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たったひとつの。
- 1 名前:_ 投稿日:2002年09月11日(水)02時47分35秒
- 世界に散らばる、無数の赤と青。
いつしか二色の共存は途絶え、それぞれの世界を築いていった。
その二色が重なって交わっていたときのことを、私は知らない。
この世界に生きる者の殆どが知ることはない。
だから、二色の離別が当たり前になってしまったこの世界が病んでいること
に、誰も気付かないのだ。
これは、混じりあうことを禁じられた二色の、愛の物語。
病んだ世界との戦いの記録。
まだ、救いの手は差し伸べられない。
- 2 名前:1 投稿日:2002年09月11日(水)02時48分37秒
- くすんだ陽射しが申し訳程度に零れ落ち、宵の訪れを告げる。
カサカサと葉を揺らす風が、私の細い前髪を吹き上げて、瞳に映る陽光に細
かい影を落とした。
もうじき、夕飯の時間だ。先ほどから鳴り止まない音に頬を染めながら、そ
っとお腹を押さえた。
「なっち、帰ろー?」
私の呼びかけに、なっちは目を細くして微笑んだ。
肩より少し上に揃えられた茶色い髪が風になびき、首元から赤の印が日に透
けて見える。
この赤の里に住む者――私も含めて――は、それぞれ体の何処かに赤の印を
持っていて、青の印を持つ者との一切の交流を禁止されていた。
最も、私は青の印を持つ者など見たこともなかったし、青の里は偶然辿り着
けるような近回りの場所ではないと言うことらしかったから、その教えも殆ど
意味をなしてはいないわけだけど。
- 3 名前:1 投稿日:2002年09月11日(水)02時49分26秒
- 「ちょっと、巫女様の所によっていいかい?」
空腹に耐えていた私に、申し訳なさそうな表情でなっちが言う。
今すぐにでも帰りたいのだが、この顔をされると私は弱いのだった。
「うん……仕方ないなぁ」
「矢口はヤサシイね」
ニコリと微笑まれ、私の頬は、いっそう色を濃くする。
一つ年上のお姉さんは、それを知ってか知らずか、私の手を取り巫女様の屋
敷へと向かって歩を進めた。
木陰に入ってしまうと、もう日が沈んだのか、それとも木の所為なのか、地
面に私たちの影は映らなかった。
屋敷への道すがらで、私はなっちに尋ねる。
「巫女様の屋敷って、何しに行くの?」
赤の里には権力者と言うものがいず、しいて言えば、里の中央の小高い丘の
てっぺんに屋敷を構える巫女様が、公の行事を取り仕切っていた。
となると、なっちは公の行事について、話に行くわけだけど。
「もしかして……!」
バッとなっちの方を振り向くと、先ほどとはうって変わった子供のような笑
顔を見せる。
「あったり〜」
私の驚いた顔がそんなに嬉しかったのか、なっちはいつまでもクスクスと笑
い続けていた。
- 4 名前:1 投稿日:2002年09月11日(水)02時50分42秒
- 屋敷までの道のりも八分目辺りまで来て、ようやく笑い終えたらしいなっち
に視線を向ける。
それでもまだ微かに肩は震えていて、口元も緩んでいた。
「なんか、実感わかないね」
「そうだねぇ」
おばあさんのような相槌を返され、プクッと膨らませた私の頬に暖かいもの
が当たる。
「あ……」
またしても真っ赤に染まった私を見て、なっちがいたずらっぽく笑った。
「照れてる〜」
「照れてないよっ!」
照れてないよと言ってみても、頬の火照りは収まらなくて。
「結婚するんだから、こんなのどうってことないもん……」
強がるはずだった言葉が、つい甘えた口調になってしまう。
- 5 名前:1 投稿日:2002年09月11日(水)02時51分24秒
- 「結婚かぁ。なんか信じられないよねぇ」
しみじみと言ったなっちの言葉に、私も頷き返す。
幼馴染だった私たちは、いつでも一緒にいて、同じ速度で成長してきた。
お互いに隠し事なんかもなくて、きっとその関係がこれからも続くだけなん
だろうけど。
「結婚ねぇ」
私まで、意味のない呟きを漏らしてしまう。
私たちの関係を考えたら当然の成り行きだけど、それでも何処か他人事のよ
うな響きがあった。
- 6 名前:1 投稿日:2002年09月11日(水)02時52分12秒
- 「じゃあ、行くよ!」
「うん!」
巫女様の屋敷の前。私たちは必要以上に強張る。
辺りは既に暗めの青に染められていて、少しだけお腹が減っていることを思
い出してしまった。
まるで道場破りのようにドンっと扉を開けた先には、私たちと年端の変わら
ないような女性が一人。
最近家業を継いだばかりの圭織が、一人で何もない宙を見上げでいた。
- 7 名前:1 投稿日:2002年09月11日(水)02時52分46秒
- 「何、圭織。また更新中〜?」
家業というのは圭織の口癖で、昔から「二十歳になったら家業を継がなきゃ
いけないんだよー」などとしみじみ言っていたのだった。
赤の里を司る巫女を家業といってしまう彼女の神経には首をかしげたものだ
ったが、二十歳を境に誰よりも大きな責任を負うことになった彼女の気持ちな
ど、私たちにわかりはしないのだろう。
「お、なっちに矢口じゃん。どしたの?」
昔と変わらない口調に、私となっちは顔を見合わせて笑った。
「なんだよー、もうちょっとおしとやかになってると思ったのに」
「うるさいな。これでも仕事はしっかりやってるよ」
不機嫌そうな声に、私たちは今日来た理由を思い出した。
圭織も同じなようで、少しだけ真面目な顔になる。
「何ー、あんたたち仕事じゃないと遊びにもこないわけ?」
不機嫌そうな顔を作ってはいるが、必死に笑いをかみ殺しているのを私たち
は見逃さない。
それでもギロリと睨まれると、ちょっとだけ怖かった。
- 8 名前:1 投稿日:2002年09月11日(水)02時53分19秒
- 「んで、何?」
そう言って、私たち二人をぐるっと見渡す。
圭織の目が、微かに頬を染める私の所で止まった。
「あー、なるほど」
「な…なにが?」
圭織は、真面目なフリをすることに飽きたのか、露骨にいやらしい笑みを浮
かべる。
圭織の着ている着物が、音を立てて揺れた。
「あんたたちも、ついに結婚か。それとも、ようやくって言った方がいいのか
な?」
いつまでも私の方をニヤニヤとした表情で覗き込む圭織に、なっちは、どっ
ちでもいーよ、と言う言葉を投げる。
「なんだよー。せっかく矢口をからかってるのにさ」
つい、と唇を出す様は端整な顔立ちによく似合っていて、十年来の友人であ
る私も思わずドキリとした。
「それじゃ、いつまでも話進まないっしょ?」
「ハイハイ。じゃあ、さっさとすませましょーか」
- 9 名前:1 投稿日:2002年09月11日(水)02時53分53秒
- 机の上にはまるで巫女と言う言葉からは想像もつかないような書類の束がつ
みあがっていて、圭織は面倒くさそうにそれを一まとめに整理した。
その束を端のほうに積み上げると、開いたスペースに一枚の紙切れを広げた。
「じゃ、書いてよ」
「おっけー」
「え、なっち。それって……?」
「いーの」
圭織が言って、なっちが答える。なんだか、私の知らないうちに事が進んで
いた。
「あの……なっち?」
「後で相手してあげるから、ちょっとだけ待っててね」
「圭織ぃ」
「子供は黙ってろ」
「……」
ちょっとだけ、泣きそうになった。
- 10 名前:1 投稿日:2002年09月11日(水)02時54分26秒
- 「私だって、当事者なんだからね!」
二人はその言葉にようやくこっちを向いてくれたが、なっちは困惑した笑み
を浮かべている。
「矢口、あんたねぇ」
「いいの、圭織」
ハイ、となっちからボールペンを手渡され、紙が私のほうにずらされる。先
程までなっちが使っていたボールペンは、微かな熱を帯びていた。
「じゃあ、私が言うとおりに記入してね?」
その言葉に黙って頷き、なっちに言われたとおりにボールペンを動かす。
カリカリカリカリ。
なんとなく、上手くごまかされているような気がした。
- 11 名前:1 投稿日:2002年09月11日(水)02時55分03秒
- 「終わったー!」
よいしょと背伸びをして、椅子の背もたれで筋を伸ばす。
とりあえず、何を書いたのかはわからないままに、私の仕事は終わってしま
った。前の会話から推測するに、結婚の書類なのだろうけど。
手首をプルプルと振りながら、私の頑張りを誉めてもらおうとなっちの方を
向くと、疲れきった私など気にせずに圭織と談笑していた。
「なっちぃー」
その声に、なっちは、ゴメンゴメンと平謝りする。
「ハイ、これ矢口の分だよ。圭織が入れてくれた紅茶。おいしいよ?」
「ん…ありがと」
微かにレモンの香りを漂わせた紅茶を、左手を添えながら恐る恐る飲む。
「おいしい……」
きっとなっちが、多めに砂糖を入れてくれたのだろう。甘くておいしかった。
それからしばらく、私を加えた三人で、久しぶりの再開を楽しんだ。
- 12 名前:1 投稿日:2002年09月11日(水)02時55分51秒
- 「じゃあ、そろそろ行くね」
なっちの言葉に、私も慌てて席を立つ。椅子が、ガタリと大きな音を立てた。
扉の前にきた所で、なっちが立ち止まる。そして、首をかしげながら私の方
を向き口を開いた。
「悪いんだけど、ちょっと外で待っててくれないかな」
えーっと反抗してみるが、ごめんね、と両手を合わせられれば、私はもうそ
れ以上の対抗策を持たない。
早くしてね、と言って外へ出て待つ。
- 13 名前:1 投稿日:2002年09月11日(水)02時56分59秒
- 二、三分して、なっちは外へ出てきた。
思ったより早かったことに、思わず笑みがこぼれる。
「お待たせ」
「おそーい」
それでも甘えてしまうのは、きっとなっちのことが好きだからなのだろう。
今度は私から、なっちの手を引いた。
想像以上に近くまで引っ張ってしまって、顔と顔がぶつかりそうになる。
「もう、矢口ってば」
「……なっち?」
一瞬、なっちの頬を伝う一本の線が私の目に映った。
「なあに?」
なっちは、不思議そうに私の顔を覗き込む。いつもの笑顔だった。
「あ、なんでもない」
「変なのー」
なんとなく不安になって、私はギュッと手を握る。なっちからは戸惑いが感
じられたが、同じように握った手に力を入れてくれた。
そのまま二人、家路を辿る。
その時はまだ、なっちの頬を伝う涙のわけを知らなかった。
- 14 名前:更新終了 投稿日:2002年09月11日(水)02時58分31秒
- >>1-13
- 15 名前:名無しさん 投稿日:2002年09月11日(水)17時40分50秒
- やぐなち?なちまり?
ま、どっちでもいいんですけど、この2人が好きなんで頑張ってください
- 16 名前:2 投稿日:2002年09月11日(水)22時44分59秒
- 今日は少しだけ遠出をすることにしてみた。
なっちと二人。田んぼ沿いの畦道をぶらぶらと歩きながら、路肩に咲くタン
ポポを摘み取る。
黄色い花びらが揺れて、春の風に舞った。
「あ……」
手元からハラハラと消えていく花びらに、私は思わず声を漏らす。
「ほらほら、花を摘んだりするからばちが当たったの」
いたずらが見つかったときの子供のように、私は肩をすくめる。
それを見てなっちも肩を揺らした。
- 17 名前:2 投稿日:2002年09月11日(水)22時45分31秒
- 思った以上に遠くまできてしまって、そろそろ帰ろうかと話していた矢先、
視界の隅に赤と白のコントラストが映る。
なっちは気付いていないようで、私はくいっと上着の裾を引っ張った。
何か胸騒ぎがする。
恐る恐る近づいていった先には、赤と白の混じった、鮮やかなワンピースを
着た女の子が倒れていた。
大丈夫ですか、と声を掛けようとして、私たち二人は絶句する。
柄だと思っていたその赤は、彼女の体から流されたもので、見る見るうちに
その面積を増やしていった。
恐々全身を見回していくと、スカートの裾の方がいっそう色濃くなっていて、
すぐにハンカチでぐるぐる巻きに。
さてどうしようかと二人で顔を見合わせていると、傷だらけの少女が瞼を開
いた。
- 18 名前:2 投稿日:2002年09月11日(水)22時46分13秒
- 「ん……」
「あ、大丈夫?」
私の声にビクリと反応して、首をわずかに曲げる。
よかった、意識はあるみたい。
「何処から来たの?」
改めて見てみると、少女はずいぶんと端整な顔立ちをしていた。服が白いか
らなのか肌はずいぶんと浅黒く見え、はみ出た手足はほっそりとしている。
チラリとなっちを見ると、おでこを小突かれた。
「赤の……里」
吐息が漏れるように、微かな音が少女の口から発せられる。
「それはわかってるよ。もっと具体的に……」
「わからない……」
わからない、ではこっちもわからないのだが。
そんな私になっちは目配せをする。とりあえず連れて行こう、ということら
しい。
「で、どうやって?」
私の問いかけに、なっちはニコリと笑う。
私は一つ大きなため息をついた後、自分より大きな少女を背負った。
- 19 名前:2 投稿日:2002年09月11日(水)22時46分56秒
- 家に着くと私は彼女をベッドに寝かせ、私自身もそのまま床に突っ伏す。
その拍子に綿ぼこりがたち、そう言えば最近掃除していなかったことを思い
出す。
私が死にそうになりながら少女を運んでいるときに、隣で一度も手を貸さず
に口だけ出していた婚約者は、汗かいたーなどと言いながら、人の家の冷蔵庫
を勝手に漁っていた。
しばらくして、なっちがお茶の入ったペットボトルを片手にやってくる。
「矢口も飲む? おいしいよ」
「それ、私の……」
未だに息の切れている私にはそれ以上言葉をつなげることが出来ず、なっち
が差し出すままにペットボトルを受け取る。
半分近く入っていたお茶を一気に飲み干し、ポイッと投げ捨てる。そのとき
に飛び散った水滴が汗ばむ肌を濡らし心地よかった。
「もー、また散らかす。最近掃除してないっしょ?」
そう言って、わせわせと落ちているものを拾い集め、ゴミ箱に放り投げる。
「ちょ…ちょっと、なんでもかんでも捨てないでよ!」
「落ちてるのは、みーんなゴミ」
なっちが捨てたものの中にお気に入りの漫画が見えた気がして、私は大きく
うなだれた。
- 20 名前:2 投稿日:2002年09月11日(水)22時48分24秒
- 「それにしても起きないねー」
物を捨てることにも飽きたのか、なっちがテクテクと私と少女の元へ来る。
なっちの言うとおり、少女は未だに目を覚ます気配を見せず、微かな寝息を
立てていた。
さほど苦しんでいる様子もなかったし、大事には至らなかった、ということ
なのだろう。
「こうしたら起きないかな」
人差し指でほっぺをつつく。
「コラコラ、怪我人にそんなことしない」
なっちに諌められたものの、なっちが横を向いた隙にもう二、三度、少女の
頬をつついた。
「んん……ん」
身じろいだ彼女に、私はものすごい勢いで指を引き上げる。
隣でなっちは呆れた顔をしていた。
- 21 名前:2 投稿日:2002年09月11日(水)22時49分23秒
- 少女が瞼を開き、私たちを視界に捕らえる。
取り乱すかなとちょっと期待していたのだが、さして動じるでもなく真っ直
ぐに私たちを見据えた。
その凛とした瞳に吸い込まれそうになる。
「あ、おはよう」
「……おはようございます」
間抜けなことを言ってしまった、と後悔したが、予想外に彼女も言葉を返し
てきてくれた。
それに気をよくし、言葉を続ける。
「名前は?」
思った以上にぶしつけになってしまったことを後悔し、言い直す。
「私は矢口真里。それでこっちのプクッとした子が安倍なつみ。よかったら、
あなたの名前、教えてくれないかな?」
痩せたんですー、という外野の声は無視して、少女の言葉を待つ。
- 22 名前:2 投稿日:2002年09月11日(水)22時51分06秒
- 少女はその瞳を一度も揺らさずに、答えを返した。
「石川梨華……です」
「梨華ちゃんって言うんだ、そっかそっか」
思わずそれだけで満足しそうになっている自分に気付き、慌てて次の言葉を
続ける。
「えと、んで、何処に住んでるの?」
少女――梨華ちゃんは、揺れないその瞳で私の顔を見続ける。私の顔に何か
付いてる? などと、茶化した物言いが出来ない雰囲気だった。
「ほら、親が心配してるかもしれないでしょ?」
「わからないです……」
「え?」
ポカンとしている私を尻目に、少女は言葉を続ける。
「親はいません。だから、家もありません」
今度は小さいながらにもはっきりと。親はいないと言い切る彼女に、私は口
をつぐむ。
- 23 名前:2 投稿日:2002年09月11日(水)22時51分50秒
- 「じゃあ、何処に住んでたの?」
先程から会話に加わっていなかったなっちが、突然口をはさんだ。
「さっきあなた達と出会った辺りに、一人で……」
「あなた赤の里の人?」
「……はい」
「印見せてくれないかなぁ?」
「ちょっと、なっち!」
矢継ぎ早に質問を浴びせるなっちを、私が慌てて制する。
「もう、どうしてそんな風に聞くの? ごめんね、普段はもっと優しい子なん
だけど」
そんな私の言葉に対しても、なっちは硬い表情を崩さない。
背筋が、ぞくりとした。
「青の里の人との交流は駄目って言われてるっしょ?」
「だからって……」
「矢口は、会っちゃ駄目って言う言葉の意味を理解してない」
いつもとは違う強い口調に押され、私は次の言葉をつなげることが出来ない。
- 24 名前:2 投稿日:2002年09月11日(水)22時52分21秒
- 途方にくれている私の元に、ほっそりとした手が差し出された。
「いいんです、そちらの……安倍さんの言ってることの意味はわかりますから」
そう言って、震える手で肩を少しはだけさせた。
襟の端に赤の光が煌煌と灯る。
「これで、よろしいですか?」
私は、なっちを少し厳しい目で見据える。なっちはそんな私と目を合わせな
いで、梨華ちゃんの印を凝視していた。
少しして、しっかりと結ばれた口元を崩す。
「うん、ありがとう」
いつものようにまん丸な笑みを梨華ちゃんに見せた。
- 25 名前:2 投稿日:2002年09月11日(水)22時53分06秒
- 「そう言えば、家ないんだったよね」
「はい……」
笑顔のままなっちが言った言葉に、梨華ちゃんは目を伏せる。
「じゃあ、矢口の家に泊まりなよ」
「「え?」」
私と梨華ちゃんの声がハモる。
「いいんですか?」
「矢口も親がいなくてさ、二人の方が何かと楽しいっしょ。ね?」
その言葉に、二人の視線が一斉に私のほうに向けられる。
いたずらっぽいなっちの視線と、捨てられた子犬のような梨華ちゃんの視線。
逃げ場は、ない。
「……いいよ」
「ありがとうございます!」
そう言って、梨華ちゃんは満面の笑みを浮かべた。なっちとは違った、月の
ような笑顔。
……こういう顔もできるんだ。
初めて見せたその笑顔に、私は自然と目を奪われていた。
これが私と梨華ちゃんの出会いだった。
- 26 名前:更新終了 投稿日:2002年09月11日(水)22時55分33秒
- >>16-25
>>15 名無しさん
ありがとうございます。もう一人出てきました。
- 27 名前:名無し読者 投稿日:2002年09月11日(水)23時17分40秒
- 赤と青…
何かおもしろそうです。
なちまり?なのかいしやぐにもなりそうな(w
続き楽しみです
- 28 名前:3 投稿日:2002年09月12日(木)19時10分36秒
- 私が梨華ちゃんと出会ってから、一週間ほどが過ぎた。
外には桜の花が散り始め、まるでじゅうたんのように家の前の通りに敷き詰
められている。
梨華ちゃんのその後の経過は順調で、傷もしっかりふさがり、私相手に笑顔
を見せてくれることも多くなった。
まだ長い距離を歩くのは辛そうだったけど、最近はよく家の周りを散歩して
いる。
「おっはよー」
玄関の方から声が聞こえて、私はパタパタと向かう。
途中、スリッパが脱げて転びかけたけど、近くにあったテーブルに慌ててつ
かまって事なきをえた。
予想通り、玄関にはなっちが立っていた。
「悲鳴みたいなの聞こえたけど、なんかあった?」
「何もない……」
プイと横を向いて、なっちの視線から逃れる。
なっちはまだまだ子供だから、弱みを見せたら笑顔でそこを弄繰り回すに決
まってる。
- 29 名前:3 投稿日:2002年09月12日(木)19時11分16秒
- なっちをリビングに通し――というか、勝手に入ってきたんだけど――昨日
買っておいたお菓子を出す。
「お茶でいい?」
「あ、おかまいなく」
この「おかまいなく」は、いらないという意味ではなくて、勝手に取るから
気にしないで、という意味。
冷蔵庫の中を荒らされるのもなんなので、さっさとお茶を取り出して、二人
分コップに注ぐ。
「そーいえば、梨華ちゃんは?」
お菓子を片手に部屋の中をキョロキョロ見渡していたなっちが、きょとんと
した顔で言った。
「散歩」
「へー、元気になったねぇ」
しみじみと言う。
梨華ちゃんがうちに住むことになってから、なっちは毎日のように私の家を
訪れた。
なんでもないような顔をしているけど、やっぱり彼女なりに梨華ちゃんのこ
とを心配だったみたいだ。
- 30 名前:3 投稿日:2002年09月12日(木)19時11分49秒
- 「ただいま」
玄関から、梨華ちゃんの声。
「帰ってきたみたいだよ?」
だねえ、となっち。
一心不乱に目の前にあるお菓子をぱくついている。昨日買ったばかりのお菓
子は、残り半分くらいにまで減っていた。
「あ、安部さん。いらっしゃい」
「おじゃましてます」
帰ってきた梨華ちゃんが、なっちを笑顔で迎える。
「梨華ちゃんもお茶でいーい?」
「あ、はい。ありがとうございます」
先程と同じように、今度は梨華ちゃんにだけお茶を注いでいると、なっちが
お菓子を勧めていた。
「あ、これはだめだよ。なっちのだから」
……しっかりと、自分の分だけは確保して。
- 31 名前:3 投稿日:2002年09月12日(木)19時12分27秒
- 「あ、そうだ」
三人で昼下がりの一時を満喫していると、なっちが突然声を発した。
そのまま梨華ちゃんのほうを向く。
「圭織が呼んでたよ。あ、えーと、巫女様なんだけどね」
「はぁ……」
なっちの言葉に、梨華ちゃんは曖昧な返事を返す。
代わりに、私が答えた。
「圭織が? なんだって?」
「さあ。梨華ちゃん一人で来いだって」
ふうん、と頷いて聞いてから、私は一つのことに引っ掛かった。
「あれ、なっち圭織のとこに行ったの?」
「うん、まあ」
「何で?」
その質問に、なっちは曖昧な笑みを浮かべる。
こういうときのなっちは、私がどれだけしつこく聞いても答えてくれること
はない。
最後まで、その憎めない曖昧な笑みで逃げ切ってしまうのだ。
- 32 名前:3 投稿日:2002年09月12日(木)19時12分59秒
- 私は諦めて、話を元に戻す。
「じゃあ、梨華ちゃん、圭織のとこに早めに行ってあげなよ」
「でも、その圭織さんって人は何処にいるんですか?」
あ、と私となっちの声がハモる。
そう言えば、梨華ちゃんは私の家に来てから、あまり遠出をしたことがない
のだ。
「そー言えば、あそこ結構遠いよねぇ」
なっちの漏らした一言に、私はウンウンと頷く。
「私、場所さえわかれば、遠い所でも大丈夫ですよ?」
そんな梨華ちゃんの言葉に、またしても私たち二人の唸り声が室内に響き渡
る。
その後、あーでもないこーでもないと話し合った結果、私たち二人付き添い
の元、梨華ちゃんを圭織の屋敷へ連れて行くことにした。
- 33 名前:3 投稿日:2002年09月12日(木)19時13分33秒
- 「中に入らなきゃついて行ってもいいよね?」
「別に構わないっしょ」
不安そうに言う私をよそに、なっちは至極リラックスした様子で、お菓子の
最後の一切れを口に放り込んだ。
「じゃ、行こっか」
「え、もう?」
「早く行ってあげなっていったの、矢口っしょ?」
「……そうだけど」
私はチラリと梨華ちゃんのほうに視線を向ける。
梨華ちゃんは穏やかに微笑んでいた。
「大丈夫です、行きましょう」
その言葉に、私は重い腰を仕方なく上げた。
- 34 名前:3 投稿日:2002年09月12日(木)19時14分44秒
- せっかくだということで、圭織の屋敷に向かう間に里の名所を案内して回る
ことにした。
圭織の屋敷へ行くために通る所だけなのだが、一つ一つ丁寧に教えて回ると、
予想外に多くの時間が掛かった。
「ここが、私の一番好きな場所」
そう言って、三人肩を並べて歩く。
通り一面に並ぶ桜の街路樹が、穏やかな春風に吹かれ、桃色の花びらを私た
ちの元まで運んだ。
花壇の花たちは、青葉の匂いを漂わせ、季節の変わり目を告げる。
ここを抜ければ、圭織の家はもうすぐだ。
梨華ちゃんの顔色を伺うと、思った以上に涼しい顔をしていて、安心する。
「綺麗ですね」
私の視線を返答待ちと勘違いしたのか、突然そんなことを言った。
それでも、梨華ちゃんの瞳は桜の花びらに吸い寄せられていて、この道を通
ってよかったと思った。
- 35 名前:3 投稿日:2002年09月12日(木)19時15分15秒
- 「ここが巫女様の屋敷」
「ここ……ですか」
広々とした屋敷に、梨華ちゃんが目をまん丸にして驚く。
「この里で、いーちばんでっかいべさ」
そう言ったなっちの瞳もまん丸に見開かれていて、梨華ちゃんと二人して笑
った。
「じゃあ、行ってきます」
「気を付けてね、ってのは変か」
梨華ちゃんはクスリ、と微笑むと、屋敷の中へ入っていく。
外には、私となっちだけが残された。
- 36 名前:3 投稿日:2002年09月12日(木)19時15分50秒
- なんとなく二人でいるのは懐かしいな、などと思いながら、なっちの肩に頭
を乗せる。
くすぐったいよ、なんて言いながら、なっちは避けもせず、私の髪を梳くよ
うになでる。
「そう言えば、何で梨華ちゃん呼ばれたんだろ」
それを聞いてなっちは、微笑を浮かべる。少しだけ、悲しげに見えた。
「さぁ。案外、なっちが前に梨華ちゃんに聞いたのと同じ理由かもしれないよ?」
「え?」
「圭織はなっちみたいに甘くないから」
私は、なっちの肩に乗せていた頭を離し、キッと睨む。
「なっち、まだ梨華ちゃんの色、疑ってるの?」
なっちは私の表情を見て、冗談だよと言って笑った。冗談じゃないのは私に
だってわかった。
その後は、二人無言で梨華ちゃんを待った。
- 37 名前:3 投稿日:2002年09月12日(木)19時16分22秒
- 梨華ちゃんが出て来たのはそれから十分くらい経った後だった。
「おかえり、どうだった?」
努めて明るい調子で聞く。
予想外にも、梨華ちゃんは微笑んでいた。
「この里のこととか色々教えてもらいました。飯田さんっていい方ですね」
なっちの方を向き、ほらねという表情を作って見せる。
なっちは、さっきと同じような微笑みを見せるだけだった。
「どうする、何処か見て回る?」
私の言葉に梨華ちゃんはプルプルと首を振る。
「なんか緊張したら疲れちゃって。このまま帰ってもいいですか?」
「あ、そだね。帰ろうか」
梨華ちゃんが思っていた以上に汗をかいているのに気付き、私は慌てて言葉
を返す。
なっちの方を見ると、なっちは未だに微笑んでいた。
そのまま来た道を引き返す。
なっちはいつまでも微笑んでいた。
- 38 名前:更新終了 投稿日:2002年09月12日(木)19時19分05秒
- >>28-37
>>27 さん
なちまり、いしやぐ。登場人物が、これだけで終わるとは限りませんよ?
- 39 名前:名無しさん 投稿日:2002年09月13日(金)17時31分54秒
- なっちとやぐちはもう結婚してるわけですか?
- 40 名前:4 投稿日:2002年09月13日(金)18時38分09秒
- 家に戻ると、私は真っ直ぐにベッドへと駆けて行き、そのまま体を埋める。
白い掛け布団で覆われたベッドは、ギシギシという音を立てながらも、柔ら
かく私を包んでくれた。
遅れて入ってきた梨華ちゃんは、その姿を見て苦笑する。
そうして、何も言わずに隅にたたんであった布団を敷いた。
「今日はもう寝ちゃいますか?」
私の言葉をしばらく待った後、梨華ちゃんは寝巻きへと着替えを始めた。
梨華ちゃんには、私の寝巻きではサイズが合わないので、以前になっちが間
違って買ったぶかぶかの寝巻きを着てもらっている。
そして着替え終わると、明かりを消して、そのまま布団に潜り込む。
しばらくの間、無言のときが流れた。
私はなっちと梨華ちゃんのことを考えている。
梨華ちゃんは一体何を思っているのだろう、と視線を動かしたら、物憂げな
表情の梨華ちゃんが映って、私は知らない振りをした。
- 41 名前:4 投稿日:2002年09月13日(金)18時38分46秒
- もうしばらく待って、再び梨華ちゃんを見る。
眠っているかな、と思ったけど、梨華ちゃんは未だに瞼を閉じてはいなかっ
た。
「……梨華ちゃん」
そっと囁いた声が、夜の闇に溶けていく。
微かに響いたその音に、梨華ちゃんは体の向きを変えた。
「まだ、起きてたんですか?」
先程のなっちと同じような曖昧な微笑み。
胸の奥がじわりと悲鳴をあげる。
「梨華ちゃんこそ」
気付けば、梨華ちゃんの表情はいつもと変わらぬものになっていて、幻でも
見たのかと錯覚した。
そう、月が見せる幻。
淡い光を放つ夜は、少しだけおしゃべりになる。
私は、なっちとのことを話した。
- 42 名前:4 投稿日:2002年09月13日(金)18時39分27秒
- 「なっちとは幼馴染なんだ……」
なっちのことを話すとき、私の心は穏やかになる。
それを知ってか知らずか、梨華ちゃんも穏やかに笑った。
「それでね、なっちはいつも私の横で笑っていてくれたし、私もなっちだけに
甘えた。ほら、私、親いないから」
カーテンの隙間から月影が漏れ、ああ今日は満月か、などと今更ながらに思
い出す。
「私たち、結婚するんだ」
思いの外、はっきりとした声が出て照れくささがこみ上げてくる。
梨華ちゃんは相変わらず、穏やかな笑みをたたえながら、黙って私の話を聞
いてくれていた。
「おめでとうございます」
そして、梨華ちゃんが久しぶりに発した言葉は、祝福の言葉。
まるで、ずっと昔からの友達のように、さらりと言う。
だから、私の中にも、その言葉は自然に溶け込んでいく。
「ありがと」
私も、圭織に言うように、ぶっきらぼうに言った。
- 43 名前:4 投稿日:2002年09月13日(金)18時40分48秒
- 「いつ結婚するんですか?」
「んと……一週間後の、今日」
言葉にすると、改めて実感する。
まだ幼い頃から待ち焦がれていた、その日。
「梨華ちゃんも来てね」
照れ隠しに、そんなことを言ってみた。
「当たり前です。絶対行きますよ」
それを真っ直ぐな言葉で返される。正直、嬉しかった。
「その後……」
「え?」
「あ、なんでもないです」
梨華ちゃんは少し慌てた風に会話を切った。
少し気になったけど、梨華ちゃんの声が少し眠そうだったのと、それ以上聞
いちゃいけない気がしたのとで、私は視線を天井に戻した。
- 44 名前:4 投稿日:2002年09月13日(金)18時41分38秒
- 消え入りそうな眠りの淵で、私はなっちのことを思う。
なっちは私の太陽だった。
いつでも、私のそばにいて、私のことを照らしてくれた。
いつだか、私は、梨華ちゃんの笑顔が月みたいだと思った。
でも、それは私自身を梨華ちゃんに映していたのかもしれない。
私は月。
なっちのそばにいることで、輝きを放つ。
今までも、そしてこれからも。
もうすぐ私はなっちと結ばれる。
太陽の下、永遠に輝く月となる。
- 45 名前:更新終了 投稿日:2002年09月13日(金)18時43分01秒
- >>40-44
>>39 さん
結婚してないです。
- 46 名前:名無し読者 投稿日:2002年09月14日(土)01時30分37秒
- どうなっていくんでしょうか…?
青の方がどうなるのか気になるね。
- 47 名前:名無しさん 投稿日:2002年09月14日(土)15時14分16秒
- りかちゃんは赤の人ですよね?
- 48 名前:5 投稿日:2002年09月15日(日)01時19分34秒
- ありふれた中にあって、普段とは違う夜更け。
深更の天井には、下弦の月が浮かぶ。
薫風が私の髪を揺らし、何処か遠くでカサカサという青葉の鳴き声が聞こえ
た。
辺りがしんと静まり返る中、私の意識は嫌にはっきりとしていた。
清夜の道を一人歩きながら、もうじき訪れる明日を思う。
夜が明け渡れば私は――
「矢口さん」
静寂の彼方から舞い降りた言葉に、私は後ろを振り返る。
少しぶかぶかした寝巻きを羽織った梨華ちゃんが、はにかんだ表情で佇んで
いた。
「眠れないんですか?」
「うん」
自然と口をついてでた。
きっと、今の私の心情など梨華ちゃんにはお見通しだから。
- 49 名前:5 投稿日:2002年09月15日(日)01時20分06秒
- 「よければ、話してくれませんか」
「え?」
言葉の意味を掴みきれなくて、思わず聞き返す。
梨華ちゃんの視線がすうっと彼方へ伸びる。吐いた息は、微かに白い。
「安部さんのこと。これからの二人のこと」
梨華ちゃんの瞳はきっと、見えない明日を捕らえている。
私も同じ方向を向くと、朧げな明かりが見えた気がした。
「……いいよ」
口元から柔らかな笑みが広がっていくのが、自分でもわかる。
「じゃあ、聞かせてあげる。私となっちの明日――」
そっと、そうっと包み込むように、大切に言葉を紡いだ。
沈黙の夜に私の声だけが響く。
終わらない物語。未来への物語。
梨華ちゃんは優しげな瞳で、私の言葉を受け止める。
- 50 名前:5 投稿日:2002年09月15日(日)01時20分37秒
- 「あ、矢口、こんな所にいた」
そんな私の物語に終止符を打ったのは、他ならぬなっちだった。
私はなっちへニコリと微笑む。
隣に梨華ちゃんがいるからか、少しだけ照れてしまった。
「ちょっと……話があるんだけど、いいかな」
なっちは隣にいる梨華ちゃんをちょっとだけ気にして、そう言った。
私はもちろんそれに、いいよと返す。
「じゃあそういうことで、梨華ちゃん、先に帰ってて」
今の私の顔はきっと、申し訳なさそうで、ちょっとだけはにかんでいる。
「はい、おやすみなさい」
梨華ちゃんは私たちの顔を交互に見ると、軽く頭を下げた。
「うん、おやすみ。ごめんね?」
なっちの言葉に、気にしないでください、と返すと、家に向かって駆けてい
く。
- 51 名前:5 投稿日:2002年09月15日(日)01時21分10秒
- 「で、どしたの?」
改めて、なっちの方を向く。
愛しい人の顔が、まるでスポットライトに当たっているかのように、暗夜の
中に浮かんだ。
「ちょっと、歩こうか」
なっちはばれないように視線を外すと、返事を待たずに歩き出す。
神妙な面持ちの、なっち。
微かに嫌な予感がした。
- 52 名前:5 投稿日:2002年09月15日(日)01時21分44秒
- 「そう言えばさぁ」
なっはくるりと反転して、後ろ向きで歩きながら言葉を紡ぐ。
「よくここで一緒に遊んだよねぇ」
なっちは遠くを見つめながら、楽しそうに笑った。
私の中にも、なっちとの十数年続く思い出が一個ずつ蘇ってきて、嬉しいは
ずなのに悲しくなった。
「そうそう、大抵圭織もいたっけねぇ」
先程までの微風は夜嵐へと姿を変え、私の小さな体を何処か知らない所へ吹
き飛ばしてしまおうとする。
私はじっとそれに耐えた。
「あ、ここで、矢口ったらいきなり転んでさぁ……」
「何が言いたいの?」
横からはさんだ私の言葉に、なっちの歩みが止まる。
笑顔が消え、先程まで盛んに動かしていた口も、しっかりとしめる。
「矢口とは結婚できない」
一際大きな風が、私たちの間を引き裂いた。
- 53 名前:5 投稿日:2002年09月15日(日)01時22分30秒
- 「え?」
自分でもわかるくらいに、私の顔が引きつる。
「ハハ…ちょっとやだなぁ、なっち、冗談はよしてよ……」
なっちは足元に向けられた視線を上げない。
二人の間を、永遠とも思える静寂が包む。
「まさか……本気、なの?」
黙ったまま、コクリと頷く。
「ちょっと、どうして!?」
自分で出した声に、自分の鼓膜が驚いた。
耳の奥の方がビリビリと嫌な振動音を立てる。
それでもなっちは何も喋らなくて、不覚にも涙が零れそうになった。
- 54 名前:5 投稿日:2002年09月15日(日)01時23分58秒
- 「好きな子がいるの……」
別に、驚くような話じゃなかった。なんとなく覚悟は出来ていたから。
でも、そんな簡単に諦められるわけもなくて、私は思いつく子の名前を涙声
のまま全部言ってやった。
なっちは、その全てに首を振る。
そして、穏やかに微笑んだ。
「後藤真希って言うの。矢口の知らない子だよ」
「どうしてそんなことがわかるの」
必死に食い下がる私を悲しげな瞳でとらえながら、なっちが言った言葉は、
私を驚かせるのに十分だった。
「――青の印を持つ子だから」
不意に目の前が真っ白になった。
- 55 名前:5 投稿日:2002年09月15日(日)01時24分37秒
- 「それって……でも……」
上手く言葉に整理できなくて、わけのわからない接続詞を繰り返す。
ぼやける視界に、花びらを落としきった桜の木が映った。
「でも、だから結婚しないって言われても、圭織に言っちゃったし――」
「大丈夫、圭織は知ってるから……」
あの時圭織の屋敷で感じたことは間違ってなんかいなかった。
全ては、私の知らない所で進んでいたんだ。
体がガクガクと震えてきて、嗚咽が溢れ出す。
その時そっと、上半身がフワリとした温かさに包まれた。
「風邪……ひくよ?」
私の肩には、なっちの羽織っていたカーディガンが掛けられていた。
優しかったなっちの笑顔。
これからもずっと一緒にいるはずだった、なっちの笑顔。
抑えきれない想いが溢れてきて、私はなっちをおいて走り出した。
「矢口!」
なっちの笑顔が、まるで桜の花びらのように、ひらひらと散っていくのが見
えた。
- 56 名前:5 投稿日:2002年09月15日(日)01時25分19秒
- 家の傍まで来て、私は走るのを止めた。
この時期には相応しくないような大量の汗が溢れてきて、私は途方にくれる。
家に向かう足取りも重く、やっとのことでたどり着いた。
ドアを開けると、家の中から微かな灯かり。
「あ、おかえりなさい」
梨華ちゃんが、にっこりと微笑む。
「梨華……ちゃ……」
視界が完全に閉ざされる。
手探りで進む気力もなく、その場に立ちすくむ。
「ど、どうしたんですか!?」
温かくて、苦しくて、私は梨華ちゃんの前で大粒の涙を流した。
- 57 名前:5 投稿日:2002年09月15日(日)01時26分04秒
- 「……そうだったんですか」
梨華ちゃんは、あくまで優しかった。
先程の出来事を、自分のことのように、辛そうな表情で聞いてくれる。
でも、そんな表情が私の一言で崩れた。
「後藤真希って言う子……らしいんだけど」
「え?」
梨華ちゃんに、微かな動揺が走る。
心なしか、血の気がひいているように見えた。
「何色…ですか」
曖昧な表現に私は首をかしげる。
「印の、色……」
梨華ちゃんは、何とか声を絞り出して、不安げに私の目を覗き込む。
けど、その瞳の色は、ある種確信めいたものを感じさせた。
「――青」
その瞬間梨華ちゃんの目が大きく見開かれた。
- 58 名前:5 投稿日:2002年09月15日(日)01時27分05秒
- 梨華ちゃんはいきなり立ち上がったかと思うと、私の手を引っ張り玄関へと
走る。
突然の出来事にどうすることも出来なくて、私はそのまま引きずられていっ
た。
「ちょっ…ちょっ…何、梨華ちゃん!?」
辛うじて、それだけ言う。
「行くんです!」
ハッキリとした口調で、梨華ちゃんが言葉を紡ぐ。
「安部さんと、ごっちんを止めに!」
「でも……」
その言葉に、私の足が止まる。
先程ズタズタに引き裂かれた心が大きな悲鳴をあげた。
「安部さん、死にますよ!?」
「え……」
死ぬ? 誰が?
全ての時間が止まったように錯覚する中、私は梨華ちゃんの促すまま明け方
の里へと駆け出した。
- 59 名前:更新終了 投稿日:2002年09月15日(日)01時30分02秒
- >>48-58
>>46 さん
とりあえず、青初登場です。これからも出て来ます。
>>47 さん
石川さんはどちらでしょう? 今回ので結構わかったかも。
- 60 名前:更新終了 投稿日:2002年09月15日(日)01時34分31秒
- てか、安部って誰。安部って……。
すみません、安倍でした。
- 61 名前:名無し読者 投稿日:2002年09月15日(日)02時39分11秒
- なちごまになるのか???
なちまりもなちごまも好きなんでどうなるかが気になるね…
- 62 名前:6 投稿日:2002年09月15日(日)17時43分33秒
- 朝焼けの里を私たちは必死に駆ける。
次々と景色が切り替わっていく中、私の瞳はしっかりとなっちの家を捉えた。
玄関には灯りが灯ってる。
時刻は五時。早起きななっちの親なら、もう十分起きている時間だ。
玄関の前まで行くと、都合のいいことになっちの親が新聞を取りに出て来た
所だった。
「あら、真里ちゃん」
ニコニコと微笑んだおばちゃんの顔は、汗をたらしている私ともう一人の少
女を見て、訝しげなものに変わった。
息が切れる。言葉が出てこない。
「こんな早い時間にどうしたの? なつみに用事?」
それを気遣ってか、おばちゃんの方から話題を振ってくれる。まとわりつい
た汗を振り払うと、虹色の雫が辺り一面に飛び散った。
「あの……なっち。なっちは家にいますか?」
え、と少し驚いた顔をした後、ちょっと待ってねと言って家の中に入ってい
く。
私と梨華ちゃんは、祈るような気持ちでおばちゃんの後ろ姿を見送っていた。
- 63 名前:6 投稿日:2002年09月15日(日)17時44分04秒
- ◇ ◇ ◇
- 64 名前:6 投稿日:2002年09月15日(日)17時44分38秒
- 「ちょっと、一帯何がどうなってるって言うのさ!」
傷心に浸る間もなく家から連れ出された私は、梨華ちゃんに合わせて走りな
がら、わけのわからない突然の出来事を梨華ちゃんに問いただしていた。
「安倍さんの家はどっちですか?」
「このまま真っ直ぐ!」
本当は足を止めて落ち着いて聞きたかったけど、頭のどこかが足を止めちゃ
駄目だって私に告げていた。
「矢口さんが先を走ってください!」
それには返事を返さず、私は黙ってスピードを上げる。
景色の変化が激しくなった。
梨華ちゃんは未だに何も答えない。もう一度聞こうかと後ろを振り向いた。
「赤と青の伝説、知ってますか?」
息も絶え絶えに梨華ちゃんは言葉を発する。
伝説? と訝しげに聞いた私も、大分息が切れている。
「――赤と青の、悲しいお話です」
その言葉は、私の耳に重く響き渡った。
- 65 名前:6 投稿日:2002年09月15日(日)17時45分23秒
- 「赤の里と青の里、どうして離れているかわかります?」
その言葉に私は眉をひそめる。
どうして離れているかなんて、今まで一度だって考えたことがなかった。
私が知っているのは、青の里の者とは一切の交流を持ってはいけないという
ことだけ。
「赤と青は惹かれあうからですよ」
「え?」
予想外の言葉に、思わずきょとんとしてしまう。
「赤と青は惹かれあってしまうから、一切の交流を持ってはならない」
別に惹かれあったっていいじゃん。そう言おうとした私の言葉は、口から出
る直前でもう一度飲み込まれる。
「その後に待っているのは、破滅だけだから」
それは、私が想像していた中で、最悪の答えだった。
- 66 名前:6 投稿日:2002年09月15日(日)17時46分06秒
- 「破……滅?」
喉がカラカラに渇いている。
必死に走っているせいかとも思ったが、どうやらそれだけではないらしい。
「赤と青が惹かれあった後は、共に消えるしかないんです」
現実感を伴わない言葉に、まるで自分までふわふわ浮かんでいるかのような
錯覚に陥る。
「つまり……どういうこと?」
その言葉に、梨華ちゃんが一瞬ためらうのが背中越しにわかった。
それでも、梨華ちゃんは言葉を止めなかった。
「二人とも――安倍さんもごっちんも、死んじゃうってことです」
すうっと、目の前に白い線が下りてきた。
走る先の光景が霞む。
汗のせいでは、なかった。
- 67 名前:6 投稿日:2002年09月15日(日)17時47分23秒
- ◇ ◇ ◇
- 68 名前:6 投稿日:2002年09月15日(日)17時48分10秒
- 玄関に再びおばちゃんが現れたのを見て、私と梨華ちゃんは掴みかかるよう
におばちゃんの傍に駆け寄った。
それに気付いたおばちゃんは、一瞬戸惑ったような顔をした後、曖昧に笑っ
た。
「昨晩家を出たっきり、まだ帰ってきてないみたい」
今日結婚式なのにねぇ、と申し訳なさそうに言う。
私と梨華ちゃんは思わず顔を見合わせた。
「ど、どこかっ!」
「どこか、思い当たる場所はありませんか?」
慌てて言葉に詰まる私に代わって、梨華ちゃんがなっちの居場所を聞く。
おばちゃんは、年に似合わず人差し指をあごに当てながらうーんと唸ると、
思いついたらしくパッと顔を輝かせた。
「そう言えば、あの子最近、外れの公園によく出入りしてるらしいのよね」
外れの公園。赤の里の端。それはつまり、青の里に最も近い位置。
「近所のタエさんが教えてくれたんだけど、何でそんな所に行ってたのかしら
ねぇ」
頭の中が妙にクリアになってくる。
間違いない。なっちはそこにいる。
「ありがとう、おばちゃん!」
私たちは再び、薄明の大地に駆け出した。
- 69 名前:6 投稿日:2002年09月15日(日)17時48分55秒
- 「確か、この辺り!」
私の声に梨華ちゃんが頷く。
次第に人気はなくなってきて、荒涼とした平野だけが広がる。
うっすらと射してきている明かりにも関わらず、未だ照らしつづける街灯の
光が目的地への到着を知らせた。
最後の力を振り絞って駆け込んだ先には、見覚えのある顔。
一緒にいる女の子は見たことがなかったけど、なんとなく誰なのかわかった。
あれが、後藤真希。
「なっち!」
私の声は、まだ目の覚めない辺りの空気を震わせ、確かになっちの元へ届い
た。
私たちに背を向けていたなっちより先に、後藤さんと目が合う。
「……!」
微かに、ヒッと言う声が聞こえて、それが誰から出た声か確認する間もなく
後藤さんは私たちが来たのと反対側に走っていった。
一瞬、彼女の全身に紫の印が見えた気がして、思わず私は目を凝らした。
紫の印など聞いたことがない。
きっと、気のせいだろうと思った。
- 70 名前:6 投稿日:2002年09月15日(日)17時50分38秒
- 後藤さんの後ろ姿が見えなくなったのを確認して、私はなっちに向き直る。
聞きたいことがたくさんあった。
許せないこともたくさんあった。
でも、それ以上になっちの顔が見たくて、私はなっちの元までフラフラと近
づく。
はっきり見えるくらいまで近づいたとき、なっちの首元から赤い印が覗いた。
愛しくなって、その印にそっと手を触れる。
ぬるりとした感触。
「え……?」
私は自分の手を覗き込んだ。
なっちの赤の印が私の手にべっとりと映っている。
いや違う。
――これは血だ。
「なっち!」
慌てて私はなっちの体を振り向かす。
驚くほどあっさりとなっちの体は反転した。
手を離せば崩れ落ちてしまいそうなほど軽い体だった。
- 71 名前:6 投稿日:2002年09月15日(日)17時52分05秒
- 「矢口……?」
かすれた声がなっちから漏れる。
その後むせ返ったなっちの口元から、大量の血が溢れ出した。
「ねえ、なっちどうしちゃったのかなぁ……。なんか苦しいよ……」
信じられない光景に私はただ口を紡ぐ。視界の片隅で、梨華ちゃんが目を伏
せるのが見えた。
「あれ、なんだべ、これ……。血? あ、そっかぁ……はは…ばちがあたった
んだぁ……」
なっちは混乱した中で、いつものように笑った。
意識しているわけではなく、自然と笑いが零れているようだった。
「やだなぁ……わかってたのに。こうなるってことわかってたのに……」
ゆっくりとした口調でたどたどしく喋る。
「何で、泣きたくなるんだろぅ……」
- 72 名前:6 投稿日:2002年09月15日(日)17時53分40秒
- 「なっ…ち……」
喉がカラカラに渇いて、巧く声が出せない。
なっちの笑顔と涙が、私の視界までも滲ませる。
「ごめんねぇ、矢口。辛かったよねぇ……。でも、やっぱり私、ごっちんが好
きなんだぁ……」
「喋らないで……!」
「やだなぁ……死にたくないよぉ……。ごっちんともう一度会いたいよぅ……」
そこまで言うと、なっちははじめて笑顔を崩した。
ぐちゃぐちゃに顔を崩して涙を流すなっちを、不謹慎にも私は綺麗だなんて
思ってしまったんだ。
「矢口……」
なっちが、私の手を取る。それは、触れるという表現に限りなく近い。
「ごっちんに……よろしくね……」
私の目にも、なっちの命の火が消えかかっているのが見えた。
- 73 名前:6 投稿日:2002年09月15日(日)17時54分41秒
- なっちの声。なっちの笑顔。
結婚するといったあの日、あれが嘘だったとしても、私は嬉しかった。
離れてしまったときには、目の前が何も見えないくらい真っ暗になってしま
って。
それでも今、私はなっちのそばにいる。
永遠の別れの瞬間、私はなっちのそばにいる。
だから、ごっちんによろしくなんて言うふざけたお願いにも、私は自然と頷
いてしまっていた。
「あり……がと、矢口……。ごめんね……最後まで……」
最後の最後で、なっちはいつものように笑顔を見せる。
私はきっと、一生この笑顔を忘れない。
だらりとなっちの首がうな垂れる。
「なっち!」
かすれる声で叫ぶと、大粒の涙が頬を伝った。
おやすみなさい、なっち。
願わくば、次生まれ変わるときも、幼馴染でありますように。
- 74 名前:更新終了 投稿日:2002年09月15日(日)17時55分54秒
- >>62-73
>>61 さん
本当にごめんなさい、としか言いようがないです……。
- 75 名前:名無しです 投稿日:2002年09月15日(日)22時37分56秒
- なっち…(涙…マジっすか…(涙
これからどんなお話になっていくのか想像がつきません…
めちゃめちゃ期待してます。
ごっちんの他にもまだ登場人物が出てくるのでしょうか…
期待してますんで、頑張って下さいm(_)m
- 76 名前:名無し読者 投稿日:2002年09月15日(日)22時47分32秒
- あぅ…この展開はキツイ…
いい感じの展開を期待してただけに…
- 77 名前:読んでる人@ヤグヲタ 投稿日:2002年09月16日(月)00時08分31秒
- 初めて読みましたが、非常に面白いです!
この先の展開も凄く楽しみしてます!
- 78 名前:名無しさん 投稿日:2002年09月16日(月)10時38分40秒
- 最初の結婚のはなしは嘘だったのですか。
そんで、なっちは死ぬことしってたのですか?
- 79 名前:7 投稿日:2002年09月18日(水)04時26分37秒
- 朝の光が山を越え、私たちの元へ訪れる。
鳥のさえずりの中、並木道を通り抜ける。
圭織の屋敷。
私と梨華ちゃんは、ドアの前で歩みを止めた。
先ほどの出来事が私の脳裏によみがえる。
いつも隣にいてくれた、なっちの最期。
「圭織、起きてる?」
ドアを叩きながら、起きているかどうかわからない圭織を待ちつづける。
圭織の家にはインターホンがない。
それというのも、巫女様と言う立場上、普段から「来るもの拒まず」という
姿勢をとっているからであるが、こういうときにはとても不便だ。
「ナンカ用?」
「うわっ!」
突然後ろから肩を叩かれて、私はその場で高く飛び上がった。
- 80 名前:7 投稿日:2002年09月18日(水)04時31分58秒
- 「何よ、失礼ね」
後ろを振り向くと、作ったような怖い顔で圭織が仁王立ちをしていた。
その顔を見ると、思わず涙が溢れ出す。
ポロポロ、ポロポロ。
もう出つくしたと思っていたのに、その雫は流れるのをやめない。
「ちょっと、そんなに怖かった?」
圭織は戸惑ったように――それで、少しだけ傷つきながら――私の頭をなで
た。
でも、それは逆効果で、さらに勢いよく零れていく。
「もう、とりあえず泣き止んでよ」
圭織は今度こそオロオロして、助けを求めるように後ろに控える梨華ちゃん
に視線を移した。
昔、なかなか泣きやまない私の頭を、なっちはよくなでてくれた。
- 81 名前:7 投稿日:2002年09月18日(水)04時32分34秒
- 「ごめんね、違うの」
涙声のまま、私は何とか言葉を紡いだ。
先程から必死に涙を止めようとしているけど、なかなか上手くいかない。
圭織の顔は懐かしすぎた。
まるで全てが過去のことになってしまったかような錯覚に陥った私を、現在
にひきとどめた。
「あれ……?」
不意に、圭織が怪訝な顔をする。
「今日って、なっちとの結婚式だよね」
しばらく黙った後、圭織は真剣な瞳で私を見据えた。どこか、確信に満ちた
瞳。
「なっちに、何かあった?」
そのままの瞳で、圭織は口を開く。
私は、嗚咽を漏らしながら、頷いた。
- 82 名前:7 投稿日:2002年09月18日(水)04時34分10秒
- 「なっちがどうしたの?」
私たち二人を、この間と同じ所に座らせた後、開口一番そう言った。
結婚の話をしたときと同じだなんて皮肉な感じもしたが、今の私には自嘲気
味に笑うことすらままならなかった。
ふと、圭織の言葉が、私の中で引っ掛かる。
そういえば、外で話をしたときにも、一つ耳に残っている言葉があった。
――なっちに、何かあった?
圭織はあの時、「なっちと」ではなく、「なっちに」と言った。
「なっちは無事なの?」
その一言で、私の中に湧いていた疑惑が確信に変わる。
「圭織、まさか――」
私の言葉に、圭織は目を伏せる。
「なっち、死んだんだね……?」
寂しげにそう言った。
- 83 名前:7 投稿日:2002年09月18日(水)04時34分44秒
- 「いつかこうなることはわかってた」
圭織は静かな口調で、そんなことを言った。
泣いているわけでも、取り乱しているわけでもない。
それが、なんとなく悔しかった。
「どうして?」
かすれた声で、何とかそれだけを言う。
気付けば、いつのまにか涙は止まっていた。
「赤と青の話、知ってる?」
どこかで聞いたような話だと思っていたら、梨華ちゃんの姿が視界の隅に映
った。
そうだ、確か梨華ちゃんから聞いた話。
「赤と青が愛し合えば……二人は死んでしまう」
私ではなく、梨華ちゃんが言う。
圭織はそれに、黙って首を振った。
「ちょっと違う。死ぬのは、片方だけだよ」
- 84 名前:7 投稿日:2002年09月18日(水)04時36分14秒
- その言葉に、私は先程の公園での光景を思い返す。
背中を向けたなっち。そのなっちより先に、私たちに気付いた後藤さん。そ
して、遠ざかっていく後藤さんの背中。
「そうだ……」
私の口から声が漏れる。
圭織は、それには構わず続けた。
「もう一人は生き残っちゃうの。でも……」
「でも、なんですか!?」
いつもとは違う強い口調で梨華ちゃんが続きを促す。それでも、圭織のほう
は急ぐわけでもなく淡々と話を進める。
「印が紫になるの。矢口たちも見たかもしれないわね。ええと、後藤さんだっ
け? 彼女の印、紫じゃなかった?」
「あ……」
「見たのね?」
私の漏れた声を、圭織はしっかりと拾う。
- 85 名前:7 投稿日:2002年09月18日(水)04時37分10秒
- 私の頭の中に走り去る後藤さんの背中が浮かんだ。
明け方の公園に残された紫の光。
あの時は勘違いだと思って気にもしなかったけど。
「……どうしてごっちんの事を知ってるんですか?」
黙る私をよそに、梨華ちゃんが口をはさむ。
「ごっちん? ああ、後藤さんのことね。なっちから聞いたから」
「え?」
私と梨華ちゃんの声が重なる。
その拍子に、私が手をかけていた机がミシリと嫌な音を立てる。
「じゃあ、ごっちんが青だってことも――」
「知ってたよ」
次の瞬間、私は机を越えて、圭織に掴みかかっていた。
- 86 名前:7 投稿日:2002年09月18日(水)04時38分18秒
- 「ふざけるな!」
怒りに任せ、思い切り圭織の胸倉を掴む。
それでも、身長の差はいかんともしがたくて、簡単に振り払われてしまった。
「何で止めなかったんだよ!」
必死に叫んだ声がこの部屋のどこかにある闇に、すうっと吸い込まれていく。
圭織の顔は伏せられていて、私が睨みつける先には、つややかな黒髪しかな
い。
「もう、無理だったんだよ……」
そんな中、圭織の小さな声が、ポツリポツリと漏れ始める。
圭織の体が、私よりもずっとずっと小さく見えた。
「赤と青は惹かれあう。惹かれあったら、もう誰にも止められないの」
先程梨華ちゃんが言っていた言葉を思い出した。
圭織の言っていることは、きっと正しい。
それでも、言いようのない悔しさが胸から口元にまでこみ上げてきて、私は
勢いよく椅子に座りなおした。
- 87 名前:7 投稿日:2002年09月18日(水)04時40分25秒
- 三人とも無言のまま、ずいぶんと時間が経った。
圭織が、そういえば、と言って手紙を取り出したのは時計が八時を回った辺
り。
「これ、なっちから、後藤さんに渡してって頼まれたんだけど」
宛名のない手紙だった。
「何で私に?」
「矢口じゃない。石川さんに。後藤さんの知り合いなんでしょ?」
梨華ちゃんは、コクリと頷く。
「多分もう、後藤さんはここには来ないと思うからさ。親友の最後の頼み、叶
えないわけにはいかないでしょ?」
梨華ちゃんがそれを受け取るのを見てから、私は席を立つ。
梨華ちゃんも慌ててついてきた。
- 88 名前:7 投稿日:2002年09月18日(水)04時41分04秒
- ドアに手をかけると、圭織に呼び止められた。
「何?」
思い切り不機嫌な声を出してやる。
「これ持ってきな」
圭織の手にあるのは見覚えのある紙だった。確か、結婚のことを話したとき
に私が書いた紙。
「いらないよ、そんなもの」
偽りの言葉。偽りの愛情。
あの時はもう、私とは結婚しないって決めていたはずなのに。
「いいから持っていきな。なっちからの、あの世でのプロポーズだ」
そう言って、無理やり手渡されたまま、仕方なく圭織の家を出る。
歩きながら、その紙を眺めていた。
しばらく眺めた後、いくつかの欄で私の視線が止まる。
住所の欄。そして結婚する日の欄。
日付は記されていなくて、住所の欄には私の知らない地名。
いや、聞いたことはあった。昔、なっちが話してくれた、夢物語のような天
国の話で。
――なっちからの、あの世でのプロポーズだ
なっちは馬鹿だ。圭織も馬鹿だ。
でも、それ以上に、何も気付いてあげられなかった私は、もっともっと大馬
鹿だ。
- 89 名前:7 投稿日:2002年09月18日(水)04時42分11秒
- 「矢口さん」
結婚届を読みふけっている私に、遠慮がちな声が届く。
「私、これをごっちんに届けようと思います」
なっちからの最後の手紙。
頼み込んででも届けてもらおうと思っていた。
「お願い」
その言葉に、梨華ちゃんは微笑を浮かべる。元気のない笑みだった。
「あのさ……」
だからというわけではない。だからというわけじゃないけど、私はいたたま
れなくなって梨華ちゃんに声をかけた。
「私もついて行っていい?」
「え?」
意外だったようで、いつもよりもさらに1オクターブ高い声を出す。
「なっちの最後のお願い、私にも手伝わせてくれないかな?」
困惑した表情で少し考えた後、梨華ちゃんはハッキリした調子で、はいと言
った。
- 90 名前:7 投稿日:2002年09月18日(水)04時43分49秒
- 「それでなんですけど」
私は遠慮がちに切り出した梨華ちゃんの方に視線を向ける。
「私、心当たりがあるんです」
そう言った彼女の瞳は、確かな力を帯びていて、私はただ黙って頷いた。
「じゃあ、そこに連れて行って」
「はい」
私たちは、いったん家に帰り、荷物をまとめるとすぐに出発をした。
これから行くのは、私が見たことのない場所。
そしてきっと、梨華ちゃんが本当に住んでいた場所。
私たちはなっちの思いを乗せて歩く。なっちの願いを叶えるために行く。
あの世でなっちと会ったときに、胸をはっていられるように。
風は冷たかった。
でも、もうすぐ夏がきて、これから暖かい風へと変わる。
それは、私たちの旅立ちに相応しいことのように思えた。
- 91 名前:更新終了 投稿日:2002年09月18日(水)04時49分59秒
- >>79-90
出かけていて更新が遅れました。
>>75 さん
まだ後数人出てきます。期待に応えられるように頑張ります。
>>76 さん
本当にすみません……。これに懲りず、読みつづけていただけたら幸いです。
>>77 読んでる人@ヤグヲタ さん
ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
>>78 さん
結婚、と言うこと自体は嘘かどうかわかりません。なっちは知っていた…のではないかと思います。
- 92 名前:8 投稿日:2002年09月20日(金)03時17分39秒
- 永遠に続くと錯覚させられる、荒涼とした道。
じわりと滲み出てくる汗を拭いながら、私は後ろを振り返った。
二人の足跡のみが残り、昨日まで暮らしていた赤の里の面影はもう見えない。
水筒の水を一口、口に含んだ。
「梨華ちゃん、後どれくらい?」
先程から、同じ質問ばかりを繰り返している。
「もうしばらく……。あと一日くらいで着くと思います」
そのため、梨華ちゃんの口から出る数字が、一日を切ることはない。
先の見えない旅というのは、苦しいものだ。
後いくらばかり歩けば、この体を休ませることができるのかわからない。
反対に、梨華ちゃんはその凛としたたたずまいを崩そうとしなかった。
一度歩ききった自信がそうさせているのかもしれない。
もしくは。
- 93 名前:8 投稿日:2002年09月20日(金)03時18分10秒
- 「そういえば、梨華ちゃんって、その……後藤さんと知り合いなんだよね」
私の問いかけに、梨華ちゃんは先を見つめる真剣な表情のままで振り向いた
が、程なくしてその相好を崩した。
「はい。……幼馴染なんです」
そう言って、柔らかく微笑む。
今までのどの話をしたときよりも、梨華ちゃんは幸せそうに笑った。
「へぇ……」
私も笑い返そうと思ったけど、上手く笑えなかった。
だって、後藤さんと幼馴染って言うことは――
「すみません」
何がすみませんなのか、梨華ちゃんは笑みを湛えたまま頭を下げる。
なんだか、近所のおばさん同士がする挨拶によく似ていた。
私は一呼吸置いてから、何、と言った風に首を傾げて見せる。
「……印のこと」
- 94 名前:8 投稿日:2002年09月20日(金)03時18分47秒
- あ……。
わかってたんだ、私が気付いていたこと。
わかっていて、それも全部ひっくるめて、梨華ちゃんは笑っていたんだ。
「青、だよね?」
「はい」
私の言葉に素直に頷く。
以前、梨華ちゃんが見せた赤の印を思い出す。
赤く照らし出されたあの印を信じていたのは、きっと私だけ。
なっちも圭織も、梨華ちゃんが青の里の者だって知ったうえで、追い出そう
としなかったのだ。
「嫌になりました?」
「え?」
梨華ちゃんは相変わらず柔らかに顔をほころばせている。
ゆるうりとした風に吹かれて、私はうす青い空を見上げた。
「別に」
手を後ろに組み、空を見上げたまましばらく歩く。
「そっか、よかった」
梨華ちゃんの表情は私の視界には映らなかった。
きっと、笑っていたのだろう。
- 95 名前:8 投稿日:2002年09月20日(金)03時19分56秒
- 「そろそろ一休みしますか?」
梨華ちゃんがそう提案したとき、私は既に肩で息をしていた。
日ごろの運動不足が恨めしい。
「……うん、そうしよ」
そんな私の姿を見て、梨華ちゃんはクスリと微笑む。
太陽はてっぺんを少し越した所にあって、なまぬるい空気が私の体にまとわ
りついた。
「はぁ、疲れた……」
草むらに大の字で寝転び、遠い空を全身に感じる。
なっちはきっと、あんな遠い所に行っちゃったんだ。
そう思うと、今更ながらに涙が滲んだ。
そんな自分が無性に恥ずかしくなって、そばにいるはずの梨華ちゃんを伺う。
梨華ちゃんは、何のために建っているかわからない石像に体を預けていた。
- 96 名前:8 投稿日:2002年09月20日(金)03時20分47秒
- 「だんだん暑くなってきましたね……」
そう言って遠い目で、進行方向――おそらく青の里――を見つめる。
こうやって遠い目をしているときの梨華ちゃんの横顔は、たまらなく可愛い
と思う。
それは、なっちや圭織の可愛さとはまた違ったものだ。
「そだね」
呆けたように、その「たまらなく可愛い横顔」を眺めながら、私はなんとな
く相槌を打った。
多分梨華ちゃんも、なんとなくその相槌を聞いていた。
- 97 名前:8 投稿日:2002年09月20日(金)03時22分00秒
- 「そうだ」
唐突に発した私の声に、梨華ちゃんはゆっくり視線を向けた。
「後藤さんのこと、話してくれない?」
「ごっちんのこと?」
梨華ちゃんは一瞬きょとんとした表情になって、それから何かを思い出すよ
うに視線を遠くに向ける。
それを見て、隣に座りたいな、なんてことを思う。
「ほら、自分の婚約者が、どんな子にうつつを抜かしたのか知りたいじゃん?」
「あはは、いいですよ」
梨華ちゃんは、本当に可笑しそうに笑った。
それから、ポツリポツリと言葉を紡ぎだす。
「じゃあ、昔の話。ずうっと昔の」
- 98 名前:8 投稿日:2002年09月20日(金)03時23分09秒
- 「小さい頃私は泣き虫でした。それが理由でいじめられたりして……」
突然自分のことを話し始めて梨華ちゃんに、私は訝しげな顔を送る。
それでも、梨華ちゃんは構わずに続けた。
「でも、一度だって生きるのがつまらないなんて思わなかった。……どんなと
きだって、ごっちんが助けに来てくれたから」
そこまで言ってから、また柔らかく微笑んだ。
そこでようやく気付いた。
「ごっちんはそんな風に、すごくすごく優しい人」
梨華ちゃんは、後藤さんのことを愛しているんだ。
多分、私がなっちのことを好きなのと同じくらい。
- 99 名前:8 投稿日:2002年09月20日(金)03時23分51秒
- それに気付いた途端、私の中に悔しさが膨れ上がった。
「でも、後藤さんはなっちを殺した」
それは、こんなに愛した梨華ちゃんを裏切った、ごっちんに対して。私を裏
切った、なっちに対して。
でも、梨華ちゃんはふるふると首を振る。
「あれはきっと、二人とも覚悟の上だったんです」
どうしてそんなことがわかるのさ、と叫びそうになって、直前で言葉を飲み
込んだ。
なっちが、赤だと言った梨華ちゃんを疑ったとき。
――矢口は、会っちゃ駄目って言う言葉の意味を理解してない
きっと、あのときになっちはもう、全てのことを覚悟していた。
- 100 名前:8 投稿日:2002年09月20日(金)03時25分59秒
- しばらくぼうっと高い空を見ていた。
体の熱も大分ひいてきて、ぬるいと思っていた風も心地よく感じる。
「梨華ちゃん、そっちっていい?」
梨華ちゃんを伺うと、フワリと頷いていた。
梨華ちゃんが動くと柔らかな風が吹く。
私はそれに流されるように、彼女の隣に腰をおろした。
「ナンカこうしてると、眠くなってくるねぇ」
隣から、クスクスという笑い声が漏れた。
ジロリと睨んでやると、梨華ちゃんは慌てて視線を逸らした。今度は私のほ
うが笑った。
こういうのも悪くない。
そのまま眠気に身を任せ、梨華ちゃんの肩にもたれかかる。
ピクリと反応した。
「あ、ごめん」
「そのままで構わないですよ?」
起き上がろうとする私を優しく制する。
眠かったこともあって、私はその言葉に甘える事にした。
- 101 名前:8 投稿日:2002年09月20日(金)03時26分37秒
- 暖かい海を泳いでいる感覚。
白日にさらされプカプカと何処までも泳いでいく。
意識が朦朧としてきて、深い闇の中に落ちていこうとしたとき、なっちの顔
が脳裏に浮かんだ。
慌てて起き上がる。
「……矢口さん?」
怪訝そうな表情の梨華ちゃんに、私は何でもないと返す。
激しい鼓動が胸の内を叩いた。
果てしないまでの罪悪感。
まさか、こんなに早く、誰か違う人の中に温かさを見出してしまうなんて。
そんな自分が信じられなくて、悔しくて、それでも日の光は私を照らしつづ
けるという事実だけが、そこにはあった。
- 102 名前:更新終了 投稿日:2002年09月20日(金)03時27分12秒
- >>92-101
- 103 名前:読んでる人@ヤグヲタ 投稿日:2002年09月20日(金)12時43分33秒
- 矢口は石川に惹かれつつあるようですね。
続きが気になります。
- 104 名前:名無し読者 投稿日:2002年09月30日(月)22時21分20秒
- 読んでてせつなくなりました。。。
これからの展開に期待です。
- 105 名前:名無し読者 投稿日:2002年10月01日(火)12時14分59秒
- 続きが凄く気になりますーw
- 106 名前:名無し読者 投稿日:2002年10月13日(日)14時39分42秒
- やぐちさんどうなるのでしょう・・・・・?
- 107 名前:9 投稿日:2002年10月14日(月)02時09分13秒
- 風が吹いた。
舞い上がる花びらが、確かに私たちの行く先を示した気がして、短い休憩を
切り上げる。
それでも日はずいぶんと落ちてきている。
しばらく歩いた後、今日の到着は難しいかも、と梨華ちゃんが言った。
茶色で覆われた大地は、死んでいる色のように見えた。
踏みしめるたびに煙が舞い、風がそれを流す。
無言のまま歩みを進めれば、次第に日も暮れ、茶色の世界は闇に覆われる。
微かに灯る春月の佇まいがたまらなく愛しく感じられた。
- 108 名前:9 投稿日:2002年10月14日(月)02時09分48秒
- ジャリ、という音を残し梨華ちゃんが足を止めた。
月影に照らされた顔をわずかに崩す。
「今日はここで休みますか?」
梨華ちゃんの視線の先には古びた小屋が建っており、光のない空間の中で、
ひたすらに存在を隠している風だった。
ひたすら前だけ見て進めば、まず気付かない。
「もしかして、青の里に大分近づいてる?」
コクリと頷く。
立ち止まったためか、足は小刻みに震え、冷たい汗が朧月夜の風に晒される。
「このまま行こう」
梨華ちゃんは、気付かれないように私の様子を盗み見た。
そしてもう一度、コクリと頷く。
霞む闇の先に、梨華ちゃんの笑顔が見えた気がした。
だから私も、笑い返した。
- 109 名前:9 投稿日:2002年10月14日(月)02時10分41秒
- あれから一時間。
正確な時間はわからないけど、多分それくらいだと思う。
はるか遠くに光が見えた。
初めは星か何かだと思っていたが、近づくにつれ大きくなるその灯りに私は
確信を持った。
「……着いたね」
「はい」
彼方に見える温かな煌きは、人の匂いがする。
固く冷たい道を歩いてきた私には、それがわかった。
自分の服の色がわかるくらいまで里に近づいたとき、梨華ちゃんが一歩前に
出た。
その横顔は少しだけ綻んでいた。
トットットッと数歩前に出た後、クルリと振り返る。
今度は、はっきりとした笑顔。
「青の里へようこそ」
私は星月夜を見上げる。
ほんの数時間前に比べて、明かりはずいぶんと薄れている。
ようやく、着いた。
- 110 名前:9 投稿日:2002年10月14日(月)02時11分46秒
- 梨華ちゃんに連れられるままに青の里を歩く。
既に深夜ということもあってか、人の姿は見えない。
短い間隔で建てられた街灯が私たちの行く先を照らし、梨華ちゃんは堂々と
光の下を歩いた。
橋を一つ越えて、大きな木の立つ十字路を右に折れる。
五分ほど歩いた先で、梨華ちゃんが足を止めた。
「ここです」
そう言って再び歩き出した梨華ちゃんの後を、慌てて追いかける。
- 111 名前:9 投稿日:2002年10月14日(月)02時12分24秒
- 梨華ちゃんが向かった先は、そこそこ新しそうな一軒家。
カーテンの隙間から淡い光が覗いている。
それを見た梨華ちゃんは、呼び鈴を確実に一回だけ押した。
少し間を置いて、はーい、という声が響く。そしてドアが開いた。
背の高い少女が顔を出し、あっ、と声を出す。
息を呑む音が私にまで聞こえた。
「梨華、ちゃん……」
「久しぶりだね、よっすぃー」
月のように笑った梨華ちゃんの先で、彼女は青白く照らされた顔を動かさず
にいた。
- 112 名前:9 投稿日:2002年10月14日(月)02時13分06秒
- 私たちは、すぐに中に通された。
家の中は柔らかな花の匂いがする。芳香剤とは違った、自然な匂い。
リビングには大きなソファーが置いてあって、梨華ちゃんはごく自然な動作
でそれに座る。
所在なげに佇む私に、よっすぃーと呼ばれた少女がどうぞと声を掛けた。
そして申し訳なさそうに笑う。
「吉澤ひとみです。よっすぃーって呼んでください」
そう言った彼女の瞳には、優しさと凛々しさの色が見えた。
「久しぶりだね」
梨華ちゃんは、そう言って静かに笑った。
ハハハでも、フフフでもない。梨華ちゃんは本当に静かに、風のようにそよ
そよと笑うのだ。
「うん、梨華ちゃんまでいなくなっちゃうのかと思った」
対して彼女は、相変わらず申し訳なさそうに笑う。
癖なのだろう。
そして、この二人が笑いあう様は、不思議と絵になった。
- 113 名前:9 投稿日:2002年10月14日(月)02時14分11秒
- 「あのね、いきなりだけど」
唐突に梨華ちゃんが切り出す。
「うん」
よっすぃーも、笑みを絶やさずに頷く。
「ごっちんを探してる。急いでるの」
「……うん」
もう一度頷いた。
緊迫した場面のはずなのに、二人の間には穏やかな空気が流れる。
私は、よっすぃーの持ってきた紅茶に口をつけた。
湯気がゆうるりと立ち上っていく。
- 114 名前:9 投稿日:2002年10月14日(月)02時15分28秒
- 「心当たりない?」
その言葉に、よっすぃーはもう一度申し訳なさそうに微笑み、言った。
「あるよ」
梨華ちゃんが紅茶を口に運ぶ。
カップをソーサーに置くと、カチリと鋭い音がした。
「そう」
梨華ちゃんはそれだけを言った。
その後、黙ってよっすぃーの方を見つめる。
よっすぃーの言葉を待っているのだ。
私にわかるということは、彼女にだってきっとわかっているのだろう。
- 115 名前:9 投稿日:2002年10月14日(月)02時16分07秒
- 「ごっちん、一度家に来たんだ」
梨華ちゃんは穏やかに、いつ、と聞いた。
「昨日」
よっすぃーも穏やかに返す。そして苦笑する。
「ごめん、止められなかった」
「……うん」
頷きながら曖昧に笑った梨華ちゃんは、紅茶を飲むと席を立った。
「ごめん、残しちゃったけど」
茶色の液体が、静かに波打つ。
「紫の里にいるよ」
気にしないで、と言う代わりに、よっすぃーはごっちんの行く先を言った。
梨華ちゃんが私を見た。
私も席を立つ。
ごちそうさま、と言うと、よっすぃーは相変わらず申し訳なさそうに笑って、
今度こそ、気にしないでください、と言った。
そうして、私たちを玄関の所まで見送ってくれた。
- 116 名前:9 投稿日:2002年10月14日(月)02時16分40秒
- 「梨華ちゃん」
梨華ちゃんがドアノブに手をかけたとき、よっすぃーが思いついたように声
を掛ける。
私たちが振り向くと、彼女は真剣な表情をしていた。
「ごっちんを助けてあげて」
梨華ちゃんはそれに対して、ただ笑って見せた。
外には相変わらず朧げな月が出ていて、街灯の灯りに紛れてしまっている。
「行きましょう」
街灯のせいか、月のせいか、いつもより白く染まった梨華ちゃんが、ただそ
れだけを言う。
私はなんとなく、後藤さんとの出会いが近いのだと感じた。
- 117 名前:更新終了 投稿日:2002年10月14日(月)02時23分27秒
- >>107-116
更新遅くなりました。
もう、なんて言ったらいいかわからないですけど、本当にごめんなさい。
>>103 読んでる人@ヤグヲタ さん
今回は矢口さん出番ありませんでしたが、次回こそは……。
>>104 さん
自分は痛いの書くの得意じゃないんですが、そう言ってもらえて嬉しいです。
>>105 さん
笑うとこじゃないから。笑うとこじゃないから。待たせて本当にごめんなさい。
>>106 さん
矢口さんがどうなるのか……。期待以上の話を書けるように頑張ります。
- 118 名前:読んでる人@ヤグヲタ 投稿日:2002年10月14日(月)13時38分36秒
- 放棄じゃなくて良かった♪
- 119 名前:名無し読者 投稿日:2002年10月14日(月)15時49分58秒
- 放置じゃないだけ嬉しいです。
頑張ってください。
- 120 名前:10 投稿日:2002年10月22日(火)02時06分00秒
- ひたひた、という音が聞こえそうなほどゆっくり歩いて、里を出た辺りの所
で休憩を取った。
一日歩ききった体はもうとうに悲鳴をあげていて、そのまま崩れるように倒
れこむ。
「大丈夫ですか?」
梨華ちゃんがそっと囁きかける。
当然彼女だって疲弊しているわけで、私は黙ってその言葉に微笑んだ。
うすら明るい朝焼けの空に、ぼんやりと靄がかかる。
疲れの為か、自然と意識が闇へと落ちて行きそうになった。
それでも微かな意識下で、私は梨華ちゃんへと視線を這わせた。
遠い瞳。
はるか遠くを見据えるその瞳の先には、何が映るのだろう。
今なら、なんとなくその正体がわかる気がする。
でも、彼女の見据えた先が本当に私たちのゴールなのか、私にはまだわから
なかった。
- 121 名前:10 投稿日:2002年10月22日(火)02時07分11秒
- 瞼の向こう側に光を感じて、私は目を開いた。
空のてっぺんには丸い太陽が燦然と輝いていて、覚醒しきらない意識の中、
朝が来たことだけはわかった。
「朝か……」
なんとなしに呟いてみる。
「もうお昼ですよ、矢口さん」
斜め上方から声が降り注いで、その声は私の頬を熱くさせた。
「……疲れてたんだからしょうがないじゃん」
「別に責めてないですよ」
フワリと笑う。
こんな笑顔を見せられたら、私にはもうどうすることも出来なくて、仕方な
く、そっかと言って頷いた。
- 122 名前:10 投稿日:2002年10月22日(火)02時07分48秒
- 「そういえばさぁ」
既に出発の準備を終えたらしい梨華ちゃんの後に続き、私も立ち上がる。
「はい?」
梨華ちゃんは、その細い首筋を微かに傾けた。
「よっすぃーってかっこいいよね」
一瞬だけきょとんとした表情になって、すぐに吹きだした。
何がツボにはまったのかわからないけど、しばらくの間可笑しそうにクスク
スと笑う。
- 123 名前:10 投稿日:2002年10月22日(火)02時08分19秒
- 「でしょ? 自慢の幼馴染です」
ようやく落ち着いたらしい梨華ちゃんが、穏やかな声音で言った。
その声は、まるで昔から知った声のように、すんなりと体の奥にまで染み込
んでいく。
「幼馴染ってことは……」
「はい」
呟いただけなはずの私の言葉を梨華ちゃんは丁寧に拾い、返事を返した。
そして、目的地に向かいゆっくりと歩き出す。
「ごっちんと私と、よっすぃー。昔っから仲良しなんです」
きっと笑おうとしたのだろう。
でも、ごっちんと言ったときの彼女の顔は、笑っているような泣いているよ
うな、曖昧な表情だった。
- 124 名前:10 投稿日:2002年10月22日(火)02時08分51秒
- 青の里から遠ざかるにしたがって、次第に人の気配を消していく道を、私た
ちは無言のまま歩いた。
太陽が四十五度の辺りまで傾いたあと、梨華ちゃんがポツリと言葉を発した。
「気付きました?」
何のことだかわからない私は、黙って首を傾げる。
「青の里って、巫女がいないんです」
長居したわけじゃなかったし、それがさして重要なことには思えなかったか
ら、私は、ふーん、とだけ言った。
「そんな、ふーんって……」
「いや、だって、返答しようがないし」
落ち込んだように俯いた彼女を、必死に慰める。
髪の毛で隠れた口元から、微かに舌が覗いた。
「ちょっと、梨華ちゃん!」
からかわれてることがわかって、私は声を荒げる。
予想通り、梨華ちゃんはこらえきれないとでも言ったように、思い切り吹き
だした。
- 125 名前:10 投稿日:2002年10月22日(火)02時09分37秒
- 「でもね、昔はいたんです」
気を取り直して、もう一度話し始める。
「昔……?」
また落ち込まれたりからかわれたりしたら敵わないから、私も相槌を打つ。
「はい。赤と青がまだ一緒に住んでいた頃」
「え?」
その言葉は、私に少なからず衝撃を与えた。
赤と青が一緒に住んでいた頃。そんな歴史を、私は知らない。
「どういうこと?」
「私も詳しくは知りません。でも、赤と青が一緒に住んでいた頃には二色の巫
女がいて――もちろん神主のときもありましたけど。それで今は赤の里だけに
しかいない。これは、事実なんです」
彼女には珍しく早口でまくし立て、ふう、と大きな息をついた。
- 126 名前:10 投稿日:2002年10月22日(火)02時11分15秒
- 「それって……」
梨華ちゃんに聞かせるためではなく、自然と言葉が口を付いて出た。
共に暮らしていた頃にはどちらにも巫女はいて、離れて暮らすようになって
からは赤の里にだけしかいない。
普通に考えれば、逆ではないのか?
霧のように深く閉ざされた思考の奥の方で、微かな光が見えた気がした。
梨華ちゃんも、コクリと頷く。
目的地も知らないのに、足が自然と速まった。
青の里にきたことは間違いじゃない。
赤の里だけでは見えなかった世界。
赤と青の伝説、というだけで納得できるわけもないなっちの死。
梨華ちゃんが今、何処に向かっているのかはわからない。
でも、自分は今確かに進んでいる。そんな実感だけが何故かここにあった。
- 127 名前:更新終了 投稿日:2002年10月22日(火)02時15分32秒
- >>120-126
遅いうえに短いですが、更新終了。
次回分書き途中なのですが、10の続きにするか11にするか迷っています。
>>118 読んでる人@ヤグヲタ さん
いつもありがとうございます。頑張ります。
>>119 さん
ありがとうございます。放置せずに頑張ります。
- 128 名前:読んでる人@ヤグヲタ 投稿日:2002年10月22日(火)12時05分34秒
- 謎は深まるばかり・・・全てのカギは紫の里にあるのかな?
- 129 名前:11 投稿日:2002年10月24日(木)14時46分33秒
- 薄暗い空に、鳥が舞った。
次から次へと枯れ木を飛び移り、視界の端の方へと消えていく。
そこにあるはずの緑はない。
春が過ぎ行き、夏を待ちわびる季節。赤の里では緑薫る、この季節において
もだ。
確かに、ここに入ったときから異様な雰囲気は感じられた。
瘴気とでも呼ばれるような、ひやりとした風が体に纏わりつき、嫌な汗が頬
を伝う。
梨華ちゃんもそれを感じ取ったのか、微かに笑った。
私は梨華ちゃんの右手にそっと触れる。
たったそれだけのことでも、不思議と不安は振り払われる。まるで、なっち
がいた頃のように。
- 130 名前:11 投稿日:2002年10月24日(木)14時47分12秒
- 「ここが、紫の里です」
梨華ちゃんが、重々しげに口を開く。
しかし、そこは里といった雰囲気ではなく、どちらかと言えば墓地のように
ひっそりとしていて、人の気配がまるでない。
そこまで考えて、私はすぐにその考えを訂正した。
人の気配はほとんどない。
たったの三人だけ。
私は、梨華ちゃんの右手をギュッと握り締め、真っ直ぐ先を見据えた。
「久しぶり、でいいのかな。後藤さん?」
呆けたような表情だった後藤さんの瞳に、確かな光が宿る。
あの日、夜陰の下で慌てふためいていた後藤さんとはかけ離れたイメージに、
戸惑いが生まれた。
- 131 名前:11 投稿日:2002年10月24日(木)14時48分12秒
- 「ごっちん」
そんな私の横から、柔らかな声が聞こえる。
彼女は、私の左手を離すと、ゆるりと歩を進めた。
「……梨華ちゃん」
後藤さんから、私と同じ色の空気が滲み出る。戸惑いの色。
「久しぶりだね」
何もなかったかのように梨華ちゃんが言葉を発する。
一瞬だけかっとなって、驚くほど急激にそれは冷めていった。
斜め後ろから見た梨華ちゃんの瞳が、揺れていた。
それには応えずに、後藤さんがチラリと後ろを見やる。
そこには、厳然と門が佇み、その先を深い霧で覆い隠していた。
紫の紋様が刻まれた門。それはまるで、後藤さんの肌を張り付けたかのよう
な。
- 132 名前:11 投稿日:2002年10月24日(木)14時49分29秒
- 「あはっ、可笑しいでしょ。紫の印だって」
自嘲気味に後藤さんが笑うと、それに呼応するように紫の印が輝いた。
赤でも青でもなく紫。その紫が一点だけではなく、後藤さんの体中へ広がっ
ている。
肌を這いまわる、紫の毒蛇のように見えた。
笑みを浮かべたまま、右手を門の前にかざす。――そして、触れた。
先程とは比べ物にならないほどの光が彼女を覆い、私たちの視界を紫で覆う。
なっちを愛したが故のなれの果て。
私は、ほんのわずかの間、瞳を閉じた。
梨華ちゃんは何も喋らない。
後藤さんの傍に行けば、もっと取り乱したりするのかとも思ったが、至って
普通に、彼女の仕草の一つ一つを追っている。
ただ、瞳だけが揺れていた。
- 133 名前:11 投稿日:2002年10月24日(木)14時50分29秒
- 「そういえば、よくここだってわかったね」
後藤さんは右手を門から離すと、ニヤリと笑って見せる。
「私だって、ただごっちんが赤の里に行くのを眺めていたわけじゃないもの」
梨華ちゃんの瞳の揺れが止まった。
凛とした佇まい。
その細い体を精一杯大きく見せて、真っ直ぐに後藤さんを見据える。
「紫の里の意味がこんなことだなんて、初めて知ったけど」
「ごとーもだよ」
私は二人のやり取りを黙って見つめる。
一生交わらないと思っていた青の里の者たちと、今こうしてここにいる。
なっちを愛した人と、その彼女を愛す人。
三種の色が交わり、それぞれの思いを抱えながら佇んでいた。
- 134 名前:11 投稿日:2002年10月24日(木)14時51分36秒
- 「ごっちん、死ぬ気でしょ?」
私の体が、ビクリと震える。
それを知ってか知らずか、後藤さんは相好を崩した。
「あはっ、死ぬなんて人聞き悪いなぁ。なっちに会いに行くって言って」
「……安倍さんに?」
「ん、梨華ちゃん、なっちのこと。……あ、そっかそっか」
梨華ちゃんともよっすぃーとも違った、ふにゃりとした笑顔で、後藤さんが
言う。
「あの時公園に来たのって、梨華ちゃんたちなんだ。ってことは、そっちが真
里ちゃん?」
いきなり名前で呼ばれ、ドキリとする。
でも、そんな表情は見せずに、私は黙って頷いた。
「ふーん。まあ、なっちの口から梨華ちゃんの名前を聞いたときにはびっくり
したけどね」
なっちとの仲の深さを見せ付けられた気がして、ポケットの中で強く拳を握
る。
何か紙のような物が、くしゃりと音を立てて丸まった。
手紙。
- 135 名前:11 投稿日:2002年10月24日(木)14時52分36秒
- 「紫の里ってなんなのか、知ってる?」
唐突に、後藤さんが切り出した。
梨華ちゃんは黙って首を横に振る。
「梨華ちゃんもそこまでは調べられなかったかー。へへっ、ごとーの勝ち」
今度は、無邪気に笑う。
梨華ちゃんの風のような微笑みも、よっすぃーの申し訳なさそうな笑顔もど
ちらも素敵だったけど、後藤さんのはそれ以上だった。
いや、比べる土俵自体が違っているのかもしれない。
後藤さんの千差万別な笑みは、どれもこれも彼女によく似合っていて、嫉妬
すら生まれない。
彼女が、なっちを愛した人。そして、なっちに愛された人。
「この門をくぐるとね、死んだ人に会えるんだ。ううん、私のせいで死んだ人、
かな」
間違いなく、なっちのことだ。
あそこをくぐればなっちに会える。
それはひどく甘美な誘惑だった。
「だから紫色の印を持った人たちは、みんなここに集まるの」
それで紫の里、そう続けて、クスリと笑った。
- 136 名前:11 投稿日:2002年10月24日(木)14時53分08秒
- 「そんなの、ただの気休めに決まってる」
梨華ちゃんが、凛然と言葉を紡ぐ。
「ごっちんにだってわかってるんでしょ?」
責めるような、懇願するような瞳。
それでも、後藤さんは笑みを絶やさない。
「でもさぁ」
笑みを消し、梨華ちゃんを見据える。
「なっちだけ、あの世に行かせるわけにはいかないじゃん」
そしてもう一度、笑った。
私は、その笑顔から視線を外せなかった。
胸を掻き毟られそうなほどに、悲しい微笑。
私なら、命をかけてなっちを愛せただろうか?
わからない。わからないけど、命をかけてなっちを愛す人の笑顔が今、ここ
にある。
- 137 名前:11 投稿日:2002年10月24日(木)14時53分39秒
- 後藤さんは再び後ろ――門の方――を振り返った。
そして、今度こそ彼女の足が門を越える。
体が半分まで門の先に消えたとき、彼女の体を深い霧が覆った。
消えてなくなる。
本気でそう思った。
この霧に覆われ、私たちの視界から姿を消したときが、後藤さんがこの世界
から消えてしまうときなのだと思った。
そう考えると、大して面識があったわけでもないのに、むしろ恨むべき人で
あったはずなのに、胸の奥がぎゅうっとしぼんだ。
そこで私は気付く。
私が恨んでいたのは、後藤さんがなっちに愛されたからではなく――
「後藤さん!」
私なんかよりずっと、後藤さんがなっちを愛していたからなんだ。
- 138 名前:11 投稿日:2002年10月24日(木)14時54分11秒
- 後藤さんは緩やかに後ろを振り向く。
虚ろな瞳。
もしかしたらもう間に合わないのかもしれない。
でも。
「これ、なっちからの手紙。本当は、こんなことするの、悔しくてしょうがな
いんだけど」
封を切っていない封筒を渡す。
後藤さんが封を切った。
しばらくの沈黙のあと、後藤さんの手から手紙が離れ、ひらひらと宵の空に
舞い上がる。
- 139 名前:11 投稿日:2002年10月24日(木)14時54分58秒
- 「……バカだ」
ポツリと、声が漏れる。
「なっちは、大バカだ」
気付けば、後藤さんの顔はぐしゃぐしゃに濡れていて、瞳にも色が戻ってい
た。
「ごめんねぇ、こんなバカみたいななっちの気持ち、分かってあげられなかっ
たよ……」
今までで一番悲しそうに――でも、嬉しそうに微笑むと、門の奥へと歩みを
進める。
「あはっ。でももう、遅すぎたぁ……」
後藤さんの声が染みるように、辺りに響き渡る。
- 140 名前:11 投稿日:2002年10月24日(木)14時57分10秒
- 直後、梨華ちゃんは門に向かって走り出していた。
「梨華ちゃん!」
必死で叫ぶ。
このまま梨華ちゃんまで消えてしまうんじゃないかって、背中がぞっとした。
梨華ちゃんは構わずに後藤さんの傍まで行く。
「ごっちん」
後藤さんの動きが、少し緩まる。
「サヨナラ。また何処かで会えるといいね」
梨華ちゃんが笑った。
風のよう、なんてスマートな笑い方じゃなくて、ひどく不恰好に笑って見せ
る。
「……うん」
それだけを残し、振り向かずに後藤さんは霧の向こうへ消えた。
でも多分、泣きながら笑っていたのだろう。
そして、梨華ちゃんにありがとうって言葉を残していったのだろう。
なんとなくそうだろうと思った。
だって、彼女は、なっちが世界で一番愛した人だから。
- 141 名前:11 投稿日:2002年10月24日(木)14時57分43秒
- 「梨華ちゃん」
私の呼びかけに、梨華ちゃんは顔だけこちらに向ける。
頬を伝う、一筋の雫。
梨華ちゃんは地面にかがみこみ、なっちの手紙を拾った。
そして私に渡す。
「行きましょう。私たちには、まだやらなきゃ駄目なことがある」
私は、なっちが後藤さんに宛てた手紙を読んだ。
なっちの手紙は相変わらず優しくて、私に向けられたわけでもないのに、思
わず泣きそうになった。
月が見えない。
太陽がなくなった月は、もう光を放つことは出来ない。
私はこっそりと梨華ちゃんの横顔を見た。
私の大好きな横顔。
それを見ながら、私はいつかまた輝くことができるだろうか、なんてことを
考えていた。
- 142 名前:11 投稿日:2002年10月24日(木)14時59分04秒
- ◇ ◇ ◇
- 143 名前:11 投稿日:2002年10月24日(木)14時59分35秒
- ごっちんへ。
命はいつか尽きるものです。
そして、命の価値は、長さだけではないのだということも、知っています。
何故だかわからないけど、次にごっちんに会ったとき、私は死んでしまう
気がします。
きっとごっちんが生き残り、紫の報いを受けるのでしょう。
どちらが辛いのかはわかりません。
もちろん、私だって死ぬのは怖いです。
でも私は、ごっちんに生きて欲しい。
これからもし、赤と青が共に生きれる時代が来るのなら、ごっちんにその
世界で生きて欲しい。
私はもう、十分に生きました。
ごっちんに出会わなければ、一生かかってもこんな気持ちにはなれなかっ
たのかもしれません。
それでは、また会える日を楽しみにしています。
だからって、あんまり早く私に会いにきたら、口きいてあげないからね!
――天国から、愛しています。
なつみより。
- 144 名前:更新終了 投稿日:2002年10月24日(木)15時03分21秒
- >>129-143
>>128 読んでる人@ヤグヲタ さん
謎は解決したでしょうか? 次から核心に入ります。(あくまで予定)
- 145 名前:読んでる人@ヤグヲタ 投稿日:2002年10月25日(金)13時42分00秒
- 赤と青が別々に暮らすようになった理由とか、
赤にしか巫女がいない理由とか、まだ謎が・・・。
- 146 名前:世紀 投稿日:2002年10月25日(金)17時26分39秒
- はじめまして。
読みましたよ、全部。
んー、なんか切ないです・・・・。
- 147 名前:12 投稿日:2002年11月01日(金)11時20分16秒
- 「よっすぃー、いる?」
梨華ちゃんと私は、もう一度よっすぃーの元へ。
私の中では、後藤さんに手紙を渡すことが最終目的だったはずで、梨華ちゃ
んの言った、まだやるべきことがある、と言う言葉が何を指しているのかはわ
からなかった。
それでも私は歩いた。
なんとなく、梨華ちゃんの見据える先に、私の本当の目的があるような気が
していたから。
- 148 名前:12 投稿日:2002年11月01日(金)11時21分20秒
- はーい、と言う声と共に、ドタドタ廊下を走る音が聞こえる。
私は疲れた体を休めるように、壁にもたれかかる。
クリーム色の壁。
白かな、と思っていた壁は、白日の下に晒されて、淡い黄色を輝かせていた。
「お待たせ」
ドアが開くか開かないかのところで、梨華ちゃんが柔らかに微笑んで見せる。
よっすぃーと目が合って、よっすいーも笑った。
「疲れたでしょ。さ、上がって」
- 149 名前:12 投稿日:2002年11月01日(金)11時21分52秒
- 「ごっちんは?」
よっすぃーの第一声。
その言葉に、思わず私は体を硬直させる。
飲みかけの紅茶をソーサーに置くとき、カタカタ、と何度も乾いた音を立て
た。
蛍光灯の白が、私たちの世界に色をつける。
「やっぱり幸せそうだった。安倍さんに感謝しなきゃ」
「そっかぁー」
梨華ちゃんは何でもないように言って、それからお互いに顔を見合わせひそ
やかに笑う。
何でもないわけがない。
赤の里にまで後藤さんを止めに来るような人が、後藤さんの死をなんとも思
わないわけがなかった。
- 150 名前:12 投稿日:2002年11月01日(金)11時22分28秒
- 「ところでよっすぃー」
でも、梨華ちゃんは表情を変えない。
「あれ、調べてくれた?」
あくまで涼しげな顔で、そんなことを聞く。
あれ、とはなんだろう。
「うん、やっぱり紫の里にも、巫女はいたよ。今は、山奥で暮らしてるって」
「え?」
梨華ちゃんではなく、思わず私が返事を返す。
そして、その疑問に答えたのは梨華ちゃん。
「私、ごっちんを止めるために赤の里に言ったわけじゃないんです」
黄金色に輝く液体に映った私の顔は、少しだけ疲れていた。
「どういうこと?」
- 151 名前:12 投稿日:2002年11月01日(金)11時23分08秒
- 「根本的なところ。私たちは、もっと根元の方から解決させたいんです。一人
の人の死とか、そういう小さなことじゃなくて」
「な……」
驚いて見上げた先には梨華ちゃんの瞳。鋭く視線がぶつかった。
愛する人の死を軽々しく扱う梨華ちゃんの態度が腹立たしかったし、わから
なかった。
後藤さんが去っていったとき、彼女から流れ落ちた雫は、少なくとも嘘じゃ
ない。
「梨華ちゃんを責めないでください」
私と梨華ちゃんの交差する視線の先から、よっすぃーの声が響く。
「必死に止めたんです。でも、ごっちんはこっそり抜け出して――だから、根
本から解決するしかなかったんです」
もう一度梨華ちゃんを見た。
相変わらずのポーカーフェイス。
「でも、実際その場面になったら、そんな簡単に割り切れなかった」
梨華ちゃんが少しだけ照れながら、言った。
- 152 名前:12 投稿日:2002年11月01日(金)11時25分03秒
- 「それじゃ、行くね」
「うん」
梨華ちゃんがドアノブに手をかけ、言う。
柔らかな花の香り。よっすぃーの家の匂い。
「梨華ちゃん」
いつかと同じようによっすぃーが呼び止め、梨華ちゃんがゆっくりと振り向
いた。
「おばさんが心配してたよ。たまには帰ってあげな」
梨華ちゃんは視線を心持ち上に上げ、小さく息を吐いた。
「うん。後、もう少しだから」
そう言って、今度こそ梨華ちゃんが家を出る。
私もつられて出ようとしたら、急にえもいわれぬ哀愁が襲った。もう二度と
会えないかもしれない人。
足が自然と止まって、家の中に視線を移す。
よっすぃーがいた。
- 153 名前:12 投稿日:2002年11月01日(金)11時25分36秒
- 「矢口さん」
ドアが閉まった後、梨華ちゃんの背中を心配そうに追っていた視線が、私に
移る。
「矢口さんの事もごっちんから聞いてるし、こんなこというのどうかと思うけ
ど」
少しの間、視線を宙に彷徨わせた。
壁時計の音がカチリカチリとその空間に残る。
「梨華ちゃんをお願いします。このまま二度と会えないなんて、おかしな考え
が浮かぶことがあるんです」
カチリ、カチリ。
時計の音がひどく鋭く聞こえる。
「矢口さん、何してるんですか?」
ドアの向こうから梨華ちゃんの声が聞こえる。
私はよっすぃーの方を向き、黙って頷いた。
それを見て、よっすぃーが微笑む。
「今行くよ」
そう言って振り返る瞬間に見えたもの。よっすぃーの硬く握られた拳。
程なくして、私とよっすぃーの間は、硬い扉でふさがれた。
- 154 名前:12 投稿日:2002年11月01日(金)11時26分09秒
- 「遅いですよ」
「ごめんねー」
彼女にしては珍しく、甘えた声。
ぷくぅっと膨らませた梨華ちゃんの頬に指をさすと、はじかれたように笑っ
た。
不意によっすぃーの硬く握られた拳が頭に浮かんだ。
あれはどういう意味で、何故私なんかに梨華ちゃんをたくしたのか。
もしかして、よっすぃーは――
「これから、紫の巫女に会いに行こうと思います」
唐突な言葉。
「ついてきてくれますか?」
それでも私は、自然と頷いていた。
梨華ちゃんがクスリと笑う。
- 155 名前:12 投稿日:2002年11月01日(金)11時26分39秒
- 「矢口さんって、けなげですよね」
その言葉の真意が上手く汲み取れなくて、私は首を傾げる。
陽光に照らされ、梨華ちゃんの顔がはっきりと映った。
彼女の顔をここまではっきり見たのはいつ以来だろう。
「だって、安倍さんとの約束は果たしたのに、まだ私についてきてくれる。そ
れって安倍さんが、赤と青が共存できる未来を望んだからでしょ?」
梨華ちゃんが笑う。
だから、私も笑う。
どのように反応したらいいか、わからなかったから。
「行きましょう。それで、こんな嫌な世界、早く元に戻しちゃいましょう」
梨華ちゃんの足が動く。
白い土煙が上がって、一瞬だけ、梨華ちゃんを視界の外に押し出す。
私はすぐに彼女の後を追った。
何故だかわからないけど、すごく怖かったんだ。
- 156 名前:12 投稿日:2002年11月01日(金)11時27分16秒
- よっすぃーのこと。
梨華ちゃんと後藤さんといつも三人でいて。
そして梨華ちゃんは、長い月日の中で、後藤さんへの想いを膨らませていっ
た。
もしよっすぃーが同じように梨華ちゃんに惹かれていたとしたら。
私は力なく首を振った。
もし、なんて仮定は、今の私には必要ない。
でも、そんな彼女だからこそ、自分でも持て余している、私の微かな変化に
気付いたのかもしれない。
「矢口さん?」
「なんでもないよ。行こう」
夜道ではなく、光に晒された表の道を歩く。
突然現れた光の中で、私の心も暴かれていく。
- 157 名前:更新終了 投稿日:2002年11月01日(金)11時32分07秒
- >>147-156
>>145 読んでる人@ヤグヲタ さん
作者の力で何処まで謎が解けるか(w そろそろラストが見えて気た気がします。
>>146 世紀 さん
ありがとうございます。同じ板になったのも何かの縁です。当方名無しですがこれからもよろしく。
- 158 名前:世紀 投稿日:2002年11月02日(土)13時40分03秒
- 知っていましたか。
こちらこそ、よろしくお願いします。
これからも、この話を読みつづけますから、頑張ってください。
- 159 名前:13 投稿日:2002年11月03日(日)04時32分19秒
- 紫の里を越えて、三里ほど。
宵の闇の向こうに、さらに深い闇があった。
そこで私たちは一呼吸おく。
繁茂した緑の先にはおそらく、紫の巫女がいる。
「多分、これが最後です」
梨華ちゃんが言った。瞳には確かな意思を持った光が宿る。
「行きましょう」
梨華ちゃんが先に歩いて、私はその背中を追った。
私の向かう先に見えるのは漆黒の闇。
そこに光は見えない。梨華ちゃんの背中がぼんやりと浮かぶだけ。
これまでもそうやって来たし、これからもそうやって行く。
梨華ちゃんの言葉を信じれば、これが最後なのだから。
私はただ、視界の向こうにある未来を信じるだけだ。
- 160 名前:13 投稿日:2002年11月03日(日)04時33分13秒
- どれだけ歩いたろう。
濃く覆われた闇の中では、月明かりすらも見えず、微かに見える小径から外
れないように慎重に進んだ。
それでも、私の意識は次第に覚醒し、神経も研ぎ澄まされてくる。
微かに感じる違和感。
梨華ちゃんの歩くペースが落ちてきている。
「大丈夫?」
梨華ちゃんはそれにただ微笑んで見せる。
息は切れ、額は汗で滲んでいた。
それでも、これが最後です、と言ったときの梨華ちゃんの瞳を見ているから、
安易に歩みを止めるのははばかられた。
- 161 名前:13 投稿日:2002年11月03日(日)04時34分15秒
- そっと、梨華ちゃんの手を握る。
「……矢口さん?」
指先から梨華ちゃんの戸惑いが伝わる。
少しだけ胸の奥の方がチクリとして、私は瞳を閉じた。
「きっと、もうすぐだ。頑張ろう?」
梨華ちゃんは相変わらず息を切らして、それでも笑う。
「はい」
私たちは、気持ちも新たに歩き始めた。
- 162 名前:13 投稿日:2002年11月03日(日)04時35分42秒
- ――瞬間。
「キエェェェェェ!」
「うわぁ!?」
目の前を通り抜ける黒い影。
べちゃりという不快な音を残し、視界から消える。
「……いたいのれすいたいのれす」
「ああ、なにやっとんのや。のののアホ!」
地面に顔から突っ込んだ少女を見下ろし、木の上に控えたもう一人の少女が
苦々しげに叫ぶ。
「なんなの、あんたたち……」
ぽかんと口を開けている梨華ちゃんを庇うように立ち、二人の少女を視界に
捉える。
- 163 名前:13 投稿日:2002年11月03日(日)04時36分19秒
- 「ここから先には進ません!」
「れす!」
いつのまにか復活した少女も加わり、二人で私たちの前に立ちふさがる。
私は二人の前までつかつかと歩みより、
「うるさい」
二人の頬を思い切りひねりあげた。
「いたたたたた、離せアホ!」
「あああ、今日はなんだか痛いばかりなのれす」
悪戯好きの子供にはお仕置きしておかないと。
しばらくして手を離すと、二人は大きく後ろに飛びのいた。
「痛いわ、チビ!」
「チビ! れす」
「なっ……」
再び三者で睨み合う。
先程まで呆然としていた梨華ちゃんは、口元に手を当て、必死に笑いをかみ
殺していた。
- 164 名前:13 投稿日:2002年11月03日(日)04時37分02秒
- その状態のまま幾ばくかの時が過ぎた後、くしゃりという地面を踏みしめる
音。
辺り一体が凛とした空気に包まれる。
目の前のお子様二人の頬が、微かに引きつるのが目に映った。
「辻、加護、あんたたち、また悪戯したね」
紫の着物を纏った女が低い声で、言い放った。
二人の背筋がしゃきっと伸びる。
「い、いや……これはな?」
加護、と呼ばれた少女が引きつった笑いのまま後ずさりした。
それでも構わずに首根っこを掴むと、辻と呼ばれたもう一人の少女と共に私
たちの前に引きずり出す。
- 165 名前:13 投稿日:2002年11月03日(日)04時38分10秒
- 「矢口さん、この人……」
三人には聞こえないよう、私の耳元で囁く。
「多分、紫の巫女です」
私は、咄嗟に梨華ちゃんの方に視線を向けた。
確信に満ちた瞳。
「ごめんなさい」
声が聞こえて、そちらを向くと、二人の少女が小さな頭を深々と下げている。
生意気だと思ってはいても、元々は愛らしい顔立ちをした子供。こう下手に
出られては、怒る気もなくなってしまう。
「別にいーよ」
そう言って、そっぽを向く。
「矢口さん、子供みたいですね?」
梨華ちゃんが、クスリと笑った。
- 166 名前:13 投稿日:2002年11月03日(日)04時38分58秒
- 「それで、あんたたち、こんな山奥に何の用?」
女は、きつい目をさらにきつくさせ、二人を睨みつける。
月すら見えない樹海の中で、女の目だけが鈍く光る様は異様だった。
「道に迷ってるんだす。それで、あの――」
「保田だよ」
「保田さんの家に泊めていただけないですか? 一晩でいいんです」
梨華ちゃんが頭を下げる。
私は梨華ちゃんの方を向く。
梨華ちゃんがチラリと目配せをした。
視線を保田さんに戻すと、目が合った。
「お願いします」
さっき、辻加護と呼ばれた二人の少女がしたように、私も深々と頭を下げる。
しばらく頭のてっぺんに視線を感じていたが、その視線の主は大きく息を吐
くと、
「いいよ、ついておいで」
どこか呆れたように笑った。
- 167 名前:更新終了 投稿日:2002年11月03日(日)04時50分18秒
- >>159-166
>>158 世紀 さん
とりあえず、見習って可愛い話にしようと思います。辻さんとか出しましたが無理でした。
- 168 名前:読んでる人@ヤグヲタ 投稿日:2002年11月03日(日)17時46分13秒
- なんとなく重い展開の中に現れた辻加護に笑いました。
- 169 名前:世紀 投稿日:2002年11月04日(月)13時28分59秒
- 見習うほどの書き手じゃないんですが・・・・ねぇ。
あ、でも嬉しいです。
ありがとうございます。
さすがに辻加護も保田さんには逆らえないか。
- 170 名前:14 投稿日:2002年11月11日(月)11時08分47秒
- しばらく保田さんについて歩いていると、次第に朧げな灯りが四方に差し込
み、私たちを柔らかく包み込んだ。
そして、眼前に開けた淡い光。
「もうすぐだよ」
ぴょんぴょんと跳ね回る子供達の手を引きながら、保田さんは振り返らずに
言う。
……沈黙。
ただ前だけを見て歩みを進める保田さんと、他人との交流など我関せずを決
め込んだ梨華ちゃんの間で、私は頭を抱えていた。
元来、長い間の沈黙などに耐えられる性分ではないのだ。
- 171 名前:14 投稿日:2002年11月11日(月)11時09分31秒
- 「ねえ、保田さん」
思わず、声を掛けてしまう。
「何?」
チラリ、と視線だけを私に這わせる。困った。
特に話すことを考えていたわけではない。
それでも、何か話さなければと、無理矢理に言葉を搾り出す。
「保田さんって、下の名前なんて言うの?」
「あたしの下の名前?」
「うん」
コクリと頷く。
しばし思案顔をした後、保田さんが口を開こうとした。
その時。
- 172 名前:14 投稿日:2002年11月11日(月)11時11分46秒
- 「おばちゃーん」
「おばちゃーんれ……」
辻ちゃんが言い終わる前に、ゴスリと鈍い音がする。
二人、頭を押さえてうずくまった。
「圭だよ」
改めて、保田さんが口を開く。
「圭ちゃん、か。いい名前だね」
上手く言えないけど、とてもよく似合っている気がした。
そう言うと、圭ちゃんは照れたようにそっぽを向いた。
- 173 名前:14 投稿日:2002年11月11日(月)11時12分17秒
- 「ついたー!」
闇が開け、家の灯かりが淡く広がる。
暗さに慣れた視界がゆうらりと白に染められていく中、耳元に子供達の声が
響いた。
二人は一目散に駆け出し、家の中へと消えていく。
ドアが開いた一瞬に感じた、温かな人の匂い。
「どうぞ」
圭ちゃんに促され、私たちは家の敷居を跨いだ。
よっすぃーの家とは違った質素な造り。
突き当たりの柱には、身長を計ったのだろうか、二本の線が彫られていた。
- 174 名前:14 投稿日:2002年11月11日(月)11時13分05秒
- 「それで、私に何の用?」
居間に入るなり、圭ちゃんが言う。
「え……」
思わず梨華ちゃんと顔を見合わせた。
戸惑った二人をよそに、圭ちゃんは纏わりついていた辻ちゃんと加護ちゃん
を部屋から追い出す。
「紫の巫女に会いに来たんでしょ? 顔に書いてあるわよ」
梨華ちゃんは戸惑った表情を浮かべたまま軽く息を吸った。
「赤と青の呪いを解く鍵が知りたいんです」
息を吐き出すように、梨華ちゃんが言う。
圭ちゃんはしばらく黙ったまま、私たちを交互に見比べた。
その切れ目がちな瞳に見据えられるたび、私の中に緊張が走る。
- 175 名前:14 投稿日:2002年11月11日(月)11時13分39秒
- 「へえ、赤と青ね、なるほど」
そう言って、ニヤリと笑った。
何故か、私の中の不快感が、ムクムクと首をもたげて来る。
「どういう意味ですか?」
私の言葉を受け、圭ちゃんは笑みを浮かべたまま口を開く。
「あんたたちが恋人同士なんだなってこと」
「な……」
咄嗟に梨華ちゃんに視線を向ける。
一瞬だけ目が合って、逸らされた。
胸の奥で、針に刺されたような痛みがじわりじわりと広がっていく。
- 176 名前:14 投稿日:2002年11月11日(月)11時14分21秒
- 「……私たちの好きだった人が、その呪いにかかったんです」
私の代弁をするように、梨華ちゃんが声を漏らす。
悲しみを伴ったその微かな波は、確かに私たちの元へ届いた。
「ふうん……」
興味をなさそうにしながらも、圭ちゃんはその笑みを止め、真面目な表情を
作る。
「あんたたちみたいな客は、初めてよ」
どうやら梨華ちゃんの話を信じたらしく、今度は柔らかに微笑んだ。
この人、こういう笑い方もできるんだ。
「でも、悪いわね」
圭ちゃんは、軽く目を伏せ、それでも彼女らしいはっきりとした声色で言っ
た。
「あたしは何も知らないの」
- 177 名前:14 投稿日:2002年11月11日(月)11時14分55秒
- 翌朝、緩やかな陽射しに包まれながら、私たちは早々に荷物をまとめた。
圭ちゃんの言葉を信じたわけではない。
元々、この家には一晩だけという約束で泊まったのだ。
必要ならば、またここに戻ってくればいい。
後ろ髪を引かれながらも、再び森を越えようと歩き出したとき、何者かに裾
をつかまれた。
「遊んで」
「れす」
例の二人。
これから帰るから、と言おうとして、すんでのところでふみ止めた。
昨日のはしゃぎようからは考えられないような、寂しげな瞳。
- 178 名前:14 投稿日:2002年11月11日(月)11時15分33秒
- 「しゃあないなー」
「……矢口さん?」
戸惑った表情の梨華ちゃんに、苦笑いで返す。
「ほんま?」
「いいよ、なにすんの?」
もしかしたらこの時、ここにいる口実が出来た、なんて打算が働いたのかも
しれない。
けど、きっとそれだけじゃない。
何故だかはわからないけど、二人の明るい笑顔が、木々のざわめきにすらか
き消されてしまうような弱々しいものに見えてしまったのだ。
「梨華ちゃんも嫌じゃない?」
加護ちゃんがしおらしく上目遣いで梨華ちゃんを見上げる。
予想外の謙虚さに梨華ちゃんも思わず吹き出してしまい、観念する形となっ
た。
- 179 名前:14 投稿日:2002年11月11日(月)11時16分10秒
- 「じゃあねー、のの、鬼ごっこがしたい」
「アホやなー。かくれんぼの方が楽しいに決まってるやろ?」
私たちは顔を見合わせてクスリと笑う。
この一瞬は、きっと、ここに来た目的なんて忘れていた。
次第に日が翳ってきても、子供達の口からは、止めよう、という言葉は漏れ
ない。
必死に口をつぐんで、何かに追われるように遊び続ける。
サヨナラがタブーな、温かくも脆いこの世界。
この世界に迷い込んで、二人と出会ってしまったこと。
梨華ちゃんと共に、四人で遊んだこと。
私にとって、今でもあの日々は、心の奥底に深く根付いている。
- 180 名前:更新終了 投稿日:2002年11月11日(月)11時21分29秒
- >>170-179
>>168 読んでる人@ヤグヲタ さん
いきなりコメディータッチになってしまって自分もびっくりです。今回はちょっと変わったかも。
>>169 世紀 さん
保田さん最強です。文体以前に、更新速度を見習わなきゃいけないことがわかりました。
- 181 名前:読んでる人@ヤグヲタ 投稿日:2002年11月12日(火)12時23分49秒
- 最後の文がとても意味深ですね・・・。
- 182 名前:世紀 投稿日:2002年11月12日(火)15時41分16秒
- 更新速度は不定期です。
辻も加護も最後のほうが子供っぽくてかわいいです
- 183 名前:15 投稿日:2002年11月14日(木)02時55分47秒
- 「次はかくれんぼー」
肩で息をする私と梨華ちゃんに向け、加護ちゃんが屈託のない笑みを浮かべ
た。
赤の印に彩られた頬が、愛らしいえくぼを作る。
「はいはい。でも、そろそろ暗くなってきたから、中でやろうか」
容赦なく言葉を浴びせ掛ける加護ちゃんに、梨華ちゃんは笑いながら答えた。
「梨華ちゃん、手ー」
「ふふ、あいぼんは甘えん坊ね」
加護ちゃんはいつのまにか梨華ちゃんになついていて、鬼ごっこのときも真
っ先に梨華ちゃんを追いかける。
今だって、気付かないうちに梨華ちゃんの隣りを確保していた。
梨華ちゃんも苦笑しながら、満更でもなさそうに加護ちゃんの頭を撫でて見
せる。
- 184 名前:15 投稿日:2002年11月14日(木)02時57分12秒
- 胸が軽く痛んで、すぐにかぶりを振った。
バカバカしい。
あんな子供にまで嫉妬するなんて、どうかしてる。
くだらない想いを必死に打ち消しながら歩いていると、急に体に体重がかか
った。
気付くと裾を引っ張られていて、後ろを振り返る。
「……」
辻ちゃんが、物欲しげな顔で先を進む二人を見ている。
そして、青の印が浮かぶ左手を差し出した。
「何、あんたも手繋ぎたいの?」
コクリと頷く。
「あー。わかったわかった。ほら」
右手を軽く辻ちゃんのほうに投げ出すと、彼女は満面の笑みでその手を取る。
「えへへ」
辻ちゃんの笑顔を見ながら、先程の梨華ちゃんの、満更でもなさそうな笑顔
を思い出す。
なるほど。確かに、こういうのも悪くない。
- 185 名前:15 投稿日:2002年11月14日(木)02時57分43秒
- 「じゃあ、今から六十秒数えるよぉー」
辻ちゃんの元気な声が聞こえて、私たちはちりじりに駆け出す。
途中、優しい眼差しで二人を見守る圭ちゃんとすれ違って、なんとなく気恥
ずかしい思いにとらわれた。
この家は予想以上に広く、板張りの廊下が何処までも続いている。
黄色い電球が淡く私を照らし、地面に灰色の影を作った。
一つ、二つ、三つ……。
しばらくは部屋の数を数えながら歩いていたが、次第に馬鹿らしくなって止
めた。
昨日泊まった部屋を除いても、相当数の空き部屋がある。
圭ちゃんはともかくとして、二人はどんな気持ちで育ってきたのだろう。
この広い屋敷に三人だけ。
質素なつくりが、その広さを、その中で過ごす私たちの孤独さを、より際立
たせているようにも感じた。
- 186 名前:15 投稿日:2002年11月14日(木)02時58分22秒
- しばらくぐるぐると回っていると、見覚えのある影。
「あれ、梨華ちゃん?」
書庫のような場所で一人、特に隠れるでもなくぼんやりと佇んでいた。
埃が電球に照らされて、キラキラと舞っている。
「……矢口さん」
よく見ると、右手には埃を被った本が握られていた。
「わかるかも……しれません」
「え?」
梨華ちゃんが、突然ポツリポツリと話し始める。
「赤と青の呪いの解決方法が、わかるかもしれません」
今度は、はっきりと。
「それって、どういう……」
- 187 名前:15 投稿日:2002年11月14日(木)02時59分04秒
- 「あー、矢口さんと梨華ちゃんみーっけ!」
耳をつんざくような大きな声に慌てて振り返れば、そこにいたのは辻ちゃん。
そっか、今、かくれんぼしてたんだっけ……。
「あ、見つかっちゃった」
梨華ちゃんが、何事もなかったかのように笑って、辻ちゃんのほうへ歩いて
いく。
「今晩、もう一度ここに来ましょう」
私の横を通り過ぎる一瞬、私にだけ聞こえるように囁く。
「……!」
私が口を開きかけたそのときにはもう、ドアの所に辿り着いていた。
「あいぼんは見つかったの?」
「んー、まだぁ」
「じゃあ、三人でさがそっか」
「うん!」
「矢口さん、行きましょう?」
一人佇む私に、梨華ちゃんは風のように微笑みかける。
今晩、もう一度ここへ。
それで全てが終わるのだろうか。
私は、わかった、と言って二人の後に続いた。
- 188 名前:15 投稿日:2002年11月14日(木)02時59分35秒
- 「なあ、今晩も泊まっていかんの?」
加護ちゃんは、かくれんぼが終わった後も甘えたように梨華ちゃんの腕に引
っ付いている。
梨華ちゃんが困ったように、圭ちゃんに視線を向けた。
「あんたたち、急いでるの?」
圭ちゃんの言葉に首を横に振る。
「あたしは、別に構わないわよ」
圭ちゃんからの許可を受け、ちびっこ二人は俄然勢いづく。
梨華ちゃんと二人、顔を見合す。言うまでもなく苦笑い。
「じゃあ、もう一晩だけ」
「やったぁ!」
二人が飛び跳ねて喜ぶ。
その姿を見て、この家の書庫に用事があるしね、と言う言葉は飲み込んだ。
- 189 名前:15 投稿日:2002年11月14日(木)03時00分11秒
- 初夏の短夜も明けるころ、私と梨華ちゃんは書庫らしき場所にいた。
森の奥だけあって、虫の鳴き声以外にはなんの物音もしない。
どうやら、圭ちゃんたちは眠っているらしかった。
「梨華ちゃん、そろそろ戻らない……?」
チラチラと後ろを振り返りながらいう。
現在ここにいることは、圭ちゃんたちには言ってない。
つまり、隠れて情報を探していると言うわけだ。もし見つかったら、追い出
されても文句は言えない。
「もう少しだけ、待ってください」
それでも梨華ちゃんは、断固とした口調でそれを退ける。
それから数分後、梨華ちゃんが一つの位置にとどまるようになった。
「見つかりそうです」
小声の中にその喜びを滲ませながら、梨華ちゃんが言った。
私も、その本を覗き込む。
- 190 名前:15 投稿日:2002年11月14日(木)03時00分57秒
- 「あんたたち、何やってるの」
「!?」
部屋の照明が灯され、視界が白に染まる。
顔をしかめたまま振り返った先には、見覚えのある紫の着衣。
見つかった。その思いだけが心を支配し、唇を噛みながら俯く。
私の視界の端で、梨華ちゃんが本を持ったままつかつかと圭ちゃんに歩み寄
るのが見えた。
「これ、知ってましたよね」
そう言って、手に持った本を圭ちゃんに突き出す。
「赤と青の呪いは、紫の巫女により、赤と青、二つの鍵を持って解かれる」
そして、その本の内容を読み上げた。
- 191 名前:15 投稿日:2002年11月14日(木)03時01分40秒
- 「……知ってたわよ」
以外にあっさりと、しかし苦々しげに呟く。
「なんで隠してたんですか」
梨華ちゃんが責めるように言った。しかし、その言葉の中には、戸惑いの色
が見える。
私も梨華ちゃんと同じ気持ちだった。
確かにきつい所もあるけど、見た目以上に圭ちゃんは温かな人だ。
私たちに真実を隠す理由は見当たらない。
- 192 名前:15 投稿日:2002年11月14日(木)03時02分48秒
- しかし、そんな私たちの気持ちを嘲笑うかのように、圭ちゃんはうっすらと
口元を歪めた。
「石川、だっけ? あんた、その先のページは読んでないの?」
その言葉に促されるように、梨華ちゃんがページをめくる。
そして、止まった。
「これって、もしかして……」
震える梨華ちゃんの唇から、弱々しげな音が漏れて、消えた。
私もそのページを覗き込む。
梨華ちゃんの視線を辿った。
「二つの鍵の命が、その呪いを無に帰す……?」
私の言葉を聞き、圭ちゃんの顔から笑みが消えた。
- 193 名前:15 投稿日:2002年11月14日(木)03時03分19秒
- 「まさか……」
気付かないうちに、私の声は震えていた。
梨華ちゃんは、先程から何も声を発さない。
私の脳裏に、二つの笑顔が浮かぶ。
「二つの鍵って……」
赤の少女と、青の少女。そして、二人を見守るように暮らす紫の巫女。
彼女たちが、人里離れた山奥で暮らす理由。
私の中で全てが重なったとき、圭ちゃんが口を開いた。
「そう、あの子たちの命だよ」
無数の埃が輝いて、佇む私たちの視界を歪める。
彼女の声は遠い闇に吸い込まれ、深更の部屋に沈黙だけを残した。
- 194 名前:更新終了 投稿日:2002年11月14日(木)03時07分12秒
- >>183-193
>>181 読んでる人@ヤグヲタ さん
最後の引き。どの部分への布石かは、しばらく楽しみにしていてください。
>>182 世紀 さん
せっかく辻加護を気に入ってもらえたのに、こういう展開になりました……。
- 195 名前:読んでる人@ヤグヲタ 投稿日:2002年11月14日(木)15時38分39秒
- 辻加護には、こんな設定が用意されていたんですか。
この先、どーなっちゃうんだろう?
- 196 名前:世紀 投稿日:2002年11月14日(木)16時26分27秒
- 辻加護、そんな重要な役目があったんですね。
やっぱ保田さんは二人のことを大切に
想ってるから、犠牲になってほしくないわけですか。
辻加護の二人はその役目には気づいてるんですか?
- 197 名前:名無し読者 投稿日:2002年11月14日(木)23時13分08秒
- >>196
ネタバレになるようなレスは控えて欲しいんですけど。
- 198 名前:16 投稿日:2002年11月15日(金)00時21分26秒
- 闇夜の空には、いくつ星が浮かぶだろう。
暗澹とした想いを抱えながら、私はそんなことを思った。
窓からは微かに星影が差し込み、隣りで眠る梨華ちゃんの表情を、緩やかに
なぞる。
広い部屋に二つだけ置かれた掛け布団が青白く光り、私の意識をいつまでも
この場に止めた。
後どれくらいで夜が明けるだろう。
覚醒された意識のまま、私は寝返りを打つ。
隣りに眠る梨華ちゃんの頬に触れながら、圭ちゃんの言葉を思い出した。そ
して、梨華ちゃんのこと。二人の少女のことを。
- 199 名前:16 投稿日:2002年11月15日(金)00時21分58秒
- ◇ ◇ ◇
- 200 名前:16 投稿日:2002年11月15日(金)00時23分29秒
- 「で、でも……」
梨華ちゃんの口から、うめくような声が漏れる。
きっと今、梨華ちゃんは天秤にかけているのだ。
私たちの愛する人をも殺した忌まわしき呪いと、愛らしい二人の少女を。
「あんたたちの気持ちは分からないでもないわ」
言葉を繋ぐことが出来なくなった梨華ちゃんに助け舟を出すように、圭ちゃ
んがそっと言葉を紡いだ。
でも、と続ける。
「あたしには、あの子たちが全てなの。世界がどうなろうと知ったことじゃな
い」
「そんな……」
梨華ちゃんは、唇を強く噛み締める。
「でも、ここで止めなきゃ、これから数え切れない程の人たちが死ぬことにな
るんだよ!」
私は、必死に言葉を放った。
私が言ったことは間違ってはいない。
でも。
「そうね。けど、それがあの子たちの命を奪う理由になるの?」
圭ちゃんの言葉が間違っているなんて、誰が言える?
- 201 名前:16 投稿日:2002年11月15日(金)00時24分00秒
- ◇ ◇ ◇
- 202 名前:16 投稿日:2002年11月15日(金)00時24分32秒
- ふと意識を戻すと、私の心を覗き込むような瞳。
「ごめん、起こしちゃった?」
頬に触れていた手を、そっと離す。
「ううん、起きてたから」
「そっか」
しばらくそのまま、何も言わずに見詰め合う。
微かな光の中で、梨華ちゃんの瞳が悲しげに揺れた。
「梨華ちゃ……」
ポロポロと雫が溢れ出し、白いシーツに染みを作る。
迷子になった子供のように、梨華ちゃんは途方にくれた顔をした。
- 203 名前:16 投稿日:2002年11月15日(金)00時25分05秒
- 「……わからない」
囁きとも独り言ともつかないような大きさで、か細い声を漏らす。
「あの子たちを殺してまでして世界を救って、ごっちんは本当に喜んでくれる
の?」
ごっちん、と言う言葉に胸の奥が反応する。
でも、そんな想いを忘れてしまうほどに梨華ちゃんの表情は儚くて、そっと
胸に抱きしめた。
「梨華ちゃんは間違ってないよ」
耳元で、梨華ちゃんだけにしか聞こえないように囁く。
それでも、静かな闇の中にほんのわずか声が漏れ出して、私は何故か悔しく
なった。
私は、梨華ちゃんだけに聞こえる声が欲しいと思った。
後藤さんにも、よっすぃーにも、なっちにだって聞こえない声。
「矢口さん……」
梨華ちゃんが溜め息にも似た声を漏らし、涙で濡れたまつげをそっと伏せる。
私はゆっくりと顔を近づけ、その唇に溢れる想いを重ねた。
- 204 名前:16 投稿日:2002年11月15日(金)00時25分35秒
- もうすぐ夜が明ける。
胸の中に眠る梨華ちゃんをもう一度きつく抱きしめて、私は小さく溜め息を
吐き出した。
そっと触れるだけの口づけ。
もう、何時間も前の出来事なのに、驚くほど鮮明に思い出された。
自分の唇を指でなぞり、可愛いらしい寝息を立てる梨華ちゃんの顔を盗み見
る。
自分でも信じられなかった。
なっちが死んで、どれだけの時が流れたというのだろう。
気付けば心の奥にはいつも、梨華ちゃんの微笑む顔があった。
- 205 名前:16 投稿日:2002年11月15日(金)00時26分09秒
- きっと、私がなっちを忘れ、梨華ちゃんへと思いを寄せるようになったのは、
ごく自然なことなのだろう。
時はそれほどまでに残酷だ。
でも、梨華ちゃんが今でも後藤さんを好きでいることは、それ以上に自然な
ことであるはずで。
私は強く、梨華ちゃんを抱きしめた。
腕の中に感じられる温もり。
――安息の闇に落ちた意識の片隅で、あなたは誰の夢を見る?
それでも彼女は今、私の腕の中に眠るのだ。
- 206 名前:更新終了 投稿日:2002年11月15日(金)00時31分46秒
- >>198-205
短いですがキリがいいので。ちょっと手癖気味の描写になってしまって反省。
>>195 読んでる人@ヤグヲタ さん
辻加護は、一番最後に決めたキャラです。本当はもっと気楽に出したかったのですが。
>>196 世紀 さん
保田さんは優しい方です。辻加護については、次回更新あたりで明らかになる(予定)です。
>>197 さん
危なくレス返しでネタバレする所でした。今後気をつけます。
- 207 名前:読んでる人@ヤグヲタ 投稿日:2002年11月15日(金)14時44分49秒
- ああ、やっぱり矢口の気持ちは・・・
- 208 名前:名無し読者 投稿日:2002年11月16日(土)17時07分48秒
- 矢口…
どうなってくんでしょうか凄く気になります
- 209 名前:17 投稿日:2002年11月18日(月)02時07分29秒
- 朝の陽射しが瞼の上から視界を侵し、私は仕方なしに目を開く。
見慣れない天井が視界に移り、ここが自分のいた赤の里ではないのだと思い
出す。
もう随分と長い道のりを歩んできた。
もし、これから私が何かのきっかけで、新しい暮らしに身を委ねようとした
として、誰が私を責められるだろう。
そんな考え事態がバカバカしくなって、私は天井から顔を隠すように寝返り
を打った。
私を見つめる瞳。
- 210 名前:17 投稿日:2002年11月18日(月)02時08分00秒
- 「おはようございます」
そう言って、梨華ちゃんははにかんだ。
思わず見とれていると、視線を逸らして布団に顔を埋める。
「……何か言ってください」
「あ、うん。おはよう……」
私まで恥ずかしくなって、もう一度天井に視線を戻した。
「あの……」
しばらくそのまま動けないでいると、梨華ちゃんからの呼びかけ。
照れながらも、勇気を出してもう一度梨華ちゃんのほうを向く。
「何?」
なかなか言い出せないでいる梨華ちゃんに向け、なるべく優しく囁きかける。
もしここが闇に包まれていたなら、もっと別な方法もあっただろうけど。
- 211 名前:17 投稿日:2002年11月18日(月)02時08分49秒
- 「昨日は、ありがとうございます」
布団に顔を隠したまま、彼女はそう言った。
私はその額にキスをする。気にしないで、という意思表示。
いや、もっと大きな意味を込めて。
梨華ちゃんは、そのまま私の胸に顔を埋めた。
でも、それを単純に喜べるほど私は馬鹿じゃない。
一瞬だけ覗き見た梨華ちゃんの瞳は、驚くほどに冷たくて、踊っているのは
私一人なのだと改めて実感する。
それでも構わなかった。
偽りもいつかは真実に変わるだろう。
その日まで、愛せばいいだけのことだ。
- 212 名前:17 投稿日:2002年11月18日(月)02時09分41秒
- 「それじゃ、そろそろ」
あれからすぐに帰り支度をはじめて、一時間後の玄関。
梨華ちゃんが、荷物を片手に言った。
圭ちゃんは、憮然とした表情で立っている。
「えー、いややぁ……」
加護ちゃんが梨華ちゃんの袖を引っ張る。
梨華ちゃんは、目を少し伏せながら、ごめんね、とだけ言った。
「矢口さん……」
ぼうっとしながら二人を見ていると、後ろの方から呼びかける声。
「辻ちゃん……」
唇を噛み締め、潤んだ瞳を向ける。
たった一日やそこらで、ここまで愛情が湧くとは思わなかった。
私は、自分より背の高い子供を、力いっぱい抱きしめる。
「ごめん」
その言葉で、辻ちゃんはついにしゃくりあげてしまった。
- 213 名前:17 投稿日:2002年11月18日(月)02時11分09秒
- 「おばちゃん」
加護ちゃんが、圭ちゃんをキッと見据える。
「もっと、泊まってもらおう?」
その言葉に、チクリと胸が痛んだ。
梨華ちゃんの視線がこちらに向いているのがわかったが、合わせない。
だって、彼女が今、どんな表情をしているのかわかるから。そして、きっと
私も同じような表情をしているだろうから。
「泊まりたいなら、好きなだけ泊まればいい」
「え?」
私と梨華ちゃんの声がハモる。
今のは確かに圭ちゃんの声。
「ほんま!?」
加護ちゃんの驚きの混じった叫びに、圭ちゃんは苦笑気味に笑った。
「その代わり、客としてじゃなく、家族として扱うからね」
その一言で、加護ちゃんと辻ちゃんの顔が輝く。
- 214 名前:17 投稿日:2002年11月18日(月)02時12分05秒
- 「……いいの?」
二人には聞こえないように、圭ちゃんの耳元で囁く。
「なにが?」
「だから……」
それ以上言葉をつなげなかった。
決して、口にしてはいけない言葉。
いつのまにか私も、あの二人を愛してしまっていたらしい。
「あたしは、二人を殺さないって言っただけだよ」
そう言って、私の頭を撫でた。
温かくて、少しだけ視界が滲んだ。
「梨華ちゃん、もう少しだけ、残ってもいいかな……?」
いいですよ、という代わりに、梨華ちゃんは微笑んで見せる。
この笑顔と、温かな手のひらと、無邪気な二つの太陽。
私はきっとこの空気の中に、新しい暮らしを描いていた。
- 215 名前:更新終了 投稿日:2002年11月18日(月)02時17分14秒
- >>209-214
この短さ、ありえない……。申し訳ないです。
>>206 読んでる人@ヤグヲタ さん
もう読んだままです(w ちょっと、わかりやすすぎますね。
>>207 さん
終盤です。これから、まだハッキリしてませんが、よろしければ最後までお願いします。
- 216 名前:読んでる人@ヤグヲタ 投稿日:2002年11月18日(月)13時10分51秒
- 呪いのコトよりも、やぐいしのコトが気になります(w
- 217 名前:18 投稿日:2002年11月18日(月)17時41分01秒
- 季節は巡る。
桜が散り、緑が赤へと変わり、空が高くなった。
もうすぐ訪れる冬の世界に怯えながらも、とうとうと降り積もる景色を心の
何処かで期待したりしている。
それはさておき、季節は秋。
銀杏の葉がゆうらり落ちるのを見て、私は久しぶりになっちを思い出した。
そう、久しぶりに。
赤の里で暮らしたあの日々が、何年も前の出来事のように感じる。
なっちの想いを受け、赤の里を出たこと。
梨華ちゃんと共に、後藤さんに会い、この世界の歪みを元に戻そうと必死だ
った。
そこまで考えて、私は真上から降り注ぐ陽光に手をかざした。
感傷的になっているのは、きっとこの太陽の所為。
- 218 名前:18 投稿日:2002年11月18日(月)17時43分00秒
- 私は、今に心を戻す。
もうすぐ聞こえてくるだろう、あの声。
「矢口さーん」
予想通りの展開にこみ上げてくる笑いを噛み締めながら、私はいつものよう
に振り返る。
「どーした?」
辻は息を切らせたまま、小高い山のてっぺんを指差した。
私が来たときは青く萌えていた木々が、今では赤く化粧をほどこしている。
「一緒に、紅葉がりにいくのれす」
そして、少し遅れて二つの声。
「のの、急ぎすぎやぁ……」
「矢口さん、お待たせ」
梨華ちゃんと加護が、手を繋いで歩いてくる。
圭ちゃんはきっと今ごろ、昼ご飯の片づけを終え、読書に勤しんでいること
だろう。そう言えば、最近続きが気になる本があると言っていた。
- 219 名前:18 投稿日:2002年11月18日(月)17時43分32秒
- 「矢口さん、今晩、ちょっといいですか?」
軽い上り坂をひいひい言いながら登っていると、梨華ちゃんが耳元で囁く。
辻加護にばれないように視線だけ向けると、彼女はいつになく真剣な顔をし
ていた。
「……わかった」
それだけを言う。
梨華ちゃんが言いたいことは、薄々感づいていた。
ここで、新しい暮らしを始めようと思ったときから既に。
「矢口さーん」
辻に腕を引っ張られる。
「あー、わかったわかった!」
私は笑いながら歩みを速めた。
上手く笑えていただろうか。
隣りで同じように加護に腕を引かれる梨華ちゃんは、見とれてしまうくらい
綺麗に笑っていた。
- 220 名前:18 投稿日:2002年11月18日(月)17時44分34秒
- 「話って?」
梨華ちゃんの寝室に二人きり。
そう言った後もなかなか返事が返ってこないから、私はその場に座り込んだ。
梨華ちゃんも同じように布団に腰を下ろし、その後にふいと私から視線を逸
らす。
「今晩、ここに泊まっていきませんか?」
本題に入るのが怖いのだろうか、そんなことを言う。
「……いいけど」
そうとは知りつつも、私の胸はドキドキと高鳴った。
そして、これが本題であればどれほど嬉しいか、とも思った。
- 221 名前:18 投稿日:2002年11月18日(月)17時45分04秒
- 一度部屋に戻り、寝巻きに着替えてから再び梨華ちゃんの寝室へ。
以前は裸でよく寝ていたものだけど、いつからか寝巻きを着るのが習慣にな
った。
そうあれは、まだなっちが生きていた頃。梨華ちゃんと、出会った日。
「なんか、久しぶり」
布団に二人で包まって顔を見合わせる。
どちらともなくクスクスと笑いが漏れてきて、そのまま不思議な時間は過ぎ
ていく。
最初に話を切り出したのは、やはり梨華ちゃんだった。
「もう、随分経ちましたね」
主語はなかったけれど、何を言っているのかはわかった。
「半年くらい?」
梨華ちゃんが、コクリと頷く。
まだ、たったの半年。
それだけの間に、この場所は、私の中で大きな部分を占めるようになってい
た。
- 222 名前:18 投稿日:2002年11月18日(月)17時45分37秒
- 「矢口さんは、これからどうするつもりですか?」
私の体がピクリと反応する。
きっと、いつか決断しなければいけない日が来るだろうということはわかっ
ていた。
だから私は、半年の間ずっと、この問いの答えを考えていた。
――このまま二度と会えないなんて、おかしな考えが浮かぶことがあるんです。
いつかの、よっすぃーの言葉。
梨華ちゃんは、私とは違う。帰るべき場所がある。
そして、愛している人がいる。
「梨華ちゃんは、辻とか加護が犠牲になるの、耐えられる?」
梨華ちゃんは、首を横に振る。
いつかのような迷いはなく、はっきりと首を振る。
「私も、同じ。だからね、」
視界の先の梨華ちゃんが霞んだ。
それでも、私の口元には微笑み。
すう、と息を一つ飲み込んで、それを吐き出すようにゆうるりと言った。
「もうここにいる意味は、ないと思うんだ」
- 223 名前:18 投稿日:2002年11月18日(月)17時46分07秒
- 迷いは、早いうちに断ち切らなくてはいけない。
あの日、梨華ちゃんの偽った気持ちを、見過ごすべきではなかったのだ。
そう気付いたのは、もう取り返しがつかないほどに膨らんだ後。
「――そうですね」
梨華ちゃんも笑った。
それを見て、よかった、と思った。
そう、これでよかったんだ。
なっちも梨華ちゃんも、後藤さんにとられちゃったけど。
それでもこういう気持ちになれるのは、私が二人を本当に愛していたから。
- 224 名前:18 投稿日:2002年11月18日(月)17時47分12秒
- 「それじゃ、早いうちに、圭ちゃんに言っちゃった方がいいよね」
「え……」
「ほら、さすがにいきなり出て行くのは、いくらなんでも失礼でしょ」
梨華ちゃんの返事をしばらく待って、それでも何も言わない梨華ちゃんの頭
を軽く叩いた。
それに反応した梨華ちゃんは、立ち上がった私を見上げ、少しだけ口を開く。
微かに唇が動いたけど、それが言葉を紡ぎだすことはなく、梨華ちゃんの瞳
は再び伏せられた。
「じゃあ、言ってくるから」
少しだけ呆れたように言って、部屋の入り口へと歩き出す。
でも、本当は嬉しかった。
少しでも迷ってくれたこと。
梨華ちゃんからじゃなく、私の口からサヨナラを言えたこと。
だけど、もうそんな未練はいらない。
未練は、私を弱くする。
だから、退路は早めに絶っておくべきなのだ。
- 225 名前:18 投稿日:2002年11月18日(月)17時47分45秒
- 布団に座り込んだままの梨華ちゃんを残し、私は扉を開ける。
「うわっ!?」
扉を開けた先には、二つの見知った顔。
「びっくりさせるなよ……」
辻と加護が、無言で立ちすくむ。
落ち込んだ顔を見せたくなくて、満面の笑みを作って見せた。
「なんだよ、まだ遊びたりねーのか?」
笑顔を見せない二人の頭をポンポンと叩き、私は殊更に明るく振舞う。
それでも、表情を崩さない二人。
「……どうした?」
いつもとは違う二人の様子に、私の顔から笑みが消える。
- 226 名前:18 投稿日:2002年11月18日(月)17時48分55秒
- 「矢口さん」
低く押さえられた加護の声。
夜の静寂に、加護の声と、畳のきしむ音だけが響く。
「お願い、あるんですけど」
加護に続いて、辻も口を開く。
「聞いて、くれる?」
「な、なんだよ。何でも言えよ」
声が上ずる。
いつものことだ、と自分に言い聞かせても、激しく胸の奥を打ち鳴らす動悸
は収まらない。
「あんなぁ」
加護が辻の手を握る。二人の腕は微かに震えていたかもしれない。
そして二人、にかっと笑った。
「うちらを、殺して?」
「……え?」
一瞬、私の中で時間が止まる。
闇はいっそう色を濃くし、その静寂は無音のまま、私の鼓膜をひたすらに震
わせた。
- 227 名前:更新終了 投稿日:2002年11月18日(月)17時49分33秒
- >>217-226
- 228 名前: 投稿日:2002年11月18日(月)17時50分09秒
- 今回は、ちょっと落ち隠し。
- 229 名前:更新終了 投稿日:2002年11月18日(月)17時51分38秒
- >>216 読んでる人@ヤグヲタ さん
一応cpは二の次なんですが、やぐいし書きとしてはちょっと嬉しかったりします(w
- 230 名前:読んでる人@ヤグヲタ 投稿日:2002年11月19日(火)13時14分17秒
- おお、なんか凄い展開になりそう・・・。
- 231 名前:世紀 投稿日:2002年11月20日(水)17時28分45秒
- なんか切ない方向へ進んでいる気がします・・・・・。
- 232 名前:19 投稿日:2002年11月26日(火)14時06分31秒
- 「……どういうこと?」
声が震える。
静寂の中に私の声だけが響き渡った。
「うちら、しっとんねん」
加護の声も震えていて、いつもよりも訛りがひどく感じる。
「……何を?」
大人はずるい。このとき私は、本当に何もわかっていなかったのだろうか。
手を握り合い震える子供に、嫌なものを全て、押し付けようとはしていなか
ったか。
今となってはもう、推し量る術はない。
ただ、加護の口から言わせたという事実だけが、そこにある。
「梨華ちゃんと矢口さんが助かるためには、うちらの命が必要やろ?」
加護は目を閉じて、そう言ったのだ。
- 233 名前:19 投稿日:2002年11月26日(火)14時07分24秒
- 「わかんないよ」
私は首を振る。闇の先に見える光が瞼の隙間から微かに覗いた。
「わかんない。私と梨華ちゃんが、何の関係があるの?」
その言葉の先に、答えはないようだった。
二人は呆然と――それでいて、澄み切った瞳で――私の少し奥を見つめる。
「私たちだって、本当はわかってたもん。色々な人がおばちゃんに会いに来る
たびに。いつかは、この身を捧げなきゃ駄目なときが来るって」
辻がいつもよりしっかりした口調で言葉を紡ぐ。
そこで初めて、この二人が自分たちの運命を理解していたことを知った。
一体どのような思いで、その事実を受け止めたのだろう。
「だからね、どうせいつかはそうなる運命なら、矢口さんと梨華ちゃんのため
に、何かしてあげたいんだ」
言葉が出なかった。
梨華ちゃんも何も言わない。動いてすらいないようだ。
- 234 名前:19 投稿日:2002年11月26日(火)14時08分43秒
- そこで、嫌な考えが頭をよぎる。
私たちはこうなることを何処かで期待していた?
私は必死でかぶりを振る。
そんなわけがない。
でも、だったらどうして、もっと早くこの家を出て行かなかった。
私たちは手を引かれ、圭ちゃんのいる部屋へと連れて行かれる。
これが、いつか波状すると知りつつも、見てみぬ振りを繰り返してきた私へ
の罪。
引かれる右手は温かい。
彼女たちは生きているのだ。
視界が歪む。
彼女たちは、鍵などでは、ない。
- 235 名前:19 投稿日:2002年11月26日(火)14時09分28秒
- 「くだらないこと言うの、止めな」
圭ちゃんは二人を、そうあしらった。
それでも、いつものように冷静な態度ではなく、追い詰められた表情をして
いるのが、私にもわかった。
「大体、あんたたち、自分が何を言ってるのかわかってるの? 鍵の役割を果
たすってことはつまり――」
そこまで言って、言葉を飲み込む。
そして、二人の少女から目を逸らした。
「わかっとるもん」
加護が、口元を震わせ、精一杯の強がりを見せる。
「わかっとる……もん」
同じ言葉を二度繰り返したとき、圭ちゃんが二人を強く抱きしめた。
二人を包んだ紫の衣は、蛍光灯の灯かりを柔らかく反射させ、淡い光を放つ。
「ねえ、矢口」
圭ちゃんがポツリと呟く。
「ちょっと、三人だけにしてくれない?」
掠れるような訴えに、私は黙って頷いた。
梨華ちゃんの手を引き、その部屋を出る。
- 236 名前:19 投稿日:2002年11月26日(火)14時10分22秒
- 外は月の白光で溢れ、庭の楓がその葉を震わせていた。
壁の向こうにはくぐもった三つの声。
屋根を伝う夜露に、彼女たちの面影が重なる。
「梨華ちゃん」
梨華ちゃんは、何も答えない。
「私たち、何処で間違っちゃったかな」
彼女はそのまま、すいと、彼方へ視線を飛ばす。
月影に照らされた山のてっぺんが、紅葉で赤く燃ゆる。
- 237 名前:19 投稿日:2002年11月26日(火)14時10分57秒
- 「何も……。何も、間違ってないです」
風が辺りを包み込むような自然さで、ふわりと梨華ちゃんに包まれた。
「……そうだね」
私もそのまま、それに身を委ねる。
彼女の気持ちも分からぬまま、その流れに身を委ねる。
初めて口づけを交わした日のままの気持ちで、私は梨華ちゃんの背中に手を
回した。
梨華ちゃんも、あの日のままの気持ちで、私を包んでいるのだろうか。
私の温度の先に映るものは、後藤さんなのだろうか。
きっと、私はあの日、間違った未来をこの手に掴んだ。
- 238 名前:更新終了 投稿日:2002年11月26日(火)14時13分31秒
- >>232-237
もしかしたら、短い更新が続くかもしれません。
>>230 読んでる人@ヤグヲタ さん
読み通りの展開になりそうで怖いですが(w
>>231 世紀 さん
お互い終わりが近いですね。頑張りましょう。
- 239 名前:20 投稿日:2002年12月01日(日)11時07分53秒
- しばらくして、圭ちゃんに呼ばれた私たちは、再び屋敷の門をくぐった。
畳張りの大部屋には、二人の少女がちょこんと眠りについており、その頬に
は涙の跡が見えた。
圭ちゃんはそれを愛しそうに撫で、ニコリと笑う。それは、あまりにも儚い
笑顔。
「明日、儀式をやるから」
少しも詰まることなく、はっきりとした言葉遣いで話す。
今更ながら、この人は強い、と思った。
私たちは頷くでもなく、ただ二人の少女を見つめる。
鍵になることを強いられた、赤と青の少女。
- 240 名前:20 投稿日:2002年12月01日(日)11時08分26秒
- 「どうして……?」
私の呟きに、圭ちゃんは不思議そうな視線を向ける。
「どうして、こんなことになっちゃったの?」
必死に声を振り絞る。
梨華ちゃんは二人の傍に寄り添ったまま、微かに瞳を揺らした。
「まだ、言ってなかったよね」
再び子供達に注がれる視線。薄明るい電燈。
「どうして、こんな世界になったのか」
しばらく間を置いた後、圭ちゃんはポツリポツリと語り始めた。
- 241 名前:20 投稿日:2002年12月01日(日)11時08分57秒
- ◇ ◇ ◇
- 242 名前:20 投稿日:2002年12月01日(日)11時10分26秒
- 昔、昔。まだ世界が、赤と青に混ざり合っていた頃。
二人の人間が恋に落ちたの。
でも、彼ら――彼女たちは、ただの人間じゃなかった。
赤の巫女と、青の巫女だったのよ。
二人は人目もはばからずにいつも一緒にいたし、そんな彼女たちをみんな温
かい目で見守ってた。
……一部の人を除いては。
矢口はわかってると思うけど、一つの里が巫女の力だけで動くわけじゃない。
特にあの頃は、里の象徴的な扱いだったの。今とは違って。
そして、それを司っている者――禰宜たちの力は大きかったわ。
- 243 名前:20 投稿日:2002年12月01日(日)11時11分06秒
- 禰宜たちは、赤の巫女と青の巫女の子供が生まれるのを憂慮した。
それぞれの里に巫女が一人ずついなければならないって判断したの。
運の悪いことに、青の里で、青の巫女になれる資質をもった子供は一人だけ
だった。
ねえ、石川、笑っちゃうでしょ?
今、青の里は、巫女なんていなくてもしっかりとやっていってるのにね。
結局彼らは、里の人間の反対も押し切って、二人を別れさせることに決めた。
……とは言っても、彼女たちがそんな話を大人しく聞くわけがない。
だから、彼女たちはそこから逃げ出した。
- 244 名前:20 投稿日:2002年12月01日(日)11時12分12秒
- 二人が向かった先は――そう、二人の思ってる通り、ここよ。
それで、これは憶測。
この話は、この二人が書き記したものじゃなくて、二人の死体を見つけた禰
宜が書いたものだから。
あの頃はもちろん、こんな屋敷だって建ってなかったし、まだ若かった二人
には、ここで暮らしていく術なんてなかったんでしょうね。
きっと、呪いながら死んでいったと思う。
ふふっ……あたしならそうするもの。
そして、一人の禰宜が彼女たちの死体を見つけたとき、その傍らに、三人の
子供がいたの。
赤と、青と、そして、紫の印を持った子供。
禰宜はその三人を連れて帰ろうとしたけど、無理だった。
三人の周りには、薄い膜が張られていて、指一本触れることが出来なかった
から。
それからよ。
この呪いが世界に蔓延するようになったのは――。
- 245 名前:20 投稿日:2002年12月01日(日)11時12分58秒
- ◇ ◇ ◇
- 246 名前:20 投稿日:2002年12月01日(日)11時14分11秒
- 「その後、解決方法がわかってるのに、誰も手を打たなかったの?」
今、私たちはこの世界を当たり前だと思ってしまっている。
でも、その当時の人たちにしてみれば、重大な事件だったはずだ。
赤と青は惹かれあう。そして、赤と青が一つの里に住んでいたのだとしたら、
どれだけの人たちが死んだのだろう。
私の言葉に、圭ちゃんはクスリという笑いを一つ挟み、答えた。
「だって、あたしたちしか知らないもの」
「え?」
「さっき、憶測って言葉を使ったけど、実はちょっと嘘なの。あたしと、辻と
加護は、二人の記憶を受け継いだ。一つの言葉と共にね」
何のことだかさっぱりわからない私に、圭ちゃんは言葉を続けた。
- 247 名前:20 投稿日:2002年12月01日(日)11時14分45秒
- 「『私たちは、生まれてきたあなたたちに記憶を残します。そして、一つの呪
いを。もし、あなたたちに彼らを許せるときが来たなら、解きなさい。あなた
たちの命を賭して。私たちはその日が来ないことを願っています』だってさ」
圭ちゃんはもう一度、今度は自嘲気味に笑う。
言葉が出なかった。
「あたしたちは、生まれ変わる度にその記憶を背負うの。きっと、二人が望ま
ない未来が訪れるまで」
永遠に続く輪廻の中で、彼女たちは何を思うだろう。
「まだ、許せない?」
「許せない? まさか。あいつらに同情しないこともないけど、やったことは
最低のことよ。こんな記憶、消せるものなら今すぐ消したいわ」
- 248 名前:20 投稿日:2002年12月01日(日)11時16分09秒
- 「ふぅ……」
大きく息を吐く。
ここ数ヶ月の間に、私たちはどれだけの別れと出会っただろう。望まなかっ
た別れたちと。
「それで結局――」
「ん?」
意味のない思考。意味のない確認。
「自分の恨みのために、子供まで犠牲にしたわけ?」
そんなのわかりきってる。
くだらない質問だ。
「……そうよ」
でも。
「くだらない……くだらないよ」
もっとくだらないのは、そいつらだ。
- 249 名前:20 投稿日:2002年12月01日(日)11時19分49秒
- 「ごめん、やっぱり、この呪いは解かなきゃならない」
「――わかってる」
圭ちゃんが窓際へと近づき、名月の秋空を仰ぐ。
なっち、後藤さん、そして、辻と加護。
望んで死んでいくものなんて誰もいなかった。
彼女たちは、懸命に生きて、それでも死ぬことしか選べなかった。
「明日、儀式をやるから」
先程と同じ言葉を圭ちゃんが言った。
私は黙って頷く。
そのまま梨華ちゃんの傍に行き、その手をギュッと握った。
明日、望月が天に昇る頃、この世界は正常に動き出す。
そして、二人の少女の永遠の輪廻も、終わりを告げるのだ。
- 250 名前:更新終了 投稿日:2002年12月01日(日)11時40分24秒
- >>239-249
自分ながら覇気のない文章で、申し訳ないです。
というか、こんなこと書いてる時点でもう読んでる方に失礼ですね。
しばらく書くことについて考えてみたいと思います。
- 251 名前:紫苑 投稿日:2002年12月01日(日)19時07分27秒
- はじめまして。
今更ながら、初めて読ませてもらいました。すごく文章が綺麗で素敵です(^^
こんなに壮大な物語が書けるなんてすごいですね。
- 252 名前:21 投稿日:2002年12月02日(月)05時35分46秒
- 秋の日だまり。高い空。緩やかな風。
家の向こうに広がる庭には、楓の大木が流麗にそびえ立ち、その葉を涼しげ
に震わせた。
今宵、あの場所で、儀式が行われる。
私たちがずっと待ち望んできたはずの儀式。
でも、それは――
「矢口さん」
微かな微笑を浮かべ、梨華ちゃんが私へと寄り添う。
「自分を責めすぎです」
その頬には、うっすらと雫の伝う跡。
そっくりそのまま返そうとして、止めた。
「向こうでまとっか」
頷く梨華ちゃんの手を引き、山のてっぺんを目指す。
- 253 名前:21 投稿日:2002年12月02日(月)05時36分16秒
- 山というより丘に近いこの頂きは、それでも広く大地を見下ろせた。
半年過ごした、この山並み。
二人の少女との思い出。
そう言えば、よくここに遊びに来たな、なんて思い出してしまって、思わず
涙腺が緩んだ。
「綺麗……」
西日が、色とりどりの山々を真っ赤に染め上げ、次第にその高度を落として
いく。
白い山鳥が、私の視界をゆっくりと横切っていった。
「だね」
梨華ちゃんに返すわけでもなく、ポツリと呟く。
そして、その場に寝そべり、瞼を閉じた。
- 254 名前:21 投稿日:2002年12月02日(月)05時38分08秒
- どれだけの時間そうしていただろう。
瞼の外側の明かりが月の明かりに移り変わるころ、順序を踏まずに闇が訪れ
た。
視界が、何ものかの影で覆われる
「……!」
そして、唇への圧迫感。
慌てて瞳を開くと、目の前には愛しい人の顔。
「梨華……ちゃん?」
彼女は、柔らかな笑みを浮かべ、私の横に寝そべった。
「……今日で、最後なんですね」
「うん」
胸の高まりを押さえ、必死にそっけない態度で答える。
私の記憶している中で、彼女の方から唇を重ねてきたのは、これが初めてだ
った。
- 255 名前:21 投稿日:2002年12月02日(月)05時38分53秒
- 「矢口さんは…寂しくないんですか?」
「そりゃあ、半年いた場所だし……」
「そうじゃなくて!」
声を荒げた後、そんな自分に驚いたかのようにそっぽを向く。
視線が交差されないままに、彼女は口を開いた。
「矢口さんは……やっぱり、安倍さんのこと、忘れられませんか?」
「……え」
「私じゃ、役不足ですか?」
キスをしたときより、一段階大きく胸を叩く。
それって、つまり……。
「そんなこと――」
そんなことあるわけない!
そう叫ぼうとした刹那、目の前が眩いばかりの光に包まれる。
視界全てが覆われるほどの閃光。
私の赤の印と、梨華ちゃんの青の印が共鳴するように輝いていた。
それは――紫の光。
- 256 名前:21 投稿日:2002年12月02日(月)05時39分27秒
- 嫌な汗が背中を伝った。
すぐに光は収まったのに、目がやられて、何も見ることが出来ない。
瞬きを何度も繰り返し、必死に梨華ちゃんを探す。
必死に振り回した手に、何かが当たった。
「梨華ちゃ……!?」
ぬるりとした感触。
以前に一度だけ、同じ感触を味わったことがある。
あれは、あの時は――。
「矢口さん……」
耳元に、微かな吐息と共に言葉が響く。
少しずつ視界が戻ってきた。
早く、早く、もっと早く!
視界が開けたとき、そこには、予想通りの光景が広がっていた。
- 257 名前:21 投稿日:2002年12月02日(月)05時40分10秒
- 「梨華…ちゃ……ん」
梨華ちゃんの姿が、嫌になるくらい、以前のなっちと重なった。
「フフッ……やっぱり…こうなっちゃいましたね……」
辛そうに言葉を紡ぐ梨華ちゃんに、喋らないでと叫んで、必死に抱きかかえ
る。
あの日と何も変わっちゃいない。
今回も、私には何も出来ない。
「泣かないで……くだ…い」
そう言うと、私の頬にそっと手のひらを重ねた。
静かな熱が、私の頬をゆるやかに焦がす。
「でも、でも……」
けど、それは逆効果で、私の瞳からはさらに雫が滴り落ちる。
- 258 名前:21 投稿日:2002年12月02日(月)05時41分22秒
- 「本当はね…嬉しいんです……」
彼女も同じように、瞳を光らせながら、ゆっくりと話す。
「だって、これって、矢口さんも私のことを愛してたっ…てことでしょ……?」
不恰好な笑み。それは、ちっとも風のようなんかじゃなく。
それが、嫌がおうにも、私に死という単語を思い起こさせた。
「それにね……」
「だから、もう喋らないで!」
「私、今なら安倍さ……の気持ち…わかるんです……」
彼女はもう、笑っていない。
「矢口さん…絶対に……生きてください……」
「もうすぐ呪いは解ける! だから、梨華ちゃんも一緒に生きるんだよ!?」
- 259 名前:21 投稿日:2002年12月02日(月)05時46分51秒
- 私の言葉も聞こえない様子で、彼女は激しく咳き込む。
天を見上げた。
斜め上方には、眩いばかりの満月。
後少し、後少しなのに……。
「矢口さん……」
絡まる視線。
「私きっと……ごっちんよりも、安倍さんよりも、幸せだ……」
何も言えないでいる私を見て、彼女は表情を崩す。
違う、こんなの、幸せなんかじゃない!
「最後に一緒にいる人が、矢口さんでよかった――」
「梨華ちゃん!」
草むらに、一滴、雫が舞い降りる。
それが、私が見た、最後の笑顔だった。
- 260 名前:更新終了 投稿日:2002年12月02日(月)05時47分39秒
- >>252-259
- 261 名前:更新終了 投稿日:2002年12月02日(月)05時49分17秒
- 前回の発言で誤解する方がいるかもしれないので一言。
もう書かないにしろ、この話は放置せずに書ききります。
- 262 名前:更新終了 投稿日:2002年12月02日(月)05時50分27秒
- >>251 紫苑 さん
ありがとうございます。今、収拾をつけるために四苦八苦しております(苦笑
- 263 名前:紫苑 投稿日:2002年12月02日(月)15時51分47秒
- なんか読んでて泣けてきました。やぐっちゃん切ない・・・。
↑のとは関係ない質問なんですが
圭ちゃんは、元はどちらの人間で、誰を愛してしまったのですか?
お答えできなければ別にいいのですが、ちょっと気になりました。
- 264 名前:lou 投稿日:2002年12月02日(月)16時52分05秒
- ただラストまで見守らせていただきます。
頑張ってください。
- 265 名前:22 投稿日:2002年12月03日(火)00時37分15秒
- 闇夜に浮かぶ満月が、暗く覆われた山並を照らす。
それでも、わずかに残された、光に侵されない深淵の道を通り、山を下る。
梨華ちゃんは、この山の頂きに埋めてきた。
世界を見渡すにはこの山は低すぎるけど、それでもこの場所じゃなきゃ駄目
な気がした。
私と梨華ちゃんの、第二の故郷。
麓まで降りた後、私は後ろを振り返る。
ここ半年、毎日のように四人で登った山。
私も、今日でここからサヨナラだ。
一緒に遊んだイトシイトモダチとも。
- 266 名前:22 投稿日:2002年12月03日(火)00時39分16秒
- 楓の木の袂。
家の裏庭に辿り着いたとき、儀式は既に始まっているようだった。
二つの台座にそれぞれ正座をする少女。
それを向かいに、厳格な面持ちで目を閉じる紫の巫女。
「あ、矢口さん!」
圭ちゃんより先に、辻が気付いた。
加護もすぐさま情けない笑顔を向ける。
圭ちゃんもゆっくりと振り返り、私を視界に捉えた所で、大きく目を見開い
た。
「……矢口、それ、まさか?」
圭ちゃんに向け、私は口元を崩す。
私の体の上を、大蛇のように這いまわる紫の印。
「石川は?」
圭ちゃんの質問に、口を閉ざす。
辻と加護にも意味がわかったらしく、二人とも力が抜けたように足を崩した。
そこで私はようやく、あのときの加護の言葉の意味を知った。
――梨華ちゃんと矢口さんが助かるためには、うちらの命が必要やろ?
私たちの、すれ違い決して交じり合うことのなかった想いを、彼女たちは既
に察していたのだ。
- 267 名前:22 投稿日:2002年12月03日(火)00時40分27秒
- 圭ちゃんは、私の胸の内を探るように、ついと瞳の奥を覗き込んできた。
その唇が微かに動く。
どうする、と聞いたように見えた。
「お願い」
私は、三人に向け頭を下げる。
「儀式を続けてください」
梨華ちゃんはもういない。
でも、梨華ちゃんの思いは確かに、私の中に息づいている。
「……わかった」
圭ちゃんは、唇を噛み締め、二人の方へ向き直る。
考えてみれば、残酷なことだ。
私が言ったのは、お願いします、二人を早く殺してください、ということと
同義なのだから。
それでも、二人は圭ちゃんよりも強かった。
互いに顔を見合わせ、ニコリと微笑みあうと、私に視線を向ける。
「矢口さん、百年くらいしたら、また会いましょうね?」
「へへっ、矢口さんが来るまでに、梨華ちゃんとラブラブになっとくわ」
そして、再び真っ直ぐに視線を向ける。
- 268 名前:22 投稿日:2002年12月03日(火)00時42分24秒
- 「じゃあ、行くよ」
圭ちゃんが、何かを唱えた。
その言葉が続くにつれ、二人の印が、輝きを増していく。
その光は次第に広がり、私たちを覆い、山全体に広がっていく。
不思議な感じだった。
先程見た光とは違って、目を眩ますような光ではない。
私たちを優しく包み込むような、温かな光り。
圭ちゃんが何事か、大きな声で叫ぶ。
その瞬間、光は更に輝きを増す。
そして、光が世界全てを覆ったとき、
――うちら、普通の幸せ、望んどっただけやのになぁ――
舞い落ちる楓の雨の中で、私は確かに、その言葉を聞いたんだ。
- 269 名前:22 投稿日:2002年12月03日(火)00時43分53秒
- ◇ ◇ ◇
- 270 名前:22 投稿日:2002年12月03日(火)00時45分16秒
- 「綺麗な顔――」
全てが終わった後、圭ちゃんは二人を山のてっぺん――梨華ちゃんを埋めた
所だ――に連れて行き、二人並べて寝かせた。
それは、梨華ちゃんやなっちとは違って、まるであの光のように全てを包み
込んでくれそうな、美しい表情だった。
「圭ちゃん……」
「ん?」
二人を梨華ちゃんの横に埋めた後、私は彼女に向かって、久しぶりに声を掛
けた。
いつのまにか満月は姿を消し、遥か東の方から眩いばかりの太陽が顔を覗か
せている。
新しい一日。新しい世界の始まり。
「ごめん」
私は、振り向いた圭ちゃんに、深く頭を下げる。
「……なんであんたが謝るのよ」
クスリと笑い、太陽の方に向かって歩いていく。
- 271 名前:22 投稿日:2002年12月03日(火)00時47分23秒
- 「ホントはね」
背中越しの声。
「わかってたのよ、このままじゃ駄目だってこと。あの子らが言ってたみたい
に、あたしだってね」
ひどく明るい声だった。
それこそ、今までの彼女では出さなかったような。
「それでもね」
クルリと振り返る。
私は初めて、彼女を可愛らしいと思った。
「やっぱり割り切れないことって、あるよね」
「うん」
軽く頷いてみせる。
私は、一体どれだけ、割り切ることが出来るのだろう。
- 272 名前:22 投稿日:2002年12月03日(火)00時48分25秒
- 秋風が私たちの髪を吹き上げ、細かな土を遥か遠くまで広がる大地に運んで
いく。
圭ちゃんは、泣いていなかった。
「ねえ、矢口。これで、よかったのかな?」
なっちの顔。後藤さんの顔。辻と加護のはしゃぎ声。梨華ちゃんの微笑み。
「死んでよかったってことはないよ」
「……うん」
「でも」
走馬灯のように溢れ出る思い出たちを押さえ込み、私は言葉を続ける。
「これしか、なかったんだよ」
「うん」
- 273 名前:22 投稿日:2002年12月03日(火)00時49分11秒
- 小鳥がさえずった。
「じゃあ、もう行くね」
私はそれだけを言って、山を下る。
「うん、またね」
ずっと後ろの方から、微かにそんな言葉が聞こえた。
うん、また会おう。
少なくとも私たちには、未来があるのだ。
何人もの大切な人を犠牲にして手に入れた、未来が――
- 274 名前:更新終了 投稿日:2002年12月03日(火)01時01分19秒
- >>265-273
次回、最終回です。遅くとも、明日中に更新します。
>>263 紫苑 さん
別にネタバレでも何でもないので、ここに書いても構わないのですが、メール欄に載せておきました。
>>264 lou さん
コテハンだったのでビックリしました(w こちらより一足先の脱稿、お疲れ様です。
- 275 名前:紫苑 投稿日:2002年12月03日(火)07時23分42秒
- 最終回楽しみです。
やぐっちゃんは、また誰かとの出会いがあるのかな?
質問のことですが、ありがとうございました。
ちゃんと読めばわかりますねー・・・(^^;
ということは、赤と青に離別したのは20年くらい前ということですか?
またまたすみません。。。
- 276 名前:世紀 投稿日:2002年12月03日(火)17時49分48秒
- 最終回ですか・・・。
最後まで読めるのは嬉しいのですが、
やっぱり寂しいってのもありますね。
まぁ、どっちにしろ、頑張ってください。
- 277 名前:23 投稿日:2002年12月04日(水)00時46分50秒
- 「はい、じゃあ午前中はこれで終わり。ちゃんと午後も遅刻しないで来なさい
よ?」
私の言葉に、教室中から、はーいという声が返ってくる。
昼休み。
元気よく教室を飛び出していく子供たちを見送りながら、私は首の凝りをほ
ぐすように、頭をぐるりと回した。
その途中、両腕に這い回る紫の印が視界に映る。
あの日のことは、一度だって忘れたことがない。
忘れようとしても、体のいたる所に浮かび上がった紫の印が、目に入るたび
に鮮やかな記憶を呼び覚ますのだ。
あれから、十年が経った。
- 278 名前:23 投稿日:2002年12月04日(水)00時48分48秒
- あの後、私が赤の里に帰ると、私に刻まれた紫の印は、人々に奇異の目で見
られた。
天涯孤独の身、というのも少なからず影響していたのかもしれない。
もしあのとき、圭織が私を庇ってくれなかったら、どうなっていたのかはわ
からない。
圭織の口から事件の真相――世界を覆った光や、なっちの死も含めてだ――
が語られたとき、人々はそれぞれに多様な反応をした。
当然だ。紫の呪いなど、知らない者がほとんどなのだから。
圭織の言葉にも関わらず、私を汚れたもののように見る者。
何が起こったのかわからず、周りの人々と話し合いを始める者。
何かを思い出すように、天を見上げる者。
なっちのおばさんは泣いていた。
私のところに来て、ありがとうと何度も言って、泣いていた。
聞くところによると、なっちが死んだとわかっても、彼女は泣けなかったら
しい。
その時初めて、なっちの死を、現実のものとして受け入れたのだ。
- 279 名前:23 投稿日:2002年12月04日(水)00時49分56秒
- それからしばらくして、また遥か昔のように、赤の里と青の里は一つの里と
なった。
もともと、惹かれあう性質なのだ。
統合は、想像以上にスムーズにいった。
私は、去年から、教師として教壇に立っている。
赤の里と青の里の統合学校。
まだ試験的な試みのためにたった一クラスだけのこの学校は、圭織が中心と
なって作り上げたものだ。
その圭織の強い推薦もあって、私がこの学校第一号の教師となったのだ。
随分と懐かしいことを思い出した。
いつまでだって、この記憶は留まり続けるのだけど。
- 280 名前:23 投稿日:2002年12月04日(水)00時50分52秒
- 黒板を消し終わると、私は椅子に座り、もう一度記憶の海へと思いを馳せた。
十年前に無くしてしまった、大切な人たち。
――やだなぁ……死にたくないよぉ……。ごっちんともう一度会いたいよぅ……
私が初めて、愛した人。
――あはっ。でももう、遅すぎたぁ……
なっちが命をかけてまで、愛した人。
――うちら、普通の幸せ、望んどっただけやのになぁ
自らの命を賭して、世界を救った人たち。
――最後に一緒にいる人が、矢口さんでよかった
今でも想い続ける、私の最愛の人。
誰一人として、死ぬことを望んだ者はいなかった。
それぞれが懸命に生きて、死にたくなくて、それでも誰かのために命をかけ
て。
それで残ったのは結局、たったひとつの――
- 281 名前:23 投稿日:2002年12月04日(水)00時51分36秒
- 「先生!」
大きな口を開けながら、少女が駆け込んでくる。
右腕には鮮やかに赤の印が輝き、私の視界を侵す。
「どーした、高橋」
少女は目を大きく見開くと、体を目一杯使ったリアクションで、事態を伝え
る。
「まこっちゃんと里沙ちゃんがケンカです!」
「またかよっ!」
あいつらは、ことあるごとに騒ぎを起こす問題児だ。
まあ、それくらい元気があるほうが、可愛げもあるってもんだけど。
- 282 名前:23 投稿日:2002年12月04日(水)00時55分14秒
- 落ち着いて話を聞いてみると、原因はなんてことない痴話げんか。
二人が紺野あさ美を取り合って怒ったいざこざらしい。
ガキの癖に、と思わないこともなかったけど、それが微笑ましくもあった。
自分もこうやって、悩んだ時期があったもんだ。
――もっとも、その相手は、もうこの世にはいないけれど。
「ほら、お互いに謝りな」
私に促され、二人はどちらともなく頭を下げる。
「ごめん、里沙ちゃん」
「ううん、私こそ、ついカッとなっちゃって……」
青の印を輝かせたこの二人の少女は、元々仲がいいのだ。
ただ、たまーに抑制がきかなくなって、騒ぎを起こしてしまう。手は掛かる
けど、可愛い教え子だ。
紺野あさ美は、何故二人がケンカしたのかわからないらしく、首を傾げた。
その首筋から赤い印が覗く。
私は思わず苦笑した。どうやら、この二人、これから随分と苦労することに
なりそうだ。
- 283 名前:23 投稿日:2002年12月04日(水)00時55分44秒
- それにしても。
私は、四人を、そして校庭全体をぐるりと見渡した。
赤と青が入り混じって、楽しそうに笑顔を見せている。
私たちのころにはなかったもの。
私たちが求めてやまなかったもの。
ああ、そうか。
私は今ごろ、ようやく気付いた。
私たちが命をかけてまで手に入れたもの。この手の中に残ったもの。
それは、たったひとつの――
たったひとつの、大切なもの。
- 284 名前:23 投稿日:2002年12月04日(水)01時04分42秒
- 四人に視線を戻すと、先程までのケンカが嘘のように、楽しそうにお喋りを
している。
思わず、私の口から笑いが漏れた。
子供たちの笑顔。色とりどりの世界。
もしも、またこの世界が呪いに包まれてしまうようなことがあったなら。
そこまで考えて、私は自分の体に視線を移す。
大丈夫。
私の体に紫の印が残っている限り、二度とあんな間違いは繰り返させない。
だってこの印は、梨華ちゃんが私に残した、たったひとつの誓いだから。
私の周りを風が包んだ。
桃色の花びらが、雪のように舞い踊る。
一人で見る桜の雨は、懐かしい香りがした。
たったひとつの。 … 終
- 285 名前:更新終了 投稿日:2002年12月04日(水)01時11分04秒
- >>277-284
- 286 名前:連載終了 投稿日:2002年12月04日(水)01時19分00秒
- >>275 紫苑 さん
ありがとうございます。
赤と青は自分の中ではもっと昔を想定しております。
具体的な日数については、それぞれの方の想像次第と言うことで。
矢口さんの新たな出会い。生きている限りこれからいくらでもあることでしょう。
- 287 名前:連載終了 投稿日:2002年12月04日(水)01時26分58秒
- >>276 世紀 さん
最後まで、ありがとうございます。
のろのろでしたが、ようやく脱稿することが出来ました。
世紀さんも、もうすぐ完結とのことですが、ラスト楽しみにしております。
応援していますので、頑張ってください。
- 288 名前:23 投稿日:2002年12月04日(水)01時28分21秒
- 返レス隠し。
- 289 名前: 投稿日:2002年12月04日(水)01時28分54秒
- 同上
- 290 名前:連載終了 投稿日:2002年12月04日(水)01時29分42秒
- 脱稿しました。ありがとうございました。
- 291 名前:紫苑 投稿日:2002年12月04日(水)07時22分04秒
- あぁ・・・そうなりましたか。
いいですねー、心に染みます・・・(^^
この作品は何回読んでも楽しめますよね。
どうも、お疲れさまでした。
次回作があるとしたら、すっごく期待してるので頑張ってください。
- 292 名前:264 投稿日:2002年12月04日(水)16時17分32秒
- 脱稿お疲れ様でした。
ラストはまったく予想外でした。
いつも思うことですが、作品を読んだあとふとタイトルに目をやると、
そのタイトルのすばらしさに唖然とします。
後書きがあるようですね。
後書きを読むのは大好きなので、諸々と楽しみにしています。
- 293 名前:読んでる人@ヤグヲタ 投稿日:2002年12月05日(木)00時19分29秒
- 脱稿お疲れ様でした。
21章〜は、かなり悲しい展開でしたね。
こーゆー展開(ラスト)になるとは思っていませんでした。
でも凄く良いお話でした。
また作者さんの作品を読めることを激しく期待してます。
- 294 名前:川o・-・)ダメです… 投稿日:川o・-・)ダメです…
- 川o・-・)ダメです…
- 295 名前:世紀 投稿日:2002年12月05日(木)17時31分38秒
- お疲れ様でした。
最後は、思ったよりもいい展開になったので、よかったです。
切ないところもあったりして楽しませてもらいました。
次回作があったりしたら楽しみにしてます。
こっちのほうも終わりに近づいております。
精一杯頑張ります。
いい作品を読ませてもらいました。
- 296 名前:後書き 投稿日:2002年12月06日(金)02時07分26秒
- 少し後書きを書きます。嫌いな方は読み飛ばしちゃってください。
他の方の書き込みを見て、死ぬだけの話は嫌がられるというのを知りました。
他の方の作品を読んで、死ぬことでしか描かれない愛の形があることも知りました。
ある意味矛盾した二つの意見を統合することを夢見て書きましたが、やはり力不足は否めません。
でも、次のステップへの課題はたくさん見つけることが出来ました。
後、一つだけ気をつけたこととしては、矢口さんを傍観者にしたくありませんでした。
同情ではなく共感で、最後の一話を語らせてあげたかった。
最後に。
300レス近い話を最後まで読んで頂いて、本当にありがとうございました。
- 297 名前:感謝 投稿日:2002年12月06日(金)02時35分50秒
- >>291 紫苑 さん
最後までありがとうございました。
何回も読んでもらえたなら、それはすごく嬉しいことです。
とりあえず、嫌な感じが残る、とか言われなくてよかったです(w
次回作は…とりあえず、しばらく筆を休ませて頂きます(w
>>292 264 さん
最後までありがとうございました。
タイトルに関しては、全体の印象を使う場合と、ラスト等の印象の強い一節を使う
場合とがあると思いますが、自分は後者が多いですかね。
とりあえず、あれはクッキーの仕業、と。了解しました(w
>>293 読んでる人@ヤグヲタ さん
最後までありがとうございました。
21章以降は、自分でもちょっと急展開かと思いました。
ラストは安易な終わり方にはしたくなかったので、こういう形です。
いつかもし、次回作が偶然にでも読んでいただけたなら、幸せです。
>>295 世紀 さん
最後までありがとうございました。
読んでる最中、読むのが不快になるような個所もあったかと思います。
それでも、ラストを気に入っていただけて、本当に良かった。
何度もしつこいですが(w 世紀さんの作品のラストも楽しみにしております。
- 298 名前:川o・-・)ダメです… 投稿日:川o・-・)ダメです…
- 川o・-・)ダメです…
- 299 名前:名無しさん@感動中 投稿日:2003年01月22日(水)22時05分38秒
- かなり遅れたレスで申し訳ありません。
10月頃にこの小説の存在を知って
今ままで何のレスも付けずに黙々と読んでいました。
そしてしばらく読む機会が無かったのですが、先ほど読破させて頂きました。
最終話の犠牲になった人たちの最期の言葉を読んで泣きました。
実際このレスを書いている時点で思い出して泣いてしまいそうです。
次回作が出来ましたら
分かりやすくこのスレからリンクを張って頂ければ良いなぁと思います。
とにかく次回作も期待しております。
最後にずらずらと書いてしまいすみませんでした。
それでは。
- 300 名前:感謝 投稿日:2003年01月23日(木)04時41分03秒
- 今更ながら、>>281と>>282の間のレスが抜けていることに気付いた……。
>>299 さん
こんな長い話を一気に読んで頂いて本当にありがとうございました。
それと、わざわざレスして頂いてありがとうございます。
最期の言葉は自分の気に入った言葉を選んだ感があるので、それを好きだといっていただけると、
この話を本当に楽しんでくれたんだな、と嬉しくなります。
次回作は今の所予定がありませんが、黄板のいしやぐ聖誕祭スレで二作書かせていただきました。
次回作も、恐らくそこで書くことになると思います。
それでは、本当にありがとうございました。
- 301 名前:川o・-・)ダメです… 投稿日:川o・-・)ダメです…
- 川o・-・)ダメです…
- 302 名前:名無し読者 投稿日:2003年02月24日(月)01時22分42秒
- hozen
- 303 名前:川o・-・)ダメです… 投稿日:川o・-・)ダメです…
- 川o・-・)ダメです…
- 304 名前:名無し読者 投稿日:2003年03月22日(土)02時21分04秒
- hozen
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