インデックス / 過去ログ倉庫 / 掲示板
青のカテゴリー2
- 1 名前:カネダ 投稿日:2002年08月03日(土)00時21分42秒
-
そして二人は対峙する。
前スレ http://m-seek.net/cgi-bin/read.cgi/sky/1024240381/
- 2 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月03日(土)00時34分08秒
- 梨華は朝、いつもより一時間程早く目を覚ました。
今度は筋肉痛の所為ではなく、梨華自身が目覚ましをかけて起きた。
聞き慣れない小鳥の囀りと、時計から発する機械音が混じった音
を同時に聞きながら、バチンと目覚まし時計のボタンを強く叩く。
嫌がる体を上半身だけ無理やり起こし、眠気まなこをクシクシと、摩擦するように
強く擦った。
日課になっているぬいぐるみの熊に挨拶を済ませると、梨華は欠伸を一つ大きくし、
その後、組んだ両掌を天まで届くほど低い天井に向けて伸ばし、伸びを思い切りした。
パジャマを乱暴に脱ぎ、即座に短パンとTシャツに着替えて、
次に軽いストレッチをした。
意識がハッキリしてくると、一階に下りる。
ばたばた短い廊下を駆けながら、素早く洗面所で顔を洗い、
六畳のリビングのタンスにかけてあるラケットを掴んだ。
母親と父親はポカンと口を開けながら、梨華の忙しい動きを追うように見ていた。
- 3 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月03日(土)00時36分51秒
- 「ちょっと素振りしてくるー!」
と元気で伸びのある声を出して、梨華は家をさっさと出て行った。
父親と母親は、リビングでちょこんと座りながら、一緒に玄関の方を見る。
「母さん、梨華はいつからあんなにテニスを真剣にするようになったんだろう?」
「・・さあねえ、でもいい事じゃない。
何か本当に真剣に続けた事なんて、梨華にあった?」
「そういえば、無いな。」
「そうよ、でも今回は一味違うみたいね。」
「だといいんだが・・・」
梨華は走って五分ほどで着く小さな児童公園で、朝の澄んだ日差しを浴びながら、
とりつかれたように素振りをしていた。
幸い、手首の痛みは殆ど無い。
(はやくみんなに追いつけるようにがんばらなきゃ)
- 4 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月03日(土)00時38分14秒
- 梨華は希美の実力、その希美と互角の試合をした松浦。
安倍のあの独特のテニス。そしてピクシー、矢口。
こんなメンバーの中に自分がいる事に戸惑っていた。
以前の自分なら、ここで妥協していたかもしれない。
でも、今は上手くなりたくて仕方が無かった。
不慣れな努力というものを、梨華は進んでする事にした。
小一時間ほど休み無く、色々な形の素振りをした。
とにかく、上手くなりたかった。
家に気持ちのいい汗をかいて着くと、いつも通りに朝ご飯を食べ、
いつも通りにシャワーを浴び、いつも通りに学校に向かった。
- 5 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月03日(土)00時39分58秒
- 梨華が木漏れ日の坂を上る際、毎日必ず、まず吉澤が後ろから話し掛けてくる。
「おっはよー、梨華ちゃん。」
「よっすぃ、おはよう。」
そして、そこから五分ほど他愛の無い話をしながら並んで歩いていると、次に希美が
後ろから二人の間の狭い隙間に平泳ぎをするように割って入ってくる。
「おっはよー、お二人さん。」
この些細な恒例行事が、梨華は大好きだった。
このまま三年間、こうして登下校できたら、なんて事を思ったりもしていた。
すると、吉澤が意味不明な事を口走った。
「今日テストだよね。」
(テスト?何の?)
梨華は訝しげに吉澤に訊ねる。
「何のテスト?」
- 6 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月03日(土)00時42分06秒
- 吉澤はキョトンとした表情を見せたすぐ後に、
そんなの中間に決まってんじゃん、と笑いながら言った。
中間テスト。
梨華の頭の中にはテニスしかなかった。
そう言えば、昨日あの担任が、
ネットリとした口調でそんな事を言ってたような気もする。
心臓がバクバク高鳴ってきた。
「もしかして、りかちゃん、勉強してないの?」
希美が不思議そうに訊ねてきた。
梨華は唖然としたまま、首をポトリと落とすように頷いた。
「さすが馬鹿!!」
吉澤がとてつもなく失礼な事を口走ったが、梨華の意識は別の世界に向かっていた。
希美も腹を抑えながら、周りの生徒の緊張感を無視するように笑いまくっていた。
唖然と俯いている梨華を他所に、
希美と吉澤は自信ありげにテスト範囲の確認などをしている。
- 7 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月03日(土)00時44分08秒
- そのまま巨大な門扉を抜けると、
梨華は数分の別世界旅行から強制送還されるように戻ってきた。
正気に戻った梨華は、急に先ほど吉澤が自分に言った事に対しての憤りを覚えた。
梨華は吉澤を情けない表情で睨みつける。
「馬鹿ってなによ!勉強してなくたって、よっすぃみたいなアホには負けないよ!」
「梨華ちゃん・・・じゃあさ、あたしが全教科勝ったら何してくれる?」
「・・・何よ?」
「何してくれる?」
吉澤は煽るように顎を突き出して、梨華に顔を寄せてくる。
「・・・・・毎日ジュース一本奢る。」
梨華はそんな吉澤に気負けしないよう、口を膨らませながら、素早く言った。
「言ったね。言っちゃったね。よっしゃー!!のの、あんたが証人だ。」
「しょうちしました。」
「ちょっと待って!!それはよっすぃが全部勝った場合でしょ?私が一つでも
勝ったら何してくれるの?」
- 8 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月03日(土)00時45分46秒
- 梨華が一気に捲くし立てると、吉澤は少したじろぐようなそぶりを見せる。
「・・・・そん時はあたしが毎日ジュースを奢る。」
「言ったね?のの、証人お願い。」
「うけたまわりました。」
梨華と吉澤は睨み合いながら教室に向かった。
希美にとってはどっちが勝っても少し貰おう、としか考えてなかったが。
一時間目は日本史だった。
梨華の一番嫌いな教科。
(鞍作鳥?なんて読むの?)
終った。・・・恐らく三十点取れてない。
二時間目、数学。これは何とかなる。
授業も真面目に聞いていたし、好きな教科だった。
(スラスラいけるよ〜)
なかなかの手ごたえ。
三時間目、英語。端から捨てている。
(Whatの用法?何?何じゃないの?)
絶望。
昼ご飯を挟んで四時間目、化学。
(すいへーりーべーぼくのふね・・・)
いい感じだ。
半分は取れた。
五時間目、国語。得意科目。
(古典以外はできたね。)
- 9 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月03日(土)00時47分13秒
- そして、陰気で、しょーもないジュース賭けマッチは幕を閉じた。
放課後、更衣室で吉澤が自信たっぷりの表情で梨華に近寄ってきた。
「梨華ちゅあん、どうだった?でけた?でけた?」
ワザと苛立たせる口調で言ってくる吉澤に、梨華は哀れみの篭もった視線を向ける。
「よっすぃ、ゴメンね。毎日ジュース買ってもらう事になっちゃって。」
「・・・なにい?」
吉澤が顔を顰めて、余裕を無くした。
梨華はさらに続ける。
「ふふふ、ありがと、よっすぃ。」
「・・・どの教科?梨華ちゃんが自信あるの?」
- 10 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月03日(土)00時49分36秒
- 梨華は心理戦を要求されていると勝手に解釈した。
ここでもし、数学、と正直に答えて、
吉澤が安堵したら自分が不安のまま返却を待たなくちゃならない。
そんな思いでこの先過ごすのは真っ平ゴメンだ。
「・・・化学。」
「化学?」
吉澤は嬉々とした声を上げた。
「残念だね、梨華ちゃん。あたし、化学は間違いなく八割取ったよ。
ゴメンねえ。じゅうちゅ奢ってもらっちゃって。」
「ふーん、あっそう。私も自信あるから。」
(八割?凄い・・嘘でしょ?いや、ここは私を不安にさせるために仕掛けてきてるんだ。)
話はガラリと変わるのだが、
テニスの中で心理戦というのはかなり重要な位置付けにある。
どんな名選手でも、心が脆ければ、格下相手にコロっと敗北する事が多々ある。
梨華は都合のいい解釈を勝手にしながら、吉澤に心理戦を挑んだ。
- 11 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月03日(土)00時50分42秒
- 「よっすぃ、他の教科はどうだった?」
(ここで心を開いたように演じて、他の教科の結果を訊く。アプローチショット)
吉澤は体操着を被りながらもごもご答えた。
「大体できたけど、一つだけ不安。」
「へーそれ理系か文系かだけ教えてよ?」
(ここで、ボレーを打って相手の特徴を探る。)
「理系。」
吉澤が体操服からスポッと顔を出したと同時に言った。
梨華は思案する。
(理系といえば、残りは英語と数学。)
梨華は次に、さり気ない感じで訊ねる。
(回転を変えて・・・)
「もしかして、文法でしくじっちゃった?」
「あー、英語は出来たね。」
- 12 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月03日(土)00時52分28秒
- 吉澤がつられるように言った。
その瞬間、梨華のスマッシュが決まった。
梨華は心の中でほくそえむ。
「ふーんそうなんだ、結果が楽しみだね。じゃあ、先行ってるよ。」
(勝った。)
梨華がテニスコートに向かうと、紺野が所在無さげにテニスコートの出入り口の前で
俯いていた。
梨華は喜悦しながら紺野に駆け寄って話し掛けた。
「紺野さん、来てくれたんだ?」
声が無意識に上擦る。
紺野は口をお猪口のようにしながら小さな声を出した。
「・・・うん、入部届出したんだけど、どう言えばいいのかわからなくて・・・」
「そんなの全然気にしなくていいよ!!行こ!」
- 13 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月03日(土)00時53分27秒
- 梨華は紺野の手をギュッと握って一緒にテニスコートに入った。
そのまま、ベンチに悠然と座っている中澤の元まで行った。
中澤は座りながら怪訝そうに梨華と紺野を交互に見やる。
梨華は笑みを隠す事ができず、頬を緩ませながら説明する。
「先生、今日からテニス部に入部する事になった紺野あさ美さん。」
中澤は依然として座ったまま梨華に訝しげに訊ねた。
「・・・おい、石川、お前、この子何処から拉致ってきたんや?」
「・・・拉致?失礼な!紺野さんはテニスが大好きなんです。ね?紺野さん?」
紺野はぼおっとした表情で、コクリとゆっくり頷いた。
「ほんまにテニス部入るんか?・・・脅されてるんならハッキリ言いや。」
中澤は梨華に疑り深い視線を向けながら言った。
「そんなんじゃ、無いです。」
「ん?なんて?」
- 14 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月03日(土)00時54分39秒
- 紺野の小さい声を中澤は聞き取れなかった。
「あ・・の・・だから、私、自分で、テニス部に、入りたかったんです。」
紺野は少し大きめの声を俯きながら、訥々と言った。
中澤は、ほんまやな?と念を押すように言う。
紺野は中澤の目を見つめながら、口を一文字に固く結んで力強く頷いた。
「ええ目してるやんか。」
中澤の何気ない一言が、梨華をどれほど喜ばせたか、中澤は知る由も無い。
「ほんならよろしくな。ウチは顧問の中澤や。言っとくけど、練習は厳しいで。」
「・・はい、それは理解しています。」
「なら話は早いな。おーい、新入部員に挨拶せい!」
- 15 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月03日(土)00時55分59秒
- 中澤が全員に向かって大きな声で呼びかける。
その頃には全員がテニスコートに来ていて、各々が準備運動していた。
全員が中澤の前に一列に並ぶ。
中澤はゆっくり立ち上がると、紺野の肩に手をフワリと置いた。
「今日から入部する事になった、紺野あさ美さんや。」
まず安倍が太陽のような笑顔で、嬉しそうに紺野に声を掛けた。
「紺野さん、よろしくね!私は部長の安倍です。うっれしいなあ。」
紺野はおどおどしながら深々と頭を下げた。
続いて矢口が紺野に挨拶をする。
その時、紺野の瞳がキラリと輝いたような気がした。
「二年五組、矢口真里、よろしくね。」
- 16 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月03日(土)00時57分24秒
- 矢口は抑揚の無い、いつもの調子で言うと、踵を返して元居た場所まで戻ろうとした。
すると紺野は矢口に向かって大きな声を出した。
「あの!!この前、ありがとうございました!」
紺野なりの精一杯の声を背中で受けた矢口は、半身だけ振り向いた。
「いいよ。もう。」
矢口はそう、サラっと言ってすぐ前を向き、元の位置で準備運動を再開した。
矢口が振り向き際に何か呟いたような気がしたのは、恐らく梨華だけじゃなかった筈だ。
続いて吉澤が挨拶をする。
「あの、さ。この前、借り作っちゃったじゃん。絶対返すから。あ、あたしは
吉澤ひとみ。よろしくね。」
「借り?ですか?」
「う、ん、ほらあたしが手出す前に、先にさ。
あれあたしがやってたらやばい事になってたんだよね。」
「・・・私のほうが助けてもらいました。」
「・・・・まあ、これから仲良くしていこうよ。」
「はい。よろしくおねがいします。」
- 17 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月03日(土)00時58分58秒
- 吉澤は目を合わせず、少し顔を紅潮させ、目を泳がせながら、ぎこちなく言った。
その様子を松浦は怪訝そうに見つめている。
吉澤は松浦の頭を紺野に視線を向けながら、パシッと軽く叩くと、
すぐに準備運動を再開した。
続いて頭を擦りながら松浦が挨拶をした。
「私は松浦。一緒のクラスだよね?よろしくね。」
「・・・よろしくお願いします。」
松浦が笑顔で明るくそう言ったのに対し、紺野は俯きながら小さな声で挨拶をした。
松浦が隣でぼーっとしている希美に耳打ちをする。
「ほら、暗いです。」
希美は松浦を一蹴するように、一歩前に出て挨拶をした。
「私は辻希美。ののって呼んでよ。この前はりかちゃんを助けてくれてありがとう。」
希美らしからぬ、はっきりとした口調で言った。
「そんな・・助けてもらったのは私のほうだから・・・よろしくお願いします。」
- 18 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月03日(土)01時00分53秒
- そう言った紺野に、希美は優しい微笑を向けた。
最後の梨華にはもう、挨拶などは不要だった。
「紺野さん、がんばろうね!!」
「うん。石川さん。」
紺野は不器用な笑みを梨華に向けた。
嬉しい。何故紺野に微笑まれると、心がこんなに安堵するのだろう?
梨華はそんな事を思いながら、紺野に向日葵のような笑顔を返した。
中澤が全員の挨拶を終えたところで紺野をベンチに座らせた。
「何するんですか?」
梨華は紺野の首に中澤が腕を回してるのを見て、怪訝そうに訊ねた。
中澤は虚ろな目で、お前は早く準備運動やれ、と鬱陶しそうに梨華をあしらう。
梨華は渋々、準備運動に取り掛かるが、紺野と中澤の会話が頗る気になった。
- 19 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月03日(土)01時02分42秒
- 「なあ、紺野、お前はテニス経験あんのか?」
「一応、あります。」
「・・やっぱりな。お前のその細っそいけど、
引き締まった脹脛は間違いなくテニスでついたもんや。」
「・・・家の、教育の一環だったんです。」
紺野は語気を弱くして、思い起こすように言った。
中澤はそんな事はお構い無しに、元の調子で続ける。
「ふーん。なら矢口と同じやな。」
「・・・そうなんですか。」
「なあ、何でテニス部入ろうと思ったんや?辞めて長いやろ?テニス。」
「・・・何でもお見通しなんですね。」
「体つきでわかるよ。」
「辞めて、二年ほどになります。」
「二年か・・・なら取り戻せるな。」
「はい、頑張ります。」
- 20 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月03日(土)01時04分26秒
- そう言うと、中澤はタバコを一本取り出し、大きく吸った。
その後、この部に七人も部員がいるなんて去年までは想像つかんかったなあ、と
空を仰ぎながらぼんやり言うと、中澤は突然叫び声を上げた。
隣にいる紺野も、もちろんだが、部員全員が反射的に中澤の方に視線を向けた。
「七人・・・おい!!お前ら、緊急集合や!」
部員は矢口以外、怪訝そうな顔をして中澤の前に並んだ。
中澤は鷹揚と立ち上がり、両手を腰に当てて、真剣な表情をした。
「お前ら、今日紺野が入った事によって部員が七人になった。意味わかるか?安倍。」
安倍がワザとらしく明後日の方を向いて思案する仕種をする。
矢口以外の全員の注目が安倍に移った。
安倍は一分ほど小さく唸りながら考えている。
「・・・ラッキーセブンかな?」
- 21 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月03日(土)01時05分39秒
- 安倍の意味不明な発言に、その場を寂寞とした空気が雪崩れ込む。
「そんだけ悩んでそのボケか。がっかりやな。」
安倍のセンスの無さはともかく、梨華には何が起こっているのか全くわからない。
中澤が悪戯っぽい笑みを浮かべながら、諭すように話し出した。
「お前ら、七人ゆうたら、団体戦出れるがな。」
矢口以外の部員は感心したように、何度か頷いている。
―――団体戦。
それまでに自分は何処まで上達できるのだろう。
梨華はその時そんな事を考えていた。
そう、この時はまだ。
- 22 名前:カネダ 投稿日:2002年08月03日(土)01時06分28秒
- 更新しました。
- 23 名前:名無しさん 投稿日:2002年08月03日(土)02時56分38秒
- 今前スレから一気に読ませていただきましたm(._.)m
違ってたらすいません元ネタは漫画ですか(w
分かった気がする・・・
後・・・中澤の虚ろな目が気になる(w
中澤と石黒・・・過去になんかあったりします?
- 24 名前:名も無き読者 投稿日:2002年08月03日(土)02時58分47秒
- カネダさんあんた何者?(w 青のカテゴリー、マジ面白いです。
前スレから読ませてもらってますが、ホントひとつひとつの話が丁寧ですなあ。
2スレ目にも、めっちゃ期待sage
- 25 名前:名無し 投稿日:2002年08月03日(土)11時23分06秒
- やっぱり、コレ最強ですわ・・・
理由はようわからんけど、知らん間に引き込まれてゆく自分・・・・・
- 26 名前:読んでる人 投稿日:2002年08月03日(土)13時14分57秒
- あぅ〜、気になる終わり方・・・。
この先の展開が凄く気になる・・・。
あと梨華ちゃんとよっすぃ〜の勝負の行方も(w
- 27 名前:むぁまぁ 投稿日:2002年08月03日(土)17時15分14秒
- 一気に前スレから読ませて頂きました
ホント引き込まれちゃってあっと言う間に時間が過ぎてましたね
また夢中になれる作品に出会えて嬉しいです
- 28 名前:カネダ 投稿日:2002年08月05日(月)00時27分31秒
- レス有難う御座います。
本当に書く意欲が湧きます。感謝!
>>23名無しさん様。
元ネタは無いのですが、もしかしたら無意識のうちに影響を受けているかもしれません。
宜しければ、題名を教えて頂けたら嬉しいです。(持ってるかも。)
因みにこのHNはある漫画から頂きました。(w
中澤の虚ろな目は自分の勝手なイメージで特に深い意味はないですね。
中澤と石黒・・・・・・。ぶっちゃけあります。
>>24名も無き読者様。
自分なんてただの不束者です。
有難う御座います。本当にそう言って下さると嬉しいです。
これからも宜しければ読んでやってください。
>>25名無し様。
有難う御座います。
理由はきっと、この駄文が発する魔力です。(w
これからも宜しければ読んで下さい。
>>26読んでる人様。
読んでくれて有難う御座います。
石川と吉澤、アホ対バカというのをどうしてもやってみたくて
対決させてみました。結果はおたのしみに・・・・
>>27むぁまぁ様
一気に読んでいただくなんて、申し訳ありません。
こんな駄文に時間を割いていただけるだけで感謝です。
なるべく期待に応えられるように頑張りたいです。
それでは続きです。
- 29 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月05日(月)00時30分14秒
- 「・・・という事で、これからは本格的に試合に向けた内容でやっていく。」
中澤が人差し指を立て、潔い表情で言った。
そこで安倍が手をピョンとゴム仕掛けの人形のように上げた。
中澤がなんや、と一服してから言った。
「ダブルスは二組ですよね?どういう組み合わせになるんでしょうか?」
中澤は鋭い視線で安倍を見つめる。
何故か緊迫した空気が流れる。
「・・・安倍、お前のさっきの寒さからは想像もつかんほどええ質問やな。」
中澤は渋い声でそう言った後、まだ全然見当もつかんわ、と投げ出すように付け足した。
「取り敢えず、今日から本格的にやってくからな。特に吉澤、石川、お前らは要練習や。
吉澤はサーブ。石川はとにかくどんな球でも返せるようにならなあかん。」
- 30 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月05日(月)00時31分47秒
- 吉澤がそこで質問した。
「先生、あたしは間に合うのでしょうか?」
「吉澤、信じんねん。お前はやればできる。サーブからしっかりとやれ。
他の奴より、二倍も三倍もな。」
「・・・はい!・・燃えてきたぜ。」
梨華も追うように質問する。
「全部の球を返せるようにとは、どういう事でしょう?」
「・・・お前の特権は体力や。・・おい、松浦!」
話の途中で中澤は松浦に話をふった。
「何でしょう?」
松浦は憮然とした表情をしている。
中澤は艶のある笑みを松浦に向ける。
「お前、石川に練習台になってもらえ。」
「は?」
「だから、石川は松浦の打った球を返すだけでいい。」
- 31 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月05日(月)00時32分54秒
- 梨華は怪訝そうに訊ねる。
「返すだけで、いいんですか?サーブやボレーの練習は?」
「いらん、返すだけや。」
「・・わかりました。」
「松浦、やってくれるな?」
「はい、その代わり手加減しませんよ。」
「手加減したら意味無いがな。」
中澤は得意そうにテキパキと答える。
そして一人一人に別々のメニューを説明していく。
「安倍、お前は自分の球に自信を持て、お前はいつも通り矢口と一緒にやってくれ。」
中澤は真面目な表情でそう言うと、安倍も真剣に頷いた。
「辻、お前は言いにくいけど、脆い所が多い。自分でもわかってるやろ?」
「・・・はい。」
「だからお前は自分の得意な事に磨きをかけろ。サーブ、ボレー・・・
お前は不器用やから多くの事は一回にできへん。一つ一つ丁寧に。」
「はい!!」
- 32 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月05日(月)00時34分07秒
- 希美は力強い大きな返事をした。
「紺野。お前はどういうテニスするんや?」
「・・・普通です。」
「いや、お前は何か隠しとるな。明日、松浦とちょっとした打ち合いやってもらう。」
「・・はい。」
「よし、取り敢えず、今日は見学や。」
「はい。」
紺野は中澤の目を見ながら頷いた。
「あとは矢口か・・・。他の奴、さっさと準備運動やれ。」
中澤は矢口以外の部員に練習をするように促した。
紺野にも、少し外してくれるか、と言って、紺野をその場から外した。
数秒、中澤は矢口の無表情で仮面をつけているような容貌を見下ろすように見つめる。
そして、ゆっくりと話し出した。
「・・矢口、お前が決めろ。お前が出たくないなら、団体戦は欠場する。」
中澤が神妙な面持ちで淡々と言った。
- 33 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月05日(月)00時35分20秒
- 矢口は少しの間、思案するように俯いていたが、顔を上げ中澤の目を見つめる。
「いえ、出ます。」
そう、呆気なく言った矢口に、中澤は少し目を見開いて逡巡する。
一瞬、緊張した間が生まれる。
「お前、嫌いやろ?こういう、馴れ合いみたいな事は。
それに、あの全国大会以来の大会や。大分間が開いてるし、
お前はゆっくり調整したほうがいいんとちゃうか?」
矢口はその言葉を聞いたあと、テニスコートで必死になって練習をしている
部員達を一瞥した。
そしてもう一度、中澤の目を見つめると、あっさりと言った。
「私、なんで市井に負けたのか、答えが出そうなんです。」
「・・・何?」
中澤は訝しげに訊く。
矢口は無表情のまま続ける。
今までの矢口には考えられないほど饒舌だ。
- 34 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月05日(月)00時36分57秒
- 「だから、この団体戦で、その答えが見つかるかもしれません。」
「・・・おい、あいつにやられたのはお前だけじゃないぞ。」
「・・・とにかく、団体戦、出てみたいんです。」
「・・・お前の口からそういう意欲的な事言われるとはな。でも、試合で
何かあったら容赦なく止める。ええな?」
「・・・はい。」
そう言うと、矢口はクルリと踵を返して、自分のメニューに取り掛かった。
中澤は理解できなかった。
矢口が変わり始めている。
あの、雨の日に、梨華が問題を起こした時分から。
市井に負けて、矢口はラケットを持つ事すら出来ないほど、テニスに怯えるようになった。
それでも意地なのか、全国大会に出場する。
が、その時の敗北で、矢口は一ヶ月ほど学校に来なくなった。
もう、選手生命が終ったと思った。
あの市井によって、素晴らしい才能の芽が摘まれたと思った。
- 35 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月05日(月)00時39分13秒
- ・・・しかし、矢口は帰ってきた。
まったく変わらない、いつもの矢口が。
中澤は一ヶ月の間、矢口が何をしていたのか問わなかった。
矢口は何も語らなかった。
中澤も普段通り、いつもと変わらない調子で矢口を迎えた。
矢口は元に戻った。
妖精が帰ってきた。
しかし、それは形だけで、実質、何も解決していないまま、今まで時は流れていた。
その矢口が、変わろうとしている。
中澤は矢口が練習している姿を見て、喜びの混ざった微笑をした。
そして、悠然とベンチに腰掛けると、紺野を呼んだ。
「紺野、どうする?今日は帰るか?夜遅くなるぞ?」
「・・・いえ、最後まで見学させてください。見ていたいんです。」
「ふっ、ココの部員は全員物好きやなぁ。」
「どういう意味ですか?」
「なんでもない。好きなだけ見とけ。」
「はい。」
- 36 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月05日(月)00時41分24秒
- 中澤は刹那、とても目頭が熱くなってきた。
理由は自分でもわからない。
今、頭の中にあるのは、目の前で躍動する部員達のひたむきな姿だけだ。
その姿が、どうしても、自分を冷静でいさせてくれない。
(ウチの目指してきたものが、こいつらやったら・・)
基礎練習をいつもよりも数段早く終らせて、中澤の言った
本格的な練習が始まる。
昨日の今日であっという間に本格的な練習に入るとは、だれも想像すらしていなかった。
ポプラの葉が奏でる、ザアザアという音が、その開始の合図のように大きく響いた。
――――
梨華は松浦のサーブをなかなか返す事ができないでいた。
「石川さん、ちゃんと拾ってくださいよー!!」
対面のコートからそう呑気な声で言われて、梨華は笑顔で頷くしかなかった。
(すごいよ・・・どうしてそんなに切れのいいサーブが打てるんだろう・・・)
松浦が鮮やかなフォームでサーブを打つ。
梨華はどうしても打球の中心を捉える事ができない。
(・・・ポジティブ、ポジティブ。)
- 37 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月05日(月)00時42分49秒
- 「ゴメン、もう一回打ってきてー!!」
「私も色々試したいんですけどー」
「お願い!!」
「もう!」
松浦が同じフォームで同じサーブを打つ。
梨華は殆どロブに近い、緩い打球だったが、なんとか相手コートに返す事ができた。
「やったー!!返したよあやちゃん!」
「それ位で喜ばないで下さいよ。全く同じサーブ何度も打ってるんですから
返して当然ですよ。」
「・・・もう。もう一回お願い!!」
「また!!?」
その時、中澤が背後に腕を組んで仁王立ちしてる事に、梨華は気付いていなかった。
突然、背後から肩を掴まれる。
ビクっと体を震わした後、ゆっくりと振り返る。
- 38 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月05日(月)00時44分33秒
- 「先生・・。」
「石川、お前あれだけ基礎練やってきてんから、もっと自信もって打てよ。」
「自信?」
「そうや、お前、自分じゃ気付いてないかもしれんけど、体力だけは超一流や。」
「そんなこと・・」
「あんねん。」
「・・・」
「ラケット貸せ。」
梨華はぶん取られるようにラケットを中澤に奪われた。
そして中澤は貫禄タップリに中腰にし、松浦にサーブを打ってこいと促した。
スーツとスカートで構えるそれは、
一端のOLが粋がってテニスをしている様なイメージだった。
対面の松浦は緊張した面持ちでサーブの体制に入る。
中澤は基本通りに松浦のサーブをただ、打ち返した。
「石川、これだけや。わかるか?深い事考えたらあかん。サーブ返すのは腰を据えて
ラケットを平行になるように意識して振ればいい。それだけや。」
- 39 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月05日(月)00時46分05秒
- 梨華は少しの間、呆気に捕らわれていた。
中澤がテニスに長けている事はその貫禄から気付いていたが、
実際の動きを見てそれはさらに確信に変わった。
余りにも型に嵌っているテニス。
サーブを返すだけの動きで、梨華は中澤の上手さを垣間見た。
ハッとして大きな声で返事をする。
すると中澤は微笑をして、がんばれよ、と声を掛けると、次に隣のコートにいる
吉澤のところに向かった。
梨華はまた同じように松浦に声を掛ける。
「もう一回お願ーい!」
「また!!?」
隣のコートでは吉澤と希美がサーブ練習をしていた。
対面に、矢口と安倍という、豪華な人材を置いて。
希身が緊張した声色で矢口に訊ねる。
「あ、あの、矢口さん、本当にうけてくれるんですか?」
「うん。打ってきていいよ。」
「は、はい!!」
- 40 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月05日(月)00時47分31秒
- 希美は嬉しさに立ち暗みのような症状が一瞬襲ってきた。
気を取り直してサーブの体制に入る。
それでも、心臓は優しく動いてくれない。
希身は鼓動の音を聞きながら、思い切りのいい、完璧なフラットサーブを打った。
矢口は無表情のまま、冷静にそのサーブを希美の前に置くように返してきた。
「すげえ。」
隣でサーブを打とうとしていた吉澤が感嘆の声を漏らす。
希美は目の前に力無く転がるテニスボールを見て、複雑な心境になった。
少なくとも、自分はサーブには自信がある。
このサーブをまともに返された事は、数えるほどしか無かった。
小さい頃から死ぬほど練習をしたサーブ。
しかし、こうも簡単に自分のサーブをコントロールされるとは、いくら
相手が矢口とはいえ、思っていなかった。
いや、本当は、自分の限界が見え隠れしているのを、
松浦と引き分けた時から気付いていた。
希美は落胆する前に自答した。
(わかってるよ。だからここにきたんだ。)
- 41 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月05日(月)00時50分04秒
- 希美は顔を上げて、テヘテヘと笑うと、
「やっぱり矢口さんはすごいです。もう一回打ってもいいですか?」
と、舌足らずの声を出した。
矢口は無表情のまま頷いただけだったが、
希美にはどうしてもそれがとても優しい笑顔を
向けられているような気がして仕方が無かった。
どうしても矢口に近づきたくて、仕方が無かった。
吉澤がサーブを打つ前に、中澤が止めた。
「吉澤、お前には他の奴にはない、ずば抜けた瞬発力がある。
それを肝に銘じてサーブを打て。」
「瞬発力・・・っすか?」
「そうや。ウチが何度もお前にダッシュさせてた訳は、お前の瞬発力を高める為や。
力任せにサーブなんか打っても、一生サーヴィスラインの中には入らん。」
「・・・・やってみます。」
吉澤は安倍に一声掛けた後、思案しながらサーブを打った。
しかし大きくアウトする。
安倍は太陽のような笑顔をでドンマイ、と言ってくれているが、
吉澤は不甲斐無い自分が不憫で情けなかった。
- 42 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月05日(月)00時51分06秒
- 「すいません。安部さん。もう一発いきます。」
中澤が、吉澤のサーブの形を微調整する。
そして、ブツブツと呟きながら、確かめるようにサーブの体制に入る。
体を撓らせ、ピンと張り詰めた弓の弦を解放するように、しなやかな
動きでサーブを打った。
が、また大きくアウトしてしまう。
先程とは違い、切れがあって高速の打球。
一流のサーブだ。
安倍も瞠目している。
吉澤が今の感じを確かめていると、中澤が後ろから声を掛けた。
「吉澤、お前上達早いなあ。一回だけであれだけいい形になるとは思わんかったよ。
それを、何べんも腕がちぎれるほどやれば、お前は十分戦力になるよ。」
それを聞いた吉澤は声が出なかった。
余りに驚嘆しすぎて、声にならなかった。
ただ頷くだけで返事をすると、中澤は微笑を浮かべ今度は松浦の所へ向かう。
吉澤は、異常に気分が高揚していた。
誰かに誉められて、気分がこんなに高揚した事は、今まで経験した事が無かった。
それを、練習意欲に転換し、吉澤は何度も何度もサーブを打つ。
- 43 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月05日(月)00時52分31秒
- 松浦はまだ梨華に催促されてサーブを打っていた。
うんざりするほど、何度も何度も。
でも、今まで自分はそうやって上達してきた。
中学の時から、ずっと同じ事を繰り返してここまで来たんだ。
松浦はそんな昔の事を思い出し、微笑をしながら梨華にサーブを打つ。
何度か打っている途中、中澤がやってきた。
「どうや、松浦、石川の調子は。」
松浦は梨華を一瞥して微笑しながら話す。
「凄いですよ。あれだけ振り回してるのに、石川さん、汗の一つもかいてないんです。」
「ふふふ、あいつ、あんな華奢な体して、体力は化けもん並や。それより、お前は
自分の弱点気付いてるか?」
「・・・私の弱点、ですか。」
「そうや、でも、どうもあいつらとつるんでる間に、それは直りつつあるみたいや。」
「どういう意味ですか?」
「意味なんてわからんでいい。取り敢えず、石川苛めとけ。」
「・・はい。」
「さてと・・・後は辻やな。」
- 44 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月05日(月)00時54分19秒
- 中澤は何かバツの悪そうな面持ちで希美の所に向かった。
希美は矢口と軽い試合のような形の練習をしていた。
希美がサーブを打った後、それを矢口が返し、
希美の得意なストロークの打ち合いの形に矢口が持ち込む。
そうして、何度か打ち合うのだが、結局矢口が希美を翻弄する形になる。
今度は矢口がサーブを打とうとする。
希美はそれを緊張しながら待っていた。
その時、中澤が希美の真後ろから、諭すように話し掛けた。
「辻、お前、いくら努力しても矢口にはなれへんぞ。」
「・・・・・・。」
希美は振り返らず、ラケットをだらりと提げる様にして、俯いた。
その物憂げな背中から、中澤は希美の苦悩を垣間見た。
中澤はタバコを一服し、続ける。
「人間にはな、才能、ちゅうもんがある。残念やけど、お前にシングルで上までいく
才能は無い。」
「・・・何がいいたいんですか?」
- 45 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月05日(月)00時56分17秒
- 希美は振り向かない。
「それ位、お前自信で気付いてると思うけど、
松浦との試合見てたら、ちっと気になってな。」
「・・・・・。」
「でもなあ、諦めるなよ。この世にはなあ、
そんな能力だけじゃ説明できないもんもある。
矢口にはなれなくても、お前は素晴らしい選手になるよ。」
「・・・・・。」
「ほら、練習続けろ。今のメニューでいい。」
「・・はい。」
中澤は頭をポリポリと掻きながらベンチに腰掛ける。
少し雑念を消して部員達を諦観するように見つめると、
今までとは違う、また別の輝きを放っているように見えた。
目標を一つ持つ事で、人はここまで輝くのだ。
- 46 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月05日(月)00時58分57秒
- やがて、斜陽はコートを金色に染める。
中澤は気持ちのいい涼しげな夕刻の風の中に、僅かに混じる湿り気を感じた。
それを確認するように鼻で空気を吸う。
タバコを一服した後、隣で座っている紺野にしみじみと話し掛けた。
「そういえば、梅雨とかいう季節もあったなあ。」
「はい、でもまだですよ。」
「あほ、このメニューで練習をこなしてたら、あっという間や。」
「そうなんですか。」
「あいつら、やる気無くさんかったらいいけどなあ。」
そう、中澤が問う訳でもなく呟くように言うと、紺野は練習風景を見ながら即答した。
「大丈夫ですよ。」
「ほう、自信たっぷりやな。」
「私、ずっと見てましたから。」
「ははは、紺野、お前きっと大物になるで。」
「先生、私一つ気になることがあるんです。」
- 47 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月05日(月)01時00分39秒
- 紺野はそのまま視線を前に向けながら、さっぱりと言った。
中澤は紺野を一瞥し、また視線を前に戻した。
「なんや?」
「・・・足、どうしたんですか?」
紺野が重苦しい口調でそう言った。
視線は前に向けたまま、沈黙が暫く続く。
テニスボールが放つ小気味の良い音だけが、いやに増音されて聞こえた。
この時間には、既に残っているクラブはテニス部だけなのだ。
お嬢さま学校の生徒は門限がアホなほど厳しい。
中澤はそんなくだらない事を、紺野に問われた後にぼんやり考えていた。
中澤はその間にタバコをもう一本取り出し、ゆっくり火をつけて、大きく吸ってから
淡々と話し出した。
- 48 名前:カネダ 投稿日:2002年08月05日(月)01時09分24秒
- 更新しました。
- 49 名前:名無し娘。 投稿日:2002年08月05日(月)01時14分29秒
- テニス部が嫌われてるのが信じられないくらい
中澤の指導は生徒の心を汲んでるなぁ
しかし松浦はすっかり試金石状態(w
それくらい能力にバランスが取れてるって事なのでしょうか
紺野鋭いなぁ・・・さすが茶帯(違)
- 50 名前:むぁまぁ 投稿日:2002年08月05日(月)08時16分59秒
- なんかいいですよね こういうのって
中澤先生がいい味出してます
- 51 名前:読んでる人 投稿日:2002年08月05日(月)10時20分31秒
- ちょこっとコートに立っただけの中澤の足の状態に気付く紺野・・・
只者じゃない予感・・・。
- 52 名前:名無し 投稿日:2002年08月05日(月)18時20分56秒
- 後藤と石川・・・対峙する時はいつやって来るんでしょうか?
あと、遅れてきた大物(?)紺野の実力も気になるッ!!!
- 53 名前:名も無き読者 投稿日:2002年08月05日(月)18時41分35秒
- お、みんなレスしてるな。俺もカネダさんに応援レスしよっと。
川o・-・)ノ のテニススタイルが気になる。
どんなテニスをするんだろう。わくわく。
- 54 名前:カネダ 投稿日:2002年08月06日(火)23時03分20秒
- レス有難う御座います。
本当に励みになります。
>>49名無し娘。様。
中澤はこのへんから、少しばかり活躍してもらいます。
松浦は・・・このキャラ凄い便利なんです。(w
テニスのスタイルもキャラも。紺野はそう言えば茶帯でしたね(w
>>50むぁまぁ様。
有難う御座います。
中澤はこの話の中で、かなり特別な思い入れがあります。
そう言っていただけると本当に嬉しいです。
>>51読んでる人様。
紺野は只者じゃないようにしたいですね。
いろんな意味で(w
読んでくれて有難う御座います。
>>52名無し様。
石川と後藤・・・いつ対峙するんだろう・・・
一レス目にあんなこと調子に乗って書いといて、見込みは全く未知です。すいません。
紺野は六話でその実力が・・・
>>53名も無き読者様。
こんな駄文に・・応援、本当に有難う御座います。本当に書く意欲が湧きます。
川o・-・)ノは取り敢えず、誰にも似てないスタイルにしようと思っています。
後、中途半端な所で更新止めてすいません。
実はそんなに引っ張るような所じゃないんです。
それでは続きです。
- 55 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月06日(火)23時05分05秒
- 「・・・お前、よう観察しとるな。事故や。交通事故。
大学時代、ちょこっとな。・・・・何でわかったんや?」
「左足が、・・・右足よりも僅かに変な形で歪んでいたので・・・」
「ははは、気付いたのはお前ぐらいやぞ。ええ観察眼してるやんけ。」
「・・・すいません。調子に乗って。」
「いや、いいんや。その事故のおかげで、お前らみたいな素晴らしい連中に会えた。
ウチがな、見据えてきたもんをお前らやったら実践できる。
なーんて他の連中に言うなよ。恥ずかしいから。」
「・・はい。もちろんです。それに私も、先生みたいな人に出会えて本当に嬉しいです。」
紺野は中澤の目を見つめて心の底から、そんな言葉を言った。
中澤も紺野を見つめ返し、暫く二人は見つめ合った。
その光景を、部員達は訝しげに首を傾げながら見ていた。
- 56 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月06日(火)23時07分02秒
- 「紺野・・今度飲みに行くか?」
「じゃあ・・・卒業したら・・・。」
「ははは、お前卒業しても未成年やんけ。」
「そうですよね。私バカですね。」
「いやいや、他の奴に比べたら全然や。」
「先生、もう一つ、気になることがあるんですが・・・」
「・・・なんや?」
「どうして、私の頬っぺた、定期的に突付いてくるんですか?」
「・・・気持ちいもん。」
「・・・・・・・・。」
紺野は恥ずかしそうに頬を桃色に染めて微笑し、
改めて練習している梨華を敬慕するように見つめた。
「・・・私がこうやってココにいるのも、全部石川さんのおかげなんです。」
「石川?」
「はい。」
「石川か・・・あいつ、もしかしたら、大化けするかもしれんぞ。」
「石川さんが?」
「まあ、今の段階じゃわからんけどな。
それより紺野、お前イメージと違ってエライ喋るなあ。」
- 57 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月06日(火)23時09分14秒
- その日の練習が終わった時間はいつもよりも一時間程遅かった。
煌々と眩いライトで照らされたコートを、耳鳴りがするほどの静寂が包み込む。
中澤は急用ができた、と素っ気無く言い残して、夜の帳が下りる頃に学校を去った。
代わりに部長の安倍がしめの挨拶を行う。
普段の温和な雰囲気とは違い、引き締まった挨拶をする安倍に、
部員達は自ずと緊張し、良い具合の昂ぶりを保ったまま更衣室に向かった。
梨華は生まれて初めて、こんなに楽しくて充実した思いをした様な気がしていた。
着替え終わり帰路に着くのだが、梨華はこの日、
いつものように前を行く矢口の背中が不思議と近くに見えた。
いつかのように、果てしなく悠遠に感じた印象は消えていて、もう少し手を伸ばせば、
しっかりと捕まえれるような気がした。
空には黄色のペンキで塗り上げたような、屈託の無い満月がふわりと顔を出していて、
紺野の入部を祝福しているかのように、優しく微笑んでいるように見えた。
- 58 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月06日(火)23時11分12秒
- そんな事を考えながら、梨華は横に並んで歩いている紺野に話し掛ける。
「紺野さん、どう?やっていけそう?」
「うん。私、石川さんに感謝しなくちゃ。」
「そんなのいいよ。・・・それにしても今日の練習は楽しかったなあ。」
そう、伸びのある声で言った後、
半歩後ろで梨華の話を聞いていた松浦が話し掛けてきた。
その更に後方を歩いている希美と吉澤は、二人でなにやら、いかがわしい話をしている。
「それは当然です。私が完璧な球を打っていたんですから。」
「そうだよね。ゴメンねあやちゃん。
今日はあやちゃん全然自分の練習できなかったもんね。」
「そんなことないですよ。石川さん、何だかんだいって結構上手いですよ。」
「私が?全然そんな事ないよ。」
「私が色々試しに振り回したのに、結構返してきたじゃないですか。」
松浦はそう言った後、梨華の返事は聞かずに
後ろで歩いている吉澤と希美の会話に加わった。
それがいけなかった。
吉澤に肩を掴まれる。
- 59 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月06日(火)23時12分27秒
- 「おー、やっときたな。お前、紺野さんと話してこい。」
「はあ?アホにターボがかかりましたか?私があの子苦手なの知ってますよね?」
そう松浦が呆れたように言うと、吉澤は希美に対して大根演技を始めた。
「ああ、のの、あたし、アホにターボがかかったとか言われたよ。泣いてもいい?
辛いよ。心外だよ。」
吉澤は希美の胸の中で、苛つくほど下手糞な泣き真似をする。
希美は優しく優しく吉澤を庇護するように頭を擦りながら、松浦を睨みつける。
「よしよし、酷いねえ。・・・あやちゃん、よっすぃを泣かしたバツだ。
こんのさんと二人っきりで話してこい。」
「・・・ふざけないで下さいよ。お願いしますよ。」
- 60 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月06日(火)23時14分06秒
- 松浦に滅多に見る事が出来ない、懇願をされた希美は余計に悪乗りした。
「ゆるしてほしい?」
「はい、お願いします。」
「どーしよっかなあ。」
「お願いしますぅ。」
松浦は泣き声になってそう言ったが、希美はそこで飽きたように言い放つ。
「ダメ。いってらっしゃい。」
「・・・・鬼!」
そう吐き捨てるように言った後、松浦は吹っ切れたように走って梨華と紺野に追いつき、
紺野の肩を後ろから軽く叩いた。
その後で梨華にその場から外してもらうように、潤んだ目で促した。
梨華は快く笑顔を残して立ち止まった。
後ろを歩いている希美と吉澤が追いつくまで、その場所で待つ事にした。
所在無さげに梨華は少し意識して辺りの風景を見渡してみる。
夜の並木道はとても寂しい印象がする。それは役目を終えた電球に似ている。
そんな感慨に耽っていた。
すると理由の無い不安が、心の一番深いところから湧き上がってきた。
(なんか嫌な感じ。)
- 61 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月06日(火)23時15分06秒
- やがて希美と吉澤が梨華に追いつく。
そして三人で横一列に並ぶように歩き出した。
「よかった。あやちゃんも紺野さんと仲良くしたいんだ。」
そう、梨華が嬉々として言うと、吉澤は男前の爽やかな微笑をした。
「松浦は人見知りするたちだけど、本当は仲良くしたくて仕方が無いんだよ。」
「そうそう、すなおになればいいんだよ。」
吉澤と希美が見事に完璧なコンビネーションを見せ付ける。
梨華も嬉しそうに微笑しながら頷く。
「今日の練習はめちゃくちゃ面白かったよ。」
そう吉澤が言った後からは、練習の話一辺倒になった。
「うん。私もすごい楽しかった。なんかいつまでもラケット振っていたかったもん。」
「あーあたしもそんな感じ。」
- 62 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月06日(火)23時16分05秒
- 梨華と吉澤が楽しそうに会話している中で、希美だけが少し物憂げな表情をしていた。
その様子に気付いた吉澤が希美に怪訝そうに話し掛けた。
「どったの?のの。」
「いや、なんでもないよ。今日、矢口さんと打ち合いしたんだよ。すごいでしょ?」
希美は不自然な笑顔を浮かべながらそう言った。
梨華はその様子を見て、先程感じた不安が、更に膨張したような気がした。
吉澤はどうも希美の不自然さに気付いていない様子だ。
「矢口さんは次元が違うね。あたし隣で見ててやべーと思ったもん。」
「よっすぃ、ほんとにやばいよ。ののなんて相手にならないもん。」
「のの、それは仕方ねえよ。あの人は違う次元の人なんだから。」
「・・・そうだよね。」
梨華は吉澤と希美の会話を黙って聞いていたのだが、どうにも
何か引っ掛かった。
- 63 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月06日(火)23時17分19秒
- それから梨華は今日のテストの話に話題を変えた。
吉澤が調子に乗って、子供ですらしないような、幼稚でしょーもない事を、
梨華を苛立たせるように面白おかしくやらかしてきた。
希美も梨華も、そんなアホな吉澤を見て、心の底から笑ったのだが、
梨華は心にかかった靄を晴らす事がどうしても出来なかった。
やがて吉澤と別れる交差点に差し掛かる。
前方では紺野と松浦が、二人並んで俯きながら歩いていた。
「じゃあ、また明日ね。」
「よっすぃおつかれ。」
「ちゃんと奢ってよ。よっすぃ。」
別れの挨拶を済ませた後、吉澤は微笑を二人に向けて踵を返した。
再び歩き出そうと、希美と梨華が片足を前に出そうとした
その刹那、猛スピードで坂を駆け上がった車が一台通り過ぎた。
梨華は条件反射の要領で、首だけ車の後を追うように振り向いた。
その時、梨華はヘッドライトに照らされた吉澤の端整な横顔を見つけた。
- 64 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月06日(火)23時18分27秒
- その横顔を見て、梨華は間違いなくある感情を覚えた。
――恐怖だ。
吉澤ののっぺりとした、意志を無くした横顔は、梨華の中で鮮明に記憶された。
あれが本当に吉澤なのだろうか?
そんな懐疑すら招くような、吉澤にして考えられない冷酷な瞳をしていた。
梨華はその時、ただの勘違いだと解釈した。
あの車の異常なほど明るいライトに照らされた所為で、そんな風に写っただけだ。
梨華は自分に言い聞かすように何度か小刻みに頷いた。
「どうしたの?りかちゃん。」
希美に訝しげにそう言われて、梨華は向日葵のような笑顔を向ける。
「なんでもないよ。のの。」
「ならいいんだけどさ。」
希美と二人で坂を下る。
前方を歩く松浦が、何度か訴えるように目配せしているような気がしたが、
梨華はそれよりも吉澤の事が気になった。
- 65 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月06日(火)23時19分36秒
- 「ねえ、のの、ののはよっすぃが何か悩み事してるとか、そんな事聞いた事ある?」
すると希美は軽い口調で言った。
「あるわけ無いじゃん。よっすぃがなやみごとするなんて、ソフトボールが頭に
ぶつかってもないよ。」
「・・・そうだよね。」
「そうだよ。梨華ちゃんさ、よっすぃにテスト勝てそうなの?」
「あーそれはね。うん。」
それから希美と他愛の無い話をしながら坂を下る。
やがて松浦が紺野にぎこちない笑みを浮かべた後、ずるずると引きずられるように
こっちに近づいてきた。
- 66 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月06日(火)23時21分01秒
- 「・・・辻さん。もう、勘弁してください。」
「しかたねえなあ。今日のところはゆるしといてやるよ。」
「・・・・はい。」
妙にゲッソリとした表情をしている松浦を他所に、
梨華は希美に一言言うと、走って紺野に追いついた。
「紺野さん、家どのへんなの?」
「私は、もう少し行った所を曲がるとすぐの所。」
「へえ、じゃあ家、学校から近いんだ。」
「うん。」
「あやちゃん、いい子でしょ?」
「・・・うん。」
紺野は照れたようにゆっくり頷いた。
「なんか最近いいことばっかりだなあ。」
「・・・そうなの?」
「うん!」
そんな楽しげな会話をしたまま、紺野と別れた。
そして、希美と松浦と合流する。
この日は坂を止まったり上ったりして、忙しい日だった。
- 67 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月06日(火)23時23分09秒
- 「あの子、帰りました?」
松浦が嬉々とした声で話し掛けてくる。
「うん。あやちゃんの事、いい子だって。」
「・・・そんな事いってたんですか。」
松浦は中身の無い話でただ、会話を繋いでいただけだったので、
梨華の言葉を聞いて複雑な心境になった。
(もっと仲良くしようかな。)
「ねえ、私達、団体戦どこまでいけるんだろう?」
梨華が前触れも無く、語気を強くした声色で二人に訊ねた。
すると希美が抑揚の無い声で即答する。
「優勝。」
「「えっ?」」
- 68 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月06日(火)23時24分14秒
- 梨華と松浦は同時に素っ頓狂な声を出す。
希美は意味深な笑みを浮かべて続ける。
「あたりまえじゃん。こっちにはピクシーがいるんだよ。負けるわけないじゃん。」
「のの、団体戦だよ?」
「矢口さんが五人抜きしてくれるよ。」
希美は思いっきり団体戦のルールを把握してなかった。
そんな支離滅裂な会話をしていると、あっという間に駅に着いた。
昨日と同様に、やはり矢口は手を振ってくれた。
その時、梨華は心のどこかで気付いていた筈だった。
希美の時折見せる物憂げな表情や、先程の吉澤の意志を無くした表情を目撃して、
心の中では抑え切れないような胸騒ぎがしていた。
なのに盲になっていた。
いや、盲になったふりをしていた。
世の中は、常に優しくないという事に。
――――――――――――
- 69 名前:カネダ 投稿日:2002年08月06日(火)23時25分10秒
- 更新しました。
- 70 名前:カネダ 投稿日:2002年08月06日(火)23時34分06秒
- 注意していたのに、コピペミスしてしまいました。
>>56の最後に、
中澤が悪戯にそう言うと、紺野はまた微笑を浮かべる。
「こんな私、らしくないです。でもこうやって練習を見てると、
気持ちが昂ぶっちゃってじっとしてられないみたいです。」
「ははは、明日から頑張れや。」
「はい・・!」
を追加です。
本当に申し訳ない。
- 71 名前:名無しさん 投稿日:2002年08月06日(火)23時37分16秒
- 紺野の実力も気になるとこだけど、それよりも、辻・吉澤に何があったんだぁ!?
続きがかなり気になる・・・。
- 72 名前:名無し読者 投稿日:2002年08月06日(火)23時47分03秒
- うぅ〜。ageってしまった・・・。まじすいませんm(__)m
逝ってきます・・・。
- 73 名前:むぁまぁ 投稿日:2002年08月07日(水)08時13分26秒
- うーん 普段お茶らけてる人間って影があるんだよな
- 74 名前:読んでる人@ヤグヲタ 投稿日:2002年08月07日(水)14時32分34秒
- 安倍を相手に練習をした吉澤・・・
矢口を相手に練習をした辻・・・
吉澤も辻もあまりにもの実力差にショックを受けてしまったんだろうか・・・?
- 75 名前:カネダ 投稿日:2002年08月09日(金)00時01分12秒
- レス有難う御座います。
本当に感謝しております。
>>71-72名無しさん、名無し読者様。
いえいえ、とんでも御座いません。レスを頂けるだけで嬉しいので。
吉澤の方は、漸く最初の方に書いた伏線を形に出来る所まで来ました。
これからも、読んでくれたら嬉しいです。
>>73むぁまぁ様。
吉澤の影はかなり濃くなりそうです。
こんな駄文ですが、宜しければ今後とも読んで頂けたら幸いです。
>>74読んでる人@ヤグヲタ様。
うーん、どうでしょうか?(w
こんな伏線張っといて、次は後藤です。
読んでくれて有難う御座います。
それでは続きです。後藤です。
- 76 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月09日(金)00時02分59秒
- 翌日の練習に、真希、加護、高橋はとても明晰な表情で現れた。
テニスコートで真希を見つけた部員は例外なく丸くした目で真希を一瞥した。
真希の纏っている純白のテニスウェアは、この部の権力者の証なのだ。
加護と高橋は、じゃあね、と真希に一声掛けて、
負け組みのコートに仲良く二人で向かった。
今日からは別メニューになる。
真希は意を決したように、鷹揚と勝ち組のコートに向かった。
不思議だ。
負け組みのコートと繋がっていて、まったく変わりないコートなのに、
やけに威圧感を含んでいる印象を受ける。
勝ち組の部員でまともに会話した事のある人間は市井以外にいない。
石黒はまだテニスコートにやってきていなかった。
真希は所在無さげにコートの隅のほうで、負け組みのコートにいる加護と高橋を
望見するように目を細めて見つめた。
- 77 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月09日(金)00時04分43秒
- 二人で仲良く談笑しているその様は、とても儚げで、自分が手を差し出すと、
すぐに霧散してしまうような気がした。
でも高橋と加護は近いうちにこっち側に来るだろう。
それは間違いない。
真希はこの時期特有の湿り気のある、生温い風を肌に感じながら、加護と高橋の
様子を、そんな事を考えながらぼんやりと見つめていた。
すると、部長の飯田が後ろから慣れた調子で話し掛けてきた。
「おっす。ゴトー。すごいね、
入れ替え戦無しで上がってきたのはあんたが初めてだよ。」
「・・・そんなこと・・ないです。」
真希は偉人と会話しているかのように緊張した。
いつも優しい言葉を掛けてくれた飯田だが、
それは社交辞令みたいなもので、心は篭ってなかった。
それでもその時は嬉しかったのだが、今はこうやって面と向かって会話している。
その様子が自分自身、信じられないような気がした。
「昨日はすごかったよね。どういう感じだったの?」
「あ、あれ、無意識でやってたみたいなんです。」
「無意識?」
- 78 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月09日(金)00時06分03秒
- 飯田が語尾を上げて、怪訝そうに訊ねてきた。
真希は鼓動が高鳴り、頭が上気して、上手い具合に説明する言葉が見つからなかった。
「あの、それは、ですね。何て言ったらいいのかな・・」
「ははは、おかしな奴だね。これからいっしょにがんばろうね。」
飯田は貫禄のある笑い方をして、真希に手を差し出してきた。
真希は俯きながらその手を力なく握る。
飯田は一度ギュっと力を込めて握った後、優しくフワリと手を離した。
それを真希は一種の牽制と受け取った。
飯田が部長だろうが、ココは実力の世界なのだ。
いくら自分が飯田より遥かに劣る実力でも、ライバルには変わりない。
真希は少し白くなった自分の右手を見ながら、そんな事を考えた。
それでもやはり飯田は他の部員とは違う、独特の寛大な雰囲気を持っている。
飯田は真希に口端を申し訳ない程度上げた笑顔を向けると、
踵を返して、市井の方に向かった。
真希は飯田の後姿を見つめながら、まだ鼓動が高鳴っていた。
- 79 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月09日(金)00時07分12秒
- 入れ替わりに保田が話し掛けてきた。
保田とはまだ一度も会話した事は無い。
「おお、来たね。天才。」
「そんなこと・・ないです。」
保田は茶化すようにようにそう言ってきたが、強ち冗談でも無いように真希は感じた。
釣り目で威厳のある保田に、なかなか目を合わす事が出来なかったが、
それでもこれからは仲良くしていかなくてはならないと思い、なるべく自然に
目を合わせた。
「あんたはあの紗耶香に期待されてる位だからね。」
「・・・市井さんにですか?」
「そうだよ。何度もアプローチされてただろ?」
「・・・はい。」
「私だって昨日の見せ付けられちゃ、のんびりしてらんないけどね。」
「そんな、私なんてまだまだ・・・」
「はは、お互い頑張ろうよ。」
「・・・はい。」
保田は笑顔を絶やさず、終始真希を安堵させるように、優しい口調だった。
その様子が、かえって真希には抑圧させられてるように息苦しかった。
- 80 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月09日(金)00時08分25秒
- 常に緊張が漂うココで、友情は生まれるのだろうか?
自問している間に、今度は里田と戸田と木村が話し掛けてきた。
そんな具合に勝ち組の部員達は、真希に物珍しげに話し掛けてくる。
しかし、市井と藤本だけは話し掛けてこなかった。
―――
やがて石黒がやって来た。
「来たな後藤。お前はこれから特別に鍛えるから覚悟しておけよ。」
「はい。」
「ふふ、やけに素直じゃないか、あの二人と仲直りでもしたのか?」
「・・・あなたには関係ないです。」
真希は加護の言った事を思い出していた。
これからは下らない諍いなどは起こさないように懸念する事にした。
とにかく、上達する。
自分の持ってる可能性に任せて。
- 81 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月09日(金)00時10分04秒
- 「お前には専属のコーチをつけてやる。」
「・・・どういうことですか?」
石黒は、首だけを横に向け、市井の方に視線を向けた。
「市井!!ちょっと来い。」
真希とは対面のコートの金網に凭れ掛っていた市井は、
ラケットをそこに立てかけ、腕を組みながら悠然とこちらに歩いてきた。
真希は無意識に視線をコートに落とす。
これはもう、癖になっていた。
「なんですか?」
「お前、暫くこいつ指導してやれ。」
「ははは、私がですか?失礼ですけど理解しかねますね。
こいつに私のテニスは必要ないでしょう?」
市井は嘲るような高笑いをして見せた。
真希は視線を落としていたので、市井の表情を窺い知る事はできなかった。
- 82 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月09日(金)00時11分56秒
- 「・・・それはお前に任せる。どうも、お前とこいつは仲がいいみたいだしな。」
「ははは、先生、見てくださいよ。こいつ、目え伏せてるじゃないですか。私、
どう考えても好かれてませんよ。」
「いいからお前に任せる。こいつなら、お前に少しは練習意欲を掻き立てる事ができる
かもしれないしな。」
「ま、私は言われたとおりにしますよ。問題はこっちでしょ。」
市井は真希を一瞥し、安っぽい薄ら笑いを浮かべて、石黒を試すように問い掛けた。
真希は顔を上げて、市井の灰色の瞳を真剣な面持ちで、諦観するように見つめた。
・・・それは、やはり底知れぬ寂寥感をかり立てる要素を含んでいた。
市井は真希に見つめられている事に、少し逡巡している様子だ。
「私は構いません。寧ろ、全国制覇した市井さんに指導していただけるなんて
感謝したいくらいです。」
真希は市井の目を見つめながら強い口調で言った。
すると、石黒は意味深な笑みを浮かべる。
- 83 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月09日(金)00時13分50秒
- 「・・よし、市井、頼んだぞ。こいつの可能性を、
私の次に見つけたのはお前なんだからな。」
「・・・はい。」
市井も真希の目を見つめたまま、覚悟の篭った口調で返事をした。
その後で石黒は全員に集合を掛け、今日のメニューを説明した。
部員達が各々のメニューに取り掛かった後も、
市井と真希は勝ち組のコートの隅のほうで、無言のまま向かい合っていた。
喧噪じみた喚声と、寸分狂わない怒号に似た掛け声が、
負け組みのコートの方から間断なく聞こえてくる。
暫くした後、市井は特に厳しくも無い陽光を遮るように、
右腕を眉の上に乗せて空を仰いだ。
「しかし、暑くなってきたねえ。夏なんて私が一番嫌いな季節なのに。」
「私は何をすればいいんですか?」
真希は市井の白々しい言葉の腰を折るように、捲くし立てるようにそう言った。
すると市井は微笑を浮かべる。
- 84 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月09日(金)00時15分14秒
- 「私がお前に教える事なんて、何にも無い筈なんだけどね。どうする?お前は何したい?」
「そんな事、わかりませんよ。」
真希は気だるそうにそう言うと、少し長めの溜息をつく。
すると市井は打ち合いをしている飯田の方に視線を向け、
頭をバリバリと強く掻いて、顔をバツが悪そうに顰めた。
「なんかさあ、お前に敬語使われると、
無性に胸がムカムカするんだよね。やめろよ。」
「だって・・・」
「それがまず一つ目の私の指導だ。」
「・・・わかった。」
「よし。」
真希はそう言われて、何故かとてもつもない喜悦を覚えた。
何故だ?今まで、心底憎んでいた存在なのに、今、そんな些細な事を言われて、
物凄く喜悦している自分がいる。
- 85 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月09日(金)00時17分30秒
- 「取り敢えず、軽く打ち合ってみるか?」
「・・・・・」
一瞬、真希に軽い悪寒が走った。
初めて会った時のあの感覚を、また覚えるかもしれない。
市井はその様子を悟ったようで、軽い自嘲気味の笑いをした。
「はは、大丈夫だって、お前私が怖いんだろう?もう、あんな事しないよ。
お前には・・絶対・・ね。」
市井は絶対という言葉を強めてそう言った。
真希は市井の考えている事がわからない、でも真希はその言葉を聞いて、
市井はこの勝ち組みの中で、他の部員には無い、
ある種の決意を持っている印象を受けた。
「なんで最初会った時、あんな目で私を見てきたの?」
真希は友人に話し掛けるように、安堵を込めた口調でそう言った。
市井は憮然とした表情のまま、頭をポリポリ掻いて視線を足元に落とした。
- 86 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月09日(金)00時18分42秒
- 「粋がる後輩を、少し驚かしてやろうと思っただけだよ。でもお前みたいに
感受性の強い奴は初めてだった。」
「・・それだけ?」
「そう、それだけ。」
そう素っ気無く言った後、市井は立てかけてあるラケットを取りに、
悠然と対面のコートの金網の方に歩いて行った。
真希は市井の事が気になって仕方が無かった。
市井は一種の虚無を常に纏ってる。
市井との会話は、閑散として寂れた図書館のように、
どこかにポッカリ穴が空いている。
それは真希に希望を無くした廃人を連想させた。
「ほら、後藤、構えろ!」
- 87 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月09日(金)00時19分36秒
- 真希がそんな事をぼんやり考えていると、
一番端のコートの対面で、市井が真希にそう催促してきた。
真希はハッとなってすぐにコートの中に入る。
真希は勝ち組の中で、市井が打ち合いや練習試合をしている所を見たことが無かった。
唯一見たのは、ビデオで見た、矢口との試合だけだ。
「軽いサーブを打つからお前は好きな形で返してこい。」
真希は頷いて思案した。
自分の好きな形、今まで考えた事も無かった。
市井がこ慣れた小さいフォームから、緩いトップスピンサーブを打ってきた。
真希はそれをフォアハンドのボレーで返す。
真希の打球は浅い放物線を描いて、コートの丁度真ん中らへんに緩く落ちた。
市井はそれを拾わず、両手を腰において、首を傾げている。
- 88 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月09日(金)00時20分31秒
- 「おい、本気でやってんのか?お前の実力はこんなもんじゃないだろ?」
市井は言い聞かすように、少し大き目の声でそう言ってきた。
真希は首を横に振る。
「本気で打ったよ。これ以上にない本気で。」
「・・・じゃあもう一回だ。」
そう言って市井はまた同じサーブを打ってきた。
真希もまた同じようにそれをフォアハンドのボレーで返す。
「ダメだ。もういい。」
「・・・・」
市井は投げ出すような口調でそう言うと、ゆっくりとこちらに向かってきた。
「たまに打つ、目が覚めるような切れのある打球はいったいどこいったんだよ?
私はお前の打ち合いを見ていて、いつも疑問に思ってたんだ。」
- 89 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月09日(金)00時21分23秒
- 市井は諭すような口調でそう早口に言ってきた。
真希は言い訳でもするように、焦った口調で
体が宙に浮くように軽くなる感覚の事を説明した。
こんな話、信じる筈も無いと思っていたが。
「・・・・・それはどういう時にやってくるんだ?」
「信じんの?」
「信じるよ。」
はっきりと市井は屈託無い返事をする。
真希はその市井の態度に答えるよう、できるだけ詳しく説明した。
「ふーん、つまりそれは一瞬の出来事な訳だ。」
「その後、すぐに体がだるくなるんだ。」
「その感覚を完璧に掴んだら、お前はだれにも止められなくなるな。」
「・・・意味わかんない。」
「よし。取り敢えず、私の培ってきた出来る限りの事をメニューに入れてやってくよ。
そんなもん、役に立つかはわかんないけどね。」
- 90 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月09日(金)00時22分53秒
- 市井がそう言った後、市井の背後の後光が、
とても儚げに市井を暈したような気がした。
真希はその刹那、理由の無い、強い不安に襲われた。
どういう訳か、市井は自分の情緒を敏感に反応させるんだ。
市井はサーブの形から、腕の振り方、腰の位置、呼吸まで、細かい事を
何度も何度も真希に繰り返し、身振り手振りで説明した。
その様子を勝ち組の部員達は、一様に怪訝そうに横目で見てくる。
市井は全身から粒の汗が滴り落ちるほど熱心に、
何度も何度も真希のフォームを微調整させていく。
自ずと真希も覇気がでてくる。
それ以上に、市井の事を親しく思えてきた。
二時間ほどそんな調整をした後、市井が少し休憩、と言って、コートからさっさと
出て行った。
取り残された真希は、市井が去った後、言われた事を思い起こすように素振りをする。
すると、斎藤、大谷コンビが、意地悪そうに話し掛けてきた。
- 91 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月09日(金)00時24分15秒
- 「あんた市井さんに随分気に入られてるみたいじゃん。」
まず、大谷が背後からそうネットリとした口調で言ってきた。
真希は素振りをやめて、視線をコートに落とす。
小川と初めて会話した時の事を思い出した。
よく似た奴らがこの部にはいるもんだな、と真希は心の中で嘲笑した。
「でもあんまり調子に乗んなよ。粋がったりしたらわかってるよね?」
「・・・・はい。」
真希は視線を落としながら、小さな声で返事をした。
斎藤と大谷はさも得意げに鼻を鳴らして去っていった。
・・諍いはダメだ。
それにこの二人を叩きのめすのは自分じゃない。
そんな事を考えながら、ひたむきにダブルスの練習をしている加護と高橋を
強い視線で見やった。
(がんばれ二人とも。)
- 92 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月09日(金)00時25分31秒
- そして、一番勝ち組で関りたくなかった人物が話し掛けてきた。
顎を上げて、見下すような視線を向けながら、堂々とした態度で。
「まさか、あなたが上がってくるとはね。」
「ま、そういうことだから。」
真希はなるべくあしらうように適当に応対する。
藤本のテニスは、人を心の底から馬鹿にして貶めるテニスだ。
市井とはまた違う、歪んだテニスをする。
真希はそんな藤本を特に毛嫌いしていた。
「昨日のまぐれが認められたんなら、先生も見る目無いよね。」
「さあ、私は全然見当つかないし。」
「ま、せいぜい頑張って練習してよ。無駄だと思うけど。」
「はいはい。」
「じゃあね。」
藤本はそう言うと、ゆっくり回れ右をして、自分の元いた位置に戻った。
真希はその後姿を見つめながら、大きな溜息を一つついた。
(はー殴りてえ。)
そして、気を取り直し、素振りを再開した。
- 93 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月09日(金)00時26分38秒
- 一人になると、どうしても市井の事が頭をよぎる。
それから十分程経った頃、市井が帰ってきた。
「おいおい、休憩しとけよ。休むのも練習の一つだ。」
「でも・・私は他の人よりも下手だし、人一倍練習しないと。」
真希は負け組みの加護と高橋を見つめながらそう言った。
市井も真希の視線の方向に視線を向ける。
「お前、あいつらの事気にしてんのか?」
「あいつらって、あいぼんと愛ちゃんの事?」
「かわいそうだけど、あいつらじゃココでは通用しないよ。」
抑揚の無い声でそう言った市井は、とても残酷に写った。
「今、頑張ってダブルスの練習してんだよ。」
- 94 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月09日(金)00時27分31秒
- 真希は得意げにそう言った。
市井は目を細めて、とても冷たい視線を二人に向けた。
真希と市井は二人に視線を向けたまま、少し、緊張が漂うやりとりをした。
「そこまでして、こっちに来たいのか?理解できないね。」
「私はあんたがわかんない。」
「ふふふ、何でだよ?」
「私、あの二人と一緒に団体戦に出るんだ。」
「団体戦?」
「うん。絶対に一緒に出る。」
「ははは、出れるもんなら出てみろよ。ココの層の厚さ、お前だってわかってるだろ?」
「そんなの、やってみないとわかんない。」
「絶対に、無理だ。」
「可哀相だね。あんた。」
「何で?」
「夢も希望も無いもん。」
- 95 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月09日(金)00時28分52秒
- 真希がそう言った後、市井は口を噤んだ。
真希は沈黙の中、二人にずっと視線を向けていたが、
顔の向きはそのままで、横目で市井の表情を静かに窺った。
市井は視線をコートに落として、悄然と、何か思案しているようだった。
「お前、なんでテニスしてるんだ?」
市井が突然そう聞いてきた。
真希はへん、と鼻を鳴らして、自信満々の声色で返事をしてやった。
「そんなの、好きで楽しいからに決まってんじゃん。」
「・・・・・・・。」
市井は俯いて、何も答えなかった。
どういう訳か、真希も何の答えも求めなかった。
それから、暫く二人は負け組みのコートをぼんやり見ていた。
- 96 名前:カネダ 投稿日:2002年08月09日(金)00時29分41秒
- 更新しました。
- 97 名前:むぁまぁ 投稿日:2002年08月09日(金)12時28分19秒
- こういうピリピリとした雰囲気 いいですね
天才二人・・・ 今は水と油な関係だが
>作者殿
更新乙っス
いやいや読みに来るなって言われても来ますよ
- 98 名前:読んでる人@ヤグヲタ 投稿日:2002年08月09日(金)15時48分30秒
- う〜ん・・・市井は現在テニスを楽しんでいないっぽいですね。
後藤はこの先も勝ち組の中でテニスをやっていて「好きで楽しい」と
思い続けていられるんだろうか・・・
次回更新が待ちどおしいです。
- 99 名前:カネダ 投稿日:2002年08月10日(土)21時11分19秒
- レス有難う御座います。
素直に嬉しいです。
>>97むぁまぁ様。
勝ち組のピリピリしている雰囲気が伝わって嬉しいです。
後藤と市井、今後の展開を上手く描写できるか不安です。
読んでくれて本当に有難うございます。是非これからも読んで下さい。
>>98読んでる人@ヤグヲタ様。
市井はテニスかなり強いんですけど、やはり楽しんではいないです。
後藤はこの先もテニスを楽しんでもらいたいですね。
待ち遠しい、と言われちゃ、更新せずにはおれません。(w
それでは続きです。
- 100 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月10日(土)21時12分31秒
- 「・・・練習、再開だ。」
「うん。」
真希は漠然とだが、市井の心の奥底に触れたような気がした。
市井は、死神、なんていう、存在ではない。
それだけは確信した。
それからの練習は打ち合い一辺倒になった。
市井は上手くて強い、一流の選手だ。
高橋よりもオーソドックスで特徴の無いテニスだが、
一つ一つの技術が、この部にいる誰よりも秀逸だった。
(普通にやっても十分強いじゃん。)
市井は大声を出し、真希に指示を出しながらラケットを振る。
真希もその声に答えながら死に物狂いで技術を習得するよう努めた。
- 101 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月10日(土)21時13分25秒
- 夕陽が影を引き伸ばし、気持ちのいい風が吹く、
怠慢とした空気が流れる時間帯に差し掛かる。
この時間帯、他の部員達は決まって怠惰になる。
こんな気だるい空間で、体を酷使するなんてアホらしいと
どうしても思ってしまうのだ。
しかし真希と市井は変わることなく、全力で練習に取り組んだ。
その光景は、他の部員達からはとても奇異に写っただろう。
そんな練習が夜まで続き、真希も市井も終わるころにはもうヘトヘトだった。
市井は驚きを隠せなかった。
真希は今日指導した事を、既に掴みかけている。
テニスというスポーツは、数時間練習をしたからといってすぐに上達するモノじゃない。
そんな概念を覆すほどの、圧倒的なセンスを市井は見せ付けられた。
―――
- 102 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月10日(土)21時14分57秒
- 石黒が解散を告げる頃、空には山吹色の、絵に描いたような
真ん丸い満月が薄雲の隙間から聳えていた。
それは自分たちの未来を明るい方へ導いてくれる、確かな道標だと真希は感じた。
目を逸らさず、いつか市井の瞳とだぶらせた時のように、しっかりと見据えた。
石黒が解散を告げた後、加護と高橋が石黒に駆け寄った。
真希も気になって、ゆっくり二人の傍らに近づいた。
「先生、ウチら、ダブルスでやってみようと思います。」
加護が重い口調でそう言った後、石黒は嘲笑気味に口端を上げた。
「なんだ、お前の限界はまだまだじゃなかったのか?」
「・・・・・へへへ、あれ、嘘です。自分はシングルではやっぱ通用しないです。」
「先生、私も加護さんとこれからはダブルスでやっていきたいです。
加護さんとなら、きっと結果をだせます。」
「・・・・わかった、そのうちに入れ替え戦をさせてやる。
そのかわり、もし負けたら今年中に一軍に上がるのは無理だと思え。」
「・・・承知の上です。」
「私も、それはよく理解してます。」
「お前らのペア、楽しみにしてるよ。」
- 103 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月10日(土)21時15分41秒
- 石黒は素っ気無くそう言うと、傍らで聴聞していた真希に話し掛けてきた。
「やっぱりお前は他の連中とは違う。市井をあそこまでやる気にさせるとはな。」
「先生は市井さんの事を何だと思っているんですか?」
「何?」
「あの人、あなたが思っているような人じゃないですよ。」
「・・・・・」
「それじゃ、失礼します。」
そう、頭をペコッと軽く下げて言った後、
真希は加護と高橋に更衣室に行こうと促した。
しかし、二人は揃って力ない笑顔を真希に向けながら首を横に振る。
真希は理解できなかった。
すると、加護がバツが悪そうに辺りに目配せした。
- 104 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月10日(土)21時16分57秒
- 加護と高橋はコート整備と後片付けが残っていた。
真希は居たたまれない気持ちになった。
辛かった。
このウェア一つで、こうまで立場が違うのだ。
真希は気まずそうに加護と高橋に、門で待ってるから、と声を掛けて更衣室に向かった。
練習前は純白だったテニスウェアも、今じゃあ汗まみれの砂塗れになっている。
でもその分、自分は上達したはずだ。
加護の思いに少しでも答えているはずだ。
真希は汚れたテニスウェアを、着替え終えた後暫し見つめていた。
その時、飯田が話し掛けてきた。
「紗耶香、あんたにベタ惚れだね。」
真希は恐縮そうに首を横に振った。
飯田の声には、落胆のような軽い溜息が混じっていた。
- 105 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月10日(土)21時17分44秒
- 「そんな、市井さんは先生に言われたからですよ。私に指導してくれてるのは。」
「後藤、鈍いねえ。紗耶香がそんな子じゃない事、もうわかってるでしょ?」
「・・・・・・。」
「私は相手にもされた事無いよ。少なくともテニスでは。」
飯田は顔を少し斜めに上げて、目をパチパチと幾度か瞬きさせた後、
じゃあね、と、素っ気無い挨拶をして更衣室を出て行った。
その時、更衣室には既に真希しかいなかった。
真希もさっさと更衣室を後にして、正門に向かった。
夜空に聳える黄色い月を、顔を上げて見据えたまま、覚束ない足取りで
フラフラ歩いていると、思いっきり正面から人とぶつかった。
真希も相手も尻餅を付いて同時に倒れた。
「いったー・・・お前どこ見て歩いとんねん!!?」
- 106 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月10日(土)21時19分27秒
- 尻餅をついたまま、ドスの利いた関西弁で威圧される。
その相手は、色っぽい化粧を施して、
シンプルな黒いスーツとスカート姿の、大人の女だった。
(口に似合わず、美人じゃん。)
真希も譲らない。
関西弁には慣れている。
「あんただって、気いつけなよ!」
「なにおー、最近のガキは生意気になったもんやなあ!」
「おかげさまで、ね。」
二人は立ち上がり、額と額があと数センチでくっつく程の近距離で睨みあう。
数秒後に、女が真希の足元に視線を向けて、
何かに気付いたように、ん、と高音の声を出した。
真希の足元には、学校指定のエナメル質のボストンバッグが、
横に倒れるように転がっていて、その半分開いた口から、
乱雑にテニスウェアが顔を出していた。
真希の方は、その女が履いている真っ赤なハイヒールの方が気になったのだが。
- 107 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月10日(土)21時20分34秒
- 「・・・お前、テニス部の一軍なんか?」
「だったらなんだよ?」
「ここも変わったなあ、お前みたいな奴でも一軍になれるんか。」
「あんた何者なんだよ?」
「お前も一軍やったら、近いうちにまた会う事になるわ。」
女はそう言った後、虚ろで艶のある視線を真希に薄笑いを浮かべながら向けて、
悠然とテニスコートのある方向に歩いていった。
真希はその背中を姿が見えなくなるまで睨み付けた。
(なんだよあいつ・・)
真希は舌打ちをしながら、正門の外壁に項垂れるように凭れ掛かった。
背中にコンクリートの無機質な冷たさを感じながら、真希はぼんやりと
顔を上げ、くっきりと光り輝く満月を見やる。
- 108 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月10日(土)21時22分26秒
- この場所は静寂で暗く、真希は月の光以外に生命を感じなかった。
市井の心の中もこんな感じなのだろうか?
それとも、もっともっと暗い暗い闇が広がっているのだろうか。
いや、きっともっと暖かいに違いない。
真希は暫く、月を見ながらずっと市井の事を考えていた。
数十分した頃、ちらちらと帰宅する負け組みの部員が現れてきた。
真希はなるべくその部員達とは目を合わせないように懸念した。
自分が勝ち組で練習をしていることが、どうしても許されないような気がしたからだ。
やがて、加護と高橋が談笑しながら仲良く二人で歩いてくるのが見えた。
真希は気付かれないように正門の裏に隠れ、丁度二人がそこにやってくると、
子供のように大声を上げて驚かせて見せた。
- 109 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月10日(土)21時23分57秒
- 「びっくりしたー、ごっちん、もうガキやないねんから止めえや。」
「・・・・・・。」
高橋の様子がおかしい。
加護が話し掛けても持ち前の大きな目を見開いたままウンともスンとも言わない。
真希も怪訝そうに首を傾げる。
「愛ちゃん?生きてる?」
「ははは、意識トンだんとちゃうか?」
「・・・・・・」
「ちょっと・・・愛ちゃん?」
「はは・・・・おい、嘘やろ?」
「・・・・・」
「愛ちゃん!」
「おいおいおい!!」
加護が高橋の背中を、渾身の力の張り手でぶっ叩いた。
すると高橋がヒュー、と、風船から空気が抜けるような、気の抜けた音を発した。
そして咳き込む。
- 110 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月10日(土)21時25分09秒
- 「・・・ちょ、ちょ、驚かさないで・・・。」
「愛ちゃん?」
高橋が涙目で訴えている。
加護は何故か声を上げて大笑いしている。
真希も何だか笑いが込み上げてきた。
高橋にはそういう、未知の所で人を笑わす才能がある。
落ち着いた所で三人はいつものように歩み始めた。
「ごっちん、市井さんとマンツーマンで練習しとったな。どう?いい感じ?」
加護が明るい口調で言ってきた。
真希もテンポ良く応対する。
「いい感じだけど、正直不安。」
畦道ではいつもこんな感じに会話が漫才っぽくなるのが常だった。
- 111 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月10日(土)21時26分23秒
- 「ねえ、ごっちん、もうすぐ私達も行くからさ、その時はお祝いしようよ。」
高橋が自信満々の声色で言ってきた。
真希もそれに答えるように、微笑を浮かべながら頷く。
「市井さん、どんな人なん?」
続けざまに、加護が怪訝そうに訊ねてきた。
真希はワザとらしく考える仕種をコミカルにする。
「わかんない。」
「はあ?」
「あいつ、本当に訳わかんないんだ。」
「なんじゃ?それ。」
「・・・でも、悪い人間じゃない事はわかった。」
「いい人って事?」
「わかんない。」
「もう知るか、やってられへん。」
- 112 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月10日(土)21時27分25秒
- 加護が手の甲で真希の胸の辺りを軽くポン、と叩く。
その後で加護が酔っ払いのような、怪しい笑みを浮かべた。
「ぐふふふふ、ごっちん、ウチらあいあいコンビ、もしかしたらテニス部全員の
度肝抜くかも知れへんで。」
そう言った後、よく時代劇で見る越後屋の主人のように安っぽい笑い声を上げだした。
真希は笑いながら首を傾げ、高橋に訊ねた。
「どういう事?愛ちゃん?」
「ぐふふふふ、はっはっは。」
「・・・え?」
高橋が加護と同じように笑い出した。
もう、最初に会った頃の高橋はここにいない。
真希は二人が声を上げて笑っているのを、
つられ笑いをしながら傍観しているしかなかった。
- 113 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月10日(土)21時28分19秒
- 「・・・まあ、今度の入れ替え戦を見てのお楽しみや。」
「そういうこと。」
「二人とも、勝つ自信あんの?」
その真希の問いに、加護は呆けた顔をして答える。
「そんな愚問やめてぇな。自信なかったら今日、志願しなかったよ。」
「ごっちん、ダブルスって面白いよ。」
「・・・戸田さん、木村さんペアにも勝てるの?」
真希のその問いに、加護と高橋は顔を見合わせて、数秒沈黙した。
真希はその様子を見て不安になった。
(大丈夫か?この二人。)
すると、加護がまた薄ら笑いを浮かべた。
- 114 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月10日(土)21時29分44秒
- 「ごっちん、ウチらは山掛けてんねん。先生は絶対あの斎藤、大谷ペアと
ウチらを当たらせる筈や。」
「・・・・本当に?」
「うん、絶対や。ウチはあの最低コンビとやったら、天と地がひっくり返っても
負けない自信がある。」
「私も、今日あいぼんと組んでみて、めちゃくちゃ自信ついたんだ。」
「二人とも、期待してるよ。」
「だーいじょうぶや。な、愛ちゃん。」
「うん、もう対策はできてるもんね。」
真希は二人の余裕を持った会話を聞いて、安心した。
落ち着いて考えてみたら、この二人、物凄い実力の持ち主だ。
加護のパラドックスで構成されているようなテニスと、高橋のオーソドックスで
気品のあるテニスが組んだらいったいどんなテニスができるのだろう?
真希はその事を想像しただけで、ワクワクしてきた。
- 115 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月10日(土)21時31分18秒
- 「じゃあ、入れ替え戦のときはアホみたいに応援するから。」
「たのむでえ。ウチも早くテニスウェア着たいわぁ。」
「あいぼん、似合わなそー。」
高橋がとても失礼な事を言った。
加護は少し、呆気に捕らわれている。
真希は笑い出した。
(愛ちゃん最高・・・)
「・・・愛ちゃん、きつい事言ってくれるな・・・・
悪いけど、ウチ、テニスウェア着たら天使みたいにかわいくなんで。」
「天使?」
高橋がそう聞き返す前に、真希は更に勢いを増して笑い出した。
高橋も笑い出す。
「天使って、あいぼん熱でもあんの?」
「・・・二人とも、馬鹿にすんなや!今度の入れ替え戦勝って、そん時見せたるわ。
絶対かわいいねんからな!かわいかったら謝れよ!」
- 116 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月10日(土)21時32分28秒
- 加護は少し泣き声になっていた。
その声に真希は更に笑いが込み上げてくる。
これで加護は負けられない理由が出来たわけだ。
そんな楽しげな会話をしていたら、何時の間にか加護と別れる
曲がり角にきていた。
「二人とも、絶対懺悔させたる。」
「まあまあ、楽しみにしてるよ。天使、あいぼん。」
「うん、明日も頑張って練習しよ。天使、あいぼん。」
「うっさいわ!」
加護は泣き声にでそう言った後、ワザとらしく闊歩で去っていった。
その後姿を見て、真希と高橋はもう一度笑い出す。
二人並んで、死んだ店舗の通りを歩いても、気分が良いまま加護の話で盛り上がる。
- 117 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月10日(土)21時33分45秒
- 「本当、あいぼん最高だね。天使だよ?天使。」
「うん、私もさすがに熱でもあるんじゃないかと思っちゃったよ。」
「あいぼんと出会えてよかった・・・それだけでこの高校にきて良かった。」
「・・うん。私もまさかあの、加護亜依とダブルスが組めるとは思ってなかったよ。」
「あいぼん凄げえくせに繊細だからなあ。キャラに似合わないよ。」
「でもそこが、あいぼんのいい所だよね。」
「・・そうだね。」
そこで会話が一段落し、真希は次の話題を考えた。
二人になると、どうしてもそんな事を意識して考えてしまう。
風すら吹かないこの通りは、通学路で最も特異な場所だった。
何故か無性に『何か』に意識してしまうのだ。
「愛ちゃんってさ、もしかしてかなり臆病?」
「・・・かもしれない。」
「今日のあのリアクションは芸人でもできないよ。」
「あれ、本当にビックリしたんだから!」
「ははは、ゴメンね。まさかあれだけ驚くとは思ってなかった。」
「私、目の前真っ白になったもん。」
「ははは。」
- 118 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月10日(土)21時34分53秒
- ザリッザリッ、とアスファルトに小石が擦れる、いやに増音された足音が、
二人の会話を次第に減らしていく。
二人は暫し俯き加減でその足音に耳を傾けながら、無言で歩を進める。
すると、真希は正門付近でぶつかった関西弁の怪しい女の事を思い出した。
「・・ねえ、愛ちゃん、今日さあ、スーツ姿の女がテニスコートに来なかった?」
「へ?いつ頃?」
「うーんとね、練習終わった後の、コート整備の時間帯。」
「ああ、来たよ。先生の知り合いみたいだった。」
「ふーん。」
確かにガラの悪そうな感じで、石黒の連れなら別段おかしくも無い。
真希がそんな事を考えていたら、高橋が慌てて付け足すように話し出した。
「なんか先生、とっても楽しそうだった。」
「あいつが?」
「うん。かなり仲がいいんだと思う。」
「何者なんだろうねえ。」
「さあ、私もちょっとしか見てなかったから。」
「テニス関係者かなあ?」
「・・・私はそうは見えなかったな。キャリアウーマンみたいな感じだった。」
「確かにね。」
- 119 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月10日(土)21時35分48秒
- 話していると、高橋と別れる脇道に差し掛かった。
立ち止まった後、真希は徐に顔を上げて月を見やる。
高橋も真希の視線を追うように顔を上げた。
「月が綺麗だ。」
「・・・うん。」
「明日はきっといい日だ。」
「そうだね。」
「愛ちゃんは、絶対に上がって来る。」
「うん。」
「・・・心が安らぐ月だねえ。」
「そうだねえ。」
「じゃあ、また、いい日の明日に会いましょう。」
「そうしましょう。」
まったりとした別れの挨拶を告げた後、真希はトボトボと
帰路に着く。
十分ほど歩いていると、
住宅街の一角で、懐かしい顔ぶれに出会った。
- 120 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月10日(土)21時36分59秒
- 「あれえ?真希じゃん?なにしてんのお?」
「元気にしてたの?真希?」
「二人とも久しぶりだねえ。」
髪の毛を安い茶色に染め、制服のスカートの丈を太腿まで上げて
ギャルっぽくなったA子と、一転して髪の毛をアンテナの如く一本に纏めて
立て、制服をゆったり着こなした、古着のようなイメージを醸し出している
B子に、中学卒業のとき以来再会した。
真希は中学生の時、常にこの二人と行動していたのだが、
暫く会わないうちに、大分変わったようだ。
特に化粧が濃く、目の原型は既に無い。
「真希クラブやってんの?」
A子が真希の肩にかけてあったラケットを見ながら、甲高い声で訊ねてきた。
何故かその時、真希は二人の事をとても鬱陶しく感じた。
- 121 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月10日(土)21時37分48秒
- 「うん、ちょこっとテニスをね。」
「うわー、絶対似合わないよ真希、練習とか真面目にやってんのお?」
「あたりまえじゃん。私を何だと思ってんだよ?」
「うわー信じらんねえ。」
一々驚いたような仕種をしてくる事も癪に障ったのだが、
吹きかけてくる甘い匂いの吐息と、体から発する、頭痛を催すような
大人くさい香水の匂いのほうに真希は気分を害した。
「二人とも今何してんの?」
「何って高校生に決まってんじゃん。」
「キャハハハ、真希意味わかんねえ。」
「ははは。」
真希は愛想笑いをするしかなかった。今考えてみたら、
この二人といて、心の底から笑った事など無かった。
持て余した時間を共有していただけだ。
それでも、当時は楽しかった筈だった。
- 122 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月10日(土)21時38分55秒
- 「楽しそうだねえ。学校面白い?」
「うん。そうそう、彼氏できたんだよ。カレシィ。」
「私も出来たよ。めちゃくちゃカッコいいんだ。」
「そうなんだ。」
「真希はどうなんだよ?ウチの学校で一番モテたの真希だったじゃん。」
「そうそう、どうなの?」
真希は早くこの場から立ち去りたかった。
どうしても、この二人とはもう分かり合えないと思ってしまった。
「そんなもん、作ってる暇ないもん。今はテニスに恋してるんだ。」
「キャハハハ、真希面白くなったねえ。変わったよ。
束縛されるのが一番嫌いだったじゃん。なんでそんなに青春してんの?」
「真希変わったねえ。」
「そうかな?」
- 123 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月10日(土)21時40分14秒
- 最初は自分とは無縁の世界だと思っていたのに、今ではテニス無しでは
自分を表現する事すら出来ない。
まだ高校生になって一ヶ月ちょっとなのに、自分は驚くほど変わったんだ。
この二人のいる場所が、自分の居場所だったのに。
変わったのは自分だ。
「じゃあ、あたしら帰るよ。真希、また今度遊ぼうよ。」
「試合とかあったら呼んでよ?絶対いくし。」
「・・・うん。またね。二人とも。」
二人と別れた後、真希は改めて自分を見直した。
別にあの二人が間違ってる訳じゃない。
ごく普通の高校生じゃないか。
本来なら、自分だってそうなっていた筈だ。
今の自分は嘘の自分かもしれないじゃないか。
テニスが無ければ、今頃どうなっていたのか、わからないじゃないか。
少し、自虐じみた事を考える。
- 124 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月10日(土)21時41分28秒
- (ごっちんは自由や。)
突然、加護の言った言葉が脳裡をよぎった。
どうして加護は自分にそんな事を言ったのだろう?
ふと、そんな疑問を抱く。
(ごっちんは、人を引き付ける何かを持ってるよ。)
次に高橋に言われた言葉が浮かんでくる。
高橋も、加護も、どうしてあんなに優しいんだろう?
ただ生きていただけの自分に、どうしてあんなに優しいんだろう?
少し、加護と高橋の事を考えたら、どこも痛くないのに、涙が溢れてきた。
どうして涙が流れるのか、理由がわからなかった。
真希は溢れた涙を乱暴に手の甲でグシグシ擦った。
(最近、なんだか涙脆くなったな。)
色々考えながら歩いていた所為で、家に着くのが大分遅れてしまった。
- 125 名前:五話、シドウ 投稿日:2002年08月10日(土)21時42分14秒
- 薄い鉄の階段を、なるべく音を立てないように上がり、
鍵を差し込んで頼りないドアを開ける。
靴を乱暴に脱ぎ捨て、自分の部屋に直行した。
そのまま電気を点けないで、荷物を乱雑に放り投げる。
埃くさいカーテンを開け、もう一度あの月を見やった。
月の明かりがぼんやりと部屋に差し込んで、真希はとても心が穏やかになった。
そのままずっと月を見据えていた。
そして、思った。
今の自分が、本当の自分なんだと。
――――――――――――――
- 126 名前:カネダ 投稿日:2002年08月10日(土)21時44分37秒
- 更新しました。
五話、シドウ 完
次はちょっと、挿話じみたもんを書こうと思います。
- 127 名前:名も無き読者 投稿日:2002年08月10日(土)23時08分47秒
- ヤバ面白い。一言だけで申し訳ないが、これしか言えん。
- 128 名前:Kattyun 投稿日:2002年08月11日(日)17時10分12秒
面白いです。ごっちん頑張れ!!
- 129 名前:読んでる人@ヤグヲタ 投稿日:2002年08月11日(日)18時55分23秒
- 意外な人が登場しましたねぇ。
練習試合でも申し込みに来たのかな?
- 130 名前:むぁまぁ 投稿日:2002年08月11日(日)22時11分55秒
- 後藤・加護・高橋の友情・・・ 何かいいよね
ただ馴れ合うんじゃなくて時には好敵手として刺激し合う仲
うん いい
平行して進んでる2つのドラマがそろそろ絡み合う予感を感じさせるあの人の登場
楽しみだべさ
- 131 名前:名無し読者 投稿日:2002年08月11日(日)23時09分41秒
- 後藤はZONEを自分でコントロール出来るのか?
このあと石川どんな成長を見せるのか?
目が離せません!!
- 132 名前:カネダ 投稿日:2002年08月12日(月)00時37分18秒
- レス有難う御座います。
本当に書く意欲が湧きます。
>>127名も無き読者様。
有難う御座います。
自分にとって、最高の一言であります。
>>128Kattyun様。
有難う御座います。
後藤にはリアルでも頑張って欲しいです。
>>129読んでる人@ヤグヲタ様。
意外な人物の話をちょこっと書きたいと思います。
練習試合はできたらいいのですが・・・
>>130むぁまぁ様。
そう言って頂けると、素直に嬉しいです。
三人を絡ませるのは当初はかなり勇気が必要だったので。(w
だべさ・・・そう言えば、安倍の誕生日ですね。
>>131名無し読者様。
後藤のほうはちらちらテニスしているんですが、
もう一人の主役は全然テニスやってるシーンないですね。(w
上手い事描けるか自信ないですが、これからも是非読んでやってください。
- 133 名前:五・五話、極彩色の記憶 投稿日:2002年08月12日(月)00時40分40秒
- 淡い臙脂色の明かりを放つ、丸い大きなライトが五つ、分厚い木で出来た
両開きの扉の上枠に、足元を照らすように備え付けられている。
扉を開けると、甘い木材の芳香と共に、ジャズのスタンダード曲をウッドベースと
ピアノのみで奏でるという、シンプルで、心を落ち着かせる音楽が迎えてくれる。
黒のスーツとスカートを完璧に着こなした、性格の硬そうなOL風の女と、
紅色の薄いレザージャケットとベージュのスリムパンツで合わせて、
カジュアルな雰囲気を醸し出しているスタイルのいい女が、
この扉の前に漫然と立っていた。
「もう、急すぎるよ。電話一つくらいくれたらいいのに。」
「ははは、悪いなあ、どうしても今日、会いたくなってん。」
その場を支配する喧噪をすり抜ける様に透き通った声でそんな会話をした後、
二人は仲良さげに、同時に両開きの扉を目一杯開けた。
誰もこの二人が同業とは思わないだろう。
- 134 名前:五・五話、極彩色の記憶 投稿日:2002年08月12日(月)00時42分59秒
- 店内は木を基調にして、薄暗いオレンジ色の明かりが無規則に中を照らし、
ぼんやりとして緩慢とした世界を作り出している。
特徴の無い客が疎らにいて、共通して気だるい表情をしながら、
酒をチビチビ飲んでいた。
この繁華街の一角にあるショットバーは、
年に一度か二度、二人で訪れる特別な店だった。
二人は必ずカウンターの一番奥の席に座り、
軽い儀式のようにタバコを同時に吸うのが二人の約束になっていた。
「パイルドラバー、一つ。」
「はあ?」
「ゴメン。スクリュードライバー、一つ。」
「はあ。」
「ははは、裕ちゃんまだそのボケ使ってんの?」
「当たり前やろ、これは今では超ガイシュツのウチのハズレ無しのボケや。」
「ははは、あ、私も同じのを。」
「はい。」
- 135 名前:五・五話、極彩色の記憶 投稿日:2002年08月12日(月)00時44分02秒
- ここに来た時は、中澤と石黒はお互いの立場を忘れて昔を懐かしんだり、
現状などを報告しあったりするのが常だった。
しかし、石黒はわからなかった。
何故中澤に今日、この場に呼び出されたのか。
この日は中澤があの忌まわしい事故に遇った一月でもないし、
高校テニスの、何かの大会が始まった訳でもなかった。
この前ここに来たのは、去年のシングル県大会決勝の前夜以来だった。
そう、矢口と市井の決勝戦の前日だ。
「それで、裕ちゃん、今日はいったいどういった御用で?」
「・・・まあ、まずは乾杯や。」
「そだね。」
チン、と小気味のいい音を両グラスが奏で、二人の再会を祝ってくれた。
中澤はコクっと喉を鳴らせながら一口飲んだ後、
ゆっくりと昔を思い起こしながら話し出した。
- 136 名前:五・五話、極彩色の記憶 投稿日:2002年08月12日(月)00時45分01秒
- 「なあ、ウチらが高校時代、全国制覇したとき、どんな気持ちやったっけ?」
「団体戦の時だよね?あの時は凄かったじゃない。もうみんなバカみたいに
騒いで、その日はコーチを無視して暴れまわったよね・・・とにかく一生で
一番いい日だった事は確かだね。」
石黒は嬉々とした声色で、それこそ無邪気だった。
中澤はそんな石黒を見て微笑する。
「なあ、あやっぺ。疲れへんか?鬼コーチは。」
「・・・もう慣れちゃったから。」
「慣れ、か。」
「大人になって、都合のいい人間になっちゃったんだよ。」
「・・・どうや?今年の新人は?」
「すごい才能を見つけたよ。」
「ほんまに?藤本の事か?」
「いや、藤本じゃないよ。もっと、底が知れない、天才を。」
(そう、昔の裕ちゃんみたいに、底が知れない、天才を)
- 137 名前:五・五話、極彩色の記憶 投稿日:2002年08月12日(月)00時46分08秒
- 中澤はタバコを特殊な木材でできた灰皿に押し付けながら思案した。
今年の一年で特に注目されてたのは藤本と、無敵のツインズと謳われた希美と加護。
それ以外には見当がつかない。
中澤は酒を少量だけ呷るように飲みながら、怪訝そうに訊ねる。
「ふーん、そいつ、シングルでどこまでいったん?」
「いや、大会には出てないよ。」
「・・・意味わからんな。」
「偶然、ある中学に訪問した時に見つけてね。自分でも自信なかったんだ。
実際センスがあるのか・・・・最初はただの勘だったんだけど、本物だった。」
「へえ、あやっぺがそれほど期待してるんか、会ってみたいな。」
「今はまだ、上り途中だけどね。」
「・・・天才か、そう言えば矢口もそんな事言われてたな。」
- 138 名前:五・五話、極彩色の記憶 投稿日:2002年08月12日(月)00時47分19秒
- 矢口という言葉を聞いて、石黒は緩んでいた表情を心持ち、硬くした。
中澤はその表情を一瞥した後、残っていたカクテルを一気飲みし、
続けざまにウィスキーをロックで頼んだ。
「・・・・矢口、どうしてるの?」
石黒が神妙な面持ちで、重い口調でそう言ったが、
中澤は元の調子で続けた。
「戻ってきたよ。あやっぺ、ウチはな、人を見抜く力は常人よりは持ってると
思うねんけど、矢口だけはわからん。あいつの考えてる事も、
あいつが何処にむかってるのかも。」
「裕ちゃん心理戦も強かったもんね。・・・矢口はまだテニスやってるんだ・・・。」
「ああ、おかげさまでな。・・・市井はあれからどうなんや?全国制覇して、余計に
死神が猛威をふるってるか?」
- 139 名前:五・五話、極彩色の記憶 投稿日:2002年08月12日(月)00時48分43秒
- 中澤は悪戯っぽい笑いをしながらそう言ったが、その声には憎しみが篭っていた。
矢口をやられた事を許せなかった。
腐ったテニスをする市井だけは、許せなかった。
その中澤の思いを、石黒は悟ったようだった。
「市井はあれ以来、まったくテニスをしようとしなくなった。
練習には顔を出すんだけど、もう、覇気が感じられなくなった・・・」
「不思議なもんやな。ウチが高校の時、シングルで
全国制覇したときはもっともっと上達したいと思ったもんやけど。」
「・・・裕ちゃんが矢口の事をわからないように、
私も市井の事はさっぱりわからないよ。信用もされてないみたいだし。」
「・・・なんか、あの二人、どっちも実は似てるんとちゃうか?
ウチらが思ってるよりも、もっと単純なんかもしれんな。」
- 140 名前:五・五話、極彩色の記憶 投稿日:2002年08月12日(月)00時49分56秒
- そう中澤が言った後に、石黒も中澤と同じ酒を頼んだ。
「裕ちゃんの所のテニス部は、相変わらずあの二人しかいないの?」
「いや、今年はな、ほんまにおもろい奴らが入ってきたんや。豊作やで。
信じられへんやろ?あんな、お嬢様ばっかりの高校にして、ありえない
ような奴らや。」
中澤が嬉しそうに話す様子を見て、石黒は複雑な心境になった。
中澤は本来なら今頃、プロで活躍できる才能の持ち主だったのだ。
それが、たった一瞬の出来事で、今は教師という仕事をしている。
世の中は常に不条理だ。
- 141 名前:五・五話、極彩色の記憶 投稿日:2002年08月12日(月)00時50分57秒
- 「へー、裕ちゃんの厳しい練習にも付いてきてるんだ。」
「付いてくるどころか、ウチの予想を遥かに凌駕するような奴らやで。
なんであんな高校にいるんか見当もつかん。」
「きっと、裕ちゃんに導かれたんだよ。」
「なんやそれ?ロマンチックな話やな。」
「きっとそうだって。」
石黒にとってその言葉は、強ち嘘でもなかった。
中澤の事故を一番悔しく思ったのは、他でもない、石黒だった。
自分の思いを託した選手が、こんな不甲斐無い形になったのは
神の悪戯にしては冗談が過ぎている。
- 142 名前:五・五話、極彩色の記憶 投稿日:2002年08月12日(月)00時51分57秒
- 「ウチがやりたかった事を、あいつらやったら実践してくれるかもしれん。」
「やりたかった事?」
「うん。教師になって、顧問になって、自暴自棄になってた時期に自分を
慰めるために、気休めのつもりで考えてた事や。ウチが描いたテニスを
あいつらはきっとやってくれる。」
「そんなに期待してるんだ。」
「うん。」
「それは絶対実現できるよ。裕ちゃんはその権利を持ってるから。」
「なんやねん、それ。」
「なんでもないよ。」
石黒は悪戯っぽく言った。
その会話が途切れた後、数分間、二人とも思案するように
俯き加減で酒をチビチビ飲んでいた。
やがて中澤のグラスが空くと、もう一度、同じ酒を注文した。
- 143 名前:五・五話、極彩色の記憶 投稿日:2002年08月12日(月)00時54分00秒
- 「少し、酔ってきたな。なかなか、気分がようなってきた。」
中澤の目はいつもよりも更に虚ろになっていた。
「ねえ、裕ちゃん、私のやってきた事って正しいのかな?」
「ん?あやっぺが信じてやってきたんなら、それは正しい筈や。」
「今は自分でもわかんなくなってきてるんだよね。確かに強い部を作った
けど、それだけなんだよ。私のテニス部は。」
「・・・答えは子供達が出してくれるわ。そういうもんやろ?指導者からは
わからんもんや。教師なんか嫌われるのが常やで。因果な世界やわ。
ウチの事、赤鬼とか言っててんで?」
「裕ちゃん、顔真っ赤。」
「ははは、そりゃ赤鬼やわ。」
そう中澤が笑った後に、石黒ももう一度、同じ酒を頼んだ。
レコードが音楽と共に発する、プツッ、プツッ、という、針の擦れる音が
とても心地よく二人の心を柔和にしていった。
- 144 名前:五・五話、極彩色の記憶 投稿日:2002年08月12日(月)00時55分12秒
- 「加護いるやろ?あやっぺの所に。」
中澤がトロリとした表情で怪訝そうに訊ねた。
石黒は思い出したように、二度頷いた。
その時、グラスを持っていた右手を垂らすように傾けた所為で、
グラスの中の大きな氷が二つ、カラン、と空虚な音をたてて崩れた。
「うん、片割れがね。」
「こっちにもいるで、片割れが。」
「え?辻は裕ちゃんの所にいったんだ?」
「不思議なもんやな。どういう訳か、あやっぺの方とウチのテニス部は
なにかしら因縁じみたものがある。」
「なんで辻と加護は別れたんだろうね?」
「さあなあ。若いうちはそうやって試行錯誤して育っていくもんや。
ちょっとの行き違いで、こういう事になったんやろ。」
- 145 名前:五・五話、極彩色の記憶 投稿日:2002年08月12日(月)00時56分14秒
- そう言った後、中澤はタバコを咥え、ライターで火をつけようとした。
しかし、酔いの所為か、なかなか着火する事ができないでいた。
石黒はその様子を見て、軽い微笑をし、優しい手つきで
火を貸してやった。
「・・・おおきに。」
「いいよ。」
中澤が大きく一服した後、吐いた煙は目の前で滞るようにユラユラ揺れていた。
甘い木材の芳香と、タバコの煙が齎す燻った香りが相まって、中澤は軽い恍惚を覚えた。
そのまま、その煙をぼんやり見つめていた中澤は、思い出すように話し出した。
- 146 名前:五・五話、極彩色の記憶 投稿日:2002年08月12日(月)00時57分58秒
- 「そう言えば、天才を見つけたとか言ってたな。」
「うん。」
「こっちにもな、大馬鹿が一人おる。」
「バカ?」
「うん。天才と馬鹿は紙一重やで、あやっぺ。意味わかるか?」
「裕ちゃん、酔いすぎだよ。」
「ははは、そいつがモノになるかはわからんけど、
いや、モノにしてみせるで。団体戦までには。」
「楽しそうだね。裕ちゃん。」
「・・・どうも、ウチはまた希望を持つ事が出来たで。」
「・・・・。」
石黒は中澤の活き活きする様を見て、とても心が安堵した。
中澤をここまで期待させる連中とはいったいどんな連中なのだろうか?
そう思うと、石黒は妙な昂ぶりを覚えた。
- 147 名前:五・五話、極彩色の記憶 投稿日:2002年08月12日(月)01時00分00秒
- 「それで、私を今日ココに呼んだのは、どういった御用で?」
石黒は最初訊ねた事をもう一度繰り返した。
中澤は酔いの所為で垂れていた目尻を、意識して心持ち上げた。
そして、畏まったように、粛然とした態度を作りながら話し出した。
「今度の団体戦、ウチの高校は正式に出させてもらう。もちろん、
何でそんな事を一々言うのは他でもない、絶対にあやっぺの所と
当たるからや。せやから、今日は、先に挨拶に来た。」
中澤の言っている事を、石黒はまだ理解していなかった。
「裕ちゃん、そんな・・・当たるかなんて、まだわからないよ。」
「いーや、当たる、何処で当たるかわからんけどな。下手したら二回戦、
そんで、最高で決勝戦。ウチの高校は間違いなく勝ち上がる。そして、
あやっぺと必ず当たる。」
「相当な自信だね。」
「当たり前や。ウチは運命を感じた。これは当たる。確率、実に百パー。」
「でも、負けないよ。こっちは去年、全国大会を制してるんだから。」
「まあ、勝敗はしらん。それでもな、凄いテニスを見せたるからな。」
「そうですか。」
- 148 名前:五・五話、極彩色の記憶 投稿日:2002年08月12日(月)01時01分27秒
- 石黒は呆れたような声色でそう言うと、軽いカクテルを頼んだ。
中澤も負けじと、同じ物を頼む。
高校の時分から、何かと勝負じみたことを無意識のうちにやって
いた、二人の癖は未だに直っていない。
「もう、ココまで酔ったら、何でも話したるわ。安倍おるやろ?」
「うん、あの子は凄いね。あんなタイプの選手はウチにいないよ。」
「あいつ、去年飯田に負けたおかげで、
更にウチのとっておきを使いこなす様になったで。」
「そうなんだ・・・悪いけど、飯田だって上手くなってるよ。人を纏める事ができる
ようになって、落ち着いたテニスを覚えたみたい。」
「へー、見てみたいなあ、あの二人の試合。去年は大変堪能したわ。」
そこからは部員の自慢話になった。
そして、何人か登場させた後、辿り着いたのはやはり、妖精と死神だった。
- 149 名前:五・五話、極彩色の記憶 投稿日:2002年08月12日(月)01時02分58秒
- 「・・・矢口がなぁ、変わり始めてる。あいつなりの答えを探しだそうとしてるわ。」
(石川が問題起こして以来や。)
「・・・市井も、変わろうとしてる。」
(後藤によって。)
「・・・・勝ち上がったら、もう一度当たるやろうな。矢口と市井。」
「・・・・もう、去年のようにはならなければいいけど。」
「・・・・それは、あいつ等次第や。ウチは知らん。」
「そうだね。」
「さ、て、と、・・・今日は飲むでえ!!」
「よし!最後までつきあってやる!」
「潰したるわ!!」
「そのセリフ、そっくりそのままお返ししてやる。」
「・・・・」
「・・・」
「・・」
「・」
緩慢と流れる時の中で、二人はもう暫く語り合った。
―――
- 150 名前:五・五話、極彩色の記憶 投稿日:2002年08月12日(月)01時05分12秒
- 外に出ると、現実味を帯びた俗臭を二人は否応無しに感じ取った。
優しくない濁った風や、雑踏に木霊する絶え間ない喧噪・・・・。
何処からかやってくる、気分を害する轟音が、
どうしても二人を現実に引き戻してしまう。
無機質なビルから訪れる、虚飾的な極彩色の光を見つめながら、二人は現実を認める。
「じゃあ、今度会うときは、団体戦の時や。悪いけど、勝たしてもらう。」
「次は敵同士だね。こっちも簡単に負けるようなチームは作るつもり無いよ。」
「・・じゃあな。」
「・・それじゃあ。」
二人はお互いに背中を向けて、鷹揚と歩き出した。
雑踏に溶けるように紛れていく中、二人は一度も振り向かなかった。
街に溢れる極彩色の光だけが、二人の存在を確認するようにいつまでも煌々と輝いていた。
――――――――――――――
- 151 名前:カネダ 投稿日:2002年08月12日(月)01時07分55秒
- 更新しました。
五・五話、極彩色の記憶 完
次の更新は私事の為、一週間?ほど空くと思います。
- 152 名前:むぁまぁ 投稿日:2002年08月12日(月)08時06分36秒
- あまりにも対照的な指導者二人
でも二人は同じ釜の飯を食った仲だったんですね
目指すテニスは違えでも目指してるものはひとつなんでしょ
いいなぁ こういう大人の関係って かっけーですもん
- 153 名前:読んでる人@ヤグヲタ 投稿日:2002年08月12日(月)14時54分49秒
- 中澤は、かなりの自信を持ってますね〜。
これはやはり、例の大馬鹿が大化けすると確信してるんでしょうね(w
- 154 名前:カネダ 投稿日:2002年08月17日(土)23時59分53秒
- こんな萌えない駄小説にレスをくれて本当に有難う御座います。
本当に励みになります。
>>152むぁまぁ様。
そうなんです。実はそんな仲だったのです。
二人の目指すテニスの先に何があるのかは、自ずとわかると思います。
レス、大変感謝です。
>>153読んでる人@ヤグヲタ様。
中澤の自信は何処からくるのか?それを少しだけ六話中に出そうと思います。
大馬鹿は本当に馬鹿みたいにテニスをしていないので
なるべくさせるように努力します(w
- 155 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月18日(日)00時01分45秒
- 翌日、部員達は早々と基礎練習を済ました後、中澤の指示によって
ベンチの前に一列で整列していた。
強い風が、わしわしとポプラの葉を忙しなく揺らしていて、
整列していた部員達は、無意識のうちにその葉が奏でる音に注意を向けていた。
「えー、今から松浦と紺野の軽い練習試合をするから、残りの部員は悪いけど、
コート一つしか使えへん。休憩ついでに観戦でもしておいてくれ。」
中澤はこめかみを人差し指が白くなるほど強く押さえながら、眉根を寄せ、
少し掠れた声でそう言った。
それをぼんやりと聞いていた松浦は、忽然、ハッと表情を引き締めると、
慌ただしい様子で中澤に少し強めの声色で抗議をした。
「なんで私なんですか?」
- 156 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月18日(日)00時02分48秒
- いつも使いパシリのように利用されているような気が、
今更になって確信に変わったのだ。
中澤は鬱陶しそうに顔を顰めながら、その対して大きくも無い松浦の声を、
両掌で両耳を思い切り塞いで遮音した。
「ああ、うっさいな、お前は部員の力量を把握するのに一番使いやすいねん。
恨むならその宿命を恨め。」
中澤はやはりこめかみを押さえながらそう言った。
松浦は釈然としないようにプンスカと腕を組んで頬を膨らませている。
すると、紺野が謙遜しながら松浦に話し掛けた。
「あの、・・ごめんなさい。私の所為で、練習の時間潰しちゃって・・・」
そう、紺野が言った後に、列の端にいた吉澤が大声で大空に向かって喋りだした。
「ああ、感じ悪うぅ。最低だな。先生の指示なんだから仕方ないじゃんよお。
それに紺野さん、空手の茶帯だぜ?お前なんか、すぐにやられちまうよ。」
- 157 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月18日(日)00時04分15秒
- 吉澤は更衣室で紺野に聞いた事を早速、得意気に言った。
紺野は空手を中学から高校に入学するまで習っていて、茶帯までいったらしいのだが、
吉澤には茶帯がどれくらいの実力かわかっていなかった。
しかし、吉澤の言った事は、松浦に対して意外に効いたようで、
松浦はこれ以上は無いほどクサイ演技をしながら、白々しくセリフを吐いた。
「・・・先生が言ったんなら、しょうがないな。えーと、紺野さん、準備しよ。」
「・・・うん。」
そう言って、二人はコートに入った。
紺野の力量は中澤にとってかなり興味深い事柄だった。
基礎練習を見ている限り、紺野は他の部員達に劣らない基礎体力を保持している。
テニスは二年間のブランクがあるらしいのだが、体の方は鈍っていない様子だ。
隣のコートでは、安倍と矢口が軽めの打ち合いを始めた。
安倍と矢口は殆ど会話をしていないのに、お互いの事がわかりきっているかのように
阿吽の呼吸で練習をする。
- 158 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月18日(日)00時05分18秒
- 希美は志願して審判を務める事になった。
吉澤は梨華を誘って、審判台の下に三つ備え付けられてある、
一人用のベンチにそれぞれ腰掛けた。
「ねえ、梨華ちゃん、先生今日変だよね。」
「うん、頭痛そう。」
「ヤケ酒でも飲んだんじゃない。」
「かもね。」
そのやりとりの後、テンポ良く、吉澤は顔を上げて、
審判台に座っている希美に声を掛けた。
「おい、のの、なるべく紺野さんに有利な判定してあげろよ。」
「うっさい、アホよっすぃ。そんな事、言われなくてもわかってるよ。」
「ははは、さすがのの。」
梨華は吉澤の様子を見て、やっぱり昨日の事はただの思い違いだと思った。
隣で柔らかく笑う吉澤を、梨華は安堵したような表情で見つめた。
- 159 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月18日(日)00時06分23秒
- 「・・・何?梨華ちゃん?」
「いや、なんでもないよ。よっすぃはアホだよね。」
「失礼な・・・どいつもこいつもほんとに。」
「うん、やっぱりよっすぃはアホだよ。」
「・・・・ははは。」
大きい象のような形の入道雲が、太陽をすっぽりと隠して、
心持ち冷たい風がその場に吹いた。
梨華は陰になったテニスコートの中で準備している紺野を、
優しい表情で見つめながら吉澤に話し掛けた。
「紺野さん、子供の頃からテニスやってたらしいね。」
「あーらしいね。絶対上手いよ。梨華ちゃん、紺野さんの体触った事ある?」
「触る・・・・」
梨華がなにかブツブツ呟きながら顔を真っ赤に紅潮させていく。
その様子を吉澤は怪訝そうな表情で窺った。
- 160 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月18日(日)00時07分45秒
- 「梨華ちゃん・・何勘違いしてんの?」
「え?」
「触るって・・・イヤラシイ意味じゃないよ。」
「ええ?」
「ったく、付いていけないよ。梨華ちゃんの馬鹿さには。
紺野さんの体、細くて華奢に見えるでしょ?」
「・・・うん。」
「でもね、スッゴイ硬いんだ。めちゃくちゃ引き締まった筋肉してるんだよ。
あれは只者じゃないよ。この勝負、面白くなりそう。」
「紺野さん、頑張ってほしいな。」
紺野は準備運動をゆっくりと済ました後、
対面の松浦に向かって紺野にしては少し大きめの声色で話し掛けた。
「あの、少しサーブ練習していい?」
「うん。いいよ。」
紺野が、ラケットを何度か振って、感覚を確かめている。
その様子は誰もが興味をそそられるものだった。
苛められていた紺野が、輝いている。
それだけでも梨華は十分だったのだが、紺野がサーブを打ったのを見て、
梨華はおったまげた。
- 161 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月18日(日)00時10分48秒
- ・・・形容するならば、へなちょこサーブだ。
松浦はそのしょぼい打球をラケットを器用に扱い、
ポーンと真上に上げ、落ちてきた球を見ないで掴んだ。
そして数秒、間を置き、大きな溜息をついた。
その後、松浦はだらけた表情で紺野の様子を窺うと、顔を茹蛸のように真っ赤にしながら、
訴えるような視線を自分に向けて、人差し指をピンと立てている。
(もう一回って事かな?)
松浦は気だるそうに二度頷いた。
紺野は何度かラケットを振りながら、
口をお猪口のようにして何か確認するように呟いている。
そして、フワリと浮かした球を、口を一文字に結んで打った。
先程よりスライス気味に曲がった打球は、松浦によって事も無げに返された。
これが紺野の実力なら松浦と試合する必要もないのだが、中澤は試合をしろと、
面倒くさそうに催促している。
- 162 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月18日(日)00時12分02秒
- 希美が試合開始の声を大袈裟に発して、松浦にとっては不可解な試合が始まった。
一セットマッチ、下手したら散々な結果になる。
松浦はサーブを打つ前に、念を押すように希美に声を掛けた。
「辻さん、不正なんかしても、あの子の為にならないですよ。」
すると、希美は顎を下げて、子供のような表情でアッカンベーをした。
松浦は呆れたように溜息をついて、悄然とした表情で球を高らかに上げた。
(あんまり、惨めな試合にはしないようにしよー)
松浦は低速のスライスサーブを打った、と言っても決して優しくはない。
低速でも回転は高速で、重力を無視するかのように、ライン際に落ちた後、
コートの外に逃げるように、滑るように曲がった。
- 163 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月18日(日)00時13分29秒
- 紺野はそれを辛うじて両手打ちのバックハンドで返した。
バックハンドは素人ではなかなか打つ事ができないのだが、
紺野は慣れたようにバックハンドを打った。
観戦している連中は自ずと紺野に期待を抱く。
・・・しかし、何の変哲もない優しいボレー。
松浦はその打球をアプローチショットで返し、ネットにダッシュで詰めた。
紺野は松浦のダッシュに辟易したのか、松浦の正面に絶好球を与えてしまった。
松浦はそれを冷静にスマッシュで決めた。コートに杭を打つように強く打った。
そして、少しばかりの静寂が生まれた。
松浦の強さはわかっていたのだが、ココまで実力差のある試合は、
はっきり言って無意味だった。
第一ゲーム、有無を言わせぬまま、松浦がラブで取った。
コートチェンジの間、吉澤が力ない声で梨華に話し掛けた。
- 164 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月18日(日)00時16分22秒
- 「松浦、やっぱり強いな、アンチクショー。」
「あやちゃん、怪我の所為で中学時代、県のベストエイト止まりだったらしいけど、
本調子だったら、何処までいけたのかな?」
「松浦の分際で、生意気だね。・・・くやしいけど、紺野さん無理かな。」
「紺野さん・・・・」
いくら強くても応援してもらえない松浦は置いといて、
中澤がこの試合を続行するのが梨華は気に入らなかった。
中澤の方を見ると、相変わらず頭を抱えながら、顔を顰めている。
第二ゲーム、紺野のサーヴィス。
紺野の打ったサーブはトップスピンサーブだった。
あまり角度がつかないだけじゃなく、切れも無い。
松浦にとっては優しすぎた。
- 165 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月18日(日)00時17分47秒
- 松浦は余裕の表情で、その打球をフォアのハイボレーで返そうとした。
しかし、予想以上に高く跳ね上がったその打球を松浦は
フォールト《ネットに引っ掛けること》してしまった。
(ああ、油断した。)
ここぞとばかりに希美の嬉々とした大声がその場に響き渡る。
「フィフティーン!!!ラーーーブゥ!!!!」
紺野は小さいガッツポーズを作った。
梨華も吉澤も大声を出して紺野を応援する。
この浮かれたお祭り騒ぎのような様子を見て、松浦は自分のキャラを呪った。
(ヒールになってやる。手加減なんか、絶対してやらない。)
しかしこの時既に、松浦は紺野の罠に嵌っている事など、気付いている訳もない。
- 166 名前:カネダ 投稿日:2002年08月18日(日)00時18分30秒
- 少ないですが、更新です。
- 167 名前:名無し 投稿日:2002年08月18日(日)21時31分26秒
- “萌え”だけが全てじゃないです。(大好物ですけどね…w)
この小説は、「すばらしい!!」と素直に言い切れます。
- 168 名前:カネダ 投稿日:2002年08月19日(月)01時49分18秒
- >>167名無し様。
最近、飼育の他の作者様の作品を読み直して、萌えなくてもいいのかな?
と、不安になっていたのでそう言って頂けると、とても嬉しいです。
読者様の期待に添えられるように頑張ります。
(いつかは自分も萌える小説を書いてみたい・・)
それでは続きです。
- 169 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月19日(月)01時51分12秒
- 紺野はサーブを打つ前に、ふう、と息を吐いて、松浦にもはっきりわかる様に
深呼吸した。
そして、緊張の面持ちで球を空に上げる。
今度のサーブはフラットサーブだった。
しかし、練習の時と同じ、へなちょこサーブ。
松浦は今度はしっかりと渾身の力のボレーで返した。
紺野はその鋭いボレーを、バックハンドのボレーで返そうとしたが、
打球を上手く捉える事が出来なかったのか、アッ、と上擦った声を出した。
打ち損じのような形の緩い球が、相手側のネットの手前にポトン、と力無く落ちた。
ラケットの下手な場所に当たったのが功を奏して、それはドロップショットのようになった。
松浦は舌打ちをして、ダッシュでそれを拾おうとした。
しかし、絶妙な位置に落ちたその打球を拾う事はできなかった。
(運がいいなこの子。)
紺野は頭を横に振って偶然、偶然、と声を出さずに、口の動きだけで
応援している梨華に伝えた。
梨華は紺野に笑顔を向けて、ガッツポーズして見せた。
「マグレでも、ポイントはポイントだよね、よっすぃ。」
「うん、運も実力のうちっていうもんね。」
「・・・あれ?・・・何で先生、笑ってるんだろう?」
「えっ?」
- 170 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月19日(月)01時52分38秒
- 梨華がキョトンとした声でそう言った。
ベンチで頭を抱えて座っていた中澤は、笑っては顔を顰めてを繰り返していた。
吉澤と梨華はとても奇妙で不可解な光景を見たのだった。
「とうとう、イカれちまったかな?」
「何がおかしいのかな?」
中澤の様子を無視するかのように、紺野は次に、切れの悪いスライスサーブを打った。
松浦もいい加減、気を引き締める。
(こんなもん!!)
松浦は力んだフォームでクロスを打ち返そうとした。
しかし、無駄な力が働いた所為で、その打球はバックライン際の微妙な所に落ちた。
希美が暫し打球の落ちた所をしっかり確認するように、目を細めて見つめている。
どっちだ?インか、アウトか。
「・・・・・・・アウトォォォォォォ!!!。」
希美がプロ野球の審判よろしく、親指を高らかに上げて、そう吠えた。
この判定に、松浦は納得いかないようだった。
- 171 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月19日(月)01時53分36秒
- 「ちょっと、入ってませんか?本当に?嘘でしょ?」
「・・・・ピピー。イエローカード。」
「はあ?」
「あやちゃん、しんぱんは神ですよ。」
「・・・・」
「後一枚で、カツ丼定食いつかぶんの刑。」
「そんなのアリですか?」
「はなはだしく、アリ。」
松浦はこの完全にアウェイの状況ををどうするか、考えた。
今まで、熱くなってたから、こんなミスを連発したんだ。
相手のマグレなんか気にせずに、自分のペースでテニスをすれば、
負けるはずが無いじゃないか。
松浦は自分を落ち着かせる為に、大きく深呼吸をした。
紺野はそれを見逃さなかった。
(完璧です・・・。)
気付いてみれば、紺野は第二ゲームのマッチポイントまで来ていた。
- 172 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月19日(月)01時54分41秒
- 次に紺野の打ったサーブはフラットサーブだった。
カコン。
と呆気なく、小気味のいい音をたてたその打球は、
全員の目を見開かせるほど素晴らしい、一流のサーブだった。
松浦の予測範囲には当然入っていない。
松浦はそのサーブに動けなかった。
紺野は今のは本当に自分が打ったのか、と確認するかのように、
ラケットのガットと、対面の打球が沈んだ所を交互に何度もボウッとした
表情で見やった。
松浦はラブで第二ゲームを落とした。
(マグレとは恐ろしい。)
格下相手に、あり得ない落とし方。
当然だ。
紺野は格下ではないのだから。
- 173 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月19日(月)01時56分16秒
- 第三ゲーム。
非情になった松浦は、ライン際に完璧なフラットサーブを打った。
紺野は懸命にラケットを出したのだが、打球に触るのがやっとだった。
まず、松浦がポイントを取る。
松浦はその後、上昇気流に乗ったかのように、怒涛のフラットサーブ祭りを始めた。
希美の時もそうだったが、松浦は試合中に、必ずサーブが冴える時間帯を持っている。
科学では証明できないが、その間中、必ず松浦に強い追い風が吹く。
(もう、とめらんない。)
紺野は松浦の間隔を空けないサーブの連打に、成す術が無かった。
第四ゲーム。
紺野はまず、やや切れのいい、スライスサーブを打った。
スライスサーブ。
松浦の山は外れた。
先程のフラットサーブを駄目元で打ってくると予測していたのだが、
スライスサーブを打ってきた。
しかし、返せない打球じゃない。
- 174 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月19日(月)01時57分58秒
- 松浦はバックハンドのローボレーを打とうとしたが、
予測が外れて僅かに躊躇した所為で、その打球は若干、甘くなった。
ロブ気味に上がった打球を、紺野はサーヴィスラインとネットの中間くらいの
位置までダッシュで詰め、その勢いを保ったままに、流れ作業のスマッシュを打った。
松浦はそのスマッシュに追いつけなかった。
紺野がポイントを取る。
紺野はサーブに切れを帯び始めた。
現役時代の感覚を徐々に取り戻していったのかは定かではないが、
確実に紺野のサーブは光りだしていた。
紺野は次にトップスピンサーブを打った。
切れのあるそれは、野球のフォークボールのようにストン、と松浦の
目の前で落ち、高く跳ね上がった。
松浦は紺野の事をスマッシュを決められた時から、強敵、と判断していた。
集中し、確実に跳ね上がる打球をラケットの中心で叩く。
切れのいいレシーブを打って、ラリーに持ち込んだ。
松浦の武器はサーブとラリーだ。
希美には劣るが、打ち合いは松浦の最も得意とする分野だった。
何球か、ラリーが続く。
二人とも、表情は真剣で、お互いミスショットはしなかった。
この時点で紺野のへなちょこ、というイメージは誰の意識からも払拭されていた。
- 175 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月19日(月)01時59分43秒
- その後、松浦は紺野を走らせるように、打球にスライスをかけ始めた。
振り子のように徐々に徐々に紺野を左右に振っていく。
紺野は体制が崩れてきて、返すのがやっとになった。
そこで松浦の目が妖しく光る。
紺野が苦し紛れに打ってきたレシーブを、松浦は誰もいないコートに
己の力を見せ付けるかの如く、突き刺した。
紺野はそれを拾おうとして走って追い駆けたが、
その時、足が縺れて勢いよく転んでしまった。
四肢をついて、紺野は俯く。
顎を上品に上げた松浦が、四つん這いになっている紺野を見下ろすという、
上下関係のような構図が見事に出来上がっていた。
梨華はその憐憫さを漂わせる紺野を見て、
擁護したい衝動にかられたように、すぐさま紺野に駆け寄った。
「大丈夫!!?紺野さん!?」
「いっ、石川さん・・・」
紺野は苦渋の表情をしている。
梨華はゆっくりと優しく紺野を抱き起こした。
- 176 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月19日(月)02時01分15秒
- 「怪我してない?」
梨華が心配そうに訊ねると、紺野は意外なリアクションをした。
まず、紺野は松浦から様子を窺われないように、
梨華をネットと平行になるようにゆっくり移動させた。
そして、梨華を盾にした紺野は小さな声で話し出した。
「これ、演技なの。」
「何言ってるの?大丈夫?」
「だから、これは松浦さんを油断させてるの。」
「はあ?」
「今はこけて見せて、相手に優越感を持たせる。
そして、そこから生まれる油断を付く作戦。」
「・・・今までの全部演技なの?」
「うん。私が勝てるとしたら、この方法くらいしかないから・・・」
「・・・・・」
- 177 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月19日(月)02時02分29秒
- 梨華が紺野のテニスに対して思った事は、良いように評したら、意表をつくテニス。
そして、悪いように評したら、せこいテニスだ。
しかしそれはアリなのかもしれない。
特に、松浦のような感情をアホみたいに表に出す相手の場合は。
「と、取り敢えず、頑張ってね。」
「うん。頑張る。」
梨華は呆然とした表情でベンチに戻った。
それを吉澤は怪訝そうに見てくる。
「梨華ちゃん、紺野さん、怪我とかしてなかったの?」
「・・・・うん。」
(セコイ。)
「ならよかった。まだ頑張れるよ。頑張れ!!紺野さん!!」
その吉澤の励ましに、紺野は力ない表情で頷いた。
梨華はその表情を見て、紺野に軽い猜疑心を覚える。
(演技力ありすぎ。)
- 178 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月19日(月)02時03分51秒
- それから梨華は注意深く試合を観察した。
すると紺野は状況に応じて、試合展開を自在に変化させているのに気付いた。
風向きや、コートの特徴、希美の怪しい判定、そんな環境状態も考慮する。
そして松浦の心理状態を上手く利用していた。
マグレのように見せかける紺野の最大の武器、ドロップショット。
これは、言われなければ本当にマグレに見える、一級品だった。
力ないサーブを打って戦意喪失を装えば、その次は目の覚めるような
切れのあるサーブで意表をつく。
紺野は持ち前の観察眼を活かしながら、相手には悟られないように
自分のペースに引き込む、異質(せこい)な選手だった。
しかしそんな異質(せこい)のテニスでも、限界はある。
紺野の実力はやはり松浦には及ばなかった。
傍から見れば、圧倒的な実力差がありながら、
紺野のマグレと運に松浦がてこずったという概要だった。
しかし梨華はそうは思っていなかった。
- 179 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月19日(月)02時04分47秒
- 結果を見れば、6=4、と紺野は予想以上に善戦していた。
松浦は気付かない間にかなりしてやられていたのだ。
それは、松浦に出されたイエローカード二枚が物語っている。
「あやちゃん、しばらくお願いね。」
「こ、こんな筈じゃなかったのに・・・」
試合後、希美と松浦がそんな会話をしている時に、
中澤のだるそうな手招きで紺野が呼ばれた。
「はい、なんでしょうか?」
中澤はベンチに座ったまま、顰めた顔だけを上げて、話し掛けた。
- 180 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月19日(月)02時05分44秒
- 「頭痛の所為で厳つい顔してるけど、あんまり気にすんな・・あいたた。
おもろいテニスするやんけ。気に入ったで。」
「やっぱり、わかりましたか?」
「おお、最初のドロップショットでな。あれは見事やぞ。松浦はまだわかってへん。」
「・・・松浦さん、凄く強かったです。」
「いやいや、お前も上手くなるわ。ウチが指導したらな。」
「・・・よろしくお願いします。」
「そのかわり、苛め抜くからな。」
「・・・慣れていますんで。」
「ははは、あいたた、ははは、いつつつ。・・・まあ、頑張れや。」
「はい。」
紺野にも練習メニューが課されて、部員達は団体戦に向け、
一心不乱に練習した。
―――――――――――
- 181 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月19日(月)02時07分07秒
- それから一週間、特に変わった事も無く日は経ち、
一週間後のその日の放課後に中間テストが返却された。
そう、ジュース賭けマッチの結果が発表される。
梨華はテストの答案を、教室のカーテンの裏に隠れてヒッソリ拝見した。
そして愕然した。
(な、なんてこった。)
梨華は教室のカーテンの裏に隠れながら、ガクガクブルブルと震えている。
拙い、非常に拙い。
そんな事を考えていると、吉澤が、鬼母がなかなか起きない
子供を早く起きるよう催促するように、勢いよくカーテンを開けた。
梨華は吉澤の薄ら笑いを浮かべた余裕の表情を見て、更に絶望の淵に落ちた。
「梨華タン。それじゃあ、始めようか。」
「は、始めるって何を?」
「んーなの、結果発表に決まってるじゃん。」
「・・・うん。」
比べる順番は梨華が決めた。
まずは英語から。
ダメなものを先に持ってくるのは、誰しもが考える常套手段だ。
希美が興味深そうにウロチョロ二人の周りを徘徊している。
- 182 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月19日(月)02時08分01秒
- 「・・・35点。」
「ぷっ、95点です。おかげさまで。」
「うっ嘘?」
梨華は吉澤の英語の答案をぶん取った。
赤い丸ばかりだった。
(な、なんてこった・・・)
次は日本史だ。
これは負けると初めからわかっている。
「・・・27点。」
「ぷぷっ、92点です。おきゃげさまで。」
「か、カンニングしたでしょ?」
「人聞きわり―なぁ。んなわけないでしょ。」
「・・・」
次は国語。
古典以外は予想通り出来ていたが、古典が頗る出来が悪い。
- 183 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月19日(月)02時09分12秒
- 「・・・51点。」
「ぷぷぷっ、97点でしゅ。おばけさまで。」
「はあ?97!!?」
「うん。97。」
そして、二強の一つ、化学。
これは善戦してくれるはずだ。
「・・・68点。」
「ぷぷぷぷっ、91点でびゅ。おじゃげさまで。」
「・・・・・。」
「あれえ?梨華ちゃん、化学できたんじゃなかったっけえ?」
「あれは、罠よ。本命は数学なんだから。」
梨華は勇ましい死に様を見せる兵士のように、凛々しい顔でそう言った。
心の中では、わんわん泣いていたのだが。
- 184 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月19日(月)02時10分45秒
- 「・・・78点!!」
「・・・・・・」
吉澤が固まった。
手ごたえ、アリ。
梨華はニヤリと口端を上げる。
「ぷぷぷぷぷっ、99点べぶ。おばべさまで。」
「・・・・」
吉澤のスマッシュが梨華の脳天をぶち抜いた。
梨華は呆然とした表情で、両膝をペタンと床についた。
完封負け。
しかも、圧倒的な負け方だ。
梨華は言い訳をするように食いつく。
- 185 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月19日(月)02時12分52秒
- 「一つだけ不安って言ってたじゃない!?」
「ああ、数学は自信なかったけど、意外に上出来だったようで。」
「なんてこった・・・」
「じゃあ、これから宜しくね。」
「・・・・リベンジ、受けてくれるよね?」
「いいよ、次は期末で。」
「ぜったい、勝ってやる!」
梨華は抑え切れない羞恥心と復讐心を心に抱きながら部活に向かった。
練習中も吉澤の薄ら笑いの餌食になり、終始、心は乱れっぱなしだった。
―――
そして、その日の練習が終わった後、早速食堂前の自動販売機で
スポーツ飲料水を吉澤に奢った。
・・・屈辱だ。
そこは殆ど真っ暗で、自販機の明かり以外、なんの光源もなかった。
その明かりが、夜の学校特有の不気味な雰囲気を、更に際立たせている。
自販機が発する、ブウゥン、と唸るような音を聞きながら、梨華はそんな事を思った。
誰もいない不気味な雰囲気が漂うこんな所で、どうしてアホの為にジュースを買わなければ
いけないんだ?
梨華は自販機の口からスポーツ飲料水を取り出す為に膝を曲げたとき、
俄かに吉澤へのリベンジを改めて誓ったのだった。
―――
- 186 名前:カネダ 投稿日:2002年08月19日(月)02時15分22秒
- 更新しますた。
- 187 名前:名無しさん 投稿日:2002年08月19日(月)02時35分04秒
- よっすぃ〜頭良すぎ(笑
- 188 名前:名無し読者 投稿日:2002年08月19日(月)03時47分11秒
- 吉澤の言葉がどんどんヒト語から離れてく…w
紺野のプレースタイル?は意外な感じでした。
「梨華タン」がどんなテニスをするのかますます気になります。
- 189 名前:むぁまぁ 投稿日:2002年08月19日(月)07時48分11秒
- うーん 侮れないな紺野は。 策士じゃ。
吉澤もただのアホじゃないのね。
- 190 名前:名無し 投稿日:2002年08月19日(月)16時42分38秒
- よっすぃーのテストの点数は本当に実力!!?
…いや、ちょっと俄には信じられなかったもので………(w
- 191 名前:読んでる人@ヤグヲタ 投稿日:2002年08月19日(月)20時16分40秒
- これで石川は名実共に大馬鹿になってしまったワケですね(w
- 192 名前:名無し読者 投稿日:2002年08月20日(火)01時29分51秒
- 毎回ハラハラドキドキしながら読ませて貰っております。
優等生吉澤と馬鹿石川というのが妙にツボです。
幾つか気になる描写がありましたので注を入れときます。
・フォールトはサーブミスのことです。
打球がネットにかかった場合はネットといいます。
・サーブに対する返球は普通ボレーとは言いません。
相手のサーブが強力な時などはボレーのように当てるだけになることもありますが
基本的にはサーブの返球はレシーブまたはリターンといいます。
あと、細かいことですが、ボレーを打つ場合はなるべくラケットを振らず
面の中心で捉えるように打ちます。(野球でいうバント)
渾身の力で打ったボレーは大抵アウトするかネットにかかるかしてしまいます。
ドライブボレーなどの振るボレーもありますが基本的にはボレーはラケットを
なるべく振らないのが鉄則です。
生意気な意見ですいません。
これからも更新を楽しみに待ってます。
- 193 名前:名無しさん 投稿日:2002年08月20日(火)03時14分22秒
- つまらない事をお聞きしますが
中澤の頭痛は石黒との二日酔いですか?
それとも・・・?
- 194 名前:カネダ 投稿日:2002年08月20日(火)12時49分24秒
- レス有難う御座います。
大変感謝しています。
テニスの描写にかなり拙い表現をしてしまったことを深くお詫びします。
もともと、ろくな選手でもなく、曖昧な知識と記憶で書いていたため、
読者様たちを侮辱するような事をしてしまいました。
この話の終わりが見えていて、できれば続投させて欲しいのですが、
また拙い表現をしてしまうかもしれません。
>>192名無し読者様の指摘の通りです。本当に申し訳ありませんでした。
お気づきでしょうが、人を殺すテニスや魔法をかけるテニスなどなどは、
かなり非現実的で、実際にはありえません。
そこらへんは大目に見ていただけると嬉しいです。
改めて、申し訳ありませんでした。
- 195 名前:カネダ 投稿日:2002年08月20日(火)13時11分34秒
- レス返し。
>>187名無し様。
吉澤は勉強はかなり出来るのですが、キャラはアホという設定です。
こういうギャップが書きたいと思っていました。
>>188名無し読者様。
ヒト語から離れていく所、ツッコンでくれて、本当に嬉しいです。
テニスの描写に拙い点がありました。本当にすいません。
紺野はせこいプレーをさせようと思っていました。
「梨華タン」のテニスは六話の最後の方で少しだけ書こうと思います。
>>189むぁまぁ様。
いつもレス有難う御座いました。本当に励みになりました。
紺野はかなりの策士です。吉澤はただのアホではないのです。
そして、訳アリなのです。
>>190名無し様。
吉澤の勉強が出来る点は本当です(w
できるのには、少々重い理由があるのですが・・・
>>191読んでる人@ヤグヲタ様。
いつもレス有難う御座いました。本当に励みになりました。
石川の方は救いようがない馬鹿です。(w
その馬鹿を活かせるテニスをさせたいと思っています。
>>192名無し読者様。
本当に申し訳ありません。
フォールトや、リターンや、ボレーの鉄則など、本当に初歩的というか
常識的なところで勘違いをしていました。フォールトなんてなんであんなこと
書いてしまったのか、指摘を受け、自分自身を激しく罵りました。
テニスに対して、曖昧な記憶と蒙昧で描写していた事を許していただけると嬉しいです。
指摘、有難う御座いました。
>>193名無しさん様。
中澤はただの二日酔いですね。
上手く伝わらなかったのは自分の力量不足です。
更新は、許されるのなら、今晩くらいには出来ると思います。
- 196 名前:名無し読者 投稿日:2002年08月20日(火)14時05分22秒
- 楽しみにしてますのでこれからもがんばってください!!
- 197 名前:カネダ 投稿日:2002年08月20日(火)22時32分15秒
- >>196名無し読者様。
有難う御座います。
楽しみにしていただける読者様の為にもなるべく描写は気をつけるようにします。
頑張りますので、これからも読んで頂けたら幸いです。
それでは続きです。
- 198 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月20日(火)22時37分15秒
- いつもように夜の並木道を下る。
試合に向けての練習メニューに変えた為、練習時間が延び、
家路に着くのは夜の九時を越えていた。
この一週間で、紺野も矢口以外の部員達とだいぶ馴染んだようだった。
「それで、紺野さん、どうしたの?」
吉澤が怪訝そうに紺野に訊ねる。
「うん、それでね、私は空手をしようと思ったんだ。心を鍛えようと思って。」
「へー、それで空手始めたんだ。あたしだったら、そのままぶっ飛ばすけどね。」
「それは、吉澤さんだけでしょ?」
「だまれ、松浦。お前はドレイなんだからもっとあたしをたてろ。」
「はいはい。わかりましたよ。」
そんな三人の会話を少し後ろの方で梨華と希美が聞いていた。
「紺野さんも、溶け込んできたねえ。私は感無量だよ。」
「りかちゃんさあ、紺野さんのおかあさんみたいだね。」
「母親の気分、わかった気がする。」
「りかちゃん、おかあさんは、もっとテストでいい点とらないとダメだよ。」
「・・・それは、言わないでおくれ。」
- 199 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月20日(火)22時38分25秒
- その梨華の発言に、希美は腹を抱えて笑っている。
梨華が希美に感じた不安は、その時は完全に消えていた。
そして、吉澤に感じた恐怖という感情も、ただの錯覚だと確信していた。
練習の方も、各々が誰一人、弱音を吐くことなくこなしていて、
何もかもが順調だった。
梨華は希美と楽しげな会話をしながら坂を下る。
やがて、吉澤と別れる交差点に差し掛かる。
吉澤はさよならの代わりに、くだらない一発ギャグをかまして部員達を笑わせると、
その反応が上々だと感じ取ったのか、とても満足げな表情で部員達を見送った。
「よっすぃ、最高だね。なんであんなのがテストでいい点取れるかわかんない。」
梨華がそう言うと、松浦はグイと首を梨華の前に突っ込んで、
興味深そうに話し掛けてきた。
「どういう事ですか?それ。」
「よっすぃ、中間テスト、全教科90点台だったんだよ。」
「ほんとに!!?あの吉澤さんが?」
「うん。」
- 200 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月20日(火)22時40分08秒
- 吉澤は暫く見送るように、坂を下る部員達の背中を羨望するように見つめる。
そして、踵を返し、家路に着く。
・・・・そこから、吉澤はスイッチを切り替える。
学校でアホをやっている人間味溢れた《吉澤ひとみ》から、愚純な行為は一切しない、
怜悧で、聡明で何事にも無関心な、そんな冷めたもう一人の《吉澤ひとみ》に変わる。
この正反対の二つの性格を使い分けるのにはもちろん訳がある。
吉澤は俯き加減に家に帰宅するまで、終始、一点を見つめながら歩いた。
なるべく頭の中は空っぽにした。
そして、呼吸を意識するようにする。
常に一定のリズムで、すう、はあ、すう、はあ。
閑静な住宅街に紛れてある、周りの家と大差ない自分の家の玄関のドアを睨みつける。
まだ半年も住んでいない我が家を、吉澤はひどく嫌悪していた。
睨みつけながら、ゆっくりとドアを開ける―――ガチャリ。
すると、音の無い家の中から、表情のない母親が玄関にそろそろやってきた。
- 201 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月20日(火)22時41分31秒
- 「・・・・・」
「ひとみ。こんな遅くまでなにしてるの?あなた・・」
バサッ。
吉澤は鞄の中から今日返却された、赤丸ばかりのテストの答案を玄関にばら撒いた。
そして、二階にある自分の部屋に向かう為に靴を無骨に脱ぐ。
吉澤は母親が腰を曲げて答案を拾っている姿を、軽蔑を込めた視線で見下ろし、
冷たく言った。
「あんたが欲しいのはそれだけだろ?文句なんか言わせないよ。」
吉澤はほとんど生活臭の無い自分の部屋に入ると、部屋の隅にポツンと
存在している真っ白なベッドに膝を抱えるようにして座る。
そして一度溜息をつくと、その膝と膝の間に、自分の顔を埋め込む。
・・・音がしなかった。
この部屋は生きていない。
毎日、まずはこうして三十分ほど顔を埋めて、物思いに耽る。
しかし、今日は邪魔された。
コンコン。
空虚な音が生きていない部屋に木霊する。
- 202 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月20日(火)22時42分44秒
- 「・・・・・なんだよ。」
吉澤は目の前の相手に話し掛けるように、小さな声で言った。
「・・・大事な話があるの。」
吉澤は心臓を何かに鷲掴みされて、心拍を強制的に止められるような錯覚を覚えた。
歯を食いしばり、何度も何度も頭によぎる事を否定する。
(ちがうちがうちがうちがう。)
「下りてきてね。」
「・・・・」
数分後、吉澤は意を決して、顔を上げた。
もしだ、もし、神がいるのならば、自分の思っている事は確実に外れている筈だ。
- 203 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月20日(火)22時44分14秒
- 吉澤は、嫌に冷たいドアノブを捻り、視線を一点に保ったまま、階段を下りた。
高鳴る鼓動を無理やり抑え込むように、制服越しに胸を力強く掴む。
すう、はあ、すう、はあ。
リビングの部屋のドアを開ける。
父親がまだ新しい皮の匂いを保っているソファーに項垂れるように座っていた。
母親はテーブルの周りにだらしなく据えてある座布団に俯き加減に座っている。
カチ、カチ、カチ、カチ、と、掛け時計の音だけがその場を包み込む。
吉澤はゆっくり部屋を見渡した後、リビングのドアに腕を組んで悠然と凭れた掛かった。
「話って、なんだよ。」
「・・・学校、楽しいか?ひとみ。」
父親が両掌を組んで、萎びた向日葵のように頭を下げたまま言った。
自分が生まれる時、こいつはこうやって項垂れていたに違いない。
吉澤はそんな事を俄かに思った。
- 204 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月20日(火)22時45分33秒
- 「・・・・お前には関係ないだろ。」
「ひとみ!!!」
母親が大きな声を出した。
吉澤は母親を睨みつける。
「お父さんに向かって、お前とはなんですか。」
「へえ、じゃああんたはこいつの事を何だと思ってるんだ?」
やけに気持ちが昂ぶった。いつに無く好戦的になっている。
いつもなら、こんな『母親』ぶった発言は無視していた。
それは、この先に宣告される事を怯え、それに対する抵抗だったのかもしれない。
「・・・どうして、あなたはそんな子に育ったのかしら。」
「あんた等みたいなクソみたいな親じゃ、当たり前の結果だよ。」
父親が徐に立ち上がり、吉澤の頬を叩いた。
パン、と音がした。
吉澤は殴った父親の顔を睨みつける。
父親は、怯えたような表情をしていた。
- 205 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月20日(火)22時47分11秒
- 「もう一度、言う。話ってなんだよ。」
「・・・また、転勤する事になった。」
吉澤は鈍器で頭を強打されたような感覚を覚えた。
視界がグニャリと歪んだような気がした。
嫌な予感は、初めから当たっていたのだ。
神なんて、最初からいない事など、わかりきっていた。
でも、慣れていたじゃないか。
もう、この宣告を受けた回数は数え切れない程だった。
しかし、今回ばかりは抑えることができなかった。
二人の《吉澤ひとみ》の境界線が、混沌と交わった。
「あんたらはいつもそうだ。あたしの幸せを、馬鹿みたいに摘み取る。」
「幸せ?」
「どうして、どうして、あたしの邪魔ばかりするの?」
- 206 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月20日(火)22時50分41秒
- 気丈を保ってきた吉澤が、弱音を吐いた。
涙をぽろぽろ流し、その様はとても痛々しかった。
母親も父親も、言葉を失った。
今まで、両親の前で涙を流した事など無かった。
「お前には悪いと思っている。しかし、仕方ない事なんだ。」
「うっ、うっ、せっかく、あたしは居場所を見つけることができたのに、どうして、
どうして邪魔ばかりするんだよ!!!!!」
吉澤はそう叫んだ後、膝をつき、床に頭を押し付けながら泣いた。
父親も母親も呆然としていた。
今まで、吉澤はこんな弱弱しい姿を見せた事なんて無かった。
「どうしてそんな都合がいいんだよ!!?外では仲いい夫婦やってても、
家の中では二人とも会話なんて一切しないくせに、こういう時だけ
二人であたしを丸め込もうとする!!」
吉澤は頭を床に押し付けながら、一息でそう言った。
虚構で装飾されているリビングを、吉澤の生命の咆哮が支配する。
吉澤が初めて見せた、反抗らしい反抗だ。
思った事を口にする。
子供だったら当たり前の行為だ。
- 207 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月20日(火)22時51分58秒
- 「決まった事なんだ。」
父親は吉澤を苦渋の表情で見下ろしながら、諭すような声色でそう言った。
母親も、少し狼狽しながら言う。
「ひとみ、仕方が無いのよ。」
「・・・がい。」
「えっ?」
吉澤は立ち上がり、グシャグシャの顔を隠そうともせずに、深々と頭を下げた。
そして、懇願した。
吉澤が両親に『お願い』をした事など、一度も無かった。
そう、一度だって、そんな事は無かった。
吉澤はどうしても今の環境を手放したくなかった。
転々とする人生の中で、漸く見つけた自分の居場所。或いは答え。
「・・・お願いします。」
「・・・・・もう、無理なんだよ。」
「・・・なんで、あたしなんて生んだんだ?」
- 208 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月20日(火)22時53分26秒
- 吉澤は下げていた頭を上げ、威圧するような口調で言った。
・・・そうだった。
『お願い』が通じる相手ならば、自分は絶望なんてしてこなかった。
弱弱しい吉澤は消えて、いつも演じてきたこの家での吉澤に戻った。
「なっ」
「そうやって、弄んで!人生を馬鹿にされる位なら、生まれてこない方が
よかったんだ!!」
父親はもう一度吉澤の頬を叩いた。
パン、と音がした。
吉澤は笑い出した。
とても空虚な声で、まるで、奇人のように。
暫く、吉澤の笑い声だけがその場に響き渡った。
- 209 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月20日(火)22時54分24秒
- 「・・・子供が、生意気な事を言うな。」
「はははっ、あんたら、何で夫婦なんかやってるんだ?」
(こんな家庭。)
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「何も言い返せないの?」
「・・・・大人の事情ってモノがある。」
「・・・・へえ、大人の事情なら、愛人も容認な訳だ。」
(壊れてしまえばいい。)
「なっ」
父親の表情が鰯の腹のように白くなった。
しかし母親は対して動揺していないようだった。
「あんたら二人とも、お互いに愛人は容認な訳だ。知ってるんだよ?
あたしが気付いてないとでも、思ってるの?」
「・・・・・・」
「・・・・ひとみ。」
- 210 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月20日(火)22時55分18秒
- 母親が吉澤を訴えるような表情で見てきたが、吉澤はそれを見て、
蟲が体中を蠢くようにと言っても甘い。
そんな、形容する事が出来ないくらいの不快感を覚えた。
吉澤は頭を振って、呼吸を整えた。
すう、はあ、すう、はあ。
「そんな事、今はどうだっていい。あたしは今の学校を離れたくない。」
「・・それは、無理だ。」
「愛人の言う事は聞けても、あたしの言う事は聞いてくれないんだ。」
父親は醜態を隠すようにもう一度、吉澤の頬を叩いた。
パン、と音がした。
吉澤は虚ろな表情になって、その場に溶けるように項垂れた。
そして、力無く笑いながら泣いた。
――――――
- 211 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月20日(火)22時56分40秒
- 翌日、梨華はいつものように並木道を上る。
六月に入り、制服の衣替えをした。
気持ちも入れ替えて、しっかりテニスをしようと思った。
梅雨が迫ってきた所為か、ここ数日はこの坂に木漏れ日を落とす事は無かった。
特有の湿った大気が、無意識のうちに体に汗を忍ばせる。
梨華は朝練を手ごたえを感じたまま済ませ、この日は気分がよかった。
吉澤にはテストでは負けたが、テニスでは負けないように頑張ろう。
そんな呑気な事を考えていると、いつものように吉澤が後ろから話し掛けてきた。
「おっはよー梨華ちゃん。今日もいい天気だね。」
「はあ?めちゃくちゃ曇ってるよ。」
「ははは、そうだねえ。」
「もう、よっすぃのアホさには付いていけないよ。」
「あたし、今日からちょっとテニスを真面目にするよ。」
吉澤の意外な発言に、梨華は少し逡巡した。
吉澤は部の中でも人一倍練習には精を出している方だった。
見当外の発言に、梨華は根拠の無い不安を覚える。
- 212 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月20日(火)22時57分58秒
- 「よっすぃ、真面目にやってるじゃん。毎日。」
「実はそうでもないんだよね。でも今日からは全力で頑張るよ。」
笑いながらそう言った吉澤は、どこか空しかった。
空元気などの類ではなく、何かを諦めたような、そんな潔さを梨華は吉澤に感じた。
「じゃあ、死なない程度に頑張ってね。」
「うん、団体戦までには、絶対上手くなる。」
その受け答えをした後、希美が後ろから二人の狭い隙間をこじ開ける様に、
顔を無理やり突っ込んで挨拶をした。
「おふヴぁりさん。おばびょう。」
挟まれて口が蛸のようになりながら希美がそう言うと、
二人は声を上げて笑った。
(三年間、こうして登下校できたらいいのにな。)
梨華はいつもこの坂を上るとき、そんな事を考えていた。
――――――――
- 213 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月20日(火)22時59分19秒
- 吉澤は口約どおりに練習を驚くほど真剣にこなす様になった。
打ち合いでも、一度ネットに引っ掛けただけで、異常に自分の欠点を
見つけようと必死になって中澤に問うようになったり、
サーブの形の素振りなどは、他を圧倒するような大声を出して、
自分を常に鼓舞していた。
休憩時間中、吉澤は一人で素振りをしていた。
安倍と矢口以外の部員は不思議そうに、吉澤に対して首を傾げる。
いったい吉澤に何があったんだろう?
そういう事を問わせるのにうってつけの人物がこの部にはいる。
「あやちゃん、ちょっときてくんさい。」
ベンチで座っていた希美が舌足らずの間抜けな声でそう言うと、
テニスシューズの紐を対面のコート付近で結んでいた松浦は、
嫌な事を思い出した時のような溜息を吐きながら希美の元に訪れた。
- 214 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月20日(火)23時00分24秒
- 「なんで私なんですか?」
「なっ・・なんで何も言ってないのにののの考えてる事わかるの?
もしかしてマリック?くりま?」
「はぁ。マリックじゃ人の心はわからないでしょう?行ってきますよ。」
松浦は半ば吹っ切れたように、肩を落としながら吉澤の元に向かった。
逞しくなった松浦は置いといて、梨華と希美と紺野は興味深そうに
松浦と吉澤の様子を観察した。
「あのー吉澤さん。なんかあったんですか?」
松浦が気だるそうに言う。
吉澤はラケットをブンブン振りながら器用に声を出した。
「あたしは、下手糞だから、団体戦、までに、うまく、なろうと、
思ってる、だけ。」
「はあ、そうですか。用はそれだけなんで失礼します。」
「ちょっと待て、お前も、練習、真剣に、やれよ、ゴルァ。」
「はいはい。」
- 215 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月20日(火)23時01分25秒
- 松浦はトボトボと三人の元に帰還して、肩を竦めるような仕種をした。
「アホだから、何か突然火がついたんじゃないんですか?」
「・・・・・ありえる。」
松浦のその言葉に、三人は納得したように頷いた。
梨華も自ずとやる気が出て来る。
(負けられない。)
「あやちゃん、ストローク打ってくれない?」
「ええ!!?さっきその練習は終わったじゃないですか?」
「いいから、バンバン打ってきて。」
「もおおお。何だってやりますよ!!こうなったら。」
松浦と梨華がコートに入り、吉澤を意識しながら練習に励む。
傍から見たら、それはとても微笑ましい光景だった。
- 216 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月20日(火)23時03分04秒
- 中澤が吉澤の異変に気付き、こっそりと吉澤を呼び出した。
走って中澤の元に向かった吉澤は、額の汗を手の甲で拭い、
ベンチに座っている中澤を呼吸を整えながら見下ろした。
「なんすか?」
「吉澤、お前、何があった?」
「え?」
「なんとなく、気持ち悪いぞ。」
「ははは、やっぱりわかりますよね。実は・・・」
吉澤は潔く、清々しい表情で転校する事を中澤に告げた。
中澤は表情を変えないまま吉澤に訊ねる。
「それは、何時なんや?」
「両親と交渉して、団体戦で勝ち進んだ所まで。つまり、負けたらそこまでという事です。」
「ふーん、エライすっきりとした表情してるな。この学校に未練ないんか?」
- 217 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月20日(火)23時04分32秒
- 吉澤はそう言った中澤に対し、とても軽い笑い声を上げた。
中澤は怪訝そうに首を傾げる。
「ははは、未練ですか?・・・・生き甲斐ですよ。」
吉澤は忽然、表情を真顔に変えた。
「生き甲斐?」
「あたしにとって、この学校も、このテニス部も、みんなも、全部全部
生き甲斐みたいなもんです。だから、あたしは少しでもみんなと一緒にいたいし
みんなの為に足を引っ張らないようにしたいんです。」
吉澤は何かを憧憬するような儚い視線を部員達に向けながら、
とても力強い声色で言った。
「・・・・吉澤・・お前、強いな。そこら辺の大人よりもしっかりしてるぞ。」
「そんな事無いですよ。あたしは子供だから、大人の我侭にちょこっと付き合ってる
だけです。だから、今を、今を、今の時を、大事にしたいんです。」
「・・・そうかあ。でもな、心配すんな。最後まで付き合わしてやる。」
「どういう事ですか?」
「石川、見てみろ。」
- 218 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月20日(火)23時05分43秒
- 中澤は吉澤の後方で松浦と打ち合いをやっている梨華に視線を向けた。
吉澤も首だけ振り向いて梨華を見やる。
空を濁った雲が支配していて、梨華がとても泥臭く見えた。
「梨華ちゃんも頑張ってるし、あたしも足引っ張らないように・・・」
「一歩目や。」
「え?」
「石川の踏み込み、注意して見てみろ。」
「・・・・・」
松浦の打った切れのいいスライスかかったストロークを、梨華はしっかりと
ラケットの中心で捉えて返した。
別に、何も不思議ではない光景だ。
「・・何かしてるんですか?」
「まあ、注意して見ろ。」
- 219 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月20日(火)23時07分18秒
- 今度も同じように松浦は切れのいいスライスかかったストロークを打つ。
梨華の位置からではおよそ届かない所に決めた。
しかも、そこから逃げるように曲がる。
しかし、梨華はそれを先程と同じようにラケットの中心で捉えた。
「どうして・・・?」
「びびるやろ?あいつの一歩目、驚異的に伸びるんや。ウチもな、
最初は全然気付かなかってんけど、最近わかったんや。」
「凄いですね。」
「元々備わってる馬鹿みたいなスタミナに、あの一歩が加われば、あいつ、
とんでもない選手になる。」
「でも、決定力が無いですよ。」
- 220 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月20日(火)23時08分27秒
- 「そんなもん、いらんわ。あいつには誰もが嫌がるテニスをさせるつもりや。
見てる方も、対戦相手も嫌がる、そんなテニスをさせる。そうすれば、
あいつはこの部の誰よりも脅威になる。」
「矢口さんや安部さんよりもですか?」
「その可能性は持ってる。」
中澤はこの空とは正反対の、曇りない声で、楽しげにそう言った。
吉澤も漠然とだが、信じれるような気がした。
「あたしも頑張ります。」
「お前も運動神経はこの部一番や。上達も早いし、あと一ヶ月ちょっとやけど
死ぬ気でやればなんとかなる。」
「はい。それと、みんなにはこの事、内緒にしておいてくれませんか?」
「・・・わかった。最後まで付き合ってもらうつもりやからな。」
「はい。有難う御座います。それじゃあ。」
「吉澤。」
- 221 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月20日(火)23時09分14秒
- 歩みだそうとした吉澤を中澤が引きとめた。
中澤は『生き甲斐』を一度失っている。
だから、吉澤の気持ちは痛いほど理解していた。
「なんでしょう?」
「頑張れ。ウチみたいな奴が言えるのはこんな言葉くらいや。
・・・・・・頑張れ!!!」
「・・・はい!!」
吉澤は練習を再開する。
部員達も吉澤に刺激されるように、覇気を出して練習に励んだ。
その時、空が吉澤の心の声を感じ取ったのか、ボタボタと不細工な形の雨粒を
テニスコートに数分だけ落とした。
―――――――――――――――――
- 222 名前:カネダ 投稿日:2002年08月20日(火)23時10分09秒
- 更新しますた。
- 223 名前:名無し読者 投稿日:2002年08月20日(火)23時40分33秒
- よっすいー、かっけー!
吉澤は強いね。なんかすげーかっこいいよ!
- 224 名前:むぁまぁ 投稿日:2002年08月21日(水)08時06分55秒
- 吉澤にはそういう事情があったんですね
何時だって子供は大人の事情に振り回される
そういう自分も気が付かずに大人の事情を振りかざしているのかもしれない
しかし頑張って欲しいです
- 225 名前:読んでる人@ヤグヲタ 投稿日:2002年08月21日(水)15時48分07秒
- 吉澤のコトを、もうアホだとは思えなくなりました(w
よっすぃ〜、頑張れー!!
>作者さん
作者さんが>>194で語ってるコトを気にしている読者は皆無だと思うので、
今まで通りのスタンスで書き続けてくれる事を願います。
では、次回更新も楽しみに待っています。
- 226 名前:カネダ 投稿日:2002年08月22日(木)22時47分57秒
- レス有難う御座います。
大変励みになります。
>>223名無し読者様。
吉澤はこれからかなり頑張ると思います。
アホで頭が良くてかっこいい吉澤を描きたいと思っていました。
そう言ってくれて嬉しいです。
>>224むぁまぁ様。
吉澤は顔には出さないのですが、そんな訳アリの子供でした。
しかしその中でも腐らない吉澤をこれからも応援してやって下さい。
大人が全部悪という訳じゃないのですが、吉澤は生まれた環境に恵まれませんでした。
>>225読んでる人@ヤグヲタ様。
有難う御座います。
吉澤は一応、アホという事は変わらないのですが。(w
これからもスタンスは変えずにやっていこうと思います。
- 227 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月22日(木)22時49分02秒
- 勝ち組で練習した翌日の昼休み、
真希はいつものように加護に起こされた。
「ごっちん、お昼ごはんのお時間どすえ。」
「んあ?」
「早よ食堂行こ。」
加護に肩をブンブンと揺らされて意識が覚醒してきた真希は、
思い出したように加護に抱きついた。
「あいぼ〜ん。だいすっき!」
「な、なんやねん!?急に、」
「だって、大好きなんだもん。」
「なんや?何の陰謀や?金か?それともイカレたんか?」
「へへへ、食堂行こうか。」
「・・・なんやってん・・・いったい・・。」
- 228 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月22日(木)22時51分16秒
- 真希は昨日、旧友に再会して改めて加護の大切さに気付いたのだった。
自分の事を自由だと言ってくれた親友を、どうしても離したく無かった。
そんな事を思いながら、加護を慈愛を込めた視線で見やる。
加護は何が起こっているのかまったく理解していない様子だ。
真希は呆然とした表情をしている加護の柔らかい二の腕に自分の腕を絡ませると、
加護を引っ張るようにして食堂に向かった。
その途中、高橋に出会った。
「いたいた、二人とも。今日も仲良いねえ。」
「あいちゃ〜ん。だいすっき!」
真希は先程加護にしたように、同じように高橋に抱きつく。
「えっ?私はそんな、いや、そんなごっち〜ん。」
高橋は一枚上手だった。
真希の予想に反して、思い切り抱き返してきた。
加護は呆然とその熱い抱擁を傍観している。
「あほか、やってられへんわ。」
加護が素っ気無く歩を進めようとすると、
真希はもう一度加護に抱きついた。
- 229 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月22日(木)22時52分58秒
- 「あいぼ〜ん。」
「ああああ、うっとい!うっとい!」
「じゃあ、行こうか。」
突然、真希は素な態度をとって、普段の調子で食堂に向かった。
高橋もそれに続く。
加護は足元を掬われっぱなしだった。
「なんやねん・・・いったい・・・」
食堂の隅の席で、喧噪の中、三人で啜るソバの味はなかなかのものだった。
他愛ない話をしながらソバを啜っていると、急に高橋がイヤラシイ笑みを浮かべた。
「あいぼん、私、昨日計算してみたんだよ。言われた事。」
「おお、どうやった?言った通りやろ?」
「うん。あいぼんはさすがだね。」
「へへへ、まあね。」
「それは、私の口癖だよ!」
- 230 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月22日(木)22時54分05秒
- 真希にはそんなツッコミしかできなかった。
二人はいったい何の話をしているのだろうか?
真希はツッコンだ後、興味深そうにソバを啜りながら黙って二人の会話を聞く。
すると、加護と高橋は向かい合うように座り、顔を近づけて、辺りを気にしながら
小さな声で話し出した。
「うん、私の家にあるビデオで見た限り、斎藤さんはフォアのローボレーを
十回に五回は失敗してたね。」
「五回も?そんなに苦手にしてんのか。ウチも練習を何度か覗いてるけど、
そこまで苦手とは思ってへんかった。」
「それに、私はもう一つ見つけたよ。」
「え?まだあるん?」
「うん。実はね、大谷さんはバックハンドはスピンしか打たないんだ。」
「ほんまかいな?あんな綺麗なフォームしてるのに、やってる事は実は
単純なんか。以外やなあ。」
「多分、癖になってるんだと思う。」
「それでも二人の息の合ったチームワークは侮れないからな。気付けないと。」
「うん。」
どうも、加護と高橋は斎藤、大谷ペアをかなり研究しているようだった。
真希は二人のテニスを早く見たかった。
そう思ったら、口が勝手に動いていた。
- 231 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月22日(木)22時55分35秒
- 「二人とも、負けたらダメだよ。ま、私はあいぼんのテニスウェア姿を見なくて
済むからそれはそれでいいんだけどね。」
「・・・・ごっちん、今言った事、忘れたあかんで。」
加護は不気味な笑みを浮かべながら、食べ終えたソバの器を流しに返しに行った。
真希はそんな加護の軌跡を楽しげに目で追う。
「あいぼんのテニスウェアの為にも、頼むよ愛ちゃん。」
「任せてよ。あいぼんはダブルスでこそ光り輝くんだから。」
「楽しみだなあ。」
真希は食事を終えた後も、加護と高橋の作戦会議じみた会話を
楽しげに黙って聞いていた。
――――――――
- 232 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月22日(木)22時56分39秒
- 真希は更衣室で、なるべく早くテニスウェアに着替える。
加護と高橋に素っ気無い言葉を掛けると、足早にテニスコートに向かった。
この日は風がやけに強かった。
突然、コオオ、という音と共に、強烈な突風が吹いたり、
強い風が数十秒吹いたと思えば、突然、ピタッと止んだり。
空はいやらしいほど快晴なのだが、その心は穏やかではないみたいだ。
真希はコートに入ってまずそんな事を思った。
市井を探した。
ココで心を許せるのは市井しかいない。
キョロキョロと、勝ち組のコートを忙しなく見回していると、
傍らでストレッチをしていた保田に話し掛けられた。
「誰探してんの?紗耶香?」
「・・・はい。見かけませんでしたか?」
「ははは、そんな焦んなくたって、すぐに来るよ。練習休んだりしないから。」
「そうですよね。」
「・・・あんたさ、紗耶香になんか聞いた?」
- 233 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月22日(木)22時57分43秒
- 保田が神妙な面持ちでそう言ってきた。
真希には何の事か全く見当が付かなかった。
「なんの、事ですか?」
「紗耶香、あんたに指導してる時、
急に人が変わったみたいにテニスやりだしたから、気になってね。」
「・・・何も言って無かったです。それらしい事は。」
「そっか・・・練習がんばんなよ。」
「はい。」
ココの先達達は醸し出す雰囲気だけで相手を威圧させる能力を持っている。
一筋の光線のような真直ぐで強い志と、隠し切れない威厳が備わっているのだ。
だから、無意識のうちについ、ピンと気を張ってしまう。
真希は声を掛けられただけで、澄んだ空気を吸ったように、心持ち気が楽になった。
- 234 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月22日(木)22時59分34秒
- そして、市井と飯田が一緒にコートに入ってきた。
負け組の部員達が挙って二人に大きな声で挨拶をする。
負け組にはもちろん、三年の部員もいる。
その部員が、年下の市井に馬鹿みたいに頭を下げるのだ。
真希は複雑な心境になった。
「おお、早いね。ゴトー。感心、感心。」
「今日はサーブ練習を徹底するつもりだから。気を引き締めろよ。」
二人が話し掛けてきた。
自分はあの部員のように頭を下げなくていいのだろうか?
もし同じように頭を下げれば二人はどんなリアクションをするのだろうか?
もし同じようにあの部員が自分に頭を下げてきたら自分はどうしたらいいのだろう?
ココに長くいたら、市井のように、負け組の部員に対して、あしらうように
軽軽しく安直な声を掛けるようになるのだろうか?
- 235 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月22日(木)23時00分44秒
- 「ゴトー、何ボーっとしてんの?」
「ははは、圭織の病気がうつったんじゃない?」
「ちょっと、確かにさ、私はそんな事ちょくちょくあるかもしれないけどさ、
病気はないっしょ?病気は?」
「ははは、ゴメン、ゴメン。おい、後藤、準備運動しろよ。」
「うん。」
(私は、絶対に変わらない。)
真希は飯田に頭を下げて、準備運動を始めた。
――
準備運動を終える頃に石黒がやってきた。
どうも、青白い顔をしている。
「集合。」
それだけ言うと、軽い咳払いをする。
昨日の女と酒でも飲んだんだろう。
真希はそんな事を思った。
石黒は枯れた声でメニューを手早く告げると、珍しくベンチに腰掛けた。
- 236 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月22日(木)23時01分53秒
- 昨日と同じように、端のコートで市井と練習をする。
このコートだけ校舎の陰になり、まるで他のコートと隔てる境界線のように見えた。
日の当たる場所で練習をしたかったが、市井と二人だけで今日も過ごすんだろう。
そう思うと、真希はこの端のコートが相応しいと思った。
「まず、素振りしてみろ。」
市井が腕を組みながら、試すように言ってきた。
真希は高橋のサーブを思い描きながら、サーブの形の素振りをした。
「ダメだな。」
「なにがダメなの?」
案外いいフォームで振る事ができたのだが、市井は不満そうに首を横に振った。
- 237 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月22日(木)23時03分28秒
- 「それはお前のフォームじゃない。」
「なんでわかるの?」
「わかるよ。」
市井の言葉には妙に説得力がある。
真希は納得せざる終えなかった。
「もう一度、無心で振ってみろよ。さっきのは誰かの真似したんだろ。」
「・・・うん。」
真希は無心で前方を見つめながらラケットを振った。
ブン、と音がした。
当然だ。思いっきり振ってやったんだから。
「・・・それを意識してサーブを打て。回転は掛けれるよな?」
「・・・自信ない。」
「じゃあ、一から教えるから。」
- 238 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月22日(木)23時05分07秒
- 市井はサーブの基本を馬鹿みたいに真希に指導した。
真希は気が気でなくなった。
どうして市井はこんな事をしてくれるんだ?
いくら最低なテニスをして全国大会を制したとはいえ、その実力は本物だ。
今、市井がしている事は市井にとって何のメリットも無い。
それ以上に、市井がとても滑稽に見えた。
「なんで教えてくれんの?」
「何言ってんだ?急に。指示があったからだよ。」
「それだけで、こんな事してくれるわけないじゃん。」
「お前は黙って私の言う事聞いてりゃいいんだって。かわいくないな。」
「・・・・・。」
真希は取り敢えず黙って市井の言うことを聞いた。
腕の捻り方や、形。とにかく、テニスのベテランなら、鼻で笑うような事をだ。
すると、忽然、ぼやけた父親の陰影が、指導している市井の姿と重なった。
(な、何、なんなの。)
真希はとても不思議な感覚を味わった。
父親に教えてもらったテニスを、真希はもう一度経験していた。
- 239 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月22日(木)23時07分25秒
- 「なに、ぼうっとしてんだよ?本当に圭織の病気がうつっちゃったのか?」
「・・・あ、ゴメン、私、なんかぼうっとしてた。」
「ははは、ちゃんと聞けよ。団体戦出るんだろ?」
「うん。」
「だったら、ほら、まず・・・・」
市井は優しかった。
俗に言う優しいとは、少しニュアンスが異なったが、真希は確かに
感じていた。形容するならば、愛情というぬくもりを。
「じゃあ、私は対面で受けるから、今言った事、頭に入れて打って来い。」
「うん。・・・あの、」
「なんだよ?」
「・・その、アリガトウ。」
「ははは、熱でもあんのか?そんな事言う暇あったら素振りでもしてろ。」
「・・あんたの方が、かわいくないよ!」
真希は頬を膨らませて、悪戯っぽく言った。
市井は肩を竦めて向かいのコートに入る。
- 240 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月22日(木)23時09分07秒
- 真希は市井に教えられた事を頭の中で反芻した。
緩い向かい風を感じながら、真希は球をフワリと空に上げた。
――――カッ
ラケットの中心に球を捉える。
その打球は、低いバウンドをした後、しっかりと逃げるように曲がった。
「いいぞ!もう一回。」
市井に催促されて、真希はもう一度同じサーブを打つ。
真希は市井に教えられたスライスサーブを既に習得しかけていた。
市井はその驚嘆を心の中に押し込める。
(こいつは違う・・・)
市井はその後、様々なサーブの形を真希に指導していった。
―――――――――
- 241 名前:カネダ 投稿日:2002年08月22日(木)23時10分32秒
- 更新しました。
- 242 名前:むぁまぁ 投稿日:2002年08月23日(金)08時04分43秒
- 天才と出逢った死神と大馬鹿と出逢った妖精
それぞれが出逢ったことで微妙な心境の変化を感じさせる
この二人がどう変わっていくのかかなり楽しみである
- 243 名前:カネダ 投稿日:2002年08月23日(金)22時17分18秒
- >>242むぁまぁ様。
レス有難う御座います。
二人の展開は七話くらいで本格的に書いていこうと考えています。
こんな駄小説を楽しみにして頂いて本当に感謝です。
それでは続きです。
- 244 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月23日(金)22時19分33秒
- それから十日間、市井は真希に自分のテニスのイロハを惜しみなく指導していった。
石黒は二人に対して、指示らしい指示は出してこず、
完全に真希の指導を市井に委任したようだった。
そして、真希は日毎、目に見えて進歩していった。
何かを習得する上で、人間ならば必ず一度は『壁』にぶち当たる。
そして、それを乗り越えて次の段階に進むのが常人の感覚だ。
しかし、真希は留まる事を知らなかった。
増えるワカメの如く高速で成長を続ける真希は、
既に負け組みの連中の一部よりは確実に上手くなっていた。
六月に入ったその日、ついに加護と高橋が石黒に呼ばれた。
二人は一度顔を見合わせ、表情を綻ばせながら石黒のもとに向かった。
真希と市井は手を止め、その様子をいつもの端のコートから眺めた。
- 245 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月23日(金)22時21分06秒
- 「入れ替え戦か。」
「そうだよ。やっとこっちに来るんだ。」
「自信満々だな。」
「当然。」
「じゃあ、拝見させてもらおうか。お前の信じるテニスを。」
「信じる?」
「お前、あの二人のテニスを信じてるからそんな事言うんだろ?」
「・・・・うん。」
信じるテニス。そんな綺麗な言葉を市井は知っているんだ。
真希は俄かにそんな事を思った。
負け組みの連中が馬鹿みたいに体を酷使している中、勝ち組の連中は
揃って動かしている手を止めた。
そして一様に体をどこかに預け、
射抜くような強い視線をコートに向けながら試合開始を待っていた。
- 246 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月23日(金)22時22分46秒
- 真希が気になったのは二人の相手だ。
誰だ?
戸田、木村ペアなら、二人が今日までしてきた研究は無意味になる上に、
この部の中で最強のペアに、最近結成した即席ペアが勝てるとは到底、思わない。
真希は緊張しながら石黒の呼ぶ相手を待った。
石黒は勝ち組のコートに首だけを向けると、大きな声で斎藤、大谷を呼んだ。
(やった!)
真希は喜んだ。
加護と高橋はこの二人をアホみたいに研究している。
絶対に勝てる。
そう思っていると、市井が石黒の方を向きながら静かに話し出した。
「お前、あの二人なめてるだろ?」
「・・・そんな事・・・」
「強いぞ。」
「えっ?」
「あいつら、お前が思っているより、遥かに強い。」
- 247 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月23日(金)22時24分46秒
- そう言った後、市井は徐に歩き出し、
入れ替え戦が行われるコートのすぐ傍の金網に凭れかかった。
真希は不安を覚えながら早足で市井の隣に歩み寄る。
そして、目前でウォーミングアップをしている加護と高橋に大きな声を掛けた。
「絶対勝てる!!二人とも頑張れ!」
「まかしときいな。心配は無用やで。」
「もう、気持ちは出来上がっているから。」
二人の体から醸し出される雰囲気は凄まじかった。
勝つ決意?違う。
殆ど、命を懸けているような、そんな鬼気迫るモノを真希は二人から感じ取った。
二人は隣にいる市井に軽い会釈をすると、すぐにウォーミングアップを再開した。
- 248 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月23日(金)22時26分52秒
- 対面にいる斎藤、大谷は一言、二言を掛け合うと、だらしなくコートに入り、
素振りを始めた。
そして、何度か軽めに振ったかと思うと、安い笑いを浮かべながら、
大声で雑談を始めた。
「斎藤さんや大谷さんは、あれだけで準備できてるのかな?」
「あいつら、もう試合に慣れてるからな。」
「・・そうなんだ。」
「それに、あいつらはこの試合、負けるわけにはいかない。」
「でも、あいぼんと愛ちゃんは勝つよ。」
「・・・・」
加護と高橋が、対面にいるだらけた様子の斎藤、大谷を無視するように、
緊張の面持ちでウォーミングアップを済ませると、石黒に合図をした。
すると石黒は意味深に少し口端を上げた。
「一セットマッチ。試合開始。」
一セットマッチ。
どういう事だ?いつもなら公式戦と同じ、三セットマッチなのに。
真希がそんな事を思っていると、市井が微笑しながら話し出した。
- 249 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月23日(金)22時28分15秒
- 「やれやれ、こりゃあ、拙いぞ。お前のお友達。」
「なんで?」
「あいつらの武器、何だと思う?」
「・・・・・。」
「一定時間内での、爆発力。つまり、熱するのも早いが、冷めるのも早い。
試合時間が短ければ短いほど、あいつらは本領を発揮できる。」
「・・・・・。」
高橋がストレートに肩まで伸ばした髪を後ろでピッチリ一つに纏めた。
加護はワザとらしく伸脚を大袈裟にしている。
温い突風が吹いた。
強い横風を受けながら、大谷がサーブの体制に入ろうとしている。
そして、雲が慌ただしく動き始めた。
大谷は風が止むのを待っていた。
加護が表情を固め、緊張しながらサーブに備える。
高橋はネットに詰めていて、前方を見ながら尻の辺りにピースサインを作った。
それを見て、加護が固めていた表情をゆるゆると崩し、微笑した。
このサインはただ単に、緊張を解す為の一手段なのだが、こういう場面では意外と効く。
そして、風が―――止んだ。
- 250 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月23日(金)22時30分13秒
- 大谷が球を垂直に高く上げ、吠えながらフラットサーブを打った。
加護は軽はずみなステップをしていて、右足に重心が乗った所で足を止めた。
そして、片足立ちの体制のまま、大谷のフラットサーブをいとも簡単に返すと、
突然、高橋のいる左サイドに走った。
速い展開を、真希は追うように観戦する。
「愛ちゃん!あれや。」
「うん!」
加護が返した緩い打球を、ネットについていた斎藤が高橋の左側を狙って
強烈なパッシングを打った。
高橋は完全に抜かれた。
打球は無情にも誰もいないコートに吸い込まれていく。
すると、突然、誰もいなかった左サイド後方に、加護が飛び出てきた。
(ぷりぷりいきまっせ)
- 251 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月23日(金)22時31分41秒
- 加護が大谷と斎藤のいる場所の丁度、中間辺りの空隙に高いロブショットを打った。
すると、二人はお見合いをして、球が沈んだのに手を出さないで、
ただ二人、焦ったように見つめ合ったまま何もしなかった。
野球でフライが上がった時、たまに見る光景だ。
(最近、ちょいと阪神戦で勉強したんや。)
まず、加護、高橋ペアが先手を取った。
大谷は舌打ちをして、バックラインまで機嫌悪そうに帰っていった。
斎藤も恐ろしい表情で加護を睨みつけてくる。
大谷が今度はスライスサーブを打って、高橋をコートの外に僅かに追い出した。
高橋は体制が崩れながらも、切れのいいバックハンドでリターンする。
それを、大谷がフォアハンドのスライス気味のボレーで返すと、
その打球に高橋が追いつき、フォアのストロークを打つ。
続けて斎藤が落ち着いてその打球をノーバウンドのままフォアのボレーで返すと、
サーヴィスゾーンの中心付近にいた加護がここにくるのがわかっていたかのように、
その打球を得意のアンダーハンドを使って返した。
- 252 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月23日(金)22時32分48秒
- 加護はその時、完璧に決まったと思った。
その打球はラインを抉り、高く跳ねて、そのまま誰もいない後方に飛んでいく筈だった。
しかし、鬼の形相の大谷が物凄い速さでその打球に追いついた。
「小細工ばっかしてんじゃねーぞ!!」
大谷がライン際の難しい打球を、スピンがかかった高いロブで返した。
その時、高橋と加護は二人ともネットに詰め気味だった。
打球は二人の頭上を越え、バックラインぎりぎりの完璧な所に落ちる。
二人はダッシュでそれを拾おうとしたが、追いつく事が出来なかった。
(ロブにはロブでか、なるほど強い。)
高橋は微笑する。
そして、すぐに表情を引き締めた。
- 253 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月23日(金)22時33分51秒
- ポイントが並んだその後、高橋が絶妙のボレーを決めて30=15と追い抜くと、
斎藤のスマッシュが決まってまた追いつく。
シーソーゲームになると思われた展開だったが、
加護のストロークが冴え、第一ゲームはジュースになる事なく加護、高橋ペアが取った。
第一ゲームは僅か数分で終わった。
速いゲーム展開。
こんな試合は『流れ』を掴んだ方が有利になる。
コートチェンジの間、真希は市井に嬉々とした声色で話し掛けた。
「ほら、凄いじゃん。私のお友達。」
「確かにいいペアだけど、まだ、斎藤等は本領を出してない。」
「・・・そんなに甘くない事は、私だって気付いているよ。でも信じさせてよ。」
「ははは、お祈りして勝てたら苦労なんていらないよ。」
- 254 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月23日(金)22時35分02秒
- 向こう側のコートに行った加護と高橋はもう一度、互いに鼓舞し合っていた。
「愛ちゃん、ウチらは勝って、ごっちんと一緒に、団体戦に出る。」
「うん。そして、私の家でお祝いをする。」
「うん。そんでもってウチのテニスウェア姿を披露する。」
「うん。そして、あいぼんは天使になる。」
言葉を静止し数秒見つめあう。
「・・・・」
「・・・・」
「「いってみよかー!!」」
二人は鮮やかなハイタッチをして、コートの中に入った。
真希はその光景を見て、二人は必ずやってくれると再確信する。
第二ゲームに入る前に、斎藤が険しい表情で市井に話し掛けてきた。
- 255 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月23日(金)22時35分52秒
- 「市井さん、私ら、絶対無様な試合しませんから。」
「・・・あの二人は上手い。油断するなよ。」
「ありがとうございます。市井さんにそう言われたら、負けるわけにはいきません。」
「頑張れ。」
「はい!!」
斎藤は険しい表情を保ったままコートに入った。
真希は隣で落胆するような、大きな嘆息をついた市井が気になって話し掛けた。
「いい友達もってるじゃんか。」
「友達?」
「うん。」
「ははは、お前はつくづく甘いよ。」
「なんで?」
「なんでもないよ・・・」
市井はそれから口を噤んだ。
真希もふてくされたような仕種をして、そっぽを向いた。
(なんだってんだよ)
- 256 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月23日(金)22時36分51秒
- 第二ゲーム、高橋のサーヴィスから始まる。
しかし、なかなか高鳴る鼓動がおさまってくれない。
(お願い、もっと落ち着いてよ。)
すると、ネットに詰めていた加護が、前方を向きながら、尻の辺りで親指と小指を立てた
電話のような形の拳を作り、円を書くようにそれを三回、回した。
(なんだよそのサイン?)
高橋は込み上げてきた笑いを隠すように深呼吸をした。
加護が首だけ振り向き、ニっと悪戯に笑った。
おかげで緊張が解れた高橋は、意を決して球を宙に上げた。
(ありがと、あいぼん)
サーブには悪いけど自信がある。
- 257 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月23日(金)22時38分16秒
- 高橋は背中に感じた湿った追い風に合わせて、フラットサーブを打った。
高速の、超一級品だ。
沈んだ場所は斎藤の正面で、決していい場所とは言えない。
しかし、高橋の完璧なフラットサーブならば、
並の選手ならまともに返す事は、いくら真正面とはいえ不可能だ。
もちろん、斎藤も大谷も並の選手ではないのだが。
斎藤はその打球をフォアハンドでリターンしようとした。
しかし、サーブの勢いに圧されたその打球は力無くネットに引っ掛かってしまう。
高橋のテニスに対する格言はこうだった。
テニス=サーブ。
サーブさえ極めれば、試合にはもれなく勝利がついて来る。
そう自分に言い聞かせたのは小学生の時分だ。
そして今の今までサーブの素振りは日に千回を越す。
しかし、ピクシー矢口真里を知った瞬間から、その格言は間違いだと気付いていた。
それでも、高橋はサーブに懸けた。
サーブを信じてこなければ、今、自分はココにいない。
- 258 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月23日(金)22時39分24秒
- 高橋はもう一度強いフラットサーブを打った。
大谷は上手くバックハンドでリターンしてきた。
今度はインしたのだが、その打球はサーブの威力に圧し負けたしまった為、力は無かった。
加護はその打球をノーバウンドで、バットを振るような、
奇妙なフォームの両手打ちのフォアハンドで返した。
加護曰く、秘球、ネズミ花火。
(ちょいとドカベンで勉強したんや)
その打球は一見、切れのいいスライスがかかった打球のように写るのだが、
スライスとは違い、跳ねる方向が間逆だった。
打球は逃げていくのではなく、戻ってきた。
強烈なバックスピンを掛けていたのである。
意表をつかれた斎藤はその打球に触れることすらできなかった。
- 259 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月23日(金)22時40分09秒
- 加護はダブルスでこそ光る。
シングルならばあの打球を打つことは不可能だ。
高橋のサーブが加護の予測通りの返球を誘い、
加護がその返球に合った、自身の創作した秘技を炸裂させる。
加護はダブルスの試合ではその独創的なアイデアが無尽蔵の如く
いくらでも浮かび上がってくるのだ。
この形は、最強のツインズと謳われた希美、加護ペアの必勝パターンとまったく
同一である。
加護、高橋ペアは『流れ』を完璧に引き寄せた。
試合の中で、『流れ』というものは確実に存在し、それを掴むのかにより、
勝敗は大きく左右する。
そこにはテニスの世界では珍しい、番狂わせが待っているかもしれないのだ。
甲子園には魔物が住んでいるというが、テニスにだってそんな類のモノが
存在している事は確かなのだ。
- 260 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月23日(金)22時42分35秒
- 高橋は調子付いて、その後もフラットサーブで攻め立てた。
高橋にとって、斎藤、大谷はどうも相性が良かった。
自分の打ったサーブを思った通りに打ち返してくる。
それを、加護が面白いように決めまくる。
第二ゲームも、危なげなく加護、高橋ペアが取った。
「完全にしてやられてるな。」
「やっぱり凄いよ。あいぼんも愛ちゃんも。」
「・・・お前、あの二人の後姿、逸らさずに見る事ができるか?」
「後姿?なにそれ?」
「・・・まあ、試合が終わった後だ。」
「なんだよ?はっきり言ってよ。気になるじゃん。」
「この試合の後、わかるよ。」
ゲーム後の休憩で加護と高橋がベンチに座り、汗を拭いていた所に真希が足早に歩み寄った。
二人とも気を引き締めていて、ピリピリとした空気が伝わってくる。
真希は気兼ねしながら、一言だけ激励の言葉をかけた。
- 261 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月23日(金)22時44分42秒
- 「負けたら、許さないからね!」
二人は勢いよく真希の方に顔を向けた。
その後、二人は漫才のようにテンポの良いやりとりをして見せた。
「ごっちん、見せたるわ。あいぼん様の妙技をな。」
(最近、ちょいとあるテレビで勉強したんや。)
「ごっちん、負けたら私、坊主にする。」
「おいおい、愛ちゃん、坊主なんてほんまにするんかい?」
「それ位、負けたらなんだってしてやる。」
「じゃあウチも負けたら坊主にしよかな。」
「でも、あいぼん、前髪・・・」
「えっ?なんて?」
「いや、なんでもない。ほら、始まるよ第三ゲーム。」
「ほな、行こか」
二人は落ち着いた様子で、余裕すら感じさせるほど、活き活きしていた。
真希は自信を持って見守る。
第三ゲームが始まった。
- 262 名前:カネダ 投稿日:2002年08月23日(金)22時46分07秒
- 中途半端ですが、更新しました。
- 263 名前:読んでる人@ヤグヲタ 投稿日:2002年08月23日(金)23時16分50秒
- このままいけば加護高橋ペアの楽勝ですね。
でもそんなに甘いワケないですよね〜。
第三ゲームから斎藤大谷ペアの巻き返しがありそう・・・。
- 264 名前:むぁまぁ 投稿日:2002年08月24日(土)20時32分37秒
- 勝ってくれと願うばかりだ
しかしここまま終わらないでしょうねぇ きっと
- 265 名前:カネダ 投稿日:2002年08月24日(土)22時15分20秒
- レス有難う御座います。
本当に励みになります。
>>263読んでる人@ヤグオタ様。
このままいけばいいのですが、どうでしょうか?
自分の性格は素直ではないですから、きっと予想外の展開にしちゃうと思います。
いつもレス感謝です。
>>264むぁまぁ様。
このまま終わればいいんですが、いや、終わらして見せます。
願いが通じるようにがんがります。
いつもレス感謝です。
それでは続きです。一気にいきます。
- 266 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月24日(土)22時17分58秒
- 斎藤のサーヴィスから始まる。
斎藤は独特のフォームでトスを上げ、切れのいい、トップスピンサーブを打ってきた。
高橋がそれを、上手く捉えて、鋭いレシーブを打つが、
その打球を大谷がフォアハンドのボレーで返す。
そこから、高橋と大谷のフォアハンドのボレーのラリーが始まった。
どっちが先に仕掛けるか?
加護ならば、焦ってしまって根負けする所だが、高橋は冷静だった。
三十秒弱、打ち合った後、向かい風を受けた高橋がドロップショットを打った。
大谷の位置からも、斎藤の位置からも、一番離れた右サイドのネット際。
大谷がその打球に向かって走った。顔を歪めながら、全速力で。
高橋はそこを動かなかった。
(まさか、届かないに決まってる。)
打球があと数十センチで沈もうかというその刹那、ラケットの先で
大谷の執念がその打球を拾い上げた。
- 267 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月24日(土)22時19分06秒
- 打球はロブ気味に浮かび上がり、高橋とは対角線上の一番離れた位置に
沈んでいく。
(くっ、甘かった)
そこに、弧を描くようにビュンと駆けてきた一つの小さな影。
加護がギリギリの所でまさかの一打を放った。
強烈なスマッシュ。
大谷、斎藤はその瞬間、頭の中が真っ白になったに違いない。
スマッシュが決まったあと、斎藤、大谷は暫く呆然としていた。
その対面では、息を弾ませながら、高橋がバツが悪そうに加護に話し掛けていた。
「あいぼん、ゴメン、油断してた。」
「愛ちゃん、ウチの座右の銘は、急がば回れ、やで。回ってたら、
たまたまそこにボールが落ちてきただけや。謝る必要はびた一文ないで。」
「あいぼん、最高!」
「ぷりぷりいくで!」
「うん!」
- 268 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月24日(土)22時21分17秒
- 二人はそこから、更に調子を上げていった。
加護のまさかの一打は、斎藤、大谷の心に大きな罅を刻んだ。
さらに、加護は斎藤、大谷ペアの特徴を完璧に把握していた。
二人の勢いという名の爆弾が爆発する前に、導火線を引っこ抜く。
そう、心がけて試合に臨んでいたから、今の所は好調に事が進んでいた。
第三ゲームも加護、高橋ペアが取った。
次のゲームが勝敗の節目だと市井は確信していた。
四ゲームを連取され、そこから巻き返すのは斎藤、大谷の実力では不可能。
ここで4=0となるか、3=1となるかでは、加護、高橋の精神面でも
かなり重要な分岐点となる。
そして、加護の一打で斎藤、大谷の動揺は否めない。
(斎藤、大谷、お前らはこの試合、負けられないんだ。)
真希は市井が鋭い視線で斎藤、大谷を見つめているのを怪訝そうに横目で窺っていた。
「なに、睨みつけてんの?」
「お前には関係ないよ。しっかりと見届けろよ。この試合。」
「そんなことあたりまえじゃん。」
- 269 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月24日(土)22時22分37秒
- そう言った後、真希はこちら側のコートに帰ってきた加護、高橋をぼんやりと
眺めていた。
なにやら険しい表情をしながら、小さな声で会話している。
「次のゲームで決まる。わかってるやろ?」
「うん。このゲームは絶対落とせない。」
「そんな時に限ってウチのサーヴィスや。嫌な予感タップリや。」
「あいぼん、大丈夫だよ。私を信じて自信持ってサーブ打って。」
「ウチが愛ちゃんのこと信じてないとでも思ってんのか?」
「ゴメン。変な事言った。」
「見てみ、ごっちんを。」
加護が真希の方に視線を向けた。
高橋も追うように真希を見つめる。
すると、真希は二人が自分の事を見ているのに気付いたようで、
二人に笑顔を向けて大きく手を何度か振った。
- 270 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月24日(土)22時23分42秒
- 「あの子は天才や。だからウチは純粋な気持ちで今、テニスをしてる。
ごっちんが居なかったら、ウチは腐ってたかもしれん。この試合勝って、
一緒にテニスしたいんや。」
「うん、私もごっちんのおかげで、テニスに怯えなくなった。それに、
ごっちんがドコまで行くのか、間近で見届けてみたいんだ。」
「じゃあ、恩返しのつもりで、いっちょ、勝ちますか。」
「うん。そうしよ。」
二人はこれまでに無いほど凛々しい表情でコートに入った。
加護がサーブの体制に入る前に、真希はサーブに構えている大谷の表情を窺った。
すると、僅かだが、双眸に涙を浮かべているのが確認できた。
(あの最低コンビが泣いてるよ。ざまあみろ。今まで私らを苛めてきたバツだ。)
それに気付いたのか、斎藤は大谷に歩み寄り、頬に軽い平手打ちをした。
真希は二人の会話に耳を澄ます。
「何、泣いてるんだよ。まだ決まったわけじゃない。」
「ごめん、でも、恐いんだ。どうしても体が震えちゃうんだ。」
「ここで気負けしたら、本当に終わりだ。頑張ろう、市井さんも見てる。」
「うん。」
- 271 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月24日(土)22時25分19秒
- 真希は二人の会話で妙に気になった言葉があった。
恐い?
なんだよ、それは。
今まで自分らのしてきた事、わかってんのか?
負け組みの部員にこれから先、苛められるとでも思ってんのか?
それ相応の事をこいつらはしてきたじゃないか。
真希は斎藤、大谷に対して、心の中で唾を吐いた。
加護は最初のトップスピンサーブをフォールトした。
もともと得意ではないサーブを、こんな大事な局面で上手く決める事が
緊張の為、どうしても出来なかった。
(くそ、なんで入ってくれへんねん)
加護はそこで、高橋の言葉を思い出す。
(私を信じて)
加護は微笑して、球を高らかに宙に上げた。
加護の中で、何かがプツっと切れた。
「ほら、絶好球いくでえ!!」
- 272 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月24日(土)22時27分19秒
- 加護はそう言いながら、回転もろくにかけない、へなちょこサーブを
吹っ切れたように、大谷の真正面に打った。
大谷は加護のサーブに対して、懐疑を抱いていた。
あの小細工ばっかりの野郎なら、何かしているに違いない。
そう思った大谷は、用心深く、ただのへなちょこサーブを
ご丁寧に打球の真ん中を見つめながら優しく返した。
加護はそのへなちょこサーブを打った後、ネットにダッシュしていた。
加護はその返球をノーバウンドのまま、フォアのハイボレーを斎藤の
足元付近に鋭く打った。
斎藤はフォアのローボレーでその打球を返そうとした。
―――フォアのローボレー。
それは、斎藤が五割の確率で失敗する、最も苦手なショットだった。
加護の狙い打ちが功を奏して、その打球は注文通りネットに引っ掛かった。
(予想通りやな。)
斎藤がそれを引っ掛けた刹那、一瞬だけ絶望的な表情をしたのを高橋は見逃さなかった。
- 273 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月24日(土)22時30分30秒
- 加護は馬鹿みたいなへなちょこサーブをもう一度、打った。
さすがに斎藤は、加護はサーブを苦手にしていると気付いたようで、
完璧なフォームの強烈なバックハンドでその打球を返すと、
なにか理解不能な言葉を言って、左サイドに駆けた。
高橋がその返球を丁寧に大谷の左膝上辺りにボレーで返すと、
大谷はバックハンドのストロークでその打球を返してきた。
大谷はバックハンドはスピンしか打たない。
それをよんでいた加護は無心のまま強烈なスピンをかけたストロークを
斎藤と大谷の間をすり抜けるように打った。
加護、高橋がポイントを連取する。
そして、そこから斎藤、大谷は様子が一変した。
妙に明晰とした表情をするようになったのだ。
まるで、胸の支えが、プッツリ取れたように。
加護と高橋はそれを何かの作戦と解釈したようで、ポイントを連取しても、
気を緩めるような事をしなかった。
そして、斎藤、大谷の盛り返しがそこから始まったのだが、
弱点をつくテニスをするようになった加護、高橋はそれを何とか凌いで、
第四ゲームをシーソーゲームになりながら、辛くも取る事ができた。
- 274 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月24日(土)22時32分15秒
- この時点で勝負は決まった。
市井の予想通り、結局この試合は6=2で加護と高橋が勝利した。
二人はこの世がイカレてしまったかのように、馬鹿みたいに抱き合っては
祝福の言葉を浴びせ合い、大はしゃぎをしていた。
真希も二人と一緒に騒ごうと思って走り出そうとしたその刹那、市井に肩を掴まれた。
「なんだよ?祭りに乗り遅れるじゃん。」
「一軍の部員はな、あいつらを見送る掟がある。」
「どういう意味?」
「斎藤と大谷を見ろ。」
真希が二人に視線を向けると、二人は双眸に涙をうっすら浮かべて、
石黒に微笑しながら頭を下げていた。
その後、大谷は溢れた涙を零さないように上を向き、堪えるように下唇を噛んでいた。
斎藤は大谷の肩をポンと叩くと、出入り口の方に徐に歩き出した。
すると、斎藤は何か思い出したようにクルリと踵を返し、こっちに向かって歩いてきた。
- 275 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月24日(土)22時33分40秒
- 「市井さん、今まで、本当に有難う御座いました。私らがここまでやってこれたのは
市井さんの御蔭です。市井さんが、あの矢口を負かした時、私は本当に希望を持ったんです」
市井は懸命に話した斎藤に対して、一言も声を掛けずに、ポン、と肩に手を置くと、
真剣な面持ちでゆっくりと一度、頷いた。
すると、斎藤は堪えていた涙をポロポロ零しながら、
市井に満面の笑顔を向け、その後、ゆっくりと出入り口に向かった。
真希はあの腐った性格の斎藤が、女の子のように涙を流している姿を見て、
暫し、呆気に捕らわれていた。
「後藤、しっかり見ろ。あいつの後姿。」
「え?」
「あいつはもう二度とココにはこない。テニスを辞めるよ。」
「なんで?別に首にされた訳じゃないじゃん。」
「こっち側の部員はテニスウェアを着た瞬間から、もう二度と負けられなくなる。
それはこの部の伝統でもあるし、当然の事でもある。」
「当然?」
- 276 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月24日(土)22時34分37秒
- 真希は市井を睨みつけてそう聞き返した。
なんで一度負けたくらいでテニスを辞めなければいけないんだ?
そんな理解不能なことを伝統だって?ふざけるな。
真希は憤慨する。
「何が当然なんだよ?おかしいじゃん、そんなの。」
「・・・後姿を見届けて、私達はあいつの意志を受け継ぐんだ。」
「何が当然なのか言ってよ!!そんなのおかしいよ。」
「あいつらはこの部で必要じゃなくなったんだよ。そうだろ?
お前のお友達のほうが強かったんだ。強い者だけが残るんだよ。」
「また、練習して、強くなればいいじゃんか。」
市井の言葉には何故かとても説得力があった。
真希の勢いはだんだんと影を潜めて、市井の言う事を次第に受け入れるようになった。
市井はその説得力溢れる声色で、諭すように続けた。
- 277 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月24日(土)22時35分42秒
- 「あいつらの限界なんだよ。いい加減わかれよ。もうこれ以上は伸びないんだよ
あいつらの力量じゃ。だから入れ替え戦に呼ばれた。わかるか?限界だからだ。
その限界の力がお前のお友達に及ばなかった。つまりこの世界では通用しないとうことだ。
この伝統は先生が作った訳じゃない。部員達が決めたんだ。
そうする事によって、私達はテニスに命を懸ける事ができるからだ。」
「・・・・・」
「だから私らはせめてその意志だけでも受け継いで、それを糧にして
練習するんだ。あの後姿を見て、もう一度決意するんだよ。」
そういえば、ミカが負けた時も、勝ち組の部員達はミカの後姿を
逸らさずに見ていた。
勝ち組の部員は入れ替え戦を特別な思いで観戦していたのだ。
友達じゃない。ただ、志を共にする存在として。
やがて、大谷もテニスコートを出て行った。
真希はその後姿を複雑な心境で見つめた。
- 278 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月24日(土)22時37分11秒
- 「あいつらは二軍の部員を罵倒する事で、自分らを追い込んでたんだ。
でも、だからと言って、実力が変わるわけじゃない。」
「そんな、怪我でもしてたらどうするんだよ?実力が出なかったらどうするんだよ?」
「お前、本当に馬鹿だな。先生がそんな時に入れ替え戦すると思うか?部員を一番
理解しているのは先生だ。入れ替え戦ってのはそんな頻繁に行われるわけじゃない。
それに、一軍の連中にとっては入れ替え戦とは名ばかりで、実質サバイバルゲームだ。
負けたらそこで終わり。夢は破れ、第二の人生を選ぶ。そんな大事な試合を、
コンディションが悪い状態でするわけがないだろ。」
勝ち組の連中は例外なく斎藤と大谷の後姿を見送っていた。
とても、力強い眼差しで。あの藤本でさえも。
「なんで私は入れ替え戦をしなくてこっち側にこれたの?」
「お前は他の奴と違う。努力では得られないものを持っているからだ。」
「・・・・・・」
加護と高橋が浮かれながら走ってこっちに向かってきた。
それに気付いた市井は踵を返して、俯き加減に飯田の所に向かった。
- 279 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月24日(土)22時38分23秒
- 「ごっちん!!ついにやったでえ!ウチらは念願を果たしたんや!」
「やったよ!ごっちん。もう嬉しくて死にそう。」
「・・・・うん。」
真希が物憂げな表情をしているのを、加護が大袈裟に首を傾げて訝しそうに見てくる。
「なんや?ごっちん?腹でも痛いんか?」
「どうしたの?気分でも悪いの?」
「違うよ。二人とも、よく頑張ったね。私は感動した!」
「なんか、テンション低いな、今日はパーティやでぱーてー。」
「そうだよ。ごっちん。」
「ねえ、一緒に目指そうね。団体戦。」
「はあ?いきなり何言ってんねん?あたりまえやろ。」
「ごっちん大丈夫?」
真希は勝ち組の部員がどうしてあんなに威厳をもっているのかを理解した。
負けられないのだ。どうしても。上手くならなければ、強くならなければいけないのだ。
自分も斎藤と大谷の意志を受け継いで、上手くならなければ、失礼だ。
- 280 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月24日(土)22時39分31秒
- 「じゃあ、今日は祝おう!!おめでとう二人とも!これでやっと私と
肩を並べる事ができたね。」
「なにおう!!」
「ふふ、言ってくれるねごっちん。」
でも今は二人が勝ち組にこれた事を素直に祝おう。
それは、自分がこのテニス部に入った時、テニスを続ける支えになった事柄でもあった。
思えば二人を応援していたから、自分はテニスを好きになれたんだ。
二人とも、自分よりも遥かにココに相応しい。
真希がそんな事を考えていると、突然、雨が降ってきた。
空は雲がチラチラ疎らに浮かんでいるだけの快晴。
そんな天気なのに雨が降ってきた。
大粒で、ビチャビチャと不細工な音をたてて、コートに打ち付けるように落ちてくる。
真希はそれを斎藤、大谷の、『夢』の涙だと思った。
『夢』という形が潰れて、雨に変わったんだ。
「なんやねん?狐の嫁入りか?こんな時に、やめてくれよ。」
「ホント、拍子抜けちゃうね。」
- 281 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月24日(土)22時41分06秒
- 加護と高橋は、苛立つように顔を顰めて掌で頭のてっぺんを覆った。
一転して真希は目を瞑り、顔を空に雨を受けるように向けた。
そして、全身に浴びるように、両手を広げた。
「・・・・夢だ。」
「え?」
「ごっちん何してるの?」
真希が奇妙なポーズをしているのを、加護と高橋は訝しげに眺めているしかなかった。
そのすぐ後に、二人は石黒に呼ばれてその場を去った。
雨は一分ほどでやんだ。
真希は晴れた空に向かって一度笑顔を向けると、市井の所に走って向かった。
「私、練習がんばって上手くなるよ。」
そう言った真希は、市井の返事も聞かず、すぐにコートの中に入り、
市井に練習をしようと催促した。
市井は呆れた表情で肩を竦めると、対面のコートに入った。
―――――
- 282 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月24日(土)22時42分12秒
- その日の練習が終わった後に、加護と高橋が石黒からテニスウェアを受け取った。
二人はそれを大事そうに両手でしっかりと胸に抱きかかえて、頬を綻ばせながら
更衣室に向かう。
その頃、真希は先に更衣室で着替えていた。
真希は制服に着替えた後、脱いだテニスウェアを強い視線で見据えた。
このテニスウェアは特別な意味を持っている。
これを手放す時は、夢が破れたときなのだ。
真希が荷物を持って、加護と高橋を待つために正門に向かおうと歩みだそうとした時、
制服に着替えた市井が話し掛けてきた。
制服姿の市井はテニス部で見る威厳のあるイメージとは違い、なかなかの美少女で
それこそキュートという表現が似合った。
真希はそんな事を考えていたら、ぷっ、と吹き出してしまった。
- 283 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月24日(土)22時44分36秒
- 「なに笑ってんだよ。明日はまたメニューを変えるから、気持ち入れ替えて来いよ。」
「ププっ、うん、なんか、かわいいねえ。見違えたよ。」
「・・・・お前、今日はあいつらとなんかするんだろ?」
「うん。今日はお祝いぱーてー。」
「呑気でいいよな。ほんと。・・・なあ、お前、テニスでドコまで行きたいと思ってる?」
市井はそう言った後、壁を這うように羅列しているローカーの一つに、
腕を組んで凭れかかった。
更衣室には市井と真希以外はいなくて、会話が途切れるとすぐにシンとした
空虚な雰囲気がその場を包み込んでしまう。
それを避ける為、真希はなるべく会話を続けるように懸念する事にした。
「それはどういう意味?」
「だから、お前はプロになる気あるのか?」
「そんな事考えた事もない。」
「お前は才能がある。本気で練習を続けたら、世界でも通じる選手になれる。」
「そんなの、わかんないじゃん。だいたいあんたは何がしたいの?」
「私のことなんてどうでもいいよ。どうなんだ?テニスで食っていきたいと思うか?」
- 284 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月24日(土)22時45分56秒
- 市井はとても興味深そうに、真希を横目で窺いながらそう言ってきた。
真希は数秒、目を斜め上に向けて思案した後、瞭然と答えた。
「楽しいし、できればやっていきたいかな。」
市井はその真希の発言に嬉々とした微笑を一瞬だけ浮かべた。
「だったらな、この事は覚えていてほしい。成功するという事はな、
必ず裏で挫折していった人間もいるっていう事だ。この事は忘れちゃいけない。」
「まだ私が成功するなんて決まったわけじゃないじゃん。」
「だから、もしテニスで成功した時、だ。」
「うん。そんな事、わかるよ。だからその人たちの為にも
頑張らなきゃいけないって事でしょ?」
「物わかりがいいな。じゃ、また明日な。」
そうケロっと言うと、市井はさっさと更衣室を出て行った。
どうもここ最近、市井が信頼できる存在に思えてきた。
かわいくない喋り方をするが、言っている事は誠実で、どうしても憎めなかった。
真希はそこで一つの疑問が頭をよぎった。
どうして市井は矢口に対してあんな残酷なテニスをしたのだろうか?
妖精と呼ばれるテニスの申し子に対して、市井はとても残酷だった。
- 285 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月24日(土)22時46分57秒
- 真希も更衣室を出ようと踵を返した時、加護と高橋がテニスウェアを
大事そうに抱え、馬鹿みたいな笑顔を浮かべながら入ってきた。
「あれ?ごっちんまだおったん?見て!見て!純白のテニスウェア!」
「ほら!私のもあるよ!」
「へへへ、早く愛ちゃんの家行こうよ!今日はパァっと騒ぐよ!!」
「「おお!!」」
加護と高橋は弾むような足取りで畦道をずんずん進んだ。
真希は二人の一歩後ろを歩いていて、上下に弾む二人の背中を楽しげに見つめている。
加護と高橋は嬉しさの表現を歌に転換していた。
「「ぼーくらはみーんなぁ生ーきているぅ。チェケラ!
生きーているから・・・・」」
「禿るんだぁ。」
高橋が歌の途中に意味不明な言葉を挟んだ。
真希は高橋がそんな小学生並の替え歌をする事はもちろん想像できなかったし
その後、何故か加護が高橋の事を思い切り睨みつけているのかも理解できなかった。
- 286 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月24日(土)22時47分54秒
- 「おおい。高橋ぃ。お前、最近毒づいてきたのおぉ?」
加護が高橋の首に腕を回し、ドスの利いた声で言った。
高橋はすいません、すいませんと加護にペコペコ平謝りしている。
ここ十日ほどで二人が作ったネタだろうか?
真希はそう思って二人に話し掛けた。
「なにそれ?新ネタ?どこで笑えばいいの?」
「ごっちん、これはネタでもなんでもないでえ。こいつは最近悪乗りしすぎなんや。」
加護はそう言った後、高橋の首に回していた腕をキュと締めた。
「すいません、すいません。」
「もう、言わへんな?」
「はい、前髪に誓って。」
「ゴルゥゥア!!」
「すいません、すいません。」
二人は高橋の家に着くまで延々とそのやりとりを繰り返していた。
――――
- 287 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月24日(土)22時49分26秒
- 高橋の家は前に訪れた時と、まったく変わっていなくて、
真希は少し、がっかりしたような、安心したような、
なんだか妙な気持ちになった。
高橋に座布団に座って待っているよう促され、
真希と加護は正方形の洒落たテーブルに揃ってだらしなく頬杖をついて、
今日の試合の事をだらだら話していた。
数分後に高橋が簡易キッチンの方から、後ろ歩きでこそこそやってきた。
ネタを仕込んでいる。
真希と加護は直感でそう思った。
加護はその高橋の背中にネタを判定する審査員さながらの、試すような視線を
じっと向けていた。
真希も高橋のネタを仄かに期待する。
高橋がテーブルの前で止まり、ふう、と気持ちを落ち着かせるように息を吸った。
そして、勢いよく振り向くと、市販のクラッカーを三つ同時にぶっ放した。
「やったね!!これで私達は一つ目の目標をクリアする事ができた。
今日は三人でお祝いぱーてーだよ!」
「・・・・・」
「・・・・・」
- 288 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月24日(土)22時50分38秒
- 高橋の言った事は余りにも陳腐で、真希と加護は同時に落胆の嘆息をついた。
しかも、何がしたかったのか、両端がくるりと跳ね上がった付け髭をしていた。
その寒い小ネタが、二人の落胆をさらに促進させた。
「なんで、そんなつまんなそうな顔してるの?」
「愛ちゃん、ゴメン、笑えへんわ。それじゃ。」
「うん、右に同意。」
「・・・・べつにうけ狙ってやったわけじゃないし。それより今日は祝うぞー!!」
高橋はやけくそにハイテンションを保っていた。
猛烈にネタがすべった後、こういう展開に発展する事は多々ある。
それは、更に状況を悪化させている事に、高橋は気付いていない。
加護はこの状況を打破する為に、むくっと立ち上がって
右手を高らかに天井に向けて掲げた。
「宣誓、えー今からウチはテニスウェアに着替えてくる事をココに誓います。
もし、かわいかったら、お前ら二人とも土下座する事を願います。
以上、天使代表、加護亜依。」
- 289 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月24日(土)22時51分31秒
- 加護はそう宣言した後、テニスウェアを持って、バスルームに消えていった。
取り残された真希と高橋は、加護が着替え終わるまで、先程のネタの事を
肴に盛り上がった。
「・・・はははは、あいぼん前髪薄いんだ!!?」
「練習中に強い風吹いた時にね、ペローんて。」
「ははははは、やばい、おなかが痙攣し、て、る。」
「それで、からかったら面白いリアクションしてくれるからさ。」
「ははは、愛ちゃん毒づいてきたね。」
「だって面白いんだもん。」
そのやりとりの後、加護はバスタオルを全身がすっぽり
隠れるように巻いた姿でこそこそやってきた。
「なんの話で盛り上がってるんや?」
「ひ、み、つ。」
「まあ、あいぼんの事じゃないよ。」
「なんか怪しいな。」
- 290 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月24日(土)22時52分43秒
- そう言った後、加護はニヤリといやらしい笑みを浮かべた。
真希と高橋はゴクリと生唾を飲み込んで、その時を待つ。
「あっ、いくよ。ワン、ツー、スリー。」
加護がバスタオルを勢いよく宙に舞い上げた。
そこに現れた姿は・・・・
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「どうですか?みなさん?かわいいやろ?」
真希と高橋は、揃って清々しい微笑を浮かべた顔を見合わせ、
ふう、と優しい溜息を吐いて土下座した。
「悪かった。あいぼん、かわいいよ、あいぼん。」
「ゴメン、もう禿とか言わない。あいぼん、天使だよ、あいぼん。」
「・・・わかればいいんや。ほら、顔を上げい。」
- 291 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月24日(土)22時54分41秒
- 真希と高橋は顔を上げ、加護のテニスウェア姿を数分吟味した。
その後、加護は制服に着替え、仕切り直しでお祝いぱーてーが始まった。
この日は高橋の家の隣人は留守だったので、気兼ねすることなく
心の底から三人でアホみたいに喜びを分かち合う事ができた。
約一時間後、クールダウンしてきた所で真希は今日、市井に言われた
勝ち組の伝統、テニスウェアの意味を二人に話した。
「・・・・と言うわけで、私達は上手くならなくちゃいけない。」
「・・・そんな事があったんか・・なんか、斎藤さんらに悪いことした気分や。」
「でもそれは仕方ないよ。実力の世界なんだし。そして、私達はもう、
入れ替え戦で負ける事はできなくなったんだね。」
重い雰囲気になったが、それでも三人はテニスについて真剣に語り合った。
こんな事を真剣に語り合えるトモダチなんて、やっぱり加護と高橋しかいないと
真希は思った。
心の底から笑い合い、喜びを共有し、一つの事を真剣に語り合うトモダチ。
- 292 名前:六話、心雨、後姿 投稿日:2002年08月24日(土)22時57分48秒
- 「よし、後は団体戦に三人で出る事だね。」
「うん、これから猛烈に練習して、レギュラーの座を獲ったるで。」
「大丈夫だって、神様は私達を見捨てるような事はしないよ。」
「なんか、素敵やん、それ。」
「愛ちゃん、いい事言うね。」
真希は神なんていない事など、父親が死んだ時から気付いていたが、
この時ばかりはどうしても神の存在を信じれるような気がした。
加護と高橋に出会えた事は、紛れもない事実なのだから。
二人は最高のトモダチで、真希はこれから先、どんな事があっても二人といたら
乗り越えていけるだろうと思った。
いや、加護と高橋も同じ事を思っていたに違いない。
こうやっていつまでも、鼎談できればいい。
三人で一緒に、同じ目標をもって、同じ時を過ごせればいい。
―――――(二人の後姿、逸らさずに見る事が出来るか?)―――――
市井が言ってきた問いを、真希は否定しなかった。
時の流れは残酷で、いつかは目標が変わり、それぞれの人生を歩む日が必ず来る。
そして、どんな形であれ、人間は成長していくのだ。
でも今は、それでも今、この瞬間だけは時の流れが止まればいいと真希は思った。
時計の針が止まり、加護と高橋といつまでも笑い合いたい。
三人で、いつまでも、いつまでも・・・・・。
真希は無邪気に笑う二人に優しい視線を向けると、存在しない神様にそうお願いした。
――――――――――――――――
- 293 名前:カネダ 投稿日:2002年08月24日(土)22時59分43秒
- 更新しました。
六話、心雨、後姿 完。
- 294 名前:名無し娘。 投稿日:2002年08月25日(日)01時34分50秒
- 入れ替え戦に選ばれると言う事はそれだけで崖っぷちという事なんですね。
未だ自分自身の夢を見つけていない後藤には辛い場所なのかもしれない。
- 295 名前:名無し読者 投稿日:2002年08月25日(日)09時24分17秒
- 大量更新お疲れさまです。
市井と矢口もそれぞれの後輩により変わってきましたが…
団体戦、楽しみでしょうがありません。
- 296 名前:読んでる人@ヤグヲタ 投稿日:2002年08月25日(日)15時52分16秒
- 勝ち組みに入ったら入ったで、
いろんなプレッシャーがありそうですね。
- 297 名前:むぁまぁ 投稿日:2002年08月25日(日)20時34分17秒
- 勝ってよかった
しかしこれから新しい茨の道を歩むことになるのか
喰うか喰われるかの弱肉強食の世界に飛び込んだ三人
でも三人なら歩んで行けそうな気がしますだ
- 298 名前:カネダ 投稿日:2002年08月26日(月)23時11分24秒
- こんな駄小説にレスを有難う御座います。
本当に励みになります。
>>294名無し娘。様。
ちょっと説明っぽい話になりましたがそうですね。
勝ち組の連中は負けたら終わりです。まあ、殆ど入れ替え戦は行われないのですが。
後藤がどうなっていくのか、見届けてやってください。
>>295名無し読者様。
有難う御座います。
団体戦までにこのスレのレス数が足りるかめちゃくちゃ不安になってきました。
宜しければ、続きも読んでくれたら幸いです。
>>296読んでる人@ヤグヲタ様。
そうですね。何処の世界も甘くは無いです。
その中で彼女達がどう成長していくのか、上手く描けるか不安ですが、
宜しければ今後ともよろしくお願いします。
>>297むぁまぁ様。
あっさり勝たせちゃいましたが、これからが彼女達の踏ん張り所ですね。
茨の道の中でレギュラー獲れるように頑張らせます。
三人の頑張りを是非是非これからも見てやってください。
それでは七話です。
- 299 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月26日(月)23時13分04秒
- 六月中旬、中澤は二つの問題に頭を抱えていた。
それに気付いたのは三日ほど前、雨の中での練習の時だった。
まず一つ、希美が矢口のスタイルを盗もうとしている、いや、なりきろうとしている。
そんな事、希美が一端の選手ならば中澤は黙認する。
しかし、希美は既に自分に合ったスタイルを確立していた。
今、希美のやろうとしている事は、自分のテニスを壊してしまう可能性がある。
希美は何故、矢口が魔法をかけるように、
相手を魅了するテニスをできるかわかっていなかった。
何もかもが優れていて、スキのない、ミスをしない完璧なテニス。
表情を無くす事によって、相手に心の中を読まれるような事もしない。
そして、その小さな体躯からは考えられないほどの力、スピード、瞬発力、スタミナ。
それらが全ての相乗効果で、勝つことが不可能、という絶望を相手に齎す。
その絶望感を、相手は心の中で魔法にかかっているような恍惚感に転換する。
それは魔法とは名ばかりの、一種の麻薬のような作用と言っても過言ではない。
魔法とは、ただの絶望感を都合よく言い換えたつまらない表現だ。
中澤は矢口のテニスに対して、妖精とは名ばかりの精密機械のようだと解釈していた。
- 300 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月26日(月)23時14分23秒
- 精密機械に、一端の高校生が勝てる訳がない。
中澤は、矢口が市井にやられるまでそう思っていた。
でも・・・矢口は人間だった。
わかりきっているが、希美の実力では矢口のスタイルを確立する事など到底不可能。
それよりも、自分の長所である力押しのテニスをすることに中澤は期待していた。
希美が一度忠告した事を無視してでも矢口になろうとしているのには何か訳があるのだろう。
しかし、そんな事を続けて自分を潰してしまっては、元も子もない。
中澤はそういう事はできれば本人に気付いてほしいと思っていたのだが、
依然として希美が矢口のスタイルを盗もうとするのであれば、一つの考えがあった。
そしてもう一つの問題。
ある日を境に、矢口の成長がピタリと止まっていた。
元々高校生レベルを超越した実力は持っている。
しかし、今の実力では高校生の中では無敵を誇っても、それ以上を狙えるとは断言できない。
- 301 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月26日(月)23時15分27秒
- 日々の練習は変わらず覇気を出してこなすのだが、恒例の安倍との練習試合を見ていても、
安倍がポイントを奪う回数が日に日に増えていった。
中澤は最初それは安倍の著しい成長の成果だと解釈していたのだが、
最近になってそれはどうも間違いだと気付いた。
矢口の上達が止まったのだ。
しかし、矢口は底知れない潜在能力を持っている。
ここで立ち止まるような器ではない。
そして、その頓挫の鍵を解くのを、中澤はある人物に委ねる事にした。
「石川!ちっとこっち来い。」
珍しく晴れた六月中旬のその日の練習中、中澤は梨華を呼んだ。
梨華は何故呼ばれたのかまったく見当が無いようで、キョトンとした表情をしている。
他の部員はこのヘバリ付く様な蒸し暑さでヘトヘトになって練習をしているのに、
梨華は呼吸を全く乱すことなく、平静を保っていた。
- 302 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月26日(月)23時16分11秒
- 「なんですか?」
「お前、松浦との練習飽きたやろ?」
「いや、全然そんな事無いです。あやちゃん、いろんな種類のショット持ってるし、
毎日言われたとおりにどんな打球でも返せるように励んでいます。」
「いや、お前は飽きている。ウチにはわかる。」
「あの、寧ろ楽しんで・・・・」
「いや!!お前はウンザリして松浦をシバキたいとすら思っている!!」
中澤は力押しで梨華の発言を掻き消した。
梨華も理由があるのだろうと気付いたようで、
発言を控えるように口を噤んだ。
「そ、こ、で、や、ウチも悩めるお前のために考えた。」
「な、何ですか?」
(嫌な予感)
「お前に新しいパートナーをつける事にした。」
「・・誰ですか?のの?よっすぃ?安部さん?・・もしかして・紺野さんですか?」
「ううん。」
「後は・・・」
- 303 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月26日(月)23時16分57秒
- 梨華は思案するように顎を親指と人差し指で摘んで顔を斜め上にあげた。
そして数秒後、一瞬だけギャグ漫画のキャラが驚いた時のような、
顔のパーツが全てパッカリ開いた表情をしたかと思うと、
座っている中澤の顔の前に、自分の顔をあと数十センチで触れる所まで近づけて、
焦りながらこそこそとした小さな声で捲くし立てるように話し出した。
「ダメですダメですダメですダメです。私なんかじゃ矢口さんが練習になりません。
なんで私なんですか?安部さんとか、あやちゃんとか、ののとか・・・・」
中澤は目の前にある梨華の顔を鷲掴んで、喋りの途中でグイと後方に押しあげた。
そして、コホン、と一度丁寧に咳をすると、そういうことやから、と素っ気無く
言って、次に松浦と希美を呼んだ。
希美と松浦がやってきて、横に流されるように移動した梨華はまだ傍らで呆然としていた。
「おい、今日からはお前らが、組んで練習しろ。文句は言わせんぞ。」
- 304 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月26日(月)23時17分53秒
- 「おい、今日からはお前らが、組んで練習しろ。文句は言わせんぞ。」
松浦のほうは、やっと自分の練習が出来ると思ったのか、両掌を合わせて
目を輝かせている。
しかし、一転して希美は鬱な表情をしていた。
「なんや、辻。言いたい事でもあんのか?」
「・・・じゃあ、矢口さんは誰と練習するんですか?」
「石川や。ほれ、お前の隣でガクガクブルブルしてる、おバカな梨華ちゃんや。」
梨華は自分の名前が出ると、さらにビクっと震えて、持ち前のバカっぷりを
惜しみなく晒していた。
希美はそのバカを憐憫を込めた視線で一瞥した後、溜息をついて不満げに承諾した。
「・・・わかりました。」
「わかればよし。じゃあ、早速交換や。」
- 305 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月26日(月)23時19分39秒
- 松浦は楽しげにスキップでコートに向かったのだが、希美は俯き加減にゆっくりと
コートに向かった。
そして、梨華はまだ、ベンチの傍らで燻っていた。
「ほら!早く行け!」
「で、でも。私、一体何したらいいのやら・・・」
「お前、いい加減にせえへんと、優しいウチもぶち切れるぞ。」
「・・・行ってきます。」
梨華は肝試しに向かう少女のように、眉を八の字にした
情けない表情で、覚束ない足取りで矢口の元へ向かった。
「あ、あの、矢口さん・・・」
「なに?」
抑揚の無い矢口の声。
そのたった一言の中にですら、人の心を屈服させる重力を孕んでいる。
梨華は呆気なく挫折した。
- 306 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月26日(月)23時20分46秒
- 「・・何でもないです。」
「何でもないわけないだろ。辻があっちで練習してるんだから。」
「えっ?そうです。そうなんです。私、今日から矢口さんと組んでやるみたいなんです。」
「・・・・・」
矢口は中澤の方に視線を向けた。
視線を受けた中澤は矢口に向かって二度、頷いた。
「なーんて、何かの間違いだと思いますけど・・・」
「わかった。」
「はえ?」
「お前がいつもやってたメニューをやればいいのか?」
「そうだと・・・思います。」
「じゃあ、打つから受けて。」
「は・・・い。」
矢口はコートの中に鷹揚と入ると、梨華に向かってサーブを打った。
梨華が構える間も無く、その打球は後方へ消えていった。
- 307 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月26日(月)23時21分46秒
- 矢口はそんな事お構い無しにサーブを打ち続ける。
梨華も必死に返そうとするが、如何せん、レベルが違う。
矢口の鋭いサーブに、隣で練習している吉澤でさえ、瞠目していた。
「あ、あの、返せそうにありません!!」
「・・・・・」
矢口は梨華に何も答えず、徐に中澤の所に歩み寄った。
「先生、説明してくれますか?」
「お前やったら、気付いてると思うけどな。」
「・・・・・」
「だから、暫く石川苛めてみたらどうや?なんかきっかけ掴めるかもしれんぞ。」
「なんで石川なんですか?」
「それも、お前やったら気付いてると思うけどな。」
「・・・・・わかりました。暫くは、そうすることにします。」
「矢口、そろそろ部員達と仲良くやったらどうや?」
「・・・興味ないですから。」
「・・・そっか。なら取り敢えず石川頼むわ。あいつはおもろい選手になるぞ。」
- 308 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月26日(月)23時22分32秒
- 矢口は梨華に視線を向けると、そのままコートに戻った。
中澤はふう、と一息ついてからタバコを取り出し、味わうように大きく吸った。
そして、空を仰ぎながら梨華に思いを馳せた。
(石川、矢口の事、頼んだで。)
矢口の怒涛のサーブの連打に、梨華はただ、狼狽していた。
「あ、の、矢口さん。もう少し、緩いのお願いします。」
「返せない?」
「はい、まったく。」
「でも、返せるようにならなきゃいけない。」
矢口はそう言った後、バカみたいにライン際に打球を集めた。
梨華は改めて矢口の実力に平伏していた。
世界が違う。
精度の高いサーブをミス無く悉くラインに乗せるなんて人間技ではない。
梨華はラケットを悪戯に振りながら、返せもしないサーブに喰らいついていた。
- 309 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月26日(月)23時23分37秒
- そしてそのまま休憩時間。
運動場の喧噪が止み、生徒達がソロソロと帰路に着くのが目立ってきた。
梨華は並列されているポプラの木の隙間から、仲良さげに帰宅する生徒を
ベンチに座って、生気の抜けた表情でぼんやり見つめていた。
そこに、吉澤が話し掛けてきた。
最近の吉澤の上達振りは凄まじく、既に常人レベル強に達していた。
「梨華ちゃん、あたし、見てて痛々しいんだけど、生きてる?」
「はは、私なんて、結局矢口さんのなんだっていうのよ。」
「おお、腐ってるねえ。珍しい。でも梨華ちゃん、諦めたらダメだよ。」
「よっすぃ・・・」
梨華は吉澤の余りに精悍な発言に、つい感化されてしまう。
「梨華ちゃん、矢口さんが凄いのはわかるけど、同じ人間なんだよ。
不可能な事は無いと思うよ。」
「うん、有難う!一球でも返せるよう、頑張ってみるよ!!」
「ははは、梨華ちゃん、さすがだね。じゃあ、取り敢えず今日の分お願い。」
「うん、いつものでいいんだよね?」
「うん。」
(なんて単純バカなんだ)
- 310 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月26日(月)23時24分29秒
- 梨華は数分前とは別人のように、ルンルン気分で食堂前の自動販売機に向かった。
梨華に気付いた居残りの生徒達は、一様に目を四方八方に逸らす。
しかし、梨華もこの環境に長くいた所為で、気にする事も無く
自動販売機で順番待ちをしている生徒を抜かして、堂々と用を足した。
やってる事は不良と一緒だ。
いつものスポーツ飲料水を持ってテニスコートに戻る途中、
運動場の端の辺りで、安倍に出くわした。
「あれ?安部さんもなにか買いに行くんですか?」
「おお、石川じゃん。うん、ちっと喉渇いたから。」
「そうなんですか、付き合いましょうか?」
「でも、もう用すんだんでしょ?」
「いやいや、安部さんのためなら行きますよ。」
「はは、石川は本当にいい子だねえ。」
- 311 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月26日(月)23時25分19秒
- 安倍は些細な事でも相談に乗ってくれる、まさにテニスの部の母親的な存在だった。
部員達は例外なく安倍を慕い、安倍無しのテニス部はあり得なかった。
「安倍さん、ちょっと相談乗ってくれますか?」
「なっちに何でも言ってごらん。なっちでよければね。」
太陽のような笑顔を咲かせ、自分に対して優しい振る舞いをしてくれる部長に対して、
以前、梨華は心配をかけた事を今でも後悔していた。
あの事件の時、保健室で安倍が言った事を、梨華は今でも鮮明に覚えていた。
(なっちの事がそんなに信用できないの?)
この言葉を、あの時の自分は否定できなかった。
心の中では本気で頼りにしていると思っていたのに、
安倍に相談する事を当時の自分は拒否したんだ。
- 312 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月26日(月)23時26分09秒
- あの事件以降、梨華はどんな些細な事でも安倍に相談したり、質問するようになった。
安倍の笑顔を見るだけでも元気が出るし、安倍に励まされたり、誉められたりすると、
特別な喜悦を得る事ができる。
それに、安倍はやっぱり部の中で一番頼りになる存在だった。
だから梨華は矢口の事を安倍に相談しようと思った。
「矢口さんのサーブ返すコツとかありますか?」
「はっはー、矢口のサーブに苦戦してると見た。」
「大当たりです。矢口さん、凄すぎますよ。その矢口さんとまともに
試合できるのもウチの部じゃ安部さんぐらいだし。」
「またまたぁ。コツねえ、うーん・・・・無い!」
「はえ?」
「そんなのあったら苦労しないよ。」
「・・・・やっぱりそうですか。」
- 313 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月26日(月)23時27分06秒
- 二人は肩を並べて、歩きながら会話を続けた。
やがて、自動販売機で安倍が可愛らしいラベルの甘いジュースを買うと、
踵を返して、雑談をしながら同じ道を戻る。
「ねえ、石川。この前、保健室で矢口が石川の事心配してたの覚えてるでしょ?」
「・・・はい。」
「そんなことね、今までね、無かったんだよ。」
「・・そうなんですか。矢口さん、どうしてあんなにその、何と言うか、
喋らないというか、静かというか・・・」
「なっちね、昔、聞いた事があるんだ。」
「何をですか?」
「矢口がテニスを始めた理由。」
そう言った後、安倍から笑顔が消えた。
梨華は顔を安部のほうに向け、ゴクリと唾を飲み込んで、
安倍の発言に耳を澄ました。
- 314 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月26日(月)23時28分56秒
- 「ねえ、矢口、なんで矢口はテニス始めたの?ってなっち言ったのね。
したら、気付いたら、やってた。って言ったんだよ。意味わからないでしょ?
気付いたらテニスやってるなんて、どういう事なんだろうね?」
「・・・さあ、どういう事なんでしょうか?」
「でもさ、なんかそれと関係ありそうじゃない?矢口が無口な理由。」
「いや、あんまり思わないですね。」
「石川、なっちね、石川だったら矢口の事変えれると思うんだ。」
「変えれる?ですか?」
安倍は突然、足を止めた。
梨華もつられるように足を止め安部の方を顧みる。
流れのまま、二人は向かい合った。
その時、時期を見計らったかのように空の色が変わり始めた。
透けるような空色から、仄かに優しい黄昏に。
周りの景色は、慌ただしく彩りを変えていく。
運動場には誰もいなく、風の音がはっきりと聞こえるくらいの静寂が出来上がっていた。
その背景の中、数秒見つめ合った後、安倍が真剣な表情で口を開いた。
- 315 名前:カネダ 投稿日:2002年08月26日(月)23時30分17秒
- 更新しました。
- 316 名前:名無し 投稿日:2002年08月27日(火)00時01分32秒
- 紺野のときの件といい、石川にはテニス以外に重要な「なにか」を持っているんですね…
そして、それを見抜いた中澤先生はさすが!
果たして、ピクシー矢口はもうひと化けするんでしょうか!?
この後の展開にも大大大期待っス!!…って、解説調みたいなレスで申し訳ありません…(w
- 317 名前:名無し読者 投稿日:2002年08月27日(火)02時26分33秒
- さて。これからどう動くか…楽しみ楽しみ。
…こんな感想しか書けなくて、申し訳。。。
伝えたい事がいっぱいあるんですが、難しくて打つこと出来ないんです(号泣
- 318 名前:むぁまぁ 投稿日:2002年08月27日(火)08時11分42秒
- キーパンソンの石川がこれからこの部をどんな風に変えて?逝くのか非常に
楽しみですら
- 319 名前:読んでる人@ヤグヲタ 投稿日:2002年08月27日(火)18時21分35秒
- 矢口と練習するコトで、やっと石川の凄いところが見れそうですね。
しかし、矢口は他の部員達と仲良くする日がくるんだろうか・・・。
- 320 名前:カネダ 投稿日:2002年08月30日(金)00時04分56秒
- レス有難う御座います。
本当に励みになります。
>>316名無し読者様。
解説調みたいなレス有難う御座います。(w
矢口これからどうなるんでしょうね・・・って自分が言うのは変ですが。(w
これからも期待に応えられるように頑張ります。
>>317名無し様。
いえいえ、本当、こんな小説にレス貰えるだけで嬉しいんです。
これからどう動いていくのか、上手く描けるかわかりませんが、精一杯頑張ります。
メール欄の答えは・・・すいません!素で気付いていませんでした!
>>318むぁまぁ様。
石川は一応、主人公(バカ)ですからきっと何かするのでしょう。
楽しみにしていただいて、有難う御座います。
期待に答えられるように頑張ります。
>>320読んでる人@ヤグヲタ様。
石川の凄い所は当分見れそうに無さげです。なんで主人公なんだろう・・
矢口はこの小説ではかなり思い入れの深い選手ですから
出来る事なら仲良くやってもらいたいです。
それでは続きです。
- 321 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月30日(金)00時07分02秒
- 「ねえ、矢口を変えてあげてよ。石川。」
「あの、何のことですか?」
「矢口はね、テニス以外何も知らないんだよ。なっちね、
矢口が一ヶ月学校休んだ時ね、矢口の家に心配になって行った事があるんだ。」
「一ヶ月、矢口さんが学校休んだんですか?」
「うん、試合に負けたショックでだと思う。」
「・・・・・・。」
(きっと、死神に負けた時だ。)
「矢口の家に入ったら、メチャクチャびびったよ。テニスのトロフィーやら
楯やら、賞状やら・・・・とにかくそんなのが玄関いっぱい飾ってあってね。
して、矢口のお母さんに案内されて矢口の部屋に入ったんだけど、何があったと思う?」
安倍の表情は曇り、涙声になっていた。
- 322 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月30日(金)00時08分17秒
- 「何が・・・あったんですか?」
「何にも無かったんだよ。どういう意味かわかる?もちろん机やベッドはあるよ。
そうじゃなくてね、買い物した雑貨とか服とか、写真とか、普通持ってるでしょ?」
「・・はい。それはもちろん、趣味とか思い出とかそういうのは大事にしてます。」
「矢口の部屋には何も無かったんだ。まるで、引越してきたばかりの家みたいに。
あったのはテニスラケットだけ。」
安倍の泣き顔を見ると、大切なものを失った時のようにつらくなる。
梨華は安倍の話の内容よりも、安倍の泣き顔の方に注意がいっていた。
「・・・・・・・」
「その何にも無い部屋で、矢口がポツリと座ってた。なっちね、その時の矢口の顔、
今でも覚えてるよ。いつもの仏頂面なんだけど、目が力無く虚ろで、何にも見てないんだ。」
「矢口さんが、ですか?」
- 323 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月30日(金)00時09分32秒
- 梨華は屋上で矢口が助けてくれた時の事を思い出した。
強い眼差しで、自分を庇ってくれた、とても大きな矢口。
「それで、なっちってバカじゃない?だから気休めの言葉いっぱいバカみたいに
掛けたんだ。頑張れ、とか、気にしなくてもいい、とかほんとバカ。
矢口は黙ったままだったんだけど、なっちはそんな事お構い無しに
慰め続けたんだ。ほんとバカだよ。矢口の事なんてなんにも理解してなかったんだ。」
安倍を泣かしてはいけない、いつかもそんな事を誓って、守れなかった。
「安倍さんはバカじゃないです。安倍さんの笑顔はとっても元気をくれますから。」
「結局、なっちはそのまま何も出来なかったんだ。何にもね。」
「だから、安倍さん、泣かないで下さい。お願いします。私まで泣いちゃいますよ。」
「・・でもね、石川だったら矢口を変えれるよ。あの時から矢口は変わろうとしてるんだ。
今までね、矢口は他人のテニスに興味を示す事も、他人を心配する事もありえなかった。
でも、あの時から矢口は変わりかけてるんだ。きっかけは石川なんだよ。」
- 324 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月30日(金)00時10分58秒
- 梨華は安倍の言っている事が理解できなかった。
どうやったら自分が矢口の事を変える事ができるのだろうか?
そもそも、何故矢口が変わろうとしているのかさえ、自分には理解できない。
矢口とは元々冷めていて、無表情だからこそ、
妖精と謳われ、敬れているのではないのだろうか?
それが矢口のスタイルで、それが矢口自身なのではないのだろうか?
梨華はそう思っていた。
「私に、何かできる事があるんでしょうか?」
「うん。石川だったら矢口を変えれるよ。なっちには無理だから。」
そう言った後、安倍は梨華に腫れた目で太陽のような笑顔を向けた。
梨華はどういう訳か、とても申し訳ないような気持ちになった。
- 325 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月30日(金)00時12分01秒
- 自分が矢口を変えれると安倍が思う根拠はなんなのだろうか?
テニスはへたくそ。性格はバカ。頭は悪い。
そんな自分が、矢口に何をしたらいいんだ?
そしてもう一つ、梨華には気になる事があった。
「矢口さん、テニス部に帰ってきて、なにか変化あったんですか?」
「ううん。なーんにも無かった。なっちは理由を聞かなかった。
きっと矢口は自分なりに答えを出したんだろうなあ、って思ってたから。」
「答え・・。」
「さ、戻ろう。石川には期待してるんだよ。もちろん、テニスでもね。」
安倍が歩き出して、また肩を並べながら会話をする。
安倍の矢口に対する思いやりは、やっぱり特別なものがある。
当然だ。自分達一年が入部するまではたった二人しかいなかったんだ。
そんな特別な思いがある筈なのに、矢口の事を自分に託すのだから、
心中は穏やかな訳が無い。
- 326 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月30日(金)00時12分56秒
- 「私、安倍さんと出会えて、よかったです。」
「なーに急に照れること言っちゃって。そんなことよりさ、
上手くなって、矢口を見返してやんなよ。」
「・・・頑張ります。」
「よしよし、石川はホントいい子だね。」
テニスコートに戻ると、練習は既に再開していた。
安倍も梨華もそれぞれのラケットを持って、コートに入ろうとしたその時、
中澤の怒鳴り声がテニスコートに響き渡り、ポプラの木を揺らした。
- 327 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月30日(金)00時13分48秒
- 「いい加減にせえ!!!辻、お前位の実力者やったらわかってると
思ってんけどな、残念やわ。お前には当分テニスはさせへんからな!!」
「・・・・・・・。」
「お前、このまま続けたってどうせ潰れるだけや。なんなら今の内にやめちまえ。」
「・・・・・・・。」
希美は涙をポロポロ零しながら口をへの字に曲げ、走ってコートを出て行った。
梨華は咄嗟に追い駆けようとしたが、中澤に阻止された。
「石川!!追うな!!お前は自分のメニューこなせ!!」
「で、でも。」
そこで吉澤も加勢した。
- 328 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月30日(金)00時14分44秒
- 「先生!!どうしてですか?ののがなんかしたんですか!?」
「だまれ!今ウチは猛烈に気分が悪い!!話し掛けてくんな!!」
「・・・・」
「・・・・」
梨華も吉澤も口を噤んだ。
希美が何をしたのかも見当がつかなかったが、中澤の怒り方も尋常じゃない。
「のの一体何やらかしたんだ?別に練習怠けてる訳じゃないし。」
「どうしたんだろう・・・もう、心配させないでよ。」
「・・取り敢えず、今は練習に専念しよう。戻ってくるかもしれないし。
ののはバカだけど、こんな所で腐る子じゃないよ。」
「・・・うん。」
梨華は悪戯にテニスコートの出入り口を見つめているしかなかった。
- 329 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月30日(金)00時15分31秒
- 梨華は心に靄がかかったまま、矢口の対面につく。
部員達は矢口を除いて一様に、浮かない様子で練習を始めた。
「石川、打つよ。」
「・・・はい。」
それから、梨華は矢口の打球を懸命に返す事に努めた。
希美の事は一時忘れ、安倍に言われた事を反芻する。
取り敢えず、今はテニスをするしかない。
そうすれば、矢口の何かが見えてくるかもしれない。
梨華は一球だけでも返そうと自分に言い聞かせた。
回転が鋭く、触れられない打球もあった。
それでも、梨華は絶望することなく、矢口の打球に喰らいついた。
泥だらけになりながら、懸命に、懸命に。
しかし、思いも空しく、この日の練習では結局一球も返す事が出来なかった。
- 330 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月30日(金)00時16分39秒
- それでも一つだけ収穫があった。
矢口の打つ球には、意思が込められていなかった。
いくら無心で打とうが、人間の打つ打球には個性のようなモノがある。
しかし、矢口の打球はなんの個性も無かった。
まるで、機械から発せられた言葉のように。
梨華は無表情でいる矢口を見て、一瞬、寒気のような感覚を覚えた。
―――――
更衣室では重苦しい空気が停滞していた。
いつも、かわいらしい八重歯を覘かせ、テヘテヘと笑う希美がいない。
悪戯好きの、子供のような希美がいない。
部員達は殆ど無言のまま着替え、その雰囲気を持続しながら帰路に着く。
梨華は巨大な門扉の裏に希美が隠れていて、ひょっこりでてくるんじゃないかと、
仄かに期待したのだが、それも空しく、希美はどこにもいなかった。
- 331 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月30日(金)00時18分18秒
- 並木道を下る時も会話が無く、それぞれ俯き加減に歩を進める。
夜の静かな並木道は、この重い雰囲気を更に膨張させていた。
「辻さん、なんで怒られたのか、私わかるような気がします。」
松浦が滑舌よく、はっきりとした声で突然口を開いた。
梨華と吉澤と紺野は松浦の声に黙って耳を傾ける。
「辻さん、矢口さんのスタイル盗もうとしてたんですよ。私との練習中。
それで、どんどんどんどん自分のスタイルを崩しちゃって、それで怒られたのかと。」
吉澤は珍しく、松浦の言った事に素直に同意した。
紺野も俯きながらだが、納得したように二度頷いた。
- 332 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月30日(金)00時20分12秒
- 「確かに、ののはそんな兆候あった。それでもあれだけ怒る必要ねえじゃん。」
「・・・でも、先生が辻さんを注意したのは今日が初めてじゃないし。」
「なんで辻さんはそんなに矢口さんに拘るんですかね?あの人を意識してテニスしたって
どうしようもないですよね。レベルが違うんですから。」
三人のやりとりを聞いたあと、梨華は徐に口を開いた。
「ののは矢口さんがいるからこの学校に来たんだよ。憧れるのは当然と思うけど。」
「でもさ、憧れるのと、なりきるのは違うよ。ののにはのののテニスがあるじゃん。」
「おっ、吉澤さん、たまにはいい事言いますね。」
「ゴルァ、松浦、たまにってなんだよ、たまにって。」
「冗談ですよ、冗談。」
「これから、辻さんどうする気だろう?」
- 333 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月30日(金)00時21分10秒
- 紺野のその発言に、全員が口を噤んだ。
希美の性格からして、素直にごめんなさいで終わるわけが無い。
梨華は心の何処かでは気付いていた。
希美は矢口と比較されると、決まって鬱な表情をしていた。
それに気付いていた筈なのに、自分は気付いていないフリをしていた。
「ののは、私がなんとかするよ。私、本当はわかってたんだ。
ののが矢口さんを異常に意識していた事。」
「梨華ちゃん、待ってよ。あたしだってののの親友だと思ってるし、
一人でよりは二人のほうが絶対いいし。」
「あの、私も、辻さんにはいろいろと勉強させてもらってるし。」
「それなら、私は今の辻さんのパートナーだし。私が立ち直らせるのが
当然かと思いますね。」
- 334 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月30日(金)00時22分10秒
- 四人は無意識のうちに結託していた。
テニスというスポーツを通じて、技術以上のモノを四人は習得している事に
気付いていない。
一人の為にみんなが協力する事はとても微笑ましい事だ。
しかし、肝心な事を四人は忘れている。
「で、どうしたらいいんだろう?」
まず吉澤が口を開いて、
「あっ、それですね。」
松浦がその話題を発展させる。
「電話したら?」
- 335 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月30日(金)00時23分19秒
- 「のの、携帯もってねえんだよ。あたしもだけど。」
吉澤が悪い方向に展開させる。
「私もそう言えば買おうと思ってたんだ。」
「石川さん、携帯もってないんですか?遅れてますね。」
「あやちゃん持ってるの?」
「・・・・友達いないですから。」
「何言ってんのよ。私達みんな友達じゃない。」
「・・・そ、そんなことより辻さんどうしますか?」
松浦が照れ隠しに焦った口調でそう言って本題に戻すと、
「私、持ってるよ。」
紺野が話の腰を折る。
- 336 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月30日(金)00時24分15秒
- 「うわーかっけー。紺野さん近代化に成功してるね。」
「今時、みんな持ってると思うんだけど。」
「紺野さん、番号教えてよ。あたしにだけ。」
「私も一応、同じクラスだし。教えてもらおー。」
「ちょっと!!」
梨華がゴリ押しで本題に戻す。
「ののはどうなったのよ?今はそれが問題でしょ?」
「明日学校で言えばいいんじゃないの?あ、じゃああたしはここで曲がるから。
チャオー。」
「私もそれでいいと思います。明日、ちゃんと辻さんから事情を聞いて、
それからですよ。問題は。」
「うん。私もそれが一番いいと思う。」
「・・・じゃあ、そうしよっか。」
- 337 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月30日(金)00時26分08秒
- この時、部員達はまだ軽い気持ちでしか希美の事を考えていなかった。
吉澤が抜けて、三人で雑談しながら並木道を下っていると、
梨華は希美に聞いた死神の話を思い出した。
矢口を壊したテニス。
その事を語った希美は、とても憎しみの篭った声をしていた。
やがて、紺野とも別れる。
矢口が駅前で手を振ってくれると、梨華と松浦は喜びを噛み締めながら頭を下げる。
そして、今日一日の終わりを実感するのが毎日の日課のようになっていた。
いつもなら隣で至福の表情をする希美がいるのに、今日はいない。
その事が、梨華の心にどうしても引っ掛かった。
日課になっていたのは、希美の笑顔を含めてだという事に、梨華は今、気付いた。
梨課は怪訝そうに自分を見てくる松浦を無視して、早くこの問題を解決しようと心に決めた。
―――――――――――
- 338 名前:カネダ 投稿日:2002年08月30日(金)00時28分08秒
- 更新しますた。
- 339 名前:カネダ 投稿日:2002年08月30日(金)00時31分01秒
- すいません、レス返しミスです。
>>316が名無し様で>>317が名無し読者様です。
逆になっていました。申し訳ないです。
- 340 名前:カネダ 投稿日:2002年08月30日(金)00時41分21秒
- なにやってんだろう・・・本当に。
すいません、コピペミスです。
>>334の「電話したら?」の後に、
梨華がそれを形にし、を追加です。
本当に申し訳ないです。
- 341 名前:むぁまぁ 投稿日:2002年08月30日(金)07時59分13秒
- 辻には何とか踏ん張って欲しいものだ
一足先を行くライバルと肩を並べ、そして対戦する時のために
( ^▽^)<りかがんばる!
うむ
- 342 名前:カネダ 投稿日:2002年08月31日(土)18時55分10秒
- >>341むぁまぁ様。
レス有難う御座います。
そうですね、加護のほうは順調に前進してますね。
石川も取りあえずテニスしろよと。
( ^▽^)<しないよ。
がんがります。
続きです。
- 343 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月31日(土)18時56分52秒
- 翌日、空には汚れた雲が何処までも広がっていて、
躊躇いの無いこの温い大粒の雨を
何時までも降らせるような気さえさせる最悪の天気だった。
おまけに体を這うように粘つく、鬱陶しい湿気つきの大気。
それだけでも梨華の気分は最悪だった。
梨華は傘を差しながら、トボトボと俯き加減に坂を上る。
入学式の時も、こんな雨が降っていた。
そして、希美に出会えたんだ。
そういえば、希美との初めての出会いはまるで喜劇のようだった。
そんな事を考えながら歩いていると、吉澤が後ろから話し掛けてきた。
「梨華ちゃん、おっはよ。今日もいい天気だね。」
「・・・怒るよ。ホントに。」
「なーに鬱になってんの?ののだったら大丈夫だって。そんな気にすんなよ。」
「でも、心配だよ。」
「ポジティブにいこうよ。そんな顔でののになんて言うんだよ。」
「・・・よっすぃ。」
最近の吉澤の発言には妙に光る部分が目立つ。
梨華は笑顔を作った。
- 344 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月31日(土)18時57分51秒
- 「そうそう、笑おうよ。笑わなきゃね。笑顔は世界を救うなんて誰か言ってなかった?」
「最近、よっすぃまともになったよね。」
「ははは、なんで?」
「なんか、妙に吹っ切れたような気がする。」
「はは、そんなことないよ。・・そんなこと。」
「早くのの来ないかなあ。いつもならこの辺で後ろからピョコっと出てくるのにね。」
「そうだね。」
梨華の願いも空しく、結局、希美は現れなかった。
梨華は二人で門をくぐる事がこんなに寂しい事だとは想像もしてなかった。
さすがの吉澤も緩んでいた表情を硬くする。
希美が学校を休んだのは初めてのことだった。
―――
- 345 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月31日(土)18時59分29秒
- 昼休み、松浦と紺野が一組にやってきた。
「あれ?辻さんいないんですか?」
松浦が飄々とした声色でそう言ったが、梨華と吉澤の表情は曇ったままだった。
紺野は教室に入った瞬間から拙い状況というのを理解していたようだ。
「ののが学校を休んだ。これは風邪とかじゃない。ののが風邪をひくなんてありえない。」
「そんな事、わかりますけど、どうしますか?これじゃ話し合いもできないです。」
「やっぱり、電話するしか無いと思う。」
紺野が俯き加減にそう言った。
三人もそれに同意する。
「番号知ってるの?紺野さん?」
梨華が怪訝そうに訊ねると、紺野は携帯をカコカコ弄りながら大きく頷いた。
松浦と吉澤は紺野の携帯を夢中になって見入っている。
「今日の休み時間に、中澤先生から聞いたの。」
「へえ、さすが紺野さん備えがいいね。」
- 346 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月31日(土)19時00分47秒
- 吉澤が携帯のディスプレイを興味深そうに見つめながらそう言った後、
紺野は携帯のボタンを動かす手を止め、三人に問い掛けるように目配せした。
「家の電話だけど、辻さん家にいるかな・・・」
「いるでしょ。平日の昼間から遊ぶような子じゃないよ。」
「・・・じゃあ掛ける。」
紺野が携帯を耳に当てると、三人は声を殺し、緊張の面持ちで紺野を見つめる。
まるで、田んぼしか知らない田舎者が、高層ビルを間近で目撃しているような光景だ。
「あ、もしもし、辻さんのお宅ですか?紺野という希美さんの友達なんですが、
希美さんいらっしゃるのでしょうか?・・・・はい、そうですか。はい。
わかりました。すいませんまた掛け直します。」
「・・・・どうだったの?」
吉澤が携帯を見つめながら重苦しい口調で言った。
- 347 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月31日(土)19時02分05秒
- 「・・・留守だった。と言っても、居留守だけど。」
「なんでわかるの?」
「いないって言って、って辻さんの声が聞こえたから。」
「ののもバカだな。バレバレじゃんか。」
「そんなことよりどうします?これは意外な展開になりましたよ。」
「松浦、お前、楽しんでるだろ?」
「そ、そんなことないですよ。辻さんがいないと、何かと不安になるんですよ。
それに、辻さんは私のパートナーです。いないと困ります。」
梨華はどうすればいいのか考えた。
まさかこんな最悪の状態に発展するとは思っていなかった。
「ののの、家に行くしかない。」
「はあ?梨華ちゃん、そんな事しても、結果は同じだよ。」
「私も吉澤さんに同意ですね。今は待つしかないですよ。時の流れが解決してくれますよ。」
「うん、私もそう思う。」
「・・・・・・。」
- 348 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月31日(土)19時03分18秒
- 梨華はある決意をした。
もし、自分の考えている事を実行できたら、きっと希美は戻ってくるはずだ。
それでも、それを実行できる可能性なんて、皆無に等しいが。
昼休みはあっという間に過ぎ、紺野と松浦は教室を出て行った。
梨華は授業中、希美のことばかり考えた。
湿気の所為で窓外の景色は曇って見えず、やり場の無い視線を黒板に向けると、
訳のわからない英語が羅列していた。
ノートに写そうと試みるが、希美の事が頭をよぎって、なかなか筆が進まない。
と言っても、それは元々なのだが。
(のの早く帰ってきてよ。勉強集中できないよ。)
そして休み時間、吉澤と二人で他愛ない会話をする。
しかし、やはり何か物足りなさが心を支配する。
希美の存在は、考えているよりも大きかった。
――――――
- 349 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月31日(土)19時05分18秒
- 雨の日の練習は最悪で、球を打っても爆発するような飛沫が飛び散り、
バウンドも不規則になる。コートも水浸しで、環境も最悪だ。
だから雨の日は基礎練習主体で、大概、日が落ちる前に終わるのだが、矢口だけは違った。
矢口はその後、一人で体育館の外壁に向かい、壁打ちを始める。
何故雨の日にだけそんな練習をするのかはわからないが、矢口は、雨の日は
必ず体育館の外壁で壁打ちをするのだ。
練習を終えた後の更衣室で、梨華は部員達に先に帰ってくれ、と促して、
濡れた髪をタオルでワシワシ拭きながら、傘をさしてさっさと更衣室を出て行った。
吉澤が勢いよく追い駆けて来たが、梨華はそれでも立ち止まろうとしなかった。
「梨華ちゃん!!」
「・・よっすぃ。」
「私言ったよね?もう一人で考えるのはやめてよ。あたしら友達だよね?
一人で何しようとしてんの?」
- 350 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月31日(土)19時06分44秒
- 吉澤にそう言われて、梨華は自分を心の中で叱咤した。
梨華は問題を一人で抱え込む悪癖があるようで、
この問題も自分一人で解決しようと無意識のうちに決めていた。
梨華は保健室で吉澤に言われた事を、言い聞かすように反芻した。
「ゴメン、また私、一人で・・・」
「いいよ。で、いったい何しようとしてるの?」
「矢口さんに、頼もうかなって思うんだ。」
「矢口さん!!?なんで?」
「だって、ののは矢口さんに憧れてるんだし、矢口さんに言われた、
ののも絶対戻ってくるよ。」
「そ、そうだけど、矢口さんだよ?絶対相手してくれないって。」
「でも、頼むだけでもしてみる。」
そう力強い表情で言うと、吉澤を引き連れ、意を決して体育館に向かった。
二人とも表情は硬く、緊張からか、無意識のうちに早足になっていた。
- 351 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月31日(土)19時08分07秒
- 体育館の外壁で、やはり矢口は壁打ちをしていた。
梨華と吉澤は矢口に気付かれない、離れた位置で足を止める。
そして、吸い込まれるように壁打ちを眺めた。
「凄い。こんな雨の中なのに、ボールを確実に中心で打ってる。」
吉澤が感嘆しながらそう言ったが、梨華はこの光景を一度間近で拝見した事が
あったので、得意げに言い返した。
「うん、私が初めて矢口さんと出会った場所なんだ。」
「へえ、いったいどういった状況でそうなったの?」
「まあ、いろいろあってね。私さ、初めて見た時、魔法がかかったように
見惚れちゃったんだよ。」
「こうやってみると、本当に妖精みたいだね。矢口さん。」
- 352 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月31日(土)19時09分02秒
- 壁打ちをしている矢口は、雨と薄暗さの所為で霞んで見え、まるで
本物の妖精を連想させるように、二人の目にとても幻想的に写っていた。
無表情で舞う様に球を拾い上げる。
そして、優雅に地面を駆け回る。
梨華はこんな世界の違う先輩がいる事を改めて誇りに思った。
数分壁打ちを見つめた後で、梨華は徐に矢口に歩み寄った。
「あの、矢口さん、」
「・・・・何?」
変わらない無表情で抑揚の無い声。
その体からは、湯気が浮かんでいた。
「ののが学校に来なくなっちゃったんです。」
「それで。」
「それ・・で、あの、矢口さん、ののを説得してくれないですか?」
- 353 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月31日(土)19時10分30秒
- 矢口はラケットに向けていた視線を梨華に移した。
やがて、その視線は鋭さを帯びてくる。
その矢口の様子を見て、吉澤は片目を瞑り、バツが悪そうな顔をした。
「なんで私がそんな事しなくちゃいけないの?」
「のの、矢口さんに憧れてるんです。だから矢口さんが説得してくれたら
ののもきっと帰ってくると思うんです。」
「・・・私に憧れる?」
「はい、ののは矢口さんを尊敬してるんです。」
「馬鹿だな。本当に。」
そう言うと、矢口は顔をクルリと横に向ける。
梨華はその矢口の整った横顔を、吸い込まれるように見つめた。
- 354 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月31日(土)19時12分41秒
- 雨が顔の表面を止めどなく滴り落ちているのに、それでも瞬きをしないで
力強い瞳で一点をジッと凝視している。
何故か梨華にはその強い眼差しの矢口がとても儚げに小さく写った。
矢口はいったい、何を見据えているのだろうか?
矢口の視線の定める先は、きっと自分達では考えもつかないほど高尚な所なのだろう。
そして、そこに行き着くために今、こうして努力をしているのだ。
梨華はこの時、そんな事を考えていた。
「だから、矢口さんお願いします。」
「あたしからもお願いします。」
二人は傘を捨て、深々と矢口に向かって頭を下げた。
渇きかけの髪の毛にまた潤いが戻る。
背中を悪戯に叩きつけるように落ちてくる雨。
夏服の半袖カッターシャツは、まるで、
直接地肌に小石をぶつけられるような錯覚を二人に齎した。
梨華は屋上で雨の中、紺野の為に頭を下げた事を俄かに思い出した。
そしてその時、矢口は助けてくれたのだ。
- 355 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月31日(土)19時14分14秒
- 「二人とも、頭を上げろよ。」
二人はゆっくりと垂れていた頭を上げた。
そして、そのまま矢口の目を強い眼差しで見つめる。
「私は何をしたらいいの?」
「じゃあ、矢口さん・・・」
「辻に何て言えばいいの?」
「「あ、有難う御座います!!」」
「・・・・」
矢口はそう言うと、徐に歩き出した。
梨華も吉澤もその後ろにしっかりとついていく。
矢口は更衣室に入り、数分後に着替えて出てきた。
そして、今までなら、あり得ない三人で門をくぐった。
- 356 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月31日(土)19時15分28秒
- 体育館から今まで、矢口は一言も発さなかった。
安倍と二人で帰っている時も、こんな感じなのだろうか?
梨華と吉澤は安倍の姿を思い浮かべた。
「矢口さん、ののの家まで付き合ってもらえますか?」
「いいよ。」
「有難う御座います。」
それからはまた沈黙が続く。
吉澤はこの状況をどうするか考えた。
やっぱり何か話し掛けるべきなのだろうか。
こんな気まずい雰囲気を保ちながら歩くのは、
まるで自分の家にいるような気がして、どうしても嫌だった。
吉澤は勢いに任せて、矢口に話し掛けた。
- 357 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月31日(土)19時16分37秒
- 「矢口さん、質問してもいいですか?」
「・・・何?」
「矢口さんがテニスを始めたきっかけって、何ですか?」
「・・わからない。気付いたらやってた。」
「き、気付いたら・・・ですか。そうっすか。」
梨華は安倍に言われた事を思い出した。
梨華も吉澤に続き、矢口に緊張した声色で話し掛ける。
「あの、矢口さん、サーブを返すコツとかって、あるんですか?」
「わからない。」
「そ、そうですか。」
その受け答えの後、梨華も吉澤も矢口に話し掛ける事をしなくなった。
矢口は前方を見つめながら、変わらない様子で歩き続ける。
梨華も吉澤も余りに淡白な矢口に対して、言葉を失ってしまった。
- 358 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月31日(土)19時20分23秒
- 駅に入り、慣れない上りの電車を静かに待つ。
人影は全く無く、華の女子高生が三人、無言で電車を待っている姿は
さぞ奇異に写った事だろう。
希美の家の最寄の駅は、たった五分ほどで着いた。
まず梨華が電車を下りて、矢口をエスコートするように先導する。
吉澤は初めて下りた駅だからなのか、
キョロキョロと目を上下左右に動かして、落ち着かない様子だ。
改札を抜け、慣れない町の道を、梨華は二人の先頭に立ち、ずんずんと進んでいく。
希美の家は駅から十分ほどで着いた。
ぎっしり詰め込まれた住宅街の中に、一つだけ場違いな城のような家が見える。
お嬢様学校の生徒に相応しい、池付きの絵に描いたような豪邸。
吉澤はその周りの家を圧倒して聳え立つ辻家に、開いた口が塞がらないようだ。
梨華は躊躇することなくインターホンを押す。
- 359 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月31日(土)19時21分57秒
- 『はい、どなた?』
「あ、あの、前一度お邪魔させてもらった石川です。」
『ああ、希美の友達の。』
「はい、希美さん、いらっしゃいますか?」
『・・・・・・今、ちょっと留守なのよ。御免なさいね。』
「あ、あの、」
そこで切れてしまった。
希美が居留守をしているのは母親が不自然に開けた間からも容易に想像がつく。
梨華は傘を捨て、両手を何か包むような形にして口に当て、声を増音して叫んだ。
「のの!!矢口さんがいるんだよ!!!!」
こんな豪邸の一室に住んでらっしゃる希美に聞こえるなんて、根拠は何も無い。
でも、こうするしか皺の無い梨華の脳みそでは思いつかなかった。
それから吉澤も叫び声を上げる。
二人は交互に叫び続け、喉が潰れるまで叫び続けてやろうと決心した。
矢口が折角来てくれたのだ、手ぶらで帰って堪るか。
数分叫んでいると、パジャマ姿の希美が、両開きの玄関のドアから覘く様に顔を出した。
- 360 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月31日(土)19時23分32秒
- 「のの!!」
梨華が叫ぶと、希美はとても怯えた表情をした。
それから希美は傘をさして、俯きながらトコトコと広がる庭を歩いて、三人が待つ
門扉まで来ると、矢口に対して、とても小さな声を出した。
梨華と吉澤は二人の会話を黙って見守る。
「矢口さん、きてくれたんですか。」
「辻、なんでお前、学校来ないんだ?」
「先生が、矢口さんのテニスをしちゃダメって、言ったんですよ。」
「なんで私のテニスなんか真似しようとするんだよ。」
「矢口さんは、のののあこがれなんですよ。矢口さんのテニスが、一番すごいんです。」
「私のテニスなんて、真似しちゃいけない。」
「なんでですか!ののは矢口さんのテニスを目標にしてるんです!!
それの、何がいけないんですか!!!」
- 361 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月31日(土)19時24分45秒
- 希美が涙を零しながら、叫び声のような声色で矢口に訴えた。
希美の言っている事は間違っていない。
憧れの選手を目指すのは当然の事だ。
「私のテニスは、親に植え付けられたもんだ。そんなつまらないテニスを、
お前はしちゃいけない。お前は自分のテニスを知ってるんだから。」
矢口は相変わらずの無表情で、抑揚の無い声だったが、梨華には間違いなく
泣き声に聞こえた。
そして、矢口の言った事は、その場にいる全員を深く困惑させた。
「・・・どういう、ことですか?」
「だから、お前は自分のテニスをしろよ。私になんて、憧れちゃいけない。
私は、そういう人間だ。私は、自分のテニスを知らない。」
「でも、ののはののは矢口さんのテニスで、死神に勝ちたいんです。」
「死神?・・・市井のことか?」
「・・・はい。」
- 362 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月31日(土)19時25分59秒
- 希美は毅然と頷いた。
梨華は希美が何故矢口のテニスにそこまで拘るのか、漠然とだがわかったような気がした。
希美は死神に復讐をしようとしていたのだ。
それも、矢口のテニスで。
「あいつは間違ってない。」
「なんで、ですか。間違ってるに決まってるじゃないですか・・・」
「お前は市井を知らない。」
「・・・・・・」
「最後だ。お前は自分のテニスを知ってるんだから、自分のテニスをしろ。
私のテニスなんて、しちゃだめだ。」
「・・・・・・」
「明日、学校に来い。私はお前らと一緒に団体戦に出てみたいんだ。
お前にいなくなられたら困るんだよ。」
- 363 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月31日(土)19時28分37秒
- 希美は俯いて何も喋らなくなった。
梨華も吉澤も、まだ矢口の言った事を頭の中で整理できないでいた。
矢口はそう言った後、踵を返し、来た道を戻っていく。
その後姿は、目を凝らさないと見失ってしまう位、とても儚かった。
「よっすぃ、ののお願い!!」
そう言って、梨華は傘を捨て、走って矢口を追い駆けた。
梨華は何を言えばいいかなんて考えていなかったから、
気付いたら勝手に口が動いていた。
その時、無意識の内に矢口の人生の事を知りたい、
という欲が突如自分の中で湧き上がっていた。
「矢口さん、恋をした事、ありますか?」
(何、なんでそんな事喋ってるの?私。)
「・・何が言いたいの?」
梨華が話し掛けても、矢口は視線を前方に向けたまま、
歩を緩めずに応対する。
- 364 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年08月31日(土)19時30分35秒
- 「だって、気になったんです。」
「無いよ。」
「じゃあ、趣味とかありますか?」
「無い。」
「あの、矢口さん、私、テニス、絶対上手くなります。」
「お前だったら、上手くなるよ。」
「だから、だから、矢口さんも自分のテニス、見つけてください。」
「・・・・・」
「今日は有難う御座いました。」
「・・・いいよ。」
梨華は足を止めて矢口の後姿を見送った。
そして、その後姿を見つめながら思った。
自分達は何かとても大きな勘違いをしていたんじゃないだろうか。
矢口は何も知らなかった。
自分のテニスさえも知らなかった。
そして、自分達は矢口の事を知ろうとしなかった。
矢口の表面だけを見て、矢口の本質を何一つ理解しようとしなかった。
世界を味方にする妖精は、世界の事を何一つ知らなかった。
―――――――――――――
- 365 名前:カネダ 投稿日:2002年08月31日(土)19時31分27秒
- 更新しました。
- 366 名前:むぁまぁ 投稿日:2002年09月01日(日)09時44分28秒
- 石川って不思議な娘ですよね
辻の説得に矢口を引っ張り出すのを成功させたりとか
あの他人に興味を持たなかった矢口が本音を漏らして辻を説得するシーンなどは
今までの矢口には考えられない行動を示すのはやはり石川の影響なのだろう
「私はお前らと一緒に団体戦に出てみたいんだ。」という矢口のセリフがそれを
物語ってるような気がする
>作者殿
いつも駄レスですみません
- 367 名前:名無し読者 投稿日:2002年09月01日(日)13時19分11秒
- 死神と言われた市井だけじゃなく、妖精と言われた矢口も哀しい子だったとは…
奥が深くて深くて、どんどん惹きこまれちゃいます。
- 368 名前:名無し読者 投稿日:2002年09月01日(日)20時48分10秒
- 矢口の本当の姿が次第に鮮明になってきましたね…
すごく続きが楽しみです
あと、あやや可愛すぎ(w
- 369 名前:カネダ 投稿日:2002年09月02日(月)23時37分48秒
- レス有難う御座います。
大変励みになります。
>>366むぁまぁ様。
駄レスなどとんでもございません。
上手く言えないのですが、読んでくれてるんだなあ、と深く思いました。
(アホ丸出しです。)
そういう感想を頂けると、とても書く意欲が湧いて、励みになります。
>>367名無し読者様。
矢口もただの妖精ではなかったのです。(意味不明ですが。)
実は奥が深くなかったりするのかもしれませんが、
期待に応えられるように頑張ります。
>>368名無し読者様。
やっとここまで来たという感じがします。
矢口の事はもう少し前に描こうと思っていたのですが、大分遅れました。
あと松浦のキャラは・・・自分も気に入っています。(w
それでは続き、後藤です。
- 370 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月02日(月)23時39分31秒
- お祝いぱーてーの翌日、更衣室で三人は含み笑いを浮かべながらテニスウェアに着替える。
更衣室のドアを開けると、何故か目の前は真っ白い粉の世界。
三人の気分とは裏腹に、天気は生憎の悪天候で、視界を奪い、体に否応無く纏わりつく霧雨。
しかし、そんな事は関係なく三人は上機嫌でテニスコートに向かった。
加護と高橋はテニスウェアが嫌味なほど似合っていて、真希はこれはやはりキャリアの差
なのだろうな、と二人の背中を見つめながら、俄かに思った。
テニスコートには既に石黒が来ていて、傘もささずに
腕を組んで部員達を諦観するように眺めていた。
市井が言ったように、やはり部員を一番見ているのは他でもない石黒なのだろう。
真希は今更になり、石黒に対して、敬慕のような感情を抱いた。
「おい、遅いぞ。早く体動かせ。」
「「「はい。」」」
- 371 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月02日(月)23時40分41秒
- 高橋と加護はやはり勝ち組の雰囲気に辟易していて、顔が強張っていた。
そんな二人に真希はさり気なく優しい声を掛けて、緊張を解くように努める。
真希はココでは一応、先輩なのだ。
体を動かしていると、飯田が加護と高橋に話し掛けてきた。
真希の時と同じように、飯田の口調は優しかった。
「今日からこっちかあ、加護に高橋。宜しくね。がんばんだよ。」
「「は、はい。」」
二人はご丁寧に背筋をピンと伸ばして、上擦った声で返事をする。
真希はその様子が面白く、声を出して笑ってしまった。
「なーにゴトー笑ってんの。ゴトーも最初はあんな感じだったっしょ?」
「そ、そうですね。すいません。人事だと思っちゃって。」
「なーんであんた達はそんな、私にビクビクしてんのかな?私、恐い?」
「い、いえ、そんな事全然無いです。寧ろ優しすぎて、困っちゃいます。」
- 372 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月02日(月)23時41分35秒
- 加護が不慣れな怪しい標準語でそう言うと、飯田は声を上げて笑い出した。
「ははは、加護は関西人でしょ?何?その喋り方。面白いなあ。」
「あ、そうですか?あ、有難う御座います。」
「だから、緊張すんなって。」
「は、はい。」
「ダメだこりゃ。ゴトー、二人が慣れるまで頼むよ。」
そう言うと、飯田は瞬きを幾度かし、微笑しながら石黒のもとに向かった。
加護は飯田の背中を見ながら、まだ緊張している様子だった。
「ご、ごっちん、飯田さん、ウチの名前知っとったで。こらあ、凄いわ。」
「はは、あいぼんかなりの実力者じゃん。知らないわけ無いよ。」
「わ、私の名前も知ってたよ。言ったもん。高橋って。」
「だ、か、ら、二人とももっと自分に自信を持ってよ。レギュラー獲るんでしょ?」
「そ、そうやな。よしがんばんで。」
「私も頑張る。」
- 373 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月02日(月)23時43分07秒
- そう意気込んだ後、保田が二人に話し掛けてきて、
二人はまたガチガチの状態に戻ってしまった。
真希は軽い嘆息を吐いて、暫しその場から離れた。
これから、勝ち組の人間が二人の元に、入れ替わりに挨拶に来るのだ。
その間、真希は市井を探した。
何時の間にか、ココに来て市井がいないと妙に落ち着かなくなってしまっていた。
真希にとって市井はとても大きな存在になっていたのだ。
真希は無意識のうちに、傍らで加護と高橋を
俯瞰するように眺めていた藤本に話し掛けていた。
「市井さん、見た?」
「・・・見、て、な、い。」
藤本は鬱陶しそうに、一言一言、区切って言った。
真希は何故こんな奴に訊ねたのか後悔した。
周りには藤本しかいなかったが、それでも普段は話し掛けるような事はしなかった。
それよりも、そこまでして市井の存在を確認したいと思っている自分に驚いた。
- 374 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月02日(月)23時44分12秒
- 「あっそ、ありがと。」
「ねえ、」
飯田に訊ねようと歩みだそうとした時、藤本が阻むように話し掛けてきた。
「な、に?」
(こいつ、喧嘩売ってんのかな。)
「あなたさ、どうしてそこまで市井さんを気にするの?」
案外まともな質問に、真希は拍子抜けたように声が裏返ってしまった。
「え?だって今練習のパートナーじゃん。それだけだよ。」
「あの人、もうすぐ引退するよ。」
「は?何言ってんの?そんな事言ってたの?」
「いいや、あなただって見てたらわかるでしょ?あの人の行動。」
「どういう意味だよ?」
「どう考えたって、上を狙おうとしてない。」
- 375 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月02日(月)23時45分19秒
- 確かに市井は自分の練習をまったくしていない。
それに、藤本の言っている事は、
市井が纏っている一種の虚無のような印象を裏づけするにも最もな意見だった。
それでも、真希は藤本の言っている事を頑なに否定した。
「あんたさ、わかってんの?仮にでもあいつ、全国覇者だよ?
今が一番ノッてる時期に、辞めるわけ無いじゃん。」
「はは、あの人、確かにそこいらの連中よりは上手いけど、私だったら
一年もあれば抜く事ができるよ。」
「なんでよ?」
「あの人が全国制覇できたのは、なんだっけ?死神?だっけ。そんな実力を
無視したテニスをしたからだ。まともにやったらピクシーの足元にも及ばないよ。
まっ、そのピクシーも今頃テニスはしてないだろうけどね。」
「・・・・辞めるわけ無いよ。」
「本人に聞いてみたら?あの人は、もう終わってるよ。そんなオーラが出てる。」
- 376 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月02日(月)23時46分31秒
- 藤本がそう言った後に、市井がテニスコートにやってきた。
市井は俯き加減で、トコトコと石黒の元に向かい挨拶をすると、
真希を見つけてゆっくりと真希の所に向かってきた。
「もう準備運動は終わったのか?」
「ねえ、一つ聞いていい?」
「なんだよ?」
「あんたさ、テニス辞めないよね?」
真希が軽い口調でそう言うと、市井は自嘲気味に口端を少し上げた。
真希はその時、このべた付く霧雨の所為なのかもしれないが、
確かに市井の纏っている虚無の翳が、より一層濃くなったような気がした。
- 377 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月02日(月)23時47分36秒
- 「はは、誰に聞いた?」
「いや、そんなんじゃなくて、ちょっと気になったから。」
「私が辞めたってお前には何の関係も無いだろ?そんな事を気にしてる
暇があったら準備運動でもしてろって。」
「・・・どうしてあんたは自分の事を話そうとしないの?」
「もう一度言うよ。準備運動しろ。」
「・・・・ちょっと!」
市井は真希の強い視線から逃げるように、目をコートの端に逸らす。
真希は気持ちが収まらなかった。
根拠は無いが、自分の言った事をまるで、肯定しているように思われたからだ。
「・・なんだよ?」
「私がこんな事を言うのはなんだけどさ、あんた凄い実力あるし、
このまま練習重ねたら絶対、二連覇出来ると思うんだ。・・」
「なあ、お前は私のテニス見たことあるのか?」
- 378 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月02日(月)23時48分36秒
- 市井がやっと視線を合わした。
「・・・ビデオで・・一度。」
「そうか。・・お前は私のようなテニスをしちゃいけない。
あんな事をしなくてもお前は十分通用するからな。」
「なんで自分のテニス、否定するんだよ?」
「否定する?そんな問題じゃない。長く日陰にいるとな、人は狂うんだ。」
市井はそう吐き捨てるように言った後、踵を返してコートの端の金網に凭れ掛かった。
真希は市井を追い駆けようとしたが、足が動かなかった。
腕を組んで、毅然とした態度をしているが、
視線を定めず、何も見ようとしない市井の姿が、とても寂しく写ったからだ。
まるで、存在を忘れられているのに、押入れの
奥深くで笑い続けている、古いぬいぐるみのように。
- 379 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月02日(月)23時50分15秒
- 真希が市井を強い視線で眺めていると、加護と高橋がやってきた。
二人は何人かと話しているうちにココの雰囲気に慣れてきたのか、
緊張が解けた弾んだ声色で、楽しげに真希に話し掛けた。
「ごっちん、なんか、ウチやる気出てきたわ。みんななんかしらんけど
ウチらに優しい言葉掛けてくれるし、なんかホッとした。」
「私も最初は恐い印象があったけど、それは気の所為だったみたい。」
「それでも、みんな凄い雰囲気持ってるでしょ?言葉にするのは難しいんだけど、
なんかさ、しっかりしてるというか、動じないというか。」
真希の言った言葉に、二人は神妙な面持ちで頷いた。
「それはやっぱり実力の世界やからな。誰でも凄いオーラを放ってるよ。
でも、ウチらもココに来たからには容赦なくレギュラーを狙う。
ココにいるという事は、その可能性があるということや。」
- 380 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月02日(月)23時51分33秒
- 加護は射抜くような鋭い視線を戸田と木村に向け、口端を少し上げただけの
小さい微笑をしながらそう言った。
高橋も加護の意見に同意して、戸田と木村の方を見ながら大きく頷く。
真希は加護の言った《オーラ》という言葉を聞いて、藤本の言っていた事を思い出した。
「ねえ、あいつにもそんなオーラでてるかな?」
真希が市井の方を見ながらそう言うと、
加護は口を曲げて大袈裟に首を傾げた。
「市井さんは、なんかそういうのは無いように見えるわ。でもきっと隠してんねん。
ノウある鷹は爪を隠す言うやろ?市井さんはきっとそれや。」
「確かに市井さんにはそういうやる気みたいなのは感じられないね。」
「・・・・・きっと、隠してんだろうね。」
- 381 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月02日(月)23時54分25秒
- 真希はそうであってほしいと思ってそう言った。
しかし、心の中では藤本の言っていた事に同意していたのかもしれない。
真希は不安定で曖昧な心を紛らわすように準備運動を勢いよく始めた。
加護も高橋も怪訝そうにそれを見てきたが、真希に続いて
二人も準備運動を始めた。
市井は相変わらず何も見ていなかった。
―――
真希と市井は練習メニューの中に、一日一度、練習試合をすることを入れていた。
それは市井が真希に対し、実戦の感覚を掴んでおいたほうがいいという意向で決めたのだが、
内容は何ゲームするかを曖昧に定めて、勝敗に拘るわけでもなく、
ただ試合の感覚を掴むのが目的のもので、本番のような緊張感は皆無だった。
真希はこの練習が今のメニューの中で一番好きだった。
自分の成長の成果を一番確認できたし、なによりも勝負事というのは夢中になれた。
- 382 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月02日(月)23時55分34秒
- 「今日は手加減をせずに本気でいくつもりだから。」
「え?いつも全力じゃなかったの?」
「全力でやってたらそうそうゲーム奪われる訳ないだろ。」
「なーんだ、結構上達したなって思ってたのに。」
「いや、お前は上手くなってるよ。だから今日は全力でやるんだ。」
「なんか、私燃えてきた。絶対一ゲームは取ってやる。」
「取れるもんなら取ってみろよ。今日は視界が悪いしコートも滑り易い。
やっても五ゲームだな。」
市井は微笑を浮かべてそう言うと、踵を返してコートに入った。
「絶対取ってやるもん!!」
真希は市井の背中にそう叫んでからコートに入った。
日が完全に落ちる寸前の時間帯で、まだコートにライトはついていなく、
最悪の環境の中で試合は行われる事になった。
- 383 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月02日(月)23時57分16秒
- 真希は息を大きく吐くと、グシグシと額と口の周りに付着していた雨粒を拭った。
気持ちを昂ぶらせようと何度も何度も今まで教えられたことを頭に蘇らせた。
市井は足元の水を足で軽く払うと、型に嵌ったサーブの体制に入った。
それを見て、真希は腰を据えた。
(後藤、常に腰を落として体のバランスを維持するんだ。)
癖になっている、ラケットのガットを五指の第一間接で軽く握ると、
緩いステップを踏む。
(サーブを返すのはタイミングだ。だからステップを踏んでタイミングをとるんだ。)
市井が打ってきたのはトップスピンサーブだった。
雨の所為で打球のバウンドが不規則になり、真希の予測よりも遥かに
低い跳ね方をした。
- 384 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月02日(月)23時58分36秒
- 真希はそれでも抜群のセンスでその打球を何とか返し、そのままネットに詰めた。
この視界ではそれが賢明の策だと真希は判断した。
市井は真希の打ち損じのレシーブに対し、強烈なクロスを打ってきた。
真希は意表をつかれ、その打球が何処に決まったのかさえわからなかった。
「なんでも詰めればいいってもんじゃないよ。」
市井の表情は極悪の視界の所為で窺い知る事が出来なかったが、
その声はとても得意げで、真希はきっと市井はしてやったりの表情を
浮かべているんだろうなと俄かに思った。
そして、そう思うと真希は段々と心に熱いものが込み上げてきた。
「次、絶対取ってやる!」
「楽しみだよ。」
- 385 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月02日(月)23時59分38秒
- 真希は昂ぶった気持ちの所為で一々精細を欠いていた。
市井の上手いサーブを返して調子に乗ると、その後のラリーで凡ミスをしてしまう。
ネットに引っ掛けたり、大きくアウトしたり、真希はポイントの殆どを自分の
ミスで市井に与えていた。
そのまま四ゲームを連取され、真希は完全に冷静さを失ってしまう。
考えれば考えるほど相手のどつぼに嵌り、真希の焦燥感はピークに達していた。
いつもならこういう場面では市井がアドバイスをくれたり、
叱咤してくれるのだが、この日の市井は何も言ってこなかった。
「次で最後だ。結局お前は口だけだな。」
「あと一ゲームあるじゃんよ!」
(結局、私の事舐めてるじゃん。)
- 386 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月03日(火)00時00分41秒
- 市井の挑発と取れる発言に、真希は次第に怒りを覚える。
その時、テニスコートに煌々とした眩い光が舞い降りた。
ライトが点き、それまで殆ど見えなかった視界が、
それでも幾分だが露になった。
真希は普段の調子でふと市井の顔を見やった。
――ドクン
忽然、心臓が爆発した。
市井の表情はとても毅然としていて、真希は今までの自分の考えを全て否定した。
市井は本気で自分を負かそうとしている。
舐めて試合に挑んでいたのは、自分だった。
- 387 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月03日(火)00時03分13秒
- 市井は射抜くような鋭い視線を保ちながらトスを上げた。
市井の体から醸しだされる他を圧倒するような雰囲気。
初めて会った時のような、人を殺す瞳はしていないが、
今の市井のスタイルは、普段は見ることの無い、試合時の市井本来の姿なのだろう。
真希は今までの熱が一気に冷めて、不安と焦燥だけが体に居着いた。
(どうしようどうしようどうしよう)
市井はフラットサーブを打った。
市井の渾身のサーブを、真希は紛乱しながらも、持ち前のセンスで返す。
その時、市井は顔には出してないが、驚愕していた。
この試合、市井は紛れも無く本来の自分のスタイルで臨んでいた。
サーブも妥協せず、自分の限界の力で打っていた。
しかし、今まで真希は一度も市井のサーヴィスエースを許していなかった。
(たった二ヶ月でココまでくるとは、やっぱり天才とは器が違うか・・・)
- 388 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月03日(火)00時04分27秒
- 市井は真希のレシーブをアプローチショットで返すとネットに詰めた。
ネット際の駆け引きは、市井の得意分野だった。
(詰めた後の駆け引きを教えてやるよ、後藤。)
その時だ、市井の顔面の数センチ横を、高速の何かが音と共に通り過ぎた。
「えっ・・・」
そして後方でドシュっという、水分を多く含んだ野菜を壁に叩き付けた音がした。
市井はゆっくりと振り向いて打球が決まった場所を確認し、その後真希の様子を見やる。
真希はラケットを落として自分の両掌を確認するように交互に見比べていた。
そして真希は水を掬うように両掌を広げたまま、ゆっくり顔を上げ、市井を見つめた。
- 389 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月03日(火)00時06分00秒
- 「ね、ねえ、今、今、今、前言ってた感覚がキテる。今、今体が凄い軽い。」
「お、おい、お前何打った?」
「え、何ってスピンのストロークだけど・・・」
「あのスピードで私の顔の高さから落ちたのか?・・信じられない・・」
「ねえ、今凄い、いい感じなんだ。早く続きやろうよ!」
「あ、ああ。」
市井は催促されてサーブの体制に入った。
そして、切れのいいスライスサーブを打つ。
ライン際に決まり、上手く返そうとしても、力のある打球は返せない位置。
――の筈なのに、真希はその打球を、恐ろしく撓った腰使いの強烈なバックハンドで
リターンした。
市井はその重く切れのある打球を何とか、得意のフォアハンドのボレーで返すが
その後に真希が打った、強烈なスライスのかかったストロークに触れる事が出来なかった。
- 390 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月03日(火)00時07分03秒
- レベルが違う。
目の前で躍動する少女を、市井は同じ次元の存在には思えなかった。
選ばれた者。
そんな気障な言葉しか頭に浮かばなかった。
市井は忽然、中学時代の自分を思い出した。
そこで今と同じように、次元の違いを見せつけられたのだ。
◇ ◇ ◇
『ねえ、テニスどれ位やってんの?』
『・・・・・』
『無視?酷いじゃん私なんかした?』
『・・・・・』
『私ね、ジュニアで二連覇したんだよ。』
『・・・・・』
『この学校のエースになるんだ。私、市井紗耶香。』
- 391 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月03日(火)00時07分48秒
- ◇ ◇ ◇
『この部のエースは矢口さんだよ。あの子凄いよ。私達とは何か違うんだ。』
『そんな事無いよ。私のほうが上手いよ。』
『えー市井ちゃんじゃ勝てないよ。』
『勝てるよ。』
◇ ◇ ◇
『矢口、全国制覇おめでと。でも来年は私が勝つよ。』
『・・・・・』
『何か言ってよ!私の事なんて眼中にもないんだ?』
『・・・・・』
『私はあんたを認めないからね!』
◇ ◇ ◇
- 392 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月03日(火)00時09分31秒
- 「と・・ちょっと!!」
「・・・・」
「ちょっと!何ボーっとしてんの?私、ポイント連取してんだよ?
このまま一ゲーム取っちゃうよ?」
「え?・・あ、・・・ゴメン。・・・続きやろう。」
「プっ、何か可笑しいよ、あんた。」
「・・え?」
市井はぼんやりとした意識で真希の顔を見つめた。
無邪気に歯を覗かせて笑い、何故か自分の心をとても優しくする。
真希の邪気のない笑顔につられる様に、市井は笑い出した。
そして、二人は訳も無く大声を上げて笑い合った。
- 393 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月03日(火)00時11分06秒
- 「はは、おい、続きやるぞ。」
「ははっ、あんたさ、楽しそうに笑えるんだね。初めて見たよ。」
「うるさいよ。続きだ、続き。簡単には取らせない。」
「はーい。でも今は負ける気がしないもん。」
市井は踵を返してバックラインに戻る。
真希も市井のサーブに揚々と備える。
真希は宙に浮くように軽い体を早く解放したかった。
市井は気を引き締めてフラットサーブを打った。
しかしその時、心の中で市井はもう諦めていた。
真希は市井のフラットサーブを、何処で覚えたのか?
とても不思議なフォームのフォアハンドでコート隅にリターンした。
鋭い回転がかかった返球を、市井は返すことが出来なかった。
真希のリターンエースが決まり、真希はマッチポイントに到着した。
- 394 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月03日(火)00時12分26秒
- 「ほら!マッチポイントだぞ!」
「ふっ、わかってるよ!」
(お前ともっと昔から知り合えたら、私は・・・・)
市井は一度深呼吸し、頭の中を空っぽにしてトスを上げた。
そして、無心のまま渾身の力のフラットサーブをライン際に決める。
今までのテニス生活で、一番のサーブだと自信を持って言える打球だ。
これを返されたら、もう成す術は無い。
その打球、真希は呆気なく先程と同じ場所にリターンエースを決めた。
真希は決まった瞬間、嬉々とした笑顔を浮かべ、猛然とネットに駆け寄った。
「やったー!!一ゲーム取ったよー!」
市井はラケットを放り投げ、微笑を浮かべながら真希の元にゆっくり向かった。
- 395 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月03日(火)00時14分08秒
- 「ははっ。やられたよ。」
「でも四ゲーム連続で取られた時はダメかと思った。」
「なあ、お前、その感覚、今も続いてんのか?」
「えーと・・・あっ・・・ヤバイ・・・体が重くなってきた。・・」
「へー、面白い体してんだなお前。」
「うっうるせいやい。・・・・ゴメン、ちっと手貸して。」
真希は背中を丸めた、猫背を極端に深くしたような姿勢で手を差し出した。
市井は軽い微笑をした後、その手をギュッと掴んで、真希を引き起こす。
市井の手は、こんな雨の中なのに、とても暖かかった。
姿勢を正した真希は、一度大きく深呼吸すると、思い出したように市井に笑いかけた。
―――
- 396 名前:カネダ 投稿日:2002年09月03日(火)00時16分05秒
- 更新しますた。
ボーっとしながら更新していたら、予定よりもかなり多く更新してしまいました。
次の更新は少々遅れるかもしれません。
- 397 名前:名無し読者 投稿日:2002年09月03日(火)00時28分30秒
- 大量交信キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!
- 398 名前:むぁまぁ 投稿日:2002年09月03日(火)12時44分30秒
- 後藤の出現で市井にも希望の光が見出せる・・・そんな気がした
しかし両チームのキーパーソン同士の戦いがこんなにも待ち遠しいのはオレだけだろうか
- 399 名前:読んでる人@ヤグヲタ 投稿日:2002年09月04日(水)12時27分12秒
- 矢口と市井は同じ中学だったんですか!?
しかし、後藤はどんどん成長しているようですね、もう一人の主役と違って(w
- 400 名前:名無し読者 投稿日:2002年09月05日(木)07時22分11秒
- >>398
同士ハケーン
両チームの試合が楽しみで楽しみで寝れません(w
- 401 名前:名無し読者 投稿日:2002年09月05日(木)15時25分11秒
- 気の利いた事は言えないがむちゃくちゃオモロイ
- 402 名前:カネダ 投稿日:2002年09月07日(土)00時29分32秒
- レス有難う御座います。
本当に励みになります。
>>397名無し読者様。
大量交信シタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!
その所為で遅れました。すいません。
>>398むぁまぁ様。
両チームの戦い・・・頭の中では出来上がっているのに、
なかなか辿り着けない。早く辿り着きたいです。
すいません、自分も待ち遠しいです。
>>399読んでる人@ヤグヲタ様。
後藤は天才ですからね。(w馬鹿じゃないですから。
市井と矢口はそうでした。ありがちですいません。
>>400名無し読者様。
すいません。どうもこのスレでは試合できそうにありません。
一レス目に調子乗ったこと書いておいて、この始末。
楽しみにして頂いているのに・・・それでも、読んで頂ければ幸いです。
>>401名無し読者様。
有難う御座います。
自分では全くわからないので、そう言ってもらえると本当に書く意欲が湧きます。
これからも是非読んで頂ければ嬉しいです。
それでは続きです。
- 403 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月07日(土)00時31分14秒
- その日の練習が終った後、石黒から勝ち組の部員だけが集められた。
夜になっても雨は相変わらずの霧雨で、話し相手と少し距離が離れると、
表情を確認する事が困難になる位、視界が悪かった。
コートに照らされているライトが、一粒一粒細かい雨をくっきりと曝している。
負け組の部員は、この視界の中、腰を曲げて球拾いをしている。
新入部員の四人以外、何故呼ばれたのかを理解しているのか、
毅然として、緊張した態度を作って石黒の前に整列していた。
「今日は団体戦のメンバーを発表する。と言ってもまだ仮の段階だ。
この先に光る者が出てきたら容赦なくメンバーを入れ替える。それでは、発表する。」
- 404 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月07日(土)00時31分59秒
- その石黒の発言に、真希も高橋も加護も表情を強張らせた。
三人の目標だった団体戦のメンバーが発表される。
三人の心臓は徐々に徐々に早くなっていった。
真希はふと市井の様子を窺った。
市井は興味が無さそうに、腕を組んで視線を横に向けていた。
「まず、ダブルス一組目、戸田、木村。」
「「はい!」」
名前が呼ばれると、三人の心臓は大きく弾けるように脈打つ。
石黒は大学ノートサイズの、プラスチックのボードを見つめながら、
順番に名前を発表していく。
- 405 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月07日(土)00時32分30秒
- 「次、ダブルス二組目。加護、高橋。」
「「は、はひ!!」」
二人はそう返事をした後固まった。
まさか勝ち組に来たその日にレギュラーを取れるなんて思ってもいなかったようだ。
二人は口を開けたまま、凝然と沈黙した。
真希はそんな二人を嬉々として見つめた後、残りのシングルの発表に思いを馳せた。
(もしかしたら、私も・・)
「次、シングル一人目、まず飯田。」
「はい。」
「二人目、保田。」
「はい。」
「最後、市井。」
「・・・」
「おい、返事は?」
「・・・はい。」
- 406 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月07日(土)00時33分41秒
- 市井は気だるい声で返事をした。
石黒は市井をジロリと睨み付けた後、ボードに視線を戻し。
精悍な声色で締めの挨拶をした。
「これはまだ仮の段階だ。忘れるなよ。怠けていたら容赦なく落とす。以上、解散!!」
「「「はい!!」」
勝ち組の部員達はその後揃って更衣室に入る。
加護は飯田と仲良くなったようで、飯田に対し持ちネタを何個か披露していた。
高橋は保田と通じ合ったのか、着替え終わった後、真剣な面持ちで
保田の話に聞き入っていた。
真希は勝ち組に来てから市井以外の部員達とろくに関らなかった事を少しだけ悔やんだ。
- 407 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月07日(土)00時34分44秒
- 真希はさっさと着替え終え、二人が飯田と保田と仲良さげに会話しているのを
確認し、二人が話し終えるまで外で待とうと思った。
タオルをだらしなく首に垂らし、傘をさして外に出る。
外は相変わらずの霧雨で、夜の闇を一層際立てていた。
更衣室の扉のすぐ横で、真希は頬を膨らませて二人を待った。
(はやくこいっつーの。)
その刹那、すぐ隣にもの凄い違和感を感じた。
全く気配が無くて気がつかなかったが、隣には藤本が同じように立っていた。
まるで、映画、となりのトトロの一シーンを連想させる。
「び、びっくりしたー。何してんの?あんた。」
「なんて言ってたの?市井さん。」
- 408 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月07日(土)00時35分35秒
- 藤本は前方に広がる闇を睨むように見ながら愛想なく言った。
真希は藤本の言っている意図が掴めなかった。
「え?何のこと?」
「だから、辞めるって言ってたの?」
藤本は機敏な動きで首だけを四十五度、真希の方にグルリと回し、そう聞き直した。
その不気味な動きに真希は一瞬、たじろぐ。
(こいつは妖怪か?)
「・・べ、別に、辞めるなんて言って無かったよ。」
「・・・辞めるとは言ってないけど、辞めないとも言ってなかった・・・でしょ?」
- 409 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月07日(土)00時36分25秒
- 藤本の意地悪い視線を受けて、真希は思わず視線を逸らした。
何でこいつは自分にそんな事を問い掛けてくるのだろうか?
真希は深呼吸をしてからもう一度視線を合わせた。
「だ、か、ら、あんたに何か関係あんの?それ?」
「あー図星だ。私に関係?もちろんあるわよ。私も全国狙ってるからね。」
「へえ、団体戦にも選ばれて無いくせに偉そうじゃん。」
「それはあなたも同じでしょ?」
「・・・うるせえ。」
「ねえ、今日の練習試合、あれ、今まで隠してたの?」
「何が?」
- 410 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月07日(土)00時37分01秒
- 藤本の表情は、直前までの人を小馬鹿にするような憎たらしい感じは消え、
何かに恐怖を感じているように、強張って見えた。
「あの試合の最後のゲームのあなた、まるで別人のようだった。」
「あー、あれかあ。あれねえ、たまになるんだよ。上手くいえないけどね。」
「・・・へえ。」
藤本は真希の心を覗くように、目を細めて真希の全身を
舐め回すように見つめた後、意味深にそう呟く。
- 411 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月07日(土)00時37分59秒
- 「それが何か?」
「・・・いや。」
「へえ、とか、いや、とかもっとなんか言う事あるでしょ?かわいくねえなあ。」
「私は負けないわよ。あなたには。」
「はいはいそうですか、それで?あんた何が言いたいの?あんた友達いないでしょ?
そんなオーラ?だっけ?出てるよ。」
「そんな事、あなたには関係ない。」
藤本はふん、と鼻を上品に鳴らすと、颯爽とモデルのような歩き方で帰っていった。
真希はその背中に中指を立てた下品な形の手を作ると、舌を垂らしてべーをした。
藤本が去ったすぐ後に、加護と高橋が更衣室から出てきた。
- 412 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月07日(土)00時38分53秒
- 「ごっちん、ゴメンゴメン。飯田さんにネタ連発しとったら遅なった。」
「同じくゴメン。」
「えーどうしよっかなあ?」
「ちゃうねん、ウケてん!ネタが!そのネタするから許して!」
「保田さんのテニス理論語るから許して!」
二人が余りにもふざけている様に思えた真希は少し意地悪になる。
「・・・じゃあ、食堂で天ぷらソバ奢ってよ。なら許す。」
「て、天ぷらソバかあ、痛いなあ。四百円越すもんなぁ。」
「割り勘なら、二百円ずつで済むよ。」
「そ、そうやなあ、しゃあない、それでえっか。」
「よーし、以後気をつけるように。」
- 413 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月07日(土)00時39分40秒
- そう真希が言ってその話題を終えると、
三人はいつものように並んで帰路に着くのだが、加護と高橋は
レギュラーを獲ったからか、常に笑顔が絶えない様子だった。
「いやあ、この二日間はアホみたいにええ事ばっかりで困っちゃうなあ。」
「うん、まさか初日でレギュラー獲れるとは思ってなかったね。」
「やったじゃん、二人とも。」
「へへへ、次のお祝いはごっちんがレギュラー獲ったらやで。早く獲っちゃいな。」
「そんなもんすぐに獲れたら苦労しないよ。それに私なんてまだまだひよっこだからね。」
「いや、ごっちんのセンスだったら絶対獲れると思う。私は信じてるよ。」
- 414 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月07日(土)00時40分27秒
- 加護と高橋に要らぬプレッシャーを受けた真希は不意に自分の実力について考えた。
周りの人間は天才だのなんだのと騒ぎ立てるが、本人にとって見たら
そんな事はまったく理解できず、ただ上手くなろうと四苦八苦してるだけだった。
それでも今日、本気で挑んできた市井から一ゲーム取ったのは紛れもない事実で、
あの感覚さえ掴む事ができたら自分だってそこそこはいけるのではないか、なんて
浮かれた事をぼんやり考える。
「ごっちんどうしたの?」
高橋に怪訝そうに言われて真希はハッと現実に戻る。
- 415 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月07日(土)00時41分02秒
- 「ああ、ゴメン、ゴメン。うん、私は取り敢えず出せる力、全部出して
これからレギュラー獲り頑張るよ。」
「ごっちんの潜在能力は凄いからなあ。ウチはまだごっちんが矢口さんの
テニスをしたことを鮮明に覚えてるでぇ。あんなもん完璧に極めたら
ごっちんこの部のエースどころじゃないでぇ。」
「そうそう、ごっちんはセンスあるんだから。」
いくら誉められても実際にレギュラーを獲ったのは二人で、
自分がその枠に入るのにはとてつもなく高いハードルがある。
飯田、市井、保田。
この部でも指折りの実力者。
その三人の内の一人を追い抜く事が、果たしてあと一ヶ月ちょっとで出来るのだろうか?
まだ、まともにテニスを初めて二ヶ月足らずの初心者が。
目の前に広がるのは絶望の二文字だ。
- 416 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月07日(土)00時41分43秒
- 「頑張るしかないよね。」
「ごっちんやったらいけるわ。」
「うん。私もそう思うな。」
それからテニスの話を止め、学校での出来事の話題に花が咲いた。
加護が授業中にどうこうしたのだの、高橋が密かにネタを考えているのだの
他愛のない話で盛り上がる。
その時、真希の心の中には否定できないある感情が生まれようとしていた。
- 417 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月07日(土)00時42分19秒
- 加護と別れ、高橋と別れる。
一人でトボトボと雨の中、俯き加減に帰っていると、その感情が産声を上げた。
―――激しい嫉妬と羨望。
加護と高橋がレギュラーを獲ったのは、とても喜ばしい事なのに、
自分は今、二人に信じられないほど嫉妬している。
人の心は複雑で、どうしたって思い通りにはいかないもので。
真希はそんな醜いことを考える自分を激しく嫌悪した。
実力もキャリアも格上の二人が先にレギュラーを獲ったのは至極当然の事なのに、
どうして自分の胸はこんなに苦しいのだろう。
- 418 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月07日(土)00時43分07秒
- 二人に続いて、自分はレギュラーを獲れるのだろうか。
冷静に考えれば考えるほど思考は絶望を肯定していく。
勝ち組の連中の層の厚さは、自分が考えているよりも遥かに厚い。
藤本もいる。
全中覇者の藤本だっているのだ。
そんな中に自分がいることに、とてつもない不安を覚える。
今、真希が感じているのはまるで、夜の海の真ん中に放り出されたような絶望感。
霧雨が肌にへばり付く感覚は、希望を奪う氷の冷たさ。
真希はふと足を止めて、月の出ていない漆黒の闇を意識する。
その闇の濃さは、醜い事を考える自分を溶かすには十分の媒体だ。
- 419 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月07日(土)00時44分05秒
- 真希がここまで不安や絶望を覚えたのは生まれて初めてだった。
天才と呼ばれ、心の中では浮かれていたのだ。
難なく勝ち組に上がったという自惚れ。
現実を見ろ。
現実を。
悔しいと思うことすら生意気な実力の癖に、今、自分は信じられないほど嫉妬している。
そんな事を思いたくないのに、心の中はソレの類の感情で一杯だった。
真希は怖いモノから逃れるように、情けない早足で家路を急ぐ。
- 420 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月07日(土)00時45分09秒
- 薄い鉄の階段は、雨の所為で滑りやすく、真希は中段辺りで躓いてしまった。
スカートの中から覗かせた膝の皿に、鈍い痛みと共に、命の色が着いていた。
真希はそれを見て吐き気がした。
余りにリアルなその色は、真希に現実の厳しさを惜しみなく曝しているような、
限りなく生々しい錯覚を齎していた。
家のドアに鍵を差し込んで乱暴に開ける。
真っ暗闇の家の中は、妙な生温さを帯びていて、真希の吐き気を促進した。
がむしゃらにトイレのドアを開け、思いっきり吐く。
洗面所で口を乱暴に濯いで、闇の中、前方の四角い鏡にぼんやり映る自分の顔を見る。
- 421 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月07日(土)00時45分45秒
- そこには天才と謳われる華やかな人間はいなかった。
ただの泥臭い、虚弱で、幽霊のような人間がいた。
真希はその女を見て、何故か安堵する。
そうだ、今まで強がって生きてきただけだ。
父親が死んだ時から、強い自分を誇示してきただけだ。
実際はこんなに弱い。
弱くて脆くて出来損ないで。
そんな出来損ないが、テニスに命を懸けてきた、加護と高橋に対し、生意気にも嫉妬する。
――――――――
- 422 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月07日(土)00時46分54秒
- 次の日、空は晴れ渡り、湿度も低く、練習には最適の環境。
真希は部活の時間から学校に赴いた。
教室には入らず、担任にばれないように更衣室に直行する。
更衣室のドアをそっと開けると、加護は飯田と、高橋は保田と楽しげに会話していた。
その光景は、真希の心に一つの大きな穴を開けた。
真希は二人が着替え終わり、テニスコートに向かうまで
更衣室の裏の、雑草で溢れる茂みに身を潜めた。
だらしなく更衣室の外壁に凭れ、草から醸される鼻をつく匂いを感じながら徐に空を見る。
天に広がる青空は、市井の笑顔を連想させた。
(長く日陰にいるとな、人は狂うんだ。)
- 423 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月07日(土)00時47分34秒
- 市井の言った言葉を、真希は漠然とだがわかったような気がした。
市井の味わってきた陰というのは、昨日、自分が闇の中に感じたようなモノなのだろう。
十分ほど悪戯に更衣室の裏で過ごすと、真希は急いで更衣室に入る。
既に中には誰もいなく、遅刻する事を懸念しながら、急いでテニスウェアに着替える。
(このテニスウェアは、特別なんだ。脱ぐ時は夢が破れる時だ。)
真希はテニスコートにダッシュで向かう。部員達は既に準備運動を始めていた。
真希は周りを気にしながら、所在無さげにコートの隅で準備運動を始める。
すると、訝しそうに加護と高橋が話し掛けてきた。
- 424 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月07日(土)00時48分36秒
- 「ごっちん、今日休むんかと思ったわ。何しとったん?」
「体の調子でも悪いの?」
「・・・ううん。ちょっと寝坊しちゃって・・」
「寝坊って・・もう三時やん。」
「新しいネタ?」
「寝坊ネタなんてアリかもね。」
真希はなるべく平静を取り繕う。
二人の顔を見ると、どうしても要らぬ感情が湧き上がってくる。
- 425 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月07日(土)00時49分39秒
- 「ゴメン、私、ちょっと先生に用があるから。」
「なんやねん、急に。」
「変なごっちん。」
真希は二人から逃げるようにその場を離れる。
どうしても情緒が不安定になってしまう。
要らぬ事は考えずに、レギュラーを獲る為に練習に精を出そう。
そう思っても、なかなか実行する事が出来ない。
「おい、どうしたんだよ?」
悄然と準備運動をしていると、市井が後ろから話し掛けてきた。
真希は表情を引き締め、普段の調子に努めようとする。
- 426 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月07日(土)00時50分12秒
- 「別に、なんでもないよ。」
「もしかして、あの二人に先にレギュラー獲られた事、気にしてんのか?」
「・・・そんなんじゃ、ない。」
「まあいいや、取り敢えずランニング。行くぞ。」
「・・・うん。」
真希はなるべく頭を空っぽにするように努めた。
まさか自分がこんなに嫉妬深い人間だとは思わなかった。
前を走る市井の背中をぼんやりと見やる。
市井はどんな翳を味わってきたのだろうか。
基礎練習を終えると、市井は意外なメニューを発表した。
――――
- 427 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月07日(土)00時51分06秒
- 「今日の練習はミーティングだ。今のお前じゃ練習しても無駄だよ。」
「・・なんだよ、それ。私はレギュラー獲る為に練習しなくちゃなんないんだ。
そんな事してる暇ないんだ。」
「何があったんだ?言えよ。」
市井はコートの隅の角に項垂れるように座って、後ろの金網に凭れかかった。
真希は市井の方を見ずに、立ったまま金網に背中を預け、ぼんやりと空を見る。
「あんたさ、自分のこと何も喋らないくせに、都合がいいよ。」
空に向かって、だらしない声を出す。
すると市井はクスッと鼻で笑った。
- 428 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月07日(土)00時51分45秒
- 「なんだよ?私の何が訊きたい?」
「・・・話してくれんの?」
「ああ、今日は大奉仕サービスだ。」
「じゃあさ、あんたテニス辞めるの?」
視線を落とし、市井の頭を見下ろす。
市井は前方で練習をしている部員達を見ながら、
溜息交じりの声を出した。
「来るべき時がきたら、辞める。」
「なんだよ?それ。」
「そういう事。」
「謎、残すなよ。」
- 429 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月07日(土)00時52分28秒
- 真希は下ろしていた視線を前に向け、加護と高橋の練習を眺めた。
二人は普段とはうって変わり、とても真剣な面持ちでボールを
追っかけている。二人はテニスに対して、とても真摯だ。
「じゃあ、その来るべき時が来たら辞めるんだ?」
「そうだな、うん。」
「・・・・・。」
「なあ、お前、あの二人に嫉妬してんだろ?」
- 430 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月07日(土)00時53分50秒
- 真希は、市井に見事に核心を突かれ、一瞬、心臓が大きく鐘を打った。
市井の言葉を聞くと、どうしても嘘をつけなくなる。
言葉の魔力なんてよく言うが、市井はソレを間違いなく持っている。
真希は市井に心の中を吐露する前に、辺りの様子を意識した。
部員達の掛け声や、ボールが跳ねる音。
空の青、純白の雲、冷たい風、優しい日射。
それら全てが真希の心の隅まで洗滌した。
そして、意を決して自分の心を晒した。
- 431 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月07日(土)00時54分57秒
- 「私さ、私の事わかんないんだよ。あいぼんも愛ちゃんもさ、
私よりもテニスをずっと信じて続けてきてさ、それでもちろん私よりも上手いし、
二人がレギュラーを獲ったのは当然の事なんだよ。・・・なのにさ、
めちゃくちゃ悔しいんだ、それが。どうなってるんだろうね?
二人は私が先に一軍に入った時、心の底から喜んでくれたんだ。
なのに、私はレギュラーを先に獲った二人を素直に祝えない。」
真希が伸びのある、邪気のない声色でそう言うと、市井はゆっくりと破顔した。
そして、鼻を指で一度擦ると、ハハっと改めて笑った。
「お前さ、カワイイよ。凄く人間らしい。そんなもん誰だって抱く感情だよ。
身近にいる人間ほどそういう目で見ちゃうんだ。いつも身近にいる人間なのに、
自分よりも少し前を行くと、嫉妬してしまう。そんな事は誰だってそうだ。
でもなあ、お前は特別だ。あの二人がお前の事をそんな目で見ないのは、
お前には敵わないからだよ。お前を認めてるからだ。」
- 432 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月07日(土)00時55分48秒
- 真希は勢いよく市井の隣に座り込んだ。
そして、乱暴に後頭部を金網に押し付ける。
真希は前方で練習している二人を見ながら、ふてくされた声を出した。
「私さ、自惚れてたんだよきっと。天才とか言われてさ。私なんて
実際実績も実力も何もないのに。だからあの二人の事、そんな目で
見ちゃったんだ。サイテーだよ。」
「でも、お前は昨日、私から一ゲーム取ったじゃないか。」
市井は笑いが混じった声で間髪要れずに言い返してくる。
- 433 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月07日(土)00時56分29秒
- 「それはさ、体がオカシクなったからだよ。あの感覚がなきゃ取れなかった。」
「だから、それがお前の実力なんだよ。それは同時に実績だ。お前は全国覇者から
一ゲーム取ったんだ。二ヶ月足らずで。」
「・・・・あんたさ、全然、全国覇者ってオーラ無いよ。」
市井は笑顔を消し、目を細めて、空を見た。
果てしなく広がる青空に、市井は何を見ているのだろうか、
真希は市井の横顔を見ながら、そんな事を思う。
「当たり前だ。私なんて、そんな大した器じゃない。私のやった事は、
許されない事だ。許されない事をして、陽に当たる。それは、罪だ。」
- 434 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月07日(土)00時57分18秒
- ――――罪。
「罪って、なんだよ?」
「私は罰を受けなきゃならない。圭織や圭ちゃん、戸田や木村。
私は大切な人の信頼を失ったんだ。本当は、こんな所にいてはいけないのに、
私はそれでもココにいる。一人の天才の未来を奪った。そして、全国大会で
将来有望な人材を悉く破壊した。私は罪人だ。」
市井の纏っていた翳が、形を帯びてきた。
真希は空を見上げている市井と同じように、空を見上げる。
- 435 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月07日(土)00時58分11秒
- 市井の言っている事の意味はわかる。
市井はどうしても許されない事をした。
真希は思った―――だからなんだ。
「あんたがそんな事したのには、理由があるんでしょ?
私さ、あんたの事、嫌いになれないんだ。」
市井は相変わらず屈託無い明晰とした表情で空を見据えている。
その様子は、許しを乞う罪人ではない。
希望を抱いて生きる、人の理想の姿だと真希は思った。
- 436 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月07日(土)00時58分45秒
- 「・・・過剰な自惚れだ。自惚れて、自惚れて、
誰も認めようとしない。私が一番でなくちゃ、生きていけない。
そんな人間だったんだ。私は。だから、狂った。そして、狂った後、気付いた。」
「何に?」
真希は強い口調で問う。
すると市井は儚い視線を真希に向けた。
「お前、矢口真里って知ってるか?」
真希は市井の視線をしっかりと受けとめ、ゆっくり頷いた。
- 437 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月07日(土)01時00分25秒
- 「矢口は私の中学の不動のエースだった。矢口は常に私の前に聳え立つ大きな壁だったんだ。
その壁の影の中は酷く居心地が悪い。中学の三年間、私は矢口に一度も勝てなかった。
それまでの私は同級生には誰にも負けた事が無かったんだ。
だから、矢口を知った時の挫折も人一倍大きかった。」
「だから、どうしても勝ちたかったの?」
「どうだろうな?ただ、矢口がいる場所に立ってみたかった。
常に人の注目を浴び、常に陽の光を浴びている。どんな気分なのか、味わってみたかった。」
「・・・だから、狂ったの?」
「いや違うな。うん。違う。・・矢口真里という一人の人間に勝ちたかったんだ。
私の事なんて、蚊ほどにも思っていない、自分の世界の中に居続ける、
それでも誰からも憧憬される、そんな矢口真里という一人の人間に勝ってみたかったんだ。」
- 438 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月07日(土)01時01分39秒
- 市井は視線をゆっくり真希から外し、そのままコートに落とした。
地面からは部員達が運動する振動が伝わってきて、真希はその感覚を心持ち意識し、
視線を練習している部員達に向けた。
「で、勝ってみたらどうだったの?」
「・・・何にも無い。何も感じなかった。達成感も、優越感も無い。
何か変わると思ったけど、変わったのは周りだ。・・・圭織、見てみろよ。」
真希はサーブ練習をしている飯田に視線を向けた。
- 439 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月07日(土)01時02分30秒
- 「飯田さんがどうしたの?」
「圭織はな、私が矢口に勝った後、急に私に優しくなった。
圭織は私の事を怖がってるんだ。本当のところ、きっと私に辞めてほしいと思ってる。」
「そんなことないよ!!!」
真希は即座に叫び声に似た声を上げた。
しかし市井は動じることなく、淡々と続けた。
- 440 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月07日(土)01時03分31秒
- 「圭ちゃんはな、私が矢口に勝ってから、妙な距離を置くようになった。
それまでは気兼ねなく本心で話し合えた親友だった。でも、矢口に勝ってから
一線を置くようになった。」
「・・・・・。」
「それはココにいる部員全員だ。全員、私を怖がってる。ま、当然だ。
私のした事はそれに値するからな。なのに私はまだココにいる。
このままテニスを辞めたって、罪滅ぼしにはならない。
私は、公式戦で一度でも負けたら引退しようと思ってる。
負ければ、心置きなくこの世界から離れる事が出来る。」
「・・・それが来るべき時なんだ。」
「そうだな、うん。」
- 441 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月07日(土)01時04分25秒
- それから二人の会話がピタリと止まった。
ボールが行き交う音や、掛け声がその場に響き渡る。
二人はじっと前方を見つめたまま、言葉を失った。
暫くして、真希が加護と高橋を見ながらゆっくりと口を開いた。
「私さ、二人にはまだ言ってないんだけど、高校でテニスを辞めようと思ってるんだ。」
そう、前触れも無く言った真希に対して、市井は憤慨した。
「なんだよ?お前、この前、できればテニスでやっていきたいって言ってただろ?」
「それは、できればね。でも、できないよ。私の家さ、お父さんが三年前に死んで、
お母さんが一人で働いてんだ。それで、出来の悪い私。それに馬鹿な弟。
そんな二人を女手一つで養ってるんだ。だから、そんな博打みたいな事、できない。」
- 442 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月07日(土)01時05分10秒
- 真希は不思議に思った。
加護と高橋にも話せなかった事を、市井になら何故か、全て話せるような気がした。
市井は、根拠は無いが、何となく自分に似ていると思った。
だから、きっとこんな事を話せるんだと思った。
「・・・・お前は、私とは違うんだ。」
「お母さんさ、朝から晩まで働いてるけど、ホントは体、そんな丈夫じゃないんだよ。
お涙頂戴話なんて思ってないけど、やっぱり卒業したら、働こうと思うんだ。
ホントの所、高校に来れただけでもラッキーだと思ってる。なんてったって
中学ん時、偏差値三十も無かったからさ、ははは。・・・そん時に先生が来て、
学費も入学金もいらないとか、おいしい話が来た訳よ。」
- 443 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月07日(土)01時05分56秒
- 市井は俯いて、黙り込んだ。
真希はその時、どういう訳か、妙に気分が晴れていた。
「テニスをやってよかった思ってるよ。本当の自分を見つける事ができたしね。
それに、大切な友達も出来たし、あんたにも会えた。だから、取り敢えず
三年間はテニスに懸けようと思ってる。」
「馬鹿だな、お前。」
「なんでよ?」
「馬鹿だから。」
「はは、なんだよそれ?」
- 444 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月07日(土)01時06分44秒
- 市井は俯きながら歯を食いしばって泣いていた。
声を殺して、誰にも見つからないように。
こんな話で、相手に同情され、泣かれるなんて話はよくあるが、
市井はきっと自分に同情して泣いているのではなく、
何か他の理由があって泣いているのだと真希は思った。
「あんたがさ、罪滅ぼししたい気持ちはよくわかるよ。
でもさ、まだ高校生だよ?まだまだ青二才の高校生だよ?
やり直しはきくって。そんな深く考えんなよ。まだ青いんだ。」
「お前、この前、夢も希望も無いって、私に言ったよな?」
- 445 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月07日(土)01時09分34秒
- 市井の声は抑揚が不安定で、途切れ途切れになり、壊れた機械が出した
声みたいだった。そんな不安定な泣き声というのは、相手の気持ちを揺さぶる。
真希は心が凝縮されて、とても熱くなった。
「うん、言ったね。」
「あるよ。」
「へえ、何?」
「お前だよ。」
市井は強い視線を真希に向けてそう言った。
真希は市井の真っ赤に腫れた瞳を見つめた。
いつも寂寥感を煽る要素を含んでいた市井の灰色の瞳は、
涙の所為で真っ赤に腫れていた。
その瞳からは、希望が溢れていた。
- 446 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月07日(土)01時10分41秒
- 「お前は私が見つけた希望だ。お前にだったら、
私の夢を託す事が出来る。私の変わりに、テニスで世界を見据えてほしい。」
「あいぼんも私に同じ事言ったんだ。どうしてそんな私に期待するのかな?
私なんて人の成功を妬む、サイテーの人間だよ。」
「だがら、それは誰でも思うんだって。悔しい気持ちを抱いて、
人は成長していくんだ。お前はまだまだこれからなんだ。」
真希は頭をポリポリと掻くと、ゆっくり空を見上げた。
毎日テニス漬けの生活をしていたから、ゆっくり青空を
見る事も最近はなかなか無かった。改めて、空は青い。
- 447 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月07日(土)01時11分35秒
- 「なんか、色々話してたら、気分がスッキリした。
あんたもさ、深い事考えちゃダメだよ。まだ子供なんだから。」
真希がそう言うと、市井は鼻を人差し指で擦って、クスッと笑った。
「私には、テニスしかなかった。でも、テニスの才能は無かった。
夢を叶える人間なんて、数えるほどしかいない。でも人は否定しないんだ。
自分にはきっと才能がある、他の人間には無いモノを持っている、
努力していたら、きっと報われる。自分は特別だ。・・・・
そんな都合がいい事を考えながら毎日を過ごしている。私はその典型だった。
でも、今はそうは思わない。」
淡々と語る市井に、翳は無かった。
真希はこの青空に市井の翳が浄化され、飲み込まれたのだと思った。
- 448 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月07日(土)01時12分31秒
- 「へえ、じゃあどう思うの?」
「・・・さあ、何も思わない。」
「当たり。何も思う必要なんて無い。答えはあの、果てしない、青空の中にあるのだ。」
真希が童話の語り手のように、空を指差して気障ったらしくそう言うと、
市井はハハッと笑った。
「お前は、矢口にもなれるし、私にもなれる。もちろん、誰にだってなれる。
そして、それ以上になれる。お前はみんなを超える存在になれ。」
市井は空を見ながら、とても澄んだ声色でそう言った。
真希も市井も、それからずっと空を見上げ続けた。
二人で座りながら肩を並べ、屈託無い顔で空を見上げている様子は、
目的の無い旅を続けている旅人のように自由だった。
- 449 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月07日(土)01時13分52秒
- 「いやだね。超えるとかそんな事はどうでもいい。私は私だしね。」
「じゃあ、それでいい。・・・お前とはもう少し、昔から知り合いたかったな。」
「なんだよ?照るなあ。でも私は今、あんたに会えてよかったよ。」
「・・・お前、レギュラー獲るんだろ?チャンスはある。」
「ホントに!?」
「二週間後に、合宿がある。そこで練習の成果を出せばいい。
お前は私くらい、すぐに追い越せる。」
「合宿かぁ。厳しそうだなぁ。でもあいぼんと愛ちゃんと一緒に団体戦に
出るのが目標だから、頑張るしかないなぁ。あ、あんたも入れてあげるよ。
あんたとも一緒に出る。それが今日からの目標。」
「・・・そうだな、きっと出れるよ。」
「あんたこの前、絶対無理だとか言ってたじゃん。」
「はは、そうだっけな。」
「あんたは死神なんかじゃないね。」
- 450 名前:七話、妖精と死神 2 投稿日:2002年09月07日(土)01時14分45秒
- 「・・・・・。」
「そんな物騒なあだ名、私が変えてあげるよ。」
「へえ、なんだよ?」
「市井ちゃん。」
「はは、センスない。」
「・・うるせえ。」
「そろそろ練習するか?レギュラー獲るんだろ?」
「うーん、もうちょっと空見させて、癒される。」
「お前は不思議だな。」
「なんで?」
「なんとなく。」
「はは、わけわからん。」
「ははははは。」
真希は思った。
死神なんて、最初からいなかったのだと。
何故なら、死神がこんなに綺麗に笑える筈が無い。
空に希望を見つける事なんて無い。
そして、自分の心をこんなに優しく出来るわけが無い。
――――――――――――――
- 451 名前:カネダ 投稿日:2002年09月07日(土)01時19分22秒
- 更新しますた。
七話、妖精と死神2 完
ボーっとしていたら最後まで更新していました。
ストックを使い果たしてしまったのでまた次の更新が遅れると思います。
こんな不束者ですが、これからもよろしくお願いします。
あ、忘れていました。400名無し読者様。400GETおめでとうございます。
- 452 名前:名無し読者 投稿日:2002年09月07日(土)10時21分28秒
- ちょっと泣いちゃったよ…ちゃむ……
いちごまが好きなので、どうも応援と感情移入が私立K学園に向いちゃってます。
- 453 名前:むぁまぁ 投稿日:2002年09月07日(土)11時14分32秒
- 感動しました
もうそれ以外に言葉がみつかりません
>作者殿
試合に臨むまでに両チームがどんな風に変わっていくのか
いや強くなっていくのか
そういうプロセスもかなり楽しみにしてますんで
- 454 名前:読んでる人@ヤグヲタ 投稿日:2002年09月07日(土)11時16分37秒
- 市井も矢口も、いつの日か心の底からテニスを楽しめるようになって欲しい・・・。
- 455 名前:名無し娘。 投稿日:2002年09月07日(土)14時42分33秒
- 不器用なふたりの不器用な会話。
自分に限界作るなんてまだ早ぇよ市井!テニスで稼げよ後藤!
と言ってやりたくなった。
- 456 名前:名無し読者 投稿日:2002年09月07日(土)17時40分42秒
- 市井さんは後藤さんによって少しは救われたのかな
そうだったらいいな・・・
- 457 名前:カネダ 投稿日:2002年09月11日(水)22時33分38秒
- こんな小説にレス、有難うございます。
大変励みになります。
>>452名無し読者様。
泣いてくれたのですか?なんかとっても意外な感想にびっくりしています。
K学園に応援してくれるのも意外で嬉しいですね。
今の所、K学園で目立ってるのは三、四人なので。そういえば、いちごまになってました。
>>453むぁまぁ様。
感動してくれたのですか?なんか恐縮です。自分では全くわからないので。
成長のプロセスの方は四苦八苦して考えているのですが、上手く描けるか
正直不安です。でも全力で書き上げたいと思います。
>>454読んでる人@ヤグヲタ様。
そうですね。それが一番なんですが、不甲斐無い自分は、まだ全然終わりを
考えておりません。予定では、八月中には終わる筈だったのに・・・。
ほんと不甲斐無いです。それでも読んでくれたら嬉しいです。
>>455名無し娘。様。
市井はもう限界作っちゃってますね。ほんとそう言ってやりたいです。
後藤も真剣にテニスで食っていきたいと思ってほしいですね。
作者だろ?お前。というツッコミは勘弁してください。
>>456名無し読者様。
市井、どうでしょうか?でも、以前よりは確実に良い方に向かってると思います。
これから先の展開で、またいろいろ動きがあると思うので、
市井を見捨てないでやってください。
- 458 名前:カネダ 投稿日:2002年09月11日(水)22時46分24秒
- 本当に申し訳ないのですが、このスレの一レスに書いた事は嘘になってしまいました。
このボケ作者は逝け!と思われても仕方が無いです。
そこで、新スレを立てたいと思います。ホント、計画性が無い、アホ作者です。
一応、ショートカット。
>>1-125 五話、シドウ。
>>133-150 五、五話、極彩色の記憶。
>>155-292 六話、心雨、後姿。
>>299-450 七話、妖精と死神2
今までレスをつけてくれた人、読んでくれた人、本当に有難うございます。
- 459 名前:カネダ 投稿日:2002年09月11日(水)23時01分38秒
- 恐縮ながら、また『空』に立てました。理由は計画性が無いアホなので、
長編用の方がいいと思ったからであります。
長々と続いていますが、このスレで終わらせる予定です。
こんなアホですが、これからも読んで頂けたら幸いです。
新スレ http://m-seek.net/cgi-bin/read.cgi/sky/1031752598/
Converted by dat2html.pl 1.0