聖域
- 1 名前:シレンシオ 投稿日:2002年09月26日(木)00時11分20秒
- 初投稿です。
吉澤主人公で、淡々と。
展開上、不快に思う点もあるかもしれません。予め御了承ください。
- 2 名前:聖域 投稿日:2002年09月26日(木)00時12分24秒
- 第1章 『 CHERCHE LA ROSE 』
バラを探せ。バラを探せ。
いつも傷ついた心の奥。
道に迷うかもしれないけれど。
- 3 名前:『 CHERCHE LA ROSE 』 投稿日:2002年09月26日(木)00時14分41秒
- −1−
クラスメイト達と別れ家路につく頃には、
初夏の太陽は姿を消してしまっていた。
放課後の繁華街でしばらく遊んだ帰り道。
あたしはひとり、駅への道を急ぐ。
高校2年。17歳。
念願だった私立の女子高。
憧れだったはずの制服に袖を通すのもすっかり慣れ、
期待していた高校生活にも見切りをつけた。
だからといって将来への展望など全く見えず、
ただ毎日をなんとなく過ごす。
学校にも親にも世間にもテキトーに反発して。
遊びと言えばカラオケ、買い物、合コンぐらい。
みんなで仲良く、楽しく、ギャーギャー騒いで。
それでいいじゃん。そんなもんだよ。
変化のない日々に身を任せて、自分を演じて漂うあたし。
欠如している。
でも何が?
答えは見えない。
- 4 名前:『 CHERCHE LA ROSE 』 投稿日:2002年09月26日(木)00時15分51秒
- 携帯で時刻をチェックする。
少し郊外になるあたしの家への交通は、
本数の少ない電車にほぼ頼らざるを得ない。
しまった。間に合いそうにない。
二つ折りの携帯をパタンと閉じ、軽く舌打ちする。
次を乗り過ごせば、しばらく待たなければいけない羽目になる。
近道は知っている。
いわゆる、歓楽街。
駅までの近道ではあったが、あたしはそれを一度も利用したことはなかった。
夕闇の迫る時間。
あたしは活気づき始めた街の前に頼りなげに立っていた。
幾重にも重なるネオンがなぜか霞みがかって見えて、
そこが異質な場所だというのを嫌でも感じさせる。
大丈夫、制服だし。
誰とも目をあわさないように。
何より、足には自信がある。
視線を落としたまま、あたしは不夜城へ向けてゆっくりと駈け出した。
- 5 名前:『 CHERCHE LA ROSE 』 投稿日:2002年09月26日(木)00時16分51秒
- 夏の気だるさを何倍にも濃縮したようなところだった。
無駄に装飾されたビル。
我が物顔で闊歩する赤い唇の女達。
鬱屈した表情で辺りを伺う男達。
それらから排出される陰鬱な空気が半袖の腕に絡みつき、
小走りで急ぐあたしの体力を奪ってゆく。
少しペースを落とし、額に貼りつく前髪を払った。
鞄から携帯を取り出し、器用に片手で開く。
よし。なんとか間に合いそう。
息を弾ませながら携帯のディスプレイから目を上げる。
ふと視界に入る違和感。
足取りが止まる。
くたびれきったグレーのスーツを着た中年男の隣。
横顔しか見えないけれど。
あれは・・・・・・・・・うちの生徒?
名前は、確か―――――
- 6 名前:『 CHERCHE LA ROSE 』 投稿日:2002年09月26日(木)00時17分53秒
- どの街にも掃いて捨てるほどいる普通のサラリーマンに肩を抱かれ、
伏し目がちの少女は無表情のまま近くのホテルに足を運ぶ。
あたしは眩しいネオンに目を細めながら、
その凛とした背中をずっと見つめていた。
確か――――そう。 イシカワ、さん。
電車に乗り遅れたあたしが帰宅したのは、夜の帳が降りきった頃だった。
母親にねちねちと叱られている間、あたしの頭の中には、
あの華奢な後ろ姿がこびりついて離れなかった。
- 7 名前:シレンシオ 投稿日:2002年09月26日(木)00時20分53秒
- 更新終了。
- 8 名前: 『 CHERCHE LA ROSE 』 投稿日:2002年09月27日(金)20時05分42秒
- −2−
2年4組2番 石川梨華。
成績優秀。
品行方正。
大げさに言えば、教師にとっての理想の生徒。
親しい人はいない。
問題も起こさない。
あまり、目立たないコ。
印象としてはそんなものか。
悪い噂は聞かなかったが、特別良い噂も聞かなかった。
しかし所詮、校内での評価だ。
そんなものが当てにならないのは、あたしもよく知っている。
- 9 名前:『 CHERCHE LA ROSE 』 投稿日:2002年09月27日(金)20時06分39秒
- 私立の女子高によくいる、「いいとこのお嬢さん」で、
確かにあたしから見ても派手に遊んだり、
そういうことをするようには見えない。
騒ぐのは苦手。清楚で上品。
そんな感じ。
しかし。
見間違いではない。
あれは、絶対に石川さん。
下卑た笑いを浮かべた男に誘われるまま、
やたらピンと伸ばした背すじでホテルに入っていったのは。
- 10 名前:『 CHERCHE LA ROSE 』 投稿日:2002年09月27日(金)20時07分35秒
- 美術の授業中、あたしはそんなことに思いを馳せていた。
数十のイーゼルに取り囲まれた、不自然なほどに白い胸像。
あたしの目はそれに向けられてはいたが、その形を捉えてはいなかった。
視界にあるのは、白。
白。
そう、あの時の石川さんのワンピースの色。
シンプルなAライン。
パフスリーブからスッと伸びた腕は淡い褐色で、
純白との対比によって綺麗に引き立てられていて。
当然のように鉛筆は進まない。
静まり返った教室に授業終了を告げるチャイムが響き渡る。
我に帰ったあたしのカンヴァスは、やっぱり真っ白だった。
- 11 名前:『 CHERCHE LA ROSE 』 投稿日:2002年09月27日(金)20時08分38秒
- 気にしたって仕方ないじゃん。
あのサラリーマンと付き合ってるだけなのかもしれないし。
あたしには関係ない。
ちょっと、驚いただけ。
面倒な掃除当番を終えて人影のない靴箱に向かう間も、
あたしは、もう何度目になるだろうこの言葉を
ひたすら自分に言い聞かせていた。
幸い、あたしのクラスと4組は階数が違うため
石川さんを見かけることはなかったが、
授業中、休み時間、どこで何をしていても
あの光景が目の前に浮かび、あたしの思考を遠くへ追いやった。
- 12 名前:『 CHERCHE LA ROSE 』 投稿日:2002年09月27日(金)20時09分25秒
- 呪文のような言葉がいきなりその効力を失ったのは、
靴箱に到着したあたしが人の気配に顔を上げた時だった。
視界には、あの後ろ姿。
やっぱり姿勢のよい石川さんは腕時計を確認しながら、
綺麗に磨かれたローファーを履いているところだった。
靴のかかとを直そうと、少し身をかがめてそっと手を伸ばす。
傾いた肩からさらさらと流れ落ちる髪に、
あたしは見てはいけないものを見てしまったような感覚を覚えた。
好奇心。悪意。同情。
はたまた、まだ幼いあたしには到底理解できないような感情か。
とにかく何かに突き動かされたあたしは、
石川さんの背中をただただ追いかけていた。
- 13 名前:シレンシオ 投稿日:2002年09月27日(金)20時11分31秒
- 更新終了。
言い忘れましたが、sage進行でお願いします。
高いところは苦手なので。
- 14 名前:名無し読者 投稿日:2002年09月28日(土)04時42分14秒
- 淡々と…とりあえず期待
- 15 名前:名無し読者 投稿日:2002年09月28日(土)16時27分14秒
- おっ、おもしろそうですね。
期待してます。
頑張ってください。
- 16 名前:『 CHERCHE LA ROSE 』 投稿日:2002年09月30日(月)20時41分47秒
- −3−
やっぱり石川さんは身体を売っている。
彼女の後を何度か尾けるうちに、あたしはそう判断した。
パターンはいつも同じ。
駅のトイレで着替えた後、制服を鞄に詰め、ロッカーに預ける。
そして、歓楽街で客を待つ。
服装が変わってしまうため、最初あたしはよく見失っていた。
しかしどんな場所で、どんな格好をしていても
石川さんの姿勢のよさは変わらない。
凛とした背すじのおかげで、鬱屈したこの世界では
彼女はひときわ目立って見えたのだ。
- 17 名前:『 CHERCHE LA ROSE 』 投稿日:2002年09月30日(月)20時42分40秒
- あたしは今日もこの街で石川さんを追いかけている。
上品な雰囲気を持つ彼女は、ここでは特異点だ。
ゆえに、とりわけ目を引くので客はすぐ捕まる。
今先程も、石川さんは冴えない男とホテルに入ったところ。
あたしはいつものように、ホテルの向かいに位置する店の
看板の陰に座り込んで、石川さんが出て来るのをじっと待っていた。
待ち伏せたところで、べつに声をかけるわけでもない。
行為を終えたであろう石川さんが家路につくのを、
こそこそ隠れたまま黙って見届けるだけ。
最初あんなに怖がっていたこの街にもすっかり慣れてしまった。
膝を抱え、相変わらず鬱々とした空気を吐き出すホテルを見据えた。
- 18 名前:『 CHERCHE LA ROSE 』 投稿日:2002年09月30日(月)20時43分21秒
- わからないのは、理由。
彼女はなぜ身体を売るのか。
噂どおり、石川さんの家は割と裕福で、
金に困ってるなんて話はついぞ聞かない。
自由になる金がないのかとも思ったが、
彼女自体、派手に遊んでいる様子もない。
男に貢いでいる、というのも考えられない。
いつも石川さんはホテルを出ると、真っ直ぐ家に帰るのだ。
- 19 名前:『 CHERCHE LA ROSE 』 投稿日:2002年09月30日(月)20時44分16秒
- 考えてもきりがない。
思考を巡らすのを諦めかけた時、あたしの耳に怒鳴り声が聞こえてきた。
どうやら酔っ払い同士の喧嘩らしい。
喧騒に目をやると、二人の男を取り囲んで野次馬の輪が何重にもできている。
今にも殴りかかりそうな男の傍らで、
金髪の小柄な女が必死に喧嘩を止めていた。
警察沙汰になったら困る。あたしは制服なのだ。
この場から離れようと慌てて立ち上がった時だった。
あの日と同じワンピースでホテルの前に立ちすくみ、
驚愕に目を見開いた石川さんと目があったのは。
驚愕から諦観へ、目の色が変わろうとした瞬間―――
どこをどう駈けたのか。
気がつくとあたしは汗だくで自室の床に座り込んでいた。
- 20 名前:聖域 投稿日:2002年09月30日(月)20時45分53秒
第1章 終
- 21 名前:シレンシオ 投稿日:2002年09月30日(月)20時49分55秒
- 更新終了。
>14さん 15さん
レスありがとうございます。
今後も精進させていただきます。
- 22 名前:名無しどくしゃ 投稿日:2002年10月01日(火)17時28分13秒
- ムム。面白い。期待させて頂きますw
- 23 名前:聖域 投稿日:2002年10月03日(木)21時32分38秒
- 第2章 『 青空 』
溢れそうな涙をこらえて、こらえて
やっと見つけた。
誰も見たことのない―――
- 24 名前:『 青空 』 投稿日:2002年10月03日(木)21時33分34秒
- −1−
あくる日の昼休み、あたしは石川さんと屋上へ向かっていた。
クラスメイトと昼食を食べ終わったあたしは、
トイレで偶然はちあわせた石川さんに連れ出されたのだ。
横に並んで階段を昇る間、あたしは石川さんの横顔を盗み見ていた。
こんなに近くで彼女を見るのは初めてかもしれない。
石川さんはとても綺麗な顔をしている。
相変わらず背すじは気持ちよいぐらい伸びていて、
伏せられた目からは何の感情も読み取れなかった。
屋上に来るのも初めてだ。
行ったことがある、という人に会ったこともない。
ここには幽霊が出るとか出ないとか、そういう噂があるらしく
つまり、こういった秘密の話をするにはうってつけの場所なのだ。
石川さんは屋上の入り口にあたる錆びた扉を重そうに開けると、
さっさと外に出ていった。あたしも後に続く。
- 25 名前:『 青空 』 投稿日:2002年10月03日(木)21時34分29秒
- 夏の陽射しが容赦なく降り注ぎ、あたしの肌を焦がす。
陽のあたらない塀の影に腰を落ち着けると、
あたしの目の前に直立した石川さんが口を開いた。
「どうする気? ――――え、と」
「吉澤」
「――――吉澤さん」
石川さんは変わった声をしている。
そんなのんきなことを考えるほど、あたしはなぜか落ち着いていた。
しばらく沈黙が続く。
ああ、そうか。彼女はあたしの返答を待っているのだ。
慌てて迷走する思考をあるべき位置に戻す。
『どうする気?』
どうするんだろう、あたしは。
ほとほと困って石川さんを見上げても、答えは見つからない。
よく考えたら、この絵、変だよなあ。
まずい立場なのって石川さんのほうのはずなのに、
なんであたしが呼び出し食らって、追い詰められてるんだ?
- 26 名前:『 青空 』 投稿日:2002年10月03日(木)21時35分22秒
- 「あたしにも、わからない」
正直に答えた。
消え入るような言葉に、石川さんの形のよい唇が曲がる。
「なにそれ。脅しのつもり?」
石川さんは結構ひねくれてるのかもしれない。
えらく深くとられた意味を否定しようと、あたしは必死に首を振った。
声を出したつもりだったが、渇いた喉の奥でかき消えてしまった。
「へんなひと」
石川さんはつまらなさそうに塀と塀を繋ぐアルミ柵を指先で撫でた。
話の内容はかなりヘビーなはず。
なのに、なんだかふわふわした会話になっている気がするのは、
ずっと無表情で淡々と話す石川さんのせいか、
それとも夏の陽射しに浮かされたあたしの頭のせいか。
- 27 名前:『 青空 』 投稿日:2002年10月03日(木)21時36分49秒
- その時、予鈴が鳴った。
授業開始5分前。屋上と2年の教室は少し遠い。
「もういい。勝手にすれば」
進まない会話にしびれを切らしたのか、石川さんが投げやりなことを言う。
優等生の石川さんは、授業に遅れるなんて許せないんだろう。
急いで立ち去ろうとする。
踵を返しかけた彼女に、あたしは質問した。
「なんで、あんなことするの?」
石川さんは少し驚いたような目をした後、自嘲気味な笑顔を作った。
「私にも、わからない」
初めて見せた表情に、あたしはなんだかたまらなくなった。
石川さんはもう、扉の前で背中を向けている。
あたしはすっかりカラカラになった喉を絞って、たった一言叫んだ。
「言わないよ」
振り向いた石川さんが少し微笑んでいたのは、
あたしの気のせいかもしれない。
- 28 名前:シレンシオ 投稿日:2002年10月03日(木)21時38分28秒
- 更新終了。
>22さん
レスありがとうございます。
嬉しさとともに緊張もひとしお。
- 29 名前:名無しどくしゃ 投稿日:2002年10月04日(金)21時11分22秒
- ピリリ。石川さんこ、こわひw
なんかフワッとしてますね。こゆ感じ好きです。
次の更新楽しみにしてます。ガンバッテ下さい。
- 30 名前:『 青空 』 投稿日:2002年10月05日(土)22時55分07秒
- −2−
あれから数日後の昼休み、あたしは再び屋上に足を運んでいた。
今度は一人。
いつもはクラスメイトと教室で、くだらない話をして過ごすのだが、
今日はなんとなく一人になりたかった。
早めに昼食を終えたあたしは、誰にも見つからないように
こっそり教室を出たのだ。
重い扉を身体で開けると、心地よい風が前髪を揺らす。
今日はこの間より陽射しが優しい。
とはいえ、日焼けはお肌の大敵だ。
あたしは前と同じように塀が作る日陰に座り込み、辺りを見回した。
- 31 名前:『 青空 』 投稿日:2002年10月05日(土)22時55分58秒
- 割と小ぎれいなところだと思う。
女子高特有のかしましい声もここに届く前に昇華されていて、
アルミ製の柵の間から見える眺めもそんなに悪くない。
上背のあるあたしが顔だけを出せるぐらいの高さの塀は、
屋上の周縁にところどころそびえ立っていて、
明らかに後付けの、不釣合いなアルミ柵がその間を埋めている。
結構厳重なつくりだ。
あながちあの幽霊話も降って湧いたものではないのかもしれない。
意外と怖がりなあたしはそれとなく周囲を確認した。
- 32 名前:『 青空 』 投稿日:2002年10月05日(土)22時56分55秒
- ビクついていたあたしは、突然現れた人影に
「ひゃあ」と情けない声をあげた。
確認して、さらに驚く。
幽霊だったほうが驚かなかったかも。
それは石川さんだった。
「ああ―――吉澤さん」
立ち去ろうかとも思ったが、真っ直ぐに向かってくる彼女の視線に捕まり
あたしはまったく動けなくなった。
- 33 名前:『 青空 』 投稿日:2002年10月05日(土)22時58分05秒
- この前のあたしの最後の一言を信じてくれているのだろうか。
石川さんはあたしの隣に座り、臆する様子もなく話しかけてきた。
「何してるの?」
一方のあたしは、思いがけない来客に動揺する声を
必死で抑えていた。
「いや、べつに。・・・・・・石川さんは?」
そういえば、名前を呼ぶのは初めてだ。
「私? 私、よくここに来るの。日課みたいなもの」
ああ、だから――――
「今、『だから黒いんだ』って思ったでしょ」
あ、バレた。
あたしは石川さんの綺麗な褐色の肌を見て、少し笑った。
- 34 名前:シレンシオ 投稿日:2002年10月05日(土)23時01分04秒
- 更新終了。
少量なうえ、遅々として進まない話で申し訳ございません。
>29 名無しどくしゃ様
怖い、ですかw
とりあえず、石川さんはやっぱりひねくれています。
- 35 名前:名無しどくしゃ 投稿日:2002年10月06日(日)19時47分10秒
- 黒いwarata
作者様の作品読んでると心が和みます^^
この先なにが起こるんでしょか。楽しみです。
- 36 名前:『 青空 』 投稿日:2002年10月07日(月)23時17分17秒
- −3−
同じような日々が続いてゆく。
ただ一つ変わったことは、
昼休みに屋上で石川さんと会うようになったこと。
約束はしない。
会える日もある。
会えない日もある。
会わない日もある。
他愛もない話をしながら、屋上で時を過ごすあたし達は
それ以外の場所ではまったくの他人だ。
誰にも知られることなく始まった関係は、なんとも奇妙なものだった。
- 37 名前:『 青空 』 投稿日:2002年10月07日(月)23時18分23秒
- あのことを忘れていたわけではない。
見つかって以来、彼女を尾けるのはやめていたが、
常に頭のどこかに存在していた。
あたしはあえて思い出そうとしなかったのだ。
クラスメイトを幼稚だとバカにしながら、
あたし自身、ずっと何も知らない子供でいたかったのだろう。
このぬるま湯のような日々を、ただ純粋に楽しみたいがために。
- 38 名前:『 青空 』 投稿日:2002年10月07日(月)23時19分28秒
- 発端、あるいは終局。
ともかく、それはいつもと同じ暑い夏の日だった。
きっかけは、たった100円の紙パックのジュース。
二つのジュースを持って屋上にやって来た石川さんに、
あたしはお金を払おうとした。
「いいわよ。100円ぐらい」
今思えば、なんてくだらない連想。
きっぱり断る彼女の言葉に、あたしは思い出してしまったのだ。
そのお金は誰に貰った?
その後、堰を切ったように意識が一点に集中する。
- 39 名前:『 青空 』 投稿日:2002年10月07日(月)23時20分42秒
- どんなに楽しい話をしても、石川さんの笑顔はどこか卑屈で哀しい。
彼女の裏を知っているあたしにとって
その姿は多分に神秘的で美しくて、そして官能的。
折れてしまいそうなほど華奢な身体には、
むせかえるような性の芳香を存分に抱きかかえていて。
気づいてしまった。
いや、もう気づいていたのかもしれない。
なぜあたしは石川梨華に興味を持ったのか。
あたしが彼女を尾けた理由は何なのか。
それは、彼女の中に秘められた、性。
あたしはそれに魅せられた。
薄い両肩を掴み、その憂えた瞳を覗き込む。
何の抵抗もなく倒れてゆく身体。
ついにあたしは、聖域に足を踏み入れる。
- 40 名前:聖域 投稿日:2002年10月07日(月)23時21分48秒
第2章 終
- 41 名前:シレンシオ 投稿日:2002年10月07日(月)23時23分40秒
- 更新終了。
一転。
>35 名無しどくしゃ様
どうするどうなる。
温かく見守っていただければ、これ幸いかと。
- 42 名前:名無しどくしゃ 投稿日:2002年10月08日(火)19時41分07秒
- ヒョーキター。正座して暖かく次の更新を待ちます。ズズッ
- 43 名前:名無し読者 投稿日:2002年10月09日(水)21時23分56秒
- ヒョーーーおもしろい…
文章がほんとに上手ですね。
更新楽しみにしてます。
- 44 名前:聖域 投稿日:2002年10月10日(木)22時09分09秒
- 第3章 『 ON THE BOUND 』
私に必要なのはあなただけ。
私に必要なのはあなただけ。
私に必要なのはあなただけ。
- 45 名前:『 ON THE BOUND 』 投稿日:2002年10月10日(木)22時10分18秒
- −1−
とにかくあたしは焦っていて、何も見えなかったのだ。
彼女の中の性に憧れるあまり。
- 46 名前:『 ON THE BOUND 』 投稿日:2002年10月10日(木)22時11分10秒
- あたし達はその後何度も身体を重ねた。
必ず、昼休みの屋上で。
相変わらずプライベートにはまったく干渉しない。
石川さんは拒否するでもなく、無言であたしを受け入れる。
甘い囁きなど二人の間には存在しない。
あるのは、需要と供給。
それは淡々としていて、まるで何かの儀式のようだった。
- 47 名前:『 ON THE BOUND 』 投稿日:2002年10月10日(木)22時12分04秒
- 石川さんが溢れるほど抱えている、性。
あたしの日々の空虚を埋めてくれるのはこれだと信じていた。
それを手に入れる術を持たないあたしは、
無我夢中で石川さんに縋りついたのだ。
彼女があたしの腕の中で喘ぐ度、あたしがあの褐色の肌の味を知る度、
あたしは彼女に少し近づく。
そんな気がしていた。
しかし。
青空の下、あらわになった身体に夏の太陽は降り注ぐけれど、
あたしの肌はなかなか灼けない。
絡み合う指のコントラストが石川さんとあたしの違いを象徴しているようで、
あたしはとても悲しくなった。
石川梨華になりたい。
その時のあたしは、確かにそう願っていた。
- 48 名前:『 ON THE BOUND 』 投稿日:2002年10月10日(木)22時13分13秒
- −2−
あれは、あたしが儀式に夢中になり始めてから数日。
あの日の石川さんは、そういえばとても優しかった。
行為を終えたあたし達は、いつものように着衣の乱れを整え痕跡を消した。
次の時間は教室移動。
珍しく、あたしは石川さんより早く屋上を後にする。
立ち上がったあたしは制服を軽くはらうと、
座ったままの石川さんに、じゃあ、とだけ言い残して踵を返した。
- 49 名前:『 ON THE BOUND 』 投稿日:2002年10月10日(木)22時14分07秒
- その時。
左腕を掴まれ、引き戻される。
くるりと回ったあたしは体勢を崩し、石川さんの前にしゃがみこんだ。
ふらつく足元から視線を上げると、驚くほど近くに石川さんの潤んだ目が。
彼女はゆっくりとまばたきをすると、あたしの肩に手を添えた。
そして、柔らかな唇が押し当てられる。
「好きよ」
あたしに向けられる、哀しみや卑屈の影など微塵もない最上の微笑み。
三日月のように細められた目は、本当に綺麗で。
自由になった唇で、スッと息を吸った。
辺りには、夏の匂い。
- 50 名前:シレンシオ 投稿日:2002年10月10日(木)22時17分15秒
- 更新終了。
章内の番号にそんなに深い意味はありませんので。
>42 名無しどくしゃ様
お待たせしました。
相変わらず少量ですが。
>43 名無し読者様
ありがとうございます。
何よりの励ましです。
- 51 名前:名無しどくしゃ 投稿日:2002年10月11日(金)22時14分09秒
- イエ、作者様のペースでいいですよ。マッタリ待ってます。
- 52 名前:名無し読者 投稿日:2002年10月11日(金)23時32分46秒
- めちゃおもしろいです。
続き期待してます。
- 53 名前:『 ON THE BOUND 』 投稿日:2002年10月12日(土)22時20分15秒
- −3−
教室に少し遅れて入ったあたしは、
化学担当の厳しい学年主任にひどく怒られた。
あたしが席に着いた後も、その男はしつこく文句を言っていて、
それに同情したクラスメイトが慰めの言葉をかけてくれたけれど、
そのどちらもあたしの心に入る余地はなかった。
ノートを開いてペンを持ち、少し俯く。
授業を受けるフリをしながら、あたしは先程のことに思いを巡らせた。
- 54 名前:『 ON THE BOUND 』 投稿日:2002年10月12日(土)22時21分22秒
- なんだ、この感覚は。
あたしは目を閉じ、感触の残る唇を指でなぞる。
ただ触れ合うだけのキス。
しかしそれは今まで交わしたどんなものよりも、刺激的。
あの言葉は本心か、戯れか。
そんなことはどうでもいい。
愚かだ、単純だと思われてもかまわない。
彼女の柔らかな微笑みで、切ないほどの憧れが計り知れない愛に変わってゆく。
- 55 名前:『 ON THE BOUND 』 投稿日:2002年10月12日(土)22時22分11秒
- 授業が終わったら石川さんの元へ急ごう。そして伝えるんだ。
「あたしは石川梨華が好きだ」と。
ゆっくりとまぶたを開く。
全てがすっかり変わっていた。
鬱陶しいセミの声も、窓から射し込む暑苦しい夏の陽光も、
それを存分に浴びてキラキラと舞い踊るチョークの粉でさえも、
なにか大切なもののように思えてくる。
ああ。
世界はなんて優しいんだろう。
- 56 名前:『 ON THE BOUND 』 投稿日:2002年10月12日(土)22時23分05秒
- 穏やかな午後の教室に飛び込んできた教師の一言によって、
あたしの全ては奪われた。
「屋上で生徒が自殺した」
その手には、乾いた血のついた小さなナイフが。
石川梨華は、妊娠していた。
- 57 名前:聖域 投稿日:2002年10月12日(土)22時23分52秒
第3章 終
- 58 名前:シレンシオ 投稿日:2002年10月12日(土)22時26分34秒
- 更新終了。
暗転。そして、終幕へ。
なんだかえらく上の方にいる恐怖。
最終章は一気にアップしようと思いますので、
次回更新まで多少時間が開くかもしれません。
というわけで、次回早くも最終回です。
>51 名無しどくしゃ様
では、お言葉に甘えてw
忘れられない程度にがんばります。
>52 名無し読者様
ありがとうございます。
早くも終わりの予感です。
- 59 名前:名無しどくしゃ 投稿日:2002年10月13日(日)09時24分03秒
- 了解です。
最後の2行に心臓が破裂しそうなぐらい衝撃受けますた。
最終回待ってますぽ〜
- 60 名前:名無し読者 投稿日:2002年10月13日(日)15時27分42秒
- 次回最終回ですか…すごい悲しいです。
けど楽しみに待ってます。
56番読んだ瞬間心臓バクバクが止まらない〜な感じで…
更新マターリ待ってます。頑張ってください。
- 61 名前:聖域 投稿日:2002年10月16日(水)21時02分14秒
- 第4章 『 風化風葬 』
最後の接吻(くちづけ)をあげる。
でも大丈夫。
あなたはすぐに、私を忘れるから。
- 62 名前:『 風化風葬 』 投稿日:2002年10月16日(水)21時03分09秒
- −1−
その教師が血のついたナイフを花圃の前で拾ったのは、
授業がほぼ終わりかけた時刻だった。
見上げた先には、あの屋上が。
なんとなく嫌な予感を覚えた教師が駈けつけた時には、
彼女はすでに冷たくなっていたらしい。
手動脈断裂による失血死。
聞き慣れない言葉の羅列のせいか、肌に残るぬくもりのせいか
実感はまったく湧かない。
涙のひとつも流せやしない。
あたしにできることと言えば、興味本位の野次馬に紛れて、
「立入禁止」のロープが張られた屋上の扉の前に立ち尽くすことだけ。
- 63 名前:『 風化風葬 』 投稿日:2002年10月16日(水)21時03分55秒
- その後、石川さんについてあたしが知ったことは二つ。
ひとつは、妊娠していたこと。
彼女がそれに気づいたのは、ごく最近。
誰にも言わず、一人で悩んでいたらしい。
もうひとつは、身体を売るのをやめていたこと。
妊娠に気づくずっと以前から。
それはちょうど、あたしと密かに会うようになった時期と重なっていて。
もしかしたら、あたしは彼女を救えたのかもしれない。
そう思うのは自惚れだろうか。
- 64 名前:『 風化風葬 』 投稿日:2002年10月16日(水)21時04分40秒
- 遺書は見つからなかった。
何も言わず命を絶った彼女の、悪意のこもった噂は絶えなくなった。
石川さんに浴びせられる、下品で卑猥な言葉の数々。
違う。違う。
あたしは大声で否定したかった。
しかし、そうすればあたし達は好奇の目に晒される。
二人の世界に汚れた足で踏み込まれたくなかった。
- 65 名前:『 風化風葬 』 投稿日:2002年10月16日(水)21時05分16秒
- −2−
あの事件からしばらく。
他の生徒は石川さんのことをあまり話題に出さなくなった。
もうひどい噂も流れない。
彼女ももうすぐ、あの幽霊話のようになってしまうのだろうか。
クラスメイトは相も変わらずくだらない話で盛り上がっている。
人の少ない教室の中、
あたしはみんなから少し離れたところで放課後を迎えていた。
石川さんのことを思いながら。
- 66 名前:『 風化風葬 』 投稿日:2002年10月16日(水)21時06分11秒
- 結局、答えを聞けずじまいだった。
彼女はなぜ自分の身体を売っていたのか。
寂しかったから?
いや。
彼女も探していたのだ。あたしと同じように。
欠如しているものを。
画一化された生活の中で、闇雲に手を伸ばして。
それが正しかったのかどうかはわからない。
とにかく彼女は自分なりの方法で答えを見つけた。
自分を必要としてくれる人を。
あたしはそれに感応し、そして。
今となっては憶測にしかならないけれども。
- 67 名前:『 風化風葬 』 投稿日:2002年10月16日(水)21時07分01秒
- 「よっすぃーは好きな人いるの?」
恋の話でもしていたんだろう。
自分を飾り立てるためだけの。
突然質問されて、あたしに注意が集まる。
あたしは鞄を引っつかむと、こちらを見つめるクラスメイト達に目もくれず
素っ気無い声で即答した。
「いるよ」
過去形ではない。
あたしは今も。
- 68 名前:『 風化風葬 』 投稿日:2002年10月16日(水)21時07分50秒
- −3−
キャーキャー騒ぐ彼女達を無視して、あたしは教室を出た。
みんな気づいているはずだ。
何かが欠如した生活。
あたしの答えは?
向かう先は、あの場所。
そこへと続く階段を確かめるように昇ると、扉の前に立った。
あの事件以来、より一層誰も近づかない。
いまだ張られたままのロープをくぐり、ドアノブに手をかける。
錆びた扉は、気のせいかあの頃よりも重く感じた。
- 69 名前:『 風化風葬 』 投稿日:2002年10月16日(水)21時08分33秒
- 見慣れた景色。
夏真っ盛りの陽光は痛いほどにあたしを射す。
いつも二人がいた場所には、磨いても消えなかったのだろう、
石川さんの血だまりの跡がうっすらと残っていた。
あたしは眩しそうにそれを見つめた。
もうすぐ屋上は閉鎖される。
あたし達の聖域にはもう誰も踏み込めない。
- 70 名前:『 風化風葬 』 投稿日:2002年10月16日(水)21時09分26秒
- ゆっくりと跪いたあたしは、血だまりの跡に口づけを落とす。
「好きだよ」
小さく呟いた。
俯いたままのあたしのうなじを、太陽がじりじりと照らす。
辺りに陽の光の匂いが漂う。
あの時。
石川さんの微笑みが、満ち足りた世界を教えてくれた時と同じ匂い。
あの唇の感触を、あたしは一生忘れない。
- 71 名前:聖域 投稿日:2002年10月16日(水)21時10分24秒
『 聖域 』 END
- 72 名前:シレンシオ 投稿日:2002年10月16日(水)21時14分15秒
- 更新終了。
かろうじて、脱稿。
短い間でしたが、稚拙な文章にお付き合いいただきありがとうございました。
当然ですがこのスレッドは、何らかの形で消化してゆくつもりです。
期待せずにお待ちください。
それでは。
- 73 名前:ココナッツ 投稿日:2002年10月16日(水)22時01分20秒
- コレ、よいです。途中、泣きそうでしたが…。
次回作もあると…解釈してよろしんですよね?
期待するなと言われても、無理です(w
- 74 名前:名無しどくしゃ 投稿日:2002年10月17日(木)16時17分30秒
- 好 き で す(爆
お疲れ様でした。
とても楽しませて頂きました。
素敵な作品をありがとうです。作者様。
そして次回作コソーリ期待ですw
- 75 名前:シレンシオ 投稿日:2002年10月22日(火)00時33分13秒
- お報せも兼ねて、一旦ageで。
続編にあたります。
飯田さん主人公で。
- 76 名前:シレンシオ 投稿日:2002年10月22日(火)00時33分59秒
『花盗人』
- 77 名前:『花盗人』 投稿日:2002年10月22日(火)00時34分43秒
- 月下美人という花を見たことがあるでしょうか。
すぐに姿を消してしまう、美しくも悲しい花。
私は昔、「咲くのは珍しいから」と言う母に呼ばれ、
甘い香りを撒き散らしながらゆっくりと花弁を開くその花を、
うっとりと見上げていたことがありました。
淡い光の中に浮かび上がる純白大輪のその花は、
華麗で絢爛たる見た目とは裏腹にどこか寂しげだったのを覚えています。
- 78 名前:『花盗人』 投稿日:2002年10月22日(火)00時35分38秒
- −1−
私が彼女を初めて見たのは、夏期講習の現国の授業中でした。
見た、と言うよりも、見つけた、と言ったほうが正しいかもしれません。
彼女は何度かその授業に出席していて、
私は彼女に会ったことがあるはずでしたから。
前に出て問題を解いてもらおうと当てた生徒が、彼女でした。
まだ全員の名前をはっきり覚えていなかった私は、
だれか適当に当てようと名簿を見たのです。
- 79 名前:『花盗人』 投稿日:2002年10月22日(火)00時36分23秒
- 堅苦しい漢字の羅列の中、そのひらがなの名前は
私の目を惹きつけました。
結局、彼女をこの名前で呼ぶことは、一度もなかったのですが。
「じゃあ、吉澤さん」
そう広くない教室に、私の声が響きます。
それに反応し、席を立った少女。
彼女は当てられたことに対する何の驚きも示さずに、
ふらふらと前に出て、黒板に答えを書き込みました。
- 80 名前:『花盗人』 投稿日:2002年10月22日(火)00時37分23秒
- 彼女の答えは塾のマニュアルの模範解答とは少し違いました。
しかし私はどんな答えでも、間違いだとすることはなるべくしません。
こういうやり方は、あまり塾では好まれていませんでしたが、
ものに対する考え方がたった一つだけだとは思いませんでしたから。
私はその答えが間違いではないことを躍起になって説明します。
あまりに躍起になり過ぎて、私自身混乱することも多々ありましたが。
生徒達は楽しそうに笑います。
吉澤さんも楽しそうに笑います。
しかし、彼女は本当は笑ってはいないのです。
その表情には、なんと言うか、寂しさが影を落としていて。
それが、なんだか気になったのです。
きっかけは、そんなことでした。
- 81 名前:『花盗人』 投稿日:2002年10月22日(火)00時38分15秒
- 大学入学時に始めたこの塾講師のバイトも、今年で三年目になります。
夏期講習には毎年多くの中高生が参加しますし、
私もいろんな生徒を見てきたつもりです。
しかし吉澤さんは、初めて見る感じの生徒でした。
確かに彼女は目立つ子です。
色白の肌、高い身長、そして端正な顔立ち。
よく男子生徒の噂の的になっているのを聞きます。
しかしそんな子は毎年どの学年にも現れるものです。
人一倍感受性が強いと自負している私が気になったのは、
彼女が他の生徒と同じ様に振舞っていても、
どこか違う空気をかもし出しているところでした。
なんと説明すればよいでしょう。
事務的に生きている、とでも言ったらよいのでしょうか。
日々起きている事柄に対して、激しい感情を示さずに
ただ淡々と享受してゆくだけなのです。
積極的な生への可能性を有しながら彼女は、
それを必死に忘れようとしている。
そう感じたのです。
- 82 名前:シレンシオ 投稿日:2002年10月22日(火)00時40分04秒
- 更新終了。
諸事情で以前より更新がスロウペースになると思いますが。
あと、今後ともsageでお願い致します。
- 83 名前:『花盗人』 投稿日:2002年10月25日(金)21時19分29秒
- −2−
それから数日経ったある日の放課後。
私は誰もいない職員室にひとり残って、
主任にダメ出しされた明日の授業用のプリントの手直しをしていました。
その主任は自分の仕事が終わると、私に施錠をまかせ、
さっさと帰ってしまいました。
私はただの学生アルバイトなのに。
文句を言ったところで、仕事が早く終わるわけではありません。
私は目の前にある、明日の朝締め切りのプリントに集中しました。
バタン
突然の大きな音に、私は飛び上がりました。
どうやら階下にある塾の入り口が開く音のようです。
ふと、壁にかかった時計を見ます。
9時27分。
生徒も先生方も、みんなもう帰っているはずです。
まさか。
幽霊? 泥棒? 強盗殺人犯?
私の思考は悪いほうへ悪いほうへと一気に転がります。
恐怖のあまり流れる涙もそのままに、私は何か武器になるものを、と
授業で使う指し棒を掴み、ドアの陰にしゃがみ込みました。
- 84 名前:『花盗人』 投稿日:2002年10月25日(金)21時20分42秒
- リノリウムの廊下を歩く足音が、だんだんと近づいてきます。
その時、気づきました。
私はなんてバカなのでしょう。
電気を明々と点けたままでは、
ここに誰かいるのがバレてしまうではありませんか。
ああ、もうすぐ誕生日だったのに。
ほぼ21年の人生の短さを憂い、私は絶望に打ちひしがれました。
しかし足音は職員室を通り過ぎ、奥の教室へと向かいます。
息を潜めて様子を伺っていると、
教室のドアをガチャガチャと開けようとしているのが聞こえました。
今なら逃げられるのではないか。
そう考えた私は、指し棒を握り締め、意を決して職員室から飛び出しました。
ドアを開く音に、教室の前の人影が振り返ります。
- 85 名前:『花盗人』 投稿日:2002年10月25日(金)21時21分37秒
- 「うわあっ、おば―――」
おばけ? おばさん? どのみち失礼な殺人犯です。
「―――ああ、飯田先生」
殺人犯が安堵のため息をつきながら、私の名前を呼びます。
不審に思った私はその顔を確かめて、驚きました。
確かに私は途方もなく考えすぎるきらいがありますが。
それにしても、勘違いも甚だしい。
それはあの吉澤さんだったのです。
「すいません。教室開けてもらっていいですか? 財布、忘れちゃって」
ドアのガラスに映った私の顔は涙でマスカラが滲み、確かに少し怖かったです。
- 86 名前:『花盗人』 投稿日:2002年10月25日(金)21時22分42秒
- 財布を無事に取り戻し、次の電車まで時間がある吉澤さんと、
大きい建物にひとり、という恐怖を覚えてしまった私。
つまり、利害が一致したわけです。
ここで時間をつぶせばいいと、私は彼女を職員室に招き入れました。
「いいんですか?」
生徒が職員室に入ることは、禁止されていました。
しかしそれは校則のように、その場その人による曖昧なものです。
私はそんなに厳しい先生ではなかったですし、
主任にさえ見つからなければ害はありません。
何より、異なる雰囲気を持つ吉澤さんに少し興味がありましたから。
彼女は私が頷くのを確認すると、軽く会釈をしながらドアをくぐりました。
- 87 名前:『花盗人』 投稿日:2002年10月25日(金)21時23分47秒
- 吉澤さんはあまり自分から話すほうではありませんでした。
もしかすると、私の仕事の邪魔にならないような配慮だったのかもしれません。
その代わりにと言ってはなんですが、ほとんど私が喋っていました。
吉澤さんは口数も少なめに、それに相槌を打つだけ。
それでも私は、この偶然手に入れた時間に十分満足していました。
仕事の片手間、吉澤さんの様子をチラチラ伺いましたが、
一見すれば、彼女は他の女子高生と何ら変わるところはありません。
それが違うということがわかっている私でさえ、そう思うくらい。
吉澤さんは演技が上手い。
彼女にとって、この世界はただの舞台でしかないのではないか。
ふと湧き上がった恐ろしい考えを隅に追いやろうと、
私はひたすら声を上げて笑い続けます。
思いのほか大きい自分の笑い声に、私は少しひやひやしていました。
- 88 名前:『花盗人』 投稿日:2002年10月25日(金)21時24分52秒
- ◇
結局、私は自分の仕事が終わった後も、
吉澤さんの電車の時間まで塾に残っていました。
この辺りは街灯も少なく、夜一人で歩くには少々危険でしたから。
施錠を確認した後、私達は人通りのない駅への道を歩き始めました。
月は小さく私達の頭上にあり、星はほとんど見えません。
淡い月の光は彼女の顔や肩に流れ落ち、
その横顔を儚げなものへと変えてゆきます。
それは、私のささやかな思い出を思い起こさせようとして―――
沈黙さえ気恥ずかしくなった私は、口を開きました。
- 89 名前:『花盗人』 投稿日:2002年10月25日(金)21時25分36秒
- 「私さあ、ほんとは大学生なの」
「えっ、そうなんですか?」
塾の方針で、学生アルバイトは自分が大学生であることを
生徒に言ってはならないことになっていました。
保護者の信用がどうのこうので。
私は人に物を教えるのにそういうのは関係ないと思ってはいましたが、
雇ってもらっている身なので、一応それに従っていました。
生徒にまったくバレていないかどうかは、怪しいものでしたが。
「だからさ、『先生』とか、いいよ。『飯田さん』とかで」
「はあ」
「『カオリン』とか」
「いやいや。それは、どうかと」
吉澤さんの頬がゆるみます。
でもほら、やっぱり笑っていません。
- 90 名前:『花盗人』 投稿日:2002年10月25日(金)21時26分43秒
- そうこうしているうちに駅に着きました。
人影のない静かなホームでは、私達のそう大きくない声もよく響きました。
チラチラ光る蛍光灯が、闇に消え入りそうな吉澤さんの白い肌を
まるで彫刻のように浮き上がらせています。
なんとなく、高校生の頃に見たレンブラントの絵を思い出しました。
「じゃあ、ありがとうございました」
「ううん。こちらこそ。気をつけてね」
吉澤さんの乗る電車がちょうど到着しました。
そろそろ日付が変わりそうなこの時刻、車内に人はまばらです。
がらがらの電車に乗り込もうとした吉澤さんに、
私は思い出したように付け足しました。
「今日のこと、秘密、ね」
「――はい。飯田さん」
吉澤さんが、大きな目を細めます。
柔らかいその表情は、あまりに完璧すぎるようにさえ感じました。
- 91 名前:『花盗人』 投稿日:2002年10月25日(金)21時27分24秒
- 職員室のこと。
私の素性。
たいしたことではありません。
ましてや、二人だけの秘密にするようなことでは。
暗闇へと呑みこまれてゆく電車を、私は時間の許す限り見つめていました。
- 92 名前:シレンシオ 投稿日:2002年10月25日(金)21時28分27秒
- 更新終了。
週1程度で更新できれば良いなと思っております。
- 93 名前:名無し読者 投稿日:2002年10月25日(金)23時09分51秒
- 非常に楽しみにしています。
頑張って下さいね。
- 94 名前:名無し読者 投稿日:2002年10月30日(水)01時50分56秒
- 飯田さんのモノローグが綺麗ですねぇ…
- 95 名前:『花盗人』 投稿日:2002年10月31日(木)23時02分57秒
- −3−
秘密を持つということ。
それは思うに、私が彼女にとって、ただの舞台装置のひとつに
ならないようにするための苦肉の策だったのかもしれません。
それが成功したのかどうかはわかりませんが、
それから後、私は彼女とよく会話を交わすようになりました。
私の授業終了後、人の少ない教室で、吉澤さんの電車の時間まで、
というのが多かったと思います。
- 96 名前:『花盗人』 投稿日:2002年10月31日(木)23時04分06秒
- 前にも言ったように、彼女は自分から話すほうではありません。
学校のことは、特に。
やはりその代わりに、私が話題を提供するようになりました。
私もあまり話すのが得意、と言うほどでもなかったので、
どうでもいい話題がほとんどでしたけれど。
取り留めのない話でも、彼女は楽しそうに聞いてくれます。
しかし、相変わらず目はどこか寂しげで、
時折天井の蛍光灯を眩しそうに見上げては、
何かを懐かしむような顔をするのです。
その姿は、あの夜に見た大輪の花のようで――――
彼女の花はどこを目指して咲いているのでしょう。
その行く先は、恐ろしく甘美で、危険。
しかし、今の私には何をどうすることもできません。
- 97 名前:『花盗人』 投稿日:2002年10月31日(木)23時05分32秒
- ◇
「―――だって」
「マジでぇ?」
休み時間の廊下で、噂話に花を咲かせる二人組。
私の姿に気づいた一人が、こちらに向かって駈けてきます。
私は自分の胸に飛び込んできた柔らかいかたまりを、優しく抱きとめました。
遅れて来たもう一人も、私の腕に跳びつくようにしがみついてきました。
「飯田せんせーい」
歳に似合わない甘えた声で話すこの二人は、中3クラスの生徒です。
私を気に入ってくれているらしく、
私も彼女達を妹のように可愛がっていました。
成績は、さっぱりでしたけれど。
「そうや、のの。飯田先生なら知っとるかもしれへんで。高校生、教えとるし」
「ほんとだ。―――ねえ、飯田先生」
彼女達から聞いた話は初耳でした。
それはいつの時代のどの学校にもあるようなありふれた噂話で、
その時は、すぐに忘れてしまっていたのに。
- 98 名前:『花盗人』 投稿日:2002年10月31日(木)23時06分32秒
- それはいつもと変わりない、暑い夏の日でした。
すでに他の生徒達はいなくなってしまった夕方の狭い教室で、
私は吉澤さんと会話を交わしていました。
エアコンのために閉じられた窓からは、
真夏のじりじりとした西日が射し込んでいます。
いつものとおりでした。
その時までは。
私にとっては、他愛のない話題のひとつでしかなかったのです。
- 99 名前:『花盗人』 投稿日:2002年10月31日(木)23時07分42秒
- 「3駅ぐらい向こうにさ、女子高あるじゃん」
「私立のですか? たぶんそれ、うちの学校です」
「そうなの? じゃあ、知ってるかもなあ」
吉澤さんがその女子高の生徒だというのは、この時初めて知りました。
ちょうどよい、とばかりに私は話を続けました。
「中学生に、聞いてくれって頼まれてんだけどさあ。
―――吉澤さんの学校って、幽霊出るの?」
我ながら唐突だな、と思いました。
しかし吉澤さんの声は、抑揚なく返ってきます。
「ああ。なんか、あるみたいです。噂」
- 100 名前:『花盗人』 投稿日:2002年10月31日(木)23時08分35秒
- 「――で、ね。夏休み前にさ、誰か死んだんでしょ? 屋上で」
吉澤さんの変化に、私はまだ気がつきません。
「なんかね、その子、幽霊に連れてかれたとかいう話なんだけど。
―――噂だよ? 噂。なんか、知らない?」
私は、彼女の顔を覗き込みます。
しばらくの間、固く結ばれていた吉澤さんの口が、ゆっくりと開きました。
「ごめんなさい。あんまり―――」
吉澤さんは俯きながら、口の端をちょっとだけ上げました。
「―――あんまり、知らない子だったから」
- 101 名前:『花盗人』 投稿日:2002年10月31日(木)23時09分51秒
- 嘘だというのがすぐにわかりました。
なぜなら、吉澤さんは泣いてしまっていたからです。
実際、涙は流れてはいませんでしたが、
彼女の頬を伝う雫が、私には見えたのです。
吉澤さんは自分さえもごまかしているのではないか。
もう彼女自身の力では、彼女の独り芝居を止められない。
私が吉澤さんの舞台の幕を引かなければ。
いつしか、そう思い始めていました。
- 102 名前:シレンシオ 投稿日:2002年10月31日(木)23時12分22秒
- 更新終了。
すっかり季節外れになってしまいました。
>93
ありがとうございます。地道に頑張っていこうと思います。
>94
ひゃあ、光栄です。
- 103 名前:シレンシオ 投稿日:2002年10月31日(木)23時32分52秒
- >102 訂正
93さん、94さん、申し訳ございません。
うっかり敬称を付け忘れてしまいました。
失礼しました。
- 104 名前:『花盗人』 投稿日:2002年11月07日(木)17時18分44秒
- −4−
吉澤さんを救ってあげよう。
方法がわかっているわけではありません。
心はやたら急かされるのですが、相変わらず自若然と振舞う吉澤さんを
いざ前にすると、私は笑うことしかできませんでした。
泣いてしまった吉澤さん。
それに対する罪悪感と、あれほど完璧に演じていた彼女の心を
いとも簡単に乱す存在への畏怖の念。
それらが私の歩みを止めていたのだと思います。
- 105 名前:『花盗人』 投稿日:2002年11月07日(木)17時19分38秒
- 焦る心に背中を押され、畏れる心に足を取られながらも、
限りある夏期講習の日々は過ぎてゆきます。
どうすることもできないまま迎えた最終日。
意外にも、話のきっかけを作ったのは吉澤さんでした。
人のいない教室で授業の片づけをする私に、彼女が話しかけてきたのです。
「どしたの?」
正直、私は驚きました。
あれ以来、彼女とは今までどおり話してはいましたが、
なんとなく、彼女は私を避けていると思い込んでいましたから。
- 106 名前:『花盗人』 投稿日:2002年11月07日(木)17時20分42秒
- 「いや。一応、今日で最後だし。お礼言っとこうかなって」
素直ないい子。
果たして、これも演技なのでしょうか。
そう思うと嬉しい反面、胸が痛みました。
「すごい、わかりやすかったです。授業」
「うっそだあ」
私の授業は話が良くとぶのでわかりにくいと評判でした。
それが面白いのか、自分で言うのもなんですが、生徒には大人気でしたけれど。
クスクス笑っていると、吉澤さんが続けました。
「ありがとうございました。じゃあ、また」
- 107 名前:『花盗人』 投稿日:2002年11月07日(木)17時21分39秒
窓を透過して幾分優しくなった夕方の陽射しの中、彼女は満面の笑みでした。
光り輝く、子供のような笑顔。
しかし、陽光をふんだんに浴びたはずの彼女の茶色い瞳の深淵は暗く、
その真実を見ることを許してはくれません。
果てない瞳の奥に沈むもの。
吉澤ひとみという花は、その存在のためだけに咲いている。
危険。危険。
手折らなければ、私の前から消えてしまう。
- 108 名前:『花盗人』 投稿日:2002年11月07日(木)17時22分28秒
- 私のこの苛立ちは、―――ただの嫉妬心。
それに気づいた時には、もうすでに
私の唇は吉澤さんの唇に重ねられていました。
救ってあげるだなんて、なんという欺瞞。
私はただ、悲劇的な美しさと儚さを持つ彼女を、
自分の中に閉じ込めたかっただけなのです。
あの夜、すぐに私の前から姿を消してしまった
月下美人の代わりに。
結局、私も演じていたのです。
偽善という名の舞台の上で。
いつのまにか離された唇には、後悔の感触しか残っていません。
- 109 名前:『花盗人』 投稿日:2002年11月07日(木)17時23分13秒
「ちが・・・」
口を開いたのは、私? それとも、吉澤さん?
どちらが呟いた言葉だったのでしょう。
今となってはもう思い出せません。
その声はまるで私達に平等に降り注ぐ、終わりかけた夏の太陽が
遠くから囁いているかのように聞こえました。
私は悟りました。
吉澤ひとみという花は、その存在に根を宿している。
もし摘み取ろうとすれば、彼女は・・・
私には、彼女の本当の心を見ることも、
彼女の求めているものを与えることもできないのです。
もちろん、彼女を手に入れることも。
- 110 名前:『花盗人』 投稿日:2002年11月07日(木)17時24分00秒
- 私の目から思いがけなく涙がこぼれました。
こんな自分勝手な醜い涙を、彼女に見せるわけにはいきません。
私は慌てて俯きました。
「飯田さん、あたし―――」
「ごめん。わかってる。わかってるの・・・・・・」
吉澤さんが戸惑っているのが、俯いたままでも感じられました。
「飯田さん。あの、ごめんなさい・・・・・・」
どうして彼女が謝るのでしょう。
私が泣いてしまったから?
私の気持ちに気づいたから?
どのみち、彼女はちっとも悪くはないのです。
悪いのは―――
「謝らないで、お願い・・・・・・もう、行って」
- 111 名前:『花盗人』 投稿日:2002年11月07日(木)17時24分47秒
- 私の涙を彼女は見たでしょうか。
どうにか顔を上げた時、陽の光はもう弱々しく、目の前には
清潔な白い壁が無機質な蛍光灯に照らされているだけでした。
花盗人は罪にはならない、と聞きます。
しかし私はこの罪にずっと苛まれ続けることでしょう。
もう二度とあの花を見ることはない。
再び滲んでゆく景色の中、そう感じたのです。
- 112 名前:『花盗人』 投稿日:2002年11月07日(木)17時25分32秒
『花盗人』 END
- 113 名前:シレンシオ 投稿日:2002年11月07日(木)17時28分48秒
- 更新終了。
またもや短いものでしたが、ありがとうございました。
目処が立ち次第、次を出してゆこうと思います。
- 114 名前:名無し読者 投稿日:2002年11月13日(水)23時26分14秒
- 続編あったとは気付きませんでした。
作者さんの独特な作風好きです。
続きあるのでしょうか? かなり期待ってことで!
- 115 名前:名無し読者 投稿日:2002年11月16日(土)22時06分29秒
- 美しい…
- 116 名前:シレンシオ 投稿日:2002年11月23日(土)23時57分17秒
- 勢いで出来たのをひとつ。
続編と言うか、関連ものです。
- 117 名前:シレンシオ 投稿日:2002年11月23日(土)23時58分11秒
- 『 柔らかな枷 』
- 118 名前:『 柔らかな枷 』 投稿日:2002年11月23日(土)23時59分04秒
- 使われた形跡のない非常階段のそばにある、
古くなった嵌め殺しの窓のガラスを器用に外す。
あの頃より成長した身体を何とかくぐらせると、
外したガラスを元に戻して3階ベランダの日よけにあたる部分に立った。
秋の午後の空は気持ちがいい。
冷たささえ思わせる色を見上げ、肩を大きく上げて一息つく。
青は、時間を短く感じさせると言う。
こうやって延々たる空を臨んでいると、逆なんじゃないかと思うけど。
- 119 名前: 『 柔らかな枷 』 投稿日:2002年11月24日(日)00時00分00秒
- 燦爛とした青に、目が痛くなった。
まばたきを忘れていた気がしたので、2・3度目をしばたたかせると、
面白みのない風景を見遣り、時の流れを元に戻す。
コピーされたように並ぶ住宅街。
その間を申し訳程度に埋める緑。
少し遠くで霞んで連なる繁華街のビル。
やっぱり時間なんてのは、なかなか流れない。
初めて来た時と何ら代わり映えのしない景色に飽きた私が、
目的地に向かおうと振り返ると、目の前には、あの頃にはなかった
すげない金属製の柵が構えていた。
- 120 名前:『 柔らかな枷 』 投稿日:2002年11月24日(日)00時00分55秒
- 「・・・こんなとこ、変わんなくてもいいのにさあ」
一人でぶつぶつ言いながら、冷たい柵に手を伸ばす。
運動神経はいいほうだ。
ひょい、と勢いをつけて身を翻し、片足で上手に着地した。
着地点にしっかりと立って、辺りを見回す。
最初、あの柵は抜け道からの侵入防止かと思ったが、どうやら違うらしい。
ところどころそびえ立つ高い壁と壁の間全てに、
素っ気無いアルミ柵が隙間なく埋められている。
おそらく、あの事件のせいだろう。
私は両手で柵を掴むと、少し苦笑した。
こんなことしたって、死ぬ人は死ぬのに。
柵に足をかけ、反動をつける。身を乗り出すのは簡単だった。
ビルの谷間を渡る風は、私の長い髪を好き勝手に乱す。
髪、まとめてくりゃよかった。
- 121 名前:『 柔らかな枷 』 投稿日:2002年11月24日(日)00時01分38秒
- あれから2年。
私はあの人と同い年になった。
- 122 名前:『 柔らかな枷 』 投稿日:2002年11月24日(日)00時02分36秒
- 柵の上に顎を乗っけて、どこまでも広がる青い空を眺めた。
薄い雲が気持ちよい速さで流れるのを追っていると、
なんとなく、身体が軽くなったような錯覚に陥る。
あの人はどんな気持ちでここを飛んだのだろうか。
こんな景色を目にすると、
空を飛ぼうと本気で考えたのかもしれないと思えてくる。
あの人は、バカでロマンチストだったから。
遺書らしい遺書はなかった。
私に宛てられた手紙にはたった一言小さい文字で、
「後藤、元気で。大好きだよ」とだけ。
思い出すと怒りが込み上げてくる。
ちくしょう。
勝手なことばっかり。
残された者の気持ちなんて、考えもしなかったくせに。
大嫌いだ。
- 123 名前:『 柔らかな枷 』 投稿日:2002年11月24日(日)00時03分31秒
- 眉宇に不快を刻みながら俯いた視線の先、
あの人が飛べずに落ちた花圃の前に一人の少女が歩いていた。
距離があるので顔はよく見えないが、著名なデザイナーの作だという
巷で人気の制服を見間違えるはずはない。この学校の生徒だ。
神妙に咲き誇る秋の花々の間に見え隠れするその姿を何気なく見ていると、
私の視線に気がついたのか、急にこちらを見上げる。
隠れる間もなかった。一瞬にして目があってしまう。
遠くからでもわかる、儚げで、吸い込まれそうな目をした少女。
すっと、彼女の視線が曖昧に揺らいだ。
何を見てる? 私? 空? それとも―――
周囲を確認しても、目に付くものはない。
彼女はこちらを確かめながら、慌てた様子で校舎へ駈け戻った。
どうも、ここにやって来る気らしい。
- 124 名前:『 柔らかな枷 』 投稿日:2002年11月24日(日)00時04分32秒
- 別に悪いことをしているわけではないけれど、
他校の生徒が忍び込んでいる、という事実にいい印象は持ちづらいだろう。
教師に告げ口でもされて、いろいろ説明するのは鬱陶しいし、面倒くさい。
一応、人のいない放課後を狙って入ったのだが、少々油断してしまった。
失態を少し反省しながら、私は柵から両足をそろえて下りた。
ふと、足元の赤茶けたしみが目に入る。
なんだこれ。血・・・?
そういえば最近、ここでまた自殺騒ぎがあったんだっけ。
あの人の幽霊が連れて行ったとかいう噂を聞いたことがある。
バカバカしい。
- 125 名前:『 柔らかな枷 』 投稿日:2002年11月24日(日)00時05分40秒
- 私はそのしみを踏まないように飛び越えると、
この屋上の正式な入り口であろう扉に向かった。
ここにちょくちょく忍び込んでいた頃には、
私はこの扉を使ったことがなかった。
あの人が、自分の学校のお気に入りの場所に
部外者の私を連れて行くために教えてくれたのが、あの抜け道。
当時まだ中学生で、あの人を姉のように慕っていた私にとって、
それは単純に嬉しいものだったのだ。
- 126 名前:『 柔らかな枷 』 投稿日:2002年11月24日(日)00時06分36秒
- ドアノブを廻し引いたり押したりしてみたが、
重そうな鉄の扉はびくともしない。
どうやらこちらから鍵がかかっているらしい。
なら、とりあえずは大丈夫だろう。
とはいえ、見つかってしまっているのは事実だ。
あまり長居はできそうにない。
懐古ごっこはもう終わりだ。さっさと退散するに限る。
だいたい、何してるんだ。
偶然カフェで見かけた中学生の作り話に影響されて、こんなとこまで。
私も、どうかしている。
そう思った時だった。
- 127 名前:『 柔らかな枷 』 投稿日:2002年11月24日(日)00時07分37秒
- 「ねえ」
いきなり背後から話しかけられる。
慌てて振り向くと、先程私がいた柵の前に一人の生徒が立っていた。
驚いた。
あの抜け道を知っている人がいたなんて。
「あたし達だけしか知らない」とか言ってたくせに。
案外、校内の人には有名なのかもしれない。
「何してるの?」
- 128 名前:『 柔らかな枷 』 投稿日:2002年11月24日(日)00時08分56秒
- 少女は不審そうな目でこちらを見ながら、ゆっくりと口を開いた。
端正な、――ちょっと月並みだけど、
そういう表現がピッタリな顔立ちをしている。
一瞬、あの人に似ていると思った。
けど、よくよく見ると常に何かを憂えているような瞳以外は似ても似つかない。
ひどく真面目な様子を見て、なんとなく意地悪をしてみたくなった。
「幽霊」
彼女の身体がビクッと震えた。
「―――とでも思った?」
俯き、何も答えない。微妙なリアクション。
泳いだ目線は、チラチラとあのしみに向けられる。
もしかしたら最近の自殺騒ぎの関係者かと思い、はったりをかけてみた。
「あれ」
私は例のしみを指差した。
できる限り、不敵な笑いを浮かべてみる。
「なんか、関係あるんでしょ」
- 129 名前:『 柔らかな枷 』 投稿日:2002年11月24日(日)00時09分45秒
- 無言のまま、顔をぱっと上げた。その目は驚きで見開かれている。
どうもどんぴしゃらしい。私の興味が一気に注がれる。
好奇に満ちた目で見ていると、彼女が固く結んだ唇を開いた。
「何? いったい・・・」
「だから幽霊だって。2年前にここから飛び降りたの」
そうだ。死んだも同然。
あの日から時間は止まったままだ。
「嘘」
「ふふっ」
- 130 名前:『 柔らかな枷 』 投稿日:2002年11月24日(日)00時10分34秒
- 不安とか驚きとか、いろんな感情がない交ぜになった目で睨みつけてくる。
その言葉を信じるなんて、はなから思っていない。
私はこもった笑い声を上げた。
まあまあ、そんな怖い顔しないでさ。
置いてかれた者同士、傷の舐め合いでもしようじゃないの。
心の中、おどけた口調で呟いた。
わざと自分で自分を貶めて、これ以上傷つかないように予防線を張る。
それ自体が惨めなことだと、気づいてはいるんだけど。
- 131 名前:『 柔らかな枷 』 投稿日:2002年11月24日(日)00時11分26秒
- 「そう言うあんたは、何しに来てんのさ。こんなとこまで、わざわざ」
ふん、と鼻を鳴らしながら聞き返し、足元に目を落とす。
くたびれたローファーのかかとで、灰色の地面を思い切り踏んだ。
がりり、という音がする。
正確に言うと、その音だけしか聞こえない。
繁華街の車の音はここまでは届かないし、今は閑散とした放課後だし、
どんなに待っても私の問いに対する彼女の答えはないし。
静かすぎる。
周りのもの全てが息を殺して私に注目しているようで、
急に落ち着かなくなった。
キョロキョロと挙動不審気味に目を上げると、
彼女はもう私を睨んではおらず、少し俯いて自分の足元を見つめていた。
答える気、ゼロかよ。
- 132 名前:『 柔らかな枷 』 投稿日:2002年11月24日(日)00時12分54秒
- 「会いたいの?」
再チャレンジ。
あのしみに視線を送りながら、ぶっきらぼうに尋ねる。
やっぱり反応はない。
もしかしたら聞こえてないのかと思い、もう一度尋ねようとしたら
彼女が視線を落としたまま、ひどく落ち着いた声で呟いた。
「会いたい。会って、話したいこと、いっぱいある」
儚げなイメージを持つ人が見せる強さは、衝撃に等しいものがある。
何かモヤモヤとしたものが、ど真ん中から込み上げてきた。
思いのほかはっきりとした口調に少し戸惑っていると、彼女がさらに続けた。
「・・・でも、会えない。会うのが、怖い。会うと―――」
「きっともう、忘れてるよ」
彼女の言葉が終わらぬうちに、きっぱりと言い放つ。
好きだから、辛いんだ。
優しいから、辛いんだ。
温かい思い出なんて、捨ててしまえばいい。
憎めば、少しは楽になれる。
親切な私は、彼女を楽な道へといざなう。
- 133 名前:『 柔らかな枷 』 投稿日:2002年11月24日(日)00時14分29秒
- 「自殺する人なんて、ジコチュウで自分勝手なんだから。
残された人のことなんか、もうどうでも―――」
「そんなことない」
今度は彼女が私の言葉を遮った。
より一層、力強い口調。
真っ直ぐで悲しげな目が、私を見つめる。
そういう瞳はあの人そっくりだ。
ホント、腹が立つ。
「なんでそんなこと言えんのさ」
喧嘩腰な口調で彼女に詰め寄る。
人が親切で言ってやってんのにさ。
目線の鋭さには自信があるのだけれど、
どんなに凄みを利かせても、彼女はひるむこともなく視線も外さない。
- 134 名前:『 柔らかな枷 』 投稿日:2002年11月24日(日)00時15分53秒
長い沈黙。
どれくらい睨み合っただろう。彼女がゆっくりと静寂を破る。
「知ってるよ。知ってるもの。後藤さん」
空気が一瞬にして硬直するのを感じた。
なんで私の名前、知ってるんだ?
街の匂いを運んできた強い風が、二人の髪をいい様に乱す。
- 135 名前:『 柔らかな枷 』 投稿日:2002年11月24日(日)00時16分44秒
- 「忘れてなんかいない。あの人、心配してるよ」
何? 何のこと? 何言ってるんだ、このコ?
言い返そうと口は動くが、声が出せない。
彼女の視線は相変わらず真っ直ぐに私を突き刺す。
このコ、もしかして。
「いつも言ってる。『後藤が、後藤が』って。
あなたがずっと立ち止まったままなの、心配してる」
淡々と綴られる言葉が、私の深淵に入り込み
ひたすら隠していた本心をかき出そうとする。
なんだそれ。なんだよ、それ。
心配するくらいなら、最初から―――
- 136 名前:『 柔らかな枷 』 投稿日:2002年11月24日(日)00時18分09秒
- 「誰のせいでっ・・・だいたい、なんであんな引き止めるようなこと!」
やっと引き出された声は、悲痛そのものだった。
嗚咽の混じった声が、発作のように私の口からこぼれ出す。
『大好きだよ』だなんて。
突き放してくれたほうがずっとましだ。
「伝えたかったんだよ、最後に」
彼女は表情をピクリとも動かさずに、
すでに録音されたテープのように声を発する。
でも、それも一瞬だった。
「・・・こんなことになるなんて。
私だって、まさか吉澤さんがあんなに・・・!」
- 137 名前:『 柔らかな枷 』 投稿日:2002年11月24日(日)00時19分24秒
- 鈴の音のような声が徐々にヒステリックになる。
華奢な身体が細かく震えているのが、離れていてもよくわかる。
やっぱりそうだ。
このコは、置いてかれたほうじゃない。
しかし目の前の衝撃は、
吐き出された言葉のせいできしむ神経にかき消されていた。
「じゃあ・・・じゃあ、なんで会いに来ないのさ。
そんな、こだわるなって言うんなら、
会って『もういい』って言ってくれればいいじゃん!
出て来れるんでしょ? アンタみたいに!」
子供のように駄々をこね、まくしたてる。
あの人は、こんな私の姿もどこかで見てる。
その顔はいつもみたいに笑ってる? もしかしたら、珍しく怒ってるかも。
ずるいよ、自分ばっかり。
- 138 名前:『 柔らかな枷 』 投稿日:2002年11月24日(日)00時20分20秒
- まるであの頃の私に引き戻されたように思う。
よく、あの人に無理を言って困らせてたなあ。
騒ぎ立てる自分とは別の、どこか冷静な自分が幸せな思い出を辿っていると、
彼女の長い睫毛に縁取られた痛々しい目が、はらはらと涙を落とす。
「会えないよ。会うと、きっとまた引き止めちゃうから。
・・・・・・忘れて欲しいんだけど、覚えてて欲しい」
かすれた声で訴える。
「自分勝手だって、わかってるんだけど―――」
彼女の涙が尖った顎から離れるのを見たけれど、
コンクリートの地面には何の跡も描かなかった。
人のこと、言えた義理?
こだわってんの、そっちもじゃんか。
- 139 名前:『 柔らかな枷 』 投稿日:2002年11月24日(日)00時21分17秒
- 私達の足には枷がついているのだ。
永遠という、幸福な名前の。
外せないはずはない。
この足枷は、自らでつけたのだから。
動かないのは、時間じゃない。
人を魅せ、心地よい怠惰と悲哀を味わわせる甘美な時間から
動かないのは、私自身だ。
- 140 名前:『 柔らかな枷 』 投稿日:2002年11月24日(日)00時22分02秒
- 「・・・でも、これだけは覚えてて。私は絶対忘れないから」
彼女の遠い目がこちらに向けられる。
しかし、おそらくその先にあるのは「吉澤さん」の影。
残してきた、大切な人。
みんな苦しんでる。
私も、彼女も、「吉澤さん」も、
そしてたぶん、あの人も。
目の前の景色が徐々に滲んでゆく。
突然吹いた風に一瞬顔を背け、目を閉じた。
その拍子に、温かい涙がゆっくりと頬を伝う。
再び視線を戻したその時には、彼女の姿はもうどこにもなかった。
- 141 名前:『 柔らかな枷 』 投稿日:2002年11月24日(日)00時22分46秒
- ある秋の午後の思いもよらない出来事が、
立ち止まった私の神経をざりざりと刺激する。
動かなければ。
動けるはずだ。
歯を食いしばり、ゴクリと息を呑み込むと、
回転式の錠を外し、重い扉を開く。
立ち入り禁止のロープをくぐり、ぼんやりとした陽光が照らす
薄暗い階段を下りてゆく途中、一人の生徒とすれ違った。
花圃から屋上を見上げた少女。
柔らかな光を浴びたあの印象的な目は、
縋るように屋上の扉の奥を見つめている。
おそらくこの人が、吉澤さん。
- 142 名前:『 柔らかな枷 』 投稿日:2002年11月24日(日)00時23分32秒
- その姿に、両足がぐっと重くなったような気がした。
柔らかく温かな足枷は、無上の心地よさを私達に与えてくれる。
徐々に締め上げられるそれによって、
自分の足が血にまみれているのに気づかないほど。
痛む足に気づいた私と、甘い蜜に魅せられたまま血を流す吉澤さん。
楽なのはどっち?
幸せなのは―――
ダメだ。
振りきれ。振りきれ。振りきれ。
もつれる足を無理矢理前に出し、狭い階段を駈け下りた。
- 143 名前:『 柔らかな枷 』 投稿日:2002年11月24日(日)00時24分28秒
- 痛む足を引きずって、私は走る。
すれ違う人々のざわめきも、私自身の足音も、
暮れかけた秋の空に吸われて私の耳には届かない。
ふと懐かしいものを感じて、ゆっくりと校舎を振り返る。
かすむ視線の先、屋上で手を振るあの人の姿が見えた。
私を見守る優しい眼差し。
突然吹いた風のせいで乱された髪に、視界を遮られる。
再び開けた視界には、もうその影は跡形もなかった。
気のせいだ、たぶん。
しっかりと目を見開き、前を見つめる。
悠然と踏み出した足は、少し痛みが和らいだ気がした。
大丈夫。きっと大丈夫。
ばいばい。市井ちゃん。
忘れないよ。
- 144 名前:『 柔らかな枷 』 投稿日:2002年11月24日(日)00時25分19秒
- 『 柔らかな枷 』 END
- 145 名前:シレンシオ 投稿日:2002年11月24日(日)00時31分02秒
- 更新終了。
一方ならず遅筆なものでお待たせすることが多いと思いますが、
ゆっくりお付き合いいただければ幸いです。
>114さん
お待たせしてます。
>115さん
飯田さんは美しいです。
- 146 名前:名無し読者 投稿日:2002年11月29日(金)14時35分48秒
- ああ、すごく好きです。
最近seekに来ていなかったのですが、続編が書かれていたんですね。
見にきてよかった。
この先もマターリお待ちしています。
- 147 名前:名無し読者 投稿日:2002年12月01日(日)00時42分42秒
- 通して読むと、より一層せつなくなりました。
吉澤は果たして救われるのか・・
飯田さんや後藤さんとは今後、どう絡んで来るのでしょうか。
更新、お待ちしております。
- 148 名前:名無し読者 投稿日:2002年12月03日(火)23時26分34秒
- 続編待ってました。
屋上での二人の対話ひたすら涙。
石川さんの最後の言葉がすごく心に残りました。
これからどうなるのかまったりお待ちしております。
- 149 名前:シレンシオ 投稿日:2002年12月23日(月)00時55分18秒
- 少し、自分を追い詰めてみようと思います。
- 150 名前:シレンシオ 投稿日:2002年12月23日(月)00時56分19秒
- ―――――夢を追う少女達の
「ピアノ、長いの?」
「違ってたら、ゴメン。あなた、演劇部の人でしょう?」
―――――果てしない希望と
早く、大人になりたい
―――――計り知れない不安
大人になるのが怖い
次回 『虹の彼方に』 鋭意制作中
- 151 名前:シレンシオ 投稿日:2002年12月23日(月)00時58分13秒
- 読んで下さっている奇特な方へ
お報せを兼ねて、次回予告です。
悩んだ結果、次回は少し本編から外れてみようと思います。
予告だけ読むとなんだかえらく大それたものに見えますが、
期待しているとひどい目に。(w
追い詰めてはみたものの、プライベイトの方が忙しく
年内の更新は無理です。
申し訳ありませんが、もう少しお待ちください。
それでは、よいお年を。
- 152 名前:名無し読者 投稿日:2002年12月31日(火)08時11分28秒
- なんだか映画の予告みたいで…勝手にワクワクしています(w
年末年始、私もバタバタしています。
作者さんもお正月をのんびり過ごせますように。
良いお年を!
- 153 名前:名無し読者 投稿日:2003年01月09日(木)04時12分43秒
- 保全
- 154 名前:シレンシオ 投稿日:2003年01月11日(土)00時29分49秒
- 予告どおり、本編から少し離れます。
- 155 名前:シレンシオ 投稿日:2003年01月11日(土)00時30分36秒
『虹の彼方に』
- 156 名前:『虹の彼方に』 投稿日:2003年01月11日(土)00時31分45秒
虹の彼方、そこはいつも青空で
どんな夢でも叶う場所。
鳥達が飛んで行けるのだから
あたしにだって行くことができるはず。
- 157 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年01月11日(土)00時32分59秒
- 夏休みも終わり、新学期を迎えた。
9月。
暦の上では秋といえども、いまだ色濃く残る夏の匂いは
少し汗ばんだあたしの鼻先を掠めてゆく。
長い休暇の終わりを嘆く友達もいる。
あたし達学生にとって、学校生活は人生そのものだ。
何百人という同年代の人達と、同じ様な時を過ごす。
たった一ヶ月ちょっととはいえ、
夏休みはその囲いを取り払ってくれるわけだ。
その気持ち、わからないでもないけれど、
あたしの夏といえば、無理矢理通わされた
ひたすら勉学に勤しむだけの夏期講習の思い出しかない。
やっとそれから解放されたのだ。
足取りも、自然と軽くなる。
- 158 名前: 『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年01月11日(土)00時33分56秒
- 勉強が嫌いで嫌いで仕方がない、というわけではない。
ただ、あたしにはもっともっと大切なことがあって―――
狭い階段を一気に駈け昇る。
『演劇部』と書かれたプレートのある薄い扉を勢いよく開いた。
あたしの学校生活は、放課後から始まる。
- 159 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年01月11日(土)00時35分16秒
- ◇
文化祭の発表まであと約ひと月。
あたし達演劇部員は本番の舞台、
つまり体育館のステージで立ち位置の確認をしていた。
ステージの下には様々な運動部がひしめき合っていて、
シューズの底と板張りの床の擦れ合う音が小気味よく響いている。
「ま〜こっちゃんっ」
まるで歌でも歌うような変なリズムで名前を呼ばれる。
新垣里沙は同じ2年の演劇部員だ。
最初見た目どおり、お子様チックなかしましいだけの子かと思っていて
少し敬遠していたが、しばらく付き合ってみると
意外と落ち着いてしっかりした、いいヤツだというのがわかった。
小学生といっても疑われない顔で、人生悟りきったことを言うので、
なんだかなあと思うこともあるけれど。
- 160 名前: 『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年01月11日(土)00時36分30秒
- 「どうよ。調子」
台本を持ってステージをうろつくあたしを見上げる。
小学校で飼っていたハムスターを思い出した。
今日の立ち位置確認ってのは、本当に立ち位置を確認するだけで
調子も何もあったもんじゃない。わかってるだろうに。
遠慮の要らないヤツとはいえ、ほどほどに常識的なあたしは
彼女に聞こえないように小さな溜息をついた。
ヒマなんだろうな、きっと。
文化祭は3年生最後の舞台になる。
やっぱり、自然と去りゆく人々にスポットが当てられるわけで
それ以外の人は結構ヒマなのだ。
- 161 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年01月11日(土)00時37分22秒
- 「寂しくなるね」
「そうだね」
なにやら打ち合わせをする先輩達を見て二人で呟く。
2年にも満たない付き合いとはいえ、いろいろお世話になったのだ。
寂しくない、といったら嘘になる。
あたしもすぐにこんなふうに見送られる立場になるのかと思うと、
少し不思議な感じがした。
ずっと先の未来は感触がなくて、幾らでも夢や希望を思い描けるけれど、
すぐ目の前の未来はひどくリアルで、不安や動揺しか生まない。
- 162 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年01月11日(土)00時38分08秒
- 「頼むよ、次期部長」
そんなことをぼんやり考えていると、里沙にポンと肩を叩かれた。
3年生の晴れ舞台ではあるけれど、人数が少ないのは毎年のこと。
一応、少人数でできる脚本を考えるけれど、3年生が2年生から一人
演技者を指名するのが恒例行事になっている。
選ばれたのは、あたし。
指名を受けた2年生は次期部長、というのが暗黙の了解なのだ。
総部員数8名。2年生は、たった3名。
今回の選抜が、先輩達に夜も眠れぬ葛藤を与えたとは到底思えないけれど、
自分が認められたという事実は素直に嬉しい。
- 163 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年01月11日(土)00時38分47秒
- 「うん」
このまま真っ直ぐ進んでいけば、
夢と希望に満ち溢れた世界が待っているはず。
仁王立ちになったあたしは、きわめて正しい発声で芝居の台詞を叫んだ。
ステージ下の運動部員達が、何事かと視線を投げてくる。
この開放感と緊張感が、たまらなく好きなのだ。
あたしはこの先ずっと、舞台に立っていたい。
- 164 名前:シレンシオ 投稿日:2003年01月11日(土)00時44分04秒
- 更新終了。開始報告を兼ねて一旦age。
長らくお待たせしました。中学生日記風味の小川さんです。
>146さん
お待たせしました。
>147さん
作者本人にもどうなることやらw
>148さん
そう言っていただけると、光栄です。
>152さん
期待していると(ry
- 165 名前:名無し読者 投稿日:2003年01月12日(日)23時53分38秒
- 美しい描写が切ないです。(どうやら、シレンシオさんの表現は
私のツボらしくw)どこか、過ぎ去ってしまった思春期特有の
痛みを思い出すというか…ああ、わけわかんないこといってすんません。
私的に「花盗人」の飯田さんの一人称がぐっときました。
素晴らしい。期待しつつ再び草葉の陰に潜らせて頂きます。
- 166 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年01月18日(土)22時53分57秒
- ◇
今朝から機嫌はあまりよろしくない。
あたしは仏頂面で、朝のホームルームを迎えようとしていた。
親との言い争いなんて、いつものことだ。
いつまでたっても歩み寄りのない会話に、当の本人も辟易している。
いい加減、気分を損ねないやり方を見つければよいのだろうけれど、
彼らの意見を軽く聞き流せるほど、あたしはまだオトナではない。
- 167 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年01月18日(土)22時54分46秒
- 大人ってのは、本当に勝手だ。
小さい頃は、どんなバカみたいな夢を語っても手放しで喜ぶくせに、
ある程度将来が見えてくると、波風の立たない道を進ませようとする。
いい高校に入って、いい大学に入って、いい会社に就職して。
確かに安定した生活が約束されるのだろうけれど、
あたしはそんなものに何の魅力も感じない。
渋々夏期講習に通ったのだって、文化祭の練習に集中するための
取引みたいなものでしかないわけで。
「甘えたことを」とあたしの夢を頭ごなしに否定するけれど、
あたしの芝居をろくに観たこともないくせに。
- 168 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年01月18日(土)22時55分36秒
- 俯いて唇を噛んでいると、教室の扉が開く音が耳に届いた。
相変わらず生気のない担任がふらふらと入ってくる。
その後ろに、なぜかピシッとスーツを着こなした女の人。
そういえば、教育実習がどうのとか言ってたっけ。
「教育実習に来ました。保田圭、英語担当です。
短い間ですが、よろしくお願いします」
- 169 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年01月18日(土)22時56分13秒
- 黒板にテキパキと『 保 田 圭 』と書いた。
おそらく、ちょっと緊張しているんだろう。
そう思いたい。
微動だにしない表情で、教卓の上からじっくりとあたし達を睨みつける。
睨みつけるという表現は、言い過ぎではないはずだ。
強張った顔は、なんと言うか、なかなか好戦的。
担任よりも確実に風格のある彼女を見て、あたしは少し息を呑んだ。
- 170 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年01月18日(土)22時57分03秒
- 「仕方ないんじゃない、そんなの」
里沙の顔が一気にこまっしゃくれる。
ステージで軽く通しをした後、今日の部活は解散。
部室に残ったあたしは、衣装リストをチェックする里沙の向かいに座り込んで、
今日の機嫌が悪い理由を語っていた。
舞台に出ない部員達は、自ずと裏方に回る。
衣装とか、舞台装置とか、下手をすれば裏方のほうが忙しいという
イメージがあるけれど、今回の演目は現代劇なので衣装は普段着だし、
ライトなんかも、中学校の設備なんてたかが知れてる。
それに早くからガチャガチャいじっていると、先生に怒られかねない。
- 171 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年01月18日(土)22時58分04秒
- それにしても、だ。
開け放たれた部室の窓からは秋の静かな到来を感じさせる
涼やかで爽やかな風が舞い込んできていて、
あたしに自然とやる気を起こさせるというのに、
この子はなんでまた、こう覇気のない発言を。
まあ、期待はしていなかったけれど。
いきなり親身になって心配されても、それはそれで気持ち悪い。
里沙はリストに目を落としたまま、冷めた言葉を紡いでゆく。
「親だってさ、あながち間違ったこと言ってるわけじゃないし」
「でもさあ。全否定だよ、あたしの言い分。聞きやしないんだから。
自分の意見ばっかりギャーギャーギャーギャーさあ」
- 172 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年01月18日(土)22時58分50秒
- お行儀がよいとは決して言えない格好で、足をじたばたさせる。
里沙は相変わらず、こちらを見ない。
「そんなに嫌ならシカトするか―――」
「それは無理」
「―――それか、素直に親に従うか」
「もっと無理。・・・ってか、二択なわけ?」
ふくれっ面になっていたのだろう。
リストから初めて顔を上げた里沙に、
「口がへの字になってるよ」と軽くツッコまれた。
小動物を思わせる目が、あたしを射抜く。
「しょうがないよ。だってうちら、まだ子供なんだし」
- 173 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年01月18日(土)22時59分40秒
- 諦念すら感じさせない、無機質な声。
当たり前のことなんだけど、改めて言葉にされると、
ましてやこんな幼顔で言われると、妙に残酷味を帯びてくる。
親の庇護のもとにある子供は、
好きな夢を追いかけることもできないのだろうか。
あたしは自分の若さと無力さを恨んだ。
早く、大人になりたいと思った。
- 174 名前:シレンシオ 投稿日:2003年01月18日(土)23時01分47秒
- 更新終了。
ああ、難しい。中学生の頃、何考えてただろう。
>165さん
ありがとうございます。
面映い限りです。
- 175 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年01月25日(土)00時04分20秒
- ◇
やっぱりあたしには、里沙の言うような
子供の上手いやり方を実践するのは無理だった。
売り言葉に、買い言葉。
決定打は、あさ美ちゃん。
幼馴染みのあさ美ちゃんは、小さい頃からとても頭がよい。
しかしそれを鼻にかけない素直ないい子で、あたしの自慢の友達だ。
指折りの有名進学校へ通う彼女に、あたしの母はすっかり心酔している。
確かにあたしも、あさ美ちゃんを羨ましいと思うことはたまにある。
でも、あさ美ちゃんはあさ美ちゃん、あたしはあたし。
比べるものではないということを、彼等はなぜわからないのか。
- 176 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年01月25日(土)00時05分09秒
- そんなこんなで家を飛び出したあたしは、
夕餉の匂いの漂い始めた見知らぬ住宅街を、制服のままトボトボ歩いていた。
親子喧嘩で娘が家を飛び出す、なんてのは小川家では珍しいことではない。
こういう時は大抵あさ美ちゃんの家に転がり込むのだが、
今回はきっかけがきっかけだけに、あたしの足も重くなる。
無意識のうちに彼女の家に向かっていたあたしは、
くるりと方向を変え、未知の町へと歩を進めていったのだ。
行くあてもなくさまようというのは、そこはかとない不安を招く。
黄昏時のほの暗い景色が、それを一層増長させた。
そんなあたしの気持ちを汲みとるかのように、
どこからか切なげなピアノの音色が聞こえてきて、さらに拍車をかける。
- 177 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年01月25日(土)00時06分01秒
- 徐々に暗転する住宅街と、引き返したら負け、という意地。
それら二つが見事に重なり合って、
気がつくとあたしは、完全に迷ってしまっていた。
ヤバイ。
着の身着のまま飛び出したので、携帯はおろか財布も持っていない。
来た道を戻ろうにも、陽の光の消えてしまった風景は
すっかり様相を呈してしまっているし、
似たような邸宅が立ち並ぶ住宅街には目印になるようなものもなく、
同じところをグルグルまわっているだけのような気がしてきた。
- 178 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年01月25日(土)00時06分50秒
- ホント、ヤバイ。ちょっと、泣きそう。
キョロキョロ辺りを見回しても、何もない。
「ワラをも掴む思い」をつくづく体感しているあたしの目の前には、
さほど高くない塀から顔を覗かせて咲きそめている金木犀。
頼りなく咲くその花は、薄闇のせいか少し色褪せて見えた。
- 179 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年01月25日(土)00時07分35秒
- 念願のワラを見つけたのは、途方に暮れて立ち止まったあたしが
金木犀の香りに少し酔い始めていた時だった。
「ありがとうございました。さようなら」
かしこまった声の後に、門の開く金属音。
それらに反応して振り返ったあたしの視界に、
同じ制服を着た少女の後ろ姿が入ってきた。
助かった。
ホッと息をつく。
学校までの道のりさえわかれば、何とかなる。
道聞いたら、やっぱりあさ美ちゃんちに行こう。しょうがない。
- 180 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年01月25日(土)00時08分31秒
- いい年して迷子、というのもあったけれど、
それより何よりこんな右も左もわからないところで
いつまでも立ち尽くす気は毛頭なかった。
恥を承知で、声をかける。
「あの・・・すいません」
あたしのやや遠慮がちな声に、高い位置で結ばれたポニーテイルが
跳ねるように向きを変えた。
振り向いた少女はいきなり声をかけられたことに驚いているのか、
パッチリしている目を、さらに大きく見開いている。
その表情に、なんとなく謝罪の言葉が口をつく。
「あ・・・ごめんなさい。―――えっと、あたし、道に迷っちゃいまして。
それで、あの、学校ってどう行ったらいいのかなあ、って・・・」
- 181 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年01月25日(土)00時09分17秒
- しどろもどろで用件を伝える。
少女は表情はそのままで、少し首をかしげた。
そりゃそうだ。
学校の制服を着たのが、その学校の場所を尋ねるなんて。
しかも、こんな時間帯に。
絶対、変だよ。
そう思っていると、割とすんなり返事が返ってきた。
「・・・学校、ですか? それなら―――」
- 182 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年01月25日(土)00時10分28秒
- 彼女のびっくりしたような表情は、生まれつきのようだ。
道を説明してくれている間も、その目はなんとなく驚嘆を思わせた。
結局、その説明を上手く呑み込めなかったあたしのために、
彼女が親切にも、学校の近くまで案内してくれることになった。
ワラどころか、大木。
悪いから、と最初は断ったが、「どうせ私の家、同じ方向だし」と言う
彼女の好意に素直に甘えることにした。
- 183 名前:シレンシオ 投稿日:2003年01月25日(土)00時12分41秒
- 更新終了。
今までよりは少し長めになりそうです。
- 184 名前:名無し読者 投稿日:2003年01月25日(土)22時48分26秒
- 面白そうっす。保田先生が気になる・・。
- 185 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年01月31日(金)23時44分23秒
- 長い道のりを二人並んで無言のまま歩くのも少々気まずい。
せっかく助けてもらったのに、なんか悪い気がする。
よし。何か、話題を。
そう意気込むけれど、あたしはこういうところに意外と意気地がない。
広いステージで大声出せるくせに、とよく言われるが、
それとこれとは話は別だ。
くだらないことで話しかけても、鬱陶しいだけかもしれないし。
何か興味を引きつつ、盛り上がる話題、話題、話題―――
- 186 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年01月31日(金)23時45分53秒
- 視線を落としたまま考えていると、彼女の通学カバンに隠れて
ゆらゆら動く黒いトートが目に入った。
A4大のそのトートの口からチラチラ覗く英文をなんとなく横目で追う。
チョ・・・・・・ピン・・・・・・66?
その時、あたしの目線に気がついたのか、
彼女が「ん? これ?」とトートを持ち上げながらあたしの顔を覗いた。
「ショパン。の、幻想即興曲。さっきピアノのレッスン、行ってたから」
ああ、ショパンね。ショパン。・・・・・・口に出さなくてよかった。
さっき、ということはあたしがさまよってる間聞こえていた
悲しげなメロディは、彼女が奏でていたものなんだろう。
- 187 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年01月31日(金)23時46分49秒
- 「上手だね」
チョピンなんて言うくらいだ。ピアノに関しては何にもわからないけれど、
きっと芝居と同じで、感情移入が大切なはず。
あれだけあたしを不安にさせたのだから、上手いに違いない。
「ははっ。聞こえてたんだ。ありがとう」
彼女がニッコリ微笑む。
あたしもつられて、頬をゆるめる。
せっかく掴んだいい感じを保とうと、あたしは言葉を繋いだ。
- 188 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年01月31日(金)23時48分06秒
- 「ピアノ、長いの?」
「うん。幼稚園の頃から」
「すごいねー。あたし、習い事長続きした例し、ないよ。
そろばんとか、お習字とか」
あたしが仰々しく感嘆のため息を漏らしていると、彼女がクスクスと笑う。
しばらくして、あたしの顔を見て出し抜けに口を開いた。
「―――違ってたら、ゴメン。あなた、演劇部の人でしょう?」
彼女の癖なのか、また小首をかしげている。
話の流れとまったく関係ない唐突な質問に少々戸惑いながらも、
あたしは素直に頷いた。
彼女のあの目が、微笑を含む。
「ああ、やっぱり。なんか見たことあるなあって、思ってたの」
- 189 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年01月31日(金)23時49分08秒
- 話を聞く限り、どうやら彼女は演劇部が定期的に行う舞台を
ちょくちょく観に来てくれているらしい。
舞台と言っても、ステージで行うような大掛かりなものではなく
放課後に空き教室を借りて演るような、軽い寸劇だ。
何代か前の部長が「数をこなしたほうがいい」と提案したのが始まりだそうで、
文化祭ぐらいでしか披露する機会がなかった演劇部にとっては
非常にいい刺激になるし、何より結構盛況なのだ。
逆に言えば、文化祭は滅多にない大きな舞台。
力が入るのも、当然だ。
- 190 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年01月31日(金)23時50分09秒
- 「あと、新入生歓迎会の部活紹介で、田中邦衛のモノマネしてたの、
あれもそうでしょ? 純・・・って。すごい、おもしろかった」
「え・・・あ、うん。ありがとう」
そんなものまで覚えてるなんて。ホント、舞台ってすごい。
ちょっぴり苦笑しながらも、あたしは知らず知らずのうちに芝居への熱い思いを
たどたどしくも彼女に語っていた。
演じることの魅力。
将来も演劇を続けていきたいこと。
両親に反対されていること。
初対面の人にこんな立ち入ったことを話すなんて。
自分でも不思議に思ったけれど、彼女が真摯かつ丁寧に
あたしの言葉を辿る様子が、自然とそうさせたのかもしれない。
- 191 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年01月31日(金)23時51分13秒
- 急に立ち止まった彼女の声が高々と響いた。
「ほら。あの角を左に曲がってずーっと行ったら、
通学路の坂のトコに出るから」
促された方向を見ると、なるほどなんとなく見覚えのある景色。
彼女の言葉に耳を傾け、コクコクと何度も頭を振る。
辺りにはもうすっかり陽の名残はなく、ポツンと立っている街灯が
やたら橙じみた明かりを周囲に振りまいていた。
オレンジ色の光を浴びて真っ直ぐに伸びる道を、
あたしはどこかで見たことがあるような気がする。
- 192 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年01月31日(金)23時53分26秒
- 「大丈夫? わかる?」
「―――えっ、ああ。わかるよ。左に曲がって、真っ直ぐ、だよね」
景色に見とれてぼんやりしていたあたしに、彼女が心配そうに声をかけた。
あたしは慌てて遊離する思考を引き戻し、無事を伝える。
すると彼女は相好を崩し、再度首をかしげた。
「じゃ、またお芝居観に行くね」
「うん。放課後のはしばらくお休みだけど、文化祭、あたしも出るから」
「わかった。楽しみにしとく」
すっかり別れの雰囲気が漂っている。
正直、このまま「はい、さようなら」というのは惜しい気がした。
少し大袈裟かもしれないけど、あたしの演劇に対する熱意の
数少ない理解者なのだ。
『また会える?』と言おうかどうしようか少し俯き考えあぐねていると、
彼女が口を開いた。
- 193 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年01月31日(金)23時54分31秒
- 「あのさ、もしよかったら―――」
彼女は例のトートにちらりと目を遣る。
「私、昼休みとか放課後とか、音楽室でピアノ弾いてるんだ。
・・・で、ほんと、よかったらでいいんだけど、また聴きに来て」
「あ、うん。いいよ。あたしなんかでよければ」
思いがけない誘いに、あたしは顔を上げた。
てっきり微笑んでいると思っていた彼女の目がいやにひたむきなのを見て、
ほんのちょっとだけ背すじを伸ばす。
「また、いろいろお話もしたいし」
「そうだね」
- 194 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年01月31日(金)23時55分18秒
- 彼女の目に軽い緊張を覚えていたせいか
朴訥な口調になってしまったのを、あたしは少し後悔した。
返事を確認した彼女は、スッと片手を上げた。
「それじゃあ、気をつけてね」
「うん、ありがとう。―――じゃ、ね」
顔をほころばせた彼女に、あたしも笑顔で軽く手を振る。
あたしが手を下ろそうとしたちょうどその時、
踵を返しかけた彼女が慌ててつけ足した。
「そうだ、言ってなかった。私、高橋愛。高い橋に、愛情の愛」
「あっ、あたしは、小川麻琴」
- 195 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年01月31日(金)23時56分24秒
- たかはしあい。たかはしあい。
あたしは頭の中で彼女の名前を繰り返した。
それにしても、あいとまことって。
ふっるい青春ドラマみたいだ。
夕陽に向かって走っとく?
くだらないことを考えながら、
あたしは帰宅の途につく彼女の背中に声をかけた。
「またね。高橋さん」
「愛ちゃん、でいいよ」
くるりと振り返った彼女に、笑顔で訂正される。
橙色の光を投げかける街灯は、無邪気に跳ねる彼女のポニーテイルを
柔らかい輪郭をもって浮かび上がらせていた。
- 196 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年01月31日(金)23時57分16秒
- 助けてくれたの、あの子でよかった。
大木どころか、豪華客船。
見てくれてる人、いるんだ。
思いがけない出会いにあたしの心は浮かれ出す。
あたしは自分がここで迷ってしまった原因も忘れて、
調子のよい足取りで、自宅へ向かって真っ直ぐ歩いていた。
- 197 名前:シレンシオ 投稿日:2003年01月31日(金)23時59分31秒
- 更新終了。
福井弁なんて無理です。
>184さん
ありがとうございます。もうしばらくお待ちください。
- 198 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年02月08日(土)00時17分29秒
- ◇
愛ちゃんが3年生だと知ったのは、あれからすぐのこと。
気づかなかったあたしもあたしだけど、言わない愛ちゃんも愛ちゃんだ。
演劇部の舞台観たんなら、知ってただろうに。
いまさら彼女を「先輩」と呼ぶのもなんだかよそよそしく思ったので、
あたし達の関係は特に何も変わらなかった。
- 199 名前: 『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年02月08日(土)00時18分39秒
- 約束どおり、あたしは彼女のピアノを聴きに行くようになった。
やっぱりあたしにはピアノのことはよくわからなかったけれど、
彼女の奏でるピアノは大好きだった。
それは愛ちゃんが本当に大事そうに音を紡いでゆくからだろう。
彼女の指先から流れる音色は、音楽室を感情を多分に含んだ空気で満たし、
あたしはその波に身を任せ、ゆったりとした時を過ごす。
ショパンだろうがなんだろうが、あたしにとってはただ心地よい音の連鎖だ。
- 200 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年02月08日(土)00時19分58秒
- 「私、ピアニストになるのが夢なんだ」
彼女が初めてそう告げたのは、そんなある日の放課後。
部活に向かう前にピアノを聴きに寄った時だったと思う。
とつとつと夢を語るあたしに、何か近しいものでも見たのだろうか。
初めて会った日、愛ちゃんがいきなりあたしに
ピアノを聴きに来ないかと誘ったのは、
このことを打ち明けたかったからなのかもしれない。
とにかく、あたしならと思ってくれたのだとしたら、すごく嬉しい。
あたしはあの時の彼女と同じ様に、彼女の中に広がる夢に一生懸命耳を傾けた。
ピアノが大好きなこと。
母親の期待も大きいこと。
上達が遅いから、こんなふうにいつも練習をしていること。
少し恥じらいながら、大切にその夢を囁く愛ちゃんはとても素敵だった。
あの時のあたしも、こんないい表情をしていたのだろうか。
彼女の言葉に優しく頷きながら、ほんの少し自分の姿を重ねてみた。
- 201 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年02月08日(土)00時21分07秒
- 「たぶん、無理だろうけど」
最後に彼女は遠くを見ながら、まるで独り言のように呟いた。
鉛のような言葉が、音楽室の床を重々しく転がる。
訪れた沈黙が、ただただ苦しい。
何か言わなくちゃ、ともどかしく思うのに、いい言葉が見つからない。
『そんなことないよ』とか『大丈夫だよ』とか、ありがちな励ましの言葉を
かけてあげることは簡単なんだろうけれど、
そのどこからか押し寄せる不安を痛いほどわかっているあたしには、
少し自嘲気味に微笑む彼女の顔を見つめることしかできない。
- 202 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年02月08日(土)00時22分04秒
- 動けないまま、時間が過ぎる。
すると軽く目を伏せていた愛ちゃんが、不意にピアノの方に向き直った。
聴き覚えのあるメロディが彼女の指からこぼれる。
「ああっ。なんだっけ、これ。聴いたことある」
「『虹の彼方に』だよ。オズの魔法使いの」
そう。そうだ。
ドロシーとトト。よい魔女と悪い魔女。
カカシと、ライオンと、ブリキの木こり。
黄色いレンガの道の先には、エメラルドの都があって―――
小さい頃、親にねだって何度もビデオを観た、大好きだったお話。
- 203 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年02月08日(土)00時22分50秒
- 「私、この曲大好きなの」
そう言いながら、愛ちゃんは気持ちよさそうに鍵盤に指を滑らす。
好きな映画。好きな曲。
小さな小さな幸せ。
些細な幸せを見つけようなんて人は言うけれど、
大きな幸せを求めることは、贅沢なことなんだろうか。
あたし達はわがままが過ぎるんだろうか。
- 204 名前:シレンシオ 投稿日:2003年02月08日(土)00時23分49秒
- 更新終了。
少量ですが。
- 205 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年02月15日(土)00時42分53秒
- ◇
あたしが保田先生と初めて話したのは、忘れもしない13日の金曜日。
そんな不吉な迷信も忘れるほど部活に打ち込んだ帰りのことだった。
「『先輩、もういい加減にして下さい!』・・・・・・う〜ん」
自分の役の、見せ場のセリフが上手く言えなくて、
あたしはひとり街路を歩きながら、繰り返し練習していた。
「『先輩!』・・・いや、『先輩・・・・・・』かな―――」
「小川?」
- 206 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年02月15日(土)00時43分59秒
- 一応、周りに人がいないのは確認していたのだが、
あまりに夢中になりすぎて気がつかなかったらしい。
いきなり背後から声をかけられて、軽く飛び上がる。
ドキドキしながら振り向くと、そこにはあの保田先生が
眉根を寄せて立っていた。
「ビックリするじゃない。携帯で話してんのかと思ったら、
そうじゃないんだもの。どうかしちゃったのかと思ったわよ」
ビックリしたのはこっちです。
口から出かけた言葉を、なんとか呑み込む。
彼女に対して畏怖の念をいまだ感じていたあたしは、
知らず知らずのうちに両足のかかとをパッと揃えていた。
- 207 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年02月15日(土)00時45分12秒
- 「なるほど、なるほど。文化祭の練習か」
保田先生はそう言いながら、少し大袈裟に頷いて見せる。
あたしはなぜか、綺麗に整備された並木道を先生と肩を並べて歩いていた。
この辺りは大学も近いせいか、女子大生が好みそうな店が多く並んでいて、
ここから少し離れた繁華街よりも、オトナの雰囲気をかもし出している。
あたしにとっては、まだただの通学路でしかないんだけれど、
洗練された女の人が優雅にお茶なんかしているのを見ると、やっぱり憧れる。
「まあ、熱中できるものがあるのは、いいことよ」
「・・・はい」
「いやあね。何緊張してんのよ。いい加減慣れなさいよ」
保田先生はそう言うと、あたしの肩をベシッと叩いた。
口数の少ないあたしに気を遣ってくれているのか、
先生は軽いノリで話しかけてきてくれる。
なんだ。結構いい人じゃん。
ニカッと笑った先生の顔を見て、あたしはそう思った。
- 208 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年02月15日(土)00時46分10秒
- 英語の授業のこと、うちのクラスのこと、
保田先生の中学時代のスイートメモリー。
いろいろな話題で盛り上がり、あたしの緊張もすっかりほぐれた頃
先生が小ぎれいなビルの前で急に立ち止まった。
「あそこ、私がバイトしてるとこなんだけど―――」
先生がビルの二階を指差す。
顔を上げると、ガラス張りの店内に
品のよいカフェテーブルが並んでいるのが見えた。
- 209 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年02月15日(土)00時46分47秒
- 「ちょっと寄ってかない? 私も用があるし。おごるわよ」
「え・・・でも、あたし制服だし・・・」
「大丈夫よ。つまんないコト、言わないの。ほら」
言ったと同時にあたしの背中を強引に押す。
形だけ、少し困った表情を浮かべながら、
あたしはこんな豪胆な先生を好ましく思った。
最近のあたしは、なんだか出会いに恵まれている。
- 210 名前: 『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年02月15日(土)00時47分43秒
- 『café 29』と書かれたドアを開けると、そこは優しい光で包まれていた。
ようやく秋めいて柔らかな表情を見せ始めた太陽が、
大きくとられた窓から店内を照らしているのだ。
ウッディーな床にナチュラルテイストのテーブルが数脚。
それにお似合いのウーベンファイバーの椅子が、間隔を空けて並んでいる。
頭上には、よく外国映画なんかで見かけるでっかい扇風機。
シンプルで素っ気無ささえ感じさせる内装は、実はかなり計算されている。
手は抜かないけれど、余計な手も加えない。
いい感じの脱力ぶりが心地よい、いわゆる隠れ家的なカフェだ。
- 211 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年02月15日(土)00時48分30秒
- あたしはキョロキョロしながら、サクサク進む保田先生の後に続く。
先生は一番奥のテーブルを選ぶと、「どうぞ」とあたしを席へ促した。
周りでは、オトナの女の人が芳醇な香りの中で優雅な時間を過ごしている。
明らかに場違いな自分がチラチラ見られているような気がして、
座り心地のよい椅子の上で小さくなった。
「さ、何にする? どれも美味しいわよ」
そんなあたしの気持ちを知ってか知らずか、
先生は心安く話しかけてきてくれる。
さまよう目線を、前に差し出された手書きのメニューに落ち着けた。
- 212 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年02月15日(土)00時49分47秒
- どうやらここのメインは、多種にわたる極上のコーヒーと手作りスイーツ。
軽食もやっているらしく、フォカッチャやヌードルなどもある。
ずらりと並ぶ魅力的な品々にすっかり執心していると、
あたふたと隣のテーブルを片付けていた人が、急に驚きの声を上げた。
「うわっ、圭ちゃんやんか。なんや、声かけてえや〜。気ぃつかんかったわ」
店の名前のロゴの入ったTシャツを着て、バンダナを巻いているその人は、
おそらく先生の仕事仲間なんだろう。関西の言葉でまくし立てた。
- 213 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年02月15日(土)00時51分26秒
- 「あら、みっちゃん。ひとり?」
「そうやねん。人手が足りんでなあ。みんな学校始まって時間が合わんし、
圭ちゃんと入れ違いに入って来たコも2ヶ月足らずでやめてしもたし。
店長、裏でてんてこ舞いやで」
みっちゃんと呼ばれた店員さんは、そう愚痴りながら
隣のテーブルを丹念に拭く。
「手伝ってあげたいのはやまやまだけど、今日はワタクシ、お客様ですので」
保田先生の言葉に「はいはい」と肩をすくめながら、
こちらに歩み寄った店員さんはテーブルの横に立ち、
ふとあたしの顔を覗き込んだ。
綺麗な人だ。
品定めされているような気分になって、なんとなく落ち着かない。
気の強そうな目に見つめられて固まっていると、
店員さんの顔がふにゃりと崩れた。
- 214 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年02月15日(土)00時52分44秒
- 「こんにちは〜」
「――あ、こんにちは」
思わずメニューから手を離し、姿勢を正して挨拶を返す。
「なんや、えらい若い子連れてるやん。中学生?」
「そう! 教え子よ、教え子。私の」
先生の語気が強まる。
教え子ってほどでもないんだけど。
しかし、あまりに自慢げに紹介する保田先生がなんだか可愛かったので、
あたしは特別何も言わなかった。
店員さんはしばらくの間、先生とあたしに交互に視線を移していたが、
あたしに視線を止めると、ため息混じりに呟いた。
「かわいそうに」
- 215 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年02月15日(土)00時53分40秒
- すると。
間髪いれず保田先生の裏拳が、店員さんのお腹に見事にヒットした。
締め上げられたようなうめき声を上げて、沈んでゆく店員さん。
「ちょっと、みっちゃん! 『かわいそう』ってどういうことよ!」
「だって圭ちゃん、なんか中学生脅してそうなんやもん・・・・・・
―――てか、めっちゃ痛いがな。マジ、入ったで、今の・・・」
「失礼ねえ。つまんないこと言ってないで、とっとと働きなさい!
ほら、水とおしぼり、まだよ!」
ほんの冗談か、それとも肩をすくめて小さくなっているあたしを見て
何かとんでもない思い違いでもしたのか。
・・・とにかく、先生だけは怒らせないようにしよう。
そのやりとりを見て、こっそり心に決める。
先生の厳しいお言葉に後押しされるように店員さんは、
ふらふらとした足取りで「へいへい、ただいま」と店の奥へと消えて行った。
- 216 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年02月15日(土)00時54分17秒
- いたいけな顔で冷めたことを口走る里沙。
強面な態度で意外に優しい保田先生。
強気な目を持ちながら、ヘタレな店員さん。
本当に人って、見かけによらない。
- 217 名前:シレンシオ 投稿日:2003年02月15日(土)00時55分48秒
- 更新終了。
- 218 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年02月21日(金)00時12分00秒
- ◇
「当店オススメ!」の『さつまいものミルフィーユ』は驚くほど美味しかった。
丁寧に裏ごしされたさつまいもの自然の甘みと、
サクサクのパイ生地の食感がたまらない。
そうだ、今度あさ美ちゃんにも教えてあげよう。
・・・そういや最近、あさ美ちゃんとも会ってないなあ。
最近、練習が忙しいし、あさ美ちゃんも文化祭、クラスでなんかやるだろうし。
ああ、全部終わってから愛ちゃんと3人で来るってのもアリだな。
愛ちゃん一応先輩だから、あさ美ちゃん緊張するかも。
敬語なんか遣っちゃって。で、愛ちゃんにたしなめられちゃって。
あさ美ちゃん、そういうのキチンとしてるからなあ。ふふふ。
ケーキを口に運びながら、ぼんやりと思考を巡らす。
ふと顔を上げると、保田先生がそんなあたしを微笑ましげに見ていた。
やっぱり、学校では少し緊張しているんだろう。
先生のこんなたるんだ顔、初めて見た。
- 219 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年02月21日(金)00時13分34秒
- 「そういえば」
そう呟きながら、あたしは食べ終わったケーキのお皿を指差した。
保田先生が身を乗り出す。
そこには、『café 29』のロゴが。
「これ、どういう意味なんですか?」
「ああ、名前の由来? ウチの店長がつけたんだけどね。
ずっと変わらないからって。・・・・・・29ってどういう数?」
「29、ですか。・・・・・・にく、とか・・・?」
「そうじゃなくて、もっと数字的に」
「数字的・・・ええと、素数、とか」
「ううん、もっと簡単」
「簡単・・・・・・じゃあ、20台の最後、とか、30のいっこまえ、とか」
「そう。そういうことよ」
- 220 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年02月21日(金)00時14分20秒
- どういうことだ?
意味を量りかねて先生に視線を向けたけれど、先生はニヤニヤしながらも
あまり聞いて欲しくなさそうにゆっくりとコーヒーをかき回していた。
ヘーゼルナッツの香ばしい香りが辺りに漂う。
「そんなことよりさ」
明らかにはぐらかされた。
おそらく禁句なんだろう。
あたしもこれ以上問い詰めることはせず、先生の言葉に耳を傾ける。
- 221 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年02月21日(金)00時15分52秒
- 「文化祭の舞台って、どんなのするの?」
「えっと、ウチの部で創作した話なんですけど―――」
興味を持ってくれるのは嬉しい。
あたしは相槌を打つ先生に、嬉々としてあらすじを語り始めた。
「すごい仲の良い二人がいるんです。でもある日、一人が自殺しちゃって――」
「あら、結構重い話ね」
「ええ――それで、その原因もなんか曖昧ではっきりわからないんですよ。
そのもう一人も納得がいかない、ってなるじゃないですか、やっぱり」
「ふんふん」
- 222 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年02月21日(金)00時19分04秒
- 「で、その人はそのこと引きずっちゃって、だんだんやつれると言うか、
荒むと言うか。まあ、そんな感じでダメダメになっちゃって。
学校の後輩とかもすごい心配するんですよ。
―――これ、あたしが演るんですけど」
「ああ、それで『先輩! もういい加減にしてください!』なわけね」
「はい、まあ・・・・・・何、覚えちゃってるんですか」
「あれだけ言われたら、嫌でも覚えるわよ。・・・・・・それで?」
「それでですね。ある日、ふとしたことで自殺の現場に行くんです、その人。
―――今まで近づかなかったんです。思い出すからって。
そしたら、会えたんですよ。自殺した子に。その、現場の、屋上で―――」
- 223 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年02月21日(金)00時20分08秒
- そこまで話して、ふと刺すような視線に気づいて口をつぐんだ。
視線の元を辿ると、一人の高校生が少し離れた席に着いている。
食べるのと話すのによほど夢中になっていたのか、今まで気がつかなかった。
この店には高校生も来るけれど、一人でというのは珍しい。
風体や雰囲気まで、全てが鋭い印象を持つ人だ。
何より鋭いのは、長めの前髪の下からこちらに送られる視線。
しかし、刃物のそれではない。
なんと言うか、薄い紙で思いがけず切ってしまった時のような―――
- 224 名前: 『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年02月21日(金)00時20分55秒
- 「で? 会って、どうなんの?」
先生の先を促す声に、ハッと我に帰る。
とにかく、あの目は尋常じゃない。
薄ら寒いものを覚えたあたしは、慌てて視線を外した。
「―――秘密です。結末は、当日舞台で観てください」
うっかり傷つけられて血が滲んでいるあたしに気づかれないよう、
必要以上の明るい声で返す。
わざとらしかったかもしれない。
- 225 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年02月21日(金)00時21分52秒
- 「・・・いいトコで止めるわね。文化祭の何日目?」
「3日ともやります。2時から、体育館で」
「2時か・・・なんとか授業抜けて、観に行くわ」
そうか。文化祭の頃には、保田先生はもう先生じゃないんだ。
出会いがあるから、別れがある。
当たり前のことだ。
それほど大げさなものじゃないことはわかってるけれど、
日々は何も変わらないように見えて、少しずつ変化している。
不満もあるけれど、平和で充実した、夢溢れる毎日。
これがどう変容してゆくのか。
何かが、甘い物で満たされたあたしの胸をむかつかせた。
黙っていると気持ち悪くなりそうだったので、楽になろうと口を開く。
- 226 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年02月21日(金)00時22分57秒
- 「―――先生は」
「ん?」
「先生は、なんで教師になろうと思ったんですか?」
「・・・また、えらく唐突ね。―――う〜ん、そうねえ。
とりあえず、なろうって思ったのは、大学入ってからね」
先生は斜め上を見上げて、記憶を辿っている。
丸い大きな目がキョロキョロと動く。
口が横にぐーっと広がる。
あ。そういえば、なんかのお話で、こんな猫いたな。
おそらく、口に出したら店員さんの二の舞であろうことを、ふと思う。
- 227 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年02月21日(金)00時23分50秒
- むかつく胸のせいでフワフワしているあたしに、
先生は「胸張って言えるような理由じゃないんだけど」と、
一言断ってから話を続けた。
「ぶっちゃけ言っちゃうと、一番無難だったから、かなあ。
―――ごめんね。夢もへったくれもなくて。
実を言うとさあ・・・・・・みんなには内緒よ。絶対笑われるから。
・・・私ね、歌手になりたかったの。もう、昔のことだけどね」
ふわりと浮いた頭が、一気に重力に従って現実へ戻る。
意外だった。
歌手云々もそうだけど、なんとなく保田先生は
熱い理由を持っていそうだったから。
- 228 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年02月21日(金)00時24分49秒
- 「昔はねえ、ボイトレなんかにも通っちゃったりして。結構マジだったのよ。
――今度カラオケ行く? 磨きこまれた美声を堪能させてあげるわよ」
「・・・なんで、諦めちゃったんですか?」
「う〜ん。諦めたって言うか―――」
保田先生はコーヒーを飲んで、息をつく。
カチャリという音をたて、ソーサーに収まった白いはずのカップは、
すでに翳ってしまった太陽に代わって店内に光をもたらす
暖色系の人工の灯りによって、ほんのりベージュがかって見えた。
- 229 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年02月21日(金)00時26分43秒
- 「高校の最初の頃まではね、『これが私の道よ!』ってな感じで
かなり熱くなってたんだけど。周りがさ、進学とか就職とか決め始めると、
なんとなく、不安になっちゃうじゃない? 置いてかれてく感じって言うの?
それで、大学行ってもなんとかなる、とか思って進学決めて」
何気なく薄暗い窓の外を覗く保田先生。
その視線の先には、近代的な佇まいを見せる大学のキャンパスが。
「初めは、大学でもバンドで歌ったりとかしてたんだけど、バイト始めたり、
授業が忙しくなったり、だんだんしなきゃいけないことが増えちゃってさ。
気がついたら、教員養成コースに進んで。『ああ、教師もいいかなあ』って。
あんた達みたいなの、相手するの結構好きだし。
だから諦めた理由ってのは、はっきりとはないのよねえ」
先生は空になったコーヒーカップを弄びながら、飄々と語る。
その姿に、悲しさはなかった。
- 230 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年02月21日(金)00時27分25秒
- 足元をしっかり見つめ、目の前の未来を着実に進んでいっても
ふと辺りを見回すと、思い描いていたものとはまったく違う場所に立っている。
そして、気がつけば自分さえも変わってしまっている。
保田先生の話を、あたしはそう解釈した。
今までほのかに感じていた、不安の正体。
あたしもいつか、この夢を忘れてしまう時が来るのだろうか。
大人になるのが怖いと、初めて思った。
- 231 名前:シレンシオ 投稿日:2003年02月21日(金)00時36分35秒
- 更新終了。
読みづらくて申し訳ございません。
お報せです。
しばらく旅に出ることになりました。
その為、来週の更新、下手をすれば再来週の更新もお休みとなります。
更新可能な状況になり次第、こちらでお知らせさせて頂くつもりです。
私事で申し訳ございませんが、ごゆっくりお待ちください。
- 232 名前:名無し読者 投稿日:2003年03月20日(木)01時59分29秒
- 保
- 233 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年03月21日(金)22時41分49秒
- ◇
「ご馳走様でした。すごい、美味しかったです」
レジに立つ店員さんと、お金を払う先生に向かってぺこりとお辞儀をする。
店員さんはまたふにゃりと崩れた笑顔を返してくれて、
先生は「いいの、いいの」とかなんとか言いながら、左手を軽く振った。
こんなこと言ったら裏拳じゃ済まないだろうけど、
その手首のスナップは、ちょっとおばさん臭かった。
「あ、みっちゃん。私、10月からバイト入れるから」
「ほんま!? いやあ、助かるわあ」
「店長にもそう言っといて。今、裏で忙しいんでしょ?」
「オッケーオッケー。伝えとく」
- 234 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年03月21日(金)22時42分35秒
- 店員さんは先生との話が終わると、そそくさと店の奥へと消えて行った。
携帯を覗くと、時刻はもう6時を過ぎているのに、
軽食目当ての人が多いのか、相変わらず店は忙しそうだ。
不意に思い出して、あの女子高生にチラリと視線を遣ったけれど、
彼女はいつのまにか店を後にしているようだった。
先生に続いて店を出ようとすると、背後から大声が飛んだ。
「頼むでえ、圭坊!」
- 235 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年03月21日(金)22時43分34秒
- 関西弁。でもあの店員さんとは違う声。
振り向いても姿は見えなかったけど、おそらくここの店長さんだろう。
振り返った拍子に、ドアに書かれた店名のロゴが視界に飛び込んだ。
café 29。
「29」の人。
なんなんだろう。さっぱりわからない。
- 236 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年03月21日(金)22時44分44秒
- ◇
これから大学へ行くという先生と別れて、自宅へ向かっていたあたしは
途中、ふと思い立ち一軒のレンタルビデオ屋に寄った。
そこは有名チェーン店の名前を冠してはいたけれど、
せいぜい教室ぐらいの大きさしかない小さな店で、
目当てのビデオを探すのにもそんなに苦労はしなかった。
あたしはその一本だけを借りて、店を出る。
カフェにいる時はもうずいぶん暗くなっていたので
太陽はすでに沈んでしまっていると思っていたけど、
西の方にまだ辛うじて姿を残していた。
薄く広がる雲間から洩れ落ちるオレンジ色は、
あたしの足元を光り輝く黄色い道へと変貌させる。
この先には―――
あたしは真っ直ぐに伸びるその道を、一歩一歩確かめるように進んで行った。
- 237 名前: 『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年03月21日(金)22時45分28秒
- 帰宅したあたしは準備されていた夕食をかき込むと、
リビングへ向かい先程借りたビデオをセットした。
ソファーに座り、膝を抱える。
画面に広がる『wizard of oz』の文字。
ドロシーの歌う、「虹の彼方に」。
そして、モノクロからカラーへ。
色とりどりのオズの世界に、懐かしい思い出が次々と蘇る。
ただそのラストだけは、今のあたしには何か物足りなく感じた。
- 238 名前:シレンシオ 投稿日:2003年03月21日(金)22時46分42秒
- 更新終了。
遅くなりまして申し訳ございません。ただいま戻りました。
再開です。
- 239 名前:名無し読者 投稿日:2003年03月29日(土)00時11分54秒
- 最新キテタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!!!
面白いっす。続き待ってます。
- 240 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年03月29日(土)23時59分49秒
- ◇
友達。仲間。戦友。一蓮托生。運命共同体。
そういった言葉は数あれど、あたしが愛ちゃんに
浅からぬ絆のようなものを感じていたのは確かだ。
それはただ勝手で都合のよい、一方的な思い込みなのかもしれない。
しかし、その淡く温かい感覚はあたしを優しく包み込み、
先生の話によって露見した、未来への不安から守ってくれている気がした。
根拠のないものだと頭のどこかで理解してはいたけれど、
愛ちゃんの心地よいピアノを聴く度に、その感情は膨らんでいったのだ。
- 241 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年03月30日(日)00時00分38秒
- そして、保田先生。
先生は大人だけれど、大人じゃない。
彼女は他の大人達―――例えば、あたしの両親のように、
あたし達子供を枠に押し込めようとする冷たい人ではない。
あたしはそう感じた。
現にあの日の帰り際、あたしを見送る時に「頑張ってね」と告げながら
背中に添えられた先生の手はとても温かかったのだ。
- 242 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年03月30日(日)00時01分22秒
- 近づく本番。練習に打ち込む毎日。
見事に役柄をやりきって、カーテンコール。
ステージ下で喜んでくれる愛ちゃんと保田先生。
両親にも認めてもらえる自分。
脳裏には晴れやかな成功のイメージだけ。
2つの励みを手に入れたあたしには、怖いものなんか何もないから。
- 243 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年03月30日(日)00時02分19秒
- でも。
今思えばただ、あたしは自分を押し潰そうとするものから
目を背けて強がっていただけで。
一方に大きく振れた振り子は、いずれ反対側にも同じように振り切る。
振り子の糸はもう充分に弱っていたのだ。
- 244 名前:シレンシオ 投稿日:2003年03月30日(日)00時04分51秒
- 更新終了。
本当に少量ですが。
>239さん
ありがとうございます。励みになります。
- 245 名前:名無し読者 投稿日:2003年04月05日(土)07時49分08秒
- 最近知ったのですが、続きがホントに楽しみです。
こんな作品に出会えて、本当に感謝しています。
作者さんにも有難う。
- 246 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年04月06日(日)01時46分22秒
- ◇
その日は朝から、重く垂れ込めた雲が秋雨を予感させていて、
起き抜けから憂鬱だったのをよく覚えている。
しかし例え、抜けるような青空だったとしても、
あたしは何とも言えない空しさを感じていただろう。
正確に言えば、憂鬱の理由は空模様のせいだけじゃなかった。
「麻琴。じゃ、お母さん、4時ぐらいには学校に着くから。
門の前で待っとくのよ」
「そんな何度も言わなくてもわかってるよ」
玄関で靴を履くあたしの背中を、母親の声が追いかけてくる。
もう幾度も反復された言葉にうんざりしながら、おざなりな返事を返し、
わざとらしく口の端が裂けそうなほどの、大きな欠伸を見せつけた。
- 247 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年04月06日(日)01時47分19秒
- 今日は、三者面談。
三人集まりゃなんとかの知恵とか聞いたことあるし、
「子供の意見も大切に」とか言いたいんだろうけど、
今までの経験から言わせてもらえば、
「あたし、いてもいなくても一緒じゃんか」ってツッコミたくなる。
今日も母親と担任の勝手な会話を延々聞かされると思うと、
気が滅入るのも仕方がない。
「いってきます」
ぶっきらぼうに呟き、立ち上がる。
ドアを開けたところで怪しい空模様を思い出して、ビニール傘をひょいと掴んだ。
- 248 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年04月06日(日)01時48分56秒
- 雨が降り出したのは4限でハケた授業の後、約束の時間まで
狭い部室でぐうたら時間をつぶしていた時だった。
「あ、雨」
どこからかぼそりと漏れた言葉に窓を見遣ると、
暗い雲に覆われた秋の空は、少しずつ窓ガラスに飛沫を散らせ、
しばらくすると静まり返った部室に、
テンポの速い雨音が聞こえるほどまでになった。
よかった。傘、持って来て。
- 249 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年04月06日(日)01時50分10秒
- 部室には部員が数人だけ。
隣では、傘を忘れたんだろう、「雨だよ〜」と幾度も呟きながら、
里沙がしきりに窓の外を気にしていて、他の部員も手持ち無沙汰げに
携帯をいじっている。
面談はやはり、受験の近い3年生が重視されていて、
この部屋にも先輩達が入れ替わり立ち替わり。
練習をしようにも、できないのだ。
じわじわと無駄に過ぎる時間に耐えられなくなったあたしは、
椅子の上でひっくり返るような伸びをすると、
膝の上に広げていた台本をぱたりと閉じた。
- 250 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年04月06日(日)01時51分38秒
- 「何もこんな中途半端な時期にしなくても」
文化祭ももう近い。先生だって、めんどくさいだろうに。
誰に言うでもなく呟いた、語句の足りない文句に
「なんか先生、焦ってるみたいよ」と、あたしの心を読んだ里沙が
雨を睨んだまま、しかめっ面で答えた。
「ほら。こないだ模試、あったじゃん。悪かったらしいよ、ウチの学校」
一向に降り止む気配のない雨に怒っているのか、
由々しき問題を抱えた教師達に同情しているのか。
里沙は凛々しい眉をぐっと寄せた。
- 251 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年04月06日(日)01時52分46秒
- 「んなこと言ったって、こっちだって文化祭前で焦ってんだよー」
座ったまま天井を見上げ、声を荒げた拍子に台本がばさりと落ちた。
慌てて反動をつけ身体を起こし、使い込んだ台本を拾い上げる。
ふと顔を上げると、壁の古臭い時計が視界に入った。
「あ、ヤバイ。そろそろ行かなきゃ」
- 252 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年04月06日(日)01時53分49秒
- あたしは傘を引っ掴み、重い空気が滞留する部屋のドアを静かに開けた。
雨に濡れ、色の変わった幅の狭いコンクリの階段を
ビニール傘の端っこをぶつけながらも、できるだけ軽やかに降りる。
夕方とはいえ、思いのほか薄暗い。
雨足は弱まるどころか強まっていて、どうも通り雨ではなさそうだ。
渡り廊下から部室の窓を見上げると、
里沙がまだ、雨を気にしていた。
- 253 名前:シレンシオ 投稿日:2003年04月06日(日)01時56分30秒
- 更新終了。
>245さん
いえいえ、こちらこそ。
読んで頂いているだけで、感謝の気持ちでいっぱいです。
- 254 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年04月14日(月)02時00分07秒
- あの日―――愛ちゃんに初めて会った日をふと思い出したのは、たぶん、
雨で暗く煙った景色と、雨音に紛れて聴こえるピアノ曲のせいだと思う。
小さな傘に身を縮こめて、校門へと向かうゆるい坂道を
とぼとぼ下りていたあたしの耳に、雨とともに零れてきたピアノの音色。
相変わらずあたしはピアノに関してはまったくの無知で、
曲の名前もろくに覚えられないでいたけど、最近の日課のおかげで
「愛ちゃんが弾いている」という区別だけはつくようになっていた。
- 255 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年04月14日(月)02時01分04秒
- 愛ちゃん、もう面談終わったのかな。
傘の柄を肩にかけ直し、歩みを少し遅らせたあたしは
聴き慣れたメロディを辿り、音の主がいるであろう場所を見上げる。
愛ちゃんも、3年生。
音楽科のある、地方の高校へ進むつもりと語る彼女は、
最近はもっぱら実技の課題曲の練習に時間を費やしている。
- 256 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年04月14日(月)02時02分05秒
- 「心配」 彼女はそう言っていた。「失敗するんじゃないか」と。
音楽科の試験がいったいどういうもので、何を見るのかなんて知らないけど、
愛ちゃんは自分の技術がおぼつかないと感じているらしい。
親の期待を一身に背負った彼女はそのせいか、
時折苛立ちと不安の混ざった表情をする。
視線を落とし、坂を真っ直ぐに流れ落ちる雨を見つめる。
遮られることない小さな流れは勢いを増し、
坂の下で大きな波となった。
- 257 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年04月14日(月)02時03分02秒
- でもあたしは、彼女の、さらさら流れる水のように素直なピアノが好きだ。
下手な小細工を利かせるよりもずっと優しくて、ズシンと来る。
だから、愛ちゃんなら、大丈夫だと思う。
何にもわかってないあたしに言われたって、全然救いにならないか。
- 258 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年04月14日(月)02時04分28秒
- 坂を下り、渦巻く水にローファーをかかとからそっと踏み入れる。
ああ、そうだ。
愛ちゃんの奏でるピアノに乗せて舞台に立つことができたら、
どんなに楽しいだろう。
ワクワクする妄想に顔をほころばせる。
うん。今度、相談してみよう。
ああ、今はダメか。
二人がもっと、落ち着いたら。
そんなあたしを引き戻したのは、苛立たしげな母親の姿。
「遅い」とでも言いたそうに、校門のそば、
日覆いの下で腕を組んで立っている。
苦々しい現実に、あたしは思い出したように深いため息をついた。
- 259 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年04月14日(月)02時05分50秒
- ◇
「成績は・・・・・・そうですね、ちょっと偏りがありますが―――」
「・・・ええ、生活態度のほうは―――」
思った通りの展開。
母親の隣で、お飾り人形のごとく黙り込むあたし。
いつもと変わらない内容に妙に真剣に頷く母親を尻目に、あたしは
ロッカーにかけた傘の先から落ちる雫をずっと目で追いかけていた。
落ちて、落ちて、落ちて。
床に溜まった雫がじわじわ崩れ始めた瞬間―――
- 260 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年04月14日(月)02時06分44秒
- 「じゃあ。これ、お願いします」
母の気合の入ったカバンから取り出された一枚の紙に目を奪われる。
いったいどこから手に入れたのか、そこには『退部届』の文字。
ご丁寧に母の文字で、演劇部・小川麻琴と書かれていて。
何、これ?
どういうこと?
「ほら。こうでもしなきゃ、あんた勉強しないでしょ」
母の言葉があたしの心を騒がせる。
「みんなちゃんとやってるのよ。もっと勉強して、いい高校行かなくちゃ」
- 261 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年04月14日(月)02時07分50秒
- あたしが二人の顔に交互に視線を投げると、
母は眉間にしわを寄せてちょっと不機嫌そうにあたしを見ていて、
担任はやっぱり覇気のない目で差し出された用紙をチラリと見ると、
鼻歌でも歌うかのような軽い調子で、幾度か無言で頷いた。
こんなのって。こんなのって。
あんまりじゃんか。
その時、糸が切れた。
切れて、もつれる。
気がつくとあたしは担任の手から薄っぺらい紙を奪い取ると、
母親の怒鳴り声も聞かずに教室を飛び出していた。
- 262 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年04月14日(月)02時08分58秒
- 人のいない廊下を全速力で駈け抜ける。
あんまりにもビックリすると涙も出ないって言うけど、
ホントだったんだ、とか間の抜けたことを考えながら、
2年の棟を抜け、渡り廊下へ。
とにかく、あんな現実から背を向けたかった。
- 263 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年04月14日(月)02時09分43秒
- 渡り廊下を通り過ぎ、中央の棟へ。
「―――ちょっと、小川?」
聞き覚えのある声に振り向くと、職員室から出て来る保田先生と目が合った。
あたしの様子を変に思ったのか、心配そうに近寄って来てくれたけど、
あたしはなんだか怖くなって、「ごめんなさい」と小さく呟きながら
逃げるようにまた駈け出した。
- 264 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年04月14日(月)02時10分24秒
- 3年の棟に入り、一番奥の教室へ。
勢いに任せてドアを開けると、その音に驚いた華奢な背中が慌てて振り返る。
ピアノの心地よい音がぴたりとやんだ。
「どうしたの? まこちゃん」
あたしは愛ちゃんの顔を見た途端、わんわんと声を上げて泣いた。
- 265 名前:シレンシオ 投稿日:2003年04月14日(月)02時11分45秒
- 更新終了。
やっと終わりが見えてきました。
- 266 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年04月17日(木)00時36分07秒
- 大人になるのは怖い。
子供でいるのは辛い。
あたしはいったい、どうすればいい?
ぽろぽろと流れ落ちる涙と共に、胸の中の感情を吐露する。
嗚咽の合間に紡がれる言葉と、あたしの手の中で
くしゃくしゃになった例の紙を見てすべてを察したんだろう。
愛ちゃんはその間、あたしの頭をゆっくりと撫でてくれていた。
今さら年上ぶるなよ、なんてひねくれたことも思ったけど、
彼女の指があたしの髪を梳く度、
ぐちゃぐちゃになった心の糸も一緒にほぐれてゆくようだった。
あたしはずっとこんなふうに泣きたかったのかもしれない。
- 267 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年04月17日(木)00時37分12秒
- 「きっと、みんな心配してるよ?」
「ついてってあげるから」
愛ちゃんが優しく声をかけてくれても、あたしはその内容をろくに聞きもせず、
ずっと俯き加減で首を横に振り続ける。
- 268 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年04月17日(木)00時37分56秒
- 愛ちゃん、困った顔してるんだろうなあ。
そう思ったのは、あたしがひたすら泣いて泣いて泣いた後。
そして、彼女が声をかけ尽くして口をつぐんでしまった頃。
それでもあたしは愛ちゃんの顔を見れなくて、
自分のスカートのひだを見つめながら、まだ頬に零れる涙を止めようと
必死に歯を食いしばっていた。
- 269 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年04月17日(木)00時38分47秒
- ふと髪に触れる彼女の手が止まる。
愛ちゃんが何かアクションを起こすと思って、なんとなく覚悟を決めたけど、
彼女の口から発せられた言葉は、そんなあたしにも意外なものだった。
「じゃあ―――」
すうっと深呼吸をする音が聞こえた。
「―――逃げよっか。二人で」
- 270 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年04月17日(木)00時39分34秒
- 慌てて顔を上げる。
涙の中から見た彼女の顔はなんだかソフトでキラキラしていて、
なのにその黒く丸い目はひどく鋭く冴えていて、
愛ちゃんもこんな顔するんだ、としばらくぼんやり見つめていた。
どこへ?
何から?
逃げたらホントにどうにかなる?
断る理由はなかった。
たぶん、愛ちゃんも泣きたいんだ。
- 271 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年04月17日(木)00時40分25秒
- 音楽室を出ると、手に手を取って学校の裏口へ。
今は放課後。しかも悪天。
静まり返った運動場は土の匂いでいっぱいで、
裏門を覆うように鬱蒼と茂る緑は、湿気を多分に含んで
普段よりも色濃く見える。
あたしは愛ちゃんの綺麗な水色の傘が空に向かって広げられるのを見て初めて、
自分の傘を放り出してきたことを思い出した。
雨はまだ、やみそうにない。
- 272 名前:シレンシオ 投稿日:2003年04月17日(木)00時43分46秒
- 更新終了。
少量ですが、キリの良いところまで。
次回、ラストまで一気に更新しようと思います。
時間を頂くことになると思いますが、ごゆっくりお待ち頂ければ幸いです。
- 273 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年04月27日(日)03時16分05秒
- ◇
「ほら、そっち、濡れちゃうよ」
愛ちゃんに軽く腕を引かれて、
自分の肩が傘からはみ出しているのに気がついた。
あたしは喉の奥で小さく返事をしながら傘の柄に身を寄せると、
2、3度、肩を払う。
会話といえば、こんな取るに足らない内容ばかりだ。
学校を飛び出してしばらく、時間にすれば―――どれぐらいだろう。
携帯は鞄ごと部室に置いてきたし、
鬱陶しい雨に包まれた暗い景色は感覚を鈍らせる。
だから、どのくらい歩いたかははっきりとわからないけど、
とにかくあたし達はさっきからずっとこんな調子だった。
- 274 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年04月27日(日)03時17分10秒
- あの後、使われていない裏門を抜け、通学路とは反対側の坂を下りた。
学校への近道でもなんでもないその道は、狭く、細く、入り組んでいて、
道の続くまま進んだあたし達は、程なくして十字路へ。
目の前で別れた3つの道は、どれも薄闇へと伸びている。
もう陽は雲の裏からも消えかけていて、雨のせいか空気もいつもより冷たい。
辺りは切れかけた街灯の微々たる灯りしか存在せず、その弱々しい光は
どの道に何があるのかをあたし達に教えてはくれなかった。
- 275 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年04月27日(日)03時18分08秒
- さあ、どうしようか。
目的地も手段も、何も決めていない。
先のことを相談したって、どこかで行き止まりに辿り着きそうなので、
さっきから関係のないことしか喋らないようにしている。
愛ちゃんも同じようなことを思っているのか、口数は少なかった。
あたしは一度、門を出たところで愛ちゃんの様子を窺ったきり。
結局その時は表情はよくわからなくて、
真っ直ぐのストレートの髪がエナメルのようだったことしか覚えていない。
- 276 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年04月27日(日)03時19分00秒
- もう一度ぐるりと辺りを見回して、ふと思いついた。
そうだ、南に行こう。
南には、よい魔女のグリンダがいる。
ばかげたインスピレーションだとは思ったけど、
なんかもう、なんでもよかった。
無言で愛ちゃんを促し、南へ進む。
- 277 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年04月27日(日)03時20分28秒
- そして、今。
特別会話をするわけでもなく、繁華街の外れ、住宅街との境界をひたすら歩く。
賑わう街からかすかに洩れて見える光はやまない雨に滲み、
空を覆う雲を、べったりと塗りつけた油絵のように見せる。
たまに通る車のハイビーム気味のヘッドライトが、
足元で跳ね上がった水溜りを映し出し、あたしを少し不快にさせた。
ナンセンスなのは、百も承知。
それはきっと、愛ちゃんも同じで。
それでもどちらも「帰ろう」と言い出さないのは、
落胆の中で見え隠れする七色の希望のためか、
それともいわゆる反抗期の単なる意地か。
水溜りから顔を上げたところで、少し遠くで赤い明滅を見せる踏み切りの
けたたましい信号音が、頭にガンガンと響いた。
- 278 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年04月27日(日)03時22分20秒
- 線路脇の路地へ出たのは、その後すぐ。
街灯の少ないその通りは、片側を高い金網に囲われていて、
水に打たれて黒光りするそれらの向こうに線路が見えた。
もう一方は住宅だったりアパートだったり駐車場だったりで、
道は割と広く取られているのに、そびえる金網のせいで圧迫感を感じる。
路地の隅は奔放に成長した雑草が幅を利かせていて、
電車が低く唸りながら通り過ぎるたび、金網は強いライトに灼かれ、
足元の草は湿っぽい風に煽られて気だるそうに揺れた。
- 279 名前: 『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年04月27日(日)03時23分13秒
- あたしはこの景色に見覚えがある。
それはこの夏のこと。
ここは塾から最寄の駅へと続く道で、毎日あたしはこの路地を往来して、
夏休みの大半をつぶしたのだ。
- 280 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年04月27日(日)03時24分09秒
- たった二ヶ月ほど前のことなのに、ひどく懐かしく思えるのは、
この短い間にいろんな問いを投げかけられてすっかり疲弊した
あたしの頭と心と身体のせいだろう。
解答は、まだ保留中。
答えが見つからないんじゃなくて、答えがありすぎて選べないんだと思う。
出てくる答えがひとつじゃないうえに本当に正しい模範解答が示されないから、
あたし達は迷いに迷ってこんなところにいるのだ。
だとすれば、学校や塾で習う問題はとてもややこしく見えるけど、
実はとびきりシンプルで単純なのかもしれない。
- 281 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年04月27日(日)03時25分54秒
- 『どんな答えでも間違いじゃないの。
模範解答っての、あるにはあるけど、正解は人それぞれなんだから』
そんなポリシーの先生が夏期講習にいたことを思い出した。
純粋な成績アップだけが目的の塾のはずなのに、
彼女が担当する国語の授業はテキストからどんどん外れ、
最終的にあり得ない方向へと辿り着くこともしばしば。
あの先生クビになりやしないか、とお節介にも心配していたこともあったが、
彼女の授業は生徒にはかなり人気があったし、
奇跡的にも成績は上がらずとも下がるということはなかった。
当時は、とんでもない先生がいたもんだと少々呆れていたけど、
今ならそのポリシーをちょっと信じてみたい気もする。
- 282 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年04月27日(日)03時27分38秒
- 電車があたし達の横を3回走り過ぎた頃には、
愛ちゃんもあたしも、もう何も喋らなくなった。
そのせいか、雨音が大きくなったように思えたのに、
足元の水溜りの波紋を見ると、むしろ雨は少し弱まっていて、
どうやら気のせいらしかった。
水の膜で覆われたアスファルトは、街灯の光をまばゆく散らしている。
光は傘を持った愛ちゃんの手も、やたら濃い陰影をつけて照らし出していた。
それも、チラリと視界に入っただけ。
あたしは相変わらず彼女の方をろくに見ていなくて、
規則的に踏み出す自分の足ばかり見つめている。
実はさっきから、歩くたびに湿った靴下が左側だけずれてきて
気持ち悪いのだが、立ち止まるきっかけが作れなくて
いまだ直せないままだ。
- 283 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年04月27日(日)03時29分05秒
- 駅が近い割に、人通りはない。
顔を上げると、少し先には駅舎の灯りがぼんやりと滲んでいて、
時々、雨音にもつれた軋り音が耳に届く。
あれからずいぶん歩いたと思ったのに。
ここから電車に乗ってたった3駅で、あたしの家の近くに着いてしまう。
自分の世界の狭さに少し驚きながら、
あたしはポケットの上から財布を確かめた。
そんなに入ってないだろうけど、電車賃くらいはあるはずだ。
家に向かうのと反対側の電車を待って、初めて来たやつに乗ろう。
- 284 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年04月27日(日)03時30分08秒
- 愛ちゃんにそれを伝えようと、口を開きかけた時だった。
彼女の歩みがふと止まる。
傘から外れたあたしは、急なことに慌てて振り返った。
久しぶりに見た愛ちゃんはひどく真剣な目をしていて、
その視線は一点で留まっていた。
駅の前、街灯の光を背にした、仁王立ちの人影。
「心配したわよ」
保田先生はそれ以上何も言わなかった。
- 285 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年04月27日(日)03時31分11秒
- ◇
とりあえずわかったのは、あたし達は自分が思うほど強くなかったということ。
先生は傘の柄を首に挟み、大きな鞄からタオルを2枚引っ張り出すと、
「ほら」とあたし達に押し付けた。
街灯の下で改めて自分を見てみると、思っていたよりびしょ濡れで、
水を吸った制服はところどころ染みになって、
スカートのひだは崩れかかっている。
愛ちゃんは受け取ったタオルを口元に当て、しばらく遠くを見つめていた。
一瞬、泣いているのかと思ったけど、あたしにはよくわからなかった。
- 286 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年04月27日(日)03時32分41秒
- 「―――うん・・・うん、見つかった。ありがと、ヤグチ。忙しいのに」
保田先生はあたし達に背を向けて、誰かに電話をかけ出した。
息を切らせて電話する先生の、
雨に濡れたスーツの肩や泥のはねた足元を見ていると、
なんだか胸が痛くて痛くて仕方なくて、何か言わなきゃと思ったけど、
真一文字に結んだ唇を緩めてしまうとまた泣いてしまいそうだったので、
あたしは押し黙ったままずっとずっと制服の袖を拭っていた。
「うん―――うん、カオリにも後で伝えとく。今、バイト中だろうし。
・・・うん。じゃあ、あたしこのコ達送ってくから」
- 287 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年04月27日(日)03時33分37秒
- その後、学校やあたし達の親に連絡を済ませた先生は、
手のひらを空に向けて差し出すと、傘を閉じた。
彼女はあたし達に何も聞かない。
タオルを持って不安げに立ちすくむあたし達に、
笑顔で「さあ、帰ろう」と手を差し伸べただけ。
あたしはその手を取るべきかどうか迷って、結局軽く頷くだけにした。
先生を先導に、愛ちゃんと並んでその後に続く。
- 288 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年04月27日(日)03時34分21秒
- 虹が見えなくなった保田先生と、
虹の彼方に辿り着けないあたし達。
子供だから悲しいんだろうか。
大人になれば悲しくないんだろうか。
「あたしさ」
「うん」
「あたし、いつか愛ちゃんのピアノと舞台に立てたらなあ、って思ってる」
「・・・そうだね―――うん、そうだね」
- 289 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年04月27日(日)03時35分16秒
- 雨はいつの間にかあがっていて、
愛ちゃんは空を見上げながら傘をゆっくりと閉じた。
夜の空は嘘のように静かで、雨の残り香が深閑とした空気を少し潤ませている。
もし今が昼間だったなら、あたし達に虹は見えただろうか。
あたしは愛ちゃんと手を繋いだまま無言で、
前を歩く先生の背中をずっと見つめていた。
- 290 名前:『 虹の彼方に 』 投稿日:2003年04月27日(日)03時36分57秒
『 虹の彼方に 』 END
- 291 名前:シレンシオ 投稿日:2003年04月27日(日)03時38分30秒
- 更新終了。
どうにか終わらせることができました。
読んでくださった方、
レスをくださった方、
保全してくださった方に感謝します。
作者のイメージとしては、そろそろ折り返し地点というところです。
次回がいつ頃になるかはまだわかりません。
また、しばらくお待ちください。
- 292 名前:名無しさん 投稿日:2003年05月23日(金)01時35分10秒
- 次回の更新、心待ちにしております。
- 293 名前:名無しさん 投稿日:2003年05月24日(土)15時04分32秒
- 待ちます。
- 294 名前:名無しさん 投稿日:2003年05月24日(土)19時05分42秒
- 待ちます
- 295 名前:名無しさん 投稿日:2003年06月09日(月)21時22分43秒
- 待ちます
- 296 名前:シレンシオ 投稿日:2003年06月16日(月)00時18分25秒
- ―――たいしたことじゃないから、さ。
携帯から聞こえる、家出常習犯の幼馴染みの声。
「あの・・・落としましたよ」
「・・・・・・あげる」
夜の駅で出会った『昼顔』の忘れ物。
―――ひとり物思う紺野の、長い夜の短いお話―――
次回 『 短夜眠る昼間 』 鋭意制作中
- 297 名前:シレンシオ 投稿日:2003年06月16日(月)00時22分56秒
- ひどくお待たせしておりまして、申し訳ございません。
生存報告を兼ねて、次回予告を。
>292、293、294、295さん
ありがとうございます。
待っていて下さる方がいるということは、本当に幸せなことです。
なるべく早く皆様に会えるよう、尽力してゆきます。
- 298 名前:名無しさん 投稿日:2003年06月16日(月)19時52分43秒
- おぉ!嬉しいです。
頑張ってください。
- 299 名前:名無し読者 投稿日:2003年07月22日(火)00時08分43秒
- くー、すごく続きが読みたいです。
ゆっくりでいいんでがんがって。
- 300 名前:シレンシオ 投稿日:2003年08月02日(土)00時17分56秒
『 短夜眠る昼間 』
- 301 名前:『 短夜眠る昼間 』 投稿日:2003年08月02日(土)00時18分54秒
- ―――あ、もしもし、あさ美ちゃん? ごめん、寝てた? 今、平気?
―――そう。あっ、この前、ありがとね。観に来てくれて。
―――ほんと? ふふっ、よかった。
―――え? あー、うん。大丈夫。
―――へへへへ、なんか、ゴメンね。たいしたことじゃないから、さ。
- 302 名前:『 短夜眠る昼間 』 投稿日:2003年08月02日(土)00時19分54秒
- ―――うん、うん。あの、話変わるんだけどさ、今度の日曜、ヒマ?
―――いや、美味しいカフェ見つけたから一緒にどうかな、と思って。
―――そう。イモ好きでしょ? イモ。ミルフィーユがね、
すっごい美味しいんだ。
―――平気だよ。見つかんないよ。
この前あたし、制服で行ったし、ちょっとわかりづらいトコだから。
―――え? ああ。店員さんが知り合いでさ、それで。
- 303 名前:『 短夜眠る昼間 』 投稿日:2003年08月02日(土)00時20分38秒
- ―――マジ? オッケー? じゃあ、どうしよう。何時に待ち合わせする?
―――そだね。わかった。それじゃ、大学通りの入口のトコで。
―――うん。うん。じゃあ、またメールするね。
―――あっ、あのさ。ひとり、友達連れて来たいんだけど、かまわない?
―――うん? 眉毛? ああ、はははっ、違う違う。里沙じゃなくって。
―――ほんと? うん。じゃあ、日曜日に。おやすみー。
- 304 名前:『 短夜眠る昼間 』 投稿日:2003年08月02日(土)00時21分08秒
- そして私は、深いため息をつきました。
- 305 名前:『 短夜眠る昼間 』 投稿日:2003年08月02日(土)00時21分40秒
- まこちゃんから電話があったのは、お風呂を済ませた私が髪を乾かそうと
リビングのソファに腰を落ち着けた時でした。
彼女は別の中学に通う幼馴染みで、そして今でも、私の一番の親友です。
学校が離れてしまった途端、疎遠になるということもあるようですが、
私達の友情は変わることなく続いていて、学校の違いが
隔たりになるということは、幸いにもありませんでした。
そんな親しい幼馴染みの名を表示するディスプレイ。
私はテーブルの上でくぐもった振動音をあげる携帯を拾い上げ、
ひと呼吸おいてから通話ボタンを押したのです。
- 306 名前:『 短夜眠る昼間 』 投稿日:2003年08月02日(土)00時22分36秒
- 秋の夜長。
しつこくまとわりつくような夏の暑さはすっかり鳴りを潜め、
澄んだ空気が濡れた髪に少し冷たく感じられます。
昼間は小春の過ごしよい一日だったのですが、
さすがに夜ともなると肌寒くなってきました。
私は大きなタオルを頭からかぶると、ゆっくりとソファに倒れこみました。
倒れこんだ拍子に目に飛び込むデジタル表示。
すでに、日付が変わるに間のない時分です。
明日は1時間目体育だから、早めに学校行かなくちゃ。
そう思ってはいるのですが、
身体が疲れて動くのがだるいのと頭が妙に冴えているのとで
まだ眠る気にはなれず、私はソファの上でぐだぐだと髪を拭いていました。
- 307 名前:『 短夜眠る昼間 』 投稿日:2003年08月02日(土)00時23分51秒
- しばらくの間、私はぼんやりと天井を見つめていました。
両親はすでに床に就いてしまっているらしく、
ささやかな庭から漏れるささやかな虫の音以外は、リビングはもちろんのこと
家中がひっそりと静まり返っています。
まるで家全体が静寂にどっぷりと浸かっているようで、身体を動かす度に
じんわりと沈み込むソファのスプリングの些細な音でさえ、
やたら耳につきました。
あまりの静けさのせいで余計身体に染み入る、
秋の夜のなんとも言えないもの悲しさに心もとなくなった私は、
テレビでも観ようと背骨の下敷きになっているリモコンに手を伸ばしました。
- 308 名前:『 短夜眠る昼間 』 投稿日:2003年08月02日(土)00時24分35秒
- いくつかチャンネルを変えてみましたが、
どれも声高にはしゃいでいる番組ばかり。
静かすぎるのも、騒がしいのも好ましくなかった私は、
リモコンを見もせず、片っ端からボタンを押してゆきました。
指が止まったのは、テレビ画面に森の中をゆく馬車が映った時。
映画でしょうか。
馬車の優しげな鈴の音が、耳に心地よく感じられます。
少しは眠くなれるかもしれません。
- 309 名前:『 短夜眠る昼間 』 投稿日:2003年08月02日(土)00時26分59秒
- リモコンをテーブルの上、携帯の隣に置くと、
ソファに身を沈めなおし、ブラウン管を遠い目で見つめました。
「・・・・・・だから結局、なんなのさぁ」
そして私はもう一度、深いため息をつきました。
- 310 名前:『 短夜眠る昼間 』 投稿日:2003年08月02日(土)00時27分43秒
- 今から2週間ほど前。
雨の降りしきる夕方、まこちゃんはちょっとした事件を起こしました。
「うちの麻琴、伺ってない?」
受話器から聞こえるおばさんの声。
苛立った声色と、聞き慣れたフレーズ。
ああまたか、と思いました。
2年に上がってからというもの、まこちゃんのプチ家出は頻繁になり
もうほとんど日常化されていましたし、大抵の場合、行く先は私の家です。
慣れてしまうのは至極当然で、今さら大袈裟に騒ぎ立てることもありません。
最初はひどく心配していた私の母も、すっかり免疫ができてしまったようで
その時も、わざわざ夕食の準備の手を止めるということはしませんでした。
- 311 名前:『 短夜眠る昼間 』 投稿日:2003年08月02日(土)00時28分41秒
- 「いえ、まだ来てませんけど」
まだ来てないけど、そのうち来るだろう。
そういうニュアンスを込めた言葉に、おばさんはため息をついた後、
見かけたら連絡するよう告げ、さっさと電話を切ってしまいました。
言われてみれば、その少し慌てた様子は
いつもと違う雰囲気だったようにも思えますが、
その時の私は、いつものことだ、と気にもとめませんでした。
しばらくすれば、半泣きのまこちゃんが
ウチの玄関のチャイムを鳴らすでしょう。
そして、私は紅茶でも淹れながら彼女の愚痴を聞いてあげるのです。
- 312 名前:『 短夜眠る昼間 』 投稿日:2003年08月02日(土)00時29分27秒
- 今日は雨が降っているから、紅茶は温かいほうがいいかもしれない。
そんなことを考えながら私は、軽快なチャイムの音を待っていました。
「秋の日はつるべ落とし」とはよく言ったもので、
悪天のせいもあったのでしょう、あっという間に陽は隠れ、
気がつくと窓の外には淡い闇が広がり、
私の耳に届くのは次第に強まる雨の音だけ。
それでも、彼女が現れる気配は一向になかったのです。
- 313 名前:『 短夜眠る昼間 』 投稿日:2003年08月02日(土)00時30分23秒
- 結局、私がまこちゃんの状況を知ったのは、それから何時間もたった後。
おばさんからの電話を取った母の話によると、郊外にある駅の前で
友達といるところを教育実習の先生に発見された、ということでした。
今までのまこちゃんの家出というのは、
家を飛び出した後、町内をうろつくだけ。
最終的には紺野家へ、というぶっちゃけお粗末なものでしたが、
駅にいたということは、どこかに行こうとしていたのでしょう。
彼女は割と勝気なふうに見えるのですが、意外とぼやーっとしていて
私の知る限り、意気地というか、決断力というか、
そういうのはあまりないタイプです(私も人のことは言えませんが)。
一緒にいたという友達の一押しがあったとしても、
そんな彼女が何か決心をして駅のホームに立った。
私はそこで初めて、今回の事の重大さに気がついたのです。
- 314 名前:『 短夜眠る昼間 』 投稿日:2003年08月02日(土)00時31分14秒
- 彼女からの連絡は、一切ありませんでした。
今まで本人の口から、親子喧嘩の原因やら愚痴やらを
否が応でも聞かされていたので、
いざ何の連絡もないと、ましてやそんなことの後だと、
変に気になってしまって。
文化祭最終日の日曜日、演目を終えたまこちゃんに会いに行った時に、
折をみて尋ねてみようとしたのです。
- 315 名前:『 短夜眠る昼間 』 投稿日:2003年08月02日(土)00時31分54秒
- 忙しそうに走り回る彼女はいつもどおり、いえ、むしろ何か吹っ切れたようで
いつもよりも晴れ晴れとした様子に、何だか拍子抜けしたのを覚えています。
おそらく、舞台が成功したという安堵感からでしょうけれど。
他愛もない話をしながら、いつ切り出そうかと見計らっていたのですが、
事件のことなど微塵も感じさせない、満足そうな彼女の笑顔を見ていると、
拘っている自分がだんだん滑稽に思えてきたのです。
- 316 名前:『 短夜眠る昼間 』 投稿日:2003年08月02日(土)00時32分38秒
- 「忙しそうだから」というのを理由に、私は早めにその場を立ち去りました。
それは彼女への言い訳でもあり、
同時に私自身への言い訳でもあったのかもしれません。
とにかく、すっかり時機を逃してしまっているのを心のどこかで悟った私は、
何も聞かず、早々と帰途についたのです。
- 317 名前:『 短夜眠る昼間 』 投稿日:2003年08月02日(土)00時33分21秒
- 本人ももう気にしてないみたいだし、
私がうじうじしていたって仕方がありません。
もう忘れようと思っていたところに、あの電話です。
もしかしたら、と少し期待してしまうのも当然じゃないですか。
- 318 名前:『 短夜眠る昼間 』 投稿日:2003年08月02日(土)00時34分23秒
- そして私はもう一度、深いため息をつきました。
冷えた空気が私の喉を乾かしてゆきます。
なにか飲み物でも作ろうかと一瞬思いましたが、立ち上がるのが億劫だったので
気がつかなかったことにしました。
ぼんやりと眺め続けているテレビ画面には、
相変わらず静かな映画が流れています。
筋をきちんと追っていたわけではないので詳しくはわかりませんが、
どうやら何不自由ない安定した結婚生活に嫌気がさした主人公が、
夫に内緒で秘密の娼館で働き始める、というお話のようです。
そこで『昼顔』という名前をもらった彼女は、
昼と夜、まったく別の生活を送ってゆくのです。
- 319 名前:『 短夜眠る昼間 』 投稿日:2003年08月02日(土)00時35分11秒
- 昼メロみたいだ、と思いながら、私はしばらく画面に見入っていました。
気持ちはわかります。
新しい何かが始まるんじゃないか、
違う自分が見つかるんじゃないか。
別に私が今の生活に不満があるわけではありません。
友達にも恵まれていますし、勉強は大変ですけど学校は楽しいし。
例えば―――あくまで例えばです。
例えば、気分が悪いと嘘をついて授業を抜け出し校舎の裏でぼんやり、とか。
例えば、いつもの通学電車と反対の方向の電車に乗って見知らぬ街へ、とか。
- 320 名前:『 短夜眠る昼間 』 投稿日:2003年08月02日(土)00時35分47秒
- 秘密。昼と夜。そして、電車の風景。
次々とピースを与えられた私の思考は、睡眠欲にはかすりもせぬまま
ある事件―――事件と呼ぶにはあまりに些細なことですが、を収斂させたのです。
- 321 名前:シレンシオ 投稿日:2003年08月02日(土)00時45分56秒
- 更新終了。
序盤、読みづらくなってしまいました。
全部完成してから一気に更新しようと思っていたのですが、
あまりにも間が開いてしまったので(申し訳ございません)一旦更新します。
残りは次回になります。
>298さん
ありがとうございます。微力ながら、頑張ります。
>299さん
お待たせしました。
あまりの遅筆さに飽きられないようがんがります。
- 322 名前:名無し読者 投稿日:2003年08月08日(金)00時07分24秒
- 更新乙です。
あいかわらず作者さんの文章はおもしろい。
読んでいるうちに引き込まれてしまいます。
こんこん編、続き楽しみにしてます。
- 323 名前:『 短夜眠る昼間 』 投稿日:2003年08月25日(月)01時34分19秒
- 確か、4ヶ月ほど前だったと思います。
春の残り香を、ただ爽やかな夏の匂いが侵してゆく時分でした。
特にその日は雲ひとつなく陽光の眩しい夏らしい一日で、
放課後、街の図書館に用のあった私は、日暮れた繁華街近くの駅で
自宅方向の電車を待っていたのですが、夕闇が迫る頃になっても熱気は絶えず、
合服の薄い長袖でさえうっとうしく思ったのを覚えています。
繁華街に近いといっても、平日の中途半端な時間のせいで
ホームには残業を終えたサラリーマンや、
遊び帰りと思われる学生のグループなどが
数えられるほどしかいませんでした。
私は固いベンチの一番隅に腰を下ろし、鞄を抱え込みました。
隣の隣でけらけらと談笑している2人組の中学生の可笑しな話に
ついつい頬が緩んでしまいます。
そんな自分を見られたくなくて、必死になって笑みを隠そうと
彼女達から顔を背けた時でした。
- 324 名前:『 短夜眠る昼間 』 投稿日:2003年08月25日(月)01時35分59秒
- そこに、あの人がいたのです。
白いワンピースの後ろ姿。
シンプルなラインのその裾からは素足が覗いていて、
その先にはひどく少女趣味的な
(貶めているわけではありません。実際それは私の好みでした。)
ピンクのサンダルがありました。
そして、ピンと伸びた背すじと、真夏の陽にあてられたような灼けた肌。
私を含め、いまだ春を懐かしむ人々の中で、
夏の在り様を体現しているようなそんな彼女の姿はとても印象的でした。
駅の構内でも隅の隅、据え付けのゴミ箱が置いてあるような
少し暗い寂しいところにいたせいもあるのでしょう。
白い背中はひどく生真面目な形をしていて、私はなぜか羊を思いました。
柔毛に包まれた動物には似ても似つかないその直線的な後ろ姿は
構内を照らす光をまばゆく反射していて、
宵闇の中でそれは目につかずにはいられなかったのです。
- 325 名前:『 短夜眠る昼間 』 投稿日:2003年08月25日(月)01時36分48秒
- 私は鞄を胸に抱え、徒然なるままに彼女を観察していました。
顔を見てみたい、と思いました。
しかし彼女はこちらに振り返る様子もなく、少しうつむいたままで
いったい何をしているのか、据え付けのゴミ箱の前から動こうとはしません。
かすかに動いている彼女の手元だけでも見えないかと、
椅子に腰掛けたまま不自然でない程度に身体をずらし努力してみましたが、
それも叶いませんでした。
- 326 名前:『 短夜眠る昼間 』 投稿日:2003年08月25日(月)01時37分44秒
- その時、目の前に滑り込んで来た電車が、私の気をそらしました。
家路へ向かう電車でした。
橙色の車体は、こそこそ騒いでいた例の少女達の声を軋り音でかき消しながら、
小さな躍動を繰り返していました。
電車の到着により構内は一気に活気付いたように見えましたが、
実際乗り降りする客は私を入れてもごく少数で、
熱を発散するその車体だけが無駄に張り切っているようで
なんとなく暑苦しいなあと思いました。
そして、私は電車に乗り込もうとそそくさと立ち上がったのです。
- 327 名前:『 短夜眠る昼間 』 投稿日:2003年08月25日(月)01時38分40秒
- 「内側までお下がりください」の、剥げかかった白線の辺りでした。
妙に気になった私はばれないように少し振り返り、彼女に視線を移したのです。
驚きました。
彼女は数枚の一万円札を小さく破き、
薄汚れたゴミ箱の中にはらはらと落としていたのです。
彼女の手を離れたお札の切れ端は、駅特有の機械臭い風に身を任せた後、
新聞紙に紛れて見えなくなってしまいました。
何してるんだ、いったい。
意外なことにしばらく目を丸くして見入っていましたが、
なぜか「マズイ」と思った私は、慌てて電車に飛び乗ったのです。
- 328 名前:『 短夜眠る昼間 』 投稿日:2003年08月25日(月)01時39分21秒
- 窓越しに見えた彼女の横顔は悲しそうでも、もちろん楽しそうでもなくて、
夜の街の明かりを反射して白んで見える空の下、
背後から圧迫するようにそびえ立つビルの群がまるで影絵のようでした。
- 329 名前:『 短夜眠る昼間 』 投稿日:2003年08月25日(月)01時40分12秒
- それからというもの、その駅から乗る場合には、
私はやたらと辺りを伺うようになりました。
それは単に彼女が気になるからだけではなく、
「うっかり見てしまわないように気をつけよう」という
心がけから来るものでもあったのです。
現に私は、マズイと思って目をそらしたわけですし。
この私の策は結局活かされることなく、数週間が経ちました。
それと言うのも例の駅は学校と自宅の間を行き来する路線とはまったく別物で、
私は繁華街方面に用のない限り、近づくことはありませんでしたし、
彼女も常に利用しているわけではないようだったからです。
- 330 名前:『 短夜眠る昼間 』 投稿日:2003年08月25日(月)01時41分08秒
- しかし、それは突然でした。
気のゆるみ、と言うと少々大袈裟かもしれませんが、
油断していたのは事実です。すっかり忘れていたんです。
目の前にひらひらと落ちてきた一万円札を拾ってしまった後に、
「しまった」と思いましたけれど、時すでに遅し。
見覚えのあるサンダルが視界に入ったのです。
今さら手に握っている物をその場に捨てるわけにもいかず、
だからと言ってこっそり持って帰れるほど図々しくもなく。
ゆっくりと顔を上げた私は、ホームを進む彼女の背中に
おずおずと声をかけました。
- 331 名前:『 短夜眠る昼間 』 投稿日:2003年08月25日(月)01時42分05秒
- 「・・・あの、すみません」
再び平日の夜。中途半端な時間帯。
あの日と同じように周りに人が少ないせいか、
蚊の鳴くような小さな声でも充分届いたらしく、
彼女は訝しそうに振り返りました。
正面から顔を見据えるのは初めてだったのですが、
横顔を覗き見た時の、おとなしめに整った顔、という印象は
さほど変わりませんでした。
ただ不審げな表情のせいか冷めた感じは否めなくて、
笑うと可愛いだろうに、などと余計なことも考えました。
- 332 名前:『 短夜眠る昼間 』 投稿日:2003年08月25日(月)01時43分17秒
- 「あの・・・落としましたよ」
私が差し出した物に彼女は一瞬驚いたようでしたが、
手を伸ばして受け取ることもなく、しばらく黙ったままでした。
無言の圧力、とでも言うのでしょうか。
あのなんとも言えない気まずさ、プレッシャーといったら。
さっさと受け取ってくれればいいのに。
私は、彼女の細い鼻筋の脇にちょこんとある小さなホクロを見つめながら、
自分の右手に持っている紙切れがだんだん重くなっているように感じました。
- 333 名前:『 短夜眠る昼間 』 投稿日:2003年08月25日(月)01時44分46秒
- 「・・・・・・あげる」
「―――ええっ」
私は素っ頓狂な声を上げました。仕方ないと思います。
まさかあんな返事が返ってこようとは思ってなかったんですから。
「いやっ、あの・・・・・・」
おそらく金魚のように口をパクパクさせていただろう私を尻目に、
彼女は軽やかな風のように、
ちょうど停車していた電車へと姿を消してしまいました。
ぽつんとホームに残された私の差し出されたままの右手の
何とも虚しいこと。
- 334 名前:『 短夜眠る昼間 』 投稿日:2003年08月25日(月)01時45分33秒
- 「あ、のっ・・・困るん、ですけど」
そんな私の呟きもけたたましい発車ベルの音にかき消され、
誰に届くこともなかったのです。
- 335 名前:シレンシオ 投稿日:2003年08月25日(月)01時47分46秒
- 更新終了。
>322さん
ありがとうございます。
すっかり不定期更新の鬼になってしまっていますが、必ず完結させますので。
- 336 名前:名無し読者 投稿日:2003/10/07(火) 23:33
- 保全
- 337 名前:『 短夜眠る昼間 』 投稿日:2003/10/26(日) 00:09
- じゃあなぜそのお札を今も持っているのかと尋ねられたら、
きっかけがなかったと言うより他にありません。
きっかけ。そう、きっかけがなかったのです。
彼女から一万円札を受け取ってから2週間ほどのことだったでしょうか。
夏休みも目前に近づき学校が少し早めにハケたこともあって、
まこちゃんと「カキ氷でも食べに行こう」と約束をしたのです。
- 338 名前:『 短夜眠る昼間 』 投稿日:2003/10/26(日) 00:10
- 待ち合わせの駅は制服でごった返していました。
長い休みの前に浮き足立つのは人間の常。
それにしても、何も示し合わせたように出て来なくても、と私は
自分のことを棚に上げて、人いきれに少々うんざりしていました。
次々にやって来る電車が白い制服を吐き出しては去ってゆきます。
改札の前で随分待っていましたが、まこちゃんの姿はなかなか見えません。
たぶん人にまみれてオロオロしているのだろう、と
時計を横目に人の流れを観察していた時、再び会ってしまったのです。
私の前を通り過ぎる横顔は確かにあの人のものでした。
しかし初め、その人が彼女であるかどうかをなかなか確信できませんでした。
見慣れた白いワンピースではなく、巷でもかわいいと評判の制服に
身を包んでいたせいもありましたし、何より余りにも突然のことでしたから。
- 339 名前:『 短夜眠る昼間 』 投稿日:2003/10/26(日) 00:11
- その時はそう納得していました。でも本当にそれだけの理由だったのでしょうか。
ピンとした背中は相変わらずでしたが、印象、オーラ、背負った空気―――
そういったものがすっかり入れ替えられたように見えたせいかもしれない、と
私は今、思うのです。
とにかく夕もやを透かし見ない彼女の姿は、以前の彼女とは別人のようでした。
声をかけるのをためらって数秒、私は人波に彼女を見失い、
背後でまこちゃんが呼んでいるのに初めて気がついたのです。
これが、最初で最後のきっかけでした。
夏休みに入ってからも幾度かその駅に立ち寄ることはあったのですが、
それ以降、彼女はぱったりと姿を見せなくなってしまいました。
- 340 名前:『 短夜眠る昼間 』 投稿日:2003/10/26(日) 00:12
- そして私は、もう一度深いため息をつきました。
やっぱり眠くありません。
映画は変わらぬトーンで淡々と流れていて、ちらりと見る限りでは
昼の彼女と夜の彼女の差は開いてゆく一方のようです。
私はふと思いました。
人は変わるのです。ほんのちょっとしたきっかけで。
この『昼顔』も、例の彼女も。
まこちゃんだって、私の知らないうちに変わってしまったのかもしれません。
そう考えると、まるで置いて行かれたようで少し寂しい気もします。
- 341 名前:『 短夜眠る昼間 』 投稿日:2003/10/26(日) 00:12
- ゆっくり寝返りを打ちながら、再びデジタルの時計に目を遣りました。
午前1時。
いくら眠くならないとはいえ、あまり遅くまで起きているわけにはゆきません。
電気を消して目を瞑り、もう無理矢理眠るより他にありません。
私は髪が乾いたのを確認すると、電気を全て消しリビングを後にしました。
テレビを消そうとした時、映画はどうやらクライマックスを迎えていました。
- 342 名前:『 短夜眠る昼間 』 投稿日:2003/10/26(日) 00:13
- まこちゃん。駅の彼女。
自室のドアを開ける私の頭の中を二人の姿がグルグル巡ります。
ああ、最近気にかかることばかりです。
あの映画の『昼顔』もいったいどうなるのでしょうか。
せめて結末だけでも観ればよかったと思いながらも、
いまさら階下に下りる気にもなれず、私はそっとドアを閉めました。
- 343 名前:『 短夜眠る昼間 』 投稿日:2003/10/26(日) 00:14
- ベッドに身を横たえると、壁に掛かった制服が目に入りました。
折り目の正しいスカートは見目もとても気持ちいいです。
「あっ、そうか」
制服が今日クリーニングから返ってきたばかりだったのを思い出し、
私は慌てて飛び起きると、明日の準備を始めました。
ハンカチ、くし、携帯、そしてあの一万円札。
使ってしまうことも、捨ててしまうこともためらわれたあのお札は、
小さなクリアケースに入れられていまだ私の手元にあります。
いつかあの人に返そうと、いつも制服のポケットに忍ばせているのですが、
彼女はまだ現れません。
- 344 名前:『 短夜眠る昼間 』 投稿日:2003/10/26(日) 00:14
-
『 短夜眠る昼間 』 END
- 345 名前:シレンシオ 投稿日:2003/10/26(日) 00:15
- 更新終了。
- 346 名前:名無し読者 投稿日:2003/11/08(土) 03:23
- シレンシオさんの作品大好きです。
よかったら里田まいや藤本美貴あたりを使って一本お願いしたいです。
- 347 名前:川o・-・) 投稿日:川o・-・)
- 川o・-・)
- 348 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/05(金) 23:31
- 番外編(?)の本編へのアプローチの仕方が好きです。
少しずつ明らかになっていく過去や聖域のそれからの話が、
垣間見えながらも、番外編は番外編で、
それで一つのお話として成り立っているのがスゴイです。
シレンシオさんのお好きなペースでいいですから、
是非ともまた続きを書いてくださいませ。
聖域を始めとしたほかの作品を何度も読み返しながら、
楽しみにいつまでも待っております。
長文、失礼しました。
- 349 名前:シレンシオ 投稿日:2004/01/05(月) 22:51
-
『 夏と天使と蝶々と 』
- 350 名前:『 夏と天使と蝶々と 』 投稿日:2004/01/05(月) 22:52
- なっち―――安倍なつみについて話そうと思うのだけど、
あたしは彼女について何も知らない。
突然あたしの前に現れた、お日様のような少女。
彼女がどこから来てどこに行ったのかなんて、あたしには関係のないことだろうし、
知ったところでどうなるというわけでもない。
でもあたしは、なっちのことはずっと忘れないと思う。
- 351 名前:『 夏と天使と蝶々と 』 投稿日:2004/01/05(月) 22:53
- −1−
窓の外、色とりどりに光る景色を見つめながら、ため息をついた。
背のないあたしには、カウンター席は正直座りづらい。
投げ出された脚を力なくぶらつかせる。今日も、ヒールは重い。
綺麗に磨かれたテーブルに突っ伏すと、入れっぱなしのガムシロップが
紅茶の中を煙のように舞っているのが目に入った。
夜の光と相まって、なんだか意識を遠くへ飛ばされそうな感覚を覚える。
- 352 名前:『 夏と天使と蝶々と 』 投稿日:2004/01/05(月) 22:53
- 現在午後8時12分。
ここ、cafe29はもう閉店していて、フロアにはバイトのあたしと、裕ちゃんと、
そしてキッチンの奥にはみっちゃんがいる。
バイトと言っても勤務時間はとっくに過ぎていて、「待ち合わせがあるから」と
約束までの時間つぶしをさせてもらっているのだ。
「どした? ヤグチ。元気ないやんか」
ため息を聞きつけたのか、裕ちゃんが伝票を繰りながら尋ねてくる。
わかりづらい立地にありながらも、このカフェはそこそこ有名で
近所の大学生や学校帰りの女子高生などが日々訪れている。
その横顔を見つめながら、きっと経営順調なんだろう、と生意気なことを思う。
- 353 名前:『 夏と天使と蝶々と 』 投稿日:2004/01/05(月) 22:54
- 「ちょっと疲れただけだよ」
嘘だった。今日はそれほどバタバタすることはなかったのに。
あたしがちらりと目線をやると、裕ちゃんは「そう?」と肩をすくめただけで
何にも追求してこなかった。
裕ちゃんは決して鈍感ではないし、それに彼女のことだ。
全部わかってて、わざと気づかないフリをしてくれているのかもしれない。
そんな空気が嫌で、話題を変えようとあたしは口を開いた。
- 354 名前:『 夏と天使と蝶々と 』 投稿日:2004/01/05(月) 22:55
- 「今日はさ、圭ちゃんと約束してるんだ」
「なんや。ウチはてっきり彼氏―――」
「違うよ」
慌てて声を遮る。が、瞬間、後悔した。
墓穴だ。わかり易い自分がつくづく嫌になる。
平静を装おうとアイスティーに手を伸ばし、ストローに口をつけた。
その味は半分溶けた氷のせいですっかり頼りなくなっている。
本当に気づいてないのか、フリなのか、彼女は挙動不審なあたしの様子も
特に気にとめず作業を再開した。
- 355 名前:『 夏と天使と蝶々と 』 投稿日:2004/01/05(月) 22:55
- この幾分年上のお姉様はあたしをなぜか溺愛してくれていて、
あたしの不幸話を聞いたりなんかしたら、本当に気を遣ってくれそうで。
だから、彼氏と喧嘩した、ということは、まだ打ち明けられずにいた
いつも明るく元気と評判のあたしがこんなふうに愁いを帯びているのには
そういうわけがあるのだ。
- 356 名前:『 夏と天使と蝶々と 』 投稿日:2004/01/05(月) 22:56
- ◇
とにかく、その日のあたしは朝から格別機嫌が悪かった。
ゴミを出しに行ったら管理人のおばさんに出くわして、
「最近の若い子は夜遊びしようが何しようが恥じらいを持たない」みたいなことを
ぐちぐちぐちぐちイヤミったらしく言われるし、
準備を済ませていざ出かけようと思ったら服にコーヒーこぼして
大慌てで着替えなきゃいけなかったし、
毎日毎日相も変わらず腹立つくらい暑いし。
- 357 名前:『 夏と天使と蝶々と 』 投稿日:2004/01/05(月) 22:56
- 蓄積されたイライラがついに沸点に達したのは、
待ち合わせをしていた彼氏とご飯を食べに行った帰り道。
駅への近道の歓楽街、ホテルの前で腕を引っ張る彼氏に
「そんな気分じゃないから」と告げた直後だった。
- 358 名前:『 夏と天使と蝶々と 』 投稿日:2004/01/05(月) 22:58
- 「え。じゃあ俺ら、今日何しに来たの?」
事もなげに発せられたその言葉は、気の大きくなった酔っ払いの口からとはいえ
あたしのプライドを傷つけるのには充分過ぎた。
あたしがあからさまにふくれっ面をして睨みつけると、
彼氏もそんなあたしが気に食わないのか、大袈裟なため息をつき、
あたしを置いてスタスタと歩いて行く。
気づけよ、謝れよ、と心の中で文句を言っても、彼氏は何も言ってこない。
あたしはかかとの厚い靴をわざとらしくガツガツ鳴らしながら、
夏の湿った空気と、いかがわしいビルの隙間を漂う夜の匂いに汚された人ごみの中、
黙々と彼氏の後について行った。
- 359 名前:『 夏と天使と蝶々と 』 投稿日:2004/01/05(月) 22:58
- 確かに、つきあい始めの頃のトキメキなんてものはすっかり薄らいでいるし、
ここ最近、あたしの理想と彼氏の態度にはっきりとした誤差を感じ始めていた。
そういった不満や鬱憤をぶつけるよい機会にも思えたので、
怒鳴ってやってもよかったけど、いまいちタイミングがつかめなかった。
それもまた、なんか、腹が立って。
ああ。なんかやっぱ、コイツ違うな。
そう思って前を進む背中へと視線を上げると、フラフラ歩く彼氏の肩が
これまたフラフラと隣を歩いていた酔っ払いの方にぶつかるのが目に入った。
- 360 名前:『 夏と天使と蝶々と 』 投稿日:2004/01/05(月) 22:59
- そこからはもう修羅場。掴み合いの大騒ぎ。
知らんフリを決め込もうかとも思ったけど、あっという間に野次馬に取り囲まれ
しっかり当事者になってしまったあたしは、舌足らずに怒鳴る彼氏の横で
なんとか喧嘩を止めようとした。
「ちょっ・・・もう、いい加減にしてよ!」
- 361 名前:『 夏と天使と蝶々と 』 投稿日:2004/01/05(月) 22:59
- けど、彼氏はあたしの声なんて聞きやしない。
そうこうしているうちに、野次馬の輪はどんどん大きくなってゆく。
いい加減、警察沙汰になってもおかしくない。
そう思ったあたしが、幾重にもなった野次馬の隙間から辺りを窺うと、
一人の女子高生が店の看板の陰からこちらを見ているのが目に付いた。
ああ、もう。こんなとこで何してるのか知らないけどさ。
見世物じゃないんだよ、ちくしょう。
- 362 名前:『 夏と天使と蝶々と 』 投稿日:2004/01/05(月) 23:00
- 彼氏の腕を必死で押さえながらチラチラ横目で見ていると、いきなりその少女が
背を向けて走り出した。あたしの睨みがきいたのかとも思ったがどうやら違うらしい。
ヤバイ。警察が来た。
「もう、勝手にすればっ!」
とっさにそう判断したあたしは、捨てゼリフを残すと彼氏を放り出したまま
野次馬の隙間を抜けてこの騒ぎから逃げ出したのだ。
それが一週間ほど前。それからあたしは彼氏と連絡をとっていない、というわけだ。
- 363 名前:シレンシオ 投稿日:2004/01/05(月) 23:08
- 更新終了。
>346さん
ありがとうございます。
藤本さんは最近気になる人なので、このシリーズを無事に終え、
余裕があればぜひチャレンジしてみたいです。
>348さん
そこまで言って頂けると、本当嬉しいです。
新作をお届けするのも相変わらずスロウペースになると思いますが、最後までお楽しみください。
- 364 名前:『 夏と天使と蝶々と 』 投稿日:2004/01/15(木) 23:09
- ◇
「―――ヤグチ?」
急にみっちゃんに顔を覗き込まれ、ぼーっとしていたあたしは「うわあ」と声を上げた。
「なんだよ、ビックリするじゃん」
「時間、大丈夫か?」
キッチンからお皿を抱えて現れた彼女が、ツイと顎を突き出し壁の時計をさす。
それに促され目線を送ると、いつの間にか時刻は約束の時間に迫っていた。
待ち合わせの駅前まで走って10分。ギリギリだ。
あたしは大慌てでアイスティーを流し込むと、「ごちそうさま」とグラスを差し出した。
カウンターチェアからひょいと飛び降り身支度を整えるあたしに、裕ちゃんが声をかける。
「圭ちゃんによろしく。しばらく会えへんようになるからな」
「えっ、なんで?」
あたしはデニムのショルダーを引っつかみながら彼女の思わぬ言葉に慌てて振り向く。
- 365 名前:『 夏と天使と蝶々と 』 投稿日:2004/01/15(木) 23:10
- 「お休みくれ、って。―――なんや、教育実習があるんやて」
「そっか・・・大変だねえ、大学生って」
あたしの言葉に裕ちゃんはもっともらしく頷いた。
「もうすぐ夏休みやしな。さすがに手が足りんやろ。一人、面接やろうと思うとる子はおんねん」
「そう」
少し変なところもあるが、曲がりなりにも店長だ。彼女が決めたのなら、そうすればいい。
あたしはすぐに承諾した。
「じゃ、オイラもう行くよ」
仕事を続ける2人に手を振りながら、あたしはドアを勢いよく押す。
CLOSEDと書かれた札のかかったドアは、涼しげなベルの音をたてた。
- 366 名前:『 夏と天使と蝶々と 』 投稿日:2004/01/15(木) 23:11
- ◇
「圭ちゃん、そっちじゃないよ。どこに帰る気だよー」
「ヤグチ! だいたいあんたはね、いつもそういう細かいことにこだわり過ぎなのよ!
大丈夫、どこに進もうといつかは帰れるわよ! 世界は繋がってるんだから!」
「ああ、もう。頼むから静かにしてぇ・・・」
最近、どうも酔っ払い運が悪い。
道のど真ん中でミュージカルさながらクルクル回る圭ちゃんに頭を抱え、
彼女の腕を引っ張って駅へと向かう。
- 367 名前:『 夏と天使と蝶々と 』 投稿日:2004/01/15(木) 23:11
- ここは再び歓楽街。
先ほど嫌な思い出を反芻していたところなので、正直通るのは少し躊躇ったのだが、
駅への最短ルートの魅力は捨てがたい。
それに今は、恥ずかしいぐらいベロンベロンの酔っ払いを抱えている。
彼女を連れて閑静な通りを突っ切る勇気はあたしにはなかった。
眠れない街の夜の空気は苦い。
煙草のケムリや排気が篭っているせいか、それともあたしの心持ちのせいか。
フラフラの圭ちゃんを必死で誘導しつつ、肩で息をしながらそんなことを思う。
路地の闇とネオンの光。
喧騒と無関心。
相容れないはずのものが作り出す渦は滞留し、増幅し、そして景色を曇らせる。
あたしは霞んだ目を擦ると、空を仰ぎ、見えもしない星を探した。
指には、滲んだマスカラ。
- 368 名前:『 夏と天使と蝶々と 』 投稿日:2004/01/15(木) 23:12
- 「ねえ、なんか私クツ片方履いてないんだけどー」
「はあ!?」
ぼんやりと浸っていたあたしに、圭ちゃんがとんでもないことを言い放つ。
確かに圭ちゃんが履いていたはずのシルバーのサンダルは片方だけになっていて、
ユーズドデニムから伸びた素足が地面を捉え、ひょこひょことバランス悪そうに歩いている。
「そういうのは早く言ってよう・・・」
だって、だってと怪しい呂律で言い訳する圭ちゃんを尻目に辺りを見回す。
どうやら最近落としたのではないらしい。
幾数の脚で込み入った地面を丹念に確かめても、それらしきものは見当たらなかった。
とりあえず戻るよ、と圭ちゃんを促し、もと来た道を帰ろうとした時、
あたしは見覚えのある横顔に行き当たった。
- 369 名前:『 夏と天使と蝶々と 』 投稿日:2004/01/15(木) 23:13
- チカチカ流れる電光板に照らされ、様々に色合いを変える帽子は、
この間の喧嘩の時にもかぶっていた物。
安っぽいホテルに向かい歩いて行くその後ろ姿も、あの時憎々しげに眺めた背中。
間違いなくあたしの彼氏。
そしてその隣には、うつむき加減の白いワンピースの女。
「ちょっと、ヤグ―――」
背後から大声で呼ぶ圭ちゃんの口を、あたしは飛びかかるように両手で塞いだ。
最悪だ。マジ最悪だ。
- 370 名前:シレンシオ 投稿日:2004/01/15(木) 23:13
- 更新終了。
- 371 名前:『 夏と天使と蝶々と 』 投稿日:2004/02/03(火) 22:46
- −2−
白。赤。黄。緑。紫。オレンジ。
色とりどりの光が真四角の頭上を行き過ぎる。
空は引き締まるほど鋭い黒でこんなにたくさんの星が見えているのに、
なぜか目の前は雲に覆われたように白く煙っていて、
あたしはぶよぶよした不安定な地面を踏みしめながら恐る恐る進んでいた。
ふと首の後ろに突き刺さる視線を感じて振り向いてみると、
ぽつんと佇む看板の陰に誰かが座り込んでいる。
いつぞやの少女かと思ってよく見ると、片足のない圭ちゃんだった。
赤い顔をして「ヤグチーヤグチー」としつこく呼ぶので、あたしは無性に怖くなって踵を返し、
駆け出した。が、脚が思うように前に出ない。前に出ないのに、景色ばっかり先へと進む。
- 372 名前:『 夏と天使と蝶々と 』 投稿日:2004/02/03(火) 22:47
- 白濁した空気の中をぎゅんぎゅんとスピードに乗るあたし。
止まろうにも、あたしが走っているわけじゃないので止まるはずがない。
目の前の霧は次第に濃くなって、濃くなって、濃くなって―――
ふいにシュウと集まり白いワンピースの背中に変わった。
あたしは止まる。景色は動く。女との距離は縮まらない。
女の肩がピクリと動く。あ、振り向くな、と思ったら、ほんとに振り向き出した。もう少しで顔が見える。
もう少し、もう少し・・・・・・と、途端に捉えていたはずの地面がなくなった。
あたしの身体はフワリと宙に浮き、自由落下を始め―――
フローリングに腰をしこたま打ちつけたところで目が覚めた。
ベッドにもたれて、痛む腰をさする。
「・・・・・・さいあく」
- 373 名前:『 夏と天使と蝶々と 』 投稿日:2004/02/03(火) 22:48
- ◇
化粧水をはたいて気合を入れると、一気にカーテンを開いた。
眩しい朝の光を思っていたのに、目の前に広がるのは夏には到底似つかわしくない曇り空。
かすれた絵の具のように薄くたなびいた雲が太陽を隠している。
底抜けに陽気な青空でも見てテンション上げていこう、とか考えていたあたしは拍子抜けした。
せめて、もっと、こう、真っ白な入道雲が、どーんっとか、さあ。
『気分一新! 凹みがちな毎日にさよなら』計画も、重苦しいスタートのせいで早くも頓挫しそうだ。
あたしは扇風機の前に座り込んで、深々とため息をついた。
吐息は緩い回転に巻き込まれ、音を立ててバラバラと散る。
- 374 名前:『 夏と天使と蝶々と 』 投稿日:2004/02/03(火) 22:48
- 夏は好きだ。
好きなのに、この仕打ちはどうだ。
どうも最近、いろんなことが上手くいかない気がする。
窓の外は相変わらずぼやけた雲がだらしなく横たわっていて、
灰色のビルの輪郭さえ何だか曖昧に見える。
網戸を抜けてくるうるさいせみの声も今日は何だか遠くの方から聞こえているようで―――
あ、ヤバイ。今あたし、世界に一人かもしんない。
ふいにそんな思いが頭をよぎる。
ハッと我に帰りぶんぶんと頭を振ると、テレビのスイッチを入れて出来るだけ音量を上げた。
- 375 名前:『 夏と天使と蝶々と 』 投稿日:2004/02/03(火) 22:49
- 狭っ苦しいフローリングに脚を投げ出し、メイク道具の詰まったバスケットを引っ張り出す。
とりあえず、今日もバイトだ。忙しくしていれば嫌なことも思い出さないだろう。
くるりと鏡に向かった途端、妙に焦げ臭い匂いが鼻をついた。
「あっ!」
慌ててキッチンへ駆ける。
案の定、トーストは真っ黒焦げだった。
- 376 名前:『 夏と天使と蝶々と 』 投稿日:2004/02/03(火) 22:49
- 曇っているとはいえ、やっぱり夏だ。
蓋をされた太陽から滲み出る熱気は、アスファルトを灼けつかせるには充分だった。
クーラーのきいた車内に別れを告げ最寄の駅前に降り立ったあたしは、
『29』へ続く通りを黙々と歩いていた。鼻の頭に汗が浮き出るのを手の甲で軽く拭う。
空を見上げる。膜を通した陽光はそれでも多少眩しい。
雨雲ではなさそうが、降られるのもシャクだ。天気予報をチェックしてくるんだったと舌打ちすると、
あたしはお気に入りのサングラスを指先でくいっと上げた。
桃色のフィルターを透かした街の風景は非現実めいて見える。
一瞬、今朝見た夢が脳裏に浮かんだけど、いざ思い出そうとすると指の間をするりとすり抜け、
もう思い出すことは出来なかった。
- 377 名前:『 夏と天使と蝶々と 』 投稿日:2004/02/03(火) 22:50
- ふいに視界が光量を増す。
何気なく目を上げると、垂れ込めた雲の切れ間から一筋の光が漏れていた。
押し込められていた真夏の光線は一気に地上へと射られていて、
ことごとくストレートに照らされたビルの群れは一瞬にして空間との境界を取り戻す。
なかなか圧巻の光景だ。あたしは思わず「おお」と感嘆を漏らした。
- 378 名前:『 夏と天使と蝶々と 』 投稿日:2004/02/03(火) 22:50
- 『29』はまだ営業を始めていない。
あたしはまだ薄暗い入り口を通り抜け、店内を奥へと進む。
裕ちゃんはもう早々に来ているらしい。
南側と西側に面した大きな窓はすでにブラインドが上げられていて、
綺麗に磨かれた窓ガラスは滲み出る陽光を優しく変化させ、フロアを淡く包み込んでいた。
エアコンは低い稼動音を響かせていて、頭上ではシーリングファンが緩い回転を続けている。
さあ、今日も働くぞ。
あたしは小さく肩を回してから、スタッフルームの扉を開けた。
- 379 名前:『 夏と天使と蝶々と 』 投稿日:2004/02/03(火) 22:51
- 開けたと同時に、ロッカーの前で背中を見せていた裕ちゃんが振り返った。
肩越しにあたしを眺める裕ちゃんは、なぜかニコニコしている。
「ああ、ヤグチ。おはようさん」
「おはよう」と挨拶を返す。ドアを後ろ手に閉めながら、なんか機嫌よさそうじゃん、と続けた。
けれど、裕ちゃんはそれには答えずに「ちょうどええ」とだけ呟いた。
裕ちゃんがすっと身を引く。その後ろにはひとりの女の子が立っていた。
「ほら、前に言うてた新しいコや。面倒見たってな」
- 380 名前:『 夏と天使と蝶々と 』 投稿日:2004/02/03(火) 22:52
- すでにここの制服に着替え、メニュー表を抱きかかえているその子は、
あたしの顔を真っ直ぐに見つめ、そしてにっこり微笑んだまま深々とお辞儀をした。
「安倍なつみです。よろしく」
あたしは慌ててサングラスを外すと、ぺこりと軽く会釈を返す。
上目遣いで覗いたその笑顔は、今朝見損ねた真夏の朝の空によく似ていた。
- 381 名前:シレンシオ 投稿日:2004/02/03(火) 22:52
- 更新終了。
相変わらず遅いです。ごめんなさい。
- 382 名前:サクラ 投稿日:2004/02/04(水) 07:29
- じつは最初っからずっと読んでたんですけどめっちゃめちゃいいですね〜コレ。
大好きです。表現が綺麗で。
うまいですね〜。
ハマりましたよ。
- 383 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/13(金) 10:58
- ここの小説を読むと、現実ってこうだよね。と突き付けられる感じがします。
大好きです。ゆっくりでいいんで頑張って下さい。
- 384 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/18(木) 21:10
- 更新・・・まだかな?
- 385 名前:シレンシオ 投稿日:2004/05/24(月) 21:14
- ◇
なっちは、圭ちゃんの知り合いだと言う。
と言っても、なっちの説明はどことなくあやふやだった。
圭ちゃんのことだけではない。
友達のこと。両親のこと(一度スタッフルームで母親らしき人と連絡をとっているのを聞いたことがあるけど、
携帯は持っていないと言う)。今の生活。
果ては経歴や出身地も曖昧にしか教えてくれなくて、まったくつかみどころがなかった。
裕ちゃんにさえそれは同じで、履歴書にも最低限のことしか書いていなかったらしい。
しかし彼女は「大丈夫やろ。なんかやらかして逃げてるようにも見えへんし」と
ただ高らかに笑うだけだった。
- 386 名前:シレンシオ 投稿日:2004/05/24(月) 21:15
- それでも、どこか都会慣れしていない素朴な雰囲気を漂わせ、
いつも笑顔で仕事をこなす彼女はすぐにカフェの人気者になり、
そしてあたしも例に漏れることなく彼女をすっかり気に入って、
細かいことなんかはどうでもよくなっていった。
- 387 名前:シレンシオ 投稿日:2004/05/24(月) 21:15
- 「ヤグチって彼氏いるでしょ?」
彼女にそう尋ねられたのは、バイトの途中のふとした時だった。
裕ちゃんやみっちゃんのこと。カフェの常連さん。そして、圭ちゃんのこと。
自分のことはちっとも話に出さないくせに他人にはやたら詳しいなっちだったが、
まさかあたしのことまで知っているとは思いもしなかった。
それに、今まで彼氏の話なんて触れたこともなかったのに。
唐突にそんなことを言い出すもんだから、あたしは思わず彼女を凝視してしまった。
「いやあ。一緒に歩いてるの、見たことあるんだ」
不思議そうに見つめるあたしの視線を知ってか知らずか、
なっちはいつもの調子でニコニコと話を続ける。
曖昧に頷きながら、あたしの意識は否応なくあの夜へと連れ戻されていった。
- 388 名前:シレンシオ 投稿日:2004/05/24(月) 21:16
- 見つからないようにこそこそ逃げ帰ったのも、その後誰にも打ち明けていないのも、
すべて理由はわかっている。
見つかって、目が合って、惨めな思いをするのはあたしだけだし、
かわいそうがられるのも絶対に嫌だ。
あたしは、自分が負け組だなんて思われたくない。
- 389 名前:シレンシオ 投稿日:2004/05/24(月) 21:16
- 朝とも昼ともつかない時刻。
客足は途絶え、フロアにはなっちとあたしの二人だけ。
クーラーで冷やされた空気は静かな空間を引き立て、時折店の奥から食器のぶつかる音が
鋭く響いてくる。裕ちゃんとみっちゃんが片付けでもしているのだろう。
聞こえないとは思うけど。あたしは一応声を落とす。
「でもさ」
「うん?」
あたしの小さな呼びかけになっちはテーブルを拭きながら顔を上げた。目が三日月だ。
「もう、別れようと思ってるんだ」
負ける前に試合中止にする。今のあたしにはそれが一番の最良策に思えた。
- 390 名前:シレンシオ 投稿日:2004/05/24(月) 21:17
- 「なーんか飽きちゃったしさあ」
思いっきり伸びをしながら、眠くもないのにあくび交じりに付け足す。我ながらわざとらしい。
なっちは笑顔のまま「そっか」と頷いたきり、何も言ってこない。
いろいろ聞かれると構えていたあたしは、正直拍子抜けした。
「あっ、そうだ。なっち」
特別言うこともなくなって、二人して仕事に戻ろうとしたときあたしは声をあげた。
厨房に布巾を戻しに行こうとしたなっちは、慌てて振り向く。
- 391 名前:シレンシオ 投稿日:2004/05/24(月) 21:17
- 「裕ちゃんには言わないで」
「どうして?」
「どうしてって・・・なんかあんまり・・・」
「いやなの?」
何が気にかかるのか、なっちはやたらしつこく聞いてくる。
相変わらずその目は見事なカーブを描いている。
「嫌って言うか・・・ほら、どうせ心配するだろうし」
「そう」
- 392 名前:シレンシオ 投稿日:2004/05/24(月) 21:17
- なっちは軽い返事を投げるとようやくあたしを解放した。
改めて厨房に向かおうと彼女はあたしに背を向ける。
空のてっぺんへと昇る太陽の日差しを受けるこぢんまりとした後ろ姿に、
あたしは軽いめまいを起こした。
白い背中。白い背中。
違う。あのワンピースの女はもう少し背が高かった。
- 393 名前:シレンシオ 投稿日:2004/05/24(月) 21:19
- 更新終了。
>382,383,384さん
長らくお待たせして本当に申し訳ありません。
復活です。
- 394 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/27(火) 23:17
- 続き楽しみにしてます。
- 395 名前:シレンシオ 投稿日:2004/08/16(月) 19:46
- 遅れておりますが更新はします。
残していただければ幸いです。
- 396 名前:名無し読者 投稿日:2004/08/18(水) 03:04
- 保全しる。
次回更新楽しみにしてます。
- 397 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/17(金) 23:46
- 待ってます
- 398 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/16(土) 07:11
- ほぜん
- 399 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/26(金) 12:45
- 待ってるよ〜
- 400 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/20(月) 16:27
- ho
- 401 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/05(土) 21:57
- ほ・゚・(ノД`)・゚・
- 402 名前:シレンシオ 投稿日:2005/02/22(火) 07:53
- 子供の頃、世界は今よりずっとシンプルで、今よりずっとあたしに優しかったように思う。
嫌な思い出がないわけじゃないけど、振り返ってみればほんとたいしたことじゃなくて、
幼いあたしにだってどうにか乗り越えられるものばかりだ。
あれからあたしは大きくなって、頭もそれなりに良くなって上手く生き抜く術もたくさん覚えたはずなのに、
何でこんなにややこしいことになってるんだろう。
- 403 名前:シレンシオ 投稿日:2005/02/22(火) 07:54
- ―――ああ、これがしがらみってやつかなあ。
駅へ向かう大通りですれ違う、夏の陽気に浮き足立った中高生の大群をぼんやり眺めながら、
ついついおっさんくさいことを考える。
そういえば、もうすぐ世間は夏休みだ。
夏休みの宿題と一緒だと思えばいい。伸ばし伸ばしにしてたって、
結局はいつか片付けなくちゃならない。
「話がある」と彼氏に連絡を取ったのは、なっちに打ち明け話をしてから割とすぐのことだった。
- 404 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/24(木) 21:19
- うわぁぁあああー更新キテタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!!
すっげー嬉しいです!頑張ってください!!!!
- 405 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/03/01(火) 17:11
- 一気に読まさせて頂きました、違う人が出てくる中でちゃんと話が繋がってるというとこでハマりました!久しぶりの更新ありがとうございます。 次回更新待ってます。
- 406 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/03/20(日) 17:40
- いつまでも待ってますよー。
- 407 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/04(月) 01:13
- 保全
- 408 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/05/01(日) 21:37
- ほ
- 409 名前:まゆっぽ 投稿日:2005/06/03(金) 20:25
- 待ってますよ
- 410 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/16(土) 00:21
- ho
- 411 名前:まゆっぽ 投稿日:2005/08/03(水) 13:22
- zen
- 412 名前:『 夏と天使と蝶々と 』 投稿日:2005/08/22(月) 00:15
- 人の群れが行き交うホームのベンチに腰掛けて、幾度もシミュレーションを繰り返す。
下手には出ず、あくまで強気で、かつカッコ良く。
タイミングも大事だ。向こうが切り出す前に、こちらから先手を打つ。
ああ、あと繁華街で目撃したことも知らないふりをしなきゃならない。
- 413 名前:『 夏と天使と蝶々と 』 投稿日:2005/08/22(月) 00:16
- ふと、我に返る。
前のめりの身体と、右足の貧乏ゆすり。情けない姿だ。
あたしは小さくため息をつきながら、固い背もたれに身を預けた。
夏特有の貼りつくような空気の中で、こんなことをじめじめと考えている自分が嫌になる。
そんな気分を振り払うようにバッグから軽やかに携帯を取り出し、意味もなく眺めた。
業者の広告と友達からの些細なメールが数件。
「お疲れ」とか何とか適当な返事を打っていると、電車が金切り声を上げて目の前に止まる。
ため息のようなドアの音とともに腰を上げ、流れ出る人々をぼんやり眺めていると見覚えのある顔に行き当たった。
- 414 名前:『 夏と天使と蝶々と 』 投稿日:2005/08/22(月) 00:17
- カオリだった。
圭ちゃんの大学の友達で、ずいぶん前に紹介された。何度かバイト先にも遊びに来て話したこともあるけど、
エキセントリックで、なんというか、すごい面白い子だった。
カオリは押し出されるままふらふらと歩いている。慌てて振り返るが、あたしには気づいていないようだ。
ちらりと見上げたカオリの、さらさら流れる髪に縁取られた顔にあたしは開きかけた口をぎゅっと閉じた。
カオリの様子。自分の立場。
あたしは逃げるように電車に飛び乗った。
- 415 名前:シレンシオ 投稿日:2005/08/22(月) 00:18
- いつもぎりぎりで申し訳ない限りです。
何とか生きております。
- 416 名前:まゆっぽ 投稿日:2005/08/22(月) 14:24
- やったぁー(^O^)/更新されてる!
- 417 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/23(火) 20:49
- 更新お疲れ様です。
作者さん生きてて安心しましたw
まったりまったり待ってるんで、頑張ってください。
- 418 名前:通りすがりの者 投稿日:2005/09/23(金) 17:47
- 更新お疲れ様です。
待ちわびておりましたw
この先一体どうなることやら・・・
次回更新待ってます。
- 419 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/12(月) 05:16
- 突然失礼します。
いま、2005年の飼育を振り返っての投票イベント
「2005飼育小説大賞」が企画されています。よろしければ一度、
案内板の飼育大賞準備スレをご覧になっていただければと思います。
お邪魔してすみませんでした。ありがとうございます。
- 420 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/05(日) 18:37
- ほ
- 421 名前:『 夏と天使と蝶々と 』 投稿日:2006/02/15(水) 20:25
- 「おまえさ、オレのことそんなに好きじゃなかっただろ」
薄明かりの店内の隅、テーブルの向かいに座る彼氏がソファにもたれたままぶっきらぼうに言う。
喋るたびに振り回される手のせいで、指に挟んだ煙草から灰がはらはらと舞い落ち、
パスタやらサラダやらの上に降りかかる。おかげですっかり食欲が失せた。
あたしは特に何も答えず、見る見る冷えていく明太子パスタをにらむように見つめる。
- 422 名前:『 夏と天使と蝶々と 』 投稿日:2006/02/15(水) 20:26
- 「おまえそういうとこあるよな。ちょっとでも気に入らないこと言われるとすぐに冷めたり、黙り込んだりさ」
少し笑いを含んだ声。口の端がぐっと上がって、にやついているのが見える。
前はよく笑うこの少年のような口元が好きだったのに、今では単なる腹の立つ材料にしかならない。
また、言っていることが事実なだけに余計ムカツク。
「おまえってさ、オレが好きなんじゃなくてオレに好かれてる自分が好きなだけだろ」
やつは笑う。あたしは黙ったままだ。
- 423 名前:『 夏と天使と蝶々と 』 投稿日:2006/02/15(水) 21:38
- 別れよう。ああいいよ。
テーブルにつくなりあたしが口を開くと、けりは速攻ついた。あたしが予想していたのよりもかなり速攻。
あまりのあっけなさに、あれだけイメトレしたのは何だったんだと逆にがっかりする始末だ。
でも、それからが長かった。
そのやり取りの後、やつがここぞとばかりに何やらあたしについてがたがた言い始めたのだ。
今更文句言うなよ。そのとき言えよ。女々しいやつだな。
あー、ウザイ。ムカツク。
言われっぱなしでイライラを通り越して気持ち悪くなってきた。
ちらりと見えるにやついた口元にはもう嫌悪感しか抱けなくて、それが気持ち悪さに拍車をかける。
いい加減何か言い返してやろうと思った瞬間、やつは煙草を灰皿に押し付けるといきなり席を立った。
- 424 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/23(木) 18:04
- 更新きてたー!
乙です、本当に楽しみにしてました。
ゆっくりでいいんで、続きがんばってください!
- 425 名前:『 夏と天使と蝶々と 』 投稿日:2006/08/13(日) 00:23
- 「・・・! 逃げんの」
「逃げねえよ。便所だよ」
やつははき捨てるようにそう呟くと店の奥へとふらふら歩いてゆく。
姿が見えなくなるとあたしはぐったりとソファに身を預けて、毒気を吐き出すように大きなため息をついた。
灰皿から立ち昇っていた煙が、そのせいでふわりと空気に溶ける。
- 426 名前:『 夏と天使と蝶々と 』 投稿日:2006/08/13(日) 00:24
- クールな別れ話ってのもなかなか疲れる。
怒鳴りつけるのを我慢していたせいか、なんだか肩までこっている気がする。
イライラがどこにもぶつけられないから自分に返ってきているんだろう。
あたしは首を左右にひねりながら、テーブルの上に散らばったままの煙草やら携帯やらを眺めた。
あたしと同じ携帯だ。まだ付き合いはじめの頃、おそろいで買い換えたのを思い出した。
あたしはバッグから携帯を取り出し、なんとなくそれを眺める。
もういい加減型も古いし、バッテリーもそろそろヤバいし手ごろなのがあったら新しいのに変えよう。いい機会だし。
ぼんやりとそんなことを思っていたところで、ふと気がついた。
- 427 名前:『 夏と天使と蝶々と 』 投稿日:2006/08/13(日) 00:25
- 携帯を置いたまま、というのが珍しかったのだ。
置きっぱなしで席をはずすなんて事、今まで絶対なかったのに。
一度気になりだすと、もうとまらない。
たぶんこれは神様が「見ろ」って言ってるんだ。
自分に言い訳するようにそっとやつの携帯に手を伸ばす。
同じ型にして良かったとつくづく思った。使いなれているボタンをピコピコと操ってゆく。
- 428 名前:『 夏と天使と蝶々と 』 投稿日:2006/08/13(日) 00:26
- 目的はあった。あの白いワンピースの女だ。
何か痕跡はないかと履歴を調べる。
しかし、どれも知っている子やあたしの友達ばっかりだ。ていうかなんで連絡取ってんだよ、と携帯につっこむ。
かなり前までさかのぼっても、それらしき名前は一向に見当たらない。
諦めかけたそのとき、ふと思いついた。写真だ。
閉じかけた携帯を持ちなおし、画像ファイルを開いてゆく。
- 429 名前:『 夏と天使と蝶々と 』 投稿日:2006/08/13(日) 00:27
- あった。
ワンピースかどうかは分からないが、白いノースリーブを着た少女の写真。
影になっているのか、それとももともと色黒なのか、陽に灼けたような肌と華奢な首筋が印象的だ。
切れ長の目を思いっきりそらしているが、顔はばっちり写っている。
こいつか。
あたしは店の奥、トイレの方をちらりと確認してから、その画像を自分の携帯にメールした。
そのまま送信履歴を消していると、あたしの携帯が派手な音を立てて、テーブルの上を動き回り出した。
慌てて携帯を拾い上げ、ポケットに押し込む。
狭い隙間でいびつに肩を張るそれをそっと手のひらで隠すように撫で付けた。
ほら。やっぱり世界はややこしい。
- 430 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/04(月) 14:43
- 更新ありがとうございます
続きを楽しみにしています
- 431 名前:まゆっぽ 投稿日:2007/07/22(日) 12:35
- 更新マターリ待ってます。
大好きな話なんで、ぜひ完結させてください。
- 432 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/10/07(日) 08:15
- 私もここの世界が大好きです。
作者さん見てるかなー?のんびりとお待ちしてます。
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