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人力二輪工房 [Common House]

1 名前:Strong Four 投稿日:2002年07月16日(火)18時40分34秒
〔パクリでも いろいろ混ぜれば オリジナル〕

こんな、いい加減なコンセプトの元、小説を作ってみました。

非娘。系です。恋愛も、エッチネタもありません。
はっきり言って、かなりマニアックです。
気に入った方だけお付き合いください。
時代は現在ですが、各メンバーの年齢は3つ上げております。
又、舞台は、南東北の県内ナンバー2の街を想像して下さい。
2 名前:プロローグ・ツーキニスト(自転車通勤者) 投稿日:2002年07月16日(火)18時42分46秒
pm5:30 会社の終業時刻。
「あっ、中澤さ〜ん!これから食事でも行きませんか〜?」
更衣室へ向かう途中、廊下で後藤真希は会社の先輩である中澤裕子を見つけると、
相変わらず屈託のない笑顔で話し掛けた。
二人は出版会社「仙人社」に勤務している。
会社の規模は、全国レベルでは下から数えた方が早い中小企業だが、
地元密着型という社風もあってか県内では業界トップクラスの出版社である。
後藤と中澤は部署が違っているが、中小企業のためか顔を知らない社員はいない。
また仕事の関係から二人の帰宅時刻がほぼ同じため、先の会話は珍しくはない光景だ。
3 名前:プロローグ・ツーキニスト(自転車通勤者) 投稿日:2002年07月16日(火)18時43分42秒
「うーん…今日は街中歩けるようなカッコやないねん。また今度な。」
「街中を歩けないカッコって…?」
一瞬、後藤は言葉に詰まった。
中澤はいったいどんな格好をして出社して来たのだろうか?
更衣室に入った後も先刻の言葉が気になり、後藤は帰り支度をしながら
制服を脱いでいる中澤をしげしげと見つめていた。
「何やねん後藤。ヒトの身体ジロジロ見よってからに?ウチはアンタと違て
そんなエエ身体してへんで。」
「あっ、そーゆーわけじゃなくって…街中歩けない服ってどんなのかな〜って、
思って…」
女同士と言ってもさすがに指摘されると意識してしまい、中澤の方を見られなく
なってしまった。
4 名前:プロローグ・ツーキニスト(自転車通勤者) 投稿日:2002年07月16日(火)18時45分00秒
「どやっ!これが今日の中澤姐さんの私服や。どこぞのタレントみたく
ファッションチェックでもしてみるか?」
数分後、胸を張って見せびらかすようなポーズをとった私服の中澤は、
およそ“大人の女”と言われるような格好ではなかった。
上はスエットとウインドブレーカーで決して珍しくはないが、下は黒タイツ。
だけである。実際は厚手のストッキングの上に、スパッツの様なショートパンツを
履いていたが、後藤の目にはその様にしか見えなかった。しかも太ももの横には
“SAECO”の文字が…
そして履いている靴が赤と黄色と銀色の“派手”というより“悪趣味”の方に
属する運動靴を履いていたのである。
5 名前:プロローグ・ツーキニスト(自転車通勤者) 投稿日:2002年07月16日(火)18時45分55秒
「……………」
「………………」
数秒の二人の沈黙が流れる。
「あ、あれ?リアクション無いんかい?(これやから東の人間は…)…まぁ普通の人間
から見れば異次元の世界やもんなぁ…ほな、もう帰るで。お疲れ〜」
「…あっ、ちょっと待ってくださいよぉ〜!」
中澤のあまりにも衝撃的な格好にしばらく時間の止まっていた後藤は、バックパック
を肩に担いで更衣室を出ようとする中澤を追いかけた。
確かめたかったのだ。
後藤の頭の中に、中澤に対しての“?”が一杯沸いてきたからだ。
中澤は関西の人間ということもあってか冗談等は多いものの、決して常識から外れる
ことをした事は無かった。仕事だけに関して言えば、むしろカタブツで通っている
人間だ。
それなのになぜ中澤は、あえて街中を歩けないような格好をしてきたのだろうか?
6 名前:プロローグ・ツーキニスト(自転車通勤者) 投稿日:2002年07月16日(火)18時47分03秒
玄関近くの廊下で、後藤はガチャガチャとうるさい靴音を鳴らして歩いている中澤を
捕まえた。
「何でそんな格好してるんですか?」
「このカッコが一番走りやすいねん。」
「…そんなガチャガチャうるさい靴、履いてですかぁ?」
「あぁ、この靴についてるヤツかぁ?これビンディングいうてな、スキーの靴を
着ける金具みたいなもんやな。」
「…中澤さん、スキーで通勤してるんですか?」
「んなわけあるかい!だいたい雪なんか降ってへんのに、何でウチがスキー履いて
えっちらおっちら通勤せなあかんねん!?いまどき北海道でもそんなんせえへんで。」
――後藤の奴、全くわかってへんなぁ…
そう思った中澤は、あえて答えを言わずに後藤を会社の駐輪場に連れていった。
――せやけど今のネタ使えるなぁ…今度みっちゃんとこで使うてみよ。
…さすが関西人、ただでは起きひんねぇ。
7 名前:プロローグ・ツーキニスト(自転車通勤者) 投稿日:2002年07月16日(火)18時47分42秒
「これって…」
「そう、これが今のウチの恋人なんやで。スマートなエエ男やろ?」
薄暗い蛍光灯の下、ちょっと顔の緩んだ中澤の側には、男ではないが確かに
線の細いスマートなワインレッドの自転車が静かに佇んでいた。
“RAVANELLO(ラバネロ)”
自転車本体のパイプ(ダウンチューブ)に白抜きで書かれていた文字。
「この“彼氏”と毎日通勤してんねん。“同伴出勤”っつーやつやな。」
後藤はやっと状況を把握できた…様な気がしてきた。
しかし“悪趣味”といえる中澤の奇妙な服の疑問は判っていない。
相変わらず“?”丸出しの後藤に中澤の説明が続く。
8 名前:プロローグ・ツーキニスト(自転車通勤者) 投稿日:2002年07月16日(火)18時48分41秒
「彼が毎日毎日ウチの股間をこう…まぁええわ。」
――突っ込んでくれへん人間にボケてもしゃぁないしなぁ…
半ば冗談を諦めた中澤は、この自転車についての説明を続ける。
「この自転車に乗るために、こないなカッコしてんねんで。」
「だけど…だけど、わざわざそんな格好しなくても…普段着で良いんじゃないですかぁ?」
「これやとスカート履けへんし、一時期チノパンで来とった時もあったんやけど、
2日で尻の皮剥けてきてなぁ…さすがに片道で18kmやと、パンツの方も尻のトコ
だけ白ぅなってな…せやから、このレーサーパンツ履いてんねんで。」
皮が剥ける!?
片道18km!?(往復36km!!?)
れーさーぱんちゅ!?…って何?
中澤の奇妙な格好を見てから、考える機能はほとんど止まっている。
にもかかわらず、さらに一般人の常識を超えた言葉が中澤の口から発せられる。
「この靴は“ビンディングシューズ”言うて、ペダルを固定…おーい、後藤ー!
こっち来ぃー!」
目が点になって、思考があさっての方へ行ってしまった後藤を見て、中澤が
遠くの人間を呼び戻す。
9 名前:プロローグ・ツーキニスト(自転車通勤者) 投稿日:2002年07月16日(火)18時49分23秒
「中澤さん、そんなに自転車って楽しいですかぁ?」
中澤と一緒に後藤が乗るバス停まで歩きながら、そんな質問を投げかけてみた。
「う〜ん…楽しいで。原チャリ追い抜いた時とか…」
「……原チャリって…」
「あ、バス来たな。ほなまた明日な。お疲れさ〜ん!」
「え?あ、はい。お疲れ様でしたぁ〜」
中澤はスムーズに自転車をスタートさせると、あっという間に人込みの中に
消えていった。
10 名前:プロローグ・ツーキニスト(自転車通勤者) 投稿日:2002年07月16日(火)18時50分13秒
「あ、中澤さんだ。」
後藤がバスに乗り込み、暫くすると自転車を走らせている中澤を見つけた。
“悪趣味”と思えるほどの格好だったが、自転車に乗っている中澤は先刻の
中澤とはまるで雰囲気が変わり、むしろ凛々しささえ感じられる。
――中澤さん…なんか楽しそうだなぁ…
サングラスとヘルメットを装着している中澤の表情は伺うことは出来なかったが
“楽しい”という言葉が身体全体で感じ取る事が出来た。
中澤は全速で走っている様子はなく、すぐにバスに追い越されてしまった。
バスは信号待ちのため、スピードを緩めたが、中澤はそのまま車の間をすり抜けて行く。
バスが走り出し、中澤を追い越していく。
そして信号待ちで中澤がまた追い越す。
そんなことが何回か繰り返されているうちに、バスはいつもの渋滞に捕まってしまった。
「…渋滞につかまっちゃったのかなぁ。」
後藤のため息混じりの言葉がもれる。しかし中澤の自転車はそんなことは関係無く、
あたりまえのように車と歩道の間をすり抜けて行く。
そして、そのまま後藤の視界から中澤が消えてしまった。
11 名前:プロローグ・ツーキニスト(自転車通勤者) 投稿日:2002年07月16日(火)18時50分45秒
“自転車はバイクより速いんだ。”
劇中タレントが言った言葉である。
――ほんとに…自転車って速いんだぁ…
後藤は中澤の走りを見て、その言葉を思い出していた。
自転車の事を“彼氏”と言いきれること。
尻の皮が剥けてまで自転車を続けていること。
片道18kmも自転車を漕いで通勤していること。
それを平然と、しかも楽しそうにしゃべっていたこと。
後藤は駐輪場での中澤の話を思い出していた。
「…………」
ぼんやりと窓に映る、けだるそうな自分の顔。
いつも鏡で見ている顔だが、後藤のはっきりとした気持ちがあった。
私は自転車が好きになりそうだ…
そんな予感があった。
12 名前:原稿打ち合わせ 投稿日:2002年07月16日(火)18時53分11秒
平家「…………」
  …………
平家「なんやねんこれは?」
  なんやねん…って、小説ですけど…
平家「主役は誰やったっけ?」
  平家さんですけど…
平家「どこにも出てへんやん?」
  まだプロローグですから…これからですよ。
平家「ほんまかぁ?」
  本当ですよ。今まで嘘言ったことありますか?
平家「今までもなんも、初対面やないかい!!?」
13 名前:1・始めの一歩 投稿日:2002年07月16日(火)18時54分26秒
pm6:30
後藤の会社から、歩いて15分ほどの所にある商店街。
20数件の小さな店が並んでいるその通りに、他の店と同じくらいの小さなドアと
その倍程のウインドー、何処にでもある小さな街の自転車屋だった。
そんな自転車店[Common House]の前に後藤が立っていた。
「はぁぁ…」
無意識にため息が漏れる。
「中澤さん…一緒に来てくれると思ってたのになぁ…」
このような一般人があまり出入りしない専門店は敷居が高いようで、
店のドアを開ける事に、後藤も少なからず抵抗があった。
「ごめんくださぁ〜い…」
恐る恐るドアを空けてみると、客らしい人は見当たらなかったが、黙々と
作業をしている店員らしき人がいた。
「あ、いらっしゃいませ。」
関西訛りのある店長とおぼしき女性は、さわやかな笑顔で後藤を迎え入れた。
14 名前:1・始めの一歩 投稿日:2002年07月16日(火)18時55分21秒
化粧っ気は無いが、細身で上品な顔立ちをした、とても肉体労働者とは言えない女性
だった。
拍子抜けの感があった。
このような専門店は、職人気質の中年のゴツい男が店をやっている…そんなイメージ
とはまるで違う人間がいたからだ。
「あ、あの…自転車…ちょっと興味持ってきたんですけど…」
後藤が話を切り出した。
その言葉を聞いて、女性はこの客を自転車に関しては初心者だと思ったらしく、
軽い質問を投げかけてみた。
「そうですか…どんな自転車がいいなぁ、って思いました?」
「ん…と…」
後藤のほうも若干勉強はしているものの、プロにはかなう訳がない。知識を吸収
できるなら…と思い、わざと知らないふりをした。
「通勤に使いたいなぁ、って思ってるんですけどぉ…実はなんにもわからないんです
よぉ…会社の人に色々聞いたら、この店が常連だから行ってみろって…」
「…常連?」
その言葉に、女性は一瞬顔を曇らせる。
15 名前:1・始めの一歩 投稿日:2002年07月16日(火)18時55分53秒
「みっちゃ〜ん!ただいまぁ〜!!ビール買うて来たでぇ、早よ飲も飲も。
どうせ客なんておらんやろ?」
店の奥の方から、聞き覚えのある関西弁が聞こえてきた。
「ちょっ、裕ちゃん!今お客さん来とんねん。ちょぉ黙っとって…」
「客ぅ!?どんな奴や?こんな店に来る物好きは?」
中澤が店を覗こうとした時、店の奥にある応接室のような部屋を後藤が顔だけを
出して覗きこんだ。
「あ〜やっぱりぃ…」
「おぉ〜!後藤かぁ〜、はよこっち来!」
中澤は後藤を手招きして、自分が座っているソファの隣に座るよう薦める。
「いや〜、残業思ったよりはよ終わってよかったわぁ。みっちゃんに何言われるか
思て心配やったんよ。とりあえず飲もか?」
「ちょぉ、裕ちゃん…あんたら知り合いなん?」
「そうやでぇ〜ウチのかわいいかわいい後輩やでぇ〜」
中澤は隣に座った後藤の頭を撫でる。
16 名前:1・始めの一歩 投稿日:2002年07月16日(火)18時56分58秒
「あ、こいつウチの後輩の後藤真希、いうねん。この女は平家みちよ、いうてこの店の
店長や。店の名前も先代からみっちゃんに代わって、昔の“平家自転車店”から
“Common House(一般的な家→平の家)”いう名前になってしもてなぁ…
ベッタベタな名前やろぉ〜?先代も草葉の陰で泣いとるで。」
「お父ちゃんはまだ死んどらへんちゅうねん!引退しただけやて。え?じゃぁ…
えっと…後藤さん、さっき言うとった常連てこのうわばみのことやったん?」
「誰がやねん!」
「じゃぁこの行かず後家の?」
「ちゃうて!」
「じゃぁこのエロ親父…」
「ちゃうつぅーとるやろ!!だいたいウチがそないなわけ無いやろ。なぁ後藤?」
「…………」
「…フォローせぇや。」
17 名前:1・始めの一歩 投稿日:2002年07月16日(火)18時57分31秒
後藤もフォロー出来ない訳ではない。
会社での中澤はカタブツで通っているため、酒や男の話などはなかったが、関西人
特有の丁丁発止に圧倒されて返事に困った。
しかしこの平家という女性は、中澤の事をどれだけ知っているのだろうか。先代の
店長の代からの付き合いと言うことはかなり昔からの仲らしい。
そう思わせるほど、平家という女性は会社では見せない中澤を知っている様だ。
18 名前:1・始めの一歩 投稿日:2002年07月16日(火)18時58分22秒
話は半日ほど遡る。
「あっ、中澤さ〜ん!“700c”ってなんですかぁ〜?」
昼休み、同僚と談笑していた中澤を捕まえていきなり質問をした。
――なんで後藤が自転車用語知っとんねん?
「…自転車のホイールのサイズやけど…それがどないしたん?」
突然の質問に戸惑いながらも、簡単な答えを出した。
「実はぁ、中澤さんが自転車乗ってるとこ見て、いいなぁって思っちゃってぇ…
それで色々雑誌とか買ったんですけどぉ…専門用語ばっかりでぜんぜんわかんないん
ですよぉ〜。じゃあ“くりんちゃー”ってなんですかぁ〜?あっ、それと“びーびー”
ってのもわかんないんですけどぉ〜…それから…」
「あ”〜!!わかった!わかったから。今日、ウチがいつも行っとる店、連れてったる
さかい。そこで色々聞きいな。」
19 名前:1・始めの一歩 投稿日:2002年07月16日(火)18時59分10秒
しかし、終業後に中澤は更衣室のドアを開け、着替えの途中の後藤に申し訳なさそうに
声を掛けた。
「後藤、悪いんやけど、急に仕事が入ってもーて、自転車屋に一緒に行かれへん
みたいなんやわ…せやから先行っててくれへん?あ、それから店の地図な。」
「えぇ〜!?一人で行くんですかぁ〜?」
「ウチも後から行くさかい、心配しいなや。ほな」
残業ということは本当のことらしく、中澤は用件だけ言うと足早に更衣室を出ていった。
20 名前:名無し読者 投稿日:2002年07月16日(火)18時59分51秒
久々のゆうごま発見と思ったら・・・みちごまなんですか?
21 名前:1・始めの一歩 投稿日:2002年07月16日(火)19時00分10秒
「裕ちゃん、やっぱり会社でもそのままやったんや…」
平家は妙に納得した様子で、中澤が買ってきた缶ビールを開けながらつぶやいた。
「せやからちゃうて。後藤はウチの“らいでぃんぐ”にカッコエエなぁ〜思うて自転車
欲しい言うたんよ。後藤は見る目あるからなぁ。ほんまエエ娘やでぇ。」
すでに3本目の缶ビールを空にしていた中澤は、後藤の肩を抱きながら、
上機嫌になって話す。
「あぁ、せやなぁ…裕ちゃん、ヘルメットとサングラス掛けると誰や誰だか
わからへんようなるもんなぁ。」
「ほっといてんか!…そういやぁ後藤、自分、自転車はどないするん?
なんかええもん見つかったか?」
これ以上自分の立場が悪くなるのはまずいと思った中澤は、後藤の自転車
の話にすりかえた。
22 名前:1・始めの一歩 投稿日:2002年07月16日(火)19時01分18秒
「まだあんまり話してないんですよぉ…どんな自転車が良いかもよくわからなくてぇ…」
自転車といえど、スポーツサイクルは一般にホームセンターで売られているモノとは違い、
レベルの高くないものであっても10万円以上はするし、プロがレースで使うものは、
新車の車が買える位の値段はする。後藤が悩むのも当然だ。
(私はインターネットのみの販売でUS$40000のMTBがあるというのを雑誌で
見たことがあります。)
その後藤の悩みについて平家はヒントを差し出した。
「自転車っつー物は、高くても安くても、使ってナンボやからな…それに
“何が欲しい”やのーて“何に使うか”のほうが大事やしなぁ。」
23 名前:1・始めの一歩 投稿日:2002年07月16日(火)19時02分14秒
“何に使うのか?”
後藤はその言葉を聞いてちょっと戸惑ってしまった。
改めて自分に問いただしてみると、後藤ははっきりとした答えが見つかってない。
中澤の様に通勤に利用したいが、わざわざスポーツサイクルまで購入する
必要があるだろうか?
後藤自身、高校に行っていた時は自転車通学だった。しかしその時使っていた
自転車はいわゆる“ママチャリ”というもので、それはそれで不都合の無いものであり、
自宅から会社の距離も、高校の時の通学距離とあまり変わりのない距離だ。
「中澤さんは…何であの自転車にしたんですかぁ?」
中澤は一瞬顔を曇らせたが、すぐに昔を思い出すように、遠くを見つめながら答えた。
「うーん、何でやろな?…長距離走ってもあまり疲れへんからかなぁ…先代に薦められた
言うのもあるんやけどな…」
ぼんやりと考えながらも中澤は5本目の缶ビールを開ける。
24 名前:1・始めの一歩 投稿日:2002年07月16日(火)19時02分58秒
「確かに裕ちゃんの走る距離は、ロードバイクやないと、男でもよう走らへん
もんなぁ…後藤さんは今まで自転車って乗ったことあるん?」
「高校に行ってた時は自転車で通ってましたよぉ。でも“ママチャリ”だったし…」
「確かに“移動の道具”って割り切るんやったら、ママチャリでも十分やけど、
見た目気にするんやったらMTBの方がカッコええしなぁ。」
「うーん…」
3人の間に沈黙が訪れる。
何かを思いついた平家は、アルコールのためか多少足元をふらつかせながら、
本棚から一冊の本を取り出し後藤に渡した。
[‘02年度版スポーツサイクル総合カタログ]
「これ貸したるさかい、これから自分の好きな自転車選んでもええんやないかな?」
「まぁ、何買うか悩むのも楽しみの一つやしな。そない焦らんでもええんちゃう?
後藤さんもわからん事があったらまめに遊びに来てええからね。」
25 名前:1・始めの一歩 投稿日:2002年07月16日(火)19時03分31秒
「あ、そーいや裕ちゃん、あの★#◎♪$&〒¥したんやてぇ〜」
「え〜ほんまにぃ〜?せやけど&※〒★♪*$¥?¥?ちゃう?」
(以上マニアックな自転車用語)
26 名前:1・始めの一歩 投稿日:2002年07月16日(火)19時04分02秒
最終のバスに乗るため後藤は店を出た。
中澤と平家の二人はまだ、自転車を肴に宴会が続いている。
しかしあの店の居心地は良いし、なにより店長の平家と中澤の話は本当に楽しい。
――笑いすぎておなか痛くなるのって、久しぶりだもんなぁ…
店の中での平家と中澤の会話を思い出し、思わず口元が緩んでしまう。
後藤は自転車に対する興味以上に、あの店の居心地のいい、暖かさに惹かれていた。
27 名前:原稿打ち合わせ 投稿日:2002年07月16日(火)19時07分19秒
平家「…で、ウチは誰とくっつくん?」
  は?
平家「>>20さんも言うとるやろ?カップリングはないんかい?」
  ないですよ。恋愛モノではないんで…
平家「そんなん何処がおもろいねん?」
  非恋愛の面白い小説もありますよ。“カッケー吉澤”とか、“平家司令官”とか…
平家「それの何処が小説やねん!?」
  “カテキョ”とか、“娘。だよ!全員集合”とか…
平家「その作者さんのような文章力は、自分にあるんか?」
  ………でも…でも、$■¥#&○とか、*▼@●&%とか、
  文章力なくても面白いですよね。
平家「………(こいつ、おもいっきし喧嘩売りよったな…)」
28 名前:名無し読者 投稿日:2002年07月16日(火)19時13分04秒
すいません。更新途中にレスしてしまってm(._.)m
申し訳ありません。しかも恋愛ものでないのに・・・あんなレスを・・・
重ね重ね申し訳ないです。
でも出てる人好きな人ばっかりでラッキー(w

29 名前:Strong Four 投稿日:2002年07月16日(火)19時13分56秒
とりあえず、プロローグと、第一話更新しました。
この話は完結していますが、所々肉付けをしていきたいと思っています。

>>20さん、早速、レス有難うございます。
とりあえず、カップリングはありませんが、
あえてつけるなら、ごまゆうとみちやぐ・・・になるような話にしています。
今後とも、御ひいきにお願いいたします。
30 名前:名無し読者 投稿日:2002年07月17日(水)14時30分37秒
SAECOですかー。姐さん、チッポリーニ好き?
ロードレース系なのかな? 期待してます。
31 名前:名無し 投稿日:2002年07月18日(木)00時16分38秒
はまっちゃいました。(w
あえてゆうなら・・・らしいですが
ゆうごまは結構読んだ事あるけど・・・みちやぐは読んだ事のない世界(w
またまた楽しみ

32 名前:名無しです。 投稿日:2002年07月20日(土)01時05分25秒
なんやら楽しげな予感。
期待〜!
33 名前:Strong Four 投稿日:2002年07月23日(火)15時53分08秒
>>30
中澤「チッポリーニぃ〜?あないなタラシの、どこがええねん?
R.ブロシャールの方が、ごっつええわ。」
平家「ごっつマニアックな名前が出てきたな…」
中澤「そういうみっちゃんは誰がええの?」
平家「B.イノー。」
中澤「古っ…」
平家「せやけど、最近の裏方やっとるイノーのほうがカッコええなぁ…」
中澤「………どっちがマニアックやねん?」

ここを見ている人で、自転車好きがいるとは思っていなかったので、
本当に嬉しいです。

「自転車でトレーニングに行ったけど、壊れてしまって、仕方なくジャージのまま電車で帰ったら、
“SAECO”文字が入っているパンツだったので、周りの人の白い目が…」
あのレーサーパンツは、雑誌でこんな文を見たので、後々ネタになるかと思ったからです。
M.チッポリーニの事までは考えていませんでした。
でも、石川は…あ、その話は後で…
34 名前:Strong Four 投稿日:2002年07月23日(火)16時02分16秒
>>31-32
レスありがとうございます。
あえていうなら・・・と書いたのは、かなり後半になってから、カラミあるのですが、
全体的には、”平家とその他大勢”と考えた方が良いかもしれませんね。

それから、今回更新の2・3話以降は専門用語も多くなりますので、
わからない言葉があったときには>>18の後藤のように、質問のレスを送ってください。
できる限りお答えしようと思います。
35 名前:2・街乗り自転車の概念 投稿日:2002年07月23日(火)16時04分57秒
あの日以来、後藤の頭の中は自転車のことで一杯だった。

車道を風を切って走るロードバイクも、
歩道の生垣に立て掛けられている精悍なマウンテンバイクも、
人ごみの中を素早くすり抜けていく折りたたみ自転車も、
後藤にとってはどれも惹き付けられるものに見えてしょうがない。

自転車に限らず、何を買おうか悩んでいる時や、
手に入れた後の楽しい出来事を想像することが一番楽しい事なのだろう。

――ウチもそういう時期、あったもんなぁ…

[Common House]に行ってから、
中澤も後藤の質問攻めに遭うようになり、正直鬱陶しく思っていたが、
自分の好きな事の仲間ができるのは満更でもないらしく、
それなりに受け入れている。
36 名前:2・街乗り自転車の概念 投稿日:2002年07月23日(火)16時07分39秒
「…で、後藤は何買うか決めたんか?」

後藤に誘われ、会社の食堂で一緒に昼食を摂っていた中澤が、
ニシンそばに乗っている具を頬張りながら聞いた。

後藤も、コロッケ定食の味噌汁をすすりながら答える。
「うーん…はっきり言って、まだわかんないんですよね…実際、
自転車ってかっこいいなぁ、って思っているだけで、
通勤以外は何に使おうか…って、考えてないんですよぉ…
雑誌には“初心者は疲れが残りにくいMTBの方がイイ”
って書いてあったんですけどね。」
うれしい悩みとは言っても、本人にすれば重大な悩みだ。
37 名前:2・街乗り自転車の概念 投稿日:2002年07月23日(火)16時08分17秒
「せやなぁ、確かにMTBの方が楽やろなぁ…」
食事の終わった中澤はお茶をすすりながら深く息をつき、
天井をぼんやり見ながら呟く。

「…まぁ、後藤は初心者なんやから、
とりあえず見た目だけで選んでもええんちゃうかぁ〜?」
「え〜?なんかそれ、投げやりな意見に聞こえるんですけどぉ…」
後藤は最後に残ったレタスをつまもうとしていたが、
中澤のいい加減な言葉に反応して、それを途中で止めて憮然とした顔になる。

「そやのうて、ルックスで選んで、それから気に入らんトコがあったら、
それをカスタムしていけばええっつー事や。」
「…カスタム?…ってなんですか?」

――やばっ…

中澤はまた後藤の質問攻めに遭うかもしれない。そう思って一瞬顔を歪めた。

「…あっ、昼休み終わってまうで。はよ戻ろ!」
時間を理由に後藤の質問から逃れた中澤は、
なるべく後藤を避けるように仕事場に戻った。
38 名前:2・街乗り自転車の概念 投稿日:2002年07月23日(火)16時09分05秒
「それは裕ちゃんは詳しないわぁ〜」

後藤は [Common House]の奥にある“常連の間”で、
昼休みの出来事を平家に話した所、こんな言葉が返ってきた。

「詳しくないって…?」
「裕ちゃんはカスタムにあんま興味ないねん。
“武器使うて、速よなってもしゃーない”言うてな。
レースによう出る人は軽量化とか、結構気にするんやけどなぁ…」
「だから、そのカスタムってなんなんですかぁ?」
「うーん…街乗り用のMTBに改造したらどーや、
って思うてるんちゃうん?」
「街乗り用のMTB…?ってなんなんですかぁ〜?
わけわかんないですよぉ…」

後藤にとっては聞きなれない言葉の連続である。
自転車について勉強はしているものの、自転車とは店に飾ってあるものを
そのまま乗る物だと思っている。そのため改造という概念が無く、
後藤は話の内容が今一つ理解できていないようだった。
39 名前:2・街乗り自転車の概念 投稿日:2002年07月23日(火)16時10分00秒
平家はちょっと考えた後、テーブルの下にある雑誌を開きながら説明を始めた。
開かれたページには“路上アンケート・街乗り自転車のカスタム編”
と書いてあった。

「自転車っつーモノは自分が乗りやすいように改造が出来るんよ。
しかも車とかオートバイみたいに法律の規制がないもんやから、
金さえあればナンボでも自分の好きなように改造できるんよ。」
「…じゃぁ、この前貸してもらった本のような自転車に、
色々改造するってことですかぁ?」
「そういうこっちゃな。例えば…もっとスピードが出るように
タイヤを細くしたり…ほら、こないな人みたいに色のバランスとかも考えて、
同じ色のシートとタイヤを着けたりしてる人おるやん…
多分裕ちゃんが言いたかったんはこういう事なんちゃうんかなぁ?」


「……………」
後藤はまだ今一つ意味を理解できない様子だ。

一方、平家の方もこれ以上の説明は思いつかず、説明に困っていた。
「…うーん。しゃぁないなぁ…現物見せた方が判り易いんかなぁ…」
平家はそう呟くと受話器を取り出した。
40 名前:2・街乗り自転車の概念 投稿日:2002年07月23日(火)16時11分08秒
「あ、もしもし。ウチやけど……悪いんやけど、今から店来れへんかな?
……え?…あっ、それは裕ちゃん来てへんから大丈夫やて…うん、
それはかまへんで…うん。せやったら、裏から来てくれるか?
あ、それからな、“HARO”の方で来てくれへんかなぁ?
…あ、ホンマ?…ほな、待ってるわ。」
「……誰…なんですか?」
受話器を置いた平家に後藤は不安そうに声を掛けた。
「…裕ちゃんみたいな人や。ちょぉ待っとき。」
平家は軽い笑みを浮かべながら、ただ黙ってソファに座った。

「あ、そうや…」

暫くして、平家は閉店の後片付けを始めていた。“常連の間”に一人残されていた後藤は
何をするわけでもなく、何となくその辺に散らかっていた雑誌を眺めていた。
41 名前:2・街乗り自転車の概念 投稿日:2002年07月23日(火)16時12分10秒
その数十分後。

「みっちゃ〜ん!“Zip”のリアサス変になっちゃてたんだよぉ〜!!
どぉしよお〜!?」
裏口を開けたとたん、切羽詰っている女性の声が入ってきた。

「おぉ〜来たか?どないしたん?ま、とりあえず座り。」
先刻、平家が電話した相手だろうか、“常連の間”に入って来た女性は、
童顔で自分より背が低い、スポーツとは似つかわしくない雰囲気の女性だった。

「あ、こんばんはぁ…」
後藤の斜め向かいに座りながら、その女性はかしこまって挨拶をした。

「この娘、安倍なつみ言うて、この娘もウチの常連なんよ。
インテリアのデザイナーやっとるんやけど、むっちゃセンスのええ
MTB持っとんねん。」
「あ、後藤と言います。はじめましてぇ…」
すかさず後藤も挨拶をする。

改めて安倍の姿を見てみると、デザイナーと言うだけあって、
自転車に乗って来たとは思えない、センスのいい服装だった。
42 名前:2・街乗り自転車の概念 投稿日:2002年07月23日(火)16時12分40秒
「この娘、裕ちゃんの会社の後輩やねん。こんなかわいい娘が裕ちゃんに
ヘンな事されてるかも知れへんねんでぇ…不憫やろぉ?」
「アハハハ!絶対そうだよねぇ…かわいそうにねぇ…」

――かわいそう、って…

後藤は言葉を失ってしまった。
[Common House]での中澤は一体どんな中澤なのだろう?
少なくともこのあべと言う女性も、会社の中澤とは別の中澤を
知っているようだ。

「え?じゃぁ、裕ちゃんの知り合いだったら、ロードの方に乗ってるの?」
「いえ…まだ決めてないんですよぉ…スポーツ自転車って乗ったことないから、
最初はMTBの方がイイって言われたんですけどぉ…」
「確かにそうだよねぇ…最初はMTBの方がラクだよねぇ…」

平家は後藤の意見に付け加えた。
「後藤はMTBを通勤に使いたい言うんやけど、街乗りカスタムっつーのが
いまいちわからへんみたいなんよ。自分のHARO、後藤に見せたって
くれへんかなぁ?」
43 名前:2・街乗り自転車の概念 投稿日:2002年07月23日(火)16時13分22秒
後藤は安倍に連れられ、その街乗りMTBなる物を見せてもらった。

そこには明らかに中澤の自転車とも違う自転車があった。
以前平家から貸してもらった本の中にあるMTBとも、
微妙に違った形の自転車であった。

“HARO Werks XCT”

オンロード用にカスタムされたその自転車は、かなり使い込まれている状態で、
細かい擦り傷などが多かった。
しかし汚い感じではなく、むしろいい味になった革トランクのような感があり、
各パーツが丁寧に磨き込まれていて、かなり愛情を注がれて
使い込まれている様子が伺える。

「MTBっていうのは山道を走るために造られているから
あんな形しているけど、アスファルトの上だったら、
いらない装備も色々あるんだよね。例えばイボイボのタイヤなんかは、
重いだけだし、逆にフェンダー(泥除け)とかカッコイイと思ったものは
何でも付けられるし…」
44 名前:2・街乗り自転車の概念 投稿日:2002年07月23日(火)16時13分56秒
言葉でしか説明を受けていなかった後藤だが、
現物を見て、ようやくみんなの言おうとしていることが頭の中に
形となって現れてきた。

――自分の好みに改造するって、こういう事だったんだ…

「…なんか、かっこイイね…」
安部の説明はあまり理解できなかったが、聞く必要も無いほど、
その自転車が物語っていた。

さらに安倍は付け加える。
「それにね、誰だったか忘れたんだけど、“自転車は一番大きなアクセサリーだ”
って言ってる人がいるんだ。私はよくわかんないんだけど、
自分のファッションに合った自転車を選ぶのも、いいんじゃないかな。」

“自転車は一番大きなアクセサリー”

後藤にとって、その言葉は大きな意味を与えた。
中澤や平家が、自分の好みの自転車であればいいと説明してくれたのは、
そんな意味が隠されていたという事も理解できた。

――難しく考える事ないんだ…

今は別にレースをやるわけではない。自分の好きな自転車を選んで、
それから改めて自分好みのカタチにして行けば…
そんなことを思いながら安倍の自転車を眺めていた。
45 名前:2・街乗り自転車の概念 投稿日:2002年07月23日(火)16時14分29秒
「お〜い、なっちぃ!リアサス直ったでぇ!!」
部屋から平家の声がする。
「あっ、は〜い!!…とりあえず入ろっか?」

「ダンパーのパッキンがボロボロやったでぇ。これでええと思うんやけどな。」
安倍と後藤が中に入ると、道具を片付けながらスプリングのような物の
説明をする。

「みっちゃ〜ん、ありがとぉ〜。来月レースだから間に合わなかったら
どうしよう、って思ってたんだぁ。」
「ほな、4000円な」
「えっ!?お金取るの?」
「当たり前やろ。こっちはボランティアでやっとるんやないねん。
さっさと払い!」
「ぶ〜…みっちゃんのいけずぅ〜」
46 名前:2・街乗り自転車の概念 投稿日:2002年07月23日(火)16時15分02秒
「…安倍さん、それって何なんですか?」
後藤が、その修理された筒状のものを指差す。

「これ?うーんと…これはリアサスペンション、って言って、
後ろのタイヤの振動を吸収してくれる物なんだよ。」
「へー…それってすごいんですか?」
「……………え?」
何気ない質問に対し、沈黙する二人。

――…今、すごくまずい事聞いちゃったのかな?

「せ、せやけど街乗りにはあんま必要無いからな。あんま気にせんでええで。」
「う、うん…確かにそうだよね。」

それから暫くの間、三人にぎこちない微妙な話の隙間ができてしまった。
47 名前:2・街乗り自転車の概念 投稿日:2002年07月23日(火)16時15分46秒
後藤が店を出てからも、安倍と平家は話を続けていた。
平家が、近々店を改装するかもしれないと、安倍に持ちかけたため、
その事で軽く打ち合わせをしていた。
「でもさぁ、裕ちゃんが会社の人連れてくるなんて初めてだよね。」
「あぁ、せやなぁ…裕ちゃんも、自分の事あんま喋らへんもんなぁ…」
「…裕ちゃんも、性格、丸くなったのかな?」
「かもしれへんな…」
そう言いながら、平家は安倍とは別の意味で昔の事を思い出していた。
48 名前:2・街乗り自転車の概念 投稿日:2002年07月23日(火)16時16分40秒
平家「…今回は、あんま盛り上がらへんかったなぁ…」
  うーん…確かに、マニアックな内容ですけど、後藤さんの成長を考えると、
この話はどうしても必要なんですよね。
平家「そおかぁ…せやけど、なんでなっちに“Zip”乗せたん?」
  あぁ、それですか?
DHバイクのオーダーって、あまりやってないみたいなんですよね。
安倍さんの身長を考えると、市販の物は乗れないような気がして…
平家「せやったら、裕ちゃんは何で“RAVANELLO(ラバネロ)”なん?」
  “RAVANELLO”って、イタリア語で“大根”って意味なんですけど…
平家「そういう意味なんか…」
  …は?
平家「今度、裕ちゃんに会うたら言うとくわ。」
  何言うんですかぁ?(汗)
49 名前:3・バイク以上のスピード 投稿日:2002年07月23日(火)16時18分30秒
「………はぁ…」

その女性は[Common House]の前で深いため息をついた。
いつまでも店内のウインドーに飾られている、流麗なロードバイクを
羨ましそうに眺めながらその場に佇んでいた。

自分の力ではどうしようもない現実の前に、その女性は情けない気持ちと、
届かない欲求を求めていた。

――なんで、私って小さいんだろう?
50 名前:3・バイク以上のスピード 投稿日:2002年07月23日(火)16時19分01秒
「あれ?…やってもーたか?」
ある日の夕方、会社帰りの中澤の自転車は途中でタイヤがパンクしてしまい、
今日は行く予定の無かった筈の[Common House]に向かっていた。

中澤の自転車についているタイヤは“チューブラータイヤ”と言うもので、
一般的なタイヤ(クリンチャータイヤ)よりは軽量で、パンクしにくい特徴があるが、
リムとタイヤを接着剤で固定しているため、パンクしてしまうと、
使い捨ての様にタイヤを丸ごと交換しなければならないタイプだ。
(最近はチューブラータイヤ用の、両面テープが発売されたらしい……ちっ…)
51 名前:3・バイク以上のスピード 投稿日:2002年07月23日(火)16時19分39秒
「…ん?」
中澤は店の前でずっとウインドーを眺めている女性を見つけた。

女性と言っても背が低く、小学生と間違われてもおかしくないほどの身長だった。
その女性は中澤に気が付かず、まだウインドーを眺めている。

「嬢ちゃん、どないしたん?」

中澤が声を掛けた。
彼女はその声に反応して中澤の方を見たが、自分の知らない人とわかり、
すぐに視線を逸らした。

「………なんでもないです。」
その女性は沈んだ声を残し、その場を走り去った。

「…なんやねん?」
中澤はその女性に何か引っ掛かるものを感じながらも、店に入った。
52 名前:3・バイク以上のスピード 投稿日:2002年07月23日(火)16時20分14秒
平家は中澤が入ってきたことをあまり気にせず、テレビの
“大岡越前”を見ていた。
「みっちゃ〜ん…まぁた、時代劇見とるんか?」
「うん。加藤 剛さん、むっちゃかっこええやもん。」

――みっちゃんの趣味、ほんまわからへんなぁ…

「…まぁええわ。タイヤ、パンクしたみたいやねんけど…
交換してくれへんかぁ?」
「…タイヤ交換ぐらい、自分でやったらええやん?」
テレビが気になるのだろうか、平家は中澤の依頼を二つ返事で断った。
勿論テレビだけが目的ではないのだが…

「あっ…みっちゃん、客に向かってそーゆー言い方ないんちゃうか?」
「客ぅ!?…うちは自転車屋ねんで。買い物もせんと毎晩毎晩、
居酒屋みたくビールばっか飲みまくってくだ巻く奴は客や思うてへんわ!!」
「…そ・そ・そこまで言うかぁ〜?」
「裕ちゃんのことやから、どうせビール2・3本で修理代ごまかす気やろ?」
「………そ、そ、そんなん…なんで判ったん?」
そこまで言われると、中澤も返す言葉が無い。
仕方なく場所だけを借り、自分でタイヤ交換をする事にした。
53 名前:3・バイク以上のスピード 投稿日:2002年07月23日(火)16時20分47秒
「そういやさっきな、店の前で女の子がずっとウインドー見とったで。」
中澤がタイヤを剥がしながら、先刻店の外で見かけた女性の事を
平家に話したが、平家はまだテレビを見ている。

「あぁ…気付かへんかったなあ…どんな子やったん?」
「初めて見る子やったな。背ぇ低うて、子供っぽかったんやけど…
社会人っぽい格好しとったなぁ…」
「ふーん…そおかぁ?」
相変わらず平家は柿の種を食べながらテレビを見ていた。
54 名前:3・バイク以上のスピード 投稿日:2002年07月23日(火)16時21分19秒
翌日も、その女性は[Common House]のウインドーを眺めていた。

――昨日、裕ちゃんが言うとった子って、あの子か?

店内からその女性を見つけた平家は、店内を掃除し、ゴミを外に掃き出して、
その女性と話すきっかけを造った。

「…あっ、いらっしゃい。」
いきなり声を掛けられた女性は、おもわず平家の顔を見たが、
言葉が思い浮かばず、ただ会釈するだけだった。

「自転車、興味あるん?」
「え?…あ、まぁ…」
「…ウチも暇やし…良かったら中、見ていかへん?」
「あ、いや…でも…」
「まぁ、ええからええから…」

中途半端な抵抗を無視して、平家は強引に女性の手を引っ張り、
店内へ招き入れた。
55 名前:3・バイク以上のスピード 投稿日:2002年07月23日(火)16時21分49秒
「…………」
その女性はこのような店に入った事がないのだろうか、
雑然と並ぶ自転車群を見て、言葉を失っていた。
マニアにとっては、どれも喉から手が出るほどの煌びやかな宝の山なのだが…

さまざまなギミックが詰め込まれたMTBや、
糸のような細いパイプでパーツが繋げられているロードバイク。
鮮やかな配色もそうだが、なによりもその自転車に付けられている
プライスタグが、その女性の言葉を奪っていた。

店内には、10万円前後の物が多かったが、中でもその女性が目を奪われたのは、
125万円の銀色の自転車だった。
しかも驚いたことに“売約済 清水様”の紙が張られている。

――あんな高い自転車、買う人いるんだぁ…
56 名前:3・バイク以上のスピード 投稿日:2002年07月23日(火)16時22分52秒
「一般人には異次元の世界みたいやろ?」
平家が奥に、作り置きしておいたコーヒーを持ってきて、女性に差し出す。

「あ、すいません…」
「ホームセンターで売られてる様な自転車が、10台以上買えるもんなぁ…」
「…そうですよね…自転車って、こんなに高いのもあるんですね。」
女性は平家から受けとったコーヒーを飲みながら、
ある意味素直な感想を口にした。

「“こないな値段して、なんで未だに人力やねん!?”言う
お客さんもおるんやけどな。」
平家もコーヒーをすする。砂糖が多すぎて少し顔をしかめながらも話を続けた。

「せやけど、車やオートバイと違うて、自転車はプロのレーサーが使こてる
モンがそのまんまウチらでも使えるんやから、マニアにはたまらへん
らしいんやけどな。」
57 名前:3・バイク以上のスピード 投稿日:2002年07月23日(火)16時23分23秒
「…あの、小さい自転車って、なんであんなに高いんですか?」
125万円のタグが付いた銀色の自転車を指さす。

「あ、あれかぁ?あの自転車は、イギリスのアレックスモールトン、
っつーメーカーのモンなんやけど、あれは職人さんが手作業で
フレームを溶接して造っとるからな。こないな梯子状の細かい溶接も、
全部手作業なんやで。」

「…自転車って、機械で作るんじゃないんですか?」
「せやで。大きいメーカーは機械で造る所も在るらしいんやけどな…
せやけど、人間の体っつーのは同じ寸法の人はまず居らんから、
フレームビルダーっつー自転車を造る職人が居る所は、オーダーメイド言うて、
使う人の身体計って、その人に合うた寸法の自転車も造っとるんよ。」
「…おーだーめいど?」
58 名前:3・バイク以上のスピード 投稿日:2002年07月23日(火)16時24分07秒
平家の説明を聞いて、女性の顔つきが変わった。

「そ、そのオーダーメイド…って、服みたいに身体の寸法、
計って造るんですか?」
「そうそう、簡単に言うとそんなモンやな。」

――じゃぁ…もしかして…

「…じゃ、じゃあ、じゃあ、フレームビルダーって人は…その…
私みたいな身長でも乗れる自転車、って造れるんですか?」
「大丈夫やで。しかも自分の身体に合った、自分にしか乗れへん自転車が
出来るんやで。なんか、欲しい自転車とかって、あるん?」
「…うーん、よくわかんないんだけど…ロードレーサーでしたっけ?
あんな感じの細い自転車。」

女性が指を指したその先には、中澤が乗っているような自転車があった。
「ロードバイクかぁ…身長ナンボ位あるん?」
「140ちょっと…ですけど…?…え?何してるんですか?」

平家は何も答えない。
その代わり、その女性の前にしゃがみ、腕や脚の長さを調べた。
59 名前:3・バイク以上のスピード 投稿日:2002年07月23日(火)16時25分22秒
「…うーん、ちょぉ難しいな。」
「……は?」
「既製品は無いかもしれんけど、オーダーやったらウチで造れんで。」
「え?」
その女性はびっくりした顔で平家を見つめる。

普通の人から見れば、平家のようなスマートで腕力のなさそうな女性が、
金属の溶接などが出来る、と思える方がおかしい。

「自転車…造れるんですか?」
「一応、ウチもフレームビルダーなんよ。まだパイプの厚さとか、
細かいオーダーは出来へんけどな…良かったら見積りだけでも出しとくで。」
「…それって…どれ位するんですか?」
「うーん…パーツによってピンキリなんやけど…うーん…ぶっちゃけた話、
15万…以上、なるかなぁ…」
「…じゅ、じゅうごまん!?」
60 名前:3・バイク以上のスピード 投稿日:2002年07月23日(火)16時25分54秒
5年ほど前の話だが、彼女は父親と車に乗っていた時、
路側帯を走っていた自転車が、父親の車を追い越して行った。

「…あの自転車、速いね。」
「うん?…そうだなぁ…」
「スピード、何キロ位でてるの?」
「…今は、50キロ位だな。」
「50キロ!!?」
「だから、あのスピードなら60キロ以上は出てるんだろうなぁ…」
「………」

それは自転車に対する概念を訂正しなければならない瞬間だった。
それから、彼女は自転車について自分なりに調べ、あの日の自転車は
ロードバイクという、レース用の自転車だという事もわかった。

元々、彼女はスピードに対する憧れがあった。オートバイの免許も取れる
年齢だったが、原付自転車のスピードはたかが知れている。
だからといって中型免許クラスのオートバイは体形的に免許すら難しいらしい。
61 名前:3・バイク以上のスピード 投稿日:2002年07月23日(火)16時27分03秒
――自転車なら…

そう思ったが、自転車の雑誌を見ると、
自分が乗れる自転車(特にロードバイク)は無いらしい。
オーダーメイドなら自分のような体形でも大丈夫、と平家は言っているが、
たかが自転車に15万円もかける程の余裕は無い。

「…ちょっと考えさせて下さい。」
「…まぁ、確かに衝動買いできるようなモンや無いもんな…
気ぃ向いたらいつでも遊びに来てな。」
柔らかい微笑を浮かべる平家に対し、彼女は軽く頭を下げて店を出て行った。

――140cmのロードバイクかぁ…

彼女の後姿を見つめながら、平家の頭の中はすでに、
あの女性にあった自転車のデザインを考えていた。
62 名前:3・バイク以上のスピード 投稿日:2002年07月23日(火)16時29分50秒
中澤「これはどういう意味やねんっ!!!」
  ……は?(平家さんに聞いたのかな…)
中澤「この小さい娘は矢口やろ?なんでウチとのカラミがないねん!?
他の作者さんやったら、あの後、ウチと矢口はホテルに入って…」
  (ったく、この妄想ババァは…)あ、エッチネタは無いけど、
もうちょっとしたらありますから…
それに中澤さんは、後藤さんとのカラミの方が…
中澤「後藤はみっちゃんに任せとったらええやん。ウチと矢口が出る小説は、
必ず甘々小説になんねんで。世論に反するって書いとったやろ?」
  そんなの何処にも書かれてないですよ。
中澤「…とにかく、ウチと矢口のカラミが無かったら、出ぇへんからな。」
  じゃぁ、“中澤”の所を“稲葉”に変えて…
中澤「ちょぉ待たんかいっ!!」
  はい?
中澤「………ご、後藤でええわ。」
63 名前:Strong Four 投稿日:2002年07月23日(火)16時40分28秒
・・・というわけで、2話と3話の更新終了です。
>>62は原稿打ち合わせ室の話でしたが、また、入力間違えました。
(一度ならず二度までも・・・)

>>48でも書きましたが、今回は一番盛り上がりに欠ける内容でした。
でも、この二人の成長を考えるとどうしても外せない話です。
もうちょっと我慢してください。
64 名前:30 投稿日:2002年07月24日(水)21時27分39秒
おぉ、大量更新されている。頑張って下さい。
自転車好きと言いましても、ロードは見る方専門でして(で、所有してるのも
型落ちで激安だったMERIDAのMTBとかですし)
しかし >>33 ブロシャールはともかくイノーて(笑
さすがに現役時を思い出せません。選手名を意識して見だしたのはインデュライン
くらいからですので。
65 名前:名無し読者 投稿日:2002年07月26日(金)12時33分14秒
ちょっと変わった雰囲気でいいですね。
期待してます。
66 名前:Strong Four 投稿日:2002年07月26日(金)17時20分00秒
>>64
(後の話で出てきますが・・・)
NHK特集の“ツール”を知っている人間にはB.イノーや、G.レモン
はとんでもない存在なんですよね。

“型落ちで激安だったMERIDA”との事ですが、
エンジン(乗る人間)は同じですから、あまり気にすることはないと思います。
高価な自転車は、“速く走れる”ものではなく、“楽して距離を稼ぐ”ものと考えたほうがいいでしょうね。
(私の持ってる20万のHAROのMTBよりも、80年代の5速のNISHIKIのロードの方が速いし・・・)
むしろ、その自転車を組んだ人間で、差が出ると思った方がいいですね。

>>65
レスありがとうございます。
この話は、メンバーの“いかにも”といった性格や、言い回しはあまり使っていません。
(垂れ瞼のオバハンとか)個人的な解釈で、性格を出してみました。
そういった意味では、多少ズレがあると思いますが、ぜひ最後までお付き合いください。
67 名前:4・街乗りのスペシャリスト 投稿日:2002年07月26日(金)17時23分34秒
am4:30
枕もとで目覚まし時計が騒ぎ出す。

「…ん〜もうこんな時間かいな?…」
中澤が布団の中から顔だけを出して半開きの瞼から時計を睨む。

会社が休みの日、中澤はほぼ習慣となっているトレーニングをしている。
デートと称して、自宅から35km先にある秋待峠の展望台まで、
ヒルクライムをするために“彼氏”こと“RAVANELLO EQUIPE”
に跨った。
68 名前:4・街乗りのスペシャリスト 投稿日:2002年07月26日(金)17時29分44秒
冷たい空気が頬をなでる。眠気の残る体には心地いい刺激だ。
始めの10kmはほぼ平坦な幹線道路だが、早朝という事で車もほとんどない。

中澤はウォームアップも兼ねて、自転車を漕ぎながらストレッチを始める。
車や信号の無い、自分だけのために与えられた道を走る。
一瞬にして、建物や風景が自分の後方に飛んでいく。
自転車と肉体が一つになり、ライダーが風になる瞬間…

そんな空間はまさに自転車乗りにとっての天国だ。
自転車乗りのほとんどは、この時間がたまらなく好きだという人が多い。
もちろん中澤も例外ではない。

中澤は気分良く一定のリズムで自転車を漕ぎ、朝の新鮮な空気を身体に
吸収させながら峠道へ向かった。
69 名前:4・街乗りのスペシャリスト 投稿日:2002年07月26日(金)17時30分29秒
「おっ♪」
峠の登り口に指しかかった所で、もやの中から人影が動いているのが見えた。

――自転車や!

レースに興味のない中澤と言えど、前に人が見えると自転車乗りの本能が疼く。
中澤は前方に見えた人影を追った。
シフトアップし、ダンシング(立ちこぎ)を始める。
中澤の“彼氏”も瞬時に反応し、左右に揺れながら地面を蹴り上げていく。

前方の自転車との距離がみるみる縮まってきた。
しかし前の自転車は、必死になって漕いでいる様子は無い。

もやでぼやけていた輪郭がはっきりしてきた。
まだ背中からしか見えないため、誰なのかは確認出来なかった。
自転車にも見覚えはない。
70 名前:4・街乗りのスペシャリスト 投稿日:2002年07月26日(金)17時31分20秒
――初めましての人…なんかな?

中澤は腰を下ろし、元のペースに戻したが、それでもまだ中澤の方が速い。
そのまま前の自転車を追い越そうとした時、ライダーに手を挙げて挨拶をする。
相手のライダーも笑いながら会釈した。

“TREK Hilo 1000”

――トライアスロンか…

トライアスロン用の自転車は、中澤の乗っているロードバイクとフレームは、
ほぼ同じシルエットだが、ロードレースよりは規制が厳しくなく、
さらに、乗り手の空気抵抗を意識した形になっていて、
ハンドル周りに一目でそれとわかるパーツが付いていた。

――煽られへんかな?…まぁ、ええか。

そのまま中澤は自分のペースで峠を登り続けた。
71 名前:4・街乗りのスペシャリスト 投稿日:2002年07月26日(金)17時31分59秒
峠の展望台に到着。
タイムはいつもよりも速かったが、先の自転車を追い掛けた時の
アタックでペースを乱してしまい、いつも以上に疲れが出ていた。
火照った身体を、同じ敷地にあるのドライブインの自販機で買った
スポーツドリンクで落ち着かせる。

その時聞き慣れた声がした。

「中澤さ〜ん!」
その方に目を向けると、先刻追い越した自転車がやってきた。

そのライダーが中澤の近くで、自転車を降りて、サングラスを外す。
[Common House]の常連の一人、吉澤ひとみだった。

「おぉ〜おまえやったんか?」
「中澤さん、相変わらずペースきついですねぇ…」
吉澤は息を弾ませながら、うれしそうに話し掛ける。
やはり、中澤と同じように肩で息をしていた。
「やっぱ前に人が居るとペース上がるさかいな…ウチも今日はバテバテやで。」
まだ息の整っていない中澤も、笑いながら答えた。
72 名前:4・街乗りのスペシャリスト 投稿日:2002年07月26日(金)17時32分58秒
「そーいや、いつから“TREK”に代えたん?
この前まで乗っとった“GT”はどないしたん?」
「あれは知り合いに売っちゃいました。中古で買ったものだから、
元々サイズが自分の身体に合ってなかったみたいなんですよね。
その売ったお金でこれ買ったんですよ。」
「…お金持っちゃなぁ〜」
中澤が羨ましそうに、半分皮肉の入った言葉を漏らす。

「これも、2年落ちの新古品ですから…だから私でも手が出せたんですけどね。」
「…で、乗った感じはどないなん?」
今までトライアスロンバイクには乗ったことの無い中澤は、
その自転車にかなり興味を示していた。
73 名前:4・街乗りのスペシャリスト 投稿日:2002年07月26日(金)17時33分36秒
「まだ“慣らし”の段階なんですけど、結構素直なイイ子ですよ。
フォークをエアロスイングに替えたんで、振動もあまり感じないし…」
「エアロスイングぅ!?…なぁ、ちょぉ味見させてくれへん?」
「いいですけど…中澤さん、なんかその表現…スケベ親父みたいですよ。」

展望台の一角で、女性二人が楽しそうに喋っている。
傍らでは“RAVANELLO”がふてくされているように佇んでいた。
74 名前:4・街乗りのスペシャリスト 投稿日:2002年07月26日(金)17時35分10秒
その2日後の「仙人社」前

「…あれ?」
上司からお使いを頼まれた後藤は、会社の玄関先に停まっている
一台の自転車が目に入った。

「TREKだぁ♪」
ダークブルーと黒にまとめられた、飾り気のない自転車であったが、
その自転車はいい具合に街の風景に溶けこんでいて、主人の帰りを待っていた。
中澤の自転車と似ているが、細かいパーツ類がだいぶ違っているのがわかる。

――オーナーって、どんな人なんだろう?

「あの…すいません…」
しげしげと自転車を見ていた後藤にある女性が声をかけた。
「え?あっ、すいません…あれ?」
思わずこの持ち主であろうその女性に謝ったが、その顔を見るなりある言葉を発した。
75 名前:4・街乗りのスペシャリスト 投稿日:2002年07月26日(金)17時36分11秒
「…よっしー?」
高校時代の友人、吉澤の当時の呼び名だった。

「え?…もしかして…ごっちん?」
一瞬考える時間はあったが、吉澤の方も後藤の苗字ではなく、
当時の呼び名で聞き返す。

「あーっ!!やっぱりー!!?久しぶりだねー」
卒業以来の再会だろうか、久しぶりの友人に会えて、ビジネス街の真中にもかかわらず、
二人ともはしゃいでいる。

「ねぇねぇ、ごっちんは今何やってるの?」
「ここでOLやってるよ。よっしーは?」
「宅配の仕事。 “メッセンジャー”って映画、見たことない?
あーゆー仕事やってるんだ。」
「だから、コレ?」
「そうそう。」

後藤は吉澤の自転車に目を移した。
「でもこの自転車、ロードバイクみたいだけど…違うよね?」
「うん。トライアスロン用のバイクなんだ…って、あれ?ごっちん詳しいねぇ。
なんか自転車乗ってるの?」
「ううん。何買おうか色々調べてるとこなんだぁ…」
「じゃあ、今が一番楽しい時期だね。どこで買うとかって決めた?」
「うん。会社の人で自転車好きの人がいるから、その人から紹介されたんだけど…」
吉澤の表情が一瞬曇り、「仙人社」の方を見て後藤に尋ねた。
76 名前:4・街乗りのスペシャリスト 投稿日:2002年07月26日(金)17時36分44秒
「会社の人って…もしかして中澤さんから?」
「え?よっしー、中澤さんの事、知ってんの?」
「…やっぱり?…大変だね…」
「え?え?なんでぇ〜?」
「[Common House]でしょ?
私もあそこの常連だから、中澤さんのことは、だいたいわかってるんだ…」

平家、安倍、そして吉澤までも…本当に[Common House]での中澤は、
会社と違った人格をしているようだ。
もし、あの店での中澤を会社の人に話したら、
果たして何人信じてくれるだろうか?

「あ、今日忙しいんだ。ご免ね…仕事終わったら[Common House]
行くけど、ごっちん来れない?」
「いいよぉ〜行く行く。」
「じゃぁ、そこでゆっくり話ししようよ。」
「うん、じゃあねぇ〜」
77 名前:4・街乗りのスペシャリスト 投稿日:2002年07月26日(金)17時37分17秒
「こんばんはぁ〜」
後藤が“常連の間”のドアを開けた。

さすがに[Common House]に慣れたのか、
今までの店の入り口ではなく裏口から入るようになっていた。

「お、いらっしゃ〜い。」
平家がほうじ茶をすすりながら、ソファでくつろいでいた。
新商品のカタログだろうか?メーカーから送られてきた、パンフレットを見ている。

「あれ?誰もいないんですかぁ?」
後藤は周りを見回して平家に質問した。
「ほっとけ!どーせウチの店は繁盛してへんもん!!」
「…よっしーもですかぁ〜?」
「…?よっしー…ってなんで後藤が知っとるん?」
「高校の時の知り合いなんですよぉ…」

「あぁ、そうやったんか…って、なんでよっしーがここに居るかもしれん、
っつーのが知っとんねん?」
「…あっ、そーか?…実は昼間会社の前であったんですけどぉ…
それで、今日ここに来るって言ってたんですよぉ…」
「………あっ、そお…か…」

――こいつ、思ってた以上の天然やな。
78 名前:4・街乗りのスペシャリスト 投稿日:2002年07月26日(金)17時38分17秒
「…で、後藤はどんなんが欲しいか、大体決めたんか?」

平家は後藤の顔を見ずに、これから発売される
新製品のパンフレットを見ながら声をかけてみる。
「あのー…色々見てるんですけどねぇ…なんかMTBって…
なんて言うのかなぁ…デザインが直線的で“男が乗るものだっ!!”
って感じがするんですよねぇ…」
抽象的な返事だったが、その言葉に後藤の悩みが全て入っていた。

「…女性っぽいデザインがいい、って事なんか?」
「そうなんですよぉ〜“PEUGEOT(プジョー)”とか
“BIANCHI(ビアンキ)”もオシャレでいいなぁ〜
って思ったんですけど…なんか、みんな乗ってる、
って感じで嫌なんですよねぇ…」
「…たしかに“PEUGEOT”も“BIANCHI”もええもん
あるんやけど…ミーハーなイメージが強いもんなぁ…
って、後藤もけっこう勉強しとるやん?」

平家は後藤の顔を見ながら微笑んだ。
やはり平家も、後藤が自転車に詳しくなっていくのは、
商売抜きにしても嬉しい様だ。
79 名前:4・街乗りのスペシャリスト 投稿日:2002年07月26日(金)17時39分30秒
「平家さ〜ん、なんかいいの無いですかぁ〜?」
「うーん…オシャレな自転車なぁ…そういうやつやったら……
うーん…これなんかええんちゃうか?」
平家は、先刻見ていたカタログの中の一枚を後藤に渡した。

カタログにはブランド名と思われる“SUNN”という文字が印刷されていた。
「?…コレって…なんて読むんですかぁ?」
カタログを見ながら、少し首をかしげる。
「“サン”って言うて、フランスのメーカーやねん。ええメーカーやと思うで。」
「“さん”?…ってどーゆーメーカーなんですか?」
「うーん、MTBの中では“汗臭くないモード系”で通ってんねん。
プジョーもそうやけど、やっぱ“おフランス”のメーカーは、
アメリカのメーカーと違て、オシャレなデザインやで。」
80 名前:4・街乗りのスペシャリスト 投稿日:2002年07月26日(金)17時40分02秒
“汗臭くないモード系”

後藤のように、大人の女に憧れている年代にとっては、
かなり惹きつけられるフレーズだった。

――ちょっとイイかもしんない…

後藤は頬杖を突きながら、吸い込まれる様にSUNNのカタログを見入った。
改めてカタログを見てみると、確かにアメリカ製の物とは、
違った自転車に見える。
そして、その中の自転車は上品な香りを漂わせている様にも見えてきた。
81 名前:4・街乗りのスペシャリスト 投稿日:2002年07月26日(金)17時40分35秒
「…平家さん、コレがいい!サンにする!!」
暫く背中を丸くしてサンのカタログを見ていた後藤が、
いきなり顔を上げてはじける様に言った。

まさに一目惚れというやつである。
衝動買いと言ってもいいだろう。しかし今の後藤にとっては、
このブランド以外には考えられないほどの惚れ込み様だ。
何より、他人とは違うフランス製の自転車に乗れるかもしれない…
という優越感のようなものもあった。

「…コレでええんか?」
「…うん。コレがいい。」
後藤はこの決断を、自分にも確かめるように頷いた。

「…はい、まいどありがとうございます…
ほな、欲しい車種決めたら注文出しとくから、改めて考えてな。」
その後も、平家が購入についての事務的な説明していたが、
後藤はほとんど上の空で聞いていた。
すでに後藤の頭の中は、“SUNN”の自転車で埋め尽くされている。

――コレに乗れるんだぁ…

自然とにやけてきて、つい頬が緩んでしまう。
後藤の頭の中ではすでに、自分がこの“SUNN”に乗って、
街中を駆け抜けている自分を想像していた。
82 名前:4・街乗りのスペシャリスト 投稿日:2002年07月26日(金)17時41分07秒
「みっちゃ〜ん、ただいまぁ!」
会社帰り中澤が“常連の間”に顔を出して来た。
また缶ビール持参での来店だ。

「あ、お疲れ様で〜す。」
「おっ、なんや、後藤も来とったんか?…ま、とりあえず飲もか?」
「今日、よっしーも来るらしいで。ちょぉ少ないんちゃう?」
「…その分みっちゃんが飲まんかったらエエやん。」
「自分がセーブせぇや。」
「なんでウチが買うて来たモン、セーブせなあかんねん?」
「足りなくなって“みっちゃん買うて来いや!!”言うて、
騒ぎだすんは自分やん?ほんで、ウチが出てる間に、
訳わからん悪戯するんやろ?」
「ウチがそんなんするわけないやん…」

「ほぉっおぉぉ〜」
平家が白い目で、中澤を見下ろす。
「……な、なんやのん?」
「ほな、この間、ウチがビール買うてる間に、刺身のツマばら撒いて
“雪降ったんや〜”言うたのはどこのどちら様でしたっけ?」
「えぇ〜?ウチ、ようわからへ〜ん♪」
「…裕ちゃん、その年でしなったって気持ち悪がられるだけやて。」

――これが、中澤さん?

平家も、安倍も、昼間に会った吉澤も…たぶん他の常連客も、
中澤の事を口を揃えて言っていたことはこういう事だったのか…
83 名前:4・街乗りのスペシャリスト 投稿日:2002年07月26日(金)17時42分08秒
「そう思って、自分の分は買ってきましたよ。」
会話に夢中で気付かれなかったのか、すでに吉澤が中澤の後ろに立っていた。

「おっ、いつの間に来たん?」
吉澤の手には、コンビニで買ったと思われる缶ビールがあった。

「ビール買うて来たんか?ホンマによっしーは、気ィ利くエエ娘やなぁ…
どこぞの垂れ瞼のオバハンとはえらい違いやわ…」
「…誰が垂れ瞼のオバハンやて?」
中澤が今まで以上にない顔で平家を睨んでいる。
「うわ(やば)…よ・よ・よ・よっしーは、と・と・TREKで来たん?」

――あの目は絶対本気や。

平家は話題を逸らそうと吉澤に話し掛けた。
「ハイ。会社から直接来たんで…あ、平家さん、この前頼んでたタイヤ、入りました?」
「え?あ、あぁ、入っとんで。今払うてくれるか?」
「そうですね…中澤さんもいるし…」
「せやな。この場が荒れたら忘れるもんなぁ…」
平家と吉澤が同時に中澤の方と見る。二人の考えていることは同じようだ。
84 名前:4・街乗りのスペシャリスト 投稿日:2002年07月26日(金)17時42分39秒
「な、なんやのん?…なんでウチがそんな目で睨まれなあかんの?
……あ、わかった!二人してウチを陥れようとしとるやろ?
ほんでウチをのけ者にするつもりやろ?…後藤ぉ…ウチなぁ、
いっつもここでこんな扱いされてんねんで。なんか言ったってなぁ…」

「………」
中澤の隣で、後藤が肩を震わせて笑いを堪えている。
「…オマエまで笑うことないやろ?」
85 名前:4・街乗りのスペシャリスト 投稿日:2002年07月26日(金)17時43分11秒
「そーいや、後藤がやっと自転車決めたで。」
「え、ホンマ?何にしたん?」
中澤が身体を乗り出し、興味を示す。

「え〜っと…“すん”…でしたっけ?」
「“サン”やて…」
「そう、それ!そのMTBにしましたぁ。
あのモード系のデザインっていうのがツボにはまっちゃったんですよぉ〜」

まさに今の後藤は、憧れていた男の子から告白された時の事を、
友達に話すように、きらきらした瞳でしゃべり出した。
「私もたまに見かけるけど…確かにあのデザインはオシャレだよね。」
「あの自転車でパンツスーツなんか着て、
街中さら〜っと流すのはカッコええかも知れんなぁ…」
「でしょ、でしょ?」
やはり自分の気に入った物を、人に認められるのは満更でもないらしい。
86 名前:4・街乗りのスペシャリスト 投稿日:2002年07月26日(金)17時44分05秒
「せやけど、あのパーツグレードであの価格は高い方やで…」
「…そう…なんですか?」
さすがに価格面になると後藤も思い通りのものというわけにもいかない。

後藤はちょっと困った顔をして、救いを求めるように平家の顔を覗きこんだ。
「まぁ、あれはデザイン料みたいなもんやろ…」
(話によると、ヨーロッパ製の自転車は、輸入業者のリベートが、
アメリカ製よりも高いらしい。)
「それに、安いだけで買うより、好きな物買う方がいいんじゃない?」
平家も吉澤もすかさずフォローに入る。
後藤もその意味がわかって、すぐに笑顔を取り戻した。
87 名前:原稿打ち合わせ室 投稿日:2002年07月26日(金)17時49分37秒
平家「ちょぉ、ちゃうな…」
  は?
平家「裕ちゃん、酔うたら、刺身のつまだけで済まへんで。」
  …そんなにすごいんですか?
平家「この前は、徳利と、ジョッキと、矢口が飛び交ってたもんなぁ…」
  ……………
平家「ほんで、次の日、目ぇ覚めても酔うとったし…」
  …それで、その後は?
平家「裕ちゃん、その後また飲んでな…」
  …それから?
平家「…い、言いたない。」
88 名前:番外編・“常連の間”の朝 投稿日:2002年07月26日(金)17時50分49秒
am8:30
自転車店[Common House]のシャッターが開く。
“今月の特売品”と書かれた立て看板を出し、
店長の平家みちよが一つ大きな伸びをする。
「今日もええ天気やなぁ…」

店の前をほうきで掃き、打ち水をして、
お客さんが通るべき店内の通路周りを整理する。

「さて、今日の入庫は…」
平家は仕事の予定を考えながら、以前問屋から送られたFAXに目を通す。

am9:00開店
人力二輪工房[Common House]はこうして1日が始まる。
今日は日曜日。
この店に限らず、小売店にとっては掻き入れ時である。その筈なのだが…
89 名前:番外編・“常連の間”の朝 投稿日:2002年07月26日(金)17時51分23秒
「ゔゔ〜だずげでぇ〜じぬ”ぅ〜」

“常連の間”からうめき声が聞こえてきた。
昨晩、平家と飲んでそのまま泊まってしまった中澤が目を覚ます。

――やれやれ、やっと起きよったか?

ちょうどお客さんもいない。
平家は“常連の間”で、イモムシのごとく毛布に埋れている中澤の様子を見に行った。
まだこの部屋は、昨日の酒の臭いが残っていてアルコール臭い。
「み゙っぢゃ〜ん…あ゙だまいだいぃ〜ゔゔぅ…」

――相変わらずこのうわばみは凝りんやっちゃなぁ…
90 名前:番外編・“常連の間”の朝 投稿日:2002年07月26日(金)17時52分05秒
「おっはよーさーん!!!」
平家はわざと中澤の耳元で大声をあげた。

「あ゙あ゙〜み゙っぢゃ〜ん、やめで〜!」
「当ったり前やないの!?一人で缶ビール10本以上も飲んでからに…
それで2日酔いにならへんかったら逆におかしいで…」

平家は中澤に水を持ってきたついでに、ゴミ袋を持ってきて、
空き缶を片付け始める。

ガラガラガラ…

「あ゙あ゙〜み゙っぢゃ〜ん!…ぞれも゙やめで〜」
二日酔いの人間にとっては、空き缶同士がぶつかる音だけでも、
かなり頭に響くようだ。
91 名前:番外編・“常連の間”の朝 投稿日:2002年07月26日(金)17時52分37秒
「え?これも響くん?」

ガランガランガランガラン…

平家は面白がって、中澤の近くでゴミ袋の中の空き缶を躍らせる。
「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙ぁ〜」
92 名前:番外編・“常連の間”の朝 投稿日:2002年07月26日(金)17時53分10秒
「なぁ、みっちゃん、相変わらずやけど…ここ、お客さん来いひんなぁ…」
二度寝して二日酔いがだいぶおさまった中澤は、
店のカウンターに頬杖を突いて、店の外を眺めながら何気なくつぶやいた。

「まぁ、こんな日もあるて…」
二人は平家がサイフォンで煎れたコーヒーをすする。

開けっ放しにしておいた入り口から、
初夏の風が爽やかな草の香りを店内まで運んできた。
93 名前:番外編・“常連の間”の朝 投稿日:2002年07月26日(金)17時54分06秒
「ここに居ったら、爽やかぁな日に、カッコええお客さんとステキな出会いがあって…」

――まぁた、一人の妄想の世界に入りよったか…

中澤に平家の冷ややかな視線が浴びせられる。
しかし、その妄想はそんな事では止まらない。

「“よかったら、今度、一緒に河川敷でも走りませんか?”
“はい、喜んで…”…っつー会話があって…」

――そのカミシモは何やねん?しかも、裕ちゃん標準語になっとるし…

「それから恋が芽生えて…結婚。なんちゅう事が…いやぁぁぁ〜!!
…って淡い期待はあったんやけどなぁ…」
「それは絶っ対にないて…だいたいな、裕ちゃんがシャッターに
“レディースONLY”なんて書いたから、男のお客さん減ったんやで。」
「別にええやん?」
「ええことあるかい!普通、あないな事、ピンクのスプレーで書くかぁ!?
しかも丸文字で……」
94 名前:番外編・“常連の間”の朝 投稿日:2002年07月26日(金)17時54分36秒
「…オレンジで書いたほうがよかったんか?」
「そーゆー意味ちゃうて!…あれから商店街の人に
“平家さんとこはいつからレズバーになったんですかぁ?”
って嫌味言われてんねんで。」
「あ、それって、斜向かいの瀬戸物屋のおばはんやろ?
あの上品ぶっとるクセに、下ネタにやたら反応してくる…」
「よう判ったな?」
「それでも…それなりに売上はあるんやろ?」
「うん、まぁ…それなりにはな…それでもやっぱ、女のお客さんの方が多いで。」
「ムネのない女は同姓にもてるっつーからなぁ…」
「ほっとけ!!」
「うぅ…みっちゃん、アタマ痛い…大声出さんといて…」
「…エエ加減にせぇよ…」
95 名前:番外編・“常連の間”の朝 投稿日:2002年07月26日(金)17時55分09秒
この日、[Common House]の午前中のお客さんはゼロ。
それでもそれなりに楽しい時間を過ごしていた二人だった。
96 名前:Strong Four 投稿日:2002年07月26日(金)18時05分29秒
というわけで、第4話と、遊びで書いた番外編を更新しました。

文中で書いた後藤が買おうとしているSUNNという自転車ですが、
説明よりも、現物を見てもらったほうがいいと思って、
↓にサイトを張っておきました。

http://www.dinosaur-gr.com/sunn/index.html
97 名前:Strong Four 投稿日:2002年07月26日(金)18時10分07秒
こっちのほうが、かっこいいかもしんない…

http://www.sunnbicycle.com/default.asp
98 名前:名無し読者 投稿日:2002年07月28日(日)21時24分24秒
今日、MTB買っちゃいました(w
99 名前:Strong Four 投稿日:2002年07月31日(水)16時43分06秒
>>98
その話、もっと突っ込みたいんだけど・・・
何買ったんですか?
メーカー名、商品名、その他・・・
詳しく聞かせてください。
100 名前:5・First Impression 投稿日:2002年07月31日(水)16時49分32秒
「…今日の後藤、なんか変じゃないか?」

後藤を見た「仙人社」の人間達が口を揃えて言う。
後藤が自転車を注文してから20日程経った日の事だった。

今日の後藤は、なんだか浮かれた表情をしている。
自然と笑みがこぼれて来て、人前でもついニヤけてしまう。
そのことで上司にも何度か注意されてしまった。
しかしそんなことは気になっていない。
101 名前:5・First Impression 投稿日:2002年07月31日(水)16時50分49秒
「サンだぁ〜♪サンだぁ〜♪“太陽”だぁ〜♪」

今日は前の晩からの雨が降り続いていた。
ほとんどの人間は少なからず気が滅入っていたが、
後藤にとってはそんなことは関係ない。

――…自転車に乗れるんだぁ〜

昨日、後藤の携帯電話に[Common House]から連絡がきた。
後藤の注文した自転車が組み上がったと言う内容のものだ。

今日がその“SUNN”の納車日なのだ。
102 名前:5・First Impression 投稿日:2002年07月31日(水)16時51分33秒
「今日はなんの日でしょう〜かっ?」

いつもの様に中澤を昼食に誘った後藤は、
チキンカツ定食にソースをかけながら、向いに座っている中澤に質問した。
「……はぁ?」

――なんやねん?

いつもと違う後藤のテンションに違和感を覚え、言葉を失う中澤。

「だから、今日はなんの日でしょうか?って聞いてるんですよぉ〜」
「…知らんがな。」
中澤は野菜ラーメンのスープをすすりながら冷ややかに言い返す。
たとえ今日がどんな日であっても、自分には関係ない様なので、
そんな事はどうでもいいと思っていた。
103 名前:5・First Impression 投稿日:2002年07月31日(水)16時52分10秒
「…知りたい?」
「別に…」
「聞いてくださいよぉ〜」
「…ハイハイ。今日はなんの日ですかぁ〜?」
「今日はぁ〜…へへっ…自転車が出来上がったんですよぉ〜!!」
「…うわ…今日やったんか?」
テーブルをたたいて喜ぶ後藤に対して、
中澤は苦虫を噛み潰したように顔をしかめた。
104 名前:5・First Impression 投稿日:2002年07月31日(水)16時52分40秒
「あ、あれ?」

――喜んでくれると思ったのに…

中澤の表情を見て一瞬、後藤のテンションが下がった。
不安そうな顔をして中澤の顔を覗きこむ。

「…中澤さん?」
「…水刺すようで悪いんやけど、今日はだめやと思うで。」
「えー?なんでですかぁ〜!?」
「あそこはな、雨の日は納車させてくれへんねん。
先々代から続いてるらしいんやけど、こういう日に納車した自転車は、
必ず事故るらしいで。」
「えぇ〜!!…楽しみにしてたのにぃ…」
はぁぁ、とため息をつき、頭を擡げる。
105 名前:5・First Impression 投稿日:2002年07月31日(水)16時53分10秒
自転車が欲しいと思ってから約2週間。
“SUNN”に決めてから5日。
自転車を注文してから約20日。
そして今日、“SUNN”が手に入るというのに…
106 名前:5・First Impression 投稿日:2002年07月31日(水)16時53分45秒
「しゃーないやん…せやけど、今日は店行っといた方がエエな。
多分セッティングとかさしてしてくれるで。」
「…セッティング?」
「シートの高さとか、ハンドルの幅とか…色々調節してくれるんよ。
それにライトとかカギとか買うとかな走れへんやろ?」
「…自転車だけじゃ走れないんですか?」
今度は中澤が、はぁぁ、とため息をついて頭を擡げる。

「…当たり前やろ。自転車乗るだけやったらええで。
せやけどな、自転車乗ってコンビニとか、行ったりするやろ?
そん時、カギ掛けな絶対盗まれんで。」
「あっ、そっか…」
「それから、オーナーにしかやらせへん仕事もあるからな。」
「…??」
107 名前:5・First Impression 投稿日:2002年07月31日(水)16時54分15秒
pm5:30
仕事を無理矢理定時に終えて、後藤は店へ向かっていた。

まだ雨は降り続いている。
雨の跳ねかえりで靴下は泥だらけになっているが、そんなことは関係ない。

――もうすぐ“SUNN”に会えるっ!

そんな気持ちからか、いつのまにか早足になってしまう。
108 名前:5・First Impression 投稿日:2002年07月31日(水)16時54分47秒
「平家さん、ただいまぁ〜」
会社からまっすぐ[Common House]に来た後藤は、
今日は店の入口の方から入って来た。

「あ、いらっしゃ〜い。後藤の自転車、組み上とんで。」

平家がある方向を指差す。

――これが…私の自転車?
109 名前:5・First Impression 投稿日:2002年07月31日(水)16時55分19秒
「…これ?」
「そうやで。」
そこには、暗い銀色と黒でまとめられた、上品な自転車が佇んでいた。

“SUNN Cosmos”

後藤にとって、2002年モデルの中で欲しい自転車は、
価格的に厳しいものだったが、たまたま問屋に1年落ちの新古品が残っていて、
それを安く仕入れたものだった。
型落ちと言っても、“Cosmos”は2001年モデルのハードテールMTB
の中では上位グレードに位置している。
110 名前:5・First Impression 投稿日:2002年07月31日(水)16時56分46秒
写真で見るよりもフレームの光沢が眩しく見えた。
丸みのあるデザインの中に、モード系の都会的なカラーリングと、
機械的な冷たさがあった。

そして何よりも、これからパートナーとなるべき人間を迎え入れる
暖かさがあった。

――実物の方がカッコいいんだね…
111 名前:5・First Impression 投稿日:2002年07月31日(水)16時57分18秒
しかし、後藤が自転車に見惚れている間に、
平家から現実的な“おあずけ”の言葉が発せられる。

「…申し訳ないんやけど、この店のしきたりで、
雨の日はお引取りできひんのよ。」
「え?…あ、それは中澤さんから聞きましたぁ…」
その事は昼食時に中澤から聞いていたため、それほどショックは大きくなかった。
しかし、この子を連れて帰りたかったのは、否定できない。

「あ、裕ちゃんから聞いとったん?
…まぁ、この店のしきたりみたいなもんやねん。堪忍したって。」
「あ、あと…カギとか、色々買いたい物があるんですけど…」
「あぁ、なんも買うてへんかったもんなぁ…」
112 名前:5・First Impression 投稿日:2002年07月31日(水)16時57分50秒
「ほな、取り付けは自分でやったてな。」
平家は街乗りに関しての必要なものを用意したが、
それ以上のことはしなかった。

「え?…自分で、ですか?」
「そうやで。自分の自転車なんやから、なるべく自分で触ってやらないかんで。」
「え〜!?」
「“え〜!?”やのうて、もし走ってる最中になんかあったらどないするん?
そういうのにも馴れとかないかんで。」
「…でも…私、こんなのやった事無いし…」
「やり方は説明するから心配せんでええて。」
113 名前:5・First Impression 投稿日:2002年07月31日(水)16時58分21秒
後藤にとって、工具を持って自転車に何かをする事は、
生まれて初めての事かもしれない。

恐る恐る工具を持ち、パーツを取り付けていく。
平家のフォローもあってか、作業は滞り無く進んでいった。
そんな中、パーツを取り付けた“SUNN”が目の前でどんどん変身していく。
一通りパーツの取り付けが終わった後藤が、改めて“SUNN”を眺める。
114 名前:5・First Impression 投稿日:2002年07月31日(水)17時02分35秒
――これに、私が乗るんだぁ…

そんな充実感にあふれた後藤を見て、平家が一枚の紙を渡す。
「最後に…これは、店からのサービスなんやけど、このステッカー貼っといてな。」

平家が後藤に渡した透明なステッカーには、黄色い文字で
“SUNN”のためだけの文字が書かれていた。

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「この自転車の名札みたいなモンやな。」
115 名前:5・First Impression 投稿日:2002年07月31日(水)17時03分06秒
――……………………………

このステッカーは、これからこの自転車が自分のものになる、
という意味も持っていた。

今までこの自転車を注文して、現物が届いて、色々なパーツをつけながら、
この自転車を触ってきて、少しずつ自分のものになりつつあった。

そして、このステッカーで完全に自分のものになるということが実感できる。
オーナーにとっては感動の極みと言っていいかもしれない。
116 名前:5・First Impression 投稿日:2002年07月31日(水)17時03分36秒
「…別に気に入らんかったら、貼らんでもええけど…」

ステッカーを渡してから全く動かない後藤を見て、一瞬戸惑った平家だが、
後藤は慌てて首を横に振った。
「…これ、今貼っていいですか?」
「もちろんええで。」

ステッカーを貼るというだけだが、このような儀式と言えるようなことは、
さすがに後藤でも緊張してしまい、台紙からステッカーを剥したときには、
手の平に汗をかいていてしまっている。
117 名前:5・First Impression 投稿日:2002年07月31日(水)17時04分10秒
………………………………………………………………………………ふぅ…

無事にステッカーを貼り終えた後藤が、深く息を吐く。

「後藤は、これからこの子のお母さんになるんやから、
しっかり世話してあげなあかんよ。」
118 名前:5・First Impression 投稿日:2002年07月31日(水)17時04分57秒
――お母さん、か…

中澤は自分の自転車を“彼氏”と呼んでいる。
私の場合はどうだろう…
私と“SUNN”はどうなるんだろう…
これから“SUNN”と付き合ってからでもいいかな?

――別に…これからでも…いいよね。

外はまだ雨が降っている。

初めて会えたのに乗れなかったね。
でも、これからいっぱい乗ってあげるからね。
これからいろんな所行こうね。

ステッカーを貼って、命を吹き込まれた“SUNN”を眺めながら、
後藤はいつまでもサドルを撫で続けていた。
119 名前:5・First Impression 投稿日:2002年07月31日(水)17時09分29秒
平家「なぁ、ウチが主役言うたよな?」
  はい。
平家「今まで、後藤の話ばっかやん。いつになったら、出てくるん?」
  ずっと出てるじゃないですか。
平家「そうやのうて…ウチの話はないん?」
  でも…この話のネタ元の漫画(アオ○自転車店)も、
  主役の店長と女の子はあんまり出てませんよね。
平家「そういう意味の主役やったんか?」
  最後に大事な役が待ってますから。
平家「……今から、裕ちゃんとウチの役、替えられへんか?」
  出来る訳ないじゃないですか?
平家「せやけど、盛り上げるだけ盛り上げといて…
  このまんまやったら、ほんまもんのウチと同じやん?」
  …そう言われると、そうですよね。
平家(何でそこだけ納得するん?)
120 名前:Strong Four 投稿日:2002年07月31日(水)17時22分43秒
と言うわけで、第5話更新しました。
>>119
また忘れてました。(…3回目だぞ)

何日か前、感想スレッドを見ましたが、
この小説がよく見られているようで、とりあえず安心しています。

次の更新は未定ですが、(私用で、pcを触る時間がないんです。)
今後とも、御ひいきにお願いします。
121 名前:名無し読者 投稿日:2002年08月07日(水)16時57分11秒
まだかなまだかな。
マターリと待ちます。
122 名前:Strong Four 投稿日:2002年08月10日(土)14時36分37秒
>>121
すいません、すいません。
昨日、やっとpc開ける事ができました。
これから更新します。
123 名前:6・Maiden Voyage 投稿日:2002年08月10日(土)14時39分15秒
後藤の自転車が店に入ってから、2日後の日曜日。
ただでさえ寝起きが悪く、頭はまだ寝ている状態であろう後藤が、
部屋のカーテンを開ける。

快晴

朝の光が、部屋を一気に明るくさせた。
その光が、後藤を夢の世界から、一気に現実へと引き連れて行く。

「晴れたー!!!」
それを後藤は何よりも待っていた。

――“SUNN”に乗れる!
124 名前:Strong Four 投稿日:2002年08月10日(土)14時41分45秒
後藤は着替えも化粧もせず、平家の店へ電話をかけた。

「平家さん!今日は大丈夫だよね?」
『今日か?ええで。準備しとくから、はよおいで。』
「じゃぁ、すぐ行きます。」
受話器を置くと、すぐに[Common House]へ行く準備を始めた。
シャワーを浴びて、化粧もして、服は…

――何着て行こう?

単なる外出とはいっても、自転車に乗るためには、
スカートは履けないし、それなりの服を選ばなければならない。
しかし、後藤は中澤のような自転車に乗るための専用の服などは
持っている筈がない。
思わず、受話器を取って中澤の所へ電話をかけた。
125 名前:6・Maiden Voyage 投稿日:2002年08月10日(土)14時42分25秒
『はい、中澤でございます。』
「あ、後藤です。」
『はい…どうしました?』
「?…今日、平家さんの店に行くんですけど…」
『……はい…』
「…それで、どんな服着て行けばいいかなぁ〜って思…」
『悪いんですけど、コレ留守電なんで、発信音の後にメッセージ、
入れとって下さい…ピ―――――』
後藤の耳に、自分の言葉を無視した機械音が響く。

――え?…留守電?
126 名前:6・Maiden Voyage 投稿日:2002年08月10日(土)14時42分58秒
なんでこんな時に居ないのぉ〜?
ってゆーか、あんなメッセージ、普通入れるかぁ?

…ん〜どうしよう?

あ、よっすぃ〜だったら…
…今日、仕事って言ってた。

安倍さんは?
…電話番号聞いてない。

やっぱり自分で決めるしかない。そう思った後藤は、
クローゼットから思い当たる物全て引き摺り出して、ベッドの上に広げた。
127 名前:6・Maiden Voyage 投稿日:2002年08月10日(土)14時43分33秒
――うーん…シャツとトレーナーで大丈夫かな?でも寒いかな?

やっぱり、パーカーにしよう。
でも、このパーカーの色に合わせると、ジーンズじゃない方が似合うかな?

でもこのパーカーとパンツの色、合わないなぁ…
やっぱり、あの時のバーゲンで買っとけば良かったなぁ…

あ、バンダナも持っていこう。
やっぱりいらないかな?
えーっと、それから…
128 名前:6・Maiden Voyage 投稿日:2002年08月10日(土)14時44分38秒
――何やってんだろ?

一瞬、鏡で自分を見ていた後藤が我にかえる。

――前にもこんな事やったことあるような…

その記憶の糸を辿ってみる。

――そういえば、初めてのデートも、こんな感じで色々迷ってたなぁ…

自分を客観的に見てみると、かなり恥ずかしい状態になっているのがわかる。
一人しかいない部屋の中、後藤は自分の行動に赤面してしまった。
129 名前:6・Maiden Voyage 投稿日:2002年08月10日(土)14時45分36秒
なんだかんだで、服選びだけで一時間も掛かってしまい、
ようやく部屋を出た時には、太陽がかなり高いところまで登っていた。

改めて空を見上げる。
今朝、カーテンを開けた時と変わらない、
本当に眩しい太陽と、雲のない真っ青な空だけだった。

「やっぱり“SUNN”には太陽が似合うよねぇ〜♪」
後藤の顔が緩んで、思わず独り言を呟く。

街中を歩いていると、歩道を何台か自転車がすり抜けて行く…
後藤は羨ましげにその光景を眺めていた。

――でも、もうすぐ私も“SUNN”で出来るんだぁ…

そう思いながら、後藤は[Common House]へ急いだ。
130 名前:6・Maiden Voyage 投稿日:2002年08月10日(土)14時47分07秒
[Common House]近くまで行くと、後藤の“SUNN”が、
店の前でスタンドに立て掛けられているのが目に入った。

主人を待っているペットショップに預けられた子犬の様にも見える。
その自転車を見て、顔が崩れそうなくらいにやけながら店に入った。

「平家さん、おはよー!」
「あ、おはよーさん。」
平家は、自転車のホイールを調整していた。

「ねぇねぇ、外に置いてあった自転車、私のでしょ?」
自分の声が少しだけだが、いつもより昂揚しているのがわかった。
それを感じ取った平家も思わず笑みがこぼれる。

「そうやで。すぐ乗ってみるか?」
お腹を空かした飼い犬が、ご飯をねだるような顔をして、
大きく頷く後藤が目に入る。
平家は外へ出て、“SUNN”に乗れるように準備をした。

――後藤、ちょぉ浮かれすぎとんなぁ…
131 名前:6・Maiden Voyage 投稿日:2002年08月10日(土)14時48分37秒
キラキラした瞳で作業を見ていたが、それを見透かした平家は、
そこであえてクギを刺した。

「その辺のママチャリとはクセとか違うから、
ちゃんと体に覚えさせとかな、大変な事になんで。」
真剣な顔つきをした平家から、自転車を受け取った後藤は、
先刻までの浮かれていた気持ちに一瞬緊張が走る。

「…そんなに難しいものなんですかぁ?」
「そんなことはないんやけどな…とにかく、自分をセーブして乗りいな。」
「………?」
不安と疑問が残る平家の表情。

「とりあえず、その辺走ってみたらわかるて。」
後藤に対し、厳しい言葉を使っていた平家だが、顔はむしろ緩んでいる。

厳しい言葉と、柔らかい表情。
後藤はこの時までは平家の意味することがよく理解出来ていなかった。
132 名前:6・Maiden Voyage 投稿日:2002年08月10日(土)14時49分49秒
いよいよ“SUNN”に乗る瞬間がやってきた。
後藤が自転車に跨り、ペダルに体重をかける。

――あれ?

普通の自転車の時と全く変わらない動作のはずだが、
今までの他のものとは明らかに違っていた。

――なに?この軽さ…

後藤のペダルを踏む力に、ほとんど抵抗は感じられない。
後藤の入力に対し、自転車が同時に反応する。
そして、その力がそのままタイヤへと伝えられていく。
メリハリのある推進力と、
“ママチャリ”では感じることができない軽さがあった。

絶対的な重さの違いもあるが、それ以上に感じられる感性のもの…
そんな違和感に戸惑いながら、後藤は自らの欲求に任せて自転車を走らせた。
133 名前:6・Maiden Voyage 投稿日:2002年08月10日(土)14時50分33秒
“慣らし”の状態で一つ一つの動作を確認しながら、
ゆっくり走っていた後藤だが、いよいよ本格的にスピードを上げて漕ぎ始めた。
134 名前:6・Maiden Voyage 投稿日:2002年08月10日(土)14時51分25秒
…lez!

――?

Allez!

――え?

Allez!Allez!

――?…え?…何?

Allez!Allez!Allez!

後藤の耳には聞こえていない。
しかしそれは、身体の芯から響いてくる振動だった。

Allez!Allez!Allez!(もっと行け!)

後藤自身に後藤の体が指令を出していた。

体中の細胞が喜んでいる。
体中の細胞が“もっと漕げ!”と後藤を煽りたてている。
後藤にもわからなかった本能が、身体の殆どを支配していた。
135 名前:6・Maiden Voyage 投稿日:2002年08月10日(土)14時52分01秒
“まだまだこんなモンじゃないよ”

――え?

幻聴だろうか?
今度は自転車の方から、後藤を煽りたてるような感覚があった。

――…この子も…私を煽ってるの?

もう、後藤自身にもこの勢いを止めることが出来なくなってしまっている。

――この感じ…スゴい…
136 名前:6・Maiden Voyage 投稿日:2002年08月10日(土)14時52分34秒
見慣れたはずの風景が、スピードによって一気に別世界へと変わっていく。

自分の脚だけでは見えなかったスピード。
オートバイでは分からない空気。
車では感じる事が出来なかった感覚。
風にしか見えなかった世界。

――これが…自転車?

後藤は、そんな自分だけの不思議な空間に包み込まれていった。
137 名前:6・Maiden Voyage 投稿日:2002年08月10日(土)14時53分04秒
「……はぁっ…はぁっ…」
後藤は疲れ切った状態で、ほとんど惰性で
[Common House]に帰ってきた。

それなりに体力は自信があると思っていたが、
久しぶりの自転車で、ペースを無視して走れば、当然息は切れる。

――平家さんが言ってた事って…こういう事だったんだぁ…

しかし、全力で走った充実感の方が強く、口元だけが微妙に笑っている。
138 名前:6・Maiden Voyage 投稿日:2002年08月10日(土)14時53分34秒
後藤は肩で息をしながら、力なく“常連の間”のドアを開けた。
「……ただい…まぁ…」
「おっ、お疲れさ〜ん。」
店に遊びに来ていた中澤の声が、後藤を迎え入れる。

後藤が膝を振るわせながら、中澤の隣のソファに体を預けた。
それに気付いた平家が部屋に入り、用意していたウーロン茶を差し出すと、
後藤は息もつかずに一気に飲み干した。

後藤が落ち着いたところで、中澤が顔を覗きこむ。
「どうやった?」
「…すごい…ですね…ハァ…ハァ……すっごく…ハァ…おもしろかった…」
「…やっぱりな。」
「想像通りやな…」

平家と中澤が顔を見合わせてニヤニヤしている。
「…ハァ…どうしたん…ですか?…ハァ…ハァ…」
含み笑いの理由がわからず、後藤が不思議そうに二人を見ている。
139 名前:6・Maiden Voyage 投稿日:2002年08月10日(土)14時54分07秒
「初めてあないな自転車に乗るとな…
だいたいの人間はテンションが高なって、自分の押さえが利かなくなるんよ。
後藤もご多分に漏れず、っつーやつやったんやな…って思うてな…」
「どうせ、自転車乗りながら“こんな感覚初めて…”とか思うとったんやろ?」
「ほんで、自分の体力無視して漕ぎまくったんやろ?」
「………」

図星である。後藤の行動は、完全に二人に見透かされていた。

「たかだか自転車乗るだけやのに、何着て行くか電話する位やもんなぁ…」

――え?
140 名前:6・Maiden Voyage 投稿日:2002年08月10日(土)14時54分42秒
「え?裕ちゃん何なん、それ?」
意味深な中澤の言葉に平家が食いついてきた。
「みっちゃん、あんな…」
「わーーーーーっ!!!」
後藤がすかさず口を挟む。

「中澤さん、あの留守電聴いてたの?」
「うん♪聴いとったで。」
「ひどいよー!!」

「で?で?裕ちゃん、どないしたん?」
「後藤がな…」
「だめーー!!ムグッ…」
中澤が後藤の口を塞ぎ、平家に今朝あった出来事を話した。
口を塞がれた後藤が、腕をバタつかせて抵抗するが、中澤の話は止まらない。

「ハハハハハーー!!!」
平家がお腹を抱えて笑っている。
「平家さんもそこまで笑うことないでしょぉ〜!?」
しかし、平家はまだソファに突っ伏したまま身体を痙攣させていた。

「いや〜あの電話は、久々にツボにはまってしもたわ…」
「ウチもそういうお客さん、初めてやで。」
後藤は赤面したまま俯いて、何も言えずにうつむいているだけだった。
141 名前:原稿打ち合わせ室 投稿日:2002年08月10日(土)14時58分10秒
中澤「どういう意味やねんっ!!?」
  はぁ?
中澤「“大根脚”とか、“垂れ瞼のオバハン”とか、
  2ちゃんでも言われてへん事書くな、っつーねんっ!!!」
  ……(いつの話だよ…)
中澤「みっちゃんも役替えるように言うとるんやから、
とっとと替えとったらええやん。」
  そうなると…最終回の美味しい役が…
中澤「美味しい役って…ウチと矢口がなんかやるんか?
  ほんで、“裕子と真理のピロートーク”のスレ建つんか?」
  ……(誰もそんな事言ってねーって…)
142 名前:7・フレームビルダーの苦悩 投稿日:2002年08月10日(土)15時00分46秒
「みっちゃーん。」
安倍が[Common House]に顔を出した。

外には安倍の自転車である“Zip 235”が立て掛けてあった。
店の入り口から、HAROではなくZipで来たということは、
何らかの依頼だろう。

「おっ、今日は早いんちゃうかぁ?…どないしたん?」
いつもなら閉店後にしか顔を出さない安倍が、
夕方になりかけている頃に来るのは珍しい。

「クライアントとの打ち合わせが、早く終わっちゃったんだぁ…
でさ、来週、大会あるんだけど、“Zip”見てくんないかなぁ?」
「大会、って今度の日曜日やろ?時間的には大丈夫やと思うけど…
全部バラすか?…せやったら、預からしてもらうけど…」
「うん、いいよ、いいよ。じゃぁ、お願いするね…」
そう言いながら、安倍がZipを店の中に持ち込んでくる。
143 名前:7・フレームビルダーの苦悩 投稿日:2002年08月10日(土)15時02分13秒
「そう言えばさぁ、裕ちゃんの会社の…後藤さん、だったっけ?
あの娘、自転車決めた?」
Zipをスタンドに掛けながら、思い出したように平家に尋ねる。

「あぁ、決めたで。2・3日前やったけど“SUNN”のMTB買うてったわ。」
「“SUNN”かぁ…オシャレなの買ったね。」
「よかったら見てったらええやん?
“バーエンド欲しい”言うとったから、今日あたり来ると思うんやけどな…」

「…裕ちゃんは?」
一瞬ためらった後、平家に聞き返した。
どうやら安倍は、ここでの中澤を避けているようだ。
「大丈夫やて。後藤が居る時は、裕ちゃんあんま荒れへんで。
なんや、ここと仕事場の裕ちゃんて違うみたいなんやわ。」
「ふーん…なんか想像つかないね…」
「せやけど、裕ちゃん、後藤がいなくなると一気に変わるで。」
「…やっぱり?」
144 名前:7・フレームビルダーの苦悩 投稿日:2002年08月10日(土)15時03分08秒
「…あ、そーいや…」
安倍の“Zip”を店内に運び、軽くチェックをしていた平家だが、
何か用事を思い出したようだ。

「なっち、“Zip”のリム調節するか?」
「うん、頼もうと思ってたけど…どしたのさ?」
安倍が“常連の間”から顔を出して、若干疑問の残る顔をしながら答えた。
「ウチな、ちょぉ用事思い出してん。
10分位やけど、店番ついでに今からやらへん?…もちろん工賃いらへんから。」

「それはいいけど…」
その程度の時間なら…と安請け合いしてしまった安倍だったが、
平家は1時間経っても帰ってこなかった。
145 名前:7・フレームビルダーの苦悩 投稿日:2002年08月10日(土)15時03分39秒
「…なーにやってんだろ?」

安倍はもうすでに、前後タイヤのリム調節を終わらせていた。
特にすることも無く“常連の間”のソファに腰を下ろし、
テーブルにあった雑誌をパラパラとめくっていた。

「…ごめん下さい…」
店の入り口のドアが開いた。
安倍は慌てて店の方へ顔を出し、店内を覗きこむと、
店の入り口には背の低い女性が立っていた。

「あ、いらっしゃいませ…」
安倍には見なれない顔だった。少なくともこの店の常連ではないようだ。

――パンク修理かな?

「…どんなご用でしょうか?」
「…あの…自転車の…オーダーの件なんですが…」
「…お、おーだー…?」
146 名前:7・フレームビルダーの苦悩 投稿日:2002年08月10日(土)15時04分09秒
――みっちゃーん、そんな話聞いてないよぉ…

安倍も仕事柄、接客などに関する事は、多少なりとも心得てはいる。
少なくとも、営業スマイルにはそれなりに自信があった。
しかし、平家からは何も聞いていないことで、何をしていいのかわからず、
顔が引きつっているのが自分でもわかる。

安倍が何かぶつぶつ言っているところを、その女性が声を掛けた。
「あ、あの…」
「ハ、ハイ!」
「この前の…」
「は?」
「この前の…オーダーの件なんですが…」
「は、はぁ…」
「……」
「………」
147 名前:7・フレームビルダーの苦悩 投稿日:2002年08月10日(土)15時04分42秒
「あのなっちが、あたふたしとるなんて、そうそう見られへんでぇ…」
「裕ちゃん、やっぱ、おもろい展開になりそうやなぁ…」
「せやな。もうちょっと見てよか?」

ガラス越しに、野次馬ババァのごとく二人のやりとりを見ている平家と中澤。
今まで見ることが出来なかった安倍の表情がおもしろいらしい。
しかし、商売の方はどうでもいいのか?
148 名前:7・フレームビルダーの苦悩 投稿日:2002年08月10日(土)15時05分15秒
「…何やってるんですかぁ?」
中澤よりも仕事を遅く終えて、店にやってきた後藤が、
二人の後ろから声をかけた。

「しーっ!…大声出したらアカンて。」
「今、ごっつおもろいとこやねんから…」
「え?…何なんですかぁ?」
「とにかく静かにしぃ!」
後藤を黙らせるようにたしなめた二人。
そして、改めて店内を覗こうと振り向いたその瞬間、
店のドアを空けた安倍が腕組みをして立っているのが目に入った。
149 名前:7・フレームビルダーの苦悩 投稿日:2002年08月10日(土)15時05分46秒
「うわ…」
「…みっちゃんも、裕ちゃんも、何やってるの?」
安倍の口元だけは笑っていたが、それ以外の部分はかなり怒っている。
特に目つきは今までにない鋭さがあった。
店内を覗いて、自分達のやり取りを面白がっていた事に気付かれたようだ。

「あ、安倍さぁん。久しぶり〜」
一方、その場の空気を理解していない後藤は、無邪気に安倍に手を振っていた。
150 名前:7・フレームビルダーの苦悩 投稿日:2002年08月10日(土)15時06分18秒
「あ、ぁ…な、なっち…ひ、久しぶりやなぁ…」
中澤の取り繕った呼びかけにも、安倍は全く表情を変えない。
「さ、さっき、そこで裕ちゃんと会うてなぁ…ハハハ……」

「…みっちゃん、言いたい事はそれだけ?」
「………」
「…お客さん待ってるよ。」
「……はい…」
平家が背中を丸めて、申し訳なさそうに店に入る。

「…裕ちゃん?」
安倍が次に向けた矛先は、知らない振りをして、
裏口へ行こうとする中澤に向けられた。
「ハ、ハイ!」
安部に呼び止められ、ビクッと反応する中澤。

「…ビール、持ってきた?」
「は、はい…」
「今日は飲まないでね。」
「え〜!?なんでなん?」
中澤の憮然とした態度を睨みつける安倍。

「…は、はい…判りました。」
151 名前:7・フレームビルダーの苦悩 投稿日:2002年08月10日(土)15時06分55秒
店に来た女性は、先日のオーダーメイドの自転車を、
見積りだけでもお願いしたい。ということだった。

「ほな、今日は遅いし、正確な身体のサイズとか測らないかんから、
近いうちにまた来てな。」
そう言って、平家は彼女を帰した。

一方、“常連の間”では中澤に対する安部の説教が続いている。

――…まぁ、自業自得やな。

“常連の間”で行われている現状を察しながら、
安倍の持ちこんできた“Zip”のオーバーホールに取り掛かった。
しかし、暫くして“常連の間”から、平家にとっては悪魔の声が聞こえてきた。

「次はみっちゃんだよ。」
152 名前:7・フレームビルダーの苦悩 投稿日:2002年08月10日(土)15時07分27秒
翌日、早速彼女が[Common House]へやってきた。

身長、股下、リーチ、肩幅などを計り、平家とその女性が打ち合わせ
(自転車の使用目的、パーツの種類など)を行っていたが、
平家は彼女の話を聞く度にどんどん悩みが増えてきた。
しかも、彼女の自転車の要望は“とにかく速い自転車”と言う事で、
ロードバイク以外には考えられない。

とりあえず平家は“デザインが出来て、見積りが仕上がったら連絡します”
という事で彼女を帰した。
153 名前:7・フレームビルダーの苦悩 投稿日:2002年08月10日(土)15時08分02秒
――あないな小さい娘のロードバイクなんて出来るやろか?

身長などの身体のデータが揃ってくると、熟練したフレームビルダーは、
自転車のだいたいの形が見えてくると言う。
彼女の体格に合うフレームは、もちろん出来ないことは無いが、
いかんせん、ホイールとのバランスが悪すぎる。

「“矢口 真理”…かぁ…」
平家は彼女のオーダーシートに書いてもらった名前と電話番号を見ながら、
この難問に取り組もうとしていた。
154 名前:7・フレームビルダーの苦悩 投稿日:2002年08月10日(土)15時08分37秒
その日の晩、平家は彼女のデータを入力した数値で、
フレームをパソコン上で図面に起こしてみた。

「…やっぱ、こうなってしもたか…」
平家が頭を掻きながら、ため息混じりの言葉を漏らす。

画面上には、案の定、見たこともないようなデザインの自転車が、
パソコンのモニターに映し出されていた。
本来、自転車というものは、文字通りタイヤの上に人間が“乗る”状態だが、
この自転車の場合、前後のタイヤの間にフレームと人間が挟まれているような
形になってしまう。

ホイールのサイズを、700cから650cの小さいサイズに変えても、
デザイン状の変化はあまり見られない。
155 名前:7・フレームビルダーの苦悩 投稿日:2002年08月10日(土)15時09分08秒
――だいたい、あないな娘がロードバイクに乗るっつーのが間違っとんねん。

そんな事を思ってみても、
平家のフレームビルダーとしての信用を落とすだけで、何の解決にもならない。

「うーん…どないしょ…」
平家のフレームビルダーとしてのセンスの無さをつくづく感じる瞬間だった。
156 名前:7・フレームビルダーの苦悩 投稿日:2002年08月10日(土)15時09分48秒
安倍が先日、依頼した自転車のオーバーホール(分解掃除)が終了したという事で、
[Common House]へ引取りに来た時の事だった。

「なぁ、なっち…このデザイン、見てくれへん?」
平家が数枚の紙を差し出した。
フレームのオーダーを依頼した、矢口の自転車のデザインだった。

「…なにこれ?」
「ほら…この前、背の低いお客さん来たやん?あの娘、矢口いうねんけど、
その娘のロードバイクのデザインやねん…どう思う?」

「どう…って…言われてもさぁ…」
デザイナーの肩書きを持つ安倍も、紙上のデザインを見て、
さすがに言葉を失ってしまった。
157 名前:7・フレームビルダーの苦悩 投稿日:2002年08月10日(土)15時10分18秒
「…やっぱなぁ。」
デザイナーである安倍なら…と淡い期待を持っていた平家だったが、
デザイナーだからこそ、逆に厳しい反応が返ってきた。

「みっちゃん、これ本気で造ったら、センス疑われるよ。」
「…せやろなぁ。」
平家の期待もむなしく、安倍の言葉では解決にはならなかった。
158 名前:7・フレームビルダーの苦悩 投稿日:2002年08月10日(土)15時10分52秒
「なして、ミニベロ薦めなかったのさ?」
「…え?」
「タイヤとフレームのバランスが悪いから悩んでるんしょ?」
「確かにせやけど…」
「したら、ホイールを小さくすれば良いっしょや?
なっちの“Zip”だって、背が低いから足つきがいい様に…
って、24インチにしたんださぁ。したら、そんなに難しくはないっしょ?」

「ミニベロかぁ…ああいう特殊なホイールはタイヤが少ないし、
あんま安いモンないから、あんま使いたないんやけどなぁ…あっ!!」
安倍にとっては何気ない提案だったが、平家にとってはまさしく
“神の声”に聞こえた。

「APBモールトンのホイールか!?あの20インチホイールやったら、
安う手に入るし、バランスもようなるかも知れへん!!」
平家の頭の中で、ダムから水が放出される様に、
一気にイメージが湧き上がってきた。
慌ててキーボードを叩き、改めて自転車のデザインを起こす。
159 名前:7・フレームビルダーの苦悩 投稿日:2002年08月10日(土)15時11分22秒
画面上に浮かび上がってきた画像は、まさしくロードバイクそのものだった。

「ミニベロっぽくは無いけど、バランスはよくなったね。」
横から画面を覗きこんでいる安倍がつぶやいた。

「体格が体格やから、それはしゃあないやん。」
ある程度納得のいった形になり、平家もやっと落ち着いた様子だ。

「BMXみたいに、平べったいフレームにしてもいいかもしんないね。」
「せやな、色々提案してみて、本人に決めさせるのが一番ええな。」
160 名前:7・フレームビルダーの苦悩 投稿日:2002年08月10日(土)15時11分53秒
翌日、平家は矢口宅へ電話をかけた。

「あ、もしもし…[Common House]でございます。
先日の見積りの件ですけど…」
『あ、はい…どうなりました?』
「えー…まず、ロードバイクを御希望との事でしたが…
実際にデザインしてみるとですね…」
『あの…価格の方は…』
矢口にとっては、自転車のデザインよりも価格の方が気になっているようだ。

「それは、一番安い素材で造りますと、フレームだけで5万円になりますが、
合計は自転車に取り付けるパーツによって変わりますんで…
こちらに来て頂いてから、改めて打ち合わせと言う事で…」
『じゃあ…とりあえず、明日か明後日うかがいますから…』
「そう…ですか?…じゃあ、お待ちしてます。」
そう言って受話器を置いくと、平家は見積書とフレームのデザインを見ながら、
独り言をつぶやいた。

「後は、あの娘をどうやって口説くか…やな…」
161 名前:原稿打ち合わせ室 投稿日:2002年08月10日(土)15時12分37秒
平家「まぁた、これも、後に続くんかい?」
  この話と後の話をくっつけると長くなるんで…
平家「せやけど、やっとウチが中心の話が出てきたな。」
  …あんまりカッコよくないですけどね。
平家「これからもあるんやろ?」
  ……………
平家「…なんで目ぇ逸らすん?」
162 名前:Strong Four 投稿日:2002年08月10日(土)15時25分55秒
というわけで、第6話と第7話更新しました。
第7話に出てきた“APBモールトン”ですが、
アレックスモールトン社のライセンス生産
という形でシュパレイ社が生産しているものです。
(あれだけの価格差はなぜなのかは判りませんが…)
皆さんには「矢口真里写真集」に載っている、
赤い自転車といった方が判り易いかもしれませんね。
検索で、すんなり出てきますので、
もうちょっと詳しく見たいという方はそちらを見て下さい。

次回更新は・・・・・・・・・
来週末にできればなぁ・・・・・・と思っています。
163 名前:名無し読者 投稿日:2002年08月14日(水)02時04分28秒
僕が全く知らない世界だからこそ楽しめますね。
週末にお待ちしてます。
164 名前:Strong Four 投稿日:2002年08月17日(土)17時21分03秒
>>163
レスありがとうございます。
確かに詳しい人はあまりいないでしょうね。
この小説を書いていたとき、まったく知らない人にもわかるように
書いた方がいいのか悩んだ時期もありました。
説明ばっかりしていたら小説にならないだろうし、
専門用語ばかりでは誰も読まないだろうし・・・
(だからって、2ちゃんの自転車スレには行ってほしくないし・・・)
結局は自分の文章力なんですよね。・・・ハァ・・・
判らない所があったら、「○○ってなに?」みたいなレスをしてください。
できる限りお答えしようと思います。
(会社の同僚が、ディスクブレーキを見て“何でCDつけてるの?”
と言った時は、さすがに目が点になりましたが…)

これから第8話を更新します。
その前にちょっと言い訳をさせてください。
文中にオートバイを差別している、と解釈されるかもれない内容があります。
(私は原付のスクーターにしか乗ったことがないので、オートバイの良さは
未経験ですが・・・)
それは自転車との比較で、登場人物の個人的な好みとして考えてください。
165 名前:8・あの日の汗 投稿日:2002年08月17日(土)17時23分36秒
一台の“YAMAHA SR 400”が襟裳岬に到着した。
バイクを降り、ほとんど同じ態勢で硬くなっていた体をほぐす。

「思ったより早く着いちゃったな…」
ヘルメットを脱ぎ、髪を整えながら、
声として聞き取れないほどの小さな声で独り言を呟く。

――あの時は何日かかったんだっけ?

市井沙耶香は3年前にもここを訪れた事がある。
仙台から苫小牧行きのフェリーに乗り、
海岸線を右手に見ながらここまで走って来たが、
その時の旅行と全く同じルートだった。

ただ、前回と違っていたことは、パートナーは、
バイクではなく自転車だったという事だった。
166 名前:8・あの日の汗 投稿日:2002年08月17日(土)17時24分25秒
コンクリートの柵に腰を掛け、土産物屋のそばにある自販機で買った、
缶コーヒーを口に含む。
市井は微妙に曲線を描いた水平線を眺めながら、
残り2本となったCAMELに火をつけた。

――寒っ…

いつのまにか、海から吹き込んでくる潮風が体温を奪っていた。
市井が上着のジッパーを閉め直す。
時計を見ると、ここに来てからまだ10分と経っていない。

――こんな寒い所だったっけ?

あの時はTシャツ一枚でも平気だったのに…
167 名前:8・あの日の汗 投稿日:2002年08月17日(土)17時25分14秒
市井は旅行が趣味だった。
旅行とは言っても電車やバスの旅ではなく、
自転車で何泊かする“ツーリング”というものだった。

とにかく遠くに行ってみたい。
それは好奇心と言うよりも、むしろ別の何かだったのかも知れない。
幼い頃は病弱な子供で、ほとんど外出を許されなかったため、
その反動からその様になったのでは…と親は解釈している。

本人にはそのような意識は無かったが、
病弱で一人では生きていけない自分が嫌で、
誰の助けも借りずに一人で何かをやってみたかった…
というのがきっかけだったらしい。

高校の合格祝いで、親に旅行用の自転車をねだった市井は、
高校生になって初めてのゴールデンウィークに、
その自転車で1泊2日の旅行に出かけた。
168 名前:8・あの日の汗 投稿日:2002年08月17日(土)17時26分44秒
その旅行は最悪だった。

寒くないようにと、気温の高い日を選んだのがそもそもの間違いだった。
走り始めて1時間もすると、全身から汗を吹き出し、
服が貼りついて、体の動きに負担を掛ける。

授業以外のスポーツはほとんどやった事の無い市井にとって、
そんなストレスは知っている筈がない。
ストレスとともに疲労も溜まり、全身がだるくなってきた。
そのため顔を上げられず、視界には真下のアスファルトしか見えない。

――私…なんでこんな事やってんだろ?

自転車を漕ぐだけの単純な作業で、余計なことを考えてしまう。

――自分だけでやってみたかったのに…

気をしっかり持とうと前を見るが、陽炎で歪んだまっすぐな道路しか見えず、
余計に気が滅入ってくる。

――やっぱり…私一人じゃなんにも出来ないのかな?
169 名前:8・あの日の汗 投稿日:2002年08月17日(土)17時27分55秒
「ほら、ガンバ!!ガンバ!!」

意識が朦朧としている中、一人の女性が声を掛ける。
市井がその女性の方を見ると、自分と同じように自転車で隣を走っていた。
“RAVANELLO”に乗った女性は、サングラスで表情は伺えなかったが、
明らかに自分を応援していることが分かった。

「背筋伸ばして、ちゃんと前見て走らなアカンて。疲れるだけやで!」

隣の女性が市井の腰を2回叩いた。
たったそれだけのことだったが、市井の気力を取り戻すには十分だった。
最初よりはペースは落ちているが、意識ははっきりしていた。

自分を応援してくれた女性の姿はもう見えなくなってしまったが、
市井はそれ以来、一度も下を見ずに峠道を登りつづけた。
170 名前:8・あの日の汗 投稿日:2002年08月17日(土)17時28分59秒
前も、後ろも、下り坂しかない場所。
山のない、地球の端っこが見える場所。
太陽が、最も近くに見える場所。

市井は秋待峠を登り切った。

ふらふらになりながら、自転車を引きずって展望台まで歩いて行くと、
薄く霞のかかった自分の住んでいる町が見えた。
それを見て、自分の走った距離を実感した瞬間、
市井はその場にぺたん、と座り込んでしまった。

筋肉痛と汗と疲労を引き換えにしてもなお譲れない“達成感”
しかし、市井の中では、そんなありきたりな言葉では表現しきれない
身体の芯から沸いてくる何か。

「…った…やった…ぃやっっったーーーーーー!!!」

いつも自分一人で何かやってみたかった。
病弱で親に迷惑ばかり掛けていた自分の身体がイヤだった。
その病弱だった女の子が、誰の力も借りずにこの坂を登り切った。

そんな自分の身体にとって、一番の敵である
自分自身の意思に勝った瞬間だった。
171 名前:8・あの日の汗 投稿日:2002年08月17日(土)17時29分32秒
そんな一人だけの悦楽の世界に入っていた市井の顔に冷たさが走る。
坂の途中で、市井を励ましてくれた女性が2本スポーツドリンクを持って、
1本を市井の頬に当ててきた。

「お疲れさん。よぉがんばったな…」
「あ、さっきの…」
市井が女性の顔を見上げる。

「水分はまめに摂っとかなあかんで。」
「あ、すいません…」
そう言いながら、スポーツドリンクを受け取ると、
身体が水分を欲しがっていたのか、市井は一気に中身を空にした。
172 名前:8・あの日の汗 投稿日:2002年08月17日(土)17時30分14秒
――この子、初心者なんかな?

市井の装備や服装などを見て、その女性は考えていた。
「…どっから来たん?」
「えっ、あ…狢沢市、ですけど…」
「地元やったんか?…どこまで行くん?」
「いえ、特に決めてないんで…
どっかで一泊していこうかな、って思ってるんですけど…」
「初めてか?」
「はい…?」
「…今日は、帰った方がええな。」
「え?」
「今の自分の体力やったら無理やで。」
「で、でも…」
「この程度の距離でバテてるっつー事は、その程度の体力しかないっつー事や…
自転車のツーリングはそんな甘いモンちゃうで。」
「……」
その女性の言っている事に、何も言い返せなかった。
確かに何も考えずにいきなり行動してしまう事は、あまりにも無鉄砲過ぎる。

現実を突きつけられ、項垂れている市井を見て、その女性は改めて声を掛けた。
「本気でやりたいんやったら[平家自転車店]行ってみ。
あそこのおっちゃんやったらツーリングの事詳しいから、
そこでよう勉強しといたらええわ。
ウチの名前やねんけど、中澤って言うたら、あそこも分かってくれるで。」
173 名前:8・あの日の汗 投稿日:2002年08月17日(土)17時30分45秒
その日以来、休みの日には、必ず自転車で秋待峠へ向かうようになった。
ライディングや、ちょっとしたテクニックも、解らない事があると
[平家自転車店]へ何度も通いつめた。

おかげで、地図を見ただけで坂の勾配や距離感がわかる様になり、
だいたいの自分のペース配分なども把握できるようになった。
そんな積み重ねもあってか、夏休みに行った初めてのツーリングは
予定通りに走る事が出来た。

それから何度もツーリングをこなし、親に買ってもらった自転車も
1年半で乗り潰してしまい、ついに2台目の本格的なランドナー
(長期旅行用の自転車)で北海道一周を自転車で、しかも一人で走ってきた。
174 名前:8・あの日の汗 投稿日:2002年08月17日(土)17時31分40秒
もっと遠くへ…

自転車で世界が広がったはずの市井はその欲望をさらに深めた。
そんな市井は、もっと距離を稼げるようにと、
エンジンのついた二輪車へと興味を持ち始める。

就職が内定したその日、市井はバイクの免許を取るために教習所に通い、
高校卒業までにはバイクを購入していた。

――自転車もバイクもツーリングには変わりないでしょ?

軽い気持ちで考えていたが、バイクで初めてツーリングに出かけた市井は、
その速さに少なからずショックを受けた。

今まで自転車で丸一日かけて走っていた距離が、
バイクでは、ほんの数時間で着く。
自転車では一泊二日のツーリングも、
バイクにとっては日帰りの“お出かけ”に過ぎないのだ。
175 名前:8・あの日の汗 投稿日:2002年08月17日(土)17時32分18秒
市井にとって遠くへ行きたい、というそんな枯渇した欲求を満たすには、
バイクは十分過ぎる存在だった。

市井はすぐに自転車を手放し、バイクツーリングの方にのめり込んでいった。
176 名前:8・あの日の汗 投稿日:2002年08月17日(土)17時33分00秒
市井は襟裳岬を後にし、3日かけて釧路、根室、網走を経由して、
北見から旭川へ向かった。
留辺蕊(るべしべ)から長い蛇行した道、石北峠にさしかかる。
3年前も自転車で来たことがある峠だ。

――こんなものだったかなぁ?

市井が石北峠の頂上に到着すると、若干の物足りなさを感じながら、
峠の展望台でバイクを止めた。
自転車でここに着いた時は、呼吸するのも辛くて、
景色を見る余裕も無かったのに…

北海道に来てからの市井は、自転車で来た時の事しか考えていない。

――何が違うのかな?
177 名前:8・あの日の汗 投稿日:2002年08月17日(土)17時33分51秒
そんなことを考えながら、雪の残る大雪山をぼんやりと見ていると、
展望台に自転車の旅行者が来た。
その旅行者は着いていきなり、その場に座りこんでしまった。
大きなバックパックを背負いながら、Tシャツ一枚で大量の汗をかいている。

市井は改めて自分の姿を見た。
自分はここへ来るまで、確かにそれなりの汗はかいているが、
この旅行者のような汗ではない。
それに今の自分についている臭いは、
むしろ汗よりもバイクの排気ガスのほうが強い。

「北海道、初めてですか?」
市井はその旅行者に話しかけた。
明るく答えたその人は、まだ息が整っていないようだが、
その表情はとても明るく、まだまだ元気な様子だった。
「私もランドナーで来たことあるんですよ。」

その旅行者は市井と何分か話をした後、北見方面へ走って行った。
178 名前:8・あの日の汗 投稿日:2002年08月17日(土)17時34分21秒
「石北峠は留辺蕊から登った方が面白いんだけどなぁ…」
旅行者が石北峠を下る姿を見ながら、市井が思わずこぼした言葉。

――え?

市井は独り言を言った後、自分に聞き返した。

面白いって…どういう事?
バイクは面白くないって事?
自転車の方が面白いって事?

確かに傾斜角度や距離を考えると、北見からの登った方が辛いのは分かる。
あの日、この峠を登り切った時よりも強い感動は今まで無かった。
市井は長旅でくたびれているであろう自分の“SR”を見た。

――でも…

市井が自問自答している中、
すでに5本の煙草を吸うほどの時間を費やしていた。
179 名前:8・あの日の汗 投稿日:2002年08月17日(土)17時34分54秒
市井は旭川から札幌へ向かい、そのまま積丹、函館と走り、
大間から自宅へと戻って来たが、石北峠での自問自答はまだ解決していない。
市井の頭の中はそれだけで一杯になり、旅の後半は“ツーリング”ではなく、
ただ“通っただけ”に過ぎなかった。

自宅に戻った市井は、旅行の道具を片付けながら今回の旅行を振り返っていた。
結局、今回の旅は、前回の自転車旅行との比較としか言えなかった。

――なんか…面白くなかったな…

汗だくになり、なんでも自分の力で何とか走ってきた前回。
バイクに任せて距離を稼ぎ、前回よりもさまざまな所を見てきた今回。

一般の人から言わせれば、どちらもそれなりに楽しいと言うだろう。

しかし…

――私の場合はどうなんだろう?
180 名前:8・あの日の汗 投稿日:2002年08月17日(土)17時35分32秒
――裕ちゃん、まだあの峠走ってるのかなぁ?

ふと、市井の頭の中に、[平家自転車店]の人達が浮かび上がった。

先代が引退して、店が[Common House]に変わってからも、
何度か店には足を運んでいるため、二代目のことも知ってはいるが、
市井が自転車を売りに出してからは一度も顔を出していない。

翌日、市井は[Common House]の前で、バイクを止めた。
旅行中に思い出した、中澤や平家に会いたかったこともあったが、
ここに来れば何か答えが見つかるかもしれない。そんな思いの方が強かった。
181 名前:8・あの日の汗 投稿日:2002年08月17日(土)17時36分06秒
もうすでに店は閉まっている。
市井がバイクから降りて裏口の方へ回ると、飲んべの主人を待っている
“RAVANELLO”が目に入った。

「裕ちゃん、まだこの自転車乗ってたんだぁ…」
市井はうれしくなって“常連の間”のドアを開けると、
ほんのちょっとの隙間から平家の叫び声が飛んできた。

「せやから、刺身のつまをばら撒くのやめぇ、言うとるやろ!!」
「だってキレイやん?…あ、頭に付いてしもたな…なんや、これ白髪やん?
…みっちゃん、苦労してんねんなぁ…」
「おかげさんで…ってほっとけ!!」

――二人とも変わってないなぁ…
182 名前:8・あの日の汗 投稿日:2002年08月17日(土)17時36分39秒
「こんばんはぁ〜」
「ん?…おぉ〜!!? 紗耶香やんかぁ…久しぶりやなぁ〜どないしたん?」
「昨日、北海道から帰って来て…それで、おみやげ持って来たんですよ。」
「え、ホンマ?わざわざありがとうな。
ほな、これはウチがお持ち帰り、っつー事で…」
「ちょぉ待て、なんで裕ちゃんが貰うねん?
ここに来たっつー事は、普通ウチが貰うってことやろ?」
「ええやん。みっちゃん一人暮しなんやし…」
「裕ちゃんも一人暮しやん!?」
「…みっちゃんもな、そないな細かい事気にするから白髪生えんねんで?」
「そっかぁ…って、それとこれとなんの関係があんねん!!」

中澤と平家には意識はしていないのだが、市井も二人の話を聞いていると、
なぜかこの店特有の暖かい空気に包まれるような気がして、
妙に嬉しくなってくる。
183 名前:8・あの日の汗 投稿日:2002年08月17日(土)17時37分16秒
「…で、北海道はどないやった?」
中澤は話が途切れたための軽い会話として聞いたつもりだった。
しかし市井はその言葉に対し、真剣な表情を浮かべ、軽く視線を落とした。

「…なんか…この前の旅行とは違ってた…」
そんな期待外れの言葉に、今度は平家が聞き返す。
「なんか…違っとったん?」
「うーん…快適な旅行、って言う意味では確かに良かったんだけど…
なんて言うのかな…“走ってきたんだ!”って実感がないんだよね…」

「2回目だったからちゃうかぁ?」
中澤は軽く流したが、平家は黙って市井の言葉を聞いていた。
そして何かを理解していて、市井が次にどんな言葉を言ってくるのか、
大体の見当がついていた。
184 名前:8・あの日の汗 投稿日:2002年08月17日(土)17時37分50秒
「みっちゃん、どんなのでもいいからさぁ…ランドナー、無いかな?」
平家にとっては思った通りの言葉だったが、
市井は自分でも考えていなかったことが口から出てきた。
もしかしたら、自分でも気が付いていない自分の本音だったのかもしれない。

「………」
平家はうつむき、答えを探しているように、何かを考えていた。

「ランドナーは今人気無いからなぁ…いくらここでもすぐには無理ちゃうか?」
中澤は否定的な言葉を発したが、平家は何かを思い出した様な顔をして答える。

「中古ならあるで……紗耶香は身長とか、体形変わっとるん?」
「うーん…多分、変わってないと思うけど…本当にあるの?」
その言葉を聞いて、平家は足早に2階へ登って行った。
185 名前:8・あの日の汗 投稿日:2002年08月17日(土)17時38分22秒
「やっぱ埃、被っとたわぁ〜」
2階から大きなバックを持ってきた平家は、中澤と市井にそんな独り言を残し、
そのまま外へ出て、バックの埃を落とした。

「紗耶香…この輪行袋、見覚えないか?」
バックの埃を落として来た平家が、入ってくるなり市井に質問した。
もちろん肯定的な答えが返ってくる確信があっての質問だった。
186 名前:8・あの日の汗 投稿日:2002年08月17日(土)17時38分57秒
「?…あああぁぁーーーーー!!!」
市井のぼんやりとした記憶が少しづつ鮮明になり、明確な形になったその瞬間、
大声で叫んだ。
もちろん、そのバッグの中に何が入っているのかも判った。

「やっぱ覚えとったか?大事なパートナーやったもんなぁ…」
しみじみとした声で独り言を呟きながら、平家がバッグのジッパーを開く。
中には、以前市井が乗っていた[平家自転車店]オリジナルのランドナーが、
小さくなって眠っていた。

「紗耶香がこのランドナー売りに出した事、お父ちゃんに言うたら
“紗耶香は必ず取り戻しに来るから、オーバーホールして倉庫にしまっとけ”
言われてなぁ…」
187 名前:8・あの日の汗 投稿日:2002年08月17日(土)17時39分32秒
「あの時のままだぁ…」
市井がかつてのパートナーに触れる。久し振りに手の平に広がる冷たい感触。

しかしバイクとは違う、昔から知っている、
とても柔らかくて懐かしい冷たさだった。
ダウンチューブに貼られた“平家”のステッカーがひび割れを起こし、
市井とこの自転車が離れていた時間を物語っていた。

自分から捨てたはずなのに…
もういらないって思ってたのに…

ちゃんと待っててくれてたんだね…

両手で顔を抑え、無意識のうちによろよろと自転車の前に蹲る。

「…で、浸っとる時に悪いんやけど…どないする?」
平家の愚問と言うべき言葉に、
市井はあふれる涙を拭いながら、ただ何度も頷いていた。
188 名前:8・あの日の汗 投稿日:2002年08月17日(土)17時40分03秒
「おらっ、後藤!置いてくで!!」
中澤がペースの落ちた後藤に向かって叫んだ。

後藤の提案で、中澤と吉澤と市井と後藤の四人は、
安倍が参加する大会を見に行く途中だった。

始めは元気に走っていた後藤も、やはりキャリアの違いからか、
途中の上り坂で他の三人に遅れていた。

最初は後藤を気にして並んで走っていた吉澤も、後藤の疲労を感じ取り、
中澤の方へ向かって行った。

「…やっぱり休憩しませんか?」
三人から遅れてきた後藤が気になり、吉澤が声を掛ける。

「それはアカン。後藤のためにもならんて…」
それを聞いて、市井が思い出し笑いを浮かべながらペースを落とした。
189 名前:8・あの日の汗 投稿日:2002年08月17日(土)17時40分35秒
市井が後藤の横に並び、顔を覗きこむ。

目の視点が定まらず、意識が朦朧としていて、
体力よりも精神的に参っている様子が市井の目にも明らかだった。

――あの時の裕ちゃんは、この様に私を見てたんだなぁ…

「顔を上げて!」
市井が後藤に声を掛ける。

「…え?」
後藤が市井の顔ではなく、声が聞こえた方向を見る。
「背筋伸ばして、ちゃんと前見て走らないと疲れるだけだよ。」
市井はそう言いながら後藤の腰を2回叩いた。
以前、中澤が市井にしてあげた事だった。

次の瞬間、後藤の意識がはっきりして、目つきも変わり、
しっかりと前を見るようになった。

――もう大丈夫だね…

それを見た市井は再びペースを上げ、中澤の方へ向かった。
190 名前:8・あの日の汗 投稿日:2002年08月17日(土)17時41分40秒
「何、話しとったん?」
後藤を心配している事を隠すような、ぶっきらぼうな中澤の言葉に、
市井ははぐらかす様に含み笑いを浮かべる。

「…裕ちゃん、初めて私と会った時のこと、覚えてる?」
市井が中澤の腰を2回叩いた。

「元気が出るおまじない…あの子にもやっておいたからね。」
「…まだ覚えとったんか?」
中澤が照れくさそうに笑みをこぼす。

「あの子はもう大丈夫。一人でも、必ず登ってくるよ。」
そう言いながら、市井はレース会場の山へ顔を向けていた。

――あの娘も頂上に着いたら、私と同じように絶叫するのかな?

市井はぼんやりと昔の自分を思い出しながら、後藤と自分の姿をだぶらせていた。
191 名前:原稿打ち合わせ室 投稿日:2002年08月17日(土)17時43分24秒
平家「何や、今日のみっちゃん、なにげにカッコええやん。」
  …そうですかぁ?
平家「あんまモノを言わへん、キャリア系のクールな役、って感じちゃう?」
  そう…かなぁ…
平家「やっと、この小説もウチの露出が多くなって来たなぁ…」
  ……………
平家「せやから何で目ぇ逸らすん?」
192 名前:Strong Four 投稿日:2002年08月17日(土)17時51分29秒
というわけで、第8話更新しました。

個人的には一番好きな話です。
友人にランドナーを持っているヤツがいて、
峠を越える快感が忘れられないといっていたのを思い出して、
こんな話が出来上がりました。

一時期北海道に住んでいたことがあって、車でツーリングをしている人を
見かけましたが、ママチャリで、ツーリングしている人を見かけて
(しかも、そこは稚内と猿払?の間の国道)思わず応援したくなりました。

次回更新は、やっと矢口の自転車が出来上がります。
もう少々お待ちください。
193 名前:名無し娘。 投稿日:2002年08月18日(日)00時55分17秒
自転車のツーリングと単車のそれとは楽しむポイントが違うから、
紗耶香の求めていたものと違うのは仕方が無いですよね。

メンバーも増えて賑やかになったし新展開でもあるのでしょうか?
それもまた良しっす♪
194 名前:163 投稿日:2002年08月18日(日)03時06分59秒
お待ちしてました(w
今回みんなかっこいいですね。なんかいいです。
そして次回はとうとう矢口の自転車が…楽しみにしてます。

一つだけ気になった事が。
「沙耶香」ではなく「紗耶香」です。細かい所ですみませんが…
195 名前:Strong Four 投稿日:2002年08月25日(日)16時32分08秒
>>193
急展開なら(このままの更新ペースなら来月中旬あたりに)ありますが、
完結しているので、話の追加は時間的に難しいと思い…
加護「ちょぉ、待たんかい!!」
辻「まつのれす!」
加護「時間がないってどういうこっちゃねんっ!!」
辻「ののとあいぼんのはなしは、ろーしたんれすか?」
  あぁ、あれはお蔵入り。
辻・加護「え”え”ーーーーーーー!!!??」
  ごめんねぇ…お菓子あげるから、むこういっててね。
辻・加護「わーい!!おかしだおかしだ!!」
  ……さて、今回の更新は…
加護「…って、食いモンで話誤魔化すなっちゅーねんっ!!!」
  ……(ったく、このガキは…)
加護「そないなグダグダ仕事なんかやらんと、ウチらの話書かんかいっ!!」
  …加護ちゃんの喋り方って、中澤さんに似てきたね。
加護「…………………」

辻「あいぼん、つうこんのいちげきれすね。」
平家「っつーか、あれはとどめの一撃やで…」
196 名前:9・ONE&ONLY 投稿日:2002年08月25日(日)16時33分24秒
「みっちゃぁ〜ん!!早よ飲もぉや〜」
「…まだ仕事あんねん。」
「どおせ、ろくな仕事してへんねやろ?」
「うっさい!!」

今日も“常連の間”で中澤がくつろいでいた。
秋待峠へトレーニングに行った帰り、
平家と晩酌を交わすためにソファで閉店時間までまっている。

――ったく…ここを何処やと思っとんねん…

そんな悪態を飲みこみながら、平家は作業場で、
フレームの再塗装をするための、市井のランドナーを分解していた。
197 名前:9・ONE&ONLY 投稿日:2002年08月25日(日)16時34分11秒
「こんばんは…」
先日、オーダーの自転車を相談していた女性、矢口が店にやってきた。
3回目とはいっても、まだビク付いた感のある低いトーンの声だった。

「あ、いらっしゃいませ。」
「あの…この前の…」
「オーダーの件ですか?…じゃあ…とりあえず、奥に入って下さい。」

矢口を“常連の間”へ招き入れると、そこでは中澤が雑誌を読みながら、
柿の種のピーナッツだけを摘んでいた。

「裕ちゃん、お客さん来たから、ちょぉ席外してくれへん?」
「ん、お客さん?…せやったら、時間も時間やし、店ン中片しとこか?」
“勝手知ったる…”というやつで、長年この店に出入りしている中澤は、
閉店の片付けはだいたい把握している。
それ以上に、客のプライベートな話に立ち入る程、中澤も図々しくはない。

「あ、裕ちゃん、シャッターは閉めんといてな。まだクセ直ってないねん。」
中澤は背中を向けていたが、返事の代わりに軽く手を上げた。
198 名前:9・ONE&ONLY 投稿日:2002年08月25日(日)16時34分44秒
「まずは、金額的な問題ですが…」
「…はい。」
平家が準備していた各パーツの価格が書かれた数枚の見積書と、
自転車のデザインを、矢口の前に差し出した。

「…この前も電話で言いましたが、フレームだけでしたら5万円なんですが…
矢口さんの体形に合わせて、ホイールは20インチの小さいサイズにしました。
そのホイールに合うフロントフォークは、こちらの自作になりますから、
それで10万円になります。」
「……10万…ですか?」
その金額を聞いて、矢口は言葉を詰まらせた。

矢口に限らず、小市民がそう簡単に右から左へと動かせる金額ではない。
ましてや、自転車は彼女にとっては必要なものではなく、
趣味のレベルの物だからなおさらの事だ。
しかも、それは、フレームとホイールとフロントフォークだけの金額である。
199 名前:9・ONE&ONLY 投稿日:2002年08月25日(日)16時35分17秒
「他のパーツは…アマチュアレーサークラスの新品を使うとなると…
合計で18万円と消費税、になりますねぇ…」
「…はぁ。」
「ウチにも中古のパーツなんかも在りますから、
それを使うと…15万円位には押さえられると思いますが…」
「………」
「…難しいですか?」
「………」
200 名前:9・ONE&ONLY 投稿日:2002年08月25日(日)16時37分08秒
暫くの沈黙の後、反応を待っている平家に矢口が小さく口を開いた。
「……実は…昨日、勤めている会社が倒産するって話になって…」
「………突然の事ですね…」
突然の矢口の言葉に、平家もそれ以上の言葉が見つからない。

「一応、見積り出してくれたんで…話を聞くだけでも、って思ったんですけど…」
「こんなご時世やからなぁ…
10万以上もする自転車買う、いうのは贅沢やもんなぁ…」
平家の溜息とともに、再び二人の間に重苦しい沈黙が流れる。

その沈黙を破る様に、店の方から中澤の声が響いてきた。
「みっちゃ〜ん!紗耶香の自転車、どないするんやー!?」
「あー、そこはウチが片すから、なんもせんといてええよー!」
「せやかて…外に出しとるヤツ、全部入らへんでぇー」
「裕ちゃん、その辺でもうええからー!」
「はいよ〜ほな、ほっとくでぇー」
と言ったものの、中澤は閉店の片付けをほとんど終わらせていた。
201 名前:9・ONE&ONLY 投稿日:2002年08月25日(日)16時37分56秒
「…この前のなっちの事もあるんやから、バイト雇ったらええのに…」
中澤は何気ない独り言を呟きながら、
自分の荷物を取りに“常連の間”に入ってきた。

その言葉に平家も殆ど条件反射のように返事をする。
「ウチも一応、張り紙しとるんやけどなぁ…って裕ちゃん、今なに言うた?」
「え?…いや、バイト…雇ったら…って…」
「それや!!」
「え?え?…どないしたん?」
思わず大声を張り上げた平家に、中澤は訳がわからず、
ただそこにつっ立っている。
202 名前:9・ONE&ONLY 投稿日:2002年08月25日(日)16時38分57秒
「矢口さん、ココで働かへん?」
「…は?」
矢口も平家の突然の一言に、内容を把握できない様子だ。

「せやから、ココでバイトして、お金が貯まったらこの自転車、
買うたらええやん?」
「え…いや…でも…」
「次の仕事は決まっとるん?」
「いえ…」
「せやったら、ハローワーク行きながらでもええやん?」
「…はぁ…」
「ほな、決まりな。明日、履歴書持ってきてな。」
「えぇ!?」
「そうと決まったら、前祝やな。とりあえず飲もか。ほら、裕ちゃんも準備して。」

矢口が唖然としている中、平家と中澤はビールやつまみの準備を揃え、
すでにビールが注がれたグラスを持っていた。

こういう時はなぜか二人の行動は早く、手際が良すぎる。
203 名前:9・ONE&ONLY 投稿日:2002年08月25日(日)16時39分54秒
「ほな、矢口真理さんの[Common House]就職を祝って、
カンパ〜イ!」
「カンパ〜イ!」
「……」
矢口はまだ状況を把握しきれていない。

「ほら、グラス持って。」
「カンパ〜イ!」
「カンパ〜イ!」
「…かんぱぁ…ぃ…」
204 名前:9・ONE&ONLY 投稿日:2002年08月25日(日)16時40分32秒
――なんなんだ?この人たちは…

何日か前に[Common House]のウインドーを覗いていたら、
無理矢理店に引きずり込まれて、
こんな華奢な身体をした女の人が“自転車を造れる”なんて言って、
その自転車に18万もの見積りを出して、
挙句にここでバイトしろ…って?

普通の人間なら、その場ですぐに断っているだろう。
しかし、この店と矢口の目の前にいる二人の雰囲気は、
人を惹きつけて離さない引力のようなものがあった。

――うーん…でも…ま、いっか?

とりあえず、本人の意思とは無関係に、
[Common House]アルバイト誕生となった。
205 名前:9・ONE&ONLY 投稿日:2002年08月25日(日)16時41分10秒
1時間後

「キャハハハハー!!」
「矢口ぃ、自分、ええ娘やなぁ〜ごっつ気に入ったでぇ〜」
3人が飲み始めてから、中澤と矢口はすっかり酔いが回っていた。

「でしょ?でしょ?…それなのにさぁ、会社潰れちゃうんだよぉ…
なんでなんだろうねぇ………あっ、平家さん飲んでないなぁ?
もっと飲まなきゃだめだよぉ〜」
「…ハイハイ。」
平家も二人の勢いにすっかり押され、いつも以上の量の酒を飲んでいるが、
なかなか酔いが回らない。

――この娘、裕ちゃんよりすごいかもしれへんな。
206 名前:9・ONE&ONLY 投稿日:2002年08月25日(日)16時42分11秒
2時間後

「裕子ぉ〜!飲めよぉ〜!!」

――目ぇ座っとるし…

「みちよもぜんぜん進んでねぇじゃんかよぉ〜!!」

――喋り方も変っとるし…

「…そういや…店、片しとかんと…」
「逃げるんじゃぁねぇよ!!」
「は、はい…」
店の常連には酒乱と言われている中澤も、アルコールの入りすぎた矢口には、
手に余る状態で、いつもの平家のように、目の前の酔っ払いに振り回されていた。

「な、なぁ矢口…そろそろ…」
「これからじゃねぇかよぉ〜!?二人とも飲めよぉ〜!!……大体……うっ…」
大声を出して騒いでいた矢口の身体が硬直し、苦しそうな真剣な顔になる。
「だあぁっ!…矢口っ、ちょぉ待てっ!!吐くなっ!!」
「嘘だよぉ〜ん♪」

――こいつは…
207 名前:9・ONE&ONLY 投稿日:2002年08月25日(日)16時42分57秒
「なにシケた顔してぶつぶつ言ってんだよぉ〜!?
…………あっ、矢口の事クビになったプーだと思ってバカにしてんなぁ〜!!」

――誰も言うてへんて…

「……………………………いいもん…いいもん…………矢口だってさぁ…
一生懸命がんばってるのにさぁ………エグッ…それなのに…エグッ…エグッ…」

――今度は泣きかい?

――泣きたいんはこっちの方や…
208 名前:9・ONE&ONLY 投稿日:2002年08月25日(日)16時44分02秒
(…完全にトラになっとるで。)
(裕ちゃん、相手してやりぃな。)
(酔っ払いの扱いは、みっちゃんの方が上手いやん?)
(…せやけど…アカン、ウチ吐きそうや。)
(ウチも…)
209 名前:9・ONE&ONLY 投稿日:2002年08月25日(日)16時45分24秒
みなさんすいません。
>>208
>>206>>207の間に入れて読んでください。
210 名前:9・ONE&ONLY 投稿日:2002年08月25日(日)16時46分07秒
「…みっちゃん、これから大変やな?」
「…裕ちゃんもな。」
「何で?」
「ここで、あんだけの酒飲めるんは、裕ちゃんしかおらへんやん?」
「…せやな。」
矢口が一人で愚痴をこぼしている中、
二人は別な意味で、これからの事に不安を募らせていた。
211 名前:9・ONE&ONLY 投稿日:2002年08月25日(日)16時46分56秒
1ヶ月後

吉澤が交差点で信号待ちをしていると、一台の自転車が吉澤の隣に止まった。
BMXのような平たい前三角のフレームに、小さいタイヤと
ブルホーンハンドルを装着した、鮮やかなピンク色を纏った自転車だった。

――ミニベロ?

よく見ると、その自転車のダウンチューブには、
“House”のステッカーが貼られている。

――平家さんトコの自転車だ…

吉澤はその乗り手の顔を見たが、見覚えのない小さな女のコだった。

「…やんない?」
吉澤の顔を見ながら、彼女が信号機を指さす。
212 名前:9・ONE&ONLY 投稿日:2002年08月25日(日)16時47分32秒
――シグナルグランプリ?

吉澤が無言で頷く。
瞬発力勝負なら、タイヤ径の小さい方が有利だが、
自分もメッセンジャーとしてのプライドと自信がある。

カチャッ、と靴をペダルにはめ込んだ。
カチャッ!

――え?

吉澤が靴をはめた時のものとは違う音が聞こえて、反射的に彼女の足元を見る。
彼女もビンディングシューズだった。

――本気みたいだね。
213 名前:9・ONE&ONLY 投稿日:2002年08月25日(日)16時48分17秒
グリーンシグナル

ペダルを踏み出したのはほぼ同時だったが、タイヤが小さいだけあって、
漕ぎ出しの加速はやはりミニベロの方に分がある。
最初の一漕ぎだけで自転車半分の差がついた。

――さすがミニベロ…だけど…

吉澤も少しづつスピードに乗り、加速を続けるが、
前にいる自転車との差は縮まらない。

――え?

シフトアップをして更に加速するが、それでも差は開く一方だ。
214 名前:9・ONE&ONLY 投稿日:2002年08月25日(日)16時48分49秒
「もう一回!」
先に信号待ちをしていた女性に吉澤が声を掛ける。

「もう一回!!」

「もう一回!!!」

『よっしー、今どこだぁ〜?』
吉澤の胸に取り付けている無線機が叫んだ。
事務所のディスパッチャーからの連絡だった。
「今それどころじゃないんですっ!!」
『…………』
215 名前:9・ONE&ONLY 投稿日:2002年08月25日(日)16時49分36秒
「…はぁっ……はぁっ…はぁっ……」
吉澤は完全に息が上がっていた。
毎日100km以上も走っているメッセンジャーが、小さい女の娘を前にして、
肩で息をしながらハンドルに肘をついて、顔を上げる事も出来ない。
結局、シグナルグランプリは吉澤の5戦全敗。
完敗だった。

「楽しかったよぉ〜じゃぁねぇ〜♪」
吉澤に軽い言葉を投げかけ、その場を去って行った。

――なんなんだ、あの娘は?

その後、メッセンジャーの間で、ある合言葉が生まれた。

[“House”のミニベロにはケンカを売られても絶対に買うな!]
216 名前:原稿打ち合わせ室 投稿日:2002年08月25日(日)16時51分37秒
平家「なぁ、APBモールトンのホイール履いとる自転車が、
何でトライアスロンバイクより速いねん?」
  いや…瞬発力ならあまり変わらないかと思って…
平家「アラヤにも20インチリムあるし、HEDのディープリムかてあるやろ?」
  そんなの履かせたら、20万で収まらないですよ。
平家「自転車かて、パナあたりに子供用のロードバイクあるんやで。」
  いくらなんでも子供用は…
平家「ええやん…どうせ乗る人間かてコドモなんやし…」
中澤「いや。脱ぐとけっこうごっついで。」
平家「そうなん?…って、裕ちゃん、矢口と何やったん!?」
217 名前:Strong Four 投稿日:2002年08月25日(日)16時53分08秒
というわけで、第9話更新しました。
192で、“矢口の自転車が出来上がる”と書きましたが、忘れてました。
矢口本人も出来上がっちゃってましたね。(w

>>194
>>165ですよね。
“さやか”って書き込んで、変換すると“沙耶か”ってなるんで、
“さ”と“や”と“か”を一つづつ変換したのを覚えてるので、
見逃した物の一つと思います。
単なるケアレスミスです。すいません。(恥)
(他の作者さんは“さやか”→“紗耶香”となるように登録してるのかな?)

それから、“みんなかっこいい”とレスされていましたが、
一人だけ、かっこよくないのがいましたよね。
次回はその子がもう1ランク成長するための話です。

次回更新は…上司が事務所から1時間以上離れたら出来ると思います。
218 名前:名無し読者 投稿日:2002年08月25日(日)22時00分20秒
やぐっつぁんカッケー!酒乱も含め(w
やぐっつぁんもこれからみんなと行動していくのかな?

はやく上司が事務所から離れる事を祈ってます(w
219 名前:Strong Four 投稿日:2002年08月29日(木)15時37分04秒
>>218
レスありがとうございます。
(↑前回、何か物足りないと思ったら、これを書かなかったんだよね。)
他の作者さんの小説は矢口=中澤といったイメージがあるようですが、
私の中では“オヤジギャル矢口”のイメージなんですよね。
今回も、かなり古い話を知っている人間に設定しました。
“これからも一緒に行動?”とのことですが、それどころか、
この話は矢口がいないと、完結しません。
(しかも、最終回前の話は、だいぶ前に公言した“みちやぐ”ネタです。)

やっと上司が、取引先との打ち合わせっつーことで、
外に出ました。(しかも直帰♪)
・・・って何で、取引先にゴルフバッグを持っていく?
220 名前:10・あの人に近付く為に… 投稿日:2002年08月29日(木)15時38分25秒
もうじき梅雨に入るであろう、6月の蒸し暑い日、
汗だくになっている女性と、1台のMTBが秋待峠を登っていた。

キュロットスカートに、白のポロシャツ。
ヘルメットもアイウェアも装着していない。
スポーツとしての自転車をかじった事のある人間から見れば、
明らかに自転車乗りとしては不釣合いの格好だった。

――追いつかなきゃ…
221 名前:10・あの人に近付く為に… 投稿日:2002年08月29日(木)15時39分17秒
後藤は、中澤と吉澤と市井とで行った峠道を思い出していた。
現役でロードバイクに乗っている中澤や吉澤には叶わないとしても、
3年近くブランクのあった市井にも遅れている。
自分は明らかに3人とは基本的な体力が違っていたのだ。

しかも、次の日は筋肉痛で、殆ど動けない状態だった自分に対し、
中澤は早朝からこの峠を登ったという。
特に自分にはそれなりに体力があったと思い、自転車を甘く見ていた後藤は、
正直、恥かしくなった。

それ以来、自転車をスポーツとして本格的に考えるようになったが、
実行に移したとしても、成果がすぐに表れるほど自転車は甘いものではない。


顔を下げる度に、目に入る“Powered by M.Goto”
のステッカー。
その文字を見る度、“SUNN”に申し訳なく思う。

――こんなお母さんでゴメンね。情けないよね。

そんな事を思ったところで、さらに自分を追い込むだけだった。
それでも、ペダルを踏む事しかない動作は、ますます余計な事を考えてしまう。
222 名前:10・あの人に近付く為に… 投稿日:2002年08月29日(木)15時39分49秒
この峠を登り始めてから、何台かのロードバイクが自分を追い越して行った。
その度に、“がんばれ!!”と声が掛かる。
しかし、後藤に返事をするほど余裕はない。

――だから登ってんだよっ!!

それ以上に、精神的に卑屈になっている後藤は、
その声を野郎どもの冷やかしとしてしか聞こえなくなっている。
223 名前:10・あの人に近付く為に… 投稿日:2002年08月29日(木)15時40分23秒
「がんばれ!!」

また同じ言葉が後藤に降りかかる。
しかしその声は今までとは違う、少し甲高い可愛らしい女性の声だった。

思わずその声のほうを見る。
自転車好きなら誰でもわかる、鮮やかなチェレステ(青空)ブルーのフレーム。
そして、そのフレームから浮き出ている“Bianchi”の文字。
それに乗っている人間は、ヘルメットとアイウェアを装着していて、
よく判らなかったが、明らかに女性の顔立ちだった。

「もうちょっとで峠の頂上だからね。」
その声に運動をしている息遣いはなく、子供に諭すような口調で、
後藤に言いながら自転車を蹴り出して行く。
その後ろ姿は、肩幅も腰周りも後藤より細い身体をしていて、
とてもスポーツをしている体格とは思えなかった。

――何であんな娘が?

しかし、素人の後藤から見ても判るスムーズな動きや、
無駄な力を入れていないライディングが彼女の速さを物語っていた。
224 名前:10・あの人に近付く為に… 投稿日:2002年08月29日(木)15時41分02秒
後藤が峠の展望台に到着した。
サイクルコンピューターで測っていたタイムをみる。

―1時間02分36秒―

“秋待峠の自己ベストは35分やったな。いつもは42・3分やけど…”

――このタイム差はなんなの?

中澤の言葉は本当の事なのだろうか?と疑いたくなるほどのタイム差だった。
225 名前:10・あの人に近付く為に… 投稿日:2002年08月29日(木)15時41分37秒
会社が終わり、いつものように[Common House]へ向かった後藤だが、
なんとなく、ペダルを踏む足取りが重い。

――私って、つくづく体力ないよなぁ…

秋待峠へ行った時の自分のタイムを思い出して、そのたびに気が重くなる。

「ただいまぁ〜」
「おっ、お疲れぇ〜」
“常連の間”にはいつもの様に中澤と、アルバイトの矢口と…
もう一人、後藤の知らない女性がソファに座っていた。
226 名前:10・あの人に近付く為に… 投稿日:2002年08月29日(木)15時42分21秒
「あっ、この前、秋待峠登ってたでしょ!?“SUNN”のMTBで…」
目があったとたん、後藤を指差し、驚いたような声をあげる。
耳に残りやすい、少し甲高くて可愛らしい声。

「あ…あの時の?」
「何や、おまえら知り合いか?」
「あ…いや…」
後藤が首を横に振る。

顔は覚えていない、というより、判らなかった。
ただ特徴のある彼女の声はしっかり覚えている。
秋待峠で後藤に声を掛けてくれた女性だ。

あの峠での醜態は、中澤や平家に知られたくなかった。
しかし、隠しておきたい事実を彼女は知っている。
後藤は、秋待峠の事はなるべく触れられないように、言葉を濁したのだが…

「この前の日曜日、秋待峠で見かけたんですよぉ。」
触れて欲しくない話題を、彼女がしっかりそっちに持っていく。
そうなったら、中澤と平家は必ず食いついてくるのは考えるまでもなかった。
227 名前:10・あの人に近付く為に… 投稿日:2002年08月29日(木)15時43分47秒
「おっ、後藤、秋待峠行ったんか?」
「タイムどうやった?」

――やっぱり…

「隠さんでもええやん?何回休んだん?ちゃんと展望台まで行けたんか?」

中澤と平家の矢継ぎ早に降りかかってくる質問に絶えられなくなり、
ソファに座っていた後藤が、
恥ずかしそうに肩を窄ませてぼそぼそと小さく呟く。

「休まなかったけど…………1時間と……ちょっと…かかった…」

「何や、結構速かったな…」
「え?」
また、笑われるかと思っていた後藤に、中澤の予想外な答えが返ってきた。

「初心者がMTBで、そのタイムはええ方やで。」
「そう…なんですかぁ?」
「ウチが初めてあの峠登ったんは、高校生の頃やったけど…
“ロードマン”で、58分やったし……やっぱ後藤は速い方やで。」
「そうなんだぁ…」
「せやけど、これからがあんまタイム縮まへんねん。」
「せやせや。ウチも40分切るのに、どんだけかかったか…」
「…平家さんて、あの峠はどれ位で登るんですかぁ?」
「この前は、久々やったし…38分やったなぁ…」

――38分?…久し振りに登って?
228 名前:10・あの人に近付く為に… 投稿日:2002年08月29日(木)15時47分22秒
「なんや、みっちゃん、体力落ちたなぁ…」

――体力落ちたぁ?

「しゃーないやん。今年初めての登坂やったんやもん…」

――今年初めて?…でそのタイム??

「お前は、この間はナンボやったん?」
中澤が、秋待峠であった女性に話を振る。
後藤もあの走り方から考えても、
かなり速いタイムで登坂をこなしたのだろうというのは容易に想像できた。
しかし、そんな後藤の想像を遥かに越えた数字が、彼女の口から発せられる。
「28分でした。今回も、自己ベスト更新出来ませんでした…」
「あいっかわらず、ごっついなぁ…」

後藤の感覚と、目の前にいる女の顔をした化け物達の感覚は、
どうやら根本的にずれているようだ。

「…で、下りはナンボやったん?」
「…25分。」
「何で登坂のタイムと変わらへんねん!?」
「……だって…怖いんだもん…」

……この女性は、別な意味でも、根本的にずれがあるようだ。
229 名前:10・あの人に近付く為に… 投稿日:2002年08月29日(木)15時48分20秒
「そういえば今年の“ツール”も、
やっぱり、R.アームストロングが勝つんですかねぇ…」
やはり[Common House]の常連客も、6月になると
“ツール・ド・フランス”の話題が出てくる。
今年の注目もR.アームストロングの4連覇なるかどうか、のようだ。
(結果はご存知かと思いますが、この話は6月下旬に書いたものなので…)

「せやろなぁ…2年連続で1位と2位が同じやろ?
これといって、成長した選手も居らんようやし…」
「今年はウルリッヒが棄権しよったし…」
「ほんまに!?せやったら、優勝決まりやん?」
「それどころか、マイヨ総取りするかもしれへんで。」
「おもろないなぁ…」
「あーあ、愛しのM.パンターニ様が復活してくれれば…」
「あんなハゲ親父のどこがええねん?」
「えー!?カッコいいじゃないですかぁ?」
「確かに強かったとは思うけど…
“カッコいい”って形容詞がよぉわからへんわ…」
「せやせや。あんなんがカッコよかったら、E.メルクスはどないなんねん?
むっちゃアイドル扱いやないかい。」
「裕ちゃん、それは古すぎるわ…」
230 名前:10・あの人に近付く為に… 投稿日:2002年08月29日(木)15時49分36秒
「ねぇ、何の話してんの?」
訳の判らない横文字に、何も言えなかった後藤が矢口に小声で質問する。

「“ツール・ド・フランス”だけど…知らないの?」
「……何それ?」
その一言で、周りの4人の動きが止まってしまい、
すべての視線が後藤へ向けられる。

「後藤…自分“ツール・ド・フランス”知らんのか?」
「…うん。」
「“NHK特集”でやっとったやつ、見てへんの?
あのB.イノーが史上初のツール6勝できるか、っつーやつやで?」
「えぬ…えいちけー…特集……って?」

――…自転車用語かな?

もはや、普通の日本語さえも理解できないほど、後藤の頭の中は混乱している。

「普通の人はフジテレビからのツールしか知らんて。
それに、B.イノーの話は古過ぎるわ。20年近く前の話やで。」
「でも、イノーに勝った時のG.レモンはカッコよかったよねぇ…
R.フィニョンは情けなかったけど…」
「せやなぁ…って、何で矢口もその頃の“ツール”知っとるん!?」

ただでさえ話についていけない後藤が、さらに訳の判らない人間の名前を聞き、
この部屋で一人だけ取り残されていた。
231 名前:原稿打ち合わせ室 投稿日:2002年08月29日(木)15時51分25秒
平家「今回はえっらいマニアックやな…」
  後の解説、面倒臭そうですよね。
平家「ヒルクライムに“Bianchi”にM.パンターニ…
ベッタベタやなぁ…」
  “色”っていうのを意識させたかったんですよね。
  最初は“KLEIN”にしたんですけど、男の好みをわざとずらして、
  あのハゲ親父には“Bianchi”しかないよなぁ…って。
平家「E.メルクスに、B.イノー、G・レモン、R.フィニョン…
30過ぎにはたまらん名前やな。」

中澤「A.メルクスかぁ…ええ男やなぁ…親は金持ちやし…」
平家「息子のことは言うてへんて…って、あ、ほんまええ男やなぁ…」
中澤「コレはウチが先に目ぇ付けたんやで。」
平家「そんなんええやん。もうちょっと見せたって。」
中澤・平家「ギャーギャー…」

加護「ほんまにババァは見境いないなぁ…」
辻「このあいらのべっかむはろこいったんれしょーね。」
  加護ちゃんもああいう女になるんだなぁ…
加護「……………」
辻「……(まらなおってないきるぐちを…)」
232 名前:11・忘れていた事 忘れていた風景 投稿日:2002年08月29日(木)15時53分16秒
「中澤さん、ロードバイクって、そんなにいいですかぁ?」
「…はぁ?」
いつものように後藤に誘われて、昼食を一緒に食べていた中澤だが、
唐突に意味の判らない言葉を聞き、言葉を失ってしまう。

「だから、ロードバイクって、そんなに面白いのかなぁ〜って…」
「…いや…おもろい、っていやぁ…おもろいけど……」
その言葉を聞いて、後藤が静かに箸を置き、鼻から息を吐く。
いつもは煩いくらい元気な後藤が、今日は妙に静かで大人しい。

「どないしたん?」
「…私も、ロードバイク買おうかなぁ〜って、思って…」
「はぁ?」

「だって、平家さんの店って、ロードバイク乗ってる人多いじゃないですかぁ?
昨日の何とかラフランスだって…」
「“ツール・ド・フランス”果物やないんやから…」
「あ、その“ツール・ド・フランス”も、ロードレースでしょ。
なんか、私だけ付いて行けなくて…」
233 名前:11・忘れていた事 忘れていた風景 投稿日:2002年08月29日(木)15時54分06秒
「……あのな、後藤…」
食事を終えてお茶を飲んでいた中澤が、茶碗をテーブルに置いて、
ポリポリとうなじを掻き、言葉を考えながら話し始める。

「自分…あの“SUNN”に乗ってから、どれ位なるん?」
「…2ヶ月…かな?」
「その2ヶ月で何したん?」
「何した、って…」
「通勤に使うて、この間なっちの出た大会に行って、先週秋待峠登って…
その他は何したん?」
「うーん…特には…」
「ウインドーショッピングしたり、森林公園の遊歩道走ったりしてへんのか?」
「…うん。」
その言葉を聞いて、中澤がはぁぁ、と溜息をつく。

「もったいな…」
「もったいない…って…?」
「楽しい事、何もしてへんやん。」
「楽しい事…?」
「ロードバイク買うな、とは言わんけど、“みんなが乗ってるから…”とか、
“MTBがあんまおもろない”っつー理由で買うのはあかんで。」
「……でもぉ…」
「“ポダリング”って、知っとるか?」
ゆっくりと首を横に振る後藤。
「そっかぁ…」
そう言うと、中澤は携帯を手にとった。
234 名前:11・忘れていた事 忘れていた風景 投稿日:2002年08月29日(木)15時55分28秒
「あ、もしもし、石川かぁ?…うん……ほっとけ!!
……そんなん知らんて!…ったく……そんなんどうでもええねん…
いや…それもええから………あのな、今度の日曜、空けられへんかぁ?」

――石川…って、誰?

「…え?…ゼミのレポートぉ!?
…そんなんええやん。石川が寝んかったらええんやろ?」

――寝なきゃいい、って…

人の時間を勝手に変える程、中澤に権力があったのだろうか?
そんな不安そうな顔をしている後藤を知ってか知らずか、中澤の会話は続く…

「……うん、なんや、後藤が…え?…誰って、昨日みっちゃんトコで会うたやろ?
……うん…あいつが、壁にぶち当っとるんよ。
ほんで、久々にポダリングせぇへんか思てな…うん…うん……
河川敷でええんちゃうかぁ〜?…ほな、セッティングよろしく〜」

Pi

「あ、あの…」
――何やるの?

そう言おうとした時、中澤がその続きを遮る。
「今日、みっちゃんトコ顔出しとき。」
そう言い残して、中澤は席を立った。
235 名前:11・忘れていた事 忘れていた風景 投稿日:2002年08月29日(木)15時56分17秒
「こんばんはぁ〜」
後藤が“常連の間”に顔を出した時、一人の女性がソファに座っていた。
その女性が後藤の方を向く。いかにも女の子らしい、柔らかい笑顔。

「あっ、昨日の……後藤さん、でしたよね。」
中澤が昼休みに電話で話していた、石川と言う女性だ。
秋待峠で会った時と変わらない、ちょっと甲高くて優しい声だった。

「あっ、はい。えっと……」
「石川ぁ〜!!ちょぉ、これどないなってんねん!!?」
店の方から平家の声が飛んできて、後藤の言葉を遮る。

「はぁ〜い…」
石川が、ソファから立ち上がり、店の方へ走る。
後藤もゆっくりとだが石川に続いて、店の中に入った。
236 名前:11・忘れていた事 忘れていた風景 投稿日:2002年08月29日(木)15時57分35秒
「まぁったく、訳判らんセッティングしよってからに…」
「だってぇ…ここまで持って来る暇なかったし…調子悪くなかったし…」
「調子悪くない訳ないやろ?ディレーラー(変速機)の調節、メチャクチャやで。」
後藤が店の中を覗くと、平家が石川と自転車の前で話をしていた。

平家の目の前には、他の自転車とは明らかに違う形をした、
眩しいステンレスの立体的な梯子状のフレーム。
秋待峠で見た自転車とは違うものだった。

“Alex Moulton Pylon”

後藤も、カタログや雑誌などでしか見たことのない高価な自転車で、
完成品で100万円以上の値段はする。
誰でも買うどころか、目にすることさえ出来ない物だった。

――本物のモールトンだぁ…

後藤がその自転車の引力に引き寄せられるように、無意識に自転車に近づく。
「何や、後藤、来とったんか?」
平家が声を掛けるが、後藤の耳には入らない。
237 名前:11・忘れていた事 忘れていた風景 投稿日:2002年08月29日(木)15時58分05秒
「石川さん、パイロンも持ってるんだぁ…」
「うん。街中でゆっくり走る時は、ロードバイクよりこっちの方が楽だから…」
「そうなんだぁ…」
「こいつの話は、他の人間と一緒にせん方がええで。」
平家がディレーラーのワイヤーを締めながら、冷ややかに口を挟む。

「それって、私が異常な人みたいじゃないですかぁ〜?」
「思いっきり異常やん。“ちょっとそこまで…”言うて、
モールトンで100kmも走る人間のどこが普通やねん?」
「え〜ちがうんですかぁ〜?」

「………」
「な、普通の人間ちゃうやろ?」
238 名前:11・忘れていた事 忘れていた風景 投稿日:2002年08月29日(木)15時59分58秒
アレックスモールトンは、タイヤの直径が17インチ
(1インチ=2.54cm。約43cm。因みにMTBは26インチなので、約66cm)
と小さく、それだけペダルを踏む回数も多くなり、
同じ距離でもタイヤの小さい自転車の方が疲れやすい。
一般人にとっての遠乗りも、彼女には散歩程度の距離なのだ。

彼女がどれだけの体力を持っているかは判らないが、
秋待峠で後藤に声を掛けてくれた時も、息切れ一つしていなかったのは
そんな理由からだった。

「…ほんまに、このカラダのどこにそないな筋肉あるんやろな?」
いつの間にか店に来ていた中澤が、背後から石川の腰周りを撫でまわす。

中澤としては、セクハラとして石川をからかったつもりだったが、
大学の体育会系に所属している石川に、その程度の悪戯はあまり意味が無い。
「中澤さんみたいに無駄な脂肪無いですから…」
「…なんでおまえは人の気にしとる事、平気で言えんねん!?
せやったらこの胸は何やねん!?あぁ!?
思いっきし脂肪やないかいっ!!!」
「きゃぁぁぁぁぁぁ!!!」

「……………」
平家が唖然としている後藤を見る。
「あー、気にせんでええで。この二人はいつもの事なんやから…」
239 名前:11・忘れていた事 忘れていた風景 投稿日:2002年08月29日(木)16時00分35秒
「…で、今回は、誰が来れるん?」
みんなを“常連の間”のソファに座らせて、
中澤と石川がポダリングの打ち合わせを始めた。

「よっしーと安倍さんは、仕事で来れないそうです。それから、
市井さんは、今、敦賀にいるらしくて、帰ってくるのは火曜日だそうです。
3人とも残念がってましたよ。」
石川の返事を聞いて、中澤がコンビニで買ったビールを一口含む。

「まぁ…仕事やったらしゃぁないな…
カオリと圭坊はまだ仕事やから、無理として…って、ここの5人だけか?」
「あ、あの…私も、ゼミのレポート…」
キッ、と音がするほどの石川を睨む。
その中澤の鋭すぎる目つきに、石川が下を向いて言葉を濁らせる。
「あ、いえ…なんでもないです…」

――中澤さんて、一体何の力持ってるんだろう?
240 名前:11・忘れていた事 忘れていた風景 投稿日:2002年08月29日(木)16時01分15秒
「何や、裕ちゃん、ポダリングやるん?」
中澤と石川の話を聞いていた平家が口を挟む。

「うん。後藤が自転車で遊んでへんから、久々にやろかぁ思うて…
って、石川から聞いてへんかった?」
「うん。石川も、ついさっき来たばっかやし…
あっ、せやから、モールトン持って来たんか?」
「そぉですよぉ〜」
「そういうわけやから、みっちゃんも店閉めてな。」
「わかった。」

――平家さんも店閉めてまで行くほどのことなの?

後藤があっけにとられている。
お客さんとはいえ、後藤のポダリングとやらに付き合うために、
わざわざ店を休んでまで行く必要があるのだろうか。

「コースは、やっぱり麦原川の河川敷でいいですよね。」
「せやろな。今の時期、なんかええ景色とかあるか?」
「うーん…菜の花とタンポポは終わっちゃいましたけど、
今はシロツメクサと、アジサイが綺麗だと思いますよ。」
241 名前:11・忘れていた事 忘れていた風景 投稿日:2002年08月29日(木)16時01分46秒
「あ、あの…あのおっ!!」
後藤が我慢出来ずに、無理矢理口を挟んで、みんなに話に割って入った。

「どないしたん?」
「あ、あの…わざわざ私のためにやってくれるのは、有り難いんですけど…
何やるんですか?」
「せやから、ポダリングやて。昼休みに言うたやん?」
「……だから、その…ポダリング、って…?」

ポダリングの意味そのものを理解していない後藤に、平家が説明を始める。
「フランス語で“ブラブラする”っつー意味やねん。簡単に言うと散歩やな。」
「散歩?」
「河川敷とか、景色のいい所を自転車でふらつく事や。」
「そうなんだぁ…」
後藤もポダリングの意味は一応理解できたが、
そのポダリングの面白さが今一つ判っていない様だ。

「話に聞くだけではどうって事無いんだけど、
実際やってみると結構楽しいんだよ。」
「う…ん…」
石川や平家の言葉にもまだ乗り気でない後藤に、中澤が一言声を掛ける。

「後藤な、自転車乗るのに何も難しく考える事ないねんで。
頭空っぽにして、自転車で遊ぶのがポダリングやねんから。」
242 名前:11・忘れていた事 忘れていた風景 投稿日:2002年08月29日(木)16時02分22秒
am8:00

朝もやが無くなり、日曜日の街中も少しづつ目覚め始める頃、
[Common House]に後藤がやって来た。
中澤や石川の自転車は無く、まだここに来ていないようだ。
矢口の自転車が裏口の近くに停められていた。
そして、その隣には見慣れない小さな自転車があった。

“Hoffman CONDOR”

後藤も何かのテレビで見たことがあるが、ジャンプしたり、
ハンドルを回したりして愉しむ自転車だった。

――他にも常連さん、いるのかな?

後藤がぼんやりとそんな事を考えながら、“常連の間”のドアを開ける。

「おはよぉ〜。」
「あ、おっはよー!!」
矢口と後藤が会うのはそれほど多くは無いが、
今朝はいつもよりも、矢口の声に張りがあるように思えた。
寝起きの悪い後藤にとって、まだ頭が覚めていない。
だからよけいに矢口が元気に見えた。

「…矢口さん、朝から元気だね。」
「あたりまえじゃん!だってさぁ、昨日聞いたんだけど…
本当の目的は、知り合いの喫茶店でケーキ食べに行く事らしいよ。」
「本当に?」
“ケーキを食べに行く”の一言で、後藤の顔色が変わった。
女の子って、何でこう、甘いものに弱いんだろうねぇ…
243 名前:11・忘れていた事 忘れていた風景 投稿日:2002年08月29日(木)16時03分08秒
「おっ、おはよーさん。」
出発の準備をしていたであろう、平家が二階から降りてきた。

「あ、おはようございまーす。」
「矢口も準備できとるな?ほな、行こか?」
「え?中澤さんとかは?」
「裕ちゃんはバスで来る言うとったから、そこで待ち合わせやねん。
石川はその場所知っとるから、直接そっちに行く、言うとったわ。」
「え?バス??」

――自転車で来るんじゃないの?

「…どないしたん?」
「中澤さん、バスで来るんですかぁ?」
「せやで。」
「自転車はどうするんですか?」
「ポダリングやから、“RAVANELLO”では来いひんで。」
「で、でも…」
「あっ、遅れんで。はよ行くで。」
平家に急かされて、後藤が考える暇も無く、三人が外へ出る。
244 名前:11・忘れていた事 忘れていた風景 投稿日:2002年08月29日(木)16時03分43秒
中澤との待ち合わせのバス停は、店からさほど遠くない国道沿いにあった。

「これって、平家さんのだったんですか?」
「久々に遊んでみよか思うてな…」
苦笑いをしながら、恥かしそうに呟く。

店の裏に停められていたBMXは、平家の自転車で、
客がキャンセルした不良在庫を自分の物にしたらしい。
普段はシティサイクルのハンドルと籐の籠を付けて、
足代わりに使っていると言うが、今は純粋なBMXの形になっている。

「BMXって、曲芸みたいに回ったりするやつですよね?
テレビでちょっとだけ見たことあるけど…初めて見た時、びっくりしました。」
「矢口は“クイックシルバー”で、ピストのフラットランドは見た事あるけど…」
「あれもすごかったもんなぁ…って、矢口もマニアックやなぁ…
“クイックシルバー”なんて久しぶりに聞くで。」
245 名前:11・忘れていた事 忘れていた風景 投稿日:2002年08月29日(木)16時04分15秒
「平家さ〜ん!!」
三人が、中澤と石川を待っている場所で、先に石川の方がやってきた。
やはりと言うか、彼女はこの間平家の店で見たパイロンに乗ってやってきた。

しかし、彼女は秋待峠で見たようなサイクルジャージではなく、
いかにも女の子といった格好で、白いブラウスに長いフレアスカート、
おまけにつばの大きな帽子をかぶっていた。

あまりにも自転車に乗るような服装ではない石川の姿を見て、
後藤が唖然としている。

「どしたの?そんな格好で…」
「え、似合わないかなぁ…?」
「いや…すごく似合ってるんだけど…
そうじゃなくて…スカートなんか履いて、自転車乗れるの?」
「これはトップチューブが低いし、
ポジションもママチャリみたいにできるからね。」
「…そうなんだぁ。」

初めて中澤の自転車を見た時、スカートが履けないから、
あんな格好をしているとは言っていたが、今日の石川とパイロンを見ると、
このようなゆったりとした雰囲気も良いなと思ってしまう。
246 名前:11・忘れていた事 忘れていた風景 投稿日:2002年08月29日(木)16時05分20秒
4人が時間潰しとして何気ない話をしていると、
中澤を乗せたバスがやってきた。
「あっ、おはよ〜さ〜ん。」
バスから降りながら、みんなに声を掛ける。
もちろん“RAVANELLO”は持って来ていない。

「中澤さん、自転車は?」
「自転車は…これや。」
後藤の質問に、中澤が肩に担いだバッグを指さす。
ちょっと幅のある、決して珍しくない黒いショルダーバッグだった。

「え?…自転車ですよぉ?」
「せやから、これ。」
「……………」
唖然としている後藤を尻目に、中澤が黒いショルダーバッグの中身を取り出す。
その中身は小さく折りたたまれた自転車だった。

“UK BROMPTON Mk-3”

しかし、折りたたまれた状態のそれは、まだ自転車とは言えないほど小さく、
組み上がったとしても、子供用の自転車と思われるほどだった。
247 名前:11・忘れていた事 忘れていた風景 投稿日:2002年08月29日(木)16時05分51秒
「…この自転車、壊れてんですかぁ?」
「そうそう、車に潰されたから、これからみっちゃんの店で…
って、何でそんなことせないかんねん?」

平家と矢口と石川が声を殺して笑う。
「やっぱこれ見ると、バラバラになっとるように思えるもんなぁ…」
「普通、自転車がここまで小さくなるとは思わないもんねぇ…」

確かに女性が持てる程の大きさのショルダーバッグから、自転車を出して、
はい出来上がり…となるとはとても思えない。
(ものの本によると、折りたたまれたBROMPTONは
60cm×58cm×30cmになるとの事)

そんなお約束とも言える会話の中で、
中澤が手際よくBROMPTONを組み立てる。
出来上がったそれは、さすが英国製と思わせる機能と上品さを持った、
小径自転車になっていた。
248 名前:11・忘れていた事 忘れていた風景 投稿日:2002年08月29日(木)16時09分01秒
「ほな、行こか?」
中澤の準備が整い、5人がゆっくりと走り出す。

――あ、あれ?

決して速くない後藤のペースでも、いつの間にか、先頭を走っている。
それが国道から、河川敷のサイクリングロードに入っても、
そのペースは変わらない。
それどころか、後藤には判らない自転車レースの話題で、
中澤と平家が盛り上がっている。

「…どうしたんですかぁ?」
「どうした…って、何もしてへんよ。」
「後藤こそどないしたん?」
「いや…みんな遅いなぁ…って、思って…」
それを聞いて、平家が苦笑いをする。
249 名前:11・忘れていた事 忘れていた風景 投稿日:2002年08月29日(木)16時09分31秒
「何焦ってるん?もっとゆっくり走らないかんで。」

MTBを購入してから、後藤の中では“自転車=スポーツ”となっていて、
自転車に対して、ストイックな考えになっているようだ。

「そぉだよぉ〜。
せっかく風景のいい所を走ってるんだから、もっと周り見ながら走らなきゃ。」
えっ、と思って周りを見渡してみると、
シロツメクサが、堤防の斜面を覆い尽くしている。
遠くは花と葉の色が混ざって、パステルグリーンの色になっていた。
河川敷では、犬とフリスビーで遊んでいる人や、野球をしている小学生もいた。

――わぁ…

今更だが、後藤は自転車に乗りながら、
自分が何も見ていなかった事に気が付いた。
250 名前:11・忘れていた事 忘れていた風景 投稿日:2002年08月29日(木)16時10分16秒
「この前、この辺で一服したんやったな…」
「ほんで、四つ葉のクローバー探してな…」
「中澤さん、一人で5つも見つけたのに、幸せは未だに来てないみたいで…
ううっ…」
「うっさいわっ!石川は、何でそう一言多いねん!!」
「あっ、矢口さん、向こう岸のあそこ…馬、放してるよぉ。」
「あ、ほんとだぁ…」
「とねっ仔(その年に生まれた馬)もいるよぉ。」
「無視するんかいっ!!?」
そんな女5人のはしゃいだ声が飛び交いながら、ゆっくりと自転車が進む。

――こういうのも、いいなぁ…

青臭い草の匂いと、道沿いの民家に植えてある藤の花の匂いが鼻先を擽る。
午前の柔らかい陽射しが、緊張した筋肉を緩ませる。

――…あ…眠い……

体も心も解されていくような、そんな和やかな、柔らかい空間だった。
251 名前:11・忘れていた事 忘れていた風景 投稿日:2002年08月29日(木)16時10分52秒
「あ、裕ちゃん、あそこで休憩しようや。」
平家がベンチや花壇が備えられた、公園のようなところを指差す。

「ん?…あぁ、ええなぁ。って、みっちゃん久々にやるんか?」
「あたりまえやん。ごっつええ環境やろ?」
そう言いながら、平家が急に立ち漕ぎを始める。

そのままベンチに向かい、行き脚をつけたまま、ふわっとジャンプ…
というより、浮いたと言った方がいいだろうか、平家と自転車が宙に浮き、
ベンチの上に飛び乗る。後輪を浮かせたままの状態で…

――うわ…

さらに、もう一度ジャンプして、横回転しながら、
音を立てずに後輪だけを地面に下ろす。
そこから、花壇の柵に向かって漕ぎ出し、2mほど手前からジャンプ。
後輪だけを柵の角に引っ掛ける様に乗せて、跳ねるように後ろへ飛び降りた。
もちろん着地も、後輪から降りて、音も立てずに前輪を下ろす。
252 名前:11・忘れていた事 忘れていた風景 投稿日:2002年08月29日(木)16時12分11秒
「おぉ〜!」
「すご〜い…」
「………」
「みっちゃん、相変わらずやな…」
4人が近くまで来て、思い思いの言葉を洩らす。

「…裕ちゃんもやってみいひん?
往年の“カミソリ裕子”の技は、まだ錆びてへんやろ?」

――カミソリ裕子って…

「ださっ…」
矢口が眉をひそめて、ボソッと呟く。
後藤もさすがに声には出していないが、矢口とほぼ同じ様に思っていた。

「みっちゃん…“カミソリ裕子”って、照れるがな…」
中澤も苦笑いを浮かべながら、平家のBMXを受け取る。

――その名前を否定しないんだ…


名前はともかく、昔はそれなりのテクニックを持っていたのだろう。
中澤がBMXに乗ると、自転車の癖や感覚など関係なく、
いきなりフラットランドの技に入った。

バックヤード、ラードヤード、ハングファイブ、ピンキースクェーカー、
そしてローリーポーリーでフィニッシュ。
小さなガッツポーズ付き。
(動きに関しては割愛させて頂きます。)
253 名前:11・忘れていた事 忘れていた風景 投稿日:2002年08月29日(木)16時13分22秒
「おおおおぉぉぉ…」
「中澤さん、すごーい!!」
技の難易度以上に派手な動きに、まともにフラットランドを見たことがない
後藤と矢口から歓声が挙がる。

しかし、平家の口からは二人と違う言葉が出た。
「せやけど、さすがの裕ちゃんも、キレは鈍ってしもたな。」

――あれで鈍い方なの?

「あたりまえやん。やっぱ、久し振りやと怖なるて。
それにコイツ、フラット用ちゃうやろ?」

秋待峠を40分台で登るほどの脚力を持っていて、
さらに、BMXであれだけの技を持っていて……それでも今一つの出来?

自転車に関して、中澤はどれだけの引き出しを持っているのだろうか?
それだけではない。自分よりも明らかに体力がある中澤よりも、
石川や平家の方が登坂は速く、吉澤は毎日100km以上走る程の
スタミナを持っていて、その吉澤よりも瞬発力は矢口の方があって…

――私には…何があるんだろう?
254 名前:11・忘れていた事 忘れていた風景 投稿日:2002年08月29日(木)16時14分48秒

「はい。後藤さんも一服しようよ。」
情けなさそうに俯いている後藤の気持ちを察して、
石川が柔らかい笑顔を見せて、ペットボトルのウーロン茶を渡す。
そして、石川に諭され、後藤と石川が堤防の斜面に腰を下ろした。

中澤と平家は矢口にBMXの技を教えていた。
それを遠目に見ながら、石川が口を開く。
「ねえ、大きなスポーツショップって、
ロードバイク扱ってる店少ないって、知ってる?」
「え?…う、うん…そういえば…見ないね。」

――…この人、何言ってるの?

「平家さんのような店に行ってると、忘れることもあるんだけどさ…
自転車って、レジャーの一つ、ってしか考えられてないんだよね。」
そう言いながら、石川がそのまま寝転がった。

後藤もそれに攣られるかのように、クローバーの絨毯の上に身体を預ける。
自然と後藤の視界に入った、ちょっと濃い水色と白のコントラスト。
久し振りに見る青い空だった。

――あ、空…って、こんなに青かったっけ?
255 名前:11・忘れていた事 忘れていた風景 投稿日:2002年08月29日(木)16時15分34秒
「峠を登ったりするのもいいけど…あんまりストイックに考えないで、
仕事と遊びの切り替えみたいに、自転車もトレーニングと遊びの切り替え
しないと、自転車嫌いになっちゃうよ。」
「……うん。」
「中澤さんも、登坂のタイムが伸びなかったときに、
息抜きでBMX始めたらしいよ。」

――そうなんだぁ…

それを聞いた時、急に後藤の体中の力が緩んできたように思えてきた。
必死になって、色々考え込んでいた自分が滑稽に思えて、
自然と口元が緩む。
「…中澤さん、おしゃべりなくせに、大事な事は絶対言わないんだから…
いっつも、平家さんや私がフォローしてさ…」

――だから中澤さん、ポダリングしようって、言ったんだぁ…

空にはハケで掃いたような雲が、薄く流れている。
青黒く見える山の向こうには、夏を知らせるような入道雲が聳え立っていた。

「あ、あの…石川さん…」

Zzzzzz……

後藤が石川の顔を見ながら話し掛けると、
そこには静かな寝息を立てている石川の寝顔があった。

――んー…まっ、いっか…

後藤も青臭い草の匂いに包まれながら、ゆっくりと目を閉じた。
256 名前:11・忘れていた事 忘れていた風景 投稿日:2002年08月29日(木)16時16分54秒
一服するだけだったはずの公園で、矢口と中澤がBMXで遊びすぎたため、
そのままランチタイムになってしまった。

石川が持ってきたお弁当を、公園に備え付けられていたテーブルに広げる。
朝早くから、石川がかなり気合を入れて作ったのだろう、
5人の前にこれでもかっ、というくらいに豪華な料理が並べられていた。

こんなに天気と空気がいい場所での食事は、さぞ美味しいのだろうが、
他の4人に比べて、中澤だけはちょっと困った顔をしていた。

「あの…石川な、うまそうなんやけど…」
「一杯食べてくださいねっ。皆の為に頑張って作ってきたんですからぁ…」
「いや…気持ちはわかるんやけど…ウチらで食える量か?」
「大丈夫ですよぉ〜。食べた以上に動けば、太りませんからぁ。」
「……いや…そういう意味やのうて…」
「…………」
石川が訴えるような目で、中澤を見つめる。
257 名前:11・忘れていた事 忘れていた風景 投稿日:2002年08月29日(木)16時17分30秒
後藤も矢口も前日に聞いた話だが、残ったお昼のおかずは、
作らなかった人間が持ち帰らなければならない約束になっていて、
このポダリングを提案した人間が持ち帰る、というのが
今までの習慣となっているらしい。
石川の料理が美味い事は知っているが、
帰りの荷物の事を考えると、中澤も気が重くなる。

「中澤さん、がんばれぇ〜」
「がんばれー!」
後藤と矢口から無責任な声援が飛ぶ。

――ったく、他人事だと思いよって…


「お前らも全部食わな帰れへんで。っつーか、帰さへんで。」
中澤が半ばヤケになって、小振りのいなり寿司を頬張りながら言い返す。

「でも、ケーキの分ちゃんと残しておかなきゃ…ねぇ。」
「そうだよねー。」
そんな事情を知っていても、二人は目の前のおかずよりも、
喫茶店のケーキの方に気持ちが向いているようだ。
258 名前:11・忘れていた事 忘れていた風景 投稿日:2002年08月29日(木)16時18分16秒
「ウチと矢口は無理やで。」
皿に取った俵型のおむすびとポテトサラダを食べながら、
静かに3人の会話を聞いていた平家が口を挟む。

「え?喫茶店行かないんですかぁ?」
「うん。3時に店開けないかんし…このまま帰るしかないで。」
「えー!?」
一番楽しみにしていたケーキがなくなってしまい、矢口から落胆の声が漏れる。

「あぁ、せやなぁ…今からやったら無理やなぁ…」
中澤が腕時計を見ながら、静かに呟く。

「じゃぁ、3人で行きますかぁ?」
後藤がちょっと残念そうに呟きながら、中澤の顔を覗き込む。

「みんなで帰った方がええんちゃうかぁ?」
「そうですね。じゃぁ、中澤さんも全部食べられますね。」
「…石川は、どうしても話をそっちに持っていきたいんやな?」
「裕ちゃん、がんばってなぁ〜」
事情を判っていて、経験者でもある平家からも、無責任な声援が送られる。

「……みっちゃんも声だけやのうて、もっと食べてぇなぁ。」
259 名前:11・忘れていた事 忘れていた風景 投稿日:2002年08月29日(木)16時18分56秒
「よかったぁ…全部食べてくれて。」
「ちょ、ちょぉ、きっついわ…もうしばらく休んでこ。」
おかずの持ち帰りのことを考えて、何とか完食した中澤だったが、
さすがにお腹が苦しく、隣の長椅子に仰向けになって倒れこんだ。

他の4人も、それなりに満腹で、それぞれ食後のけだるい時間を過ごしている。
そんな中、午後の陽射しを浴びながら、
ボーっとしている後藤に気付かれないように、平家が石川に目配せをする。
後藤が自転車に関わっているだけで楽しくなれるよう、
中澤に頼まれていたのだ。

「そういえば、あの“SUNN”に名前付けた?」
「うーん…たしか…“Cosmos”だったかな…」
「そうじゃなくて、ぬいぐるみとかに付けてるような、名前…」
「ううん。付けてないよ。」
後藤も、ぬいぐるみはいくつか持っているが、名前まで付けるほど
べたべたした扱いはしていない。
そのような女の子らしい性格は、気嫌いしているわけではないが、
自転車に名前をつけるという発想そのものが無かった。
260 名前:11・忘れていた事 忘れていた風景 投稿日:2002年08月29日(木)16時23分05秒
「(Bianchiの)“AL105”の方には付けてないけど…
このパイロンはねぇ、“モーちゃん”って名前にしてるの。」
「……もー…ちゃん?」
「アレックスモールトンの“モーちゃん”。
牛の角みたいなハンドルも付いてるし…」
「へぇー…みんなそういうのつけてるのかなぁ…矢口さんのは?」
「あれは、“カッちゃん”て名前。」
「カッちゃん?」
「うん。競馬で、サクラの名前がついている馬がいるんだけど…」

――だから、ピンクの自転車にしたんだぁ…

「そのサクラの馬を管理している調教師で境 勝太郎、って人がいたんだけど…
知らない?」
「…知らない。」
「“菊の季節にサクラが満開!”って、杉本 清の実況の…」
「…………」
後藤がぽかんとした顔をしている。

そりゃぁ知らねーよ、87年の菊花賞なんて…
261 名前:11・忘れていた事 忘れていた風景 投稿日:2002年08月29日(木)16時24分02秒
「…平家さんの自転車には、何か名前付けてるんですかぁ?」
「いや、ウチの自転車には名前はつけてへんけど…
裕ちゃんのは“RAVANELLO”が“本命君”で、
“BROMPTON”が“アッシー君”やったかな…」

――90年代のバブルの男達って事?

「みっちゃん、ちゃうで。」
隣のベンチで仰向けになって寝ていた中澤が、
腕を上げて手をひらひらさせながら、平家の言葉を訂正する。

「“BROMPTON”は“便利君”やて。」

――あんまり変わんないでしょ?

「…まぁ、後藤の“SUNN”にも名前つけてやったらええやん。
メンテしながら声掛けてやると、調子良ぉなるらしいで。」
自転車は金属の塊なのでその話は眉唾モノだが、後藤に伝えたかった事は、
愛情を込めて整備をするオーナーの気持ちの問題で、
自転車は変わるという事だった。

――この子の名前かぁ…

「その年のダービー馬はメリーナイスで、菊花賞も1番人気だったんだけど…」

…だから、そんな話、誰も知らねーって!!
262 名前:11・忘れていた事 忘れていた風景 投稿日:2002年08月29日(木)16時29分10秒
「たっだいまぁ〜」
「あ、お疲れさ〜ん。」
ポダリングから何日か経った夕方、後藤が“常連の間”に顔を出すと、
すでに中澤が遊びに来ていた。

「あの…みっちゃんに傷付けちゃったんですけどぉ…」
後藤の発言に言葉をなくした平家と中澤。

「?…ウチ?…に傷付けた…?」
「みっちゃん、なにされたん?」
中澤が驚いたように平家の顔を見る。
しかし平家は、首を横に振って否定している。

「何もされてへんて…後藤も、何言うとるん?」
「だからぁ、さっき、転んじゃって、みっちゃんに傷が付いたんですよぉ…」
どうも話が噛み合わない三人の間に、数秒の沈黙が流れる…
263 名前:11・忘れていた事 忘れていた風景 投稿日:2002年08月29日(木)16時29分51秒
はた、と何かを思いついた中澤が、その沈黙を破る。
「もしかして…その“みっちゃん”て後藤の自転車のことか?」
「そう!自転車に“みっちゃん”て名前付けたんですよぉ。」
「なんで、よりによってウチの名前…」

眉をひそめる平家に、後藤がその名前について説明する。
「“SUNN(サン)”だから、みっつで“みっちゃん”
…あっ、平家さんと同じ名前だぁ…」
「今頃気付いたんかい!?」
「そっかぁ…みっちゃんが毎日、下から後藤のアソコをコンコンて…
いやぁぁぁぁ!!みっちゃんのスケベっ!!」
「なんでそういう発想すんねんっ!!?」
「きゃぁぁぁーーー!!平家さんのスケベっ!!」
「……………」

――ただでさえレズバー言われとるのに、この事が近所に知られてしもたら…

そんなことを考えながら、平家には考えられない二人の発言に、
なんとなく二人の性格が似てきたように思えた。
264 名前:原稿打ち合わせ室 投稿日:2002年08月29日(木)16時32分41秒
平家「うわ…“クイックシルバー”て…知っとる奴居らんやろ?」
  平家さん知ってるんですか?
平家「“メッセンジャー”のネタ元がこれやろ?主役のケビン・ベーコンが
  “フットルース”でデビューして、この映画でコケてしもた…」
中澤「そうそう、みっちゃんみたいな奴やったな…」
平家「デビューで話題とりまくって、2回目でつぶれてしもた…って、
  何を言わすん?」
中澤「みっちゃん、否定できるか?」
平家「うっさいわっ!!……ウチかて…ウチかて…(泣)」
265 名前:Strong Four 投稿日:2002年08月29日(木)16時41分40秒
というわけで、第10話、11話更新しました。
この話は、多少、自分の経験した話も織り交ぜております。
最近やっと、自転車は楽しんで乗らなきゃだめだなと思うようになりました。

次回は今回と似たような話ですが、もうちょっとディープな話です。
また、吉澤にビンボーくじを引いてもらいます。(よっしーゴメンなぁ・・・)
266 名前:名無しさん 投稿日:2002年08月29日(木)19時34分25秒
大量更新アリガトー!上司のゴルフバンザイ(w
みっちゃんもやっぱり隠れた実力を持ってたのね。
そして矢口は(ry

最近この小説の影響で街中で自転車を見るとついつい目が…(w
267 名前:小島太騎手(現調教師) 投稿日:2002年08月29日(木)21時40分42秒
>“菊の季節にサクラが満開!”
な・なつかすぃ。
「大外、大外サクラホクトオー!」
てのも思い出してしまいました。5着だったけど…
268 名前:名無しさん 投稿日:2002年09月02日(月)14時40分28秒
初レスです。
すごい面白いです。かな〜りはまりました。
なんかさわやかでイィです。(非恋愛系だからな?)

読んでるうちに自分も自転車ほすぃ〜くなりました(笑)
続き期待してます。がんばってください!!!
269 名前:Strong Four 投稿日:2002年09月04日(水)15時22分15秒
>>266
レスありがとうございます。
>街中で自転車をみると…
自分の事を棚にあげて言うのもなんですが…重症ですね。
自転車買っちゃえば治ると思いますよ。(w

でも、真面目な話、自転車はバイクや車と違って、維持費は
殆どかからないですよ。
毎回使うお金は外出時の食事代程度だし…(改造費以外は年1・2万円位)
とりあえず、気に入った(←コレが一番大事)自転車買っちゃいましょう。
その後は、当分抜け出せない悦楽の世界があなたを待っています。
270 名前:Strong Four 投稿日:2002年09月04日(水)15時22分49秒
>>267
小島太騎手(現調教師)様、レスありがとうございます。
私も競馬は大好きですが、あの頃はリアルタイムではないんですよね。
(私は“祖父に続け!父に続け!”の頃からです。)
サクラホクトオーが出た菊花賞はVTRで見ました。大笑いしましたね。
実は、サクラの馬はあまり好きではないし…(境 勝太郎には何度騙されたか…)
だいたい、あの頃、弥生賞勝っておきながら、ダービーの連外したのはサクラ
エイコウオーだけですよ。皐月賞の時もエアチャリオットとメルシーステージ
のペースブチ壊しやがって…
しかもサクラスーパーオー2着に入ってくるかぁ?

…すいません。私情が入ってしまいました。
でも、あれから境 勝太郎のコメントは無視するようになりました。
(その後、“カツが吹いたら消せ!”という格言を知りました。)
271 名前:Strong Four 投稿日:2002年09月04日(水)15時24分28秒
>>268
初めましてだそうで…レスありがとうございます。
他の読者さんからは、すぐレス頂いたので、携帯
(auで、ここ見れるんですよね。)で見たとき、
煽られたと思ってびびっちゃいました(w
さわやか系という有難いお言葉頂きまして…っつーよりも、
自分の中では同姓の恋愛というのに違和感があるんですよ。
(そこまで持って行く能力がないだけ?)読むのは好きなんですけどね。

(さっきも書きましたが)やっぱり自転車買っちゃいましょう。
私事ですが…20万円(改造パーツ込み)のMTBを買ってから、
2年半以上なりますが、ガタ一つ来てません。ランニングコストは、
5000円以下/月になりました。格好を気にせず(眼鏡かけてても、太ってても、
普段着でも大丈夫)、一人でも皆でも楽しめて、世間から白い目で見られない…
殆どタダで遊べる趣味なんて、そうないですよ。
272 名前:12・自転車の声 投稿日:2002年09月04日(水)15時25分53秒
黒いスーツ、黒いシャツ、黒いネクタイ。
同じ格好をした黒尽くめの二人が、上着の裾をなびかせながら、
颯爽と夜の国道沿いを駆け抜けて行った。

一人は“Litespeed ULTIMATE”
そしてもう一人は“COLNAGO CF2 オンロードカスタム”

二人とも自転車のフレームだけで、安い車が買える値段で、
改造パーツも含めると、100万円は軽く超える高級な自転車だ。

スーツと自転車。二人とも不釣合いな格好だったが、上半身が全く動かず、
脚の動きがあまりに機械的で、周りの人たちは二人が自転車に乗っていること
さえ忘れさせてしまう程の走りだった。

――!

前を走っている人間が、後ろの人間に知らせるように、
コンビニに停めていた“RAVANELLO”を指さす。

「………」
後方の人間は指を差した方を見たが、軽く口元が緩んだだけで反応はない。
しかし、前の人間が何を意味して指をさしたのかは十分理解していた。

2台は、そのまま国道の大通りから、スピードを落とさずに、
細い裏路地へ滑り込み、闇の中に消えていく。
273 名前:12・自転車の声 投稿日:2002年09月04日(水)15時26分46秒
「おっ……」
コンビニの中から2台の影を見つけた中澤は、
買い物カゴに入れていたビールの数を増やし、“RAVANELLO”
に跨がって[Common House]へ向かった。

――そういや、あいつ等に会うのって、ひっさしぶりやもんなぁ〜

その二人と一人の目的地、[Common House]には、
平家の他に後藤と吉澤の三人がいるのだが、
吉澤の自転車は裏口には停められていない。

「平家さぁん、どぉしよぉ〜」
吉澤が今にも泣きそうな声で平家に縋りついてきた。
「どおしよう、言われてもなぁ…ワイヤー、切って行ったんやろ?」
「うん…その場所に落ちてて…」
「せやったら、よっしーの自転車目当てで盗んだんやろな…」
吉澤に限らず、自転車の盗難は相変わらず多い。
特に、最近は高級車目当ての犯罪が多く、
平家を始め自転車関係者が頭を悩ませている事件だ。
274 名前:12・自転車の声 投稿日:2002年09月04日(水)15時27分22秒
「警察には届けたの?」
後藤がその場を取り繕う様に吉澤に話しかけたが、表情に変化はない。
「届けたけどさぁ…あんまりアテにならないらしいんだよね…」
「警察届けたんやったら、保険は一応降りるけどな…」
「……でも、保険降りても自転車買える程じゃないですよね?」
「あの“TREK”は2年前のモンやから、全額は無理やろな…」

「仕事は大丈夫なの?」
「うん。バイクの方でやらせてもらうから、とりあえずは大丈夫なんだけど…」
とは言ったものの、吉澤の声には張りがない。

――やっと私に懐いてきてくれたのに…

“TREK”に乗り始めて約2ヶ月。
自転車の癖や感覚も身体でわかってきて、
愛着が湧いてきたという時にこんな事になろうとは…
275 名前:12・自転車の声 投稿日:2002年09月04日(水)15時28分32秒
「よっしーの自転車は“仕事道具”やからな。
保険金にナンボか足して、別な自転車買うしかないやろ?」
「どうせ買いかえるなら、平家さんの自転車がいいなぁ…」

先代の造る“平家”ブランドのロードバイクは、“自転車が乗り手を選ぶ”
と言われるほど非常に神経質なフレームだったが、
一部の選ばれた人間は、実力を余すことなく発揮できる
幻の自転車だったらしい。

吉澤も、もし平家がその技術を受け継いでいたら…という思いがあった。
勿論それだけではなく、シグナルグランプリで矢口のミニベロに負けて以来、
“House”の自転車に少なからず興味があった。
276 名前:12・自転車の声 投稿日:2002年09月04日(水)15時29分04秒
「…ウチのは高いでぇ〜」
「うわ…人の弱みにつけ込んで…追剥ぎみたいなことするんですか?」
「しゃぁないやん。それが商売やもん。」
「…………そう…ですよね…」
吉澤は力なく返事をした。

「きつい事言うかも知れへんけどな、“TREK”を見つけるか、
新しく買うしかないやん?」
確かに平家の言う事は至極当然の事だ。

「………とりあえず…“House”のロードバイク、見積りだけ出して下さい。」

暫く会話に加わっていなかった後藤がこの暗い空気を打ち消す様に、
いきなりかしわ手を打つ。
「ハイ、暗い話はもうおしまい!!
とりあえず、これからの事は飲みながら考えようよ。」
277 名前:12・自転車の声 投稿日:2002年09月04日(水)15時29分43秒
先刻の“Litespeed”と“COLNAGO”が
[Common House]の前でブレーキ音を出さずに止まった。

「…新しい娘かな?」
「そうみたいだね…なっちだったら、どこかいじってるもんね。」
後藤の自転車を見て軽く会話を交わす。
しかし、その顔つきはあまりに無表情だ。

「暫く来ない間に、常連も増えたみたいだね。」
「名刺、持ってきてる?」
「もちろん。」

ガチャ
二人が“常連の間”へ入って来た。
無表情な顔にサングラス、そして黒づくめのスーツ。

――男の人?
――借金取り?
――暴力団?
278 名前:12・自転車の声 投稿日:2002年09月04日(水)15時30分18秒
(よっしー、あの人達、誰?)
初対面の後藤にとっては、二人にちょっとした威圧感を感じて、
小声で吉澤に話し掛けた。
(二人ともここの常連だよ。)
二人の格好に見慣れている吉澤は、いつもと変わらない口調で答える。
(でも、あの格好…)
(仕事着だから気にしなくていいよ。それよりね…)


「みっちゃ〜ん、おひさぁ。」
一人がサングラスを外しながら、
格好とはアンバランスな甘い声で平家に声をかけた。

しかし、平家は眉をひそめながら冷ややかな反応をする。
「…相変わらずものごっついなぁ…
もうちょっと、自転車乗りらしい格好しいや。」
「ちゃんと中にレーサーパンツ履いてるよ。」
もう一人が答える。
「いや…そういう問題やのうて…」

しかし、二人は平家の話を無視して、後藤の目の前で片膝を着いた。
「初めまして、この店の店長のテツヤと申します。」
「初めまして、同じくナオトと申します。」
そう言いながら、二人が名刺を差し出す。これ以上ない笑顔を添えて。
279 名前:12・自転車の声 投稿日:2002年09月04日(水)15時30分50秒
「……は、はぁ…」
後藤は意味がわからず、無意識のうちに名刺を受け取った。

名刺には[LEDY’Spub SILVER CROW]という店の名前と、
それぞれの名前が印刷されていた。

――ホスト?

後藤が名刺を見ている間に、テツヤとナオトが両端に座る。

「君…かわいいね。」
「名前、なんて言うの?」
「え?…あ、後藤…って言います。」

「お前らそろそろ…」
「いいじゃん、別に〜」
平家が止めようとするが、二人は後藤への“口説き”を辞めようとしない。
ナオトが後藤の背中に手を回しながら身体を寄せてきた。

「下の名前は?」
「…えっ…真希って言いますけど…」
「真希ちゃんかぁ…顔もセンスも名前もカワイイね。」
「“SUNN”のMTBって真希ちゃんのでしょ?」
「でも真希ちゃんが乗ったら、SUNNの良さも霞んじゃうよね。」
モノに引っ掛けて本人を誉める。女を落とす常套手段だ。
280 名前:12・自転車の声 投稿日:2002年09月04日(水)15時31分34秒
しかし、後藤はそんな言葉を気にせず、
愛想笑いを浮かべながら、名刺の裏を覗いた。

「あの…この名刺、ケータイの番号書いてないんですね。」
「あ、ごめんねぇ…」
後藤が二人に名刺を返す。

「仕事用とプライベート用、両方書いてくださいね。」
「……え?」
「それから本名も書いてくださいね。」
「……………」
絶句する二人。
後藤は二人の行為が“営業”だった事を全て見透かしていたようだ。
281 名前:12・自転車の声 投稿日:2002年09月04日(水)15時32分05秒
「ハハハハハーー!!」
「結局、飯田さんも保田さんも、ごっちんに遊ばれてたんじゃないですかぁ〜」
部屋中に平家と吉澤の笑いが響く。

「うるさーい!!」
「本名をいうなぁ〜!」
ホストとしてのテクニックやプライドが、
完全に潰されていた事を隠す様に大声をあげた。

「カオリも圭ちゃんも後藤にはムダやて。
なんつったって先輩が先輩やもんなぁ…」
「ですよねぇ…」
吉澤が含み笑いを浮かべて平家の顔を見る。

「先輩…って?」
きょとんとした顔で平家と吉澤を見つめる“ナオト”こと保田 圭。

「もうそろそろ来る頃ですよね?」
「せやな。」
「だから、その先輩って誰なの?」
保田同様、まだ理解出来ずに苛立ちを覚える“テツヤ”こと飯田 佳織。

「そろそろここら辺、片しとかないかんな。」
「そうですね。」
「そういや、二人とも、裕ちゃんとは暫く会うてへんちゃうかぁ?」

――裕ちゃんの後輩?
282 名前:12・自転車の声 投稿日:2002年09月04日(水)15時32分40秒
「たっだいまぁ〜…おっ、やっぱここに来とったかぁ〜御・無・沙・汰♪」
飯田と保田の顔を見て、中澤が二人の頭を撫でる。

「あっ、お前らやっぱ後藤を口説いとったんか?
まーったく、無駄な営業しよってからに…」
後藤から返された名刺を見付けて、二人をからかう様に笑う。
「いいじゃん、これが仕事なんだからぁ〜」
「せやったらウチを誘えっちゅーねん。ナンボでも飲んだるで。」

その言葉を聞いて二人の顔つきが変わり、
保田が声のトーンを落として言い返した。
「そう言って店に来た時に、
ドンペリ5本開けて、グラス11個も壊してったのは誰なのよ?」

更に飯田がその言葉に続く。
「あげくに“店長〜!ウチ、知り合いやからタダでええなぁ?”
って、そのまま帰ったんだよ。」
283 名前:12・自転車の声 投稿日:2002年09月04日(水)15時33分10秒
「……うわ…」
「ひどっ…」
「…裕ちゃん、アンタ鬼やな?」
保田と飯田から店での出来事を聞かされて、
三人の白い目と非難の声がチクチクと中澤に突き刺さる。

「……せ、せやかてなぁ…こいつらやで。
“遊びに来てね”って語尾にハートマークまでつけて誘ったんは…」
「いくらなんでもねぇ…」
「そない言われたいうてもなぁ…」
「普通はねぇ…」

「お、お前ら…よってたかって…みっちゃんも、後藤も、よっしーも…
って、よっしー、いつの間に来たん?」
「中澤さんが来るずっと前から居ましたよー!!」
「“TREK”は?」
「うっ…」

――うわ…裕ちゃん、腫れ物を思いっきり殴りよった…
284 名前:12・自転車の声 投稿日:2002年09月04日(水)15時33分40秒
吉澤は先刻の盗難事件の経緯を話した。
その話を聴いて、中澤が無意識に眉をしかめる。
「………計画的やな…」

しかし、飯田と保田は逆に冷ややかな顔で話を聞いていた。
何か考えがあってのことだろう。そして、飯田があまり抑揚のない、
むしろ事務的な仕事をする時のような声で吉澤に聞く。

「吉澤の自転車って、トライアスロン用のTREKになったんだよね。
ダークブルーの…」
「そう…ですけど…」
「じゃあ、探してみるね。」
「探すって…どうやってですか?」
飯田と保田は返事をせずに、携帯電話のメールを打ち始めていた。

「…何やっとるん?」
「メール。」
「いや…それはわかるんやけど…」
「吉澤の自転車の事をお客さんにメールすると、
それなりに反応返ってくると思うんだ。」
「私達の情報網は警察より速いし、確実だからね…」
285 名前:12・自転車の声 投稿日:2002年09月04日(水)15時35分16秒
数分後、飯田の携帯がメールの着信を知らせた。
「おっ、来た来た。」
着信音の“Tea For Two”の鼻歌を歌いながら、
携帯の受信メール欄を開き、その内容を読み上げる。

「うーん、と…
“夕方、楓谷駅の駐輪場でそれっぽい自転車を見かけたよ”だってさ。」
保田の携帯にも受信のメールが来た。

「あ、こっちのメールも同じ内容だよ。どうする?」
「行ってみる。ごっちん、自転車貸して。」
「いい…」
後藤が承諾しようとしたが、その言葉を平家が遮った。
「ウチの車出すからええわ。
保険の書類とかも持ってった方が後々楽やろうし…」

平家と吉澤が店の車(の名義にしている“BMW 2002 Turbo”)
に乗りこむ。

平家が運転して駅の駐輪場に向っているのだが、
暫く二人の間に会話はなかった。
平家が何気なく吉澤の顔を見ると、街灯や対向車のヘッドライトで
時々、吉澤の顔が見えるが、殆ど無表情で顔色一つ変えていない。
286 名前:12・自転車の声 投稿日:2002年09月04日(水)15時36分02秒
「…なぁ、吉澤。」
平家が吉澤の顔を見ずに、前を見ながら話しかけた。

「ハイ?」
本名を呼ばれ、一瞬躊躇しながらも返事をする。

「自分、自転車…好きなんやな?」
「ハイ…」
「……」
平家はその返事に対しての言葉がない。

不思議そうに吉澤が平家の顔を見ると、
時々ヘッドライトから映し出される平家の顔が、怒りにも似た真剣な顔をしていた。

そして、エンジン音に掻き消されそうな、
ラジオDJの静かな声と重い空気が流れている中、平家が口を開いた。
「…せやったら、なんでウチの自転車欲しいなんて言うたん?」
「……それ…は…」
「あのTREK、吉澤に懐いてきたのとちゃうん?」
「………」
吉澤が何も言えず、小さく項垂れる。
287 名前:12・自転車の声 投稿日:2002年09月04日(水)15時37分04秒
「確かに吉澤の自転車は仕事道具かも知れへんし、
あのまんまやったら、ロードレースなんかには出られへんけど…
(集団のレースはDHバーや、ブルホーンハンドルは禁止されています。)
自転車からやのうて、吉澤から選んだんやから…
もっと好きになってやらないかんやん?」
「……はい…」
「フリーホイールの音、大きゅうなってんで。グリス汚れとるんちゃうか?」
「えっ…」
毎日乗っている吉澤よりも、時々しか見ることのない平家の方が、
TREKの異常に気がついている。
「…所詮、自転車は金属の寄せ集めなんやから、
自転車からの声は、こっちがちゃんと聞いてあげないかんやろ?」
「……はい…」

――オーナー失格だな…

自嘲的な軽い苦笑いを浮かべながら、声にならない独り言を呟いた。

“自転車を好きになる”
“自転車を好きでいる”

たった2文字しか違う言葉だが、その言葉の違いが、
自転車を仕事道具としてしか使っていない吉澤には忘れてしまっていた。
288 名前:12・自転車の声 投稿日:2002年09月04日(水)15時39分50秒
――あの子、ほんとに可愛かったんだよな…

――色々無理させちゃったけど、ちゃんと頑張ってくれたし…

たった2ヶ月の間だが、吉澤とTREKとの信頼は、
非常にしっかりしたものになっていたようだ。

ただ、その事を吉澤が気付いていなかったというだけで…

「あのTREKのサイズ、自分に合ってたんですよねェ…」
ラジオからはサッチモの“All of Me”が静かに流れている。
平家はなにも答えない。

「前に乗ってた“GT”なんかより、落ちついて運転できたし…
ぜんぜん疲れないし…」
相変わらず、平家は運転に集中している。

「それに……」
言葉が詰まった吉澤に、平家が先刻と変わらないトーンで、
しかし、吉澤にもわかる優しい口調で答えた。
「…それが判っただけで十分なんちゃうん?」
「………」
289 名前:12・自転車の声 投稿日:2002年09月04日(水)15時40分40秒
そして、吉澤の方を見ながら、穏やかな声で優しく言葉を続ける。

「まぁ、TREKを仕事用にして、レース用にウチの自転車欲しい、
言うんやったら、ナンボでも造るんやけどな…」
その声を聴いて、自然と吉澤の顔が綻ぶ。

「でも…平家さんの自転車は高いんでしょ?」
「んなもん、ピンキリやで。」
「そうなんですか?」
「あたりまえやん。素材のパイプだけでも値段違うし…
パーツによってはナンボでも値段変わるて。」
290 名前:12・自転車の声 投稿日:2002年09月04日(水)15時41分12秒
飯田からのメールにあった駅の駐輪場に二人が着いて、
その敷地内に入ると、吉澤の自転車はすぐに見つけることが出来た。

早速、店から持ってきた防犯登録の書類と、
自転車のフレームに彫られている車体番号を確認する。
「………間違いないな…」
「そうですね。」
間違いなく吉澤の自転車だった。

平家が警察に連絡した所、直ぐに駆けつけてくれて、
所有者の物ということも確認が取れた。

“もう遅いから…”という事で、
引き取りの手続きが翌日になった事以外は滞りなく進み、
その日の内に自転車が吉澤の元に戻ってくる予定になった。

その頃の[Common House]はというと…
291 名前:12・自転車の声 投稿日:2002年09月04日(水)15時41分47秒
「みっちゃんな、向いの呉服屋の若旦那に惚れとったんやで。」
「え〜あの平家さんが?」
「みっちゃんて、趣味悪いんだねぇ…」
「そんでな、そいつが来るとみっちゃん、必ず耳だけ真っ赤になんねん。」
「そう言えば、私も聞いたことある。」
「みっちゃんの態度、他の人と全然ちゃうねんで。
“これ、ウチが造ったんですぅ…”とか言いよって、
思いっきしネコ被っとる声出してんねんで。
ウチ、それ見た時、ほんま笑い堪えんの必死やったわ…」

二人の状況を知らずに、飯田が[SILVER CROW]からくすねて来た、
賞味期限の切れかかっているレミーマルタンを飲みながら、
平家の暴露話に花を咲かせていた。

「ただいまぁ…」
「……ただいまぁ…」
「あ、おかえり〜。どやった?…みんなして心配しとったんやで。」
中澤が帰ってきた平家と吉澤に声を掛けてを迎える。

「…ありました。」
思わず顔が綻んだ吉澤は、声をかけた中澤を無視して、
飯田と保田に最初に声をかけた。
292 名前:12・自転車の声 投稿日:2002年09月04日(水)15時42分17秒
「ほんとに?よかったねぇ〜」
「メールの内容、当ってたんだ…」
「はい。わざわざありがとうございました。」
改めて、飯田と保田に頭を下げる。

「…裕ちゃんもウチの事、心配してくれてありがとうな。」
平家が中澤の向いのソファに座りながら冷ややかに言った。

「…?」
「…ウチは呉服屋の若旦那になんか惚れてへんし、耳だけ赤くならんで。」
平家が鋭い目つきで、中澤を睨む。

「…聴いとったん?」
「あんな大声で喋っとたら、外からでも聞こえるわ!!」
「せ、せやかて…みんなが…」

そう言いながら他の3人に同意を求めると、一斉に中澤から目を逸らす。
「…お、お前ら…」
293 名前:12・自転車の声 投稿日:2002年09月04日(水)15時42分55秒
翌日、吉澤が警察に自転車を引き取りに行くと、
担当の職員も自転車が好きだったようで、ちょっとした雑談に付き合わされて、
手続きに手間取ったが、事務的な事は簡単に済ませる事が出来た。

そして2日ぶりに吉澤の元へ自転車が戻ってきた。

たった2日間だったが、吉澤にとって自転車のない2日間は、
とても長い時間のように思えた。
シートステーの擦り傷、
溝が減ってきたタイヤ、
そして平家に指摘されたフリーホイールの音。

改めてTREKを見てみると、自分がこの自転車に一番触れているはずなのに、
なにも見ていなかった様に思えて、少し自己嫌悪になる。
294 名前:12・自転車の声 投稿日:2002年09月04日(水)15時43分31秒
――ちゃんと見てあげてなかったね。ごめんね…

吉澤がTREKのハンドルを握る。
その手が、ハンドルの曲線に合わせて自然に指が折れる。

サドルに腰を下ろす。
サドルの窪みと尻の位置が違和感なく落ちつく。

他の全ての動作も、無意識のうちにこの自転車に合わせている。
吉澤の気持ちよりも、身体の方がこの自転車を良く知っていた様だ。

――家に帰ったら、色んな所診てあげるからね。もうちょっと我慢してね。

傷の所にはステッカーを貼って、ちゃんと飾ってあげよう。
タイヤも新しいのに履き替えてあげよう。
フリーホイールもちゃんと掃除して、一杯グリス塗ってあげよう。

――自分が好きになった自転車だもんね。

そんな事を思いながら、人通りの少ない裏路地へ入っていった。
295 名前:12・自転車の声 投稿日:2002年09月04日(水)15時44分01秒
数日後

吉澤の携帯が鳴った。
ディスプレーを見ると飯田からだった。

「…もしもし。」
『あ、カオリだけど…今、大丈夫?』
「はい。大丈夫ですよ。」
『あのさ、明日なんだけど…店、手伝ってくれないかなぁ?』
「…はい?」

――なんで私に?

『ホスト、足りないんだぁ…』
「……はい?」

――ホストやれって事?

『みっちゃんの自転車、欲しいんでしょ?』
「………はい…」

――なんで知ってるの?

『メッセンジャーの仕事だけじゃ、買えないでしょ?』
「………うっ…」

――痛い所ついてくるなぁ…

『お願いっ!』
「…………は、はい…」
296 名前:12・自転車の声 投稿日:2002年09月04日(水)15時44分34秒
Pi

「…どうやった?」
“常連の間”のソファに座りながら、携帯電話を切った飯田に、
平家が後ろから声を掛けた。

「うん。やってくれるってさ。」
「…せやろ?」
平家の顔から、厭らしい笑みがこぼれる。

「…みっちゃん、商売上手だね。」
「それだけやないんよ。よっしーはレーサーとしてはええ素材持っとんで。
アイツに足らんモンは経験だけや。」
「ふーん…オヤゴコロってやつ?」
「今月、売上キツいのもあるんやけどな…
とりあえず、吉澤がウチの自転車買うてくれたら、何とかなんねん。」
「……お互い、店長って大変だね。」

二人が、香りがなくなった泥水のようなコーヒーをすする。
一日で何10万もの金を動かす店の店長の間に、いつの間にか、
妙にしみったれた空気が流れていた。
297 名前:今回は居酒屋トーク 投稿日:2002年09月04日(水)15時46分02秒
平家「…裕ちゃん、作者のアホ知らへん?」
中澤「あぁ、あいつやったら、ここのネタ無いっつーて、逃げよったわ。」
平家「せやから居酒屋か?」
中澤「まぁ、作者から飲み代もろたし、久々にゆっくり飲んでもええやん。」



平家「あ”あ”あ”あぁぁぁーーー!!!
  あかんあかん!やっぱ盛り上がらへんわっ!!」
中澤「…何切れとんねん?」
平家「ごっつ地味すぎるやん。後藤とか辻とか来てくれへんの?
  カウンター下のよっすぃ〜とか、
  天井裏の石川とか圭ちゃんとかおらへんの?」
中澤「2ちゃんの居酒屋ちゃうねんで。居るわけないやろ?」
平家「せやけど、ウチらだけでネタあるか?」
中澤「…………」
平家「……………」
中澤「ほんま、ウチらって地味やな…」
平家「せやな…………」

加護「ほんま、年はとりたないなぁ……はぁぁ…」
平家・中澤「…………」
298 名前:Strong Four 投稿日:2002年09月04日(水)15時56分22秒
というわけで、第12話更新しました。

これも、最近自分が思っていることをネタにしてみました。
(盗まれたことは無いんですが・・・)
自転車に限らず、“好きで居続ける”事って難しいんですよね。

この次は最終回前の話で、今までのまとめのようなものになります。
(しかもやっと、みちやぐネタ)
肉付けを考えていますので、もしかしたら10日以上更新が空くかもしれません。
なるべく気長にお待ち頂くよう、お願いします。
299 名前:図々しくも宣伝@作者 投稿日:2002年09月04日(水)16時42分03秒
http://m-seek.net/cgi-bin/read.cgi/flower/1031123583/
新しく小説立ち上げました。暇つぶしに見に行ってみてください。
300 名前:名無し読者 投稿日:2002年09月04日(水)17時49分07秒
>この次は最終回前の話

てことは、あと二回で終わってしまうんですね…
気長に待ってます。
301 名前:名無しさん 投稿日:2002年09月05日(木)18時29分12秒
あと2回ですか・・・
どんな終わり方か楽しみに更新待ってます。
がんばってください。
302 名前:名無しさん 投稿日:2002年09月13日(金)10時20分43秒
もう終わっちゃうんですね・・・
あと2回期待して待っております。

番外編とかあったらうれしいです。
303 名前:Strong Four 投稿日:2002年09月18日(水)20時17分11秒
>>300
>>301
>>302
(まとめて申し訳ないですが…)
レスありがとうございます。

申し訳ついでにもう一つ…

今回更新する話ですが、ちょっと煮詰まっている部分がありまして、
出来ている所まで更新します。
(今回の話はWord、A4で30枚強。レスの数もシャレにならないので…)
それから、最終回の後にエピローグもあるので、
この話を2回か3回に分けたとしても、最低でも更新は、4・5回かかります。

それから、番外編もストックしました。
このスレに余裕があればの話ですが・・・
304 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月18日(水)20時18分56秒
あれから2年。
後藤は最近、林道ツーリングに興味を持ち始めて、
GPSを使って、地図にも載っていない山道を探して走り回っている。
おかげでパーツの破損が激しく、自転車につぎ込む金額がかなり増えてきて、
“小遣いが足りない”と平家や中澤に愚痴をこぼしている。

吉澤は“House”のロードバイクを手に入れてから、
地元や近県のロードレースに参加し、それなりの成績を収めて、
全国レベルのレースに招待されるようになった。
噂では、いくつかプロチームからのオファーもあったらしい。

石川は自転車メーカーの会社に就職し、開発チームに参加し始めている。
そのメーカーも、女性用自転車の開発に力を入れ始め、
モニターとしてかなり重宝がられているようだ。

安倍は舗装された峠道のダウンヒルにも興味を持ち始め、
“Zip”をオンロード用に改造し、飯田や保田達と一緒に、
峠に集まってくるオートバイ連中を追い掛けているらしい。
305 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月18日(水)20時20分07秒
矢口は平家の所でアルバイトを続けていたが、自転車組立整備士の資格を取り、
平家の片腕として仕事を任されるようになった。
また、BMXのフリースタイルにも興味を持ち始め、
地元のローカルライダーの間では、結構有名人になっていた。

それぞれ、“サイクリスト”という名の病気をそれなりに楽しんでいた。

元凶である[Common House]の平家も、
相変わらずのはずだったのだが…
306 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月18日(水)20時20分37秒
「なぁ、みっちゃん…シクロキャンプ、造ってくれへんか?」
いつもは“常連の間”でくだを巻いている中澤が、
今日は何も飲まずに、真剣な顔をして、平家の前に座っている。

「いきなりどないしたん?“RAVANELLO”壊れたんか?
しかもシクロキャンプなんて…」

シクロキャンプという自転車は、
市井が乗っているランドナーよりも多く荷物を搭載できる
(大袈裟に言うと、家財道具一式搭載できる)自転車で、
何ヶ月か旅行をする人が使うための自転車だ。

ロードバイクに乗っている中澤が、
いきなりそんな自転車をオーダーするのは、それなりの理由があるはずだ。

「今日…辞表出して来たんや。」
ぼそっ、と吐き出したような、掠れた声。
「…なんで?」
「この間、紗耶香から連絡あってなぁ…先代と別府で会うたんやて。
直接話したらしいから、ホンマやと思うけどなぁ…」
「………お父ちゃんに?」
平家の左眉がぴくっと反応する。
307 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月18日(水)20時22分15秒
新しい自転車、退職、先代の消息…
平家の頭の中で、中澤の考えている事が一つの線で繋がった。

「……行くん?」
その言葉に無言で頷く中澤。
「そっかぁ…」

「行かなんだら、ウチはずっと“中澤裕子”にはなれへんと思うから…」
それを聞いて、平家も納得したような顔をする。
「…ほな、それは裕ちゃんの再出発の自転車になるんやなぁ…
うん…気合入れて造らさしてもらうわ。」

そして暫くの沈黙の後、さらに思いつめた顔で中澤が静かに口を開いた。
308 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月18日(水)20時22分52秒
「…そんでな…みっちゃんも、一緒に行かへんか?」
「なっ、……い…いきなり、何言うてん?」
中澤の思いがけない一言に声が裏返ってしまい、
引きつった硬い表情しかできなかった。

しかし中澤は更に言葉を続けた。
「みっちゃんもフレームビルダー以外の夢、あったんやろ?」
「!!……」
それを聞いて、平家の体が硬直する。

「…みっちゃん、カメラマンなりたかった、言うとったやん?
ええチャンスなんちゃうん?」
「…確かに…そういう夢、あったけど…」
「夕日の写真、撮りたかったんやろ?…一緒に行こうや?」
「……せやけど…」
「みっちゃん…」
「……考えとくわ。」

平家にとって、カメラマンになって、
夕日の写真を撮りたい、という夢は本当の事だった。
しかし、今の生活にもそれなりに満足している。
だからこそ、それを知っている中澤はそれ以上のことは言えなかった。
309 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月18日(水)20時23分25秒
仕事を片付けて、平家が部屋へ戻る。

部屋の明かりをつけて、最初に目に入ったものは、
父親が旅行中に撮ってきた夕日の写真だった。

ズキン、と平家の胸に小さな針が刺さったような痛みが走る。

『なぁ、お父ちゃん。この写真、ウチにくれへん?』
『なんや、みちよはこの写真、好きなんか?』
『うん。この色、むっちゃ綺麗やん。』
『ほな、この写真、大きゅうして部屋に飾っといてやるか?』
『ほんまに?』

この写真が平家の部屋に飾られてから20年にもなる。
それから平家は毎日欠かさずこの写真を見ていた。

――いつか、ウチもこんな写真を…

そんな気持ちが芽生えてきて、平家は中学生の頃から、
カメラと夕日の魅力にとりつかれるようになったのだが…
310 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月18日(水)20時23分56秒
――何でなん?

“みっちゃんも、一緒に行かへんか?”

――裕ちゃん、何でなん?

“カメラマンなりたい言うとったやん?”

――忘れとったのに…何で今更蒸し返すん?

“夕日の写真、撮りたかったんやろ?”

平家の心の中で封印した夢の箱が、カタカタと音を立てて騒ぎ始めた。
あの言葉は中澤の優しさだったのかもしれない。それは理解できる。
しかし今の平家にとっては、心を掻き乱す存在でしかなかった。

――何で?

“一緒に行こうや?”

時間が経てば忘れられるであろう、今までの憧れ。
大人になったら諦められるであろう、昔の将来。
もう無くなっていたであろう、自分の夢。

その夢を忘れられれば…

「……………………………あ゛………が…ぁ……」
思い出したばかりの夢が、慟哭に変わる瞬間。

“絶望はわずかでも希望があるからこそ存在する”

そう自分に言い聞かせていた平家は、何年も前から埋もれていた夢が、
涙と声にかわり、それを一気に吐き出す様に大声で泣き叫んだ。
311 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月18日(水)20時25分01秒
「矢口は、夢ってあるん?」
平家と矢口は5軒隣の中華料理店から出前を頼み、遅い昼食を摂っていた。

「?…ろしたの?急に…」
矢口は中華飯の鶉の卵を口の中で弄びながら、平家に聞き返す。
「いや…なんや、思う事があってな…」
そう言葉を濁しながらほうじ茶をすする。

「夢かぁ…うーん…今の所は自転車かな?」
「自転車?」
「矢口って、結構3日坊主でさ。好きになってもなかなか続かないんだけど…
それが、ここに来て2年も経ってるんだから、
この仕事は自分に合ってると思うし…
それに資格も取ったんだから、出来れば独立して店持ちたいなぁ…
って、甘い考えもあるんだけどね。」
「ふーん…せやったら、もっと勉強せなアカンな?」
平家は堅焼きそばをすすりながら、いたずらっぽく、視線だけを矢口に向ける。
「…そっちに話、持って行きたかったの?」
「いや…せや無いけどな…」
312 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月18日(水)20時25分35秒
「平家さんは?」
「え?」
「夢。」
「ウチかぁ?…ええやん。」
「あっ!人に語らせておいて、自分はなんにも言わないの?」
「ウチのは…あんまおもろないし…」
「そういう問題じゃないでしょ?
ハイ、平家さんの夢は何ですかぁ〜?」
矢口が蓮華をマイクに見たてて、平家に向ける。

「うーん…ウチなぁ…カメラマンになりたかったんよ。」
「カメラマン?」
「うん。お父ちゃんが撮った写真で、むっちゃ綺麗なのがあってなぁ…
それからウチもああいう写真撮りたいなぁ…って思てな。」
具の野菜を摘みながら淡々と話す平家だったが、
矢口の顔を見ながら話す事は出来なかった。
もし、矢口に自分の本音を見透かされたら…というのが怖かったのだろう。
313 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月18日(水)20時26分11秒
「それだったら…今からでも出来るでしょ?」
「え?」
平家が矢口を見ると、冗談のかけらも無い、まっすぐな瞳で自分を見ている。
その視線は、今の平家にはちょっと痛いものだった。
「平家さんは手に職持ってるんだから、写真でお金稼ごうと思わなかったら、
そんなに難しい事じゃないでしょ?」
「…まぁ…せやけど、ウチは文字通りの“自転車操業”やからな…」
そう言って話を終わらせたが、平家の中では引っ掛かる言葉があった。
314 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月18日(水)20時26分44秒
閉店後、今日は珍しく誰もいない“常連の間”で、
平家は一人、昼食の時に言った矢口の言葉を思い出していた。

“出来れば自分の店を持ちたい。”

“今からでも出来る”

“写真でお金を稼ごうと思わなかったら…”

“趣味で写真を続けていれば…”

「うーん…どないしよ…」
そのままソファに横になり、
中澤の香水がわずかに残っているクッションに顔を埋めた。

――そうは言っても、どうにもならへんもんなぁ…
315 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月18日(水)20時27分24秒
翌日

この日は中澤と平家だけの晩酌になっていた。
しかし、中澤が酔っ払っているいつもの状況とは、ちょっとだけ違っていた。

「…みっちゃん、ペース速いんちゃうかぁ?」
「へっ?…ほないなころ………へへっ…ないれすよぉ〜」

――思いっきりグダグダやん…

中澤の言う通り、今日の平家は珍しくアルコールの量が多く、
すでに呂律が回っていない状態になっていた。

「裕ひゃんも、飲まないかんれぇ〜」
そう言いながら、8本目の缶ビールを開ける。
「…ハイハイ…みっちゃんも、矢口に鍛えてもらわないかんなぁ…」

今までの酔っ払った平家は、今日のようにへらへらと、明るくなるのだが、
中澤の何気ない一言、“矢口”の言葉に平家が豹変した。
「……矢口ぃ〜!?…矢口を鍛えとるんはウチやで!
…それやのに…だいたい、アイツは2年しかやってへんっつーのに、
“独立したい”だぁ〜!?…100万年早いっつーねん!!
…ったく、あのアホは何考えとんねんっ!!」
316 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月18日(水)20時27分57秒
「…みっちゃん、どないしたん?」
「…………矢口がなぁ…矢口が…」
平家のトーンが急に下がり、言葉に詰まる。

「…………ウチかてなぁ…ウチかて……」
「うん…」
「………せやったら、ウチがおらないかんやん?
…………それやのに…裕ちゃんも、矢口も…
なっちも、カオリも、圭ちゃんも……
紗耶香も、よっしーも、石川も、後藤も……
みんな……みんな何でなん?………なんで?…」
平家の声は、すでに泣き声になって、言葉にならない。

――何でウチばっかり…

店長としての責任、矢口の将来、常連客からの信頼、
そして中澤の未来と自分の夢…
平家が背負うべき事は、自分にはあまりにも重すぎる物だった。

その重さを唯一理解できる中澤が、
背中を丸くして泣きじゃくる平家の隣に座り、
小刻みに震えている肩を抱きしめた。
「…みっちゃん…もう、ええやん…な?」
「………」

「もう、一人で背負い込むことないんちゃうか?」
中澤が平家の肩をさする。

「…一度位は人の事考えんと、自分の事だけ考えてもええんちゃうか?」
317 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月18日(水)20時30分19秒
――痛っ…

翌日目が覚めた平家は、今までにない飲み方をしたため、
頭が割れそうな程、昨日の酒が残っていた。
「…気持ち悪…」
そんな独り言も、頭の中に響いてしまう。

――仕事…できるやろか?

ドンドンドンドンドン!!
暫く亀のように布団の中で蹲っていた平家の耳に、
裏口のドアが叩かれている音が聞こえた。矢口が出社して来たのだろう。

その音に響く頭を抱えながら、平家はベッドから起きようとするが、
まだアルコールが残っているらしく、脚の踏ん張りがきかない。

――やば…起きれへん。

平家がまだベッドの上で蹲っていると、もう一つ耳から脳を叩くものが現れた。
枕もとにおいている携帯電話だった。

平家がダウンロードしている“In the mood”も、
いつもは楽しくさせてくれる曲だが、今はうっとおしい騒音でしかない。
その騒音と戦いながら無理矢理携帯を手にとると、案の定、矢口からだった。
318 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月18日(水)20時30分56秒
『もしも〜し、平家さーん!』
電話の向こうから、大きな声が脳を直撃した。
反射的に耳から携帯を離し、額に手を当てながらも、
とりあえず電話の向こうの相手に力なく返事をする。

「………もしもし。」
『平家さん、今何処?』
「…ゴメン、今起きた。」
『えぇ!?』
「今、開けるから…ちょぉ待っとって…」
そう言って電話を切るが、
まだベッドから起きる事が出来るかどうか自信がない。

テーブルや壁に手を当てて、体を支えながらゆっくり階段を下りて、
なんとか裏口のドアを開けた。
「平家さ、臭っ!!…どしたの?」
平家がドアを空けた瞬間、矢口の鼻の中に部屋のアルコール臭が襲ってきた。

「……昨日…ちょっと…な…」
「ちょっと、って…絶対ちょっとじゃないでしょ?すっごく具合悪そうだよ。」
「…だい…じょうぶ…」
「ぜんぜん大丈夫そうに見えないんだけど…」
「……………うん…」
319 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月18日(水)20時31分47秒
真っ青になって、気持ち悪そうに俯いている平家の顔を見ながら、
矢口が壁と平家の間をすり抜けて室内に入る。

「とりあえず、平家さんは上で寝てていいから。」
「…………」
平家が“常連の間”のソファに体を預け、
視点が定まっていない目で周りを見ていると、
いつも以上にテキパキと開店準備をこなしていく矢口が視界に入ってくる。

――矢口もしっかりして来たなぁ…

開店の準備を任せられる様になった矢口に対しての安心感からか、
平家の中で脱力感と眠気が襲ってきた。


――あ、シャッター開けな…

ここのシャッターは何箇所かの癖があり、
先代と平家にしか、開け閉めができないものだった。
勿論矢口にも開けさせた事はない。

ガラララッ…
店のシャッターを開ける音を聞いて、平家の意識が急にはっきりした。

――矢口が開けたんやろか?

不意に体を起こし、店内の方を見る。しかしこれといった異変もない。
その代わり、湿気を帯びた朝の冷たい空気が店内から流れてきた。
320 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月18日(水)20時32分22秒
「矢口、シャッター…開けたん?」
“常連の間”のソファの背もたれから顔だけを出して、
奥に見え隠れする矢口に声をかける。

「うん。開けたけど…なんで?」
「よう開けられたな…」
「いっつも見てるからね。癖もだいたいわかっちゃたし…」
「…そおかぁ…」

――矢口も出来る様になったんか…

シャッターを開ける、という些細な仕事だが、
この店で、自分にしか出来ない仕事…
そんな事が矢口にも出来る。
そう思った平家は、なぜか急に落ちついた感じと、
どことなく淋しさに似たような感じが沸いてきた。
321 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月18日(水)20時32分54秒

昼近く、二日酔いから開放された平家が仕事場に復帰した。

「問題ないか?」
「うーん…問屋さんから、明日来るはずの荷物が来たけど…
そんなもんかなぁ…」
「お客さんは?」
「うーんと…パンク修理の人が3人と、
再来週までリカンベントのオーバーホール頼んだ人がきたけど…」

「…さよか。」
いつもとあまり変わらない状況だった様だ。
ただ、そこに平家が居なかったというだけで…

――ウチって、ここに居らんでもいいんかな?
322 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月18日(水)20時33分32秒
平家が考え事をしながら宙を見つめていると、
不思議そうな顔をして矢口が顔を覗きこんできた。

「…どしたの?」
「ん?…あぁ…何でもない…」
不意に声を掛けられて一瞬戸惑ったが、当り障りのない返事をして、
自分の顔を見ている矢口から視線を逸らす。

「…ほな、ウチはパソコンいじっとるから…店の方、頼むわ。」
「はーい。」

実際、自転車の設計や会計処理などの仕事は残っていたが、
その場を避けたかった気持ちの方が強く、
パソコンの前に座っても全く仕事は捗らない。
しかし、平家の頭の中では中澤の事と矢口の事で一杯だった。
323 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月18日(水)20時34分07秒
閉店後、平家が自分の部屋へ上がると、
今日も父親が撮った夕日の写真が目に入った。
そして、写真の前に正座して、改めてその写真と向かいあう。

――ええんやろか?

平家が写真を見つめる。

――そんなんわがままやって、ええんやろか?

平家がもう一人に自分に問い掛ける。

――ウチにそんな権利あるんやろか?

平家の中ではすでに答えが決まっている。しかし自分一人で自分だけでなく、
周りの人間の環境や、将来を変える権利があるとは思っていない。
324 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月18日(水)20時34分40秒
その決断を誰かに決めて欲しかった。
その答えを行動に移す勇気を、誰かに後押しして欲しかった。
もう一言、誰かが、何かを言ってくれれば前へ踏み出せる。
もう一言…

“一度位は自分の事だけ考えてもええんちゃうか?”

思わず頭を擡げる。
中澤の優しい声を思い出し、無意識のうちに平家の顔に苦笑いと、
重い荷物が降ろされたような開放感に満ちた表情が浮かんだ。

「……やっぱり…裕ちゃんは他人やなかったんやな…」
325 名前:Strong Four 投稿日:2002年09月18日(水)20時38分29秒
というわけで、第13話の途中まで更新しました。

ストーリーはもう、終わっていて、最終回やエピローグも
出来上がっているんですが、今回更新した後の文章が、
どうもしっくりこないと言うか、納得いっていない部分があるので、
もうちょっと待ってください。
326 名前:名無し読者 投稿日:2002年09月18日(水)23時38分58秒
おっと!?急展開ですね。すんげえ気になる。
次回の更新を楽しみにしてます。
327 名前:Strong Four 投稿日:2002年09月25日(水)20時47分45秒
>>326
レスありがとうございます。
確かに急展開ですよね。
みんなついて来れてるかな?

なんか、色々いじっているうちに“みちやぐ”ではなく、
“みっちゅー”っぽくなってます・・・っつーか、なっちゃいました。

中澤「あんな、おっさんとカラミなんか嫌や。」
……そーゆーカラミはないんで…
中澤「前から言っとるように、矢口とウチのカラミはないんか?」
それはどっかの大御所に任せてますから・・・
後藤「“みちごま”もないのぉ〜?」
ねーよっ!!いつ言ったよ、そんなこと!?
後藤「だってぇ・・・瑞樹さん、休筆宣言しちゃうし・・・」
・・・あっちでハッピーエンドになったからいいでしょ?

お騒がせしました。それでは続きです。
328 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月25日(水)20時48分45秒
「…で、裕ちゃんは、いつ頃行こう思とるん?」
「いつって……うーん…人事の奴がゴネとるし、引継ぎとかもあるから…
2ヶ月は先になる思うんやけど…」

中澤と一緒に行こうと決めた平家は、
電話で中澤を店まで呼び、依頼された自転車のことについて話をしていた。

「2ヶ月かぁ……もうちょっと伸ばせへん?」
「…なんで?」
「裕ちゃんと…一緒に行こう、思うたんやけど…」
「ほんまに!?一緒に行ってくれるん?」
中澤が思わず破顔して、平家の言った言葉が、
聞き間違いではないことを確認するように平家に聞き返す。

しかし、平家の表情は変わらず、
中澤にはさっきより強張っているように映っていた。

「…どないしたん?」
「それまでに……この店……売りたいんよ。」
「……………はぁっ?」
329 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月25日(水)20時49分17秒
「何言うてん!?ここがのうなったら、みっちゃんと先代はどこに帰るん!?」
声を荒げ、ソファから身を乗り出して平家に詰め寄った。
平家も、中澤が怒る意味も十分過ぎる位わかっていて、
申し訳なさそうに項垂れながら、小さな声で答える。

「ゴメン…」
「ゴメンやのうて…」
「……………」

「…金か?」
「……うん………ウチの財産言うたら、この店しかないから…」
「せやかて……ここだけは残しておかないかんやん?」
確かにこの店を売れば、手っ取り早くお金が手に入るが、
その選択はどうしても納得できない。
330 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月25日(水)20時49分47秒
「旅費やったらウチが何とかするから…」
「それだけやないねん。」
「…なんやねん?」
「…契約通りに返しとったから、裕ちゃんには判らんかったやろうけど……
溶接の機械買うたり…店、改装したりしてな…
1200万…借金が残っとんねん…」
「………1200万…!?」

その金額を聞いて、さすがの中澤も言葉を失ってしまった。
身体中の力が抜けて、スローモーションのように、
ゆっくりとソファに体が落ちて、がくんと頭が倒れる。

自分のために、平家に夢を諦めさせ、
その後始末のために、今度は平家の居場所さえも奪っていく…
331 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月25日(水)20時50分20秒
“みっちゃんも、一緒に行かへんか?”

自分が言った軽い一言に、事の重大さを知って、今更ながら後悔する。

「……ゴメンな…」
中澤が小さく呟く。

「別にええねん…」
「ゴメンな…ウチが誘わんかったら…」
「ええねんて…裕ちゃんと一緒に行く事は、ウチが決めた事なんやから…」
そんな優しい言葉が余計に辛かった。

「それに…この店の半分は裕ちゃんのモンやねんで。」
「え?」
332 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月25日(水)20時52分19秒
「中澤さん、会社辞めちゃうって、聞いたんですけど…
平家さん、なんか聞いてないですかぁ?」
久しぶりに[Common House]に顔を出した後藤が、
会社のうわさ話を持ち出した。

「なんや、もう知られとるんか?」
「知られてる…って、本当の事なんですかぁ?」
「うん。ウチと旅行…って、そないな楽しいモンやないけどな。」
「旅行…って、そんなの、有給取ればいいじゃないですかぁ?」

「そないな簡単なモンとちゃうねん…
後藤なぁ…裕ちゃんの夢って、聞いたことあるか?」
無言で頭を横に振る。

「裕ちゃんな…あー、もっと昔から話さないかんか…」
「昔?」
「ウチと裕ちゃんて、姉妹やねん。今の戸籍では他人なんやけど…」
「姉妹!?」
333 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月25日(水)20時53分06秒
「お母ちゃんて、お父ちゃんと結婚して、ウチが生まれて
すぐ死んでしもたんやけど…裕ちゃんは、お母ちゃんの連れ子でな…」
「………そう、なんですか…」

「お父ちゃんは、裕ちゃんにこの店継いで欲しかったらしいんやけど、
裕ちゃん、自分だけ血ぃ繋がってへんから、ウチに気ぃ使うたんやろな…
大学行っとる時に“作家になりたい”言うて、お父ちゃんと喧嘩したんよ。」
ある程度話をして、続きを考えながら、
テーブルに置いてあった、汗をかいた麦茶を一口含む。

「裕ちゃん、お父ちゃんの事、ごっつ好きやったし、
ウチより自転車好きやったから…
お父ちゃんも相当ショックやったんやろなぁ…ついブチ切れて……」
後藤は、相槌さえも打たずに真剣に平家の話の続きを待っている。
334 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月25日(水)20時53分41秒
「裕ちゃんは裕ちゃんであないな性格やから…その日の内に市役所行って…
お母ちゃんの昔の苗字名乗って…ほんで今の生活や。
ウチはウチでカメラマンなりたい、って夢あったから…
それを潰した負い目もあるんやろなぁ…
裕ちゃんもある程度落ち着いたから、旅行はその清算のために、
お父ちゃんに逢いに行くんよ。」

「で、でも…お父さんて、今何処にいるか、知ってるんですかぁ?」
「わからへん…時々連絡は来るんやけど、携帯持ってへんし…
せやけど、それでも逢いに行く事に意味があるんやないかな…」
「意味?」

「うん…ウチがこの店任されてから、お父ちゃんが[Common House]
って名前にしたんやけど…普通、“平家”を英語にするんやったら、
[Flat House]やろ?」
「そう、ですよね。」
「“Common”って“中間”って意味で、
中澤の“中”って意味にしたかったらしいんやな。
お父ちゃんが“二人で頑張るように…”って、裕ちゃんの居場所、
造っとったんやけど、裕ちゃん、そのこと知らなかったんやなぁ…
この間、その事話したら裕ちゃんボロボロ泣きよってなぁ…」
335 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月25日(水)20時54分12秒
一通り話した後、平家が一息ついて天井に顔を向けながら、
遠い目をしてぼそっと呟いた。
「親子って、血やないんやなぁ思うたわ…」

その一言が今までの[Common House]のすべてを物語っていた。
336 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月25日(水)20時55分31秒
「矢口…ちょぉ…」
閉店後、帰り支度をしている矢口を平家が呼び止めた。

平家のその低いトーンの声に何かを感じた矢口は、一瞬身体を強張らせる。
「…どうしたの?」
「………」
寂しそうに視線を落としている平家の身体が微妙に震えている。

「…平家さん?」
「…これ。」
平家が矢口の目の前に差し出したその茶封筒は、毎月目にする封筒だった。
「え?給料日…って、来週でしょ?」
「…給料やないねん……紹介状や。」

「…しょう…かい、じょう…?………って何?」
その言葉の意味を理解できない矢口は、何の言葉も見つからず、
平家の言葉を言い返すことしか出来なかった。

「…悪いんやけど、この店閉めねん。」
「………へっ?」
「……いきなりクビ、っつーのもあれやから…
この自転車屋で働けるように頼んどいたから…」
337 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月25日(水)20時56分45秒
矢口にとっては突然の一言だった。
さーっと目の前に霧がかかったようにぼやけて、
すべての時間が止まったような気がした。

「……矢口?」
ほんの2・3秒だが、視点が宙を彷徨っている矢口に気付き、
自分より背の低い矢口の顔を、中腰になって下から覗きこむ。

「…なんで?」
「え?」

端から見れば単なるアルバイトなのだが、
矢口にとって、この店はやっと見つけた居場所のような所だった。
自分のやりたい事…
大袈裟に言うと、人生の機軸をやっと見つけられた、
そんな絶対的な場所だった。

「…なんで店閉めるの?」
「………ゴメン…」
338 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月25日(水)20時57分15秒
「平家さんっ!!」
思わず大声を出した矢口の勢いに押され、平家が重く口を開いた。
「…ウチ…裕ちゃんと一緒に行く事にしたんよ。」
「…だからって…だからって、なんでこの店閉めなきゃなんないの!!?」
「…恥ずかしい話なんやけど…借金、あんねん……1200万。」
「…………」
その金額を聞いて、矢口も言葉が続かなくなる。
アルバイトの矢口の立場からすれば、経営の事に関してはどうしようもない。

「矢口のこともあるし…どないしようか迷ったんやけど…
ウチが、やりたい事出来るんは、今しかないねん。」
「…………」
矢口は俯いたまま返事をしない。
339 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月25日(水)20時57分54秒
「矢口…」
「………………だめ…だよ。」
両手を強く握り、ふるふると声を震わせながら静かに反論した。

「ダメだよ……じゃぁ、ここに来るみんなは何処に行くの!?
後藤さんとか、石川さんとか…みんな平家さんの店、頼って来てたんでしょ?
みんな…みんな、ここが好きで集って来てたんでしょ!?
…みんながいたから平家さんだって…ここにみんなが来てくれてたから…」
顔を擡げながら話し続ける声に泣き声が混ざり、言葉が掠れていく。

「矢口…ウチの気持ち…判ったって。」
その気持ちを察して、平家が矢口の両肩に手を置き、
優しく泣き顔のコドモを諭す。しかし今の平家にはそれしか出来ない。

矢口が顔を上げると、少なくとも自分以上に泣き出しそうな、
そして、今まで見たことのない悔しそうな平家の顔があった。

矢口が、また俯く。

自分だけじゃない。
自分よりも、自分の居場所が無くなってしまう本人の方が辛いはずだ。
340 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月25日(水)20時58分24秒
改めて平家の顔を見る。
「……私じゃ、ダメかな?」
「え?」

顔を上げて、今度ははっきりとした声で、平家の目を見ながら話した。
「私一人じゃ…この店、やって行けないかな?
平家さんが帰ってくるまで、この店…矢口が守る事…出来ないかな?」
「……難しいな…」
「なんで?」
「もう、不動産屋に頼んどるんよ。
何人か下見にも来とるし……もう…どうしようもないねん。」

また、矢口の目の前に濃い霧がかかった。
341 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月25日(水)21時01分19秒
「…いらっしゃいませ。ご注文は?」
アンティークの家具でコーディネートされた、薄暗い間接照明しかない
店の奥から、無愛想なウエイトレスがお絞りと氷水を持って来た。

「アイスティー。」
「あ、私も。」
「私はアメリカンで…」
「…かしこまりました。」
事務的にメモをとり、軽く会釈してその場を離れる。

その瞬間、矢口が向いの二人に顔をつき出して、迫る様に話し始めた。
「…どうしよ?」
夕方、仙人社の近くの喫茶店に、後藤と吉澤を電話で呼び出していた矢口は、
[Common House]売却の話を二人に相談していた。
342 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月25日(水)21時02分50秒
「どうしよう、って言われてもねぇ…」
「額が額だからねぇ…」
「私達には無理だよぉ…」
もしかして…という考えもあったが、
二十代そこそこのOLと、肉体労働者と、アルバイトの女3人に、
店1件買える程の貯金があるとは思えない。

「ねぇ、誰かお金持ちの人いない?」
後藤が手の平だけで否定する。

「石川さんは?」
矢口の視線が、吉澤に向けられるが、あまりいい顔はしていない。
「確かに、あそこの家はお金あると思うけど…
本人は会社員だし、平家さんは、親とは面識ないみたいだし…」
「…やっぱり。」
「はあぁぁぁ……」
お金も、お金を持っているスポンサーの当ても無い。
三人に出るものは、落胆のため息だけだった。
343 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月25日(水)21時04分39秒
「あ、ごめん。ちょっと、トイレ…」
後藤が席を立つ。

――やっぱりだめなのかなぁ…

「はあぁぁぁ……」
ここへ来てから何回目かの溜息をついた後、
矢口が両手で頭を抱えながら動かない。

「…でも、矢口さんは平家さんに自転車屋、紹介してもらったんですよね?」
「……うん……でも…昨日、その店行ってみたんだけど…
なんか…嫌なんだよね。」
返事はするが、矢口の顔は俯いたままだ。

「そんなにひどい所だったんですか?」
「そうじゃなくって…平家さんの店って、居心地良いんだよね……
なんかさ…空気が暖かいっていうか…自転車が活きてる、って感じがするんだ。
それに…みんながバラバラになるのって、嫌じゃん。」
344 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月25日(水)21時06分20秒
それを聞いて、吉澤が頬杖を突きながら、
パールホワイトに塗装された“House”のロードバイクを窓越しに眺める。

吉澤があの自転車に初めて逢った時も、日本刀のような、冷徹で美しい、
そして息苦しいほどの気高い威圧感を放ちながら、
実際に乗ってみると、柔らかい毛布で体を包まれたような、
ゆったりした気持ちにさせてくれる。
造り手である平家の気持ちや暖かさが手にとるようにわかる…
そんな不思議な自転車だった。

そんなユーザーの気持ちを理解し尽くして、それを形にできる平家が、
店を捨てて、みんなの気持ちを知っていながら、自分の夢の方を選んだ。
345 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月25日(水)21時07分00秒
――私も平家さんの店以外は行きたくないんだけどなぁ…

吉澤も[Common House]の空気は大好きだったし、
無くなってしまうのは認めたくない。

しかし、今は平家の夢の方を応援したかった。
自転車が楽しいことを教えてくれた平家に感謝したかった。
そして、自分が平家を応援する事と同じように、
会社を辞めてまで先代を探しに行く中澤を応援して欲しかった。

――でも…矢口さんの気持ちも判るからなぁ…

ふーっ、と鼻から息を吐く。

そして、矢口の言葉を一つ一つ考えながら、吉澤がゆっくりと口を開く。
「でも…自転車続けていれば、バラバラになっても、何時かまた会えますよ。
みんな仲間なんですから…」
それを聞いて、矢口の顔が少しだけ緩む。

「それに…矢口さんへのリベンジ、まだ終わってませんからね。」
「ふっ…自転車変わっても、エンジンは同じでしょ?かなうわけ無いじゃん。」
「…うっ。」
346 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月25日(水)21時07分39秒
「ああぁぁぁぁぁぁーーーー!!!」
店の奥から、後藤の叫び声が聞こえる。

二人が化粧室の方を見ると、後藤が荒々しくドアを開け、
テーブルの前に走り出してきた。
「…どしたの?」
「今から時間ある!?」
上気した顔の後藤が二人の前で叫ぶ。

「え?」
「用事は…ないけど……」
「店、買ってくれるかもしんない人、いたよぉ!!」
そう叫ぶ後藤の右手には、一枚の名刺が握られていた。
347 名前:Strong Four 投稿日:2002年09月25日(水)21時12分13秒
というわけで、第13話の途中まで更新しましたが、
スレッド引越し警報が出ています。
残っているのは、Wordで、約30枚。
(最終回と、番外編と、あとがき)
今までの更新量で行くと、完結まで50〜60レスになりますが、
348 名前:Strong Four 投稿日:2002年09月25日(水)21時22分14秒
すいません。途中で投稿ボタン押しちゃいました。

今までの更新量で行くと、完結まで50〜60レスになりますが、
新スレ建てるほどの量じゃないですよね。

花版で完結した小説があるので、そっちに続きを書くか、
改めてスレ建てるか迷っています。

ほかの方法でもいいので、何らかの解決策があったらレスをお願いします。
349 名前:名無し読者 投稿日:2002年09月26日(木)00時24分18秒
新スレたてたとして、そこで新作の予定は?
ないのでしたら、花板に引っ越しでいいと思いますよ。

350 名前:名無し読者M 投稿日:2002年09月26日(木)05時18分31秒
花板の完結小説の残りに続きを書かれたのでよろしいと思いますよ。
「スレの残りが足りなくなったのでここに移ります」とか移転する旨を
書いてもらえば、みんなついて行けると思いますし。
351 名前:名無し読者 投稿日:2002年09月26日(木)10時06分32秒
続きがめちゃくちゃ気になる〜!!!
作者さんどこまでも付いていきます!(藁)
352 名前:Strong Four 投稿日:2002年09月26日(木)21時45分47秒
>>349
>>350
>>351
わざわざレスありがとうございます。
厨房に優しい読者さんばかりでありがたい限りです。

新作は…頭の中にしかないので、書き上げるとなると、
どれだけ時間掛かるか判らないので、続きは花版に移します。

移転先はここになります↓
http://m-seek.net/cgi-bin/read.cgi/flower/1031123583/

いろいろいじりたい所があるので、更新は今週末あたりになると思います。

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