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黒い太陽

1 名前:りゅ〜ば 投稿日:2002年11月29日(金)22時29分51秒
風板で書いてた者です。
娘。小説第2弾に挑戦したいと思います。
今回はシリアスな話にしていきたいです。
更新は不定期です。

吉澤さん主人公でいきます。
いろんな事が矛盾していて、意味不明でこじつけな部分も多いですが、
許してやって下さい。

それでは、暫く宜しくお願いします。
2 名前:プロローグ 投稿日:2002年11月29日(金)22時33分29秒


  ――自分が誰だか分からなかった

  ――この世に生まれてきた意味が分からなかった

  ――自分の存在価値が分からなかった

  ――あの日あの人に会うまでは・・・

3 名前:苦悩の中で 投稿日:2002年11月29日(金)22時43分45秒
吉澤ひとみは得意のテコンドーを使い、男の後ろの首筋にチョップを入れていた。
男は一瞬よろめき、前に倒れこむ。
その隙に吉澤は透明の液体が入った注射をうっていた。
男は「うっ。」という声を発しながらその場に倒れた。

すかさず、吉澤は男の体を持ち上げ、壁に叩きつける。
慣れた作業で男の頭に鞄から出した装置を取り付け、その片方を自分の頭にも取り付ける。
その装置は男の鼻の部分まで覆われていて、頭全体を覆いかぶさっている。
一方、吉澤の方の装置は頭から左目にかけて覆いかぶさるようになっていた。

吉澤は、左手で腰につけてるポーチの中からレーダーを取り出した。
片目でそのレーダーに二つの点しか表示されてないのを確認すると、今度は右手で男の首に圧迫をかけた。
男の口から少し苦しそうな息が漏れる。
男が完全に目を覚まさない内に、吉澤は左手で装置のボタンを押した。
途端、装置は静かな音を立てながら動き始めた。
男の体がそれに伴い痙攣する。
同時に、吉澤の口からも嗚咽が漏れた。
歯を食いしばって片目でレーダーを確認しながら、男の首に圧迫を与える事も忘れない。
4 名前:苦悩の中で 投稿日:2002年11月29日(金)22時46分05秒
約三分後、吉澤は装置のストップボタンを押した。
小さな機械の音がゆっくりと消えていく。
吉澤はレーダーを確認しながら、その装置を自分の頭から取った。
はぁはぁと肩で息をしながら、男の頭からも装置を取る。
それらを全て一つの大きな鞄に詰めてから、男を置いてその場を去った。
最後に男を見ると、口から泡を吹いていた。


陰気くさかったビルを出ると、外はもう真っ暗だった。
吉澤は乱れた息をととのえ、ビルの陰に隠れてコートを脱ぐ。
それも鞄に詰めてから、吉澤は大通りに出た。
普通の制服を着た吉澤を、誰も気にするものなどいない。
吉澤はそのまま足を速め、帰路についた。

     −−−
5 名前:苦悩の中で 投稿日:2002年11月29日(金)22時48分09秒
記憶を奪う。
それが吉澤の仕事だった。

依頼が来た人物の頭の中に侵入し、その記憶を奪う。
正確に言うと、その人物が見た事、聞いた事、記憶した事を自分の頭の中にいれるという事だ。
依頼にある、必要な記憶だけを奪って、その人物しか知らない筈の事をその依頼人に提供する。
記憶を奪われた側はそのショックで暫く植物人間状態になり、目覚めてもほとんど記憶が残っていない。
だが、人間の記憶を完全に消すという事は不可能に近く、徐々に失った記憶を取り戻していく。
だがほとんどの場合、吉澤に襲われた所まで記憶が戻る人物はいない。
それは、吉澤が記憶を奪う直前に注射するあの液体のせいでもあった。

     −−−
6 名前:苦悩の中で 投稿日:2002年11月29日(金)22時53分11秒
吉澤は家に帰るなり、トイレに向かった。
便座をあげて、トイレに向かってこみ上げてくる排出物を口から吐き出す。

記憶を奪った後はいつもこうだ。
汚い人間の様々な記憶が一気に頭の中に流れ込み、暫くそれらが途切れた映画のシーンのように吉澤の頭の中を徘徊する。
見たくもない記憶が、自分がおこなった事のように思い出される。
吉澤はいつもこれに耐えられない。
かろうじて、帰路に着く間は抑えてるのだが、家に着くとたまらなくなり、必ず吐いてしまう。
これを防ぐ為に、仕事の前はなるべく何も食べないようにしてるのだが、胃液だけでも吐き出したいと体が訴えるように、やめられなかった。
7 名前:苦悩の中で 投稿日:2002年11月29日(金)22時53分46秒
特に何も出てこないのに暫く便器に向かって口をあけていた吉澤だったが、やがて顔を上げ、洗面所で口の中をゆすいだ。

(また…何の手掛かりもなかったな。)

口元を拭きながら鏡で自分の顔を見つめる。

これは一体誰なのだろう。
自分とは一体誰なのだろう。
この鏡にうつってるのが本当に自分なのか。
では自分とは一体なんなのだ。
自分は、自分の事を何にも知らない。
8 名前:苦悩の中で 投稿日:2002年11月29日(金)22時55分46秒
吉澤はふらふらとよろめきながらソファに座り、テレビをつけた。
六時のニュースがちょうど始まったところだった。
明日の朝のニュースでは、吉澤が今日記憶を奪った男の事が流されているのだろう。

吉澤は適当に冷蔵庫にあった物を少しだけ食べ、そのままベッドに行った。
仕事をした日は、体が衰弱している。
長い睡眠を取らないと、もたなかった。
吉澤はベッドの脇に置いてあるビンをあけ、中から白い錠剤を五つ取り、それを口に放り込んで水を飲んだ。
睡眠薬だ。
これがないと眠れない。
五つは取りすぎだと思うのだが、昔、三つだけ飲んで寝たら、激しい悪夢にうなされた。
奪った記憶がまるで自分のものとなり、寝ている間も吉澤の頭の中で動いていた。
五つぐらい飲んで、気を失うほどの眠りにつかないと、やっていけなかった。

吉澤は目覚ましをセットしてから、すぐにベッドに入った。
9 名前:名無しさん 投稿日:2002年11月30日(土)10時43分55秒


イイ(w かなり。
10 名前:ななしこ 投稿日:2002年11月30日(土)12時53分59秒
なぞなクールなカッケー吉子がイイ!
続きが早く読みたいです。
11 名前:りゅ〜ば 投稿日:2002年11月30日(土)13時54分50秒
レスありがとうございます

>>9 かなりいいって言って下さってありがとうございます!頑張ります。

>>10 よすぃこかっけーですか?イメージ崩さないよう頑張ります(w

ちょっと時間を空けながら更新します。
12 名前:苦悩の中で 投稿日:2002年11月30日(土)13時58分28秒
次の日、セットした目覚ましの音で目を覚ました。
吉澤は頭を抱えながら体を起こした。
睡眠薬のおかげで朝まで寝られたが、全然すっきりしない。

シャワーを浴びて簡単な朝食を取りながらテレビをつけた。
「旗本家の御曹司、東京都内のビル内で倒れているのが発見される。旗本氏の意識はまだ戻っていない。」
などの見出しで昨夜の事件が大きく取り上げられている。
警察がまだ何の手がかりも掴めていない事を確認すると、吉澤はテレビを消した。

制服に着替え、高校に行く支度をする。
普段は普通の高校生だった。
ずっとうざいと思ってた高校も、今となっては吉澤の癒しの場になっていた。
本当の吉澤を誰も知らない。
だがそんな吉澤を、高校という場所は普通に受け入れてくれていた。


吉澤は、家を出る前にもう一度洗面所へ行き、引き出しの中にある注射を取り出した。
中に二つの液体を混ぜ、左の腕にうつ。
これで今日一日、昨夜奪った男の記憶が暴れだす事はないはずだ。
13 名前:苦悩の中で 投稿日:2002年11月30日(土)14時04分03秒
「あ、おはよう、よっすぃ〜。」

教室に入ると、このクラスで一番仲のいい紺野あさ美が声をかけてきた。
相変わらず、一歩テンポが遅れてるような態度を見せる。
紺野はクラスの優等生であったが、いつもどこかぼーっとしていた。
吉澤は、そんな紺野のペースが好きだった。

「今朝のニュース見た?変な事件だよね〜。あの旗本氏のやつ。
 ほとんど外傷はないし、金目の物が取られたわけでもない。
 何をしたのか知らないけど、なぜか被害者は意識不明だし。」

紺野は不思議そうに首を傾げる。
吉澤は頭を抑えながら席に着いた。
紺野は大のニュース好きだ。
毎朝、その日の最新ニュースについて話してくる。
紺野が特に興味を持っているのは殺人事件だ。
だが、こういうミステリアスな事件も好きなようだった。
14 名前:苦悩の中で 投稿日:2002年11月30日(土)14時05分38秒
「なんかさ、1ヶ月前の事件と似てるよね。
 警察も同一犯じゃないかって疑ってるんだけど、なんせ何のつながりも見つけられないみたいだから。
 その時の被害者は、やっと最近植物状態から回復したみたいだけど、その時の事は何にも覚えてないんだって。
 でもそれより私は3ヶ月前に起きた事件とも関わってると思うんだよね。」

吉澤は相槌を打ちながらも、横でぺらぺらと饒舌に喋る紺野の言葉に頭を痛めていた。

(それ全部、私が起こした事件じゃん…。)

     −−−

吉澤はその日の授業を半分寝て過ごした。
席が一番後ろの端っこなので、教科書を立てておけば大体見つからない。
仕事があった次の日はいつもこうだった。
紺野が呆れたようにこちらを見ていたが、吉澤は気にしなかった。

帰りに、今日は金曜日なので買い物に付き合ってほしいと紺野に頼まれたが、用事があるといって断った。
先ほど、授業中に上司からメールが入ったのだ。
今日中に報告書を提出してほしいとのこと。
吉澤は真っ直ぐ帰路に着いた。
15 名前:苦悩の中で 投稿日:2002年11月30日(土)14時15分33秒
家に着いたら早速、昨夜男から記憶を奪った直後に電車の中でメモしていた紙を広げる。
今回の依頼に必要な情報だけをメモしている。

(今度のあまくだりの件についての情報だと?そんなんで私を使うなよな!)

吉澤は依頼人の要望を見ながら思わず机を叩いた。
吉澤がどんな思いで、どんな苦痛を味わって記憶を奪っているのか、ほとんどの者は知らない。
ただ、組織の上の人物が大量のお金と引き換えに政治家でも大手企業の社長とでも契約を結んで、この仕事を成立させる。
吉澤はその一番下っ端で、実際に手を下す実行犯だった。
上が本当は何を考えているのかは知らない。
取り合えず吉澤はいつも渡される仕事をこなしているだけだった。
それなりの生活の保護は受けている。
吉澤は、組織について特に何も知りたいと思わなかった。

吉澤が報告書を書き終えたころには、外は暗くなっていた。
もう七時だ。
あまり遅れると怒られてしまう。
吉澤は早々に家を出た。
16 名前:苦悩の中で 投稿日:2002年11月30日(土)14時19分22秒
上司の家に行く途中で、コンビニによっておにぎりを買った。
今日の夕食だ。
仕事をした次の日ってのは、どうも食欲がない。
おにぎりを買う時、吉澤は上司の顔を思い出してもう二つよけいに買った。
今頃、いつもどおり仕事に明け暮れていて、どうせまだ何も食べてないのだろう。


電車を乗り換えて、吉澤は都内の高級住宅街に来ていた。
その中でもひときわ目立って立っているマンションのドアの前に立ち、吉澤はカードキーを出した。
中に入り、エレベーターに乗って15階のボタンを押す。

上司のドアの前に立つとインターホンを押した。
吉澤はマンションのオートロック用のカードキーは渡されていたが、上司本人の合鍵は貰っていなかった。
だが、そんな吉澤に合鍵が渡される日も近い。吉澤はそう思っていた。

やがて、チェーンを外す音がして、上司が顔を出した。

「あ、吉澤。早かったね。取り合えず入って。」

口調に似合わずかわいらしい高い声で女が手招きする。
彼女の名前は石川梨華。
吉澤の上司だ。
17 名前:苦悩の中で 投稿日:2002年11月30日(土)14時31分31秒

     −−−

記憶喪失の吉澤を助けたのは石川だった。
吉澤には、二年以上前の記憶がない。
真っ白になった吉澤の記憶に一番最初に焼きついたのは石川だった。
吉澤は、あの時まだ14歳だった。
何が起きたのか、吉澤はいまだに知らないし何もわからない。
気付けば病院のベッドで寝ていた。
そこに現れたのが石川だ。
いつも作り笑いをして吉澤に話しかけてきた。
記憶喪失以前の吉澤と何の関係もないはずなのに、石川は毎日のように吉澤の病室に来た。
はじめは嫌悪感を感じて心を閉ざしていた吉澤だったが、毎日来てくれる唯一の話し相手として、吉澤の心もだんだんと開いていった。

だが石川は、なぜ自分が記憶喪失になったのかは教えてくれなかった。
その質問をすると、いつも石川はかぶりを振った。
だが、吉澤にはなんとなく、石川は自分の過去を知っているのだと本能的に感じていた。
18 名前:苦悩の中で 投稿日:2002年11月30日(土)20時59分25秒
石川は一つだけ事実を教えてくれた。
それは、吉澤の両親はもうこの世にいないという事だった。
吉澤にはもう、血のつながった親戚というものがおらず、天蓋孤独だ。
それを聞かされて、吉澤は自分の未来についてますます不安になった。
と同時に疑問にも思った。
ならばこの入院費は誰が払ってくれてるのだろう。
誰が吉澤をここに連れてきてくれたのだろう。

吉澤がこれからの事を考えていた時、石川は相変わらずの作り笑いでこう言った。
「ねぇ、組織に入らない?」

     −−−
19 名前:名無しさん 投稿日:2002年12月01日(日)14時30分00秒
面白そうですね。続きに期待
20 名前:りゅ〜ば 投稿日:2002年12月01日(日)19時50分00秒
レスありがとうございます!

>>19 面白そうと言って下さってありがとうです!頑張ります。

さて、今日はどこまで更新できるでしょう。そろそろ発展させたいですね。
21 名前:苦悩の中で 投稿日:2002年12月01日(日)19時54分13秒
「報告書、そこに出しといて。」

石川は吉澤を部屋に入れるとコンピューターの置いてある机の前に座った。
いろいろな散らばってる書類を押しのけ、銀色の淵で覆われている眼鏡を取り、それをかけた。
吉澤が鞄から報告書を出し、積み上げられた書類の山の上に置く。
石川は数分、画面を見つめ何かをタイプし、吉澤の置いた報告書を取った。

「今回も上出来ね。なかなか分かりやすいわ。」

吉澤が数時間で書き上げた資料に目を通しながら、コンピューターの横に置いてあるマグカップを手に取った。
いつも石川が飲んでいる、めちゃくちゃきついブラックコーヒーだ。

「で、大丈夫だった?何も問題なし?」

「はい。ターゲットは思ったよりやせ男で、簡単に手に落ちました。
 警察もまだ、何の手がかりもつかめてないようです。
 誰かからつけられてる気配も、今のところ感じません。」

義務的な口調で答える吉澤に、石川はため息をついた。

「違う、そうじゃなくって。私が聞いてるのは体の事だよ、吉澤の。」

マグカップを机に置き、真剣なまなざしで石川は振り返った。
22 名前:苦悩の中で 投稿日:2002年12月01日(日)19時55分30秒
「特に異常はありません。ターゲットからも私について新たな情報は何も得られませんでした。」

ただ…と吉澤は付け加えた。

「薬のほうをもうちょっと提供してくれませんか。
 最近、一回の注射だけじゃ記憶の活動を抑える事ができないみたいで。」

途中まで安心して聞いていた石川の顔に、狼狽が走った。

「また、効かなくなってきてるの?いつもそうじゃない。
 どんどん薬の量を濃くするにつれて、免疫が強まってきてるんじゃないの?
 これ以上は危険だわ。あなたの体にも大きな負担がかかってるはず。」

「でも、授業中や寝てる間に記憶が暴れだすのは困るんですが。」

吉澤が記憶の悪夢でどれだけ苦しんでるのか石川には分かっていた。
腕組みをし、暫くコンピューターの画面を見つめる。
やがて、ため息をつきながら頷いた。

「分かったわ…こっちで、検討しとく。」

吉澤はどうも、と頭を下げてからリビングに向かった。
この家の事はほとんど把握している。
吉澤が二年間、通い続けた場所だ。
23 名前:苦悩の中で 投稿日:2002年12月01日(日)19時57分58秒
リビングにある黒いソファに座り、テレビをつける。
面白くもないバラエティー番組ばかりやっていた。
吉澤は、これらの番組には全て台本があり、やらせだと知っている。

テレビをつけたまま、キッチンに行って冷蔵庫からお茶を出し、コンビニで買ってきたおにぎりを皿に乗せる。
愛想のない夕食だな、と思いながらそれらを石川の部屋に持って行った。
普段は吉澤が材料を買ってきてちゃんとした料理を作るのだが、仕事のあった次の日はいつもコンビニのおにぎりだった。


コンピューターに向かって無心にキーボードを叩く石川の横に皿を置き、その手をそっと石川の肩に乗せる。

「今日は、いつ終わりそうですか。」

耳元で息を吹きかけながら囁く吉澤に、石川のキーボードを叩いていた手が止まる。

「そうね。後、4時間はかかりそうだわ。12時ぐらいになっちゃうけど、いい?」

吉澤は時計を確認して頷いた。
24 名前:苦悩の中で 投稿日:2002年12月01日(日)20時00分34秒
石川の仕事が終わるまで、吉澤はソファの上で眠っていた。
だが、自分の体に何かをかけられる気配を感じ、目を覚ました。

「あ、起こしちゃった?」

「いえ…。」

「今日の仕事、終わらせたけど。どうする?今夜はもうやめとく?」

悪戯っぽく微笑む石川に、吉澤は首を振った。

「そう…。」

と呟きながら、その艶のある唇を吉澤の唇に重ねる。
吉澤は何の抵抗もなくそれを受け止め、舌を絡ませる。


ソファでの長いキスの後、息を切らしながら石川が口を開く。

「ベッド、行く?」

吉澤は無言で頷き、二人で寝室に向かった。
25 名前:苦悩の中で 投稿日:2002年12月01日(日)20時04分03秒
吉澤は暗い天井を見上げていた。
隣には石川が裸で寝ている。
そんな自分も裸だ。
まだ夜だった。
石川との行為の後、吉澤はなんとなく寝付けずにいた。


石川とこういう関係になるまで、そう時間はかからなかった。
組織に入って初仕事を成功させた褒美に、と石川がキスしてきたのがはじまりだ。
吉澤は、石川がいなければいつも独りだった。
逆に言えば、吉澤には石川がいた。
石川が吉澤の病室を訪ねてきていた時から、吉澤にとって石川は肉親になっていた。
吉澤自身、石川の事は何も知らないが、一人暮らしの様子を見ると、彼女も独りだったのだろう。
ただ、お互いの寂しさを紛らわすためだけ。
それだけのために、体を重ねてる気がした。
どちらも、好きだの、愛してるなどとは口にしなかった。
自分が、生きていると証明できるだけの温もりを感じるだけでいい。
実際、吉澤は石川に対して、上司という存在以上の感情は抱いていなかった。
26 名前:苦悩の中で 投稿日:2002年12月01日(日)20時17分27秒
吉澤が組織に入る事を決意したのは、いずれ自分の記憶も取り戻せるのではないかという期待があったからだ。
組織は主に記憶の研究をしている、と石川からは聞いていた。
その技術を持って、組織は吉澤の記憶を探ろうとしたらしいが、何らかのエラーが出て調べられなかった。
吉澤が生きてきた14年間の記憶は真っ白だった。


組織が調べられないのなら、自分で調べるしかない。
吉澤はそう思い、今の仕事に就く事にした。
他人の記憶を自分の頭の中に入れるなど、はじめは抵抗があり、体にも心にも大きな負担がかかった。
27 名前:苦悩の中で 投稿日:2002年12月01日(日)20時18分09秒
だが、この仕事をこなせるのは記憶喪失者の中でもごく一部の人間であり、吉澤の力を組織は必要としていた。
そしてさらに、なぜだか分からないが吉澤は銃を扱えた。
ある程度の武道もこなし、ナイフも使いこなした。
これは、記憶を失う前に体が身に付けたものなのだと石川は言う。
体は忘れなかった吉澤の特技だ。
つまり、組織にとって吉澤ほど欲しい人材はいなかった。
それに吉澤には、他人の記憶が何らかの形で自分の過去と繋がっているかもしれない、という淡い希望があった。
自分の記憶を他人の過去から見つけられる可能性は非常に低い。
だが何もかも失った吉澤には、その可能性にすがって生きていくしかなかった。
28 名前:苦悩の中で 投稿日:2002年12月01日(日)20時19分42秒

     −−−

それから何事もなく、二ヶ月が過ぎた。

吉澤にとって平和すぎた二ヶ月だった。


事件は突然訪れた。

     −−−
29 名前:苦悩の中で 投稿日:2002年12月01日(日)20時58分35秒
「ちっ。」

吉澤はビルの陰に隠れて舌打ちをした。

目標が銃を持っているなんて計算外だった。
そんなのは一言も資料に載っていなかったはずだ。


吉澤は渡された資料の通り、目標が一人になるのを待ってから行動を開始した。
目標の男は背が高めで、体つきもがっちりしていたが、吉澤のテコンドーの前では体格など関係なかった。
逆に、相手が大きいほど有利な場合もある。
だが、今回は違った。
吉澤が飛び出した時、タイミングがずれた。
男がこちらに気付くのが早かったのか、吉澤の走るのが遅かったのか分からない。
取り合えず、タイミングが微妙にずれた。
吉澤が男の腕を掴もうとした時、その手をぱっと後ろに廻し、小さいピストルを出した。
男はためらいもなく吉澤を撃った。
一瞬の出来事だったが頭が判断するより先に体が動いていた。
吉澤は横に飛びのき、すぐにビルの陰に隠れた。

弾は左腕を少し掠っていた。
30 名前:苦悩の中で 投稿日:2002年12月01日(日)21時01分57秒

吉澤は護身用にいつも見につけている小型の銃を出した。
あまり現場に跡を残したくはないのだが、相手も銃を持っているので仕方がない。

銃撃戦になると、外部に音が漏れる心配もある。
これ以上のリスクは避けたかった。

―― 一発でしとめる ――

吉澤は精神を集中させ、深呼吸をした。
最近、銃を使っていない。
だがここは、迷ってる暇はなかった。
時間もない。

吉澤は二秒ほど瞼を閉じた。
そして息を止め、目を見開いて顔を出した。

男が吉澤に焦点を合わせる時間の方が、少し遅かったみたいだ。
吉澤の打った弾は、男のピストルに当たっていた。


――やった――
吉澤は胸中で呟きながらも、休んでる暇はなく、そのまま走って男の手を取った。
力を込めて、男の両腕を後ろに廻し、ねじ上げる。
31 名前:苦悩の中で 投稿日:2002年12月01日(日)21時07分50秒
「うぎゃぁぁぁっっ!!」

男の、醜い声が響き渡る。
これ以上時間をかけられては予定外だ。
吉澤は用意していた注射を取り、男の首に打った。
途端、男の体がぐたっとなり、力が抜ける。
男の体から抵抗が抜けた事を確認して、吉澤はビルの陰に置いてきた鞄を持ってきた。
中からいつもの装置を出し、それを男の頭にはめる。
自分の頭にも、男の頭と繋がった装置をつけ、鞄の中に手を突っ込みレーダーを探す。
だが、探し当てたレーダーの画面には、ひびが入っていた。
吉澤は再び舌打ちをする。
このレーダーは半径100m以内に人間がいるかどうかを教えてくれる。
大体はいつも画面上に、目標と吉澤の二人の点浮かんでいるのだが、何度押してもそんな画面は現れなかった。
32 名前:苦悩の中で 投稿日:2002年12月01日(日)21時10分55秒
仕方なしに、吉澤はレーダーなしで装置を作動する事にした。
予定時間を大幅に遅れている。吉澤は焦っていた。

スイッチを押した途端、男の記憶が一気に吉澤の中に流れ込んでくる。
吉澤はそれらを再び、歯を食いしばりながら受け止めた。
いらない、必要のない記憶まで頭に流れ込んでくる。

(あった…!)

依頼内容と一致する記憶を見つけ、吉澤は装置のストップボタンに手をかけた。
装置が音を立てながら止まっていく。


ホールに静寂が戻った時、物音がした。
吉澤は体をびくっとさせ、装置をつけたまま音がした方に振り向いた。
吉澤の片目が捉えたのは、呆然と佇む、少女の姿だった。


33 名前:名無し読者 投稿日:2002年12月02日(月)12時51分47秒
緊迫感があって、なかなか面白いです。
石が吉の上司というのも珍しい設定ですね。
呆然と佇む少女・・もしかしたらあの人かな?
34 名前:オニオン 投稿日:2002年12月04日(水)12時44分21秒
十分ステキな吉澤さんが
ここにはいらっしゃるじゃないっすか。
結構好きです、こういう話。
35 名前:4489 投稿日:2002年12月06日(金)19時17分12秒
 なちよし見てました。
 こっちのも楽しみにしてます。
36 名前:りゅ〜ば 投稿日:2002年12月07日(土)18時05分05秒
レスありがとうございます!励みになってます。

>>33
 佇む少女…あの人です(w 石が吉の上司のようにマイナー設定目指してます!
 緊迫感あるっていってくれてありがとうです。頑張ります。

>>34 オニオンさん
 いらっしゃい(謎)よすぃこ素敵ですか?嬉しいです。
 こういう話好きですか?イメージ変えないように頑張ります。

>>35 4489さん
 なちよし見て頂いていたのですか!感動です。
 こちらも期待を裏切らないように頑張りますw

今日はどこまで進められるかな。また感想等あったらなんなりと書き込んで下さい。
37 名前:心の変化 投稿日:2002年12月07日(土)18時12分10秒
暫く、吉澤は動けなかった。
装置をつけたまま、片目で少女の瞳を見据えた。
少女も真っ直ぐと、吉澤の瞳を見つめ返す。

時間的にはそんなに長くなかったのかもしれない。
だが吉澤にとっては長い間、少女を見つめていた。
何も音がしないホールの中で、少女が少し足を動かした。
後ろに一歩、後ずさったのだ。
少女の動きでようやく正気を取り戻した吉澤は、今起きている状況を、頭の中で判断する。

(人…。人がいる。私は、装置をつけている。人が、こっちを見ていて…。)

段々と状況が飲み込めてきた。

(つまり…見られた!!)

吉澤が記憶を奪ってる姿は誰にも見られてはいけない。
吉澤は少女に向けて、銃を向けた。

「そのまま、動くな。」

吉澤の言葉に従順なのか、銃が向けられても少女は微動だびしない。瞬き一つしなかった。

「両手を真っ直ぐあげて。そのまま、動かないで。」

ゆっくりと少女が手を上にあげるのを見守りながら、吉澤は素早い動作で装置を鞄に入れていた。
銃口は少女に向けたままだ。
38 名前:心の変化 投稿日:2002年12月07日(土)18時14分30秒
吉澤はこの予定外の事態に物凄く焦っていた。
男の抵抗により予定時間が大幅にずれ、はたまたレーダーが壊れていたせいで人が近くに来ていた事が分からなかった。
しかも、その少女に吉澤が装置をつけて男の記憶を奪っている所を目撃された。

少なくとも二回は銃声を発してしまった。
人が駆けつけてきて、警察に連絡されるのも時間の問題だ。
吉澤は取り合えずこの場を離れる事が先決だと考えた。

吉澤は銃口を少女に向けながらゆっくりと歩いていった。
気のせいか、さっきから一度も瞬きをしていない気がする。
少女は白いワンピースを着ていた。
逆に言うと、それだけだった。
どこかに武器などを隠してるようには見えない。
吉澤は少女の背中に回ると、持っていた布切れで素早く腕を結んだ。

「…っ。」

小さくだが、少女が反応を見せた。
腕をきつく結びすぎたのかもしれない。
少なくとも、瞬きをしないリアルな人形でなかった事に吉澤は少し安心する。

「このまま真っ直ぐ、黙って私について来い。」

吉澤は銃を背中に当てながら言った。
少女が頷くのを見て、そのまま腕を引っ張り、ぐったりとなっている男を置いてその場を去った。
39 名前:心の変化 投稿日:2002年12月07日(土)18時19分17秒

     −−−

人がいない事を確認しながら、ビルの中を慎重に歩いていた。
このビルの地図は全て頭の中に入ってある。
吉澤は逃げ道に使おうと思っていたドアを通り過ぎ、奥にある壁の隙間に入った。

隙間に入ると、周りを注意しながら、銃口を少女のこめかみの部分にあてる。
狭いので、吉澤の体と少女の体は自然と密着してしまう。

「おまえはどこの誰だ?なぜあそこにいた?どこの遣いだ?」

外に響かないように、低い声で少女の耳元に囁く。
だが少女はただ震えてるだけで、何も答えなかった。
ただ、その大きな瞳は真っ直ぐと吉澤の目を見据えている。
吉澤は時間稼ぎにされていると感じ、銃口を更に強く頭に押し付けた。

「質問に答えて!じゃないと…撃つよ。」

吉澤の、銃にかけてる手が汗ばみだす。
少女のほとんど無反応なリアクションに、苛立ちを感じていた。
銃をこめかめに当てられたら、誰だって素直に何でも喋ると思っていた。

「こら!いい加減にしないと…。」

「…わか…らない…。」
40 名前:心の変化 投稿日:2002年12月07日(土)18時21分06秒
「え?」

やっと出た少女の声は、思ったよりも高かった。

「…私が…誰だか…。何でここにいるのか…。
 何にも…何にも、思い出せないんです。分からないんです。」

「なっ…。」

その時、頭痛が襲ってきた。
先ほど男から奪った記憶が暴れだしたのだ。
吉澤は頭を抑えながら何とか冷静になるよう、歯を食いしばった。
男の記憶にまぎれながら、少女の口から出た言葉を反芻する。

(何だって…?自分が誰だか分からない…?思い出せない…?この子、記憶喪失?)

吉澤の銃を持つ手も震えだした。
頭を抑えながら自然と少女に寄りかかってしまう。
吉澤の呼吸も段々激しくなっていき、銃を持つ手の力が緩んだ。

敵かもしれない少女の前で、吉澤は完全に無防備になっている。
これ以上ここにいてはいけない。
早く家に帰って、注射を打たないと。
それから、この少女を――。
41 名前:心の変化 投稿日:2002年12月07日(土)18時24分56秒

「大丈夫…ですか?」

苦しそうに呼吸をする吉澤の額に、少女の手がそっと添えられた。

「凄い…汗。それに、熱…。」

「さわ…るな。」

見ず知らずの少女に、誰にも見せたことの無い、自分の一番弱いところを見せてしまった。
吉澤は力の無い動作で少女の手を掃った。


男の記憶が蠢く頭の中、吉澤はもしも他人に自分の仕事、または正体がばれてしまった時にどうするかという事を思い出していた。
石川がいつも言っていた事だ。

誰かに、吉澤の正体がばれた時――その時は、その相手を必ず捕まえ、捕獲する。
抵抗する場合、または逃げられそうな状況下の時は、殺してしまってもかまわない。
捕獲した者は、そのまま組織に差し出す――。

組織に渡された者がどうなるのか吉澤は知らなかった。
ただ、普通に元の世界に返されない事だけは、分かっていた。
42 名前:心の変化 投稿日:2002年12月07日(土)18時27分31秒
吉澤は、自分に殺されそうになりながらも、本気で吉澤の事を心配している少女の顔を見た。

この子がもし、本当にただの偶然で、ここにきてしまっただけなのなら?
自分と同じで、記憶喪失だったのなら?

吉澤が考えを巡らせている時、遠くの方でサイレンが聞こえた。
その音はどんどんとこちらへ近づいてくる。

逃げなくては――。

吉澤は精神を振り絞って、何とか男の記憶が暴れださないよう自分をコントロールした。
今は逃げる事だけを考えなくては。

サイレンの音で、少女も不安そうにこちらを見る。
この子を、どうするか――。

吉澤に、迷ってる暇は無かった。

     −−−
43 名前:心の変化 投稿日:2002年12月07日(土)18時40分47秒
家に着いた途端、吉澤はトイレへ走った。
一通り、胃液だけを吐いてから、引き出しにある注射を取る。
名前も覚えられないくらい複雑な、強力な鎮静剤に、安定剤。
他にも専門的な、記憶を操作し、落ち着かせる注射も混ざっている。
それらを自分の左腕に打って、吉澤は苦痛が減っていくのを待った。

一息つき、洗面所で顔を洗って、鏡を見上げた途端、びくっとした。
鏡には、吉澤の後ろに先ほどの少女が映っていた。


なぜ、身元も不明なこの少女を家に上げたのかは自分でも分からない。
武器を持っていない無防備な体制も、記憶喪失だと思わせる素振りも、全て罠かもしれないのに。
自分の体に限界が来ていたとはいえ、さっさと石川に連絡をしてこの少女を渡してしまう事だってできたはずだ。
なのに、吉澤はそれをしなかった。
吉澤は潜在的に、この少女から何かを感じていた。
懐かしさのような、言葉にできない何かを。
その感情が、少女を自分の元から手放したくないというものに繋げていた。
44 名前:心の変化 投稿日:2002年12月07日(土)18時48分33秒

「もう、大丈夫なんですか?」

鏡越しに、少女が心配そうに首を傾げる。

「…うん。」

声にならないほどの小さな声で頷いてから、吉澤はリビングに行った。
テーブルの上に置いてある鞄を開け、中から再び銃を取り出し、少女に向けた。

「まだ、あなたの事信用してないから。もう一回聞くけど、あなたは誰?どこから来たの?」

吉澤の行動に、少女は一瞬驚きの表情を見せたが、すぐに悲しそうに下を向いた。

「分かん…ないんです。思い出せなくて…。気付けば、あのビルの中にいて…。」

「あのビルの中?どういう事?」

「それが、気付いた時には、あの中にいてて…。
 ビルの中にある、小さな部屋にいたんですけど、周りには誰もいなくて、
 自分が何をしてたか、誰だったか思い出せなくて…。
 部屋を出てみたら下から音が聞こえたんで、行ってみたんです。」

少女が一つ一つ確認するように言う。
ついさっき起きた出来事を、少しでもいいから思い出そうとしているようだ。
45 名前:心の変化 投稿日:2002年12月07日(土)18時53分54秒
「じゃぁ…自分の身元も、何も分からないっていうの?名前さえも?」

「それが…。」

と言って少女がワンピースのポケットに手を入れる。
そこに銃やナイフを隠すぐらいの膨らみもなかったが、吉澤は銃を持つ手に力を入れる。

「これだけが、部屋に落ちていて…。」

少女が差し出してきたのは、小さなメモ帳のような物だった。
薄汚れていて、ところどころ破れている。
吉澤は銃を持ってる手を下げ、差し出されたメモ帳を受け取った。
開いてみたが、中には何も書いていない。
ところどころ、ページがちぎられたような跡がある。
誰かが故意に、破ったのだろうか。

だが最後のページを開いた時、吉澤の目に一つの文字が映った。

「安倍…なつみ?」

吉澤が読むのと同時に、少女はゆっくりと頷いた。

「安倍なつみ…。それがあなたの名前?」

「分からない…分からないんです。
 それが私の物なのかも、私の名前なのかも。思い出せないんです。」

少女は顔を覆って、その場にしゃがみ込んだ。
声は聞こえてこないが、どうやら泣いてるようだ。
その姿に、吉澤の頭はまた痛んだ。昔の自分と、重なってしまう。
46 名前:心の変化 投稿日:2002年12月07日(土)18時58分14秒
吉澤が安倍に近づこうと一歩足を踏み出した時、家の電話が鳴った。
シーンとしていた部屋に、電話のきつい音が鳴り響く。

「…はい。」

吉澤は受話器を取った。

『吉澤!あなた大丈夫?!今、家?家にいるんだよね?』

誰かと思えば聞きなれた高い声が聞こえてきた。
今、一番聞きたくなかった声だ。
まだ、安倍の処分をどうするかきちんと考えていない。
吉澤は、取り合えずは動揺を見せないように電話に応対した。

「家ですよ。私は大丈夫ですけど、どうしたんですか?
 石川さんが自宅に電話してくるなんて、よっぽどの事じゃないと。」

『吉澤!ニュース見てないの?』

「え?」

『あなたがさっきまでいてたビルが、爆発したのよ!』

「え?何言ってんですか。そこはさっきまで私がいてたんですよ。
 帰る時とかも、全然変わった様子はありませんでしたけど。」

『だから、本当についさっきだったのよ!
 なぜだか知らないけど警察が集まってて、目標の男が倒れてるのが見つかって、
 本格的にビルの捜査にあたってる時に、爆発したの。』

「…え、でもそんな事って…。」
47 名前:心の変化 投稿日:2002年12月07日(土)19時01分34秒
『だから!こっちも何がなんだか分からないから電話してるのよ。
 取り合えず、吉澤が無事だったから安心したけど、今日の仕事中、何か変わった事無かった?』

いつかは来るだろうと思っていた石川の質問に、吉澤はどきっとした。
電話を持ちながら、ちらっと安倍の方を見る。
安倍は心配そうにこちらを見つめていた。
今、もし石川に安倍の事を言ったら、この子は確実に組織に連れて行かれるだろう。

「…特に、何も…。」

『本当?』

「はい…。あ、でも一つだけ。目標が小型のピストルを所持していました。
 そんな事、書類には書いていませんでしたが。」

『え?本当に?…おかしいわね。情報班がミスするはずないんだけど、そんな大事なこと。』

「おかげでこちらも一発、撃たなければなりませんでした。
 それと、左腕も少しだけ、相手の弾があたって、怪我をしました。
 でも掠り傷なので大丈夫です。」

自分で言いながら、吉澤は左腕を怪我していたんだと思い出す。
電話を持ちながら、もう片方の手で左腕を押さえてみた。
少し痛んだが、そこまで傷は大したこと無いようだ。
48 名前:心の変化 投稿日:2002年12月07日(土)19時19分46秒
『そう。あなたが大丈夫だというのなら信じるけど。他には、何か無かった?』

「…いえ。」

再び、安倍の顔を見ながら吉澤はそう言った。

石川はこれ以上吉澤と喋っていても新たな情報は得られないと踏んで、電話を切った。
何か情報が入ればまた連絡するとの事だ。

「何か、あったんですか?」

電話を切った途端、テレビのリモコンに手をかける吉澤を見て、安倍が近寄ってくる。
吉澤は無言でテレビをつけた。

NHKにチャンネルを合わせると、石川の言っていた通り、ビル爆発のニュースがやっていた。
結構大きな爆発だったようで、ビルそのものが崩壊してしまったという。
まだ探索中だが、中にいた警察や、吉澤の目標だった男を含めて既に10名以上の死亡が確認されている。
警察は爆弾テロの方向で捜査を進めているようだ。

「え…?これって…。」

「さっきまで私達がいたとこだよ。」

安倍の顔がみるみるうちに曇っていく。
ソファに座らず、その場でしゃがみ込み、また顔を覆った。
安倍にとって、記憶を探す唯一の手がかりだった場所が、無くなったのだ。
49 名前:心の変化 投稿日:2002年12月07日(土)19時26分05秒
その姿を見ていて、吉澤の胸は痛んだ。
この子も、自分と同じだ。
身寄りがいるかいないのかも分からず、自分がなぜ記憶喪失になったのかも分からず、この先どうやって生きていけばいいのか不安でいっぱいで。

吉澤は一人で病室のベッドに寝ていた時の事を思い出した。
一日中、動けず、自分に関して何の情報も得られず、ただ考えだけが先走っていた。
これからどうやって生きていけばいいのか不安でいっぱいだった。
自分なのに、自分を知らない。
吉澤はいつも一人で、泣いていた。


立ち上がると、眩暈が襲ってきた。
いつもより、症状が悪化している気がする。
そろそろ睡眠薬を取って体を休ませないと、本当に倒れてしまうかもしれない。
吉澤はふらふらと歩きながら、安倍に近づいていった。
その様子に気付き、安倍が顔を上げる。
その顔は涙で濡れていた。
50 名前:心の変化 投稿日:2002年12月07日(土)19時27分23秒

「…寝よ、一緒に。」

自分でも何を口走ってるのか分からなかった。
頭の中で、いろんな感情が動き回る。
それがさっき奪った男の感情なのか、自分の感情なのか、分からなかった。

「…私が、傍にいるから…。一人じゃ、ないからさ。泣かないで…。ね?」

吉澤はソファに手をつき、体を支えながら、右手を差し出した。
安部の表情が一瞬固まったかと思うと、今度は崩れるように声を上げて泣き出した。
だが泣きながらも、安部の右手はそっと差し出されて、吉澤の右手を握っていた。


その時吉澤は、石川と体を合わせる時にも感じた事のない温もりを、感じた気がした。

51 名前:33 投稿日:2002年12月08日(日)02時14分34秒
やはりあの人でしたか・・
自分も「なちよし」、大好きです。レスもしてました(照)

う〜ん、展開がイイ感じになって来ましたね。
この先どうなるんだろ?運命が回り始めてる感じがしています。
次回更新、楽しみにしています。
52 名前:りゅ〜ば 投稿日:2002年12月10日(火)16時52分52秒
レスありがとございます!

>>51 33さん
 あの人でした。私の中では王道になってします(w
 なちよしレスしてくれてたんですか!感動です!あの方かな?
 そろそろ展開させたいですが、どうでしょうねぇ〜。
 今回はシリアスに前よりもくどくどと書きたいと思ってます。

もうすぐ更新停滞しそうなので、今日はちょっと多めに更新したいと思ってます。
53 名前:心の変化 投稿日:2002年12月10日(火)16時56分31秒
目覚ましの音で、目を覚ました。

また新たな一日が始まる。
時々、睡眠薬を飲んで意識不明の眠りについた後、このまま起きなかったらどれだけ楽か、と思う。
起きたらまた、自分の記憶を探しに、人の記憶を奪いにいく旅に出なくてはならない。

吉澤は、自分が生きてる意味が、分からなくなっていた。


起きようとしたら手に暖かいものがある事に気付いた。
目を移すと、吉澤の右手は安倍の手に握られている。
昨日は睡眠薬を飲んで、吉澤が先に寝てしまった。
後から手を握られたのだろう。
吉澤はその温もりに、微かに安らぎを感じながらベッドを下りた。
安倍はまだ寝ていた。

     −−−
54 名前:心の変化 投稿日:2002年12月10日(火)17時05分07秒
シャワーを浴び、朝のニュースを見ていると安倍がやってきた。
目をこすりながら、まだ眠そうである。

「学校、ですか?」

制服姿の吉澤を見て、安倍が言った。
吉澤は無言で答え、テレビに映るニュースを目で追う。

「えっと…昨日は、その、ありがとうございました。」

黙々と朝食を食べる吉澤の横にきて、安倍は頭を下げた。
吉澤はニュースが芸能情報に変わると、机の上にあった新聞を広げた。

安倍は、吉澤が口を開くのを待った。
だが吉澤は相変わらず新聞をめくり、最後には腕時計を一瞥して、席を立った。
そのまま、安倍の横を通りぬけ、学校に行く用意をする。

鏡の前で吉澤がカーディガンを羽織っていたら、後ろに安倍がやってきた。

「あの…私、嬉しかったです。昨日は、本当だったら寝る場所もなかったから…。」

吉澤はそれには答えず、リビングにおいてあった鞄と、机の上に置いてある書類をとり、それらを持ってクローゼットを開けた。
いろいろな衣服が垂れ下がった下に、四角くて黒い、金庫のようなものが置いてある。
吉澤がしゃがんでパスワードを入力しようとした時、安倍のほうに振り返った。

「何、見てんの?」
55 名前:心の変化 投稿日:2002年12月10日(火)17時15分08秒
その言葉に安倍は慌てて後ろを向く。
ぴっぴっという機械の音がして、吉澤が鞄の中身を金庫の中に入れるのが分かる。

「さて、と…。」

そう呟いてから制カバンを取った。
また、安倍の横を通り抜け、玄関に行く。

吉澤が靴に手をかけた時、後ろから安倍が声をかけてきた。

「あの!私…出て行きますから…。」

その言葉に、今まで無反応だった吉澤の体がぴたっと止まる。

「行くあて、ないけど…これ以上ここにいてたら、迷惑だろうし。
 あの、ありがとうございました、本当に。」

それでは、と言って吉澤の横をすり抜けてドアノブを掴んだ。

「待って。」

安倍がドアのチェーンを外そうとしてる時、後ろで吉澤が靴をはいて立った。

「今、外に出られたら困るんだよね。」

背中から声を感じ、安倍は振り返った。
目の前には自分より数cm背が高い吉澤が立っていた。

「あなたの処分をまだ考えてない。昨日、あなたが見た事を、外部に漏らされたら困るの。
 だから外に出られたらすっごく困るんだよね。」
56 名前:心の変化 投稿日:2002年12月10日(火)17時18分37秒
「え…。でもじゃぁ私はどうすれば…。」

「今日中に、あなたの処分を考えるから、それまではこの家にいておいて。
 一応、触られて困るような物は隠しといたし、警察に連絡するとかそういう事は考えない方が身のためだよ。
 私の事喋ったら、警察なんかよりもっと恐ろしいものが、あなたを襲うから。」

そう言って吉澤はチェーンを外し、ドアノブに手をかけた。

「お腹が空いたら、冷蔵庫から適当なもの取っていいから。私は、3時までには帰る。」

呆然と佇む安倍を置いて、ドアを閉めようとした時、吉澤は気付いたようにこちらを向いた。

「このドアは内側からしか鍵がかけれないからもう一度言うけど、絶対外には出ない事。
 例えあなたが外に出て、逃げたとしても、地獄の底まで追いかけて、捕まえるから。」

そう言って、安倍が何か口を開く前に、扉は閉まった。

     −−−
57 名前:心の変化 投稿日:2002年12月10日(火)17時30分13秒
エレベーターを待ちながら、なぜ彼女を家におく事にしたのかを自問する。
内側からしか鍵がかけれない為、外に出るか出ないかは彼女の自由意志だ。
はっきり言って、外に出られたらさすがの吉澤でさえこの広い街中、一人の少女を探し出すのは困難に思えた。
警察に連絡でもされたら、自分の身元が割れて、捕まってしまうだろう。
昨日知り合った少女を家において学校に行くのは、吉澤にとって危ない橋を渡るのと一緒だった。

なのに、吉澤は心のどこかで安倍を信じていた。
何の確信もないのだが、彼女が自分と同じ記憶喪失という事だけで、妙な自信があった。
吉澤は、独りがどれだけ寂しいものか知っていた。

     −−−
58 名前:心の変化 投稿日:2002年12月10日(火)17時39分39秒
教室に入ると、早速紺野が近づいてきた。
またニュースの話だと思い、少しうんざりとした。
紺野のニュース話は普段、あまりニュースをチェックしない吉澤には役に立つのだが、自分が起こした事件を語られるのはどうも苦手だ。

「よっすぃ〜おはよう!爆破テロのニュース見た?凄いよね!びっくりしちゃった。
 ビルが全壊だよ?死傷者も20名を越えてるって!」

「…へぇー、そうなんだ。」
(そんな嬉しそうな顔しなくたって…。)

「でもね、私は爆発が起きる前に警察が調べてた気絶状態の男の方が気になるんだ。」

どきっ。

「身元は判明したみたいなんだけどね。発見された時の状態が2ヶ月前の旗本氏のやつにそっくりなの。
 爆破テロは今までの事件に関連してるんじゃないか、って私は踏んでるんだけど。」

「…ふーん。私はあんまり、興味ないけどね、その辺の。」

吉澤は席について、一時間目の教科書とノートを出した。
あからさまに興味のなさそうな顔をする。

「あれ?本当に興味ないの?」

紺野が目を丸くして聞いてくる。冷たくあたりすぎたか。
59 名前:心の変化 投稿日:2002年12月10日(火)17時47分25秒
「うん。私はニュースより、数学の成績の方が気になるかな。」

吉澤は普通の女子高生っぽく、笑ってみせた。学校では普通のその辺にいる女子高生になれる。

「ふぅ〜ん、そっか。でも昨日よっすぃ〜さ、あの辺歩いてたよね?」

横の席につきながら、悪戯っぽく紺野が微笑む。その顔を、吉澤は凝視した。

「え?嘘、私、いた?あんなとこに。」

吉澤は必死で同様が表に出ないように、さりげなく笑顔をつくる。

「うん、私見たよ。よっすぃ〜が可愛い子と、デートしてるの。」

紺野が目に笑いを浮かべ、机にひじをつきながら言った。

(あさ美に見られた?嘘…。しかもあの子と一緒にいる所を…。
 まさか、あのビルから出た所は、見てないよね。)

「あ、あの子ね。うん、あの子は親戚の子なんだ。たまたま、会ったからさ。
 ちょっと久しぶりに、思い出の喫茶店にでもいこうかと思って。」

「思い出の喫茶店?」

「あの、あるじゃん、近くに。珈琲ブーツっていう、ちょっと小さめのさ。
 あそこに、昔あの子とよく行ったんだよね。」

吉澤は近くにあった喫茶店を思い浮かべながら、作り笑いをする。
それにしても、自分でも下手ないいわけだなと思った。
60 名前:心の変化 投稿日:2002年12月10日(火)17時54分03秒
「ふ〜ん。なーんだ、つまんないの。よっすぃ〜があの事件に関係してたんじゃないかと思って期待してたのに。」

「えぇっ?!」

「え?いや、だから深い意味はないけどさ。
 もしなんか怪しい人とか見たりしてたんなら、面白かったのになぁって。」

心底残念そうな顔で紺野はため息をついた。
紺野の口調からして、吉澤があのビルから出て来る所は見られなかったようだ。
吉澤は心の中で大きく安堵のため息をついた。
しかし、なぜ紺野はあんな所にいたのだろう?あの辺に住んでるのだろうか。



授業中、吉澤は安倍の事を考えていた。
彼女をどうするか。

今の所、不振な動きは見せていない。
このまま組織に渡してしまうのには、何か抵抗があった。
まるで昔の自分と同じ境遇にいる少女…。

自分の場合、あの時石川が助けてくれたが、組織に入らなくてはならなかった。
吉澤は今の仕事に就いた事を後悔している。
人の記憶を吸い取るたびに、自分が自分でなくなってるような気がする。
彼女を組織に渡してしまえば、自分と同じ仕事に就かされる可能性がある。
吉澤はそれだけは防ぎたかった。

     −−−
61 名前:心の変化 投稿日:2002年12月10日(火)18時50分11秒
結局考えがまとまらないまま放課後になってしまった。
お約束どおり、石川からは報告書を提出するようにとメールがきていた。

帰り際に、珍しく紺野に話しかけてみた。
いつも何かに行き詰った時は紺野に相談する。
吉澤は彼女の高いIQを重宝していた。

「ねぇあさ美。あさ美がもしね、全然知らない、会ったばっかりの人を信用したい時ってどうする?」

帰る用意をしていた紺野は、突然の吉澤の質問に怪訝そうに顔を上げる。

「え?どういう事?」

「だから例えば、昨日今日あったようなよく知らない人を信用したい場合。
 その人が敵か味方か分からない場合、それを確かめるにはどうすればいいかなって。
 あさ美なら、そういう時どうする?」

吉澤の説明に、紺野は首を傾げながら顎に手を添える。

「うーん、そうだなぁ。私なら…。」

少し考えて、紺野は閃いたように人差し指を立てた。

「私ならやっぱり、命をかけるかな。」

「え?」

「だから、包丁かなんかを相手に渡して、『私を殺して。』っていうの。
 その人が敵なら迷わず自分を殺すだろうし、味方ならまず、殺さない。」
62 名前:心の変化 投稿日:2002年12月10日(火)18時52分25秒
自信をもって頷く紺野に、吉澤は目を丸くした。

「でもそれってすっごく危険な賭けじゃ…。」

「だからいいんだよ。命がけの、ゲームみたいなもんじゃん。」

「ゲーム?」

「そう。人生なんてゲームみたいなもんだよ。命ぐらいかけてみないと、面白くないと思うよ。」

紺野はまた悪戯にくすっと笑った。だが吉澤は放心状態で紺野を見つめている。

「ん?何?なんかの心理テストじゃなかったの?」

「…いや、ううん。ありがとう。参考になった。」

「そっか。でもま、命かけて生きてる人なんて、ほっとんどいないだろうけどねー。
 私もそういう本気なゲームしてみたいなぁ。」

紺野は気楽そうに天井を仰いだ。

     −−−
63 名前:心の変化 投稿日:2002年12月10日(火)18時59分26秒
人生はゲーム――。

帰りの電車の中で、吉澤は紺野の言葉を反芻していた。
二年前にも、同じ事を聞いた気がする。

あれは組織に入ると決めて、石川の上司という人に会った時だった。
その人は見かけは吉澤とあまり年は変わらないように見えたのだが、いつも口元に笑みを浮かべどこか不自然な感じがした。
吉澤には普通に笑いかけるのだが、何かが変なのだ。
その理由は、最後に彼女が言った言葉で分かった。

「人生なんて、ゲームなんだよ。」

彼女は心底おかしそうに笑みをたたえて言った。

「楽しまなくっちゃ、意味ないじゃん?全部ゲームだと思えばいいんだよ。
 愛だの嫉妬だの、そういう感情、うざったいと思うんだよね〜。
 だから吉澤もさ、今までの人生はただゲームで負けたって思っとけばいいんだよ。
 これからの人生は、勝つって思ってさ。」
64 名前:心の変化 投稿日:2002年12月10日(火)19時04分58秒
吉澤はこの言葉によって、いろいろな事が救われたのを覚えている。
自分に何が起きたのかは知らないが、記憶を失う前の自分はただゲームに負けただけだ。
だが自分には新たなチャンスが与えられたから、今度はそのゲームに勝たなくてはいけない――。

電車を降りる時には、吉澤の中で安倍に対しての処置は決まっていた。

     −−−

ドアには鍵がかかっていた。
それで安倍がまだ家にいると分かり、少し安心する。
音で気づいたのか、玄関に足を入れた時にはリビングの方から安倍がこちらを覗いていた。

「あ…お帰りなさい。」

吉澤は返事をしないで安倍の元へ行った。
机の上にはイエローページが開かれている。

「あ、えっと、勝手に電話使っちゃいました。すいません。お金は…働いて返すので。」

見ると、あ行の項目が開かれていた。
その横に鉛筆で小さなチェックマークがしてある。
「安倍」という苗字の横には全てチェックマークがつけられていた。
65 名前:心の変化 投稿日:2002年12月10日(火)19時07分13秒
吉澤は興味がなさそうにそれを一瞥してからカーディガンを脱ぎ、部屋のクローゼットを開けた。
服の中に体を潜らせ、またぴっぴっという機械音を鳴らす。

ごそごそという音をさせて出てきた吉澤の右手には、昨日の銃が握られていた。
その様子に安倍がびっくりしたように口を開ける。

「ゲーム、しよっか。」

吉澤は口元に少しだけ笑みを浮かべながら、安倍に近づいた。
安倍は何の事?とでもいうように目を丸くしている。

「これで、私を殺して。」

口元の笑みを消して、吉澤は銃を持ってる右手を差し出した。
その様子に、安倍はいっそう目を丸くさせる。

「え…何、言ってるんですか。」

「だから、ゲームだよ。今からあなたにこの銃を渡します。
 これは、あなたに与えられた人生のチャンスです。
 その銃で私を撃って殺して下さい。
 もしあなたが撃たなければ、その後私が銃を奪って、あなたを殺します。」

再び口元に笑みを浮かべながら吉澤は言った。
安倍は驚いたように立ち上がり、後ろに一歩下がる。
66 名前:心の変化 投稿日:2002年12月10日(火)19時10分30秒
「そ、そんな…。私、できません。この銃は、受け取れません。」

「ダメだよ。これはゲームなんだよ。何、恐がってんだよ。」

銃を持った手を差し出しながら、吉澤が一歩近づく。

「い、嫌です!そんなゲーム、したくありません!」

安倍は後ろに下がり続けた。その度に、吉澤も足を前に進ませる。
やがて、安倍はキッチンの壁にぶつかった。

「ほら、もう逃げ道がないよ。これが、あなたに与えられた選択肢。
 ゲームなんだよ。ほら、受け取らないと。」

「嫌…です。やめて下さい…。どうして?どうしてこんな事するんですか…。
 私が邪魔なら、出て行きます。だから…。」

「うるさいっ!!!」

部屋中に、吉澤の声が響き渡った。
時刻はまだ3時を過ぎた所なので、外は明るい。
その部屋の片隅にあるキッチンの中で、二人は向き合っていた。

「…さっさと受け取ってよ…ほら。」

安倍の右手を無理やり掴み、銃を握らせた。その手は震えている。

「…ここの、引き金をひけば一瞬だよ。撃たないと、自分が殺されちゃうんだよ。
 ほら、簡単な事だからさ。さぁ、早く…!!!」
67 名前:心の変化 投稿日:2002年12月10日(火)19時16分06秒
安倍の右手に握らせた銃を、吉澤は自分の額の部分に押し当てた。
銃は震えていた。
泣きながら体を震わせている安倍のものだけでなく、吉澤の手も、震えていた。

「ほら!早く!!早く殺して!!私を殺さなかったら、あなたが死ぬんだよ?
 何で?何で撃たないの!!!」

吉澤はさらに強く、銃口を自分の額の部分に押し当て、安倍の指を無理やり引き金にかける。
その上から自分の指もかぶせる。
安倍は左手で顔を覆いながら、声を殺して泣いていた。

その様子に、吉澤は苛立った。
もう十分、分かってるはずだった。
はずだったのに、吉澤は止める事が出来なかった。
自分の中で抑えていたものが、爆発していく感じだ。

「…ねぇ、はや、く…。」

その内に、吉澤の目からも涙が溢れてきた。手が汗ばみだす。

「ねぇ!早くったら!!」

「…き、ない…。」

嗚咽を漏らしながら、少女は小さな声で言った。

「…でき、ない…。私には…。私の事、信用して、助けてくれたあなたを、殺す事なんて…。」

そう言って、安部の体から力が抜けるのを感じた。
68 名前:心の変化 投稿日:2002年12月10日(火)19時21分59秒
「殺したいなら、殺して下さい。…私は、このゲームには、負けました…だから…。」

銃から手を離し、安倍は目を瞑った。その目からはもう、涙は落ちてこなかった。

吉澤は混乱していた。目の前で安倍が目を瞑って、何かを待っている。
吉澤は手を震わせながら、右手で銃を持ち、その指を引き金に当てた。
そして安倍の額に、焦点を当てる。
自分でも、何をしているのか分からなかった。
体が痙攣し、喉はからからに渇き、手は震えていた。

「…きるはず、ないじゃん…。」

何かが床に落ちる音がした。安倍が目を開けると、床の上に銃が転がっている。

「で、きるはず、ないじゃん…。自分の命、捨ててまで、私の命、守ってくれる人、を…。」

吉澤は両手を床につき、小さな声をあげて、泣き出した。
それを見て安倍が涙をふきながら、そっと吉澤の頭に手を乗せる。

「ゲームなんかじゃ、ないと思う…。人生なんて、ゲームじゃないと思います…。だから…。」

安倍の手がそっと吉澤の頬に触れた。
69 名前:心の変化 投稿日:2002年12月10日(火)19時22分54秒
「顔、上げて下さい。誰も、あなたを殺しませんから…。私が、あなたを、守りますから…。」

安倍の手の温もりとともに、吉澤があげた顔の先には、優しく微笑む顔があった。

(あぁ、そっか――。)

断片的に浮かんでくる感情の中で、吉澤は考えていた。

(何でこの子を家にいれたのか、分かったよ――。)

優しく微笑む安倍の顔が、近づいてきた。

(知ってたんだ、私。この子が、嘘をつけるような子じゃないって――。
 この優しさに、はじめっから、気付いてたんだ――。)

吉澤は安倍の胸に顔をうずめ、泣いた。
忘れていた安らぎが、心を満たしていく気がした。

     −−−
70 名前:心の変化 投稿日:2002年12月10日(火)19時26分37秒
吉澤は照れくさそうに机の前に座っていた。泣きはらしたせいで、目の辺りが重い。
安倍は今シャワーを浴びている。
ひとしきり安倍の胸で泣いた後、彼女はシャワーを浴びたいと言い出した。
昨日から入ってなく、断りもなく入ったら怒られると思っていたので入れなかったらしい。

吉澤は時計を見た。既に4時半を過ぎている。
今から報告書を書き上げるのに、最低3時間はかかるだろう。
吉澤は石川の顔を思い浮かべた。
いつもより遅い時間に行ったら、彼女はどういうだろうか。

しかも、さっきから何度もパソコンに目を向けるのだが、どうも集中できない。
他人の前で泣いた事なんて初めてだった。あんな弱い姿を見せたのも初めてだ。
これから安倍にどう応対するべきなのか、吉澤は悩んでいた。


シャワー室のドアが開く音がした。吉澤の心臓の音が高鳴る。
71 名前:心の変化 投稿日:2002年12月10日(火)19時31分22秒
暫くして、安倍が部屋に入ってくる気配を感じた。
だが吉澤は平静を装って真剣にコンピューターの画面を見つめる。

「あの…シャワー、ありがとうございました。」

「…いや…。」

そんな、わざわざお礼言わなくて良いよ、という言葉が頭に浮かんだが、声にはならない。
そんな気を使った言葉は他人に言った事がない。

安倍は暫く横に突っ立っていたが、吉澤がこれ以上何も言わないと感じるとため息をつきながら部屋を出て行った。
部屋のドアが閉められる音を聞いて、吉澤の胸がずきっとなる。

吉澤はこれからの事を考えていた。
安倍の事はもうほとんど信用している。
組織に渡すつもりもないし、追い出すつもりもなかった。
ならば、これから安倍と同居生活をしていくという事になるのだろうか。
果たして、危ない仕事をしてる自分と一緒に安倍を住まわせといていいのだろうか。
吉澤との事はきつく口止めして、どこか施設に渡してしまうほうがいいのではないだろうか。
72 名前:心の変化 投稿日:2002年12月10日(火)19時34分09秒
そんなこんなで考えを巡らせているうちに、家の電話が鳴った。
時計を見ると、もう6時半だ。報告書は半分しかできていない。

石川だと察知し、気乗りしないまま電話を取った。

「ちょっと吉澤!あなたなんでまだ家にいるの?」

案の定、高い声が響いてきた。

「…すいません、ちょっと報告書が書きあがらなくて。」

「もう、しっかりしてよ!いつも6時に来るあなたが来なかったから、心配しちゃったじゃない。
 時間厳守だっていつもいってるでしょ。何が起きてるか、分からないんだから。」

それから長々といつもの石川のお説教を聞き、電話を切った。
さっさと仕上げないとな、と毒づきながら気合をいれてコンピューターの前に座った。

     −−−
73 名前:心の変化 投稿日:2002年12月10日(火)19時42分38秒
安倍には用事があるから出かけてくる、と言って家を出た。
電車に乗り、いつもの駅で降りる。
いつもならここでコンビニに寄っていくのだが、今日はそんな余裕はなかった。

相変わらず掃除がいきとどいている石川の部屋に入り、吉澤は報告書を出した。

「時間がかかったのにも関わらず、いつもより出来が悪いわね。何かあったの?」

「いえ。ちょっと今日は、帰りに学校の友達につかまっちゃって。」

「一緒にカラオケでも行ったって?」

「いえ、少し買い物に…。」

声を小さくする吉澤に、石川はため息をついた。

「もう、しっかりしてよね。あたなは普通の女子高生じゃないんだから。
 仕事の方に、時間を使ってよ。」

その言い草に、吉澤の心がずきっとなる。

「で、今回の件だけど、目標が小型のピストルを持っていたという情報漏れについては何も言ってなかったわ。
 私の勘でいうと、あれは情報班のミスね。」

石川は相変わらず濃いブラックコーヒーを口に含んだ。
74 名前:心の変化 投稿日:2002年12月10日(火)19時45分14秒
「爆発の件だけど、これについては上も何も知らないそうだわ。
 全く別の何かが動いたんだって言ってた。
 つまり、これってどういう事だかわかる?」

「誰かが意図的に、私を消そうとしたわけですか。」

吉澤の答えに、石川は首を深く縦にふる。

「その可能性もあるわ。あなたの存在は、組織以外には知れ渡ってないはずだから、
 目標の男が狙われてた可能性の方が高いけどね。
 どちらにせよ、ビルが全壊しちゃったから、もう調べようがないけど。」

「一つ、言い忘れてたんですが。」

「何?」

「レーダーが壊れてたんです。画面の部分に皹が入って、何も作動しませんでした。」

キーボードを打っていた石川の手がぱっと止まる。

「え?どういう事?なんで壊れたの?」

「それが、原因がよく分かりません。
 目標ともみ合った覚えはないし、転んだ覚えもありません。
 可能性としては、鞄をどこかに思いっきりぶつけた、という事ですが。」
75 名前:心の変化 投稿日:2002年12月10日(火)19時48分15秒
「それにしてもおかしいわね。
 あのレーダーはそんな簡単な事では壊れないようになってるはずなんだけど…。
 今、そのレーダー持ってきてる?」

はい、と頷いてから、鞄からレーダーを出した。
画面の真ん中の部分に皹が入っており、石川がボタンを押しても何も作動しない。

「本当、動かないわね…。分かったわ。取り合えず、新しいのを用意しとくから。」

レーダーを机の下に置き、石川は再び顔をコンピューターに戻した。
いつもならここで、吉澤がキッチンに行って夕食の用意をするのだが、吉澤はその場を動かなかった。

「あの、すいません。今日はちょっと、帰らしてもらいます。」

「え?何で?」

突然の事に、石川がびっくりしたように振り返る。

「ちょっと、その…学校の宿題がたまってて…。」

頭を下げる吉澤を暫く見て、石川はふ〜んと鼻を鳴らした。
76 名前:心の変化 投稿日:2002年12月10日(火)19時53分16秒
「…そっか。それなら仕方ないわね。でも…。」

と言って石川は吉澤の顔に手を伸ばした。
そのまま顔を引き寄せ、吉澤の唇を奪う。
石川は少し声を出しながら、いつもより激しく舌を絡める。

「これぐらいは、やっとかないとね。」

息を切らしながら、上目遣いで吉澤を見た。

「…ねぇ、本当に帰っちゃうの?」

指を吉澤の顔につたわせ、さらに上目遣いで見上げる。

「…すいません。」

「ちぇ。つまんないの。ま、いっか。それじゃ、今度ね。」

吉澤が反応しないのを見て、石川はがっかりしたように席についた。

77 名前:名無し 投稿日:2002年12月10日(火)21時29分34秒
今になってようやくこの作品を発見しました(w
なぜ気付かなかったんだろう・・・。
今回もなちよしということで、期待高まるばかりです!
78 名前:りゅ〜ば 投稿日:2002年12月11日(水)20時30分53秒
明日からネット環境のない場所へ行く為、暫く更新ができなくなります。
できれば早めに復活したいと思ってますがいつになるかは分かりません。
消えそうになったら携帯から保全しにきたいと思ってます。
こんな作者ですが、読んで下さってる方々、待って頂けると嬉しいです。

>>77
 17さんですね!あっちの方からついてきてくれてありがとうございます!
 今回もなちよし…かもですね(w
 今回は前回と違ってアンリアルでシリアスな話にしていきたいと思ってます。
 これからも宜しくお願いします!

というわけで、暫くの間、姿を消します。さようならです。
79 名前:名無し読者 投稿日:2002年12月12日(木)01時44分07秒
オイラも前スレから追いかけて来ました。
今回はまた違った感じで、この先の展開が楽しみです!!
80 名前:51 投稿日:2002年12月12日(木)14時53分47秒
更新、お疲れ様でした。
自分は「なちよし」の127、225でレスしてた者です(照)
今回は前作とは全く違った雰囲気ですが、引き込まれてるのは同じですね。
安倍さん、吉澤さんを救ってあげて下さい・・
何気に紺野さんが気になってるんですけど・・もしかしてある意味キーマン
なのかなぁ・・と思ってみたりw
石川さんとはこの先どうなるのか、すごくドキドキしちゃいます。
更新、マタ〜リとお待ちしております。
81 名前:りゅ〜ば 投稿日:2002年12月15日(日)16時46分25秒
まだ実家の方にインターネットはないんですが、知り合いの家から接続してます。
これから暫くこんな感じでコンタクトしそうです。
レスありがとうございます!感動です。

>>79
前スレから来てくださったんですか!感動です。
今回は前回とは全く違ったジャンルで攻めたいと思ってます。

>>80 51さん
127,225さんでしたか!予想は当たってました(w
長レスありがとうございます!まじで嬉しいです。
前回ではらぶらぶななちよしがかけたんで、今回は違う感じのを書こうと思ってます。
安倍さんは吉澤さんを救えるんでしょうか・・・?(w
紺野さんですか!彼女につっこみがくるのを待ってました(違
キーマンかどうかは謎ですが、今回はどの登場人物にもきちんとした意味があるようにしてます。
石川さんと吉澤さんもどうなっていくんでしょうね…。
元いしよしヲタとしては複雑です(ぇ

では、慣れないWin95からの更新・・・どこまでいけるか。
82 名前:心の変化 投稿日:2002年12月15日(日)16時52分36秒
家に帰ると、キッチンの方から物音がした。
同時に、食欲を誘うような香りが漂ってくる。安倍だと察知し、

「何やってんの?」

と言いながら足を早ませた。

「あ、おかえりなさい。」

何かを切っていた手を止め、笑顔で顔を向ける。

「何やってんの、て聞いてんの。」

吉澤は机の上に並べられた料理に目をやった。
小芋の煮付けに焼き魚が、それぞれ二人分ずつ並べてある。

「…勝手に作った事は謝ります。でも、お腹空いてると思ったから…。夕食、まだですよね?」

安倍は小さく切ったにんじんを沸騰しかけの鍋に入れた。

「もうすぐお味噌汁できますから。吉澤さん、料理するんですね。いろいろ揃ってるから、少し意外でした。」

味噌をお鍋の中に溶かす安倍を見て、言葉を失った。
別に彼女は悪い事はしていない。全て好意でやってくれているのだ。
なのに、無性にやりきれない気持ちに陥った。

「ちょっと!誰が冷蔵庫開けていいって言った?キッチン使っていいって言ったんだよ!」

つかつかと歩み寄って、腕を掴む。無理やり引っ張ったせいか、持っていたお箸が床に落ちた。
83 名前:心の変化 投稿日:2002年12月15日(日)16時55分30秒
「…すいません…。やっぱり、先に断るべき…でしたよね。」

怯えながらも顔に笑みを浮かべ、床に転がっている箸を取る。
安倍の怯えた表情に、いつしか快感を感じている自分に気付き、吉澤はバツが悪そうにリビングに向かった。
廊下には、夕食にと買ってきたコンビニの袋が落ちていた。

無気力感に追われながらソファに座り、テレビをつけた。
どのチャンネルを廻しても、好きそうな番組がやっていない。
ため息をつきながらテレビを消した。
部屋に新たに静寂が戻ったら、キッチンの方から安倍の足音が聞こえてきた。

吉澤は自分の決めた彼女の処分の事を思い出し、キッチンへ向かった。
安倍がお椀に味噌汁を注いでるのが見える。
無言でその後ろに立ち、別のおわんを二つ取ってから、予想通り炊かれていたご飯をついだ。
その様子に安倍は気付いたかのかしらないが、何も言わず、味噌汁の入ったおわんをリビングに運ぶ。
吉澤もご飯を持ってそれに続く。
84 名前:心の変化 投稿日:2002年12月15日(日)16時58分48秒
二人はむかいの席に座った。
そのようにテーブルがセットされていたからだ。

安倍は箸に手を伸ばし、

「口に合うか、分かんないけど…。」

と言ってから、いただきます、と両手を合わせた。
吉澤は興味のなさそうにそれを見てから、無言で箸を取って味噌汁を啜った。
いつも吉澤が作るのとはまた違う味がした。
次に小芋の煮つけを取った。口の中に奄美が広がる。
お世辞でもなんでもなく、美味いと感じた。

「料理の作り方は、覚えてたんだ。」

少し感嘆しながら吉澤は口を開いた。

「はい。なんか冷蔵庫の中の物とか見てたら、勝手に頭に浮かんできて…。」

吉澤も、記憶を失っても銃の扱い方や武道を体が覚えていたのを思い出す。


「あなたの処分を決めたんだけど。」

吉澤は口の中に入ってる物を飲み込んでから唐突に言った。

「ここにいていいから。あなたの身元が分かるまで、ここを自分の家だと思っていいから。」

「え…?ここに、ですか?」

安倍は箸を止め、驚いたようにこちらを見る。
85 名前:心の変化 投稿日:2002年12月15日(日)17時01分33秒
「そう。ここ以外、行く所ないでしょ?
それにこちらとしても、私の本性を見たあなたを野放しにしたくないから。」

かといって組織に渡してあなたを私と同じようにしたくないし、という言葉は飲み込んだ。
今の安倍には意味が通じないだろう。

「嘘…。あ、ありがとうございます!凄く、嬉しいです!」

箸をおいて、机の上に手をついて頭を下げる。
吉澤はそれを一瞥しながら焼き魚に手をつけた。

「それともう一つ。この家で一緒に暮らしていくことになる上で、重要な事。」

この魚もなかなかいける、と思った。

「これから私達の立場は対等になる。だからもう敬語は使わないで。
大体、あなたの年齢だって分かんないんだから。」

「あ、はい。…いや、うん。」

安倍が少し戸惑ったように答える。

「それともう一つ。ここから出て行きたくなったらいつでもいう事。
私はあなたを縛るつもりはないから。あなたの家が見つかるまで、この家を貸す。
それだけのこと。できれば、外に行ったとしても私の事は話さないでほしいけど。」

吉澤はご飯に手を出した。
さっきから安倍は箸を置いて、黙ってこちらをみて頷いてる。
86 名前:心の変化 投稿日:2002年12月15日(日)17時05分24秒
「分かった…。ありがとう、吉澤さん。」

「…その、吉澤さんっていうのやめてくれないかな。その呼び方、あんまり好きじゃなくて。」

「じゃぁなんて呼べばいいんです…いいの?」

ご飯を頬張りながら学校で呼ばれている名前を思い浮かべた。
高校に入った時からなぜか「よっすぃー」と呼ばれるようになった。
石川はいつも「吉澤」だ。ただし、行為中は「ひとみ」に変わる。
自分についてるあだ名を思い浮かべ、少し考えたのち、

「…よっすぃー…かな。」

小さく呟いた。

「え?よっすぃー??」

安倍はいっそう目を丸くしたが、すぐにその顔を綻ばせた。

「よっすぃーですね!…じゃなかった、よっすぃーだね!
かわいいです…いや、かわいいじゃん!」

何を思ったか紺野と同じ事を言った。
高校に入ってはじめて紺野と交わした会話で、「よっすぃーっていうあだ名かわいいね」と言われたのだ。
かわいいという表現はあまり好きではなかったが、実は吉澤はこのあだ名を気に入っていた。
もしかして記憶を失う以前の自分も、よっすぃーと呼ばれてたんじゃないのか。
87 名前:心の変化 投稿日:2002年12月15日(日)17時09分27秒
「私は、なんて呼べばいいかな。」

吉澤は照れ隠しのため頭をかいた。

「えっと…。んー、私もよっすぃーみたいにかわいい名前がいいな。
安倍、だから、あっすぃー?」

真剣に考える安倍の顔をみて、噴出してしまった。

「…あっすぃー?何それ、趣味わる…。」

「え?や、やっぱ変かなぁ〜。どうしよう…。」

そう言って安倍はあたりを見回した。
ふと、キッチンの方を振り返り、ある一点で目を止める。

「あ…なっちゃん!なっちゃんってかわいいよ。うん、私の事は、なっちゃんでいいよ。」

その視線を辿っていくと、文字通りオレンジジュースの「なっちゃん」の缶が置かれていた。

「なっちゃん…。なんか、子供みたい。」

「えーそうですか?かわいいと思ったんだけどなぁ。」

「…なっち、は?」

「え?」

「なっちゃんじゃ子供っぽすぎるから、なっちは?なかなか独特だと思うんだけど。」

「なっち…。いい!それ、かわいい!うん、じゃぁ私の事は、なっちって呼んで!」

ご飯を食べてる事を忘れて安倍ははしゃいだ。
それにつられて、吉澤も笑みを浮かべる。
88 名前:心の変化 投稿日:2002年12月15日(日)17時14分44秒

暫く二人で普通の会話をして、いつの間にか団欒に過ごしていた事に気付き、吉澤はまた口をつぐんだ。
自分でも気付かないうちに、学校などで見せる、「普段の自分」になっていた。

−−−

「明日は土曜日で学校ないからさ、付き合うよ。」

「いいの?」

「うん。私も、あなた…なっち、が何であんな所にいたのか知りたいしさ。」

夕食の片づけをしてる時、安倍が明日情報集めに外に出ると言い出した。
イエローページに載っていた「安倍」という苗字の人には全員電話したものの、何の情報も得られなかった。
崩壊したビルの近くで、誰か安倍の事を知ってる人がいないか、聞きまわるのだ。
吉澤は紺野が近くに住んでるかもしれないと気になったが、一緒についていくことにした。
今回の爆発テロについても何か情報が入るかもしれない。

−−−

(長い一日だった…。)

ため息をつきながら部屋に入った。
だが寝支度をする時、一つ重要な事を忘れていたのに気付いた。
この家にはベッドが一つしかないのだ。
89 名前:心の変化 投稿日:2002年12月15日(日)17時15分49秒
「…あ、私、ソファで寝ます。」

吉澤の思考を察したのか、寝巻きに着替えた安倍は部屋を出て行った。
その後姿が妙に寂しく感じられた。
気付けば吉澤は、安倍の後を追っていた。

「あの…布団ないからさ、一緒に寝てもいいけど…。」

どういっていいか分からず、吉澤は語尾を濁した。
自分でも何を言ってるのか分からない。

「ほら、こないだも、その、一緒に寝たじゃん。
あれ、ダブルベッドだから狭くないし…。風邪でもひかれたら、こっちが困るし…。」

真っ直ぐとこちらを見る安倍の目から目を逸らしながら、下を俯いた。
何だか妙に照れくさかった。
自分からこんな言葉が出るとは思わなかった。

吉澤が黙っていると暫くして、安倍は嬉しそうに首を縦にふった。
90 名前:心の変化 投稿日:2002年12月15日(日)17時18分43秒
吉澤は寝付けなかった。
もうベッドに入って一時間ぐらい経つだろう。
横からは安倍の寝息が聞こえてくる。
吉澤は緊張していた。

いつもならこの時間、石川と裸で寝ているはずだ。
仕事の次の日は必ず石川の家に泊まり、彼女を抱いていた。
いつのまにか癖になっていたのか、自分の体が人の温もりを求めている事に気付いた。
どこか満たされない、やりきれない感じがする。


吉澤は上半身を起こして、右隣で眠っている安倍を見た。
顔をこちらに傾け、小さな肩を上下に揺らしている。
吉澤に、何の警戒も持っていないようだ。完全に安心しきっている。

(人を簡単に信用するなって事を、明日教えとかなくちゃな。)

と心の中で思いながら、自然とその手を安倍の頭に近づけていった。
口元にかかっていた髪を上げる。
そのままゆっくりと自分の上半身を落としていった。
体重が傾くと同時に、ベッドの軋む音がする。

吉澤は自分の顔を安倍の目の前まで近づけていった。
今まであまり意識しなかったのだが、近くで見れば見るほど、綺麗な顔立ちをしている。
かなりの美人だと思った。閉じられた目から伸びる睫毛は外人のように長かった。
91 名前:心の変化 投稿日:2002年12月15日(日)17時21分08秒
吉澤は自分の体が反応している事に気付いた。
少し開いた彼女の唇を凝視する。
そこから漏れる息の音も、色っぽく感じた。
吉澤はさらに顔を近づけ、自分の唇をそっとそれに重ねる。
彼女のそれは乾いていて、冷たかったが、吉澤は唇を離せなかった。


どれくらい経ったのだろう。
安倍の体が少し動いたため、びくっとして顔を離した。
顔をこおばらせて安倍の顔を見るが、寝返りを打っただけで目は覚まさなかった。
ほっと安心するとともに、大きな罪悪感が迫ってきた。
石川と体を重ねず、欲求がたまってるとはいえ、知り合って間もない少女に感じてしまった自分が恥ずかしくなる。

吉澤は自分の口元に手をやった。
自分のそれも乾いていた。
自嘲気味に目を落としてからまた安倍をみて、布団を頭からかぶった。

−−−
92 名前:偽りの幸せ 投稿日:2002年12月15日(日)17時25分18秒
二人は立ち入り禁止のロープが張られた所に来ていた。
あれだけ大きかったビルが、今は粉々になっている。
近くには大きなクレーン車などがあり、瓦礫などの取り除き作業を行っていた。

事件から既に三日経つというのに、まだ沢山の警官が何かを調べていた。
吉澤は安倍が警察に何も聞かない事を望んでいた。
自分から体に蜂蜜を塗って、蜂の大群に身を投げ出すような感じだ。
出来れば関わりあいたくなかった。

吉澤は通行人としてそこを立ち去ろうとしたが、突然安倍が足を止めた。
かと思うと、今はもう何もなくなった空に向かって指を突き出す。

「多分、あの辺にあった部屋にいたんだと思う。」

指先を追いながら、その高さから安倍が三階か四階の一部屋にいたのだと分かる。
吉澤は頭に叩き込んだビルの見取り図を思い浮かべながら、

「ちょうど、近くの階段を下りていった場所に、私がいたんだよね。」

口元に手をやった。

「それであの辺をこうやって歩いていって、あそこから脱出したんだ。」

吉澤もあまり目立たないように指をあげ、それを動かす。
93 名前:偽りの幸せ 投稿日:2002年12月15日(日)17時29分56秒
安倍はそれを目で辿ってから、また歩き出した。
半ばほっとしながらその後を追う。
が、また突然立ち止まった。
今度はビルの方に体をむけ、目を瞑っている。

背の低い警官が二人に気付いたが、安倍の様子に、この爆発で命をなくした人のために供養しにきたのだと思ったのか、興味のなさそうに目を逸らした。

暫くして、安倍は地面にたらしていた手を頭に持っていき、苦しそうに顔を歪めた。

「ちょっと、大丈夫?」

声をかけると安倍は歯軋りをしながら我慢できなくなったように、その身をぶつけてきた。
反射的に吉澤は、それを受け止める。
安倍は吉澤の胸の中でぜぇぜぇと息を鳴らしていた。

別の警官と目があった。
先ほどの警官より、鋭い眼光だ。
吉澤は動揺し、目を逸らした。
警官がまだこちらを見ているのが分かる。
いたたまれなくなって、安倍の腕をひっぱりながらその場を早足でかけた。
94 名前:偽りの幸せ 投稿日:2002年12月21日(土)10時30分03秒
「ちょっと、どうしたの?大丈夫?」

息を切らしながら、いまだに頭を抑えて苦痛に顔を歪めている安倍を見た。
二人は崩壊したビルの前を通り過ぎ、小さな路地に来ていた。

「ちょっと!!」

吉澤の呼びかけには反応せず、その場に苦しそうにしゃがみこむ。
その様子に、安倍の記憶に何か異変がおきているのだと察した。
自分も記憶喪失直後は、よく頭痛にみまわれた。

暫くそっとしておこうと考えていたら、ポケットにいれていた携帯が震えた。
淡く光る画面上には「石川梨華」と映っていた。

「もしもし。」

安倍から少し離れて、来た道とは違う方向に体を向けた。

『もしもし吉澤?私だけど。さっきのメールの件を報告しておくわ。』

吉澤は頷きながら、鞄の中からメモ帳とペンを出した。
95 名前:偽りの幸せ 投稿日:2002年12月21日(土)11時49分17秒
『まず、目標の男に関してだけど、今のところ警察が分かってる事は、男のバックグラウンドと爆破直前に何者かともみ合った形跡があるって事だけね。爆発寸前に警察が確かめられた事っていうのは、腕が後ろ向きに捻じ曲げられていた事、男が何らかの原因で気絶状態になってた事よ。それと、近くに落ちていた男の物と思われるピストルかはら別の銃で撃たれた痕跡が発見されてるわ。そのピストルは爆発前に鑑識に廻されてたから、今もまだ警察が持ってるみたい。男のピストルを撃ったと思われる弾はまだ発見されてないけど、それも時間の問題だと思うわ。吉澤、あなたちゃんと指定の銃を使ったわよね?』

「もちろんです。弾も、特別のやつではなく、どこにでも売ってるような物を使いました。
 その銃弾から、私が割れる可能性はゼロに等しいです。」
96 名前:偽りの幸せ 投稿日:2002年12月21日(土)11時50分41秒
『そう。それならいいけど。
 次に爆発に関してだけど、警察はテロの方向より男の系列で話を進めていくことにしたようだわ。
 専ら、爆発直前まで男ともみ合ってた人物が今回の騒動を起こしたと踏んでるみたい。
 つまり吉澤、あなたの事よ。
 でも実際はそうじゃないから、こっちとしては相変わらず誰がこんな事をしたのか気になってるところだけど。
 ちなみに爆弾は時限爆弾とかの類ではなく、遠隔操作できるものだったらしいわ。』

「遠隔操作?」

『そう。かなりの高性能な物らしいんだけど、凄い遠くからでも、
 ボタン一つで爆破させることが可能なやつらしいわ。
 ただの遠隔爆弾なら距離が限られてるんだけど、その爆弾はかなりの距離からでも操作できたみたい。
 だから警察側としてもお手上げ。
 爆発があった時刻に半径何m以内にいた人物の調査も行き詰ってるみたい。
 範囲が広すぎるもの。』
97 名前:偽りの幸せ 投稿日:2002年12月21日(土)11時54分06秒
石川の言ってる事をメモしながら、時折安倍の方をチェックする。
まだ地面にうずくまり、頭を抑えている。

「なるほど。他には?」

『爆発に関する警察側の最新情報はそれぐらいよ。
 まぁどこをどう調べても、うちにいきつくことはないと思うけどね。
 それで、これは個人的な見解なんだけど、吉澤、あの時レーダーが壊れてたって言ってたわよね?』

「はい。」

『偶然かどうかは分かんないけど、タイミングよくあなたのレーダーが壊れてたせいで、
 近くに人がいてたかどうかを調べられなかったはずよ。
 つまり、あなたが男から記憶を奪ってる時、爆弾をしかけた犯人はすぐそばにいたかもしれないわ。』

「でも、犯人がいつ爆弾を仕掛けたのか分からないじゃないですか。」

『それもそうなのよ。だから分かんないんだけど。
 でももしあなたのレーダーがあの時壊れてなかったら、不振人物を見つけられた可能性もあるって事よ。
 本当に、運が悪いわね。よりにもよってあんな時に壊れるなんて。』
98 名前:偽りの幸せ 投稿日:2002年12月21日(土)11時56分23秒
吉澤はメモをしながら石川が肝心な事を口にしてないのに気が付いた。

「そういえば、動機はなんなんでしょう?一体何のためにあのビルを爆発したんでしょうか?
 それなりのリスクを食うから、それなりの動機がはるはずです。
 しかも、犯人はかなり計画的に今回の事件を実行したと思います。」

『そうなのよね。動機が、私も読めないのよ。一体何がしたかったのか。
 タイミング的にも、あなたを狙ったとも思えないし、男を狙ったとも思えない。
 でももし、男だけを狙いたかったのなら、犯人はあなたの存在を知っていた事になるわ。
 あなたが男を襲わなかったら、爆発が起きた時間、男はとっくに家に帰ってたはずだからね。
 どっかからあなたがビルから出るのを確かめてから、爆発ボタンのスイッチを押した可能性もあるわ。』

誰かに見られてたかもしれない…。
想像して、吉澤は背筋にヒヤッとするものを感じた。
それなら当然、安倍の姿も見られてただろう。
99 名前:偽りの幸せ 投稿日:2002年12月21日(土)11時58分10秒
「ビルを狙ってた可能性はないんですか?犯人は何らかの理由で、ビルを壊したかった。
 何かの証拠隠滅のためのなのかもしれないし、それは分からないけど、
 そこにたまたま偶然、私や目標の男が居合わせた。」

『もちろん、その可能性もあるわ。ただ、今の時点では動機に関してはなんとも言えないわね。』

吉澤は背中に気配を感じて後ろを向いた。安倍が真っ直ぐとこちらをみて立っている。

「えっと、ありがとうございます。また、何かあったら連絡下さい。」

『分かったわ。…ところで、今夜は会えないの?』

吉澤は安倍に声が聞こえないように、声を小さくして、身をかがめた。

「…すいません、今夜もちょっと…。」

『明日は日曜日で学校ないのに?』

「はい、すいません。」

『そう…。』

最後にため息が聞こえ、そっけない感じに電話は切れた。
100 名前:偽りの幸せ 投稿日:2002年12月21日(土)12時00分21秒
「誰…ですか?」

振り向くと安倍が表情を作らずに立っていた。目はどこか虚ろだ。

「あぁ、ちょっと知り合いの人。この事件について、いろいろ聞いてたんだ。
 っていうか、大丈夫?一体何が起きたの?」

安倍に近寄り、覗き込むように顔を見る。やはり安倍の顔からはどこか正気が失われていた。

「何か…あの時のこと思い出そうとしたら頭が痛んできて…。
 それで、何かいろんな映像が頭に浮かんできて、はっきりと思い出せないけど、
 何か、私は無理矢理あそこに押し込まれたみたいで…。」

「無理矢理?」

話しながら、安倍は再び頭に手を乗せ、

「何か凄く…凄く恐い事があった気がする…。でも、思い出せない、それ以上何も…。
 思い出そうとしたら、頭痛が襲ってきて…。」

また顔を歪めた。再び体を振るわせる安倍の手をとって、

「もういいよ。無理に、思い出さなくたって…。
 でも取り合えず、なっちがあのビルの中にいたのは、なっちの意思じゃなかったみたいだね。
 誰かが無理矢理、あそこにいれたんだろうね。」

メモ帳をみた。動機という文字の隣に書かれた大きなはてなマークに目をやる。
101 名前:偽りの幸せ 投稿日:2002年12月21日(土)12時02分02秒
(誰かがなっちを…ビルごと消そうとしたとか?
 それとも、なっちに関わる重大な証拠がビルの中に残っていて、それを消そうとした…?)

「取り合えず。」

気を落ち着かせるよう、深呼吸をしている安倍を見ながら、メモ帳を閉じた。

「そこで、お昼にでもしよっか。その後この辺で、情報収集しよう。」

吉澤は大通りに面している「珈琲ブーツ」という喫茶店を指差して、足を進ませた。

     −−−

「はぁ〜。結局何の手掛かりもつかめなかったね。」

曇り気味の空に向かって、手を広げた。今日は天気が悪い。今にも雨が降ってきそうだ。

「すいません、こんなに付き合ってもらったのに…。」

下を俯く安倍を見ながら、自分の腕時計を見た。
使い古された銀色の時計の針は、五時を指していた。

「取り合えず今日はもう、かえろっか。一日目からそんなに上手くいかないって。」

そう言って、安倍の背中をばしっと叩いた。
冴えない顔をこちらに向ける彼女に、笑顔を送った。
102 名前:偽りの幸せ 投稿日:2002年12月21日(土)12時03分08秒

     −−−

それから休みがあるごとに、吉澤は安倍と情報収集に外に足を運ばせたが、一向に大した手掛かりは得られなかった。
吉澤が学校に行ってる間も安倍が一人でいろいろ歩き回ってるのだが、なんら変化は表れなかった。

ただ時々頭痛がして、何かを思い出しかけるという。
吉澤も記憶喪失の直後には何度かそういう症状にみまわれていたが、今の仕事に就いてからは誰の記憶で頭が痛くなってるのか分からなくなっていた。

     −−−
103 名前:偽りの幸せ 投稿日:2002年12月21日(土)12時07分34秒
「ずっと聞こうと思ってたんだけど。」

安倍がやってきて一週間経ったある夕食時。

「ここにきて、いろいろやってもらって、凄く助かってるんだけど、
 その、お金…はどうなってるのかな、と思って。」

吉澤は白ご飯に手を伸ばした。安倍の話に、あまり興味のなさそうな顔をする。

「お金?何の事?」

「だから、私の生活費とか…。
 私、無一文だから、何もかもよっすぃーに頼っちゃってるけど、どうなってるのかな、って思って。」

安倍は箸を止め、真剣な眼差しでこちらを見ている。ずっと悩んでたようだ。
ひとみは口の中にあるご飯を飲み込み、

「あぁ、それは心配いらないから。」

味噌汁に手を伸ばした。

「でも、そんなのやっぱりダメだと思う。頼りっぱなしなんて…私、出来ない。
 だから、バイトとかしようって考えてるんだけど…。」

そこまで言って、声を小さくした。

「バイトねぇ。生年月日も自分の履歴も分からないのに?」

「やっぱり、駄目かなぁ…。」
104 名前:偽りの幸せ 投稿日:2002年12月21日(土)12時10分15秒
「多分難しいだろうね。だからさ、お金の事は本当に心配しないで。
 なっちは、自分の記憶を探す事だけを考えて。」

それであと、こうやって毎日美味しい料理を私に食べさせてよ、とはさすがに言えなかった。

「でも、その、ずっと聞きたかったんだけど、よっすぃーの生活費って…。」

そこまで言って、安倍は言葉を止めた。吉澤がその手を顔の前に突き出してきたからだ。

「私の仕事、知ってるでしょ?
 まぁ詳しくは言ってないけど、ただの高校生じゃないって事だけは分かってるはずだよ。
 あれくらいの仕事をするんだから、それなりの収入は貰ってる。
 こんな高級なマンションに部屋をもらえるのも、全部それのおかげだよ。
 私が言えば、なっちの生活費分ぐらい給料はアップしてくれる。」

吉澤は皿の上にのってるハンバーグに手を伸ばした。
手作りのソースの旨さに、思わず感嘆の声を漏らす。

「だからさ、なっちはその辺の事は全然気にしないでいいよ。」

     −−−
105 名前:偽りの幸せ 投稿日:2002年12月21日(土)12時11分11秒

安倍と同じベッドの上で寝ている時、自分の中で何かが変わってきてる事に気付いた。
前までの自分なら、こんな風に他人と会話できなかったはずだ。
唯一心を許せる友達の紺野にも、こんなに気を使わずに普通に接する事は出来なかった。

それは上司の石川とも同じだ。
彼女とは週に一回の程度で会っていたが、安倍が現れてからは連絡も取っていない。

何より吉澤は毎日が楽しくなった気がした。
家に帰ったら出迎えてくれる人がいる。
その人に、学校で合った事などを話して、一緒に笑う。

吉澤は失った何かを取り戻していってる気がした。

     −−−
106 名前:偽りの幸せ 投稿日:2002年12月21日(土)12時14分51秒
石川から次の仕事の書類を渡したいと電話があったのは、ビル爆発事件から一ヶ月経った頃の事だった。
吉澤は久しぶりに石川の家に行くのに気まずさを感じていたが、今回は近くにあるファミレスで会おうと言われた。
いつも依頼書を受け取る場所は石川の家だったはずだ。

吉澤は疑問を抱きながら、石川の家の近くにあるオレンジ色に輝くファミレスに入った。
中は外から見るより落ち着いた雰囲気が漂っていて、意外に静かだった。

ウェイトレスが何名様、と話しかけてくるのを片手で制しながら、店内に目をやった。
喫煙マークで遮られた席を見ると、一番奥から手が伸びた。
石川が笑顔で手招きをしている。

少し薄暗めの電灯で照らされた中を歩きながら、注文をとるウェイトレスを見る。
白いブラウスに黒のズボンという清楚な格好をしていた。
ここはファミレスでも吉澤のイメージと少し違った所だと感じた。

「遅かったじゃない。十分も遅刻よ。あれだけ、時間厳守だって言ってるでしょ。」

席につく前から、石川が甲高い声で注意を漏らす。
だがそんな声は、呆然と石川の横を見つめる吉澤には届いていなかった。
その視線を追うように、石川も顔を移す。
107 名前:偽りの幸せ 投稿日:2002年12月21日(土)12時18分36秒
「あぁ…この子ね。紹介するわ。これからあなたのパートナーになる、高橋愛さんよ。」

高橋、と呼ばれた少女はどうも、と小さく呟きながら頭を下げた。
その様子を呆然と見ていると、顔を上げた高橋と目が合った。
その瞬間、様々な人を見ても動じなかった吉澤が恐怖を感じた。
真っ直ぐと視線を返してくる彼女の眼は少し吊り上っていて、とても黒かった。

「…パートナー?そんな話、聞いてませんよ。」

視線を石川に移し、ウェイトレスが運んできた水を手に取り、飲み込んだ。

「そうね。だから今日、紹介しようと思って、ここを選んだの。」

「じゃなくって、私はそんな、パートナーなんて…。」

「いらない、なんて言わせないわよ。これは上司命令。あなたに選択の余地はないわ。
 吉澤、あなたにはこれから、この高橋と一緒に仕事をしてもらいます。」

石川は表情を硬くさせ、声を落としていった。仕事の事となると、いつも真剣になる。

吉澤は目の前に置かれたウェットタオルの袋を破った。
中の物で手を拭きながら、目を宙に泳がせる。
隣に座っている客は親子連れで、小学生ぐらいの子供はどうやらお子様ランチを食べていた。
108 名前:偽りの幸せ 投稿日:2002年12月21日(土)12時22分43秒
「あのぉ〜。」

漂った沈黙の中で口を開いたのは、さっきから黙って吉澤を見ていた高橋だった。

「オラ、ここきてまだ浅いんで、吉澤さんの足引っ張るかもしんねーけどぉ、
 一生懸命頑張るんで、どうか宜しくお願いしますだ。」

体をこちらに向け、手をぴんと膝の上にはって、再び頭垂れた。
その外見とは違った感じ喋り方に、思わずたじろく。

「あの…石川さん、この人は…。」

「福井出身なの。その中でも、訛りが激しい地方からきてるわ。
 でも、ひとたび銃かナイフを握らせると、右腕に出るものはいないって、
 上からも太鼓判が押されている期待の新人よ。
 コミュニケーションに困る時は多少あるけど、他は何の心配も無いわ。」

「いや、そういう問題じゃないんですけど…。」

吉澤が口を濁していると、先ほど別の客のオーダーを取っていたウェイトレスがやってきた。
思い出したかのように石川がメニューを広げ、「吉澤、何が食べたい?」と聞いてくる。
吉澤は即座に「私はいりません。」と顔の前で手を振った。
石川はそれを怪訝そうに見てから、高橋の分までオーダーをとった。

「ちょっと、夕食いらないの?今日は私のおごりよ。」
109 名前:偽りの幸せ 投稿日:2002年12月21日(土)12時30分56秒
「いえ、実は食べてきたんで…。」

えー?まだ6時半になったとこよー、という石川の声を聞きながら、お腹を押さえた。
何かを食べた後なら膨らんでるはずのそれが、普通よりへっこんでいた。
吉澤はキッチンで一生懸命料理をする安倍の姿を思い浮かべた。
今日は二人で新しい料理に挑戦しようと言っていたのだ。
だが仕事が入ったため、急遽安倍一人で作る事になった。
吉澤がミーティングに遅れたのも、ぎりぎりまで彼女の手伝いをしていたからだった。

「でも何で突然、パートナーなんて言い出したんですか。今まで私は、一人でやってきてたんですよ。」

吉澤は腕組みをして座席にもたれた。

「それは、この間みたいな事を起こさないようにするためよ。」

「この間?」

石川が真剣な顔をして頷く。

「レーダーが壊れてたでしょ。
 ああいう非常時が起きた時の事を、こちらも万全に考えて無かったわ。
 あの頑丈なレーダーがまさか壊れるとは思ってなかったから。
 それに男が小型中を所持してる情報も漏れていた。
 こういう時、パートナーがいれば何かと安心じゃない?」
110 名前:偽りの幸せ 投稿日:2002年12月21日(土)12時32分42秒
吉澤は今度は足を組んだ。ガラス張りだけで隔てられた喫煙席の方から、タバコの臭いが漂ってくる。

「パートナーって言ってもね、あなたの部下のように扱っていいわ。
 実際高橋の方が経験も浅いし、年も若いしね。」

石川が微笑むように高橋の方を見る。彼女は相変わらず、目を大きく見開いて口をつぐんだままだ。

「あなたと高橋に、ひとつずつレーダーを渡すわ。
 基本的にはあなたが記憶を奪ってる間、この子にはレーダーを見ながら周りを見張ってもらうわ。
 もちろん、目標が不振な動きを見せた場合にも、応援してもらうし。」

吉澤が腑に落ちない態度をとっていると、石川が頼んだ料理が運ばれてきた。
石川は和食定職、高橋はたらこスパゲティだった。

「じゃぁ悪いけど、ここで夕食タイムにさせてもらうわね。」

にこやかに箸を割る石川を見ながら、その食欲を誘う二人の料理に、吉澤のお腹がきゅるるっとなった。
だがそれも、自分が家に帰るのを待っている安倍の姿を思いおこせば何ともなかった。
111 名前:偽りの幸せ 投稿日:2002年12月21日(土)12時39分38秒
「では、また後日に宜しくお願いしますだ。」


     −−−

ガラスで出来ているドアを開けてから、高橋が丁寧に頭を下げた。
かと思うと、吉澤が何も言わないうちに歩いていってしまった。

食事の後、いつも通りの打ち合わせに高橋を加え、次の仕事の作戦を練った。
細かい事については後日、高橋と二人で落ち合う事になっていた。

「ねぇ、今から二人で、お茶でもしていかない?」

ピンクのミニスカートから見える細い脚をくねっとさせて吉澤の前に立つ。
今日はヒールを履いているため、目線が同じになる。

「すいません、今日はちょっと帰ります。」

石川はその悪戯っぽい笑みを途端に曇らせ、えー、またー?と不平を漏らす。

「っていうか石川さん、仕事はいいんですか?」

「今日はいいのよ。今日の仕事はこれで終わり。吉澤、今夜はあなただけのために空けといたのよ?」

「それはありがたかったんですが、ちょっと今日は私…。」

吉澤ははやる気持ちを抑えた。早く家に帰らなければ。
安倍が料理をこしらえて自分の帰りを待っている。
高橋を加えていつもより時間のかかった打ち合わせのせいで、既に九時を過ぎていた。
112 名前:偽りの幸せ 投稿日:2002年12月21日(土)12時41分29秒
「そっかぁ。ふーん、やっぱりそうだったんだ。」

持っていたパースに指を絡めながら、また悪戯に微笑んだ。

「男?それとも吉澤だったら、女かな?」

吉澤が、え?というように目を向ける。

「こ・い・び・と。できたんでしょ?」

「え。ち、違いますよ!そんなんじゃありません。」

「ふ〜ん。まだそういう関係じゃないんだ。じゃぁあれだ。片想い中?」

「ちがっ…。」

言いかけて自分の鼓動が早くなっているのに気付いた。
顔が赤くなっていくのも分かる。

「えー、まじで?図星?」

「ち、違います。そんなんじゃないです。ただちょっと、今日は早く帰りたいだけです。
 私、もう行きますんで。」

石川と視線を合わせずにその場を去ろうとすると、その袖が引っ張られた。
113 名前:偽りの幸せ 投稿日:2002年12月21日(土)12時43分02秒
「待ってよ吉澤。あなたが誰かに恋をするのは勝手だけど、これだけは言っとくわ。」

振り向くと、真剣な眼差しの石川と目が合った。

「あなたは、人のぬくもりがないと生きられないはずよ。
 肌と肌が触れ合う…そんな関係がないとね。」

石川が冗談を言ってるようには思えなかったが、言い返すことは出来なかった。
先晩、無防備で寝ていた安倍にキスしてしまった自分が思い浮かぶ。

「そんなの…どうだっていいですよ。」

言い捨て、石川の腕を振り切り、踵を返した。

星が見えない夜に輝く電灯が、寂しく光っていた。

114 名前:80 投稿日:2002年12月21日(土)16時15分11秒
>りゅ〜ばさま
更新お疲れ様です。正体、バレてましたか(照)
今度は高橋登場ですか・・かなり激しい訛り具合ですねw
パートナーの出現で吉の仕事がどう変化するのか、また楽しみです。
次回更新、期待しております。

なっちの手料理にかなり妄想を起こしてます・・
手作りハンバーグで「ミスムン」を思い出しましたw
115 名前:りゅ〜ば 投稿日:2002年12月25日(水)15時26分13秒
レスありがとうございます!いつも励みになってます。

>>114 80さん
 いつもレスありがとうございます!感想も添えてくれるので嬉しい限りです。
 正体何となく分かりました!というかあちらでもありがとうございました(嬉)
 高橋登場させました。少しずつ登場人物増やしていきたいな、と思ってます。
 訛りは激しい方が好きなんです(w でも福井弁はほとんど勘で書いてるんですが…。
 パートナーはリアルでの二人の師弟関係を基にしました。
 なっちの手料理に反応してくれてありがとうございます!
 手作りハンバーグ!ミスムンですか!確かに!実はそこまで考えてなかったなんて言え(ry
 実は本人料理しないんで描写めちゃくちゃです。

さて、今日はどこまで書けるかなぁ〜。
116 名前:偽りの幸せ 投稿日:2002年12月25日(水)15時29分12秒
乗りなれたエレベーターの壁にもたれながら時計を見た。
もう9時半だった。
携帯をチェックするが、着信はなしだ。
安倍が怒ってない事を願いながら吉澤は、右上に映し出される数字が17で止まるのを待った。

今日は二人にとって記念日だった。
といっても、それは勝手に吉澤が思ってるだけの事で、安倍がどう思ってるのかは知らない。


ドアに鍵を差し込むと、中から廊下を走るような足音が聞こえてきた。

「おかえり!」

案の定、ドアを開けた先には笑顔の安倍が立っていた。

「遅くなってごめん。途中、電話しようと思ってたんだけど、話し込んじゃって。」

靴を脱ぎながら、片手を顔の前にあげる。

「いいよいいよ。私もずっとテレビ見てたし。HEY HEY HEYって知ってる?音楽番組。あれ面白かった〜。」

意外に怒ってないのに安堵しながら、廊下を進み、リビングに繋がるドアを開けた。
途端、香ばしい料理の匂いが漂ってくる。
中央にある、ガラスのテーブルの上には、吉澤が家を出る前にさばいたサーモンが乗っていた。
その横には木で出来たボールがおいてあり、中にはサラダが作ってあった。
117 名前:偽りの幸せ 投稿日:2002年12月25日(水)15時30分56秒
「…うわぁ、凄い。これ全部、なっちが一人で?」

「うん。今日はちょっと気合いれたよ。だって今日は、大事な日だから…。」

安倍の言葉に、吉澤ははっと顔を向ける。

「あ…私だけ、が大事だって思ってるかもしれないけど…。
 ほら、ちょうど今日で、私がここにきて一ヶ月だからさ。」

少し照れながら言う彼女に思わず、そうだね、と笑いかけたかったが、吉澤は無言でキッチンに向かった。
なんとなくこういう会話を面と向かってするのは恥ずかしい。

吉澤は流しの上方にある戸棚からコップを二つ取って、そのまま冷蔵庫を開けてジュースを探した。
すると、見慣れない白い箱が置いてあるのが目に付いた。

「何これ。」

呟くように言うと、安倍が傍まで来て、

「あ、それはデザートだよ。ケーキなんだけど、勝手に買ってきちゃった。…ごめんなさい。」

少しおどおどしながら言った。

「いや、別に謝らなくても…。何ケーキなの?」

「ショートケーキ。ほら、よっすぃー好きだって言ってたからさ。」

「うん…まぁね。」

予想外のデザートに、心を少し浮き立てながら冷蔵庫を閉めた。
118 名前:偽りの幸せ 投稿日:2002年12月25日(水)15時33分19秒

     −−−

「えっと…。」

席に着くと安倍はもじもじしながらなっちゃんの入ったコップを掴んだ。
何か言いたそうだ。

「乾杯、しよっか。」

様子を察して吉澤もコップに手をかける。
途端、安倍の顔が嬉しそうに輝き、音頭を取った。

「えっと、今日は、一ヶ月間、こんな私を助けてくれたよっすぃーに感謝を込めて、料理を作りました。
 一ヶ月間、本当にお世話になりました。というわけで…。」

乾杯、とどちらからともなく声をあげ、オレンジジュースのなっちゃんが入ったコップをぶつけ合った。
同時に、嬉しそうに微笑む安倍とも目が合う。
途端、吉澤は自分の鼓動が早くなるのを感じた。
吉澤は自分の動揺を悟られないためすぐに視線を逸らし、箸を握った。
119 名前:偽りの幸せ 投稿日:2002年12月25日(水)15時33分52秒
(…やっぱり、可愛いよね。)

バジルのふりかかったサーモンに手を伸ばしながら、サラダの入ったボールを取る安倍を見た。
同時に、今日の石川とのやりとりが頭をよぎる。

(片想い…か。)

その言葉を聞いてまんざらじゃなかった自分の気持ちを思い返す。

(でも、“好き”って、どういう事なんだろう…。)

美味しく出来てるといいな〜と口ずさむ安倍を見ながら、吉澤はサーモンを口に運んだ。
ハーブで味付けされたジューシーな味が口の中に広がった。

     −−−
120 名前:偽りの幸せ 投稿日:2002年12月25日(水)15時35分26秒
「あさ美ってさぁ、好きな人とかいるの?」

もう夏も終わりかけの外を見ながら吉澤は唐突に口を開いた。
季節は秋に突入しかけで、学校の外に生えている木々はその色を既に緑から茶色に変えている。
校内でも、夏服にカーディガンを羽織る生徒がちょくちょく現れ、季節の変わり目を象徴している。

吉澤とは違っていち早くカーディガンを着だした紺野はその体を床に投げ出し、しりもちをついていた。

「…何やってんの。」

「え、いや、だって。」

何の前触れもなく、突然座っていた椅子から転げ落ちた紺野に、軽蔑の眼差しを送る。
紺野はスカートについたごみを掃いながら、

「だって、よっすぃ〜が突然変な事言い出すんだもん。」

自分の席に座りなおした。
紺野の前には毎朝自分で作っているというお弁当箱が置いてある。
ウィンナーやたまご焼きといったお馴染みのメニューで飾られていた。
121 名前:偽りの幸せ 投稿日:2002年12月25日(水)15時37分32秒
「別に、変な事じゃないよ。みんなだってよく、そういう話してるじゃん。
 そういえば、あさ美はそういう話、あんまりしないなって思って。」

吉澤も、毎日いらないと言ってるのに用意されている安倍製のお弁当箱の蓋を開けた。

「いや、それはよっすぃ〜がそういう話してこなかったからだよ。
 それにしても珍しいねー。どうしたの、急に。何かあった?」

じっと顔を覗いてくる紺野に、自分の感情が悟られないようにしながら、

「いや、別に…。っていうか今質問してるのは私だよ。
 もっかい聞くけど、あさ美は今、好きな人とかいるの?」

矛先を紺野に向けた。次は紺野が目を逸らす番だった。
と、思ったらその視線は吉澤の弁当に釘付けだ。

「…その、そのお豆さん、美味しそうだね…。」

どうやら吉澤が食べている黒豆の事を言ってるようだ。

「…分かった。あげる、あげるから今にも涎たらしそうな顔をそんなに近づけないで。」

吉澤は本気で怖がった様子で黒豆を渡した。
紺野の目の大きさが普通のサイズに戻る。
122 名前:偽りの幸せ 投稿日:2002年12月25日(水)15時39分10秒
「…で、何の話だっけ。」

悠々と長い時間をかけて吉澤の分までお弁当を空にした紺野は、足を組みながら言った。

「ちょっと!こんだけ長い間待たせて今更何言ってんの!?昼休み終わっちゃうじゃん。」

吉澤、本気で激怒した様子で机の上を叩いた。

「あ、好きな人か…。んー。何でそんな事知りたいの?」

「だから、質問してるのは私だって言ってるでしょ!とにかく答えてよ。
 いるの?いないの?」

半分本気になってまくし立てる吉澤を悠長に眺めながら、紺野はその手をすっと鞄の中に入れる。
暫くがさがさ何かを探したと思ったら、つまようじを出してきた。

「何かさっきの黒豆が歯に詰まっちゃったみたいでさ…。」

余裕でつまようじを構える紺野に、思わず殴りかかろうとしたやおら、

「いるよ。」

唐突に答えた。

「え…?」

「好きな人いるよ。一応私だって、思春期なんだから。ただのニュースヲタじゃないよ。」

ヲタという言葉に首を傾げながら、吉澤ははやる気持ちを抑えてゆっくりと聞いた。
123 名前:偽りの幸せ 投稿日:2002年12月25日(水)15時41分08秒
「その人の事は…片想い?」

必死で身を乗り出すその姿に、紺野は思わず笑った。

「ははは。まさかよっすぃーからそんな言葉が出てくるとは思わなかったよ。どうしたの?一体。」

「片想いなの?」

紺野の言葉には動じず、吉澤が再び聞いた。暫くして、

「…まぁね。かれこれもう一年ぐらいかな。ずっと好きなんだよね。
 でも、告白できなくってさ。」

「何で?」

「恐いから…。今の関係が壊れてしまうのが、恐いから。」

「今の関係?」

「うん。先輩と後輩の関係、っていうのかな…。」

少し俯きながら、紺野は弁当の中に残っていたご飯粒を指で弄んだ。
その行動とは裏腹に、目はどこか寂しげである。
そんな紺野に吉澤は、軽い衝撃を受けていた。

(あさ美が先輩の事好きだったなんて…知らなかったよ。でも先輩って誰だろう。
 っていうかあさ美、なんの部活に入ってたっけ?)
124 名前:偽りの幸せ 投稿日:2002年12月25日(水)15時43分11秒
生じた疑問を片隅に置きながら、吉澤は一日中考えていた事を口にした。

「好き、ってさぁ。どういう事なの?」

その言葉に、紺野がまたえ?と目を丸める。

「別に、普通に恋してるって感じだと思うけど。」

「その、恋してるってどういう感じなの?」

もどかしさを隠しながらゆっくりと聞いた。

「どういう感じ、って言われてもなぁ〜。」

紺野は少し困ったように天井を見上げて、つまようじを噛みながら、

「少女漫画とかに出てくるのと一緒だと思うよ。」

顔をこちらに向けた。

「少女漫画?」

「そう。よく、その人の事が気になって夜も眠れない、とか、
 胸がどきどきしてはじけそう、とか、その人の事を想ってるだけで幸せ、
 とかいうでしょ。あれ、そのまんまだと思う。」

吉澤は少女漫画というものを思い浮かべた。
中学の時、クラスの友達に薦められて何度か読んだ事がある。
あまりにもワンパターンな内容のものが多く、いつも主人公が相手役の男に振り回されてるだけのように感じ、自分には合わないものだと思った。
あの中の主人公と同じ心境…それが恋、なのだろうか。
125 名前:偽りの幸せ 投稿日:2002年12月25日(水)15時48分27秒
「…そっか。ありがとう。何となく分かったよ。」

言葉どおり何となく納得した吉澤は、残り少ない昼休みの間にトイレに行っとこうと席を立った。

「何言ってんの。次はよっすぃ〜が話す番だよ。」

教室を出ようとしたら、大声で紺野に呼び止められた。

「よっすぃ〜、気になる人でも出来たんでしょ。
 高一にもなって恋するってどういう事なんて聞くなんてさぁ〜。
 もしかして、初恋?」

「べ、別にそんなんじゃないよ。ただ突然、ちょっと気になっただけだよ。
 深い意味なんてないから。」

吉澤は必死に顔の前で手を振った。
紺野は半信半疑にふ〜んと鼻を鳴らしたが足を速める吉澤にそれ以上は聞いてこなかった。
吉澤に関して、紺野はいくつか疑問を持ってるようだが、いつも決して深くは聞いてこない。
学校ではお互い、一番仲がいいのに、一度も外で遊んだ事も無かった。
吉澤と同じで自分の事をあまり口にしない紺野に、自身も少し疑問を抱いていたが、あまり問い詰めたことは無い。
それが二人の間にある、友情という一定の距離だった。
126 名前:偽りの幸せ 投稿日:2002年12月25日(水)15時51分28秒
「まぁどっちでもいいけどさ。でももし、その恋に可能性があるのなら、ちょっと羨ましいけどね。」

今にも教室を出ようとしてる吉澤の背中越しに、紺野が言ってきた。

「どういう事?」

思わず、振り返って聞いてしまう。

「私の恋は多分、無理だからさ。叶わない恋ってやつ?
 多分、一生片想いだと思うからさ。」

「何で?」

吉澤の問いかけに、紺野はまたため息をつきながら、

「その人は今ね、近くにいないんだ。遠くに行っちゃっててさ。
 きっと、私の事なんて欠片も考えてないだろうし、
 何より私はその人にとって、ただの後輩でしかないと思うから。」

だから無理なんだよ、叶わない恋なんだよ、と口だけで笑った。
吉澤は、そんな自分の感情を表向きにする紺野を始めてみた。
彼女の黒い瞳が、寂しく揺れていた。

127 名前:名無し読者 投稿日:2002年12月26日(木)02時56分32秒
ああああああああ!!何故、何故今の今まで気付かなかったんだろう!?
なちよしじゃないですか!しかも暗めの世界観じゃないですか!(興奮)
つ、つぼりました…作者さん頑張って下さい
128 名前:114 投稿日:2002年12月26日(木)13時03分29秒
>りゅ〜ばさま
更新、お疲れ様でした。
所々に小ネタが仕込んであってニヤケましたw
黒豆・・「食わず嫌い」に出て来たような記憶がw

>(でも、“好き”って、どういう事なんだろう…。)
今回はコレにヤラレました(泣)人を好きになることを知らない吉・・
自分の過去と同時に、その答えも早く見つけて欲しいです。

紺野の好きな人・・うぉ〜、誰なんだろう?紺野のキャラも謎ですね。
129 名前:名無し蒼 投稿日:2002年12月30日(月)23時14分03秒
りゅ〜ばさんお久しぶりです!
更新がスムーズに進んでいて尊敬しちゃいますw
自分はマータリやっております。
どんどん話を読んでいて気になってまいりました…
推しメン一杯出てきて嬉しいっすw
紺野の想い人は誰なんだろう…ますます気になります。
最後に、来年もどうぞよろしくです!
130 名前:りゅ〜ば 投稿日:2002年12月31日(火)02時09分51秒
レスありがとうございます!沢山ついてる…嬉しいです!

>>127
 な、なちよしです!(多分)は、はい!暗めの世界観です!!(コーフン)
 私の作品なんかでつぼってくれてありがとうございます!!
 感激です。これからも定期的に更新頑張りますので宜しくお願いします!

>>128 114さん
 毎回レスありがとうございます(涙 本当に感激してます。
 時々勃発的にネタ系を書きたくなるようで…。
 実は自分の中では黒豆はあの人を思い描いてました(ぇ
 好きという気持ちを知らない吉澤さん。
 その心情の変化が上手く書けたらなと思ってます。
 紺野さんは謎キャラが合いますね(w 彼女の好きな人は…(ry

>>129 名無し蒼さん
 お久しぶりです!レスありがとうございます(感涙
 更新速度スムーズっすか?ありがとうございます!
 でも私はマターリな蒼さんの作品もマターリ待ってます!
 (待ってる分、素晴らしい作品が出来上がってると確信してますので)
 紺野さんの好きな人は誰なんでしょうね?妄想してくだ(ry

皆さん、まだまだ飼育に浅い私ですが、今年10月からお世話になりました!
来年もどうぞ宜しくお願いしますm(−−)m
131 名前:訂正 投稿日:2002年12月31日(火)02時25分09秒
訂正箇所を晒します。というか直します。

>>31 下から二行目「半径100m」→「半径10m」:レーダーの表示範囲です

他にも誤字が山ほどありますが、全部訂正していたらきりがないので…。
また、時々安倍が安部になってます。それらを全て安倍に訂正するという事で。

では、本日の更新。今日はどこまで書けるかなぁ…。
132 名前:偽りの幸せ 投稿日:2002年12月31日(火)02時30分51秒
吉澤は寝る前に最後の確認のため、入念に資料に目を通していた。
明日はパートナーをつれての初仕事だ。

石川と三人で行ったミーティングの数日後、再び高橋と落ち合って段取りをつけた。
少し、会話がかみ合わなかったり、彼女の動作に違和感を感じたりして不安だったが、やり手上司の石川の推薦というのを信じて、高橋の事も信用する事にした。

ただ、頭の回転は速いようで、打ち合わせはスムーズに進んだ。
彼女の喋りの速さについていくのは大変だったが、段取りなどは的確に説明してくれ、分かりやすかった。

何より他人と接するのが苦手な吉澤にとって、仕事以上の事を聞いてこない高橋は、パートナー合格だった。
133 名前:偽りの幸せ 投稿日:2002年12月31日(火)02時41分25秒
「明日、仕事だよね?」

いつもならとっくにベッドに入ってるはずの安倍がやってきた。
右手を寝室のドアにかけながら、左手には吉澤がクラスメイトから借りてきた少女漫画を持っている。

リビングのソファに座ってコーヒーを啜っていた吉澤は、

「うん、そうだけど。どうしたの?寝ないの?」

顔を上げて安倍を見た。何となく目は半開きで、眠そうである。

「うーん、ていうか、面白くって、これ。」

安倍は持っていた漫画を掲げた。
ピンクの背景色に顔の割には目が大きい少女がアップで描かれている。
その上に、『恋に落ちて2巻』という文字が大きく書かれていた。
134 名前:偽りの幸せ 投稿日:2002年12月31日(火)02時46分33秒
そのタイトルを見て吉澤は自分の顔が引きつるのが分かった。
紺野にも面白いと薦められて真っ先に読んだのだがどうも性に合わない。

主人公の少女が毎朝電車で会う男に一目ぼれし、そこからその少女の片想いが始まるという話だ。
だが少女の親友も同じ男の事がずっと好きで、主人公は自分の気持ちを打ち明ける事が出来ず、友達を応援してしまう。
主人公の応援も効いたのか、親友の恋は見事実って、片想いの男は親友の彼氏となる。
そこからいろいろな展開があり、結局主人公の親友は、少女の事が原因で男と別れてしまう。
主人公もその親友とは絶交状態になり、その隙を狙ったように、ずっと片想いしていた男に告白される。
愛と友情、究極の選択を迫られた主人公は結局…。

その辺で吉澤は頭が痛くなり、漫画を放り出した覚えがある。
こういう『愛と友情』のようなくさいフレーズを見ると吐き気を感じてしまう。
ちらっと見たラストでは、主人公は想いの相手とも結ばれ、親友とも仲直りする、というものだった。
「現実はそんなに甘くない…きれいじゃない。」この漫画を読んで吉澤が率直に思った感想だった。
135 名前:偽りの幸せ 投稿日:2002年12月31日(火)02時50分12秒
それを面白いという紺野の常識も疑ったが、今再び、目の前でこの漫画を面白いという安倍の事も疑った。
吉澤はあまりそれについては語りたくなく、頭を抑えながら、

「…そ、そっか。私、それあんまり好きじゃなかったけど…。
 って、いうかさ、先に寝てていいよ。今日はもうちょっとかかりそうだから。」

別に自分を待ってくれてるはずはないんだけど…と思いながら話題を変えた。

すると、安倍は少し俯きがちに下を向いて、そのまま黙って吉澤のいるソファまで歩いてきた。

「ちょっと、いい?」

半開きだった目をぱちっとあけ、神妙な口調で言った。
吉澤は少し躊躇しながら、うん…どうぞ、と言って横に座らせる。

「…よっすぃーの仕事についてね、一つだけ、聞きたかったんだけど…。」

安倍は宙に目を泳がせた。
いつかは来るだろうと思っていた質問に、吉澤は内心緊張しながら、だが冷静に答えた。

「うん。何?」
136 名前:偽りの幸せ 投稿日:2002年12月31日(火)02時56分26秒
「よっすぃーってさ…。」

わざと間を取るように、言葉を切る。
吉澤は心の中で唾をごくっと飲み、安倍の顔の向こうにある時計を見た。
もう12時半だった。

「人…殺したことある?」

時計への視線を遮るように、安倍がこちらを向いた。
そのつぶらな瞳と目が合って、少しどきっとした。
だが数秒後、自分の中で彼女の質問を繰り返した後、安堵のため息をついた。

「あぁ…。なんだ、そんな事か。何聞かれるかと思ってどきどきしたよ。
 大丈夫、私は、人は殺した事、無いから。」

微笑して一息つきながら、テーブルの上にあるコーヒーを啜る。
もうだいぶ、ぬるくなっていた。

「…ほんと?」

「ほんとだよ。
 そりゃ、銃とか持って危ない仕事してるように見えるだろうけどさ、私の仕事は人殺しじゃないし。
 そりゃ、今までいろいろあったし、相手を気絶させたりはするけど、誰も殺したことはないよ。」

笑いながら答える吉澤の目を安倍は無言に見つめた。
どこか納得のいかないような、信用していない目だ。
137 名前:偽りの幸せ 投稿日:2002年12月31日(火)02時58分24秒
吉澤は自分の目を、その澄んだ目に近づけ、

「…なっちさぁ、私が、嘘言ってると思う?」

顔を凝視した。
安倍が驚いた様子で首を振るまで、自分が顔を近づけすぎていたのに気が付かなかった。

「あ、ごめん…。」

自分でも何に謝ってるのか分からないまま、慌てて顔を離す。
次第に、心臓の音が高まるのを感じる。


暫くして、安倍が安心したように笑みを漏らした。

「そっか、良かったぁ。…疑って、ごめんね。私、ずっと心配だったんだ。
 よっすぃーの仕事って、もしかして人殺しなんじゃないかって。」

真剣に話す安倍とは裏腹に吉澤は笑いながら、それは考えすぎだよ、と顔の前で手を振った。
安倍はソファの端を握って、

「人を殺す、ってさぁ、よくないと思うんだぁ。例えそれが仕事だとしても。
 殺された人の周りにいる、残された人達の哀しみがどれだけ深いか、殺人者は分かってないんだと思うよ。
 どれだけ辛くて、悔しくて、悲しいか…分かんないんだと思うよ。」

体に力を入れながら喋った。
138 名前:偽りの幸せ 投稿日:2002年12月31日(火)03時29分26秒
「よっすぃーの仕事は、危なくないんだよね?」

「え?」

今度は安倍から顔を近づけて、唐突に聞いてきた。

「だから、よっすぃーは人を殺さないけど、よっすぃーも、誰にも殺されないよね?」

眉毛の両端を落としながら、必死に吉澤の目を見る。
少しおかしな質問だな、と思いながらも何となくその迫力に圧倒された。

「え?あぁ…うん、まぁ、大丈夫だと思うよ。ほら、私、これでも強いからさ。」

吉澤は笑って、片目を瞑り銃を撃つ真似をした。
指先は目の前にある花瓶をむいている。
その仕草に安心したように、安倍がほっと息をつく。

だが思い出したように、

「でもそういえば、命の保証は無い仕事やってるなぁ。」

またおどけて、吉澤は言った。

「え?どういう事?」

その様子に再び安倍の顔は険しくなる。

「んー、そのままの意味だよ。」

吉澤は笑いながら人差し指をあげた。

「だから、もしかして誰かに殺されるかもしれないし、どこかで事故にあって死ぬかもしれない。
 だけどその可能性は、誰にでも平等に、いつでも与えられてるわけだけど…。
 でも誰かに殺されるっていう確立は、私の場合高そうなんだよね。」
139 名前:偽りの幸せ 投稿日:2002年12月31日(火)03時51分15秒
「え…。」

安倍は唖然として吉澤を見つめた。

「そういえば私が死んだ時の事、考えて無かったよね。
 私が死んだら、ここに人が来てこの部屋も撤回されると思うから、
 なっちはその前に、どこかの施設か病院に逃げといた方がいいよ。
 間違っても、その人たちに捕まって、自分が記憶喪失だなんて言っちゃだめだよ。」
140 名前:偽りの幸せ 投稿日:2002年12月31日(火)18時08分08秒
吉澤は笑みを崩さずに言った。「あと、何かあったかな…。」と顎に手をやる。

「…何で…何でそんな事言うの?!」

安倍が少し呆然とした様子で、小さく叫んだ。

「え?だって、さっきも言ったとおり私はいつ死ぬか分かんないから、その時の対策考えておかなくちゃ。」

真顔で淡々と答える吉澤の態度に、安倍は握っているソファの手を一層強めた。

「…嫌だよ。そんな時の事、考えたくないよ…!
 よっすぃーが死んじゃう時の事なんて…考えたくないよ!」

突然唇を震わせて訴える彼女に、少し驚愕する。

「でもさ、どんな可能性でも考えておかなくちゃ。
 人生何が起こるか分かんないじゃん。」

飄々と言ってみたが、安倍は下を向いたまま吉澤とは目を合わせず、一点を見つめている。
141 名前:偽りの幸せ 投稿日:2002年12月31日(火)18時10分05秒
「…そんな事、言わないで。今、言ったでしょう?残された周りの人間がどれだけ哀しいか。
 よっすぃーがもし死んだら、友達や、仕事関係の人や、
 よっすぃーの事知ってる人みんなが、凄く哀しむと思うよ。
 …だからお願い、死ぬかもしれないなんて、言わないで。」

安倍は何かを我慢してるように、何度も喉を詰まらせながら言った。
眉間に皺をよせ、唇をぐっと閉じている。そして時々、鼻を啜った。


吉澤は安倍の言葉に小さな衝撃を受けていた。
自分が死んだら哀しんでくれる人がいるなんて考えた事もなかった。
ましてや目に液体を浮かべ、本気で心配してくれる人がいるなど。

「あ…ご、ごめん。私、残された人たちの事なんて、考えた事なかったよ…。
 だってきっと、誰も私の事なんて気にとめないと思うから。
 きっと、学校や仕事場で私の事を知ってるって人はちょっと驚くだけで、数日みんなすぐ忘れて…。」

「そんな事無い!」

手を組みながら冷静に語る吉澤を、安倍の声が遮った。
142 名前:偽りの幸せ 投稿日:2002年12月31日(火)18時12分03秒
「そんな事無いよ。私、よっすぃーの周りの人の事、知らないけど、
 …でもよっすぃーはこんなに優しいからきっと、沢山の人が哀しむと思う。
 少なくとも私は…私は凄く、哀しむと思うよ。」

吉澤は安倍を見ながら瞬きをした。
その澄んだ瞳に見つめられて、心の中に何かが拡がっていくのを感じた。
吉澤の心臓は徐々に、その速度を増していた。

「ごめん、もう言わないよ…。だから、そんな顔しないでよ。
 もう死ぬかもしれない、なんて言わないからさ…。」

顔から笑みを消し、だが口元を緩めながら無意識に手を伸ばした。
だが俯く安倍の髪に触れそうな所で、はっと手をすぼめた。

「それに大丈夫だよ。言ったじゃん、私は強いって。」

吉澤は天井を見た。右端に、小さな蜘蛛が這っていた。

「だからさ、もうそんな顔しないでよ。…私は、なっちを一人置いてったり、しないから。」

蜘蛛の動きが止まった。同時に、髪で顔を隠している小さな頭がこくっと縦に揺れた。
143 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月01日(水)17時22分28秒
◇◆◇

緑色の野球帽を深く被り、大きなボストンバッグを抱えて、ガラス張りの回転ドアを潜り抜けた。
ぴかぴかと光るおうど色のタイルに足を乗せたら、斜め左前から「おかえりなさいませ。」という声がいくつか浴びせられる。
顔が見られないようにその声に向かって小さく会釈し、右奥にあるエレベーターに向かった。

扉が閉まるのを待ってから、「開閉」のボタンの上にある隙間にカードキーを差込み、24のボタンを押した。
上の方に表示される番号が若い順から変わっていくのを見ていると、横からはぁ〜というため息が聞こえてくる。

「オラ、こんな高級ホテルくんの初めてだぁ。」

吉澤と同じく黒に近い紺色のキャップを深く被った高橋が感嘆の声を漏らした。
彼女の左肩にも、大きなボストンバッグが下げられている。

24階で下りた二人は奥まで続く長い廊下を歩いた。
じゅうたんのためか足音は響かず、ホテル独特の静けさが漂っている。
144 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月01日(水)17時25分37秒
2431と書かれたドアの前に立ち、吉澤は先ほどのカードキーを差し込んだ。
エレベーターの中であらかじめはめておいた手袋を着けた手で、ドアを開ける。
真っ暗な部屋に足を踏み込む前に、吉澤は隣の2433号室をちらっと見た。

中に入ると、白いベッドが二つ目に入った。
少し出っ張った壁を隔てて、奥にはベージュ色のソファと背の低いテーブルが置いてある。
壁越しには小さなテレビもあった。

「後七時間ですね。」

荷物をベッドの脇に置き、高橋は腕時計を見た。
吉澤もバッグを床に置き、資料を出しながらソファに座る。

「じゃ、打ち合わせしよっか。」

テーブルの上にはサービスのおかきの入った袋が二つ、置かれてある。
どうせだからお茶いれますだ、という高橋に、私の分はいらないよ、と制した。

「え?お茶ぐらいいれますだ。」

「いいよ。仕事前は飲まず食わずって決めてるから。」

そうですか、とだけ頷いてそれ以上は聞いてこなかった。
145 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月01日(水)17時30分00秒
大阪から来ている女社長が今回の仕事のターゲットだった。
この都内に聳え立つ高級ホテルの一室に泊まってるという。
もちろん、彼女は今、吉澤たちの横の部屋に滞在している。
齢50で大阪のいち企業の社長になり、東京にもその規模を進出させようと、打ち合わせに来ているのだ。
独身でいつも男の気配はなく、一人でホテルに泊まってるはずだ。
だが吉澤たちの向かいの部屋や彼女の反対側の隣の部屋には、同じ企業の部下達も泊まっているようだった。

「で、2433号室はこの見取り図の通り、この部屋を完全に反転させただけで、
 目標はこのどちらかのベッドに寝てるはずだから。」

「午前四時ごろ、目標が寝ていると思われる時間にこのスペアキーを使って部屋に潜入。
 オラはドアの前でレーダーを確認しながら待機ですね。」

「明かりをつけると、大声で叫ばれてしまうかもしれないから、部屋は暗くしたまま私が目標に接近。
 予定では目標は睡眠中のはずだから。
 注射で気絶させてから記憶を奪って、この部屋に退却。
 午前六時ごろ、チャックアウトを済ませ、帰還。」
146 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月01日(水)17時35分54秒
「何か聞いてるだけじゃ凄く簡単に聞こえるだぁ。」

「こういう仕事は簡単で終わらせないと駄目なんだよ。
 簡単に、誰にも見つからずに、騒ぎが起こらずに出来る時間をわざわざ選んでる。
 証拠は残さず、目標にも危害は加えてはいけない。」

吉澤は高橋の手にしてある手袋を指差し、だからそれはひと時たりとも外しちゃ駄目だよ、と言った。

「でももし、ミスが起きたらどうするんですか?
 いつも全てが上手くいくとは限ってねーはずだぁ。」

「その場合は臨機応援に対応。瞬間で的確な判断を下し、その状況に対応する。
 そりゃ今まで予定通り、問題なしに終わるっていうのは少なかったね。
 取り合えず、証拠さえ残さなければ大丈夫。」

「証拠さえ…。」

「そう。私達がここにいたという証拠。
 組織まで足がつくような証拠は絶対に残しちゃだめ。
 余分なリスクはなるべく背負わないこと。」

「なるほどー。分かりましただぁ。」

高橋はまだ湯気がたっている緑茶を啜った。
そのままガラス皿の上にあるおかきを取る。
147 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月01日(水)21時17分34秒
「でも、今回はレーダーはほとんど必要ないですよね。」

おかきを一つ口にいれ、バッグの中からレーダーを取り出した。

「あー、目標はまだホテルに帰ってねーみてーだなぁ。」

高橋が画面を見ながら呟いた。吉澤が眉を寄せ、見せて、と手を伸ばす。

「…本当だ。私達の周りの部屋に泊まってるはずの、関係者もまだみたいだね。」

「ちゃんと四時には寝ててくれるんかなぁ?」

「それは心配ないはず。目標は明朝から某企業とのミーティングの予定が入ってるから。
 それに、不眠症で寝る前には必ず睡眠薬を飲むらしいし。」

「あー、それなら安心ですね。」

黒い革製の手袋をつけたまま、またおかきを口に放り込む。

「…高橋、ちゃんと、目標に関する資料には目を通してきたの?
 こと細かい事は全部、そこに書いてたよ。」

「オラ、一応目ぇ通したんだけんどぉ、自分がしなきゃいけない行動以外、頭に入ってねーんです。」

「な…。それって駄目なんじゃないの。石川さんにも、ちゃんと言われなかった?」

「へぇ、オラは吉澤さんを守ればいいってだけ聞いてますんで。」
148 名前:ヒトシズク 投稿日:2003年01月01日(水)22時15分31秒
おぉ!更新されてる!!!
高橋と吉澤のかけあいが面白い!
更新頑張ってください!
149 名前:名無し蒼 投稿日:2003年01月02日(木)01時57分57秒
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします!
そして更新されている!!!うれしいっす(w
そして早速来て頂きどうもですm(_ _)m
マータリがんがりたいと思いますw
りゅ〜ばさんもがんばってください、どこまでもついて読んでいきますw
150 名前:128 投稿日:2003年01月02日(木)01時59分08秒
更新、お疲れ様です。
いよいよ吉高コンビが始動ですね・・
何となく不穏な高橋の言動が気になります。
激しい訛りに安心してはいけない、吉澤w
石川もこれから一体どう絡むのか、吉澤は安倍さんの存在をいつまで隠し
通せるのか・・
期待しております。
151 名前:りゅ〜ば 投稿日:2003年01月02日(木)16時05分15秒
昨日は隠し芸やらショムニやらを見てしまって変な所で中断してしまいました。スマソ。
今日はちゃんときりのいいところで終わらせます。
というか一日でこんなにレスが!!嬉しい!嬉しすぎる(涙

>>148 ヒトシズクさん
 年始から読んで下さってる方は案外多いようですね…w
 高橋と吉澤の掛け合い…少しいきすぎちゃってるかな?と思ったんですけど、
 こんな風に書いちゃいましたm(−−)m
 これからも更新頑張るので宜しくお願いします♪
>>149 名無し蒼さん
 ΣPC壊れたのでつか?!それは痛いですね…私も動画とかよくDLしてま(ry
 年末年始は家でごろごろとしてるので更新早いです(暇人
 名無し蒼さんのもマターリと待ってるので、頑張って下さいね!
 私もどこまで〜もついていきますので(w PCが早く直りますように(パンパン
152 名前:りゅ〜ば 投稿日:2003年01月02日(木)16時05分54秒
>>150 128さん
 吉高コンビ始動です!でも昨日は変な所で切ってしまってすいません。
 高橋の激しい訛りは自分でもやりすぎかなと思ってるんですが…
 何だかやめられなくて(ぉぃ もはや福井弁じゃなくなってる模様。
 石川と安倍もどうなるのでしょうね。吉澤さんの選択は…。

さて、今日はちょっと多めに更新したいです。
そして先に謝っておきます。高橋ヲタの方すいません!!
ね、ネタに使っちゃいました…(け、決して私はアンチではありません!寧ろヲタです)
153 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月02日(木)16時10分01秒
吉澤をしっかり守ってあげてね、と上目遣いをしている石川の顔が浮かぶ。
たくっ、余計な事だけ言ってちゃんと仕事の説明しろっての。
吉澤はため息をつきながら頭をかいた。



打ち合わせも終わり、特にする事もなくベッドに横になった。
高橋はテレビをつけたようだ。
初仕事前だというのに、妙に落ち着いている。
というか緊張感が感じられない。こういう仕事には慣れてるのだろうか。
そもそも吉澤は、高橋のバックグラウンドを何も知らない。

暫くして、高橋は見ていたテレビ番組の音量を小さくした。

「吉澤さん。オラ、今最も重要な事を思い出しただ。」

ソファの方からリモコンを持ったまま歩いてくる。
吉澤は常時チェックしていたレーダーをベッドの横にある鏡台に置き、高橋に向き直った。

「今テレビでやってて思い出したけんど、こないだ言ってたニックネーム、聞くの忘れてただ。」

何となく嬉しそうに言って、横のベッドに座る。

「吉澤さん、ちゃんと考えてきたですか?」
154 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月02日(木)16時11分46秒
ニックネーム。
これは初めてパートナーを持つ吉澤にとって、新しい言葉だった。
石川と三人で打ち合わせをした時に、これから決めておかなければならないことだといわれた。
仕事中に本名で呼び合うわけにはいかない。
多人数で行動するグループには、大抵ニックネームがついていた。

石川が実例に出してくれた某アニメ番組では、どうみても風貌は差して変わらないメンバーの名前を、変身後には使い分けて呼んでいたという。
確かセーラーなんとかと言った。
あの頭の切り替えの早さには、石川も恐れ入ったらしい。

どちらにせよ、吉澤は何でも良かったのだが、少し考えさせてくれという高橋の言葉で、今まで放置されてきた課題だ。

「まぁ一応、適当に考えてきたけど。」

最も重要な事、と聞かされて真剣になっていた吉澤は、少し呆れた様子で答えた。

「じゃぁ吉澤さんのニックネームを教えてほしいだ。」

気のせいか目を輝かせながら言った。
155 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月02日(木)16時13分04秒
「んー。私の事は、’カラス’でいいよ。」

「カラス?」

高橋がびっくりしたように目を大きくする。

(別にそんなに驚く事じゃないじゃん。…それにしても、目ぇでかいな。)

「いや、別にさっき、ここ入る前にカラスが鳴いてたからさ。
 その辺にある名前だし、この呼び名から私の素性がばれることはないから、別にいいと思って。」

正直、吉澤はこの事に大して重みはおかず、たった今頭に浮かんできた言葉を言ってみただけだった。

「ほぉ、さすがは吉澤さん。奥が深いんだなぁ。
 オラなんて今日まで毎日悩み続けてきただ。
 見るモン全てに、オラの姿あてはめて、想像してみただ。
 いろいろ候補はあったけんど、結局、やっぱりオラにはこれしかない、っていうニックネームがあっただ。」

高橋は人差し指をあげ、自信ありげに口元を結ぶ。
その熱意に、吉澤は少し圧倒された。
156 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月02日(木)16時14分36秒
だがいくら待っても高橋の口は一向に閉じられたままで、開きそうにない。
逆にだんだんとその目は大きく見開かれていき、何かを訴えるように吉澤を凝視していた。

「…ど、どうしたの。言わないの?」

暫くして、おそるおそる訊ねてみた。瞬間、高橋の口元に大きな笑みが広がる。

「吉澤さん、聞きたいんですか?」

鼻息を荒くして、満面な笑みを浮かべる。

「は、はぁ、まぁ。別に本当はどっちでもいいんですけど。
 聞かないと駄目なんじゃないんですか?」

「ふふ。そうですか、聞きたいんですか。仕方ないからちょっと恥ずかしいんだけど教えますだ。」

高橋は少し顔を赤らめながら指をもじもじさせ、お茶目なポーズをとった。

「オラ、ずっと考えてたんだけど、やっぱりオラはラブリーでもバレエちゃんでもなく、
 ’オラン’って呼ばれるのが一番しっくりくると思うだ。」

拳に力を込めて力説する高橋に、少し呆気に取られながら首を傾げる。

「お、おらん…?」
157 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月02日(木)16時16分01秒
「そうだ。オラ、オランウータンの物真似がめちゃくちゃ上手いんです。
 実はオラはオランウータンヲタで、よくインターネットとかで、資料を調べたりしてるだ。
 石川さんもオラの遠い親戚にはオランウータンがいるんじゃねーかって疑ってるだ。
 実はオラも他人だと思えねーだ。」

高橋は目を輝かせながら吉澤の手を掴んだ。

「だから是非、カラスにもオラの事、オランって呼んでほしいだ!」

かつあげにも似た迫力に、吉澤は反論の余地もないまま、黙って首を縦にふる。

「よし、じゃぁ後五時間、一緒に寝ないで頑張るだ。」

(やっぱり…苦手だ、この子…。)

気合を入れる高橋を見ながら、吉澤は石川への信頼度に疑いを持ち始めていた。


158 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月02日(木)16時17分58秒
「じゃぁ、行くよ。」

2433のドアの前に立ち、左手にレーダーを持つ高橋に小声で囁いた。
時刻は午前三時五十五分。
途中で少しだけうとうとしてしまったので、目標がいつ部屋に戻ってきたかは分からない。
だがレーダーに映る緑色の点は一点で停止し、動かない。
場所からして、向こう側のベッドに寝ているようだ。

吉澤は左肩にバッグを下げ、右手にスペアのカードキーを持っていた。
高橋は吉澤の背中合わせになるような格好で、ホテルに続く長い廊下を伺っている。

音をたてないように、そっとキーをいれ、丸いボタンが緑色に光るのを確認してから、静かにドアに手をかけた。
かちゃっという頼りない音がして、ドアが開かれる。
部屋の中は案の定、真っ暗だった。
廊下から漏れた光が入り、中を少しだけ照らし出す。
レーダーの位置どおり奥のベッドで、目標らしき人物が眠っているのが微かに見えた。

吉澤は音をたてずに体を中へ忍ばせる。
高橋がその後に続き、ドアを注意深く閉めた。
部屋の中は真っ暗で、ずっと明かりの下にいた二人の目には、何も見えない。
吉澤はポケットから、用意していた小型の懐中電灯を取り出し、足元につけた。
159 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月02日(木)16時20分44秒
一瞬、高橋の方を向いて頷き、吉澤は足を速める。
頭に入れた部屋の構成を思い浮かべ、小さな光だけを頼りに歩いていく。

数歩歩いたら、目標が眠るベッドについた。布団が上下に、静かに動いてるのが分かる。

吉澤は息を凝らして、上着の胸ポケットに手を入れる。
だが注射の入った袋に指先が触れた時、妙な気配を感じて後ろを振り返った。
途端、物凄い勢いで首が掴まれた。
そのまま何かが覆いかぶさるように、吉澤は後ろに倒れる。

「っ…。」

吉澤は息を漏らした。
声をあげようとしたが、締め付けられる手が強すぎて声にならない。
吉澤は必死に抵抗した。
懐中電灯を床に落とし、両手を首に持っていき、必死で首に巻きついてる手を放そうとする。
吉澤が触れたその両手は、太く、大きかった。

無造作に転がった懐中電灯からの明かりで、相手の体が何となく見えた。
大柄の、男だった。

(死ぬの…?)

薄れゆく意識の中で、虚しい問いを投げかけた。

(私、このまま死ぬの…?)
160 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月02日(木)16時22分33秒
以前にも、吉澤は死を感じたことがある。

仕事が予定通り進まず、目標の撃った弾が、腹に当たった時のことだ。
とっさに打ち返した弾が、相手の急所に直撃したため、それ以上のダメージは受けなかったが、そのまま意識を失った。
吉澤はその時、死を感じた。
まだこの仕事について一年も経たない頃のことだ。
だが気付いた時には、病院のベッドで寝ていた。
後から聞いた石川の話によると、吉澤は無意識のうちに、必死で石川に電話していたんだという。

その時吉澤は、自分が生き延びた事について、小さな落胆を覚えた。
記憶喪失で身よりも分からない自分が死んだって、誰も哀しまない…そう思っていた。
その時吉澤は、自分が生きてる意味が分からなかった。


そして今また、同じ窮地に立たされている。
161 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月02日(木)16時24分59秒
(そっか…死ぬんだ…。)

もはや抵抗することも諦め、はっきりしない意識の中で思った。
だがその時、薄れゆく頭の中で、一人の少女の顔が思い浮かんできた。

『よっすぃーも、誰にも殺されないよね。』

頭の中に、彼女の声が響く。

『少なくとも私は…私は凄く、哀しむと思うよ。』

彼女の、悲しそうな顔が浮かび上がる。

(そうだ…。なっち、なっちに、約束したんだ…。一人、置いていったり、しないって…。)

その気持ちは次第に大きくなり、吉澤は受け入れようとしていた死の感情を、心の中で拭い取った。
そしてもう一度、手に力を込めた。体が、苦しみながらも、必死に抵抗態勢に入る。

(そうだ…だめ、今はだめ。死んだら…いやだ。…死にたくない。私は、死ねないっっ!!)
162 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月02日(木)16時26分43秒
――――
その時、頭の中に戦慄が走った。
急に、全てが真っ白になり、何も見えなくなった。
かと思うと、見た事もないような情景が浮かんできた。
どこか薄暗い、灰色の壁が見える。

「いやだ!死にたくない!」

頭の中でも吉澤は、叫んでいた。
だがなぜかそれは吉澤ではない。吉澤ではあるのだが、何かが違う。
吉澤は視線を落とし、全身を見た。
足につく地面が、妙に近くに感じられた。
自分の手足や体も、ひとまわりかふたまわり小さい。
吉澤はその小さな体を、必死に動かしていた。
そして首元には、やはり誰かの手が巻きついていた。
だんだんときつくなり、息が苦しくなってくる。

「放せ!!放せよ!!!」

必死に叫んでも、その手は一向に弱まらない。
吉澤は必死の想いで手を伸ばした。硬く冷たい物が手に当たる。
見ると、それは黒く光った拳銃だった。
吉澤はためらいもなく、それを両手で握って、自分の首を絞める相手の胸に焦点を合わせた。
――――
163 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月02日(木)16時28分35秒
「手を挙げろ!!」

引き金に指をかけた時、首にかかる力が緩んだ。
その瞬間、今見ていた映像が全て消える。
そして支えのなくなった体は、物凄い勢いで咳き込んだ。

「そのまま真っ直ぐ、立って。」

厳しい声が頭の中に響く。次第に戻っていく視界の中で、自分の体をみる。
手足も、元の大きさに戻っていたし、拳銃など握っていなかった。

吉澤は覚醒する意識の中で、自分が今陥っている状況をだんだんと把握していった。

「カラス!目標を抑えて!!」

右のほうで、誰かが叫ぶのが分かった。
見ると、ベッドを隔てたドアの前では、高橋が銃を真っ直ぐと構えていた。

「カラス、早く!!」

自分を見て叫んでる事に気付き、吉澤はやっと、今が仕事中だった事を思い出す。
ふと目の前のベッドを見ると、しわくちゃのシーツの中で、震え上がっている女性がいた。
ここからは横顔しか見えないが、目標の資料に載っていた写真と、一致した。
164 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月02日(木)16時30分52秒
「早く抑えて!!注射を…。」

目標の女が、高橋の視線を追ってこちらを振り返った。
だがその瞬間、吉澤は上着のポケットから出していた注射を掲げ、女の首にうっていた。
恐怖に顔を歪めていた女の顔が、たちまちと崩れていく。

「動くな!手を真っ直ぐと上に挙げろ!」

高橋が叫びながら銃を構えなおした。吉澤は横を見た。
高橋の銃口が真っ直ぐと向けられてる位置、そして自分の真横に、大柄の男が、両手を真っ直ぐと天井へあげて、立っていた。

その様子に、段々と状況が読み込めてくる。
自分の首を絞めていたのは、この男だったようだ。
いつの間にか部屋の中には明かりがつけられていて、明るかった。

「あんたは、誰?」

吉澤も護身用に身につけていた銃を取り出し、男に向かって呟いた。
その途端、男は筋肉質の胸を揺らしながら、がははと笑い声をあげた。
165 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月02日(木)16時32分13秒
「社長の命を狙いにくるやつがいると聞いて期待してたんだが、とんだ勘違いだったようだぜ。
 こんな娘っこ二人が相手なんて、話にならねぇ。
 俺はこのオバサンに頼まれて雇われたボディガードだよ。
 それよりお嬢ちゃん、その銃はおもちゃじゃないんだよ。
 さっさと捨てた方が身のためだよぉ。」

そう言って大男は一歩、高橋の方へ近づいた。
吉澤の方には注意をおいているようだが、見向きもしない。

「う、動くなって言ったはずだ!!それ以上動くと、撃つぞ。」

高橋が叫ぶと男はまたにんまりと笑みを浮かべ、

「おまえ達がこの一介のホテルで銃を撃てるのか?
 銃声なんぞ発したら、すぐさま警察が飛んでくるぞ。」

また一歩近寄った。高橋が唇を噛むのが見える。

吉澤は銃を掲げながらゆっくりと男に近づいた。

「おっと、後ろのお姉ちゃんも、悪いこと言わないから俺に近づかないほうがいいぜ。
 その可愛い顔をぶち割っちゃうなんて、嫌だからね。」

だが吉澤は足を緩めず、一歩一歩男に近づく。
高橋が何をするの?とでもいうような顔でこちらを見ている。
166 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月02日(木)16時34分12秒
男との距離が縮み、間合いに入った途端、吉澤は走った。
同時に、男が右足で後ろ蹴りしてくるのが見える。
スピードはなかなかだったが、吉澤のよけられない範囲ではなかった。
瞬間的にしゃがんで蹴りをかわし、男の地面についている方の足を、思いっきり蹴り上げた。
男は「ぐっ…。」と呻きながら前のめりに倒れる。
それを見逃さず、吉澤は肘に力を込めて、男のわき腹にエルボーを入れた。
男がぐはっっと仰け反るのが聞こえ、予備に用意していた注射を、上着から出した。
そのままそれを、首元にうつ。
その後念のため、首筋に思いっきりパンチをいれておく。

男は歯軋りをしながら立ち上がろうとしたが、体に力が入らないらしく、暫くして意識を失った。

「す、すんげぇ…。」

男の目の前で、高橋が呟きながら銃を下ろした。
吉澤はまた首元に手をやり、咳き込みながら、

「石川さんに連絡を。この男の処理を聞いて。」

放り出されたボストンバッグの方へ歩いていった。
167 名前:名無し読者 投稿日:2003年01月02日(木)22時56分28秒
(0^〜^)<かっけー
168 名前:名無し読者 投稿日:2003年01月03日(金)14時37分02秒
ふ〜ビックリした。
高橋、なかなかやりますな。しかし、またもや情報が行き届いてなかった。
さて、よっすぃーどうする?
169 名前:ぴけ 投稿日:2003年01月04日(土)01時59分23秒
今日はじめて「新作報告スレ」なるものを発見し、辿ってこちらへやって
来ました…
で、一気に読んでしまいました。やっぱり文章の上手い方は流れが綺麗ですね。
しかし“カラス”ときてスズメかと思いきや、まさか“オラン”で来るとは。
脱帽です。
170 名前:名無し読者 投稿日:2003年01月04日(土)16時48分00秒
しばらく来ていないうちに沢山更新されてました。ワーイ(w
よっすのカッケーさと、なっちのかーいさにやられ気味ですが、
一方で文章構成の上手さを感じます…なちよしらいすっきです。
がんばってください!!
171 名前:名無し読者 投稿日:2003年01月04日(土)16時49分50秒
高橋が謎です…彼女がなにか噛んでいるような気がしてならない…
実は、今一番更新が楽しみな作品です。
172 名前:名無し読者 投稿日:2003年01月05日(日)00時03分44秒
おぉ〜最初読んでるときはいしよしかと思ったけど
なちよしだったんですね。この話を読んでなちよしが好きになりそうになりました。
そして吉澤カラスカッケー!!
これからも頑張って下さい。
173 名前:りゅ〜ば 投稿日:2003年01月06日(月)00時26分47秒
レスありがとうございます!今までで最多レス数…。本気で嬉しかったです(感涙
気合を入れて続きを書こうとしたんですが、変な文章しかかけなくて何度も修正しました。
まだ修正し終わってないので、今日もどこまで更新できるか分かりません。
でもレスくれた方々本当にありがとうございました!すっごい励みになります。

>>167 (●´ー`)かっけーって言ってくれてありがとだべさ。嬉しいべさ。

>>168
 Σ びっくりしたんですか?!びっくりする作品がかけて良かった(謎
 高橋初仕事なのになかなか頑張りましたよねー。
 また情報行き届いてませんでしたね…よっすぃ〜のこれからの応対は…。

>>169 ぴけさん
 新作報告スレ、便利ですよね。私もよくお世話になってます。
 私の文章って流れがきれいですか?!自分で読んでて凄くぎこちない…。
 何度も見直しするんですが、やっぱり下手だなって思ってました。
 励みになりました。ありがとうございます。
 カラス、オランの指摘ありがとうございます(w 実はハロモニ見れないんですが…
174 名前:りゅ〜ば 投稿日:2003年01月06日(月)00時27分46秒
>>170
 かっけーよっすぃ〜が描けてて嬉しいです!(それが目標だったので
 Σ 文章構成上手いですか?!
 そんな褒め言葉、思わず鼻血出しそうなほど嬉しかったです(ノд`)・゚・。
 しかもなちよしも読んで下さったのですか(ノд`)・゚・。これからも頑張ります!

>>171
 高橋が謎ですか?!意外なコメント…?いや、真っ当なコメント?(ぇ
 どうなんでしょうかね。彼女の訛りは何か噛んでそうですが(w
 一番更新が楽しみな作品ってまじで嬉しいです。泣きそうになりました。

>>172
 初めのいしよしは元いしよしヲタとしての名残でもあって(ry
 この話を読んでなちよしが好きになりそうになった…って、
 まだなってないのですね?!ならなりましょう、はい。なちよしヲタに(ry
 吉澤カラスも高橋オランも頑張っていくので、そちらも頑張って下さい。
 (いつもコソーリ見ていますので)

さて、夜に更新すると、いつも途中で眠気に襲われるんですが…
今日はどうだろう。
175 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月06日(月)00時34分31秒
石川がホテルに到着した時、吉澤はまだ洗面所の中にいた。
込み上げてくる吐き気に疲れ、喉に広がる苦さを味わいながら、地面に倒れこみ、背中を壁に預けていた。

吉澤は時計を見た。記憶を奪ってから三十分が経っていた。
いつもならこんなに早く症状は表れないのだが、今日はすぐに気持ち悪くなった。
体がだんだんと、弱くなってきてるのだろうか。

「吉澤、大丈夫?」

暫くして、洗面所のドアがノックされた。石川の声だった。

「ちょっと待って下さい。今、出ますから。」

吉澤は口をゆすぎ、顔を洗って外に出た。

部屋のソファには、高橋が俯きがちに座っていた。そして、

「吉澤さん!すいませんでした。」

顔を見た途端、立ち上がり、頭をさげた。
何が?と首を傾げていると、石川が腕を組みながら横に立った。

「今回の事は、この子のミスよ。目標以外の人間が、部屋にいたことを見落としていたわ。
 随時レーダーを確認していたにも関わらずにね。」

低い声で言い放つと、高橋はまた俯いた。その様子に、吉澤は少し不憫に思い、
176 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月06日(月)00時36分58秒
「いえ、あれは高橋だけのミスじゃないですよ。
 私も出動する前にレーダーを確認しましたが、ボディガードがいたなんて、見落としていました。
 あれは二人のミスです。」

すると、高橋は驚いたように顔をあげた。
吉澤の態度に、石川はあからさまにため息をついてから、

「まぁいいわ。その事については後でしっかりと始末書を書いてもらうから。」

少し意地悪そうに笑った。始末書と聞いて、二人の顔が一気にひきつる。

「…でも、何で私たち二人はあの男をレーダーで確認できなかったんでしょう?」

吉澤は浮かんだ疑問を口にした。
まだ記憶を奪って間もなかったので、そんな事を考える余裕は今まで無かった。

「それは恐らく…。」

高橋が口を開く前に、石川が呟いた。
考え込む仕草を見せながら、吉澤たちのいるソファから反対側のベッドまで歩いていく。

「例えば、今の状態で、高橋の座ってるソファの位置からレーダーをつけてみて。」

石川の言葉どおり、吉澤はソファまで歩いていき、レーダーをつけた。
画面上に数個の点が浮かび上がる。
四角い白い点は、レーダーの位置を表していた。
177 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月06日(月)00時51分12秒
「目標とその大男は恐らく、今の私と高橋の位置関係にいたはずよ。部屋の端っこと端っこにね。」

「あー、分かっただ。レーダーには人間以外の位置づけは表示されない
 …つまりホテルの部屋がどこで隔てられているかが分からないから。」

高橋が付け加えると、石川はゆっくりと頷いた。

「そう。つまり隣の部屋から目標の位置を確認していたあなた達は、
 部屋の片隅にいた男は、そのまた隣の部屋にいた人間だと思っていたのよ。」

「でもそれぐらい普通、分かりませんか。これでも一応、私たちはプロですよ。」

吉澤は納得のいかないような口調で言った。

「そうね。よく考えれば分かった事かもしれないわ。ただ、この場合大きな落とし穴があったの。」

ベッドの方から石川が歩いてくる。レーダーに映る点もそれに合わせて移動する。

「先入観よ。あなた達の頭に、目標は一人でホテルに泊まってる、という先入観があったの。
 ましてやベッドが二つあるのに、片方のベッドがあいていたら、誰だって一人だと思うわよ。」
178 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月06日(月)00時59分03秒
「先入観かぁ。あーなるほど。しまっただ。
 オラ、よく訓練所で先入観を捨てろって言われてただ。
 だから資料にも目を通さなかったんだけど、失敗しただ。」

高橋は苦笑しながら頭をかいた。
吉澤は自分が高橋に、目標は一人で寝ていると教えてしまったのを思い出した。
何となく、唇をかむ。

「でも高橋、資料には目を通さないとだめよ。
 それを踏まえた上で、先入観を外して行動する。それがプロよ。」

高橋がすいませんでした、とうなだれる。

「吉澤、あなたもよ。」

「はい。でも…。」

やはり納得いかない感じに、口を開いた。

「今回の事は先入観以前の問題だと思います。
 目標以外の人間が部屋にいたのをチェックできてなかったのはこちらのミスでした。
 しかし目標がボディガードをつけていた事を調べていなかったのはそちらのミスです。」

少しきつめに言い放つと、後ろから高橋が小さな拍手を送ってきた。

「それなのよね…。私もはじめ、通報を受けた時はびっくりしたんだけど。
 高橋の話を聞いて早速情報班に連絡したわ。
 そしたら何と、目標が今までボディガードを雇ったことなんて一度もなかったらしいのよ。」
179 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月06日(月)01時01分00秒
「ていうかオラ思うんですけど、目標は今日、この夜中に、オラ達が襲いにくることを明らかに知っていただ。」

「私もそう思います。男はこの日のために雇われた、みたいな事を言ってました。
 明らかに、私たちがくることを知っていた。
 これってどういう事なんですか、石川さん。」

だが険悪に質問する二人に対し、石川は残念そうに肩をすくめた。

「それが、こっちにもさっぱりなの。
 前回の爆弾事件のことといい、何かがおかしいわ。
 まるで、吉澤の仕事がどこかに筒抜けになってるみたい。
 組織の邪魔をしようとしているのかもしれないわ。
 でもこの仕事の事は、組織の中でも一部の、限った人間しか知らないはずよ。
 仕事に関しての資料も、厳密に保管されているし、よっぽどの事がない限り、外部には漏れないはずよ。
 これは私の推測だけど、スパイが紛れ込んでると思うの。
 一応、上には気をつけるように言っとくけど。」

スパイ…?まさか…。
吉澤は自分の行動が誰かに筒抜けになっているのかと思うと、ぞっとした。
今まで誰かにつけられた覚えは無かったが、これから注意しなくてはいけない。
180 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月06日(月)01時07分34秒
暫くしたら、石川の携帯がなった。「もしもし。…うん…うん。分かった。」
どうやら大男の処置が終わったらしい。もうこのホテルからは運び出されたようだ。
あんな巨体を誰にも気付かれずに、よく運べたものだ。
いつものことながら、吉澤は組織の力に感心する。


石川が腰を上げた。待っていたように、

「ちょっといいですか。」

と吉澤が呼び止める。
首を傾げる石川に、ちょっと二人っきりで話したいんですが、と言った。
高橋が気を使うように、席を立つ。

「いや、いいよ。ちょっとだけだから。
 石川さん、ちょっとだけ、洗面所で…いいですか?」

オラがトイレで待ってるだ、という高橋の声を遮り、二人は洗面所に入った。
幸い、消臭剤のおかげで先ほどまで漂っていた異臭は消えている。

「実は…記憶が戻りかけたんです。」

ためらいがちに、小声で呟いた。すると、石川が驚いたように顔を上げる。

「男に、首を絞められた時…子供の時だと思うんですけど、見たこともない光景が浮かんできました。
 見えたのは灰色の壁と、自分の体。
 地面がこんなにも近かったから、多分、記憶を失う以前のことだと思います。」
181 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月06日(月)01時10分47秒
吉澤は足をかがめて、頭に浮かんだ自分の身長を思い出しながら、目の横に手をあげた。

「その時の私も、同じように誰かに首を絞められていました。
 それで、心の中では必死に、死にたくない、死にたくないって叫んでました。
 そうやって暴れているうちに、手に銃があたったんです。
 子供の私はためらいもなくそれを握って、引き金に手をかけました。
 でもそこで、高橋の叫び声によって、現実に引き戻されました。」

「…それが、あなたの記憶だっていう証拠はあるの?」

黙って聞いていた石川が、怪訝そうに眉をあげる。すると吉澤は苦笑しながら、

「証拠なんて、ないですよ。ただ、さすがにいろんな記憶を見てきましたからね。
 自分のかどうかぐらいは、分かりますよ。」

言ってから、笑みを消し、一歩足を踏み出して、石川に近づいた。

「石川さん、本当に私の過去の事、何も知らないんですか?」

疑う口調で聞いてみたが、石川は何度も、首を横に振るだけだった。

◇◆◇
182 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月06日(月)01時39分19秒
午前六時ちょうどにチェックアウトを済ませてから、高橋と別れた。
どうやらまだ2433号室のことは気付かれてないらしい。
二人は何の問題もなく、ホテルを出られた。

石川から余分に貰った薬のおかげで、もう吐き気や頭痛はしなかった。
逆に、なぜか徹夜したのに頭が冴えている。

ラッシュアワー直前の車内に乗り込み、吉澤は反対側のドアの前に立った。
空席はいくつかあったが、今はこうやって外の景色を見ていたい。

移りゆく外を見ながら、安倍のことを想った。
ホテルを発つ時から、いやそれ以前から、ずっと考え、ずっとどきどきしていた。

安倍の顔が早く見たかった。
自分の顔を見せて、安心させたかった。
私は生きてるよ、死んでないよ、と一刻も早く伝えたかった。
私はあなたのために、生きたの――ただそれだけを、言いたかった。


家についた時には既に七時になっていた。
思ったとおり、安倍はまだ眠っている。
吉澤は今日、学校を休む予定だ。
いつも早起きしてお弁当を作ってくれてるのだから、今日ぐらいはゆっくり寝てもらおうと思った。
183 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月06日(月)02時00分21秒
吉澤は、安倍の顔を見る前に寝支度をした。
歯を磨き、寝具を身につける。
顔を見たら、自分の体がおかしくなってしまいそうだった。
それほど、安倍が近くにいるというだけで、緊張していた。

(さっさと睡眠薬飲んで寝よう…。)

安倍を起こさないようにそっとベッドにあがり、施錠の入ったビンを取る。
耳には一日の始まりを象徴するかのように、外から車の音や雑音が響いてきた。
カーテンの下からは光が漏れている。

「…ん、うん…。」

ビンの蓋に手をかけたとき、安倍の体がもぞっと動いた。

(やばい…起きちゃうよ。早く、寝ないと。)

心中で呟きながらも、起きて自分を見てほしいという淡い期待感が邪魔して、吉澤は動けなかった。
胸中とは裏腹に、ビンを持ってる手を下げて、恐る恐る安倍を見る。

左手はお腹に、右手はシーツからだして枕元におかれていた。
傾いた顔はこちらを向いており、少し開いた口からは寝息が漏れている。
吉澤はそんな彼女の姿に、色っぽささえ感じていた。
既に胸ははじけとぶように高鳴っており、体全身が熱くなっている。
胸の内側からじわじわと、締め付けるようなものが広がっていく。
184 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月06日(月)02時09分32秒
そのまま動けずに、じっと安倍の顔を見ていた。
すると何の前触れもなく、目が開いた。その焦点はすぐに吉澤に合わせられる。

「あれ…?よっすぃー、帰ってたの?おはよう〜。」

目元をこすりながらゆっくりと上半身を起こして、安倍の全身があらわになる。
吉澤は驚きのあまり、声を出せずにいた。安倍はうーん、と伸びをして、

「よっすぃー今から寝るの?じゃぁ朝ごはん、いらないよね?」

気を使ってるのか、仕事のことは聞いてこなかった。
吉澤は胸中に吹き上がる熱いものを感じながら、こくっと頷く。

安倍の突然の目覚めに、暫く頭の中が真っ白になっていた。

「…なっち、私、帰ってきたよ。」

やっと出た言葉は、胸中何度も呟いていた言葉だった。はやる気持ちを抑えて、

「生きて…生きて、帰ってきたよ。なっちのために、死なないで、ちゃんと帰ってきたよ。」

頭に浮かんでくる言葉を、一つ一つ、ゆっくりと言った。
徹夜したというのに、体はハイな感じで、妙な興奮を感じる。

吉澤は、安倍の言葉を待った。
その笑顔を、その胸を締め付けるような微笑が向けられるのを、待っていた。
185 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月06日(月)02時49分50秒
「うん…。よっすぃー、帰ってきてくれたんだね。
 嬉しいよ。実は、昨日心配してて、あんまり眠れなかったんだよ。
 もし、よっすぃーが帰ってこなかったら、どうしようかなぁって。」

まだ少し眠たそうに頭をかきながら、だが言葉を選ぶように、安倍は言った。
それに伴い、吉澤の鼓動も、次第に増していく。

そう、私は帰ってきたんだよ、なっちのために。
もっと言って。私が生きてて嬉しいって、もっと言って――。

「だから、その…。よっすぃー、お帰り。」

安倍が笑った。今まで見た中で、一番かわいいと思った。
頭がおかしくなりそうだった。
先ほど奪った記憶のせいもあるのだろうか、いろんな感情が、内側で交差している。

「な…っち。」

吉澤は、安倍の唇を見た。ピンク色をしていて、小さかった。

吉澤は少し息を荒げながら、拳を握り締めた。
手に汗握るとは、こういう事を言うのだろうか。

「どうしたの?よっすぃー、大丈夫?」

異変に気付いてか、安倍が顔を覗き込んでくる。
瞬間、その顔が石川と重なる。
186 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月06日(月)02時56分39秒
石川と初めて体を重ねたのは、吉澤が初仕事を成功させた夜だった。
「どうしたの?吉澤、大丈夫?」と顔を覗き込んだ後、突然唇を重ねてきた。
初めての体験だった。人に抱かれるのも、人を抱くのも。
吉澤にとって、石川を抱くという行為は、ただの現実逃避でしかなかった。
そこには世間で言う『愛』という感情はなかった。
だが石川の肌の温もりのおかげで、いつも苦しみから逃れられた。

石川を抱いていた時の肌の感触、快感が蘇ってくる。
それらはだんだんと形作っていき、脳裏に鮮明に浮かび上がる。
石川の声、石川の肌、石川の唇…。
それらが全て、目の前にいる安倍と重なる。

ダメ―おかしくなりそう――。
吉澤はいっそう激しく息をしながら、片手で目を覆った。
安倍の顔さえ見なければ、何とかなるはず――。
だが目の前に暗闇が広がった吉澤の頭の中では、より激しい映像が映し出される。

(何これ…。さっき奪ったオバサンの記憶…?それとも…。)

吉澤は息を呑んだ。

(私の欲望が作った…妄想?)
187 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月06日(月)03時02分49秒
「ちょっと、よっすぃー、本当に大丈夫?」

ふと、目の前が明るくなる。
別世界から弾き飛ばされたように、頭の中が真っ白になる。
だが相変わらず、荒いだ呼吸を静めることはできなかった。

「よっすぃー、もし苦しいことがあるのなら、何でも私に言ってね?
 仕事で、何か嫌なことがあったのなら…何でも、言って?」

吉澤は無心に、安倍の顔を見つめた。
もはや目の前で声を出す彼女以外、何も見えていなかった。

「私が出来ることなら、何でもするから。よっすぃーのためなら、何でもするからさ。ね?」

「…なん、でも…?」

「うん!今度は私が、よっすぃーを助ける番だから。いろいろお世話になってるし…。
 だから、私が出来ることがあるなら、何でもするよ。」

目の前で、安倍が笑った。

途端、まわりのものが何も見えなくなった。

先ほどまでうずめいていた感情も、記憶も。

全て、見えなくなった。

188 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月06日(月)03時13分07秒
気が付けば、吉澤は安倍の唇を奪っていた。
抵抗できないように彼女の両手を取り、息も出来ないくらいそれを重ねる。
一瞬でも離れないようにきつく、きつく唇を押し付け、手を背中に廻し、体ごと抱擁する。

「…っ。」

一瞬、唇が離れた時、安倍が苦しそうに息を漏らした。
それを見逃さないように、吉澤がまたキスをする。
瞬時で出来た隙間に、むりやり舌を突っ込み、相手の気持ちなど忘れ、自分の欲望のままに、ただそれを絡める。

両足で腰を固定し、両手で腕の自由を奪ってから、枕に押し付けるように覆いかぶさる。
安倍は何度か顔を振り、吉澤を振り切ろうとした。
だがそのきつく重ねられた唇の勢いは一向に緩むことなく、ずっと安倍を制圧している。

休むことなく、今度は右手を胸の辺りにもっていった。
寝具一枚で隔たれたその壁から伝わる弾力は、吉澤を一層感じさせる。

暫く胸を揉んだ後、吉澤はやっと口を離し、今度はそれを首筋にもっていった。
途端、抵抗することをやめていた安倍の体が再びこおばり、

「…やめ…て…。」

と掠れた声で小さく叫んだ。

だが吉澤の耳にその訴えは届かず、安倍の体を攻める手は止まらない。
189 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月06日(月)03時15分58秒
(なっち…なっち…!なっちが、私を助けてくれる…。
 なっちが、ずっと傍にいてくれる…。ずっと私の帰りを、待っていてくれる…。
 なっちが、私に…生きていてほしいって…そう、言ってくれてる…!!)

「やめ…て…。」

なっち…もっと、もっと感じさせて。

「…よっすぃー…。やめ、て…。」

なっち…私は、なっちのこと――。

「やめて!!!!!!!!!!」

パシっと肉がぶつかる音が響いた。
その瞬間、全ての時が止まったかのように、目の前に映る映像が、停止する。

吉澤は、右向きに曲がった顔をそっと前に戻し、目の前にいる少女を凝視した。

安倍は、泣いていた。
今まで見たこともないように、肩を大きく揺らし、嗚咽を漏らしながら、本当に悲しそうに、泣いていた。
190 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月06日(月)03時17分05秒
無意識に、痛みの広がった左頬に手をやる。

自分のそこも、手も、とっても熱かった。

「あ…れ?…私…。」

吉澤は左手を下にさげ、両手を見つめた。

(私…今、なっちに…。)

その時、バンっという音が背中越しに響いた。
吉澤が顔を上げると、もう安倍はいなかった。

窓から、車のクラクションが聞こえた。
一人残されたベッドの上には、乱れたシーツが踊っていた。

191 名前:名無し読者 投稿日:2003年01月06日(月)21時08分35秒
よっすぃーの気持ちがわからなくもない今日この頃
192 名前:名無し読者 投稿日:2003年01月06日(月)23時53分01秒
あああああああああああああああっっっっっっ・・・・・
読み終わって↑こんな気持ちになりました。はうっ
193 名前:名無し読者 投稿日:2003年01月07日(火)00時51分40秒
ぬああああああぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ・・・・
192さんに続いて自分もこんな気持になってみました。
まぁ、なっちは天使だから許してくれる・・・・かなぁ…?
194 名前:150 投稿日:2003年01月08日(水)02時07分44秒
遅れ馳せながら、明けましておめでとうございます。
ちょっと留守にしていたら、大量更新されてる〜!うれすぃ〜です。
カラスにオランと来ましたか・・チュンじゃないのねw
ハロモニ。で高橋が物真似してたのを思い出しましたよ。
毎回小ネタ満載なのがイイ感じです。

ストーリーが急展開して来ましたね。
情報が漏れる謎、高橋の怪しい動き、吉澤の記憶・・
この断片的なパズルの一片一片は、いつカチっとはまるのでしょうか。
そしてすれ違う吉澤となっち・・
なちよし推しには堪らない展開でございますが、次回更新、期待しております。
195 名前:りゅ〜ば 投稿日:2003年01月17日(金)20時35分13秒
更新停滞気味ですいません^^; でも久々更新なので少し多めにします。
レスありがとうございました!凄く励みになってます。

>>191 よっすぃ〜の気持ちを分かって頂けましたか!(嬉 確かに分からんでもな(ry

>>192 あああ!って気持ちになって頂いてありがとうございます!そうなってほしかったんです。

>>193 192さんと同じ気持ちになって下さってありがとうございます!
    なっちは天使ですけど…天使にもいろいろいますから(ぇ

>>194 150さん あけましておめでとうございます♪ことよろです!
 カラスにオランにしてみました(w
 実はハロモニ見れないから、全部動画からの情報を頼ってたり(だからチュンの事知らなかったなんて言え(ry
 頑張ってストーリーをもっと急展開させようと思ってるんですが…。
 断片的なパズルの一片一片は、多分もうすぐかちっとはまると思います。
 というかこの言い回し好きです!かっけー!
 なちとよしには過酷な運命が待ってますね…(クス 二人にはもうちょっと(ry

というわけでもうすぐ前半終了です。もうちょっと登場人物増やしたいと思ってるんですが…
196 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月17日(金)20時38分49秒
チャイムの音と同時に、席を立つ生徒達。次は本日最後の授業、体育だった。

「おーい。何してんの〜。早く着替えるよ。」

頭の上から間延びした声が聞こえ、それから何かでポンっと叩かれた。

「さぁ、早く起きてー。」

しまいには腕を引っ張られたので、仕方なく顔を上げた。
後ろ髪がだらんと前にたれ、あまり視界が良くない。

「ほら、今日はよっすぃ〜の好きなバレーボールだよ。早く行こう。」

吉澤は髪をかきあげながら、まだ腕を引っ張り続ける紺野を見た。

(いいよな〜。いつも元気そうで…。)

顔に生命力をみなぎらせながら笑う紺野とは逆に、吉澤は死人のような顔をしていた。


「どうしたの?やっぱり、仮病じゃなかったの?まだ風邪っぽいとか?」

体操服に着替え、体育館に続く長い廊下を歩いていた。
段々と冷え始め、半袖では少し寒くなってきている。
案の定、紺野は既に指定のウィンドブレイカーを羽織っていた。
197 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月17日(金)20時40分34秒
「うん、まぁ。ちょっと、気分は悪いかな…。っていうかいつ誰が仮病したって?」

吉澤が睨むと、紺野は笑いながら、

「冗談だよ。ほとんど風邪をひかないよっすぃ〜が休んだから、ちょっとびっくりしただけ。」

と言った。

授業が始まっても、吉澤はどこか上の空だった。
準備体操がてらに走ってる時も、得意のバレーボールが始まっても、頭の中は安倍のことでいっぱいだった。



あの日、安倍が部屋を出て行った後、睡眠薬をいつもより多めに飲んですぐに寝た。
起きたら、外は既に暗くなっており、夜の八時を過ぎていた。
頭痛はしたが、不思議と空腹は感じなかった。

それからすぐに、報告書と始末書の処理に取り掛かった。
ドアの隙間からはリビングの光が漏れ、すぐそこに安倍がいるのだとまるで訴えられてるようだった。
だがそれは、あえて無視をした。
まだ安倍にどんな顔をして会えばいいのか分からなかった。
198 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月17日(金)20時41分28秒

結局その日は、安倍とは顔をあわせなかった。
幸い、洗面所は二つあったので、吉澤も部屋を出ないですんだ。

朝起きて制服に着替え、恐る恐るドアを開けてみると、安倍はいなかった。
「散歩に行ってきます」の書置きだけが机の上に寂しく乗っていた。
だがキッチンカウンターの上にはいつもの手作り弁当がおいてあり、昨日の夕食だと思われるものも、サランラップがして置いてあった。

こんなところにまで安倍の優しさを痛感し、また、自分が彼女にしてしまったことに罪悪感を感じた。



199 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月17日(金)20時42分37秒
「はい、これ。恋に落ちて3巻。」

体育が終わり、終礼も終わり、帰りの用意をしていると紺野がやってきた。

「あれ?これって2巻で終わりじゃなかったの?」

「それが違うんだよね。やっと結ばれた二人だったけど、
 あれからまたいろんなトラブルが待ち受けていて…。
 とにかく、まだ続いてるから、ちゃんと読んでよ。」

そう言って漫画を机の上に置いた。

「ねぇあさ美。」

その場を立ち去ろうとする彼女を吉澤は呼び止めた。

「…今日、帰り、ひま?」

◇◆◇
200 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月17日(金)20時44分47秒
商店街にある、喫茶店に来ていた。
入り口はやけに小さかったが、中は思ったより広かった。
壁は薄茶色で中の電気は薄暗く、エスニックな雰囲気が漂っている。

吉澤と紺野は、レジに一番近い席に座った。
隣では二人と同じように制服を着た少女達が大きな声をあげて笑っている。

「ここのモンブランが何ともいえないぐらい美味しいんだ。」

鞄を床に置きながら、紺野は席についた。
吉澤はメニューを一瞥して、アイスココアだけを頼むことにした。
基本的には甘党に目が無いのだが、今日は食欲が無い。

「それで、話ってなに?」

単刀直入に紺野は口を開いた。

「別に…話っていうほどのものではないんだけど…。
 ほら、あさ美とこうやって、遊んだことなかったじゃん。
 もうすぐ2学期も終わるし、高2になるとクラスかわるかもしんないから、
 その前に遊んどこうと思って。」

「そういえば、よっすぃ〜とこうして喫茶店くるの初めてだよね。
 そうだ!そこにプリクラあるから、後でとっていこう。」
201 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月17日(金)20時47分23秒
ウェイトレスがモンブランとアイスココアを運んできた。
紺野に、飲み物は頼まないの?と聞くと、水だけでいいと首を振った。

「あさ美、前言ってたよね。あさ美の恋は、絶対叶わないって。ずっと片想いだって。」

ココアを口に運びながら吉澤が言うと、紺野は笑った。

「な〜んだ。やっぱり恋の話か。」

「別に、そんなんじゃないんだけど…。」

「いいよ、隠さなくて。そっか〜。やっぱりよっすぃ〜には好きな人ができたんだね。」

無意識に、からかう口調になる紺野から目を逸らす。
ココアの中に浮かぶ、氷を見た。
好きな人…氷に、安倍の顔が映った。

「取り合えず、あさ美、こうも言ったよね。あさ美の恋には可能性がないって。
 叶う可能性はどこにもないから、ずっと片想いだって。」

もう一度顔を上げて、矛先を紺野に向けた。
目が合った途端、紺野は横に広げていた口を閉じた。
吉澤は尚も続け、

「でも私思ったんだけど、可能性がない恋なんてないと思うよ。
 あさ美は、その人に、告白はしたの?」

持っていたカップをテーブルに置いた。
202 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月17日(金)20時48分55秒
途端、紺野のモンブランにフォークをいれる手が止まる。
だがそれはほんの一瞬で、すぐにその欠片は口に運ばれた。

「言ったじゃん。可能性ないから、告白なんかしないって。」

好物だというそれを美味しそうに頬張りながら、悲しそうな笑みをつくる。

「でも、可能性がないなんてどうして断言できるの?
 どんな恋にだって、いつだって可能性はあるよ。
 たとえそれが小さな可能性でも、ゼロではない。
 絶対、なんていう言葉は、ありえないんだよ。」

いつの間にか、手を大きく振り、熱くなっていた。
こんなに必死に、紺野に対して喋った事はないのに…。
吉澤は自嘲気味に手をすぼめた。

空になったお皿に、紺野がフォークを置く。

「…そんなの、分かってるけど。でも私は、傷つくのが嫌なの。
 告白してふられるなんて、目に見えてるから。
 傷つくと分かってて、告白なんて出来ないでしょ?」

「でも、そんなのやってみなきゃ分かんないんじゃ…。」

「分かるよ。」

紺野が張り詰めた声をあげた。
203 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月17日(金)20時50分23秒
「さっきよっすぃ〜が言ったとおり、確かに可能性がないわけじゃないよ。
 でもその確率は凄く小さい。傷つく確率の方が、明らかに大きいの。
 それが分かってるのに、何でわざわざ告白するの?
 告白して今の関係が壊れるくらいなら、私はしない。」

「…今の関係って、前言ってた、先輩?」

「そう。普通の、先輩と後輩の関係。告白なんかしたら、その関係が崩れちゃう。
 …私はそんなの、嫌だから。」

紺野の瞳がまた、寂しく揺れていた。吉澤はその姿に自分を重ね、胸を痛めた。

「で、よっすぃ〜の方は?」

「え?」

「ここまで私に聞いといて、自分の事は話さないつもりじゃないよね。
 相談したかったんでしょ?本当は。」

紺野は瞳を好奇心の色に変え、だが吉澤を受け入れるような態勢で言った。
204 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月17日(金)20時52分07秒
吉澤は暫く俯いて、ココアのなくなったカップを見た。
やっぱり氷には、安倍の顔が映っていた。

「あさ美がもしね、ずっと信じてた友達に、その、突然、襲われたりしたら、どうする?」

意を決して、周りには聞こえないように小さな声で言った。
紺野は虚をつかれたように、

「え…。それってもちろん、男の子に…って事だよね?」

と身を乗り出す。本当は違うのだが、仕方なく頷く。

「…うーん、どうだろう。私、男友達少ないからなぁ…。」

と、手を顎に当てて考えてたのもつかの間。
突然気付いたように、目を丸くさせる。

「え?!もしかしてよっすぃ〜、男の子に襲われたの?!?!」

紺野は更に身を乗り出して、興奮気味に大声をあげた。
隣の女子高生も、びっくりしたように吉澤を見る。

「ち、違う違う。そんなんじゃなくって。だからその…た、例え話だよ。例え話。」

吉澤は大きな誤解を招いたので大慌てに手を振った。
紺野も横の女子高生も、「なーんだ。」とがっかりしたようにため息をつく。
205 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月17日(金)20時53分33秒
「…ちょっと、がっかりするとこじゃないでしょ、普通…。」

「うーん。信用してた友達に突然襲われたら…。それってかなりの裏切りだよね。」

「人の話聞けよ!」

「私ならやっぱり、その人の事は二度と信用しないと思うな。」

毎度毎度人の話を聞かない紺野に思わず平手パンチを食らわしそうな吉澤だったが、またもや彼女の真剣な眼差しに体がフリーズしてしまった。

「やっぱり普通そうでしょ。ずっと信用してた友達が突然襲ってきたりしたら、凄いショック受けると思うよ。」

「そうだよね…、そっかぁ。やっぱり、そうだよね、うん。」

「うん、そうだと思うけど。…で、何が聞きたかったの?」

「え?えーっと。ほらまた、心理テストみたいなもん。はははははは。」

思いっきり顔を引きつらせて笑ってみたが、紺野はふーんと疑う目つきでこちらを見ているだけで、何だか惨めになった。

「まぁいいよ。よっすぃ〜が言いたくないならそれで。」

「いや、えと、その…。」
206 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月17日(金)20時54分49秒
「でもやっぱり、いつでも忘れちゃいけないのが、人生はゲームだってことだよ。」

吉澤が対応に困っていると、紺野はまたお得意の笑みを浮かべながら、

「例えば私の片想いの場合、告白したら負け。
 告白しないで今の関係を続けるのがゲームに勝つということ。
 さっきのよっすぃ〜の話は襲った方の負け。
 人生は全部ゲームなんだから。全て勝ち負けなんだよ。
 だからあまり感情的にならないで、気楽に考えてみれば?」

何もかも知ってるような口調で言った。吉澤は少しとまどいながら、

「うん、ありがとう、あさ美。」

と言って、残っていた氷を口に入れた。
そこにはもう、安倍の顔は映っていなかった。

◇◆◇
207 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月17日(金)20時56分41秒
報告書と始末書を渡しに、石川の家に来ていた。
昨日中に書き上げていたので、紺野とプリクラを取って別れてから直行した。
それでも既に、六時になっていた。

「高橋はもう来たんですか?」

吉澤が現れても、何の変わりも無くキーボードを打つ石川に話題をふる。

「ええ。彼女の報告書と始末書なら、ちゃんと今朝届いたわ。
 なかなかの出来よ。下手すると書きなれてるあなたより上みたい。」

石川は赤淵の眼鏡を右手で上げた。

「今朝?凄いですね。彼女は学校に行ってないんですか?
 確か私より、一つ下でしたよね。だとすると中三のはずですが。」

「ちゃんと学校には行ってるわよ。義務教育だし、基礎的な勉学を身につけるというのも大切なことよ。
 それに届いたっていうのは郵便受けに、よ。
 彼女は昨日中に報告書を書き上げて、メイン事務所の方に出しといたようね。」

「メイン事務所?何でここに来ないんですか。」

すると石川は手を止め、回転椅子をくるっとこちらに向けた。
208 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月17日(金)20時58分18秒
「基本的に、ここはごく一部の人間にしか知られてないわ。これでも私の自宅よ。
 組織中に、私の住んでるところが知られてるなんて思ったら鳥肌が立っちゃう。」

「じゃぁ何で私は…。」

「忘れたの?あなたは特別よ。もちろん、私にとって、だけど。
 玄関のカードキーだってあげたでしょ?」

そう言って上目遣いに微笑むと、また体をデスクに向けた。


吉澤は曖昧に頭を掻いてからキッチンへ足を運んだ。
今日は前までと同じようにコンビニでおにぎりを買ってきた。
安倍が待ってる家へ帰るのが辛かった。
出来れば少しでも多く、外で過ごしたかった。

それに、まだ自分の気持ちがよく分からなかった。
安倍のことをどう思ってるのか、どう感じているのか。
紺野との話し合いによって、やっぱり今までどおりの関係を保っていくのは難しいと感じた。

自分はもう、安倍には二度と信用されないだろう。
そう思うと、凄く悲しかった。
やはり自分は、人生のゲームに負けたんだろうか?
なら告白しないで行動を起こさず、ずっと片想いでいる紺野のほうが勝ったのだろうか?
209 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月17日(金)21時00分01秒
吉澤はソファに座って、天井を見上げた。

(何か疲れたな…。)

これからのことを考えていたら、急に眠気が襲ってきた。



「…しざわ…吉澤!」

ほっぺがはじかれる感じがし、呼び声によって目を覚ました。

「こんなとこで寝てたら風邪ひくよ。」

「あ…石川さん。…あれ?今何時ですか?」

「夜中の一時だよ。どうしたの?今日は泊まれるの?」

石川が嬉しそうに声を弾ませる。
吉澤は寝起きの頭を掻きながらその言葉を反芻する。

「一時…え、一時って…えぇーっ!?もうそんな時間なんですか?!うそ、やばい。」

慌てて立ち上がろうとする吉澤を、石川が止めた。

「待ってよ。帰っちゃうの?」

「え…だって、明日は学校だし。」

そう言い放つと、石川は寂しそうに俯いた。しかし吉澤を掴む手はいっそう強まり、

「一緒に寝ようよ…。」

小さく呟いた。
210 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月17日(金)21時01分44秒
「夜中に、帰っていいから…。ほら、どうせもうこんな時間だし…。
 一時も三時も変わらないよ?だから…寝よ?」

そう言って背中を向けてる吉澤に、後ろから抱きついた。
石川の両手はお腹に巻きつき、体はぴたっと密着している。
その体温と鼓動が、こちらにまで伝わってくるようだった。

「私、ずっと寂しかったんだよ?吉澤が…ひとみが、泊まってくれなくて…。」

吉澤の手に指を絡ませながら、その体を前へともってくる。
石川の、少し赤い顔が姿を表す。
それはだんだんと引き寄せられ、目を閉じる間もなく、唇が重ねられた。
石川の両手は吉澤の首に廻され、唇がいっそう強く押し付けられる。
久しぶりに味わう石川の舌は、安倍のものとは違っていた。

吉澤は抵抗することが出来ず、そのままソファに押し倒された。
石川の手が、服の中に入ってくる。
ブラの上からでも、その手の冷たさが伝わってきた。

吉澤は久しぶりに味わう感覚に、思わず石川を抱き寄せた。
そのまま小さいソファで上下の位置関係を交換する。
体を廻し、密着状態のまま、吉澤が上になり、石川が下になった。
211 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月17日(金)21時03分00秒
手を胸元にもっていっただけで、石川は快感の声をあげた。
そして待ってられないというように自分から服を脱ぎ、ブラを取った。
上半身が裸になり、その豊かな胸があらわになる。
石川は自分の手で吉澤の顔をそこへ引き寄せ、また喘いだ。

吉澤は石川の体を攻めながらも、どこか虚しさを感じていた。
ついこの前まではずっと一緒に寝ていた体。
どこが一番感じるか、どこが弱い部分なのかも全て把握していた。

ついこの前までは、石川を抱くことに何の疑問も抱いてなかったはずだ。
恋人という関係ではない。
ただの寂しがり屋の上司と部下が、お互いを慰めあってるだけだと割り切っていた。

だが今日はなぜだか割り切れない。
石川の肌に手をつたわせるごとに違和感を感じ、しまいには拒否反応を示してしまった。

「…どうしたの?」

吉澤の異変に気付き、石川が息を荒くはきながら怪訝そうな顔をする。
吉澤は黙ったままその体を石川からのける。
212 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月17日(金)21時05分00秒
「すいません、石川さん…私、できません…。」

床に落とされた石川の服を取り、それを寒そうに震える彼女の上においた。

「…え、何で?今までこんなことなかったじゃない…。あ、調子悪いの?
 頭痛いとか?…だったら、仕方ないよね。」

明らかにショックといった表情で、石川は自分に言い聞かせるように言った。


まだ呆然として服を着ない石川の横で、吉澤は額を両手にのせていた。
またいろんな感情が頭をまわっているかというと、そうではなかった。
頭の中には、一つのことしか浮かんでいなかった。

「好きな人が、出来たんです。」

暫くして、目を伏せたまま言った。石川は驚いたように顔を上げる。

「…初めて、なんです。こんな感情。どうやら、多分…いや、絶対、好きなんです。
 本気…みたいなんです。」

吉澤は尚も額を両手にのせたまま、

「だから、今更私がこんな事言う権利ないんですけど…。
 こういう関係は、やめたほうがいいと思うんです。
 お互いのためにも、こういう、その、体だけの関係、みたいなのはやめたほうがいいと思うんです。
 好き合ってもいない同士が、することじゃないと…。」
213 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月17日(金)21時07分43秒
石川は吉澤の言葉に耳を傾けながら、ただ一点を見つめていた。

「だから…私、出来ません。すいません、石川さん…。」

最後まで吉澤はその体勢を崩さなかった。

「はは…。そっか、ははは。もう、なに真剣になってんの?
 それならそうと、早く言ってくれればいいじゃないっ。」

瞬きをしなかった石川が、突如大声をあげて笑った。

「何だ。私は、あなたもこの関係を楽しんでるんだと思ってたわ。
 それに、一人じゃ寂しいだろうと思って誘ってあげてただけなのよ。
 嫌なら、もっと早く言ってくれればよかったのに。」

石川は立ち上がり、服を着だした。だが吉澤とは逆方向に体を向けているため、表情が見えない。

「石川さん…。」

「大丈夫よ。いつだってこんな関係やめさせてあげるわ。
 あなたの代わりなんて、いくらでもいるんだから。」

「ごめんなさい!石川さん。」

いたたまれなくなって立ち上がり、頭を下げた。
214 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月17日(金)21時12分37秒
すると、石川がくるっとこちらに顔を向け、

「何言ってんの。ほら、明日学校でしょ?早く行きなさいよ。」

笑顔で言った。
吉澤は石川の目をじっと見たが、微笑み続けるだけで、何も変わらなかった。



「はぁ、ふられちゃった。」

吉澤を玄関先で見送った後、石川は一人ため息をついた。

「…吉澤のバカ。好き合ってない同士なんて、誰が言ったのよ。
 私が、誰にでも体を許す女とでも思ってたの。」

独りごちいて、顔を上に向けた。
そうしないと、目から余計なものがこぼれてきて、地面を濡らしそうだった。

「さよなら、吉澤…。」

何も答えない天井を見て呟き、唾を飲み込んだ。
215 名前:名無し読者 投稿日:2003年01月17日(金)22時26分23秒
ヘタレじゃない石川さんを見れて嬉しいー!!
だけど今回は少し悲しい。
216 名前:194 投稿日:2003年01月18日(土)01時02分59秒
大量更新、お疲れ様でした!
停滞気味だなんて!まったりお待ちしておりますので、どうかお気に
なさらずに・・

>というかこの言い回し好きです!かっけー!
気に入っていただけましたか? (0^〜^0)オイラ、うれしいYO!
紺野のモンブランは一瞬「あんブラン」かと思いましたw
紺野の先輩も非常に気になりますなぁ・・

今回は石川さんが・・(涙)
「元」いしよし派のりゅ〜ばさんならではの文章ですね。さすがです!
次回もPCの前に正座してお待ちしておりますw
217 名前:ヒトシズク 投稿日:2003年01月18日(土)21時05分58秒
ずっと読んでました。
石川さん・・・泣きそうになりました。
強がってる石川さん・・・何か様になりますね。
これからもがんばってください♪
218 名前:morizo 投稿日:2003年01月20日(月)20時56分30秒
どうもお久しぶりです。
長らく見ていない間に黄板で書かれていたんですね。
まだ今回の作品は途中までしか目を通していないですが、
引き込まれるような文章がすごくいいと思います。
大変だと思いますが、お互い頑張っていきましょうね
219 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月21日(火)19時24分08秒
吉澤は駅前でタクシーを拾い、家へ向かった。
心はどこか沈んでいた。
まさか、自分からあんな言葉が出るなんて思わなかった。

石川にはお世話になってきた。記憶喪失で身よりもない自分を助けてくれた。
だが心のどこかで、あの時石川が現れなかったらと思う事がある。
あの時誰も助けてくれなかったら、今の自分はここにいるのだろうか。

まだ夜中だったので、安倍は寝ていた。
リビングのソファの上で、布団を顔まで覆いかぶさるようにして。
吉澤は息が詰まるような思いでその脇を通り過ぎ、寝室へ向かった。

ベッドに入っても眠くないので、紺野から借りてきた『恋に落ちて3巻』を取り出した。
仲たがいした親友とも仲直りし、想いの相手もゲットしてハッピーエンドで終わったはずの2巻。
この巻では主人公に新たなライバルが出現し、また恋人との仲が曖昧になるという、相変わらず王道の少女漫画のパターンだった。
220 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月21日(火)19時25分32秒
だが吉澤は、以前読んだ時よりストーリーに没入していた。
素直になれず、空回りな行動ばかりする主人公。
いつの間にか、自分が紙の上の少女に深い感情移入をしていた。
両想いなのにいつも不安で、好きという気持ちが相手より大きいと思ってしまう主人公。

結局その巻は主人公と恋人がすれ違ったまま終わってしまった。
吉澤は複雑な想いで漫画を閉じた。
読んでる時も、主人公の言動にハラハラしながらも、奥底ではいつも安倍の顔がちらついていた。
面と向き合って考えると、胸が苦しくなった。
人を好きになるという事がこんなにも苦しい事だったなんて、吉澤は知らなかった。


221 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月21日(火)19時27分45秒
やっとうとうとしかけていたら、リビングの方から音がした。
時計を見るともう六時だ。
吉澤は目覚ましのセットを外してから、慌てて起き上がった。

あの時から、安倍と喋っていない。
今日は散歩に行かれる前に、どうしても捕まえたかった。

取り合えず顔を洗い、鏡で髪型などをチェックする。
今更、何を気にしてるんだと自嘲してから、恐る恐る寝室のドアに手をかけた。
それはひんやりしてて、冷たかった。

がちゃ、と頼りない音をさせながら、ドアノブを廻した。
既に手には汗を掻いていた。
心臓の音が木製のドアに反響し、耳に響いているようだった。

ゆっくりとあけてみると、そこに安倍の姿はなかった。
吉澤は半ばほっとし、半ばがっかりしながら足をダイニングルームの方まで歩ませた。
壁で隠れて隔離してるキッチンへ思い切って顔を出すと、そこにも安倍はいなかった。
まさか、既に散歩に出て行ったのだろうか。

言い寄れぬ不安に心を急き立てられながら、廊下に続くドアの前に走った。
ノブに手をかけようと一歩前へ出ると、それは突然開いた。
見ると、驚いた顔でこちらを見上げる安倍の姿があった。
222 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月21日(火)19時31分29秒
「あ…。」

心の準備が出来ていないまま、遭遇してしまった。
吉澤は安倍から目を逸らせずにいた。
どうやら洗面所へ行っていたらしく、服の袖が少し濡れている。

「なっち…あの…。」

言おうと思っていたことが言葉にならず、戸惑った。
落ち着け、落ち着いて喋らないと――。

だが安倍はとっさに目を逸らし、そのまま深呼吸している吉澤の横を通り抜けた。

吉澤は胸に突き刺さるものを感じながら振り向き、

「なっち、ごめん!」

想いが届くよう、心から叫んだ。

「もっと、早く謝っとくべきだったんだけど…。ごめん、本当にごめん。
 あの時は何か、気が動転してて、自分が抑えきれなくなっちゃって…。
 あんなことするつもりはなかったんだけど…。本当に、ごめん。」

だが安倍は、吉澤に背を向けて立ち止まったまま、微動だびしない。

「もう、許してくれないかもしれないけど…。
 私は、こんな事でなっちに出て行ってほしいとか思ってないし、
 自分勝手だけど、出来ればこのままうちに…。」

「…朝食の、準備するね。」
223 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月21日(火)19時33分40秒
吉澤の言葉を遮り、最後まで振り向かないまま呟いて、キッチンへ足を運ばせた。

「待って、なっち!」

視界から安倍が消えるのに不安を感じ、後を追う。


狭いキッチンへ入っても、安倍は相変わらず背を向けたままだった。
吉澤が声をかけても、髪で顔を隠しながら冷蔵庫を開ける。

「なっち…ごめんね。やっぱり、怒ってるよね…。
 でももう、あんなこと絶対にしないから…。」

だから許して――。こちらを向かない安倍に不安になり、思わず手を伸ばした。

「きゃっ。」

だが吉澤の手が肩に触れた途端、小さな悲鳴とともに、安倍は持っていたパンを床に落とした。
振り向きざまに髪の間から見えた安倍の目は、恐怖の色で染まっていた。

無言でパンを拾う安倍に、吉澤はショックを受けていた。
自分のしてしまった事の大きさが、痛いほど感じられた。

吉澤は唇を噛みながら、拳を握った。
自分の横を無言で通り抜ける安倍の姿が苦しかった。

だが吉澤は決意していた。
自分のした事は許されるはずがない。
だが自分のこの感情は偽物ではなかった。
安倍に対する想い…それは世界中の誰にも胸が張れるように、本物だと思っていた。
224 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月21日(火)19時35分43秒
「なっちが、好き。」

振り返って、コーヒーの用意をしている安倍を見て、言った。

「あんなことをしたのは、許されないことだと思ってる。
 でも、信じてもらえないかもしれないけど、私は…なっちの事が好き。
 好きだった!…だからって、許されることじゃないけど…でも、好きだから。」

ふと、紺野の言葉が頭をかすめた。
今の自分の行動は、ゲームに負けてることになるのだろうか。
だがそれでもよかった。
自分に素直になって、この想いを認めて、相手に伝える事に、意義があった。
人生なんか、ゲームじゃない――今日学校に行ったら、紺野に伝えようと思った。

安倍はびっくりした顔でこちらを見ていた。
ポットに入れてる水を止め、戸惑ったような顔をしている。

「だから…せめてこのまま、今までどおり、ここにいてほしい。
 もちろん、なっちの身寄りが分かったら、そこへ帰ってもいいけど、それまでは、うちにいてほしい。」

やっと振り向いた安倍の目を見つめた。胸の奥が締まる感じがした。
225 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月21日(火)19時39分09秒
「…実は、前の仕事の時、死にかけたんだ。」

視線を落とし、苦笑いしながら、

「あぁ死ぬんだって思った。でも、死ねるんだ、とも思った。
 やっとこの仕事から解放されて、過去が分からないという恐怖からも解放されて、
 楽になれるんだと思った。でもその時、なっちの顔が浮かんだ。
 死なないでって言ってくれた時の顔が浮かんで…それで、死ねないって思った。
 私はまだ死んじゃだめって。一人でも、私の帰りを待って、私を頼ってくれてる人がいるって。
 だから私は死にたくないって思った。生きようと思った。
 それは、なっち、あなたのおかげなんだよ。」

そして、また視線を安倍に戻した。

「だからって、やっぱりあんな事はしちゃだめだったよね…。本当にごめん。
 あの時はまだ、自分の気持ちに気づいてなかったし、なんていうか、爆発しちゃって…。」

「私こそ、ごめん。」

自分でも言い訳がましいなと頭をかいていると、安倍が口を開いた。
226 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月21日(火)19時44分39秒
「よっすぃーは、私の命の恩人なのに、あんな避け方してごめん…。
 もっとよっすぃーのこと考えるべきだったよね。
 それなのに、話も聞かないで無視しちゃったり、その、手を払いのけたりして…ごめんなさい。」

「え、そんな、なっちが謝ることじゃないよ。
 自業自得だし、なっちがこうやって、話聞いてくれただけでも私は嬉しいから。」

そう言って照れ笑いをした。すると安倍も笑って、

「うん。でも良かった、よっすぃーと仲直りできて…。
 私もこれからどうしようかと思ってた。そんな立場じゃないのにね、居候の身で。」

「え、そしたら…。」

「うん!その、私が言うのも変だけど…。これからも、お世話になります。
 …なって、いい?」

「あ、もちろん!そっか、良かった。
 なっちがどっか行っちゃうんじゃないかって、心配してたんだ。」

「そんな、助けてくれたお礼を、これからも返さないと。
 あ、でも、その、告白についてなんだけど…。」

顔から笑みを消し、視線を泳がせた。
その様子を察して、吉澤は口をあけて笑いながら手を振った。
227 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月21日(火)19時45分58秒
「あぁいいよ。その、気にしないで。私はただ、自分の気持ちを伝えたかっただけだから。
 なっちが答える必要なんて、ないからさ。」

「…ごめんね、よっすぃー…。」

「だから、なっちが謝ることじゃないって!私こそ、変な事言ってごめんね。
 さっきの事は、もう忘れていいから。」

そう言って、右手を差し出した。
安倍は一瞬戸惑ってから、また顔に笑みを戻し、右手を差し出した。

「「これからも、宜しく!」」

二人の手が重なるとともに、声も重なった。

片想いでも、それでもいい。
自分を待ってくれる、自分を必要としてくれている。
そして、そんな自分を強くしてくれる。
だから、例えこれが片想いでも、私はずっと想い続けるよ、なっち――。

  −−−
228 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月21日(火)19時49分15秒
吉澤がそう思った途端、頭に戦慄が走った。
頭痛がし、思わず目を瞑る。頭の中に、見た事もない光景が浮かんできた。
吉澤は思わず倒れこみ、頭を抑えた。

「ひとみね、ママの事だ〜い好きだよ。」

幼い声が聞こえる。自分の体から発せられているのに、何かが違う。

また地面が近かった。それに何か暖かい。暖かいものに包まれている。
いや、座ってる?暖かくて、弾力があるものに座っている。

風?頭の上から、暖かい風が吹いてきている。いや、違う。
これは、息?人の吐く息が、顔にかかっている。

見上げると、そこには顔があった。
はっきりとは分からないが、穏やかで、とても懐かしい感じがする。
閉じられた口は微笑んでいて、少したれがちの目は優しくこちらを見ていた。
だが顔全体は光っていて、はっきりとは分からない。

吉澤はその短い腕を伸ばして、顔を触ろうとした。
だが思うようにはいかず、肩まで伸ばした黒髪の近くをからぶりするだけだ。
229 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月21日(火)19時51分12秒
顔が分からなくても、いいと思った。ここがどこでも構わない。
ただ、ずっとこうしていたかった。
懐かしい甘い匂いに包まれて、暖かい体に包まれて、とても居心地が良かった。
これはなんだろう。この優しくて心地良い気持ちは。
これは…愛…?

  −−−

「よっすぃー、大丈夫?どうしたの?よっすぃー!」

頭の中の、自分であって自分ではない存在が眠りかかっている時、声が響いた。

「な…っち?」

「よっすぃー大丈夫?!頭、痛いの?」

目を開けると、安倍の顔があった。両眉をハの字に曲げ、心配そうにこちらを見ている。

「あれ…私…。」

見回すと、いつもの台所だった。

吉澤は心配する安倍を制し、洗面所へ走った。
しがみつくように鏡を見る。
分かっていたはずなのだが、そこには驚いた顔でこちらを見返す自分の姿があった。

目を落とし、体を見る。
手を上下に動かしてみても、足を動かしてみても、いつもの体だった。

(また、記憶が戻りかけた…?しかも今度はもっと小さかった…。そしてあの暖かい、懐かしい感じは…。)
230 名前:恋に落ちて 投稿日:2003年01月21日(火)19時55分03秒
吉澤は額に手をあて、緊張しながら息を吐いた。

(あれは、母親…?)

音がして、横を見ると安倍が立っていた。まだ不安そうに顔を傾けている。

「なんでもない…もう大丈夫だから。」

吉澤は優しい笑みを投げかけ、部屋に戻った。
携帯を出し、石川に電話しようとして、思いとどまる。
ついさっき、別れの言葉を言ったとこだった。
取り合えず後でメールを打っておこうと思った。

鞄の中に携帯を戻し、からになった手をもう一度見る。
何度か握ったり開いたりして、あの時掴みかけた母親だと思われる髪を取る仕草をする。
記憶の中で感じた甘い匂いを思い出し、唇をぐっと噛んだ。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
( ●´ ー`)ここで前半終了だべさ!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
231 名前:真実と嘘 投稿日:2003年01月21日(火)20時02分47秒
仕事現場に向かうため、吉澤は高橋と二人でタクシーに乗っていた。
窓の外を移りゆく景色は、夕方ごろから降りだした雨に紛れてあまり見えなかった。
タクシーの運転手もワイパーを全開にし、安全運転のためかゆっくり走っている。
それでも、午後11時を過ぎているためか、駅前を抜けた道には人通りが絶え、消灯している家々が多く、狭い空間に隔離された気分になった。

石川から新たな仕事を言い渡されたのは、あれから二週間あまりのことだった。
いつもより期間が早く、石川は吉澤の頭のことを心配したが、最近調子がいいので大丈夫だと言った。
仕事を始めた当初は、二ヶ月も頭痛で苦しんだこともあった。

体の調子がいいのも全て、安倍のおかげだと思った。
昔感じていた不安感は消え、どこか言い切れない孤独感も、彼女によって癒されたのだと感じる。
自分がここにいていい、存在が認められてるという安心感からか、奪った記憶が暴れだす事は少なくなった。
232 名前:真実と嘘 投稿日:2003年01月21日(火)21時09分43秒
あれから、安倍とはまたいつもどおりになった。
お互い、あの時の事には触れず、他愛ない、しかし平和に毎日を過ごしている。
だが寝るのだけは吉澤から気を使って、別々にしている。
安倍もその事は否定せず、交代ごうたいにソファを使っていた。

「ここから、5分ほど歩くから。」

ある住宅街の道のど真ん中でタクシーを止め、横で傘をさして突っ立つ高橋に言った。

「この雨の中5分も歩くんですかぁ?何で現場の前でおろしてもらわなかったんですか?」

「もしもの時のために、足がつかないようにね。いくら帽子を深く被ってても、
 私達が女だって事は、タクシーのおじさんだって分かってたはずだから。
 こんな時間に建設中止されてる工事現場の前で降りたら、さすがに印象に残るでしょ。」

「はぁー。さすが吉澤さんやわぁ。オラいっつも感心するだぁ。
 所で、何で今回は工事現場なんですか?あんな所に目標が来るとはおもえねーだ。」

「…高橋、また資料読んでこなかったの…。」
233 名前:真実と嘘 投稿日:2003年01月21日(火)21時15分02秒
「ちゃんと、オラがすることには目を通しといただ。いくら建設中やからって、
 出入り口は決まってるから、レーダーを確認しながらその周辺を迂回するんですよね。」

水しぶきを跳ね返す地面に足を運ばせながら、吉澤はため息をついた。

「そう、その通り。でも仕事に関しての資料は全部目を通して、いつも頭に入れておくこと。
 何が起こるか分からないから。でも、工事現場というのには私も驚いたよ。
 何でも、今回の親父社長はガードがきついらしく、
 こちらから呼び寄せない限りなかなか一人にはならいみたいだから。
 上がどんな方法を使ったのか知らないけど、後20分後には、
 その工事現場に現れるはず。
 脅しでも取り引きでも、どんな方法を使ってでも、
 ちゃんとあそこに来るように仕向けてるはずだから。」

「でも目標が用心して、現場に先回りしてガードを固めるとか、
 またボディガードをぞろぞろ引き連れてくるとか、
 何らかの予定外のことをしてくる可能性はねーんですか?」
234 名前:真実と嘘 投稿日:2003年01月21日(火)21時16分35秒
「ないとは言えない。だからこちらとしても用心しなければならない。
 でも、そこは私も疑問に思ってた。
 何で目標に怪しまれるような工事現場を選んだのかも分からないし、こちらの対策も万全ではない。」

「オラたちを、試してるんでしょうか?」

「え?」

高橋の言葉に、吉澤は顔を向けた。

「吉澤さんの前々回の仕事の時、爆発事故が起きましたよね。
 前回のことといい、まるでわざと、吉澤さんやオラに、ぎりぎりのことをさせてるよーだ。」

「でも何でそんな事を…。」

「分かりませんだ。そんな事をしても意味がないから、
 石川さんの言うとおりスパイか何かが紛れ込んでるかもしれねーだ。
 取り合えず、今日も油断は出来ねーってことですね。」

そう言って高橋は足を止めた。目の前に、建設途中の工事現場があった。
235 名前:真実と嘘 投稿日:2003年01月21日(火)21時18分55秒


建物の周りを、高橋と二手に分かれて捜査した。入り口は計四つ。
そのうちの、目標と約束している場所に一番遠いところから中に入る。
常にレーダーに目を光らせ、人がいないかを確認する。

建設中ということもあって、建物の中は工事用の物で溢れかえっていた。
大きなビニール状のもので全体がカバーされているため、中は蒸し暑く、雨によって空気も淀んでいる。

二人は音を立てないように、足に転がっている木片などをかわしながら、中を一周した。

「じゃぁ、行ってくるから、見張りは宜しく。」

目標が入ってくる予定の入り口から数メートル離れた場所で、高橋と別れた。


吉澤は予定の場所まで行き、ボストンバッグを下ろした。
目標との約束の場所は、建物のほぼ中心部だった。
だが入り組んだ道を、目標は迷わずたどり着けることが出来るのだろうか。
建設途中なので障害物も多い。そもそも、懐中電灯なしでは視界が全く通じない。
その辺も全て、伝わっているのだろうか。
236 名前:真実と嘘 投稿日:2003年01月21日(火)21時21分39秒
吉澤は目を慣らすためにかなり前から懐中電灯を切っていた。
それでも、今夜は雨で星も月も出ていないため、時間が経ってもあまり見えなかった。
目標が懐中電灯をつけたままここにやってくることを願った。
そうでもしなければ、この暗闇の中で、的確に仕事をこなせる自信がなかった。

吉澤は時計を見た。予定時刻から五分が経過していた。
目標が予定時間通りに現れるとも限らないが、焦りを感じ、レーダーをつける。
ここから高橋のいる入り口付近までは10m以上離れてるようだ。
淡く光った画面には、吉澤の点しか映っていなかった。

暗闇の中、耳を澄ました。人間は、ほとんどの情報を目から仕入れてるという。
視界が奪われたとき、次に頼りにするのはなにか。
吉澤は自分の息をも殺して、神経を耳に集中させた。

だがいくら経っても何の足音も聞こえてこない。
聞こえてくるのは激しく地面を打つ、雨音だけだった。

吉澤は次第に不安になった。
入り口付近で待機している高橋に電話しようと思ったが、もう少しだけ待とうと思いとどまる。
携帯は常時、バイブにして体に密着させている。いつ、何が起きるか分からないからだ。
237 名前:真実と嘘 投稿日:2003年01月21日(火)21時33分19秒
しかし、いくら待っても目標は現れない。
暗闇の中、建設中の建物の中に、一人佇んでいる。
途端に、自分が世界から一人だけ取り残されたような気がして、ポケットに手を入れた。

冷たい物があたった。
外部と唯一連絡が取れる物に安堵し、自分を落ち着かせるよう、わざとゆっくりとそれを引き抜く。
一息ついてから、携帯のボタンに手をかける。

その時、持っていたそれが突然震えた。
吉澤は驚いて、思わず落としそうになった。
だが淡く光るディスプレイに映し出された文字を見て、もっと驚いた。
表示されている名前は、高橋のものではなかった。

吉澤は緊張しながら発信ボタンを押す。

「吉澤!逃げて!!」

耳に当てた途端、石川の甲高い声が聞こえてきた。
だがそれはいつものものとは違い、どこか切羽詰ったような感じがする。

「え…。」

一瞬、何の事か分からず、思わず声を出した。
だが幸い、吉澤の声は雨の音にかき消されて、響かなかった。

「はめられたのよ!これは罠よ!早く逃げて!!!」

石川の言葉が一つ一つ頭に響いていき、それらが凄いスピードで整理されていく。
238 名前:真実と嘘 投稿日:2003年01月21日(火)21時34分06秒
「え?石川さんどういうことですか?はめられたって…石川さんは今どこに…。」

「取り合えず早く逃げて!狙われてるのよ、あなたの命が!!だから早く…きゃっ!!」

どたどたと凄い音がして、電話は切れた。

「石川さん!石川さん!!…くそっ。」

吉澤は毒づきながら着信履歴を開き、石川にかけなおした。

だがいくら待っても通じない。舌打ちしながら、今度は高橋にかけた。
だがこちらも、いくらかけても繋がらない。

吉澤は急に不安になった。何が起きているのかが分からない。
自分の命が狙われてると言って強制的に切られたと思われる石川の電話。
連絡の繋がらない高橋。来ない目標…。
何かが狂い始めてる――そう思いながら、取り合えずこの建物から出る事にした。


いきなり、目の前が明るくなった。
吉澤が一歩足を踏み出した途端、建物に明かりがついたのだ。
夜間にも作業を進められるためだろう。
工事用に、仮設の電灯が部屋の端々に備え付けられていた。

吉澤は突然のことに暫く目を瞑った。頭が混乱していた。
239 名前:真実と嘘 投稿日:2003年01月21日(火)21時34分52秒
じゃりっという音が聞こえ、目を開けた。
突然の明かりに目が慣れるまで、少し時間がかかった。
だが目標が来ると思われる入り口から、何者かが歩いてきているのは分かった。
吉澤は確認すべく、もう一度目をこすった。


だが再び目を開いた吉澤は、自分の目がまだおかしいんじゃないかと、疑った。
部屋の真ん中には、依頼書に載っていた親父ではなく、見慣れた少女が立っていた。

少女は吉澤を見て微笑し、

「だから言ったでしょ、人生はゲームだって。」

右手に持っていた銃を掲げた。それは真っ直ぐと、吉澤に向けられていた。

「…あさ美…?何で…?」

開いた口がふさがらないまま、その場に突っ立った。
体が動かなかった。
脳の一部が停止したように、前に立つ人物を認識できなかった。
240 名前:真実と嘘 投稿日:2003年01月21日(火)21時35分37秒
紺野は更に口元を緩めながら、

「よっすぃ〜は人生に負けたんだよ。あれだけ忠告しといたのになー。
 でもどちらにせよ、私達が勝つことは決まってたけど。
 …そうですよね、先輩?」

そう言って、銃はこちらに向けたまま、目線を右に向けた。

吉澤は混乱する頭の中、無意識に紺野の視線を辿った。


そこには、紺野と同じように口元に笑みをたたえる人物が、吉澤を見て立っていた。
241 名前:りゅ〜ば 投稿日:2003年01月21日(火)21時36分32秒
本日の更新。
>>219-240
242 名前:りゅ〜ば 投稿日:2003年01月21日(火)21時38分25秒
レスありがとうございます!レスがあるのとないのでは、書く気が変わってくるんですよね…。

>>215 石川さんはへたれだったのかー!知らなかった。よし、今度はへたれな石川さんを書(ry
   でも悲しくなってくれてありがとうざいます(ノд`)・゚・。

>>216 194さん
 また、更新停滞気味になりそうですけど、マターリ待って下さる194さんに感謝(ノд`)・゚・。
 「あんブラン」?!あんブランですか!!も、元ネタ教えてくだ(ry
 紺野の先輩気になりますか?実は今回の更新で分かっちゃいましたねー(ぇ
 元いしよしヲタとしてはどうしても二人の絡みを書いて、
 現なちよしヲタとしてはどうしても二人の仲を引き裂かねばなりませんでした(ノд`)・゚・。
 運命って、悲しいね。ΣというかPCの前に正座だなんて!!嬉しすぎて私も正座してみました。
243 名前:りゅ〜ば 投稿日:2003年01月21日(火)21時39分21秒
>>217 ヒトシズクさん
 ずっと読んで下さっていてありがとうございます!私も2番目読んでました。o(*^▽^*)o
 石川さんを見て泣きそうになって頂いてありがとうございます(ノд`)・゚・。
 人を泣かせるのが趣味なんです!(嘘
 強がってる石川さんは、チャーミーらしいですよね。彼女ももう18になったし・・・(ぇ

>>218 morizoさん
 お久しぶりです!もちろん覚えてましたよ〜。首を長くして更新お待ちしておりました!
 何だかあの頃は飼育来て浅かったので人様のスレで宣伝などして申し訳なかったですm(−−)m
 途中ですか。初めからは長いですよね。なのに読もうとして下さって嬉しい(ノд`)・゚・。
 でも肌に合わないと感じられたらすぐに退散するのが吉と思われ!
 結構くどい文章なので…勉強してるんですが(嘘
 引き込まれるような文章って言って下さってありがとうです。最高の褒め言葉です。

何だか疲れたので次回更新はいつになるか分からないです…。
でもなるべく早くに頑張ります!
244 名前:名無し読者 投稿日:2003年01月21日(火)22時21分28秒
きゃっこいーー!!
最後の方はシビれました!!
245 名前:代打名無し 投稿日:2003年01月21日(火)22時38分45秒
石川は阪神福原並みのへタレですよ。
246 名前:216 投稿日:2003年01月21日(火)23時57分57秒
大量更新、お疲れ様でした。
何ィ〜!というようなまさかの展開になって来ましたね。
ヤバイ、心臓がドックンドックンしておりますw 不整脈になりそう・・
先輩・・誰なんだろう?
「黒い太陽」、6期メン加入以上に今一番気になる小説ですw
まったりとゆったりとこっそりと、更新お待ちしております・・

>あんブラン
♪完成〜したよ〜あんブラン〜♪です。
(去年のミュージカルです)
あぁ、今思うとなちよし1部で同じだったんだぁ・・
247 名前:代打名無し 投稿日:2003年01月22日(水)17時00分23秒
どうせ石川のへタレですよ。
なっちがそこにいないことを強く望みたい。
248 名前:名無し読者 投稿日:2003年01月22日(水)20時49分28秒
コンコンなんか玄人のかほりがすると思いきや…
先輩…あの人じゃないことを願ってフェードアウトっす。。。。
249 名前:名無し蒼 投稿日:2003年01月27日(月)00時51分51秒
おひさしぶりです〜!
見てます、ROMっておりますw
誰なんだろうな〜。あの人かな〜?
気になりますね、マータリ待ってますので頑張ってくださいね。
250 名前:りゅ〜ば 投稿日:2003年01月28日(火)21時32分38秒
レスありがとうございます!感激です!

>>244 カコイイ言ってくれてありがとうです(w 痺れてくれましたか!嬉しいです。

>>245,247 代打名無しさん
 石川は阪神福原並みですか!細かくありがとうございます。石川=へたれφ(・ェ・o)~メモメモ
 なっちがそこにいないことを…私も望みたいですね。

>>246 216さん
 まさかの展開になってしまいました(w というか不整脈はいけない!
 そこまで心臓をばくばくさせてしまいましたか…めっちゃ嬉しいですが自粛しなければw
 というか6期加入以上に気になるって最高の褒め言葉です(感涙
 あんブラン…ミュージカル見てない(涙 なちよしが1部で一緒とは!見なくては!
251 名前:りゅ〜ば 投稿日:2003年01月28日(火)21時33分25秒
>>248 紺野は玄人のかほりがしましたか!?そっか、させてしまったか…くっ。
   先輩はあの人でしたか?!嗚呼、フェードアウトはしないでカムバックして!

>>249 名無し蒼さん
 お久しぶりです!ROMって下さっててありがとうございます(ノд`)・゚・。
 あの人でしたか?!裏の裏をかいてあの人でしたか?!
 はてさて、あの人はあの人でしたか?!( ̄∀ ̄*)イヒッ

何だか忙しいので少しだけ更新です。そしてまた暫く停滞したらスマソ。
252 名前:真実と嘘 投稿日:2003年01月28日(火)21時37分23秒
雨の音が聞こえた。
今日は朝の天気予報でも、大雨が降ると予想されていた。
こんな日に、工事現場で仕事なんてついてないと思った。

体にあたったら痛そうな大粒の雨だった。
それを見て、安倍が心配していた。「こんな日に仕事なんて、大丈夫?」
吉澤は雨なんかで心配する彼女に、笑顔で答えた。「大丈夫だよ。明日の朝には、帰ってくるから。」



そんないつもの日常会話を、頭の中で繰り返していた。
同じシーンばかりが繰り返し、まるで制御がきかなくなったビデオデッキみたいだった。
最後に見た彼女の顔は、不安そうで、あんな風に笑ってはいなかった。

「な…っち……?」

吉澤は掠れた声を出した。もはや左前に立つ彼女以外、見えていなかった。

10秒も経たないうちに、吉澤は走った。
こちらを見て微笑んでいる安倍に向かって、全力に。
言いたかった。
ここは危ない、あなたが来る場所じゃない。逃げて――と。
253 名前:真実と嘘 投稿日:2003年01月28日(火)21時39分08秒
「動かないで。」

だが安倍の元に辿り着く前に、声が響いた。
聞きなれてる声だった。なのに妙にそれが、耳に突き刺さった。

吉澤は声がしたほうに振り返った。
紺野が銃をこちらに向けて、冷めた顔をしていた。

「よっすぃ〜、普通は、鉄砲が向けられたら動いちゃだめなんだよ。
 何かの映画のワンシーンだと、ちょっと動いただけですぐに撃たれちゃうんだから。
 まぁあれは全部フェイクだけどね。今はお遊戯をしてるんじゃないんだよ。
 私のこれは、本物なんだから。」

紺野の言ってる意味が、よく分からなかった。
言葉の一つ一つを断片的に取って、それを繋げ合わせる。

お遊戯?そっか、これは全部どっきりなんだ。
なっちとあさ美はなぜか知り合い同士で、二人で私を騙そうとしてるんだ。
石川さんも高橋もそれに付き合って…そっか、そうなんだ――。


吉澤はからからになる喉にもう一度唾を湿らせ、紺野と同じように微笑んだ。
254 名前:真実と嘘 投稿日:2003年01月28日(火)21時41分16秒
その様子に紺野は表情を一変させ、

「何笑ってんの?!手だよ、鉄砲を向けられたら手を挙げるの!!」

叫んだが、その言葉は吉澤の耳に届かないようで、

「…はは。はははは。あさ美、何言ってんの?
 なっちもさ、何でこんなとこにいんの?ダメじゃん。
 二人して私を騙そうなんてさ。今時こんなの流行らないよ?
 …石川さんと、高橋も、どうせそこの影から私を見て笑ってるんでしょ。
 たく、悪趣味だなぁ。みんなでこんな事して。
 いくら私が普段笑わないからって、こんな事しなくったって。」

そうして、一歩一歩、安倍に近づいた。

「ほらなっち、帰ろう。こんな時間に外に出てると、明日疲れちゃうよ?
 雨もひどいみたいだし。こんな日は家でおとなしく寝てなきゃ。
 大体こんなのに時間を費やして、無駄だよ。だから、ほら、かえ…。」

だが後少しで安倍に追いつくというとこで、吉澤は口に称えていた笑みも、足も止めた。
額にはひんやりとした金属製の物が押し当てれていて、そのせいで安倍の顔が見にくかった。
255 名前:真実と嘘 投稿日:2003年01月28日(火)21時45分08秒
「なっち…?」

声を出すのもやっとだった。体も全然動かなかった。
ただ、右手に黒い物を持って、それを真っ直ぐとこちらに向けている安倍の体だけが見えた。

後ろから紺野の声がした。

「よっすぃ〜まだ分かんないの?だから数学弱いんだよ。って、関係ないかな。
 でも全てはロジックに出来てるんだから。
 今自分がいる状況を、もう一度正確に見直してみて?」

吉澤は答えられなかった。見直してしまったら、それが事実になりそうで恐かった。


「なっち…帰ろ?」

吉澤は、やっと声を出した。

すると、口元に笑みをを含ませながらずっとその顔を崩さなかった安倍が、悲しそうに瞳を細めた。

「よっすぃーごめんね。なっち達ね、今よっすぃーをここで、殺さないとダメなの。」

「え…?」

吉澤は目を丸くして、安倍の口元を見つめた。
ついさっき、それが動いていた。いつもの声だった。
何度も愛しいと思った、あの声だった。
256 名前:真実と嘘 投稿日:2003年01月28日(火)21時48分33秒
「なに…言ってんの、なっち?もう、どっきりはいいから…。早く帰らないと…。」

「どっきりじゃないよ。でも、よっすぃーの気持ちも分からなくないべさ。
 突然こんな事言われたら、誰だってびっくりするよね。でもごめん。信じて。
 なっちと紺野はね、よっすぃーを殺すために、ここにきたんだべ。」

やはり、安倍の言葉がよく分からなかった。無意識に、小さく首を振った。

「なん…で、なんで…?」

「それは私から説明するよ。意味分からないまま死ぬのは、よっすぃ〜も嫌だろうし。」

安倍の銃口を額に感じながら、紺野の方に顔を向けた。相変わらず、銃がこちらに向いている。

「簡単に言うとね。よっすぃ〜は組織に裏切られたの。捨てられた、っていうのかな。
 まぁ詳しく言うと、よっすぃ〜は組織にとって必要ない存在になったってことなんだけど。
 ついこの前までは、組織にとってよっすぃ〜は必要不可欠な存在だった。
 でも数日前、ある事件によりそれは一変した。
 今度は、組織にとってよっすぃ〜は邪魔な存在になったの。
 よっすぃ〜に生きられてたら、困るみたいなんだよね。
 だから、上から消すように命令がおりたの。」
257 名前:真実と嘘 投稿日:2003年01月28日(火)21時50分41秒
吉澤は、紺野の言葉一つ一つに耳を傾けた。
今度はちゃんと言ってることが理解できた。だが感情がついていかない。
全て、聞きたくない言葉ばかりだった。

「もちろん、その命令は石川にもおりたんだべさ。でも彼女はそれに反抗した。
 こちらもそれを予想していたから、石川には最後の最後まで教えなかったけど。」

「何で…?なっちとあさ美は…なん…で…?」

小さく首を振りながら、顔を安倍に戻した。

「なっち達は、よっすぃーの監視役だったの。もちろん、石川も。」

「…何で?何で私に監視なんか…。」

「それは、よっすぃーの過去が関係してる。
 よっすぃーの失った記憶と組織は、大きく繋がっているんだべ。」

「私の過去が…どういう風に?」

「安倍さん!そろそろ時間が押してます。長居は無用です。
 さっさとケリをつけて退けって、言われたじゃないですか。」

「…そうだね。よっすぃーごめんね。なっちはこれ以上、喋れない。
 もっといろいろ知りたいだろうけど…でもどうせ、その必要ももうないだろうし…。」
258 名前:真実と嘘 投稿日:2003年01月28日(火)21時52分36秒
安倍は銃の安全装置を外した。
かちゃりと虚しい音がしたが、雨音にかき消された。

吉澤はそれをスローモーションのようにして見ていた。
銃ごしに、安倍の歪んだ顔が見える。
その顔が、初めて会った時のものと重なる。

初めて安倍と会った日。
壁の隙間につれていって、その顔に銃を押し当てた気がする。
あれからおよそ二ヶ月が経った。
数ヵ月後、まさか立場が逆転するなど、あの時は思いもしなかった。


吉澤は目を瞑った。
死ぬ前は、今まで会った人全員の顔を思い出すと聞いていたが、一人の顔しか浮かんでこなかった。


なっち、私は、あなたが好きだった――。


そして、雨音が響く空間に、銃声がこだました。

259 名前:名無し読者 投稿日:2003年01月29日(水)00時32分50秒
おいおいおいおい!!
どうなっちまうんですかい!!
とてつもなく続き期待。
260 名前:ヒトシズク 投稿日:2003年01月29日(水)20時46分02秒
うぉぉぉ!どうなるんすか!!!!
かなーり気になる展開で、あほな私の頭は理解あまりしてません(笑。
次の更新、めちゃ楽しみにしてます!!!
261 名前:246 投稿日:2003年01月30日(木)14時27分18秒
更新、お疲れ様でした。
ぐはぁ〜、恐れていた展開になってしまった・・(焦)
もはや先読みの出来ないシナリオになって来ましたねぇ。
やはり吉の過去に何か鍵がありそうな・・
あれから所在の分からないオランにこの状況を打破して欲しいですw
次回更新、不整脈を押しながらお待ちしております。ドックドック♪
262 名前:名無し蒼 投稿日:2003年02月06日(木)03時26分13秒
うぉお!?裏の裏の裏を…?wかかれた(←なんやねん
やはりそうでしたか〜…だけど何かまた色々出てきたようで続きが楽しみですw
結構自分はROM気味なんでレスってなくても見てるときがありますw
マータリ続きお待ちしてますね♪
263 名前:ハル 投稿日:2003年02月07日(金)10時06分10秒
すげー面白いっす!
頑張ってください!!
264 名前:りゅ〜ば 投稿日:2003年02月07日(金)20時37分14秒
レスありがとうございます!嬉しいです・゚(つД`)゚・.

>>259 どうなっちまうのか私も気になります。何だかどんどん違った方向に(汗
   こんなんですが暖かく見守っていただけたらなと思ってます。

>>260 ヒトシズクさん
 ぅおっ!どうなるんでしょうねぇ。かなり気になる展開ですよね。
 私も気になります(ぉぃ 私もあほなんでどうなっていくのか分かりません(w

>>261 246さん
 恐れていた展開・・・ぅ、ぅ、申し訳ない。なっちに変わってお詫びしまつ(w
 吉の過去がキーですね。いえ、キーはいろんな所に転がっているんですが( ̄ー ̄)ニヤリ
 先読みの出来ないシナリオといってオランの所在を気にする246さんに乾杯w
 というか不整脈はやっぱりいけませぬっ!でも嬉しい!
265 名前:りゅ〜ば 投稿日:2003年02月07日(金)20時37分54秒
>>262 名無し蒼さん
 裏の裏の裏でしたか!!つまり裏って事ですね(謎
 やはりあの書き方ではばればれでしたね(照
 いつもROMって下さっててありがとうございます!
 レスは本当、気が向いた時で結構です。読んで下さってるだけで嬉しいっす。

>>263 ハルさん 面白い言ってくれてありがとうございます!頑張りますです!

今回の更新は会話兼説明文ばかりになってしまいました。
読みにくかったらすいません。
また、意味が分からない部分があったら何なりと言って下さい。
266 名前:真実と嘘 投稿日:2003年02月07日(金)20時41分37秒
不思議と、死に対しての恐怖は感じてなかった。
心のどこかで、安倍にならいいかと思ってた部分もある。

だが聞こえた銃声は吉澤の額に響かなかった。
逆に、「え?」という安倍の声が聞こえ、押し当てられていた銃が離された。

それからまたすぐに、銃声。今度は二発も三発も連続に発せられた。
だがそれは吉澤の耳元には響いていない。
安倍ではなく、紺野が撃ったのだと分かった。

目を開けると安倍が吉澤を盾にするように小さくなりながら、後ろを伺っていた。

「吉澤さん!逃げて下さい!」

遠い後ろの方から、声が聞こえた。吉澤は振り返り、紺野を見た。
いつの間にか、工事用具の後ろに身を潜めて銃を掲げている。
その矛先は吉澤ではなく、紺野が入ってきた入り口に向けられていた。
そちらに視線を移すと、わずかだが、人影が見えた。

「くっ、何で?!注射までうったのに…。」

紺野が毒づきながらそこへ向けて何度も銃を撃ち放つ。
その間、入り口に隠れてる人陰は何の動きも見せなかった。
267 名前:真実と嘘 投稿日:2003年02月07日(金)20時43分16秒
少しして、建物内にまた静けさが戻った。紺野が弾を換えているのが見える。
その時、人影が顔を出した。顔というより手だった。
それは真っ直ぐと、紺野が隠れてる場所へ、銃を向けていた。

「吉澤さん!早く逃げて下さい。ここはオラに任せるだ。」

高橋だった。仮設ライトに照らされた彼女の顔には血がついている。
どうやら頭部から流れてるようだ。

高橋は立て続けに銃を撃った。
紺野が隠れてる積み上げられた木材に、深い穴があく。
紺野は身を小さくするようにして、その場に伏せる。
だがこちらから高橋の姿は丸見えだ。

ふと気付いて、安倍に顔を戻す。
思った通り、吉澤を盾にして、その肩越しに銃を掲げていた。
高橋に狙いを定めてるようだった。

そうしているうちに、弾を詰め終えた紺野が、再び撃った。

「吉澤さん!早く行くだ!オラの事は心配しなくてええから。」

高橋はまた壁の影に隠れ、言い放った。

その言葉に、吉澤は小さく頷く。

(ありがと、高橋。)
268 名前:真実と嘘 投稿日:2003年02月07日(金)20時45分01秒
そして紺野の方を見て、こちらに注意を置いていない事を確認し、次に安倍が現れた入り口を見た。
どうやら人の気配はなさそうだ。

吉澤は一息、息を吸って、高橋に気を取られてる安倍の手を掴んだ。
ただ普通に掴んだわけではない。手の甲にある、つぼを押さえていた。

苦痛に顔を歪める安倍を横目に、そのまま銃を奪った。合気道の技だ。

吉澤はからになった安倍の手を握り、走った。
安倍が入ってきた、高橋がいる場所とは反対側の入り口に、全力で。

「ちょっと、離して!!!」

安倍が、手を振り解こうと抵抗する。

「あ、待って!」

気付いた紺野がこちらを向く。
だがこの状態では、安倍にも弾が当たる危険性があるため、撃ってこないだろう。

「よっすぃー離して!!離してよ!!」

安倍の声は聞こえていたが、反対に、いっそう強く手を握った。
何があっても離すつもりはなかった。
269 名前:真実と嘘 投稿日:2003年02月07日(金)20時46分08秒
吉澤はそのまま安倍を連れて、紺野と高橋の視界から消え去った。
紺野が舌打ちしながら、その後を追おうと、工事用具の陰から姿を現す。

「待つだ。おめーの相手ちゅーのは、オラだ。」

そして高橋も姿を現した。左頭部の方から、血が出ている。

紺野がはじかれたように銃を向ける。だが逆に高橋は、掲げていた銃を下ろして、

「久しぶりだね、あさ美。さっきはちょっと、痛かっただ。」

笑いながら頭を掻いた。

◇◆◇
270 名前:真実と嘘 投稿日:2003年02月07日(金)20時48分05秒
資料に載っていたこの建物の構図を思い浮かべていた。
ここからだと少し遠回りになるが、紺野たちに鉢合わせないで出口までいけそうだ。

吉澤は右手でしっかり安倍の手を掴んで、左手には銃を持ちながら、入り組んだ道を走っていた。
出入り口付近で、組織の連中が潜んでいるかもしれない。
だがここは高橋の言葉に従って、逃げるしかなかった。

「よっすぃー痛いよ!離してよ!」

なぜあの時、安倍の手を掴んだのか分からない。
銃だけ奪って逃げることだって出来たはずだ。
心のどこかで、期待していたのかもしれない。
先ほどの言動は全て演技だったと、安倍が言ってくれるのを。

だがそんな期待を裏切るように、吉澤の右手首に激痛が走った。
思わず足を止め、安倍のほうを振り返る。
途端、今度は腹に痛みが走った。
吉澤は握っていた安倍の手を離し、思わずその場にうずくまる。
片方だけ地面についてる彼女の足を見て、蹴られたのだと分かった。

間をおかずに、また頭に、冷たい物が押し当てられた。

「立って。」

厳しい声がして、それに従った。
271 名前:真実と嘘 投稿日:2003年02月07日(金)20時49分56秒
立ち上がると、安倍が小さく息を切らしながら、相変わらず銃をこちらに向けている。
さっき蹴られた時に、落としてしまったらしい。

吉澤は安倍の目を見ながら、ゆっくりと手をあげた。

「私の事を殺す前に、やっぱり教えてほしいんだけど。」

先ほどとは違って、冷静に言葉が出せた。

「時間稼ぎなら、困るけど。」

「そんなつもりはないよ。ただ、やっぱり分かんなくって。
 私の命が狙われてる理由や、なっちやあさ美、
 そして石川さんが私の監視役だったこととか。
 それに、私はまだ自分の過去を知らない。
 組織とどう関わっていたのか、私は何で記憶喪失になったのか、
 分かんないまま死ぬなんて、何かすっきりしないじゃん?」

そう言って、少し笑ってみせた。我ながらこの場面には不似合いだなと思った。
272 名前:真実と嘘 投稿日:2003年02月07日(金)20時52分06秒
安倍は少し複雑そうな顔をして、手を下げた。
銃口はこちらに向けたままだが、吉澤とは少し距離を置いた。
そして一息ついてから、

「よっすぃーの両親は、組織の中でも有数な研究者だったんだべさ。
 よっすぃーが生まれるずっと前から、組織は人間の記憶について研究していた。
 例えば他人が記憶したもの全てを、自分の中に取り入れられる事が出来れば。
 それは人類にとって新しい大きな進歩となり、歴史に名を残すぐらいの大発明となるんじゃないか。
 そうすると金銭問題も一気に解決するんじゃないか。
 って、昔小さな研究所をやっていた組織はそういう事を考えたんだべさ。
 だけど、歴史をくつがえすような発明がちっぽけな研究所で開発されるなんて、本当は誰も信じてなかった。
 組織自身も、夢のまた夢だと思って、真剣に取り組んでなかった。
 でも、いつしかそれは現実になった。
 それを実現させたのが、よっすぃーの父親なんだべさ。」

「私の父親?」
273 名前:真実と嘘 投稿日:2003年02月07日(金)20時54分47秒
安倍は頷き、

「組織にとっては願ってもない事だった。
 夢が現実になって、他の研究者達もみんな手を叩いて喜んだ。
 すぐに学会に発表しようとしたんだけど、ここで問題が起きたの。
 理論的には証明されていても、ちゃんとした実証がなかったのさ。
 つまり、本物の人間を使っての実験がまだされていなかった。
 だからこの研究は完全に完成していたわけではなかった。
 組織は大慌てで、研究内容を偽って人体実験をし始めた。
 もちろん、世間には内緒で。して、結果は散々だった。
 人体実験に使われた人たちは、みんな記憶を奪った後の副作用に、死んでしまったんだべさ。」

吉澤は息を呑んだ。全て、初耳だった。

「研究者達は悩んだ。何がいけないのか悩んで、また研究した。
 そこで行き着いたのが、人体実験の対象を子供にしてみるという事だった。」

「…もしかしてその子供っていうのは…。」

吉澤が聞くと、安倍は頷いた。
274 名前:真実と嘘 投稿日:2003年02月07日(金)20時57分07秒
吉澤が聞くと、安倍は頷いた。

「皮肉にも、初めて実験に使われた子供は発明者の子供だった。
 それが、よっすぃーだった。
 ちょうどその頃、同じ所に通っていた研究生との間に、よっすぃーは生まれたんだべ。」

「私が、初めての試験者…。」

「でも、よっすぃーの親はよっすぃーが実験に使われている事を知らなかった。
 実は段々と、組織はよっすぃーの親を監視していって、
 研究所に閉じ込めて、自由を奪っていったんだべ。
 よっすぃーの親は、子供の人体実験に対して反対していたのさぁ。」

吉澤はまるで、他人の話を聞かされてるようだった。
両親の顔を思い浮かべようとしても、上手く形にならない。
まるで、つくり話を聞かされてるようだ。


安倍は腕時計を見た。その表情が、暗くかげる。
275 名前:真実と嘘 投稿日:2003年02月07日(金)20時58分49秒
「ここからまたいろいろあったんだけど、省略するね。
 実はこの時、組織はよっすぃーの親に別の研究もさせてたの。
 記憶を奪うという以外に、また別のね。
 して、よっすぃーの親はその研究も完成させてたみたいなんだけど、
 ちょうどその頃、よっすぃーが実験に使われてた事がばれて、
 よっすぃーの親は組織を裏切ることにしたんだべさ。
 それがおよそ二年前。よっすぃーが記憶喪失になる直前の出来事だべ。」

吉澤はこの前思い出しかけた記憶を思い浮かべた。
灰色の壁が見える場所で、何者かに首を絞められ、死にかけた。
あれは組織から逃亡してる最中のものだったのだろうか。

「けど、よっすぃーの両親は逃走中に間違って殺されてしまった…。
 組織は一時、貴重な発明を失くしてしまった事に悔やんでたんだけど、
 よっすぃーの母親の日記から、その研究がよっすぃーの頭の中に残されている事が分かったのさぁ。」

「私の頭の中?」
276 名前:真実と嘘 投稿日:2003年02月07日(金)21時01分45秒
「うん。そんなことが本当に出来るのかもわからないし、
 何のためにやったのかも分からないけど、
 取り合えず組織側としては新たな希望がでたので、すぐによっすぃーを捕まえた。
 でも、何をしてもよっすぃーの頭の中を見る事はできなかった。
 何かのバリアが張られてたみたいだべさ。
 途方にくれた組織は、仕方なくよっすぃー自身が過去の記憶を思い出すまで待つことにした。
 だからといって、普通に外を歩かれたら困るから、ごく自然に今の仕事を与えた。
 そこで監視役にまわったのが石川と、高校内での生活を見張るために紺野があてられたんだべ。」

「石川さんと、あさ美が…。」

吉澤は軽い立ちくらみを覚えた。
どおりで、転校してきて無愛想だった自分に、紺野は何の抵抗もなく話しかけてきたのか。
石川が毎日見舞いに来て、入院費や生活費まで払ってくれたことも、説明がついた。

謎が解けたと同時に、口の中に苦いものが広がった。
初めて石川と会った病室、初めて紺野と会った教室を思い浮かべる。
二人とも、とても優しく笑っていた。あれは全て演技だったのだ。
277 名前:真実と嘘 投稿日:2003年02月07日(金)21時03分40秒
吉澤は嗚咽をこらえて、

「…何で、今頃になって、私を殺す命令が出たの?」

「それは、数日前、よっすぃーの頭の中にある研究を、別の者が完成させたからだよ。
 つまりよっすぃーは組織にとって、用無しになったってこと。
 逆に、生きられてたら困る存在になった。
 もし今頃になってそれを思い出されて、世間にでも公表されたら困るからね。」

「…じゃぁ、ただそれだけのために?それだけのために、私は今まで生きてきたの…?」

振り絞って言った。込み上げてくる怒りを抑えるのが、大変だった。

「組織は、そういうとこだべ。
 自分達の利益しか考えない、人生には勝つ負けしかないって思ってるような、
 そんなとこなんだよ。いらなくなったら即排除。
 よっすぃーも、よく知ってるはずだよ。」

そう言って、安倍は引き金に手をかけた。

「さぁ、お喋りはそろそろ終わり。大丈夫。苦しい思いはさせないよ。
 軽く一発、頭に入れるだけだから。」

心なしか、言葉とは裏腹に、手が震えてるように見えた。
瞳もどこか落ち着かない様子で、動揺しているように見える。
278 名前:真実と嘘 投稿日:2003年02月07日(金)21時05分56秒
吉澤は、改めて自分の生まれてきた意味を考えた。
一体何のために生まれてきて、何のために生きてきたのか。
強いて言えば、組織のために生まれてきて、組織のために生きてきたのだろうか。

この前やっと、その意味を見つけられたと思った。
安倍という、一つの存在に出逢った時。
自分は彼女に会うために、今まで生きてきたんだ――そう、思っていた。


だが、全ては嘘だった。

吉澤は虚ろに目を細め、

「…最期に、もう一つだけ聞きたいんだけど。」

「何?」

「なっちは何で、あんな風にして私の前に現れたの?
 監視は石川さんとあさ美で充分だったはずでしょ。
 それなのに二年も経っていまさら、何であんな風に現れたの?」

その問いに、安倍はすぐには答えなかった。
初めて会った時と同じように、瞬きをせず、じっとこちらを見ている。
その表情は重く、思いつめている感じだった。

「…なっちは、よっすぃーの過去を取り戻す手助けをしただけだべ。
 記憶喪失によってよっすぃーが失った感情を引き戻して、
 徐々に過去の記憶を蘇らせるっていうシナリオに、少し手を添えただけ。
 ただ、それだけだったから。」
279 名前:真実と嘘 投稿日:2003年02月07日(金)21時08分05秒
「じゃぁ、私に死んでほしくない、とか、人殺しはいけない、とか、
 人生はゲームなんかじゃない、とか言ってたのは、全て嘘だったの?
 全部、なっちの気持ちじゃなかったの?嘘だったの?
 今までの事が全て演技で、嘘でもいい。
 でも私は、なっちの本当の気持ちが知りたいっ!」

思わず叫んでいた。溢れかえった感情が、込み上げてくる。

「…そんな事、もうどうでもいいべ。なっちが言える事は説明したさぁ。
 お喋りは本当にこれで終わり。じゃぁね、よっすぃー。…バイバイ。」

安倍は最後まで、その表情を崩さなかった。


吉澤は目を瞑った。瞼が熱くなるのを感じた。

「なっち、私は、あなたと会えて良かったよ。今まで、ありがとう。」

そう言って、口元だけ優しく微笑んだ。
相変わらず、この場に不似合いなセリフだな、と思った。
280 名前:名無し読者 投稿日:2003年02月08日(土)01時27分02秒
同じ涙がぽろり〜♪
泣いてなんかいないさ!
無くのは嫌だ!笑っちゃおう!
281 名前:名無し読者 投稿日:2003年02月10日(月)19時46分23秒
ぎょええええ〜〜〜〜!
こんな所で次回に続くとはっ!作者さん罪な人だ・・・。
でもってよっすぃ〜はどこまでもかっこいいっすね。
惚れますた。
282 名前:shio 投稿日:2003年02月10日(月)22時20分41秒
こちらも読まさせていただきました。
前回の作品とは違う感じですが、とてもわくわくしながら読みました。
なっちがよっすぃーをどうするのかがとても予想が付きません。
これからの展開も楽しみです。
283 名前:261 投稿日:2003年02月13日(木)03時17分38秒
更新、お疲れ様でした。
うぉ〜、こう来ましたか(遠い目)何ともせつない吉の過去・・
あ、あ、安倍さんの本意はどこにあるのでしょうかっ!?
所在の分からないオランも何やら過去にありそうな予感・・
りゅ〜ばさんの張り巡らせた伏線、カチッとハマリますね。
そして所在の分からないもうひとり、石も気になりますw
固唾を飲んで、ドックンドックンしながら次回更新、お待ちしております。
284 名前:りゅ〜ば 投稿日:2003年02月17日(月)19時39分43秒
レスありがとうございます。感謝感謝。

>>280 同じ涙がぽろりしちゃわないで下さい!そう、泣かずに笑って下さい。
   3位にはびっくりしました。でもまじでありがたい限りですm(−−)m

>>281 ぎょえぇ?!あんな所で終わってしまってスマソ(w
   そして大分更新遅れてスマソ。
   でもってよっすぃかっけーって言ってくれてありがとう!
   どんどん惚れて下さい。

>>282 shioさん
 こちらも読んで下さってありがとうございます!
 前回のとは雰囲気が全然違うと思いますが宜しくお願いします。
 なっちはよっすぃをどうするんでしょうね。食べてしまうんでしょうか(ぇ

>>283 261さん
 こんな展開になってしまいました。吉の過去切ないですか?!
 でも実はまだいろいろ(ry フフフ。
 オランの過去はどうなのでしょうね。というか今回の更新で(ry
 張り巡らせた複線がかちっとはまった事を願うばかりです。
 どっかに書き落とし、ありませんように(汗
 石はどうなってるんでしょうかね(w おいおい分かってきます。

関係ないけどHP開設しました。興味のある方どうぞ。
ttp://nurikoian.tripod.co.jp/
285 名前:真実と嘘 投稿日:2003年02月17日(月)19時45分32秒
高橋は目の前で戸惑った表情をする紺野を見ていた。
相変わらず緊迫したシチュエーションでも、口を半開きにしている。
両手でしっかりと銃を握っているが、高橋の笑みに戸惑ってか、動揺していた。

「オラ、あさ美にずっと会いたかったでの。
 でもまさか、こんな形で会うとは思ってなかっただ。
 せっかく会えたのに、いきなり頭殴られるとは思ってなかっただ。」

「何で…。注射もうったはずなのに。」

紺野が呟くと、高橋は少し笑って、

「あさ美、相変わらずやね〜。本番にひっでぇ弱いとこ。
 薬の種類、間違えたんとちゃう?
 オラは頭殴られて少し気を失ってただけでの、注射うたれたなんて思ってなかっただ。」

そう言うと、紺野は悔しそうに顔を歪めた。


286 名前:真実と嘘 投稿日:2003年02月17日(月)19時47分36秒
二年前まで、高橋と紺野は同じ場所で生活していた。
といっても、組織が設けていた施設だったので、他大勢の人間も一緒に住んでいた。

二人がいたのは、養成所のような、一種の寮のような場所だった。
何らかの理由で組織に関わった者、もしくは組織に拾われた者などが集まった訓練所ともいえる。

紺野は高橋の一つ下だった。当時、高橋は中一で、紺野は小六だった。
小学校高学年から中学生にかけては、まとめられて一つの場所で、みんな毎日同じ訓練を受けていた。
この年代は一番体が成長する時期と言われているため、毎日のほとんどは武術および、銃やナイフの扱いの稽古を受けていた。

その中でも組織に実力を認められた者は、実戦に用いられるため、そこを出て行かされる。

当時、監獄にいるような毎日を送っていた子供達にとって、組織に実力を認められそこを出て行くという事は唯一の夢であり、目標でもあった。

高橋が、何百人もいる子供達の中で、年齢も学年も違った紺野の存在を知る事になったのは、そこでの紺野の生活が、前代未聞のものだったからだ。
287 名前:真実と嘘 投稿日:2003年02月17日(月)19時50分26秒
紺野の存在は、そこにいる誰もが知っていた。
養成所に送られてきて一年も経たないうちに、ずっとトップをキープしていた中学三年生の成績を、いとも簡単に追い越したのだ。
生活態度、学問、武術、全てにおいてパーフェクトだった。
既に二年以上そこにいた高橋もすぐに追い抜かれた。

紺野の成績はいつも一位であり、外界に出られるのも時間の問題だといわれていた。
また高橋も、学問以外はそこそこの成績を上げていたので、上から数えて十位以内の成績に入っていた。

だが高橋は、紺野に関してあまりいい噂を聞かなかった。

組織に来る理由は、人それぞれである。
仕方なく来る者や、強制的に連れてこられる者、そして自らの意思で来る者もいる。

高橋の場合、仕方なく来たという感じだった。
高橋の両親は組織で働いていた。だが実際、何をしていたのかは分からない。
両親はいつも、「愛に言っても分からないような仕事」とだけ言っていた。

高橋は福井の小学校に通う、ごくごく普通の少女だった。
だがある日を境に、彼女の生活は一変した。
288 名前:真実と嘘 投稿日:2003年02月17日(月)19時52分34秒
いつも通り学校から帰ってきた高橋は、母親の帰りを待っていた。
いつも七時までには帰ってきて、夕飯の支度をしてくれるはずだ。
だがその日は、七時を過ぎても、八時を過ぎても母親は現れなかった。
それどころか九時過ぎには帰ってくる父親も、姿を見せなかった。

高橋は不安になり、お腹は空き、狭い家の中で一人、泣きそうになった。

そして、夜の十一時ぐらいに、突然家の電話がなった。知らない男の人からだった。
その男は、両親と一緒に働いてる同僚の者だと名乗った。

組織の電話によると、親は交通事故で死んでしまったらしい。
その時の状況など、男がいろいろと説明していたが、幼い高橋にはよく分からなかった。

それから気付けば、組織の中の寮にいた。
親戚が集まって葬儀も行ったみたいだが、あまりよく覚えていない。
ただ時々、優しかった叔母たちが高橋をこれからどうするかについて、険悪そうに話しあっていたのだけ何となく覚えている。

そうして高橋が訓練所に通い始めたのは、小学校五年生の頃だった。
そしてその一年後に、紺野が現れたのだ。
289 名前:真実と嘘 投稿日:2003年02月17日(月)19時53分57秒
寮では新しい子供達の出入りが激しかった。
だから常に見知らぬ顔が教室にいたり、少し仲良くなった子がいなくなるというのは日常茶飯事だった。

そんな高橋が、紺野を知るようになったのは、彼女が有名になる少し前だった。

高橋は毎朝、寮の周りを走る事を日課としていた。
走るのは元々好きで、走ってる時は辛い事や寂しい事も忘れられた。

そんなある朝、いつも通り走っている時、紺野を見たのだ。
紺野はひとけが無い寮の裏道を通って、草木が茂っている奥の小さな原っぱまで一人で歩いていった。
高橋は好奇心を刺激され、その後をつけていった。

茂った草木を掻き分けていくうちに、変な臭いが鼻についた。
そっと見ると、紺野が小さな野原に石などを積み上げ、その前で線香をたき、手を合わせていた。
その時高橋は見てはいけないものを見てしまった気になり、すぐに立ち去った。

だがその二日後、そのまた二日後も紺野は現れた。

ある日、高橋は耐え切れなくなり、思い切って話しかけてみた。

「おめー、ほんなとこで何してるんだ?」

突然の来客に、紺野は顔をこおばらせ、高橋からも分かるぐらい、強い警戒心を放ってきた。
290 名前:真実と嘘 投稿日:2003年02月17日(月)19時56分30秒
高橋は疑われないように手を振り、

「別に怪しいもんでねーでよ。
 実はオラも、毎朝この辺でランニングしてるんだけどの、よく見かけるなって思って。
 つけるつもりはなかったんだけど、気になっちゃって。
 ほんでぇ、何してるんだ?」

愛想良く、ちょっと笑ってみたが、紺野は相変わらず険しい顔でこちらを見ている。

「それ、線香だよね。いつもその前で手を合わせてるけど、誰かに祈ってるん?
 それとも、何かのおまじない?」

高橋が積み上げられた石に近づこうと足を出した。
すると、紺野が眉毛を曲げたまま、その前に立ちふさがった。小さく首を振り、

「…ダメ。近づかないで。」

と言った。

その身構えた姿勢に高橋は恐怖を覚え、思わず何も言わずに立ち去ってしまった。

だがその後に少し後悔した。逃げる必要などなかったのだ。
次会った時は、今度こそ何をしているのか突き止めようと思った。
291 名前:真実と嘘 投稿日:2003年02月17日(月)19時58分31秒
その二日後、紺野はまた現れた。
高橋はもう来ないんじゃないかと少し心配したので半ば安心し、また話しかけてみた。
だが紺野の答えは二日前と変わらないものだった。

その二日後、そのまた二日後も紺野は現れ、話しかけてみたが、結局何をしてるのかは教えてくれなかった。

それからすぐに、紺野は有名になった。一学期の成績が発表されたのだ。
それからいろいろな場所で紺野の噂を耳にするようになった。
高橋は何となく、近くにいてた紺野が遠くに行ってしまったように感じ、そしてまた、他人は知らない紺野の一面を自分は知ってるんだと、嬉しく感じた。

有名になってからも、変わらず紺野は現れた。
高橋はもはや線香の事などどうでもよくなっていた。
次第に、紺野に心を開いていき、自分の事を話すようになった。
訓練中や授業中にむかついたこと、ルームメイトと喧嘩したことなど、他愛ないことだった。
紺野はいつも、一言二言相槌をうつだけだったが、真剣に聞いてくれれ、それだけで高橋は嬉しかった。
292 名前:真実と嘘 投稿日:2003年02月17日(月)19時59分37秒
そうしているうちに、紺野も時々自分の事を話すようになった。
筆記テストで、完璧だと思って見直ししなかった部分が間違ってたり、完璧だと思ってたフォームが間違ってたり、こちらも他愛のない事だった。
お互い、身の上や将来の事などは話さなかった。
噂のこともあり、紺野の生い立ちは気になったが、あえて口にはしなかった。

だがその寮で、そんな平和な友情関係が長く続く事はない。
別れの日は突然やってきた。

組織側が緊急に、有力な人材が必要な為、特別な卒業テストをやると言い出したのだ。
普通は寮を出てから実戦の訓練を受けるのだが、その時はその実戦が試験に採用された。
組織が実力を認める上位十名を山の中に送り込み、与えられた情報を元に目的地へ行って、そこにいる目標に注射をうつというのが、試験内容だった。
いち早く目的の場所に辿り着いて目標を押さえ込んだ者が、合格となる。
十名の中から合格できるのは、一名だけだった。

高橋ははっきり言って、どうでも良かった。
普段から真面目な生活をしていたため、上位十名に入っていたのだが、このまま寮にいるのも嫌だったし、卒業して実戦に出るのも嫌だった。
293 名前:真実と嘘 投稿日:2003年02月17日(月)20時01分30秒
だがそんな高橋とは反対に、紺野はこの試験に乗り気だった。
寮に入ってきた時から人一倍に頑張り、常に成績をトップにしてきたのも、全て卒業のためだったといえる。

紺野がなぜこんなにも早く卒業したいのかについて、少しだけ噂で聞いた事がある。
何でも紺野は高橋のように仕方なくここに来たのではなく、自らの意思で来たようだ。
母親一人子一人の母子家庭で平凡に暮らしていたようだが、ある日、父親だと名乗る男が現れて、その生活は一変した。
初めは紺野も、父親が帰ってきたと思い喜んでいたのだが、その男は次第に母親に暴力を振るい、いつしか幼い紺野にも手を出すようになったらしい。

誰も本人の口から聞いたわけじゃないので確信はないが、どうやら紺野の母親はその男に殺され、紺野はその復讐のために組織にやってきたのだという。
ここでいろいろな技術を身につけ、その男を殺しに行く為にいち早く卒業したいそうだ。

根もない所に噂はたたないので、ある程度は本当の事だろうと子供達の間では言われ、そのため紺野に近づく者は少なかった。
294 名前:真実と嘘 投稿日:2003年02月17日(月)20時02分54秒
そして運命の日、試験の日がやってきた。
試験前日、紺野は今までに見せた事ないような顔をしていた。
いつもよりよく喋り、凄くはりきっていた。
高橋はそんな紺野を見て、少し寂しくなった。

組織の指定で、十名は別々の場所から、同時刻に出発した。

高橋は与えられたヒントを元に、慎重に山道を歩いていた。
だが頭をかすめるのは紺野の事ばかりだった。
自分が優勝する気など、さらさらないし、その可能性も少ない。
だが紺野が優勝する可能性はじゅうぶんにある。

一番初めのチェックポイントとなる小屋につき、中で新たなヒントを得て、次へと進んだ。
そうしているうちに、何人かの生徒とも会った。
だが紺野を見つける事は出来なかった。

何となく、紺野に会いたかった。
優勝を狙ってる彼女は、だいぶ先に進んでるだろう。
様々な罠や障害を潜り抜け、高橋は足を速めた。

最終チェックポイントも過ぎ、ゴール手前になって、やっと紺野を見つけた。
紺野は、目標の人物が潜んでる砦の入り口の前で、必死にバッグの中をあさっていた。
295 名前:真実と嘘 投稿日:2003年02月17日(月)20時05分21秒
高橋が近づくと、足音に気付いてこちらを振り返った。

「あ、愛ちゃん。」

高橋の顔を見て安心するかと思ったら、紺野は逆に顔を歪めた。

「あさ美、どうしたん?ここが最終目的地でしょ。何で中に入らんの。」

高橋が聞いても、紺野は答えなかった。
悔しそうに顔を落とし、放り出されたバッグの中身を見ている。

その様子に高橋は察して、

「もしかして、何か失くしたん?」

同じように腰を沈ませた。

いつまでも黙って口をつぐんでる紺野に、

「何失くしたん?オラも探すでよ。」

優しく問いかけてみたが、反応しなかった。

仕方なく、高橋は自分で紺野のバッグの中を見た。
この試験には、自分で必要だと思った物を持ってくるように言われている。
自己管理が出来るかどうかも、大事なことだった。
基本的に何でも持ってきていいのだが、組織から事前に言われた必要不可欠な物も、もちろん持ってこなくてはいけない。

そして暫くバッグの中を探っていた高橋は、ある物が無い事に気付いた。

「…あさ美、もしかして注射、どっかに落としたん?」
296 名前:真実と嘘 投稿日:2003年02月17日(月)20時06分57秒
振り向くと、紺野が悔しそうに首を振った。

「ううん。多分、持ってくるのを忘れたんだと思う。信じらんない。
 こんな大事な日に、あんな大事な物忘れるなんて。
 …このままじゃ、目標を眠らせる事が出来ない。試験に、合格出来ない。」

そう言って、地面を叩いた。
いつもいろんな事を完璧にこなしていた紺野が取り乱すのを見るのは、初めてだった。

「…愛ちゃん。行っていいよ。早くしないと、追い抜かれちゃうよ。
 一分一秒が、大事な時なんだから。」

だが高橋はその場を動かなかった。木の根に生えるキノコをじっと見ていた。

暫くして、再び紺野が口を開こうとした時、高橋は突然自分のバッグの中に手を突っ込んだ。
何かを探すように手を動かし、そして目的の物を見つけたように、顔を明るめた。

「これ。オラの使ってええよ。」

高橋が差し出したのは、注射だった。
297 名前:真実と嘘 投稿日:2003年02月17日(月)20時10分29秒
「え…。何言ってんの。これ、愛ちゃんのじゃん。」

「うん。だからの、これ、あさ美にあげるよ。オラいらねーから。あさ美が使えばいいでよ。」

「何言ってんの!そんなの、受け取れないよ。
 注射を忘れたのは、私のミスなんだから。ミスも実力のうちって言うし…。
 そんなの、ダメだよ。」

「オラ、別に優勝したいと思ってねーだ。
 だからといってこのまんま寮にいるのも嫌だけどの、はよ卒業したいとも思ってねーだ。
 組織は今、やる気がある人材を探してるんだよ。
 それに、あさ美はここを卒業できるほどの実力があるちゅうでの。
 今日たまたま注射を忘れたってだけで、今までのことが全てぱぁなんて、ほんなのおかしいよ。」

高橋は微笑んで、

「だから、あさ美にはこれを受け取る権利があるんでよ。
 まぁ、受け取ってくれねーか。」

注射を押し付けた。紺野は半ば呆然としながら、それを受け取った。

「ほら、はよ行かねーと、先追い越されるでよ。」

紺野は手元に目を移し、それからまた高橋を見た。
合わせるように、高橋が頷いた。
そして紺野も頷き、その場を去った。
298 名前:真実と嘘 投稿日:2003年02月17日(月)20時15分39秒
紺野は、砦に入る前にこちらを振り向き、手を振った。
それを見て、高橋も振った。
紺野の口が「ありがとう」と動いていた。



「線香…。」

頭から流れる血を触って、高橋は言った。

「あの線香の意味、やっと分かったんよ。」

銃を向ける紺野に、微笑みかけた。
同時に、こうやって近くで彼女の顔を見るのは久しぶりだな、と思い返した。

二年前、あの砦の前で別れた時から、紺野とは面と向かって会っていない。
あの時より背が伸び、鼻筋も通って、大人っぽくなった気がする。
そういえばもう、中二になったんだなと思った。

「何の話?」

「線香。あさ美、二日に一度は、たいとったでしょ。
 結局あれの意味が分からないまま、別れちゃったから、ずっと考えてたんよ。
 ほんでぇ最近、やっと分かったんよ。
 そういえばあさ美は線香たく前にいっつも何かを埋めてたなって。」

紺野は黙っていた。だが目を左右に動かし、動揺しているのが分かる。
299 名前:真実と嘘 投稿日:2003年02月17日(月)20時17分04秒
高橋は一歩近づき、

「あれは、銃を撃つ練習用に使われた、動物達の死骸を埋めとったんでしょ。
 二日に一回は、あの授業あったもんね。
 鳥とか、小さいネズミとかいろいろ、練習のために撃つ授業。
 あの時は深く考えんかったけど、今思えば残酷な事してただ。
 あさ美はその動物達を、供養しとったんでしょ。」

一歩一歩ゆっくりと進んだ。紺野の銃を握ってる手が震えている。

「オラ分かるんよ。あさ美がそんな人殺しできるような子じゃないって。
 これがあさ美の望んでた仕事なん?今ここでオラを殺す事が、望んでた事なん?」

高橋の歩調に合わせて、紺野は足を後ろに進めた。首を横に振りながら、

「来ないで…。」

振り絞ったように言う。

「あさ美の過去に何があって、誰を殺したいんか知らねーけど、
 オラはこんなの間違ってると思うだ。
 もともと組織のやり方には納得してなかっただ。
 あさ美も、何が正しいか、もう気付いてるはずだ。」
300 名前:真実と嘘 投稿日:2003年02月17日(月)20時19分43秒
高橋が、紺野の手を取った。紺野が弾かれたように、銃を落とす。
高橋はそのまま近づき、

「ずっと、独りだったんよね。独りで考えて、悩んで、ここまで来たんよね。
 でももう大丈夫でよ。オラがついてるだ。オラがあさ美の傍に、ずっといるだ。」

そっと抱きしめた。耳元で、紺野が泣き声を殺しているのが分かった。

そして、建物の中にどさっという音が響いた。
高橋の前で、仰向けになって、紺野が倒れていた。
高橋は右手に持った注射をしまいながら、

「ごめんねあさ美。すぐ迎えにくるでよ。
 でも今はオラ、吉澤さん助けにいかねえといけねーんだ。」

そっと抱きかかえ、壁の隅に運んでいった。

ちょうどその時、雨音に紛れて、少し遠くの方から銃声が聞こえた。
301 名前:283 投稿日:2003年02月17日(月)23時23分45秒
更新、お疲れ様でした。
今回の高紺、泣けました・・
オラン、イイヤツ!ただの訛ってる怪しい人じゃなかったのか・・
完璧にこだわりつつ、肝心なところでボケる川;・-・)がイイですねw
う〜ん、展開が全く読めません。なちよしの方もどうなるんだろう!?
安倍さんを信じたい・・
次回更新、まったりとお待ちしております。
302 名前:りゅ〜ば 投稿日:2003年02月18日(火)14時28分52秒
>>301 283さん
 レスありがとうございます。
 高紺泣けました?!まじですか。泣けたと聞くのが一番嬉しいです、
 オランはいいやつだったようですね(w
 相変わらずの訛り具合ですが。紺野のキャラもあんな感じかなと、
 一応完璧にはこだわってみました(w
 展開読めないですか?実はそろそろ、自分もわけわかんなくなってきたり。
 なちよしもどうなるんでしょうね、全く(・m・ )クスッ

警報が出たので新スレ立てました↓
http://m-seek.net/cgi-bin/read.cgi/yellow/1045545962/

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