コトノハ。

1 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月12日(金)21時50分40秒
今日は吉澤生誕記念なので書きます。
間違いなどございましたらご指摘お願いします。
2 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月12日(金)21時51分34秒
海というところは、やけに解放感があって気持ちいい。
それでいて、一日も欠かさずつくられては消えていく波をただ見ているだけで、ひどく感傷的になれる。
石川梨華、某有名大学法学部1年生。彼女はそんな複雑な魅力にとり憑かれていた。
そして学内で友人になった同い年の柴田あゆみも海が好きで、とても気が合った。
夏休みも終わりに近づき、避暑がてらに人の少ない海に行き、泊りがけで遊ぼうという計画をあゆみが打ちだした。
梨華とあゆみともう1人――市井紗耶香といい、非常に頭が良いのだが、浪人した為に1年生だ――の3人で。
「でもどこに泊まるんだよ。あんまり金ないんだけど…」
「それは安心して。10年前に死んだおじいちゃんの家があるの。
電気も水も通ってるけど、今は誰もいないから使っていいってさ」
「柴ちゃん、本当に行っていいの?」
「全然平気。ご飯とか布団とかは自分達で準備するんだから」
「そうか。セルフサービスなら遠慮しなくてもいいしな。行こうぜ、石川!」
「…うん!」
「じゃ、決まりだね!」
あゆみはそう言って笑った。
3 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月12日(金)21時54分18秒
この共通点がない3人が仲良くなったのは、大学受験の日のことだった。
番号順に座ると、梨華の席は最後列の真ん中だった。
机はひとつに繋がっていて、3人ずつ座れるようになっていた。
席を1個挟んだ両隣には、単語帳や教科書を必死に読み込んでいる女の子たち。
雰囲気に圧倒されてしまい、Yゼミの模試で全国ランクの常連だった梨華も焦って、参考書を鞄から出した。
試験が始まると、梨華の右隣の子がそわそわし始めた。梨華は不思議に思いつつも構わずに問題を解き続けた。
ふと、誰かの視線に気付く。先程の子がじっと梨華を見ていた。
その子の目は半ば怯えたような感じで、放っておけるようなものではなかった。
目が合うと女の子は目線を問題用紙に落とし、手に持っていたシャーペンを置いた。
どうしたのだろうかと気にしながらも問題を読んでいると、今度は左隣のボーイッシュな女の子が梨華を睨んでいるのがわかった。
4 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月12日(金)21時55分12秒
左を向くと、その子はニヤッと笑い、急いで紙に何かを書いて消しゴムを前に投げた。
梨華は彼女の行動にパニックになる。
そして左の子は手を上げ、試験監督に消しゴムがどこかへ行ってしまった旨を告げた。
試験監督者が背を向けた瞬間、その子は解答用紙をスライドさせて梨華の前に置いた。
『右の子にこの紙を渡してやってくれ。わからない問題はあんたも見ていいから』
とあった。梨華は驚いた。これはカンニングだ。
そんなことはできない、と正義感の強い梨華が左を向いて首を振ると、人差し指が梨華の方に向き、口パクで『右を見ろ』と言われる。
試験中に翻弄されてイライラしながら右を見ると、泣きそうな顔でこちらを見つめていた。右の子の口がこう言うように動く。
『助けて…』
5 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月12日(金)21時55分49秒
結局、梨華は何も抵抗できずに全科目のカンニング幇助をしたのだった。
休憩時間は話し掛けられるような雰囲気ではなかったので、文句のひとつも言えなかった。
ついでに言えば梨華自身も左の子の答案を見てしまったらしい。
恐らく、答案は3人とも全く同じである。合格も不合格も一緒、つまりは運命共同体だ。
試験終了後、話す暇もなく移動させられた為、3人はバラバラになってしまった。
梨華は予備校の教師である平家に試験の手応えを報告していた。
「石川、あんたは優秀な子や。きっと受かるから心配せんでええ!」
「はは…ええ、まぁ…」
平家の言葉に何も言えず、苦笑するしかなかった。
6 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月12日(金)21時56分39秒
合格発表の日、梨華はもし不合格だったら一生恨んでやろうと考えていた。
不安にかられながら人の波をかき分けて掲示板を見ると、自分の番号があった。
気のせいだろうが、自分の受験番号が大きく誇らしげに見える。
一息ついて小さくガッツポーズをとる。
「あったぁぁぁぁ!!!」
いきなり耳元で真後ろの人に叫ばれ、梨華は驚いて振り返った。
「…あ!!」
「あッ!!」
何とそこにいたのは右の子だった。互いを指差し、ぽかんと口を開ける。
次の瞬間、再会の余韻に浸る間もなく、肩を叩かれた。
「よぉ。また会ったな!」
左の子がそこにいた。右の子と梨華は同時に叫ぶ。
「あああ!!!」
彼女達の声の他に、周囲は落ちて泣く者と合格して泣く者の悲鳴で満ちていた。
こうして3人の大学生活が始まったのだった。
7 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月12日(金)22時02分37秒
そして当日。
都内で集合し、電車を乗り継ぎタクシーで目的地に向かう。
駅で眉を顰めながら地図を見ていたあゆみが別荘までの道を知っているのだと他の2人は思っていた。
しかし突然あゆみが暇そうにしているタクシーの運転手に向かって、
『海の近くに柴田って家の別荘があるんですけど、わかりますか?』
と言った。それを見て、紗耶香が突っ込みたいのを梨華が抑える。
幸運にも運転手は知っていて、3人は胸を撫で下ろした。
車内でぼんやりと外を眺めるあゆみを、紗耶香はからかった。
「柴田!道順はそんなに記憶に残らないもんなのか?ま、物覚え悪いしな」
あゆみが紗耶香の言葉にムッとする。
梨華を挟んで座っている為、梨華は困って眉を八の字にしている。
「違う。小さい頃に1回行っただけだから憶えてないんだよーだ!」
「あぁそうかよ。大体、レポート終わったのか?遊んでる場合かよ」
「うっさいなぁ!何でその話が出てくるのよ!サボり魔の紗耶香の代返やってんのは誰よ!?」
「何だと!彼氏が欲しいっていうから、色んな男を紹介してやったのは私だぞ!!」
「紗耶香の紹介が無くても彼氏はできますぅ!!他人のことよりも自分のこと考えればぁ?」
8 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月12日(金)22時03分29秒
しばし続いた会話に耐えられなくて、梨華は高い声を更に高くして怒る。
「2人とももうやめてよ!!せっかく遊びに来たのにぃ!!」
紗耶香とあゆみはきょとんとする。
「…梨華ちゃん?」
「石川…?」
頬を膨らませた梨華を見て、紗耶香とあゆみは大笑いした。
笑われた理由がわからず、2人の顔を交互に見ている。
「何?何で笑ってんのぉ?ねぇ、どうして?」
やっとのことで笑いを堪え、紗耶香は運転手に謝った。
「ぷっ…ご、ごめんなさい、高い声で…くくくっ」
運転手は構いませんよ、と言いつつ口元が緩んでいた。
あゆみはまだ笑っている。梨華はあゆみの袖を引っ張って尋ねる。
「何で笑ってんのぉ?あたし、そんなにおかしいことした?」
「あははは…だって梨華ちゃん、じゃれあってるだけなのに真面目に怒るんだもん!」
「そうそう!石川は本当に真面目っていうか…カタブツだよな」
まだ2人はニヤニヤしている。
「…バカッ!!」
と一喝し、梨華は拗ねた。
9 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月12日(金)22時04分37秒
紗耶香とあゆみが梨華をなだめているうちに、タクシーが別荘の前に止まった。
料金を払ってトランクに入れた荷物を受け取ると、タクシーは走り去った。
「これがうちの別荘もどきだよ。さ、こっちこっち」
その家は10年前から使われていないはずなのにツタ一本すら生えておらず、綺麗な白塗りだった。
ガレージの横の階段を上がるとすぐ玄関になる。家を囲む垣根の緑が目に鮮やかだ。
「柴ちゃん、本当にここは使われてないの?向日葵とかお手入れされてるよ?」
「ん?たまに叔母さんが来て、家の換気やら掃除やらをしてるんだって」
鍵を開けて中に入ると、ひんやりとした空気が3人を包んだ。
玄関はダブルベッドが2個並べられるほど広かった。
壁には風景画が掛かっている。
「先にクーラーつけてくるからちょっと待っててね」
「うん、ありがとう」
あゆみは紗耶香と梨華を残して奥へ行ってしまった。
紗耶香は上を向いたまま、絵を見ている梨華を呼んだ。
「…石川、上見てみ」
「え?うわぁ…」
10 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月12日(金)22時05分46秒
梨華はついため息を漏らした。
右にある下駄箱の横には2階に上がる為の階段があった。
上は吹き抜けになっていて、天井からはシャンデリアが下がっている。
「柴ちゃんのおじい様…何やってらしたんだろうね」
「全く同感だ」
紗耶香や梨華が家のことを話す時、決まってあゆみは黙り込むのだった。
あゆみの家はどうなのか聞こうとしてもはぐらかされてしまうので、家の話は3人の間ではタブーとなっている。
「いいよ、入ってきて!」
「おじゃましまぁす」
玄関左のドアを開けると、布を被ったグランドピアノがまず目に入る。
その横にソファーがガラスのテーブルを挟んで向き合って置いてあり、壁際には50インチ位のテレビが置かれていた。
「でかいテレビだなぁ!電気屋以外で初めて見るよ!!」
文系なのに機械が好きな紗耶香が興奮してテレビに駆け寄る。
11 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月12日(金)22時06分19秒
「紗耶香、落ち着いてよ。これは夏休み前に叔母さんが置いてくれたんだ。
あたしたちがここに泊まるって言ったら買ってくれたの」
そんなことしなくてもいいのにね、と言うあゆみ。
「何か…お小遣い程度の扱いだよね…そのテレビ…」
梨華はただ苦笑するだけだった。紗耶香の興味はすぐ隣の出窓に向いた。
「あれ?この窓、庭にすぐ出られるな!!すげー!!あっちはどうなってんの?」
「それより探検もそこらへんにして海に遊びに行こうよぉ!」
「しかも走るから埃が舞ってる…げほっ」
あゆみと梨華の冷たい視線に、家の調査に夢中になっていた紗耶香は我に返る。
「…あ、そうだ。本来の目的を忘れるところだった…ごめんごめん」
頭を掻いて謝る姿が何とも子供っぽい。
「ま、いいよ。それなら海まで行きまっしょい!!!」
12 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月12日(金)22時06分55秒
家から海までは歩いて15分ある。
紗耶香とあゆみはTシャツに短パンという軽装だが、梨華だけは七分丈のシャツに膝までのズボンで、更にチューリップハットをかぶっていた。
「何でそんなに暑そうな格好なの?」
「そうだよ。せめて上は半袖でもよくないか?」
歩きながら不思議そうに尋ねられ、梨華はむくれながら答えた。
「だって…日焼け止め塗ったけど…これ以上黒くなりたくないもん…」
2人はそれを聞いて爆笑した。
「平気だってば!それ以上は黒くならないから!」
「フィリピン系の人に見えてカッコイイよ!」
「…何気にひどいよ、2人とも…」
梨華の得意なネガティブモードに突入する前に、あゆみは海が近いことを告げた。
「ほら、海だよ!小さいことは気にせずにレッツゴー!!」
「そうそう!走れぇ!!」
「あ!待ってよぉ!!」
紗耶香とあゆみが走り出し、梨華も負けじと2人の後を追った。
13 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月12日(金)22時07分40秒
熱くなったビニールシートの上で、何度も休憩してやっと膨らませたビーチボールに、梨華は満足そうに笑った。
その間、他の2人は波打ち際で棒倒しをやっていた。
「柴ちゃん、市井ちゃん!ビーチボールが完成したよ!!」
そう呼びかけても何の反応もなかったので、梨華が2人の傍に近づくと、棒が倒れた。
「あー!倒れちまった!!」
紗耶香が大声で叫ぶ。あゆみは手を叩いて喜ぶ。
「触ったのは紗耶香だよ!!あたしの勝ち!!」
「何言ってんだよ!!最後に触ったのはお前だろ!!!」
「ちょっとぉ!負けたからってガキみたいに怒らないで!!」
「落ち着いてよぉ…2人とも…」
そして2人の間で眉を八の字に下げてオロオロする梨華。
14 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月12日(金)22時08分19秒
「ガキはどっちだ!!自分の失敗をなすりつけやがって…勝手に決めんなよ!!」
「あんた!!それじゃ、あたしが全部悪いみたいな言い方じゃないの!!」
「実際にお前が悪いんだろ!!」
「どこをどうしたらあたしが悪くなるのよ!!」
もちろん紗耶香とあゆみは梨華の学習能力を試す為に、わざと喧嘩をしているのだ。
しかし真面目な梨華には本当の喧嘩にしか見えず、ついにはこの言い争いに我慢が出来なくなった。
「…いい加減にしなさいってばぁ!!!」
「り、梨華ちゃん!?」
「石川!?」
梨華は2人の腕を強く掴んで海に向かって走り、膝が隠れる位の水位で思いっきり2人を前方に突き飛ばしたが、勢い余って梨華も倒れた。
海水がクッションになって、痛みはあまりなかったが、3人とも髪まで濡れている。
「ヒドイよぉ、梨華ちゃん…」
「痛ぇ…水が目に入った…」
息を切らして梨華が一言。
「もう喧嘩しちゃダメ!!!」
この後、紗耶香とあゆみが呼吸できないほど笑い、2人の思惑を知った梨華はむくれたのだった。
15 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月12日(金)22時11分03秒
夕方になり、まだ湿っている服に対して3人の喉はカラカラだった。
「なぁ、喉渇いたんだけど…誰か買ってきてぇ」
紗耶香が仰向けで言う。
あゆみと梨華はオレンジ色の海を見て想いに耽っていたところを邪魔され、少しばかり哀しくなっていた。
「言い出しっぺが買ってくればいいじゃん」
あゆみが不満そうに足を伸ばした。紗耶香はうーん、と唸って起き上がった。
「じゃぁさ、じゃんけんしようぜ?な?負けた奴が買ってくるんだ」
「いいよ。それなら誰も文句は言えないしね。梨華ちゃんは?」
「あたしも賛成…かな」
「決まったな。行くぞ!最初はグー…」
じゃんけん、ぽん。紗耶香とあゆみがチョキ、梨華だけがパー。
「じゃ、烏龍茶3本な」
「よろしくぅ!」
トボトボと少し離れたコンビニまで歩く。梨華は己の不運さを恨んだ。
水平線は微妙に色づいている。
空と太陽の真ん中は水色、青、紫、ピンク、他には言葉で表せられない様々な種類の色。
1秒ごとに変わってしまう色がいとおしい。
16 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月12日(金)22時11分43秒
こんな空と海を見る度に、石川の胸は締め付けられる。まるで、空や海に恋をしているかのように。
海と同化してしまいたい。空に溶けてしまいたい。
その思いは果たされないとわかっていても、どこかでそれを望む自分がいる。
やはりこれは恋なのだろうか。
「そんなわけない、か…」
小さい声で否定しながら歩くと、コンビニの駐車場にさしかかった。
駐車場には梨華の最も苦手な種類の人間――金髪・多数のピアス・酒や煙草が好物、など非常に柄の悪い男達――が歩道沿いに4人、座り込んでいた。
ちょうどコンビニからは死角になるので、煙草を投げ捨てようが酒の缶を置き去りにしようが、店員にはあまり気付かれない。
(嫌だなぁ…何かすっごく怖い…)
そう思い始めると、彼らの前を歩くことさえぎこちなくなる。
その男達は梨華に気付くと、ねっとりした視線を彼女に浴びせてきた。梨華はそれが嫌で、小走りで俯きながらコンビニに入る。
飲み物を買ってコンビニを出ると、ヘッドライトを点けた車が増えた。
17 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月12日(金)22時12分31秒
「急がなきゃ…」
走り出そうとした時、目の前に立ちはだかる先ほどの男達。
無視してよけようとしても、両手を広げたりして通してはくれない。
「ねぇ、遊ばない?」
金髪が言った。梨華は口を真一文字に結んで答えようとはしない。
「君みたいな子、すっげータイプなんだよね」
「俺達と遊ぼうよぉ。な、いいじゃん」
唇ピアスが梨華の肩に触れた。梨華は即座にその手を払いのける。
「やめて下さい。通して下さい」
梨華としては睨んでいるつもりなのだが、どうしても身長の高い彼らには上目遣いになってしまう。
「うお!高ぇ声でその上目遣い、僕ちゃんコ・ワーイ」
咥え煙草が茶化すと、4人とも笑った。コンビニの袋を持つ手に力が入る。
無理に押しのけて通ろうとすると、カラコンに両手首を掴まれた。梨華の体がビクッとする。
「遊ぼうって…言ってんだろうが!!」
「やっ…やめてよ!!!誰か…うぐっ!!!」
金髪が梨華に見事なまでのボディを入れる。
梨華は力も入らない上に息もできない。
コンビニの袋が音を立てて落ちる。
18 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月12日(金)22時13分31秒
「うっせぇ女だな」
「早く車に入れろよ!!」
辛うじて立っている梨華は、スモークを貼ったワゴンを見た。
(あたし…今…すっごくヤバイんだ…)
抵抗できない体では、脳が状況を確認することしかない。ワゴンの扉が開く。
(柴ちゃん!市井ちゃん!!)
聞こえるはずのない脳内の叫び。
その時、掴まれていた手首が急に自由になり、梨華は倒れてしまった。
(何…?)
目の端に映ったのは、尻餅をついているカラコン。
エンジン音にかき消されて、彼らが何を言っているのかはわからない。
もう少し首を動かすと、端整な顔立ちで背の高い少女が男達を睨みつけている。
次の瞬間、唇ピアスが少女に殴りかかった。
(危ない…!!)
梨華は少女の流血を予想した。
だが少女は返り討ちを浴びせ、唇ピアスの顎は変形した。
19 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月12日(金)22時15分16秒
初回の更新終了。
ちょっとわかりづらいところとかもあると思います。
ごめんなさい。
20 名前:ハル 投稿日:2002年04月13日(土)02時41分28秒
描写がリアルでよいです。
まさか・・・カンニングうんぬんのくだりは作者さんの経験より??

そしてあの方の登場も楽しみ!早く〜
21 名前:名無し読者 投稿日:2002年04月14日(日)05時53分21秒
なんかタイトルが気になりますね
22 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月14日(日)21時26分59秒
短く真っ黒な髪が、男達を殴る度にさらりと揺れる。梨華は上半身を起こして少年らしい少女だけを見ていた。
そしてあっという間に4人が尻尾を巻いて逃げた。一息つくと、少女が梨華に向かってくる。
「あの、ありがとう…」
「……」
立って梨華を見下ろすだけで返事をしない少女に、梨華はムッとした。
少女は手の甲の血をよれよれのポロシャツに擦りつけ、裾の擦り切れたジーパンの砂を払い、大きな手を梨華に差し伸べた。
「いいよ、自分で立つから…あれ?」
梨華がいつまでも立たないので、少女は首を傾げた。梨華は少女に向かって言う。
「腰、抜けた…立てない…」
少女はじっと梨華を見ていたが、やがて静かに梨華を抱き上げた。梨華は驚いて少女にしがみつく。
すると、後ろの方で梨華を呼ぶ声がした。
「梨華ちゃ――ん!!!」
「石川ぁ!!!」
梨華がその声に反応し、少女の服を引っ張る。
「ねぇ、あっちに友達が…って聞いてるの!?」
少女は梨華の希望を無視してあゆみ達と反対方向へ歩き出した。
23 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月14日(日)21時27分55秒
「ちょっと待って…待ってったら!!」
今度は強く少女の服を引っ張ると、立ち止まってくれた。少女は眉を顰めて再び首を傾げた。
紗耶香が少女と梨華の前で両手を広げて止まらせようとしている。
「お前、何やってんだ!!!石川を離せ!!!」
「……」
「何とか言えよ!!!」
少女はゆっくりと梨華を降ろした。まだ自力で立てない梨華は座り込んでしまう。あゆみがすかさず梨華のもとへ寄る。
「梨華ちゃん!平気?痛いところとかない?」
「うん…」
「てめぇ!!答えろよ!!!」
紗耶香は少し背の高い少女の胸倉を掴んだ。梨華は少女を殴ろうとする紗耶香に叫んだ。
「やめて!違うの!!その人はあたしを助けてくれたの!!!」
「…へ?石川を助け…?」
少女の手が紗耶香の手をそっと払いのけた。
24 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月14日(日)21時28分50秒
「あぁ、ちょっと痣になってるね、指の付け根…」
「……」
あゆみはなおも無言な少女の擦り傷の消毒をしながら言った。
梨華を助けてくれたお礼と、紗耶香の勘違いで嫌な思いをさせたお詫びを兼ねて、あゆみが家に連れてきたのだ。
腰が抜けたままの梨華を軽々抱き上げて移動できるのが少女しかいなかったせいもあるが。
ピアノのある部屋で、4人は1人対3人で向き合ってソファーに座っている。
食事も出したのだが、少女は何も言わないままだった。
「…なぁ、紅茶が冷める前にちょっとは喋らないか?私が悪かったことは何度も謝ってんだろ?」
「……」
少女は紗耶香をじっと見つめたまま、やはり言葉を発しないで紅茶を一口飲んだ。
「お前…!!」
紗耶香が思わず立ち上がると、まだ立てない梨華が怒った。
「ダメだよ、市井ちゃん!何か話したくない理由があるんだよ」
なだめられて紗耶香は腰を落ち着けると、少女は唇を噛んで俯いた。
しばしの沈黙。
「…っていうかさぁ、もしかして喋れないんじゃないの…?」
突然のあゆみの言葉。梨華は不安そうに紗耶香の顔を見る。
25 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月14日(日)21時30分00秒
「そう…なのかな?」
「きっとそうだよ!!あのさ…」
あゆみがテーブルを数回叩くと少女は顔を上げた。
「あなた、もしかして、話せないの?」
ゆっくり区切って言うと、少女は頷いた。
「やっぱりじゃん…」
紗耶香はため息をついて、手話を始めた。
「私の名前はい・ち・い・さ・や・か。あんたは?」
滑らかなその動作に、梨華とあゆみは目を大きくする。
少女も目をぱちくりさせて、手話をする。
「手話ができるのかって?うん、できるよ」
「普通に言ってるけど…市井ちゃん、何で手話ができるの!?」
「あ、その、高校の時のボランティアで覚えて…」
恥ずかしそうに言う紗耶香に、あゆみは言う。
「それよりこの子、何か言いたそうだよ!」
少女は悲しげに、自分を指してから両手で口と耳を押さえた。
そして速い手の動きをした。
「紗耶香、通訳して!」
「ん…私は聾唖です…ゆっくり言えば、口の動きでわかる…って」
「名前…な・ま・え・と、と・し・は?」
梨華が言うと、少女は周りを見ながら手のひらにペンで書くような仕草をした。
「あ!ペンと紙だ!!」
あゆみが急いで鞄からペンとノートを出し、少女に渡す。
少女は名前を書いた。
『吉澤ひとみ』
26 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月14日(日)21時34分12秒
少女の正体が発覚しました。
微妙な更新終了。

>ハルさん
カンニングは…まだです。っていうかこれからかな?(w
登場人物はご期待に添えられたでしょうか?

>21さん
タイトルですか?よし君に関係しますね。
コトノハ=言の葉=言葉という感じです。
27 名前:名無し読者 投稿日:2002年04月15日(月)06時13分22秒
なるほど。タイトルはそゆことですか
吉澤のこういう設定は初めて見るなぁ。続き期待してます
28 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月17日(水)20時27分22秒
3人はノートを覗き込んだ。
「よしざわ…ひとみさん?」
梨華が目を見て言うと、彼女は頷いた。
あゆみと梨華も名前を書いて自己紹介をする。
「あたしは、い・し・か・わ・り・か」
「し・ば・た・あ・ゆ・み…です。紗耶香、家はどこか聞いて」
「うん。どこに住んでる?」
紗耶香の役目は通訳だった。少女はさらさらとペンを走らせた。
「…安倍…旅館?」
「えっ!?ここから海の方に10分位歩いたところだよ!!」
あゆみが紗耶香の目を見る。梨華はいつものように眉を八の字にしている。
「意外と近いんだね。あんたは、あそこの従業員?」
ひとみは紗耶香の質問には答えず、虚ろな目で話し始めた。
もちろん口ではなく、手で。
『私は安倍さんとは遠い親戚。両親は小さい時に死んだから、あそこに預けられた。
でも従業員と扱いは同じ。いつも食器を洗う仕事をしている』
29 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月17日(水)20時27分59秒
梨華とあゆみは、ひとみを見ながら紗耶香の通訳に聞き入っていた。
「そっか…明日からまた仕事なの?」
ひとみは紗耶香を見た後、尋ねた梨華の目を見て頷いた。
「旅館って朝早いから、もう帰らないとまずいんじゃない…?」
『明日は休みだけど帰りたくない』
「そんなこと言ったってさ…もう遅いよ?」
あゆみは既に午後10時を示している時計を指差した。
しかしひとみは下を向いて首を横に振った。
梨華はテーブルを叩いて注意を向けさせる。
「ど・う・し・て?」
そこでひとみは一瞬躊躇った。
「梨華ちゃん!厚かましいよ!」
あゆみがひとみの表情に眉を顰め、梨華のわき腹をつつく。
「あ、ごめん…あの、言いたくなかったら、別にいいよ」
ひとみが柔らかく首を横に振り、手話を使わずに紙に書き始めた。
『私は汚れている』
真意がわからず、3人は身を乗り出す。
『これから私の体は汚される』
「それって…まさか…」
あゆみの顔が青ざめる。
『休みの前夜になると私は義父に一晩中抱かれる』
30 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月17日(水)20時32分34秒
それを見た3人の中で時間が止まる。紗耶香は悔しそうに頭を抱えた。
「ちくしょう…何てことしやがる…!」
あゆみもひとみから目を逸らす。
「お義母さんは、気付いてないの?」
ひとみは紙をめくって再び書く。
『お義母さんもなつみさんも知っていて何も言わない』
梨華は静かに泣きながらひとみを見る。
「い…いつから?」
『中学3年になった頃から』
泣く代わりに寂しげな微笑で、首を横に振った。
「何か…あたし達にできることはないかな?」
あゆみも泣いていた。
「そうだ!今日は泊まったらいいじゃん!!」
紗耶香も言うが、やはりひとみは優しく首を振る。
『帰りたくないけど、帰らないともっと酷い』
ひとみはペンをテーブルに置き、立ち上がる。
それから何かを紗耶香に言って玄関に向かった。
「ちょっと…紗耶香!何だって?」
「話を聞いてくれてありがとう…って」
ドアが閉まる音がした。
それまで黙っていた梨華は、突然立ち上がって走ってひとみを追う。
梨華が外に出ると、ひとみは階段を降りたところだった。
「待って…って聞こえないんだ…」
追いついてひとみの服を引っ張ると振り返った。
「私、送るね…」
ひとみはそっと微笑んだ。
31 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月17日(水)20時33分41秒
「わぁ…綺麗だなぁ…」
梨華はわざとゆっくり歩き、空を見ながら言った。
会話がないので呟いてみたが、ひとみには聞こえていないことに気が付いた。
「そっか。ねぇ、星が…」
ひとみの背中を叩く。振り返ったひとみに空を指差して言う。
「ほ・し、き・れ・い、だよ」
ひとみも空を見上げて頷いた。梨華が前を向いたひとみに話し掛ける。
ぎこちなく地面や空を指差しながら。
「宇宙…あの空なんだけど、地球がね…ここが、お母さんのお腹の中なんだって。
そう、これ。お腹。で、海は、最初にうまれた生き物の、お母さんのお腹の中」
ひとみは一生懸命話す梨華をただにこにこと見つめていた。
「だから、どんな生き物でも、海の音は安心する…ほっとするらしいの」
胸を撫で下ろす動作をして話が終わると、ひとみが立ち止まり、隣の建物を指差した。
「えっと…ここ?」
ひとみが頷き、少し悲しげな顔をする。
梨華はひとみの真っ黒な目に外灯だけが映っているのを見て、心が潰れそうだった。
「あの…!」
何か言おうとした時、ひとみの手が動いた。
肘を張り、空中に置いた手の甲に、手刀をくっつけて上に上げた。
32 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月17日(水)20時34分27秒
「それ、何?」
手話のわからない梨華が尋ねると、ひとみはわずかしか出ない声で口パクをした。
「あ、い…おう…」
口の動きで、梨華は『ありがとう』と言っていることを理解した。
「ありがとう…?」
ひとみは嬉しそうに頷いた。梨華も嬉しくなる。
「じゃ、じゃあ、どう致しまして、は?」
今度は意外と簡単で、手を顔の近くに立てて2・3度横に振るだけだった。
「これが…どう致しまして?えへへ。“ありがとう”と“どう致しまして”…」
もう一度ひとみが『ありがとう』と言うと、梨華は笑顔で『どう致しまして』と返した。
そしてひとみは手を振り、口で『バイバイ』と言った。
梨華はその寂しげな笑顔が引っかかり、ひとみの腕を掴んだ。
それから驚くひとみを、梨華が少し背伸びをして抱きしめた。
自分より大きな背中を優しくさすり、軽く叩く。
これからも苦痛に耐えなければならない体を少しでも癒してあげたいという気持ちだった。
「負けないでね…絶対に負けないで…」
聞こえないひとみの耳元でそう呟き、梨華は体を離す。
きょとんとしているひとみはとにかく笑顔で手を振り、梨華に背中を向けた。
梨華はその背中を旅館の裏口のドアが閉まるまで見ていた。
33 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月17日(水)20時56分19秒
紗耶香とあゆみの待つ家に帰ると、案の定2人とも玄関で待っていた。
お互いに気まずいのか、それからは大した会話もなく、3人はそれぞれの布団に入った。
考えることはみんな一緒だった。
もちろん、ひとみのことだ。今頃、きっと彼女は心を塞いでいる。
義父の暴行に必死で耐えながら、それでも生きている。
量り知れない苦痛に傷つけられた、自分達とあまり変わらない聾唖の少女。
助けてほしいとは一言も口に出さなかった。
苦しむのは承知なのに、何も出来ずに帰らせた。
わざわざナチスの毒ガス部屋に放り込むようなことをしたのと同じに思える。
いや、それは違う。救える手段がなかったんだ。
それは仕方のないことだ…と、心のどこかで言い訳をして諦める自分。
思いやりと言い訳のパラドックスが眠れぬ3人をかき回す。
わかっていても他人のために何も出来ないことというのは、ひどく苦しい。
自分達のように今日からではなく、15歳の時から一人で体も精神も苦痛にさらされてきたひとみ。
いっそ、ひとみを遠くに連れ出してしまえたら、どんなに気持ちが楽になることか。
34 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月17日(水)21時00分50秒
間違いハケーン。
レス31の梨華さんのセリフ。
”地球がね”ではなく、『…地球のね、……』でした。

>27さん
そうですね。よし君のこんな不憫な設定はどこにもないかも…(汗

激しくいしよしっぽくなってきた…。
たぶん、いしよしだと思います。>はっきりしろ
35 名前:名無し読者 投稿日:2002年04月17日(水)22時01分04秒
石川が救いになればいいなぁ…
36 名前:名無し読者 投稿日:2002年04月18日(木)02時16分49秒
もう、泣けてきます。
37 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月21日(日)21時28分54秒
自分は何と不幸な人間だろうか、などと哀れな感情を抱いたことはなぜか一度もない。
ひとみは生まれつきの聾唖だ。
小学校に上がる前に両親が交通事故で死に、海に近い旅館を営む親戚の安倍家に預けられた。
当時は読唇術もまだ苦手で、周囲の人間が言っていることがわからなくて、いつも仕事を抜け出ては浜辺で泣いていた。
安倍家での生活はとても辛いものだった。
甘えたい年頃に、義父は話が通じないと大きなため息をついた。
仲居の義母は若干5歳のひとみに調理場の手伝いを命じた。
朝は5時から仕事、6時半に家を出て東京の聾学校に通学。
更に5時に帰宅の後は10時まで仕事、11時に入浴、宿題をして寝ると午前0時になる。
38 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月21日(日)21時29分47秒
聾学校を卒業して勉強がなくなると、仕事の時間が減った分、今度はビール瓶など重いものを運ぶ仕事に変わった。
ひとみは死んだ両親のわずかに残る感触を支えに生きてきた。
母の手の温かさ。父の大きい背中。
だが何より、安倍家の一人娘で4歳年上の義姉のなつみに支えられた。
コミュニケーションが取れないひとみを敬遠する両親とは違い、なつみは自分から手話を憶え、突然現れた聾唖の義妹を、本当の妹のように接してくれた。
そう、あの日までは確かに可愛がってくれた。
今思えば、義姉の優しさはただの同情だったのかもしれない。
39 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月21日(日)21時31分34秒
15歳の夏、ひとみは客と揉め事を起こした。
洗い場を出て従業員専用のトイレに向かう途中、迷い込んだ男性客に何度も呼ばれたらしいのだが、気付かないひとみは自然とその客を無視する形になった。
彼女のことを知らない彼は怒った。
ひとみからすれば、いきなり肩を掴まれたのだから驚いて、つい男性客を突き飛ばしてしまった。
彼は憤慨して『従業員が何度呼んでも返事をしない上に暴力を振った』とフロントに怒鳴り込んだ。
それを聞いた両親はひたすら男性客に頭を下げたが、ひとみは自分が悪くないことを必死に手話で伝えようとして一向に謝らなかった。
そんな彼女の態度が気に障ったのか、男性客はますます顔を赤くして帰ってしまった。
その後、ひとみはひどく怒られた。
翌日、義母となつみは旅館の休みを利用し、朝から東京まで買い物に出かけていた。
自室で休んでいるひとみは義父の部屋に呼ばれた。何を言われるかは大体予想がついた。
「ひとみ、昨日は何で謝らなかったんだ!!」
部屋に入った途端にこう言われ、まだ怒られるのかと思うと彼女もムッとした。
40 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月21日(日)21時32分47秒
『私は悪くない』
ノートに書いて渡すと余計に怒られた。
「あれほどお前は耳が聞こえないから外に出るなと言っただろうが!!」
『でもトイレに行くだけだった』
そう書くと、義父は奪い取ってノートを見た。彼の顔が歪む。
「お前のせいで客が減ったらどうすんだ!!!」
義父に勢いよく突き飛ばされたひとみは、壁に体を打ちつけて座り込んだ。
痛む肩に手を当てて義父を睨む。
ここで彼は彼女の容姿にゴクリと喉を鳴らした。
美しいまでに潤んだ目。
くたくたのTシャツからのぞく白い肌。
すらりと伸びた手足。
何とも華奢な体つき。
41 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月21日(日)21時33分37秒
義父の理性が崩れ落ちる。
ピクリとも動かない義父の様子に異変を感じ、ひとみが部屋の外に逃げようとする。
と、彼は彼女の手首を掴んでベッドに押し倒し、腹の上に馬乗りになった。
「ううっ…がぁぁぁぁっ!!!」
喉で叫ぶと、義父の手のひらが口を強く塞ぐ。
「ちっとは大人しくしろ!!」
ひとみは頬を叩かれた。頭の奥が痺れ、彼女が一瞬抵抗するのをやめる。
義父は左手でひとみの両手首を掴んだ。
更にそれを押さえつけ、右手でシャツをめくりあげる。
辛うじて動く足をばたばた動かすと、義父が怒鳴った。
「誰が育ててやってると思ってんだ!!!」
ひとみの目が義父の言葉を読み取る。
彼女は悲しそうな笑顔を浮かべ、顔を左に背けて全身の力を抜いた。
「…いい子だ…」
奥歯を食いしばり、ひとみはきつく目を瞑った。
42 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月21日(日)21時34分58秒
義父が部屋を出て行く気配に、ひとみはようやく瞼を開けた。
窓からオレンジ色の光が挿している。
ゆっくり起き上がると、下半身が鈍く痛んだ。
乱れたシャツを直し、放り投げられた下着とジーパンを穿く。
シーツに付着している義父の体液と自分の血液を、ひとみは嫌悪感に耐えてティッシュで丁寧に拭き取った。
それをくずかごに捨てる時、ひとみの目から涙がこぼれた。
しかし泣いてはいられなかった。もうすぐ義母となつみが帰ってくるだろう。
あの2人には決して知られたくない。
時間がないので、義父の汗が染み付いたシャツを替えて、洗面所で顔を洗うだけにする。
首筋にかかった生温い義父の息が体中に蘇った。
それを取り払うかのように、タオルで乱暴に顔を拭うと、なつみに肩を叩かれた。
なるべく明るい顔で対応する。
『お帰りなさい』
「うん、ただいま。あのね…話があるから一緒に来て」
なつみと何か話をする時は、必ずと言っていいほど使われていない客室を使う。
43 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月21日(日)21時36分06秒
「今日は東京までお母さんの洋服を買いに行ったんだ。そしたらね、お店でお母さんの友達に会ったの。
お母さんったら随分話し込んで、つまんなかったから先に帰ってきちゃった」
手話を完全にマスターしたなつみの手の動きは滑らかで、柔らかいものだった。
『そうなんだぁ。お出かけしたって感じじゃないね』
「電車で往復するだけだったよ」
静かに笑い合い、話が一区切りすると、なつみは気まずそうに下を向いた。
『どうしたの?』
ひとみが訊くと、なつみは眉間に皺を寄せて躊躇いがちに呟いた。
「帰ってきてから…ひとみを探して…お父さんの部屋の前を…通ったら…」
そこまで言って手を下ろすなつみ。
義父とのことがひとみの頭をかすめ、心拍数が急上昇する。
44 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月21日(日)21時37分10秒
「ひとみのね、声が…聞こえたの…」
なつみは静かに涙を流した。ひとみはなつみから目を逸らす。
終わりだ。
こうなったのは自分のせいだ。
こんなに優しいなつみの家庭を壊してしまった。
泣きそうななつみは走って部屋を去った。
いつからかひとみを異常な目で見つめる義父の様子に、義母が気付かないわけがなかった。
ある明け方、トイレに行く為に起きた義母と、義父の部屋から出てきたひとみが鉢合わせた。
義母の顔色が一瞬にして青ざめたが、よそよそしく逃げるように行った。
それ以来、家の中ではひとみは常にひとりぼっちだった。
あれほど仲の良かったなつみとも干渉することはなくなった。
45 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月21日(日)21時38分16秒
夕方に仕事が終わった今日は、部屋にいるよりも海で時間を潰そうと思った。
国道沿いを歩いていた時、コンビニの駐車場で連れ去られそうになっている女の子がいた。
この先彼女がどうなるかは、誰でも予想がつく。
緩んだ男達の口元を見て、あの日の義父を思い出して吐き気がした。
義父の生温い息遣いがフラッシュバックしてひとみの全身に蘇り、鳥肌が立った。
『こんなことが…許されてたまるか!!!』
ひとみはキレて、気がついたら4人の男達を殴り倒していた。
火事場の馬鹿力とでも言うべきなのか。
ひとみ自身、4人の体格がいい男を倒すだけの力があったことに驚いた。
助けた女の子の友達に誘拐犯だと勘違いされたが、腰の抜けた彼女を家まで運ぶと、食事をご馳走になった。
ありがとうと言いたいが、いつ自分が聾唖だということを伝えようか。
彼女達はどんな反応をするだろう。
同情?敬遠?中途半端な優しさ?
46 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月21日(日)21時39分09秒
「あなた、もしかして、話せないの?」
そして右端の女の子の口がそう言った。
『私の名前はい・ち・い・さ・や・か。あんたは?』
頷くと左端に座っていた女の子が手話を始めたので、ひとみは驚いた。
彼女達に軽い気持ちで身の上話をしたが、家に帰れと言われて拒否した理由を尋ねられて、ひとみの心は揺れた。
出逢ったばかりの人間に話すべきかどうか。
ひとみは賭けに出た。
事情を話すと、彼女達はひとみの為に泣いてくれた。
必死になって義父から逃げる手段を考えてくれた。
やはりこれでよかったのだ。
安心からか、心のどこかでひとみは淡い期待を抱いた。
もしかしたら彼女達は自分を救ってくれるかもしれない、と。
47 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月21日(日)21時39分50秒
だが、誰もひとみの世界に立ち入ることはできない。
礼を言って帰ろうとすると、助けた“梨華”という女の子が、家まで送るから、と走ってきた。
指を使い、一生懸命話してくれる彼女を見て、会話することの楽しみを思い出した。
別れ際に彼女に抱きしめられ、きっと優しい人なんだな、とも思った。
家に帰ると、玄関で義父がひとみを待っていた。
「どこへ行っていた。早く部屋に来い」
その一言でひとみは、いつもの生活に戻った。
48 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月21日(日)21時47分10秒
45からは梨華さんを助けた時のよし君の視点です。

>35さん
石川さん…メシアになれるでしょうか…。
(0^〜^0)>『君はオイラのメシアさ!』
(;^▽^)>…ごめんね、ひとみちゃん…手話がわからないの…

>36さん
作者も書いていて泣きました(汗
(0^〜^0)>ギャクキョウこそ楽しまなきゃ!
(;^▽^)>ひとみちゃん…ギャッキョウだよ…
49 名前:名無し読者 投稿日:2002年04月22日(月)00時12分04秒
吉澤がこういう役所の作品って珍しいので興味深いです…
50 名前:よすこ大好き読者 投稿日:2002年04月22日(月)01時32分41秒
吉が・・・・・・・ウゥ・・・。泣けてきます。
切ないです。早く吉を助けてくださーイ!!
続き期待しています。がんがってください。
51 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月27日(土)14時46分16秒
翌日、紗耶香とあゆみよりも早く目覚めた梨華は、キッチンで朝食の支度を終え、サンダルを穿いて庭に出た。
ふんわりした潮の匂いが梨華を包む。
芝生が青々と茂り、目を刺す光が眩しい。
昨日のひとみの目が忘れられない。
あの寂しげな目で微笑まれると、非常に胸が苦しくなる。
今頃は何をしているのだろう。
自分は汚れていると言いながらも、奥まで覗けそうなほど澄み切った目をした少女…。
幼い頃に祖母から貰った蒼いビー玉のごとく、愁いを帯びた美しさ。
「石川…?何やってんの?」
紗耶香が起きてきて、庭で空を見上げる梨華は我に返った。
「ん?お空が綺麗だな、って思って」
「空とか海とか…柴田もだけど、ずっと見ててよく飽きないよな…ふわぁぁぁ」
欠伸をして、紗耶香は頭を掻いた。
52 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月27日(土)14時47分18秒
「…うん、飽きないよ。全然飽きない」
「さよか…」
紗耶香も退屈そうな顔で空を見た。
どこにでもあるような、ただ青い色。
「…っはよぅ…」
そこであゆみが起きてきて3人が揃った。
「じゃぁ、ご飯にするから、2人で顔を洗ってきてね」
「へいほー。ほら、柴田。ボーッとしてないで」
「はーい…」
リビングのドアがぱたんと閉まり、紗耶香とあゆみの足音が遠のく。
うるさいほどの蝉時雨が静寂を包み、時おり揺れる白いカーテンは光を撥ねている。
梨華は耳を塞いでそっと囁いた。
「…ひとみちゃん、おはよう…」
53 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月27日(土)14時48分20秒
朝食を終え、寝起きは最悪なあゆみの機嫌も直ったところで、紗耶香が話を切り出した。
「なぁ、今日はどうする?やっぱ海しか…」
あゆみが紗耶香を睨みつける。紗耶香は、しまった、という顔をして不自然に続けた。
「…なんて、昨日の今日だし…嫌だよな、石川…?」
「えーとぉ…」
梨華は少し悩んでから答えた。
「あのね、柴ちゃんと市井ちゃんが海に行きたいなら、私も行くけど…」
紗耶香とあゆみが顔を見合わせて小さなため息をついた。
梨華がこういう曖昧な答え方をするのは、自分達に遠慮している為である。
昨日の出来事、つまり強姦未遂にあった海に、自分から行きたいなどということはあり得ない。
嫌だとはっきり言えばよいのに、梨華は無理に笑顔を作り、他人の意見に半ば依存する形で一歩引いてしまう。
54 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月27日(土)14時49分05秒
悪気があって遠慮しているわけでもないので、紗耶香とあゆみは何も言えない。
「ふーん。じゃ、面倒くさいから…今日はゆっくりしよっか。ね、紗耶香?」
「うん、そうしよう。昨日は遊びすぎて、肩が筋肉痛だしさ」
「紗耶香…それってただの肩こりじゃん?」
「んあ?」
あっけらかんとした口調の2人に、
「あの…本当にいいの?柴ちゃんたちが行きたいんなら、私…」
梨華が八の字眉で尋ねたのを、あゆみが遮る。
「あたしたちが行きたくないって言ってんだから、いいの。そんなに気にすることないよ」
紗耶香も深く頷いている。
「ありがと…」
小さく梨華が言い、2人は聞こえなかった振りをした。
55 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月27日(土)14時51分42秒
昨日、帰ろうとしたひとみを梨華が追いかけて行った後、あゆみはソファーで神妙にしている紗耶香に言った。
「紗耶香…あのひとみっていう子、どうにかできないかなぁ…」
紗耶香は微動だにせず黙っている。
「あの子、このままじゃ壊れちゃう…」
あゆみがあふれ出た涙を拭き、沈黙が流れた。
「…私たちが入り込めるほど、あの子のいる世界は単純じゃない…」
「えっ…紗耶香…?」
「あの子もそんなにバカじゃないんだし…自分でわかってると思うよ」
「だって…そしたら、誰があの子を助けてあげられるの!?
それとも“あたしたちは何もできません、ごめんなさい”って見捨てるってわけ!?」
あゆみは立ち上がって怒った。紗耶香が大きく息を吸って低い声で呟く。
「誰もそんなことは言ってない。あのな、私たちはあくまでも第三者だぞ?
あの子を包む世界の殻を、自分で破れるだけの力と知恵を教えるだけしか出来ないんだ」
56 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月27日(土)14時52分41秒
「…さっぱりわかんない」
「えっと…あの子の“ここを抜け出したい”って気持ちがいかに強いかの問題で、つまり私たちに出来るのは…」
「あ、わかった!!」
紗耶香とひらめいたあゆみの声が重なる。
「「家出させること!!!」」
2人は目が合うとニヤッと笑った。
「柴田サン、なかなか優秀ですネ」
「任せて。今日はメチャメチャ冴えてんの」
「それより…石川、そろそろ帰ってくる頃だろ。玄関で待っててやろうよ」
「あ、うん」
ひとみをどうにも出来ないまま見送るのは、特に感受性の強い梨華ならば、さぞもどかしいだろう。
玄関を出て階段の上にいると、3分もしないうちに梨華が戻ってきた。
あゆみは声を掛けようと思ったが、それははばかられた。
何故なら、梨華の顔が余りにも憂いに満ちていたからだ。
ひとみの家出を企画したことを、どう言えばうまく伝わるのか。
もしかしたら、ひとみに全て行動させることを冷淡だと思われるかもしれない。
紗耶香とあゆみは同じことを考えて、眠りにつくまでまで何も言えなかった。
57 名前:名無し銀行 投稿日:2002年04月27日(土)15時00分35秒
今度は柴田&市井側のお話が入りました。
石川がよし君を送っている間にあんな会話があったんですねぇ。

>49さん
そうかもしれないですね。
よし君は大体『カッケー』または『のほほん』キャラですし。

>よすこ大好き読者さん
はい、がんがらせて頂きます。
あんまり切なくすると、作者が鬱になるので適度に切なくする予定です。
よし君が救われるのかどうかも作者次第ですが(w
58 名前:名無し読者 投稿日:2002年04月28日(日)01時45分14秒
う〜ん、そんなに計画がうまくいくのか心配かも
大丈夫かな
59 名前:よすこ大好き読者。 投稿日:2002年04月28日(日)19時43分51秒
よ・・・・・吉くん救ってあげてください・・・・・。作者さま。(w
計画どうやって実行に移すのか楽しみです。
60 名前:だしまきたまご 投稿日:2002年04月29日(月)16時30分54秒
初めてレスさせていただきます。
すごいっすね…もう、よっすぃ〜…あぁ…。何言ってるか自分でも分からん…。
お願い!作者さぁぁん!!吉を救ってぇぇぇ〜!!(爆
61 名前:名無し銀行 投稿日:2002年05月04日(土)11時36分53秒
少しナフタレン臭い布団を干すために、梨華とあゆみはベランダにいた。
「紗耶香、ちゃんと買い物できるかな?」
「柴ちゃん!“初めてのおつかい”じゃないんだから…」
じゃんけんの結果、紗耶香は一人で買い物係になったのだ。
普通は布団干しが一人なのだが、日焼けが大嫌いな梨華は根性で布団干しを勝ちとった。
「ここからも海がよく見えるねぇ」
梨華が布団のかかった柵に手を置いて遠くを見つめる。あゆみも相槌を打って、
「…梨華ちゃん、あのさ…」
と、窺うように梨華を見た。
「何?どうしたの、そんな顔して?」
「あの…吉澤さん…のことなんだけど…」
いざ言おうとした時、胸ポケットの携帯が鳴った。
あゆみは無視しようとしたが、梨華の律儀な性格はそれを許さない。
「柴ちゃん、電話だよ?早く出ないと!」
渋々携帯を出して相手を確認すると、あゆみの眉間に皺が寄った。
「…ったく。ちょっと待っててね」
あゆみは部屋の隅に行くと、小声で話し始めた。
いささか怒気を含んだ話し方に、梨華が首をひねる。
62 名前:名無し銀行 投稿日:2002年05月04日(土)11時38分36秒
「はいはい。わかりましたから…もう電話なさらないで下さい!!」
変な敬語で一方的に電話を切ったようだった。
あからさまに不機嫌な表情でベランダに戻ってくる。
「誰から?」
「…その…母の、会社の人」
やはり家庭のことを話す時、あゆみはひどく無口になるだけでなく、傷ついたような顔になる。
梨華は考え無しに訊いてしまったことを後悔した。
「ごめんね、柴ちゃん…訊いちゃ、まずかったかな?」
「ううん、平気。でも、ちょっと用事で…明日の朝には帰らなきゃいけないんだ…」
「え!?そう、なの…」
「うん…」
63 名前:名無し銀行 投稿日:2002年05月04日(土)11時39分33秒
何故か2人とも黙り、そのまま海を眺めた。
ふいにあゆみが謝る。
「あたしの勝手で…誘っといて2泊だけなんて申し訳ないなぁ。梨華ちゃんには危険な目にも遭わせたし…」
梨華は一生懸命首を横に振って答える。
「私はいいの!ちょっと怖かったけど…助かったから大丈夫!!」
「さんきゅ…」
あゆみが言うと、紗耶香の『ただいま』とビニール袋の音がした。
梨華はひとみについて、あゆみが言いかけたことをすっかり忘れていた。
紗耶香にも翌朝には帰らねばならない旨を伝えると、大して気にかけていないようで、
「あっそ。じゃぁ、吉澤を誘って遊ぼうぜ?あの子を家に居させておくのは我慢できん!」
と、突拍子も無い提案に梨華とあゆみは驚くが、ひとみのことを考えて賛成した。
64 名前:名無し銀行 投稿日:2002年05月04日(土)11時45分57秒
ひとみは昨晩、義父にいつもより激しく抱かれてへとへとになり、昼過ぎまで眠りこけていた。
ようやく起きて遅めの昼食の時、義母に玄関の掃除を言い渡された。
やはり義母はどこかよそよそしかった。
玄関には海の砂が絶え間なく飛んできて、掃いても掃いてもキリが無い。
じりじりと肌を焦がす太陽が憎らしい。
くしゃみをすると、昨日出逢った3人に無性に会いたくなった。
ボーイッシュでしっかりしている紗耶香、ほんわかしていても鋭いあゆみ、困ると眉を八の字にする癖のある優しい梨華。
本当のことを言えば彼女達に助けてもらいたい。
だが、助けを求めてもあの義父からどう逃げるというのだろう。
その時、手が止まっていたことを突風に気付かされ、慌ててちりとりを取りに行こうと振り向くと、誰かに正面からぶつかった。
相手は困った顔の梨華で、紗耶香とあゆみがにやけながら立っていた。
ひとみが素っ頓狂な顔で人差し指を立てて2・3度右手を振る。
梨華はその仕草が理解できずに紗耶香に尋ねた。
「市井ちゃん、何て?」
「ああ。どうしたの、って意味だよ」
65 名前:名無し銀行 投稿日:2002年05月04日(土)11時47分59秒
紗耶香は喉で笑いながらひとみに話し掛けた。もちろん手話なので、梨華とあゆみは黙ってそれを見ているだけだ。
『これから遊びに行くんだけど、一緒にどうだ?もちろん、そんな遠くまでじゃない。あいつらもあんたと行きたがってる』
『本当に!?ありがとう。でも私は…』
突然の来訪で驚いた上に、遊ぼうと誘われて嬉しくないわけではなかったが、ひとみは出かけるのが怖かった。
あの義父が遊びに行くのを、いい顔で許すなんてあり得ない。
返答に詰まっていると、紗耶香が後ろを向いてあゆみと梨華に何か言った。
梨華が怒った顔で口を動かしたが、わからなかったひとみは紗耶香に通訳してもらう。
『いつまでお義父さんに縛られているつもり?』
66 名前:名無し銀行 投稿日:2002年05月04日(土)11時48分35秒
聞いた瞬間、ひとみの心臓が強く跳ねた。
今までそんな自覚は無かった。あの義父に束縛され、嫌だと思いながらも逃げ出せなかった。
安倍家しか身寄りのない自分には仕方のないことだと言い聞かせてきた。
遠くに逃げたいという気持ちから逃げてきた。
(私は…ただの臆病者…?)
動揺するひとみの手からホウキが滑り落ちる。
それを待っていたかのように、梨華がひとみの左手首を掴んで走り出した。
引っ張られて走るひとみを見る梨華の顔は、心の底から嬉しそうで、ひとみもつられて笑顔になる。
紗耶香とあゆみが2人を追い抜き、楽しそうに笑った。
この日、初めてひとみは義父から逃げた。
67 名前:名無し銀行 投稿日:2002年05月04日(土)11時49分32秒
旅館の玄関先で砂を掃いているひとみを遊びに誘うという役目は、何となく梨華に決まった。
「時間がないんだからさっさと誘えって!」
「照れてる場合じゃないでしょ、梨華ちゃん!」
「ちっ…違うよ!照れてないんかないもん!!」
実際には、梨華はひとみに見とれていたのだ。
闇を溜め込む、美しい目で掃除をするひとみに。
また義父に抱かれたらしいことが梨華の頭をよぎった。
紗耶香とあゆみに再び急かされ、一歩前に出ると、ちょうどひとみが振り返り、正面衝突してしまった。
ひとみの人差し指を2・3度振る仕草が『どうしたの』という意味だと知った。
これでまた、ひとみと会話が出来るようになる。
そう思うだけで梨華は嬉しくなった。
紗耶香とひとみが手話で話している時、梨華はひとみの手の動きをじっと見つめていた。
「吉澤、何だか躊躇ってるみたいだぞ」
急に紗耶香が振り返って言った。
目線を手から顔に動かすと、ひとみは下を向いて寂しそうな表情になっていた。
梨華はまた義父のことを考えている。
遊びに行けるものも、義父の影がある限りは行けない。
そして、ひとみ自身が殻から出ようとしないことに怒りを覚えた。
68 名前:名無し銀行 投稿日:2002年05月04日(土)12時02分52秒
「市井ちゃん、ひとみちゃんに言って欲しいんだけど、いい?」
「え?いいけど…」
「いつまでお義父さんに縛られているつもりなの、って」
隣にいるあゆみに肘で突かれた。
「梨華ちゃん!そんな言い方…」
紗耶香は大きくため息をつき、ひとみに伝えた。
ひとみの狼狽する姿に、梨華の胸が痛む。
するりと落ちるホウキ。
梨華はたまらずひとみの手首を掴んで走り出した。
救いたい。救わせてください。
この子が幸せになれるまで、過去の悪夢から救ってあげたい。
紗耶香とあゆみに追い抜かれると、今度はひとみが梨華の手を引っ張って、前にいる2人を追い抜いた。
海まで行くと、ひとみが止まって梨華に何かを訊いた。
「えっとぉ…市井ちゃぁぁん!」
息も切れ切れの紗耶香に通訳を頼む。
「ああ、昨日のこと、もう平気なのかってさ…はぁ、はぁ…」
ひとみの顔を見て、梨華は頷く。
「平気だよ。ひとみちゃんが、助けてくれたから。心配してくれて“ありがとう”」
前日教わった手話を使ってお礼を言う。
ひとみは照れたように『どう致しまして』と返事をした。
太陽はただ、4人を照らすだけだった。
69 名前:名無し銀行 投稿日:2002年05月04日(土)12時12分12秒
今回の更新終了。
石川視点とよし君視点(64−66)が混じっております。

>58さん
それはもう、作者も心配で…(汗

>よすこ大好き読者。さん
救う、ということには色々な形があるわけでして…(謎
今はどのような展開にするか考え中です。

>だしまきたまごさん
お、落ち着いてください…きっと石川さんがキーになるはずですから…(汗
そういえば、どこかでお見かけしましたが…申し訳ない。
どこだかわからなくなりました>ぉぃ
教えていただければ光栄です。
70 名前:だしまきたまご 投稿日:2002年05月04日(土)18時11分43秒
おぉ!作戦決行ですな。どこに行くのかな〜っと♪
この先が楽しみです。
お見かけになったと、多分空板か紫板のどちらかじゃあないかと思います。
記憶にあったようで嬉しいっす。
71 名前:理科。 投稿日:2002年05月04日(土)18時55分29秒
初めて読みました...。
こんなよっすぃ〜、今まで見たことがありません。
続きが凄く気になります…。
4人で話すときの
描写がとても優しくて好きです。
がんがってください!
72 名前:れもん 投稿日:2002年05月04日(土)23時10分28秒
吉澤さんが…助けて下さい、作者様。
なんだか、涙が零れました。

切ないです。頑張って下さい。
73 名前:名無し読者 投稿日:2002年05月04日(土)23時27分07秒
吉澤さんついにはじめの一歩をふみだしましたね。
さあこのまま救われるのか。救えるのか。
…ドキドキ。
74 名前:よすこ大好き読者。 投稿日:2002年05月06日(月)13時56分34秒
展開が読めないですが、少し光が射してきた?
続き期待して待ってます。
75 名前:名無し銀行 投稿日:2002年05月08日(水)19時38分53秒
4人は棒倒しやビーチフラッグ、浅瀬の稚魚の追跡などで遊んだ。
ビーチフラッグでは紗耶香とひとみが勝負することになった。
「悪いけど、体育祭じゃ私は徒競走で毎年1位だったんだよね。フッフッフ…」
自慢げに手話付きで言う紗耶香。梨華がムッとして反論する。
「ひとみちゃんだって力は強いんだから!ね、ひとみちゃん!」
ひとみは首をひねって眉を顰めるだけだった。
ついでに敗者チームが昼食を奢るというルールを紗耶香が付け足す。
梨華はひとみに、あゆみは紗耶香に賭けた。
勝負の前に紗耶香とひとみが静かに言い合う。
『負けたからって恨むなよ?』
『その言葉、そっくりそのままお返しします』
何を言っているのかわからないあゆみと梨華だった。
76 名前:名無し銀行 投稿日:2002年05月08日(水)19時39分38秒
何を言っているのかわからないあゆみと梨華だった。
「梨華ちゃん、あの2人何だって?」
「わかんないよぅ…」
旗とは反対に頭を向けて、紗耶香とひとみがうつ伏せになる。
「よーい…スタート!」
2人の目を見てあゆみが手を叩き、スタートの合図を知らせる。
起き上がりは紗耶香だったが、ひとみの方が走りは速く、僅差でひとみの勝ちとなった。
「やっばい!!ごめん、柴田!!」
「さーやーかー!!!」
慌てて財布を確認する紗耶香とあゆみに、梨華とひとみが笑い合い、互いの手を叩いた。
77 名前:名無し銀行 投稿日:2002年05月08日(水)19時40分44秒
夕方近くになり、持ってきたビーチボールで紗耶香が何気なくトスを上げると、ひとみが上手く拾った。
反射の良さにあゆみが拍手をする。
「吉澤さん、ナイス!」
紗耶香は自分の手に戻ってきたビーチボールをあゆみに渡して尋ねた。
『学校でバレーボールとかやってたの?』
『ううん。バレーボールの試合をテレビで見ていて、それを真似ただけ』
それを紗耶香から聞き、あゆみは目を輝かせた。
「すっごいじゃん!!今からでも練習すれば大会だって出られるよ!!ねぇ、梨華ちゃん?」
「……」
「あの、梨華ちゃん?」
あゆみは先程からボーッとしている梨華の顔を覗き込んだ。
「え!?あ、うん…」
「どうかした?心ここにあらず、って感じだけど」
梨華が下を向いて首を激しく横に振る。
「全然!!どうってことないの…ちょっと、疲れちゃって…」
「ふぅん…?」
78 名前:名無し銀行 投稿日:2002年05月08日(水)19時41分45秒
海に着いて早々と、梨華はまたもビーチボールを膨らませる係を押し付けられ、眩暈を起こしながらも一人で格闘していた。
「もぉ…くらくらするよぅ…」
ボールを口から離すとひとみがやってきて、隣に座った。
梨華が早速手話を使う。
「ひとみちゃん?“どうしたの?”」
あゆみがノートとペンを持ってきていたので、ひとみは書いて見せた。
『大丈夫?手伝おうか?』
「あ、大丈夫だよ。ちょっと疲れちゃったけど…」
ひとみが紙に書く少しの間、海に目を遣る。砂と波の泡が混じる瞬間を見た。
耳に心地よい波の音も、ひとみには一切聞こえない。
音というものが聞こえるからこそ“音”を判別できるが、それがわからないひとみは“音”をどのようなものだと認識しているのだろう。
突然、海を見ていた梨華の目の前にノートを出された。
『でもあんまり膨らんでない。やっぱり私が手伝う』
ノートを置くと、ひとみは梨華の手中にあったビーチボールを奪う。
「あ…」
ひとみは素早く膨らませ、あっという間に完成させた。
そしてニッといたずらっぽく笑い、ボールを持って紗耶香とあゆみのもとへ走って行く。
(間接キス…しちゃった…)
79 名前:名無し銀行 投稿日:2002年05月08日(水)19時43分16秒
紗耶香とあゆみとはいつも何も考えずにジュースなどの回し飲みをするが、ひとみが空気口に口を付けた時、梨華はドキドキした。
そのシーンばかりが目の奥で繰り返される。時にはスローモーションで、時にはアップで。
あゆみが隣にいて話し掛けてくれても、何も耳に入らない。
まるで少年のように、紗耶香とボールを投げ合ってはしゃぐひとみを目で追ってしまう。
茶髪が常識の今時、ひとみの真っ黒な髪が光を柔らかく反射する。
日焼けしたら真っ赤になりそうな白い肌が、夕刻の海の藍に映えて美しい。
「…かわ…石川!!」
紗耶香の大声に我に返り、梨華はやっと返事をした。
隣にいたあゆみは、いつの間にか波打ち際でひとみと砂山を作っていた。
80 名前:名無し銀行 投稿日:2002年05月08日(水)19時43分53秒
「なっ!何!?」
「吉澤、どうしようかって言ってんだけど…」
「え?どういうこと?」
紗耶香はひとみに見えないように口元を手で隠し、声をひそめて梨華の耳元で言う。
「…あいつをまた、あの家に戻らせるのかどうか…」
その時、ひとみのズボンが波に濡れたのを見た。
「それは…やっぱり…」
そう、ひとみが解放される時間はほんの一瞬でしかない。
帰るところはあの安倍家だけだ。
「帰らせる…か?」
紗耶香が強い目で訊く。梨華の頭は混乱する。
81 名前:名無し銀行 投稿日:2002年05月08日(水)19時45分20秒
善人ぶってひとみを帰らせて、それからどうなる?


彼女が苦しむだけ?
それとも私たちが苦しませるのか?


見返りのない仕事や、性的な義父の暴力を押し付けて。
ひとみから逃げるのは自分達。


何もできずに、明日の朝には自分達はのんびりと帰って。
来年も絶対に行こうね、とか言いながら、大学が始まったら忙しくなって。


だんだんと記憶の押入れにしまわれていく出逢い。
あんなこともあったなぁ、なんて思い出したりして。


そのままひとみを忘れる?
自分達が犯した罪を、綺麗さっぱり流したつもりで?


そんなの…嫌だ!!!
82 名前:名無し銀行 投稿日:2002年05月08日(水)19時46分19秒
梨華は半ば紗耶香を睨むような、意志に満ち溢れた目で答えた。
「ひとみちゃんを、このまま帰らせるなんて出来ない。今日だけでも、私達と泊まって欲しい」
「…そうか…」
紗耶香がため息をついたので、梨華はいささか不安になる。
「え?何で?ダメなの?柴ちゃんと市井ちゃんは帰らせた方がいいって思ってるの?」
梨華の質問をかわし、紗耶香は尋ねた。
「本当に、吉澤を泊まらせたいのか?」
「…うん」
そう聞いて紗耶香の表情が緩む。
「実は、柴田も私も同感それには同感なんだ。それでな…」
昨日に紗耶香とあゆみが話し合ったこと
――ひとみを自分から家出させるように気持ちを動かす計画――
を梨華は聞いた。
「で、今日の夜までにはその気にさせようって計画さ」
83 名前:名無し銀行 投稿日:2002年05月08日(水)19時46分56秒
自慢げに語る紗耶香に、梨華が憤慨して詰め寄る。
「ひどい!何でもっと早く言ってくれなかったの!!」
「いやっ…だってさ、石川があんまりネガティブだったから…時期を見ようと思って…」
「ネガティブなら大事なことは言わなくていいわけ!?」
「そういうわけでもなく…あの、それには事情があってね、柴田と決め…」
「柴ちゃんも!?」
下らない言い合いに、あゆみとひとみが戻ってきた。
「何さ?どうしたの?」
梨華は今度はあゆみを睨みつけた。
「柴ちゃんも私に内緒にするなんて!!」
「…あ!紗耶香のバカ!!もっと上手く言いなよ!!」
「そんなこと言ったってしょうがねーだろ!!」
ひとみは3人のケンカを、帰り支度をしながら見ていた。
84 名前:名無し銀行 投稿日:2002年05月08日(水)19時48分09秒
誘ってくれたお礼に、とひとみは3人を柴田家まで送ったところまではいいのだが、
「お茶でも飲んで行けば?」
という柴田の誘いを断り、さよならも言わずに帰ろうとしたのだった。

本当は帰りたくない。
このまま、どこかへ逃げたい。

そんな気持ちを振り払う為だった。
それからまた悪い癖が出る。

諦めるという癖。

あの家に帰るのは義務。
だから戻らなければならない。
今まで外に行ってもそうしていたし、これからもそうするつもりで、至極当然のことなのだ。
だからさっさと帰ろう。
突然、梨華が背を向けたひとみのポロシャツを両手で掴む。
『どうしたの?』
不自然な体勢で後ろを向いて、ひとみは既に見慣れた仕草で問う。
しかし梨華は何も言わず、手が白くなるまで服を掴んで放さなかった。
85 名前:名無し銀行 投稿日:2002年05月08日(水)19時48分50秒
助けを求めようとあゆみと紗耶香を見るが、彼女達は顔を見合わせ、自分達は邪魔だと判断したのか、先に家に入っていった。
2人きりで、夕方の涼しい風が吹く。
だんだんと空の色が濃くなっていく。
自宅に早く帰りたいという焦燥感と3人と一緒にいたいという願望が混じって混乱する。
『…どうしたの?』
もう一度ひとみが問うと、梨華は小さく呟いた。
「帰っちゃ…ダメ…」
よく見ると、梨華の体は震えていて、小さくしゃっくりをしていた。
泣いていることは容易にわかる。
ひとみはどうしても、その手をのけられなかった。
86 名前:名無し銀行 投稿日:2002年05月08日(水)19時49分41秒
結局、泣き落とす形でひとみを泊まらせるようにしたとは言え、誰の目から見ても、ひとみは非常に楽しそうだった。
梨華は改めて、ひとみを引き止めてよかったと思った。
同年代の子たちとの賑やかな夕食は、どれほど久しいことか。
「え!じゃ、吉澤さんって、あたし達より年下なの!?」
あゆみを見てひとみがゆっくり頷く。
傍らに置いてあるノートに年月日を書き込んだ。
『1985年4月12日』
「へぇ、石川と3ヶ月しか違わないのかぁ…」
紗耶香は感慨深げに梨華とひとみを見比べる。
「たった3ヶ月でこの違い…」
きょとんとするひとみの隣で、梨華が頬を膨らませて怒る。
「何よ!どうせ私は子供ですよーだ!」
「誰も何も言ってないから!あははは…って吉澤?」
「梨華ちゃんのこと、すっごい見てるけど…」
あゆみが目を瞬く。ひとみにじっと見つめられているので、梨華の顔は赤くなる。
「ど…“どうしたの?”」
照れながら訊くと、ひとみは右手で梨華の顎をくいっと持ち上げた。
ちょうど、キスできる角度に。
87 名前:名無し銀行 投稿日:2002年05月08日(水)19時50分15秒
「はぁぁ!吉澤さん!?」
「ん?ぶほっ…!!」
怪奇な声を上げるあゆみと、飲みかけの水を吐き出しそうになる紗耶香。
「ひとみちゃ、こんな、ところで…」
梨華が変な想像に圧されて抵抗する間もなく、すぐにひとみが手を放してノートに書き込む。
「だはぁー…焦ったぁ…」
「紗耶香が焦ってどうするっていうのよ。あたしも吉澤さんが何するのか、わかんなかったけど」
梨華は火照った顔を鎮めようと両手を頬に当てる。
まるでひとみの目はガラス玉で。
凝縮された宇宙に、自分がその黒目に映っていて。
何だか恥ずかしくて。
ひとみはくすくすと笑いながらノートを3人に差し出した。
『意外と梨華ちゃんの顎、出てるんだね』
「…顎!!」
紗耶香とあゆみは、収集がつかなくなるまで笑いこけた。
88 名前:名無し銀行 投稿日:2002年05月08日(水)19時51分19秒
一番風呂を味わうのは、もしかしたら初めてかもしれない。
とりあえず遠慮はしたものの、ひとみは梨華たちに言われるまま、最初に風呂に入った。
やはり、他人と会話することが楽しかった。
すぐに自分の言いたいことが伝わらなくても、今までの鬱憤を晴らすかのように喋った。
髪を洗うと、前髪に水滴が集まって雫になり、最後には落ちていった。
湯船に浸かって、ゆらゆらと揺れていた水面が落ち着いてくると、自分の顔が歪んで映る。
ふと、なつみのことを思い出す。
ついでに明日の仕事のことと、忌まわしい義父の顔も。

帰らなくていいのだろうか。

いや、これでいい。

梨華に泣かれて帰るに帰れないだけだと思ったが、何の事はない。

自分から帰ろうとしていないのだ。
89 名前:名無し銀行 投稿日:2002年05月08日(水)19時52分09秒
もし。

もし自分があの家を出たら、なつみはどうする?

泣くと優しくしてくれたなつみ。

仕事でヘマをした時に厳しく叱ってくれたなつみ。

他愛ない話に笑ってくれるなつみ。

本当の姉以上に姉らしかったなつみ。


そんななつみを捨てるのか?
一体、彼女はどんな表情をするだろう。

長いこと湯船の中で考えていたので、少し眩暈がした。

90 名前:名無し銀行 投稿日:2002年05月08日(水)20時05分43秒
こ、こんなにたくさんのレスが…ありがとうございます!!

>だしまきたまごさん
作戦決行ですが…やはり近所の海でした(w
そして作品を拝見させていただきました。
空のいしよしのよし君、非常にカッケーです!

>理科。さん
ああ!どうもありがとうございます!
がんがります!!
理科。さんの作品は溶けそうになります!!好きです!!
理科。さんもがんがってください!!!

>れもんさん
ハァッ!ありがとうございます!!
がんがります!!!
れもんさんの作品は不思議な雰囲気で好きです!!
れもんさんも頑張ってください!!!

>73さん
救われるか(救えるか)否かはもう少し先ですね。
あしからず。

>よすこ大好き読者。さん
ありがとうございます!
うーん…まだ光は雲の隙間から、の程度ですね。
91 名前:理科。 投稿日:2002年05月09日(木)05時23分10秒
よっすぃ〜はどっちを選ぶんだろう…。
この3人で何とかしてあげてほしいですね…。
がんがってください。
92 名前:夜叉 投稿日:2002年05月09日(木)20時31分28秒
作者様の文章表現に引き込まれました。
吉のこれからの行方が気になります、頑張って下さい。
93 名前:だしまきたまご 投稿日:2002年05月10日(金)21時04分35秒
う〜ん…、吉のキモチも分からんでもないが…難しいところっす。
この先に期待!!
94 名前:名無し銀行 投稿日:2002年05月15日(水)23時24分16秒
ひとみが風呂に入って間もなく、梨華は切り出した。
「これからどうするの?ひとみちゃんがお風呂から出てくる前に決めようよぉ」
のんびりと座っていた紗耶香とあゆみが座りなおす。
「うーん…ね、紗耶香。そろそろ吉澤さんも家出したくなってる頃じゃない?
これだけ解放されたら、もう束縛されるのは嫌になるよね?」
身を乗り出し、あゆみが目を輝かせて言った。
しかし紗耶香の表情が硬い。
腕を組み、細目でテーブルを睨んでいる。
「さぁ…どうだろうな」
「何でよ?あたしだったらソッコーで家出したいけど?」
腰を落ち着け、いささか怒気を含んだ口調で問うあゆみに、梨華の眉毛は微妙に下がる。
「あのさぁ、柴田みたいに単純じゃ…ああ、失礼。でな、吉澤は優し過ぎるんだよ。
他人の為に、自分を犠牲にして諦めることすら厭わないんだ。例え…それが性的虐待でも」
紗耶香の言うことはいつも難しい。それでも梨華には何となく理解できる。
「それって…義理のお父さんに対して?」
梨華は一生懸命考えているあゆみに助け舟を出すように尋ねた。
95 名前:名無し銀行 投稿日:2002年05月15日(水)23時26分40秒
「うん。吉澤は“自分を引き取ってくれた”って負い目を感じてたから、今まで抵抗しなかったんじゃないかな?
ほら、なつみさんだっけ?世話になったって人。
家出するならあの人も捨てるってことになる。私だったら…世話になった人を捨てるのはちょっと…」
あゆみは納得したように頷いて、
「でもさ、吉澤さんだって嫌なことは嫌でしょ?いくらお世話になったからって…」
と、ひとみの気持ちについて話そうとした。しかし、紗耶香はもういいと言うように椅子から立った。
「まぁ。そりゃ、人間だから。でも結局さ…」
そうして梨華とあゆみに背を向け、黙ってドアノブに手を掛ける。
2人は急かしたいのを我慢して、次の言葉を待つ。
「…結局は、吉澤次第だよ。家族を諦めるか、私達を諦めるのか…
それが決まってからでいいだろ、吉澤をどうするかなんて…」
ため息混じりにそう言って、静かにリビングを去った。
「なーんか嫌なカンジ!」
あゆみが先程のだるそうな態度に怒りを露わにする。
梨華がなだめながら、紗耶香の言った意味を頭の中で反芻する。
96 名前:名無し銀行 投稿日:2002年05月15日(水)23時27分27秒

この先を補助できるのは、彼女が家族を諦めてから。


それまでは誰だってどうにもできない。どうにもならない。


とにかく焦るな。全てを彼女に任せるんだ。



紗耶香らしいメッセージだと梨華は思った。
97 名前:名無し銀行 投稿日:2002年05月15日(水)23時37分16秒
ああーこんな少ししか更新できなくてごめんなさい!!
私事で恐縮なのですが、受験生なので…
更新はバラバラ・まちまち・ちょこちょこになります。
本当にごめんなさい。

>理科。さん
ありがとうございます!がんがります!
この3人、今は、一応手を出せない状況にありますね。
市井ちゃんの言葉どおり、よし君次第です。。。

>夜叉さん
えぇ!?夜叉さん!!ありがとうございます!!
夜叉さんの作品の幻想的なところがスキです!!
夜叉さんもがんがってください!!

>だしまきたまごさん
微妙ですよね、よし君…っていうか優柔不(略

全然ストーリーが展開しなくて申し訳です。。。
98 名前:よすこ大好き読者。 投稿日:2002年05月16日(木)12時51分24秒
究極の選択を迫られてる吉……。
どうなるんだろう?マターリ待っています。
99 名前:だしまきたまご 投稿日:2002年05月18日(土)15時35分32秒
ここのいちーちゃん、何気にかっけ〜くて好きです!
よっすぃ〜はどうするんでしょうか?
受験勉強大変そうっすね、がんがってください。
100 名前:名無し読者 投稿日:2002年05月25日(土)12時19分33秒
紗耶香とあゆみの関係がイイ感じに見えてしょうがないんですが(w
2人にも未来はあるんでしょうか……期待(w
101 名前:名無し銀行 投稿日:2002年05月29日(水)21時27分05秒
紗耶香がリビングを出てから、梨華とあゆみの間には会話がなかった。
それは決して気まずくはなく、むしろ安堵感に近いような感じ。
ふと、ドアがキィと音を立てて開く。
ハッとして2人がその方向を見る。
ひとみが風呂から上がってきたのだった。
肩にタオルを掛け、昼間に着ていたTシャツとジーパンを畳んで、しっかり抱えていた。
濡れた黒髪がゆるやかに電灯を反射して、ひどく柔らかい彼女の印象を与える。
言ってしまえば、着の身着のままひとみを連れ出してきたので、もちろん着替えなど持っているはずもなかった。
ひとみの身長に合う服を持っているのが紗耶香しかおらず、下着以外は紗耶香が持っていたTシャツとジャージを貸したのだった。
ひとみは上着をつまんで、『どう?』と言いたげに首を傾げた。
「ぴったりだよ、市井ちゃんのジャージ」
「本当!紗耶香が着るとダボダボなんだけどね」
言ったことがわかったのか、ひとみが小さく笑った。
102 名前:名無し銀行 投稿日:2002年05月29日(水)21時28分24秒
「そうだ、梨華ちゃん。お風呂入ってきたら?お湯が冷めないうちに、ね?」
急にあゆみが言い、梨華は遠慮がちに眉を下げる。
と、いうよりも顔が微妙に赤いので照れているのだろう。
「え…でも、その…」
どうやらひとみの次に風呂に入ることを恥らっているようである。
あんたは思春期の男子中学生かい、と突っ込みたいあゆみ。
「いいからいいから。さ、いってらっしゃい!」
と、強引に梨華の背中を押してリビングから出す。
その際に、梨華が非常に不満そうな表情をしていたことは無視しておく。
あゆみは冷蔵庫の横にある引出しからペンとメモ帳を出し、ひとみの真向かいに座る。
「今日はどうだった?」
ひとみは笑顔で、開いた両手を体の前で左右上下に振った。
「えっと…これ?えーっと…」
あゆみも同じ動作をしてみるが、全くわからない。
ひとみがペンを取ってすらすらと書く。
少しなら手話がわかるだろうと思っていたが、あゆみは手話の難しさを実感するだけである。
最初からペンを使えばよかったと後悔したのだった。
103 名前:名無し銀行 投稿日:2002年05月29日(水)21時29分06秒
コンコン、とテーブルを小さく叩かれて目線を元に戻す。
『楽しかったよ』
差し出されたメモ帳を見て、あゆみがにこっと笑う。
「そりゃぁよかった。うん、あたし達も“楽しかった”」
先程ひとみがしたように手を動かすと、ひとみは大きく頷いて照れたような顔になった。
「喜んでもらえれば、あたし達も嬉しいし…ま、その…そんな感じで…」
そう言って気まずそうに下を向くので、ひとみはどうしたのかと尋ねた。
「ん?あ、その…明日の朝、なんだけどね…」
じっとあゆみを見るひとみは肩のタオルを手に持った。
「あたし達、明日の朝、帰るんだ…」
104 名前:名無し銀行 投稿日:2002年05月29日(水)21時31分22秒
そう言った瞬間、ひとみの腕から力が抜ける。
湿ったタオルは、まるで乾いているかのように軽やかに落ちた。
「本当はね、もうちょっといるはずだったんだけど…あたしに用事ができたから…」
それ以降の静寂に対して、あゆみはひどく冷静だった。
ひとみに言う前は、もっと怯えていた。
動揺するのではないかとか、泣きそうな顔だったらどうしよう、といったことを考えた。
でも、今やそんな感情は一切なくなり、あゆみはしっかりと彼女を見る。
「…あ」
唇を動かさずに喉から声を出してしまうほど、ひとみの表情は穏やかに見えた。
105 名前:名無し銀行 投稿日:2002年05月29日(水)21時32分02秒
テーブルを、いや、空を柔らかく見ている。
それでも、内面の諦めと悲哀を感じさせない。
敢えてひとみの状態を簡素に言うとすれば、“無”。
感情表現の落し物をした代わりに、笑顔というリアルな仮面を、ひとみはどこで拾ったのだろう。
どうやっても持つことのできない、負のエネルギーが醸し出す美しさ。
やがてひとみはゆっくり元の表情に戻り、強張ったあゆみと目が合うと優しく微笑んだ。
(まただ…)
あゆみには理解できなかった。
ひとみの、余りにも優しさに溢れた笑の意味が。
「…梨華ちゃんって、長風呂だから…待ってないで早く寝た方がいいよ?」
ひとみが小さく、さもおかしそうに笑った。
106 名前:名無し銀行 投稿日:2002年05月29日(水)21時32分48秒
風呂から上がり、梨華はわりと上機嫌だった。
しかしあゆみから『ひとみに明日の朝には帰ることを言った』と聞いた。
「何で言っちゃったの!?私が言いたかったのに!」
甲高く叫んだ梨華に対し、あゆみは両手を合わせて謝った。
「ごめんってば。吉澤さんの悲しそうな表情、梨華ちゃんには見せたくなかったからさ…」
「だからあの時、無理やり私を…ありがたいけど、タイミングってものを考えてよ!!私とひとみちゃん、気まずくなっちゃうじゃない!!」
紗耶香とあゆみが気を利かせて勝手に部屋割りを決めた為に、梨華はひとみと同室なのだ。
梨華の怒る気持ちがわかっているのかいないのか、あゆみはあっけらかんとしている。
「あ、そっか。でもさ、いずれは言わなきゃなんなかったことでしょ?っていうか、もう遅いからあたしは寝るよ。じゃ…」
手を振ってドアノブを掴むあゆみ。梨華の眉が徐々に下がる。
「ちょっと柴ちゃん!!」
「ん?ああ、忘れてた。仲良くしすぎてもいいけど、声は自粛してね〜」
おやすみ、と楽しそうに言ってあゆみは紗耶香のいる部屋へと消えた。
「柴ちゃんの大バカ!!!」
107 名前:名無し銀行 投稿日:2002年05月29日(水)21時33分35秒
一喝して複雑な気持ちで部屋に入ると、ひとみはベランダで空を見ていた。
小さくため息をついてドアを閉める。
予備があったので、どうにか同じ布団で寝ることはないが、どうも緊張してしまう。
そっとひとみに近づき、肩を叩く。
梨華を見ると、ひとみは微笑んだ。
わずかに潮の匂いがする夜風のせいで、前髪がいたずらに目をくすぐる。
「ね、もう寝ない?私もひとみちゃんも、明日の朝は早起きしなきゃ、だもん」
と言うと、ひとみは部屋に戻り、素直に頷いて布団に入った。
梨華はゆっくり窓を閉める。
そして気付かれないように、ひとみと並んで敷いてある自分の布団を、素早く引き離した。
理由は簡単。恥ずかしいから。
電気を消そうとぶら下がった紐に手を伸ばすと、ひとみに服を掴まれた。
「ん?何?」
下から梨華を見上げるひとみは少し寂しそうだった。
梨華はその表情に心がちくりと痛んだ。
『お・や・す・み』
ひとみの口が動いて、梨華も返事をした。
「うん、おやすみ」
108 名前:名無し銀行 投稿日:2002年05月29日(水)21時34分37秒
普段は電気を完全に消して寝る梨華も、夜中に何かあってひとみが話し掛けてきた時に手が見えないと厄介なので、豆電球だけは消さないでおいた。
梨華も布団に潜り、ひとみに背を向け、懸命に寝ようと目を瞑っていたが、どうも眠れない。
規則正しいひとみの息遣いに、非常に胸が高鳴る。
(私は何を考えてんだか…。早く寝なきゃいけないのに)
そうやって雑念を振り払おうとすればする程、余計に落ち着かない。
コチコチと時計の秒針が、冴え渡る脳に響いては耳に残る。
(もぉー!柴ちゃんと市井ちゃんが部屋を勝手に決めるから!)
ついでにあゆみが寝る前に言っていたことを思い出す。
109 名前:名無し銀行 投稿日:2002年05月29日(水)21時35分11秒
『仲良くしすぎてもいいけど、声は自粛してね〜』
言いながら笑っていたあゆみに、またも梨華は怒鳴りたくなるのだった。
(柴ちゃんの…エロオヤジ!!!)
間接キスをした時はぎこちなかったが、確かにひとみと一緒にいると楽しいし、胸が締め付けられるように感じる。
夕刻の海を見ている時と同じくらい、いとおしく思える。
だからと言って、この感情がひとみへの恋心なのかと問われれば、それとは少し違う。
ひとみの生い立ちに関する同情か、ひとみを連れ出した責任感か、もしくは守りたいという母性愛。
(色んな感情がこんがらがって…苦しい…)
110 名前:名無し銀行 投稿日:2002年05月29日(水)21時36分00秒
大きなため息をつくと、衣擦れの音がした。
ひとみの方から小さなしゃっくりが1回だけ聞こえた。
(ひとみちゃん…しゃっくり?)
不思議に思い、梨華も体を起こす。
薄暗いオレンジ色の光の中、ひとみは目を擦ってしゃっくりを堪えているのだった。
歯を噛み締めて、涙を躍起になって止めたいらしかった。
座ったまま布団から出て、ひとみの肩に手を置く。
ひとみは一瞬体を強張らせ、涙で揺れる目で、怯えたように梨華の方に首を向ける。
「…ひとみちゃん…?」
首を傾げると、ひとみは梨華を抱きしめた。
長く伸びた腕が梨華の体に優しく巻きつく。
梨華もひとみの背中に腕を回し、あやすように軽く叩く。
しゃっくりのせいでひとみの体はビクッと動いて、梨華はその度、腕に力を込める。
きっとひとみには言いたいことが山ほどあろう。
だが、今は言葉などいらない。
2人はそうして時を共有した。
111 名前:名無し銀行 投稿日:2002年05月29日(水)21時36分54秒
遠い波音が時間の経過を曖昧にして、どれくらい経ったか。
耳元で、最小限のしゃっくりが聞こえていたが、そのうちに規則正しいリズムが刻まれた。
それと同時に、梨華の体にひとみの体重が少しずつかかっていく。
(あれ?ひとみちゃん、だんだん重く…)

すー…ひくっ。
すー…ひっく。
すー…すー…ひっく。

(ちょっと…もしかして…)
間隔のあるしゃっくりを続けながら、ひとみは寝てしまったようだ。
(もぉ、しょうがないなぁ…)
できることなら起こさないように、そっとひとみを横たえようとする。
「…きゃっ!」
しかしひとみの腕はしっかりと梨華を放さず、梨華はひとみに抱きしめられたまま、布団に倒れこんだ。
(どうしよう…ひとみちゃんの顔が…近い…)
正確に言うと、ひとみの顔は梨華の頭の上にあった。
ひとみが息を吐くと、梨華の髪がさらりと揺れる。
あともう少し上を向けば、キスもできる距離だ。
112 名前:名無し銀行 投稿日:2002年05月29日(水)21時38分06秒
(…キス、か…ってもうやめよう…)
視界に入ってきたひとみの唇は薄く、口紅など使わなくても綺麗な桜色に染まっている。
長い睫毛と共に、無防備に閉じられた瞼。
その奥に隠れた瞳は、一体どんな未来を見ているのだろう。
いや、もしかしたら今を見るだけで精一杯なのかもしれない。

今夜、夢だけでも幸せでありますように。

そう願い、だいぶ心臓も落ち着いてきたところで、梨華も目を閉じた。
そこで気付いた。
ひとみに抱きしめられると、体も心も暖かいのだ。
夏だというのにちっとも暑苦しくなく、むしろ居心地がよい。
(ちょっとくらいなら…いいよね…)
梨華はひとみの肩口にこつんと額をくっつけた。
そして久し振りに、安心して眠りにつくことができた。
113 名前:名無し銀行 投稿日:2002年05月29日(水)21時38分59秒
忙しかったのでなかなか更新できませんでした。
早く大学生になりたい…(w

>よすこ大好き読者。さん
うーん。テストで言えば、得意科目を捨てて苦手科目に専念して点を取るか、苦手科目を捨てて得意科目で勝負するかってくらいの究極ですね(謎/w
>だしまきたまごさん
ああ、貴方も学生さんですか…お互いに( ^▽^)ファイ!
いちーちゃんはカッコよさげにしてあります。
よし君と同じくらいカッコよくできたら、と思ってます。
>100さん
何気にゲット。おめ。
そうかぁ…いちしばってテもありましたね!
2人の未来を楽しみにお待ちください(w
114 名前:夜叉 投稿日:2002年06月01日(土)22時47分22秒
来るべき朝は二人に何を連れてくるのか、気になります。
毎回読んだ後に胸の中が満ちていきます。がんがってください。
受験の方もがんがってくださいね、道は自分で作る物だと言いますし。
115 名前:だしまきたまご 投稿日:2002年06月05日(水)18時28分23秒
今更ながらレスさせていただきやす。
勉強もしなきゃならないし、大変だと思うですが…がんがりましょう!
この後二人はどうするのか…よっすぃ〜の運命やいかに!!って感じっす。
楽しみにしてま〜す。
116 名前:名無しでごじゃいます。 投稿日:2002年06月11日(火)19時16分53秒
ああ…。
凄い気になります!
梨華ちゃん…よっすぃ〜を助けて
あげて…(涙
117 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2002年06月16日(日)05時49分22秒
一気に読ませていただきました。
ここのよっすぃ〜すっごくイイですね。
よんでて胸が苦しいです。ああ、続きが楽しみです。
受験の方も大変でしょうががんがって下さい。
118 名前:aa 投稿日:2002年06月16日(日)12時34分34秒
http://www.geocities.co.jp/AnimeComic-Name/6109/saisyo.htm
119 名前:名無し銀行 投稿日:2002年06月24日(月)23時31分56秒
「ふわあぁぁぁ…よく寝たぁ…」
あゆみは何年振りかに気分よく起きた。
梨華に下世話な警告をした後、しばらくは聞き耳を立てて起きていた。
廊下を挟んだ部屋の、小さな音も聞き逃すまいと必死になっていた。
『…お前、ただのエロジジイと化してるぞ』
紗耶香にはそう罵られたが、あゆみが人差し指を口に当て、
『シーッ』
と言いながらウインクをすると、紗耶香はため息をついて寝てしまった。
しかし、夜には強いあゆみも、余りにも進展のない空気に飽きて眠気に襲われ、気が付いたら朝になっていたのだった。
「んーっ…」
伸びをして隣の布団を見る。
紗耶香は頭まで掛け布団をかぶり、形から判断すると、恐らくは布団の下で丸まっているはずだ。
昨日はあゆみの方が起こしてもらったので、紗耶香のこの癖は初めて見る。
(…窒息しないのかな…?)
120 名前:名無し銀行 投稿日:2002年06月24日(月)23時32分42秒
とりあえずリビングに降り、ボーッとしながらカーテンを開ける。
「今日もいい天気だねぇ…」
ガラスの屈折で七色に差し込む光を見ながら思う。
自分達に逢わなければ、今日もひとみにとっては何の変哲もない一日になるはずだった。
そしてあゆみ自身もここに来てなければ――もっと言えば逃げてなければ――いつも通りに、あの家で押し潰されそうになっていたところである。

『…お父さん…』

『お前の母親は俺を裏切った…』

『…え?』

『お前なんぞ認めるわけにはいかない…』

『お父さ…』

『俺を父と呼ぶなぁぁぁぁっ!!!』

耳の奥で“あの男”の声が蘇る。
あゆみはそれを振り払うように頭を横に振って、深呼吸をした。
「さて…みんなを起こすとしましょうか」
121 名前:名無し銀行 投稿日:2002年06月24日(月)23時33分20秒
まず紗耶香を起こしにかかる。
一定のリズムで布団が上下しているが、誰の目から見ても苦しそうだ。
ふぅ、と息を小さく吐いて紗耶香に近づく。
「紗耶香、起きて。早くしないと電車に遅れるよ!」
揺さぶりながら声をかけると、紗耶香の頭が布団からゆっくり出た。
「…ん。もう朝か…」
やや眩しそうに目を細めて起き上がる仕草が面白く、あゆみはついホッとしてしまう。
「紗耶香って、いつもこんな風に起きるの?」
「…毎朝のことだよ…気にすんな」
返事が1秒ほど遅いのも、毎朝なのかと聞きたかったが、時間がなくなりそうだったのでやめておいた。
「あのね、先に朝ご飯の準備だけしててくれない?あたしは布団干しをしたら、梨華ちゃん達も起こしてくるからさ」
「…了解」
大きな欠伸の後、紗耶香は布団を跳ね除け、素早く着替えて階段を降りた。
122 名前:名無し銀行 投稿日:2002年06月24日(月)23時33分54秒
「…よいさっと。次は…」
布団を干し、梨華たちの部屋へ向かう。
昨晩の様子からだと何もないのだとは思いつつ、あゆみは密かに期待して、思わず厭らしい笑みがこぼれる。
ドアをノックして、声を掛ける。
「梨華ちゃーん?起きて!朝だよ!」
しかし中からは何の反応もない。イライラしながら再び言う。
「…あのぉ。起きてる?遅刻するよ!」
耳をそばだてても、返事らしい声は聞こえてこない。
(もしや…疲れて寝入ってる…!?)
そうしてイライラはワクワクに変わった。
「フフフ。失礼しまぁす…」
そっとドアを開けて中をのぞき見る。
「…はっ!!!」
柴田は硬直した。
そこには何と、吉澤に抱きしめられ、密着しながらも嬉しそうな表情で眠る梨華がいた。
「まさか予想が当たるとは…紗耶香ぁぁ!!」
123 名前:名無し銀行 投稿日:2002年06月24日(月)23時34分30秒
あゆみがどたどたと急いで階段を降りてリビングに入ってきたので、紗耶香は怒った。
「うるさいよ、柴田!!埃が…」
舞って汚い、と続けようとしたが、
「そんなことはどうでもいい!!お赤飯炊いて!!」
と、目を輝かせて無茶なことを言われた。
「バカ。何なんだよ、お赤飯って」
「だってさ、あの2人がめでたく結ばれたんだから、お祝いしなきゃ!」
紗耶香にはあゆみの言葉が理解できなかった。
「…ああ?」
「だ・か・らぁ、梨華ちゃんと吉澤さん!キャッ!」
体をくねらせながら、あゆみはまるで自分のことのように恥ずかしがっている。
「…柴田…?」
「なぁに?」
「展開…早いな、あいつら…」
大したリアクションもなかった為か、あゆみのテンションは急降下したらしい。
手を組んだまま硬直している。
「…あのねぇ、紗耶香」
「んあ?」
そこでドアが開いて、梨華とひとみが入ってきた。
紗耶香はあゆみと目が合うと、お互いににやけてしまった。
124 名前:名無し銀行 投稿日:2002年06月24日(月)23時35分06秒
「…紗耶香ぁぁ!!」
あゆみが何やら叫ぶ声で、梨華は眠たさを感じつつ、ひとみの胸の中で起きた。
白いカーテンの隙間から侵入する光が憎たらしい。
相変わらず、ひとみの息で、規則的に髪がさらさらと揺れる。
どう起きようかと困っていた時、ひとみの瞼が開いた。
寸分の狂いもなく、瞬時に目が合う。
「あ、おはよ…」
照れ気味に言うと、ひとみはにこっと笑い、梨華を腕から解放した。
起き上がる時に横目でひとみの目を見ると、少しだけ赤かった。
ひとみ自身も瞼が重いように感じるのか、やがてごしごしと目を擦り始めた。
「あ、ダメだよ」
と、ひとみの右手首を掴む。
いささか驚いた様子で、梨華の顔を見ているひとみ。
「目を、擦ったら、余計に、腫れるよ?」
拙いジェスチャー付きで言うと、ひとみは何度も頷いたのだった。
125 名前:名無し銀行 投稿日:2002年06月24日(月)23時35分40秒
そのままリビングに行くと、紗耶香とあゆみがにやにやしていた。
気持ち悪いとまでは言わないが、異変を感じる。
「何?2人とも…」
「おめでとう、梨華ちゃん!」
あゆみにこう言われ、ひとみと顔を見合わせた。
ひとみも何が何だかわからないようだ。
「もうっ!2人とも、とぼけちゃってぇ!」
1人はしゃぐあゆみ。
「…柴ちゃん、くねくねすると気持ち悪いよぅ…」
ますます梨華の表情が訝しげなものとなる。
と、それまで黙っていた紗耶香がにやけるのをやめて笑った。
「すまんな、石川。さっきからこいつは何か勘違いをしているらしい」
「え?市井ちゃん、それって…」
呆れた顔で紗耶香が答えた。
「柴田はな、石川たちが昨日の夜に何かあったって思ってるんだよ」
「えええー!?」
梨華の声にあゆみが動きを止める。
「アラ?違うの?」
握った拳と共に、体を震わせて下を向いている梨華。
きっと顔を真っ赤にして、眉が八の字になっているのだろう。
ひとみが顔を覗き込もうとしたその時。
「柴ちゃんの超バカァッ!!!」
126 名前:名無し銀行 投稿日:2002年06月24日(月)23時36分17秒
それから、機嫌を取るようにくっつき回るあゆみを無視して、梨華は用意された朝食をもくもくと食べた。
ひとみと紗耶香は、あゆみが必死なことに苦笑していた。
「でもホラ、何か雰囲気が新婚さんって感じで…」
うっかり口にするあゆみに、
「柴ちゃん、次に言ったらフォーク投げるよ」
と、梨華は警告するのだった。
どうにか機嫌が直り、朝食の片づけが終わって帰宅の準備をしていた。
洗った服が乾いたので、梨華がひとみに元の服を渡した。
「はい、ひとみちゃん」
『ありがとう』
「ううん。“どういたしまして”」
梨華が背を向けようとすると、ひとみに肩を叩かれた。
「え?“どうしたの?”」
すると、ひとみは着ている紗耶香のジャージをつまんで指差した。
「ああ、どうしたらいいのかって?」
黙って頷くひとみ。
「じゃぁね、私から、市井ちゃんに、渡しておくから、着替えたら、それ、ちょうだい。OK?」
『OK!』
2人はもう、この程度なら会話が十分にできるようになっていた。
127 名前:名無し銀行 投稿日:2002年06月24日(月)23時36分52秒
「準備できたぁー?」
階段の下から、あゆみの声が響く。
「できたよー!」
返事をして、バッグを手に持つ。
隣にいるひとみに“あっち”と人差し指で階段を指した。
階段の下の玄関には、紗耶香とあゆみが待っていた。
「じゃ、先に出て」
「うん」
あゆみは家の中を点検してから、玄関を出た。
「忘れ物とかない?カギ、閉めるからね」
がちゃり、と重い金属音がした。
ガレージ横の階段を降り、4人は立ち止まった。
『家まで送ろうか?』
紗耶香がドラムバッグを置いて、ひとみに言う。
『ううん、ここでいい』
首を横に振ったことで、梨華とあゆみにも何の会話かわかった。
「でもっ…」
血がついた、よれよれのポロシャツ。
白い糸がはみ出ている、擦り切れたジーパン。
今、着ている服が、あの家の物だと思うと、梨華はつらくなった。
『いいから、ここでお別れだよ』
笑顔で断ったひとみの指先が、小さく震えていたのを、梨華は見逃さなかった。
128 名前:名無し銀行 投稿日:2002年06月24日(月)23時37分23秒
これから訪れるであろう、あの家での未来。
ひとみはもう見えているのだ。
何を我慢するのか、何が犠牲になるのか。
『じゃ、バイバイ。楽しかったよ!』
急にひとみは3人に背を向けて、猛スピードで走って行った。
梨華は後ろ姿をずっと目で追った。
涙が視界を邪魔して、目の中の姿はもはや原型をとどめていない。
最後に見えた、ひとみのあの、色々な苦しさや悲しみが混じった笑顔。

自分は、あの少女に何をしてあげられた?

能天気に生きてきて、世間をわかったつもりで、ちっともわかっていなかった。

この胸のつっかえは、きっと無知に対する罰。

「柴ちゃん、市井ちゃん」
「…どうしたの?」
最上級に優しい、あゆみの返事。
「私…体がちぎれそうで…苦しいよ…どうしてかなぁ…」
紗耶香は、そっと梨華の背中を押した。
「私も、わかんないよ…」
紗耶香とあゆみは梨華の背中を、時にはさすり、時には押して、駅まで向かった。
129 名前:名無し銀行 投稿日:2002年06月24日(月)23時37分55秒
ひとみは泣く代わりに、手を握り締めすぎて、手のひらからうっすらと血をにじませた。
走らないと泣いてしまいそうで、止まれなかった。
荒くなった呼吸を整えて、家の裏口に入ろうとした。
門を開けた時、ドアを開けて義父が出てきた。
「…ひとみ!!」
しまった、と思ってももう遅かった。
義父はひとみの手首を強く掴んで家の中に引きずり込まれた。
もちろん義父の部屋に直行する。
荒々しく部屋の中で突き飛ばされると、怒鳴られた。
「昨日はどこに泊まったんだよ、ああ!?」
ひとみの脳裏に梨華たちが浮かぶ。
だが、ひとみは口をきゅっと真一文字に結んだ。
「…おい、答えろよ」
首を横に振ると、義父はひとみの襟を掴む。
「俺に反抗しようってのか?なめやがって!!」
ぱしぃん。
ひとみの左頬に鋭い痛みが走る。
「お前なんかいなくなってもなぁ、誰も気にしやしねぇんだよ!!!」
ひとみは再び、首を横に振った。
130 名前:名無し銀行 投稿日:2002年06月24日(月)23時38分36秒
違う。

それは違う。

私には、心配してくれる人たちがいる。

私の為に、泣いてくれる人たちがいるんだ。

そう言いたかった。

「…てめぇ!!」
もう一度叩かれる、と思って目をつぶりかけた時だった。
なつみの姿が見えた。
「もうやめて!!!」
なつみがそう言い、義父ともみ合った。
ひとみは解放され、咳き込んでいたが、そのうちに義父の拳が、なつみに振り下ろされようとしていた。
(なつみさん…!)
夢中で、ひとみが義父に飛び掛る。
「クソッ…この野郎!!!」
今度はひとみと義父がもみ合った。
そして。
スローモーションに見えた瞬間。
義父が鋭いタンスの角に側頭部をぶつけた。
131 名前:名無し銀行 投稿日:2002年06月24日(月)23時39分16秒
あっという間に義父は倒れ、傷口からどんどん血が流れてくる。
「ぐ…あ、うぁ…」
朦朧としながらも手を振り回す義父。
『なつみさん!!』
ひとみはなつみを見た。
意外にも、なつみはひどく落ち着いている。
『私のせいだ…どうしよう!!』
焦るひとみに、なつみが近づいた。
『違う。ひとみのせいじゃない。これは事故だよ』
『…え?』
なつみの目に、力が一層こもる。
『これは事故なの。ひとみは一切関係ない』
『なつみさん…っ!』
『そうだ、ひとみ、来て!』
132 名前:名無し銀行 投稿日:2002年06月24日(月)23時40分09秒
なつみはひとみを自分の部屋に招き、タンスの引出しから、分厚い封筒を出した。
それを泣きそうなひとみに渡す。
『これ、今まで働いた分のお給料だよ。結構な金額だから、なくさないようにね』
『ええ…?』
『このお金で、どこかに逃げなさい』
ひとみには思ってもみなかった言葉だった。
『もう、戻ってきちゃだめだからね!!』
『でも…』
躊躇うひとみに、なつみは怒った。
『早く!!荷物を持って行きなさい!!!』
ひとみは泣きながらなつみの部屋を出て、自分の部屋であるだけの物をリュックに詰めた。
涙は後から後から出てくる。
裏口のドアを開けると、義母にぶつかった。
恐らく義母は何か言っていたが、もう聞く余裕もなく、走って家から出た。
向かう先は、駅。
梨華たちの電車が出るまで、少ししかない。
ひとみは体が軋むほど、全速力で走った。
133 名前:名無し銀行 投稿日:2002年06月24日(月)23時40分43秒
だいぶ長いこと更新してませんでした…。
ごめんなさい。

>夜叉さん
有難うございます!
更新だけでなく、受験に関してもとても励みになります!!

>だしまきたまごさん
がんがりましょう!
よし君の運命は…ここからです…。

>名無しでごじゃいます。さん
石川さんは救いになるのかどうか。
今の段階では何とも…。

>名無し募集中。。。さん
有難うございます!
やっと更新できました!

>aaさん
えーと、リンクですよね。
有難うございます。
直リンしてしまいました(w
134 名前:名無し読者 投稿日:2002年06月24日(月)23時47分33秒
すごい、いいです。好きです、ここのいしよし。
吉は電車に間に合うのか!?
これからどうなるのか… 期待してます。がんがってください!
135 名前:よすこ大好き読者。 投稿日:2002年06月25日(火)16時23分14秒
なっちがほんとにいい人でよかった。(涙
なっちが、救ってくれる人だった??
続きが気になりますが、本職も大事ですよね。
楽しみに待っています。
136 名前:夜叉 投稿日:2002年06月26日(水)22時05分34秒
走れっ、吉澤!

続きが気になるのを押さえ切れません。楽しみに待ってます。
がんがれっ、作者様!
137 名前:名無し読者 投稿日:2002年07月03日(水)13時05分12秒
よしこ…(泣
なっち、凄いいいコだし…(泣
好きです、この小説。
作者さん、忙しそうですね。
がんがってください。
138 名前:名無し銀行 投稿日:2002年07月03日(水)19時04分13秒
作者です。
皆様の温かい励ましに感謝です。
更新が遅くて本当に申し訳ないと思っております。
模試やらテストやらで、だいぶ苦しくなってしまって…。
来週あたりには更新する予定です。
こんなダメ作者ですが、よろしければお付き合いください。

>134さん
有難うございます!
がんがります!!
そしてまたお待たせすることに…ごめんなさい。
(#´▽`)´〜`0)>イチャイチャ。いしよしフォーエヴァー。

>よすこ大好き読者。さん
有難うございます!
本職は…マーク模試の結果に悔し涙ぽろり。
なっつぁんは善人顔だと思い込んでいますので…
(●´―`●)>善人にも実は落とし穴があるんだべさ

>夜叉さん
有難うございます!
走る吉くんと共に作者も暴走中でございます。
(0^〜^0)>テストで徹夜したら目の下よりも顔全体が黒くなったYO!

>137さん
有難うございます!
がんがります!!
いい子のなっつぁん、やはり天然ということが発覚します。
(^▽^)>作者、がんがる!

139 名前:名無し銀行 投稿日:2002年07月09日(火)16時07分53秒

「ちっきしょう…あのバカ…!!」
昨晩、夕方になってもひとみが家に帰ってこないことに、父は非常に腹を立てていた。
独り言を呟く様子は、どう見てもただの欲求不満である。
父は物に当たり散らして、夕食の際に何枚か皿を割った。
欲求不満の被害に遭ったせいなのか、母もそれなりに怒っているようで、
「まったく…あいつはうちの疫病神だよ」
などと言いつつ、大きな破片を手のひらに載せていた。
何となく、片付けられ始めた食卓を見渡す。
ひとみがいるはずの席には、茶碗以外には、何も用意されていない。
毎日、余るか余らないかくらいの残り物で食事するのだ。
それは幼い頃からのルールなので、
『育ち盛りのひとみにちゃんとご飯を用意してあげて欲しい』
と簡単に言えるものではなかった。
なつみは黙って掃除機をかけて、すぐに自室にこもった。
「やっと…反乱開始なのかな…」
ベッドに寝そべると、自然と過去のことが思い出された。
140 名前:名無し銀行 投稿日:2002年07月09日(火)16時09分12秒

あの頃の安倍家は、憶えている限りでは円満だった。
一人っ子のなつみも見送り程度だが、たまに旅館の手伝いをしていた。
ある冬の日のことだった。
「明後日から“ひとみ”って子が来る。なつみに妹ができるんだ」
父にそう言われ、ひどく嬉しかった反面、なぜ急に妹が出来るのかを不思議に思った。
しかし9歳の子供にとっては大した問題ではなかった。
待ちに待った日曜、父が客間に女の子を連れてきた。
その子は父の後ろに隠れてもじもじしている。
「ほら、挨拶しなさい」
そしておずおずと父の後ろから出てくると、上目遣いでなつみを見た。
「こんにちは。おねえちゃんって呼んでね」
早くも姉という意識を持ち始めたなつみに、母は微笑んでいた。
すると、女の子の小さな手と指がゆっくりと動いた。
口をパクパクさせて、何かを言っているようだ。
先程の笑顔とは一転して、強張った表情の母になつみが尋ねた。

「この子、何て言ってるの?」
141 名前:名無し銀行 投稿日:2002年07月09日(火)16時09分46秒

その日の夜中、なつみは母が怒鳴るような声で目を覚ました。
隣には、すやすやと眠るひとみがいる。
「ひとみは生まれつき、耳が聞こえないんだよ」
少しだけだるそうに、面倒くさそうに言う父に、何かしらの嫌悪を感じた。
ひとみはしばらく、なつみの部屋で寝ることになった。
なつみが聴力障害者に接するのは初めてで、どうしたらいいのか困っていると、
『おねえちゃんのおなまえは?』
と、ひとみが小さなスケッチブックに書いて渡してきた。
それを受け取ると、拙い字の下に名前を書いて返す。
『なつみ…』
ひとみが嬉しそうに、名前を呟くのがわかった。

そっか。

こんな簡単なことなんだ。

もっと、もっと話がしたい。

なつみは手話を勉強しようと決意した。
142 名前:名無し銀行 投稿日:2002年07月09日(火)16時10分34秒

両親が話す内容が気になり、布団から出て、声のする台所へ向かう。
「…から、…よ!」
途切れ途切れに聞こえる怒声。
半開きのドアに近づいてよく聞いてみる。
「何で耳が聞こえない子なんて引き取ったのよ!!」
「しょうがないだろう!葬式に行ったら押し付けられたんだよ」
「施設にでも預ければよかったでしょ!!どうせ面倒見るのは私なんだから…」
母が大きくため息をつくのがわかった。
しかし、父が声を潜めて言う。
「…でもな、あの家の遺産は…あいつの養育費ってことで全部貰えるんだ」
「本当に…?」
「ああ。しばらくは豪勢に暮らせるだろう」
嬉しそうな母と、煙草をくわえて火をつける父。
「だけど、あの子の服とか靴とか、どうするのよ?」
「なつみのお下がりでいいだろ。義理の妹なんだ。それ以上でかくなったら、俺の服でも着せとけ」
父も母も、なつみが覗き見ているなんて夢にも見ないだろう。
「育ててやってる分、ここで働かせてもバチは当たんないし…」
なつみは寒さに耐え切れず、部屋に戻った。
143 名前:名無し銀行 投稿日:2002年07月09日(火)16時12分04秒

ドアを閉める時、音がしないように細心の注意を払った。
が、ひとみには何も聞こえないことを思い出した。
「…そっか。聞こえない…よね…」
起こさないように布団をそっとめくり、冷えた体を横たえる。
なつみはひとみの顔を、じっと見つめた。
何も知らずに眠り、規則的な呼吸を繰り返しているひとみ。
両親の会話が頭の中で繰り返され、止まることはない。
ゆっくりひとみの髪を撫でる。

自分に何が出来るかをひたすら考えてみても、結論はいつも同じ。
9歳の子供にできることなど、たかが知れている。

改めて、自分の無力さを呪った。
それから、まず一番に守ってやるのが自分でありたいと思った。

「…本当の、あたしの妹だもん…」

なつみはひとみを抱きしめて眠った。
144 名前:名無し銀行 投稿日:2002年07月09日(火)16時13分54秒

小学校には特殊学級があるが、両親は体裁を気にして、早々とひとみを聾学校に入学させた。
同じ学校に行けないことをなつみが残念がっても、いつも父にこう言われた。
『あいつはお前と違うんだから』
そんな親への反論の代わりに、なつみはひとみを過保護と言われる程可愛がった。
越してきたばかりの妹が近所の子供にいじめられた時は、一人で仕返しをした。
6歳の妹が慣れるまで――実際は1年近くも――自分が通学途中でも、駅まで連れて行った。
7歳の妹の誕生日には、わずかな小遣いを貯金して新品の筆箱をプレゼントした。
9歳の妹が遠足に行く時は、両親に内緒で自分の小遣いをやった。
11歳の妹が熱を出せば、翌日に学校があるにも関わらず、一晩中付き添った。
12歳の妹に何かあった時の為に、中学卒業直後、両親に内緒でバイトを始めた。
14歳の妹の勉強を見ていて、受験科目の偏差値不足より、手話の語彙力不足が悲しかった。
きつい仕事の合間にひとみがドジをすれば、なつみは自分から叱り役を買って出た。
なぜなら、ひとみが両親に怒られるのが耐えられなかったのだ。

ここまで愛していたからこそ、なつみはあの出来事が忘れられなかった。
145 名前:名無し銀行 投稿日:2002年07月09日(火)16時14分40秒

ひとみの身長がなつみを6cmくらい追い越した年の夏。
宿泊客の怒声が響いて、なつみは何事かと洗い場からフロントを見た。
すると、両親が必死に頭を下げて謝るのが見えた。
その隣でひとみが拗ねたような顔で立っている。
「お前も謝りなさい!!」
父が怒ると、ひとみは手を動かした。
『私の肩を突然掴んだこの人が悪い』
なつみには何を言っているかわかったが、手話の嫌いな両親や、ただ怒る客にはさっぱりわからない。
更にひとみは手話の最後に客を指差すものだから、客の怒りはヒートアップしてしまった。
「この旅館は従業員に礼儀も教えないのかッ!!!」
そう叫ぶと、客は傍らに置いてあった荷物を持ち、帰ってしまった。
父が物凄い形相でひとみを連れて行こうとしたので、なつみは飛び出して止めようと思った。
しかし仲居に呼ばれて、諦めざるを得なかった。
146 名前:名無し銀行 投稿日:2002年07月09日(火)16時16分07秒

なつみは自分の部屋でレポートを仕上げようとしたが、ひとみが気になり、何も手につかなかった。
すると、5回だけノックをする音がした。
この叩き方はひとみしかいない。
ドアを開けると、むくれた表情のひとみが立っていた。
『聞いてよ、お姉ちゃん!!』
『入って。何があったの?』
ひとみをベッドの淵に座らせる。
『私、お昼にね……』
なつみは冷静に、その経緯を聞いていた。
『…で、あの人が悪いんだって言ったの。』
おろおろするひとみに、なつみは一呼吸置いて返事をした。
『それはひとみが悪い』
目を見開くひとみ。
『えー!何で!?私、耳が…』
『聞こえないからっていうのは言い訳。いくらびっくりしたっていっても、相手はお客様だよ。
ちゃんと落ち着けば、誰だかはっきりわかるでしょ?ひとみには気遣いが足りないの』
言い聞かせると、ひとみは唇を噛んで下を向いた。
『でも、全部ひとみが悪いとは言い切れない…』
なつみは自分より背の高い妹を、そっと抱きしめてやった。
147 名前:名無し銀行 投稿日:2002年07月09日(火)16時16分51秒

翌日、母は気分が晴れないらしく、なつみを買い物に誘った。
買い物の最中でもイライラしている母に手を焼いていると、タイミングよく母の旧友が現れたので、その人に任せてなつみは帰ることにした。
途中で、ひとみに似合いそうなアクセサリーを買った。
久々のプレゼントに喜んでくれるかどうかを期待しながら玄関の戸を開ける。
真っ直ぐにひとみの部屋に向かったが、彼女は見つからない。
「どこかなぁ?」
風呂場も客室も台所も、ひとみのいそうな場所を全て探したが、どこにもいない。
出掛けてしまったのかと諦めた時だった。
「…がっ…はっ…」
どこかからひとみの小さくうめく声が聞こえたので、不思議に思ってその方向に足を向ける。
嫌な予感がして、心臓が跳ね上がる。
「…うぅっ…」
なつみは父の部屋の前で止まった。
ここから聞こえる。
苦しそうなひとみの声が。
148 名前:名無し銀行 投稿日:2002年07月09日(火)16時17分40秒

運がいいのか悪いのか、扉は半開きになっている。
勝手に父の部屋を覗いてはいけないと思いつつ、ある種の緊張にも似た好奇心に駆られ、息を殺してそっと中を覗き見る。
向かって右の壁にはは本棚。
左側に目線を移す。


なつみの中で、今まで張っていた糸がぷつりと切れた。


父のパイプベッドに押さえつけられ、目を瞑って歯を食いしばるひとみの姿。
時おりベッドが軋む音、父の荒い息遣い。
下半身は扉があるせいで見えることはない。
なつみの目はひとみに釘付けになる。
乱れながらも涙を流して、まるで無実の罪に許しを請うような表情。
なつみは何も出来ずに、耳を塞いで静かにその場を去った。
149 名前:名無し銀行 投稿日:2002年07月09日(火)16時18分45秒

誰もいない台所で、冷蔵庫に凭れて床に座り込む。
おかしいことに、涙は出ない。
ショックが余りにも大きすぎたのだろう。
混乱したままどれくらい経っただろう。
洗面所から水を使う音がして、ひとみが解放されたのだとわかった。
ひとみが洗面所にいるという確信もないのに、自然と体が動いていた。
一瞬だけ、タオルを手に持って佇み、何かを誤魔化すように顔を強く拭くひとみ。
肩を叩くと、笑顔で振り向いた。
『お帰りなさい』
なつみも微笑みながら返事をする。
「うん、ただいま。あのね…話があるから一緒に来て」
ひとみの笑顔が、強張ったような気がした。
150 名前:名無し銀行 投稿日:2002年07月09日(火)16時19分41秒

誰もいない客室で、なつみはどうでもいいことを話した。
ひとみはにこにこと相槌を打つ。
不自然な笑顔には見えないが、いつもの笑顔ではない。
どうして一生懸命に、笑おうとしているのか。
話が一区切りすると、どうしていいのかわからなくなった。
『どうしたの?』
わずかな間に散々迷って、なつみは結論を下した。
「帰ってきてから…ひとみを探して…お父さんの部屋の前を…通ったら」
通った、という嘘までついて躊躇いがちに言うと、ひとみは唇をきゅっと結んだ。
「ひとみのね、声が…聞こえたの…」

本当は覗いていたの。

ごめんなさい。

嘘ついて、ごめんなさい。

この時になって、初めてなつみの目から涙が落ちた。
151 名前:名無し銀行 投稿日:2002年07月09日(火)16時20分24秒

なつみが父の暴行を目の当たりにして、母も父の暴行に気付かないわけではなかった。
日に日に変化する父への態度、時を重ねるにつれて冷たくなるひとみへの目線。
ああ、気付いたんだな、となつみは思った。
そうして家族はぎこちなくなった。
母はひとみのせいだと言わんばかりの態度をとるが、なつみは父に憎悪を感じた。
尤も、父にそんな態度を見せようものなら、ひとみが何をされるかわからないので、無関心を装っていたが。
旅館の定休日前日という、定期的に父に暴行されるひとみに、なつみは接し方を忘れてしまった。
幼い頃、初めてひとみと出会ったのと同じ感覚。
ひとみもいつしか、なつみを“お姉ちゃん”ではなく“なつみさん”と呼ぶようになった。
それでも着々と、妹の為の貯金は続けられた。
バイトの時間を増やし、時給の高いところだけを掛け持ちした。
まるで貯金をすることが、唯一の愛情であるかのようだった。
152 名前:名無し銀行 投稿日:2002年07月09日(火)16時21分03秒

「あ…寝ちゃったのか…」
昔のことを思い出してそのまま寝入ってしまったらしい。
枕が濡れていたのは、気のせいではない。
朝食を済ませて部屋の掃除をしていると、父が怒鳴る声がした。
今度は当たっている様子とは違う。
「…ひとみ…?」
部屋を出て廊下を小走りで進むと、ひとみが父の部屋に引きずり込まれるのを見た。
あの時の忌まわしい光景が浮かぶ。
なつみはずっと後悔していた。

自分がもっと早く帰ってくれば、ひとみが傷つくこともなかったはず。

自分がもっとしっかり守ってあげていれば、ひとみはひとりにならなかったはず。

自分にもっと力があれば…。

なつみは手を握り締めて、怒鳴り散らす父の部屋に向かった。
153 名前:名無し銀行 投稿日:2002年07月09日(火)16時21分43秒

「…てめぇ!!」
父が襟首を掴まれたひとみを殴ろうとしている。
「もうやめて!!!」
そう叫んで父の腕を下ろそうと揉み合う。
だが、やはり男性の力には敵わない。
父の拳がなつみにも降りかかろうとした。
その瞬間、なつみは父の人格がどういうものかを悟った。
するとひとみは父の背中に飛びかかり、再び揉み合った。
父は思いがけない反撃に足を滑らせ、タンスの角に頭をぶつけた。
頭に穴が空いたかのように、血が溢れては絨毯を染めていく。
おろおろするひとみに、なつみは言った。
『ひとみのせいじゃない。これは事故だよ』
『…え?』
『これは事故なの。ひとみには一切関係ない』
泣きそうなひとみの手を引っ張り、なつみは自分の部屋に連れて行く。
冷静にも、久し振りに触るひとみの手はあったかいな、などと思った。
154 名前:名無し銀行 投稿日:2002年07月09日(火)16時23分52秒

急いでタンスの引出しから、分厚い封筒を出してひとみに渡す。
『これ、今まで働いた分のお給料だよ』
その給料には、親から貰ったなつみの小遣いも含まれている。
この金で家を出て行けと言うと、ひとみは困惑した。
『もう、戻ってきちゃだめだからね!!』
『でも…』
煮え切らないひとみの背中を押すように、なつみが怒る。
『早く!!荷物を持って行きなさい!!!』
ひとみは泣きながら部屋を出て行った。
少しだけ静寂が戻ると、大きく息をついた。
「あたしの…仕事も終わり、か…」
と、裏口から母が呼ぶ声がする。
そして、耳の痛くなるような叫び声。
父の姿を見たのだろう。
なつみはひどく落ち着いた気分で部屋を出た。
155 名前:名無し銀行 投稿日:2002年07月09日(火)16時25分02秒

ひとみは駅まで止まる気はなかったが、やみくもに坂の多いこの地域では止まらざるを得ない。

脇腹が痛い。

呼吸が苦しい。

膝がガクガクする。

リュックが肩に食い込む。

それでもなつみのことを思い出すと、無理に走り始めた。
通りかかった公園の時計台を見て、発車時刻まであと10分しかないことを知った。
ここから駅までは、全力で走れば10分もかからない。
誰のためでもないし、何のためでもない。
ただ、走らなければならないのだという使命感のみ。
ひとみは手の甲で汗を拭うと、再び走り出した。
156 名前:名無し銀行 投稿日:2002年07月09日(火)16時26分22秒

その頃、梨華たちはとっくに駅に着いて、電車の到着をホームのベンチで待っていた。
梨華は相変わらず目を潤ませている。
駅に着くまで、ぼろぼろと涙を流していたのだった。
到着時刻にはもう3分ほどある。
紗耶香は暇そうに駅のポスターなどを眺めてうろうろしていた。
あゆみは梨華の隣に座り、背中をさすってやっていた。
そして、梨華を刺激しないように無言のままだった。
ホームが2つしかない、小さな駅。
会話もなく、雑踏を耳にするだけの時間を過ごす。
と、電車がホームに滑り込み、ドアが開いた。
「さ…行こう?」
あゆみが優しく梨華を促す。
梨華は小さく頷いて立ち上がる。
先頭を切って紗耶香が電車に乗り込み、その後にあゆみ、梨華と続いた。
空いている席の真上の網棚にバッグを載せると、発車を知らせる笛が鳴った。
157 名前:名無し銀行 投稿日:2002年07月09日(火)16時27分26秒

ひとみは駅の近くで、小銭を忘れたことを思い出した。
(でもいいか…きっと封筒の中に…)
走る速度を緩めて、封筒をリュックから取り出した。
いくら入っているのか確認しようとして、驚いた。
(…お金じゃない!!)
中には、銀行の通帳が5冊と、カードが1枚と、印鑑が入っていたのだった。
つい立ち止まって呆然とする。
色んな汗が一気に噴き出てきた。
(どうしよう…)
銀行は近くにあるが、金をおろしていると電車に間に合わない。
(…どうにでもなれぇ!!)
考え無しに走り出すと、ひとみの汗が地面に落ちた。
158 名前:名無し銀行 投稿日:2002年07月09日(火)16時28分17秒

大抵この駅には、駅員が1人か2人しかいない。
2年前に自動改札に変わったからだ。
(…やっぱり、どうしたらいいんだか…)
困っていると、電車がホームに入ってきた。
どうにか駅員の注意を引きつけておけば、強行突破してでも乗れるだろう。
(そうだ!アレだ!!確かなつみさんは…)
閃いたひとみが急いで自動券売機の“呼び出し”ボタンを押す。
そしてすぐに改札に向かって走る。
(ピンポンダッシュとか言ったっけ…!!)
駅員が窓を開けて、ひとみのせいだとわかると、駅員室から飛び出してひとみを追いかけてきた。
既に自動改札を飛び越えていたひとみだが、ドアが閉まりそうな気配に焦りを感じた。
しかし、動じることもなく、改札からいちばん近い、最後尾から2両目の電車に飛び込む。
次の瞬間、駅員を遮るようにドアが閉まり、ゆるやかに発車した。
窓の外で怒る駅員を無視して、きょろきょろと梨華たちを探す。
(お願い…会いたいよ!!)
159 名前:名無し銀行 投稿日:2002年07月09日(火)16時28分55秒

「梨華ちゃん…」
ドアが閉まる直前、手で顔を覆った梨華の肩を、あゆみが抱いた。
そこで『コラー!』と誰かが叫ぶ声がした。
紗耶香が眉を顰めて窓の外を見る。
「何だぁ…?あっ!!」
ぷしゅううう、とドアが閉まる音。
その直前にギリギリセーフで後方の車両に乗り込んだ、背の高い少女。
見間違えるはずがない。
昨日ひとみが着ていたのと同じ、ポロシャツとジーパン。
「吉澤!!!」
ひとみの名字に、梨華がそっと顔を上げる。
「紗耶香…そんな、吉澤さんって…」
あゆみが困惑気味に尋ねると、電車がゆっくりと動き出した。
「今…今、ぎりぎりで電車に乗った奴、吉澤だって!!」
梨華は紗耶香の目をじっと見る。
「石川、あいつが後ろの方に乗ってるはずだ!!」
紗耶香が梨華の肩を揺さぶる。
160 名前:名無し銀行 投稿日:2002年07月09日(火)16時29分51秒

梨華は信じられないようだった。
「ひとみ…ちゃん…?」
「そうだ、吉澤だよ!早く後ろに…」
紗耶香が言いかけたところで、梨華が走り出した。
「石川!ちょっと待てってば!」
ひとみを見つけようと歩くが、電車の揺れで、まっすぐには歩けない。
しかし2両ほど前方に、梨華と同じくよろけながら歩くひとみが見えた。
「ひとみ、ちゃん…ひとみちゃ…」
熱に浮かされたように名前を呼ぶ梨華を、他の乗客は不思議な目で見ていた。
あゆみと紗耶香は荷物を持って梨華の後を追っていた。
「ねぇ、紗耶香」
「何だよ?」
ドラムバッグを肩に掛けなおして、あゆみの方に振り返る紗耶香。
「何でもない!」
嬉しそうなあゆみに、紗耶香も笑って返す。
「へへっ…バーカ…」
161 名前:名無し銀行 投稿日:2002年07月09日(火)16時31分12秒

荒い息を整えつつ、ひとみは2両ほど先に、梨華らしき少女を見つけた。
(よかった…いた…)
だんだんと梨華とひとみの距離が縮んでいく。
はっきり見えた梨華の頬には、涙の筋がいくつもある。
ひとみちゃん。
名前を呟いているのがわかった。
梨華は話し掛けることができる位置まで来ると、ひとみに抱きついた。
胸に顔を埋めて、泣いているようだ。
ひとみは周囲の目も気にせず、梨華を抱きしめた。
向こうから、紗耶香とあゆみもやってくる。
そっと泣きまくる梨華の体を離し、目元の涙を手で拭ってやった。
162 名前:名無し銀行 投稿日:2002年07月09日(火)16時32分04秒

ひとみの体は走ってきたせいか、思いのほか熱く、心臓も速く動いていた。
体をそっと離されると、目元を優しく拭ってくれた。
やはり、梨華にとってひとみの微笑は麻薬だ。
どきどきするのが心地よい。
何回もその笑顔を見たいと思う。
ひとみは梨華の目を見て、指きりの時のように、右手の小指を立てた。
それからその小指を左手で包み、胸元からぐっと前に出した。
意味がわからず、後ろを向いて紗耶香に訊く。
紗耶香はにやにやして言う。
「『私を連れてって』だとさ」
「えっ…」
梨華が向き直ると、ひとみは同じ動作をした。
『私を、連れてって…』
目からも言葉が伝わってきたような気がして、梨華は頷く。
「うん!」
ひとみは照れくさそうに、頭を掻いた。
163 名前:名無し銀行 投稿日:2002年07月09日(火)16時33分26秒

ふう。更新終了です。
時間と視点が色々変わって読みづらいかもです。
なっつぁんサイドの話が長かった…。
そしてよし君、無賃乗車の巻(w
レス返しを更新前にしてしまって申し訳ありませんでした。
次回はいつになるか…いや!!絶対近いうちに更新するぞ!!
と、意気込んでみ(略
164 名前:名無し読者 投稿日:2002年07月09日(火)21時03分16秒
やった―――――――!!
こ、更新されてる。。。(泣
作者サマ、ただただ感動です。
なっち視点最高に感動しますた。
忙しいようですが…ぜひぜひ
がんがってもらいたいです。
165 名前:オガマー 投稿日:2002年07月09日(火)23時19分53秒
初レスですかね?
読ませていただいています。
すごく動きましたねー。
これからどうなるのか楽しみにして待ってます。
166 名前:名無し読者 投稿日:2002年07月11日(木)04時43分24秒
うわー!!
初めて読みました。
なんか言葉に出来ないくらい、様々な感情が沸き上がってきて、
いつまでも交信( ゜皿 ゜)待ちたくなる作品ですね。

今回の時間と視点切り換え、読みづらくなかったですよ。
167 名前:れもん 投稿日:2002年07月14日(日)17時59分23秒
何回も読んでます。その度、涙、涙です。
なっちの優しさに感動です。そして吉澤さん、頑張れーと叫びたくなります。
続き、楽しみに待ってます。頑張って下さいね。
168 名前:名無し銀行 投稿日:2002年07月17日(水)13時35分24秒

既に時刻は夜の8時。
海沿いの家に比べると、東京の夜はやはり騒がしかった。
落ち着くことのない明かりが夜になったという実感を喪失させる。
『私を、連れてって…』
そう言うひとみを勢いで連れてきてしまったが、3人ともこの先のことは考え無しだった。
4人で食事を済ませると、梨華はとりあえずホテルに行くひとみに付き添っていった。
残った二人は、ホテルの傍のファミレスで梨華を待っている。
「…どうするんだろうなぁ…」
アイスティーをストローでかき回しながら呟く紗耶香。
「吉澤さんに…親戚でもいればいいんだけどね…」
とけかかった小さい氷を口に含んで、ゆっくり答えるあゆみ。
二人とも何をするでもなく、店の中の雑音を聞いていた。
少し感傷的なムードに浸っていたが、その雑音に混じり、がりがりという場違いな音が紗耶香の耳に届く。
「…柴田。氷を噛むんじゃない」
「うひぇ!歯にしみるぅ!」
あゆみは眉を顰めて頬を押さえた。
169 名前:名無し銀行 投稿日:2002年07月17日(水)13時36分10秒

ホテルのエレベーターで二人きりになると、梨華の心臓は爆発しそうなのだった。
(さっき…フロントの人と目が合っちゃったな…あの人、勘違いしてなければいいけど…)
ガラス張りのエレベーターは、都会のごくありふれた夜景を提供してくれている。
(ああもう、誤解なんですよ?別に、ひとみちゃんとはそんな関係じゃ…ってどんな関係よ!)
ちらっと見ると、ひとみはガラスに張り付き、無駄な電力が放つ光に喜んでいた。
(人の気も知らないで…!)
梨華はひとみの部屋の前に来ると、
「じゃぁ、柴ちゃんと、市井ちゃんが、待ってるから、行くね?」
と、来た方向を指差しながら言う。
そしてひとみが頷くのを確認して、翌日の予定を伝える。
「明日、10時に、お迎えに、来るよ」
『うん』
「じゃ、明日」
『バイバイ』
手を振って背を向けると、梨華は恥ずかしさもあり、小走りでエレベーターに向かった。
170 名前:名無し銀行 投稿日:2002年07月17日(水)13時36分41秒

「そう言えば…吉澤さん、どっか行きたいところってある?」
揺れる電車の中で、あゆみが訊いてきた。
4人掛けのボックス席。
向かいには紗耶香とあゆみ、ひとみの隣には梨華がいる。
『そうだな。せっかく家出してきたんだし、服のひとつでも買えよ。いくら何でもコレじゃ…』
手話を使ってから、紗耶香がひとみの服を摘んだ。
ひとみは服に金をかけるのは気が進まなかった。
しかし、改めて服を見てみると、情けないほど着古していた。
どうしようかと悩んでいたその時、行ったことがないところを思いついた。
急に鞄からスケッチブックとペンを取り出したひとみを、3人は不思議そうに見ていた。
『渋谷か原宿』
ひとみは書き終えたそれを、3人に差し出した。
「行きたいところって…ここ?」
梨華が文字を指差す。
ひとみが頷くと、紗耶香が尋ねた。
『だって…吉澤って東京の聾学校に行ってたんだろ?友達と来なかったのか?』
『全然。通ったりはしたけど、仕事があったから、それどころじゃなくて…』
あゆみが肘で紗耶香の脇腹をつついた理由が、ひとみにはわからなかった。
171 名前:名無し銀行 投稿日:2002年07月17日(水)13時37分44秒

3人はしばらく考えていたようだが、紗耶香は、よしっ、と気合を入れると梨華の肩を叩いた。
「それじゃ、石川。吉澤を頼むぞ」
突然の依頼に驚く梨華。
「えっ!?」
「明日、暇なのは石川だけだろ?案内してやれよ」
さも当たり前であるかのような表情で、紗耶香が言う。
「どうして?市井ちゃんは?」
「私、サークルだし」
助けを求めるように、梨華はあゆみに訊く。
「柴ちゃんは?サークルには入ってないよね?」
「ああ。あたし、明日はゼミだよ」
「うそぉ〜…」
「いやいや、嘘じゃないよ」
梨華の眉はどんどん八の字になっていく。
別に手話がわからないからだとか、そう言う理由で困っているわけではない。
ひとみと二人でいられることが純粋に嬉しくて、どうしていいかわからないからだ。
と、ひとみが梨華の上着の裾を引っ張り、スケッチブックを渡される。
『私と一緒にいるの、嫌?』
寂しそうな顔で梨華を見つめるひとみ。
梨華はぶんぶんと頭を横に振った。
172 名前:名無し銀行 投稿日:2002年07月17日(水)13時38分29秒

「…紗耶香、サークルがあるって嘘でしょ?」
氷を食べ終わり、あゆみが静かに言った。
「おや?どうしてそう思います?」
紗耶香はにやっと笑ってアイスティーを口に含んだ。
「だって…紗耶香がサークルのこと言うの、珍しいじゃん」
「ああ。3人しかいないからな。でも半分は本当だよ」
「どういうこと?」
「またアレがあってね…あ、お帰り!」
ファミレスのドアが開き、梨華が2人のいるテーブルまで来た。
「ごめんね、ちょっと遅くなっちゃった」
「だいぶ遅いよぉ!おやすみのキスでもしてたの?」
ちゅー、とあゆみは唇を突き出して、顔の横で手を組んでいる。
「バカは放っとけ、石川。早く座んな」
顔の真っ赤な梨華が突っ込む間もなく、紗耶香が促す。
梨華は紗耶香の隣に座ると、店員にアイスレモンティーを注文した。
173 名前:名無し銀行 投稿日:2002年07月17日(水)13時39分21秒

「明日の予定はどうなってんの?」
店員がいなくなったのを見計らって紗耶香が訊く。
「えっとね、買い物したらお昼を食べて、あとはホテルでゆっくり休んでもらう」
「それじゃつまんないじゃん!何で?」
即座に反応するあゆみ。
「何でって…ひとみちゃん、遠出で疲れてるかもしれないから…」
あゆみが懲りずにふざける。
「わかった!ホテルでゆっくり休むって、二人であまぁ〜い時を過ごすってことでしょ!」
心なしか、二人で、という単語が強調されたように聞こえた。
そこでレモンティーが運ばれてきた。
再び店員が姿を消すと、紗耶香は心の底から心配そうに忠告した。
「柴田…お前、そのうちに石川に殺されるぞ?」
「やだ、市井ちゃん!殺すなんて物騒な…」
「確かに。梨華ちゃんってキレたら、何するかわかんないもんね」
「柴ちゃんまで…」
がっくり肩を落とす梨華。
「ま、冗談は抜きにして。吉澤を楽しませてやってくれ」
紗耶香の言葉に、あゆみも大きく頷いた。
174 名前:名無し銀行 投稿日:2002年07月17日(水)13時40分31秒

梨華と別れた後、ひとみはリュックの中身を確認しようと思った。
靴を脱いでベッドの上に座り、どんどん荷物を出していく。
スケッチブックに筆記用具、ジャージとズボンにTシャツが4枚。
自分の部屋にはこれくらいしかなかったのかな、と苦笑してしまう。
ふと、なつみにもらった封筒を手に取る。
最後に見たなつみの辛そうな表情が、脳裏に浮かぶ。
封筒を逆さにして中身を出すと、通帳に混じって、小さな白い袋が落ちた。
(ん?何だろう?)
中にはとシルバークロスのネックレスが入っていた。
出して見てみると、シンプルなのに、安っぽいものだとは思わせない。
クロスの裏には筆記体で“Y.H”と彫られている。
(…私の、イニシャル…)
幼い頃はなつみのお下がりの服を着ていたが、身長が高くなってからは義父の服をもらうようになった。
だぼだぼの男物を着て、おしゃれも出来ずちっとも飾り気のなかったひとみ。
なつみがあの日に買ったプレゼントだった。
ひとみはその場から、しばらく動けずにいた。
175 名前:名無し銀行 投稿日:2002年07月17日(水)13時41分09秒

梨華は10時に迎えに行くと言ったが、緊張の余り、30分前にホテルに到着した。
(どうしよう…準備、まだ終わってないよね?)
ロビーでうろうろしていると、かなり不審な目で見られたので、仕方なくひとみのいる部屋に向かう。
昨日と同じエレベーターに乗り、昨日と同じ階で降りる。
ゆっくり歩いてもまだ時間までには20分もある。
そしてとうとう部屋の前に来てしまった。
(はあぁ…参ったな…)
ドアをノックしてもどうせ聞こえないだろうし、今は待つしかない。
(…寝過ごすなんてないと思うけど…もし今も寝てたら…)
ため息をつくと、隣の部屋からカップルが出てきて、梨華を変な目で見て行った。
(私が何したのよぅ!)
もう一度ため息をついて前を向くと、突然ドアが開いた。
ごつん。
「痛ッ…」
額にぶつかった。
少し下を向いていたので、鼻に当たりはしなかった。
ひとみはドアの隙間から顔を出して、梨華だとわかると硬直した。
176 名前:名無し銀行 投稿日:2002年07月17日(水)13時42分03秒

既に準備が整った部屋は、こぎれいでさっぱりとしていた。
『気配がしたから、誰かいるのかと思ったの』
渡されたスケッチブックに、梨華は微笑みながらひとみを見た。
ずっと両手を合わせて『ごめんね』のポーズをとっている。
「私、平気だよ?そんなに、謝らないで?」
するとひとみが右手で手刀をつくり、2回ほど軽く顎に当てた。
梨華の目を見て、困った顔で。
「え?ごめん…」
意味がわからないので謝ると、ひとみは一瞬躊躇い、ゆっくりと掠れた声を出した。
「…うぉ、ん、お…う…?」
何となくわかったような気がして、梨華が訊く。
「もしかして…“本当?”って訊いてる?」
するとひとみが嬉しそうに何度も頷いた。
「これが“本当?”かぁ…」
梨華が同じ動作を真似てみると、ひとみは照れくさそうに頭を掻いた。
177 名前:名無し銀行 投稿日:2002年07月17日(水)13時43分06秒
渋谷のハチ公前は、平日にも関わらず、高校生やサラリーマン、その他で溢れていた。
ひとみは周囲の無機質な建物を見上げている。
「ねぇ、ひとみちゃん?」
Tシャツの裾を引っ張る。
『何?』
「服って、どんなのがいい?」
考えるように腕を組んで首を傾げる。
『わかんない』
そう言いたげに困った顔で梨華を見る。
「…じゃ、ちょっと、私の趣味に、なっちゃうんだけど…」
とりあえず109を回ってみるが、ひとみには気に入ったものがないようだった。
次のセンター街は梨華の得意な場所ではなかった。
行ったところと言えば、HMVかマック。
「こっち、あんまり好きじゃ…ってひとみちゃん?」
ひとみは何も気に留める様子もなく、梨華を置いて興味のままに歩いていく。
「待ってよ、ひとみちゃ…あっ、ごめんなさい!」
サラリーマンにぶつかってよろけると、梨華がついて来ないのに気付いたのか、ひとみはようやく振り向いて手を差し出した。
「手…繋げってこと?」
頷くひとみ。
戸惑いながら手を出すと、しっかり捕まえられた。
きょろきょろしながら先を行くひとみの背中を見て呟いた。
「怖いもん知らずなんだから…」
178 名前:名無し銀行 投稿日:2002年07月17日(水)13時43分58秒

いしよし、デートの巻。
まだまだ続くデート(#´▽`)´〜`0#)イチャイチャ

>164さん
有難うございます!がんがります!
(●´―`●)<お金はナマより通帳だべ!
なっちへ。そのせいで無賃乗車したぞ、あんたの妹…。

>オガマーさん
初レス、有難うございます!
これからちょっとだけこの二人が出てきます。
川 ゜皿゜)<カオ、ヨシザワトコウシンデキル!
( `.∀´)<じゃ、アタシはアイコンタクトYO!ウフッ
お二人へ。いくら何でもやめてください。

>166さん
有難うございます!
時間と視点の切換え、自信がなかったので…。
交信( ゜皿 ゜)は遅いです。
でもがんがります!

>れもんさん
有難うございます!がんがります!
(0^〜^0)<『れもんさんもがんがって!』
(;^▽^)<とにかくあなたががんがってよ…。
石川さん。正しいツッコミです。

わかりづらいかもしれないので補足です。
『』←これは手話での会話です。
「」←これは声を出している時の会話です。
“”←これは手話の単語です。
()←これは心の中での独り言です。
もっと早く言えばよかったですね、ごめんなさい…。
179 名前:あおのり 投稿日:2002年07月18日(木)03時02分33秒
今日はじめてよまさせていただきました。
ひとりぼっちで生きようとする吉に涙涙・・・です。
優しくしてくれる友達ができてホント良かった良かった
とりあえず逃げた吉ですが、これからどうなるんでしょう・・・・デートも(実はこっちのほうが気になる)
最後に
梨華ちゃんもいちーちゃんも柴っちゃんもいい人だーーーー
なっちはもっと良い人だぁーーー(取り乱しております失礼しますた
180 名前:名無し銀行 投稿日:2002年08月08日(木)18時17分18秒

結局、渋谷から原宿まで歩いたが、ひとみの服はGAPで統一されてしまった。
昼食はひとみの希望でマックに決定、オーダーは梨華に任せた。
梨華としてはもうちょっと落ち着ける店がよかったのだが。
ポテトを口に含んで、小さなため息をついた。
テーブルの下に置かれた紙袋を見遣って言う。
「やっぱり、男の子みたいな服とか、ズボンばっかりだよぉ?」

初めて会った日に着ていた、あのぼろぼろの服が忘れられなかった。

心が痛んだ梨華は明るめの色を勧めた。
オレンジ、赤、ベビーブルーのTシャツやノースリーブ。
「これ、どぉ?すっごくカワイイよ!」
と、自信満々で出した鮮やかなピンクのスカート。
ひとみは即座に首を横に振り、手を合わせて『ごめん』のポーズをとった。
そして自分でカーキ色のズボンを手にした。

ひとみの選択は正しかった。
もしあそこでピンクを拒否していなければ、今頃はひとみの荷物がピンクまみれになっていたところだ。
181 名前:名無し銀行 投稿日:2002年08月08日(木)18時18分19秒

『楽だから。スカートだと、すぐに走れない』
ズボンを選んだ理由がスケッチブックに書かれたのを見て、梨華は黙った。
(…でも、いつどこでどうして走るの…?)
心で泣いた梨華をよそ目に、ひとみはハンバーガーにかじり付いた。
テーブルを叩かれて、梨華は自分が呼ばれていることに気付いた。
「え?“どうしたの?”」
ひとみが笑顔で頬を2回、手のひらで軽く叩いた。
『おいしい』
ひとみの口がそう動く。
「あ、おいしい…って?うん、“おいしい”よね」
もう癖になってしまったのか、梨華まで同じ仕草をする。
ひとつ、疑問が湧いた。
「っていうかさ、ひとみちゃん、初めて食べるの?」
ひとみは頷いて、スケッチブックにペンを走らせる。
『なつみさんがお弁当とか、ごはんを作ってくれたから』
自分で訊いておいて、梨華はその言葉にイライラする。
(またなつみさん…?しょうがないけどさぁ…)
梨華のイライラは、単なる嫉妬でしかない。
182 名前:名無し銀行 投稿日:2002年08月08日(木)18時19分26秒

ひとみが食べることに専念して、少し沈黙が出来た。

音が無いことによる沈黙というより、意思の疎通が無い沈黙。

ふと視線に気付いて顔を上げると、周囲のみんなが梨華たちを見ていた。
見るからに頭の悪そうなギャルの集団や、暇だけが生きがいのようなカップルなど。
「見ちゃダメよ!」
と、見て見ぬフリをする家族は、まだいい方だった。

手話を真似して笑ったり。

にやけながらこちらを見たり。

通りすがりにじっとひとみを睨んだり。

中には、ひとみを指差す者までいる。

くすくすと笑う声が、店内のBGMをかき消す程、梨華の耳に重く響いた。
183 名前:名無し銀行 投稿日:2002年08月08日(木)18時20分39秒

ひとみちゃんがあなたたちに何しました!?

耳が聞こえるだけで、そういう態度ですか!!

手話を使って話す様子って、そんなに愉快ですか!!

耳が聞こえないことって、そんなに面白いことですか!!

梨華はそう叫びたかった。
しかし、寸でのところで怒りの言葉をかみ殺す。
彼らに言っても、どうせ何の効果もないことがわかっているから。
唇を真一文字に結んで周囲を睨む。
目が合うと泳ぐ視線が、余計に梨華の怒りを増幅させる。
(本ッ当に…嫌なカンジ!)
手を強く握りしめていると、テーブルを叩かれて呼ばれた。
差し出されたスケッチブックには、
『ごめんね。私と一緒にいるの、嫌でしょ?』
とあった。
意思に反して、梨華の顔が強張る。
184 名前:名無し銀行 投稿日:2002年08月08日(木)18時21分49秒

ひとみは食べながら、笑顔で梨華を見ていた。
知らないところを案内してくれて、服まで選んでくれた。
(でもあのピンクはないよ…梨華ちゃん…)
話も落ち着き、少しすると、梨華が眉間に皺を寄せた。
困っているということだろうか。
その原因はとうにわかっている。

自分のせいで。
耳が聞こえないせいで。

一緒にいる人物がどんなに嫌な思いをするのか。
これまでの生活で、充分、承知している。
だから、スケッチブックに書いた。

『ごめんね。私と一緒にいるの、嫌でしょ?』

謝ったのは、優しい否定が欲しい為の自虐的行為でも何でもない。
ただ、梨華に嫌な思いをさせたことが申し訳なかった。
185 名前:名無し銀行 投稿日:2002年08月08日(木)18時22分32秒

梨華は何かを諦めたようなひとみの笑顔を見て思った。
(ああいうヘンな態度に、ひとみちゃんが真っ先に気付かないわけがないんだ…)
それから、ひとみが謝ったことに対して非常に腹が立った。

(どうしてそこまで自分を曲げなきゃなんないの?)

(どうしていつも自分が悪いって思い込むの?)

(どうして自分のものさしで判断するの?)

考えたくなくても、次々に浮かんでくる“どうして?”。
たまらなくなった梨華が怒りながら言う。
「何で、私が嫌な気分だって、わかるの?」
やはりひとみはきょとんとした顔だ。

「こんなにかっこよくて、こんなにカワイイ人と一緒にいるのにさ」
186 名前:名無し銀行 投稿日:2002年08月08日(木)18時23分33秒

驚いた。
その一言で気持ちを表せるくらい。
「こんなにかっこよくて、こんなにカワイイ人と一緒にいるのにさ」
梨華は笑顔でそう言った。

何だか胸の奥がくすぐったい。

つい、照れながら疑ってしまう。
『本当に?』
「“本当”だよ!一緒に、いられて、すっごく楽しいもん!」
ひとみがしたのと同じ動作で、無邪気に返してみせる梨華。
もう、周囲の誰の視線も気にならない。

(この子は…人の心を掴む天才かもしんないなぁ…)

最後の一口、ハンバーガーを口いっぱいほおばる。
「食べ終わった?」
『うん』
「あのさ、これから、いちーちゃんの家に、行ってみない?」
梨華は悪戯を考えた子供のように不敵に微笑んだ。
187 名前:名無し銀行 投稿日:2002年08月08日(木)18時24分29秒

「確か…ここらへんにあったと思うんだけど…あ、ここだ」
梨華には紗耶香の嘘がわかっていた。
(嘘つくとき、いちーちゃんって真っ直ぐに私を見るのよね…)
恐らく紗耶香は自分でも気付いていないだろう癖。
嘘を本当のように思わせようと、無意識に相手の目をじっと見る。

たいがい、紗耶香は、
「友達が入院したんだ。付き添いでレポートが書けないから代筆よろしく」
だの、
「田舎の叔母さんが東京に来たから迎えに行かなきゃ。代返よろしく」
などと言ってサボるのだった。
最初のうち、梨華は真っ直ぐ見られることになれていなかったので、
(やだ…真剣に見つめられたら恥ずかしい…きっと本当なんだ)
と、簡単に騙されてしまっていた。
「また嘘だったの!?もぉイヤッ!こんなの悲しすぎる!」
騙されっぱなしの梨華を見るに見かねて、教えてくれたのだった。
「…梨華ちゃん。紗耶香が嘘つく時はね、じっと相手の目を見るんだよ」
188 名前:名無し銀行 投稿日:2002年08月08日(木)18時25分43秒

少し古びた木造アパートの2階、一番奥の部屋。
部屋が全部で6つしかない建物は、日当たりによって値段が相当変わるだろう。
「前にね、近くに来ただけなんだけど…」
黒いペンキが剥がれ、銀色の部分が見えてしまっている階段を昇る。
ドアプレートに『市井』とある。
中からはテレビの代わりに、ラジオの音が聞こえてくる。
「突然来たら驚くよね、いちーちゃん…ふふっ」
梨華とひとみは顔を見合わせて笑った。
そして梨華がドアをノックする。
「ふぁーい?どちらさん?」
梨華が独特の声を低くして言う。
「速達でーす」
「はいはい、ちょっと待ってください…」
すぐにドアが開けられる。
紗耶香はだるそうな顔をしていたが、梨華たちを見た途端に目を真ん丸くした。
「おまっ、お前ら!!」
「やっぱりサークルがあるって嘘だったんだね」
Tシャツにハーフパンツ姿の紗耶香は中から出て、ドアを即座に閉めた。
189 名前:名無し銀行 投稿日:2002年08月08日(木)18時26分57秒

「いきなり何なんだよ!」
「ん?近くまで来たからさ、ついでにと思って」
梨華は余裕の笑みで返す。
慌てふためく紗耶香を見て、ひとみが先程から笑いを堪えている。
「ここはお前らにとって一体どんな場所だよ!」
「ひどぉい!ただ、いちーちゃんのお部屋ってどんなのかなって…ねぇ、ひとみちゃん?」
意味ありげに顔を見合わせて笑う2人。
「んなっ…でもほら、散らかってるし!それに…」
そこで続けようとした紗耶香の背後にあるドアが開いた。
ごがっ。
「いってぇ!」
どこかで見たような光景だ。
(あれ…いちーちゃんって一人暮らしだよね…?)
そう思ったのも束の間、開いたドアの隙間から、茶髪の少女が顔を覗かせた。
ほのぼのした雰囲気を漂わせ、紗耶香と梨華とひとみの3人を見回している。
「あ、こんにちは。私はいちーちゃんの大学の友達で、石川梨華です」
梨華が名乗ると、その少女はふにゃっと笑った。

そして、手話で挨拶をした。

梨華とひとみは驚き、三たび顔を見合わせた。
190 名前:名無し銀行 投稿日:2002年08月08日(木)18時27分47秒

随分滞っていました。
夏は色々と忙しくて…(言い訳

>あおのりさん
はじめましてです。有難うございます。
デートが脱線してしまいました(汗
なっち、出番が少ないのに…
めちゃめちゃいい人ですよね…他の…誰よりも…。
191 名前:オガマー 投稿日:2002年08月08日(木)19時21分42秒
ほのぼのとしててかわいらしかったですw
いちーちゃんの手話にはこんな秘密があったのですね(まだ勘だけど
192 名前:名無し読者 投稿日:2002年08月09日(金)01時13分12秒
更新キタ━(^▽^)━(▽^ )━(^  )━(  )━(  O^)━( O^〜)━(O^〜^O)━━!!!!!
メール欄に笑いました。

そしていちーちゃん、そういうことだったの…(w
193 名前:名無しさん 投稿日:2002年08月09日(金)02時31分52秒
市井はどうでもいいがこれから先吉澤どうすんのよ。
194 名前:名無し読者 投稿日:2002年08月09日(金)20時16分22秒
>>193
市井はどうでもいいがって…

自分は市井が気になって気になって仕方ありません。
作者さんがむばってください。
195 名前:吉澤ひと休み 投稿日:2002年08月10日(土)17時08分04秒
うぉ〜〜〜ごっちん登場!
面白い!期待して待ってます!
196 名前:夜叉 投稿日:2002年08月16日(金)23時45分08秒
ごっちんも同じ境遇なのでしょうか?この先の展開に凄く期待してます。
忙しそうですが、作者様、がんがって下さい。
197 名前:名無し銀行 投稿日:2002年08月21日(水)13時29分04秒

部屋の中は、油彩絵の具やキャンバスその他で溢れていた。
恐らく、冷房がなければ油の臭いがたち込めるだろう。
紗耶香の所属するサークルとは、油絵研究会といい、部員が3名しかいない。
4年の保田圭と、3年の飯田圭織と、紗耶香。
小さなサークルだが、それなりに展覧会にも出品している。
紗耶香は展覧会を『アレ』呼ばわりする。
その理由が、自分で言うのは恥ずかしいから、だそうだ。
「散らかっててすまん。そこらへんの椅子にでも座ってくれ」
ベッドサイドに座りながら謝る紗耶香。
「ありがとう…あの子、何てお名前なの?」
「後藤真希。吉澤と同い年かな」
「あれ?名字が違うね。妹さんじゃないの?」
「いやいや。あいつは幼馴染だよ」
真希という少女は、ひとみと意気投合したらしく、手話で何やら楽しそうに話している。
梨華は真希の横顔をじっと見詰める。
「あの、訊いてもいい?」
「何?」
「どうしていちーちゃんと一緒に住んでるの?」
梨華が尋ねると、紗耶香は少し悲しげな表情になった。
「…私のせいなんだ、全部…」
そうして、ゆっくりと話し出した。
198 名前:名無し銀行 投稿日:2002年08月21日(水)13時30分07秒

私と後藤はさ、生まれたときから隣の家同士だったんだ。
ま、いわゆる幼馴染ね。
いつから仲がいいとかじゃなくて、気が付いたら一緒に遊んでた。
幼稚園でも別々の組なのに、あいつはいつも私のところに来るんだ。
いちーちゃん、いちーちゃん…って私を呼んでさ。
たぶん、人見知りしてたんだろうな。
ご飯の時も、お昼寝の時も、おゆうぎの時も、ずうっと。
あいつは私にくっついて離れようとしなかったよ。
他人から見たら、どれだけうっとうしいかわかんないね。
それでも可愛くてしょうがなかったなぁ。
私は後藤を妹みたいに思ってたから。
例えばさ、保母さんが別の組の後藤を引き離すじゃん?
やだーって大泣きすんの、後藤が。
そうすると、私が怒るんだ。
つれてっちゃやだーって。
199 名前:名無し銀行 投稿日:2002年08月21日(水)13時31分23秒

当然だけど、私は1年先に小学校に入学するわけ。
後藤はやっぱり泣いてさ、大変だったよ。
あたしもいっしょにがっこういく、って言うんだ。
どうしようかと悩んだね。
私の部屋にあったブルーのくまさんをあげてさ。
気に入ってたけど、後藤が欲しがってたくまさん。
これあげるよ、って。
らいねんになったら、いっしょにがっこうにいこう、って。
諭すように言ったらさ、ようやく泣き止んで頷いたよ。
それからあいつはくまさんを肌身離さず持ってたらしい。
えーと、ほら、本棚に置いてあるあのくまだよ。
で…どこまで話したっけ。
そうそう、学校だ。
私、最初のうちは後藤が心配でさ、毎日速攻で帰ったよ。
そしたらあいつ、くまさんと家の玄関で毎日待ってやんの。
私の姿見たらさ、ふにゃーって笑ってさ。
いちーちゃん、あそぼう、って。
200 名前:名無し銀行 投稿日:2002年08月21日(水)13時32分06秒

そのうちに後藤も小学生になったんだけど。
最初のうちは人見知りばっかりしてて。
っつーかビビりすぎだよってくらい。
私が連れて行かないと家から出ないんだ。
登校中、通学路で知らない子がいっぱいいるだろ。
そうすると、後藤は私の服をぎゅっと握ってさ。
いつだったかな、後藤は私の友達に話し掛けられて。
あいつ、私の後ろで黙りこくってたよ。
怒ったらさ、顔真っ赤にして泣いちゃってね。
こんなんで大丈夫かよ、って当時はみんな思ってたみたい。
でも子供って柔軟だからね。
後藤にも友達がたくさんできた。
私も安心したよ。
けどさ、一緒に登下校するのは続いてたよ。
何で他の友達と行かないのか訊いたら。
いちーちゃんがほかの子にとられるから、だと。
またそれが子供っぽくて可愛かったよ。
201 名前:名無し銀行 投稿日:2002年08月21日(水)13時33分02秒

どうしてだろーなー。
その可愛らしさが、いつしか疎ましさに変わったよ。
いつでもどこでも私の後をくっついてきたからね。
私が友達と遊ぶ時も一緒に行くってきかなかったんだ。
ごとうもほかの子とあそびなよ、って言ったら。
いちーちゃんはごとうのこと、きらいなの?って。
最後には泣き落としだったよ。
しぶしぶ後藤を連れてくと、友達が、またなの?みたいな顔するんだ。
それっていうのも、年下の後藤がいるとさ、遊ぶランクっていうのかな。
自然と、遊びのルールを易しくしなきゃいけない雰囲気になるじゃん。
ゲームが易しいから、後藤には面白くてもねぇ。
私らには易しすぎて、つまんなかった。
子供に限った話じゃないんだけど。
つまんなかったり退屈だったりするとさ、遊んでても早く帰りたいっしょ?
子供なら尚更のこと。
友達も早く帰っちゃうんだよ。
後藤は無邪気に、もっとあそぼうよ、なんてはしゃいでた。
202 名前:名無し銀行 投稿日:2002年08月21日(水)13時34分32秒

…あの日だけは…忘れたことがなかった。
私は、友達と学校が終わったら遊ぶ約束をしてた。
チャリで隣町にある川に行く計画でさ。
案の定、あいつはくっついてきてね。
どっかいくのぉ?ごとうもいくぅ、って。
待ち合わせしてた公園に、仕方なく後藤を連れてった。
友達は後藤のこと、ウザがってた。
またまきちゃんきたんだぁ、とか言いながら。
私もその時は、正直言うと後藤がウザかったよ。
だからあいつをブランコに乗せて、私は揺らしてやったんだ。
ブランコに夢中になってる隙に、後藤を置いてっちゃおうとした。
目論見どおり、後藤は楽しそうにはしゃいでた。
それから、適当なところでブランコを押すのやめた。
すぐにチャリまで走った。
後ろから、後藤の声が聞こえたよ。
いちーちゃぁぁん、まってぇぇ、まってよぉぉ。
今でもしっかり思い出せるんだ。
203 名前:名無し銀行 投稿日:2002年08月21日(水)13時35分44秒

走ってる途中、考えた。
何か、やっぱり悪いことしてるんじゃないかって。
カッコよく言えば、後ろ髪ひかれる思い…かな。
その頃はまだガキだったし、罪悪感って言葉を知らなかったんだ。
でも振り向かないで走ったらさ。
うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁん。
見なくても、間違いなく後藤が泣いてるってわかった。
いつも泣くのとは違う泣き声がしたよ。
思わず振り返った瞬間。

私の頭の中は、無色透明の無機質になった。

だって、耳から側頭部にかけて、血を流して。

後藤が倒れて泣いていたんだから。

私はその場から動けなかった。
後藤をウザがってたはずの友達が後藤に駆け寄ってさ。
だいじょうぶ?まきちゃん、だいじょうぶ?って。
心配そうに声を掛けてた。
後藤は聞いたことのない声で泣きっぱなしだった。
204 名前:名無し銀行 投稿日:2002年08月21日(水)13時37分20秒

不思議だったよ。
体中の血が下に流れていく感じがした。
動け、後藤のところへ行くんだ、って念じても。
意思に反して体が動かなかった。
まるでコンクリートで固められたみたいに。
そうこうしてると、公園にいた子供たちが集まってきた。
大人が慌てて走ってきた。
あっと言う間に黒山の人だかり。
人垣の隙間から、じっと見ていたのは、後藤の血だった。
水たまりみたいに、どんどん地面が赤黒く濡れていくんだ。
後藤は死ぬんじゃないかと思ったよ。
初めて見る大量な血への恐怖からだろうな。
後藤の声以外、もう音という音が聞こえてこなくなった。
頭の片隅で自分の声が聞こえたよ。
お前のせいだぞ、って。
お前のせいで後藤は死ぬんだぞ、って。
救急車が到着して、後藤は泣きながら運ばれていった。
裏切り者の、私の名前を叫びながら。
205 名前:名無し銀行 投稿日:2002年08月21日(水)13時38分23秒

髪で隠してるけど、あいつの右側頭部には跡があるよ。
耳に髪をかけたらうっすらと見えるんだ。
後藤の怪我は結構なもんだったよ。
頭を十何針か縫ったんだって。
病院で、後藤の家族に私の両親が頭を下げた。
泣きながら私も謝ったよ。
私のせいで怪我したことをちゃんと説明したし。
普通の親だったら怒り狂うと思うよね。
でも、後藤の両親はちっとも怒らなかった。
怒られるどころか私は謝られたんだ。
真希が迷惑かけてごめんね、びっくりしたでしょ、って。
今考えると…それは優しい復讐だったのかもしんないな。
私は余計に泣いた。
鼻水だか涙だかよだれだか、全部わかんなくなるくらい。
あいつは頭に包帯とネットを巻いて静かに眠っていた。
206 名前:名無し銀行 投稿日:2002年08月21日(水)13時40分42秒

次の日、後藤が目を覚ましたって聞いた。
私は小遣いで花を数本、買って持っていったよ。
病室に入る前に、後藤のお母さんが涙ぐんで言ったんだ。
真希は耳が遠くなっちゃったの。
それに、しゃべり方もおかしいの。
でも、真希の友達でいてね。
後藤のお母さんに花を渡して、私は病室に入った。
したら、後藤は元気に絵を書いて歌ってたんだ。
私を見てさ、いつも通り、ふにゃーって笑ったよ。
いひーひゃん、あひょぼうよ。
後藤は幼稚園児より喋れなくなってたことを実感したね。
実際、あいつは右耳が全然聞こえなくて、左耳も補聴器が必要なんだ。
上手く喋れないし、手話を使うようになったよ。
後藤が私の名前を呼んだ時にさ、決めたんだ。
もう絶対に後藤のこと、置いていったりしないぞって。
207 名前:名無し銀行 投稿日:2002年08月21日(水)13時42分36秒

退院してからがすごかったよ。
今度はそれまでとは逆で、私が後藤にくっついてまわったんだ。
いじめからあいつを守ろうとして。
後藤を泣かす奴は、相手が誰だろうと一人で仕返しに行ったよ。
上級生にボコボコにされたこともあったけどね。
卒業して私が中1になったって、後藤はまだ小6じゃん。
いじめられたりするんじゃないかって心配だったよ。
でも後藤は人当たりがいいからさ、何もなかったみたい。
ははは、心配するだけ無駄だった。
それで私が高校に進んで、後藤が中3の時。
私の高校は有名な進学校でさ。
あいつ、いちーちゃんと同じ高校がいいな、って言ったんだ。
単に私と一緒にいたかったからかもしんないけど。
後藤は耳があんまり聞こえないだろ。
耳のせいで勉強ができないと思われるのが嫌いでね。
だからだろうな、勉強はできる方だったよ。
私は、来るなら来いよ、って言っただけ。
余計なことは言いたくなかったからね。
208 名前:名無し銀行 投稿日:2002年08月21日(水)13時43分48秒

後藤は頑張って、もうどこでも受かるレベルになったよ。
たぶん、私よりできたんじゃないかな。
入試当日もばっちりできたらしいし。
面接でも、すらすら答えられたって言ってた。
でも受からなかった。
なぜだかわからないまま、学校の友達から噂を聞いたんだ。
入試の面接で、喋り方がおかしくて落ちた子がいる、ってね。
私は後藤を問い詰めたよ。
そしたらさ、あいつ、耳が悪いことを隠して受験したんだと。
調書に書いてあったのに、自分で消したんだと。
耳が悪いのかと訊かれても、平気だって言ったんだと。
もちろん私は怒った。
そんなことして受かると思ってたのかよ、って。
後藤は泣きながら言った。
普通に耳が聞こえる子と勝負したかった、って。
それ聞いて何言っていいかわかんなくなった。
後藤が落ちたのは半分、私のせいだったけど。
私は学校の態度に嫌気がさして、自主退学した。
209 名前:名無し銀行 投稿日:2002年08月21日(水)13時45分12秒

そんなもんで大検を受けて、私は今の大学に受かったんだ。
家と大学が遠いからさ、一人暮らしすることになって。
それを後藤にも言ったら…。
昔のようなふにゃーって笑顔でさ。
手話使わないで、一生懸命にさ。
いひーひゃん、いっひょにいっれもいい?
わかる?
いちーちゃん、一緒に行ってもいい?だって。
本当にバカだよなぁ。
同じ大学に行きたいんだってすぐにわかったよ。
何でか周囲は大反対でね。
だけどさ、私はもう後藤を置いていくのは嫌だったんだ。
引っ越す前日の夜中、私は後藤を連れ出したんだ。
私と後藤は先にアパートに行きます、荷物はちゃんと届けてください。
そういう書置きしてね。
で、現在に至るというワケ。
わかった?
はい、暗い話はおしまい!
210 名前:名無し銀行 投稿日:2002年08月21日(水)13時46分46秒

話を聞いた後、梨華は紗耶香のことを初めて知ったような気になった。
「そっかぁ…」
言いたいことがありすぎて、それしか言えなかった。
「実はな、お前に頼んだりしたのも、バイトがあったからなんだ」
「そうなの!?叔母さんが来たとかって…」
「全部嘘だ。すまん!騙して…あの、後藤のこと、どうも言えなくて…」
頭を下げる紗耶香に、梨華は怒った。
「もぉ!素直に言えばいいじゃない!頭いいのにひねくれてるんだから!」
「本当に…申し訳ない!」
必死な様子に梨華は少し微笑んで、紗耶香の肩をポンと叩く。
「友達なんだから、早く言ってくれれば何でも手伝ったよ!」
紗耶香は顔を上げて、頭を掻いた。
「サムイせりふだけど…ありがとな」
余計な一言が付いたのは、単なる照れ隠しだということはわかっている。
梨華も嬉しくなった。
「うん、何でも言ってね!」
「それなら、来週提出のレポートもよろしくな」
「ちょっと!たまには自分でやりなさいよ!」
211 名前:名無し銀行 投稿日:2002年08月21日(水)13時48分43秒

少し笑いあって、紗耶香が思い出したように言った。
「あ、そうだ。言おうと思ってたんだけど」
「うん?」
「柴田から電話があってさ、あいつの家って病院らしいな」
「え!…あぁ、なるほど…」
梨華は柴田の祖父の家がやけに大きかったことを思い出し、納得した。
「で、吉澤を働かせてくれるように柴田が頼んだんだと」
「本当に!?柴ちゃん、すごーい!」
「車イスの患者を散歩させたり、患者に食事を持っていったりとか、簡単な仕事だって」
そこで紗耶香は携帯を出してきて、メールを打ち始めた。
「今日の夜、大学の近くのファミレスに集合すっか。いろいろ話も聞きたいだろ」
「うん!あ…でも…」
「何だよ?」
「真希ちゃん…どうするの?」
梨華に言われて、紗耶香は手を止めた。
「そーだよな。一人だけ置いてくわけにもいかないしな…」
と、大きくため息をつき、再び手を動かす。
「いいよ。柴田にも紹介するよ」
ぶっきらぼうな物言いだが、紗耶香の顔が心なしか赤くなっていた。
212 名前:名無し銀行 投稿日:2002年08月21日(水)13時50分24秒

「えっと…準備もあるから、そろそろおいとまするね」
梨華は立ち上がってスカートの皺を直した。
「おう。たぶん8時ごろに集合だから」
「わかった。ねぇ、ひとみちゃん、帰ろうよ」
真希との話に夢中になっているひとみの肩を叩くと、ひとみは頷いて立ち上がった。
ドア前まで紗耶香と真希がついてきた。
「おい、後藤。吉澤と仲良くなったようだな」
真希は嬉しそうに頷き、笑顔を見せた。
「突然おじゃましてごめんね、いちーちゃん」
「いやいや」
「じゃ、夜にね。ばいばい」
ドアを開けてひとみと梨華が手を振ると、真希も手を振った。
「じゃーなー」
紗耶香の返事を聞いてドアを閉める。
歩き出して、梨華がひとみに訊く。
「真希ちゃんと、何のお話、してたの?」
ひとみは一瞬黙り、唇に人差し指をあてた。
「内緒ってこと?ひどぉーい、教えてよぉ!」
それには答えず、ひとみが意地悪そうに笑ってアパートの階段を降りる。
笑いながら、梨華も急いでひとみの後を追った。
213 名前:名無し銀行 投稿日:2002年08月21日(水)13時51分15秒

レスがたくさん!!
何とか交信できました。遅くてスミマセン…。

>オガマーさん
ありがとうございます!
roseサイコーです!(w

>192さん
ありがとうございます!
『いしよし銀行』があったら、もちろんイメージキャラクターは…(w

>193さん
ご意見、ありがとうございます。
そうですよね…ごめんなさい、引っ張りすぎました…。
なまぬるく見守ってください…。

>194さん
ありがとうございます!
うちの市井を気にかけていただいて光栄です。

>吉澤ひと休みさん
ありがとうございます!
ごっちんはたまにしか出ないのですが…大事な役です。

>夜叉さん
お久し振りです!!!ありがとうございます!!
ごっちんも耳が悪いんですよねぇ。
先天性ではないですけども。
214 名前:夜叉 投稿日:2002年08月23日(金)20時35分56秒
ごっちんの話、重たかったけど、いちーちゃんの決意に気持ちが晴れました。
吉も何やら光が見えてきたようで、楽しみがまた一つ♪
作者様の更新量に脱帽です。無理のない程度にがんがってくださいね。
215 名前:名無し読者 投稿日:2002年09月04日(水)23時37分38秒
更新待ってるべ
216 名前:名無し読者 投稿日:2002年09月19日(木)01時06分04秒
…続きが気になるのれす
217 名前:名無し銀行 投稿日:2002年09月24日(火)11時46分57秒

ひとみは梨華に連れられて、紗耶香の部屋まで来た。
そこで手話を使う少女が部屋から現れた。
戸惑うひとみと梨華を見て、紗耶香は頭をぽりぽりと掻く。
『あのー…とりあえず、上がってくれ』
紗耶香に促されて部屋に入ると、冷房の風に漂う油の匂いがした。
木目がゆるく波を打つ壁に、白い布の被せられた大きなキャンバスが立てかかっている。
梨華が紗耶香と奥の部屋に行くので、ひとみも一緒に行こうとした時だった。

ぐいっ。

と、ポロシャツの裾を思いっきり引っ張られた。
(な、何…?)
よろけつつ振りかえると、先程の少女だった。
彼女はニコニコして、ひとみに言う。
『こっちで話そうよ』
紗耶香と話し始めた梨華が気になったが、今更割り込める雰囲気ではない。
なので半ば仕方なく、青い丸テーブルとお揃いの椅子に、少女と向き合って座る。
その青色はいくらかくすみ、ひとみの座った椅子は、不安定にぐらぐらしていた。
218 名前:名無し銀行 投稿日:2002年09月24日(火)11時47分51秒

『あなたの名前は?』
息をつく暇もなく、ひとみは尋ねられる。
『私は…よ、し、ざ、わ、ひ、と、み…あなたは?』
名前をひとつずつ区切って自己紹介。
『あたしは、ご、と、う、ま、き』
ひとみは初対面なのに、何故だか真希という少女の雰囲気が気に入った。
『後藤さん、よろしくね』
そう言うと真希はふにゃっと表情を崩した。
『あのさ、ゴトウサンって堅苦しくない?』
『えっ?』
真希も同じように自分のことを名字で呼ぶだろうと思っていたので、少々面食らった。
『だからぁ、自分のことはゴトーって言うけど、さん付けで呼ばれるのってヤなの』
眉根を寄せて真剣に語る真希。
そこまで矛盾した嗜好も珍しいので、ひとみはつい笑ってしまう。
『何でぇ?何がおかしいのさ?』
真面目に怒られると余計に可笑しい。
『ぷっ…あははっ…ごめん、何でもない…ははは』
『もぉ!そんなに笑うんなら“よっすぃー”って呼ぶぞ!』
219 名前:名無し銀行 投稿日:2002年09月24日(火)11時48分51秒

いつしか真希も笑顔になり、わけのわからないあだ名をつけてくれた。
『いいよ。じゃぁ、私は“ごっちん”って呼ぶもん』
『マジ!?面白くてイイ!!』
どうやらウマが合うようで、ひとみはもっと真希のことを知りたいと思った。
『ねぇ、何年生まれ?』
『ゴトーはね、85年だよ』
『私も!同い年だね!』
話題が一区切りすると、真希が変わらぬ笑顔で訊いてきた。

『ところでぇ。耳、全然聞こえないの?』

ひとみは硬直してしまった。
更に、ずいぶんと不躾なヒトだなと思った。
何も知らない子供ならともかく。
その歳でそういう訊き方は返事に困る。
返事に詰まっていると、真希の手がゆっくりと動いた。

『ゴトーは、補聴器があっても、ほんのちょびっとしか、聞こえないよ』

そうして真希の話が始まった。
220 名前:名無し銀行 投稿日:2002年09月24日(火)11時49分47秒

何で耳が悪いのかって、変な話だけどいい?
初めて会ったのに話すのも不思議だけど。
ゴトーさぁ、いちーちゃんとは幼馴染なのね。
むしろ幼馴染にして唯一の遊び相手。
こう言うとちょっと根暗っぽいかもしんないけど、違うよ。
友達は他にもいたけど、いちーちゃんがいなきゃ嫌で。
うーん…つまんないっていうか寂しいっていうか。
とにかく傍にいないと不安だった。
だからいちーちゃんの後をいつも追いかけてたの。
幼稚園でも小学校でも、家にいても何してても一緒にいた。
ずーっといちーちゃんの背中、見てきたんだよ。
今思うとね、ゴトー、よく振り払われなかったなぁ。
そう思わない?四六時中付きまとわれるんだよ?
よっすぃーだったらどうよ?
ゴトーは絶対にムリ。
そう考えるといちーちゃんって我慢強いんだよね。
今で言うストーカーじゃん、当時のゴトーって。
221 名前:名無し銀行 投稿日:2002年09月24日(火)11時50分44秒

いくつの時だっけな。
確かね、ゴトーが小学校3年でいちーちゃんが4年の時の夏。
いちーちゃんは他の子とどっか行くって言うからさ。
ゴトーも一緒に行くって言ったんだ。
自転車でゴトーのこと、後ろにのっけてさ。
実はね、いちーちゃんが自転車に乗れたての頃。
二人乗りしてさ、凄い勢いで転んだの。
自転車で2ゲットズサー!って感じ。
変な厨房に反応しちゃだめだよ、荒らされるから。
ありゃ、話がずれた。
で、足とか腕とか擦りむいて、二人で大泣きしたよ。
また二人乗りするって言われてさ、めちゃめちゃ怖かったぁ。
いちーちゃんの肩を掴んで、必死にしがみついてたの。
ゴトーが不安なの知ってて、わざと速く漕ぐんだもん。
でも気持ちよかったなぁ。
汗をかいた首に、風がすーっと通り抜けたりして。
222 名前:名無し銀行 投稿日:2002年09月24日(火)11時52分22秒

公園に行ったらね、いちーちゃんの友達がいたの。
ゴトーを見て、うっとうしそうな顔してたよ。
いちーちゃんとその子は内緒話なんかして。
ゴトーのこと、うっとうしそうに話してるってわかった。
ちょっと…知らない人みたいに見えた。
あの時がいちばん寂しかった。
やっぱりゴトーは邪魔なのかなって思って。
泣きそうになってたら、ゴトーはブランコにのっけられたの。
いちーちゃんが背中を押してくれてね。
ぐんぐんスピードがついて、高く上がったんだ。
懐かしいなぁ。
体がふわぁって浮く感覚と、風が体に当たる感覚。
いちーちゃんね、ああ見えても昔からマッチョなの。
ブランコで揺らすことぐらい、小指でも出来るかも。
体はカラテカの矢部太郎なくせに、筋力はなかやまきんに君。
知ってる?矢部太郎ときんに君。
そっか、知らないか、ごめん。
話、元に戻すね。
223 名前:名無し銀行 投稿日:2002年09月24日(火)11時53分35秒

ゴトーはブランコをエンジョイしてたわけ。
適当にスピードがついたから、いちーちゃんは後ろで見ててくれたの。
もう、本当に、いちーちゃんの友達がいたことも忘れてた。
そしたら、いちーちゃんはその子と急に向こうに走ってってさ。
置いてかれた!!と思ったの。
いちーちゃんのこと、呼んだんだけど無視されて。
追いかけなきゃ、ってブランコから降りようとしたんだけど。
勢いのついたブランコはちっとも止まんなくて。
焦ってさ、手を離しちゃったんだ。
ゴトーはぽーんと投げ出されて。
そんな時の景色って、全てがスローモーション。
世界がぐるっと反転したよ。
ま、つまりは頭から落っこったの。
ドジっていうかせっかちだったっていうか。
しかも運が悪いらしくて、小石に耳の後ろを打ちつけてさ。
痛いなんてもんじゃないよ。
喉が潰れるくらい泣き叫んださ。
そこから先はよく憶えてないんだよね。
眠くなっちゃって。あは。
224 名前:名無し銀行 投稿日:2002年09月24日(火)11時55分13秒

次に起きたら病院のベッドの上さ。
ドラマにありがちな光景。
お母さんが泣いてて。
何か話し掛けてくれるんだけど、ちっとも聞こえないんだ。
怪我のせいもあって、イライラしてきちゃってね。
もっとおおきなこえでゆって、って言った。
その時、お母さんの顔が強張った。
ちゃんと喋った“つもり”になってた。
すぐにお医者さんが来て、耳が悪くなったこと、言われた。
おじいちゃんとかおばあちゃんになったみたいだった。
耳元で、大声で言わないとわかんないの。
っていうことはだよ。
いちーちゃんの声もあんまり聞こえないってことでしょ。
喋り方も変になっちゃったし。
その日にさんざん泣いたよぉ。
誰が悪いとか、そんなんじゃなくてね。
いちーちゃんを恨むのは筋違いだって思い込もうとした。
もっと気を付けていればよかった、って。
でも…ちょっとだけ、恨んじゃった。
225 名前:名無し銀行 投稿日:2002年09月24日(火)11時56分55秒

で、補聴器付きで退院して小学校に戻るじゃん。
やっぱりいじめられた。
ほら、子供って、自分とは違うものを持つ人を面白がる傾向にあるから。
みんなと一緒が全てだって、先生から均一化を教育されるからね。
大人からすればくだらないことでも。
些細なことがいじめになっちゃうんだよね。
例えば、上履きを隠すとか、聞こえてるのにわざと無視するとか。
休み時間、男子に廊下で囲まれて、喋り方をバカにされて。
けどね、いっつもね、いちーちゃんがすっ飛んで来るんだ。
おい!何してるんだよ!って。
まるでゴトーのこと、見張ってるみたいだったな。
いじめっこから守ってくれても、いちーちゃんは返り討ちにあった。
おっきな痣をつくっても、蹴られたところが腫れて真っ赤になっても。
いちーちゃんはどうってことないような顔するの。
ゴトーのせいで、ごめんねって謝ったんだけど。
ばかだなぁ、私は正義の味方だぞ?って笑うの。
226 名前:名無し銀行 投稿日:2002年09月24日(火)11時58分23秒

それから時は流れていちーちゃんの高校受験。
すんごい頭いいんだよ、いちーちゃんって。
県内トップの高校に受かったの。
塾には行ってたけど、ゴトーを構う時間はあんまし減らなかったんだよ?
勉強も教えてくれたし、買い物にも付き合ってくれたし。
その分、寝ないで勉強してたみたい。
ほとんど毎日、明け方まで電気が点いてたもん。
慢性のくまが出来てたよ、いちーちゃん。
一回だけ、ゴトーも負けじと起きてたんだけど。
だめだったよ、午前2時でギブアップ。
しかも、受かったのはコネだぜぇ〜、なんてふざけてさ。
必死で努力の跡を隠してたの。

カッコよすぎてムカついたけどね。あは。

そんなもんでさ、中3になったらゴトーも頑張ろうと思ったの。
いちーちゃんと同じ学校に行きたくて。
成績はいちーちゃんと同じぐらいにしたんだよ。
アドバイスもいちーちゃんからたくさん教えてもらった。
227 名前:名無し銀行 投稿日:2002年09月24日(火)12時00分27秒

でもね、志願書を出す寸前に思った。
他の子と見かけは何ひとつ変わらないのに。
どうして耳が悪いことが書いてあるだけで、同情じみた視線を投げられるのかな。
何かね、学校側は、テストしなくても受け入れます、みたいな感じで。
裏口みたいで嫌じゃん。
まともに勝負できないで逃げてるみたいだったし。
耳がよく聞こえる子に、ハンデを隠してでも負けたくなかった。
だから健康上の注意のところ、そっと修正テープで消してやった。
受験の日は、いちーちゃんがお守りくれたんだ。
そのおかげもあったのか、もちろん筆記試験は大成功。
次の面接で、ゴトーはうまく喋れなかった。
毎日毎日、喋る練習ばっかりしたのに。
面接の先生は何もないって思ってるから、イライラしてた。
ちゃんと話しなさいって怒られて、悔しくて涙が出そうだった。
けど、泣くのを我慢して一生懸命話そうとしたのに。
呆れられて、もういいですって強制退室。
他の受験生が、ゴトーのことをじろじろ見てた。
帰り道、一人で泣いたよ。
何も出来なかった自分が嫌で。
自分で蒔いた種だってわかってただけ、余計に泣けた。
228 名前:名無し銀行 投稿日:2002年09月24日(火)12時02分30秒

もちろん受験は失敗。
いちーちゃんの高校だけしか受けてなかったんだ。
何も知らない最初のうちは、励ましてくれたり、慰めてくれた。
でもいちーちゃんは本当のことに気付いて。
お前は救いようのないバカだ、とか言われたの。
ゴトーもその言い方にはカチンときて、逆ギレしちゃったんだ。
そのままケンカ別れした翌日。
ずっとゴトーは部屋にこもってたの。
そしたらお昼頃、急にいちーちゃんが来たんだ。
もちろん、まだ学校が終わる時間じゃなかったからさ。
学校はどうしたの?って訊いたよ。
いちーちゃんはムッとした顔で言った。

学校、辞めてきた。

ゴトーには学校を辞める理由が、何となくわかって。
その時、耳に怪我をした日のことが蘇った。

またゴトー、お荷物になっちゃったの?

そう思って泣いたさ。
いちーちゃんは何も言わないで、ゴトーの頭を撫で続けてくれた。
229 名前:名無し銀行 投稿日:2002年09月24日(火)12時06分01秒

やっぱ、いちーちゃんって努力家。
通信制の高校にしてさ、バイトもして。
高校に行かなくても、何も変わらずにゴトーを構ってくれた。
半端なく忙しいのに大検も受けて、今の大学に進学。
大学に行くのに一人暮らしするって聞いたんだ。
全身の勇気を絞り出してさ、言ったよ。
一緒に行ってもいい?って。
いちーちゃんは何でか、一瞬泣きそうな顔をして、それから笑った。
よし、一緒に行くか、って。
でも親たちは、ゴトーが東京に行くことに反対した。
心配してくれてたのはわかるけど…泣いて反抗した。
結局、いちーちゃんの出発前日まで、許してくれなくて。
その日の夜、日付が変わって出発当日になったから、もう諦めてたんだ。
眠れなくて、2時まで起きてたの。
もう寝ようと思ったら、窓ガラスに小石か何かが当たる音がして。
外を見たら、いちーちゃんがドラムバッグを持ってて。
真夜中に、弱い光を放つ外灯に照らされていた。
必要最低限の荷物を持って来い、一緒に行くんだ、って。
ゴトーは張り詰めた神経を使って、静かに家を飛び出たよ。
夜中の街は、結構寒かったぁ。
いちーちゃんのためにも、今年の受験できっと同じ大学に入ってみせるよ。
230 名前:名無し銀行 投稿日:2002年09月24日(火)12時07分19秒

ひとみはこう語ってくれた真希のことを思い出していた。
集合場所へ向かう途中、梨華との会話がなくなったためだった。
どうしてあんなにも、優しく穏やかに笑えるのか。
うらやましくもあるし、そのように笑える方法を教えてほしいとも思う。
謎なのが、真希は紗耶香をどう思っているかということ。
単なる幼馴染への信頼感か、それとも…恋愛感情?
確かに紗耶香のように守ってくれれば、好きになるかもしれない。

紗耶香のことを話す時の、あの嬉しそうな表情。
ふたりだけの思い出を、いとおしむような話し方。

しかし、相手はどう考えても女の子だ。
差別する気はないが、いくらかは身構えてしまう。
(…そう言えば…どこかで聞いたな)

好きになった相手が、“たまたま”同性だった、と。
同性で恋愛感情を持つのは、異常なことではない、と。

そんな正論を持ち出してすぐに納得できるほど、単純なものでもあるまい。
(もし私が同性を好きになったら…?)
ひとみの頭は、わからないことだらけで爆発しそうだった。
231 名前:名無し銀行 投稿日:2002年09月24日(火)12時09分15秒

「ひとみちゃん、こっちだよ」
目的のファミレスに着いて、発した第一声がこれ。
晩ご飯を共に食べたところまではまだよかった。
駅を降りて、ずっと真剣な顔だったひとみ。
何かを考え込むように、深呼吸もしたりする。
梨華はその表情を見ると、どうも話し掛けられなかった。
ひとみは声をかけられて我に返り、促されて店に入った。
「あー、梨華ちゃん、こっちこっち」
既にあゆみが来ていて、4人掛けのテーブルで手を振っている。
昼間に来ると言っていた紗耶香はまだのようだ。
「柴ちゃん、早かったんだね」
そう言いながら、あゆみと向かい合って座る。
ひとみは梨華の隣に、微妙な距離をあけて腰を下ろした。
「うん。っていうかさ、時間に厳しい紗耶香がまだみたいだけど」
「あー…その、いろいろと準備があるんじゃない?」
ささやかなフォロー。
遅くなっているのは、きっと真希に時間をかけているからだろう。
「そう?8時まであと…10秒…9、8、7…」
あゆみがカウントダウンをし始めた。
紗耶香が遅刻するというのがよほど楽しみらしい。
232 名前:名無し銀行 投稿日:2002年09月24日(火)12時11分11秒

「柴ちゃん、嬉しそうだね…」
「そりゃもう…4、3、2、1…」
遅刻確定と信じてほくそえむあゆみ。
あと0.5秒というところで、店に紗耶香が駆け込んできた。
勢いよく開く扉に、店中の者が驚く。
「紗耶香、ギリギリセー…あれ?その子…」
肩を上下させる紗耶香の隣に、あゆみにとっては見知らぬ少女がいる。
全速力で走ってきたに違いない二人。
額に汗が滲んでいる。
「お前が、ダラダラ、髪なんか、梳かしてるからだ…げほっ」
息も切れ切れに紗耶香が言い、ゆっくりと梨華たちのテーブルに近づく。
少女が手話で言い返す。
「あーあーわかったよ」
投げやりな感じの紗耶香の背中を、少女がぶった。
あゆみはきょとんとそのやりとりを見ている。
早く早く、と言う代わりに梨華が紗耶香を促す。
「ほら、柴ちゃんがびっくりしてるから、紹介しなきゃ」
「へいへい。柴田、すまんがもうちょい詰めてくれ」
「あ、うん」
あゆみが動揺しつつ席を詰めると、紗耶香が怒ったように言った。
「えーと…こいつな、幼馴染で、同居人で…後藤真希っていうんだ」
233 名前:名無し銀行 投稿日:2002年09月24日(火)12時14分58秒

予想通り、あゆみが目を真ん丸くして驚きを表す。
「はァ!?嘘つき!紗耶香、一人暮らしって…」
「ごめん。かなり隠蔽。ほら後藤、挨拶は?」
紹介のされ方に不満があったのか、真希は紗耶香を横目で睨んだ。
そして表情がうって変わり、あゆみには笑顔で会釈した。
「よろしくね。あたしは柴田あゆみです。で、こっちが…」
と、梨華は紹介されかけたので、急いで言った。
「あ、私たちはもう真希ちゃんと会ってるよ」
「え!吉澤さんも梨華ちゃんも知ってたの!?あたしだけ仲間ハズレ!?」
「ううん、私たちも今日、知ったんだよ」
「今日ぉ?どういうこと?」
尋ねられると、梨華がにやけながら話し出す。
「あのね、お買い物のついでにいちーちゃんのところに寄ったら…」
「あーもー!石川は黙ってろよ、恥ずかしいから!」
紗耶香が顔をやや赤らめて遮る。
「石川たちが急に来たから、後藤のことを話しただけだよ」
あゆみが照れる紗耶香をからかう。
「後藤さんのことって?何なのか話してみなよ!」
肘で紗耶香をつつくあゆみに、梨華が訊く。
「柴ちゃん…ただ聞きたいだけでしょ?」
「うん、当たり」
おいおい、とみんなが心の中で突っ込んだ。
234 名前:名無し銀行 投稿日:2002年09月24日(火)12時18分58秒

一通り話し終え、紗耶香は顔を更に赤くした。
「……だから、私も手話ができるんだよ」
照れのためのぶっきらぼうな口調は、紗耶香にはよくある。
「へぇー。なるほどねぇ」
あゆみは素直に納得し、珍しく真面目に話を聞いていた。
「で、柴田の話は?」
紗耶香は話題を変えようと必死で、梨華たちは笑いをこらえようと必死だった。
「はいよ。仕事のこと、詳しく説明しようと思って」
そこで、逆襲とばかりに紗耶香が口を挟む。
「柴田ぁ、何で今まで家のこと、黙ってたんだよぉ?何気にお嬢様じゃん」
「そうそう。私も聞いてびっくりしたよ」
「…あぁ、あはは…恥ずかしかった、から…なんつって…」
あゆみは苦笑いして、こめかみを掻く。
それから俯いて、泣きそうな顔をして見せた。
「…ちょっと、知られたくなかっただけ…」
いつもの明るいあゆみが、初めてこんな表情を見せたので、雰囲気が静まる。
あゆみと対象に明るい音楽が店の中を流れ、他の客の笑い声が聞こえた。
「柴ちゃん…」
梨華が名前を呼ぶと、あゆみは顔を上げて笑顔を作った。
「ん、ごめんごめん。話の続きしなきゃね」
あゆみの家庭事情には重いものがある、と梨華と紗耶香は直感した。
235 名前:名無し銀行 投稿日:2002年09月24日(火)12時22分37秒

「紗耶香、通訳してね。吉澤さんにしてもらうのは割と簡単な仕事で…」
ひとみが担当するのは、病棟にいる患者の配膳、散歩、身の回りの世話、トイレや食堂の備品の補充などであった。
「配膳とか散歩はボランティアの人でもできるし、時給はちょっと安くなるのね。
でもすごく大切なお仕事だよ。
看護婦さんがそれを全部やるのはほぼ不可能に近くてね。
点滴とか採血とか、しなきゃならない仕事も他にたくさんあるから。
あと、うちの病院には緑も多いし、わりと環境がいいと思うんだ。
ただ…病院の寮の空きを調べたら、いっぱいだったの。
住むところまでは保証できなくて。ごめんね。
もし吉澤さんが引き受けてくれるんなら、病院としても結構助かるけど…どうかな?
患者さんにつきっきりなんてあんまりないから大丈夫だよ」
ひとみは笑顔で頷き、まくし立てるように手話で話した。
「何だって?」
「うん、自分に出来ることだったら何でもするし、喜んで引き受けますって」
「そっか!じゃ、院長に話しとくね」
半ばホッとした表情になるあゆみ。
「あのさ、吉澤。仕事は確保したけど、住むところはどうすんだ?」
紗耶香は声を出しながら、手話でひとみに問う。
236 名前:名無し銀行 投稿日:2002年09月24日(火)12時24分07秒

「じゃ、アパートとか借りて一人暮らし?」
梨華がひとみをちらちら見ながら、遠慮がちに言う。
「それなら、うちの隣の部屋が空いてるぞ?家賃は極安。ぼろいけど」
と、紗耶香。
真希が隣で深く頷いている。
「紗耶香の隣なら、いくらかは安心なんじゃない?」
「おい柴田、何かが失礼だぞ」
「ケンカは後にしてよぉ〜…」
梨華が情けない声をだす。
ひとみはリュックからスケッチブックを出し、気持ちを書いた。
『でも、もらったお金は大事に使いたい』
「…それは、そうだよねぇ…」
紗耶香、あゆみ、梨華は納得。
話から察するに、なつみがどれだけ必死で貯めたかが窺える。
ひとみにとってあの貯金は、お金という価値を超えたものだと言ってもいい。
すると真希が紗耶香のジャンパーの袖を引っ張った。
「何だよ?」
『貰ったって何で?どうして大事に使いたいの?』
事情を何ひとつとして知らないために、大事なところで質問される。
「あーもう、後で説明してやるからちょっと黙ってろ」
素っ気ない返事に、真希がふくれっつらになった。
237 名前:名無し銀行 投稿日:2002年09月24日(火)12時24分38秒

「うーん…うちは、まだ他に部屋が余ってるから、来てもいいよ」
と、あゆみ。
対抗するように、梨華が小さな声で言う。
「うちは…荷物をどかせばひとりくらい…」
紗耶香とあゆみは聞こえなかったフリをして話をする。
ふたりとも、笑いたいのを隠しているつもりで、にやけている。
「なぁ、柴田。ひとりくらい、寮から出せないのかよ?」
「ダメだよ!大事な看護婦さんなのに」
笑いの含まれた口調に、梨華が怒る。
「何なの何よ!わざとらしいんだから!!」
3人は放っておいて、ひとみは困ったように黙ってしまった。
沈黙に、紗耶香とあゆみと梨華が落ち着きを取り戻す。
「あ…真面目にやろう、うん」
「そうだね、真面目に…」
真希が冷たい視線で紗耶香を見ていた。
しかしちっともそれに気付かない紗耶香に、顔をぷいっと背けた。
「…あの、ひとみちゃんは、どうしたい?」
梨華が優しくゆっくりと尋ねる。
みんなはどんな答えが出るのかと思っていた。
が、腕組をして、ひとみは考え込んでしまった。
238 名前:名無し銀行 投稿日:2002年09月24日(火)12時25分11秒

黙ったまま、何分が過ぎただろうか。
明らかに10分ほど経過している。
それでもひとみは迷っているようで、結論は出なかった。
きっと、どれも選択できるのだろう。
「…ねぇ。そんなに迷うんだったら、トランプで決めてみない?」
「ハァ?」
その場のみんなが、一斉にあゆみを見る。
「お前な、大事なことをトランプで決めるなんて…」
「だってさ、決められない時は運に任せる方がいいって言わない?」
「言わないって…」
ささやかなツッコミをする梨華。
「まーまー、とにかくやってみようよ。で、今、あたしは両手に何も持ってないよね?」
と、あゆみは両方の手のひらを出して見せた。
「うん、何もない」
「でしょ?では…これから呪文を唱えると、トランプが出てきま〜す」
「へぇ。柴田、手品なんて出来るのか?」
「まーね。行くよ!」
あゆみが何か呟きつつ、手を擦り合わせ始めた。
「…ドウスルどうするドウスルどうする…3・2・1!カモン!!」
叫ぶと同時に、手裏剣のようにトランプを4枚だけテーブルに投げた。
「…おぉ!すげー!どっから出したんだ!?」
その4枚はダイヤ・スペード・ハート・クローバーのエースだった。
239 名前:名無し銀行 投稿日:2002年09月24日(火)12時35分41秒

「あ?4枚だけ?あとの48枚は?」
4枚を並べながら紗耶香が訊く。
「うん、ちゃんとあるよ」
あゆみは鞄の中から小さなケースを出す。
「はい。ジョーカーも含めて残りの49枚ね」
「…こっちも手品で出せよ…」
ケースを渡されて、苦笑する紗耶香。
真希とひとみはくすくすと笑っている。
「ねぇ!柴ちゃんがこういうの得意だって知らなかった!」
梨華が楽しそうにはしゃぐ。
「4歳の時、誕生日プレゼントにお母さんからトランプを貰ってさ。
 嬉しくていつも持ち歩いて、手が暇な時に遊んでたの。
 それがきっかけで手品にも興味持って、小学生の時に本だけで勉強して。
 今もやってるけど、近所の子供に披露するだけで何の役にも立ってないよ」
紗耶香からトランプを受け取り、馴れた様子で手さばきを披露した。
あゆみの白い手と黒のチェック柄のカードがコントラストを成す。
梨華はそのコントラストに見惚れた。
「…すごーい」
「そう?練習すれば誰でもできるって。さて、遊ぶのは終わりにして…」
と、トランプをケースにしまい、傍らに置く。
「運命の抽選、始めますか」
不敵な笑みを浮かべ、あゆみは先程のエース4枚をよくきり、裏返して並べた。
240 名前:名無し銀行 投稿日:2002年09月24日(火)12時36分15秒

「ルールは簡単。
この4枚を、紗耶香と梨華ちゃんとあたしで1枚ずつひいていくの。
で、スペードのエースを出した人の考えに、吉澤さんが従う…って感じ」
説明したあゆみに、梨華が質問する。
「…4枚のうち、3枚引いたら1枚残るよね?
もし、残った1枚がスペードだったらどうするの?」
これには紗耶香も同調する。
「そうだよ。誰もスペードひかない確率だってあるし…」
あゆみは、ふふっ、と笑った。
「それは神様もお手上げってことじゃない?
確率うんぬんは、数学だけでいい。
もしもの場合には本当に、ちゃんと吉澤さんに決めてもらおうよ。
いいでしょ、吉澤さん?
吉澤さんが決められないなら、私たちが決めるから」
いつになく強気の様子で、あゆみはひとみに言う。
ひとみはとまどいつつも同意した。
「…おっけー。それじゃ、誰からひく?」
訊くが、紗耶香も梨華も何も言わない。
あゆみが小さくため息をつく。
「しょうがない。ここはいっちょ、じゃんけんで…」
「あっ、私からひく!」
じゃんけんで順番が決まってはたまらないとでも言うかのように、梨華が申し出た。
241 名前:名無し銀行 投稿日:2002年09月24日(火)12時36分45秒

「はいはい。そしたら、どれか1枚を選んでちょうだいな」
「うん…」
梨華は緊張し始めた。
心臓のドキドキが16ビートで刻まれ、手も震えてきた。
すうっと右から2番目のカードに手を置く。
これでひとみと離れるか、傍にいられるかが決まる。
もしあゆみと暮らすことになったら…きっと心配でたまらないだろう。

…え?
ちょっと待ってよ、私。
心配ってどういうこと?何に対して?

「梨華ちゃん、それで決まりね?」
躊躇していると、あゆみに尋ねられた。
「え、あの…やっぱりこっち」
そう言って左端のトランプに手を置く。
「じゃ、めくってみて」
変更したのはいいが、もしはずれたら…。
「やだ!やっぱりこれ!」
今度は右端のトランプ。
煮え切らない梨華に、紗耶香が見かねて口を出した。
「石川、迷ってもしょうがないだろ!」
242 名前:名無し銀行 投稿日:2002年09月24日(火)12時37分24秒

「だってぇ…」
怒られて、梨華は眉を八の字にした。
「確率はどれも同じ!4分の1ずつ!」
「それはそうかもしんないけどぉ…」
あゆみも迷う梨華にアドバイスをする。
「そんなアナタにいい言葉を授けましょう。『迷うな。一度迷うと癖になる』」
「柴田、それ昔のCMだろ…説得力あんまりないっす」
「そっかな?やっぱここはモノマネ付きで…」
と、テーブルに肘をついて顎に手をやるので、紗耶香が止める。
「いらん。やるな」
「いや、似てるんだってば!この手の角度とか特に」
「あのCM、あんまり憶えてないっす…」
紗耶香とあゆみが微妙なコントを繰り広げるさなか、梨華がようやくトランプを選んだ。
「これに、決めた…」
選んだのは結局、左から2番目にトランプ。
置いた手の震えは未だに止まらない。
「じゃ、めくってみて」
コントを中断し、あゆみが他の3枚を隅に寄せる。
梨華は親指をトランプの下に潜り込ませ、人差し指とで挟む。
少しずつ、少しずつ手首を返していく。
(お願い…スペードが出て…!)
243 名前:名無し銀行 投稿日:2002年09月24日(火)12時37分59秒

梨華の動作が遅すぎるので、急かしたい紗耶香とあゆみ。
(あー!さっさとめくってくれよ!)
(梨華ちゃん、早く〜)
トランプと梨華を交互に見て楽しんでいるようにも見える真希。
(あは。下がり眉毛とリアクションが面白いなぁ)
ハラハラしながら梨華を見守っているひとみ。
(最初にスペードひくの、誰だろ…)
だが、みんなはそれぞれに黙り、運命を待った。
(あっ…もう見えちゃう…)
自分の手首が完全に返る前に、梨華は目をぎゅっと瞑った。
視界が暗いまま一気にめくる。
手の周りで、微かに空気が動いたのが感じられた。
「…あ!」
紗耶香の小さな声に、結果を知りたいという好奇心が湧いてくる。

でもスペードじゃなかったら?

真っ暗闇の目の奥に、次から次へとネガティブな想像世界の未来が浮かび上がる。
(見たいけど…見たくない…!)
矛盾した気持ちを抱えてうっすらと目を開ける。



選んだトランプの柄は、スペードのエースだった。

244 名前:名無し銀行 投稿日:2002年09月24日(火)12時39分01秒

「ほぉ。当たりだね、梨華ちゃん」
あゆみがそう言ってトランプを片付け始めた。
「ってことはだ。吉澤は石川の部屋に住むんだよな?なぁ?」
にやけ顔の紗耶香の念押し。
梨華は顔を真っ赤にして俯き、もそもそと言い返した。
「…別に確認しなくてもいいじゃない…」
そして梨華の肩をひとみが叩いた。
顔を上げると、ひとみと真っ直ぐに視線がぶつかった。
不思議そうに首を傾げてこちらを見ている。
『どうしたの?』
ぼんっ!と音を立てて湯気を出すくらい、梨華の顔が更に赤くなる。
訊かれても、何も答えられずに再び下を向いてしまった。
紗耶香とあゆみがぼそっと会話する。
「…トマトかよ、石川は」
「それにしちゃ…色黒だよね」
「うむ、確かに赤黒い」
「聞いただけでもすごい色…」
「腐りかける寸前のトマトと同じ色じゃん」
「腐りかけって中身はドロドロなんでしょ?」
「ああ。石川は吉澤に溶けまくってるってことだな」
「…紗耶香、うまいなぁ〜」
「ふっ。ちょろいもんだぜ」
245 名前:名無し銀行 投稿日:2002年09月24日(火)12時41分18秒

『善は急げ』と紗耶香たちは照れる梨華を促し、ひとみと共に帰らせた。
今度は紗耶香と真希が並び、あゆみがその向かいに座っている。
「…柴田、トランプ出せ」
急に紗耶香が言ったので、あゆみはびくっと反応してどもる。
「んなっ、何でさ?」
「いいから出してみ。鞄、こっちによこしな」
あゆみは傍らに置いてあるバッグを両手で抱え、声を裏返した。
「別にっ!さっきのトランプがっ!全部スペードとかじゃないよ!?」
「…おい、自爆してる…」
突っ込まれて、あゆみの背中に冷たいものが流れる。
「…すいません…」
なぜか謝って、ケースの中から4枚を出し、裏返す。
スペードのエースが4枚も並んでいる。
「やっぱりか…」
紗耶香があゆみを冷たい目で見ている。
「でも何でわかったの?」
「確かに最初はそれぞれ違う柄だったけど。
柴田が急に4枚を“手で”きったのが怪しいなと思ってな。
並べ替えるだけならテーブルの上ででも出来る。
あんだけ2人をくっつけたがってた柴田のことだ。
柴田は手品が得意っていうのも思い出した。
もしやと思ってカマをかけたら見事にひっかかってくれたんだよ」
あゆみは手を額に当てて、あちゃー、と一言だけ嘆いた。
246 名前:名無し銀行 投稿日:2002年09月24日(火)12時44分08秒

梨華はひとみと並んで歩いていた。
もちろんひとみはホテルをチェックアウトし、荷物も持ってきた。
夜の歩道では、車のライトに乗っかって湿った風が体を通り抜ける。
駅前の大通りから少し離れた角を曲がり、閑静な住宅街の道路を二人で歩く。
車の喧騒が遠ざかった頃、白い壁でやや新しい、2階建てのアパートが見えた。
コンクリート造りの、地震にはとても頑丈そうな建物だった。
「あそこ、私の住んでる、アパートだよ」
梨華が自分とアパートを交互に指しながら言う。
ひとみはアパートを見上げ、街灯がまぶしいのか、目を細めた。
梨華の部屋は1階に3部屋あるうち、いちばん奥にあった。
「あの…すごく、散らかってるから…びっくりしないでね?」
カギを開けてドアに手を掛けると、梨華は背後のひとみに振り返って警告した。
ひとみは首を傾げた。
(そんなに散らかってるのかな?でも謙遜ということもありうるけど…)
「とにかく、どうぞ」
そう言ってドアを開けて急いで靴を脱ぎ、部屋の電気を点ける梨華。
明るくなった部屋を見渡し、ひとみは散らかっているのとは別なことに驚いた。
247 名前:名無し銀行 投稿日:2002年09月24日(火)12時45分19秒

視界に入るもの全てがピンク、ピンク、ピンク。
テーブルも椅子もテレビ台もカーテンもベッドも枕カバーも貯金箱もピンク。

ひとみは言うべき言葉もなく、唖然としていた。
(…私の苦手なピンクばっかり…)
そんな様子に梨華は何を勘違いしたのか、
「やだ…!お部屋の中、汚いよね、ごめんね!」
と、恥ずかしそうに片付けを始めた。
実際には、部屋は散らかっているというより、物が多くてごてごてしている。
梨華は何でも捨てられないタイプなので、片付けも物を積み上げるだけで終わる。
恥ずかしさをごまかす為に必死で片付けているふりをしたが、ひとみに動かしていた手を掴まれた。
「えっ!何?“どうしたの?”」
空いている方の手で訊く。
するとひとみは梨華をテーブルの前に座らせ、スケッチブックを出して何かを書いて見せた。
『これからお世話になります。よろしくお願いいたします』
読み終えると、ひとみは梨華の目を見てぺこんと頭を下げた。
248 名前:名無し銀行 投稿日:2002年09月24日(火)12時46分11秒
「あの!そ、そんなに他人行儀にしないで?」
梨華がひとみの頭を上げさせて言う。

「私ね、ひとみちゃんと、一緒に住めて、嬉しいの!」

梨華の言葉を読み取り、笑顔になるひとみ。
『ありがとう』
「いいえ、“どういたしまして”。今日からここがひとみちゃんの家だからね」
ひとみはしっかりと頷く。

期待や嬉しさや恥ずかしさやその他で胸がいっぱいになる。

二人は顔を見合わせて笑いあった。






こうして、それぞれの世界は未来に向かって、変わり始めた。
249 名前:名無し銀行 投稿日:2002年09月24日(火)12時51分28秒
更新終了です。
あの、かなり長くなりそうなので。
このスレを1部にして、まずは終了にしたいと思います。
他に諸事情で、これからの交信が困難になりそうなので、しばらくお休みします。
ここまで有難うございました。
たぶん、来年の春には戻ってくる予定です。
やっすーの卒業と同時に…。

>夜叉さん
ありがとうございます。
いちごまはかなり絆が固いです。
しかし恋は…あれ?と言う感じです。

>215さん
お待たせしてごめんなさい。
ほんと、放棄かと思われるくらい交信が遅いですよね…。

>216さん
続きはこんなかたちとなりましたが、続きますので…。
250 名前:名無し銀行 投稿日:2002年09月24日(火)14時46分00秒
おっと。書き忘れ。
相関図みたいなものです。

 市井⇔(友達)⇔石川⇔(友達)⇔柴田
 ↓↑     (好き?)
(両想い?)   ↓
 後藤⇔(友達)⇔吉澤

恋の疑いがある人物は石川のみ。
両想いかもしれない人物はいちごま。
柴田・吉澤は恋をしておらず。

ついでに次回予告なんぞ…(w
251 名前:コトノハ・次回予告 投稿日:2002年09月24日(火)14時47分07秒


「すいませんっ!どいてくださいっ!」
「…え?」


「あんたは…ただ待たなあかん」


『梨華ちゃん…私、もう…』


「まだやってたんだね、油絵」
「…別に」


「何とか言いなよ!言ってみなさいよ!!」
「…ご、えん、ら、はい…」


『体が…愛せないよ』


「…さようなら…」

252 名前:名無し読者 投稿日:2002年10月20日(日)06時14分59秒
保全
253 名前:名無し読者 投稿日:2002年11月11日(月)20時56分35秒
暖かくなるまで待ってるで〜
254 名前:名無し読者 投稿日:2002年11月26日(火)00時41分54秒
更新マータリお待ちしております!
255 名前:名無し読者 投稿日:2002年11月27日(水)02時14分45秒
同じく待っとります
256 名前:名無し読者 投稿日:2002年12月07日(土)01時36分22秒
は〜るよ、来いっ は〜やく、来いっ
257 名前:名無し読者 投稿日:2003年01月03日(金)01時52分13秒
( ´D`)<あけおめれす。ゆっくりまつのれす。
258 名前:名無し読者 投稿日:2003年02月05日(水)01時40分31秒
保全ン
259 名前:名無し読者 投稿日:2003年02月21日(金)11時00分38秒
川o・−・)ノ保全します。
260 名前:名無し読者 投稿日:2003年03月05日(水)00時29分37秒
♪もうすぐはぁ〜るですねえ〜
261 名前:名無し読者 投稿日:2003年03月30日(日)23時20分13秒
花見しながら思い出したよ…保全れす。
262 名前:名無し読者 投稿日:2003年04月12日(土)00時07分34秒
吉澤生誕記念になりました♪
という事で保全♪♪
263 名前:名無し銀行 投稿日:2003年04月12日(土)19時44分38秒

みなさま、お久し振りです。

お待たせしてごめんなさい。

長い間、保全してくださった方々、ありがとうございます。
264 名前:名無し銀行 投稿日:2003年04月12日(土)19時45分59秒

ひとみと梨華は同居するにあたって、こんなことを決めた。
食事は当番制で、月・火・水曜日は梨華の、木・金・土曜日はひとみの担当。
日曜日は、二人一緒に作るようにした。
洗濯や入浴の順番なども、食事の当番制と同じ。
ただし、布団とベッドのどちらに寝るかは延々と譲り合いが続いた。
業を煮やしたひとみは、部屋の隅に置いてある布団に乗っかって、じっと梨華を睨んだ。
その行動の意味を察した梨華は、
「わかったよぅ…」
と、渋々折れた。
するとひとみは笑顔になって、ピンクの枕を梨華に向かって投げた。
「コラ、ひとみちゃん!」
口調は怒りつつも、梨華が投げ返す。
けれども、枕は真っ直ぐひとみに向かうことなく、エアコンにぶつかった。
「あ!」
枕が床に落ちるのと同時に、エアコンが止まってしまった。
梨華が焦ってリモコンを手にし、エアコンの電源を入れようとするが、一向に動く気配はなかった。
「やだぁ…どうしよ…」
困り顔になる梨華を放置し、ひとみは椅子の上に乗り、エアコンを強く叩いた。
正面から、横から、真上から。
「ひとみちゃん、余計に壊れちゃうよ!」
しかし不思議なことにエアコンは直って、ひとみはニッと笑ったのだった。
265 名前:名無し銀行 投稿日:2003年04月12日(土)19時47分38秒

翌朝、梨華はゼミがあるからと、出かける準備をしていた。
前日に準備をしてあるはずなのだが、なぜか梨華の動きは慌ただしい。
ひとみはただ梨華を目で追うだけである。
忘れ物が無いか確認し終えた後、テーブルの横で梨華がひとみを見上げて言った。
「ひとみちゃん、変な人が来ても開けちゃだめだよ」
『うん』
「それからね、鍵を預けておくから、出かける時は鍵を閉めてってね」
『うん』
「そうそう、お金!これでお昼、食べて」
ピンクの財布から千円札を出して、ひとみに手渡す。
『ありがとう』
「“どういたしまして”…あ、もう行くね」
玄関で靴を履いて、梨華はひとみを見上げる。
「じゃ、行ってきます」
ひとみが頷いて手を振ると、梨華はその仕草に顔を赤くした。
『どうしたの?』
頬に手を当てながら、梨華がぼそっと言う。
「何か…新婚さんみたい…」
唇の動きが読み取れなかったひとみが首を傾げると、
「あの、何でもないの!じゃ、また後でね!」
梨華はそそくさと出かけて行った。
下駄箱の上の財布にひとみが気付くのは、梨華が出かけてからちょうど1時間後のことになる。
266 名前:名無し銀行 投稿日:2003年04月12日(土)19時49分47秒

(えーと…ここが門で…)
ひとみは梨華の財布に入っていた学生証を頼りに、大学までたどり着いた。
財布がなくては梨華が困るだろうと思って追いかけてきたのだった。
大学に初めて足を踏み入れると、その校舎の大きさに圧倒された。
(こんなところで勉強してるんだ…)
ひとりで不安げにきょろきょろするひとみを見て、数人の大学生――いわゆるギャル男、またはシティサーファー――が話し掛けてきた。
「ねーねー、どうしたの?」
「うちの学生じゃないでしょ?」
「暇ならどっか行かない?」
ひとみはもちろん無視を決め込む。
というより、彼らが視界に入ってほしくないのである。
彼らを通り越して大学構内を見渡すと、紗耶香がいちばん奥の校舎に向かって歩いているのが見えた。
ギャル男を押しのけ、紗耶香のいる方へ走っていく。
紗耶香はひとみに気付かず、ロッカールームが左右に並ぶ校舎内を進んでいく。
そして通路左側の、奥から2番目の部屋に入った。
やや時間を置いてから、ひとみはそっとドアを開けた。
(…あぁ…なるほど)

紗耶香のアパートと、同じ匂い。

散らかっているキャンバスや絵筆。

この部屋は、油絵研究会の部室。

267 名前:名無し銀行 投稿日:2003年04月12日(土)19時56分05秒

紗耶香はひとみに背を向けてキャンバスを整理している。
ひとみがドアを叩くとやっと振り返り、目を真ん丸くして驚いていた。
『何でこんなところに?』
持っていたキャンバスを落とし、紗耶香がひとみに近づく。
『梨華ちゃんが財布を忘れたから届けに来た』
ひとみがポケットからピンクの財布を出して見せた。
紗耶香は苦笑し、
『ちょうど昼だ。石川は食堂にでもいるよ。今頃、財布がない〜って困ってるな』
と、梨華の真似もしながら言った。
ひとみは鞄を漁りながらハの字眉になる梨華を想像して、笑ってしまった。
ふと、ひとみの目に1枚の油絵が映った。
『ここを出て門の前の校舎に入ったら、2階に食堂が…あ?』
紗耶香の説明も聞かずに、その絵に見入った。
『この女の人…』
ひとみが指差すと、紗耶香は遠くを見るように、目を細めた。
『…本当はもっと綺麗なんだけど…力量不足でさ…』
乾いた笑いをする紗耶香に、ひとみが言う。
『そんな!私はこの絵が好きだし、すごく上手だと思う』
『ありがと。さ、早く石川に財布を届けてやんな』
再び紗耶香はひとみに背を向け、筆を選び始めた。
部屋を出る直前に見た紗耶香の背中は、丸くなっていた。

268 名前:名無し銀行 投稿日:2003年04月12日(土)19時56分57秒

結局、梨華はひとみが心配で、ゼミに集中していなかった。
「はぁ…柴ちゃん、食堂行こうよ…」
筆記用具を片付けるあゆみは梨華を見て首を傾げた。
「あれ?元気ないじゃん」
「ちょっとね…」
ふらふらと教室から出る梨華に、あゆみも急いでノートをしまい、追いかける。
「元気出しなよ、せっかく吉澤さんと同棲したんでしょ?」
「同棲じゃなくて同居って言ってよ…」
呆れたようにため息をつく梨華。
「あ、吉澤さんが心配なんでしょ!」
「うん…今日、ひとりでお留守番させちゃってるから…」
「やっぱ吉澤さんも連れてくればよかったんじゃない?」
「柴ちゃん、何バカなこと言ってるの」
「ほら、いたじゃん、芸能人でさ、子連れで仕事してたって人。誰だっけ?」
「…もう知らない」
「ちょっと、冗談だって…あれ?」
廊下から見える正門前には、練習試合の為に他の大学のサークルが来ていた。
あゆみは梨華を呼び止めた。
「ねぇ、梨華ちゃん…先輩、来てるよ…」
梨華は正面を向いたまま立ち止まり、天井を仰ぎ見た。
「…いいから、早く。お腹空いたし」
そして窓の外を見ようとせずに、あゆみの腕を強く引っ張った。

269 名前:名無し銀行 投稿日:2003年04月12日(土)19時57分51秒

ひとみが去った後、キャンバスに向き合ったまではいいが、紗耶香の手は動かなかった。
困りながら絵に布を掛けた時、ドアが開く音がした。
どうせ圭か圭織が来たのだろう、と思って片付けをしていると、声がした。
「この部屋、くっさー!キャハハ!」
人を小ばかにした、懐かしい口調に紗耶香は動けなくなった。
声の主は、ドアを閉めて部屋に入ってきた。
「ってゆーかさぁ、元気してたぁ?」
「…何しに来たんだよ」
声が掠れて、思いのほか、自分でも怖い声になってしまった。
紗耶香の真後ろで、弾むような声がした。
「超コワッ!ヤなことでもあった?」
「…あったよ」
「えっ!どんなこと?ねぇねぇ!」
紗耶香の服を引っ張っていた手を払いのけ、相手から離れた。
「…お前がここに来たこと」
顔を見ずに言うと、相手が笑った。
「キャハハ!冗談にもホドってもんがあるよ!」
「…早く帰れよ」
しかし、紗耶香の言葉とは全く関係ないことを言われた。
「まだやってたんだね、油絵」
「…別に」
嫌になり、紗耶香は白いキャンバスを軽く放り投げた。

270 名前:名無し銀行 投稿日:2003年04月12日(土)19時59分09秒


短いですが、許してください。

交信は早めにしよう…と思っています。

が、一体どうなるやら…(汗)
271 名前:名無し読者 投稿日:2003年04月12日(土)22時04分20秒
大学進学おめでとうございます。
待ってましたよー。
272 名前:名無し読者 投稿日:2003年04月13日(日)09時25分56秒
更新お疲れ様&お帰りなさい。
思ってたよりも復活が早くて嬉しいです。
これからも頑張って下さい。
273 名前:273 投稿日:2003年04月13日(日)17時51分58秒
待ってました! 
更新おつかれさまです。この良質な作品が再開されてうれしいです。
機械に強い(のか?)吉澤、かっけー。
また、これまでのエピソードから感じられる、作者さんの
「レベル低いやつ」への厳しい目線が健在で、気持ちいいです。
これから、ゆったりがんばってください。
274 名前:名無し読者 投稿日:2003年05月13日(火)01時55分53秒
ホゼン
275 名前:名無しさん 投稿日:2003年06月03日(火)21時10分05秒
待っててもよい?
276 名前:名無し読者 投稿日:2003年07月02日(水)01時00分13秒
まつ
277 名前:名無し銀行 投稿日:2003年07月07日(月)00時48分13秒

食堂で食券を買おうと鞄の中に手を突っ込んだところで、梨華は気が付いた。
ひっくり返してみても、ないものはない。
券売機の前で、漫画にあるような黒い影が、梨華を取り巻く。
「あれ?どした?」
「…財布がないよぅ…」
「マジ?あーあー、またハの字眉毛だぁ」
あゆみが楽しそうに梨華の額を指す。
梨華は頬を膨らませる。
「冗談だよぉ。お金、貸そうか?」
「うん…」
「何食べる?あたしはここに来るとなぜかコレなんだよね」
あゆみは千円札を券売機に入れ、“カレー”のボタンを2回押した。
「同じものでいい?っていうか、よく財布がなくて学校に来れたじゃん」
「ありがと。私、財布とパスケースは分けてあるから…」
「へー、めんどくさ。あたしは全部一緒にしちゃうけどな」
カウンターにいる小太りの中年女性、いわゆるおばちゃんに食券を渡す。
おばちゃんは無愛想に受け取り、何も言わずにカレーを出した。
あゆみはそれを乗せたトレイを食堂の窓際のテーブルに置いた。
すかさず梨華が水の入ったコップをふたつ持ってきて、あゆみの向かいに座る。
そして、ふたりで声を揃えて、いただきます。
食べなれた味に、これといった会話もなくなる。

278 名前:名無し銀行 投稿日:2003年07月07日(月)00時48分49秒

ひとみは食堂の入り口で、早くも梨華とあゆみを発見した。
窓際に座って話す彼女達は、服装こそ派手ではないものの、他の女の子たちをはるかにしのぐ華やかさがあった。
もっとも、入り口近くのテーブルにいる男性3人がそっちを見ていたので、つられて見たらふたりがいた、ということでもあるが。
唇の動き(それと、締まりのない顔)を見ていたら、彼らの会話はこうだった。
「見ろよ、あの子たち。かわいいよなぁ…」
「あんなのと付き合ったら金かかるって」
「声掛けてみよっかな、まじで」
「無駄だよ、ハハハハ」
その会話に、ひとみは客観的に彼女達を見た。

楽しくないことなんかありません、という表情。

ひとみを除いて食堂にいる全ての人が、しゃべっている。

声を、言葉にして、他人に伝えている。

(…私だって…耳が聞こえてたら…)
急に寂しい気持ちになり、梨華のピンクの財布を強く握り締めて、ひとみは気付いた。

自分の肌は白い。

だから、こんなにも手の甲の血管が青く浮き出ているのだ、と。

279 名前:名無し銀行 投稿日:2003年07月07日(月)00時49分19秒

カレーを食べ終わると、
「ちょっとごめんね」
と言い、あゆみが下を向いて携帯をいじり始めた。
水を一口飲んだ時、梨華は肩を叩かれた。
振り向くと、ひとみだった。
「…ひとみちゃん!」
いるはずのない人物の名前に、あゆみが顔を上げる。
「へー、よしざ…えぇっ!?」
ふたりの声に、一瞬だけ、取り巻く喧騒がわずかに静まる。
ひとみは小さく微笑んで、ピンクの財布を梨華に差し出した。
「あ、どうもありがと…」
立ち上がり、きょとんとして受け取る梨華。
あゆみが梨華の腕を軽く叩いた。
「ほら、ありがとうとか言ってる場合じゃないでしょ」
「あ、そっか。コレのために、ここまで来たの?」
ひとみは穏やかに頷く。
「ごめんね、本当に…。ありがとね…」
両手を合わせてひとみに謝る梨華を、あゆみがからかう。
「さっきの梨華ちゃんの黒いオーラ、見せたかったなぁ」
梨華はぷくっと頬を膨らませ、そっぽを向いた。
「ねー、吉澤さん。ご飯は…」
あゆみが言いかけたところで、甲高い声が降ってきた。
「よーっす!元気だったかー!」

280 名前:名無し銀行 投稿日:2003年07月07日(月)00時50分07秒

光る金髪がトレードマーク。

身長145センチとは思えぬほどの元気っ子。

「あ…」
「石川、久々だなぁ!春以来か?」
ぽんぽんと梨華の肩を叩いて笑う。
その仕草に梨華は笑顔ながらも、小さく身構えてしまった。
(まだ慣れないなんて…どうかしてる…)
意志とは反対に、体の奥が痺れるように緊張してきた。
「矢口さん、あたしもいますよ」
自分を指差しながらあゆみが割って入ると、
「おー、夏だっつーのに顔が青白いぞ?キャハハ!」
と、冗談を言ってみせた。
「でさ、こちらはどちらさん?」
ひとみが首を傾げながら会話を読み取ろうとしていた時だった。
梨華はひとみの隣に立った。
「あの、この子は吉澤ひとみちゃんです。最近、友達になったんです」
「ふーん。背ぇ高いなぁ。おいらは矢口真里っていうんだ。よろしく」
出された手を、ひとみはわけもわからず握ったようだ。
きっと名前すら読み取れていないだろう。
「おっと、サークルのみんなが待ってるから。ばいばーい!」
梨華は、彼女はまるでスコール、などと寒いフレーズを思いついた。


281 名前:名無し銀行 投稿日:2003年07月07日(月)00時51分11秒

どうも遅くなりましてごめんなさい申し訳ありません(大汗)
弁解の余地もありません…。
というわけで、深夜のちょびっと交信。

>272さん
めちゃくちゃダメな作者でごめんなさい…。
交信遅すぎな上に少しだけしか…。

>273さん
良質な作品だなんて、そそそそそんな!!!!
めっそうもないです…。
ですが、ありがとうございます。

>274さん
ホゼンありがとうございます。

>275さん
待ってていただけるのでしたら、書きます!!

>276さん
お待ちくださり、ありがとうございます。

282 名前:273 投稿日:2003年07月07日(月)02時35分04秒
やったーーーーーー!!! 更新だ!!
一瞬、またage保全かと思ったのだけど…
良かった…信じて待ち続けてよかった。
作者さん、お帰りなさい。
いや自分、本当にこの小説「良質」だと思います。
読んでて背筋がピンと伸びる思いがするんですよ。
だもんで勝手ながら「CP分類板」でも紹介させていただきましたです。

気になるキャラが…先が気になる。
またのんびりお待ちいたします。
283 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月21日(月)16時17分42秒
待ってたよ
更新サンクス
284 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月14日(木)14時19分51秒
待ってますよー
285 名前:名無しさん 投稿日:2003/09/10(水) 00:24
保全
286 名前:作者もどきな人。 投稿日:2003/09/11(木) 15:35

大変長らくお待たせいたしまして申し訳ございません…。

>282さん
えぇぇ!?
CP分類版にご紹介いただくほどの作品ではないので…(恥
ですが、ありがとうございます。
こんな交信の遅い駄文を読んでいただいて…(泣
>283さん
お待ちくださってありがとうございます。
こちらこそ愛読サンクス(何
>284さん
お待たせいたしました、本当に申し訳ございません…。
>285さん
保全、ありがとうございます。
287 名前:作者もどきな人。 投稿日:2003/09/11(木) 15:37


「びっくりしたでしょ。いつも元気な人なの」
あゆみの言葉に、梨華が小さく頷く。
真里が去った後、ひとみはようやく昼食にありつけた。
きつねうどんをすすりながら、梨華とあゆみの説明を聞く。
あゆみが“矢口真里”と書いたノートを見せた。
「あの人はね、や・ぐ・ち・ま・り、っていうの」
梨華は名前を指しながら言う。
「彼女は、いちーちゃんの、中学の同級生…」
理解したことを示す為に頷きながら、そこでひとみは違和感を覚えた。

真里に触れられた時、わずかに緊張した梨華の表情。

それだけが引っかかった。
(気のせいならいいけど…)
ふとテーブルを叩かれて、顔を前に向ける。
「吉澤さんの、仕事、さっそく、明日、からなんだけど…」
あゆみは、“仕事”と“明日”という単語を書いて、交互に指す。
「朝、8時に、迎えに、行くね。わかる?」
ひとみが手でOKサインをすると、あゆみは笑顔を見せた。

また、沈黙が訪れる。

でも、今度はなぜか心地いい沈黙。

コップを手にとり、水を飲むひとみ。
最後の一口を飲み込むと、隣に座っていた梨華がくしゃみをした。

288 名前:作者もどきな人。 投稿日:2003/09/11(木) 15:37


「ゼミも終わったし、お腹いっぱいだし、紗耶香のところ、行こうか」
「そうだね。せっかくだからみんなで帰ろうね」
冷房の効いたところから出ると感じる、むわっとした暑さを我慢しながら大学構内を歩く。
3人の横を、大粒の汗を拭おうともせずに走り去っていく生徒がいた。
きっと、午後のゼミに遅刻しそうなのだろう。
あゆみは視線をひとみに移して言った。
「そうそう、吉澤さん、油絵研究会の部室見たらびっくりするよ」
ひとみは首を傾げてからスケッチブックに書いた。
『さっき市井さんに会った』
立ち止まって書く文字は、へにゃへにゃと少し曲がっている。
梨華がひとみの肩を叩いて、尋ねる。
「何で?どこで会ったの?」
ひとみはまず門の所を、そしてそのまま腕をスライドさせ、部室の方向を指差した。
あゆみもひとみが指差した軌跡を辿って、訊いた。
「門まで来たら紗耶香と偶然会って、一緒に部室に行った…ってこと?」
ちょっと違うが、炎天下の中、長々と説明するのも面倒なので、ひとみは適当に相槌を打った。
「じゃぁ、見たんだね。紗耶香の描いたあの大きい絵」
「絵の女の人、もう誰だかわかったでしょ?」
両手でキャンバスを表す大きな四角をつくった梨華。
何となく、ひとみはその手の動きを目で追った。
(それは…わかったけど…)

梨華の笑顔が笑いきれていないのも、わかった。


289 名前:作者もどきな人。 投稿日:2003/09/11(木) 15:38

あゆみはバッグから携帯を取り出し、弄り始めた。
「もうゼミもないしさ、みんなでお茶とか買い物とかしない?」
そう言いながら視線を携帯のディスプレイから外さない。

こんな、向かい合わない会話はしょっちゅうある。
一緒にいるのに、話をしているはずなのに、全くの無関心なよう。
梨華は怒りにも近い寂しさを感じた。

不満を持っていても、言わないのが悲しい性。

言う勇気がないならば、黙るしかない。

大したことじゃないから、と我慢するしかない。

悔しさを飲みこんだ笑顔で答えるしかない。

「…いいよ。ひとみちゃんも、いいよね?」
ひとみは頷きながら、携帯をじっと見つめていた。
興味があるのだろうか。
つられて梨華もあゆみの手元を見る。
親指だけが動く様子に、不快感だけが募った。

こういう時なんだ。

トモダチに、苦手さを感じるのは。

290 名前:作者もどきな人。 投稿日:2003/09/11(木) 15:38

たらたらと歩くうちに、部室に着いた。
ノックもしないでドアを開けると、部室の中はがらんとして暗かった。
「あれ?紗耶香、いないのぉ?入るよ?」
「柴ちゃん!入っちゃっていいの?」
梨華はドアのところで眉をハの字に下げている。
あゆみはあっけらかんと言った。
「吉澤さんも入ったんでしょ?いいんじゃない?早く入んなよ」
「柴ちゃんの部屋じゃないのに…」
戸惑いながらも、あゆみに続いて梨華とひとみが部室に入る。
二人は圭織や圭の絵を見てあーだこーだ言っているが、散らかった部室の中で、ひとみの目に留まるものがあった。
(…これって…)
無造作に机に置かれた――下書きノートとでもいうのだろうか――ノートだった。
表紙の右下に、小さく『市井』と書いてある。
勝手に見てはいけないものだとわかってはいるが、それでも見たい。

正直、紗耶香の絵にとてつもなく大きな芸術性を感じた。

確かにちょっと贔屓目もあるかもしれないけれど。

自分のセンスなんて芸術評論家には及ばないけれど。

紗耶香が何を見て、どう印象に残しているのかが、見たい。

表紙をめくろうとした、その時だった。

291 名前:作者もどきな人。 投稿日:2003/09/11(木) 15:39


「おう。何だ、みんなして来たのか」

紗耶香が来た。
手にはコンビニの袋を提げている。
ひとみは急いでノートを机の上に戻した。
「あ!どこ行ってたの?帰ったのかと思ったよ」
あゆみが圭のキャンバスを持ったまま紗耶香に話し掛ける。
「おい、あんまり荒らすなよ?しかもそれ、圭ちゃんのじゃん」
「そうなの?何か愉快な絵だから梨華ちゃんと批評してたの」
「こらこら!圭ちゃんは真剣に抽象画を描いてるんだぞ。ちゃんと元に戻しときな」
「はーい」
「あの、いちーちゃん」
梨華があゆみに代わって用件を伝える。
「これからみんなで遊ぼうかって話してたんだけど、どう?」
「あー…」
紗耶香は少し、悲しそうな笑顔で答えた。
「悪いけど、今日は遊ぶよりも絵を描きたい気分なんだ。3人で遊んできなよ」
「…わかった」
絵を描きたい、と言ったら紗耶香が頑として動かないことをあゆみと梨華は知っていたので、仕方なく部室を出ることにした。
しかしひとみが出ようとしない。
『どうした?行かないのか?』
紗耶香が訊くと、ひとみは答えた。
『私、ここにいたい』

292 名前:作者もどきな人。 投稿日:2003/09/11(木) 15:40


相変わらず、部室の中は油くさい。
『…行かなくてよかったのか?』
集中が途切れたところで、紗耶香が振り返って言った。
『うん、ここで絵が見たかったから』
急にひとみが遊びに行かないと言ったもんだから、あゆみと梨華は驚いた。
しかし梨華が、好きにさせてあげて、とあゆみを諦めさせたのだった。
『急にどうした、絵が見たいだなんて』
『市井さんが絵を描きたくなる時と一緒だよ』
『特に理由はない…ってことだな』
紗耶香は椅子から立ち上がり、パレットと絵筆を椅子に置いた。
絵の具が付いたその手で、ひとみに缶ジュースを渡す。
『ありがとう』
『あー、その…ここにいても、私は何にもしてあげられないよ』
冷たい言い方だったが、顔は申し訳なさでいっぱいの紗耶香。
紗耶香は優しいと知っているから、ひとみは
『何もいらない』
と言った。
『その代わりと言ったら何だけど』
『ん?』
『このノート、見てもいい?』
さっき、ひとみが見そびれたノート。
紗耶香は複雑そうな顔で黙っていたが、やがて笑顔で小さく頷いた。

293 名前:作者もどきな人。 投稿日:2003/09/11(木) 15:40


一方、こちらの2人は遊ぶのにも飽きて、帰ろうとしていた。
お茶もしたし、服とか小物とかもたくさん見た。
CDショップに寄って色んなCDを試聴した。
それなりに楽しかった。

でも、ひとみはいなかった。

あゆみも梨華も、ひとみがいないことを残念がっていた。
が、口に出したらいけないという暗黙のルールができていた。
「吉澤さん、絵に興味があるのかねぇ」
人の多い改札の近くで、あゆみは歩きながらバッグをぶらぶらさせて言った。
「さぁ…どうかな」
少し上の空気味な梨華。
と、あゆみが手を叩いた。
「そうだ!明日、吉澤さんの初仕事だから、早く帰んなきゃ!」
「えっ?何で柴ちゃんが?」
「仕事用の服とか、あたしが準備しなきゃいけないんだよね」
「そうなの?何だか悪いね」
「ううん、あたしが好きでやってるんだし。じゃ、あたしこっちだから。またね!」
あゆみは梨華に背を向けて小走りで行ってしまった。
(私も帰ろう…)
梨華はあゆみと反対方向に歩いていき、下りの長いエスカレーターに向かった。

294 名前:作者もどきな人。 投稿日:2003/09/11(木) 15:41


帰りのラッシュだというのに、エスカレーターはあまり混んでいなかった。
梨華はいつも歩いておりるのだが、今日はゆっくり下りようと思った。
「すいませんっ!どいてくださいっ!」
そこに少女の声が高く響いた。
振り向いた途端、少女が梨華の後ろでつまづいた。
誰もが一瞬のうちに少女は転げ落ちると思っただろう。
しかし、少女は反射からか、目の前にいた梨華の腕を掴んでいた。
「…え?」

驚いたような、何かを訊き返すような声を残して、梨華は少女とエスカレーターから落ちた。

下に着くまで何度か、ごちっ、ごちっ、と鈍い音がした。
最後に、がつん、と音がした。
エスカレーターを下りる時によく見る『足元にご注意』のマークのところで、2人は止まった。
少女はがばっと起き上がり、
「大丈夫ですか!?」
と梨華の体をゆすったが、梨華は目を閉じて倒れたまま。

直後、梨華の頭から鮮血が流れてきた。

助けを乞うように、少女に向かって流れていく。

少女が無傷だったのはなぜか。
落ちながらも無意識のうちに、優しい梨華は少女を抱きしめて守っていたから。

周囲はひどくざわついている。

295 名前:作者もどきな人。 投稿日:2003/09/11(木) 15:41



ネタバレ帽子します。


296 名前:作者もどきな人。 投稿日:2003/09/11(木) 15:42



同上。


297 名前:作者もどきな人。 投稿日:2003/09/11(木) 15:42



何度も失礼します…。


298 名前:作者もどきな人。 投稿日:2003/09/11(木) 15:43



何だかバカみたいですが…。


299 名前:作者もどきな人。 投稿日:2003/09/11(木) 15:43



っていうかバカですね、こんなにスレ消費して…。



300 名前:作者もどきな人。 投稿日:2003/09/11(木) 15:45


めでたく300ゲト。

保全してくださり、ありがとうございます。

これからの展開はどうなることかわかりませんが、お付き合いいただければ幸いです。

301 名前:名無し銀行 投稿日:2003/09/11(木) 15:46


あぁぁぁぁ!!!!


名前間違えてた!!!!


うぉー!!!


鬱だ…。
302 名前:273 投稿日:2003/09/15(月) 08:24
更新お疲れさまです。
てっきり違う人が書いてるのかと思っ…いやいや。
相変わらず本当に丁寧ですね。話運びも人物描写も。>>289の石川の苛立ちなんて、このタイミングでこういう描写がくるか、とため息ものでした。
あちこち気になるお話がちりばめられているようで、楽しみです。
つーかちょっと、こりゃまたえらいことに…
303 名前:名無し読者 投稿日:2003/09/24(水) 11:21
更新キテタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!

お疲れさまです。
なんかスゴイ展開になってきましたね。
石川の無事を祈りつつ・・・楽しみにしてます。
304 名前:名無しさん 投稿日:2003/10/30(木) 03:53
ほぜん
305 名前:名無し読者 投稿日:2003/11/13(木) 07:05
ほぜん
306 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/03(水) 22:40
ho

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