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legend of japan blue
- 1 名前:akihiro 投稿日:2002年08月14日(水)00時53分30秒
- 初めて小説を書きます。サッカー物です。
駄文になったり更新がおそくなったりすると思いますが、
お読みいただけたら幸いです。
- 2 名前:プロローグ〜4年前〜 投稿日:2002年08月14日(水)01時45分58秒
- 2002年 埼玉スタジアム
サッカー日本代表は新たな歴史を刻んだ。
「安部きめた〜〜、日本追いつきました。」
日本のエース、安部なつみが日本のワールドカップニゴール目を決め、ベルギーに同点に追いついた。さらにその後には超攻撃的ボランチ福田明日香がゴールを決め一時は勝ち越した。
結局ベルギーの追いつかれ引き分けに終わったがワールドカップの歴史的初勝ち点を手にした。
- 3 名前:プロローグ〜4年前〜 投稿日:2002年08月14日(水)01時46分40秒
「今日の試合はよくやったで、みんな。」
選手達がロッカールームに引き上げるとキャプテンの中澤裕子がみんなに声をかけた。
「先制点決められたときはどうなるかと思ったけどね。」
フラット3の中心としてDFを牽引した保田圭は2−1から逃げ切れなかったからかテンションが低かった。
逆に盛り上がっていたのは点を決めた安部や福田、そして点こそ決めなかったものの大活躍した後藤、市井だった。
「カオリ〜、なっちカオリより先に点決めちゃったよ〜。」
「たまたま伸ばした足が届いちゃっただけっぽかったけどね〜。」
嫌味っぽくいながらももう一人のFW、飯田カオリは幼馴染の得点を心から祝福しているようだった。
福田「最後まで諦めずに足を伸ばしたのが得点につながったんだよ、きっと。」
市井「今日のごっちんは調子よかったねえ。スルーパスがキレてたよ。」
後藤「いちーちゃんだって後ろでよくフォローしてたよ。」
市井「次はロシアかあ。」
保田「今日引き分けちゃったから今度は勝たないとね。」
- 4 名前:プロローグ〜4年前〜 投稿日:2002年08月14日(水)02時03分33秒
- 6月9日
この日、日本は長身FW飯田がヘッドで折り返したボールを福田がゴールに押し込み1-0でロシアを下しワールドカップ初勝利をあげた。
日本全国が興奮の渦に巻き込まれている中、一人天国から地獄に叩き落された選手がいた。
「この怪我は今回の大会中には治らない。」
試合中、激しいあたりで負傷して途中交代した保田、代わりに入った平家がうまく代役をこなし点を取られることはなかったが、保田が抜けたあとロシアの攻撃がよりスムーズになったのは誰の目にも明らかだった。
ずっと長い間、夢に見てきたのになんで今・・・
保田は心の中で嘆いていた。
- 5 名前:プロローグ〜4年前〜 投稿日:2002年08月14日(水)02時18分14秒
- 三戦目、チュニジア戦にも2−0と快勝した日本代表は決勝トーナメント進出を決め、トルコと対戦することになった。
しかしトルコ戦を迎えるにあたって日本の不安点は続出していた。まずはDFの要、保田の負傷。さらにはここまで2得点をあげている福田の累積警告による出場停止。
相変わらず攻撃の基点、後藤は好調だったが、FWが得点できずに決定力に欠けていた。
そしてトルコ戦
絶対の信頼が置かれていた職人、市井のミスによる相手のコーナーキック
ゲーム序盤の集中力の欠如
DFの連携の悪さ
一瞬の隙をついて飛び込んでくる印象的なヘアスタイルの選手のヘッドにキーパー中澤は反応することができなかった。
そして・・・
- 6 名前:23の椅子を目指して 投稿日:2002年08月16日(金)22時55分03秒
- 「あれからもう4年も経つんか。」
ドイツW杯開催まであと××日としきりにやっているのを見て、4年前の日韓共催W杯で日本代表のキャプテンを務めた中澤がつぶやいた。
あの日韓W杯から4年が経ち、もうすぐドイツW杯の開催が迫っていた。
日本はW杯予選を圧倒的強さで勝ち進み、ぶっちぎりの一位で出場を決めていた。
4年前に比べると日本のサッカーレベルは格段に上がっている。
まず世界レベルに通じる選手が増えた。後藤、石川などの海外移籍、または海外移籍を経験した選手、4年前には無名だったがこの4年で急成長した選手。
明らかに4年前以上に代表枠23の争いは熾烈になっている。
そして最後の日本代表最後の合宿、参加者の28人が発表された。
- 7 名前:23の椅子を目指して 投稿日:2002年08月16日(金)23時58分24秒
- GK 中澤裕子(京都パープルサンガ)
アヤカ(清水エスパルス)
小川真琴(アルビレックス新潟)
里田まい(コンサドーレ札幌)
DF りんね(コンサドーレ札幌)
あさみ(同上)
紺野あさみ(同上)
吉澤ひとみ(浦和レッズ)
新垣里沙(横浜Fマリノス)
前田有紀(ガンバ大阪)
平家みちよ(アビスパ福岡)
稲葉貴子(同上)
MF 斎藤瞳(アルビレックス新潟)
高橋愛(鹿島アントラーズ)
石黒彩(浦和レッズ)
辻希美(FC東京)
矢口真里(横浜Fマリノス)
柴田あゆみ(同上)
ミカ(清水エスパルス)
加護亜衣(セレッソ大阪)
福田明日香(ガンバ大阪)
石井リカ(サンフレッチェ広島)
- 8 名前:23の椅子を目指して 投稿日:2002年08月17日(土)00時00分17秒
- FW 安部なつみ(コンサドーレ札幌)
飯田カオリ(同上)
大谷雅恵(同上)
藤本美貴(同上)
村田めぐみ(ベガルタ仙台)
松浦亜弥(ヴィッセル神戸)
「今回の代表合宿に召集するのはこの28人である。今回の代表は9割はこの中から選出する。残りの1割は海外組、そして怪我をしている選手から選出する。
合宿、そしてテストマッチを通して慎重に23人を決定していきたい。」
ヅィーコ監督
いよいよ23の椅子を賭けた本格的な戦いが幕をあける。
- 9 名前:23の椅子を目指して 投稿日:2002年08月17日(土)01時41分16秒
- 代表合宿の空気は非常に緊張感があり重かった。グラウンドには選手の声が響きヅィーコ監督、夏コーチの罵声が連日響いた。
前回の大会を経験している中澤などのベテラン組は非常に落ち着いてプレーしており調整も順調だった。
若手メンバーは代表争いのプレッシャーからか落ち着いてプレーすることができず調子を崩すものもいた。
合宿三日目、日本代表は二チームに別れミニゲームを行った。
青 安部 飯田
加護
矢口 辻
福田柴田
吉澤 稲葉 新垣
中澤
白 松浦 藤本
高橋
石黒 ミカ
斎藤石井
りんね 平家 あさみ
アヤカ
ベンチスタート 紺野 前田 大谷 村田
- 10 名前:23の椅子を目指して 投稿日:2002年08月19日(月)00時45分03秒
- ゲームは青のキックオフから始まった。
飯田が軽く押し出したボールを安部が加護に戻す。
「あいぼん、こっち」呼んだ辻の右サイドにボールを送る。辻がボールをトラップし前を向くと、石黒(白)が早くもチェックに来ていた。
「石黒さん、中を切ってください。」言われるまでもなく中をきろうとすると、辻は追い込まれる前にフォローに来ていた柴田に落とす。
「柴田、こっち!」飯田はボールをもらうと、チェックに来ていたりんねに背を向けたまま、ボールをワンタッチで浮かせDFの後ろのスペースに出した。
そのボールに飛び込んできた俊足FW、安部がシュート!
「ナイスDF、平家さん。」「さすがみっちゃん。」
安部のシュートはぎりぎりで飛び込んできた平家の足にあたりGKにとられたが、十分インパクトのあるオープニングシュートだった。
- 11 名前:23の椅子を目指して 投稿日:2002年08月19日(月)01時20分48秒
- ゲームは前半から白熱した。青は両サイドから辻、矢口が飛び出し中央からは福田が抜け出す。それにあわせ2トップの安部、飯田は忙しく動き回り相手をかく乱していたがそれ以上に白の3バックの守りがすばらしかった。
りんね、あさみのサイドバックコンビが2トップをしっかりと抑え、後ろにこぼれたボールを平家が処理する。非常に連係がうまくいっていて無駄がなかった。
対する白は右サイドからミカがいいタイミングで飛び出すもののあまりうまくパスが来ない。石井、斎藤の両ボランチのパスが精度を欠き、トップ下の高橋もミカや2トップとのタイミングが合わなかった。2トップの松浦と藤本は個人技はいいプレーを見せるものの連係して攻める場面がほとんどなく、しっかり吉澤、新垣につかれて決定的な場面がなかった。
- 12 名前:23の椅子を目指して 投稿日:2002年08月19日(月)01時40分28秒
- 両チームともDFがよく頑張っていたのでしばらくゲームは膠着状態が続く。二度目の決定機は前半18分、今度は白チームだった。
加護から飯田へのくさびのパスをりんねがインターセプトする。りんねはすぐ斎藤にパスを出し斎藤は前を向かずダイレクトでサイドの石黒に出す。
「石黒さん、こっちです。」高橋がマークを外しボールをもらう。前を向いた高橋は福田のプレッシャーにボールを奪われそうになるも、持ちこたえ、一旦サイドに開いて中に入ってくる松浦に今日一番のパスを出した。
「ナイスパース、高橋。」「祐ちゃん出て!!」
ゴール前、キーパーと一対一になった松浦、
(ここは絶対に外せない。決める!)
(ベテランの意地見せたるで〜)
絶妙なタイミングで飛び出してコースをふさぐ中澤、松浦の強烈なシュートをはじいた。
「ナイスセーブ、祐ちゃん!」しかし青の喜びもつかの間、中澤がはじいたルーズボールを藤本があっさり決めて白が先制した。
青0-1白
- 13 名前:読者 投稿日:2002年08月19日(月)16時56分57秒
- 質問があります。
作品は面白いんですがどうして選手の所属チームは出身地になってるんでしょうか。
特にコンサドーレ札幌に代表FWが4人も居るのは異常な気がします。
これでは代表なのに試合に出れない人も居ると思います。(ミランやマドリードじゃないんだから)
もう少し所属チームは工夫して欲しいです。
- 14 名前:akihiro 投稿日:2002年08月22日(木)01時22分07秒
- >>13さん
初レスありがとうございます。
所属チームは突っ込まれると思いましたが出身地で行かしていただきました。
そのうちコンサドーレにFWが4人もいる理由も説明(言い訳w)させていただきたいと思います。
- 15 名前:23の椅子を目指して 投稿日:2002年08月22日(木)01時45分29秒
- 青ペースで進んでいたゲームはこの一点で一変した。
押しながらも先制点を奪われてしまった焦りからか青の攻撃が単調になった。2トップは動きがパターン化してきており、福田はなりふりかまわず上がり柴田の負担が増えた。
一方の白は一点取って落ち着きを見せ始め、高橋、松浦、藤本の息が合い始めた。高橋のゲームメイクは見事だった。2トップにスルーパスを出し、時にはサイドのミカを走らせる。
圧巻は前半35分、柴田のマークを背負ったままパスを受けた高橋は、一旦タメをつくり鮮やかなフェイントで柴田を交わし前を向く。3対3の状況、右からはミカも上がってきている。後ろから追ってきた福田はファールで止めるしかなかった。
前半36分、ペナルティエリア付近のゴール正面。これ以上ない絶好の位置。前には5枚の壁が立ちはFKは惜しくも枠を捉えなかったが前半、先制点を取った後は完全に白のペースだった。
前半終了 青0−1白
- 16 名前:akihiro 投稿日:2002年08月22日(木)01時52分23秒
- すいません、9のベンチのところに小川と里田の名前が抜けてました。申し訳ありません。
- 17 名前:23の椅子を目指して 投稿日:2002年08月22日(木)02時00分15秒
- 後半 青 中澤⇔小川、稲葉⇔前田、飯田⇔村田
白 アヤカ⇔里田、あさみ⇔紺野、松浦⇔大谷
- 18 名前:23の椅子を目指して 投稿日:2002年08月23日(金)01時50分16秒
- ハーフタイムに入っても休んでいる選手は一人もいない。各チーム交代選手を含めて14人がミーティングをしていた。
10分間はあっという間に過ぎ後半開始の笛が吹かれた。
- 19 名前:23の椅子を目指して 投稿日:2002年08月23日(金)02時00分22秒
- 後半、白のキックオフと同時に青の2トップ(安部、村田)が勢い良くプレスをかけてきた。
青は前線から激しいプレッシャーをかけ、早い段階からワンサイドに追い込む守りを展開した。
一方の白は厳しいマークとプレッシャーにてこずり、後ろでボールを回すばかりで前線までボールをもっていけない。たまに藤本、大谷に楔(くさび)のパスが通ることもあったが、新垣、前田が確実にマークしており攻めきれない。
後半12分、斎藤のパスミスを矢口が拾い一気に速攻に持ち込む。左サイドを切り裂いてからのセンタリングに村田が飛び込みヘディングシュート!白のキーパー、後半から出場の里田は反応するもののボールに触れることはできなかった。
青1−1白
- 20 名前:23の椅子を目指して 投稿日:2002年08月23日(金)02時15分37秒
- 青の勢いはこの後も止まらなかった。反対にこの得点で白は浮き足立ってしまった。
青の2トップ安部と村田が前線から積極的にインターセプトを狙い、加護を含めた前線3人が3バックのようにうまく機能してプレッシャーをかけていた。
得点をあげた後半12分に続き、18分、24分、35分、43分とチャンスが続いたが詰めが甘かった。もちろん平家や里田のファインプレーもあったが決定力が不足していた感は否めなかった。
白は後半、防戦気味になってしまったが、まったくチャンスがなかったかというとそうでもない。藤本、大谷のコンサドーレの新2トップは評判どおりの連係のよさを見せたし、ミカのサイドアタックも何度か青を驚かせた。
とはいえ後半は青が完全に押しており前半の白、後半の青という展開になり試合は終了した。
試合終了 青1-1白
- 21 名前:23の椅子を目指して 投稿日:2002年08月30日(金)01時57分57秒
- その日の練習はゲームのあとクールダウンをして終わった。
練習が終わったあとチームは和やかな雰囲気に見えたが相手が23の椅子を争う相手ということでか何かぎこちなかった。
合宿は何事もなく無事終了し、テストマッチ3試合(対スウェーデン2−2、対カメルーン1−2、対イングランド1−3)も結果こそ2敗1分だが内容は悪くはなかった。
無論結果しか見ない素人はヅィーコ監督を不安視していたようだが・・・
5月24日、全国のサッカーファンが異様な緊張感を持つ中、ドイツW杯の代表23人の発表が行われた。
- 22 名前:〜不屈の闘将〜 投稿日:2002年08月30日(金)02時27分44秒
- 背番号1 中澤裕子 GK 35歳 京都パープルサンガ
「こらー、圭。もっとライン上げんか!」「そこチェック甘いで、カオリ!!」
芝のピッチに響き渡る、時に怒声、時に励ましであるその声に日本は何度も救われてきた。
22歳で大学を卒業して当時まだプロではなかったが京都パープルサンガに入団した一年目から不動の守護神として活躍し、日本代表にも招集された。
12年前のドーハの悲劇。23歳の彼女はベンチでその悲劇を味わった。『ベンチで声を出していたけど他にできることが何もなくてひたすら悔しかった』と語った。
その4年後のフランスW杯への最終予選、彼女は堂々と日本のゴールマウスに立っていた。
キーパーとして決して背は高くない。しかし最後まで諦めない粘り強さでゴールを死守し、どんな時でも出すことを忘れない声で後ろからチームを支えるまさに守護神であり頼りになるキャプテンだった。
日本にとって初めてのW杯のピッチにも彼女の姿はあった。
しかしそれは屈辱的な結果に終わってしまった。3戦全敗、4失点。『ドーハの時よりも悔しかった。4年後必ず借りは返したい』
- 23 名前:〜不屈の闘将〜 投稿日:2002年08月30日(金)02時28分48秒
彼女はその後新天地へと足を伸ばした。イングランドリーグ、スペインリーグ、フランスリーグ。1部2部を問わずレベルの高い欧州のサッカーを肌で体験した。
どのチームでも定位置奪取はならなかったがレベルの高いレギュラー争いのなかでたくさんの物を得て再び京都に帰ってきた。
4年前のトルコ戦、一失点に彼女の非はない。それでも彼女は思いっきり悔しがった。非常に負けず嫌いなのだ。そんな姿が日本代表に勇気を与え最後まで諦めない姿が最高のプレーを誘発させる。
日本は少し前の11番のように胸に手を当て国家を歌うような、キックオフ前にボールに祈りを込めるような選手はいなくなってしまった。そういう面で「日本代表はかつてのようなW杯を死ぬ気で目指すような気持ちはなくなってしまったのでは?」という人もいる。
しかしそれはちょっと違う。いつも常に全力で、諦めずにプレーしている選手がいる。中澤裕子がいる限り、日本の魂は確実に後世へと伝わっている。
- 24 名前:〜3バックの申し子〜 投稿日:2002年08月30日(金)02時52分39秒
- 背番号2 平家みちよ DF 32歳 アビスパ福岡
『3バックの申し子』彼女は良くこんな風に形容される。彼女と3バックとの出会いは中学生の時だった。
当時、4バックが主流だったその時代に3バックは珍しく、その経験が今の3バックのプレーにあらわれている。
両サイドのDFに指示を出す判断の的確さ、ラインの上げ下げ。彼女の長い経験が非常に生きていた。22で就職し、社会人チームでプレーしていたが、監督に目をつけられ、23歳で3バックの一角として代表入りを果たす。
フランスW杯の代表にも選出されたがベンチで試合を眺めていた。散々だった3バックが非難され平家を使うべきという意見も出た。
しかし7年前、3バックのセンターとして代表デビューしたのは保田だった。平家はセンターDFからサイドへと回される。それでも彼女は腐った様子は微塵も見せなかった。
それどころかインタビューで『代表に入りたいと思ってても入れない人は山ほどいる。だから自分が代表で与えられたポジションを精一杯こなしていきたい』記者にそう笑顔で答える彼女の顔は非常に輝いていた。
- 25 名前:〜3バックの申し子〜 投稿日:2002年08月31日(土)02時48分17秒
- 4年前の日韓W杯でも保田のバックアッパーとして招集されたが、その保田の故障のため出場機会がやってきた。
不安視された日本のDFラインを統制し、保田に勝るとも劣らない存在感(ピッチの中の選手にとっての)を発揮していた彼女が、3年前の悔しさから成長した彼女がそこにいた。
他のDFと絶妙な間をとり、見えないDFのファインプレーに貢献する。『3バックの申し子』は日本のDFを語る上で欠かすことのできない選手なのである。
- 26 名前:〜最後の砦〜 投稿日:2002年09月01日(日)02時02分17秒
- 背番号3 保田圭 DF 33歳 柏レイソル
日本代表で彼女ほどW杯に恵まれていない選手はいない。
保田は23で大学を卒業し柏レイソルに入団、そこからめきめきと力をつけ25歳でフランスW杯代表候補であったが、直前のJリーグの試合で右足を削られ途中退場、その後も怪我は感知したものの完調には戻らず代表落ちしてしまった。
しかしその後はその悔しさをばねに大きく飛躍する。Jリーグではチームを引っ張り優勝争いに食い込み、オリンピックではオーバーエイジ枠で出場、初の国際大舞台でキャプテンとして日本代表をベスト16に導いた。アジアカップでも日本の優勝に貢献し、W杯は出ていないものの日本代表の最後の砦として高く評価された。
それから二年後、名実ともに日本ナンバーワンDFとなって迎えた日韓W杯、ここでも彼女は運がなかった。一回戦で安定したパフォーマンスを見せた後の二試合目のロシア戦。ゴール前の空中戦で相手と激しく接触、着地の際に右足を思いっきりひねった・・・・そして途中退場。彼女のW杯は終わった。
- 27 名前:〜最後の砦〜 投稿日:2002年09月01日(日)02時12分00秒
- 靭帯を損傷し、全治三ヶ月の大怪我だったが、それも見事に克服し、彼女はフィールドに帰ってきた。
しかし別に悲劇がまた彼女を襲う。長年の相手FWとの競り合い、空中戦、彼女のひざの爆弾は爆発寸前だった・・・
日韓W杯から二年後のJリーグ1stステージ第12節、対コンサドーレ戦。日本代表のFW、飯田圭織とルーズボールを追いかける。飯田がボールに向かって伸ばした足が保田の足と交錯する。
「ブツッ」何かが切れる音、いやな音。
保田圭の足はもうサッカーができないと言われた。
- 28 名前:〜最後の砦〜 投稿日:2002年09月01日(日)02時24分11秒
- しかし彼女は決して諦めなかった。『どうしても未練の残るW杯でプレーしたい』その強い気持ちでリハビリを続け、公式戦復帰したのはW杯4ヶ月前のこと。
それでも監督は彼女を選んだ。今でも痛み止め注射を打たないと試合に出場できない彼女を。
「日本の最終ラインからDFであれほど存在感のある選手はいない」
ヅィーコ監督のそのコメントが彼女の必要性を示している。
その後、マスコミで彼女はこのW杯で代表を引退することを表明している。
事実上、最初で最後の保田圭のW杯が始まる。
- 29 名前:フィジカリスト 投稿日:2002年09月17日(火)01時52分01秒
- 背番号4 戸田鈴音 DF 24歳 コンサドーレ札幌
『フィジカリスト』彼女は良くこう呼ばれている。もちろんそんな英語は存在しない。ファンがつけた造語である。そして彼女はその言葉どおりフィジカルが強い、相手に当たり負けないパワーが持ち味の選手である。
「札幌とやるときはセットプレーでもなかなか点が奪えない」とは神戸の松浦の言葉だが、確かにコンサドーレのセットプレーからの失点はニ年連続でリーグ最小である。このことが彼女の空中戦の強さを物語っているといっていいだろう。
- 30 名前:フィジカリスト 投稿日:2002年09月17日(火)01時53分37秒
- 彼女の『フィジカリスト』と呼ばれるようなフィジカルの基盤は高校時代にある。北海道の高校は冬になるとグラウンドでの練習はできない。その間彼女は自分の体を鍛えることに没頭した。その結果に彼女のあたりの強さが存在する。
そんなフィジカルの強さを引っさげて鳴り物入りでコンサドーレに入団した彼女だったが、入ってすぐのミニゲームでプロの洗礼を受ける。FW飯田圭織との初めての空中戦で容赦なく吹き飛ばされる。初めての経験だった。フィジカルだけは誰にも負けないと自負し、その相手が日本代表のFWであろうと負けたくないという彼女のプライド。それが彼女にまたさらに屈強なフィジカルを与えた。
- 31 名前:フィジカリスト 投稿日:2002年09月17日(火)02時17分29秒
- そんな彼女が代表入りを果たしたのは3年前、21歳だった。海外のFWにも当たり負けることなく、空中戦で活躍する彼女に『フィジカリスト』という呼び名がついたのもこのころだった。その後、アジアカップでも3バックの一角で活躍している。
ライバルである吉澤にレギュラーを奪われることもあるがフィジカルでは紛れもなく日本代表一であろう。そしてその地位はこれからも揺らぐことはないだろう。クラブの練習後、グラウンド脇でひとり黙々とフィジカルトレーニングを続ける彼女がいる限り・・・
- 32 名前:名無し読者 投稿日:2002年09月17日(火)10時08分40秒
- 一人ひとりの設定があるので楽しく読んでます。
一つ、福田、石井がいるのなら市井も入れてください。
DH希望。(ボランチ稲本)みたいな感じで。
あれ、よく見たら後藤も石川もまだ出てないのか。(もしかして海外組か?)
頑張ってください、自分もサッカー好きなので。
- 33 名前:akihiro 投稿日:2002年09月18日(水)00時27分42秒
- >32名無し読者さま
レスありがとうございます。市井は海外組でちゃんと出てきます。ご心配なく。DHの予定ですが、稲本とは違うタイプになると思います。
自分もサッカー経験者ですが下手くそなもので試合の描写もおかしくなると思いますがお付き合いくだされば幸いです。
- 34 名前:〜ジャックナイフ〜 投稿日:2002年09月18日(水)01時20分38秒
- 背番号5 福田明日香 MF 29歳 ガンバ大阪
4年前の日韓W杯、彼女は超攻撃的DHとして活躍し、見事2得点をあげた。
日本ではそのことが絶賛され、スポーツ新聞や雑誌などの評価も高かった。『自分自身にとって最高のW杯だった』と本人も語っている。
しかしそんな福田ブームが沸き起こる中、サッカーの本場欧州では福田よりもむしろそのコンビを組んでいた市井の方が高く評価され、福田については問題児であると評価しているところもあった。
確かにDH(ボランチ)の仕事は守備が中心で攻撃面では攻撃の主な方向性を定めたり、トップ下やサイドのプレーヤーのフォロー程度であって自らが上がっていく福田のような選手は少ない。ジャックナイフのような鋭い切れ味を持つが確かに市井の負担は大きかった。賛否両論が非常に分かれる選手だった。
- 35 名前:〜ジャックナイフ〜 投稿日:2002年09月18日(水)01時30分40秒
- 当時彼女が所属していたアーセナルでは彼女のプレイスタイルを認めなかった。福田は新しいクラブを探すことになる。どうしても海外で、しかもなるべくなら試合に出られるところでやりたかったので苦労したが結局は同じプレミアリーグのサウザンプトンに落ち着いた。
ここでも彼女は自分のプレイスタイルを貫き、超攻撃的DHとしてハットトリックを達成するなど活躍していたが、市井と同じタイプであり、守備意識の高かったベテランDHが移籍すると状況は一変した。
福田が上がっていったそのスペースに敵が走りこみカウンターで一気に数的優位を作られる。大量失点を繰り返してもプレースタイルを変えない福田に、ファンだったものも福田を非難し始めた。
チームの不振で福田のスタイルを認めていた監督が変わると彼女はベンチ、そしてサテライトへと地位を落としていく。プレーできない苛立ちから彼女は日本に帰ってきた。
- 36 名前:〜ジャックナイフ〜 投稿日:2002年09月18日(水)01時42分57秒
- 日本でも彼女のスタイルは賛否両論だった。獲得に名乗りをあげたのはガンバ、アビスパ、レイソルなど攻撃に難を抱えるチームだった。
中でも彼女のプレイスタイルを生かすために守備意識の高い新外国人DHを獲得するという意欲を見せたガンバに福田は契約を交わす。「このクラブなら最大限に力を発揮できる」そう思っていた。
なぜ彼女がこれほどまでにレギュラーとして試合に出ることにこだわっているか。それはイングランドで落としてしまった評価をもう一度上げるためだった。この頃の彼女は日本代表にまったく招集されず日本代表の監督と考え方で対立していた。
彼女は絶対に自分のスタイルを変えようとはしなかったし、そのために新しい選手を用意し、待っていてくれたガンバこそ自分に一番あったチームだと思っていた。
それでも彼女は今回の代表に招集された。日本にいまだ決定力が不足している感があるのは明らかである。
『ジャックナイフ』であり『問題児』である彼女の起用は吉と出るか、凶と出るか。それはベスト16への成否によって明らかになる。
- 37 名前:〜守備職人〜 投稿日:2002年09月18日(水)16時09分44秒
- 背番号6 市井沙耶香 MF 27歳 リヴァプール
全体の状況を把握し、抜群の読みで相手の攻撃の芽をつぶす。味方が攻めあがるスペースをしっかりと埋めて相手のカウンターに対処する。
彼女のボランチとしてのそんなプレイスタイルは4年前の日本代表の守備に落ち着きを与えた。
攻撃の面では貢献したようには見えないが、後藤と抜群の連係を見せ、日本の安定した攻撃の基盤を作り出していたのは間違いなく彼女だろう。
しかしそんな好プレーを続けていても一瞬のワンプレーで勝敗が決まってしまうのがサッカーである。
決勝トーナメント一回戦のトルコ戦。ゲーム序盤のなんでもないボールのトラップミス、当然相手がそれを見逃すまでもなく一気に相手のカウンターが炸裂する。
なんとかコーナーキックに逃れたがここでも市井は決定的なミスをしてしまう。さっきのミスの後遺症か。スペースを埋めていたはずの彼女は後ろから走りこんでくるトルコの6番に気づかなかった。
- 38 名前:〜守備職人〜 投稿日:2002年09月19日(木)01時45分55秒
- 市井沙耶香にとってこの4年間はあの一点を取り返すためのものだった。それほど市井にとって代表チームは大切なものであり、W杯というものは何より変えがたいものだった。
とはいえいくら彼女のミスで日本が負けたといってもW杯の彼女の評価は高かった。海外からのオファーもいくつかあり、「しばらくは日本でプレーしたい」と語っていた市井も「自らに高いハードルを課したいと思う」と海外移籍を決心した。
彼女が選んだのはセリエA、ブレッシア。シーズン開幕前のキャンプまではレギュラー組で出場し、エキシヴィジョンでも高い評価を得た。
このままセリエAでも成功すると誰もが思っていたが・・・
- 39 名前:〜守備職人〜 投稿日:2002年09月19日(木)02時01分59秒
- ここで市井はサッカー人生でおそらく初めてであろう大きな挫折を味わうことになる。
シーズン開幕、スタメン出場。激しいポジション争い、厳しいチェック、半分反則、日本なら笛の吹かれそうなプレー、目の肥えたファンの厳しい目。
すべて想像はしていたものだが、実際に肌で体験すると思った以上の重圧だった。
始めはすべてが新鮮で新しく楽しいこともあったが、言葉の壁やホームシックにも悩まされた。
さらに悪いことにチームも絶不調だった。チーム停滞の原因は市井とファンの罵声をあび、イタリアのサッカー誌に酷評された。
そこからなんとか一シーズンはブレッシアで過ごしたが、チームはセリエB降格、市井自信は『欧州移籍マーケット』へ自由契約の身となった。
- 40 名前:〜守備職人〜 投稿日:2002年09月19日(木)02時20分35秒
- 自信をなくし、日本に帰ろうかと考えていた市井に救いの手を差し出したのは、紳士の国の名門、そして福田の所属していたアーセナルだった。
アーセナルの監督は市井のプレーを非常に高く評価していた。しかしここでも市井はイタリアとは別の意味での問題を抱えることになった。
『試合に出られない』
日本代表でも常にレギュラーとして活躍していた市井にとってベンチで眺めるピッチは耐えがたいものだった。イタリアの生活を考えると大分楽ではあったが・・・
試合には出られないものの練習や外で実際のプレーを見ているだけでも得るものはたくさんあった。
「見ているうちに自分はここでやれるんじゃないかっていう自信も出てきた」後にあるサッカー雑誌にこのときのことをこう語っていた。
数えるほどしか試合に出場できなかったことを理由に市井は移籍を希望した。
2005年、市井はアーセナルからリヴァプールへ戦いの場を移した。
- 41 名前:〜守備職人〜 投稿日:2002年09月19日(木)02時32分48秒
- リヴァプールでもベンチから、時にはスタンドからピッチを眺める状況は変わらなかった。
しかし転機というものは訪れた。レギュラーのDHが怪我、次の試合、市井はスタメン起用された。
この試合で市井は鬱憤を晴らすような活躍をした。W杯のとき以上の職人ぶりを発揮してその後の試合も活躍し、徐々に監督、チームメイトの信頼も勝ち取っていった。
怪我をしていた選手が復帰してもその状況は変わらなかった。市井沙耶香は念願の『定位置』を獲得したのだ。
今ではイングランドでもっとも有名なアジア人となった。4年前とは一皮も二皮もむけた市井がここにいる。
そして『あの一点』を取り返しに市井沙耶香がW杯にやってくる。
- 42 名前:名無し読者 投稿日:2002年09月19日(木)11時10分02秒
- 『紗』耶香でお願いします。
読んでます。
頑張ってください。
- 43 名前:川o・-・)ダメです… 投稿日:川o・-・)ダメです…
- 川o・-・)ダメです…
- 44 名前:akihiro 投稿日:2002年09月20日(金)20時37分13秒
- >43名無し読者さま
すいません、気が付きませんでした。これからは『紗』耶香でいきます。
- 45 名前:akihiro 投稿日:2002年09月20日(金)20時38分54秒
- たびたびすいません。
>43→42でした。
- 46 名前:〜日本のカリスマ〜 投稿日:2002年09月22日(日)23時24分48秒
- 背番号7 後藤真希 MF 24歳 ASローマ
緊張感のあるピッチの中でもひとり冷静なプレー、ゴールを決めても試合に勝利してもクールな反応、無言のマスコミ対応にCM出演。
何をやっても『絵』になる後藤真希は間違いなく日本サッカー界のカリスマである。
そして彼女は4年前の日韓W杯でもっとも飛躍を遂げた選手でもある。
- 47 名前:〜日本のカリスマ〜 投稿日:2002年09月22日(日)23時36分02秒
- 「自分の人生の中で一番の転機」と後藤本人も語る2002FIFAW杯。
弱冠20歳で日本の中心に堂々と君臨する司令塔が、世界の大きな驚きとなった。「あんな選手が日本にいたのか!」後藤の存在を知らなかった人々が口々にこう言った。
4試合ともチームの中心となり一得点をあげた。そしてその勢いのままFC東京からイタリア、セリエAのペルージャに移籍。そしてそこでも彼女はイタリアに大きな驚きをもたらした。
勝利を何よりも優先する彼女にとってイタリアのスタイルはあっていたのかもしれない。開幕からスタメンとして活躍し、欠かせない選手としてチームを支えた。味方を動かすだけでなく、自らも点を決める。次第に周りの評価を上げていき、イタリア2シーズン目にはASローマに移籍した。
- 48 名前:〜日本のカリスマ〜 投稿日:2002年09月23日(月)00時04分09秒
- 名門ローマに移籍すると彼女の立場は一転した。ペルージャの天国のような生活とは一変。イタリアの天才、『王子』と称されるフランチェスコの後塵を踏まされることとなる。
それでも1,2シーズン目は技術の高さを生かし、ボランチとしてスタメンをとり、時にはトップ下の位置に入ることもあった。
3シーズン目、移籍によって入ったDHトマーシーや同じくDHザネットにより彼女のポジションは完全にフランチェスコのリザーブとなってしまった。
さらに悪いことに外国人枠の問題でベンチにすら入れない試合も多かった。カップ戦ではスタメンで出ることもあったが、リーグ戦で出ることはままならないままセリエA3年目のシーズンが終わろうとしていた。
- 49 名前:〜日本のカリスマ〜 投稿日:2002年09月23日(月)00時17分47秒
- それでもそのままで終わらせないのが日本のカリスマだった。リーグ優勝争いの終盤、ローマの王子フランチェスコの不調によってチームがピンチにピンチに陥っているとき、代わりにピッチにあらわれたのは彼女だった。
天王山となるユベントス戦で後半から出場し、1ゴール1アシスト0-2の状況から2-2と同点に追いつき、チームはリーグ優勝をほぼ手中に収めた。
ローマの監督は彼女について「非常に信頼できる選手だ。間違いなく後藤真希はローマのスクデット(リーグ優勝)獲得に貢献した。創造性ではフランチェスコに分があるが、堅実性では彼女の方が上だ」と語っている。
最近は長い間のベンチで試合感が鈍ったのか調子がよくない。代表選考前も精彩を欠いていたがそれでも彼女は選ばれた。
「現在の日本であれほどカリスマ性があって、世界のトップレベルを体験している選手はいない。彼女がどんなに不調であろうと私は彼女をドイツに連れて行く」このヅィーコ監督のコメントが彼女への信頼感を証明している。
日韓W杯で飛躍した彼女、ドイツW杯は『2』度目の転機となるのか。
- 50 名前:〜左サイドの最終兵器〜 投稿日:2002年09月23日(月)00時54分44秒
- 背番号8 矢口真里 MF 28歳 横浜Fマリノス
日本のテストマッチ、対スウェーデン戦。先制はしたものの逆転され、1-2で後半15分ゲ、日本は攻め手を欠きゲームは膠着状態だった。
ベンチサイドからシャッシャッ、とウインドブレーカーのすれる音が聞こえてくる。背番号8、この小柄な選手こそが矢口真里である。後半24分に矢口真里の名前がコールされると会場は興奮の渦に巻き込まれた。
ゲームは彼女の出現により一気にスピードアップする。DFを切り裂く鋭いクロスで日本を同点に導いたのは途中出場の背番号8だった。
- 51 名前:〜左サイドの最終兵器〜 投稿日:2002年09月23日(月)00時58分34秒
- “スーパーサブ”矢口真里にとって切っても切れない言葉である。4年前の日韓W杯から上記のような使われ方をしてきた。
正確なクロス、サッカー選手としては世界有数といわれるトップスピード、すぐにトップスピードに乗れる瞬発力、短い時間で結果を出す爆発力。これら彼女が持っている能力はすべてスーパーサブとして適当なものであった。
そしてなんといってもスタミナがないという彼女の欠点が代表でスタメンを取れない一番の原因である。現在のスピードサッカーにおけるサイドの重要性は計り知れない。日本ではじめて生まれた純粋なサイドのプレーヤーといわれる矢口だが、スタミナの面だけはサイドどころかプロの水準をクリアするかどうかだった。小柄という原因はあるにしろである。
勿論彼女も今の使われ方に不満はない。が、満足はしていない。やはりスタメンで出たいとは強く切望している。
- 52 名前:〜左サイドの最終兵器〜 投稿日:2002年09月23日(月)01時10分14秒
- 4年前のW杯彼女は“切り札”として期待されながらもいいところがなかった。
彼女を責めるよりは、いいパスが来なかったということを非難すべきだったが・・・
「いいパスが来ない」というのが彼女のアキレス腱だった。スピードに任せて裏を取るのが主な彼女のスタイルだったので引いて守られた時個人で突破する能力はなかった。
さらに同僚のパサー、石川梨華の海外移籍で彼女の“弱点”が露出してしまう。彼女は個人突破の能力を身に付けざるをえなくなった。
「一番悩んだ時期でした。ボールコントロールをひたすら練習しましたね」彼女はこのときのことをこう振り返っている。
- 53 名前:〜左サイドの最終兵器〜 投稿日:2002年09月23日(月)01時22分11秒
- アテネ五輪にオーバーエイジ枠で出場した時、彼女はさらに切れ味を増していた。石川梨華からのスルーパスに加えて個人での突破も披露。スタミナ不足は改善されていなかったが“スーパーサブ”としての評価はさらに上がった。
彼女は弱点を見事にひとつ克服して見せた。その後のJリーグでも個人技を見せつけ、代表確定といわれ案の定選考された。
しかしまだまだ満足はしていないだろう。彼女の目標はスーパーサブ脱却であり、スタメン奪取なのだから。
矢口真里の挑戦はまだまだ続く・・・
- 54 名前:〜羽を失った天使〜 投稿日:2002年09月23日(月)22時47分45秒
- 背番号9 安部なつみ 31歳 コンサドーレ札幌
華麗に舞う空中ボレー、観客の目を釘付けにしてしまうバイスクルシュート。札幌の安部なつみはそのプレーの美しさから『天使』と呼ばれていた。
そうあの試合で羽をもぎ取られてしまうまでは・・・
高校卒業と同時にプロの世界に入った安部だが代表デビューは得点王となった25歳の時と遅咲きだった。2002年日韓W杯では一点を挙げるもののそのポテンシャルを十分に発揮できなかった安部。海外移籍の話もなく、相変わらずJで活躍していた。
得点王は2000年25歳の時一回獲得しただけだが、得点の美しさ、スーパーゴールの数でいえば毎年Jのトップだった。
絶好調だった2004年のシーズン、ファーストステージ第10節が終わった時点で11得点のぶっちぎりのトップ、誰もが今年の得点王確定であり、チームも初の年間王者になるだろうと予想していたが・・・
- 55 名前:〜羽を失った天使〜 投稿日:2002年09月23日(月)23時12分21秒
- Jリーグディビジョン1ファーストステージ第11節。この日は安部なつみにとって忘れられない悲劇の日になった。
その日彼女は信じられないほど美しいゴールを決めて、チームは先制した。当然、相手のマークが彼女に集中する。
飯田のポストプレーに飛び出し、絶好の得点チャンスになる。
そして・・・
- 56 名前:〜羽を失った天使〜 投稿日:2002年09月23日(月)23時21分26秒
- 絶好のタイミングで飛び込んできた安部に柏レイソルのセンターバック保田圭は後ろからファールでしか止められなかった。
PK獲得の大歓声の中、さっきまでスーパープレーで観客を沸かせていた『天使』は羽をもぎ取られてもだえ苦しんでいた。
利き足の左足のアキレス腱切断、辛いリハビリの末ピッチに帰ってきた安部、しかし失った羽は再びはえなかった。観客を魅了した『天使』の姿はどこにもなかった。
ピッチにあったのは羽を失って左足を重々しそうに引きずる安部の姿だった。
- 57 名前:〜羽を失った天使〜 投稿日:2002年09月23日(月)23時26分52秒
- 今回彼女が代表に残ることができたのは、“天使だった”安部を知っている監督の最後の期待であり、賭けである。
決定力不足に苦しむ日本代表の唯一の希望といってもいいかもしれない。
31歳という年齢による身体能力の低下はあるだろうがそれでも彼女が羽ばたけばそんなことは忘れさせてくれるだろう。
日本中の誰もが『天使』安部なつみの復活を待っている。
- 58 名前:〜ファンタジスタ〜 投稿日:2002年09月24日(火)00時23分43秒
- 背番号10 石川梨華 MF 25歳 ブレッシア
サッカーで背番号10と聞いたら誰もが過去の英雄や現在の名選手を思い起こすだろう。
今回のW杯代表栄光の番号は4年前の10番安部から石川梨華へと受け継がれた。
4年前W杯でブレイク確実といわれ最もファンの期待を集めていた彼女は、スタメンどころか代表入りさえも認められなかった。
理由は未だに謎である。当時のフェリップ監督は「彼女は私が考えているチームの構想外であるから外した」としか説明されなかった。
彼女はその悔しさをばねにした。当時セリエAに昇格したばかりのモエザに入団。チームとともに旋風を巻き起こし、一躍イタリアで有名になった。
- 59 名前:〜ファンタジスタ〜 投稿日:2002年09月24日(火)00時32分08秒
- 「フィジカルが弱くイタリアでは通用しない」という批判の声を押しのけた彼女は、アテネ五輪でも中心的人物だった。
ボランチの位置から全体のバランスを取り、勝負どころでは一本のパスで試合を決めてしまう。
「なぜこの選手がW杯に出てこなかったんだ?」と世界のジャーナリストをもうならせた。
五輪後はブレッシアに移籍、イタリアのファンタジスタ、ベテランのバッジョを見ながら彼女はファンタジスタとしての覚醒を始める。
時々その片鱗を見せ付けることはあるが、まだ眠れる才能は計り知れない。
そういう期待を込めて監督が背負わした10番。
4年遅れの『石川梨華』のW杯、そして眠れるファンタジスタの覚醒が始まる。
- 60 名前:〜日本の誇る大型FW〜 投稿日:2002年09月25日(水)00時21分05秒
- 背番号11 飯田圭織 FW 31歳 コンサドーレ札幌
飯田が当てられたくさびのパスを無人のスペースに放り込む。そこに飛び込む安部なつみ。この二人のコンサドーレコンビは日本不動の2トップとして代表の定位置を確実なものとしていた。
しかし安部の悲劇なってしまった柏戦は飯田にとっても悲劇だった。片翼を失ったチームはバランクを崩しそのままファーストステージ優勝を逃した。
コンサドーレのフロントは飯田にすべての期待をかけた。飯田は今までのポストプレーヤーとしての役割に加え、個人での得点も求められた。
慣れないプレーに飯田は戸惑いを隠せなかった。もともとFWとはいえ自ら点を取るタイプではないため無理やり狙う得点はチームのチャンスを潰してしまう。
サッカー雑誌はコンサドーレの停滞の原因を彼女と酷評し「安部がいなければ何もできない」とまで言われた。彼女は精神的にも追いつまれていった。
- 61 名前:〜日本の誇る大型FW〜 投稿日:2002年09月25日(水)01時12分00秒
- しかしある新人が彼女を危機から救うことになる。「スペース王」藤本美貴である。
全国大学選手権で準優勝したチームのキャプテンが加入し、巧みにスペースの裏をつく。飯田のポストプレーは再び輝きを増した。
さらにスピードのあるFW、大谷雅恵が移籍してきたことにより彼女のポストプレーのチームの貢献度はさらに増した。飛び出しの多い藤本の代わりに献身的に守備まで務める彼女は「万能FW」として評価された。
厳しいチェックに耐えて藤本や大谷にパスを送り続ける彼女だがどこかやはり物足りないように見える。ファンは飯田、安部のコンビが復活することを熱望している。飯田の能力を最大限に生かせるのは安部しかいないと。
しかし逆もいえるのではないだろうか。安部が飯田の能力を最大限に生かしたように、飯田も安部の復活に関わる大きな要素のひとつであるだろう。
だからこそ彼女は11番を背負ってここにいるのだ。
- 62 名前:〜二人目の背番号1〜 投稿日:2002年09月25日(水)23時20分02秒
- 背番号12 里田まい GK 28歳 コンサドーレ札幌
日本には二人の背番号1候補がいた。ひとりはベテランGK中澤裕子であり、もうひとりがこの里田まいである。
実力的な差はほとんどない。二人とも違う持ち味があり、中澤は経験と技術、そして統率力であり、里田は持って生まれた身体能力とフィードの正確性である。
4年前、背番号1をつけ、ピッチに堂々と立っていたのは中澤だった。「W杯を眺めるだけで悔しかった」と語る彼女の目には涙さえ浮かんだ。
2年前、日韓W杯の12番はアテネ五輪で1番をつけ、快進撃の日本の守護神としてスーパーセーブを連発し、世界にアピールした。
海外移籍の話はなかったが、この五輪で自信もつきこの2年で更なる成長を遂げた。
今回も背番号は4年前と同じ“12”である。しかし、今回は前回と状況が大分違う。
「背番号は12ですけど、正GKを取る自信はありますよ」記者のインタビューに堂々とこう答える彼女の姿に4年前の悔しさの影はない。
- 63 名前:〜オールラウンドプレーヤー〜 投稿日:2002年09月26日(木)00時39分18秒
- 背番号13 吉澤ひとみ DF 24歳 浦和レッズ
本職の左サイドバックかと思えば次の試合ではFWで出場して決勝点を決める。
どこでもこなせる器用さと身体能力を持ち合わせる選手、それが吉澤ひとみである。
もともと彼女はDFではなかった。むしろ中学生まではFWやトップ下でプレーし、『点取りや』として活躍していた。
しかしアンダー15日本代表で後藤真希と出会って彼女は変わった。あまりの技術の差に自分が今までやってきた攻撃的なポジション争いでは勝てないと思ったのか突然DHへの転向を希望した。
DHとして高校サッカーで活躍し、プロの世界に入った吉澤。現在彼女の『本職』といわれているSBを務めたのはここが最初だった。
- 64 名前:〜オールラウンドプレーヤー〜 投稿日:2002年09月26日(木)00時56分55秒
- 当時浦和レッズはDFの層が薄かった。彼女はすぐさま浦和の監督に見込まれてDFへの転向が命令された。
DHで養った守備力と持ち前の器用さでなんとか不慣れなポジションであるSBをこなしていく。
しかし徐々に公式戦にも出場するようになると連係不足が目に付いてくるようになった。
それでも彼女は前向きに取り組み、熱心に監督やコーチに戦術を教えてもらうことによって、オフサイドトラップなど高度な戦術もものにしていった。
アテネ五輪でも3バックの一角として活躍、もうラインの上げ下げで迷う彼女の姿はなかった。
CB平家の上げるラインに遅れることなくついていき、ダイナミックなオーバーラップで時に相手を驚かせた。一得点のおまけまでつけて大活躍だった。
今ではレッズの監督も「うちのチームでもっとも安定している。どんなポジションを任せても安心」と期待を寄せるまでになっている。
“オールラウンドプレーヤー”吉澤ひとみのはじめてのW杯が始まる。
- 65 名前:〜期待の若き司令塔〜 投稿日:2002年09月29日(日)02時34分51秒
- 背番号14 高橋愛 MF 20歳 鹿島アントラーズ
弱冠二十歳にして堂々と鹿島の中心に位置する選手、それが高橋愛である。
全国高校サッカー選手権での優勝を引っさげて鹿島に入団、プロの環境にも慣れ、18歳でレギュラー。
ここまでは順風満帆だった彼女だが、最初の挫折が訪れる。
確実といわれていたアテネ五輪代表の落選。それは彼女に予想以上のダメージを与えた。しかしその挫折をも糧にして、五輪後の彼女は五輪に出た選手以上の活躍を見せた。
その後19歳で念願のフル代表入りも果たし、今では「後藤に次ぐ司令塔」と評価される。
後藤は4年前、20歳のW杯で大きく飛躍した。高橋愛も20歳である。大きな可能性を秘めた期待の司令塔、高橋愛。若い彼女にとってこの世界最初の大舞台は大きな転機となるはずだ。
- 66 名前:〜1.5列目の爆弾〜 投稿日:2002年09月29日(日)21時36分38秒
- 背番号15 加護亜衣 MF 20歳 セレッソ大阪
セレッソの前線で忙しく動き回り、決定的な場面では姿を消してひとりフリーのスペースに突っ込む。
20歳という若さを武器に恐れ知らずなドリブルと飛び出しが魅力の加護は、この若さにしてすでに1.5列目に落とす『爆弾』として信頼を勝ち取っている。
最強といわれた加護・辻コンビで高校サッカー界に旋風を巻き起こした加護は鳴り物入りでJ1に上がったばかりのセレッソに入団した。
当時はベンチ要員だったが、途中出場で徐々に得意のドリブルを見せ始め、決定的な仕事をする『スーパーサブ』として活躍。
2シーズン目には19歳で定位置奪取という急激な速さで成長してきた選手である。
- 67 名前:〜1.5列目の爆弾〜 投稿日:2002年09月29日(日)21時40分58秒
- クラブの方は絶好調な加護だったが、代表でもかなりの成長ぶりを見せた。
アテネ五輪では高校以来の加護・辻コンビで活躍し、日本の快進撃の原動力となったのは言うまでもない。
恐れを知らない若さと大舞台の強さを併せ持ち、どんどんと成長を続ける加護亜衣。
2度目の世界の大舞台でも『1.5列目の爆弾』は爆発するのか?
- 68 名前:〜スピードなきスピードスター〜 投稿日:2002年09月29日(日)22時08分12秒
- 背番号16 辻希美 MF 20歳 FC東京
矢口や加護のように身長に恵まれず、なおかつ矢口やミカのようなスピード、または加護のような意外性。
それらすべてを持つことなく生まれたWB(ウイングバック)。それが辻である。
現代のスピードサッカーにおいてサイドの重要性は計り知れない。主なチャンスメーカーとなり守備もこなさなければならない。
スピードとスタミナが要求されるこのポジションにおいて彼女はスピードにかけていた。
それを補うために彼女が磨いたもの。それがポジショニングとタイミングである。
- 69 名前:〜スピードなきスピードスター〜 投稿日:2002年09月29日(日)22時34分30秒
- 彼女のプレイを初めてみた人は、この選手はスピードがあると思う。それがまさに彼女の仕掛けたトリックなのだ。
ボールが逆サイドにあるとき、誰もが辻の姿に注目していない時、彼女はひとり神経を研ぎ澄まし、いざ自分にボールが来そうなタイミングを見計らって飛び出すのである。
辻にボールが渡ったとき、初めて辻のほうを見る選手、そして観客はあたかもすばらしいスピードで彼女が上がってきたかに思えるがそれが彼女の狙いである。
守備でも彼女はポジショニングとタイミングで勝負する。縦に抜かれない、ぎりぎりの位置で構え、一瞬でも隙があればボールを奪いに行く。
その見事さは「20歳の若さでこれほどポジショニングに優れた選手は初めてだ」とヅィーコ監督をもうならせたほどである。
- 70 名前:〜スピードなきスピードスター〜 投稿日:2002年09月29日(日)22時40分24秒
- 代表経験は18の時にアテネ五輪を体験したが、A代表で出た試合はわずか2試合。
だれもが「辻は入らないだろう」と思っていたが、それでも決してW杯への夢を諦めなかった強い志が最終的に代表入りする決定的な要素となった。
五輪よりもレベルも規模もはるかに上なW杯、彼女の抜群なポジショニングでもスピードに泣かされることもあるだろう。
しかしそれでも辻希美は世界を相手にでも新たな突破を見せてくれるはずである。
- 71 名前:〜エースキラー〜 投稿日:2002年10月01日(火)16時35分54秒
- 背番号17 柴田あゆみ MF 26歳 横浜Fマリノス
柴田あゆみが代表チームで受ける指示は大体いつも同じである。
「あのプレーヤーを封じて来い」
一対一の守備が強い彼女はいつも相手のエースを封じるマンマーカーとしてピッチに登場する。たとえ相手がフランスだろうとイタリアだろうとそのエースに仕事をさせないこと、それだけが彼女の使命である。
高校時代までは一対一に強く全体のバランスを取ることにも長けたボランチだったが、プロに入るとその一対一の守備のセンスが買われ、マンマーカーとして活躍するようになった。
- 72 名前:〜エースキラー〜 投稿日:2002年10月02日(水)00時49分43秒
- 一番我慢強さが要求され、世界との技術の差を見せつけられてきた選手である。20から代表入りもして代表歴も長い。にもかかわらず彼女の知名度は低く、目立たない。
時には相手をファール覚悟で止めに行きブーイングを浴びる。つまらないサッカーと批判されることもある。
ヅィーコ監督も彼女のサッカーを批判するひとりだったはずである。それでも自説を曲げたのは彼女の一対一の能力が今の日本ではずば抜けているからだろう。
「どんな役割でもチームに貢献できるなら喜んで引き受けたい」
そして彼女は23人の中にいる。
- 73 名前:〜日本の新星ストライカー〜 投稿日:2002年10月06日(日)21時29分25秒
- 背番号18 松浦亜弥 FW 23歳 ヴィッセル神戸
「前線の彼女にボールが渡ると危険な匂いがする」
松浦ぼJリーグデビュー戦の相手、アビスパ福岡のDF平家みちよは彼女の印象についてこう語った。
裏へ抜けるスピードと決定力を兼ね備えた松浦は高校時代からその将来を嘱望された選手だった。
高校卒業と同時に地元、ヴィッセルに入団し、一年目はルーキーながらチーム最多の12ゴールをあげた。
その後Jの活躍でU-21日本代表に招集され、U-21アジア大会で得点王に輝く。
さらにアテネ五輪でも得点源として活躍、ここでも見事得点王とベストイレブンを獲得し、大舞台に強いこともアピールした。
- 74 名前:〜日本の新星ストライカー〜 投稿日:2002年10月06日(日)21時39分06秒
- 日本を代表するストライカー、『天使』安部の怪我後はさらに注目を浴びた。
代わりに日本のエースストライカーとしてA代表デビューも果たし、さらにどこか安部にプレースタイルが似ていた松浦は“第二の安部”として決定力不足が非難される日本の救世主として期待を一身に浴びた。
それは彼女にとってあまりに重い重圧だった。徐々にJの試合でも動きに精彩を欠くようになり、さらには日本のW杯最終予選前に怪我をして代表を外れた。
この二つのことで彼女は完全に自信を無くしてしまった。
アジア大会、五輪と大舞台に必ず活躍してきた日本の若きストライカー、松浦亜弥。
3度目の大舞台は自信を無くした彼女を再生させるか?
- 75 名前:〜神出鬼没のスペース王〜 投稿日:2002年10月06日(日)23時06分57秒
- 背番号19 藤本美貴 FW 23歳 コンサドーレ札幌
松浦亜弥と同期だがそのデビューはまったく対照的だった。
松浦のそれが期待された新人の華々しいデビューだったとすれば藤本のデビューは驚き以外の何物でもなかった。
高校時代まったく無名でデビュー戦でいきなりハットトリックをやったかと思えば、その後5試合ゴールなしと調子の浮き沈みが激しい選手、それが藤本美貴である。
しかしそんなムラッ気のある彼女が低迷するコンサドーレ札幌、そして不調で移籍も噂されていた飯田圭織を救った。
飯田に当てられたくさびのパスにいち早く反応し、ボールを受ける。相手マーカーの視線から一旦“消えて”マークを外し、ボールをもらいに動く。引いてボールを受けたかと思えばドリブルで相手のDFラインを開拓する。
- 76 名前:〜神出鬼没のスペース王〜 投稿日:2002年10月06日(日)23時15分14秒
- そんな彼女が代表に選ばれたのはW杯最終予選がはじめてである。五輪も彼女は縁がなかった。
日本の得点源として期待された安部、松浦の両方を怪我で欠き、「最終予選で苦戦するだろう」という大方の予想を覆したのも彼女だった。
なぜこれまで代表に呼ばれなかったのかが不思議なくらいの活躍を見せ、一気にチームの中心に踊り出た。
アジア最終予選のMVP、得点王、ベストイレブンを獲得し、ヅィーコ監督の信頼を勝ち取った。
現在、最終予選後のJの試合、そして代表のテストマッチではなかなかいい結果を出せていない。しかし壺にはまれば恐ろしい選手でもある。
W杯という大舞台でも期待をいい意味で裏切ってくれるだろう。
- 77 名前:〜右サイドの飛び道具〜 投稿日:2002年10月09日(水)00時25分23秒
- 背番号20 ミカ・トッド MF 26歳 清水エスパルス
アメリカ出身だが12歳まではブラジルで育った。小さい頃から本場のサッカーを体で覚えた選手である。
小学生の時に訪れた日本に憧れ、日本でサッカー選手になることを夢見ていた。
その夢がかなったのは彼女が17歳の時。
彼女の故郷アメリカではサッカーは盛んではなかった。そこで中学卒業と同時にひとり日本に留学。転々とさまざまなプロサッカーチームの入団テストを受けていったが実績のない彼女はなかなか相手にされず、公園でひとりボールを蹴る日々が続いた。
- 78 名前:〜右サイドの飛び道具〜 投稿日:2002年10月09日(水)00時52分21秒
- しかしそんな日々が続くうちにいつの間にか彼女は公園の人気者になっていた。「あの公園にはサッカーのうまい外国人がいる」そんな噂が広まり、それを清水エスパルスのスカウトが聞きつけた。
その後、エスパルスのプロテストに合格し、入団。「ミカ」という日本人っぽい名前で外国人助っ人としてはインパクトが薄かったが、徐々に持ち前のスピードと突破力を発揮。17歳の新人ながらチームで一番多くのチャンスを演出し、見事ベストイレブンに入選した。オールスターにも出場するなど一年目から一躍トップスターの仲間入りを果たした。
- 79 名前:〜右サイドの飛び道具〜 投稿日:2002年10月09日(水)01時01分24秒
- 帰化に関しては大分前から噂されていたが、実現したのはドイツW杯最終予選前。個人技でチャンスを演出し、サイドアタッカーとして申し分のない活躍を見せた。
しかし問題点もあった。個人での突破の能力は流石だが、代表に合流して間もないのでコンビネーション不足が目立つ。ヅィーコ監督が期待を寄せる右サイドの『ジョーカー』として一刻も早くコンビネーションを熟成させることは急務である。
日本で唯一の“ブラジル育ち”の日本人はW杯でもチャンスを演出してくれるだろう。
- 80 名前:〜IDサッカー〜 投稿日:2002年10月09日(水)23時51分48秒
- 背番号21 紺野あさみ DF 20歳 コンサドーレ札幌
彼女がサッカーボールを蹴り始めたのは10歳の頃。地元のクラブチームに所属はしていたが「足は遅いし、自分にスポーツは向いていないと思っていた」と幼少時を振り返る彼女。
当時は練習熱心だったがどんなに頑張ってもベンチウォーマーだった。
しかしとあるきっかけで彼女のサッカー人生は一変した。当時はMFとしてどちらかというと攻撃的なポジションでプレーしていたがひょんなことからセンターDFとして練習試合に出た。
「後ろからゲームを見ているといろいろ見えて面白いです」と語るように彼女は広い視野と冷静さという隠れた才能をもっていた。
それだけでなく読みも鋭く次々と相手のボールを奪っていった。
- 81 名前:〜IDサッカー〜 投稿日:2002年10月10日(木)00時03分50秒
- この試合で彼女はDFとしての素質を開花させた。
高校時代では弱小高校を率いていたが、見事なコーチングでチームを支え、高い守備力を武器に大会を勝ち進んだ。
3年最後の大会では高校サッカー界最強と言われた加護・辻コンビの朝比奈高校を無失点に抑え、思わぬ接戦となったのは有名である。
この大会の活躍が注目され、コンサドーレ札幌に入団する。
プロという環境になれることができずに緊張で声が出ず、戸田鈴音に厳しく言われることもあったが、読みのレベルは日本屈指。今では戸田鈴音と木村麻美を自在に動かし、20という若さながら押しも押されぬセンターバックである。
代表経験は乏しく、五輪では召集されはしたものの平家という絶対的なCBの前に屈する結果となった。そんな経験も尾を引くのか自信のなさが玉にキズだがいいかえれば謙虚で自分を客観視できるという長所でもある。
保田、平家に続くCB世代交代の第一候補である彼女の挑戦が始まる。
- 82 名前:〜親子二代のDF〜 投稿日:2002年10月11日(金)20時11分02秒
- 背番号22 新垣里沙 DF 19歳 横浜Fマリノス
ドイツW杯日本代表背番号22に彼女の名前があった。
弱冠19歳、今回の代表最年少の選抜は異例の珍事ともいえたしある意味では、今回の召集メンバーの中に純粋な右サイドバックがいなかったことを考えると妥当ともいえる。
親子二代のDFで小さい頃から当時現役の父から英才教育を受けてきた生粋のDFである。
経験がものをいうDFというポジションで彼女の英才教育は生きた。
地元のマリノスユースに入ると親譲りの素質がだんだんと頭角をあらわし、17歳でマリノスのトップチームに昇格。五輪代表からは外れ、国際大舞台の経験はまだないが、Jの試合での存在感はベテランに勝るとも劣らないものがある。
今回の代表最年少は初の大舞台で親の影を振り払うことができるか。
- 83 名前:〜遅咲きの華〜 投稿日:2002年10月15日(火)01時37分28秒
- 背番号23 木村アヤカ GK 31歳 清水エスパルス
統率力と闘志あふれるプレーでチームを鼓舞する中澤裕子、高い身体能力と世界級の技術を兼ね備える里田まい。日本のGKといえばこの二人が双璧である。
長い間の下積み経験を経て今回代表に選ばれた彼女は最近になって注目を浴びてきている遅咲きのキーパーである。
安定感が売りで、清水の守護神として活躍したのはここ4年の話。27歳になるまではJでのレギュラーもままならなかった。
4年前、テレビで見ていたW杯。今の彼女にはそれが手に届く位置にある。
- 84 名前:akihiro 投稿日:2002年11月09日(土)00時37分45秒
- 「だー!、もううるさくて眠れないっちゅうねん」
ドイツW杯日本代表メンバー発表から一週間後、日本代表はドイツに向かう飛行機の中にいた。
「祐ちゃん、もうその台詞さっきから五度目だよ」
「そんなこといってもうるさいもんはうるさいんや。今回の代表はガキばっかりでまいるわ」
「そんなに嘆いても年齢には勝てへんからねえ」
代表最古参の三人、中澤、保田、平家。
長年代表の後方を支えてきた三人だが今はもう『世代交代』という言葉が突きつけられている年である。
保田に関してはこのW杯で代表を引退することを表明している。
「ところで腰の調子は?祐ちゃん」
「いたむわ〜、うるさいからなお響く感じがするで」
「びしっとひとことで黙らせてくれば?」
「他の選手はまだしもあの二人だけは無理やな」
- 85 名前:akihiro 投稿日:2002年11月09日(土)01時04分13秒
- あのふたりとは“いろんな意味で”『最強コンビ』加護・辻のことである。単体だとそこまでやっかいではないが二人になると100倍くらいのやかましさになる。しかもそこに若手が加わって盛り上がるからいかに中澤といえど手がつけられない。
黙らせられたとしても数分で復活する。
前方の席ではその加護・辻を中心に高橋、紺野、新垣などの若手メンバーが盛り上がり、こともあろうに緒戦のルーマニア戦、予想スターティングイレブンを堂々と大声でやっているのだから怖いもの知らずである。その横ではスチュワーデスがかなり迷惑顔なのだがお構いなしである。
「GKは誰になると思う?」
「中澤さんはちょっときついんじゃないかなあ。里田さんの方が調子いいと思う」
「いやあのオバちゃんはああ見えても結構やりおるで」
「センターDFは保田さんでほぼ決まりでしょ。左サイドバックは吉澤さんと戸田さんとどっちになるのかなあ」
「中盤は争い激しいよね。左WBで愛ちゃん出られるかもね」
ワイワイガヤガヤ
- 86 名前:akihiro 投稿日:2002年11月11日(月)21時32分06秒
- 「あそこまで言われるともう怒る気にもなれへんわ」
「あれでもまだマシだよ。アテネの時はもっとすごかったんだから」
「そうか。圭坊はアテネも出てたんや。うちも怪我さえなければ行く気バリバリやったのに」
「そのうちもう怪我じゃなくても選ばれなくなる日が来るよ、祐ちゃんも」
「そんな寂しいこと言うなや。そんなのわかっとるわ」
「もうこれからはあの子達の時代。これからの日本代表の中心はあの子達なんだよ」
保田のその言葉を最後に中澤と保田の会話は途切れ二人は眠りについた。
- 87 名前:akihiro 投稿日:2002年11月29日(金)23時38分26秒
- もし読んでる人いたら感想とかいただけるとうれしいです。
- 88 名前:名無しさん 投稿日:2002年12月01日(日)14時24分02秒
- 読んでますよー。
本格的なサッカー小説っぽくて面白そうです。
続きも期待してます
- 89 名前:akihiro 投稿日:2002年12月03日(火)21時47分25秒
- ガバッ!!
すっかり寝静まった機内。そのなかでひとり飛び起きたのは石川梨華だった。
「夢か〜」
「梨香ちゃんどうしたの?」
「ごめん、起こしちゃった?」
「ううん、私眠れなかったとこだから。ところでどうしたの?」
「夢・・・」
「夢?どんな夢?」
「試合の夢。相手はどこかわからなかったけど・・・P・K私が蹴るところで。外したら負けって場面で。すごい緊張して。ボールを置いて走り出して・・・」
「・・・で?」
「目がさめたの」
ドテッ
(落ちはないわけ?)
「何ずっこけてるの?よっすぃー」
- 90 名前:akihiro 投稿日:2002年12月03日(火)23時37分18秒
- 「ああ、もし本当にP・K蹴ることになったらどうしよう。それでもし外したりしたら・・・きっとチームも負けてマスコミに酷評されて挙句の果てにはオウンゴールしたメキシコの選手みたいに殺されちゃうんだわ」
「あのねぇ、梨華ちゃん」
「よっすぃー、短い間だったけどどうもありがとう。代表に私がいたことわすれないでね」
「落ち着きなさい、梨華ちゃん。いつもポジティブになるっていってたのはどうしたの」
「だってー、あれ絶対正夢だよ」
「だったら逆にいいじゃん」
「なんで?」
「日本は最悪ベスト16まで行くってことでしょ?」
「・・・・」
「今回のグループリーグで決勝トーナメント行くって結構大変だよ?ルーマニア、パラグアイ、そしてブラジル。三ヶ国とも日本よりW杯経験豊富だし・・・」
「そんな悩んでたってしょうがないよ。ポジティブに行かなきゃ、ポジティブに」
「・・・・(なんなんだろ〜な〜、この人は)」
- 91 名前:akihiro 投稿日:2002年12月04日(水)00時31分50秒
- 「あっ、そういえばさあ。向こう行ったらちょっと付き合ってもらいたい練習があるんだけどいいかな?」
「へ〜、いいけど何の練習?」
「ロングシュート練習」
「・・・普通・・・だね」
「なんかさあ、外国の選手がさあ。40メートルくらいのシュートをズバッ!って決めたりするとかっけー!!っておもわない?」
「まあ確かにね」
「だから梨華ちゃんに練習手伝ってほしいの!」
「別にいいけど・・・いつやるの?」
「フリーな時間しかなくない?」
「え・・・(ドイツ観光したかったのに)」
「付き合ってくれるよね?」
パーフェクトな笑顔を見せる吉澤。
石川はその笑顔に何か悪寒を感じた。
「い・・・いいよ」
「ありがと!梨華ちゃん!これで3人目っと」
「・・・(他にもいるんだ、犠牲者が)」
「じゃあもう少し寝とこうか?時差ぼけ辛いし」
「そうだね」
その後石川は吉澤の練習に散々付き合わされるさっきとは違う悪夢を見た。
- 92 名前:akihiro 投稿日:2002年12月04日(水)00時47分16秒
- >>88名無しさん
レスありがとうございます。全然レスがつかなかったのでネガティブモードになってましたw。これからもがんばります。
- 93 名前:名無し読者 投稿日:2002年12月08日(日)22時00分40秒
- 殺されたのってコロンビアでなかったですか?ま、いっか
- 94 名前:akihiro 投稿日:2002年12月23日(月)22時55分08秒
- ドイツに着いた日本代表を一番に出迎えたのは無数のカメラのフラッシュだった。
「げ!何やこの数は!!」
「うっそ!外国の記者までいるじゃん!」
今まで見たことのないような数の取材陣に思わず驚愕するW杯初出場組。
出迎えはそれだけではなかった。
猛烈な数のインタビューが選手達に襲い掛かってくる。
「前回の雪辱を晴らすという意味でも今回のW杯への意気込みはどうですか?」
市井に悪夢を思いださせるかのような質問。しかしそれにも市井は冷静に答える。
「気合は入ってますよ。前回の借りを返します」
それに対して
「後藤さん、今回のW・・・後藤さ〜ん?」
後藤はインタビューを完全に無視していた。
「市井ちゃん、かっこよかったじゃん。けっこう失礼な質問にも落ち着いちゃってさ。ホント気合入ってんだね〜」
「お前も少しはインタビューくらい答えろよ。あんな態度じゃ上の世界でやってけないぞ」
「だってどうせ根も葉もないようなことを脚色してかかれるしさ。やだよ」
- 95 名前:akihiro 投稿日:2002年12月23日(月)23時14分36秒
- うまくインタビューをかわしていく代表選手の中にあってやはり戸惑っていたのはW杯初代表組だった。
特に石川と紺野は四方八方から飛んでくる質問にすべて答えようと無謀な努力をしていた。
「え〜と、その〜」
「何やっとるんや。早く行くで!」
中澤に手を引かれてやっと取材陣から開放された二人。
「あんなのは適当に答えときゃいいのよ。全部に答える必要なんかないの。まあ後藤みたいのも困るけどね」
「圭ちゃんだってほとんど答えてなかったじゃん」
「うっさい!どうせ私にはあんまりインタビュー来ないわよ!」
後藤の一言に思わず食って掛かる保田。
「いいですね〜、それ」
石川は何気なく言ったつもりだったがそれが命取りだった。
「何よ!ちょっとインタビューが多かったからって調子に乗るんじゃないわよ!だいたいあんたはいつもいつも・・・・・」
また始まったといわんばかりにうんざりした顔を見せる中澤。ここでほっとくといつまで続くか分かったもんじゃない。
「バスが待ってるんや。はよ行くで!」
- 96 名前:akihiro 投稿日:2002年12月23日(月)23時42分28秒
- 「軽く動くから着替えてグラウンド集合だって」
宿舎についても日本代表にはゆっくりしている時間はなかった。すぐに練習開始。機内で動いていない体をほぐすためだ。
「まだこっちじゃ昼かあ」
6月1日の午前8時に日本を出発し、12時間機上の人であったが、日本とドイツには8時間の時差があるため現地時間ではまだ昼の12時だった。
「早く慣れないとねえ、こっちの時間に」
この時差は選手にとって大きな敵である。W杯期間中時差に悩まされる選手も少なくない。この時差をいかに克服するかも大きなポイントの一つである。
練習は軽いランニングから始まりストレッチ、そしてボールを触る極基本的な練習が行われた。
しかしそんな極基本的な練習のなかでも各選手の調子は大分差があった。
主将中澤は流石に時差にも慣れている感じで動きは軽い。しかし同ポジションの里田や木村は動きが重い。
後藤、保田、市井の三人はまだ調整といった段階でゆっくり慣らすように動いていた。
その他のメンバー、特に若手は明らかに動きが鈍い。
W杯グループリーグ緒戦、ルーマニア戦は2週間後に迫っている。
- 97 名前:akihiro 投稿日:2002年12月23日(月)23時44分12秒
- >>93名無し読者さん
確かにコロンビアの選手でした。ごめんなさい。よく調べないで投稿してた自分が情けないです。
- 98 名前:akihiro 投稿日:2003年01月03日(金)23時09分36秒
- 6月4日(現地時間)
日本代表がドイツに来てから3日目。
練習は完全に非公開で、グラウンドには夏コーチの怒声が響き渡っていた。
「保田!、もっとライン上げなさい!」
「吉澤!、しっかり保田の動きを確認してから動きなさいよ!」
「平家!、そこはあなたが声を出して指示しなさい!」
ルーマニア戦の3バックはほぼこの三人に決定したといえるほど、この三人は何度も何度もコンビネーションを高める練習が繰り返された。
『とにかく失点はしないように』これが練習後のミーティングで夏コーチが何度も口をすっぱくしていったルーマニア戦のノルマである。
過去のW杯で緒戦に負けたチームで決勝トーナメントに上がったチームは少ない。初戦は絶対に落としてはいけないことは選手も監督も全員が意識している。
そのため必然的にDFの練習はきついものとなった。
「よっすぃ〜、どう?DF練習」
「きつい。他に言葉がないってくらいきつい。なんかダンスのレッスンしてるみたいに注意がぽんぽん飛んで来るしさ」
しかしDFの練習が厳しいとはいえ、DFがそれほど危惧されているわけではなかった。
- 99 名前:akihiro 投稿日:2003年01月03日(金)23時21分36秒
- むしろ危惧されていたのオフェンスである。
タレントは多い。
未来のエースストライカーといわれる松浦亜弥。
スペースの活かし方が抜群にうまい藤本美貴。
数年前までは『天使』と呼ばれていた安部なつみ。
長身と代表屈指のフィジカルが武器の飯田圭織。
MF陣に目を移せば、
まずは日本のエース後藤真希。
潜在能力に期待が掛かる石川梨華。
さらに繊細なボールタッチの高橋愛やオーバーラップが得意な福田明日香、チャンスメーカーであるサイドアタッカーにもスピードのある矢口やミカのような選手もいる。
- 100 名前:akihiro 投稿日:2003年01月03日(金)23時50分35秒
- しかしその豪華なタレントの息がどうにもそろわない。
その一番の大きな原因は経験不足だろう。ここで言う経験とは個人単位のそれでなくコンビネーションの問題である。日本は最終予選のメンバーをあまり固定せずに戦ってきたため、前線のホットラインがほとんどない。
さらにもっと悪いことには攻撃の要である後藤が不調であった。
飯田に当てるくさびのパスが30センチずれる。
前線を走る安部へのパスが強すぎて追いつけない。
松浦に送ったはずのクロスボールが松浦の頭を大きく超える。
無人のスペースに走りこんだ藤本へのパスの判断が遅く、すでにスペースがないころにボールを出す。
絶対的なボールコントロールと素早く的確な判断が武器の後藤にとっては考えられないようなミス。それは調整不足と呼べるような段階を超えていた。
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