平家は頭をひねりながらそれでもなんとか納得する。
「んじゃ、あんたらは小川と新垣なんやな? 中身はともかくとして」
「だからさっきからそう言ってんだろっ!」
・・・・・・姐さん、頼むから再加入してコイツらシメたってえや。
- 89 名前:スペードJ 投稿日:2002年05月22日(水)17時53分31秒
- 「そんなことよりも」
平家と小川の怒りにはまるで興味がないといった風に新垣が口を開いた。
「時間がないんですよ。 早くしないと上級悪魔まで出てきちゃう・・・・・・」
「上級悪魔?」
「平家さん、どのへんまで事態把握してます?」
「んー、早よ玉集めんと世界の秩序とやらがグッチャグチャになるらしい、いうのは聞いたけど。
あ、あと玉集めたら神龍が出てきて願いを叶えてくれるとかくれないとか、
いろんな連中がそれを探しているとかいないとか、祈ってれば玉が戻ってくるとかこないとか、
術が不完全やったとか」
はあ、と呆れたように新垣がため息をつく。
「・・・・・・神龍は出てきませんけどね。 術が不完全、ってとこだけは事実です。
平家さん、聖書って読んだことあります?」
「ツアー先のホテルでパラパラ眺めたことはあるけどなあ」
新垣がかいつまんで状況を説明し始めた。
- 90 名前:スペードJ 投稿日:2002年05月22日(水)18時12分10秒
- 悪魔と呼ばれている存在も元々は天使で、遥か昔、神と戦って封印されたそうだ。
悪魔たちは懲りずに神に逆らおうとしていたが、結界はあまりに強大だった。
しかしおバカな人間が悪魔王を無理に召喚したせいで、結界を構成していた一部の玉が吹っ飛んだ。
そのおかげで、上級悪魔たちも人間界は無理でも狭間の世界を自由に動けるくらいには回復し始めた。
狭間に落ちた生贄を食って力をつければ、いずれ人間界にも進出してくるだろう。 先程のアスタロトのように。
生贄にはボディガードを派遣したとはいえ、勝てるかはわからない。
もしそうなれば、聖書の最終章、ヨハネの黙示録に記された神と悪魔の最終戦争が勃発するのは間違いない。
それを阻止する為にも、玉を悪魔に渡すわけにはいかない。
「・・・・・・ようわからんけど、玉集めたら元に戻って願いが叶うとか帰巣本能があるとか―――」
「嘘。 っていうか悪魔のいうコト信用しないでくださいよ」
「ったく、それなのにバカ上司どもときたらくだんねえコトでケンカして。
競争してる場合じゃないっつーの。 危機管理がまるでなってねえ」
「へぶしっ」
遠く離れたコーヒーショップで、安倍が一つくしゃみをした。
- 91 名前:ダイヤA 投稿日:2002年05月25日(土)01時16分17秒
- ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
辻は瞳に悲愴な決意を浮かべて立ち上がると、加護と中澤を庇うように立ち上がった。
「三十路、ちょっと玉を借りるのれす」
「え? ちょっと…」
辻は中澤の手から白い玉ひったくり、薄笑いを浮かべる松浦を睨み据えた。
「私、もうあなたたちと遊ぶの飽きちゃったから…」
松浦は手の平から小さな火球を産み出した。 それは胎動を繰り返しながら少しずつ膨張していく。
「何をするつもりか知らないけど。それが終わるまで待っててあげる」
悠然と宙を浮かび嘲る悪魔をなおも睨みながら、辻は手にした宝珠を ──── 呑み込んだ。
「?!」
「“よっど ひー ばぁう ひー めたとろん いおっど だどっぷ えろいむ さだおす”」
悪魔は本能的に、眼下の下級天使の行為に危険を感じた。
サッカーボール大に膨れ上がった火球を、辻に向かって投げつける。
「辻ちゃああああん!!!」
「辻ぃぃぃー !!」
加護と中澤の絶叫を掻き消すように、鈍い轟音が響き渡る。
辻の姿が目映い閃光に呑み込まれ、熱波と爆風が吹き上がる。
- 92 名前:ダイヤA 投稿日:2002年05月25日(土)01時17分18秒
- 松浦は炎に包まれ、燃え上がる辻の姿を見ながら、己の勝利を確信していた。 そして、一瞬でも、下級天使の行動に危機感を覚えた自分を恥じていた。
「 ── さて…。彼女の身体が焼け落ちてから玉は回収するとして。あなたたちの始末でも始めましょうか」
松浦は中澤と加護の方へ向き直る。
その双眸が紅く、妖しく輝いた。
「…… そうはさせない ……」
不意に聞こえてきた静かな声に、松浦は耳を疑った。 紅蓮に燃え盛る炎の中で、黒い影が揺らめいた。
「 … 何…? !」
空間がぶれた。
にわかに圧力が膨れ上がり、炎が弾けとんだ。
そこに立っていたのは。
すらりとしなやかな長身の女性。
肌理細かい白い肌。墨に染めた絹糸の如き黒の長髪を風になびかせ。
優美だが、酷薄そうな顔立ち。 その佇まいに、尋常ならざる気配を漂わせている。
「今度はカオリと遊んでくれない?」
その涼やかな黒い瞳がすっと細められた。
「おのれ…」
松浦は口からどす黒い煙を吐き出した。手の中で、煙は次第に棒状の柄を形作る。そして、その腕を大きく振り出すと、その柄から黒い炎の帯が凄まじい勢いで噴出した。
- 93 名前:ダイヤA 投稿日:2002年05月25日(土)01時18分14秒
- 松浦が腕を振るう度に黒炎の鞭は蛇の如く身をくねらせ、しなる。
「死ね!!」
松浦の右腕が振り出される。飯田にめがけて黒い炎は空を裂いて伸びていく。しかし、飯田は微動だにしなかった。まるで、そうする必要がないかのように。 無防備な肩口に、炎が深々と食い込む。だが、それでも飯田は顔色ひとつ変えない。
「?!」
松浦の顔に狼狽の色が浮かぶ。それと共に、わずかに飯田の口元が笑みの形に吊り上った。
「ふとんがふっとんだ…」
炎が瞬時に白く覆われた。 肩口に食い込んだ炎は凍結し、砕け散る。冷気はそのまま恐ろしい速さで黒い炎を侵食していく。氷片を煌かせながら、それは鞭の柄を握る松浦の右腕さえも白く覆っていく。
「早く右腕切っちゃわないと全身凍っちゃうから」
飯田はその美貌に冷酷な微笑を湛えた。
「うあああああ!!」
松浦は絶叫しながら左の手刀で右腕を切り落とした。
切り取った痕は霜で覆われ、痺れるような寒さが傷口にへばりつく。
「弱いね…」
飯田は松浦の額におもむろに4本の指を押し当てた。 そのまま指は音もなく、額の中に呑み込まれていく。
- 94 名前:ダイヤA 投稿日:2002年05月25日(土)01時18分57秒
- 「ま…待て! 私を殺したらこの女の命も失くなるぞ!」
恐怖に顔を引きつらせた悪魔は、“切り札”を口走る。 人類の守護者である天使が、罪のない人間の命を見殺すはずが ──
「そう。それが?」
── 悪魔の目論見は、冷淡なその言葉によって打ち砕かれた。
「人間1人の命で悪名高いメフィストフェレスを滅ぼせるのなら安いものよ」
「そ…そんな…」
「待ちぃや!」
松浦と、松浦の額に指をめりこませた飯田との間に割って入ったのは中澤だった。
「邪魔よ」
「あんた!松浦が死んでもええっちゅうんか!?」
「あなた、この女に憑いている悪魔がどれだけの人間を堕落させたか知ってるの?」
「知らんわ!そんなん!」
「じゃ、無知な人間は黙ってなさい」
「ふざけ…」
中澤は血がのぼりかけた頭の中で、なんとか松浦の命を助ける方法を模索していた。 血気にはやってこの頑固な大天使を言い争っていてはいけない……
「… なあ、天使さん。こいつを今殺すんはマズいんちゃうかな」
「… なに?」
「さっきこいつらが仲間割れしてた時、石川が言うてなかったか?
こいつの役目は“術者の監視”って…」
「………」
- 95 名前:ダイヤA 投稿日:2002年05月25日(土)01時19分55秒
- 「こいつはそもそもの原因の術者を知っとるっちゅうことやろ? 辻加護やあんたはその術者が何処におるんか知っとん?」
あくまでもそれは賭けだった。 以前のやりとりから、辻加護があまり詳しく事情に通じているとは思えなかった。そして辻が呼び出したのだろう、この大天使もその融通の利かなさから予測するに、今回の任務の実働隊というわけではなさそうだ。 勿論それは予測であり、そして賭けである。
一方の飯田は、予想外の理論的な反撃に困惑していた。その指摘は事実だったからだ。 自分が人間界の事象と直接関わったのは何千年も昔のただの一度だけ。それ以降、天界の神殿から出たことはなく、人間界に対する実務は同僚の4人の大天使に任せてある。
今回は、デイアーの発した聖電波を通じて愛する子供天使の危機を知っての急な降臨だった。 確かに彼女は、今起こっている事態の詳細を知らない。
「… いいわ。術者のところに案内しなさい。 でも妙な気を起こさないように制約<ギアス>はかけさせてもらうから」
中澤は己の賭けの勝利に安堵した。
- 96 名前:ダイヤK 投稿日:2002年05月25日(土)03時47分26秒
- 何やら松浦に向かってブツブツ呟いている飯田に中澤が声をかける。
「制約・・・って具体的にはどんなんなんや?」
目を瞑って呪文らしきものを唱えていた飯田はすっくと立ち上がり答える。
「制約って・・・そりゃ色々あるんだけど、今コイツにかけてたのは結構キツイヤツね。」
「キツイって・・・松浦が死ぬような事はない・・・・・よなぁ?」
「それはコイツの行動次第だね。ほら、ここ、首に何か見えない?」
言われてみたら松浦の首がぼんやりと光っている、ちょうど犬の首輪のように・・・
「コイツが私たちに危害加えようとしたり逃げようとしたら、
体の消滅と一緒に憑いてる悪魔も消滅する、 だから迂闊に動けないはずだよ。」
と言い細く鋭い目で松浦を見やる。
松浦の体は先ほどからうつむいたままでピクリとも動かない。
「まぁコイツも消滅したくないって思ってるだろうから、あんたのオトモダチは無事返せるよ、うん。」
“オトモダチ”と言う言い方がえらく癇に障る言い方だったが、この際それはおいておくことにした。
- 97 名前:ダイヤK 投稿日:2002年05月25日(土)03時51分09秒
- 「じゃ、術者のとこまで案内してもらおっか?」
俯いて動かなかった松浦が重々しく立ち上がり、黒い翼を翻し空を舞う。
飯田も自らの純白の羽(純白と言うより銀白と言った感じだが)を翻し
飛び立とうとしたその時、はたと何かに気付いた飯田は翼を止める。
「あ〜そうだ、加護ぉ?あんたその傷じゃもう無理っしょ?だからもう帰ってな。
辻も一足先に帰ってるから、ね?」
「でも・・・・・・・」
加護は少しぐずついた様子を見せたが中澤と飯田を一度見ると、渋々了解した。
「あんたはどうする?ついて来る?」
加護を見送ったあと、腰に手を当てた飯田が『仕方なく』みたいな感じの声で聞いた。
「当たり前やないか!!」
飯田は「ふぅ」と大きな溜息をひとつつき、中澤を持ち上げると銀の翼をはためかせ上空へと舞い上がった。
「お、ちゃんと待っててくれたんだ?エライエライ。じゃ今度こそ!」
凍るような鋭い眼光で飯田を睨みつけていた松浦は、
プイと顔を背けるとバサバサと翼を鳴らしながら目的地へと向かう。
- 98 名前:ダイヤK 投稿日:2002年05月25日(土)03時52分00秒
- 「(松浦ってこんな鋭い目付きができる子なんやなぁ・・・)」
飯田の腕の中でそれを考える。しかし飯田の口から発せられる言葉に思考はストップする。
「あー気に入らないなぁ・・・・・あの悪魔もそうだけど、あの器の人間もいい人間じゃないね・・・・・
あの目付き・・・・・あー殺したくなってきた・・・・・」
現実の飯田とのギャップのせいか、中澤は恐ろしくなりそれ以上物事を考えるどころではなくなった。
「(てかコイツほんま天使か?)」
後ろから見ても松浦が下降していくのがわかった。
やっと肉眼で場所を認識できるようになった時、中澤はあることに気がついた。
「(この辺みっちゃん家がある所やん・・・・・あいつはこんなことと無関係にグーグー寝てんやろな・・・・・)」
そいつが当事者だとは知らない中澤は、のんきであろう平家を思って無性に腹がたった。
しかし松浦が良く知っている家に入り込もうとした時から、中澤の考えは改められた。
- 99 名前:ダイヤK 投稿日:2002年05月25日(土)03時52分43秒
- ◇
「ふん、あのガキどもめが・・・・・衝撃の時に上手く逃げよってからに・・・・・」
先ほどまで狭間の世界で話していた天使の姿がなくなったので、不快に思ったが
別に下級天使の所在などどうでもよかった。
「まぁいい、ゆっくり生贄を探すとするか・・・・・」
そう言い、自らの気を発散させながら宙に浮き、それとない方向に飛んだ。
―――――
先ほどの衝撃に身を震わせていた後藤は、どこからともない負の気の流れに再度身を震わせた。
「ごっちん、どうしたの!?またなの?」
「・・・わかん・・・ない・・・けど・・・・・・なんか危ない気がする・・・」
ちょうど犬の『伏せ』のもっと縮まった状態で後藤は震える。
吉澤はその手で後藤の背中をさする。
「危ないって何がさ?ここに居ること?それともこの世界がってこと?」
「もう、わかんないよっ!!ごとうには・・・・・でも何か・・・・・」
「・・・・・・・」
後藤が思ったよりも参っているようなので、吉澤は後藤の次の言葉を待った。
- 100 名前:ダイヤK 投稿日:2002年05月25日(土)03時55分52秒
- 「嫌な気配がする・・・・・」
思いのほか神妙になってしまった雰囲気に後藤は息を飲んだ。
「・・・ホ、ホラ、裕ちゃんが機嫌悪いときって気配でわかるじゃん?
それよりも何か変な気配・・・・・気のせいだといいんだけど・・・・・」
場を和ませようと身近な例を出してみた後藤だったが、最後の一言は失言だったなぁ、と思ったりもした。
「・・・ハハっ、確かにワカルワカル!中澤さんが機嫌悪い時は!!」
吉澤も気を使ってなのか、精一杯の笑い顔をつくって答えてみたが、不安は拭いきれなかった。
「だよね〜・・・・・・・ごめんねよっすぃー、変なこと言って・・・・・」
「何言ってんだよ〜ごっちん。備えあればなんとか、って言うじゃん?
ごっちんの勘とか気配って今までイヤって程当たってるんだからさぁ、
どうにかしたほうがいいと思うよ私も。」
「・・・・・あはっ、そうだね!ありがと。」
気を取り直して歩き始めた後藤たちは、自分たちの遥か上空に浮かぶ影に気付くはずも無かった。
市井の姿をした魔界の大公爵が腕を組んで自分たちを見ているなどとは―――――
- 101 名前:ダイヤJ 投稿日:2002年05月25日(土)19時56分40秒
- デビルジュニアこと小悪魔マリーは真白く広がる狭間の世界に黒い翼をはためかせて空
を旋廻していた。自然に漏れた笑みを隠せずに、うっすらと頬を緩ませている。
先ほど上司とも友人とも呼べる存在である、魔界公爵サーヤから呼び出しを受け、魂の
波長が似た人間、矢口真里に憑依したところ、その矢口が例の珠を三つも所持していたの
である。
(こりゃ、オイラのお手柄だよね)
マリーはそっとほくそ笑んだ。自分たちが探し求めている珠が一度に三つも己の掌中と
化したのだ。普段ならば忌々しいとも思える、幼児向け絵本に出てくる虫歯菌のような自
身の矢印型の角や尾も、今は全く気にならなかった。
狭間の世界特有である暖かでもあり、また涼しげでもある風を切りながら、マリーは宙
を飛躍し続けた。程無くして、目的であるサーヤの姿が見える。腕を組み上げた格好で、
何か思案げに眼下の光景を眺めている。マリーは翼の戦ぎを緩めると、そっと擦り寄った。
「ごめんごめん、遅くなっちゃった」
大公爵に話し掛けているとはとても思えない、親しげな明るい調子でマリーは呼び掛け
る。その声に、サーヤは振り返ってその表情を幾らか和らげた。
- 102 名前:ダイヤJ 投稿日:2002年05月25日(土)20時21分04秒
- 小悪魔とは雖もそれは姿形だけのものであり、階級では上級悪魔に位置するマリーでは
あったが、それでも公爵であるサーヤとの身分は雲泥の差であった。けれども、人間界で
言う所の幼馴染みとして育った二人は、身分の差など全く気に留めてはいない。
「良かったよ、来てくれて」
「そうだサーヤ、ほらっ」
マリーは笑みながら、自らが手にした三つの珠をサーヤへと示し見せる。それを見たサ
ーヤは魔界の公爵とは思えないような屈託の無い笑みを浮かべた。そして、自身もまた似
たような球体を懐からそっと出す。
「わ、サーヤも見つけてたんだ」
淡い光により刻まれた、"勇"の文字。もう既に半分もの数である珠を自分たち悪魔側が
手にしている。歪みから人間界へと渡った、下級悪魔の一人イシクァーも一つ手にした
との話を聞いたが、それ以降連絡が無いため、何者かに奪われたのかもしれない。けれど、
悪魔側が有利であることには相違無いだろう。マリーは小さく鼻を鳴らして、少し息を潜
めた。
- 103 名前:ダイヤJ 投稿日:2002年05月25日(土)20時23分03秒
- 「でさ、生贄探してたんじゃなかったの?」
マリーのその言葉に、サーヤが視線を落とした。マリーもその視線を辿る。視線の先、
一人の少女と、その少女の傍らを歩く奇妙な獣の姿が見える。そして、意識を集中させず
とも分かる、珠の気配。マリーは再び顔を上げた。
「あれごと奪っちゃえばいいじゃん」
「ばか。良く見てみなよ」
「――あ!」
マリーは声を上げた。サーヤがそれに頷く。
「ショマキエル――」
話にこそ聞いていたものの、実際目にするのはマリーも、そしてサーヤも初めてだった。
天界を守護する聖獣の情報が敵対勢力である悪魔たちに漏れるはずもなく、ショマキエル
の能力は未知数だった。公爵と雖も、未だ力が覚醒し切っていないサーヤが躊躇うのも、
無理は無いだろう。
「そんなことより、どうすんの!?」
シニカルに肩を竦めるサーヤの仕草に、マリーが食い下がる。サーヤは大声を上げるマ
リーを窘めるように小さく肩を叩くと、顔を寄せて潜めた声を発した。
- 104 名前:ダイヤJ 投稿日:2002年05月25日(土)20時25分25秒
- 「ショマキエルが代用している精神の"後藤真希"は、あたしが身体を借りている"市井紗
耶香"に弱いらしいんだ。だから、あたしがショマキエルを引き付けている内に、マリー
はあの――吉澤? を珠ごと攫って欲しい」
「そんな……大丈夫なの?」
「それは、分からないけど。……殺されはしないと思う。"後藤"にとって"市井"は絶対ら
しいから」
マリーはサーヤの言葉に不安げに眉根を寄せた。そのまま暫く悩んでいる様子だったが、
マリーはやがて、意を決したように首を小さく頷かせた。
「頼んだよ」
「――ねえ、サーヤ。死なないでよ?」
「マリーこそ」
二人は小さく笑い合って、そして、別れた。マリーはその小さな黒い翼を大きく羽ばた
かせると、少女たちの行く先を先回りすべく上空へと飛翔していった。
サーヤはマリーを見送った後、そうして眼下の光景に再び視線を落とした。何時しか
"一人の少女"の表情はその整った顔から消え失せ、"魔界の大公爵"の名に相応しい、冷や
やかな其れへと変貌させていた。サーヤは一息吐くと、狭間の世界に揺れる白い大地へと
降り立った――。
- 105 名前:ダイヤJ 投稿日:2002年05月25日(土)20時30分59秒
- *
(しまった――)
安倍はカフェを出てから漸く、己の不注意を今更になって気付いた。額に冷や汗が滲ん
でいる。安倍はそれを払拭するように自身の額を軽く叩いた。
人間界での"安倍なつみ"と"矢口真里"が親友同士だったとして、矢口に憑依する輩が必
ずしも自分の味方であるとは限らなかったのだ。早めに珠を受け取りに行っておけば良か
ったのだが、時はもう既に遅いだろう。
(なっちとしたことが不注意だったべ……)
流石にこれはガブリエルに連絡すべきだろう。けれど、今、自分と彼女とは争っている
最中なのだ。自分のプライドを捨てるか、否か。安倍はうう、と小さく唸って携帯電話を
握り締めたまま立ち尽くしていた。安倍は暫くそうしていたが、やがてはっとした表情を
浮かべると、メモリから一人の少女の名前を探し出し、そして通話ボタンを押し携帯電話
を耳に押し当てた。
携帯電話のディスプレイには、"保田圭"では無く、"紺野あさ美"の文字が淡く光を放っ
ていた。
- 106 名前:クラブK 投稿日:2002年05月27日(月)19時38分32秒
- 「そうですか。分かりました」
携帯で話す紺野を、石川はじっと見つめていた。
ふっくらした頬、長い黒髪、シンプルなワンピースにカーディガン。
そして──背中に生えた白い羽根。
──天使でも携帯使うんだあ。
変なことに感心しつつ、半ば呆然として石川は天使の会話を聞いていた。
「あちらに押さえられたのは3つ。
こちらが押さえているのがあなたの持つ”礼”、ガブリエル達の持つ”愛”。
そして狭間の世界の”仁”。
……ええ。
ですが、それよりも魔界の公爵が狭間の世界に向かったことが気になります。
……そうです。わたしもそれは感知しました。
それに、どうやらメタトロンまでこちらに来てしまったようです。
急がなければなりません。幸いここには石川梨華がいます。
彼女を使って──」
不意に名前を呼ばれて石川は目をぱちぱちさせた。
「え? なぜです?
紺野あさ美の記憶を見る限り、石川梨華が適任だと思いますが。
…………とにかく、わたしはあの地へ向かいます。
彼女を……吉澤ひとみを救うために」
そう言って紺野は携帯を切った。
- 107 名前:クラブK 投稿日:2002年05月27日(月)19時42分42秒
- ──やばいべさ。
ツーツーと信号音しか発さなくなった携帯を、安倍=ラファエルはぎゅっと握り締めた。
その究極の童顔が険しく顰められる。
そういえば、彼女は自分の本当の目的を知らないのだった。
それを知っているのはガブリエルだけ。
しかし、まさか彼女が石川を使おうとするは思わなかった。
本来この件には関わらないはずだった彼女。
その彼女が動いてしまった。
『神に似た者』『鞘から抜かれた剣』──『天軍の指揮者』ミカエルが。
このままでは、せっかくここまで苦労したというのに全てが水の泡になってしまう。
──やっぱりあの時、ひと思いに梨華ちゃんに止めを刺しておくべきだったべか。
天使とは思えぬ不穏な思考をしつつ、安倍は勢いよく走り始めた。
首からかけたロケットを握り締める。
──急がなければ。あの場所へ。彼女達よりも早く。
向かう先は平家の部屋。全てが始まった場所。
しかし、その足がピタリと止まった。
耳をすませるように顔を上げ目を細める。
「ごっちん……」
呟いた声には微かな緊張が混じっていた。
- 108 名前:クラブK 投稿日:2002年05月27日(月)19時43分21秒
- 「さて、それでは行きましょうか」
「ま、待ってよ。何がどうなってるのか。あたしにはさっぱり……。
あなたは誰なの? 紺野じゃないの? いったいどこに行こうとしてるの?」
「わたしは今、たまたま魂の形が似ていたこの娘の体を借りているに過ぎません。
それからあなたが今から向かうところは、この世界と狭間の世界の接点。
全てが始まった場所です」
「うーー、良く分かんない。もっと分かりやすく言ってよ」
「先程も言いましたが時間が無いのです。
吉澤ひとみを助けるためには」
「よっすぃー? ……そうよ! よっすぃーが!!」
急に石川が大声で叫ぶ。
悪魔にのっとられていた間のこと、そして悪魔が持っていた記憶がゆっくりと浮かび上がる。
「よっすぃーを助けなきゃ!」
「ええ。そのためにあなたの力が必要なんです」
「あたしの……力?」
「はい。吉澤ひとみを狭間の世界から救い出すために必要な力。
それは……」
「それは?」
首を傾げる石川を見て、紺野はにっこりと笑う。
「それは……愛です」
- 109 名前:クラブK 投稿日:2002年05月27日(月)19時51分10秒
- 「あ、あ、あ、愛!?」
素っ頓狂な声を出す石川の前で、紺野は相変わらず慈愛に満ちた笑顔を浮かべていた。
「そう、愛。甘くとろけるような。
狭間に落ちたものに対する燃え上がるような愛。それこそが現世に戻るために必要な力」
「で、でもなんであたしが……」
「違うのですか?
この娘によれば、あなたたち二人は強い恋愛感情を持っているはずなのですが」
「はい?」
「この娘のパソコンの中にたくさんありましたよ。
二人の仲睦まじい写真や、嬉しそうに体を寄せ合う動画。
そうそう、口づけを交わすぐらい近くで見つめ合うものもありましたね」
にこにこと笑いながら語る天使。石川の頬はひくひくと引きつった。
「他にも意味は分からないのですが、『いしよしマンセー』とか『黒白ハアハア』などという言葉が浮かんできますし。
あ、あと同人誌というのですか? それも作っていたようですね。それから……」
「も、もういいです」
ひどい頭痛を感じて石川は頭を抱えた。
──最近、レッスン中とかに紺野の視線を感じるとは思ってたけど、まさかそんなこと考えてたなんて……。
- 110 名前:クラブK 投稿日:2002年05月27日(月)19時51分40秒
- 「納得していただけたなら早速行きましょうか」
「え、ちょっと! や! 待って!!
い、いや羽根嫌い……。
きゃ、きゃああああああ!!」
じたばた暴れる石川をものともせずに抱え上げ、紺野は大空に向かってばさりと羽ばたいた。
- 111 名前:クラブQ 投稿日:2002年05月28日(火)23時24分47秒
- 「んあ!なっち?」
突然後藤が声を発し、歩みを止めた。
先ほどまでの疲弊しきった表情の面影が残る口許が、わずかにほころび、目が輝き出す。
その姿は、端から見ている吉澤から見ても、希望に満ち溢れている。
「安倍さん?話せるようになったの?」
「んあ、なんか…後藤達の心配してる気がする。なっち、聞こえる?」
遥か彼方、居場所もわからない安倍にコンタクトを取ろうと必死になる二人。
一筋の光が二人を照らし出したかに見えた。
が……
「あれ?後藤?」
たった一声で、二人にさした光を覆い尽くして余りある暗雲が立ち込め始めた。
聞き覚えのある、いや、決して忘れることのないであろう声。
こんな絶望的な状況で、もっとも頼れる”はず”の声。
「え?」
二人が振り返った先には、にこやかに微笑む市井紗耶香の姿があった。
- 112 名前:クラブQ 投稿日:2002年05月28日(火)23時25分55秒
- 「あ…いちーちゃん…?」
「あん?私が市井に見えない?」
突然の「来客」に後藤と吉澤の動きが止まった。
確かに、目の前にいるのは市井紗耶香本人に見える。
さっぱりとした短髪にボーイッシュな身なり、どこを切っても。
「いちーちゃん……いちーちゃ〜ん!」
信じがたい、それでも疑いようもない事実に、迷わず後藤が飛びつこうとした。
師であり、憧れであり、もっとも信頼の置ける人物の登場が、心強くないはずがなかったのだから。
だが、
「ごっちん!」
吉澤の放った鋭い一声が、後藤の動きを止め、市井の表情を崩した。
その吉澤は、ただひたすらにじっと市井を睨み付けている。
睨み付けられていることに気がついた市井は、体から軽く力を抜いたように見えた。
「その人は市井さんじゃないよ。私は、あの人に刺されたんだ…」
搾り出すように話した吉澤の言葉を聞き、突然市井が乾いた声で笑い出した。
- 113 名前:クラブQ 投稿日:2002年05月28日(火)23時27分08秒
- 「ハハッ、なるほど。よく見たら私を呼び出した小娘か。
いやあ、なるほど。不思議なものだなぁ」
可笑しいのか楽しいのか、市井は声を張り上げて笑っている。
心底楽しそうに、まさに「市井紗耶香」の笑顔で。
「いちーちゃんじゃ…ないの?」
「騙されちゃダメだよごっちん。きっとなんか…」
「企んでるよ〜」
今度は突然、吉澤の耳元で声が響いた。
体も脳も、咄嗟に反応することが出来ない。
そのまま、吉澤と後藤は引き離され、吉澤の体が宙に浮いた。
「ごっちそうさま〜」
「……よくやった、マリー」
いつのまにか市井は表情を整え、口元だけで笑いを表現している。
一方、耳元でキンキンと笑う声は、素直に感情をぶつけてきている。
残念ながらこちらも、聞きなれた声だった。
「矢口さん…?」
対照的な笑い方だが、どちらからも、圧倒的な征服感がにじみ出ていた。
- 114 名前:クラブQ 投稿日:2002年05月28日(火)23時27分51秒
- 「ごっちん、ごっちんてば!後藤!」
先ほど感じた悪寒は、間違っていなかったようだ。
一瞬、なんとなく感じた後藤の危険信号。
瞬時に察知した安倍が、後藤に語りかけつづけていた。
しかし、一向に返事が返ってこない……。
間違いなく、自分たちにとってマイナスの、予想外の出来事が起きているのだ。
安倍の目の前が暗くなる。
「ごっちん、返事して…」
祈るように、安倍が語りかけつづける。
後藤に異変=吉澤に異変、と考えるのは不自然でない。
吉澤にも、危機が迫っているのだ。
「どうしよう…なっちのせいだよ…」
激しく自分を責めた。
くだらない意地など張らず、素直に…
「アタシに連絡すりゃ良かったのよ」
「!」
不意に、安倍の頭に声が流れた。
- 115 名前:クラブQ 投稿日:2002年05月28日(火)23時28分39秒
- 「……」
「……」
「……」
「……」
時間が止まったようだった。
市井も、矢口も、後藤も、吉澤も。
金縛りにあったかのように動きを止め、空気中に響くはずの音達も鳴りを潜める。
恐ろしいほどの存在感と威圧感が、全てを支配していた。
「ったく、守りたいなら自分で守りなさいよね、ラファエル」
静寂を切り裂いたその声もまた、吉澤にとって聞き覚えのあるものだった。
ただ、状況は飲み込めない。
自分を捕らえていたはずの矢口から、なぜ助け出してくれたのか。
いや、そもそもなぜ矢口が自分を捕まえていたのかも分からないのだが。
「あ、ラファエル。珠、あと一つ行方不明なんだけど、知らない?」
それでも、この人は信じられる気がした。
市井の様子が、先ほどまでの余裕が全くなくなっていることからも。
「え、ここに四つあったのよ…ああ、紺野が教えてくれたの、そう。
まぁ今回は非常事態だからね、とりあえず取り返しとくから」
柔らかく淡い光をまとった保田が、しっかりと吉澤を抱え、この場に君臨した。
- 116 名前:クラブJ 投稿日:2002年05月29日(水)18時59分28秒
- ◇◇◇◇◇
「それやったら、どないしたらええねん?」
平家はもう、何がなんだかわからなくなっていた。
松浦といい、こいつらといい…
人をおちょくんのもたいがいにせぇよ…
「ややこしいことに生け贄、捧げてたでしょう?」
「よっすぃなぁ…捧げたつもりはないねんけど…」
新垣は本当に困ったというように太い眉を顰めた
「結果的になってしまったものはしょぉがないよねぇ。」
小川がやや投げやりに言葉を返す。
ったく…ほんま、きょおびのガキどもときたら…
平家は、喉元まで出掛かった悪態を飲み込んで、さっきから疑問に思っていたことを口にした。
「で、珠が集まるだけやったらあかんの?」
「……」
しばしの沈黙。
二人の天使は顔を見合わせる。
- 117 名前:クラブJ 投稿日:2002年05月29日(水)19時01分01秒
- 「槍がいるんですよね…」
「やり…?」
新垣が何かをもって突っつくような手振りを交えて説明する。
っちゅうか、あんた、やすき節やん、それ…
太眉で鼻と唇の間にに楊枝をたててどじょうすくいを踊る新垣想像して、
逆にあまりの違和感のなさに、平家は頭を抱えたくなった。
「聖槍…イエス・キリストがゴルゴダの丘でポンティウス・ピラトに処刑されたときの槍です。」
「その槍がなんで…?」
必要なん?と最後まで言い終えるのを待ちきれぬように新垣が続ける。
「狭間の空間を断ち切らなければなりません…再び八つの珠の結界で封じる前に…」
「で、その槍は今、どこに…?」
小川がいかにもつまらなそうにぼそっとつぶやいた。
「忠実なんだよな…ロンギヌスの槍は…”忠”の珠の持ち主に…」
新垣が頷いた。
“忠”…一体、誰の手に…
三人は何もできないもどかしさを胸に、それぞれの想いを槍の持ち主に託した。
- 118 名前:クラブJ 投稿日:2002年05月29日(水)19時01分43秒
- ◇◇◇◇◇
ひってこつ、いってぇのぉ…
目を覚ました高橋愛は、右のこめかみを擦りながらつぶやいた。
掌で撫でまわすようにして探ると、ほどよく隆起して見事な瘤になっている。
高橋は、いきなり窓を破って自分にぶち当たってきた拳大の物体に視線を落とした。
丸い珠のようなそれは、ぼんやりと白く淡い光を放ち、辺りを照らしている。
はぁ…なんや、ひってぇいたずらやぁ…
高橋がそれを手にとって見ると、表面には何か文字のようなものが浮かんでいた。
“忠”…って…なんやろ…
疑問に思うよりも、なんだか無性にむかついてきた。
下手をすれば大怪我を負っていたかもしれないのだから。
悪質ないたずらだ、まったく…
せっかく、事務所が売り出してくれようとした矢先なのに。
もぉぉっ!怪我でもして、マコに出し抜かれたら許さんでぇの!
高橋はいかにも忌々しいといわんばかりにそれを掴むと、
大きく振りかぶって勢いよく、窓から遠くに向けて投げた。
ソフトボールの要領だ。遠投なら自信がある。
- 119 名前:クラブJ 投稿日:2002年05月29日(水)19時02分44秒
- ひゅ〜…くるっ!
だが、放物線を描いて向かいの建物の向こうに消えていくはずのそれはあろうことか、
空中でひょい、と方向を変え、再び高橋の家に飛び込んできた。
ガッチャ〜ン!!
間一髪で除けた高橋は、もんどりうって壁にしこたま頭をぶつけてしまった。
くっそぉ……なんにゃざぁ!いってぇのぉ!
だが、それだけでは終わらなかった。
次の瞬間、ビュンという音とともに目の前を何かが掠めていく。
恐る恐る神部の方に視線を移すと、そこに刺さったものを見つけ、
高橋は血の気が引くのを感じた。
や、やり……
今度こそ、高橋は泡を吹いて倒れた。
どれくらい寝ていただろう。
何か固い棒状のものが頬を叩くのを感じ、目を覚ます。
んんっ…眠いにゃ…
ん?…え?…な、なんにゃこれぇ〜っ!!
叩いていたのは、先ほど壁に突き刺さったはずの槍の柄の方だった。
それはまるで生き物のように宙に浮かび、起こそうとしているかのように、
高橋の頬をつついていた。
- 120 名前:クラブJ 投稿日:2002年05月29日(水)19時04分02秒
- さっき、壁に頭ぶつけてぱぁになってもうたかの…?
槍はそれを否定するように穂先を左右に振ると、水平に浮かび、乗れと言わんばかりに、
その長い柄で高橋の臀部をつついた。
なんにゃぁ…乗れ、ゆうことかいの…?
高橋は現実味のない状況に段段と慣れてくる自分を戒めながらも、
魔女の宅急便のキキみたいに飛べるのかと、わくわくする気持ちを抑えられずにいた。
恐る恐る、柄の方を跨いで、腰を落とす。
うわぁ、痛くないんかの…
魔法使いTai!の沙絵ちゃんは鉄棒またがりで鍛えとったけど…
そう思って槍を握った次の瞬間には、物凄い勢いで、ガラスの割れた窓から飛び出し、
空へ高く舞い上がっていた。
肩にはキャプテンEOのファズボールよろしく”忠”の珠がちょこんと乗っている。
うわぁ…ほんとに魔法使いみたいにゃ…
高橋は振り落とされないよう、必死で槍にしがみつきながらも、眼下に見える街の景色が
どんどん小さくなる様を夢の中にでもいるように楽しんで見ていた。
- 121 名前:ハートのQ 投稿日:2002年06月06日(木)02時44分44秒
- 「神の所業か魔王の御技か。役者はそろったようだな」
市井が気取った仕草で軽く天を仰いで笑う。
「そっち側は大根役者そろいかしら?」
吉澤を抱きかかえた保田がちらっと安部を見やって
「……うちにもじゃがイモ役者はいるけれど」
「馬鹿にするんじゃないべさ!なーにさぁ!えっらそーに!
せっかく反省してたとこなのに、ガブリエルはいっつもそうなんだから!」
安倍は吉澤の頭をボーリングの球のように片手で掴むと、
引っこ抜くようにして保田の腕の中から奪いとった。
「痛痛痛痛痛痛っ!」
「やっぱめんこいなぁ。ごめんねぇ。怪我は平気?痛くない?」
「だから痛っ!痛いって安倍さん髪髪いてぇって!」
背後で行われてる天使と人間の喜劇に、保田はほとほと呆れた。
もともとのラファエルにも困らされる性質はあったが、
安倍の体に入ってからいっそうひどくなっている。
性質が変化したのではなく、倍加しているようにすら伺える。
きっと、安倍の気がラファエルの魂に合っていたのだろう。
- 122 名前:ハートのQ 投稿日:2002年06月06日(木)02時46分32秒
- 「……空でも下でも、苦労してるようだな」
「なにかとね」
市井と保田は一瞬だけ立場を超えた視線を重ね合う。
「紗耶香と矢口にも一苦労させてもらう羽目になるわけだし」
市井の脇の矢口を見る。隠し持っている三つの玉を見る。
「ここは私と後藤がやるわ。
なっちは吉澤をつれて、人間界のごたごた掃除に行ってくれない?」
「まーた仕切るぅ!」
「あっちはカオリと紺野が行ってるの!
なっちは吉澤を守りながら向こうのチームを仕切って来て!」
もっとも、脳天気な節がある安倍ガブリエルに、
冷酷なカオリと計算高い紺野を仕切れるのかどうかは保田も疑問に思う。
それでも、
「人間界の仕切りなんてなっちしかできないでしょ。狭間の仕事はアタシに任せなさい」
おだてて木に登らせる。
「あんたが吉澤を守るんでしょ!守りたいなら守りなさいよっ!」
「――うん!わかった!私、守る!」
木に登った。
安倍は何の仕草もなく、抱きかかえた吉澤ごとただすっと霧のように姿を消しさった。
- 123 名前:ハートのQ 投稿日:2002年06月06日(木)02時52分40秒
- 「さて、ずいぶんおとなしく見守ってくれたじゃない」
保田が市井と矢口に向き直ると、市井は大仰に肩をすくめてみせた。
「天使三人と戦を交える気はない。一人帰らせてくれてありがたいぐらいだよ」
「そーだそーだ。サーヤとオイラを嘗めるなよ」
矢口は市井の脇にぴったりと寄りそう。
その光景に、ライオンもどきが切ない声で鳴いた。
「市井ちゃん……」
「……しかしショマキエルか。やっかいな者を降ろしてくれたもんだ」
市井が冷ややかに眉をひそめてにつぶやく。
後藤が吠えた。
「ちがうもん!ごとーはショマキエルなんかじゃないもん!」
「ほぉ」
「ごとーはごとーだよ!市井ちゃんどうしたの、おかしいよ!」
牙をむく後藤の背に保田の手がそっと置かれた。
(まだ、人の気の方が強く残ってるのか)
同じ事を思って市井はほくそ笑み、保田は歯を噛みしめる。
- 124 名前:ハートのQ 投稿日:2002年06月06日(木)02時54分05秒
- 一方、人間界では。
「あの人の、ママに会うためにっ♪」
高橋が上機嫌でルージュの伝言を歌っている。
忠の球は、ポップな曲を戯画表現した音符のように、高橋の肩の周りを弾むように飛んでいる。
槍を乗りこなした高橋は、すっかり魔女の宅急便の主人公になった気分だった。
一曲歌い終わると、次はラピュタの主題歌。
合唱部でも歌った「君を乗せて」だ。
「地球は回るー」
高橋を乗せて。
槍も回りに回る。歌に合わせてくるくると錐揉みをしたり、波打つように上下したり。
高橋と槍と忠の球は、もはや空を奏でる一つの音楽だった。
遅れてきた陽気な聖歌隊は、
借金取りにねらわれた家でもまだマシな風体になってきた平家の家の窓の、
まだ壊れてない窓をわざわざぶち破って聖戦の舞台に到着した。
- 125 名前:ハートJ 投稿日:2002年06月07日(金)00時40分09秒
- 白い大地に幾分赤らんだ空。
そこに、二人の天使と二人の悪魔が対峙していた。
「マリー!」
「オーケー」
矢口は三つの珠を取り出すと素早く自分の手首に宛がう。
珠は八割ほど手首の中に埋没していった。
同様にもう片方の手首と喉下に珠を沈める。
「いっくよぉー!!」
掛け声と共に矢口は魔力を解き放つ。
それと同時に三つの珠が淡い光を放ち、急速に高まる魔力を全身で感じた。
「ワチカナ・ドゥ ワチカナ・ドゥ……」
矢口が呪文を詠唱すると、彼女を中心に影が広がり、空も大地も闇が飲み込む。
辺りは完全に暗闇に閉ざされ、そして、矢口と保田の二人だけがその場に残った。
「これは……異層結界かしら」
保田は霊力の減退を感じ、訝しげに周囲を見渡す。
「正解、この結界内ではオイラたち霊的な者は力をかなり抑制されてしまう。
つまり、あんたとオイラの力の差は限りなくゼロに近づく……いや、既に逆転してるんじゃない?」
矢口の言葉に呼応するように両手首と喉下に埋め込まれた珠が淡い光を発する。
「まったく、それで勝った気でいるなんてね。
あんたは絶対的な力の差というものを知らない。私がそれを教えてあげるわ」
- 126 名前:ハートJ 投稿日:2002年06月07日(金)00時41分30秒
――暗黒に包まれた虚無の空間。
そこに、後藤真希は、雄雄しき獅子の姿ではなく人間として一糸纏わぬ姿で立っていた。
「凄いな。結界の中とはいえショマキエルを完全を封じ込めるとは」
不意に背後から声を掛けられ振り返ると、市井紗耶香が神妙な面持ちで見つめていた。
「あっ、いちーちゃん!!」
市井の姿を視界に捉え、後藤は駆け寄ろうとする。
しかし、市井はその動きを牽制するように右手を上げる。
掌からは赤い炎が吹き上がり、炎は赤々しい剣へと姿を変える。
その剣先は後藤に向けられていた。
「お前は何者だ?後藤真希。本当に人間か?」
「何言ってるの?ごとーはごとーだよ。さっきから言ってるじゃん」
先程から繰り返される問答に苛立ちながら後藤は答えた。
市井は後藤のその姿に冷笑を浮かばせるが、途端にその表情は残忍なものへと変貌した。
「ふん、まぁいい。どうせこの場で貴様は死ぬのだからな」
市井は剣を構えて地を蹴ると、瞬時に後藤との間合いを詰める。
「死ね!!」
突然の事で放心する後藤目掛けて紅蓮の刀身を突き出す。
しかし、剣の先端が後藤に触れる寸前でその動きが止まった。
- 127 名前:ハートJ 投稿日:2002年06月07日(金)00時43分16秒
- 「なっ!?体が……」
剣を持つ腕が小刻みに震え、市井の表情が曇る。
市井は額に薄っすらと汗を浮かべ、その体制のまま一歩も動けないでいた。
「いちーちゃん?如何したの?」
サーヤは、全身が己の意思に抗い、剣を振るえないでいた。
その姿を後藤は心配そうに見つめている。
(クッ、支配の力が弱まっているのか?……違う……この女は危険だ)
サーヤは目の前の娘に対し、初めて恐怖を抱いた。
戦士としての本能が警告音をサイレンのように鳴らしている。
「ウオォォォオオ!!」
雄たけびと共に腕の筋肉が隆起させ肉体を再び支配すると、剣を後藤の胸を目掛けて突き立てる。
剣は後藤の胸に突き刺さると深々とその刀身を沈めていった。
市井は勝利を確信してほくそえむ。
しかし、一瞬にしてその表情は凍り付いた。
「……いちーちゃん」
胸に剣を突き立てられ、激痛に顔を歪める。
それでも後藤は心配そうに市井を見つめていた。
「如何して……泣いてるの」
「ばかな、泣いている?私が?」
そう言う市井の瞳からは、サーヤの意思とは無関係に留まることなく涙が流れていた。
(そうか、泣いているのは私ではなく……)
- 128 名前:ハートJ 投稿日:2002年06月07日(金)00時44分59秒
- 後藤は剣がより深く突き刺さるのを構わず市井に歩み寄る。
傷口はさらに広がり、溢れ出す鮮血は刀身を伝わりポタポタと地面に滴る。
「大丈夫だよ、いちーちゃん。あたしが助けるから」
後藤は市井に向かって両腕を突き出すと、ゆっくりと足を踏み出した。
「くっ、来るな」
市井は体が凍りついたように、ピクリとも動かす事が出来ないでいた。
「絶対……助けるから」
一歩一歩確実に市井に近づき、その度に後藤の体をより深く刀身が貫く。
「私は、お前の助けなど必要としない!」
後藤の体には、既に根元まで剣が突き刺さり、二人が触れ合える距離まで近づいていた。
「いちーちゃん。もうすぐだよ」
後藤は両腕を伸ばすと市井の両頬に触れる。
「やめろ……や……めて……」
後藤はそのまま顔を近づけ、唇に唇を重ねた。
全ては一瞬だった。
市井の中で二つの意思が激突し、強烈な苦痛と吐き気が沸き起こる。
殺意と恐怖が渦を巻き、憎しみも欲望も超越した深い愛が全身を包み込む。
――そして、市井の中から二つの意志が消えた。
「真希!!」
剣は赤い光となって砕け散り、支えを失った後藤の体がゆっくりと沈む。
- 129 名前:ハートJ 投稿日:2002年06月07日(金)00時46分44秒
- 市井は素早く後藤を抱きかかえる。
市井を覗き込む後藤の表情は穏やかで、眩しい笑顔を向けていた。
「あは、いちーちゃんだぁ」
にっこりと微笑む彼女の姿が唐突に透けてゆく。
「後藤、しっかりして、ねぇ」
「…………」
市井に呼び掛けに答えるように口を動かすが、その声までは聞こえてこない。
しかし、唇の動きではっきりと読み取れた、たった二言の言葉。
そして、照れたように微笑みを浮かべ、その姿と共に手に掛かる重みが消えた。
市井は突如として生まれた虚空を掴み、そのまま蹲った。
今まで後藤がいた空間に涙が零れ落ちる。
「なんで……なんで笑っていられるんだよ……」
思い出す後藤は何時も笑顔で
悩みなんか無いような顔をして
何時も笑っていた。
「ばかだよ……私なんかの為に……」
本当は強情で我侭で寂しがりやで
でも、周りにそんな素振りを見せなくて
だけど、あたしには『いちーちゃん』って甘えてきて……。
「……ずるいよ……ごとー……」
でも、消えてしまった――。
涙は雫となり、地面に零れるとキラキラと輝きを放つ。
光は結晶となり乳白色の光を放す珠となった。
珠には『勇』の文字が浮んでいた。
- 130 名前:スペードJ 投稿日:2002年06月08日(土)16時05分19秒
- とりあえず槍が手に入るまではやることがなくなった平家宅の三人は、のんびりとお茶を
すすっていた。
何となく怒られそうな気もするが、この状況下ではただの人間である平家にできることな
ど何もないし、下級天使である二人にしたって槍が見つかるまでの間は無力に等しい。
ジタバタしたってどうにもならへん。
平家が辿りついた菩薩の境地。
そんなわけで散らばったガラスを片付けた後、三人はのんびりまったりくつろいでいた。
- 131 名前:スペードJ 投稿日:2002年06月08日(土)16時06分08秒
- 「なあなあ、やっぱ天使とかでも人間関係とかってあるん?」
「ありますよお、派閥争いとまではいかないですけど」
「結構上下関係とかはうるさいよな」
「ふーん、あんまウチらと変わらへんのやな」
「ヘタに力もってるから人間よりタチ悪いかもしれないですね」
「どこの世界だってバカ上司に悩まされるのは一緒だって」
小川がそう口にした瞬間、新垣と小川が飛び上がった。
口にお茶請けのせんべいをくわえたまま、ガタガタと震える二人。
なんやっちゅうねん、急に。
その様子に首をひねった平家が、二人の視線の先を確かめようと振り向くと ―――
見慣れた顔が三つ、宙に浮いていた。
- 132 名前:スペードJ 投稿日:2002年06月08日(土)16時07分17秒
- 正確には浮いていた、というより飛び込んできた、だが。
松浦を先頭に飯田、飯田に抱えられた中澤が平家の部屋へと。
もちろん、ガラスをぶち破って。
なんでわざわざ窓から入ってくんねん。
大家さんに何て言い訳すればええんや。
天使様には人間の常識ってヤツは通用せえへんのか?
飛び散るガラスを絶望的な表情で眺めながら、平家はそっとため息をついた。
- 133 名前:スペードJ 投稿日:2002年06月08日(土)16時08分19秒
- 一方、飛び込んできた三人。
「誰がバカ上司だって、んー?」
氷の微笑を浮かべ、ピタピタと小川と新垣の頬を叩く飯田。
「・・・・・・」
無言のまま、首にかけられた制約を不機嫌な顔でいじる松浦。
「コラ、カオリ! もちっと優しく扱わんかい! っちゅーか早く下ろせや!」
飯田に抱えられて暴れる酔っ払い、もとい中澤。
部屋の惨状にはまったく注意を払わない三人に、平家は喉まで出かかった言葉をこらえる。
・・・・・・頼むから出てってえな。
- 134 名前:スペードJ 投稿日:2002年06月08日(土)16時08分57秒
- 「あれ? みっちゃんやん。 何してんねん、こんなトコで」
飯田から解放された中澤が、呆然と立ち尽くす平家に気がついて声をかける。
「何してるも何も・・・・・・。 自分の部屋におっちゃあかんですか。
姐さんこそ何してはるん? っていうかホンマに姐さん? 悪魔とか憑いてへん?」
「誰が悪魔やっちゅーねん・・・・・・。 空飛ぶ辻加護にさらわれてなんやわけわからんことに
巻き込まれてはおるけどな・・・・・・」
「お互い災難ですなあ」
「ホンマに」
二人はリビングのソファへと腰を下ろした。
飯田は新垣と小川に説教を始めたらしく、松浦は無言のまま黒い空間を覗き込んでいる。
- 135 名前:スペードJ 投稿日:2002年06月08日(土)16時09分28秒
- 「で、いったいどないなっとるん? だいたいの話はカオリと松浦から聞いたけど・・・・・・」
「さあ・・・・・・。 新垣の話じゃなんか槍みたいのが必要らしいですわ」
「なんやねん、槍って」
「ウチに聞かれてもわからんですよ。 けどこの話の流れなら、たぶんまた空飛んで来るんちゃいますか?」
そこまで話した瞬間、大轟音とともに残っていたガラスをぶち破って高橋が飛び込んできた。 槍らしきものにまたがって。 何やら小さい玉を肩にのせて。
「・・・・・・ほらね」
「納得」
- 136 名前:スペードJ 投稿日:2002年06月08日(土)16時10分01秒
- そしてほぼ同時に、玄関のチャイムが鳴る。
「みっちゃん、誰かチャイム鳴らしとるで」
「あー、出たくないわあ。 大家さんやったらどないしよお」
「そんなん知らんわ。 ガラス代だけ弁償すればええんちゃう?」
「割ったのは姐さんらやからな、キッチリ払ってもらいますで」
「なんでやねん! みっちゃんの部屋やんか!」
「稼いでるクセに意外とケチやね、姐さん」
その間も絶え間なくチャイムは鳴り響く。
そのしつこさにとうとう根負けした平家が、渋々と玄関へ向かった。
- 137 名前:スペードJ 投稿日:2002年06月08日(土)16時11分07秒
- 「はいはい、今開けますよって」
ぶつくさ言いながら平家がドアを開けると、そこにもまた見慣れた顔が立っていた。
「紺野? それに・・・・・・石川?」
「こんにちは。 あ、お邪魔してよろしいですか?」
平家は感動していた。
玄関から礼儀正しく入ってきてくれるなんて。
あのバカどもに見習ってほしいもんやわ。
人間、自分の理解の範疇を超えたところで常識的な反応に出会うとどうやら感動するらしい。
とにもかくにも、役者は揃った。
- 138 名前:ダイヤA 投稿日:2002年06月11日(火)23時06分48秒
「… で、あとひとつ必要なのが…」
「って!あたっ 痛たたた…!!」
平家が訪問者を迎えに行き、高橋が槍に跨って猛スピードで窓をぶち破り目を回し、飯田が小川と新垣を説教し始め、放置された中澤に渋々、松浦が解決策を話し始めていたところだった。
中澤は再び襲い始めた右腕の痛みに、苦悶の表情を浮かべた。
もはや、酔いのせいにはし切れない。ピリピリと、右腕の筋が強張る。
「…中澤さん… あなたはもしかして…」
「あれ?良かったです。 “聖槍”も“聖杯”も揃ってたんですね。探す手間が省けました」
平家に連れられてリビングに入ってきた紺野が、入るなり口を開いた。
「あれぇ?ミカエルまでこっちにきちゃってるのぉ?
なんか大事なんだぁ?ひょっとして」
紺野の姿を見るなり、飯田は高橋と新垣の説教を中断した。
「そうですよ。こちらの対応次第ではとんでもないことになってしまいます」
紺野は二コリ、と飯田に微笑み返した。
- 139 名前:ダイヤA 投稿日:2002年06月11日(火)23時11分31秒
平家、中澤、石川、高橋、小川、新垣、飯田、松浦の8人は車座になって、吉澤の死体の周りを囲んでいた。
「まず、必要なのは八つ玉です。 この八つ玉は、世界の秩序を表すものであると同時に、人間の身体という小さな宇宙を象徴するもさんのでもあるわけです。
つまり、この場合は吉澤さんの身体の秩序であり、象徴ということですね。
吉澤さんの身体の秩序を取り戻し、この世界と狭間の世界の入口を断ち切り、吉澤の魂をこの身体を癒す。これで全ては解決します」
吉澤の死体の傍らに立つ紺野は悠然と語った。
「本っっっ 当にそれはホンマの話やろうな?今度の今度は」
平家の疑わし気に紺野に問いかけた。 何せよ、悪魔のとり憑いた松浦に自らの生命の危険を晒された平家である。その疑いにはもっともと言える。
「失礼ですね。私が嘘をつくわけないじゃないですか」
紺野はムッとして眉をひそめた。
「平家さん。ミカエル様に対して失礼ですよ」
先ほどまで上司の悪口を述べていた新垣のその台詞は、飯田に説教されたからか。それとも元よりそんな調子の良い性格なのか。その真意はともかく。
- 140 名前:ダイヤA 投稿日:2002年06月11日(火)23時12分28秒
- 「既に珠の全ては出現しています。狭間の世界に残る3つはマリー=アンドラス… いえ、矢口さんですね、こちらの世界から見れば… が持っているようですが、ガブリエルならぬかりなく取り戻してくれるでしょう」
紺野はおもむろに立ち上がり、中澤の前に歩み寄った。
「空間を断ち切る“聖槍”の主は高橋さん。
そして全てを癒す“聖杯”の主は、中澤さん、あなたです」
ビシッ 、と紺野は中澤の眼前に指を突きつけた。
「ヒトを指さすなや」
中澤は紺野の指を目前から払いながら
「ウチはそんなもん、持ってへんで?」
「メタトロン、赤い珠を中澤さんに渡してください」
「あー、なんだ。これが噂の“聖杯”だったんだ」
飯田は懐から赤く輝く“愛”の文字の浮かぶ珠を取り出し、中澤に渡した。
中澤がそれを手にした途端、それは眩く光り、手の中でその形を変えてゆく。
赤い小さなグラスの形へ。
そして赤いグラスは更にぐにゃりと赤い粘着質の液体へと変化し、中澤の右腕を覆っていった。
- 141 名前:ダイヤA 投稿日:2002年06月11日(火)23時15分07秒
- 中澤の右腕を異形へと変化していた。
赤い光沢を放つ、ガラスのような右腕。
「それが、“聖杯の奇跡をもたらす、奇跡の右腕”なのです」
紺野は中澤を見下ろしながら、静かに言った。
「… そろそろラファエル… 安倍さんが迎えにやってきます。
中澤さんにはこれから彼女と一緒に狭間の世界に行っていただきます」
「え?この腕とかで吉澤の傷治すだけやアカンの?」
「吉澤さんは本来、“生贄”になって“死んだ”人間なんです。
ラファエルは吉澤さんの魂がいつでも現世に戻ってこれるように
“魂の導き手”であるショマキエルを彼女につけたようですが…」
「ああ?ちょっと待ってよ。ショマキエルはまだ未完成だよぉ?
この間、体を作ったばっかで、心は全然入れてないんだよ?」
飯田が口を挟む。
「ええ。だからショマキエルの精神に吉澤ひとみに一番近い存在である後藤真希の精神で代用させたようですが。 その後藤真希の精神は今、瀕死の状態です」
紺野は肩をすくめてみせた。
- 142 名前:ダイヤA 投稿日:2002年06月11日(火)23時18分18秒
- 「中澤さんはその右腕で後藤真希の魂を癒して下さい。
狭間に漂う死者の魂を現世に誘導できるのはショマキエルだけですから。
吉澤さんの肉体を癒すのはそれから後です」
「おおーい。紺野ぉ、カオリぃー、居るぅ?」
ひとしきり説明を終えた紺野の背後の黒い穴の中から、暢気な調子の安倍の声が聞こえてきた。
「ラファエル。言いたいことはやまほどありますが、今はそれどころではありません。 “聖杯”の主をそちらにやりますから、お願いしますね」
紺野は、黒い空間から声だけ聞こえる安倍に向かって語調を少し強めた。
「ええ?! もーちょっとよっすぃーと一緒に居たかったんだけどなぁ。
… ていうか、随分、通路が狭くなってんだけど…」
- 143 名前:ダイヤA 投稿日:2002年06月11日(火)23時19分18秒
平家の部屋にぽっかり開いた黒い穴。
しかし、その穴の大きさは、平家が最初に目にした時よりも明らかに小さくなっていた。
「それはこちらで対処しますから。
…では、中澤さん… ちょっと失礼します」
「へ?」
紺野はぺこりと中澤に一礼した後、中澤を軽々と抱えあげ、黒い穴に近づいていく。
「それでは、行ってらっしゃいませ」
紺野はそのまま無造作に穴の中に中澤を放り込んだ。
「こらああああぁぁぁ もちっと優しく扱わんかーい!!!」
中澤の姿は、絶叫とともに黒い穴の中に飲み込まれていった。
- 144 名前:ダイヤK 投稿日:2002年06月16日(日)23時53分30秒
- 不意に穴に放り込まれた中澤は、狭間の世界にいる安倍に受け止められて、無事だった。
数時間前の酔いなど醒めてしまうような出来事に、中澤は頭をいためた。
「(みっちゃんがグチ言うのもわかるわ・・・・・まさか紺野に投げられるとはな・・・)」
と考えて、自分が今安倍の腕の中にいることに気がついた。
「あ、ごめんやでなっち。」
と言い少し恥ずかしげにそそくさと腕から降りる。
「もう!紺野むちゃくちゃやりすぎだよ!」
「中澤さん大丈夫ですか!?」
先ほどの部屋では死体として転がっていた吉澤がここでは普通に話をしていることに
少し違和感を覚えたが、違和感という言葉は通用しそうにない展開だったので、自分で納得することにした。
「お〜よっすぃー、なんか久しぶりってかんじやなぁ。」
「ハハ、そうですかぁ?」
「まぁ、こんなトコとっとと用事済まして帰ろやないか、なぁ〜なっち?」
愛しの吉澤を中澤に取られたことで、あまり面白くない安倍は、
少しむすっとした感じで返事をする。
「じゃあさっさと行くべ!今ごろガブリエルが全部始末してるはずだべさ。」
といい中澤と吉澤を抱え、今来た道をもどっていく。
- 145 名前:ダイヤK 投稿日:2002年06月16日(日)23時54分27秒
- ◇
一方、中澤を穴に放り込んだ後の平家宅では、驚くほど暇を持て余していた。
狭間の世界に現れた最後の珠の反応、これも狭間の世界にいる安倍と保田に任せるとすると
こちらですることは何もなくなっている事に気がついた。
「ねぇ紺野ぉ」
「・・・・・・・」
「紺野ってばぁ!」
「・・・・・・・は、はい!?紺野?あっ、私のことでしたよね・・・」
「ぼっとしすぎ〜その人間の人格うつってるんじゃないの〜?」
「(あんたは変わりすぎだ!)」
その場にいた石川も平家も高橋も、天使に憑依されてない人は全く同じ事を思っただろう。
「ところでさ、この悪魔どうする、コイツ。」
飯田は軽く笑いながら、ダラッとだらしなく地べたに座っている松浦を見た。
紺野はその飯田の表情に少し戸惑い顔を見せたが、それをすぐに消し去ると、
「メタトロン・・・こっちでは飯田さんでしたね・・・私たちは仮にもこの世の生を
司る天使なんですよ?そのクセいい加減に直してくださいよ・・・・・」
「チェッ、固いんだよミカエルは・・・」
- 146 名前:ダイヤK 投稿日:2002年06月17日(月)00時06分57秒
- その話がされている横で、平家は傍の新垣に訊ねてみた。
「なぁ、あの天使のクセって何なん?」
「あぁ、メタトロン様は気に入らない人とかは必ず殺しちゃうんですよ。
この前もタメ口きいた私の同僚が――」
「わ、わかった。わかったからその先は言わんといてぇな・・・」
「自分から聞いてきたくせに・・・」
面白くないといった表情で口を尖らす。
「でもホンマにそんなんが天使のトップやってていいんかい・・・性格に難アリやったら
今のご時世、どこも雇ってなんかくれへんで・・・・・」
「?そっちの世界がどうなってるかは知らないけど天界は実力が全てなんですよ。」
「なるほどなぁ、だからあんなでも大丈夫なんか・・・」
口論してる紺野と飯田を見やる。
「だからぁ、わざわざ手間かけなくても天界に連れてって浄化、これでいいんじゃん!」
「あのぉ、何でもそう簡単に片付けようとするクセを直せって言ってるんです!」
「じゃあどうしたいのさ!?めんどくさいよ〜?体は返さなきゃいけないし・・・」
「それはまた4人揃ってる時にでも考えたら・・・」
「あんたはその何でも後回しにするクセを直せー!」
話は平行線をたどる一方だった。
- 147 名前:ダイヤJ 投稿日:2002年06月19日(水)21時32分40秒
- 「大体、貴女は大事なことを忘れています」
「何、大事なことって」
「そうですよ。悪魔たちの狙いが何なのか、謎のままじゃないですか」
「狙いー?」
紺野の言葉に、飯田が怪訝そうに眉を顰めながら囚われの身となっている松浦の姿を一
瞥する。飯田は今野に視線を戻すと、鼻で笑って続けた。
「そんなのも分かんないの? 戦争をおっ始めるために決まってるじゃん」
「そうでしょうか?」
自信たっぷりな口調で放たれた飯田の厭味を、紺野の声が遮る。
「本当に戦争が目的なら、律儀に珠を回収したりせずに、珠を消滅させてしまえば良か
った筈です。その方が悪魔たちにとっては好都合じゃないですか」
「…う、それは、その……」
「では、悪魔たちの目的とは何なのか。――それは、私にもまだ分かりませんけれど。
兎に角、経緯はどうあれ、真実は案外平和的なものなのではないでしょうか?」
「分かったよ。分かったから、そんな堅っ苦しい言い方しなくていいじゃん」
飯田はそう言いながら、不服そうに口を尖らせる。普段目にしている飯田と紺野の関係
とはまるで正反対なため、平家は気付かれないように小さく笑った。
- 148 名前:ダイヤJ 投稿日:2002年06月19日(水)21時34分12秒
- 「飯田さん、ご存知ですか?」
「何、急に」
ふと、話の流れを止めて、紺野が再び口を開いた。
「魔界の公爵は、代々その名前を受け継いでるのだそうですよ」
「へえ。天皇制度みたいなもん?」
「……それは、ちょっと違うと思いますけど」
「えぇ、そお? っていうか、大体魔界の公爵が何だっていうの?」
面白くない、と今にも口に出しそうな表情で飯田がため息を吐く。紺野がそれを制するよ
うに手を小さく振りながら、続けた。
「それで、現在の公爵はサーヤ――此処では、市井さんに憑依しているみたいですね。
その市井さんは、つい最近公爵の名を襲名したばかりだそうです」
「それって……」
紺野の言葉に、飯田が何かに気付いたように目を細める。
- 149 名前:ダイヤJ 投稿日:2002年06月19日(水)21時35分14秒
- 「はい。恐らくは、前公爵が今回の鍵を握っているのではないでしょうか」
「でも、どうすんのぉ? 流石にカオリたちだって、魔界までは行けないじゃん」
「きっと、向こうからコンタクトをし掛けて来ると思います。 尤も、私の予想が正しけれ
ばの話ですけど」
「じゃあ、待つしかないってこと?」
「ええ、吉澤さんが戻ってくるのを待つしかありませんね。それに、前公爵が誰に憑依する
かは、今回の件が人間界のアイドルグループ"モーニング娘。"と密接していることから、
自ずと想像は付きますし」
紺野のその呟きに、"飯田圭織"の記憶を受け継いでいるメタトロンは流石に驚きを隠せな
かった。
(まさか、ね――)
そう思いはしたものの、紺野が口にした予想が当たっているように思えた。答えは出なか
ったが、今はその時が来るのを待つしかない。飯田は小さく、息を吐いた。
- 150 名前:ダイヤJ 投稿日:2002年06月19日(水)21時36分56秒
- *
「イシクァー!」
上空から己の名を口にする声が聞こえて、イシクァーは顔を起こした。ミカエルにより悪
魔祓いの術を受け、傷一つなく魔界へと戻ってこれたまでは良かったのだが、チャームの術
を封じられてしまった。恐らく、自分は二度と戦場には赴けないだろう。
「マリーさん? マリーさんも、やられちゃったんですか?」
「……悪かったな。隙を見せちゃったら、一瞬だったよ」
「誰にやられたんです?」
「えーと、誰だっけ。ガブリエル……とか、言ってたような」
「あたしはミカエルです。あたしの方が上ですね」
「んなこと自慢すんなよ!」
べし。イシクァーの頭を殴り付けるも、今先ほど祓いを行われたためか上手く力が出ない。
イシクァーは大袈裟に頭を抱えながら、恨めしげにマリーを見上げる。
(だーから、その目がムカつくんだってば)
マリーはその目を冷たく見下ろしながら、もう一度殴ってやろうかとも思った。が、そこ
で、思い出した。小さく息を呑む。
「こんなことしてる場合じゃなかった! ね、サーヤは!?」
「サーヤ――って、確かアスタロト様の元のお名前でしたっけ?」
- 151 名前:ダイヤJ 投稿日:2002年06月19日(水)21時37分49秒
- 不意のマリーの言葉に、身構える体制のまま、イシクァーがきょとんと目を丸める。それ
かゆっくりとその体勢を元に戻して、小首を傾げた。マリーがそれに大きく頷く。
「アスタロト様なら、宮殿にお戻りになりましたよ」
「戻ってきてるんだぁ……、良かった……。って、そうだ! 怪我とかは!?」
「あたしは見ての通り元気ですよ? 術は封印されちゃいましたけどぉ……」
「お前のことじゃねえよ!」
べし。心なしか、先程よりも腕力が戻ってきているのが分かる。イシクァーはよよ、とわ
ざとらしく崩れ落ち、マリーの姿を涙目で見上げて、答えた。
「アスタロト様ならぁ、手負いには至らなかったそうですぅ……」
「そっか。それなら良かった。じゃ、オイラは行くよ。ありがとな!」
ぶん、と空気を切りながら、マリーが翼を開く。イシクァーが引き止めようと口を開くよ
りも早く、マリーはその小柄な体躯を宙に浮かせて、その黒い翼をはためかせた。イシクァ
ーは呆然と去り行く相手の姿を見つめながら、再び、崩れ落ちた。
「ほ、放置ですかぁ……」
- 152 名前:ダイヤJ 投稿日:2002年06月19日(水)21時39分13秒
- 「申し訳有りませんでした。アスタロトの名を頂いたことで、驕っていたのだと思います」
「まあ、そう気負わずとも良い、サーヤ」
「いえ。私の力量不足でした。まさか憑依している筈の人間の精神に負けるなんて――」
「そんなことを言ってしまえば、まだ覚醒し切っていないサーヤを送った私にも責任がある
だろう」
悪魔界の中央に高く聳え立つ、岩で造られた城とも塔とも取れる宮殿の一室。血のように
紅い絨毯が敷き詰められたその部屋で、一人の少女が膝を立てて腰を下ろしていた。その遥
か頭上、黒き布で包まれたのバルコニーから、少女へと声が掛けられる。
少女――現公爵アスタロトであるサーヤは、掛けられた声に大振りに顔を上げた。
「そうじゃありません!」
「――だろう? 誰が悪い訳でもない。ただ、食い違いがあっただけだ」
「悪いのは、天使たちじゃないですか。汚い仕事を、悪魔たちに押し付けて……」
「いや。彼女たちにも事情というものがあるだろう。サーヤ、感情的になってはいけない。
私たち悪魔族の望みを忘れた訳ではないだろう?」
- 153 名前:ダイヤJ 投稿日:2002年06月19日(水)21時40分20秒
- 威厳のある、低く深いまるで海のような声が響く。サーヤは脣を噛み締めた。――望み。
それは、至極簡単な筈のことだったのだ。悪しき存在とされることからの、解放。そのため
ならば、人を殺めることすらも厭わなかった。元より、汚れた身ならば。
「もう一度。もう一度、私にチャンスをお願いします」
サーヤは意を決したようにバルコニーを見上げると、強い口調でそう口にした。相手の姿
は見えない。ただ、そこに"氣"が在るだけだ。
「サーヤ、選択肢とは常に、我が身の近くに転がっているとは思わないか?」
「は……?」
返答の代わりに放たれたその脈絡のない言葉に、サーヤは目を見張った。サーヤの心境を
察するでもなく、その言葉は続けられた。
「もしかしたら、始めからそうすれば良かったのかもしれない」
「……」
「こうなれば、私が出向くまでだ」
そう、声がした。何処からかやってきた風に吹かれて、バルコニーの布がひらひらと揺ら
ぐ。まるで、先ほどまでそこにいたはずの人物が旅立ってしまったことを示すかのように。
無論、もう、氣は感じられなかった。
- 154 名前:クラブK 投稿日:2002年06月20日(木)20時58分09秒
- ◇
「驚いたわね。ただの人間が精神の力だけで悪魔を祓うなんて」
『勇』の珠を手にしたまま涙を流す市井を見て、ガブリエルは感心した声を出した。
「後藤は……後藤はどうなったんだ」
同期の顔をした上級天使に、市井は勢い込んで尋ねる。
「安心して。あの子の魂はまだここに残っているはず。
聖杯さえあればすぐに元に戻せるわ」
「聖杯?」
「そう。多分、すぐにラファエルが戻って──」
「おーい!」
「うわさをすれば……ね」
こちらに向かって手を振り近づく安倍と吉澤、そして聖杯を右手に宿す中澤を見て、保田は軽く微笑んだ。
- 155 名前:クラブK 投稿日:2002年06月20日(木)20時59分02秒
- 「それじゃ、さっそくやるべさ」
「なんだか、よー分からんけど、魂を集めればええねんな」
「そう、ここに漂っている魂のかけらをその右手で掬ってちょうだい」
「よっしゃ、任せんかい!」
どん、と胸を叩いた中澤は目を閉じ意識を集中させる。するとその右手が紅く光り始めた。
「うりゃ!」
ぶん、と振った右手に光の粒子が集まる。
「うりゃ! うりゃ! うりゃ!」
ぶんぶん右手を振り回すと光の粒子はその量を増し、集まった光は中澤の足元でひとつの形を作り始めた。
まるで粘土でできたクレイアニメーションのように、光はグネグネとその形を変えてゆく。
そして──。
「んあー」
「な、なんや!」
「か、かわいい!!」
そこに生まれたのは、後藤に良く似た三頭身くらいの小さな少女。
透き通るような白い背中からは、可愛らしい羽根が3対生えている。
小さな天使は、地面にぺたりと座り込んだまま、ぼんやりと眠そうな顔でひとつあくびをした。
- 156 名前:クラブK 投稿日:2002年06月20日(木)21時05分11秒
- 「こ、これは……」
「これがショマキエルの本体よ」
「ええ!」
ガブリエルの言葉に吉澤は驚きの声を上げた。
「それじゃ、あのライオンみたいなのは……」
「あれはケルビムを使った、かりそめの体。
ショマキエルは大きな力を持った天使。それを生み出すためには普通のやり方では無理。
だからまず魂を受けとめるための器を作った。そこに後藤真希の魂を入れたわけ。
そしてようやく今、かりそめの体を脱ぎ捨てた真のショマキエルが誕生したのよ」
そんな会話を聞いているのかいないのか、
ショマキエルは地面に寝転んだまま、んあんあと手足をばたつかせている。
「なるほどな。今まで出合ったやつらは人間の体に天使の魂が入っとった。
それがごっちんの場合は天使の体に人間の魂が入っっとったちゅーことか」
「でも、なんでごっちんだけ」
中澤の言葉に吉澤が疑問を浮かべる。
「ああ、それはごっちんの魂がショマキエルを生み出すのに必要なものだったからだよ」
「ラファエル!!」
保田の大声に安倍は慌てて口を押さえた。
- 157 名前:クラブK 投稿日:2002年06月20日(木)21時06分55秒
- 「どういうことですか?」
「ちょ、ちょっと待って。後藤は……後藤はどこにいったんだよ!」
吉澤の疑問をさえぎるように市井が大声をあげる。
その声に天使二人は顔を見合わせて視線を伏せた。
「それが……彼女の魂の気配が消えているのよ」
「な、なんだって!」
「さっきまでは確かにごっちんの魂はここにあった。
それが急に消えちゃうなんて……。
本来こんなことはありえないはずなんだ。
もしかしたら、肉体に魂が戻っていったのかもしれないべさ」
「肉体に?」
「そう。ごっちんの肉体は別のところにあったんだよ。だから……」
「ラファエル。もしそれが本当だとしたらここでこんなことしている場合じゃないわ。
とにかく急いでもとの世界に戻りましょう。それに早くしないとこの世界自体が消えてしまうわ。
──ミカエル、聞こえる?」
気を失ったままの矢口の体を抱え上げ、保田は上を見上げた。
「ところで吉澤、聞きたいことがあるんやけど」
その姿を見つつ、中澤は隣の吉澤に言葉をかけた。
「なんですか?」
「あんたの願いって……なんやったん?」
「あ、そ、それは……」
口篭もる吉澤。それを見て中澤はきゅうっと眉根を寄せた。
- 158 名前:クラブK 投稿日:2002年06月20日(木)21時07分36秒
- 「予定通り。完璧です」
ショマキエルが生まれた事を聞き、紺野は薄く笑った。
「これで我々の目的はほぼ達成しました」
そう言ってまた唇を吊り上げる。
それは紺野という少女が浮かべた表情ではなく、おそらく憑依したものが浮かべたもの。
その笑みを見て、平家はなぜか嫌な予感がした。
「ということで、あなたの力が必要です」
そんな平家の気持ちを知るはずも無く、紺野は後ろを振り返って石川に言った。
「あ、あたし!?」
「そうです。あなたの愛の力で、吉澤さんをこちらの世界に呼び戻すのです」
「あ、愛!? む、無理だよぉ」
「彼女を助けたくたくはないのですか?」
「そ、そりゃあ……。でも、どうやって」
「それはですね──」
「大変よ、ラファエル!」
「ウリエル!」
さらに聞こえてきた新しい声に平家は頭を抱えた。
既にこの部屋には充分すぎるほどに人が溢れている。
それなのに……。
- 159 名前:クラブK 投稿日:2002年06月20日(木)21時12分02秒
- 「あれ? 福田さん」
高橋の声に平家は顔を上げた。
ふわふわとした白い服を着て、背中に大きな羽根を生やしたその人物。
小柄な体にショートカット。年齢にそぐわない落ち着いた雰囲気。
それは確かにモーニング娘。初期メンバー、平家にとっても懐かしい旧友、福田明日香の姿だった。
「あら? 明日香、あんた天使やったん?」
平家は間の抜けた声をあげた。
先程、紺野と飯田が話していた会話。
魔界の前公爵が『娘。』の誰かに憑依するだろうと聞いたとき、
平家はいまだ姿を見せない福田こそがそうなのだろうと考えていた。
それが天使として姿を現すとは。
「いいらさーーーーん!」
福田の後ろから飛び出した小さな影が、背の高い天使にむしゃぶりつく。
「お、なーんだ、辻。戻って来たんだ」
冷酷な天使は、初めて見せる柔らかな表情でお下げ髪をぐりぐりかき回す。
「あー! ののずるい! 飯田さんウチも!!」
お団子頭の天使も負けずに飛びついた。
- 160 名前:クラブK 投稿日:2002年06月20日(木)21時12分40秒
- 「しっかし、えらい人数やな」
平家はあらためて自分の部屋を見回した。
三人増えて人口密度はさらに上がっている。
この上狭間の世界のメンバーまで戻ってきたら……。
──窓ガラスは割るは、大勢で集会はするは……。もうこの部屋には住めへんねやろな。
引越しに掛かる費用の事を思い、平家の心はブルーに沈んだ。
「ウリエル、天界に残ったはずのあなたがどうしてここに」
「それが……」
突然、天使達の間に緊張が走った。
紺野と福田は油断なく辺りに目をやり、飯田は幼い天使をぎゅっと抱きしめ、
ニイニイとマコピエルは抱き合ってがたがたと震えた。
そんな天使たちの姿を見て、小悪魔松浦は悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「この気配は……」
「なるほど、ウリエルあなたが来たのはこのためですね」
「そう、いよいよ役者が揃いそうね」
- 161 名前:クラブK 投稿日:2002年06月20日(木)21時13分59秒
- 部屋の中央に黒い霧が渦を巻き始めた。
その中からひとりの少女が姿を現す。
長い髪、白い肌。
「そんな……なんであんたが……」
平家の口から思わず疑問の声が漏れる。
「ようこそ魔界公爵アスタロト。いえ、今は名前を譲って元の名前に戻ったのでしたね」
「そう、わたしはもうアスタロトではない」
紺野の言葉に少女はゆっくりと答えた。
「では、あらためてご挨拶いたしましょう。
ようこそ前魔界公爵、マキ・ゴットー様」
その挨拶を受けて静かに微笑んだその顔は、確かに後藤真希のものだった。
- 162 名前:クラブQ 投稿日:2002年06月23日(日)13時07分04秒
- (何やろ?)
重厚な空気を引き連れ、威厳を体全体から滲ませながら登場したマキ・ゴットー。
天界きっての猛者たちが瞬時に体をこわばらせ身構えたのとは対照的に、平家は、この魔界随一の力を持つであろう悪魔に、見えないやわらかさを感じた。
後藤が悪魔…その事実に抵抗があるないの問題ではなく、今目の前に存在しているのは、平家の知る、普段の後藤真希だった。
「ふふ…そんなに緊張することもないでしょう」
明らかに空気が変わり、まるでグレーの煙がくゆっているような室内。
その原因であるマキ・ゴットーが、まるで自分が原因であることを知らないかのように、微笑を携えて話し始めた。
「私がここを訪ねた理由…あなた方は勘違いしていらっしゃるのでは?」
「勘違いも何も、あんた直々に出てきたって事は、理由は一つでしょう!」
「そうですね、最終決戦というところでしょうか」
マキ・ゴットーが言い終わるや、メタトロンとミカエルが食って掛かる。
誰の耳にも、開戦のベルが聞こえた。
- 163 名前:クラブQ 投稿日:2002年06月23日(日)13時08分18秒
- ところが。
「だから、あなた方は勘違いしている、と言ったのです。
私は、あなた方と一戦交えようと思って来たのではありません。
さすがにこの数が相手では、こちらに勝ち目はありませんからね」
肩にかかる髪を払い、首を軽く左右に振り、マキ・ゴットーは室内を見回した。
ミカエル、ウリエル、メタトロン…天界の五本指の内の三本が揃い踏みという現状で、悪魔側に勝利の目はないと言うのだ。
「それでは、何のためにこんなところまで出向かれたのです?
配下の下級悪魔でも飛ばしておけば済む問題ではないのですか?」
眼光鋭く、すべてを見透かそうとしているかのような強気な態度でウリエルが言った。
マキ・ゴットーは動かない。
十秒ほどの沈黙の後、マキ・ゴットーは静かに言った。
「…どうですか、そろそろ終わりにしては?もうお疲れでしょう」
- 164 名前:クラブQ 投稿日:2002年06月23日(日)13時09分37秒
- 「……意味がわかりませんが」
ミカエルが静かに言葉を返した。
言葉とは裏腹に、その表情には、困惑の色は浮かんではいなかった。
「我ら悪魔族は、解放されたいのです。
悪しき存在として、我々は存在していたくはないのですよ」
「それが…」
メタトロンが吐き出そうとした言葉を、ウリエルが飲み込ませた。
マキ・ゴットーは続ける。
「勿論私に、天使側の望みなど分かりませんので、これは私の独り言として受け取ってください」
「…もう、天使と悪魔の存在理由はなくなったと思いませんか?」
「人間とは強い生き物です、作り出す際に神が予想したそれよりも、強大で強靭です」
「私たちは伝説として、架空の守り神として、記録として、生き残ればいいんじゃないでしょうか」
「珠には、天使と悪魔の消滅を願うのが、最も利口であり、正解であると思われます」
- 165 名前:クラブQ 投稿日:2002年06月23日(日)13時13分10秒
- ――――
「アタシは反対だね!こんだけいるんだもん、楽に浄化できるって」
「できるできないの問題ではないですよ、それに、もうすでに私たちに存在意義があるかは疑問です」
「そうね…信じてない人も多いだろうし」
「でも、いいなりになって消されるのよ、悔しいじゃないのよ」
「いやさ〜、なっちはまだ消えたくないべ〜」
石川の祈りによって狭間の世界から呼び戻されたガブリエルとラファエルを加えて、天使軍では話し合いが行われている。
各々の個性が強すぎるせいで、話し合いは難航しそうだ。
一方、祈りを終えた石川は、すやすやと眠りふけっていた。
石川を命の恩人として一生崇めていく事になろう吉澤は、率先して自分のひざを貸してあげていた。
その時石川の顔が赤く染まったのは、翌日三十八度五分をたたき出した熱の所為である。
さらにその隣では、中澤が吉澤にくだを巻いていた。
帰ってこれたと言う安心感からかビールが進み、ほろ酔いで上機嫌。
平家宅の冷蔵庫は、文字通り寒い状況になった。
「よっさんはぁ〜、アタシには言えへんようなイッヤーンなお願いでもしたぁん?」
「な、そ…んなわけないじゃないですか…」
- 166 名前:クラブQ 投稿日:2002年06月23日(日)13時14分48秒
- 「何やねんなこれは…」
後にも先にも、世界中のどんな場所でも見ることのできないような光景が広がっている我が家。
後にも先にも、世界中のどんな場所にもないような惨状で存在している我が家。
平家の目には、知らず知らずのうちに涙がたまってきていた。
―こんなツライ人生、イヤや…。
今までの思い出が走馬灯のように甦る。
ああきっと、死にゆく人にはこういう画が見えてるんだろうなと、平家の気持ちは半分天界へと飛びかけていた時、
「あ、ここはあなたの住まいでしたね?」
マキ・ゴットーが、やわらかい笑みを浮かべたまま、平家の隣に腰掛けた。
平家がうなずくと、
「部下の不手際、心からお詫びします。
この住まいの修繕は、もちろん致しますから」
今、もっとも聞きたかった言葉を聞かせてくれた。
「ホンマ!?」
「ええ、その程度は仕事の内に入りませんし、当然ではないですか」
今、確かに平家には神が見えていた。
- 167 名前:クラブJ 投稿日:2002年06月25日(火)01時26分38秒
- ドンガラ、ガッシャーン!!
束の間の平和は長く続かない…それはわかっていた。
わかってはいるが…
「自分ら!ちっとは悪魔のゴトーさんを見習えぇっ!!」
平家は堪らず声を上げた。
騒々しい音と供に再び、既に踏み場のない平家宅に再び舞い降りてきたガブリエルと
ラファエルはもんどりうった挙句に恋人同士抱擁する形で折り重なってしまったものだから、
体裁の悪さをごまかすためか、姦(かしま)しいことこの上ない。
「こら、ラファ重い!あんた、また太ったんじゃないの!」
「そういうガビィこそ顎の辺りがたるんでるっしょ!そういうの二重顎っつんだべ、二重顎!!」
「キィィィィッ!!あんたにそこまで言われる筋合いはないわよ!この田舎もん!」
「言ったなぁぁぁっ!!あんたの故郷もたいして変わんねぇべさ!この千葉の田舎もん!!」
「むがぁぁぁっ!もう許さぁん!」
「こっちこそ前からむかついてたべ!」
自分の言葉を聞いてか聞かずか、二人が矛を収める気配はない。
はぁ……
ほんまに、あんたたち天使ときたら…
悪魔の方がよっぽど礼儀を弁(わきまえ)えとるやないの…
- 168 名前:クラブJ 投稿日:2002年06月25日(火)01時27分10秒
- その悪魔、マキ・ゴットーは静かにことの成り行きを眺めている。
今なら、つけいる隙もありそうだがゴトーが手を出す気配はない。
次第に天使達の行動がその外観に一致してくるに連れ、平家のやるせなさも益々募ってくる。
天使に入られたことで、容器たる人間の日ごろの鬱屈が噴出し易くなったのだろうか。
安倍と保田の暴れようを見ては、そう感じざるを得ない。
それとも天使達というのはもともと、こんなに凶暴なのか…
さすがに見かねたミカエルが止めに入る。
「これこれ見苦しいですよ、お二人とも。メタトロンが笑ってるじゃないですか。」
争う最中の二人がその言葉に反応し、まず互いの顔を見合わせ、次いで件の天使に視線を寄越すと…
「ギャハハハハッ!おもしれぇ!もっとやれ!もっと!」
目を三日月形にして文字通り腹を抱えて笑うメタトロンの姿がある。
まったく、可笑しくて仕方がないと言わんばかりの大笑い。
つられて子分の辻加護も、
「ギャハハハハッ、おばちゃんプロレスやぁっ!」
「たっぷん、たっぷんだぁ!ギャハハハハッ!!」
品の悪い笑い方は親分譲りか。
まったく近頃のガキときたら…
- 169 名前:クラブJ 投稿日:2002年06月25日(火)01時27分41秒
- ガキといえば思い出したのは、もう二人のお子ちゃま天使、小川と新垣だ。
はて、連中は…
辻加護対おばちゃんペアの戦いとなり、さらに飯田の笑い声のピッチが上がるのを後ろに聞きながら、
平家は二人のチビ天使を探した。
いたいた。
ウリエルを囲んで、中澤、市井と高橋が真剣な顔でこれから為すべき処置を聞く、
その横に小川と新垣は座していた。
「ガブリエル達が3つの珠を取り戻してくれました。これで、時空の歪みをを元に戻すことができます。」
「そんで?吉澤の願いっちゅうのは?」
「まず、あなた達の入り込んでいた狭間と繋がっている空間を断ち切るのが先決です。
高橋さんと言いましたね?さぁ、ロンギヌスの槍を手にとって。」
「ロ、ロン毛娘。(ムス)?」
「いえ、ロンギヌスです。神の御子たるイエス・キリストを手にかけた槍の主、その者の名前です。」
緊張をほぐそうとしての軽口だったのか。それとも単なる訛りだったのか。
今や絶妙な方言トークをこなすその力量に平家の判断も鈍りがちになる。
- 170 名前:クラブJ 投稿日:2002年06月25日(火)01時28分18秒
- ともかく冷徹なウリエルに一蹴されて高橋も気を引き締めたようだ。
件の槍をしっかと握るとウリエルの目をまっすぐに覗き込み、次の指示を待つ。
「さすがに…”忠”の珠の持ち主だけありますね…あの気難しい槍が大人しく手に納まっている…」
ウリエルは一瞬、目を細めると、傍らの少し空気が澱んで光りを屈折して見せる空間の
周りに円を描いて見せた。時折、くぼみのように凹んで見えたり光りの加減によっては
黒く渦巻いて見えたりするその辺りをウリエルは示している。
「ここです。この辺りを…こう、スパッと…」
円月殺法っ!とどこで覚えたのか叫び声を上げながら、袈裟懸けで刀を振り下ろす真似を
すると、ウリエルは高橋に告げた。
「さぁ、今のうちに…」
高橋は槍を握って目を瞑った。
その様は、まるで槍と対話しているかのように見える。
いや、実際、高橋は対話まではできなくとも槍の鼓動を感じていた。
傍からは見えなくとも、高橋の手のひらには充分にその感触が伝わってくる。
ドク…ドク…
その声はまだ、まだだと告げている。
- 171 名前:クラブJ 投稿日:2002年06月25日(火)01時29分06秒
- 周囲は槍の穂先を恐れて近づかない。
新垣などはその小さな目を大きく見開いて事の成り行きを見守っている。
市井もTVの画面を通してしか見たことのない、その小さな女の子の一挙一動に
注意を集中した。
ドクン…
高橋は目を瞑ったまま両手で槍を掲げ上段から構える。
ドクン…来た!
ズサッ!
と空を一閃。
振り下ろされた槍の刃先が綺麗な弧を描くとその残像が虹のように煌(きらめ)いては、
やがてパラパラと銀粉のように崩れ落ち、風に乗ってキラキラと窓から差し込む光を反射
した。
「さぁっ!吉澤さん!」
ウリエルが叫ぶと同時に高橋の切り離した空間の傷跡が完全に塞がる。
その瞬間、8つの珠がうぉんうぉんと震え出したかと思うと、
ビュンと飛ぶように吉澤の頭上に集結した。
戸惑う吉澤のもとへ先ほどまで喧嘩していた天使の面々、そして悪魔のゴットーが小悪魔
松浦を肩に乗せ、神妙な顔つきで吉澤の顔を見つめている。
8つの珠は虹色に変化し、円形にぐるぐると回りながらその中心に近寄り、離れながら
互いの内部から発する光を強め、次第に白い輝きを増していった。
- 172 名前:クラブJ 投稿日:2002年06月25日(火)01時29分50秒
- 「さぁ!願うんだ!」
ゴットーの力強い叫び声。
だが、戸惑う吉澤。
「な、なにを願えばいいの?」
「簡単さ…君の望んでいたことを…」
いいの…
そんなことで…いいの?
「何でもいいから早くしろ!」
尚も戸惑う吉澤に浴びせられるメタトロンの罵声。
だが、それも今は聞こえないほどに吉澤は迷いに迷っている。
んあ…
先ほどまでぐったりと地面にへたり込んでいたショマキエルが顔を上げる。
その無垢な瞳に懇願するような色を見て取った吉澤は終に覚悟を決めた。
よし…いくよ…
頭上の珠が回転速度を上げていく。
吉澤の願いが深まるのと呼応するようにその加速が頂点に達しようとしたとき、
誰もが予想し得ないことが起こった。
- 173 名前:クラブJ 投稿日:2002年06月25日(火)01時30分35秒
- 「ショマキエルぅーっ!!」
一瞬の光芒とともにショマキエルが猛烈な勢いで円周運動を繰り返す珠の輪にぶつかっていった。
ラファエルの悲痛な叫びも虚しく、それは輪に衝突した衝撃であっという間に分解し、
赤い光の線を放射状に拡散する
そして白い光の輪も今や中心へ向かいその半径を狭めて行くと、最後には核融合でも
起こしたかのように大きな光を発し、ショマキエルの赤い光線をなぞるように白い
光を四方八方に送り出した。
もちろん、願いごとに集中する吉澤には見えない。
だが、感じてはいた。何か大きなエネルギーが突然ぶつかってきた衝撃を。
何かが…
その場に居合わせたもののすべてが吉澤を、そしてその場に起こるであろう変化に注視していた。
だが…
いつまでたっても、何かが起こる気配はなかった。
- 174 名前:ハートのQ 投稿日:2002年07月01日(月)00時31分40秒
- 互いの様子をちらちらと伺いあう重苦しい雰囲気に耐えかね、中澤が口火を切った。
「なぁ、よっさん。あんた、何お願いしたんや」
「え?えっとぉですねぇ……」
吉澤はあからさまに中澤から目をそらした。
聞き分けの悪い飼い犬のように視線をそっぽに向けながら
「こんな状態だから最初のお願いは撤回して……
元通りのいつものみんなになりますようにって」
中澤は周囲を見回した。
渋い顔、ぼんやりした顔、不幸な顔。
先ほどまで場を圧倒しあっていたオーラのような物は見えず、
憑き物が落ちたような、と言えなくもない。
中澤は自問した。
「これで元通り、なんか?」
「……ある意味は」
答えたのは紺野だった。
正確に表現すると、部屋の中ほどでぽーっと突っ立っている紺野の体に、
ピンボケでぶれた写真の絵のように二重影になって立つ、
きりりとした顔つきを持つ紺野だった。
- 175 名前:ハートのQ 投稿日:2002年07月01日(月)00時46分41秒
- 「吉澤さんの考える『みんな』の範疇には、我々は含まれてなかったようですが」
紺野の外見のままのミカエルの霊体が、紺野に重なるような振りを見せる。
「ほら、入れません」
「な、なんつー勝手な人間だぁっ!お前らの大事な天使様を無視かぁ!」
「落ち着くべさ!」
飯田から抜けたメタトロンがであーと叫んで吉澤に詰め寄ると、
なまりの抜けないラファエル安倍がディフェンスをかます。
およそ二倍に増えたメンツを前に、平家は諦め一面の爽やかな笑顔を浮かべた。
うちの家も範疇外か。わかっとったけど。
吉澤は後ろ向きにひっくり返った。
寝ているところをゴーストに襲われた映画ヒロインさながら、
のし掛かる半透明の人影を引っ掻いて大暴れしている。
小騒動の傍らで、後藤は家具やら何やらが散乱した床の上に座りこんでいた。
市井が声をかけた。
「あんたは……『どの』後藤?」
「あ゛?」
状況をつかめてるのかつかめてないのかの寝ぼけ顔であはぁと笑う。
「ごとーは、ごとーだよ」
その膝の上では、球の力から後藤の魂を再生した小さな大天使、
ショマキエルがぺたんぺたんとクロールをしていた。
- 176 名前:ハートのQ 投稿日:2002年07月01日(月)00時52分26秒
- 「まったく人間って存在は……」
悪魔公爵が自嘲気味の声を出した。
「私の積年を想いを簡単に蹴り飛ばしてくれる。何もかも簡単に台無しにする。
簡単に。どんな大事であっても、雀の首を折るほどに簡単に。
限られた時、限られた世界しか見えない小さい目の輩を喰らいながら
永劫の時を過ごさなければならないなら――」
「お前らがぼかーんと消えて無くなるのは勝手だけどな」
メタトロンがばちりと音の出そうな目で公爵を睨んだ。
「うちらは消滅したいなんて思ってないからな。
消えたいならいつでも消してやる。だから――」
「まぁーまぁー、人間の端くれとして言わせていただけばですなぁ――」
戦火の臭いを感じた平家が諸手をあげて注目を集めた。
- 177 名前:ハートのQ 投稿日:2002年07月01日(月)01時03分15秒
- 「人間はあんたら神さま悪魔様が思うほどは、強くなってはないと。
苦しいときには神様仏様おいなり様に頼るし、悪魔にだってすがってみせるわな」
「平家さんがいうと説得力ありますね」
福田のウリエルの言葉に、みなが頭を下げて同意する。
「な?あんたらがいなくなると困る人はぎょーさんおるねん。これホントやで。
せやから神様がいなくなるとか、スケールの大きい話は何もなかったことにして、
穏便に解散――
って事でお開きにしていただけると、うちの精神的にも社会的にも経済的にも
ありがたいんやけど」
「なかったことにして?」
天使たちが声をそろえる。
「なかったことにして」
平家が下がり眉の負け顔で懇願する。
「悪魔も天使も人間もごちゃまぜの世界のままで?」
天使の指導者、紺野の顔を持ったミカエルがさらに問う。
深夜の墓場に似た静寂の中で、中澤が言った。
「そんな世界でええやん、ロックっぽくて。うちら結構幸せやで」
- 178 名前:ハートのQ 投稿日:2002年07月01日(月)01時11分53秒
- 「悪魔のセリフじゃないけど、人間には呆れるわ……」
ガブリエルが天使とは思えない仕草でがりがりと頭を掻いた。
「ミレニアムからさらに千年を経ても、混沌を好むとはね」
まぁ、それもいいでしょう、とミカエルが言った。
「急いできめなければ行けない話でもないでしょう。
むしろ、この場の我々の一存で決められる事ではありません。
早まってはいけないと思いませんか?」
ミカエルは悪魔公爵に向けて話し続ける。
「我々はこれだけの時を過ごしてきたのです。
互いの国で大会議を開き、結論がでる間ぐらいは待てませんか?」
「そうですね――」
悪魔公爵が鷹揚に頷いた。
「私に似た魂を持つその天使の子が成人して、会議で発言するようになる頃までは。
酔夜の夢を見てると思って待つことはできるでしょう」
後藤は、んあんあ鳴いているショマキエルの胴を掴んで抱き上げた。
「これが会議?それって何年後ぐらい?」
ミカエルが答えた。
「ショマキエルの器の大きさを考えると、ニ、三百年ほど先でしょう」
- 179 名前:ハートJ 投稿日:2002年07月03日(水)22時24分11秒
- 「三百年か、もう会えないね」
その途方もない歳月を思い、後藤は腕の中で両手をばたつかせるショマキエルに呟いた。
「そうですね。ですが、その事に何の意味があるのでしょう」
後藤の呟きにミカエルが答えた。
「意味?もう会えなくなるんだよ。寂しくないの?」
後藤はミカエルに視線を移すと責めるような口調で言った。
後藤の言葉にミカエルは不思議そうな顔をしていた。
「寂しいとは、本来有るべきものが欠けた為に満たされぬ思いが生じる事を指します。
本来私たちは全く異なる存在、あなた方は現世、
私たちは天界に於いて独自の世界を確立した全く異なる存在です。
現在こうしている事自体が異常といえます。
故に、本来有るべき状態へと戻るという事は喜ばしい事なのです。
つまり、あなた方の現実において今回の騒動は
何の意味もなさない非現実的な夢のようなもの。
夢を見て寂しさ感じても、それは一過性のものであり幻のようなものです。
一時の感傷に何の意味がありましょうか」
ミカエルの言っている事に納得いかないのか、後藤らしからぬ真剣な眼差しを向ける。
「でも、もう私たちは出会ってしまった。これは、夢なんかじゃ片付けらんないよ」
- 180 名前:ハートJ 投稿日:2002年07月03日(水)22時26分17秒
- 険悪なムードが漂い、全員の視線が後藤とミカエルに集中する。
後藤の熱い眼差しにミカエルは困った表情をしている。
その僅かな沈黙を破るように意外な人物が声を掛けた。
「そうね。私たちにとっては永遠の時間の中の、ほんの一瞬の出会いだけど。
まぁ、あんた達は意外と面白い連中だったよ」
メタトロンはそう言うと、二人に向けてウインクする。
メタトロンの言葉に表情を揺るませると、ミカエルは顔を後藤にの方に向けた。
「そうですね。人は出会いを通じて成長します。
全ての出会いに意味があるのかもしれませんね」
ミカエルは後藤に笑顔で答え、和解を示すように後藤も微笑を返した。
「あっ」
今まで後藤の腕の中で二人を交互に見つめていたショマキエルが、
後藤の腕を振り払うと手足をばたつかせながら空中を泳ぎだした。
そして、ミカエルの腕の中へ飛び込んでいった。
途端に和やかな雰囲気になり、周囲に笑みが零れる。
そんな中、独り寂しそうにその様子を眺めている人物がいた。
「……うちは夢で片付けたいよ」
ぽつりと平家が呟いた。
- 181 名前:ハートJ 投稿日:2002年07月08日(月)22時00分10秒
- 「キャァァァァッ!!」
突然部屋の奥で、甲高い女性の悲鳴が上がった。
悲鳴の先に視線を向けると、松浦が石川の首に蛇のようにのた打つ赤い鞭を絡ませている。
「どうして!?」
ミカエルが驚きの声を上げる。
本来なら霊体と触媒は分離して力の行使が出来ないはずである。
ところがメフィストは未だに松浦に憑依していた。
大天使であるミカエルさえ出来ない事を、メフィストは事も無げに行なっていた。
「これな〜んだ」
松浦の首には、メタトロンによって付けられた制約の光るリングが巻かれていた。
「見える?そう、あんたがかけてくれたすんげぇ強力な<ギアス>の影響で、
私は今だにこの娘に縛り付けられてるってわけ。
力が強すぎるってのも考えものよねぇ」
「ちっ、そういうこと……」
そう言うと、メタトロンは悔しそうに舌打ちをした。
- 182 名前:ハートJ 投稿日:2002年07月08日(月)22時00分49秒
- 「えっどういう……」
合点がいかにガブリエルはメタトロンに説明を促す。
「つまり、吉澤が望む元の状態に私がかけた<ギアス>は含まれていなかった。
当然よね、彼女はそのことは知らなかったんだから。
そして、<ギアス>をかけた対象はこの小悪魔と松浦の両方なのよ。
ギアスの発動対象がこの娘と小悪魔の両方に及ぶように」
「あ、そうか、だから私たちのように憑依が解除されなかったのね。
文字通り、小悪魔を松浦に縛り付けてるってわけか……」
メタトロンの説明を受け、合点がいったように頷くガブリエル。
その様子を楽しそうに松浦は見つめていた。
「ぴんぽ〜ん。そして、よっすぃーのお陰で右手はこの通り。
ありがとう、感謝してるわ」
見事元通りに復元した右手を振りながら楽しそうに話す。
その表情からは、感謝の気持ちなど微塵も感じられない。
「チッ、やっぱりあの時消しておくんだったわ」
今更ながら、メフィストを始末しなかった事を後悔する。
或いは、ミカエルたちのように悪魔払いを行なっておくべきであったのだ。
しかし、メタトロンの性格上そのような間怠っこしい真似はまずしない。
- 183 名前:ハートJ 投稿日:2002年07月08日(月)22時01分41秒
- 松浦は、挑戦的な笑みを浮かべてメタトロンに目をやる。
「今からでもやってみる?無理だろうけどね」
「その通りね」
メタトロンは松浦の言葉を残念そうに肯定する。
「なんでや、あの時は手も足もでぇへんかったやんか」
中澤の問いに、メタトロンの変わりに松浦が答えた。
「わたし達は現世の人間の体を借りないと現世では力を行使できないの。
文字通り、私とあいつ等では次元が違うのよ。きゃはは」
「いちいち頭にくるわね。殺してやりたい」
「いや〜ん、あややこわ〜い。ぷっ、きゃはははは」
これまでの恨みを晴らすかのようにメタトロンを虚仮落とすと、
不意に真面目な表情を作りマキ・ゴットーに視線を向ける。
「それはそうと、アスラエル様の願いがそんな事だったとわね。
正直ガッカリだわ、失望だわ、笑っちゃうわ」
松浦は元上司であるマキ・ゴットーに侮蔑の視線を投げかける。
マキ・ゴットーは硬い表情で松浦に視線を向けていた。
- 184 名前:ハートJ 投稿日:2002年07月08日(月)22時03分46秒
- 松浦がマキ・ゴットーに気を取られている隙に、石川は身を捩り脱出を試みる。
しかし、強く縛り付ける鞭はより強く絡み付き体の自由を奪った。
「よっ、よっすぃー助け……ぐぅっ!」
声を出すと同時に首に巻きついた鞭が軋む音を上げて締る。
「勝手に喋るなよ。殺すぞ」
警告だと言わんばかりに締め上げると、直ぐに僅かに鞭を緩ませる。
石川は、漸く呼吸をする事ができ、涙目で喘いでいた。
「なっ、なんでや、うちらに危害加えとるやんか。
なんで<ギアス>とやらが発動せぇへんの?」
制約の内容は『私たちに危害を加えてはならない』だったはずである。
しかし、平然と石川を苦しめていることに疑問を感じ、中澤は疑問を口にした。
「それは、たぶんあの時の私たちと今の私たちが全く別物だからよ」
中澤の問いにメタトロンが答える。
「はっ?別物ちゃうやん」
しかし、今の説明では納得できず、中澤はさらに疑問をぶつけた。
- 185 名前:ハートJ 投稿日:2002年07月08日(月)22時04分23秒
- メタトロンは中澤を見ると、苛立たしげに説明を続けた。
「あ〜もう、面倒臭い!吉澤の願い、つまり『元通りのいつものみんな』とは
私たちが憑依する以前のみんなという意味に取れるの。
そうすると、憑依していた時の私たちは消えて以前の私たちとなる。
それは<ギアス>をかけた時の私たちとは別物と取れるのよ」
「なんやそれ、屁理屈やん」
「そうね、でもそれで十分なの。<ギアス>は<カース>とは違う。
対象の考え方一つで幾らでも逃げ道を作れるの。
例えば『パンを食べるな』という<ギアス>をかけたとして、
その本人がパンを知らなければ、例えパンを食べたとしても<ギアス>は発動しない。
つまり、本人の心掛け次第でどうとでもなるのよ。
こいつを甘く見ていた私のミスね」
中澤は漸く理解したのか黙り込むと眉間に皺を寄せて考えにふける。
しかし、良い考えが浮ばないのかうんうん唸っていた。
「はい、御講釈ありがとう。それじゃあ平家さん」
そう言うと松浦は満足げに頷き、平家に視線を移す。
「なっ、なんや」
突然話しを振られ、平家は警戒しながら言葉を返す。
松浦はにっこり微笑むと楽しげに言った。
「もう一度術をお願い♪」
- 186 名前:ハートJ 投稿日:2002年07月08日(月)22時05分08秒
- 「そっそんなん無理や。見てみぃ、部屋の状況を」
そう言うと、両手を広げて室内を見渡す。
室内は、天使たちの騒動によって無残な姿を晒していた。
「そうねぇ、アヤンプイプイ。これで如何?」
松浦は、右手を複雑に動かし呪文を発動させる。
すると、室内に旋風が巻き起こりビデオの巻き戻し画像を見るように
壊れたものが復元してゆき、本の場所へと収まっていった。
「ちなみに魔方陣の間違ったところも直しておいて上げたから。
生贄も沢山居るし失敗する事無いから安心して♪」
床に描かれた魔法陣も微妙に変化しており、それ自体が淡い光を放っていた。
平家は諦めたように肩を落とすと、真っ直ぐに松浦を見据える。
「わかった、でも術を始める前に一つだけ聞かせてくれへんか?」
「やだ、めんどい。さっさと始めなさい」
平家の願いを無下に断ると、石川に巻き付けていた鞭に力を込める。
「ふくぅっ!」
鞭は肉に強く食い込み、ギシギシと軋む音を響かせる。
- 187 名前:ハートJ 投稿日:2002年07月08日(月)22時05分56秒
- 「まっ、待ちぃや、これだけ聞かせてくれ。どんな願い事するつもりや」
平家は慌てて質問した。
松浦は仕方がないといった風に肩を窄める。
「仕方ないわね、言わなきゃ始めてくれそうに無いし。
私の願いはね、世界平和なの。
人類と魔界のみんなが一つとなって幸せね暮らせる世界。
素敵と思わない?」
「そうなん?素敵やん」
中澤が同意するように頷く。
そこへ、紺野が割って入った。
「ちょっと待ってください、それって……」
「そう、人間界と魔界の統合。これ以上の願いってある?」
紺野が言い切る前に松浦が言葉を続ける。
これまで松浦には散々騙されてきた平家も、
今回は本気である事が分かるだけに内心穏やかではいられなかった。
「そっ、そんなんできるわけ無いやん」
「やるの。さもないと」
松浦の袖の下から無数の黒い蛇が湧き出てくると、
部屋にいる現旧モーニング娘。のメンバー達に襲い掛かった。
- 188 名前:ハートJ 投稿日:2002年07月08日(月)22時06分30秒
- 「うわぁ、なんやこいつ、気持ち悪い!」
中澤は、手近にある物で蛇を叩き落とそうとする。
しかし、蛇の体を素通りして触れる事さえ出来ないでいた。
そのくせ蛇は中澤に絡みつくと強い力で締め上げてくる。
他のメンバーも同じように締め上げられ、身動きが取れないでいた。
「ねぇさん!」
「ぐっぐはぁっ!!あかん!うちらはどうなってもかまへん。
こいつの言いなりになったらどうなるか分かるやろ!」
「勝手に喋るなって言ってるだろ」
松浦がそう言うと、中澤に絡み付いていた蛇が太腿に牙を立てる。
途端にかまれた場所を中心に皮膚が浅黒く変色し、
立っている事も出来ないほど苦しみだした。
中澤はもはや喋る事も出来ないのか、苦しそうに呼吸を繰り返していた。
「その毒を解除できるのは私だけ、さっさと始めないとそいつ死ぬよ」
「わっ、わかった、言う通りにする」
中澤と松浦を交互に見ると、平家は意を決したように魔方陣に向き直った。
- 189 名前:ハートJ 投稿日:2002年07月08日(月)22時07分07秒
- 平家は呪文を唱え始めた。
一度目とは明らかに違い、一音言葉を発する度に体から力が抜けていくように感じた。
周囲に光が稲妻のように走り、正常に繋がった空間が再び歪曲し歪みが生じる。
そして、歪の中心に黒点が生じ、それは次第に膨張を始めた。
「ははっ、もうここまで来たら引き返せない!私の勝ち、あははははははは」
松浦は勝ち誇ったように高らかと笑い声を上げる。
松浦の瞳が淡い緑色の光りを放つと、平家の瞳にも同色の光りが宿る。
術に集中していた為に平家は容易に松浦により精神を侵食され、自我を失っていった。
平家は既に意識のない人形のように身動き一つせず、唯同じ言葉を繰り返して唱えていた。
その言葉に反応するかのように黒点はその範囲を広げてゆく。
その時、背後から花瓶が飛んできた。
松浦は振り向き様鞭で叩き落とす。
花瓶は派手な音を立てて二つに割れ、地面に落ちると砕け散った。
飛んできた先を見ると、両手に皿を持ったツジエルが睨みつけていた。
- 190 名前:ハートJ 投稿日:2002年07月08日(月)22時07分55秒
- それまで唯傍観するしかなかったメタトロンが口を開いた。
「そうか!ツジエルは下級天使だから尤も現世に近い存在。
力は弱い分、現世に対する影響力は強い!
だから、私たちと違い霊体でも多少の干渉力をもっているのね」
どうして今まで気づかなかったのか、ばつが悪そうな表情をしているが、
その口調は楽しそうでもあった。
「これでもくらうのれす」
ツジエルは、これまで取り付いていた人間の影響を強く受けているのか
舌足らずな言葉で言うと、ひょい、ひょいっと皿を投げ始めた。
「面白そうやな。うちにもやらせぇ」
それに加わるカゴエル。
部屋にはあらゆる家具が飛び交い、ことごとく破壊されていった。
その時平家は、家具が破壊される音で漸く我に返った。
正確には、ツジエル達の思わぬ邪魔の為、平家に対する精神感応が解けただけなのだが……。
「やっ、やめてくれ〜」
無常にも平家の叫びの空しく室内に響きわたった。
- 191 名前:ハートJ 投稿日:2002年07月08日(月)22時08分33秒
- 「あぁ〜もう!ウザイんだよ」
松浦は、飛んできたテレビを鞭で一刀両断すると、
そのまま返す手でツジエルに向けて鞭を撓らせる。
「あぁっ!!」
鞭は真っ直ぐツジエルの首へと飛んでいき巻き付いた。
松浦は鞭を手元に引きツジエルを引き寄せると、襟首を掴み目線が合う高さまで持ち上げた。
「なるほどね。確かに触れる事ができる。
くくく。あの時やり損ねたが今度こそ消えてもらうよ」
ツジエルは顔色を蒼ざめ、額に薄っすらと冷や汗を浮かべる。
松浦は口元を緩ませて、その様子を楽しげに見つめていた。
「そう旨くいくかしら」
ツジエルの背後から声がする。
見ると何時の間にかメタトロンがツジエルの背後に回っていた。
「良くやったよ、ツジエル」
そう言うと、ツジエルの背中に手を当て、呪文を唱え始めた。
「しまっ!!」
松浦が言い終わるか終わらないかのうちに光の首輪は一瞬弾け、そして消えた。
その瞬間、松浦と悪魔メフィストは分離し、松浦はそのまま意識を失った。
「<ギアス>は解除したよ。これであんたを好きに出来るね」
メタトロンは、憔悴しきったツジエルと抱きかかえて頭を撫でながら
メフィストを見下ろしていた。
- 192 名前:ハートJ 投稿日:2002年07月08日(月)22時09分03秒
- 先ほど迄部屋中蔓延していた蛇は姿を消し、石川も漸く鞭から解放された。
しかし、中澤の先程蛇に噛まれた左足は真っ黒に変色し、変わらず苦しそうに喘いでいた。
「ねぇさん!しっかりしぃ。おい、あんた、早う毒を解除しいや!」
平家はメフィストに掴みかかるが、その手は空しく空間を掻き毟るだけだった。
「ごっめ〜ん。あれ嘘。その毒ちょー強力であたしじゃ無理」
「おい、ふざけんなや。お前がやったんやろが、何とかしいや!」
メフィストの小馬鹿にした言い方に、平家は怒りに身を震わせた。
後藤はその様子を見ていたかと思うと、熾天使の方を向き直り言った。
「あの、さっきみたいに呪文で何とかならないんですか?」
「無理だね、さっきこの子を受け皿に解除呪文を唱えたけど、
それだけで霊力の内圧に耐え切れずに疲れきってるでしょ。
もし、もっと強い力を使ったら呪文が発動する前にこの子達が壊れてしまう」
「それじゃ……」
「ああ、残念だけど、そいつはもうダメだね」
人間よりも見習い天使達の方が遥かに大切なメタトロンは
ツジエル達に無理をさせるつもりも無く、そう言い放つ。
「まだ方法はありますよ」
ショマキエルを抱いたミカエルが言った。
- 193 名前:ハートJ 投稿日:2002年07月08日(月)22時09分40秒
- 「なるほど、ショマキエルを使うのね」ガブリエルが言う。
ミカエルは頷き、後藤に向き直った。
「後藤さん、ショマキエルは貴方の魂を温床とし誕生しました。故に貴方に強く引かれる」
「それって、あたしがその子のお母さんってこと?」
「広い意味ではそうです。故に貴方だけが人の身でショマキエルに触れる事が出来るのです。
ここからが重要なのですが、狭間では私たちはその力を使う事が出来ます。
そして、貴方とショマキエルの引き合う力を利用すれば出入りは自由に出来ます。
そして不本意ながら狭間との接点は発生しています。しかも完全な形で」
そう言うと、魔方陣の上で穿った黒点に目をやる。
「それじゃ……」
「はい、その女性を一度狭間へと運び、
治療を施してこちらへ連れ戻せば助ける事ができるでしょう」
ミカエルの言葉にその場にいる全員の表情が明るくなる。
「あたしは何をすればいいの?」
「ショマキエルの事を考えていてください」
そして、天使達は中澤を抱え、その姿を消した。
次の瞬間
「ただいまぁ〜。いや〜ごっつ〜心配かけたなぁ。すまんすまん」
中澤は天使達と共に元気な姿で戻ってきた。
「はやっ!」
全員の声がハモった。
- 194 名前:ハートJ 投稿日:2002年07月08日(月)22時10分28秒
- 「さて、こいつ如何しようか」
メタトロンの呼び声で、全員の視線がメフィストに集中する。
その声に呼応して、天使たちとは逆方向を向いて進んでいた足がピタリと止まる。
「あは、あはは……見つかっちゃった?」
戯けて誤魔化そうとするメフィストの周りを天使達は素早く取り囲む。
そこへ、マキ・ゴットーが天使達を割って入ってきた。
「すみません。ここは私に任せてください」
マキ・ゴットーはメフィストに高圧的な視線を投げ掛ける。
「よくも、さっきは好き勝手言ってくれたわね」
「いや、あの時は……てへっ♪調子に乗ってごめんなさい♪」
滝のように汗を流し、真っ青な顔でメフィストは言った。
マキ・ゴットーの瞳がキラリと光る。
「地獄に行って反省しなさい!!」
マキ・ゴットーの右手にオーラが漂い、やがて形となる。
それは巨大ハリセンとなり、思いっきり振りかざすとメフィスト目掛けて振り下ろした。
巨大ハリセンはメフィストの頭に命中すると凄まじい音を上げて弾き飛ばす。
「あ〜れ〜」
メフィストは、そのまま地獄へとまっさかさまに落ちていった。
- 195 名前:ハートJ 投稿日:2002年07月08日(月)22時13分58秒
- メフィストが地獄へ落ちていく様を見届け、中澤は漸く一息ついた。
平家に振り向き様手を振ると、そのまま冷蔵庫のあるキッチンの方へと向う。
「いや〜、松浦も元に戻ったし一件落着やな。みっちゃん、ビールもらうよ」
「待ちぃや、どうすんねん、あれ」
平家が指差す方向には、今だ微光を放つ魔方陣があり、
その上で空間を切り取ったようにほっかり開いた黒点が浮かんでいた。
ミカエルは黒点に視線を向けると困ったような顔をする。
「……如何しましょうか?」
その場にいる全員が、術の途中とはいえ既に引き返せない状況の為に
どうする事も出来なくなった黒い穴を見上げていた。
「……なぁ、あれってどういう状態なん?」
「はい、あれは術の第一段階が終了し、異界への緩衝空間が形成されているのです。
後は生贄を捧げてゲートを出現させるだけ……」
「それで悪魔が呼び出されるんやな」
「いいえ、呼び出されるのは『宇宙』です」
「……なんで?悪魔ちゃうん?」
「先程メフィストが魔方陣を書き換えたに召喚対象も変えられたのです。
宇宙とは私たちが父上と呼び、あなた方が神と呼ぶ存在の別の姿。
この世を決定した『偉大なる意思の集合』の事です」
- 196 名前:ハートJ 投稿日:2002年07月08日(月)22時14分52秒
- ミカエルの話を聞き、中澤達は半ば呆然と立ち尽くす。
その静寂を打ち破るように室内に声が響いた。
「あたしに考えがあるべ」
声の先には、ラファエルが真剣な表情で魔方陣を見つめていた。
その声に驚き、ガブリエルは慌ててラファエルに詰め寄った。
「まさか!ダメ!!そんな事絶対に許さないよ!!」
「もう決めた事だべ、元々そのつもりだったし」
そう言うと、ガブリエルの制止も聞かず、ラファエルは魔方陣の中央へ向かう。
「ラファ!ぐっ!」
ラファエルを捕まえようと伸ばした腕が火花を散らし弾かれる。
この場の霊体である者全てがラファエルの周囲に張られた結界により近寄れずにいた。
ラファエルは正面を見据え、両手を顔の前で動かしながら朗々たる声で何事か唱え始める。
周囲に幾つもの光が衝突し、それは白い霧状に変化すると周囲を渦巻いた。
その様子を見つめながら、ミカエルはが口を開いた。
「ガブリエル、ラファエルは何をするつもりなんですか」
「ラファは禁忌を犯そうとしているのよ」
「まさか!!」
ミカエルは驚きの声を上げる。
ガブリエルは悲しそうな顔をすると静かに頷いた。
「緩衝空間を消し去る事で、術を無力化する気なのよ」
- 197 名前:ハートJ 投稿日:2002年07月08日(月)22時15分42秒
- ラファエルが唱える術は形となり始め、白い霧は透明な障壁となり
完全にラファエルを外の世界からを断絶する。
その様子を食い入るように見つめながらミカエルは言った。
「そんな事、神はお許しに成られません。
何かを破壊する事は許されても消滅させる事は絶対に許されない。
もし行なえば……例え私たちでも罰を受ける事になります」
ラファエルが唱える呪文の声が高まると同時に空間がそのものが縮小していく。
「それでもやっちゃうんだよねぇ。あの子優しすぎるから。不器用な子だよ」
その様を食い入るように見つめながらメタトロンが呟く。
突然、何も無い空間から突如伸びてきた鎖がラファエルの四肢を貫くと、
全身を這い回り絡め取る。
ラファエルは、徐々に身動きが取れなくなり、苦痛で表情を曇らせる。
鎖は尚もその数を増やし、蛇の様に蠢きながら幾重にも重なり会う。
その都度、ラファエルは顔を歪めるが途切れる事無く呪文の詠唱を続けた。
- 198 名前:ハートJ 投稿日:2002年07月08日(月)22時16分35秒
- 唐突に詠唱が止り、辺りが静まり返る。
ラファエルは首だけを動かしガブリエルを見ると声を掛けた。
「ごめんねガブリエル。でも、これしか方法が無いんだよ。
あの時はあの子を助ける為にはこれしか方法は無かったべ。
必至になって玉を集めたのもより完全にあの子を救うためだべ。
結局ミカエルのお節介でその必要がなくなったけどね。
でも今はあの時とは状況が違いすぎるべ。
術を解除するにはこの方法しかないんだべさ」
「他にも方法は幾らでもあるよ。きっと私が見つけてみせる」
ガブリエルの言葉に弱々しく首を振る。
「無いよ、分かってるべ。父上には後で謝るからさ、後の事は任せたよ。
それじゃ、サヨナラだべ」
そう言うと、再び正面を向き直る。
そして、最後の呪文を唱えた。
一瞬、部屋がまぶしい閃光に包まれ、全ての空間が正常化する。
部屋に穿った黒点は消滅し、床に書かれた魔方陣も消えていた。
そこには、ラファエルの姿は無かった。
- 199 名前:ハートJ 投稿日:2002年07月08日(月)22時18分19秒
- 辺りはシーンと静まり返る。
「なんや、何が起きたん?」
何が起こったのか理解できず、中澤がミカエルに説明を求めた。
「一度始められた術は、如何なる者でも無効にすることは出来ないのです。
その為、最初の時も術を完成させなければ成りませんでした。
ですが、今回はそう言う訳にはいかないのです」
「何でや?」
「願いがなされているからです。
そのワードは既に平家さんによって唱えられてしまいました。
その為、ラファエルは術が及んでいる空間を消滅する事で術を無力化したのです」
「空間の消滅って……それでラファエルとやらはどうしたん?」
「何かを消滅させると言う事はその存在そのものを消すと言う事です。
その為に過去、現在、未来においで多大な影響を及ぼしてしまうのです。
ですので消滅という行為は究極のタブーとされているのです。
そしてラファエルはその禁忌を犯してしまいました。
故に、その罰を受けねばなりません」
そう言いながら、辛そうに顔を背ける。
そして、一呼吸置くと言葉を続けた。
「今回の事で時間軸にズレが生じてしまいました。
私たちはこの後数百年は時間軸の修正に負われる事になるでしょう」
- 200 名前:ハートJ 投稿日:2002年07月08日(月)22時19分27秒
- 誰もが押し黙り、室内には重苦しい空気がこの場を支配していた。
そんな中、最初に口を開いたのはメタトロンだった。
「全く、勝手な奴だね。それじゃみんな、帰るよ」
下位天使たちはメタトロンの号令に頷き、周りに集まった。
そして、下級天使を連れてメタトロン、及びウリエルは、この場姿を消した。
続いてマキ・ゴットーも、
「それでは私も、皆さん、地獄に来られた折は是非私の館へとお立ち寄りください。
お茶ぐらい出しますよ」
と不吉な言葉を残して一礼すると煙のように姿を消した。
残っている天使はミカエル、ガブリエル、ショマキエルだけとなった。
「んあんあ」
ミカエルの腕の中で手足をばたつかせ、後藤の方を向いて声を上げる。
後藤は近づくと、ショマキエルの小さな手を握った。
「じゃあね、ショマちゃん。元気でね」
別れを告げる後藤の瞳に薄っすらと涙が滲む。
そして、掴んでいた手を離すと、そのまま手を振って別れの挨拶をした。
「んあー」
ショマキエルも別れを感じ取ったのか、同じように手を振って答える。
- 201 名前:ハートJ 投稿日:2002年07月08日(月)22時20分00秒
- ミカエルは全員に視線を向けると、別れの挨拶をする。
「皆さん、お騒がせしました。犠牲も最小限に止める事ができて何よりです」
つい先ほど迄同じ体を共有していたからか、ミカエルの言葉に安倍の心境は
穏やかでは居れられなかった。
「ちょっと、そんな言い方ってないんでないの。
ラファエルさんのお陰で私たち助かったのに、
もうちょっと悲しんであげたらどうなのさ」
凄い剣幕で捲くし立てる。
「私たちとて悲しくない訳ではありません。
ただ、皆さんとは感情の表し方が違うだけです。
ですが、不適切な発言だったのかもしれませんね」
そう言い、ミカエルは頭を下げる。
そして、優しく微笑むと彼女の周囲がぼんやりと輝き始めた。
「それではお世話になりました。皆さんに神の御加護がありますように」
ミカエルを取り囲む光は、並んで立つガブリエルをも巻き込むと、
ミカエル、ガブリエル、ショマキエルは光と共にその姿を消した。
- 202 名前:ハートJ 投稿日:2002年07月08日(月)22時21分12秒
- 賑やかな連中が消え、再び室内を静寂が支配する。
「終わったね」
その沈黙を打ち破るように吉澤が口を開いた。
「うん、でもなんかさぁ、後味悪いよね」
「そうだね……」
後藤の答えに吉澤が相槌を打つ。
「よし!うちらは帰るとするか」
膝を一つ叩き気合を入れると、中澤が言った。
他のメンバーも同意するように頷く。
「っと、その前に、なぁみっちゃん。吉澤の願いって結局なんやんたん?」
「あぁ、それな、実はな……」
平家は、中澤に近づくと耳打ちする。
「あぁっ!!待ってください平家さん!!」
慌てて止めるが間に合わず、中澤は突然噴出した。
「ぶっ!はははは、なんや、そんな事やったんか」
にやけながら吉澤に近づくと、肩をぽんぽんと叩く。
「悪いな吉澤。うち、もう娘。には未練ないねん」
中澤に言われて顔を真っ赤にする吉澤。
「もういいです。さようなら」
そう言うと、部屋から飛び出し玄関へと向かう。
他のメンバーも吉澤の後に続いた。
そして、彼女たちは解散した。
- 203 名前:ハートJ 投稿日:2002年07月08日(月)22時21分42秒
- 平家は、モーニング娘。の皆が帰るのを見送ると、玄関を閉じ鍵を締めた。
「はぁ〜っ、今回のオフはいつも以上に疲れたな」
明日からまた忙しい日々が始まる。
忙しいが、予測不可能な事など起きない平和な日常を心から喜んだ。
今夜はぐっすりと眠って疲れを癒そうと、伸びをしながら寝室へと向う。
そして、リビングに足を踏み入れた瞬間その足が止った。
そこで見たものは、ツジエルたちによって散々に散らかされた部屋の無残な様子だった。
「しまった。それであいつらそそくさと帰ったんか」
部屋の惨状を目の当たりにし、がっくりと肩を落とす。
結局その日は部屋の片付けの為に一睡も出来なかった。
- 204 名前:ハートJ 投稿日:2002年07月08日(月)22時22分21秒
- 「はぁ〜、今日も疲れたわぁ」
徹夜ながらも何とか仕事を終え、疲れた体を引きずって家へ帰りついた。
玄関に鍵を差し込み、鍵を外すと玄関を開けて中へ入る。
「ただいま〜。つっても誰もおらへんか。寂しいわぁ、彼氏つくろっかなぁ」
溜息をついてブーツを脱ぎ揃える。
そして、玄関を上がるやいなや突然声を掛けられた。
「あっ、お帰りなさい」
そこには、満面の笑みを浮かべたミカエルが立って、平家を出迎えていた。
「ブッ、あんた、ミカエルやん。なんでここにおんの?」
「はぁ、度重なる術の影響でこの部屋に独特の力場が出来てしまったんです。
それで、私たちもこうして自由に出入り出来るようになったんです」
「そう……」
ミカエルの答えに平家は引きつった笑みを浮かべると力なく笑った。
「はい、ですので僭越ながら私もお邪魔させて頂いております」
ミカエルの言葉に平家は、はっとした表情を浮かべた。
『私も』と言った事に気づき、慌ててリビングに駆け寄る。
- 205 名前:ハートJ 投稿日:2002年07月08日(月)22時23分41秒
- リビングでは、卓袱台を囲んでメタトロンとマキ・ゴットーが茶を啜っていた。
「ブッ、あんた悪魔やん。なんで天使と一緒に茶飲んどるんや」
「ほら、魔界と天界の行き来って物理的に不可能だからさ。
こうしてここで話し合いをしようと思って。あっ、お茶は持参だから」
そう言うと、一口お茶を啜り、これまた持参の茶菓子に手を伸ばす。
「ちっ、ろくなものがねーのれす」
ふと、キッチンより声が聞こえる。
半ば諦めたようにキッチンに目を向けると、ツジエルとカゴエルが冷蔵庫を漁っていた。
「ちょっ!なんであんたらまでここに、っていうか人ん家の冷蔵庫を勝手に漁んな!」
「ちっ、心のせめー人間なのれす」
「全くやな」
下級天使は悪態つくと音をたてて冷蔵庫を閉める。
両手一杯の食べ物を持って。
一方、悪魔と熾天使は茶を啜ると話を続けた。
「……それで、隣りのミキッティちゃんにこう言ってやったんですよ。
『そのチョコレートは爆発するから気をつけなさい』って」
「ぎゃははは、それ傑作」
「……それが天使と悪魔の会議の内容ですか?っていうか、面白いか?今の……」
そう言うと、平家はがっくりと肩を落とした。
己の不孝を嘆きながら。
- 206 名前:ハートJ 投稿日:2002年07月08日(月)22時24分39秒
- 平家はすっかり和みムードで、半場諦めて部屋を眺めていた。
その時、空間が捩れ、ガブリエルが姿を現した。
ショマキエルを抱いて。
「みんな、ちょっと聞いて」
「どうしたの?そんなに慌てて」
「ちょっとこれを見て欲しいんだけど」
と言うと、小脇に抱えてた古い羊皮紙の紐を解くと卓袱台の上に広げた。
「ここに書いてあるでしょ。魔界と天界は死せる者の道筋で繋がってるのよ」
「それが?」
「うん、それでね、ここを読んでみて」
そう言うと、別の羊皮紙の紐を解いて皆に見えるように広げる。
「あっ!これって……」
「そう、罪人が幽閉される虚無の牢獄は尤も深き場所ある。
その道筋は死せる者の道筋と複雑に絡み合ってるのよ」
「そうか、その道筋を辿れば……いえ、無理よ。
例え虚無の牢獄にたどり着いても戻ることは絶対に出来ない」
「普通ならね。でも、“魂の導き手”であるショマキエルの力を使えば……」
ガブリエルは、メタトロンとミカエルに満面の笑みを向ける。
「確かに可能性はありますね」
ミカエルは羊皮紙を覗き込むと、頷きながら言った。
- 207 名前:ハートJ 投稿日:2002年07月08日(月)22時25分40秒
- 「んあー」
ガブリエルの腕の中でバタバタと体を動かしている。
「ショマキエルも協力してくれるって」
その様子を眺めながらメタトロンは立ち上がった。
「出来るかも知れないね。おっけー私も協力するよ」
そう言うと、ガブリエルに向けて微笑みかける。
「僭越ながら、私もお手伝いします。
このような事になったのも私たちにも責任がありますから」
そう言ってお茶菓子セットを片付けると、悪魔であるマキ・ゴットーは立ち上がった。
その様子を黙って傍観していたミカエルは、悲しそうに首を左右に振る。
「……だめです。そのようなことを父上はお許しになりません」
「父上には後で謝る」
ガブリエルはそう言い切ると、真剣な眼差しでミカエルを見詰めた。
「ふっ、仕方ありませんね」
「それじゃ……」
「はい、私も協力します」
そう言うと、ミカエルは頷いた。
- 208 名前:ハートJ 投稿日:2002年07月08日(月)22時26分32秒
- 突然、天井より声が聞こえた。
『皆さん、何勝手に決めてるんですか。
時間軸の修正をわたし一人にやらせるつもりですか?』
「あっ、ウリエル。聞いてたの?」
天の声に対し、ガブリエルが答える。
「ウリエルそういうの得意じゃん。後は任せた!!」
「すみません。この埋め合わせはいつか必ず……」
天に向かってそう言うと、僅かな沈黙か訪れる。
そして、暫くして再び声が聞こえた。
『はぁ、また私が留守番か……。
早く帰って下さい。長くは待てませんからね』
「分かった。後の事よろしく」
ガブリエルは、満面の笑みを浮かると天の声に答えた。
そして、部屋で呆然とし立ち尽くしている平家に全員が視線を向ける。
「それではお邪魔しました」
ミカエルの言葉を合図に、四人の天使と一人の悪魔の姿はぼやけ、そして消えた。
- 209 名前:ハートJ 投稿日:2002年07月08日(月)22時27分42秒
- 平家は、天使と悪魔が去った後をぼんやりと眺めていた。
途端に口元が緩み、笑みが零れる。
「ふ……ふふふ……やった〜!これで平穏な日々に戻る!!」
「なに騒いでるんれすか!おばちゃん、メロンパン買ってこい!」
「あっ、うち、きりりな。きりりと買ってこい。ププッ、聞いたかツジエル。
きりりをきりりと買ってこい。うちは相変らずおもろいなぁ」
「つまんねーのれす」
声がするキッチンにゆっくり視線を移す。
そこには、食材を両手に持ったツジエルと、
冷蔵庫を開けて次の獲物を物色してるカゴエルの姿があった。
不意にカゴエルの手が止ると、ゆっくりとツジエルの方に向き直る。
「あっそれは……」
カゴエルの手には、大事に少しずつ飲んでいた銘酒『紫式部』が握られていた。
平家の額に嫌な汗が流れる。
「なんやてぇ」
カゴエルの叫び声と同時に銘酒『紫式部』は放物線を描くと、
壁にぶち当たり派手な音を立てて砕け散った。
「おっ、やるのれすか?」
それを合図に、前回の被害を逃れていた食器や椅子が宙を舞う。
その殆どが原型を失っていく中、平家の額から何かが切れる音がした。
「てめぇら帰れぇ!!」
- 210 名前:ハートJ 投稿日:2002年07月08日(月)22時28分12秒
―完―
- 211 名前:クラブK 投稿日:2002年07月10日(水)23時50分45秒
- マルチエンデイング その1
- 212 名前:クラブK 投稿日:2002年07月10日(水)23時54分46秒
- >>180から
「ところで、よっすぃーの願いってなんだったの?」
「あ…それは……」
人差し指を口元にあてて訊ねる石川の質問に、吉澤は言葉を濁す。
「なんや、やっぱり人に言えんようなお願いやったんか? ん?」
「中澤さん、顔がいやらしいです」
何を想像したのかにやにや笑う中澤に、新垣が真顔で突っ込む。
「そんなんやないねん。よっすぃーの願いは……」
「平家さん!」
真剣な口調に、新垣の頭をこねくり回していた中澤も思わず手を止めた。
「ええやんか。ここにいるメンバーはあんたの仲間やろ。
何を聞いたって、きっとあんたの味方になってくれるはずや」
「…………」
「そうだよ、あたしたち『モーニング娘。』だろ。仲間を信用しろって」
現リーダーの励ましに吉澤はおずおずと口を開いた。
「あたしの願い……。
あたしは……あたしはお母さんに会いたかったんです」
- 213 名前:クラブK 投稿日:2002年07月10日(水)23時55分48秒
- 「え? お母さんって……。よっすぃーのお母さんはちゃんと……」
不思議そうに矢口が尋ねる。吉澤は辛そうに首を振った。
「違うんです。今の母親は本当のお母さんじゃないんです。
戸籍上は本当の親子になってますけど」
「どういうこと?」
「あたしのお父さんには、昔付き合っていた人がいたんです。
籍は入れていなかったけど、一緒に暮らしてて。
そして、あたしが生まれたんです。
でも、あたしを生んですぐにその人はいなくなってしまって。
その人は自分の事を何も話さなかったそうなんです。
家族の事も、どこで生まれたのかも。
生まれたばかりのあたしを抱えたお父さんは、その後すぐに今の母親と出会って……。
そして二人は結婚したんです」
「そんなことが……」
沈痛な面持ちで保田がぽつりと言う。
突然の告白に、部屋の中はシンと静まり返っていた。
- 214 名前:クラブK 投稿日:2002年07月10日(水)23時57分05秒
- 「あたしも最近まで知りませんでした。
16の誕生日のときに初めて聞かされたんです。
今のお母さんにも感謝してます。
あたしを実の子として引き取ってくれて……。
でも、会いたいんです。
本当の……お母さんに……」
唇を噛み締める吉澤に言葉をかけるものはなかった。
辻と加護は口をへの字にしたまま、お互いの手をぎゅっと握り締め、
ぼろぼろと涙をこぼす小川の肩を、紺野が優しく抱き寄せる。
「ねえ天使さん達、どうにかしてあげられないの? よっすぃーのお願い」
後藤に聞かれたミカエルは静かに首を振った。
「残念ながら、それは難しいですね。
いくら我々の力を使っても、これだけの手がかりでその人を見つけ出す事は……」
「そんなぁ、ほやったら吉澤さんがひっでもんにかわいそうやざ」
大きな目を見開いて高橋がまくし立てる。
- 215 名前:クラブK 投稿日:2002年07月10日(水)23時58分39秒
- 「叶えてあげてもいいわよ。その願い」
その言葉に一同の注目が集まった。
視線の中心で猫目の大天使は不敵に微笑む。
「もっとも、願いはもうかなってるとも言うけどね」
「……どういうことですか?」
「あんたはもうその母親に会ってるってことさ」
「え!? そんな! そんな人どこに!」
迫る吉澤をするりとかわし、ガブリエルは右手を伸ばす。
「あんたの母親は……あそこだよ」
伸ばされた指の先、そこには──。
「……まさか、なっちが吉澤さんの母親だったなんて……」
「ひ、ひどいべさ、福ちゃん! なっちこんな大きな子供なんていないもん!」
「……そっちじゃないわよ。よく見なさい」
ガブリエルの指は室蘭の天使の向こうに透けて見える、本物の天使を指差していた。
- 216 名前:クラブK 投稿日:2002年07月11日(木)00時00分49秒
- 「まさか……ラファエル、あなたが……」
「そういえば、十数年前にいざこざを起こして天界を飛び出した事があったな」
ウリエルは眉をひそめ、メタトロンは腕を組んでむう、と唸った。
「そう、あの時わたしは天界を飛び出していた」
俯いたまま、『癒しを行う者』と呼ばれた天使はゆっくりと言葉をつむぐ。
「天使にとっての禁忌を犯して……。わたしは…人間の男性に恋をしていた……」
ラファエルは顔を上げた。吉澤の目を真っ直ぐ見詰める。
「ごめんなさい。わたしはあの時あなた達を捨てた。
結局わたしは、天使としての職務を……ほおっておくことができなかった」
「ガブリエル、あなたは知っていたのですか? このことを」
「ええ、だってあの子を天界に連れ戻したのは……あたしだったんだから」
苦々しそうに、ガブリエルは呟いた。
- 217 名前:クラブK 投稿日:2002年07月11日(木)00時03分16秒
- 「もちろん、ずっとあなたの事は陰から見守っていたわ。
バレーをがんばっていたときも。芸能界に入ることを決めたときも。
……今回の件にあなたが関っている事を知って、我慢ができなくなった。
もちろん、直接会う事が規則違反なのはわかっていた。
でも、どうしても……一度だけで良いからあなたに会いたかった。
わたしの…………娘に」
「お母さん!」
感極まった吉澤は、母親の下に駆け寄った。そして、その胸に飛び込もうとする。
しかし──。
- 218 名前:クラブK 投稿日:2002年07月11日(木)00時04分09秒
- 「ごめんなさい。今のわたしは、あなたを抱きしめてやる事もできないの……」
霊体のままの天使は寂しげに笑った。
「そんな……あたしが……あたしがあの時あんな事願ったから……」
ぺたりと吉澤はその場にしゃがみこんだ。
「ひどいよ……。ひどいよ! こんなことって!」
唇を噛み締めた後藤が、市井の肩に顔を埋める。
その髪をなでてやりながら、市井はミカエルに話し掛けた。
「どうにかならないの? ほんの少しだけでもさっきのように乗り移ったりしてさ」
「無理です。こうなってしまっては、もう元には……」
「そんなぁ! 何か方法はないんですか!?」
石川も必死で詰め寄る。
「方法ならあるで!」
新たなる登場人物の声に、全員がいっせいに振り返った。
- 219 名前:クラブK 投稿日:2002年07月11日(木)00時06分42秒
- …………今の声は…………。
驚きの表情を浮かべる天使たちと対照的に、
現旧のモーニング娘。たちは嫌な予感に顔をしかめた。
「それもとびっきりの方法がな」
現れた人物……それは。
「ジーザス……ジーザス・クライスト。どうしてあなたが」
「なんやて!」
ミカエルの言葉を聞いて、中澤がいきり立つ。
ジーザス・クライスト。
ナザレの大工の子として生まれた、世界最高の宗教家にして救世主。
「ジーザス・クライストってキリストさんのことやろ!
それが何でこの人やねん!」
「おいおい、ひどい言い草やな」
「だって……なんで……なんでつんくさんが!」
その人物は金色に染めた髪を振り、色つきのサングラスをくいっとあげた。
- 220 名前:クラブK 投稿日:2002年07月11日(木)00時07分26秒
- 「まあ、相性が良かったちゅーんかな。魂の形が似てたんやな」
「……嘘や。キリストゆーたら、キリスト教作っためっちゃえらい人やのに……」
「おう、そうや。既存の宗教を否定し、自らの手で新しい道を切り開く。
………ロックやないかぁ」
あきれた顔の中澤に、キリストはにやりと笑ってみせた。
「あの……それで、方法って言うのは……」
毒気を抜かれて泣く事も忘れていた吉澤が、思い出したように聞く。
「おお、そうや。おい、ミカエル。おまえなら分かるやろ。
その手の中のもんの価値が」
「……まさかショマキエルを使うのですか」
ミカエルの腕の中でじたばた暴れていたショマキエルは、注目を浴びた事に気が付いたのか、
んあ、と声を出した。
「もうここまできたからぶっちゃけて言わしてもらうけどな。
今回の件、ショマキエルを生み出すために利用させてもろた。
そこにいる後藤真希。天使と悪魔双方の魂を持つ稀有な少女を使ってな」
「あ、あたし!?」
「ちょっと待てよ。俺はそんなこと聞いてないぞ」
食って掛かるメタトロンを無視し、インチキ臭い救世主は話を続ける。
- 221 名前:クラブK 投稿日:2002年07月11日(木)00時13分03秒
- 「天子の心、悪魔の魂、そしてヒトの肉体。その全てを兼ね備えし者。
其は天界と人界を繋ぐ者。
魂の運び手にして生命の創造主」
言葉を切り、ぐるりと辺りを見回す。
「ショマキエルは天界から人間界に魂を下ろし、それに肉体を与える。
ま、簡単に言うと天使を人間に変えるっちゅーわけやな」
「な、なんだって!!」
ミカエルを除く天使たちが大きな声を出した。
「ミカエル! あんた知ってたの!?」
「……薄々は。ですが、神の御心は我々に知る吉もありません」
「なぜだ……。なぜおまえ達はそんなことを」
悪魔公爵が呟く。
「全てをチャラにしたいって思うたんは、悪魔だけやないってことやな」
「……そうか。では神もこの争いを……」
「とはいえ、こいつはまだ生まれたばかり。
真の力を身につけるためにはまだまだ時間が必要や。
それに、人間もまだまだ俺らを必要としとる。
それでも、親子の感動の対面をさせるくらいのことは充分できると思うで」
- 222 名前:クラブK 投稿日:2002年07月11日(木)00時14分01秒
- ふわふわとラファエルの上を飛び回っていたショマキエルが、その体から光をこぼし始めた。
きらきらと星のようにきらめくその光は、ぼんやりと薄い天使の体に降り注ぐ。
やがて、透き通って見えていた体が実体を伴い始めた。
ラファエルは両手をぎゅっと握り締めた。
「……ああ、触れる。体が……人間の体が……」
「お母さん……」
「……ひとみ……。本当に……ひとみ……。こんなに…大きくなって……」
「お母さん!」
感動の抱擁を見て、その場にいたものは皆、その目に涙を浮かべていた。
「それにしても、本当になっちそっくりだよね」
「うん、オイラでも見分けつかないもん」
飯田と矢口が顔を見合わせうなづきあう。
「あのぉー、この効果ってどのくらい続くんですかぁ?」
「せやな。3日くらいは続くと思うで」
松浦の疑問にキリストは答える。
「良かったじゃない、吉澤。たっぷり甘えちゃいな」
「まあ、天使に戻ったらまた人間になればええねん。
今後のための実験にもなるからな。
あ、悪魔にも希望者がおったら人間にしてやってもええで」
- 223 名前:クラブK 投稿日:2002年07月11日(木)00時15分35秒
- 「あーー! カゴエルも人間になってみたい!」
「ツジもツジも!!」
テンションの高い二人が手を上げる。
「うーん、ウチ一度でイイから『学校』って行ってみたかったんや」
「ツジエルはひとり暮らししてみたいれす」
きゃっきゃとはしゃぐ見習天使にお目付け役のメタトロンが雷を落とした。
「馬鹿! 人間になったからって何でもできるわけじゃないんだぞ。
こっちの世界でやっていくためにはいろいろ準備が必要なんだ。
生活するためにはお金だって要るし、戸籍とかだって」
「えーー、なんでーーー」
不満を漏らす幼い天使を見て、金髪にサングラスの男はまたにやりと笑った。
「それについては、俺にええ考えがあんねん」
その顔を見て、人間達はぞくりと身を振るわせた。
なぜならその顔は、人類の救世主の顔では無く、
自分達の良く知るインチキプロデューサーの表情そのものであったからだった。
- 224 名前:クラブK 投稿日:2002年07月11日(木)00時16分22秒
- ◇
それからしばらくして──。
モーニング娘。は、相変わらず国民的なアイドルとして精力的な活動を続けていた。
ミュージカル、シャッフルユニット、新曲の発表に、昨年に続いて24時間テレビの司会。
その尋常ならざる働きぶりは、関係者から『モーニング娘。は二人づついるんじゃないか』といわれるほどであった。
──END。
- 225 名前:クラブK 投稿日:2002年07月11日(木)00時20分05秒
- おまけ
「ひどいっすよ。スケジュールぎちぎち。
吉澤は代わりの人がいないんだから、無茶させないで欲しいなあ」
「なにゆーてんねん。あたしだって代わりおらんねんで」
「あー、だって平家さんは仕事が無いし……」
「なんやと、ゴルァ!!」
みっちゃんいい子なのにね。
──こんどこそ終わり
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