Let's meet in a dream.

1 名前:名無しさん 投稿日:2002年12月28日(土)17時09分23秒
アンリアルで主役は柴田です。
更新は遅いと思いますが、よろしくお願いします。
2 名前:01 ぼろアパートのウクレリスト 投稿日:2002年12月28日(土)17時10分34秒

世の中無気力に生きていても案外何とかなるもんだ。

本当は専門学校に行きたかった。進学するだけの頭もあった。
しかし裕福ではないと言う理由で両親は進学させてくれない。

「就職して金を送れ。今まで育ててやった恩を返せ」

そんな言葉ばかりを聞かされて、担任の先生も味方にはなってくれなかった。
就職難と言われている世の中でも運良く卒業してすぐに就職は出来た。
ただ、上司との折り合いが悪くて3ヶ月で辞めてしまったのだけれど。
退職してからも、自分が何をしたいのかが見つからないまま定職についていない。
今は短期のアルバイトで必要最低限の収入を得て何とか食いつないでいると言う状況だ。

「何がしたいのかなんてほんとはわかってるけどね」

時々一人呟いてみる。忘れないために。
3 名前:01 ぼろアパートのウクレリスト 投稿日:2002年12月28日(土)17時11分44秒
この部屋は狭いけど日当たりも良いし他人の干渉もない。
誰もが隣人に無関心な殺伐としたぼろアパート。
隣の部屋に人の気配がなくなったのを確認してウクレレを引っ張り出す。
退職して暇つぶしのためにギターを買おうと思ったけど金が足りなかった。
それだけの理由で購入したウクレレは今では柴田の一番のパートナーだ。
緩めていた弦を締め、音を合わせる。
安っぽいウクレレの音が部屋に響くのが耳に心地良い。
弾ける曲はまだ三曲だけ。
夢の中で出会った少女が歌っていた曲。
タイトルはおろか、歌詞もサビの部分しか覚えていない。
きっと彼女が歌ってくれれば思い出していっしょに歌えると思う。

「……ちゃんとあったことなんか一度もないのにね」
4 名前:01 ぼろアパートのウクレリスト 投稿日:2002年12月28日(土)17時12分25秒
会おうと思えば会えたかもしれない。
でも、会うのが怖かった。彼女にとって特別でありたかったから。
現実の彼女は自分ではない他の人を選ぶと思うから。

いつもなら苦情防止のために締め切っている窓を開け、桟に座って地上を見下ろす。

「紺野ちゃん、聞こえる?」

まだまだ下手くそだけど、こんなに弾けるようになった。
もし紺野がここにいたら、この音にあわせて歌ってくれるだろうか。

柴田は伏目がちに俯き、ゆっくりと弦を弾いた。
5 名前:青のひつじ 投稿日:2002年12月28日(土)18時20分18秒
お、なんかいきなり意味深・・・
おもしろそうです。柴っちゃんってところも
いいですねぇ。楽しみです。
6 名前:ぶらぅ 投稿日:2002年12月29日(日)05時50分52秒
最初から気になりますね…
誰かなと思ってたら相手はあの人…!!
続きが楽しみです
7 名前:02 夢の出会い 投稿日:2002年12月30日(月)17時20分47秒

  ――その出会いは本当に夢だった。
  ――比喩とかそんなんじゃなくて、本当に夢の中だった。
8 名前:01 ぼろアパートのウクレリスト 投稿日:2002年12月30日(月)17時22分46秒
ここはどこだろう。
一面に広がる草原。牧場みたいだけど牛や馬はいない。

「ん……?」

誰かが歌ってる。
小さくて細いけれど、透明感のある可愛い声。
その声に惹かれてどんどん歩いていくと、切り株の上に座った少女が
楽しそうに歌っていた。
少し長めの黒い髪に大きな潤んだ瞳。細い腕。白い肌。
全てが、声のイメージそのままだった。
一曲歌い終えて一つ長く息を吐く。
視線に気付き、少し驚いた顔をした後でにっこりと笑う。

「こんにちわ」

「あ……こんにちわ……」

ぎこちない笑顔だと自分でも思った。
それを察した少女は「隣に座りませんか?」とにこやかに着席を勧める。
逆らう理由もなく言われた通り隣に座ると少女は満足げにニコニコ笑い
その大きな瞳で柴田を凝視したあとに一言。

「……ハスキー犬に似てますね」

「はぁ!?」

何の脈絡もない突然の言葉に思わず声を上げてしまった。

「私犬大好きなんですよ〜」
9 名前:02 夢の出会い 投稿日:2002年12月30日(月)17時24分16秒
不思議な子だ。
会話の内容もそうだけど、この子は発言の度にぽや〜っとした空気を作り出す。
話し好きなのか、無言の間が嫌なのか、少女は次から次へといろんな話をしてくる。


名前は紺野あさ美。15歳の中学生。
好きな食べ物は芋とかかぼちゃとか麺類とか他いっぱい。
元陸上部で中距離選手としていろんな大会に出ていた。

「……辞めちゃったの?」

「はい。色々あって……でも一人で走ったりはしてますけど」

そう言って笑う姿はほんの少し辛そうに見える。
本当は辞めたくなかったんじゃないだろうか。
この子も自分のように本当にやりたい事を取り上げられた人なのだろうか。
理由を聞いてもいいかと聞くと、紺野は少し考えたあと頷いて話しはじめた。

「続けてたら私はきっと人を殺してたと思うんです」

予想とは大きく離れたデンジャラスな言葉だ。
無言で先を促す。
10 名前:02 夢の出会い 投稿日:2002年12月30日(月)17時30分16秒
きっかけは紺野の所属する陸上部内で起こったある事件。
ある日一人の部員のスパイクが盗られた。
みんなで探すが部室にはもちろん校舎にもなく、諦めかけていた時
同じ陸上部員だった紺野の友達が焼却炉で燃えていたスパイクを発見した。
みんな第一発見者が一番怪しいという何の根拠もない理由だけで彼女を犯人に
仕立て上げ、陰湿ないじめが始まった。
紺野に見つからないように彼女を痛めつける。
その事に気がついた紺野は彼女を問い詰めるが彼女は笑って「なんでもないよ」と
笑うだけ。しかし、耐え切れなくなった彼女はとうとう退部してしまった。
後でどうやらあの事件は学校に住みついていた野良犬の仕業だったという事が
わかっても部員たちは謝罪などするわけもなく、彼女がちゃんと原因を
突き止めてなかったのが悪いと言い逃がれするばかり。

「そのとき、頭に血が上っちゃって。気が付いたらその虐めてた子達を
 殴ってたんです」
11 名前:02 夢の出会い 投稿日:2002年12月30日(月)17時32分53秒
女の子が普通に喧嘩した時に使う『叩く』ではなくて、本当に本気で殴っていた。
空手を習っていた時もあったので自分の力がどれだけ破壊力があるとかちゃんと
わかってたはずなのに、女の子を手加減無しに殴っていた。
その場にいた全員を病院送りにしたと言うのだから、その光景は普通では
なかっただろう。
結局それが原因で退部。停学もくらって今に至るという。

「まあ、これ以上あんなとこにいたくなかったですけどね……
 ちょっとやりすぎました」

話し終わった後「女の子に怪我をさせるヤツは最低なのに」と自嘲気味に呟いた。
本当に物凄く後悔している表情。
12 名前:02 夢の出会い 投稿日:2002年12月30日(月)17時33分46秒
確かに、暴力を使ったのは良くない事だとは思うけど100%間違った事を
したわけじゃないとも思う。それに、ちょっと羨ましく思えた。
紺野も紺野の友達も。

「だって、そこまで怒れるってことは本当の友達ってことじゃない」

紺野は少し驚いたような顔をして柴田を見つめた。
話してる最中も思っていたけど、この子は人の顔を凝視する癖があるようだ。
一度気付くとその視線をやけに気にしてしまい、照れくさくなって思わず目を
逸らしてしまう。

「……そうですね。えへへ……聞いてくれて有難うございました。ハスキーさん」

「へ?」

ハスキーさんってなんだよと聞き返そうとしたら、世界が真っ白に包まれた。
13 名前:名無し作者 投稿日:2002年12月30日(月)17時39分04秒
短いですが本日はここまで。

>5
有難う御座います。
柴ちゃん、キャラが違うじゃねーか!といわれないか不安ですが。

>6
有難う御座います。
あの人とあの人ですがまだこの先どう動くかはわかりません。
14 名前:03 夢から覚めて 投稿日:2003年01月03日(金)02時34分30秒
「……なんなの……あの夢ぇ……」

瞼を開くと、いつもの朝の風景。
起きたばかりではっきりしない頭の中にあの子の存在だけが鮮やかに残っていた。
あの子は夢の中の住人なんだろうか。はたまた現実で実在する子なのか。

「紺野あさ美……かぁ」

何故だろう。いつもよりも気分がいい。目に映る全てが優しく見えてくる。
排気ガスで霞む町並みさえも。

  (ハスキーさん)

優しい声。あの子が歌っていた歌はなんというタイトルなんだろう。
小さな声だったし、よく聴いてないから上手いのか下手なのかはわからないけど
それは随分と魅力的に思えた。きっと、あの子が歌っていたから。
15 名前:03 夢から覚めて 投稿日:2003年01月03日(金)02時36分27秒
「でも夢の中の人だしね……もう会う事もないか……」

きっと自分の妄想が作り出した人物なのだろう。だから理想的だったんだ。
これだから人間の脳ってすごい。現実ではありえない願望を夢の中と言う
架空世界で実にリアルに叶えてくれる。現実に戻った時の虚しさまではフォロー
してくれないけど。

「でもリアルすぎるよねぇ」

元陸上部だとかその中で起きた事柄だとかやけに細かい。

―――ヴヴヴヴヴッ

机の上に置いていた携帯が震えて硬い音を立てる。光るディスプレイに唯一無二の
親友の名が浮かんでいるのを見て通話ボタンを押した。

『柴ちゃん?今から出て来れるかな?』

受話器から聞こえる声に、あの子の声を重ねる。
違う声だとわかっている。でも、声質が似ていた。
高い女の子らしい声。あのこの方がもっと細くて、この声より少しだけ低い。
石川の声は柴田が知っている中で一番その子の声に近いのは確かだろう。
16 名前:03 夢から覚めて 投稿日:2003年01月03日(金)02時37分32秒
『……もっしもーし?おーい、聞いてる?しーばーちゃーん』

「あ、うん。聞いてるよ。大丈夫だけど、何?」

『ピザ食べにこない?晩御飯まだでしょ?高橋とよっすぃもいるよ』

「晩御飯!?」

その言葉に驚き時計を見る。一直線に伸びた長針と短針。窓の外は薄暗い。
眠ったのは昨日の午後11時……19時間も寝てたのか……バイトもない日でよかった。

『柴ちゃん?どうしたの?』

「いや、なんでもない。今から行くよ」

石川の「待ってるね」と言う声を聞いて電話を切る。
吉澤と高橋。そう聞くだけであの子も見た目は高橋と同じくらいの歳だったなと
思い出す。あのふわふわした感じの笑顔。絶対にマイナスイオンが出ている。
少なくとも柴田の脳内では出ていた。
17 名前:03 夢から覚めて 投稿日:2003年01月03日(金)02時39分29秒
家を出ると既に日は落ちていて、ぼんやりと街灯の光が狭い道路を照らしている。
柴田の家から石川の家まで歩いて5分くらいだ。石川も柴田と同じように単身で
上京してきているので一人暮らし。
いつのまにか気軽にお互いの家に遊びに行くようになっていた。

「柴ちゃんおそいよー!」

玄関のベルを鳴らすと少し膨れっ面の石川がドアをあけて迎え入れてくれる。
淡いピンクを貴重にした女の子らしい可愛い部屋の中にいる3人はみんな可愛くて
自分はここにいていいのだろうかと思ってしまう。そんな事を口に出したら
「何言ってんの」と言われるとわかっているから言わないが。

4人でいろんな話をしながらピザをつつく。
その中でやはり出てきたのは恋の話だ。柴田はこんな話になる度に何で女の子は
こんな話が好きなのだろうかといつも思う。それは自分が恋をしたことがないから
だろう。本当の恋を。

「しばちゃんは?好きな人できた?」

「え?あー……えーと、高橋ちゃんは?」

石川が振ってきた話をすぐに高橋に渡す。一瞬思い浮かんだのはあの子の顔
だったけど、夢の中の人なんて馬鹿なこと言えるわけがない。
18 名前:03 夢から覚めて 投稿日:2003年01月03日(金)02時40分57秒
「私ですか?やー……ひっでぇおぼこい子がいるんですけど、まだ名前しか
 知らんのです」

訛りのきつい方言でも名前しか知らないと言う所は聞き取れたので「誰ー?」
「言っちゃえよ」と石川と吉澤が先を促す。
それに答えるように顔を真っ赤にしながら高橋が口を開いた。

「紺野あさ美ちゃんって言う名前らしいです」

「…………――――はぁ!?」

気が付くと、近所迷惑なほど大きな声で叫んでいた。
みんなの視線が一気に柴田に集まる。

「ごめん、くしゃみが出そうで出ないだけだから気にしないで」

そう言って誤魔化すと「あぁ、結構辛いよねー」と納得して話に戻っていく。

柴田は半分パニックに陥っていた。
信じられない。まさか、ねぇ。同じ名前名だけ全くの別人かもしれないし。
そうそう。きっとそうだ。偶然だよ偶然。
そう言い聞かせていたけど話を聞いているうちに、同一人物の可能性は
ドンドン高くなっていくばかりだった。
19 名前:03 夢から覚めて 投稿日:2003年01月03日(金)02時41分52秒
「ちょっと前まで陸上やってていろんな大会に出てたらしいです」

「頭良いみたいですよー。学年トップ取った事もあるって」

「色が白くてすごい可愛いんですよ。なんかもうそばにいるだけで癒される感じ」

高橋がその子のことを話すたびに、さっき見た夢の内容を思い出す。
これで別人なんてことがありえるのだろうか。
嬉しそうに話す高橋を見て意地悪い顔をして吉澤がからかう。
最初の方は聞き流したが、二言三言と聞いているうちに黙って聞いていられない
台詞を言ってしまった。

「でも、それって完璧超人じゃないか?なんか作り話っぽいなあ。
 ホントは違うかもよ。もっとこう、意地悪だったり、裏でいろいろしてたり……」

「そんな事ないよ!」

柴田は反射的に吉澤の半笑いの声に机を叩いて本気で反論してしまい、呆気に
とられた3人はそこだけ時が止まっているかのように固まる。
ヤバイ。何とかこの空気を振り払わなければ。慌てて軽い口調で話し掛ける。

「あ、いや、多分そんな子だっているよねー。あは、あははは」
20 名前:03 夢から覚めて 投稿日:2003年01月03日(金)02時43分10秒
「もーびっくりしたよ。柴ちゃんがいきなり怒鳴るなんてめずらしいから」

「うちはしょっちゅう叫んでるけどねー」

吉澤がおどけた顔でそう言って場の空気はまた元の和やかムードへ。
本当にどうしちゃったんだろう。いつもならもっとクールに対応できるのに。
そこまで考えて柴田は紺野の台詞を思い出した。

 ――『そのとき、頭に血が上っちゃって。気が付いたらその虐めてた子達を
     殴ってたんです』

こういうことだ。自分が好意を寄せている相手を貶されたりすると腹が立つから。
自分を悪く言われるよりもずっと。

「柴田さん、柴田さん」

小声で高橋が話し掛けてきているのに気付いて顔を向ける。
石川と吉澤は二人で勝手に盛り上がっているためこちらの会話には気付かない。

「何?」

「さっきは有難うございました。あの、私もちょっと言い返したかったんですけど
 先輩だし……その、なんて言えば良いのかわかんないですけど……」
21 名前:03 夢から覚めて 投稿日:2003年01月03日(金)02時44分01秒
耳慣れないアクセントの早口が次から次へと流れてくる。
高橋はいい子だ。真面目で、真っ直ぐで。自分よりもずっと素直で可愛い。
柴田はそんな高橋のことが少し苦手だった。嫌いなわけではないのだけれど、
単純に苦手だった。

「私、なんか寝ぼけてるみたいでさ。高橋ちゃんは気にしないでいいよ」

そっけなく言い放ち、3人が会話に夢中になっている頃を見計らって、こっそり
部屋を後にする。
腕時計に目を落とすと既に11時を廻っていた。
22 名前:03 夢から覚めて 投稿日:2003年01月03日(金)02時47分14秒
空を見上げると無数の星が自己主張をするように光っていた。
天体の授業は嫌いだった。理屈を並べて無理矢理理由を探して不確かな論理を
振りかざす。あれは何座ですだとか何月にはこの星がこうなってとか、そんなこと
どうでも良い。ただ何も考えずに何も知らずにそれを見て抱いた気持ちが
自分の中の正解だと思うから。
この世に『間違い』なんてもの『絶対』と同じくらいにありえないもの。『絶対』
と言い切れる事柄は生きていくうちで一度あるかないかだと柴田は思っている。

「絶対なんか絶対にない」

それ自体が矛盾してる事もわかっている。
この世は矛盾の重なり合いで成り立っている。
一通り頭の中でそんなことを繰り返して、柴田は一つため息をつく。

「馬鹿馬鹿しい……」

頭を横に何度か振ってもう一度空を見上げる。
夢の中で彼女が歌っていた歌がかすかに耳に蘇るのを感じた。

「なんだっけ……ありふれたその星に…さよならをするために……そうだ」

  ありふれたその星にさよならをするために
  もう一度だけ愛のかけらを二人でつかまえて抱きしめるさ

もう一度彼女に会いたいと思った。今度は埃を被っているかもしれない相棒と一緒に。
23 名前:名無し作者 投稿日:2003年01月03日(金)02時48分15秒
本日はここまで。

明けましておめでとうございます。
24 名前:ぶらぅ 投稿日:2003年01月03日(金)02時56分27秒
メンバー構成が凄く好きっすw
高紺好きなんで、嬉しかったっす!
このみんなはどうやって知り合ったんでしょうか?
それも後々出てくるのかな?
ますます楽しみになってきました。続き、頑張ってください。
25 名前:名無し読者 投稿日:2003年01月03日(金)22時05分46秒
あけましておめでとうございます。柴紺?て珍しいですね。陸上部の友達は高橋
――じゃないんだろーなー……。先が読めずに楽しいです。
26 名前:04 相棒と楽譜と 投稿日:2003年01月06日(月)01時01分58秒
眠りに落ちたはずの柴田はまた一人草原に立っていた。
今度はすぐにこれは夢だと認識して彼女の姿を探す。
もう一度会えるなんて保障はどこにもないのに、なぜか会える気がした。
だって、今回は柴田の傍らに“相棒”が転がっていたから。

「紺野ちゃん!いるんでしょー?」

一面に広がる緑に柴田の声が駆け巡る。気持ち良い。
ずっと都会育ちだった柴田は人工的な冷たい風景に慣れすぎて
自然というものが本当に新鮮に感じられた。
焦る事はない。会おうと思わなくてもきっと会える。これは夢だから。

柴田は前に来たとき紺野に出会った場所へ行き、その大きな切り株に
腰掛けると相棒をソフトケースから取り出した。
いつものように緩めていた弦を張りなおし音程を合わせる。

「んーと…はなこさ〜ん……うん。おっけい!」

「あの〜……ここに花子さん出るんですか?」
27 名前:04 相棒と楽譜と 投稿日:2003年01月06日(月)01時04分24秒
何の前触れもなく背後から細い高い声が聞こえてきて柴田の心臓は
身体ごと跳ね上がった。

「ひゃっ!?」

手から離れて落ちそうになった相棒を少女が反射的に受け止める。
幸い地面につく前に受け止められた相棒は無傷だ。
ホッと息をつき、胸をなでおろす。

「良かった……ハスキーさん、また会えて嬉しいです。はい、どうぞー。
 ちっさいギターですね」

紺野から優勝旗返還のときのような持ち方で丁寧に差し出された相棒を
同じように丁寧に受け取り「ありがとう」と微笑んだ。
もう一度順番に弦を弾き音に狂いがないか確認して満足そうな表情で
頷いた柴田は隣に腰をおろした紺野に話し掛ける。

「これギターじゃないよ。ウクレレ。ほら弦が四本でしょ」

「え?四本だったらベースじゃないんですか?どんな感じの音が出るんですか?
 へぇー……名前は聞いたことありますけど実物ははじめて見ました……うわー」
28 名前:04 相棒と楽譜と 投稿日:2003年01月06日(月)01時05分46秒
眉を少し上げて目をぱちくりさせる。好奇心いっぱいの瞳。
随分昔になくしたものを紺野の中に見て柴田は自分も昔はあんなふう
だったのかなと回顧する。

「ところで、花子さんって……」

「あ、あれに深い意味はないよ。弦をね一弦から順番に一本ずつ弾いて
 チューニングが上手くいってたら『はなこさ〜ん』って感じの音になるから
 つい言っちゃうだけ」

実演をしながら説明をする柴田を凝視して納得した表情に変わる。
紺野は「よくわからないけどそんな感じなんですね」と手をポンと叩いた。
その仕草を見ていると自然に笑みがこぼれてしまう。

「弾けるんですか?」

「実はまだそんなに練習してなくてほとんど弾けない……そうだ!この前
 紺野ちゃんが歌ってた曲の楽譜があれば、それ練習して弾いてあげるよ」

ないと思うけど。
29 名前:04 相棒と楽譜と 投稿日:2003年01月06日(月)01時08分10秒
そう思っていた柴田の予想を裏切り、紺野はおもむろに懐から楽譜を取り出した。
口をあけて固まっていると「夢の中って何でもありみたいですよ」と笑う。

その楽譜をぱらぱらとめくるとウクレレのダイアグラムが書いてあるのに気づく。
普通はバンドスコアでもピアノとギター、ドラム、ベースくらいしか書いてないのに。

「これは……ウクレレのコードが書いてあるけど……」

「私が歌ってたのはウクレレ弾きの人の歌みたいです」

柴田はやっと自分で自分の首を締めてしまったということに気付いた。

先ほども自分で言っていたように初心者もいいとこで、楽譜見て即興で弾けるほど
上手いわけではない。しかし、目の前で期待に目を輝かせている紺野を見ていると
今更後には引けない。
幸いその楽譜は初心者にも優しくわかりやすいように書いてあるし、少し時間を
貰って練習すれば何とかなるかもしれない。
30 名前:04 相棒と楽譜と 投稿日:2003年01月06日(月)01時09分25秒
「じゃ、私はそろそろ行きますね」

「え?」

「もう起きる時間みたいです……ほら」

紺野があさっての方向を向いて耳を澄ますのに倣うと目覚し時計のアラームが
だんだんと大きく聞こえてくる。

「あ、そうか……これって夢だったんだよね。うあー楽譜どうしよう」

そう叫んでいると紺野がスコアブックを素早く何枚かちぎって柴田の相棒の弦と
ボディの間に挟み込み「信じる者は救われますよ」と笑って手を振る。

驚いて声を出す間もなく、アラームの音が紺野を景色ごとかき消していった。
31 名前:名無し作者 投稿日:2003年01月06日(月)01時17分46秒
本日はここまで。短くてごめんなさい。

>24
有難う御座います。このメンバー構成は自分でも好きなので。
みんながどうやって知り合ったのかはこの先出て来たり出て来なかったりです。

>25
有難う御座います。
柴紺好きなので、なければ自給自足の精神です。
陸上部の友達が誰かはそのうち出て来ると思います。
32 名前:05 クローバー 投稿日:2003年01月09日(木)00時28分58秒
布団から飛び出すと一目散に相棒のケースを空けて中を確認する。

「……マジ?」

信じられなくて頬をつねる。痛い。念のため窓やドアの鍵が全て閉まっている
ことも確認して再び相棒の前へ座る。何度見てもそれは変わる事が無い。
ウクレレの弦とボディの間に破られた楽譜が挟まれている。
本来だったら意味不明で気味悪くて怖すぎる現象。
でも、あの夢を見てしまっていた柴田にとっては、それに当てはまらない。

「これは、やるしかないよね」

どこにいるかも知らない少女の笑顔を浮かべて柴田は相棒を愛しそうに見つめる。

  ――『信じる者は救われるんですよ』

紺野の声を頭の中でリピートする。何度も、何度も。
あの子の前では“素直なウクレレ弾きのハスキーさん”になろう。
柴田あゆみとしてでなく、紺野だけの“ハスキーさん”でいたい。

それはきっと柴田が初めて特別を欲した瞬間だった。
33 名前:05 クローバー 投稿日:2003年01月09日(木)00時30分13秒
すぐにでも練習をはじめたかったが、いかんせん、バイトにすぐに行かなければ
ならないので相棒を持ってバイト先へ直行する。帰りに川土手の近くの広場で
練習して帰ろうと思ったから。

柴田の今日のバイトは試験場の監督補助。たいしてやる事はないのに給料は
結構な額がもらえるおいしい仕事だった。大抵試験中は後ろの椅子に座って
考え事をして時間が過ぎるのを待っていれば良い。
カリカリ、コツコツ、鉛筆がしきりに動く音が静かな教室に響く。
それはどんな音楽でもかなわない物語が秘められている音。
ピンと張り詰めた空気。それは決して悪い意味でなく、程よい緊張感が流れていて
心地良い。
すぐに思った事が表情に出るので試験監督の先生にも「ごっつええ顔しとるねー」
と笑われた。昼ごはんの休憩中にもその先生はにこやかに話し掛けてきた。

「最近の子は無気力な目をしとる子が多いからあんたみたいに生きた表情の子を
 見ると嬉しくなわぁ」

「いや〜……私もちょっと前までは無気力でなんか全部どうでも良くて死んだ
 表情してたと思いますよ」
34 名前:05 クローバー 投稿日:2003年01月09日(木)00時31分09秒
あの夢を見なければ。
紺野と出会ったことで柴田は確実に失っていた何かを取り戻した。

「よくわかりませんけど、なにかが変わったんです」

「へー…恋でもしたん?」

「ぶっ!……――ゲホゲホッ」

自分でもおかしいと思うくらい動揺して期間にご飯が入り込み咽込んだ。
顔を真っ赤にして酸欠状態になりそうな私の背中をポンポンと先生が叩く。

「おいおい、大丈夫かいな?」

「はい。いや、それより急に何言い出すんですか!?」

「いや、女の子がそういう表情になるのは恋かなと。ええなぁ。青春やねぇ」
35 名前:05 クローバー 投稿日:2003年01月09日(木)00時32分08秒
「私19ですよ」

「若い若い。青春ど真ん中やんかー。ウチももうちょい若けりゃなぁ」

他愛ない会話だった。でも、懐かしかった。去年までならそうは思わなかった
だろう。先生と生徒のような会話に笑みをこぼす。

終始穏やかな気持ちでバイトを終えた柴田は相棒を抱えていそいそと試験会場を
後にする。
ポケットの中でさっき貰った給料袋の音がカサコソと歌う。

  ――『恋でもしたん?』

「してますよ……っと」

相手は実際に会ったこともない、しかも自分と同じ女の子だけど。
どうかしてる。
そんなこと自分でもちゃんとわかっている。
それでも柴田は自分の気持ちを否定する事だけは絶対にしない。
他の誰かにわかってもらえなくても自分だけは自分を認めてあげたいから。
36 名前:05 クローバー 投稿日:2003年01月09日(木)00時32分43秒
夕日が影を長く伸ばす川土手の石椅子に腰をかける。
相棒をケースから出し調子笛を吹いて弦を張って。指鳴らしに一通りのコードを
押さえて適当にジャカジャカ鳴らす。ギターより軽くて可愛い感じの音に
思わずにやける。
知らなかった。自分がこんなに相棒の音に惚れていたとは。
うろ覚えのハッピーバースデートゥユーを弾いて、早速楽譜に目を通す。
その楽譜はやっぱり夢で見たように手で破られていて、タイトルの部分が
わからない。

弾き語りの方がカッコ良いとはわかっているけど、柴田はまだ弾ける曲すら
無いに等しい状況。ここは無理をせずに弾く事のみに専念する事にした。

「歌う方は紺野ちゃんがやってくれるし」

ゆっくりとコードを押さえて弾く。指を移動させる早さが遅すぎて
たびたび止まる演奏。それでも、一曲弾き終わるとどこか満足感があった。
気持ち良い。
37 名前:05 クローバー 投稿日:2003年01月09日(木)00時34分40秒
何度か繰り返し練習していくうちに指がコードの順番を覚えて詰まる事が
少なくなっている。

どれくらい弾き続けていただろう。気が付けば弦を押さえる指が薄暗くて
よく見えなくなっていた。そろそろ帰ろうと思い相棒の弦を緩めてケースへ
入れたとき、どこからか声が聞こえた。

「やめるの?」

顔を上げると女の子が目の前に立っていた。少し低めの声に、勝ち気そうな目。
顔が小さい上に手足が長いため実際の身長よりもずっと背が高く見えそうな感じ。
どこか挑戦的に見えるのは気のせいだろうか。

「うん。もうやめるよ。近所の子?ごめんね下手くそな演奏でうるさくして」

「ホントに下手だったね」

柴田はこの女殴ったろうかと思って相棒を持っていない方の手で彼女から
見えないように拳を作るが、それを動かす前にその子は笑顔で続きを言った。
38 名前:05 クローバー 投稿日:2003年01月09日(木)00時35分35秒
「でも良かったよ。楽しそうに弾いてたもん。見てるこっちも楽しくなってくる。
 またここで練習しなよ」

そう言って柴田の手に無理矢理何かを握らせ、バイバイと手を振って去って
行くその子は実に爽やかだ。殴らなくて良かった。
かるく握らされた手を開くと、キレイな緑色のクローバーが収まっていた。

「……ヤバ……マジで嬉しいかも」

片手で持っていた相棒を胸に引き寄せ、抱きしめた。
39 名前:名無し作者 投稿日:2003年01月09日(木)00時36分16秒
本日はここまで。
40 名前:りゅ〜ば 投稿日:2003年01月09日(木)16時44分11秒
面白いです!先が全然読めないところがまたいい感じで…。
紺野の謎キャラがすっぽりとあてはまっててこれまたいい感じで。
新しいキャラは誰かなとまた考えたり。
更新期待してますので頑張って下さい!
41 名前:北都の雪 投稿日:2003年01月09日(木)20時09分54秒
はじめまして。北都の雪と申します。
面白いっすねえ。
「絶対なんてものは絶対にない」
その通りだと思います。
頑張ってください。応援してます。
42 名前:06 アンバランス 投稿日:2003年01月11日(土)22時11分56秒
6時限目終了のチャイムが鳴り、後ろの席の藤本が石川の背中をつついて
話し掛けてきた。

「梨華ちゃん、テストどうだった?」

「聞かないで……美貴ちゃんやけに機嫌良いね。そんなに良かったの?」

「良いわけないじゃん」と石川の目の前に差し出された答案用紙の右上には
赤ペンで45と書いてある。言うまでもなく平均よりも下回っているが藤本の
表情は明るい。

「で?その笑顔の理由はなんなんでしょうかね」

その問いかけに藤本は良くぞ聞いてくれたという感じで肩を掴み、喋り始める。
近所の川土手に珍しい楽器引きが現れた、と。
小さいギターみたいな楽器をそれはもう楽しそうに弾いている姿は見ていて
飽きないらしい。
退屈な毎日の中にあらわれたその人物は新鮮で藤本の気を引いたようだ。
43 名前:06 アンバランス 投稿日:2003年01月11日(土)22時12分46秒
「それは、どこの暇なおっさんなの?」

「おっさんじゃないよ!私たちとそんなに変わらない女の子!」

夕暮れに川土手で一人楽器をかき鳴らす女の子。変わった人もいるもんだ。
しばらくその話を聞いていると、教室の外から「美貴たーん!」と呼ぶ声が
聞こえてきた。

「うぁっ!もうあっちのクラスも終わってたのか。じゃあねー梨華ちゃん」

慌ててかばんに荷物を詰め込み「また明日ね」と走って教室から出て行く藤本の
背中に苦笑しながら手を振る。

「私もそろそろ帰ろうかな」

ポケットの携帯を取り出すと、いつきたのかメールが2件。
1件目は吉澤。
『明日、借りてたCD返しに梨華ちゃんの教室に行くね』
わかったと返信した後に次のメールを見る。
2件目は柴田。
『今日の晩御飯はシチューとサラダにしようと思うんだけど、どうかな』
44 名前:06 アンバランス 投稿日:2003年01月11日(土)22時13分38秒
柴田とはしょっちゅう一緒に晩御飯を作って二人でテレビを見ながら食べる。

実家の援助がない上に積極的に働いているわけではないので柴田の
借りている激安の部屋には自炊できる環境も整っていない。
料金未払いのため電気やガス、水道が止まっている事も多々ある。
それを見かねた石川がいつからか晩御飯に呼ぶようになり、そのまま
石川の家でよく夕食を作るようになった。
お互いに合鍵を渡して留守でも中に入れるようにしている。
そういえば吉澤には「半同棲してるみたいだ」と笑われたのを思い出す。
『やった!おいしいの作ろうね』そう打って送信ボタンを押す。

軽い足取りで家に帰り、暖かくなっている明るい室内に足を踏み入れた。
家に帰った時に笑顔で迎えてくれる人がいるありがたさ。石川はすこしだけ
実家を思いだす。それは柴田の前では禁句だから言わないが。
理由は聞いていないが柴田は自分の親や実家の事に触れようとしない。
話題に上がってもスルーするか無口になるかのどちらかだ。
45 名前:06 アンバランス 投稿日:2003年01月11日(土)22時14分27秒
「おかえりー、遅かったね。手伝ってくれる?」

「うん」

急いで服を着替えて手を洗い、台所に立つ。
鼻歌交じりにサラダボールを取り出す柴田の横でシチューを混ぜ、
火加減を調節する。

「最近、柴ちゃん変わたね。随分いい顔するようになった」

石川の唐突な台詞に、柴田のレタスを千切る手が一瞬止まる。

「へ?んなことないよ。なんもかわってないじゃん」

否定しても石川は引き下がらない。
鍋の蓋を突きつけるように前に出し、はっきりとした口調で言う。

「変わったよ。多分よっすぃたちとピザ食べてからだ」

「え〜……なんか変なもん入れたの?」
46 名前:06 アンバランス 投稿日:2003年01月11日(土)22時16分31秒
誤魔化すようにさりげなく論点を変える。柴田は石川の扱いに慣れていた。
案の定石川は「いれてないよ!」と向きになって反論して、その流れで
ピザがおいしかったとかいつもと味が違った気がするとか適当な話を
進めるとすっかりさっきの話題は流れて、うやむやに。

石川と初めて会ったとき、柴田はまだ会社勤めをしていた。
仕事の内容に興味がもてない以上に社内にいると息苦しさを覚えるように
なっていた頃だ。別に苛められてたわけじゃない。むしろみんな親切で良く
してくれていた。

それでも、馴染めないと思ったのは結局肌に合ってなかったからというのと、
本当にやりたい事があったからだろう。
自分の意思で好き好んでそこにいたわけではなかったから。

何十にも見えない壁を立てて、無気力に出来るだけ自分を隠して、本質を
見せる事のないまま通勤していた頃、石川と同じ電車に乗り合わせた。

「そうそう。柴ちゃん感情なんかないって顔しててさー。ついついからかいたく
 なっちゃったんだよね」
47 名前:06 アンバランス 投稿日:2003年01月11日(土)22時17分01秒
石川が笑いながら鍋をかき回す。コーンシチューが良い匂いを漂わせ、
食欲をそそる。

「私のほうが年上なのにねー」

「スーツは着てたけど、ブレザーに見えない事もなかったから同い年くらいだと
 思ってたの!」

「さーてね。でも普通見ず知らずの人に言う台詞じゃないよね」

柴田はサラダボールに野菜を入れながらあのときのことを思い出す。
48 名前:06 アンバランス 投稿日:2003年01月11日(土)22時17分42秒

  ――『ねぇ、一緒にサボらない?』

  ――『へ?』

  ――『暗い顔しちゃってさー。今日一日羽目外しても良いんじゃない?』

  ――本来降りる駅で止まった時に腕を掴まれてそう言われたときは
  ――カツアゲでもされるのかと思った。
  ――そのまま動けないでいると、ドアが閉まり電車は再び動き出して。
  ――遅刻の連絡を入れなければと思い、慌てて携帯をポケットから出すが、
  ――横から手が出てきてそれを奪い取る。

  ――『電車の中で携帯は使っちゃ駄目なんだよ。電源も入れちゃ駄目』

  ――石川はそう言って電池パックを外して柴田の目の前で揺らした。
49 名前:06 アンバランス 投稿日:2003年01月11日(土)22時18分59秒
今でもはっきりと覚えている。そのときの石川の顔は得意げに笑っていた。

「あれはビビッタよ。最近の女子高生って怖いなーと思ったもん」

「柴ちゃんじゃなかったらあんな事してないよ」

やけに焦って反論してくる石川に「へー、どういう基準なんでしょうねー」と
笑って返す。元々友達の少ない方だったし、上京してからは知らない人ばかり
だった柴田にとって、こんな風にふざけあえる友人は石川くらいしかいない。
まるで兄弟のようにじゃれあうときが柴田は幸せだった。

「運命感じたんだよ。うん。柴ちゃん、可愛かったし運命の人だー!えへへっ」

「何言ってんだか。お世辞言っても何もでないよ……あ、トマトを
 多めにあげよう」

「ちょっと!それって自分が要らないからってだけじゃん!」

高い笑い声が暖かい食卓に響く。
50 名前:06 アンバランス 投稿日:2003年01月11日(土)22時19分38秒
柴田は普段と同じように笑っていた。
石川は、柴田に悟られないようにいつもと同じように振舞って笑っていた。
二人の関係が壊れてしまう事のないように。
このまま友達としてそばにいる事の出来るように。

机の引き出しに隠しておいたままのラブレターを思い浮かべる。
揺れる気持ちはいつまで揺れたままでいられるのだろうか。
それは自分でもわからない。だから、今のまま笑っていようと思う。
恋と呼ぶには淡すぎる不思議な気持ちがこぼれてしまわないように。

アンバランスな二人の友情は、まだ続きそうだと思いながら。
51 名前:名無し作者 投稿日:2003年01月11日(土)22時28分16秒
本日はここまで。

>40
有難う御座います。
それぞれのキャラが無理なく当てはまっていればいいのですが…
新しいキャラはこの人でした。

>41
こちらこそはじめまして。
有難う御座います。
「絶対なんて絶対にない」は自分の中で一番好きな言葉なので。
52 名前:07 くもり空がみてる 投稿日:2003年01月15日(水)22時31分50秒
視線の先にいる彼女はいつも穏やかに笑っていた。
ここ1週間姿を見ていなかったので風邪か何かで休んでいたのかと思い
心配していたのだが、元気そうな姿を見て安心した。

「愛ちゃーん?昼休憩終わってるよ。ほら次移動教室だから行こ」

「あーはいはーい!今行くー」

クラスメイトの呼びかけに窓側から離れてもう一人の少女の方へ走る。

この学校はエスカレーター制の私立校で中高大学が一箇所に集中して
建っている。学校の境目は胸の高さほどの塀のみ。各校舎の窓からは
お互いの校内が見えるほど近い。

「何見てたの?」

「んー、塀の向こう側」

「おいおい、なんかその言い方ここが刑務所の中みたいじゃない」

高橋は「刑務所に入ったことないから知らない」と適当に返して、
名残惜しそうに窓を振り返る。あの教室の窓からはあの子の教室がよく見える。
53 名前:07 くもり空がみてる 投稿日:2003年01月15日(水)22時32分42秒
――――――

初めて彼女と会ったのは部活で遅くなった帰り道。白いウインドブレーカーに
身を包んだ少女が一人黙々と走っていた。それを見たときは、ただ「頑張って
るなー」としか思わなかったのだけれど、高橋とすれ違ってから少しした
ところで少女はこけた。何も無いところで前にではなく、バランスを崩して
横へ倒れるように。

こけ方があまりに不自然だったのでよく見てみるとその子の足元に子猫がいた。
立ち止まり肩で息をしている少女はその子猫を抱き上げあたりを見回す。
やがて学校の垣根の方を向いて笑みをこぼし、子猫をその中へそっと放した。
そして、また何事もなかったかのように走り去っていく。

高橋は好奇心でその垣根の方へ行き、少女が猫を放したあたりを覗き込んで
みると大きめの猫が先ほどの子猫を舐めていた。

高橋がその少女に興味を持つきっかけはそれだけの事で十分だった。

さわり心地の良さそうな頬を少し紅く染めた色白の少女の顔を思い出す。
白い息が景色を変える。
彼女の事が知りたい。
冷たい風に空を仰ぐと、薄い曇り空が広がっていた。

――――――
54 名前:07 くもり空がみてる 投稿日:2003年01月15日(水)22時33分30秒
「あれ?あの子って暴力事件起こした子でしょ?停学とけたんだ」

過去の思い出に浸っていると、友人の声が高橋を現実に引き戻した。
暴力事件?停学?
何の話しかと思うほどその単語はその子に似つかわしくなかった。
再び窓の方へ走り寄り、あのこの方を指差して確認する。

「へ?あの子ってあの色白の今頬杖ついてる子?」

「うん。愛ちゃん知らないの?有名な話だよー」

そこからは私が聞かなくても次から次へとその噂話を話してくれた。

元陸上部の紺野あさ美は将来有望なスプリンターだったが、ある日部員を
半数以上病院送りにするほど大きな暴力事件を起こし停学を喰らっていた。
陸上部からも除籍。
普段の素行は悪くないどころか成績優秀で周囲からも優しいと評判の優等生
だったので事件が起きた直後の反響は大きかったらしい。現場を見ていない
生徒に至ってはその知らせを聞いても冗談だと思う人もいたという。
事件を起こした理由は様々な憶測が飛び交っているので確かな事はわからない
らしい。
55 名前:07 くもり空がみてる 投稿日:2003年01月15日(水)22時35分47秒
「高校に上がったらスカウトしようとしてた陸上部の人たちはがっくし。
 見た目はか弱そうで逆にいじめられそうな感じなのにね」

「そんな話…知らんかった…つい最近元陸上部ってのは聞いたけど」

高橋はもう何がなんだかわからなかった。紺野は世間一般に言うキレると
手におえない少女なのだろうか。病院送りとはなんとも穏やかじゃない。
あの時見た優しさはほんの気まぐれだったのか、人間と動物では感覚が
違うのか。

「近寄らない方がよさげだよねー」

そうだろうか。高橋はより一層紺野と直接会って話を聞きたいと
思うようになっていた。事件のことだって何か理由があるはずだ。

不意にあのときの笑顔が脳裏によぎる。

その日の残りの授業はほとんど頭に入らなかった。
こんな状態のままじゃ何しても駄目だ。

56 名前:07 くもり空がみてる 投稿日:2003年01月15日(水)22時36分30秒
終礼が終わると高橋は物凄いスピードで階段を駆け下り、門を出る。
すぐそこには中学の正門が大きく口を開けていた。
高校と同じように授業の終わった生徒たちがわらわらと出てくる。
この時間に探し人を見つけるのはかなり困難だが、幸運な事に彼女の名を
連呼してくれる人がいた。

「あさ美!あさ美、ちょっと待ってよ」

高橋から数メートル離れた位置で立ち止まる二人。
一人は間違いなく紺野だった。もう一人は先ほど名前を叫んでいた子。

「まこっちゃん……」

「ごめんね……その、あさ美まで辞める事なかったのに」

半分泣いているこの顔を見て驚いた表情を浮かべ周りをきょろきょろと
見回す。二人の周りは下校する生徒の波に飲み込まれて目立たない。
それでも人目が気になるのだろう。紺野はその子の手を引いて足早に
移動した。
57 名前:07 くもり空がみてる 投稿日:2003年01月15日(水)22時37分27秒
高橋もとっさに後をつける。
中学の校内に入ってしまったが見つからなければ問題無いだろう。
足音を立てないように二人の後に続く。

「私はあれ以上部内にいるのは嫌だったから辞めただけだよ。別に陸上に
 命かけてたわけじゃないし走るだけならどこでも出来るから。まこっちゃんには
 全然関係ないんだって」

「でも、私が……」

「関係ないよ」

少女の言葉を優しく遮る。
どうやらあの事件に関係あることらしい。やはりそれなりの理由があった
ようだという事に安心した高橋は静かに大きく息を吐いた。

それのせいなのか、紺野はその気配に気付き高橋の方へ視線を投げる。
身動きをとって良いものかどうか決めかねていると戸惑いがちに紺野が口を開いた。

「……こんにちわ?高校の先輩ですよね」

「あっ、うん。えーと、あーと、うんと……落ちてて、垣根、猫が、だぁぁぁっ!」

「!?」
58 名前:07 くもり空がみてる 投稿日:2003年01月15日(水)22時38分14秒
高橋は頭の中で言葉がまとまらないまま思いついた単語だけ口にしてしまっていた。
自分はこんなにアガリ性だっただろうか。顔が熱くなるのを感じる。
暴走する思考回路の中でわずかな欠片ほどの冷静な自分は警告を発し続けていた。
喋るのをやめろ、と。洒落にならんことを言うぞ、と。
そして言ってしまった。その一言を。

「ウチんとこに嫁に来ないかぁー!」

シン。
木の葉が揺れる音がやけに大きく聞こえるほど静まり返る瞬間。
空はあの時と同じ薄い曇り空。ひゅうと通り過ぎる風はすこし肌寒い。
冷静さを取り戻した高橋は引きつり笑いを浮かべるしかなかった。
59 名前:名無し作者 投稿日:2003年01月15日(水)22時38分51秒
本日はここまで。
60 名前:40 投稿日:2003年01月16日(木)01時33分16秒
高紺萌えた!!本気で萌えました。
やはり作者さんの作品を読んでから高紺推しになってきてるようです…。
高橋可愛いよ高橋。
61 名前:ぶらぅ 投稿日:2003年01月16日(木)10時59分03秒
高橋いいキャラ!!!w
高紺最近すっかり好きになってるんで萌え♪
取り乱して嫁に来ないかなんて…(w
オイラでも言えないよ高橋w
続き楽しみれす
62 名前:名無し読者 投稿日:2003年01月16日(木)17時29分05秒
高橋(・∀・)イイ!!
…名前出てないけどひょっとして美貴たんって呼んだのは…w
そっちも好きなんで嬉しかったりw
63 名前:08 別れの予感 投稿日:2003年01月19日(日)23時07分25秒

「どした?今日は歌ってないんだね」

相棒を抱える柴田が背後から紺野の肩を軽く叩く。頬杖をついていた手を外し、
いつものように笑う紺野にほんの少しの距離を感じつつも「なんかあったの?」
と聞く事が出来た柴田は心の中で自分に拍手した。

「女の子に嫁に来ないかって言われたらハスキーさんはどうします?」

1秒、目が点になる。
2秒、どこかの誰かに先を越された?
3秒、それは置いといて今は質問に答えなければ。

柴田は相棒を自分の横に座らせてじっと足元を見つめて考えた。
64 名前:08 別れの予感 投稿日:2003年01月19日(日)23時09分28秒
「えーと……とりあえず日本では法律上無理だから海外へ高飛び?」

決してふざけて言っているわけではなく、真面目に考えた上での発言だったの
だが紺野が聞いているのはそういうことではないはずだという事もちゃんと
わかっていた。
要するに、質問から逃げたのだ。

「いや、そういうことではなくてですね……」

「うん、わかってるけど。紺野ちゃんはその人のこと好きなの?」

柴田の質問に紺野は困ったような顔をして「わからないんです」と俯いて
両手で頭を抱える。

「見たことはあるんです。一方的に。私の教室から隣の高校の教室が見えるんで
 授業中とか窓の外を見ると大抵窓際の席のその人が見えるんです。それに
 合唱部の人だから何度か中高合同のイベントで歌ってるとこも見たこと
 ありますし。あーかわいいなぁとは思ってましたけど、話したこととか
 全然ないし、向こうが私のことを知ってるなんて知らなくて、いきなり
 あんなこと言われてもどう返していいのか……」
65 名前:08 別れの予感 投稿日:2003年01月19日(日)23時10分33秒
その台詞を何も言わずに聞いている柴田は珍しく早口で喋る紺野に少し驚いて
いた。いつもおっとりした感じの口調なのに今日はテンポも速くて混乱している
感じがよくわかる。なんか、必死だ。

「……で、どう返事したの?」

短い沈黙のあと、紺野は斜め下の方に視線をずらして思い出すように呟いた。
「日本では無理ですね」と言った、と。

「私と一緒の事言ってんじゃん!」

「だってほかに思いつかなかったんです!」

それでその子の反応はどうだったかを聞くと、「そりゃそうやね」と笑って
その場を離れて行ったらしい。
柴田はなんとなくその子の気持ちがわかってしまった。
多分、告白つもりはなかったけど勢いで言ってしまったのだろう。
しかも本気とは取ってもらえないかもしれないような言い方で。
普通、そんなに面識のない同性の子にいきなり「嫁に来ないか」とか
言えるはずがない。
66 名前:08 別れの予感 投稿日:2003年01月19日(日)23時11分25秒
「まぁ、長い人生いろんな人と会うさ。どんなに悩んでもそのときベストだと
 思って出した結論に後から後悔してもそれは紺野ちゃんの力の一部になるから
 思うように結論を出せばいいんだよ。べつに好きなんだったらその人の性別も
 全部ひっくるめて好きなんだろうし、いいじゃん。それで」

柴田は紺野が欲しかった台詞は確かな答えではなく背中を押す台詞だと言う事を
わかっていた。紺野はそれを知ってか知らずか、曖昧な表情で頷く。

「そうだ、こないだの曲だいぶ弾けるようになったんだよ。聴いて聴いて」

空気を入れ換えるように相棒を取り出す。
紺野は嬉しそに「是非聴かせて下さい」と笑顔を浮かべた。
67 名前:08 別れの予感 投稿日:2003年01月19日(日)23時12分48秒
指慣らしをして、楽譜を置く。
今日の相棒は機嫌が良いらしい。柴田の思ったとおりの音をすんなりと
出してくれる。
一曲目が終わり二曲目、三曲目。
全体的にコードが少ないので三曲目になると指の動きも滑らかになる。
多少詰まりながらも、何とか弾き終わると控えめな拍手が響いた。

「凄いです!ハスキーさん、まだまだ弾けないとか言ってたのに
 嘘みたいに上手に弾けてるじゃないですか〜」

そう言って紺野が興奮気味に手を叩くのを見て柴田は照れ笑いを浮かべる。

「そうかな?あんまり褒めると調子に乗っちゃうからさー…へへへっ」

「いやいやいや、凄いですよー!これで歌唄いながら弾いたら完璧です!
 歌手さんになれますよ」

明るく言い放たれた言葉で不意に過去の記憶が蘇る。
68 名前:08 別れの予感 投稿日:2003年01月19日(日)23時13分31秒

  ――『歌手?……プッ……アハハハハハハ 馬鹿みたい』

耳に蘇る嘲笑。
無造作に丸められてゴミ箱に投げ捨てられたオーディションの申し込み用紙。
踏みにじられた夢。

自然に眉間に皺がより、唇をきつくかみ締め、相棒を握る手に力が入る。
異変に気付いた紺野が俯いている柴田の肩を軽く揺らす。

「ハスキーさん、どうしました?大丈夫で……――」

顔を覗き込んで、言葉を止めた。
柴田の足元に小さな水滴がポタポタと静かに落ちていく。
紺野が上着の袖で柴田の涙を拭うと、次第に嗚咽が漏れていく。

「……ここは夢ですから、思いっきり泣いて大丈夫ですよ……
 大きな声で泣いても誰にも文句は言われません」

その言葉に答えるように柴田は押し殺していた声を開放した。
相棒をそばに置いて、紺野の胸にすがりつくように泣いた。
69 名前:08 別れの予感 投稿日:2003年01月19日(日)23時14分18秒
今更、何を泣いているんだろう。悲しいわけじゃないのに。

泣きながら何度も理由を探した。
頭の中をいろんな出来事がぐるぐる廻って、決まって止まる出来事が
あることに気付き、涙の正体を理解した。

「……ずっ、と……悔し、かった」

酸欠になりそうになりながらそう言って、また泣く。
しばらくして落ち着いてくると、頭を撫でる手に照れくささを覚え、
身体を離した。

「ごめん……どうも最近情緒不安定みたいで……」

「いえ、気にしないで下さい。でも、理由……聞いても良いですか?」

いつも真っ直ぐに見据えてくる綺麗な瞳に自分の姿が映っているのを見て
少し長い瞬きをする。
話せば、何か変わるだろうか。ちゃんと上手く話せるだろうか。

紺野は無言で柴田を見つめたまま動かない。
やがて、自分のつま先に視線を落としたまま柴田は口を開いた。
70 名前:08 別れの予感 投稿日:2003年01月19日(日)23時15分02秒



――『お母さんは何もわかってくれてなんかないじゃない!私は歌の
   勉強がしたいの!本気で歌手になりたいの!』

――『そんな馬鹿みたいな事言ってないでちゃんと就職決めてきなさい
   今までの学費からなにから全部返してから好きにしなさい。
   家には学費出せるほど余裕はないよ』

――『奨学金制度があるもん!』

――『学生になって稼げるの?家に仕送りしてくれるの?出来ないでしょ』

誰が帰るもんか、あんな家。
実の子どもが本気で言った台詞も全く相手にしない親。親は子どもの夢を潰す事
なんて出来ないとは誰が言ったのか。結局柴田は夢へ続く道とは程遠い道を
歩んでいる。
71 名前:08 別れの予感 投稿日:2003年01月19日(日)23時16分41秒
就職してからは出来るだけ自分が何をしたいのか考えないようにしようと思った。
考えると全てを捨てて飛び出したくなるから。それでも無意識に深く考えて
しまう事もあって何度も会社の窓から飛び降りようかと思った。
辞めるきっかけなんて些細な事で十分だ。
ある日上司が言った言葉。

――『無口だし、休憩時間も殆どみんなと一緒にいないよね』
――『勤務態度は大変真面目だけど笑顔がないねぇ。性格改善も必要だよ』

言ってる内容はごもっとも。
実際柴田は仕事場では極力自分を見せないようにしていたし、真面目だけを
心がけていた。休憩時間くらいは気を緩めたくて一人になれる場所を探した。
自分を押し殺す事でしかその場にいることが出来ないと判断したから。
翌日、退職届を出した。本当の理由は明かさずに適当に考えた理由で。
本当の自分が好きだから性格改善なんかされたくないし、本来の自分を
見せないといけないのなら、この職場には留まれない。
だって、やりたい仕事なわけじゃない。
本当の自分はいつだってこの組織の中から脱出する事ばかりを考えていた。
退職の手続きが終わった後、柴田はやっと素の表情に戻りホッとため息を
一つついた。
72 名前:08 別れの予感 投稿日:2003年01月19日(日)23時17分25秒
退職した事を一応電話で告げたが「馬鹿じゃないの」と一言吐き捨てるよう
に言った後「毎月こっちに仕送りができるのなら何も言わないけど」と
続けるのが聞こえたのですぐに切った。これ以上連絡がこないように電話線も
抜いた。携帯も着信拒否登録した。翌日には部屋に引っ張っている電話回線の
解約もした。あの親のことだ。住所がわかっても面倒臭くて来るわけがない。
こうして柴田は晴れて自由の身になれたのだった。
その後は結局これから具体的にどうすれば良いのか何も決めてなかった為
ずるずるとほとんど無職と変わらない状態が続いて、今に至る。


73 名前:08 別れの予感 投稿日:2003年01月19日(日)23時18分57秒


こんな事、今まで誰にも話せなかった。親友だと思っているはずの石川にも
言えなかった。話すのが怖かった。自分の我侭を、ありのままの生の感情を
知られるのが怖かった。あのときの親みたいに夢を馬鹿にされるのが怖かった。
まさかこんな形で自分よりも年下の女の子に話すことになるなんて思っても
見なかった。

紺野は真剣な眼差しで柴田を見つめて頷く。
そしてゆっくりと、優しく抱きしめた。

「……その、なんて言ったら良いのかわかりませんけど……私のが年下ですし
 偉そうな事は言えませんが……きっといつかご両親もわかってくれますよ」

わかってくれるだろうか。自分にはあの両親を理解させることが出来るだろうか。
今まで自分は理解してもらおうと努力してきただろうか。
ずっと、わかってもらえなくていいと思ってた。

「今すぐは無理かもしれないけど、大丈夫ですよ!ハスキーさんなら」

「……ありがとう……もっと早く会えてたら、きっと、もっと良かったのにね」
74 名前:08 別れの予感 投稿日:2003年01月19日(日)23時20分10秒
夢の中で出会えたのはいたずらか奇跡なのか。
柴田は神様なんか信じない。運命だって同じだ。それでも、この不思議な
出会いを誰かに感謝している。紺野と出会わなければ、今の自分はなかった
かもしれない。
こんな小さな女の子に救われた。

遠くで目覚ましの鳴る音が聞こえる。お別れの合図だ。

どこか予感していた。
もう夢の中でも会えないかも知れない。
起きて現実に戻ったら全て忘れているかも知れない。

「もう起きないといけませんね」

「うん」

紺野の声も、どこか寂しそうだ。
バイバイと手を振ると思い出したように「あっ!」と突然大きな声を出す。

「そう言えば、ハスキーさんの名前聞いてませんでした」

最後の最後までマイペース。そんなところが大好きだった。

「私は……――」

声の途中で、白い光に包まれた。
75 名前:名無し作者 投稿日:2003年01月19日(日)23時26分37秒
本日はここまで。

>60
有難う御座います。萌えましたか。
高紺少ないので推しまくっていただければ嬉しい限りです。

>61
有難う御座います。高紺好きな方がじわじわと増えつつある
ようなので嬉しいです。

>62
有難う御座います。
美貴たんって呼んだ人も後でちょっとだけ出てくる予定です。
76 名前:09 記憶の鼓動 投稿日:2003年01月21日(火)07時11分49秒
目が覚めるといつもの部屋で。
周りを見回してみてもただの狭い部屋が見えるだけで。
携帯のディスプレイに映る文字で紺野と初めて出逢ってから六日しか
過ぎていないことに気が付く。もっと長いと錯覚していた気もするが
その反面、短かったとも思える。
夢の中は所詮夢の中。現実とは大きく違うものだとわかっている。
わかっているから、余計胸の中に残るものははっきりと姿を見せて、
やるせない気分になる。

「私は……なんて言おうとしたんだか……」

途中で目が覚めてくれてよかった。
ハスキーさんのままが良いと思ってたのに、つい本名を教えてしまう
ところだった。
77 名前:09 記憶の鼓動 投稿日:2003年01月21日(火)07時12分24秒
完全に開ききっていない瞼を無理やり押し上げて柴田はメモ帳を
机の上に広げ、形をとどめていないような走り書きで白を埋めていく。
心に残っている事を全て記録しておきたいと思ったから。
夢はすぐに忘れてしまう。
あんなに好きだった紺野の顔も声も仕草も、きっとすぐ思い出せなくなる。
それなら起こった出来事や自分の思いだけでも書きとめておこう。
どう文章にすればいいのかわからない事も沢山あったが、とにかく無理矢理
にでも文字にした。消えて欲しくなかった。
もし自分の頭の中から消えても、どこかに残っていて欲しかった。

その行為に没頭していたせいで楽譜が手元に残っていないのに気が付いたのは
何時間もあと。
今度は必死に記憶をたどってコードを押さえる。断片的に抜けている所は弾いて
いるうちに思い出したり、手当たり次第に押さえて違和感のないものを探して
埋めていった。
何とかコードを書き起こす作業は終わったが、歌詞は完全には出てこない。
思い出そうとしても、思い出せない。
なんとか一曲だけは思い出すことが出来たが、あとの二曲は全然駄目だ。
サビの部分すら危うい。
78 名前:09 記憶の鼓動 投稿日:2003年01月21日(火)07時13分24秒
柴田は弾き語りの練習をしなかったことを激しく後悔した。
弾くほうばかりして歌うほうを疎かにしていた。

「歌の練習しなくて何が歌手になりたいだ……」

肩を落として呟く。
浮かれていたんだなと思った。紺野にウクレレの音を聞かせてあげたくて
そればかり練習して。いつか紺野が自分の演奏に合わせて歌ってくれる日を
夢見ていた。夢の中で実現するように。
おかしな話だ。

この現実に紺野はいるのだろうか。いたとしても、それは本当に柴田の心を
掴んで離さないあの紺野なのだろうか。

ウクレレを弾き続けたらあの歌声がもう一度聞ける日は来るのだろうか。
きっと、そう遠くない。
予感がしている。
次に逢うとき、きっと紺野は自分ではない誰かと一緒にいるのだろう。
柴田は何もかける言葉を見つけられず他人の振りで。紺野は気付かずに横を
通り過ぎる。幸せそうに笑いながら。あのぽや〜っとした空気を漂わせて。

「……それが現実だもんね……誰も悪くない。私はハスキーさんのまま」

壁に立てかけていた相棒がことんと音を立てて膝の上に倒れこんできた。
まるで慰めているように、励ましているように。
79 名前:09 記憶の鼓動 投稿日:2003年01月21日(火)07時14分41秒
練習しよう。勉強もしよう。素人でも下手なりに作詞作曲できるようになろう。
無気力に生きていた日々もその糧になる。
世の中無気力に生きていても案外何とかなるもんだから。
特に、その中で時々頭に浮かぶ疑問は。

――“自分は本当は何がしたいのだろう”

「何がしたいのかなんてほんとはわかってるけどね」

いろんなことを彼女が教えてくれた。
普通に話してただけでも、たくさんのものを思い出して顔を上げることが出来た。
あんなに重かった見えない足枷もいつのまにかなくなっている。

「……ちゃんとあったことなんか一度もないのにね」
80 名前:09 記憶の鼓動 投稿日:2003年01月21日(火)07時15分22秒
不思議な少女。彼女は現実でもあの拍手をくれるだろうか。
くれなくてもいい。覚えてなくてもいい。ただ、彼女の耳に届けばいい。
いつ、どこで、誰と聞いていようが関係ない。この音が彼女に届けばいい。
彼女が気付かなくてもその中に思いは託すから。

いつもなら苦情防止のために締め切っている窓を開け、桟に座って地上を見下ろす。

「紺野ちゃん、聞こえる?」

まだまだ下手くそだけど、こんなに弾けるようになった。
もし紺野がここにいたら、この音にあわせて歌ってくれるだろうか。

ゆっくりと一曲弾き終えると、大きく息を吸い込んだ。
……まだいける。
相棒をケースに入れて、柴田は部屋を後にした
81 名前:10 ざわめきは夢の中 投稿日:2003年01月21日(火)07時16分30秒
「…………」

「…………」

微妙な空気。言うまでもなく、居心地が悪い。そりゃもう最悪だ。
別に待ち伏せてたわけではないのだが。高橋が石川吉澤と一緒に
帰っているときに偶然紺野と小川に会ってしまっただけで。
先日の出来事のせいで気まずい事この上ない。
笑って誤魔化してそのまま逃げるように立ち去ったのは根性なしだ。
すべてはあの台詞が悪かった。もっと他に言いようがあったろうに。

重苦しい空気から逃れるようにあたりを見回していた石川が藤本を
見つけて手を軽く振ると、それに気が付いた藤本が連れの手を引いた
ままこちらへ向かってきた。

「あ、美貴ちゃーん!どこ行くの?」

「こないだ話した人のとこ。亜弥っぺが見てみたいって言うからさー。
 いるかどうかわかんないけど……なに?」
82 名前:10 ざわめきは夢の中 投稿日:2003年01月21日(火)07時17分43秒
石川が複雑な表情を浮かべているのに気付いた藤本は小声で状況を
問い掛ける。石川は出来るだけ声のトーンを落として高橋たちに聞こえない
ように口を開いた。

「なんかよくわかんないんだけど空気が重いんだよ……助けて」

眉毛を八の字にした石川の後ろにいる四人を包む空気は確かに藤本のほう
とは明らかに違う。見てる方の胃まで痛くなりそうな感じ。
藤本の右手を掴まれてすがるような瞳で見つめる石川に対抗意識を燃やすように
松浦が左腕にしがみ付く。視線を感じて顔を上げると吉澤が藤本を睨んでいた。

「じ、じゃあ一緒に行こうか。ね。そうしよう。うん」

このままではとばっちりが来そうだと判断した藤本は石川を腕から引き離して
集団に合流する。空気を換えようと必死で話し掛けていると、だんだんと
みんなから笑顔が出てきた。藤本のというよりも松浦の会話のペースに巻き
込まれているらしい。
あまり話すのが得意でない藤本は松浦と一緒で本当に良かったと胸を撫で下ろした。

相変らず高橋と紺野はギクシャクとした空気が払拭しきれていない感じは
残っているものの、その他は別に申し分ない和やかな和気あいあいとした空気に
なっている。
83 名前:10 ざわめきは夢の中 投稿日:2003年01月21日(火)07時19分32秒
「それで、その楽器がよくわかんないんだけど」

「ちっさいギターみたいって……ウクレレじゃないですか?」

今まで話を聞いているだけだった紺野が口を開く。それに反応するように小川も
話し始める。

「あー、多分そうだろうね。あさ美ちゃんがこの前貸してくれたCDも
 ウクレレ弾きの人のだったよね」

「ウクレレって高木ブーとか槇信二とかの?」

吉澤が「あーあんあ、やんなっちゃった」と歌いながら聞くと笑いながら二人は
頷いた。その歌で藤本たちもウクレレを弾きながら一人漫才する人がいたなと
思い出す。

「あー!あの楽器だ!うん。ウクレレかぁ」

紺野は夢で出逢ったあの人のことを思い出す。

  『どんなに悩んでもそのときベストだと思って
   出した結論に後から後悔してもそれは紺野ちゃんの力の一部になるから
   思うように結論を出せばいいんだよ』

結論。このまま何事もなかったように時間が過ぎるのを待つのも良い。
でも……――
84 名前:10 ざわめきは夢の中 投稿日:2003年01月21日(火)07時21分18秒
話に夢中になっている隙に高橋の服の袖を軽く引っ張り、数歩後ろへ
さがり、みんなから距離を置いて歩く。

「その……この前のことなんですけど……」

「あぁ、えっと、ごめんね。変なこと言って。困らせるつもりはなかったん
 やけど、あーっと……すぐパ二クっちゃって自分でも止めらんなかってぇ……
 でも本当に嘘でねぇって。あれは私にとっては本気やったんやよ……
 ごめんねぇ」

ばつの悪そうに苦笑いする高橋に首をふるふると横に振る。
確かに驚いたし、困った。物凄く困った。普通どうでも良かったり嫌ってたり
したら困らない。ほんの少しでも好きだから、気になる存在だから返答に困るのだ。

「上手く言えないけど……嬉しかったです……だから、友達からはじめましょう」

紺野は自分で言った台詞に今時友達からはじめようなんて言う人いるのだろうか
と疑問を感じつつ、恐る恐る顔を上げると俯いている高橋が見えた。
85 名前:10 ざわめきは夢の中 投稿日:2003年01月21日(火)07時22分05秒
「先輩?」

「ありがとぉ……ひっでぇ嬉しい……」

心配して声をかけた紺野に高橋が抱きつく。その肩に頭をのせて、ふと思った。
自分は“ハスキーさん”のことを恋愛感情として好きだったのだろうか。
答えはきっとYesでもNoでもあるんだろう。すべてのざわめきは夢の中にあるから。
一つだけ言えることは、一人の人間として好ましい存在だったという事。
いまはそれだけわかっていれば良いと思う。

いつか大人になった時にわかるかもしれないし、このまま曖昧な感情として心の
片隅に転がったままかもしれない。
それでも、良い思い出には変わりないと思うから。

どこからか耳に心地の良い音が聴こえてきた。あぁ、ウクレレの音だ。
この曲は知っている。夢の中でも聴いたことのある曲。思わずその音にのせて
歌を口ずさんだ。

「着いたよ。良かった、いたいた。ほら、あの茶髪の人」

藤本さんの声がして、指差されている方へ視線を投げる。
そのウクレレ弾きの姿を見た紺野は大きな目を見開いて、息を止めた。
86 名前:11 君にありがとう 投稿日:2003年01月21日(火)07時23分39秒
「柴ちゃん!?」

はじめに声を上げたのは石川だった。やや驚いた顔の柴田が手を
止めて振り向く。

「梨華ちゃん……?あ、クローバーくれた子だ」

「なに?知合いなの?」

藤本が二人の顔を見比べながら問い掛けると「親友だよ」と石川が
頷く柴田の肩に手を置く。

「柴ちゃん、ウクレレ弾くなんて一言も教えてくれなかったじゃん」

「え?言ってなかったっけー?」

少し膨れたように言う石川に柴田は苦笑して頭をポンポンと軽く叩く。
まさか故意に黙っていたとは言えない。
石川藤本の後ろにまだ人がいるようだと思い顔を上げると、驚きのあまり
表情が消えた。
吉澤、高橋と知らない子が一人。
そして……

「あ……」

高橋と手を繋いでいる紺野の表情も驚きの色を隠せていない。
87 名前:11 君にありがとう 投稿日:2003年01月21日(火)07時25分03秒
「あ、紹介するね。藤本美貴ちゃん、松浦亜弥ちゃん、小川麻琴ちゃんに、
 噂の紺野あさ美ちゃん」

「……はじめまして」

紺野と視線がぶつかると必死に平静を装って微笑みかける。
無邪気に笑いながら「なんか弾いてよー」と言う石川に応えて弦を
ゆっくりと下に弾いた。

「歌詞、よく覚えてないんだ……知ってる人は歌ってくれると嬉しいな」

柴田は指先を見たままそう言って弾きはじめる。はじめてあったときに
紺野が歌っていた曲。紺野は覚えているだろうか。あのときだけじゃない。
夢で会う時はいつもこの歌を歌っていた。その歌声に惹かれるように柴田は
紺野の元へと歩いて行った。
88 名前:11 君にありがとう 投稿日:2003年01月21日(火)07時25分41秒

  声にならないの いくつもの言葉が笑う
  花は咲かないの 悲しみにくれている

心地良い細い小さな声が聞こえてきた。夢の中で夢見ていた。
いつかこうして隣で歌ってくれると。
高橋と繋いでいた手を離した紺野は、いつも夢の中でそうしていたように
柴田の隣にちょこんと座り、楽しそうに歌う。心なしか、相棒も嬉しそうだ。

一曲弾き終わり、顔を上げると石川達が笑顔と拍手をくれた。
嬉しくて自然と顔がほころぶ。
89 名前:11 君にありがとう 投稿日:2003年01月21日(火)07時27分51秒
『柴田さん』『柴ちゃん』『あゆみちゃん』『あゆみ』
今までいろんな名前で呼ばれてきたけど、あの名前で呼ぶのは一人だけ。

    ――『ハスキーさん』

瞳を閉じて私はその声だけを拾う。
柴田あゆみとは全く関係ないように思えるその名前を。
唯一歌詞を思い出すことが出来た曲。まるでこの時が来る事がわかってた
みたいに今の心境にぴったりの曲。

この歌は、紺野だけに歌う歌だから。
この歌を歌っている間は柴田は柴田じゃない。ハスキーさんだ。
そう心の中で囁いてゆっくりと瞼を上げ、ポケットの中から歌詞を書き起こした
メモ用紙を出して足元に置いた。
90 名前:11 君にありがとう 投稿日:2003年01月21日(火)07時29分27秒
ウクレレのボディをカツカツと軽く叩いてリズムを取り、弾きはじめる。

さよならしなきゃ。
全てがどうでも良かったあの頃。
何もかも投げ出して諦めようとしていたあの頃。
紺野に逢えたからから自分は生き返ることが出来た。
多分言葉では伝えられない。上手く言う事なんて出来ない。
だから柴田は歌う。
紺野だけを見て。自分の気持ちは胸の奥へ収めたままに。

紺野の大きな瞳は真っ直ぐに柴田を見つめている。
その視線に甘い痺れを覚え、目を逸らす。
これ以上、未練たらしい真似はしたくない。
潔く、かっこいいハスキーさんで終わりたい。

歌は続く。途中声が裏返ったのも気にしていられない。

柴田の背中を押して励ますように、相棒もいつもよりも深みのある音を
出しているように思える。安物でも、やっぱり相棒だから。
柴田はきっとこの先どんなに高価いウクレレを手にしたとしてもこの
相棒を手放す事は絶対にないだろう。
91 名前:11 君にありがとう 投稿日:2003年01月21日(火)07時31分10秒
大丈夫だよ。もう、大丈夫。
頼りないかもしれないけど、また前へ進みだせるから。

本当に大好きだった。初恋だった。
紺野との日々はこれからもずっと私の中にある。
でも、これでハスキーさんはいなくなる。
紺野のことを大好きでたまらなかった恋するウクレリストのハスキーさんは
これで消える。

最後のコードを弾き終えて、しばらく顔を上げられなかった。
静まり返った周囲は何を思っているのだろう。
紺野は、どう思っているのだろう。

二秒だけ固く目を閉じて息を吸う。
顔を上げ、極上の笑みを一つ。

柴田は相棒を持ったまま立ち上がり、紺野を抱きしめる。
優しく、ほんの少しだけ力を込めて。

「は、ハスキーさん?」

紺野の細い声が耳元で聞こえる。
その声に少し笑って、身体を離しできる限り優しく微笑みながら口を開く。

「私は、柴田あゆみだから。はじめまして。紺野あさ美ちゃん」
92 名前:11 君にありがとう 投稿日:2003年01月21日(火)07時31分51秒

世の中無気力に生きていても案外何とかなるもんだ。

でも、本当に楽しんで生きてみよう。まだスタミナ切れでへばるのは早過ぎる。
これから先私には想像もつかない出来事が待っているかもしれない。その場面に
直面した時、余裕の笑みすら浮かべて事態を楽しめる程強い自分になるために。

もう一度生き返って。
一度死んだ人間はより強くなって生き返る。

「ビッグになってやるー!」

相棒を持っている手を大きく天へ突き上げた。
93 名前:12 夢で会いましょう 投稿日:2003年01月21日(火)07時33分15秒



「まーたギタリストかいな……もうぎょうさんおるからいらんのんやけどなぁ」

そう言いながら山のように詰まれた書類に目を通し、カセットテープを聞き流す。
何本目の入れ替え作業だろう。再生ボタンを押す手も早くなる。

「ん?これギターやないな……ウクレレ?」

流れてきた音色は軽いころころとした音。急いでその応募者の書類を手にとる。


  Let's meet in a dream.
  君に会いに行きましょう 夢の中では素直になれる
  きっと僕は歌うだろう 何一つ飾らない言葉で
  Let's meet in a dream.
  見失ってしまった何か 僕は取り戻せるはずだから
  君と夢で会いましょう 青空に吸い込まれるように

  飾らない姿で 本当の出会いを夢見ながら


「……」
94 名前:12 夢で会いましょう 投稿日:2003年01月21日(火)07時33分47秒
珍しく最後まで聞いたテープを巻き戻し、彼はそれを鞄に入れた。

「それ、採用ですか?」

「いや、他にもっとレベル高いのがおるからこれは落選……今回は、な」

そう言うと彼は再び残りの書類に手を伸ばす。



窓の外は吸い込まれそうなほどキレイな青空が広がっていた。
95 名前:Let's meet in a dream. 投稿日:2003年01月21日(火)07時35分23秒

    Let's meet in a dream.【終】
96 名前:名無し作者 投稿日:2003年01月21日(火)07時45分33秒
Let's meet in a dream.を読んでくださった皆さん
本当に有難う御座いました。

本日の更新、変な更新の仕方になってしまってスイマセン。
この話に限っては自分の性格上HDに置いておくと書き直しばっかりして
違う内容になりかねないので即UPさせていただきました。

色々と後書きみたいなものを書きたいとこではありますが
長くなりそうですし、ここでは恥ずかしいのでやめときます。
97 名前:名無し作者 投稿日:2003年01月21日(火)07時47分25秒
本日はここまで。

このスレはまだ使う予定です。
一応は終わりですがまだ終わりではないので。
98 名前:LVR 投稿日:2003年01月21日(火)07時55分03秒
登場人物も心の流れ方も口ずさむ曲も全てがつぼでした。
ここまで好みが合う作品はなかなかないです。
凄く面白かったです、ありがとうございました。
続編か次回作かわかりませんが、ものすごく期待して待っています。
99 名前:名無し読者 投稿日:2003年01月22日(水)02時35分55秒
ごちそうさまでした。マターリ楽しませていただきました。高紺もいいなぁ…。
100 名前:ぶらぅ 投稿日:2003年01月22日(水)11時14分48秒
お疲れ様でした。
いやぁ…よかったです。高紺少ないですよね〜。
もっと増えてくれたら嬉しいですw
この間のテレビで一部高紺あったんで嬉しかったですよw
まだスレを使うとのこと…楽しみにしております
101 名前:北都の雪 投稿日:2003年01月24日(金)22時33分58秒
更新お疲れ様でした。
心理描写、詩、とても綺麗でした。
全てを投げ出しそうな僕ですが、
少しでも楽しめるようになりたい、そう思いました。
次も期待して待っております。
102 名前:りゅ〜ば 投稿日:2003年01月25日(土)13時46分02秒
完結お疲れ様です!
感動しました。さすがです!
作者さんの文章力は凄いです。引き込まれました。
途中で感動しすぎて心が熱くなりました。
103 名前:柴いぬ 投稿日:2003年01月25日(土)17時30分52秒
完結お疲れ様でした。自然と心に浸透してくるような美しい文章ですっごく良かったです(↑単純な感想でスマソ)
ハスキーさん、て響き好きでした。
あと、悪に鉄拳の制裁を下す紺野かっけー。

次回作も楽しみにしております。
104 名前:名無し作者 投稿日:2003年01月29日(水)23時02分20秒
うわぁっ、レスがいっぱいついてる!有難う御座います。嬉しいです。


>98
有難う御座います。
自分が書きたい物を楽しんで書くというのを大前提に置いて
書いたのでツボだったと言われると嬉しいです。

>99
有難う御座います。
他もCPも良いですが高紺も良いかなと思っていただければいいなぁ、と。

>100
有難う御座います。
高紺もっと増えてくれれば嬉しいのですが、ひっそりやるのもいいかなと
思いはじめたのは内緒です(w
105 名前:名無し作者 投稿日:2003年01月29日(水)23時04分10秒
>101
有難う御座います。
歌詞のほうは最後に出てくる少し長いもの以外は自分が好きな歌から
引用させて頂いているのでなんとも言えませんが(苦笑
読後に前向きな気持ちになるようなものが書けているようなら嬉しい限りです。

>102
有難う御座います。
少しでも何かを感じていただけてたら、それだけで書いて良かったと
思えるのでそう言って頂けて嬉しいです。
文章のことはあんまり良く分からないのでむちゃくちゃ読みにくい
という箇所がなければいいなと思うばかりです。

>103
有難う御座います。
単純だなんてとんでもないです。凄く嬉しいです。
「ハスキーさん」は思いつきでなんとなく響きが気に入ってしまったので
使いました。お気に召したようで良かったです。
紺野さんは、どうも自分が書くとこういうタイプになりがちのようです。


えーと、番外編と言うか続編と言うか新作と言うかなんかそんな感じ
の次回更新は、短めのものになると思いますが、気長にマターリ待っていて
頂ければ有り難いです。
106 名前:鳩と奇術師 投稿日:2003年02月02日(日)21時44分32秒

「奇術師なのに超能力を信じてるって?」

奇術を教えてくれた師匠は3人目だが、みんな超現実主義で有名な人だった。
奇術師はその質問にいつも笑顔で頷く。
そのあと決まって自信に満ち溢れた表情でこう言うのだ。

「だって、この世に絶対に有り得ないことなんてそうそうありませんから」

そして、また奇術師は師匠に勘当された。
107 名前:鳩と奇術師 投稿日:2003年02月02日(日)21時46分56秒
−−−−−−−−−−−−−−−−−−


   ――――Let's meet in a dream. Vol. 1.5――――


−−−−−−−−−−−−−−−−−−
108 名前:鳩と奇術師 投稿日:2003年02月02日(日)21時47分55秒
小さな町の公民館。小学生やお年寄りが所狭しとその一室に集まり、
舞台を見つめる。その瞳はどれも好奇心で輝いて。

狭いその舞台の上にたつのは普段着のままの奇術師。
その笑顔は人懐っこくて不思議な温かさがある。

「では、次はこの帽子の中から何かを出しまーす」

何の変哲もない黒い帽子をくるくると回してみせる。
『何か』
それは帽子を持っている奇術師自身その中から出てくるものが
なんなのか予想できないから。
109 名前:鳩と奇術師 投稿日:2003年02月02日(日)21時48分32秒
確かに、トリックはある。タネだって仕掛けだってちゃんと
準備して入念に予行演習もしてきた。
それでも予測できない事態は起こるのだ。

――それは、奇術師が本物の奇術師だから。

.
110 名前:鳩と奇術師 投稿日:2003年02月02日(日)21時49分14秒

「上手くいったら拍手お願いしますねー。ワン、ツー、スリー!」

掛け声と同時に帽子から白いものがひらひらと空中へ舞い上がった。
そのあとに今度はちゃんと前もって仕込んでおいた白い鳩がバサバサと
翼をはためかせて室内をぐるりと一周し、奇術師の肩へ乗る。
客席から拍手と歓声が上がった。

「えへへ、ありがとぉございまーす!」

ニコニコと笑みを振りまきながら先ほどの白いものの正体を
確かめるように足元を見る。
それは、破られた形跡の残っている数枚の紙切れだった。

その後も予定に沿って手品を披露する。
すべての演目が終わり、客席に人がいなくなったのを確認して
公民館の方が「そんなことしなくて良いですよ」と言うのに無理を
言って自分でステージを綺麗に掃除し、一礼をして公民館をあとにした。
111 名前:鳩と奇術師 投稿日:2003年02月02日(日)21時50分05秒
手に持つのは、お礼の入った袋と先程の紙切れ。よくよく見てみると、
それは楽譜のようだった。
歌詞の上にダイアグラムが書いてある。
4本しか弦がかかれていないということはベースだろうか。

「今度は楽譜かぁ……しかも他人様の物っぽいぞ……」

明らかに人の手によって破り取られた物である事は一目瞭然。
どうしたもんかなと考えながら歩いていると、不意に肩に乗っていた
白い鳩が一つ鳴いた。

足を止めると、弦を弾く音が軽く通り抜けていく。
そのどこか寂しげな音に足を止めると、鳩がその音の方向に飛んでいく。

「あ、おいおい!ちょっと待って!あさみー、どこいくのぉ?」

慌てて追いかける。いつもはこんな事ないのに。
外に出ているときは奇術師の肩を離れる事は滅多にない。

白い鳩は茶髪の少女の頭にとまった。
112 名前:鳩と奇術師 投稿日:2003年02月02日(日)21時50分43秒
「うぁっ!?な、なに?」

「ありゃ〜……ごめんなさいー。あさみ!そこから降りてこっち来てー」

小さな弦楽器を抱えた少女が振り返る。洋風な顔立ちの美少女だ。
ただ、白い鳩を頭に乗せたままなのでちょっと笑ってしまった。
少女は髪をかき上げるような動作で鳩を頭上から離れさせる。
着地点を失った鳩は奇術師の肩へと再び戻ってきた。

「あさみ、だめじゃん。他人様の頭に乗っちゃー」

お叱りを受けた鳩は返事をするように小さく鳴いて頬に擦り寄ってきた。

「あさ美……?その鳩の飼い主さん?」

少女の問いかけに奇術師は首を横に振る。

「ひらがなで『あさみ』ね。飼い主じゃないよ」

驚いた少女は「野生なの?」と聞くが、奇術師はまた首を横に振る。
飼っているわけでもなければ野生でもない。
では、一体なんなのか。

「あさみは友達なんだ」
113 名前:鳩と奇術師 投稿日:2003年02月02日(日)21時51分29秒
奇術師は冗談を言っている風ではなく普通にそう答えた。
少女は一瞬何を言っているのか理解できないという表情をしたのち、
微笑みながら楽器を軽く持ち上げてこう言った。

「なるほど。じゃぁ、こいつと一緒だね。これ、私の相棒」

「へぇ。ウクレレかぁ……名前は?」

「へ?」

言葉に詰まっていると奇術師はにっこり笑って隣に腰を下ろす。
白いフレアスカートが涼しげだ。

「ないんなら、いい名前があるよ。あのねー」

落ち着いた少し低めの声が流れる。
奇術師は右手をすっと目の前に出して「ぱちん」と指を鳴らした。
次の瞬間、少女の周りに花吹雪が舞う。奇術師の手には赤いフリージア。
驚く少女を気にする風でもなく奇術師は先程の台詞を続ける。

「めぐみ」
114 名前:鳩と奇術師 投稿日:2003年02月02日(日)21時52分04秒
少し、沈黙の時間がやってきた。
それに耐え切れなくなったのか、鳩がばさばさと羽を鳴らし、
5メートル程先にある木へ避難するように飛んでいった。

「ときに、失恋でもしたのかな?ウクレレ弾きのお嬢ちゃん」

「……なんでそう思うんですか?手品師のお姉さん」

少し怪訝そうな表情での問いかけに奇術師は持ったままのフリージアで
ウクレレを指して口を開く。

「そのめぐみちゃんが悲しい音を響かせてたから」

ウクレレを勝手につけた名前で呼ぶ。
115 名前:鳩と奇術師 投稿日:2003年02月02日(日)21時52分44秒
少女が黙っていると、奇術師は花を横に置いてポケットからコインを
取り出し少女からよく見えるように手の中へおさめた。

「ものっていうのはね、それに触れている時間が長ければ長いほど
 その触れている人の心を面白いほど読み取ってくれるんだ。
 たとえば、このコイン。私がその手にもっていることを否定したり
 消えてくれ、移動してくれって強く願うと……」

ぐっと一つ力を入れて固く握っていた手を開く。
コインは消え、白い綺麗な手のひらには何も残っていなかった。

「と、まあこんな具合に思いを聞き入れてくれるわけだ」

白い歯を見せて小さく笑う奇術師にわざとらしく冷めた目をして
少女が口を開く。

「ただの手品じゃない。タネも仕掛けもあるから出来るんでしょ」
116 名前:鳩と奇術師 投稿日:2003年02月02日(日)21時53分22秒
「ま、普通はね。でも私は本物だからさー」

今までと同じで、ふざけている口調ではないが、真剣な口調でもない。
本当に普通に話す奇術師の台詞は嘘なのか本当なのか判断がつかない。

「種も仕掛けもないんなら、奇跡が起こせるってこと?」

「奇跡は何度も起きてたら奇跡じゃないでしょ?私は奇術師。奇跡師じゃない」

「……ごめん、わけわかんない」

少女が両手を小さく挙げてお手上げのポーズをすると「だろうね。私も自身よく
わかんないから」と苦笑して無理矢理その話を終わらせた。

「で?話は戻るけど、失恋したのを引きずってるの?かっこわりー」

奇術師の軽口に少女はムッとして機嫌悪そうに眉間に皺を寄せる。
自然に返す口調もきついものになる。
117 名前:鳩と奇術師 投稿日:2003年02月02日(日)21時54分10秒
「初対面なのに随分と図々しい人ですね。吹っ切ったつもりです。
 でも心の奥にちょっと残ってるのは仕方ないんじゃないですか?
 私はデリケートなんで、あなたみたいにへらへら出来ない」

「そんなに可愛い顔して、刺々しいなぁ。私だってデリケートだよ。
 初対面なのに声かけるなんて滅多にしないし出来ないし」

「嘘ばっか。今まさに初対面でいきなり声かけてんじゃない!」

鬼の首を取ったように少女が人差し指を奇術師の鼻先に突きつける。

「あさみがわざわざ連れて来てくれたから。そしたらよく見りゃ
 あんまりにも可愛い子だったんでついつい、ね。泣きそうな顔してたし」

これは何を言っても口では勝てそうにないと思い、少女は小さくため息をついた。
相手が悪すぎる。どんなにまともな事を言っても無駄なのだ。
どう表現すれば良いのかわからないが、頭がメルヘンな感じ。

「そういうわけで、お名前はなんというのかな?ウクレレ弾きのお嬢さん」
118 名前:鳩と奇術師 投稿日:2003年02月02日(日)21時55分12秒
どういうわけだ。
突っ込みを入れる気力もなく、少女は普通に名前を応えた。

「手品師のお姉さんも名乗ってよ」

「私?何?興味ある?うれしいなー」

「やっぱいい」

奇術師の浮かれようになぜかむかついて少女はそっぽを向いてウクレレを
上下に三回鳴らした。

「ねーねー、これ弾いて。私も手品見せたし、いいっしょ?」

奇術師の手にはショーの時に出てきた楽譜。
少女はそれを見て息を止めた。「これ、どこで?」楽譜を凝視したまま
奇術師の腕を掴んだ。

「手品で出て来た。あ、ひょっとしてこれ、あなたの?」

少女は深呼吸を数回して頭を激しく振ったあと楽譜を奪い取り、大事そうに
抱きしめる。
119 名前:鳩と奇術師 投稿日:2003年02月02日(日)21時56分05秒
「よくわかんないけど、大事なもんだったんだねぇ。じゃ、弾いて弾いてー」

断るのも面倒臭くていつもの練習どおりに弾く事にした。
今日はちょっと早く指を動かせるようにしないとサビの部分が追いつかない
曲を練習していたのだけれど、まだ一度も上手く弾けていなかった。

丁度いい。ちゃんと楽譜もあることだし。
この人の前で失敗するのはなんだか癪だし、意地で上手く弾けるかもしれない。

そんな胸の内を奇術師は知るよしもなく、ニコニコしながら頬杖を
ついて少女を見つめている。

視線を感じながら少し躊躇いがちに最初のコードを弾く。
120 名前:鳩と奇術師 投稿日:2003年02月02日(日)21時56分44秒
歌っているうちに気付いた事。
まるで歌詞がこの奇術師の前で歌うために用意したような歌詞だったと言うこと。
まだ完全に覚えていないので楽譜を見ながら弾いていると奇術師が横で歌う。

    壊れたピエロのふりをして どこまで飛べるかな

そのフレーズはおかしいほど奇術師にピッタリだった。
舌足らずな声は不思議と落ち着いて耳に届く。
少女は奇術師の歌は自分や紺野よりもずっと上手いことに気がついて思わず
口をつぐんだ。ソロでじっくり聞きながら弾きたいと思ったからだ。
レンズ越しに見えるその瞳は茶色いガラス玉のように光を映しこむ。
その横顔に、思わず手を止めた。

「……?ありゃ?やめちゃうの?」

「え?あ、あぁ、うん。まだ練習がたんないみたいだから」
121 名前:鳩と奇術師 投稿日:2003年02月02日(日)21時57分40秒
少女の言い訳を奇術師は素直に聞いて「そっか、残念」と楽譜から目を離した。
いつの間にか足元に戻ってきていた鳩を抱き上げて立ち上がる。

「今日はそろそろ帰るとしますか。めぐみちゃんを大切にねー」

「あ、ちょっと!やっぱ名前聞いとく」

焦って立ち上がり、こけそうになった少女を支えようとした奇術師は
自分までバランスを崩し、結局二人で転んでしまった。

「うぎゃ、ごめんなさい!」

少女は奇術師の上に思い切り乗っかっていた事に気付き、急いで立ち上がり、
手を差し伸べる。
122 名前:鳩と奇術師 投稿日:2003年02月02日(日)21時58分20秒
「うーん、やっぱりカッコ良く決まらないもんだねぇ」

「たはは」と乾いた笑いを漏らし、手を取った奇術師は立ち上がったあとも
その手を離そうとしない。
ブンブン勢いよく縦に振っても、横に振ってもニコニコ笑ったまま離さない。
まるで園児が手を繋いで遊んでいるみたいだ。

「あの、名前は?……そろそろ手を離さない?」

「名前はもう知ってるはずだよ」

少女が首をかしげると、奇術師は目を細め、少女の持っているウクレレの
ボディーラインに沿ってそっと手を滑らせる。

「夢で会いましょう」

ぱちん。

瞬きに合わせるかのように奇術師が右手の指を鳴らした。
次の瞬間、瞼を開いたときには既に少女の目の前に奇術師の姿はなかった。
123 名前:鳩と奇術師 投稿日:2003年02月02日(日)21時58分58秒
−−−−−−−−−−−−−−−−−−


「それで、その人たちは夢で会えたの?」

ウェーブのかかった髪をなびかせた女性が聞くと、ギターを片手にその話を
していた短髪を金色に染めた女性は吊り目を細めて白い歯を見せる。

「さぁ?どうなんだろうねー」

公園のすぐ横にある公民館に少し大きめの荷物を持った女性と小さなギターの
ような形をしたソフトケースを持った女性が話をしながら入っていくのが見えた。
二人は顔を見合わせてその話に聞き耳を立てる。
124 名前:鳩と奇術師 投稿日:2003年02月02日(日)21時59分33秒


「むらっち!早く来てよ!あさみはちゃんと準備できてる?」

「うん、大丈夫だよねー、あさみ」

大荷物の女性の肩に乗った白い鳩が二人の頭上をくるりと回って今度はもう一人の
ほうのケースに着地した。

「OKってさ。それより、有難うね。誰かとステージに立つのって初めて。嬉しいよ」

「いやいや、人前で弾くいい機会だし、こっちも有難う」


建物の中に入っていったと同時に金髪たちはその近くに立っている掲示板の
ポスターを見る。
125 名前:鳩と奇術師 投稿日:2003年02月02日(日)22時00分27秒
手作り感あふれるそのポスターには先程の二人の写真がはってあった。
手書きの文字を読むと、ウクレレと手品。入場は無料らしい。
華麗なマジックにあわせてウクレレを弾く。もちろん、ちゃんと歌を
歌う時間も確保してある。
この舞台はマジックショーでもミュージックライブでもない。
一度で二度も三度もおいしいステージ。

「……入ってみる?」

「うん」

親と手を繋いだ子どもたちとお年寄りに紛れて二人の女性は建物の中に歩いていく。



未熟なウクレリストとマイペースな奇術師。
二人がこれからどうなるのかは、まだ誰も知らない。
126 名前:鳩と奇術師 投稿日:2003年02月02日(日)22時01分37秒


   ――Let's meet in a dream. Vol. 1.5――【終】
127 名前:名無し作者 投稿日:2003年02月02日(日)22時02分21秒
遅くなりましたが更新しますた。
128 名前:名無し作者 投稿日:2003年02月02日(日)22時02分57秒
本日の更新終了。
129 名前:名無し読者 投稿日:2003年02月05日(水)00時15分35秒
マイペースなメルヘン奇術師、いいですね。この人が出てくるとは
ちょっと予想外でした。彼女たち大好きなんで、かなり嬉しかったり。
ここで出会った2人と2人の道は今後、重なり合うのでしょうか…。
130 名前:名無し読者 投稿日:2003年02月05日(水)00時53分35秒
このスレ読んで、なんか初体験が一杯です。
本日の更新終了ってことは、まだ続きあるんですよね?
期待して待ってます。
131 名前:名無し作者 投稿日:2003年03月03日(月)22時08分18秒
更新はまだなんですが、こっそりと。

>129
レス有難うございます。
喜んで頂けたようで嬉しいです。私も彼女たち大好きなので。
彼女たちが今後どうなるかは、お楽しみに ということで。

>130
有難うございます。
初体験いっぱいですか。私、マイナー大好きですから(w
続きはあります。期待を裏切らないようなものをかけるよう頑張ります。

そんなわけで、まだ続きあります。UPするのはまだ時間がかかりますが。
相変らず個人的趣味に走りまくってますが、よろしければ待ってて頂ければ
嬉しいです。
132 名前:北都の雪 投稿日:2003年03月28日(金)00時22分06秒
保全
133 名前:たとえば誰よりも 投稿日:2003年04月02日(水)01時35分50秒
−−−−−−−−−−−−−−−−−−

        たとえば誰よりも

――――Let's meet in a dream. Vol. 2――――

−−−−−−−−−−−−−−−−−−
134 名前:01 頬を伝う雨 投稿日:2003年04月02日(水)01時37分50秒

出会ったときから今まで、村田はずっと変わらない不思議な優しさで
柴田を包み込む。
村田の本業は奇術師だが、いつの間にやら歌の道へ引っ張り込んで
しまった事に柴田は少し責任を感じていた。
135 名前:01 頬を伝う雨 投稿日:2003年04月02日(水)01時38分28秒

村田は時々思い出したように悲しそうな表情をする。
どうしたの?と問い掛けてみても曖昧に笑って得意の奇術や話術で
上手くはぐらかそうとしてしまう。その原因が何かを聞いても良いのか
悪いのか判断がつけられない柴田ははぐらかされた振りをする。
お互いがそれに気付いているのも知っている。
もどかしさはまるで雨の音のように次から次へと重なって無数の音となる。
それをはっきりと主張するように相棒は真っ直ぐな音を出してはくれない。

「めぐみ……かぁ……お前の名付け親はなにを考えてんのかな?」

ため息混じりに相棒に話しかける。
泣きそうな顔をするのに泣かない。その顔の後には決まっていつもよりも
優しい顔で微笑んで誤魔化す。
136 名前:01 頬を伝う雨 投稿日:2003年04月02日(水)01時39分26秒

「やっぱ嫌だったのかな……奇術一筋のが良かったのかな……」

申し訳ないと思う一方、村田の歌が好きな自分がいる。彼女と一緒に
音楽活動をしていくのはどんなに楽しいだろう。あの活舌の悪い声が
不思議と心に染み込んでくる。

瞼を閉じるといつの間にか降り始めた雨の音がわずかに大きく聞こえた。



ずぶ濡れの村田が花束を抱えて微笑んでいる。よく見ると頬を伝う水滴は雨以外の
ものが混じっていることに気づく。瞬きのたびにそれは瞳から零れ、落下して行く。

柴田はその光景をただ眺めているだけ。



一瞬目を閉じただけの記憶しかないのに気が付けば5時間も眠っていた。
枕代わりに頭を乗せていた右手が痺れて感覚をなくしている。
最近、村田の夢をよく見るようになった。でもそれはあくまでも映像を見ている
だけの夢。柴田は自分と村田の行動を見ることしかできない。
テレビの中で演技をしている自分たちを見ているようで、もどかしい。

少し伸びて鬱陶しくなってきた前髪をかき上げてため息をつく。
幸せが一歩、逃げて行く足音が聞こえた気がした。
137 名前:名無し作者 投稿日:2003年04月02日(水)01時41分16秒

短いですが本日はここまで。
138 名前:名無し作者 投稿日:2003年04月02日(水)01時42分15秒
>132
保全有難う御座います。
139 名前:名無し作者 投稿日:2003年04月02日(水)01時43分29秒
定期的に更新できたらいいなぁと思いつつ、更新age。
140 名前:名無し読者 投稿日:2003年04月02日(水)13時13分27秒
うにゃあ。更新が嬉しくて思わずゴロゴロしちゃいました♪
彼女の歌声、私も好きです。昨年末の単独コンでのソロは忘れられません…。
柴ちゃんの見る夢は、やはりまた大きな意味を持っているのでしょうか。
今後の展開を楽しみに、のんびり続きをお待ちしてます。
141 名前:02 疑惑と確信 投稿日:2003年04月05日(土)02時52分58秒


疑惑が胸の中で彷徨う。

.
142 名前:02 疑惑と確信 投稿日:2003年04月05日(土)02時53分35秒

柴田はひょっとして紺野のことを好きだったんじゃないだろうか。
初対面のはずの二人はまるで親しい間柄であったかのように息が合っていた。
柴田のウクレレの演奏に合わせて楽しそうに歌う紺野。

軽い嫉妬心を抱いたのは言うまでもない。

しかも、紺野だけを優しい眼差しで見つめて唄うその歌はラヴソング
……でも、別れの歌。

時間が経ってもきっとずっと忘れられない。会えて良かった。
たとえそれが実らない恋でも。そんな歌。
143 名前:02 疑惑と確信 投稿日:2003年04月05日(土)02時54分18秒
紺野も曲が終わるまでずっと同じように柴田を見つめて。
二人の間に割り込めない。

柴田が紺野を抱きしめる。

――『は、ハスキーさん?』

――『私は柴田あゆみだから。はじめまして、紺野あさ美ちゃん』

その会話から推測できた事は紺野は柴田の名前すら知らなかったということ。
二人は確実にどこかで会ったことがあるということ。
柴田が、リセットボタンを押したということ。

あの日、二人は本当に出会った。

自分はいつまで紺野を繋ぎとめておけるだろうか。
紺野は柴田の元へ走っていかないだろうか。不安が襲いかかる。
高橋はその場を動けないまま拳を握り締めた。
144 名前:02 疑惑と確信 投稿日:2003年04月05日(土)02時55分44秒


あれからもう3ヶ月経つ。高橋と紺野は依然として友達の枠を
外れられないでいた。

「柴田さんはどうしてるかなぁ?」

紺野は思い出したように柴田の話をする。会話が途切れたときは必ずと言って
良いほどだ。しかも、決まってその表情は笑顔で。
反面、高橋から柴田の話題を振ることはなかった。
柴田の話をしているときの紺野はどこか別の人に思えるときがあるから。

言い知れぬ危機感。柴田はリセットボタンを押した。
誰にも気づかれないように。想い人にすらその心を打ち明けることなく。
でも、もし、あのとき柴田が紺野に気持ちを伝えていたとしたら……
紺野は今こうして隣で笑っていないかも知れない。
どう考えても、二人の気持ちは同じだったはずだ。
それはきっと今でも同じ。少なくとも、紺野の想いは。

自分がどんなに紺野を想っても、紺野は心の片隅でずっと柴田を想っている。
紺野自身、気が付いていないかもしれないけれど。
145 名前:02 疑惑と確信 投稿日:2003年04月05日(土)02時56分16秒

「愛ちゃん?」

紺野の声に顔を上げる。
この3ヶ月で変わったことなんてお互いの名前を呼べるようになったことだけ。
「先輩」「紺野さん」から「愛ちゃん」「あさ美ちゃん」に変わった。
でも、それ以外何も大して変わっちゃいない。
自分から切り出さないと、いつまで経っても進展しない。

今度は前みたいに勢いじゃなく、ちゃんと頭で言葉を組み立てて口を開いた。

「あさ美ちゃんは、今、柴田さんと私のどっちが好き?」

「え……ええと」

前置きのない唐突な質問にうろたえる紺野をまっすぐに見つめて答えを待つ。
紺野は足を止めて、あごに手を当てて考え込んだあと、予想通りの返事を返した。
146 名前:02 疑惑と確信 投稿日:2003年04月05日(土)02時57分52秒

「二人とも、同じくらい……好きだよ」

今にも涙が零れ落ちそうなほど潤んだ瞳と困った声。
別に悪いことを聞いたわけでもないのに罪悪感に苛まれるのは何故だろう。
高橋は複雑な笑みを浮かべて「そっか」と小さく呟いた。

「それは……どっちも同じくらいしか好きじゃないってことなんだよ……
 100%を50%ずつ。半分ずつしか好きじゃない」

「それは違うよ!」

「うん。あさ美ちゃんは柴田さんのほうが好きだもんね」

「――そんなこと……」

「私が嫁に来てくれって言ったとき、あさ美ちゃんは迷った。
 もし仮に柴田さんがあさ美ちゃんに告白したら、迷わなかった。
 それは、心はいつも柴田さんのとこに置いてきてるから」
147 名前:02 疑惑と確信 投稿日:2003年04月05日(土)02時59分02秒

高橋の言葉に紺野は反論を返さなかった。うすうす理解していた。
でも、いざそれが確信だとわかると、こんなにもツライ。
鼻の奥がツンとして目頭が熱くなる。
泣き出しそうな顔にならないように必死で平静を装い、声を絞り出す。

「冗談だよ。ごめんね」

紺野の表情を見るのが、台詞を聞くのが怖くて、それだけ言って走って帰った。
ああ、馬鹿だ。
こんなこと言ったら紺野が自分自身の気持ちに気付いて柴田に向かって
まっすぐに走っていく日を早めてしまうのに。
それでも言わずにはいられなかった。
148 名前:02 疑惑と確信 投稿日:2003年04月05日(土)02時59分47秒

柴田と紺野の間には入り込む隙間を見つけられなかった。
石川と柴田の中の良さは前々から見ていて知っていたが、柴田と紺野は
明らかに石川とのそれとは違う空気があった。

親友とは違う。もっと深いレベルの知り合いというか、でもお互いべったり
くっついてるわけでもない。
ある意味では誰よりも親しくて、ある意味では友人よりも希薄な関係。
その関係は何と呼べば良いのだろう。

紺野とちゃんと付き合ってるのならば「浮気するな」とか強く言えるのだが、
現在の状況は以前平行線のまま仲の良い友達のまま。
だからこそ余計に焦ってしまう。
紺野はこのまま友達のままで終わらせてしまうのではないか。
いつだってその疑問は胸の中に残ったまま。
149 名前:02 疑惑と確信 投稿日:2003年04月05日(土)03時00分30秒

柴田は身を引いて普通の特に親しいわけでもない友達になった。
高橋は身を乗り出して親しい友達にこぎつけることができた。
まったくの正反対。

考えれば考えるほど惨めな気分になってくる。

柴田の行動の真意がわからない。
好きなのに何故離れることを選んだのだろう。

以前、石川の家で集まって話をしていたとき柴田は紺野が貶される
言葉を聞いただけで怒って怒鳴った。

――『そんなことないよ!』

柴田の親友の石川ですら珍しいと言っていたその怒鳴り声は紺野のことで
発せられた。
そのときは単に「いい人だなぁ」と思ってお礼まで言ったのだけど、今は
思い出すだけで複雑な気分になる。
まさか恋敵だったなんて、思いもしなかった。

「なーにが“ハスキーさん”よ!犬か!?犬かよ!それとも掠れた声かい!」

独り言を叫んでみても、近所のおばさんたちの視線が痛いだけだった。
150 名前:名無し作者 投稿日:2003年04月05日(土)03時01分13秒
本日はここまで。
151 名前:名無し作者 投稿日:2003年04月05日(土)03時05分50秒
>140
レス有難う御座います。
自分の彼女の声、好きです。いつかメインでも歌ってほしいなと思いつつ。
柴ちゃんの見る夢は今後明らかになるかも、ならないかも。
ゆっくりめの更新になると思いますが最後までお付き合い頂けたら嬉しいです。
152 名前:名無し作者 投稿日:2003年04月05日(土)03時06分49秒
更新しますた。
153 名前:名無し読者 投稿日:2003年04月05日(土)12時40分14秒
愛ちゃん辛いなぁ・。・゚(ノД`)゚・。・
こんこんがどう動くのか楽しみです
154 名前:03 恋敵 投稿日:2003年04月09日(水)05時15分55秒

柴田はいつもの川土手で練習をしていた。昼間は石川や藤本たちは
学校に行っているので基本的には一人。村田もなにやら忙しくして
いるらしい。

「雨、降りそうだなぁ…『くもり空』なんか弾いてたからかなー」

集中できないのに練習しても余り意味はないとわかってはいるのだけど
弾くことによって現実逃避したい。嫌なことも辛いこともどんなことも
忘れたかった。すべて忘れて、一人の世界に入り浸りたい気分。

ポケットには相変わらずぼろぼろの破れた紙切れになってしまった楽譜が
入っている。もう覚えてしまっているから必要ないのだけれど、この楽譜
には思い出がありすぎるから。お守りみたいなものだ。一種の精神安定剤の
ように柴田を落ち着かせてくれる。

ポケットに手を入れてその感触を確かめると、後ろから声が聞こえた。
155 名前:名無し作者 投稿日:2003年04月09日(水)05時16分45秒

「柴田さん、今日も練習ですか」

標準語とは大きく違うイントネーション。ここまで訛ってるのは
知ってる人の中では一人しかいない。振り向くと予想通りの人物が
立っていた。

「そうだけど……高橋ちゃん、学校は?」

「遅刻です。いっそサボっちゃおうかと思って」

爽やかに笑う高橋は軽そうなカバンを柴田の隣におき、その上に座った。
複雑な気持ちが胸の中で膨らんでゆく。あのときの紺野と高橋の繋がれた
手が脳裏に蘇る。

「……紺野ちゃんとは、仲良くしてる?」

頭の中で考えるよりも先に口が動く。あれから紺野には数回しか会って
いない。もちろん夢の中で会うこともなくなっていた。
156 名前:名無し作者 投稿日:2003年04月09日(水)05時17分26秒

柴田の質問に高橋は表情を曇らせ「仲、良いですよ。すごく」と小さな
声で答えた。台詞と表情が違いすぎることに違和感を感じて眉をひそめる。

「何かあったの?」

「そんなにあさ美ちゃんのことが気になるんですか?」

高橋は今まで聞いたこともない強い口調だった。質問に質問を返されて、
一瞬詰まる。違う。答えに詰まったのはそんな理由じゃない。
どう答えて良いのかわからないからだ。
完全に吹っ切ったはずだった。
紺野自身にも、周りの誰にも知られることのないまま消し去った想い。
それなのに、未だに紺野のことが気になる。
157 名前:03 恋敵 投稿日:2003年04月09日(水)05時19分44秒

「柴田さんとあさ美ちゃん……本当にあのときが初対面だったんですか?
 私にはどうしても納得できないんです。柴田さんがあさ美ちゃんを見る
 ときの眼差しも、あさ美ちゃんが柴田さんに笑いかけるときの空気も!」

「高橋ちゃ……」

「わからない!私じゃ駄目なの!?目ぇ、空気、見てない!笑うのにっ!」

「た、高橋ちゃん、落ち着いて。深呼吸深呼吸!」

錯乱した高橋の両肩を抑えて落ち着かせる。
初めて知った。高橋がこんなパニック体質だったとは。
混乱の後は自分の中に塞ぎ込む。座り込んで頭を抱えて動かない。

一体何があったのだろう。
とりあえず先ほどの言動から理解できるのは高橋には柴田が紺野のことを
どう思っていたのかがバレているということ。
158 名前:03 恋敵 投稿日:2003年04月09日(水)05時21分28秒

不意に強く吹いた冷たい風で、今にも雨が降り出しそうなことを
思い出した柴田は相棒をケースの中にしまって、まだ混乱したままの
高橋の手をひき自宅へ戻った。
ボロくて狭い上に少し汚れている部屋に入れるのには多少の抵抗が
あったがそんなこと気にしてる場合じゃない。無言の高橋を部屋の前まで
手を引いて連れて来たのに中に通さないわけにはいかない。

お茶を入れて高橋に手渡すと、ようやく真一文字に閉じていた口を
開き始めた。

「……八つ当たりしてごめんなさい」

「や、別に私は気にしてないけど。それより何があったのか教えてくれる?」

柴田の問いかけに高橋は再び黙り込み、静寂が狭い部屋を支配する。
数分経つと雨が窓ガラスをたたく音が聞こえてきて、この前の夢を
思い出す。村田は泣いていた。柴田は何もできなかった。
では、今の状況は?
高橋が泣きそうだ。柴田はまた何もできないでいる。
夢の中でも現実でも自分の無力さを思い知らされている気がして唇を噛んだ。
159 名前:03 恋敵 投稿日:2003年04月09日(水)05時22分37秒

「正直に答えてください…あさ美ちゃんのことどう思ってます?」

「どうって、言われても……紺野ちゃんは……」

わからない。
確かに紺野のことは今でも好きだ。でも、それはまだ恋愛感情と言えるの
だろうか。
以前は、好きで好きでたまらなくて、会いたくて、会えなくて、やっと
会えて。夢の中では誰よりも傍にいた。心の距離は殆ど感じないほど近く。

「あの時、柴田さんはじめましてって言いましたよね。でもお互いに初対面
 じゃなかった。違いますか?ハスキーさんって何なんですか?」

「……ハスキーさんは、夢はでっかく持ってるのに行動が伴ってない奴で、
 意地っ張りで、うじうじしてて、泣き虫な奴だったよ。紺野ちゃんは、
 そんなどうしようもない奴を救ってくれた救世主なんだってさ」

それ以上のことは言わない。
紺野との夢の中での出来事は他の人には秘密にしておきたいから。
たとえそれが記憶の中で美化されていつか原形をとどめなくなっていても。

「柴田さんが、ハスキーさんなんですか?」

高橋の質問には否定も肯定もしない。ただ無言でお茶をすすった。
160 名前:03 恋敵 投稿日:2003年04月09日(水)05時23分14秒

「……あさ美ちゃんは、柴田さんの話をするときすごく楽しそうなんです。
 それこそ食べ物の話をしてるときといい勝負。私と二人きりのときでも。
 相手が男の子ならまだ簡単に身を引けたかもしれません……でも、
 柴田さんは女の子じゃないですか。私と同じ女の子じゃないですか!」

高橋はうなだれたままぼそぼそと話を続ける。

「このままじゃ、私がピエロみたいです」

「ピエロ……」

ふと思い浮かんだのは、何故か村田の顔。奇術師なのに。
胸の奥でちくりと針を刺されたような痛みが走った。
161 名前:名無し作者 投稿日:2003年04月09日(水)05時24分06秒
ちょっと短いですが、本日はここまで。
162 名前:名無し作者 投稿日:2003年04月09日(水)05時27分59秒
>153
レス有難う御座います。
高橋さん、今回も引き続きこういう役回りになってます。
紺野さんは次回更新で動き始めると思います。多分。
163 名前:名無し作者 投稿日:2003年04月09日(水)05時29分05秒
更新age
164 名前:04 見えない気持ち 投稿日:2003年04月13日(日)03時56分58秒

終礼が終わっても、紺野はなんとなく動く気になれずに机の上に
突っ伏して一人窓の外を見ていた。
グラウンドには部活を始める生徒が体操服姿で駆け回っている。

陸上部で紺野が一暴れしたあの事件のことは、もう既にみんな
忘れかけていた。ただ紺野のことを名前くらいしか知らない人の
見る目が多少変わったくらいで。所詮その程度のことだったんだろう。
当事者以外の人間にとっては。

紺野の成績も相変わらず上位で固定されているので教員たちは問題児
扱いをすることもないし、陸上部の顧問に至っては復帰しないかと
誘ってくれている。
165 名前:04 見えない気持ち 投稿日:2003年04月13日(日)03時57分33秒

しかし、やはり怪我をさせた陸上部の部員たちはやはりまだ恨みを
持っているらしいし、今更のこのこ戻ろうとも思えない。
なにより、彼女たちに反省の色が見えないのが悲しかった。
それ以上に未だに自分が彼女たちに暴力を振るったという事実が
許せなかった。もっと穏やかに済む方法もあったはずなのに。

高等部の先輩にも申し訳ないことをした。
陸上部は高等部と中等部の交流が深く、よく合同練習もしていた。
このまま高校に上がっても陸上部に来てくれと言ってくれていたのに
自らその選択肢を絶ってしまった。
166 名前:04 見えない気持ち 投稿日:2003年04月13日(日)03時58分23秒

体育系の部活じゃなくてもいいかもなとも思う。
確か高橋は合唱部だと言っていた。声の小さい自分には向いていない
ので同じとこには入らないけど。あとは、楽器を弾いてみたいなぁとも
思う。柴田さんのようにウクレレも弾いてみたい。
ギターは手が小さくて指が届かなかった記憶があるけど、ウクレレなら
小さいし、軽いので何とかなるかもしれない。

そこまで考えて、昨日のことを思い出した。
167 名前:04 見えない気持ち 投稿日:2003年04月13日(日)03時59分16秒

――『あさ美ちゃんは柴田さんのほうが好きだもんね』
――『もし仮に柴田さんがあさ美ちゃんに告白したら、迷わなかった。
―― それは、心はいつも柴田さんのとこに置いてきてるから』

なんで、そんなに簡単に結論が出せるのか。
自分自身ですらよく分からない状態のままなのに。
夢の中では恋人同士に限りなく近づけたかもしれない。
でも、紺野には分からなかった。その気持ちの正体が単なる憧れなのか、
恋愛感情なのか、はたまた友情なのか。

「それに、柴田さんはハスキーさんだけどハスキーさんじゃないし……
 夢の中のことは一切話さないし」

きっと、あの奇跡は二度と起こらないのだろう。
でも紺野の部屋にはまだ数ページを破かれた楽譜が置いてある。
あの事実を消さないように。

「……柴田さんは、どうなんだろう……」
168 名前:04 見えない気持ち 投稿日:2003年04月13日(日)04時00分10秒

「あれ?あさ美ちゃん、まだ残ってたんだ。柴田さんがどうしたの?」

小川の声で独り言を言っていたことに気付く。そういえば今日の日直は
小川だった。日誌を職員室に届けて戻ってきたのだろう。
多少の動揺を隠しながら「なんでもないよ」と笑ってかわした。

あの夢の中の出来事はきっと柴田さんも共有してる。それは確信して
いるのに、最後まで名乗らなかった柴田さんは何を思ったのかわからない。

――『私は、柴田あゆみだから。はじめまして。紺野あさ美ちゃん』

あんな言い方されたんじゃ、夢のことなんて言いだせるわけがない。
あの出会いがあったことは、お互いに確信してる。それを話さないと
いうことが暗黙の了解。

「あー、雨降ってきたね……置き傘あったかなぁ」

いつの間にやらぽつぽつと降り始めた雨は瞬く間にその激しさを
増していく。
169 名前:04 見えない気持ち 投稿日:2003年04月13日(日)04時01分03秒

窓の外の高等部の校舎が水の流れで歪んで見える。
そういえば、今日は高橋を見ていない。
いつも昼休憩にはあの窓からこちらへ向かって手を振っているのに、
今日はその教室自体に誰もいない。

小川もそのことを不思議に思っていたらしく「愛ちゃん今日は見ないね」
と首をかしげていた。

「喧嘩でもした?」

喧嘩、になるんだろうか。あれは。

「私でよかったら相談に乗るけど」

「……相談」

小川は唯一気の許せる親友だ。しかし、相談するにしても、どこから話せば
いいのだろう。夢の中のことはなんとなく話したくない。話しちゃいけない
気がする。そんなことで迷ってるうちに小川の表情が曇ってきた。
170 名前:04 見えない気持ち 投稿日:2003年04月13日(日)04時02分33秒

これはまずい。小川が繊細なことは誰よりも良く知っている。
泣かせるわけにはいかない。

「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて相談に乗ってもらおうかな…」

「うん!」

とりあえず昨日高橋と交わした会話のことだけを話して柴田とのことに
ついては極力省いた。
紺野の話が終わると小川は「質問してもいい?」と、こめかみのあたり
に人差し指を当てて口を開いた。

「何?」

「あさ美ちゃんは、柴田さんのことが好きなの?」

やっぱりそうきたか。わからないんだってば。
自分のことは自分が一番良くわかるなんて、本当なんだろうか。
こんなにもわからないのに。黙り込んでいると半笑いの声が振ってくる。
171 名前:04 見えない気持ち 投稿日:2003年04月13日(日)04時03分05秒

「そんなんじゃ、愛ちゃんが怒るのも無理ないよ。まずは自分の気持ちを
 ハッキリさせないと」

「わかってるけどさぁ……」

「柴田さんに会いに行けば?話してたらなんかわかるかもよ」

わかるだろうか…何か変わるだろうか。柴田さんに聞きたいこともあるし、
いい機会かもしれない。ただ、心配事が一つ。

「……愛ちゃんに怒られないかな?」

まだ付き合ってるとは言えないかも知れないけど、友達以上恋人未満。
この状況で柴田さんと二人であうなんて事がばれた日には、火に油を注ぐ
ことになるのではないだろうか。
172 名前:04 見えない気持ち 投稿日:2003年04月13日(日)04時03分49秒

「このままハッキリしないほうが問題ですー。柴田さんの連絡先くらい
 知ってるでしょ?はじめに会ったとき携帯番号交換したじゃん」

確かにメモリに入ってはいるが理由もないのにかけるのは迷惑なんじゃない
かと考えてしまい気が引けて、結局一度も発信ボタンを押したことはない。

家に帰ってからもしばらくはディスプレイに写る番号と睨めっこをしている
状態が続いていた。

パシン。頬を叩いて気合を入れる。

「……よし」

大きく一つ深呼吸して送信ボタンを押した。
173 名前:名無し作者 投稿日:2003年04月13日(日)04時04分41秒
本日はここまで。
174 名前:名無し作者 投稿日:2003年04月13日(日)04時07分03秒
ハワイ限定販売の写真のウクレレ持ってるやついいなぁ。
175 名前:名無し作者 投稿日:2003年04月13日(日)04時08分47秒
とか関係ないレスをしつつ更新age
176 名前:名無しさん 投稿日:2003年04月13日(日)20時33分41秒
いい!!更新待ってたよーーーー
柴ちゃんがこれからどうなってくのかすごく楽しみです。
更新まってまーす。
177 名前:05 優しい嘘つきと勘違い 投稿日:2003年04月17日(木)12時53分13秒

高橋が帰ってからどのくらい経っただろう。
机の上の携帯が震える音で現実に引き戻された。

「誰だよ……こんなときに……」

ぶつぶつ言いながら手を伸ばし、ろくに画面もみないまま
通話ボタンを押した。

「はい」

『…………』

悪戯電話だろうか。無言状態が続く。
どうせ電話代は向こう持ちだと思い、2分ほど待ったが相手は
一向にしゃべる気配がない。
いたずら電話とみなして切ろうとしたら、微かに声が聞こえた。

「……?もしもし?」
178 名前:05 優しい嘘つきと勘違い 投稿日:2003年04月17日(木)12時54分08秒

『あの〜……あの〜…柴田さん……』

その細い声は聞き覚えのある声。高く儚い声。
忘れるわけがない。

「紺野ちゃん……久しぶりだね。元気にしてる?」

意識しているわけではないのに自然に優しいトーンの声が出てくる。
電話の向こうに紺野がいると思うと頬が緩んだ。

『あ、はい。元気です。すごく。柴田さんはどうですか?』

「元気だよ。……珍しいね、紺野ちゃんが電話かけてくるなんて」

『珍しいというか、初めてですね……』

話を切り出しにくそうにしている紺野の声を聞いていると、
こちらが予測できる話で誘導するしかないようだ。
まわりくどく言って誘導する自信はない。単刀直入に切り出すことにした。
179 名前:05 優しい嘘つきと勘違い 投稿日:2003年04月17日(木)12時55分24秒

「今日、高橋ちゃんと話をしたよ」

直球ストレートは見事にストライク。
紺野は「愛ちゃん、怒ってました?」と泣きそうな声を出した。
やはり、その話か。

「……明日、家に来ない?話しとかなきゃいけないことがあると思う」

『そう……ですね。私もそれを言うために電話したんです……』

紺野は柴田の指定した時間に二つ返事で了解し、すぐに電話を
切ってしまった。と言っても、先に通話終了のボタンを押したのは
柴田のほうなのだが。おそらく紺野はいつも相手が切るまで待って
いるタイプなのだろう。『おやすみなさい』と言ってから無言状態が
10秒以上続いたが切る気配がなかった。

「らしいっちゃ、らしいんだけどね」

携帯電話を見つめながら一人呟いた。
180 名前:05 優しい嘘つきと勘違い 投稿日:2003年04月17日(木)12時56分51秒

明日は紺野と会わなければならない。それまでに今の自分の気持ちを
整理しとかないと。
まあ、紺野のことを恋愛感情で好きでも、そうでなくても
柴田の言う台詞は決まっているのだけれど。

紺野の声の余韻に浸っていると、それを壊すように玄関のチャイムがなった。

「あゆみちゃーん、あっけてくださいなぁ。ケーキだよー」

間の抜けた声がドアの外から聞こえてくる。この声を聞くたびに
歌っているときと普段のイメージのギャップが面白くて笑ってしまう。
今の自分の中で大きな悩みの種の一つだと言うのにその現況の訪問が
こんなにも心躍る。この感じ、いつかと同じ感覚。

「いつだっけ……」

「なにが?」

鍵を掛けてないのをいいことにその部屋の主が招き入れる前に入ってきて
肩をたたく奇術師。
181 名前:05 優しい嘘つきと勘違い 投稿日:2003年04月17日(木)12時57分59秒

「……不法侵入者だ……」

「おや、ケーキいらないんですか。そうですか。ケーキやめました?」

「いるよ!よこせよ!」

柴田よりも少し背の高い奇術師はケーキの箱をひょいと上に上げて
手をかわした。

「よこせよって、ジャイアンですか、あなたは。まあ、村田めぐみさんも
 鬼ではありませんことよ。賭けに勝ったら一緒に食べましょう」

村田は相変わらず妙な喋りで柴田を振り回す。
「よこせよ」イコール「ジャイアン」は彼女の中では常識らしい。
それにしても、何で微妙にお嬢さまな喋り方なんだろうか。

「賭け?」
182 名前:05 優しい嘘つきと勘違い 投稿日:2003年04月17日(木)12時59分25秒

箱をテーブルの上に置き、右のポケットからコインを一枚取り出し、
それを両手で包み込むように持って上下左右にシェイクする。
やがて合わせていた手を離し、左右のにぎり拳を柴田の前に突き出した。

「あー、当てろって事ね。……イカサマしてそう……」

柴田の言葉に村田は悪びれもせずに笑顔で口を開く。

「イカサマも実力のうち」

「じゃ、それを見抜くのも実力のうちだよっと」

柴田は迷うことなくテーブルへ手を伸ばし、箱の下からコインを出した。
得意満面な柴田とは対照的に予想外のことで少し驚いた表情の村田。
勝負あり。
183 名前:05 優しい嘘つきと勘違い 投稿日:2003年04月17日(木)13時00分28秒

「お茶入れるね」

珍しく村田から一本取れた柴田は鼻歌交じりで紅茶を入れる。
その後ろで村田が優しく笑っているのも知らずに。
開かれた左手には、確かに先ほどのコインが握られていた。

「たまには、勝たせてあげないとね」

「何?なんか言った?」

「何にも。紅茶まだー?」

この勝負に限らずいつでも、村田のほうが一枚上手。

村田は気付いていた。柴田が何か悩んでいることも、その悩みには
自分も関わっていると言うことも。だからケーキなんか持ってきて
ご機嫌を取っているというわけではないけど。
184 名前:05 優しい嘘つきと勘違い 投稿日:2003年04月17日(木)13時04分31秒

「おまたせ。柴田が入れた紅茶はおいしいよ」

「そいつは素敵だぁ……ところで……」

カップが二つ並べられたのを確認したように村田が柴田の袖を引っ張る。
まるで小さい子がお母さんの服の袖をつかんで呼ぶように。

「何、悩んでる?そんな状態で弾かれちゃ、可愛いめぐみが泣くよ」

「……泣くの?」

「私じゃなくて、あんたの相棒」

よく考えもせずに出てきたその言葉は柴田にとっては村田の意図した
意味と違う意味に聞こえた。

――ウクレレのめぐみは相棒だけど、村田めぐみは違う。

柴田は前髪で顔を隠したまま口だけ静かに動かした。

「そっか……うん。そうだね……むらっちは手品してるほうがずっと
 良いんだもんね。いままで無理やり下手くそな演奏で歌わせて、ごめん」
185 名前:05 優しい嘘つきと勘違い 投稿日:2003年04月17日(木)13時05分28秒

「ん〜?……え、あ、ちょ、ちょっと待った!なんか誤解して――……」

ショックを受けた表情を見て村田がしまったと思ったときにはもう遅い。
柴田は村田の話を遮り、畳み掛けるように感情を吐き出した。

「いいよ、気ぃ使わなくても!わかってたよ。だってむらっちいっつも
 泣きそうな顔するじゃん。どうしたのって聞いても答えてくれないじゃん!
 心の中絶対見せようとしないでしょ!」

勢いに任せて泣いた。何で今日はこんなに不安定なんだろう。
本当なら、相談に乗ってもらうつもりでいたのに。
本当なら、ちゃんと落ち着いて話したいことがあったのに。

「あゆみ――……」

「ごめん……お願いだから、ちょっと一人にさせて……」
186 名前:05 優しい嘘つきと勘違い 投稿日:2003年04月17日(木)13時06分41秒



頭を抱えていた手を解いたら、部屋には手の付けられていない2つの
ケーキと冷めた紅茶が無言で時の流れを語っていた。

二人でいることに慣れたあとの一人の部屋はひどく冷たく寂しい。
机に置かれたままのコインが蛍光灯の光で鈍く光る。

少し冷静さを取り戻した柴田は、自己嫌悪に陥り、また泣いた。
187 名前:名無し作者 投稿日:2003年04月17日(木)13時07分36秒
本日はここまで。
188 名前:名無し作者 投稿日:2003年04月17日(木)13時15分44秒
>176
レス有難う御座います。
柴ちゃん、まだ色々と大変そうですが。
話はちゃんと進んでるのでお楽しみに。
189 名前:名無し作者 投稿日:2003年04月17日(木)13時16分19秒
更新しますた。
190 名前:名無しさん 投稿日:2003年04月18日(金)22時00分00秒
おおう!村田との絡み、紺野との絡み、
どちらも目が離せないですね!楽しみです!
191 名前:名無し読者 投稿日:2003年04月18日(金)22時34分25秒
うぁあああぁ…村さん、好きだぁー!!

人の心は複雑ですね。まぁ簡単には割りきれず悩んでこそ
本当に大事なモノに辿りつけるのかも知れませんが。

村さんと柴ちゃんとの空気が、すごい自然に描かれてて楽しいです。
今後の展開にも期待しつつ、次回更新お待ちしてまーす。
192 名前:06 愛しい心は闇の中 投稿日:2003年04月22日(火)17時30分24秒

人の気も知らずに、勝手な憶測で泣いた柴田。不本意だがそんなとこも
可愛いとか思ってしまう自分がいる。きっとこれが惚れた弱みってやつ
なんだろう。村田は柴田に対してまったく怒っていない。
それでも、一度離れたほうがお互いのことがわかるかもしれないと思い
携帯も着信拒否設定にした。声を聞いたらそのまま普通に話し続けて
結局今までと同じようにべったり引っ付くことになりかねない。
家は知られていないはずだが、それでも一応念のため知り合いの家に
泊まらせてもらっている。

「なるほど、喧嘩したんだ。でも、どうせすぐ仲直りするんでしょ」

「どうだろうねぇ……」

いつになく弱気なトーンの声にりんねが眉を上げて「おや、珍しい」と
一言。いつも飄々として余裕ばかり見せている村田がこんなに普通の人
のような反応を見せるのは初めてだった。
193 名前:06 愛しい心は闇の中 投稿日:2003年04月22日(火)17時31分15秒

「あさみ、おいで〜。弱気菌がうつっちゃうよ」

「失敬な」

村田の覇気のない台詞を背中に受けてあさみがりんねの手に乗った。
もともと、りんねが育てていた鳩を譲り受けたものだったので
あさみの本当の“飼い主”はりんねになる。といっても、りんね曰く
「飼い主じゃなくて友達」だが。もちろん村田にとっても友達。

「だって、飼ってるわけじゃないもん」

「まぁね」

柴田はウクレレを相棒と言っていたように。
人によっては変人扱いされることもあるが、自分の考えが変わることは
なかった。
194 名前:06 愛しい心は闇の中 投稿日:2003年04月22日(火)17時32分22秒

「でもさ、驚いたよ。むらっちが人前で歌ったって聞いたときはさー。
 奇術師になってから歌には関わらないようにしてたっしょ?」

この世界に足を踏み入れたときに指導してもらった師匠に奇術と歌の
どちらかを選べと言われて村田は奇術を選んだ。
そのときの約束を守るために歌というものに意識的に関わることを
避けていた。関わってしまったらきっと歌の魅力に取り付かれて自分は
奇術を見失いかねないと思ったから。それほどまでに歌が好きだった。
奇術も歌も好きだったが、欲張ってしまうときっとどちらかが疎かに
なってしまう。それが怖かった。

でも、柴田の弾くウクレレを聞くと歌わずにはいられなかった。
今まで避けていたことも、奇術も、その瞬間には頭の中から消え去って。
勿論、歌に触れることになったのは感謝こそすれ、後悔なんてしてない。

「……仲直りしなよ?」

「わかってるさぁ」
195 名前:06 愛しい心は闇の中 投稿日:2003年04月22日(火)17時33分52秒

「ねぇねぇ、どんな子なのかもっと詳しく聞かせてよ」

りんねの言葉に頷いて口を開く。

思い出すのは、整った顔立ち。あの優しい目と柔らかな髪。
今でもはっきり覚えている。奇術の練習代になってくれという口実を
作ってその髪に手櫛を通す瞬間、心臓が大きく跳ねた。
全速力で走ったあとよりもずっと早く、ずっと熱く。
触れた手の感触は今もまだ消えない。

柴田が歌うのはいつもラヴソング。
好きで好きでたまらない気持ちを歌う柴田のその歌を聴くたびに
村田は不安で押しつぶされそうになる。
誰を思って歌っているの?その視線の先には誰がいますか?
聞きたくても、聞けない。

今、柴田は自分のことを考えてくれているのだろうか。
それとも、もう既に自分以外の誰かを愛し始めてるのだろうか。
人を好きになることがこんなに苦しいものだとは思わなかった。
今までの恋愛はまるで作りものだったようにすら思える。
196 名前:06 愛しい心は闇の中 投稿日:2003年04月22日(火)17時35分10秒

一通り話し終わるとりんねは相変わらずの笑顔。

「本当に好きなんだね。で、あゆみちゃんには別の人に好きな人が
 いると思ってるわけだ。聞けばいいのに、何で聞かないの?」

疑問符を頭に浮かべている表情のりんねに「だってさ」と頬杖を突いて
力なく続ける。

「聞いてダメだったあとはどうすんの?気まずいのは嫌だよ」

振られてギクシャクした関係になるよりも思いを伝えずに仲良しが良い。

「仲良しって、喧嘩してんでしょ?それもお互いのことを聞かな過ぎ
 なのが原因みたいだし。良い機会じゃない。それに話を聞く限りでは
 嫌われてるわけじゃないっぽいしさ」

「それは、そうだと思うけど」

確かに、もしかしたら二人は恋人同士になれるかもしれない。
でも頭に浮かぶのは儚い言葉ばかり。
いつもそばにいるのに、まだ何も言えない。

愛しい心は、闇の中。
197 名前:06 愛しい心は闇の中 投稿日:2003年04月22日(火)17時37分03秒

「ほら、へこまない!今から仕事でしょ。気合入れて行ってきなよぉ」

背中をバシバシと叩かれてお茶が気管に入り咽込む。
それでも、りんねの気遣いが嬉しかった。

「……ありがと」

「がんばれー。お客さんに夢の時間をプレゼント出来る魔法使いなんだから」

玄関を出る直前に聞こえた台詞は、いつもりんねが村田に向かって言う
台詞は奇術師よりも魔法使いのほうが村田めぐみらしい感じじゃないか
とふざけて言い始めたのが始まりだった。

不思議に笑みがこぼれる。
198 名前:06 愛しい心は闇の中 投稿日:2003年04月22日(火)17時37分51秒

講演場所についてからもその笑顔は消えることなく、リハーサルのあと
そのまま控え室で待機する。
昔は待機中に物凄く緊張して足が震えてたのに今は殆ど普通の状態でいられる。
むしろ、その緊張すら心地良いと感じるほどだ。

本番直前のわずかな時間で、今一度手順の確認をする。
内ポケットから赤い風船を出して、不意にあの歌を思い出し、口ずさむ。

「やぶれたふーせん抱きしめて どこまで飛べるかな」

もちろん、いま手の中にある風船は破れてなどいない。

それは柴田と一緒に始めて唄った歌。
199 名前:06 愛しい心は闇の中 投稿日:2003年04月22日(火)17時38分46秒

歌詞、面白いねと言ったら「むらっちってこんな感じだよ」とか
笑って返されのを思い出す。別に悪い気はしなかった。
それどころか、嬉しかった。

サビのところでは相変わらず上手く弾けてない時があるのを
思い出して少し笑う。いまごろ、柴田はどうしてるだろう。
自分のことを考えていてくれたりしてるのだろうか。

「おーい、手品師さん。もうちょっとで出番だよ」

「ほいほーい」

舞台のほうから声がかかり、それまで床に降りていたあさみが
肩に戻ってくる。村田は座っていたカバンからステッキや帽子を
出していそいそと舞台に向かった。

未来に無限の可能性を秘めた子どもたちの前で魔法使いになるために。
200 名前:名無し作者 投稿日:2003年04月22日(火)17時39分16秒
本日はここまで。
201 名前:名無し作者 投稿日:2003年04月22日(火)17時48分37秒
>190
レス有難う御座います。
楽しみにしてくださって有難う御座います。
更新遅いですが最後までお付き合いいただければ嬉しいです。

>191
レス有難う御座います。
おぉ、哲学っぽい。人の心って難しいですね。
自然に書けてますか。良かったです。
ご期待に沿えるよう頑張ります。
202 名前:名無し作者 投稿日:2003年04月22日(火)17時49分09秒
…更新、age
203 名前:名無しさん 投稿日:2003年04月23日(水)23時36分07秒
うわあ!更新乙です。
村田×柴田に紺野がどういう風に絡んでくるのか楽しみです。
更新楽しみに待ってます。がんばってください!
204 名前:名無し読者 投稿日:2003年04月24日(木)21時47分51秒
村田にも、良い友人がいるようで。切ない中でも気分がほっこり。
現在の居心地良い関係が壊れるのを恐れて互いに今一つ踏み込めない
というのは、ままありますよねー。相手が大事であればあるほど。
想いが、すれ違ったきりにならないことを祈りつつ…
やっぱり紺野の方の決着も、気になります。(^_^;;
205 名前:07 錯覚 投稿日:2003年04月26日(土)15時53分02秒

待ち合わせは学校の正門。
今日も高橋は紺野を避けるように行動しているのか、一瞬たりとも
姿を見せていない。お互いの校舎を隔てるコンクリートの壁が
こんなにも厚く感じたのは初めてだ。

雨の激しさは衰えることなく、地上を叩いている。

「ハ……っと、柴田さん。お待たせしました」

呼びかけた名前は紺野のためだけに存在する名前。
制服を翻して走ってきたのか、少し息が上がっていた。

「いやいや。じゃ、行こうか」

紺野は「はい」と頷いて柴田の隣を歩く。
久しぶりに会った二人はやはりどこか緊張していてぎこちない。
きっかけ一つで以前のように話せるようになるとは思うのだが、
それを作り出すことも見つけ出すことも出来ずにずっと無言のまま
歩き続けて柴田の家に着いた。
206 名前:07 錯覚 投稿日:2003年04月26日(土)15時54分29秒

「狭い部屋でごめんけど、上がって」

鍵を開けて紺野を中へと招き入れる。この部屋に人を呼んだのは
久しぶりかもしれない。昨日の高橋を除けば、の話だが。

「さて……高橋ちゃんから何か聞いてる?」

「……『私より柴田さんの方が好きなんでしょ』って言われました」

「私には『紺野ちゃんと前から知り合いなんじゃないですか』ってさ」

それと、と一拍おいてから続ける。

「柴田さんがハスキーさんじゃないんですかって言われちゃった」

その一言を聞いて紺野はようやく理解した。高橋はハスキーさんが誰を
指してるか推測した上で紺野に気持ちの確認をしてきたのだ。
それに対して紺野は中途半端で曖昧な答えしか返せなかった。
207 名前:07 錯覚 投稿日:2003年04月26日(土)15時55分36秒

「あの、柴田さんは、なんであのとき初めましてって言ったんですか?」

「……夢の中で会えたのは、なんでなのかなって考えた。勿論、はっきり
 断言できるような答えは思い浮かばないよ。でもね、共通点があった」

紺野は困惑した表情で押し黙る。

「あのときの紺野ちゃんと私の共通点は、寂しくて、寄りかかれる何かが
 欲しかったんだよ」

柴田は無気力に生きる毎日で孤独を感じ、紺野は陸上部から除名された上に
停学を食らっていた。頭に血が上っていたとはいえ、女の子に怪我をさせて
しまったことへの罪悪感もあった。
夢の邂逅はお互いの傷の舐め合いだったのかもしれない。

「だから、あの時の気持ちを恋心と思い込んじゃいけないと思った。
 もし仮に付き合ったとしても、お互いが本当の恋を知ったときに
 つらくなるのは目に見えてるから」
208 名前:07 錯覚 投稿日:2003年04月26日(土)15時56分28秒

現実世界よりも夢の中のほうが、寄りかかることの出来る相手には
最適だったというだけ。好きになった錯覚が醒めるのが一番怖かった。
錯覚ではないのかもしれないけど、頭の中でもう一人の私が常に警告
していた。

「でも、だからって夢の中のこと全て無しにするのはどうかと思います。
 少なくとも私は忘れたくありません」

「うん。でも、ハスキーさんとしてじゃなく、柴田あゆみとして紺野ちゃんと
 友達になりたかったから、夢の話をしようとしなかっただけ。なんとなく
 今までゆっくり話したり出来なかったけど……」

これからは遊んだり話したりしようねと柴田は笑う。
その顔ははじめて会ったときと同じように優しくて暖かい空気に包まれたいた。

「それと、一応言っておくと紺野ちゃんのこと好きだったのは本当。
 高橋ちゃん鋭いね」

「――……でも、思い込みが激しいですよ。予想も大外れです」
209 名前:07 錯覚 投稿日:2003年04月26日(土)15時57分38秒

高橋は紺野が柴田に告白されたら、迷わず柴田を取るだろうと言っていた。
心はいつも柴田の元へ置いていると。
自分の心が見えない紺野はそれに対して反論できなかった。
でも、実際に柴田の口から好きだったと聞いても思い浮かぶのは高橋の顔。

「そうだね……でも、紺野ちゃんのことすっごく想ってる」

大好きな人の一挙手一投足が気になってしょうがない。
まっすぐな気持ちを持っている。

「ちゃんとわかってるつもりです。なんたって『嫁に来てくれ』ですもん」

その台詞をサラッと言えるように、心の中のもやもやしたものは
いつの間にか消えていた。
その紺野の表情を見て柴田の悩みの種も一つ、消えた。

「私はもう元気になれます。だから、次は柴田さんが元気になる番ですよ」

「え……」

「夢で泣いてたときと同じ表情してます」
210 名前:07 錯覚 投稿日:2003年04月26日(土)15時58分46秒

見抜かれてる。相棒も紺野もこんなにもすんなりと内面を見抜いてくれる。
嬉しい反面、自分が情けなくも思えた。不安定な状態なのはよくわかってる。

「……初対面で馴れ馴れしく話しかけてくるし、図々しくて、おせっかいで、
 はっきり言って不審者もいいとこだった……」

紺野はいつもの表情で柴田の話を黙って聞いていたが、その話をする柴田の
表情が嬉しそうなことに気付いてつられて頬が緩む。

「でも、いつの間にか好きになってたんだ。凄く、めちゃくちゃ」

あの不思議な空気。自然に引き込まれて小さな欠片がどんどん大きくなって。

はじめにもらった赤いフリージアの花言葉を調べたら、自分の誕生花だった。
初めて会ったときの時点で誕生日を知ってるとは思えないから偶然かもしれ
ない。でも、最近気付いたが柴田の前で使っているコインはいつも昭和59年
のもの。普通ならわからないかもしれないそんな細かいとこまで演出する
村田が嬉しかった。
そんなことをしなくても、きっと惹かれていたとは思うけど。
211 名前:07 錯覚 投稿日:2003年04月26日(土)15時59分29秒

「優しい人だから、つい甘えすぎて、我慢ばかりさせてたのかもしれない。
 本当は私のそばにいるのは嫌だったのかもしれないって、思って……」

涙目になる柴田の頭をぽんぽんと軽く叩く。紺野はいつも慰めるときに
こうして頭に触れる癖があるようだ。

「かも知れないってことは、はっきりそう言われた訳じゃなく、
 憶測なわけですね。柴田さんがそう思ってるだけ、と」

細い声が空気を震わせて、柴田の耳に届く。
年下なのにやけに安心できるのは既に自分の弱い部分を知っている相手という
認識があるからかもしれない。泣き顔も見られたし、愚痴も言った。
そばにいるだけで癒される。癒し系ってこういう子のことを言うんだろう。

「話し合いが必要なだけですよ。私たちがそうだったように」

「……会ってくれないかも……家どこなのか知らないし、電話は着信拒否
 されてるし……思いっきり避けられてる気がする……」

「うぁ……」
212 名前:07 錯覚 投稿日:2003年04月26日(土)16時00分16秒

日が過ぎるに比例して会い難さも大きくなっていくと言うのに。
今までだって小さな喧嘩はあったが、いつも村田がふらふらとかわして
いつの間にか喧嘩をしたという事実を忘れていた。

でも、今回は違う。
村田が行動を起こす前に柴田がシャッターを閉めてしまったのだから。
いま思い出しても頭が痛くなる。
そして、いつも気にしていないように見えた村田が今度は自分を避けている。
こうなったら話し合い以前の問題だ。

「で、でも、ほら、案外ただ単に忙しいだけかも知れませんよ」

「……今月は結構暇って言ってた」

「えっと、えーと、あー、うー」
213 名前:07 錯覚 投稿日:2003年04月26日(土)16時01分34秒

何とかフォローを入れようとするがとっさに言葉が思いつかない紺野は
無意味なうなり声を連発するくらいしかできない。頭を抱えていると柴田が
苦笑しながら口を開く。

「……ごめんね。困らせて。大丈夫、大丈夫。何とかなるよ。それより、
 紺野ちゃんも早く高橋ちゃんのとこに行って誤解解いてきなって」

「あ……はい」

背中を押されて半ば強制的に部屋を追い出された紺野は心配そうな表情で
柴田の部屋を見つめたあと、まっすぐに高橋の家へ向かって行った。
214 名前:名無し作者 投稿日:2003年04月26日(土)16時02分18秒
本日はここまで。
215 名前:名無し作者 投稿日:2003年04月26日(土)16時11分03秒
>203
有難う御座います。
直接的な絡みは無いまま紺野と柴田のほうの決着は付いて
しまいましたが。

>204
レス有難う御座います。
すれ違ったまま平行線の関係はもう少し続きそうです。
紺野のほうはこんな形になりましたが、柴田と村田のほうは
まだまだ動きが見れません。
216 名前:名無し作者 投稿日:2003年04月26日(土)16時11分56秒


                 更新age
217 名前:名無しさん 投稿日:2003年04月27日(日)00時04分45秒
更新!お疲れです!
柴ちゃんがとってもイイ!です。
がんばってください
218 名前:名無し読者 投稿日:2003年04月27日(日)23時52分44秒
癒し系こんこん、いいですね〜♪
村さんてあんまり感情的な部分を無防備には見せないっていうか
自分から決定的な行動とることが少ない雰囲気ありますけど
柴ちゃんも、どこか引っ込み思案な感じなんですよねぇ…。
すれ違い中の2人、どちらから行動を起こすことになるのか
この先どうなってしまうのか、すごく楽しみです!
219 名前:08 霧が晴れる日 投稿日:2003年05月01日(木)04時05分49秒
古ぼけた街灯がチカチカした光で路地を照らすころ高橋は家路についていた。
電車で2本の場所にある自宅は街中から少し離れていて、この時間になると
人の気配も少なくなっている。

雨は水溜りに丸い模様をいくつも作り、路面を覆う。
玄関まであと少しというところで、いつもと違う後継に気付き、立ち止まった。

高橋に気付いた紺野が顔を上げて微笑みかける。

「おかえり」

「……なんで、ここにいるの?」

「愛ちゃんと話がしたくて」

至極当然な質問に紺野はさらりと答えた。
220 名前:08 霧が晴れる日 投稿日:2003年05月01日(木)04時06分36秒

高橋が言葉を発する前にそれを阻止するように間髪いれず話を続ける。

「今日ね、柴田さんと会って話してきたの……愛ちゃん、ハズレ」

「は?」

「私、柴田さんに好きだって言われても、考えるのは愛ちゃんのこと
 ばっかりだった」

「……」

「お嫁に行くのは無理かもしれないけど、ずっと一緒にいたいなぁ」

頬の筋肉を思い切り緩めて目を細める。
その声は小さな声だったけど、確かに高橋の胸に響いた。
傘を持つ手が少し震えたのは雨で体が冷えて寒いからじゃない。

「ごめんね、不安にさせっぱなしで」
221 名前:08 霧が晴れる日 投稿日:2003年05月01日(木)04時07分23秒

紺野が自分の傘をたたんで高橋の持つ傘に手を添えながらその中に入る。
それまで鬱陶しかった雨の音が優しく聞こえてくるのが不思議だ。
泣きそうな顔を見られるのが恥ずかしくて俯いていると、紺野が少し膝を折り、
高橋の額に自分の額をこつんとぶつける。

「怒ってる?」

息がかかるほど近くで囁くように問いかける。黙っていると、今度は
そのままの状態でゆっくりと髪を撫でてきた。

「話を、しようよ。たくさんたくさん話をしよう……もちろん話したく
 ないことは別に話さなくてもいいと思うけど……その、なんでもない
 お互いの日常を話そう?」

不安げな声はいつもよりも小さいけれど、視線はまっすぐに自分のほうだけを
向いているのがわかるから、そのときだけは紺野を独占できている気がして
ほんの少しだけ嬉しくも思えた。
零れ落ちた涙は、雨と一緒に水溜りに落ちて見分けることなんて出来ない。
ひとつ、鼻をすすって涙を拭い、掠れた声で空気を震わせる。
222 名前:08 霧が晴れる日 投稿日:2003年05月01日(木)04時08分03秒

「……あのね、この前は、あさ美ちゃんが柴田さんの話ばっかり嬉しそうに
 するから、嫌だった。私はずっと友達のままでちっとも先に進まないから
 余計焦ってた」

嫉妬心は日に日に蓄積して、その結果紺野にあんなことを言ってしまった。
紺野が額を離して「ごめんなさい」と頭を下げて謝ったあと、頷いて続ける。

「今日は、あさ美ちゃんが来てくれた……柴田さんじゃなくて私のこと考えた
 って言ってくれた……」

「……うん」

「まだ、怒ってるけど、私が聴きたい言葉を言ってくれたら機嫌が直りそうな
 気がしないこともない」

そう、今まで紺野の口からその類の言葉を聞いたことがなかった。
友達としての好きなら聞いたことはあるけれど、それ以上の意味を含んでいる
言葉は初めてだった。

「……す……――」
223 名前:08 霧が晴れる日 投稿日:2003年05月01日(木)04時08分48秒

紺野がその台詞を言おうとした瞬間『ガチャッ』とドアの開く音が雨音の上に
乗って聞こえた。

「あ、お、お母さん」

「あら、今帰ってきたの?遅かったわねぇ。でも丁度良かったわ。お母さん
 ちょっと買い物にいってくるから留守番お願いね……あら?お友達?」

「あー、うん。そう」

歯切れ悪く頷いて視線を紺野に向けると、紺野は丁寧に頭を下げて挨拶をした。

「紺野あさ美です。どうも、はじめまして」

見た目からして真面目そうな紺野は中高年層には気に入られやすいようで、
高橋の母も「愛、わがままで大変でしょ、仲良くしてやってね」と笑顔で
話しかける。

「もぉ!いらん事言わんでいいから、はよ行ってきなって!」

高橋が紺野の前に割り込んでそう言うと「何よぉ、もう」とぶつぶつ言いながら
買い物へ行く。姿がだいぶ小さくなってから高橋はくるりと向き直り、紺野の
手を引いて家の中へと入っていく。
224 名前:08 霧が晴れる日 投稿日:2003年05月01日(木)04時09分48秒

「ちょっと冷えてきたし、中で話そう」

「あ、うん。お邪魔します」

初めて入る家の中はその家の匂いが生活感を滲ませて微笑ましい。
通された高橋の部屋は少し雑誌が乱れて置かれているけど、ちゃんときれいに
掃除してある女の子の部屋そのものだった。

「とりあえず、そこの椅子に座りなよ」

勉強机の椅子を180℃回転させて紺野を座らせると、自分は対面するベッドに
腰掛ける。立っている時とさほど変わらない視線の位置の差だ。

「……なんか、緊張するね。変な感じ」

ふにゃっと頬を緩ませて笑う紺野を見るのはどれくらいぶりだろう。
しかも、その表情は他の誰かじゃなくて、目の前にいるたった一人に向けられて
いる。それだけでなんとなく照れて「髪濡れてる。これ使って」と乱暴に
タオルを投げて渡した。「有難う」と言った紺野の顔が余りにも可愛くて、
高橋は余計に顔をそらし、そっけない態度をとってしまう。
こんなんじゃ、また勝手に喧嘩状態になってしまうと思いかけたとき、紺野が
口を開いた。
225 名前:08 霧が晴れる日 投稿日:2003年05月01日(木)04時12分38秒

「いい機会だし、今まで秘密にしてたこと全部話すよ」

そう言ってはじめられた紺野の話は普通に起きた事とは思えないほど現実離れ
していたが、話す表情はとても真剣で冗談を言っているようには見えない。
柴田と現実で出会う以前に夢の中で逢ってたなんて、誰が信じるだろう。
でも、そうじゃないと説明が付かない二人の“二回目の初対面”を見ているの
だから馬鹿馬鹿しい作り話として笑い飛ばすことは出来ない。

「ねぇ、一時でも、柴田さんのこと好きだった?」

「……う〜ん……よくわかんない」

柴田が言っていたあの言葉。

  ――『寂しくて、寄りかかれる何かが欲しかった』

それだけだったのかもしれない。以前にも考えたことがあるし、今日柴田に
会うまでも考えていた。でも、どっちにしても結論が出なかった。だから、
よくわからないというのは本当にぴったり当てはまる。恋だったのか
憧れだったのかはたまた友情だったのか。それに定義付け出来ない感情も
あるのだということしかわからない。
226 名前:08 霧が晴れる日 投稿日:2003年05月01日(木)04時14分49秒

「……でもさ、やっぱり私の中のハスキーさんは柴田さんじゃないよ。
 ハスキーさんは……もう、いないから」

高橋は困惑した表情で紺野を見つめる。紺野は吹っ切れていた。
柴田は柴田だ。ハスキーさんは自分の記憶の中の人。憧れるくらいは良いと
思う。もしかしたら、好きだったかもしれない人。

「よくわかんないけど……私は私のままだし、いなくならないから」

すぐ近くで聞こえる声と、戸惑いがちに触れた手に笑みが零れる。

そういえば、いつか二人で手を繋いで陽当たりの良い道を歩くのを夢見てた。
時間を気にすることなく、流れる雲のあとを追いかけたり、春風の音に
包まれる感覚に身を漂わせる。相手が誰なのかなんて漠然としか考えて
いなかったけれど。

紺野が無言で繋がれた手を見ていると、少し潜めた声で高橋の言葉が続く。
227 名前:08 霧が晴れる日 投稿日:2003年05月01日(木)04時17分37秒

「だから、もうちょっと真剣に検討してみない?」

この数日間、暴走気味だった高橋に振り回されるた。おかげで自分の想いが
見えた。もともと、そんなに深刻に考えることじゃないのかもしれない。
放っておいても感情は育っていくものなんだから。

「してみないー」

「いじわるー!」

心は決まってるなんて、まだ言わないでおこう。さっき外で言いかけた台詞も
もう少し先の楽しみとして取って置こう。

それくらいの意地悪は許されるよね、と気付かれないように心の中で笑った。
228 名前:名無し作者 投稿日:2003年05月01日(木)04時18分28秒
本日はここまで。
229 名前:名無し作者 投稿日:2003年05月01日(木)04時25分08秒
>217
レス有難う御座います。
柴ちゃんイイですか。そう言って頂けて嬉しいです。
更新ペースはじわじわと落ちてきているんですが余り長い間放置は
しないように頑張ります。

>218
レス有難う御座います。
癒し系=紺野さんという方程式が自分の頭にこびり付いてしまって
困ったもんです。
すれ違い中の2人は次回更新で動きが見れるかも見れないかもです。
ご期待に沿えるよう頑張ります。
230 名前:名無し作者 投稿日:2003年05月01日(木)04時26分06秒
更新しますた。
231 名前:名無し作者 投稿日:2003年05月01日(木)06時22分01秒
ごめんなさい誤字脱字多いです。とりあえず気になったとこだけ。

>219のとこ
玄関まであと少しというところで、いつもと違う【後継】に気付き、立ち止まった。

【後継】じゃなくて【光景】です。どうして“こうけい”の一発変換で“後継”なんて
出るんだよ。後継いでんじゃねーよ<俺。
232 名前:名無しさん 投稿日:2003年05月02日(金)00時01分31秒
更新乙です!
村っちとどのような再開を考えられているのか!気になります。
紺野と高橋の今後にも期待です!
233 名前:名無し読者 投稿日:2003年05月02日(金)21時52分33秒
こんこん、マイナスイオン発生中?(笑
一瞬、高橋さんちにあるという虎の尾が思い浮かびましたが…
柴ちゃんは、お菓子やめて願でもかけてるんでしょうかねー。
次回更新分でどう動くか、楽しみにお待ちしてます。
234 名前:09 泣き虫 投稿日:2003年05月07日(水)13時28分56秒

自分が動かなければ何もはじまらない。
柴田は何とか村田に会うことが出来ないかと頭をひねった。

「自宅も電話もダメなんだから……残ってるのは仕事場か……
 調べれば何とかなるかもしれない。うん」

狭い部屋の片隅で一人頷き、いつものように相棒を肩に掛け、
手がかりとなる情報を探すために賑やかな街に出た。奇術の仕事を
している限り、イベント系のポスターやらチラシやらを見て回れば
何か手がかりが得られると思ったからだ。

でも、実際そんな簡単には見つからないものだった。

「これも違う……こっちは『いい子の化学ショー』か、出ないだろうな…
 どっかで見た顔だと思ったら試験監督のバイトのときの先生だぁ……」
235 名前:09 泣き虫 投稿日:2003年05月07日(水)13時29分39秒

時間だけが過ぎて手がかりは一向に見つからない。独り言の回数も自然に
増える。少し肩からずれ落ちたウクレレを掛けなおし、また足を進めようと
すると前を良く見ていなかったため、人にぶつかってしまった。

「うわっ」

「……っと、ごめんなさい!」

顔を上げるとまず目に付いたのは金髪。
そして細くて少し吊り上がっている目。両耳に沢山のピアス。
肩越しに見えるギターケース。
はっきり言って、怖かった。

「…………〜〜っ」

絶句していると目の前で誰かの手がひらひらと振られているのが見えた。
顔を覗き込むのはこちらも少し別の意味で不良っぽい女性。
胸元が開いたシャツは谷間が見え隠れして少々目のやり場に困る。
そんな柴田の心のうちはいざ知らず、二人は軽い口げんかを始めた。
236 名前:09 泣き虫 投稿日:2003年05月07日(水)13時30分17秒

「マサオ、この子怖がってるじゃない。やーい、いじめっ子いじめっ子ー」

「ち、違っ……ぶつかって謝っただけだよ。いじめてないっての。
 多分ひとみんのほうが怖くて驚いちゃったんだよ。見るからに不良娘だし」

「はぁ?私のどこが不良よぉ!セクシーといいなさいセクシーと!」

「あ、あのっ!私、いじめられてないです。ぶつかってごめんなさい」

どんどんヒートアップしていきそうなので柴田が慌ててフォローに入ると
二人とも口を止めて柴田に注目する。
そして数秒柴田をじろじろと見たあとで指を差し再び口を開く。

「あー、ウクレレの人だ!公民館で手品と一緒に弾いてたでしょ?」

指を指して大声でそう言ったのは自称セクシーな方。そういえば、あの時
公民館の先生を除いては子供とお年寄りくらいしかいなかったのに二人ほど
周囲の客層から浮きまくった人がいた記憶がある。

「え、あ、あのときのお客さん?」

「そう。今日は手品師の相棒と一緒じゃないんだ?」
237 名前:09 泣き虫 投稿日:2003年05月07日(水)13時31分03秒

金髪のその言葉にまた村田の泣きそうな表情を思い出して目頭が熱くなる。
次第に鼻の奥がツンとして、景色がぼやけ、歪んで見えてきた。

「……じゃ……って……ヒック……」

突然泣き出した柴田に驚いた二人は、人目を気にして場所を移動すること
にした。大通りから少し離れた広場のベンチに柴田の両脇へ腰を下ろす。
金髪はオロオロと狼狽するだけで何も出来ないでいると、ミニスカートの
女性がポンと高そうなブランド物の財布を投げ渡した。

「マサオ、それでなんか飲み物買ってきて」

「あ……あぁ、うん。わかった」

その背中が小さくなっていくのを確認した後で柴田に話しかける。

「えーと、ウクレレちゃん。とりあえず不便だから名前を教えてくれる?」

「柴……田、ヒック……ック、あゆ、みっ」

「あゆみちゃんね。さっきの子は大谷雅恵、私は斉藤瞳。何がそんなに
 悲しいの?お姉さんに言ってごらん」
238 名前:09 泣き虫 投稿日:2003年05月07日(水)13時32分11秒

ふざけているようにも聞こえるその台詞と、背中に添えられた手と柔らかな
視線から伝わる暖かさ。さっきは怖そうに見えたけど、よく見ると優しい顔を
している。それが余計に涙を溢れさせた。

「……ひっ、く……うわーん」

「だぁぁぁぁっ、なんで余計泣くのぉ?」

先ほどよりも素直に思うままに泣く。呼吸困難になり顔を真っ赤にしている
柴田の頭を胸に抱きかかえる。小さな子供をなだめているように苦笑しながら
背中を撫でると、ちょうど大谷が缶ジュースを抱えて戻ってきた。

まさか斉藤が胸を貸しているとは思わなかったのだろう。驚きと呆れの入り
混じった声で「……なぁにしてんの?」と問いかけてくる。

「えーと、未来の娘のために練習かな」

その会話が聞こえているのかいないのか、柴田はまだ斉藤の服をしっかりと
掴んで泣き声をこらえる嗚咽が続いて一向にその胸の中から離れる気配はない。
239 名前:09 泣き虫 投稿日:2003年05月07日(水)13時33分07秒

大谷は少し拗ねたような表情のあと「やれやれ」と小さく息を吐いて先ほどと
同じように柴田の隣に腰掛けた。

「なに?羨ましいの?あとで甘えさせてあげるってぇ」

大谷の頭を軽く小突くとそれがスイッチだったかのように真っ赤になって
焦って口を開く。

「なっ、なに言ってんの!ばっかじゃないの!?何で、あた、あたしがっ!
 あぁ、もうっ!はい、ウーロン茶でいいっしょ?」

「うん。ありがとー」

片手ではポンポンと柴田の背中を叩きながら、もう一つの手で財布とジュースを
受け取る。いつの間にか泣き声が聞こえなくなったことに気付き柴田を見るが
斉藤から離れるどころかぴくりとも動かなくなってしまった。どうやら泣き
疲れて眠ってしまったらしい。いくつだよ、この子は。

「……どうしよう……起こしたほうが良いんだろうけど」

「これ飲み終わるまでに起きなかったら叩き起こすってことで」
240 名前:09 泣き虫 投稿日:2003年05月07日(水)13時34分30秒

そう言って大谷が缶ジュースのプルタブを起こすと、その音に反応するように
柴田がのろのろと顔を上げる。目の周りは少し赤く腫れてしまっているものの、
その顔はやはり可愛らしいままだった。

「おはよう。睡眠時間2〜3分ってとこだけど。寝心地はいかがだった?」

「……やーらかかった……」

大谷が柴田の頭を叩きバシッと軽い音が響くが柴田は寝ぼけていて何が起こったのか
把握できずに後頭部をさすりながらあたりをキョロキョロと見回す。
斉藤はそんな二人の様子を見て笑いながら柴田の頬に冷たい缶をぴたりと当てた。

「泣いて喉乾いたでしょ。これでも飲んでなさい」

「え……でも、私今お金持っ……」

表情を曇らせたままの柴田に斉藤が少し強引に缶を握らせる。

「缶ジュースくらい奢るわよ。お姉さんの好意は何も言わずに受け取るの」
241 名前:09 泣き虫 投稿日:2003年05月07日(水)13時36分13秒

缶を受け取るときに少し触れた斉藤の指は細くて綺麗で、ネイルアートの
施された爪はどうやら付け爪のようだ。直感的に『ピアノを弾く人の指』だ
と思った。なんだか見覚えがある顔のような気がしてきたが、思い出せない。
ひょっとすると有名な人かも。

「で、何で泣いてんの?教えなさい」

ほとんど面識のない上、言葉を交わしたのは今日が初めてだというのにいきなり
命令形。出会って間もない人間でも壁をすり抜けて話しかけてくる。
どうも村田と会ってからこっちこういう人間と出会う確立がグンと上がってる
気がするのは多分、気のせいではないだろう。

ニコニコと笑顔を見せる斉藤と少し仏頂面になった大谷に挟まれて座っていると
話さずに立ち上がれる雰囲気ではなかった。

「あー……話してもつまらないと思うんですけども……」

「つまらない話って好きだわー。あたし」

どうやら上手い具合に逃げるのは無理のようだ。
観念して大まかに話をすると思い出し涙がまたこみ上げてきた。
242 名前:09 泣き虫 投稿日:2003年05月07日(水)13時37分20秒

「ははぁ、なるほど……一応、念のために聞いておくけど……」

斉藤が柴田の肩に手を乗せて口を開く。

「手品師さんも女の人だったわよね?」

「そうですけど……やっぱ変ですか」

「いや、別にいいんだけどね。聞いてみたかったから聞いてみただけ。
 気分悪くしちゃったらごめん」

特に申し訳なさそうな顔をするでもなく、いたって普通に言う斉藤に大人の
優しさを感じる。この人は子供っぽい部分も持ち合わせてるけどちゃんとした
大人だ。笑顔で首を振ると「よかった」と微笑み返してくれる。

そして、唐突に話を切り替えた。

「ねーねー、なんか弾いてよ。あゆみちゃんとマサオで」

「はぁ?あたしも?」

「いいじゃん。そのギターは飾りじゃないでしょ。ウクレレと一緒に弾くの
 聞きたい。あゆみちゃんはいいでしょ?」

「私の弾ける曲でいいなら、構いませんけど……楽譜ありますし」
243 名前:09 泣き虫 投稿日:2003年05月07日(水)13時38分13秒

その言葉に満足して頷いた斉藤は「マサオ、いいよね?」とベンチの背もたれに
頬杖を付いて足を組み替えた。どうやら斉藤の言うことに弱いらしい大谷は渋々と
その言葉に従ってケースからギターを取り出し、チューニングを始める。
おそらく逆転しない力関係。眉毛を八の字にする情けない表情が妙に板に
ついているところを見ると、案外気が弱いのかもしれない。

柴田は楽譜を取り出して大谷の前に置く。ダイアグラムはウクレレのものだけど、
コードもちゃんと書いてあるからギターでも問題ないはずだ。
ページをパラパラとめくり「どんなのがいいですか?」と聞くと「か、簡単なの
がいいな」という要望を受けて曲を絞り込んだ。

「じゃぁ、これにしましょうか」

「うん」

曲を決めると、斉藤が近くに落ちていた枝を拾い上げて指揮棒代わりに
振り始める。それに合わせて二人はそれぞれの弦を弾いた。
244 名前:09 泣き虫 投稿日:2003年05月07日(水)13時38分46秒

ウクレレの軽い音とギターのしっかりした音が空気中で重なり合う。
大谷は弾くだけで手一杯だったようで、歌は柴田と斉藤の二人の声。
楽譜を見てすぐに歌えるとは、普通の人よりも音楽に詳しいのかもしれない。
先ほどのピアノを弾く人という直感もあながちハズレではなさそうだ。

 
    守られていたその時までは
    きっとまた戻ってくれると 信じて待っていた
    うそが上手な君のことば  
    きっとまた笑ってくれると 信じて待っていた


何でこんな曲選んじゃったんだろう。他にいくらでも同じような難易度の曲は
あったのに。無意識のうちにこれを選んだ自分が憎い。
今の状況を思い出して胸が締め付けられた。目が、喉が、熱い。

柴田の声が止まっても演奏は止まらなかった。大谷も何も言わずに弾き続けた。
俯いたまま弦を弾き続ける柴田を見ながら、斉藤はしっかりと最後まで歌った。

その時、公園の入り口付近に普通の鳩に混じってやけに毛並みのそろった
鳩がいることに気付く人はいなかった。
245 名前:名無し作者 投稿日:2003年05月07日(水)13時39分34秒
本日はここまで。
246 名前:名無し作者 投稿日:2003年05月07日(水)13時45分13秒
>232
レス有難う御座います。
村田さんのほうは、まだ引っ張ります。
今考えてる通りに行くといいんですが……。

>233
レス有難う御座います。
柴ちゃんはやっと自分で動き始めてくれました。
なんとか少しずつ終わりに近づいてきています。
247 名前:名無し作者 投稿日:2003年05月07日(水)13時46分50秒
更新age


ちょっと更新ペースが落ちると思います。ごめんなさい。
248 名前:名無しさん 投稿日:2003年05月08日(木)22時07分12秒
作者様、更新お疲れ様です
ついにメロンが出揃いましたね!イイ展開!
斉藤と大谷はつきあってるっぽいんですが、この後その辺も
でてくるんでしょうか?
泣きじゃくる柴ちゃんもとってもイイ!です!
村田との再会シーン期待してますよお!
更新待ってマース
249 名前:名無し読者 投稿日:2003年05月09日(金)00時05分03秒
おぉ、ついに2人と1人は再会しましたかぁー。ここで来るとは…。
柴ちゃんは村さんに言わせれば、まだまだ私たちの柴田くん、だそうで
皆のかわいい妹的な雰囲気があるみたいですが、ピッタリな感じですね。
2人の大事な友達&相棒が、ハッピーな結末に導いてくれますよーに。

『いい子の化学ショー』見てみたいです。白衣で出て来るのかな?(笑
250 名前:10 依存症 投稿日:2003年05月16日(金)18時28分13秒

仕事を終えての帰り道、珍しく会場の外で待っていたりんねに驚いた。

「どうしたの?見に来てたんなら楽屋に来てくれればよかったのに」

「や、買い物帰りでね、通りがかっただけだから。見てないんだよ〜」

ごめんねと笑みの零れる口を隠すように手を当てて、目を細める。
手に持ったの買い物袋でその言葉が嘘ではないというのはわかるが、
量の少なさで心配してきてくれたんだということが読み取れた。
りんねはいつも買い物に出ると並大抵の量では済まない。
両手に持ちきれないほど買い込むんだから。それに気付かない振りを
して「そうなんだ」と自分の荷物を持ち直す。

「でも、見てなくて正解かもね。今日の舞台は散々だったんっしょ?」

村田の表情を見てりんねがあさみを自分の方に移動させる。
言葉なく苦笑いで返事をすると、りんねの手が背中を軽く叩いた。
251 名前:10 依存症 投稿日:2003年05月16日(金)18時28分59秒

調子が出ない原因ははっきりとわかっている。

距離を置こうと思ったのはいいが、自分の左側が妙に寂しい。
腕を横に振り回しても、ふざけて捕まる人もいなければ文句を
言う人もいない。何だろう、この違和感。
片手に荷物を持って、もう片方の手が塞がらない。
いつもは空いた手なんかなかったのに。

りんねが隣にいる今も、何故だか風がすり抜けていくような
感覚が残る。
こんなにも、日常に溶け込んでいた。

せめて舞台の上ではプロらしくいつものように華麗にショーを
見せたかった。でも、ダメだった。手が思うように動かない。
簡単な手品でさえカードを床に落とすところだった。
手から離れていたけれど、床に着く前にあさみが口に咥えて客席へ
飛んで行ってくれたからなんとかフォローできたけど。

「あ〜ぁ、こんなんじゃプロ失格だぁね」
252 名前:10 依存症 投稿日:2003年05月16日(金)18時30分15秒

いつもよりずっと神経を使っているのに、いつもよりずっと上手く
いかない。
アルコール中毒みたいなもんなんだろうか。
柴田がいないと安定しない。
つまり、自分は柴田を好きになることで弱くなってしまったのか。

「馬ぁ鹿なこと言っちゃってんね」

「だってさぁ、なんかもぉ、ダメかも……でも、まだちょっとしか
 離れてないよう……でも会いたいよぉ……うあぁぁぁ〜っ」

一人で勝手に壊れているとあさみが鳴き声をあげながらばさばさと
村田の周りを低空飛行する。どうやら、慰めてくれているようだ。

「つまんない意地張らないで会えばいいのに。そもそも、数日離れた
 だけでそんなになっちゃってんだったらもう距離を置く必要ないっしょ」

元々、お互いのことをよく理解するために距離を置いたのだから。
もう十分理解できただろう。少なくとも、村田自身が柴田のことを
どう思っているかはよくわかったはず。
253 名前:10 依存症 投稿日:2003年05月16日(金)18時31分09秒

りんねの台詞をちゃんと聞いているのかいないのか、村田はぼそりと独り言を
もらした。

「夢にまで出てきはじめたら末期だよねぇ」

「そんな歌あったなぁ。夢でもし逢えたら素敵なことね〜ってやつ」

歌い始めたりんねに適当に相槌を打って虚空を見上げる。
そういえば、初めて柴田に会ったときの去り際になんであんなことを
口走ったんだろう。自分が言った台詞なのに、わからない。

りんねにそのことを話すと「私に聞かれても」と困った顔をされた。
まあ、当然だ。

「夢で逢いましょう……か……」

「でも、それで今まで一緒にいたってことは夢で逢えたってこと?」

そんなこと人為的にできるわけがない。少なくとも、一介の奇術師には
到底無理な話。でも、本物の奇術師は時に奇跡を起こす。
出会いのきっかけを作った、あの楽譜がそうだったように。
254 名前:10 依存症 投稿日:2003年05月16日(金)18時32分33秒

「夢って、一日のうちに何種類も見るんだって。でも、起きたときには
 その殆どを忘れてるんだって」

「……要するに?」

「逢えたかもしれないし、逢えなかったかもしれない」

村田のその答えに納得いかないりんねが「うっわ、卑怯な逃げ方だ」と
言うとあさみが村田の手からクッキーをつまみ食いした。

「覚えてないんだよ。でもね、逢えたんじゃないかなと思ってるよ」

「根拠は?ていうか、覚えてないのに何で今一緒にいれたわけ?」

「んー、だってこれは運命だから」

りんねの質問に大して真顔で答えになっていない答えを返す。
あんな出会い、運命以外考えられない。偶然でも、重なり合えば必然。
柴田は運命なんて信じないって言ってたけど。
しかし、今、柴田に胸を張ってそう言えるのかと言われると自信がない。
何でこう強気に出れないんだろう。ドンドン臆病になっていく自分に
イラついてくる。
255 名前:10 依存症 投稿日:2003年05月16日(金)18時34分46秒

「……ここら辺でウクレレ弾く人ってそんなにいないよね?」

「柴田以外知らないねぇ」

視線を一方に固定したまま急に呟いたりんねの言葉に頷き、視線を同じ
方向へ投げると、ベンチに座る3人が見えた。
スーパーサイヤ人のような髪型の人とミニスカートに胸元の開いた服を
着た女性に挟まれて座っている茶髪の少女はその手にウクレレを持って
いた。間違いない、あれは柴田だ。

「……――」

声をかける前に様子がおかしい事に気付き、息を止めた。
柴田が、泣いている。

「ねぇ、あの子?あの子?泣いてるよぉ」

りんねの声が薄いフィルターを通したように聞こえてくる。
村田は表情を凍りつかせたまま動くことが出来ない。まるで、世界から
隔離されているように自分の時間を切り離し、瞬きもしない。

「むらっち?めぐみちゃん?おーい、起きてぇ」
256 名前:10 依存症 投稿日:2003年05月16日(金)18時35分55秒

頭が真っ白になる。何度目だろう、柴田の泣き顔を見るのは。
あの役目は自分の役目だったのに。今は違う誰かが柴田に胸を
貸している。

「あの子には、もう必要ないのかも……」

柴田の中で村田めぐみという存在は、既に記憶の中でしか生きて
いないのかもしれない。村田が必要としていても、柴田は村田を
必要としていない。だって、涙を流すとき、隣に優しく背中を
撫でる人がいる。いたわりの声を、慰めの声を掛けてくれる人がいる。
記憶の人の出る幕はない。

「ちょっと、顔色悪いよ?」

「平気……天気が悪いから光の加減でそう見えるだけだよ」

体が感じる湿度が雨の訪れがそう遠くないことを物語っている。
見える景色すべてが霞がかって見えるのもきっと天気が悪いせいだ。
自分だけじゃない。そう、思い込みたかった。
257 名前:10 依存症 投稿日:2003年05月16日(金)18時36分49秒

「あぁ、ぱとらっしゅなんだかねむいんだ……ちょっと……
 あたまひやしてくる」

「おいおいおいおい、誰がパトラッシュなのさっ!なんだか眠いんだとか
 洒落にならないから。ほら、焦点の合ってない目をどうにかしなさいって」

両肩を掴んでがくがくと体を揺さぶってくるりんねに「冗談だよ」と
薄っぺらい笑い顔を作り、踵を返す。
呼び止める声が聞こえた気がしたけれど、振り返る気力もなかった。

カバンの中から黒いステッキを取り出して無造作に振ってみる。
本当に種も仕掛けもないステッキだから、何も起こるわけがない。

「奇跡は何度も起きたら奇跡じゃないでしょ……か」

あの時いった言葉。『私は奇術師。奇跡師じゃない』所詮、そうなんだ。
都合よく起きる奇跡に人は何故感動できるのか。それはきっと夢の中だから。
夢と現実を繋ぐ架け橋が、奇術師。
夢の中では魔法使いでも、現実の世界では詐欺師に近いかも知れない。
その魔法のほとんどがトリックなんだから。
258 名前:10 依存症 投稿日:2003年05月16日(金)18時38分36秒

それでも、村田は柴田の前では魔法使いでいたかった。
魔法使いである前に、普通の人として隣にいたかった。
普通の人としてじゃなくて、もっと親しい人として一緒にいたかった。
一番、親しい人として。

離れたら近すぎて見えなかった心がよく見えるようになると言うけれど、
離れてる間に誰かに盗られる事もある。

なんて間抜けな話だ。笑えてきた。

家に帰ろう。
自分の家へ。いつまでもりんねに甘えてるわけにはいかない。
あの冷たく暗い一人の部屋へ帰ろう。
どうあがいても、自分の帰る場所はそこ以外ないのだから。
もう、柴田が来る可能性なんかないだろう。
柴田は村田のいない道を歩き始めているのだから。

深いため息をつき、久しぶりに手にする自分の部屋の鍵を握り締める。

いつになく重い足取りの村田の頭の中は柴田依存症の治療法のことで
いっぱいだった。
259 名前:名無し作者 投稿日:2003年05月16日(金)18時39分11秒


本日はここまで。
260 名前:名無し作者 投稿日:2003年05月16日(金)18時52分15秒
>248
レス有難う御座います。
メロン、やっと出揃いました。
斉藤と大谷については実はこの話を始める前に短い話を載せる予定
だったんですが、私的な都合によりこっちを先に持ってきてしまい
まして。この話が終わったあとにちゃんと載せる予定です。

>249
レス有難う御座います。
やっと彼女たちを再会させられました。
柴ちゃんの人見知りだったり涙もろかったりする子供っぽい部分が
好きなので彼女たちを一緒にいるときだけでも、そのままのびのびと
ナチュラルでいて欲しいものです。
結末は、おそらくもうすぐ。
261 名前:名無し作者 投稿日:2003年05月16日(金)18時53分09秒


更新age
262 名前:名無しさん 投稿日:2003年05月17日(土)00時18分05秒
更新待ってました!
村田と柴田はあえるのでしょうか?
どんな展開になるか期待してます!
がんばってくだーーさい
263 名前:名無し読者 投稿日:2003年05月17日(土)15時48分55秒
受身な性格の2人がすれ違うと大変だなぁ、本当に(^_^;
結論は既に出てるわけで。それこそ小学生でもわかることですが
年齢があがるとかえって難しくなるのかな、とか思ったり・・・
っていうか一番大変なのはある意味、戸田さん?

柴ちゃんは、けっこう冷静な部分と、うっかり天然な部分との
まざり具合が絶妙ですね。いろいろ気を遣うわりにどこか抜けてて。
タンポポでは少しお姉さん、メロンでは末っ子でやんちゃ
案外しっかり者だけど何気にネガティブ、地味に負けず嫌い(笑
あの飾りけのなさが好きです。・・・って、お話に関係ないコメントですみません。。

それにしてもMステ斉藤さんは、久々にちょっと衝撃的だったかも(笑
264 名前:11 既視感 投稿日:2003年05月25日(日)23時02分22秒

名前を呼んでも振り返ることなく、村田の背中は小さくなっていった。
どうやら、相当キテるらしい。あんな状態で放っておくのは少し不安
だが、あまり付きまとうわけにもいかない。こういう状態のとき過剰に
声をかけると逆に逃げて行ってしまうだろうし。

村田の背中が見えなくなると、視線を先ほどと同じように柴田のほうへ
投げる。随分と綺麗な顔立ちをしていた。村田から聞いていた通りの
美少女。これなら、あそこまで御執心なのも頷ける。もっとも、村田に
言わせれば顔は問題じゃないのかもしれないけれど。

ぼけっとしたまま突っ立っていると、いつの間にかあさみがいなくなって
いた。広場には無数の鳩、ハト、はと。普通の人ではきっと見分けが
つかないだろう。しかし、りんねはひと目であさみを見つけてそのあとを
追いかけた。
265 名前:11 既視感 投稿日:2003年05月25日(日)23時04分04秒

「あさみ、どこいくのぉ〜?」

その声にハッとして柴田が顔を上げる。隣に座っている二人も、視線は
同じ人へ注がれていた。
その女性は都会の色には染まらない素朴さのオーラを全身に身に纏って
一羽の鳩を追いかけていた。

「こらぁっ!あーさーみ!なぁしておとなしくできんのさ!?」

女性の手を逃れるように小刻みに飛ぶその鳩はやがて着地地点を見つけ、
そこへ舞い降りた。

「あ……」
266 名前:11 既視感 投稿日:2003年05月25日(日)23時05分31秒
柴田の頭の上。
以前にも、同じことがあった。よく覚えている。忘れるわけがない。
あんな出会いは印象的過ぎるから。今、目の前にいる女性は柴田が望んで
いる人物ではないけれど。でも、鳩のほうは間違いなく村田の“友達”の
あさみ。

「あさみ……どうしてここんなところに?」

頭の上のあさみを捕まえて顔をあわせる。

「やっぱりあさみも仲直りして欲しいんだねぇ」

目の前の女性がしみじみとそう言ったのを柴田は聞き逃さなかった。
村田とこの人は何らかの形で繋がりがある。その上柴田と村田が仲違い
してることも知っている。

「あなたは、誰ですか?」

「あ、わたしは戸田りんね。むらっちとは古い友達なの。
 君はぁ、しばっちゃんだね?聞いてた通り、可愛いねー」

ニコニコと穏やかに笑いながら話すりんねの舌足らずな口調が村田と
だぶる。類は友を呼ぶとはまさにこのこと。古い友達と聞いてやけに
納得してしまった。
267 名前:11 既視感 投稿日:2003年05月25日(日)23時06分56秒

「よかったじゃん、居場所知ってそうな人が見つかって」

大谷のその声で柴田はりんねの肩に手を置いて口を開く。そうだ。彼女は
村田の“今”を知っていると思われる人。なんとしても居場所を聞き出して
おきたいところ。

「今、むらっちがどこにいるのか、わかります?」

柴田に見つめられたりんねは一瞬、言葉を忘れていた。
不思議な瞳をしている。睨んでいるわけではないのに、凄みのある瞳。
なのに、すがりつくようなふうにも見える。
村田が思っているよりもずっと、この子は村田を必要としている。
同じように好き合っているのに何故こんなにもすれ違いが大きくなって
しまうのか。

「あー、今は確かな情報はわからないんだぁ」

ついさっきまですぐ近くにいたのだけど。申し訳なさそうに言うりんねに
柴田は「そうですか」とうなだれて手を離した。
引っ張られてよれた服を直すよりも先に、力なく下ろされた手を取って
横に置かれていたウクレレをその手に持たせる。
268 名前:11 既視感 投稿日:2003年05月25日(日)23時08分15秒

「あの子はね、ああ見えて不器用だから……手先がじゃなくてね。心が」

普段は飄々として核の部分を隠して隠して、他人にそこへ入り込まれるのを
恐れている。それは、柴田もなんとなくわかっていた。

「しばっちゃんとも、こんなに離れるつもりはなかったんだと思うよ。
 自分の心の収拾がつかないほど好きになっちゃって、理解するために
 距離をとったのに、余計壊れてさ」

本当は本人の口から言わせたほうが良かったんだけどねと苦笑い。
本人が接触を絶ってしまってるんだから、仕方がない。
一応は納得した柴田だが、やはり少し怒りがあるらしい。

「なにも、携帯まで着信拒否することないのに……極端過ぎるよ……」

「まぁまぁ。そんなに怒んないでいいんじゃない。そこまでしないと離れられ
 ないくらい想ってたってことでしょ?いいなぁ〜」

眉間にしわを寄せる柴田を斉藤がなだめると、大谷が一言。

「着信拒否しようか?」

冗談で言ったらしいが、斉藤に満面の笑みを返されると表情が携帯を握り締めた
手と一緒に凍り付いていた。
269 名前:11 既視感 投稿日:2003年05月25日(日)23時09分06秒
無言で伝わる会話が少し羨ましい反面、それはそれで色々と大変そうだなぁと
思い、少し笑った。

「なんだ、まだ笑えるじゃない。その笑顔があれば大丈夫だって」

3人が口々に言って、あたまをポスッと軽く叩く。
みんなの優しさが暖かくて、あふれそうだ。初対面も同然なのに、こんなにも
居心地の良い空間。この数日で沢山泣いたのは、この3人との出逢いがあると
柴田の第6感がわかっていたのかもしれない。
落ち込みたいときは思い切り落ち込んでおけばいい。そこから立ち直ると前より
もっと強くなるんだから。

「りんねさん、むらっちの住所教えてください」

「いいけど、帰ってないかもしれないよ?一緒に行こうか?一人で大丈夫?」

りんねの心遣いは嬉しいが、柴田は一人で行くときっぱりと言い放った。
こういう状態で居るときの再会にギャラリーが多いのはお互い趣味じゃない。
270 名前:11 既視感 投稿日:2003年05月25日(日)23時10分27秒

「うーん…心配だけど……じゃー、どんな結果でもここに戻ってきてよ」

「あー、あたしらも待ってるよ。どうせ暇だし」

「そうだね」

もう日が暮れかかっているというのに、彼女たちはその場を動く気配はない。
本当に待っている気らしい。約束だよと住所を書いたメモ帳を柴田に手渡す。
湿度のせいか、少しよれているその紙を大切そうに受け取り、頷く。

「ありがとう。戻ったら、とびきりのショータイムだー」

今の勢いがあるうちに会いに行かなきゃ。お互い一歩が踏み込めなかっただけ
なんだから。きっと自転車と一緒。こぎはじめは不安定だけど、スピードが
乗れば安定する。

柴田は3人に笑顔で手を振って相棒を背負いなおし、全速力で走り始めた。
271 名前:11 既視感 投稿日:2003年05月25日(日)23時12分26秒

そういえば、いつか村田は持久走が得意って言ってたっけ。
紺野も中長距離選手だった。
思えば、紺野と村田はどこか似ている。
容姿じゃなくて、テンポや空気、他の人とずれているピント。
一つだけ、決定的に違うことがある。
あの少し強引な、でも、柔らかな優しい押し付け。

『ないんなら、いい名前があるよ。あのねー』

『めぐみ』

背負ってることを忘れそうなほど軽いウクレレでもそんな名前を
つけられたんじゃ、心地よい重さが生まれるじゃないか。

小雨がだんだんと本降りになってくる。表通りに出ると、そのアパートを
みつけることが出来た。古ぼけた建物は壁に少しひびが入っている。
雨を避けきれていない1階の窓に見慣れたスカート。
柴田は迷わずまっすぐに足を進めた。
あと数メートルの位置で速度を落とし、気づかれないように気配を殺して
忍び足で近付く。息が切れて、喉がべたつき、頭がくらくらする。
軽い酸欠状態。呼吸を整えて、1メートル以内に。
272 名前:11 既視感 投稿日:2003年05月25日(日)23時13分40秒

柴田の気配に気付いているのかいないのか。村田は無表情にコインを右手の
中で弄んでいた。親指で弾き上げたコインの軌道がわずかに手から逸れる。
落下して地面に落ちたコインは転がり、柴田の靴に当たって止まった。

「……あ」

声をかける前に村田は窓から飛び降り、裸足のまま駆けて行こうとした。
でも、行けなかった。柴田が腕を掴むほうが一瞬早かったのだ。

「まってよ!何で逃げるの?私のこと、嫌いになった?」

「……」

村田は何も言わずに首を振り、やんわりと柴田の手を解くと、足元に転がった
ままのコインを拾い上げ、真上に高く投げ上げた。雨で光が乱反射して幻想的な
輝きを見せる。村田の手に再び納まったそれはもうコインではなかった。

いつか夢で見たシーン。
両手いっぱいの花束を抱える村田の瞳から零れ落ちる雫。
273 名前:11 既視感 投稿日:2003年05月25日(日)23時15分12秒

「……――どうしようもないくらい、大好きだよ」

雨音の中、その行動とは真逆な村田の穏やかな声が揺れながら耳に届く。
同時にどこかの家からラジオの音がかすかに漏れていることに気付いた。

   愛しい人 切ない人 心まで奪っておくれ
   夜を過ぎて 朝になっても 月が泣いてる

   優しい人 可愛い人 心から笑っておくれ
   雨が降って風が吹いても 恋に落ちてく

花束が柴田の視界をふさぐように投げられた次の瞬間には、村田の姿は
もう無かった。抜け殻になった部屋と、雨に濡れた赤いフリージアの
花束だけ残して。
274 名前:名無し作者 投稿日:2003年05月25日(日)23時15分42秒

本日はここまで。

275 名前:名無し作者 投稿日:2003年05月25日(日)23時25分35秒
>262
レス有難う御座います。
更新速度がドンドン遅くなってごめんなさい。
今現在の村田と柴田はこうなっています。
話的にはそんなに進んでないっぽいですが。

>263
レス有難う御座います。
二人は、やっと対面できてもこんな感じになってます。
年齢があがるとかえって難しくなることが結構増えてきて大変ですね。
この人たちも。
276 名前:名無し作者 投稿日:2003年05月25日(日)23時26分13秒

更新age

遅くてスイマセン。
277 名前:名無しさん 投稿日:2003年05月25日(日)23時27分58秒
更新!!!!待ってました−
まさか消えるとは・・・!
むらっちは柴ちゃんの前からいなくなってしまったのかな?
読み始めの展開から今回丸く収まると思っていたのですが・・
まだまだ一波乱ありそうですね。この後の柴ちゃんの対応が
非常に気になります。
更新お待ちしております。
278 名前:名無しさん 投稿日:2003年05月29日(木)02時36分49秒
言い逃げか、村さん!?(w

自分には相手が必要なのに、自分は相手には必要ないかもと思ったら…
とてもじゃないけど正面からは向かい合えないかな、やっぱり。

新曲のイベントで、2ヶ月ぶりのメロンを見てきました。
あの4人の作り出す空気、本当に好きだとあらためて思いました。
279 名前:12 時間ドロボウ 投稿日:2003年06月05日(木)01時26分25秒

雨は大降りになってきたが、ベンチの上には申し訳程度の屋根がついているので
3人は濡れずに済んでいた。
空から落下してくる無数の水滴が目の前を落ちていく。

「へー、じゃぁ上京するまでは牧場に…」

大谷はギターが濡れないように大きなビニール袋でケースごと包みながら
斉藤とりんねの話に加わっていた。ガサガサという音が雨音に混じって
聞こえる。

「うん。この子のあさみって名前もね、牧場の友達の名前からもらったの。
 その子は犬ぞりの名手でね〜」

「い、犬ぞり!?はぁ〜…なんか、すごいねぇ」

三人は柴田を待っている間にいつも間にやら和気藹々と談笑するように
なっていた。元々人見知りをするほうではなかったし、りんねの素朴さに
心を溶かされたらしい。
大谷とは同郷ということもわかって、さらに打ち解けていた。

「あ、あれ、しばっちゃんじゃない?」

りんねの声に反応して斉藤、大谷も指差された方向へ顔を向ける。
280 名前:12 時間ドロボウ 投稿日:2003年06月05日(木)01時29分36秒
確かに柴田だ。
でも、その手にウクレレはなく、代わりに赤い花束。
その周囲に他の人影はない。村田の姿もなかった。3人は互いの曇った表情を
確認するように顔を見合わせる。しかし、当の柴田は笑顔だった。

「……どうしたの?それ……ウクレレは?」

ためらいがちに大谷が花束を指差して口を開く。

「あぁ、濡れちゃうから置いてきた。これは、貰ったの。いい匂いだよ」

大谷に花束を持ってもらい、雨に濡れて重くなった服を絞りながら村田に
会ってきた一部始終を話し終えると、大きく伸びをする。悲しみの欠片も
ない晴れやかな表情。
ここで泣いていたとは思えないほど生き生きとした声。

「なんかね、だいぶ、わかってきたよ。村田めぐみという人のことが」

とりあえず、ウクレレを村田の部屋の窓から中へ置いてきた。村田のことだから
柴田のものだとすぐに気付き、なんとか返そうとするに違いない。
実は、この雨の中走り回るのは不安だったからというのも理由の一つではある
けれども。

「これからが問題なんだけどねぇ…むらっち会ってくれそうにないし」

「……っとに、じれったいわね……いいわ、私が協力してあげる」
281 名前:12 時間ドロボウ 投稿日:2003年06月05日(木)01時31分29秒

柴田の後に、先ほどまで黙り込んでいた斉藤がにやりと笑う。
まさに何かを企んでいる人間の表情。
3人からの視線を集め、計画を話す。
多少強引な気もするがその案を却下する者はいない。みんなの反応に
満足した斉藤は早速準備を整えると言って大谷の手を引き、雨の中を
走り去って行った。

「やー、面白そうだぁ…じゃ、むらっちの方は私が何とかするよ」

「あ、りんねさん!」

カバンを傘代わりに頭に乗せて屋根の外へ出ようとしていたりんねは、
柴田の言葉に振り返る。

「あの…ありがとうございます」

「うん」

相変わらずの笑顔で短い返事をして頷くと、すぐに走って行ってしまった。

一人残った柴田は花束を見つめなおし、顔を寄せてその匂いを嗅ぐ。
甘くほのかな匂いが鼻孔をくすぐる。やっぱり柴田の誕生花の赤いフリージア。
柴田は柔らかい笑みをこぼし、纏わりつく服を気にも留めずに再び
雨の中を歩き始めた。
282 名前:12 時間ドロボウ 投稿日:2003年06月05日(木)01時32分22秒

悲しくないのは村田が柴田のことを嫌いじゃないとわかったから。
それどころか「大好き」とまで言ってくれた。
柴田も村田のことが「大好き」だ。だから、まだ修復の余地はある。
その機会をことごとく自分たちで潰してしまってるだけで。

斉藤が思いついたのは、無理やり“機会”を作ってしまえばいいということだ。
今の村田相手には、強引なくらいがちょうど良い。
そうしなきゃ、また逃げられてしまう。

「それにしても……」

斉藤瞳……名前も聞いたことがある気がするし、どこかで見たことが
ある気もする。いったい何者なんだろう。

「まぁ、何者でも良い人ってことに違いはないからいっか」

そう自己完結して、楽観的な笑みを空に投げた。
283 名前:12 時間ドロボウ 投稿日:2003年06月05日(木)01時33分42秒

一方、村田は傷だらけの素足で柴田がいないのを確認して家に戻っていた。

裸足のままコンクリートの上を走れば、怪我もする。
開けっ放しの窓際に何かが立てかけてあることに気付き、それを手に取る。
見覚えのあるケースを開くと、同じく見覚えのあるウクレレ。
めぐみだ。

「お前もご主人に捨てられたの?めぐみ」

自分で言って辛くなってきて、再びケースに入れなおし、雨の当たらない
場所へ移動させた。
自分の歩いた後を見ると、足跡がはっきりと残っているのがわかる。
とりあえず、足を洗わないと。

「痛ぁ……」

風呂場で足を洗いながら、ひりひりする痛みに顔を歪める。
細かい擦り傷は地味に痛痒い。
なんでこう、自分の行動を制御するということが出来ないのだろう。
考えなくてもわかっている。柴田絡みになると自我を見失い、突拍子
のないことをしでかしてしまう。

「告白して逃げてどうするんだか…」

蛇口を閉め、ため息を落とす。
284 名前:12 時間ドロボウ 投稿日:2003年06月05日(木)01時37分17秒

考えてみれば柴田にちゃんとその気持ちを言ったのは初めてだ。
その言葉を言わないのは最後の砦だったのかもしれない。
信頼できる相棒、友人でいるための。
薄いベールを一枚隔てていたから心地よい関係が築けていた。
想いを打ち明けることはそのベールを破ってしまうことで、柴田が離れて
いってしまうかもしれない行為。

そう思うと急に寂しくなって柴田の顔を思い浮かべる。
笑顔を見たいのに、脳裏を掠めるのは先ほどの泣きそうな顔。
285 名前:12 時間ドロボウ 投稿日:2003年06月05日(木)01時39分14秒

眉間にしわを寄せながら消毒して、そのまま濡れた服を着替えもせずに
座り込む。視界に入るウクレレがやけに寂しそうに見えて思わず手を伸ばした。

持ち主から離れても、愛情を持って接していた温もりが感じられる。
思えば、このウクレレにめぐみと名付けたのは柴田とずっと一緒にいる
こいつが羨ましかったからだ。

まるで子供みたいだと苦笑して瞳を閉じる。

すべて夢の出来事にしたかった。柴田に出会う前に時間を戻して。
時間泥棒がいるのなら、私が柴田と過ごした時間を全て盗って行けばいい。
次に瞼を開けるときは、やっぱりこの冷たい部屋で。

でも、今とは違う、昔の村田めぐみに戻して。
柴田のぬくもりを知らないただの奇術師として目を覚まさせて。

眠りへと落ちていく意識の中、そう願った。
286 名前:12 時間ドロボウ 投稿日:2003年06月05日(木)01時41分14秒

―――――――――
――――――
―――

  『……――らっち、むらっち』

  『ねえ、むらっちも一緒に歌おうよ』

  『……私は、いいよ』

  『なんで?この前一緒に歌ったとき楽しそうだったのに』

  『んー、や、あれはあれ。人前で歌うのはちょっとね。とにかく
   私は奇術だけしてるよ』

  『本当は歌いたいくせにぃ。だから“嘘つき、泣き虫、意地っ張り”
   なんだよ』

  『泣き虫って…泣いてないし。柴田君のほうがよっぽど泣き虫だと
   思いますよぉ』

  『えー、うたおーよぉ。うーたーおー、うーたーおー』

  『あ゛ーもうっ、わかったから!歌う!歌うから、人の背中に乗らない!』

  『え、ほんと?やっぱむらっちは優しいなぁ』

―――
――――――
―――――――――
287 名前:12 時間ドロボウ 投稿日:2003年06月05日(木)01時42分47秒

瞼を開け、おもむろに時計を確認する。もう日が昇っているはずの時間。
それにもかかわらず外は相変わらず暗く、空が泣いていた。

柴田の記憶も、自分が馬鹿なことをした記憶もちゃんと残っている。
どうやら時間ドロボウは現れなかったらしい。
それどころか、数ヶ月前の柴田との記憶を克明に夢で思い出させてくれた。

「……――優しくなんかない」

本当は、全然優しくなんかない。
でも、ああいう風におねだりされちゃ、こっちから折れるしかないだろう。

顔を洗おうとして洗面台の前に立ち、言葉を無くす。
目は赤く腫れ、頬には涙の後がくっきりと残っている。恐る恐るそれに
触れると、まだ湿っていた。夢で泣くなんて。

「は、ははは……三つとも当てはまっちゃったよ……」
288 名前:12 時間ドロボウ 投稿日:2003年06月05日(木)01時43分18秒

嘘つき、泣き虫、意地っ張り。
柴田のこと、本当は忘れたくないくせに忘れたいとか思ってみたり、
あの程度の夢で泣いてみたり、せっかく会いに来てくれた柴田からは
意地張って逃げたり。馬鹿みたい。
まぁ、こんな馬鹿は柴田もとっくに呆れて見限ってるだろう。

顔を洗って多少は見れる顔になった。
別にいいか。今日は仕事もない。ボーっとしながらそこら辺を歩いて
頭を冷やそう。
結局、昨日は頭を冷やすどころか、逆に熱くしてしまったことだし。

「あ、あさみにご飯あげなきゃ……」

思い出したように部屋の片隅にある鳥かごへ振り向いても、あさみはいない。

「そうだ……りんねのとこか……」

あさみを呼ぼうとして少し上げた腕を所在なさげに見つめる。

  『弱気菌が伝染っちゃうよ』

何も言い返せないなと改めて思った。
289 名前:名無し作者 投稿日:2003年06月05日(木)01時44分38秒

本日はここまで。
290 名前:名無し作者 投稿日:2003年06月05日(木)01時52分26秒

>277
レス有難う御座います。
更新遅くてスイマセン。
やっと本格的に終わりに向かって動き始めました。

>278
レス有難う御座います。
引き続きネガティブ な村田さんです。
もう一方はなにやら頑張っている様子ですが。
私もメロン4人の空気、大好きです。
291 名前:名無し作者 投稿日:2003年06月05日(木)01時54分26秒

更新age

相変らずとろくて本当にごめんなさい。
292 名前:名無し読者 投稿日:2003年06月07日(土)03時34分15秒
夢の続きは、手を伸ばせば届くところにあるわけで…
ほんとネガティブループにハマりきってますね、村さん。
だけど言い逃げでも、すれ違いには歯止めが掛かったようで何より。
今は、パワフルセクシーさんに色んな意味でワクワクです。
293 名前:名無しくん 投稿日:2003年06月08日(日)19時17分11秒
さて!今後の展開に期待です
294 名前:13 素直になれたら 投稿日:2003年06月14日(土)19時23分52秒

村田は誰もいない部屋で一人、声を押し殺して泣いた。
最近泣きすぎだ。以前の自分からは考えられないほど感情が豊かに
なってる…というよりも感情を押し殺せなくなってきてると言うのが
正しいのかもしれない。

立ち上がろうと腰を上げたら、脱力感が全身を襲い、その場に膝から
崩れ落ちた。よろよろと床に手を着く。
今の自分の顔を想像したら笑えてきた。
きっと、光のない瞳をして悲壮感を漂わせまくった表情。
奇術でどんなものでも消せるのなら、自分を消したいと思う。
存在の意味がないと思うから。

もともと、何で奇術師になろうと思ったんだろう。
カッコイイから?
珍しいから?
その華麗なショーに魅了されたから?
……自分を消したいから?
どれも正解。でも、どれも核心ではない。
天井を見上げて一言、ポツリともらす。
295 名前:13 素直になれたら 投稿日:2003年06月14日(土)19時24分30秒

「あゆみと出逢う為ってのが良かったなぁ……」

「だったら逃げちゃだめでしょー?」

独り言にツッコミが入るということは、自分のほかに誰かがいるということで。
この聞きなれた声の持ち主は、きっと予想通りの人物。

「……りんね?」

座ったまま首だけ動かし、戸惑いの視線を部屋に上がってきたりんねに向ける。

「鍵くらい掛けなよぉ、女の子なんだから。頭冷やしてくるって言ったくせに、
 全然冷やしてないじゃん。」

「なんで、逃げたって、知ってんの?」

あの場には柴田と自分以外の人影はなかったはずだ。
りんねと柴田が接触した事実を村田は知らなかったので驚くのも無理はない。
296 名前:13 素直になれたら 投稿日:2003年06月14日(土)19時25分11秒

「しばっちゃんに住所を教えたの私だから。好き同士なんだからいい加減素直に
 ひっついちゃえばいいっしょ」

やれやれとため息をつくりんねの視線から逃れるように背中を向けた。

「……私の好きとは種類が違うよ……それにあゆみにはもう私はいらない」

「何でそんなことわかるの?ちゃんと確かめもせずに憶測だけで決め付けるのは
 良くないよ。むらっちはいっつもそうだ。人一倍寂しがりやなくせに、
 ちょっと距離が見えると自分からさっさと引いていく」

「…………――ほっといてよ」

「やだ」

りんねの右手が肩を掴む。
村田はそれを力任せに振り払って壁際に逃げるともう一度同じ台詞を
怒鳴った。

「ほっといてってば!」

こんなに感情的になるなんて大人のすることじゃない。
ちゃんとわかっていても、止まらない。
297 名前:13 素直になれたら 投稿日:2003年06月14日(土)19時27分11秒

「本当は側にいて欲しいくせに。柴っちゃんに傍にいて欲しいくせに」

「そんなこと……――!」

ムキになって反論する村田の腕を力いっぱい掴んで立ち上がらせる。
相変わらず細くて軽い。
好き嫌いをして肉を食べないから栄養バランスが偏りまくりなんだろう。

「ラストチャンスをあげる。一度きりだよ、ここで逃げたら終わり」

そう言ってりんねは強引にウクレレを胸に抱えたままの村田を外へ
引っ張り出した。
その手には村田がいつも持ち歩いていた大きなカバンをこっそり持って。


.
298 名前:13 素直になれたら 投稿日:2003年06月14日(土)19時27分48秒


無理やり連れて来られたのは小さなライブハウス。まだ時間が早いせいか、
人の気配は殆どない。暗い室内が少し不気味に思えて、部屋に置いてくるのを
忘れて持ってきてしまったウクレレを抱きしめる腕に自然と力が入る。

「ようこそ。新進気鋭の若手奇術師、村田めぐみさん」

薄暗いステージの上で誰かが喋る。身長は同じくらいだろうか。
その声は女性のもの。

「……?」

訝しげに眉をひそめ、ステージ上の人物を凝視していると、舞台袖から
もう一つシルエットが現れた。
向かって左側に置かれているピアノに腰掛けると、ゆっくりと鍵盤をなぞる。
その曲は、オリーブの首飾り……手品師がよく使う有名な曲だ。

「さぁ、舞台に上がって来て、あなたのショーを見せてください」

その芝居がかった台詞に、りんねが背中を押して村田の足を無理やり進ませる。
299 名前:13 素直になれたら 投稿日:2003年06月14日(土)19時29分03秒

「ちょ、そ、いきなり言われても!」

「舞台に上がって来ておいて何もしない気?」

ピアノの方から聞こえたその台詞の直後、伴奏が途切れた。
そんなことを言われても、いきなり連れて来られて半ば強制的に舞台に
上がらされた村田はただ混乱するばかり。
浅い沈黙のあと、再び始まった演奏は先ほどと違う曲。
でも、聞き覚えのある曲。
この曲を初めて聞いたのはピアノではなかったけれど。

どこからともなく、弦を弾く音が聞こえてきた。
そう、初めて聞いたのは、この音。

黒いケースの中に入っためぐみが共鳴しているかのように思えた。
音の出所を確認しようとキョロキョロと辺りを見回すが、音はスピーカーから
聞こえてくるものばかりで場所の特定が出来ない。
ピアノを弾く女性の視線を感じてそちらへ向くと「さぁ、どうする」と言って
いるような挑戦的な瞳を向けられた。
曲は続いたまま。歌えと言うのか。どいつもこいつも。

「あゆ、み……からかわないでよ……放っておいてよ!
 私なんか要らないくせに!」
300 名前:13 素直になれたら 投稿日:2003年06月14日(土)19時30分48秒

少し大きな声でそう言うと、部屋全体が明るくなり、声の主の顔がはっきりと
見えた。記憶の片隅の残っている、見覚えのある2人組。

「まだこの期に及んでそんなこと言ってんの?」

「ここまでくるとホントに可哀相になってくるわ」

ほぼ初対面の人間にそこまで言われる筋合いはない。
口を動かすよりも先に、ウクレレの音が少し大きくなり軽快なテンポを刻んだ。

「遊んでよ困らせてよ 嘘つき、泣き虫、意地っ張り」

特徴のある、声。

    『むらっちってこんな感じだよ』

少し幼さの残る優しい声。

「……――」

黙り込んでいると、スピーカーから聞こえていた音が消え、その代わりに
混じりっけのないウクレレの音色が響き渡る。
耳に滑り込んでくる、優しい音色。
今度は聞いたことのない曲だった。明るい曲調なのに、どこか切ない。
301 名前:13 素直になれたら 投稿日:2003年06月14日(土)19時31分43秒

小さな足音が近づいてくるのと比例して、ウクレレの音も大きくなってくる。


    とまどいは、雨の中 揺れている君の頬
    ああ君の悲しみに 僕は腕を伸ばすことが出来ないけど
    たとえば誰よりも 君のそばにいてあげる


ちょうど、真正面。
柴田が目を細めてやわらかな表情を見せる。思わず目を逸らした。

「練習が間に合わなかったから、ここまでしか弾けないの……やっぱり、他の
 ウクレレじゃ落ち着かないよ。めぐみはね、私にとって凄く大切だから……
 帰ってきて良かった……」

その言葉に、村田は眉間にしわを寄せたまま、そっぽを向き、抱きかかえていた
ウクレレを右手に持ち替えて柴田のほうへ突き返した。

「そんなに大切なら置き去りにしてんじゃないよ。壊したらどうするの」

「置き去りじゃないよ。むらっちのとこなら安心だと思ったから。
 どっちの“めぐみ”も私にとってかけがえのない大好きな相棒だし」
302 名前:13 素直になれたら 投稿日:2003年06月14日(土)19時34分22秒

信頼しきった笑顔。
せっかく会いに行っても自分勝手に走って逃げるような人間に、なんでこんな
表情が出来るんだろう。
人見知りの柴田が人懐っこく笑う。気を許した相手にだけ見せる壁のない、
無防備な笑顔。それだけで舞い上がった気分になったことを思い出して
言葉を失う。

「私ね、むらっちに頼りすぎるばっかりで、何もしてあげられない自分が
 嫌だった」

「そんなこと……」

「でも、むらっちが私のこと好きなんだったら、してあげれることがある。
 ……たとえば……誰よりも傍にいてあげる。というか、私が傍にいたい。
 村田めぐみが好きだから。もう絶対に一人で泣かさない。
 泣くんなら二人で泣こう」
303 名前:13 素直になれたら 投稿日:2003年06月14日(土)19時34分52秒
涙腺が壊れたのかもしれない。枯れてもおかしくないほど泣いた後なのに、
まだ涙が溢れてきて柴田の端正な笑顔が水に歪む。

「むらっちって結構、泣き虫さんだよね」

柔らかな声に抱き寄せられた。大好きな匂い。もうずっと叶わないと思っていた
腕の中はとても温かくて、二度と離れたくないと思った。
肩に顔を埋め、嗚咽を漏らす。
ただ、この涙は昨日までの涙とは違う。
悲しくない。寂しくない。

「たまには甘える側になるのもいいもんでしょ?私だってね、ぎゅって
 抱きしめるくらいは出来るんだから」

笑い声が耳に届く。
そのまま頷くことしか出来なかった。
304 名前:13 素直になれたら 投稿日:2003年06月14日(土)19時36分18秒

しばらくそのままで気持ちを落ち着かせていると、ピアノの音が静かに優しく
流れていることに気付き、顔を上げる。
グランドピアノを弾いている女性の隣で穏やかに微笑んで歌う金髪。
やがて村田の視線に気付き、指を止めた。

「もう復活?奇術師さん」

「あ、うん。……大丈夫……それより、あなた方は誰です?」

柴田と一緒にステージに上がったときの客の中の2人と言うのは思い出したが、
それ以外に接点は無かったはずだ。声を聞いたのもついさっきだし、話をするの
だって今が初めてだ。柴田とはいったいどういう繋がりなんだろう。

「あのね、この人たち、いい人なの」

「いや、そういうことじゃなくて……」

柴田の言葉に頭を抱えていると金髪のほうが一通り大雑把に話してくれた。
あの時柴田が泣いていたのを慰めてたのはそういうことだったのか。
柴田を泣かせる原因を村田自身が作ってしまっていたと気付き自分にちょっと
腹を立てる。

「まぁ、2人のショーも見てみたかったしね。下心はあった」

「そういうことだから、客席に行こー」

「ほーい」

そう言って斉藤がステージを降りると大谷もその後に続くように飛び降りた。
305 名前:13 素直になれたら 投稿日:2003年06月14日(土)19時37分10秒

ステージ上に残された二人はその言葉の意味をとっさに理解することが出来ず顔を
見合わせて「え、え…?」を何度も繰り返す。
その様子を見て笑うりんねがあさみを村田のほうへ向けて放し、村田の部屋から
持ってきた大きなカバンをステージに投げ上げた。

「ほら、ステージの上で相棒が居て、道具もあるのに何もしないつもり?」

そうだ。ショーに必要なものはすべて揃った。
場所、道具、相棒、客……そして、気持ち。

「やりますか」

「やりましょうか」

頬を緩ませて瞳を合わせれば、こんなにも心が通じ合う。

二人のショーは技術とかじゃなく、舞台の上に立っている本人たちの楽しさが
伝わるから最高なんだよとりんねが笑った。

手が、信じられないほど滑らかに動く。失敗する気が全くしない。
お互いの空気を肌で感じて安心感を得る。一人の時にはなかった感覚。

短いショーを終えて一礼すると、客席にいた3人から大きな拍手。
なんだか妙に照れくさくなって、はにかんだ笑みを浮かべる。


抱きついてきた柴田の腕の力が心地良かった。
306 名前:名無し作者 投稿日:2003年06月14日(土)19時38分37秒


本日はここまで。


と見せかけて引き続きラストをUPします。

.
307 名前:14 夢の続き 投稿日:2003年06月14日(土)19時39分48秒

2人がステージから降りてくるとりんねは村田の背中を強く叩いた。

「じゃあ、私はもう行かなきゃいけないけど、あさみのこと頼んだよ」

「うん。ごめんね……それと、ありがとう」

「またうじうじしてたら返してもらうけどね」

笑いながら手を振って、りんねはドアの外へ消えた。
振り向くと3人が部屋の片隅にある机に集まってなにやら話していた。
一人になった村田に気付いた大谷が手招きをしたので少し早足で近寄ると
足を組んで椅子に座る斉藤が、やけにかしこまって切り出した。

「まぁ、貸しはさっきのショーでチャラにしたつもりなんだけど、
 折り入って相談があるわけよ」

「相談?」

なにやら真面目な話のようなので身構えてから先を促す。
308 名前:14 夢の続き 投稿日:2003年06月14日(土)19時41分01秒

「私たちとユニットを組んでほしいの」

「ええっ?あー、え?ユニット?あゆみをくれってこと?いやだよ」

取り乱す村田に大谷が「ちょっと待て、勘違いしてるっぽい」と肩を叩く。
柴田は何がなんだかわからないような表情のままあさみと遊んでいる。

「いや、二人ともなんだけど」

「私?楽器とか無理。弾けないって。手品しながら歌う色物ユニット?」

「じゃなくて、ボーカル。というか、みんな基本はボーカルで弾きたけりゃ
 弾くの。あんた、面白い声してるし。いいでしょ」

その台詞のあとに、もちろん手品がしたいならしても良いわよと付け加えた。
なんていい加減な。だってみんな歌うの好きでしょと当然のように真顔で言う
斉藤に、彼女から見えない位置に居る大谷が苦笑しているのを村田は見逃さな
かった。大谷は大谷で結構大変のようだ。
りんねにも聞いたらしいが「女優になるって決めて上京したから」と断られた
らしい。北海道では歌手として活動していただけにもったいないが、彼女の
意思ならば仕方がないので諦めざるを得ない。

「んー……柴田君はどうしたい?」
309 名前:14 夢の続き 投稿日:2003年06月14日(土)19時42分19秒

あさみと戯れる柴田に意見を求めると、体は右を向いてしゃがんだまま顔だけ
こちらへ向けて返事をした。

「私は別にいいよー。この人たちいい人だし。一緒にいるの楽しいし」

「よし、やりましょう」

「はやっ!」

にぱっと満面の笑みを浮かべてそう言われると、村田の意見はすぐに固まった。
これだけ柴田に甘いのを見ると、どうやら村田は当分柴田中毒から抜けられそうに
ないようだ。
もっとも、本人が中毒を治す気自体、もう既になくなってるみたいだが。

「じゃ、交渉成立ー!ユニット名はどうしよう…希望ある?」

「あ、はーい!あーるよ」

「なーあに?」

元気よく手を上げる柴田を見て大谷がそれに合わせた口調で尋ねる。
310 名前:14 夢の続き 投稿日:2003年06月14日(土)19時45分28秒

「メロン記念日」

「……はぁ?」

妙なネーミングに一同困惑の表情を浮かべるなか、柴田だけがニコニコと笑って
自身ありげに胸を張っていた。
どうリアクションを取っていいかわからずに引きつり笑いをしていた大谷の横から
斉藤がその名前の理由を問いかける。

「昨日ね、夢に変なサングラスの人が出てきてさ、なんか色々喋ったあとに
 『お前らメロン記念日や!』って」

「いったい、どんな夢なの……」

こめかみに指を当てながら質問すると、嬉しそうに柴田が話し始める。
その話によると、人がいっぱいいる大きなオーディションに出て、自分たち四人が
選ばれてユニットを組むことになるという夢だったらしい。
それを聞いた大谷は表情を明るくして口を開いた。

「へー、いい夢じゃない。縁起いいねぇ」

村田もうんうんと頷いて笑顔を浮かべている。
斉藤は面白そうに笑いながら「じゃー、私らは今から4人でメロン記念日!」と
人差し指を立てた手を高く上げた。

4人の楽しげな歓声が小さなライブハウスいっぱいに響く。



――夢の続きは、もう始まっていた。
311 名前:14 夢の続き 投稿日:2003年06月14日(土)19時46分18秒


   ――Let's meet in a dream. Vol. 2――【終】


.
312 名前:名無し作者 投稿日:2003年06月14日(土)19時53分55秒

>292
レス有難う御座います。
すれ違いにはちゃんと歯止めがかかって、こんな形に。
毎回レスしてくださって有難う御座いました。
かなり励みになりました。

>293
こんな展開になりました。
期待に応えることが出来ていれば良いのですが。
313 名前:名無し作者 投稿日:2003年06月14日(土)19時58分22秒
Let's meet in a dream.2を読んでくださった皆さん、お疲れ様でした。
そして、有難う御座います。「2」はこれで終わりです。

更新の速度が遅かったり不定期になったりしているのにもかかわらず
更新のたびにレスをくださった方々、本当に励みになりました。
すごく嬉しかったです。

次の更新は例の二人の話を予定しています。
少し間が空くと思いますが更新したら気が向いたときにでも読んで頂ければ
幸いです。
314 名前:名無し作者 投稿日:2003年06月14日(土)19時59分15秒

更新age

315 名前:名無しさん 投稿日:2003年06月14日(土)21時26分41秒
おおおうぅぅ!!!
更新キター!なるほど!すっごく清々しい感じです。
毎回毎回とても更新楽しみにしていました。メロン好きな私にとっては
本当に楽しみなスレです。例の二人の話・・・楽しみです。
更新待ってマース。
316 名前:名無し読者 投稿日:2003年06月17日(火)02時09分48秒
Vol. 2ラスト更新お疲れ様でした。

終盤、怒涛の展開に、正直ちょっとビックリ。
セクシーさんは思いついたら即行動なんですねぇ…。
メルヘンな彼女ですら呆気にとられるほどの奔放さに
振り回されているであろう相方くんの気苦労は計り知れず。
あっさり馴染んでいるナチュラルさんは、さすがでした。
しかしまたエラい夢を見たもので(笑)

メロン&女優志望さんの未来に幸多かれと祈りつつ
2人のお話も楽しみにお待ちしております♪
317 名前:名無し作者 投稿日:2003年06月21日(土)16時40分42秒
ちょっと思うところがあるのでochiします。
318 名前:夏の記憶 投稿日:2003年06月30日(月)19時31分58秒


敷かれていたレールを歩くのも楽じゃない。
ピアニストの母にクラシック歌手の父。
音楽に囲まれた環境で育った私は当然のようにピアノを弾き、
何の苦労もなくプロデビューした。
勿論、親の七光りと評する人もいたが地道にキャリアを重ねていくと
そんな人たちもどんどん減っていった。
このまま続けていけば、将来は約束されたようなものだった。

無感情に弾いていてもそれなりの技術があれば評価される。しかし、
周りの賞賛の言葉も罵倒も関係ない。どちらも右から左へすり抜けて
行くのだから。

こんな感情の入っていない演奏が褒められるのは何か違う。

319 名前:夏の記憶 投稿日:2003年06月30日(月)19時32分40秒

そんなある日、誰にも行き先を告げずに突然家を出た。
必要最小限の荷物と引き換えに、机の上に綺麗な字で書いた短い手紙を
置いて。

    少しの間、家を出ます。
    必ず帰って来るので心配しないで下さい。

この二行の下に年月日と名前。これだけでも立派な失踪宣言書。

心配するなと書いたところで心配しない親などいない。
しかしちゃんとした失踪宣言書がある限り事件性はないとして警察は
動いてくれないのは明らか。変に騒ぎ立てたら娘は帰って来にくくなる。
それは避けたい。娘が望んでいるのは帰ってきたときに笑顔で迎え
入れてあげることだけだ。
それでも心配でしょうがない両親は自力で密かに娘の所在を探し始めた。

320 名前:夏の記憶 投稿日:2003年06月30日(月)19時33分22秒


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   ――――Let's meet in a dream. Vol. 1.8――――

            夏の記憶

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321 名前:夏の記憶 投稿日:2003年06月30日(月)19時34分29秒


――それは真夏の出来事。


「マサオ、本当に辞めちゃうの?」

「うん。元々サポートだったんだから辞めるも何もないでしょ」

そういって少し釣っている目を細めて笑う。
独特のスタイルに固めた金髪と耳に沢山つけたピアスのせいか、周りに人が
うじゃうじゃいてもその姿はとても目立つ。

「そっか、残念。でもまたいつでもおいでね。みんな歓迎するよ」

「ありがとう」と笑顔で返して肩から少しずれ落ちたギターを掛けなおし、
ライブハウスをあとにした。

半そでをさらに捲り上げるほど蒸し暑い外の空気は北国育ちの大谷にはツライ。
Tシャツをパタパタと動かして風を通す。
数メートル先はユラユラと熱気で景色が歪んで見える。
もう夕方だと言うのにこの暑さ。
322 名前:夏の記憶 投稿日:2003年06月30日(月)19時35分30秒

「あっついなあ、もうっ!」

暑さのせいで独り言も自然に強い口調になってしまう。
ふらふらになりながら歩いていると、少し先の電柱の横で女性が片足で
立っていた。その手にはかかとの折れたハイヒール。
結構派手な服装に不似合いなかなりの大荷物を横に置いている。

じろじろ見ていたのがばれたのか、目が合った。
少し泣きそうになっている瞳で見られたら、放っておくわけには行かない。
人道的措置に出ることに決めた大谷は女性のほうへ駆け寄って「どうしました?」
と出来る限り優しく問いかける。

「ヒールが折れちゃって…」

それは見ればわかるのだが。どうやら軽く捻挫もしているようだ。
しかしギターを背負っているのにおんぶして送り届けるのは不可能だ。
しかもこの大荷物。かといってもちろん救急車を呼ぶ程度でもないし。

「家はどこです?」

「……ずっとずっと遠く」

まずいことを聞いてしまったのだろうか。
女性は言いにくそうに一言だけそう言うと黙り込んでしまった。
323 名前:夏の記憶 投稿日:2003年06月30日(月)19時36分40秒

「えーと……ちょっと待ってて。5分!5分待って。荷物貸してください。
 代わりにこれ持ってていいんで。私の全財産!」

大谷は持っていた財布とギターを手渡し、代わりに荷物を持って猛ダッシュで
走って行った。人質代わりということなのだろう。一人取り残された女性は
ポカンと口を開けてその姿を見送る。

きっかり5分後、再び大谷は戻ってきた。
今度はその手に荷物はなく、自転車にまたがって。籠にはサンダルが入っていた。

「お待たせー。はい、これ履いてギター持って後ろに乗って」

言われるままに指示に従い後ろに座る。
緩やかな上り坂になっているので漕ぎはじめに思い切りふらついた。

「あぁっ!だ、大丈夫?」

「大、丈、夫っ……くっ……」

すごい顔が真っ赤。
力いっぱいペダルを漕ぐ足がすこし震えていた。
あまりにもふらふらなのでバランスを崩して落とされるような気がして、
大谷の腰につかまる手にも力が入る。

324 名前:夏の記憶 投稿日:2003年06月30日(月)19時37分43秒

「がんばれー。えっと、金髪!がんばれー」

「大、谷……雅恵、ですっ!」

「雅恵ちゃん、がんばれー」

「……はー、い……」

応援の効果があったのかは定かではないが、何とか坂を上りきって今度は緩やかな
下り坂。
ようやくサドルに腰を下ろして安定した運転をする。
肩で息をする大谷に「えらい!すごいよ、よくやった、雅恵ちゃん!」と後ろから
女性が声をかける。
なんだか、妙におかしくなって声に出して大笑いしてしまった。

小さなアパートの前で自転車を止めた。

「ここの2階なんだけど……おんぶしたほうがいい?」

「あー、手すりあるしケンケンでいけるよぉ。大丈夫」

その言葉に頷いて先に階段を上がらせる。大谷はいつバランスを崩して
落ちてきても大丈夫なようにその後ろをついてあがった。

「その手前の部屋。鍵あいてるから、入って適当に座って」
325 名前:夏の記憶 投稿日:2003年06月30日(月)19時41分50秒
促されるままに部屋に上がると、先ほどの荷物が置いてあるのが見える。
ドアの閉まる音がして振り返ると大谷が脱いだ靴をそろえていた。
救急箱を取って、女性と向かい合わせに座る。

「一応、シップ貼って包帯で固定しとくね」

決して手際が良いとはいえない手つきで包帯を巻く。
それを見ていてもどかしくなったのか「自分でやるから大丈夫」と包帯を奪い
取られてしまった。
巻き終わり、顔を上げるともの言いたげな顔で大谷が見ていた。

「あ、ごめんね。まだ何も行ってなかった。あたし、斉藤瞳」

「斉藤瞳……さいとう……もしかして、天才ピアニストって言われてた人?」

クラシック界の期待を一身に背負った若き天才ピアニストとして一時期その界隈を
揺るがせた少女がいた。もう数年前の話だが。成人してからは当時ほど騒ぎ立て
られることはなくなっているようだが、その実力は誰もが認めていた。
大谷がそのことを知っているのは音楽学校に行った友人から聞いたことが
あったからだ。

「ピンポーン。よく知ってたわね……あんまり一般的には有名じゃないと
 思ってたんだけど」

「何でこんなとこに?公演か何かあるの?」
326 名前:夏の記憶 投稿日:2003年06月30日(月)19時42分41秒

「ううん。家出。だから行くあてないの」

「はぁー、そっか、そっかぁ。家出……家出!?」

家出。確かにそう言った。
間違いなく彼女は家出という単語をさらりと口にした。
この大荷物はそういうことだったのか。
でも家出にしては服が派手すぎだと思うのだが。

「ん?あぁ、服は、いざとなったら住み込みでそういうお店で働こうかと思って」

「駄目だよそんなことしちゃ!」

「でも、帰るの嫌だし」

この子はなんて世間知らずなんだ。
ここで見過ごしてしまえば絶対ボロボロになると思った大谷は斉藤の荷物を
奪い取り、部屋の隅へと移動させた。

「あのね、行くとこないんだったらここにいていいから。普通のアルバイトでも
 何でも探しなよ」

「いいの?」
327 名前:夏の記憶 投稿日:2003年06月30日(月)19時43分41秒

意外そうな顔をして問いかけてくる斉藤に力いっぱい頷くと
「ありがとう雅恵ちゃん!」と満面の笑みで抱きついてきた。
思い切り笑うと黒目だけになるのが印象的だった。
それにしても、素性のわからない他人の家に留まることに抵抗を覚える
気配も無いなんてやはりどこまでもお嬢さんだと再認識してしまう。
同じくらいの年なのに、どこか危うい。
見た目と内面のアンバランスさが長所でもあり短所でもあるんだろう。

やれやれと小さくため息をついたのは、斉藤には気付かれていないようだった。



.
328 名前:夏の記憶 投稿日:2003年06月30日(月)19時44分50秒



斉藤と一緒に暮らすようになって1ヶ月。

斉藤は誰にでも愛想がとても良い。人懐こく笑えて、話し上手。大谷の友人とも
気軽に言葉を交わし、いつの間にやら仲良くなっているようだった。
ライブハウスのマスターにも気に入られて、彼女の声ひとつでよほどの理由が
ない限り店を貸切にしてくれるほどだ。
そういうところが凄いと思う。

割と人見知りの激しいほうの大谷には真似できない。

「ねー、雅恵ちゃん。みんな雅恵ちゃんのことマサオって呼んでるのなんで?」

「何でって言われても、ねぇ…雅恵だからとしか」

「ひともマサオって呼ぶー」

斉藤の何気ないせりふに動きが止まる。
……『ひと』?今この人はなんて言いましたか?『ひと』?ああ、『瞳』だから
『ひと』ね。そういえば以前からちょくちょく自分のことを『あたし』以外の
言葉で呼んでるっぽいときがあった。あまり意識して聞いてなかったから聞き
間違いとか聞き逃しとかだと思ってたけど、今、それが明らかに。
そうか、『ひと』か。なるほど。
329 名前:夏の記憶 投稿日:2003年06月30日(月)19時45分38秒

大谷が一人で納得していると斉藤が続ける。

「だからね、マサオも“斉藤さん”じゃなくて“ひとみん”って呼んでー」

「はいはい。ひとみん」

苦笑いしながら頷いてペットのザリガニに餌をあげると斉藤はその返事に
満足したのか、ニコニコ笑いながら爪を塗る。

ああ、何でここまで初めの印象と中身が違うんだろう。

見てくれはすっごいギャルで水商売で大人な人だと思ってたのに、蓋を開ければ
やっぱり誰よりも子供だ。

「ひとみんさあ、何で家出したの?」

もう1ヶ月になり、お互いのことも少しずつ話すようになっていたが、なんとなく
聞きそびれていたこと。でも、そろそろ聞いても良いころだと思い、切り出した。

「……私は、裕福な家に生まれて愛情もたくさん貰って育って……本当に
 すっごく恵まれてるなと思う」
330 名前:夏の記憶 投稿日:2003年06月30日(月)19時46分56秒

姿勢を正して話をはじめた斉藤は先程までの雰囲気とは打って変わって大人の表情。
自分よりもずっと先を歩いてるような気すらしてくる。

「でもね、雅恵ちゃん。約束された未来よりもっと面白いことってあると思うの」

斉藤は以前からずっと決めていた。20になったら狭い世界から視野を広げるために
家を出ようと。両親も、肩書きも無い自分で外の世界を歩くのを夢見ていた。
そして初めて知る自分の無知、無力さ。人の冷たさ、暖かさ。

「っていうとかっこいいけど、本当はね、ピアノから…名前から逃げたかったの。
 嫌いになりたくなかったから。義務感だけで弾きたくなかった。それに……――
 それに、斉藤の名前の力とか借りずに歌手になりたいから」

演奏よりも歌を歌いたいから、歌詞のない演奏オンリーの仕事から逃げた。
事務所も親が歌い手として活動することは認めてくれないからという理由で
演奏以外への道は固く閉ざしていた。もちろんピアノをやっていたことは
感謝こそすれ、後悔はしていない。
音楽の基礎を積むことも出来たし作曲だって出来るのは歌い手を志すにしても
大切なスキル。
でも、一人で弾いて歌っても何かが足りない。

331 名前:夏の記憶 投稿日:2003年06月30日(月)19時48分16秒

「その“何か”が何なのかはわからないんだけどね」

どういう言葉を返して良いかわからずに黙っていると「雅恵ちゃんはなんで一人で
上京してきてるの?」と問い掛けてきた。

どうして。何でだろう。

受けた大学は落ちてしまった。もともと絶対行きたかったってわけでもないけれど。
目標が無かった。将来の夢も特に無い。その日暮らしでなんとなく生きていれたら
それでいい。金持ちになりたいわけでも、何かの分野で成功したいわけでもない。

そのままなんとなく家に帰り損ねてここで暮らしている。
心配して電話をくれる親に嘘の元気を声でアピールして深入りされないように
勤めて。大学に行って無いと知ってても多少の仕送りをしてくれる優しさに
甘える自分が時々憎くなって自傷行為に走りそうになることもあった。

私は頼る側ではなくて頼られたかったのかもしれない。
斉藤をここに置いているのも、そんな理由からじゃないだろうか。

「……さあね……何か目標が出来たら、もっと真っ直ぐ胸を張って
 られるんだろうけど」

そう言うと、斉藤の表情がぱっと明るくなって大谷の両手を掴んだ。
332 名前:夏の記憶 投稿日:2003年06月30日(月)19時49分08秒

「じゃーさ、一緒に歌手になろう!1人よりも2人のほうが強いよ!」

「へ?つ、強い!?」

一瞬何を言っているのか理解できずに瞬きを数回繰り返した。
斉藤は満面の笑みで頷いている。

「マサオ、歌上手いし。良いと思わない?」

「ああ、そうだね。いいかもね」

愛想笑いに力ない返事で返してみても、斉藤の勢いは止まらない。
大谷は上がっていくばかりのテンションについていくのがやっとだった。
無邪気で可愛い斉藤の笑顔を見れるのならそれもいいかもしれない。

幸せな日常。
ずっとこの日々が続いていくと思っていた。



.
333 名前:夏の記憶 投稿日:2003年06月30日(月)19時50分28秒



別れの予感は突然訪れる。
バイトの帰り道、一人歩いていると知らないおばさんに声をかけられた。

「あの、このあたりでこんな子を見ませんでしたか?」

渡された紙に印刷されている写真に写っているのは間違いなく斉藤。
あまりに突然な出来事にどうしたらいいのかわからなくなった大谷は
「知りません」と首を振って急いで家に帰った。

勢いよくドアを閉めて硬い音が響く。

「どうしたの?マサオ」

駆け寄ってくる斉藤に何も言わずに抱きついた。力をこめて、強く。
困惑した斉藤の声が耳元で聞こえる。
言うべきなんだろうか。
なにを?『帰れ』と?それとも『見つからないようにここにいろ』と?
決めるのは斉藤自身だ。
人の家の事情に何も口出しする資格はない。
334 名前:夏の記憶 投稿日:2003年06月30日(月)19時51分14秒

「雅恵ちゃん?」

「……ひとみんは、まだここにいたい?」

斉藤は何を言っているのかわけもわからずに「どうしたの」を繰り返す。
耳に届く声がだんだん小さくなってくる。
大谷の思考回路は現実世界から一歩離れたところへ下がっていた。
自分の心の中へ引きこもる一歩手前。

斉藤にとって、ここにいることは無駄なことなのかもしれない。
彼女のためにも両親のもとへ帰すべきだ。家出なんてしないほうが良かった。
だった彼女には確かな未来への道も、切符もあるのだから。
ここに残ってそれを捨ててしまうなんて勿体無さ過ぎる。

「雅恵ちゃん?」

動揺してるときや気が緩んでるとき、真剣な話のときには未だに「雅恵ちゃん」。
斉藤はきっとその法則に気付いていないんだろう。大谷は自分が思っているより
ずっと斉藤のことを見ていた。皮肉にも、こんなときに気付くなんて。

「……――なんでもない……ごめんね、なんとなく聞いてみたかっただけ」
335 名前:夏の記憶 投稿日:2003年06月30日(月)19時52分19秒

本当は、無条件に頷いて欲しかった。理由なんて聞かずに「ここに居たい」と
言って欲しかった。そんなのは自分勝手な我侭だってわかってる。
それでも言って欲しかった。

自分を肯定してくれる人が欲しかった。必要とされていたかった。
でも、誰でも良かったわけじゃない。斉藤じゃなくちゃ駄目だった。

斉藤瞳という一人の人間にだけ必要とされていれば、それだけで良かった。
放って置けないからここに置いていたんじゃない。もちろんそれもあるけど
そんなことよりも、そばにいて欲しかったから引き止めたんだ。




夜中、斉藤が寝静まったのを確認して電話を片手に外へ出る。
起こさないように静かにドアを閉め、鍵をかけた。

気持ちの整理をつける執行猶予はいつもの公園へ行くまでの道のり。

ポケットには昼間貰った斉藤の写真が載っている紙。右下に書いてある
連絡先の電話番号を一つ一つ確かめながら押していく。

336 名前:夏の記憶 投稿日:2003年06月30日(月)19時53分05秒

「……これでいいんだ。これが、正しい」

発信ボタンを押せば、繋がる……なのに、押すのを躊躇う自分がいる。
今までの日々は消えない。でもこれからの日々から斉藤が消えてしまう。
携帯を持つ手が震える。

車が入れないようにポールが2本立っている入り口に着いた。
誰もいない夜の公園は、虫の鳴き声と街灯から漏れる小さな音が響くだけ。
やはり、指は固まったまま動かない。
なんて言えば良いのだろうか。
非常識な時間だが、絶対に出るとわかっているだけに余計気が進まない。

  ――『雅恵ちゃん。雅恵ちゃん』

耳に残る声。

  ――『じゃーさ、一緒に歌手になろう!』

黒目だけの笑顔。
瞼を閉じて、大きく深呼吸。

そしてボタンに乗せたままの親指をやっと動かした。
337 名前:夏の記憶 投稿日:2003年06月30日(月)19時54分08秒
―――――――――――――――――――――――――



「ほぇ〜……そんな話があったんだー」

大谷の話しが終わると「すごいねぇ」と目を細める村田に唇に人差し指を
軽く当てた。

「内緒だよ」

あれ以来斉藤の両親が娘を探し回ることはなくなった。
大谷は確かに電話をした。
ただ、その内容は斉藤を連れ戻させないためのものだった。
居場所も、どういう状況にいるかも教えた上で話し合いをした。
もちろん一度の電話だけで納得してもらえるわけもなく、日を改めて実際に
会って話もした。

斉藤本人の意思を尊重して実際に彼女とあわせることはなかったが、遠くから
見た娘の姿に安心したのか、大谷の真剣な態度にほだされたのか、諦めたのか。

どれが本当なのか知るよしもないが、両親は大谷が逐一情報を流すということで
手を打った。

「ひとみんにバレたら怒るだろうし、色々こんがらがっちゃいそうだからさ」
338 名前:夏の記憶 投稿日:2003年06月30日(月)19時55分37秒

苦笑いする大谷は買い物から帰ってきた斉藤を見つけ、重そうな荷物を持つのを
手伝いに走って行く。

「……大丈夫だと思うけどね」

傍目八目。
村田にはちゃんとわかっていた。
斉藤は大谷が自分の両親とコンタクトを取っていることを知っている。
ただ、大谷が隠そうとしているうちは何も言うつもりはないのだろう。
いつか打ち明けてくれたときに「知ってたよ」と笑って言うのを楽しみにして。

荷物を半分ずつ持って、残った片手を繋いだ大谷に斉藤が目を細めて口を動かす。
距離があるので声は聞き取れなかったが、何を言ったのか推測は出来た。

「ただいま。なぁ〜に、ニヤニヤしてんの?」

後ろから抱き付いてきた柴田に無言で笑みだけを返す。

少し暑くなってきた空気に溶け込むように遠くで蝉の鳴き声が聞こえた。


今年の夏は、もう、すぐそこまで来ている。


.
339 名前:夏の記憶 投稿日:2003年06月30日(月)19時56分17秒





   ――Let's meet in a dream. Vol. 1.8――【終】

.
340 名前:名無し作者 投稿日:2003年06月30日(月)20時00分27秒

更新終了。
341 名前:名無し作者 投稿日:2003年06月30日(月)20時08分46秒
>315
レス有難う御座います。
後味すっきり爽やかな話が書けたらいいなと思っていたので
そう言って頂けて嬉しいです。
例の二人の話、やっとUPすることが出来ました。
期待ハズレでなければ良いのですが。

>316
レス有難う御座います。
終盤、自分でもちょっと急展開にしすぎたかなと思ってたりします。
それはそれで彼女たちが勝手に動いてくれたので仕方ない、とも。
あと、全く関係ないんですが、毎回メール欄を見るのが楽しみでしたw
342 名前:名無し作者 投稿日:2003年06月30日(月)20時09分28秒


更新age
343 名前:名無し作者 投稿日:2003年07月06日(日)08時03分30秒
ええと、落とします。

今後の予定はありません。
344 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月07日(月)09時38分04秒
脱稿お疲れ様でした。
全編通して楽しく読ませていただきました。

もうこの話の外伝を書く予定はないとの事で少し寂しくもあります

いずれ違った場所で作者さんの違うお話に出会える事を願っております。
345 名前:名無し読者 投稿日:2003年07月25日(金)01時01分18秒
同じ板でずっと書いていながら、ごめんなさい、今初めて読みました、が…
すんごい良かったです。あーリアルタイムで読みたかった。

今後の予定はないとのことですが是非、またどこかで作者さんの小説が読みたいです。
346 名前:名無し作者 投稿日:2003年08月26日(火)15時44分21秒
>>344
レス有難う御座います。
全編楽しく書かせていただいたので、そう言って頂けて嬉しいです。

>>345
レス有難う御座います。
良かったですか、嬉しいです。読んでくださって有難う御座います。

------
今後の予定はないと書きましたが、容量あまりまくりで勿体無いので
Let's meet in a dream.と関係あったり全く関係無かったりする話等を
こちらにUPしようかと思っています。出演者は代わり映えしないと思います。

ただひたすらにsage進行でひっそりこっそりとろとろ書いていくと
思いますので保全させてください。と言うわけで保全。
347 名前:ヒトシズク 投稿日:2003年08月27日(水)14時35分35秒
続きがあるとのことで・・・(w
のんびりとお待ちしています。
では、保全。
348 名前:名無し読者 投稿日:2003/09/27(土) 15:02
保全
349 名前:名残り月 投稿日:2003/09/27(土) 18:34


――不倫や浮気のキッカケは同窓会が多いという説がある。
   学生時代の思い出を共有したもの同士は懐かしさやしぶりに
   会った嬉しさで恋に落ちやすいと言うことらしい

私の歳では同窓会はまだ早すぎるし、別に今付き合ってる人はいないから関係ないけど。

そんなことを考えていたせいかもしれない。私は彼女と再会してしまった。


350 名前:名残り月 投稿日:2003/09/27(土) 18:35


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   ――――Let's meet in a dream. Vol. 2.5――――

               名残り月

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351 名前:名残り月 投稿日:2003/09/27(土) 18:37

秋の夕暮れはどこか寂しいけれども暖かく優しい。
並木通りを通るのはその木漏れ日が素敵な出来事を運んでくれそうだから。
風に舞い、ひらひらと落ちてくる葉っぱを眺めていると、背後から声を掛けられた。

「あれ、まいちゃん?」

自分の名前に振り返ると見覚えのある顔が。

「やっぱり里田のまいちゃんだ。久しぶり、元気にしてる?」

大きな目と前歯が特徴的な可愛い子だ。クラスでも顔の良さではダントツで、
話し掛けることすら躊躇う子もいた。
でも、話し掛け難かったのはその容姿のせいだけじゃなかった。
彼女はクールと言うか、悪い言い方になるが、覇気がない空気を持っていた。
そのうち消えてしまいそうなほど心の温度を表に出さないような雰囲気が
あったことを覚えている。

「あ、覚えてない?私は……」

「覚えてるって。柴田さんでしょー可愛かったもん。忘れるわけないじゃん」
352 名前:名残り月 投稿日:2003/09/27(土) 18:38

ちゃんと覚えてることを証明するように彼女の言葉を遮り、
その名前を先回りして言うと不安そうな表情は消えてにこやかに笑った。

「よかったぁ」

ヤバイ。可愛すぎる。
昔も充分可愛かったけども、明らかにあの頃とは違う可愛さ。
生きた表情で、そのままの感情を出している笑顔には柔らかな暖かさがある。

「なんか、変わったね」

「ん?あぁ、髪が伸びたせいじゃないかな?ずっとロングヘアーに憧れてたんだ。
 まいちゃんみたいにさらさらのストレートとか凄いいいなあって思うよ」

綺麗な白い手がまるで風のように自然に私の髪に触れ、思わず息を止める。
何で私はこんなにドキドキしているんだろう。短距離を全力疾走したあとのように
心臓が飛び跳ねまくる。
その心情を察したかのように強い風が、吹いた。それは私の髪も心も揺らした。
353 名前:名残り月 投稿日:2003/09/27(土) 18:39

「ずっと長い髪だったよね。部活で走ってるときに風に沿って流れるのが
 凄い綺麗でかっこよかったから、よく覚えてる」

思わぬ殺し文句に顔に血液が一気に上る。

「そ、そそそそそそお?」

「うん」

そんな風ににっこり笑われると余計意識してしまうんですが。
これは、ひょっとして誘われているのだろうか。
まさか。
いや、でも、もし、そうなんだったら……

「あの……」

1歩距離を縮めて口を開いた途端、私と彼女の間を邪魔するように鳩が通り過ぎた。
驚いて2歩ほど下がる。
354 名前:名残り月 投稿日:2003/09/27(土) 18:40

「あ、あさみ…むらっち?」

鳩の飛んできたらしい方向へ顔を向け彼女が呟いたので私もその方向へ
視線を投げると少し大きめの鞄を持った細身の女性が歩いてこちらへ近づいてきていた。
木漏れ日の穏やかな光が良く似合う眼鏡美人だ。

「あんまり遅いから迎えに来ちゃったよ」

活舌の悪い声は不思議な空間を作り出し、その場の空気を優しく支配した。
彼女は嬉しそうに微笑んで肩に乗った鳩をその人の方へ向けて飛び立たせる。
その表情で彼女が学生時代と変わった理由がなんとなくわかった。

「ごめんね。ちょっと、昔の友達に会っちゃって嬉しくてさぁ」

355 名前:名残り月 投稿日:2003/09/27(土) 18:41

「どうも、はじめまして」

にっこり笑って右手を差し出されたので同じようにこちらもそれに応じる。
握手にしては力が入りすぎな気もしたけども。

「はじめまして。里田です。柴田さんとは高校の同級生でした」

「村田です。なんかあさみが邪魔しちゃったみたいですいませんね」

見えない火花が散っているように思えたのはきっと私だけじゃないはずだ。
お互いに満面の笑みを浮かべて硬く握った手を離した。
こういうのは怯んだ方が負けだ。

負けず嫌いの血が騒ぎ出す。

「じゃ、そろそろ行こうか。あゆみ」

「あ、うん。じゃーね、まいちゃん」

あゆみという下の名前を呼び捨てにするところをやけに強調させて
牽制したつもりになっている村田に不敵な笑みを返して口を開く。
356 名前:名残り月 投稿日:2003/09/27(土) 18:42

「あ、柴田さん。また今度遊ぼうよ。番号教えてくれるかな?」

「いいよ。えっとねー……はい」

カチカチとボタンを押して自局番号を表示させたディスプレイを差し出す。
私はすばやくその番号を自分の携帯に打ち込み、登録。すぐに自分の番号も送った。
彼女が操作をしている隙に村田の表情を盗み見ると、相変わらずにっこりと笑みを
浮かべて私を見ていたので目がばっちり合ってしまった。

レンズの向こう側の目を引き締めた村田の口が音も無く静かに動いた。

  ――わたさないから

私もそれに答えるように口の端を上げて挑発的に笑う。

357 名前:名残り月 投稿日:2003/09/27(土) 18:44

「出来たー。じゃーね、また連絡するよ」

「うん、またね」

私に手を振る彼女の空いている方の手を引いて村田が歩いていくのを見て思わず
吹き出してしまった。ぐんぐんと2つの影が小さくなっていくのを見送り、空を仰ぐ。

村田は、見た目凄く落ち着いて大人の余裕をたっぷりな感じに見えるけど
実際は全然そんなことはないのだろう。その外見とは裏腹に好きな子を
独占したくてたまらない小学生の子のような目をしていた。

彼女は彼女でそんな束縛すら心地良さを感じるほど村田が好きらしい。
あんなに穏やかで満ち足りた表情を見たのは初めてだった。

だからこそ、余計に手に入れたくなる。
これが恋なのか単なる競争心なのかは誰にもわからない。
でもあの心臓の高鳴りは嘘じゃない。
358 名前:名残り月 投稿日:2003/09/27(土) 18:46

「叶わない恋に燃えてみるのもいいかもね」

奪えたらそれはそれで結果オーライ。有り難く大切にしたいと思う。
そう思いつつ、早速携帯を握り締め枯葉の舞う並木通りの下で電波に乗せて送る
恋文の内容を考え始める。

少しばかり寒いけど、のぼせた顔にはこれくらいがちょうどいい。

恋は片想いしてるときが一番世界が輝いて見えるというのは本当かもしれない。
いつの間にか日が落ちて薄暗くなった空に密やかに輝く名残り月を見つけて微笑んだ。

359 名前:名残り月 投稿日:2003/09/27(土) 18:46




   ――Let's meet in a dream. Vol. 2.5――【終】




360 名前:名無し作者 投稿日:2003/09/27(土) 18:47

更新終了。
361 名前:名無し作者 投稿日:2003/09/27(土) 18:52
>347-348
保全有難う御座います。
本当にとろくてスイマセン。
362 名前:名無し作者 投稿日:2003/09/27(土) 18:56
更新ageは( ^▽^)<しないよ

ひたすらsageでひっそりマイペース。
マイナーと言うかありえないと言われてもしょうがないCPでごめんなさい。
おそらく需要も供給も無いと思いますがここはそういうスレです。
363 名前:名無し読者 投稿日:2003/09/28(日) 22:44
更新ありがとう。
自分的にここは飼育のオアシスです。
稀少CPという意味でも、良質の作品を読めるという意味でも。
こういうスレがあって、心からありがとうと言いたい。
爽やかに熱い里田さんに、頑張れと言いたい。
364 名前:名無し読者 投稿日:2003/09/29(月) 03:01
+α、よかったですー。自分はマイナー大好きですし、もっと
ありえないような世界も脳内爆発しまくりだったりする人間なので
まるで抵抗もなく、今回もとても楽しく読ませていただきました。
負けず嫌いで、だけどカラッとしたポジ気質の彼女。いいなぁ。
この件に関しては、肩入れする気は全くないですけど(笑)
気持ちはわかるかも。あの天然無防備笑顔が目前で炸裂した日には…っ!
邪魔してくれちゃった鳩さんとは、そのうち仲良くなれるのかなー?
なんだか読んでいて、秋冬ファッションの彼女たちがすごく見たくなりました。
必要以上の肌露出なんか望んでないし。普通なのが一番かわいいだろう、と。

Janeとか使うとメル欄が…イタいですね、見た目ちょっと。。
365 名前:名無し読者 投稿日:2003/10/14(火) 23:10
更新ハケーン☆
表面はオトナの余裕たっぷりだけど、中身は小学生・・・
ナルホド。この小説内での村さんがまたひとつわかった気がします。
村田さん+メガネ=最強装備ですw
366 名前:名無し読者 投稿日:2003/11/14(金) 05:55
367 名前:名無し 投稿日:2003/12/12(金) 19:07
保全
368 名前:名無し読者 投稿日:2004/01/06(火) 01:48
保全
369 名前:名無し読者 投稿日:2004/02/20(金) 04:43
保全
370 名前:名無し作者 投稿日:2004/02/27(金) 00:40
保全してくださってる方も無言で待ってくださってる方も、本当にありがとうございます。
前回の更新から随分と間が開いてしまっていて申し訳ないです。

あとどのくらいで更新すると明言することは出来ませんが
まだこのスレを使うという気はあるので、もう暫く待っていて頂けたら幸いです。
371 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/07(日) 23:08
いつまでも待ちますYO!!
作者さんのペースでがんがってください
372 名前:回顧車窓 投稿日:2004/04/01(木) 21:19

いつも通り帰宅した里田を待っていたのは2通の手紙だった。

薄い普通の厚さの封筒と、その3倍はあるだろうと思われる厚さの封筒。
厚い方は返事を待ちわびていた手紙だったので真っ先に手をのばす。

人の繋がりとは不思議なもので、友人と恋敵が昔からの知り合いだということがわかった。
やはりまずは自分がこれから戦おうとしている恋敵がどんな人物かを見極めておきたいと思い、
彼女のことを何でも良いから教えてくれという手紙を出したのだった。
373 名前:回顧車窓 投稿日:2004/04/01(木) 21:20

--------------------


   まいちゃんへ

   村っちゃんの話を教えて欲しいって、なんかあったの?
   というか、二人が知り合いだと知ってビックリしてます。
   偶然ってあるんだね。
   本人に聞いたほうが早いと思うけど、まあ、直接聞き難い話ではあるよねえ。

   私の知ってる範囲内のことはこの手紙に書いておきます。
   彼女と過ごした日々はとても幸せで、思い出すのが楽しかったよ。
   上手く纏めて書くなんて出来ないから、長くなっちゃった。ごめんね。


--------------------
374 名前:回顧車窓 投稿日:2004/04/01(木) 21:20

見慣れた文字がつらつらと綴ってある便箋を読み、笑みがこぼれる。
手紙を一枚捲ると明るい彼女の話し声が聞こえてくるような文面から
一転してまるで小説のような書き方になっていた。

「……あの子はほんとにノリノリで手紙書くんだから…」

少し読むのに時間がかかりそうだなと苦笑いして再び手紙に視線を落とした。

375 名前:回顧車窓 投稿日:2004/04/01(木) 21:21


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   ――――Let's meet in a dream. Vol. 2.8――――

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376 名前:回顧車窓 投稿日:2004/04/01(木) 21:21

一方、同時刻東京へ向かって走る新幹線の中。



ゆらりゆらり。
電車が揺れるたびに眠りに誘われて行く。

今日は疲れたなあ。
久しぶりに大きな舞台で、片道3時間もかかるところへ行った。
評判は上々。
家路に着くお客さんたちの顔が明るいのを見ると嬉しくなって、
疲れも吹き飛ぶ。その場では、の話だけれど。

やっぱりこうして一人で座っていると今まで忘れていた疲れが
どっと押し寄せてきて、体が重くなる。
今日はあさみも置いてきたせいもあるかもしれない。
淋しさも同時に押し寄せてくる。

帰ったら柴田があさみと一緒に部屋で待っててくれてるって言ってたっけ。
377 名前:回顧車窓 投稿日:2004/04/01(木) 21:24

窓に額をつけて外を見ると流れていく景色に自分の姿が重なる。
少し肌が荒れているなと思い頬に触れた瞬間、不意に背後からかけられた声に肩が跳ねた。

「隣、よろしいですか?」

視線を上げて声の主を確認する。
中肉中背、黒い髪に黒い目、典型的な日本の女の子。高校生くらいだろうか。

「あ、はい。どうぞ」

「すいません、有難う御座います。おお、海が見えますね。
 私の名前『美海』って言うんです。美しい海でみうな」

まるで湧き水のようにとめどなくぽんぽんと出てくる言葉に少しあっけに取られた。
こんなに馴れ馴れしくもあっさりとした自己紹介は初めて受けたような気がする。
378 名前:回顧車窓 投稿日:2004/04/01(木) 21:25

「いやぁ、それにしても電車って良いですよねえ」

がたんごとんと揺れる音をBGMに「私、電車大好きなんですよ」と満面の笑みで
中吊り広告を見上げて呟く。独り言なのか話し掛けられているのかわからず
どう対応して良いのか決めかねていると、がさごそと膝の上に乗せた包みを開き始めた。

「お弁当食べても良いですかね?」

良いですよと返事をする前にもう割り箸を割っているのは気にしないことにした。
なんだかペースに引き込まれる、というより巻き込まれる。
自分も同じようなことを人からよく言われるが、客観的に見たらこんな感じなのだろうか。
しかし……

「駅弁って浪漫ですよね。大して美味しくないものでも美味しく感じることが出来る
 魔物が住んでますよ。駅弁マジック。これは一体どうなってるんでしょう…
 まるでタッパによけてある冷や御飯を茶碗に取らずにそのまま食べてると
 いつの間にやら恐ろしい量を食べてしまうような感じですねぇ」

……自分はここまで変人ではないはずだ。
379 名前:回顧車窓 投稿日:2004/04/01(木) 21:27

美味しそうに弁当を食べている彼女を見ていると、停車駅に着いたらしく
特徴のある車内アナウンスが流れた。

「あー、このアナウンスやってみたいんですよ。私DJになる前は車掌さんになりたかったなあ」

「ほう、DJなんですか」

高校生くらいだと思った、と言いかけて飲み込んだ。

「ええ、そうなんですよー。現役高校生DJです。東京に転校することになったんで、
 大学に行っちゃってる大好きな先輩に会えるのがすっごい楽しみなんです!
 …って、何で知ってるんですか?」

「今自分で言ったじゃないですか!」

まるでコントのような会話だ…
そう思ったあとハッとした。
今、自分はツッコミ役をやっている!いつも人にぼけぼけと言われツッコまれ続けて早20数年…
お母さん、ようやく私はツッコミ役に回ることが出来ましたよ!
380 名前:回顧車窓 投稿日:2004/04/01(木) 21:27

感動して胸の前で手をあわせている間も彼女は話を続けていた。

「お隣さんはご旅行ですか?大きな鞄ですね」

「いや、私は仕事帰りで…」

「へぇ、そうなんですか。失礼ですがどんなお仕事を?」

「……えーと、芸人です」

「お笑いの方なんですかー、どうりで…」

「いやいやいやいや、私は奇術師、手品する人です」

「あら、そうなんですか」

彼女はきょとんとした表情で箸を置き「ごちそうさま」と丁寧に手を合わせたあと
きれいに空になった弁当箱の蓋を閉めた。

「奇術師といえば、北海道にいる友達から聞いた話があるんですよ」

とめどなく続いた会話をそこで一つ区切りるように、彼女は少し冷めたお茶をすすり
一息ついてから窓の外を見て口を開いた。
381 名前:回顧車窓 投稿日:2004/04/01(木) 21:28


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   随分と暖かくなった3月の初旬。
   彼女はその年一番初めの桜と共に現れた不思議な子供だった。

   牧場を営むおじさんに引き取られていたあたしたちが馬小屋の掃除をしているときに
   同じ年頃の女の子が小屋の中で眠っているのを見つけた。

   親の名前は言わない。ただ、自分の名前だけを繰り返し、
   他の事はすべて知らないと首を振るばかりの子供を引き取ったのは
   生まれながらに持っている空気のせいだとおじさんは言っていた。

   「あの子には不思議な雰囲気があってね、放っておけなかったんだよ」

   彼女に会ったことのある人なら誰も異を唱える人はいない。

   そのおかげで、彼女との生活が始まったのだ。

   彼女は痩せ細っていたので心配したのだが、原因はすぐにわかった。
   典型的な偏食。肉嫌いで野菜が好きなベジタリアン。

   でも食事が終わると彼女の皿はいつも綺麗に空になっていた。
382 名前:回顧車窓 投稿日:2004/04/01(木) 21:28

   しばらくの間、気付かないうちに食べていたのだろうと思っていたが、
   どうも食事中彼女を眺めていても肉に箸をつけた形跡はない。
   隠れて動物達にあげているような様子もないし、あたしたちの皿に避けている
   なんてこともない。

   それでも、いつの間にかなくなっているのだ。

   どうにも不思議で、ある日彼女に直接それを問い掛けた。
   彼女は秘密だよと人差し指を口に当てるポーズをしたあとで
   足元に落ちていた小枝をゆっくりと拾い上げる。

   「一回しかやらないから、よく見ててね」

   そう言ってユラユラと枝を動かし始めた。
   やがてそれは手の平に吸い込まれていくように短くなり、消える。
   最後に何もなくなった手の平を開いてヒラヒラと柔らかく振った。

   袖の中に落としていったのだと思ったが、そのとき彼女が着ていたのは半袖どころか、
   ノースリーブのワンピース。どんなトリックを使ったのかサッパリわからなかった。


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383 名前:回顧車窓 投稿日:2004/04/01(木) 21:30

あさみの手紙を半分ほど読み終えたところで里田は視線を上げ、お茶を口へ運んだ。
文章を読むのは、なかなかに疲れる。

「……うわー、なんか想像に難くないなあ…今のそのままちっさくなった感じか…」

可愛げがないが可愛かったんだろうなと村田の持つ独特の雰囲気を思い出して頬杖をつく。
それにしても長い手紙だ。一体何時間かけて書いたのやら。

やれやれと思う反面、読み進めていくにつれて少し感情移入してくる自分がいた。
まるで自分があさみの体験を擬似体験しているような錯覚。

「いかんいかん」

ハッとして我に返り適当に読み飛ばす。
その努力の結果、残り枚数も少なくなってきた。

場面はようやく村田が高校を卒業するころになっている。
時計を見ると読み始めてから既に一時間。

「……あさみちゃん、ほんとに長いよ…」

コキコキと首を鳴らして伸びをし、一気に残りを読む。
384 名前:回顧車窓 投稿日:2004/04/01(木) 21:31

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   「私、上京して奇術師になります」

   高校卒業を間近に控えた冬に彼女は真っ直ぐな瞳でおじさんにそう言った。
   おじさんも予想はついていたようで、引き止めもせずにただ頷くだけだった。

   「ねえ、奇術師って何?」

   「手品師、マジシャンみたいなもんだよ」

   人に夢を見せてあげることが出来る職業だよといつものあの笑顔を見せる。

   「そっか、うん、似合ってる。きっと凄くステキな夢を与えられる人になれるよ」

   その台詞に「ありがとう」と笑う彼女に笑顔を返す。淋しくなかったわけじゃない。
   でも、彼女は生まれながらにして奇術師なのだとどこかで理解していた。

   彼女の持つ不思議な力を隠すためにも、それは必然だと思った。
385 名前:回顧車窓 投稿日:2004/04/01(木) 21:32

   木を隠すなら森の中。不思議な力を隠すなら、不思議な世界を作り出してしまえばいい。
   彼女の独特の空気はその場の雰囲気をがらりと変えることが出来る。
   それだけでも奇術師としての才能は十分。

   「りんねもそのうち東京に行くって言ってたから、心細くないね」

   「うん」

   「あーあ、こっちに残るのはあたしだけかあ…」

   あたしの呟きに彼女は「淋しくなるね」と漏らした。

   「でも、いっしょに連れて行く鳩に"あさみ"って名前付けてたから
    忘れられることはないよ」

   あははと明るく笑って背中を叩く。
   彼女はいつだって雰囲気が重く湿っぽくなるのを嫌っていた。
   それは不安の裏返しで、いつも飄々としている理由はそこにあったのだとやっと気付いた。


--------------------
386 名前:回顧車窓 投稿日:2004/04/01(木) 21:33


「…っていう話なんですけどね…よく友達に聞かせてもらってたんですよ。
 そのたびにとても素敵な人なんだろうなあと思って。私のイメージでは……
 あなたのような人なんじゃないかと思うんですけどね」

「……どうでしょうねぇ…」

終点に着いた電車は出口が開き、次々に乗客をホームへ吐き出す。
その人の流れが穏やかになったのを見て二人とも荷物を手に立ち上がり電車の外へ出た。

「長話に付き合ってくれて有難う御座いました」

「いえ、おかげで退屈せずにすみました」

二人で顔を見合わせて笑う。ナチュラルに面白い人だと思った。
柴田とどこか雰囲気が似ているのかもしれない。そんな好感を覚える人柄。
387 名前:回顧車窓 投稿日:2004/04/01(木) 21:34

「そういえば、奇術師さんはここらへんの地理に詳しいですか?」

特別詳しいというわけではないが付近に住んでいるので知らないわけでもない。
そう答えるとみうなは「ここに行きたいんですけども」と地図を出した。
下の方に住所と名前が書いてある。

「ああ、途中まで帰り道と一緒なのでそこまで一緒に行きましょう」

「ほんとですか?わぁ、ありがとうございます!助かります!」

眩しそうに目を細めて喜ぶみうなを眺めて地図に書いてあった名前の人物を思い出す。
知っている名前だった。
同姓同名の別人で無いとすれば、まだ一度しか合ったことはないけれどよく覚えている。

「ところで、そこは車内で言ってた大好きな先輩の家ですか?」

確信を持っていった一言に美海は驚いて、でも嬉しそうに肯定した。
388 名前:回顧車窓 投稿日:2004/04/01(木) 21:35

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やっと小説めいた手紙を読み終えると、自分が知ってるのはこの程度だという
あさみの言葉が一番最後に書かれていた。

読み終わったあと少し後悔した。
人の身の上を調べて、聞いて、一体自分は何をしているんだろう。
それと同時に村田は決して悪い人物ではないということがわかって心底安心した。
柴田が変なやつに引っかかっているなんて考えたくもなかったからだ。
それこそどんな手を使ってでも仲を引き裂く方法を考える。

心のどこかで柴田には自分より村田のほうが合っていると思っているのにも気付いている。
彼女達は私が思っている以上に深い繋がりがあるように思えてならない。
好きとか嫌いとかよりもっと単純で奥深い何かで繋がっているような。

「……くっそぉ……ん?」

あさみからの手紙をしまってから、存在を忘れかけていたもう一通の手紙を見る。

「斎藤…美海!?」

差出人の名前を見て形容しがたい表情を浮かべて封を切った。
嵐の予感が胸に吹き荒れるのを感じながら。
389 名前:回顧車窓 投稿日:2004/04/01(木) 21:36




   ――Let's meet in a dream. Vol. 2.8――【終】





390 名前:名無し作者 投稿日:2004/04/01(木) 21:37

更新終了
391 名前:名無し作者 投稿日:2004/04/01(木) 21:48
>363
レス有難う御座います。
読んで下さる方がいたから書くことができました。
こちらこそ有難う御座いますです。

>364
レス有難う御座います。
気に入っていただけたようでなによりです。
自分もJaneですが未だにちょっと慣れません(w

>365
レス有難う御座います。
村田さんは実は結構大人気ない人というイメージがあるので(w
個人的には眼鏡掛けてない村田さんも大好きです。

>366-369
保全有難う御座います。

>371
保全有難う御座います。
相変わらずのスローペースですがなんとか更新できました。
392 名前:名無し作者 投稿日:2004/04/01(木) 21:52

また間が開くとは思いますが、まだスレの容量はあるので
このまま引き続きここを使っていきたいと思っています。
393 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/02(金) 01:57
待ってました待ちかねました。
また凝った構成なのに軽妙でふわふわしてますねえ。この作品ならでは、です。
なんかこれからどうなるのかワクワクするじゃないですか。また待ちますねー。
394 名前:名無し作者 投稿日:2004/04/02(金) 06:16
今更ですが今回更新分の話はどうやら間違って修正前の文章を
UPしてしまっているようです。
とてつもなくバカな一文があるのでそこだけでも。

>376の一行目
一方、同時刻東京へ向かって走る新幹線の中。

新幹線じゃないです電車です。

他にも色々妙なところがあるとは思いますが堪えてください。
すいませんごめんなさい  ウワァン!
395 名前:371 投稿日:2004/04/06(火) 22:32
更新乙です!
待ってた甲斐があったっす!(T∀T人)
つか村田さんの生い立ちって・・・w
次回更新お待ちしてます〜。
396 名前:名無し作者 投稿日:2004/06/15(火) 20:47
相変わらず更新遅くてごめんなさい。

Let's meet in a dream.の続きが中々纏まらないので
Vol.3の更新はまだ目処が立ってない状況です。


また何ヶ月も放置状態と言うのも寂しいので
保全代わりと言うわけではないですが、全く関係無い話を一つUPさせていただきます。

時代・登場人物・設定全て無関係なので頭を白紙にして呼んでくださると有り難いです。
397 名前:入り梅雨の茶 投稿日:2004/06/15(火) 20:48



今日はツイてない。

少しばかり遠出したは良いものの、道に迷う、財布はすられる。
そのおかげでこうして電車に乗ることが出来ず、とぼとぼと3里もあろうかという岐路についているのだ。
いま、私は割と幸福でない境遇にいると思う。
もちろん、この世で一番などという極端な不幸ではなく、いつもの自分に比べるとの話だが。
肩を落として足を進めていると、頭に冷たいものを感じた。
今日はとことん運がないらしい。
雨だ。

パラパラと振り出した水滴はみるみる勢いを増し、大雨に変わった。

――まいったな…どこか店に入って雨宿りさせてもらおう。

そう思い、一番近くにあったこじんまりとした店に駆け込んだ。
398 名前:入り梅雨の茶 投稿日:2004/06/15(火) 20:51
「ふう…助かった」

入り口で水滴を払い、店内へ目を向けるとと小さな子どもがにこやかに笑って丁寧なお辞儀をした。

「よくおいでてくださいました。どうぞごゆるりと店の中をごらんくださいませ」

「あ、はあ…これは丁寧にどうもありがとう」

なんとなく、何か買わなくてはならなくなってしまったような気がするな。
しかし無一文だし…ああ、盗んだやつ返しに来てくれないだろうな。当たり前か。
そんなことをぼんやり考えながらハンカチで手を拭き、ガラス戸越しに外を眺める。
雨の勢いは相変わらずだ。

歓迎されてしまったことだし、お言葉に甘えてゆっくりと店内を見させていただくことにしよう。

振り返ると既に先程の子は消えていた。
あまり傍にいすぎるのも失礼と思い店の奥に引っ込んでしまったのだろうか。
気を使わせてしまったかな。
399 名前:入り梅雨の茶 投稿日:2004/06/15(火) 20:52

店の中にはいろんなお茶の葉が丁寧に整理整頓されて置かれていた。
その近くには急須も並べてある。
値段の方は書かれていない。言い値なんだろうか。
古い店が持つ独特の雰囲気のせいなのか、どれもこれも高価に見えてくる。

何気なく眺めていると、何かに呼ばれた気がして顔を上げた。
しかし、周りには誰もいない。
客は勿論、店主も先程の子どもも。ここにいるのは自分一人。

「窓を叩く雨音が変に聞こえたのか…」

ため息交じりの呟きを落とし、再び視線を戻そうとすると、一つの茶葉に目がとまる。
妙な話だが、まるで、今この茶が自分を呼んでいたかのように思えてしまったのだ。
400 名前:入り梅雨の茶 投稿日:2004/06/15(火) 20:53

「…お前がよんだのかい?」

手にとって問い掛けてみる。
そんなことあるわけないと思う反面、僅かに期待した返事は、やはり全く返ってこなかった。

「そのお茶が気になりますか?」

不意にかけられた声に驚いて肩が跳ねる。

「ああ、すいません。驚かせてしまって。私はこの店のもので斎藤美海といいます」

「そりゃ、どうも」

気の入らない挨拶を返してしまった後で、少し失礼だったかと思ったが、
今の私には目の前にいる人間よりもこのお茶が気になって仕方ない。
401 名前:入り梅雨の茶 投稿日:2004/06/15(火) 20:54

「よろしければお飲みになってみますか?」

「あ、いや。その…私は実は財布を盗まれてしまって、今一文無しで…」

「それは災難ですね…雨に打たれてお入りになって来られたようですし、身体も冷えているのでは?」

そう言われてみれば、手の感覚がおかしいほど体温は下がっているようだ。

「そんなお客様に温かいお茶を一杯お出しするくらいでは怒られませんよ。
 今この店には私以外いないですし、この時間にこの雨ではもう他のお客様が来るとは思えませんから」

美海はそう笑って私を椅子に座らせ、茶葉袋を抱えて店の奥に引っ込んでいってしまった。
402 名前:入り梅雨の茶 投稿日:2004/06/15(火) 20:55
お茶に囲まれていると、どこか懐かしい気がするのは日本で暮らしている日本人だからだろうか。
不思議に落ち着く。
5〜6分ほどたっただろうか。美海がお盆に茶碗を二つ乗せて戻ってきた。

「お待たせしましたー。遅くなりまして。
 美味しく飲んでいただきたいと言ってるので私も未熟ながら頑張って入れちゃいました!」

その様子が可愛らしく、思わず笑みが漏れてしまった。

「さ、どうぞ」

受け取ったお茶の匂いに瞼を下ろすと優しく包まれているような感覚を覚えた。
火傷をしないようゆっくりと口をつける。

渋さは全くなく、新鮮なお茶の味が口内に広がる。
403 名前:入り梅雨の茶 投稿日:2004/06/15(火) 20:57
「どうですか?」

「おいしい…こんな美味しいお茶初めてです」

美海は心底満足した顔でほっと胸をなでおろした。

「それは良かった。新茶なんですよ。よろしければ、これ差し上げます」

私の返事を待たずに美海は開封済みの茶葉の袋の口を閉め、
湿気が来ないよう保管用の茶缶に入れている様子を見て、慌てて両手と首を振り、口を開く。

「ええ!?でも私は…」

お金がないとさっきも言ったと言うのに。
言葉を繋ぐ前に、缶を持ちやすいように手提げ袋に入れた美海がそれを遮った。

「お代はいりませんよ。このお茶は少し頑固で、もうここに置いてはおけないみたいなので」
404 名前:入り梅雨の茶 投稿日:2004/06/15(火) 20:59

言っている意味が良くわからずに結局は袋を受け取ってしまった。
曖昧な笑みを浮かべながらお茶を飲み終えて外を見てみると、
先程の雨の勢いが嘘のように静かに晴れ渡り日が差し始めている。

そろそろお暇しなくては。
その旨を伝え、腰を上げると「外までお見送りします」と美海も続いた。

「すっかり雨も止みましたね」

外に出ると美海が眩しそうに空を見上げて笑う。
私は数歩歩いて、聞こうか聞くまいか迷っていた言葉を告げた。

「さっきの、美味しく飲んで欲しいって言ってた人ってのは誰なんですか?」
405 名前:入り梅雨の茶 投稿日:2004/06/15(火) 21:01

美海以外に誰かがいた気配はなかったので、その言葉がずっと引っかかっていたのだ。
美海自身、確かに「私以外いない」と言っていた。
だとすれば、この店で一番最初に見たあの子どもは一体どこにいってしまったのだろう。

「信じるか信じないかは自由ですが…きっとあなたを“呼んだ”方ですよ。
 好かれてしまったようですね」

美海はそう言って視線を私の手に持つ茶葉に向ける。

つられて自分も同じようにそれを見ると、一瞬、小さな子どもが私の右手を嬉しそうに握って
笑ったのが見え、すぐに消えた。
怖さや恐ろしさは感じられない、ただ純粋な笑顔が暖かったのが胸に残っている。

にこやかに手を振る美海に見送られながら、私は再び長い長い帰路に着いた。
406 名前:入り梅雨の茶 投稿日:2004/06/15(火) 21:03

――早く帰ってお茶を入れよう。

ほんの少しだけ重くなった右手とほんの少しだけ軽くなった足取りで水溜りの残る道を歩いていると、
財布には殆どお金は入っていなかったことを思い出し、また少し気持ちが軽くなった。

「お茶の精って初めて見たよ」

一息ついて、お金が入ったらまたあの店に行こうと思い、道を覚えながら先を急いだ。
笑顔で迎えてくれるであろう美海に、今度は自分の名前も名乗ろうと決めて雨上がりの空を仰ぐ。




――今日は良い日だ。
407 名前:入り梅雨の茶 投稿日:2004/06/15(火) 21:03




   ――入り梅雨の茶――【終】

.
408 名前:入り梅雨の茶 投稿日:2004/06/15(火) 21:05

>397-407


更新終了。
409 名前:入り梅雨の茶 投稿日:2004/06/15(火) 21:14
>393
レス有難う御座います。
ホントにお待たせしまくりでスイマセン。
『軽妙でふわふわ』ってなんか良いですね。嬉しいです。

>395
レス有難う御座います。
待っていてくださって嬉しいです。
村田さんはまだまだ謎が多いままですがそれが村田さんという気もします。
410 名前:名無し作者 投稿日:2004/06/15(火) 21:15

次の更新のときにはVol.3が出せるといいなあ、と思っています。
相変わらず、いつになるかはわからないのではっきり言えないのですが。

気が向いたときに覗いてみたり待っていたりして頂ければ嬉しいです。
411 名前:名無し読者 投稿日:2004/06/17(木) 23:25
短編いいですね〜主人公は誰なのか…
予想ではダテメガネが似合うあの人か
健康第一な同じグループのあの人あたりだと思うのですが
あえて明かさずに読むのがまたひとつ、この物語のおもしろさを
引き立ててるのかもしれませんね。

本編のほうもまったり待ってます。お茶でも飲みながらw
412 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/14(日) 00:47
古い店での雨宿り、というしっとりした味が伝わってとてもよい。メルヘンっすな。
人物も舞台も道具立ても品よくまとまってるなあ。語り過ぎないさじ加減が素敵だ。
おいしいお茶飲みたくなった。

などと書きつつ、待ってます。

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