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I want to look after you

1 名前:Strong Four 投稿日:2002年09月04日(水)16時13分03秒
お邪魔します。
銀板で自転車屋の話を書いている者です。
この話は、今年の2月、仙台のハロプロライブで、姐さんが欠席したことから
思いついたネタで、銀板のものよりも先に書いたものですが、話が纏らず、
そのままお蔵入りになっていました。
今回の卒業で、(不謹慎と思いつつ)オチが思いつき、
ある曲を絡めて作ってみました。
駄文だろうとなんだろうと、やったモン勝ち!ということで、
ほかでは見た事がない(らしい)“みちやぐ”です。
2 名前:名無しさん 投稿日:2002年09月04日(水)16時13分52秒
「聞こえた?」
「うん。」
「…本当に?」
「………いや…感じた。」
3 名前:―前編― 投稿日:2002年09月04日(水)16時15分04秒
2002年2月

ハロープロジェクトの地方公演が終了し、メンバーが会場から
今晩宿泊するホテルに帰ってきた。
いつもなら一人一部屋の個室になっているのだが、今回はホテルの都合で、
二人一部屋の相部屋となった。
その中で、同じ部屋となった一組、平家みちよと、稲葉貴子。
ツアー先のホテルで、一部屋二人になることは珍しくはないが、いつもは、
中澤と稲葉が同じ部屋になっている。
しかし、中澤がこのライブに参加しなかったため、先の二人が同室となった。

「あ゛ー、しんどかった…」
部屋に入るなり荷物を投げ出して、稲葉がばふっ、とベッドに倒れこんだ。
「ウチもやわ…なんや最近、疲れとれへんねん。」
平家もベットに身体を投げ出す様にどかっと座り、凝りをほぐすように、
首を2・3回横に振って、ポキポキと骨を鳴らす。
「ウチもやで。朝起きるんは早いねんけど、起きても何かだるいねん。」
「更年期障害なんちゃうん?」
「…みっちゃんには言われたないな。」
体はベットにうつ伏せにしたまま、顔だけ向けて細い目で平家を睨む。
「しゃーないやん。あっちゃん、25過ぎとるんやし…」
「うっさい…」
4 名前:―前編― 投稿日:2002年09月04日(水)16時15分41秒
「あ、みっちゃん、明日仕事あるん?」
「うーんと…確か、明後日の夕方にはあるけど…」
それを聞いて平家の顔を見ながら、ニヤッと笑う。
平家もその顔が何を意味するのかを理解して、笑みを返す。
「…いこか?」
「せやな…」
「今日は裕ちゃんも居らんし…」
「久しぶりにゆっくり飲めるな…」
年齢性別を問わず、地方に行ったらその土地の美味い物と酒を楽しむ。
この二人も、例外ではなかった様だ。
5 名前:―前編― 投稿日:2002年09月04日(水)16時16分13秒
軽くシャワーを浴び、それぞれ、年相応の私服におしゃれした二人は、
近くの繁華街へ行こうと、部屋を出て、ホテルのフロントにカギを渡した。
「あれ?みっちゃん?あっ、あっちゃんも…」
聞きなれた声で自分の名前を呼ばれ、その声の方を振り向くと、
そこには飯田と安倍が立っていた。
「みっちゃん達もどっか行くの?」
「うん。ウチら明日は仕事ないしな…せっかくやから…
って、カオリとなっちもなん?」
「やっぱり、地方に来るとねぇ…」
「そうだよねぇ…」

――考えとるんはみんな一緒なんやな…

「で、誰か待っとるん?」
「うん、圭ちゃん待ってるんだけどさ、あっちゃん達も一緒に行こうよ。」
「ええよ。このメンバーだけで、飲むんは初めてやもんな。」
「必ず裕ちゃんが混ざってるもんねぇ…」
4人の笑い声がロビーに響く。
女三人集まれば…という諺(?)があるが、保田を待っている四人も、
待ち草臥れることはなく、とりとめのない話に花を咲かせていた。
6 名前:―前編― 投稿日:2002年09月04日(水)16時16分59秒
――あれ?カオリと、なっちと、圭ちゃんと…

自分と稲葉を追加しても何か足りない…
矢口がいない。
メンバーの中でも、一番背が低い子だったが、年長組の中でも、
声の大きさや動きが、一番目立つ存在だった矢口がいない。
誰かが言っていたが、最近はよくメンバー4人で一緒に食事をしている、
と聞いたことがある。
「…矢口は?」
平家が周りを見ながら、何気なく尋ねる。
「あ、矢口は明日、東京に着いたら、すぐ仕事があるし…
それに、一応未成年だからね。」
「あぁ…せやな。」
「よっすぃーとごっつぁんに連れて行かれたのは見たけどね。」
7 名前:―前編― 投稿日:2002年09月04日(水)16時17分39秒
暫くして、四人を待たせていた人間、保田がロビーに下りてきた。
「遅いよぉ〜」
「ごめんねぇ〜矢口が、部屋のカギ持ってたの言わなかったからさぁ…
あれ?みっちゃんとあっちゃんも一緒?」
「なんや、ウチら邪魔か?」
稲葉がにやにや笑いながら悪態を突く。
「ううん。そう言う意味じゃなくって。
3人だけじゃ、なんか物足りないかなぁ…って思ってたからさ。」

5人はホテルを出て、その街独特の空気を持った繁華街を練り歩きながら、
それでもお喋りは止まらずに、何気に雰囲気のよさそうな
(この場合は美味しい地酒が置いてそうな、と言った方が正しいだろう)
店に入った。
8 名前:―前編― 投稿日:2002年09月04日(水)16時18分32秒
仕事が終わった開放感からか、みんなそれぞれいい具合に酔っぱらって、
場が盛り上がって来た時、ふいに平家が立ち上がった。
「ちょぉ、トイレ…」
「あ、いってらっさ〜い。」
一番遠くに座っていた保田が、大きく手を振る。
それに併せて、稲葉が叫ぶ。
「吐く時は洋式の方が楽やでぇ〜」
「うっさいわ!!」

――ホンマにあいつら、アイドルなんやろか?

そんな声を出さない悪態をつきながら、居酒屋の客として
溶けこみすぎているアイドルの集団を尻目に、平家は化粧室へ向った。
9 名前:―前編― 投稿日:2002年09月04日(水)16時19分04秒
用を済ませ、洗面台でセカンドバッグからハンカチを取り出すと、
一緒に入っていた携帯に、着信の知らせが表示されている事に気がついた。

[吉澤ひとみ]

取り出した携帯のディスプレーに表示されていた見慣れた文字。
吉澤とはラジオの仕事で何回かは連絡を取り合っているが、
今は取りたてて用事もないはず。
逆に、そんな吉澤からかかってきたということは、
何かがあると考えていいだろう。

――何やろ?

平家は返信のボタンを押すと、3回の呼び出し音の後、吉澤が携帯を取った。
「もしもし。」
『あ、平家さんですか?』
いつもの間延びした声ではなく、切羽詰ったような吉澤の口調に、
少し緊張して返事をする。
「うん。どないしたん?」
『矢口さん、倒れたんですよぉ…』
「…はぁ?」
『それで、飯田さんとか、保田さんとかに電話したんですけど…
誰も出なくて…』
10 名前:―前編― 投稿日:2002年09月04日(水)16時20分14秒
――あの騒ぎやったら、聞こえるわけないわなぁ…

吉澤の話を聴きながら、ここで騒いでいた様子を思い出す。
実際、平家も携帯の音は聞こえなかったのだから、
騒ぎまくっていた連中には聞こえるはずがない。
「…それで…病院とか、連れてったん?」
『スタッフの人に頼んで、お医者さん呼んでもらったんですけど…
なんか心配で…』
吉澤がおろおろして今にも泣き出しそうな様子が、
電話口からでも手に取るようにわかる。
「うーん、と…ちょぉ、待ってな…」
化粧室の出口から、みんなの席を見る。
飯田と安倍は、舟を漕ぎながら、酔いつぶれている。
保田と稲葉は、大笑いをしながら、やたら騒いでいる。

――今のあいつらには、何も出来んやろな…

たとえ4人に矢口の事を伝えたとしても、
あそこで飲んでいる連中には何か出来る状態ではない。
そう判断した平家は、改めて電話の向こうの吉澤に向って話しかける。
「もしもし、とりあえず、ウチがそっち行くから。」
『…ハイ。』
不安気な吉澤の反応を気にしながら、携帯の通話ボタンを切った。
11 名前:―前編― 投稿日:2002年09月04日(水)16時20分44秒
平家がそのまま席に戻り、うとうとと、舟を漕いでいる飯田を揺り起こした。
「ウチ、ホテル戻るわ。」
「ほぇ、ろしたの?」
飯田は半分寝ぼけている。
「なんや、矢口が倒れたらしいねん。」
「へ?なんで?」
メンバーの急変を聞いて、飯田の意識が大分戻ってきた。
しかし、飯田は平家ほど酔いは覚めていない。
「ようわからへんねんけど…吉澤、かなり焦ってるんよ。
とりあえずウチが様子見に行くから。酔っ払いの方の介抱、頼むな。」
「う、うん…」
12 名前:―前編― 投稿日:2002年09月04日(水)16時21分14秒
平家が居酒屋を出る。ここからホテルまでは、
タクシーを捕まえて行くほど遠くはない。
何か胸騒ぎがする。そんな思いから、ホテルへ向う平家の脚を早めた。

――ヤバ…酔いが戻ってしもた…

ホテルの玄関まで来ると、息切れだけではなく、急に吐き気ももよおしてきた。
それを無理矢理飲みこみ、矢口が寝ているであろう、ホテルの一室をノックする。
13 名前:―前編― 投稿日:2002年09月04日(水)16時21分47秒
「あっ、平家さん…」
吉澤が部屋のドアを開けた。
緊張が解けたのか、強張った顔が平家の顔を見て、
泣き出しそうな安堵の顔に変わる。

「吉澤…矢口、大丈夫なん?」
平家がドアを開けてくれた吉澤に声はかけたが、返事を待たずに部屋へ入った。
「倒れた時は苦しそうだったんですけど…
今はだいぶ落ちついて、先刻やっと寝たみたいです。」
「…医者は、なんか言うとったん?」
矢口の様子を見ながら吉澤に声をかける。
「疲れと風邪が一緒に来たんだろう、って…」
14 名前:―前編― 投稿日:2002年09月04日(水)16時22分18秒
ベッドで寝息を立てている矢口は、落ちついたとはいっても顔が赤く、
息が苦しそうだ。

――裕ちゃんか辻にうつされたんかな?

ツアー中、メンバーの中で風邪が流行っていて、
中澤から辻が風邪を移された事は平家も聞いている。
「次は地元やからなぁ…今日で緊張が切れたんやろなぁ…」
「辻と加護の面倒見てたのは、殆ど矢口さんでしたからねぇ…」
「そやったんか…」
「風邪、辻からうつされたのかな…」
「かもしれんな……矢口はウチが看るから、吉澤はもう戻り。」
「はい。じゃぁ、お願いします。」
吉澤は平家に頭を下げ、自分の部屋に戻って行った。
15 名前:―前編― 投稿日:2002年09月04日(水)16時23分23秒
――この部屋は、矢口と圭ちゃんが一緒やったな…

このまま保田をこの部屋に泊まらせるのは矢口にも良い事はないだろうし、
保田も、矢口の風邪が移るかもしれない。

――やっぱ、圭ちゃんと、部屋変わった方がええな。

そう思った平家は、稲葉に電話をかけた。
『もっしもーし!!』
あまりの大声に、思わず耳元から携帯を放す。
それでも平家の耳の奥で稲葉の声が響いていた。
「…もしもし、あっちゃん?」
『みっちゃん、ゲロ吐くためにホテルまで戻ったんか?』
「んなわけないやろ!…圭ちゃん喋れる?」
『なんや、ウチに用事やないんか?』
とりあえず、稲葉とまともに話が出来る事を確認した平家は、
矢口の状態を話し始めた。
16 名前:―前編― 投稿日:2002年09月04日(水)16時23分43秒
「あんなぁ、矢口、風邪引いたらしいんやわ。
疲れもだいぶ溜まっとたらしいし…」
『…ほんで?』
「ウチ、矢口の面倒見とくから、
ウチと圭ちゃんの部屋変わるよう言うてくれへん?」
『そんなん、直接言うたらええやん?』
「…圭ちゃん、酔い覚めたん?」
『…潰れとる。』
「アカンやん?」
『…せやな。』
「ほな、ウチと圭ちゃんの荷物取りかえとくから、
圭ちゃんはあっちゃんと同じ部屋に寝かしといてな。」
『わかった…』
17 名前:―前編― 投稿日:2002年09月04日(水)16時24分41秒
何が入っているのだろうか、中身は判らないが、保田の荷物は平家より3つも多い。
それだけでなく、バッグの一つ一つがやたらと重い。

――圭ちゃん、何持ってきてんねん?

話とは関係ない謎を残したまま、平家は何とか保田と自分の荷物を移動して、
矢口と同じ部屋に泊まれるようにした。

――さてと…

一応看病をするための準備は整ったが、矢口に何かあるまでは、
平家も何もする事がない。
腕時計を見ると、1時を少し過ぎたところだった。
18 名前:―前編― 投稿日:2002年09月04日(水)16時25分11秒
――裕ちゃん、ラジオ終わったやろな…

とりあえず、矢口の状況を中澤の耳にも入れておこうと電話を掛けた。
『もしもーし…お疲れさーん。』
携帯のディスプレーで誰から来たのか判ったのだろう、
中澤がいきなり挨拶もなしに喋り始めた。
「あ、お疲れぇ…」
『ライブ、どうやった?』
「うん、ライブは良かったんやけどな…」
『ほんまかぁ〜?そっちはみっちゃん知っとる人、あんま居らんやん?』
「ほっとけ!!…そんなんどうでもええねん。」
『どうでもええ…って、何かあったん?』
「いやな、矢口が…倒れてな。」
『倒れたぁ…?』
19 名前:―前編― 投稿日:2002年09月04日(水)16時25分42秒
「一応、医者に見てもらったんやけど…
なんや、疲れと風邪が一緒に来たらしくてな。」
『ほな、とりあえずは問題ないんやな?』

――!?

「うん…とりあえず、寝れば回復するらしいんやけど…
って、裕ちゃんえらい冷静やな?」
『そんなん言われても…ウチにはどうしようもないやん?』
「まぁ……確かに…せやけど…」
『取り敢えず、明日電話してみるわ。』
「うん、じゃあ…そういうことで…」
『うん、おやすみぃ…』
Pi

――矢口の事やから、騒ぎまくる思うたんやけどな…

平家の思っていた事と違う中澤の反応に、
戸惑った表情を浮かべながら携帯を切った。
20 名前:―前編― 投稿日:2002年09月04日(水)16時26分16秒
傍らでは赤い顔をした子供が、
相変わらず、ほんのちょっと苦しそうな寝息を立てている。
とりあえず矢口の額に乗せているタオルを冷やそうと、それを手に取ると、
矢口の熱で、すっかり暖まっていた。

――えらい熱出とるな…

タオルを氷水に浸す。
ホテルの中とはいっても、さすがに冬の氷水は痺れるほどの冷たさがある。
「…ぅ…ん……」
氷水で冷えたタオルを矢口の額に乗せると、寝言のような声と同時に、
苦しそうにしていた寝息が、ほんのちょっとだけ整ったような気がした。
21 名前:―前編― 投稿日:2002年09月04日(水)16時26分49秒
――ちっちゃいカラダして、頑張っとったんやなぁ…

平家が矢口の寝顔を見ながら、乱れた前髪を指で整える。
“辻と加護の面倒見てたのは、殆ど矢口さんでしたからねぇ…”
ベッドの横にしゃがんで矢口の寝顔を見ながら、
ふと吉澤が言った言葉を思い出した。

――みんな矢口に任せっきりやったんやな…

言われてみれば、保田や安倍は辻と加護にはじゃれ合っていた事はあっても、
怒ったり注意していた事はなかった。少なくとも、平家は見た事がない。
ミニモニの事もあるので、ツアー中のあの二人は、
矢口に指示させるのが一番いいと思っていたのだろう。
そのしわ寄せが今の矢口の状態になって現れていたのかもしれない。

「あ、せやせや…」
平家は前日の移動中に、高速道路のS.Aで買った文庫本を
バッグから取り出した。
これがなかったら、多分平家も矢口の看病を進んでしなかっただろう。
平家は挟んでいたしおりのページを開いた。
22 名前:―前編― 投稿日:2002年09月04日(水)16時27分27秒
am5:00

小説に夢中になっていた平家も、さすがに目に疲れが出てきた。
眼鏡を外し、瞼の上から指で軽く揉んでみる。
時々、カラスの鳴き声が聞こえてきた。

――久しぶりに徹夜してしもたな…

改めて外を見てみると、真っ黒い空が紫色に変わって来た頃だった。
平家は化粧台の椅子から立ちあがり、
窓に付いた結露を拭いて、外の風景を見たが、
窓越しで見ても、外の寒さが伝わってくるような静かさだった。
23 名前:―前編― 投稿日:2002年09月04日(水)16時27分59秒
立ち上がったついでに、矢口の額に乗せたタオルを取り替えた。
熱が冷めたのだろうか、最初に見た時よりも顔の赤みが消えている。
タオルを冷水に浸し、矢口の額に乗せた時、タオルの乗せ方が悪かったのか、
ちょっとした寝言と共に矢口が目を覚ました。
「ん…ぁ……あ…あれ?……みっちゃん?」
「あ、ゴメン。起こしよったか…」
思わず、気まずそうな声をあげる。
矢口も額に乗っている冷たいタオルや、目の前にある平家の顔から、
状況がつかめない様子で、何から話していいかわからない顔をしていた。
24 名前:―前編― 投稿日:2002年09月04日(水)16時28分38秒
「身体、ダルないか?」
矢口の枕元に顔を近づけて、静かに話し掛ける。
「え?……うん……みっちゃん、なんで?…圭ちゃんは?」
「圭ちゃんやったら、風邪移るかも知れへん思うて、
ウチと部屋替えてもらったんよ。」
「風邪?」
矢口の布団を顎の上あたりまで掛け直す。
「ライブ終わって、遊びに行った時、倒れたらしいで。覚えてへんの?」
「…うん。」
恥ずかしそうに上目遣いで答える。その返事を聞きながら、
鼻から上しか出していない矢口の顔に子供っぽさを感じた。
「よっすぃー、かなり焦っとったで。」
「よっすぃーが?」
「うん。カオリや圭ちゃんにも電話したらしいんやけど、
酔っ払ってなかったんはウチだけやったからなぁ…」
25 名前:―前編― 投稿日:2002年09月04日(水)16時29分13秒
「じゃぁ、みっちゃん、貧乏クジだ。」
アゴをしゃくりあげ、いつもと変わらない元気な声が矢口の口から出る。
「病人が静かなコドモやったから、看病も楽やったけどな。」
「そぉでしょぉ〜?」
「目ぇ覚ます前まではな…」
平家も悪戯っぽく笑みを浮かべる。
「うわ…病人にそういう事言うの?」
「病人やったら、もうちょっと気だるそうな声なんちゃうん?」
「………うっ…」
26 名前:―前編― 投稿日:2002年09月04日(水)16時29分46秒
「風邪引いてたのは、なんとなく判ってたけど…」
天井を見ながら矢口がゆっくりと話し出す。
「せやったら、もうちょっと…」
「無視してた。」
「え?」
「下のメンバーの世話とか、色々やらなきゃならない事があったから…
気にしないで、何とか誤魔化してた。」
「………」
「まだまだ矢口も弱いねぇ〜」
そんな自嘲的に笑う矢口に平家は返す言葉がなかった。
普通の人間だったら、風邪を引いたと思っただけで、
精神的に弱くなってしまうはずなのに…

――大人になったんやなぁ…
27 名前:―前編― 投稿日:2002年09月04日(水)16時30分18秒
初めて娘。に加入した時は、何も判らない小さいコドモだった矢口が、
こんなにも強い気持ちを持っていたとは…
急に大人に見えた矢口に、なぜか顔を見ることができなくなり、話をそらした。
「……まだ、5時やから、もうちょっと寝とき。」
「…うん。」
平家が改めて、矢口に布団を掛け直す。
そして、平家が立ち上がったとき、小さな声が聞こえた。

――えっ?

思わず振り返ったが、矢口はすでに布団の中に顔を埋めていた。
28 名前:―前編― 投稿日:2002年09月04日(水)16時30分51秒
――朝っぱらから、フレンチトーストに揚げ物かい?

そのまま徹夜した平家は、目の前に用意された朝食を見ただけで、
軽い胸焼けを起こし、ほとんど食事を摂ることができかった。
宿泊したホテルから東京へ帰るバスに乗ると、
バスのシートが思いのほか気持ち良く、睡魔に襲われてしまったが、
今の平家にはそれに対抗する体力もなく、
バスが発車する前にそのまま深い眠りに落ちた。
29 名前:Strong Four 投稿日:2002年09月04日(水)16時37分49秒
というわけで、前編の前半部分、更新しました。
一応、リアルものの、ウラ話という設定で書いていますが、
いかんせん、モーヲタになってから日が浅いので、
細かい部分が事実と食い違う所(仙台〜東京はバスじゃねーよ!とか)
があるお思いますが、とりあえず、ネタということで、流してください。

一応完結はしていますが、この小説も肉付けが必要と思っていますので、
週1ペース位の更新と思ってください。
30 名前:名無し読者 投稿日:2002年09月04日(水)17時59分34秒
銀板の方から飛んできました。
こちらの方も面白そうですね。期待してます。
31 名前:名無しさん 投稿日:2002年09月04日(水)19時36分15秒
みちやぐほとんど初めて読んだって感じなんですけど、
やぐちが好きなので、頑張ってください。
次の更新楽しみにしてます。
32 名前:名無し読者 投稿日:2002年09月05日(木)00時20分22秒
みちやぐは、確かに見た記憶があまりないですね。
書いた覚えはあったりしますが(w
個人的には好きな組合せなので、続きが楽しみです。
33 名前:名無し読者 投稿日:2002年09月10日(火)16時23分13秒
とても面白そうな作品ですね。
今後の展開を期待してます。
34 名前:―前編― 投稿日:2002年09月11日(水)16時52分14秒
「……ちゃん、みっちゃん…」
体を揺すられ、現実的な明るい世界に引き戻される。
目の前には自分の肩に手を掴んでいる稲葉の姿があった。

「ん…んぁ…あ、あっちゃん…どしたん?」
平家は顔をしかめながら、稲葉を見ようとするが、
薄暗い中で徹夜で本を読んだためか、目が開けられないほど痛い。
「トイレ休憩。高速のS.Aなんやけど…外出ぇへん?」
目が覚めたとたん、のどが痛いくらい乾いていた事に気が付いた。
尿意はそれほどでもなかったが、
取り敢えずはトイレにも行っておいた方がいいだろうと思い、身体を起こす。
「…あ、うん…出る。」
そう言いながら、一つ大きな伸びをして、ゆっくりと立ちあがった。
35 名前:―前編― 投稿日:2002年09月11日(水)16時52分55秒
「…矢口と何しゃべっとったん?」
「へ?」
まだ、夢と現実の境をさまよっている平家には、
稲葉の言葉の意味が理解できなかった。
「“へ?”って…何かしゃべっとったんちゃうん?」
「……いや、なんも…バス動く前に寝てしもたし…
って、あれ?あっちゃん、隣座っとたんちゃうん?」
それを聞いて、稲葉がイヤイヤと、首を横に振る。
「座ってへんて。バス乗る前、矢口に席替わるよう言われたで。」
「…やぐっちゃんなら、圭ちゃんとごっつぁんとずっと遊んでたよ。」
後ろから、安倍が二人の会話に口を挟んだ。
「え?…ずっと?」
思わず安倍の方を見て、平家が聞き返す。
「うん。バスが出る前から、今まで…」
「……さよか…」
平家の頭の中で小さな“?”が浮かんだ。
36 名前:―前編― 投稿日:2002年09月11日(水)16時53分31秒
平家がトイレを済ませ、ニアウォーターで喉を潤した後、
バスに乗り込もうとした時、矢口に腕を引っ張られた。
走ってきたのだろうか、軽く息が切れている。

「…辻加護、見なかった?」
「見てへんけど…どないしたん?」
「いないんだよぉ…」
「…いない?」
「ったく、何処ほっつき歩いてんだか…」
がっくりと肩を落とし、吐き捨てる様に独り言を呟いて、
そのまま駐車場周りを走り出した。
37 名前:―前編― 投稿日:2002年09月11日(水)16時54分46秒
傍らでは飯田と保田が立ち話をしていた。
「なぁ、カオリ、辻加護見んかった?」
平家は二人に声を掛けた。
「新垣と紺野とゲームやってる所は見たけど…」
「その後は、見てないなぁ…」
飯田と保田はそんな曖昧な返事をして、また二人で話し始めた。

――見てない…って、それだけかい?

「…捜しに行かへんの?」
「そのうち戻って来るっしょ?」
「あいつらなら大丈夫だって。」
38 名前:―前編― 投稿日:2002年09月11日(水)16時55分29秒
――……こいつらは…

リーダーとサブリーダーがあんな楽観的な考えで、
病み上がりの矢口があんなに必死になって捜している。

――こいつらに任せて、娘。は大丈夫やろか?

この状況を見たら平家だけでなく、どんな人間もそう思うだろう。
平家も辻と加護を捜しに行き、S.Aの売店を覗いてみた。
二人の姿は見当たらない。

「こんなトコは矢口も見てるやろうしなぁ…」
売店の入口で立ち止まり、顎の下をポリポリと掻きながら考えた。

誰にも見られていない所…
平家は建物の裏へまわってみた。
39 名前:―前編― 投稿日:2002年09月11日(水)16時56分03秒
S.Aの裏は、林のようになっていて、遊歩道のような、
舗装されていない、ぬかるんだ道になっていて、日陰は雪が所々残っている。
そこを歩いて行くと、“キャハハハ!!”と甲高い二つの笑い声が聞こえてきた。
その声のする方を見てみると、案の定辻と加護がしゃがんで何かを見ていた。

「おーい!何やっとるん!?」
平家の声に気が付いた二人は何かを見ていたであろう、
ニヘラっとした笑顔のまま振り向いて、平家の方に顔を向けた。
しかし二人はまた、顔を戻し、蹲って何かを見ている。
「…バス出るで。はよ戻り。」
平家が声を掛けるが、二人は全く動こうとしない。
40 名前:―前編― 投稿日:2002年09月11日(水)16時56分38秒
平家が二人のそばまでやって来て、後ろから覗いて見ると、
加護が木の枝を持って何かを書いていた。

「…何やっとるん?」
「おばちゃんの顔、書いてるんですよ。」
枝の先を見てみると、確かに特徴をよくとらえた
保田の似顔絵が雪の上に描かれていた。
「あそこには、飯田さん書いて、あそこにはよっすぃー書いてますよ。」
加護が指を差している所は雪が残っていて、
そこにメンバーの似顔絵を書いていたようだ。
しかし、今の平家には、加護の描写力など興味はない。
41 名前:―前編― 投稿日:2002年09月11日(水)16時57分08秒
「…帰るで。」
「ん…もうちょっと…」
「みんな待っとるし…」
「…………」
もうすでに、平家の声は二人の耳には入っていない。

――ったく…

平家は半ばあきれて、文句も言う気もなくなった。

――矢口が倒れるわけや…

ただでさえ寝不足で、神経が昂ぶっている平家は、黙って二人の襟元を掴み、
強引に林の中から二人を引き摺り出した。
42 名前:―前編― 投稿日:2002年09月11日(水)16時57分39秒
「早よ、バス乗りなさい!みんな待ってんねんで。」
「痛い、痛い…」
駐車場で、やっと平家から開放された二人は、
平家のすぐ後ろで渋々歩きながらぶつぶつと話し始めた。

「何で怒ってんねやろ?」
「何でだろね?」
そして、加護がわざと平家に聞こえる様に、少し大きな声で言った。
「乗り過ごしてもいいじゃないですかぁ〜?バスの1個や2個ぐらい…」

その加護の言葉が平家の理性を切った。
43 名前:―前編― 投稿日:2002年09月11日(水)16時58分13秒
パーーン!!
平家の右腕が大きく振られ、乾いた音を立てる。
それと同時に加護の右頬が薄くピンク色に染まった。

「お前ら、ええ加減にしぃや!!」
平家のいきなりの行動に、辻と加護はただ、
怒りをあらわにした平家の顔を見ているだけだった。

「いくら子供、子供、言われとっても中学生やろ!?
お前らがどんだけみんなに迷惑掛けてるんか判らんのかっ!!?」
44 名前:―前編― 投稿日:2002年09月11日(水)16時58分51秒
二人は、よく言うことをきかないと、中澤や保田に怒られていることがあった。
しかし、そこに平家がいると、必ず平家の後ろに隠れて、助けを求める。
平家も、その怒っている相手をはぐらかして二人を庇っていた。

そんな、“優しいお姉さん”のはずだった平家が、
今まで見た事のない鬼のような形相をした平家に、二人とも黙ったまま俯いて、
今にも泣きそうな顔をしている。
45 名前:―前編― 投稿日:2002年09月11日(水)16時59分21秒
「ちょっ!!みっちゃん、なにするの!!?」
近くで見ていた飯田が慌てて駆け寄ってきて、平家と加護の間に入る。
飯田が止めに入っても、平家の怒りは収まらない。
「……そこ退き。」
「……やだ…」
二人を庇う様に飯田が平家の前に立つ。
「ええから、退き!」
「やだ!」
飯田の後ろでは、ツインテールの二人が涙目になって、
ガタガタと肩を震わせている。
そんなことはかまわずに、平家の怒りの矛先は飯田に向けられた。

「………カオリは二人を可愛がるだけか?
…リーダーのカオリは何もせんと可愛がるだけで、
誰にしわ寄せが行っとるか判っとるんか!?あぁっ!!?」

「……そんなの…メンバーじゃないみっちゃんに言われたくない…」
飯田のその一言は、一度は繋がりかけたはずの理性を完全に断ち切った。
46 名前:―前編― 投稿日:2002年09月11日(水)16時59分51秒
「ええ加減にせぇよ!!!!矢口が一人でどんだけつら、おわぁっ!!」
大声を出して、飯田の胸倉を掴もうとする平家の背中に、
矢口がおんぶをねだる子供の様に抱きついてきた。
「みっちゃ〜ん、そんなに怒るとカラスの足跡増えちゃうよぉ〜」
そんなヘラヘラした声で、後ろから平家のこめかみを指で引っ張る。
(矢口の事はいいから…)
平家の耳元で、誰にも聞こえない様な小さい声で囁いた。

「ん…くっ……わ、わかった……って、顔を引っ張るなぁっ!!」
平家が身体を捻って、矢口を降ろそうとすると、
自分からぴょん、と飛び降り、平家の顔を見上げる。
「もういいじゃん。二人も戻ってきたんだしさ…」
そう言って息を弾ませながら平家と飯田の背中を叩き、バスに乗るよう薦める。
顔は笑顔だが、目だけは心身ともに疲れきっている寂しそうな目つきだった。
47 名前:―前編― 投稿日:2002年09月11日(水)17時00分38秒
「…いい?」
矢口が、先にシートに座っていた平家を見ながら、隣のシートを指差す。
「あ…う、うん…ええよ。」
改めて聞かれ一瞬戸惑ったが、元々矢口の席だった訳なので、断る理由もない。

平家に促され、静かに矢口がシートに座り、
ただでさえ小さい身体をさらに小さく丸めて、申し訳無さそうに呟いた。
「……なんか迷惑掛けたみたいで…ごめんね。」
「…もう、ええねん。ウチも大人気なかったし…」

本当は、まだ平家はイラついている。
しかし、矢口の顔やさっきの気の配り方を見ると、
こっちも悪かったなと思ってしまう。
「もっと矢口がしっかりしてたら…」
「もう、ええから…」

――なんで、そこまで気ぃ使うん?

「…ほんと、ごめんね。」
「…矢口の気持ちはわかったから…もう、ええから…」
そう言いながら、クシャクシャ、っと矢口の頭をなでる。
矢口も平家の好意に甘えるように、少しだけ笑顔を浮かべて小さく頷いた。
48 名前:―前編― 投稿日:2002年09月11日(水)17時01分08秒
「…昨日、彩っぺの夢見てた。」
「え?」
不意に矢口が発した言葉に、平家がゆっくりと矢口の顔を見る。
「……だいぶ前…矢口が風邪引いたときに…
彩っぺがお見舞いに来てくれた事があって…
その時の夢なんだけど…今朝、目が覚めたら、みっちゃんがいて…」

下を向きながら、ぽつぽつと言葉を選ぶように矢口が喋り続ける。
平家は相槌こそ打ってはいないが、しっかりと矢口の声を聞いていた。
「“身体だるくない?”って…みっちゃんに言われた時、びっくりした。」
「びっくりした、って…?」
「彩っぺもその時、同じ事言ったんだよね…」
「…そっかぁ。」
「なんか…すごくうれしかった。」
「うん。」
「なんか…一人じゃないんだなぁ…って…」

――やっぱ、一人で辛い思いしとったんやなぁ…
49 名前:―前編― 投稿日:2002年09月11日(水)17時01分38秒
風邪を引いても無視するほどの強さを持っていても、
やはり、いつまでも気持ちを張り詰めておく訳にもいかないようで、
メンバーには見せられなかった、本能的に隠し続けていたであろう
自分の弱さを、少しづつ平家の元に出していった。

だから、平家も、せめて自分の前だけでも、矢口の弱い部分を見せて欲しくて、
今だけでも身体を休められるように頼って欲しかった。

「…矢口もまだ治ってないんやから、東京まで寝とき。」
「うん。」
背もたれを倒しても、くつろぐにはまだ角度が物足りないだろうと思い、
矢口の身体を平家の方に引き寄せる。

――うわ…矢口って、暖かいなぁ…
50 名前:―前編― 投稿日:2002年09月11日(水)17時02分11秒
「みっちゃ〜ん、こっち…」
安倍が、平家を呼ぼうとシートの後から覗き込むと、
平家はしーっ、と唇に人差し指を当てて、安倍を静かにさせた。
「あ、ごめんねぇ…」

そこには、あまり柔らかくはないであろう平家の膝で、
静かに寝息を立てている矢口の姿があった。
51 名前:―前編― 投稿日:2002年09月11日(水)17時02分44秒
「そういや、裕ちゃん…」
久しぶりに、中澤と時間が合って、夕食を共にした平家が何気なく呟いた。

「…ん?」
「裕ちゃん、矢口と喧嘩でもしたんか?」
「いや…別にしてへんけど…」
あまりにも平然とした顔で返事をする中澤に、平家も若干だが首を傾げた。

「せやけど、この前…矢口が倒れた事、裕ちゃんに言うても、
あんま驚かへんかったやん。何かあったんかなぁ、思うて…」
52 名前:―前編― 投稿日:2002年09月11日(水)17時03分15秒
それを聞いた中澤が、小さなコップに注がれていたビールを口に含み、
軽くため息をついて、静かに答えた。

「……みっちゃん、知らんかったん?」
「何が?」
「ウチら、あんま仲良うないで。」
「…………………………………………え?」

平家にはあまりにも意外な言葉だった。中澤の聞き違いかと思い、
改めて、はっきりと聞こえるように繰り返した。
「矢口と、裕ちゃんやで?」
「…せやで。」
「……………」
「プライベートでも、二人だけで会うた事はないし…
ほかのメンバーも一緒、っつーのは何回かあったけど…」
53 名前:―前編― 投稿日:2002年09月11日(水)17時03分49秒
中澤と矢口は、テレビやラジオではあんなに仲が良く、周囲の関係者や、
マスコミに“レズだ”とまで言われていた二人に騙されていたとは…

「せやけど、勘違いせんといてな。別に矢口と仲が悪い訳やないで。」
そう言いながら、残っていたビールをクイっ、とあおる。
「なんかの番組で、矢口とベタベタしとったら、結構ウケ良かったんで、
和田さんに続けるよう言われてな。」
「せやったんか…」
54 名前:―前編― 投稿日:2002年09月11日(水)17時04分25秒
「…せやけど、矢口も大人やで。ウチみたいな10歳も年上の女に擦り寄られて、
文句一つ言わへんもんなぁ……それが可愛くてなぁ…」
その言葉に頬杖を突きながら、ウンウンと無言で何度も頷く平家。

“仲が良い訳ではない”と言っているが、そんなことは微塵も感じられない、
むしろ中澤の矢口に対するとても暖かい、身内への愛情のようなものが
手に取るように感じられる。
そんな優しい口調だった。

「矢口も可愛いけどな、石川も、吉澤も、後藤もみんな可愛いでぇ…
この間なんかも、石川がなぁ…」

――裕ちゃんの顔見たら、話聞かんでも判るて…

そんな呆れた顔をしている平家を無視して、
目がハの字に垂れ下がっている中澤が、上機嫌に話をしていた。
55 名前:―前編― 投稿日:2002年09月11日(水)17時04分59秒
平家もお腹一杯になるほど、メンバーに対する惚気話をした後、
軽い溜息をついて、中澤が昔を思い出すように遠い目をしながら話し始めた。

「矢口は…むしろ、彩っぺと仲良かったもんなぁ…」
「それは、なんとなく判っとったけど…」
「彩っぺが引退したときなんかは、ウチら以上に辛かったと思うで…」
「うん。」
「ほんでその後、吉澤とか石川が入って、ミニモニのリーダーにもなって、
頼られる人間の方になったやん。矢口も頼る人間っつーか、
そういう落ち着ける場所がなくなってしもたからなぁ…」
「せやなぁ…」
「それでウチが世話しとった、っつーのもあるんやけどな…」
「…そっかぁ…」
「まぁ、みっちゃんもなんかあったら、矢口に手ぇ貸したってな。」
その時の中澤の目は、平家を信頼しきっている、優しくて柔らかいものだった。
56 名前:―前編― 投稿日:2002年09月11日(水)17時05分40秒
――頼られる人間かぁ…

中澤と別れた後、地下鉄に揺られながら、
何気なくメンバーのことを考えていた。

4期や5期のメンバーには、それぞれ教育係がいて、
その上のメンバーは、中澤を頼って…
その中澤は自分のことを頼って…

――ウチにはおらへんもんなぁ…

頼られる自分。
頼る人間がいない自分。

確かに“ハロプロの長女”と言われても、平家もまだ22歳のオンナだ。
まだ自分一人で悩みを処理できるほど、大人ではない。
それに、ハロプロ以外の仕事の悩みだってある。

――彼氏作ろっかなぁ…
57 名前:―前編― 投稿日:2002年09月11日(水)17時06分21秒
「…あ、あれ?」
地下鉄を降りた平家は、今になって急に酔いが回ってきた。
足元がふらついて、まっすぐに歩けない。
なんとか近くにあった電柱に寄りかかって、体を支えるが、
腕の力が入らなくなり、そのままずるずるとしゃがみ込んで、
道路にべたりとしりもちをついた。
アスファルトの冷気が、手や腰からアルコールで火照った身体を冷やす。

人通りのない細い道でぼんやりと空を見上げた先には、
十三夜の月が平家を明るく照らしていた。

――何や…気持ちええなぁ…

平家に睡魔が襲ってくる。

――………もう…ええかな…
58 名前:―前編― 投稿日:2002年09月11日(水)17時06分52秒
「みっちゃん!!起きなよぉー!!!」
枕もとで平家を起こしている人間がいた。

平家の布団を剥そうとするが、ベッドの中の人間がそれを許さない。
まだ寝たりない…というか、起きたくない様で、布団を頭まで隠して、
剥されないようにしっかりと掴みながら、布団の中でゴネている。

「う…ん……もう…ちょっと……あと…2時間……」
「!!………」
その言葉にキレたのか、今度は足元から布団を剥された。
59 名前:―前編― 投稿日:2002年09月11日(水)17時07分26秒
「いい加減にしなさいよぉー!!!」

パーーン!…
下半身があらわになった平家の太ももが思いっきり叩かれた。
「ぁ痛っ!!!」
その音と痛みに弾かれたように、布団と上半身が跳ね上がる。

「いったぁ…叩く事ないやん!?……って…矢口ぃ!?……なんで?」
平家が叩かれた脚を摩りながら、ベッドの横にいる人間を見てみると、
そこには膨れっ面をして腕組みをしている矢口の姿が…
60 名前:―前編― 投稿日:2002年09月11日(水)17時07分58秒
半開きの瞳で周りを見渡してみる。
見慣れたベッド、見慣れた壁紙、見慣れた家具…
間違いなく平家が住んでいる部屋だ。

――なんで矢口が…?

そんな疑問が頭の中に広がっている平家をよそに、矢口が寝室を後にする。
「ちょ、ちょぉ…矢口…なんで?」
矢口はドアのところで立ち止まり、振り返って平家を見るが、
膨れっ面は変わっていない。
「…とにかく起きなよ。ご飯出来てるから…」
「…は、はい。」

――なんかひどい事言ったんかなぁ…っつーか、なんでウチの部屋に矢口が?
61 名前:―前編― 投稿日:2002年09月11日(水)17時08分28秒
とりあえず、起きがけのシャワーを済ませた平家がリビングに入ると、
炊きたてのご飯と味噌汁の匂いが平家の鼻を擽った。

平家がシャワーを終えるのを見計らっていたように、
矢口が朝ご飯を用意してくれていた。
朝早く、何処かのコンビニで買ってきたのだろうか、
冷蔵庫にはないはずの梅干や胡瓜の浅漬けまである。

「矢口はもう食べたから…」
そう言って、矢口は平家から顔を逸らし、テレビのスイッチをつける。
矢口の言われるままに、並べられたお膳の前に座り、味噌汁をすすった。

――あ、美味い…
62 名前:―前編― 投稿日:2002年09月11日(水)17時09分00秒
「………なぁ…矢口…」
「何?」

矢口はテレビのワイドショーから目を離さずに返事をする。
その声にも抑揚がない。

――やっぱ、怒っとる…

実は、平家には地下鉄から降りた後の記憶がないのだが、
矢口がこんなに怒っているという事は、それなりに迷惑をかけたのだろう。

「……あ…その…ごめんな…」
「え?」
「いや…昨日の…事…」
平家が言葉を濁す。しかし昨夜の事は記憶がないので、その後が続かない。

気まずい空気が流れる。
63 名前:―前編― 投稿日:2002年09月11日(水)17時09分30秒
「……もしかして…覚えてないの?昨日の事…」
「……うん。」
その言葉に、矢口がはぁぁ、と深い溜息を吐いて、あからさまに呆れた顔をする。

平家の身体が強張る。

――ウチ、何やったんやろ?

「………普通さぁ、保護者って、大人の人呼ばない?」
「…うん。」
「だったら、何でみっちゃんの携帯から、
矢口のトコに警察の人が電話かけてくるの?」
「はぁ?」
「それに保護者だったら、マネージャーとか裕ちゃんの方がいいでしょ?
何で矢口なの?」
64 名前:―前編― 投稿日:2002年09月11日(水)17時10分19秒
矢口の話によると、平家が電柱に寄りかかって、寝てしまったところを、
警察に保護されたらしい。
酔っ払っていたので、警察にとってそういう事は珍しくはないのだが、
問題はそこからで、平家が目を覚まして、“矢口に電話したって!”
と携帯を取り出し、交番で騒ぎまくった挙句、
“矢口やなかったら帰らへん!!”と駄々をこねて泣き叫んだらしい。
65 名前:―前編― 投稿日:2002年09月11日(水)17時10分54秒
「…本当にさぁ…みっちゃんいい大人なんだから…」
「……はい。」
「終電もなくなってたし…ここまで連れて来るの大変だったんだからね。」
「…すんません。」
「タクシー代、
事務所にみっちゃんの給料から、引いてもらうように言っといたから。」
「えぇっ!?」
「当たり前でしょ!?横浜からここまでいくらかかったと思ってんの?」
「………はい…」
「ここに帰って来ても、騒ぎまくるしさぁ…」
「……………」
本当に返す言葉がない。これでは母親に説教をされている子供以下だ。

平家のカラダが、味噌汁の茶碗を持ったまま、
目の前の小さいカラダよりも小さくなっていく。
66 名前:―前編― 投稿日:2002年09月11日(水)17時11分30秒
「…みっちゃんに彼氏出来ないのなんて、矢口にわかる訳ないじゃん。」

――せやなぁ……えっ?…カレシ?

「矢口、ちょ、ちょぉ待って。昨日、何言うたん?」
「あれから、またビール飲んで“なんでウチには彼氏おらへんのやぁぁぁっ!!”
って言って、そのままベッドに潜りこんでいったのっ!」
吐き捨てるように昨日の醜態を平家にぶつけ、
矢口の視線はテレビのワイドショーに向いていった。

――…それだけ?

それだけでも十分すごいと思うのだが…
67 名前:Strong Four 投稿日:2002年09月11日(水)17時13分58秒
というわけで、前編の後半更新しました。

>>30
>>31
>>32
>>33
レスありがとうございます。
…と言いたいんですが、(確かにありがたいんですけど…)
みなさん期待しすぎ。(w
あとがきにも書きますが、実はこの小説にはもう一つ目的があるので…

でも、やっぱり一般的な小説は、読者さん多いですね。
あっちは一気に4人の感想レスなんて来た事ないですよ。
(あっちはあっちで非常にありがたいんですけど…)

みなさんは“みちやぐ”は見た事がない、との事ですが、
この間“みちやぐ”になりそうな小説を見つけましたよ。
ネタばらしになるかもしれないので、これ以上は言いませんが…

次回は、9/22のハロモニに、みっちゃんが出る、という設定になります。
これも実際に出演するかどうかわからないので、
(っつーか、こっちのハロモニは11日遅れで、30分番組になってますから…)
その前までには更新したいと思っています。
68 名前:名無し読者 投稿日:2002年09月12日(木)11時32分28秒
なんだかとてもいいカンジの小説ですね〜。
あったかい感じです。
それに更新の量もすごいし・・・見習わないと(w
69 名前:名無し読者 投稿日:2002年09月13日(金)05時46分40秒
責任感の強いやぐカッケ−。
続きが楽しみです。
70 名前:Strong Four 投稿日:2002年09月18日(水)20時41分54秒
>>68
レスありがとうございます。

>あったかい感じの…

私の書きたかったものが伝わったような、嬉しい一言いただきまして…

平家「作者殺すにゃ刃物は要らぬ…」

……………すいませんです。これからも精進します。

>>69
レスありがとうございます。

>責任感の強いやぐカッケー…

平家「今回はウチもごっつカッコええねんでっ!!」

……役者殺すにゃ刃物は要らぬ…

平家「……………………」

今回は、9/22のハロモニの収録後という設定で書きましたが、
9/14放送分の実況板を見ると、みっちゃん、出なさそうですね。
(私の住んでいる所では、来週放送されると思うので判りませんが…)
…とは言っても、今更変えようがないので、
もし、ちょっとでもみっちゃんが出ていたら…
と言う設定の下、強引に話を進めます。
71 名前:―後編― 投稿日:2002年09月18日(水)20時42分51秒
――まぁ、こんなモンやろなぁ…

『ハロモニ』の収録が終わって、平家が楽屋を後にする。
後藤の卒業と同時に、平家もハロープロジェクトを卒業するため、
一緒に番組に参加していた、今回の収録が、
平家にとって、娘。のメンバーに会う最後の日だった。

しかし、本番中はボロボロ泣いていたメンバーも、
楽屋に戻る時には、みんな後藤とヘラヘラと雑談を始めている。
まぁ、後藤も娘。は卒業するが、ハロープロジェクトには残るわけで、
本当の最後はライブの時だから、この収録は儀式みたいなものなのだろう。
72 名前:―後編― 投稿日:2002年09月18日(水)20時43分22秒
化粧が溶けそうなほど涙を流していた中澤も、楽屋に戻る途中、
“みっちゃん、今日も居酒屋行こか?”と言われた時は、
さすがの平家もムッときた。

まぁ、後で考えてみると、平家が後に引き摺らないようにと、
わざと明るく振舞ってくれたのかもしれないのだが…

それよりも、“今日も”ってなんだ?“も”って…
73 名前:―後編― 投稿日:2002年09月18日(水)20時43分54秒
「あ、みっちゃん…」
平家が帰ろうとした時、
ロビーにある自販機で買い物をしている矢口が声を掛けた。
「あ、お疲れぇ〜」
平家もすでに気持ちが切り替わっているのか、
早足で歩きながら、軽く左手を上げ、明るい声で矢口に挨拶をする。
74 名前:―後編― 投稿日:2002年09月18日(水)20時44分25秒
「…あっ、あのさっ!」
矢口の前を横切ろうとしたとき、急に思い立ったように平家を呼び止める。
「ん?どないしたん?」
平家が振り向くと、妙に緊張した顔をした矢口が、
2本持っていた缶コーヒーのうち、1本を平家に差し出した。
「あ…あの……これ…今…まちがって、ボタン2回押しちゃってさ…」

「あ、ありがとうな…」
平家が矢口から缶を受け取ろうと、缶を掴んだが、
その缶が矢口の手から離れない。
75 名前:―後編― 投稿日:2002年09月18日(水)20時44分59秒
「?……矢口?」

矢口が平家から視線を落とし、顔が俯く。
「………なん…で?」

身体の奥から無理矢理引っぱり出したような、矢口の震える声。
矢口の身体の震えが缶を伝わって、平家の手の平に冷たく広がる。
76 名前:―後編― 投稿日:2002年09月18日(水)20時45分29秒
「………なんで…みっちゃんも…」
「え?」
「……なんでみっちゃんも…いなくなるの?」
「…矢口?」
「なんで…なんでみんな…みっちゃんも………何で矢口から…」
「……………」
「明日香も、彩っぺも、紗耶香も…なんで…なんでみんな……」

矢口の声が嗚咽に消される。
それが泣き声に変わったとき、平家の身体に矢口が抱きついてきた。
77 名前:―後編― 投稿日:2002年09月18日(水)20時46分27秒
“頼る人間が居らんようになったからなぁ…”
何ヶ月か前に言った中澤の言葉を思い出す。

――確かにそうやなぁ…

自分の胸で泣いている矢口を、優しく包みこむように腕を廻し、
天井を見ながら、子供を諭すように、ゆっくりと話し始めた。
78 名前:―後編― 投稿日:2002年09月18日(水)20時47分01秒
「……なぁ、クジラ…居るやろ?」
矢口は平家に抱きついたまま、泣きじゃくって身体を震わせている。
腕も、平家の身体をがっちりおさえている。
平家にはそれがちょっと嬉しい苦しさだった。

「クジラって、人間には聞こえへん声も出しとるらしいんやけど…
その声がなぁ…何100kmも離れた相手にも聞こえるんやて。」
79 名前:―後編― 投稿日:2002年09月18日(水)20時47分48秒
平家の話は聞こえているようだが、
それでも現状を認めたくない子供のようにしがみついている。
嗚咽も止まっていない。

そんな矢口の背中を、子供をあやす様にポンポンと叩きながら話を続ける。

「何処にいるか判らへん相手にも、ちゃんと聞こえるんやで。」
「…………………」
「一人しかおらへん思っとっても、どっかで必ず繋がっとるんやで。」
80 名前:―後編― 投稿日:2002年09月18日(水)20時48分27秒
「矢口もな…ウチがどんだけ離れとっても、声に出して言うてくれたら、
ちゃんと答えたるから…」

今度は平家が矢口を抱きしめている腕に力を込める。

「ウチも、矢口の声は、ナンボ離れとっても聞いたるから……な。」

平家の腕の中で、矢口の震えが止まった。
81 名前:―後編― 投稿日:2002年09月18日(水)20時49分00秒
それを見計らったようにゆっくりと矢口の両腕を解き、
俯いている矢口の顔を覗き込んで、くしゃくしゃっと頭を撫でる。
「そん時は、ウチが何処に居っても行ったるから…」
矢口が手の甲で涙を拭いながら頷く。
「地球の裏側に居っても行ったるから…」
「……うん。」

「そん時は矢口の給料から、タクシー代もらうからな。」
「えっ!?」
「当たり前やろ!矢口がウチを連れて帰ったときも、
しっかりタクシー代、持ってったやないかい!」
82 名前:―後編― 投稿日:2002年09月18日(水)20時49分31秒
涙を溜めながらも、矢口にいつもの笑顔が戻り、
今度は平家から矢口を抱き寄せる。

「………矢口って、ホンマ暖かいなぁ…」

矢口も平家の温もりを確かめるように、静かに腕の中に収まっていた。
83 名前:―後編― 投稿日:2002年09月18日(水)20時50分03秒
「……あと…4ヶ月やなぁ…」
「…え?」
「あ、いや…あと4ヶ月で、矢口も20歳になるんやなぁ…って…」
「あぁ…うん、そうだね。」
「そん時は胸張って、保護者に矢口を呼んでもええんやなぁ…」
「えぇ!?」
平家を見上げた矢口の顔が、しかめっ面に変わっていく。
「何や、その嫌そーな顔は?」
「だってさぁ…」
言葉を濁し、また平家の胸に顔を埋める。
84 名前:―後編― 投稿日:2002年09月18日(水)20時50分55秒
…判ってる。
頼られる人間にとって、その上の頼る人間がいなくなってしまうことに、
臆病になってしまうのも判る。

――せやけど、あんだけ酔っ払ったんは矢口にしか見せてへんもんなぁ…

だから口だけでも、そして今だけでも、
矢口を頼っておくようにしておきたかった。
それを口実として、自分が矢口の頼られる人間でいられるように
しておきたかった。

そんな平家の弱さも和らげるであろう、矢口の体温を確かめるように、
矢口の弱さも脆さも、全部まとめて包みこむように抱きしめながら、
また、ぼんやりと天井の明かりを見上げていた。
85 名前:Strong Four 投稿日:2002年09月18日(水)20時56分22秒
というわけで、後編の前半部分を更新しました。

今回は、今までに比べて更新量が少なかったと思いますが、
キリのいい所だったのでご了承ください。

ストーリーは、一気に一年後の話になります。
来週の今頃になると思いますが、次回更新で完結となります。
もうしばらくお付き合いください。
86 名前:川o・-・)ダメです… 投稿日:川o・-・)ダメです…
川o・-・)ダメです…
87 名前:名無し読者 投稿日:2002年09月19日(木)23時47分12秒
更新おつかれ様です。
なんていうか、みっちゃんの存在の心強さが、なんだか切ないです…
がんがって!
88 名前:名無し読者 投稿日:2002年09月20日(金)00時52分28秒
矢口の声は、いつどのように平家さんに届くんでしょう…。

実際に平家さんがハロプロを卒業するのは11月になるので
ハローのメンバーと絡むのは運動会がラストになるのでしょうか…。
時期的にハロプロキッズの存在が前面に押し出されてきそうな
感じだし、卒業に関して何らかのセレモニーみたいなものが
あるのかどうか、気になるところだったりします。
もちろん卒業記念のソロライブは、その後に開催されるのですが。
89 名前:Strong Four 投稿日:2002年09月25日(水)20時10分14秒
>>87
レスありがとうございます。

前回更新のシーンは、“カリオストロ〜”最後をイメージして、
もっと軽いノリで書きたかったんですが、
どうも、中味が重くなってしまいました。
やっぱ、文才の問題なんでしょうね。
90 名前:Strong Four 投稿日:2002年09月25日(水)20時10分46秒
>>88
レスありがとうございます。

矢口の声はどのように届くのか、ということですが、
>>1で書いた通り、私が昔から好きなアーティストの曲の中に、
矢口の気持ちに合いそうな歌詞があったので、それを使ってみました。
(旧い曲だから、知ってる人いるかなぁ…)
あからさまに固有名詞と曲名を出しているので、
ネット検索にひっかかるかなぁ、とも思いましたが、
悪くは書いていないので大丈夫、って勝手に解釈してやるだけやってみます。

それから、平家さんの卒業は、最初の発表の時には、
後藤と同じ日と聞いていたので、あのように書きましたが、
卒業ライブがあることで延期(留年?)になったんでしょうか?
どこのメディアも後藤の卒業の事ばかりで情報が少なすぎる、
という言い訳をしておきます。
(オフィシャルサイトでも書き込まれてないみたいだし…)
やっぱり>>71は“9/22のハロモニ”ではなく、“後藤卒業の特別番組”
と書いた方がよかったですね。
91 名前:Strong Four 投稿日:2002年09月25日(水)20時11分34秒
あれから一年。

娘。は、春に保田が卒業した以外は、これといった変化はなく、
後藤も保田も、一人のタレントとして順調なスタートを切ったようだ。

平家も二人ほどではないが、すべて自作のシングルとアルバムをリリースして、
ミュージシャンとしての評価も上がり、安定したファンも増えて来ている。

そんな初秋のある日、平家は駅構内のキヨスクで売られている、
スポーツ新聞のテンポイントに目が止まった。

「モー娘。矢口 真理ソロデビュー!!」

見慣れていた、しかしどことなく懐かしい、その文字に惹きつけられ、
その新聞をウーロン茶と一緒に買い、駅のホームで詳しい記事を読んでみた。
92 名前:Strong Four 投稿日:2002年09月25日(水)20時12分29秒
――ニッポン放送らしい企画やな…

この新聞によると、矢口のソロデビューは、
ラジオのコーナーから立ち上がった企画らしい。
[―――この曲は番組のコーナー同様、受験生や何かを頑張っている
人たちへの応援歌で、詞は矢口本人が担当しているが、曲は管楽器特有の、
メリハリのある明るいポップナンバーに仕上がっていて…云々…]

そんな、元気な曲を歌う矢口を想像しながら、文面を斜め読みしていると、
見慣れない、でも、どこかで見た事があるような文字があった。

[なお、カップリングには本人の希望により、
カバー曲である“夜曲”が収録されている。]
93 名前:―後編― 投稿日:2002年09月25日(水)20時14分15秒
――“よきょく”?…どっかで聞いたことあるなぁ…

普通の人なら(特に年配は)“蘇州夜曲”の“やきょく”と読むだろう。
しかし、平家は何の抵抗もなく、“よきょく”と読んだ。

――あっ、中嶋みゆきの曲にそんなんあったんやなかったかなぁ…

中嶋みゆきは実家の母親が好きで、平家本人も学生の頃、
たまに聴いていたことがあった。
その中に“夜曲”という曲があったのを思い出した。
94 名前:―後編― 投稿日:2002年09月25日(水)20時15分21秒
――なんでわざわざカバー歌うんやろ?しかもニューミュージックの…

なんとなく覚えている曲の雰囲気…
コンピューター全盛の今、アコースティックな楽曲は、
根強い人気はあっても、アイドルが歌って流行るものとは思えない。
それをわざわざカバーして歌う意味がわからなかった。

どうも、平家はソロデビューの企画よりも、
カップリングの曲の方が気になっている。

その手がかりの一つになるであろう、歌詞を手に入れるため、
平家はその場で、実家の母親に電話をかけた。

「あ、お母ちゃん?充代やけど…
うん…あんなぁ、お母ちゃん、中嶋みゆきのLP持っとったやん?
……うん。そん中になぁ、“夜曲”って曲なかった?
…あ、やっぱり?…え?……なんで、ってどんな曲やったかなぁ思うて。
…うん……あ、いや、歌わんでええから…いや、ほんまええから。
…悪いんやけど、その“夜曲”の歌詞、FAXで送ってくれへん?」
95 名前:―後編― 投稿日:2002年09月25日(水)20時15分53秒
それから10日ほどたったある夜。

忙しさにかまけて、平家がそのことをすっかり忘れていた頃、
自宅に帰ってくると、FAXの受信トレイの中に、
母親が送ってきた“夜曲”の歌詞が紛れていた。
96 名前:―後編― 投稿日:2002年09月25日(水)20時16分33秒
街に流れる歌を聴いたら
気づいて 私の声に気づいて
夜にさざめく 灯りの中で
遥かにみつめつづける瞳に気づいて

――!!!

その歌詞を見て、平家のカラダが硬直した。

平家の勘は決していい方ではないが、何故か胸騒ぎがする。
それは何なのかは判らない。
しかし、あの時、矢口が地方のライブの後に倒れた時と同じようなものだった。

矢口のCDは今日発売と聞いていたが、土日などは関係ない仕事のためか、
日付の感覚さえも無くなりかけていて、買いそびれていた。

もし、本当に矢口がこの曲をカバーしているのだとしたら…
97 名前:―後編― 投稿日:2002年09月25日(水)20時17分08秒
「もしもし、つんくさんですか?…ご無沙汰しています。平家です。」
『おぉ、久し振りやなぁ…どないしたん?仕事、頑張っとるらしいなぁ…』
「あ、はい。おかげさんで…あ、いや…仕事の話やないんですけど…
あの…今日出た、矢口のCDなんですけど…」
『あぁ、あれかぁ?あれがどないしたん?』
「カップリングの“夜曲”って、中嶋みゆきさんの“夜曲”なんですか?」
『せやで。よぉ知ってんなぁ…』
98 名前:―後編― 投稿日:2002年09月25日(水)20時17分39秒
――やっぱり…

『“カバーはカネかかる”言うたんやけど、
矢口がどうしてもあの歌いたい言うてなぁ…』

――やっぱり…

『なんや、今の自分やったら、絶対歌える…言うて、
メインの曲より気合い入っとったわ。』

――やっぱり…

『……おーい、平家ー』
返事をしない平家に、電話の向こうのつんくが、
遠くに行ってしまった平家の意識を呼び戻す。

「…あ、すいません。その確認だけです。ありがとうございました。」
99 名前:―後編― 投稿日:2002年09月25日(水)20時18分11秒
携帯を切ると、平家はテレビの上に飾っていた卓上カレンダーを手にとった。

――今日は………木曜日やな…

時計を見ると、22:03。矢口がラジオをやっている時間帯だ。

胸騒ぎが、更に激しくなる。

平家が矢口の居場所を把握すると、
財布だけを手に取り、部屋着のまま部屋を飛び出していた。
100 名前:―後編― 投稿日:2002年09月25日(水)20時18分42秒
平家が、タクシーを捕まえられそうな幹線道路まで走った。
立ち止まると、今日はアルコールを一滴も口に入れていない筈なのに、
なぜか吐き気をもよおした。

――たしか…あの時もそうやったな…

その吐き気を無理矢理飲み込む。

間違いない。
矢口に何かある。
101 名前:―後編― 投稿日:2002年09月25日(水)20時19分28秒
周りに何もない国道の真ん中だったが、
タクシーを捕まえるまで、そんなに時間はかからなかった。
「すいません…ニッポン放送まで。」

タクシーが走り出して、隙間が出来た空気を埋めるように、運転手が口を開く。
「……お客さん、放送関係の方ですか?」

平家も最近はテレビに出るようになったが、運転手もスッピンで、
黒ブチ眼鏡をかけた部屋着のオンナが、芸能人だとはとても思えない。
それ以上に思いたくなかった。

「え?ええ…まぁ…あ、すいません。ニッポン放送かけてもらえますか?」

運転手が、ラジオの周波数をニッポン放送にあわせた。
102 名前:―後編― 投稿日:2002年09月25日(水)20時20分05秒
[えー…皆さんご存知かと思いますが、前々から言ってた通り、
矢口がソロでCDを出したんですけども…皆さん、知ってますよねぇ?
今日発売なんですよー。皆さん買いましたか?
“Good Friend”ですよー。手元にありますかー?
…あー、はいはい…皆さん持ってるみたいですね。]

ビルの谷間のためか、少し雑音に消されながら聞こえてくる元気な声。
しかし、所々に聞こえる息継ぎや話の隙間が、
平家には、なんとなく無理して元気な声を出しているように思わせていた。
103 名前:―後編― 投稿日:2002年09月25日(水)20時20分37秒
[そのCDのカップリングの曲なんですけども…この曲はですねぇ…
ラジオで流したことなかったですよね?…え?あ、はい。間違いないですね。
えー、この曲は、カバー曲なんで、ちょっと契約上の問題で、
今まで流せなかったんで・す・が…
やっっとO.Aできるようになりました。拍手っ!!!]

前奏のアコースティックギターの音色が奏で始めた。
そのイントロに矢口の声が重なる。

[それではラジオ初O.Aです。私、矢口真理で、“夜曲”]
104 名前:―後編― 投稿日:2002年09月25日(水)20時21分27秒
♪街に流れる歌を聴いたら
 気づいて 私の声に気づいて
 夜にさざめく 灯りの中で
 遥かにみつめつづける瞳に気づいて

――気ぃつけとったのに…

ラジオから流れる曲を聴きながら、歌詞が平家の頭の中で何度も浮かび上がる。

♪あなたにあてて 私はいつも
 歌っているのよ いつまでも
 悲しい歌も 愛しい歌も
 みんなあなたのことを歌っているのよ
 街に流れる歌を聴いたら
 どこかで少しだけ私を思い出して
105 名前:―後編― 投稿日:2002年09月25日(水)20時22分00秒
――耳澄ませとったのに…

切なくて優しい矢口の声が、ラジオから流れている中、タクシーの中から、
ゆらゆらと揺れるテールランプや、街のネオンサインをぼんやりと眺めていた。
しかし、平家の視線はもっと先の、遠い所を見ていた。
106 名前:―後編― 投稿日:2002年09月25日(水)20時22分30秒
――ごめんなぁ…

――でも…やっと聞こえたで。

――矢口の声が…

――やっと届いたで。

――もうちょっと待っとってな。

――すぐ行ったるからな。

――もうちょっと…
107 名前:―後編― 投稿日:2002年09月25日(水)20時23分05秒
♪月の光が 肩に冷たい夜には
 祈りながら歌うのよ
 深夜ラジオのかすかな歌が
 あなたの肩を包み込んでくれるように

 あなたは今も 私の夢を
 見てくれることがあるかしら
 悲しい歌も 愛しい歌も
 みんなあなたのことを歌っているのよ
 月の光が 肩に冷たい夜には
 せめてあなたのそばへ流れたい


 街に流れる歌を聴いたら
 気づいて 私の声に気づいて
 心かくした灯りの中で
 死ぬまで 贈りつづける歌を受けとめて

 あなたにあてて 私はいつも
 歌っているのよ いつまでも
 悲しい歌も 愛しい歌も
 みんなあなたのことを歌っているのよ
 街に流れる歌を聴いたら
 どこかで少しだけ私を思い出して
           思い出して
108 名前:―後編― 投稿日:2002年09月25日(水)20時23分36秒
――I want to look after you・終――
109 名前:あとがき 投稿日:2002年09月25日(水)20時24分11秒
私はごく普通の男ですから、基本的にAVは好きですし、“1粒で2度美味しい”と言う意味ではレズビデオも嫌いではありません。
でも、それに恋愛が絡むとなると、なぜか違和感を感じてしまいます。
何かの本で読みましたが、好きだからキスをしたり、SEXをする、という感覚は、異性に対してあるモノであって、同性愛(特にレズ)は、カラダだけが目的の“快楽”か、家族やペットに対する愛情のような“精神的な部分”のどちらかしかないらしく、“恋愛”と言うものは存在しないらしいんですよね。
ですから、ハロプロという同性だけの集団の中で、ホレたハレたという話になるのは、自分の中では“歪み”というか、消化できない部分があって、どうしても恋愛には持っていけませんでした。
110 名前:あとがき Part2 投稿日:2002年09月25日(水)20時25分27秒
もちろん、ここの恋愛モノで、好きな小説は一杯ありますから、嫌いではないと思いますし、恋愛モノを書いている作者さんに喧嘩を売っているわけでもありません。(特にここは声を大にして言いたい)
そのレズに対しての疑問を提案しながら、素晴らしい小説を書いた作者さんも何人か知ってますから、私に文才がないだけで、話を恋愛に持って行けない言い訳と思ってください。
まぁ、そんな考えもあって、あのようなエンディングで逃げたんですが…(w
111 名前:あとがき Part3 投稿日:2002年09月25日(水)20時25分57秒
この後、ニッポン放送に行った平家は、矢口と恋に落ちるかもしれませんし、親友のような信頼関係を築くかもしれません。(もしかしたら平家の勘違いで終わるかも…)
この続きは、みなさんの頭の中で進めてみてください。
112 名前:閑話休題(蛇足?) 投稿日:2002年09月25日(水)20時26分58秒
この小説の中で矢口がリリースした“Good Friend”は、篠原美也子というアーティストの実在する曲です。
この人は「保田圭がそばにいる生活」の作者さんも好きだったようで、歌詞の一部を使っている所がありました。
8/4のANN‐SSで、中澤姐さんがメンバーの卒業の話をしていたときに“今の姐さんの気持ちって、この歌詞みたいなのかなぁ…”って思って、使ってみました。
この小説では、矢口が平家を応援するためにこの詩を書いた…という設定と思ってください。
私は見つけられませんでしたが、どこかで歌詞がうpされているかもしれませんので、興味があったら探してみてください。
113 名前:もう一つのあとがき 投稿日:2002年09月25日(水)20時27分49秒
さぁ、この小説を読んで、“この程度ならオレだって書けるよ”と思っているあなた。
“文章が薄っぺらなんだよ!”と思っているあなた。
“こんだけのネタ持ってて、この程度しか書けねーのか!?”と思っているあなた。
特に“短編のネタならあるけど、スレ建てるほどでもねーしなぁ…”を思っているあなた。

お待たせしました。
このスレはまだ余裕があると思うので、ここで“みちやぐ”小説を書いてみませんか?
この二人を、あなたのテクで一気にメジャーにしてみませんか?
114 名前:名無しさん 投稿日:2002年09月26日(木)03時46分06秒
約束どおり、タクシー代は矢口持ち?(w
気づいてくれることを願い、直接ではなく歌に託して呼ぶ矢口と
その声に気づいたとたん後先考えずに飛んでいく平家さんと
恋ではないかもしれないし、いつもそばにいるわけでもないけど
甘えたり頼ったり、互いに大切に思いあう2人、良かったです。
‘みちやぐ’久々に自分でも書きたい気に少しなりかけましたが…
この組合せは、マイナーだからこそって部分もあるかなと(笑

>>90
小説の世界ですし、厳密に事実に添う必要はないと思いますよ。
実際、あの発表のとき、平家さんは‘今秋卒業’という
かなり曖昧な書かれ方しかされていませんでしたよね…。
少し後に、古参の平家ファンの方から、契約は11月までらしいと
聞かされました。デビューが11月だったし、つい疑いもなく納得して
しまったのですが、11月のいつまでかは未だに知りません。(^^;;
『新しい日本の歌フェス』という企画の歌い手として、10月には
イベントにも参加するようですけれども(放送は11/1、BS2にて)
これはまだ卒業前ですし、今後の平家さんはどうなることやら。。
…って、小説に全然関係ないことばかり書いてすみません。m(_ _)m
115 名前:Strong Four 投稿日:2002年09月26日(木)22時01分39秒
>>114
レスありがとうございます。

ここまで良く評価して頂くとは思っていませんでした。
実は、ニッポン放送のロビーには、石黒姐さんもいて
…って事まで考えたんですけど、そこまで続けると、
完結できないのでは?という怖さがあったので、
あそこで、ハッピーエンド(?)という形にしました。

>>111で言い忘れてましたが)最後まで読んで下さった皆さん、
こんな点と線の羅列にお付き合い頂きまして、有難うございました。

それから、銀板の自転車屋が容量一杯になりかかっているので、こっちに移転させます。
そのため、>>113は自転車屋が完結するまで待って下さい。
昨日の今日の事なのに誠に申し訳ありません。m(_ _)m
厨房のボケと思って笑ってください。
116 名前:Strong Four 投稿日:2002年09月29日(日)14時38分20秒
さて、ここからは、銀板で書いていた小説、
“人力二輪工房 [Common House]”
(↓の続き)を更新させていただきます。
http://m-seek.net/cgi-bin/read.cgi/silver/1026812434/
117 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月29日(日)14時39分46秒
その3日後の朝

「おはよ〜ございま〜す…」
いつものように、矢口が[Common House]に出社してきた。

「あ、おはようさ〜ん。」
平家が店の奥から返事をする。店はまだ開けられていないが、
この日はすでにパソコンに向かって仕事を始めていた。

――今日、忙しいのかな?

仕事用のエプロンを着ようとしている矢口に平家が声を掛けた。
「あ、矢口…今日から残業してな。」
しかし、視線はパソコンに向かって、矢口の顔は見ていない。

「?…なんかあるの?」
「ごっつあるで…これからウチが出るまで、
矢口にこの店の経営、覚えてもらわないかんからな。」
118 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月29日(日)14時42分52秒
「え…………なん…で?」
エプロンの紐を結ぼうとしている矢口の手が止まった。
平家の発言を理解するのに、時間がかかっているようだ。

「買い手がついたで。しかも今まで通り、店をやってもええて。」
平家が座っている椅子から立ち上がり、矢口に顔を向ける。

「え?…じゃぁ、……えっと…」

「正式には決まってへんけど、カオリがこの店買い取ってくれるんよ。
ウチが買い戻すのを条件にな。」

その平家の顔を見て、そのことが本当の事だと判った瞬間、
矢口の顔がぱあっと明るくなった。
119 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月29日(日)14時43分33秒
「いやったぁぁぁーーー!!!」
矢口はその場で何度も飛び跳ねながら、平家に抱きついた。
どんっ、とぶつかってきたそれを、気持ちと一緒にしっかりと受け止める。

そして、自転車のようなバックギアを知らない、思いっきり前向きな、
熱い気持ちを持った“後継ぎ”の頭をポンポンと叩きながら、
飯田が話していたことを思い出す。

「いろいろ、ありがとうな…」
「え?」
「カオリから聞いたで。あの店でみんなのいる前で、
土下座までして頼み込んだんやて?」
「う…それは…」
「それ聞いたとき、ほんまに嬉しかったわ……ありがとうな。」
矢口の見上げたそれは、ここ最近見ていなかった、明るくて、
とても柔らかい穏やかな平家の笑顔だった。
120 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月29日(日)14時44分07秒
その同時刻。
「あー…眩しいねぇ…」

徹夜明けの身体にはちょっと辛い明るさだった。
閉店後の[SILVER CROW]から出てきた保田が、
快晴の空を眩しそうに見上げながら、店のシャッターを降す。

「そぉ?カオリは、とっても気持ちいいけど…」
自分と保田の自転車を持ちながら、飯田も同じ空を見上げる。

「そりゃぁ、店を手に入れるんだから、気持ちいいだろうさ。」
「手に入れたんじゃなくって、“人助け”って言ってよぉ〜」
「はいはい…」
保田が半ば呆れたように、いい加減に飯田をあしらう。

「でも、みっちゃんも思い切った事するよねぇ…
あの店売ってまで、先代探しに行くなんてさ…」
「まぁ、先代と裕ちゃんの繋がりは、みっちゃんだけだからね。
みっちゃんも、3人で暮らしたがってたし…」
「だから“人助け”?」
「よっしーをヘルプに紹介してくれて、新しいお客さんも増えたんだから、
とりあえず恩は返しておかないとね…」
「結局は、こっちの店のためなんだ…」
「当たり前でしょ。金回りは、こっちの方が絶対いいんだからさぁ〜」

…まぁ、こっちはこっちで、別の考えがあるようだが、
すべて丸く収まったということで…
121 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月29日(日)14時44分46秒
平家と中澤が旅に出るまでの3ヶ月は、目が回るような忙しさで過ぎていった。

すでに買主の飯田との契約を済ませ、
矢口が店長になるための引継ぎも、何とか形になった。

そして、季節は所々に秋の顔を覗かせる、9月最初の日曜日。

[Common House]の前で、
大量の荷物を搭載した、真新しい2台の自転車が停まっていた。

今日、中澤と平家がこの街を出る。

一人は自分を見付けるために。
もう一人は夢の実現へ向けて…

「忘れ物とか、ない?」
二人の出発に、後藤が見送りに来ていた。

「大丈夫やろ?
もしあっても、カネだけは持っとるから、その都度買うたらええし…」
「せやせや。おかげで無職のプーになってしもたわ…」
122 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月29日(日)14時45分47秒
「あ、そうだ…これ、石川さんがお守りに…って。」
矢口が二人にそれぞれ手渡したそれは、
プリクラのケースを加工した、キーホルダーのようなものだった。
中には、どこかの原っぱで探したのだろう、四つ葉のクローバーが、
押し花のようになって入っていた。

「“二人に幸せが来ますように…”だってさ…」

――石川のヤツ…

中澤が、石川の顔を思い出しながら、キーホルダーを握り締める。

「なんか…おいしい所だけ持っていってるよね。」
「単なる嫌味なんちゃうん?」
「アイツやったら、そうかも知れんな…」
二人がそんな悪口を言いながらも、
フロントバッグの一番目に付く所に取り付けていた。
123 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月29日(日)14時46分28秒
「あ、後藤、これ預かっとってな。」

中澤が後藤に放り投げた物は、
あまり大きくない鍵と、黒いペンライトが付いたキーホルダー。

「…コレ、なんですかぁ?」
「ウチの“彼氏”に付いとる鍵や。
後藤もだいぶ脚力付いたみたいやし、矢口にオーバーホール頼んどるから、
出来上がったら、そっちの方もやっとき。」

鬱陶しく思っていても、後藤を弟子のように可愛がっていた中澤が、
たぶん最後になるであろう後藤への“教授”は、
この時も、直接モノを言わない遠回しな言葉だった。
124 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月29日(日)14時47分23秒
“街中歩けるようなカッコやないねん。”

すべての発端だったあの一言…

“これが今のウチの恋人なんやで。”

初めて中澤の自転車を見たあの場所…

“いつも行っとる店、連れてったるさかい。”

自分の居場所を教えてくれたとき…

“とりあえず見た目だけで選んでもええんちゃうかぁ〜?”

いい加減な一言にカチンときた昼休み…

“自分の体力無視して漕ぎまくったんやろ?”

嬉しそうに笑ってくれたあの日…

“おらっ、後藤!置いてくで!!”

自転車の厳しさと楽しさを教えられた日…

“ロードバイク買うな、とは言わんけど…”

初めて否定された一言…

“頭空っぽにして、自転車で遊ぶのがポダリングやねんから。”

本当の自転車の楽しさを教えてくれた一日…

そして、“師匠”と言うべき人の隠された言葉…

“ロードバイクも乗りなさい”
“自転車のすべてを愉しみなさい”
125 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月29日(日)14時48分01秒
初めて中澤の自転車を見て、自転車が欲しくなり、MTBを購入して、
「Common House」のみんなのように速く走りたくて、
必死になって努力してきた。

その頑張った自分を、やっと中澤に認められたような気がして、
じんわりと、胸が熱くなる。

「“彼氏”に嫌われんようにな。」
「…はい。」
「ほな、行って来るわ。」
「はい。行ってらっしゃい。」
126 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月29日(日)14時48分44秒
休日といえど、国道はすでに自転車が走り難くなるほどの交通量になっていた。
「裕ちゃん、やっぱ秋待峠越えるんか?」
「うん。日本海沿いに走るって、紗耶香が言うとったからなぁ…
やっぱ、秋待峠越えて、7号線のらな…」

「だったら、こっちの方が近いですよ。」
二人が幅の広い歩道を走りながら、ルートの確認をしていたその時、
後ろから割り込んできたトーンの低い声。

いつの間にか、パールホワイトのロードバイクが、二人の横に並んでいた。
「おっ、よっしーどないしたん?」
「いやぁ…休みとって見送りに行こうと思ったら、遅れちゃって…」
そう言って苦笑いするが、
吉澤はサイクルジャージにレーサーパンツを履いていて、
しっかり長距離を意識した格好をしていた。
127 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月29日(日)14時49分17秒
「とりあえず、峠まで先導しますよ。」
「そんなんええて…」
「二人とも引っ張る人がいた方が楽でしょ?」
「そら、そうやけど…」
「街中だけだったら、二人より速く走れる自信ありますから…」
そう言って、二人の前を走り出す。

そして腰のポケットから携帯を取り出した。
「あ、もしもし?……うん。中澤さんと平家さん、やっぱり秋待峠通るって……
え?…あ、間に合う?……うん…じゃぁ、コンビニの所まで連れてくから。
……は〜い、よろしく〜」
128 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月29日(日)14時50分07秒
――よっしー、何処通んねん?

平家と中澤が戸惑った顔をしている中、
吉澤があまり人の通らない路地をすり抜けて行く。

「ほら、ここに出るんですよ。」
どうやら吉澤は、メッセンジャーという職業柄、
地元の平家や中澤も知らない、細かい道まで知っていたようだ。

「…なんや、ごっつ近道やな。」
「かなり短縮できたわ…」
「後は道なりに行けば、麓のコンビニに着きますから…」
そう言って、二人の風よけになるように先頭に立って、
自転車のペースを上げる。

改めて考えてみると、
これが吉澤なりの平家と中澤への応援だったのかもしれない。
元々、舌足らずで、口数が多くはない吉澤は、余計な見送りの言葉よりも、
このように、自転車で見送る方が自分らしいと思ったのだろう。

――吉澤も、自転車と一つになっとるやん…

平家が自分達を引っ張ってくれている吉澤の後ろ姿を見ながら、
自転車乗りとしての成長に目を細めていた。
129 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月29日(日)14時51分03秒
「よっしー、お疲れ〜!!」
秋待峠の麓にあるコンビニが目の前になった所で、甲高い声が聞こえてきた。

細身の身体に、淡いパステルピンクのジャージ。
そして、それを支えるチェレステブルーの“Bianchi”。
峠での先導は、登坂に強い石川も加わるようだ。

「思ったより早かったね。」
「やっぱり集団で走ると、速くなっちゃうよ。」
「とりあえず、一服していきますか?」
「いや、頂上で一服した方がええやろ。」
「せやな…ほな早速いこか?」
4人は軽く言葉を交わしただけで、すぐに峠の登り坂に向かった。
130 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月29日(日)14時51分37秒
「…中澤さん、水ありますか?」
汗だくになりながら、水を補給している中澤に、石川が声を掛ける。

「うん?…あー、峠で汲んどかないかんな。」
ボトルの重さを確認しながら返事をする。

「じゃぁ、こっちと交換して下さい。あそこの水まずいですよ。」
石川が差し出したボトルを手に取ると、
ひんやりとした冷たさが手の中に伝わる。
「まだ凍ってるかもしれませんから…」

「石川ぁ〜、こっちも空や〜」
一つ後ろを走っている平家からも水の声がかかった。

「じゃぁ、平家さんには、こっち…」
すばやく平家の横に並んだ石川が差し出したそれは、
1Lのボトルと頭から掛けた水。
131 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月29日(日)14時52分13秒
「うわ…気持ちええなぁ…スッキリするわぁ…」

炎天下の中、集中力が切れかかっているときに、身体を冷やされて、
気持ちが引き締まってくる。

「石川ぁ〜、ウチにも掛けてんかぁ?」
それを見て、前を走っている中澤からもリクエストの声が掛かる。

「中澤さんに水掛けたら、化粧溶けて、顔なくなっちゃいませんかぁ〜?」
「なくならへんわっ!!…顔は変わるけどな。」
「変わるんかい!?」

…っつーか、溶けるような化粧するなよ。
132 名前:13・BELLE EQUIPE 投稿日:2002年09月29日(日)14時53分20秒
現役のロードレーサー二人に引っ張ってもらったおかげで、
平家と中澤は今までより、かなり楽に秋待峠の登坂をこなす事ができた。

4人が自転車を引っぱりながら、展望台へと足を向けると、
下界には、今まで住んでいた街が一面に見えた。

「この景色も、暫くは見れへんな…」
「……せやな。」
「ウチらが帰って来る頃には、どないなっとるんやろな?」

――やっぱ、裕ちゃんも不安なんやな…

そんな平家の思いは、一瞬にして覆される。
「何処も変わらんと、みっちゃんの店だけのうなったら、おもろいんやけどな。」
「おもろい事あるかいっ!!」

「もしかしたら、あそこもレズバーになってたりしてね。」
「じゃぁ、よっしーも、あそこのホストになっちゃうかもね。」
「でも、あそこなら、ホストより店長の方がいいなぁ…」

後ろで、石川と吉澤が冗談を言いあっている。
その会話に、表情を失った顔で聞いていた当事者が一人…

――やっぱ、カオリに売ったん、間違いやったやろか?

9月上旬の比較的暑い日だったが、
平家の所にだけは、風がいつも以上に冷たく感じていた。
133 名前:原稿打ち合わせ室 投稿日:2002年09月29日(日)14時56分07秒
平家「矢口って、ええ娘やなぁ…普通、他人のために土下座までするかぁ?」
  中澤さんのためには絶対しないでしょうね…
平家「だいぶ前に“みちやぐ”って書いたのはこの事やったんか?」
  はい。
平家「今回はウチが中心の話やし…
  ウチが主役っつーのもこのためやったんやろ?」
  そうですよ。悪く言うと、今までの話は前フリだったんですよ。
平家「最終回前やし、今回はオールキャストやもんなぁ…」
  最終回は中澤さんと平家さんだけで纏めたかったし…
平家「…なっちはどないしたん?」
  あっ…
134 名前:Strong Four 投稿日:2002年09月29日(日)15時10分24秒
色々ゴタゴタがありましたが、やっと13話・“BELLE EQUIPE”
終了しました。

“BELLE EQUIPE”の意味を知っている方もいらっしゃると思いますが、
これはフランス語で、英語では、“Wonderful Team”となるんですが、
あるドラマに“BELLE EQUIPE”という店がって、
それを“良き友”と解釈していましたが、
この話では、英語の“素晴らしき仲間たち”という解釈で使ってみました。

中澤「やっぱ人間というものは人と人が支えあって…」
安倍「したら、なっちはいらないって事かい?」
中澤「なっちは前の晩、ごっつ楽しませてもらったやないかい。」

…そういう話は他の小説でやってください。
135 名前:名無し読者 投稿日:2002年09月30日(月)22時39分34秒
前から何度も言ってますが、この小説に出てくる人物は皆カッケーっすね。
涙が溢れてきちゃいますです。
ラストに向けて頑張って下さいです。
136 名前:Strong Four 投稿日:2002年10月07日(月)15時27分44秒
>>135
レスありがとうございます。

>この小説に出てくる人物は皆カッケーっすね

実を言うと、スマートにやることをやるっていうキャラが、
一番書きやすいんですよね。(w
多少、私のコンプレックスっていうのもあるかもしれないんですが・・・

さぁ、最終回ですが、上司が接待で、取引先のお偉いさんと釣りに行ったので、
ちょっと早く更新できました。

今の時期のハモは油が乗っていて特に白焼きが・・・
いや、そうじゃなくて・・・
137 名前:最終回・RESTART 投稿日:2002年10月07日(月)15時28分47秒
二人が[Common House]を出発してから約半月。

能登半島のとある崖から、真っ黒に日焼けした男性が、
海に沈む夕日を眺めていた。

傍らには、ダウンチューブに“平家”のステッカーが貼られている、
傷だらけのシクロキャンプが、疲れをとっているかのように横たわっている。

そこに歩み寄る一人の女性。

「…もうちょっと待ってな。」
男性はその女性に声を掛けるが、動こうとしない。

太陽が完全に海に沈んだ。

「…久し振りやな。」
そう言いながら、ゆっくりと女性の方へ顔を向ける。
138 名前:最終回・RESTART 投稿日:2002年10月07日(月)15時29分19秒
「……ご無沙汰してます。」
「なんやねんその顔は!?せやから日焼け止め塗っとけ、言うとるやろ!!」
「は、はぁ?」
「裕子なぁ…おまえ、もう30過ぎとるんやろ?その日焼け、絶対シミになんで。」
「い、いや…あの…」
「だいたいなぁ、おまえは子供の頃から…」
「ちょぉ待たんかいっっ!!!」
「…なんやねん?」
「久々の親娘の対面で、なんでいきなり説教から入んねん?」
「別にええやん。」
「ええ事あるかいっ!!…ったく、ほんまにお父ちゃんは…」

――昔のまんまやな…

少し離れたところで、騒ぎまくっている二人を見ていた平家が、
顔を伏せて静かに笑っている。
139 名前:最終回・RESTART 投稿日:2002年10月07日(月)15時30分13秒
「…なんや、こいつ、みちよが造った自転車か?」
「あぁ…せやで。」
父が、横に倒していた中澤の自転車を起こす。

暫く自転車を見ていた父が、ボソッと呟いた。
「……まだまだ甘ちゃんやな。」
「そおかぁ?」

中澤が自転車を挟んで、父の反対側にしゃがみ、細かい説明を聞く。
「…まず、溶接がいい加減やな。
ラグ使わんと一丁前に直接繋ぐから、弱い所に負担が掛かって、
フレームに歪みが出んねん。」
「それは…ウチがこき使うたから、歪んだんちゃうん?」
「それを計算してへんから歪むんやろ。
大体、こき使わんシクロキャンプなんてあるか?」
「…せやな。」

「オーナーがどう使うか…って、考えて造っとる所が何処にもないやん。
みちよも自転車は使ってナンボ、いうのがまだ判ってへんな。」
昔と変わらない頑固な父の言葉に、中澤も思わず吹き出してしまう。

「聞とったかー?みっちゃんの自転車、まだまだやて!」
「うっさいわっ!!」
140 名前:最終回・RESTART 投稿日:2002年10月07日(月)15時30分48秒
「なんや、みちよもおったんか?」
撮影のために立てていた三脚を片付けている平家に、
父が今気付いたように呟く。

「うん。裕ちゃんに“写真撮りながら一緒に行かへんか?”言われてな…」
「そやったんか…どや、ええ写真撮れたか?」
「うーん…良さそうなのは、なんぼかあったけど…
夕日の写真だけは、現像してみんと何とも言えんからなぁ…
露出も色々いじっとるし…」
平家がそう言いながら、カメラを詰めたバックパックを右肩に引っ掛ける。
141 名前:最終回・RESTART 投稿日:2002年10月07日(月)15時31分20秒
「…みんな、元気か?」
「元気やで。紗耶香は昔のランドナー買い戻しよったし、
よっしーは実業団のチームに入るかも知れへんし、
加護は“X−Gamesに出たい”言うて、
お父ちゃんのBMX持ってアメリカ行きよったわ。
店の奥では、牢名主みたいな酔っ払いが、毎晩くだ巻いとるし…」
「牢名主?…あぁ、後藤のことか…」
「裕ちゃんの事やっ!!」

「店の方はどないしたん?」
「店は、最近入った子に任せとるわ。
酒乱で、古い話にごっつ詳しいんやけど、元気なええ子やで。」

「…どないな子やねん?」
腕組みをしながら、興味深そうな表情を見せる。
「背ぇ低い子でな、ウチが造ったロードバイク
…っつーか、ミニベロ乗っとるんやけど、
シグナルグランプリでは、よっしーかて敵わなへんし…」
「おもろそうな子やなぁ…」
142 名前:最終回・RESTART 投稿日:2002年10月07日(月)15時31分51秒
「お父ちゃんも、戻ってきたら逢えるて。」
話の勢いに任せて、後ろから中澤が口を挟んだ。

今すぐにでも一緒に帰りたかったが、直接“一緒に帰ろう”とは言えなかった。
もしかしたら言いたくなかったのかもしれない。

しかし、父の反応はない。
それが本音を隠した中澤の精一杯の強がりだという事は判っていた。

「…お父ちゃん。」
沈黙に耐えられなくなった平家が思わず声を洩らす。
それでも俯いて、何も声には出さなかった。
143 名前:最終回・RESTART 投稿日:2002年10月07日(月)15時33分39秒
娘達の気持ちは十分伝わっていた。

何のために、わざわざ娘の造った自転車でここまで来たのか?
自分がいない間にどれだけ成長して、どれだけ自分を理解してくれたのか?

日本中を走りながら、いつかこのような日が来てくれるのではないかと、
淡い期待をしていた時期もあった。
その期待通りに、今ここで逢うことができて、
二人の娘が、周りに自慢できるほど成長して…

しかし、もしここで自分が快諾したら、
娘の、あの日の“詫び”を受け入れることになるだろう。
そのために、自分に一生負い目を感じながら、
生きていく事になるかもしれない。

もう一人の娘もここで旅を終えてしまったら、もう写真を撮る事なく、
一生、小さい店のフレームビルダーとして終わってしまうかもしれない。

そんなことで娘達の成長を止めたくはなかった。
だからこそ、あえて返事はしたくなかった。
144 名前:最終回・RESTART 投稿日:2002年10月07日(月)15時34分09秒
「……お父ちゃんは、まだ終わってへんからな。」
風と波の音にかき消されそうなほど静かに、ゆっくりと声を出した。

――まだ辞めんのかい?

「日本中の国道を走りたい、っつーお父ちゃんの夢、知っとるやろ?
店をお前らに任せて、やっと出来るんやで。途中で帰りたないわ。」

自分のエゴを貫くための拒絶。
承諾はしないが、娘達の気持ちも受け入れる。

逃げと思われても、それが三人にとっての一番の答えと思っていた。

「まだ、青森と北海道が残ってんねん。」
「これからって、真冬に北海道行くん?」
「冬やからええんやろ?」
「…………」

――何考えてんねん?この年寄りは…

二人が何も言い返せないまま、バックパックを背負い、
黙々と出発の準備をする。
145 名前:最終回・RESTART 投稿日:2002年10月07日(月)15時34分41秒
その姿をぼんやりと見ながら、中澤が声を掛ける。
「…いつ帰ってくるん?」
「さぁ…全部走りきるまで、帰る気はないんやけどな。」
「……ウチらは…どないしたらええ?」

――裕ちゃん、どないしたん?

今まで聞いたことの無い、中澤の弱々しい声に、平家が反応する。

「そんなん知らんがな。自分のやりたいことは、自分で考えて決めな。」

今まで何でも自分で決めていた中澤が初めて見せた“自分の弱み”。
知らないうちに自分が頼っていた事に初めて気がついた“父親の存在”。
その拠り所のである父親があえて突き放した“本当の意味”。

“自分のやりたいことは、自分で考えて決めな”

その言葉が中澤の頭の中に響く。

「………うん、わかった。ほな、店で待ってるわ。」
声を震わせながら中澤の出した答えは、
いつもの気丈な自分の存在を見せる事だった。
146 名前:最終回・RESTART 投稿日:2002年10月07日(月)15時35分19秒
父が自転車に跨り、走り出そうとした時、不意に言葉を放つ。
「裕子も、ええオンナになったな。」

目が無くなるような皺だらけの笑顔。
娘の成長を喜んでいる、本当に嬉しそうな笑顔だった。

中澤も、背伸びをして気丈に振舞っている自分を、
見透かされているような気がして、何も言えなくなる。

「裕子のええトコは、昔と全然変わってへん…
これからも今まで通りやりたい事やってったらええねん。」
「………お父ちゃん。」
「みちよの店、支えてやったってな。」
「……お…」

何かを言いたかったが、声が詰まり、無意識のうちに背中が丸くなる。
それを平家が顔を上げさせるように肩を抱く。
「裕ちゃん、ちゃんと見送ってやらな…この前は出来へんかったんやから…」
147 名前:最終回・RESTART 投稿日:2002年10月07日(月)15時35分52秒
中澤も父親への想いを形にするために、何とか顔を上げようとするが、
いつの間にか出てきた、どうしようも無いほど止まらない涙に、
目の前が歪んでしまう。

ギシ…と自転車の軋む音が中澤の耳に入った。

「お父ちゃんっ!!」
涙で父が何処にいるかも判らない。

それでも言いたかった。

愛してくれて…
許してくれて…
認めてくれて…
“アリガトウ”と…

自分が“中澤裕子”になった時から言いたかった一言。
それが言葉にはならなくても、父の耳には入らなくても、
今ここで何かを伝えたかった。

「お父ちゃんの店で待ってるから!!だから…必ず……かなら…………」
それでも“平家”のシクロキャンプが走り出す。

泣きながら膝から崩れる中澤を、平家がしっかり支えていた。
「裕ちゃん、お父ちゃんには伝わっとるから…ちゃんと…伝わっとるから。」
平家の慰めに、肩を震わせながら何度も頷いて、
いつまでも平家の胸で泣き続けていた。
148 名前:最終回・RESTART 投稿日:2002年10月07日(月)15時40分27秒
結局、中澤と平家はその場でテントを張ることにしたが、
何もやる気がおきない、というより何もしない中澤を見て、
夕食は平家が近くのコンビニで買って来たパンで済ませることにした。

「……みっちゃん、これから…どないする?」
ランタンの明かりで、ベージュ色に包まれたテントの中で、
ジャムが狭まったコッペパンを齧りながら、力なく呟いた。

外は真っ暗で、波と虫の声だけが聞こえている。

平家はブラックの缶コーヒーを口に含み、ゆっくり時間を使って、
中澤に聞き返す。

「…裕ちゃんは、どないしたいん?」
「………」
中澤は俯いたまま何も答えない。
気が抜けた状態で、まだ何も考えられないようだ。
149 名前:最終回・RESTART 投稿日:2002年10月07日(月)15時42分58秒
二人が何も話さないまま数分がたち、静かに平家が口を開いた。
「……明日から、別々に走ろか?」
「え?」
思ってもいなかったその言葉に、中澤が弾かれるように顔を上げた。

「いやな…今までの事、考えとったんやけど…
裕ちゃん、なんだかんだって、ウチに頼ってへんか?」
「…………今…まで…」
とりあえず反論しようとするが、そんな力もなく、
ただ、脱力しきった声で、少しづつ言葉が消えていく。
150 名前:最終回・RESTART 投稿日:2002年10月07日(月)15時43分45秒
いつの間にか入ってきた羽虫が、カチカチとランタンのガラスに当たる。
それを見ながら、平家が中澤に聞いてみた。

「裕ちゃんなぁ…何でウチを誘ったん?」
「それは…みっちゃんが、ついでに写真撮れたらええんちゃうかぁ、思うて…」
「……ウチは、裕ちゃんが一人でお父ちゃんに逢う勇気が無いから、
その口実やと思うとったけどな。」
「そ、それは…」
そんな下心は無い、と言い切れず、声を詰まらせ、また頭を擡げる。

「誘ってくれたんは嬉しかったけど、ウチはここで終らせる気はないから…」
平家はまだ、テントに吊るしたランタンをぼんやりと見ている。
151 名前:最終回・RESTART 投稿日:2002年10月07日(月)15時44分43秒
「“自分のやりたいことは、自分で考えて決めな”
お父ちゃんは、自分の力でやってかないかん、って意味で言うたんちゃうか?」
何も言わずに頷くだけの中澤。

「裕ちゃんはお父ちゃんに逢えて、やっと“中澤裕子”になれたんやから…
これから、改めてスタートするんやから…こっからは、自分の力だけで動かな。」
「…うん、わかった。」
中澤がさっきと同じように頷く。しかし、先の返事とは明らかに違う返事だった。

「そおか…裕ちゃんは、ホンマえらいなぁ。」
妹の平家が、姉である中澤の頭をくしゃくしゃっと撫でる。
昔、父親が二人の娘を誉めたときと同じ行動だった。
それが、決して馬鹿にした行動ではないことは、
手の平の温かさから十分伝わっていた。
152 名前:最終回・RESTART 投稿日:2002年10月07日(月)15時45分13秒
翌日

「みっちゃんは、これから何処行くん?」
「とりあえず、岐阜の方に行って、山が絡んどる写真も撮りながら店に戻るわ。
裕ちゃんは?」
「…まだ決めてへん。とりあえず、海沿い走りながら行き先探すのも、
ええんちゃうかなぁ…って、思うてな…」
「そおか…ほな…」
「ほな…」

余計な会話が無いまま、二つの自転車が別々の道を進む。

秋らしい高い青空の下、シャー、とチェーンが奏でる二つの音が
山から吹き降ろす乾いた風に流されながら、海の中に消えていった。
153 名前:原稿打ち合わせ室 投稿日:2002年10月07日(月)15時46分26秒
平家「あれ?まあた作者逃げよったか?」
中澤「逃げてへんで。」
平家「へっ?」
中澤「エピローグ見たら判るわ。」
平家「?…あぁっ!!?コレ…」
中澤「せやで。」
平家「せやったら、ウチは…」
中澤「あー…それはミスキャストやったな…」
平家「……………………」
154 名前:Strong Four 投稿日:2002年10月07日(月)15時58分48秒
というわけで、最終回の更新終了しました。

最終回といっても、番外編とエピローグがあるので、まだ続きますが、
とりあえず、最初の目的というか、当初決まっていた話の終わりということで、
この話を最終回としました。

次回更新は、この話の12話と13話の間の話ですが、自分の体験談のようなものを
散文っぽく書いてみました。
本編とはあまり関わりのない話になりそうですが、
もうちょっとお付き合いください。

それから、12話で実際には不可能なことがありましたので、言い訳させてください。
矢口が、自転車組立整備士の資格を取ったと書きましたが、後で調べてみた所、
受験資格は実務経験2年以上で、受験日が8月なので矢口の資格所得は
事実上不可能となります。
そこは、平家が、勤務年数を改ざんしたと言う事で誤魔化して下さい。
155 名前:名無し読者 投稿日:2002年10月07日(月)17時52分02秒
最終回、更新お疲れ様でした。
感動しました(T_T)お父ちゃんかっこえ〜!
みんなそれぞれの道に歩みだしたんやな〜
エピローグ&番外編楽しみに待ってます!
がんばってください。

それにしても加護が出てきたことに驚きましたw
156 名前:名無し読者 投稿日:2002年10月07日(月)22時22分23秒
更新お疲れ様です。
相変わらず皆カッケーっすね。またもや涙。
あとは番外編とエピローグだけになってしまいましたね。
楽しみにしてる反面、少し寂しいです。

この小説の影響で矢口のみたいなミニベロが欲しくてたまりません。今本気で考え中。
157 名前:名無しさん 投稿日:2002年10月14日(月)22時07分16秒
完結おめでとう御座います。
質問なのですか、自転車と言うのはアセチレン溶接されているんですか?
それともアーク溶接ですか?
158 名前:Strong Four 投稿日:2002年10月17日(木)19時38分15秒
>>155
レス有難うございます。

>お父ちゃんカッコええ〜

やっぱり子供の前では、父親はカッコよくなくっちゃダメですよねぇ。
それから、エピローグでも父親は出てきます。
個人的には、ウーゴ・デローザの様なイメージで書きました。
皆さんもあの頑固ジジィの顔を想像して読んでみて下さい。
(デローザの写真、うpしたかったけど、見つかりませんでした。)
それから、加護のBMXネタは、前のスレにも書きましたが、お蔵入りになったもので、あれは消し忘れでした。
でも、それを穿り返して書き込んでみた結果、話が纏りました。次回かその次に更新しようと思っています。
更に調子ぶっこいて、番外編も増やしてしまいました…
お陰で本当の完結まで、今回含めて3・4回は更新必要かもしんない…
159 名前:Strong Four 投稿日:2002年10月17日(木)19時40分04秒
>>156
レス有難うございます。

>ミニベロが欲しくてたまりません。

ミニベロかぁ…いいなぁ。
私も団地の中をヘラヘラっと走れるよな自転車が欲しくて、値段で選んだBMX(フリースタイル)を買いましたが、コレが重いっ!!シャレにならないくらい重いんです。
私の場合、自転車は室内保管ですから、外に出すまでが面倒で、お陰で普段のアシは(と言うか、殆どの移動は)MTBになってます。

ミニベロは有名なメーカーでもあまり宣伝してないですが、種類は多いので色々探しながらゆっくり考えるのもいいんじゃないですか?
インスピレーションで店にあるものを買ってもいいと思いますが、店員さんと相談しながらあれこれ悩むのも楽しいもんですよ。
160 名前:Strong Four 投稿日:2002年10月17日(木)19時40分57秒
>>157
レス有難うございます。

>自転車はアセチレン溶接ですか?アーク溶接ですか?

ぶっちゃけた話、私があのレスを見て最初に手にしたものは、外来語辞典でした。(w
ですから、“判りません”で終わらせようとも思いましたが、それではさすがに悪いので、手元にある本で調べてみました。

自転車のフレームは、現在、スチール(クロールモリブデン鋼とハイテンション鋼)、アルミ(6000番アルミと7000番アルミが主流)、チタン、カーボン、の4種類が殆どです。(ごく一部のメーカーではマグネシウムフレームも生産していますが…)
カーボンは金属ではないので無視するとして、チタンとアルミはTig溶接、スチールはTig溶接と、銀ロウを溶材として使うロウ付けの2種類になります。(強度と見た目で使い分けているようです)

157さんは溶接に関して少なからず知識があると思うので、これだけでも充分かと思いますが、私のほうが判っていないので、ネットで調べてみました。
161 名前:Strong Four 投稿日:2002年10月17日(木)19時42分57秒
Tig溶接は、アーク溶接の手アーク溶接のTig溶接(要するにTig溶接はアーク溶接の一種)ということまでは判りました。
アルミ製の自転車を見るとよくわかりますが、溶接部分がパテを盛ったようにさざ波状のなっている所(ビード)が細かくて綺麗なほど、溶接の強度が均一になっていると言われています。

最終回で父親が、溶接がいい加減でフレームに歪みが出ている、と指摘したのは“ビードが綺麗でなかったから…”と解釈して下さい。
それから、“ラグ”という言葉が出てきましたが、これはパイプとパイプを接続するパーツです。塩ビ管のパイプを繋ぐソケットのような物と言えばお判りでしょうか?
これを使うと剛性は落ちますが、強度にムラが出ないと言われています。(人によっては早く終わるとか、外れても何回か溶接できるから、とか言われてますが、それはマユツバものだという人もいます)また、この場合の溶接は、熱伝導による素材劣化が起きにくいのでTig溶接が多いようです。
162 名前:Strong Four 投稿日:2002年10月17日(木)19時43分28秒
因みに“DE ROSA”は、そのビードの凸凹をやすりで削っていて、ロウ付けのような見た目にしています。
ウーゴ・デローサ曰く、“手間がかかるから、他のメーカーはやっていないんだよ。”との事。高価なわけです。

アセチレン溶接の方は、いろいろ調べてみましたがよく判りません。サイト内で“ロウ付けはアセチレン溶接の一種”と解釈できるような文章はありましたが、確証はありませんでした。
すいません。もうちょっと勉強させてください。
163 名前:12.1・帰宅途中の小さな冒険 投稿日:2002年10月17日(木)19時46分30秒
みっちゃん、おまたせー。

あ、中澤さん、もう帰っちゃったんだ…
そういえば、ドラマのダビング忘れた、って言ってたもんなぁ…

よいしょっと…

うわ…人多いなぁ…中学生もいるよぉ…
ああいうのって、横に広がって歩くからなぁ…
う〜ん…裏道入っちゃえ。
月は青くないけど、遠回りして帰ろうっと…
164 名前:12.1・帰宅途中の小さな冒険 投稿日:2002年10月17日(木)19時48分23秒
あれ?

うわぁ…駄菓子屋さんだ。
えーっと…うまい棒に、ラムネに…リリアン棒もあるぅ!

コドモのときは、リリアン出来なかったんだよなぁ…
よっしーも出来なかった、って言ってたし…

…平家さんだったら出来るかな?

まだ開いてるかなー?
「…ごめんくださーい!」

結局買っちゃったのは、リリアン棒と、すももと、麩菓子二本。
それから、糸がついたイチゴ飴は、はずれだったけど、
その場で口に入れちゃって…

これで幸せな気分になれるんだから、安いもんだよね。
165 名前:12.1・帰宅途中の小さな冒険 投稿日:2002年10月17日(木)19時49分24秒
ん?…この匂い…
こんな所に喫茶店あるんだぁ…

え?“水出し珈琲あります”…??

なんだろ?
水とコーヒー出すのかな?
…それじゃ、普通の喫茶店と変わんないよね。

うわぁ、きれー…
ガラス細工の店だぁ…
風鈴もいい音出してるし、きれーなコップもいっぱいあるぅ…

もう夏だしなー。
左ウチワで風鈴の音を聞きながら、きれーなグラスできゅーって…

…おじさんだよね。
中澤さんなら似合いそうだけど。
166 名前:12.1・帰宅途中の小さな冒険 投稿日:2002年10月17日(木)19時51分07秒
やっぱり夜になると、この辺も静かになるよねぇ…
っていうか、車の音がなくなるとどこでも同じだけど。

あ、カレーの匂いだ。
イシザカさんとこかな?
あそこのダンナさん、カレー好きだって言ってたもんなぁ…

…ウチの晩ごはんはどうしよっかなー?
確か、パスタ余ってたような…
キャベツも残ってたし。
よし。今日はキャベツをおひたしにして、冷やし中華っぽくしよう。

さぁ、みっちゃん、着いたよー。
167 名前:12.2・袖触れ合うも… 投稿日:2002年10月17日(木)19時51分57秒
……うーんと…
あ、あったあった。

周りに田んぼと畑しかない一軒家。

今日お世話になるのはあそこでいいかな?
「すいませーん!!」

振り向いたのは、いかにも農家やってますっ、といった感じの50過ぎのおじさん。

「この先に、泊まれる所ってありますか?」
「…ね。」
「……そうですか…」

俯いて、わざと困った顔をしておく。
もちろん、ないのは判ってるんだけどね。

「どごまでいぐのっしゃ?(どこまで行くんですか?)」
「…あ、横手の方に行きたいんですけど…」

そこは最終目的地。
今日はこの辺で一泊したいんだよね。
168 名前:12.2・袖触れ合うも… 投稿日:2002年10月17日(木)19時52分32秒
「あ”ー行げるわげねぇべっちゃや。(行けるわけないでしょ)」
「ほんとは、今日中に秋田に入りたかったんですけど…
パンク修理してたら、予定、狂っちゃって…」
「んで、しゃぁねぇなぁ…」

「うーん…雨風凌げるんだったら何処でもいいんですけど…」
「んで、うっつぁ、とまっでぐか?(家に泊まっていきますか?)」
来たっ!

「…いいんですか?」
「ものおぎでいいが?」
喜んでっ!!
169 名前:12.2・袖触れ合うも… 投稿日:2002年10月17日(木)19時53分03秒
物置って言っても、明かりもあるし、風も入ってこないし、充分だよね。

とりあえず、コーヒーでも淹れて…
明日のルートも確認しておかなきゃ…

ガララッ
と、引き戸が開いて、そこにはさっきのおじさんの奥さんらしい人が…

「…フロ。」

…え?

「風呂でぎだがら、入いってがいん。」
「あ、いや…」
「いいがらいいがら。おぎゃくさんは、遠慮スねの。」
170 名前:12.2・袖触れ合うも… 投稿日:2002年10月17日(木)19時53分38秒
半ば強引に納屋から引っ張り出されると、外にはうっすらと煙が…

薪の匂いだ…

煙ってあんまり好きじゃないけど、この匂いだけは嬉しくなっちゃうんだよねぇ…

ということは…
「ちょうど良いあんべぇだがら、早ぐ入いらいん。」

やっぱり、薪のお風呂だぁ!

大きな桶のような木の風呂釜に入ると、ちょっと温かったけど…

やっぱり、気持ちいいよねぇ…
疲れが取れていくのがわかるもん。

でも、それだけじゃないなぁ…

なんか、お湯がふわぁー、ってしてて、柔らかい…

コレが“遠赤外線効果”ってやつなのかなぁ…
171 名前:12.2・袖触れ合うも… 投稿日:2002年10月17日(木)19時54分12秒
…あ、ちょっと寝ちゃった。

半分イっちゃった状態で、のろのろと湯船から上がると、
着替えのところには浴衣が…

浴衣で寝袋には入れないと思うけど、せっかく用意してくれたんだし…

「めし出来だがら、上がってございん。」
と、遠くから聞こえるさっきのおばさんの声。

「はーい!!」
よしっ、晩飯、浮いたっ!

「お邪魔しまーす…」

「おぅ、上がらいん、上がらいん。」
土間から上がって、居間のような所に行くと、おじさんが私を手招きする。
もう一人で晩酌してたんだ…
172 名前:12.2・袖触れ合うも… 投稿日:2002年10月17日(木)19時54分46秒
ぺたん、とおじさんの向かいに座ると、
待っていたかのように大根とジャガイモの煮物が出されて…

「まぁまぁまぁ、煮付はヌげね(逃げない)がら…」
って言いながら、一升瓶を差し出してくる。

「え、あ、いや…」
「なんだや、酒だめが?」
「あ、好きですけど…」
「んだら、ちょっとぐれぇいっちゃや(なら、一寸位いいでしょ)。」

糸切り歯が欠けている、おじさんの妙に暖かい笑顔。

街中で見たら、ホームレスだと思って絶対に無視するんだろうけど…
なんでかな?
すごく優しそうに見える。

苦笑いしながら、手元にあるビールの銘柄が印刷されたコップを手にすると、
日本酒独特の音を立てて注がれていった。

あ、いい匂い…

一杯に注がれた所で、グラスを置いて、一升瓶を手にとる。
いつもはこういうのは苦手なんだけど…

「人に注ぐって事は、注いで欲しいって事ですよね?」
173 名前:12.2・袖触れ合うも… 投稿日:2002年10月17日(木)19時55分35秒
「かんぱーい!!」

…あ、美味い。
甘口だけど、すっきりしてて、酸味もちょっとあって…
白ワインみたいだぁ。

「かーっ、うめなぁ…めんこい人さ注いでもらうど、味がツがう(違う)もなぁ…」
社交辞令なんだろうけど、本当に美味しそうに見えるから不思議だよねぇ…

「父ちゃんも、いっそほいなごどばり(いっつもそういう事ばかり)言っでぇ…」
おばさんが、白菜の浅漬けを持ってきたときに吐き捨てた言葉。
いかにも夫婦、って感じのいいツッコミだねぇ。
「だれぇ、うめぇもんはうめぇんだってや。」

なんか、裕ちゃんとみっちゃんみたいだなぁ。しばらくほっとこ。
174 名前:12.2・袖触れ合うも… 投稿日:2002年10月17日(木)19時56分22秒
「これ、なんていう酒ですか?」

一升瓶のラベルを見ると、能面の写真と、“友笑”と書かれていた。

「こいづは、栗駒の地酒だ。うめが?」
「はい。」
…本当に美味い。後で店、調べとこ。

「んで、一本持ってぐが?」
「それはちょっと…自転車ですから。」
確かに美味しいから欲しいんだけど…
175 名前:12.2・袖触れ合うも… 投稿日:2002年10月17日(木)19時56分56秒
私は殆ど喋らなかったけど、おじさんの話が上手くて、飽きなかったな…

なんだかんだって、気がついたら酒が半分以上なくなってた様だけど…
気のせいだよね。

そして、料理があらかたなくなって、次におばさんが出してきたものは…

「……?」
……!!!

…目が合っちゃったよぉ。
食事の席でこんなの出さないでよぉ〜

おじさんがにやにやしながら、その物体をつまんで口の中に放り込んだ。

放り込んだ…?
って、食べ物だったのぉ〜!?
176 名前:12.2・袖触れ合うも… 投稿日:2002年10月17日(木)19時58分27秒
「なんだや、イナゴかねぇのが?(食べないの?)うめぇんだど(美味いよ)。」

うまい、って…虫だよ、虫っ!

「いいがら、食ってみさいん。」
おばさんまでぇ…

とりあえず箸で虫…だった物体をつまんで、口に入れてみると…
「…………あ、うまい…」

味は佃煮みたいに甘しょっぱかったけど、それよりも、
頭とか脚のコリコリとした食感が、結構いい具合に口に残るんだね。

あ、脚が歯に挟まっちゃった…
177 名前:12.2・袖触れ合うも… 投稿日:2002年10月17日(木)19時58分57秒
時間も時間なんで、そろそろ物置に帰ろうと思ったら、
しっかり布団まで用意してくれて…
次の日も、朝ご飯まで出してくれて…
そろそろ出発しようと思って挨拶に行ったら、
お昼に…って、おにぎりまで持たされて…

さすがにそこまでされたら、お金出そう、って本気で考えたんだけど、
逆に失礼だと思ったから、後でお礼させて下さいって事で、
住所の交換だけはしておいた。

そのとき、おじさんが私の自転車を気にしていたのは、気付かなかったんだよねぇ…
178 名前:12.2・袖触れ合うも… 投稿日:2002年10月17日(木)20時00分00秒
10日後

宅配便の不在伝票?

何時間かして、荷物を受け取ると、差出人は…
あ、あの日、お世話になった農家のおじさんだ。

箱を開けてみると、“友笑”と、白菜の浅漬けと…うわ、イナゴだ…

お礼の手紙出したときに、酒と白菜とイナゴが美味しかった…
って書いちゃったからなぁ…

酒はともかく、白菜とイナゴは私一人じゃ無理だよねぇ…

そういう時はやっぱり…

「あ、もしもし、裕ちゃん?…うん……明日さぁ、みっちゃんの店来れない?
…あ、ほんとに?…うん。旅行のお土産、私だけじゃ捌けなくってさぁ…
みんなに食べ……え?うーんとねぇ…宮城の地酒と…」

裕ちゃん、返事速っ!

でも、イナゴは黙っておこう…
179 名前:12.2・袖触れ合うも… 投稿日:2002年10月17日(木)20時00分52秒
「こんばんはぁ…」
「おそいで!!」

…スポンサーに向かってその態度は何だよ!

…って、何で裕ちゃんがリリアンやってんの?

「…みっちゃんは?」
「まだ仕事やっとる。」

「あ、いらっしゃ〜い。」
って、顔を出したのは、アルバイトの…矢口さんだっけ?
確か裕ちゃんより、酒が強いって聞いたんだけど…

「あ、ごぶさたぁ〜」

…なんか、みっちゃん、疲れてるみたいだね。
なんか、やつれてるよ…

「あっ、裕ちゃん、勝手にリリアンやらんといて!!」
「せやかて、みっちゃん、全然進んでへんやん?」
「ウチはゆっくりやってるんやからええの。
やるんやったら、自分のやったらええやん。」

…みっちゃんもやってたの?
って、ここのマイブームはリリアン?

なんで??
180 名前:12.2・袖触れ合うも… 投稿日:2002年10月17日(木)20時01分23秒
「―――それで、秋田に行く途中に、農家の家に泊めてもらったんだけど、
昨日、その家から、日本酒とか、お土産もらっちゃって…
なま物もあったから、ついでに持って来たんだけど…」
で、バッグから出した“友笑”とタッパー容器ふたつ。

「うわぁ!“友笑”やん!?」
「え?みっちゃん、この酒知ってるんだ…」
「うん。だいぶ前、お父ちゃんが買うて来たんやけど…
日本酒で初めて美味い、思うたんは、コレやったんやなかったかなぁ?」
なんだ、知ってたんだ…

「それは余ってもいいんだけどさぁ、こっちの方を捌いて欲しいんだよね。」

蓋を開けると、絶叫が…
「うわー、イナゴやん。懐かしいなぁ…」

…あれ?

裕ちゃん、イナゴ大丈夫なんだ……ちっ…

「羽根もちゃんととってあるで……うん。味付けもちょうどええわ。」
「あ、ホンマや。しょっぱすぎないな。」

…って、おい。

なんで二人とも平気な顔して食べられるんだよぉ…

しかも美味しそうに…
181 名前:12.2・袖触れ合うも… 投稿日:2002年10月17日(木)20時01分53秒
あ、矢口さん、固まってる…
無理に笑顔作ってるけど、ほっぺた引き攣ってるよ。

「何や、矢口イナゴ食わへんのか?」
「あ、いや…矢口は…ちょっと…」
完全にイナゴから目を逸らしてる…
イナゴ駄目な人だな。

あーあ…裕ちゃんとみっちゃんの目付き、変わっちゃったよ。

「と、とりあえずさ…このお酒、飲んでみようよ。」
「その前にイナゴ食うてみぃ。」
「…………やだ…」

今日の人柱は矢口さんか…かわいそうに…
獲物を見つけたら、裕ちゃんとみっちゃんのコンビは最強だからなぁ…

「ほら、とにかく食うてみぃ。」
両腕押さえられちゃった…
抵抗してるけど、二人の前では無意味だよね。

あー、もう涙目になっちゃてるよ。
182 名前:12.2・袖触れ合うも… 投稿日:2002年10月17日(木)20時02分24秒
「なんも怖いことないねんで。ちょぉ我慢したら、ごっつよぉなるからな。」
「い、いや……いや…」
「気持ち悪いんは最初だけやて。」
そこだけ聞いたら、二人ともスケベジジイだよ。

うわ、無理矢理口を開けられて…
今まで考えられない物体が、口の中に突っ込まれて…

「ぅぐーーっ!!ぐーっ、ぐーっ!!!」
「ちゃんと噛まな、喉に引っ掛かるで。」

原形留めてなかったら、美味いんだけど、カタチがリアルだからねぇ…
183 名前:12.2・袖触れ合うも… 投稿日:2002年10月17日(木)20時02分59秒
Purrrrrrrrr…
「あ、電話や…」
「おもろいとこやったのに…」

やっぱりおもちゃにされてたんだ…

「…あ、はい……そうですか…はい……はい…わざわざすいません。」
Pi

「…やっぱなかったんか?」
「うん。」
「…どしたの?」
「20年位前の“平家”のランドナー、オーバーホール来たんやけど、
リアのハブにガタがきてんねん…」
「あぁ、エンド幅が狭いやつなんだ…」
「うん。せやから合うのがなくてな。問屋さんとか、
知り合いの店なんかにも電話しとるんやけど…難しいんちゃうかなぁ…」
184 名前:12.2・袖触れ合うも… 投稿日:2002年10月17日(木)20時03分31秒
「なんでまた、今更…」
「なんや、久々にココの自転車見て、また乗りたくなった言うてたな。」

「先代か?」
「せやろな?」
「何処の人やねん?」
「確か…宮城県の花山村やったな…」

……え?
この間、横手に行くときに通ったような…

もしかして…
「…みっちゃん、その人の住所見せてくんない?」

その住所が書かれたメモと、この間泊めてもらった所の住所が…
……やっぱり。

あのおじさんも自転車やってたんだ…

「…ねぇ…その自転車、出来上がったら、みんなで届けに行かない?」
「…みんなで?」
「うん。修理代を安くしておくと、
もれなく友笑とイナゴと薪のお風呂が付いてくると思うんだけど…」
185 名前:Strong Four 投稿日:2002年10月17日(木)20時14分26秒
はい、というわけで、番外編の12.1話と12.2話更新しました。
今回は、日常の中の、楽しい出来事をメインに書いてみました。

12.1話は、ほとんど私の体験談ですが、
12.2話は、私の高校の先生が、単車のツーリングをやっていたときの体験談で、
“田舎の人たちに泊まる場所を聞くと、大概納屋に泊めてくれて、
なし崩し的に晩飯と布団を用意してくれる。”
という宿泊テクニック(?)を教えてくれたことがあったので、それをネタにしてみました。
田舎の人が、みんなそんな人ではないので、あまり真似しないでください。

次回更新のことを考えると、やっぱりあと3回は更新しなければならないようです。
もうちょっとお付き合いください。
186 名前:Strong Four 投稿日:2002年10月22日(火)16時11分47秒
はい、今回も調子ぶっこいて書いた番外編の更新です。
情景描写はあまり書いていない、いい加減で理解しにくいかもしれない内容ですが、
今回はあまり弄っていないキャラクターを使ってみました。
187 名前:12.3・Forza!! 投稿日:2002年10月22日(火)16時14分29秒
「中澤さんは、秋待峠のベストタイムって何分ですか?」
「35分。」
「思ったより遅いんですね…」
「…ケンカ売っとんのか?」
「だって、中澤さんの自転車って、
買ったときから、殆どいじってないからじゃないですかぁ?」
「武器使うて速よなってもしゃぁないやん。」
188 名前:12.3・Forza!! 投稿日:2002年10月22日(火)16時15分00秒
中澤さんは、レースとかに興味ないみたいだから、
自転車の軽量化とかもしてないみたいだし…

自分の脚力だけでタイムが縮んでいくのは、確かに面白いと思うけど…

「平家さんの自己ベストって、何分でしたっけ?」
「確か…25分の後半…」

いい加減に答えてるけど、それが“常連の間”の秋待峠ヒルクライムレコード。
189 名前:12.3・Forza!! 投稿日:2002年10月22日(火)16時15分33秒
私の自己ベストは27分15秒。
登坂の2分差って、思っている以上に大きいんだよね…

もう10月だもんなぁ…

秋待峠も、もうすぐ雪が降るし…
そうなったら、4月頃まで自転車でいけないし…

来年は就職するから、チャンスは今しかないんだよね…
190 名前:12.3・Forza!! 投稿日:2002年10月22日(火)16時16分31秒
「I'm burning to the sky yeah…(Don't stop me now/Queen)」
うわ…

「あ、いらっしゃ〜い…」
「…あ、矢口、みっちゃん、どないしたん?」
「うーん…よくわかんないんだけど、
問屋さんから帰ってきてから、機嫌いいんだよねぇ…」
やっぱり…

「今日は、早よ帰っとき。」
「何で?」
「何でか判らんけどな、みっちゃんがあの歌歌うと、面倒なこと起きんねん。」
191 名前:12.3・Forza!! 投稿日:2002年10月22日(火)16時17分01秒
「あ、裕ちゃん、いらっしゃ〜い。」
「あ、ど、ども…」
やっぱ、ごっつ機嫌ええでぇ…

「…何や、他人行儀やな?まぁええわ、ちょぉ座ってぇな。」
「あ、いや…ちょぉ用事が…」
「ええから座ってぇな…」
いつもはイヤそうな顔しとるのに…

「…どないしたん?」
「今日な、問屋さん行ったらな、チクワがあってん。」
192 名前:12.3・Forza!! 投稿日:2002年10月22日(火)16時21分18秒
「竹輪?そんなんスーパーに行ったら、何処にでもあるやん?」
「なんで自転車の問屋に行って、竹輪買わなあかんねん?」
「竹輪言うたんはみっちゃんやん?」
「C4(チー・クワットロ)のほうやて。
それの“MAGIK”のデッドストックがあってな、
それがウチのサイズとぴったりなんよ。」
「…買うたん?」
「うん。6万で…」
「叩きよったなぁ…」
(レートによりますが“C4 MAGIK”はフレームのみで約23万円)
「せやから、カンパの9速レコードと一緒に8万で買うてきた。」
「はぁっ!?」
そういうのを、世の中では“ぼったくり”言うんちゃうか?
193 名前:12.3・Forza!! 投稿日:2002年10月22日(火)16時21分55秒
ハッ、ハッ、ハッ、ハッ………

私が平家さんに勝てるかも知れないのは、今日が最後だろうなぁ…

でも…大丈夫。

この日に備えてトレーニングもやったし、
愛しのパンターニ様にもお願いしたんだから…

“BRIKO”の視界も綺麗だし、上だけ見て走ろう。
194 名前:12.3・Forza!! 投稿日:2002年10月22日(火)16時22分26秒
今日の私はカラダにキレがあるし、ペダルも軽い。
そして…なにより暑くない。

いつもより一段重いギアで走れる。
うん。コレならいけるかも…

…展望台がみえてきた。

やっぱりいいタイムが出そうだ。
間違いなく自己ベストは更新できるっ!
195 名前:12.3・Forza!! 投稿日:2002年10月22日(火)16時23分13秒
「石川ぁ〜がんばってんなぁ〜」
!?

へ、平家さんっ!!?

私の方が展望台に先に着いたけど…
私に追いついたって言うことは…
どう考えても私より速いって事…だよね?

私のタイムは…25分18秒…
自己ベストは更新したけど…

「23分54秒…よっしゃ!自己ベスト更新やっ!!」
……やっぱり、平家さんには敵わないのかなぁ…
196 名前:12.3・Forza!! 投稿日:2002年10月22日(火)16時23分48秒
その日の夕刻の“常連の間”…

「なからわさんっ!!きいてるんれすかっ!?」
「き、聞いてるで。」
誰や?こいつに酒飲ませたんは…

「…だいたい、へーけさんがあんなの乗るなんてひきょーれすよ!!」
「う、うん…せやなぁ…」
めんどくさそーな酔っ払い方しとるし…
197 名前:12.3・Forza!! 投稿日:2002年10月22日(火)16時24分59秒
「せやけどなぁ…自転車変わっても、エンジンは同じなんやからな…」
みっちゃん、火に油注ぐような事言うとるし…
…って、まだ石川に飲ませるんか?

「それに、石川の“Bianchi”は山岳用やろ?
やっぱ、その程度の実力って事やで。」
うわ…とどめ刺しよったでぇ…

「だ…だって……だってぇ……
うっ…うぇっ……ふぇっ…ふぇっっ…ふええぇぇぇぇーーーん!!!」
あーあ…とうとう泣きよったわ。
198 名前:12.3・Forza!! 投稿日:2002年10月22日(火)16時27分49秒
「なからわさぁぁぁーん!!」
うんうん、可哀いそーになぁ…って、離れんかいっ!!
汗臭いカッコで抱きつくなぁっ!!

「わたしもパンターニ様のレプリカ買うぅぅ〜」
「あーはいはい。」
勝手にせぇや…

「…なからわさん、買ってください。」
「あーわかった、わかった…って、えぇっ!!?」
199 名前:12.3・Forza!! 投稿日:2002年10月22日(火)16時28分19秒
「ほんとですかぁ?」
ちょ、ちょぉ待て…
なんや、その少女漫画のような目は?

「裕ちゃん、まいどっ!」
…………みっちゃん。
その…丁稚のようなもみ手は……どーゆー意味なん?

「I wanna make a supersonic woman of you…」
……おい。
「ど〜ん、すとっぴ〜な〜ぅ(Don’t stop me now)…」
………おいっ!
200 名前:12.4・山の中の小休止 投稿日:2002年10月22日(火)16時30分20秒
安倍と保田の二人は、久し振りに休みが重なって、
MTBで近くの山に散策に来ていた。

――よっ…

安倍が、踏み固められた林道を横断している木の根っこを飛び越えていく。
着地しても、身体は全くぶれない。

――相変わらず、うまいねぇ…

毎度の事ながら、安倍のバランスの良さには感心してしまう。

そう思いながらも、保田も数メートル遅れて、
安倍の走った難しいはずのラインを、当たり前のようにトレースしていた。
201 名前:12.4・山の中の小休止 投稿日:2002年10月22日(火)16時31分07秒
二人とも、相手の気心を知っているためか、
自然と、お互いの一番楽なスピードで走っていく。

自然に囲まれた、のほほんとした空間と、
時々訪れる、ほんのちょっとの緊張感。

生き物としてのヒトが、最もヒトになれる至福の場所…
二人は、そんな空気の中をゆっくり漂っていた。

――おっと…

保田がブレーキを握る。

――丸太の橋の上でスタンディングできるんだもんねぇ…

安倍が、丸太の橋の上で、脚を着かずに自転車を停め、沢の下流を指さした。
202 名前:12.4・山の中の小休止 投稿日:2002年10月22日(火)16時31分37秒
その橋を渡ったところで、林道を外れて、ガサガサと乾いた音を立てながら、
笹が隙間なく生い茂っている沢沿いを下っていく。

――いくらMTBでも、道を選びなさいよ…

安倍の口元が緩む。
沢を下ると何かがある。
そんな野生の勘のようなものが、安倍の身体を下流へと引っ張っていた。
203 名前:12.4・山の中の小休止 投稿日:2002年10月22日(火)16時32分18秒
――わぁ…

沢の終わりは、地図にも載っていない湿地帯とミズバショウの群生地。

安倍が珍しく脚を着いた。
保田も少し距離を置いて、自転車を停める。

保田の方に顔を向けて、唇に人差し指を当てて、
もう一つの手で、ミズバショウの端の方を指さす。

その先を見て、思わず保田の顔が綻んだ。
204 名前:12.4・山の中の小休止 投稿日:2002年10月22日(火)16時32分50秒
――これだから自転車の山遊びはやめられないのよねぇ…

すべての音が、水に吸い込まれているような空間の中、安倍の指さした先には、
つがいと思われる二匹のハクビシンが、水を飲みにやってきていた。
205 名前:Strong Four 投稿日:2002年10月22日(火)16時38分18秒
というわけで、12.3話と12.4話を更新しました。
10月とかミズバショウが出てきたりと、時期的に難しい部分もありましたが、
何とかまとめることができました。

次回更新は、今週の後半にできるかと思いますが…ちょっと自信はありません。
いつものように更新の最後はageますので、そのときまでお待ち下さい。
206 名前:12.5・忘れないから… 投稿日:2002年10月24日(木)15時58分26秒
あの時は、はっきり言って怖かったわ。
あれさえなかったら、絶対ウチが負けとったやろなぁ…
207 名前:12.5・忘れないから… 投稿日:2002年10月24日(木)15時58分59秒
「おっ、久し振りやなぁ…」
客足が途絶えて、“常連の間”で平家が一服していた夕方、
辻希美が裏口のドアを開けて、顔だけ出して中の様子を伺っていた。

「………中澤さん…来てますか?」
彼女も中澤が苦手なようだ。
「来てへんよ。早よ入り。」
平家の言葉と手招きに、にへらっ、と笑って、漫画なら“ててててっ”
と擬音が付きそうな歩き方で“常連の間”に入ってくる。
208 名前:12.5・忘れないから… 投稿日:2002年10月24日(木)15時59分29秒
「お土産です。」
辻が持ってきたのは、近くのコンビニで買ってきたのだろう、
最近発売された缶コーヒーと玉子ボーロ。

「なんや、差し入れか?気ぃ使わんでええのに…」
平家は一瞬“なんで?”といった顔をしたが、
それが彼女の精一杯の気持ちなのだという事に後で気がついた。
それよりも平家にとっては、辻の笑顔の方が可愛くて仕方がなかった。
209 名前:12.5・忘れないから… 投稿日:2002年10月24日(木)16時00分15秒
「あの…平家さん…」
「ん?」
「あいぼんの自転車って、平家さんのお父さんが造ったんですよね。」
「あー…あの“平家”のBMXか?」
「はい。」
「確かにウチのお父ちゃんが造ったモンやで。」
「あれって、平家さんが造ると、いくらするんですか?」
「あれは、ごっつ金掛けたからなぁ…確か、全部で20万やったと思うけど…」
「そうですか…」
辻が、俯きながらボソッと呟いた。
その、いつもと違う辻の表情に、何かあると感づいた平家が、
本題に入り易いように辻を促す。
「…なんや、自転車壊れたんか?」
「いえ……平家さんの自転車なら、あいぼんに勝てるかな、って思って…」
210 名前:12.5・忘れないから… 投稿日:2002年10月24日(木)16時00分47秒
「あ、もしもし、カオリかぁ?…うん。おかげさんで…そっちもええらしいやん?………え?うちはあんまかわらへんなぁ…あ、せやのうて……
明日、辻がそっち行くかも知れへんから……いや、一人やと思うけど……
うん。……え?直接話聞いたってな。」

“あいぼん、秋にアメリカに留学するって…”

“X−Gamesに出たいから、って…”

“もう、あいぼんとは逢えないかも知れないから…”

“だから、絶対忘れて欲しくないから…”

――せやから“加護に勝ちたい”か…
211 名前:12.5・忘れないから… 投稿日:2002年10月24日(木)16時01分21秒
辻に“あいぼん”と呼ばれている娘、加護亜衣は、辻と年齢も趣味も同じで、
親友という文字を形にしたように仲がいい二人だったが、
その同じ趣味のBMXには、明らかに実力の差というものがあった。

加護には自転車を操る事(特に身体のバランス)において、
誰が見ても判る天性の才能があった。
一方、辻は加護にはない絶対的な脚力があって、
二人が始めた当初は、ほぼ互角だったが、加護も徐々に脚力をつけ始め、
レースにおいて、二人の差は確実に広がってしまった。

その、二人の最後のレースになるであろう
“狢沢BMX Jam”で加護に勝ちたいと言うのだ。
212 名前:12.5・忘れないから… 投稿日:2002年10月24日(木)16時01分54秒
平家は、辻の手助けをしてくれるであろう、飯田の店に行くように言っておいた。
「後は、辻の気持ちの問題やなぁ…」

――ウチかて、お父ちゃんに勝てるんは、コレしかないかも知れんし…

飯田に掛けた電話を見ながら、平家の耳元で、もう一人の自分が囁いていた。

父親を“平家”ブランドの製作者から“House”ブランドの師匠、
と言わせるためのいいチャンスだと…
自分が父親を超えるためのいい機会だと…
213 名前:12.5・忘れないから… 投稿日:2002年10月24日(木)16時02分28秒
2日後

「ちょっとぉ、みっちゃん、どういう事!?」
[Common House]が開店して間もない頃、
自分の店から帰宅する途中の飯田が、ずかずかと店内に入ってきた。
(今更ですが、ホストクラブって、am8:00頃閉店らしいんですよね。)

「あ、いらっしゃ〜い。」
「カオリの店にのんちゃん行くように言ったの、みっちゃんでしょ!?」
飯田はかなり苛立っているようだった。
しかし平家は、この事を予想していたかのように、
ごく普通の顔をして、ごく普通の返事をする。

「…せやで。」
「カオリだったら、のんちゃんの言う事何でも聞くと思って、
店に行かせたんでしょぉ?」
「あ、判ってもうた?」
「“判ってもうた?”じゃないでしょぉ…」
「せやけど、あの顔見るとな…」
「カオリもそうだけどさぁ…」
214 名前:12.5・忘れないから… 投稿日:2002年10月24日(木)16時03分01秒
平家は自分の話のペースを掴むように、ゆっくりと作業用の椅子から
立ち上がり、わざと悲しそうな顔をして飯田に話し掛けた。

「なぁ、カオリ…考えてみぃや。加護がアメリカ行くんやで。」
「聞いたよ。」
「辻はな、加護とずっと友達でいたい言うてんねんで。」
「…うん。」
「もう、二度と一緒に走れんかも知れんねんで。」
「……うん。」
「自分を忘れられるのが嫌や、言うてんねんで。」
「…………」
平家の瞳の奥が光る。

――涙目になっとる。もう一押しや。

「カオリがちょぉ助けてやるだけで、二人が繋がっていられんねんで。
判るやろ?」
「………うん。」
「せやったら、一肌脱いでぇなぁ。」
「…………判った。」

――おしっ…スポンサー決まった!

夜の仕事が長く、人情モノの口説きには馴れているはずの飯田だったが、
辻の事に関しては、飯田が何とかしてくれると思っていた。
やはり平家の方が駆け引きは一枚上手だったようだ。
215 名前:12.5・忘れないから… 投稿日:2002年10月24日(木)16時03分41秒
平家は早速、辻のため(だけ)のBMXのデザインに取り掛かっていた。

『あのBMXは、加護に惚れとんねや。せやから実力以上の結果が出せんねん。』
以前、父が、加護のBMXをこう評価していた。

自転車にそんな感情があるわけがないのだから、
一般的な意味では、加護が“平家”のBMXを知り尽くしているという事で、
先の言葉は父親独特の解釈なのだろう。

“自転車は使ってナンボ”
“オーナーのために自転車を造れ”
平家が自転車を造るときに、父親からよく言われていた言葉。

その父親が、加護のBMXをそのように評価しているのは、
あのBMXがそれだけ加護に合っていたという事だろう。

――確かに、今の加護に付け入る隙があるとは思えんしなぁ…
216 名前:12.5・忘れないから… 投稿日:2002年10月24日(木)16時04分16秒
加護はBMXをオーダーしたときに、フレームが漕ぐ力を吸収しないように
剛性の高いものを求めていたのを憶えている。

実際、平家も試乗した時に、アルミのロードバイクかと思うような
硬い乗り味で、クロモリ特有のショックを吸収するような感じは
なかったはずだ。
体の柔らかい加護には、気にすることではないのだろうが、
フレームが硬すぎるということは、BMXのダートコースでは、
地面からのショックをそのまま受け止めて(タイヤが弾んで)、
タイヤと地面の食いつきが悪くなってしまうこともある。

そんな事を無視して、力で捻じ伏せるような辻の走り方では、
加護と同じような硬い自転車は、逆に遅くなってしまうかもしれない。
だからといって、辻の推進力も吸収してしまうような、
柔らかいだけのフレームでは辻の個性も潰れてしまう。
217 名前:12.5・忘れないから… 投稿日:2002年10月24日(木)16時04分46秒
剛性と柔らかさの両立。
平家が、父親のBMXを超えることが出来るとすれば、
それしかないと考えていた。

しかし、言葉では簡単だが、先の二つの言葉は全く反対の意味でもある。
フレームのパイプを細く、長くすればいいのだが、乗り手の体系の問題もある。
せめて、ステー(後輪を支えるパイプ)さえ長くなればいいのだが…

「ステーが長い自転車かぁ…」
オーダーシートから目を離し、椅子の背もたれに体を預け、
軽く伸びをしたとき、店に展示してあった“GT”の自転車が目に入った。

――…トリプルトライアングル?

シートステーとトップチューブが溶接されているデザインで、
フレームの前半分と後ろ半分とシートチューブの上部に3つの
三角形が出来ることから“GT”のフレームの別称として呼ばれている。
剛性があるフレームだが、決して硬いだけではない。
シートステーは長くなるし、技術的にも難しくはないが…
218 名前:12.5・忘れないから… 投稿日:2002年10月24日(木)16時05分21秒
剛性と柔らかさの両立。
平家が、父親のBMXを超えることが出来るとすれば、
それしかないと考えていた。

しかし、言葉では簡単だが、先の二つの言葉は全く反対の意味でもある。
フレームのパイプを細く、長くすればいいのだが、乗り手の体系の問題もある。
せめて、ステー(後輪を支えるパイプ)さえ長くなればいいのだが…

「ステーが長い自転車かぁ…」
オーダーシートから目を離し、椅子の背もたれに体を預け、
軽く伸びをしたとき、店に展示してあった“GT”の自転車が目に入った。

――…トリプルトライアングル?

シートステーとトップチューブが溶接されているデザインで、
フレームの前半分と後ろ半分とシートチューブの上部に3つの
三角形が出来ることから“GT”のフレームの別称として呼ばれている。
剛性があるフレームだが、決して硬いだけではない。
シートステーは長くなるし、技術的にも難しくはないが…
219 名前:12.5・忘れないから… 投稿日:2002年10月24日(木)16時05分52秒
パソコン上に浮かび上がったデザインから、
素材の張力とパイプの厚さを選び出し、
撓り具合を計算しながら、理想の形をデザインしていく。

――物理嫌いやったからなぁ…

それでも素人には判らない、アルファベットと数字の羅列を睨みながら、
フレームのスケルトンが微妙に変化していった。

数日後、パソコン上での図面がちゃんとした形になった時には、
すでに製作の時間が一日の猶予もなくなっていた。
220 名前:12.5・忘れないから… 投稿日:2002年10月24日(木)16時06分24秒
しかし、たとえこの自転車が、平家の想像通りの出来だったとしても、
出来上がってからレースまでの時間はないし、
辻がすぐに乗りこなせる物だとは思えなかった。

――もう一人、手伝ってもらわないかんなぁ…

「あ、もしもし…なっちかぁ?……うん。ちょぉ頼まれてんかぁ?
…いや、裕ちゃんやのうて………え?……あぁ、大丈夫やと思うけど…
なっちの“Zip”暫く貸したってくれへんかぁ?……うん。
……あのなぁ、辻がな…」

そのために、もう一人の協力者、安倍なつみに電話をしていた。
221 名前:12.5・忘れないから… 投稿日:2002年10月24日(木)16時06分54秒
そして、イベント当日…

「あれ?みっちゃん、来てたんだ?」
会場をふらついていた平家に声を掛けたのは、実行委員らしき中年の男性。
「あ、どうもご無沙汰してます。」
「そういえば、このイベント、久し振りだよね。加護ちゃんの応援?」
「それもあるんですけど、辻がウチのBMXで走るんで…」
「じゃぁ、親子対決になるのかぁ…」
「だといいんですけどね。」

一緒にイベントに来ていた飯田が、後ろから声を掛ける。
「…みっちゃんの知り合い?」
「うん。この業界、狭いしな。特にBMXは全国レベルで繋がっとるから、
殆ど顔見知りみたいなもん…あっ、ホシザワさん、その節はどうも…」

――何処の世界も同じなんだね…
222 名前:12.5・忘れないから… 投稿日:2002年10月24日(木)16時07分39秒
当日の朝になって、やっと組み上がった“House”のBMXを、
辻が初めて見たときは、あまりいい顔はしていなかった。
「なんか…カッコわるい…」
「しゃあないやん。1ヶ月以上前やったら塗装も出来たんやけどな。」

当然と言えば当然だが、
依頼からたった3週間後の今日の大会に間に合わせたために、
業者に塗装を依頼する時間がなく、(外注の場合は約2週間かかるらしいです)
無塗装で溶接跡が残ったままのフレームを組み上げていたのだ。
しかし、ブランド名の“House”と、スポンサーの
“SILVER CROW”のステッカーだけはしっかり貼っていた。

「大会が終わったら、後で塗装すればええんやし…文句は乗ってから言いや。」
しかし、辻は自分のイメージとはあまりにかけ離れた自転車だったので、
平家への小さな抵抗として、
お気に入りのキティちゃんのステッカーを、その場でいくつか貼っていた。

――辻ほどの腕やったら、乗った瞬間に判るはずや…

そう思いながら、初めて乗る自転車の感触を確かめるように
ゆっくり漕いでいる辻を眺めていた。
223 名前:12.5・忘れないから… 投稿日:2002年10月24日(木)16時08分09秒
通常のBMXのレースは、3〜400mのコースを、2回の予選を行った後、
上位数名が決勝に進出する方法だが、参加人数が少ないこの大会だけは、
予選は一人ずつのタイムトライアルになっている。

辻と加護は、年齢から、ジュニア部門に登録しているが、
加護は2年前から予選のタイムトライアルで、
女性全体のコースレコードを保持している。

辻の今回の目的は、親友としてだけではなく、
ライバルとしても忘れられないようにと、
レースに勝つことよりも、そのレコードを更新して、
自分の存在を加護の記憶に残すことだけを考えていた。
224 名前:12.5・忘れないから… 投稿日:2002年10月24日(木)16時08分49秒
「みっちゃん、あの自転車ってどうなの?」
辻が試し乗りをしているときに、飯田が不安そうに話し掛けた。
「どうって?」
「あいぼんのより性能はいいの?」
「ポテンシャルは自信あんねんけど…」
平家が俯いて言葉を濁しながら呟く。
辻が、新しいBMXの特徴である柔らかさに違和感を感じないように、
DHバイクのサスペンションに邪魔されないような乗り方ができたのか、
自信がなかったからだ。

「…けど?」
「パイプはローバイク用のモンやからごっつ軽いんやけど、
今までと違て、ごっつクセあるし、剛性はギリギリやから…
下手すりゃ予戦でボロボロになるかもしれんねん。」
「マジでぇ?」
元々、脚力で今までの結果を出している辻だが、
その推進力を多少犠牲にしても、加速の安定感と路面追従性を重視して、
フレーム素材は、クロモリ鋼で最も軽いコロンバスのウルトラフォコを使用し、
軽さから来るギア比も、今までの辻の自転車より若干重くして、
漕いだ時の感触は、今までの自転車と違和感がないようにしていた。
225 名前:12.5・忘れないから… 投稿日:2002年10月24日(木)16時09分21秒
「まぁ、それが辻のオーダーみたいなモンやし…」
「…………」
「なっちに頼んで、ライディングを変えてもろたから大丈夫やと思うけど…」
「なっちに?」
「辻のバランスがようなる様に、“Zip”で練習させてもろた。」

平家は、辻と加護の実力差は、コースのライン取りと、
スタートや着地後の加速の差にあると見ていた。
そのために、キックバック(漕ぐ力をサスペンションが吸収してしまうこと)
がある自転車で、先に書いた違和感の解消と、
着地時のバランスの悪さから来る、加速までのタイムラグを減らして、
少しでも加護の個性に近づけるように安倍に依頼しておいた。
226 名前:12.5・忘れないから… 投稿日:2002年10月24日(木)16時09分51秒
「これ、すっごいいいですよぉ〜」
自転車の外観には納得していなかった辻だが、
性能の方にはかなり満足していた。その言葉以上に彼女の顔が物語っていた。

――っつー事は、なっちが上手く教えてくれたっつー事やな…

「そおか?せやけどそれは、
なっちに教えてもろた乗り方が、出来るようになったからやで。」
平家も目尻を下げて、
ニヘらっとした顔をしている辻の頭をポンポンと叩きながら笑っていた。

――うん。今の辻やったら、加護に勝てるかも知れへん。

ギリギリまで、この方法で良かったか自信がなかった平家だが、
目の前の小さなオーナーの評価で、不安が一気に吹き飛んだ。
227 名前:12.5・忘れないから… 投稿日:2002年10月24日(木)16時10分26秒
そしていよいよBMXレース、予選タイムトライアルが開始された。

“いい?コースを100回走ったら、
100回同じラインで走れるようにコースを頭に叩き込んでおきなよ。”

「大丈夫。何度もコースを見て、ちゃんと憶えました。」
スタート台に向かいながら、安倍が教えてくれた言葉を思い出す。

“スタートの漕ぎ出しだけでもタイムは変わるから、そこは一番集中して。”

「前輪でゲートを押し倒すようにスタート、でしたよね。」

辻のスタートを、実況ブースのDJが煽り立てる。
しかしそんなものはなくても、ギャラリーがスタートの瞬間で、
“この選手は速い”と感じ取り、一斉に歓声が上がった。

それだけではない。
特に昔からの関係者は、平家がこの会場にフレームを持ち込んで来た、
というだけで、このタイムトライアルに注目していた。
すべての自転車において、今は伝説とさえなっている“平家”ブランド。
その直属の後継者である“House”のBMXがスタートしたからだ。
228 名前:12.5・忘れないから… 投稿日:2002年10月24日(木)16時11分13秒
“クランクの回転を意識して。最初のジャンプは遠くに飛ぶ必要はないから。”

――クランクの回転が落ちてない!

“最初のコーナーはスピードを落とさないで、最短距離を走ること。”

「よしっ、スムーズに曲がれた。」

“次のコーナーはバンクを利用してスピードを殺さないように。”

「…上手くバンクのラインに乗れたっ!」

“細かいギャップは、リズムよく漕いでいけばスピードは落ちないから。”

「……スピードは落ちてない。」

DJが絶叫のような実況を続け、ギャラリーを更に煽る。
それとは裏腹に、歓声が少しづつどよめきに変わっていった。

“おい、マジかよ?” “こいつ、速いぞ。” “レコード更新か?”
その証拠に、中間のタイムを表す電光掲示板は、
加護が2年前に出したレコードを0.2秒上回っている数字だった。
229 名前:12.5・忘れないから… 投稿日:2002年10月24日(木)16時11分48秒
“最後の三つの山は、その時のスピードで、
一気に越えるか、一つ一つ越えるか考えて飛ぶ事。”

「このスピードなら一気にいけるっ!」
ジャンプした瞬間、ギャラリーの中の平家が顔を顰めた。

――あかんっ!

ガンッ!!!……………………
230 名前:12.5・忘れないから… 投稿日:2002年10月24日(木)16時12分18秒
「…残念やったな。」
「平家さん…」
「でも…あいぼんも、のんちゃんの走りは忘れないと思うよ。」
「飯田さぁん…」

結果は、3つ目の山に後輪を引っ掛け、着地に失敗。
その時の転倒のタイムロスが大きく、予選を7位で通過。
決勝には進出できたものの、予選にすべて集中していた辻は、
完全に緊張の糸が切れ、決勝は10人中8位という結果に終わった。

辻の顔は完全に項垂れていて半べその状態だった。
予選でも決勝でも加護に勝てなかった事よりも、
平家と飯田と安倍が自分に協力してくれたにも関わらず、
それでも結果を出せなかったことが悔しかった。
231 名前:12.5・忘れないから… 投稿日:2002年10月24日(木)16時13分11秒
「あ、ほら、あいぼんが来たよ。」
加護が友人達と辻の方へ歩いてきたが、
目があった瞬間、視線を落とし、辻と目を合わせようとしない。
「あいぼん…」
掠れた声で、加護に声を掛ける。

「………忘れへんから…」
「え?」
加護が、辻の傍で立ち止まった。
「絶対忘れへんから…」
辻に向かって小さく呟いたが、視線は相変わらず落としたままで、
辻には向けられていなかった。

辻の最後の転倒がなかったら…
加護は予選の走りを見たときに感じた、辻から発せられる熱と、
それにたじろいでしまった自分の脆さを思い出し、
その時に粟立った肌の気持ち悪さがぶりかえして来た。
232 名前:12.5・忘れないから… 投稿日:2002年10月24日(木)16時13分41秒
追われる恐怖感。
辻の顔を見ることで、自分の弱さを見透かされるかもしれない事を、
本能的に感じ取っていたのだろう。

「うん。」
それでもそんなことはお構いなしに、明るく加護に返事をする。
そのたった一言で、加護の恐怖感は簡単に拭い去られた。

ののとあいぼんは友達なんだと…
自分が常に優位に立ちたいと思っていても、
それを逆転される怖さがあったとしても、
二人は親友なんだと…
233 名前:12.5・忘れないから… 投稿日:2002年10月24日(木)16時14分11秒
「……せやから…アメリカ行って力つけたら、必ずここに帰ってきて、
誰にも敵わなへんような走り見せつけたる。」
それでもやっぱり、自分の弱さは見せたくない。
「うん。」
「それまで……それまで、ののも頑張ってな。」
「うんっ!」
234 名前:12.5・忘れないから… 投稿日:2002年10月24日(木)16時14分41秒
「のんちゃん、よかったね。」
「うん。」
「来年は、あいぼんのコースレコード塗り替えとかなきゃね。」
「せやったら、もっとええ自転車買わないかんなぁ?」
平家が中腰になって、辻の肩を抱きながら飯田を見上げる。
「そうですね。」
それにつられて辻も飯田を見上げる。

「………なんでみっちゃんものんちゃんもこっち見んの?」
二人の視線と含み笑いが、なぜか飯田には痛く感じた。

夏らしくない乾いた風が、イベント会場と三人の身体を吹き抜け、
今まで行き場を失って、燻っていたギャラリーと選手達の熱を、
砂埃と一緒に連れ去っていってくれた。

また、ここに集まった人間が、熱い何かを叩きつけられるように…
235 名前:Strong Four 投稿日:2002年10月24日(木)16時18分55秒
はい、というわけで、12.5話お蔵入りになった辻加護のBMXネタ、終了しました。

次回でやっと完結・・・と言いたかったんですが、私事により、暫くpcを見ることができない状態になってしまいまして・・・
そういうわけで、今回で一気に完結させます。
236 名前:エピローグ・とりあえず、大団円? 投稿日:2002年10月24日(木)16時22分34秒
「“…消えていった。”…っと。はぁーーー…終わったぁ〜」
遠視用の鼻眼鏡に、何日か風呂に入っていないであろうボサボサの髪、
どてらとスエットパンツが妙に似合っている中澤が、
パソコンのモニターから目を離し、大きく伸びをする。

「お疲れ様です。さぁ、次は雑誌のコラムですね。」
「ん…その前に、一服…」

そう言いながら、席を立とうとする中澤を制止する両腕。
「なぁに言ってるんですかぁ〜…さ、一気に書いちゃってください。」
「そないな事言ってもなぁ…頭の切り替え、っつーもんが…」
「あのね、先生…」
「……後藤なぁ、その“先生”言うのやめてくれへん?」
「だって、先生じゃないですかぁ?」
「いや、確かにそうなんやけど…」
中澤が閉口した顔をして、そばにおいてあった孫の手でバリバリと頭を掻く。
237 名前:エピローグ・とりあえず、大団円? 投稿日:2002年10月24日(木)16時23分42秒
あれから、一年かけて日本中を走り回った中澤が、
それをエッセイとして出版して、2年が経とうとしていた。
そのエッセイがヒットして、今では“売れっ子作家”中澤裕子として、
地元のテレビや原稿のスケジュールに追われる毎日となっている。

本人は“美人”という肩書きが付いていないので、
あまり気に入ってはいない様だが…

仙人社も今まで勤めていたコネを利用して、執筆を依頼している。
その“美人作家”中澤裕子の担当として後藤が選ばれた。
238 名前:エピローグ・とりあえず、大団円? 投稿日:2002年10月24日(木)16時24分21秒
「先生ぇ〜」
「せやから、“先生”いうのやめぇ、言うとるやろ!!」
「だってぇ…」
後藤が、主人に怒られた飼い犬のように、しゅんとなって肩をすくめる。
いくら元先輩としても、今は担当として色々世話になっている、
後藤の困った顔を見ると、いつもの事ながら、中澤も何も言えなくなる。

「……あ”ーーーわかった、わかったから…なっ?
……はいはい、先生は何をすればいいんですかぁ〜?」
「一昨日まで、原稿上げて下さい。」
さっきの困った顔が一瞬にして消えて、感情のない仕事用の顔になる。

――こいつは…

「何とか頼み込んで、今日の23時まで延ばしてもらったんですよぉ〜
それまで印刷所に持って行かないと、原稿落ちちゃって、
後藤のボーナス無くなっちゃうんですよぉ〜
この間買った“DE ROSA”のローン、まだ残ってるんですからぁ…」

――素人がそないなごっついモン買うからや…
239 名前:エピローグ・とりあえず、大団円? 投稿日:2002年10月24日(木)16時24分51秒
「だから早く原稿上げて下さいよぉ…」
「…せやったら、なんか食いもん買うて来てくれるか?
その間に何とか進めとくわ。」
「はーい!!」
中澤から渡された5000円札を握り締め、勢いよくコンビニへ出かけた。
…と思っていた。

――さてと、邪魔者は居なくなったし…

“鬼の居ぬ間に…”ということで、中澤も“RAVANELLO”を持ち出し、
[Common House]へ向かった。
240 名前:エピローグ・とりあえず、大団円? 投稿日:2002年10月24日(木)16時25分26秒
「おばちゃーん、パンク…」
「おばちゃんじゃないでしょ!おねーちゃんでしょ!!」
「……おねーちゃん…パンク…」
矢口が店の前で、同じ身長の小学生を相手に、本気で怒鳴っている。

――矢口もごっつい事しとんねんなぁ…

あれから[Common House]も、
[SILVER CROW]の常連客にも知られるようになって、
順調に売上を伸ばして、最近飯田から買い戻すことが出来た。
後から聞いた話では、飯田はここの土地だけを買い取ったらしく、
返済は思ったより楽だったらしい。

矢口も、相変わらずここの居心地がいいのか、独立の資金がまだなのかは
判らないが、今は店長として、接客をメインにこの店全般を任されている。
「あっ、せんせー!!」
241 名前:エピローグ・とりあえず、大団円? 投稿日:2002年10月24日(木)16時25分58秒
――矢口も“先生”かい…

半ば呆れた顔をして、“RAVANELLO”を引きずりながら、
店の入口まで歩く。

「しばらくだねぇ…」
矢口が腰に手を当てて、中澤の顔を見上げる。
「仕事が忙しくてな…ちょぉ、逃げて来たんよ。あ、お父ちゃん居る?」
「うん、いるよぉ。お客さん来たから、まだ奥で話してると思うけど…」
「…お客さん?…ウチの知ってる人か?」
「うん。」

――…誰やろ?
242 名前:エピローグ・とりあえず、大団円? 投稿日:2002年10月24日(木)16時26分28秒
「あ、先生、早かったですねぇ〜原稿出来たんですかぁ〜?」

――うわ…

中澤が“常連の間”に顔を出すと、父親と談笑している後藤の姿が…
しかも笑っているのは顔だけで、目付きや言葉使いは思いっきり尖っている。

――矢口の奴、わざと名前言わんかったな…

「あ…いや……もうちょっと…」
それを聞いて、後藤の目付きがすぅーっ、と細く、鋭くなる。

「あの…“DE ROSA”のローンなんですけど…
この方が払ってくれるそうなんで…」
「そおか…ほな、名義変えとこか…」
「ちょ、ちょぉ待て。」
「じゃぁ、早く書いてください。」
「…だ…大丈夫やて……………………………………に…23時までやろ?」
一応、担当者に向かって言っているので、強がってはいるが、
その声が明らかにに震えているのが、自分でもわかる。
243 名前:エピローグ・とりあえず、大団円? 投稿日:2002年10月24日(木)16時27分03秒
「…本当に大丈夫なんですかぁ?」
「ウチが原稿落とした事あるかぁ?」
「あるっ!」

――速っ…

「…すんません。」
実際、中澤は締め切り前に原稿を上げた事は数えるほどしかなく、
いつも後藤がその尻拭いをさせられている。
そういった意味では、後藤に頭が上がらない。

「あ、そういや、課長から電話掛かって来たで。」
もちろん嘘なのだが、とりあえず後藤にこの場から離れて欲しかった。
「あっ!会議の事、すっかり忘れてたぁ〜」

――本当やったんか?
244 名前:エピローグ・とりあえず、大団円? 投稿日:2002年10月24日(木)16時27分39秒
「…久し振りやな?」
「せやなぁ……作家がこんなに忙しいモンだとは思わんかったわ…」
中澤が父親の向かいのソファに腰を降ろしながら、大きな溜息をつく。
「まぁ、仕事がある、っつーのは悪い事やないしな…」
「確かにそうなんやけど…」

「お父ちゃん…って、あれ、裕ちゃん来とったん?」
ソケットレンチで肩をたたきながら、作業場から顔を出した平家が、
中澤を見つけて声をかける。

「ちょぉ、欲しいもんがあってな…」
「矢口には言うたん?」
「矢口では無理やねん…あ、みっちゃんも座ってくれるか?」
「なんやねん?改まって…」
平家が不思議そうな顔をしながら、父の隣に座る。

「実は…乗りたい自転車があって…
“平家”のロードバイク、造ってもらえませんか?」
245 名前:エピローグ・とりあえず、大団円? 投稿日:2002年10月24日(木)16時28分11秒
中澤の言葉に、父と平家の身体が強張った。
「ちょ、ちょぉ裕ちゃん、何言うとるん?
それは無理やで。ウチかてバックオーダー抱えとるし…」

それを聞いて、中澤がバックパックから銀行の通帳と印鑑を取り出して、
父の前に差し出した。
「とりあえず、ここに5000万あります。
これで“平家”ブランドの工房を興して下さい。」

父もさすがにこの行動には、たじろいでしまった。
いくら、中澤が“売れっ子(美人)作家”でも、
5000万のお金を、右から左へ簡単に移せるほど、長者ではないはずだ。

差し出された通帳のくたびれ具合から見ても、
かなり前から貯めていた貯金だったのは容易に想像できた。
それを、現役を引退して何年にもなる職人に預けようとしているのだ。
246 名前:エピローグ・とりあえず、大団円? 投稿日:2002年10月24日(木)16時28分42秒
「そんなん…裕子にそこまでしてもらう義理無いわ…」
「当たり前やん。もちろん、ただでスポンサーになる訳やないで。
株式会社にして、株を全部ウチの名義にすれば…立派なビジネスやろ?」
「確かにせやけど…」
父が言葉を濁す。

「……お父ちゃん、自転車嫌いになったんか?」
「んなわけないやろ…」
それを聞いて、うっすらと口元に笑みを浮かべながら父親に言い返した。
「“やりたい事やったらええ”言うたのはお父ちゃんやろ?
“平家”のロードバイク乗るのも、ウチの夢やねん。」
「……………」

――あの時言った事を、ここで使うんか…

「ウチも賛成やな。
裕ちゃんだけやのうて、お父ちゃんの自転車欲しがっとる人、結構おんねんで。
それに、ここでゴロゴロしとるより、働いてもろた方がええしな。」

――みちよもかい…
247 名前:エピローグ・とりあえず、大団円? 投稿日:2002年10月24日(木)16時29分21秒
「圭ちゃんも欲しがっとったし…確か、よっしーが働いとった社長さんも、
お父ちゃんの自転車持っとったし、たまに“平家”の自転車、
オーダーしに来る人も居るし…」
「それに、最近はクロモリのフレームも見直されて来とるしなぁ…」
「場所とか決めたん?」
「そういうのは、まだこれからやけどな。」
「なっちやったら、ええ不動産屋知っとるかもしれへんで。
内装もあそこに頼んだら、まけてもらえると思うし…」
「あぁ、せやなぁ…今度、連絡してみるわ。」
「……………」
本人の意思とは無関係に、畳み掛けるように二人の娘が勝手に話を進めて、
いつの間にか追い詰められていくような感覚に陥ってしまう。

娘達の考えはともかく、
少なくとも時代遅れと思っていた“平家”ブランドの自転車が、
今の時代の人間にも認めてもらっている事は、正直嬉しかった。
しかし、即答はしたくない。
取り敢えずは、父親としての威厳を保っておきたかった。

「お父ちゃん…」
父親の顔を覗き込む、中澤の不安そうな顔と甘えるような声。
248 名前:エピローグ・とりあえず、大団円? 投稿日:2002年10月24日(木)16時29分57秒
わざと腕組みをして、暫く考え込んでいた父が重い口を開いた。
「…何年掛かるか判らんで。」

へそ曲がりの承諾だった。
それを聞いて、二人の顔がぱぁっ、と明るくなる。

父がどんなに渋い顔をしていても、その返事が、
どれだけ嬉しそうなものだったか、二人の娘に完全に見抜かれていた。

「もちろんかまへんよ。
ウチも納得いかんモンやったら、ナンボでも造り直させるからな。」
言葉は悪態をついているが、中澤の声はいつになく弾んでいる。
249 名前:エピローグ・とりあえず、大団円? 投稿日:2002年10月24日(木)16時30分31秒
二人の会話から一歩離れて、平家が頬杖をつきながら、笑顔の中澤を見ていた。

――裕ちゃんも、やっと落ち着いたようやな…

父親とはしゃいだ声で話をしている中澤の顔は、
昔、3人が一緒に暮らしていた頃の顔に戻っていた。
250 名前:エピローグ・とりあえず、大団円? 投稿日:2002年10月24日(木)16時31分11秒
半年後
父親の自転車工房が建ち上がり、中澤のロードバイクが出来上がったが、
それは……また別の話、ということで……
251 名前:Strong Four 投稿日:2002年10月24日(木)16時31分44秒
人力二輪工房 [Common House]・FINE
252 名前:あとがき(と言い訳)@作者 投稿日:2002年10月24日(木)16時32分26秒
“たかが自転車”
“されど自転車”

「クォーツの時計は正確で便利だけど、電池なんかに自分の時間を作って欲しくないから、クロノグラフを着けている。」
こんなコピーのCMがありました。(確か、タバコのラジオCMだったような…)

みなさんは、初めて自転車に乗った日のことを覚えていますか?
補助輪を外してもらって、膝や肘を擦り剥いて、泣きそうになりながら、やっと自分の力だけで自転車を漕いだ瞬間を覚えていますか?
そして、徒歩でしか移動できなかった自分が、自転車という名の“魔法使いのほうき”を手に入れて、自分の中の世界が広がって、団地の外や、見たこともない場所へ行った時の事を覚えていますか?
253 名前:あとがき(と言い訳)@作者 投稿日:2002年10月24日(木)16時33分01秒
それが、手紙からFAXやメールに変わるように、大人になってバイクや車を手に入れてから、自転車は頭の片隅に追いやられて、ノスタルジックな記憶しかない人もいると思います。

しかし、車はエンジンとガソリンで動いても、自転車は人間が跨ってペダルを踏まないと前には進まない。
ディスカウントショップで売られている一万円もしない自転車も、プロのレーサーが使っているような最高級の自転車も、動かそうという意思とその行動がなければ動かない…
そういった意味では、いつも自分の意志で行動したい人のためのモノなんでしょうね。
254 名前:あとがき(と言い訳)@作者 投稿日:2002年10月24日(木)16時33分35秒
だからこそ、今は、純粋に自転車を愉しむことが出来るのではないでしょうか?
自分の意志さえあればなんとかなる…そんなアナログな世界だからこそ愉しめるのではないでしょうか?

“だから自転車”
最近そう思えるようになりました。
255 名前:あとがき(と言い訳)@作者 投稿日:2002年10月24日(木)16時34分10秒
考えるだけではあまり判らないと思いますが、本当に自転車は楽しいものです。
とりあえず、知り合いから借りてもいいですし、もちろんママチャリでもいいです。移動のためではなく、散歩のような感覚で、自転車に乗ってみて下さい。
周りの風景を見ながら、へらへらっと自転車を漕いでみてください。
駐車場がなくて、行った事はないけど気になっている店を覗いてみたり、近くの公園や河川敷に昼寝をしに行ってみてもいいでしょう。
(因みに友人は商店街の惣菜屋めぐりにはまっています。)
そんな事をしてもあまり楽しくないし、何も変わらないという人もいるかもしれませんが、ただ言える事は、その日の晩御飯とビールは絶対に美味しいと思いますよ。
256 名前:あとがき(と言い訳)@作者 投稿日:2002年10月24日(木)16時34分41秒
ぶっちゃけた話、この小説は消化不良なんですよね。
MTBの話は殆どなかったし、吉澤が“House”のロードバイクを買った後に、みんなでレースに参加して、平家と中澤と矢口と飯田の実力を出そうかと考えたけど、話が纏らなくてお蔵入りになったり(レース中に矢口が転倒してその時平家は…とか、って事まで考えたんだけど…)…
すべての原因は保田…じゃなかった…私の能力のなさです。
257 名前:あとがき(と言い訳)@作者 投稿日:2002年10月24日(木)16時35分11秒
こんな薄っぺらでマニアックな、点と線の羅列としか言えないようなものにお付き合い頂いて、本当に有難うございます。
ここまで読んで頂いた皆さんは、できれば、[Common House]の周りで頑張っている、可愛い娘達を誉めてやって下さい。

そして、自分にもっとチカラが付いたときには、「矢口自転車店」でも開店させてみようかと妄想を抱きつつ…
258 名前:名無し読者 投稿日:2002年10月24日(木)23時12分33秒
お疲れ様でした。
最高です。自転車と家族の織り成す物語が良かったです。

>>半年後
父親の自転車工房が建ち上がり、中澤のロードバイクが出来上がったが、
それは……また別の話、ということで……

番外編?楽しみに待ってます。(w
259 名前:名無し読者 投稿日:2002年10月25日(金)01時04分05秒
完結お疲れ様です。
この小説にリアルタイムで出会えて良かったです。
作者さんの書く「カッケー」娘。達が大好きでした。何回も泣かされました(w

「矢口自転車店」の開店をお待ちしてます(w
260 名前:名無し読者 投稿日:2002年11月05日(火)01時50分41秒
娘。×自転車 小説でココまで楽しく読ませてもらえるとは・・。

ちなみに私は元メッセンジャーでSUNN乗りのよしごまヲタで。
(↑コレ、ホントに。知ってるヒトが読んだらバレバレだな・・)
なので前スレでごまがSUNNを選んだ時、よっすぃーが仕事してる場面は
目眩がする程嬉しかった〜。

最近山遊びしてなかったんだけど、また行きたくなって来たなー。
あーうずうずする・・。


261 名前:Strong Four 投稿日:2002年11月22日(金)17時20分43秒
いやはや・・・
久しぶりにpcに触ることができました。
返事に遅れて申し訳ないです。
ヘッドライン落ちする前にレスしたかったんですが・・・

最後にもレスいただいてありがとうございます。
このレスをする前に桃板に行ってみたら、この小説って、蟹の話だと思っていた人がいたようですね。マジ笑いしちゃいました。やっぱりタイトルって大事ですね。

現在はこの話のレースモノを考えています。
最初は父親の工房が出来上がった後の話として考えましたが、このままの設定では姐さんが40近くになっているので、別物の話で考えてます。(もう一人の自分が“予告していいのか?”と言ってますが・・・無視無視)

それとはまた別に「矢口自転車店」の話は、5期、6期メンの個性が理解できたら一般車をネタに考えようかと思っているので、当分先になると思います。
262 名前:Strong Four 投稿日:2002年11月22日(金)17時21分17秒
最後のレスいただいた方、“SUNN”に乗ってメッセンジャーをやっていたんですか。
車種とかもうちょっと聞きたかったですね。
今だから書けますが、後藤を“SUNN”に乗せたのはどこかで書いた“SUNNだからみっつでみっちゃん”というみちごまテイストを出したかったというだけの単純なものです。
吉澤をメッセンジャーにしたのは、身長が市販品のロード系でも大丈夫だと思ってあのような設定にしたんですが、今考えると逆のほうがよかったかなぁ、と思っています。(“後の祭り”ってこういうことなんだなぁ・・・)
山遊びは、雪が降らない地域ではこれからがシーズンですからね。・・・ってうちのほうも雪が降るまでの短い間ですから、しっかり遊んでおかないと・・・

では、どこぞの小説で・・・
263 名前:名無し読者 投稿日:2002年11月26日(火)11時26分00秒
楽しく読ませていただきました。
まったく知らない世界の話でしたが、一気に読みました。

次作を書き始めたら倉庫逝きになる前に、ここで予告してください。
そのときを楽しみに待ってます。
264 名前:名無し読者 投稿日:2003年01月02日(木)05時13分13秒
一気に読ませてもらいました。
やーすげー楽しかったっス!
ありがとう。
265 名前:Strong Four 投稿日:2003年01月13日(月)17時36分37秒
>>263
レスありがとうございます。
えー、申し訳ないんですが、レースネタのほうが行き詰ってまして・・・
スレも余ってるし、年末年始の暇つぶしで思いついた短編を書き込もうかと思います。
(今回もかなりマニアック・・・っつーか好きな人いるかな?)
オチがまだ決まって無いので更新は遅くなりますが、(目尻を引っ張って)ながーい目で見てください。

>>264
レスありがとうございます。
もう私が見ないかもしれないのにレスいただいて本当にうれしいです。
ここに来たついでにもう一つ楽しんでってください。

266 名前:これがタイトルです。@Strong Four 投稿日:2003年01月13日(月)17時39分36秒
Wolves in sheep’s clothing
267 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年01月13日(月)17時41分03秒
一瞬だけヘッドライトが照らし出した“それ”を、彼は見逃さなかった。

銀色に輝く車体を…
細長く流れるテールランプを…

そして、誰もが憧れるエンブレムを…
268 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年01月13日(月)17時43分09秒
「う〜さぶっ…」

ニット帽とスエットの上下という格好の中澤が、珍しく自転車なしで[Common House]にやってきた。

「あ、いらっしゃ〜い。」
「今日は冷えるなぁ…」
そんな背中を丸めて“常連の間”に入ってくる中澤にいつもと違う感じを覚えた。

いつも着用しているヘルメットがない。

「あれ?今日は自転車じゃないの?」
自分と平家の分のお茶を持ってきた矢口が小首を傾げながら中澤に尋ねる。

「あぁ、今日は走ってきた。」
矢口がさらに首を傾げる。
よほどの事でもない限り、必ず自転車で来る中澤が今日はこの店まで走って来たという。
269 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年01月13日(月)17時44分33秒
中澤の向かいに座っている平家が、矢口の持ってきたマグカップに入ったお茶をすすりながら、視線を中澤に向けた。
「…もう始めとんのか?」
「うん。早過ぎる事はないし、それにアレは積み重ねみたいなモンやから…」

「裕ちゃん、マラソン大っ嫌いやったのにな…」
「みっちゃんもやったらええやん?」
「ウチはあかん。自転車だけで充分や。」

「そういや、ラジオで来週雪降る言うとったで。」
「そっかぁ…せやったら、あっちの方も終りやなぁ…」

軽い溜息とともに、中澤と平家が視線を宙に泳がせる。
270 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年01月13日(月)17時46分43秒
「お父ちゃん?」
“常連の間”に顔を出した帰り、中澤と平家の父が[Common House]から数100m離れた所で“平家”ブランドの自転車工房を興している作業場に中澤が尋ねてきた。
さすがに溶接をメインに作業しているだけあって、暖房を点けていない晩秋の夜にも関わらず、作業場はほんのりと暖かい。
「うわ…」
中澤の遠視用の眼鏡が一気に曇る。
271 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年01月13日(月)17時50分12秒
「おっ、どないしてん?」
外の冷気に気がつき、ついさっきまで溶接の明るい光を放っていたであろう作業場から顔を出して、眼鏡の前でパタパタと手の平を振って風を送っている中澤を迎え入れた。
「うん…来週、雪降るらしいんやて…」
「そかぁ…峠に行くんも、今年は終わりかぁ…」
「……ほんでな…」
「あかん。」
目を保護するゴーグルをかけたまま、父がはき捨てるように中澤の言葉を潰した。
272 名前:Strong Four 投稿日:2003年01月13日(月)17時51分45秒
すいません。
話が続かないところが見つかったので今回はここまでにします。
273 名前:名無し読者 投稿日:2003年01月14日(火)02時07分21秒
復活ありがとうございます。
わくわくしてきました(w
274 名前:隠れ読者 投稿日:2003年01月15日(水)17時28分57秒
待ってました。
中澤さんは何をしようとしてるのですかね(w
275 名前:ギャンタンク 投稿日:2003年01月16日(木)01時18分13秒
更新とてもうれしいです。
今後も楽しみにしております。
276 名前:Strong Four 投稿日:2003年01月19日(日)17時52分58秒
>>273
いえいえ。このスレはもう終わらせようかと思ったんですが、
もったいないと思ったんで・・・
貧乏性なんでしょうね。

>>274
えー・・・
別のネタを考えていたので、ちょっとネタ振りっぽく書いてみました。
あまり深く考えないで下さい。

>>275
「ごま平」のスレでよく見させてもらってましたよ。
この小説を見てもらっているとは思ってませんでした。
(他のお二人も含めて)楽しみにして頂くのは有難いんですが、
皆さんがついて行けるかどうかわかりません・・・
車の小説というのは何回か見てますが、この手のものは見たことがないので・・・
なるべく細かく書こうとは思ってますので、今後とも御贔屓にお願いします。
277 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年01月19日(日)17時55分01秒
「あかん、て…まだ言うてへんやん。」
「言わんでも判るっちゅーねん。どおせ、栗音峠行きたいから車貸せ言うねやろ?」
ゴーグルを外した父親の白い目が中澤に突き刺さる。
しかしその白い目に怯んでしまっては、中澤がここに来た意味がない。
「さっすがお父ちゃん、娘の事ようわかっとるなぁ…」
厳しい目付きをヘラヘラとした声でするりとかわそうとするが、父も申し訳程度の威厳を出そうとする。
「みちよのナビでええやろ。」
「そんなんおもろないって…」
「せやったら自転車で行け。」
「こないなクソ寒い中、あんなトコまで自転車でいける訳ないやろ?」
「文句言うんやったら行くな!」
中澤に背中を向け、途中で止まっていた作業を続ける。
278 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年01月19日(日)17時56分27秒
「別にええやん?車の1台や2台や3台位…」
中澤も負けじと父親に食らいつく。
「あかんあかん。みちよはともかく、裕子には絶対貸さん。」
すでに父親は中澤の声を聞こうともせず、手首だけで拒絶し始めた。
279 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年01月19日(日)17時57分24秒
「なんでぇ?」
「お前に貸すと、必ずどっか壊して帰ってくるやろ?」

――うっ…

「ろくすっぽアイドリングせぇへんし…」

――うっ……

「久し振りに乗ったら、マルニのクラッチごっつ減っとったで。それもおまえやろ?」

――うっ………

「この間もコルチナでカメノコやったみたいやし…」
「……知っとったん?」
「それくらい判るわ!ハンドル思いっきりブレとったわっ!!」
280 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年01月19日(日)17時59分11秒
「…え、ええやん……今回で最後かも知れんし…来年は長崎か宮古島行くし…」
「長崎も宮古島も来年の話やろ!?何の関係があんねんっ!!?」
大声を出して中澤の方を振り向くと、そこには俯いて涙を拭っている(ような格好をしている)中澤の姿が。
「……せ、せやかて…最後かも…」
中澤が肩を震わせ、言葉が泣き声に変わっていく。

――うわ…

たとえ娘が(ここの設定で)40近くなっていても、自分より収入が多くても、父親は娘の涙に敵うものはないだろう。
281 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年01月19日(日)17時59分58秒
「………お母ちゃん…」
連れ子だった中澤が、血の繋がっていない父親に対する必殺の一言。
たかが車を貸すか貸さないだけで、親子の関係まで引き合いに出されたらたまったものではない。
それだけならともかく、もう一人の娘の事まで引っ張り出しかねない中澤に、情けないと思いつつも、泣きじゃくって背中を丸めている娘に何も出来ずにオロオロしてしまう親バカな父、っつーかバカな親。
往々にして、父親の威厳というのはその程度のものだ。
282 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年01月19日(日)18時01分12秒
「わ、判った…判ったから…なっ、使うてええから。何使いたいん?」
「……ハコ。」
「う、うん。判った…ナンボでも使うてええから…あ、それからコルチナはブレーキバラしとるから使うたらいかんで。」
「……うん。」
「……あっ、それからなぁ…あれ?裕子?」
中澤にほんの数秒だけ背中を向け、父がもう一度振り向いたときにはすでに中澤の姿はなかった。

――お父ちゃんにはまだ使えんねやなぁ…

中澤が子供の頃に多用していたウソ泣きのテクニックを思い出しながら、数キロはなれた自宅の岐路についていた。
283 名前:Strong Four 投稿日:2003年01月19日(日)18時06分45秒
今回も短いですが、キリのいいところなので今日はここまでにしておきます。

次回以降の更新は専門用語がかなり出てきます。
私も資料をひっくり返して書いていますので、更新は遅くなると思いますので、
ゆっくりお待ちください。
284 名前:ギャンタンク 投稿日:2003年01月23日(木)01時47分05秒
泣き真似上手の演技派な姐さんイイ!
まったり更新お待ちしております。
285 名前:Strong Four 投稿日:2003年02月01日(土)16時52分52秒
>>284
レスありがとうございます。
从#~∀~#从<目的のためには手段を選ばへんねん・・・

本当の姐さんもそういうところは上手そうですよね。

さて、今回も更新となりますが、まだオチが出来上がっていません・・・
(自分の実力もそうですが、それ以上に“サカ○く”の誘惑が・・・)
皆さんに甘えてゆっくり更新となりますが、とりあえずは出来上がっているところまで・・・
286 名前: Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年02月01日(土)16時54分52秒
翌日の21:00
平家が店の裏庭にある店よりも幅の広い、3つに分かれているシャッターの一つを開けた。

――うわぁ…

そのガレージの中を覗き込んだ矢口から、軽い感動の表情と白い息が漏れる。
平家が点けた蛍光灯に照らされた中には、鈍く反射する3台の車が静かに眠っていた。
ガレージの中に眠っている3台の車を矢口が見て、クククっ、っと肩を震わせながら笑う。
「お父さんって通だねぇ…」
その一言に、中澤が横に立っている矢口の顔を覗き込む。
「なんや、矢口はこの車の意味判るんか?」
「“狼”でしょ?真ん中の車はヨーロッパじゃなくって、フォードの方だから…」
「そうそう。」
「しかも一番手前のは…」
「ハードトップはホンマモンのスポーツカーやからこっち買うた、言うとったからなぁ…」
287 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年02月01日(土)16時56分08秒
そう言いながら手前の銀色の車に歩みより、乾いた金属音を立ててドアを開け、ドライバーズシートに身体を滑り込ませる。
旧車乗りが最も緊張する瞬間、“儀式”と言われるエンジン始動の作業が始まった。
(電気系の弱い車はこれを失敗するだけでバッテリーがなくなる場合があるんです…)
キーを捻る。
イグニッションスイッチが“ON”になり、コツコツと規則正しいガソリンポンプの音が中澤の耳に届いた。

――今日は機嫌ええみたいやな。

その音を確認して、3・4回アクセルを踏み、キャブレターにガソリンを送り込む。

――さぁ、モーニングコールやで。

更にアクセルを半分ほど踏み込み、キーを更に捻る。
この時代の車になると特有のクセがあり、このときのスロットルの踏み具合で、エンジンが掛からないときがある。

Kyukyukyu………
………Bu

――いけっ!!
288 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年02月01日(土)16時57分51秒
………Bu…Bruruann!!!

6本のプラグに火が入り、下腹から響く豪快な爆音とともに車が目を覚ました。

Bo Bo Bo Bo Bo Bo………

――相変わらずええコやなぁ…

中澤の緊張が解け、無意識に口元が緩む。

Bvabow!…vabo!!

「……………!!」
平家が助手席のウインドーを叩きながら、なにやら騒いでいた。
「え?」
「………………!!!」
アイドリング音で平家の声が聞こえない。
身体を助手席側に倒し、窓を開けた。
289 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年02月01日(土)17時00分01秒
「どないしたん?」
「近所迷惑やから、エンジン回さんといて!!」

Bvabo!…vabo!!

「アクセル吹かすな、っつーてんねんっ!!」
「まだ9時やろ?大丈夫やて。」
「瀬戸物屋のばーさんはもう寝とんねんっ!後で何言われるか判らへんでっ!!」
「せやったらどないして車出すん?」
「吹かさんでも車は出るやろ!?」

――せっかくええ音出しとるのに……なぁ?

軽く舌打ちをしながら、ギアを1速に入れ、ゆっくりとクラッチを離す。
車のほうは目が覚めて間もないためか、まだ反応が悪いようで、ピクピクとタコメーターの針をふらつかせながらのっそりとガレージから出てくると、ただでさえ厳つい銀色の角張ったソリッドラインのボディに、蒼白い街の明かりと夜のダークブルーが施され、更に妖しい生き物に変化していった。
290 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年02月01日(土)17時01分51秒
「やっぱりいいよねぇ…矢口も車買おっかなぁ…」
中澤の乗っている車のアイドリング音を聞きながら、独り言を呟く。
「なんや、なんか欲しい車でもあるんか?」
平家がその言葉に食いついたが、それが誰にも付いていけない、もう一つの矢口の顔を知ることとなる。
「うん。最近はアルピーヌのA110がいいなぁ、って…」

――何処にA110買えるだけの金あんねん?

「ほら、カーグラのオープニングで白いA110映ってたでしょ?後ろ走ってたフェラーリの328よりもかっこよかったもんねぇ…」
291 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年02月01日(土)17時05分38秒
――アレだけ見て、“328”って判るんか?

「エンスーやな…」
…因みに作者は“308”だと思っていました。
「でも、旧い仏車ってパーツがないらしくてねぇ…数千円のパーツ注文するのに半年掛かるらしいし、この辺はフランス車の専門店ないみたいだし…」
フランスの国民性のためか、当時は車にも合理主義な部分が見え隠れしていて、パーツを外すためだけの専用工具が必要な場合もあるらしい。
話によると、同じモデルのマイナーチェンジ前後で、パーツに互換性がなくなる車種もある。
近所に専門ショップがないということは、それだけで快適な仏車オーナーのハンデになりかねない。
292 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年02月01日(土)17時06分48秒
「せやなぁ、旧車は金より環境の方が大事やしな。」
「うん。だから今はミニカーのA110で我慢してるんだけど…この間ネットオークションでジャガーの“C Type”のミニカーもあったし、Bowさんが乗っているトライアンフの“TR3”もあってさぁ…こんなのもあったんだぁ、って思っちゃって…あ、それから…」
「……………」
目の前で普通の人間がついていけない話を熱く語っている矢口の横で、平家が話半分で聞き流している。中味は殆ど聞き取れていないようだ。

――こいつエンスーやない。オタクや…

中澤はそんな二人のやりとりはお構いなしに、低音が響くアイドリング音を聞きながら一人悦に入っていた。
293 名前:Strong Four 投稿日:2003年02月01日(土)17時21分39秒
というわけで、更新終了させて頂きます。

競馬好きで、古い自転車選手に詳しくて、エンスーで・・・
なんか、どんどん矢口の個性が崩れていってしまうんですけど、おやじギャル矢口のイメージが強いのかなぁ・・・

ストックなくなってきたので次回更新は約束できませんが、何とかがんばってみます。

・・・って不二田っ!!そんなトコでレッドカードくらってんじゃねーよっっ!!!
294 名前:名無し読者 投稿日:2003年02月03日(月)22時45分36秒
面白そうですねえ。車好きなんで期待してます。
それにしても久しぶりにエンスーという言葉を目にしました。
たしかこの言葉を最初に使ったのはナベゾ画伯だったかな?
295 名前:ギャンタンク 投稿日:2003年02月13日(木)03時00分17秒
私も味のある車好きなので期待してます。
296 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年02月14日(金)18時25分52秒
Bruaaaa――――…………
Caoooooo――――…………

下腹に響くベース音のような重厚な低音と、プロペラ飛行機を思わせる甲高いエグゾーストノートが、二つ重なって夜の栗音峠に溶けていった。
その漆黒の闇の中に浮かぶ二つの光の塊。
シルバーメタリックの“SKYLINE GT−R 4Dr(PCG−10)”と白にライトブルーのラインが入った“BMW 2002 Turbo”
1台は4気筒エンジンが入るエンジンルームを伸ばし、そこにレーシングカー(R380)のパワーユニット“GR−8”をデチューンした6気筒エンジン“S20”を詰め込んだ日産唯一の4ドアGT−R。
297 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年02月14日(金)18時27分53秒
そしてもう1台は、本来セダンとして開発されたミケロッティデザインのシンプルな車体に、量産車初のKKK製ターボチャージャーを組み込み、前後スポイラーとオーバーフェンダー(本国仕様はビス止め。日本はそこをパテ埋めしている。当時の運輸省ってセンスないよねぇ…)で武装したジャジャ馬仕様となっている。
ガレージで入院中の“FORD CORTINA LOTUS”も、何処にでもありそうな小型セダンに、ロータスツインカム(C.チャップマンがフォードエンジンを弄った、とも聞きましたがうろ覚えです)とサスペンションを移植した、こちらもイギリスの“羊の皮を被った狼”。
298 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年02月14日(金)18時28分26秒
Bo Bo Bo Bo Bo………

中澤と平家が白い息を吐きながら、それぞれの運転席から体を出す。
「…誰も居らんのか?」
「珍しいな…」
思わず拍子抜けしたような声が二人の口から漏れる。
さすがに休日前には車好きの集まる中腹のドライブインも、雪が降るかもしれない平日の夜はさすがに誰もいなかった。
水銀灯がぼんやりと駐車場を照らしているなかで、シリンダー一つ一つの爆発音が数えられるような、旧車特有のあまり安定していないアイドリングの音と、シャカシャカと掠れたようなキャブレターの運動音を聞きながら、何かを待っているように半円の月の光を眺めてぼんやりと立っていた。
ふと思い出しように、平家が助手席から鶉の茹で卵と味塩のびんを車から持ってきて、中澤の前に差し出した。
299 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年02月14日(金)18時29分19秒
「裕ちゃん、これ、食べとかな…」
「あぁ、せやな。」
卵の殻を剥し、塩をつけて食べるという、自転車でも車でも、競走をする前の二人にだけの儀式。
白と黒(勝ちと負け)がモザイク状に混ざった所から、白い中身だけを体の中に取り入れ、塩で体内の邪気を取り払う。
二人が子供のときにロードレースに参加して、たまたまお腹が空いたときに鶉の卵があったので、それを食べたときに好成績を収めていたのがきっかけだったが、そのたびにこの縁起かつぎをしている。
300 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年02月14日(金)18時30分04秒
「……んれ、はいひんはひゃいヤツはひっとるん?」
「噂じゃ、黒い“FC”が結構いい腕持っとるらしいんやけど…」

Fu…………n…n………

――!!?

漆黒の闇の遥か彼方から聞こえてくる、ロータリーエンジン特有のエギゾーストノート。
音からして、エンジンを高回転域で回していることと、マフラーを取り替えたと思われる。
この峠によく走りに来ている一人だろう。
「アレか?」
「せやろな…」
「……いこか?」
「せやな。」
301 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年02月14日(金)18時30分38秒
――オイルは?…暖まっとる。

――水温は?…問題なし。

中澤が右足でスロットルを軽く叩く。

Vown!!……

――タコメーターも敏感やね。

――ソレックスもええ音出しとる。

――視界は?…良好。

平家がギアを1速に入れ、ゆっくりと車を動かす。

――ハンドル重っ!!
302 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年02月14日(金)18時31分19秒
高回転域の独特なロータリーサウンドを奏でる光の塊が、駐車場の横を駆け抜けていった。
その直後、リアタイヤからスキール音と軽い白煙を上げながら“BMW 2002 Turbo”が平家に操られ、県道の峠道に飛び出していく。
さらに中澤が駆る“PCG−10”も、軽くテールを滑らせながら前の二台について行く。
そしてその数秒後、3つの異なるサウンドがセッションを始めたかのように一つに重なった。
303 名前:Strong Four 投稿日:2003年02月14日(金)18時45分19秒
>>294
レスありがとうございます。
ナベゾ画伯の存在は知りませんでした・・・
ネットで調べてみると、エンスーという言葉はこの方が生みの親のようですね。
私は“沢木”というカフェバーのマスターが出てくる漫画で知りました。
車の擬音もアレを参考にしています。
>>295
レスありがとうございます。
かなり濃い雑誌を愛読しているようですね。
何か旧い車のオーナーなんでしょうか?
ちょっと食いついてみたいですね。

さて、この小説同様、ストックのほうも自転車操業でやっています。
それどころか、オチがまだ決まっていません。
何とかなるとは思いますが、次回ageる間で待っていてください。
304 名前:名無し読者 投稿日:2003年02月27日(木)01時00分35秒
まだかな、まだかな?
305 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年02月28日(金)17時44分55秒
栗音峠で走っている“FC”のドライバーは22歳。
彼は車以外にこれといった趣味はなく、軽自動車を乗りながら、漫画で憧れていた個体を中古で手に入れ、生活費を切り詰めながら、“FC”を少しづつモディファイしていった。
この峠に顔を出し始めてから約2年、改造による車本体の性能とともに彼のテクニックも鍛えられ、栗音峠に来ている走り屋の中ではトップクラスの速さに成長し、ここでは名の知れたドライバーになっていた。
たまに他の峠をメインに走っている連中も、噂を聞きつけて彼にレースを仕掛けて来ることもあったが、余程の事がない限り、彼の“FC”が勝っている。

その“FC”の室内が明るくなり、ルームミラーが後続車の存在を知らせた。

――!?
306 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年02月28日(金)17時45分31秒
「…さっき、ドライブインを出たやつだな。」
ヘッドライトの明るさで、車の種類は確認出来ない。
男が運転席のウインドウを開けると、聞き慣れた自分の車の風切音と、聞き慣れない甲高いエギゾーストノートが耳に入ってきた。

――ゾク車?

そのエギゾーストノートだけで、後ろの車をパワーだけの大型セダンと判断した。
彼の想像するような、脚回りにあまり手を入れていないVIP系の大型車なら、細かいワインディングで簡単に引き離せると頭の中で判断した。
しかし、その思惑は簡単に覆される。
いくつかコーナーをクリアしたが、光の塊は小さくなるどころか、少しづつ大きくなっていった。しかもタイヤとアスファルトが擦れるスキール音は全く聞こえなかった。
307 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年02月28日(金)17時46分25秒
――エキパイに穴開てんのかぁ?

Cwuoooo……
Kyueeee……

長い直線で、ただでさえ甲高いエギゾーストノートに、戦闘機の風切音のような音が重なり、ルームミラーに映った光が一気に大きくなる。

――!!?

彼の“FC”は、加速やコーナリング重視でセッティングしているが、普通の車に比べて最高速も決して引けを取らないエンジンになっている。
それにもかかわらず、峠の中のちょっとした直線で一気に差を詰められるとは思っていなかった。
まるで“今まで手を抜いてました”と言いたげな加速。
男がチラっとメーターを見る。
この場所ならそんなに遅くはない回転数とスピードだった。自分の調子が悪いわけではなさそうだ。

308 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年02月28日(金)17時47分17秒
コーナー毎に詰め寄られる距離と、直線で一気に後ろに貼りついてきた加速。

――なんなんだ、あの車は?

後ろからヘッドライトを浴び、自分の知らないモノに対する恐怖と焦り。
手の平が汗ばみ、身体中からは、ぶわっと気持ち悪い汗が噴き出す。
その嫌悪感が集中力を途切れさせ、コーナー侵入口のブレーキングを一瞬遅らせてしまった。

――やべっ!

“FC”の回転数が落ち、オーバーステア気味にコーナーに進入。
その瞬間、ルームミラーに見えていた後ろの光の塊が、右のドアミラーに移動し、“FC”の内側にノーズを突っ込まれ、腰高の白い車体が彼の横をすり抜けて行く。
309 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年02月28日(金)17時47分52秒
男がグラついた車体にカウンターをあて、体勢を立て直した時にヘッドライトが映し出したものは、弁当箱型のテールランプと、丸に十字を切った白と水色のエンブレム。

――BMW…ターボ?

トランクフードの左側に付いている“turbo”のエンブレムの意味は、最近の加吸気しか知らない22歳の男には、単なる飾りにしか見えないだろう。


「さて、前に何も居らんようになったし…」
平家がアクセルペダルを全開に踏み込みながら、チラッとインパネに視線を移した。
その視界の中で、タコメーターの針に遅れてブースト計の目盛りが少しづつ盛り上がっていく。

Cwuoooo……
Kyueeeeeee……

――さぁ、また来るでぇ…
310 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年02月28日(金)17時48分44秒
Don!!

音は聞こえなかったが、敢えて擬音を使えばこの様な表現が一番適切だろう。
カタパルトに乗った戦闘機がストッパーを外され、一気に離陸できるスピードまで加速するように、平家の“BMW”を解き放った。

――!!!

通称“どっかんターボ”。
世界最初の量産型ターボ車は、ブースト圧によって加速が変わり、その圧力にまで行くと、車の後部をハンマーで殴られたような加速はおろか、相手の戦闘意欲さえも叩き切るほどのダメージを与える。
そのパワーと加速を見せつけられ、ポルシェが本気になったとか、加吸気の進歩が10年早まったとも言われている。(この車がなかったら、“930ターボ”は誕生しなかった、との噂もありました)
おかげで標識に9%勾配と記されているにも関わらず、“FC”のヘッドライトから一瞬にして、1t以上ある白い車体が消え、男の視界には少しづつ小さくなっていくテールランプしか見えなくなってしまった。
311 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年02月28日(金)17時49分18秒
それでも“FC”の室内の明るさは消えていなかった。

――まだいるのか?

さっきの平家の“BMW”のように中澤の“PCG−10”も、すぐ後ろにくっついて来ていた。
312 名前:Strong Four 投稿日:2003年02月28日(金)18時04分36秒
というわけで今回更新分です。
って、短っ!!

>>304
申し訳ないです。
今回の小説はまだ頭の中でも完結していないので、次回以降もこれ位(月/1〜2回更新)のペースになると思います。

そういえば、2ちゃんの自転車板で後藤のスレがありました。(これはdat落ちらしい・・・)
次スレが鳩板に移動してるし・・・↓
ttp://tv.2ch.net/test/read.cgi/zurui/1046277965/
って、前スレにここの小説リンクされてるしっ!
・・・あ、いや、うれしいんですけどね。
313 名前:ギャンタンク 投稿日:2003年03月01日(土)01時37分59秒
更新キター!
続きまったり待ってます。
314 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年03月15日(土)17時01分01秒
「うーん…どないしよ…」
手の平でシフトレバーを転がしながら、もう一台の後続車を操っている中澤が“FC”の動きを監察していた。

たとえこの車に“R”の冠が付いていても、レーシングカーのエンジンが乗っていても、そのエンジンにシリンダーが6つあっても、ソレックスキャブが3つ付いていても、こちらは30年以上前の乗用車。
それだけではなく、当時のバイアスタイヤ(ヒビが入ったような溝のタイヤ)に比べ、現在のグリップのいいタイヤを履くと、力が逃げずにミッションやデフ等の駆動系に負担が掛かってしまう。
315 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年03月15日(土)17時01分52秒
「お父ちゃんに無理するな言われたしなぁ…」
そんな独り言を呟きながらも、コーナーのきつい栗音峠はむしろ不得手な“PCG−10”が目の前の黒い障害物にピタリとくっついていた。

――次はなんなんだよ…

「とりあえず、このままっつーのはいかんよなぁ…」
ルームミラーを見る男の気持ちを知ってか知らずか、怪訝そうに眉をひそめながら、中澤の頭がクルージングモードからレーシングモードに切り替わる。
それにシンクロするように“S20”のエギゾーストノートが甲高くなり、タコメーターが戦闘態勢に入った事を知らせた。
316 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年03月15日(土)17時02分26秒
――ほな、早速…

“FC”のブレーキランプが点灯した事を確認してから、車体を理想のラインから外し、ほぼ90度に曲がる右曲がりのコーナーでわざとブレーキを遅らせ、角張ったノーズを突っ込ませる。

――ミスった…

男が一瞬ほくそ笑む。
“FC”のブレーキングは決して早過ぎてはいなかった。
もし、ギャラリーがいたら、“ここしかない”と言いたくなるほどのピンポイントのブレーキだった。
しかしそれはタイヤを鳴かせずに確実にコーナーをクリアするための話。
317 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年03月15日(土)17時03分49秒
Buaaaa……
Zuzaa……

父親に釘を刺されたおかげで、中澤はコーナーをきっちり攻めるよりも、エンジンの力を逃がすかように、ドリフトでわざとテールを滑らせ、コーナーを攻略する方を選んだ。

Vo! Vovo! Vo!

それだけではなく、駆動系の弱さも考えて、シフトダウンの際に負担が掛からないように、コーナーの出口ではダブルクラッチで処理している。
318 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年03月15日(土)17時05分10秒
F1でもそうだが、(ニキ・ラウダの様な特殊な人や、ダートレースの場合は置いといて…)現在は車の性能も向上して、ドリフトで走るよりも、リアタイヤを滑らせずに、エンジンの力をそのままタイヤに伝えて走ったほうが速いといわれている。
最近のドライバーが速く走るために、ドリフトを利用する人が少ないはそのためで、同じFR(フロントエンジン・リアドライブ)である“FC”と“PCG−10”であっても、ブレーキングポイントが違うのも当然だろう。
もちろん中澤の“PCG−10”は、高回転でこそ実力を発揮する“S20”エンジンを搭載しているのだから、エンジンの回転数を落とさないようにコーナーをクリアしなければならないというのもあり、まともに組み合っては、絶対的な車重もエンジンの性能も有利な“FC”に敵うはずがない、と思っている中澤の苦肉の策だったのだろう。
319 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年03月15日(土)17時06分18秒
「“R”か…」
ヘッドライトが映し出した“それ”は、右テールランプのそばについている、四角いレッド“R”のエンブレム。
当時はいすゞのべレットにも付いていたし、最近の車ではセリカにもRX−7にも“GT−R”の冠が付いているモデルはある。
しかし、サーキットで積み重ねた歴史が物語るように、スカイラインに付いている“GT−R”の価値は別格といっていいだろう。
スカイラインの“GT−R”を崇拝する人は“他のRは、レジャーのRなんだよ”と差別する事もあるらしい。
320 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年03月15日(土)17時06分55秒
――“R”っつっても、所詮は過去の遺物だろーが。

そんな歴史を知らない22歳の若さは、“GT−R”のエンブレムを見ても全く怯むことはなく、偉大なる老兵に対して果敢に戦いを挑む若い剣士のように、更にアクセルを踏み込む。
経験という名の懐深い相手の世界に引き込まれ、武器を取り上げられて丸裸にされたあげく、更に自分の実力と愚かさを曝け出してしまうことも知らずに…
321 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年03月15日(土)17時07分39秒
“PCG−10”は、先の“BMW”と違って極端な加速がなく、自然吸気エンジンらしいナチュラルな加速という事もあってか、男の緊張も途切れずにの後ろに張り付いていることができた。
たしかに2ドアモデルの“KPGC−10”でも、現在の車と比べると軽自動車より遅いらしく、直線では“FC”の方が有利で、何度も車体を並べることがあるのだが、その度にストレートエンドでブレーキを遅らせ、ドリフトでするすると交わしながら相手の侵入を抑えていく。
男も車の能力差から、ある程度余裕を持って“PCG−10”を追いかけていたが、その余裕が次第に焦りに変わっていった。
322 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年03月15日(土)17時10分52秒
――なんで抜けねーんだよっっ!!

その焦りがステアリングに現れ、“FC”の挙動が不安定になり、運転が雑になる。その細かいミスがオーバーテイクのチャンスを減らし、また焦りを生んでしまう悪循環。

――若いねぇ…

中澤が時々バックミラーを見ながら、後続車の様子を伺う。
若さが勇気によって落ち着きを無くしてしまっていることがミラー越しでも明らかだった。
本人はそれに気が付くほど余裕が無いから余計に始末が悪い。
それが一度や二度ならともかく、細かい峠道で数多くのチャンスがあったにも関わらず交わしきれていないということは、車の性能ではなくドライバーの差というべきだろう。
323 名前:Strong Four 投稿日:2003年03月15日(土)17時28分18秒
やっと更新デキタ Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒(。A。)ー!!!
って、2週間もほったらかしにしてこれだけ・・・・・・(鬱

>>313
レスありがとうございます。
アレが好きなら今回の更新はドコをパクったか判りますよね?

この小説もある程度話が纏ってきましたが、まだ何箇所かつながらない部分がありますので次回更新も予告できません。
とりあえずageる間で待っていてください。
324 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2003年03月16日(日)13時41分41秒
初めてレスします、
ttp://ex2.2ch.net/test/read.cgi/zurui/1046277965/l50からやってきました
私は4輪派ですが、読んでいて自転車がものすごく好きになりました、
あと作者殿は自転車だけでなく自動車にも精通されているようですね、
驚きました、更新期待しています。

あと蛇足ですが>>296で4ドアのGT−RはたしかR33にもありませんでしたっけ?
記憶があやふやですが、たしか存在したかと

あと個人的にZ32の登場に期待してます。更新がんばって下さい
325 名前:Strong Four 投稿日:2003年04月10日(木)18時38分17秒
だいぶ待たせてしまいました。

>>324
レスありがとうございます。
遠いところからお越しいただいたようで・・・
私もあそこはよく見てますよ。

さて、R33に4ドアGT-Rがあったのでは?という話ですが、あったのは間違いないようです。
ただ、あれは、オーテックというカスタムメーカー(?)が作ったもので、
4ドアスカイラインにGT-Rのエンジンと、オーバーフェンダー(たぶんオリジナル)などをつけたものです。
ですから日産純正ではないようなので、あえてあのように書きました。
知り合いの話によると、R34のユニットをステージアに組み込んで、GT-Rワゴン
をつくった店もあるらしいですよ。
326 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年04月10日(木)18時41分04秒
結局、二台が殆ど同じ距離を保ったまま、峠の頂上に到着。
中澤がドライブインに入る際にウインカーを点灯し、大きな振動を与えずに入ってきたのに対し、男のほうは最後にテールを滑らせてしまい、歩道との間にある縁石にリアタイヤをヒットさせてしまった。
タイムこそ違わなかったが、オーバーテイクされ、更に最後のゴール地点での状況を考えると、数字以上の差があった。

――……なんで勝てなかったんだ?

絶対的な加速の差。
車の能力に奢っていた自分。
精神的な脆さ。
体験した事がなかった相手のテクニック。

負ける要因はいくつか思いついた。しかし、それはすべて自分の未熟さが生み出した結果。
327 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年04月10日(木)18時42分28秒
現実を受け入れたくないのか、ハンドルを離さないまま息を荒くして頭を擡げていると、若干トーンの低い女性の声が聞こえてきた。
「遅かったなぁ…」

――女?

「お父ちゃんに運転荒い言われて、ちょぉセーブしとったんよ。」
カチャリと乾いた音をたてて、栗色に髪を染めた中澤が車の外に出る。

――!!……ハコスカも女だったのかよ!?

「せやけど、やっぱこのコ、おもろいわぁ〜。低速では機嫌悪いし、ダブルクラッチせないかんし、フロントはグリップせぇへんから、アンダー出まくりやし…全然気ィ抜けへんもん。」

――それであの速さ!?
328 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年04月10日(木)18時43分07秒
現実を受け入れたくないのか、ハンドルを離さないまま息を荒くして頭を擡げていると、若干トーンの低い女性の声が聞こえてきた。
「遅かったなぁ…」

――女?

「お父ちゃんに運転荒い言われて、ちょぉセーブしとったんよ。」
カチャリと乾いた音をたてて、栗色に髪を染めた中澤が車の外に出る。

――!!……ハコスカも女だったのかよ!?

「せやけど、やっぱこのコ、おもろいわぁ〜。低速では機嫌悪いし、ダブルクラッチせないかんし、フロントはグリップせぇへんから、アンダー出まくりやし…全然気ィ抜けへんもん。」

――それであの速さ!?
329 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年04月10日(木)18時44分48秒
「“R”の前タイヤ、へたったスタッドレスやで。お父ちゃん言うてへんかった?」
「何やねんそれ!聞いてへんでそんな話。」

――……………………………!!!!

「そーいや、マルニも直線怖かったでぇ…60km超えるとハンドルブレて、まともに走られへんかったもん…」
「あ…それ、ウチがカメノコやったからや。」
「なんやてぇ!!」
「ゴメン…」
「裕ちゃん、なにやっとんねん…もーマルニのエンジン、ぜんぜん回せへんかったやん…」
「せやから謝っとるやん…」

――……………………………!!!!!

「あ゛ーー!!!…ごっつ消化不良やわ…」
「せめてリアの方がスタッドレスやったら…」
330 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年04月10日(木)18時45分20秒
近くの自販機で買った缶紅茶を手にしている平家と中澤の話を聞いて、男がいたたまれない気持ちをごまかすかのようにアクセルを踏みつけ、“FC”から激しいスキール音を出し、スピンターンでノーズを駐車場の出口に向けて出て行った。

自分の車には負ける要素はひとつもなかったはず。むしろ調子はいい方だった。
相手は実力をすべて出し切れていない消化不良の走り。
それでもあれだけの実力差がついてしまったことは、まぎれもなくドライバーの腕の差でしかない。

「ちっっっくしょぉぉぉっっ!!!」
331 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年04月10日(木)18時45分57秒
「はあぁぁ…」
事務所用のスチールデスクに突っ伏した状態で、脱力しきった溜息がもれる。
「どした?辛気臭い顔して…」
「………オレって、まだ遅いんスかね?」
「はぁ?」
昨夜“FC”に乗っていた男が、働いている整備工場の店長にグヂグヂと愚痴を洩らしはじめた。
「……昨日、栗音峠で抜かれたんですよ。」

――ほぉ…

彼が栗音峠をホームグラウンドにして、そこそこの腕を持っていることは知っていたし、“FC”のパッケージングも、この店ではトップクラスの車に仕上がっている。
しかも、車に関しては前向きで絶対に弱音を吐かない男が、目の前で机にへばり付いて相当落ち込んでいる。
332 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年04月10日(木)18時46分36秒
「珍しいな?」
「しかも負けた相手が女ですよ。」
「…負けたから口説けなかったと。」
「そうそう…って、そうじゃなくて…」
「なんなんだよ?」
「タイムは計ってなかったんスけど、結構いいタイムだった気がしてたし、旧い車だったから…昔、あそこで幅利かせてたヤツとか、店長知らないかなぁって思って…」
タバコの煙を燻らせながら体を背もたれに預けて、視線だけをまだ幼さが残る男の顔に向ける。
「…その女は何に乗ってたんだ?」
「旧いBMのターボと4ドアのハコスカ。」
「……………そっか…」
それを聞いて、タバコを揉み消しながら自然と湧いてくる苦笑い。

――……みっちゃんと裕ちゃんだな…

「その女は忘れろ。相手が悪すぎる。」
「…知ってるんスか?」
「商店街の[Common House]って自転車屋の店長だよ。」
「自転車屋ぁ?」
畑違いの人間と言うことを聞いて眉を顰めるが、店長のかみ殺すような笑顔は消えていなかった。

――来週雪降らなかったら、もっとおもしれー事になるぞ…
333 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年04月10日(木)18時47分07秒
そして数日たったある日。
カウベルをつけていた[Common House]のドアが開き、客の来店を知らせた。
「あ、いらっしゃいませ。」
店の奥で婦人用自転車のパンクを直していた矢口が、首だけを伸ばして入口の方を眺める。
ドアを開けた客と目が合い、矢口がパンパンとエプロンについたゴミを払いながらゆっくり立ち上がる。

――この娘…じゃなかったよな?
334 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年04月10日(木)18時47分40秒
その客が周りを見回し、他の人間を探したが、店には矢口以外に誰もいなく、しかたなく矢口に声をかけた。
「……あの…店長は…」
「私ですが…」
「…………………」

――もっと背高かったよな?

男が小首を傾げ、矢口との間に数秒の沈黙が流れる。
「………あのー…」
「あ、いらっしゃいませ〜」
その沈黙を破ろうと、矢口が声を掛けたとき、奥から平家が顔を出して、男に声を掛けた。

――あっ!!

聞き覚えのある声と、関西弁特有のイントネーションに男がハッとした。
あの時の女も関西弁だったことを思い出し、平家の顔を凝視する。
その視線の鋭さに多少怯みながらも、男の顔を窺う。
「…あ、あの…どんなご用件で…?」
335 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年04月10日(木)18時48分16秒
「…この間、BMかハコスカで栗音峠走ってませんでしたか?」
事の事情を知って、平家の顔が緊張から解放された。
「あー、はいはい……あの時の“FC”の…」
「はい。」

――こいつかぁ…

平家の目付きが一瞬細くなる。
「確かにBMのほうに乗ってましたけど…」

――やっぱりこの女が…

「あ、あの…」
店内に男の絞り出すような掠れた声が漏れた。
336 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年04月10日(木)18時48分49秒
「みっちゃん!コーコーセーにコクられたんやて?」
中澤が“常連の間”に入ってくるなり、はしゃいだ声でソファに座っている矢口と雑談をしている平家に声を掛けた。
なんだかんだ言っても中澤もごく普通の女で、しかも自分に関係ない色恋沙汰には少なからず興味があるらしい。
「コクられてへんて…峠で…って、なんで知っとるん!?」
「何でって…なぁ?」
隣に座っていた矢口の顔を見る。
それにつられて平家も矢口の顔を見る。

――ヤバっ!

その矢口と平家の目が合った瞬間、矢口が目を逸らした。
「矢口っ!!」
「ちがっ、違う違う!矢口は言ってないよ。」
「あの事知っとるんは、お前しかおらんやろーがっ!!あること無いこと言いふらすなやあぁっ!!」
「だから言ってないって。矢口は安倍さんに男のお客さんが来た、って…」
337 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年04月10日(木)18時49分25秒
――それは間違うてへんなぁ…

このことを矢口が安倍に喋った内容は間違いないようだが、その後、なぜか中澤の耳には平家が高校生を誑かしたことにまで変わっている。
問題はそこから、誰がどうやって恋愛話にまで発展させたかということだ。
「ウチは後藤から…」
「後藤から…?」
矢口が話した人間と中澤が聞いた人間が違うということは、ここの常連客殆どの耳に入っているのだろう。
「若い子に言い寄られた、って聞いたで。」
「……あのなぁ裕ちゃん、その中にコーコーセーという言葉はどこに入っとるんかなぁ?」
「いや…若いから高校生あたりやろなぁ〜って思うて…」
「なんで勝手に背ヒレ尾ヒレ付けんねんっっ!!」
338 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年04月10日(木)18時50分03秒
――こいつら、ごっついい加減な連中やなぁ…

「みっちゃん、向かいの呉服屋の若旦那、飽きたんか?」
「飽きるも飽きんも、あんなヘナヘナしたヤナギみたいなヤツ、好きやないわっっ!!」
「そういえば、その男の人もスマートだったなぁ…」
「矢口っっ!!」
「…やっぱみっちゃん…」
「せやから違うて。」

そのとき、バタンと“常連の間”のドアが開いた。
そこには嬉々として息を荒げている吉澤が立っていた。
「平家さんっ!オメデタって本当ですかっ!?」
「……………」
「……………」
「……………」
今まではしゃいでいた顔から表情がなくなり、中澤が平家の顔を覗き込んだ。
「……みっちゃん、そこまで…」
「んなわけないやろっ!?一日二日でどうやってガキが出来んねんっっ!!」

――噂の中のウチは何処までいったんやろ?
339 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年04月10日(木)18時51分13秒
その噂の中の平家は、ある意味でゴールまで行っていた。
中澤と矢口と吉澤が帰宅し、平家が自室のテレビでバラエティ番組を見ていると、店の電話が鳴った。
電話の相手は近所の居酒屋からの女将からで、珍しく父が飲み潰れてしまったので迎えに来て欲しい、との事。
仕方なく車で父を迎えに行き、居酒屋の縄暖簾をくぐりながら引き戸を開けると、カウンターで父が気持ちよさそうに寝入っていた。
「あ、みっちゃん、いらっしゃ〜い。」
いかにも“下町のお母さん”といった風情の、恰幅のいい女将も店内に入ってきた平家を見て、嬉しそうな顔をする。
「あぁ、いつもすんません。」
「あ、お父さんから聞いたわよ。みっちゃん、結婚するんだって?」
「……………………………………………は?」
340 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年04月10日(木)18時51分45秒
“寝耳に水”“鳩に豆鉄砲”
そんな言葉を形にしたような顔の平家に、さらに女将の言葉が続く…
「お父さん“男っ気のないみちよに、やっとそういう男ができたんやでー!”って本当に嬉しそうだったわよ。」
「あ…あのー…」
全く話の繋がらない平家と女将が、話を何とか繋ごうとしているうちに、父が目を覚まし、身体を起こした。
「おおぉぉ…みちよぉ〜!お父ちゃん、ほんっっまに嬉しいわぁ…」
足元をふらつかせながら席を立ち、平家の腕にしがみついて無理矢理隣の椅子に座らせようとする。
「ままま、とりあえず座り。今日はお祝いや。な、お前も飲んだり。」
未だに話の内容が見えていない水と豆鉄砲を浴びた鳩は、言われるままにビールを注がれる。
「紗耶香から聞いたでぇ…結婚したい男が居るんやろぉ〜?」

――紗耶香ぁ?
341 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年04月10日(木)18時52分25秒
「店まで来て、プロポーズされたんやて?」
「店?」
それを聞いて、夕方の中澤と矢口との話を思い出した。
大方、矢口から聞いた安倍が誰かを経由して市井の耳に入り、更に話を膨らませて父親に話したのだろう。
まぁ、女のコのうわさ話とはそういうものだ。
事の顛末をようやく理解して、軽く溜息をつく。
「お父ちゃん、ほんまに嬉しいでぇ…今まで男が居らんかったみちよが、やっっと結婚考えるようなって…やっとお母ちゃんの前でちゃんと拝め……うぅっ……」
市井の話を鵜呑みにして一人で勝手に話を進めている父が感極まって、泣き出す始末。
「早よお父ちゃんに孫の顔見せたってなぁ?」
「…………あのな、お父ちゃん…」
「♪何で こんなに 可愛いのかぁよぉ〜 (孫/大泉逸郎)」

――そこまで突っ走るかぁ?

「あ、あのなぁ、お父ちゃん…」
徳利をマイク代わりに歌いこんでいる父を止め、平家が最初からその噂話を説明し始めた。
342 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年04月10日(木)18時53分05秒
平家の説明が進むうちに、目に見えて父の酔いが覚めていった。
横で聞いていた女将が気まずそうに顔を伏せながら、なにやら細かい仕事をし始めた。

「…判ったか?」
「……………」
平家の説明が終わり、すべての声が消えた。
この店に引いている有線から、聞いたこともない演歌が静かに流れている。
それ以外の音は全くなかった。

「……せやったら…」
「ん?」
「せやったら、オレはどないしてお母ちゃんに言い訳すればええんや?」
「言い訳も何もせんでえから…ウチはまだ結婚する相手も居らんし、する気もないし…」
「向かいの呉服屋の…」
「それも無いわぁっっ!!!」
343 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年04月10日(木)18時53分53秒
大声付きの目が三角になった平家の顔を見て、年老いた力無い酔っ払いがまたグズグズとカウンターに埋れていく。
「………お母ちゃぁ〜ん……」
酔っ払った父が、早くして死に別れた伴侶と会話をする現実逃避。

――まぁた始まった…

「オレの育て方が悪かったんかなぁ…」
平家がビールを口に含み、イジイジと箸で焼き魚の頭を弄っている父親をジロっと睨む。

――5年も店と娘ほっといて、日本中ふらついとった親が言う言葉かぁ?
344 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年04月10日(木)18時54分24秒
清算を済ませ、いつの間にか鼾を掻いている父を抱き上げようとする平家に女将が呟いた。
「お父さん、いつも言ってたわよ。“みちよには店の事ばっかりさせて、女らしいことは何にもさせてなかったから…”って…はい、420円のお釣り。」

――そっかぁ…

いつもは聞くことが出来ない父親の声を聞いてしまい、照れくさそうに俯いて頭を掻いてしまった。

――なんだかんだ言うても、やっぱ父親なんやなぁ…

結局平家もアルコールを口にしたため、父を背負って歩いて帰ったが、冷たい晩秋の北風の中でも、平家は暖かいまま帰宅できた。
345 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年04月10日(木)18時57分57秒
「ふ、ふざけんじゃねーよ!!」
「…ウチか?」
「他に誰がいるんだよっ!!」
「どこがふざけとるん?」
「車と自転車じゃ、やるまでもねーじゃねーか!!」
「誰も車でやる、言うてへんやん。」
先日、[Common House]を訪れて、平家に交際ではなくリターンマッチを要請してきた男が、身体中を震わせながら怒りを露わにしている。
平家はそれを彼の得意なコースである、栗音峠の頂上の駐車場から中腹のドライブインまでのダウンヒルの挑戦を受け入れたが、そのリターンマッチを申し込んできた男が見たものは“C4 MAGIK”で峠を登って来た平家と、それに伴走してきた“PCG−10”。勿論中澤がステアリングを握っている。
ということは、平家は自転車で車の挑戦を受けるということになる。男が怒るのも当然だ。
346 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年04月10日(木)18時59分27秒
それでも平家はうっすらと笑みを浮かべて、すでにその挑戦をしっかり受け入れている。
素人が見たらバカにされているだけだと思うだろうが、それなりの人間が見たら、平家の意図も納得できるだろう。
「…せやったら、ウチが勝ったらどないする?」
「…あんたの言うことなんでも聞いてやるよ。」
「せやったら、マルニのクーラント交換とアライメント調整、無料でやってもらおか?」
「……いいよ。」
347 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年04月10日(木)18時59分58秒
「アホやなぁ…」
話はとりあえず纏ったようだが、まだ平家に対して怒りが収まらない男の横で、フッ、と冷ややかに鼻で笑う中澤。
「……なんだよ?」
「考えてもみぃや。ダウンヒルでの速さはなんや?パワーか?脚周りか?」
「……軽さ。」
「せやろ?自転車とその車、どっちが軽い思うとるん?」
「………それは…それは車同士の話だろ?」
「ほな、この峠のダウンヒルで、ブレーキ使わんコーナーはナンボある?」
「……え?」
「多分、みっちゃんがブレーキ握るんは、1回か2回やで。対向車線も使えるんやったら、ブレーキなんかよぉ使わへんわ。それでも楽勝言えるんか?」

――うっ………

「このコースやったら、みっちゃんは7・80kmしか出ぇへん思うんやけど、ストレートもコーナーも殆どスピード変わらへんで。アンタはそのスピードでここのコーナー全部曲がりきれるか?」
「……………」
「まぁ、追い越さんでも、振り切れんかったらアンタの勝ちにしたる、言うとったからな…」
中澤が男の背中をパンパンと叩く。
「ま、楽しんで来ぃや。」
348 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年04月10日(木)19時01分09秒
それでも煙に巻かれた感のある内容に、納得のいっていない様子の男に改めて声を掛けた。
「…自分、年なんぼや?」
「…22…ですけど…?」
「……若いな。」
「…それが…何か?」
「レーサー志望か?」
「そういうわけじゃぁ…」
「せやったら、何のためにここ来とるん?」
「何のためって…」
349 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年04月10日(木)19時01分45秒
その答えを待たずに中澤が“FC”に近づき、室内を覗き込んだ。
イタリア製のフルバケットシートに、5点式シートベルトと手垢がついたレース用の小さいステアリング。
油圧計や油温計と思われる後付けのメーター類が並んでいて、走りに関係ないステレオやエアコンの類は装備されていなかった。

――ストイックやねぇ…

ボンネットの中までは見なかったが、多分冷却系や吸排気系もかなり弄っているのだろう。
「…自分、初めて車乗ったときの事、憶えとるか?」
「え?」
「初めて車乗って、交差点でエンストしてパニくったり、カーブ曲がるときに体が外に持って行かれて緊張したときの事、憶えとるか?」
「…………」
「あんたの走り見とったら、必死こいてて、全然楽しそうな感じせぇへんかったからな。」
「……………」
「ただ単にはよ走りたい言うんやったら、こないな峠走らんとサーキット行ったらええやん?」
350 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年04月10日(木)19時02分26秒
言葉をなくした男に、中澤もちょっと言いすぎたかと思い、顔を顰めながらバリバリと頭を掻き、もう一度“FC”のほうに視線を向ける。
「この車…元気か?」
「はぁ?」
何を言ってるんだ?といった顔をして、顔を中澤に向ける。
「機嫌悪い時とかないか?」
「……いや、特には…」
中澤がそうか、と独り言を呟いてフェンダーあたりを撫でる。
「ええなぁ、最近の車は我慢強くて、素直で…」
男の顔からはまだ“?”が付いて離れない。
「あのハコはすぐ機嫌悪ぅなってなぁ、クーラントもオイルも何時の間にか減っとるし、しょっちゅうキャブチェックせないかんし…この間も仕事相手にカッコええ人居ってな、その人乗せよったら、ヤキモチ焼いてエンジン掛からへんねん。」
「はぁ?」
(異性が助手席に乗ると車がやきもちを焼く話は本当です。作者も経験ありました。)
「あの頃の車には珍しいことはないらしいんやけどな。」
“FC”のフェンダーに身体を預けて、腕を組みながらニヤっと笑う。
中澤の笑顔には緊張を解す効果があるらしく、男の瞳に攻撃的な部分がなくなった。
351 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年04月10日(木)19時02分59秒
「何でそんな面倒くさい車に…」
「かあいいんよ。なんや出来の悪いコみたいで、ウチが居らな動かへん気がして…」
眉毛をへの字にして嬉しそうに笑う中澤の顔を見て、ようやく男の顔が綻ぶ。
「コイツもありましたよ。この前彼女乗せて国道走ってたら、プロペラシャフト壊れて…」
「うわ…それは災難やったなぁ…今時の車はデカい故障が来るからなぁ…」
「?…旧い車って、あんまりないんだ?」
「我慢強くはないからな…細かい故障はごっつ多いけど、何処が悪いかはすぐ判るから、すぐ修理すればそんなに大事にはならへんし…」

(裕子は一度もそないなメンテナンスやったことないやん)

――うっさい!!

父親の幻影を後ろ手で振り払う。
「え?」
「あ、いや………なんでもない…」
352 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年04月10日(木)19時03分33秒
「このコもアンタとよう喋られへんかったから、ヘソ曲げてプロペラシャフト壊れたんちゃうか?」
「は?」
「ちゃんと車と会話しながら走ってないやろ?」
「……そんなことは…」
男の挙動を見逃さず、中澤の目がすうぅっと細くなり、鼻から長い息を吐き、言葉を考える。
「…こっちから指示出すだけで、車の事情なんか聞かんと、定期的なメンテしかしてへんちゃうかぁ?」
「うっ……………」

――図星かい…
353 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年04月10日(木)19時04分12秒
中澤のお説教が終わり、“FC”に対してなんとなく後ろめたさを感じながら、窮屈なバケットシートに体を埋め、シートベルトをロックした。

――車と会話しながら走る、か…

ふー、と軽く溜息を吐き、前方を何気なく見ていると、フロントウインドウをノックされた。
「とりあえず、車の動きを確認しながら走ってみ。多分車の声が聞こえて来んで。」
「車の声?」
「さっきも言うたけど、愉しむために走るやったら、もっと車と会話しながら走らな…勿体無いやん?」

――勿体無いって…

改めてインパネを見つめる。
考えてみると自分が速く走りたくて、色々改造したり何時間も走り込んだ事はあったが、速く走ることが最優先されていて、楽しんで走ることはいつの間にか淘汰されていったようになっていた。
354 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年04月10日(木)19時04分50秒
――じゃぁ、何でこの車を?

好きで“FC”を買ったはずなのに、速く走れれば別にこの車でなくてもよかったのではないか?そんな別な疑問が頭の中に湧いてきた。
スカイライン、シビック、MR−2、シルビア、セリカ、インテグラ…
中古ならほぼ同じポテンシャルで似たような価格の車は沢山あった筈なのに、なぜ他のレシプロエンジンと全く違うエンジンを搭載している “FC”を選んだのだろうか?
普及しているとはいえ、何故燃費の悪いロータリーエンジンを選んだのだろうか?

なぜ………?
355 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年04月10日(木)19時05分31秒
「好きで乗ってるんちゃうん?」
難しそうな顔をしている男の顔を覗き込んで、それを見透かしたように中澤が声を掛ける。

答えは簡単だった。
きっかけは漫画だったが、そのことは暫く忘れていたが、自分はこの車が好きで乗っている。
面倒臭く考えていたが、答えは簡単だった。
この車を好きで乗っている。
それだけで充分だった。
多分この車に乗れなくなっても、自分の気持ちが変わっていなければ次もまた別の“FC”を買うだろう。
初めて乗ったときの気持ちは忘れていたが、忘れていただけで、あの時と今の気持ちは変わっていない。
「……うん。」

短いけれど、最も正しい一言。
356 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年04月10日(木)19時06分04秒
――車と会話しながら走る…か…

レースは中腹のドライブインまでのダウンヒル一発勝負だが、平家が先に走り、それを振り切れなかったら負けという簡単なもの。
そう決まったが、男のほうは勝ち負けのことは考えていなかった。
とにかく早く走り出したかった。
エンジンから聞こえて来る一つ一つの爆発音、ステアリングやシートから伝わってくる振動、路面から伝わる小石や轍の振動とそれに伴う車の挙動、ペダルやステアリングに伝える力の伝導、自分の芯に伝わってくるパートナーの動きをすべて感じとりたかった。
“FC”のアイドリングが終わり、ドライバーズシートに座りながら平家にスタートを促す。
平家もそれに頷き、ペダルに体重をかけた。
357 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年04月10日(木)19時06分44秒
今からでも遅くはないだろう。
この“FC”が自分をパートナーと思ってくれているのなら、もう一度この峠道で一緒に踊ってみよう。

――確か…親父が初めてお袋を誘ったときの言葉は…

「Shall we dance?」

邦画ではなく、「王様と私」の方から盗んだ言葉。
口にしたとたん、自分に似合わねーなと思い、自嘲気味に笑いながらも“FC”と一つになるためにゆっくりとギアを1速に入れ、少しずつクラッチを離すと、ダンスのお相手のタイヤがジャリ、と小石を踏みしめた。
358 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年04月10日(木)19時07分48秒
――Wolves in sheep’s clothing・END――
359 名前:Wolves in sheep’s clothing 投稿日:2003年04月10日(木)19時28分17秒
いやー
今回の小説は難産でした。
今まではある程度完結してから書き始めていたんですが、オチが見つからないまま書き始めてしまって、読者さんにもかなりご迷惑を掛けたのではないでしょうか?
車の資料も、行方不明になったり、ゴミ箱に逝ってしまったりと、更新が遅いにもかかわらず、かなりバタバタしていました。

やっぱり慣れない事はするもんじゃぁないですね。

Z33のことも出そうかと思っていましたが、あの頃の車はまったくと言っていいほど興味がなくて、というか、ラストミジェットに乗りながら、「今の日本車は個性のカケラもねーじゃねーか!!」と斜に構えてた時期なんで・・・
まぁ、タイトルもタイトルですし・・・

とりあえず前の小説も今回も「楽しまなくっちゃぁ意味がない」というのがコンセプトでしたからうまくまとまったのではないかと思います。

これ以上書くと愚痴になりそうなので、とりあえずこの辺で締めさせて頂きます。
こんなスレに長々とお付き合い頂いて有難うございました。

次回は(予告していいのか!?)少しでも小説と言えるようなものを、と思っています。

360 名前:名無し読者 投稿日:2003年04月10日(木)22時50分57秒
難産お疲れ様でした。
充分楽しませていただきました(w
361 名前:ギャンタンク 投稿日:2003年04月10日(木)23時34分58秒
更新お疲れ様です。
やっぱ何でも楽しむのが一番ですよね。
362 名前:Strong Four 投稿日:2003年04月28日(月)00時29分12秒
倉庫行きになる前にお礼を…

>>360
レスありがとうございました。
今回は本当に身に染みて判りました。

>>361
レスありがとうございました。
基本的に自分も根性なしなんで、楽しまないとどうしても挫折するんですよね…

363 名前:Strong Four 投稿日:2003年04月28日(月)00時31分19秒
そんなわけで
車の小説の前にも書きましたが、次回立ち上げるであろうレースネタですが、
未だに行き詰っています。(っつーか、全然進んでいません)
いろいろな本を読んでもうちょっと勉強しながら…
平家「そう言っときながら車の小説書いたんやったな?」
…うっ…
矢口「あの小説終わったら、みちやぐ小説書いてくれって言ってなかったっけ?」
……うっ…
中澤「ウチが宮古島行くいう話も忘れとるやろ?」
………ぅっ…
矢口「コイツ“矢口自転車店”のことなんか絶対忘れてるよ。」
…………………

辻「やぐちさん、とどめさしましたね」
加護「こいつの小説はもうないと思った方がええな…」
364 名前:Strong Four 投稿日:2003年04月28日(月)00時45分34秒
後藤「ここの平家さんも終わりかぁ…平家さんいいコなのにね…」
平家「後藤ちょぉ待てっ!ここもって、どういう意味やねんっっ!?」
…………………(涙
平家「お前もなんで泣くねんっ!!?」
365 名前:Strong Four 投稿日:2003年04月28日(月)00時47分37秒
中澤「みっちゃん、おつかれさん」
後藤「おつかれさま」
平家「おまえら、その花束はどーいう意味やねんっっ!!」
中澤「せやかて…あの作者のアホのことを考えるとな…」
平家「……なぁ、ホンマは書いとるんやろ?なぁ?」
“そして中澤の指は、背後から決して熟れきっていない松浦の乳房の先端に触れ…”
平家「なにエロ小説書いとんねんっっ!!!」

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