リストラ 3rd
- 1 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月17日(日)16時11分42秒
- 『リストラ』の続きです。
前スレ、前々スレともに、同じ青板にあります。
「リストラ」http://m-seek.net/cgi-bin/read.cgi?dir=blue&thp=1030182454
「リストラ2nd」http://m-seek.net/cgi-bin/read.cgi/dream/1033186134/
登場人物は、吉澤、後藤、石川、矢口、市井(登場順)。
タイトルの意味は(1)再構築。
(2)リスでトラ(誰もが弱くて強い。あるいは強くて弱い)。
(2)は完全後付け(オヤジギャグだし)。
でも案外この話の根っこかも。
- 2 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月17日(日)16時12分35秒
- あたしとお茶を飲みに出たごっちんが、一人戻った楽屋で涙の跡をメイクで隠し始めたら、当然ながら涙の容疑はあたしにかかることになるらしい。
ごっちんから遅れること推定10分、戻るなり、あたしは加護からハイキックを喰らいかけた。
「コラ、よっすぃ〜!」
「いきなり何すんの、もー」
「ごっちん、泣かしたやろー」
加護なりに気を遣ってか、少し声をひそめながら言う。が、周りの誰もがさりげないふりであたしたちのやりとりを聞いているようだったので、それはほとんど無意味なことだった。
「ちーが、違うってー」
躍起になって否定しているところへ、わざと遅れて帰ってきた矢口さんが、ごっちんの肩をぽーんと叩いていわく。
「あれ、ごっつぁん、どしたぁ? よっすぃ〜にいじめられたかー?」
ごっちんもふふっと笑って否定しない。
- 3 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月17日(日)16時13分07秒
- 「あー、そうなのー? よっすぃ〜! ごっつぁん病み上がりなんだからねー、冷たくしちゃダメじゃーん」
飯田さんは、矢口さんの一言で、どうやら腫れ物扱いする必要のない話だと理解したらしく、早速ツッコミを入れ始める。
「よっすぃ〜、早く謝ったほうがいいよー?」
安倍さんの脳内では早くも、完全にあたしが悪いことになっているらしい。
「世話が焼けるねぇ、キミたちはー」
圭ちゃんがあたしの頭をはたいて通り過ぎていく。
あたしは気づいている。
みんながなんとなく楽しそうなのは、矢口さんが笑っているから。ごっちんに笑いかけたからだ。
やっぱり不動のムードメーカーなんだなと、矢口さんの小さな金髪頭を見ながら、あたしもなんとなく楽しくなった。
「あー、そのー、ごっちん、ごめんねぇ。あたしが悪かったよ」
ごっちんは間髪入れずに答えた。
「あはっ、もういいよー、今度から気をつけてねっ」
演技とはいえ、ちょっと釈然としないでもなかったが、満面の笑みの前では、なんの反論もする気になれなかった。
あたしは矢口さんに心の中でお礼を言いつつ、報告すべき人を目でさがした。
- 4 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月17日(日)16時13分38秒
- ■■■
屋上へ続く階段は湿っぽくて薄暗く、静かだった。
「ごっちんとなんかあった?」
梨華ちゃんは、さらっと訊いてくる。
「言っとくけど、あたしが泣かしたんじゃないよ」
「わかってるよぉ」
ムキになるあたしを笑って、
「矢口さんとごっちん、仲直りしたみたいだもんね。その辺でしょ?」
わかりきったことのように言う。
「梨華ちゃんてさ」
冷たい階段に腰を下ろしながら、整った顔を見上げた。
「ほんと、意外と鋭いよね」
「はー、『意外と』。失敬ですねぇ」
梨華ちゃんは、壁に背中をくっつけて、座らなかった。
あたしはパンツにくっついた埃をつまみながら口をきく。
「そう、まー、仲直りして、そこはよかったんだけどさ」
間をおいたけど、梨華ちゃんは相槌を打ってこない。カンのいい彼女だから、これから話すことがもうわかってるのかもしれない。
- 5 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月17日(日)16時14分16秒
- 「『別れよう』って言われちゃった」
普通そうな声が出せてホッとした。
「喫茶室なんかで言うなよなぁって、ホント」
梨華ちゃんは黙っていた。
あたしの声が空回って、あたしはイラついて埃のカタマリを梨華ちゃん目がけて投げた。空気の抵抗を受けた埃は、へにゃ、と情けない軌道を描いて、梨華ちゃんに届かなかった。
「なんか言ってよ」
「わたしが、なんで」
「いいじゃん、なんか。なんでもいいよ、『そいつぁマヌケだったね』とかなんとか。言ってよ、適当でいいから」
梨華ちゃんは鼻で笑った。なんでだか、バカにされてあたしは気持ちがよかった。
「甘えたいんだ、よっすぃ〜」
言葉につまった。あたしは梨華ちゃんを睨み上げた。
「そういうこと、わざわざ訊くようじゃ、癒し系になれないよ?」
「よっすぃ〜なんか癒してどうすんのー」
「『なんか』。ああ、そう、『なんか』ね」
「拗ねちゃった? だって癒さなくても自分で立ち直るじゃない」
- 6 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月17日(日)16時14分48秒
- ふんと鼻を鳴らして、あたしはすぐ目の前の自分の足を見つめた。そういうふうに見えてるんだなぁと思っただけだった。
ちょっとの沈黙の後で、あたしは薄暗闇に向かって声を投げる。
「明日さー、仕事終わったら、ごっちんといっしょに市井さんとこ行ってくる」
かすかに息を呑むような気配が伝わってきた。
「決闘してこよっかなーって」
「そう」
「うん」
梨華ちゃんは右の親指の爪を左の親指の腹で撫でながら、
「わたしも、そこまで行きたかったな」
と言った。
声が細く聞こえて、あの日の梨華ちゃんの泣き声を、あたしは思い出していた。
「あたしのほうが諦めが悪いだけのことだよ」
自嘲ぎみに言ってみたら、梨華ちゃんは眉を下げた笑い方をした。
「気を遣わなくても大丈夫だよ? もうだいぶ…大丈夫だし」
「うん………」
あたしは、自分が不用意だったと思って、梨華ちゃんにすまない気持ちになった。
- 7 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月17日(日)16時15分29秒
- 気まずくうつむいて、ポケットの腕時計をチェックする。
「時間だね、行かないと」
立ち上がって、埃を払った。
「今日もお仕事、がんばっていきまっしょーい」
『ね?』と梨華ちゃんに笑いかけて、先に立って階段を下りる。
2つ下りたところで、肩にかすかな重みを感じた。
「よっすぃ〜」
梨華ちゃんの手があたしの両肩にかかって、布越しに手のひらの温かさを感じた。
「がんばれ………がんばろ」
背中に声があたった。かろうじて感じとれる程度の空気の振動、温度が、背骨から染み入って、あたしの心臓を叩いて出ていった。
何か言葉を返そうとして、何も言い出せずに黙っていた。
鼻の奥からこみあげてくるものをこらえるので精一杯で、あたしは時間ギリギリまでそこに立っていた。あたしを癒してくれるつもりなどなかったはずの梨華ちゃんは、ただ黙って背中にいてくれた。
- 8 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月17日(日)16時16分09秒
- ■■■
平日午後の下り電車。わざと鈍行に乗った。
同じ車両には、眠りつづける大学生くらいのカップルと、話しつづける50代くらいの主婦の二人連れと、音洩れのひどいラジオを聞いている白髪まじりの男の人がいるばかりだった。
目深に帽子をかぶったあたしたちはぴったりと寄り添って、シートのすみっこに座っている。
昨日眠れなかったらしいごっちんの瞼は、楽屋で着替えているときから重そうで、電車が動き始めるや静かに閉じられて、もう15分、開かないままだ。
電車が揺れて、ごっちんの体が斜めになる。自然とあたしの肩に頭を預ける格好になって、それでも目を覚ます気配はなかった。
そっと目をやると、上からでもごっちんの胸が規則正しく上下しているのが見えて、どういう心の作用だか、脈絡もなく胸がつまった。
背中から柔らかな陽射しが入って、あたしたちを包んでいる。陽光に透けた彼女の髪がまぶしくて、あたしもそっと目を閉じた。
- 9 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月17日(日)16時16分59秒
- 最寄り駅のホームに降りた途端、ごっちんは途方に暮れたように視線を左右へ泳がせた。出口を探そうとしているようでもあり、帰り道をさがしたがってるようにも見えた。
「ごっちん、こっち」
地図で出口を確かめる。
住所はごっちんが知っていて、昨日、楽屋で教えてくれた。
『うちにプリンタあるから地図、落としとくよ。実家だっけ、住所わかる?』
『ん、今は実家じゃないと思う。いくよ? 東京都――――』
衣装を脱ぎながらの即答だった。番地までを淀みなく答えた後で、ごっちんは、市井さんからMDが送られてきたとき、連絡先が同封してあったのだとつけ足した。
暗記するくらい眺め暮らしたのだと、その事実があたしに痛みを与える。薄皮一枚剥がれたみたいな薄赤い傷が、ひりひりとまた口を開ける。
ごっちんを見ると泣きたくなるのは、ごっちんが好きだからじゃないと思う。きっと、そんな甘ったるい理由とは違う。
彼女を見ると泣きたくなるのは、彼女だけが、あたしに孤独を気づかせるからだ。
彼女は毎日、あたしの痛みを更新する。あたしは日々、形を変える傷口を見つめる。
これが彼女を愛した罰ならば、あたしに許される日はこないだろう。
- 10 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月17日(日)16時17分33秒
- 改札に切符を通しながら、ごっちんは「あのさ」と言いにくそうに切り出した。
「電話、してないんだよね」
「え、そうなの?」
「うん………」
歩きながら、ごっちんは、どうしても市井さんに電話がかけられなかったのだと、ひどく落ち込んだ声で話した。
「そっかぁ。じゃー、いないかもしんないねぇ」
「ごめん。あの、やっぱり今日、やめよっか」
気弱に言い出すごっちんに、あたしはため息をきかせた。
「なに言ってんの、ここまで来て。ほら行くよ」
立ち止まる肩に手をかける。
「でもさ、いきなり行ったら迷惑じゃん」
「ごっちん」
あたしは足を止めて、ごっちんに向き直った。
「行くんでしょ? 今日はそうするんだったでしょ?」
小さな子供に言い含めるようにそれだけ言った。
「………うん」
ごっちんはようやく返事をして、なんとか再び歩き出した。
- 11 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月17日(日)16時18分15秒
- マンションの前、ごっちんは、唇の向こうで歯を食いしばってるみたいだった。
くっと奥歯を噛み合わせてるみたいなその顔は、あたしの好きなごっちんの表情のひとつだったけど、今ここで見るのはツラかった。
ごっちんはエントランス前の階段で足元を睨んだまま動かなかったけど、あたしは彼女の決心がつくまで待つつもりだった。
「よしこ」
とふいにごっちんはあたしを呼んだ。少し意外だった。市井さんのことで頭がいっぱいになっていて、あたしなど視界にも念頭にもないだろうと思っていた。
「よしこ、今日は、ありがとね」
丁寧にひとつひとつの言葉を発音した。ごっちんがそんなふうに話すのは珍しくて、あたしはマジメに受けるのが怖かった。
「あたしも市井さんに用があるんだってば」
笑顔で返すと、ごっちんも応じるように柔和な笑みを見せる。
「言っときたかったんだ。どういうふうになっても、この後、あたし、絶対、冷静じゃないに決まってるから。その前に、よしこに言わないとって思った」
遺言みたいでイヤだと思った。だけど続きを聞きたいとも思った。
あたしの気持ちがあたしの中でバラバラで、いっそ、ちぎれそうだった。
- 12 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月17日(日)16時18分47秒
- 「あのね、なんか…ごとーは……よしこのことが、すごく好きみたい」
「『みたい』ってなんだー」
おちゃらけて笑った。ごっちんの言う「好き」に区別がつくくらいには、あたしはごっちんに詳しいつもりだ。
「や、みたいっていうか……大好き、です」
「うん、わかってる」
マンションのエントランス手前。二人とも突っ立って、前を向いたまま。
はたから見たら滑稽な眺めだろうなと思った。
つきあう前とかつきあいはじめの頃、二人で歩いているとき、もっと彼女がこっちを見ないかなと思いながらチラチラ隣をうかがったことを思い出した。
あたしたちは向き合って見つめ合うことは、あんまり上手にできなかった。
同じ方向を目指して併走することは得意な二人だったけれど。
- 13 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月17日(日)16時19分19秒
- 言わなければと思った。矢口さんが昨日、口にしたことを、あたしの口からも今、言ってやらなければならないと思った。
怯む気持ちを抑えるように目を閉じて、矢口さんの顔と、それから梨華ちゃんの顔を思い浮かべた。
「ごっちん」
「ん?」
ようやく彼女の瞳があたしに向いた。あたしはそれを横顔に感じたまま、見つめ返しはしなかった。
「素直になってね」
ごっちんの目が見開かれるのが、視界のすみっこに映った。
ごっちんはやがて目を伏せ、返事をしない代わりに言った。
「行こっか」
- 14 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月17日(日)16時19分52秒
- エントランス・ホールでインターホンに応えたのは落ち着きある大人の女性の声だった。
部屋番号を間違えたかなと思いながら、とりあえず名乗ってみる。
「あの、市井さんのお宅じゃないですか? あ、私、吉澤と申します」
「あ、はい。今、開けますね」
難なく自動ドアが開かれた。
エレベーターの中で、ごっちんの香水に気づいた。
さわやかに甘いこの香りには、たしか幸福を意味する名前がついているはずだ。さっぱりした香りが好きなのだろう、ごっちんはメンズのほうを好んでつけている。
彼女は今日、幸福の名を冠した香水を選んだ。そうなんだなと思った。
それだけのことにも今は、意味を感じずにはいられなかった。
エレベーターはごっちんのマンションについているものほど大きくはなくて、そのせいだろう、少しだけ息が苦しかった。
最上階の角部屋が市井さんの今住む場所だった。
鍵を開けて待っていてくれたのか、ドアの前まで歩いたところで、ドアは内から開いた。
開けてくれたのは、40代くらいの女の人だった。
「目につくとあれだから。どうぞ入って」
- 15 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月17日(日)16時20分28秒
- お茶を入れてもらっている間、オレンジ色のソファに座らせてもらって、部屋をざっと見渡した。他人の部屋をじろじろ見る趣味はないけど、あまりに似ていた。
ごっちんは緊張しきって両手を膝の上に置いたまま、目線をほとんど動かさないので、あるいは気がついていないのかもしれない。この部屋が自分の部屋にそっくりだということに。
白が中心のごっちんの部屋に比べて、ところどころにオレンジや黄色でアクセントがつけてある。そのせいで、部屋全体から受ける印象は別物に近い。けれど、ソファとオーディオに特にこだわりを持っていそうなところ(文字通り下衆の勘ぐりだが、どう見ても、この2つにお金がかかっているように見えた)、家具の配置、フローリングの色や太さ、共通する部分がいくつもある。
「どうぞ」
意識的にそうしたのか、それとも無意識になぞってしまったのか、考えていたところへ、市井さんのお母さんが紅茶を出してくれた。
- 16 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月17日(日)16時21分05秒
- 「わざわざ来てもらったのにすみませんねぇ」
インターホンの女性は市井さんのお母さんだった。今日は市井さんの久しぶりのオフだから、布団干しだの、料理だのの世話を焼きにきたのだという。「過保護でしょう?」と笑った顔は少しも卑屈でなかった。それで逆に、忙しくさえなければ市井さんは基本的になんでも自分でこなす人なんだろうなと思った。
「いえ。こちらこそ、突然お邪魔してすみません」
「そのうち戻ると思いますから。わたしはあっちの部屋で用事してますけど、どうぞ楽にして、待っててやってくださいね」
それでもう席をはずそうとする。気配りのうまい人で、この人から市井さんが生まれたというのは、なんだか納得できると思った。
- 17 名前:駄作屋<ここまで> 投稿日:2002年11月17日(日)16時21分51秒
- 「あの」
そのとき急に、ごっちんがソファを立った。
最初に「こんにちは」と挨拶したきり押し黙っていたのに、意を決したように、部屋を出ようとする背中を呼び止めた。
歩いていって、振り返ったお母さんにきちんと正対する。
「聞いていただきたいことが、あるんです」
声は透き通って、けれど硬い。
張りつめた糸のような、とはこういうのを言うのだろうなと思った。
ロウソクの火が消えるように、にこやかだったお母さんから笑みが消えた。
「手紙のことですか?」
お母さんは低い声で確かめて、ごっちんは小さく、けれど確かに頷いた。
- 18 名前:駄作屋<コメント> 投稿日:2002年11月17日(日)16時22分44秒
- なんとなく今月中に終われそうな気配になってきました。
個人的に11/21(木)あたりで完結できたら幸せなのですが、
もちろん、予定は未定です。
週末だというのに外にも出ずにディスプレイ睨みっぱなし。
それでも間に合わないかも。
- 19 名前:駄作屋<コメント> 投稿日:2002年11月17日(日)16時24分02秒
- 結末はだいたい頭に描けてはいるんですが、
案内板で「この話ならではのプラスアルファ」という課題を
いただいて、ちょっとハッとしたり。
読んでいる量が少ないので、差別化すべき対象を知らないまま、
自分の好きに書いてしまって、もしかぶったらどうしよう、と
それが不安。
でも他作品を研究して隙間を縫うように書くのが「アルファ」かと
いったら、そういうことではないのでしょうし。
不勉強を棚に上げつつ、自分なりの結末を書こうかな、と
今は考えています。
- 20 名前:駄作屋<コメント> 投稿日:2002年11月17日(日)16時24分43秒
- 次回更新の前に設定をひとつ、明記。
市井さんの本名は「市井紗耶香」ではないそうですが、
この小説内では、芸名と本名、同一とさせていただきます。
- 21 名前:名無し読者 投稿日:2002年11月17日(日)16時45分32秒
- 今回の更新で一番驚いたのは市井紗耶香が芸名だったこと。すいません。
ごっちんがよっすぃーに正直な気持ちを言った時、なぜか自分まで恥ずかしかった(w
- 22 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月18日(月)20時00分58秒
- ごっちんと市井さんのお母さんは、ダイニング・テーブルに向き合って座った。
リビング・ダイニングなので、このままでは二人の会話は全部聞こえてきてしまう。
あたしは立ち上がった。
「ごっちん、あたし、ちょっとコンビニ―――」
「お願い」
あたしが出て行こうとするのを、ごっちんは短い声で制した。
「隣にいて」
「……わかった」
あたしは静かにごっちんの隣のイスを引いた。
「わたしはいいけど、いいの?」
市井さんのお母さんはあたしを邪魔にするというより、ごっちんを気遣うように言った。丁寧語がとれて、そのせいもあるんだろうけど、まとう空気も違ったものに感じられた。
ごっちんはまばたきで頷く。
「いいんです。よしこ、吉澤さんは知ってますから」
「そう」
空気がやけに密度を濃くしているようだった。
耳の痛くなる沈黙を破ったのは、お母さんの方だった。
「主人にくれた手紙、わたしも読ませてもらったけど」
ごっちんが、こくんと唾を飲んだのがわかった。
「紗耶香は最初の事件のこと、わたしたちには、自分のストーカーに襲われたって言ってたの」
前置きなく切り込まれて、あたしは『手紙』がやはりその件に絡んでいることを知る。
- 23 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月18日(月)20時01分30秒
- 「二度目にいたっては、言ってこなかったわ。事件の存在自体をわたしたちに知らせなかった。体調が悪いから仕事を休むってそれだけで。あの頃、仕事がいろいろうまくいかなくなったようなのはわかってたから、精神的にツライんだろうと思った。甘いようだけど、まだ子供なんだし、芸能界は引退してもかまわないとわたしたちは思ってた」
市井さんは、ごっちんに刺されたことを家族にも話さなかった。『まだ子供』と呼ばれた人は、それでも一人で背負うつもりだったのだ。大切な人のために。
「そこに、あなたの手紙が届いた。宛名はワープロ打ちだったし封筒に差出人もなかったから、イタズラかとも思ったんだけど、なんとなく気になって開けてみたの」
あたしは思わず、ごっちんの横顔を見た。ごっちんは、自分が知っていることの確認だからだろう、冷静な瞳で前を見ている。
「もうね、わたしにしたら、驚くことばっかりだった。最初のケガが紗耶香のストーカーじゃなくて、あなたのストーカーによるものだっていうのもそうだし。存在すら知らなかった二度目のケガが………」
その後を、お母さんは省略した。口にもしたくないのだろう。
- 24 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月18日(月)20時02分04秒
- 「主人に相談して、結局、謝罪に来たいっていうのは遠慮してもらうことにしたけど。それはね、何もあなたの顔が見たくないとか、そういうことじゃないのよ。紗耶香を見てたら、あなたがどれだけ忙しいのかはわたしたちにもわかったし、そういう中を来てもらうわけにはいかないだろうということになったの」
「そんな、そんなことは」
謝らせてくださいという手紙だったのだ。ごっちんは仕事がどんなに忙しくても、許しさえ出れば、市井さんのご両親の前に駆けつけただろう。
お母さんは、しかし、ゆっくりと首を横に振った。
緩慢な動作だったのに、なぜだかピリピリしたものを含んでいる気がした。
「来てもらってもね。『謝ってくれてありがとう、もういいよ』とは言えないから」
ずきん、と心臓に響いた。
『許せないに決まっているから来るな』―――それ以外に解釈のしようがなかった。
あたしは、ごっちんを見ることができなかった。
「それなら来てもらっても、お互いのためにならないだろうって、主人が。わたしもそう思った」
- 25 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月18日(月)20時02分39秒
- ショックだった。
あたしの知る範囲の罪は、人間関係のもつれだったり、仕事上のちょっとしたミスだったり、どれも心から反省して謝罪するなら、許される類のものだった。けれど、許されない大きさ、許されない深さの罪も、この世に確かにあるのだと知らされた。
こんなものを、まだ幼さの残る華奢な体に、ごっちんは背負って歩いてきたのだろうか。
これからも、抱えていくのだろうか。
「それでも…謝らせてもらえませんか」
声は隣から、静かに、揺るぎない調子で響いた。
「許してもらえなくていい、いいっていうか、当たり前だと思ってます。ただ……謝りたい。謝りたいんです」
最後は同じ言葉の繰り返しになった。声は大きくも早くもならず、一時の感情の盛り上がりとは違う確かな意思を伝えていた。
「ご迷惑、でしょうか?」
お母さんはじっとごっちんを見つめた。答えず、応えなかった。
承諾を得られないままに、それでもごっちんは、しっかりと頭を下げた。
「紗耶香さんを傷つけたこと、本当にごめんなさい。謝っても取り返しはつかないけど…ごめんなさい」
- 26 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月18日(月)20時03分10秒
- ごっちんがイスから立った。
何をする気かわかって、あたしも座ってはいられなかった。
あたしが立ち尽くす足元にごっちんは膝をついた。
「ごめんなさい」
両膝の前に両手をつき、その間に額をつけた。長い髪が床に流れた。声はほとんどフローリングの床に吸い取られていった。
「心の底から、申し訳ないと、思ってます。本当にごめんなさい」
「やめてください」
土下座を目の当たりにしても、市井さんのお母さんはあわてることはなかった。落ち着いた声のまま、やめるように言うだけだった。
小娘の土下座に価値など認めてはいないのかもしれないし、そうであってもしかたがなかった。
ごっちんは、ピントのズレた熱血ドラマのように土下座を押し通すことはせず、音もなく立ち上がった。
「紗耶香は」と、お母さんはテーブルに両肘を置きながら言った。
「紗耶香は、わたしたちが知ってることを今も知らないの」
市井さんとご両親は、2つの事件について、いまだに話してはいないのだという。
- 27 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月18日(月)20時03分45秒
- 「手紙に、紗耶香には内密で謝らせてほしいってあるのを見て、わたしたちなりに、あなたと紗耶香が事件以来どういうことになってしまったのか、想像してみた」
事件後、まるで話さなくなった二人。ごっちんが市井さんのために無理に作りあげた、無関係という関係。
「それで、それなら、この手紙のことは紗耶香には黙っていようと思ったの。わたしたちに謝りたいというあなたの気持ちを紗耶香は喜ぶでしょうけど、あなたの誠実さを紗耶香に伝える筋合いはわたしたちにはなかったし―――率直に言えば、紗耶香にはなるべく早くあなたのことは忘れてほしかった」
あたしはおそるおそる、ごっちんの横顔をうかがった。
ごっちんは、きゅっと唇を結び、顎を引いて、目線をお母さんの口元にあてていた。
あたしが勝手に想像するような弱い顔など、してはいなかった。
「一方で、紗耶香がわたしたちに隠した理由を考えてみた。いいことなんかないでしょう、隠したって。言えば、わたしたちだってケガにいいようにいろいろ気遣ってやれる。紗耶香だって体の回復を考えたら、そのほうがいいことはわかってたと思う。それなのに、隠したのは」
- 28 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月18日(月)20時04分19秒
- お母さんは顔を上向けて、ごっちんの目を見た。
「あなたを庇いたかったのね。それしかない。わたしたちがあなたを責めることが、たまらなくイヤだったんだと思う」
かすかに、顔を歪めたように見えた。娘が自分たちよりも、ごっちんの側に立ってしまったことが悔しかったのかもしれない。
「後藤さん。あなたのことは……許してない。だけど、わたしも主人も、あなたをもう責めないし、憎むこともしない。それを紗耶香が望まないから」
それが結論だった。市井さんのお母さんなりに悩み苦しんで掴んだのは、許さないけれど、もう憎まないという選択。
ごっちんの目が涙を落としそうに赤かったけれど、そうしてはいけないと思っているのか、ごっちんは唇を噛んでこらえていた。
やがて、声を絞り出すようにして尋ねた。
「紗耶香さんに…あたしが会ってもいいですか?」
お母さんはふっと息をもらして笑った。
「わたしに許可をとることないわ。そもそも今日、わたしに会わなかったかもしれないじゃない。紗耶香に直接会ってたはずでしょう?」
そうだった。筋が通らないと一喝されてもしかたがない。けれど、お母さんはそうはしなかった。
- 29 名前:駄作屋<ここまで> 投稿日:2002年11月18日(月)20時05分03秒
- 「でも、それはもうしかたがないんだと思う。反対のしようもないし、反対する気もないわ。あなたが軽い気持ちで会いに来てないのはわかるし、何より…紗耶香があなたに会いたがってる気がして」
『紗耶香が望まないから憎まない』、『紗耶香が会いたがってるから止めない』。親とはこういうものかと思った。シンクロするようなタイミングでお母さんが言った。
「親なんて。子供には勝てないのよね、どうしたって。そういうふうにできてるのね、きっと」
答えようがなく、あたしたちは黙っていた。
お母さんはぽつんと言った。
「川原にいるわ、この近くの」
市井さんが、だろう。
「ちょっと歌ってから帰るって、さっき電話があったから。川原で発声してからって」
市井さんの居場所を、お母さんはごっちんに教えてくれた。それは、ごっちんにとって、とても値打ちのあることに違いなくて、ごっちんは、こらえていたものを一筋、こぼした。
お母さんは、どこか諦めにも似た穏やかな笑みをこぼした。
「行ってやってくれる? 喜ぶと思うから」
ごっちんは、ぐっと喉をつまらせ、何度も頷いた。
何度も何度も頷いて、やっとで短い返事をした。
「はい……っ」
- 30 名前:駄作屋<レス> 投稿日:2002年11月18日(月)20時06分06秒
- >>21
あれ、違ったかな。個人サイトでそんなようなことを
見かけた気がしたんですが。
とにかく、ここでは芸名と本名同じってことで
(お母さんが芸名読んでたら変だなと思ったんで)。
後藤→吉澤は、あんな感じになりました。
はい、書いてても恥ずかしかったです(w
- 31 名前:駄作屋<コメント> 投稿日:2002年11月18日(月)20時08分59秒
- 今回更新分みたいなのは、なきゃない方が
すんなり読みとおせるんじゃないかなと
思わないでもない。
けど、こういうの、入れてしまう。
CPモノを書いてはいるけど、
書きたいのは本当は恋愛よりも、
恋愛してる人間のほうなのかも。
書けているかどうかは、まったく別の話として。
- 32 名前:駄作屋<コメント> 投稿日:2002年11月18日(月)20時10分17秒
- たぶん、次の更新は明日か明後日です。
どうやら、木曜日に完結できそう…かと、たぶん。
- 33 名前:名無し読者 投稿日:2002年11月18日(月)20時35分26秒
- 更新速っ!!
いや、このシーンもかなり重要だと思いますよ。
市井さんの母の声を聴く事によって、この小説と現実との距離が近づいた気がしました。
あとこの小説におけるごっちんの声の重要さにも気付いた。
- 34 名前:名無し読者 投稿日:2002年11月18日(月)23時53分46秒
- 案内の方に感想を書いたものですが、いらぬ心労をおかけしたようで申し訳ありません。
実際、熟考を重ねて話を作られている作者さんにプラスアルファという発言は不用意でした。
この作品に期待をかけている気持ちの表れとご理解いただければ幸いです。
完結も間近なようですが、頑張ってください。
- 35 名前:名無し読者 投稿日:2002年11月19日(火)12時49分58秒
- 本名について。
「紗耶香」は本名だろうけど、名字が「市井」じゃないってことですよね?
母親の再婚によって名字はかわったんだけど市井のままってこと。
- 36 名前:名無し読者れす 投稿日:2002年11月19日(火)12時53分23秒
- 2〜3時間かけて、全部一気に読みました。
ハイ、スイマセン、暇人です。w
物語の最初の頃の吉澤君を思い返すと、
後藤さんの苦しみとか痛みとか何にも知らずに(その存在すら知らなかったか。)
「好き」とか「愛してる」って
言ってましたよね。
それを思うと、
なんだか何も知らずにそう言えてた方が良い意味で幸せだったのかも。
とか思っちゃいます。
ただ、それを自ら知ろうとしてその幸せを拒否したのがよっすぃ〜だったんですよね。
ワケワカンナイ感想ですが、お許しくださいw
- 37 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月19日(火)23時59分27秒
- 太陽はもうずいぶんと傾いて大きく、黄緑の草々が茂る川原をもオレンジ色に染めていた。
水の行く音が耳にやさしく、風も速さを持たずに柔らかい。
川をまたぐ鉄橋を電車が走り、そのたもとを中学生の集団がじゃれ合いながら歩き過ぎる。
土手からはコンクリートで舗装された階段がいくつかあるようだったけど、面倒だったので、土草を踏みしめながら川原へ下りた。
「なんか、いいねぇ、こういうの。日曜日とかにお父さんが子供連れてキャッチボールとかしてそう」
「お休みの日だったら、もっと人多いんだろうね」
ごっちんは意外とリラックスした様子で、両手をぐ、と空に伸ばした。
犬を散歩させる人や自転車の中学生、誰もがあたしたちを咎めだてせずに、行き過ぎていく。
彼女のために、今日は人が少なくてよかったと思った。
「あー、ボール持ってくればよかった」
「バレーボール? 円陣パスとかやっちゃうんだ、川原で」
「二人で円陣っすか、センセイ」
あたしが笑うと、ごっちんがちょっと複雑そうな顔を見せた。
ああそうか三人か、と思い直したとき、風がその声を運んだ。
- 38 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月20日(水)00時00分04秒
- はっと、ごっちんが風上を振り返った。
野生の小さな生き物みたいに、静止して耳をそばだてる。あたしもそれに倣って、間もなく、耳に音楽が流れ込んできた。
「ごっちん、これ……」
間違いなく、それは市井さんの声だった。距離が遠い分だけ小さいけれど、声が細いのではないことがわかる。よく透き通るあの声。
そして耳からかすかに遅れて、目が市井さんを見つけた。
より川辺に近いところ、セイタカアワダチソウの茂みの向こうに、小さな頭が見える。
「ごっちん」
行くよ、と声をかけると、ごっちんは口元をちょっと緩めるだけの、力のない笑い方をした。
「どーしよ。なんか……怖い」
悲しそうな顔でも寂しそうな顔でもなく、それは曲りなりにも笑顔で、その笑みがあんまり健気だったから、あたしは何も言えなくなった。
言わないかわりに、だらしなく下がっていたごっちんの手の甲を上からきゅっと握った。
『大丈夫だよ』。
伝わったのかどうかはわからない、ごっちんは頷いて、あたしたちは歩き出した。
- 39 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月20日(水)00時00分49秒
- 近づくにつれ、市井さんの歌が少しずつ大きくなっていった。
「Ombra mai fu, Di vegetabile,
Cara ed amabile, Soave piu」
つくづく、好きになるものが、あたしとこの人は似ている、と思った。
音楽の教科書で一番好きだった曲だ。
『二人のやさしく、愛すべき木陰を与えてくれた植物がほかにあったであろうか?』。
それだけの詞が、包み込まれるような優しい旋律にのる。
授業で聴いたテノールのアリアのように朗々と歌いあげるというわけにはいかないけれど、市井さんの透明な声が奏でる『オンブラ・マイ・フ』は侵しがたい気高さをもって響いた。
セイタカアワダチソウのすぐ手前、歌がよく聞こえる場所で、ごっちんは黙って立ち止まった。
声をかけられないのか、歌が終わるのを待つつもりなのか、市井さんのショートカットの頭を見つめて動かなかった。
あたしもあえて促す気になれず、隣で市井さんの歌を聴いた。
「Ombra mai fu, Di vegetabile,
Cara ed amabile, Soave piu
Soave piu」
- 40 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月20日(水)00時01分25秒
- 歌い終えた市井さんは、ふーっと息をつくと、こちらから声をかけるまでもなく、くいとこっちを振り向いた。視線の重みを背中に感じていたのかもしれない。
ただし、その視線が誰のものであったか、振り返るまではわかるはずもない。市井さんは目を瞠った。
「後藤………」
さっきと打って変わってかすれた声がごっちんを呼んで、その瞬間、ごっちんの全身が淡い淡い桜の色に染まるのを、あたしは見た。
頬、首筋、耳、鎖骨の辺り、袖からのぞく腕。さあっと刷毛で掃いたように、すべてが一瞬で色を変えた。
ごっちんの瞳がやけに潤んでいて、あたしは『表面張力』という言葉を思い出していた。溢れ出しそうな水がかろうじてとどまって、そのままギリギリを保つあの透明。
『あの人の手も声も。目も匂いも。すべてすべて』
ごっちんの体が声をあげる。
隠そうとして隠し切れない想いが、体から零れていた。
「いちーちゃん」
- 41 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月20日(水)00時02分04秒
- 乱暴にセイタカアワダチソウをかきわけて、市井さんは、こちら側へやってきた。
「なんだよ、後藤。吉澤も。来るなら言ってくれればよかったのに」
市井さんの頬がうっすら赤いのは、夕陽のせいだけではないだろう。
「すみません、いきなりで」
「どうしたの、今日は」
「いや、オフだって聞いて」
ごっちんがうんともすんとも言わなくなって、しかたがないので、あたしと市井さんで話す。
「そうなんだよ、昨日でツアーいちお終わってさ。ライブハウス中心だったんだけどね、おもしろかったよー、なかなか」
「『オンブラ・マイ・フ』、いいですね。カッコよかった。こういうの、ライブではやらないんですか?」
「あー、カバーとかはやってるんだけどね。クラシックはまだやったことないなぁ。そうか、そういうのもアリかもね。ありがと、考えてみるよ」
お互い本音ではあるけれど、どこか白々しい会話になってしまうのは否めなかった。
市井さんがごっちんに愛を告げた夜以来。ごっちんがあたしの腕におさまりながら、すげなく市井さんを追い返して以来の再会になる。殺伐としないのが不思議なくらいだった。
- 42 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月20日(水)00時02分37秒
- 「後藤、喉どう?」
市井さんがなんとか普通らしく声をかける。
「うん…もう大丈夫」
ごっちんは市井さんと目を合わせないまま、かろうじて言葉を返したけれど、市井さんも続く言葉をもたないようで、二人は途端に沈黙を持て余す。
世話が焼ける。内心、ため息をつきながら、あたしは踵を返した。
「吉澤?」
背中で市井さんが呼ぶのを無視して、土手を下りてすぐのところにあるベンチまで走った。
ベンチには男の子が一人、座っている。野球帽を後ろ前にかぶった小学校低学年くらいの男の子。誰かとキャッチボールの約束をしているのか、グラブを2つとボールを膝に乗せていた。
「ねーねー」
声をかけるとキョトンとした顔であたしを見上げる。
下の弟と同い年くらいかなと思った。ぽかんと口を開けているのがかわいい。
「ちょっとの間だけ、グラブとボール、貸してくんないかな?」
「えー?」
男の子は頼まれごとにはとりあえず文句を言う癖があるらしく、唇を尖らせたけど、
「おねがい、ちょっとだけ!」
頼みこむと、すぐに「しょうがないなぁ」と言ってくれた。
「ありがとねっ、すぐ返しにくるから!」
言いながら、あたしは走って二人のもとへ戻った。
- 43 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月20日(水)00時03分13秒
- 二人は相変わらず、押し黙っていた。
「よしこ、何やってんの?」
あたしが戻ると、ごっちんは露骨にホッとした顔で、手の中のグラブの意味を訊いてくる。
あたしは、へへっと笑ってそれには答えず、グラブのひとつを市井さんの胸に投げた。
青いグラブが胸に当たって、落ちる前に市井さんの両手が受け止める。
「なに?」
「市井さん、野球やったことありますか?」
アメ色のグラブを左手にはめながら訊く。
「子供のときに遊びでやったくらいだけど?」
市井さんは、まだグラブをはめない。
「あたしもそんなもんです。ちょうどいいですね」
「ちょうどいいって」
「はめてください」
「なに、キャッチボールすんの?」
戸惑いながらもグラブに指を入れるのを見ながら、あたしは宣戦した。
「勝負しましょう」
「はい?」
「後藤真希争奪、チキチキっ、古今東西山の手線キャッチボール・ゲーム〜!」
やけ気味にテンションをあげてみたけど、二人とも「イエーイ」などとは言ってくれなかった。
- 44 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月20日(水)00時03分55秒
- 「ツッコミどころありすぎてツッコめない」
「よしこ、テンションおかしいけど大丈夫?」
こういうときだけ息ぴったりに言う二人を無視して、あたしは白球を投げた。
少年用の軟球がおっかなびっくり、市井さんのグラブにおさまる。
後ろに下がって距離をとりながら、ルールを説明する。
「ルールは簡単です。暴投したら負け、落球しても負け。どっちが悪いかわかんないのは続行。紛らわしいから答え以外の言葉を口にしないこと。いじょっ」
「いじょってさぁ…」
ボールを投げ返しながら市井さんが言う。
「負けたらどうなるわけ?」
ほわんとしたボールを胸の前で受けて、あたしはにやっと笑った。
「ネガティブですねぇ、市井さん。勝ったらって言いましょうよ」
さっきより少しばかり速い球を返す。
「うるさいな。勝ったらどうなんの、そんで」
市井さんもちょっと力の入ったボールを返してくる。
あたしはごっちんを振り返って、もうちょっと下がっているように言った。女の子同士の軽い遊びのキャッチボールにはなりそうもなかった。
ごっちんは、あたしが何を企んでいるのかわからずに不安そうな顔をしながらも、鉄橋のたもと近くまで後ろへ下がった。
- 45 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月20日(水)00時04分31秒
- 市井さんに向き直って、手の中でボールを回す。
「勝ったらですねぇ」
縫い目に指をしっかりかけて投げた。
「賞品があります!」
ボールはパシ、と市井さんのグラブを叩いた。
市井さんは「やな予感がすんだけど」と言いながら、気のない投球モーションに入った。
「賞品、なに?」
あたしは力ないボールを素の右手で捕ってそのままスロー、即投で即答。
「後藤真希!」
「ええ?」
背中で賞品が不満そうに声をあげる。とりあえず今、それは関係ない。
「おーまえ、それ…」
市井さんは呆れ気味に山なりのボールを投げて寄越す。
「怖いですか?」
腕をきっちり振って投げた。
ぱん、と小気味よく、市井さんのグラブが鳴った。
市井さんはグラブの中のボールを手で転がして、静かに言った。
「……怖いよ、そりゃ。負けるのがじゃなくて、勝っても―――」
後は口をつぐんだ。あたしはたぶん間違えずに省略を補える。
『勝っても賞品が手に入らないことが』。
再度の拒絶を受けることを、市井さんは怖がっている。
投げられたボールは力なく途中で沈んで、あたしは膝の下にグラブを伸ばして捕った。
- 46 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月20日(水)00時05分08秒
- 「大丈夫ですよ。勝てば賞品に拒否権はありませんから」
背中の賞品は、今度は黙っていた。わからないなりに、あたしに任せてくれるつもりなのかもしれない。
「勝負しましょうよ!」
踏み込んだ左足に力をこめて、勢いよく投げ下ろす。市井さんの胸元、乾いた音を立ててボールはグラブに吸い込まれた。
「いってーな」
市井さんは悔しそうにつぶやいて、それから
「意味ないと思うんだよね、決闘とかさぁ!」
大きなモーションを見せた。ひゅ、と風を切る音。
グラブの腹に、ずん、と重みを感じた。
「意味は、いいんです、たまには無意味で!」
指を放すポイントがつかめたからか、市井さんのグラブはほとんど動かさなくて済むようになっている。
「ああ、そう。いいけどね」
市井さんは白球を睨みながら、縫い目に指を合わせる。
ふーっと息を吐いてから左足を上げ、それまでより少し長くためた。
踏み出して、右足が土を蹴る。
「やってやるよ!」
あたしのグラブが高い音を響かせる。
あたしは、にいっ、と口いっぱいで笑って、ボールを真上へ軽く投げた。
- 47 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月20日(水)00時05分46秒
- ■■■
「魚に似てるとこ」
「笑いのツボがおかしいとこ」
「口が悪いとこ」
「意外にノリいいとこ」
「子犬っぽいとこ」
ゲームはもう、5分ほど続いている。
山の手線キャッチボール、お題は『後藤真希のここが好き』。
開始直後は顔がかわいいとか、スタイルがいいとか、もっともらしい言葉が交換されたのだが、5分も続くと、それは誉めているのか貶しているのかと確認したくなるような答えが次々に飛び交う。
ちなみに、魚似だと言ったのはあたしではない。
開始前には本人のいる前でこんなお題はイヤだと不満そうだった市井さんは、いまや相当に悪ノリしている。『意外にノリいい』のは、この人のほうかもしれない。
「ワガママなとこ」
「気性が荒くれなとこ」
「略すと『ごまちゃん』なとこ」
市井さんが言うのは、ほとんど『後藤真希のここが笑える』みたいに聞こえないでもないけど、そういうものを『好きなところ』としてあげるのが、この人なりの表現なんだろうなと思った。ごっちんはさっきから黙っているけれど、きっと赤い顔をしているだろう。
- 48 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月20日(水)00時06分19秒
- 15mほど離れたあたしたちの間を一定のリズムでボールが行き来する。
市井さんの腕前は相当なものだった。
多少のブレはあるものの、ほとんどが胸の真ん中に返ってくるし、そのどれもがグラブまでまっすぐな軌跡を描く。
捕球と同時に右足を後ろへ引き、そのまま投げる姿勢に入る。
左足でしっかり踏み込んで、まっすぐ腕を振り下ろす。
捕球から投球までが滑らかな一続きで、受けやすかったし投げやすかった。
状況を忘れて楽しみそうになるけど、しかし、あたしはいつまでも市井さんと遊んでいるわけにはいかなかった。
そろそろ、チェンジ・オブ・ペース。変化球で彼女を仕留める時にきていた。
「キスがうまいとこ」
「……っ」
市井さんが顔をしかめた。親指と人差し指の間で受ければそう痛くないはずだが、どうやら親指の付け根あたりで受けてしまったらしい。
悔しまぎれに速い球を投げてくる。
「家族思いなとこ」
あたしは攻撃の手を緩めない。
「肌がやわらかいとこ」
「ちょ、よしこ」
ごっちんがたまりかねたように背中からあたしを呼んで、市井さんが抗議するように、あたしを睨んだ。
それでも、あたしはやめるつもりがなかった。
- 49 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月20日(水)00時06分56秒
- 「アニメで泣くとこ」
返ってきたボールは胸元をはずれて、あたしは軽くジャンプした。
まだまだ、ここからだ。どうあっても市井さんには負けてもらう。
「体がキレイなとこ」
「おまえ―――――」
「答え以外を言うのは禁止です」
市井さんはぐっと唇を引き結んで、目一杯に腕を振ってきた。
「よく笑うとこ」
ボールは今度は足元だった。低く差し出したグラブをキツく叩く。
ごっちんは市井さんの前ではよく笑う人だったんだなと思った。気に入らないと本気で思えて、それは今、ちょうどよかった。
「寝てるときの顔」
寝顔と言わずに、わざとそういう言い方をした。「やめてよ」と悲痛な声が後ろから聞こえた。市井さんは顔をうっすら赤く染めて、怒りを隠さずにあたしを睨みつけていた。もう少し。あと少しだ。
「仕事に誠実なとこ」
それをごっちんに教え込んだのは、この人だったはずだ。大きく右にそれたボールを逆シングルで捕って、あたしはとどめを刺しにいく。
「声がかわいいとこ」
普通に聞けばありふれた誉め言葉だったが、今はそうは聞こえないだろう。それも計算のうちだった。
- 50 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月20日(水)00時07分37秒
- あたしの投げた球はまっすぐ市井さんのグラブに収まったけれど、すぐにこぼれて落ちそうになった。それを右手でつかんで、市井さんは
「もういい、やめる」
と両腕を下げた。
「吉澤の不戦勝でいいですか?」
あたしは笑顔をつくる。
「吉澤が何したいか知らないけど、後藤が嫌がることだったら意味ないだろ」
「意味はありますよ。ケリがつきますから。投げてください」
市井さんは話にならないというように首を振った。
「つくか、こんなんで。だいたい、そんな……好きに理由なんかあるか!」
頭を振って、あたしから目を切って、無茶な投げ方。
ボールは当然、まっすぐには来ない。
頭上はるか高いところを過ぎるのを、あたしは形だけのジャンプで見送った。
まずは終わった、ここからだ、と思ったとき。
ざっ、と土を蹴る音が背後で聞こえた。
振り向いたあたしの視界に飛び込んできたのは、ボールの進行方向にまっすぐ走るごっちんの姿だった。
走りながらボールをチラと振り返るなり、体をひるがえしながら思い切りよく跳んだ。
両腕をいっぱいに伸ばす。
ぱあん、と弾けるような音が鉄橋の真下に響いた。
「ごっちん!」
- 51 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月20日(水)00時08分08秒
- 着地して、ごっちんは小さくうめいた。
白球を両手の中で行ったり来たりさせながら、あたしに困ったみたいな笑い顔を向ける。
「けっこー、痛い、かも」
野球の軟球は、「硬球」に対しての「軟球」であって、決して軟らかいボールではない。
市井さんが思い切り投げた球なんかを素手で捕っていいはずがなかった。
「ごっちん、それ」
あたしが歩み寄るより早く、市井さんが疾風のように走り寄った。
グラブを脱ぎ捨てて、ごっちんの手首をつかむ。
「バカ、素手で……!」
腕をつかまれて、ごっちんの手からボールがこぼれ落ちる。
「いちーちゃ」
「お前、バカ! なんでこんな無茶すんだよ!」
市井さんは心配のあまり苛立ちを隠せないで、ごっちんは、打たれた子供のように萎れている。
「ごっちん、大丈夫?」
「ん、平気。骨とかどうもなってなさそうだし」
ごっちんは、あたしに笑いかけてくれたけど、すぐさま市井さんに怒鳴られた。
「大丈夫じゃなかったかもしれないじゃん。なに考えてんだよ、お前は!」
「ごめんなさい」
ごっちんの声は消え入りそうで、うつむいた耳は真っ赤だった。
- 52 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月20日(水)00時08分44秒
- 「後藤、お前はアイドルで、みんなが待ってる存在なんだから。もうちょっと自覚しなよ。いつも教えたことでしょ? もう忘れた?」
どこかで聞いたセリフだと思った。
いつかの楽屋、テレビ局内で飲酒なんてことをやらかしてしまったごっちんを叱る矢口さん。うなだれる、ごっちん。そうだ、あのときの矢口さんの言葉がこれに酷似している。あのとき、ごっちんは珍しくお説教に落ち込んだ顔を見せた。
理由が今ようやく、理解できた。
矢口さんの向こうにもうひとつ、顔を見ていたのだろう、ごっちんは。だからツラかった。
ほどけてみれば、ごっちんの謎なんて、すべてが目の前のこの人に収束していく。
あたしは体から力が抜けていくのを感じていた。
「忘れてないよっ、だけど………だって」
ごっちんは水をたっぷり含んだ瞳で市井さんを見つめた。
「…けてほしくなかった」
口をほとんど開けないまま、つぶやいた。
「え?」
市井さんが怪訝そうに、ごっちんの顔を覗き込んで、そうされるのが恥ずかしいのか、ごっちんは顔を背けながら繰り返した。
「いちーちゃんに、負けてほしくなかった」
- 53 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月20日(水)00時09分59秒
- ショックじゃなかった。
このセリフを引き出すために、仕掛けたゲームだった。あたしの狙いは間違ってなくて、作戦は大成功だった。だからショックなんかじゃなかった。
「後藤、お前………」
市井さんは意味の大きさに驚いて、二の句が継げないまま、ごっちんを見つめる。
握っていた手首をようやく放して、
「こっち向いて。後藤」
ごっちんの頬にそっと手を添えた。
それを合図に、ごっちんの瞳が市井さんを見る。
「いちーちゃん……」
視線が糸になって、縒り合わさっていくのが見えた。
ごっちんの目から、閉じ込めておけなかったものが音もなく溢れた。
うんざりするほど、美しかった。
ごっちんが何か言おうとして口を開きかけ、そのとき、電車が鉄橋を通りかかった。
鉄橋の下、電車が通過する轟音の中で、ごっちんの声は聞こえない。
あたしに読唇術の心得などない。
けれど、今のごっちんの言葉なら、わかる。
聞こえないけれど、聞こえる。
『いちーちゃん
いちーちゃん
いちーちゃん』
喉が裂けても。ごっちんの叫びは、そういう温度だった。
この人に今、伝えるんだ。絶対、伝えるんだ。火傷になりそうな熱の高さ。
- 54 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月20日(水)00時10分53秒
- 轟音はまだ止まず、ごっちんは一向かまわずに叫んだ。
押さえ込まれてきたものが堰を切る瞬間を、あたしはどこか遠くに見ていた。
『あなたが好き』
悲しくない。
『あなたが好き、
あなたが好き』
悲しくなかった。ごっちんの裸の声が、音は持たなくても今、聞こえて、それはあたしが望んだことで、だから、あたしが悲しいはずなどなかった。
市井さんのトレーナーの胸ぐらをつかむごっちんの手。
強く握りしめているせいで、節の部分が白い。
涙が、どちらのだかわからない、二人分かもしれない、その手にいくつも落ちた。
『いちーちゃんが好き』
無茶な声をあげた細い体が、目眩を起こしたみたいに安定を失って、ほとんど同時に、電車は遠ざかっていった。
静寂が戻り、市井さんの鼻声が聞こえた。
「聞こえないよ、バカ、後藤。聞こえないよ」
言いながら、崩れかけるごっちんの腰を両腕で支えた。
市井さんが支え、ごっちんがつかまって、恋人同士の抱擁というよりそれは、臆病な子供たちが寄り添っているようだった。
あたしは、二人の足元のグラブとボールを、そっと拾い上げた。
- 55 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月20日(水)00時11分27秒
- 「後藤……後藤、もう離れたくないよ」
「いちーちゃん…」
「後藤のことは、あたしが守る。あたしのことも、もちろん自分で守る。もう悲しませたりしない。もう二度と絶対、間違わない。後藤が最優先だよ、後藤だけでいい」
熱に浮かされたように、息も継がずに言う。
「、ちーちゃ……」
艶を帯びたごっちんの瞳が市井さんを見つめて、市井さんは大切そうにごっちんを腕の中に閉じ込めた。
「こんな頼りない腕だし、たくさんは守れないけど。たったひとつなら、きっと守れる。大切にできるって、思うんだ」
ごっちんは、けれど体を強張らせて、市井さんの腕の中で身じろぎをした。
「後藤?」
「いちーちゃん、だけど……いちーちゃん、ごとーとつきあったりして、そこからおかしくなっちゃったらどうしよう。ごとーから後、人から後ろ指さされる恋愛しかできなくなっちゃったら」
セクシュアリティのことを、ごっちんは言いにくそうに口にした。自身に偏見はなくとも、世間や通りすがる人が、市井さんに冷たくなることが、ごっちんは我慢ならないのだろう。
- 56 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月20日(水)00時12分06秒
- 「あー、それは……」
市井さんは、言葉を選ぶように、少し間をとった。それから、噛んで含めるように、ゆっくりと言う。
「最後だから、もういいんだ。最後だから、好きにさせてもらう」
「え?」
「後藤から後なんか、ないから。市井はまだ人生18年しかやってないけど」
笑顔が自慢だと、いつか聞いた気がする。本当に、胸を打たれるような、陽の光みたいな笑顔で、市井さんは続けた。
「これが人生最後の恋でいいよ」
「っ……」
ごっちんは声をつまらせて、市井さんは柔らかな眼差しでごっちんを包んだ。
「人生最後の愛でいいや」
「いちーちゃぁ……っ」
しゃくりあげるごっちんに、市井さんが照れ隠しのように言い渡す。
「バカ、喜ぶとこじゃないよ。意味わかってんの? 後藤のことは一生あたしが拉致監禁幽閉束縛しますつってんだよ?」
ごっちんはとめどなく涙をこぼして、切れ切れに言った。
「いちーちゃん、つかまえててね。ごとーのこと、はなさないでね。いちーちゃんの中に」
市井さんの胸に頭をこつんとぶつけて、ささやく。
「ごとーをずっと閉じ込めてね」
- 57 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月20日(水)00時12分39秒
- 最後の言葉は背中で聞いた。
太陽は今、沈もうとしていて、長い瞬きのあたしには一足早く、漆黒の夜が訪れていた。
あたしはグラブを胸に抱えて歩き出した。
このまま夕闇に溶けたいと、だらしないことを願いそうになる自分がイヤだった。
「よしこ!」
数歩いったところで、ごっちんの声が切羽つまったみたいな響き方をして、思わずあたしは振り返った。
ごっちんが、口を開きかける。
『ご』の形だった。
けれど、途中でふと迷ったように視線を落として、口をつぐんだ。
一瞬の後、もう一度、あたしをまっすぐに見つめてくる。
今度は迷わなかった。
「ありがとう」
大好きな声、大好きな笑顔、大好きな。
あたしは、心の中で唱えた。向日葵みたいに笑え。めちゃめちゃ満開に笑え。笑え。
「おう! また、明日っ」
鼻に皺を寄せすぎたかもしれない。だけど成功したと思いたかった。
あたしは急いで二人に背を向けた。失敗にならないうちに。
「よしこ……よしこっ」
「行くな、後藤。行くな」
気の利く人が、天然に悪魔じみた彼女を抱きとめてくれているようだった。
あたしは走り出した。
- 58 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月20日(水)00時13分13秒
- 「おーっす、ボク、お待たせ! これ、ありがとね」
グラブとボールを男の子に差し出した。
ゲームボーイのPAUSEボタンを押して顔を上げた少年は、ちょっと驚いた顔をした。
「おねーちゃん……転んだの?」
「うん、なんかね、すっげーハデに転んじゃったんだ。ちょっと、けっこー痛くてさ。えへへ、カッコ悪いよね」
言いながら、男の子の腕にグラブを押しつけた。
「マサヒロー」
この子に向かってだろう、遠くから大人の男の人の声がした。
「じゃあね、ボク。バイバイっ」
早口に行って、あたしは階段をふたつ飛ばしで駆け上がった。
背中でさっきの声が大きくなって聞こえた。
「お待ちどうさん。なんだ、どうした?」
答える、あどけない声。
「んー、泣いてたよー」
「あ? なにが?」
「泣いてた」
- 59 名前:駄作屋<ここまで> 投稿日:2002年11月20日(水)00時14分06秒
- 駅へ向かう道の先で、太陽はもうビルに落ちようとして、上辺だけを残している。
あたしは知ってる。
斜めに傾いた太陽が、あんなにも大きくて美しいのは、小さなものとの対比だからなんかじゃない。地平線へ消えるときの太陽がひときわ強く輝くのは、あたしたちが太陽に共感してるから。あの儚い灼熱色に感じる心が目を開かせ、放たれる光を余さず受け止めるからだ。
赤すぎる色が目に痛くて、あたしはうつむいた。
ぱたぱたっと水滴が足元に落ちて、それがイヤで上を向く。
『上を向いて歩こう 涙がこぼれないように』
そう歌ったのが誰だったか、『懐かしの』なんてフレーズで紹介される人名が思い出せない。
だから、あたしには抗議する先もわからない。
涙なんか、どこ見たって、こぼれるばっかりで。
上なんか向いたって同じことで――――嘘つき。
言いたいのに、名前を思い出せなかった。
風がひとつ、熱くなった頬を撫でて通り過ぎていった。
しん、と冷たさが残って、あたしは恋の終わりを知った。
わあわあと発情期の猫みたいに、大声をあげた。
焦らしていた夜が、それで許してくれたように訪れた。
あたしはサヨナラを言った。
太陽にサヨナラを言った。
- 60 名前:駄作屋<レス> 投稿日:2002年11月20日(水)00時15分11秒
- >>33
更新は、そうですね、今、狂ったように書いてます。
重要…そう言っていただけるとありがたいです。
エピソードを削る勇気もときには必要なんでしょうけど、
いつも迷います。書くのも削るのも難しい……。
>>34
ご丁寧に、ありがとうございます。
あの感想、本当にうれしかったです。
「いらぬ心労」だとは思いません。
前にも別の場所で別の方から、まさに
「小説にはプラスアルファが必要だ」と
教えていただいたことがあります。
思い出して、気を引き締める機会になりました。
こちらこそ、いらぬ心労をおかけしてしまったんじゃ
ないでしょうか。不用意な発言で失礼しました。
感想、今日のも読みました。
楽しみにしてますので、がんばってください。
- 61 名前:駄作屋<レス> 投稿日:2002年11月20日(水)00時15分46秒
- >>35
あ、やっぱりそういうことでしたか。
教えてくださって、ありがとうございます。
>>36
一気読み、ありがとうございます。
長いし、改行見づらいし、大変だったんじゃ
ないでしょうか。ホントありがたいことです。
冒頭なんか、今読み返すと相当ノーテンキですね。
あの頃はよかった……のか?(笑)
- 62 名前:駄作屋<コメント> 投稿日:2002年11月20日(水)00時19分25秒
- 残り、1話分になりました。
あー、なんか放心ぎみだ…。
大量更新だし、間違いないかチェックしないとと
思うんだけど、ちょっと今回は疲れたなぁ。
読むほうも疲れると思いますが、あと少しなので
もうちょっと、がんばって、おつきあいください。
最終更新は木曜日(予定)です。
- 63 名前:名無し 投稿日:2002年11月20日(水)00時44分00秒
- 泣けた〜・・・。この作品大好きです。木曜日で最終回なんですよね?自分なんかが恐縮ですが、最後まで応援してます。がんばってください。
- 64 名前:名無し読者 投稿日:2002年11月20日(水)01時17分30秒
- うぉー!!もうだめだ。久しぶりにこんなに号泣した。信じらんね−くらい読んでいる時間が短く感じた。
娘小説じゃカテキョ以来だ。木曜日は一日中パソコンに噛り付きます。でも終わりがくるのが悲しいのも事実です。
なんで人間ってこんなに情けないくらい涙が零せるんだろう。
- 65 名前:名無し読者 投稿日:2002年11月20日(水)01時23分14秒
- えぇ…(泣)
泣けますた良すぎます。
もう最後なんですか?お待ちしてます
- 66 名前:名無し読者 投稿日:2002年11月20日(水)13時45分44秒
- よしこ〜〜〜(泣き
胸が痛いですー。
今日は1日この世界観からぬけだせなそうです。
でもそれも心地よい。
素敵です。
- 67 名前:名無し読者 投稿日:2002年11月20日(水)17時27分25秒
- おわりなの?
今日半日かけて読みました。
木曜日めっちゃたのしみ。
- 68 名前:駄作屋<レス> 投稿日:2002年11月21日(木)21時37分21秒
- >>63
早々のレス、ありがとうございます。
反応がとても心配だったのですが
今回のレス第1号が好意的で、本当にホッとしました。
「大好き」は、小説にもらって一番うれしい言葉かも。
>>64
うわー、ものすごい誉め言葉で、
なんかもう照れるというか焦りますね。
ありがとうございます、本当に。
書いたものに感じてもらえることは至福です。
>>65
ホント、どうもありがとうございます。
しかし、みんな、どこで泣いてくれてるんだろ。
やっぱり吉澤さんなのかなぁ。
彼女は前回が一番書きにくかったな…。
>>66
余韻に浸ってもらえるのは、うれしいですね。
普通はエライ時間かけて書いたものでも
一瞬で消費されていくわけで、勿論それも良しですが、
長く楽しんでもらえるのは、やっぱり嬉しいです。
>>67
半日も……。
思わずスミマセンと言いそうになります。
読んでくださって、ありがとうございます。
最終話もお楽しみいただけるといいのですが。
- 69 名前:駄作屋<おわび> 投稿日:2002年11月21日(木)21時37分54秒
- 前回更新では、クライマックスだというのに誤字とか
やらかしまして、失礼しました。
今回は気をつけてはみたんですけども。
それでは、『リストラ』最終話です。
渾身のへなちょこストレートを皆様に。
- 70 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月21日(木)21時38分47秒
- 「出よっか」
悪趣味な紫のソファで、ごっちんは言った。
スピーカーからはもう次のイントロが流れ出していたのに、あたしの手を引く。
「ええ? いま出ても電車ないし暗いよ?」
深夜というべきか明け方というべきか、カラオケボックスに、あたしたちは二人だった。
「ん〜、いいじゃん。ごとー、行きたいとこあるんだよね」
口の端をきゅっと上げて笑う。
笑顔を間近に見たのは、あの川原以来のことで、あたしはそんなことで抵抗する力をなくす。
「あいっかわらずワガママだねぇ、ごっちんは」
3週間が過ぎていた。
『あいかわらず』なんて言葉はまだ早いのかもしれない。
正直なところ、あたしにはよくわからない。あの日、体が干からびそうに泣いて、その後遺症が今もひどい。食欲が失せるとか、よく眠れないとか、後遺症の症状はいくつかあって、時間感覚のズレもそのひとつだった。
あのときのごっちんの声、市井さんの声、今でもふいに耳の中に響くほど、それはもう一瞬前のことみたいで、だけど、あの夕暮れからこっち、ごっちんと話さない3週間で3年が過ぎた気もしてる。
- 71 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月21日(木)21時39分28秒
- 「なんだよー、いいもん見せようと思ったのに」
ふくれっつらになって、ごっちんはテーブルからリモコンを拾い上げる。ひょいとカバンを肩に背負って、要するにあたしがどう言おうと、ごっちんは自分の思う通りにしか動かない。ワガママ気ままは前のままで。だけど、なんだかいつも以上に頑なな感じがした。
「なに、アヤしいなぁ」
しかたなしに立ち上がりながら、さぐりを入れてみるけど、
「アヤしくないってば。ていうか、うちらでアヤしくて、どうすんの」
つい数週間前まで、あたしの腕の中にいたくせに、ごっちんは笑ってかわす。
「あはは、そらそうだ」
あたしも上手に流せる。
もともと、こういうことが得意なあたしたちだった。距離をとるのが得意で、だから、こんなことは平気。みんなの輪の中、いつのまにか帰りそこねて二人になっても、そんなのはどうってことない。たまたま3週間いっしょにいなかっただけで、別に避けてたわけじゃない。逃げてたわけじゃないのだから。
- 72 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月21日(木)21時40分11秒
- ■■■
まだ暗い街、タクシーをさがしながら交差点まで歩いた。
「あ」
ごっちんが指差した先に、写真のあたしたちがいる。CDショップのシャッターの前に立つ三角柱の看板。新曲のポスターが貼られていた。
「ごとー的には早く剥がしてほしいんだけど」
「なんでー? おいしいとこどりじゃん。自分だけ名前入ってんじゃん」
「うっさい、ムカつく!」
ごっちん不参加の新曲ポスターは、下の方にゴシック体でアーティスト名が入っている。
『モーニング娘。(後藤が欠勤)』。
「どうかと思うよ、ホント」
「でもさー」
苦労したんだよなぁ、としみじみ思い返していた。
この曲のレコーディングには、矢口さんも梨華ちゃんも尋常ならざる状態で臨んでた。あたしも自己嫌悪になるくらいの絶不調だったし、参加できなかったごっちんは、誰も知らないところできっと泣いてた。
- 73 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月21日(木)21時40分56秒
- 「忘れられない曲になりそうだよね」
ここしばらく、冗談だけで会話を成立させてたのに、つい本音が口をついて出た。
笑うかと思ったけど、ごっちんは笑わなかった。
「うん」
頷いた。
「ごとーも好きだよ、これ。よく聴いてる」
こういうタイミングで素直になる人だから、目が離せなくなる。
「自分が歌ってたら、もっと好きだったかも。あはっ」
ふと真剣な顔を見せては、すっと力を抜いてくる、独特の間の取りかたが、やっぱり『あいかわらず』だった。
『あいかわらず』だと思いたがってる自分にも、けれど、気がついている。
本当は、あたしの方で、彼女が変わるのを見たがってないこと、わかってる。
ごっちんは最近、仕草のひとつひとつが大人びて、また少し艶っぽくなった。
背伸びじゃなく、ポーズじゃなくて、大人になりかかってる感じがする。
それが誰のせいなのか、あたしはよく知ってる。
- 74 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月21日(木)21時41分38秒
- ■■■
「どうすんのさ、こんなとこで降りちゃって」
ごっちんは雑多な街の一角、古びたマンションの手前でタクシー料金を清算した。
たしか、ここから彼女の実家は近いはずだ。
「実家泊まんの?」
「ちーがうよ、上!」
ねずみ色がかった壁の前で、頬の横に人差し指を立てて見せる。
「うえ?」
「屋上あがんの! 行くよっ」
言うなり、非常階段を駆け上がり始める。
「ええ、ちょっとこれ何階あるわけ?」
「んあー、ま、気にすんなぁ」
「気にするよ!」
怒鳴りながら走り出して、走ってみると、風を感じた。たぶん吹いてはいない風、あたしが走ることで感じられる風だ。
単純な仕組みで体が昂揚していく。息が弾んで、心臓ばくばくして、体温といっしょに気持ちがあがっていく。
「おーし、ごっちん、お先っ」
- 75 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月21日(木)21時42分16秒
- 前を行ってたごっちんを抜き去る。
カンカンカン、錆びついた鉄をどんどん蹴っていく。
走るうちに何階分を上がったのか、わからなくなる。
階段の外形は正方形でも、走る軌跡は丸くなっていく。
目が回りそうで、目の前しか見えなくなって、視界は鉄錆び色で、なぜだかそれが心地いい。ぐるぐる螺旋をみるみる描いてく。
やがてその螺旋の先、屋上へ続くドアを見つけた。
申し訳みたいに小さなドアを、一息に開ける。
「勝ちぃ!」
コンクリートを踏みしめて宣言。
振り返ると、ごっちんが体を折り曲げていた。
「速すぎだって、よしこ。ごとー、息くるし」
ごろん、とコンクリートにごっちんが転がる。
「なに、自分が来たがったくせに」
言いながら、あたしも呼吸がキツくて、隣に転がった。
「あー、コンクリ、つめたい」
「つめたいね、気持ちいいや」
言い合って黙ると、お互いのまだ荒い息遣いが聞こえて、あたしたちは同時に噴き出した。
「オールの後、階段ダッシュとか、わけわかんないよ」
「あは、いーじゃん、気持ちいいし」
「いいものってこれじゃないだろうなぁ」
「あー、それはどうかな」
- 76 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月21日(木)21時42分56秒
- ごっちんは横たわったままで、屋上の真ん中の方を指差した。
あたしは仰向けになってた体をうつぶせにして、指の先を見た。
「あ?」
滑り台だった。
赤や黄色のペンキで彩色された小さな滑り台が、屋上の中央に置かれていた。
「あれが好きなんだよね」
ごっちんは、ぐんと立ち上がって、あたしに手を差し伸べる。
「へー、マンションの屋上にこんなもん、あるんだ……」
素直にごっちんの手につかまって立った。
「今、『だからどうってこともないよね』って思ったでしょ」
「え? や、そんなことは」
言いよどむあたしに、ごっちんはバレバレだよと笑って
「いいからさ、のぼって」
滑り台の頂きを目で示した。
「なんか懐かしいね、滑り台とか」
あたしは照れくさい気分で、黄色の階段に足をかけた。
のぼってみると、高さのわりには不思議な満足感がある。
小さな国の王様の気分。
「あ、気分いいかも、これ」
「へへー、でしょ? 前に友達がここ住んでてさ。教えてもらったんだよね」
- 77 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月21日(木)21時43分36秒
- 見渡す限り、さして高くないビルばかり、ごちゃごちゃと並んでいる。
汚いとは思わなかった。
そろそろ白みはじめた空の下で、その雑然とした景色が、不思議に愛しかった。
あたしが知らない人たちがたくさん、ここに生きてるんだなと思った。
そして、この街が、彼女を育てた。
空が紫がかってあんまりキレイだからだろうか、驚くほどのこともないのに、心がじんと熱くなった。
白い空の底が、少しずつ赤みを増していく。
「もうすぐだよ」とごっちんは言って、彼女が何を見せたがったのか、ようやくわかった。
太陽がその頭をビルからのぞかせたとき、あたしは、ため息をついた。
「うあ、でっけぇ………」
「うん……」
ごっちんも滑り台の脇に立って、眼差しをまっすぐ太陽に向けている。
ビルの隙間から光が射して、見る間にそれは、包み込まれるような大きな大きなものに変わっていく。
温かさを頬に感じた。
「は、すっげ……これ、なんだろ、すごいね」
「すげぇだろー」
ごっちんは、あたしを見上げて満足そうに微笑むと、太陽に近づくように、鉄柵の方へ歩いた。
- 78 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月21日(木)21時44分12秒
- 「あ、これ『バーディー』できそう」とか「おー、小学校見えるー」とか、子供みたいに柵から身を乗り出して、陽に包まれていく街を眺めている。
あたしからは、太陽の中にごっちんの背中が見えた。
まぶしさに目を細めて、それでもずっと見ていたいと思った。
あたしは今さらのように、自分こそが『あいかわらず』なんだと気がつく。
まだ変われない、終われない。もどかしいくらい足踏みしてる気持ちを自覚した。
「ごっちん」
「うん?」
ごっちんは首だけぐるんとこちらを見る。
「どうですか、最近は」
「ん〜、ちょい太った」
はぐらかしたのかと思ったけど、案外、本気で答えている。
あたしは笑いながら、滑り台を飛び降りる。
「回復ぎみっていうんでしょ、そういうのは。今までがヤバかったもん」
「あはっ、まーそうかもねぇ」
隣に並ぶ。鉄柵に肘を預けて体重をかけながら、ごっちんの横顔を覗き込んだ。
「てか、そういうことじゃなくて」
「んあ?」
「仲良くしてんの?」
- 79 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月21日(木)21時44分54秒
- 確認したかった。この人は市井さんの恋人。
確認しないと、まずそうな感じがしてた。
「あー……うん、仲、いいよ」
あたしに遠慮なんだろう、質問をほとんどオウム返しにして、言いにくそうに答える。
「なんかね、異様に食べさせられてるよ、今」
ニュアンスが外食とは違う気がした。
市井さんの部屋で、市井さんの作ったものを食べるごっちんの笑顔が、苦もなく想像できた。
「そんな食わしてどうすんだってくらい」
あたしは意地悪がしたくなって、ごっちんの体を眺め回すふりをした。
「まーそりゃ、あれだろうね。ちょっと太らせて、よりおいしくいただくっていう」
『なに言ってんの、オヤジくさいよ!』などと軽快なツッコミが入るはずだった。
実際、セリフはだいたいその通りだったのだけど、
「うーわ、オヤジくさ」
言いながらうつむくごっちんの顔はすみからすみまで真っ赤だった。
あたしが知る限り、この人は顔色ひとつ変えずにキスを仕掛けてくるような人だった。表情を仕舞いこむのが特技みたいな人だったのだ。
けれど今、あの人だけが、彼女の目も頬もすべて、演技のきかないレベルで自在にする。
- 80 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月21日(木)21時46分36秒
- 「なんだかなぁ」
「なんだよぉ」
『どんなふうに』と、考えずにいられない。
「顔赤すぎ、それ」
どんなふうに口づけてたら。
「そんなことないよ」
どんなふうに抱いてたら。
「あるよ」
どんなふうに笑いかけてたら。
「朝陽入ってきたからだって。ほら」
ごっちんは、太陽を言い訳にして邪気もなく笑った。
どんなふうに愛してたら、あたしは、この笑顔に愛してもらえたのだろう。
「あー、夜が明けるねぇ」
太陽がもう、その丸い形をすべて現そうとしていた。
「そうだねぇ…」
「ごっちんさー、今なんか言おうと思ってるでしょ」
ここへは、きっとそれを言いにきたはず。
「あは。うん、思ってた」
あっさり自白するごっちんに、あたしは、その先を断った。
「いいよ。わかったから」
何を言いたいか、手にとるように、わかってしまう。
「わかってるからさ」
『ごめんね』とか『ありがとう』とか。
それから、自惚れじゃなければ『親友でいてね』。
わかってる。あたしはちゃんと、わかっている。
「よしこ…」
冷えた鉄柵をぎゅっと握った。
手が錆び臭くなりそうだった。
空気を胸にかきこむ。
声といっしょに吐き出した。
「太陽のばかやろーーーっ!」
- 81 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月21日(木)21時48分18秒
- ごっちんは盛大に笑った。
「それ普通、夕陽にやるんじゃん?」
お腹を抱えて、呼吸さえ苦しそうだった。
「これ、ちょっと気持ちいい、マジで」
「あっはは、っかしー。近所迷惑だよ、普通に」
あたしは、なおも大きく息を吸い込んだ。
「ダーリーン! 愛してるっちゃあああ!」
「なんでラム? ねぇ、どっからラム?」
ごっちんは、珍しいくらい高い笑い声をたてる。
「ごっちんも、なんかやんなよ」
えー、と言いながらイヤそうでもない。
いっぱいに息を吸って、胸をひらいて一言。
「バルス!」
「滅びの呪文かよ、しかも短かっ」
まんまるい太陽、呆れ顔であたしたちを見ている。
「なんだよー。じゃ、よしこ、やってよ」
言われてもう一度、空気を胸いっぱいに入れる。
「この星の一等賞になりたいの卓球でオレは、そんだけっ!」
ごっちんは、耳がくすぐったくなるような笑い声をあげて、だけど
「長い長すぎ。叫びにくそうだもん、それ」
首を振って却下する。
しかたがないから、あたしはジョーカーを切る決意を固める。
「じゃあさ、こういうのは?」
「んー?」
最後だと言い聞かせる。最後だと念じて、精一杯に息を吸い込んだ。
「ごっちーーーーん!!」
- 82 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月21日(木)21時49分05秒
- ハッとごっちんの顔がこっちを向くのがわかった。
あたしはそのまま朝陽を見ていた。
目が合えば泣き出しそうで、そんなのはイヤだった。
ごっちんも、黙って正面に目線を戻していく。
ふいに、すうっと息を吸い込む音が、聞こえた。
「よしこぉーーーーっ!!」
鼓動を感じた。熱くなった。
左の胸、脈打ってるのが急に実感になった。
ごっちんの顔を見た。
紅蓮の陽を映して、息が苦しくて、それから多分ちょっと恥ずかしくて、頬は桃の花みたいに色づいていた。
「っははははははー」
あたしたちは、お互いを小突きあった。笑いあうことだけ、あたしたちにまだ、残されていた。
「アホや。アホやね」
「いや、関西弁の理由がわからないし」
ごっちん。願い事をきいてあげる。親友でそばにいるよ。
君の近くに。それがツライことだとしても。
左胸のところで、彼女に聞こえないように、あたしはつぶやく。
ごっちん、聞かないでね、言わないよ。
もう二度と言わないから聞かないで。
―――君が好き。泣きたいくらい、君が大好き。狂いそうに、君を愛してるよ。
- 83 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月21日(木)21時49分56秒
- 「こらぁっ、警察呼ぶぞ!」
非常階段からじゃなく、マンションの建物から人が飛び出してきた。
「やっべ」
住人だろう、パジャマにジャンパーを羽織った50がらみの男がこっちへ歩いてくる。
「だーから、近所迷惑ってー」
「悪かったよ。てか逃げよ、やばい」
非常階段も建物も男性側にある。
あたしは提案する。
「ごっちん、あたしもあれ見たよ」
「あれ?」
「『バーディー』」
いつか、ごっちんの部屋で見かけたビデオ。
あたしに見せたがらなかったビデオが気になってレンタルした。
鳥のような青年バーディーと、彼を助けながら彼に救われる青年アル。
見せたがらなかったのは投影してるからだと、すぐにわかった。
誰かがバーディーで誰かがアル、ごっちんはきっと、影を重ねて見ていた。
「飛べるかな」
ごっちんはデタラメな思いつきに目をキラキラさせてる。
映画のラスト、追いつめられたバーディーは屋上から鳥のように『飛』んだ。
「飛べるよ」
今だけ、あたしがアルでもいいなら、ミス・バーディー、どうか一緒に飛んでほしい。
- 84 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月21日(木)21時50分37秒
- ぐい、と両手で自分の体を柵の上へ持ち上げる。
「飛べるよね」
青春だとか、恋愛だとか。
必ず終わりが来ることがわかってるような儚いものにこそ夢中になってしまうのは、そもそもあたしたちこそが、必ず終わりを迎える儚い存在だからなんだろう。
「飛べるよ、絶対に」
生きることはもしかしたら報われない行為だと思うから、瞬間に賭けたくなる瞬間が生まれる。どこに行けるでもないのに、できるだけ遠くへ行ってみたくなる。
「うわ、手ぇ錆びだらけ」
笑いながら柵を越える。
真下は10階分―――ではなくて、実は2、3mほど下がったところ、つまり別のビルの屋上。
まだ死ぬわけにはいかない。もちろん、つかまるのもイヤだ。
あたしたちは遠くまで歩いていかなきゃならないのだから。
「ちょっと、あんたら!」
男の声が怒りより焦りに変わる。心配と迷惑かけてゴメンナサイ、振り返って小さく頭を下げた。
- 85 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月21日(木)21時51分24秒
- ビルの隙間から風が吹き上げた。
あたしたちは顔を見合わせて笑った。
震え、怯え。いろんなものを本当は持ってる。
だけど、それより強いものも、この胸にある。
合図なんかしない。必要がなかった。
まったく同じタイミング、二組の足が強くコンクリートを蹴る。
両手を高くあげて。笑い声も高くあげて。
とんだ。
鼓動がふたつ溶けそうに。体温ふたつ同じだけ熱く。
あたしたちは今、ちょうど朝陽のどまんなか。
ねえ、ごっちん、風だね光だね、太陽だよ。
お腹のあたりに感じる風、真正面から太陽。
隣に愛してる彼女の笑顔、真正面から太陽。
正面に視界いっぱいの太陽、いま。
正面に太陽。
赤いばかりの太陽。
――――― 完 ―――――
- 86 名前:駄作屋<あとがき> 投稿日:2002年11月21日(木)21時52分31秒
- 書き始めたのは終戦記念日を数日過ぎたころでした。
精神的にまずい頃のことで、
書くことでバランスをとりたがっていた気がします。
書くうちに、自分がシンプルになる感じがしました。
書くのが好き。だから書く。
いろんなことが心地よく剥がれていく気がしました。
書いてる間、ただ気持ちがよかった。
作中、いくつかの人間関係を再構築してきたつもりですが、
登場人物にとってだけでなく、作者にとっても、
これは再構築の物語でした。
自分から剥がれ落ちたいろいろの中から
大切なものだけ拾いなおしていく作業だったように思います。
振り返って、作者にとって『リストラ』は、
優れているとか秀でているとは決して思えないまでも、
心から愛しい駄作であることには違いありません。
書き終えて今、満足しています。
そして何より、この小説を読んでくれた人や、
作者に感想を伝えてくれた人に、
とても感謝しています。
伝えるべき最重要事項が一番最後になりましたが、
作者から読者の皆様へ。
ありがとうございました。
ありがとうございます、心の底から。
2002.11.21. 駄作屋
- 87 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月21日(木)21時53分23秒
- 今後しばらくは読み手にまわりたいと思いますが、
少なくともこのスレが倉庫に落ちないうちには
戻ってきて、また何か、書きたいと思います。
- 88 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月21日(木)21時54分01秒
- 『リストラ』に何か感じていただけたら、
一言でも結構ですので、ご感想をいただければ
とても嬉しいです。よろしくお願いします。
- 89 名前:名無しさん 投稿日:2002年11月21日(木)22時12分30秒
- リアルタ〜イム。
最後のシーンがなんか感動的。
遅くまで仕事してよかった....(TT)
- 90 名前:63 投稿日:2002年11月21日(木)22時17分22秒
- 感動しました。この作品にはすごくお世話になったというか、泣かされたというか。(笑)
けれど、すごくひきつけられたのも事実です。作者さん本当にありがとうございました。
自分もどっかで叫びたいな・・・(笑)
- 91 名前:名無し読者 投稿日:2002年11月21日(木)22時21分46秒
- はぁ〜なんて言ったらいいんだろう・・・そうだ完結・脱稿お疲れ様でした。
何てレスしたら良いかわからないから、この小説を読んで感じた事をだらだらと書かせてもらいます。
今回の更新だけの話をすれば、凄い自分の胸に刻まれた言葉があるんだけど、それはこれから読む人のために残しておこう。
本当に自分はCP物が嫌いだったんだけど、食わず嫌いだって事を教えてもらいました。
モーニング娘。が5年後、10年後まで続いていて、この作品を読む人がいた時、リアルタイムで俺はこの小説を読みレスをしていたんだぞ、と恥ずかしながら自分のちっぽけな自慢にさせてもらいます。
実は後藤とか後藤さんとかごっちんとか色々呼び名を変えて毎回レスしちゃいました。スレ汚しすいません。
まだ言いたい事はたくさんありすぎるけど、これから鬼のように怒涛のレスがつくと思うし、その人達が言いたいことを言ってくれると思うので自分はその思いをポケットにしまって置きます。
最後に駄作屋さんの渾身のへなちょこストレートは俺のテンプルを確実に捕らえました。もう立てません。
本当にこの小説と出会えて良かったです。ありがとうございました。
- 92 名前:名無しさん 投稿日:2002年11月21日(木)22時25分31秒
- すごくドキドキしました。それが全てです。
駄作屋さんお疲れさまでした。
- 93 名前:名無し読者 投稿日:2002年11月21日(木)22時51分26秒
- 駄作屋さん、感動をありがとうございました。
- 94 名前:名無し読者。 投稿日:2002年11月21日(木)22時59分46秒
- 作者さん、乙でした
この作品の更新が、いつも楽しみでしたよ
だから無事完結が嬉しかったり、終わっちゃって寂しかったり
これからも応援します
- 95 名前:名無し読者 投稿日:2002年11月21日(木)23時14分30秒
- 最終回の風景が目の前にまざまざと浮かんでくるようで
とてもとても綺麗でした。
よしこは本当にまっすぐで優しくて弱くてでも強い人だなあ。
そんな人になりたいと思いました。
娘さんたちに幸あれ!
本当にお疲れ様です。
素敵な作品をどうもありがとうございました。
- 96 名前:名無し読者 投稿日:2002年11月21日(木)23時43分08秒
- すばらしい作品でした。
とても感動しました。
作者さん、ごくろうさまでした。
そして、ありがとうございました。
- 97 名前:名無し読者 投稿日:2002年11月21日(木)23時43分28秒
- 完結お疲れ様でした。
あー、もうなんて感想書けばいいのか分からないくらい良かったです。
自分が吉推しのせいもあって今回更新分ではかなり泣かせていただきました。
どうでもいいことですが、いつもはROM専でこんな長文レスするのは初めてです。
内容についても色々感想を述べたい気もしますが、ネタバレになりそうなので控えておきます。
とにかく、このような素晴らしい作品に出逢えて本当に良かった。ありがとうございました。
駄作屋さんの次回作も楽しみにお待ちしております。
- 98 名前:名無し読者 投稿日:2002年11月21日(木)23時56分42秒
- この物語をいま。この瞬間。読めることに。
最大の幸福と贅沢さを感じずには、いられない。
作者さん、本当にありがとう。シンプルに、心を強く打たれました。
- 99 名前:名無し読者れす 投稿日:2002年11月22日(金)00時53分32秒
- つい、数日前に読み始めた作品ですが本当に大好きで大好きで
いっぱい涙流して読んでました。終わるのが悲しいし辛いです。
本当にお疲れ様でした。
完結させることは書きつづけることよりも難しいことだと思います。
こんなに感動出来るものをありがとうございました。
- 100 名前:名無し読者 投稿日:2002年11月22日(金)01時19分55秒
- なんだか、自分って考え過ぎだったかな?とか
いつから人を信じれなくなったんかな?とか思いながら読んでました。
まだ悩み中ではありますが、とりあえずありがとう。お疲れ様でした。
この話のよしこみたいになりてぇなぁー!!
- 101 名前:名無し読者 投稿日:2002年11月22日(金)04時52分17秒
- 脱稿乙でした。
仕事でこんな時間ですが、寝る前に感動したままベッドに入れる事が幸せです。
本当にありがとう&お疲れさまでした。
- 102 名前:名無し読者 投稿日:2002年11月22日(金)18時32分51秒
- 本当にお疲れ様でした
よしこの1人称がよけい感動させました
ごっちんの過去がわかってきた頃から毎回毎回泣いてました
よしこや時にはごっちんだったり梨華ちゃんだったり
この小説は名作です!いろいろなところにでてくる歌詞だったりたくさん感動させてもらいました
すばらしい作品をありがとうございました
- 103 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月22日(金)18時48分56秒
- >>89
まさにリアルタイムですね、早い!
遅くまでお仕事お疲れさまです。
一服の清涼剤(どこが?)になれてると
いいんですけど。
>>90
そんなに泣いていただいて、
うれしいような申し訳ないような。
作者もスカッと叫んでみたいです。
叫ぶ勇気も飛ぶ勇気もないけど。
>>91
渾身の剛速球レスをありがとうございます(笑)。
毎回レスしていただいてたんですかー。
作者のやる気のために雰囲気まで変えて。
ほとんど制作協力者ですね、もう。
大変、お世話になりました。
ありがとうございました。
>>92
ドキドキしてもらえて、うれしいです。
自分が書いたものに、知らない誰かが
何かを感じてくれるっていうのは、
書き手にとって希望の光ですね。
- 104 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月22日(金)18時49分48秒
- >>93
「感動をありがとう」って
テレビなんかで見たことはあるけど
自分が言われるとは思ってもみませんでした。
驚きつつ、うれしいです。
>>94
寂しいと言ってもらえてよかったです。
ずいぶん長くなってしまったので
とっとと終われよとか思われてそうで(笑)。
次は短編か中編か……少し休みます。
>>95
最終回はわりと文章そっちのけで
勢いを大事にしてみたので、
これで読み手に伝わるのか不安でした。
読みとってくださって、ありがとうございます。
>>96
ねぎらいのお言葉、感謝します。
他人様の感動を誘うなんて奇跡みたいなこと、
自分にできるとは思ってもみませんでした。
ありがとうございます。
>>97
この小説、石推しさん、吉推しさんから
石を投げられそうだと思ってたんですが、
許してもらえてホッとしてます。
次回作は構想すら固まってませんが、
気長にお待ちいただければ幸いです。
- 105 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月22日(金)18時50分39秒
- >>98
こういうレスをもらえる自分の方こそ
幸福と贅沢を感じています。
大切に心に刻んで、次回作への励みと
させていただきます。ありがとう。
>>99
完結は続行より難しいというのは
まったく同感。というか痛感しました(泣)。
上手に完結できたとは思えませんが、
なんとか着地できてホッとしてます。
>>100
書くことは怖いことでもあって、
無意識に他人を傷つけることも
あるわけで。この小説が誰かを
どうか傷つけませんように。
100さんのような人の悩み解消の
ほんの一助にでもなれますように。
これはもう、祈るばかりです。
>>101
これまた遅くまでお仕事、
おつかれさまです。
疲れてるのに読んでくださって
本当にありがとうございます。
>>102
吉澤一人称は書きやすかったです。
引用は上手にやらないと、反感を
買うだろうなと思ったんですが、
気に入っていただけてよかったです。
- 106 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月22日(金)18時51分57秒
- はー。こんなにレスもらえるとは
思いもしませんでした
(ていうか、読者が10名以上いるのか
どうかもあやしいと思ってた)。
皆さん、ありがとうございます。
また次もがんばりたいなぁ、と
決意だけ固めました(構想を固めろっての)。
えーと、ちょっと自サイトの宣伝を。
ttp://www.neoweb.jp/level-i/top.html
娘。関係のコンテンツは、今のところNovel内に
『リストラ』の加筆訂正版があるだけですが、
未発表のエピソードも入ってますので、
お時間のある方は一度、覗いてやってくださいませ。
ここで削るくらいですから、展開的にはなくていいもの
だったわけですが、作者はわりと好きなシーンです。
今後もここと連動しつつ、
短編など、アップしていけたらと考えています。
- 107 名前:名無し読者 投稿日:2002年11月22日(金)23時44分31秒
- よかった。すごい感動しました。
久々にリアルタイムで感動しまくった気がする。
固く心を閉ざしてたごっちんがいろいろな人と関わりあっていく中で
心を開いてく感じがすごいよかった。
本当にこの作品と出会えたことはぼくにとって幸せなことだったと
思います。ありがとうございました!
- 108 名前:名無し読者 投稿日:2002年11月23日(土)00時19分16秒
- 完結、お疲れ様でした。
うまく言葉が見つからないけど、本当に大好きな作品でした。
自分の中では、間違いなく今年度の娘。小説No.1です。
始まった当初は、よもやこのような展開になるとは予想もつかず、良い意味で
期待を裏切られっぱなしの日々でした。それだけ、駄作屋さんの文章に引き込まれ
たということです。
CP小説ではあるけど、CP小説ではない・・
>CPモノを書いてはいるけど、
>書きたいのは本当は恋愛よりも、
>恋愛してる人間のほうなのかも。
この作者さんのコメントが、全てを言い表していると実感しています。
吉澤を始め登場人物全てが、今迄のキャラクターからどこか一線を画した
深みがありましたね。
まずはゆっくり休んで下さい。よろしければまた次回作、読んでみたい
です。
- 109 名前:すなふきん 投稿日:2002年11月23日(土)14時00分51秒
- 完結お疲れさまです。
本当に楽しく読ませて頂きました。
次回作、楽しみに待ってます。
- 110 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月24日(日)00時17分08秒
- >>107
久々に主役(後藤主役、のはず、たぶん)に
ついてのレスが(笑)。
3歩進んで2歩下がるような話でしたが、
リアルタイムでおつきあい、ありがとうございました。
>>108
うあー、また光栄なお言葉をありがとうございます。
打たれ弱く、浮かれやすい作者なんで、
こういうレスもらうと次もがんばろーと思えます。
がんばったら書けるってもんでもないのが
大問題なんですけどね(涙)。
>>109
レスありがとうございます。
次作はちょっと先になりそうですけど、
すなふきんさんも執筆、がんばってください。
赤の『愛は蜜の中』、いつも楽しみに読んでますので。
- 111 名前:ポンコツろぼっと 投稿日:2002年11月24日(日)16時49分18秒
- 完結お疲れ様です。
毎回毎回の更新を心待ちにしてROMってました(w
その毎回が、息を飲むばかりで、心躍るばかりで、感服です。
次回作も楽しみにしてます。
- 112 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月25日(月)22時06分18秒
- >>111
ROMっていただいてたんですかー。
ありがとうございます。
ポンコツろぼっとさんも『DROWNING』
新スレ突入おめでとうございます
(新スレっておめでとうなのか。まぁいいや)。
執筆がんばってくださいませ。
- 113 名前:名無し読者 投稿日:2002年11月26日(火)00時03分53秒
- 等身大のよし子がすごく好きでした。
クライマックス〜最終話と、光が見えてるけどせつなくて、
コトバにならないくらい、ココのよし子とごっちんを愛おしく思いました。
最後のシーン、私の中では映像になってしっかり残ってます。
またいつか、作者さんの小説と出逢えたらイイなー。
- 114 名前:名無し読者 投稿日:2002年11月26日(火)02時07分08秒
- お疲れ様でした。
昨夜、最後まで読ませて頂きました。
自分はこの物語を宇多田さんのアルバムを聞きながら読んでいました。
気が付くと、ラストシーンで『光』が流れていました。
出来すぎなようだけど、それが余計に心を揺さぶって…不覚にも涙をこぼしてしまいました。
嫉妬するくらいの文章力をこれからも大事に目一杯披露して下さい!
- 115 名前:名無し読者 投稿日:2002年11月26日(火)17時31分42秒
- 脱稿、お疲れ様です。マジ感動しました。涙が出ました。次回作も期待してます。
- 116 名前:駄作屋 投稿日:2002年11月27日(水)19時21分04秒
- >>113
ラストを頭の中で映像にしてくださったんですね。
作者は文章を書くことしかできないので、
そういうことをやってもらえると助かります。
助かるってのも変ですけど。小説って
作者と読者の共同作業なのかもなと思いました。
>>114
ラストシーンで『光』かー。いい曲ですからねぇ。
これは、ヒッキーに感謝しなくちゃ(笑)。
嫉妬していただくほどのもんじゃないですが、
嫉妬ということは書かれてる方なんでしょうか。
執筆がんばってくださいね。
>>115
うれしいお言葉、ありがとうございますー。
次回作は頭に浮かんでは消えていく状態です。
完結できる自信につながるような、
おもしろい妄想が浮かぶのを今は待ってます。
年越えちゃうかも……すみません。
- 117 名前:名無し娘。 投稿日:2002年12月01日(日)17時20分44秒
- 知って以来、更新されるのが楽しみで、日を空けずに何度も更新されたか
チェックしてたのが懐かしく感じます。
最終回の予告が出た辺りから、大好きな物語が終わっていくのが寂しくて、
ちょうど忙しくなっていたのを理由に読まないで日を送っていました。
でもこのままだと好きな物語に何も言えないまま終わってしまいそうなので
今日最後まで読みました。
後藤と吉澤の(そして石川も)子供の恋(という言い方は嫌いだけど)も
より深い愛情に成長できたようで、まさにリストラ成功だったと勝手に納得してます。
あとラストシーンが、格好良かったです。
罪があり罰があって最後にカタルシスへ導かれると言うように、
この物語には心洗われるような感動を貰いました。
次回作が楽しみでなりません。
ありがとうございました。
- 118 名前:カム 投稿日:2002年12月02日(月)19時08分27秒
大変遅ればせながら、完結お疲れさまでした。
以前に一度、感想レスをさせてもらいましたが
読んでいるうちに、自分みたいな者がこんな凄い作品に
感想やら意見するなんて、分不相応でおこがましいと思って
ずっとROMってました。すみません。
読んでて胸が苦しくなるくらい
内臓の奥の何かをガッチリつかまれた作品でした。
本当にどうもありがとうございました、次回作も期待しています。
- 119 名前:駄作屋 投稿日:2002年12月05日(木)20時59分12秒
- >>117
ラストを誉めてくださってありがとうございます。
絵は最初から浮かんでましたが、
どう書くかはめちゃくちゃ迷ってたんで。
あれでよかったのかなとホッとしました。
>>118
小説のレスに「分不相応」なんて、やめましょうよ〜。
まして駄作屋ごときにお気遣いは無用です。
連載中、完結後とレスをいただき、うれしかったです。
次回作は、えーと…なるべく早めを心がけます。
カムさんも執筆がんばってくださいね。
もしも見てくださってたら、
企画板でこの小説に投票してくださった皆さんへ。
これぞ正真正銘の分不相応って感じですが
評価していただけて、本当にうれしかったです。
投票していただいたことも、
外で語っていただいたことも
(これはいいことでも悪いことでも
冷や汗をかきますが……)、
いい刺激になりました。
どうも、ありがとうございました。
- 120 名前:名無し読者 投稿日:2002年12月07日(土)09時12分44秒
- 某所で紹介されまして、時間を忘れ一気に読まさせて頂きました。
自分ごときが感想などをレスして良いものか迷いましたが、
一言だけお許し下さい…
感動をありがとうございました!
以上、失礼致しましました。
- 121 名前:駄作屋 投稿日:2002年12月15日(日)01時50分27秒
- >>120
一気読み&レスありがとうございます。
某所で紹介ですかー、ありがたいことです(どこだろ…)。
前にも書きましたが「感動をありがとう」は
自分なんかが言われるセリフかぁ?と思ってしまいますね。
とてもうれしいことは間違いないですが。
さて。リハビリをかねて、そろそろ次を。
とりあえず見切り発車で、とろとろ行きます。
タイトルは『edge』(エッジ)。
期待はしないでください、裏切ります。
- 122 名前:『edge』 投稿日:2002年12月15日(日)01時51分54秒
0歳であたしは生まれ、8歳で父をなくした。
10歳で母に新しい夫ができて、11歳で家をなくした。
12歳で処女を失い、13歳で人を殺した。
苦労ばかりを続けた母は去年死に、あたしもいつか死ぬだろう。
それがなるべく早ければいいと、もう長くそのことだけを考えている。
- 123 名前:『edge』 投稿日:2002年12月15日(日)01時53分09秒
ゴミ袋を8つと廃油1缶、タバコの灰を集めた缶を1つ、空いたビール樽2つ。
かなりの重量になる台車を一人で押す。
普通は二人でするはずの仕事だったが、パントリーで残り物をつまみながら噂話に興じるような連中と二人になるのはごめんだった。
ホテルのスタッフ・エリア地下2階に、ゴミ集積所はある。
薄暗い中に、冷め切らない油なのか、生ゴミなのか、湿っぽい熱を感じる。
肉の腐った匂いが立ち込めて、剥き出しのコンクリートをゴキブリが這いまわる。
静かで、それだけは気に入っていた。
いつものように、腐臭の中でタバコを吸う。
鉄錆びの色にも似た濁った赤が、ほんのひととき、この空間を彩る。
タバコをおいしいと思ったことはないけど、この時間はキライじゃない。
腕時計は短針が2の近く、長針は10を指したところだった。
2、3本吸って戻れば、だいたい2時になる。あがりだ。
- 124 名前:『edge』 投稿日:2002年12月15日(日)01時53分54秒
- 深夜のホテル配膳のバイトには、残業がまずほとんどない。
同じ配膳でも早朝や昼間は、客の入りによっては残業を頼まれることもしばしばで、そのくせ時給は深夜よりずっと安い。
あたしも最初はとりあえず昼間バイトから始めたけど、ビュッフェに来る主婦の笑い声や子供の叫び声は神経にさわって、とても続かなかった。
結局、2ヶ月ほどで深夜への契約変更を希望した。
未成年の22時以降の労働を禁じる法があるらしいことは知ってる。
それがアルバイトにも適用されるものなのかどうかは、知らない。
とりあえず、あたしには適用されてない。それだけだ。
危険度が少々増すこと、大多数の人間と同じ生活リズムがとれなくなること。
深夜の時給が破格に高い理由はこれくらいしか思いつかなかったが、危険も安全もあたしには同じくらい無意味なことだったし、人と同じリズムなど必要なかった。
ただ淡々と仕事をし、できるだけ高い給料をもらい、その金で酒を飲む。
リズムも何も、塗りつぶしたように毎日そうするだけだった。
- 125 名前:『edge』 投稿日:2002年12月15日(日)01時54分36秒
- 一服を終えて店に戻ると、他のバイトは時間より早くあがって、すでにいなかった。
今ごろ、裏のタイムカード機の前で、デジタル時計が2時を示すのを待ってるはずだ。
誰もいなくなったパントリーで、あたしはグラスにウイスキーを注ぐ。
いつもは商売物には手をつけないが、今日くらいはいいだろうと思えた。
業務用の大型製氷機から直接、氷をつまみあげて入れる。
透き通った音を立てて、氷はグラスの中を滑っていく。
休憩時間に何も食べなかったせいもあって、一口飲んだだけで、胃にしみるような感じがあった。
毎日毎晩のアルコールは、うまいのかそうじゃないのか、もうわからなくなっている。
「よかった、まだおったんやな」
裏手側の鉄扉が急に開いて、身構える間もなく、そう声をかけられた。
振り返ってあたしは、侵入者が中澤裕子だったことにホッとした。
「そっちこそ、なんでいんの?」
彼女はこのホテルの社員で、今年の春、29歳にしてこのレストランのマネージャーになっている。さっぱりした気性の持ち主で、あたしにとってはここで唯一まともに話のできる人間だった。
- 126 名前:『edge』 投稿日:2002年12月15日(日)01時55分26秒
- 「あんた、こんなとこで飲みなや」
質問には答えず、あたしの手からグラスを奪い取る。
「結婚式じゃなかったっけ」
友人の結婚式に出席するというので、今日はオフのはずだった。
「行ってきたで。2次会は出んと帰ってきたけどな。今日くらいは後藤といよか思て」
「は。何それ?」
あたしが薄く笑うと、裕ちゃんの腕が突然、あたしを抱きしめた。
「誕生日、おめでとう」
舌打ちをかろうじて止めた。
あたしの生まれた日なんかを祝ってほしくなかった。
くだらない馴れ合いみたいなことを、裕ちゃんが言うのもイヤだった。
「新手のギャグ?」
裕ちゃんはバカじゃないから、マジメぶった顔をやめて、ニヤッと笑った。
「ギャグっちゅうか、シチュエーション・プレイやね。お誕生日プレイとか」
「あはっ、意味わかんない、それ」
「部屋、用意してるから」
いつものセリフをいつもの言い方で裕ちゃんは言い、あたしから取り上げたグラスを飲み干した。
「疲れてんだけど」
「優しくしたんで。お誕生日コースで」
こういうとき、これ以上逆らうと不機嫌にさせてしまうことはわかっていた。
あたしは頷いた。
裕ちゃんがグラスを流しに置く音が、やけに大きく聞こえた。
- 127 名前:『edge』 投稿日:2002年12月15日(日)01時56分05秒
- 空き部屋があれば、裕ちゃんはフロントにいる同期に頼んで鍵をまわしてもらえる。
サーモンピンクの壁に安っぽい油絵がかかる、このホテルの下から二番目クラスの部屋。
あたしはここがゴミ捨て場よりもキライだ。
だけど、ここにいれば、少なくとも一時は何も考えなくて済む。
裕ちゃんの体があたしの上にある間は。
「17になったんやっけ」
「もういいよ、誕生日プレイとか」
「かわいないなぁ、あいかわらず」
「『あいかわらず』とか言うほど、間あいてないじゃん」
「もう2週間前やで?」
裕ちゃんは、平然と会話を続けながらあたしに触る。
鼻息荒くしてのしかかられるのはキライだから、あたしにはこれくらいがちょうどいい。
長い指が、あたしの思考を奪って、単純に全てはそれだけのことだ。
壁だけは厚いこの部屋で、感じるままに声も抑えず、従順にしていれば、悪いようにはされない。
猫を撫でるみたいに、かわいがってもらえる。
「後藤」
たまに苗字を呼ぶくらいで、うさんくさい愛の言葉など、裕ちゃんは口にしない。
あたしは言葉そのものを発しない。ただ、体で応えるだけ。
二人の体が溶けるまで続ける、シンプルな遊び。
- 128 名前:『edge』 投稿日:2002年12月15日(日)01時56分54秒
8時間の労働の後だったし、あたしは疲れ切って、終わった後もしばらくベッドに突っ伏していた。
「なんや、そんな疲れとったん?」
裕ちゃんは上半身を起こしてタバコをふかしている。
「んー、今日、混んでたしね」
いつもなら、用が済めば、すぐにシャワーを浴びて部屋を出る。
今日は立ち上がる力が残ってなかった。
「今日は朝までおったら?」
「もうちょっとしたら、帰る」
「ええから、おりーや」
意外に強い口調だった。
あたしはうつ伏せていて、裕ちゃんがどんな顔でそれを言うのかわからなかったし、わかりたくもなかった。
「なんか変だね、今日。また不倫とか?」
あたしと裕ちゃんの始まりは、1年ほど前。
裕ちゃんは、妻子ある男とつきあっていて、ある日、別れた。
不倫は噂好きな同僚から、別れたことは本人から、聞いた。
悲しそうというより悔しそうに見えて、あまり幸福な恋愛ではなかったのだろうなと思った。
その夜、仕事の後のパントリーで一緒に酒を飲んで、酔っぱらったこの人のために、フロントへ行って部屋をもらってやった。
親切のつもりはなかった。酒は飲みたかったから飲んだだけであり、その後のことは成り行きでしかない。
- 129 名前:『edge』 投稿日:2002年12月15日(日)01時57分45秒
- 部屋まで送ってやると、裕ちゃんは「優しいなぁ、後藤は優しい子やなぁ」とトンチンカンなことを言って、脈絡もなくあたしをベッドに連れ込んだ。
酔っ払いの力は強かったし、振りほどくと泣かれそうだったから、好きにさせた。
それから、月に2、3度、シンプルな遊びで時間を潰す関係が続いてる。
あたしは気分でたまに裕ちゃんの体を愛したけれど、裕ちゃんは基本的に返礼を求めない人だ。ただひたすらに抱きたがる。
『男へのコンプレックスから、自分が男になって、女を抱く行為に没頭する』かなんか、分析してみるなら、そんなところだろうか。
まるで見当外れな気もするが、なんだっていい。
ビアンでもないし、その気になれば次の男の2、3人はすぐにも用意できそうな人が、こんなことをしたがる理由など、あたしにはどのみち理解できなかった。
- 130 名前:『edge』 投稿日:2002年12月15日(日)01時58分34秒
- 「不倫やないよ」
裕ちゃんは、挑発をさらっと流して、あたしの背中に手のひらを置いた。
「もっと厄介なもんかもしれへんな」
「相談は断るよ」
あたしたちは単にたまに体をつなぐだけの関係。
これまでもそうだし、これからも。
重いものは背負いたくなかった。
「後藤にだけは相談せんわ」
裕ちゃんは鼻で笑った。
背中の手のひらが、そろそろと動き出す。
「んあ、ちょ……今日はもう」
「もっかいだけ、やらして」
体を仰向けに返されて、あたしはひとつ息を吐きながら力を抜く。
白い天井に、黄色っぽい小さな染みが見える。
あんなところに、どうやって染みができたんだろうか。
古い血の跡みたいだ、と思ったのを最後に、意識はめちゃくちゃにかき回された。
あたしは思考に蓋をして、目に瞼を下ろした。
- 131 名前:駄作屋 投稿日:2002年12月15日(日)01時59分50秒
- 短くてすみません、初回はこんなもんで。
アンリアル書くにあたって、思うところはありましたが、
後藤さんでないと話がふくらまなかったり、
そういう意味で、作者にとっては、これは必然。
読者を納得させるだけのものがないのが痛いですが。
- 132 名前:駄作屋 投稿日:2002年12月15日(日)02時00分48秒
- ちなみに。
edge:刃、はし、鋭さ、(the〜)危機
- 133 名前:駄作屋 投稿日:2002年12月15日(日)02時02分31秒
- 年内にもう一度、更新したいなと思ってます。
あ、改行ちっとも改善してないです。
すみません(すみませんばっかりだ、しょっぱなから…)。
- 134 名前:名無し 投稿日:2002年12月15日(日)03時03分57秒
- ん〜〜駄作屋さんは読者を引き込ませるのがうまいなぁ〜。
1レス目なんかみたら絶対読み込んでしまう。
また駄作屋中毒が再発しました。
毎回読ませていただきます。
1レス目で後藤さんの話かなと思った自分は病気でしょうか?
- 135 名前:名無し読者 投稿日:2002年12月15日(日)12時27分19秒
- 更新お疲れ様です。
まさか、本当に日曜日に更新してくださるとは思いませんでした。
今回の話、アンリアルのために思う所があるようですが、
形だけのリアルよりならば、特徴を捉えたアンリアルの方が感情移入が出来ます。
それでは、今回も悲しそうな話だなあと思いつつ(w 更新楽しみにしています。
- 136 名前:名無し読者 投稿日:2002年12月16日(月)16時17分03秒
- うわぁ〜、今度の新作も面白そう。
リストラは僕の中で今年のベスト作品ですし、もうすっかり作者さんの
作品の虜です。
- 137 名前:名無し読者 投稿日:2002年12月17日(火)05時22分21秒
- 新作お待ちしておりました。
他の皆さんと同じように自分ももう引き込まれてしまいました。
今作もまた身体の心に重く残る作品になりそうな予感ですね。
前作は読後しばらく引きずっていましたので…w
又駄作屋様の作品に浸れそうで嬉しいといのが正直な気持ちです。
- 138 名前:名無し読者 投稿日:2002年12月17日(火)23時47分17秒
- あ、あのスイマソ前スレと前々スレが見当たらないのですが・・
- 139 名前:駄作屋 投稿日:2002年12月18日(水)00時30分24秒
- 取り急ぎ、138さんへ。
ここの1レス目は過去スレがこの板で生きてるときに
リンクはったんで、今はデッドになっちゃってますね。
ふたつとも圧縮準備をしていただいてるんじゃないかと
思います。圧縮を待っていただくか、
自サイトにとんでいただければ幸いです。m(_ _)m
他の方へのレスは次回更新時にさせていただきます
(読んでます、ありがたいです。数日、お待ちください)。
- 140 名前:『edge』 投稿日:2002年12月19日(木)06時47分44秒
「おはよう」「おはようございます」
翌日には、社員とバイトに戻って、レジ前で当たり前の挨拶を交わす。
何もなかったのと同じに、いつも通り。
実際、あたしたちの間には何もありはしないのだし。
「今日、新しい子来るから。あんた面倒見たってな」
1年半もいると、こういう役割が多くなってくる。
「女の子入るの?」
「うん、女子高生。17時―22時な」
「また、高校生雇ったんだ。ほんとケチだね、ここ」
「そういうこと大声で言わない。職場でタメ語は使わない。後藤はホンマやんちゃやねぇ」
あたしの頭にぽんと手を置いて、裕ちゃんは機嫌が良さそうだ。
「向いてないんだよね」
あたしは裕ちゃんの手を払った。
「人にもの教えるとか、そういうの」
「吉澤にはなつかれてるみたいやん」
「別に。タメだから話しやすいんじゃん」
「おー、言うかぁ、年のことを言うかぁ」
まぜっかえして、完全に遊んでいる。
- 141 名前:『edge』 投稿日:2002年12月19日(木)06時48分30秒
- 「あたしなんかに任せて、どうなっても知らないよ」
「そういうこと、わざわざ宣言するあたり、意外とマジメやねぇ、真希ちゃんは」
『真希ちゃん』は裕ちゃんがあたしをバカにするときの二人称だ。
挑発にどんな反応を見せるかと、顔を覗いてくる無遠慮な視線。
腹が立つので、あたしは顔色を変えない。
「マジメだよ、仕事もちゃんとしてるしね。そろそろ時給あげどきかもよ」
裕ちゃんは「もうちょっと社員に従順になったら考えます」と笑って、いったんパントリーへ下がっていった。
各テーブルに置いたランプにチャッカマンで火をつけているところに戻ってくる。『新しい子』を連れていた。
「今日から夜バイトに入る高橋さん。高橋愛さんな」
「よろしくお願いします」
少し吊り気味の強い目。頭を下げた拍子に揺れたポニーテール。
頭が良さそうで、それ以上に気が強そうだ。
「高橋さん、当分、この子にいろいろ教わって。後藤真希。ここ長いし、頼りにして大丈夫やから」
「よろしく」
愛想笑いも面倒で、頭だけ軽く下げておいた。
- 142 名前:『edge』 投稿日:2002年12月19日(木)06時49分17秒
◇◇◇◇◇
「ここまでで、なんかわかんないこととかある?」
だいたいの仕事の流れを説明して、いちおう確認しておく。
「えーと、あのー」
高橋は黒目がちな瞳をくりくりっと動かした。
「後藤さんも高校生なんですか?」
仕事のことじゃなかったので、ああ、と軽く受ける。
「ううん、フリーター。高校生は、今日は入ってないけど、吉澤っていうのがいるよ。週末だけだけどね」
「へぇ、後藤さんて、若くっていうか、年より下に見えますよね。同じくらいかと思いました」
「んー、目ぇたれてるしね」
無意味に適当な言葉で軽くかわしておく。
高橋が勝手に設定したあたしの年齢は19とか20とかだろう。
高校に通ってない日本人など存在しないと思ってるのかもしれない。
- 143 名前:『edge』 投稿日:2002年12月19日(木)06時49分53秒
- 「でー、今日は」
詮索されたくないから、仕事の話に戻す。
「とりあえずバッシングやってね」
ここのバイトはだいたい、4つに役割が分かれている。
『バッシング』は空いた皿を下げる係。
『パントリー』はパントリーでドリンクを作る係。
『アテンド』は客を席へ案内する係。
『ホール』はオーダーをとり、皿を出す係。
「いっぺんにたくさん下げなくていいからね。下げるときは『ごゆっくりどうぞ』とか言うようにして」
「はい」
高橋は自前のメモに律儀に何か書きつけながら聞いている。
気が強いと言っても、この子は外より内に力が働くタイプかもなと思った。
他人がどうこうよりも自分が完璧でありたいタイプ。
高橋の性格に興味はないけど、一緒に働きやすい種類の人間が増えるのはありがたかった。
「まー気楽にやればいいよ、なんか落としても『失礼しました』とか言っとけば問題ないから。中澤さん、甘いしね」
社員はだいたいレジ・カウンターにいて、手が空いたらホールやパントリーを見まわる。あたしがやるのは、だいたいホールかアテンド。
今日は高橋のフォローをしながらアテンドに入ることにした。
- 144 名前:『edge』 投稿日:2002年12月19日(木)06時50分31秒
22時にこの店は、ビュッフェを片づけて、酒とつまみを出すバー・タイム営業に切り替わる。
その客が来たのは、もうすぐビュッフェの営業が終わる頃だった。
この時間には珍しく、ようやく歩き始めたような子供を連れている。
「3人。アラカルトで」
告げた父親の声は低くて、眉間に刻まれた皺に疲れがにじんでいた。
母親の額にかかった長い前髪が、彼女の頬に濃い影をつくっている。
最初からイヤな予感はしていた。
旅行に来ている華やかさだとか気分の昂揚だとかが、二人にはまるで見受けられなかった。
あるのは、ただ倦怠。
アラカルトのメニューを出したときも、オーダーをとりに行ったときも、ピザと飲み物を出したときも、そのテーブルには会話がなかった。
小さな男の子は子供用イスの上で、具合が悪そうだった。
気になって、ずっと横目で追っていた。
子供が辛そうにしていることに、両親は気づかない。
どうも本格的にまずいなと思った。布ナプキンを3、4枚片手にとる。
「高橋さん、ごめん、アテンド入って」
近くにいた高橋にそれだけ頼んで、あたしは足早に、温度の低そうなテーブルへ歩み寄った。
- 145 名前:『edge』 投稿日:2002年12月19日(木)06時51分09秒
- 「ね、ぼく―――」
声をかけられたことで、ホッとしたのかもしれない。
振り返った男の子は、吊り紐を断ち切られたみたいに、くたっとあたしに体を預けた。泣き出しそうな顔をしている、と思ったら、次の瞬間、本当に泣き出して、同時に食べたものを勢いよくもどした。
それはみるみる、あたしの制服の胸を濡らして、母親が息を呑むような短い悲鳴をあげる。
エントランスに近い席のことで、あたしは咄嗟に男の子を自分の体に隠すようにして抱きしめた。
男の子はなおも吐きつづけて、あたしの胸から腹をぐしょぐしょにしていった。
「ごめ、なさ……」
弱々しい声が聞こえて、あたしは抱きしめる腕に少し力をこめた。
「大丈夫だよ、泣かなくていいから」
胸の中にいる男の子の目元を先にナプキンで拭ってやった。それから口元を拭く。
つん、とすっぱい匂いが広がっていたけど、汚いとは思わなかった。ただ、男の子の吐いたものが生温かくて、男の子の体は熱くて、それが無性にやるせなかった。
- 146 名前:『edge』 投稿日:2002年12月19日(木)06時51分58秒
- 「すみませんっ、いや…どうして、どうしよう」
母親がテーブルの紙ナプキンをかき集めるが、たいして役には立たない。
「お手洗いまで、ご一緒によろしいですか? 何か着替えるものとかあったら」
「あ、今日、買い物したんで、着替え、あります」
母親がカバンを抱えて立ち上がる。
あたしは両腕にぐっと力をこめて、男の子をイスから自分の胸に引き取った。
男の子がもどしたものが、スカートにまで伝ってくる。
「すみません、あの」
「ご主人はお待ちいただけますか? 高橋さん、こちら、新しいテーブルにご案内してください」
前半を立ち上がりかけた父親に言い、後半を高橋に言った。
高橋はあたしの有り様に動揺してるみたいだったけど、それでも父親に向かって
「それでは、こちらへご案内いたします」
営業用の笑顔を見せていた。
- 147 名前:『edge』 投稿日:2002年12月19日(木)06時52分42秒
◇◇◇◇◇
「慣れない旅行で疲れてたんですかね。部屋にまっすぐ帰ればよかったんですけど、『腹が減った』ってうるさくて」
あらかた汚物を拭きとって着替えさせたら、子供は安心したのか母親の腕の中で眠ってしまった。
いいと言うのに、母親は、あたしが汚物を処理する便器の横に立って動こうとしない。疲れきって寝ついている息子を抱いたまま、夫がいかにワガママ勝手な人物であるかというようなことを、繰り返して話す。
『どうして愛しきれないくせに結婚なんか』
頭に浮かびはするが、もちろん口にはしない。
一枚、なんとか使わずにおいたナプキンでひどいことになっているシャツの胸の辺りを隠して、個室を出る。
「ほんとにごめんなさい。気持ち悪かったでしょう」
「いえ、仕事ですから」
まぎれもない本音だった。仕事でなければ、子供はともかく、こんな女には1秒たりとも関わりたくない。
仕事で微笑むのは得意だし、内心を隠して笑うのは好きだ。自分が強くなれた気がする。誰にだかはわからないけれど、ざまあみろ、といつも思う。
- 148 名前:『edge』 投稿日:2002年12月19日(木)06時53分23秒
- 「どうぞ、おだいじに」
ざまあみろ。
トイレの前、別れ際に微笑んで見せたら、母親は感激したように、また何度も頭を下げた。
安い感激。その場だけの感謝。子供が吐いた原因がなんだったのか突きつめず、居合わせたサービスマンの美談にして消化。
好きにすればいい。あたしのことは性欲の処理や、優越感のもっていきどころや、みんながいいように使う。
踏みたければ踏め。
あたしは、あたしがかわいくないのだから、痛くも痒くもありはしない。
パントリーに下がる前に、なんとなく母子を振り返った。
不運な男の子は、まだ眠りの中にいる。
目を合わせてお別れを言うはめにならなくてよかったと思った。
彼にだけは、心の中であっても、ざまあみろとは言えそうもなかった。
- 149 名前:『edge』 投稿日:2002年12月19日(木)06時54分04秒
- ◇◇◇◇◇
2時すぎ、スタッフ・エリアの奥まったところにある事務所へ、店の鍵を戻しに行く。
入口から近い机、裕ちゃんがくわえタバコでPCのキーボードを叩いている。
あたしに気づくと、もう短くなっていたタバコを灰皿に押しつけた。
「今日は大変やったね。気分わるならへんかった?」
「どうってことないよ」
「優しいなぁ、後藤はやっぱり」
にやけた顔が気に入らない。
「別に。仕事しただけ」
「よう気づいたな。高橋が言うてたけど、吐く直前にもうテーブルついてたんやって?」
「見ればわかるよ、誰でも。気づかないのはケンカに夢中な親くらいのもんじゃん」
声が尖るのが自分でわかる。
裕ちゃんはあたしが苛立ってるのに気づきながら、話をやめない。
「会計のとき、あんた着替えに行ってたから知らんやろうけど、二人並んで、あんたによろしく言って何回も頭下げていきはったわ」
「へえ……」
どうでもいいことだった。
- 150 名前:『edge』 投稿日:2002年12月19日(木)06時54分39秒
- 「また手紙かアンケートくるかもな。後藤はアンケート登場率高いしなぁ」
ホテルの仕事をしていると、ごくたまに、帰った宿泊客から感謝の手紙が届くことがある。手紙でないまでも、宿泊客から集めるアンケートに名指しで何か書かれることもある。
たまたまトラブル対処にあたることが多いせいか、あたしの名前はわりとよくアンケートに出てくる、らしい。コピーをファイルしたものがタイムカード機の横に置かれてるけど、興味がないので見たことがない。
「どうでもいいよ。それで時給あがるわけじゃないんだし」
裕ちゃんは、『時給』の二文字に苦笑いしてから、ちょっとマジメな顔をした。
「時給あがるわけでもないのに、なんで親切にするんやろうな」
イライラした。何を言いたいのか、よくわからなかった。
「親切じゃなくて仕事でしょ。時給あがらないからって仕事しないわけにいかないじゃん。なに言ってんの?」
「仕事やから、か。そう言うてしまえるんも優しさやろうね」
- 151 名前:『edge』 投稿日:2002年12月19日(木)06時55分11秒
- 昨日の夜、あたしを帰さなかったことといい、裕ちゃんはおかしい。
いつもは、こんな湿度の高いようなことを言う人じゃないのに。
違和感に焦るみたいに、あたしは口を開いていた。
「何がなんでも優しいことにしたいんだったら、それでもいいけど。あたしは人の期待とか想像にはつきあえないから。それは言っとく」
ケンカごしに宣言したけど、裕ちゃんは気にするふうもない。
「自分がどういうつもりでも、優しい行動が続いたら、それは他人から見たら、優しいんやで。『本当の自分はこうやのに、ああやのに』っていうのは、いいことでも悪いことでも、考えるだけ無意味やと思うな」
他人から優しく見える行動を続けた覚えもなかったが、なんとなく言い返す気になれなかった。たまに、こうして正論みたいなことを正面から言われると、あたしは居心地が悪くなる。
「……お先」
挨拶だけ口にして、背を向けた。
「おつかれ」
背中にやさしい声が追いかけてきて、そんなことですら、あたしには重荷だと思った。
- 152 名前:『edge』 投稿日:2002年12月19日(木)06時55分51秒
- ◇◇◇◇◇
一人の部屋に戻って、郵便受けにチラシじゃないものが入っているのを久しぶりに見つけた。
淡い緑色の封筒。『後藤真希様』の字を見ただけで、誰だかわかる。少しだけ右あがりの文字はのびのびと大らかで、書く人の性格を映している。
裏返してみると、やはり、そこに『保田圭』の名前があった。
「圭ちゃん」
あたしは封筒を額にくっつけて、目を閉じた。
最後に会ったのは、母の通夜だった。
「喪服着てると美人に見えるね」
あたしはナマイキな口をきいて笑ったけど、圭ちゃんは泣いていた。
幸薄かったあの人のために涙を流す唯一の他人を、あたしは不思議な気持ちで見ていた。
「そんなに、泣かないでよ」
気丈な人の涙を受け止めきれなくてつぶやいたら、圭ちゃんはあたしをぐっと抱いて言った。
「バカ。あんたこそ泣きなさい、泣きたいくせに。泣きなさいよ」
あたしは、やっぱり泣けなかった。
だけど、ぐしゃぐしゃの泣き顔で「泣きなさい」と繰り返す圭ちゃんが、すごくありがたいと思った。
そんなふうに素直な感情を持てたのは、ここ数年でそのときくらいだったかもしれない。
- 153 名前:『edge』 投稿日:2002年12月19日(木)06時56分32秒
- 封筒を大切に胸に抱えて、ドアを開けた。
バッグを床に落とすように置いたら、急に体の重さを感じた。
立ちくらみがひどくて、よろけながら洗面所まで歩いた。
あたしは知ってる。
こういう夜は、彼女が来る。
メイク落としを泡立てながら鏡を覗いて、やはり、そこに彼女を見つけた。
「明日香……」
あたしの背中、明日香がドアに背を預けながら立っていた。
幼さの残る顔立ち、丸みのある輪郭、やさしい笑顔、いつもと同じ。
「あの子が目を覚ましたら、やっぱり両親がケンカしてるんだろうね」
低くも高くもない声は、むしろ優しい調子で、あたしを苛む。
「しょうがないよ。子供は、親を選べないから」
あたしは誰に何をイイワケすべきなのか、わからずに、それでも、これはイイワケみたいだと自分で思った。
泡のついた両手で、乱暴に顔をこすった。
- 154 名前:『edge』 投稿日:2002年12月19日(木)06時57分19秒
- 「そうだね。真希は何も悪くないよ。できないことを頼まれてもね」
明日香はやっぱり聞いていたんだ、と思った。
あの男の子を抱えてトイレに入るとき、抱いているあたしにだけ聞こえる小さな声で、彼はうわごとを言った。
『タスケテ』
聞こえないふりをした。吐いたものを始末してやるくらいしか、あたしにできることはなかった。
あたしを取り巻く大人たちがかつてそうしたように、あたしも彼を見捨てた。
「罪悪感なんか引きずることないよ」
歌いだしそうに軽やかな調子。
水音に消されることなく、明日香の声はあたしに届く。
言葉と逆を言いたがってることは、あたしの肌が感じていた。
「引きずらないよ。そんなの、いちいち気にしてたら」
『生きていけない』を、言えなかった。目眩がひどい。
明日香は続きを知っていて、口元に笑みを浮かべながら『それで』と目で訊いてくる。
「ごめん。今日は…もう眠りたい」
無理強いはしてこないのが明日香のやりかただった。
「おやすみ」
声をあたしは倒れこんだベッドで聞いた。
明日香が穏やかにあたしを睨むのを感じながら、あたしは意識を手放した。
- 155 名前:駄作屋 投稿日:2002年12月19日(木)06時59分04秒
>>134
1レス目、どこの昼ドラだよって感じですね。
あんまり突拍子もない話にはならないように
したい、と思ってはいます。
transitionは好きだけど出来の悪い話で…
読んでいただいてありがとうございます。
ちなみにご意見ご感想その他、
いただけるとなお、喜びます。
>>135
リアル/アンリアル論議ふくめ
作者が自作に納得してればそれでよし
と考えることにしました。
とりあえず自分が好きな話を書く。
読者が気に入ってくれるかどうかは
ただもう祈るだけ。これでいきます。
>>136
ん〜、「虜」って漢字で書くと
迫力ありますねぇ(笑)。
えーと、どうか期待しないでください。
リストラを好きな人が気に入る話には
ならないかもしれません…。
>>137
ネクラな話になることは確かかも。
というか、なんか殺伐としてますね、
吉澤視点に比べて後藤視点は。
きっと作者の後藤さん観が
著しく歪んでるせいですね。
- 156 名前:駄作屋 投稿日:2002年12月19日(木)07時00分02秒
- edgeは登場人物が多くなりそうです。
書ききれるのか不安になってきた。
リストラのときもそうだったけど
結末が今現在、まったく頭にないなぁ。
なんとか、なるんだろうか。
って、無責任すぎますね。
なんとかしたいと思います。
- 157 名前:駄作屋 投稿日:2002年12月19日(木)07時00分36秒
- 次回更新は、ヘタすると年明けかも。
とりあえず12/26-1/6はここもサイトも
更新なしです。冬休み。
- 158 名前:名無し読者137 投稿日:2002年12月19日(木)07時48分32秒
- 更新お疲れ様でした。
タイトルの意味を考えながら、何度も読み返しております。
更新休み日程を頂けたので、その間前作を今度はHPのほうで堪能しようかとw
では、次回更新をお待ちしております。
- 159 名前:名無し 投稿日:2002年12月19日(木)17時42分55秒
- 銀杏と後藤さんの間に何があったんだろう?
後藤さんの未来にはどうしても過去が付いてきてしまうんですね…
駄作屋さんは後藤さんの弱い部分を書いてくれる数少ない書き手なので
個人的にとても嬉しいです。
- 160 名前:108 投稿日:2002年12月20日(金)18時21分54秒
- うぉ〜、いつの間にか新作が始まってる〜!
更新、お疲れ様です。何だか宝物を見つけた気分ですw
「リストラ」もそうでしたが、駄作屋さんの作品はタイトルが素晴らしいですね。
簡潔でいて、とても重みのある深い言葉・・
今回の「edge」もしょっぱなからググっと引き込まれました。
う〜ん、実は自分はこの「edge」って単語がすごく好きなんですよw
ギターのエッジとか、感情の鋭さとか、脈絡無くふと浮かんで来ます。
後藤視点になって、この先キャラがどう動き出すのか、楽しみにしています。
- 161 名前:タモ 投稿日:2002年12月23日(月)10時49分59秒
はい、ずっと、ずっと読んでました。
まず、『リストラ』の時の感想です。
遅くなってすいません(w
自分は、はっきりいって小説を読んで泣いた事がありません。
「なんでこれくらいで泣くのだろうか」と思ったこともあります・・。
けれど、駄作屋様の書く、後藤と、そして吉澤に。
久しぶりに僕の胸に感動というものを与えました。
恥ずかしいぐらい泣きました。いい作品をどうも有難うございます。
edgeの作品も、楽しみに読ませて頂きます。
応援しています。頑張ってください!!
- 162 名前:『edge』 投稿日:2002年12月25日(水)22時06分08秒
- 『真希へ。
17歳の誕生日、おめでとう。
出会ってもう6年かぁ。あっというまだね。
ここ1年くらいは会えてないけど、
真希のこと、よく考えるよ。
あたしが今の仕事についてるのも、
真希がいたからかもしれないなって。
面と向かっては言えないけど、
あたしはね、17年前の9月23日に感謝してる。
真希に会えて本当によかったなって思ってるよ。
いろいろ大変なことも多かったのに、
それでも優しさを失わない真希のこと、
ちょっと尊敬しちゃってるかもしれない。
あとはもっと自分のことを大切にしてくれるといいな。
17歳の1年、楽しい年にしてね。
来月、会えるのをとても楽しみにしています。
保田圭』
- 163 名前:『edge』 投稿日:2002年12月25日(水)22時07分03秒
- 誕生日の翌朝は目が覚めず、午後になって手紙を読んだ。
読み終えた手紙をたたみなおしながら、冬の子供みたいに頬が熱くなるのを感じた。
返事をしたいと思って向かった水色の便箋には、ただの一文字も書けなくて、あたしは何も書かないままのその便箋を、丸めてゴミ箱に投げた。
圭ちゃんに会いたかった。
6年前に帰って、無邪気な子供に戻って、くだらないイタズラがしたい。
「バカばっかりやって」と呆れ半分に笑われたい。
圭ちゃんが知ってるあたしに、帰れるものなら帰りたかった。
ふと明日香の気配を背に感じた気がしたけど、振り返っても埃っぽいフローリングの床が広がるだけだった。
開け放した窓から、まだ学校にあがらない子供の高い声が聞こえた。
体いっぱいで、はしゃいで叫ぶ、あどけない声。
少し冷たくなった風がそれを運び、運びながら、あたしの髪をさらう。
あたしがあの声だったことも、かつては確かにあったのだと、そう思うなり、息がしにくくなった。
夕方までに制服を洗濯しなければ。考えながら、あたしは寝床に体を預けて、寝息らしい呼吸をわざと心がけた。
やさしい真っ暗闇が、待たせずにあたしを包んだ。
- 164 名前:『edge』 投稿日:2002年12月25日(水)22時07分45秒
- ◇◇◇◇◇
22時をまわってバー・タイムに入ると、照明も抑えられて、若い客も引いていく。
視界がふっと暗くなる瞬間が好きだ。
目が休まって、気持ちが平らになる。
エントランスに立って客を待ちながら、一番近いテーブルに置かれたランプの火をぼんやり眺める。一度、炎を見つめると、視線を他へ移すのが面倒になって、自然、そこへ目をとどめてしまう。
突き上げる熱色の部分と、空気を歪ませる透明な部分。
揺れる赤色。ひしゃげる無色。
見るうちに取り込まれそうになって、それが心地よかった。
「ごっちん、おーっす」
声で、ようやく火から目を切る。
「んあ? よしこ、どしたの?」
吉澤ひとみが私服でエントランスに立っていた。
あたしをあだ名で呼ぶ数少ない人間であり、
あたしがあだ名で呼ぶ数少ない人間。
「裕ちゃんに用事? シフト表だったら新しいの、まだだよ」
「んー、いや、今日はねぇ」
よしこは自分のバッグをさぐった手を差し出した。
深い緑色の包装紙に包まれた小さな箱が、その手のひらに乗っている。
- 165 名前:『edge』 投稿日:2002年12月25日(水)22時08分35秒
- 「誕生日おめでと。一日遅れだけど」
よしこは爽やかに笑った。
あたしは苦笑いになった。
「ありがと。別にめでたくないけどさ」
「なんだよー、わざわざ言いにきたのに。かわいくないなぁ」
ふくれっつらで、あたしの手に箱を握らせる。
「昨日、来たかったんだけどさー、練習試合ハードだったから、うち帰って爆睡しちゃって」
あたしと違って、よしこはまともな高校生として生活している。
「今度のバイトのときで十分だったのに」
「ダーメだよお、こういうのは日付が大事なんだから。つって、遅れてんだけどね」
「やー、気にしないで、ほんと。ごとーの誕生日なんか別にさぁ」
昨日ここに来なかったことを、よしこが意外なくらい気にしてるみたいで、あたしはそれを気にした。あたしの誕生日なんて、うっちゃってくれればいいのに。
「だーから、せっかく来たんだから、そういうこと言わないの。ケンソンしすぎはかわいくない」
「あはっ、ケンソンて、それちょっと日本語おかしいっぽいよ」
さっぱりしてつきあいやすい彼女のことは気に入ってるけど、たぶん彼女は自分で言うほど、あたしを好きじゃない。本人も気づいてないかもしれないけれど。
- 166 名前:『edge』 投稿日:2002年12月25日(水)22時09分11秒
- たとえば、単館系の映画が好きだとか、いぶし銀とか呼ばれる選手のファンだとか。ほんの少し珍しい何かを好むふりで、自分を演出するやり方なら、何百何千通り。
「フツウ」から外れるのは怖くて、だけど人と似すぎるのもイヤ。
とりあえずアクセサリー感覚で身につけられそうなアイデンティティー、さぐってる。強そうに見える誰だって。
無口で無愛想な女と自分だけが世間話をするっていうのも、たぶん、そのひとつ。
人間のIDを示すコードがあるとしたら、あたしは、よしこのIDコード。そこに並ぶ、数字のひとつ。
人の輪のまんなかにいる人の窮屈は、あたしにも想像できるから、だから、腹を立てたりはしない。悲しくない。
あたしたちの間にある友情は、多分、90%くらいが同情でできている。
一人きりで可哀想に、とよしこが。
一人になれず気の毒に、とあたしが。
あたしたちは互いを憐れみ合って、だから残酷に笑い合える。
優しい行動を続けることが優しさだと裕ちゃんは言った。
だけど、それは多分どこか違ってる。
筋道立てて、どこがどう違うと言えないし、言わないけれど。
強くなれないあたしたちは、優しくもなれない。
そのことを、あたしは知ってる。
- 167 名前:『edge』 投稿日:2002年12月25日(水)22時09分48秒
- 「お、吉澤、どしたん?」
休憩から戻ってきた裕ちゃんが、クリアファイルでよしこの頭を軽くはたいた。
「いや、ごっちんに誕生日プレゼント渡しに」
「あれ、後藤、今日、誕生日やったんや?」
こういうところ、裕ちゃんはぬかりない。
「はい、昨日なんですけど」
あたしも間違わずに、笑顔つきの丁寧語で応じる。
「そうかぁ。じゃー、誕生日プレゼントあげとこかな」
その声が突然、笑いを含まなくなって、あたしは裕ちゃんを見やった。
裕ちゃんは一瞬でずいぶん強い眼差しになっていて、あたしは腰から背中あたりに冷たいものを感じた。
「来月から、なっち、帰ってくるで」
心拍数が上がった。
「え、安倍さん……帰ってくるんだ」
あたしは興味のないふりで、視線を下へ落とした。
なんとなく、裕ちゃんと目を合わせたくなかった。
「安倍さん?」
よしこがあたしに訊いたけど、それには裕ちゃんが答えた。
「安倍なつみって、前ここの社員やった子。ここ1年は『美月』に研修に出てたんよね」
- 168 名前:『edge』 投稿日:2002年12月25日(水)22時10分29秒
- このホテルにレストランは4つ。
メイン・ダイニングの『Lemiere』、和食の『美月』、中華の『紅龍酒家』、そして、ここ『Majolica』。
あたしがバイトに入った春、安倍なつみはMajolicaの遅番を担当していた。自分のことを『なっち』と呼び、またそれが似合うような、あどけない笑い方をする人だった。
仕事に慣れないあたしのミスを、なっちはよく庇ってくれた。
いつだったか、ケーキを運ぶ途中でトレーごと落としたとき、あたしはスミマセンを言えずにいた。謝らなくちゃと思いながら、声が出なかった。
なっちは、「落としました」と報告したきり黙りこくるあたしをじっと見て、黙ったまま、あたしの頭をぽんぽんとふたつ叩いた。気難しいパティシエのところへ一緒に謝りに行ってくれたその後で、「ごっちんの目はよくしゃべるねぇ」と愉快そうに笑った。
泣き叫んでも伝わらないことがあるのに、言葉ひとつ介さずに理解してくれる人がいた。
あたしは驚いて、なっちの横顔を盗み見た。
大げさかもしれない、だけど、名残りの翼がそこに見えた。
もしも人間が翼を失った堕天使だとするなら、なっちの背にはまだ、小さな翼が残ってる。
そんな気がした。
- 169 名前:『edge』 投稿日:2002年12月25日(水)22時11分08秒
- 異動のとき、なっちは「帰ってくるよ」と言ったけど、本当に戻れるものなのか、その辺りの仕組みはあたしにはよくわかってなかった。
寂しくはなかった。
あたしが近くにいてほしいと思う人は、誰もみんな離れていくんだと、論理じゃなく経験から、あたしは理解していた。
だけど来月、なっちが、ここに帰ってくる。
「ほんとに帰ってくるんだ……」
つぶやいたら、心臓の周りの温度が上がった。
「後藤は仲良かったし、うれしいやろ」
裕ちゃんが、自身は大してうれしくないような言い方をしたのが少し気になったけど、あたしは気づかないふりで、「はあ、まあ」と受ける。
今の顔を見られたくなくて、とっくにキレイなプラスチック製のメニューをダスターで拭った。
動揺するあたしを、冷静なあたしがどこかで見ている。
大切なネジがいくつもこぼれたままのあたしでも、こんなふうに心が動くことがあるんだ―――なんて、面白がるように、けれど不安まじりで。
- 170 名前:『edge』 投稿日:2002年12月25日(水)22時11分47秒
- 「ごっちん、今日、帰りうち来ない? お菓子とか買ってさ、誕生日っぽいこと、しようよ」
よしこが急にそんなことを言った。
「え、いいよー、遅くなるし」
長くは言わない。伝えないほうが、きっと何かとうまくいくから。
「んー、そっかぁ。じゃー今度。今度ぜったい遊ぼうね」
よしこも決して深入りはしてこない。
「うん。またねぇ」
手を小さく振り合っていつも通り、無理なく上手にあたしたちはわかれた。
よしこは賢い。
幼い頃に母親あたりから言われたであろうことを、ちゃんと守っている。
『飼えない動物は拾っちゃいけません』。
動物のほうも、きっと拾われたがってないんだと、あたしは思う。
- 171 名前:『edge』 投稿日:2002年12月25日(水)22時12分35秒
- ◇◇◇◇◇
「今日つきあえる?」
休憩に入るとき、裕ちゃんが廊下まで追いかけてきた。
「どうしたの?」
聞き返してしまう。2つ前の夜を一緒に過ごしたから、次の遊びは本当なら10日ほど先のはずだった。
「どうもせえへんけど。何も律儀に日ぃ決めんでも、ちょっと遊んでくれてもええやん」
「別にいいけど。あんまり頻繁だとお金もらうよ?」
「そら高そうやなぁ」
裕ちゃんは冷めた笑顔を見せて、あたしはそれでホッとする。
熱をはらまない遊びにしておきたかった。
そうしておけば、きっと長く遊んでいられる。
パート・タイムで体を包んでくれる熱を、あたしはまだ放したくなかった。
「そしたら、また後で」
あたしの肩を少し強くつかんだ右の手は、けれどすぐに離れていった。
振り返って背中を見ていること、裕ちゃんは知らない。
いつもこうならいいのに、と思った。
後ろを向いていてくれさえすれば、見つめていられる。
裕ちゃんが、あたしを見なければ、見つめていられるのに。
考えてしまってから、おかしなことに気がつく。
あたしは、裕ちゃんを見つめていたいんだろうか。
らしくもない。そんなのは、あたしにちっとも似合わないのに。
- 172 名前:『edge』 投稿日:2002年12月25日(水)22時13分12秒
- 更衣室で、よしこにもらった包みを解いた。
深い青色の四角。エナメルっぽい地でできたシガレット・ケースだった。
感心した。
あたしはタバコをそのまま持ち歩くけど、もしも自分で買い求めるとしても、これに近いのを選んだ気がする。
想像したよりも、よしこはあたしを知ってるのかもしれない。胸の辺り、ちょっと温もる感じでそう思った。
けれど、一瞬の後、それは冷たい感触に変わる。
ケースの蓋を開けたとき、カメラのフラッシュのような鮮烈さで、その疑問はあたしを刺した。指先が凍るような驚き。
なんで、よしこは、あたしがタバコを吸うことを知ってる―――?
- 173 名前:『edge』 投稿日:2002年12月25日(水)22時13分53秒
- 不自然だった。
ホテル内では、裕ちゃんと二人の部屋か、一人きりのゴミ捨て場でしか吸わないのに、どうして、よしこが知っているのか、わからなかった。
唯一ハッキリしてるのは、横顔を見られていたということ。
自分が見せようと思ったのと違う自分を知られているということだった。
お腹にドライアイスでも入ったら、こんな感じかもしれない。
胃の中に、おかしな温度を感じる。
誕生日プレゼントという形で、「お前を知っている」と告げてきたよしこが、急に知らない人のように思えた。
負けたくないと、何に対してなのか不明なまま、そう思って、タバコをケースに収めた。真新しいケースは更衣室の安い蛍光灯を映して、よく光った。
光を隠すように、ケースをスカートのポケットに押し込んで、よしこのことを考えそうになったけど、なんとなく、すぐにやめた。
- 174 名前:駄作屋 投稿日:2002年12月25日(水)22時14分43秒
- >>158
タイトルはイメージ優先でつけてますね、今回。
前作よりは敬遠されないタイトルになってるかなぁ。
更新しないのを責めずに、前作を読み返してくれる
なんて、ありがたくて涙が出そうです。
なるべく早い更新を心がけます。
>>159
キャスティングが卒業メンバー中心に
なっちゃってて、ちょっとどうかと思ったんですが
どうしても、このメンツでやりたかったので。
うちの後藤さん、何かと歪みがちですが
気に入っていただけると幸いでございます。
短編の感想ありがとうございます(唯一だ…)。
いやー、ゴマカしきれてないですねアレは(w
愛着はあるので、時間ができたら
書き直したいなと思ってます。
- 175 名前:駄作屋 投稿日:2002年12月25日(水)22時15分22秒
- >>160
宝物…もったいない言葉です(感涙)。
『リストラ』は私は好きなタイトルなんですが
「不吉」とか「娘がリストラされる話だと思った」とか
言われてまして、あんまり成功じゃない感じです(w
『edge』、気に入ってもらえて、うれしいです。
>>161
『リストラ』の後藤と吉澤のために
泣いてくださって、ありがとうございます。
タモさんも執筆がんばってください。
『ハロモニ大企画!』の後藤編、
楽しみにしてますので(w
- 176 名前:駄作屋 投稿日:2002年12月25日(水)22時16分50秒
- しかし、地味な話だ。
あっちとび、こっちとびでテンポ悪いし。
序盤はひたすら灰色で抑揚もないし。
主役はひねてるし。暗いし。
あ、落ち込んできた。
書いてる本人はともかく、
読む人は退屈じゃないかな、と
急に気がつきました(遅いよ)。
でも、まーもう始めちゃったんで(w、
期待せずにまったり読んでいただけると
幸いです。m(_ _)m
次回更新は1/7以降になります。
それでは、皆様、よいお年を。
- 177 名前:名無し読者 投稿日:2002年12月26日(木)00時59分03秒
- めちゃくちゃ引き込まれて、次回更新が遠く感じます(w
自分は後藤一押しなんでそれだけで充分満足なのですが、それ以上にこの作品からは
たくさんの感情が引き出されるような感覚がします。
作者さんが自分と同じ人物押しで良かった・・・とつくづく思います。
- 178 名前:名無し読者137 投稿日:2002年12月26日(木)06時33分08秒
- 更新お疲れ様でした。
てっきり年明けかと…w
やはり駄作屋様はタイトルのつけ方が絶妙だな〜と、
リストラのサブタイトルを眺めながら思いました。
先の読めない展開となおかつその世界観で惹きつける作品…
来年もどっぷりとハマらせて下さい。
駄作屋様、良いお年を!
- 179 名前:タモ 投稿日:2002年12月26日(木)10時10分06秒
いつみても、駄作屋様の作品には引き込まれます。
どんなに長くても、飽きるところは一つも無いし、
何より、表現の一つ一つがとても丁寧で綺麗です。
次回の更新も、とても楽しみにしています!
- 180 名前:名無し 投稿日:2002年12月26日(木)15時14分49秒
- 退屈で面白くないならレスなんてつきませんよ…
新しい名前が出て来る度、選択肢が増えて全く先が見えません。
後藤さんは駄作屋さんに近いのかな?
- 181 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2002年12月29日(日)00時36分11秒
- わくわくして読んでますよ。
今回、よっすいは、ただの脇役かと思っていたら、これから、深くからんで
きそうですね。
後藤さんのキャラにはまってしまっています。
更新楽しみにしています。
- 182 名前:すなふきん 投稿日:2003年01月05日(日)01時25分59秒
- ども、新作遅ればせながら読ませて貰いました。
前作同様すっかり引き込まれてます。
駄作屋さんの書く痛々しい後藤さん像は非常にツボをつかれた、と言いますか。
羨ましいと思いながら、これからも一読者として楽しみに更新待ってます。
- 183 名前:『edge』 投稿日:2003年01月07日(火)21時12分54秒
- 「こないだ、渡し損ねたんやけど」
部屋で持ち込みのワインを飲みながら、裕ちゃんが言った。
「え?」
差し出されたものは、世界的に有名なジュエリー・ブランドの紙包み。
小さな箱が入ってるみたいで、その中には時計か指輪か、とにかく値の張るものが収められているに違いなかった。
「誕生日やのに、『する』だけっていうんもな。どっちか言うたら、あたしが金払わなあかんくらいやのに、するだけして『誕生祝いです』言うのも、おかしいやん?」
「別に…お金は冗談だよ」
遠慮みたいなことを言う裕ちゃんは珍しくて、なんとなくイヤだと思った。
廊下で交わしたほんの冗談なんか、いつも通りに笑いとばしてほしかった。
「まー、とにかくプレゼントやから」
「いいよ。そんな高そうなの、もらえるわけないじゃん」
あたしはワイン・グラスの底でテーブルに円を描いた。
「もう買ってしまったもんなんやから、受け取ってよ。かっこ悪いやんか」
裕ちゃんは明るくない笑い方をして、そうされれば、あたしは包みに手を伸ばさずにいられなかった。
- 184 名前:『edge』 投稿日:2003年01月07日(火)21時13分26秒
- 「じゃぁ、うん……ありがと。なんか、悪いね」
「えらい仏頂面なさってますけど」
「んあ、そんなことないよ」
あわてて笑顔をつくったけど、『うれしいよ』とは続けられなかった。
沈黙がキツくて、しかたなく、あたしは言葉を続けた。
「なんかさぁホラ、あたしと裕ちゃんでプレゼントとかって、微妙にオカシイなって」
なんのフォローにもならなかった。
グラスをまた回す。
救急車のランプみたいに、赤い影が白いテーブルを駆けた。
「開けてみて」
「うん」
よく見かけるロゴの入った空色の箱。
中に入っていたのは、シルバーのブレスレットだった。
鎖を模したような、ごくシンプルなデザイン。
「へぇ、かっこいいね」
あたしが手にとって眺めていると、
「貸してみ、つけたるわ」
裕ちゃんの手がブレスレットを取り、それから、あたしの左腕をつかんだ。
裕ちゃんの指はあたしの手首よりずっと温度が高いみたいで、ひどく熱く感じられた。
ブレスレットは裏腹に、あくまでも冷たかった。
- 185 名前:『edge』 投稿日:2003年01月07日(火)21時14分19秒
- 腕に巻かれた銀の輪は、思ったより重みがあって、一瞬これはまるで手錠だと思った。
すぐに思い直す。まさか、そんなはずは。
縛りたいと思うほど、裕ちゃんがあたしに執着するはずがない。
「なんか、あたしにはもったいないみたいだね」
照れ笑いで言うあたしに、裕ちゃんは一瞬もおかずに応えた。
「そんなことないよ、よう似合ってるわ」
勢いこんだ言い方が裕ちゃんらしくなくて、あたしは何かをごまかそうと笑った。
「ありがとね」
留め金に指をかけながらお礼を言う。
悪いとは思いながら、早くはずしたかった。
「シャワー浴びる」
半分、ブレスレットをはずすための言い訳だった。
「箱、貸して。しまっとく」
左手にブレスレットを持って右手を伸ばしたけれど、裕ちゃんは箱を渡してくれなかった。
はずしたばかりのブレスレットをあたしの手から奪って、また、あたしの腕にあてがう。
- 186 名前:『edge』 投稿日:2003年01月07日(火)21時15分23秒
- 「シャワー浴びるんだって」
「浴びんでええ」
再び手枷のついたあたしの腕を握りこんで、ベッドへ導こうとする。
「今日けっこ忙しくて、汗かいたし」
言う間に羽布団の上へ転がされる。
「かまへんよ、後藤の汗の匂い、嫌いやないし」
「ヘンタイじゃん、それ」
真上からの鋭い目線を茶化してみたけど、裕ちゃんはその涼しげな目元から力を抜いてはくれなかった。
もう一言、軽いことを言いたかったけど、それより早く裕ちゃんの唇が降りてきた。
キスが長くて、頭がくらくらした。
唇を離すのを怖がるように、キスは途切れずに繰り返されて、角度を変えるたびに深さを増した。唇を合わせるというより、噛みつかれているような錯覚が、あたしにまといつく。
唾液が流れ込んでくるけど、裕ちゃんが深いところまで舌を伸ばしてきたせいで、うまく飲み込めなかった。
湿った音が顔の内側を通って直接、耳に響く。
キスだけで腰の辺りに痺れが走って、体の反応に自分で戸惑う。
- 187 名前:『edge』 投稿日:2003年01月07日(火)21時16分16秒
- 無理やりに体温を引き上げられた後で、ようやく呼吸を許された。
解放された唇と顎を指で拭う。どちらのものともつかない唾液が口のはしから流れていた。
「裕ちゃん、なんかあったの?」
「ないよ、後藤に欲情してるだけ」
「あはっ、かなりオカシイみたいだけど、大丈夫?」
「大丈夫やない。あたしは、もう完全にオカシイ」
まんざら冗談でもない口調で言って、裕ちゃんは本格的にあたしに体重を乗せてきた。
柔らかすぎるベッドに背中が沈んで、薄い腹の上に体が乗っかると、あたしは瓶詰めのピクルスになった気がした。
閉塞。窮屈。蓋は注意深く閉められて抜け出ることが許されない、そんな感じ。
- 188 名前:『edge』 投稿日:2003年01月07日(火)21時17分01秒
- あたしを押し込める瓶の蓋は、あたしの鎖骨をいそがしく触る。
触れる直前の舌がやけに赤かったと思い返しながら、あたしは裕ちゃんの肩を押した。
『待って』と伝えたつもりだったけど、その指先をうるさがって、裕ちゃんはあたしの手首を強く握った。
漂白しすぎて間抜けなくらい白いシーツ。
縫いつけられたあたしの手。
手がシーツにつくる青い影。
横目に見る景色はどこか残酷で、あたしは腕に力をこめた。
頬の横で、真逆を向くふたつの力がぶつかって、銀のブレスレットが、ちり、と揺れる。
鈍色の雲が体じゅうに広がった。
- 189 名前:『edge』 投稿日:2003年01月07日(火)21時18分04秒
- 「裕ちゃん、あの」
抱かれたくない。考えるより速いスピードで思った。
「ごめん、今日ちょっと」
「なに?」
たった二文字さえもが、いつもと違う響きかたをする。
ふたつの鎖骨のまんなか、くぼんだ部分に、湿った舌を感じた。
「あ、の…なんか体調、よくないみたいで」
「風邪?」
「ん、たぶん」
裕ちゃんはやさしく笑んで、あたしの頭を撫で、
「終わったら面倒みたるわ」
ささやきの終わりで、深いキスをした。
あたしの左手が浮き上がろうとして即座に押さえられ、鎖がまた小さく音を立てた。
ふつ、と肌が粟立った。
怖い。
裕ちゃんが、もう、まるでいつもの裕ちゃんじゃなくて、痛いくらいのその過熱を、あたしは怖いと思った。
あたしの濁った目の中で、裕ちゃんは、裕ちゃんの形をした恐怖になった。
- 190 名前:『edge』 投稿日:2003年01月07日(火)21時19分02秒
- 「やっ…いや……」
裕ちゃんは、あたしの声をききながら、きかずにあたしの顎から喉元、唇でなぞる。
「やめて。裕ちゃん、やめてよ」
半ば無理やりだった裕ちゃんとの最初の夜でさえ、こんなふうには言わなかった。
プライドなんてものが、もしまだ、あたしに残されてるとして、それを全部捨てても、今夜だけは止めたかった。
「裕ちゃん、ほんと今日だけ、やめて、おねがい」
あたしから裕ちゃんへ、初めて言う『おねがい』。
皮肉だと思った。
裕ちゃんの好きな、やらしい言葉を交換する遊び。そういうとき、裕ちゃんはよくこれを言わせたがり、あたしは言わなかった。
言えばよかった。こんなふうに言うことになるなら、裕ちゃんの好きな『おねがい』を、好きなだけ聞かせてあげればよかった。
そうしていたら今、少しの遠慮もなく、全力で抗えたかもしれないのに。
自分で驚くほど、強い後悔をした。
- 191 名前:『edge』 投稿日:2003年01月07日(火)21時20分10秒
- 裕ちゃんは、あたしがやめたがるからムキになるのか、まるで手を止めなかった。
「裕ちゃん。ねぇっ」
「ごめんやけど」
と、静かな調子で裕ちゃんは言った。
「やめるつもりないから」
耳を溶ろかすように言われて、あたしは望みがないと知った。
きっと、あたしが泣き叫んでも、今夜これからのことには変わりがない。
意識して、力を抜いた。
抵抗をやめれば、恋人同士の当たり前のことに見える。
レイプじゃないと思えるから。
あたしは自分が犯される様を、どうしても見たくないと思った。
だから、止めようとして裕ちゃんの腕にからめていた指を自分でほどいた。
裕ちゃんの長い指があたしを裸にしていく間、あたしはぼんやり考えていた。
どうして、あたしはこんなときも涙が出ないのだろう。
いつから、こんなにも乾涸びてしまったのだろう。
答えは見えず、かわりに頭の奥のほうで、笑い声がきこえる。
誰かの声に似ていると思って、ああ、明日香だと気がついた。
明日香の笑う声が、からからからから、いつまでも、きこえた。
- 192 名前:『edge』 投稿日:2003年01月07日(火)21時21分19秒
- 胸に触れてくる指に意識を侵されて、それでも残るわずかなどこかで、あたしは思い出していた。子供のころに好きだった遊び、そのときの景色を目の裏に描いた。
昔、住んだ家の小さな庭には、不似合いなくらい立派なサルスベリがあった。
いつだったか蜘蛛がその大きな枝に巣を張ったことがあって、あたしは毎日、庭に下りてその巣を眺めた。
キラキラの糸の交差するあちこちに、白い塊がいくつも散っていた。
蟻。あたしが投げた蟻だ。
白く輝く蜘蛛の巣に蟻を投げつけると、蜘蛛が駆け寄って糸をかける。
それが面白くて、毎日飽きもせずにいくつも投げた。
あたしは蜘蛛から遠いところを狙って投げたけど、蜘蛛はいつも迷わなかった。
蟻が怯えてもがき、糸がその震えを伝えて、蜘蛛はそれで震源をさぐりあてる。
蟻に前足をかけるなり、蜘蛛は濃い白色の糸を吐き、蟻の体をくるくるまわす。
黒い体は、あっというまに白く覆われて動かなくなる。
蟻は音もなく蟻のミイラになった。
作業が終わると、食事なのか作品の鑑賞なのか、蜘蛛はミイラにとりついて、しばらく離れない。
やがて満足そうに巣のお気に入りの場所に戻るときまで、蟻を抱いてじっとしている。
- 193 名前:『edge』 投稿日:2003年01月07日(火)21時22分12秒
- その遊びを見つけたとき、母は薄気味悪そうに眉をひそめた。
実際、「気持ち悪いわね」と口に出して言いもした。
そのときは蜘蛛のことだと思ったけれど、今にして思えば、あれはあたしのことに違いなかった。
関節が痛くなるまで脚を開かされたとき、裕ちゃんはあのときの蜘蛛だと思った。
旺盛な食欲。荒いようでスマートな作業。
「真希」
からかうときだけ使うはずの名前を、裕ちゃんは繰り返し口にする。
あたしが嫌がるのを知っていて、他の言葉のかわりに何度も。
『脚を開け』、『腰を浮かせろ』、『他に意識をやるな』、『声を抑えるな』……12回も繰り返された「真希」の全部の意味が、あたしにはわかる。
「…かったから、呼ばな、で…っ」
「真希」
「やぁッ、あっん」
「真希」
「んっ…もうやぁ…っ」
「真希」
13回目から後の意味は、わからなかった。
考えようにも考えられなかったし、考えても、きっとわからない気がした。
- 194 名前:『edge』 投稿日:2003年01月07日(火)21時23分11秒
- あたしは蟻だ。ミイラにされるだけの。乾涸びるだけの。
ヤケクソで思うわけじゃない。
だって、虫なら楽かと思うんだ。虫の心は悩まないかと、思うんだ。
「真希」
真実とか希望とか、あたしの人生にないものを、母はどうして、あたしの人生の名前にしてしまったのだろう。
真実とか希望とか、別に欲しいわけじゃないけど。
真実とか、希望とか。
真実とか、希望とか。
- 195 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月07日(火)21時24分48秒
謹賀新年(遅いってば)。
えー、のほほんと休んでる間にも他の作者さんは
更新なさってて、今ごろ「あけまして」とか
言っちゃう自分が恥ずかしいです、ごめんなさい。
とりあえず、今年もぼちぼち書いていきますんで
よろしくお願いします(何をお願いしてるやら)。
- 196 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月07日(火)21時28分13秒
- 皆さん、レスありがとうございます。
ほんと、励みになります。
>>177
おっ、後藤さんイチオシですかー。
edgeの後藤はちょっとヒネくれてますけど
ヒイキ目で(笑)見守ってやってください。
>>178
リストラのサブタイトルはどれも難産だったんですよー。
迷わなかったのは『後藤真希〜』と『戦慄の〜』くらいで。
今年もせいぜい頑張りますんでよろしくです。
>>179
タモさん、いちごま、ありがとうございました!
いやー、とっても仲良さそうな(笑)二人で。
楽しませてもらいました(ってここでレスしてどうする)。
>>180
edgeの後藤のキャラ内訳は、いいところは
現実の後藤さんから受けた印象によるもので、
ネクラなところは作者似です、たぶん。
>>181
「ただの脇役」が出てくる話があんまり好きじゃないので、
そうならないようにしたいと思ってます。
難しいですが、努力したいです。
>>182
「痛い後藤選手権」をやったら、『edge』や
『愛は蜜の中』は決勝Rに残りそうな気がします
(いっしょにしちゃってゴメンナサイ)。
かわいい子っていじめたくなりますよねぇ(w
- 197 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月07日(火)21時29分28秒
- ちょっと諸々たてこんでまして、
次回更新は遅くなりそうです。
読んでくださってる皆さんには
本当に申し訳ありません。
気長におつきあいいただければ幸いです。
- 198 名前:ラブごま 投稿日:2003年01月07日(火)22時30分11秒
- 初レスさせていただきます。ずっとROMってましたがしゃしゃる出てきました。
タイトルのせいもあるかも知れませんが、何故かこの話を読んでると鬼束嬢の歌がどこからともなく…(w
作品の退廃的な雰囲気と、例の自虐的な歌詞がどこかシンクロするのづしょうが、
いつも暗い気持ちで読みながら楽しませていただいてます。(文章があべこべだなあ)
これからどんな風に話が展開するか、非常に楽しみです!
- 199 名前:名無し読者137 投稿日:2003年01月07日(火)22時50分17秒
- 駄作屋明けましておめでとうございます。
予告通りの更新!お待ちしておりました。
今回の更新分にどんなサブタイトルがつくのか…密かな期待です!
次回更新も楽しみにかつ気長にお待ちしております。
P.S 豪邸ですよ!w
- 200 名前:名無し読者137 投稿日:2003年01月07日(火)22時53分37秒
- ぐはァ!ご挨拶に様がぬけてしまいました!
すいません。駄作屋様!m(_ _)m
- 201 名前:名無し 投稿日:2003年01月07日(火)23時11分40秒
- kissとかSEXって微妙ですよね。全て誤魔化されてる気もするし馬鹿にされてる気もするしなんか腹が立つ。
でも何かを忘れられる気持ち良さはある。さて自分は何を書いているのでしょう?
こんなレスを付けてしまって駄作屋さんを含め読者の皆様すいません。
一つ駄作屋さんに聞きたいのはあの蜘蛛の話は見たり聞いたりした話ですか?
それとも自分の経験談ですか?あの文章を見て駄作屋さんは本当に凄い書き手だと思ってしまいました。
願わくばどこからかパクった文であります様に(w
- 202 名前:川o・-・)ダメです… 投稿日:川o・-・)ダメです…
- 川o・-・)ダメです…
- 203 名前:エロ火 投稿日:2003年01月08日(水)03時14分46秒
- 本当にすいません。
- 204 名前:タモ 投稿日:2003年01月08日(水)13時09分00秒
更新お疲れ様です。
祐ちゃんこわい……(w
後藤さん、ほんとは良い子なんだとは思いますけどねー(この作品の中の後藤が)
確かにひねてるし、暗い物の考えをする時があるけれど。
そうなってしまったのも何らかの事情があるわけですし…。
これからの展開にも期待です。
あ、後藤編&いちごま(?)編読んで頂けましたか?
有難う御座います。これからも頑張ります。
- 205 名前:160 投稿日:2003年01月08日(水)15時13分09秒
- >駄作屋様
更新、お疲れ様でした。
蟻と蜘蛛の例え、思わずブルっと身震いしましたw
うまい表現ですねぇ・・溜息が出ます。
「痛い後藤さん」は何故こうもハマるんでしょうか。
優しさを抱えていることを認めない、でもどこかで何かに迷っているような
後藤さんに、今年もどっぷりハマリそうです。
次回更新、期待しております。
- 206 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月10日(金)00時59分43秒
- 皆さん、レスありがとうございます。
余談ですが、駄作屋に様はやめましょう、
似合わなさすぎです(w
レス返しは次回更新時にさせていただくとして、
今日は謝らなければならないことがあります。
この話、ただでさえ前作に比べて展開も更新も
遅いというのに、こんなときに
ついうっかり別作品を始めてしまいました。
しかも怒られたらイヤだなと思って匿名で
(うわあ、きたねえ)。
そういうわけで、こっちの進行が余計に
遅れることになりそうな次第です。
『edge』を読んでいただいてる皆さんには
本当に申し訳ありません。
- 207 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月10日(金)01時01分00秒
- ちなみに別スレは緑板の『緑の星』というやつです。
これまた嫌われちゃいそうな無茶な話で、
あんまりオススメはできませんが、
お時間のあるときに気が向くことがあれば、
読んでみてください。
もちろん、『緑の星』連載中も『edge』は
更新していくつもりです(遅れますが)。
あっちは中編になる予定で、
そう遠くないうちに完結するはずですので、
そうなったら、また、ここの更新頻度も
あげられるかと思います。
広いお心で見守っていただけますよう、
よろしくお願いいたします。m(_ _)m
- 208 名前:『edge』 投稿日:2003年01月13日(月)15時05分18秒
- 呼吸が静まるタイミングで、裕ちゃんは「ごめん」と言った。
さすがに答える気になれず、あたしは黙ってサイド・テーブルをさぐる。
シガレット・ケースの蓋を開けた。
100円ライターもテーブルの端に乗ってるのが見えたけど、あたしは気が向いて裕ちゃんに言う。
「火ぃくれる?」
裕ちゃんの手がずいぶん慌ててテーブルをさぐって、あたしは急に全部がバカげてると思った。
あたしが口をきいたことなんかにホッとしてるこの女はバカだ。
こんなバカを怖がるあたしはもっとバカだ。
「なに焦ってんの?」
「別に…早よ火ぃあげよ、て」
「そうじゃなくて。なんで今さら、こんな。今度は何、ゴーカン・プレイとか?」
予想と寸分違わない顔をする。
イージーだ、と思った。
怖かったことを認めてしまえば、すべては簡単だ。
避けられない刃なら、あえて踏みこんで受ける方が、ダメージが少ない。
- 209 名前:『edge』 投稿日:2003年01月13日(月)15時06分08秒
- 「なんでそこで痛い顔すんの、自分のしたことじゃん。てか痛いのこっちだし」
下半身に残る恥ずべき痛みは、身動きのたびにあたしを刺す。
あたしは裕ちゃんの手からライターをもぎとった。
「あたしなんかでもさぁ、無茶なやりかたされると痛いんだよ?」
何をどんなふうに言えば、どう傷がつくのか、あたしは正しく予想ができた。
「そんな焦んなくても、いくらでも好きにできるじゃん。鞭くれなくても誰が偉いのか知ってるよ」
火をつける。
ここで『生意気言うんじゃない』と殴れる人なら救いもあるのに、裕ちゃんは殴られたような顔をしていた。
「そうやって憎まれるんでもいいと思った」
煙の向こうから、声がにじんでくる。
「それで十分やと、思ってん」
タバコをあたしは吸わずにふかし続けて、だから裕ちゃんの顔が見えない。
「他の誰のことも、みんな出ていくくらい、憎まれるんでいいと思った」
裕ちゃんの声は、プールの中でしゃべってるみたいに、ほわんほわん聞こえた。
的外れすぎて大笑いしたくなった。
- 210 名前:『edge』 投稿日:2003年01月13日(月)15時07分12秒
- 「頭おかしんじゃないの、あたしに誰もいるわけないじゃん」
あたしが一人きりであることをあたしはこんなによく知ってるのに、この人はなんで、そんなことも知らないんだろうか。
いもしない誰に、この人は妬くというのだろう。
「誰にも渡したくない」
「誰もとらないって、だから」
鼻にかかった笑い方は強烈な自己嫌悪を呼び起こしたけど、あたしは半笑いの唇を開いたままにした。
裕ちゃんは間抜けなシャドー・ボクシングを続けて、その終わりに、最高に間抜けなセリフを口にした。
「好きや」
あたしは舌打ちのかわりに新しいタバコに火をつけた。
一番怖れていたセリフを、こんなにもあっさりと口に出す裕ちゃんに、むしろ腹が立った。
「いつからか、本気になってた。認めたくなかったけど、あたし…後藤のことが好きや。本気で、好きなんや」
「カンチガイはなはだしいんですけど」
あたしの言いたいことがわかるというように、裕ちゃんは深く頷いた。
「そうやね、後藤は退屈してただけやのに。カンチガイばばあやね」
自嘲ぎみに笑う顔が、あたしの神経のささくれた部分をこすった。
「勝手な納得やめてくれる? そんなこと言ってない」
- 211 名前:『edge』 投稿日:2003年01月13日(月)15時08分46秒
- ひとまわり年下のこんなガキを好きになることが滑稽だと言いたいわけじゃない。
「カンチガイっていうか、後付けでしょって言いたいだけ」
煙を浴びながら裕ちゃんは黙っている。『後付け』の意味を考えているらしかった。
「あたしを好きなわけないじゃん。カラダ気に入ってんだったら、まんま『しよう』でいいのに、なんで違う方にもってくわけ?」
「違うよ、あたしはホンマに」
「なんで知らない人間を『本気で好き』になれんの?」
「後藤のこと、知ってるよ。やさしいの、知ってる。かわいいとこあるんも知ってる」
は、と鼻から息を抜いた。
「誰それ。あたしの知らない人なんだけど」
やさしい、あたし。かわいい、あたし。
そんなのは幻だ。
あたしはやさしくないから罪を犯し、かわいくないから憎まれた。
裕ちゃんが泣きそうな顔をしているのが、おかしかった。
「裕ちゃんてさー、サドなとこあるくせに泣き虫だよねぇ」
「別に、泣いてへんよ」
「怒んなくてもいいじゃん。ごとーのこと好きなんだぁ、そっかそっか」
さらさら笑うあたしを裕ちゃんは怒るより悲しむ目で見ていた。
- 212 名前:『edge』 投稿日:2003年01月13日(月)15時10分00秒
- あたしはタバコを灰皿のふちに置いて、ベッドを抜け出した。
やけに大きいバスローブを羽織って、ワイングラスを取り上げる。
「んー、まろみが出てなかなか」
どうでもいいことで、空気そのものを茶化す。
「え、でー、なんだっけ? 好きだから、どうすんの? 別にこれまでと一緒だよね。あたし、今、特に他の人と寝てないし」
このテンションで押し流してしまいたかった。いろんなものを。
まだベッドに座り込んでいた裕ちゃんが立ち上がって近づいてくる。
顔には出さないけど、本当は少し緊張した。
背中から強く抱かれて、グラスの中のワインが揺れる。
「後藤の本気が見たい」
「あはっ、キッザだねぇ〜」
まったく間を置かずにからかって、さりげなく腕をほどこうとした。
ほどいた途端に体の向きを変えられて、一連の動作でキスがきた。
閉じたあたしの唇を、裕ちゃんの舌が何度もなぞる。
口を開けばめちゃくちゃにされそうで、あたしは初めてキスする中学生みたいに、意固地に歯を食いしばった。
- 213 名前:『edge』 投稿日:2003年01月13日(月)15時11分33秒
- やがて諦めたように離れていった唇は、すぐに強い調子で言葉を紡いだ。
「負けたくない」
「なんの話してんの? 誰と争ってんの?」
あたしには誰もいないのに。裕ちゃんはあたしのそばに誰を見てるというのか、理解できなかった。
「吉澤にもなっちにも誰にも。それから―――アスカには負けたくないな」
頭を殴られたようなショックだった。
「なんで」
言葉が続かなかった。どうして裕ちゃんが明日香を知ってるのか。
わからないながら、その名前はその響きだけであたしを追いつめた。
「この前、寝言ゆうてたで」
裕ちゃんの目の奥が暗くて、目をそらしたいと思うのに、できなかった。
「『ごめんなさい』て何回も」
「やめて、言わなくていい!」
裕ちゃんはあたしの剣幕に一端は黙って、それからため息をついた。
「後藤にも、動揺せずにはいられへん名前があるんやな」
あたしは裕ちゃんを睨みつけた。
「ひとつ、ふたつくらいはあるかもね。裕ちゃんだって、あのナントカ言うおじさんの」
言いかけて、これは言い過ぎかもしれないと思って、やめる。
- 214 名前:『edge』 投稿日:2003年01月13日(月)15時13分10秒
- 意外にも、裕ちゃんは笑った。
「あんた、ホンマにあたしの告白、まるっきり信じてないんやな。あたしの動揺する名前なんか、決まってるやんか」
今度は正面から抱きしめられる。
「後藤真希」
耳元のささやきと同時に、バスローブの合わせ目から手が入ってきて、だから、あたしはもちろん信じたりはしなかった。
「契約、しようか」
あたしは裕ちゃんを冷ややかに見て言った。
「契約?」
裕ちゃんの手があたしの肌の上を滑る。
「こーゆ、こと、するの、今後はお金もらう。だって、あんまり無茶されたら、仕事に響くしね」
裕ちゃんはくすくす笑った。
「仕事熱心やねんね」
明らかに、途中から裕ちゃんは態度を変えてきていて、純愛路線に吐き気を感じるあたしとしては、こっちの方が相手にしやすかった。
「あたしの本気って、金稼ぐことだからさ。お金、欲しいんだよね、できるだけ多く」
数少ない本音。
あたしには金が必要だ。酒を飲む金と、それから。
- 215 名前:『edge』 投稿日:2003年01月13日(月)15時15分28秒
- 裕ちゃんもあたしの声に本音を聞き取ったのか、ふと半笑いをやめた。
「ふうん。そしたら結んでもいいけど、愛人契約」
「けど?」
「仕事であるからには、演技してもらうで。あからさまに『契約です』みたいな顔されたら、おもんないやん?」
ぐ、と頬を挟み込まれる。
あたしは微笑む。
「もちろん。もらう以上の仕事はするよ。衣装とか着てほしかったら着るし」
そういう趣味はないらしい裕ちゃんは、あっさり笑って、すぐに笑うのをやめた。
あたしから目をそらしながら言う。
「たとえば、あたしを好きそうな、そういう演技もできる?」
声があたしにわかるくらい弱くて、あたしは胃が重くなるのを感じた。
他にどうしようもなくて、目の前にあった裕ちゃんの唇に自分の唇を重ねる。
「それは演技しなくても大丈夫」
眉間に皺を刻んだ裕ちゃんに笑いかけて、ささやいた。
「好きだよ、裕ちゃん」
半分が本当で半分が嘘。
演技かどうかと言われたら、それはやっぱり演技だった。
- 216 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月13日(月)15時17分20秒
- 短いけど更新。
レスありがとうございます。
>>198 ラブごまさん
鬼束さんだと「あたしの放った矢は〜♪」てやつが好きです。
この話には彼女の歌ほどの迫力はないと思いますが
いろんな感じ方をしてもらえるの、すごくうれしいです。
>>199-200 名無し読者137さん
駄作屋に様はフツウに要らないと思います(w
前回更新分はちょっとリズムの悪いとこもあったし
リライトしてからサブタイトル考えようかと思ってます。
>>201-203 エロ火さん
蟻と蜘蛛は作者の小学生時の思い出です…。
あのー、作者の人格がどうあれ、
作品はそんなひどくないかもしれないし。
やっぱり、ひどいかもしれないけど(泣)。
>>204 タモさん
前回の裕ちゃんは感じ悪かったですねぇ。
今回は後藤がわりと感じ悪いです。
常に誰かが感じ悪い話、それがedge……。
>>205 160さん
蟻と蜘蛛、気に入っていただけてよかったです。
作者もこのモチーフ好きで、ここから
新しい話を作ってしまったほどでして(w
- 217 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月13日(月)15時19分50秒
- えーと、別スレが佳境に入ってきてまして。
とりあえず、ひとつめのヤマまで
ががっと書いてしまいたいので、
こっちはヤマも来ないままに(泣)、
2週間ほど、お休みにしようかと。
- 218 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月13日(月)15時21分59秒
- edgeは緑よりは時間かけてじっくり書いていて、
緑は文章どうのより勢いを大事に書いていて。
ので、どうしても更新頻度に差が出てしまいます。
作者がどっちを好きとかいうことではなくて。
こっちを読んでくださってる方には恐縮ですが、
見捨てずにお待ちいただけると、とてもうれしいです。
- 219 名前:エロ火 投稿日:2003年01月13日(月)16時49分08秒
- 怖いなぁ〜駄作屋さんの話は本当に怖い。
何が怖いって読んでる内にどんどん主観的に成ってしまうのが怖い。
優しくされないのも怖いけど優しくされ過ぎるのも怖いんだよなぁ。
無いもの強請りなんだよな。こんな僕は情けない男。
次からのレスは此方側の一方的な都合により名無し読者でさせて頂きます。
- 220 名前:ラブごま 投稿日:2003年01月13日(月)18時10分20秒
- 両作品ともとても楽しみにしていますので、更新頻度は全く気にせずマターリ
待たせていただきます。
アスカのことがとても気になって仕方ないのですけどね…(w
- 221 名前:きいろ 投稿日:2003年01月13日(月)18時28分33秒
あちらの方の作品も、毎回楽しみに読んでいます。
こちらの更新、有難う御座いました!!
駄作屋さんのペースでいいので、マターリ進めてください。
応援しています。頑張ってください!
- 222 名前:205 投稿日:2003年01月13日(月)23時02分43秒
- 更新、お疲れ様です。
>常に誰かが感じ悪い話
タイトルの「edge」に、少しずつですが展開がハマって来た感じがして
います。うっすらとなんですが、自分の印象として思いました。
後藤さんの生き方は、鋭い刃物の上をヤジロベエのようにフラフラしな
がら歩いている・・
どこを歩いても結局は危ない橋で、本当の安息の場所が無いような・・
何だかふとそう思いました。
更新速度は気にしておりませんので、まったりお待ちしています。
- 223 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2003年01月15日(水)10時35分17秒
- 一見、ダークな展開の中に、見え隠れするピュアさに
心惹かれます。
- 224 名前:名無し読者 投稿日:2003年01月17日(金)00時08分52秒
- 貴方の作品を読むたび、読み返すたび、様々な感情が去来します。
誰のために、何のために、文章を書くのか、もし答えがあるとしたら
それは見ず知らずの人間の心をここまで震わせる、ということ。
貴方の文が、好きです。
- 225 名前:名無し読者。 投稿日:2003年01月17日(金)02時11分59秒
- ごまゆう、興味なかったハズなのにな。
駄作屋さんのだとオモシロイ。
不思議だ…。
- 226 名前:『edge』 投稿日:2003年01月30日(木)21時10分09秒
- 「おはよー」
時間ギリギリにホールに出た途端、よしこの声があたしを迎える。
「んあ、おはよ」
夕方17時の「おはよう」の挨拶を返して、視線は目より低いところに合わせておく。
よしこと会うのは、誕生日の翌日以来で、3日ぶりだ。
あの物言いたげなプレゼントに、あたしはリアクションをとらずにいた。
半分、めんどくさくて、もう半分は怖くて、なんの言葉も返せないままだった。
「今日、試合どうだった?」
場をつなぐために、あたしは彼女が所属する高校バレー部の試合結果に話をふる。
「勝ったよー、ストレートで。決定率5割超えたかも」
「おお、なんかわかんないけどカッコいいねぇ」
「わかんないんかい」
よしこのチョップを食らって笑いながら、あたしは内心ホッとした。
薄くて軽くて楽な会話。守りたいものを、これ以上奪われたくなかった。
- 227 名前:『edge』 投稿日:2003年01月30日(木)21時11分03秒
- そんな思いがあったせいで、あたしは少し焦っていたのかもしれない。
「あはっ、やー、でもスゴイじゃん。よしこ、1年生でベストなんとかだもんね」
「ベスト6」
「そう、それ。この広い全国の6人だもん、すごいよ」
「いや、すごかないけど」
「なんで、すごいじゃん。1年生は1人だけだったんでしょ?」
よしこのバレーは全国クラスだ。半年前は春のナントカいう大会で1年生ながらベスト・メンバーに選ばれている。
「そうだけど、学年なんか別に」
「なに、ケンソン珍しいじゃん」
きっと、あたしが調子に乗りすぎた。よしこの肩に軽く触れた。
「今年はMVPとか狙ってんじゃないのー?」
よしこは短く言い放った。
「うるさい」
いっそ鮮やかなほどに突然だった。
熱い油が撥ねたときのように、あたしは手を引いて、一瞬、呼吸を止めた。
そうやって気配を隠したくなるほどに、ざらついた響きはあたしを不安にさせた。
これまでよしこは、まったりと低い声か、そうでなければ、はしゃいで上ずった声しか、あたしに聞かせてこなかった。それ以外の声を聞くことがあるなんて、あたしは想像もせずにいた。
- 228 名前:『edge』 投稿日:2003年01月30日(木)21時11分56秒
- 「ごっちんてさ、けっこー失礼だよね」
よしこは事実を確認する言い方でそう言った。
「………え?」
「言われてること、わかんない? じゃー無神経でもあるんだ」
「あー……ごめん。無神経なんだと思うけど、ちょっとわかんないかも。ごとー、なんか」
「教えない」
悪いことをしたか、とあたしが尋ねるより早く、よしこはぴしゃりと言った。
人をさえぎるような言い方も、その鋭さも、あたしが初めて見るものだった。
「……あは、困ったな。あたし鈍くて、なんか…ごめんね?」
あたしは、引きちぎられた何かを、とりあえず繋ごうとしていた。
けれど、よしこはそれを許さなかった。
「嘘つき」
何が『嘘つき』なのかは、わからなかった。
わからないのに、わからないからなのか、心臓に染みができた気がした。
傷とは違う。痛みじゃない。
けれど、漠然と落ち着かない何かを、心臓の下側に感じた。
「よしこ―――」
聞き返そうとしたけど、
「何しとんの、自分ら。吉澤ー、料理、そろそろ火ぃ入れといて」
裕ちゃんがレジから出てきて、ホールの隅にかたまるあたしたちを分けた。
「はーい」
よしこは、ごく素直に返事をして仕事に戻っていった。
- 229 名前:『edge』 投稿日:2003年01月30日(木)21時12分31秒
- よしこが大皿の下のアルコール・ランプに火をつけていく。
なんとなく見ていたら、裕ちゃんに顔を覗き込まれた。
「どうかしたん?」
「え? ううん」
「そうやったらいいけど。なんか顔色悪いで?」
「んあ、もとからこんなだよ」
「無理せんときや。アテンドもう一人、高橋じゃない方がええかな。誰か慣れた子と組むか?」
バイト初日から子供の嘔吐というハプニングにそれなりの対応を見せた高橋を、裕ちゃんは気に入っているらしい。継続的にあたしが教育にあたるようにシフトを組んでいるし、何かと名前を口にする。
「あたしは別に誰でも。けど高橋、料理まだやってないと思うし、よしこに教わっとく方がいいんじゃん?」
「ほほお、さすが後藤やね」
「なに?」
「高橋の教育のこと考えて、偉いやんか。確かに料理やったら吉澤が気が利くし、あの子と一緒にやらせるのがいいわ」
「別にそこまで考えてないよ」
「そんな照れんでもいいやん」
- 230 名前:『edge』 投稿日:2003年01月30日(木)21時13分05秒
- 「バカじゃないの」
即、否定した。
『人類みな、お人好し』症候群とでも呼びたくなるような、裕ちゃんの人のいい考え方が、時にあたしを苛つかせる。
「あのさぁ、あたし、高橋ってキライなんだよね。ぶっちゃけ教育係とか―――」
裕ちゃんの目があたしに何かを伝えようと忙しく動いて、あたしはそれで咄嗟に口をつぐんだ。
「おはようございます」
よく通る声が背中に響いた。
他のバイトの間延びした挨拶と違って、高橋の声はいつも明瞭だ。
それは正しさや誠実さを感じさせて、あたしを少し憂鬱にさせる。
「おはよ」
とりあえず挨拶を返しながら振り返る。
聞かれたかと思ったけど、高橋はいつも通りの笑顔でそこに立っていた。
「今日は何やればいいですか?」
「卓番はもう覚えた?」
大抵のレストランでは、客席に番号を振って、オーダーの整理をしている。
ここも例外ではない。4番と9番をのぞく番号を端から順に振ってある。
ちなみに4番といったらトイレ、9番といったら休憩を表す。客前で言わなければいいだけの話で、わざわざ暗号化する必要を感じないが、これも割合、どこのレストランでも慣習になっているらしい。
- 231 名前:『edge』 投稿日:2003年01月30日(木)21時13分39秒
- 「はい、大丈夫です」
笑顔で言い切る。こういうところは楽でいい。
ほとんどの新人バイトは『仕事を覚えたか』の質問に『えー、いちおう』とか『たぶん、だいたいは』とか答える。
『覚えました』と答えて失敗するのがイヤなのだろうが、曖昧に答えられたんじゃ、こっちは仕事の振りようがない。
「そう。じゃー今日はアテンドやってくれる?」
裕ちゃんがレジを開けていた手を止めて、顔を上げた。
あたしは目線ひとつさえ、やらない。
高橋がキライなら遠ざければいい、料理係の仕事を覚えさせるという大義名分もあるのだから。さっきまでは実際、そうするつもりだった。
気が変わった理由は、あたし自身にもよくわからない。わからないことこそが狙いだからだ。
あたしは『わかられる』のがイヤだった。それが、たとえ裕ちゃんであっても。たかが新人バイトに関することであっても。
あたしのことは、誰にも、何も、わかってほしくなかった。
- 232 名前:『edge』 投稿日:2003年01月30日(木)21時16分09秒
- ◇◇◇◇◇
「今日は落ち着いてますね」
レジ横で、なかなか現れない客を待ちながら高橋が言う。
「そうだね、土曜にしては出足遅いかも。早めに休憩とってもいいよ?」
同じ係内での休憩の割り振りは、あたしがしていいことになっていた。
「後藤さんも一緒に、とかダメですか?」
こういうところが苦手なのだ。どうして、あたしに近づいてくるのかわからなくて気味が悪い。
「それは無理かな。高橋が休憩行ったら、アテンド一人だからさ。ちょっと長めにとっていいから、先、行っておいでよ」
「そうですか」
心なし、残念そうに言う。
なかなか立ち去らないので、視線で『何か用か』と問いかける。
「後藤さんて」
話すときにこちらの目をじっと見てくるこの癖も苦手だった。
「わたしとひとつしか違わないのに、なんか、すご…大人っぽいですよね」
高橋はいつのまにか、あたしの正確な年齢を知っているようだった。こういうことはいつも、あたしが言わなくてもどこからか新人に伝わる。中卒は珍しいから話題にして面白いのかもしれない。
「んあ、自分じゃ別にそうは思わないけど」
「なんか大人だなぁって、見てて思って」
「あは、それは絶対、気のせい」
- 233 名前:『edge』 投稿日:2003年01月30日(木)21時17分07秒
- 高校生くらいって、どうしてこうなんだろう、とそれこそ『大人』みたいなことを胸のうちで思った。
なんだって『大人』だ『子供』だと言いたがるんだろう。17歳は17歳でしかなくて、16歳は16歳より大人にも子供にもなれっこないのに。
ガキがガキどうしで、アイツは子供だとバカにしたり、あの人は大人だと変に憧れたり。都合よく子供ぶって甘えたり、大人の真似でずるしたり。
そんな『大人子供ごっこ』がうっとうしいから、それでなくても、あたしは中学生以上の学生が嫌いだった。
もっともそれは、本当は同族嫌悪にすぎないのかもしれないけど。
奥歯を噛みあわせながら、表面に笑顔を作る。
それでバレないつもりだったけど、ふいに高橋があたしに近づいて、あたしはそれが少し怖かった。自然に一歩、足を引いた。
引いた瞬間、その言葉はあっさりと耳に届けられた。
「わたしは、後藤さん好きですよ?」
- 234 名前:『edge』 投稿日:2003年01月30日(木)21時17分51秒
- 「えっ…――――」
高橋の真意を、咄嗟にその瞳に探した。
けれど、目が合ったのはほんの一瞬のことで、あたしが何か言うより早く、高橋は悠然とバックヤードへ歩き去った。
やられた、と思った。
『わたしは』の『は』がかすかに強く耳に残る。
裕ちゃんとの会話を聞かれていたのに違いなかった。
あのときムキになった自分に、今さらながら舌打ちしたくなる。
それにしたって、高橋の演技力は『普通』じゃない。
他人が自分に向けるマイナスの感情。それを一瞬のうちに笑顔で飲み下す図太さは、あたしが彼女に抱いていたイメージを一変させるのに十分だった。
あれは『普通』の優等生なんかではありえない。
「いらっしゃいませ、2名様でいらっしゃいますか?」
慇懃な笑みを顔にはりつけながら、あたしは全身で感じていた。
自分を取り巻く環境が、また穏やかならぬものになりつつあることを。
「窓側のお席でよろしいですか?」
横切ったホールで、よしことすれ違う。
いつもなら、すれ違いざまに笑いかけてくるのに、今日はあたしに焦点を合わせることすらしてこなかった。
- 235 名前:『edge』 投稿日:2003年01月30日(木)21時18分32秒
- あたしの荒野には何もない。森の緑も、海の青も、すべてがない。
なのに、また誰かが何かを探しにやってくる。
あるはずもない何かを探して、荒れた地をさらに踏み荒らしていく。
『明日香』
瞳の裏側で呼んだ。
こういうときに呼ぶ筋合いの名前ではないはずなのに。
図々しいと思いながら、あたしはやめなかった。
『明日香。光も雨も要らない、静寂が欲しい』
明日香はこんなときには絶対に会いに来ることはない。
あたしが望むときに現れたりはしないのだ。
わかっているから、安心して、あたしは呼びつづける。
『明日香。静かな暗闇の砂漠で十分だと思うのは―――』
「喫煙席でしたら、すぐにご用意できますが」
『それすら、あたしには贅沢なのかな』
「15分から20分ほどかと…そうですか、申し訳ございません」
強い目眩を感じた。
視界が写真のネガになる。
光の白と、影の赤黒い色。風景が2色きりに歪められる。
日に数限りなく訪れる、立ちくらみのときのこの景色は、あたしにとって、何万色の世界よりも落ち着く場所になっていた。
『明日香。狂うことが、もしもあたしに許されるなら―――』
「お客様は4名様ですか?」
『あたしは、あなたを忘れたい』
- 236 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月30日(木)21時19分50秒
前回更新時にお知らせしたより更新が遅れました。
読んでくださってる方には、申し訳ありませんでした。
>>219 エロ火さん
言われてうれしい「怖い」でした、ありがとう。
作者の人格うんぬんは自分自身に言ってます、
深読みしすぎだってば(笑)。
>>220 ラブごまさん
嘘はつくわ、更新トロイわ、謎は放り出してあるわ…。
困った作者ですみません(泣)。
今後もまったりでよろしくです。
>>221 きいろさん
どっちも放置はしても(おいこら)
放棄は絶対にしませんので
今後もまったり読んでやってください。
- 237 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月30日(木)21時20分33秒
- >>222 205さん
タイトルのイメージが意図通りに
伝わったみたいで、うれしいです。
THE殺伐。いや、そのうち、なんとか。はい。
>>223 名無し募集中。。。さん
登場人物どいつもこいつも黒い感じですけど、
温かい目で見ていただいているようで
ありがたいです。ピュアなところも、そのうちには。
>>224 名無し読者さん
WebLogも読んでくださってる方なのかな。
とてもありがたいタイミングで
やさしいレスをありがとうございました。深く感謝。
>>225 名無し読者。さん
そう言っていただけると、うれしいですね。
ゆうごま、CP投票で需要がないのは
わかってたんですけどね。好きなんです(笑)。
- 238 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月30日(木)21時21分24秒
- 暮らしが若干あわただしくなったのと、
もう1本の話をちゃっちゃと進めたい気分なのとで、
『edge』は割を食っちゃってます。
書きたい気持ちは、始めたときと変わらないんですが、
なかなか事情が許さず。
いつもお願いしてて恐縮なんですけども、
気長にお待ちいただけると、うれしいです。
ヘタレですみません。
- 239 名前:名無し読者 投稿日:2003年01月30日(木)21時52分42秒
- 「わたしは、後藤さん〜の文には参った。
大嫌いな奴に面と向かって『お前むかつくな』と言った時全く同じ返し方をされた経験があります。
あの時は本当に怖くなって、自分の中で整理できずに
あの人は『天才』なんだと訳のわからない言葉一つで曖昧に片付けていました。
あの言葉ほど恐ろしい言葉は無いよ。
- 240 名前:ラブごま 投稿日:2003年01月31日(金)22時52分38秒
- 一体「普通の人間」ってどんな人を指すんだろうと考えて、ここの小説の世界観に
どっぷり浸かってしまっていることに気付きました(w
少しずつ鍍金が剥がれてきた登場人物それぞれが気になって仕方ありません。
- 241 名前:きいろ 投稿日:2003年02月01日(土)09時59分03秒
- 高橋の言葉にはまいりました。
吉澤の態度が気になります。
段々皆さんの本性が露になってきましたなぁ〜
これからも、楽しみにまってます。頑張ってください!
- 242 名前:駄作屋 投稿日:2003年02月12日(水)20時13分41秒
- 更新遅れてます。ごめんなさい。
来週末あたりには更新できるといいなぁ、
とは思ってます(予告になってねぇ)。
- 243 名前:駄作屋 投稿日:2003年02月23日(日)22時56分55秒
- 「吉澤ー、これ出してー」
「はーいっ」
「はい、こっちもー。よっ、力持ち」
「はは、もらいまーす!」
ステンレスのカウンターごし、厨房とぽんぽん言葉を交わして、よしこは寸胴を難なく持ち上げる。寸胴はスープがなみなみ入って熱い上に、持ち手がないから運びにくいのだが、よしこの動作には、危なげなところがひとつもない。
よしこは、週末しか来ないバイトだが、来れば基本的にビュッフェの料理を任される。
厨房にウケがいいからだ。
ビュッフェの温かい料理は、一度ホールに出れば、アルコール・ランプの火にかかりっぱなしになる。ランプの火が消えてないか、しばらく客が触らなかった皿なんかは干乾びたりしてないか、よしこは注意深く見回る。料理を切らさないことだけじゃなく、料理をいい状態で客に食べさせることを考えている。
- 244 名前:駄作屋 投稿日:2003年02月23日(日)22時57分40秒
- だから、気難しい人間が多い厨房からも、よしこの悪口だけは聞かれない。
よしこの顔がかわいいからだと揶揄するバイトもいるけれど、厨房の連中もよしこも、そんなことは気にしたふうもない。
一度だけ、従業員食堂で隣に座った若いコックが何かの拍子に言った。
「作ったもんを大切にしてもらえると、まぁ、悪い気はしねぇよな。お前、ブアイソだけど、お前とか吉澤の仕事には、みんな、それなりに一目置いてるっつーか。まー、それでも、お前はブアイソすぎんだけど」
客ならまだしも、スタッフにいちいち愛想など振りまいていられるか。と思ったら、それが顔に出たらしく、コックは「お前、意外とわかりやすいヤツだよな」と笑った。
- 245 名前:駄作屋 投稿日:2003年02月23日(日)22時58分23秒
- 休憩に入るのに通りがかったパントリーで、よしこの仕事ぶりを見ていたら、ふとそんなことを思い出した。
「後藤、休憩?」
突っ立ってるあたしに、『どけ』という意味もこめて、大学生のバイトが言う。
「あ、はい。高橋のフォロー、お願いします」
いつもならよしこに言うことを、他の人間に頼んで、あたしはバックヤードに歩き出す。
裏口の扉を開けようとしたところで、ホールに続く自動ドアの音が、背中に聞こえた。
音に続いて、裕ちゃんの声が言う。
「よっすぃ〜、休憩入ってー。それ出しとくわ」
「あ、はーい。じゃ、すみません、いただきまーす」
胸がざわついた。
よしこの声は屈託なく響いて、あたしは追いつかれないように足を速める。
きちんと話をして仲直りするのがいいだろうと頭では考えるけど、感情はそういう方向には向かわなかった。また冷たい声を聞かされるのはイヤで、とにかく逃げたくて、それが正しいかどうかは、あたしにはどうでもいいことだった。
- 246 名前:駄作屋 投稿日:2003年02月23日(日)22時59分02秒
いつもなら従業員食堂のすみっこで過ごす休憩時間を、今日は更衣室で過ごす。
よしこと顔を合わせずに、休みたかった。
女子更衣室の左奥には、仮眠室がある。悪趣味な花柄の壁紙は気に入らないものの、確実に一人になれるという点ではありがたい存在だった。
ベッドに腰かけて、ポータブルMDの再生ボタンを押す。
裕ちゃんからもらったディスクを、最近よく聴いている。
テンポが速くてガチャガチャしてる割には、どこか冷めてる音。こういうのが楽だった。
子供の頃に母が好きだったカーペンターズは、もう聴かない。
壁にもたれ目を閉じて、没頭というよりは気だるく音に身を任せていた。
いつのまにか、曲はバラードになっていて、それはあたしの苦手な曲だったけど、スキップさせるのも止めるのも億劫だった。
『I will dedicate this life to you
私はあなたの夢を胸に抱いて生きていく』
ストレートな歌詞はあたしには痛いもので、聴くたびに、今日帰ったら、この曲を消去して、もっと別のテンポのいい曲を入れよう、と思う。
思うのに、毎日できない。忘れてるときもあるけど、そうでないときもあるのに。
- 247 名前:駄作屋 投稿日:2003年02月23日(日)22時59分42秒
やっぱり、没頭していたのかもしれない。
更衣室とここを仕切るカーテンが開かれたことは、近づく気配ではなく、瞼への光で、ようやく気がついた。
あわてて立ち上がり、イヤホンをはずす。
カーテンを片手にまとめたよしこが、そこに立っていた。
「やっぱり」
照明を点けずにいた。だから、カーテンの隙間から更衣室に灯りが洩れることもなかったはずだ。それでも、よしこには、ここに人がいて、しかもそれがあたしであることが初めからわかっていたみたいだ。
照明のスイッチが入れられ、あたしは眩しさに少し目を細める。
「モグラみたいだね」とよしこが笑った。
「……なに?」
勘のいいよしこだから、あたしの居場所に見当がつくのは、それほど驚くことでもない。
わからないのは、居場所がわかったからといって、どうしてここに来るのか。
「『なに』って訊いちゃうんだ。ホントひどいね、ごっちんて」
からかうような笑い方が癇に障った。
- 248 名前:駄作屋 投稿日:2003年02月23日(日)23時00分35秒
- 「ねぇ、よしこ。言いたいことがあるなら言って? 失礼とか無神経とかひどいとか。そういうのだけ言われてもわかんないからさ」
「わかんないんだ……」
よしこは前髪をかきあげながら、足元に目線を落とした。
つかのま、声の響きにいつもの柔らかさが戻った気がした。
だけど、それは一瞬だけのことだった。
「まぁいいや。そんなことより」
後ろ手にカーテンを閉めて、よしこはあたしに近づく。
あたしはよしこが踏み出してくる分だけ、後ろへ下がる。
ベッドひとつあるだけで窮屈なこの部屋に、二人の人間がいるのは、なんだか不自然だった。今のあたしにとっては不穏ですらある。
「よしこ、なに―――」
背中に壁を感じた。
気にして一瞬、目を壁にやって、同時に肩をつかまれた。
ベッドに倒されて、あたしは呆然とよしこを見上げた。
- 249 名前:駄作屋 投稿日:2003年02月23日(日)23時01分08秒
- 野生動物どうしの攻防みたいだ、と思った。
あたしの目線がはずれた隙をついて、こんなふうに仕掛けてくるよしこは、肉食の獣みたいで、だけど、その目にあたしは違和感を覚えていた。
「何すんの?」
質問に意味はない。この状況で意図がわからないはずはなかった。
女同士は、あたしにとっては日常。好きとか嫌いの問題じゃなく、毎日の暮らしに組み込まれたリアルだから。
「ちょっと暇つぶし」
よしこは、あいかわらず冷めた声で言い放ち、あたしのリボン・タイをほどく。
「なんかすごい、いきなりだね」
どこか他人ごとめいた感想を、あたしはなんとなく洩らした。
よしこは答えないかと思ったけど、律儀に
「暇つぶしだし、そんなもんでしょ?」
などと言葉を返す。こういう本来の性格みたいなものはこんなときも顔を出すものなんだなぁ、と変なところであたしは感心していた。
- 250 名前:駄作屋 投稿日:2003年02月23日(日)23時01分47秒
- 「女同士なんだけど」
「別に暇つぶしだもん、なんでもいいじゃん」
「あんまり暇じゃないよ、もう休憩終わるし」
「愛ちゃん、しっかりしてるから平気だよ。とっとと済ませれば」
よしこの指は、すでにあたしのベストを脱がせ終わって、シャツのボタンを上から勤勉にはずしていくところだった。
「なに見てんの?」
「指」
「つか、こういうときは、『いや』とか『やめて』とか言わないの?」
もっともなことだったが、よしこが言うのもおかしなことだった。
「言ってもいいんだけど。なんか違和感あるし」
「違和感? 後藤真希的には泣いて抵抗とかカッコ悪いのはなし?」
その言い方にはトゲを感じたけど、違和感はそこじゃなかった。
シャツが左右に開かれる。
自分のブラを見て、それで裕ちゃんの顔が頭に浮かんだ。裕ちゃんのリクエストで身に付けた下着。思い浮かべるのが遅いんじゃないかと思って、少し申し訳なさを感じる。
- 251 名前:駄作屋 投稿日:2003年02月23日(日)23時02分30秒
- 「いいねぇ、黒」「やっぱ胸でかいね」
こういうシチュエーションで、まぁ言われそうなことを、だけどよしこに言われるのは、やっぱり変だった。
唇が首筋に、手が下着の上から胸に、触れてくる。
不用意に強い手つき。
それで、あたしは、なんとなく違和感の正体を理解した。
初めて、よしこの肩を押して、きちんと抵抗する。
「よしこ、無理にすんのは、よくないよ……」
「何それ、他人ごとみたいな言い方だね」
よしこは笑った。手はあたしの背中に潜り込んでホックを探っていた。
「『無理やりなんかやめて』とか当事者らしく言えないかなぁ」
「当事者じゃないから」
あたしはきっぱりと言い、それでよしこの手が止まった。
「は?」
「自分に無理すんのは、やめときなよ」
それが違和感の正体だった。
「したくないことなんか、することないじゃん」
よしこはあたしを抱きたがってない。そもそも、女の子を相手にしたこともないのかもしれない。
- 252 名前:駄作屋 投稿日:2003年02月23日(日)23時03分13秒
- 「…したいよ。ごっちん、かわいいし。別に軽く遊んでくれてもいいじゃん」
声がもう弱くなって、言葉と裏腹に手はあたしの背中から抜け出した。
「よしこがしたいなら、遊びの相手くらいはするよ」
あたしはよしこを押しのけながら、上半身を起こした。
「でも、したがってないのにすることないじゃん」
よしこは確かに今、何かが足りてなくて、何かを欲しがってるのだと思うけど、それは少なくとも、あたしの体じゃない。それは、あたしには肌で感じ取れることだった。
「そんなことない。勝手にわかってるみたいなこと言うな!」
「踏みこまれたくないなら」
よしこの怒鳴り声に、今度は怯まなかった。
「踏みこまれる隙を作るのはやめなよ」
ボタンを留めながら、我ながらひどいことを言う、と思った。
一人がいいと言いながら、誰かを待つようなことは、自分だって数限りなくしてきたくせに。それを他人に指摘されたら、どんな気分になるか、よく知ってるくせに。
- 253 名前:駄作屋 投稿日:2003年02月23日(日)23時03分57秒
- 案の定、よしこは、呆けたように力の抜けた状態で、あたしの上から完全にどいた。
あたしがシャツの襟を立てて、リボンを結びなおすのを、ただ見ている。
「先、行ってる。もう時間過ぎてるから、よしこも早めにね」
言いながら、カーテンを開けた。
「………ごめん」
「気にしてない」
うめくような声には振り返らずに答えて、それもひどい言い草かもしれないと一秒で後悔した。
けれど後悔はそのままに、あたしは広い更衣室のロッカーの林を抜ける。
横切る途中で、出入口から声が聞こえた。
「後藤さーん、吉澤さーん」
「高橋?」
ドアを開けて、更衣室全体に声を投げるのは、高橋だった。
「あ、後藤さん。上ちょっと混んできてて。中澤さんが呼んでこいって」
「そうなんだ、時間過ぎちゃったね、ごめん」
あたしが走り出そうとすると、高橋はあたしの腕をつかんだ。
「あの、吉澤さんも呼んでこいって言われたんですけど」
- 254 名前:駄作屋 投稿日:2003年02月23日(日)23時04分57秒
- 知らないことにするべきか迷ったけれど、とっさに話した。
「よしこね。休憩入るとき『起こして』って言われてたから、今起こしたんだけど。さっきまで仮眠室で寝てたから、髪とか梳かしてんじゃないかな」
それから、大声で奥に呼びかける。
「よしこぉーっ、早く戻れってー!」
「りょうかーい!」
奥から、こんなときにも器用なよしこの明るい返事。
「だってさ。行こ?」
これ以上、高橋にここにいられて何か感づかれたら、たまらない。
けれど、高橋は再び、走り出そうとするあたしを制した。
「歪んでますよ」
「え?」
聞き返したのと同時に、高橋の手が、あたしの喉元に伸びてきた。
一瞬、体が強張ったけれど、高橋の指がリボンに触れて、目的とさっきの言葉を理解する。
白い指先がリボンをほどいて、手早く蝶結びに整えていった。
「あ、ありがと」
「どういたしまして」と高橋は微笑んで、その笑顔のままで、「でも」と言った。
「なんで、ほどいちゃったんですか?」
- 255 名前:駄作屋 投稿日:2003年02月23日(日)23時05分36秒
- ずん、と胃が重くなる。気取られたくなくて、あたしも微笑みを返した。
「ちょっと暑くてさぁ。ボタン2つとか開けて、だべってた」
高橋は「そうですか」と素っ気なく受け答えて、もともと興味すらなかったみたいに、あっさり走り出した。
後に続きながら、あたしは高橋がキツめに結んだタイを少しだけ、緩めてみた。
- 256 名前:駄作屋 投稿日:2003年02月23日(日)23時06分55秒
しまった。名前欄はタイトル入れるんだったのに。
えーと、リストラじゃないです、edgeです。
いちお、念のため。
- 257 名前:駄作屋 投稿日:2003年02月23日(日)23時07分29秒
- >>239 名無し読者さん
すごい実体験をお持ちですねぇ。
それは、さぞ怖かったことでしょう(笑)。
高橋は、そんな怖い人にする予定は
なかったんですけど、どうにもこうにも。
>>240 ラブごまさん
「普通」については、一人ぼっちで少し退屈な夜などに
よく考えます(それって、いつもじゃry)。
この話、私にしては登場人物多いんですけど、
できるだけ丁寧に書き分けたいですね。
>>241 きいろさん
やはり、高橋ですかー。
自作に初登場なのに、この扱いはどうなんだ…。
吉澤、高橋はまた今回ちょっと書きましたが
本性を書ききるまでにはまだかかりそうです。
- 258 名前:駄作屋 投稿日:2003年02月23日(日)23時08分09秒
「更新遅れてごめんなさい」は
言い出すと、毎回書くはめになりそうなので、
勝手ながら今回で最後ということで。
更新遅れて、すみません、本当に。
誰もそんな待ってないと思うんですけど(w
作者的には罪悪感みたいなものがあるんですよね、
更新停滞は、とても。
今後もペースはなかなかあがらないかもですが
たまにチェックしてみてもらえるとうれしいです。
- 259 名前:きいろ 投稿日:2003年02月23日(日)23時20分24秒
- 更新お疲れ様でした。
更新ペースは作者様の勝手ですし、放置しなければ良いと思いますよ。
それにしても、今回は…黒い、あの人が(w
なぜに駄作屋さんの小説は飽きないんでしょうかねぇ。
さりげに毎日更新チェックしている自分(w
『緑の星』の方も毎日顔だしています。
ゆっくりでいいので、話を進めていってくださいね(○^〜^)
- 260 名前:名無し読者。 投稿日:2003年02月24日(月)01時37分51秒
- 相変わらず引き付ける文章ですよね。
いつもマターリ、楽しみに待ってますよ。
高橋いいなぁ〜。なんか
- 261 名前:名無し読者 投稿日:2003年02月24日(月)18時11分42秒
- 究極のところはエゴなんすかねぇ〜。
淡白なごっちん萌え。
- 262 名前:222 投稿日:2003年02月25日(火)13時17分36秒
- 更新、お疲れ様でした。
「edge」は登場人物すべてが一筋縄でいかない、裏と言うかダークな部分を
持ってますよね。
それはおそらく人間に普通にある部分だと思うのですが、日常生活ではなかなか
垣間見えないし見せないであろうオフリミットの領域・・
そういう「影」の感情を表現されている駄作屋さんの作品だからこそ、登場人物の
キャラクターが深いところまで浮き彫りになって来るのでしょう。
本当に毎回、引き込まれてしまいます。
名前だけで未だ登場しない、今後の展開に影響がありそうな安部さんの存在が
非常に気になっています。駄作屋さんの作品で彼女がどう動くのか、この先が
楽しみです。
次回更新、まったりとお待ちしています。
- 263 名前:『edge』 投稿日:2003年03月13日(木)21時41分56秒
- 明け方に、汗をかいて目を覚ました。
直前まで、歯が折れる夢を見ていた。
あたしは歯を食いしばっていて、そのうちに歯は奥から順に軋み出す。
このままじゃ折れるとわかるのに、口の中は痛いのに、力を抜くことができない。
噛みしめつづけて、やがて、ごり、と最初の音がする。
舌の上に転がる小さな硬い塊。
金臭くて、しょっぱい。
それを感じる間にも、鈍い音を立てて奥歯がこぼれる。
潮くさい味ばかり口いっぱいに広がって、痛みはやがて感じなくなる。
2つ3つ、塊をまとめて吐き出したら、ぶらさがってる残りを舌で押して、かたっぱしから折り取っていく。根元からキレイに折らなくちゃ、とそれだけは心がけていた。
舌に力を入れるから、頭がキンと痛くなる。
歯列に舌を滑らせて、何本が残っているのか数えるけれど、いつも途中でわからなくなった。
下が左奥から1、2……3………4―――――。
6まで数えて目が覚めた。
- 264 名前:『edge』 投稿日:2003年03月13日(木)21時42分45秒
「酒はもうやめときや」
サイドテーブルに手を伸ばしたら、隣に横たわる体がそう言った。
「ごめん、うるさかった?」
「小さくても泣き声て、よお聞こえるもんやねんね。なんでやろ」
ベッドを抜け出して、裕ちゃんはあたしを見ない。見ないでくれる。
ホテル据付の小さな冷蔵庫を開けた横顔が、庫内灯でオレンジに染まる。
「なんかジュース飲む? お茶いれよか?」
椅子にかけてあったシャツを羽織りながら、あたしは首をちょっと振って断った。
「氷、新しいの取ってくる」
ロックで酒が飲みたい。大きな氷に酒をたっぷり注ぎたかった。
「今日はもうやめとき」
「どうせ、もう少しでこれ空いちゃうじゃん」
3分の1も残ってないボトルを目線で示したけど、
「空けんでええ」
裕ちゃんが譲らないでドアの前に立つから、あたしは氷を諦めてグラスを引き寄せた。
氷が溶けてグラスに薄く張った水が、小さく揺れて音を立てる。
重くなくなったズブロッカの瓶をグラスの淵にあてた。
「やめ、て言うてるやんか」
腕をつかまれて、揺れたグラスの中で茶色の海が嵐。
あたしが見てるのは、その水面。
裕ちゃんの目を、近ごろ見ない。
- 265 名前:『edge』 投稿日:2003年03月13日(木)21時43分38秒
- 「もう少しだけだよ。裕ちゃんも飲も? 氷取ってくるからさ」
「吉澤となんかあったん」
語尾が少しだけ上がってはいたけれど、ほとんどそれは確信めいて聞こえた。
「ないよ」
あたしは毎日毎晩の嘘つきだ。嘘のことほど明瞭に発音できて、少しも迷わない。
それで裕ちゃんはいつも嘘に寄り添うけど、今日は少し様子が違った。
「二人おかしかったから、休憩ぶつけたんやけど。戻ってきたら、よけい、雰囲気おかしなってたし」
店があれだけ混み合って、そんな中テキパキと仕事をこなしながら、裕ちゃんはそんなことに気がつく。それは悲しいことでしかないと、あたしは思う。
「たいしたこっちゃないよ。って、それ、妬いてくれてんの?」
グラスとボトルを置いて、裕ちゃんを上目に見る。
自由になった両手はもちろん彼女のために。
頬をそっと挟みこんで、ささやくことは決まってる。
「裕ちゃんに妬かれんの好き。裕ちゃんだったら怒られんのも好き。裕ちゃんが好きだよ」
- 266 名前:『edge』 投稿日:2003年03月13日(木)21時44分21秒
- 呪文を唱えながら立ち上がり、唇で唇をとらえにいく。
重なる直前、潤んで揺れる瞳が目に入ったけど、見ないふりで斜め右から口づけた。
あたしは卑怯で、裕ちゃんが臆病、これは親和的な組み合わせ。
「後藤……」
好きだとあれから裕ちゃんは一度も言わない。
あたしは腐るほど言う。
「好きだよ、裕ちゃん」
さっき目が覚めて一人じゃなかったことが、ありがたかった。
それを言うのはイヤで、だけど恥ずかしい愛の言葉なら簡単に吐ける。
「やっぱり……もうちょっと飲もか」
裕ちゃんはあたしから目をそらし、氷を取りに、と立ち上がった。
アイス・ペールを持ち上げる指が、とても細い。
シャツのボタンをはずしたよしこの指よりも、リボンを結びなおした高橋の指よりも。
だから歯が折れる夢の話を、裕ちゃんには後でしてみてもいいと思った。
それ以上でも、それ以下でもなく、そうしてもいいかと思った。
- 267 名前:駄作屋 投稿日:2003年03月13日(木)21時48分24秒
更新終了。
短すぎて申し訳ないんでsage更新。
次はもちょっと、まとめて更新したいですね。
レス、どうもありがとうございます。
レス返しは次回にさせていただきます。
- 268 名前:名無し読者 投稿日:2003年03月13日(木)22時46分57秒
- なんか日記みたいだ。
- 269 名前:タモ 投稿日:2003年03月14日(金)19時31分58秒
- 更新お疲れ様です。
……いてぇ!なんかっ痛い!!
夢の中の話はそのまんまの表現で痛いんですけど、今回の後藤さんは別の意味で痛いです。
これからどう展開するのかな〜、期待してます。
- 270 名前:名無し読者 投稿日:2003年04月09日(水)14時39分21秒
- 保全
- 271 名前:名無し読者。 投稿日:2003年04月10日(木)08時22分34秒
- そろそろつづきが読みたい。
- 272 名前:駄作屋 投稿日:2003年04月10日(木)11時45分11秒
- >270さん、271さん
ありがとうございます。&すみません。m(_ _)m
近いうちには更新したいと思ってます。
もうしばらく、お待ちいただければ幸いです。
- 273 名前:『edge』 投稿日:2003年04月20日(日)22時43分58秒
- 行き先を告げてしまえば、車の中は深夜ラジオの音だけになった。
人も車も極端に減った街を車は滑らかに走り、あたしは高速に流れる景色を惰性で目に映していた。
一人で乗るタクシーの中が、あたしはわりに気に入っている。運転手が静かなタイプなら、仁丹みたいな匂いのする白いシートは、それなりに落ち着ける場所のひとつだ。
ただし、そういう場所では、静けさや時間を余計な考えばかりが埋めていく。それを止める手段を、あたしはまだ知らない。
『行かんとき』
どうして、裕ちゃんがそう言い出したのかはわからない。とにかく、裕ちゃんは押しつけるように言い、あたしはそれが気に入らなかった。
『仕事じゃない日のことは言われたくない』
『関係ないって言いたいんか』
『今日と明日はナシって、それだけじゃん。誰も契約やめるとか言ってないし』
『なっちとは行くな、言うてんねん』
- 274 名前:『edge』 投稿日:2003年04月20日(日)22時44分35秒
- 窓の外の風景が自宅近くのものになって、いつも引っかかる信号で、車は今夜も止まった。
この辺りには街灯が少なくて、暗い窓に自分の顔がよく見える。
半透明の顔ごし、とっくに営業時間を過ぎたタバコの自動販売機が、ボタンをすべて赤く光らせて闇に浮いてる。
『裕ちゃん、なっちのこと嫌いなんだね』
『後藤は好きなんやな、なっちが』
そんなことはないと返事をするまでに、2秒かかった自分が信じられなかった。何を迷ったのか、わからない。
だけど確かに、明日の前の今日だから、裕ちゃんに抱かれたくない自分がいた。
「ここはまだ、まっすぐでいいですか?」
「はい、このまま。突き当たりを左にお願いします。それで、曲がってすぐをまた左です」
- 275 名前:『edge』 投稿日:2003年04月20日(日)22時45分36秒
- 10月初めの日に、なっちは帰ってきた。
『ごっちん、またよろしくね』
ぽーん、と軽く背中なんか叩いて、当たり前に笑顔で帰ってきた。
華やぐというよりも空気が和らぐような、花よりも日の光みたいな笑いかた。
ああ、そういえばこんなふうに笑う人だったと思ったら、懐かしくなったのかもしれない、胸のまんなかがぼおっと熱くなった。
自分の部屋の安い電気式コンロに似ていた。
丸い渦巻きが少しずつ赤くなるような、ゆっくりで頼りない加熱。
「次を左折ですね」
「すみません、やっぱりコンビニの前につけてもらえますか」
「あ、はい、ここでいいですか?」
なっちが帰ってくることは、あたしの中で大きなことじゃないはずだった。
異動のときにたいして悲しくなかったし、いない間に寂しいと思うことだってなかったから、戻ってくることだって別に。
だけど、なっちに『また背ぇ伸びた?』と頭を撫でられて、そのときにわかった。
あたしは、もしかしたら寂しかった。悲しかった。気づきたくないだけだった。
手の感触が、隠さずに言うなら、本当にうれしくて、だからそのことに気づかないわけにはいかなかった。
- 276 名前:『edge』 投稿日:2003年04月20日(日)22時49分18秒
- 「領収証は」
「ください」
寝静まる住宅街。お世辞にも駅から近いとは言えない小さな町の深夜。
コンビニだけが煌々と下品なほどの光を辺りにぶちまけている。
「ありがとうございましたー」
「ありがとう」
『ありがとう』と口に出して必ず、なっちは言う。
当たり前の仕事をこなしても、『やっといてくれたんだ、ありがとね』。
休憩時間を削ってラッシュをこなしたときは、『ごめん』と『ありがとう』を何度も繰り返す。
あたしは篤実そうな人間など嫌いだったはずなのに、なっちが言う『ありがとう』なら苛つかない。
それどころか、聞くたびに、あたしはどうしてか祈りたくなる。
この人がイヤな目に合ったりしませんように。
この人の暮らしに悲しいことがありませんように。
「しゃいませぇ」
自動ドアをくぐると来客を知らせる電子音が安く響く。午前3時のコンビニに客はなく、寝癖みたいなトゲトゲ頭の店員がカウンターで週刊誌をめくってる。
あたしはまっすぐシャンプーやリンスが並ぶ棚に向かった。
2日前からグロスが切れてる。
明日のためではなくて、ちょうど買おうと思っていたところだった。
- 277 名前:『edge』 投稿日:2003年04月20日(日)22時50分15秒
- 『休み一緒だね、今度の』
こぼれたスープを拭き取るあたしに、なっちが言った。
あたしはシフト表を見て知っていたけれど、そのとき知ったふりで『安倍さんも水曜なんですか』と受けた。
手を止めず、目も向けないのは、気持ちを動かさないためだ。
けれど、なっちは他人の殻を壊すのが得意な人だった。
『どっか遊びに行こっか』
『え? あ……!』
スープ釜に突っ込まれたレードルを取り出そうとして、その熱さに手を引いた。
単純なミス。いつもなら手に布を巻きつけたはずだ。
『あー、火傷しちゃった?』
なっちが覗き込む。
『ん、や、たいしたことないです』
真っ赤になった指先を隠そうとしたけれど、なっちはあっさりあたしの腕をつかまえた。
『わー、いたそー。裏で水につけときな、これ』
『そんなに痛くないから』
強がったわけじゃない。指の痛みよりも、会話が途中になったことが気になった。
けれど、引っこめようとしたあたしの手首をなっちは放さなかった。
- 278 名前:『edge』 投稿日:2003年04月20日(日)22時51分03秒
- 『バカだね、痛いに決まってんでしょう』
『いっ……!』
わざと触れられた人差し指が、鋭い痛みをうったえる。
『ね? 今のうち、ちゃんとしときなって』
なっちの手がちょっと勝ち誇ったように頭を撫でて、あっさりと離れていった。
痛みやらなんやらで、心臓が速くなった。
じくじく痛む右の指先を左手に包み、あたしはゆるく息を吐いた。
ゴールドのグロスをビニールに放り込みながら、トゲトゲは邪魔くさそうに「お会計714円でぇす」とつぶやいた。
二つ折りの財布から、急いで小銭をさぐる。
グロスひとつだけを買ってみると、やっぱり明日出かける準備のような気がして、急に恥ずかしくなった。
『明日さ、どっか遊び行こっか』
今日になって、思い出したように、なっちは言い出した。
もう流れた話だと思ってたから、あたしはすぐに答えられなかった。
『なに、予定ある?』
『予定は別に』
『なら、たまには遊ぼうよ。ね?』
なっちの目は、丸の上半分みたいな形をして真っ黒に煌いて、あたしには断る理由がなかった。
- 279 名前:『edge』 投稿日:2003年04月20日(日)22時51分42秒
- 寝室の電気よりも先に洗面所の電気を点けた。
ためしにと思って、口紅を引きなおした上に、さっきのグロスを重ねてみる。
鏡の中の自分は、どこか硬い顔をしていて、そのせいか唇も、自分が思い描くよりくすんで見えた。
ちょっと違うかなと首を傾げたとき、顔の横で声が聞こえた。
「かわいいじゃん」
猫のように忍び寄って、きっと最初から見ていた明日香が、わざとそんなことを言う。
「初めてじゃない? 誰かのためのメイクとか」
あたしの肩にもたれるように手をかけて、明日香は口の端で笑った。
あたしが一番知られたくない感情を、だからこそ、彼女はとっくに知っているのだと思った。
「別に誰かのためじゃないよ。新しいの買ったから気になっただけ」
「そういうことにしたいよね。一人で舞い上がってたら間が抜けてるもんね」
憎たらしいとは思わない。
あたしがマヌケになる前に、明日香は教えてくれているのだ。
あたしが愛されるような人間だったかどうか。
人を好きになったり、そんなことが許される人間かどうか。
間違う前に教えてもらえるのは、ありがたいことであって、腹は立たない。
たぶん、悲しくない。
- 280 名前:『edge』 投稿日:2003年04月20日(日)22時52分17秒
- 「綺麗に巻いてもらったね」
明日香の手が、あたしの腕を目の高さへ持ち上げる。
この指に白い包帯を巻いてくれたのは、よしこだ。
流水に指を浸しているところへやってきて、ためらいがちに「やけどしたの?」と訊いた。
いつかの更衣室以来の言葉だったから、それを言うのに彼女がどれだけの勇気を振り絞ったか、あたしにも察しがついた。
それで、あたしはちょっと大げさに痛がってみせて笑いかけ、よしこは安心した顔になって、あたしの指に包帯を巻いた。
何も解決しないままの、とりあえずの回復。
曖昧でいい加減で、あたしたちらしいと言えば、らしいのかもしれない。
- 281 名前:『edge』 投稿日:2003年04月20日(日)22時52分59秒
- 「待ち合わせの前に郵便局に行くつもりでしょ」
明日香は、あたしが比較的、楽な追憶をしているときには、必ず刺すように言葉を発する。
今夜もそれはやっぱり痛くて、筋違いにも、あたしは明日香を恨みそうになった。
返事ができないで鏡越しに視線だけを送るけど、明日香は平然と続ける。
「楽しいデートの前に、罪悪感を少しでも軽くしないとね」
「別にそういうんじゃなくて、平日の休みにやろうと思うだけ」
あたしは歯切れ悪く言い訳をしたけど、明日香は耳を貸さず、抑揚なくつけ加えた。
「ずいぶん貯まったんだろうね、代金は」
あたしは立っているのが辛くなって、洗面台に両手をついた。
「代金とか、そんなふうに、考えたことないよ」
明日香はあたしの言葉に頷かず、そのかわり責めることもしなかった。
「おやすみ」
耳元に残された声は、酷薄そうにも、優しそうにも、聞こえた。
明日香が出て行った直後に、あたしはバスマットへ崩れるように座り込んだ。
- 282 名前:駄作屋 投稿日:2003年04月20日(日)22時55分15秒
更新終了。
遅い上に少ない更新で、なんとも申し訳ないです。
とりあえず、かなり前にいただいてるレスに返事。
>>259 きいろさん
毎日チェックですかー。すみません、本当に。
やさしい励ましをありがとうございます。
もう、がんばりますとしか言えない…。
>>260 名無し読者。さん
やたら意味ありげな高橋。
本当に意味はあるのか高橋。
………………たぶん。
>>261 名無し読者さん
「萌え」とかあんまり言われないんで
新鮮です。うれしい。ありがとうございます。
- 283 名前:駄作屋 投稿日:2003年04月20日(日)22時56分21秒
- >>262 222さん
次回でようやくまともに安倍さん登場です。多分。
天使なっち。なっち天使。そんな感じで。
>>268 名無し読者さん
おっしゃるとおりで。
小説と日記にあんまり重大な差を
感じてないのかもしれません。
その日の事実に基づいて思ったことを書くのと
常日頃思うことをお話に折り込んで書く。
言いたいことを言うという点では私には
大差ないみたいです。
作者の勝手な自己投影みたいなものが見えると
興醒めする人もいるだろうし、
そこは気をつけたいなと思いました。
ご指摘ありがとうございます。
>>269 タモさん
いつもレスありがとうございます。
『ハロモニ大企画』今度は後藤さん主役なんですね。
がんばってください。私も更新速度とか見習おう…。
- 284 名前:駄作屋 投稿日:2003年04月20日(日)22時58分48秒
- それでは、また。
なるべく早い次回更新で……。
- 285 名前:名無し読者 投稿日:2003年04月21日(月)01時53分43秒
- …なっちがリストラでの市井的存在なら、
ねーさんは吉澤になってしまうのだろうか。
- 286 名前:名無し読者 投稿日:2003年04月21日(月)20時33分50秒
- おお!!更新されている!!
まったりと次の更新に期待しております
- 287 名前:名無し読者 投稿日:2003年04月21日(月)23時01分26秒
- 後藤の明日香は誰のためにいるんだろう?
そして何時出て行くんだろう?
続きが楽しみです。
- 288 名前:名無しミトコンドリア 投稿日:2003年04月29日(火)09時00分30秒
- 更新お疲れです(w
明日香が妖しげな不思議な人で登場してますね
駄作屋さんの書くキャラは一人一人が強い個性を発揮していて
全然読んでいて飽きません。
そして、密かに一番気になっているのは後藤の好きな人は誰かって事です(いないのか?)
- 289 名前:名無しさん 投稿日:2003年05月24日(土)23時23分17秒
- 更新待ってます。
- 290 名前:名無し読者 投稿日:2003年05月29日(木)14時19分50秒
- 何度読み直しても面白い。
続き楽しみにしています。
- 291 名前:『edge』 投稿日:2003年05月31日(土)23時30分33秒
- 13:34。
製薬会社の看板下のデジタル時計が、オレンジの数字だけを目に残して、後ろへ流れていく。
平日のこの時間、乗客もまばらな上りの車内で、なんとなく扉にもたれて立っていた。
待ち合わせは14時半。
銀行と郵便局に寄るにしても、早い電車かもしれない。
目覚まし時計より先に目が覚めて、素直にそのまま支度して出ただけ。
他意なんかないけど、とりあえず待ち合わせ場所にはギリギリに行くことにしよう、と思った。
電車はトンネルを行き、目の前のガラスに、半透明の人間が見える。
あんまり顔色がよくない。寝不足ぎみの、自分の顔。
オフなんだから少しメイクを変えてみようかと思って、結局、普段通りになった。
時間だけ、普段の倍はかかったけれど。
『一人で舞い上がってたら間が抜けてるもんね』
明日香の言葉を、あたしは舞い上がらないために思い出す。
期待はすれば必ず裏切られるもの。
身に過ぎた望みは胸に抱くだけでも罪で、必ず罰が下される。
17年かかったけれど、今ではあたしも、ちゃんと知っている。
- 292 名前:『edge』 投稿日:2003年05月31日(土)23時31分23秒
- 電車は国道と並んで走り始め、昼間から全ての窓とカーテンが閉じた建物が何軒も、左からやってきては右へ消えていく。
みすぼらしい『ナントカパレス』や『ナントカの城』の中では、王様や女王様のかわりに、こんな時間からコトに励むカップルか、あるいはひっぺがしたシーツでバスルームを拭くパート・タイマーが、いずれにせよ、きっとあくせく動いている。
こういう想像は、自分が何かしら綺麗な幻想にトリップしそうなときには、よく効く。あたしの住む世界はこちら側で、夢にも禁止領域があるのだと、自分に思い出させるのに有効な作業だった。
この先揺れます、とアナウンスが言い、電車は大きなカーブをたどる。
細い手すりを握り締めて、自分のことが少しかわいそうだと思った。
けれど思ったそばから、それは図々しいと考え直した。
- 293 名前:『edge』 投稿日:2003年05月31日(土)23時32分11秒
銀行へ、まず寄った。
ATMへの短い行列の間に計算する。
裕ちゃんとの契約代金とホテルの給料から、家賃に光熱費、食費、携帯電話の料金を引く。そこからさらに酒代を引いた金額が、郵便局に持ち込む金額になる。
10万円を引き出して8万円を銀行の封筒に入れ、それを裸の2万円といっしょに財布に入れた。
外へ出ると、日差しが少し目に痛い。
あたしはどうも、昼間が得意じゃない。
郵便局前では、薄灰色の浮浪者がポストを怒鳴りつけていた。
髪の毛は本当は真っ黒で、肌は赤みを帯びた薄黄色をしているはずで、けれど全身に炭を転がしたように、彼は濁っていた。
燻してあるみたいだなと思いながら近づくと、本当に燻製のような匂いが漂ってきた。
「何様だ! 何様だ!」
割れた大声のうち、あたしが聞き取れたのはそれだけだった。
OL風の若い女が、A4の茶封筒を抱えて彼をしばらく睨み、投函を諦めたのか立ち去った。
「何様だ、バぁカやろう!」
おや新しい言葉だと思いながら、あたしは脇をすり抜けた。
- 294 名前:『edge』 投稿日:2003年05月31日(土)23時33分03秒
自分が引いた受付番号と、カウンターの表示機のそれが近かったから、あたしは急いで封筒にボールペンを走らせた。
4年前から毎月のことで、書き慣れた宛先住所と名前。
それでも、指先が震えなかったためしがない。
もともとの悪筆がますますひどくなって、書き直したいと思ったけれど、時間がなかった。
「8万円ですね。損害要償額は1万円でよろしいですか?」
「手数料500円になります」
「500円のお返しです、ありがとうございました」
コンビニのレジのように簡単な手続きには、もう慣れた。
お釣りを受け取るときに、本当はこんなことをすべきじゃないのかもしれないと思って、心臓が軋む、その痛みには、まだ慣れない。
「お客様?」
「あ、いえ…よろしくお願いします」
頭をひとつ下げて、振り返らずに歩き出した。
ポストはまだ説教を受けているところで、ただし、「何様だ」の声はずいぶん弱くなっていた。
歩き過ぎる上で一番近い場所を通ったとき、どうやら男は泣いているのだと気がついた。
化粧のキツい中年女が、無遠慮な目をしてポストと男を見る。
あたしは自分が睨まれたと勘違いしたふりで女を斜めに睨み、すぐにやめた。
- 295 名前:『edge』 投稿日:2003年05月31日(土)23時33分56秒
待ち合わせ場所は、界隈のランドマークになってるビルの前。
5分前に着くように歩いたつもりだったけど、ビルの横手で腕時計を見たら、長針は「4」の辺りを指していた。
ケータイのボタン操作のロックを解除した。
ゲームかブラウザか、何か退屈をしのごうと思って、結局そのまま再びロックする。
あたしは退屈してなかった。ただ、緊張をしていた。
「ごめん、西口だっけ。おお、いま行くー」
ケータイに頷きながら、すぐ隣から、背の低い男の子がどこかへ歩いて行く。
「ちょっと今日はやくなーい? 5分前行動、あたし」
右隣の女の子は、時間通りに来たらしい彼氏と手をつなぐ。
あたしの待ち人は、まだ来ない。
「センター」のサンド・ベージュの絨毯を思い出していた。
あのころ絨毯の上で毎日毎晩、あたしは母親を待っていた。
当時のあたしは、もちろん大人ではなかったものの、もう子供でもなく、待つ以外にできることがないのを知っていた。
泣き叫びする子供を横目に見ながら、圭ちゃんが出してくれるケーキを頬張り、「寂しい」と一度も言わなかった。
ものすごく寂しかったからだ。
なっちに、早く会いたい、と思った。
- 296 名前:『edge』 投稿日:2003年05月31日(土)23時34分50秒
あたしはなっちを、まだ小指ほどの大きさのうちに見つけた。
東口から吐き出された人混みの中に小さな頭を見つけて、ビルや人や街路樹の陰に入ったりしながらこっちへ近づいてくるのを、顔を上げないで見ていた。
どうしよう、どのタイミングで顔を上げて笑おうか、と悩んでいたら、4歳年上の人は、横断歩道の向こうから、まるで屈託なく手を振った。
カッコワルくて照れくさくて、あたしは一度、地面に目を落とす。
けれど、なっちが横断歩道を渡る間には、そっと目線を上げていた。
待ち合わせ場所からいくらも歩かないフルーツ・パーラーで、あたしたちは向かい合った。
「これ、レビューの平均点高いねぇ。でも怖いの苦手だしなー」
なっちはテーブルに娯楽情報誌を広げて、この後に見る映画を熱心に検討している。
「ごっつぁん、どういう映画好きー?」
「あ、なんでも……安倍さんの好きなので」
「安倍さんかぁ」
あたしはなっちを『なっち』と呼んだことがなかった。
なっちは年下のバイトからでも『なっち』と呼ばれる人間だったけど、あたしは親しくない年上の人をニックネームで呼べる人間ではなかった。
- 297 名前:『edge』 投稿日:2003年05月31日(土)23時35分41秒
- 「今日から『なっち』にしようよ。ダメ?」
よく光ってよく動く大きな瞳が、差し込むように、あたしを上目に見る。
「失礼じゃ、なかったら」
「失礼なわけないっしょー」
なっちは笑って、ハグの前みたいに両腕をテーブルの向こうから伸ばしてきた。
「え?」
戸惑うあたしをよそに、なっちの指はあたしの肩をぐいぐい揉んだ。
「ごっつぁんはねぇ、力入りすぎ。裕ちゃんとかよっすぃ〜にはそうでもないよねぇ、なんで? なっち怖い?」
「や…そんなことない、です」
くすぐったくて、なっちの指から逃げた。
「じゃー、今日の映画。希望は?」
「え、うーん」
本当になんでもよかったけれど、それを言うと怒られそうだった。
「あ、じゃあ……ホラーがいいかな、めーっちゃくちゃ怖いやつ!」
「こらっ」
なっちは怖い顔を作った。あたしは今日はじめて、自然に笑えた気がした。
- 298 名前:『edge』 投稿日:2003年05月31日(土)23時36分39秒
15:30からの回に間に合うように映画館へ入った。
前から10列目あたりに席を確保してから、連れ立って売店へ行く。
「ホットドッグもいいけどポップコーンかなぁ、やっぱり」
なっちは、ここでも真剣に検討している。
「ごっちん、塩とキャラメルどっち好き?」
「キャラメル? そういうの、あるんだ」
「食べたことない?」
「映画館……小学生のとき以来かも」
10歳だった。
デパートで新しいスカートを買ってもらった帰り、戻ってきた駅の近くには映画の広告看板が大きく掲げてあった。見上げていたら、「今から見に行こうか」と言って、母が手を引いてくれた。あたしは映画よりも、「お出かけ」が続くのが、とてもうれしかった。
そのときの豚の映画は、のちに第2弾が出たけれど、あたしはそれを見ない。
母から「会わせたい人がいる」と言われたのは、その夜のことだった。
- 299 名前:『edge』 投稿日:2003年05月31日(土)23時38分25秒
「そうなんだ。じゃーキャラメルにしてみる? 甘いの平気?」
「ん、甘いの好き」
なっちは、ふんわり笑って、カウンターに「ポップコーン、キャラメルの。あとカフェラテ2つください、Sで」と注文を告げた。
あたしはカバンから財布を出したけど、その手首を押しとどめるように、なっちの指が絡んだ。
「いい、いい。ポップコーンとか持ってくれる?」
「あ、うん」
なっちが会計を済ませる横で、あたしは大きな紙のカップに入ったポップコーンを受け取る。カップから溢れそうに盛りつけられたポップコーンから、温かくて甘い匂いが広がって、あたしは急に、今が幸せなんだと思った。
映画は第二次世界大戦の空軍パイロットの話で、ブルーグレーっぽい画面が綺麗だった。スクリーンを小さな洋犬が走り回ると、なっちは楽しそうに笑って、あたしはそれを笑った。
終わりに近づいたとき、鼻を小さくすする音が、隣から聞こえた。
目線だけ動かして横顔をうかがうと、長い睫毛の先で水滴が、きらきらと光っていた。
舐めたら、どんな味がするんだろう、と思った。
甘いのかもしれない、と思った。
あたしは、しかたなく、恋を自覚した。
- 300 名前:駄作屋 投稿日:2003年05月31日(土)23時39分40秒
あいかわらず遅くて少ないけど、更新。
でも今回はちょこっと話が進んだような。
そうでもないような。
- 301 名前:駄作屋 投稿日:2003年05月31日(土)23時40分22秒
- >>285
同じスレッドで始めてるんですが、
『リストラ』とは似ない話に
なるんじゃないかと思います。
前作ともども読んでいただいて、
ありがとうございます。
>>286
あいかわらず、更新遅くて申し訳ないです。
話もモタつき気味ですが、作者がそういうのを
わりと好きだったりするから、また。
まったりのんびり読んでいただければ幸いです。
>>287
明日香と後藤の事情は結構バレバレかも
しれませんが、今後も知らないふりで
先を待っていただけると嬉しいです(笑)。
よろしくお願いします。
>>288 名無しミトコンドリアさん
「強い個性」と言っていただけてうれしいです。
後藤の好きな人…今回でいちおう明らかに
なったことになるのかなぁ。
まぁ、でも好きもいろいろですねぇ。
>>289
1ヶ月以上放置はまずいですよね。
私が読者でもイヤだな…。
今後はもう少し安定させていきたいです。
>>290
ありがたいお言葉です。
私は怖くて読み返せませんけど(笑)。
更新早めにしていきたいと思います。
- 302 名前:駄作屋 投稿日:2003年05月31日(土)23時41分11秒
ペースあげたいんですが
ちょっとバタバタしてまして
次も遅いかもしれません。
なるべく早めの更新を心がけます。
- 303 名前:名無しさん 投稿日:2003年06月01日(日)02時51分57秒
- おぉ、(自分的に)予想外な展開へ…!!
駄作屋さんの作品には珍しいほんわかモードキャラのなっち萌え。
- 304 名前:名無しさん 投稿日:2003年06月01日(日)07時44分34秒
- キャラメルがなんだか象徴的ですね。
甘苦さがノスタルジックですらあります。
わずかながらに残る喉の痛みであるとか。
色々お忙しいとも思いますので、焦らないで下さい。
いい作品は、多少更新が遅れたところで、
誰もごちゃごちゃ言いませんよ。
少なくとも自分は待ってます。
- 305 名前:名無しミトコンドリア 投稿日:2003年06月01日(日)10時05分52秒
- おぉー!!
ちょっと展開しましたね。
後藤には『甘えられる』存在がいなければいけないのかもしれません。
更新楽しみに待ってます。
- 306 名前:名無しさん 投稿日:2003年06月01日(日)20時01分19秒
- 相変わらずポストの所とかの描写が面白いや。
そしてなっちキターーー★
- 307 名前:名無しさん 投稿日:2003年06月02日(月)23時13分04秒
- 更新お疲れさまです。
今回、ほのぼのした中にも、少し痛いような苦いような感じがあって、よかったです。
なっちとごっちんが見た映画は、自分も見に行ったあの映画かな。
ちょっと重たい空の色と洋犬と、古びたピアノのジャズが印象的な
良い作品でした。
次回も気長に待ってます。
マイペースでがんばってください。
- 308 名前:名無し読者 投稿日:2003年07月01日(火)21時12分40秒
- ほぜん。
- 309 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月12日(土)15時51分02秒
- いぇーいめっちゃ保全w☆
- 310 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月21日(月)14時51分51秒
- 保全
- 311 名前:『edge』 投稿日:2003年07月26日(土)19時19分32秒
なっちは映画がずいぶん気に入ったみたいで、帰りがけに、今度はパンフレットを買うために売店へ寄った。
あたしは少し離れたところから、なっちの華奢な背中を見ていた。
いくら見つめてもその背に羽は見えなかったけれど、それでもやっぱり、そこにいる背の低い人は、あたしの天使だった。
恋をしていると、それだけのことが、おかしいくらい、うれしかった。
「はい、ごっつぁん」
当たり前みたいに、パンフレットが胸に押し付けられた。
おずおずと、それを手で押さえるあたしに、なっちの方が首をかしげた。
「おもしろくなかった? この映画」
「や、おもしろかった、けど」
「あたしも。だから、あげるよ。なっちがあげたいから」
笑顔が陽だまりみたいだなんて、きっと三流の詩人でも言わない。
だけど、あたしが今感じてる温かさは、たとえ話じゃなくて、ただの現実だった。
- 312 名前:『edge』 投稿日:2003年07月26日(土)19時20分24秒
- 先に歩き出したなっちに、あたしは早足になって追いつく。
なっちの左側で、前を向いたまま、小さくお礼を言った。
映画館から外へ出る人波に、声はすぐに吸い込まれて消えたけど、なっちは返事のかわりに、あたしの右手を握った。
それはほんのちょっとの合図で、手は一瞬で離れていく。
そんなことで頬は勝手に熱くなり、あたしはうろたえて、うつむく。
如才なく、足元を確かめるふりで、うつむいた。
内緒にしよう、と決めていた。なっちにも誰にも。
この熱を胸に閉じ込めておけば、寒い日も暖かいんじゃないかと、愚かな思いつきで、あたしは黙っていることにした。
それでも、あの子にだけは黙っているわけにいかなくて、胸のうちで、あたしは呼んだ。
―――明日香。
明日香、約束する。
10割の幸せなんか、あたしには来ないし、求めたりしない。
ただ半分だけ、片側分だけを今、許してほしい。
片思いだけでいいから、あたしに、どうか。
明日香。あたしの声が、聞こえますか。
あたしに恋を、許せますか。
- 313 名前:『edge』 投稿日:2003年07月26日(土)19時21分04秒
* * *
映画館の入ったビルの1階入口で、なっちは急に動かなくなった。
1階はゲームセンターになっていて、目の前はUFOキャッチャーだ。
なっちの目線は、パンをかたどったぬいぐるみに釘付けで、その目はまた、やたらと光ってきらきらした。
「欲しいの?」
「いや、欲しいっていうか……。これ、ちょっと前に流行ったよねー。やさぐれ生活とか言ってさー」
なっちは21歳で、ぬいぐるみは確かに今の流行ではなかったし、だからなのか、興味がないふりをしたいらしかった。
あたしは黙って100円玉をゲーム機に入れた。
「やるの?」
「得意なんだ」
ゲームセンターがあたしは嫌いで、だけど得意なのは本当だ。
昔、『客待ち』の間には必ず、小銭をぬいぐるみやキャンデーに変えて時間をつぶした。
手に入れてみれば、ぬいぐるみは思ったよりかわいくなかったし、キャンデーは毒々しいほど甘ったるかった。
色とりどりの飴玉を口に放り込むと舌がひりひりして、『仕事』の前にそうするのは、あたしにとって暇つぶしというより儀式だった。
- 314 名前:『edge』 投稿日:2003年07月26日(土)19時21分46秒
400円を使ったところで、パンはクレーンに頭をつかまれて宙に浮いた。
なっちは、おお、と声をもらして、透明プラスチックのあちら側に、輝度の高い瞳を向ける。
取り出し口へ滑り出たパンを、あたしは片手で拾って、なっちに押し付けた。
「はい」
「え?」
言葉は疑問形でも、なっちの頬はもう、ほころんでいた。
「パンフレットのお礼」
なっちがうれしそうにするから、あたしは急に恥ずかしくなった。
「値段つりあってないのバレちゃってるけどさ」
照れ隠しを言うあたしの隣で、なっちは満面の笑顔になった。
「ありがと! 実はちょーっと欲しかったんだよねぇ」
「あは。じゃーよかった、です」
なっちは焦げて『やさぐれ』てしまっているパンを、大切そうに胸に抱えた。
- 315 名前:『edge』 投稿日:2003年07月26日(土)19時22分31秒
* * *
「……って、高橋とか言い出して、それマズイって絶対とか言いながら、よっすぃ〜もニヤニヤしちゃって」
「よっすぃ〜、そんな感じだよねぇ」
おもしろい話なんて、あたしにはできなかったけど、あたしがするどんなくだらない話にも、なっちはいちいち頷いたり笑ったりした。
夕方の雑踏に、あたしたちは当たり前の友達同士みたいに溶け込んで、ビルの白い壁に照り映える夕陽がとても綺麗だった。
夕陽が綺麗だと思ったのは、いつ以来なのだろう、思い出せない。
前のほうからキャッチ・セールスらしい若い男が歩いてきて、なっちはさりげなく、あたしの手を自分の方へ引いた。
よろけ気味に小さな体に寄り添いながら、指があたたかいことにどきどきした。
「ごめん、引っぱりすぎた」
「ううん、ありがと」
あたしは遅れずにお礼が言えて、そういう自分のことを少し好きになった。
全部がもしかして、うまくいくんじゃないかと思った。
根拠もなく、ひょっとして、もうこれからずっと、こんなふうに歩けるんじゃないかと、ゲーセンのキャンデーよりまだ甘い夢を、見ていた。
- 316 名前:『edge』 投稿日:2003年07月26日(土)19時23分07秒
特にあてもなく歩いているのだと、あたしは思っていたけれど、どうやらそうじゃなかった。
腕時計を覗き込んだ何度目かに、なっちは言った。
「ちょっとさ、行きたいとこあるんだけど、つきあってもらってもいいかな」
あたしに否やはない。
思えばあたしは、いつかケーキをぶちまけたあの日から、なっちの信奉者で、なっちが正しくないなんて、考えたこともなかった。
なんの変哲もない喫茶店の前で、なっちは立ち止まる。目的地のようだった。
コーヒーがおいしいとか、そういうことなんだろうかと考えたけれど、小さな背中は喫茶店じゃなく、その脇にあるビルへ入っていく。
「なっち…?」
「これで上まであがっちゃおう。行けばわかるからさ」
エレベータの上りボタンを押して、振り返った顔はやっぱり笑っていた。
なっちが笑っているので、なんだかわからないけど、大丈夫だ、とあたしは思った。
- 317 名前:『edge』 投稿日:2003年07月26日(土)19時24分21秒
箱に入ると、なっちは「7」のボタンを押した。
案内によれば、7階は「貸しホール」だ。
「ごっちんさぁ」
狭い空間で聞く声は、どこか普段と違う響き方をした。
「今いくらだっけ、時給」
どうして急にそんなことを訊くのか、わからなかった。
「1100円?」
答えなかったら別の話になるんじゃないかと思ったけど、なっちはやめない。
「深夜が1500円だよね」
「17時からが1150円で、22時から1500円、だけど」
あたしの声が角ばっていた。なっちの瞳は薄暗いところでもよく光る。
「そっか。将来なにやるとか、そういうの、ある?」
ショウライ。
それは、あたしの手からすでに抜け落ちていた。
今日の続きに確かに明日はあるけれど、あたしにとってそれは、また働いて金を稼ぐための時間で、それ以外に意味を持たない。
どう答えようかと迷っていると、なっちは言った。
「あたしはね、ホテルマンになりたかったんだ」
押し殺したような声だった。
今だって、レストラン勤務のホテルマン、のはずだ。
だけど、あたしは言葉の意味を問うことができなかった。
そうしてはいけない気がした。
「あの、なっち―――」
ちん、とあっけない音がして、扉は左右へ開いた。
- 318 名前:『edge』 投稿日:2003年07月26日(土)19時25分07秒
「お疲れ様です」
降りるなり、痩せぎすの女がそう言った。ねずみ色のスーツは、ファッション誌の最新号でモデルが着ているのと、まったく同じものだった。
「安倍です」
なっちは、その女に告げて微笑んだ。女も顔にぺらりと笑みをはりつけている。
手に持った紙にペンで何か書きつけて「安倍さん、こんにちは」と挨拶をした。
香水がつんと鼻をついた。よく『女優の誰それがご愛用』のポップの隣で見かけるやつだ。
名前を確認して初めてできる挨拶が、あたしは気持ち悪かった。
「そちらは?」
女は目つきの悪い高校生ふう(あたしだ)を見やりながら慇懃に尋ねた。
「こっちは友達です」
「お友達なんですね」
トモダチという言葉が、女の唇を通した途端に汚れた気がした。
「お名前は?」
女の顎のまんなかに大きくせり出た黒子があり、あたしはそれを睨んでいた。
「お名前、うかがえないでしょうか」
「ごっつぁん?」
なっちの指が、あたしの手首をつかんだから、しかたなく名乗った。
女はまた何か書きながら、私はナントカと言います、と名乗り返したけれど、あたしは覚えたくなかったので聞かなかった。
- 319 名前:『edge』 投稿日:2003年07月26日(土)19時25分42秒
「じゃ、とりあえず集会出てきますんで」
「終わったら、オリエンしますから。戻ってきてくださいね」
なっちと女でやりとりがあって、あたしたちは女をエレベータ脇に置いて奥へ進むことになった。
「ごめんねー。前もって、もうちょっと説明しとこうと思ってたんだけど」
なっちはやっぱり笑っていたけれど、今度は、大丈夫だとは思えなかった。
いやな予感がしていた。
貸しホールに続く扉を、なっちは両手で押した。
トランシーバを手に持った男が内側に立っていて、なっちを手伝う。
暑かった。早くも暖房を入れてるのかと思うほど、中は熱気に満ちていた。
あたしたちがいるホールの最後部辺りは真っ暗で、最前のステージにだけ、惜しみないライトが当たっている。
壇上には薄いベージュのスーツを着込んだ男が、マイクを握り締めて立っていた。細面で脚が長く、遠目にも外見のいい男だ。
彼とあたしたちの間に、無数の人の頭が、黒々とした影になり、うごめいていた。
暗くてよく見えないけれど、みんなが彼を見ていることはわかった。
- 320 名前:『edge』 投稿日:2003年07月26日(土)19時26分34秒
男は、さっきの女と同じ笑みを浮かべて、マイクを掲げた。
「さ、それでは第3位、発表しましょう! 今月の売り上げ第3位、野村徹哉さーん」
ホールに海鳴りが立ち現れた。
無数の手が頭上に持ちあがって、ばらばら揺れた。拍手と歓声と、聞き慣れないかけ声が、割れそうな音でホールを揺らす。
隣で、なっちも手をたたいた。
あたしはなっちの名前を呼んだけれど、なっちは手をたたくことで忙しかった。
なっちはやっぱり笑っていて、あたしはもう、自分が永遠に笑えないのじゃないかと思った。
モノが洗剤であることや、これが月例会であること、今は売り上げの多かった人の表彰をやってるらしいことなんかが、それから10分と経たずに、理解できた。
あたしたちはパイプ椅子に座り、なっちは司会の男が何か言う合間に、ちょこちょことあたしの耳に説明を挟んでくれた。
いつもの、呆れるくらいにいつも通りの、なっちの声だった。
興奮のために、かすかに上ずってはいたかもしれない。
いずれにせよ、悲しくも後ろめたくもなさそうだった。
- 321 名前:『edge』 投稿日:2003年07月26日(土)19時27分38秒
男が口にした「ノルマ」という言葉が、あたしの内耳でわんわん響いた。
なっちがあたしに求めたものを、あたしは遅まきながら理解した。
驚くほどのことでもなかった。
あたしに優しかった人は、遅かれ早かれ、必ず手のひらを上に向けて突き出す。
さあ見返りを。まさか優しさが無料だと思ったわけではないのでしょう。
あたしはいつも、言われるままに払ってきた。からだ、かね、いろんなものを。
慣れていた。
こんなことはよくあることで、耐性ならとうの昔に備わっていた。
ただ、目の前に迫る手のひらがなっちのものだという事実は、あたしの胃を容赦なく握りつぶした。
「なっち、ごめ……ごとー、気持ちわる―――」
かろうじて、なっちの袖口を引っぱった。
なっちはステージから目を切りたくなさそうにしながら、数秒して、あたしを見た。
「どした、気持ち悪い? よしよし」
なっちの手は、何度もしてきたように、あたしの頭をなでて、でもこのときは、それで終わらなかった。
顔が近づいてきて、頬にやわらかいものが触れた。
「もうちょっと、頑張れるよね?」
頭をなでていた手が少し下がって、指先があたしの耳にじゃれついた。
- 322 名前:『edge』 投稿日:2003年07月26日(土)19時28分47秒
あたしは、なっちが気づいているということに、気づいた。
なっちはもしかすると、あたしより早くから知っている。
あたしが勝手な恋愛をひとりで始めていたことを。
だから今、必要に迫られて、あたしに触るのだ。
そうすれば、あたしが尻尾を振ってついていくと思っている。
違う違う違う。
犬がほえるように、連続で喉を震わせた。
けれど、あたしの声は、ほえ声どころか、うなり声にもならない小ささで、言葉はなっちに届かなかった。
なっちを汚すようなことを、あたしは自分の胸のうちにおいてさえ、一度も望まない。
もしも許されるのなら、近くにいたいと思うだけだった。
そばにいたかった、ただ。
そばに、いたかった。
「ごっちん?」
好きな人の声が聞こえた。
あたしは下を向いたまま、目線をあげなかった。
なっちのバッグが少し開いて、中でパンが笑っていた。
黒こげた失敗作が、うつろな目をして笑っていた。
あたしは立ち上がり、重いドアに体をぶつけた。
- 323 名前:『edge』 投稿日:2003年07月26日(土)19時30分07秒
なっちとふたりで歩いた道を、ひとりで逆向きにたどった。
両の手のひらがじんじん痛んだ。
ホールを出たとき、高級スーツの女が血相を変えたのが見えたから、とっさにエレベータをあきらめた。階段を駆け下りて、駆け下りる間には、がくがくの膝に注意もしていたのに、表通りに出た途端に転んだ。顔を打たなくて済んだぶん、体重を受けた手のひらには、細かな石が食い込んだ。
それから、数分か十数分か、とにかく時間は過ぎたのに、痛みは小さくなるどころか、大きくなる一方だった。
外は夜になり、風は昼に孕んだ熱をすっかりなくしていた。
この季節には薄着だったかもしれない。
体が冷えたけれど、そのぶん頬をつたう雫はあたたかかった。
泣いたのも、ずいぶん久しぶりで、あたしはこういうとき、どうすればいいんだったか、泣く作法をすっかり忘れていた。
誰も追いかけてはこなかった。
- 324 名前:『edge』 投稿日:2003年07月26日(土)19時31分00秒
とっくに底だと思ったら、まだ崖の途中だったなんてのは、目眩がするほど怖いこと。
『たたきつぶれて死にたいの』
明日香の声かと思った。
まぎれもないあたしの声だった。
口をひらかずに、あたしは呪うように、あるいは祈るように、繰り返した。
たたきつぶれて死にたいの。
たたきつぶれて死にたいの。
- 325 名前:『edge』 投稿日:2003年07月26日(土)19時31分49秒
たたきつぶれて死にたいの。
- 326 名前:駄作屋 投稿日:2003年07月26日(土)19時32分31秒
更新終了。2ヶ月放置…。
本当に申し訳ないです。
しかも内容は非難ゴウゴウの予感。
すみません、かなり前から決めてました。
- 327 名前:駄作屋 投稿日:2003年07月26日(土)19時33分32秒
以下、宣伝。
更新滞ってるときに言いにくいのですが、
ごくごく短い小説(いちごまです)を
サイトにあげました。
http://www.neoweb.jp/leve-i/top.html
階層が深いので、ダイレクトに小説だけ読む人はこちら。
http://www.neoweb.jp/level-i/novel/role.html
もうひとつ、春先によそ様のサイトにあげさせて
もらったのがあるので、そっちもお知らせ。
うちと違って有名だと思うので、
すでにご存知の方も多いかもしれませんが。
『ピイス』というサイト
(ttp://members.tripod.co.jp/p_cellophane/p_cover.html)
に『ガードレール』というのを寄稿しました。
こちらも短いですが(こっちはよしごまです)。
両方、ひたすら地味な話ですが、
お暇なときにでも読んでいただければ幸いです。
以上、宣伝。
- 328 名前:駄作屋 投稿日:2003年07月26日(土)19時34分13秒
レスありがとうございます。
レスは心のオアシスです。
>>303
ほんわかモードもちませんでした、すみません。
黒い作者を許してください。
>>304
304さんのレスほどカッコイイこと考えて書いたわけじゃ
なかったんですが、うれしいです。
感想のが作品より綺麗だ(笑)。
>>305 名無しミトコンドリアさん
今回も展開はしたんですが、こんなことに。
かわいい子には旅をさせよ、かな…。
>>306
うわ、うれしい感想だ。ポストの辺りとか、
ああいう余分を書くのが大好きなんです。
>>307
映画はそれですね、宮崎駿監督がお好きな。
パンフ買うほどじゃないけど、空の色合いとか
印象に残って、好きでした。バルチャかわいい(笑)。
>>308-310
保全ありがとうございます。
あやうく2ヶ月あくとこだった…。
309さんの保全かわいいですね(笑)。
それでは、また、そのうちに。
- 329 名前:駄作屋 投稿日:2003年07月26日(土)19時45分01秒
すいません。
サイトURLまちがってました…。
正しくは
http://www.neoweb.jp/level-i/top.html
小説のほうは上ので飛べるはずです。
ごめんなさい。
- 330 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月27日(日)02時29分38秒
- ぅお、更新されてるーやった!待ってました。
自分が考えていたよりずっと複雑な展開で、読んでると何時の間にか口ポカーンです。
マターリ更新でも何でも続いてくれてればいいです。最後までついてきますので
頑張ってください。
ではこれから駄作屋さんの短編読みに飛ぶかな…
- 331 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月27日(日)10時51分11秒
- いや俺はなっちが馬鹿だという説を推すよ。
『なっちの瞳は薄暗いところでもよく光る。』こういうのを一個見れただけで何ヶ月でも待てる気がするよ。いやゴメンなさい、嘘です。
それにしてもやっぱり面白い。面白いと感じたとき湧き上がる感情が僕には2パターンあって、悔しいか嬉しいなんだけど、この小説は悔しいパターンです。特に意味は無いです。意味が無いなら喋るなってね。
作者で読むのは好きじゃないけど、駄作屋さんの作品を読む時の一つの楽しみは駄作屋さんの言う余分な部分と娘。以外の他人の描写です。心臓をナイフでペタペタ触られてる感じがします。おわり
- 332 名前:初レス 投稿日:2003年07月28日(月)14時20分10秒
- 安倍さんは天使だと信じきっていたので、
展開が痛すぎて、痛すぎて。……読んでて吐き気がするくらいでした。
安倍さん卒業を祝って、安倍さんを天使に戻すってのは?(笑)
- 333 名前:名無し読者。 投稿日:2003年07月30日(水)04時39分36秒
- 堕天使も天使のうち
つーか、 (・∀・)イイヨ!テンカイ
個々のキャラの生き様がなんとも言えない面白み
- 334 名前:名無しミトコンドリア 投稿日:2003年08月02日(土)20時47分28秒
- うむむ。やはり駄作屋さんの小説は甘甘にならんのかー!!
( ´ Д `)<……んぁ
今回ばかりは安倍さんがまっ黒に見えます(w
誰か後藤さんを救ってあげて…(マジで。
- 335 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月24日(日)00時16分47秒
- そろそろ続きがよみたいです
- 336 名前:『edge』 投稿日:2003年08月31日(日)22時41分29秒
ケータイが震えた。
ディスプレイも見ないで、反射的に通話ボタンを押す。
「よかった、つながって」
ねじこまれた声は、なっちの次に聞きたくない相手のものだった。
「ごめん、切るね」
「アホ、切るな! アホか、あんたは。ひどいやっちゃなぁ」
「うん、ごめん。でも切る」
そう言いながら、あたしは通話を切るボタンを押せなかった。
電話を耳から離すこともできなかった。
裕ちゃんの声が、24時間と離れてないのに、懐かしかった。
「今どこにおるんよ?」
「どこだろ」
「後藤。後藤、聞こえてるか? 近くまで来てんねん。今あんたがおるとこまで行くか
ら」
裕ちゃんはあたしに理解させようと、ゆっくりと発音したけれど、あたしには裕ちゃんがどうして、あたしの『近くまで来てる』とわかるのか、わからなかった。
不明などんな何も今、どうでもよかったけれど。
- 337 名前:『edge』 投稿日:2003年08月31日(日)22時42分22秒
「遠いからいいよ」
「寝言いらんねん。はよ目印言い」
「右っかわにうさんくさい占い師」
「後藤」
「横断歩道の向こう、頭つんつんのキャッチの兄ちゃん」
「後藤」
裕ちゃんは懸命だ。あたしなど放っておけばいいのに、なんだか力をこめて、あたしの名を呼ぶ。
「ケータイ新機種発売だってさ、ジャンパーの店員いっぱい」
「後藤!」
それが泣けるくらい嬉しいあたしは、なんて勝手なのだろう。
「――駅、東口。コイン・ロッカーの前」
あたしは脆い。
「わかった」
「迎えに来て」
蚊の鳴くような、っていうんだろう、あたしの声は虫の羽音に似ていた。
「迎えに、来てほしい」
「すぐ行く」
- 338 名前:『edge』 投稿日:2003年08月31日(日)22時43分33秒
裕ちゃんは本当に、すぐに来た。
あたしは待っていることが恥ずかしくて、3分と経たずに歩き出したのに、数メートルと歩かないうちに短いクラクションが鳴った。
「どこ行くんよ」
車から降りた裕ちゃんは、今まで聞いたこともない柔らかさで、アホ、と言った。
まったくその通りだと思ったので、言い返せなかった。
わざわざ助手席のドアを開けて、裕ちゃんはあたしを黒のセダンに乗せた。
「送るか?」
エンジンをかけながら訊いてくる。
「帰りたくない」
「ん」
平然と頷いた。
「行きたいとこは?」
「どこでもいいよ。こことうち以外、どこでもいいから出して」
強い演技がもう、まるで出来ないで、窓の外に視線を逃がすのが関の山だった。
- 339 名前:『edge』 投稿日:2003年08月31日(日)22時44分10秒
「連れて帰ってもいいんかな」
自宅へ招かれたことはなかった。
なんとなくマズイなと思ったけれど、裕ちゃんの匂いばかりする部屋を想像したら、そこがいいと思った。思ってしまった。
「泊めてくれる? おとなしくしてるから、床でいいからさ…明日ちゃんと、違う時間に出るから」
裕ちゃんは右手でハンドルを操りながら、左手であたしの頭をかきまぜた。
「歯ブラシ、買わんとね」
なっちの指が触れたときの、頬の温もりを思い出した。
その後での、初めての体温だったから。
髪の間にやさしい指先を感じながら、あたしはますます窓に正対した。
大型電器店の黄色いネオンが視界で膨らんで、車が走り出したら、飛び散った。
- 340 名前:『edge』 投稿日:2003年08月31日(日)22時44分52秒
* * * * *
首都高に乗っても車内は、北欧系らしい女が、訛りの強い英語を短調の旋律に乗せるばかりだった。
「今日、仕事は?」
裕ちゃんが訊いてこないから、あたしが尋ねた。
「新田君に代わってもらった」
「急によくつかまったね」
「急ていうか、まぁ昨日のうちに連絡とったけど」
昨日、あたしがなっちと出かけるとわかった時点で、早番の社員に電話をかけた、と裕ちゃんは言った。
「知ってたんだ」
なっちがあたしに優しかった理由も、今日の「デート・スポット」も。
『なっちとは行くな、言うてんねん』―――嫉妬だと思い込んでいたものは、愚かなあたしへの心配だった。
「貸しホール、行ったん?」
裕ちゃんは深いところまで見えていた。あたしが、見えてなかった。
「バカみたいだね」
言うなり、また目に水が溜まり始めて、あたしはそれを落とさないように、顔を少し上向けた。
- 341 名前:『edge』 投稿日:2003年08月31日(日)22時45分25秒
裕ちゃんは、否定も肯定もせずに、ちょっと苦い顔で笑った。
「あたしも行ったことあるんよ」
お前だけじゃないと、慰めるために裕ちゃんは言い、けれど、あたしには慰めにならなかった。
あたしはまだ、あたし一人がバカならいいと思っていたからだ。
他の「被害者」と同じであることのほうが、辛かった。
あの人にとって、あたしが少しでも、他の誰かと違う意味を持っていてほしいと、こんな今なのに、そんな考えから抜け切れなかった。
裕ちゃんは、ふ、とこっちを見て、また前に目を戻した。
「なっちのこと、好きやったんやな」
「ちがうよ、好きじゃない」
1秒も置かず、声だって上ずらなかったのに、裕ちゃんは笑った。
「ごまかさんでいいんよ。なっちはいい子やからな。好きになったってええやんか」
裕ちゃんは、なっちのことを知っていて、それでもやっぱり、なっちを『いい子』だと言
う。あたしはわからなくなる。
今も好き、かもしれない、急には変えられない。だけど、『いい子』だとはもう、思えない。信じることは、できそうにない。
- 342 名前:『edge』 投稿日:2003年08月31日(日)22時46分09秒
「裕ちゃんは、いつごろ?」
なっちに貸しホールへ連れられたのはいつだったかと訊いた。
「う〜ん、半年くらい前やったかなぁ」
「半年、も……」
なっちが半年も前から、あれを続けていること以上に、あたしは裕ちゃんが気になった。
そのことの後でも、裕ちゃんは、なっちを悪く言ったことがなかったし、なっちの仕事にも全幅の信頼を置いていた―――少なくとも、そう見えたからだ。
「なっちはな」
あたしの頭の中を見通したように、裕ちゃんは話し始めた。
「専門学校出てんねん。ホテル専門や」
それは知っていた。
日本有数のマンモス大学の近くに、いわく「借家みたいに、ひっそり小さなビル」があって、中小企業のオフィスみたいなそこが自分の学び舎だったと、いつか話してくれた。
北海道から上京してきて、昔のフォークソングに出てきそうな四畳半一間に暮らしながら勉強したのだ、と。
恥ずかしそうで、懐かしそうだったのを思い出す。
- 343 名前:『edge』 投稿日:2003年08月31日(日)22時46分41秒
「この仕事が好きで入ってきた子なんよ。大卒で就職に困って、なんとなく入ったんやないねん」
古い畳のアパートから、華やかなホテル向けのサービスを身につけるための学校へ。
毎日の通学路でなっちは、何を考えただろう、あるいは考えなかったのだろうか。
『あたしはね、ホテルマンになりたかったんだ』。
言葉の意味が、今は少しわかる気がした。
わかるけれど、わかりたくなくて、袖の長すぎる服を着せられたように、心地が悪かった。
「やけど……、言いたくないけど、お給料は今年入った大卒の子の方が上なんよ。それはおかしいって、もう、みんなずっと言ってきてるけど、まだ変わってない。この会社のよくないとこなんや」
「だから? だからって、していいことじゃないじゃん。なんで、そんなにお金なんか……お金なんかさ!」
声が裏返る。感情的になってる。言葉はもう、続かない。
あの人のことを、わかりたい。わかりたくない。
加害者として断じてしまいたい、嫌いになりたい、楽がしたかった。
- 344 名前:『edge』 投稿日:2003年08月31日(日)22時48分56秒
「お金やないんよね」
裕ちゃんは困ったみたいに笑った。
ごめんなぁ、と謝るような、涙はないけど泣き笑いみたいな、そういう顔だった。
「会社からもらうお金って、評価やからな。自分のやる気とか、一生懸命勉強してきたこととか、そういう『なかっかわ』も見んと、勝手な数字つけられるって、わりとしんどいことなんよ」
イイワケになるんやけどね、とつぶやく顔は、やっぱり泣き笑いだった。
オトナ代表で、コドモに謝るような気持ちなのかもしれない。
「みんな、誰だってそうやねんけどね、やっぱり、特にしんどい目にあう人も出てきてしまうんや」
可哀相だと、思いたくなかった。
同じ境遇でも迷わない人は、きっとたくさんいる。なっちだけ、可哀相なはずがなかった。
裏腹に、許したくてたまらない気持ちが止められずに、あたしの中で、あたしが散り散りになっていく。
被害者は誰で、それなら加害者は。
胸に渦巻くのは同情のようで、でも確実にそれはきっと違う。
あたしは、あの人が―――嫌い。好き。
- 345 名前:『edge』 投稿日:2003年08月31日(日)22時49分33秒
「そうかといって、後藤を傷つけていいはずはないけどな」
また左の指が、あたしの髪を梳いた。
「別に傷ついてないよ。気にしてないし」
運転しながらのくせに、手つきが優しくて気に入らない、と思った。
「ガンコやなぁ、あんたは」
裕ちゃんはおかしそうに笑って、ハンドルを握りなおす。
あたしはガキ扱いされてるのがわかってイライラした。
ガキだからだ。
「下りてよ」
「なに」
「高速下りて。どこでもいいじゃん、ホテル行こうよ」
人を裁くことも、自省することも、すべてがうんざりだった。
全部、置き去りにして走りたい。
フロントガラスに、黒っぽい羽虫がぶち当たって死んだ。
「コドモがそんなこと言うもんやないよ」
「今さら。コドモ相手にしてんの、そっちでしょ」
裕ちゃんは、インターへの車線変更をせずに、少し強くアクセルを踏む。
「そうやな……。コドモ相手に、どうかしてるわ」
自嘲的な、その笑い方が、少し気になった。
- 346 名前:『edge』 投稿日:2003年08月31日(日)22時51分56秒
「裕ちゃん」
「もう眠り。着いたら起こしたるから」
「やだよ」
こんなままで眠りたくなかった。
みっともない寝言も、目を閉じて流す涙も、ごめんだ。
膝の上に投げたままの右手に、ふわりと体温が舞い降りた。
見返すと、裕ちゃんの横顔が赤い。
「怖い夢、来たら、追い払ったる」
「なんか、それ……そっちが先に夢見がちな感じだよね」
目の前のトラックが車線を変えたら、夜の道はまっすぐ遠くへ続いて見えた。
手はまだ重なっている。あたしの顔も、赤いのかもしれない。
手が離れた、と思ったら、首筋かかえるように抱き寄せられた。
時速110kmの車内のことで、上半身だけ裕ちゃんに引き寄せられる。
直線コースを横目に睨みながらの運転手の唇は、額に降りた。
「おやすみ」
性的な意味を含まないキスは、やけに気恥ずかしかった。
- 347 名前:『edge』 投稿日:2003年08月31日(日)22時52分40秒
「なんで……」
やさしくしてもらう理由が、どこにある。あたしのような人間の、どこに。
「なんやの、『なんで』て。理由要らんやろ。なんで、そんな心配そうな顔するん?」
「借りとか作んの、嫌いだし」
あたしは、すでにこの世界に対して借りがある、大きな借りが。
これ以上は背負えない。とっくに潰れそうな背中なのだから。
裕ちゃんは、どこまで知るのか知らないのか、もう両手でハンドルを操っている。
「まーた、かわいくないこと。借りなんか、すぐ返せるやろ」
「どうやって?」
「それはー……カラダとかカラダとかカラダとかな」
シャープな横顔がへらへら崩れた。
「………そんなにしたいなら今すれば?」
「今日はいいの。また今度たっぷり返してもらうから。もう自分こそゴチャゴチャ言わんと早よ、寝ぇよ」
「寝るけど」
「寝ぇ」
- 348 名前:『edge』 投稿日:2003年08月31日(日)22時53分18秒
シートは倒し気味に、裕ちゃんにも背を向けたけれど、黙ったまま数分、目を瞑ることができずにいた。
「あのさ」
窓の外がすっかり暗いし、カー・ステレオが歌わなくなったから、なんとなく、口を開いた。
「うん」
あたしが起きてることを知っていたような、短い返事。
「ほんとはね」
「うん」
裕ちゃんを見ないままで、それなら言えるかと思った。
「ちょっと、好きだったんだ」
「うん」
「ちょっと本気で、好きだった」
「うん」
よくしゃべる人が、あたしの言葉をただ受け入れるように聞いていた。
「裕ちゃん」
「うん」
「ここで謝ったら、自意識過剰になる?」
裕ちゃんは少し間をあけてから、いいや、と言った。
「ごめんね」
「………うん」
「眠ってもいい?」
「ええよ」
おやすみと裕ちゃんは言い、あたしは、「み」の音で目を閉じた。
悲しくても優しい夢を、きっと結べる気がした。
- 349 名前:駄作屋 投稿日:2003年08月31日(日)22時54分28秒
更新終了。レス感謝です。
>>330
口ポカーンでしたか(笑)。
わりと変な展開だったかも。
わかりやすいように書きたいですね。
>>331
うれしいお言葉ありがとうございます。
edgeに登場する「娘。以外」は性格が悪いので
私には書きやすいのかもしれません。
>>332
吐き気(苦笑)。それは申し訳ないことで。
今回は今回でなんか砂吐きそうに
甘いことになってます、ごめんなさい。
- 350 名前:駄作屋 投稿日:2003年08月31日(日)22時55分19秒
>>333
ナイスフォロー、ありがとうございます。
綺麗でないとこも含めて、
書いていけたらいいなと思います。
>>334
甘甘にはなりませんねぇ。
でも、今回更新分は私が書くものにしては
異例なほどの甘さかも。
>>335
すみません、あいかわらず1ヶ月以上あいて。
じっくり書いていこうと思ってます。
- 351 名前:駄作屋 投稿日:2003年08月31日(日)22時56分09秒
次回の更新もまた遠いかもですが、
ぼちぼち書いていきたいと思います。
それでは、また。
- 352 名前:名無しさん 投稿日:2003年09月01日(月)20時27分46秒
- 更新お疲れ様です。いつも読んでます
今回の裕ちゃんはとてもカッコよいですね。
そして、まだ未だになっちが後藤(+中澤)にした悪いことの意味がよくわからんのです。
もし良かったら教えてください(w
スレ汚しすいません。
- 353 名前:名無しさん 投稿日:2003年09月01日(月)21時50分50秒
- なんつーか、空気と言うか音と言うか、そういうのが良かったです。
暖かいというモノでもないんですけど、染み入るというモノでもないんですけど、なんか良かったです。
車のテールランプやビルの光が流れていくのが見えました。
あと羽音からの黒っぽい羽虫とかが好き。言い出したら切り無いけど。
- 354 名前:みかん 投稿日:2003/09/16(火) 17:04
- リストラからedgeまで一気に読ませていただきました!!
うまいですねぇ!!!
かなり引き込まれました!!
更新楽しみにしています!!
(気が早いですけどもし次回作書く時はまた吉澤→後藤を書いて
いただけるとうれしすぎです!)
- 355 名前:名無し読者 投稿日:2003/09/16(火) 23:48
- >>354
書き込む前にFAQ読もう。
- 356 名前:sage 投稿日:2003/09/26(金) 17:39
- 向こうお疲れ様でした。
此方もどうなるのか楽しみです。
- 357 名前:名無し読者 投稿日:2003/09/26(金) 21:36
- >>356
上の書き込み見えない?
sage方がわからないなら、もう一度faq読もう。
- 358 名前:名無し読者 投稿日:2003/09/29(月) 20:26
- こんな感じ?
- 359 名前:名無し読者 投稿日:2003/10/04(土) 11:13
- こんなとこでテストすんなよ…。(´Д`)
それはさておき…面白いです。
続きに期待してますので、マターリ頑張ってください。
- 360 名前:edge 投稿日:2003/10/13(月) 16:11
-
しゃぼんだまとんだ やねまでとんだ やねまでとんで こわれてきえた
しゃぼんだまきえた とばずにきえた うまれてすぐに こわれてきえた
- 361 名前:edge 投稿日:2003/10/13(月) 16:11
-
「表、看板下がってないよー」
「あ、いま下げます」
返事をしながらすれ違って、あと頼んだよと横顔が言い、あたしも横顔で聞く、午前0時。
見えない真後ろで今、小さな背中はどんどん遠ざかっていくのだろう。
胸は、前ほどには痛くない。
目を合わせない日は、もう2週間、続いていた。
なっちを「なっち」と呼べるようになって、その日のうちに呼べなくなり、それから14日が経つ。
鉄製の独立式看板の柄を両手で握った。
いつもより冷たくて、持ち上げれば、いつもより重い。
指先までが熱くなり、それでも体は疲れていると、そういうことが勝手に知れる。
しゃぼん玉がふくらんで壊れるような、あんな一日を引きずるほど、自分が夢見がちなやつだということは、これまで知らなかった。
- 362 名前:edge 投稿日:2003/10/13(月) 16:12
-
「今日もゴミでいいの、後藤」
パントリーに下がれば、デッキブラシ片手の同僚が、珍しく目を合わせてきた。
「うん、一人で行く」
たっぷりの生ゴミ、汚れた油、空いたビア樽、空き瓶が刺さったケース、店じゅうの灰を集めた専用の缶。
どれも重くて、それらを載せた台車は男でさえ、一人で地下まで導くのには時間がかかる。
実際、あたしが入るまで男ばかり四人だった深夜のバイトたちの間でも、それは二人がかりで担う仕事になっていた。
深夜帯に入りたての頃に何度か、誰かと組んで台車を押したり引いたりするうちに、あたしはゴミ集積場が気に入って、いつからか、ゴミ捨てはあたし一人の仕事になった。
「お前、ホント変わってんね。水嫌いとかだったりして」
ゴミを捨てに行かないバイトは、厨房やパントリーに水を流し、洗剤をぶちまけてデッキブラシでこすることになっている。
「水より長靴が嫌い」
短い髪を垂直に立てた男の足元を見やった。
白い長靴だが、中は真っ黒だ。もとから黒い布だったとは思うが、それだけとも思えない。
気を悪くするかと思ったが、「じゃ、まー気ぃつけて」と言っただけで、男はブラシに体重を乗せた。
あたしも両手に体重をかける。車輪は最初の一回転に、一番、力が要る。
わっし、とブラシが床を撫でる音が背中に聞こえて、台車はゆるゆる走り出した。
- 363 名前:edge 投稿日:2003/10/13(月) 16:13
-
ゴミ集積場は、いつも通りに音がなく、匂いばかりが強い。
ゴキブリを目でさがして、とりあえずは見当たらなかったから、壁にもたれた。
ここにいると、自分がゴミになる前の段階だということが、わかる。
ただ「前」であるだけで、処理されていく生ゴミと、大きなところで何も変わらない。
動きまわった後の呼吸が静まるにつれ、ゴミと自分の差異はどんどん小さくなっていく。
憂鬱な気持ちになり、そのくせ、どこかで安堵した。
ここでやることは、いつも同じ。
ゴミを、それぞれ所定の位置に片付けてしまえば、さしておいしいとも思わないタバコをふかすだけだ。
火打石のローラーをまわした親指に短い痛みが走り、今夜も小さく赤く、火がともる。
客はおろか、スタッフでも下っ端しか立ち入ることのない場所だ。
照明は最低限で、そのぶん火が美しい。これも、いつもと同じ。
ライターをベストの裏ポケットへ滑らせながら、けれど、何かが引っかかった。
タバコを左手に持ちかえながら、薄暗い壁に目をこらす。
何かの模様、いや誰かの落書き。
右の親指で、もう一度ローラーをまわした。
真っ赤な火を近づければ、黒くしか見えなかった壁が、本来の薄灰色の肌を現した。
- 364 名前:edge 投稿日:2003/10/13(月) 16:14
-
ノヴァーリス。
それが最初だった。
その下に、ディヌ・リパッティ。
さらに下は、テレンス・ジャッド。
まだ続く。
シュリーニヴァーサ・ラマヌジャン、
青木繁、
エゴン・シーレ、
リヒャルト・ゲルステル、
ジネット・ヌヴー、
富田木歩、
ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージ。
ジョヴァンニの下、レイモン・ラディゲで落書きは終わっている。
動悸がした。
手元の火は消えていたけれど、もう一度つけることはしない。
落書きのうち、あたしが意味を知るのは2、3だったけど、それでも、全体としての意味は、もう理解できていた。
黒のボールペンだろうか、落書きの字は細かった。
インクが薄かったのか、時が経ったせいなのか、ところどころ、かすれている。
昨日かもしれないし、3年前かもしれない。
どれくらい前に書かれたものなのか、見当もつかなかった。
書いたのは、とっくに辞めて、もうここにいない人間かもしれないし、あるいは―――、もうこの世にいない人間かもしれなかった。
- 365 名前:edge 投稿日:2003/10/13(月) 16:15
-
陰気で、人づきあいが下手で、プライドだけは高く、自分が大好きで、同時に自分が大嫌い。
この壁の前に立ったのは、きっと、そんな人間だ。
タバコをくわえて、エゴン・シーレに紫煙を吹きつける。
ベストの、これは表側についた胸ポケットから、ペンを右手にとった。
くるり、と一度まわし、煙を吐いて、二度まわす。
今度は左手にライター、右手にはペンを。そして吸い込まれるように右手を壁へ近づけた。
無意識に近かったのだと思う。
レイモン・ラティゲの下に書かれたばかりの文字列は、自分のもののようには思えなかった。
福田 明日香
忘れえぬ名前を、あたしは呆然と見つめた。
たったいま見つけた名であるかのように、胸のポンプは激しく伸び縮みを繰り返す。
タバコはもう、火傷しそうに短くなっていた。
- 366 名前:駄作屋 投稿日:2003/10/13(月) 16:17
-
更新終了。
あいかわらず遅くて申し訳ありません。
しかも少量で。
レス、ありがとうございます。
>>352
わかりにくかったようで、すみません。
正直なところを言えば、ご質問は
芸人に「今の、どこが面白いの」と訊くのと
同じ意味合いのことだと思います。
反省材料とさせていただきつつ、
作者としては答えたくないのが本心です。
とはいえ、こちらもプロじゃないのだから、
ここで「答えません!」というのもどうかと思いました。
メール欄にほぼ答えとなる単語を書きましたので、
それでご勘弁いただけますでしょうか。
今後は、なるべくわかりやすい表現を目指したいと思います。
- 367 名前:駄作屋 投稿日:2003/10/13(月) 16:19
-
>>353
作者も、前回更新分では「羽虫」の文を一番気に入ってます。
とてもうれしいです、ありがとう。
>>354 みかん様
長いものを一気読み、ありがとうございます。
次回作は当分なさそうですが、edgeも楽しんで
いただけるものになるよう、がんばります。
>>356
緑板の方も読んでいただけたようで、ありがとうございます。
こちらは小さな話にしたいと思っています。
楽しんでいただければ幸いです。
>>359
本当に「マターリ」で恐縮です。
よろしければ今後も期待せずに、ときどき覗いてみてください。
◇◇◇◇◇ 読んでくださる皆さんへ ◇◇◇◇◇
私は、自分のスレが上がってようが下がってようが
基本的に気にならないのですが、
同じ板で連載中の作者さんのなかには、
ポリシーを持ってage更新している方もいらっしゃるかもしれません。
そういうスレを、自スレが感想レスで
飛び越えてしまうのは恐縮に思います。
感想をくださる方は、sage
(メール欄に半角で「sage」と入力すると、
書き込んでもスレッドが上がらない仕組みです)
で書き込んでいただければ幸いです。
- 368 名前:駄作屋 投稿日:2003/10/13(月) 16:19
-
次回はなるべく早めの更新を心がけたいと…
これ何回、言ってるんだろう、すみません。
保全などは自分でしますので、
待てる方は待ってみてください。
- 369 名前:名無し 投稿日:2003/10/14(火) 21:36
- むひー。かっけー。
福田さんをそう使ってくるのか。
壁に書かれた名前達と、冒頭のしゃぼん玉の歌詞の引用が実に巧み。
続きがとても楽しみです。
- 370 名前:名無し読者 投稿日:2003/10/23(木) 04:25
- 待ってます。
- 371 名前:みかん 投稿日:2003/11/08(土) 16:04
- やっぱり駄作屋さんに作品大好きです!!
頑張って下さい!!
- 372 名前:名無し読者 投稿日:2003/11/11(火) 02:39
- 保全
- 373 名前:『edge』 投稿日:2003/11/21(金) 08:16
-
* * * * *
ホテルを出るなり、ケータイを耳にあてがった。
留守番電話サービスの無機質なガイダンスの途中で、ボタンの「1」を押す。
「あ、もしもし。中澤ですけど」
予想した声とは違ったけれど、意外でもなかった。
「後藤、明日、休みやろ。あたしも早番やし、晩ゴハンどうかと思ったんやけど。また電話するわ」
裕ちゃんは、最大の60秒どころか30秒と使わずに、あっさりとメッセージを終えていた。らしい、と言えば、らしい。
14日前から、あたしたちの空気は、これまでより少しばかり親密で、前よりも自然に電話をかけたり、折り返したりできるようになっていた。
- 374 名前:『edge』 投稿日:2003/11/21(金) 08:17
-
それでも、明日だけは、断らなければ。
メッセージを消去して通話を切ろうとしたとき、自動的に2番目のメッセージが流れ始めた。
「おーい、ごっちん。もう寝ちゃったかな。あ、ええと保田です、久しぶりー」
待ち望んだ声が、するりと耳へ入り込む。
「えっと、明日だよね。昨日、電話して掃除もお願いしといたよ。ちゃんと明日には、綺麗になってると思います。あ、お花ねぇ、あたしも持ってくから、あんまり大きいのじゃなくてオッケーだよ。それで、なんだっけ…あ、明日の時間だ。夕方にしないかな、と思って。こっちは16時に早退しちゃうから、17時前には霊園に着く感じなんだよね。それだと、お参りの後で、おいしいもの食べに行くとかさ、できるし。どうかな? また朝にでも電話」
そこで切れていた。
「要領わる…」
思わずつぶやきながら、そういうところが圭ちゃんだよな、と思う。
圭ちゃんとは、あたしが11のときに出会って、13からは、めったに会えなくなった。
それでも、大人になりきれない時間を見せた相手で、いまだに縁の続いてる、唯一の人だ。
- 375 名前:『edge』 投稿日:2003/11/21(金) 08:18
-
用件をギリギリ伝え終えてあったからだろう、追加のメッセージはなかった。
あたしは、夜中の2時過ぎに起きている人のほうへ、折り返しの電話を入れる。
「もしもし」
呼び出し音は2回だけだった。
「今あがった、仕事。ごめん、遅くに」
「ん、お疲れさん」
「留守電、聞いたんだけどさ」
「あかんの?」
裕ちゃんはいつもながら察しがよくて、そのぶん、あたしは申し訳ない気持ちになる。
「うん、明日はダメなんだけど。明後日とか、その次とか」
「明日、出かけるん?」
「え、うん」
「一人で行くん?」
意図がわからなかった。嫉妬かとも思ったけれど、響きはそれらしくない。
「トモダチ、みたいな人、いっしょなんだけど」
人との関係を説明するのが、苦手だ。
『友達』や『恋人』は、言った途端に片思いになりそうで、口に出すのが億劫になる。
- 376 名前:『edge』 投稿日:2003/11/21(金) 08:18
-
「そっか、ならええわ」
「なに?」
「なに、て訊くんか」
電話の向こうが遠く感じた。電波が悪いのか、裕ちゃんが伝えたがらないのか、聞き取りにくかった。
「裕ちゃん?」
「明日がなんの日か、あたしも知ってるんよ」
この時間、この辺りには少ない空車のタクシーが、通り過ぎていった。
拾わなくてはと思うけれど、電話が切れないから無理だ、と同時に思った。
「雇用主は、正確にはホテルやけど、まぁ、あんたの件に関しては責任者やからな。あんた去年のこのころ、休みがちやったし」
教えた覚えのないことを知っていることについて、裕ちゃんはそう説明した。
あたしは口をきけなかった。
「ごめん、悪かったわ。自分が苛つくからて、やらしいブチまけ方した、今」
「ううん」
明日のことなら、知られてかまわなかった。
むしろ、裕ちゃんに『苛つく』とまで言わせてしまったことを、後悔していた。
そうまでして黙っていることでもなかったのに。
- 377 名前:『edge』 投稿日:2003/11/21(金) 08:19
-
「もしかして、この電話で水向けたら、話してくれへんかなって、ちょっと思った」
乾いた笑いといっしょに届けられた言葉だったから、息苦しさを感じた。
「ごめん。でも別に―――」
「そこで謝るんはカンベンやわ」
失敗した、と思った。怒らせた。それよりも、悲しませた。
「裕ちゃん」
「うざ」
裕ちゃんはもう、あたしに話をさせてくれそうになかった。
「あ、違うで、あたしが。あたし、ウザイなぁ、何この電話。ありえへんわ」
ありえへん、と繰り返した声が小さくて、あたしは無意味にうろうろうろ、と歩き回った。
「どんどん、奥まで見たくなるねん」
あんまり声が真剣に響きすぎたからだろう、裕ちゃんは「エッチな意味ちゃうで」と自分で茶化した。
「隠そうとか、思ったわけじゃないよ。そんな、意味あることじゃないからさ、もう、時間も経ってるし。普通に病気で、ごく穏やかに死んだし」
いいわけじゃない。嘘は少し、混ざったかもしれない。
彼女の死の一年ほど前から、あたしたちは離れて暮らしていて、その死をどう受け止めていいのか、あたしはいまだに測りかねていた。
- 378 名前:『edge』 投稿日:2003/11/21(金) 08:19
-
「もうええよ。あんたが申し訳なく思うようなことやないねん、これは」
イライラと、あたしは道の数メートル分ばかり、行ったり来たりしていた。
動物園の檻に暮らす、不機嫌な生きもののように、同じところを何度も。
「親切に親切で返すことはできても」
続きを待った。
長いため息になるだけだった。
「裕ちゃん」
「ごめん。また来週あたり、おいしいもん食べに行こか」
頷くのが、あたしにできる全て。
足は、電話を切ってはじめて、止まった。
止まると道は急に温度を落とす。
風が吹きすさび、街灯は黄色くにごっていた。
緑色のタクシーが来て、あたしはそれに乗った。
- 379 名前:駄作屋 投稿日:2003/11/21(金) 08:23
-
更新終了。みじかっ…。
>>369
ありがとうございます。
読んでほしいところを読んでもらってるなぁ、
と感じて、うれしかったです。
>>370
ありがとうございます。
まったり、お願いします。
>>371 みかんさん
どうもありがとうございます。
ぼちぼち、がんばります。
>>372
保全ありがとうございます。
- 380 名前:駄作屋 投稿日:2003/11/21(金) 08:25
-
前回更新の最後から5行目
>>365
×ラティゲ→○ラディゲ
です。失礼しました。見落とし。
- 381 名前:駄作屋 投稿日:2003/11/21(金) 08:28
-
去年の今日は『リストラ』を完結させてた。
もう1年。うわー、はえー。
ま、『edge』はぼちぼちと……。
それでは、また。
- 382 名前:みかん 投稿日:2003/11/23(日) 03:46
- 更新だぁ〜!!
嬉しすぎです!!
- 383 名前:駄作屋 投稿日:2003/12/03(水) 23:48
-
* * *
墓石にかける言葉は見つからなくて、あたしは膝を折り目を閉じ手を合わせながら、その実、亡き人に届けるどんな文章も念じなかった。
目を開けても、こんにゃく色した石があるだけで、死んだ人の影もない。
線香から煙がのぼり、まだ古くはない石の肌を水が下りていく。
奇妙に遠い風景だった。
刻まれた文字は、確かにあたしの母親の名前で、けれど、まるで知らない名前にも見えた。
四十九日法要はそれなりにこなしたけれど、一周忌の今日は、法要そのものを取りやめている。
人の口の端にのぼることを気にした弱い女を、今さら「主役」にはしたくなかった。
お悔やみの「まだ若かったのに」さえ、「お気の毒ね」というより、「どうしてこうなった
かって、やっぱり心労が」につなげて聞いてしまう故人だ。
かわいそうな人だった。
- 384 名前:駄作屋 投稿日:2003/12/03(水) 23:48
-
「終わった?」
遠慮がちに、下がったところから言うのが、圭ちゃんらしい。
「うん」
あたしが振り返って初めて、安心したように近づいてくる。
香水が控えめに鼻をくすぐった。
ちょっとラメが入ったベージュのニットに黒のパンツという出で立ちは、いかにも都心の街並みに似つかわしくて、圭ちゃんが職場を都内に移して3年になることをふいに思い出した。
「いいお墓だね」
「駅から遠いけど。ごめんね、圭ちゃん、今日」
緑の多い環境は悪くないにしても、駅からバスで15分は揺られなくちゃならないし、霊園に入ってから石の階段を数え切れないほど登る。
そんなところへ仕事を早退してまでやって来て、あたしが来るまでに、白や薄紅の花を飾ってくれた。
灰色の四角の組み合わせだけになった母の住まいを、娘に見せたくないと思ったのかもしれない。
「ちょっとは大人になったかと思ったけど」と圭ちゃんは苦笑いを浮かべた。
「あいかわらず言葉を知らないよね。そういうときは『ありがとう』って言うんだよ」
遠慮のない手が、あたしの頭を撫でて離れていった。
- 385 名前:駄作屋 投稿日:2003/12/03(水) 23:49
-
「そっちこそ、あいかわらずだよ。ぐしゃぐしゃになるじゃん」
「そうだそうだ、あんたランドセルしょってる頃から、髪が乱れるとかナマイキ言っちゃってさぁ」
「ランドセルなんてダサイもん、しょってないよ」
「まだ小学生なのに、って意味よ」
「そっちだって、紺のスカートとか穿いてたじゃん、だっさい制服でさ。似合ってたけどね」
「あんた、本当にあいかわらずよね」
『本当に』のところを力いっぱい恨めしそうに言った後で、圭ちゃんは愉快そうに笑った。
夕暮れの風が石の間をひとわたりして、花は小さく揺れた。
「困ったことない?」
会うたびの質問を、圭ちゃんは今日もやっぱり口にする。
あたしは笑った。
「英語の教科書に出てくる店員みたい」
「何それ」
「"May I help you ?"って何はなくとも言うじゃん。お決まりのやつ」
圭ちゃんは即座に何か言おうとして、それを飲み込んだ。怒鳴ろうとして、やめたのかもしれない。
「お決まりで言うんじゃないんだけどね、あたしは」
比較的、穏やかそうに言われてみて、急に申し訳ない気持ちになった。
「ごめん。大丈夫。全部うまくいってる」
明日香とよっすぃ〜と裕ちゃんとなっちと高橋の顔が、嘘を責めたがるみたいに、いちどきに脳裏に浮かんだ。
次の瞬間に、平然とあたしが消した。
- 386 名前:駄作屋 投稿日:2003/12/03(水) 23:50
-
ちゃんと食べてるのか。
仕事は辛くないのか。
酒は飲みすぎるな(飲むなとは言わないところが圭ちゃんだ)。
周りの人と仲良くしているか。
圭ちゃんは「田舎のおふくろさん」のようなことを、ひとしきり尋ねて、あたしはもちろん、その全てにイエスで答えた。
笑顔までサービスしたけれど、ただひとつ、間を置いた最後の質問にだけ、答えられなかった。
「送金、まだ続けてるの」
あたしは立ち上がって、墓石に正対する位置を避けた。
「やめる理由ないし」
歯切れが悪くなるのは、この後に言われることがわかっているからだ。
「何年経った?」
「3年、と…8カ月」
だいたいの数字は予想できたはずなのに、圭ちゃんはわざと大きくため息をつく。
「いつまで、そんなこと」
「いつとか、あたしが決めることじゃないから」
「先方はなんておっしゃってるの」
あたしは黙って首を横へ振った。
3年8カ月前のあの日から、一度も会わない。
- 387 名前:駄作屋 投稿日:2003/12/03(水) 23:50
-
「もう、忘れてもいいんじゃないかな」
「やめて」
借金を返しているのとは、わけが違った。
もっとも借金だとしたら、完済の日は来ないだろう、あたしが死ぬまで。
「もういいとか、まだダメとか、決められるわけないよ」
圭ちゃんは、あたしの隣にまっすぐ立ったまま、顔だけを伏せた。
「ごめん。無神経」
風がまた冷たさを増した。
だけど、と圭ちゃんは言った。
「そのために、また危ない仕事してるんじゃないかって。あたしは、あちらのご家族より、あんたのことが気になるよ」
お前を心配している、と正面から言われることに慣れない。
あたしは困ってしまって、ただ笑うしかなかった。
「大丈夫だよ。褒められた仕事はしてないけど、危ないことも、今はしてないし」
実際、裕ちゃんと『契約』してから、あたしの暮らしは落ち着いていた。
「そう……そうだね。そんなふうに見えるよ、今」
またちょっと背が伸びたかな、とあたしの頭上に手をかざして、圭ちゃんは気遣わしそうに笑った。
あからさまなことを言い過ぎたと思ったのかもしれない。
あたしは、気にしてないよ、という意味で、微笑みを返した。
- 388 名前:駄作屋 投稿日:2003/12/03(水) 23:51
-
しゃがんで、さっき活けたばかりの花を、気に入る向きに直しながら、
「あー、あのさぁ」
圭ちゃんは振り向かずに切り出した。
「お父さんのこと、なんだけど。あ、義理の」
実の父親なら、あたしが8つのときに死んだ。圭ちゃんが話題にするなら、あの男の方に決まっている。
「うん。どうかした?」
「近況っていうかね、そういうの、ちょっと聞いたから」
「へえ」
答えようがない。圭ちゃんは数秒待っていたけれど、あたしは何も足さなかった。
「ここに来るまでは言わないほうがいいのかと思ってたんだけど。でも顔見たら、なんか…今の真希になら、と思って。どうかな?」
「教えてもらっても別に。一時期、母さんのダンナだっただけの人だからさ。それだけだから」
「聞かない?」
自分から持ちかけたくせに、圭ちゃんは少しほっとした顔をした。
悪いことなんだと、それでわかった。
- 389 名前:駄作屋 投稿日:2003/12/03(水) 23:51
-
あたしは、悪いものに魅入られるように、問いを口にしていた。
「それ、あの男だけの話?」
あの男の娘に生まれついてしまった人のことを、あたしはずっと忘れたふりをしてきて、だから本当に忘れたことは、一度もなかった。
あたしと母があの家を逃げた後、あの化け物と取り残されてしまった、細い体の、気の強い、女の子のことだ。
「お姉さんのこともね、うん、少し聞いてる」
「そう」
お姉さん、という響きが意外と自分を強く揺さぶることに驚いた。
頭の中で、花火が爆ぜるように、記憶が返り咲く。
『今日から』
沈んだ紺色のセーラー服。風は真っ白なタイを少し揺らした。
『君のお姉さんだよ』
ありがちなシーンの、ありがちな言葉。
父親の手のひらに背を押されたあの人の、細い顎、強い視線。あの瞳。瞳。
- 390 名前:駄作屋 投稿日:2003/12/03(水) 23:52
-
「真希?」
「あ……うん」
長い針を右耳の後ろから左耳の後ろへ通すような、ひどくリアルな痛みを感じていた。
あの人に連なる記憶の全てが痛みに変換されているなら、それは、忘れるより罪なことかもしれないと思った。
「場所、変えよ? 立ってする話じゃないんでしょ」
墓は墓でしかなくても、それでも土の下で骨が聞くんじゃないかと思った。
―――おやすみ、母さん。
挨拶だけを無言のうちに伝えて、あたしは墓に背を向ける。
返事なら、彼女が生きてる頃からもう数年、この耳に届くことはなかった。
- 391 名前:駄作屋 投稿日:2003/12/03(水) 23:52
-
* * *
「よかったね」
帰りの電車で、明日香は笑った。
よく見れば、唇が酷薄そうに歪んでいるのであって、痛快に笑っているわけではないのがわかる。
「嫌いだったでしょ、当たり前だけど」
好きになれたはずはない。
あたしの人生が、いつからか、まっとうな道をはずれたとして、どこかでボタンをかけ違えたとして、ボタンの最初のひとつは、あいつに違いなかった。
「死ぬんだって。ラッキーじゃん」
明日香は、人の憎しみを喜ぶ。
あたしの汚いところを好んで暴きたて、くすくす笑うのだ。
もう遠いところにいたのだから関係ない、ラッキーだとも思わない―――あたしの言うことは、どうしても明日香の言うことより、いつも何かが弱かった。
「お母さんと同じ病気だってさ。皮肉みたいだね」
現代日本人に最も多い死因を、知り合い二人がたまたま共有したところで、それは因果でもなんでもない。
明日香の言うことは常に半ば以上がデタラメだ。
そのくせ、真実以上にあたしを揺らす。
- 392 名前:駄作屋 投稿日:2003/12/03(水) 23:53
-
「お姉さん、まだ生きてたんだね」
はっ、と顔を上げた。
明日香は吊革にだらしなく体重を預けて、あたしの顔を覗き込んだ。
空席はいくらでもあるのに座らないで、わざわざ、座るあたしの真正面に立っているのだ。
「とっくに殺されてるかと思ったよね」
やめろ、と言おうとした。
言うより早く、電車が悲鳴を上げた。
無理強いされて苦しそうに、車体が軋んで揺れ、すぐに止まる。
「停止信号です」
車掌の低い声を聞くと、あたしは明日香にものを言う気がしなくなった。
ほんの数秒で電車はまた動き出す。
明日香は吊革でバランスをとりながら体重を右足から左足、また右と移して遊び、もうあたしを見ない。
あたしの背中を流れる夜の街を瞳に映し、耳障りに達者な歌をうたいはじめた。
しゃぼんだまとんだ やねまでとんだ やねまでとんで こわれてきえた
しゃぼんだまきえた とばずにきえた うまれてすぐに こわれてきえた
- 393 名前:駄作屋 投稿日:2003/12/03(水) 23:54
-
更新終了。
久々にage。
- 394 名前:駄作屋 投稿日:2003/12/03(水) 23:54
-
>382 みかんさん
レスありがとうございます。
短い更新で申し訳なかったのですが
喜んでいただけると励みになります。
- 395 名前:駄作屋 投稿日:2003/12/03(水) 23:54
-
次回更新は年内にもう一度、たぶん。
それでは、また。
- 396 名前:みかん 投稿日:2003/12/04(木) 01:43
- 圭ちゃんと居る時のごっちんの表情が浮かんできて、、、
相変わらずうまいですねぇ!脱帽です!!
年内更新と言う事で嬉しい限りでございます!
- 397 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/06(土) 03:57
- 姉ちゃん……ま、まさか…。
ほんと、さだまさしの唄を思い出します
- 398 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/20(土) 08:24
- ここに書くべきではないのかもしれないけど
自サイトの方にこちらの小説をアップされなくなってしまっているようですが
その理由は何故なんでしょうか。
- 399 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/20(土) 08:40
- >>398
そういうのはほんと、ここでなく作者宛メールで聞いてくれまいか
- 400 名前:駄作屋 投稿日:2003/12/20(土) 23:59
-
>>398 名無し読者さん
URLが変わっただけで、公開しています。
こちらのサイトのリンク先をたどれば、どこかで
移転先に行き着くんじゃないかと思いますので、
特にここに新URLは晒さないことにします。
新サイトで長編を公開していない理由は、
デザイン変更の作業中だから、です。すみません。
このスレに貼った自サイトは、現在は単なる
テキスト・サイトになっていますので、
ブックマークやアンテナに登録してくださっている方は、
変更なり削除なり、していただければ幸いです。
感想レスが減っているところでなんなんですが、
原則、このスレは作者が小説を、
読者が感想を書くためにあるもんだと思ってます。
ご理解くださいますよう、お願いいたします。
- 401 名前:『edge』 投稿日:2003/12/21(日) 00:00
-
そしたら今日のぶん、と裕ちゃんは言った。
サイドボードに置かれる剥き出しの紙幣が、視界のはしに入る。
あたしはシーツにくるまりながら、裸が寒い季節になった、と思った。
「いいよ。いつかのお礼で」
なっちとデートをした日から、あたしたちは何度か契約のうちのことをしている。
一度や二度は代金をもらわないことにしようと思っていたのに、差し出されるものを返そうとするたび、裕ちゃんはシャワーや電話に逃げて、受け取らなかった。
「まあ、もらっとき」
今日もまた、札を財布へ戻そうとしない。
「なんで?」
裕ちゃんは答えずに、洗いたての髪をタオルごしに握り締めた。
「お礼させてって」
「してもらうけど、別に今やなくても」
「今でもいいじゃん」
「しつこいで」
言われた。
押し問答になったときは、先に冷めたふりでこれを言うのが、だいたい勝ちだと思う。
オセロなら四隅を取るとか、そういう類のセオリー。
- 402 名前:『edge』 投稿日:2003/12/21(日) 00:01
-
「無料サービスより、代金分のサービスしてもらいたいわ」
濡れたタオルを椅子の背に投げて、裕ちゃんはベッドに腰かけた。
細い体のくせに、動作が荒いせいで、ベッドが波打つ。
尖ったことを言われて、あたしも憮然とした。
「何それ」
「上の空やん、今日」
確認じゃなく、指摘だった。
裕ちゃんから何かを隠すことが、あたしは下手になってきている。
どうしてだか、わからないけど。
「お墓参り、なんかあったん」
「ないよ」
「即答やね」
裕ちゃんは鼻で笑った。
「『心理試験』て知ってる?」
こういう訊き方をするときは、答えを求めてないときだ。
あたしは黙る。
「小説やねんけどね」
案の定、裕ちゃんは答えを待たない。
- 403 名前:『edge』 投稿日:2003/12/21(日) 00:02
-
「取調べで、事件のこと、いろいろ訊くやんか。容疑者がそれに答える速さとかを警察が計る、いう話なんやけど」
「遅かったら犯人てこと?」
「普通はしどろもどろになったりして遅い人が犯人やと思うわな。でも、めちゃめちゃ速かったらどうか。即答ばっかりやったら」
言いたいことがわかったから、あたしはまた黙った。
「『心理試験』の犯人はそれで足がつくねん。こう訊かれたら、こう答えよいうの、前もって想像してて、それで回答が速すぎたから」
へえ、と気のない返事で、もう聞かなくていい、と意思表示したつもりだったけど、裕ちゃんは続けた。
「速すぎるのは犯人なんよね」
へえ、とあたしはもう一度つぶやいた。
「ああ、そうだ」
あたしは、体をうつ伏せに、首を持ち上げて裕ちゃんを見た。
「昨日って、バイト誰入ってたの」
話をそらされて不快にならないはずがなかったけれど、裕ちゃんも裕ちゃんで、誰やったかな、と当たり前に答える。
「よっすぃ〜とか愛ちゃんとか。なっちもおったし、あとは」
「そ。もういいや」
裕ちゃんとは別件を、あたしは調べていて、そちらの事件の容疑者は、あんまり多すぎた。
- 404 名前:『edge』 投稿日:2003/12/21(日) 00:02
-
「なんよ?」
「忙しかったみたいだから、悪かったなぁと思っただけ」
すらすら、デタラメを言いながら、推理ごっこは諦めなくちゃしょうがないなと思った。
考えてみれば、うちの店の人間とも限らない。
ゴミ集積場には、3つのレストランの従業員、それだけじゃない、宴会係、客室係、花屋、あたしの知らない顔がいくつも出入りする。
落書きは、だから、誰にでも可能だったはずなのだ。
「福田明日香」の下に、新しく「北村透谷」を書き記すことは、誰にでも、できた。
「なんでもかんでも秘密なんやな」
裕ちゃんが背中に覆いかぶさってきたので、事件の真相はなおさら遠ざかる。
そういえば、この人も昨日は仕事だったはずだ。
「ムカついてる?」
「何をわざわざ」
あたしを抱き寄せながら、裕ちゃんはぶっきらぼうに言い捨てる。
「だから、お礼、受け取ってくんないんだ」
納得して思わずつぶやいたら、裕ちゃんの眉間に皺が入った。
「後藤はたまに子供やね。なんでも言えばいいってもんやないと思うわ」
間近に迫る瞳に、好きだよ、と小声でささやいてみる。
裕ちゃんは少しだけ、動きを止めた。
「あんたのそういうとこ、あたしは嫌いや」
気分を害したように言い放ち、あたしが笑い出す前に唇は重なった。
- 405 名前:駄作屋 投稿日:2003/12/21(日) 00:04
-
ごくごく短いけど、更新、いったん終了。
>>396 みかんさん
ありがとうございます。
なんとか約束通り、更新。短いですが。
>>397 名無し読者さん
「まさか」かも。
ただ、意味合いは前と変わるんじゃないかと。
- 406 名前:駄作屋 投稿日:2003/12/21(日) 00:04
-
次回の予告編みたいな感じで、もう1レスだけ。
続きは、年内か年明け早々に。
- 407 名前:『edge』 投稿日:2003/12/21(日) 00:06
-
電話が鳴る。
レジ・カウンターの内側、この呼び出し音なら外線だ。
ビュッフェ営業も終わった22時過ぎ。外からにしては遅い着信だった。
下げかけたメニュー看板を、置き去りにして走る。
職場の電話には日に何十本と出るのに、なぜだろう、悪い電話だ、と思った。
「お待たせしました、レストランMajolicaです」
「ああ、どうも」
男の声は低く、抑揚がなかった。
電話は、やはり、悪いものだった。
- 408 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/21(日) 20:13
- 文章がシンプルというよりも、恐ろしくソリッドにスリムになって行きますね。
そういう場面だったのかもしれないけど、逆に新鮮でどんどん次が読みたくなりました。
- 409 名前:名無し読者 投稿日:2004/01/04(日) 01:47
- 年明け更新待ち
楽しみに待ってまつ
- 410 名前:『edge』 投稿日:2004/01/05(月) 22:17
-
駅長室は二度目だ。
同じ駅ではないけれど、昔、忘れ物を取りに入ったことがある。
中学生のときで、圭ちゃんがいっしょだった。
あたしたちは姉妹にでも見えたようで、駅員は親切だった。
今夜とは、似ているようで違う。
あたしはまた姉妹の役で、だけど今度は姉をやっていて、駅員の顔は硬かった。
「罪になるとしたら、器物損壊くらいでしょうけどね。でも、こういうことは、ちょっとねぇ」
はい、と答える声をいつもより低く抑える。
セキニンシャたりえるように、大人ぶる必要があった。
「様子もおかしいし、夜も遅いんでね、親御さんにと思ったんだけど。田舎からご姉妹で出てきてるって言うから」
初耳だが、ええ、と応じておく。
「あんまり似てないようだけど」
当たり前だ。赤の他人なのだから。
- 411 名前:『edge』 投稿日:2004/01/05(月) 22:18
-
「あの、よく言ってきかせますから」
視線を傍らへ流したけれど、申し訳ない顔をするべき人は、ぼんやりと自分の手を握ったり開いたりしていた。
援護は期待できそうもないので、駅員に目を戻して、「妹」の不始末を詫びる。
壁時計の長針が休まずに音を立て、合間あいまに駅員とあたしで言葉を差し挟んでいる気分になった。
高橋は、黙っていた。
* * *
思ったよりは早く帰してもらえた。
終電がなくなっては困るだろうと、駅員らしい気遣いだったのかもしれない。
解放されるまでに、普段になく、よくしゃべったので、駅長室を出た途端に口を開くのも億劫になった。
さっきまで沈黙を通していた高橋は、悪びれることなく、店は大丈夫だったのか、と訊いてきた。
店なら、後はバー営業だけだから、たいして問題はないだろう。
それでも、大丈夫だよ、と言ってやる気にはなれなかった。
「電話、あたしがとらなかったら、どうする気だったの」
- 412 名前:『edge』 投稿日:2004/01/05(月) 22:19
-
悪い電話は開口一番、「そちらに高橋真希さんはいらっしゃいますか」と言ったのだ。
知り合いの中に、高橋という名前は一人だし、店へかかってきた電話だから、それであたしは、高橋愛に何かがあったことを察した。
「なんとなく、後藤さんがとってくれると思って」
遠慮なく、ため息をついた。
思わせぶりな言い方をされるのはうんざりだ。
高橋は、あたしの不機嫌を察したのか、言葉を追加する。
「22時までしか知らないけど、後藤さん、だいたいレジ周りにいること多いし」
「それで」
「だから、深夜バイトって後藤さん以外は男の子だし、後藤さんが電話」
「そうじゃなくてさ」
どこまで、何を訊いていいんだか、わからない。
尋ねないほうが楽かもしれない、と思いながら、言葉を抑えなかった。
「なんで―――」
そういえば落書きは今夜も、「リリ・ブランジェ」が増えていて、あたしは普段より何割増しかで感情的になっている。
「なんで金魚、殺したの」
- 413 名前:『edge』 投稿日:2004/01/05(月) 22:19
-
ネオンテトラです、と高橋は訂正した。
「どっちでもいいよ。なんで殺したの」
「妹さん」が駅の水槽内の熱帯魚を手ですくって死なせてしまい、注意した駅員を突き飛ばしたので、駅長室に来てもらっている、と駅員は電話で告げた。
「殺そうとしたわけじゃないんですけど」
高橋は少し考え込むように、その右手を開いて、見つめた。
「ちょっと確かめたくなって」
焦点がぼけているらしいのが、横からでも見てとれた。
「何を」
あたしの短い問いで、高橋はちゃんと自分の手のひらに焦点をあてた。
「あの、ああいう水槽って、映像だけのやつ、あるから、最近」
名前は知らないが、魚が生きて泳いでいるように見せる装置なら、確かにあちこちの駅やらビルで見かける。
「それで、ホンモノかどうか、手で触ってみたわけ?」
「ホンモノかどうか、っていうより」
券売機の手前、2、3人の短い列に、それぞれ並ぶ。
人の耳を気にしたわけでもないだろうけど、高橋は言葉を続けなかった。
- 414 名前:『edge』 投稿日:2004/01/05(月) 22:20
-
「別にいいけど。それで、なんで、うちに電話が来んの」
正確には、あたしに、だ。
「後藤さんが、犯人だと思ったから」
昨日から、犯人扱いは二度目だな、と思った。
その程度にはまだ冷静だったが、次の言葉に呼吸が止まった。
「福田明日香って、誰ですか」
あたしたちは、並んだ券売機の正面へ同時に立ったところで、タッチパネルに向き合っており、だから、あたしはかろうじて、見られたくない顔を見られずに済んだ。
「なんの」
「ノヴァーリス」
言いかけるあたしを、高橋は落ち着きはらった声でさえぎる。
隣で硬貨が機械の奥へ落ちる音がして、あたしも指先で小銭を3枚、押し込んだ。
「ディヌ・リパッティ、テレンス・ジャッド、シュリーニヴァーサ・ラマヌジャン、青木繁、エゴン・シーレ、リヒャルト・ゲルステル、ジネット・ヌヴー、富田木歩、ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージ、レイモン・ラディゲ、福田明日香」
高橋は書かれたものを読むように、まるでつかえなかった。
- 415 名前:『edge』 投稿日:2004/01/05(月) 22:21
-
最低運賃だけを入れたから、タッチパネルに提示された数字は1つだったのに、あたしの人差し指は迷うように震えた。
「高橋、だったんだ……」
魚を握りつぶしたらしいこの女が、あの落書きの主犯(共犯はあたしだ)。
それは急に、もっともらしいことのように思えた。
あたしは、怖いのだろうか、脇腹がすうすう寒い、と思った。
高橋は猫が鳴くように小さく笑った。
「私だと思うんですか」
くだらない間違いを、と嘲るような響きがある。
主犯でも共犯でもなく、ただの傍観者。そんな可能性もあるのだろうか。
そう考えてみれば、そのほうがこの女らしい気もした。わからなくなる。
取り出し口を撫でて切符を取った。
誰かの手の脂か、かすかにぬめる感触。
自分の舌打ちさえ、耳障りだった。
- 416 名前:『edge』 投稿日:2004/01/05(月) 22:21
-
「どういう意味だと思いますか」
「さっきの、名前?」
用心深く尋ね返しておく。自白はまだ早い。
「そう、福田明日香までの」
わざわざ、明日香の名前を口にした。
明日香が誰であるか知らなくても、その名があたしを揺らすことに、高橋は気づいている。
「その後、北村透谷、リリ・ブランジェって続くんですけど。それって、どういうことだと思います?」
何を言わせたいのか、高橋の目は無邪気そうに輝いて、たとえば明日地球が壊れると知っても、この女は嬉々としてそれをあたしに伝えてくれるんだろうと思った。
改札機が無表情に切符を飲んだ。
- 417 名前:駄作屋 投稿日:2004/01/05(月) 22:22
-
更新終了。
変なとこで切ってごめんなさい。短いですね。
あ、新年あけまして……、遅いかな。
今年もよろしくお願いします。
>>408
文章は、削りまくるのが最近、自分の中で流行ってるんです。
ちょっとのことを味わってもらえて、自分は幸せな作者だな、と思います。
>>409
楽しみにしてもらえて、うれしいです。
更新量、少なくてごめんなさい。
それでは、また、そのうちに。
- 418 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/01/07(水) 03:28
- わぁー! わぁー! わぁーー!!
直接的と言うか攻撃的だな。
- 419 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/01/07(水) 06:58
- あけおめです!
更新お疲れ様でした★
つづききになるぅ〜って感じですね!
さすがですね☆
- 420 名前:名無し読者 投稿日:2004/01/10(土) 23:42
- ここにきてこの人が絡んでくるとは
なんかもう、ともかくハマるな。この小説…
展開が気になって気になってしかたない
- 421 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/01/12(月) 00:32
- 今年も貴方の文章が読めることに
幸せを感じます。
ますます、硬質な切れのよさが冴えてますね。
この小説の更新が、娘。関連で一番の関心事になっています。
フィクションがリアルを超える。大きな魅力がありますね。
- 422 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/01/12(月) 20:13
- タダすごいのひとことです。
- 423 名前:262 投稿日:2004/01/15(木) 17:37
- 久しぶりのレスです。更新、お疲れ様です。
安倍さんと高橋さんのキャラ、このふたりをこういう風に使うなんて・・
この設定を考えられた駄作屋さんの作品をずっと読ませていただきたいと
今更ながら思います。
あと私信で恐縮ですが、「緑の星」も読ませていただきました。(遅)
泣きました。すごい深いです。それしか表現出来ません。スイマセン・・
次回更新、まったりとお待ちしてます。
- 424 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/07(土) 08:58
- だいぶ気づくのが遅かったのですが、今、リストラを全部一気に読ませて頂きました。
何かもうホントに素晴らしいとしか言えません。
月並みな言葉ですが、感動しました。
ありがとうございます。
- 425 名前:『edge』 投稿日:2004/02/24(火) 00:18
-
「人の名前ならべただけじゃないの」
答えないこともできず、当り障りのない解をさがした。
回答を気に入ったのか入らないのか、高橋は快活そうな笑い声をたてた。
「後藤さんてホント、嘘とか平気な人ですよね」
ホームへ下りるエスカレーターに先に乗り、上目にあたしを見る。
隣を灰色のコートが通り過ぎる。せわしない布音。
「だったら」
声は自分ながら弱くて、誰かの靴音に消えそうだった。
ホームの白っぽいタイルが、いつもより急に近づいてくる。
「だったら、かまうの、やめれば」
タイルへ踏み出す第一歩で、高橋の背中に言った。
振り返る目が、わざとらしく丸くなる。意外そうなそぶりで。
「怒ったんですか」
ハイ怒っていますとか、イイエ怒っていませんとか、くだらないのでやめた。
「嘘ばっか言われると思うんだったら、話さなきゃいいじゃん」
「どんな嘘つくのか、興味あるんです」
怒ったら負け。怒ったら負け。どうしてか、そう思った。
言葉より、間髪入れないタイミングに、悪意を感じていた。
- 426 名前:『edge』 投稿日:2004/02/24(火) 00:18
-
高橋がわざと歩く速度をゆるめたので、あたしはしかたなく隣を歩いた。
二人並ぶあたしたちを、カツラっぽい七三分けが小さな舌打ちでかわす。
「後藤さんが私を嫌いなのって、私が後藤さんを好きだからなんですか」
猫の顔がかゆそうなので、明日は雨でしょうか。
たとえば、そんなことを言うのにふさわしい口ぶり。
「嘘つきは自分じゃん」
「どこが」
「自分を好きな人のことは嫌わないし、あたしは」
高橋の言うことは、後半が嘘で、前半は事実。
あたしは高橋なんか、本当のところ、嫌いだと思う。最初から。
「私が後藤さんを嫌ってるってことですか、それって」
そうなんじゃないの、と適当に答え、白線上に立つ太い女をよける。
「嫌われたら嫌い?」
「自分に優しくない人は嫌いなんだよね」
言ってみてから、あまりのいやしさにうんざりしてつけ加えた。
「優しい人も、好きではないけど」
より、みじめになった。
どうして、こんな地下鉄のホームで、こんな救いがたい話を、こんな高橋と。
頭の片隅だけがしっかりと我に返って、気持ち悪かった。
- 427 名前:『edge』 投稿日:2004/02/24(火) 00:19
-
「楽そうですよね、それ」と高橋は言った。
あたしたちは間もなくそれぞれ反対行きの電車へ乗るはずだったが、電光掲示は、ホームの右にも左にも、まだしばらくは電車が来ないと告げている。
「早ク電車ガ来ナイカナ」
高橋のセリフは、イヤミたらしい棒読みだった。
「思いませんでした? いま」
あたしは黙っていた。
高橋の前のあたしは、わりと良識派、のような気がする。
自分より変わった人間を見つけると、普段以上に自分を平均的な人間のように仕立てる癖があたしにはあって、それが勝手に発動する。
知らず、バランスをとりたがるのかもしれない。
目の前のおかしな女と同調せずに、まっとうらしいリアクションを返すことで。
誰の世界のためのバランスなのか、それは知らない。
- 428 名前:『edge』 投稿日:2004/02/24(火) 00:19
-
背中から音漏れのウォークマンが、ささやくように、やかましいビートを刻む。
「楽?」
黙ってればいいのに、言葉が勝手に出ていく。
しゃくしゃく速いビートのせいだ、という気がする。
高橋は、かすかに意外そうな顔をした。そんな気がしただけかもしれない。返答につまることはなかった。
「自分から動かないで、動いてる誰かを論評してればいいんだったら。それは、すごい楽。そう思いません?」
「熱血ぽいことも言えるんだね」
「別に責めたり、それで激励しようとかじゃないです。感想」
「友達、少ないよね。高橋、たぶん」
揶揄するつもりはなく、しみじみとあたしも感想を返した。
自分の言葉を耳で聞いてから、失礼だったかなと思ったけど、高橋は気にしないようだった。
「後藤さんに友達っぽいこと言ってどうするんですか」
少しの間を置いて、あたしを見る。
「言ってほしかったですか」
「まさか」
笑った。
- 429 名前:『edge』 投稿日:2004/02/24(火) 00:20
-
遠慮なく笑ってみて、ああもしかしたら、と思う。
高橋といるとしんどい感じがしたのは、もしかしたら、あたしが必死に常識的でいようとするからだったのかもしれない。
ふさわしくないときにも、好きに笑っていいなら、この女とも案外、それこそ楽に話せる気がした。
高橋は小さな笑い声を聞き逃さない。
形勢が微妙に変わりつつあることに焦るのか、今度は彼女の目が電光掲示を一瞬かすめる。
「わたしの見解だと」
勿体をつけるようにゆっくり言いながら、視線はあたしに戻ってくる。
「落書きをした人は、死にたがってる」
この目つきを、あたしは知ってる。これは誰かに似ている。
「へえ」
「気づいてますよね、共通項」
目が大きいというより、瞼が小さい顔だな、と思った。
覆われるべきものが剥き出し。そう考えると、高橋の大きな瞳が気の毒になった。
- 430 名前:『edge』 投稿日:2004/02/24(火) 00:20
-
「早くに亡くなった人ばっかりだよね」
気の毒がっていたせいだろうか、素直に答えてしまっていた。
高橋は一瞬黙って、あたしの目の、表面より奥へ、焦点を合わせてきた。
「夭逝しただけじゃ名前は残らないです」
落書きの名前は、ピアニストや数学者、画家。
なんらかの分野で名をはせた人で、そして若いうちに死んだ人だった。
地下鉄が隣の駅を出たと、電光掲示が点滅で知らせる。
あたしの電車だ。
「あれを書いた人は、だから、何かをやって死にたいんです」
奥歯を噛み締めたままでしゃべったら、こんな声になるのかもしれない。
彩色するなら、高橋の声に似合うのは、真夜中じゃなく夕暮れの色だった。
人の心がもっとも不安定になるらしい、あの時間の。
「覚えてもらって……それで死にたいんですよ」
意外と正直な人間なんだと思った。あたしなんかよりは、よっぽど。もしかしたら、誰より。
- 431 名前:『edge』 投稿日:2004/02/24(火) 00:21
-
「自分のことみたいに言うんだね」
気がつけば、あたしは微笑んでいた。
嘲笑のつもりはなかったけれど、かといって他のどんなつもりなのか、自分でもわからなかった。
高橋は眉を寄せ、一秒にも満たない間にそれを元に戻した。
白線の内側へお下がりください、とアナウンスの後に、風が吹いた。
「ちょっと違うと思う」
高橋が書いたのだとすれば、『違う』はずはないけど、言いながら、自分が間違ってるとも思わなかった。
「あの人たちがいるほうへ行ってもいい、と思ってる。行けたらいい、とも思ってるのかもしれない。でも」
心配になるほどの速さで、10両編成の車体が走ってくる。
「死にたがってるのとは、たぶん違うよ」
「自分のことみたいに言うんですね」
高橋は笑った。お返しのイヤミだったはずなのに、冷たい笑みには見えなかった。
車輪なのかレールなのか、どちらかが錆びくさく鳴いた。
似ているのは、福田明日香、その人だということに、あたしは遅まきに気づいた。
- 432 名前:『edge』 投稿日:2004/02/24(火) 00:21
-
「乗らないんですか」
「乗る」
ホームに吐き出された人の川が、あたしと高橋の間を流れた。
もう挨拶抜きでもいいかと思ったけれど、なんとなく、それじゃあ、と声を通した。
「お疲れ様です」
もらうと思わなかった返事を、もしかしたら、聞いた。
飲み会帰りの会社員が口々に同じことを言い合っている。
ふと、高橋の家へはもちろん、学校へも、ここは最寄じゃなかったなと気づく。
ネオンテトラはどんなふうに動かなくなっていったんだろう、と初めて考えた。
切符の角を、たしかめるみたいに親指でさわった。
乗り込んですぐに扉はかかとの後ろで閉まり、電車はめんどくさそうに走り始めた。
- 433 名前:駄作屋 投稿日:2004/02/24(火) 00:22
-
間あいたわりに短い更新。ごめんなさい。
>>418
新年特番で、ネタにマジレスの高橋さんを見て
初めて真剣にミスキャストだったのでは、と思いました……。
>>419
新年ぽいハイテンションなレスありがとうございます(笑)。
>>420
ありがとうございます。
おもしろい展開になるといいなぁ……(他人ごとのよう)。
>>421
ありがとうございます。面映いな。
娘。さんあっての娘。小説ですんで、
ハロモニの後、週に一度チェックする、くらいの感じで
マッタリお付き合いいただければ幸いです。
>>422
ありがとうございます、うれしいです。
>>423
別スレも読んでくださって、ありがとうございます。
>>424
『リストラ』、気に入ってもらえたようで、うれしいです。
長いものを読んでくださって、どうもありがとうございます。
- 434 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/01(月) 20:34
- 作者さんの中が、この二人のやり取りで少し覗けたような気がしました。
てか、哀さん萌え
- 435 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/03(水) 02:29
- 読むたび続きが気になる。後をひく小説だな
個人的に愛さんはハマり役だと思いますよ
- 436 名前:名無し読者 投稿日:2004/03/04(木) 10:58
- しかしほんとすごいですね。たしかに
登場人物はハロプロメンバーだけど
完全にそれを超越してますね。
楽しみです頑張ってください
- 437 名前:名無しレンジャー 投稿日:2004/03/12(金) 23:59
- >>434哀さんはやめれ
更新お疲れ様です。
悲しくても、こんなにいいお話を作れるということは、
作者さんは悲しい部分を十分に理解でき、受け止める事ができる、
寛大で穏やかな人なんだな、と改めて思いました。
無理せずに、更新してください。
いつでも待ってます。
- 438 名前:みかん 投稿日:2004/04/10(土) 16:10
- いつまでもまったり待たせていただきます☆
- 439 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/04(金) 01:55
- 待ってます
- 440 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/08(木) 21:34
- 待ちます
- 441 名前:『edge』 投稿日:2004/07/11(日) 13:28
-
「テンターン」
高い声が「タ」の後で長く延びる。
「トミー、テンタン先やってよ、ないの今もう」
洗い場を覗き込んだ社員は毎度の早口。
「はいはい、テンタンねぇ」
耳の遠い老人のような『トミー』の大声も毎度のことだ。
パントリーの一角にある洗い場は、業務用の洗浄機がフル稼働で、声はいつも通りづらかった。
「そうだよ、もう、はい早く早く」
汚れた10オンス・タンブラーがぎっしり入ったケースをトミーに押し付けて、社員はまた表へ出て行く。
「ほんと早くね、それ!」
言い残すのを背中に聞きながら、あたしはタンブラーをケースから4つ、両手に持つ。洗浄機にかけるとしばらく出てこないから、いくつかは手で洗っておいたほうがいい。
「後藤ちゃん、ごめんねぇ」
トミーは黒柳徹子によく似た顔で、のんびり微笑む。
「斉藤さんて、台風みたいだよねぇ」
けたたましかった社員を皮肉って、「台風みたい」とトミーはもう一度、言った。
- 442 名前:『edge』 投稿日:2004/07/11(日) 13:28
-
トミー。
洗い場のパートで、年はたぶん50過ぎ。苗字が富井だから、あだ名はトミー。
ホテルのオープンから10年以上、この店に勤めている。
当初はホールに出て接客をしたらしいけど、3年ほどが過ぎて、「若い人のほうが客も気楽だろう」という理由で契約内容を変更させられた。
本人が従業員食堂でいつか、一方的に語ったことだ。
洗い場の仕事は単調で人付き合いが要らなくて、自分に向いてる、とトミーは言う。あたしのほうこそ気楽なのよ、と笑う。
人付き合いを億劫がるトミーが、どうしてそれをあたしに話すのかは知らない。
大抵は他愛ない笑い話なのに、トミーと話すと、あたしはいつも暗い気持ちになった。
相槌すらろくに打たないあたしを、わざわざ話し相手に選ぶトミーが、あたしは嫌いで、なんとなく、実のところ、大嫌いだったのだ。
- 443 名前:『edge』 投稿日:2004/07/11(日) 13:29
-
ホールは、この時間にしては確かに混んでいるものの、どのテーブルも食事は済んでいる。
ホールのはしからはしまで歩いて戻ると、
「ようやくひと心地かな」
レジ・カウンターの中から、斉藤が言った。
「後藤も今日、行くよね?」
「今日ですか」
近くの居酒屋で送別会が始まっているはずだった。
始まってそして、そろそろ終わる頃だろう。さっき日付が変わった。
「5時までやるよ、多分」
見透かして、斉藤が先回りする。
「盛り上がってるよー、多分。あの子、顔広いから」
そうですね、と頷いて、時計を見た。
ラスト・オーダーの0時30分まで、まだしばらくある。
けれど、そのうち0時30分はやってくるし、仕事が2時に終われば、5時までは自由な時間になる。あたしには重荷のような時間だ。
送別会は、なっちのためのものだった。
- 444 名前:『edge』 投稿日:2004/07/11(日) 13:30
-
なっちの転勤の話を、あたしは裕ちゃんから聞いた。
「なっち、いなくなるで」とホテルの部屋で裕ちゃんは言った。
「そうなんだ。北海道?」
いつかいなくなる気がしていたから、あたしは寝そべったまま身じろぎもしなかった。
驚かないあたしに、裕ちゃんが少し驚いていた。
とっさに、北海道へ帰るのかと思ったけれど、そうではなかった。
神戸にある同系列のホテルへ、自分から異動願いを出したという。
「関係あるのかな、あのことと」
あの貸しホールの中に真実がひとつもないことに、なっちは気づいたのだろうか。
それとも、本当は最初から、知っていたのだろうか。
「どうやろうな」
裕ちゃんは、もう話したくなさそうにタバコを吸っていた。
その日は初めから機嫌が悪そうで、用が済むと目も合わせてこなかった。
「神戸に行ったら給料とか、どうなんの」
それに答えるときだけ、裕ちゃんはきちんとあたしの目を見た。
触れたくない話題だからこそ、そうしたんだろうと思う。
「変わらへんよ。給与体系、ここと一緒やからな」
裕ちゃんのことは、だいたいわかるようになっていた。
- 445 名前:『edge』 投稿日:2004/07/11(日) 13:30
-
職場の全員に報告があるまでの2週間、なっちはあたしに何も言わなかった。あたしも、なっちに話しかけたりはしなかった。どちらも、当たり前のことだと思う。
昨日はなっちの最後の勤務日で、22時にあがるときには、寄せ書きの色紙と赤い花束を受け取っていた。
数日前の更衣室で、よっすぃーがあたしに色紙を寄越したけれど、あたしはそれを休憩時間じゅう眺めただけで、高橋にまわした。
高橋はなにしろ高橋だから、あたしが書いてないことに気づいただろうけれど、珍しく何も言ってはこなかった。
「ありがとう」と色紙には、その言葉がいろんな筆跡で、いろんな色で、書かれていた。
なっちが大切にしてきた言葉を、あたしだけが、書けなかった。
みんなに惜しまれて店の裏手からなっちが出て行く、まさにそのとき、あたしはホールへ出ていた。
裕ちゃんが会計の済んだ客を見送りながら、「ここは大丈夫やで」と言った。
聞こえないふりをした。
明日香はその日、とても機嫌がよく、愉快そうな笑い声が、ほとんど途絶えずに聞こえていた。
- 446 名前:『edge』 投稿日:2004/07/11(日) 13:31
-
「後藤、もしかして行きたくないんだ、珍しいね」
斉藤は不思議そうな顔をした。
「飲み会とか、いつも出ませんよ」
「そうじゃなくて」
書き物をしてた斉藤の指が、ボールペンを一回転させる。
「なっちの送別会、行きたがらない人」
なっちは当然、誰からも好かれていた。
仕事はよくできたし、それでいて可愛げがあって、人にやさしかったから。
分け隔てなく、それこそ、あたしにまで、やさしいような人だったからだ。
「行きたくなくはないですよ、そんな」
鼻から空気を抜くように笑う。
そうしてみて、ふと気づいたことがあった。
「斉藤さん、行きたくないんですか」
なんとなく、そんな気がした。
- 447 名前:『edge』 投稿日:2004/07/11(日) 13:32
-
「え、行きたいよ。ていうか行くし」
反射みたいな素早さで斉藤は答えて、それから、あたしとよく似たやり方で笑った。
「なんか、おもしろいよね、後藤って」
今度は打ち明け話をするような笑い方をする。
真っ赤な唇が、どこか寂しそうに歪んだ。
「全然、嫌いとかじゃないんだけど」
一拍置いて、一段低い声で言う。あたしのことじゃない。
「なんだろ、羨ましいのかね」
なっちと似ないなっちの同期は、他人ごとのようにつぶやいた。
「ラスト・オーダー、まわってきます」
あたしたちは、お互いの言葉に返事をしなかった。
- 448 名前:『edge』 投稿日:2004/07/11(日) 13:32
-
ラスト・オーダーのブレンドとカプチーノを出すために、パントリーへ入る。
トミーが鶏がらみたいな手でテンタンをトレーに並べるところだった。
急がなくていい仕事になったことを告げると、「そうだろうと思ったよねぇ」と笑う。
「斉藤さんは、あんまり余裕がないよねぇ。すぐ焦っちゃう」
ひとしきり斉藤の悪口を聞かされるかと思ったけれど、トミーはもう一言、「マジメなんだろうね」と付け加えただけだった。
それから唐突に、斉藤と同じことを尋ねた。
「今日はほら、送別会やってんじゃない。後藤ちゃん、行くんでしょ?」
ああ、といま思い出したような顔で、疲れてるし、と答える。疲れてるのは嘘じゃなかった。
トミーは、いろいろ訊くわりに、あたしの答えに感想を述べたり意見してくるようなことはなかったので、今日もいつものようにこれで済むんだと思っていた。
「いけないよ」
けれど、くっきりした発音で、トミーはそう言った。
- 449 名前:『edge』 投稿日:2004/07/11(日) 13:33
-
「そりゃ、いけないよ」
繰り返して言うトミーの目が、たぶん初めて、あたしを睨んでいた。
痩せてしぼんだような顔に、目だけが大きくて、妖怪じみている。
「安倍さん、かわいそうじゃない」
トミーも、なっちを「なっち」と呼べない人だった。
「かわいそうって、そんな。みんな出てるし、大丈夫だって」
カップをコーヒー・メーカーにセットしながら、鼻で笑う。
「仲良しだったでしょう。どうして行ってあげないの」
「別に仲良しとか……他の人と一緒だよ」
トミーが洗い場を飛び出してきた。
アルバイトの男子大学生がぎょっとしたように、こちらを見ていた。
「後藤ちゃん」
洗剤の匂いが鼻につく。
作業を続けようとした右腕に、湿った手が絡んだ。
「後悔なんか、しないほうがいいじゃないの」
自分の人生の何事かに照らしたような言い方だった。
トミーの悔いがなんであるか知らないけれど、もう間に合わないことであるのは知れた。
- 450 名前:『edge』 投稿日:2004/07/11(日) 13:34
-
ね、とトミーは念押しのように言い、ポケットから何かをあたしの右手に握らせた。
飴玉だった。
透明の袋に包まれた琥珀色の飴玉が3つ。
なんの意味があるのだか、さっぱりわからなかった。
間の抜けた光景に、あたしは苦笑いを漏らして、それをなんと誤解したのか、トミーは照れくさそうに笑った。
白く浮いたファンデーションや刻まれた皺がトミーの人生のようで、見たくなかった。
トミーは洗い場へ戻っていった。
あたしはカプチーノを入れにかかって、トミーをもう見なかった。
飴玉はポケットへ突っ込んだ。
コーヒー・メーカーは、動物が死ぬときのような悲鳴といっしょに、クリームの白い泡を吐いた。
- 451 名前:駄作屋 投稿日:2004/07/11(日) 13:35
-
更新終了。
5ヶ月近い放置、本当にごめんなさい。
もう読む人もないと思いますが、ちょっとだけ更新してみました。
主要登場人物の半分以上をあいかわらず放置しながら
要らないオリジナル・キャラとか出してるし、ホントごめんなさい。
- 452 名前:駄作屋 投稿日:2004/07/11(日) 13:36
-
今さらかなぁとも思いますが、
レスもいちおう返しておきます。
>> 434
この高橋さんに萌えるのは、ちょっと芸当ですね。
マニアックな方に読んでいただけて、なんだかうれしいです。
>> 435
作者の脳内ではハマリ役なんですけど、
皆さんの抱くイメージから離れすぎたんじゃないかと
不安になってました。ありがとうございます。
>> 436
自分の持ってるイメージと皆さんのが乖離してたら
アンリアルは本当に意味不明になるので、
やっぱり、それが不安ですね。適当に頑張ります。
>> 437
私自身は寛大でも穏やかでもないけど、
ここでは寛大なものも穏やかなものも書きたいですね。
せっかく小説だから、精一杯、嘘をつきます。
>> 438-440
お待たせして、本当にごめんなさい。
- 453 名前:駄作屋 投稿日:2004/07/11(日) 13:37
-
ああ、しまった、アンカー失敗してるし……。
どうでもいい場面に労力さいてるよな、と思ったけど、
よくよく考えてみれば、
この小説にどうでもよくない場面とか、なかったんでした。
次回はたぶん安倍さん卒業。
いつかは完結する、はず。
- 454 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/11(日) 15:26
- もちろん読んでますよぉ〜。
完結まで、離れろといわれても離れません。
次回もまた〜り待っております。
- 455 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/11(日) 18:40
- 関西のおばちゃんっぽい
- 456 名前:みかん 投稿日:2004/07/11(日) 18:43
- 待っててよかった!更新だぃ!!
ありがとうございます!!
なんか不器用な斎藤さんいい味出してましたね!
次回更新もいつまでもお待ちしております!!!
- 457 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/11(日) 20:07
- 駄作屋さんは謝ることなんてないです。
次回更新までマターリしときます。
えと、それから、トミーちゃいこう。
- 458 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/11(日) 22:01
- ほら!やっぱり信じるものは救われるんだ!
待っててよかった。駄作屋さん、僕は嬉しい。
あ、相当気が長くなってるんで、一年後に更新とかでも余裕ですよ(w
またーりとね、待ってますよ。
- 459 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/12(月) 19:31
- 待ってました。
駄作屋さん、あなたを応援している人はたくさんいると思いますよ。
お忙しいでしょうが、自分のペースで頑張って下さいね。
自分も駄作屋さんのような作品目指して努力します。
- 460 名前:『edge』 投稿日:2004/09/12(日) 15:14
-
ホテルの裏口で斉藤と二人、強い風に肩をすくめてタクシーを待った。
深夜バイトの大学生たちは一足先に、やっぱり車で向かってる。
どこか世を拗ねたような彼らは、しょっちゅう彼らだけで酒を飲んでいて、職場の飲み会に出るのは初めてのはずだ。
『誰からも好かれる人』なんて、ほとんど珍獣だと思っていたのに、案外近くに棲息したものだ。
トミーは帰った。
上がりの時間が近づくとそわそわして、明日も朝早く起き出して中学生の息子に弁当を持たせてやらねばならない、と早口に言い出した。
「やんなっちゃうよ」と言った声音は上ずって、学芸会の子どもより、まだひどい。
誰も尋ねないのに、そうして送別会に出られない理由を説明してから、「おばちゃんが行ってもね」と低く小さくつぶやいた。
トミーがしゃべる間じゅう、くすぶる炭のようなものを、胃の底に感じていた。
お前など、どこにいてもいなくても誰も気にしてないんだ、と唾を飛ばして言いたかった。
だから、いたいならいてもいいに決まってるんだ、と。
わめく自分を思い描いて、思い描くだけで、黙っていた。
- 461 名前:『edge』 投稿日:2004/09/12(日) 15:14
-
施設の、いつかの夕暮れ。
年下の男の子に、なんだったか、聞き飽きたようなクイズを出された。なぞなぞだったかもしれない。
得意そうな子どもに、それ知ってるよ、と言えないで、曖昧に笑った。
「わかんない?」と何度もその子はうれしそうに尋ね、あたしは頷く。
その子が、じゃあねぇ、と答えを言いかけたとき、別の誰かが、嘘だよ、と言った。「こないだ、お前聞いてたじゃん」と、たぶん悪気もなく、口にした。
あたしが何を言うより早く、小さな出題者はミニカーを蹴っ飛ばして出て行った。
あたしの嘘をあばいた男の子が、一瞬だけ弱った顔をしたけれど、すぐにあたしを睨みつけた。
あたしは、ただ見ていた。
サンド・ベージュのカーペットの上を、まっしぐらに駆ける男の子の、蛍光がかって白い靴下。
それから、仰向けに転がったミニカーの、空をかきまわすだけのタイヤ。
圭ちゃんが後を追い、あたしは追わなかった。
そういうときに何もできないのが、昔から、あたしという人間だった。
たとえば、なっちなら、トミーやあの子の手も、じょうずに引くのかなと、パントリーを出ていくトミーの背中を見ながら考えた。
洗い場用の白い作業着の腰に、油の染みがいくつも散っていた。
- 462 名前:『edge』 投稿日:2004/09/12(日) 15:15
-
「行かないのかと思った」
斉藤は言い、直後、「あ、違う」と顔の前で手を振る。
「来るなとかいう意味じゃなくてね。フツーに意外だったから」
笑って頷くと、空気が白く濁った。
タバコに火をつけた斉藤も、やっぱり白い息を吐く。
細い煙が気のない感じで夜空へのぼりかけて、途中で消える。
「なんで?」
なんでなのか、自分でもよくわからなかった。
「富井さんが、飴やるから行ってこいって」
なにそれ、と斉藤は笑って、それ以上は訊いてこなかった。
「ちょっと、トミーに悪いことしちゃったな」
長く煙を吐いてから、言った。
さっきのことだと気づいたけれど、わからないふりで軽く首を傾げた。
「ダメだね、テンパって」
聞き流そうかと思った。
ヴァージニアスリムのフィルターに、滑稽なほど赤い口紅がうつっていた。
理由はないけれど、聞き流すのをやめにした。
「気にしてないと思います」
斉藤は、頷いたのか頷かないのか下を向いて、まだ長いタバコをブーツで踏んだ。
タクシーが止まる。
- 463 名前:『edge』 投稿日:2004/09/12(日) 15:16
-
チェーンの居酒屋の座敷には、テーブルをいくつもくっつけて、大きな島ができていた。
厨房やフロントのスタッフまで残って、みんな、このまま眠らずに新しい一日を始めるつもりらしい。
「ひとみん、お疲れー。ごっつぁんもー」
奥のほうで赤い顔をした主賓が、屈託なく手招きをする。
頭だけ下げて、入口近くに腰をおろした。
不甲斐ないと自分でも思ったけれど、崩れるように座り込んでしまって、そばには行けなかった。
「これ敷いとき」
裕ちゃんが横へ来て、座布団をあたしの腰にぶつけてくる。
テーブルの下へ足をのばすと、疲れていたことに、急に気づいた。
「何次会?」
酔っ払いばかりで、誰も聞かないだろうと思ったので、普段通りに口をきく。
「4次会。途中カラオケ行ったしな」
「元気だねぇ」
呆れるのと、感心するのが半分。
取り残されたような気分は、参加が遅れたからじゃない。
自分だけが、たとえば、この部屋の奥に行けない気がして、自分だけが、たとえば、不健康な気がして、多分、そのせいだ。
- 464 名前:『edge』 投稿日:2004/09/12(日) 15:17
-
裕ちゃんが店員にもらってくれたおしぼりを、指の間にも当てた。
拭いても拭いても、べたつくようで、いつまでも、油っぽい。
左の小指と薬指の間を拭っているとき、ぽん、と頭に手が乗った。
「ちゃんと来たやん」
『後悔はせんほうがええ』と昨日、裕ちゃんもトミーと同じことを繰り返していた。
「うるさいな」
おしぼりをたたんで、コップにビール瓶を傾ける。
「こら」
「いいじゃん、高校生組だって飲んでるし」
「違う、手酌やめなさい」
瓶を奪って裕ちゃんは、気の抜けたビールを、上手に泡を立てて注いでくれた。
酒造メーカーのロゴの入ったコップをあたしのほうに押しやって、「飲んだら、あっち行きや」と、代金を請求するような言い方をした。
この人のお節介は、優しさと関係が深く、この人の優しさは、意外に打算との関わりが薄い。
考えながら飲んだビールは、喉に流し込む前に舌へしっかり乗って、そのぶん苦かった。
- 465 名前:『edge』 投稿日:2004/09/12(日) 15:18
-
店員に「閉店ですので」と何度も言われて、送別会はお開きになった。
ほとんど初めて酒を飲んだらしい高橋は、酔いはしても、酔いつぶれる前に、自分で帰っていった。
それをのぞけば、誰も帰らなかったし、誰もがさんざんな深酒になっていた。
5時の空はまだ暗くて、空気はしんと冷えていた。
誰かが青いポリバケツの隣で、がんばれな、がんばれな、となっちに繰り返す。
あたしは酔いつぶれたよっすぃーを肩に抱えていて、そこだけが暖かかった。
「これはホテルに泊めな、しゃあないね」
裕ちゃんがよっすぃーの耳を引っ張って言う。
肩の上の酔っ払いは、まるで目を覚ます気配がなかった。
代わろうか、と裕ちゃんが言ってくれたけど、首を横に振っておく。
「あたしが送ります」
丁寧語は、すぐ隣のなっちを意識したものだ。
なっちは、みんなが酒臭く語る惜別の言葉を大切に聞いていて、赤い顔色のわりに、さほど酔ってなかった。
- 466 名前:『edge』 投稿日:2004/09/12(日) 15:19
-
「じゃ、ごっつぁん、いっしょにタクシー乗ってこうよ。なっち、ホテルに忘れ物してるからさ」
なっちはいつもそうであるように、ごく自然に笑いかけてきて、あたしは迷った。いつもそうであるように。
迷ったことがなっちに伝わった気配があった。
「ごっつぁん」
「送ってもらい、後藤」
なっちが笑うのをやめて何かを言いかけ、それを裕ちゃんが遮った。
「遠慮せんと」
気まずい間があったのを『遠慮』にすりかえて、眠る酔っ払いの頬を指でつつく。
「吉澤みたいなん、自分ひとりで部屋まで抱えていかれへんよ」
さっきまで自分が手伝うつもりだったくせに、あっけなく手のひらを返して、そんなことを言った。
あたしはもう、返事を選べなくなっていた。
- 467 名前:『edge』 投稿日:2004/09/12(日) 15:19
-
運転手が無線機に何かしゃべった後は、ラジオが小さく聞こえるだけになった。
沈黙が怖いと思ったのは、初めてかもしれない。
あたしはいつだって、誰がしゃべろうが黙ろうが気にしなかったし、場を音で埋めるために口をきく努力なんか、したことがなかった。
誰かといる空間に会話がないという、それだけを、こんなに恐ろしいと、初めて思った。
「来てくれてありがとね」
走り出して4つ目の信号を過ぎて、なっちは言った。
信号を数えてしまうほどに、どうしていいかわからない車内のことだった。
あ、とか、や、とか不恰好な返事しかできずに、左の窓ガラスを見ていた。
知らない間に降って止んだらしい雨が、つぶつぶに残っていた。
後部座席に奥から、なっち、よっすぃー、あたし。
どうしようもない酔っ払いだけど、よしこの体があたしとなっちの間にあるのは、なんだか安心できた。
「なんか、上の人にご馳走になって、あたしは全然」
正社員と臨時雇いが同席する宴会で、会計が等分されることはなかった。
「そんなの、それでいいんだよ。ごっつぁんが人の上に立ったとき、下の子に返してあげればいいんだから」
「あー…でも、あたしは多分、人の上には立てないかも」
「今それ絶対言うと思った」
なっちが笑ったので、つられて笑った。
思ったよりも普通らしく会話ができることに少し、ほっとした。
膝の上のよっすぃーの頭を、そっと撫でた。
- 468 名前:『edge』 投稿日:2004/09/12(日) 15:20
-
「来てくれないかと、思ってたからさ」
よっすぃーの寝顔を見ながら、なっちが思い切ったように言った。
カー・ステレオから、知らない歌謡曲がノイズ混じりに流れている。
「あたしも、行かないかも、と思ってて」
言いながら、あたしも顔を上げられずに、よっすぃーの瞼を見つめていた。
「安倍さんは」
「『安倍さん』に戻っちゃったかぁ……。まあ、そうだよね」
なっちがいつもと変わらない笑顔で言うから、あたしは後悔した。
「別にそうじゃ、そういうつもりじゃ、なくて」
出ていった言葉を取り戻しに行けるなら、全力で走るのに、と思った。
「いいんだって。だってそれ、なっちが悪いんだもん」
声は作り物めいた明るさを帯びていた。
思わず、なっちを見たけれど、なっちはあたしを見てはいなかった。
目線が落ちていて、よっすぃーに微笑みかけてるみたいに見える。
あたしの目がそれを見たのだって一瞬のことで、視線はすぐに窓の外へやった。
墨をぶちまけたような空が、ビルの群れの向こうで少しずつ、その色を薄くしている。
ジーンズのポケットで飴玉が、ごつごつしていた。
- 469 名前:『edge』 投稿日:2004/09/12(日) 15:21
-
「気づいてたんだ、本当は最初から」
あたしが訊こうとした問いに、なっちは先回りで答えた。
「なんか変だな、これは、なんか正しくないな、って」
不思議と、怒りはわいてこなかった。
悪いことと知って、あたしを騙そうとしたんだと明かされても、胸はただ痛いだけで、熱くならなかった。
「わかってたのに、やめられなかったんだよね。……なんでかな」
最後は自分自身に問うようだった。
あたしは、悔いになっていることを、正直に尋ねた。
「止める人を、待ってたんですか」
あのとき、あたしは、どうして自分だけ逃げたのだろう。
いっしょに落ちてあげられないなら、すぐそこにあった手を握り締めて外へ駆けることが、どうしてできなかったんだろう。
ラジオは歌謡曲が終わって、年かさらしい女性DJの、低くてハスキーな声だけ、流れ出す。
あの日からずっと、止むことのない後悔をしている。
- 470 名前:『edge』 投稿日:2004/09/12(日) 15:21
-
「そうなのかなぁ」
なっちは、場違いなくらいに、のんびりと言った。
「違う気がするよ」
『気がする』なんて曖昧な言葉をキッパリと言い切って、後にはなんの根拠も示さなかった。
いかにも嘘っぽかった。
けれど、嘘だとして、これも打算や、あるいは悪意と、関係がないものだ、と思えた。
空は薄い紫になって、ビルの際のあたり、朝焼けに燃えている。
あたしがなっちより自分を許せないでいることを、なっちはきっと知っているんだと思った。
- 471 名前:『edge』 投稿日:2004/09/12(日) 15:22
-
朝もやの中を、なっちと二人、よしこを引きずって歩いた。
タクシーの止まるロータリーからホテルのロビーまでが、今日だけ長い。
「酔っ払い引きずり選手権ペアの部」
なっちは、荒い呼吸の下から言った。
「優勝は、ニッポン代表、安倍なつみ、アーンド、後藤真希。イエイ、ヒュウ」
真冬につまらないことで汗をかいて、あたしたちは、また少し笑った。
なっちと同期入社のフロントマンは、あたしたちを見るなり、挨拶がわりに、重そうだな、と言った。
憂鬱そうな言い方は、彼がこの後、部屋まで「荷物」を運んでくれるつもりだからだろう。
「いいよ、なっちたちで運ぶから。そのかわり、ちょっといい部屋ちょうだい」
「この年末にいい部屋とか空いてねえよ」
言いながら、指は空室をさがすために、端末のキーボードを叩く。
物慣れたタイプの音の後に、「神戸牛送ってこい、神戸牛」と、カードキーの入った封筒をカウンターに滑らせた。
キーを確かめたなっちが、ヒュウ、とまた指笛の真似をする。
こちらへ示したキーの表面に、「SEMI SWEET」の文字が入っていた。
「安倍」
エレベータに向かって、また引きずり選手権を始めたとき、背中で声がした。
「安倍、お前、がんばれよ」
さっきのフロントマンの声で、そう聞こえた。
なっちは振り返りはしなかったけれど、きちんと通る声で短く答えた。
「がんばるとも」
- 472 名前:『edge』 投稿日:2004/09/12(日) 15:23
-
よしこをベッドに横たえてしまうと、急に足がだるくなった。
筋肉の一本ずつが重くなって、あああ、とうめき声をもらしながら、よしこの隣のベッドに、体を投げ出す。
なっちもすぐ隣でのびている。
「忘れ物は、いいんですか?」
なっちはホテルに忘れ物をしていて、それを取りに戻るついでに、よっすぃーを運ぶ手伝いをしてくれた、はずだった。
「ああ、それね……うん、今から」
なっちが言葉を濁して、あたしは、ふうん、と受けた。
なっちは見透かされたと思ったのか、ため息をついて、「嘘だけど」と言った。
「でも、嘘じゃないよ」
声が真剣だったので、横顔をそっと窺おうとしたら、横顔じゃなく、正面の顔になっていた。
「ごっつぁんに、言い忘れたこと、あったし」
なんとなく体勢を立て直すように、身を起こした。なっちもそうする。
髪の毛を手櫛でととのえて、でもだらしなくあぐらをかいて、なっちを待てたのは、ほんの数秒だった。
「富井さんが」
なっちが何か言う前に、あたしは口にしていた。
「安倍さんによろしくって。どうしても朝早い用事があるから行けないけど、すごくお世話になって、ありがとうございましたって、伝えてくれって」
- 473 名前:『edge』 投稿日:2004/09/12(日) 15:23
-
なっちは、真剣だった顔を、照れくさそうにゆるめた。
「えー、照れるねぇ。そんなお世話したかなぁ」
知らない。してないかもしれない。
なにしろトミーの言葉じゃないんだから、真実味がないのは、しょうがない。
「安倍さんに、優しくしてもらって、すごく、本当に、うれしかったって、言ってました」
真冬の空気を無理に暖める空調機が、低くうなっている。
なっちが、また笑うのをやめていた。
「あんまり優しくしてもらったことがなかったから、なんか……天使みたいに見えてたって」
設定温度に近づいたのか、空調機の音が一段、小さくなった。
「天使って、ねぇ。富井さん、なんか、さすが古くさいっていうか、なんか、センスないっていうか」
なっちが、あたしを見ていた。
「なんか、なんか、笑っちゃうっていうか」
せっかく笑顔にしてるのに、口元が強張りそうだった。
もう少しだけ、あと少しだけもてば、その後どんなにひどい顔になってもかまわない、かまわないから。
唇の奥でそっと、歯を食いしばった。
- 474 名前:『edge』 投稿日:2004/09/12(日) 15:24
-
そっかと、なっちは言った。
「そっか。そうだったんだね」
アーモンドの形をした目が、微笑みで上弦の半月みたいになった。
「ごめんね」
首を、一生懸命に、横へ振った。
口を開くといっしょに涙腺もゆるみそうな気がして、歯を食いしばっていた。
「これ、忘れ物。『ごめんね』。ごっつぁん、ごめんね」
また首を横へ振って、ああ違う、と思って、縦に一度、振った。
抱きしめてくるなっちの腕が、ニットごしなのに熱かった。
なっちの華奢な背中に、あたしもそっと手をまわした。
視界のすみで、仰向けだったよっすぃーが、あたしたちに背中を向けるように寝返りを打つ。
「なっち」
「うん」
なっちは頷いて次の言葉を待ってくれたのに、あたしは続きが言えなかった。
この人のことを、大好きだった。
幻だとしても、大好きだった。
- 475 名前:『edge』 投稿日:2004/09/12(日) 15:25
-
「かっこいいホテルマンになってね」
言いたいことは多分、他のことだった。
だけどもう、これでいいんだ、と思った。
手のひらに、小さな肩甲骨を感じていた。
その翼に、あたしはついに、触れることができない。
- 476 名前:駄作屋 投稿日:2004/09/12(日) 15:25
-
更新終了。
実はこの作品の中では現在、12月……。
ほんと、トロくさくて、すみません。
この夜の話はもう少しだけ続く予定ですが、
なちごま編(いつからだ)はこれでケリというかキリになります。
- 477 名前:駄作屋 投稿日:2004/09/12(日) 15:26
-
>>454
まだ読んでくれる人がいて、うれしいです。
ありがとうございます。
>>455
言われてみれば。
「飴ちゃん、あげるわ、飴ちゃん」みたいな。
>>456
斉藤さん、セクシー女塾(古っ)で好きになって。
一度、書いてみたかったんです。
>>457
トミー、今回もやや出しゃばりました、トミー。
今後も、まったりお付き合いくださいませ。
>>458
じゃ、次回は1年後に。最終回は4、5年後に。
……嘘です、ごめんなさい、ごめんなさい。
>>459
娘。小説作者さんなのかな。
光栄には思うのですが、目指さないほうが……。
- 478 名前:駄作屋 投稿日:2004/09/12(日) 15:27
-
では、また次回。
ほったらかしの高橋さんだとか吉澤さんだとか、
あの人だとか、この人だとか、徐々にいじっていきたいと思います。
- 479 名前:名無し飼育さん。 投稿日:2004/09/13(月) 10:39
- ああ、凄い・・・。毎回読み終えるとボロボロ泣いてしまっている・・・。
素晴らしい!・・・・
- 480 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/18(土) 01:24
- みんながんばれ。オレも頑張ります。
- 481 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2004/10/02(土) 22:05
- ずっとROMさせて頂いていたのですが書き込みさせてもらいます。
どこから読んでも素晴らしいの形容詞しか浮かばないのですが
特に後藤とトミーのやりとりや、
なっちと同期のフロントマンの会話(かっこよすぎる)
そして472あたりから475あたりは読んでてうまいなーと震えがきました。
要望を書くのは失礼なのですが
このままなっちが登場することが無くなったら寂しいと
つい先のことまで考えてしまいました。
では長文失礼しました。
次回の更新も楽しみにお待ちしています。
- 482 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/04(火) 01:14
- あけましておめでとうございます!
今年も気長に更新お待ちしております!!
- 483 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/18(金) 21:53
- 初めて読みました
感動しました
次回更新もお待ちしております
- 484 名前:駄作屋 投稿日:2005/02/22(火) 01:00
- 長い間の放置、申し訳ありません。
今月中に更新したいと思います。
恐縮ですが、スレを残していただければ幸いです。
- 485 名前:みかん 投稿日:2005/02/22(火) 23:48
- きゃ〜!!!!!
駄作屋さんが帰って来る!?
待ってました!
ええそれはもう・・
楽しみにしています!!!
- 486 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/05(土) 01:29
- 駄作屋さぁ〜ん!
次回の更新も楽しみにしています!!!!!
メチャクチャおもろいっス!!
- 487 名前:『edge』 投稿日:2005/03/05(土) 14:47
-
―――唄を忘れた金糸雀(かなりあ)は後の山に棄てましょか。
―――いえ。いえ。それはなりませぬ。
―――唄を忘れた金糸雀は背戸の小薮に埋めましょか。
―――いえ。いえ。それもなりませぬ。
―――唄を忘れた金糸雀は柳の鞭でぶちましょか。
―――いえ。いえ。それはかはいさう。
―――唄を忘れた金糸雀は
- 488 名前:『edge』 投稿日:2005/03/05(土) 14:48
-
* * *
- 489 名前:『edge』 投稿日:2005/03/05(土) 14:48
-
新幹線で舐めてと、飴玉をひとつ、なっちに渡した。
神戸までに溶けて消えてしまえば、ちょうどいい気がした。
何がちょうどなのかは、自分でもよくわからない。
笑顔で手を振ったら、痛い胸がすうっと温かくなった。
それが全てで、他は忘れて問題ないと、そう思えた。
なっちの開けたドアがゆっくり元へ戻ると、オートロックのおりる音がして、また少し、寂しさが新しくなった。
- 490 名前:『edge』 投稿日:2005/03/05(土) 14:49
-
「もういいよ、寝たふり」
振り返って、冷凍マグロのよっすぃーに声をかける。
わざとベッドを揺らすように、乱暴に腰掛けた。
「起きないと、こそばすよ」
返事はない。
「容赦なく、こそばすよ」
黙っている。
「こちょこちょの刑ですよ」
小さくだけれど確かに、噴き出すのが聞こえた。
「やっぱり起きてるじゃん」
ああ、とよっすぃーは悔しそうにうめいた。
「ああ、やられた。こちょこちょの刑とか、そんな小学生じゃないんだからさぁ」
起き上がる友人の目は充血がとれて、酒酔いはだいたい鎮まりつつあるようだった。
そのかわりに、顔が少し赤い。運んできたときには、もう雪のような白さを取り戻していたから、この部屋でまた上気したんだろう。
「どっから起きてたの」
「え。今だよ、たった今」
並んで座る格好になって、横顔を睨む。
「ふうん」
いいけどね、と冷たく言ってやれば数秒で、ごめん、と謝ってくる。
「ほんとは、あのう、愛の抱擁っていうんですか。あの辺りから」
「そうだと思った」
それで顔が赤いんだから、かわいいもんだと思う。
- 491 名前:『edge』 投稿日:2005/03/05(土) 14:49
- 「別に愛とかじゃないけどね」
「そうなんだ」
よっすぃーは髪の毛を手櫛で整えながら頷いて、「ごっちん、『別に』って言うの、癖だよね」と言った。
いかにも、よっすぃーらしい言い方だ。
安倍さんは何を謝ったのとか、ごっちんは安倍さんが好きなのとか、あたしが困ることなら、よっすぃーは訊かない。思いも及ばないのじゃなくて、そういう質問も選択肢にあるなと横目に見ながら、他を選ぶ。それがあたしのためなのか、自分のためなのかは、わからないけれど、その手の距離のつめ方はしないと決めているみたいだった。
「癖かな」
「癖だよ」
ちょっとかわいい癖だね、と付け足した顔は、もう赤くもない。
ゆとりある、いつもの吉澤ひとみスタイルに戻っていた。
- 492 名前:『edge』 投稿日:2005/03/05(土) 14:50
- 「チェックアウト、何時だっけ」
「なんとでもなるけど、いちおう11時でしょ。練習は?」
よっすぃーの所属するバレー部は休みが極端に少ないはずだった。
彼女がバイトを始めたのも、まさにそのことが理由になっているくらいだ。
いつだったか、従業員食堂の薄い味噌汁をすすりながら、彼女は言った。
『バレー以外のことがしたかったんだよね。部活だけやってるのが怖いっていうか』
あたしは呑気にも、疲れないの、と訊いた。その日も、よしこは更衣室に滑り込むようにして出勤してきていた。
『もちろん疲れる』と、よしこは笑った。
『部活で疲れるから、バイトにしたんだ。遊びの約束だったらキャンセルしちゃうよ、しんどいと、どうしてもね。でも時間決めてお金もらっちゃえば、今日は疲れてるしとか、いくらあたしでも言わねえなと思ってさ』
なんだか極端に求道的で、なんとなくスポーツマンらしいな、と思ったのを覚えている。
- 493 名前:『edge』 投稿日:2005/03/05(土) 14:50
- そのよしこが言う。
「今日は法事。じいちゃん死んで2年と3ヶ月と、えーと11日かな、11日記念で」
早口に言うけれど、目は2つのベッドの間に備え付けられたサイド・テーブルに泳いでおり、サイド・テーブルではデジタル時計が緑色の光で時を刻んでいる。
06:42.
1が2になったところだった。
数字はまた1分経つまで貼りついて動かないけれど、ピリオドだけが毎秒の明滅を繰り返していて、それは誰かの拍動のようだった。
- 494 名前:『edge』 投稿日:2005/03/05(土) 14:51
- 「訊いてもいいかな」
「いいよ」
よしこは無頓着そうに答えた。
オブラートに包もうかと一瞬だけ考えて、やめる。
「バレー、あんまりうまくいってないの?」
よしことギクシャクした一連なりの時間は、幸いなことに、いつのまにか過ぎていた。仲直りのきっかけなんていうのも、振り返ってそれらしいものは見つからない。あたしたちなら、そんなもんかな、とも思う。
そのかわり、始まりなら、覚えている。
あのときのように、よっすぃーは少し厳しい目つきであたしを見た。
「ああ、そっか。あれだ、あたし怒鳴っちゃったもんね」
また不機嫌になるのかと思って、あたしは黙った。怒りがもし足音を立ててやってくるのなら聞き逃すことのないように。
けれど、よしこは怒らなかった。
「悪かった、あんときはほんと」
低く言ってうつむいた。こんなふうに気が塞いでいるのを隠さないよしこを、あたしは初めて目の当たりにしていた。
つむじを見つけた。
明るく染められた茶色の髪の、根元のわずかな部分だけが鴉色なのが目に入る。
高校2年生のようだ、と思った。元からそうだったのに、急にそのことを知った気がした。
- 495 名前:『edge』 投稿日:2005/03/05(土) 14:52
- 「あたしは別に気にしないけど、よしこが」
悩んでるみたいだから、と言いかけてやめた。
よしこはあたしに弱みを見せたくないんじゃないかと思った。
「今はね、それなりにうまくいってるよ。春の大会、いい線いくと思う」
よっすぃーの言葉と声とは調和を知らずに空中分解を起こしていた。
絶望的に著しく不調もうダメてんで無理ゼツボーテキ、と発言するならふさわしいと思える、そんな声だった。
「そっか、やっぱすごい―――」
「すごいかな、すごくないよ」
すごいよねと言いかけたあたしを、よしこは日本刀でも振り下ろす勢いでさえぎった。
「高校生の大会でそこそこいい線。それで終わりで、先がないんだもん」
絶望的に著しく不調もうダメ無理の、冷えたような声だった。
「足りないんだよ、身長が」
そう言ったきり、よっすぃーは黙った。
- 496 名前:『edge』 投稿日:2005/03/05(土) 14:53
- あたしは立ち上がってピンクがかった大理石のテーブルからインスタント・コーヒーの袋を取り上げ、象牙色したコーヒーカップの上でやぶいた。
「こないだ実業団のスカウトが来てさ」
あたしが隣にいなくなると、安心したように、よしこはまた話し始めた。
あたしは小さな袋の尻を三つ叩いて、残さずカップへ粉を入れた。濃くしたい気分だった。
「今からセッターでみっちり練習すれば可能性がどうだとか言うんだよ。うちの学校だって、ちゃんとセッターいるのに」
セッターがアタッカーにトスをあげる役目の人で、それほど背が高くなくてもできるポジションだというのは、あたしでも知っていた。
「セッター、やりたくないの?」
「違う。セッターがやりたくないんじゃないよ、レフトが気に入ってるだけ」
あたしにではなく、あたしの知らない誰かに食ってかかるような言い方だった。
それから、声を少し落としてつぶやいた。
「セッターもリベロもイヤじゃないんだよ、ただ。スパイク打つのが、好きなんだ」
今度は自分自身に確かめているのだとわかった。
「エースでいたいんだ」
「そっか」
あたしたちは黙った。
アナウンサーが女子バレー日本代表の選手にインタビューするのを、テレビで見たことがある。大人と子どもくらいに身長差があって、アナウンサーは選手を見上げるようにしてマイクを突き出していた。アナウンサーがいたところによしこが立っても、きっと同じことなんだと思う。
備え付けのポットから湯を注いで、銀のスプーンを突っ込んで、ミルクと砂糖といっしょにカップをよっすぃーに渡した。粉が多め、湯が少なめのコーヒーは、黒い波になってあっちへこっちへ寄せて返し、夜の海に似ていた。
- 497 名前:『edge』 投稿日:2005/03/05(土) 14:54
- 「でも、あれだよ」
カップを手に持つだけ持って、口をつけずに、よしこは言った。
「怒鳴ったのは、バレーのこと言われたからじゃないよ」
「そうなんだ」
相槌も適当に、熱いコーヒーをすすったら、「あれはやっぱり、ごっちんが悪いんだよ」と妙にきっぱり言い切られた。
「あたし?」
「興味なさそうに話題にされたら、頭にくるよ、そりゃ」
そんなことはない、とは言い切れないのが、あたしという人間だった。
そもそも、あたしには、興味のある話題なんていうものが極端に少なかったし、自分が口にすることのうち、どれくらいまでが本気なのかなんて、自分でもろくに把握できないことだった。裕ちゃんはあたしのそういうところが嫌いだと言い、そうだろうな、とあたしも納得している。
「バレーがどうとか、どうでもよさそうじゃん、だって」
そうだったかもしれない。あのとき、あたしは、よしこが気持ちよく話せることを話題にしたかっただけで、あたしにとってその中身はなんでもよかった。
「他に気にかかってること山ほどあって、なんつうの、あたしのこととか終わりのほうだよね、行列の」
拗ねた言い方をされて、心臓の周りがじわりと熱を持った。
つかみどころがないと思っていた生きものの尻尾が、ひとりでに手のひらの中へ入ってきた瞬間、のような興奮。
それでもあたしは、その柔らかそうな尾をすぐには握らずに、用心深く、知らないふりをした。
「なんの行列さ」
よしこは、コーヒー色した瞳であたしをつかまえた。
「ごっちんの、心の扉へ続く行列さ」
- 498 名前:『edge』 投稿日:2005/03/05(土) 14:54
-
「あははは! 爆笑、それ爆笑、ほんと」
一秒の沈黙の後で、笑い転げた。
一秒だけにとどめた自分を誉めたいと思う。それ以上ならきっと不自然だった。
「決まったと思ったのに!」
「よしこ、さすがだよ、おもしろすぎ」
「なんだよ、おもしろくねえ」
コーヒーをすする顔はまた桜の色に逆戻りしている。
隣であたしはまだ笑っていた。
どうやら自分が喜んでいるらしいのはわかったけれど、それをどんなふうに表現していいのか、わからなかった。だいいち、表現すればきっと、気持ち悪がられると思った。
なんかさ、とよしこは再び口を開いた。
「なんか適当に触られてる感じがして、いらいらした、あのとき。そういうふうに思うの初めてでさ、あたし。だって、あたしこそ適当だもん、たいがい」
これまでの会話とたいして変わらないトーンだったけれど、あたしは気づいていた。後藤真希と吉澤ひとみの間で、どちらもやらなかったことを、いま初めて、よしこが始めている。あたしたちの根本的な問題にかかわる部分について、よしこは初めて、おそらく本音を口にしている。
黙っていたら、「そう思わなかった?」と相槌を求めるように言われた。
「適当、とは思わなかったけど。要領よさそう、には見える。見えてた、かな」
答えながら、うろたえていた。自分の胸にある少しの恐怖と少しの、期待。
期待の意味を自分でとらえきれずに、それが恐怖を少し大きくした。
- 499 名前:『edge』 投稿日:2005/03/05(土) 14:55
-
「ああ。今のちょっと気持ちよかった」
「え」
聞き返したけれど、よしこは、もう熱くはなくなったコーヒーをがぶがぶ飲んでいるところだった。
マイペースに飲み終えてから、よしこは答えた。
「とりあえず、今はちょっとだけ瞬間的に先頭にいた感じした」
「行列の?」
「行列の」
ふっと鼻から息が漏れた。馬鹿にした笑い方に見えるから気をつけなよと昔、圭ちゃんに言われたけれど、よしこは怒らなかった。いっしょに笑っていた。
「行列ねぇ。じゃあ、よしこの」
行列の先頭にはどんな人が並ぶの、と訊きそうになった。
あたしは口を閉じ、おかしな期待を抱く自分を、誰にも聞こえない声でたしなめた。
オマエは虫のわいた古い人形を後生大事に抱えるキチガイ女ではないのだ、と。
ないのだから、と。
よしこに倣って乱暴に喉へ流したインスタント・コーヒーは相当、悲惨な味がした。
- 500 名前:『edge』 投稿日:2005/03/05(土) 14:55
- 「なんで言いかけてやめんの」
よしこは、自分は好き放題にマイペースなくせに、あたしのことは咎めた。
急に腕をとられたからカップが揺れて、元から薄茶のカーペットに、目立たないながら染みを作った。
「怒られるよ」
「いいから。なに」
よしこは滑稽なくらい真剣で、あたしは応えることができなかった。
「なに訊くか忘れた」
あたしの腕を縛っていた指は失望したように力をなくし、やがて離れていった。
疑問形になる前に言葉を切ったのだから、「なに『言う』か忘れた」と言うべきだった、と細かい後悔だけをした。
「忘れてないだろ、嘘つき」
つぶやく声は尖ることなく、独り言のように弱い響きだった。
傷つけたのかもしれない。
あたしはまた自分にだけ教えてやった。
どうせオマエじゃはなから上手にやれないんだ何も、だから今になって落ち込むことはないんだ何も。
頭が痛くなった。
- 501 名前:『edge』 投稿日:2005/03/05(土) 14:56
-
からっぽになった手の中のカップを見つめる横顔に、ねえ、と声をかける。
「訊きたいこと、思い出した」
「なに」
よしこは不機嫌そうに、それでも返事をする。律儀なのだ。
「なんで、シガレット・ケースくれたの」
「似合うと思ったから」
誉め言葉らしいのに、怒りがこもっているのが、ちょっとおかしかった。
忘れていないことを忘れたと言った上に、勝手に話題を移したあたしのことを、よしこはかなり憎々しく思っているようだった。
けれど、かえって質問にぽんぽん答えてくれる気配があったので、それはそれで好都合だとあたしは思った。思うことにした。
「あたしが吸うの、知ってたんだ」
「うん」
「うん、て。なんで知ってんの」
17歳の誕生日プレゼントにシガレット・ケースは穏やかじゃない。
あたしだって、人目のあるところでは吸わない努力をしてきたのだ。
「なんで知ってるかって、そりゃ見たからだよ、吸ってるとこ。文化祭の準備が夜中までかかってさ、どうせ真夜中なら、ごっちんとファミレスとか行ってみたいなと思ったんだ。いつもは、ごっちんの上がり時間に合わせるとか絶対無理だもんね。そんで裏口に迎えに行ったら、くわえタバコで出てくるんだもん。ケータイ片手に慣れた感じでさ」
裏口を出るか出ないか辺りで火をつけて、タクシーが来るまで、煙を眺めていることはよくあった。
ロードノイズや足音が近づいてきたら火を消すようにはしていたけれど、その方法では、じっと待っている人間から隠れることはできない。
- 502 名前:『edge』 投稿日:2005/03/05(土) 14:56
- 「声かければよかったのに」
「そうだね」
よしこは逆らわないで頷いてくれたけれど、本当はあたしのほうが、声をかけさせなかったんだろうな、と思った。
「やな感じだった? あたし」
「そんなことないよ。けど」
ためらうような間が、ほんの少しあった。
「知らない顔だった」
なんと答えたものかわからずに、あたしは首だけで頷いた。
一日の最後にする仕事はゴミ集積場へゴミを運ぶことで、あそこで考えることは、よっすぃーが知るはずのないことばかりだ。
だから、ゴミ捨て場の気分を引きずったままのあたしが、よしこの知らない顔をしているのは当然のことだった。
ただし、見られたくなかった、とは思った。
「ごめん、ケースなんかあげて。でも、本当に似合うと思ったんだ」
よしこは気遣わしそうに言った。
「愛用してる。気に入ってるよ」
飲む気のなくなったカップを、サイドテーブルに戻しながら、こんなときこそタバコが欲しい、と思った。
- 503 名前:『edge』 投稿日:2005/03/05(土) 14:57
-
「ああ、そうだ、もう1個、謝ることあるわ」
声がかすれて、よしこは咳払いをした。そして言った。
「いつか、変なことしようとして、ごめん」
意味はすぐにわかった。言いにくそうに『変なこと』などと口にするよっすぃーは、なんて清潔なのだろう、と思った。
「ああ、はいはい。変なことしようとしてた、してた」
「笑うとこなの、そこ」
「あは。もういいじゃん。その場で謝ってもらったよ、たしか」
「そうだけどさ」
少し間があく。
「なんか、特別になりたかったんだ。ごっちんみたいになりたかった」
「ええ、なんでさ」
あたしは笑い飛ばした。さっきからずっと、よっすぃーがマジメな顔をしているので、なんだかバランスをとらなくちゃならないような気がしていた。
よしこは笑わなかった。
「みんなと同じなのが、なんか……辛いなって、思っちゃったんだよね」
『みんな』のどまんなかで注目を集めてきた17歳は、のろのろと言った。
「たとえばバレーやめてさ、このまま何十年も普通の人やって、人生が終わって。あたしのこと、誰も何も覚えてられないみたいなの、怖いと思ったんだ」
しょうがないのにね、と自嘲ぎみに付け加えて、ぱたりと黙る。
- 504 名前:『edge』 投稿日:2005/03/05(土) 14:58
- 「でも、そういう意味でいったらさ、あたしなんか、ちっとも特別じゃないよ」
人より大きな罪を犯しただけで、とこれは自分の胸のうちだけで言った。
「とりえとか、なんもないし」
「そうだよね、言われてみれば」
悪気もなく肯定するから笑った。
そうじゃなくて、とよしこは続ける。
「なんつうかな、ごっちんが特別なのは、ごっちんのことを、特別な気持ちで見てる人が多いから、かな。能力とかとは、たぶん別のことなんだよね」
「なんだ、そりゃ」
「なんだろうね」
よっすぃーの言うことは、よくわからなかった。
なんとなく誉められている気がしたので、探るのはやめた。
「そんで寝ちゃおうとか思うよしこがどうなのっていう。肝臓が悪かったらレバー食べるとかのレベルだよね、発想が。どうりで、やりたくなさそうだったわ」
ハハハとよしこは爽やかな笑い声をたてた。
「そうなんだよ。あれさぁ、馬乗りになってみたはいいけど、微妙に気ぃ進まなくて、『あ、あれ?』って感じだった」
「アホだねぇ」
笑い声が重なって、音楽めいてくる。
音楽が鳴ると、また胸のまんなかが熱くなっていく気がした。
「でも、あたしもそうだったよ。気が乗らなくて。あのー、なんかねえ」
また笑いかけたよしこが、あたしの緊張に気づいて黙る。
音楽はやんだのに、熱さが止まらなかった。
「世界に最後の二人になっても、よしことだけは寝たくないよ」
- 505 名前:『edge』 投稿日:2005/03/05(土) 14:58
- 口にしてしまってから、これでは意味が伝わらないかもしれないと思った。
だけど、付けたしが、あたしには言えなかった。それくらい好きだと、言うのが怖かった。
「フオオオオオオ」
よっすぃーは、薄気味の悪い唸り声をあげた。
失礼なやつめと怒り出すのではないかと思って、あたしは少しのけぞった。
「なんっか、すげえ、いいこと言われた気がする!」
よしこは興奮していた。
「ごっちん、あたしにいいこと言ったでしょ、今」
どうして、わかるんだろう、変な人だ、と思った。そして、どうしてわかるんだろう変な人だと思うことが、この人との間にたくさんあったことを、あらためて思い出していた。
『嘘、16? 見えねー、大人っぽい!』
『あー、フケてるってよく言われる』
『ええ? 違うよ。色っぽくていいねェ、つってんだって』
『はは、吉澤さん、なんか変な人だね』
『あー、オカシイってよく言われる』
『そうだろうねぇ』
最初から、気が合って、あたしたちは。
やろうと思えば、きっと手を握ることも難しくなかった。
- 506 名前:『edge』 投稿日:2005/03/05(土) 14:59
-
「よっすぃーさ、あたしは最初、よしこがバレーすごいとか、そういうの知らなかったじゃん」
バレーの話に戻した途端、よっすぃーの顔が少し硬くなった。大好きなはずのバレーボールなのに、バレーと聞いただけでこんなふうになるのは、なにかが正しくないなと直感した。
「仲良くなってから、なんか、全国大会出たとか知って、すごいなぁって思ったけど。でも、もしもだけど、バレーが下手なよっすぃーでもね、なんか、あたしは」
知れば知るほど、よしこはいい子だし立派な人だったから、わざわざあたしに構う気持ちは、よくわからなかった。「騙される」とか「引っかかる」とか、そんなことを恐れて、あたしは何かをずっと、出し惜しみしていた。
遅くないなら今、もう一歩だけ、この人に近づいてみたい、と思った。
「なんてんだろ」
言葉は喉にひっかかったけれど、よしこは待っていてくれた。
「あの、今と変わらない感じで、いたと思うから」
好きでいたと思う、とはやっぱり言えなかった。
すぐ隣にある顔を、満足に見られなかった。
けれど、うん、と頷く声は温かくて、すっかり全て伝わってしまったらしいのがわかった。
「ごっちん」
「あ、これ、飴あげる、おいしいよ、あたし食べてないけど」
100メートル徒競走の勢いで逃げたくなって、あわてた手でジーンズのポケットをさぐった。
「食べてないのに、おいしいってわかるんだ」
よしこは意地悪く言いながら、あたしの手のひらから、琥珀の塊をさらった。
長い指だったので、これはなるほど白いボールには映えるだろうなぁと思った。映える必要はないのに、なるほど、と思った。
- 507 名前:『edge』 投稿日:2005/03/05(土) 15:00
- 「ああ、なんか」
自分が何かを言いかけているのに、その内容が自分でわからなかった。
よしこは、かわいらしく小首をかしげて、かしげたまま飴玉をほおばった。
おいしいの、と訊いたら、うんうんと二度、首を縦に振った。
「あは、ちょっと、かわいい」
「ちょっとかよ」
今日はじめて友達になったみたいに、これからどんどん広がる予感のあるときのように、あたしはどきどきしていた。
図々しく決めつけるなら、あたし「たち」は、どきどきしていた。
ルーム・メイクで手を抜かれたのか、カーテンの隙間が5センチメートルほどできている。そこから、電灯を上まわる強い光が、床に白いラインを描いている。
「んー、シャワー浴びてこよっかな」
まっすぐにのびる白いラインを、たどるように歩いてあたしはバス・ルームへ向かう。
「なに、シャワーって。や、やらないよ?」
「もういいから、そのネタ。酔っ払い運んで汗かいたから流したいんですぅ」
「なあんら、ざんねえん」
飴玉のせいで呂律がまわらない人を残して、あたしはバス・ルームのドアを後ろ手に閉めた。
- 508 名前:『edge』 投稿日:2005/03/05(土) 15:00
- * * *
シャワーを浴びて出てくると、よしこはいなかった。
『あめサンキュー、コーヒーも。ホージは中止。エースだから。』
サイド・テーブルのメモの一番上のページに書きなぐりの文字があって、ボールペンはペン立てに戻されることもなく、その上に転がっていた。
筆圧の強い「エース」の字を、そっと指でなぞった。
あたしは、この字を、よく知っていた。
「よっすぃー」
髪の毛から落ちた水滴がホージのホの字を滲ませる。
今度、裕ちゃんがいるときに、休憩時間をよしこと合わせてもらおう、とあたしは考えていた。もしも店が忙しくなければ、高橋も一緒に来ればいい。
薬剤を使えば、落書きを消すのに5分もあれば足りるだろう。
放っておけば消えるものだとしても、それはあたしたちがきっと、やらなければならないことなんだと思った。
メモをやぶりとって、ジーンズのポケットに収め、かわりに最後の飴玉を手に握った。
よしこの元気な筆跡は、1枚下のメモにも、その下にもうつりこんでいて、あたしは今度は従業員として、それをむしりとった。
あんな馬鹿に夭逝はまったく似合わない、と思いながら、あたしはその硬い紙で、ちいん、と洟をかみ、1つだけ残った飴を口の中へ放り込んだ。
- 509 名前:『edge』 投稿日:2005/03/05(土) 15:01
-
* * *
- 510 名前:『edge』 投稿日:2005/03/05(土) 15:01
-
―――唄を忘れた金糸雀(かなりあ)は後の山に棄てましょか。
―――いえ。いえ。それはなりませぬ。
―――唄を忘れた金糸雀は背戸の小薮に埋めましょか。
―――いえ。いえ。それもなりませぬ。
―――唄を忘れた金糸雀は柳の鞭でぶちましょか。
―――いえ。いえ。それはかはいさう。
―――唄を忘れた金糸雀は
象牙の船に、銀の櫂、
月夜の海に浮べれば、
忘れた唄をおもひだす。
◇ 『かなりあ』 (作:西条八十/初出:1918年11月 『赤い鳥』)
- 511 名前:駄作屋 投稿日:2005/03/05(土) 15:02
-
更新終了です。
すみません、放置しすぎ……。
- 512 名前:駄作屋 投稿日:2005/03/05(土) 15:03
- >>479
ああ、なんか涙がもったいない……。
どうもありがとうございます。
>>480
「みんながんばれ」。なんか、そんな作戦ありましたよね、ドラクエで。
「まほうつかうな」とか、わかるけどケチくさ、と思ったり。
>>481
初レス、ありがとうございます。うれしいです。
要望も、ちっとも失礼だとは思いません。
ただ、応えられるかどうかは、別の話で……。
>>482
あ、あけ―――言えない! 明けすぎ!
>>483
この話が今さら新しい読者さんを獲得するとは。
なんだか、とてもうれしいです。
どうもありがとうございます。
>>485 みかんさん
いつも、ありがとうございます。
>>486
ありがとうございます。
もしもまたレスをくださる機会があったら、
メール欄にsageと入れていただけると幸いです。
- 513 名前:駄作屋 投稿日:2005/03/05(土) 15:04
- 次回は、高橋さんか中澤さんか別の誰かの話になりそうです。
まだ読んでくれている人がいたら、どうもありがとうございます。
それから顎さん、スレを残してくださって、ありがとうございました。
- 514 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/06(日) 20:27
- やったーー!!
ずっと楽しみにしていました。
ここの後藤さんはなぜかとても魅力的です。
- 515 名前:名無し飼育さん 投稿日:2005/03/15(火) 23:35
- よかったです〜!
本当に今回の後藤さんは、いいですね〜!
少しずつ何かが変化しているのでしょうか。
- 516 名前:名無し飼育さん 投稿日:2005/03/18(金) 23:32
- 今回も泣いちゃいました。
素敵な話しをいつもありがとうございます!
- 517 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/26(土) 22:04
- 駄作屋最強
- 518 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/24(日) 16:26
- 駄作屋さん、すげェーー!!
- 519 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/02(木) 00:20
- 駄作屋師匠!
ホームページが見れなくなっております(泣)
どうか生存報告を・・
- 520 名前:駄作屋 投稿日:2005/06/02(木) 22:01
- サイトが見られないのは、単にサーバの契約更新を忘れていたためです。
間抜けなことでごめんなさい。そのうち復活すると思います。
このスレの復活も、なるべく早めに……(こればっかり)。
- 521 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/03(金) 00:12
- よかったぁ(T-T)
今まで一度もレスしたことないけど、
もう駄作屋さんに会えないかもと思うと泣きそうになりました。
- 522 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/03(金) 03:48
- よかったです・・
ほんとに・・
- 523 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/24(日) 20:11
- 今日リストラの最初から読みました
圧巻です、この影響が自分の作品に響けばいいのですが・・・
もういっそのこと『良作屋』に改名を(w
- 524 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/28(木) 01:30
- 緑の星、今更ながら読ませて頂きました。
最近どーしても泣けなかったのですが・・・もう号泣でした。
遠まわしで直球、抽象的で的確でした。
今の世界にもいえることを澱みなく書き上げた駄作屋さんに乾杯。
そして自分もそんな作品を書けれるよう日々精進しようと改めて思いました。
この作品も素晴しいです。
もう一言で言わせていただくと、かっけー!です(w
ながながと失礼しました。
それでは、体に気をつけて、頑張って下さい。応援しております。
- 525 名前:『edge』 投稿日:2005/08/13(土) 14:01
-
正月休みの混雑が一段落すると、店は暇な日が続くようになった。毎年たどる季節的な下降線だから、社員たちにもさほど危機感はない。仕事が楽で、上もぴりぴりせず、あたしにとっては一年で一番、楽な季節だ。
よしこは春の全国大会に向けた予選が始まったとかで、年明け早々から大会が終わるまでバイトを休むことになった。「全国の決勝まで行くから、だいぶ長い休みになっちゃうな」。最後に会ったとき、そんなふうに笑っていた。寂しいかと訊いてきたから、寂しくないのでゆっくり決勝までやってくればいい、と答えたら、少し複雑そうな顔をしていた。
「後藤、レジ締めといてくれる? 一服さして」
「いいよ。支配人が来たら『タバコです』って言っとく」
「アホ、殺す気か」
このホテルの支配人は元・ヘビースモーカー。禁煙に成功してからは極端な嫌煙家に宗旨替えしていて、社員がタバコ休憩をとることを厳しく禁じている。
「頼むで」
レジ・カウンターの裏でぽんと人の腰をたたいて、裕ちゃんはいそいそと歩き去る。少し離れてから、あたしはその後ろ姿にそっと目をやる。踵から首筋まで伸びる、まっとうにまっすぐなラインが好きだ。背は低いけれど、目一杯、高いヒールをかつかつ鳴らす、気の強そうな歩き方が好きだった。
- 526 名前:『edge』 投稿日:2005/08/13(土) 14:02
- ランチの営業の後でレジをいったん締めるけれど、その作業も今日は簡単に済みそうだった。年末に郵便局へ行き損ねた分を、そろそろ送金したいなと、レジの札を数えながら、そんなことを考えていた。明日香の4周忌が近づいている。
『もう、忘れてもいいんじゃないかな』
いつか母の墓の前で圭ちゃんが言ったことを、本当は圭ちゃんがきっと眉をひそめるくらい、あたしこそが何度も考えた。母が死に、住むところを変わり、明日香の両親は一切、通信に応じなかったから、あたしさえ忘れてしまえば、何もなかったことにできるんじゃないかと、ときどき思った。
それはいかにも甘い誘惑で、だけど悪い罠の気がした。道徳云々の前に、あたしはもう、人殺しとしてでなければ、誰として生きていっていいのか、わからなくなっていたからだ。
- 527 名前:『edge』 投稿日:2005/08/13(土) 14:03
-
考えごとをしていたせいで、レジのすぐ前に立たれるまで、気配を感じなかった。
「コンチワ」と、レジカウンターごしにその人は言った。
顔を上げて、あたしは間抜けな人魚姫のように、全ての言葉をなくした。
「久しぶり。どうもどうも」
6年前を冷凍保存してたったいま解凍したような声だった。背が伸びて顔つきも大人っぽくなったのに、声があまりに変わってないから、気が遠くなりそうだった。どこにいてもすぐに感じ取れるとばかり思っていた気配を、ぎりぎりまで捉えられなかった自分にも驚いた。
「元気そうじゃん」
短く切った明るい色の髪を右手でかきあげる、ごく日常的な仕草まで全部が全部、ユメマボロシの中のことのようだった。
声を出せば夢をつなぎとめておけると思ったわけでもないけれど、あたしは急いで言葉をさがした。大急ぎだったので、言葉はひとつしか見つからなかった。
「いちーちゃん」
- 528 名前:駄作屋 投稿日:2005/08/13(土) 14:03
- スレッド整理前の保全がわりということで、
短かすぎですけど更新終了です。
迷いましたが、当初考えていた通りに書くことにしました。
とっとと続きを上げていきたいと思います。
- 529 名前:駄作屋 投稿日:2005/08/13(土) 14:05
- >>514
後藤さん大好きなので、そう言ってもらえるとうれしいです。
>>515
作者の予定より早く変わってきちゃってます。
現実のおっとりした様子に影響を受けてるのかもしれません。
>>516
恐縮です。どうもありがとうございます。
>>517
なんか笑いました。ありがとうございます。
>>518
えー。いや、ありがとうございます。
>>519
>>521-522
ご心配おかけしました。ごめんなさい。
>>523
長いものを読んでいただきまして、ありがとうございます。
えーと、「駄作屋」は特に卑屈な気分でつけたものではなくて、
駄菓子屋の小説バージョンみたいなイメージでつけました。
身近で気軽な嗜好品をお届けできるといいな、みたいな意味です。
>>524
遠まわしで直球、っていうのはその通りだなぁ、と思います。
結局、まんまじゃねえか、っていう。
澱みなく書けているとは思えませんし、出来はひどいですが
読んでもらえて、うれしいです。ありがとうございます。
- 530 名前:駄作屋 投稿日:2005/08/13(土) 14:05
- それでは、また。
- 531 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/13(土) 21:32
- 更新待ってましたー!!
でも早速続きが読みたいw
いやいや、いくらでも待ちますよ〜。
あの人の登場で、さらに先が楽しみです。
- 532 名前: 投稿日:2005/08/13(土) 23:56
- 更新乙です!!
待ってました
更新待ちはお盆休みの楽しみの一つですね(w
お盆はみなさん書いてくれるから
- 533 名前:『edge』 投稿日:2005/08/17(水) 21:43
-
呼びかけると、ちょっとまぶしそうな顔で、いちーちゃんは笑った。
「懐かしいね、その呼び方」
あたしたちは、ついに名前では呼び合わなかった。
離れて暮らすようになってからは、たまに考えたりもした。もしも、あたしがそうできていたら、いちーちゃんもあたしを名前で呼んでくれて、あたしたちはついでに、それぞれの片親の結婚相手についても呼び方を変えたりして、いろいろな全ては、もう少しマシな結果を迎えていたのだろうか。今とは違う景色が、見えていたんだろうか。
問いに答えが出たことは、かつて一度もないのに、それでもときどき、答えをさがしてしまう。
「どうやって、ここわかったの」
離れていた6年の間、ただの一度も連絡しなかった。してはいけないときつく言われていたからだ。『DV加害者は執念深く被害者の行方を追っています。加害者へはもちろん、加害者につながる人物にも連絡はとらないでください。少しでも居場所を気取られる可能性のあることはしないでください。いいですか、これは命に関わることなんです』―――。
市井の父のしてきたことは、DVという名前なんだと、シェルターに入った最初の日に知った。DVがなんという言葉の省略なのか、11歳のあたしにはわからなかったけれど、加害者がアイツで被害者が母だということは、誰に教わらなくても知っていた。
- 534 名前:『edge』 投稿日:2005/08/17(水) 21:44
- 「わかった、っていうか、興信所」
「お金持ちだね」
シェルターで2ヶ月ほどを過ごした後、あたしたちは施設を移っている。シェルターがとりあえずの緊急避難に向けた短期滞在施設なら、母子生活支援センターというところは、ある程度の長期滞在が許される場所だった。あたしたちが入所したセンターは、市井の父やいちーちゃんと4人で暮らした街から遠く離れた海辺にある県の施設で、それなりにセキュリティが―――ガードマンがどうのこうの以上に情報セキュリティが、厳しい場所のはずだった。
「あたしじゃないけど、ヤツが」
「え」
「半年くらい前に依頼して5ヶ月前に調査報告書つうのかね、ああいうのもらったみたいで、机ん中に入ってた」
おもしろいように、背中を冷たい汗の粒が、上から下へ伝う。ブラウスが背中についたら濡れてしまうなと、どうでもいいようなことをちょっと思った。
「焦んなくていいよ」
背中の水滴を見透かしたように、いちーちゃんは言った。
「5ヶ月前から知ってるんだってば。今までにここに来てないなら来るつもりがないんだよ」
一理あった。そもそも彼はあたしには執着がなかった。彼がこだわるのはただ、"殴りたいほど愛している"(と彼はいつだったか、自分の妻への愛情をそう表現していた)彼の妻だけなのだ。
「母さんが死んだことも知ってるんだ?」
墓参りに行ったとき、それらしい人影を見なかったかどうか思い出そうとしたけれど、脳内ビデオが再現するのは墓と花と圭ちゃんの眼差しくらいだった。
- 535 名前:『edge』 投稿日:2005/08/17(水) 21:45
- 「うん。それで酒の量も増えちゃってね。ちなみに、『それで』だってわかったの、入院してからなんだけど。保険の書類を探してて、机あさってみたら報告書が、っていう。だって、酒が増えることってしょっちゅうあったじゃん。減ったら驚くけど増えても理由とか考えなかったし、こっちも」
もっともな言い分だった。彼は基本的には自分の妻だけを殴る人だったが、ちょっとどうかすると、勢い余った拳があたしやいちーちゃんの顔や腹を撫でるようなことがあって、そういうときは必ず酔っ払っていた。酒の量は増える一方で、減ったりはしなかった。
ずっと酔ったままでいられるなら、男にとってはまだ幸せだったのかもしれないけれど、男は酒を休みなく飲み続けることはできなかったし、だからどんなに酩酊してもアルコールが抜けるときは必ず来た。酔いが醒めると彼は、あわれっぽい声で小学生や中学生の娘に土下座を繰り返した。『今度という今度は本当にもう謝る言葉も見つからない』とかなんとか、謝罪の言葉はいつも長かった。不思議に『ごめん』とは言われたことがない気がする。
- 536 名前:『edge』 投稿日:2005/08/17(水) 21:45
- 「入院、長いの」
「そうね、もう4ヶ月くらい」
いちーちゃんは少し考えて、もうすぐ終わるけど、と付け加えて、さらに、若い人の癌にしちゃ進行遅いよね、とうそぶいた。
「そんなに若くもないんじゃない」
受け答えとして、まるでなってないようなことを、あたしは無造作に口にした。こんなときくらい優しい言葉を考えるべきだと思ったけれど、断固として考えたくなかった。
「そうかもね。なんかもう鶏ガラみたいで、脂ぬけきったみたいなさ、還暦過ぎてますって言われても納得できる感じの」
「それで」
聞きたくない話をさえぎって、しかたなく、あたしは気の進まない質問をした。
「今日は、なんだっけ」
用事がなければ来てはいけないようにもとれる問いかけは、できればしたくなかった。あたしの知るいちーちゃんは、否定的なニュアンスにとても敏感で、拗ねっぽい人だった。
「うん」
案の定、いちーちゃんは押し黙る。イタズラを叱られた子どもみたいな顔をしている。しゅんと落ち込んでいるようにも見えるけど、どこかに強情さを隠し持ってるようにも見えた。ちょっとつついたら、僕が悪いんじゃないもんねとか、わかってくれないならもういいよとか、力いっぱい叫んで走り出しそうな顔だ。
- 537 名前:『edge』 投稿日:2005/08/17(水) 21:46
- 多分、一緒に見舞いに来て欲しいんだろうな、と簡単に想像できた。けれど、あたしは思いもよらないふりをする。
行きたくなかった。
癌で母が少しずつ死にゆくのを、1年ほど前に見届けたばかりだ。あんなにハードなことを、なぜ憎んでも憎みきれないような男のために再び経験しなければならないのか、と思った。
そんなことを強要しようとするいちーちゃんにも、裏切られたような思いだった。
味方はお互いだけと悲愴に思いつめて身を寄せ合った、あの子ども部屋の壁を、あたしは忘れられないのに、いちーちゃんは忘れている。シールも落書きもポスターもなかった真っ白な壁はいつも、階下で大きな音がしはじめると、あたしたちを押しつぶしそうに迫ってきた。そんなことも、いちーちゃんは忘れている。あるいは、初めから知らなかったのかもしれない。
いちーちゃんは右の耳がほとんど聞こえないので、いつもドアに体の右側を向けていた。音がなるだけ小さく感じられるようにだ。それに向かい合うように座ると、あたしの目にはベッドがのっぺりした壁を背負っているのが映った。毎度必ずそうだった。「後藤は、よく聞こえてかわいそうだね」といちーちゃんが言って、震えるあたしの耳を塞ぐのも、ほとんど毎度のことだった。あたしはそのたび、いちーちゃんの肩越しに白い壁を見ていた、真っ白な壁を。
いちーちゃんはそのとき、何を見ていたのだろう。
ただ憎めばよかったあたしと、憎んだ男の血を継いだいちーちゃんとでは、世界は同じに見えなかったかもしれない、ということに今さら思い至る。世界のたとえば模様か色合いか、何かが違っていたかもしれない。赤が青ほどではないにしろ。
- 538 名前:『edge』 投稿日:2005/08/17(水) 21:47
- いちーちゃんは用事を言い出さないまま、あたしも黙って、すると、裕ちゃんのきびきびした足音が聞こえてきた。いちーちゃんは足音を振り返って、俯いたかと思ったら目線を天井あたりまで持ち上げたりして、落ち着きのない振る舞いを見せた。
「あー、そしたら、また……」
弱気につぶやいたので、ああもう来ないつもりなんだな、と思った。そうとわかると切実に手を伸ばしたくなって、けれどそうしないほうが簡単なのだということを、あたしはもう10歳でも11歳でもなく17歳なので、理解していた。
「うん。またね」
世界で一番短い嘘になるのかもしれない。いちーちゃんは寂しそうに笑って、あたしに背中を向けた。最後のその顔が、今日見たいちーちゃんの中では比較的、昔の顔に近い気がした。あたしたちは普通よりもきっと、昔の自分に似てない顔をしていると思う。
- 539 名前:『edge』 投稿日:2005/08/17(水) 21:48
-
「ただいま」
裕ちゃんがわざと、手前から大きめに声をかけて近づいてくる。この人はきっと幼い頃から、友達の家に上がるときには丁寧に挨拶ができたんだろうな、となんとなく思った。
「おかえり。ごめん、レジまだ」
「それはいいけども」
裕ちゃんは、あたしをそっと押しのけてレジの前に立った。
しばらくはキーの音だけが、たかたかた、と小さく響いていた。やがてキーを叩きながら裕ちゃんは、「泣きそうな顔してんで」とあてずっぽうで言った。何しろ、さっきからレジスターの画面しか見ていないはずなのだ。
それから「さっきの人、まだすぐそこやで」と言った。さらに「走ったらっていうか、走らなくても間に合いそうやわ」と言った。続けて「泣くくらいやったら」と言いかけたけれど、今度はあたしが先に「5分だけ」と言った。
社員のタバコ休憩が許されるなら、バイトの散歩休憩があっても構わないような気がした。
- 540 名前:『edge』 投稿日:2005/08/17(水) 21:48
-
ホテルのテナントのコンビニを出てすぐのところで、飲みかけのペットボトルを邪魔くさそうに誰かのおなかに押しつけているいちーちゃんを見つけた。ペットボトルの中で、真冬だというのに、なんだか夏くさい黄色の炭酸飲料が揺れている。
見つけるだけ見つけて、あたしは立ちすくんだけれど、ペットボトルを受け取った背の高い男があたしの視線に気づいた。友達じゃないの、と小声でいちーちゃんに言うのが聞こえる。ちゃんと声を落とすあたり品のいい男だな、と思った。
いちーちゃんは、無遠慮にあたしを振り返って、声もまるで落とさなかった。
「あー、これはねー、親友。つか戦友」
「へえ」
戦友などという単語が唐突すぎたからだろう、男はたじろいだように頷く。
「嘘。ガッコの後輩。かわいいっしょ」
「そうなんだ」
「や、嘘だけど。初恋の人っていうんですか、そんなん、そんなん」
「なんだそれ」
男はそれでも笑顔でいる。慣れているのか気が長いのか、わりと性格のいい男だ。いちーちゃんが選ぶにしては上出来なんじゃないの、と思った。
「まあ嘘だけどね。普通に妹。生き別れの妹。てか、元だね、元・妹さんです」
「ホントわかんないけど。とりあえず俺、バイト行くわ」
下手に聞かないほうがいいと思ったのか、あたしに失礼になると思ったのか、男は場をはずすことにしたようで、ペットボトルをいちーちゃんに返した。
「また電話する」
「おー、悪いね、またね」
鷹揚ないちーちゃんに優しく手を振った後で男は、ちょっとあたしを見て、ぴょこんと頭を下げた。大きな図体なのに、マメな感じの仕草だ。ラクダに似た顔をしているけれど、きっといい人なんだろう。
- 541 名前:『edge』 投稿日:2005/08/17(水) 21:49
- いちーちゃんは、男が立ち去ると途端に気弱そうに目をそらして、ゴミ箱の隣の壁に背中をもたせかけた。たいして気になってもいないくせに短い前髪を触ったりしている。
「かっこいいじゃん」
しょうがないので、こちらから話しかけてやると、「でしょ、これ昨日、カットしてもらったんだけどさ」と即座に応じる。
「いやアナタじゃなくて。彼氏」
「なんだよ、そっちかよ、かわいくない。まあ、そうだね。すごく、いい子だよ、あいつ」
彼氏という言葉をいちーちゃんが否定しなかったので、少し寂しいような気がした。あたしの知る中学1年生のいちーちゃんは、現実の男女交際を、わざとかと思うほど、自分から遠いことのように眺めていた。テレビの中の俳優(それはだいたいラクダに似た顔をしていて、あたしにはどこがいいのかさっぱりわからなかった)にぽーっとして、どこで覚えてきたんだか、「この人なら別にいいなぁ」かなんか、何が「別にいい」んだかわからないくせにそんなことを言うのがせいぜいだった。
いちーちゃんはもう、セーラー服を着ていないし、あたしもキャラクターもののトレーナーを1枚も持ってない。そんなことがかすかに寂しいのは、単に頭の悪い感傷なんだろう。
- 542 名前:『edge』 投稿日:2005/08/17(水) 21:50
- 「あの人についてきてもらったら」
元・妹に会うだけの用事に付き合ってくれる男なのだから、死にかけた父親の見舞いにも付き合ってくれるだろう。
「どこにだよ」
「病院にだよ。お見舞い、ひとりで行きたくないんだったらさ」
だったらさ、と言いながら、あたしも壁に背中をくっつけた。ゴミ箱の隣にいちーちゃん、その隣にあたしが並ぶ。あたしのほうが背が高い。あの頃もそうだったけれど、差はさらに広がったようだ。
「行ってるよ、何回も、ひとりで」
「でも、誰かについてきてほしいんでしょ」
人の顔を見ない会話は楽だった。言葉がいつもの3倍、楽に出てくる気がした。
「後藤についてきてほしいんだ」
さっきまではもじもじしていたのに、やけにすんなりと、いちーちゃんは口にした。いちーちゃんにとっても、人の顔を見ない会話は楽なのかもしれない。
だけど、あたしにだって、やっぱり楽だった。頼まれないうちに断ることはできないけれど、頼まれたら、断ることもできなくはない。
「あの人にとっちゃ、6年も前に出てった女の連れ子じゃん。別に全然、家族じゃないよ、あたし。お見舞いとか来られたら腹立たしいだけじゃない?」
「もう、腹立たしいとかないよ、アイツ」
いちーちゃんは、黄色い炭酸を、のろのろと口に含んだ。腰に手をあててゴクゴク飲むのに向いた感じの飲み物だから、ちびちび舐めるといかにもまずそうだった。
「余分な脂も、余分じゃないのも全部もう、なんか抜けちゃったんだよ。魂が抜けかけてんのかもね。腹立たしいとか、思えるもんなら思ってみろってくらい」
「悪いんだね」
「もうすぐ終わりなんだって」
- 543 名前:『edge』 投稿日:2005/08/17(水) 21:50
- いちーちゃんは何を思ったのか、キャップを締めたペットボトルを、縦に回転をかけながら放り投げた。右手でキャッチする。
また投げて、またキャッチする。
次にキャップをひねるときには離れなくちゃ、と思いながら今からあたしは一歩、いちーちゃんから離れておく。ふふん、といちーちゃんは笑った。
「後藤、アイツのこと嫌いだよね、当然。もちろん、あたしも大嫌いなんだけど。でも嫌いでいられるのって、もうあとちょっとの間なんだよ。死なれたら、嫌いって思えないもん、なかなか。まだ死んでないからわかんないけど、どうやらそうらしいんだよ、なんか多分ね。そしたらやっぱり今のうちじゃん。今のうち、死ねバカくたばれ死んじまえって思っとかないと」
いちーちゃんは、大げさな素人劇団サークルのキャストみたいに、ペットボトルをぎゅうっと握りしめていた。人生でそう人を憎む機会もないので憎しみというものをどう表現したものか戸惑っているような、そんな気配が伝わった。
「そうしないと、あたしの気持ちが」
どう聞いても文は途中だったのに、「気持ちが」まででもう完結した気分になったらしい、いちーちゃんは、ペットボトルのキャップを開けようとして、開けるとまずいことになるのを途中で思い出したように(ように、というか間違いなくそうだろう)、やめた。
- 544 名前:『edge』 投稿日:2005/08/17(水) 21:51
- 「じゃあ、わかった」
そろそろ休憩時間は5分を過ぎそうだ。時間の感覚が曖昧になっていたけれど、なるだけ早く仕事に戻らなくては、という気分だけ、頭のどこかしらに引っかかっていた。
「今日とか無理だけど」
「今日じゃなくていいから、一緒に来て」
放っておいても、あたしがもうOKを言いそうだったのに、いちーちゃんは殊勝にも、もう一度、真摯な言い方であたしに頭を下げてきた。変なところでプライドの高い人だったのにと思うと打たれてしまって、あたしはベストのポケットから紙のコースターを取り出した。裏返して壁にそれを押し付け、ポケットから今度はボールペンを取り出す。
090、と書き出したら、隣でいちーちゃんが小さく、ありがとう、と言った。
いちーちゃんは、この番号を、やっぱり「後藤」で自分の携帯電話に登録するんだろうか、と少し考えた。いやもしかしたら登録はしないかもしれない、と考え直すと、自分の考えたことなのに、わずかに悲しくなった。
- 545 名前:駄作屋 投稿日:2005/08/17(水) 21:52
- 最初から、ここまで更新すればよかったですね。
- 546 名前:駄作屋 投稿日:2005/08/17(水) 21:52
- >>531
あの人。出しにくくなりましたが結局、出しました。
これまでの長編2つとも最終的にあの人の絡む恋愛CPに
なってるわけですが、今回は違うとこを目指したいなと思ってます。
>>532
そうですね。夏休みだし、スレッド整理前だし。
私も更新待ちの作品があるので楽しみです。
とか言う間に自分がさくさく更新しろよ、っていう話なんですけど。
- 547 名前:駄作屋 投稿日:2005/08/17(水) 21:53
- ではまた、なるべく近いうちに。
- 548 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/17(水) 23:16
- 更新乙です
いちーちゃんがなにやらアクセントだ・・・・
ってかせつねぇ!
- 549 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/10(土) 16:50
- ここの世界観が好きです
リストラの最初から読み返して改めて思いました
待ってます
- 550 名前:みかん 投稿日:2005/09/18(日) 23:08
- いつ見ても駄作屋さんの文章は引き込まれますね。
ほんと脱帽ですよ。
この後もまたーりお待ちしております。
- 551 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/19(月) 18:41
- パソコントラブルだいじょーぶでしょーか?
新作っていうのも読んでみたかったですがw
直ったら更新よろしくですw
- 552 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/11/08(火) 21:45
- お待ちしております。
- 553 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/12(月) 03:34
- 突然失礼します。いま、2005年の飼育を振り返っての投票イベント
「2005飼育小説大賞」が企画されています。よろしければ一度、
案内板の飼育大賞準備スレをご覧になっていただければと思います。
お邪魔してすみませんでした。ありがとうございます。
- 554 名前:みかん 投稿日:2006/01/03(火) 01:53
- あけましておめでとうございます!
今年もいつまでも・・はい(´ Д `)
- 555 名前:『edge』 投稿日:2006/02/12(日) 22:02
-
子どもの頃から頭のいいほうじゃなく、小学校のなまぬるい成績表じゃ、「がんばりましょう」の欄にいつも○が整列してた。
記憶力に欠けるというより、記憶力をコントロールする力にたぶん欠けている。
ダレソレがナントカいう歴史的な宣言をして云々、は覚えられないのに、前の席の子が読んでる漫画のセリフなんかはひとりでに記憶できてしまった。
心を濁すな。そいつは死を意味する。
なんていうのばっかり、ひょいひょい頭に入る。
それを子ども部屋で話した夜に、
「お前の脳味噌って、やたら感情的にできてんだなぁ」
そんなふうに笑われたことも、遠い昔のことだけど、覚えている。
笑ったのは、いちーちゃんだ。
- 556 名前:『edge』 投稿日:2006/02/12(日) 22:03
- いちーちゃんからは何日か前、電話がきた。
再会から1週間、ぱったり音沙汰なしだったところへ突然だったので、「はい」の短い返事さえ震えた。
「あ、後藤? 市井だけど。いま大丈夫?」
携帯電話における第一声のお手本みたいなしゃべり方で始めて、
「じゃあ月曜日、病院の駐車場のところに14時ね」
待ち合わせ確認のお手本みたいなしゃべり方で、いちーちゃんは電話を切った。
向こうは準備ができてから発信してるんだし、とは思うけど、あたしより動揺や緊張の少なそうな様子が、やや癇に障る。
月曜日は明日だ。
というか数時間前に日付が変わってもう今日だ。
- 557 名前:『edge』 投稿日:2006/02/12(日) 22:04
- そんなこんなで、感情的なあたしの脳味噌は今、あまり優秀でない記憶力をあわただしくかき集めて、裕ちゃんとのいつかの電話を再現している。
『話してくれへんかなって、ちょっと思った』
『そこで謝るんはカンベンやわ』
母の命日の前夜、墓参りの予定を知らせなかったことで裕ちゃんを傷つけた、苦い過去の電話。
歩み寄るのが得意じゃないだけで、歩み寄りたくないわけじゃないことを、できたら裕ちゃんには知っていてほしいと思うけれど、裕ちゃんだから、知ったところで納得は難しいんだろうとも思う。
反省は次につなげたほうがいいと、理性より感情がそう言う。
それにしても近頃、「裕ちゃんだから」というフレーズが頭の中によく浮かぶ。
愛人関係からまさかの恋人関係に発展か。
なんてことはまるでないけど。
- 558 名前:『edge』 投稿日:2006/02/12(日) 22:04
-
* * *
- 559 名前:『edge』 投稿日:2006/02/12(日) 22:05
- はなから暗闇の世界が、急にますます暗くなった。
目を閉じたままでもさっきまでは瞼に光が感じられたのに、今は届かない。
照明がさえぎられたのがわかって、次いでシャンプーの甘い香りがする。
「あのさあ」
つぶやいて瞼を持ち上げたら、案の定、そこに裕ちゃんの顔があった。
寝顔に口づけにくるあたり、いい年してこの人はかなりのロマンチストだ。実際には寝顔じゃなく、寝顔を装った顔だったので、格好の悪い結果になってしまうのだが。
「お、ご、起きてたん」
あわてて遠ざかろうとする首根っこを片手でつかまえて引き寄せる。顔が近づいたら唇を寄せればいい。何百としてきたキスの、これもただの繰り返し。ごく浅いキスにして、細い首を自由にしてやった。
「明日、寄り道する、バイトの前」
- 560 名前:『edge』 投稿日:2006/02/12(日) 22:05
- 勢いで告げたら、ネイティブ日本語スピーカーとは思えない片言になった。
裕ちゃんはけれど、あたしの隣に寝そべって、特に笑ったりはしない。
「うん、どこ行くん」
「病院。知り合いが入院してるんだよね」
「お見舞いか」
なるほど普通はお見舞いということになるのか、と思った。
「うん」
そんな好意的な訪問ではない、というのが実情だけど、ならば何だときかれたら答えられない。好意的ではないけれど、戦意があるわけでも、もちろん殺意があるでもなかった。
「その人の知り合いの人と、ちょっとだけ行ってこようかなぁって」
知り合いの人という言葉は、嘘っぱちではないながら本質を突いた感じもしないなと思う。濁そうとするわけじゃなくてただ、誰かに伝わるように何かをきちんと話すことが、あたしはどうも苦手だ。
裕ちゃんが「入院してる人と後藤はどんな知り合いなんか、訊いてもいい?」と言ってくれたのは、だから助かった。
- 561 名前:『edge』 投稿日:2006/02/12(日) 22:06
- 「あー…入院してる人は、あたしとはあんまり関係なくて。昔、母さんが結婚してた人なんだよね」
「義理のお父さんか」
「別れたから今は違うけど、そうだね、義理の」
お父さん、という言葉は、使わずにおいた。
「一緒に行く人は?」
「んーと、その人の娘さん。あたしとはだから、昔ちょっと姉妹だった人」
答えた途端、胸がキュンとなった。
キュンなんていうのもどうかと思うけど、甘いような痛さが胸を通って、あたしは自分のそんな感情に驚いていた。
懐かしさ、慕わしさ、寂しさ。複雑なブレンドの成り立ちは知らない。
こんなにもまだ心を持っていかれることが、意外だった。
「お姉さんは、学生さん?」
「違うと思う」
答えてまた少し動揺する。
いちーちゃんが学生さんであるかどうかさえ、あたしは知らないのだった。どこに住んでいるのか、誰と住んでいるのか(ラクダの彼と同棲していたらちょっとショックな気もする)、仕事をしているのか、勉強をしているのか、どちらもしていないのか(してなさそうな気もする)、今日の夕食はなんだったのか、あたしが愛人と情事の後の語らいをしている今この午前4時現在は何をしているのか、とにかく、いちーちゃんのあらゆることを知らなかった。
「イビキかいて寝てるかも」
「はい?」
「ううん」
- 562 名前:『edge』 投稿日:2006/02/12(日) 22:07
- 悲しくはなかった。焦りもない。
その昔、いちーちゃんがあたしの世界の80パーセントくらいだった頃は、自分よりも他の誰かがいちーちゃんを知っている可能性が、すごく憎かった。ほとんど、怖れていた。
そういう気持ちは、今もうない。
いちーちゃんがあたしにもたらす心の揺れが、その強さや向きを変えているらしいことを、悲しまず、焦らずに、あたしは知った。
「ていうかそろそろ服着いよ。風邪ひくで」
自分は既にシャワーを浴びてパジャマも着込んで裕ちゃんが言う。
「んー、着るけど」
起き上がるのが面倒で、返事だけしておく。
「お姉さんはもしかしてあの人か、こないだ店に来てた」
「ああ、うん。そう、その人」
答えると、何を思ったか裕ちゃんはあたしの耳に顔を寄せてくる。
「美形やな」
裕ちゃんの部屋に二人でいて、なんのための耳打ちだかさっぱりわからない。
「ははっ。まあねえ。ああいうの、タイプ?」
「あたしはあんたがタイプやて、なんべん言わせんのほんまに」
額を指で弾かれたりして、ああ、そうか機嫌がいいんだな、とわかる。単純な人なのだ。
「でも」
裕ちゃんは笑った顔を崩さずに、声だけをふいに低くした。半音ぶんくらい、わずかに。それだけに不穏にだ。
「後藤はあんなんがタイプやろ」
- 563 名前:『edge』 投稿日:2006/02/12(日) 22:07
- こういうとき、とても苛々する。
裕ちゃんの臆病さ加減はときどきまるで鏡を見るようで、何を求めているかわかりすぎるほどわかるのに、わかればわかるほど、死んでもそれをくれてやるもんかという気にさせられた。
「違うよ」
否定すれば喜んでくれるのだろうし、愛人サービスの一環でそれくらいはしてもよかった。
だけど、あたしは続ける。
「天使みたいな人がタイプだから、後藤は」
- 564 名前:『edge』 投稿日:2006/02/12(日) 22:08
- ととのった顔が隣で冷たく強張るのが、見つめなくたってわかる。
あたしの中の残酷な気持ちが死んで、かわりに後悔の波がひたひた、頭の中を満たしていく。教訓にもならない、ただの後悔だ。時間を戻せたとして、あたしは同じことを言うんだと思う。
「シャワー、借りるね」
立ち上がって裸のままでドアを目指せば、傷ついた顔が遠ざかる。
距離を縮めれば縮めるほど、ゼロにはできない距離のあることが、わかってしまう。
たとえば遠くから見えた背の高い果樹を目指して長く歩いて、ずいぶん近づいてから、木と自分の間が地続きじゃないのを知る。川が流れているとか、崖があるとかいうことを知る。
そんなときにひとりきりでする失望にきっと、今の気持ちは似ている。
「後藤」
「って、今の嘘」
裕ちゃんも大地の裂け目を今、もしかしたら見ているだろうか。
案外、無茶な格闘漫画のキャラクターよろしく地面を拳で叩き割ってるのは。
「ほんとは裕ちゃんがタイプだよ」
それはあたしなのか、とも思った。
ドアを引くとき、裸の腕に鳥肌が立って、背中から刺されるんじゃないかと急に思った。
けれど裕ちゃんは何事か、小さくつぶやくだけだった。
なんと言ったのか、聞き取ることはできなかった。
- 565 名前:駄作屋 投稿日:2006/02/12(日) 22:09
- 短いですが、更新終了です。
- 566 名前:駄作屋 投稿日:2006/02/12(日) 22:10
- ここをほったらかしにした半年の間に、短いのを2つ書きました。
『風の吹く街』
ttp://m-seek.net/cgi-bin/test/read.cgi/dream/1102961917/544-565n
『パルコの英雄』
ttp://mseek.s47.xrea.com/test/read.cgi/big/1136628098/
自スレを放置しておいてなんですけれど、
よかったら、読んでみてください。
- 567 名前:駄作屋 投稿日:2006/02/12(日) 22:10
- こんなに経ってからレス返されても、ですよね…。
レスをくれた人、
2005年大賞で『edge』『風の吹く街』『パルコの英雄』に投票してくれた人、
あと、半年も待って今回更新分を読んでくれた人がいたら、
本当にありがとうございます。ごめんなさい。
- 568 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/12(日) 23:42
- いつまでも更新を待っていられます。
「風の吹く街」も「パルコの英雄」も好きでした。
- 569 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/15(水) 21:52
- 更新、ありがとうございます。
毎回、どきどきしながら呼んでいます。
後藤さんの今後を見守っていきたいです。
- 570 名前:名無し飼育さん 投稿日:2006/02/16(木) 20:39
- 更新ありがとうございます。
今回もぐわしっと心鷲掴みにされました。
「風の吹く街」、「パルコの英雄」も読ませてもらいましたが
涙がとまらなくなってしまいました。
- 571 名前:みかん 投稿日:2006/05/03(水) 15:42
- ここ一週間を使って最初から読み返しました。
なんかこう脳内の後藤という人が元モーニング娘。の後藤じゃなくてここの後藤さんになってて、やっぱり駄作屋さんはすごいなと実感です。
いつまででもまったり待ちます。
- 572 名前:駄作屋 投稿日:2006/08/11(金) 00:30
- 大変恐縮ですが保全させてください。
今月中には更新したいと思います。
- 573 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/11(月) 05:11
- ぇぇ。何がどうしようが、毎日待っています。
- 574 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/12/24(日) 04:34
- もう・・・終わりなのかな
- 575 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/12/25(月) 01:24
-
- 576 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/03/07(水) 08:53
- まってます
- 577 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/04/09(月) 14:04
- お待ちしています
- 578 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/09/03(月) 14:53
- お待ちしています。
また気が向いたらいつでも戻ってきてくださいね。
- 579 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/09/03(月) 15:40
- 上げないで下さいね。
- 580 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/10/01(月) 00:45
- 相手がナカザー・・・・ 萎え・・・・。
どうせならイチゴにしてくれ
- 581 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/10/13(土) 00:01
- (^^/
- 582 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/03(月) 08:23
- 待ってます。
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