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旭日忍法帖

1 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月03日(土)17時59分07秒
こんにちわ。白板の方で、「ラベンダー畑を渡る風」という作品を書かせてもらいました。
今回は、題名を見て分かると思いますが、山風忍法帖シリーズのパクリです。山田先生、ごめんなさい。
こんなときに、こんな能天気な作品を書くのは、どうしようかと思いましたが、少しでもヲタの皆さん
の気晴らしになってくれたら、幸いです。更新は、一週間おきぐらいになると思います。
それでは、宜しくお願いします。
2 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月03日(土)18時00分20秒
月も星もない、真っ暗な秋の夜だった。虫の声が響く、うっそうと木の生い茂った
森の中を、小さな影が走りぬけていた。普通の人間ならば一寸先も見えないような
闇の中を、木の枝にぶつかりもせず、風のように駆けてゆく。影が通り過ぎていっ
ても、虫の声が全く途切れないのが、不思議だった。
伊賀国、破狼谷の東のはずれ。あと半里も行けば、谷を抜けるという森の中だった。
不意に、影の足元めがけて光芒が走った。影は飛びあがって、五間近く先の地面に
ふわりと降り立った。影が飛んだあとには、三本の手裏剣が刺さっていた。
3 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月03日(土)18時01分09秒
影は、きっと上に顔を向けた。身長五尺にも満たない、ほっそりとした娘だった。
「どこへ行く、矢口の真里。」
木の上から、低い声が降ってきた。
真里と呼ばれた娘は、眉をひそめた。
「その声は、裕ちゃんだね。こんなところで、何をしていたの?」
別な方向から、ひそかな笑い声が聞えた。相手を小馬鹿にしたような、悪意のこも
った、笑い声だった。
「谷を抜けようとしている輩が、いると聞いてな。まさかと思って、東の口を見張
っていたら、お前がやってきたという訳や。」
4 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月03日(土)18時01分55秒
「他にも、誰かいるね?」
「ああ、若いのを連れてきた。」
「あんまり、いい性格の子じゃないみたい。」
「お前ほどじゃないわ。」
娘にはあまり緊張の色はなく、樹上の相手も、むしろのんびりとした口調だったが、
辺りには恐ろしい殺気が漂っていた。降るように鳴いていた虫の声もぴたりと止ま
って、森の中は静寂に包まれた。
「真里、谷を抜ける気か?」
「そうだと言ったら?」
「いかに旭日組の真里といっても、生きては行かさんぞ。」
5 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月03日(土)18時02分57秒
「裕ちゃんは、現場を離れて長い。おいらとやりあって、勝てると思ってるんじゃ
ないだろうね。」
「それは、どうかな?」
再び笑い声が降ってきた。声は今度は二つで、離れた場所から聞えてきた。
「真里さん、わたし達のことも、お忘れなく。」
「お裕さんにばかり気を取られていると、不覚を取りますよ。」
真里の口元が歪んだ。
「あんた達は、お亜弥とお美貴か。随分、生意気な口を聞くようになったじゃない。
相当、裕ちゃんに鍛えられたとみえるね。」
6 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月03日(土)18時03分45秒
「当たりです。」
「それじゃあ、腕を見てもらいます。」
声のした方向の闇の中から、黒い雲のような塊が飛んできた。一瞬真里は身構えた
が、二つの黒い塊は、彼女の身体から離れた場所に落ちたので、ふっと気を緩めた。
(大口叩いて、何をやってんだか。)
真里がそう思ったとき、二つの塊は、まるで引き合うように真里の身体に向かって、
滑ってきた。しまった、と飛ぼうとしたときには既に遅く、二つの塊は真里の身体
を絡めとった。
それは、黒い網だった。網は真里の身体に巻きつき、一瞬で手も足も動かせなくな
ってしまった。
7 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月03日(土)18時04分42秒
「やったぁ、美貴ッち。」
「亜弥っぺ、最高。」
二人の若い娘が、暗い空から姿を現して、地上にふわりと降り立った。二人とも黒装
束だが、腕と脚は剥き出しで、一人の方は白い腹も出しており、可愛いへそがのぞい
ている。
「真里さん、わたし達の忍法ひかれ網は、どうですか?」
腹を出している娘――お亜弥が言った。
「その網は、わたし達の髪で作ってあります。わたし達と同じで、とっても仲良しな
んですよ。」
もう一人の、手足がすらりと長い娘――お美貴が言った。
8 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月03日(土)18時05分26秒
二人の後ろの闇の中から、色の白い、丸顔の女が姿を現した。女は、網に捕らえら
れてもがいている真里を、暗い眼で見ながら言った。
「でかした、お亜弥、お美貴。旭日組の真里を、良く捕った。」
女は元旭日組の組頭、お裕だった。既に姥桜といってもおかしくない年齢だったが、
皺一つないつるりとした顔は、まだ二十歳前の真里といくつも離れていないように
見えた。
特異な忍法を操る伊賀破狼谷の忍者の中でも、腕利きの者を集めた集団が旭日組と
呼ばれ、矢口の真里はその一員だった。お裕もかっては真里の仲間で、旭日組にい
た頃は、冷酷、峻烈な手腕で組を仕切り、恐れられていたが、一年前に組を抜けて、
破狼谷の若い忍者の教育係のような役目に付いていた。
9 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月03日(土)18時06分17秒
「真里、どうして破狼谷を抜ける?」
真里は、もがくのをやめて、ぐったりとお裕のほうに顔を向けた。網に何か塗って
あったと見えて、段々身体の力が抜けてゆくのを感じていた。
「裕ちゃん、おいら、旭日組にいるのに疲れちゃったんだよ。」
「それは、お前達は破狼谷の精鋭なんだから、いちばん働かされるのは当たり前や。」
「働かされても、それに意味があればいいんだ。でも、どんな大名でも、どにかく金
を積んでくれれば何でもやるというのは、もういやだ。どうせ働くのなら、大志のあ
る人の下で、夢を持って働きたい。」
10 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月03日(土)18時07分03秒
「何を、甘っちょろいことを言ってるんや。金を積まれてなびくのは、当然やないか。
それに、旭日組がいやだったら、組を抜けて、破狼谷で働けばいい。」
「裕ちゃんみたいにかい?かっては、旭日組の鬼がしらと呼ばれたのに、すっかり
牙を抜かれちまって――。」
「真里さん、なんか格好悪いですよ。」
お亜弥が、くすくす笑いながら言った。
「そんな格好で何を言っても、負け犬の遠吠えにしか聞えませんよ。」
「うるさい、未熟もん!裕ちゃんがいなけりゃ、お前らの技になんか、ひっかかる
もんか!」
11 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月03日(土)18時07分37秒
「そんなこと言って、もう身体が動かなくなったでしょ。」
「そうそう、これから、たっぷり可愛がってあげますよ。」
「お前達の技って、考えてみると、二人一緒じゃないと使えないんだ。半人前同士、
これからも仲よくやっていきな。」
真里は、にやにや笑って言った。
お亜弥とお美貴は、顔を見合わせた。
「なんか、凄くむかついた。」
「とどめ、刺しちゃおうか。」
二人は、腰に挿してあった短刀を抜くと、倒れている真里に飛びかかっていった。
12 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月03日(土)18時08分20秒
「あっ、待て!」
お裕が声を張り上げたときには、既に遅く――。二人の女忍者の身体が、凄まじい
閃光に包まれた。お裕は一瞬早く目をつぶって、顔の前を腕で覆ったが、身体の正
面に、むぅっと熱気が吹きつけてくるのを感じた。
しばらくして目を開けると、お亜弥とお美貴のいたあたりの地面に丸い焼け焦げの
跡ができており、二人の姿は跡形もなく消滅していた。空気中には、肉の焼けた匂
いが漂っている。
「忍法――魅光弾。」
13 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月03日(土)18時08分54秒
真里がつぶやくように言った。先ほどまで、だらりと身体の横に手をたらしていた
が、今は右手の親指と人差し指で丸い印を作り、左胸にあてていた。
この女忍者は、蛍やアンコウのように、自分の身体に発光器官を備えているようだ
った。ただ、それらの生き物の光が熱を持たないのに対し、彼女の発光する光は、
一瞬にして人間を消滅させてしまうだけの高熱を帯びていた。親指と人差し指の印
から放たれた光球は、正確にお亜弥とお美貴の身体を捉え、彼女達は、何が起きた
か分からないうちに、骨までも塵と化してしまった。
14 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月03日(土)18時09分36秒
「馬鹿な奴らや。忍者にとって、油断したときが死ぬときだと、口を酸っぱくして
言って聞かせたのに、遂に分からんかったな。それにしても、忍法魅光弾、恐ろし
いわ。わたしがいた頃よりも、はるかに腕をあげたな。」
「はは、裕ちゃんが誉めてくれるなんて、始めてだね。でも、もう駄目だ。印も結
べないよ.」
真里はぐったりとした様子で、頭を地面につけた。
お裕は、鋭い目で真里を見ながら、しとしとと近づいていって、真里の身体の横に
膝をついた。
15 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月03日(土)18時10分26秒
「本当に動けんようやな。」
「うん、裕ちゃんには嘘はつかないよ。やるなら、早くやりな。」
真里は、覚悟を決めたように目を閉じた。お裕はじっと真里の顔を見つめながら、
彼女の身体に絡みついている網に手を触れると――、どんなにもがいてもとれなか
った網がはらりととれてしまった。
真里は、ぼんやりと目を開いた。
「裕ちゃん、どうしたの?」
「真里、わたしには、お前は殺せんわ。逃がしたる。その代わり、絶対に生き抜いて
、自分の夢を実現せえよ。」
16 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月03日(土)18時11分32秒
「裕ちゃん――。」
「いま、毒も抜いてやるからな。」
お裕は巾着を出して、毒消しを真里に飲ませようとした。そのとき、後ろの闇の中
から、声が響いた。
「裕ちゃん、あんたも裏切るつもり?」
お裕は、膝をついた姿勢のままで身体を後ろに捻ると、必殺の手裏剣を声に向けて
投げつけた。
「裕ちゃん!」
真里が叫んだ。
17 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月03日(土)18時12分37秒
お裕は、ゆっくりと真里のほうに身体を戻した。胸と喉に手裏剣が刺さっていた。
「はは、今のが当たらんようじゃ、元旭日組のお裕姐さんも、焼きが回ったわ。」
「裕ちゃん!」
「真里、助けられなくて堪忍な。地獄で待っとるわ。」
お裕は、真里の身体の上にゆっくりと倒れこんだ。
「裕ちゃん、なんでこんなとこで死んじゃうのさ。」
真里の目から溢れた涙が頬をつたって、地面を濡らした。
闇の中から、お裕を殺した女忍者が、ゆっくりと姿を現した。
18 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月04日(日)00時46分40秒
数刻後、破狼谷の郷士屋敷に旭日組の忍者たちが集められた。旭日組は総勢十三人
であったが、その夜集まったのは八人の娘だけだった。
屋敷の奥の中庭に面した座敷で、八人の旭日組女忍者を前にして、谷の忍者の元締
めである、車藍九衛門が腕を組んで端座していた。九衛門は破狼谷の郷士の中でも、
比較的新しい家系の出自であったが、頭が切れて、新しい術を編み出す才に恵まれ
たところが他の郷士に一目置かれるところとなり、今では谷の忍び頭と衆目の認め
るところまで上り詰めた男だった。
九衛門は、集まった旭日組を見渡して、うなずいた。四十がらみの総髪の男で、頬
骨の張った茫洋とした顔つきだが、細い目が尋常でない精気をたたえて光っていた。
19 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月04日(日)00時48分12秒
「これで、全員のようじゃ。旭日組は、十三人のはず、といぶかしんでおる者もお
ろうが、あとの五人がどうなったのか、これから話して聞かせる。」
座敷の中に灯りはなく、九衛門と八人の娘たちの姿が、かろうじて輪郭が分かるぐ
らいの闇に包まれていた。
「五人は、破狼谷を抜けようとした。一人は捕まえたが、四人は取り逃がした。圭
織、わしの後ろの襖をあけろ。」
圭織と呼ばれた、背の高い、気品のある美貌の娘がすっと立ち上がって、九衛門の
後ろに回り、襖をあけた。奥の座敷も真っ暗だったが、闇の中に白い塊が転がされ
ているのが見て取れた。それは、素裸に剥かれた若い娘で、手足の関節と顎を外さ
れて、ぴくりとも身体を動かせない状態でいることが分かった。下半身が血にまみ
れており、既に虫の息になっていた。
何人かの娘が、息を呑んだ。
20 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月04日(日)00時49分35秒
「見ての通り、矢口の真里じゃ。こやつも谷を抜けようとして、お裕、お亜弥、お美貴
に見つかった。三人とも真里の手にかかったが、何とかお真希が捕まえて、屋敷に連れ
てきた。」
「お裕さんは、死んだのですか。」
娘の一人が、ぽつりとつぶやいた。
「うむ。流石は元旭日組組頭と言えるような、壮絶な死に様であったそうな。」
九衛門は言葉を切って、お真希という女忍者の方をちらりと見た。お真希は、無表情
に九衛門を見返した。
「それから、圭織が忍法通気交にかけて、きゃつらの企てを聞き出した。きゃつらめ、
どうやら、甲賀馬忍谷の連中にそそのかされて、谷抜けを図ったらしいわ。」
「そうすると、甲賀へ向かったのですか?」
「いいや。尾張の織田信長のところじゃ。」
「織田――。」
21 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月04日(日)00時51分00秒
九衛門は、その声の中に感嘆の響きがあるのに気付いて、鋭い視線を向けたが、声を
発した娘は、誰だか分からなかった。
「織田の元には、侍だけではなく、各地の忍者が腕を売り込みに行っておる。聞くと
ころによると、織田配下の木下藤吉郎という男が、忍びを使うことに長けているそう
な。どうやら、風魔の邪忍衆も来ていて、馬忍谷のくノ一どもが、みな腰を抜かされ
ているらしいわ。」
九衛門は、苦々しげに言った。
「大方、谷抜けに加わった五人も、邪忍衆に抱いてもらえると吹きこまれて、ついふ
らふらと出て行ったのだろうが、掟は掟じゃ。谷を裏切った者は、生かしておけぬ。」
娘たちは、九衛門の言葉に鞭打たれたようにうなだれて聞いていた。
「谷を抜けたのは、真里の他に麻琴、お里沙、ひとみ、お亜依の四人じゃ。」
22 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月04日(日)00時52分07秒
最後の名前を聞いて、一人の娘の肩がぴくりと震えたのを、九衛門は見逃さなかった。
「そうじゃ、おのの。お亜依はうぬを見捨てて、邪忍衆に走ったぞ。さぞや、憎かろう。」
おののと呼ばれた、小柄でまだ幼い顔立ちの娘が、「あいぼん――。」とつぶやいた。
「他のみんなも、四人を追って、必ず討ち果たして参れ。もう仲間とは思うでないぞ。
きゃつらも、必死で歯向かってくるはずじゃ。心してかかれ。」
23 名前:名無しさん 投稿日:2002年08月04日(日)06時32分30秒
時代劇ですか?
24 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月04日(日)12時29分04秒
早速読んでいただき、ありがとうございます。
一応時代劇ですが、時代考証はめちゃめちゃなので、あまり身構えないで下さい。
昨日は邪魔が入って、中途半端なところで終わってしまったので、とりあえず区切りの
良いところまで更新します。
25 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月04日(日)12時30分11秒
「真里は、どうしたのですか?」
おなつという女忍者が、掠れた声で言った。旭日組で、真里と一番仲の良かった娘
だった。
「圭織の通気交が終わった後で、破狼谷の男がなぐさみものにしたわ。あれだけの
男に貫かれては、旭日組の色女隊長と呼ばれていた矢口の真里も、もう使いものに
はなるまいて。」
九衛門は、ちらと後ろを見て言った。
「それにしても、そろそろとどめを刺してやろうか。
お圭。」
猫のように吊り上った大きな目が印象的な娘が、びくっと顔を上げた。
26 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月04日(日)12時30分54秒
「お前は、真里と同じ時に旭日組に入ってきたな。同期のよしみだ。真里を楽にし
てやれ。」
お圭は現在の旭日組の中で最年長であり、しっかりした気性の娘だったが、それが
水を浴びたような顔色になって、ふらりと立ち上がった。他の娘たちは、お圭が真
里のところへ向かうのを、悪夢の中にいるような気持ちで見送っていた。
お圭は、真里の横に立った。真里は、死相の表れた顔でお圭を見上げた。
「九衛門様――。」
お圭が、震えを帯びた声で言った。
27 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月04日(日)12時31分57秒
「なんじゃ?」
「お願いがございます。せめて死ぬ前に、真里の顎だけでも、元に戻させていただ
きとうございます。」
九衛門は、にべもなくはねつけようとしたが、前に座っている娘たちも、必死の目
の色で懇願しているのを見て、考えを変えた。
「仕方がない。顎を戻して、最後の一言を聞いてやれ。」
ほっとした空気が、座敷に流れた。お圭は膝を突いて、真里の顎に手をかけた。長
く伸びていた真里の顔が元に戻り、小動物のように愛らしかった面影が、少しだけ
蘇った。
「ありがとう、圭ちゃん。」
真里は、掠れた声で言った。
28 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月04日(日)12時32分44秒
「真里――。」
「圭ちゃん…。みんな…。とっても楽しかったよ。」
九衛門が、早くやれと口を開こうとしたとき、娘の一人が、ぱっと立ち上がった。
「お圭さん、危ない!」
真里の身体から、目も眩むような光が発せられた。それと同時に、立ち上がった娘
の口から、白い塊が吹き出されて、真里の放った光にぶつかっていった。お圭は転
がるように、座敷の外に飛び出していた。
白い塊が光に触れた瞬間、凄まじい量の水蒸気が立ち昇って、座敷の中は、白い霧
に包まれてしまった。九衛門と八人の娘たちは、慌てて中庭に飛び出した。
「忍法――魅光弾。」
おなつが、茫然とした顔で言った。
29 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月04日(日)12時33分43秒
真里の忍法魅光弾。普段彼女がこの忍法を使う時は、右手で印を結んで光熱の量を
コントロールしていたが、今は全エネルギーを一気に体外へ放出したのだった。真
里が今際の際に見せた、捨て身の技だった。
「恐ろしい奴だ。わしとお前たちがそろうのを、待っておった。」
流石に顔面蒼白になって、九衛門が言った。
「お梨華、お前のお蔭で命拾いしたわ。」
色の黒い美少女が、涙を流しながらうなずいた。この、どこか儚げな娘が吐き出す
冷気は、あらゆるものを凍らせる威力を持っていた。名付けて忍法――黒吹雪。真
里の魅光弾とは対極にある技だった。
30 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月04日(日)12時34分52秒
水蒸気がようやく薄くなり、八人の娘は座敷に戻って、真里の姿を探した。
奥座敷の真里が寝かされていた畳の上には、人型の焼け焦げた跡がついており、真
里の身体は消滅していた。九衛門と八人の元の仲間を道連れにしようと、捨て身で
放った魅光弾は、真里自身の身体を塵と変えてしまったようだった。
「見ろ、真里もお前たちを倒そうとしたのだぞ。お前たちも、残りの四人を必ず葬
ってまいれ。」
悄然と立ち尽くす八人の娘の耳に、九衛門の声が遠く響いた。
31 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月10日(土)11時33分44秒
伊賀の北、甲賀の里にある小川城は多羅尾氏の本拠地だったが、その回りは、山里
なりにのどかで落ち着いた風情のある城下町だった。
その小川城下の街角に、ここ数日、一人の辻芸人が立っていた。
その芸人が人目を引いたのは、彼女がまだ十三、四才ぐらいの、長い黒髪を二つし
ばりにした、小柄な娘だったためだった。白い布を張った台を身体の前において、
その台の上に歌留多のような札を並べて客を寄せていた。
「さあさ、御用とお急ぎのない方は、しばし足を止めてごろうじろ。」
良く晴れた秋の日差しの下、娘は細い声を張り上げて、辻を往く人々に呼びかけて
いた。
「とっても簡単な勝負だよ。わたしが動かす札が、どこにあるかを当てるだけで、
お足が手に入る寸法だ。さあ、ちょっとやってみないか。そこのお兄さん、今日の
運試しに、一つやってみないかい?」
32 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月10日(土)11時34分35秒
娘に呼びかけられた、遊び人風の若い二人連れが足を止めた。
「なんだ、色っぽい声音で呼びかけるから、ちょっと見てみりゃ、まだ餓鬼じゃね
えか。」
「おめぇ、おっかさんはどうしたんだ?こんなとこで遊んでねぇで、家へ帰って、
ままごとでもしてな。」
娘はこうした反応にも慣れているらしく、にこにこ笑いながら言った。
「お兄さん、少し子供のお相手もしてくださいな。お兄さんたちが勝ったら、ちゃ
んとお金は払いますよ。」
二人連れは、娘の笑顔につられたように、台のところに近づいていった。
「一体、おめぇは何ができるんだい?」
「丁半でもやろうってぇのか?」
33 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月10日(土)11時35分22秒
娘は、並べてある札から三枚を抜き取って、男たちにかざして見せた。
「これは今、堺の町でも大人気な交易札という代物だ。さあ、きれいなお姐さんが
描いてあるから、良く見ておくれ。」
娘がかざした札の二枚には、やや鼻が大きいが整った顔立ちの娘が描かれていた。
もう一枚は、丸顔で思わず引きこまれてしまうような笑顔を浮かべた娘だった。両
方ともきれいに彩色してあり、単なる美人画というよりも、現代の写真に近いよう
な、リアルなタッチだった。
「この三枚を伏せたまま動かすから、一枚違う柄の札がどこにあるかを当てるだけ
のお遊びさ。ここだ、と思った札にお兄さんたちがお金を賭ける。お兄さんたちが
当たったら、賭けたお金は返して、お兄さんたちがはった額と同じだけ、わたしが
払う。当たらなかったときは、賭けたお金はわたしが頂くっていうことさ。さあ、
どうしなさる?この小娘と勝負してみるかね?」
34 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月10日(土)11時36分11秒
「おう、面白そうじゃねぇか。」
「やってもいいが、お前は金を持ってるんだろうな?」
娘は巾着を取り出すと、中身を台の上にあけた。小銭ばかりだったが、確かに一両
以上はありそうだった。男たちの目が、ぎらりと光った。
「よし、のった。早くやってくれ。」
娘はうなずくと、三枚の札を伏せて台の上に置いた。
「さあ、当ててほしい札はここにある。」
彼女は、笑顔の可愛い娘の札をめくった。それから、その札を裏返すと、両手を使
って素早く三枚の札を動かし始めた。
二人の男は、笑顔の娘の札から目を離さないようにして、手の動きを追っていた。
確かに娘の動きは素人離れしており、油断していると札を追えなくなってしまうと
ころだったが、金のかかった勝負に男たちが気をそらすはずもなかった。
35 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月10日(土)11時36分48秒
しばらくして手を止めると、娘は顔を上げた。
「さあ、これだという札のところに、はっておくれ。」
「いくらでもいいのかい?」
娘はうなずいた。
「兄さんたちの、お好きなだけどうぞ。」
「大層な口ぶりだが、おめぇが払えなかったら、どうしてくれるんだ?」
「わたしを、どうしてくれても。」
男たちは、顔を見合わせた。確かにまだ幼さが残る顔立ちだったが、胸や腰のあた
りは、細いながらもふっくらと女らしさを漂わせており、中性的な魅力があった。
「そいつは、いいや。まさか、まだ未通女じゃねぇだろうな。」
娘は、少し首を傾げて、にこにこ笑っていた。
36 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月10日(土)11時37分26秒
「まあ、未通女なら、それはそれでお楽しみってもんだ。俺たちが、たっぷりと可
愛がってやらぁな。」
「その前に、ちゃんと当てておくれ。」
「おうよ、ここに間違いねぇ。」
男たちは、巾着から金を出して、向かって一番右の札に置いた。
「ほれっ、二人合わせて一分だ。」
「そこで、いいんですね?」
娘は、金を張られた札に人さし指を軽く載せて、すっと上に上げた。札は指に吸い
ついたようにふわりと持ちあがり、表に返った。
それは、整った顔立ちの娘の絵札だった。
「あらぁ、残念でした。」
男たちの顔が、さっと凶相を帯びた。
37 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月10日(土)11時38分08秒
「ちょっと待て。なんか、おかしいぞ。」
「そうだ、俺たちは、あの札から目を離さないで見てたんだからな。」
娘は、左の端から順番に札をあけていった。笑顔の娘札は、真ん中にあった。
「お兄さんたち、ちょっと目を離しちゃったんでしょ。それじゃ、このお金は、い
ただきますよ。」
「おう、ふざけんじゃねぇぞ。くだらねぇ、いかさま使いやがって。小娘だと思っ
て、手加減しねぇと思ったら、大間違いだぞ。」
「おお、怖い。小娘相手に、どうなさるおつもりで?」
この頃には、足を止めて、この騒動を遠巻きに見物している通行人も増えてきてい
た。見物人の中に、菅笠を被って顔を隠した、小柄な身体つきの女が、杖を突いて
立っていた。
38 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月10日(土)11時38分54秒
「里沙ちゃん、何をやってるべ。」
菅笠の下から、少し訛りの混じった言葉が漏れた。
女の口が小さくすぼまり、細い小さな針が吹き出され、五間以上離れている男たち
の首筋に、正確に向かっていった。
男たちは、全く怯えの色を見せない娘に、ますますいきり立って、掴みかからんば
かりになっていた。それが、段々と苦しげな表情になってきて、腹を押さえてもじ
もじしだした。遂に我慢ができなくなったのか、一人がうめくように言った。
「おい、おらぁ、腹が痛くなってきた。もう、我慢ができねぇ。」
男はそう言うと、少し内股になって、見物人をかき分けて走っていった。もう一人
の方も、「待ってくれ!」と悲鳴のような声をあげて跡を追いかけていった。男の
着物の尻の辺りに、茶色い染みが広がっていた。
39 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月10日(土)11時39分40秒
見物人たちは、どっと笑い声を上げると、三々五々散っていった。辻芸人の娘は、
にこにこ笑いながら、札に張られた金を巾着に入れた。
台の上に、影が落ちた。娘が顔を上げると、菅笠の女が立っていた。
「おなつさん、ですね?」
「里沙ちゃん、気づいていたべ?」
女は、菅笠を取った。旭日組のおなつ――札の絵そのままの、誰もが引きこまれる
ような笑顔を浮かべていた。
「相変わらず、見事な札あやつりの腕だ。なっちが助けなくても、あんな連中、ど
うにでもできたべ。」
「いいえ。おなつさんに助けられました。ありがとうございます。」
おなつは少し目を細めて、辻芸人の娘――破狼谷を抜けた元旭日組のお里沙の顔を
見つめたが、そこには全く揶揄の色はなく、真剣に感謝している様子しか読み取れ
なかった。
40 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月10日(土)11時40分38秒
「里沙ちゃん、ここじゃ人目につく。他に行こう。」
お里沙は素直にうなずくと、台はそのままにして、札を集めて、おなつと一緒に歩
き出した。
二人は、上からすすきの穂が上からのぞいている、ところどころ崩れの見える塀に
沿って、ゆっくりと歩いていった。塀の向こうは、人の住んでいる気配のない荒れ
寺だった。道端の草叢からは、かすかに虫の声が聞えていた。
おなつは、笑顔を浮かべて話しかけた。
「里沙ちゃん、どうして逃げない?」
「おなつさんから、逃げられっこありません。」
「どうして、破狼谷を抜けようなんて思ったんだい?」
お里沙は、しばらくうつむいて黙って歩いていたが、やがて小さな声で話し出した。
「わたし、おなつさんに、ずっとあこがれてたんです。おなつさんのいる旭日組に
入れてからも、おなつさん目指して、ずっと頑張ってきました。」
41 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月10日(土)11時41分29秒
お里沙は、一年前にお愛、麻琴、あさ美と一緒に旭日組に入って来た。彼女が自分
を眩しい目で見つめていて、自分が声をかけると、どんなにつらい修業のときでも、
ぱっと顔を輝かせることは気づいていた。おなつも次第に、お里沙のことを妹のよ
うに可愛く思えてきた矢先の谷抜けだった。
「でも、なんだか、このまま旭日組にいても、いつまでも一番下にいて、おなつさ
んに近づくことすらできないんじゃないかな、と思うようになりました。そんなと
きに、馬忍谷の人から話しを聞いて――。」
「環境を変えてみたら、もっと大きくなれるんじゃないかと思ったんだ。」
お里沙は、おなつの吐き捨てるような口調に、びっくりしたように顔を上げた。
「馬鹿だよ、里沙ちゃん。入ってすぐは、誰でもそんな風に思うんだよ。でも、ま
ずはその中で頑張らなきゃだめなんだ。」
42 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月10日(土)11時42分21秒
おなつの笑顔は消えていた。彼女は、自分の少し先の地面を睨みながら、言った。
「里沙ちゃんは、お彩や沙耶香のことを知らなかったから、谷を抜けようなんて考
えるんだ。」
「お彩さんや沙耶香さん――。随分前に、旭日組を抜けた人たちでしょう?」
「そう、そして二人とも、死んだ。お彩は裕ちゃんが、沙耶香はお真希が殺した。」
お里沙は、目を見張った。
「お真希は、沙耶香の妹分だった。泣きながら沙耶香を殺して、それからお真希は
変わった。」
おなつは足を止めて、お里沙に顔を向けた。お里沙は、こんなに悲しみに溢れたお
なつの顔を見るのは、始めてだった。
「谷を裏切った者は、谷で一番仲の良かった者に葬られるのが掟。本当は里沙ちゃ
んを殺るのは、お愛か、あさ美かもしれない。でも、わたしが見つけてしまったか
らには、わたしが殺る。」
43 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月10日(土)11時43分22秒
おなつから、さっと吹きつけてくる殺気に反応して、お里沙の身体がぽーんと飛び
離れた。
「わたしだって、そう簡単には殺られません。まだまだ、やりたいことが沢山あり
ます。」
「いいよ。全力でかかってきな。」
お里沙は、懐から先ほど使っていた美人札を取り出すと、おなつに投げつけた。お
なつは、持っていた杖で札を叩き落としたが、そのすぐ後ろから更に何枚かの札が
飛んできて、かわす間もなく、おなつの両目と口に貼りついた。
「忍法――札あらし。」
お里沙はそう叫ぶと、おなつの絵が描いてある札を、彼女の喉元めがけて投げつけ
た。その札には四隅に刃が仕込んであり、おなつの喉を一文字に切り裂くはずだっ
た。
44 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月10日(土)11時44分19秒
「惜しいべ、里沙ちゃん。あと一年、旭日組で頑張っていれば、凄腕の忍びになれ
たものを。」
札に口を塞がれて、くぐもった声でおなつが言った。
最後の札は、おなつの喉にかすかに触れた空中で停止していた。
おなつの顔に貼りついていた札がはがれて、お里沙の顔めがけて飛んでいった。あ
っと思ったときには、自分の札に目と口を塞がれて、次の瞬間、喉元に熱い痛みが
走っていた。四隅に刃を仕込んだ札に喉を破られて、お里沙は仰向けに倒れた。
「忍法――忍びの谺。」
45 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月10日(土)11時45分06秒
おなつの忍法は、相手の仕掛けてくる技を受け止めて無力化し、それをそのまま相
手に返す、まさに谺のようなものだった。彼女に勝てる相手はいるのか。まさに、
旭日組最強の忍者と呼ばれる所以だった。
お里沙は、薄れゆく意識の中で、おなつが近づいてくる足音を聞いていた。
(ああ、やっぱりおなつさんには、通用しなかった。でも、最期に戦えたのがおな
つさんで良かった――)
おなつは、お里沙の顔から、札を取り除いた。少女忍者は、満足げな死微笑を浮か
べて、息絶えていた。
46 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月13日(火)13時27分10秒
更新します。
47 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月13日(火)13時27分48秒
近江と美濃の国境に近いところに、鹿野温泉という湯治場があった。山に囲まれた
谷あいに、ひなびた宿屋が四、五軒あるだけだったが、湯質が良く、内臓疾患に効
能が高いと評判で、堺の方からも長期逗留して湯治をしてゆく客が多かった。
この鹿野温泉の石井屋という宿に、数日前から親娘連れが逗留していた。母親の方
は、尾張の絹問屋藤原屋のお内儀で、お紀という名だった。三十をいくつか出たば
かりで、すらりと背が高い、艶やかな顔立ちの人妻だった。娘は美加といい、もう
何年か前から、紅葉の時期に、身体の弱い美加をお紀が連れて来ては、何日か逗留
してゆくのがならいになっていた。
48 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月13日(火)13時28分18秒
ところが、今年石井屋の主人たちが不思議に思ったのは、お紀が連れている美加の
姿形が、昨年までと明かに違っていることだった。皆が記憶している美加は、痩せ
ているが母親に似て背が高く、寂しげな顔立ちだったはずだが、お紀が連れてきた
のは、背の低い、ぽっちゃりとした、色白で黒目がちの明るい娘だった。
怪訝な顔をする石井屋の主人たちの前で、お紀は娘を美加、美加と呼んで全く常と
変わらず可愛がっていたので、あの年頃の娘は、一年見ないと、随分変わってしま
うものだと納得するしかなかった。
その夜も食事の後で、親娘は宿の裏手にある、天然の岩風呂に仲良く浸かっていた。中秋の満月が夜空にぽっかりと浮かび、灯りがなくとも、岩風呂の回りは蒼い光で照らされていた。
49 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月13日(火)13時28分57秒
「美加もすっかり、大人になったわね。胸なんか、わたしよりも大きいくらい。」
「いやだ、お母さま。美加は、いつまでも子供です。」
「そんなこと、ないわ。来年あたりから、そろそろ良いお婿様を探さなくてはね。」
娘の色白な顔には、ほんのりと紅みがさしていた。
「あの、よろしいでしょうか?」
岩の向こうから、女の声がした。舌足らずの口調で、「よろしいれしょうか?」と
聞えたが、その声に、美加がびくっと顔を向けた。
「どうぞ、お入りになって。とってもいいお湯ですよ。」
お紀の呼びかけに、湯に入る音が聞えて、岩陰から小さな顔が覗いた。
「こんばんは。」
「こんばんは。石井屋さんに、お泊まり?」
50 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月13日(火)13時29分31秒
「いえ、下の村から、たまにお湯に浸かりに来てるんです。今日は、いいお月様な
もので、つい誘われました。」
「あら、そう。山道は怖くないの?」
「慣れてますから。」
「お強いのね。おいくつかしら?」
「十五になりました。」
「あら、うちの娘とひとつ違いだわ。しばらく逗留しますから、たまに遊んで下さ
いな。娘も退屈していますので。」
「娘さんは、なんとおっしゃるんですか?」
「美加といいます。あなたは?」
美加が、じっと娘の顔を見ながら言った。娘も美加の顔を、見つめていた。
「ののといいます。」
51 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月13日(火)13時30分01秒
二人は、しばらくお互いの顔を見詰め合っていた。
「お母さま、美加は少しのぼせてきました。そろそろ、あがりませんか?」
おののから目を逸らせて、美加が言った。お紀はうなずくと、おののに軽く頭を下
げて湯から出た。
「じゃあ、美加ちゃん。またね。」
おののの呼びかけに、美加ははっと降り返った。おののは湯から首だけ出して、に
こにこ笑いながら美加たちを見送っていた。その表情には、なんの邪心も浮かんで
いないように見えた。
52 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月13日(火)13時30分38秒
その夜更け――。
ぐっすりと眠っているお紀の横で、美加が目を開いて天井を見つめていた。真っ暗
な部屋の中に、かすかに川の流れる音が聞えていた。
「ののか?」
美加が、天井に向かって呼びかけた。ほとんど声を出していない、忍者独特の発声
法だった。
「あいぼん、こんなところにいるとは、思わなかったれす。」
先ほど、おののと名乗った娘の声が、天井から降ってきた。少し押さえていた舌足
らずのしゃべり方が、すっかり表に出ていた。
「うちも、あんたが来るとは、思ってなかったわ。」
「そのひとの娘に、なりすましているのれすね。可哀想に。」
「可哀想なこと、あるかい。本当の娘は、半年前に病で死んでるんや。うちは、こ
のひとに、生きる希望を与えてあげたんや。」
53 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月13日(火)13時31分17秒
「でも、永遠に娘ではいられないれすよ。」
「そんなこと、分かってる。でも、少しでも長く、娘になっていたかった。」
「わたしに勝てば、しばらく大丈夫れす。他の人は、あいぼんがここにいることを、
まだ知りません。」
美加――本当は、元旭日組の女忍者お亜衣は、横で寝ているお紀に目を向けた。
「分かった。表で待っててくれ。いまさら、逃げも隠れもせんわ。」
天井裏の気配が消えた。お亜衣は静かに起き上がると、お紀の手に、そっと自分の
手を重ねた。
「お母さま、美加は行きます。もう、お会いすることもないと思いますが、とても
楽しかったです。」
54 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月13日(火)13時31分52秒
お紀の口元に、うっすらと微笑みが浮かんだような気がしたが、目を覚まさすこと
はなかった。お亜衣は、目に溜まった涙をくいっと拭き取ると、立ち上がって音も
なく部屋を出ていった。
石井屋の外で、月に照らされて、おののが待っていた。
「あいぼん、どうしてののを置いて、逃げたんれすか?ののとあいぼんは、お友達
じゃなかったんれすか?」
おののは、お亜衣が見たこともない厳しい顔で、詰問した。お亜衣は、蒼白な顔で
おののを見つめて言った。
「友達だから、駄目だったんや。」
おののは、戸惑いの色を浮かべた。
55 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月13日(火)13時32分28秒
「友達が駄目って――。一体、どういうことれすか?」
「うちとののは、旭日組の中で、いつも一緒やった。二人でいると、一番力が出せ
る、みんなもそんな風に見ていて、忍びのお勤めも、一緒の組でやらされた。最初
のうちは、それで良かったんや。うちもののとは、すごく気が合ったし、お互いに
相手の力を引き出しあえて、何でも楽しくできたんや。」
「それで、いいじゃないれすか。どうして、離れなくちゃならないんれすか?」
「うちは、自分一人でどこまでできるか、試してみたくなったんや。いつまでも、
ののと一緒にいるわけにはいかん。それには、破狼谷にいては、できんのや。外に
出て、うちの腕が、どこまで通用するのか、やってみたくなったんや。」
おののの顔から、厳しさが消えた。
56 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月13日(火)13時33分06秒
「あいぼん、いつまでも一緒でいいじゃないれすか。一人になることなんて、簡単
にれきれんれすよ。それよりも、大切なお友達を作って、そのお友達とずっと一緒
にいる方が、よっぽど難しいと思います。のののことが嫌いになったのなら、仕方
がないけれども、そんな理由で破狼谷を抜けるなんて、残念れす。」
「ののにとっては、大した理由じゃないかもしれん。でも、うちは今一人にならな
くっちゃ、駄目になるんや。」
「どうしても、行くのれすか?」
「ああ、行く。止められるもんやったら、止めてみぃ。」
二人は、言葉を切って睨み合った。
57 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月13日(火)13時33分44秒
「もう少し、奥へ行きましょう。」
おののはそう言うと、走り去った。お亜衣は、ちっと舌打ちして、おののの後を追
った。二人は常人には不可能な早さで森の中を駆け抜けて、渓流を見下ろす大きな
岩棚の上に出た。
「ここで、決着をつけましょう。」
おののは、岩棚の端で足を止めて言った。
「おう、望むところや。」
お亜衣は、おののに追いつきざま、走りながら手裏剣を放った。おののは、ふわり
と飛びあがってそれをかわし、お亜衣の背後に降り立った瞬間、彼女の背に向けて
手裏剣を投げつけた。お亜衣は鞠のように転がって、岩棚の端ぎりぎりのところで、
身体を起した。
「さすがやな、のの。普通なら、今ので終わりや。」
「あいぼんこそ、よくかわしました。」
58 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月13日(火)13時34分30秒
二人は、動きを止めて対峙した。普通の攻撃を仕掛けても決着がつかないことは、
お互いに分かっていた。そうと知りながら、お亜衣が再度手裏剣を投げてきた。お
ののは、腰に挿していた短刀を引きぬいて、苦もなく手裏剣をはたき落とした。手
裏剣は、ちゃりんという音を立てて岩の上に落ちた。
おののは、その音につられたように、ちらりと手裏剣に視線を投げた。手裏剣に反
射した月光が目を射た瞬間、おののは、お亜衣の術中に落ちたことを悟った。はっ
としてお亜衣に目を向けると、彼女は別人に変わっていた。
「なっちゃん――。」
59 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月13日(火)13時35分23秒
それは、おののが旭日組に入る前に遊んでいた、幼友達の姿だった。お亜衣の
忍法――夢うつし。それは、相手を一瞬にして催眠状態にし、相手が会いたいと望
む人の姿に自分を変貌させる技だった。彼女は、藤原屋のお紀にも、「夢うつし」
をかけていたのだった。
「ののちゃん、そんなところで、何してるの?一緒に遊ぼうよ。」
お亜衣に呼びかけられて、おののは全く無防備の姿で、ふらふらと近寄っていった。
お亜衣は、うつろな目で自分に近づいてくるおののを見て、勝利を確信した。今
手裏剣を放てば、造作なくおののを倒すことができるだろう。しかし、何人もの
忍者をこの技で葬ってきたお亜衣が、手裏剣を握り締めて、少しためらった。
「なっちゃん、お腹すいたねぇ。」
おののが、ぼんやりとした顔で呼びかけてきた。その間延びした声音につられて、
お亜衣は思わず、「そうやなぁ」と応えてしまった。
60 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月13日(火)13時36分05秒
あっと思った瞬間、お亜衣は自分が、猛烈な飢餓感に囚われるのを感じた。それは、
ほとんど他の感情の入る余地のない程切羽詰ったもので、今犬の糞を差し出されて
も、お亜衣はそれを口に入れただろう。彼女は頭の隅で、かろうじて自分が、おの
のの忍法――餓鬼魂憑きにかかったことを意識した。
「なっちゃん、おいしいお団子があるよ。一緒に食べよう。」
おののに呼びかけられて、お亜衣は全く無防備の姿で、ふらふらと近寄っていった。
口の中には涎が一杯溜まり、襲いくる飢餓感で、目が眩みそうになっていた。
(あかん、これじゃあかん。何とかしなくちゃ)
お亜衣は、唇を血が出るほど噛み締めると、手裏剣を出して、自分の腹につきたて
た。
61 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月13日(火)13時36分38秒
「あーっ」
おののが悲痛な叫びをあげて、駆け寄ったところを、お亜衣が懐から取り出した懐
剣が貫いた。二人は、互いの顔を見つめながら、じっと抱き合っていた。
「あはっ、やっぱり、ののには勝てんかったわ。」
「夢うつしをかけたところで、あいぼんの勝ちれす。」
「うちらは、結局、二人で一人前だったのかもしれんなぁ。」
「ののとあいぼんは、いつまでもお友達なのれす。」
おののはにっこり笑うと、お亜衣の肩に頭を預けて、静かに息を引き取った。
62 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月13日(火)13時37分35秒
(のの、ごめんな。うちは、ののの方が強いことに気付いとったんや。ののは、一
人でも充分やっていける。でも、うちはののがいないと駄目なんや。それが怖くな
って、うちは逃げ出したんや。でも、もう逃げへん。いつまでも、一緒にいような。)
お亜衣の身体から力が抜けて、二人は抱き合ったまま、岩棚の下の渓流に落ちてい
った。月光が砕けて、きらきら反射する水の上を、二人の少女忍者は、離れずにど
こまでも流されていった。
63 名前:名無し読者 投稿日:2002年08月22日(木)03時23分37秒
おもしろい!!
がんがってください
64 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月25日(日)00時42分25秒
ありがとうございます。現在、次の話を書いているところです。お愛とあさ美と麻琴
の物語になります。
65 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月25日(日)12時43分10秒
すっかり紅葉に彩られた山の中の道を、二人の少女がとぼとぼと歩いていた。木々
の間から見える真っ青な空には、うろこ雲が浮かんで、たまに太陽の光を遮ってい
た。
少女の一人は、旭日組のお愛という娘で、面長の整った顔立ちで、牝鹿のようなし
なやかな身体つきだった。もう一人の少女はあさ美という名で、こちらは頬の辺り
がふっくらとしており、愁いを帯びたような大きな目が印象的だった。
二人は、お理沙、麻琴と四人で一緒に旭日組に入り、厳しい忍法の修業と、死と隣
り合わせの忍びの勤めを果たしてゆきながら、友情の絆を深めていった。昨夜泊ま
っていた宿でおなつと会い、彼女がお理沙を討ち果たしたことを聞き、一晩中泣き
明かした。そして、早朝宿を立ち、おなつと分かれて、北から尾張へ入る山中の道
を、麻琴を探して歩いているところだった。
66 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月25日(日)12時43分58秒
「理沙ちゃんは、もうこの世にいないんだよね。」
あさ美が、ぽつりと言った。腫れぼったくなった大きな目の下には、隈ができてい
た。
お愛は、同じように腫らした目をあさ美に向けて、怒ったような声で言った。
「あさ美は、何度同じこと言うの!」
「だって、悲しいんだもん。」
「悲しいのは、わたしだって同じだよ。だから、早く麻琴を見つけなくっちゃ駄目
なんじゃない。あさ美みたく、いつまでもぐちぐち言ってても、どうにもならない
んだよ。」
「分かってるよ。でも、わたしは愛ちゃんみたく、強くなれない。」
「わたしだって、そんなに強くないよ。」
こんなやり取りを、何度繰り返しただろう。やがて二人は森を抜けて、山間の小さ
な集落へ出た。狭い畑の間に、わらぶき屋根の小さな家がぽつりぽつりと建ってお
り、住民たちが野良仕事に出ていた。
67 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月25日(日)12時44分41秒
「どこかで、お水を分けてもらおう。」
お愛が、集落を見渡して言った。彼女の視線は、一件の家の前で、幼児と遊んでい
る娘の上で凍りついた。
「ちょ、ちょっと、あさ美。あれ、麻琴じゃない?」
お愛が指差す先を見て、あさ美も目を見張った。と、お愛が止める間もなく、一直
線に娘の方に向かって走り出した。
「あ、あ、待ちねー。」
お愛もそう叫んで、あさ美の後を追った。
地面にべったりと座り込んで、手を振り回している子供の前にしゃがんでいた娘は、
走ってくる二人に気付いて、顔を向けた。やや目の離れた可愛い顔が、笑顔でくし
ゃくしゃになった。
68 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月25日(日)12時45分44秒
「愛ちゃん、あさ美ちゃん。」
娘――元旭日組の麻琴は、ぱっと立ち上がって、あさ美に抱きついた。
「よくここが、分かったねー。」
「偶然、通りかかったんだ。愛ちゃんが、まこっちゃんを見つけて――。」
あさ美に追いついたお愛は、口をきっと結んで、抱き合っている二人を見詰めてい
た。
「愛ちゃん、何をそんなに、怖い顔してるのさ。」
「だって、麻琴。わたし達――。」
「いいから、いいから。ちょっと、待ってて。」
麻琴は、あさ美から離れると、家の前の畑で働いていた女に向かって、「お母さー
ん。」と呼びかけた。女は、顔を上げて三人の様子を見ていたが、日焼けした顔を
ほころばせた。
69 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月25日(日)12時46分23秒
「この娘たち、わたしの友達なの。中に入れていい?」
女がうなずくのを見て、麻琴は子供を抱き上げて、二人を家の中に招きいれた。中
は土間と板の間があるだけの質素なつくりだったが、こざっぱりと片付いていた。
3人は、板の間に腰を降ろした。麻琴は、子供を膝の上に乗せて、やさしくあやし
ていた。
「まこっちゃん、どうしてたの?」
あさ美の問いかけに、麻琴はにこにこ笑いながら言った。
「お母さんがちょっと目を離した隙に、この子が山の方まで歩いていっちゃてさ。
山犬に襲われそうになっているところを、わたしが助けたってわけ。わたし、お母
さんにすっかり気に入られちゃって、つい引きとめられるままに、いついちゃった。」
70 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月25日(日)12時47分03秒
「この子のお父さんは?」
「お城を作るって言うんで、尾張に駆り出されてるんだって。お母さん一人で、大
変なんだよ。」
「まこっちゃんも、尾張へ行くはずじゃなかったの?」
麻琴は、恥ずかしそうに笑って、下を向いた。
「なんだか、ここの居心地が良くってさ。お母さんはやさしいし、たあ坊は可愛い
し。」
「麻琴は、ずっとここにいるつもり?」
お愛が、厳しい表情を崩さずに言った。
「分からないよ。破狼谷を出たときには、尾張で自分の力を試してみたいと思って
たんだけど、今は自分が何をしたいんだか、よく分からなくなっちゃった。争いご
とをしてるよりも、ここでたあ坊のお守りをして、のんびり暮らしていた方が、自
分に合ってるのかなとか、考えたりして――。」
71 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月25日(日)12時48分16秒
「もう、遅いよ。」
お愛の口調に、麻琴は笑顔を消して顔を上げた。あさ美は、訴えるような目でお愛
の顔を見つめた。
「麻琴。理沙ちゃんは、死んだよ。」
麻琴は、ぽかんと口を開けて聞いていた。
「おなつさんに、殺された。真里さんも、谷を出る前に殺された。破狼谷を抜けた
ものは、生きてはいられないんだ。残った旭日組のみんなが、九衛門さまの命を受
けて、抜け忍狩りに出た。お亜依さんも、ひとみさんも、いつかは殺される。」
お亜依は既に、おののと刺し違えて死んでいたのだが、お愛たちはそれを知らない。
麻琴の目から、涙がこぼれ落ちた。口をへの字に結んで、麻琴はお愛とあさ美を睨
みつけた。
72 名前:黒モニ 投稿日:2002年08月25日(日)12時49分17秒
「あんた達も、わたしを殺しにきたの?」
「まこっちゃん――。」
「そうだよ。」
お愛は、麻琴の視線を受け止めて言った。
「わたし達も、谷を抜けたものを討ってこいと言われてきたんだ。使命を果たさな
きゃ、わたし達が殺られる。」
「愛ちゃん、そんなこと言わないで。」
あさ美は、お愛の袖にすがりついた。
「麻琴、表へ出よう。人目につかない山の中で、決着をつけよう。」
麻琴は、蒼白な顔でうなずいた。子供を膝から降ろすと、置いてあった荒縄を胴に
結び付けて、片側を柱に結んだ。子供は、遊んでもらえると勘違いしたのか、きゃ
っきゃっと笑って、手足をばたばたさせた。
「お母さんに見つからないように、裏から出よう。たあ坊、ばいばい。お姉さんは、
もうお別れだよ。」
麻琴は、子供に手を振ると、涙を拭って立ち上がった。
73 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月01日(日)11時05分56秒
山の中の、少し開けた場所で、脱走者と二人の追跡者は対峙した。
睨み合っているのはお愛と麻琴で、あさ美は祈るように身体の前で両手を合わせて、
二人を交互に見詰めていた。
山の陽は落ちるのが早く、西の空はまだ赤くなっていないのに、林の中は薄闇が降
りていた。
「どうするの、愛ちゃん?」
麻琴が低い声で言った。
一瞬、お愛の顔に殺気が浮かび、あさ美は息を呑んだ。しかし、それはすぐに消えて
、お愛は、麻琴から視線をそらせた。あさ美が、ほっとしたように手をほどき、身体
の力を抜いた。
74 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月01日(日)11時07分03秒
「やっぱり、できんわ。」
お愛が、ぽつりと言った。
「愛ちゃん――。」
「わたしも、そんなに強くない。麻琴相手に、本気でやりあうことなんか、できない
よ。」
あさ美が、お愛の手を握って言った。
「ねえ、三人で逃げよう。尾張じゃなくて、もっと遠くへ逃げて、もう殺し合いなん
かしないで、のんびり暮らそうよ。」
麻琴が、二人に駆け寄った。蒼白だった顔に紅みが差して、笑顔が浮かんでいた。
「そうだよ、愛ちゃん。里沙ちゃんのことも思い出しながら、三人で暮らそうよ。」
お愛は、下を向いたままで言った。
「九衛門さまは、絶対見逃さないよ。どんなに遠くへ逃げても、追っ手が来る。いつ
も、おびえて暮らさなくちゃならない。それでも、いいの?」
「三人で力を合わせれば、きっと大丈夫だよ。おなつさんや、お真希さんが来たっ
て――。」
「じゃあ、やってみる?」
75 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月01日(日)11時08分03秒
麻琴の背後の林の中から、声がした。薄闇の中にぼんやりと人影が滲み出て、若い
娘の姿が現れた。お愛達よりも少し年上で、整った顔立ちのすらりとした体格の娘
だった。
「三人で力を合わせて、わたしとやりあってみる?どうなの、お愛、麻琴?」
「お真希さん――。」
お愛が、凍りついた表情で言った。彼女の声には、まごうことなく恐怖の響きが潜
んでいた。麻琴とあさ美も、水を浴びたような顔色になって、旭日組の女忍者、お真
希の姿を見詰めていた。
「あは、どうしたのさ?随分偉そうなこと言ってたけど、三人とも、幽霊でも見たよ
うな顔してるじゃない。」
76 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月01日(日)11時08分53秒
お真希は、うすく笑みを浮かべて三人の方に歩いてきた。一見すると隙だらけで、
のんびりとした足取りだったが、この女忍者の恐ろしさを良く知っている三人は、
じりじりと後ろへ下がっていった。
「どうもお愛とあさ美が危なっかしいと思って、ずっと後をつけていたんだ。あん
た達は、まだ旭日組を甘く見てるからね。」
お真希の顔から笑みが消えて、すっと無表情になった。同時に凄まじい殺気が吹き
つけられて、三人の身体が総毛だった。
「お愛、あさ美、あんた達、どうするの?今言ってたことは、本気なの?」
「お真希さん、見逃して。」
お愛が、麻琴とあさ美をかばううように前に出て、掠れた声で言った。
「あんた達は、こっちへ来れば許してやってもいい。でも、麻琴は許せない。破狼
谷を裏切ったものは、報いを受けるんだ。」
77 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月01日(日)11時09分51秒
お真希は、感情のこもっていない、妙に平板な口調で言った。その言葉を聞いたお
愛は、覚悟を決めた。彼女は懐から短刀を取り出し、真ん中から折って両端の鞘を
はらった。そして二本になった剣を両手に持って、腕を大きく水平に広げた。
「麻琴、あさ美、逃げて。」
「愛ちゃん、やめて。」
「わたしだって、旭日組のお愛だ。やれるだけ、やってみる。」
お愛の身体が、独楽のように回転を始めた。回転はみるみる早くなり、両手に持っ
た短刀の刃が風を切って、白い帯のようになった。
「忍法――つむじ風。」
78 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月01日(日)11時10分40秒
バレエのターンは、通常一秒間に一回転程度だが、お愛は一秒五回転の速度で回る
ことができ、更に回転しながら五間以上も跳躍することができるという、恐るべき
体術の持ち主だった。対戦相手は、彼女の奇怪な戦い方に呆然とし、高速回転する
刃に真一文字に切り裂かれるのだった。
お愛は、回転しながらお真希の懐に飛び込んでいった。お真希は、白く光る刃に手
を伸ばした。普通の相手であれば、手が刃に触れた瞬間に、触れたところがすっぱ
りと切り裂かれるはずだった。
その代わりに、麻琴とあさ美は、お愛の身体が一瞬にして赤い霧に変わるのを見た。
「愛ちゃん!」
あさ美が、悲鳴に近い声をあげた。
「忍法――微塵がえし。」
お愛の血を浴びたお真希が、低い声で言った。
79 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月01日(日)11時11分34秒
お真希は、全身から超音波を発し、触れたものを全て微塵に破壊する技を使う忍者
だった。手裏剣や刀も、彼女の身体に触れた瞬間に粉砕されてしまう、恐るべき、
旭日組の破壊神だった。
お真希は、お愛の身体があったところにできた大きな血だまりを踏んで、麻琴とあ
さ美に近づいてきた。
麻琴は、唇をかみ締めて前に進み出た。
「愛ちゃんの仇!」
麻琴は、懐から次々に薄い白布を取り出して、空に投げていった。指先でどのよう
な力を加えているのか、布は空中で幾重にも別れ、お真希の上に時雨のように降り
注いでいった。布は血に染まったお真希の顔にも貼りついて、目をふさいだ。
「忍法――布しぐれ。」
80 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月01日(日)11時12分17秒
降り注ぐ布の間に隠れて、長い針が何本も空中から降ってきた。布に幻惑されてい
る間に、針が脳天や身体に突き刺さる。必殺の忍法のはずだったが、お真希の身体
に触れた針は、彼女の身体に刺さる前に、悉く銀の欠片となって消滅した。
布を取り出す手が止まり、麻琴の顔が絶望に歪んだ。
お真希の放った手裏剣が、麻琴の心臓を貫き、麻琴はその場に崩れ落ちた。
お真希は、顔に貼りついた布をはがして、あさ美に目を向けた。
「あさ美、残ったのはあんただけだ。やるんなら、相手になるよ。」
あさ美は、目を大きく見開いて、首を横に振った。
「あんたの忍法『時しばり』ならば、あたしに勝てるかもしれないんだけどね。や
らないって言うんなら、いいや。お愛と麻琴を供養したら、旭日組に戻っといで。」
お真希は、にっと笑って、背後の闇に消えた。
81 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月01日(日)11時13分12秒
あさ美は、しばらく茫然と立ち尽くしていが、そろそろとお愛の消滅した跡に近づ
いていった。血だまりの中に、お愛の髪が一房だけ残っていた。あさ美は、それを
手に取って、胸に抱き寄せた。
(愛ちゃん、いつもわたし達四人の前に立って、引っ張っていってくれた。)
彼女は、うつぶせに倒れている麻琴の横に正座し、開いたままになっていた麻琴の
目を、そっと閉じさせた。そうすると、あどけなさの残った麻琴の死顔は、とても
穏やかになった。
(まこっちゃんも、いっちゃったね。あたしももうすぐ、そっちへいくよ。里沙ち
ゃんも待ってるよ。四人で、一緒に遊ぼうね。)
82 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月01日(日)11時14分13秒
あさ美は目を自分の胸の辺りに向けて、自分の内部に向かって忍法「時しばり」を
かけ始めた。彼女が見詰め、念をこらすと、相手の周りだけ、時の進みが遅くなっ
てゆき、動作が緩慢になった敵を、いとも容易に屠ることのできるという技だった。
お真希が勝てるかもしれないと言ったのも、半ばは本気だったが、あさ美は自分が
組の先輩に対して、「時しばり」をかけられるとは思えなかった。
あさ美の心臓の鼓動は、次第にゆっくりとなっていき、遂に動きを止めた。
首を垂れて、静かに絶命した少女の周りを、闇が濃く包んでいった。
83 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月08日(日)10時59分51秒
近江の国、琵琶湖のほとりの道端の大きな石に腰掛けて、ひとみは何度目かのため
息をついた。先程からずっと、海と見間違うばかりの広大な湖の湖面を眺めながら、
彼女はぼんやりと物思いに耽っていた。湖面に映る青い空には、二羽の鷲がゆった
りと羽根を広げて飛んでいた。
(はぁ、あたしはどうして、破狼谷を抜けちゃったんだろう。)
ひとみの頭に去来しているのは、後悔の思いだった。
元々彼女はのんびりとした気性で、競争心や向上心というものをあまり持ち合わせ
ていなかった。忍びの技を極めて人の上に立ちたいという気持ちは、さらさらなか
った。彼女が使う忍法も、修業で体得したというよりは、野や山で遊んでいるうち
に、自然と身についた部分が大きかった。
84 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月08日(日)11時00分41秒
そんなひとみが、なぜ破狼谷を抜けようと思ったかというと――。
(あたしにも、よく分からないんだよなぁ。真里さんと話してて、旭日組はこのま
まだと駄目だって思ったのは事実なんだけど。あたしって、人に影響されやすいの
かな。)
気がつくと、一匹の蜥蜴が足元に寄って来ていて、ひとみを見上げていた。ひとみ
が人差し指を突き出すと、蜥蜴はのこのこと近づいてきて、ちろりと舌を出して、
ひとみの指先を舐めた。
(みんな、どうしているかな。真里さんは、無事に谷を抜けられたのかな。もう、
尾張に着いてるんだろうな。こんなところで、油を売ってるのは、あたしだけだろ
うな。)
蜥蜴がぴくっと頭を引っ込めて、素早く石の下に逃げ込んだ。ひとみは、肩の辺り
にひやっとした空気を感じて、後ろを振り返った。
道の向こう側に、やや色黒の美少女が立っていた。
85 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月08日(日)11時01分29秒
「梨華ちゃん!」
ひとみは、丸い顔に笑みを浮かべて立ち上がった。
「ひとみちゃん、隙だらけだったよ。本気の『黒吹雪』をかけていたら、簡単に倒
すことができた。」
旭日組のお梨華は、硬い表情を浮かべて言った。
ひとみは、ぽかんと口を開けた。
「『黒吹雪』って、なんで梨華ちゃんがあたしに術をかけるのさ?」
「呑気なこと、言わないでよ。破狼谷を抜けようとしたものがどうなるかは、ひと
みちゃんだって知ってるでしょ?」
「知ってるよ。今も、あたしはこの先どうなるんだろうって、考えてたんだ。」
「じゃあ、あたしが何をしにきたか、分かるでしょ。」
86 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月08日(日)11時02分08秒
「あたしを、探しにきたの?」
お梨華は、ひとみを睨みつけた。
「ひとみちゃんを、殺すんだよ!」
ひとみは、お梨華に近寄ろうとしたが、彼女の思いつめた顔つきを見て、足を止め
た。生真面目な性格で、やや思い込みの激しいところのあるお梨華だったが、目が
吊り上って、普段から高い声が、すっかり上ずっていた。いつもの調子で、軽くい
なして逃げようと思っていたひとみの顔から、笑みが消えた。
(ありゃりゃ、梨華ちゃん、ちょっといっちゃってるよ。)
「梨華ちゃん、物騒なこと、言わないでよ。本気だと思っちゃったよ。」
87 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月08日(日)11時02分57秒
「あたしは、本気だよ。ひとみちゃん、真里さんや里沙ちゃんが、どうなったと思
うの?みんな、軽い気持ちで破狼谷を抜けようとしたんだろうけど、仲間同士殺し
あうことになっちゃったんだよ。」
お梨華の言葉に、ひとみの顔が蒼くなった。
「真里さんは死んだの?里沙ちゃんも?一体なんで――。」
「破狼谷の掟だよ。ひとみちゃん、ごめんね。死んで!」
お梨華の口から、白い塊が吐き出され、物凄い速さでひとみの身体に向かっていっ
た。極低温で、触れた相手を瞬時に凍結する忍法――黒吹雪。ひとみは、すんでの
ところで身体を横に放り出し、白い塊をよけた。旭日組で、お梨華といつも一緒に
いたひとみだったから、お梨華の不意の攻撃を予測することができた。塊は湖に落
ちて、畳十畳ほどの広さの水面が、白く凍りついた。
88 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月08日(日)11時03分50秒
お梨華は、次の一撃を放とうとしたが、ばさりという羽音を聞いてはっと顔を上げ
た。
先程から湖の上を飛んでいた鷲が降りてきて、お梨華の左肩に止まった。
ひとみは、ゆっくり立ち上がって、にやりと笑って言った。
「梨華ちゃんは、あたしには勝てない。あたしは、梨華ちゃんのことを良く知って
るから。」
もう一羽の鷲が、お梨華の右肩に止まった。二羽とも左程爪を立てている風ではな
かったが、お梨華の顔が蒼白になった。
「梨華ちゃん、鳥が滅法嫌いなんだよねぇ。鳩にだって近寄れないんだから。」
森のほうから、鳩や鳶が飛んできて、鷲を恐れる風もなく、お梨華の周りに降りて
きた。お梨華は、たちまち何十羽という鳥の群れに囲まれて、彼女自身が凍りつい
たように立ち尽くしていた。
89 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月08日(日)11時04分39秒
「忍法――鳥獣戯画。」
ひとみは、幼い頃から、野山で鳥や獣と遊んで暮らしていた。その間に、彼らとほ
とんど会話をしていると思えるぐらい、通じ合うことができるようになった。長じ
て破狼谷の女忍者として鍛錬を積み、鳥獣を諜報活動や攻撃に思うように使えるよ
うになったのだった。
対してお梨華のほうは、ものごごろついた頃に、大鷲に襲われたことが深い恐怖経
験となっており、大きな鳥はおろか、雀やひよこさえも恐れる極度の鳥恐怖症だっ
た。ただ、そのことを知っているのは、同じ年で仲の良かったひとみとお真希のみ
で、他の仲間達には、用心して知られないようにしていた。
心を許していたひとみに、見事に弱点をつかれ、しまったと思う間もなく、お梨華
は鳥に囲まれて身動きが取れなくなっていた。
90 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月08日(日)11時05分39秒
「梨華ちゃん、ごめんね。こんなことをするのは、嫌なんだけど、少し落ち着いて
くれなくちゃ、話もできないよ。もう、仕掛けてこないと約束すれば、その子たち
は離してあげる。」
お梨華は、身体を硬直させて黙っていた。
「強情はるのはよしな。怖くてたまらないんでしょ。」
お梨華は、答えなかった。
「梨華ちゃん、梨華ちゃん。あれ――?」
ひとみは、腕をさっと上にあげた。お梨華の周りで羽を休めていた鳥たちが、一斉
に飛び立った。
鳥がいなくなっても、お梨華は動かなかった。目を見開いたまま、妙に虚ろな表情
になって、突っ立ていた。
ひとみは、お梨華に駆け寄って、肩をつかんで身体を揺さぶった。
「梨華ちゃん、もう鳥はいないよ。一体、どうしちゃったのさ。梨華ちゃん、正気
に戻ってよ。梨華ちゃん。」
ひとみは、半泣きになってお梨華にとりすがったが、鳥の恐怖から逃れるため、遠
い世界に行ってしまったお梨華は戻ってこなかった。
91 名前:名無し読者 投稿日:2002年09月08日(日)21時28分07秒
石川ー戻ってこぉい(w
92 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月10日(火)23時48分24秒
次は、梨華ちゃんを連れ戻す話です。
93 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月10日(火)23時49分06秒
伊勢と尾張の国境にある旅籠の一室に、旭日組の圭織とお圭が逗留していた。
圭織は現在の旭日組の組頭、お圭は参謀格で、この旅籠を破狼谷脱走者追跡の司令
室にしているのだった。
圭織は、壁に背をもたれて座り、大きな目を見開いて宙に視線を漂わせていた。忍
法「通気交」を使って、旭日組の面々の動向を監視しているのだった。そんな圭織
を、お圭は心配そうに見詰めていた。
圭織の使う忍法「通気交」は、一種のテレパシーだった。彼女は、個性を把握して
いる特定の人間の思考波であれば、十里ぐらいの範囲で捕まえることができた。た
だ、旭日組の忍者達もそれを知っており、圭織に知られたくない場合は、自分の発
している思考波を隠すことを学んでいたので、谷を抜けた面々の居場所を正確につ
かむ事は難しかった。たまに漏れてくる思考波で、おおよその居場所の見当をつけ、
追っ手を向かわせていた。
94 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月10日(火)23時49分47秒
追っ手の女忍者達は、むしろ積極的に思考を発して、自分達の生死を圭織が把握で
きるようにしていた。数日前から、おののの思考が途絶え、続いてお愛とあさ美が
いなくなった。お愛は裏切ろうとしたので、自分が討ったとお真希から報告があっ
たが、あさ美はどうやら、お愛と麻琴の後を追って、自死したようだった。そして
昨日は、ひとみの元へ向かったお梨華の思考波が、ぷっつりと消えた。
逃げた仲間だけでなく、追っ手達も次々と死んでゆく事態に、圭織とお圭は暗然と
せざるを得なかった。破狼谷の精鋭を集めた旭日組の女忍者達も、残すところ後五
人で、その内一人は谷を裏切って(恐らくは)お梨華を倒したひとみだった。しか
も、自分達よりも年下の若い忍者達が、悉く死んでしまった。
95 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月10日(火)23時50分41秒
旭日組一番の年長者のお圭は、おののとお亜依によく年のことをからかわれてむく
れていたが、自分よりも先に彼女達に死なれたことが、これほど応えるとは思って
いなかった。自分を恐がって、何となく話しづらそうにしていたお愛、麻琴、あさ
美、お里沙も、こんなに早くいなくなってしまうとは、考えてもみなかった。
お圭は、彼女達のことを考えていると涙が溢れそうになったので、気を取り直して
圭織に声をかけた。
「圭織、大丈夫?少し、休んだら?」
圭織は、ぼんやりした表情で、お圭に顔を向けた。彼女の目の下に大きな隈ができ
ているのを見て、お圭の胸は痛んだ。
96 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月10日(火)23時51分48秒
「何?圭ちゃん?」
「疲れてるんじゃない?ずっと、『通気交』を使い通しだよ。」
圭織は、微かに微笑んだ。
「大丈夫だよ。みんなは外で頑張ってるんだから、あたしがその思いを受け止めな
くちゃ。」
「でも――。」
お圭は、言葉を切った。
圭織の忍法「通気交」は、思考波を拾うだけでなく、相手の心の奥深くに入り込ん
で、思考を全て掬い取ることもできた。しかしこの技を使うことは、相手が心の奥
に隠していたことも見ることになり、圭織の心にも大きなダメージを与えるのだっ
た。
九衛門の命令で、真里の心を読んだときに、真里が心の奥深くに隠していたことも
覗いてしまい、圭織自身も深い傷を負った。それがどんな事だったかは、圭織は決
して口にはしないが、真里が消えてから丸一日間、圭織も貝のようになって、何も
言わず何も食べず、凝然と座り込んでいた。
97 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月10日(火)23時52分35秒
お圭は、圭織がいつか自分の忍法に負けて、心の闇に落ちてしまうのではないかと
心配していた。かっての仲間の心を読んだことが、その引き金にならなければ良い
がと、はらはらしていた。
(とりあえず、少し寝かせなくちゃ。圭織の心は、くたくたになってるはずだ。)
「なっちとお真希も、もうすぐここに着くはずよ。そうしたら、ひとみを追っても
らおう。それまで、お願いだから、少し休んで。」
圭織は、視線を上に向けた。
「圭ちゃん、追う必要はないよ。ひとみは、あそこにいる。」
お圭は、はっとして天井を仰いだ。次の瞬間、彼女は座ったままの姿勢からぽーん
と飛び上がり、天井板を突き破って梁に手をかけ、一気に天井裏に入り込んだ。旭
日組でも誰も真似のできない、超人的な跳躍力と膂力だった。
98 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月10日(火)23時53分53秒
天井裏に蜘蛛のように這いつくばっていたひとみが、目を丸くしてお圭を見ていた。
お圭は、懐に手を入れて、手裏剣を打とうとした。
「待って、圭ちゃん。」
ひとみが、必死の形相で言った。
「圭ちゃんに本気でやられたら、あたしはかなわない。お願いだから、話を聞いて。」
お圭は、懐に入れた手を止めて、唇を歪めた。
「あんたからのこのこやってくるとは、旭日組の圭織とお圭も甘く見られたもんだ。一体
何を話しに来たんだい?命乞いならば、聞く耳は持たないよ。」
「圭織さんに、梨華ちゃんを助けてもらいたいの。わたしを殺すんだったら、梨華ちゃん
を助けてからにして。」
99 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月10日(火)23時54分43秒
「お梨華を?梨華は生きてるの?あんたが、返り討ちにしたんじゃないの?」
「あたしが、梨華ちゃんを殺すわけがない。」
圭織が、天井を見上げながら、お圭に声をかけた。
「圭ちゃん、ひとみの話を聞こう。そっと見た感じでは、嘘はついてない。」
お圭は圭織の顔を見下ろして、懐から手を出した。彼女は手裏剣や剣を使わせても、
破狼谷一の技量の持ち主で、山の中ならばともかく、狭い天井裏で戦っては、とうて
いひとみの勝てる相手ではなかった。
「圭織がそう言うなら、ひとまず手は出さないでおくよ。降りといで。」
ひとみは、お圭に続いてふわりと畳の上に降り立って、圭織とお圭の顔を見た。
「圭織さん、随分痩せたね。」
お圭は、苦笑いを浮かべた。
「あんた達のせいだろう。それよりも、何が起きたんだか、話しな。」
100 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月10日(火)23時56分35秒
ひとみは、琵琶湖での顛末を、話して聞かせた。
お圭は、あきれたように言った。
「馬鹿だね、あの娘。そんなに鳥が苦手だったら、あんたのとこなんか、行かせなかった
のに。飛んで火に入る夏の虫じゃないか。」
「梨華ちゃん、結構意地っぱりなところがあるから、知られたって、来てたと思うな。」
「あんた、よくわたし達の居場所がわかったね――って、そんなのは、朝飯前か。」
ひとみは、にっと笑った。
「圭ちゃん、今日の朝、旅籠の前で猫に魚あげたでしょ。あの子が教えてくれたんだ。」
お圭は、腕を組んで言った。
「で、あたし達に、どうしてほしいのさ?」
「圭織さんに、『通気交』を使って、梨華ちゃんを呼び戻してほしいの。梨華ちゃん
の心の奥に入れば、連れてくることができると思うんだ。」
ひとみは、縋るような視線を圭織に向けた。圭織は、俯いて考え込んでいるようだった。
101 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月10日(火)23時57分23秒
お圭は、吊り上った目に厳しい光を浮かべて、ひとみを見詰めた。
「もしもお梨華を治すことができたら、あんたはどうするの?」
「あたしのことは、圭織さんと圭ちゃんに任せるよ。梨華ちゃんが元に戻ったら、
あたしの首を持って、破狼谷に帰ってくれてもいい。」
お圭は、ため息をついた。
「どうする、圭織?」
圭織は、顔を上げた。目に力が戻って、頬にうすく紅みがさしていた。今回の一件
が始まって以来、ずっと憂い顔だった圭織が、久しぶりに晴れやかな表情になって
いた。
「もちろん、命がけでやってきたひとみに、応えてあげなくちゃ。」
圭織は、元気よく立ち上がった。
「それに、わたしの『通気交』が人助けになる、初めての機会かもしれないからね。」
102 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月14日(土)12時19分47秒
Xデーの前に、仕上げなくちゃ。と、いうことで更新です。
103 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月14日(土)12時20分32秒
月も星もない闇夜だった。
鼻をつままれても姿が見えないような闇の中を、圭織、お圭、ひとみの三人が駆け
抜けていた。出歩くものとて一人もいない丑三つ時だったが、もしも彼女達の横を
通り過ぎた者がいたとしても、一陣の風が吹き抜けたとしか思えなかっただろう。
三人は、旅籠から二里ほど離れた荒寺に辿り着いた。
寺の境内にある本堂の周りに、何十頭もの野犬が集まって、蹲っていた。三人が近
づくと、犬たちは一斉に獰猛な顔を向けたが、ひとみがひゅっと口笛を吹くと、闇
の中に散っていった。
「番をしててもらったんだ。」
ひとみが、得意げに言った。
104 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月14日(土)12時21分33秒
三人は、観音扉を開けて堂の中に入った。何年も放置されていたようで、焚き火に
でも使われたのか、床や壁の板が何箇所もはがされていた。めぼしいものは全て奪
われており、ご本尊さえもなくなっていた。
お梨華が、奥の壁にもたれて座っていた。全く表情のない顔に虚ろな目を開いて、
魂が抜けたようになっていた。
「梨華ちゃん、圭織さんと圭ちゃんが来てくれたよ。」
ひとみが声をかけても、お梨華は何の反応も示さなかった。
お圭は、持っていた仕込み杖を置いて、お梨華の前に膝をついた。彼女の目の前に
指を立てて左右に動かしたが、お梨華の視線は、全く動かなかった。お圭がそっと
頬に手を当てて顔を上向かせても、お梨華の表情は変わらなかった。
「これは、ひどいね。」
お圭は、沈んだ声で言った。彼女は、真面目で一生懸命だが、どこかずれたところ
のあるお梨華を、妹のように可愛がっていた。お梨華もお圭を尊敬していて、言い
つけを良く守り、お圭の技を少しでも吸収しようとしていた。
105 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月14日(土)12時22分17秒
「圭織、何とかなりそうかな?」
圭織は、うなずいた。
「任せて。絶対、元に戻してみせる。」
圭織は、お梨華の前に座り、彼女の手を取った。そして彼女の目を見詰めて、忍法
「通気交」をかけ始めた。お圭とひとみは、闇の中で圭織の身体がぼうっと光って
いるのに気付き、妙に耳鳴りがしてきた。圭織が渾身の力をこめて集中すると、彼
女の精神の波動が周りの空気にも、影響を与えるのだった。
ひとみは、お梨華が元に戻るように祈りながら、二人を見詰めていた。
一刻が過ぎたが、圭織の施術は続いていた。圭織の額には汗が浮いて、顔面は蒼白
になっていた。昨日から一睡もしていないひとみの瞼は、次第に重くなってきた。
最初は緊張に包まれていたひとみだったが、動きのない二人を見ていると、ついう
つらうつらしてきて、いつしか眠りに落ちてしまった。
106 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月14日(土)12時23分10秒
「圭織さん、大丈夫ですか?圭織さん。」
耳に入った甲高い声にはっとなって、ひとみは目を開けた。どれだけ時が経ったの
か――。
お梨華の前に圭織が倒れており、その身体をお梨華が泣きそうな顔で揺さぶってい
た。
ぽかんと口を開けていたお圭が、突然すごい形相になって、お梨華に掴みかかった。
「お梨華、あんた正気に戻ったの?」
お梨華は、怯えた様子で身体を引いた。
「大丈夫なの?ねぇ、元に戻ったの?」
「圭ちゃん、そんな怖い顔で迫ったら、お梨華はまたどっかに行っちゃうよ。」
お圭の身体の下から、疲れきっているが、愉快そうな口調で圭織が言った。彼女は、
のろのろと身体を起こして、顔にかかった髪を払いのけた。紙のように白い顔に、目
の下の隈が黒く目立ったが、満足げな表情だった。
107 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月14日(土)12時24分13秒
お梨華は、圭織とお圭をきょときょとと見て、「ここ、どこですか?どうして、圭
織さんとお圭さんがいるんですか?」と言った。
ひとみは、お圭の後ろからお梨華に飛びついた。
「ごめんね、梨華ちゃん。わたしが、悪かったよ。もう二度と梨華ちゃんを怖がら
せないからね。」
「ひとみちゃん。そうだ、わたし、ひとみちゃんと戦って、鳥にいっぱい囲まれて、
それで――。」
「もういいよ、全部、わたしのせいなんだ。梨華ちゃんが遠くへ行っちゃったのを、
圭織さんが連れ戻してくれたんだよ。」
ひとみは、ぽろぽろ涙をこぼしながら、お梨華を抱きしめた。お梨華は、少しきょ
とんとした様子ながら、そんなひとみの背中を優しくなでていた。
お圭は、ほっとため息をついて、圭織に顔を向けた。
108 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月14日(土)12時24分58秒
「圭織、どうもありがとう。あんた、すごいよ。」
「わたしも、うれしいんだ。ひとみのお陰で、わたしの術がひと助けになることが
分かった。」
二人は、抱き合っているお梨華とひとみを見た。圭織の眼差しが、我が子を見る母
のように優しくなっているのに気付き、お圭は胸が熱くなった。
「ねぇ、圭ちゃん。こんなこと言うのは、旭日組組頭として失格なんだけど――。」
圭織が、穏やかな口調で言った。
「うん、圭織の言いたいことは分かる。」
お圭は、にやっと笑って言った。
「お梨華、ひとみ、こっちを向きな。」
抱き合っていた二人は、びくっとしてお圭を見た。ひとみはお梨華から身体を離し、
座りなおして首をうなだれた。
109 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月14日(土)12時25分59秒
「ひとみ、お梨華が元に戻ったら、自分の処分は圭織とわたしに任せると言ってたね。」
「はい。もう逃げません。どうとでもしてください。」
お梨華が、すがるような目でお圭を見た。
「今のあんたとお梨華を見たら、圭織もわたしも、あんたを殺せるわけがない。ひと
み、お梨華と一緒に逃げな。」
ひとみは、弾かれたように顔を上げた。
「その代わり、馬忍谷へ行っちゃいけない。できるだけ遠くの西のほうへでも行って、
忍びとは関係ない生活をするんだ。いいね。」
ひとみは、馬鹿みたいに口を開けて、首をがくがく縦に振った。お梨華は、ひとみの
腕を掴んで呆然としていた。
110 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月14日(土)12時26分41秒
「お梨華も、それでいいね。」
「はい、でも、お圭さんと圭織さんは――?」
「わたし達のことは、心配しなくていい。夜が明ける前に、二人ですぐに行きな。
なっちとお真希には、話しておくから。」
お圭の言葉を、にこにこしながら聞いていた圭織が、はっとしたように扉のほうに
顔を向けた。
「圭ちゃん、お真希が来た。」
111 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月14日(土)12時27分34秒
扉の外の闇から、すらりとした娘の姿が現れた。お真希は、本堂の中に座っている
四人を無表情に見回した。
「圭織の『通気交』が漏れてたから来てみたら、こんなことになってるとはね。」
お圭はゆっくりと立ち上がって、お真希と対峙した。
「お真希、ご苦労だったね。わたし達の仕事は、もう終わりだよ。」
「ううん、終わってない。ひとみがそこにいる。」
ひとみとお梨華も立ち上がった。ひとみは、お真希を睨みつけた。
この三人は年が同じで、旭日組に入ったのはお真希が先立ったが、後から入ってき
た二人とすぐに仲良くなって、忍びの仕事以外では、いつも一緒に遊んでいた。ひ
とみとお真希は、わざと二人でくっついて、仲間外れになってむくれるお梨華をか
らかって楽しむこともあった。
112 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月14日(土)12時28分37秒
そんな関係も、一年前お真希が姉のように慕っていた沙耶香を殺してから、変わって
しまった。お真希は無表情で黙っていることが多くなり、二人とは距離をおくように
なった。最初は心配で、お真希に声をかけていたひとみとお梨華であったが、いつし
か三人の間は元に戻らなくなっていた。
お圭は、しっかりした声で言った。
「お真希、ひとみとお梨華は、逃がしてあげる。これは、組頭の圭織が決めたことだ。
あんたも従いな。」
「それじゃ、破狼谷の掟は、どうなるのさ。あたしは、納得できないな。」
「掟よりも、圭織の命令が全てだろう。逆らうって言うのかい?」
お真希は、お圭と圭織を交互に見た。端正な顔が歪み、子供のような表情になって彼女
は叫んだ。
113 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月14日(土)12時29分39秒
「圭織も圭ちゃんも、ずるいよ!わたしに沙耶香を殺らせたときは、掟が全てだって
言ったじゃないか!」
「お真希、あのときは、悪かった。でも――。」
「いやだ、いやだ!あたしは、掟に従う。そうしなくちゃ――。」
お真希は、ひとみに目を向けた。ひとみはその目の中に、封印された、かっての明るく
て優しかったお真希が、少しだけ覗いているに気が付いた。
「あたしが、沙耶香を殺した意味がなくなる。」
お真希は、ひとみに飛びかかった。お梨華が懐剣を抜いて、ひとみを庇うように前に
出た。お真希は、手を伸ばして懐剣を掴んだ。
忍法――微塵がえし。
お真希の発する超音波で、お梨華の右腕が、懐剣と一緒に消滅した。お梨華は、右腕
の付け根から血を流し、後ろに倒れたところを、ひとみが抱きとめた。ひとみは、お
真希の次の攻撃で自分が血の霧になることを覚悟して、目をつぶった。
114 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月14日(土)12時30分44秒
お真希は、二人をじっと見詰めて、立ち尽くしていた。彼女の背中には、お圭が咄嗟
に投げつけた手裏剣が突き刺さっていた。術をお梨華に向けていたから、背中の手裏
剣を砕くことができなかったのか――。お真希は、ゆっくりと振り返って、お圭に顔
を向けた。
「圭ちゃん、ごめんね。」
「お真希、あんた、わざと――。」
「もういいんだ。圭ちゃんの言うとおり、こんなことは終わりにしよう。あは、あたし
、あの世に行ったら、沙耶香に会えるかなぁ。」
「真希ちゃん!」
ひとみが、失神しているお梨華を抱きかかえて叫んだ。
「圭ちゃん、最後のお願い。あたしの腕を、梨華ちゃんにあげて。お願いしたよ。」
そう言うと、お真希はがっくりと首を垂れた。
115 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月14日(土)12時31分47秒
お圭は仕込み杖を抜いて、お真希に斬りかかった。闇の中に白刃がきらめいて、ば
さりという音と共に、お真希の右腕が肩から斬り落された。お真希は既に絶命して
おり、自分の腕と一緒に、床に崩れるように倒れた。
お圭は、仕込み杖を捨てて、懐から瓢箪を出して中の液体を口に含んだ。そしてお
真希の腕を拾い上げると、真っ赤な切り口に液体を吹きつけた。
「ひとみ、お梨華を支えてな。」
お圭は、血を流しているお梨華の腕の傷口に、お真希の腕をあてがった。彼女は、
お梨華の右肩と、お真希の右腕を掴んでぴったりと固定すると、目をつぶって口の
中で何かを唱え始めた。腕と肩は太さが違って、少し合わせ目がずれていたのが、
次第に溶け合うようにくっついていった。最後にはお圭が手を離しても、腕はだら
りと垂れたが、下に落ちることはなかった。腕と肩の付け根には、細い赤い筋が残
っているだけだった。
116 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月14日(土)12時32分42秒
「忍法――人接ぎ木。」
お圭は、額の汗を拭ってつぶやいた。
彼女は、切断された人体の部位を、元のようにつなぎ合せる秘術を体得しており、破
狼谷の軍医のような役割も果たしていた。そんなお圭にとっても、違う人間同士の腕
を接合させるのは初めての体験で、成功するかは分からなかったが、お真希の最期の
願いに気圧されて、無我夢中でかけた結果、どうにかうまくいったようだった。
「圭ちゃん、どうなの?」
圭織が、心配そうに声をかけた。
「うまくいったと思う。しばらくは動かせないけれど、一日もすれば元の自分の腕の
ように使えるさ。」
117 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月14日(土)12時33分37秒
お梨華が、うっすらと目を開いた。大分血を失ったので、やや色黒の顔が、すっかり
白くなっていた。
「ひとみ、しばらくお梨華を休ませてから、さっき言ったように、西のほうに逃げな。
もう、誰もあんた達を追わないようにするよ。」
「ありがとう、圭ちゃん。お真希は――?」
「あいつは、圭織とわたしで、この寺のお墓に埋めて供養しておくよ。可哀相な娘だった
けど、やっと沙耶香のところへ行けた。」
お圭は、痛ましげな視線をお真希の死体に向けて、そっと手を合わせた。
長かった秋の夜が明けて、本堂の外に薄明かりが差していた。
118 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月16日(月)13時37分25秒
「ああ、気持ちいい。きれいな空――。」
鈴鹿峠に出ると、おなつが青い空を見上げて歓声をあげた。爽やかな秋風が吹き抜
けて、三人の娘たちの頬をなでていった。峠から見下ろす山の下には、伊賀の里が
広がっている。
圭織、お圭、おなつは伊賀の東、鈴鹿山を越えて、破狼谷へ戻る途中だった。
昨夜、ひとみとお梨華を見送ってから、圭織とお圭は、お真希を寺の墓場に埋葬し
た。そして旅籠へ戻って、夜の間に帰っていたおなつに一連の話を聞かせた。おな
つは、お真希の死に涙を流したが、ひとみとお梨華を逃がしたことについては、笑
みを浮かべて、何度も「良かった、良かった。」と繰り返した。
119 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月16日(月)13時38分15秒
十三人いた旭日組で、残ったのは遂に三人になってしまった。圭織とお圭も、ひと
みとお梨華を逃がしたことで、九衛門にどのような罰を下されるか分からなかった。
それでも、彼女達は破狼谷に戻ることを選択した。今回の事件の顛末を、破狼谷に
残った仲間達に伝えなければと思っていた。
お圭は、近来になく屈託のない笑顔を浮かべて、おなつと空を見上げている圭織を
見て、ほっとため息をついた。圭織は、自分の術でお梨華を救えたことで、真里の
思考を読んだダメージから回復したようだった。どうやらこの先、しばらくは、圭
織が自分の術に怯えて心を壊す心配はなさそうだった。
お圭は、肩を並べて歩く圭織とおなつを後ろから見ながら、考えていた。
(もう、殺し合うことには疲れたな。破狼谷へ戻ったら、旭日組を抜けさせてもら
おう。最前線からは身を引いて、裕ちゃんがやっていた、若い忍者の教育係に就か
せてもらおう。)
(旭日組は、圭織となっちが残っていれば大丈夫だ。若い忍者を補充して、また一
からやり直せばいいんだ。わたしはそれを、外から手伝おう。)
120 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月16日(月)13時39分03秒
「圭ちゃん、遅いべ。疲れたのかい?」
おなつが足を止めて、後ろを振り返って笑いながら言った。
「なーに、言ってんだか。なっちと圭織が楽しそうだから、邪魔しないようにして
たのさ。」
おなつと圭織は、顔を見合わせた。
「そういえば、なっちとこんな風に話すの、久しぶりだったね。」
「圭織とは、長い付き合いだからね。お互い、空気みたいなもんだ。」
「そうかも。」
そうそう、これからも空気みたく自然で、それでいてお互い絶対必要な存在で、旭
日組の要でいてちょうだい、とお圭は思った。
やがて前方に、峠の茶店が見えてきた。店の前で、主人らしい老人が立ってこちら
を見ていた。
「圭織、喉が渇いたな。」
「少し、休んでいこうか。」
121 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月16日(月)13時40分03秒
茶店に足を向けた三人に、主人が人の好さそうな笑顔を向けて、「お嬢さんがた、お
いしいお茶がありますよ。」と声をかけた。
三人は、店の前の板張りの椅子に腰を降ろした。主人は店に入り、すぐにお茶を三つ
持って出てきた。圭織は、本当に喉が渇いていたらしく、主人が置いたお茶をすぐに
口に運んで、一口飲んだ。
「伊賀まで、もうすぐだね。」
おなつは、目を細めて眼下の景色を眺めながら言った。
お圭は、さっき考えていたことを圭織とおなつに話しておこうと思い、お茶を手に取
った。
「なっち、わたし考えたんだけど――。」
「圭ちゃん、お茶を飲んじゃ駄目だ。」
圭織が、喉に何か詰まったような声で言った。
お圭は、ぎょっとして圭織の顔を見た。圭織は、大きな目を見開いて、お腹の辺りを
押さえていた。
122 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月16日(月)13時41分04秒
「圭織、どうしたの?お腹でも痛いの?」
突然、圭織の口から、ごぼっと血の塊が吹き出して、地面を赤く染めた。圭織は、
前かがみになって、椅子から崩れ落ちた。
「圭織!」
おなつが悲鳴をあげて、圭織を抱き起こした。圭織は、すでに死の影にくまどられた
顔を茶店の主人のほうに向けた。
「お茶に…、毒が…。」
主人は、にこにこ笑いながら、三人を見詰めていた。お圭は怒りと共に、その笑顔に
ぞっとする気持ちを覚えて、咄嗟に仕込み杖を抜いて斬りかかった。まるで案山子の
ように、何の抵抗もなく、主人の首は彼女の刃で斬り落された。奇怪なことに切り口
から血は噴出さず、主人はしばらく身体をゆらゆらと揺らして突っ立っていたが、や
がて糸が切れたようにどぅっと倒れた。
123 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月16日(月)13時42分23秒
「圭ちゃん、圭織が――。」
おなつは、ぐったりとした圭織の身体を抱いて、涙を流していた。お圭は、刀を引っさ
げたまま、圭織の横に膝をついた。圭織の美しい顔は土気色になっており、その目は
もう何も見ていなかった。自分の術に対する不安と迷いを、ようやく払拭できた女忍者
は、その腕をふるうことなく、あっけなく世を去ってしまった。
「圭織、一体どうして――。」
茶店の奥から、女が一人外へ出てきた。その姿を見て、気丈なお圭が思わず悲鳴を漏ら
した。
「お真希!」
それはまさしく、昨夜彼女が手にかけたお真希だった。右腕は付け根からなく、全身が
土くれで汚れていたが、整った美しい顔は損なわれていなかった。やや濁りのみえる目
を圭織の死体に向けて、彼女はうっすらと笑いを浮かべた。
「さすがの旭日組の圭織も、死人の考えは読めなかったようだね。」
124 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月16日(月)13時43分31秒
ゆっくりと近づいてくるお真希の姿に、全身の肌が粟立つような恐怖を覚えて、お圭
とおなつは後ずさった。
「お前は、お真希なのか?」
お圭は、震える手で刀を向けながら言った。
「わたしは、甲賀馬忍谷のおあゆ。わたしの忍法『黄泉路もどし』で、このお真希と
茶屋の主人は、わたしのしもべとして働いてもらった。」
地の底から聞こえるような、陰々滅々たる声だった。
「命を失って一日以内の死人は、身体が腐れて崩れるまで、わたしのしもべとなる。
うれしや、伊賀旭日組でも一番の術者のお真希が手に入るとはな。そこの圭織や
お前達も、すぐにお真希の仲間にしてやろう。」
「馬忍谷の忍者が、なぜわたし達を狙う?」
「ほ、ほ。まだ気付かなかったのかい?今回の殺し合いは、全て破狼谷の九衛門が
仕組んだんだよ。」
125 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月16日(月)13時46分45秒
お圭は、かっと目をむいて、お真希の亡霊を睨みつけた。
「何を言うの!そんなの、信じられるとでも――。」
「九衛門の手引きがなければ、馬忍谷の者が旭日組に近づける訳がないではないか。
おかしいとは、思わなかったのか?」
お圭は、おなつと顔を見合わせた。二人は互いの目に怒りと、疑惑と、深い悲しみの
色が浮かぶのを見た。
「でも、なぜ、九衛門さまが――?」
「九衛門は、馬忍谷と組んでもっと大きくなりたかったのさ。話は、九衛門のほうから
持ちかけてきたんだ。馬忍谷から出した条件は、一つ――。」
お真希は、乾いた唇を歪めて、歯を覗かせた。
「旭日組を消滅させること。お前達には、過去何度も痛い目にあってるし、これから
も目の上の瘤になりそうだったからね。九衛門は、その条件を呑んで、仲間同士で殺
し合いをさせて、旭日組を消してしまう方策を考えたのさ。」
126 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月16日(月)13時47分51秒
お真希は、じりじりと二人との間合いを詰めていった。
「さあ、これだけ聞いたら、思い残すことはあるまい。死んで、わたしのしもべとなれ。」
二人は、必死の形相で後ろに下がった。
不意に、お真希の表情が変わった。彼女は恨みのこもった目でお圭を見詰めて、低い声で
言った。
「圭ちゃん、よくもわたしを殺してくれたね。おまけに、腕まで切り落して――。」
お圭の頭で、何かがはじけた。彼女は、思わず前に飛び出して、刀をお真希の胸に
突き立てていた。狙いたがわず、刃はお真希の心臓を貫いたが、お真希は倒れなかった。
「忍法――微塵がえし。」
お圭の身体が一瞬にして消滅し、血の霧が飛び散った。お圭の返り血を浴びて全身朱に
染まったお真希は、にんまりと笑って立っていた。
127 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月16日(月)13時49分06秒
「お真希の術は、相手を粉々にしてしまうから、『黄泉路もどし』もあったものじゃないね。
仕方ない、新しいしもべは、圭織だけで我慢しておくか。」
おなつは、茫然としてお真希の足元の血溜りを見ていた。つい先程まで、笑いながら
連れ立っていた圭織とお圭が、あっけなくこの世から消えてしまったことが信じられ
なかった。旭日組もこれで終わりだ、という思いが、ちらりと頭をよぎった。
「なっち、あたしは旭日組にいたときから、あんたと一度、本気でやりあいたいと
思ってたんだ。」
亡霊が、お真希の口調で言った。
「あたしの『微塵がえし』を、あんたの『忍びの谺』で返せるのか。旭日組最強が
どっちだか、やっと試すときがきたね。」
お真希は、左手を前に突き出して、おなつに迫っていった。おなつは金縛りにあった
ように身動きできず、自分に近づいてくるお真希を見詰めていた。
128 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月22日(日)10時02分47秒
茶店から少し離れたところの叢の中に蹲って、女が印を結んでいた。色の白い、やや
険があるが美しい顔立ちの娘で、目を閉じて口の中で何かをつぶやいていた。
「旭日組最強がどっちか、やっと試すときがきたね。」
馬忍谷の女忍者、おあゆだった。彼女は、お真希の目を通しておなつを見、お真希の
口を使って、言葉を発していた。
「やっと、見つけた。こんなところに、いたんだね。」
後ろからの声に、おあゆははっとして振り返った。彼女の目に強烈な光が飛び込んで
きて、声を出す間もなく、女忍者の身体は、凄まじい高熱に包まれて塵となってしまった。
「忍法――魅光弾。」
いつの間にか、おあゆの後ろに忍び寄っていた小さな影が、ぽつりと言った。
129 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月22日(日)10時03分52秒
お真希の動きが止まった。突き出していた左腕が、だらりと下がって、そのまま足元
から崩れ落ちるように地面に倒れた。
おなつは、ようやく呪縛が解けたようにぱちぱちとまばたきして、一歩足を踏み出した。
「なっちー。」
後ろからの声に振り返ると、小さな人影が、飛び跳ねるように走ってくるのが見えた。おなつは、自分の見ているものが信じられなかった。
「真里、真里なの?」
死んだと思っていた矢口の真里が、涙を浮かべて、おなつに抱きついてきた。
「なっち、大丈夫だった?馬忍谷の忍者は、おいらがやっつけたよ。」
「真里、生きてたんかい?一体、どうして――?」
「ごめんね、圭織と圭ちゃんは、助けられなかった。あいつ、隠れてお真希を操ってたんだ。
もう少し早く見つけてれば――。」
130 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月22日(日)10時04分51秒
おなつは、小さな女忍者の暖かな身体を抱きしめながら、茫然としていた。一瞬、真里
も忍法「黄泉路もどし」で蘇った死人なのかと思ったが、腕の中にいるのは、紛れもな
く生きている真里だった。
「真里、あんた、九衛門さまの屋敷で死んだんじゃなかったんかい?」
「圭ちゃんが、おいらの顎を戻したときに、声を出さずに『魅光弾を使え』って言って
くれたんだ。それで、おいらが魅光弾を出した瞬間に、右手の関節も戻してくれた。
お陰でおいら、座敷が水蒸気で隠れている間に、自分で手足の関節をはめなおして、床下に
隠れることができたんだ。」
「じゃあ、圭ちゃんはあんたが生きているのを、知ってたんだ。」
131 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月22日(日)10時05分38秒
「うん。でも、どこから漏れるか分からないから、黙ってたんだと思う。おいら、
その後、しばらく床下でじっとしていて、少し体力が戻ってから、外へ逃げ出したんだ。
九衛門さまも、まさか自分の足の下においらが隠れていたとは、気付かなかった。」
「真里、傷はもう、治ったのかい?」
「まだおしっこするとき、ちょっと痛いけどね。でも、大丈夫。これからも充分、
使えるよ。」
おなつは、顔を赤くして言った。
「なまら、恥ずかしいこと言ってんだべ、この娘は。」
真里は、おなつから身体を離して、倒れているお真希を見た。
「お真希も、やっと本当に沙耶香のところに行けたね。旭日組も、ついになっちと
おいらだけになっちゃった。」
132 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月22日(日)10時06分17秒
「あれ、真里は知らないんだ。ひとみと梨華ちゃんは、生きてるべさ。」
「え、本当?どこにいるの?」
「二人して、西のほうに逃げたさ。」
真里は、ぐいと涙を拭って、おなつの目を見て言った。
「なっち、おいら達も一緒に逃げよう。馬忍谷の忍者の話、聞いただろ?おいら達
みんな、九衛門さまの策略の犠牲になったんだよ。もう、破狼谷に尽くすのはやめ
よう。」
おなつは、真里の言葉に心を動かされた。先程のお真希の口から語られた話が頭に
蘇って、哀しみと怒りがこみあげてきた。
「うん、分かった。真里と一緒に行く。そして、いつかみんなの仇をとろう。」
真里は、嬉しそうにうなずいた。
133 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月22日(日)10時07分05秒
その頃、ひとみとお梨華は、手をつないで山陽道を西へ向かっていた。突然、あっと
声をあげてお梨華がひとみの手をほどいた。
「どうしたの、梨華ちゃん?」
お梨華は、お真希から譲られた右手を、じっと見詰めていた。
「今、真希ちゃんの声が聞こえた。」
「え?どういうこと?」
「やっと、魂が解き放たれたって。よく分からないけど、圭織さんとお圭さんが、死んだって。」
ひとみは、お梨華の肩を掴んで、言った。
「圭織さんと、お圭さんが?どういうことなの?全然分からないよ。」
お梨華は、顔を上げた。目に涙をためていた。
134 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月22日(日)10時08分07秒
「真希ちゃんは、これからもわたしと一緒にいるって。それに、真里さんが生きてたって。」
「え、本当?」
「うん。おなつさんと一緒に、破狼谷を抜けて、わたし達を追ってくるって。」
「へえ。何だか分からないけど、おなつさんと真里さんが来てくれるんだ。それに、真希ちゃん
も一緒にいてくれるっていうんなら、賑やかでいいや。」
ひとみは、道の向こうに目を向けた。
「それじゃ、梨華ちゃん、のんびりと行こう。二人が追いつけるように。」
ひとみとお梨華は、顔を見合わせて、再び手をつないだ。そして、どこまでも広がる
青い空を見上げて、足を踏み出した。

2002年9月19日 了
135 名前:黒モニ 投稿日:2002年09月22日(日)10時11分22秒
旭日忍法帖、終わりです。9/23に間に合わせることができました。
これからは、後藤さんをメンバーに入れることはできないのかなぁ。
136 名前:名無し読者 投稿日:2002年09月22日(日)19時03分19秒
お疲れ様でした。
最強決定戦→『なっち最強』→(゚д゚)ウマー でも(ry

次回作にも期待しております。

>>後藤さん
今から24時間後にはファイナルライブスタートかぁ

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