ニノウデ
- 1 名前:名無しさん 投稿日:2002年12月30日(月)05時09分49秒
- 初めまして。
主役は飯田。
読んで頂けたら幸いです。
- 2 名前:名無し読者 投稿日:2002年12月30日(月)05時10分21秒
- 薄い赤を差したような暗くならない藍の空に、白く浮かんだ雲がゆっくりと流れていく。俯いてカップを両手で包む彼女を視界の端に捕らえながら、ぼんやりと東京夜を眺めている。
──いつの間に、こんなになってしまったのだろう。
そう遠くはない記憶が、やけに古く感じる。彼女を迎えて一年と少し。そして、もう少し。今更ながら、辿ってきた長さに嫌気を感じる。意味なく傾けたワインのボトルが重く感じた、左手にあるグラスの感触。どこんな場面で出さなくてもいいのに、そうでもしないと、彼女と向き合えない。そんな気がした。本当は彼女と話すのも辛いから。未だに馴染まない赤の液体をくっと流し込む。
- 3 名前:名無し読者 投稿日:2002年12月30日(月)05時12分07秒
- 「なした?紺野。いいよ、何でも言って。」
言えたなら、きっとここには来ない。
わかってはいても、それしか浮かばなかった。
すっかり張り付いてしまった笑顔に、精一杯の優しさを見せてみる。
堅い笑顔の奥に潜んだ彼女は見えてこない。
できるだけ余裕を持って紺野に歩み寄り、ゆっくりと腰を下ろす。
「飲んでみる?これ。まあ、でも15歳には早いか。」
私の乾いた笑いが虚しく響き、こっそり息を吐く。
「・・・あの、別になんてことはないんですけど・・・いや、そういうことじゃなくて。何となく飯田さんに会いたくなって。会わなきゃいけないような。ごめんなさい。・・・何をして欲しい、というのはないんです・・・。」
久々に見る、出会って間もない頃の紺野。
この頃の彼女は何をするにも懸命で、ぎこちなく、そして足りなかった。
背中を押すと壊れてしまいそうな、そんな脆さと危うさ。
今も疲れ果てているはずなのに、笑顔であり続けるだけ見ていて痛々しく、異様なたくましさがあった。
- 4 名前:名無し読者 投稿日:2002年12月30日(月)05時14分18秒
- きっと聞いて欲しいことがあるのだろう。
私は彼女を見つめないように、その次を待つ。私の視線は怖いはずだ。言いたいこと、聞いて欲しいこと、言ってもらいたいこと、たくさん。ないわけがない。
私より二年も早く親元から離れ、上京してきた。まだ何もかもこれから、という時期の彼女は買われ、ここまで来たのだから。
「うん。・・・いいよ。なんでも言って。」
自分にも言い聞かせるように。何を言われても動じない、思い出さない、受け入れる。
もどかしくなるくらい張り詰めた時間が、二人の間に停滞する。
- 5 名前:名無し読者 投稿日:2002年12月30日(月)05時14分57秒
- 意を決したように、彼女はポツリ、ポツリと話し始める。
「ごめんなさい、本当に、何もないんです。ただ、必死に何となくここまできちゃって。で、私にも後輩ができるって知ったとき、どうしようもなく不安になっちゃって。だから、なんてことはないんです。ただ、飯田さんのところに行きたくなっちゃって。」
「辛い?」
紺野が吐きかけた息を飲み込み、首を振る。
「そう?私は辛いよ。」
ちょっとした誘導尋問のつもりだったのだが、更に深いところへ彼女を追いやってしまったような気がして、慌てて訂正する。
「いや、そういうことじゃなくてね、私たちの仕事は楽じゃないってこと。何となくわかるようになってきたでしょ?」
私は話してあげられることがなくなり、紺野は押し黙ったまま。窮屈な沈黙の中、私に何ができるのだろう。
- 6 名前:名無し読者 投稿日:2002年12月30日(月)05時18分56秒
すっかり冷めてしまった紺野の紅茶を注ぎ替えると、隣に座り、TVをつける。
足早に流れていくニュースをぼんやり眺めていると、紺野が呟くように思いを搾り出す。
「・・・私、おまけみたいな感じでモーニング娘。に入れてもらって。して、怪我で話題になって。どういうわけか私自身が笑われるような感じでしたけど、多くの方に受け入れてもらえたような気がして。そういうのでもいいんだ、って思ってたんです。でも、少しは周りが見えるようになって、新メンバーが入ることになって、不安になっちゃって。実力が──」
「いいよ、もう・・・それは自分でどうにかしないと。そんなこと言ってちゃ駄目。気合よ!いい?紺野。何をどうしても、あなたに返ってくるの。」
- 7 名前:名無しさん 投稿日:2002年12月30日(月)05時19分26秒
- 頭のいい、この子のことだ。
理解はできなくても、意味はわかってくれるだろう。
たとえ苛立ち混じりであったとしても。抱えている問題自体、どうなるものでもない。私にできるのは背中を押してやるくらいのものだ。
「紺野、あんたが娘。にいた一年と少しは、ちゃんと積み上がってるんだよ。」
思いつく限りの、最高の言葉。嘘ではないが、本心でもない。
黙って私の話を聞いている小さな女の子が一人いるだけ。
- 8 名前:名無し読者 投稿日:2002年12月30日(月)05時20分48秒
- 「あのさ、別にどうでもいい、ってわけじゃないんだけど、そういうの、なっちにも相談してみたら?あの娘、受けたがりなくせに下手だから、でも気付かなくて、悩んだりするから。いや、余裕があるときにね。参考になることもあるから。」
「前に、一度だけ。でも・・」
「そうなんだ、いいよ。ゴメン・・・」
余計な負担を増やしたのかもしれない。
また追い込んでしまったかもしれない。
あさはかな自分が嫌になる。
そういった微妙なところに気付く子なのに。
なっちは辛い事も笑顔に変えて進んでいける。
紺野はどちらかというと、私に近いのかもしれない。
立ち止まってしまう。それでも、目まぐるしい位に周りは動いていく。
引きずられるように生きてきた。
わかってあげられるはずなのに。
- 9 名前:名無し読者 投稿日:2002年12月30日(月)05時22分30秒
- またやってしまったのかもしれない。
頼りなく礼を言って帰った紺野の表情は晴れていた気はする。
ちょうど、二年前の石川のように。
私の論理は、多くの人には通じない。
普通、笑って聞き流すか、少しやってみて諦める。
けど、石川はその生真面目さと負けん気の強さで私に付いて来てしまった。
いつも頑張る梨華ちゃん、が思わぬ方向に飛び出てしまった。
結果的にはよかったのかもしれない。明るく、溌剌とした子になった。痛いけど。
その代償として、石川の持っていた儚い健気な美しさはすっかり影を潜めてしまった。
私は石川を壊した。石川自身もきっと気付いていない。私がそう思っているだけ。紺野には二の轍を踏ませたくはない。
玄関の鍵を閉め、振り返ると、誰もいない部屋の静寂が私を刺した。
- 10 名前:名無し読者 投稿日:2002年12月30日(月)05時25分06秒
- 今日はここまで。
読みにくい部分も多々あるでしょうが、試行錯誤でやっていきたいと思います。
よろしければ、お付き合い下さい。
- 11 名前:名無し読者 投稿日:2002年12月31日(火)07時32分04秒
-
それぞれの思いとは関係なく、時は流れ、朽ちていく。
新しく生まれ、変化しながら。
そうやって私は時を重ね、娘。も新陳代謝を繰り返して大きくなってきた。
渦を巻くような激流に振りほどかれぬよう、必死にしがみつきながら。
これからも・・・
まあ、いいや。
- 12 名前:名無し読者 投稿日:2002年12月31日(火)07時33分54秒
- 年末の慌しい中に、ポツンと落ちた何もない日が二つ。
ソファーに座り、ぼんやり口を開けて反り返ってみる。
あるのは鼓動とエアコンの音と騒音と真っ白な天井だけ。
携帯を何度見ても、着信も受信メールもない。
ただ真っ直ぐに伸びていく、本当に何もない晴れた冬の昼下がり。
外に出ても、あるのは雪が輝くまばゆい白銀の世界ではなく、枯れた街の景色と間抜けた色の青空。
何もできない今日があって、明日もまたそれを繰り返す。
遠い世界に思いを馳せても、浮かぶのは何故か胃の痛くなるような未来と、
思い出し笑いをしてしまうような懐かしい過去と、その後すぐに訪れる現在との悲しい対比。
大好きなはずの時間が、いつの間にか苦痛になっていたことに気付く。
- 13 名前:名無し読者 投稿日:2002年12月31日(火)07時34分33秒
- 考えないよう、退屈にならないよう、時間潰しに部屋をごろごろと転がる。
壁に当たったら逆の方へ。
そしてまた逆へ。
顔にかかる、少し痛んだ茶色の髪の毛。
指先でクルクルと弄びながら、黒く染め直そうかと
黒髪の自分と、茶髪の自分。
わかるはずのない幸福を量ってみるものの、馬鹿馬鹿しくなってやめた。
鬱屈した疲労が眠気を誘い、ゆっくりと目を閉じる。
せめて夢では楽しいことがありますように・・・、と。
- 14 名前:名無し読者 投稿日:2002年12月31日(火)07時35分30秒
年が明け、恒例の行事をこなしていく。
そんな中、六期メンバーの該当者なしが発表された。
そろそろこういうことがあってもおかしくないとは思っていたが、正直驚いた。
新メンバーはずっしり肩に重く感じていたであろう危惧から開放され、いい意味で変わりつつあるようだ。
この正月のハローの後、三日間の休みがある。
午前中に仕事が入るから、正確には二日と半分。
気休め程度の時間だが、正月休みという名目のある休みは、素直に嬉しい。
嫌になるくらい詰め込まれた日程を全て終え、ぐったりと重い体を引きずるように、未だ鳴り止まぬ会場のざわめきを背に受けながら楽屋へ戻る。
それでもどこか足取りが力強く感じられたのは、ちょっとした休みのせいなのかもしれない。
- 15 名前:名無し読者 投稿日:2002年12月31日(火)07時39分47秒
- ライブのテンションが残る楽屋に、いつの間にかつんくさんがいた。
いつものように薄ら笑みを浮かべ、余裕を撒き散らせていたが、どこか落ち着きない印象を受けた。
「そのままでいいから、ちょっと聞いてくれ。」
メンバー全員の注目が集まるのをゆっくり確認して、無言でその場にいたスタッフに席を外すよう訴える。
最後に楽屋を出たスタッフの閉めたドアの音がするのより少し早く、今回のことはすまなかったな、と前置きして、
「今回の新メンバー加入は見送り、ということに決定したんだけど、どや?」
若い子達は質問の意味がわからず呆然とし、年上のメンバー──私、なっち、圭ちゃん、矢口、恐らく石川も──は戸惑った。
今まで、こんなことは一度もなかったから。
プロデューサーと表現者。
表現方法について話し合うことはあっても、絶対的な差がある関係。
私たちに意見は必要ない。
- 16 名前:名無し読者 投稿日:2002年12月31日(火)07時43分29秒
- 誰の答えを待つでもなく、つんくさんは淡々と話し出す。
私たち一人ひとりの顔を確認しながら、自分に言い訳るように。
「まあ、なんや。数名に絞るは絞ったんだけど、その先が見えない。うっすらとはあったけどな。
モーニング娘。という枠組みの中に入ってもその子に可能性はないのか、俺自身、そういうことを見つけられなかったのか。
とにかく、今、そんな状況で新しい子を入れても、恐らく意味はない。
今のバランスが崩れるというのも、もちろんあるけれど、むしろ悪い方に転がっていく。
そういった色々な判断があって、今回は該当者なし、ということに決まった、・・・から。
お前らにはちゃんと説明しとこ思てな。」
それだけ言うと、お疲れ、と型通りの挨拶を残して楽屋を出て行った。
楽屋内はしばらく騒然としていたが、私には言いようのない焦燥が渦巻いていた。
- 17 名前:Scene4 投稿日:2003年01月28日(火)04時08分55秒
- 蒼い夕闇にぼんやりと浮かぶ、どこか物悲しげに枯れた雪稜と雪景色。
重く垂れ込めた分厚い雲に散りばめられた、今は西の空に消えたオレンジ色の名残。
一部の隙も無いくらいにイメージがぴったり重なっているはずなのに、どこか歪んで見える。
規則正しい汽車の振動と、大きなスキーバックを抱えた団体の楽しそうな雰囲気。
暖房でうだるような暑さの車内と、氷点下の寒空を隔てる濡れた窓。微かに感じられる隙間風。
これも違う。
- 18 名前:Scene4 投稿日:2003年01月28日(火)04時10分44秒
- 新しい現実が訪れる度に追いやられる思い出、どこかずれていく故郷のイメージと、本当は何も変わっていないだろう町並み。
「もう帰ってこない方がいいのかな・・・」
神様にもばれないようにこっそりため息をつくと、読む気のない詩集を広げた。
故郷の美しさを懐かしむ節を見つけ、何度も読み返しては反芻してみるが、何も響いては来ない。
ぼんやり流れていく町並みを眺めている間に札幌駅に着き、私は軽い荷物を網棚から降ろすと、鈍行に乗り換えた。
- 19 名前:Scene4 投稿日:2003年01月28日(火)04時12分01秒
- やっぱり何も変わらない地元の駅。段差の小さなひびだらけの階段も、ほとんど手の入っていない街路樹も、歩けるくらいに適当に雪かきされた歩道も、何もかも。
慌しくここと東京を往復していた頃の私が、ふと隣を追い抜いて行ったような気がして、その姿を探す。
五年の時間が平等に流れた、私とこの景色。
私は大人になり、その私はここの小さな風化には気づかない。
それだけだ。
住み慣れた家と、今となっては懐かしいだけの思い出が複雑に絡まりあい、何となく特別な場所として感じてしまうだけ。
この二つさえ断ち切ってしまったのなら、きっと何もない、ただの場所。
雪道の歩き方を忘れてしまい、派手に転んで背中を打ちつけながら、そう思った。
- 20 名前:Scene4 投稿日:2003年01月28日(火)04時12分47秒
- 諸手を挙げて歓迎してくれたママに、綻びそうになる顔を黙って引き締めるパパ。
少し話すのが気恥ずかしい妹と、私を忘れずに最上の喜びでもって迎えてくれる愛犬。明後日の昼には発たなければならない旨を告げ、すっかり妹の物になっている、元私と妹の部屋に荷物を置く。
不思議なもので、内装が変わってしまった違和感を除けば、全てがあの頃のままだった。空気の質も、匂いも、すんなりと私に張り付いてくる。
どこまでが私にとっての変わらない場所なのか、残っていくものなのか。
その線引きに戸惑っていたが、騒々しく飛びついてくる犬に邪魔され、私は辻を思い出した。
- 21 名前:Scene4 投稿日:2003年01月28日(火)04時13分46秒
- ──
夜半から降りだした雪は止まず、ゆっくりと、けど確実に積もっているのだろう。
なかなか寝付けない私と、静かに寝息を立てる妹。
そして、ひっきりなしに動いている除雪車の機械音。
深々と降る雪の気配が心地いい。妹の寝息と、除雪車の機械音だけが耳に届く。
目を閉じて息を潜めるも、意思とは無関係に溢れてくる思考が、少しも眠りを許してはくれない。
浮かんでくるのはどうしようもない現実ばかり。
私は何をしたいのか、何をしたかったのか。何をしているのか。
考えたくもない事ばかりが浮かんでは、次の瞬間には消えていく。
ここに住んでいた頃の私がどこかに隠れて、こんな自分を嘲笑っているような気がする。
- 22 名前:Scene4 投稿日:2003年01月28日(火)04時15分35秒
- 少しずつ思い出せなくなってく過去と、その延長にいるとは思えない、現在の私と。
「・・・どうでもいいよ。最後に笑えるなら。」
わざとそう口にはするものの、どこかで何かが引っかかり、それ以上、私は何も進めない。積まれていくだけの経験と、何も変われない、成長しているのか疑問ばかりの自分自身。いつまで経っても笑みは帰ってきそうにない。
何を考えているのかもわからない。
思考が二回りした。
- 23 名前:Scene4 投稿日:2003年01月28日(火)04時16分36秒
- 自分のコートと妹のコートを二重に着込み、母親の長靴を履き、念のためにケイタイを持って外に出る。
マフラーを目元まで包み、吸い込む息で凍りそうな喉をガードしながら、ただ歩く。
それしか、私には何も与えられていないような気がした。
歩く。歩く。
忙しなく動く除雪車を避け、早朝に近い深夜を走る車に顔を背けながら。
今の私には何も残っていない。これからも、きっと何もない。自分で誓った次への私が、偶像の自分が、強迫観念のように私を捕らえて離さない。
何かしなくてはならない、という勝手な向上心が、ただ私の足を前へ前へと足を動かす。
吸う息がマフラーを凍てつかせ、吐く度に細かい氷が解けては、すぐに外気に冷やされ凍りついていく。
少しずつ硬くなっていくマフラーに苛立ちながらも、懐かしい厳しさと諦める。
考えたくないのなら何も考えず、足の向く先に何か欠片が見つかればいい。
安易に衝動任せに、何かに縋っている。
足を雪にとられ、息を吐いては固く冷たくなっていくマフラー。
次から次へと沸いてくる自問自答に毒を吐き、なじりながらも歩みは止めない。
- 24 名前:Scene4 投稿日:2003年01月28日(火)04時17分18秒
- どれくらい歩いたのだろうか。
街灯のオレンジ色に染められた純白の世界の上を、更に新たに降りてくる雪が埋め尽くしている。
風はないが、車が通る度に起こる風で、雪がふわりと舞い上がった。
私が歩いている間にも雪は降り続き、歩道は歩けないくらいに雪が積もっている。
通行量はほとんどない。
すでに除雪車が通った後の車道に出ると、キャタピラの跡を踏みながら歩いていく。
自然と自分の足が向いている方向はわかっていたが、あえて知らない振りをした。
- 25 名前:Scene4 投稿日:2003年01月28日(火)04時24分28秒
- 一台の車が私と併走するようにノロノロと付いてくる。
顔を伏せ、構わず進んでいると助手席の窓が開き、声を掛けてきた。
「どこに行くんですか?こんな時間に。」
興味津々といった、同世代くらいの女の明るい声。
後部座席の窓も開き、今度は男が顔を出してくる。
「こんな雪降ってるし、一緒に朝日見に行かない?」
ものすごい酒の匂いに、思わず顔をしかめる。
男の吐いたタバコの煙が、私の前でキラキラと凍りつく。
「やめなよ。」と、その奥から別の女の声が聞こえた。
後部座席の男の話は止まらない。
ちょうど、今の私のように。
その男は、酔いに任せて自らの全てをぶちまけてくる。
退屈な話に耳を傾けながらも、私自身は崩れない。
まっすぐに歩く。進む。
全く反応のない私に興を削がれたのか、しばらくすると車は急加速し、
雪塵を上げて見えるはずのない朝日に向かって去っていった。
小さく息を吐くと、再び前を向く。
- 26 名前:Scene4 投稿日:2003年01月28日(火)04時25分11秒
- どこまで歩いても見覚えのある風景。
トタンの三角屋根が並ぶ住宅地のそれから、荒涼としたものに変わった。
私は自分の中に隙間を作らないよう、体を痛めつけるようにペースを速める。
髪や睫毛はすでに凍っている。
足先の感覚がなくなっていくが、息はどんどん上がっていく。
全身の筋肉が張り詰め、体が熱く、汗がじんわりと滲んできた。
雪の勢いは弱まってきたが、風が出てきた。
肌の露出した部分は潮混じりの吹雪で冷え、無駄に体力を浪費していく。
考えることが多くを占めていた私の一番前に歩くことが座り、歩くことから足を前に出すことだけに集中していく。
- 27 名前:Scene4 投稿日:2003年01月28日(火)04時27分12秒
- 防風林をくぐり抜け、吹き溜まりを迂回し、雪に埋もれかけた墓地の横を通り、乱雑に脇に寄せられた雪が私の背丈ほどもある道を進む。
森と林の間のような木々のお陰で、風が弱く、雪がチラチラと舞うくらいになっていた。
意味のないことをしたかった。
後でメンバーの誰かに話して、馬鹿みたい、と笑い飛ばしてもらえるような、無茶な衝動に忠実でいたかった。
どうしても考え止まない自分のへばりきった体から笑みが漏れる。
喉を漏れるだけのような、投げやりな、無理してるような張り付いた笑い。
この状況が面白く、楽しい、はず。
次から次へと浮かぶメンバーの顔をそっとなぞりながらも、足は止まらない。
ちょうど17人目の顔が消えた時、急に視界が開けた。
- 28 名前:Scene4 投稿日:2003年01月28日(火)04時37分25秒
- 夏は駐車場になっている大きな空き地を横切り、海岸沿いに並んでいる海の家の隙間を抜ける。
まともに高校生をしていた頃、暇さえあれば来ていた海水浴場。
短い夏の透き通った青の空の下、ローファーとルーズソックスを脱ぎ、裸足で波打ち際ではしゃいだ。
嬌声をあげて。
何があったわけでもないが、楽しかった。
心の底から笑えていた気がする。
始めて見る、冬の日本海。
強風に煽られて激しくぶつかり合う吹雪と、波の轟音。
灰色に何度も黒を重ねたような空に、暗い藍の海。
大きく揺れ上がり、水面を切りつける鋭い白波。
海岸であるはずの砂浜は、波に抉り取られたのか、切り崩されて組み木が露になっている
雪は潮のせいでほとんど積もらずに、湿った砂が雪原を剥がしたように顔を出している。
- 29 名前:Scene4 投稿日:2003年01月28日(火)04時54分15秒
- 厳しい冬を生き抜く強さに私は飲み込まれてしまいそうになって足が竦む。
寒さとは明らかに違う、体の深いところから来る震え。
私の生きる世界への、尊敬と畏敬。
思うように動かない体が少しずつ海へ誘われている気がして、尻餅をつくように倒れ込む。
「何をやっているんだ、私は。」
すぐそこには、鋭く吹き荒ぶ雪と、星の悲鳴のような波音。
脱力しきった私には、誰も何も返してはくれない。
死への甘い誘惑は、私の幻想でしかない。
着込んでいるせいで振動は微かだが、ケイタイが震えていることに気が付く。
出ると、動揺に震えるママの声がした。
酷く慌てた様子で、私の安否を確認してくる。
無事と居場所を告げると、静かに目を閉じた。
迎えに来てくれる頃には除雪作業は終わって、車も通れるだろう。
空は私が家を出た時よりも明るくなっていたが、光は射してこない。
- 30 名前:Scene5 投稿日:2003年01月31日(金)05時46分10秒
- 結局、何をするでもなく東京に戻り、慌しい日々が続く。
数日の帰郷では、痺れるような疲れだけが残った。
オフ明け、一人だけ晴れない顔をしている私に、矢口は
「失恋でもしたんじゃないの?」
とおどけて聞いてきたが、何も答えなかった。
自分でもよくわからない感情に振り回されるくらいなら、
嘘でも失恋ということで落ち込んでおけばよかった、と思った。
札幌の凍てつく寒さも、東京の枯れた風も、きっと同じ。
生の匂いが薄れた季節に、必要以上に揺さぶられてしまっただけ。
大きく変化しているようで、何も動いていない状況に苛立っていたのかもしれない。
春になれば、きっとよくなる。
今はそう思ってやっていく。
頑張るし、頑張らない。
それでいいんだ。
そう心に捩じり込む。
- 31 名前:Scene5 投稿日:2003年01月31日(金)06時13分41秒
- 強引な決意も、嬌声と賑やかな雰囲気に飛ばされてしまう。
大きく一つ伸びをすると、はぁー、と声を出して脱力する。
凝り固まっている自分がほどけていくような気がした。
辻がとことことやって来て、そっと私の膝に収まる。
重くならないように気を使っているのか、足を突っ張るように、少し体を浮かせて。
「おばちゃんになっちゃうよ。」
私のことを見ていたのかそう言うと、それきり何も言わずに手元をじっと見つめている。
何か言い返そうと、後ろから顔を覗くが、
その横顔があまりにも大人びていて、用意していた言葉は空中で分解した。
辻がののになり、ののがのんちゃんになった。
半ば依存するように、この子を可愛がってきた。
そうすることで、塞ぎ込みがちな私の心のバランスを取る要因の一つになっていたのかもしれない。
どこか逃げ場のような、拠り所のような存在になってしまっている。
ふとそんなことを思い、重荷になっていないか、無性に不安になる。
- 32 名前:Scene 5 投稿日:2003年01月31日(金)06時25分06秒
- 何か話そうかと思ったが、静かに抱きしめた。
すると、辻は身を預けるようにして私にもたれかかってくる。
私の呼吸のリズムと、辻の呼吸のリズム。
どちらかがどちらかに合わせるのではなく、それぞれのリズムで重なり合っている。
二人の息遣いだけが響く、無音のような世界
懐かしい感触に、喉の奥がきゅっと熱くなる。
スタッフが呼び出しを掛けるまで、私たちはそのままでいた。
集合が掛かるとメンバーが移動を始め、辻はゆっくりと膝から降りた。
そして、私を振り返り、一瞬はにかむと、吉澤の腕を取って部屋を出て行った。
人生って素晴らしい。
そう思うときもある。
- 33 名前:Scene 6 投稿日:2003年02月16日(日)02時43分32秒
- 内側にいても空々しくなるほど、私たちの勢いは止まらない。
何か急いているような、無駄に増していく加速に、私の心は置き去りにされたような気がする。
たまに落ち着けた時、見上げる星空も、清んではいるけどやっぱり明るくて。
それでも時間は流れ、体に辛く当たる北風も冬風が少し優しくなる。
冬が終わる。
春になると、圭ちゃんがいなくなる。
- 34 名前:Scene 投稿日:2003年02月16日(日)02時45分43秒
- 何度経験しても、この時期は嫌なものだ。
慣れてはいくが、それぞれ違う別れの形に、必要以上に揺さぶられてしまう。
人と人が時間の流れや環境の変化で離れていくことなんて当たり前のことなのに、娘。から誰かが抜けると、自分が剥がされていくような錯覚に陥る。
明日香は学業に専念、彩っぺは身内だけが知っていたことだけど結婚、紗耶香は充電と次に向けての時間、祐ちゃんはソロに専念、後藤も同じく。
圭ちゃんは芸能活動を続けていくことは決まっているが、詳しい見通しは立っていない。
「卒業してからは暇人だよ。」
そうケラケラ笑う圭ちゃんに、私はどんな顔をしていいのかわからない。
ただ、娘。を離れた瞬間から、全く別の時間を消していくということだけは、経験上わかる。
でも、それだけだ。
どこかで心に空く穴を確保しているものの、その瞬間を迎えるまでは、何もわからない。
- 35 名前:Scene 6 投稿日:2003年02月16日(日)02時46分43秒
- ライブ最終日でのダブルアンコールで、圭ちゃんは10分だけ時間を貰った。
DVD発売の関係上、それ以上は無理らしいが。
何をしてもいい、そんな時間。
今の私には与えられていない。
これは彼女をねぎらい、意思を尊重した意味での時間なのか、演出する手間も面倒なのか。
圭ちゃんは前向きに受け取り、与えられた時間を純粋に喜んでいた。
- 36 名前:Scene 6 投稿日:2003年02月16日(日)02時49分02秒
- 「・・・カオ、かおり、圭織!聞いてる?」
「え?ああ・・・」
圭ちゃんの大声が耳を突き抜け、電話中だったことを思い出す。
「まあ、いいや。明日は私の家で。注文してた焼酎、やっと入ったから。適当に来て。」
「え?私、そんなの飲めな・・・」
「じゃあ、明日ね。」
唐突に連絡事項を言い終えると、さっさと電話を切ってしまった。
「聞いてなかったのは私か。」
ケイタイを充電器に挿すと、ベッドに入って電気を消した。
いつかは訪れるだろう自分の脱退のことを考えていたが、何一つ現実的なことは浮かんでこなかった。
暖房の音がやけに耳につく。
- 37 名前:名無しの蒼 投稿日:2003年03月06日(木)23時43分06秒
- レスしていいのかなって迷っててずっとROMって
たんですけど・・・。
文章うまいですね。続きが気になる・・・。
あ、スレ汚しだったらごめんなさい?
- 38 名前:Scene 7-1 投稿日:2003年03月28日(金)02時00分55秒
- 二人だけの企画会議。
「矢口は?」と、私。
「仕事。」と、圭ちゃん。
「なっちは?」と、今度は圭ちゃん。
「なっちも。」と、私。
お互いになっちと矢口の予定は知っている。
何となく。
年長組を集めたのだが、都合がついたのは私だけだった。
圭ちゃん自身、前日に呼んでも集まらないのはわかっていただろうが。
当の本人は、そんなこと気にする素振りもなく、慌しくグラスやらつまみやらを揃えている。
テーブルには魚のフライと珍味がいろいろ。
向かいに座る圭ちゃんは、満面の笑みを称えて焼酎の瓶を抱えている。
如何にこの焼酎が素晴らしく、希少価値があるかを語り出そうとする圭ちゃんを無視して、強引に話を進める。
- 39 名前:Scene7-1 投稿日:2003年03月28日(金)02時02分36秒
「で、どうするの?貰った時間。」
「この前、ビデオの整理してたら、こんなの見つかったんだよね。」
そう言って、圭ちゃんは自分のペースでビデオをセットする。
まだ観ていなかったのか、私の隣に座ると熱心にTVに見入り始める。
後藤が加入する直前の横浜アリーナのライブだった。
「何で?これ。」
「なんだろうね、FCかなんかのじゃない?」
「そういうことじゃなくて。別にいいっしょ、今こんなの見なくても。」
圭ちゃんは不思議そうに私の方を向くと、口元に運びかけていた缶ビールを私のそれに合わせて、「乾杯。」と言うと、喉を鳴らせてビールを流し込んだ。
私もそれに習う。
- 40 名前:Scene7-1 投稿日:2003年03月28日(金)02時04分28秒
- 思い出がひとつ、足元に落ちてきたような時間。
浴衣でモーニングコーヒーを歌っている私たちがいた。
それこそ、この頃は今の形の原型もない。
モーニング娘。という名前と、私たち4人が残っているだけ。
そして、それが3人になる。
少しずつだったはずの変化が、時を経てみると、考えもつかないような大きな変化になっている。
一つの変化が次を呼び、それに続く変化がまた次を呼び起こす。
気が付けば、何もかもが変わっていた。
そんな気がする。
人は繋がったままでいられる。
けど、その時間と場所は帰らない。
どこかとてつもないうねりの中に吸い込まれたような、目の前の現実に食らい付く数年。
そんな私か娘。なのか。
必死に生きてきた数年と、やがては惰性に成り下がってしまったような数年。
境目は見つけたくない。
常に頑張りたい自分がいる。
「この中の何人が今も残ってるのかな。」
ふと心に浮かんだことが、言葉で漏れた。
はっとして圭ちゃんを向いた時、僅かに表情が動いたのが見えた
けど、圭ちゃんは聞こえなかった風に、TVだけに視線を向けている。
心の中で謝ると、柿の種を口に放り込んだ。
- 41 名前:Scene7-1 投稿日:2003年03月28日(金)02時05分03秒
- 遠い目をしていたのか、圭ちゃんが声を掛けてくる。
「懐かしい?」
「懐かしくもない。ただ、こんな頃があったな、って。」
「そう、私は懐かしいけどね。」
強がりなのか、本当にそうなのか、私は「懐かしくない」と言った。
そこに圭ちゃんと私の決定的な差があるような気がして、グラスの焼酎をぐいと飲み込む。
懐かしくない。
私はまだこれが現実だと思っているのだろうか。
いつかこんな日が帰ってくるのか、と。
少なくとも、この頃を過去として前を向く圭ちゃんと、懐かしくはならない私。
私自身、たった今気付いた事実に、誰か気付いているのか。
ふと目を上げると、今は亡きタンポポが歌っていた。
プッチはまだ存在すらしていない。
- 42 名前:Scene7-1 投稿日:2003年03月28日(金)02時06分23秒
- 「タンポポもプッチもなくなったね。」
圭ちゃんがぽつりと呟く。
なくなってはいない。
私たちがいないだけ。
次の世代に受け継がれたんだ。
けど、私たちは現実に、今も現役として存在する。
タンポポとしても、プッチとしても、まだまだ歌える。
歌えるはずだ。
「本当になくなってたらよかったのにね。」
嘘ではない。
本当でもない。
ガードが弱くなってる。
触れないようにしてきたのに。
その言葉に反応した圭ちゃんが私の目を見つめる。
きっと何も見えないだろう。
私も、圭ちゃんからは何も読み取れない。
けど、きっと圭ちゃんも同じ事を感じているはず。
形は違えど、間違いなく私たちがいたユニットなのだから。
圭ちゃんはどこまで汲み取ってくれているのだろうか。
- 43 名前:Scene7-1 投稿日:2003年03月28日(金)02時07分28秒
- 心の底から優しい圭ちゃんの声。
私は何も言わない。
曲が終わる。
今で「本当にそう思ってる?」
は決して歌われず、これからも歌われることのないだろう曲。
大好きな曲。
恐る恐る圭ちゃんを伺う。
小さく笑みを浮かべて、グラスの残りを飲み干す。
強い女の姿がそこにあった。
自分のできること、できないことを見極めて、最大限の自分を掴み出す。
その横顔がとても頼もしく見えた。
「私、この頃好きだったな・・・」
誰に言うともなしに、緩んだ圭ちゃんの口調が耳に届く。
「なんでだろうね。」
「ほんとに。」
ゆったりとした、静かで和やかな時間。
噴き出すようにあの頃が思い出された。
私はきっと、この頃を心底懐かしんでいる。
今が嫌いなわけじゃない。
好きな時代があって、それはもうここになく、返っても来ない。
堰を切ったように流れ出る昔話を二人、先を急ぐように話した。
ひとつのライブビデオでは語りきれないくらいの思いが、確実にはあった。
それだけのものが、私の中には積まれているはずだった。
しかし、言葉になったのは、その中のほんの僅かだった。
- 44 名前:Scene7-1 投稿日:2003年03月28日(金)02時48分59秒
- 「圭織さ、なんか無理に距離作ろうとしてない?」
思い出話が途切れ、ビデオに見入りだした時、さらりと言う。
余韻を残さず音と映像の隙間を通り抜けていった。
「なに?」
「距離。」
「距離?」
「そう、距離。というか、壁。」
圭ちゃんは画面をまっすぐに見ている。
私を気遣うように、そっと。
- 45 名前:Scene7-1 投稿日:2003年03月28日(金)02時50分04秒
- 「そういうの、我慢してどうにかなるものでもないよ。」
「・・・」
「チビ達も怖がって近寄れない時あるし。」
「それって、私だけ?」
圭ちゃんは何も言わず、黙ってブラウン管の発光に揺れる床の色彩を眺めている。
「私たち、なんのガードもなく、そのままでいられる?どっかで自分に嘘ついたり、言い訳たり、自分を現実から遠ざけたり。みんな、そういう部分はあるでしょ?」
止まらなかった。
誰でもそういう部分を抱えて生きている。
そういう前提で、私と圭ちゃんの関係は成り立っている。
それだけ我慢しながら、自分を切り分けられるか。
噛み付くところじゃない。
わかっている。
それに私の場合、閉じ篭って出ようとしない。
圭ちゃんはそう知っていて、逃げ場を作ってくれているのに・・・
「ごめん、言い過ぎた。」
ありきたりしか出てこなかった。
「今、楽しい?」
静かに圭ちゃんが切り出す。
「楽しんでる・・・よ。」
これ以上、踏み込まないで。
胸の内が激しく波立ち、頭の中がキンキンと揺れる。
「そう、悪いわね。つまんないこと聞いて。」
TVではりんねが泣きながら、カントリー娘。だった小林梓の手紙を読んでいる。
- 46 名前:Scene7-1 投稿日:2003年03月28日(金)02時56分03秒
- 「こんなことなら、吉澤も呼べばよかったかな。」
巻き戻したビデオテープをデッキから取り出しながら、圭ちゃんが言った。
意味がわからずに黙っていると、自分に確認するように話し始める。
「なっちと矢口「は進めると思うんだよね。平気とか、辛いとか、そういう次元とは別に次を見つけられる。よかれ悪かれ。たぶん、石川も。でも、私は違う。一度立ち止まってしまう。考えて考えて。納得して。で、ようやく次が見えてくるような気がするんだよね。チビ達はわかりにくいけど。たぶん、圭織も吉澤も似たようなところがあると思う。違う?」
圭ちゃんは真っ直ぐに私を見据える。
マンションの前の通りを、バイクが轟音を上げて過ぎていく。
その一瞬がやけに短く感じた。
- 47 名前:Scene7-1 投稿日:2003年03月28日(金)02時58分41秒
- 確かにその通りなのだろう。
私の時間は未だに動き始めていないのかもしれない。
いつから?
停滞した空気と私を強く射す視線に急かされて、私は答えを急いでしまう。
「時間は誰にでも平等だよ。遅くも速くもならない。」
私は茶化して、グラスを一口含む。
きっとどんなに時間が掛かっても、圭ちゃんはちゃんとした答えが欲しかったはずだ。
─そうだけどね。
圭ちゃんの呟きが、私の嘆息と同時に聞こえたような気がした。
けどね、圭ちゃん。
なっちだって固まって動けなくなった時期はあった。
それでも、なっちは前を向かなければならなかった。
強いとか、弱いとかではなく、そういうことなんだと思う。
- 48 名前:_ 投稿日:2003年03月28日(金)03時13分05秒
- >>37
レス、マジでありがとうございます。
読んで下さっている方がいて、救われました。
ちんたらしたペースで申し訳ないですが、
必ず完結させますので、よろしければお付き合い下さい。
- 49 名前:名無しの蒼 投稿日:2003年03月30日(日)12時06分04秒
- わぁ、更新されてる
応援してますんで頑張って下さい
これからどうなるんだろう・・・
- 50 名前:Scene7-2 投稿日:2003年05月02日(金)02時12分39秒
- ──
どれくらい飲んだのだろうか。
すっかり席は乱れ、私の意識も散漫にはみ出している。
左手で頬杖をつき、右手でグラスを回すものの、手持ち無沙汰。
瞼が力をなくしはじめ、世界が虚ろにさまよう。
「圭ちゃん、タバコない?」
「圭織、吸わないでしょ?」
「吸わないからだよ。」
「私も吸わないよ。歌手だもん。」
あったからといって、吸うわけではない。
場繋ぎにもならない会話にも飽き、思い思いに視線を落とす。
隣の圭ちゃんは、カーテンの隙間で小ぢんまりとした闇夜を見つめている。
私の視線が気になったのか、ゆっくりと擡げる。
「なに?」
「いや、なんでも。」
そう、と再び窓の向こうを見やる。
鼓動まで聞こえてしまいそうな静寂が、再び訪れる。
- 51 名前:Scene7-2 投稿日:2003年05月02日(金)02時14分41秒
中途半端な沈黙と酔いが睡魔を呼ぶ。
このまま眠ってしまってもいいものなのだろうか。
この眠りを受け入れるべきかどうか迷っている。
もう少し、この時間と酔いに揺れていたい。
言い様のない寂しさが込み上げてきて、涙が零れそうになる。
♪でも 最後まで読んでよね あんな優しく抱かれるなんて
そっと圭ちゃんが思い出したように歌い始め、連れて私もそれにかぶせる。
喉からすーっと吐かれるだけの二人の細い声が、優しく触れ合う。
そして、それはすぐに絡まり合い、虚空に溶けて広がっていく。
これは歌であり記憶であり、私だ。
余裕も何もなく、ひたすらに前ばかり向いていた私を愛している。
- 52 名前:Scene7-2 投稿日:2003年05月02日(金)02時15分56秒
- 歌いたくてこの世界に飛び込んだ私たちは、今はエンターテインメント集団として存在している。
表現する、という根源的な部分は同じだろうが、時折訪れる妙な違和感に思い悩まされる。
歌を唄いたい。
細切れのフレーズではなく、一遍の。
激しく代謝を繰り返し、変貌を遂げてきた娘。にあって、私は取り残されているのだろうか。
どうしたらいい?
繰り返してばかりの自問自答が、また複雑に絡まりつく。
奥深くにまで染み付いたメロディを口ずさみながら、晴れない気分が少しだけ癒されていくのを感じた。
コーラスばかりの曲なのに。
「久しぶりだよ。まだ歌えたんだね、お互い。」
圭ちゃんがふっと誤魔化すように笑みを零す。
「ほんとだね。」
本当に。
私も、圭ちゃんも、歌える。
- 53 名前:Scene7-2 投稿日:2003年05月02日(金)02時16分27秒
- 一通り思いを巡らせて、圭ちゃんが言う。
「ライブ、これ歌うかな。一人で。」
自分に言い聞かせるように。
私に問いかけるように。
「ハハ、フザけんな。」
可笑しくて笑えてきたが、それが不思議でならなかった。
歌を歌うことが仕事だということも、今は歌っていないと感じてしまうことも、帰りたい日々があることにも。
笑い飛ばしてしまう自分がいる今は、今後、どう残るのだろうか。
やはり今、昔日を名残り惜しむように、この時期を愛しく思ったりするのだろうか。
心が乾いて、寒くて仕方がなかった。
- 54 名前:Scene7-2 投稿日:2003年05月02日(金)02時17分25秒
- ──
「もう、やめよっか。・・・今日は。真面目に考えるの面倒になってきたよ。」
圭ちゃんは一端崩した顔を引き締める。
タンブラーに入った氷を取り出し、掌でコロコロと転がしている。
「不安定なんだよ、今の私たち。」
─いつもだよ。
声にはならなかった。
圭ちゃんは吐き捨てるように言うと、その氷を思いっきり床に叩きつける。
氷は大きな音をたてて床を弾け滑ったが、表面が少し欠けただけだった。
「こんなもんだよ。楽しい話しよ?逃げるみたいで嫌だけど。」
「結論なんて出るもんじゃないし」、と自嘲気味に付け加えて、勢いをつけるように焼酎を一気に流し込んだ。
両手一杯に抱えた現実や問題を押し込むように。
私もそれを真似る。
これは逃げじゃない。
再び立ち向かう為の時間なんだ。
嫌でもまた歩き出さなければならないときは来る。
乗り越えても乗り越えても訪れない平穏に、少しだけ嫌気が差しただけ。
今をこなせている自分に甘えて、立ち止まってもいい期間。
一瞬でも何でも、不安定な自分を忘れよう。
私たちはまだまだ強くなる。
もっとずっと先に行けるはずだ。
- 55 名前:Scene7-2 投稿日:2003年05月02日(金)02時19分51秒
- ───
──
─
「そろそろ石川のご愁傷様パーティー開いてあげないとね。」
フライをつまみながら、思い出したように圭ちゃんが呟く。
圭ちゃんの充血して潤んだ目は視点を失い、感情がそのまま瞳に映る。
「石川の誕生日、二ヶ月前だよ。」
「知ってる。伸びちゃってね、私の中で。」
18歳の誕生日、通称ご愁傷様パーティー。
18歳になると同時に、労働基準法の就業時間の規定がなくなる=山のように仕事が舞い込む。
矢口が18になった時に開き、それきりだと思っていた。
「もう遅いんじゃない?石川、すでに仕事で埋もれちゃってるよ?やるなら、よっすぃとまとめちゃおうよ。」
う〜ん、と指が白くなるほどグラスを握り締めて、圭ちゃんは俯いてしまった。グラスが割れてしまいそうで、私は気が気じゃない。
- 56 名前:Scene7-2 投稿日:2003年05月02日(金)02時21分21秒
- 「じゃあ、今から呼ぼうか。」
「来れないっしょ。もう12時近いし。」
「来るよ。」
圭ちゃんは自信たっぷりに笑みを浮かべ、携帯を探す。
酔いがかなり回ってきているのか、その動作は拙く危なっかしい。
半分閉じた大きな猫目が、携帯を探して艶かしく動く。
「前から思ってたんだけどさ。圭ちゃんってさ、酔うと意外にセクシーだね。」
「何言ってんの。それより、携帯。」
照れ隠しに慌てふためる様子がおかしい。
イジられる天才の一端を垣間見た気がした。
- 57 名前:Scene7-2 投稿日:2003年05月02日(金)02時22分32秒
- 一向に見つかる様子のない状況に見切りをつけた私は、トイレに向かう。
飾り気のないトイレに、不自然なほど数多くのポスターやカレンダーが貼ってある。
捲ってみると、メンバー全員が写った写真が乱雑に画鋲で留めてあった。
圭ちゃんが加入した当初から、それぞれ、ずーっと。
歪に並んだ10枚に、改めてここまできたことに驚嘆を覚える。
圭ちゃんが律儀にも、それを残そうとしていることにも。
用を足すのも忘れ、部屋に戻る。
「なに隠してんのさ。」
鞄の中を引っ掻き回す手を休め、きょとんと私を見る。
─ポ・ス・ター
口でそう作ると、圭ちゃんは不意に目を逸らす。
「いいじゃん、別に。隠したわけじゃないよ・・・」
口を窄め、力なく言葉を切る。
「圭ちゃん、一人になって寂しくない?」
「寂しいよ。」
愚問だったようだ。
寂しくないはずがない。
お互いに寂しいから卒業はなし、というわけにはいかないのだろうか。
- 58 名前:Scene7-2 投稿日:2003年05月02日(金)02時23分16秒
- 圭ちゃんは淡々と続ける。
「でも、ソロで歌っていきたくてモーニング娘。に入ったわけでしょ?私たちは。それが叶うんだから、寂しいなんて言ってられない。そこは納得してる。今は歌の他に演技っていう選択肢は入っているけど、初めに持った衝動は変わってないと思う。何か自分にあるものを切り分けてみんなに伝えたい、っていう。そんな・・・」
「そっか。」
私にはもう言うことはなかった。
「圭織は?」
質問の意図が掴めなかった。
「圭織は寂しくないの?仲間と離れ離れになるの。」
「私、しばらくはモーニング娘。だから。」
一瞬、圭ちゃんの瞳に動揺が走るが、すぐに酔いに溶かされ消えた。
「だよね。けっこう酔っちゃったな。」
口元だけで笑みを作ると、また携帯を探し始める。
- 59 名前:Scene7-2 投稿日:2003年05月02日(金)02時23分41秒
- 私はコートから携帯を取り出すと、石川に電話を掛けた。
外にいるのか、電話口の向こうが騒がしい。
「石川、仕事は?終わった?」
「はい、さっき終わってタクシーに乗るところです。」
「じゃあ、そのまま圭ちゃんの家に来てよ。」
「え?無理ですよ。」
「だよね。」
当然と言えば当然だ。
私の隣で様子を伺っていた圭ちゃんは、状況を察したのか私から電話を掠め取る。
「石川、来なさい。」
「無理じゃないわよ。いい?来るの。わかった?」
「別に怖いことなんてないから。ただ来るだけでいいの。」
「今からここに来るのも躊躇われるようじゃ、この先大成できないわよ。」
石川もごねているのだろうが、圭ちゃんは引き下がらない。
「これが最後。来なさい。」
凄みのある口調で言いたいことを言うと、そのまま電話を切ってしまった。
そこで満足したのか、「石川が来るまで寝るわ」と、
そのまま支えをなくしたように机に突っ伏して眠ってしまった。
- 60 名前:Scene7-2 投稿日:2003年05月02日(金)02時24分13秒
- どっか無理してるよね。
お互い、怖いもん。
珍しく酒で意識の途切れた圭ちゃんの背中にそっと投げかけた。
- 61 名前:Scene7-3 投稿日:2003年05月02日(金)02時24分56秒
- さっきまでとは打って変わって、水を打ったように静まり返った部屋をぐるりと見回す。私たちの年頃には似つかわしくない、生活力が溢れている。
部屋も、家具も、調度品も。
この生活に見合うだけの何かをしているのだろうか。
いや、自分を褒めてあげられるようなことをしているのだろうか。
少し陰のある北の街で夢見ていたことは、随分前に忘れている。
何をどうして、ここまで辿り着いたのだろう。
入り口はあったはずだ。
その時には、たぶんこうありたい私がいたはずだ。
何でもいい。思い出してみる。
海岸沿いの防風林と畑に囲まれた学校、色の褪せた住宅街と通学路、誰も手を入れていない緑が鬱蒼と茂る川沿いの遊歩道、オレンジ色の建物のカラオケ・・・しばらく思いを巡らせて、意味のないことだと自嘲気味に笑んでやめた。
- 62 名前:Scene7-3 投稿日:2003年05月02日(金)02時25分45秒
圭ちゃんのグラスに残った氷がカラン、と退屈そうに音を響かせる。
だだっ広い静穏が色を添え、頭の中で形なくゴロゴロ転がり音になる。
そして生まれた音は、次第に何となく節に。
曖昧なメロディは歌となり、歌詞がつく。
「恋の記憶」が私に落ちる。
取り返しのつかない過ちを犯したような、そんな後悔に胸が締め付けられる。
裕ちゃんが抜けたのは、ごく自然な流れ。
それでも、止めなければならなかった気がする。
いつまでも仲間。今でも仲間。
離れがちでも変わらない、大事な友人。
静かに胸が熱くなり、込み上げたものが喉を焼き、目頭に涙を溜める。
もう二年も前のことなのに、裕ちゃんはまだすぐ側にいるのに。
私の中では、どういう形で残っているのだろう。
まだ純粋に涙を流せることが、素直に嬉しかった。
- 63 名前:Scene7-3 投稿日:2003年05月02日(金)02時26分33秒
- 圭ちゃんは目覚める気配がない。
出会って五年。後もなく先も見えず、ただ怯えながら手を取り合って日々を過ごした仲間がまた一人いなくなる。
寝苦しそうに何度も姿勢を変える圭ちゃんに毛布を掛ける。
グラスに残ったオレンジ色の酎ハイを流しに捨てると、綺麗にグラスを洗い、新しい氷を入れ、焼酎を少しだけ注ぐ。
割らないまま、一気に流し込む。
ふうっ。
大きく息をつくと、体を仰け反らせて酔いに身を任せる。
目を瞑り、前借してしまった喪失感に闇を任せる。
このまま寝てしまおうか。
そう思ったとき、チャイムが鳴った。
ピンポーンと間の抜けた電子音は、部屋の空気を僅かに震わせて誰かの訪問を告げる。
時計を見ると、一時少し前。
もう一度、ピンポーン、と。
怖くなって息を潜めていると、携帯が鳴った。石川からだった。
- 64 名前:Scene7-3 投稿日:2003年05月02日(金)02時27分02秒
- 「あ、飯田さん?石川です。保田さんの家にいますよね?」
「うん。圭ちゃんは寝てるけど。」
「開けてくださいよぉ。今、玄関の前にいるんですよ、すっごく寒いんだから。」
顎をガタガタ震わせて入ってきた薄着の石川は勝手を知っているようで、入ってすぐ、臭っ、と慣れた様子でと窓を開けた。冷えた空気が足元に流れてくる。
「何してたんですか?保田さん、あんな脅迫めいた口調で、来い、だなんて。」
「普通に飲んでただけだよ。つーかあんた、なに律儀に来てんのさ。」
「ひどーい。あんな勢いで来いって言われて行かなかったら後が怖いですよ。」
言葉とは裏腹に、石川の口調は軽い。私はどっしりと構えたサイドボードからグラスを取り出す。
「あんたも飲むでしょ?焼酎しか残ってないけど。何で割る?緑茶とオレンジジュースと、あと水」
「じゃあ、緑茶で。」
「一応、最初は断りなさい、未成年なんだから。」
つかつかと私の前に座ると、
「さ、乾杯しましょ?」
にこやかにグラスを奪い取った。
- 65 名前:Scene7-3 投稿日:2003年05月02日(金)02時28分27秒
- 「そういえば、帰り際にあの人に会いましたよ、あのモデルの・・・なんだっけ、あの人。ほら、飯田さんといい感じだった。」
唐突に、というか待ち切れなかったのか、開口一番石川は温めていたらしい会話を口にする。
「なんなのさ。」
「いや、別に。飯田さん、元気ですかって聞かれただけですけど。」
「ふん、どうでもいいよ。あんな・・・手も握れない奴。」
石川は意外といった感じで私を向き、無遠慮に突っ込んでくる。
「何かあったんですか?」
好奇心に満ち満ちた目で私を見つめる。
その視線は私を貫き、話さなければいけないような気分にさせる。
私もこれくらい真っ直ぐに何かを見つめられたら、あるいは・・・
迷わないのだろうか。
石川の好奇心は逸れることなく、私に向いている。
「ただ一回だけご飯食べに行って、帰りに手を繋いでいいか、って聞かれて。で、私は何で?って聞いたの。なんでそういうことを聞くのって意味で、別に拒否するつもりもなかったんだけど。そしたら、向こう、萎縮しちゃって。すいません、だって。それっきり。」
石川は大きく溜息をつく。
「飯田さんっぽいけどね、それ。」
私だもん。
- 66 名前:Scene7-3 投稿日:2003年05月02日(金)02時29分16秒
- 「で、アンタはどうなのさ。」
「私?無理ですよぉ。今は自分と同じくらい大切なヒトが現れるなんて考えられないんで。いればいいな、って思うときはないことはないけど、メンバーもいるし。柴ちゃんもいるから。寂しいってことはないです。私もいて、みんなもいて。幸せですよ。」
石川らしい恋愛観が見え隠れする。
「ふぅん、恋人はメンバーとか柴田よりも大事なんだ。」
「もう、飯田さん、恥ずかしいこと聞かないでよ。」
屈託のない笑顔で、大きく笑う。
出会った当初の石川の面影を探してみた。
月が太陽に生まれ変わったようなものだ。
私はそう思う。
少女の時期を過ぎ、気が付けば眩い光を放つ一人の女性になろうとしている。
振り返って言うなれば、娘。に入った当時の石川は真昼の月、といったところだろうか。
どんな強い光の中にも埋もれず、淡かろうが、虚ろな存在だろうが、絶えず輝く。
余裕ないクセに無理して、無理に潰される石川。でも、気が付くと乗り切ってる。
それが今の石川たる所以のような気がしてならない。
尊敬する反面、危ういと思う。
何かが切れたとき、石川はどう立ち向かうのだろう。
- 67 名前:Scene7-3 投稿日:2003年05月02日(金)02時31分49秒
- ─
「あのさ、紺野、最近どうしてる?」
口に出すことすら躊躇われた、酒の勢いを借りてしまった。
自然とため息がこぼれる。
石川は私の意図が掴めていないようで、ぽかんとしている。
「紺野がどうしたって、しょっちゅう会ってるじゃないですか。」
「そうじゃなくて。・・・タンポポで。ラジオで。」
苛立っているのが口調にも現れてしまう。
こんなことが気になってしまう自分にも。
私の空気を察せない石川にも。
ワガママ放題だ。
「元気ですよ、いつも通り。あ、でも、最近は喋れるようになったかな。楽しんでるみたいだし。お豆も。いい感じですよ。」
安堵が鼻から抜けた隙間に、苦い痛みが胸に走る。
全てがうまくまわっているじゃないか。
自分にそう言い聞かせる。
酒を流し込む。
のどが焼け、胸を燃やす。
全て妬ききってしまえ。
- 68 名前:Scene7-3 投稿日:2003年05月02日(金)02時32分33秒
- 酔いの勢いに助けられ、流される自分に嫌気を感じながら、楽になりたい自分は止まらない。
「そっか。ならよかった。前にさ・・・結構前だけど。紺野が家に来て。悩んでるみたいだったから、ちょっと心配で。」
無力な自分を晒しているようなものだ。
私では何も解決しない、進められない。
しかし、石川は納得したように頷く。
「それって去年の暮れくらいじゃないですか?新メンオーディションの最中くらい。」
私の驚きをイエスと取ったのか、話を進める。
「私もちょっと心配だった時期があったんですよ。突き抜けたような高いテンションの時期があって。もちろん、下にですよ。すっごく元気なんだけど、どこか虚ろで。そういうのって危ないと思って。ギリギリまでは干渉しないようにしてたんですよ。見守ろうって。私がしゃしゃり出てどうなるものでもないし、かえって負担になっちゃいそうで。まあ、柴ちゃんにそう言われたんですけど。自然と紺野らしくなっていったから、自分で乗り越えたんだな、って思ってたんですけどね。飯田さんだったんだ。」
酒で血の巡らない痞えた思考をフル稼働させる。
- 69 名前:Scene7-3 投稿日:2003年05月02日(金)02時33分36秒
- 私が紺野を救う?
馬鹿馬鹿しい。
これ以上ないほどの、卑屈で捻くれた笑みになる。
「あ、飯田さん、私のこと、バカにしました?そりゃ、私じゃ何も解決しませんよ。」
自分の口調がおかしかったのか、桁ケタと笑う。
かと思うと、目を伏せ、久々に見るネガテブ石川。
いつも以上に感情がくるくると入れ替わる。
「いや、そういうことじゃなくてね。私は何もしてないよ。話もそんな聞けたわけじゃないし。」
「何言ってんの。だからいいんですよ。飯田さん自身は全然意味わかんないのに、それなりにすごいし、ボーっとした感じが落ち着く、っていうか。みんなそんな感じですよ。飯田さんに話聞いてもらって、訳のわからない叱咤激励や例え話聞かされて。それでいいんですよ。誰だって誰かに話聞いてもらったら楽になるでしょ?それが飯田さんなら尚更なんですよ。」
私だけが知らなかった?
「あんただけだよ。そんな風に感じるのは。」
自分の美点?を認める勇気のない私が悲しい。
「いいですよ、私だけでも。実際、そうなんだし。」
声にならないありがとう。
石川はそんなことを気にするそぶりもなく、心地よさそうに酔いを楽しんでいる。
- 70 名前:Scene7-3 投稿日:2003年05月02日(金)02時34分19秒
- ─
楽しい楽しい飲み会。
それほど経ってはいないだろう時間が、とても長く感じる。
思ったよりも飲み慣れている石川に戸惑ったのだが、それ以上に困ったことがある。
ネガテブ馬鹿がポジテブ阿呆になった。
じっと目を覗き込むと、照れたように「なんですか」と言って顔を背けた。
根本的な部分は変わっていない、はず。
石川のループした熱弁は続く。
「だからぁー、売り上げが大事なんですって!売れなきゃ、ご飯も食べれないし、人気なくなったと思われちゃうじゃないですか。でね、私、密かに計画してることがあるの。次の新曲、一人十万枚買っちゃうんです。娘。が勝った分だけでもミリオン突破しちゃうんです。凄いでしょ?さらに凄いことに、売れた分が私たちに入ってくるわけだから、リスクなしにドッカンドッカンは入ってくるわけですよ。人気も、お金も、達成感も・・・タンポポでやっときゃよかった。」
- 71 名前:Scene7-3 投稿日:2003年05月02日(金)02時39分05秒
- そう寂しそうに遠くを見つめ、双眸に涙を滲ませる。
冗談と本音の境界線が掴めない。
酔っているときは、嘘と本当が同じ価値を持つのだろうが、この子の場合はそれを超えている。
ただ、その計算だと、損もしないけど、得もしないよ。むしろ、損する。
「どうですか?この壮大なネタ。今度どっかで披露しようと思うんですけど。」
「・・・おバカ。」
「えぇ〜?これ、絶対面白いですって。私のキャラなら行けますよぉ!」
熱く語る石川の騒々しい声に、圭ちゃんが起き出す。
「石川、来てたの?」
すっかり酔いの醒めた様子の圭ちゃんだが、さっき以上の勢いで立ち上がる。
「遅いんだよぉ!」
石川の肩を叩きながら、乱暴に酒を注いだ。
圭ちゃんの瞳が緩く光り、すぐにそれは吸い込まれた。
- 72 名前:Scene7-3 投稿日:2003年05月02日(金)02時58分02秒
- 「私、こういうの好きだよ。苦手だけど。」
普段は絶対に表に出ない台詞が、自然と心から届けられる。
「何言ってんの。似合わないよ。」
石川が嬉しそうに言う。
「石川。アンタ、マジ殺す。せっかく人が素直になってるのに。」
「そういうイーダー、大好きですよ。」
本音がオチャラケにぼかされて、皆が幸せの顔をする。
「ケメケメさんは?」
ニタニタと楽しそうに、石川は圭ちゃんに期待を込めて反応を待つ。
「ふんっ。」
圭ちゃんは突っぱねると、私と石川にキスの不意打ちを喰らわす。
私たちの嫌悪の振りを楽しむように、圭ちゃんは吐き捨てる。
「お前ら、嫌いだ。」
大きな大きな喜びが、私の周りを抱きしめる。
- 73 名前:Scene8 投稿日:2003年05月05日(月)03時34分35秒
- 当たり前の顔をして、この日はのこのこやってくる。
残酷なまでに平等な時間は、絶えず私の手から滑り落ちている。
どんなに掬ってみたところで、掴み取ったり、留めることは出来ない。
ありふれたアイディアすら思い浮かばないまま、何もかもが決まってしまった。
結局、圭ちゃんの独断に近い形で10分は「ポップコーンラブ」と、年長4人で歌う「おもいで」に決まった。
現メンバーがそれぞれにパートを持つ初めての曲と、圭ちゃん自身の思い入れの強い曲らしい。
自分の最後のステージでまでメンバーに気を使うのは圭ちゃんらしい。
「この頃なんだよね。私はモーニング娘。で歌っているんだ、ってはっきり自覚するようになったの。」
ミーティングで圭ちゃんがそう説明するのを、矢口は不満そうに聞いていたが、その意味を窺い知ることは出来なかった。
聞くこともなかった。
- 74 名前:Scene8 投稿日:2003年05月05日(月)03時35分08秒
- 朝から絹糸のような雨が降り続いている。
「いつもこんなんだよね・・・」
バスの通路を挟んで隣にいる矢口が、誰に言うともなしに呟いた。
雨は柔らかく、音もなく窓ガラスを叩いている。
矢口は唯一の同期一人の人となる。
私は恵まれているのかもしれない。
今と昔との全てを共にするメンバーがいる。
全てを代弁しているような空模様を、鬱陶しそうに眺めている矢口の横顔は冷たい。
静かな雨に包まれたバスは、時折水飛沫をあげながら会場へ向かう。
- 75 名前:Scene7-3 投稿日:2003年05月05日(月)03時35分54秒
- ──
─
夜公演を前にして、少し空いた時間。
落ち着きなく矢口がポータブルMDのリモコンを弄っている。
「矢口。」
「何?」
「なんでもない。呼んだだけ。」
「なんだよ、それ。」
「ハハ、コーヒーでも飲みに行かない?ケータリングだけど。」
- 76 名前:Scene7-3 投稿日:2003年05月05日(月)03時39分20秒
- 紙コップ一杯に注いだコーヒーを溢さないよう注意しながら、忙しなく動き回るスタッフの隙間を縫って、どうにかゆっくり話せそうな場所を見つけた。
私は壁に寄りかかり、コーヒーを一口含む。
「祐ちゃん、今日見に来るって。」
「うん、知ってる。」
「紗耶香も。」
「わざわざ仕事キャンセルしたんでしょ?」
苛立っているのが伝わる。
「あと、彩っぺも来るって。明日香も。」
「昨日、聞いたよ。圭織から。」
「ハローのメンバーも結構来るらしいよ。斉藤なんて偶然その日に仕事はいちゃって、泣きついてキャンセルしたらしいし。」
「それも昨日圭織から聞いた。ついでになっちも言ってた。」
「そういえば柴田もさ・・・」
「もう!何なんだよ。集中しようよ。これで最後なんだよ?こんなとこでコーヒー飲んでる場合じゃないよ。」
不意に喧騒が遠ざかる。
矢口の怒鳴り声を聞いたスタッフの何人かが走り寄ってくる。
私たちは笑顔で、何でもない、と被りを振る。
頬が硬く感じた。
- 77 名前:Scene7-3 投稿日:2003年05月05日(月)03時40分37秒
- 「そうなんだけどね。そう上手くは気持ちになんないよ。」
矢口の大きな黒目が微かに揺れ、自慢の唇が震える。
「・・・ちゃんと送ってやんないと。オイラも圭ちゃんもここで終わる、ってわけじゃないし。もちろん、圭織も、娘。もね。まだまだ─」
「強いね、矢口は。」
心から、そう思った。
毒気を抜かれたように、矢口は問いに返す。
「強くないよ。強いとか弱いとか、そういう風に考えたことないし。でも、たぶん弱いからこんな必死にやってんだよ。」
「考え込んだり、悩んだりしない?」
「するよ、もちろん。だけど、考えてどうにかなるってこと、あんまりないから。とりあえずね、いろいろ・・・。幸せなことに、仕事はたくさんあるし。」
「そういうのを強いっていうんだよ。」
唇を尖らせて思案して、
「やっぱわかんないわ、そういうの。それに、私が強いなら、圭織もじゃん。」
困ったように言う。
今にも崩れてしまいそうな儚さがあるが、絶対に壊れはしないだろう。
- 78 名前:Scene8 投稿日:2003年05月05日(月)03時44分58秒
- お互いに張り詰めてはいるが、強引に緩めた小さな隙間。
無言の二人を矢口が分かつ。
「そろそろ行かなきゃ。行こう?」
「私、もうちょっとここで浸るわ。」
「そう?じゃあ、先行くよ。泣いちゃっても笑顔で見送ってやろうね。」
「私は泣かないよ、人前では。」
私の美学であり強がりを嬉しそうに聞き流すと、冷めかけたコーヒーを一気に飲み干し、
「ごちそうさま、ケータリングだけど。」
私の肩を一つ小突いて掛けて行く。
迷いのない小さな小さな後ろ姿が羨ましかった。
コーヒーを飲み干す。苦さに顔を顰める。
矢口の小突いた肩に拳を打ちつける。
「うっし。」
矢口の後を追う。
矢口のように真っ直ぐに歩いているのだろうか。
- 79 名前:Scene8 投稿日:2003年05月05日(月)03時50分49秒
- 雨の匂いに重く沈んだ会場のざわめきを、どこか上の空で、それでもはっきりと感じていた。
演目上の別れをいくつか流し、その度に泣けた。
ほとんど光の届かない舞台の袖で、本当の最後の意味を考える。
この公演が終わったら、圭ちゃんは娘。ではなくなる。
意識できないくらいの素早さで、この最後のひと時は終わりを迎えてしまう。
私はこの瞬間々々の全てを覚えていようとするし、刻み込むもうとするだろう。
ふと、圭ちゃんはいつもの娘。のコンサートのように最後も締めたかったのではないかと思えてしまう。
動き始めた今となってはもう遅いし、状況が許さない。
何もまとまらないままにイントロのムービーが流れ出す。
ぼっと歓声とも怒号ともつかない熱で会場が開き始める。
隣でののが神妙な面持ちで俯いている。
「あのさ、」
ステージから漏れる光の中でキラキラ舞う誇りが口に張りつく。
言葉を飲み込み、首を傾げるののに微笑みかけると、その手をしっかりと握り締める。
- 80 名前:Scene8 投稿日:2003年05月05日(月)03時51分33秒
- ムービーが終わりに近づく。
ののの逆隣にいる眉間に皴を寄せた難しい顔をした新垣の手も取ると、昼の公演で鈍く残る疲れを張り倒して、ステージへと駆ける。
光と音が一気に破裂する。
会場の黒いうねりが弾け、ものすごい歓声と熱がステージに向かって一直線に飛び込んでくる。
私はその中心で声を上げ、体を動かす。
力の限り歌い、踊る。
ここが私の生きる世界。
今更ながら、そう確信した。
- 81 名前:Scene8 投稿日:2003年05月05日(月)03時52分21秒
- ─
全ての曲目が終わり、ダブルアンコールを前にした舞台袖。
今にも割れてしまいそうな歓声を背後に、メンバーが集まる。
カメラが寄る。
私は一人一人の顔を見回す。
みんな怯えたような、押し殺せない寂しさを称えている。
そんな中、圭ちゃんは淡々とした顔で、最後の時を待つ。
「みんな、肩組もう。」
12で作った輪がさらに小さくなる。
「考えるのは、終わってからにしよう。って、私だけか。今、ここで12人でいられることが幸せだと思う。楽しもう?がんばっていきまーっ─」
大きく伸ばした体を縮める。
『しょいっ!!』
それぞれ駆け出す。
- 82 名前:Scene8 投稿日:2003年05月05日(月)03時52分55秒
- ありきたりな陳腐ほど、胸に馴染んで響くこともある。
ポップコーンラブは、まさにそれだった。
至ってシンプルな言葉に纏められた聞きやすいメロディは、浮かれ調子な曲調で沈みがちな心を持ち上げる。
思いでも今までもこれからもわたしもけめこもめんばーも明日もあさっても昨日も今日もらいねんも。
どんなときもそばにたのしくきえないこの時間。
涙を許さず声を枯れさせ、胸に詰まる悲しみが喉を突き抜けて笑顔が抜け出る。
何か特別で大切なものを抱きしめたような、秋の悲しい午後のそよ風。
朽ちていく大地に、冬を乗り切った後の緑を予感させる、小さくて暖かい空と弱く優しい日の光。
次々浮かんでは消えるイメージと追いつかない感情に戸惑いながら、枷をつけて昇るテンションを、圭ちゃんにくっつけようとする。
泣き笑いの私は、体の動きと精神が完全に分離しているのを感じながら、それでもこのステージを崩さないよう必死だった。
- 83 名前:Scene8 投稿日:2003年05月05日(月)03時54分09秒
- 突如、照明が全て落ちる。瞬間、静まりかえる。
その暗闇と沈黙の深さに比例して、その後のパニックが大きくなっていく。
なんでこんな時に、そう思っていた私は、どうにか現状の回復方法を考える。
恐怖で萎んでしまいそうな胸を強く押し、冷静に、冷静に、と目を閉じて何度も繰り返す。パニックで壊れてしまいそうな会場から、真っ直ぐ声が伸びていることに気付いた。
圭ちゃんが歌っている。
真っ暗闇の中、マイクも通さずに。
その声に気付いた最前列がふっと静まり返り、歌に引き込まれていく。
それが伝染して、その近くからざわめきが止む。
いつの間にか会場全体が圭ちゃんの歌に聞き惚れていた。
圭ちゃんの声が、膨張していく恐怖をねじ伏せた。
その歌声だけが支配する空間。
静まり返った会場3万それぞれの心に去来しているものがあるだろう。
一緒に過ごしたたくさんの時間が私の中を通り抜け、その度に涙が溢れた。
圧倒的な声量は会場中に響き渡り、込められた圭ちゃんの想いは、それぞれの形で伝わる。
私は声を乗せるのも忘れ、斜め後ろから凛とした背中を見ていることしかできなかった。
なっちはただ唖然と、矢口は嬉しそうに圭ちゃんを見ていた。
- 84 名前:Scene8 投稿日:2003年05月05日(月)03時55分16秒
- 確固たる決意に紡がれた、圭ちゃんから搾り出される声と、それに引き出される強く美しい未来図。
息を呑むばかりで、強固な意志から発せられるシャンとした姿に体が震えた。
圭ちゃんは確実に一固体としての存在を作り上げ、娘。から飛び出そうとしている。
近寄れない。その歌声に私を乗せることも出来ない。
ただそこにいるだけで、何もかもが理解できてしまう。
大きな別れを乗り越えて、一人で踏み出す確かな一歩を、この会場の誰もが感じていただろう。
自分の思考に途切れがちな意識を圭ちゃんに向ける。
♪静かに今もゆらゆらゆら揺れているけど
揺られた中での、圭ちゃんの意思。
敵わない。
涙が溢れて、慟哭と戦う私に次は訪れない。
壮絶な存在と、収まらない感情に流されていくだけ。
その背中を追うだけだった。
- 85 名前:Scene8 投稿日:2003年05月05日(月)03時55分56秒
歌が終わっても会場は静やかなまま、次の圭ちゃんの動きを固唾を呑んで見守っている。私のすすりあげる声だけが、ここいら一帯を濡らしていく。
もう、とまらなかった。
何故こんなに感傷的になるのか、そんなことを考える間もなくステージは過ぎていく。
なっちと矢口に抱えられたままの私は、メンバーそれぞれの別れを背中で聞きながら、俯いているだけだった。
一人、また一人と、圭ちゃんとの最後を追え、舞台袖に消えていく。
私の番になっても嗚咽は酷くなるばかりで、圭ちゃんを抱きしめることしかできなかった。その時、圭ちゃんがポツリと漏らした「圭織、今まで本当にありがとう。」という声を何度も何度も反芻した。
- 86 名前:Scene8 投稿日:2003年05月05日(月)04時03分25秒
- 圭ちゃんが娘。の時代を過ぎる。
美しい。
ただそう思った。
「みなさん、ここで言うことは特にありません。今の私の全てを、ここに、この会場に残せたと思います。」
「ただ、この五年間、私にとって非常に長い時間でした。娘。で過ごしたこの年月は、この先どんな素晴らしい時間が訪れても、この時間を越えることはないでしょう。それはみんなの・・・
・・・ありがとう。」
いい終えると、涙に咽いで崩れ落ちる。
けど、すぐに持ち直して顔を上げた。
頬をとめどなく流れ落ちる涙が、ライトで煌めく。
大きく会場を見回し、
「ありがとう〜〜っ!」
そう叫ぶと、一礼して会場を去る。
潔く、強い力に漲った後ろ姿だった。
- 87 名前:Scene8 投稿日:2003年05月05日(月)04時05分23秒
- 目を真っ赤に腫らせたメンバーの中に、すっきりした顔の圭ちゃんがいた。
娘。を離れた人の気持ちはわからない。
けど、いつも皆晴れ晴れとした、どこか吹っ切れた顔をしている
。私はカメラの回っていない場所に圭ちゃんがいくのを見計らい、そっと近づいた。
「圭ちゃん、さっきは本当にゴメンね。」
圭ちゃんだけに聞こえるように、耳元で囁く。
「なにが?」
いつもの変わらない調子の圭ちゃんに戸惑っていると、私の肩を抱いて言う。
「さあ、打ち上げはがっつり飲もうぜ、親友。」
浮き上がるばかりの恥ずかしい台詞は、やがてゆっくり降りてきて、私にすっぽりはまった。
会場では未だ歓声がやまない。
優しさが私たちを包んでくれる。
世界は愛に満ちている。
- 88 名前:Scene8 投稿日:2003年05月05日(月)04時06分00秒
- >>49
頑張ります。
- 89 名前: 投稿日:2003年06月20日(金)04時48分28秒
魔法が解けて、世界がイロを取り戻す。
意図に繋がれた綺麗なマリオネット達は拉げて落ちて、自分達の足で歩き始める。
- 90 名前:名無しさん 投稿日:2003年06月27日(金)13時43分20秒
- 面白いです。なので・・・
保全。
- 91 名前:Scene9 投稿日:2003年07月28日(月)03時55分22秒
- その話を理解していくのと同じ速度で血の気が引いていくのを、絵空事のように感じ取っていた。
Hello Projectの休止と、それに伴う活動停止。
新たな変化のはじまりが部屋の空気を押し撫でる。
誰もが戸惑いを隠せず、受け入れるしかない現実を聞きたくない。
- 92 名前:Scene9 投稿日:2003年07月28日(月)03時55分57秒
- 12人が向かい合う机と椅子、つんくさん、赤いランプの付いたカメラが一台。
誰も次を踏み出せない張り詰めた緊張の中、隣で俯いているなっちが怯えたように自分で自分の手を固く握り締めているのがわかる。
正面では新垣が全てが抜け落ちたような顔で項垂れている。
モーニング娘。に入りたかった新垣と、歌いたくてモーニング娘。になった私。
場違いに冷静に比較してみたりなんかする。
紺野がさめざめと啜り泣き、吉澤が諦めたように頬杖をつく。
つんくさんは淡々と話を進めていく。
私は体の力を大きく抜いた。
大きく強く高鳴っていく鼓動と一緒に不安が膨れ上がる。
─なんだかなぁ・
繰り返される騒動のおかげで鈍った心は逃げ道を知っている。
一方で突き付けられた現実を受け止めようとする私もいる。
気を強く持ち、前を向く。
- 93 名前:Scene9 投稿日:2003年07月28日(月)03時56分37秒
- 不意にののと目が合う。
今一つ状況を把握し切れていないのだろうが、酷く辛そうな顔で弱々しく笑いかけてくる。
大丈夫だから、と無理に笑み返すと、沈痛な状況を打開すべく、喉の奥に力を込める。
「どういうことですか?」
沈黙を破ったのは意外にも石川だった。
微かに怒気を孕んだ静かな声は、これまで聞いたどの声よりも暗く響いた。
落ち着いているように見えたが、表情に色はなく、立ち上がった際、テーブルについた手が強張って震えていた。
みんな、石川とつんくさんの間の空気を当てもなくさまよう。
「ん?まあ、そうやな・・・」
たっぷり間を持たせたつんくさんが、メンバーをざっと見回す。
「保田の卒業の翌日にこんな事言うんのも悪い気もするし、突然で混乱する気持ちはわかる。・・・発表に前もっても何もないけどな。」
自嘲気味に吐息を一つ零してサングラスを外す。
「さっき言ったままやけど、というか、そのまんまや。ハロープロジェクトは半年間の凍結。ま、もうちょっと延びるかもしれんけどな。それぞれの充電期間、とでも言うんかな・・・」
それ以上は続かなかった。
わざとらしく口を引き締めると、小さく鼻から息を抜いて遠くを見遣る。
- 94 名前:Scene9 投稿日:2003年07月28日(月)03時57分09秒
- 息をするのも憚(はばか)られるような圧迫感。
一方的に決定事項を突き立てられたなら、それに従うしかない。
そう慣らされてきた。
乗るか、反るか。
シンプルな二択を一つの答えしか用意されずに生かされている。
「それでいいんですか?」
二度目の沈黙を打ち破ったのは、噛み付くような矢口の涙声。
どこか呆けているつんくさんは、矢口のほうを意識ながらも、言葉を探しあぐねている。
「つんくさん、前に言ってたじゃないですか。どんな時でも止まったら負けだ、って。半年以上も期間を空けるって、忘れられちゃいますよ。私たちがこうやって来られたのも、いつも何があってもいつも新しい何かをチャレンジし続けてきたからじゃないんですか?」
- 95 名前:Scene9 投稿日:2003年07月28日(月)04時00分04秒
「そうなんだけどな、矢口・・・〜〜〜──
まさに未知の領域。
モーニング娘。としての変化ではなく、存在そのものが消えかかっている。
勢いに乗っていても、空回りしていても、どんな時でも走り続けていた足が止まる。
どうなっていくのだろう、ではなく、どうにもならない。
これからは何もないのだ。
矢口は痛いくらいに理解しているのだろう。
情報の価値のなさと、絶えず情報を発信していかなければ、生き延びていけないだろうことも。
氾濫する情報は目まぐるしく移り変わり、今朝の記事は、夕方になって新しい情報に代わればクズ同然になる。
どんなに大きな事件も、進展がなければその旬は三日と持たない。
恐るべき速度で空転し始めた情報社会で、私たちは話題を作り続けることで、人を飽きさせないことで、どうにかその存在を留めてきた。
身を切るような自傷行為を世間に嘲られても、そうするしかなかったのだ。
私たち5人が立ち上げたのモーニング娘。ではなく、TV番組と世間のイメージに作られた存在なのだから。
演者である私たちは、その虚像の真ん中に飛び込み、尚且つそこから何か生み出さなければならない。
- 96 名前:Scene9 投稿日:2003年07月28日(月)04時00分40秒
- 変化に行き詰まり、大きな変革としての選択が停止。
何とも皮肉な話なのだが。
ぐっわぐわんと揺れる視界が白くぼやける。
コンタクトが曇っているのか、意識が遠ざかっているのか。
不謹慎かとは思ったが、あくびを無理矢理してみる。
ちょちょぎれるような涙しかでなかったが、視界がクリアになる。
視界の左端に拗ねたような顔をした小川がいる。
コンタクトのせいだった。
- 97 名前:Scene9 投稿日:2003年07月28日(月)04時02分15秒
- 気が付くとつんくさんの姿はもうなく、スタッフがそそくさとカメラを回収して去って行った。
時計を見ると11時ちょっと前。
午後からの会見までに気持ちを切り替えろ、ということなのか。
相変わらず場の空気は重く、深底の絶望と不安がメンバーの辺りで淀んでいる。
私はそっと立ち上がると、一斉にそのベクトルは私へと向かう。
私が楽屋のドアに進むに連れ、背中に張り付く何かを期待する視線が失望へと塗り替えられていくのをはっきり感じてはいたが、思い立ったことは一つだけだった。
- 98 名前:Scene9 投稿日:2003年07月28日(月)04時02分53秒
- スタッフから12人分の弁当を受け取ると、塞がった両手でどうにか楽屋のドアの半分を開ける。
が、少し出来た隙間に体を挟む前にドアはしまってしまう。そのドアを小さく蹴る。
「誰か、開けて。」
少しして一番近くにいた高橋がドアを開け、私が抱えている荷物を受け取ろうとする。
ほんのり赤く腫れた大きめ瞳が頼りなげに私を覗き込む。
アクなく整った顔に悲しみが綺麗に映えている。
目だけで「座って」と合図すると、メンバーの中心に弁当を置いた。
「さ、とりあえず食べよっか。ね?」
もそもそとそれぞれの手が動き、メンバー全員に弁当が行き渡る。
「全部残さず食べるように。いただきます。はいっ」
私の言う意味を理解した数人が、篭った声で、いただきます、と繰り替えす。
「だめ、もっと声出して。いただきます。」
芯はあるがふにゃふにゃの声で、仕方なくメンバー全員が言う。
- 99 名前:Scene9 投稿日:2003年07月28日(月)04時03分29秒
- 静まり返った部屋の中に、黙々と弁当を食べる音だけが響いている。
「まあ、今月いっぱいは変わらずにいられるんだから・・・」
「ちげーよ、バカ!なに勝手に自分の中で予定組んでんだよ!」
すかさず思い切り踏み込んだ矢口の突っ込みが飛ぶ。
「カオリ、来週一杯で活動は中断。そっからはそれぞれ相談。各自自由だって、さっき言ってたっしょ?」
無理をした矢口の上に、もっと無理したなっちのハイテンション。
話の内容とテンションが噛み合わず、恥ずかしそうにお茶を飲む。
「ちゃんと話聞いてなかっただろ。オイラ達が聞いてたこれからのスケジュール、あれほとんど嘘だったって。娘。に気を使った優しい方々の暖かな心遣い、感謝しなきゃね。」
「矢口、腐るなよ。」
「うっせーよカオリ。腐ってんのはお前の頭だよ!」
矢口が箸を握り潰しそうな勢いで捲くし立てる。
耐性のついた、私の楽観思考が少し嬉しかった。
- 100 名前:Scene9 投稿日:2003年07月28日(月)04時04分51秒
- 「やめなよ、矢口。落ち着こう?私が言うのもなんだけど。」
「そうだよね。圭ちゃんは関係ないか。元々スケジュールなかったもんね。」
「うるさいなー、もう。」
上擦ったハイテンションにも勢いがつけば、どこか地に付いてくる。
ペースが戻り出す。
「そうだよ。ケメちゃん、モーニング娘。辞めたら、そのまま花嫁修業するつもりだったんだもんね。相手いないけど。」
場を落ち着けようとしているのか、おっとりした調子で加護がさらにケメ子をいじり、石川が乗る。
「うん!保田さん、関係ないんだもん。もう娘。じゃないし、どっちにしても暇そうだし。」
仲間内だけでしか使えないような、際どい毒も、一触即発の罵り合いも、今の一度完結?するであろう寂しさから、残りの時を惜しむ優しさからか、誰からも笑みが絶えない。
「お前ら、今に見てろよー。ホント、みんなが泣いて謝るようないい男捕まえるからね!」
相変わらずのケメ子節。
誰もが熟知している、それぞれのリアクションで思うがままに返す。
- 101 名前:Scene9 投稿日:2003年07月28日(月)04時06分13秒
- 「いや、保田さん、全然そういう気、ないんだろうな、って。」
遠慮がちながらも、言いたいことを言う。
そんなに新垣に嬉しくなる。
- 102 名前:Scene9 投稿日:2003年07月28日(月)04時06分46秒
- 重ね重ねの突いたテンション。
皆が皆、今を遊び、楽しむ。
ふと見ると、紺野が楽屋を出ようとしている。
「なした?紺野。」
意味もないが、それなりの喧騒に負けない声で聞いてみる。
「いや、もうイッコ、お弁当貰おうかと・・・」
恥ずかしそうに、申し訳なさそうに言う。
「もう何個か貰ってきてよ。」
「でも・・・」
紺野の続くであろう言葉を切って続ける。
「いいから、5個は持ってきて。」
- 103 名前:Scene9 投稿日:2003年07月28日(月)04時12分05秒
- いつもにはない収集のつかない大騒ぎの中、圭ちゃんが隣に来る。
「ひどいねぇ。」
嬉しそうに言う。
「私、ちょっと安心してるよ。」
憮然とした圭ちゃんは、今日の会見、私の晴れ舞台だと思ったのに、ふてくされながらも相好を崩した。
- 104 名前:Scene9 投稿日:2003年07月28日(月)04時13分26秒
- >>90
保全、ありがとうございます。
こんな感じで申し訳ないですが、たまに覗きに来て頂けると有難いです。
- 105 名前:Scene10 投稿日:2003年08月19日(火)02時00分17秒
- ハロープロジェクト凍結のニュースは、何故か号外まで出るほど騒がれだが、渦中の私たちは静かなものだった。
「どうせ事務所の自演だろ・・・」
小川がそう呟き、
「マコちゃん、だめ。」
気恥ずかしそうに紺野が諌めていた。
- 106 名前:Scene10 投稿日:2003年08月19日(火)02時00分55秒
明くる日、街の至る所で紙くずになったその号外が街に溢れていた。
朝、スタジオに入って矢口に話すと、「祭りのあとだよ・・・」と寂しそうに言った。
空いた番組の枠は確保されたまま、本人の希望と事務所の意向で、それぞれ順繰りに引き継がれた。
私もテレビやラジオ、連続ドラマの端役からミュージカル主演、暴露本の出版や絵画展、はたまた地方の講演会まで、多ジャンルから少しずつ話は貰っていたが、返事を出しあぐねていた。
これらのほとんどが今の後釜だったり、話題性を狙うのみだったりと、首を傾げてしまうような内容だったが、10人兄弟の長女で一児の母、子育てもしながら兄弟の世話までこなす肝っ玉母さん役のミュージカルの話を聞いたときは笑えてしまったがやってみたいとも思ったし、純粋に私の絵だけを個展として開きたい、という話に心震えた。
が、どうしても話を猜疑的に受け取ってしまい、二の足を踏んでしまう。
仕事を選ぶ意識がほとんどない自分が歯痒くなっていたりもする。
- 107 名前:Scene10 投稿日:2003年08月19日(火)02時01分29秒
- そんな折、なっちが改まって私を食事に誘ってきた。
場所はなっちと前にも来たことがある、圭ちゃんに教えてもらったという中華料理屋だった。
律儀にも予約を取ってあるということで、エントランスに入ると給士に安倍なつみ(こんな時でもなっちは本名なのだ)の名を告げ、席へ案内してもらう。
時計を見ると約束の10分前。
あと20分は待つことになるだろうと、メニューをパラパラ捲りながらのんびり構える。
なっちと二人でご飯を食べるのはいつ以来だろう、と少し緊張する。
30分後、なっちがバタバタとやってきた。
「いやぁ。ごめんね、圭織。仕事場からタクシー乗ったんだけど渋滞しちゃってさぁ。」
笑顔で申し訳なさそうに言い、帽子を脱いで額の汗を拭う。
「いいよ、別に。仕事なんだから。それより注文しようよ。お腹減っちゃったよ。」
食事時の店内は席の8割ほどが埋まっていて、そこかしらから漂ってくる料理の匂いに私の意識は食にしか向いていなかったのだ。
- 108 名前:Scene10 投稿日:2003年08月19日(火)02時02分08秒
- 私はビール、なっちはウーロン茶をそれぞれ頼み、グラスを合わせる。
「なんか照れるね。二人っきりだと。」
可笑しそうに笑い、ウーロン茶を一気に飲み干す。
「なっち、喉渇いちゃって。」
照れ隠しにもう一つ笑うと、おかわりを頼む。
それぞれのこれからと、他のメンバーの今後などをしている内に料理が並べられる。
私たちは話を中断し、平らげるのに夢中になった。
- 109 名前:Scene10 投稿日:2003年08月19日(火)02時03分32秒
- それぞれ、それなりに満たされると、なっちは待っていたように話し始める。
「ねえ、圭織。一緒に歌やろ?」
なっちの視線は、私には眩しすぎることがある。
その言葉が何を意味しているのかわからず、ただドギマギしていると、ゆっくりとした口調で話し出す。
いつも以上にのんびりした話し方だったが、不思議と苛立ちはなかった。
「もう一回、ちゃんと歌を唄おう。今がちゃんとしてない、って意味じゃないよ。見せるものじゃなく、じっくり聞かせるような。昔みたく、って言ったら変だけど、そんな感じの。あ、カオと二人でだよ?」
ここで一つ息をつくと、私を見据える。
「ちょうどさ、前にラジオを一緒にやってたプロデューサーさんに曲作ってくれないか、って頼んだらね、いいって言ってくれたの。圭織も会ったことあるでしょ?ほら、あの・・・すごくいい曲書くの。でね、曲のイメージとかもこっちに任せてくれて、詞も私たちの好きにしていいって。足りない部分は補ってくれるし。会社の方にも聞いたんだけど、たぶん出せるだろうって。ね、やろう?」
言い終えると、残った杏仁豆腐を大事そうに掬って口に運ぶ。
- 110 名前:Scene10 投稿日:2003年08月19日(火)02時04分06秒
- なっちの話を聞いている最中、私の意志は完全に固まっていた。
もうずっと前からそう決まっていたように。
またリリースの面倒を繰り返すのが、億劫。
不思議だったが、それだけだった。
自分でもびっくりするくらいに。
「ゴメン。今はいいわ。他にやりたいことあるし。」
- 111 名前:Scene10 投稿日:2003年08月19日(火)02時04分49秒
- 不思議そうな顔で、なっちが私を見つめる。
「いや、別に大したことじゃないんだけど・・・」
そんな前置きがどうにも引っかかり、訂正する。
「大したことじゃないって、そんなこともないんだけど・・・私たちってさ、北海道出身じゃん?」
知らぬ間に馴染んだ言葉使いに苦笑をかみ殺しつつも、続ける。
「北海道出身って言っても、16の途中までしか向こうにいないんだよね、私たち。おかしで馬鹿げている話かもしれないけど、もっかい北海道感じてこようかな、って。季節の流れとか、何があるとか、いい所も悪い所も、いろいろ。」
言い訳臭くなってしまったような気もしたが、なっちの感心した顔を見ると、こういうのもアリかな、なんてふとした思い立ちを実行してみようと思った。
「いやぁ。圭織、すごいねぇ。なっち、全然そんなこと思い付かなかった。活動がお休みになるって聞かされて、不安になっちゃって。その期間、何するか考えるので必死だったもん。」
「・・・どっちがいいんだか。」
店内の談話に吸い込まれてしまう、小さな呟き。
- 112 名前:Scene10 投稿日:2003年08月19日(火)02時05分25秒
- 「ん?」
「いや、なんでもない。でも、ありがとね。ホント言うとさ、実はどうでもよくなっちゃってたんだよね。このまま札幌戻って、まあ、そっからはどうにでも、くらいに思ってたからさ。」
残念そうななっちの瞳の奥に、予感するところがあったのか、やっぱり・・・というようなすっきりした顔で大きく仰け反る。
「また一から仲間探しかぁ。圭織となっち、二人なら面白いと思ったんだけどな。」
「でもさ、なんで一人でやらないの?」
「一人でやるのは、ちゃんと娘。を卒業してから。」
そう強く言った。
言葉や仕草、表情の至るところから迸るなっちの力に気圧されそうになる。
「まあ、そんなとこだよ。また一から仲間探しか。いっそのこと、アミとやろうかな。」
そう笑うなっちは、やっぱりなっちだった。
- 113 名前:Scene10 投稿日:2003年08月19日(火)02時05分57秒
- いくら活動が休止されるとはいえ、仕事の量は減らない。
残務処理のような帳尻合わせばかりだが。
それとなく仲間や事務所には帰郷を仄めかせ、私は完全な休みを手にしつつあった。
- 114 名前:Scene10 投稿日:2003年08月19日(火)02時06分34秒
- これまでとは違った慌しさに追われながら、夏休みを待ち焦がれる小学生のような気分で残された時間を何となく消化していく。
半年間という話だが、それが終わりのない休みのようにも思えてくる。
永遠の夏休み。
自堕落で甘美な響きが気に入って、ついつい口から出てしまう。
ほんの小さな呟きだったのだが、それを離れたところにいる加護が耳ざとく反応する。
「なんですかぁ?それ。永遠の夏休みって。」
周りにいた何人かが加護を見るが、その相手が私だと見ると、興味なさそうにそれぞれ動き出す。
皆、辻や加護との時間を邪魔すると、私が怒るということを知っているのだ。
それを面白がって矢口や吉澤が話に割り込んでくることがあるが、今は二人ともこの場にいない。
「いや、ずっと夏休みが続けばいいな、って思っただけ。」
「その前に秋が来ちゃうよ。」
最もなことをもっともらしく言う。
「そうなんだけどね。」
加護の頭に行きそうな手を留める。
- 115 名前:Scene11 投稿日:2003年08月19日(火)02時07分22秒
- 「飯田さん、札幌に帰ったら、今の家はどうするんですか?」
私を見上げる格好で、加護がタイミングを計ったような唐突さで聞いてくる。
ニコニコ、黒目がちのまんまるの目をきらきらさせて。
あまりの愛くるしさに子供をあやすような口調になってしまいそうで、自分の中で制す。
「すぐってわけじゃないけど、引き払うことになると思うけど。」
この答えが欲しかったのか、顔がパーッと輝く。
「じゃあ、その部屋、飯田さんが帰ってくるまで加護が借りてもいいですか?」
「へっ?」
「だからぁ、加護が飯田さんの家で一人暮らしするんです。」
「駄目だよ。加護、歳いくつ?早いよ。おばあちゃんの家、あるでしょ?」
やはり諭すようになってしまう。
断られると思ってなかったのか、加護の顔が曇る。
「でも・・・」
「ん?」
「いや、なんでもない。」
無理に笑顔を作ろうとするが、口元を持ち上げただけで瞳が悲しそうに濡れている。
失意を押し切るように踵を返すと、離れたところからチラチラと様子を伺っているののに大きな声を張り上げる。
「ののー、やっぱダメだったわー。」
少し声を詰まらせたが、それでも言い切った。
- 116 名前:Scene11 投稿日:2003年08月19日(火)02時08分00秒
- あんなに簡単に泣く子だったかな?
そんな疑問が過ぎる。
バランスを崩すこともあるが、それすら明るさで覆ってしまうような子のはず。
ふとしたきっかけでガードが破綻し、感情的になってしまうところはあったが。
足早にののへ向かう小さな背中を見て思う。
メンバーを繋いでいたものが、一時的とはいえなくなってしまうことに危機感を抱いているのか。
距離的な面で言えば、私の家はベストに近い。
比較的、事務所にもどこのスタジオにもそう遠くはない。
加護の中に芽生えた、何かを繋ぎとめようとする力を思う。
バラバラにされてしまう個々を纏め上げようとする、娘。の繋ぎ役。
メンバーのちょっとした拠り所になろうとしているのか。
勝手な想像だが、加護は人一倍、人との繋がりを大切にする子なのだ。
ただ、自分が受け入れられることを前提にしていて、それが裏目に出てしまうこともあるが。
- 117 名前:Scene11 投稿日:2003年08月19日(火)02時09分09秒
- のんちゃんへと向かう加護を呼び止める。
「加護。ゴメンね、勝手かもしれないけど、やっぱりあいぼんに家のこと、任せてもいいかな?」
「ふぇ?」
「いやね、ちょっと思ったんだけど、あいぼんに任せておいたら、また帰るときに楽でしょ?新しく家を探す必要もないわけだし。まあ、都合よくてあいぼんには悪いかもしれないけど。」
「え〜?あ、うん、でも・・・」
急に下手に出た私を試すかのように渋ってみせる。
「ね?お願い。」
そんな加護が可愛くて。
押し殺せない喜びを噛み殺して、今にも弾けそうな笑顔で加護が言う。
- 118 名前:Scene11 投稿日:2003年08月19日(火)02時10分16秒
- 「そうまで言うなら、しょうがないかな。飯田さんが戻るまで、いてあげようかなぁ。」
遠慮がちにおどけて、それでも加護の持つ爛漫さを最大限に。
たくさんを乗り越えてきたであろう、それでも穢れない最高の笑顔におだんご頭。
堪え切れなくなり抱きしめる。
私の知らない加護もいるんだろうな、と思いつつ。それでもいい。
加護も素直に私に身を預ける。
「でも、悪いことしちゃ駄目だよ。」
「しないよぅ。」
拗ねたように、過保護なお姉さんの小言を受け流す。
「よろしくね、あいぼん。」
小さく、私の中で頷く。
また一つ、私の中で何かが増えた。
- 119 名前:Scene12 投稿日:2003年08月19日(火)02時10分50秒
- 「圭織、ちょっと付き合ぃ?」
そう裕ちゃんに呼び出されたのは、娘。のとりあえずを消化し終えた日の午後だった。
FAXされた地図の店に着いたのは、もう夕闇が息を潜め始める、西の空だけが間抜けに夜を待っているような時間帯だった。
その店は、閑静な住宅街を下る坂道の途中にあった。
開発に取り残されたようにある空き地の木々を刳り貫いた格好で、ひっそりと門を構えている。
- 120 名前:Scene12 投稿日:2003年08月19日(火)02時11分36秒
- 店の看板のようなものは何もなく、一見すると普通の家だと思えてしまう。
少し躊躇ったが、思い切って中に入ると店は薄暗く、間接照明に照らされた、よく磨きこまれた5席ほどの重厚な木製のカウンターと、その奥に二人掛けのテーブル席が一つある。
裕ちゃんは既に店にいて、顔馴染みなのか、初老のバーテンと私たちには見せない、けど気を許した笑顔で話している。
この空気に割って入っていいものか入り口の前で様子を伺っていると、バーテンの娘であろうか、そのバーテンに似た面影のある裕ちゃんよりも少し年上であろう女性がカウンターから出てきて、私を迎えてくれた。
促されるがままに中へ進んでいくと、裕ちゃんが私に気付いた。
「悪いな、急に。あっち行こうか。」
軽く目で合図すると、バーテンは人の良さそうな笑みで、私たちをテーブル席に通してくれた。
「すごいね、裕ちゃん。こういう所も知ってるんだ。」
「ま、いろいろな。」
含みを持たせた言い方だったが、問いたてることもないので黙っていた。
- 121 名前:Scene12 投稿日:2003年08月19日(火)02時12分15秒
- なっちや矢口だったら、きっと全て白状させただろう。
そんな私の様子に裕ちゃんは面白くなさそうに「ふんっ」と一つ息を吐き捨てる。
私が苦笑していると、先ほどの女性がグラスのビールを二つ運んでくれた。
さっき見たときは気付かなかったが、年齢をそのままに落ち着きを重ねたような、人をホッとさせる物静かな雰囲気を持った女性だった。
- 122 名前:Scene12 投稿日:2003年08月19日(火)02時13分04秒
「とりあえず、飲もか。乾杯。」
私のグラスにグラスを合わせると、ビールに口をつける。
裕ちゃんは本当に綺麗な飲み方をする。
グラスに口をつけるかつけないかの軽さで、薄い口紅の隙間にそっと弾ける琥珀色を流し込むような。
私もそれに習うが、ビールが少し唇から零れてしまった。
「圭織、これからの予定、何も決めてないんだってな?なっち、残念そうにしとったで。」
- 123 名前:Scene12 投稿日:2003年08月19日(火)02時13分36秒
- 単刀直入に切り出す。
私はこういう裕ちゃんの無遠慮な優しさが大好きだ。
艶のある京都の訛りが、きつい言葉もそうと思わせない。
口ぶりとは裏腹に、言葉が優しさから込み上げてくるからなのだろう。
「早いね。」
「まあな。その日になっちから電話来たから。断られると思ってなかったみたいやで。可哀想に、あの子。」
そういうと、二口目を口につける。
「意外だった?」
- 124 名前:Scene12 投稿日:2003年08月19日(火)02時14分49秒
- グラスを置くと、少し間を置いて、言う。
「う〜ん、まあ、そうっちゃそうかな。出会ってから、まともに休みなんてなかったしな。何もしてない圭織はちょっとイメージにないかな。」
「そっか。でも、もう決めたから。何もしない。」
「なんで?」
「わかんない。本当は自分の中で結構盛り上がってたんだ、いろいろ。それこそ、この集団に骨埋めてやろう、くらいの。ソロ目指す、っていうのもいつのまにか忘れてたし。恥ずかしい話だけど。ここまで来たなら青春全部ここに捧げてやるよ、みたいな。でも、何もなくなるとなると、どうでもいいかな、って。別に投げやりなわけじゃなくて、しばらくはじっとしてるよ。何していいか、全然わかんないし。」
- 125 名前:Scene12 投稿日:2003年08月19日(火)02時15分32秒
- 全てを伝えなくとも、偽りはない。
正直、何をしていいのかわからない。
楽になりたい。
そんな自分でいっぱいだ。
「それでいいんか?圭織。次、動き出せなくなるかも。」
「・・・かもしれないね。」
裕ちゃんは諦めたようにグラスの残りのビールを飲み干し、次を頼む。
「あんた、本当に私の思い通りにならん子やな。なっちとは違う意味でヤキモキさせられるわ。」
そう私の頭を撫でる。
何となく嬉しくて、ついつい笑顔になってしまう。
裕ちゃんは何かを思い出したように、遠い目をする
- 126 名前:Scene12 投稿日:2003年08月19日(火)02時16分11秒
- 「昔、圭織、頭撫でられんの嫌ってたよな。頭撫でるっていうよりも、髪型崩されんのが嫌いやったな・・・」
「そうだっけ?」
「うん、前になんかで頭撫でて、露骨に嫌がられてな、カチンときたの思い出した。」
「ハハハ、いらないこだわりとか、結構あったからね。」
「ほんまやでぇ。あん時の裕ちゃん、どんだけ傷ついたか・・・」
すっかり角の取れてしまった裕ちゃんが可愛くて、辻や加護にするように頭を撫でてしまう。
裕ちゃんは少し驚いたようだが、すぐに持ち直して言う。
- 127 名前:Scene12 投稿日:2003年08月19日(火)02時16分57秒
- 「なんだかぁ。圭織、本当に大人になってしもうたんやな、もう好きにしぃ。」
「うん、言われなくても。」
満足そうにグラスの残りを確認し、最後の一口を飲み干す。
「さ、帰ろうか?」
「え、もう?」
「明日、朝早いんや、これがまた。」
「そっか。」
「悪いな、呼び出したのに、バタバタしてもうて。」
「いやいや。こっちこそ、ありがとう。」
─心から。
慌しい中、無理に時間を作ってくれたのだろう。
すでにソロとしてひとり立ちしている裕ちゃんは、私たちだけでは埋まらなかった仕事の穴を一手に引き受けてくれているらしい。
- 128 名前:Scene12 投稿日:2003年08月19日(火)02時17分51秒
- 裕ちゃんは私にタクシーを捕まえてくれたが、先に裕ちゃんを乗せた。
タクシーがすぐ先の信号に捕まる。
それが青に変わるのを見届けてから、逆方向に歩き出す。
アスファルトに残る微かな熱を、夜風が吹いていく。
なっちに言ったことと、裕ちゃんに話したこと。
そのどちらも私の口から出たものだし、私の中にあるもの。
根底にあるものは同じなのだが、現れ方が極端に食い違う気がする。。
- 129 名前:Scene12 投稿日:2003年08月19日(火)02時18分26秒
- 「二人にちゃんと伝わってんのかな・・・」
敢えて口にした言葉が、私のこめかみを締め付ける。
偏頭痛を指で強く抑えこむと、辺りの景色を確かめる。
曇ったコンタクトレンズが白く霞んで輪郭の曖昧な世界を私に強要する。
通行量が少ないことに気付き、今日が日曜だと思い出す。
明日はどうしようか。
何もない日の予定を探すことが、こんなに幸福なことだなんて思ってもみなかった。
- 130 名前:Scene13 投稿日:2003年08月19日(火)02時19分36秒
- 「私たちの仕事ってさ、『夢を売る』って言うよね。それって人に夢を見せることを指してると思ってたの。でもさ、自分の夢を切り売りしてたんだよね。したいこと、やりたいこと、できること。そういうの我慢してるから、人が集まってくるんじゃないのかなぁ。」
「圭織、それって・・・」
「知ってる、ないものねだり。」
そんな会話はなかったのだが、そんな夢を見た。
- 131 名前:Scene13 投稿日:2003年08月19日(火)02時22分45秒
- 裕ちゃんとの会話が、何故か私の中で燻っている。
何していいのか、マジでわかんない。
何を望まれて、何を望んでいるのか・・・
- 132 名前:Scene14 投稿日:2003年08月19日(火)02時23分16秒
- 「あ、ママ?今、平気?明日、そっちに帰るから。」
「なに、帰ってきてほしくないの?私の寝る場所ある?」
「突然すぎる?まあ、そうかもしれないけど。もっと早くに連絡すればよかったね。」
「あ、ちょっと待って。電波悪い。」
「・・・うん、全部終わった。」
「家?とりあえず加護に任せた。」
「そうだよ、一人暮らし。」
「大丈夫だよ。あの子、ああ見えても結構大人だから。事務所も近いし。」
「明日?うん、午前中の便で帰るから。そうだねぇ・・・夕方にはそっちに着くと思う。」
「ゆっくりしてこいって?やっぱ帰ってきてほしくないんでしょ?」
「あはは、わかってる。」
「旅行?それもいいかもね。まあ、気が向いたら。」
「まあ、そうなんだけどね。」
「パパ?いいよ。しばらくはそっちにいるんだし、別に今日でなくても。」
「かももちゃんは元気?」
「そう、よかった。」
「え?かもも、かもも!」
「うん、ちゃんと聞こえてる。」
「じゃあ、明日。おやすみ。」
- 133 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月19日(火)02時24分52秒
-
- 134 名前:Scene15 投稿日:2003年08月19日(火)02時48分50秒
- ウンザリするくらい、仕事に馴染みすぎた空港のカウンター。
今は私一人だけ。
空席を取って、飛行機に乗る。
そんな単純な作業が妙に珍しく、寂しく感じた。
空席だらけの飛行機の窓際の席を取り、荷物を預ける。
モーニング娘。ではない私の、初めての儀式。
搭乗までの時間を持て余し、少し空港内をぶらぶらする。
大した土産も見つからず、搭乗口へ向かう。
その前のボディチェック口。
私の周りにゾロゾロと付いて回った鬱陶しい集団を思い出す。
今は自分のことだけを考えていればいい。
それが私の望んだ世界?
疑問もあるが、気楽さがちょっと嬉しかったり。
- 135 名前:Scene14 投稿日:2003年08月19日(火)02時50分06秒
- 『圭織』
そう聞こえた気がした。
自分で悲しい幻聴を笑い飛ばし、ここを後にしようとする。
「圭織!」
今度は、はっきりそう聞こえた。
列を離れ、振り返る。
息を切らせたなっちが掛けてくる。
私はただ呆然と、一つ一つ距離の近付く存在を信じられない面持ちで眺めている。
「圭織・・・」
大きく息を吸っては吐き、確かになっちが目も前にいる。
「なしたの・・・」
私にはそれだけしか言えない。
誰にも今日発つことは誰にも言ってないし、見送りに来てもらいたくもなかった。
- 136 名前:Scene14 投稿日:2003年08月19日(火)02時50分45秒
- 「いや、今日くらいだろうと思って。」
まだ息の整わない、それしかなっちは言わない。
ぴったりすぎる腐れ縁が、今日はとても嬉しい。
「嘘。さっき事務所の人にこっそり聞いたんだ。圭織、こういう別れ誰にも言わないくせに、一人じゃ寂しがるでしょ?だから、なっちだけでも、と思って。」
当たり前の顔をして、さらっとこういう感動的なことを言ってみせる。
私が、こういうなっちが嫌いなんだ。
大好きだけど。
「ばか・・・」
私にはそれが精一杯だった。
色々残してきたが、本当に、今日で東京はサヨナラのつもりだったのに。
「やっぱね・・・」
「でも、困るんだ、なっちは。勝手で悪いけど、圭織がいなくなると。」
嬉しそうに言うなっちは、少し寂しそうだった。
素直に「ありがとう」と言えたらいいのに。
ここへ戻らなければならない理由ができたような気がした。
「うん、じゃあ、行くね、また、したっけ・・・」
懸命に顔を綻ばせて、そう告げる。
遠くで見たことのある顔が、逼迫した顔でなっちを追いかける。
- 137 名前:Scene14 投稿日:2003年08月19日(火)02時51分23秒
- 「大変だね。また連絡するよ。」
素直になれない私の最大限。
「うん、待ってるよ。」
安心したような、いつものなっちの『笑顔。
「行きなよ。私以上に時間ないっしょ?半年なんてすぐだよ。」
なっちは何か言いたそうだったが、優しく背中を押した。
─ありがとう、すぐにまた一緒になるよ。
そう言いたかったんだ。
これでなっちを少しは理解できたことになる?
そう背中に問いかけて、なっちの引きずられる姿を見送った。
さよなら、東京。
いつか、また。
悔しいくらい、涙は出てこなかった。
- 138 名前:Scene14 投稿日:2003年08月19日(火)02時52分28秒
- 神経質に詰め込まれたジオラマのような街並みを、機体が大きく旋回しながら上昇していく。
たぶん、もうここには来ない。
そんな気がする。
腹の底から息を抜き、目を閉じる。
いつ以来の休みだろう。
オーディションの頃から、一度も休めてはいなかったのではないか。
とにかく、私は解放されたがっていた。
ふと目を外した時には、機体は雲を突き抜け、空と太陽しかなかった。
飛行機はどこまでも上昇していく。
- 139 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月19日(火)02時53分30秒
- またまた申し訳ない。
- 140 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月19日(火)02時54分00秒
- ochi
- 141 名前:Scene15 投稿日:2003/09/26(金) 01:13
- どこまでも続く、抜けるような薄い青の空。
乾いた風に胸が締め付けられるように痛む。
夢で見た、そんな気がする。
けど、違う世界に迷い込んでしまったような気がして、訳もわからず何かを探す。
自分と荷物と知らない人、知ってる景色に懐かしい色のバス。
太陽の光がだだっ広い駐車場に並ぶ車のボンネットにキラキラ跳ねて、目一杯の隙間に吸い込まれる。
足早に用意されている車に乗り込む。
これまでの手順は既にない。
わざわざ空港を出る必要はないのだが、急に外の世界が恋しくなったのだ。
何かいつもと違うことをする度に戸惑う。
酷く偏った部分でしか生きていなかったのではないかと不安になる。
考えるのも馬鹿馬鹿しいと、一つ息を吐き、再び空港に戻る。
エスカレーターを降りて、JRに乗る。
- 142 名前:Scene15 投稿日:2003/09/26(金) 01:17
- 時間のせいもあるのか、乗った汽車は人がまばらで、閑散としていた。
荷物を上げ、窓際の席に落ち着く。
帽子を脱ぎ、少し伏せるようにして髪で顔を隠す。
誰かが開けただろう窓から風が流れ込んでくる。
土と木と街が同じだけ優しい、懐かしい匂い。
ここで生きてきたなら、きっと気付かなかった。
古い夢の記憶が舞い戻ってきたような、不思議な感じに包まれる。
閉じた瞼の先に、色の欠けた私の断片が映像が次々と傾(なだ)れてくる。
進んだり、遡ったり、急に飛んだりと時系列を無視した記憶劇は、ある時点でピタッと停まる。
- 143 名前:Scene15 投稿日:2003/09/26(金) 01:17
- ─────
───
─
春と呼ぶには少し早い三月の晴れた日、強い雪の照り返しと、雪の溶けていく匂いを嗅ぎながら高校の合格発表を見に行った時のこと。
案の定、合格だった。
札幌の教育制度では、ほとんどと言っていいほど、高校受験に失敗することはない。
それは公立と私立で一校ずつしか受験できないということ、その為に学校内で受ける高校を成績順に区切って受験校を振り分けていくからなど、理由はほとんど忘れてしまったが。私の受けた学校は特に行きたいと思っていた学校ではなかった。
それでも人並みに受験の辛酸を舐め、合格の喜びも味わった。
が、どこか憂鬱で、紺色の制服が肩に重かったのをはっきりと覚えている。
- 144 名前:Scene15 投稿日:2003/09/26(金) 01:18
- 長い冬を脱し、春が訪れても気分は晴れないまま、それでも普通に高校生活は楽しめていた気がする。
放課後、女友達を街へ繰り出したり、男の子と授業を抜けたり、バイトでスマイルを無料で売ったり。
ただ、歌いたい、有名になりたいという願望だけが燻っていて、何をしても足りなかった。
足りないまま大人になっていくのが嫌で、満たされないものが増えていくことが悲しくて、苛立ち任せに言い寄る男に体を預けたりもした。
自分が荒んでいくのはきっと、吹き付ける潮で乾いた緑しかない海岸沿いの学校のせいだと、通学路を突っ切ってどこまでも自転車を走らせたが、やっぱり海しかなかった。
自分のいる場所を動かせるのは自分だけなんだと知ったのはずっと後になってからだが、半ば投げやりに応募したオーディションに、私は救われたのだ。
オーディションが進むに連れて私を取り巻く世界が駆け出し、私は懸命にしがみついた。
そして次の春を待たずに、私は憧れた眩い世界へ向け、故郷を離れた。
・
・
・
- 145 名前:Scene15 投稿日:2003/09/26(金) 01:19
-
過去の一点に収束していた意識が音もなく散開し、目を上げる。
終着駅に着いたというアナウンスと流れる人並みに促されるまま車両を抜け、どこまで乗り過ごしてしまったのか、後味の悪い夢に沈んだ心境のまま、看板を探した。
どうやら小樽まで来てしまったらしい。
忘れかけていた多くを思い出した今、何となくあの場所に帰りたくなかった。
目に付いた函館行きの汽車を見つけると、何も考えずに車両に飛び乗った。
ママに、今日は帰らない、と短くメールを打つと携帯の電源を切った。
まもなく汽車はゆっくりと発進し、滑るように駅を後にする。
小樽の中心部を過ぎ、トンネルを抜け、窓枠からの視界が開けると、海岸沿いには茶色く切り崩された崖に点在する色褪せた緑と、ずっと向こうで軒を連ねる新緑に近い山々、そして海が太陽に照られながらじっと佇んでいた。
そして私は逃げるように睡魔の誘うまま、眠りに付いた。
- 146 名前:Scene15 投稿日:2003/09/26(金) 01:20
- ─
次に目を覚ますと、もうどこでもなく、汽車の速度に融ける景色は知らないものだった。
気分はすっきりとしていて、妙な高揚感があった。
白紙の時間と知らない土地にいる状況のせいだろうと思った。
次の駅で降りようと目的もなく決め、頬杖付いて改めて外を見る。
この辺りは昨日は雨だったのだろうか、濁った海に強風が吹きつけ、唸りをあげながら薄汚れた白波を波打ち際に打ちつけている。
この季節でも緑の映えない海岸沿いは荒涼としていて、酷く寒々しいものに思える。
ここで生まれていたのなら、自分は本当に駄目になっていたかもしれない。
環境に左右されやすいのかもしれない。
室蘭も海岸沿いの町だ。
なっちの生まれ育った町を思い出すが、目の前の光景が邪魔をして上手くイメージが像を結ばない。
そういえば、と思い直す。
映画の撮影で行った大磯は自然の綺麗なところだったような気がする。
あそこも海岸沿いの町だったが、潮で掠れたようなイメージはなかった。
私が高校の時に過ごした海沿いの記憶はイメージでしかないのだろうか。
感じている負い目が、薄れていく記憶を塗り替えたのだろうか。
- 147 名前:Scene15 投稿日:2003/09/26(金) 01:21
-
駅を出ると空は夕焼けていて、風が強かった。
幾度かの睡眠でそれほど疲れてはいないものの、今日の移動距離を考えると歩くのが億劫だった。
駅前のこぢんまりとしたロータリーにはタクシーが一台停車してあり、その脇で運転手が退屈そうにタバコを吹かして、まばらな人通りを眺めている。
遠慮がちに声を掛けると、タバコを咥えたまま慌てて運転席のドアを開け、後部座席のドアを開ける。
駅で聞いた旅館の名を告げると、運転手は大した安全確認もせずに車を発進させる。
「お姉さん、東京の人?」
言葉と一緒に吐き出したタバコの煙がフロントガラスに当たり、ぶわっと車内に充満する。
斜めに射し込んでくる陽射しで、煙の粒子がオレンジ色に舞い上がる。
文句を言おうとも思ったが、土地柄、仕方ないと思い、曖昧に頷く。
「やっぱり?そう思ったよ。札幌の人も来たりするんだけど、なんか違うもんねぇ。旅行ですか?」
「・・・まあ、そうですね。」
旅行以外、どう見えるのか聞きたかったが、話し込んでいろいろと突っ込まれるのが嫌だったから、適当に笑顔で応える。
私の愛想笑いが困り笑顔に見えたのか、運転手はバックミラーで私を一瞥すると、真っ直ぐ前を向き、もう話しかけてはこなくなった。
- 148 名前:Scene15 投稿日:2003/09/26(金) 01:22
-
目的の旅館には車を入れるスペースがないということで、路肩でタクシーは停まった。
確かに、入り口へは道路から奥へ伸びる細い小道でしか入れない構造になっている。
車で来た場合は、歩いて2分ほどの専用駐車場に停めることになっているらしい。
旅館の建物自体、程度はあまりいいものとは言えず、玄関には申し訳程度の屋根と、その両脇には小さな松の木が植えられている。
足元のアスファルトのひびには、やはり昨日雨が降ったのであろう、染みが黒く滲んでいた。
これは旅館というよりは民宿だろう、と零れそうになる溜息を飲み込み、安っぽいサッシと単純な模様の刷りガラスの戸を開けるが、鍵は閉まっていた。
少し乱暴にノックしてみると、勝手口と思われるところから世話の好きそうなおばさんが出てきて、今日はやってないのよぉ、と大げさな手振りで申し訳なさそうに言った。
私はこの近くの旅館の場所を尋ね、泊まるところがなかったらまた来なさい、と言うおばさんに丁寧に礼を言って別れた。
- 149 名前:Scene15 投稿日:2003/09/26(金) 01:22
-
時期が時期だけにやっているかどうかわからない、ということだったが、それでも探さない訳にはいかない。
なんでも、この地域の名物は蟹飯だけだということで、観光ツアーでも一時間ほど昼食に立ち寄るだけのパターンが多く、旅館を開くのもシーズン以外は基本的に土日だけらしい。
平日は蟹飯の販売を手伝ったり、パート仕事などばかりで、中には漁に出る人もいるとのことらしい。
幸いなことに、ここいらは旅館の密集した地区で、宿探しにはそれほど困らないということだった。
確かに宿の数は多くないものの、歩いてすぐのところに何件かはある。
しかし、どこもパッと見、営業していないのは明らかだった。
思えば、先程の宿も立地上気付きにくかったが、開いている気配はしなかった。
24時間都市で生きてきた自分が、数時間後にこんなところにいることに違和感を覚える。
異世界に紛れ込んでしまったような感覚に、不安が膨れ上がる。
とりあえず食料だけは確保しようと、少し先に見えた商店へと向かう。
- 150 名前:Scene15 投稿日:2003/09/26(金) 01:23
-
人の名前に商店をつけただけの店名。
店の前には汚れたビールのケースが乱雑に詰まれ、自動販売機にはもう何年も見ていない種類のジュースが売り切れのランプがついている。
ドアを開けるとけたたましくチャイムが鳴り、のっそりと気の抜けたように歳のいったおばあちゃんが出てきて、レジの前に座る。
私を上から下まで舐めるように見ると、興味をなくしたようにレジの奥から繋がっている居間のテレビを見始めた。
じゃりじゃりする黄土色の床は所々ヒビ入って、ちゃんと掃除をしないのか、陳列棚にはうっすらと埃が積もっている。
保存のきく野菜から生鮮品、日用雑貨、花火、酒やスコップまで、店にあるジャンルは豊富だったが、品数はびっくりするほど少ない。
店の半分も埋まっていないのではないかと思えるくらいに。
ほとんど役に立っていないパン棚には、数えるほどしかパンが置いてない。
そのどれもがパンの水分で袋が張り付いている。
もちろん、おにぎりなんてものは置いてない。
パンの賞味期限を確かめるのも恐ろしく、お菓子で凌ごうと考える。
時折感じる、じとっと私を見つめる視線に居心地が悪かったが、腹に溜まりそうなものを選び、さっと会計を済ませ、店を出る。
外は既に暗く、疎らにある電灯の間隔がやけに遠く感じた。
- 151 名前:Scene15 投稿日:2003/09/26(金) 01:24
- ─
やはり宿は見つからない。
世の世知辛さ、というよりむしろ、田舎の現実を目の当たりに痛感する。
いつからか便利が常識だと慣れてしまった自分の非常識さを。
シーズンオフのセミ観光地、活動しないモーニング娘。
歩きに歩き、受け入れられない虚しさ、悔しさ、無力感。
私は知らない。
努力は報われるものだと信じていた。
だからこそ、愛のない世界は存在し得ない。
そんなものは成功者の論理だと身を持って知り、自分の生きてきた地盤の緩さが恥ずかしい。
どうしようもないこともある、そんなことは知っていたが、身を持って知らされ、理解した。
最初の宿のおばさんの笑顔が過ぎるが、振り払う。
タクシーで千歳まで行き、東京まで戻ろうかとも考えた。
磯の馨が強い。
意図せずして、海の方へ向かって宿探しをしていたようだ。
自棄になって、自販機で持てるだけのワンカップ酒と煙草一箱を買う。
飲んで自分をなくさなきゃ、辛くて仕方がなかった。
- 152 名前:Scene15 投稿日:2003/09/26(金) 01:25
-
のろのろと海岸まで辿り着き、おもむろにカップ酒の栓を切る。
腰を下ろすと深く沈む砂の感触が嫌だった。
風が強く、都会の喧騒とはまた違った、不快ではないざわめきが耳に残る。
ぐいと一口呷る。
勢い余って中の酒が零れてしまうが気にしない。
苛立ち任せにカップを放る。
巻き散る酒が放物線を描き、その軌跡に独特の香りを残してく。
波打ち際ギリギリに届いたのか、中途半端に海が跳ねる音がする。
そして、自販機で買った1mgの煙草を咥え、鞄の中からマッチを探す。
いつも携帯している鞄に、裕ちゃんと飲んだ時の店で貰ったマッチがあるはずだ。
かばんの中身をひっくり返したい衝動を抑えながら、大きな鞄の小さな箱を探す。
濃い緑の、電話番号しか書いていない、シンプルすぎるマッチの感触が寂しかった。
強風で思うように火が出ない。
三本目でやっと火がつき、二本目のカップ酒を開ける。
一人で餃子食べてビール飲む圭ちゃんのこと、笑えないな。
頬が引っ込むほど強く煙草を吸い、言語を伴わない叫びと共に吐き出す。
痛む喉が心地よかった。
乱暴に酒を呷り、顔に纏わり付く髪をかきあげる。
やさぐれた22間近のいい女が、海岸に一人。
こんなことをしたくて、急ぐように東京を離れたのか。
- 153 名前:Scene15 投稿日:2003/09/26(金) 01:25
- 黒い海は意志を持ったかのように蠢いている。
上弦の月が雲に微かな光を与え、夜を彩る。
沿岸がぼんやりと暗く浮かび上がり、どこかの灯台の灯が思い出したように海岸の端で存在を誇示するようにグルグルと這いずり回る。
尋常ではない数の星が瞬き、雲の切れ間から月が顔を覗かせる度に私の視界でゆっくり、永遠に思える時の中で明滅する。
ワンカップの中身を飲み干し、先程の商店で買ったさきいかを掴み、強引に口腔へ捻じ込む。
行儀悪く租借しながら、そのまま寝転がる。
流れ星を見たいと、できるだけ視野を広く星空を眺める。
早いペースの酒のせいで鼓動が強く、途端にこめかみの辺りが痺れ、眠気がひっきりなしに私を襲う。
必死に睡魔と戦っていると、視界の右端に瞬いていた小さな光が落ちた。
流れ星を流れ星と認識する間もないくらいの、短い瞬間。
諦めた私は目を閉じ、意識も閉じた。
- 154 名前:名無し読者 投稿日:2003/10/01(水) 10:59
- 文章もなかなかだし、淡々とした世界観が良いです。
飯田メインの小説って少ないから注目ですね。
- 155 名前:Scene15 投稿日:2003/11/06(木) 05:03
- ───
──
─
次に目覚めても、この世界は夜に覆われていて、時間の感覚が狂う。
眠ってばかりいるような気がする。
唸るように痛む頭をおさえ、ふらふらと立ち上がる。
黒い海に、暗い夜。
私は今、どこにいるのだろう。
はっきりしないが、いつからか私を纏う、掴めない何かが見えてくるような気がした。
私の中の、ここで感じる異世界が、これまで生きてきた場所の歪みを見せようとしてくれているのか。
私を時折照らす、グルグルまわる灯台のように、断続的に傷む頭が生理的に水を欲す。
恐怖で海までいけない。
海水なんて飲みたくもないし。
意味なく咳払いを一つ、喉に絡んだ唾を下品に吐き出す。
タバコに火をつけ、一口吸うと、すぐに嫌になり、砂浜にねじ込んだ。
まだ頭がぼんやりしている。
酔いは遠のいていたが、その延長線上にいるのは間違いない。
相変わらず、私の視界は闇が支配していて、それがどこまでも続くように思えた。
揺らめく海がかろうじて灯台の光を受け、異様な存在を誇示している。
- 156 名前:Scene15 投稿日:2003/11/06(木) 05:03
-
思考や五感が眠りから開放されるが、未だ現実を認識できない。
それもそうだろう。
私には現実なぞ、何一つ存在していないのだ。
いつからか、影のように潜んでいた、私の中にあった違和感や不一致、安定しない感情の正体が、姿を現しそうな気がする。
私は愛の産物なのだ。
自ら夢に身を投げ打り、その夢が少し大きくなり、それは『なにか』に取り込まれ、形を帯び、現実を持った。
夢を形にした私がいるのではなく、私自身が夢を見たまま、夢に囚われたまま、ただひたすらに現実と格闘しているだけなんだ。
面白おかしく見せるだけの事実に嘆き悲しみ、翻弄され、打ちひしがれ、真っ直ぐに立とうとする。
浅い夢ではないが、私にある現実は、大きく抗えない。
どこか地に足のつかない私は、夢を見たまま、夢を叶えたような現実を手にし、それを誇ろうと必死にもがいている。
そこに疑問を感じ、振り返ろうとも、剥がそうとも、どうにもならない。
私は現実でもある夢を生き続けるんだ。
それは、御伽話の主人公として、今にスライドさせようとしているに近いのかもしれない。
生の実感も薄く、ただふらふらと、いつもどこかでぷつりと切れてしまう安心を恐怖を抱え、何をしていてもどこか上の空で嘘くさく、自分の大好きな部分だけを切り貼りして生きていくのかもしれない。なに一つ真──
- 157 名前:Scene15 投稿日:2003/11/06(木) 05:04
-
「お嬢さん」
しゃがれた声が聞こえたのは、ちょうど灯台の灯火が私を射したときだった。
あまりに突然の出来事に、全て止まってしまう。
唖然とし、背中に嫌な悪寒がひっきりなしに走り、息が詰まる。
鼓動がありえないくらいに速く高く鳴る。
マイナスばかりに想像が加速し、傾き、振り返ることができない。
軽はずみに、こんな深夜に、こんなところにいる自分に腹が立ち、後悔していた。
「いや・・・」
私の警戒が意外だったのか、声の主も次の一歩を躊躇っている。
肩口辺りから声の主までの間に、鼓動すら感じられそうな緊張が停滞する。
私の恐怖と、声の主の躊躇が、ぱりりと二人の間を凍りつかせる。
波は相変わらず轟々と寄せては返し、気を使うように隠れていた月が顔を覗かせた。
月明かりに浮かんだ私の手が震えている。
- 158 名前:Scene15 投稿日:2003/11/06(木) 05:05
-
このまま黙っていては進展もなく、立ち去ってはくれないだろうと判断した私は、つま先に力を込め、ゆっくり、本当にゆっくりと振り返る。
180度回った視界の先には、背の低い、それでもがっちりした体格の老男性が立っていた。
背筋のきちんと伸びた、しゃんとした立ち姿だった。
「ここじゃ寒いでしょう。よかったら、私の家に来なさい。」
それだけ言うと踵を返し、海に背を向けて歩き出した。
しゅるしゅると気の抜けてしまった私は、あっけに取られたまま荷物を手に取り、誘われるがままに後を追った。
それは無骨ながらも、老人の声が優しく、どこか懐かしい気がしたからなのかもしれない。
国道へと続く道の途中で古ぼけた軽トラが停めてあり、老人は目を瞑って運転席に座っていた。
足音で私が来るのを認めると、老人は黙って助手席のドアを開ける。
「失礼します。」
車に乗ると、すぐに車は発進に、慌てて私はシートベルトを締める。
老人は、シートベルトを締めていない。
ハンドルの左脇にシフトレバーがあるタイプのマニュアル車で、不安定なエンジン音から、その年季の古さが窺える。
- 159 名前:Scene15 投稿日:2003/11/06(木) 05:05
- 「あの・・・」
そんな私の恐る恐るの声に、心配ない、と言うだけで、取り付く島も与えてはくれない。
車は海岸沿いの一本道をゆっくりと走っていく。
道路沿いにわずかばかりの民家が密集した地帯を抜けると、あとは潰れているのか、閉まっているだけなのか、どうにもわからない飲食店があるだけで、何もない田舎道だった。
何も考えずに車に乗ってしまったことを後悔していた。
何をされるというわけでもなさそうだが、それでも恐怖や不安は拭えない。
そっと運転席を覗き見ると。口を真一文字に結び、額と目尻に深く刻まれた皺に隠れた目は真っ直ぐに前を向いている。
腕が太く、歳は70を過ぎているだろうが、そうは見えない隆々とした腕がハンドルを握りなおす度に、薄い皮膚に覆われている筋肉が盛り上がる。
私の視線に気付いたのか、老人も私を向く。
目が合ったが、すぐに老人はそっぽ向き、そのまま前を向いてしまう。
気難しそうな感じはするが、悪い人ではないだろうとタカを括る。
堅いビニールのシートに身を埋め、目を閉じる。
広い間隔で点在する街灯が閉じた視界を流れる度、交互に不安と安堵が入れ替わった。
程なくして、車は一軒の家の前に停まった。
カーテンのない、煌々とした部屋の明かりの中に、優しそうなおばあさんが見える。
- 160 名前:Scene15 投稿日:2003/11/06(木) 05:06
-
周りにはほとんど何もなく、鬱蒼と茂る草木が息を潜めている。
そう遠くない位置から、波の音が聞こえる。
窓から漏れる明かりだけが、唯一、人の生見を感じさせてくれた。
乱雑にガラス戸を開けたおじいさん。
その肩越しに、バタバタと掛けてくるおばあさんが見えた。
「よく来たねー。この人が、海岸に誰かいる、なんて言うもんだから。私はやめときなさい、って言ったのにさ、この人ったら、聞かないんだから。でも、よかったわぁ。アンタみたいな人の良さそうな人で。それにしても、綺麗ねぇ。何しに来たのさ、こんなとこまで。何もないとこなのに。」
身振り手振りを交えながら話すおばあさんに、私は心底安心した。
少なくとも、悪い人ではなさそうだ。
おばあさんといっても、まだまだ若く、言葉もはっきりしていて、背筋も伸びている。
- 161 名前:Scene15 投稿日:2003/11/06(木) 05:06
-
とりあえず風呂に入りなさい、というおばあさんの言葉を有り難く受け、浴室へ向かう。
この家は小ぢんまりとしているが、整理整頓されていて、窮屈な感じがしない。
居間と台所が続いていて、浴室は台所の隣にある。
居間と浴室に接するようにもう一部屋あり、薄く空いた襖の向こうに仏壇が見えた。
そこに布団も敷いてあり、寝室と兼用しているのだろう。
浴室に入る寸前、おばあさんに呼び止められ、浴衣を手渡された。
少し湿った感じのする脱衣場にはボイラーが置いてあり、羽音のような機械音をさせながら稼動している。
服を脱ごうと、着ていたジャケットに手をかける。
「そこ、ドアに鍵ついてるから、ちゃんと閉めるんだよ。」
すぐ近くからのんびりした声が聞こえ、はっと振り返る。
ドアの摺りガラス越しに、おばあさんが流しに向かっているのが見える。
私はジャケットを置いてあったハンガーに掛け、それでガラスを覆った。
- 162 名前:Scene15 投稿日:2003/11/06(木) 05:06
- 浴室は一面、淡い水色のタイルで、所々欠けている。
湯船は狭く、深い。
かけ湯をしてから、一気に飛び込む。
逆立つように血が頭まで上り詰め、瞬間、視界が白くぼやける。
目を閉じ、大きく息を吸って吐く。
深呼吸を繰り返していると、次第に鼓動は落ち着き、酒が抜けていくのを感じた。
さっき言われた、『それにしても綺麗な人ねぇ』というのが引っ掛かっていた。
そうあるように気をつけてはいるが、普段はあまり綺麗だと言われていない。
たまにメンバーが雑誌か何かで言っていても、思い出したように言われるくらいでは、何故だか褒められているような気がしない。
顔の輪郭を手で確かめ、湯船に揺れる自分の裸の体を見る。
「やっぱ、いい女じゃん。」
久しく、自分を本気でそう見ようと思っていなかった。
おふざけ半分の言葉では、本心でそう思っていても、自分にすら伝わらない。
高めについてある窓からの隙間風が、少し濡れた髪を冷やす。
ゆっくり首まで浸かるのも中々ないと、狭い湯船で精一杯体を伸ばす。
- 163 名前:Scene15 投稿日:2003/11/06(木) 05:07
-
お風呂から上り、浴衣を着て居間に通された私は、素晴らしい待遇を受ける。
海の匂いに溢れた汁物と、刺身、その他いろいろと海の幸。
そして、ごはんがとても美味しかった。
話し好きの奥さんに、だんまりを決め込む旦那さん。
腕を組みつつ、よくわからない魚の刺身をツマに、冷酒をちびりちびりやっている。
さっさと寝室に篭らないのは、一応は歓迎してくれているものだと受け取った。
「どこから来なすったの?」
詮索好きのおばあさんに、言い逃れはできないだろうと、心を決める。
「東京です。」
おばあさんの目の色が変わる。
「あらー、東京かい。じゃあ、旅行?いいわねぇ、若いときの一人旅は。仕事は?ちゃんと生活できてるの?あそこは人が多くて大変でしょう。私もね、若い頃に一度行ったことがあるんだけど、なんせ、人が多くてねぇ。すぐ嫌になっちゃったよ。ここで静かに暮らすのが一番。」
私は脈絡ない、通り一遍等の話を整理しながら、ひとつひとつ返していく。
「旅行というか、帰省で。札幌出身なんですけど、何となく違うところに行きたくなっちゃって、まっすぐこっちの方に。東京は人が多いの大変でしたけど、さすがに慣れました。一応、生活もできてますし、毎日、楽しく暮らせてますよ。」
嘘ばっか。
知らない人に自分を話すとき、半分くらいの自分は見えてくる。
言えること、隠しておきたいこと。
恵まれてはいるだろうが、少なくとも満足はしていない。
楽しくないわけではないが、浮かれ調子の内側に、必ず溜息をついている自分がいる。
やりたかったことは、せかしさに紛れて消えてしまった。
声を出すこと、音に身を委ねることだけが、どうにか今の自分を取り持っている。
- 164 名前:Scene15 投稿日:2003/11/06(木) 05:07
- 「それはよかったねぇ。私たちにもあなたくらいの娘がいるんだけど、歳の離れた親子でね、結構大変だったのよ。」
食事を頂きながら、黙って聞いている私を見ながら、おばあさんは話を切らずに続ける。
「して、東京に出るって言ったっきり、連絡すら寄越さないんだから。この人が絶対反対でね。喧嘩別れみたいな形で、高校卒業と同時に東京に行っちゃったのよ。この人も、あんな娘は勘当だ、なんて言っちゃって。娘は娘で、なにをしたいのか、どうやって生活してるのか、わかったもんじゃない。・・・あなたは反対されなかった?」
おじいさんは、黙ってお猪口を口元に運び、そして目を閉じる。
「反対はされましたよ、もちろん。でも、私が強引に──」
「親御さんとの関係、今は?」
初めておじいさんが口を開く。
「最終的には認めてくれました。必死に説得しましたし、私の頑張っている姿を見ていてくれて・・・」
──今では、私の一番のファンです。
言い淀んだ。
モーニング娘。の飯田圭織ではいたくなかった。
おばあさんは少しだけ首を傾げ、おじいさんは唸ったきり、黙ってしまった。
- 165 名前:Scene15 投稿日:2003/11/06(木) 05:08
- ──
一通り、腹も膨れ、私の箸が止まる。
頃合を見計らったおばあさんが、
「じゃあ、そろそろ寝ましょうかね。一応、部屋の用意はしてあるから。来るかもしれないから、ってこの人が。何もないところでしょう?平日は、旅館も空きが少ないだろうし。さ、行きましょう。」
案内されるがままに階上へ向かう。
狭くて急な木製の階段が、歩くたびにギシギシと鳴る。
「ごめんねぇ、なんか色々と聞いちゃって。」
「いえ、とんでもない。泊めて頂けるわけですし。正直な話、困ってたんですよ。」
「あら、それはよかったわ。お節介にならないか、心配だったのよ。ほら、私たちってこんなでしょ?ぶすっと黙り込んだ亭主と、おしゃべりな私でしょ?たまにお父さんが旅行客を連れてきたりするんだけど、いい顔しない人もいるのよ。あなたはよかったわ。本当に。」
「それにしても、綺麗ねぇ。本当にモデルさんとかじゃないの?」
階段を登りきったところで、振り返ったおばあさんが、再び尋ねる。
「はぁ。今は渋谷で青汁売ってます。」
ごめん、圭ちゃん。
おばあさんは目を丸くして、気まずそうに言葉を搾り出す。
「それがあんたのやりたかったことなのかい・・・」
いい答えが見つからない。
「ええ、まあ。・・・遠回りもしましたけど、人に多く接することができますし、それが人の健康のためにもなるので。」
それも立派な仕事よねぇ、と感心と驚嘆の入り混じった顔をしていた。
- 166 名前:Scene15 投稿日:2003/11/06(木) 05:09
- 案内されたのは、恐らくは娘さんが使っていただろう部屋だった。
畳を渋い藍の絨毯で隠し、全体的にシンプルに纏まっている。
娘さんが家出した当時の、そのままの形で残っているのだろう。
手入れが行き届いていた。
「ごめんなさいね、娘の部屋で。もう5年も帰ってこないもんだから、この部屋を使って頂戴ね。」
この部屋の他に、二階にはもう一部屋あった。
それだけに申し訳なく思ったが、有り難く善意を受け取ることにした。
部屋の隅に荷物を置き、黒いパイプベッドに腰掛ける。
「あのね、実はね。娘から、私だけには連絡あるのよ。たまーに、だどね。元気だって連絡と、金の無心なんだけど。原宿ってあるでしょ?そこの美容師として頑張ってるみたいなの。だから、私も応援せずにはいられないのよ。娘もお父さんの変なとこが似て、変に頑固で意固地なところがあるから。それにね、遅くにできた子だから、色々難しいのよ。未だに若いいんだけど。二人とも、きっかけを待ってるだけなのよね。娘は娘で一人前になるまでは帰らないって言うし、お父さんはあんなでしょ?まあ、余計なことだわね。じゃあ、ゆっくりお休みなさい。明日はどうするの?」
私は帰る旨を伝え、朝には駅に送ってくれるという約束を貰った。
久しぶりの損得のない人の善意に触れ、私は心の底から安らかに、そして深い眠りについた。
- 167 名前:Scene15 投稿日:2003/11/06(木) 05:10
- ──
朝、朝食を食べさせてもらい、おじいさんの車で駅に送ってもらった。
見送りに玄関の外まで出てくれたおばあさんに、一瞬、財布に手が伸びかけた。
が、好意を台無しにしてしまうのではないかと思い止まり、お礼だけで済ませた。
いつも使っている『ありがとう』が、こんなに気恥ずかしいものだとは思わなかった。
おじいさんは既に海に出た後だということで、疲れ果てた感じはしたが、それでも文句も言わず、仏頂面のまま、私を駅まで送ってくれた。
相変わらず、無言の車内。
シフトチェンジのレバーの音と、エンジンの音が沈黙を呼ばない。
見たことのある景色に近づき、駅も近いと感じた頃、おじいさんが唐突に口を開いた。
「あの・・・その・・・・・・なにかね・・・。娘は、娘というものは、反発しても応援してもらいたいものなのだろうか。できれば、認め・て・・・」
軽く一つ咳を払い、言葉を濁す。
それが妙に可愛く思えて、私の中にイタズラ心が芽生えた。
腕を組んで俯き、ひたすら黙る。
おじいさんは気まずそうに運転をしている。
- 168 名前:Scene15 投稿日:2003/11/06(木) 05:10
- 車は駅のロータリーの片隅に停車し、おじいさんがドアのロックを解除する。
私は、ドアを開け、車を降りようとする。
「あの──」
「娘さん、きっと待っていると思いますよ。どんなに反発し合ったって、娘は親に認めてもらいたいものです。お互いに恥ずかしいかもしれませんが、話だけでも黙って聞いてあげてください。喜ぶと思いますよ。」
初めておじいさんの笑顔を見た。
それは拙かったが、心の底から浮き出てくるような、美しいものだった。
そして、おじいさんは窓から手を上げ、やはり無愛想に車を発進させた。
名前を聞くのを忘れた、と思ったが、こんな場合に名前は大した重要でもないと思った。
素敵な人たちの善意が、ただただ嬉しかった。
私は車を見えなくなるまで見送り、駅の構内へ入る。
運よく10分もしない内に札幌行きの汽車がホームに滑り込み、私は晴れやかな気持ちでタラップを踏んだ。
諸手を挙げて私を応援してくれる、お父さんの晩酌に付き合ってみようと思った。
そして、心から『ありがとう』を言おうと思った。
オフにしていた携帯の電源ボタンを強く押した。
- 169 名前:Scene15 投稿日:2003/11/06(木) 05:18
- >>154
感想、ありがとうございます。
書き始めた時から話はできているのですが、中々進められない力量が現実です。
できるだけテンポよく更新するつもりはあるので、たまに覗いてみて、つまらない部分は指摘してやって下さい。
- 170 名前:Scene16 投稿日:2003/11/09(日) 04:16
-
喪服姿の神妙な顔した能面たちが、目の前を往来していく。
やはり喪服姿の母は、あちこち忙しそうに動き回っている。
制服を着た妹の智美は呆けたように立ち尽くし、やがて泣き崩れた。
ぽつんと紛れ込んだように佇むかももは、状況を理解してはいないだろうが、それでも悲しそうな瞳を隠さず、祭壇の前に伏せた。
坊さんのお経が緩やかに部屋に渦を巻き、その隙間を埋めるように、尋問に来た人たちの風音が外に抜けて行った。
祭壇に飾られた菊の花は、ただの色として、立ち込める線香の匂いは、ただの匂いとして、それだけだった。
とりあえず着せられた喪服は、サイズが小さかった。
私は黙って事が過ぎていくのを、ただ見ているだけでよかった。
時折、私に声をかけてくる人に、黙ってお辞儀する。
- 171 名前:Scene16 投稿日:2003/11/09(日) 04:17
- 淡々と進んでいく葬儀をぼんやり眺めていた。
不思議と悲しみはない。
「やめてください。ご遠慮願います。」
声のする方を見ると、強烈な光が、視界を一瞬オレンジ色に染め上げる。
光源には、こちらを覗き込むようなカメラと、無遠慮にマイクを突き出す若い女。
そして、それを制す叔母がいる。
参列者が野次馬ともつかない塊になり、俄かに場の空気が熱を帯びる。
喪服姿の神妙な顔した能面たちが、目の前を往来していく。
やはり喪服姿の母は、あちこち忙しそうに動き回り、額に浮かんだ汗を拭う。
制服を着た智美は泣き疲れたのか、私の隣で俯き、しゃくりあげている。
祭壇の前に伏せたかももは、顔を上げ、寂しそうに一つ鳴く。
坊さんのお経が緩やかに部屋の中で渦を巻き、その隙間を埋めるように、尋問に来た人たちの風音が外に抜けて行った。
黒い額縁に囲まれた父が笑っていた。
- 172 名前:Scene16 投稿日:2003/11/09(日) 04:17
-
通夜は滞りなく終わり、極近い親族で夜とぎが行われる。
私が黙って座っている間、親族が率先して動いていてくれたのだろう。
誰もが皆、一様に疲れた顔を隠せないでいる。
私に蝋燭と線香の番をやらせて欲しい、と頼むと、誰も反対はしなかった。
祭壇の前では、蝋燭の明かりが静かに揺らめいている。
棺の前に座布団を敷くと、薄暗闇に浮かぶ父と真正面に向き合う。
「いろいろ話したいこと、あったはずなんだけどね。」
いざとなると見つからない。
私とパパの間に、静々と時が落ちていく。
棺の中のパパは穏やかな寝顔だったが、その顔は年輪を刻んでいた。
思えば、寝に帰るばかりの帰省だった。
注意深く家族の変化を見ようともしていなかった。
ママも私が大人になった分だけ歳を重ねていたし、妹にしてもずいぶん大人びてきている。
パパがいなくなるわけなんてないと、そう思っていた。
当たり前にあったものが剥がれていく。
そんな人生を送っているはずなのに。
頑張っているという自分を見てもらうだけの、手前勝手な親孝行で終わってしまった。
- 173 名前:Scene16 投稿日:2003/11/09(日) 04:18
- ふとパパが生前、好んで吸っていたタバコが供えてあるのを見つけ、封を切る。
パパなりのこだわりなのか、ソフトケース以外のタバコを吸おうとはしなかった。
たまに見る、ポケットで潰れてくしゃくしゃになったタバコが、貧乏臭く見えて嫌だったことを思い出す。
「マナー違反かもしれないけど、いいよね。」
蝋燭で火をつけ、線香の隣に立てる。
もう一本取り出し、今度は自分で吸う。
咳き込むと、パパのタバコがぼうっと紅く光り、線香に伸びた灰が崩れた。
タバコの先端から立ち昇る煙が、どこか意志を持ったように舞い上がる。
「こんな娘、嫌だよね。」
手に持っていたタバコも、先程と同様に立てた。
- 174 名前:Scene16 投稿日:2003/11/09(日) 04:18
-
しばらくして襖が開き、ママが入ってくる。
つつと私の側まで寄り、言う。
「圭織、疲れてるでしょ。ここは私に任せて、もう寝なさい。」
どんなに大丈夫だと言っても、ママは頑として聞き入れない。
──大丈夫だから。
──任せて。
そう繰り返すママの目は、どこか狂気染みていて、吸い込まれそうになった。
最後の夜くらいは、パパと二人で過ごしたいのかもしれない。
私は黙ってその場を後にした。
- 175 名前:Scene16 投稿日:2003/11/09(日) 04:19
- ──
翌朝、空は私たちを嘲笑うかのように澄んでいる。
所在なげに浮かぶ、真っ白な雲がゆっくり流れていく。
火葬場に着くまでの車が、ずいぶん長く感じた。
未だにパパが死んだなんて信じられなかった。
それはあまりに突然な事故のせいかもしれない。
まっすぐ実家に戻ったとしても、父には会えなかった。
家に帰る途中に事故に会ってしまったのだから。
夕暮れ時だったらしい。
いつもより早めに家に向かったパパは、気分よく家に向かっていたのだと思う。
路上駐車の車の陰から飛び出してくるスクーターに気付かなかった。
浮かれていたのだろうか。
事故の怪我自体は足の骨折程度だったらしいのだが、運が悪かったのだという。
ふらふらとよろけながら倒れた父は、頭から落ちた。
倒れる寸前についた足が骨折した方だったらしく、勢いがついてしまった。
頚椎骨折で即死。
運が悪かったとしか、他に言いようがない。
- 176 名前:Scene16 投稿日:2003/11/09(日) 04:19
- 今朝、父を跳ねたスクーターが見つかったと連絡が入った。
盗難車らしく、犯人の特定は難しいらしい。
この轢き逃げ犯が見つからなければいいと思った。
憎しみは消えない。
だったら、その対象を見つけたくはなかった。
- 177 名前:Scene16 投稿日:2003/11/09(日) 04:20
-
パパが焼かれ、煙になった時、初めてその死を実感できた。
灰と脆い骨になった父を見て、誰もが涙に咽ぶ中、私は薄く笑んだ。
死がここにあって、パパの肉体がなくなった。
- 178 名前:Scene16 投稿日:2003/11/09(日) 04:21
-
告別式を終えると、ママは泥のように眠った。
パパが事故にあった夜から、一睡もしていなかったらしい。
このまま後を追ってしまうのではないかと、私も智美も不安になったりしたが、呼んだ医者が言うには、ただの過労だった。
一時でも現実を忘れるため、パパに会うため、次に目覚めたとき、生きていくため。
規則正しい寝息をたてるママ。
ママの枕元に座っているかももの眼は、今にも涙が零れ落ちそうなほど、潤っている。
- 179 名前: 投稿日:2003/12/23(火) 03:27
-
- 180 名前:Scene17 投稿日:2003/12/23(火) 03:28
- 初七日を終えると、生活は日常を取り戻した。
妹は学校へ行き、ママは忙しなく家の中を動き回る。
何もすることがない私は、基本的にかももにべったりで、かももが私と遊ぶのに飽きると本を読んだ。
ママの家事を手伝おうとも思ったが、何かを吹っ切るように仕事を見つけては、それに没頭する母の姿を見て、言い出せずに終わってしまった。
私に割り当てられているのはかももの散歩くらいで、それも小型犬の相手、大した労働ではない。
ほとんど私の歩調と同じペースでかももはその足を懸命に回して走り、時折立ち止まっては、神経質に道の匂いを確かめ、自分の匂いを残して満足そうに再び駆け出す。
私はそれを黙って見ているのだ。
かももにも自分のペースがあるらしく、夕暮れ時にならないと外に出たがらない。
仲のいい犬と散歩途中にかち合う時間帯を経験で知っているらしく、その時間になると紐を咥えて私のところに来ては、散歩に連れて行けと催促した。
その仲のいい犬の飼い主は50を過ぎたばかりだろうか、のんびりした感じの太った中年女性で、いつもにっこりと微笑んでくる。
目深に被っていた帽子を、いつの間にか脱いでいる自分がいた。
夕陽が傾く時間帯の川辺は美しく、ほとんど流れのない大きな河の水面に、焼けてしまいそうなオレンジがおぼろげな形を作り上げる。
乱雑に整えられた沿道の草木の陰が長く伸びて、かももは夕陽を見つけると、そこに飛び込まんばかりの勢いで駆け出す。
そんな日々が続いていた。
それほど体力を使うわけでもなく、眠気もやってこない。
次第に生活は夜へと傾き、ローカルの深夜番組をぼんやり眺め、明け方まで本を読み、昼過ぎに目を覚ます。
家族が一堂に会するのは夕食時だけで、ママも買い物に行っていれば、夕食まで会うことはない。
- 181 名前:Scene17 投稿日:2003/12/23(火) 03:28
- 変わらず、ママと妹は夜寝て、朝早くから動き出す。
それは私がいてもいなくても変わらない。
気がつかなかったが、もう何年も私のいない生活が成立していたのだ。
ただいるだけの私の居場所はないのかもしれない。
そんな事を考え、ママの家事の合間を見つけて、切り出した。
「また一人で暮らそうと思うんだ。ここにしばらくいようとも思ってたんだけど、甘
えてもいられないし。」
「別に気にすることないのに。」
「もう決めたから。」
「そう、また東京に?」
曇った顔に、ほんのちょっと安堵を垣間見た気がした。
たぶん、私がひねくれているからだろう。
「いや、家はもう加護に預けてあるから。札幌に家を探す。そんな長い間もいられな
いだろうし、すぐ見つかるよ。」
「そんなことしないで、ここにいればいいのに。」
適当に理由を話すと、ママはそれ以上引きとめはしなかった。
その五日後、私は実家から車で30分ほどの所に越した。
- 182 名前:Scene17 投稿日:2003/12/23(火) 03:28
-
数年前には蛍が発見されたと、不動産屋が営業口調で言っていた、街の中心部からバスと地下鉄で一時間ほどの、山の合間にある小さな住宅街。
ふと耳をそばだてると川のせせらぎが聞こえてくる。
玄関を出ると、採掘場だった山が眼前に痛々しく聳え、それを囲むように深緑の山々が連なっている。
三階建て以上の建物はなく、一帯が緑に覆われている錯覚すら覚える。
着替えと鍋一つに、近くの大型スーパーで注文した小型TVと簡素ですぐ壊れそうなパイプベッド。
かももも連れて行こうと思っていたのだが、ママは手放したくないらしく、わざわざかももの生活を変えることもないだろうと、黙って引き下がった。
こうして、私はパパの喪失を消化しきれないまま、故郷札幌で、また新しい生活を始めた。
- 183 名前:Scene17 投稿日:2003/12/23(火) 03:29
-
目を閉じると、鼓動と呼吸音が確かに感じられた。
そして、川のせせらぎと、気まぐれに吹く風が揺らす木々のざわめき、田舎独特の間の抜けた生活音。
小さで静かな、それでいて今までの生活との大きなズレを感じさせない時間の流れ。
その中でじっと身を落ち着かせることで、私は急速度で駆け抜けてきた代償に失ってしまった時間を、これまで気がつかなかった安らぎを、すかすかで隙間だらけの心を詰めていく。
こんな『何もしない』という作業が、今までどれだけ足りなかったことだろう。
そういう時間を、できる限り作ってきたはずなのに。
喜怒哀楽という、至ってシンプルな人間の感情が私の周りを渦巻き、そしてゆっくりと蓄えられていく。
- 184 名前:Scene17 投稿日:2003/12/23(火) 03:30
- 何もない時間が続くと、内へと流れていた力は、自然と外へ向かおうとする。
私は極自然に、そうすることが当たり前のように、思い腰を上げた。
車の免許を取った。
ただ時間を持て余しているだけの私は、恐ろしく速いペースで免許を取れたらしい。
形見分けというわけではないが、廃車にするかどうか懸念されていた父の車を貰い受けた。
ナンバーが二つも三つも前の形式の、白いセダン。
煙草の匂いの染み付いた、窪んだシートが、妙にぴったり私に決まった。
少しギアの固くなった古いマニュアル車が、私の愛車になった。
札幌の道は広く、交通量は東京のそれに比べ、格段に少ない。
初心者の私でも臆することなく、公道での運転に慣れることができた。
比較的交通量の多い中心部を避け、一日のほとんどを運転席で過ごした。
行動範囲が広がったことで、知らない地元の一面を多く知った。
しばらく乗り回して、飽きてしまい、やめた。
再び、じっと身を横たえるだけの生活に舞い戻る。
時間の経過がおおよそなくなった頃、今の生活に疑問を感じなくなった。
思えば、娘。としての私が始動してからは、ただ受け入れ続けるだけだった。
私がしたことは、オーディションの応募をしただけ。
あとは指示されるまま、望まれるまま、人任せ。
CD5万枚を売れと言われれば、チャンスを掴もうと勇んで手売りし、モーニング娘。とタンポポの結成を心から喜び、タンポポの再結成をただ受け入れるしかなかった。
- 185 名前:Scene17 投稿日:2003/12/23(火) 03:30
-
こんな生活がいつまでも続いていくのか、わからない。
いつかこうありたいと願った生活から遠くないし、方向はあっている。
家探しの旅なんかを計画した事もあった。
いつかは自給自足の生活をして、悠々とした老後を夢見ていた。
山と海に囲まれた、四季の美しい村。
ツアーで地方に行く度、どこか私の希望に近い土地はないものか、目を光らせていたものだった。
しかし、新幹線とスモーク張りの大型ワゴンの移動では、何を見つけられるものでもなく、次第に移動は睡眠の穴埋めをする時間になってしまった。
知らぬ間に頭の隅に仕舞い込んであった記憶が、次々と浮かんでは消えた。
- 186 名前:Scene17 投稿日:2003/12/23(火) 03:31
-
のらりくらりと日々を送り、パパの四十九日を迎えた。
久々に顔を見せた私にママは、
「近くに住んでるんだから、たまには顔を出しなさい。」
懐かしい、パパが亡くなる以前と変わらない口調で、小言を言ってきた。
けれど、その瞳の奥に、深い悲しみを乗り越えた力強さを垣間見ることができた。
妹も時を過ぎてパパの死と向き合う寂寥を、若々しさ溢れる笑顔で塗り込め、そこから広がる未来への希望がはっきり窺えた。
二人とも、それぞれに時を経て、それぞれに変化していく。
私も昔よくしてくれた親戚にお酌して回りながら、
「綺麗になったね。小さい頃は・・・」
「葬式の時は、本当に落ち込んでるみたいでどうしようかと思って・・・」
「圭織ちゃん。お見合いなんてどう?おばさんね・・・」
などと言った、親戚が集まった酒宴特有の陽気さにも、笑って応えることができるようになっていた。
パパが死んで以来、無為に何かを見つけ出しては、心のままに身を委ねてきたここ一ヶ月程が、私自身、見失いかけていた、今を当たり前に楽に簡単に生きることを取り戻したのかもしれない。
- 187 名前: 投稿日:2003/12/23(火) 03:32
-
- 188 名前:Scene18 投稿日:2003/12/23(火) 03:32
-
振り袖なんて正月以来じゃねーかよ、こんちくしょー。
振り袖から連想されるのが成人式ではなく正月の特番だったり、断りきれずに面倒な着付けを終え、こんな街中まで来てしまった自分にそれぞれ毒を吐き、女は遅れていくものだと言うおばちゃんの言いつけ通り、ホテルすぐ側の公園で待機している。
「あの人、普段はいい人なんだけど、縁談をまとめるとなるとねぇ・・・」
そんなママの諦め交じりの口調で覚悟を決め、こんなことになってしまった。
7月の抜けるように青い空はどこまでも澄み渡り、
思い出したように吹く風が、熱を帯び始める街をそっと撫で冷まし、木漏れ日に溢れた緑の景色には、近くの幼稚園から来たのであろう、園児たちが私と同年代くらいの保母さんに連れられて嬌声を上げている。
どこにでもありそうな、それでもこれ以上ないであろう幸福な昼下がり。
そんな中、場違いに不機嫌そうにベンチに座る振り袖女。
振り袖のインパクトからか、誰も私と目を合わせようともしないため、飯田圭織と気付かれない。
矢口なんかに話したら、きっと大爆笑されて、根掘り葉掘り聞かれるのだろう。
そういえば、ウェディングドレスで街を疾走するドラマなんてあったっけ。
そんなことを考えながら、帯の隙間に忍ばせた煙草を咥え、少しの逡巡の後、箱に戻す。
- 189 名前:Scene18 投稿日:2003/12/23(火) 03:33
- 時間を10分過ぎ、待ち合わせ場所へ向かう。
ママ、見合い相手とその母親が既に席に着いている。
そして、その真ん中の元凶とも言えるべきおばさんの大きな笑顔。
私は申し訳なさそうに、けど可憐に登場してみせる。
この縁談を成立させる気は毛頭ないが、それでも気に入られなければならない。
悲しい女の、飯田圭織の性なのだ。
とはいいつつも、やはり気が乗らない。
良くも悪くも、写真どおり、想像の域を出ない。
- 190 名前:Scene18 投稿日:2003/12/23(火) 03:33
- 着せられたようなスーツに、申し合わせに持って来たであろうハンカチでひっきりなしに拭う汗。
見た感じ、如何にも純朴そうな、日に焼けて少しがっちりした体格。
こういう人と一緒になったのなら、それなりに幸せは幸せなのだろう。
他人事なら。
私はすっかり上の空で、帰ってからの予定を考えていた。
夜ご飯はスープパスタにしようか、このままママと帰ってかももに会いに行こうか。
すっかり張り付いてしまった作り笑顔を武器に、この状況を切り抜く次第でございます。
今日の見合い相手は、明日のお客さま。
機嫌を損なわないよう、気に入られるよう、さりげなく、深入りされずに勘違いさせず。
どこかで見たような聞いたような型通りの会話に、型通りに返していく。
- 191 名前:Scene18 投稿日:2003/12/23(火) 03:34
- 食事も済み、どうにか切り抜けたと思ったら、お決まりの、『あとは若い者に・・・』
絶滅したと思っていた言葉に仰天してしまう。
仕方なく、縒れたスーツの背中を見ながら、洋風のホテルにあって、異質な空間の日本庭園の綺麗な緑の絨毯を歩く。
「まさか、あなたとこうして縁談を持ち掛けられるなんて、思ってもみなかったですよ。」
「はぁー」
緊張でガチガチの仕草に、精一杯の笑顔を乗せて、男はどうにか場を持たせようとしている。
私といえば曖昧に笑みを返すばかりで、男に協力しようというつもりはない。
- 192 名前:Scene18 投稿日:2003/12/23(火) 03:34
-
「今日も天気がいいですよね。気味悪いくらいですよ。今からこうだと。夏になって、いきなり雨続きになったりして・・・ハハ」
──スタジオばかりの生活で、あまり空を見ていなかった。
笑顔を崩さないで男の話に頷いたり、笑ったりしてはいるが、意識はもっと別の所に向いていた。
「まだ7月なんだし、もっとお天道様も遠慮してくれないと。せっかくの夏休みには雨ばかり、なんてことにもなりかねないですしね。」
──24時間、スタジオの昼も夜もなく付けっ放しにしてある蛍光灯の白い光、スポットライトの黄色い熱光、私たちの明るい声、そしてそれを覆う緊張感。
「僕、外の仕事なんで、雨降ってくれれば仕事できなくなっちゃう場合もあるんで、有難いっちゃー有難いんですけど。」
「こんな話、つまんないですよね。」
自嘲気味に苦笑いを零す男に、そんなことはないですよ、と笑って励ましてみる。
すると、男は単純にも自信回復したらしく、再び矢継ぎ早に話し出す。
憎めないのだが、鬱陶しいことに変わりはない。
思えばまだ22。
裕ちゃんがオーディションを受けた年齢にすら届いていない。
意識は完全に遠くに飛んで行った。
- 193 名前:Scene18 投稿日:2003/12/23(火) 03:35
- 「僕、夏休みの度にキャンプに行くんですよ。友達とばっかなんですけどね。去年は遠軽の方まで足を伸ばして。遠軽って道東のクソ田舎なんですけど、寒くてね。参りましたよ。昼でも長袖が離せないんですから。」
「でも、夜がすごく綺麗でね。星が手が届きそうなくらい、目の前に迫ってるんですよ。流れ星とかもバンバン落ちてきて。運がよければ彗星も見れるんです。」
「その話、おふくろにしたら、行きたいなんて言い出しましてね。今年は家族を連れて行ってやろうと思ってるんですよ。」
「飯田さん、夏休みの予定とかって・・・あ、いや。申し訳ない。そういうの、まだ早いですよね。」
「いやー。それにしても驚きですよ。本当に来てくださるとは思いませんでした。」
「実は結構ファンだったんですよ。だった、ってそういうわけじゃなくて。CDも持ってたりするんです。タンポポの・・・なんでしたっけ。♪どこにだって ある花だけど〜♪ってやつ。あれ、好きで、かなり聞きましたよ。」
ちくり、胸のどこかが疼いた。
- 194 名前:Scene18 投稿日:2003/12/23(火) 03:36
-
「好きだったな。あの曲。ホント、いい歌でした。」
「・・・ホントにね」
空が青い。
北の小さな大都市は、冬の匂いを忍ばせて澄んだ春を抜け、雲が力を帯び始める。
季節は太陽が淡く輝く夏へと向かおうとしていた。
- 195 名前:名無し 投稿日:2004/01/19(月) 21:22
- マターリ待ってます。
- 196 名前:Scene19 投稿日:2004/02/01(日) 05:48
-
「ごめんねー、これからヴォイトレなんだ。」
電話の向こう、なっちの顔が目に浮かぶようだ。
きっと顔を顰めて眉間に皴を寄せていることだろう。
けど、別に申し訳なく思っているわけではない。
なっちは謝る意識がなくても、ごめんね、と言うし、罰が悪そうに顔を顰める。
私にもそういう部分がある。
そこが、なっちを受け入れられなかった一因かもしれない。
何故か、私たちは離れてからも、頻繁とは言わないまでも連絡は欠かさない。
一時期、あれほど鬱陶しかった存在だったのに。
憎いとさえ思ってたのに。
娘。を離れたら消えいく存在だったはずなのに。
そんな思い、とうの昔に消えてしまった。
が、改めて、私となっちの奇妙な結びつきを感じる。
- 197 名前:Scene19 投稿日:2004/02/01(日) 05:48
- 「そうなんだ。じゃ、また掛け直すわ。」
極力、静かに切った電話が頭の中でやけに響く。
投げた携帯から漏れた光が、しばらくしてふっと消える。
私は眼鏡を外し、眉間とこめかみを交互に揉むと、後ろで一つに束ねていた髪の毛を解き、絡まなければいい、くらいの適当さで頭頂部に括る。
前髪は伸びっぱなしで、目がすっぽりと隠れてしまうほどになっている。
「あー、また暇になっちゃったよー」
そう適当に言葉を見繕い、ベッドに倒れこむ。
生活していくにあたって、何の制約も義務もない私。
今までどおりのペースで仕事を続けるなっち。
当然、時間は合わない。
- 198 名前:Scene19 投稿日:2004/02/01(日) 05:49
- 当然、家族ではなく、恋人でもない。
友達というには恥ずかしいし、戦友というには安いし肩が張る。
仲間と括ってしまうのにも、どこか違和感がある。
どのカテゴリーにも当てはまらない。
今更ながら、あれほど疎ましく思っていた安倍なつみが、自分にあって当然なもので、何のてらいもなく受け入れられている。
声だけで彼女の仕草から表情まで、何から何まで見える。
たった一言「ごめんねー」が、私と元いた世界を繋げているのかもしれない。
なっちの、ごめんね、を聞く度にそう思う。
- 199 名前:Scene19 投稿日:2004/02/01(日) 05:49
- カーテンの隙間から漏れた朝の光が目に入る。
一瞬にして白む視界に触発され、頭の中がぐわっと持ち上がり、眩暈がした。
右手を胸に当て、多少早くなっている鼓動を意識して、深呼吸する。
「朝から仕事してんじゃないよ、なっち」
せっかく、寝ないで朝一に電話したのにさっ
若干薄くなってきたように感じる胸から手を離し、布団を一気に引き上げた。
少しだけ湿った布団は射しててくる陽光を遮り、足元ではたと揺れる。
布団が巻き上げた部屋の底に溜まった冷気を足元で感じ、ピアノに合わせて発声するなちを思いながら、息苦しさに身を窶す。
コンタクトレンズをやめた。
ウトウトと時間に関係なく眠ってしまうことが多くなったから。
いつも髪を縛るようになった。
着飾る必要がなくなったから。
人の目が届かないということは、自分のことも見なくなるらしい。
自分の容姿に、全くの無頓着になってしまうのだ。
薬局で溶液を買ってきて染めた髪も、本当に黒くなっているのか、確認すらしていない。
- 200 名前:Scene19 投稿日:2004/02/01(日) 05:50
-
好きだったな。あの曲。ホント、いい歌でした。──
その言葉が今でも燻っている。
全ては慣れることなのだろうと思う。
モーニング娘。の、タンポポのメンバーであることに慣れていたように。
感謝しつつも、売れていることに慣れていたように。
リーダーであることに慣れていたように。
タンポポのない自分に慣れていたように。
娘。がここにないことに慣れているように。
パパのいない世界に慣れてきたように。
あの男の言葉を聞いて以来、つきまとう痛みも、再び襲ってきた言いようのない悔恨も。
きっとそのうち慣れるだろう。
今はじっと耐え、時間がゆっくりと降り積もっていくのを待つ。
癒えるでもなく、忘れるでもなく鈍くなるのを。
- 201 名前:Scene19 投稿日:2004/02/01(日) 05:51
-
夜を明かし、人の動く時間を避けるようにして眠りにつく。
そして、目を覚ますのは太陽が傾いて存在を弱めた頃だ。
こうして、夢と現実の狭間を泳ぐようにして生きている。
生活スペースのほとんどはベッドの上が占められるようになる。
これまで詰めてきた時間が綻ろび、今に影響しているのか。
起き、食べ、眠る、をひたすら繰り返している。
何一つ形を帯びない曖昧な思考の連鎖が渦になり、大した意味も求めず、その中心で息をする。
何もしない、が、何もできない、に変わるのは、そう遠くないだろう。
人間、自然状態で生きていては、欲と本能とのパラドックスで破滅してしまうらしい。
どっかでパラパラと捲っただけの本に、そう書いてあった気がする。
だけど、そんなこと、今の私にとってはどうでもいいこと。
ケイタイの発信履歴に残った、なっちの名前を指でなぞる。
そしてケイタイを放り出し、布団を頭まで被って目を強く閉じる。
が、どうしても眠れなくて、少し外に出てみようと思った。
- 202 名前:Scene19 投稿日:2004/02/01(日) 05:51
-
街を半分に切るように伸びる、緑のスペース。
鳩とそれに戯れる子供たちの隙間を縫い、噴水のヘリに背を預ける。
一定のペースで吹き上がる水に子供は嬌声をあげ、細かく散り落ちる水滴は熱を吸い込み、パラパラと街に融けていく。
空は街に削り取られているものの、それでも青く、街の向こう側へどこまでも続いていく。
青い。
どこか膜を見上げるような、薄ぼんやりした空ではない。
いちいちここと向こうを比較し、今になって訪れたあくびを噛み殺しながら、ウトウトと発見を繰り返した。
仕事途中のサラリーマン。学校をサボったのか、暇を持て余している女子高生。
数組の子供を連れているお母さん達。ただ時間を潰しているだけのようなおじいちゃんおばあちゃん。
所在なげに公園を歩く旅行者と思われる、カメラをぶら下げた独り者。
花壇に植えられた花々が芝の上で明るく、街路樹の向こうでは車がスムーズに流れる。
時折吹く風が木の葉を震わせ、気持ちのいい音を立てる。
夏と呼ぶにはまだ早いこの時期の陽射しは暖かく、誰にでも平等に降り注ぐ。
私は日光を一身に受け、噴水のヘリ沿いに大きく仰け反る。
目に入った太陽光線が一気に膨張し、世界が白から黄色、やがて、赤に近いオレンジ塗り替えられていく。
- 203 名前:Scene19 投稿日:2004/02/01(日) 05:52
- そこへ、黒い小さな影が、圧倒的な光量に眩んだ視界を通過する。
一斉に舞い込んだ多くの影が、私の視界を黒く染め上げた。
何事だろうと目をぱちくりさせると、世界はぼんやりと色を取り戻し始める。
まだ視界の端が強い光でぼやけてはいたが、鳩の仕業だということがすぐにわかった。
きっと小さな子供が、誰かが蒔いたとうきびをつつく鳩の群れに飛び込んだのだろう。
鳩も慣れたもので、一度身の安全を確保すると、すぐにまた元の場所へ戻って餌を食べ始めるのだ。
鳩が再び餌にありつくと、この一帯はまた平穏を取り戻す。
というよりも、誰も鳩の存在を気にかけてはいない。
私が突然のことに驚いたというだけで、何も特別なことではない。
陽気にどっぷりと身を浸けていることを意識しなおした。
柔らかい光を感じれば感じるほど、街独特の喧騒は遠ざかり、私の体は眠気に引きずられるように力を失っていった。
このまま眠ってしまおうか、と思ったとき、また鳩が大群を成して飛んでくる。
今度は先程よりずっと低空飛行で、私の頭上スレスレを騒々しく過ぎていく。
少し苛々しげに鳩が飛んできた方に顔を向ける。
そして、自分の目を疑った。
紺野が石畳でできた広場の中心に突っ立ていた。
片手にとうきび持って。
紺野は鳩が飛んでいった方向を眺めていた。
とうきびを乱暴に齧り、もぐもぐと租借している様がここからでもわかった。
鳩が戻ってくると、とうきびを毟り取り、鳩を自分の側に呼び寄せる。
そして、ある程度鳩が集まったところで、その群れを薙ぎ払うように足を伸ばすのだ。
鳩は再び大空を舞う。
紺野はそれを見て、楽しそうに笑っている。
まるで、鳩と戯れているみたいに。
- 204 名前:Scene19 投稿日:2004/02/01(日) 05:52
- 白いワンピースを着た紺野は、初夏の煌きに溶けるようだった。
それが現実感を失わせているようにも見えるが、紺野の存在は薄れない。
一層輝いているようだった。
水や風や緑に跳ねた光が紺野に集まり、更に彼女を綺麗に彩る。
大きな瞳は太陽をそのまま反射させ、黒い髪が目映い景色に踊った。
「ういひうさん・・・?」
私に気付いたらしい紺野が、いつの間にか側まで来て、真っ直ぐな眼差しで私を覗き込む。
見違えた。
私が知っていた頃の紺野とは、全く別次元の。
元来、紺野の持つ可憐な可愛らしさは、この街の色で見事なまでの美しさに変貌を遂げていた。
きっと紺野は、東京の、そのまた虚構の世界では生きられないのかもしれない。
自然なままの紺野のここまでの美しさに、どうして誰も気が付かなかったのだろう。
それに引き換え、私は何も変わっていない。
廃れたかもしれない。
髪はそのまま伸びてほつれ、疎らに色が剥げている。
痛んで黒の抜けた重い前髪から世界を透かしている。
太陽の光を浴びない生活のせいか、目元にクマが染み付き、目元の皺がきつく刻まれているだろう。
意味もなく、ただ恥じた。
私を、彼女が見る私を。
- 205 名前:Scene19 投稿日:2004/02/01(日) 05:53
- 「飯田さん?」
はっきりと、私を見据えて繰り返す。
「こんの・・・」
私はただ、呆然と名前を呼ぶことしかできなかった。
「何してるんですか?こんなところで。」
「たまには外に出ようと思って。紺野は?」
「ちょっと長めの散歩です。私、地元がこの辺ですから。何もすることがないから。」
彼女はひとしきり視線を泳がせた後、ゆっくりとそう言った。
「よかったら、これからどうですか?」
か細くて高い声が、穏やかそのものの、街のこの一角に心地よく響く。
私は無言で頷くと、固まってしまった体をどうにか起こす。
行きましょう、と言った紺野に付いていった。
紺野は光を落としながら歩いていく。
私はその落ちた欠片を拾い集めるように、その後ろを歩いた。
酷く惨めな気分だった。
- 206 名前:Scene19 投稿日:2004/02/01(日) 05:54
-
紺野に連れられてきた喫茶店は、ちょうど街の中心部に位置し、一目ではそれが店なのかどうか、判別しにくい門構えだった。
ビルとビルの隙間を縫うように、半地下へ降りる階段だけが、ぽっかりを口を覗かせていた。
店内は一席一席が壁を刳り貫いたような作りになっていて、私達以外の客は見えない。
弱い白熱灯の灯りが、足元を照らすくらいに仄かに佇む。
テーブルにも設置された白熱灯は、お互いの影を作るに止まっている。
正面にいる紺野でさえ、見えにくい。
硝子一枚のテーブルが、柔い光を受けて、淡く浮かび上がる。
カラン、と乾いた音を立てて鐘の付いたドアが開き、空調の効いた店内に暖かい風が流れ込んでくる。
その風に流され、二人の間に停滞していた沈黙が緩む。
「髪、黒くしたんですね。」
カップの中身に視線を留めたまま、紺野がさらりと呟いた。
「ああ、面倒だったからね。染め続けるの。」
頬を歪めてそういうと、紺野は、似合ってます、と小さく返した。
髪をそっと撫でてみた。
乾いた感じがして、がさついている。
- 207 名前:Scene19 投稿日:2004/02/01(日) 05:54
- 「みんな、どうしてるの?」
なっちや圭ちゃんから断片的な情報は聞いているものの、詳しくは知らない。
石川は変わらずに仕事してるとか、吉澤がユーラシア大陸横断の旅に出掛けたとか、なんとか。
「みんな、というか、学生メンバーは、ですけど。私と似たような感じです。
毎日好きなことして、実家に帰ったり、たまに集まって学校の課題したり、あれば仕事を入れて、みたいな。
マコちゃんとかはレッスンを割り多めに入れてるみたいですけど。
あと、吉澤さんがバックパック背負って世界旅行に行ったらしいです。
この前、事務所で偶然石川さんに会った時に聞きました。」
ユーラシア、ではなく、世界だった。
北の街のさらに小さな住宅街の一室で、ひっそり蹲っている私は何なのだろうか。
「で、今は実家に帰ってきてるんだ。」
「はい。来週、一度東京に戻りますけど。飯田さんは?」
「こんな感じ。」
毛先のほつれた髪を振って見せた。
紺野は大きな瞳を揺らせて、曖昧に微笑んでいた。
- 208 名前:Scene19 投稿日:2004/02/01(日) 05:55
- 「あ、矢口さん、飯田さんのこと心配してましたよ。」
紺野は視線を残り少なくなったカップと私の顔とを交互に往復させる。
二人の無言を助長させた暗い風景が、紺野を追い込んだ。
「矢口が?私を?心配?」
言葉を全て疑問で、しかもトリプルで返されて面を喰らったのか、紺野はそのまま押し黙ってしまった。
怖い顔をしているのだろうか。
無理もない。
数週間ぶりに穴倉のような部屋から出てきたばかりなのだから。
今の自分の姿がどのようになっているのか、興味もない。
もしかしたら、苔くらいは生えているのかもしれない。
萎縮してしまっている紺野を見て考える。
お互い、それなりに多くの時間を共にし、どこか許しあえる関係にはなっていたと思う。
難しく考えてしまって立ち止まってしまった時には、相談に来てくれるくらいの。
- 209 名前:Scene19 投稿日:2004/02/01(日) 05:56
-
「そういえば、あいぼんは?」
「加護さんですか?元気ですよ。一人暮らしを満喫してるみたいで。私もよく、お邪魔させてもらってます。」
お邪魔、というのは私に対しての言葉だろうと解釈しておいた。
「悪いこと、してない?」
「はい・・・飯田さんが置いてくれたCD、よくみんなで聞いてます。」
紺野はホッとしたように、すっかり冷め切っているだろう紅茶を啜る。
- 210 名前:Scene19 投稿日:2004/02/01(日) 05:57
-
「で、矢口がなんて?」
紺野は逡巡したが、それは私の静かな迫力に気圧され、観念したように口を開いた。
「私から言うのもどうかと思うんですが、一人にしたら危ないって。」
多少むっとしたが、私を窺いながら話す紺野の腰を折らぬよう、表情を変えずにいた。
「あぶないっていうか、放っておけないらしいんです。何するかわからないから。
飯田さんの天然って、人がいて初めてプラスに働くものらしいんです。矢口さんが言うには。意味はよくわかりませんでしたけど。一人になって突っ走って陰に篭ってないか心配だって、言ってました。」
結論だけ聞いても矢口の論理は伝わってはこなかったが、その心配は杞憂には終わっていないようにも思えた。
「なんか、的外れな極論みたいだけどね。当たってなくもなかったりして・・・」
浮ついた笑いに任せて紛らわそうとしたが、どこか声が詰まってしまったような気がした。
- 211 名前:Scene19 投稿日:2004/02/01(日) 05:57
- 「でも、全然変わってなくて。安心しました。」
安心?
紺野から見ても、私は危うく映っていたのだろうか。
そういう意味ではないのだろう。
久しぶりに人と会って変わっていなかったら、その息災に安心するものだ。
が、
「どこが変わってないの?」
私の中の卑屈が静かに怒りを燃え上がらせる。
何故、こんなちょっとした言葉尻にも神経質になっているのだろう。
声こそ荒げないものの、口調は自分でも恐ろしくなる。
紺野の表情が凍りつき、私は取り返しのつかない状況にしてしまった自分の言葉を打ち消す言葉を考える。
見つからないだろう。
私にもわからない。
ゆっくりと抑え込むと、必死な冷静さで繕う。
- 212 名前:Scene19 投稿日:2004/02/01(日) 05:58
- 「ごめん。いろいろ巡っちゃって。・・・悪かった。」
「・・・いえ。そんなこと・・・・」
彼女は小さく呟く。
何も話せない。
どちらも切り出すチャンスを見つけられないでいる。
ガラスの割れる音と、女の短い悲鳴が飛んだ。
しかし、混乱に眩む頭ではどこか現実に薄く、やけに遠く聞こえた。
紺野は気が付かないくらいに小さく息を吐くと、意を決したように、帰りましょうか、と。
私が言うべき台詞なのに。
- 213 名前:Scene19 投稿日:2004/02/01(日) 05:59
-
お互い、そのまま、気まずいまま、何を言うでもなく別れた。
私もクタクタだった。
よく考えてみれば、寝ていない。
どうにか意識を持って家まで辿り着くと、紺野から着信履歴が一件と、メールが入っていた。
今日はごめんなさい。やっぱり私が悪いと思います。言葉が足りなかったみたいです。変わらないのは、私たちにとって、やはりいいことではないですから。よかったら、また会って下さい。
罪が私の中で張り詰めた。
どうしようもない過ちを犯してしまった。
紺野は笑って、なんでもない、というかもしれないが、私はそれでも自分が許せない。
もう駄目かもしれない。
- 214 名前:Scene19 投稿日:2004/02/01(日) 05:59
-
たまらなく自分が嫌になり、思考を遮るように激しい睡魔が私を飲み込んだ。
これ以上、私を何から守ろうというのだろう。
- 215 名前:Scene19 投稿日:2004/02/01(日) 06:04
- >>195
レスついてて、ちょっと驚きました。
クソ遅いペースでも読んで頂き、心から感謝です。
- 216 名前:Scene20 投稿日:2004/03/18(木) 15:08
-
「はっろ〜!!」
耳が痛くなるくらいの高音とテンションで、石川がやってきた。
突然の訪問に私がドアノブを掴んだまま固まっていると、石川は、
「・・・あれ?どうしたんですか?そんなびっくりしちゃって。」
自分の勢いに恥ずかしくなったのか、石川は笑顔を作りながら、耳まで真っ赤にさせて俯いてしまう。
「あ、そういうことじゃなくて。まあ、入って。」
懐かしいテンションに戸惑う私の背中から、「おじゃまします。」という石川のしょぼくれた声が聞こえた。
- 217 名前:Scene20 投稿日:2004/03/18(木) 15:09
-
「どうやってきたの?」
「タクシーで。」
ちょこんとベッドの上に座った石川は、少し拗ねたように答える。
「そういうことじゃなくて、さ・・・」
「そういうことも何もないですよ。事務所に飯田さんの実家の住所を聞いて来てはみたものの、飯田さんいないし。一昨日ぐらいにやっとスケジュールの調整ついて、北海道に行こうと思って、ずっと飯田さんに電話してたのに、繋がらないし。」
「ウソ!?」
「ホント。せっかくお休み貰って来たってのにさ、誰のお迎えもなくて、飯田さん頼って行ったのにさ、いないし。」
石川に責め立てられながらもケイタイを探してみると、電池切れで電源が切れていた。
紺野と会って以来、嫌な気分を引きずったまま、天井を眺めては苦悶しているような毎日だっただけに不可抗力だとも思ったが、そう突き放すこともできない。
「いや、それはそうだけどね。・・・悪かったよ。」
私がそう素直に謝ると、石川の機嫌もすぐに上向いた。
「別にいいんですよ、言ってみたかっただけだから。」
「そう。・・・元気そうじゃん。」
「まあ、そりゃあね。保田さんが卒業してから、三ヶ月も経ってないんですよ。急に変わったりしないよ。」
まだそんなだったんだ、と思った。
ただ過ぎて行っただけのような、何もかもが変わってしまったよう。
私にとって、よかったのか、悪かったのか。
何を為すでもない今があるばかりに、昔を振り返ってばかりだった。
これまで知らなかった自分や物事に気が付くことが多く、ずっと前から抱いていた、あてどもない真理を問うような自問自答の解答に、少しは近づくことはできているのだろうか。
- 218 名前:Scene20 投稿日:2004/03/18(木) 15:09
-
小さく風が入り込み、その方向を見ると、石川が窓を開けて外を眺めている。
日中でもカーテンを閉じたままでいるが、それでも遮れきれないせいで、部屋の中は割りと明るいのだが、カーテンを開けると段違いの光量に、暗い色合いの家具が本来の光沢を取り戻し、部屋のイメージがガラっと変わる。
「すっごいなぁ。想像の中の北海道じゃないけど、なんか人のいる大自然って感じ。」
華奢な石川の後ろ姿が、窓枠の向こうの景色の中で、さらに小さく見える。
- 219 名前:Scene20 投稿日:2004/03/18(木) 15:09
-
少し外を歩いてみたいと駆け出す石川の後を、私も小走りで追った。
アパートの脇には、手入れのされていない小さな公園があり、そこを突っ切り、川の沿道に入る。
ここまで来ると、立ち並ぶ家々は木立の中に隠れてしまい、治水処理の設備以外、人工的な物は見当たらない。
踏み固められた土の道を、手すり越しに川を見ながら、二人並んで歩く。
川のせせらぎが心地よく響き、脈々と連なる山々は陽の光を浴びている。
深い緑、淡い緑、白い緑、青い緑、くすんだ緑・・・
数限りない緑が折り重なり、溶け合って完璧な美しさと圧倒的な存在を示す。
「仕事、変わらずに続けてるんだってね。」
「うん。仕事の話があって、ホントによかった。いきなり何もないとこに放り出されちゃったら、たぶん何していいかわかんなくなる。」
無意識の選択なのだろうが、それで正解なのかもしれない。
- 220 名前:Scene20 投稿日:2004/03/18(木) 15:10
- 「でも、飯田さんくらいだよ。そんな思い切っちゃったの。」
「だって、よっすぃは・・・」
「ああ、よっすぃは旅行に行っちゃったけど、インターネットで旅行記みたいのやってるって。有料サイトみたいだから、事務所でしか見たことないけど、楽しそうだった。」
「そうなんだ。」
私は必要とされていないのだろうか。
そんな思いが、ふと過ぎる。
「そういえば、事務所が連絡取りたがってましたよ。ケイタイ、電源切れてることがほとんどだって。」
鬱陶しかったが、何故か悪い気はしなかった。
「そういえば、旅行?」
にしては、少し無計画な気も。
「私、牧場に行こうと思って。カントリーやってるのに、一度も行ったことなかったから。今は牧場の掻き入れ時で、あさみもまいちゃんもいるって言うし。」
「そっか。今、夏休みだもんね。」
「そう。だから、私もデビューして以来、こんな長い休みなかったからウキウキしちゃって。」
「いつまで?」
「再来週の今日までです。ちょうど2週間。」
2週間前の私も、2週間後の私も、そう大きくは変わらない。
だが、モーニング娘。からの時間をそのまま生きている石川にとっては、長い長い休みになるだろう。
- 221 名前:Scene20 投稿日:2004/03/18(木) 15:10
-
足の向くままに歩いていると、緑地帯に入ったらしく、急に自然の中に放り込まれたような気分になる。
道にも砂利が多く多くなり、空気が瑞々しく湿ってきた。
鬱蒼と茂る木々のせいで、余計な騒音は一切聞こえず、蝉の耳を劈く鳴き声が頭上からいくつも降り注ぐ。
陽光は緑を透してしか届かず、辺りは薄暗くなり、気温もぐっと下がったように感じる。
「なんかすごいかも。」
石川は嬉しそうに道を逸れ、獣道のような隙間を、草木を掻き分けながら踏み入っていく。
私はその姿を呆然と見送っていたが、すぐに緑の向こうに行ってしまった石川を探しに、草木の切れ目に分け入っていった。
ウンザリした気持ちで、体のあちこちに当たる草木を避けながら、虫にだけはぶつからなければいいと、目を伏せ、身を小さくして進んだ。
人が何度も通った道なのだろうが、気持ちのいいものではない。
しばらくすると視界が開け、ぼんやりと立っている石川を見つけた。
- 222 名前:Scene20 投稿日:2004/03/18(木) 15:11
-
石川の視線を追うと、目の前の川は流れていなかった。
そこだけ堤防に塞き止められ、群青色に溜まってい、底は見えない。
「やっぱ、こういうとこにも人の手は入ってるんだ。」
どこか期待を裏切られたのか、寂しそうに石川が言う。
「でも、ほら。あっちは流れてるから。」
私は少し上流の方を指差し、上るように狭い川沿いを歩く。
ちろちろと流れる川は浅く、底の小石に張り付いた苔まで見える。
- 223 名前:Scene20 投稿日:2004/03/18(木) 15:14
-
「カオたん、こっち。」
振り返ると、石川が堤防代わりなのだろうか、川の中に等間隔に並べられたブロックの、水が流れていない部分を器用に飛んで、向こう岸まで渡っていく。
私も川に落ちないように注意しながら、同じように向こう岸へと渡った。
「へぇ、やっぱ運動神経いいんだ。」
「何言ってんの。石川にできるんだから──」
石川が空を見上げていた。
川の両岸から覆い被さるように曲がっている木々の隙間から空が見える。
太陽に温められた空は、透き通った青に、うっすらと黄色がぼやけていた。
鳥や虫の声、川のせせらぎ、木々のざわめき、様々な自然がこの一帯に響いている。
「こういうところで暮らす、ってのもあり、かな?」
「かもね。」
どうして、こんな身近な美景に気が付かなかったんだろう。
- 224 名前: 投稿日:2004/03/19(金) 04:44
-
- 225 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/26(水) 11:24
- 待ってます
- 226 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/16(月) 15:31
- >>225
生存報告だけで申し訳ないです。
書いてますが、最初から書き直そうかと思うくらいに八方塞。
どんな展開にするにせよ、必ずここでアナウンスさせて頂きます。
ちんたらと残っている事に、本当にごめんなさい、と言うしかないです。
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