緑の星

1 名前:作者 投稿日:2003年01月04日(土)15時15分41秒


この星の外に何があるのか、知らない。
違う星に誰かが生きてるのかどうかもわからない。
けれど、もしも誰かが外から見たなら、この星はきっと緑色をしているだろうと思う。
美しく木々萌ゆる森の惑星は、きっと、どんなに遠くへでも、深い緑色の輝きを届けるはずだ。


2 名前:作者 投稿日:2003年01月04日(土)15時16分50秒
* * * * *

透明な糸で織り上げた純白の巣は、築2年が過ぎてなお、美しく朝陽を通す。
質の悪い巣では、こうはいかない。
ライス・シャワーに目を細めて伸び上がりながら、あたしは今日も自分の腕に感じ入る。
狩りの腕といい、巣作りの腕といい、我ながら相当なものだと思う。
おかげで、あたしは蜘蛛にしては珍しく、毎日しっかり食事がとれていた。
2、3日に1食なんてのもザラな種族において、これはなかなか贅沢なことだったりする。

さて。今日はこないだ狩った豚の足でもちょっと切って食事にしよう。
思いついて立ち上がりかけたとき、
「んあっ」
庭の方で高い声が聞こえた。
庭一面に張った網も、自分で言うのもなんだけど出来がよくて、だからこうしてバカな虫が引っかかることはよくある。
3 名前:作者 投稿日:2003年01月04日(土)15時17分51秒
今日の獲物は蟻のようだ。
黒い瞳に黒い髪。それから、ヤツらおそろいの真っ黒な服。
「いったぁ…」
左足を糸にとられて転んだようで、左足首を両手でさすりながら顔をしかめている。
こちらには、まだ気づかない。
おもしろいので、ちょっと観察してみることにした。

蟻は見た感じ、15、6歳くらいだろうか。
下がり気味の目元やちょっと尖らせた唇に、まだあどけなさが残っていた。
もっとも、蟻族は7、8歳で成虫になると、その後はたいして外見の変化もないまま20歳くらいで死ぬ生きものだから、正確な年齢はあたしにはわからない。
ただ、この蟻のホットパンツから伸びた太腿が白くまぶしくて、非常に食欲をそそることは間違いなかった。
胸も大きいし、肌もきめが細かい。
これは市場に持っていけば、相当な値がつきそうだ。
もちろん食ってもうまいだろう。
4 名前:作者 投稿日:2003年01月04日(土)15時18分51秒
蟻が涙目で糸をはずしにかかったので、あたしは悠然と前に進み出た。
「はずすのはこっちでやるからいいよ、無理しなくて」
はっと顔を上げて、蟻は、へな、と触覚を伏せた。
進化の途中で聴覚細胞を内蔵して耳を兼ねるようになった触覚は、黒ウサギの耳みたいな格好をしている。
「蜘蛛…」
絶望的な響きを気持ちよく聞きながら、あたしは蟻の顔を覗き込んだ。
「お前、蟻だね。いくつ?」
10歳以下のほうが肉が柔らかいから高く売れる、とものの本には書いてあった。
実は蟻を獲ったのは初めてなのだ。
5 名前:作者 投稿日:2003年01月04日(土)15時20分06秒
「口きけないの?」
答えない蟻の顎をぐいっと持ち上げてやったら、蟻はますます震えた。
黒いタンクトップからのぞく腕にぷつぷつと鳥肌が立っているのが見える。
この場で食われると思っているらしかった。
「すぐには食わないよ。ってか、答えなかったら今、殺すけど。
 もっかい、きくね。いくつ?」
蟻はもうすっかり目を潤ませて、今にも涙をこぼさんばかりだったけど、ようやくで小さな声を聞かせた。
「……ななつ」
「ななつ? 7歳なんだ、そりゃよかった」
7年物、8年物あたりが一番うまい。と、これも本にあった。
あたしはどっかの工場でハンバーグになったやつしか食べたことないからわかんないけど。
6 名前:作者 投稿日:2003年01月04日(土)15時21分10秒
「売ってもいいし食ってもいいな。迷うなぁ」
ひとりごちながら、あたしは蟻の左足にからまった糸をはずした。
あたしたち蜘蛛族の糸に含まれる粘着物質は、あたしたちにだけ効かない。
フグの毒にフグはあたらないのと同じことだ。海もフグも見たことないけど。

あたしは蟻をひょいと両手に抱えてネットの上を歩いた。
ここで逃げようとしても再び糸に絡めとられるだけ。
蟻の頭でもそれくらいはわかるのか、蟻は腕の中でおとなしかった。
こうして間近に見ると、瞳がまんまるく輝いて、かなり食欲をそそる顔だ。
蟻にこういう形容詞はどうかと思うけど、まぁ、わりとかわいいんじゃないかと思う。
7 名前:作者 投稿日:2003年01月04日(土)15時22分14秒
ふと思い出して部屋への扉の手前、あたしは尋ねた。
「お前、処女だよね?」
処女肉のほうが値が高い。これも本の受け売り。
蟻は蟻のくせに恥ずかしがってるのか、顔を真っ赤にした。
「………う」
「あん?」
「ちがう。処女じゃない」
「あ、そ」
なんだ、がっかりだ。
非の打ち所のない最高級肉だと思ったのに。
最高級じゃないなら、大市に出すより、とっととかっさばいてフリマで売るか。別にそれでもいい。
でも、なんだか。なんだか、がっかりだ。
8 名前:作者 投稿日:2003年01月04日(土)15時23分13秒
「あれ、でも蟻で非処女って珍しくない? お前、貴族なの?」
蟻族は1匹の女王蟻と200前後の働き蟻とでコロニーを形成して暮らす。
卵を産む機能を備えたヤツが200に1匹しか生まれないんだそうだ。
だから女王は絶対。群れのオスはすべて女王のもの。
働き蟻同士の『無益な』セックスは禁じられてる。
ヤッてる暇があったら働け。それが蟻社会の掟らしい。にんともかんとも。
ただし、たくさんの野菜(ヤツらは草食だ)を献上したヤツなんかは特別に婚姻を許されたりするという。
生々しいご褒美だけど、そんなわけで、働き蟻で非処女ってことは比較的高い身分にあると考えていい。
まー、蟻が蟻に決めた身分なんざ、ちゃんちゃらおかしいけど。
9 名前:作者 投稿日:2003年01月04日(土)15時24分01秒
しかし、蟻はふるふると首を横に振った。
貴族ではないらしい。
「じゃー女王に内緒でヤッちゃったんだ。犯罪じゃん」
「ちが…っ、ごとおはカ…女王様にお仕えしてるから……」
『ごとお』ってなんだ、後藤か。
「あ? お前、名前あるんだ」
働き蟻のほとんどは名前の代わりに固体識別番号がつけられている。
現に、この後藤だって、首にはめられた空色の首輪には『510』と数字が刻まれている。
「あれ…首輪もふつう、黒だよね。お前、マジで何者?」
あたしは後藤を居室の床に下ろしながらきいた。
10 名前:作者 投稿日:2003年01月04日(土)15時25分00秒
「ごとおは、女王様の、その…アイショウだから」
答えにくそうにモゴモゴ言うもんで、言葉が聞き取りづらい。
「アイショウ? なにそ…あ、愛妾? え、だってメスじゃん」
タンクトップの上から胸のふくらみをちょこっと確かめたら、たしかにやわっこい感触がある。
「ぎゃあ」
後藤は蟻のくせに慌てたみたいに、後ろへ飛びずさった。蟻ごときが何を恥ずかしがってんだか、まったく。
「女王蟻って当然メスだよね?」
「あっ、当たり前じゃん、バカじゃないの?」
「バカって言った? まだ活けづくりにはなりたくないよね?」
むっつり言ってやると、後藤はぐ、と言葉をのんだ。
11 名前:作者 投稿日:2003年01月04日(土)15時25分45秒
それから一転して素直になった後藤が説明したところによると。
女王蟻というのは概してバイセクシャルらしい。
でもって、種の期待を背負って励まねばならないオスとのセックスは任務として。
それとは別に、息抜きにお気に入りのメスをお召しになっちゃったりしてお楽しみあそばすんだそうだ。
蟻族の女王のストレスってのは他に類をみないものであるから、このケースに限り、全二足虫連盟も特例として、同性愛を認めているのだという。

ちなみに、二足虫(二足歩行する、いわゆるヒト型の虫)の全種において少子化著しい今、『健康な新生命誕生につながらないセックス』は連盟法において原則禁止されている。
第19条いわく。同性間、親族間、異種間の性交渉は、これをかたく禁ず。
禁を犯すと、すみやかに裁判にかけられ、苦役や島流し、さらには死罪にいたるまでの刑罰を科せられる。
滅びに向かうあたしたちが、あたしたち自身に歯止めをかけるための見せしめ。
『同性愛は死罪』のスローガンが叫ばれて久しい今日このごろ、なのだ。
12 名前:作者 投稿日:2003年01月04日(土)15時27分14秒
「ふうん。で、後藤は全虫連の稀なる例外として女王様にかわいがってもらってるわけか」
後藤は黒い毛の生えた耳の、その裏側までを桃色に染めて、うつむいた。
どくん、と心臓が妙なバウンドをした。
ぶわっと体が熱くなった。
まるで狩りの前の高揚みたいだ。
そういえば、食事前だったんだと思い出す。
腹が減りすぎて、食肉に加工されてもいない、こんな蟻に食欲を感じてしまってるらしい。野生動物じゃあるまいし。末期的。

気を取り直して、
「とりあえず10日後の大市に出そっかな。
 あと10日は殺さないから、まぁ、楽にしてなよ」
声をかけたけど、後藤は顔を上げず、触覚はだらんと力なく垂れていた。
「なんていうの、自然の摂理ってやつだから。
 悪く思わないように」
その必要もないのに、なんとなく言い訳めいたことを口にして、あたしは後藤から目をそらした。
うんともすんとも言わない後藤の、大きな瞳が、こっちを見てる気がした。
一瞬のつもりで視線を後藤に戻してみたけど、後藤は相変わらず床を眺めているだけだった。
13 名前:名無し娘。 投稿日:2003年01月04日(土)18時21分52秒
設定がおもしろそう。
黒髪の後藤ってのもなかなかレアですね。
1レス目とどう繋がっていくのかコレからが楽しみです。
14 名前:名無し読者 投稿日:2003年01月04日(土)22時36分41秒
すごく先が気になる設定ですね。
アリんこ後藤に萌える・・・(w
15 名前:作者 投稿日:2003年01月05日(日)15時39分56秒
こうして、あたしは10日間、後藤を飼うことになった。
生きものの世話なんて面倒でしょうがないけど、活け締めのやりかたがわからないもんで、大市まで生かしておくしかないのだ。
こうなると、とりあえず活きのいいまま持っていきたいところだから、それなりに気を遣う。
後藤の置き場所にした食料庫にはちゃんと毛布を敷いてやったし、青臭さに鼻が曲がりそうなのを我慢して野菜の類を煮てやったりもした。

後藤は後藤で、昨日の夜はうるさく泣き通しだったくせに、今日は朝からどういうわけか、落ち着いてるようだった。
巣の四方には良質のネットが張り巡らされていて、文字通り「蟻一匹這い出る隙もない」ので、後藤も逃げ出すことを諦めたのかもしれない。
ま、諦めがよくなきゃ、やってられないわな、蟻なんて生きものは。
16 名前:作者 投稿日:2003年01月05日(日)15時40分45秒
蟻のくせに色気づいて前髪なんか触ってる後藤を横目に、あたしは書き物をはじめた。

『後藤(蟻・メス・7歳・非処女)飼育日誌 ―第1日目―』

後藤を飼うにあたって、せっかくだから、飼育日誌をつけることにした。
今後また蟻を獲ったときの参考になるようにメモをとっておこうというのだ
(こうして日々努力を怠らないからこそ、優れた建築家にして秀でた狩猟家たりえるのである)。

『蟻の年齢は、蜘蛛で考えるときには、10足してみるといいと
よく聞くけれど、あれは嘘だ。
後藤の体つきは確かに17歳くらいに見えないこともないが
(後藤は胸がデカイ。なんか甘ったるい味がしそうだ)、
頭の中身はまるでガキっぽい。
頭悪そうなしゃべりかただし、頭や体を洗うようにと渡してやった水を
半分飲んで、しかも残りで顔だけ洗うようなアホだ。』
17 名前:作者 投稿日:2003年01月05日(日)15時41分29秒
『おまけに、このあたしを蹴りやがった。
体高や体重、体の形をメモしておこうと思って
裸に剥こうとしたら、脛に蟻キックをくらった。
蟻ってやつは脚力だけは強いもんだから、
くやしいくらい痛かった。
市場に出す予定じゃなかったら唐揚げにしてるとこだ。
後藤は本当に、立場ってもんを理解してない。
蟻の知能は蜘蛛のそれより数倍劣るとみた。

左足のケガは早くも腫れが引いてきたみたいだ。
蟻は回復が早い。
動けなくなったらオシマイの生きものだからだろう。
念のために薬草を貼ってやったら
何をカンチガイしたものやら、「ありがとう」と言った。
市場で自分が売りとばされるための準備なのに
なんだって感謝なんかするんだろうか。
やっぱアホだ。』
18 名前:作者 投稿日:2003年01月05日(日)15時42分41秒
「いちーちゃん」
『市井』というあたしの名前を勝手に変形させて、後藤は何かとあたしを呼ぶ。
「なに書いてんの?」
「蟻んこ観察記録」
後藤は首輪がかぶれるのか、喉もとを気にしながら、
「悪口ばっか書いてそ…」
仏頂面で、ぼそっと言った。
「記録だから、悪口とかあんま主観的なことは書かないの。
 ありのままを書くだけ」
そのとき、ふいに魔が差して、次の瞬間、あたしは迂闊にも口走ってしまっていた。
「蟻だけに、『あり』のまま〜、なんちて」
やばい。やった。やっちまった。不覚。
あたしは頬が熱くなったけど、
「あはっ、しょうもなーい、ふふ」
後藤はクダラナイと言いつつ、ころころ笑った。

あとで、日誌に書き足そう。
『蟻はかなり頭が悪いが、なかなかかわいらしい生きものである』。
主観じゃない。観察だ。
19 名前:名無し娘。 投稿日:2003年01月05日(日)20時08分34秒
甘酸っぱいなぁ〜
20 名前:名無し読者 投稿日:2003年01月05日(日)22時26分01秒
めちゃめちゃ面白いよこれ!!
続き期待してます
21 名前:作者 投稿日:2003年01月06日(月)22時28分11秒
『後藤(蟻・メス・7歳・非処女)飼育日誌 ―第2日目―

後藤は働き蟻とも思えないくらい朝が遅い。
陽がずいぶん高くなってから目を覚まして、
そのくせ、起きるとすぐに腹が減ったのなんのと言い出す。
ちっこい犬みたいだ。
すぐ寝るくせに起きたら起きた瞬間からちょろちょろする。』

「やっぱり悪口じゃんか!」
「わあっ」
ペンを取り落とす。
さっきまでそこらの床にごろろんと横たわっていたはずの後藤が、いつのまにか背後にまわっていた。
22 名前:作者 投稿日:2003年01月06日(月)22時29分36秒
「なんだよ、勝手に見んな。バカ、蟻」
「蟻っていうな!」
「だって蟻じゃん」
「悪口みたいに言わないでよ!
 ていうか、蟻を犬といっしょにしないでよね」
「ああ、そうね、犬に失礼だったね」
「もういい、ほんとムカつく」
蟻の知能水準でもバカにされてるのがわかるのか、後藤はむくれて、あたしに背を向けた。
床にぺたっと座り込んで、いい加減に触覚を前後に振っている(ストレッチらしい)。

「あれ、そういえば、お前さあ」
蟻の機嫌なんざ、あたしの知ったこっちゃないので、後ろ姿に声をかける。
「よく文章読めたね」
蟻は生意気にも蜘蛛と同じ言語を使っている。
とはいえ、その識字率は低いはずだった。
「またバカにする」
後藤は座ったまま、首だけをこちらに向けた。
「言っとくけど、うちの女王なんか、そこらの蜘蛛よりよっぽど読書家なんだから」
「ああ、『圭織』ちゃんね。
 なるほど、後藤はベッドの中で教育受けたわけだ」
23 名前:作者 投稿日:2003年01月06日(月)22時30分24秒
後藤は真っ赤な顔であたしを睨みつけた。
「圭織の名前、気安く呼ばないで」
それで思い出して、あたしは日誌に新たな文章を加えた。

『蟻は恥知らずな生きものである。
よその家でまで、寝言で愛人の名前を呼んだりする。』

今朝の話。眠りこける後藤を起こしてやろうと足蹴にしたら、バカ蟻いわく
「ん……圭織…」
いまどきのガキは困ったもんだと呆れつつ、『女王の愛妾』うんぬんの話は嘘じゃなかったんだなと思った。
『市井』とか『後藤』とかの一般的な名前に加えて、身分の高い虫には幼名というものが存在する。
それこそ『圭織』だとか、現・全虫連裁判長の吉澤が持つ『ひとみ』なんかがそうだ。
幼名というからには、幼い頃に使う名前なわけだが、親しい間柄では成虫になってからも幼名で呼び交わしたりするという。
後藤みたいな身分低い蟻っころが幼名らしきものを寝言で口にするとしたら、まぁ、十中八九、身分高い愛人のものに間違いない。
24 名前:作者 投稿日:2003年01月06日(月)22時31分32秒
今朝もこのネタでひとしきりからかって後藤で遊んだけど、まだ、もうちょっと遊べそうだ。
「気安くも何も。後藤ごときが寝ながら呼べちゃうような気安い名前じゃんか」
「あれは、だから…っ」
「はいはい、エッチな夢見ちゃったんだよね、お年頃だもんねぇ」
言い訳をさえぎってやったら、後藤は立ち上がってあたしの机に両手をついた。
「なんべん言わせんの。そんな夢、見てないから。
圭織に失礼な想像しないでよ」
「別に隠すことないじゃん、『圭織』ちゃんと後藤は愛人関係なわけだし」
あたしは楽しく遊んでるのに、後藤は妙にマジメに反発してくる。
よくよく、『圭織』の体面にこだわってるらしい。
精一杯すごんで見せながら言うことには、
「圭織の名前、汚したら許さないからね」
25 名前:作者 投稿日:2003年01月06日(月)22時32分44秒
かちん、ときた。
そんなに大事か、こんなガキを妾にするようなヤツの名前が。
「へえ、許さないって何してくれんの?」
右手を後藤の頭に乗せた。
「蟻が蜘蛛に何するつもりだよ」
右手で後藤の髪を乱暴にかきまぜる。
後藤の体が一瞬で強張った。

蜘蛛族の右手は狩りの右手。獲物を捕らえる糸を吐く、魔法の腕だ。
その右の指に後藤の髪をからめながら、あたしは繰り返した。
「蟻ごときが蜘蛛相手に何ができるって?
 答えなよ、蟻んこ」
後藤は体を固くして口を引き結んだまま、それでも逃げずに、あたしを見つめてくる。
恐怖の象徴であるはずのあたしの右手を払って、つぶやいた。
「強いことがエライと思ってるんだ。蟻は人じゃないと思ってるんだね」
『人』は、あたしたち二足虫の全種をひっくるめた俗称だ。
だけど、肉食系の虫たちには、草食系の虫(つまり食料)を『人』と呼びたくないという向きがまだまだ根強い。
かくいうあたしも、そうだ。
理由は簡単。食事がしにくくなるから。
26 名前:作者 投稿日:2003年01月06日(月)22時34分06秒
「『命はみな平等』とかって、本気で考えてんの?」
蟻なんか相手に、なんだって、あたしはムキになるのだろう。
滑稽だって笑う自分も頭の片隅、確かにいるのに、言葉は止まらなかった。
「生まれつき、搾取する側とされる側は決まってんだよ。
法律でどう決めたって、そんなのはさ」
「……もう、いいよ」
後藤は臆せずあたしと目を合わせ―――というか、あたしの目を睨んで―――、くるりと踵を返した。
「どこ行くんだよ」
無駄な問いだった。
後藤がどこに行けるはずもないことは、あたしが一番よく知っていた。
けれど後藤は律儀に答えた。
「どこにも行かないよ。いるべき場所に戻るだけ」
言い終わらないうちに『食料庫』の扉が開いた。
倉庫の暗闇が後藤を飲み込んで、やがて、重い扉が音もなく閉まった。
27 名前:作者 投稿日:2003年01月06日(月)22時35分09秒
居室に残されたあたしは、なんでだか、自分の方が閉じ込められた気になった。
「なんなんだよ……」
イライラして、でもそういう自分はいやで、だから怒鳴りたいのを我慢した。
自分のプライドのために平静を装って、日誌の続きを綴った。

『蟻は存外、取り扱いの難しい生きものだ。』
ちょっと違う気がしたけど、書き直す気もしなかったから、そのままにした。
『気が進まないけれど、昨日のこの日誌には訂正を入れるべきかもしれない。
どうやら後藤は』

続きを迷った。たっぷり数分、手を止めて、結局、
『それほどバカでもないみたいだ。』
とだけ、書いた。

書き終えた日誌は、うちで一番背の高い棚の上に隠した。
蟻は蜘蛛ほど高くは跳べないから(差別じゃない、事実だ)、こうしておけば後藤に盗み見られる心配はない。
もっとも、さっき見せた後藤のあの強い目が、あたしの書くものを再び見たがるとも思えなかったけれど。

少しだけ。
ほんの少しだけ、心臓がちくちくするみたいだった。
28 名前:名無し読者 投稿日:2003年01月07日(火)11時47分16秒
おもしろい!!蟻ごっちんの教育されてる場所にワラタ
29 名前:作者 投稿日:2003年01月07日(火)23時46分01秒
『後藤(蟻・メス・7歳・非処女)飼育日誌 ―第3日目―

蟻は根に持つということをしないらしい。
昨日、あれだけ怒ってたくせに、今日はけろっと出てきて、
ひなたぼっこなんかしている。
根に持たないというより、蟻の記憶力から考えるに、昨日のことなんか』

書きかけて、昨日の後藤の剣幕を思い出し、『根に持たないというより』から先の部分に、取り消し線を書き入れた。
別に蟻が怒ったところで怖くはないが、できることなら心穏やかに過ごさせたかった。
情がうつってるなんてことでは、もちろん、ない。
ストレスをためこまれると、なんとなく肉質が悪くなりそうな気がしたのだ。
30 名前:作者 投稿日:2003年01月07日(火)23時46分57秒
それでも、これだけは書かねばならない。

『蟻は学習しない生きものである。』

書きながら足の先で触ってみると、まだ床が湿っぽい。
蟻の仕業である。
後藤ときたら、蜘蛛族の中でも『瀟洒なお宅』として有名な市井邸に水をぶちまけやがったのだ。
しかも、昨日、今日と二日連続で。
玄関口で頭と体を洗うようにと水瓶いっぱいの水を渡してやったら、玄関までのほんの数歩のうちに転んで、水は残らず床が飲んでしまった。
そんなことを昨日の今日で繰り返すんだから、信じられない。

万が一見られる可能性を考えて日誌には書かないが、後藤はもしかして相当アレな子なんじゃないだろうか。
まずいものを拾ったかもしれない。
31 名前:作者 投稿日:2003年01月07日(火)23時48分09秒
そんなにバカにも運動神経が鈍そうにも見えないのになぁ、とあたしはしみじみ後藤を眺めた。
「んあ?」
視線を敏感にキャッチして、すぐにこっちを振り向く。
やっぱり、何かがおかしい気がする。
「後藤、お前さー、水が怖いの?」
「へ?」
ぽかっと口を開けて、首を傾げる様子は、やっぱりちょっとアレな感じがしないでもなかったが、めげずにあたしは続けた。
「だってさ、いくらなんでも二日連チャンで同じ失敗するかぁ?」
「うー、だから、それはゴメンて」
「わざとやってないか、お前」
押しつけるように言ってみると、後藤の触覚がぴく、と強張ったように見えた。
でも、それは一瞬のことで、次の瞬間には、触覚はふにゃりと折れる。
「わざとじゃないよー。そんな怖いことできるわけないじゃん」
場合によっては平気で睨んでくるヤツが、ぬけぬけと言う。
「ふうん、まーいいけど。明日こぼしたら豚といっしょに煮るからね」
「いやぁ! 豚はやめてっ」
「そこじゃないだろうよ、普通……」
32 名前:作者 投稿日:2003年01月07日(火)23時49分12秒
今朝、食料庫で目覚めた後藤は、その覚醒の瞬間に、保存しておいた豚の頭と正対してしまったらしく、この世ならぬ悲鳴を森じゅうに響かせている。
腰が抜けたらしかったので、脇の下に手を入れて引きずり出してやろうとしたら、また悲鳴をあげるし(そういえば、なんか柔らかいところに手が当たった気もする。あれはちょっと気持ちよかった)、蟻ってやつは、とにかくせわしない。
昨日のことといい、後藤はいちいち、全力で怒ったり驚いたり、けたけた笑ったりする。
もうちょっと適当にしときゃいいのに、融通の利かなさがいかにも蟻んこくさい。
33 名前:作者 投稿日:2003年01月07日(火)23時50分17秒
「変なやつ」
デコピンを食らわすと、恨めしそうな目線を寄越して、
「蜘蛛ほどじゃない」
唇を尖らせた。
「へっ、バーカ、蟻のが変なの。豚とかうまいのに食わないし。そんなだから寿命短いんだよ」
たいして意味を持たせたつもりはなかった。
他愛ない軽口のはずで、後藤がまたぽんぽん何か返してくるはずだった。
だけど、後藤は、ふっと口をつぐんだ。

「…なんだよ、なんで黙るんだよ。寿命短いのなんか今さら気にしてもしょうがないだろ。お前なんか、あと10年以上あるじゃん」
言いながら、おかしな話をしていると自分でも矛盾に気づいた。
生物学的な寿命がどうあれ、後藤の命はあと1週間。
それは既定のことだった。あたしが決めたのだ。

「や、今言ったのは種としての、一般論つーか、肉体年齢の話で」
「蜘蛛は」
あたしがしどろもどろに言うのを聞き流して、後藤は言った。
「50年生きるんだよねぇ」
その通り、蜘蛛族の平均寿命は50.2歳だ。
ただし、近年では、寿命をまっとうできない個体も増えている。
後藤は蜘蛛のそんな事情までは知らないだろうけど。
あたしは少し遅れて、「平均はそれくらいだね」と返した。
34 名前:作者 投稿日:2003年01月07日(火)23時51分37秒
後藤はタイミングのズレに気づいた様子もなく頷いて、のんびりと言った。
「その間に、蟻をどれくらい食べるかなぁ」

呼吸が止まった。
息を吐くのを、思わず止めてしまっていた。
ためてしまった息を吐きながら、あたしは曖昧に笑った。
「さぁ…どうだろ」
「20年しか生きない蟻を、50年生きる蜘蛛がたくさん食べて」
後藤は独り言のようにぽつぽつと話し続ける。
「それくらいでちょうどいいように、蟻はバカスカ生まれるんだよねぇ」
「バカスカって」
後藤の夜色の瞳はただ濡れたように輝いていて、感情を窺うことはできなかった。
「わかったんだけどさぁ」
と、後藤はちょっとだけ勿体ぶった。
「ん?」
乗せられてやった。

「食べられるために、生まれてくるんだね、きっと」

乗るんじゃなかった、と思った。
後藤はうんうん、とひとり納得したように頷いて、
「頭つかうと眠いね、なんか」
こちらに背を向けて横になった。

空の高いところで、雲が切れたんだろう、急に強い陽が射した。
それで白さを増したような後藤の細い腕を、あたしはしばらく見ていた。

35 名前:作者 投稿日:2003年01月08日(水)23時34分41秒
『後藤(蟻・メス・7歳・非処女)飼育日誌 ―第4日目―

とにかく、後藤はよく食べる。
腹が減ると鳴く(泣くじゃなくて鳴く。
食わせるまで人の名前を連呼する。うるさい)ので、
エサは1日に2回やっているが、絶対に残さない。
こっちが毒のあるなしもわからないで適当に取ってきた
キノコなんかのごった煮も、ためらわずに口に入れる。
肉じゃない限り好き嫌いはないらしく、
何を食わせても『おいしい』という。
まぁ、下等動物の味覚は(以下自粛)。』

「ごちそうさま〜」
夜の分のエサを食べ終わって、後藤は満足そうに手を合わせる。
「足りた?」
「うん、満腹。うまかったよー」
「あ、そ」
日を追うごとに、あたしは後藤の笑顔が苦手になるみたいだった。
後藤はなんで笑うんだろう。
大市を前に、蜘蛛から腹いっぱい食わされて。
その先に何があるのか、気がつかないはずもないのに。
36 名前:作者 投稿日:2003年01月08日(水)23時35分27秒
後藤は大きくなった自分の腹を撫でながら、
「ここに来てから、ごとお、絶対太ったよねぇ」
へらっと笑った。
「んー、そうかぁ?」
来た直後よりも、後藤は確かに少し肉をつけたようだったが、太ったというよりは肉感的になった感じがした。
蟻に『肉感的』なんてのもどうかと思うけど、女王蟻の趣味が全く理解できないでもないなと思った。
「今がバランスいい感じだと思うけどな」
「ほんと?」
後藤が思いのほか、うれしそうに言うもんだから、あたしはなんだか慌てた。
「あー、や、蜘蛛の美意識だし、蟻的にはどうかわかんないけど」
「『蟻的に』はもういいよ」
口ごもるあたしに、後藤はきっぱりと言う。
「大市のお客さんは蜘蛛だもん。蜘蛛にウケないとさ」
あたしは絶句した。
後藤はイタズラを企む小さな子供のように笑って、言った。
「ごとおが高く売れるといいね、いちーちゃん」
37 名前:作者 投稿日:2003年01月08日(水)23時36分21秒
すぐには切り返せなかった。
後藤はあたしが答えないことなど気にもとめないようで、ライオンの子供のような大きなあくびをした。
なんとなく悔しくなった。
「そうだなぁ、後藤売った金で豚でも買おうかなー」
わざと後藤の怖がる豚の名前を出した。
「うえー、豚きらーい」
「関係ないだろー。そのときには、お前いないんだから」
自分でも過ぎた意地悪だと思ったのに、後藤はやっぱり笑顔になった。
「あー、そっか。いちーちゃんが豚食べるときは、ごとおも誰かの晩ゴハンになってるもんねぇ」

後藤の言い方はあっけらかんと明るくて、あたしは軽い目眩を感じた。
蟻には、悲しいという気持ちは生まれないんだろうか。
それとも、蟻は悲しいときに笑う生きものなんだろうか。
あたしには蟻がまるでわからない。
後藤のことが、わからなかった。
38 名前:作者 投稿日:2003年01月08日(水)23時37分23秒
「いちーちゃん?」
黙りこくるあたしを見つめる後藤の目は、『心配』なんて、筋違いなものを宿していた。
こんなふうに表情が読めるほどに、姿かたちが似通った2つの種。
どうしてなんだろう。
蜘蛛と蟻とは、食う・食われるの関係なのに、どうして、こんなにも似た形に生まれてきてしまったんだろう。

「いちーちゃん、なんか…変な顔してるよ?」
「べつに」
「ん、でも……あ、おなか減ってるの?」
「うるさい!!」
怒鳴った自分の声に、自分で驚いた。
後藤の声で『おなか減ってる』かなんて、きかれたくなかった。

後藤はあたしが怒ってると思うのか、久しぶりに触覚をくたっと寝かせて、まるい目玉に薄く水をためた。
それを見たあたしの方が、なんでか泣きたくなって、すごくバカみたいだと思った。
39 名前:作者 投稿日:2003年01月08日(水)23時38分17秒
* * * * *

『蟻は、喜怒哀楽のうち、哀が極端に薄い生きものみたいだ。』

今日こそ頭と体を洗わせるつもりで後藤を玄関先に出して(水瓶はあたしが運んだ。蟻のことだから3度同じ失敗をしないとも限らない)、あたしは日誌の続きを書いた。

『もっとも、蟻の立場で悲しみをまともに受け止めたなら』

そこまででペンを投げ出した。
どうも調子が狂う。なんだ、『蟻の立場』って。
蟻の立場なんかに思いをめぐらす筋合いは、蜘蛛にはない。
後藤は蟻で、すなわち食べ物で、あたしは蜘蛛で、つまり食べる人だ。
当たり前だ。揺るぎなき生命の大原則、不可侵にして絶対の星の掟だ。

じゃっじゃ、と書きかけた文章を乱暴に塗りつぶして、そうしたらノートが破れた。
頭にきて、ページごと破りとって丸めて捨てた。
40 名前:作者 投稿日:2003年01月08日(水)23時39分14秒
「後藤、終わったかー?」
気分転換に蟻の体でも観察しようと、扉を開いた。
「いやあああっ」
途端に耳をつんざく悲鳴、頭から水。
「、つめ…っ! 後藤、おまえは〜!」
「ぎゃー、ちょっ、あっち行ってよっ」
後藤はタンクトップを脱いだところみたいで、両腕を交差させて胸を庇っている。
「蟻のくせに蜘蛛に水かぶせるたあ、いい度胸だなぁ、コラ」
「だって、それは…っ、いちーちゃんが急に開けるからっ」
あたしはじりじりと後藤へ距離をつめ、後藤は距離を保とうとして後ずさりする。
41 名前:作者 投稿日:2003年01月08日(水)23時40分22秒
「だいたい蟻が羞恥心とか1万年はやいんだよ」
頭にきたので、今日こそは蟻のすみずみまで観察することにした。
飼い蟻にプライバシーはない。
「やっ…やめて、放してよっ」
後藤の両手をとって胸から引き剥がした。
真っ白なふくらみが一瞬、目に入った。

あ、ピンク―――と思ったのと、手に鋭い痛みが走ったのが同時だった。
「ってぇ!!」
やられた。
先日の蟻キックにはひどい目にあったので、足は警戒していたが、口は無警戒だった。
「サイテー、バカ、蜘蛛っ!」
後藤は自分が噛んだくせに、被害者ヅラで自分の体を抱きしめた。
「お前なぁ、このクソガキっ、蟻の変なビョーキうつったらどうしてくれんだよ!」
42 名前:作者 投稿日:2003年01月08日(水)23時41分14秒
突然、ぶつ、とちぎって捨てたみたいに、空間が沈黙の中に落ちた。
「あ、れ……?」
後藤は言い返してこなかった。
触覚を、目に見えるギリギリくらいに細かく震わせて、途方に暮れたみたいな顔をした。
「なんだよ、なんで黙んの」
気の強い後藤の目線が迷うのを、初めて見た。

「ごとおは、健康体だよ」
「知ってるよ、そんなの。あれだけ食って寝る病人いるかよ」
冗談に決まっているのに、後藤はもう一度、「健康体だよ」と繰り返した。
「わかってるって言ってんじゃん」
どう扱えばいいのか、わからなかった。
43 名前:作者 投稿日:2003年01月08日(水)23時42分15秒
星灯りの下で、後藤の裸の上半身は、ひどく頼りない感じがして、あたしは目をそらした。
「まだ寒いし、水浴び、昼にすりゃよかったな」
後藤は答えず、その体からぽたぽたと水が落ちる音だけ聞こえる。
「ほんとに病気しちゃいそうだ、こんなじゃ。風邪ひくから、もう入んな」
言いながら、あたしが先へ立った。
後藤が動かないんじゃないかと思って不安だったけど、背中についてくる気配があって、ホッとした。

「あー……お前さ」
健康体のヤツが『健康体だよ』と二度言うだろうか。
「体…」
『どこか悪いのか』。
きいて、どうする。なんのつもりで、そんなこと。
売り主としての商品への配慮、絶対にそうか。
それだけだと言い切れない気がして、尋ねる自分の声を想像するだに、どうしてか怖くて、あたしは結局きかなかった。
「体、明日の昼、洗いなよ。晴れそうだから」
それだけ、嘘ではなかった。
雲のない夜で、星が森の緑をやわらかく照らした。

「うん」と頷いた声が小さくて、あたしは、気持ちの内訳はわからない、とにかく後藤が少し気になった。
自分が迷子になったみたいで、
「おし。明日、洗うとき、商品点検な」
困ったから、とりあえず笑った。


44 名前:名無し読者 投稿日:2003年01月08日(水)23時56分26秒
ぎこちない2人(2匹?)の関係性が斬新で、引き込まれます。
45 名前:名無し娘。 投稿日:2003年01月09日(木)01時47分17秒
先を想像してすでに悲しくなっている自分が悲しい
46 名前:名無し読者 投稿日:2003年01月10日(金)00時18分07秒
お、おもしろい・・。この世界がなんか好きです。
47 名前:作者 投稿日:2003年01月10日(金)00時48分41秒
『後藤(蟻・メス・7歳・非処女・凶暴注意)飼育日誌 ―第5日目―

蟻は思いのほか凶暴だ。戦闘能力が低いからといって
なめてかかってはいけない。
ちなみに今日まであたしが後藤から食らった攻撃の数々:
・蟻キック(痛い。マジで痛い。刺身にしたくなるほど痛い)
・蟻バイト(後々までヒリヒリする。フライにしようかと思うほど…略)
・蟻タックル(蟻のくせに重くキマる。干物にしようかと…略)
・蟻エルボー(呼吸が止まる。唐揚げ…)
・蟻パンチ(姿焼き!)』

書けば書くほど腹が立ってきた。
なんで、飼い主が飼ってる蟻の体をたしかめようとしただけで、こんな目に遭うんだ。理不尽な。
「あ〜、ムカつくっ!」
あたしが叫ぶと、後藤もさすがについさっきの凶行(蟻パンチと蟻タックルと蟻エルボーのコンボは立派な凶行だ)が後ろめたいのか、床に座ったまま、気遣わしそうな視線を寄越す。
48 名前:作者 投稿日:2003年01月10日(金)00時49分32秒
「だいたいお前、種類が違うんだから、裸なんか別にさぁ」
「種類が違っても、なんかやだよ」
「『なんかやだ』くらいで必殺・蟻コンボ決められる身にもなれっての」
「なに、必殺・蟻コンボって」
呆れたようにツッコんでから、後藤はタンクトップの裾をことさら注意深い感じで引っ張った。
「自分だって、あたしの前で着替えたりしないじゃん」

文字通りに、痛いところをつかれた感じだった。
「いちーちゃんだって、蟻相手でも裸とか見られたくないくせに」
後藤に悪気はない。それはわかっている。でも痛かった。
「それは、ちょっと事情が違うだろ…」
「また蜘蛛だから蟻だからって言うんでしょー。
違わないよ、そんなの。
ヒト、型だったら、やっぱり…恥ずかしいし」
『人だったら』と言おうとしたのがわかった。
『ヒト型』に言葉をあらためたのは、後藤があたしの差別意識を強く感じとっているからだろう。そこで揉めたくないから、後藤は咄嗟に言い換えた。
寂しい機転だなと思った。
49 名前:作者 投稿日:2003年01月10日(金)00時50分44秒
「そういう問題じゃないけどね」
言ってから、これは誤解させるなと思った。
『蜘蛛は蟻と同じ感覚など持たない』みたいに聞こえるかもしれない。
「ふうん……」
後藤は前髪が目を隠すくらいまでうつむいた。
『いや、そうじゃなくて―――』
後藤のために説明することもできたのに、あたしはあたしのために黙っていた。

あたしが後藤の裸を見たくなったのは、あたしが誰にも裸を見せたくないからかもしれないなと思った。
強いコンプレックスは、一番近づきたくないところへこそ、あたしをかえって近づかせるのかもしれない。
「まーいいや、点検は。そんかし明日こそ髪洗えよ、途中で水ぶちまけたら殺す」
人差し指を後藤の鼻先に向けて、宣言した。
後藤はものすごく曖昧な笑い方をして、あたしは曖昧な何かを胃の辺りに感じた。
一人と一匹は黙って、森の夜はひたすらに静かだった。


50 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月10日(金)00時58分06秒
今さら名乗ることもないんですが、
なんとなく後ろめたかったんで。
なら最初から名乗れよって話ですが、
それもちょっと後ろめたかったんで。

このHNをご存知ない方が多いと思いますし
(去年から青板で書かせていただいてます)、
作者の名前なんざ、どうでもいいかと思いますが
今後はいちお、このHNでいきます。

この小説の場合、文章云々より話の展開が命なので
返レスは今後もひかえさせていただきます
(お調子者の作者のことで、つい先の展開を
匂わせるようなことを口走りそうなんで)。
返事はできませんが、レスには本当に感謝しています。
今後も気軽に感想を寄せていただけるとうれしいです。
51 名前:名無し読者 投稿日:2003年01月10日(金)13時43分10秒
おっとびっくり。青板新作も読んでますよー。
楽しみだな。
52 名前:名無し読者 投稿日:2003年01月10日(金)14時20分37秒
青からとんできました。
さすが、と思わずにはいられない文章ですね。
続き楽しみにしてます。
53 名前:タモ 投稿日:2003年01月10日(金)15時54分23秒


駄作屋さんだったのですか!
青版の書き込みをみてとんできました。
ありんこ後藤と蜘蛛市井ですか。
さすが、おもしろい設定ですね〜。
これからも頑張ってください!
54 名前:名無し娘。 投稿日:2003年01月10日(金)17時32分18秒
なに!!駄作屋さんだったのか!?…とか言ってみる。
蟻さんの素晴らしいコンボ集…自分も受けてみたい!
55 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月11日(土)04時45分38秒
『後藤(蟻・メス・7歳・非処女)飼育日誌 ―第6日目―』

ペンを握りしめたまま、ずいぶん時間が過ぎた。

『後藤は』

後藤は―――――、なんだろう。
この3字の後に、どう続ければいいのか、わからなかった。
ああだろうか、こうだろうかと迷うんじゃなくて、言葉が最初からひとつも浮かばなかった。
かわりに、今は扉をひとつ隔てたところにいる後藤の、さっきの声が、あたしの頭の中でこだましている。
『ごとおはねぇ、キケイジなんだってさ』


56 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月11日(土)04時46分21秒
* * * * *

「いいっかげんにしろよ、お前は。今日こそ洗わせるからな絶対に」
「っさいなぁ、別に髪くらい洗ってなくても買い手くらいつくよ」
「誰がそんな話したよ、今」
「しなくても、それじゃん。そのためにあたし、ここにいるんでしょ?」
後藤は珍しく、つっかかるような言い方をした。
自棄になっておかしくない状況で、それでも笑うヤツだったのに。

後藤はやっぱり髪を洗いたがらなかった。
薄々は気づいていた。
水をがぶ飲みしたり、こぼしたり、人にぶちまけたり。
偶然はひとつひとつなら自然で、けれど集まれば不自然だった。
だから、後藤が「今日は風が冷たいから水は浴びない」と言い出したときも、そのこと自体は予想の範疇で、ただ、この頑なさが意外だった。

「なんで、そんなに洗いたくないんだよ、意味わかんない」
「わかっていらないし、別に」
突き放すような目のそらし方も、後藤らしくもないものだった。
「お前ね。蜘蛛なめてると、ほんと怖いよ?」
「ああ、へえ、そら大変だー」
なんて、かわいくない生きものだ。
あたしは後藤の手首をつかまえた。
「今ので決めた。絶対、洗う」
57 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月11日(土)04時47分09秒
軽い気持ちだった。
軽いつもりでしたことが重いものを引き出してしまうこともあるってことに、気が回らなかった。
あたしは後藤を玄関先に連れ出して、後藤の頭に水をかぶせた。
それは昨日、一昨日とあたしが後藤にされたことで、だから悪いと思わなかった。
後藤はずっと「やめて」を繰り返していて、その声の響きは、今にして思えば、水が冷たくてイヤだとかいうレベルを超えた痛みをはらんでいたのに、あたしは気づかないで後藤の髪の中に指を入れた。

「あ……え?」
あたしが指を止めたときには、後藤はもう、静かになっていた。
黙ってる後藤の、栗色の髪の毛が濡れていた。
蟻にあるまじき明るい色の髪が、水に濡れて光っていた。
「染めてた、の?」
訊くまでもないことだった。
黒の染料が水に溶けて、後藤の足元に鈍色の水たまりをつくっていた。
58 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月11日(土)04時48分00秒
後藤は両足を広げて座り込んで、その間に力の抜けた腕を投げ出した。
「あーあ、バレちゃったかぁ」
洗う洗わないで揉めたときに見せた頑なさは薄れて、後藤はいつもと変わらないような声を出した。
それが後藤の感情を映したものじゃなくて、むしろ隠すためのものだってことは、あたしにもわかった。

後藤は立ち尽くしてるあたしを首だけで振り返る。
笑っていた。
「ごとおはねぇ、キケイジなんだってさ」
59 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月11日(土)04時48分52秒
それから後藤は「マダラもないよね」と言って、自分で髪を丁寧に洗い始め、指を動かしながら、『キケイジ』である自分のことを語った。

* * * * *

あたしねぇ、卵にいたときから、記憶があったんだよね。
普通は生まれて1週間くらいからみたいなんだけど、ちょっと早かったみたいで。
だから、みんなが聞かれるつもりでしゃべってないこととか聞こえてて、生まれる前はそういうの、楽しかったんだ。
みんな、ごとおが生まれるの楽しみにしてくれてたんだよね。
前の女王様の最後の卵だったし。
なんやかや、卵に独り言いってく人とかもいてさ。
もちろん見えないんだけど、ちょっと低い声のおばさんは咳をよくするから心配だなぁとか、あーこの優しい声のおじさんに早く会いたいなぁとか思ってた。
60 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月11日(土)04時49分40秒
そんでやーっと生まれて、ああ、みんなに会えるなぁってうれしかったんだけど。
最初にごとおを見た人が「キケイジだ」って、すごいがっかりしたみたいに言ったんだ。
そいで、しばらくして、みんな集まってきて。
「不吉な色だ」とか「病気を持ってるに違いない」とか、すごい暗い顔して言うんだよね。
なんか、なんだろ、そのときは「ええ、そうなのかぁ」っていう感じかなぁ。
みんなの顔とか生まれるまで見えないわけだからさ、自分が他の蟻と違ってるの、それまで知らなかったんだよね。

ちなみに、ごとおはどう奇形かっていうと、なんかね色素が薄いらしくて。
髪の毛こんなだし、肌もね、まー蜘蛛から見たらわかんないだろうけど、みんなより白いし。
蟻っつったら黒髪に黒い瞳だし、そうじゃないのあたしだけだから、とりあえず、すんごい気持ち悪がられたね。
生まれたそのときも、誰かが「処分しよう」って言って。
それがあの優しいおじさんの声だったからさぁ、あたし意味わかんないままキャッキャ笑ってたんだー。
でもなんか、話きいてると殺されちゃいそうな流れなんだよねぇ、あはっ。
やー笑いごっちゃないんだけどさ。
61 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月11日(土)04時50分24秒
んーと別にね、みんな悪い人じゃないんだ。
たださ、蟻って、ものすごいたくさんで暮らしてるからね、広がるものが一番怖いんだよ。
広がるものっていうのは、だから、うつる病気とか、悪い噂とか。
ごとおの奇形はただ色素うすいだけで病気じゃないかもしれないけど、でも、もしかしたらやっぱり病気かもしれないじゃん。
そしたら、ヘタしたらコロニー全滅もんだしさ。
だから殺されてもしかたなかったんだよね、ごとおは。

62 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月11日(土)04時51分08秒
でも、そこに圭織が来てね。
圭織はそんときまだ、新しい女王として迎えられたばっかだったんだけど、すごい美人だし、いい人だから、最初からめちゃくちゃカリスマでねぇ。
その圭織が、「殺しちゃダメ」って言ってくれて、だからごとおは今生きてるんだよね。
あたし、たぶん、圭織がそんとき言ったこととか、一生覚えてるんだろうな。
って、ごとお、なんか一生短そうだけどさ。あはっ。

圭織はね、「みんなと違うのが奇形だ悪だっていうんなら、わたしも奇形であり悪なんだね」って言ったんだ。200分の1だからね、女王蟻は。
それでみんな静かになっちゃった。
「前女王の体に悪いところもないのに、生まれたてのこの子に病原菌があるはずがない」って、「無意味な殺生はわたしが許さないから」って言ってくれてさ。
そんで、あたしは殺されないことになったんだ。

63 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月11日(土)04時51分56秒
けど、色が違うのとか、やっぱり気持ち悪いみたいでさ、みんな。
頭の中とかも違うんじゃないかとか、みんなとは感覚が違うんじゃないかとか思われてるみたいだったね、なんか。
こうされたら普通は悲しいだろうけど、コイツは悲しくないだろうとか、そういうのも思われてたんじゃないかな。
なんか、うん、わりといろいろ言われたり、されたりとかしてて。
あたしは別に頭の中とかは、ちょっとバカかもしんないけど普通だから、普通にやだったりしたかなぁ。

そいで、なるべく目立たないようにしようと思って。
この森の奥のとこにね、樹液で黒いの出てる木があって、それ匂いもいいし、染料に使ってたんだ。
遠くまで出かけられるようになってから、ずーっと欠かさず使ってる。
なんか、そのまんまの頭さらすのが、すごい怖くなっちゃっててさぁ。
別にどってことないんだけどね、なんか。
だから…蜘蛛は、ねぇ、頭茶色だし、隠すことないんだけど、でも…なんとなく、やでさー。
そんで、せっかく汲んでくれた水こぼしたりとか。
やー、ほんとゴメンナサイだね。反省してます。

って、いちーちゃん、聞いてる?

64 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月11日(土)04時52分42秒
* * * * *

髪を洗いたがらない理由や、健康体だと二度言った理由や、飯田圭織に心酔してる理由や。
そもそも、こんなところを通りかかった理由や。
後藤のいろんな理由がそこにあった。

「いちーちゃん? 洗い終わったし、中入ろ?」
後藤の濡れた髪は、なめらかな艶があって、とても綺麗だった。
これを恥じなきゃいけないなんて、それは間違いだとあたしは思った。
「いちーちゃん、なに」
『そんなの、おかしいよ』と言うかわりに、あたしは後藤に手を伸ばした。
あたしは蟻に何をしようとしてるんだろう―――一瞬、頭をかすめたけど、すぐにそれはどうでもいいことになった。

これは同情で共感だ、あたしは知ってる。
蟻と「同」じ?
蟻と「共」に?
おかしいのはわかってる。
だけど、そんなことより今は後藤の心臓を感じていたかった。
蟻として不完全な形で生まれてきた後藤。
蜘蛛として、生きものとして、不完全なあたし。
マイナスは一致してて、でも懸命に生きてるこの命に、あたしは焦がれるような気持ちだった。
65 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月11日(土)04時54分15秒
腕の中の体温は、あたしより少し高いみたいだった。
そんなことで涙がこぼれそうで、蟻に泣かされるのは癪に障るから、それは我慢した。
後藤は、あたしがなんでこんなふうになってるかわからないだろうに、食べられるんじゃないかと思えそうな状況だろうに、身じろぎひとつ、しなかった。
ただ黙って、あたしの腕の中にいた。


* * * * *

『後藤は』

一人の部屋で、ようやくペンを走らせた。

『後藤は、不完全な蟻で、かつ、とても綺麗な生きものだ』

もっと他に書きたいことがある気がして、けれど思いつかず、あたしはノートを閉じた。
後藤が生まれ持った姿のままで、今日はいい夢を見るといいと思った。


66 名前:タモ 投稿日:2003年01月11日(土)18時10分52秒


市井に気持ちに変化が・・・?
市井の日記の言葉にじーーんときました。
これから二人(二匹)の関係はどうなってゆくのでしょう?
67 名前:名無し読者 投稿日:2003年01月12日(日)15時19分44秒
なんかいい展開ですね。
あー続きが気になる…。
68 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月12日(日)17時07分36秒
『後藤(蟻・メス・7歳・非処女)飼育日誌 ―第7日目―

熱発。後藤が熱を出した。
水をかぶせたのがまずかったかもしれない。
ひどく汗をかいて、やたら水を飲みたがる。
呼吸も速いし、珍しく食欲がないようだ。
風邪の症状としては、蜘蛛のと変わらないようだが、
油断はできない。』

床にじかに座って、ベッドの脚にもたれながら日誌を書いた。
蟻をベッドに寝かせることに、不思議と抵抗はなかった。

もともと朝の遅い後藤だけど、昼になっても起きてこないから、食料庫の扉を開けてみた。
小さな空間には熱っぽい空気が満ち、後藤は荒く息を吐きながら床に転がっていて、あたしは迷わず後藤を寝室に運んだ。
69 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月12日(日)17時08分29秒
元来、蟻は蜘蛛よりも弱い生きものだ。
戦闘に限らず、病気への抵抗力も含めた意味で、決して強くはできてない。
そして、珍しいタイプの個体(奇形とは言いたくない。だって別にアイツは奇妙じゃないから)は、往々にして、その他一般より弱いことが多い。
後藤にとって風邪が安心できる範囲の病気かどうかはわからなかった。

布団を重ねてやり、額を冷やし、薬を飲ませ、水も枕もとに置いてやって。
夢中でそこまでやってから初めて、自分が必死になってることに気がついた。
唖然とする。あたしは蜘蛛なのに、どうして、こんなバカな思いつきをしたのか。
だけど、滑稽な思いつき(もしかしたら願いと言い換えていいかもしれない)は胸から消えず、かえって強くなるばかりだった。

―――――この命を、守りたい。


70 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月12日(日)17時09分30秒
「いちーちゃん、ごめんね」
目を覚ますなり、後藤は言った。
「あー、つまんないこと言わなくていいから寝てな」
あたしはつっぱねたけど、後藤は辛そうな呼吸の下から、言葉を紡ぐことをやめない。
「もうすぐ、大事な市が立つのにね、商品がなんか…ボロボロだ」
後藤は泣く前の顔にそっくりな笑顔を、こんなときにもつくってみせた。
「余計なこと考えんなって。蟻の考え休むに似たりって言うじゃん」
「言わないよ、それ、ひど……」
ツッコミがあんまり弱々しくて、あたしはなんだか焦って、布団からはみ出してた後藤の手のひらに触った。
きっとすごく熱いだろうと思ったのに、手のひらは不思議と冷たい。
その冷たさがイヤで、白い手のひらを自分の両手に包んだ。
71 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月12日(日)17時10分41秒
「いちーちゃん?」
様子のおかしな蜘蛛を、蟻が心配する。
「どしたの?」
どうしたんだろう、あたしもあたしのことがわからなかった。
後藤の手を、そっと解放してやる。
「もし、大市までに治らなかったら、今度にしてもいいしね」
本当は、あと3日に迫った市場に、後藤が間に合わなければいいとさえ、考えていた。
だけど、後藤は枕の上でかぶりを振った。
「治るよ。ちゃんと治るから…ごとおのこと、なるべく高く売ってよね、いちーちゃん」
「なんで、そんなこと気にすんのさ」
「それはあれだよ、んーと…一宿一飯の、ご恩てやつに、報いないとさ」
後藤にしては難しい言葉を、少し得意そうに言った。

飯田圭織が教えたのだろうな、と思った。
そのとき急に、後藤が蟻に見えなくなった。
熱で潤んだ瞳や、少し開かれた唇や、汗に濡れた白い肌。
そんな全てがやけになまめかしくて、あたしは後藤の熱がうつったみたいだった。
飯田圭織のベッドの上で、後藤はどんなふうなんだろう。
ろくでもない想像が頭に浮かんで、あたしはそれをコンマ数秒で打ち払った。
72 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月12日(日)17時11分54秒
「いちーちゃん?」
黙ってしまっていたことに気がついて、「ああ」なんて適当な返事をする。
「『一宿一飯』はね、いちーちゃんと、この星と両方のことだよ。
 借りは、返さないとね」
後藤は、あたしと違って、自分の生きる道をものすごく明確にしている。
大市で高値をさらってあたしに恩を返し、誰かの口に入って食物連鎖にまかれることで星に報いる。理想的で、あるべき蟻の考え方。
ただし、誰にとっての理想かといえば、それは少なくとも蟻じゃないはずだった。

「返すべきものなんて、もらってないだろ」
何に対する、どういう種類の怒りかはわからないけど、あたしは腹を立てていた。
「お前、この星にもらったもんなんて差別と虐待と」
「そんなことないよ」
後藤は少しも急がずに、呼吸を落ち着けて話した。
「そんなことない。太陽はあったかいし、水はおいしいし。いい風が吹くし、あたし、森が好きだよ。
 いちーちゃんは、この星が嫌い?」
73 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月12日(日)17時13分20秒
「嫌いだよ」
あたしは間髪入れずに答えた。
厳密には『嫌い』とは違うかもしれないけど、あえて強く言いたかった。

「だって、もう終わりに向かってんじゃん、とっくにさ。
 蟻の女王出生率は年々下がってる。
 蜘蛛にはモラトリアム病が蔓延してる。
 去年、鬱病でどれだけの蝶が死んだ?
 『人』はもう要らないって言われてんだよ、この星から」

数え上げればキリがないほど、二足虫は深刻な問題を抱えている。
単純な疫病とは様子の異なる奇病がいくつも、それぞれの種の存続を脅かしていた。
ここ数年で時期を同じくして始まったそれらの現象は、まるで星からの最後通牒のようだった。
74 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月12日(日)17時14分13秒
「知ってる?」
熱の高い後藤を相手に今、なんの議論をする必要があるのか。
やめておこうと思うのに、言葉は溢れて止まらなかった。
「植物の中に、二酸化炭素を必要としない突然変異株が増えてるんだって」
それはすなわち、動物が減っても対応できる仕組みへの変化。
「この星の緑は、あたしたちのこと、とっくに見捨ててんだよ」
あたしが言い募るのを、後藤は静かにきいていた。
「うん」と頷いて、それから、後藤は信じられないほどあっさりと言い放った。
「でも、それが、なに?」
75 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月12日(日)17時15分36秒
「なにって」
「だって、ごとおは意味とか目的で生きてないから」
熱いのだろう、額の濡れタオルを裏返して、頬にあてながら言う。
「全部が最後にどうなるかなんて、誰にもわかんないし、最後のために今をやってるわけじゃないもん。
後で滅ぶからって、今からもうダメってことないじゃん。それ言ったら、あたしたちみんな、『後で死ぬから生きなくていい』になっちゃう」
熱で浮かされた蟻に一本とられて、あたしは少し悔しくなった。
「未来のための今じゃない。じゃー、なんのための今?」

『今のための今』とか抽象的な言葉で逃げるかと思ったけど、後藤はそうはしなかった。
「なんだろー、ね。わかんないけどさあ。
 そのとき思ったことを素直にするのでいいんじゃないかなーって、ごとおは思う。
 そういう今が続いてって、気がついたら10年とか経ってさ、そんで死ぬとか、そんなもんじゃん?」
生きることに特別な意味や目的を見ることはしない、と後藤は言う。
それが後藤の立ち方。食物連鎖ピラミッドの下層に生まれ、『奇形』と蔑まれた後藤が、苦しんだ末にたどりついたところなんだろう。
76 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月12日(日)17時16分49秒
「だけど、お前、こないだ『食べられるために生まれる』って」
「言ったねぇ。んー、死ぬときはね、理由が欲しくなるよ、やっぱり。
 いちおーさぁ、せっかく生きてんのに、もう少しで諦めないとなんだなって思ったら、なんか、どうにかして自分のこと納得させたくなるよ」
へへっと笑って、上半身を起こして、水の入ったグラスに手を伸ばした。
グラスを胸の前に持って、飲む前にぽつんと言った。

「やっぱ、ちょっと、死ぬのって」

言いかけて、続きを言わなかった。
あたしが気にすると思ったからだろう。
後藤はあたしのために、『怖い』と言わなかった。

死ぬときに理由が必要なら、あたしもそろそろ考えるべきなんだろう。
たとえば、後藤は死ねば誰かの血肉になり、あたしにも金が手に入る。
だったら、あたしは、何になれるのか。
ここ数年で浸透してきてる火葬があたしにも適用されるなら、あたしは土にすらなれない。
子孫を残さず、自分の体を与えず、どころか他の生きものを食べて、そうまでして、あたしは、どうして。

後藤を殺してまで生きる理由は、なんだろう。


77 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月12日(日)17時19分21秒
「いちーちゃん」
呼ばれて、考え込んでいた自分に気づく。
後藤は具合が悪そうで、それでも、あたしの心配をしていた。
「変なこと言って、ごめんね。大丈夫だからね?」
冷たいものを差し込まれたような痛みが、胸を貫いた。
「変なことじゃないよ」
死ぬことが怖いのは、おかしくなんかないんだ。
「あたしだって、怖いから」
誰にも言えなかった。
『死にたくない』と、『怖い』と、言えずに一人で抱えてた。

「いちーちゃんは、だって、今19だよね?」
後藤が怪訝そうな顔をする。
蜘蛛で19歳なら、普通はあと30年ほどの寿命がある。
病気や事故に遭う可能性はあるにしても、推定では30年も先の死を怖がる理由が、後藤にはわからないんだろう。
あたしにもわからない。30年先なら、なんとなく怖くない気がする。
だけど今、あたしは怖い。
タイム・リミットならもう、本当は1年を切っていた。
78 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月12日(日)17時20分34秒
「そうなんだけどね。ときどき、考えるんだ」
あたしは後藤に病気のことを告げる勇気が持てなかった。
だって、自分がこの先1年も生きないヤツの糧にされるってわかったら、どんな気分だろう。
―――――嘘だ。
後藤の気持ちを慮るふりで、あたしは単に嫌われるのが怖いだけだ。
不浄のこの体。
どうせ短いものを、他の命を奪ってまで長らえようとする心。
それを後藤に知られることが、とても怖かった。

「もしも未来のために今があるとして、そしたら、あたしたちは最後の世界までのつなぎなのかな。
親から生まれてきて、そんで子供つくってって。
 そのために生まれたとしたら、そうやって『間』をやるのが使命だったら、血を残せないヤツはどうなっちゃうんだろう。
なんのために、そこにいるんだろうね」
後藤はあたしがこんなことを言う意味を理解できないだろう。
あと30年の間に子供でもなんでもつくればいいのに、と思うはずだ。
あたしは後藤に何を伝えたくて話すんだろう。こんな片手落ちの話を。
79 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月12日(日)17時22分07秒
「食料にならないし、土にも還らないし、子供も残さないんだったら、後藤が言うみたいに星に報いることもできないよね」
何を言おうとしてるのか、自分でわからなくなった。
自分は無意味な存在だと、そう主張してどうするというんだろう。
愚かだ。
自分で自分に意味がないと言い立てて、それでこんなにも胸が痛い。

ふいに、ちょっとだけ湿っぽい熱を、手に感じた。
後藤の両手が、あたしの手を包んでいた。
さっき、あたしがしたのと同じように、そうしていた。
「つなぎじゃないよ。
星は大きすぎるから、星からはあたしたちが途中経過にしか見えなくても。
もしかして本当にそうでも」
後藤の瞳は黒より少し明るい色をして、静かな光を放っていた。
これが『奇形』と呼ばれるゆえんだとしても、美しいと思った。

「いちーちゃんは、いちーちゃんで、それだけで、いちーちゃんの値打ちがあるよ」

めちゃくちゃだ。蟻はやっぱりバカだ。
「後藤って、なんで、そんな…」
わからないくせに、わからないままで人を丸ごと肯定するようなことが、どうしてできるんだろう。
この強烈なパワーみたいなもの、どこから生まれてくるんだろう。
80 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月12日(日)17時22分59秒
「なんだよー、変なとこで止めないでよ」
後藤は笑って手を離そうとした。
あたしは、布団に戻ろうとするその手首をつかまえていた。
「なに?」
ためらい顔の後藤を、黙って抱き寄せる。
「ちょっとだけ」
理由を説明しなかったけど、後藤は無言で頭をこくりとさせた。
汗の匂いがした。イヤじゃなかった。
後藤の匂いも、後藤の熱も、不思議なほど心地がよかった。

「熱、まだ高いね」
「ん。これ、たぶん蜘蛛にもうつると思うからさ」
放してと言われても、あたしは黙ったまま動かなかった。
後藤もあえて、あたしを引き離そうとはせず、かわりに言った。
「昨日、あんな話しちゃったからなー。同情してる?」
「うん。してる」
「あはっ。はっきりしてるねぇ」
後藤の笑い方が寂しそうで、だからあたしは、この『同情』の意味だけは、取り違えて欲しくないと思った。
「違うよ。かわいそがってない。
ただ、同じなんだなぁって思った」
81 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月12日(日)17時24分10秒
「同じ?」
後藤に嫌われることはやっぱり怖かったけど、一方で、後藤に聞いてほしかった。
「同じなんだ、あたしも。不完全で、蔑まれるべき存在なんだ」
矢継ぎ早に質問を浴びせるようなことは、後藤はしてこない。
鼓動だけ感じながら、あたしは続けた。
「あたし…市井はさ、『あたし』なんて言ってるけど、メスじゃないんだ」
「えっ?」
後藤の体が強張る。
「でも、オスでもない」
後藤はもう驚かなかった。
丸い瞳であたしをじっと見て、ただ一言だけで尋ねてきた。
「モラトリアム?」
「うん」
82 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月12日(日)17時25分08秒
モラトリアム症候群。
『猶予』という、ふざけた名前が、その病気には冠せられている。
成虫になれない病。

蜘蛛は半陰陽の体で生まれてくる。その時点では生殖能力がない。
14から16歳までで成虫になるとき、どちらかの形が失われ、かわりにもう一方の形に中身が備わる。子供を作る体になる。
ところが、この10年ほど、17歳を過ぎても成虫になれない蜘蛛が増えている。
『不浄』とされる半陰陽の体を抱えたまま、20歳になることなく、まるで諦めるかのように心臓を止めていく。
報告されているだけで1割強、実際は2割近くの蜘蛛が、この病を患っていると言われる。
そして、あたしも。
19歳の今も未成熟なこの体は、このまま変体することなく、あと1年と経たずに朽ちるはずだ。
83 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月12日(日)17時29分36秒
「あたしが生きててもさ、蟻たちを食べてまで生きたって、何も生まないのにね。
ひどい話だよね」
あたしは、後藤の体をそっと手放した。
後藤はいつになく真剣な顔をしていた。
「生まなくたっていいじゃん」
細い腕が、ぎこちなくあたしの背中にまわった。
「いちーちゃんは」
自分を抱きしめてくる腕を、ずいぶん久しぶりに感じた。
「いちーちゃんなだけでいいよ」
後藤の腕は細っこい子供の腕だったけど、とても温かかった。
「後藤……あたしが汚いと思わないの?」
「思わないよぉ、そんなの」
後藤は笑いとばした。笑った瞬間に咳が出て、少し苦しそうな顔をする。
背中をさすってやると、少し楽になったらしい後藤は、
「いちーちゃんはね」
ふんわりと笑った。
「いちーちゃんは、きれいだよ」
声は小さかったのに、あたしの胸の震えは小さくなくて、なかなか収まっていかなかった。

* * * * *

後藤が眠るのを、眠らずに見ていた。
雨粒の一滴ももらさない部屋で、後藤の頬に、雨が降っていた。
あとからあとから降り続いて、雨はやむことをしらなかった。
84 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月12日(日)17時30分36秒
入れ忘れた。更新終了です。
レス、ありがとうございます。
85 名前:きいろ 投稿日:2003年01月12日(日)17時36分59秒

あんまり、レスっていれると迷惑でしょうか?
でも、感想を言わなきゃ気がすみません!!!
市井ーーーーー!!悲しすぎる!!

と、ゆーわけで次からは控えめに応援いたします。
更新頑張ってください。
86 名前:タモ 投稿日:2003年01月12日(日)17時40分24秒
リアルタイムで見ました。
青版での方の小説も楽しみにマターリ待ってますね(●´ー`●)
おもしろい設定の中での市井と後藤ですね。
駄作屋さんは僕をどれだけ泣かせれば気が済むのですか!?(逆切れ)
87 名前:名無し読者 投稿日:2003年01月12日(日)20時11分51秒
なんとなく、展開から先が推し量れたのに、
それでもこうやって駄作屋さんが文章にすると、すごいくる。
やっぱり書く人によってこうも違うのかと思うと、本当に頭が下がります。
続きに期待!!
88 名前:名無し娘。 投稿日:2003年01月12日(日)20時39分22秒
どんどん面白くなっていくじゃないか!
槙原の唄を思い出した。あいむあはんぐり〜すぱいだ〜♪
ちょっと違うけど。
89 名前:和尚 投稿日:2003年01月13日(月)00時57分01秒
切ないねぇ・・・
後藤さんは強いなぁ・・・食物連鎖ピラミッド最下層の蟻だけど
この瞬間はピラミッドの頂点にいたと思いました。
90 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月18日(土)20時50分42秒
『後藤(蟻・メス・7歳・非処女)飼育日誌 ―第8日目―

一夜明けて熱はだいぶ引いたようだけど、まだ体はだるそうで、
今日は一日、寝たり起きたりの繰り返しだった。
ナントカ菜(野菜の名前は覚えられない)を煮たやつと
ナントカ茸(キノコの名前も覚えられない)を炒めたのを食べさせた。
食欲なんかないくせに、しきりに『おいしい』と繰り返す後藤は
あれで案外、気を遣う性格なのかもしれない。
ベッドを占領してることもずいぶん気にしていたようだった。』

昼過ぎに目を覚ました後藤は、まだ覚醒しきらない頭で、早速気を遣った。
「ごめん。昨日もしかして床で寝た、よね?」
寝てないのだが、それを言えばなおさら気にするだろうから黙っておく。
「ん。まー自慢の屋敷だし、床もキレイだから別に」
変な言い訳をしてみたりして、あたしはなんとなく後藤から目をそらす。
後藤に「ごめん」や「ありがとう」を言われるのは苦手だ。
だって、そのどっちも本当はあたしが言うべき言葉のような気がする。
『殺しちゃうけど、ごめんね』とは、とても言えないけれど。

91 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月18日(土)20時51分29秒
「ごめんね。もう熱下がったし――――」
言いながら布団から抜け出ようとするのを、あわてて押しとどめる。
「バカ。病み上がりに大事にしないと余計ひどくなるだろ」
「大丈夫だよ。別に働くわけじゃないんだし」
「いいから、そこで寝てなってば。働くわけじゃないんだから起きてくることないの」
止めようとして体重をかけたら、ちょうど後藤に覆い被さるような格好になった。
真下で、ちょっと垂れ気味な目がますます丸くなる。
透明な眼差しが邪気もなくあたしを射抜いて、その途端、あたしはものすごくバツが悪くなった。後藤の上から、あわてて降りる。

後藤はもう無理に起き出そうとはしなかったけど、ちょっと困ったような顔をした。
「床で寝てたら、いちーちゃんの方が風邪ひいちゃうよ」
「市井は別に、大丈夫だよ」
ベッドに腰かけて、宥めるように布団をぽんぽんと叩く。
布団にくるまってるのは後藤の方なのに、あたしの方が温もりを感じていた。
誰かに心配されるのは数年ぶりのことで、記憶していたよりずっと、気持ちのいいものだった。
92 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月18日(土)20時52分12秒
蜘蛛は、成虫になった後は基本的に死ぬまで一人で暮らす。
交尾の相手とも一緒には暮らさず、それぞれに巣を持って、オスがメスのもとに通う。
あたしも15の年から、メスになったふりで生家を出て(こういうのは「隠れモラトリアム」と呼ばれる)、もちろん結婚できるわけもなく、もう4年、一人でいる。
考えてみれば、誰かがこんなに近くにいる暮らしはずいぶん久しぶりだった。

「いちーちゃん、なんか眠そう」
「ん。ちょっと眠いかも」
軽く応じて、一人でこっそりドキドキする。
『眠いかも』なんて、他の動物の前で言うあたし。自分の知ってる自分から、はみ出す自分がそこにいた。
弱みを見せることは恥ずかしくて、おかしなことに、なんだか嬉しかった。

93 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月18日(土)20時53分04秒
「つめよっか?」
言いながら後藤はベッドの奥へ身を寄せて、手前を空けた。
「え?」
思わず聞き返してしまっていた。
後藤とあたしでいっしょに眠る―――それは、あたしでは考えつかない選択肢だった。
「あ。そっか、やだよね。え、と…やっぱ、ごとお―――」
「やじゃないよ!」
言いかける後藤を強くさえぎった。
誤解されたくなかった。
蟻は下賎だからとか、『キケイジ』は気持ち悪いとか、後藤が今とっさに想像したであろうことは、あたしの頭をかすめもしなかった。
あたしはただ、強いて言うなら、そう、少し恥ずかしかっただけで。

「そんな叫ばなくても」
後藤はあたしの勢いに目をぱちくりさせながら、それでも笑った。
うれしそう、に見えた。勝手な思い込みかもしれないけど。
「お前こそ、なんてかさぁ」
気持ち悪くないんだろうか。
自分を食べる種類の生きものだし。厳密には同性じゃないわけだし。
「んあ〜。いちーちゃん、寒いよぉ。入るんなら早く」
掛け布団をめくってくれた後藤は、あたしの言うことを、多分わかってて無視した。

94 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月18日(土)20時53分46秒
「後藤、体あったかいね」
「もう平熱なんだけどさー。もともと高いんだよね」
「蟻の中でも高い方なんだ?」
「うん。圭織とか低い方だから、すごい差がある感じしたなー」
飯田圭織の名前は、あたしにとって聞いて楽しいものではなくなっている。
だけど後藤は「圭織」と発音するときにとても幸せそうだから、今日ぐらいは大目に見ることにした。
「手ぇとかひんやりしてて―――って、いいや、やめ」
「なに、なんで?」
「また蟻は恥知らずだとか言われるもん」
唇を少し突き出したその顔がやけに幼くて、笑えた。
「てことはノロケようと思ったな」
「ノロケってか、家族みたいなもんだし、圭織は」
ずいぶん牧歌的な愛人関係だ。
考えてることが伝わったのか、後藤はちょっと苦笑いになる。

「ごとおは2歳から圭織のとこ呼ばれるようになったんだ」
「え、2歳!?」
まじまじと後藤の顔を間近に見つめてしまった。
「あ、でも蟻って最初の2年でだいぶデカくなるんだよね?」
「うん、蜘蛛でいうとねぇ、1年目に6つ、2年目に4つ、3年目に3つ分くらい年とる感じかなぁ。あとは1年に1つずつくらいだけど」
その計算でいくと、蟻の2歳は蜘蛛的には6足す4で。
95 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月18日(土)20時54分33秒
「うえ、後藤って10歳で妾になったわけ?」
「メカケって言わないでよ」
即座に返してから、ちょっと口ごもる。
「圭織は、ごとおの4つの誕生日までそういうこと、絶対しなかったもん」
後藤としては『絶対しなかった』を強調したいのだろうけど、あたしの耳は違う箇所を優先的に拾ってしまう。
「初めては4つの誕生日かー。なるほど」
「っ、いちーちゃん、オヤジくさい!」
後藤は拗ねたみたいに寝返りを打って、全身でそっぽを向いた。
「なんだい、恥ずかしがり屋さんだなぁ。あはははは」
「んもう、アナタったら…って気持ち悪いよバカ!」
あたしたちは、くだらない冗談に冗談をつなげた。
後藤の背中は笑ってて、あたしもその背中に笑い声だけ届けた。
『圭織のところに帰りたい?』
本当は訊きたい。だから訊かない。
ごめんね、後藤、訊いてあげなくて。
君の声を、聞いてあげなくて。

96 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月18日(土)20時55分15秒
* * * * *

「ん、いちーちゃん?」
空が暗さを増して眠気が濃くなるにつれて、いつのまにか、あたしは後藤に近寄っていた。
それで頭が後藤の背中にくっついたのを、咎めるように、後藤が振り返る。
「ん、なんかあったかいもんにつられる…」
あたしは、決まり悪く言い訳なんかして。
聞いた後藤は、くふふ、と人をこそばすような笑い声をたてた。
「蛾が光につられるのは知ってたけど。蜘蛛って熱にひかれるんだぁ。ふふっ」
「なーんだよぉ、それ笑うとこ?」
「うーん、どうだろ。なんか笑えるんだもん」
「蜘蛛なめんなよ、コラ」
あたしは膝でちょっと後藤の背中を押してみたけど、後藤は笑うばっかりだった。
「あはっ、ぜんぜん怖くない」
「あーそうですかー。もういいや、このまま寝さして」
白い首に鼻先だけくっつけて、あたしは目を閉じたけど、後藤はおとなしくしてなかった。
「ダメ! ごとお昨日から寝汗すごいもん絶対くさいよ豚の匂いするかも」
こっちに向き直るや、早口でずらずら言う。
「なんでそこで豚よ、いいけど。
 あーそうだ、明日さー」
「んー?」
「明日、晴れたらさ、湖行こっか」
97 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月18日(土)20時56分22秒
なるべく適当っぽく言った。
最後の日に水を浴びさせること、その意味を、あたしが意識しないように。
そして、無理だとは思うけど、後藤が気づかないでいてくれるように。
「え、外? 出してくれるの?」
後藤がすごくうれしそうな顔をしたから、あたしは胸が痛かった。割れた氷のかけらが心臓に、抜けない深さで刺さった。
「いや、出してやるっていうか別に…水汲みにいくから、ついでに後藤も一緒でも、別にいいし」
あたしはしどろもどろに『別に』を繰り返したけど、後藤は気にする様子もない。
「行く!」
短く言い切って、犬が尻尾を振るみたいに、触覚をぶんぶん振った。
「やったー。起きたらすぐ行こうねっ」
「すぐって…後藤はそりゃ寝起きいいかもしんないけどさー」
「大丈夫だよ。いちーちゃん、二度寝しそうになったら、ごとおが起こしてあげる。ね?」
後藤の瞳は褐色の星みたいだった。ぴかぴか瞬いて、まぶしかった。
98 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月18日(土)20時57分26秒
「とか言っといて、寝坊したら、ぶっとばすよ?」
嘘じゃない、本気だ。
朝の遅い後藤なんかどのみちアテにならないから、明日はあたしが起きて、眠りこける蟻を小突いてやろう。

明日が晴れじゃなくても、曇っていても、連れて行こうと思った。
小雨でもいい、起きるなり出かけて、夜になるまで、湖のふちにいよう。
後藤と二人で。
頭の中に、すんなりと『ふたり』という言葉が浮かんで、でも、やっぱり、その言葉に落ち着かなさを感じるのは、あたしが完全に自由になれてはいない証拠だろう。
どこの馬の骨だかわかんない『みんな』が決めた『常識』が、あたしをがんじがらめにして放さなかった。

「へへっ、楽しみだねぇ。いちーちゃん、絶対起こしてよ? 置いてったら、ぶっとばす」
あたしを真似て言う『ぶっとばす』は目一杯に力んでて、おかしかった。
あたしは後藤の頭をわしゃっと撫でた。「わかってるよ」と無言で伝えた。

99 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月18日(土)20時58分06秒
* * * * *

夜は早かったのに、本当にもう眠くてたまらなかった。
「いちーちゃん、寝ちゃえば? まぶた重そう」
昨日から目覚めては眠るばかりだった後藤は、まだ少しも眠くないのだろう、睡魔に襲われるあたしを笑う。
「んー、寝るけど。後藤、寝ないの?」
「寝るよー、もう少ししたら寝る」
朦朧としはじめる意識をそれでもなかなか手放さないあたしに、後藤は困ったみたいに笑いかけた。
「大丈夫だよ? ごとおの隣で寝ても」

それがどういう意味なのか、よくわからなかった。
コロニーで味わいつづけた『病原菌』扱いを気にしているのか。
それとも、寝首をかく疑いを持たれていると思ったのか。
「なに言ってるかわかんないけど―――」
いずれにせよ、あたしは否定したくて、言葉の代わりに、後藤の鎖骨に頭を軽くぶつけた。
「このまま眠ってもいい? 眠いんだ」
後藤に触りたい。触れながら眠りたい。
理由も意味も不明な、そんな欲求を、あたしは自覚していた。
だけど手や足で触るのは恥ずかしくて、だから額をくっつけた。
後藤からは『豚の匂い』のかわりに、後藤特有の甘い匂いがした。
100 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月18日(土)20時59分39秒
もしも、あたしが後藤の隣で眠ることを怖がっているとしたら、それは多分、自分が壊される感じがするから。あたしの中の蜘蛛が、揺らいでしまいそうだから。
だけど、その揺らぎを快いと感じる自分がいることにも、あたしはもう、気づいている。
それはほんのり温かい感覚で、きっと眠気はそいつが連れてきてるんだと思った。

「おやすみ、いちーちゃん」
髪の毛の中に、後藤の指を感じた。
同時に感じる、耳に当たった手のひらの熱。
睡魔に溶かされて、『おやすみ』と返すこともできずに、あたしは目を閉じた。
あたしが眠った後の、まだ長い夜を、後藤が何を思って過ごすのか。
それだけ少し気になったけど、考えることはできなかった。
灯りが消えるように音もなく、あたしの世界は暗転した。
確かな体温の隣、夜はしみじみと柔らかだった。



101 名前:タモ 投稿日:2003年01月18日(土)22時30分51秒
市井と後藤との会話、
一見普通の会話にみえても、その中で色々と気を使ってる二人がいるわけですね。
結局市井は最後の日になっても後藤を手放すことが出来るのか、「殺し」に行く事が出来るのか、
これまでの話の中で市井の気持ちに少しずつ変化は見られるのだけれども、
これからどうなってゆくのか、楽しみです。
駄作屋さん、これからも期待しています。
102 名前:名無し娘。 投稿日:2003年01月21日(火)17時29分52秒
男と女の恋愛は常識とされている。
しかし同性同士の恋愛はみんなには認められていない。
みんなの常識という市井の言った言葉に蜘蛛と蟻という関係ではなく男と男、女と女という関係が
思い浮かんでしまった自分は、すでに世間一般の常識で頭の中が一杯なのかも知れない。
103 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月26日(日)15時36分52秒


『後藤(蟻・メス・7歳・非処女)飼育日誌 ―最終日―

今日が記念すべき終わりの日。

サヨナラみんな、サヨナラ世界。 』



104 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月26日(日)15時37分37秒
* * * * *

手をつないで、湖まで歩いた。
木の葉の間からこぼれる光の欠片。
後藤はそれらを肩や頬に映しながら、底抜けに明るく笑った。
「汗かいて気持ち悪かったんだぁ。へへへ、みっずあっそびー」
「水遊びじゃなくて、水浴びな、水浴び」
いつも以上に幼いしゃべり方、ちょっと上ずってるみたいな高い声。
たしなめても、後藤はうれしそうで、あたしはよくわからなくなる。
こうやって手をつないでることさえ、拘束以外の理由があるような気がしてくる。

「えー、泳ぐでしょ、当然。いちーちゃんも入るよねっ?」
後藤はもうすっかり遊び気分で盛り上がって、あたしの顔をひょこっと覗き込んでくる。
「や、市井はいいよ」
後藤にはもう事情を知らせてあるとはいえ、この体を見られるのはイヤだった。
「なんでぇ、つまんないよー」
後藤が無邪気にふくれて見せるから、あたしは錯覚しそうになる。
あたしが悩んでることなんて、本当はたいしたことじゃないのかもって、そんな甘い錯覚を。
「んー、そうだな、足くらい浸かろっかな」
「うんっ」
淡い緑の影が、後藤の笑顔をうっすらと彩っていた。

105 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月26日(日)15時38分13秒
* * * * *

湖は静かに陽を返して煌いていた。
「うあ〜、おっきいねぇ」
光る湖面以上に瞳をキラキラさせて、後藤はそこらを走り回った。
「おーい、ピクニックに来てんじゃねーぞー」
「あはっ。だって、こんなデカイ湖、蟻はなかなか来られないんだよ?」
湖のすぐ際から振り返って、後藤がこっちに駆けてくる。
「そうなの? 蟻って長い距離歩くの得意じゃん」
「距離は平気だけどさー、こんな見通しのいいとこ、うろついてらんないよ」
もっともなことだった。
二足虫の中で最も戦闘能力の低い生きもの、生態系ピラミッドの下層、それが蟻だ。
見通しのいい場所は、そのまま、外敵に狙われやすい場所。それが水場なら、なおさら。
景色だなんだをうんぬんする余裕は、後藤たちにはないのだ。

「でもさー」
後藤はもう、あたしのそばまで戻ってきていた。
「いちーちゃんといっしょだったら安心だよね。へへっ」
陽射しの中、湖の手前、後藤は、はじけそうな笑顔をこっちへ向けた。
―――肉食動物と同行しているから、
―――肉食動物に襲われなくて済む。
矛盾に気づいているのか、いないのか、一瞬の後には後藤は地面を蹴って走り出していた。

106 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月26日(日)15時38分52秒
「あっち向いててよね」と念を押して、後藤は思い切りよく服を脱ぎ始めた。
あたしは、「は〜い」と口ではいい返事をして、後藤がこちらに背を向けた気配と同時に、後藤を振り返る。
商品管理のためだ。逃走を図ったり、外敵に襲われることのないよう、監視する必要があるのだと胸中で言い訳をした。

裸の背中が見えた。
それから、下へ続く滑らかな曲線。張りのある太腿。
何ひとつ身にまとわない後藤の後ろ姿は、陽光を受けて白く輝いていた。
「うわ、つめた〜いっ」
水際に足先で触れては飛びずさったり、また少し深いところへ足を踏み入れたりを繰り返して、後藤の体が水に隠れていくのを、座って見ていた。

あたしはもう、うすうす理解していた。
今、この身を焦がすのが、単純な食欲ではないこと。
同じくらい単純な、別の衝動であることを。
わかっていたから、辛くなって横になり、瞳を閉じた。
太陽が強すぎて、目の裏が赤く燃えていた。
「いちーちゃーん、遊ぼうよー」
後藤の声が、うんざりするほど無邪気に響いて、あたしは目を開けなかった。

107 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月26日(日)15時39分28秒
* * * * *

再び目を開けたとき、太陽は西へ場所を移していた。
あたしはどうやら、ずいぶん長い時間、居眠りをしてしまったようだった。
あ―――と気がついて、上半身を勢いよく起こしたけど、当然のことながら、そこに蟻の白い体はなかった。
湖畔で水を飲んでいた鹿の親子が、あたしと目を合わせるなり、あわてて逃げていった。
後にはただ、静けさが残った。

「っは、はは……」
笑えた。
いろんなことをぐじぐじ考えたけど、こんなふうに失うことになるとは、思いもよらなかった。

いや。
どこかで願っていたような気もする。後藤を売りに出す以外の結末が、「不可抗力的に」訪れてくれるのを。
あたしから進んで逃がすことはできそうもなくて、けれど売ることも本意じゃなくなりつつあって。あたしはどこかで、後藤がうまく逃げ出してくれないかと、そう願ってた。
だから、巣から離れた場所で、後藤を放したまま、見張りもしないようなことをした。

108 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月26日(日)15時40分33秒
蜘蛛が近くにいたから、わざわざ危険を冒して後藤を襲うバカな肉食動物などいなかったのだろう。血の痕など、どこにも見当たらなかったし、後藤の着ていた服も持ち主とともに姿を消していた。
つまり、問題なく後藤は逃げおおせて、今ごろはきっと大好きな飯田圭織の腕の中だ。
よかった。
蟻ごときに逃げられたのは外聞の悪いことではあるけれど、意図した通りにコトを運べたことには満足していいはずだ。さすが、あたし。

あたしは、もう一度、その場に体を投げ出した。
大の字になって太陽を睨んだら、白い光がゆらゆら揺れた。
顔の横を水が伝うのがわかる。
水滴がいくつも、同じ道を通って髪の毛に沁みて、気持ちが悪かった。
「ん……ぅく…っ」
泣き声が子供みたいで、こういうのも、もしもちゃんと成虫になっていたら、もっと大人っぽい声が出るのかな、と思った。
どうでもいいことだった。
双眸を隠すように腕をかざした。
109 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月26日(日)15時41分18秒
もう二度と会えない。後藤が間違えずにそれを選んだから。
正しく、自分を守る道を、当たり前に、選んだから。
びっくりするくらい、かなしかった。
後藤がもういないことが、それだけのことが、胸をぐいぐい締めつけた。
あんな蟻一匹ごとき、どうせ大して高く売れなかったかもしれないのに―――そう思おうとして、できなかった。
だって、昨日、あたしは『ふたり』だと思ってしまった。
後藤とあたしで、ふたりの気がしてた。

あたしは水をこぼすばっかりで本来の役目をしなくなった瞳を、静かに閉じた。
想像してみる。
あと一年経たないうちに訪れる、あたしの最期のとき。
後藤がそのとき、どこにいてもいい、あたしのことを、ほんの少しだけでも、思い出してくれたら。あたしの顔、目だけでも、手だけだってかまわない。思い出してほしいと思った。
「ありえねぇ」
独り言の声がみっともないくらい震えて、それでもう、まったく我慢できなくなった。
「へっ、ぐ……ごと…ごとお、ごとおっ」
何度も何度も、繰り返して呼んだ。この9日間全部を合わせたより多いくらい、一生懸命に、呼んだ。
わかっていたのに。
もう永遠に返事がないこと、わかっていたのに。


110 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月26日(日)15時42分15秒

「はあいー?」
永遠に返事がない―――はずだった。
にもかかわらず、あたしの耳は太平楽で能天気な声を、たしかに聞いた。
「っ……はああ!?」
弾かれたように身を起こした。
「うわ、危ないなぁ、ぶつかるじゃん」
唖然とするあたしをよそに、つまらないことで唇を尖らせてる蟻が―――つまり、後藤が―――そこに、いた。
「お、お前、なんで……?」
あたしは慌てて涙を拭った。
「なんでって? 洗濯したのはいんだけどさー、なかなか干すのに向く枝がなくて。あっちの木でよさげなのあったから干してきちゃった。誰も盗まないと思うけど気になるからさー、移動しよ?」
後藤はあたしが貸し与えた大きなタオルを体に巻きつけている。着ていた服を洗ったらしい。

「や……ていうか、お前さ」
「あれ?」
後藤がぐん、とあたしに顔を近づけた。
あたしの心臓が跳ねる。
「いちーちゃん、目ぇ赤いよ?」
「バカ、これは違うよ」
「いや、まだ何も言ってないんだけど」
「あ」
語るに落ちる。あたしはあわてて顔をそむけた。
後藤はちょっと首を傾げただけで、何も訊いてこなかった。
111 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月26日(日)15時42分58秒
あたしの方からは訊くことがあった。
「お前さぁ、今めったにないチャンス逃したって気づいてる?」
「んあ?」
後藤は蟻のくせに、鳩が豆鉄砲を食らったみたいな顔をした。
まるっきり何を言われてるのか見当がつかない、そういう顔だ。
まさか、とは思うが、気づかなかったのだろうか、決定的なチャンスの到来に。
「蟻って。蟻って、やっぱり………」

「なぁんだよっ」
後藤はいきなり蟻タックルをかましてきた。
体当たりして、何を思ったか、そのまま、あたしの首をぎゅっと抱いてくる。
「あー、いちーちゃん、ずっと陽にあたってたから、あったかいねぇ〜」
「お前、水に浸かってたから冷えたんじゃないの?」
後藤の体はちょっと湿ってたし、体温が下がってて冷たかった。
だけど、少しも不快じゃなかった。
あたしは、後藤の背中にそっと手をまわした。
112 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月26日(日)15時43分38秒
「ねぇ、いちーちゃん?」
「え、うん?」
手のひらが背中に触れたタイミングで言われて、どもってしまう。
後藤は気にした様子もなく、あたしの肩に顎を乗せてくる。
「ごとおねぇ」
後藤が肩の上でしゃべるから、顎の動きがひとつずつ伝わってくる。
かすかな重み、それから温もり。
「うん」
がんがんに心臓が、がなりたてるようにリズムを刻んでいた。
「ごとお、おなかへったなー」
「ああ?」
蟻って。というより、後藤って。
言いたくないけど、やっぱり、ちょっとアレだ。アレな生きものだ、間違いなく。

113 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月26日(日)15時44分19秒
熾き火で木の実を炒って、ふたりで食べた。
あたしはそんな貧乏くさいものは食べたくなかったのだが、後藤がしきりに勧めるので、仕方なく口に入れた。
やっぱり焼き豚の方がおいしいなと思ったけど、食べられないこともない味だった。
「ああ、うん。わりと食えるかも」
なんの気なしにつぶやいたら、後藤がうれしそうだったから、たまには貧乏食も悪くないかなと思った。

乾かした服を着込むとき、後藤はやっぱり「あっち向いて」と言い、あたしはやっぱり後藤の背中を覗いた。
夕闇にぼおっと浮かぶ肌の白さが幻想的で、あたしはほんの2、3秒で後藤の言うとおり、あさっての方向に顔を向けた。
頭がおかしくなりそうで、怖かったから。

114 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月26日(日)15時45分29秒
* * * * *

うちに帰って、ベッドに入るまでの時間は地獄だった。
あたしたちは、この夜が明ければ朝が来ることに怯え、口をつぐんだ。
お互い、少し離れた場所に座って、相手の気配をただ感じ取っていた。

「いちーちゃん、今日は観察記録つけないの?」
後藤が間を持たせるためのような問いかけをする。
「あー、つけるよ、寝る前に書く」
「まだ寝ないんだ?」
「うん、昼寝したしね」
目が覚めたら朝なんだ。そう思うと眠ることが怖かった。
「後藤は?」
「んあ、あたしは、もう寝よっかな」
そう言いながら立ち上がらない。
三角座りのままで、後藤は言った。
「あのさ、明日って何時に起きればいいのかな。どんくらい遠いのかとか何時に始まるとかわかんなくて」
予定の確認を、後藤はなるだけ明るい声でしたつもりみたいだった。
だけど、声は明るいというより、ただ虚ろに上ずってるみたいに聞こえた。
「って、いちーちゃんが起こしてくれるよね」
答えないあたしの代わりに、後藤は自分で答えて、
「じゃー、ごとお、もう寝るね」
当たり前のように食料庫へ続くドアへ向かった。
115 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月26日(日)15時47分18秒
「後藤」
あたしは立ち上がって呼び止めた。
「んー?」
髪を揺らして振り向いた後藤は、やっぱり笑顔だった。
今日この笑顔がホンモノじゃないことがさすがにわかって、だったら後藤はこれまでも、あたしが気づかないくらいに巧妙なニセモノを見せてきたのかもしれないなと思った。
「なに?」
「あ……なんだっけ」
何を言うか決めてなかった。
「あはっ。明日、お別れのときまでには思い出してよね」
あくびまじりで『おやすみ』を言いながら、後藤はドアノブに手をかけた。
116 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月26日(日)15時47分57秒
ドアが開いて、後藤がその隙間に体を滑らせる前に、あたしは後藤の肩をつかんだ。
「あ、のさ。え…と、ベッド使えば? そこ、冷えるし」
「いちーちゃん、寝るとこなくなっちゃうじゃん」
「そうだけど」
何が言いたいんだろう。何を、あたしは。
「いちーちゃん? ごとおは別に寒いの平気だし―――」
「いっしょに」
後藤をさえぎった高くて大きな声に自分でびっくりして、一度黙る。
頭の中まで心臓の爆音がいっぱいで、それでもなんとか言い直した。
「いっしょに、寝よう」
「え、でも」
ためらう後藤に、あたしはほとんど懇願するような気持ちで繰り返す。
「いいから今日は、いっしょに寝ようよ」
117 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月26日(日)15時48分32秒
* * * * *

「後藤、太陽くさい」
ベッドの中は、陽の匂いに満ちていた。
「すごい言い方、それ。陽だまりの香りとか言ってよ」
「ああ、そうとも言う」
「蜘蛛って情緒に欠けるよねー」
「蟻に言われたくない。てか、後藤にだけは言われたくない」
「ぶー、名指しかよっ」
「うん」
後藤がふくれて、あたしはちょっとだけ低い声を出した。
「名指しだよ」

蟻なんて、どれも一緒だと思ってた。
黒くて陰気くさくて弱くてバカだと思ってた。
そうじゃないことを、後藤があたしに教えた。
「後藤はバカだけど、変に賢いとこあるしな」
「何それ、また新しい悪口でしょ」
「違う、誉めてんの。色も…蟻からすると変なのかもしんないけど、蜘蛛的には、うん、悪くないっていうか。体も、なんか胸とかでかいし、顔もまぁ好きずきだけど、そんなヒドくもないし」
栗色の髪にそっと指先を入れてみる。
「いちーちゃん?」
118 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月26日(日)15時49分29秒
「ガサツなのはどうかと思うけど、明るいのはいいことだし。けっこ、しっかりしてるようなとこも、あるみたいだし」
指先に細い髪をくるくる絡める。
「いちーちゃん、さっきから何? 変だよ?」
「違う。変じゃないんだって、だから。変じゃない理由を今、述べてんだろ」
後藤は怪訝そうにあたしを見る。
「意味わかんないんだけど、ほんと大丈夫?」
「なんでわかんないんだよ、バカ、蟻、にぶちん」
「またバカと蟻を並べるー」
「簡単なこともわかんないから、バカだつってんの」
「変じゃない理由って言われたって、何がなんだかわかんないよ!」
唇のまんなかを少し尖らせる顔、これもきっと理由に入れていいはず。
「だから。だからさ―――」
後藤の頬に手のひらで触れてみる。
きょとんとしたこの顔、これも理由のうち。
「蜘蛛様がこんな蟻んこに……触りたいと思っても、おかしくない理由」
「あ、えっ?」
両手で小さな顔を挟みこんだ。
目で後藤を縛ることができるなら、そうしたいと思った。
「したい」
119 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月26日(日)15時50分04秒
自分の言葉が恥ずかしくて、顔から火が出そうだった。
「え、あの、それは…えっ?」
熱くなってるあたしの頬とか、絶対やらしくなってるだろう目つきが言葉を手伝って、だから3文字きりでも後藤に正しく意味が伝わる。
恥ずかしさとか焦りとか驚き、いろんなものが後藤の顔に表れて、その首筋までが薄い桜色に染まっていった。
それを美しいと思って、あたしはもう一度、素直な気持ちを口にした。
「後藤と、したい」

「な、いちーちゃん、正気?」
「とっくに全然、正気じゃない。触ってもいい?」
「ダメ! いいわけないじゃん、絶対ダメ!」
あたしの手が頬から下へおりようとするのを後藤の手が止めた。
「なんで?」
「なんでじゃないよバカ、ヘンタイっ、蜘蛛!」
叩かれた胸が、外からと内から、痛みをうったえた。
「変態じゃないよ、変じゃない。後藤は市井がイヤ?」
「そういう問題じゃないってば」
「そういう問題じゃん」
120 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月26日(日)15時50分43秒
後藤は顔をあたしの手に固定されたまま、視線だけをそらした。
「とにかく、ぜったダメだからね、ヤッたら殺す」
「殺せるもんなら」
言いながら、あたしは後藤の上にまたがった。
「いちーちゃんっ」
肩に後藤の指が、痛いくらい食い込んだ。
「ねぇ、後藤、抱きたい。それだけだよ、悪いことなんかしない」
「それが悪いことなの! 自分だって知ってるくせに」
「知らないよ、誰かよそのヤツが決めたことなんか関係ない」
「知らないで済むわけないじゃん! 全二足虫連盟法第19条っ、同性間、親族間、異種間の」
「黙って」
連盟法の一番有名な条文を後藤が口走り始めたけど、あたしはもう聞く耳を持たなかった。
「せ、い交渉は、これを、かたくっ」
「黙れよ」
あたしは後藤の唇をふさいだ。
121 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月26日(日)15時51分17秒
柔らかかった。
初めてだったけれど、どうすればいいのか、なんとなくわかっていた。
唇の間に舌を忍ばせてみる。
後藤の口の中は温かくて、舌はなめらかだった。
なめらかでありながら、少しざりざりしていて、舌を絡めると時折ぴりぴりして、そのたびに背中がざわざわした。
「ん……っ、ちーちゃ」
抗う後藤から昼間洗ったばかりのタンクトップを剥ぎ取った。
数日前に一瞬だけ垣間見た胸のふくらみを、初めてまともに目にした。

ため息が出るほど、美しかった。
「すごい白いね、後藤の。なんか、まぶしい」
雪色のふくらみに桜色の頂きが綺麗で、あたしはそっと手を触れてみた。
「うんっ…あ」
後藤はぎゅっと目を瞑って、長いうさぎ耳をぴんと立てた。
それがかわいくて人差し指でつついてみると、指を避けるように触覚は左右に揺れた。
「なんでかな」
乳房にもう一度、手をやりながら言う。
「いちーちゃん、ダメだよっ」
「食べたいより抱きたい」
そっと指に力をこめてみると、押し返されるような弾力を感じた。
感触が心地よくて、ぐっぐ、と力を入れたり緩めたりを繰り返す。
「ぅあ……や、ダメぇっ…」
122 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月26日(日)15時51分58秒
『常識』によると、あたしはもう完全に変態だった。
後藤がかわいくてしかたない。あたしは蜘蛛で、後藤は蟻なのに。
後藤に触りたくて、後藤を感じたくて、何ひとつ我慢できなかった。
首筋に唇を押し当てて、思いつきで喉を舐めてみた。
いい匂いがする。甘い血と柔らかい肉がつまってるんだと思った。

食べたい。食べたくない。

同時に感じた。気が狂いそうだった。
牙を剥いて、後藤の忌まわしい首輪を噛んだ。
首輪からは後藤じゃない香りがかすかに嗅ぎ取れた。胸が焼けついた。
蟻に嫉妬する自分をおかしいと思う時期は、もう過ぎつつあった。
首輪が切れた拍子に牙があたって、後藤の白い首に真紅の血がにじんだ。
ごく当たり前に、傷口に舌をあてがったら、後藤の体がびくんと強張った。

「違うよ、後藤。そうじゃない」
『そうじゃない』とは言ったものの、後藤の血は切ないくらい甘くて、あたしは頭がくらくらした。
『食べたい』に気持ちが傾くのが怖くて、後藤の胸の上、あたしは必死で手を動かした。
後藤に触ることだけを、ただ一生懸命にしたかった。他のことなんか全部、考えたくなかった。
123 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月26日(日)15時52分43秒
「んっ…うあ、ああ」
後藤の高い声が、柔らかな手触りが、あたしをつかまえてくれた。
食欲は冷めて、だけど、欲望は増すばかりだった。
「後藤、お前…すごく、かわいいね」
この気持ちをなんと呼べばいいのか、わからない。
同種間の『仲間意識』でもなく、親が子を守る『親心』でもなくて。
抱きたいと思う気持ちは、どこからくるのだろう。
何も生まないセックスになるのがわかっていて、どうしてあたしは、後藤としたいと思うんだろう。
後藤を食べたいのに、絶対に食べたくないのは、なんでだろう。

わからないまま、乳房に舌を押しつけた。
「っ…死刑に、なっちゃうよ」
止まれなかった。
胸の突起を丁寧に舐めながら、後藤のホットパンツの前を開いた。
「や、ダメだよぉっ」
後藤はあたしの手を必死になって止めたけど、蟻の力は蜘蛛を抑えるにはいたらなかった。
暴れる後藤を押さえつけて、あたしは後藤をすっかり裸にした。
124 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月26日(日)15時54分11秒
「同じだ……」
後藤のそこは、あたしのその部分と変わらないみたいだった。
「同じっていうか…後藤の、綺麗だね、すごく」
あたしは後藤の両脚を開かせた。
「いやぁ…っ」
「蟻のここって、いつもこうなの?」
潤ったところを、中指でなぞる。
「ぅあ、んんっ……ちが」
「仕組みも市井たちと同じなんだったら後藤…イヤじゃないんだよね?」
指を動かしながら訊く。
「や、ダメっ! したら、いちーちゃん殺されちゃう…っ」

胸を衝かれた。
咄嗟に口をついて出た言葉は、きっとこの小さな頭を一番に占める懸案事項。
意外にもそれは、後藤自身のことじゃなかった。
明日には売り飛ばされようとしていて、今は蜘蛛にのしかかられている気の毒な蟻は、信じられないことに、それでもなお、自分のことより、のしかかる蜘蛛のことを思いやっていた。
「後藤、後藤」
頭の線がもう何本も焼き切れそうに熱くて、あたしは後藤の名前を呼ぶので精一杯だった。
125 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月26日(日)15時55分05秒
言葉で伝えることの代わりに、後藤の大切なところに唇を寄せた。
「やだ…、ダメだってば…っ」
溢れ出す透明は、やっぱり甘い味がした。
あとからあとから流れ出るのが不思議で、あたしは後藤の中をそっと指でさぐってみた。
「ひあッ」
中はぐっと温度が高くて、ねっとりと滑らかだった。
この中に入りたい―――強く、そう思った。
あたしは服を脱ぎ捨て、いい加減熱くてたまらなかった素肌を丸ごと晒した。
後藤になら、見せてもいいと思った。
少し違う。後藤には、見てほしいと思った。
醜悪な丸裸を、後藤にだけは、見てもらいたかった。

後藤はモラトリアム病患者の体を見るのは初めてなんだろう、あたしの裸を一瞬だけその瞳に映すや、気弱な目線を横へずらした。
「やっぱり、気持ち悪い、よね」
あたしは卑屈に笑うしかなかった。
いくら後藤があたしを思いやってくれても、ボーダーラインは決まってる。許せる範囲は限られてる。
そんなのは後藤に限らない。
誰かが誰かに渡す優しさも労わりも、どれもほんの軒先までのこと。
自分の部屋に招き入れることは怖いし苦痛。誰だって。
126 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月26日(日)15時56分03秒
「後藤、あたし―――」
「…気持ち悪くないよ」
諦めてさっき脱いだばかりの服に伸ばしかけたあたしの手を、後藤の声が止めた。
「いちーちゃんは、気持ち悪くない」
「後藤……」
けれど後藤は目を伏せたままだった。
「後藤、それ…あたしを見て言える?」
後藤は、はっと顔を上げた。
「ああ。いちーちゃん、違うよ、ごとおはそういうんじゃなくて。いちーちゃんが見られたがってないと思っただけだよ」
やさしい苦笑いだった。
一瞬遅れで、あたしも苦笑いになった、自分のカンチガイに。
カンチガイするほど卑屈な自分に苦さを覚えた。
だけど、カンチガイで済ませてくれた後藤のこだわらなさ、その清浄な心が、それを上回る強さで、あたしの胸を揺すった。

「ちっとも気持ち悪くないよ」
もう一度、後藤はあたしの目を見つめながらダメを押した。
胸が震えて、それは、体じゅうに広がっていくようだった。
後藤が欲しいと、体が叫んで、震えた。
「後藤……あたし、後藤の中に、入りたい」
127 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月26日(日)15時56分40秒
甘くささやきかけたりするべきなんだろうに、あたしの言い方はまるで選手宣誓みたいに角張っていた。
後藤は戸惑いを隠さずに後ずさりした。
「それは、でも、死罪だし。ごとおは、もともと明日死ぬんだし、別にさ、いいけど…いちーちゃん、こんなつまんないことで」
「つまんなくない」
後藤の体をぎゅっと抱きしめた。
あたしより少し熱の高い体はしっとりと汗に濡れて、抱くと肌が吸いつくようで気持ちがよかった。

「つまんなくないよ。法律も常識も、それこそつまんないものは要らない。明日になっても後藤はどこへもやらない」
宣言して、あたしは後藤の両膝に手をかけた。
脚の間に体を入れて、腰をくっつけてみる。
「いちーちゃん、ちょっと待っ…」
「後藤は市井に抱かれんの、イヤ?」
「や、じゃない、けど……」
口ごもる後藤に、あたしはプライドも何もなく懇願した。
「お願い、後藤。後藤の全部、触りたい」
128 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月26日(日)15時57分23秒
後藤は目に涙をためて、あたしを見た。
自分の気持ちやあたしの気持ち、罪のこと、圭織のこと。
黙ってたくさんのことを考えているみたいだった。

後藤の頭の中がどんなふうに動いたのかはわからない。
ただ、数十秒の後、後藤はごく小さく、けれど確かにうなずいた。
あたしは『ありがとう』の代わりに、後藤の鼻に唇でそっと触れた。


世界に背を向けて、『みんな』にさよならを言うときが、今だと思った。
窮屈で悲しかった世界に、お別れを。
細かく線を引くのはもういい。
正常や普通と、そうでないものとを分けるのは他の誰かがやればいい。
あたしにはもう、後藤しか、この小さな命しか、必要がなかった。


129 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月26日(日)15時59分19秒
ゆっくりと腰を進めた。
初めて体験する感覚は強すぎて、あたしはものを考えられなくなるようだった。
それでも、考えなくてもうまくいくようにできているらしいことは、わかった。
後藤とあたしの体はあつらえたようにぴったりだった。
あたしが後藤を埋め、後藤があたしを包んだ。
オスでもメスでもないあたしと、生む機能を持たない後藤。
まざっても何も生み出せないことがわかっているのに、あたしは後藤とまざりたくてしかたがなかった。
不毛に流れる汗、不毛に流れる体液、不毛に流れる――――、涙。
だけど、あたしの熱は、後藤の深くまで届く気がした。
後藤の温もりが、あたしの深くに届いていたから。

後藤が温かくて、あたしは泣いた。
これが罪であるはずがないと思った。
不完全なあたしたちの、不完全なこの夜に、けれど罪は、どこにもなかった。



130 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月26日(日)16時00分25秒

いちおう、今回は送っときます。

131 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月26日(日)16時00分57秒

もう1コ。

132 名前:駄作屋 投稿日:2003年01月26日(日)16時03分18秒
更新終了、そして前半終了。
後半の更新速度はますます遅くなりそうです、すみません。
レスにはいつも感謝してます。ありがとうございます。
133 名前:名無し娘。 投稿日:2003年01月26日(日)17時51分46秒
言いたい事はたくさんあるんだけど……え〜と、うん!
ここには「いちいちゃん」が居て、「ごとう」が居る。
これこそが「いちごま」だ!!
134 名前:タモ 投稿日:2003年01月26日(日)19時45分01秒
せつねぇええ!!!
市井にとって、後藤がどれだけ大きな存在か、
今、今回更新分を読んで痛感する事が出来ました。
と、ゆーか前から薄々は感じてましたけどね(w

更新お疲れ様でした!
これからも期待しております。
135 名前:名無し読者 投稿日:2003年01月27日(月)08時55分40秒
ああ、もう、やばい…
マジではまっちゃいました!!
136 名前:名無し読者 投稿日:2003年01月27日(月)19時52分01秒
あ り が と う 。
137 名前:名無し読者 投稿日:2003年02月02日(日)21時53分37秒
緑の星かあ
全部読んだけど、市井と後藤が歌う
「be born」
が頭に浮かんだ。
138 名前:駄作屋 投稿日:2003年02月03日(月)00時13分25秒
はるか高い明かり取りの窓は、確かに陽を一筋、房内に入れてはいたけれど、あたしが座り込む床には、まったく届かなかった。灰色の石の床は冷たく、与えられた毛布は体温を上げる役割を果たさない。ただ湿っぽい不快感だけがあった。
とにかくここは静かで、それだけは森と同じだ。
静かすぎて、だから、考えすぎる。
毎日、誰かがあたしを連れ出して、ハラワタが煮えくるようなことを訊いてこなかったら、あっという間に正気を失いそうだった。
怒りや悲しみが、かろうじて、あたしを現実につなぎとめていた。

「出ろ」
無機質な声に促され、あたしはのろのろと立ち上がる。
房を出て歩き出すときには、急かすように背中を小突かれた。
腹は、もう立たない。こんなことなら我慢ができた。
139 名前:駄作屋 投稿日:2003年02月03日(月)00時14分01秒
「おはよう。よく眠れてる?」
接見室。会うなり、保田は問う。
挨拶じゃない。これは単に、これから延々と繰り広げられる質問の第1問。
そう、我慢がならないのは、これからだ。
「あったかいお部屋に、ふかふかの毛布、お腹はいっぱい。そりゃ、よく眠れるさ」
「まぁね、部屋は寒いし、毛布は薄いし、食事はひどいしね。何より……やっぱり、なかなか眠れるもんじゃないだろうけど。公判も近いんだから、少しでも体やすめとかないとね」
ふてくされる被告人にもたじろがず、優秀なる弁護士は柔和に微笑んだ。

殺人や暴行容疑ではないから、一見すると談話室みたいな部屋で、あたしは弁護士の接見を受けることができた。もっとも、談話室『みたい』であって、実質はそうじゃない。部屋の隅には2匹の蜜蜂が、看守として睨みを効かせている。
140 名前:駄作屋 投稿日:2003年02月03日(月)00時14分37秒
* * * * *

あたしの呼び名が「市井」から「被疑者B」を経て「被告人B」に変わったのは、後藤を捕まえて10日目のことだった。つまり、あの9日目の、あの夜の翌日。

眠る後藤の横顔に「おやすみ」を言いながら、あの夜のあたしは、わくわくしていた。
次に目を開けたら、後藤に「おはよう」を言おう。きっと、あたしがもごもご言うより明るい声で、後藤は「おはよう」を返してくれる――――想像するだけで、幸せな気持ちになれた。
夜が明ければ、もう蜘蛛と蟻じゃないあたしたちの、新しい暮らしが始まると、間抜けなくらいに信じていた。
「おやすみ、後藤。『おはよう』は、明日の朝の楽しみに」
けれど、『おはよう』は言えなかった。あたしたちには朝が訪れなかったから。
あたしたちを起こしたのは、穏やかな朝陽ではなくて、強制捜査の警官隊だった。
141 名前:駄作屋 投稿日:2003年02月03日(月)00時15分10秒
夜が明けるより早く、全虫連の東域支部から派遣されてきた警官が、巣の周りのネットを焼き払って訪れた。ヤツらは恐ろしく手馴れていて、あたしが気配を察してわずか数秒後には、玄関先に立っていた。家宅捜索令状をあたしの顔につきつけながら、棚を引っくり返し、ベッド・シーツを引っぺがし、一切合財を運び出すその手際の良さに、あたしは半ば感心し、感心しながら放心していた。

あたしたちは令状もなく逮捕された。同じベッドに寝ていたことや、そのベッドの状況などから、現行犯として扱われることになったのだ。
警官隊の一人が後藤の腕を乱暴に引いたとき、頭に血が上って、あたしは瞬時にそいつの腕を糸で縛り上げた。
「いちーちゃん!」
後藤が叫んだのと、後頭部に激痛が走ったのがほぼ同時で、それから後は記憶が飛んでいる。
殴られて気を失うあたしを見る、悲痛な眼差し。
それが気を失う直前に見た最後の景色であり、あたしが後藤を見た最後になった。
142 名前:駄作屋 投稿日:2003年02月03日(月)00時15分51秒
取り調べは連盟警察東域支部に着くなり行われた。
通報が、巣の近くに住む蛾によるものだったことも、そこで知った。
蛾は蟻と並んで蜘蛛の食用になりやすい。こんなふうに蜘蛛を苦しめる機会を心待ちにしていたのだろう。そのことに、あたしはなんの感慨も覚えなかった。誰かを恨む気力がなかったのだ。

あたしは黙っていたけれど、黙秘を続ける間に、ベッド・シーツの鑑定や、あたしが書いた『後藤飼育日誌』の検分が済んで、わずか数時間のうちに、あたしたちは別々に連盟検察庁に送られた。
起訴までも実に早かった。
19条裁判―――連盟法第19条に抵触する性交渉がらみの裁判および裁判前の手続きは総じてこう呼ばれている―――は何もかもが早いとは聞いていたけど、実際に体験してみると、まるでベルト・コンベアーに乗った気分だった。
何もかもがスムーズで淀みなく、あたしの意思をよそに進んでいく。
ベルト・コンベアーは順調に機能して、夕方には、あたしは被告人Bになっていた。
143 名前:駄作屋 投稿日:2003年02月03日(月)00時16分31秒
* * * * *

「後藤は?」
膨大な質問に答えるかわりに、あたしは保田にいつもひとつだけ問うた。
「知らせがないのは元気にしてる証拠でしょ」
今日で保田に会うのは3日目、質問も3回目になったけど、保田の答えは3回とも同じだった。
後藤は今、被告人Aと呼ばれる身になって、同じ建物のどこかに勾留されている。
会えなくなって、もう5日目だ。

19条裁判の場合、被告人A、Bそれぞれに弁護士がつき、担当弁護士どうしは接触することを禁じられている。こういうケースでは、被告人どうし、何か示し合わせて策謀を図る可能性が高いからだ。
だから、保田も意地悪で後藤の近況を教えないわけじゃない。知らないのだ。
後藤の写真や身長、体重、経歴なんかのデータは連盟から最初に受け取るらしいが、弁護依頼を引き受けた後は、その後、後藤がどんな様子かといったことも全く知らされないという。知らされることがあるとすれば、それは後藤が裁判に出られなくなったとき。つまり、病気や怪我、あるいは死亡、そういう場合だけだ。
144 名前:駄作屋 投稿日:2003年02月03日(月)00時17分07秒
「後藤より自分の心配をしてもらいたいんだけどね、わたしとしては」
保田がため息をこぼす。
「本当に、本当なのね? 事件当夜のこと」
「何回訊いたって同じだよ」
「そう……強姦で間違いないのね」
保田はわざと顎を引いて、下から睨み上げるように、あたしを見た。
『強姦』という言葉を選んだ保田の意図は明らかだったけど、あたしはそんな手に乗るほど気の短いガキではない。

『あたしが蟻を無理やり犯した。合意はなかった。お互いに恋愛感情もなく、ただ、モラトリアムの鬱憤を晴らすためにやった』
それが、保田に対して何度も繰り返した、あたしなりの「事件当夜」の説明だった。
けれど、保田は説明に納得してないようで、合意や恋愛感情の有無について執拗に追及してくる。
145 名前:駄作屋 投稿日:2003年02月03日(月)00時17分38秒
「『飼育日誌』を読む限り、どうしてもそうは考えにくいのよね」
保田は『後藤飼育日誌』の写しを眺めながら言う。
「たとえば6日目。『後藤は、不完全な蟻で、かつ――――』」
だん、と拳でテーブルを殴った。
看守が2匹揃ってこちらを睨み、保田は彼らを制するように軽く手を上げた。
「読まなくていい。自分で書いたものくらい、頭の中に入ってる」
あたしは凄んだけど、保田は、ごくあっさり「そう」と言うだけだった。
この弁護士はいつもそうだ。
保田について、3日を通してわかったことは、弁護士で蜘蛛で20歳過ぎのメスだということ、徹底して冷静な性質、それだけだった。

「なら読まないけど。7日目と8日目は熱心に看病してたことが窺えるし。3日目の取り消し線や4日目のページそのものの破損なんかも、かえって、それだけ真剣に日誌を書いてたように見えるのよね」
「看病? 商品のメンテナンスと言ってほしいね。日誌は確かに真剣につけてたよ。あたしは狩猟家だからね。仕事に真剣なのは当たり前だろ」
146 名前:駄作屋 投稿日:2003年02月03日(月)00時18分17秒
「6日目のは?」
日誌の6日目に、あたしは後藤を綺麗だと書いている。これは否定できない。
「綺麗だとは思ったよ。外見が気に入ったから犯行に及んだわけだしね」
「犯行動機は、病気によるストレスの解消と、性的欲求の解消。それでいいわけ?」
「いいも何も、それが真実だしね。本当のこと言えって言ったの、あんただろ」
保田は、「そうね」とのんびり言って、お茶をすする。
ノンキな仕草は癇に障るが、あたしはそれをおくびにも出さない。
ここでは苛ついた態度は見せないのが得策。

ただひとつの嘘のために、全てのことをあたしは慎重に分別する必要があった。真実を多少曲げて伝える部分と、なるべくそのまま言う部分とに割り振って、嘘を自然に聞かせる。
大切な嘘が通りやすくなるための努力に、あたしは全霊を傾けていた。
147 名前:駄作屋 投稿日:2003年02月03日(月)00時18分53秒
「嘘をついたら、相手と主張が食い違うことになって、二人ともが不利になることはわかってるわよね?」
念を押すように、ゆっくりと保田は言った。
「わかってるよ。だから本当のこと言ってる。そうじゃなかったら強姦したなんて自分に不利なこと、好きこのんで言うはずないだろうよ」
強引にそういうことに持ち込んだのは事実だし、あたしが強姦したと主張すれば、後藤はあえて反論はしないはずだ。もしも生きる気持ちが少しでもあるのなら。
「強姦したことにすれば、後藤は極刑にならないと思ってるのかもしれないけど」
保田は、湯のみをテーブルに置いた。乾いた音が響いた。
「そうとは限らないわよ? 後藤は蟻だし、女王の愛妾って事情もあるんだから」
148 名前:駄作屋 投稿日:2003年02月03日(月)00時19分26秒
保田の言う通り、状況は後藤に圧倒的に不利だった。
まず蟻であること。
連盟法は、『肉食虫が、摂食を目的とした狩猟において、草食虫を殺害することは、これを正当な行為と認め、これに殺人罪を適用しない』としている。
ぶっちゃけ、蟻をはじめとする草食虫は法においてさえ、まだ完全に『人』と認められているわけではないのだ。
この第9条は差別にあたるとして、廃止の世論がことあるごとに強くなるけれど、過激な右翼の攻撃を怖れて、いまだに誰も改正に着手できずにいる。

殺されても文句が言えないほどの差別を受けている蟻は、当然ながら裁判でも重罰を受けやすい傾向にある。特に肉食虫を相手どった裁判では、蟻が勝てるケースはごく稀だ。
犯罪行為を仕掛けたのはどちらかなど、被告人同士で争う部分の多い19条裁判においても、草食虫と肉食虫の場合(そういうケースは滅多にないらしいが)、草食虫が極刑に処せられ、肉食虫に懲役刑が科せられることが多いという。
さらに、後藤の場合は女王蟻の愛妾という経歴が、状況を悪くしていた。
同性愛の常習性から犯罪行為を自ら望んだ。検察はそう主張してくるはずだ。
149 名前:駄作屋 投稿日:2003年02月03日(月)00時20分05秒
「第一、強姦となったら、蜘蛛といえど、極刑の可能性も高くなる。それでなくても、異種間の上に半同性間。重罰は間違いないんだから」
「わかってる」
むっつりと返すあたしにため息をついて、保田は宣言する。
「ひとつだけ言っとく」
声はいつもより低く響いた。
「わたしが弁護すべきは、市井であって後藤じゃない。あんたが何を画策しようと、わたしはあんたの刑罰を軽くすることだけに全力を注ぐ。それが後藤を追いつめることになっても」
あたしは言葉を返せなかった。

椅子を引いて立ち上がり、保田は資料をカバンに戻し始めた。
「今日は、もういいの?」
「今日はもう何度訊いても同じことでしょ」
きっぱり答えて、まなじりの切れ上がった瞳が、ぐいと踏み込むように、あたしを見た。
「明日の『被告人A』の公判が終われば、気持ちも変わると思うわ。こんなこと言いたくはないけど……人はね、あんたが思うほどキレイじゃない。それだけは覚えといて」
冷静な弁護士の顔が、ほんの一瞬、歪んだように見えた。
悔しさや悲しみに見えないこともなかったけれど、一瞬後には保田は踵を返したから、それがなんであるか、あたしにはわからないままになった。
150 名前:駄作屋 投稿日:2003年02月03日(月)00時20分50秒
再び背中を小突かれて、あたしは独房に戻った。
高い壁に当たる日光の色が紫じみて、日が暮れかかっていることを告げていた。

後藤を被告とした裁判は、明朝。あたしは参考人として出廷する。
19条裁判で被告人をA、Bと並べた場合、Aが主犯格にあたり、裁判も先に行われる。Aに重い刑罰が決まってから、Bの公判に移り、Bには比較的軽い刑罰が科せられる。
つまり、Aが後藤でBがあたしに決まった時点で、すべては予定調和。
このままいけば、間違いなく後藤は殺される。

ぐ、と強く右の拳を握った。
武器としては強力なこの腕に、けれど今は無力さしか感じられない。
冷えた石の壁に後頭部をくっつけて、瞳を閉じた。
神様どうか。神様じゃなくてもいい、強い誰か。偉大なる何か。
あたしに後藤を守らせてください。
後藤だけでいいから、どうか。
あの頭の悪い、かわいい蟻を、どこにも連れていかないでください。
代償が必要なら、あたしの全てを。
なんだって持っていっていい、全部いらない、ただあの蟻だけを。
神様、誰か、何か。どうか。どうか――――。



151 名前:駄作屋 投稿日:2003年02月03日(月)00時22分31秒

更新終了。レス感謝。
後半スタート。
後半の方が長くなる、かもしれません。
152 名前:名無しさん 投稿日:2003年02月03日(月)03時27分41秒
こんなのキング牧師が見たら泣くな。
もうおらんけど。
153 名前:名無し娘。 投稿日:2003年02月03日(月)13時52分04秒
人の数だけ正しい事があるなら
もうそこには正しい事なんて無いんじゃないか。
平均点さえ取れない奴の遠吠えでした。
154 名前:タモ 投稿日:2003年02月03日(月)15時32分42秒
種別がなんだ!
このまま二匹はどうなってゆくのか。
次の後藤蟻の裁判の結果によって、自分のパソコンが壊れるのは間違いないでしょう。(え
155 名前:名無しさん 投稿日:2003年02月03日(月)17時57分34秒
なんかアーシアン思い出した。。
156 名前:名無し読者 投稿日:2003年02月03日(月)21時22分01秒
毎日駄作屋さんの文章を楽しみにしています。
やめないでね。
157 名前:名無し読者 投稿日:2003年02月06日(木)01時42分38秒
駄作屋さんの文章の場合は特にそうだと思いますが、
書いた文章への反応というのはまちまちだと思います。
(ああ、これも的外れであったらごめんなさい。)
けれど、とりあえず、感想を書き込んでいる人たちに共通するのは
貴方の文章を面白いと感じている事でしょう。
小説が面白いって実はすごい事だと思います。
続きを期待します。
158 名前:和尚 投稿日:2003年02月08日(土)01時36分20秒
蟻の後藤さんへの想いが溢れ捲って・・・
ただ・・ただ涙するばかりです。
159 名前:名無し読者 投稿日:2003年02月08日(土)04時35分32秒
迷惑かもしれないけど
直球ストレートな告白をもう一度。

貴方の文が好きだから、
貴方が文を紡ぎだしていくのを心待ちにしています。
160 名前:名無し読者 投稿日:2003年02月08日(土)06時35分12秒
がんがれ!
久しぶりに面白い小説に出会った。
161 名前:駄作屋 投稿日:2003年02月12日(水)20時14分55秒
更新遅れてます。すみません。
今週末くらいに更新できたらいいなぁ、
とは思ってるんですが。
162 名前:名無し読者 投稿日:2003年02月15日(土)17時01分34秒
ガンガレダサクヤタム!!!!
163 名前:駄作屋 投稿日:2003年02月15日(土)23時15分07秒
映画館でいうと映写室の位置にある小部屋に、あたしと保田は控えていた。
眼下に広がる傍聴席は、びっしりと埋め尽くされて、その向こうに、呑まれそうに小さな被告人席が見える。
蜘蛛族ではそこそこ名の通った狩猟家が、実はモラトリアム病で、しかも蟻と関係を持った。その蟻は、蟻族が誇る美貌の女王の愛妾で、おまけに『奇形』ときている。
19条裁判で、これ以上に派手な事件を、あたし自身、見聞した覚えがない。

人の声が「ざわざわ」と聞こえた。ひとつひとつの声には聞こえなくて、それはまるで大きな生きものの、荒い息遣いのようだった。
開廷すると、その荒い呼吸は静かなものに変わり、息をつめて裁判の行方を見極めようとする視線が、声よりもうるさく法廷に満ちた。

164 名前:駄作屋 投稿日:2003年02月15日(土)23時15分56秒
あたしのいる位置から、被告人席の後藤は背中しか見えなかった。
灰色の、だぶだぶした服を着せられている。
痩せてしまっていることだけ、わかった。
それでも、人定質問に答える背中はまっすぐに伸びて、その声はよく通る。
「510番」
そう名乗った。
裁判長が聞き返す。資料には、後藤が名乗ることを許された身である旨、記載されているのだろう。けれど、後藤は「510番です」と繰り返すだけだった。

「東域38番地区第7ブロック、飯田コロニー」「7歳」「働き蟻」。
後藤の背中には無数の視線が浴びせられており、左の横顔には、連盟随一の勝率を誇る首席検察官の視線が張りついていた。
空気の動きや生きものの気配に敏感な蟻は、もちろんそれをひしひしと感じているはずだ。けれど、淀みなく答える声は、細くなることも震えることもなくて、むしろ、あたしがこれまで聞いた後藤の言葉の中で、最も沈着に響くようだった。

165 名前:駄作屋 投稿日:2003年02月15日(土)23時16分41秒
「起訴状を読み上げます」
人定質問の後、検察官は透き通る声でそう告げた。
読み上げますと言いながら、手元の白い紙の束にはほとんど目を落とさない。
書類はだいたい頭に入っているのだろう、後藤の方を見やりながら、淡々と朗読を進めた。

今回の検察を務めることになった石川検事は、勝率だけでなく、蝶族一の美貌で衆目を集めている。法廷に出るようになった当初は『連盟検察のマスコット』などと、賞賛半分、揶揄半分のキャッチフレーズがよく聞かれたが、今では『マスコット』の部分は『エース』に置き換えられることが多い。
急増する19条裁判を中心に抜群の勝率を誇る、「才色兼備の名検事」。それがデビューから3年になる、この若い検察官の呼称であり、おそらくは実際である。

166 名前:駄作屋 投稿日:2003年02月15日(土)23時17分35秒
「―――て、性行為に及んだ。また、510番は―――」
さすがというべきか、どういう言葉であれ、つまることもためらうこともなく、すらすらと読み通す。
四角い言葉だらけのいかめしい文章を、あんまり早口に読むものだから、あたしには、それが自分のしたことであるという実感がわかなかった。
後藤は、時折、確かめるように小さく頷いたり、かすかに首を傾げたりしながら、石川の声に耳を傾けている。
「―――よって、二足虫連盟法第19条に抵触するとして、起訴するものである」

「ごくろうさま」
裁判長の吉澤が、読み終えた石川を軽くねぎらう。
同じ蝶族のメスどうしで、法廷デビューも同時期だったというから、気安いのかもしれない。

167 名前:駄作屋 投稿日:2003年02月15日(土)23時18分09秒
「510番」
吉澤は、本人が名乗った通りの名前で後藤を呼んだ。
「これから、検察官や弁護人がいろいろと訊きますが、自分が不利になることは言わなくてかまいません。わかりますね?」
「はい」
「質問に対する答えは全て証拠として扱われます。それもいいですね?」
「はい」
平易な言葉で吉澤は黙秘権のことを知らせ、後藤は従順に返事をした。

「それじゃぁ、最初に」
吉澤が続けて、後藤に尋ねる。
「今読んでもらった起訴状に間違いはありませんか? つまり」
噛み砕いた表現を探すように、しばらく逡巡した後で言う。
「蟻の身で蜘蛛と関係を持ったことを認めますか?」
「はい」
これも先ほどの『はい』とまるで変わらない調子だった。証拠はすでにあがっている以上、ここで否認しても無駄なのは間違いないが、それにしても後藤のたたずまいは静かだった。

168 名前:駄作屋 投稿日:2003年02月15日(土)23時18分51秒
「弁護人はどうですか?」
問いかけられた弁護士は、やや緊張した面持ちで椅子を立った。
体の小さな蟻だ。この手の裁判の連盟選任弁護人には、被告と同種・同性の弁護士が選ばれることが多い。
とはいえ、蟻であることは司法界においてもハンデだ。それを覆してここにいるこの弁護士が、傑出した人材であることは、推して知れた。
「被告人と同意見です。ただし、本件の主犯格は510番ではないと考えます。犯行にいたる経緯や動機については、この後、真実を証明したいと思います」

かすかなざわめきが廷内を駆けて、あたしの隣では、保田が小さく舌打ちをした。
「矢口のヤツ、大胆な戦略できたわね」
矢口という名らしい弁護士を睨んで、つぶやく。
「主犯と共犯、入れ替えてくるつもりよ。それで後藤の極刑だけは避けられると踏んだのね。やっぱり厳しい……この裁判、二人ともは――――」
ほとんど独り言に近かった。
それでも、『助からない』を言う直前で保田は止めた。
あたしは今さら気にならなくて、保田でも気を遣ったりするのだな、と思うだけだった。

169 名前:駄作屋 投稿日:2003年02月15日(土)23時19分29秒
矢口としては、当然、自分の担当している後藤を助けたいのだろう。保田が、後藤を追いつめてでもあたしを助けると言ったのと同じことだ。
驚くにはあたらないとあたしは思ったし、むしろ、矢口に期待すらしていた。
どちらか一人なら、どちらを選ぶか。
あたしの答えなら、矢口と同じだったから。

「被告人Aは――――」
石川が冒頭陳述を始め、その中で後藤は、もう510番ですらなくなっていた。主語のほとんどが省略されない硬い言い方の中で、被告人Aという単語がうんざりするほど繰り返された。
「捕獲から9日目の夜、同性愛的な感情を動機として、被告人Bと関係を持った。Bが性的未分化であることやBの記した日誌などから、形式としてはBが主体的に行為を進めたと察せられる。ただし、事件翌日の強制捜査時の様子や、被告人Aの生い立ちから、犯行時、Aに抵抗はなかったものと考えられる。むしろ、性的体験の多いAがBを誘導した可能性が高い」

170 名前:駄作屋 投稿日:2003年02月15日(土)23時20分07秒
『蟻だから510番が主犯』とは、さすがに言えるはずもない。
予想した通り、検察は女王の愛妾としての後藤の生い立ちから、後藤を主犯に仕立てるつもりらしかった。
「被告人Aは、2歳時から5年にわたって、飯田コロニー女王と愛人関係にあった。同コロニー住民の証言によると、被告人Aはほぼ毎日のように女王の居室に呼ばれていたといい、数名いる愛妾の中でも、特に寵愛を受けていたことが窺える」
後藤の頭はほとんど動かない。石川の高い声が自分の生い立ちを暴いていくのを、前を向いたままで聞いている。
「被告人Aは飯田女王を幼名で呼んでおり、また女王がつけた『後藤』の名前を一人称として用いるなど、女王を慕っていたことが証言として得られている。もしも同性愛的行為に嫌悪感を覚えていれば、被告人Aは飯田女王を恨みに思っていたはずであり――――」

171 名前:駄作屋 投稿日:2003年02月15日(土)23時20分56秒
長い冒頭陳述の中で、後藤のことは、生まれ落ちたそのときから今にいたるまで、丁寧に掘り起こされていった。
飯田圭織の一代前の女王が後藤の母親。
18回目の産卵時に命を失った彼女は、そのとき25歳と蟻としては高齢だった。
加齢が卵にどういう影響を与えるかは定かでないが、ともかく、そのときの卵で無事に孵化したのは、後藤だけだったという。

期待が集まる中で生まれてきたのが色素異常の子供だったことは、石川の言葉を借りるなら、コロニー全体に「ショックを与えた」。
他者から期待を裏切られたとき、「いやいや自分が勝手に期待したのだから」と一歩引いて考えることは、なかなかに難しい。
生まれた瞬間から、後藤の居場所は、仲間の失望の渦の中に決まっていた。

群れの一番最後にしか食事を取らせてもらえなかった後藤は、痩せこけて普通より体の小さい子供だったという。
見かねた飯田女王は後藤を自室に呼んで食事を取らせるようになり、それはそのまま愛人関係につながっていった。女王は後藤に名前を与えてかわいがり、後藤も女王によく懐いて従順だったと、これは証言によって明らかになっている。

172 名前:駄作屋 投稿日:2003年02月15日(土)23時21分41秒
いつか、後藤は飯田圭織のことを「家族みたいなもん」だったのだと、あたしに教えてくれた。
言葉に表すなら、「愛人関係」でしかなくても、それだけではない空気がそこにあったのだろう。そのことはあたしにも想像ができた。

けれど、当然ながら、検察のエースは、女王と後藤の件について、体の関係を強調することを忘れなかった。
ときどき、後藤の体にそれらしい跡が残っていたこと。
女王が後藤を召すとき、2回に1回は、応接室ではなく寝室へ直接呼んでいたこと。
相当にあからさまなことを、やはり淡々とした調子で、証言として並べた。

陳述が終わる頃には、後藤はすっかり「異種にまで望んで抱かれた、中毒的な同性愛者」になっていた。
傍聴席は、時にざわめいたり、ため息を洩らしたりするのに、後藤の背中は、自分を歪める言葉を受け止めながら、特に力が入ることもないようだった。
途中、憤りというより、意外なことを聞いたというように、何度か石川の方へ視線を流したが、それだけだった。

173 名前:駄作屋 投稿日:2003年02月15日(土)23時22分27秒
一方、後藤の右手にいる矢口の顔は、うっすら汗をかいているようだった。
後藤は共犯者にすぎないとする矢口の主張、それと真っ向から対立する石川の陳述。
この公判がこれから荒れ模様になることは、誰の目にも明らかだった。
「荒れるね」
保田は、かろうじてあたしに届くくらいの低さでつぶやいた。
それと奇しくも同時に、吉澤が口を開く。
「証拠調べを、検察から」
血の流れない命の取り決めが、むしろ穏やかに、いっそ緩やかに、幕を開けようとしていた。



174 名前:駄作屋 投稿日:2003年02月15日(土)23時24分36秒
更新、遅れました。
すみませんでした。
遅れた割に少ないし。

一部になってしまいますが、今回はレス返しを。


>>152
映画『イナフ』を見たとき、主題らしきDV問題の
扱い方がひどくて、嫌悪感を持ちました。
152さんのレスを読んで、自分も意図せずに、
その轍を踏んでいるのかなぁ、と思いました。
自分に扱えない大きさの問題には手を出すべきじゃないですね。
この話に関しては、書き始めてしまってますので、
今後の展開でなるべく挽回ができるように考えたいと思います。
ご意見、感謝します。

175 名前:駄作屋 投稿日:2003年02月15日(土)23時25分50秒
>>155
高河ゆんさんの『アーシアン』は、
中学生の頃に読みました。
一部、同様の設定がありましたね。
記憶の底に残ってたものを自分の発想と
混同してしまったのかもしれません。
同作ファンの皆様には申し訳ありませんでした。

この話を書くにあたって影響を受けたマンガを3つ、
お知らせしておきます。

書くキッカケのひとつになったのが、
佐藤秀峰さんの『ブラックジャックによろしく』。
影響は見えにくいかもしれませんが。

書きながら、意識していたのは
藤子・F・不二雄さんの『ミノタウロスの皿』と
清水玲子さんの『22XX』。

自覚してるのはこれくらいですが、
これまでに見聞きしたさまざまな創作物から
無意識にでも影響は受けてるんだろうと思います。
また、自分で思いついたことであっても、
私が思いつく程度のことは、誰かが先に形にしてるんじゃ
ないかなぁ、とも思います。

完全に独創的な話は無理でも、
何かの劣化コピーにはならないように。
その辺、意識だけはしつつ、書いてみることにします。

176 名前:駄作屋 投稿日:2003年02月15日(土)23時27分17秒
一部の読者さんには、ご心配をいただいたようで、
大変、申し訳ありませんでした。と、あと
ありがとうございました。
ぼちぼち、がんばります。

177 名前:名無し娘。 投稿日:2003年02月16日(日)15時49分39秒
1レスに埋め尽くされたこの文字達、良くも悪くもこれぞ駄作屋風(w
取り上げている内容が厳しいものなのでレスにいつも悩むんですが、その中での510には和みました。
『ブラックジャックによろしく』の4巻は何回読んでも泣いてしまいます。
178 名前:名無し読者 投稿日:2003年02月17日(月)00時08分58秒
これからいったい・・ 見守らせてください
179 名前:タモ 投稿日:2003年02月17日(月)15時40分25秒
さぁ、これからも展開に期待です!!
180 名前:うまい棒メンタイ味(i-mode) 投稿日:2003年02月17日(月)18時49分03秒
初めて見た、なんだか槙原の『ハングリースパイダー』をおもいだした これからも期待!
181 名前:名無し読者 投稿日:2003年02月20日(木)19時04分06秒
最初から読み返してみると、1レス目の言葉がなんだか
いちーちゃんの遺書めいて聞こえるんですけど・・・。

一応「犯罪」しちゃってるわけだから2人とも無罪という
のは無理かもしれないけど、納得できる結末を・・・。
182 名前:名無しさん 投稿日:2003年02月24日(月)03時28分40秒
東京裁判のパール判事のように「被告人全員無罪!!」は難しいですかね?
183 名前:駄作屋 投稿日:2003年03月02日(日)23時29分14秒
「被告人Bの網にかかったとき、あなたはどこへ行こうとしていましたか?」
石川は、後藤の横顔を見つめながら、質問を始めた。
「コロニーに、戻るところでした」
「では、どこへ行った帰りでしたか?」
後藤は口をつぐむ。
「被告人B宅が目的地だったのですか?」
「まさか」
「では、答えてください。どこからの帰りでしたか?」
石川も本気で後藤とあたしの仲が旧来のものだとは思ってないのだろう、あっさりと切り返し、後藤は答えにつまる。
「それは……」
「被告人B宅は飯田コロニーからはずいぶん離れています。そんなところに、どんな用事が?」
直感した。石川は、後藤がなんのためにあたしの暮らす森を訪れたか、とっくに承知している。答えさせることで、後藤にダメージを与えて、公判をやりやすくするつもりなのだ。

184 名前:駄作屋 投稿日:2003年03月02日(日)23時29分50秒
「染料を、取りに行きました」
「染料?」
後藤の髪は今、栗色のままになっている。『奇形の蟻とモラトリアムの蜘蛛』のニュースは星じゅうを駆けぬけて、もう隠す意味がなかったし、そもそも染料を差し入れてくれるような友人を後藤は持たないのだろう。
「髪を黒く染めるための。あの森の奥で取れる樹液を、いつも使ってました」
傍聴席から、同情のような呆れたようなため息が塊になって聞こえた。
「色素が他の蟻と違っていることを気にしていた」
「……気にならないことはないです」
言わずもがなのことを、石川はわざわざ確認し、後藤はかろうじて受け流した。
「色合いでいうと蜘蛛に近いように見えますね。親近感を持つ下地があったと―――」
これには矢口が黙ってない。
「憶測です。無根拠な私見であり、尋問になってません」
「異議を認めます。検察は『尋問を』続けてください」
吉澤が言い、直前の石川の発言が証拠から削除されて、けれど尋問は淀まず続く。

185 名前:駄作屋 投稿日:2003年03月02日(日)23時30分23秒
「コロニーから出て暮らしたいと思ったことはありませんか?」
「蟻は1匹では生きられません」
「一般論ではなく、『あなたは』コロニーを出たいと思ったことはありませんか?」
「ありません」
いったん言葉を切ってから「一度も」と後藤はつけ加えた。
感情的にさせて不利なことを言わせるのが石川の狙いだとしたら、それはいずれ成功を収めるだろうと思えた。

「捜査中、飯田女王を除いて、あなたと親しかったという住民は見つかりませんでした。それどころか、奇形であることが原因で、差別的な扱いを受けていたとの証言が寄せられています。コロニーでの暮らしは楽しかったですか?」
「異議あり」
再び、矢口が異議を差し挟む。
「質問は本件となんら関わりがない上に、被告人の動揺を誘う悪質なものです」
石川は矢口には目線すら与えず、ごく冷静に吉澤を見上げる。
「被告人Aが犯行に至る心理的な背景を明らかにする必要があります。関わりのない質問ではありません」
吉澤はわずかに逡巡してから「異議を棄却します」と述べた。

186 名前:駄作屋 投稿日:2003年03月02日(日)23時30分57秒
「もう一度、訊きます。コロニーでの暮らしは楽しいものでしたか?」
ため息のような、笑い声のような、かすかな音が、後藤から聞かれた。
「暮らしが楽しいとか楽しくないとか、考えたことありません」
「質問をかえます。自分が差別的な扱いを受けていることについて、どう考えていましたか?」
「何も。何もっていうか―――」
後藤は初めて、質問に対して、答えを考える間をとった。
「色が違うのは本当だし、違うのがイヤだって言われちゃったら、それはどうしようもないことだから」

『しかたがない』。
それが後藤にしみついた一番基本的な考え方のようだった。
自分に起こる全てのことを、『しかたがない』と受け止めて、後藤は生きてきた。
「『どうしようもない』と思うことで、納得ができましたか?」
厳しい問いかけ。けれど、石川を見やった後藤の横顔は、ごく穏やかなものだった。
「納得なんて、してもしなくても、まだ生きてるし、続けるしかないから」

187 名前:駄作屋 投稿日:2003年03月02日(日)23時31分42秒
後藤はまた前を向いて、続ける。
「それに、色が違って目立ってたから……体が小さくてカワイソウだったから、女王が拾ってくれた。そうじゃなかったら、わたしは200分の199で、女王はわたしを区別できなかったと思います」
『区別』と後藤は言った。差別とどう違うのかは、わからなかった。
ただ、大勢が肩を寄せ合って暮らすコロニーで『区別』がないことは、恐ろしいことである気がした。

「飯田女王との愛人関係について、どう考えていましたか?」
「何を考えるんですか?」
後藤は質問の意図がわからないと、石川を見た。検察相手でも、まるで構えない。
検察のエースであっても、それには多少のやりにくさを感じるのか、石川はかすかに眉根を寄せる。
「たとえば、女王と会うことはうれしいことでしたか? ベッドを共にするのは楽しいことでしたか?」
「はい。両方、『はい』です」
心臓が体の中で縮こまるみたいだった。雪を踏みしめたときの、きゅう、という音を、胸のうちで聞いた。

188 名前:駄作屋 投稿日:2003年03月02日(日)23時32分31秒
「同性との性行為に抵抗はなかったわけですね」
「同性……それはわからないけど」
後藤は石川の方を見て、少し首を傾げた。
「女王となら、イヤじゃなかった、です」
こんなにも遠い横顔が、それでも綺麗で、心臓がまた軋む。
この期に及んでノンキな嫉妬をやめられないあたしは、やっぱりどこか病んでいる。

そのとき、矢口が一度腰を浮かしかけて、座りなおすのが目に入った。
それで確信した。
後藤は事前に矢口と練ったであろう検察尋問への回答案を、たぶん使ってない。自分の言葉で今、質問に答えている。
ただし、それがどんな計算に基づくものなのか、あるいは計算の一切を放棄した結果であるのか、それは窺い知れなかった。

「女王に対するあなたの気持ちは、恋愛感情だと思いますか?」
「すみません、感情の種類は、よくわかりません」
ごく素直な調子で後藤は答える。
石川はおそらく冷静な顔の下で苛立ち、矢口は気が気でないだろう。
後藤ひとりが、この場に異質なくらい、静穏な空気をまとっていた。

189 名前:駄作屋 投稿日:2003年03月02日(日)23時33分05秒
「被告人Bに捕まったとき、どんな気分でしたか?」
つかみきれない主導権を握りしめるかのように、石川は急に質問をかえた。
「怖かったです」
後藤は次の質問を予想したりはしないようで、だからだろう、大して面食らうこともなく答える。
「被告人Bが書いた『飼育日誌』によると、あなたは捕まって一夜でずいぶん落ち着いたとされています。これは事実ですか?」
少し考えてから、後藤は口を開く。
「落ち着いたというか……落ち着こうと思いました」
「それはなぜですか?」
「やっぱり、しかたないことだから」
「しかたない?」
石川たち蝶族も草食性の生きものである。このとき、一瞬ではあるけれど、石川の声の中に初めて苛立ちが聞こえた。
後藤はそれを感じたのだろう、石川を体ごと振り返る。
「いちー、市井さんに捕まったときは怖かったし、自分が死ぬことは…悲しいと思いました。だけど、蜘蛛の巣から逃げられるとは思えなかったし、わたしは蟻だから、しかたないのかな、と思いました」

190 名前:駄作屋 投稿日:2003年03月02日(日)23時33分48秒
「日誌には、自分が高値で売れることを望んでいたような言動が見られます。これは被告人Bへの好意からですか?」
あのときの後藤の目には、あたしが映っていたとは思えない。
『ごとおが高く売れるといいね、いちーちゃん』
後藤の瞳はきっと、もっと深いところを見つめていた。
けれど、後藤は否定しない。
「それもあります。市井さんはやさしかったし、どうせ死ぬなら、誰かの役に立てばいいなと思いました」
「『それも』。それ以外には? こういう言葉を笑顔で言うどんな理由がありますか?」
後藤は触覚の先にいたるまで、しばらく動きを止めた。
じっと考えて、それから石川に「少し長くなってもいいですか」と尋ねた。
石川が首を縦に振るのを見てから、後藤は被告人席正面の背の低い柵に、両手を組み合わせて乗せた。目はそこを見ているのだろう、頭が少し下を向いている。

191 名前:駄作屋 投稿日:2003年03月02日(日)23時34分24秒
「蟻は」
声音には、かすかな緊張が混じっていた。
「蟻のほとんどは、寿命の20歳よりも早く死にます。他の動物の食料になるからです」
何も意外なことは言ってない。けれど、草食動物と肉食動物が入り混じるこの法廷は、一気に温度を下げたようになった。
「つかまった夜、初めて考えました。もうすぐ死ぬことがわかって、それで初めて、あたしはなんで生きてるか、なんのために生まれたか、本気で考えたんです」
後藤は一人称を『あたし』に戻していた。それは何かの覚悟のようなものを感じさせ、あたしはひどく落ち着かない気持ちになっていく。

言葉を切った後藤に、石川が問う。
「考えて、結論は出ましたか?」
こくり、と後藤は頷いた。
「食べられるために、生まれたんだと思いました」
傍聴席がどよめき、石川が初めて絶句した。

192 名前:駄作屋 投稿日:2003年03月02日(日)23時34分59秒
後藤は続けた。
「あたしたちが草を食み、蜘蛛たちがあたしたちを食べて、いつか蜘蛛たちは土になって、また草を育てる。緑が緑に還るための道に、自分がいるんだと思いました」
どよめきは、波が引くように、ゆっくりと小さくなっていく。静まって後藤の声を通そうと、場がそういう意思を持ったようだった。
「食べられるのはやっぱり…すごく怖いけど、でも……そう、納得っていうの、できた気がしました」
死ぬときには納得したくなると、後藤はいつか言った。そのときも、やっぱり笑っていた。
その笑みを脳裏に見ながら、続く後藤の言葉を聞いた。

「この星が緑であるために、あたしは生まれたんだと、そう思いました」

法廷は後藤の声以外の音をなくし、あたしは自分が唾を飲む音を気にした。
「それがわかって、あたしはいっぱい泣きました。なんで泣くのか、よくわからなかったけど、朝が来るまで、ずっと泣いて、それから、その後はたくさん笑いました」
甦るのは、何気なかった、いくつもの笑顔。
花のように、明るくて柔らかな、いくつもの。

193 名前:駄作屋 投稿日:2003年03月02日(日)23時35分59秒
「夜は女王にお別れを言う夢を見て、昼は笑いました」
後藤が寝ても覚めても口にした飯田圭織の名前。あれはきっと本人に届けられないサヨウナラ。
「つくり笑いっていうのとも、ちょっと違ってて、そりゃぁ楽しくて笑うっていうんじゃなかったけど、ただ、たくさん笑いたいと思ったんです。うまく説明できないけど、笑いたいって、思いました」
あたしは鼻を指で押さえた。そうすれば泣かずに済むと思った。
保田がちらりとこちらを見て、見なかったふりで、また前を向く。

法廷は静かにざわついた。
ため息と、鼻をすする音と、咳払いと、舌打ちのような音と。それら小さな音が混ざって、大きくはないけれど、決して小さくない、奇妙なざわめきが広がっていた。
数十秒の後にようやく、石川の咳払いが聞こえた。
「尋問が流れてしまったようです。戻しまして、被告人Aは――――」
「いや」
吉澤がさえぎった。
「少し間をとりましょう。20分ほど」
石川は諦めたように着席した。矢口は薄赤くなった目で後藤を見て、後藤は吉澤を見上げていた。
かつん、と木槌が鳴った。裁判長の声が凛と響く。
「休廷」


194 名前:駄作屋 投稿日:2003年03月02日(日)23時37分25秒

更新終了。レスどうもありがとうございます。
195 名前:名無し読者 投稿日:2003年03月03日(月)00時58分35秒
泣いてしまいました・・・。ごっちん・・・。
なんともせつないです。でも生命ってそういうものなのかもしれない
とも思ってまた泣けました。緑の星かあ〜〜〜。題名がこれほど深い作品って
なかなかないと思います。
196 名前:タモ 投稿日:2003年03月03日(月)13時10分14秒
これ程考え深い小説はないと思います
197 名前:吉澤ひと休み 投稿日:2003年03月04日(火)00時15分34秒
初めて読みました…言葉になりません。
食物連鎖に関わらない現在の私達人間の存在の価値は…何でしょうか。

素晴らしい作品と駄作屋さんに敬意。
198 名前:駄作屋がんがれ! 投稿日:2003年03月04日(火)03時07分35秒
いよいよ弁護人の尋問でつね?
知にはがんがってもらいたいでつ!
論告求刑公判〜判決、期待してまつ!
199 名前:名無し娘。 投稿日:2003年03月04日(火)21時58分07秒
後藤の純粋でシンプルでストレートな思考羨ましい。
僻めるならまだ自分は大丈夫だ。
200 名前:名無しさん 投稿日:2003年03月16日(日)23時01分02秒
hozen
201 名前:駄作屋 投稿日:2003年03月22日(土)21時54分01秒
休廷の間に飲み物でも、と保田があたしを誘う。
のんびりお茶なんか飲む気分でもなかったけど、保田にしても喫茶のつもりで誘ってるわけではないのだろう。
あたしは、後藤が矢口と連れ立って法廷を出るのを見届けてから、自分も小部屋を出た。

「一見ややこしいことにはなってるけど」
カップの中が半分になったところで、保田は公判の話を切り出す。
「わたしたちからすれば、喜ばしい状況ではあるわね」
頷くことはできないが、保田の言うとおりだとは思った。

法廷は今、本来なら協力して裁判に臨むはずの後藤と矢口がバラバラになっている――というより、後藤が一方的に離反している――ために、弁護人と被告人と検察官、三者三様の思惑がぶつかる展開を見せている。
状況としては複雑で、けれど、判決の出方は、むしろ読みやすいものになっていた。
徹底的に抗えばどう転ぶかわからなかった後藤が、自分に不利になる発言をしている以上、この法廷の『勝ち』は石川がほぼ手中に収めつつあって、矢口にはもう勝ち目がない。
この場合の勝ち負けはもちろん、有罪無罪のレベルじゃない。
ひとえに、極刑の確定あるいは回避。

202 名前:駄作屋 投稿日:2003年03月22日(土)21時54分41秒
「だけど証言によっては、まだ」
「そうね、この後、あんたも法廷で証言することになるけど―――」
保田の目が、しっかとあたしをとらえる。
「ここまできたら判決はほとんど決まってる。無駄に自分を貶めるべきじゃないわ」
「無駄、ね」

保田はあたしが後藤を強姦したわけではないと、もしかしたら、とっくに気づいているのかもしれない。
けれど、事の真否には今、毛ほどの値打ちもないのだ。
重要なのは、何をどう話せば誰のためになり、誰のためにならないか。
保田は、それはもう最初の接見から、そこだけを考えた提案を繰り返している。優秀なのだと思う。

だけど、後藤と矢口が食い違うように、あたしと保田も目指すゴールは違ってる。
あたしは保田の言うことを全面的に信じるわけにはいかなかった。
たとえば、保田があたしを助けるために、あたしがしようとしてる自分に不利な証言は「無駄だ」と言う。それも十分に考えられることだった。

203 名前:駄作屋 投稿日:2003年03月22日(土)21時55分24秒
あたしがよからぬことを考えているのがわかるのか、保田はテーブルの上で手をグーに握った。
「無駄って言ったのはね、何も裁判のことだけじゃない」
「え……?」
顔を上げたら保田は、この人には本当に珍しく、視線を物憂げに窓外へと移していた。
「後藤の気持ちを、無駄にしないで」
みし、と軋むような痛みを、心臓に感じた。

窓の外すぐのところに張り出す枝を見つめたまま、保田は続ける。
「矢口はね、法廷での技量よりも、下調べの確かさと、依頼人との密なコミュニケーションで、名弁護士と呼ばれるようになったの」
「それが?」
「当然、後藤には事前にさんざん説明してるはずね。この裁判の争点がどこか」
誰が死ぬか、死なないかを争う裁判。保田があたしに口をすっぱくして言ったことは、後藤も矢口から聞かされているはずだ。
「後藤が生き残るためには、どの点で石川を退ける必要があるか、そのためにどういう言動をするべきか」
「そうだろうね」

204 名前:駄作屋 投稿日:2003年03月22日(土)21時56分01秒
「今日はじめて後藤を見たけど、あの子は決してバカじゃないと思う。不利は百も承知でしゃべってる」
あたしも、まさか後藤がただ無邪気に思いのままを述べているとは思わない。
けれど、
「さっき後藤が言った、あれはね、遺言だと思う。死ぬつもりなのよ。自分が生き残るつもりが最初からない、あの子には」
保田からそう畳みかけられると、心臓が握りつぶされるようだった。

あたしも目を窓に向けた。
緑が、まぶしかった。
「それって、生かすためだって思わない?」
後藤は、生かすために、死のうとしている。
誰を、とは言わなくてもわかった。
「わかってる」
それは、あたしがしようと思っていたことだからだ。

言えば怒られると思いながら、あたしはつぶやいた。
「どうするのが、正しいことなんだろうね」
保田の目線があたしの顔に戻るけど、あたしはまだ、枝を見ていた。
緑から、なんとなく目を切りたくなかった。

205 名前:駄作屋 投稿日:2003年03月22日(土)21時56分39秒
叱られるかと思ったけれど、聞こえたのは、ただ長く息を吐く音だった。
「逆を予想してたんだけどね」
「……逆?」
「正直、わたしは後藤が真逆のことをやってくると思ってた。実際、矢口が仕掛けようとしてたことは、まさにそれだったしね」
主犯と共犯の入れ替え。
「何件だって見てきたのよ、法廷で恋人だったはずの相手を裏切る様なんて」

人は思うほど綺麗ではないと、昨日、保田は言ったのだった。
今回に限らず、19条裁判ではどちらが誘った誘わない、強姦だった和姦だったで揉めることが多い。見たくないものを、この弁護士の目はたくさん見てきたのだろうと思った。
「それはそれでツライことだけど、だけど裁判はやりやすくなる。依頼人に迷いがなくなるし、わたしも集中できるから。今回も、そうなるんだと思ってた。あんたは一時的に苦しい思いをするだろうけど、それで結果的にはいい方へ転がると思ったのに」

206 名前:駄作屋 投稿日:2003年03月22日(土)21時57分38秒
保田がこんなにも素直に手のうち胸のうちを見せるのは初めてのことだった。
「なんで、そんなに」
保田は半分問い掛けるように言って黙り、だけどあたしは返事ができなかった。
答えるかわりに、あたしは保田に尋ねた。
「法廷で裏切らないのが『綺麗』なことだと思う?」

保田は黙っている。質問の意図がつかめないときには答えない慎重さ。それが彼女の身上だ。
あたしは続ける。
「裏切る虫にはね、守りたいものがあるんだと思うよ。家族とか仲間とか、これから先の自分とか」
言いたいのは、その逆のケースのことだったけれど、これ以上、口にする気にはなれなかった。また、保田にこれ以上の言葉が必要になるとも思えなかった。

守りたいものを、自分の側に持たないなら、裏切る理由がない。
裏切ってはいけないと思うから裏切らないわけじゃない。
誠実であることや、道徳的であることとは無関係な話。
ワガママにエゴイスティックに、あの子をどこへも行かせたくないだけだ。

207 名前:駄作屋 投稿日:2003年03月22日(土)21時58分19秒
「ひとごとみたいに言ってるけど」
保田はあたしの言いたいことを理解しながら、それでも諭すことを、まだ諦めるつもりはないみたいだった。
「あんたにも、この先の人生があるのよ。モラトリアムだって治療の研究が進んでるし」
最後まで聞かなくてもいいと思ったから、あたしはさえぎった。
「あたしだって命は惜しいよ。でも、一番じゃなくなっちゃったからさ」
なるべく、さっぱりした言い方を心がけた。美談になんかされたくなかったし、そんなものじゃないと思ったから。
「どうしても順番をつけるんだったら、あたしにはもう、一番じゃなくなったんだ」

208 名前:駄作屋 投稿日:2003年03月22日(土)21時58分50秒
保田は言いかけていた言葉をのむように口をつぐみ、それから、かすかな吐息をもらす。
眼差しを下へ落とし、そうしたままで言った。
「あんたが、そんなふうに、接見のときの嘘がバレるようなことを今になって言うのは」
保田の後ろに控える職員が「時間です」と言い、あたしたちは立ち上がった。
あたしが先に歩き出して、保田はあたしの背中につぶやく。
「きっと、この後への覚悟なのね」
悲しそうに聞こえたから、胸が痛んだ。
「ごめん」
喫茶室を出る直前、前を向いたままでつぶやいたけど、あたしの後ろにいた保田に、それが聞こえたかどうかはわからなかった。



209 名前:駄作屋 投稿日:2003年03月22日(土)22時01分46秒

更新終了。インターバル部分だけですが。

すみません、保全までしていただいて。
レスも、どうもありがとうございます。
励みになってます、結果出せてませんけども…。
はい、もうちょっとがんばります。

210 名前:名無し読者 投稿日:2003年03月23日(日)01時20分04秒
結果を出せないなんてとんでもないです。
内容、本当に素晴らしいと思います。
これからも、楽しみにしてますので、ご自分の納得のいくように
書いてください〜。
211 名前:名無し娘。 投稿日:2003年03月23日(日)02時12分25秒
ふたりの気持ちを解ってるから応援してしまうけど、
そうでない側から見れば、同性愛というだけでも気味悪いものだろう。

それでも奇蹟を期待してしまう。
がんばれ市井!
212 名前:タモ 投稿日:2003年03月23日(日)20時21分01秒
ついに市井の番ですね。胸が高まりつつもマッタリお待ちしています。
213 名前:名無し娘。 投稿日:2003年03月23日(日)22時49分21秒
市井ちゃん頑張るなぁ。
今を生きれるって素晴らしい。
今が無きゃ先も無いもんね。
214 名前:名無し読者Z 投稿日:2003年03月24日(月)23時12分26秒
本当に細かい描写が味わい深いです。
まったり楽しみにしてます。
215 名前:名無し読者 投稿日:2003年03月25日(火)02時34分09秒
さっきこの作品の存在を知り一気に読んでしまいました。
すごく面白いです。
久しぶりに我を忘れて読みふけってしまいました。
216 名前:名無し 投稿日:2003年04月03日(木)14時18分53秒
作者さん頑張ってください
応援してます
217 名前:駄作屋 投稿日:2003年04月12日(土)01時11分37秒
再開を待つ法廷に、後藤と矢口は一番最後に入ってきた。
小部屋から見える立ち姿は指の先ほど。
それでも、被告人席へ入る前の後藤が、一瞬、矢口の手を握ったのが見えた。
矢口はハッと顔を上げたけれど、後藤は何事もなかったかのように席に着く。
体に短い震えが走った。
一方的な握手の意味が、あたしにはわかる気がした。

後藤の着席を待って、吉澤は悠然と廷内を見渡し、木槌を軽く振るった。
「開廷」
石川はそれだけで立ち上がり、吉澤の方が遅れて「検察は尋問の続きを」と言った。
後藤のすぐ傍まで歩み寄った石川は、手にした紙の束にざっと目をやったが、すぐにそれを畳んでしまって小脇に抱える。
矢口にとってはもちろん、石川にとっても、これは計算した軌道から既にはずれた裁判に違いなかった。

218 名前:駄作屋 投稿日:2003年04月12日(土)01時12分23秒
「被告人Bに捕まってからの9日間、食事は十分に与えられていましたか」
「はい」
後藤は素直に石川へ体ごと向き直る。あたしのいる位置からは、石川の顔と後藤の後頭部がよく見えた。
「市井さんが毎日、作ってくれました」
「蟻に向けたものを被告人Bが。おいしかったですか?」
石川は検察としてというより個人的に興味深そうな様子で尋ねた。
後藤はかすかに笑みの混じる声で、きっぱりと答える。
「まずかったです、ものすごく」

呆気にとられた。
後藤はあたしの作るものを、いつだって「おいしい、おいしい」と喜んで、残したことなど一度もなかったのだ。
「野菜は灰汁まみれだし、かたかったり、くったくたになってたり、キノコは油断すると毒入りのが混ざってるし、味付けはやたら濃いし」
すらすらと補足する後藤を、あたしは口を開けて見ているばかりだった。
石川は故意ではないらしい笑みを初めてもらした。
「それは災難でしたね。あんまり食べられなかったでしょう」
それには後藤が首を横へ振る。
「残さずに食べました。毒キノコはさすがにこっそり捨てたけど」
「まずいのに?」
「まずいのにっていうか…たぶん、まずいから」

219 名前:駄作屋 投稿日:2003年04月12日(土)01時12分58秒
無言のまま、石川は顔を斜めにすることで説明を求めた。
後藤も少し首を傾げる。自分でも説明しづらいのだと言いたげだった。
「なんか、こんなにまずいし、この人、当たり前だけど、普通は蟻のために料理なんか作る人じゃないんだろうなって思って」
「当然そうでしょうね」
「あたしのために、慣れないことしてるんだなぁって、思って。太らせた方が売れるからかもしれないけど、へたくそな料理、一生懸命作ってるの見たら、なんか………」
後藤は『なんか』から先を言わなかった。

「なんか?」
穏やかな調子で石川が続きを促して、それで後藤も口を開く。
「考えてみたら、あたしのためにゴハン作ってくれた人って、いちー、市井さんが初めてだったから。だから、なんか………、なんか。ダメですね、『なんか』で止まっちゃう」
後半を後藤は苦笑いで石川に向けて言った。
石川は構わないと頷いた。

220 名前:駄作屋 投稿日:2003年04月12日(土)01時13分41秒
「コロニーでは、あなたに食事を作る人はいませんでしたか?」
「食事は食事係がみんなの分を作るんですけど、なんていうか、あたしは『みんな』のうちに入ってない感じで。食べるのって最後に一人だったし。女王様の部屋で、女王様が誰かに作らせたやつを一緒に食べさせてもらったりとか、そういうのはあったんですけど」

後藤はいつだって『いただきます』と『ごちそうさま』をきちんと言い、その合間には、こっちが飽きるくらいに『おいしい』を繰り返した。
かわいいと思っていた。
今は、かなしいと思う。
後藤があたしについた嘘よりも、嘘でも『おいしい』と言いたかった気持ちが、悲しかった。

221 名前:駄作屋 投稿日:2003年04月12日(土)01時14分21秒
「9日間もあって、一度も逃げようとは思いませんでしたか」
「蜘蛛の巣を抜けられるとは思えなかったし」
「チャンスがなかったから考えなかった、ということですか」
こくりと頷く後藤に、石川はことさら、ゆっくりと問う。
「逃げ出すチャンスは、本当に一度もありませんでしたか?」
後藤の犯行意思につなげるために重要な質問なのだろう。石川の目が穏やかに後藤を刺す。

後藤がすぐに答えないことが、あたしには不思議だった。
『チャンス』なら、あたしには心当たりがあるけれど、後藤にはないはずだ。
けれど、不自然な間の後で、後藤は明瞭に答えた。
「ありました、一度だけ」

222 名前:駄作屋 投稿日:2003年04月12日(土)01時14分54秒
隣で保田が何か書きつける音が忙しない。
「いつです?」
「事件があった日の昼間、湖で。市井さんは寝てて、あたしは自由にさせてもらってたから」
鼓動が急に速くなったのが、自分でわかった。
あのとき、目覚めたら後藤はいなくて、だけどすぐにいつもの笑顔であたしの前に現れた。
チャンスとして認識していたのなら、どうして今、後藤はこの法廷に立つことになっているのか。逃げなかった意味は、どこに。

「決定的なチャンスだったわけですね。なぜ逃げなかったんですか?」
「逃げました」
あたしは指先さえも動かせずに、後藤の背中を見ていた。
石川が怪訝そうに眉をひそめ、後藤は続けた。
「途中で戻ったんです」
「どうして?」
「よく、わからないけど……。寂しいんじゃないかと、思ったから」
法廷が薄くさざめいた。
あたしは瞬きをするだけで、やっぱり後藤の背中を見ていた。

223 名前:駄作屋 投稿日:2003年04月12日(土)01時15分37秒
「戻れば、翌日には市場に出荷されます。それがわかっていて、蜘蛛が寂しそうなので、それを慰めるために戻った。そういうことですか?」
「なぐさめるっていうか……そんなんじゃないけど」
後藤は言葉を選びかねるように黙りこくる。
「そんなんじゃないけど」
だったらなんなのか、と言いたそうに、石川は後藤の言葉を繰り返した。
おそらくここは裁判上、重要な局面で、だからだろう、休廷前に見せていた鋭角的な気配が、石川に戻りつつあった。

「そんなふうに戻ってきてくれたら、異種族とはいえ、かわいいと思うのが人情でしょうね」
あたしの動機を裏付ける準備を石川はぬかりなく始め、隣であたしの弁護士が舌打ちする。
けれど、石川の企図するところを、後藤は穏やかな口調でつぶした。
「市井さんは、あたしが戻ってきたことを知りません」

224 名前:駄作屋 投稿日:2003年04月12日(土)01時16分22秒
「眠ってる間に戻ってきたから。戻ってきたことも逃げたことも知らないはずです」
後藤はこれまでと変わらない調子で言ったけど、そこにかすかな嘘が含まれることを、あたしだけが知っていた。
『後藤、後藤、後藤』
あのとき、届かないと思いながらあたしは呼びつづけ、後藤はそれに返事をしながら現れた。
後藤が戻るより早く、あたしは目を覚まして、明らかに後藤を求めていた。
涙を流し、声をあげて。
それを、後藤は見なかったことにしている。

「あなたにいいことがあるようには思えませんね」
石川の感想は、違う理由で、けれど奇しくも、あたしが抱くものと一致していた。
「逃げるか、劇的に舞い戻って見せて『離れたくない』と媚びを売るか。どちらかの方が得だとは思いませんでした?」
後藤は「ああ」と納得したようにつぶやいてから、ぽつりと答えた。
「なんか別に、得しようと思わなかったから」
思わなかった、であり、思わない、でもあるのだろう。
『自分が生き残るつもりが最初からない、あの子には』。
さっき聞いた保田の声が耳の中に木霊する。

225 名前:駄作屋 投稿日:2003年04月12日(土)01時17分33秒
石川は被告人席前部の木柱に手を置いて、後藤の顔を見やった。
「そのときに、その夜のことは頭にありましたか?」
メモをとっていた矢口が弾かれたように顔を上げる。
黒目がちの瞳が、似合わないほど強い光をもって石川を射抜いた。
保田もメモ書きの手をぴたりと止める。
廷内の空気は一気に濃度を増したようになった。
静寂が最初に、それがもたらす緊迫が次に訪れた。

「はい」
固唾を飲むすり鉢の底に、後藤の声は濁りなく響いた。
犯行に及ぶ意思や計画性の有無を、石川は確認しにかかったのであり、間違いなく今が裁判の山場のはずだった。
あまりに簡単に答えてみせた後藤に、石川は二度目の絶句をし、それから丁寧に訊きなおした。
「事件当日の昼間、逃げるのをやめた時点で、被告人Bと関係を持つつもりがありましたか?」
「はい」
まったく同じように声は響き、迷いがなかった。

椅子を蹴立てて、あたしは小部屋の窓枠に張りついた。
わけは知らない、数歩でも後藤に近づきたかった。
すぐに背中から保田の腕が伸びて引き剥がされ、椅子に戻される。
座っても膝がわなないて止まらない。
荒い呼吸を継いで、あたしは後藤の小さな背中を睨んでいた。

226 名前:駄作屋 投稿日:2003年04月12日(土)01時18分21秒
「被告人Bと性的関係を結べば、うまくいけば売られなくて済むと、そういう計算がありましたか?」
あとは動機を確定するだけでいい。
尋問はすでに最終段階に入っていた。
「はい」
後藤は自分勝手な目標に向けて、何度でもイエスを言うつもりのようだった。
「事件当夜、犯行に誘ったのはあなたですか?」
落ち着き払って、石川はとどめを刺しにいった。静かだった。
後藤は本当に、ただの一瞬たりとも逡巡しなかった。

「はい」

法廷が揺れた。
どお、と人の声がかたまって、人の声でないような音になり、廷内を浸食していく。
これがもう判決に直結することを、誰もが理解していた。
まだあどけなさの残る後藤の声が、あっけないくらいに、その命の終わりを決めた。

227 名前:駄作屋 投稿日:2003年04月12日(土)01時19分15秒
立ち上がる。
傍らに立っていた保田があたしを抱きとめるけど、あたしは自分の振り回した腕で保田が怪我をしようと、もはやどうでもよかった。
目の前の険しい顔を、苛立ちのままに睨みつけて告げる。
「どけ」
保田はどかず、低い声をしぼり出した。
「何様のつもりで邪魔ができるの、あんたに」
「あれは嘘だ」
歯が満足に噛み合わず、あたしは短く言うだけで精一杯だった。
「嘘だから何? 本当だったらなんなのよ」
「嘘だ」

逃避するように同じ言葉しか繰り出せないあたしの頬を、保田の両手が挟みこんだ。
無言であたしの目を睨み据え、それから、ぐいと顔を斜めに向けさせられた。
「見てごらん、矢口が見える?」
頬を強く挟まれたままの視界に、弁護人席の長机が入った。
矢口がいる。

震えていた。
小さな体、その触覚の先までが、びりびりと絶え間なく震えていた。
燃えるように赤い目が後藤に向いている。
机の上に2つの小さな握りこぶし。
悔しいと、その全身が叫んで、声にならない声がここまで届くようだった。

228 名前:駄作屋 投稿日:2003年04月12日(土)01時19分50秒
「矢口は今、法廷にいられて、後藤の弁護士で、それでも黙ってる。あそこまで我慢して黙ってるのがどうしてか、あんたにわかる?」
あたしはもう、声が出せなくなっていた。出せば声といっしょに目から水が溢れると思った。
「あれは後藤の闘いだからよ。後藤がひとりで命はって闘うことに決めてるからよ。誰が邪魔できる? 嘘なんか百篇だってつくわよ、あの子。自分の命も真実もいらないと思ってるからでしょ。誰のためなのよ、なんのためにッ」
廷内へ洩れていかないように抑えた声を、保田は強く発し、あたしの頬を放さなかった。
泣いてはならないと、あたしは、なぜだろう、強くそう思った。

229 名前:駄作屋 投稿日:2003年04月12日(土)01時20分46秒
「証人尋問が始まります。下へ」
小部屋の隅に控えた職員が事務的に言い、あたしと保田は、しばらく無言で睨み合った。
互いの間で陣地の奪い合いをするように、強い視線をぶつけて口をきかなかった。

やがて保田の手がおもむろに離れ、視線もゆっくりと離れた。
「何が誰のためになるのか、よく考えなさい」
保田は短く念を押し、あたしの頭の中には冷たい水が満ちる。
水の冷たさがあたしを刺し、重さがあたしを締めつけた。

誰が生き抜けることが、誰のためになるか。
誰の悲しみに誰の喜びを優先すべきなのか。
考えるほど、水は頭の中を揺れて暴れた。
悲しみたくない、と思った。
後藤を悲しませても自分が悲しみたくないあたしは、利己的な性質なのだろう。
その手の内省をする理性はまだ生きており、だけど感情にはもう、敵いそうもない。
あたしは、ただ、悲しみたくなかった。



230 名前:駄作屋 投稿日:2003年04月12日(土)01時24分39秒

更新終了。
吉澤さんの誕生日にまるで関係なく…
(18歳おめでとうございます。
って、ここで言ってどうすんだか)。

レスありがとうございます。
いつも本当に感謝してます。
次回更新、なるべく早めの方向でがんばりたいと思います。
それでは、また。

231 名前:名無し読者 投稿日:2003年04月12日(土)02時11分51秒
悲しみたくない。
すげー好きです、これ。
市井に感情移入しちゃってるせいか、市井には悲しんで欲しくない。
どうしても後藤には生きて欲しいです。
232 名前:  投稿日:2003年04月12日(土)02時19分52秒
ここで取れる解決法は自決のみです。
233 名前:名無し読者Z 投稿日:2003年04月12日(土)09時50分46秒
2期メンバーの皆さんがそれぞれ本当にいい味を出してますよね。
更新をとても楽しみにお待ちしております。
234 名前:生華 投稿日:2003年04月29日(火)19時36分58秒
誰にも死んでほしくない…
どうにか作者さま、最後はハッピーエンドで…
235 名前:名無し読者 投稿日:2003年05月11日(日)18時25分20秒
そろそろ更新お願いします…
楽しみにしてますので。
236 名前:駄作屋 投稿日:2003年05月11日(日)23時27分55秒
更新遅れてます、すみません。
話に対してモチベーションが下がるようなことはないのですが
単純に時間がうまくとれなかったりしてます。
なんとかしたいとは思ってるんですが…。
イイワケです、ごめんなさい。
もう少しだけ待ってみてもらえれば幸いです。
237 名前:名無しさん 投稿日:2003年05月11日(日)23時54分28秒
私事ですがこの春から社会人になり、社会人の時間の制約の中で
モノを紡ぎだすことの困難さを実感する日々です。
いくらでも待ちますから、どうか、必ず、貴方の物語を読ませてください。
238 名前:名無しさん 投稿日:2003年05月12日(月)09時42分20秒
昨日から一気に読みました。
感動です
239 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2003年05月12日(月)10時04分01秒
作者さんのペースでつづけてください。
また〜りお待ちしています。
240 名前:名無し読者 投稿日:2003年05月12日(月)10時24分44秒
いつまでだって駄作屋さんについて行きますぜ。
そうでなきゃファンの名が廃るってもんよ。
いくら時間がかかっても、ご自分の納得した文章をあげてくだせえ。
241 名前:駄作屋 投稿日:2003年05月18日(日)22時54分33秒

法廷へは後ろから入った。
あたしと保田は、光の当たらない傍聴席横の通路から、最初の証人への尋問を見守る。
暗がりから後藤の背中は、さっきよりも大きかったけれど、それでも絶望的な遠さだけを感じた。後藤の温度も匂いも、今はあたしの手に入らない。

証人席は、客を待っていた。
法廷の前方入口近くに設けられた、木製の柵が作るサークル。
後藤の大切な人が、もうすぐそこに現れる。
その瞬間の後藤の目を、ここからなら見なくて済むから、そのことだけはありがたいと思った。

242 名前:駄作屋 投稿日:2003年05月18日(日)22時55分04秒
「こちらへ」
扉が開かれてすぐ、石川が彼女を証人席へ導いて、だから顔が見えたのは彼女が証人席に立った瞬間からだった。
飯田圭織が顔を上げたそのとき、傍聴席のあちこちで場違いなため息があがり、あたしは息を飲んだ。
辺りを払うような美貌と、おかしがたい品格。
理屈ではなく反射で、畏れのようなものを抱いた。
漆黒の長髪と大きな瞳は夜を移植してきたように神秘的で、生まれついての高貴を感じさせた。

法廷じゅうの視線を集めた飯田圭織は、そのどこへも視線を返さず、ただ後藤を見ていた。
自分の愛妾が他種族と性交渉を持ったせいで、法廷に引っ張り出されることになった女王は、それでも眼差しに怒りを宿してはいなかった。
静かだ、と思った。
喜怒哀楽の方向すら判別が難しいような、本当に静かな目をしている。
「証人席では真実のみを口にしてください。嘘を言えば偽証罪に問われます」
石川がシンプルに告げて、飯田圭織は後藤から目線をはずさないまま「はい」と返事をした。

243 名前:駄作屋 投稿日:2003年05月18日(日)22時55分35秒
「510番とあなたは愛人関係にありましたね?」
人定質問の後、第一の問いがそれだった。
飯田圭織は、『510番』や『愛人関係』にためらうように少し石川を見やって、そうしながら「はい」と答えた。構えたところのない仕草は後藤に通じるものがあって、あたしは今さらながら、この人が後藤の主だと実感した。

「初めて、510番と関係を持ったのは、いつでしたか?」
「後藤の4つの誕生日です」
飯田圭織は自ら名づけた後藤の名前を自然に口にした。
そのとき急に、後藤がこの法廷でその名を自らに禁じた理由が、腑に落ちた。この人にもらった名前をこの裁判の席に持ち出したくないと、後藤ならそんなふうに考える気がした。

「3年以上前ですね。それからずっと関係は続いていましたか?」
「はい」
「どれくらいの頻度で?」
「ヒンド……ああ、2日に1回くらいはいっしょに食事をしてました」
「セックスは?」
石川は平然と尋ねて、飯田圭織も驚かなかった。少し考えてから
「3回会えば1回くらいは。2回に1回まではいかないかな…」
と、やけに正確を期して言う。少し変わっているのかもしれない。

244 名前:駄作屋 投稿日:2003年05月18日(日)22時56分10秒
「いつも、どちらが誘ってそうなりますか?」
飯田圭織の長い触角が小さく揺れて、答える前にその目は後藤を見た。
これが後藤の罪を裏付けるために大切な問いであることを、聡明な王は知っている。
後藤がどんな眼差しを返しているのか、あたしはそれがひどく気になった。
たぶん後藤と目を合わせた後で、飯田圭織は答えた。
「半々、くらいです」
「被告人があなたを誘うこともあった」
「そうですね」
ごく穏やかな一言で、蟻の女王はその小さなしもべを死の淵へと追いやった。

傍聴席に低いため息が流れた。
飯田圭織はゆっくりとまばたきをして、そのまま自然なやり方で視線を下へ向けたままにした。後藤をもう見ない。
あたしは飯田圭織がわからなかった。
後藤の話を聞く限り、飯田圭織は後藤をよくかわいがっていた。食事をさせ、読み書きや世界のことを教え、笑いかけて抱きしめてきたはずだ。
それでいて後藤を殺す作業を冷静にやりぬける心のありようは、あたしの理解を超えている。
後藤も後藤で、その背中はまるで動くことがなく、飯田圭織の言動をはなから折り込んでいるようだった。

245 名前:駄作屋 投稿日:2003年05月18日(日)22時57分16秒
「510番は性的なことに積極的でしたか?」
「そうですね、消極的でもなかったんじゃないかな」
「510番が他の誰かをセックスに誘うことも考えられますか?」
「あっても不思議はないでしょうね」

かすかに高い位置に留め置かれる口角は、微笑よりも冷笑のしるしのようだった。
一定方向に偏ることがわかりきった回答よりも、あたしにはそれが気になった。
飯田圭織が今このとき誰を笑うのか。
なんとなく、しかし確信に近い答えを、あたしは持った。
そして、自分が悪いことをしたのかもしれないと、傲慢にも初めて、それに気がついた。

仕事向けに用意しているらしい笑顔で、石川は順調な作業を続け、尋問は淀まない。
後藤が法的に正しく殺されるための準備を着々と進め、気が済んだらしいところで「最後に」と言った。
絶えず提供していた笑みを、そこでようやく滑らかな肌の下に沈ませていく。
「510番に何かかける言葉がありますか」

246 名前:駄作屋 投稿日:2003年05月18日(日)22時58分11秒
「そうですね」となんでもないように答えたのに、直後、飯田圭織の唇がこわばって閉じた。なんとか開きかけて、また少し震える。
遠かったけれど、それがハッキリ見えたから、その唇の奥に秘められたものに、あたしは気づかないわけにいかなかった。

後藤の頭が下を向く。
あの質問の前に後藤が飯田圭織と絡ませた視線。
あるかなしかの儚さでつながった一本のライン上で後藤がしたことを、あたしは理解した。
視線ひとつで、女王に命令を下したしもべ。
逆らえなかった女王。

「後藤…」
飯田圭織は命じられた演技を、おしまいにしたようだった。
この場所からはただ黒く光って見えるその瞳に今、きっと後藤がいる。
「たくさん与えたつもりでいたんだ」
声は独り言のように小さくて、ひどく聞き取りにくい。
「違ってた」
言葉はそれで途切れたけれど、石川も、そして吉澤も黙っていた。
傍聴席で誰かが咳き込むのが聞こえた。
「ごめんね」
咳とほぼ同時だったし、声はあまりにも細かったけれど、唇がはっきりとその形に動いた。

247 名前:駄作屋 投稿日:2003年05月18日(日)22時59分05秒
後藤が伏せていた顔を上げた。
一瞬だけでも二人の目が合ったのかどうだったのか。
次の瞬間には石川が「いいですか」と尋ね、飯田圭織は黙って頷いた。
瞳の色と同じ漆黒の装束が、体の動きに付き従ってひるがえった。
協力に対する礼を述べる石川にも、そして後藤にも、もはや目をやることなく、女王は歩き出していた。

硬い足音は、烈しい怒りの声のようで、けれど、横顔がちらちらと光ったのが見えた。
飯田圭織が出口の手前に立つと、いかにも重そうな樫の扉は、両側から開かれた。
そのとき、真っ黒い長身を目で追っていたあたしの視界の端が、ふと揺れた。
後藤の手が、被告人席の枠を掴んでいた。

それは無言で、無音の動作だった。
閉じ込め損なった嵐を飼いならそうとするように、後藤はただ細い木に指を絡ませ、頭を低く下げていた。
背中を震わせながら、嗚咽さえ聞かせない。

後藤は知っているのだと思う。
女王に自分の泣き声を聞かせることが、いかに重い罪であるかということを。

248 名前:駄作屋 投稿日:2003年05月18日(日)22時59分57秒
小さくひとつ、後藤に近寄った役人が音を立てた。
その音は飯田圭織の耳にも、あるいは届いたかもしれない。
けれど、後藤の主は、後藤を振り返らなかった。
やがて開かれた扉の向こうへ長身が消え、扉は再び閉じた。


249 名前:駄作屋 投稿日:2003年05月18日(日)23時00分53秒
「次の証人尋問に移ります」
石川が吉澤に言う間に、矢口が後藤に近寄った。やっぱり怒ったような顔をしている。
への字に唇を結んだまま、矢口は後藤の顔を拭って、後藤はおとなしく、されるままになっていた。
「被告人B、市井を証人として召喚します」
後藤があたしに抱かれることは、あたしが後藤を抱くこと以上に、重いものを孕んでいたんだと、あたしはようやく気がついた。
「わかってるわね」
保田が小声で耳打ちしてくる。
あたしは口元をだらしなく緩めた。
「わかってなかったんだよ」
わかってなかった。
後藤を抱くことで、後藤にどれだけの負担を強いたのか。
あの夜、後藤がどんなに苦しかったのか。
「ちょっと……」
保田が何か言おうとするけれど、あたしはもう歩き出していた。さっきまで飯田圭織がいたその場所へ。
傍聴席脇を歩き過ぎ、被告人席の隣を通るとき、後藤がこちらを見た気がした。
あたしは前だけを見ていた。
罪はやはり、あたしのものだと思った。



250 名前:駄作屋 投稿日:2003年05月18日(日)23時02分08秒

更新終了。
遅すぎ、少なすぎ。すみません。

251 名前:駄作屋 投稿日:2003年05月18日(日)23時02分55秒
>231-234、238
感想どうもありがとうございます。
このスレでは原則レスは返さないことに
していますが、とても励みになっています。

>235、237、239、240
待ってくださって、ありがとうございます。
もうちょっと更新頻度あげていきたいなと
思ってます。思ってるだけじゃダメなんですけども。

説得力のない毎度の決まり文句になりそうですが、
次回はなるべく早めに……。

252 名前:名無し読者 投稿日:2003年05月19日(月)01時02分00秒
泣いた
253 名前:名無し読者 投稿日:2003年05月21日(水)12時50分22秒
更新きた!!
待ってました。更新少なくないっす、かなり濃い内容でしたから(w
全部一気に読み返してみたら涙が本当に久しぶりに出てきました。
いちごまさいこー駄作屋さんさいこー
次回更新マッタリお待ちしております。
254 名前:名無しさん 投稿日:2003年05月24日(土)14時34分06秒
カコイイ
ずっと続き待ちます
255 名前:名無しさん 投稿日:2003年06月05日(木)06時34分02秒
保全します。
256 名前:名無しさん 投稿日:2003年06月16日(月)21時06分55秒
マタリとお待ちしております保全。
257 名前:名無しさん 投稿日:2003年06月27日(金)23時38分18秒
保全
258 名前:駄作屋 投稿日:2003年07月08日(火)18時40分41秒

自分の足音だけが、よく聞こえた。
足を止めて顔を上げ、5日会わなかった顔を、やっと正面に見た。
5日会わなかった、5日会いたいと願った、後藤の顔。
頬の肉が少し落ちた。唇が白っぽい。透けそうだった肌はわずかにくすんだ。
それでも桜の幹の色に似た瞳だけ、変わらず強いままだった。
その目があたしを見たときに、あたしは自分の気持ちを一から百まで理解した。
欲情であり、友情であり、同情で、混ざり合う不純な何かだと思った。

後藤は落ち着いた様子であたしの視線を受け止め、静かな眼差しをこちらへ返す。
いっしょに暮らした9日間、あたしは笑顔ばかりを見たからきっと、後藤をわからずにいた。
この法廷で背中を見、笑わない顔を見て、あたしは後藤がとうに大人になっていることを知った。
後藤は自分の立つ位置を知っている。この裁判で、この星で、自分がどこに立っているか、感情とは別のところに、見る目を備えている。

あたしは7つの子に遅れてる。
実感が、燻すようにゆっくりの熱になり、胸を芯から焦がしていった。

259 名前:駄作屋 投稿日:2003年07月08日(火)18時41分12秒

「あなたについての審理は明日、行われます。ここでは、510番の審理に必要な質問をしますが――――」
ぶつかってつながる後藤とあたしの視線上に、石川はすんなりと割って入った。
「この件に関して証人として答えたことが、明日の裁判で証拠として採用されることはありません。いいですね?」

19条裁判で、被告人両名の裁判を分けるようになったのは、ここ7、8年のことだ。
黎明期には、両名が列席する裁判で、それぞれの刑罰を決めていた。けれど全虫連は、数十件の判例が集まったところで、そのスタイルに見切りをつけている。
相手と同時に裁かれるとなると、被告人が冷静さを欠くことがわかったからだ。ものの本によると、当時の法廷では、被告人どうしが互いを蹴落とすことに執心して、裁判が満足に進まないのが常だったという。
『人は思うほど綺麗ではない』。
そう言ったのは保田だったけど、彼女でさえ知らない凄惨なことを、この法廷は飲み込んできている。
260 名前:駄作屋 投稿日:2003年07月08日(火)18時42分00秒
その後、被告人両名を全く別個に扱い、互いの裁判に証言もさせないという形式に変わったけれど、このスタイルで裁かれたのは、わずか数件に過ぎない。
扱うのは何しろ密室性の高い事件。共犯者は稀少な証言者でもあるわけで、そこから証言を得ずに審理が進むはずもなかった。

試行錯誤を経て今は、被告一人ひとりに別個の裁判を立てながら、証人として互いの裁判に出席させる形が採られている。先の2形態の折衷といったところか。
もっともこれも最終形にはならないだろう。
今なら、わかる。
種のために個を罰する裁判に、正しい形なんて、ありはしない。

証人席から裁判長の横顔が、斜めによく見えた。
若くして司法の頂点に立つ吉澤の目には、どんな正解が見えるのだろう。
矢口は、石川は、保田は。
後藤なら。

あたしには正解が、もうずっと前から見えない。

261 名前:駄作屋 投稿日:2003年07月08日(火)18時42分33秒

「嘘をつけば偽証罪に問われます。真実のみを述べてください」
「望まない質問には答えなくてかまいません」
石川は手順通りに、決まりごとをさらさら述べる。
勝ち誇っているというより、冷めているように見えた。
九分九厘、勝敗が明らかになった法廷に、あるいは興味を失いつつあるのかもしれない。

「事件当日のことを、教えてください」
場違いに女らしい声が、なのにどこか威厳をもって響く。
「湖で510番が一度は逃げたことを、あなたは知っていましたか」
「目の前から姿が消えたことには、気がつきました」
「眠っていたのではなかったのですか」
「途中で目が覚めて、後藤がいなくなってることに気づきました」

後藤の言い分と食い違う証言に、石川はかすかに目を細めたけれど、次の質問でそれに触れることはなかった。
「逃げられた、とは思いませんでしたか」
『逃げる』という言葉を避けたことの方を追及してくる。
石川の耳は聞き逃がさないし、石川の目は見逃さない。
ごく単純にそのことが、この検察官の強さだ、と思った。

262 名前:駄作屋 投稿日:2003年07月08日(火)18時43分18秒

「思いました。だけど、本当になんでもないように戻ってきたから」
「散歩に出かけたと思いましたか」
石川は笑み混じりに言ったけど、あたしは生真面目に頷いた。
「そのくらい、当たり前みたいに戻ってきたんです」

後藤は、得をするつもりがなかった、と言った。嘘じゃないと思う。
泣きじゃくるあたしがそこにいて、何を言えば有利になるか、正解ならその手にあったのに、アイツはわざわざ、言わないことを選んだ。
『あなたと一緒にいる』とか、『あなたのために戻ってきた』とか、簡単にあたしを操縦できる言葉があったのに、黙ってそれを手の中で握りつぶした。

尊厳なんて言葉を、後藤はもしかしたら知らないかもしれないけれど、「できる」ことと「していい」ことが同じじゃないこと、後藤は知っている。

263 名前:駄作屋 投稿日:2003年07月08日(火)18時43分57秒

「いなくなったと気づいたとき、どんな気分でしたか?」
意図的に、なのかもしれない、石川はさっき立っていた場所からほんの少し右へ移動していた。石川の左肩の向こうに、後藤が見える。
「さみしかった」
顔を見たら、吐息が洩れるように、どうしようもなく言葉が口をついて出た。
「寂しかった、です」
なんとか答えにかえて、それでも後藤から目をそらすことができなかった。

今度は明らかに意識して、石川はさらに右へ体をずらした。
「戻ってきたときは、どういう気持ちでした?」
「うれしかっ――――」
かたん。
傍聴席の方で、何か小さなものが落ちて、床が硬い音を立てた。
振り向かないままの石川の目つきが、わずかに険しいものに変わる。
見なくても石川にはわかるのだろう。あたしにもわかった。
音は保田だ。
万年筆で床を叩いて、あたしに発する警告。

『止まれ』

264 名前:駄作屋 投稿日:2003年07月08日(火)18時44分37秒

恋愛感情は否定しろ、と言われてきた。
あたしが後藤をレイプしたと言い張るときでも保田は、それならそれで闘いようはあるから、動機を「恋愛」にするのだけはやめてくれ、と言った。
「恋愛」は習慣性や依存性が強い―――よく知らないけど、社会通念によれば―――から、それを動機に罪を犯した場合、更正に時間がかかると判断されやすい。
量刑は必ず長期化するし、もっと悪くすれば流刑か死刑か。
このケースでも、他の動機に比べて、圧倒的に不利になることは間違いなかった。

けれど、あたしの視界に保田は入らなかったし、さらに言えば、目の前の石川さえ、あたしには見えなかった。
簡単なはずの嘘を、この問いに限って、あたしはつくことができなかった。
「うれしかったです」
後藤だけを見ていた。
「もう一度、会えて、うれしかった」

265 名前:駄作屋 投稿日:2003年07月08日(火)18時45分12秒

初めて後藤に告げる、後藤への気持ちだったけれど、後藤はどこか痛そうな顔をした。
せっかく打った駆け引きをぶち壊されて、憤慨しているのかもしれない。

「510番がいると『うれしかった』。そういう気持ちが、510番の誘いを断れなかった理由ですか?」
石川はバカじゃないから、こちらが警戒するはずの『恋愛』という言葉を、はっきり口にしなかった。
ここでの証言は直接あたしを裁く材料にはならないけど、ここでうまい方向へ導いておけば、明日を楽に進められる。
あたしも、まるっきりバカでもないから、石川の計算を理解はしていた。
「いえ」

額に力が入ってた後藤の顔が、安堵したように少し緩む。
だけど、あたしの否定は、後藤が想像するのと違うところへ、かかっていた。
理解と納得は、似ているけれど別のものだ。
「誘ったのは」
ごめんね後藤、ごめんね保田。
自己満足のための詫びを胸中で入れて、聡明なる建築家だったあたしは、やみくもに今、何かを壊しにかかる。
「あたしです」

266 名前:駄作屋 投稿日:2003年07月08日(火)18時45分42秒

法廷は今日何度目かのざわめきに包まれ、だから本当なら聞こえるはずもなかったけれど、あたしの耳には、後藤の小さな声がたしかに届いた。
ため息みたいな細さで、あたしをなじる声が聞こえた。

そうだね後藤、認めるよ、あたしはバカかもね。
欲情だの、友情だの、同情だの、ぐじゃぐじゃに混ぜたら、それをもしかして一言に置き換えてもいいんだと、今さら気がついた。
血の巡りが悪いと言われても、文句は言えそうにない。

後藤にこの遅い発見を伝えたいと思ったけれど、その機会にはもう恵まれないだろうとも思った。
それでも悲しくはなくて、強い酒に全身を浸してるみたいだった。
誰かに伝えたいことを胸に持ってる。伝えられないのだとしても。
「性行為に誘ったのは、510番ではなく、あなたの方だということですか?」
「はい」
こんな裁判の場にあって不思議なくらい、あたしは今が幸せだ。

267 名前:駄作屋 投稿日:2003年07月08日(火)18時46分20秒

「弁護側からも尋問させてください」
ほぼ確定だった極刑を覆せる可能性が生まれたことで、弁護側は一気に色めきたった。
立ち上がる矢口を、吉澤は手のひらで制して石川に言う。
「検察、まだありますか」
石川としては、この尋問で明日の裁判の布石を打つつもりはあったろうが、後藤への求刑に支障が出るような証言は欲しくなかったはずだ。
「いえ、打ち切ります」
顔色こそ変えないけれど、早口な言い方が、隠せない苛立ちを表していた。

石川が下がるのを待って、入れ替わりに小さな人影があたしの前に立つ。
「後藤さんの弁護人の矢口です。よろしく、お願いします」
わざわざ挨拶など口にしているのに、その顔は怒っているように見えた。
低いところからの目線は、挑むようにあたしを刺す。
「いくつか質問をさせてもらいます。これは証人尋問で、被告人尋問じゃありません。話してもいいと思う範囲で、どうか真実を話してください」
告知の言い方から通り一遍とは違っていて、ちりちりするような気迫を肌に感じた。
「わかりました」
話そうと思った。
矢口のためじゃなく、後藤のためですらなく。
あたしは、あたしのいいようにしたいだけだった。

268 名前:駄作屋 投稿日:2003年07月08日(火)18時47分23秒

「事件当夜、そもそも同じ部屋に眠ったのはなぜですか。捕まえてから9日間ずっと、そうだったんですか」
「最初は食糧庫に寝かせてたんですけど、7日目に後藤が熱を出したから、ベッドを譲りました」
「譲って……別々に寝たんですか」
矢口の目線はあたしに据え置かれ、右手だけが別行動で高速にメモをとる。
「7日目はあたしが床で。8日目は、熱が下がってきてたから、一緒に寝てもいいかと思いました」
「一緒に寝たんですね?」
「はい」

背の低い矢口でも、すぐ近くに立たれると視界はふさがった。
後藤をずっと見ていたかったけれど、見えない方が今は迷わないのかもしれない。
「『熱が下がってきてた』なら、被告人を食糧庫に寝かせてもよかったですよね」
「そう、ですね、たしかに」
「そうしなかったのはなぜですか」
「熱が下がりきってたわけじゃなかったのと―――」
もうひとつは理由になってないかなと思いながら続けた。
「あたしが一緒に眠りたかったから」
頬がぴくりと動いただけで、矢口はすぐに表情を押し隠した。
重要なことを言っていると、本人に気づかせてはならない。そんな思惑が見てとれた。

269 名前:駄作屋 投稿日:2003年07月08日(火)18時48分03秒

「被告人から、一緒に眠りたいというようなことを言われましたか」
「言われてません。後藤はベッドを空けようとしてました。あたしが、いいから一緒に、と」
後藤は、あたしが知る限り最後まで、自分たちが蟻と蜘蛛であることに自覚的だった。
あたしの方が、それを忘れたがっていた。

「調書によると、9日目まで性交渉はなかったとされていますが、間違いありませんか」
「ええ、8日目も…ただ同じベッドを使っただけです」
矢口はメモの手を止めて、少し考えた。
「性交渉が目的でないとすれば、一緒に眠りたいと思ったのは、どうしてですか」
「さぁ、それは……」
あのときはまだ、後藤に対する気持ちは、はっきりと形を持たなかった。
あの9日間、猫の目のように変化する自分の気持ちを、あたしはうまく片づけられないでいた。

270 名前:駄作屋 投稿日:2003年07月08日(火)18時48分50秒

「いいでしょう」
あたしが黙りこくると、矢口はあっさり引き下がった。
ここは、ぽんぽんと勢いよく答えを引き出していきたいところなのだろう。
「9日目の昼間、湖に出かけましたね。被告人の熱は下がっていたんですか」
「だいたいは」
「8日目はあなたが同じベッドに寝ようと言ったんでしたね」
「はい」
「9日目…事件当夜ですが。同じベッドに入るよう、被告人に言いましたか」
「はい」
「被告人はどういう反応を返しましたか」
自分の喉が、こく、と鳴るのを聞いた。
薄く開いた口から、空気は多めに吸う。
――――ここだ。

「嫌がってました」

ここからがあたしの、事実よりも、いま大切な真実。
あのとき宙を泳いだ後藤の視線、あれは遠慮や戸惑いだったかもしれない。だけど、あたしは後藤の好意をできるだけ否定する必要があった。
「被告人をベッドに誘ったときには、性交渉に誘うつもりがありましたか」
「そうですね」
「その夜、性交渉に誘ったのは、被告人ではなく、あなたで間違いありませんね?」
「はい。間違いありません」
即答でよかった。迷う理由は、ひとつもなかった。

271 名前:駄作屋 投稿日:2003年07月08日(火)18時49分38秒

矢口は顔色を変えず、ただし、初めてメモに目を落とした。
万に一つも書き損じたくない何かを書き取ってから、顔を上げる。
「なんと言って誘いましたか」
「抱きたい、と言ったと思います」
「被告人はどう答えましたか」
「それは犯罪だから、やめてほしい、と」
表情を完全には隠せないで、矢口の眉が、小さく動いた。
「被告人はあなたに、性的な行為をやめるように言ったのですね?」
「言いました」
矢口はしばらく黙った。あたしがあたしに不都合なことを、あんまり次々言うせいだろう。

数秒後、いったん目線を下へ落としてから、再びあたしの目に焦点を合わせた。
「犯行に、つまり性交渉に、合意がありましたか」
あたしは、見つめてくるつぶらな瞳を、ほとんど機械的に見返した。
誠実ぶって見つめ返したこのままで、嘘など幾千幾万つけると思った。
「ありません」

272 名前:駄作屋 投稿日:2003年07月08日(火)18時50分23秒

どろどろと、法廷が低くざわつく。
「強姦だったと、認めるんですか」
「抵抗は途中でやみましたが、納得ずくというよりは、逆らえなかったんじゃないかと思います」
「あなたが蜘蛛で被告人が蟻です。そういう背景が、被告人に抵抗を許さなかったのだと思いますか?」
ほとんど質問ではなかった。後藤のための筋書き、その補足。
そして、あたしにはそれでよかった。

頷こうとしたときに、しかし、石川は黙ってなかった。
「異議あり。証言の範疇から逸脱しています。被告人の心境などについては、証人から言えることは憶測に過ぎず、証拠としての要件を満たしていると思えません」
吉澤は一拍分だけ間を置いた。自分の下唇を親指でなぞってから矢口に言う。
「異議を認めます。弁護人は、証人が知っていると思われる『事実』について、尋ねてください」

273 名前:駄作屋 投稿日:2003年07月08日(火)18時51分41秒

矢口はごく素直に「はい」と返事をした。
証拠として採用できなくとも、裁判官の耳には、後藤の「いたしかたない事情」が残っていく。それで十分と判断したのだろう。
ぱたん、とやや大きな音を立て、メモを閉じる。
この材料で勝てるはずと、信じるための動作のようだった。
「もう一度、訊きます」
声は荘厳に廷内を渡る。
「性交渉に合意がありましたか」
「ありません」
「誘ったのはどちらですか」
「あたしです」
「終わります」

あたしが出口へ歩き出す前に、聞き取れる最小の声で矢口は「ありがとう」と言った。
礼を言われる筋がないので、あたしは目を向けなかった。
被告人席へは、歩き出す直前、ほんの一瞬だけ、目をやった。
蟻のくせに、兎のように赤い目をしていた。
一瞬で目を焼かれ、だけど立ち止まるわけにいかなかった。
ゆっくり歩いて、飯田圭織と同じ扉から、せめて背中をまっすぐに、あたしは法廷を出ていった。



274 名前:駄作屋 投稿日:2003年07月08日(火)18時52分14秒


更新終了。
毎度遅くて申し訳ありません。


275 名前:駄作屋 投稿日:2003年07月08日(火)18時53分01秒


感想をくださる皆さん、保全してくださる皆さん、
いつもありがとうございます。


276 名前:駄作屋 投稿日:2003年07月08日(火)18時53分44秒


裁判が長くてウンザリだと思いますが
もうしばらくおつきあいいただければ幸いです。
それでは、また。


277 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月08日(火)22時46分23秒
よかったよ
278 名前:名無し娘。 投稿日:2003年07月09日(水)00時23分07秒
おもしれー
279 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月09日(水)01時03分06秒
重くて痛いな、胸にずしっとくる
280 名前:名無し読者。 投稿日:2003年07月09日(水)14時14分02秒
良かった!
281 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月09日(水)21時58分54秒
この物語が続く限り、いつまでもついていきます。
282 名前:名無し蟻。 投稿日:2003年07月18日(金)20時44分00秒
駄作屋さんの文章好きだよ。
どうかこれからも書き続けて。
283 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2003年07月20日(日)19時20分03秒
今日初めて読みました。
あの駄作屋さんの小説だとわかりすごく驚いています。
本当にいい作品だと思います。てか泣きました。
がんばってください。
284 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月12日(火)07時21分27秒
保全します。
285 名前:駄作屋 投稿日:2003年08月13日(水)17時27分41秒

論告求刑を前に、法廷は再び、短い休みに入っている。
小部屋に戻るなり、保田は椅子に身を預けてため息をついた。
怒鳴るでも嫌味を言うでもなく、ただそうして息を吐かれるのは、存外、酷なことだった。
これが自分のしたことの報いの、始まり。
保田を怒らせ、後藤を悲しませ、あたしはそして、あたしをたぶん殺すのだ。

しかし、保田は言った。
「なんて言ったらいいのか」
声はどうやら悲しんでいて、その意外な弱さは、途端にあたしを不安にさせた。
「もっと強く言えばよかった。あたしが中途半端だった」
過去形。間に合わない何かを悔やむ言い方だった。
「なに」
ほとんど独り言のレベルまで音量が下がる保田の声を、自分に向けさせた。
保田はあたしを見ないで、ただ声だけ、あたしに向ける大きさで言う。
「駆け引きだと思った?」
「なにが」
「あたしがあんたに無駄だって言ったことよ」
「半々くらい」
両手に顔をうずめ、保田はしばらく黙った。
半々のうちの、どちらが正しかったのか、あたしは理解した。
286 名前:駄作屋 投稿日:2003年08月13日(水)17時28分22秒
「駆け引きじゃなくて。あんたを何がなんでも助けるため、ってだけじゃなくてね」
顔を上げて、保田はあたしに顔を向けた。
今日は赤い目をよく見る日だ。
「無理なのよ、後藤を助けるのは、本当に無理なの」
「なんで」
無意味な質問だと、自分でも思った。
理由なら、もう聞いた。蟻だから不利。愛妾だから不利。
あたしは怖くて、不利のレベルを自分の中で勝手に引き下げた。
そうは言っても助かるんじゃないか。なんとか、どうにか。
だって、そんな悲しいことが、いくらなんでも、そんなことが。
強い望みに、狂わされていた。

「なんでだろうね」
保田は、また横顔になって、床へつぶやく。
「助けてあげられない。あの子、いい子だね、かわいい子だね。あんただって。なのに」
「まだ終わってない」
あたしも、保田にというより、ほとんど床へ言った。
保田はそうだねと二度、頷いた。
あたしたちは目を合わせなかった。


287 名前:駄作屋 投稿日:2003年08月13日(水)17時29分32秒

* * * * *


保田が予測した通り、あたしの証言を、石川は採用しなかった。
被告人AとBの証言が食い違っているため、どちらが誘いをかけたかについては、両者の証言は双方とも不採用とする、と述べた。
石川は淡々と、後藤がどんなに道徳的に間違ったことをしたかを語り、淀みないそれは、まるでよくできた音楽のしらべだった。

「星の不利益」
何度かそう言った。
その言葉が一番、くやしかった。
後はもう、覚えてない。
耳と脳がうまくつながらないようで、小部屋にも論告求刑のすべては届いているはずなのに、美人の蝶の口は、無駄にぱくぱくするばかりに見えた。

あたしの耳に音が戻ったのは、石川がまさに最後の言葉を口にしたときだった。
耳をどやしつけられたみたいに、音は帰った。


ヨッテ ヒコクニンエーヘノ シケイヲ ココニ モトメマス




288 名前:駄作屋 投稿日:2003年08月13日(水)17時30分07秒

全身の血が冷えて、体が硬くなっていくようだった。
死んでかたまる過程はこんなだろうか。
うらはらに、さかんに血を送り出す心臓の音だけが、耳の奥に響く。
法廷はいまや、はるか遠かった。うなだれる矢口の頭も、伸びた後藤の背中も小さくて、なお遠ざかるようだった。

石川は19条裁判で負けがない。求刑の前に少しの譲歩はあっても、求刑が通らなかったことは一度もないという。
後藤は、死ぬ。
そのことが、現実として、胸に感じられた。
灰色の背中が小さく、どんどん小さくなっていく。
後藤が、死ぬ。

「ごとう」

呼んだ声はひとかたまりにならず、三文字にばらけていた。
法廷への窓枠に硝子は嵌ってないのに、廷内の声はここへ届くのに、あたしの声は後藤に届かなかった。
届くようには、呼べなかったんだ。

289 名前:駄作屋 投稿日:2003年08月13日(水)17時30分39秒

そのとき、風に揺れる森の音が聞こえた。
しのび泣きやうなり、かすかな声の集まりが、ゆるやかに法廷を満たしはじめていた。
心おどろかされることが、こんなときにもあると、思わなかった。
おどろいて、胸がふるえた。

後藤が生きることを望む人がいる。
傍聴席に、この星に、確実にいる。
後藤は、あたしにだけじゃなく、愛される命。
けれど、殺される命。

「また、同性愛を徹底的に否とする精神的土壌が育ちにくい環境にあったこと、被告人Bの誘いを受けた形であること、年少者であることなど」
最終弁論を展開する矢口の声は、通りにくくなっていた。
森の声は、低いけれど、やむことを知らない。

290 名前:駄作屋 投稿日:2003年08月13日(水)17時31分20秒

矢口が着席し、吉澤が木槌をたてつづけに三度、打ちつけた。
「被告人。最後に何か、言うことがありますか」
最終陳述を吉澤は促して、裁判は戻れないところへ来ていた。
「はい」
後藤の返事は明瞭で、涙など混ざってはいなかった。
「お願いが、あるんです」

後藤の小さな後頭部は、裁判長席をまっすぐに見上げている。
吉澤は、単なる仕草でなく、はっきりしたやりかたで頷いた。
後藤は言った。
「あたしのこと、なるべく綺麗に殺してください」
聞き違えようもないことを、すとんと言った。

どよめきが法廷を覆い、吉澤はここからわかるほどに眉をひそめた。
「体に傷、つくらないでください」
後藤は繰り返し、吉澤は咳払いをした。
「判決がまだ出ていない以上―――」
言いかける吉澤を制すように、後藤が首を横へ振る。
「『もしも』と言ってもらってもいいです、だから」
ざわめきを縫うように、後藤は声をたたきつける。
戦慄にも似た予感が、背筋をぬけた。
「終わったら。刑が、終わったら」
吉澤は黙って後藤を見返している。
あたしは窓枠を握りしめる。ひどく怖ろしくて、そうする。
後藤は続けた。
「あたしの体、いちーちゃんに渡してください」

291 名前:駄作屋 投稿日:2003年08月13日(水)17時32分00秒

「う」と「あ」の混ざる、あたしの悲鳴は、今度は廷内へ響き、法廷じゅうの視線を集めた。
保田が、羽交い絞めにするようにあたしの体を抱く。
後藤は、法廷で一番最後に首をめぐらせた。あたしがここにいることをはじめから知っていたかのように、柔らかな動作でそうした。

「いちーちゃん」
「ごと」
「いちーちゃん、ごとおのこと、食べてね」
名前さえ、呼ばせてはくれなかった。
あたしが声をなくすようなことを後藤は、止める間もなく言い放った。
「ごとお、あんまりおいしくないかもしれないけど、残さないで食べてね」
蟻はやっぱり笑っていた。
照れくさそうに笑むのだった。

「で、きるわけないだろ、そんな……! バカやろう、そんなことが…っ」
絡んだ保田の腕ごと、窓枠から乗り出して叫んだ。
後藤は笑顔のままで、触覚をたらりと下げた。
悲しいなら、悲しい顔をしたらどうなのだ、と思った。
後藤がそんな顔をするから、あたしは自分がひどいことを言った気になった。

292 名前:駄作屋 投稿日:2003年08月13日(水)17時32分42秒

複数の荒い足音が背中から聞こえた。
「被告人どうしの通信はやめなさい」
法廷で裁判官の誰かが言い、小部屋であたしの腕にはあちこちから手が絡まった。
後藤へも、セキュリティの要員であろう雀蜂たちが近づいた。
後藤はあたしだけを見据え、体のどこにも力を入れず、立っていた。

「いちーちゃん。初めて言う。一回だけ、だよ」
「なんだよ……やめろよ」
別れの言葉に、されたくなかった。
サヨウナラと言われる方がまだよかった。
けれど、後藤は止まらなかった。
笑い顔のときの口の形で、歌うように、その言葉を口にした。
あたしが今度会うときのとっておきにしようと思ってたのを、後藤は勝手に自分のセリフにして、やはり笑顔なのだった。

293 名前:駄作屋 投稿日:2003年08月13日(水)17時33分22秒

「行くなよ、バカ! 後藤、行くなぁっ」
引き下ろされた幕にあたしは怒鳴り、裁判長は木槌を叩きつけて休廷を宣言し、後藤の体は複数人に引きずられていく。
「やめて、連れてかないで! お願いだからっ」
叫びながら、あたしの体も窓枠から引き剥がされ、後藤が見えなくなったとき、腕に鋭い痛みをおぼえた。
「おねがい、だから……」
くにゃり、と視野が歪んだ。
まわりの早い雀蜂の毒が、鼓動のたびに、体のはじへと渡っていく。

「もしものときには、わたしの名にかけて、かならず」
後藤に向けたらしい吉澤の声を聞いた。
粛として、そうでありながら、やさしい声だった。
それを最後に、目の前は遠ざかり、世界は真っ暗になった。



294 名前:駄作屋 投稿日:2003年08月13日(水)17時34分01秒

短いですが、ここで切ります。

295 名前:駄作屋 投稿日:2003年08月13日(水)17時34分34秒
感想、保全、ありがとうございます。
とてもうれしいです。
296 名前:駄作屋 投稿日:2003年08月13日(水)17時35分14秒
次は早めに更新したいと思います。
それでは、また。

297 名前:つみ 投稿日:2003年08月13日(水)17時54分15秒
泣ける・・・
298 名前:名無し娘。 投稿日:2003年08月13日(水)21時44分45秒
続きが楽しみです
299 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月14日(木)10時07分03秒
一生貴女についていきます(w
300 名前:名無し読者Z 投稿日:2003年08月15日(金)02時25分51秒
嗚呼猛烈に泣けちまう。
301 名前: 投稿日:2003年08月16日(土)00時20分55秒
好きです、雰囲気や内容がとても。
302 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月16日(土)00時27分13秒
『助けてあげられない』の一言が本当に重いですね。

303 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月16日(土)04時24分59秒
後藤に市井・・・つらいなぁ。
それでもこの小説から目が離せない・・・
更新期待してます。
304 名前:守りたい人がいる陸上自衛隊 投稿日:2003年08月18日(月)02時30分42秒
痛いよ、痛すぎるよ。
305 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月18日(月)18時11分47秒
>>304
感想はsageで。更新されたと思っちゃうでしょ
306 名前:名無しさん一読者 投稿日:2003年08月24日(日)21時29分12秒
今、いっきに読んだのだけど
感情にかたりかけてくる小説ですね。
設定に少し新井素子さんの作品に似てるものを感じました。
307 名前:ヒトシズク 投稿日:2003年08月27日(水)14時32分48秒
初めて読んだのですが・・・すごい泣けました。
悲しみが積もって泣く、とかではなく綺麗に泣けました。
痛いのにあまり悲しくない、という感じでしょうか。
いい作品だと、思いました。
308 名前:名無し 投稿日:2003/09/15(月) 19:11
イーネ!
309 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/15(月) 21:24

目を開けても、世界は暗かった。
たしかめるように動かした指は、既に知った石の床をなぞった。
独房の外には夜。
灯り採りは冷えた空気だけを吸って、光を届けない。
重い頭痛を抱えたまま、無理に半身を起こした。
扉の方で人影らしきものが、ちらと動いた。

「起きたの」
声といっしょに通路に灯りがともった。
あたしが眠るのを妨げないよう、点けないでいてくれたものらしい。
目を細めながら、あたしは親切な弁護士に尋ねた。
「いま、いつ?」
あれから、どれだけ時間が過ぎたのだろう。
判決は。あたしの審理は。後藤は今。
訊きたいことは山ほどあって、けれどまだ舌や唇から痺れがとれない。

310 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/15(月) 21:25

「今は、まだ今日だよ」
保田は鉄柵の扉越し、目覚めきらないあたしのために、ゆっくりと言った。
「後藤の審判の日。あんたが気を失って4時間と少し」
論告求刑から4時間なら、19条裁判はまず間違いなく結審している。
保田が自分から報告してこないなら、その意味するところはひとつに違いなかった。
それでも、あたしは訊かないわけにいかない。
「はんけつ、は?」

保田はうつむいたけれど、それを答えの代わりにはしなかった。
顔を上げ、きちんと、あたしの目を見た。
「求刑通り」
うん、とあたしは頷いた。
「ごと……は」
「明日のあんたの裁判にあの子も出なくちゃならないからね。まだ同じ建物のどこかにいるはずよ」
決まってすぐ執行されるタイプの刑ではないし、とつけ加えた。
うん、とあたしはもう一度、頷いた。

311 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/15(月) 21:26

あたしと会ってから何度目だろうか、保田はまた、長く息を吐いた。
「……キツイ裁判だなぁ、もう」
やけ気味に吐き出して、それから首だけ振り向いた。
「見てるよ」
目が合う。
「あんたがすること、全部ちゃんと見てる。今日と明日に起こることを、忘れない」
1匹の蜘蛛として、ただ保田として言うのだ、とわかった。
感情なんかとうに麻痺しているかと思ったけれど、温かいものを感じる気持ちは、意外とあたしの中で、まだ健在だった。

「弁護士として、あんたにしてやれることは、もうないのかもしれないけど」
「いや」
もうこれまでで十分なことをしてもらったと、それは心から、そう思う。
あたしに誠意ある仕事をしてくれた。
そして、あたしの大切なあの蟻に、保田のまなざしは柔らかだった。
保田が想像するより多分ずっと、あたしはそのことが、うれしかった。
「……ありがとう」
この数日間で、一生ぶんの「ごめん」と「ありがとう」を口にしている。
これまで言わなかったという意味で、それは悲しみかもしれず、いま言えるという意味で、幸せであるかもしれない。
じき言えなくなるなら、それはやっぱり、悲しいことだろうか。

312 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/15(月) 21:26

* * * * *

313 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/15(月) 21:27

肌の荒い大きな岩が、両側からあたしを潰しにきた。
体じゅうの骨と筋がぎしぎしと悲鳴をあげ、あたしは木の実を思った。
熟れた木の実が枝から落ちて地面に平たく広がるさまや、その果肉の飛び散るさまが、ありありと目の裏に浮かんで焼きついた。
夢だろうとは気づきながら、夢じゃない痛苦が、今にもあたしを解体しようとする。
あたしの体温はどうなってしまっているのだろう、熱い。
火とそっくりに、氷とおなじに。

熱の高さと長さが、自分の体のことながら異様だった。
夜だからと無理やりに目を瞑り、それからもう長く、体が熱いままだ。
目の奥が痛い、喉がひりつく、頭は砕けそうで、耳が聞こえない。

ああ、そうか――――はたと気づいた。

死ぬんだ。

ひょっとして、もうしばらくで、あたしは死ぬんだな、と思った。
腐って崩れるように訪れた、これが、あたしのタイム・リミット。
雀蜂の毒に即効性はあっても持続性はない。
ならばこれが熱の理由かと、その思いつきは、すんなり頭に染み透った。

314 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/15(月) 21:28

いつからか、どうも自分が成虫になれないとわかったとき、終わりのときがきても自分は冷静でいるだろう、と思った。
死ぬことは怖かったけれど、そのときが来たら、あたしは冷たく静かに、それを受け入れるだろうと希望半分、そう思っていた。

けれども、そんなに綺麗にはいかないんだと今、いやというほど思い知る。
後藤があんなに、あんなにも、生かしたがった命が死ぬ。
『あたしのこと、食べてね』。
その意味を、本当は知っている。
あたしが後藤を食べることは、後藤があたしに食べられること。
後藤がそうして生きること。
溶けそうな脳みそは、今だって、それを理解してる。

体が熱い。苦しくて、すこし怖い。
初めて強く、感じる。
死にたくない。こんな終わりにはしない。
ぴりぴり尖って光る、自分の気持ち。

《 生きたい 》

315 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/15(月) 21:29

痒い、熱い、苦しい、水を、痛い、呼吸が、軋む、遠い、お願い。
後藤。
名前を呼びたい、と思った。何度でも呼びたかった。
後藤。後藤。
呼べる名前があることが、こんなに幸せだと、熱い頭で気がついた。
後藤。後藤。後藤。
セックスでもいい、キスもいい、手をつなぐのでも。少しでいい、つながりたい。
後藤。後藤。後藤。後藤。
痒い、熱い、苦しい、水を、痛い、呼吸が、軋む、遠い、お願い。後藤。
つながりたいひとが―――そう、『ひと』が―――いるのです。
誰にだろう、うったえるように、念じるように、繰り返して叫ぶ。
叫ぶのに、声が聞こえない。夢かもしれない。
それでも。
ここが夢でも現実でも、境を越えて光るものを、あたしは見ている。
ただ光る、ぴりぴり尖る。それを、あたしは見ていた。

316 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/15(月) 21:29

* * * * *

317 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/15(月) 21:30

「蜘蛛の市井、19歳です」
丁寧に答えようと、それは今朝、決めた。
「東域37番地区、第5ブロックです」
小窓から光が差したときの胸のふるえ。
自分にも朝が来たと知ったときの感動。
死をもたらすと思った熱は、あたしに生を授け、今日の裁判で自分がすることは、その瞬間に決めた。

人定質問に答えながら、自分の背中ばかりが気にかかる。
後藤は刑が確定しており、自分が優位に立つための画策が今さらありえないから、傍聴席に着くことを許されていた。
「これは、異種間かつ半・同性間のことであり、連盟法第19条に―――」
読み上げられる罪状は、あいかわらず自分のこととも思えない。
あの瞳がきっと見てると思うと、背中がむずむずするようで、その感覚だけがリアルだった。

318 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/15(月) 21:30

「罪状を―――」
「認めます」
裁判長の質問を、終わりまでは待たなかった。
これは、あたしの表現だから、吉澤にも誰にも、ペースは渡さない。
「法律に違反したことを、認めます。今言われたこと、事実だと認めます」
罪を、とは死んでも言いたくない。
比喩でない、生のままの『死んでも』を、初めて心に思った。

「ああ、そう、少し違うのは」
生きること、死ぬこと。その重さに初めて、正対する。
「もう半・同性間じゃありません」
今朝の光を、あたしは生きている限り、忘れない。
背筋をぴんと張り、人定質問への回答を自分で補った。
「蜘蛛の市井、19歳、メス、です」

昨日と同様、隙間のない傍聴席が、背中でざわめく。
「メスですか」
「メスです」
吉澤が聞き返して、あたしは従順に繰り返した。

319 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/15(月) 21:31

明け方、自分の汗の中で目を覚まして、覚ますなり、全身の痛みに震えた。
全身のといっても、すっかりまとめて痛いわけじゃなく、首の裏、こめかみ、膝の関節、胃のまわり、あちこちが部分ごとにしくしく痛かった。
ここが痛い、そこが痛い、と思うたび、後藤の顔が目の裏にちらついた。
あたしの中で、痛みを感じるのと近い場所に、後藤はいるのかと思うと悲しかったが、体の痛みに後藤が勝る自分のちゃらんぽらんな脳味噌は、かわいらしいと少し思った。

いま目を瞑れば後藤の夢が見られるだろうか。
そんなことを考えながら寝返りを打とうとして、それで気がついた。
「あ、え……?」
誰かに伝えるじゃなく、思わず漏れる声。
昨夜からの耳鳴りはまだ続いていて、それでも自分の声を耳はちゃんととらえた。
ひゅーい、と鳥が鳴くのがそれに続き、余韻を残して消えていく。

変態のための発熱だったと、数秒してから、目が見たことを頭がようやく理解した。
19年つきあった体の一部を、あたしは夜の間になくしていたのだった。
ことによれば成長するはずだったオスの器官は、文字通り見る影もなく、退化していた。

320 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/15(月) 21:32

「モラトリアム症候群との報告を受けていました」
吉澤がゆとりある感じで言うので、傍聴席も静まった。
「そうでした、昨日まで」
あたしも時候の挨拶みたいな穏やかさで答える。
「昨日、成虫に?」
「夜のうちに」
「それは……おめでとうございます」
吉澤はおおらかに笑った。

「同性間―――」
「罪は遡ってこれを裁かない。遡って許すことはあっても」
傍らに座る裁判官が口を切るやいなや、だった。
笑顔を収めて、吉澤は朗々と宣言した。
たとえば、新たな法が制定されたとき、過去の行状にそれを適用して罪を問うことはしない。服役中の者を新法に照らして減刑することはあっても。
この星の裁判原則のひとつだ。

「しかし、メスとしての因子が犯行時点で」
「裁く目的で遡ることはしない」
食い下がる裁判官を吉澤は厳かに遮って、その上で、また頬を少しばかり緩めた。
「というのが、星の掟ですもんで」
こわもての虻の裁判官は、納得の返事をして口をつぐんだ。

321 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/15(月) 21:32

わりに柔和な態度をとるのに、だからこそ相手に反論の隙を与えないようなところが、吉澤にはある。
前裁判長から次期裁判長の指名を受けたときには、若い草食虫であることから大抜擢人事と騒がれもしたが、裁判官全員による信任投票では、満票を獲得している。対外的なカリスマ性でいえば、あるいは石川に後れをとるかもしれないが、こと内に対しては絶大な信頼を獲得しているらしい。

「そういうわけで」
と今度は、あたしに向かって言った。
「快気はめでたいですが、裁判には特に影響なし、と考えてください」
不利なようにはしない、と言ってる。
ありがたい。だけど、頷けない。
「そういうわけには、いかないんです」

吉澤はかすかに首を傾けた。
「どういう意味ですか」
「裁判長」
吉澤の右隣の虻が前を向いたままで、たしなめる。
被告を勝手にしゃべらせるなと言いたいのだろう。
吉澤も、了解した、というように右手を机から少し浮かせた。
「証拠調べに移ります」
石川が立ち上がった。あたしは息を吸い込んだ。
「必要ありません」

322 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/15(月) 21:34

「被告は勝手な発言は」
「勝手な発言をさせてください、少しでいい」
言いたいことが、ある。
後藤に、この星のみんなに、聞いてもらいたいことが。
「審理の終わりに、発言の機会を設けます」
「今がいい。今すぐ、ここで言いたいんです」
伝えたい、とこんなに思ったことがなかった。
言葉があることを、こんなにうれしいと、かつて思わなかった。
「聞き分けないなら退廷も考えます」
「いやだ」
わかりきった証拠調べなんて待てない。
嘘も駆け引きも、たくさんだった。

吉澤はため息をつき、そして初めて「被告」と呼ばなかった。
「市井さん」
「すぐに終わります、10分もいらない、5分でいいから時間を」
『ください』と言うより早く、虻の低い声が割って入る。
「裁判長、そんなことが」
『許可できるはずがない』より早く、今度は吉澤が言った。
「―――5分を過ぎたら、退廷してもらいますよ」
「裁判長!」
「私の責任において、被告に冒頭での陳述を、特に認めます」
吉澤が木槌を鳴らして、石川は無言のまま、立ったばかりの検察の椅子へ座りなおした。
ため息にかすかな笑みが混じったように見えたが、あるいは見間違いかもしれない。

323 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/15(月) 21:34

「800、とんで、8」
法廷はざわついたままだったけれど、あたしはためらわず始めた。時間がない。
「あたしが殺した数です」
廷内の口という口が、ふつ、と同時に閉ざされたのがわかった。

12で狩りを始めた。
右手で絡めとり、左手で斬った。
鳥も殺したし、魚も殺したし、獣たちも、それはたっぷり殺した。
「うち、二足虫は」
この法廷がそうであるように、二足虫には保護区があるから、鳥獣ほどにたくさんは当然、殺せない。けれど、あたしの数は、単に少ないのとは、違う意味を持つ。
「ゼロ」
殺せなかった。一度として。

タスケテと言われることが怖かった。
自分とよく似た体つき、きっとそっくりな血管から、そっくりな血が流れるのが、怖ろしかった。
鳥獣や魚の類はタスケテとは言わないから、それを助けに思いながら、厚顔に殺した。
勝手な選別。誰の命は尊くて、誰のは殺していいか。
あたしはいつも、無意識に選んで暮らしてきた。
そのくせ、カネで買う加工食品に、なんの―――誰の―――肉が含まれてるか、ろくに確かめなかった。選んでるつもりで、きっと選びきれてない半端。

324 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/15(月) 21:35

「殺して食べることの意味が、わからなかった。わからないふりが、したかったんです」
加工食品しか食べられない蜘蛛が急増している。
そして、それはモラトリアム症候群の流行と並行している。
「若者の食生活が変わった」と年寄りは言う。もちろん、いい響きじゃない。
「食べなくちゃ生きていけない命だってことが……それを認めることが怖くて、ずっと…怯えてた」

獲物が狩猟者と同じ言語を持ってしまったとき、同じ二本足で歩き始めたときが、きっと破滅の幕開けだった。
この星は―――違う、緑の中で生かされてきた、あたしたち動く生き物は―――、その時点でもう、滅ぶことが決まっていた。
どんなに、同性愛、異種愛を血祭りにあげても、そんな粛清は効かない。
悠久にして、しかし神速な進化の流れの前には。

「食べることは、生きること」
難病と呼ばれるモラトリアムの、その病の根を今、あたしはあやまたず指摘できる。
「それを受け止められないで、たくさんの蜘蛛が成虫になれずに死んでいきます。理解してるつもりで。いっちょまえに狩りもこなしているのに。体も大きくなるのに」
あたしが、そうだった。
世の仕組みなど、自分の手のひらにあると思っていた。
わかっているつもりで、理解と覚悟は違うことに気づかなかった。

325 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/15(月) 21:36

もしかして、これを殺さなくてはならないのだろうかと震えた瞬間。
もしかして、自分はこれに触れていたいらしいと気づいた瞬間。
そのときの心臓の痛さが、あたしに世界のことを教えた。
あの蟻に出会って、あたしの世界はいちどにリアルになった。

「あたしは、だけど覚悟がやっと、できたから」
右手と左手を、順に見た。
殺してきた両の手を、じっと見た。
手をげんこつに握り、振り返ればそこに、後藤がいた。

傍聴席の最前に、後藤は立っていた。
座るようにと矢口に腕をつかまれながら、足を肩幅にひらいて立っていた。
「ひとりでは、大人になれなかったよ」
後藤が、命をくれた。
「だけど、誰かに依って立つことは、もうないんだ」
あたしはもう一度、自分で全部、選びなおせるはず。
「大切なものが、自分できちんとわかるよ。そのために、しかたなく何かを捨てることが、悲しくても、できるよ」
あたしは捨てたい。
みんなと同じ倫理を。
生態系の、あるいは遺伝子の、鎖の一環としての宿命を。

326 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/15(月) 21:37

「知らない誰かの価値観に踊ったりは、もうしない。かといって見ないふりだってしない」
殺して生きるか、死んで生かすか。
とどのつまり、そこからしか選べない。目など、そらさない。

唇を真横に結んで足を踏ん張る後藤を目に焼きつけて、吉澤へ向き直った。
「後藤を、ください」
音もなく涙は流れるのに、どうして、こんなにも熱いのだろう。
「お願いします。あれは、あたしの、ただひとつの」
欲情であり、友情であり、同情で、混ざり合う不純な何かで。
つまりは、ただひとつの、きっと。

「星の掟のために死ぬ命も、尊いことを知っています」
無駄だったと思わない。見せしめに殺された命でさえ。
連綿と生まれて死んだ、星の父に母に、ただ感謝をしている。
「だけど」
わがままでしかないのもわかってる。
「後藤を、ください。かわりに、あたしが星にあげるから」
見返りなら、あたしがここに差し出そう。
「この先あたしが殺すはずだった、800とんで8より多い命を。星からあたしはもう、奪わない」
そっと、左手を右の肩に添えた。
「誓いのしるしを、捧げます、裁判長」
吉澤が不審そうに見つめ、直後、理解したように瞠目した。
けれど、制止はもちろん、間に合いはしなかった。

327 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/15(月) 21:37

めり、と腕は言った。
右肩に激痛を、左の爪に柔らかい肉を感じた。
目眩がするほど、肩はぎしぎしと痛みを訴える。
けれど、あたしはやめなかった。
「あたしの右腕で」

蜘蛛の右手は狩りの右手。糸を吐く魔法の右手。
これをなくせば、獲物をとらえることは、金輪際できなくなる。
永遠に、殺せなくなる。
「飢え死にでもいい。それまでを、ただ」
二人でいたい。
あたしが栄養失調あたりの冴えない理由で死ぬまででいい。
いっしょにいたかった。
もう少しだけ、そばにいたかった。

制止の声が遠い。雀蜂すら動きがスローモーションで。
「いっしょに、いさせてください。お願いします、おねがい…」
左手が硬いものに触れ、あたしはそれを容赦なくへし折った。
喉の奥からの悲鳴は、まるで聞き覚えのない声だった。
ずるり、両生類が歩き去るように、肩から腕は遠ざかる。
ああ、さすがに痛い、痛い、なんだこれ、痛い、めちゃくちゃだ。

328 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/15(月) 21:38

どん、と右腕か、あるいは床が言い、落ちた腕のそばに、こらえきれず両膝をついた。
悲鳴がたくさん聞こえた。自分のだけではないらしい。
吉澤が両手を忙しく動かして、誰かに何か指図をしている。
石川も役人に向かって口をぱくぱく動かしている。
矢口はどう見てもあたしに何か言ってるが、耳は言葉をうまくとらえない。
あたしの体をがんがん揺さぶるこの手はたぶん保田だ。耳元に怒鳴り声らしきものがわんわんと届いていた。

後藤。後藤は、あたしを見ていた、血の色をした瞳で。
後藤を止める体がいくつもあって、あたしをどうかしようとする体がいくつもあったの
に、ちゃんとあたしに触れてきた。
ぎゅうぎゅう抱きしめてくる腕。ごわごわの袖が頬に痛い。肩はもう熱いのか冷たいのか、わからない、じんじんする。
血の匂いの中でも、後藤の匂いがちゃんとわかった。

329 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/15(月) 21:39

「後藤」
呼んだら、あたしの顔に、ぽたぽた滴が降ってきた。
後藤は後生大事に、あたしの右腕を手に持って、あたしの体を抱えている。
「バカ、蟻」
後藤の白い頬に血がついて、それがすごくイヤだなと思った。
「汚れるだろ」
左手をやっとで上げて、後藤の頬を拭ったら、よけいに血がついた。
「ああ、ごめん…あたしが触ったら、よけー…汚れる、ね」
後藤はぶんぶん首を横に振った。
「いちーちゃん、なんで、やだよ、こんなの…やだよぉっ」

「バカね、あんたは、本当に」
後藤の顔の隣に保田の顔が並んだ。
「こんなこと通るわけ……バカ。どうすんのよ、こんなに血なんか」
やっぱり通らないのか。そうかなとは思ったけど。
「通らないんだってさ、後藤。悲しいなぁ、痛いなぁ………ごめんね」
断面あたりが燃えてたまらなかったけど、あたしはへらへら口もとをゆるめてみせた。

330 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/15(月) 21:40

渾身の笑みだったのに、後藤が応えずに泣くのが、少し寂しかった。
「ねぇ、後藤」
「もうすぐ、お医者さん来るから、いちーちゃ、もうちょっとだからっ」
昨日の落ち着きっぷりをどこへやったのか、後藤はぎゃんぎゃん泣いて泣く。
「それよかさぁ、昨日のあれ……もっかい言ってよ」
後藤がこともあろうにサヨナラがわりに言い放ったあの言葉を今、とてもとても、聞きたかった。
「ね、頼むよ」

後藤は、ぐ、と息をつめるようにして、それから咳き込むように息を吐いた。
「愛してる。愛してる、愛してるよ、愛して……っ」
気が遠くなってきて、悪い酒がまわるみたいに気持ちよかった。
あたしの血か後藤の涙か、口の中へ入って、ずいぶんしょっぱいなぁ、と思った。
「…たしも、だよ。お前のこと、大好き、だよ……」
滑舌がおそろしく悪くなっていくので、間に合わないのじゃないかと不安になる。
不安になりながら、口にした。
「あいしてるよ」
「いちー、ちゃん…っ」
間に合ってよかった、と思った。
空へ抜けるように、意識はゆっくりと薄れていった。



331 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/15(月) 21:41

更新終了。
レスをどうもありがとうございます。
本当に、うれしく、ありがたく思ってます。

332 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/15(月) 21:41

>>306
レスありがとうございます。
新井さんはお名前だけ存じ上げています
(不勉強にして一作も……)。
似ているものがあるのだとしたら、
その作品のファンの方には申し訳ありません。
基本的に今後も
>>175
に書いたような考えで、書いていきたいと思ってます。
ご理解いただければ幸いです。

333 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/15(月) 21:42

もうしばらくで終わりです。
なんだかんだ長くなってますが、
あと少し、おつきあいいただけるとうれしいです。
それでは、また。

334 名前:名無し読者 投稿日:2003/09/15(月) 22:28

また泣いた




335 名前:つみ 投稿日:2003/09/15(月) 23:30
泣いて泣いてそして考えさせられましたね・・
336 名前:名無し読者 投稿日:2003/09/15(月) 23:36
泣いた(TдT)
337 名前:駄作屋さんのファン 投稿日:2003/09/16(火) 17:38
最近映画や良い本を読んでも、まったく感動して涙ということをしなくなった自分が、今回の更新を見て気づけば号泣していました。
読んでるうちに後から来るじわりじわりとくるあの感じ。
最後まで貴女についてきます。良い作品をこれからも宜しくお願いしますね。
338 名前:名無し娘。 投稿日:2003/09/17(水) 00:58
意思があり感情があり、それを伝える術を持つ者は既にヒトではないか?
だから市井はきっと正しい。

ずっと奇蹟を待っていた。
だけど今は、礎と言う言葉の意味を考えている。
339 名前:結恋〜ユイコ〜 投稿日:2003/09/17(水) 13:29
更新されるたびに色んな想いが交叉して、泣けて泣けて・・・
何度もレスしたかったけど、「全部見届けてからにしよう」と思って
結局今までレスしなかったのだけれど。
でももう我慢も効かなくなっちゃって。想像していた後藤のセリフが
「愛してる」でホントに良かった。。。これを打っている今も、涙が
止まりません。駄作屋さん、一言だけ、ひとことだけ言わせて下さい。

「産まれてきてくれて、そしてこの作品を産んでくれて、ありがとう」
340 名前:名無し娘。 投稿日:2003/09/17(水) 19:18
熱い。ただただ熱かった。
341 名前:名無し蟻。 投稿日:2003/09/19(金) 19:06
めちゃめちゃ誉め倒されてるね。でもマイペースで頑張って駄作屋さん。
342 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/23(火) 19:36

墓標は小高い丘に、ただひとつきりで立っていた。
この星を広く見渡せる場所に。それが墓の主の遺志だった。

傾斜の強い坂の果てというその立地は、野次馬まがいの弔問客をふるい落とす役目をするようで、墓はひどく静かだった。
けれど、主の生前を偲ばせる白い墓標は、2年と半年を経てなお白いままで、実によく手入れされている。
手向けられた花も、朝になれば再びその葉に露を浮かべそうにみずみずしい。

その死からちょうど1年目の日にも、2年目の日にも、あたしはここへ来なかった。
あの裁判で、あたしたちは星の噂になり、いまだに握手を求められるし、時に命を狙われる。どちらも等しく煩わしいので、申し訳ないながら、自然ここへは足を向けないようになっていた。

今日も、来るつもりはなかった。
悪いと思いながら、一日のんびり牛を追うつもりで、けれど午後になって太陽が少しずつ下り始めたのを見ると、どうしても今日、ここへ来なければ、と思った。理由は、よくわからない。
右腕を失って、4年が過ぎた。

343 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/23(火) 19:37

持ってくる人がいると知っていたから、花は遠慮した。
水差しには、ただ1種類、青い花ばかりが活けられている。
菖蒲の類だろうか、咲き誇るその花弁にそっと指を触れてみる。
壊してしまいそうに、やわらかい。
辺りを見回したけれど、花を活けた人の姿は見つけられなかった。

「あたしが死んだら、やっぱり、こんなとこがいいな」
声に出してみると、途端に嘘になった。
憧れはするけれど、自分の墓なら、目をこらしても光とどかない谷の底がいい。
死んだら、誰にも思い出してほしくない。特に、あの子には。
悲しまれることは、実はうれしくもあり、やっぱり、かなしいのだった。

「なんか言った?」
墓をかえりみずに草っぱらを駆けた小さな頭が、こちらを振り返る。
「言った」
なあに、と首を傾ける。
「ちゃんと、ここ立って挨拶しな」
「やーだよ、そんなの」
平板に言う。ダダをこねるときの言い方と違うから、かわいそうに、と思った。
けれど、許してやるわけにはいかなかった。
「後藤」
「わかってるから」
短く呼ぶだけで、後藤は意味を理解する。
「ちょっとだけ待って」

344 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/23(火) 19:38

墓に対面することを、後藤は怖がっているようだった。
あたしもそうで、それはどこかで、自分のせいだと思っているからだ。
違うよと、墓の主なら、あるいは言ってくれるのかもしれない。

* * * * *

目が覚めると白衣の蜘蛛がいて、腕をどうしますかと尋ねるので、捨てておいてもらえますかと答えた。
わかりました、と請け合った後で、医師はあたしの目を見つめた。
「爪をよく尖らせて、切るように動かせば、一瞬で落とせたでしょう?」
「蜘蛛を斬ったことはないけど、たぶん」
「わざわざ『ちぎる』から、傷口がひどくて接合できなかったんですよ」
「つないでもらうつもりがなかったから」
医師は黙って、診療の道具を箱に詰め、終わると顔を上げた。
「痛くしたかったんですか」
あたしは答えなかった。
立ち上がった医師は、立ち上がるはずみのように言葉を落としていった。
「贖えないんですよ、私たちは」
「よく知ってます」

* * * * *

345 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/23(火) 19:38

自分で殺した命すら贖うことはできず、ならば、この墓に罪悪など感じたところで、何ができるはずもなかった。
後藤が隣へ並んだ。
「いいところだね」
「うん」
眠るのにふさわしい土地だと思った。
「いい風が吹いてる」

* * * * *

「風が出てきた」
保田は言った。最後の面会に来たときのことだ。
裁判は、被告Aが死刑、被告Bが終身刑で結審した。
あたしが死刑にならなかったのは、保田の尽力によるもので、だから頭を下げるべきだと思ったけれど、いろんなすべてが億劫だった。

「いたずらに希望を与えることはしたくないけど」
談話室の硬い椅子にだらしなく座るから、保田の声は頭の上から聞こえていた。
「もしかしたら、本当にもしかしたらだけど、あんた、出られるかもしれない。間に合えば、後藤だって」
あたしが知らない『外』で、知らない風が吹き始めているのだと、保田はおおよそのところを説明した。

別れ際、保田はあたしの手を握った。
つむじ風が大きなうねりに変わるかもしれない、それを信じている。そう言った。

* * * * *

346 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/23(火) 19:39

「死んだらなんて、言っちゃいけないよ」
はっと、後藤の顔を確かめたけれど、静かに墓銘を眺めるばかりだった。
「聞こえてたんだ」
「聞こえてたけど」
少しだけ不機嫌そうに、後藤は目を伏せた。
「二度と聞きたくないな」

* * * * *

判決からひと月と経たない昼下がり、呼ばれた面会室には吉澤がいた。
法廷で見た仰々しい装束を脱ぎ、くだけた格好をしている。
人目を引く顔立ちではあるが、司法の長たる威厳は見当たらなかった。
「お久しぶりです」
さっぱりと笑ってみせ、あたしに椅子を勧めた。
「意外なお客さんだね」
「実は意外な連れもあるんですけど。同席させてもかまいませんか」
「ご自由に」
「検察の石川さんなんですが」
とっさに頷けなかった。
「彼女も仕事ですから」
とりなすように吉澤が言い、今度はあたしも頷いた。
おもしろくはないが、今さら誰を厭う気持ちにもなれなかった。

347 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/23(火) 19:40

「利用させてもらおうと思って」
吉澤はにこやかに言った。
「利用」
あたしはオウム返しにつぶやいた。
終身刑の決まった蜘蛛に、どんな利用価値があるやら、見当がつかなかった。

「名前やその生い立ちを、使わせてもらいたいんです、都合のいいように」
「裁判長」
薄手のジャケットを羽織った石川がたしなめたが、パーカーの吉澤は笑った。
「だって取り繕ってもしょうがないよ、そういうことなんだからさ」
「わざわざ偽悪的に言わなくても」
「いい人ぶるのヤなんだよね。悪い人ぶるほうが性に合ってる」
「それじゃ、うまくいくものも」
喧々と言い合うので、二人はどうも仲がいいんだな、と思った。
「仲良しはいんだけどさ」
そういう筋合いでもないのに、あたしは遠慮がちに口を挟んだ。
「話、見えてこないんだけどな」

吉澤は、ああ失礼、と居ずまいを正し、改正委員会を設置しました、と続けた。
正式名称を『連盟法第19条改正に向けた検討委員会』というのだそうで、なるほど名前を聞けばおおよそのことはわかった。

348 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/23(火) 19:40

あたしたちの裁判が始まってから、世論は急激に19条改正へ傾き始めたのだという。それは保田から聞いた話と一致していた。
「ぶっちゃけ、それはお二人の容姿が一般ウケするものだったからだし、人目を引くような常軌を逸した言動があったからです」
これまた礼に適うとは言いがたいことを、吉澤はしゃあしゃあと言ってのけた。

「劇的な裁判でしたから、心動かされる人も多かったんです」
石川がフォローにまわり、吉澤は石川の真面目をからかうように笑みを浮かべ、けれど直後、眼差しに力をこめた。
「今を逃せば、19条の改正は、またはるか先まで、ないんです」
法廷で見る以上に厳しい顔をしていた。
そのことにも驚いたし、吉澤や石川が改正派だったことも意外だった。

「改正したいんだ?」
「撤廃したいと思ってます」
「それはなぜ」
吉澤はくす、と笑みこぼす。
「セックスで殺されちゃかなわないからですよ。好きな人と寝ることを禁じたら、世界が『正常』になる日は遠のくに決まってる」
「そりゃまた…直感的というか、感覚的なんだね」
「感情的なんです」
好きになってはならない好きな人が、どうやら吉澤にもいるのだ、とぼんやり思い当たった。
「論理的にやるのは任せてますから」
吉澤は石川を見やった。

349 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/23(火) 19:41

目線を頬に受けるタイミングで石川は語る。
「人口減少に歯止めをかけるためには、異種や同性に欲望を持たないように仕向ける施策は必要かもしれません。けれど、すでに持ってしまった欲求を抑えることは、不可能だし、無意味です。異種同性のカップルを潰すことより、同種異性のカップルを援助するのが、政治の王道だと考えます。つまり」
鈴が鳴るような高い声が、アンバランスな弁舌を披露する。
「マイナスからプラスへの、転換を目指すときが今」
締めくくると、吉澤がふざけて拍手の真似をする。吉澤ときたら、どこまでもマイペースなのだった。

「19条裁判は、石川検察官の十八番かと思ってたけど」
少し意地悪を言ってみたけれど、石川もマイペースにさわやかだった。
魅了と愚弄をいっぺんに可能にする笑顔で、堂々、言い放つ。
「私は、仕事に不得意はありませんから」

随分かっこいいんじゃないのと思ったら、ふいに頭に来た。
「撤廃したいと思いながら、その法で誰かを死刑にしようって……」
後藤が今どうしているかさえ、あたしは知らない。
「それで、あたしに何をさせようって?」
剥き出しの敵意に晒されても、吉澤は落ち着いた態度を崩さなかった。
テーブルの上で両の五指を組み合わせ、その指に向けて言った。
「後藤さんなら、殺させませんよ」

* * * * *

350 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/23(火) 19:42

「べえも連れてきてあげたかったねー」
後藤はもう話題を換えて、草原を見渡す目をまぶしそうに細めた。
「無理だよ。べえ、ケツ重いもん」
『べえ』はうちで最古参の乳牛である。
狩りができなくなった蜘蛛が1匹と、本来は集団で働く蟻が1匹。
絶望的な組み合わせで、あたしたちは、酪農で生計を立てていた。
牛を買うために資財はすべて注ぎ込んで、つましい暮らしではあるけれど、不幸を感じることは少ない。

「梨華ちゃん、帰っちゃったのかなぁ」
花を見やりながら、後藤は独り言のようにつぶやいた。
寂しそうにも見える。
「もう仕事行ってるだろ。うちらと違って暇じゃないんだから」

再会したときには、後藤は主席検察官を幼名で呼び、裁判長を『よしこ』というオリジナルのニックネームで呼ぶようになっていた。
あたしと同様、改正委員会に協力する関係で、顔を合わせる機会が何度かあったらしいが、あたしは間違っても彼女たちをそのようには呼べない。
後藤はつくづく特殊な生き物だった。

351 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/23(火) 19:42

* * * * *

吉澤の言う『利用』は結局、わざわざ了承を取りつけにくるほど、たいしたことでもなかった。
「場合によっては、お涙頂戴も武器にしたいんです。手段を選んでるときじゃないから」
改正(あるいは撤廃)に向けて世論を動かすために、あたしや後藤の名前、生い立ちやなんかを広告塔がわりに使ってもいいか、ということだった。

差し出された交換条件は破格。
「2年以内に撤廃します」
死刑確定から執行までの最長猶予期間が、2年だった。
「執行許諾書には猶予ギリギリまでサインしない」
死刑執行を最終的に許可するのは裁判長の仕事で、これは吉澤に限らず、歴代の誰もが猶予いっぱい、サインしなかった。好きで殺すヤツはいないのだ。

「いいよ」
今さら惜しい名前じゃなかった。
「好きにしていいから、だから」
惜しいのは、ただ。
「間に合わせてほしい」
「約束します」
吉澤はあたしに向かって左手を差し出した。
「右腕、無駄にしません」

* * * * *

352 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/23(火) 19:43

実際には、1年と4ヶ月で撤廃は成った。
「天気いいねぇ、いちーちゃぁん」
「うん」
太陽はもう西の空をずいぶんと下りつつあったけれど、燦々と光は惜しみなく草原に注ぐ。
吉澤が死んだのは、19条撤廃からひと月後の、雪の夜だった。


353 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/23(火) 19:44

後藤は顔を上向けて静止した後に言った。
「雨がくるね」
あたしも同じ姿勢をとり、鼻に神経を集める。
水の匂いを感じた。
「ほんとだ。空、こんなに明るいのに」
「雲がうすいから、長くは降らないよ、きっと」
「だな」
なんとなく、そのまま二人で空を見上げた。

「ねえ、この先にはさぁ」と後藤が漠然と中空を指差す。
「数えられないくらい、たくさん星があるんだろうねぇ。赤いのとか黄色いのとか」
無理してる首が痛そうに、うなじの辺りに手をやって、それでも空を仰いでいる。
「水がいっぱいの青い星とかさ」
「青い星かー。綺麗だろうなぁ」
あたしも首が痛いなぁと思いながら、痛いままにする。
「うん。きっとねぇ、深い青色だよ。そういうのもあるよ、多分だけど」
「テキトーじゃん」
「テキトーじゃないよー、絶対あるって。わかんないけどさぁ」
やっぱテキトーかも、と後藤は笑って、ほぐすように首をまわし、後藤の笑顔は、あたしに一番近い星の輝きだった。

「それでも、あたしはね、この星がきっと一番、綺麗だと思うんだ」
話し続ける後藤の横顔を、黙って見ていた。
「数え切れないだけ、みんなの命を飲み込んで、この星はそうやって緑でさ。この星の緑は、そういう緑だから」
後藤は風に抱かれ、生きもののように形を変える草原に、やさしい眼差しを向けていた。

確かめないけれど、あたしと後藤は、今、同じ人を思っている。
星にのまれた、数え切れない死骸の、その中のひとつ。
そういう数え方もありで、だけど、あたしにとって、後藤にとって、特別に大切な、もう終わった命。

354 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/23(火) 19:44

* * * * *

訃報は一昼夜に星をめぐり、あたしが牛糞を片すところへ、後藤がやってきた。
柱にもたれて立ち、
「あのさぁ、いちーちゃん、よしこ死んじゃったんだって」
と言うのだった。
ぽそぽそ乾いた物言いで、涙の一滴もなく、空洞のような目をしていた。
あたしは糞のついたシャベルを壁に立てかけて、とりあえず両手を作業着に擦りつけた。
あまり綺麗にならなかったので、抱きしめないほうがいいかなぁ、などと考えていた。
吉澤の死は、それほどに、あたしたちには唐突だった。

右翼過激派グループに吉澤が襲われたとき、背中には石川がいたという。
改正委員会の中核は、立法府を差し置いて吉澤と石川だったから、犠牲はできれば二人、一人であればどちらでもよかったのだと、犯行グループの『生き残り』は後に語る。
吉澤が石川を自分の背に庇ってセラミック刀を構えたので、彼らは目の前に立った吉澤を標的にしたのだという。

警察が駆けつけたとき、血の海には蜂が2匹横たわり、吉澤も血まみれで石川の腕の中だった。生き残った1匹の蜂は背中の羽で逃げるところで、同じ蜂だった警官は、「蜂の名誉にかけ、警察の誇りにかけて」猛追し、これを捕捉している。
吉澤は死の寸前、石川に何事か話したようだと警官は言うが、当の石川は何も聞かなかったとコメントする。

19条撤廃に命をかけた夭逝の裁判長は英雄になり、生き残った検察官はその後、仕事に自らを浸す。かねて持ち上がっていた見合い話を蹴ったらしいという噂は、吉澤の死が招いた法曹界の混沌に呑まれた。

* * * * *

355 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/23(火) 19:45

19条が撤廃されても、心配されていた同性愛や異種間恋愛の蔓延はなかった。
禁じられた遊びが好きで、同性愛が好きだったわけじゃない人たちは、遊びをやめて誰かと子供をつくった。
逆に、異種間恋愛が許された途端に結婚するカップルもあり、そうした強い夫婦は、間もなく『第1世代』と呼ばれる新しいタイプの子供を生んだ。
未曾有のマイナス成長を続けていた人口は今、横ばいから少しずつ増える傾向にある。

「いつか、いちーちゃんは、森はもう、あたしたちを見捨てようとしてるって言ったよね」
「うん」
後藤と初めて、この星の話をした夜のことだ。
「だけどね」
後藤はあのとき、それがどうした、と答えたものだった。あの頃から強かった。
「だけど森は、あたしたちが生きて死ぬから、こんなに綺麗なんだよ、きっと」
論理的に考えるなら、二酸化炭素だとか、排泄物だとか、土に還る死骸だとか。
だけど、そんなことを考えるまでもなく、そうなんじゃないかと思った。
そうならいいと思った。
「それで、森は多分それを知ってるよ」

後藤の指が、墓標に刻まれた『吉澤』の名前をなぞる。
「よしこが死んだのは、この星が」
指が止まり、言葉も止まった。
続きをあたしが引き取る。
「―――緑で、あるために」
後藤と目が合う。
「覚えてたんだね」
「忘れられないよ」
法廷で後藤が放ったひとつひとつの言葉を、あたしは死ぬまで忘れないのだろうと思う。

356 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/23(火) 19:46

「自然、勝手に何かつないでんのかな、あたしも、後藤も、みんな」
子供じゃなく、死骸じゃなくても、と思いたい。
この星に、誰かに、何か残せると信じたかった。
「うん」
後藤の手のひらが、いとおしそうに墓標の頭を撫でた。

自分に意味を見つけたいときが、一人で見つけたいときが、ある。
たとえば、叫びたくなる真夜中や、眠って目覚めた薄暗い夕方や。
そんなときに、それでも見つからないなら。
「後藤、あたしさぁ」
ただ生まれてきて、まだ生きていることに、意味を見たっていい。
この血が飽かず体を巡ることを、一人になっても愛していい。
「人は、なんで泣きながら生まれてくんのか、最近わかるよ」

うん、といったん頷いてから、後藤はあたしの顔を覗き込んだ。
「いちーちゃん、子供、生まなくていいの?」
赤ん坊を連想したのか、急にそんなことを言う。
「ほんとにそれで、いいのかな」
あたしは生める体になり、けれど、生むことは不可能だ。
後藤がメスだから。
「いいとか悪いとか、もうそういうのは、いいんだ」
悪いと言われて殺されかけた日があり、英雄と祭られた日が、あたしたちにはある。
どちらも、あたしには嘘っぱちだ。

357 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/23(火) 19:46

* * * * *

釈放されて最初に、飯田圭織に会った。
後藤とあたしは、二度とくぐりたくない高い門をいっしょに出たところで、蟻の女王は供も連れず、門の脇にもたれて立っていた。

後藤の主人は後藤を見ると、眉を寄せて笑った。
待っていたくせに、困ったような顔だった。
鏡に映したように、あたしの隣で後藤も、戸惑い混じりの笑顔になった。

「圭織」
カオリ、とその3文字だけを、後藤はそっと呟いた。
伝えたいことはいくつもあったろうが、声になったのは、ただそれだけだった。
後藤の指が、急にあたしの手のひらを握った。
あたしが握り返すのを見て、女王は後藤に頷き、あたしに言った。
「大切にしてね」
あたしは息を呑んだから声が出せずに、ただ首をこっくりさせた。

それを見るや、女王の瞳は伏せられて、なんて長い睫毛だろうと、あたしは場違いな感想を持った。
「失うことは、悲しくないの。ただ――――」
女王はあたしの心臓の辺りを見ていて、後藤は女王の横顔を熱心に見つめていた。
「一瞬でも一人だけを想いたかった」

358 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/23(火) 19:47

後藤だけを想うことは、女王に生まれついた彼女には金輪際、許されないことだった。
あたしは、飯田圭織に言えることがなかった。
後藤は言葉をさがしているみたいだった。
飯田圭織はぽつんと言った。
「200に1本のハズレくじを引くのは、運があるのか、それともないのか」

法が変わっても、蟻の女王の至上命題は変わらない。
生めない働き蟻に代わり、多くを生むこと。
生めないことが苦しいことを、あたしは知っているけれど、生むことを強いられる人の痛みを、軽いものだとは思わない。
他人の規定によって弾かれることと、他人の規定の枠内にはめこまれることは、本当は同じことだと思うから。

あたしの左手を細い指先がすりぬけて、後藤は女王の頬を両手で包みこんだ。
その顔がゆっくり傾いて女王に近づいたから、あたしはしかたなしに、背を向けて待つことにした。
そんなに長いキスにしなくてもいいのにと、少しだけ、腹立たしかった。

* * * * *

359 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/23(火) 19:48

「後悔はね、すると思うよ、どうしたって」
左手で、先がない右の肩を握った。
「2つ選べるとこ通ったら、いつか片方の道の先で、もう一方の道はどんなだったかなって、そりゃ考えるでしょ」
後藤は花に目を落としたまま、頷いた。
「だけど」
伏し目がちなのが妙に大人びて見えて、後藤は近頃、自分を「ごとお」と呼ばなくなったな、と思った。
「後悔しない、とは言い切れないけど、後悔してもいい、とは思えるんだよ」
後藤が顔を上げた。
「それは言い切れることだから」
照れくさそうな笑顔は、あどけないままだった。

360 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/23(火) 19:48

最初の雨粒が鼻先に落ちて、すぐに絹糸のような白い線が何本も、空と土を結んだ。
太陽がそれをキラキラ輝かせ、空は光と雨を同時に地に与えるのだった。
「帰ろうか」
声をかけたけど、後藤は動かない。
歩き出して肩越しに、濡れ始めた背中へもう一度、促す。
「帰るよ」
「もうちょっと」
後藤も二度目には返事をして振り返る。
「もうちょっとだけ」
笑顔だった。
泣きたいんだな、とわかった。
雨はちょうど、泣くことを許すために降っているようだったから、あたしは頷いて背中を向けた。
後藤が泣く理由はとてもたくさんで、あたしは何について慰めるべきか、よくわからなかった。

右腕をちぎったとき以来、後藤の涙を見ない。
後藤は変に笑顔ばかり見せたがりなところがあって、あたしも後藤が泣くのを見るのが苦手だった。
昨日、後藤が昼寝のあたしの口に、人差し指を突っ込んだ。
おやつだよ、と冗談めかす蟻を、目覚めたての蜘蛛は、反射的に突き飛ばした。
後藤は尻もちをつき、弱った笑顔で、あたしを見上げた。
4年経ってなお、あたしたちは上手に近づけないで、幸せながら常にさみしかった。

361 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/23(火) 19:50

迷いながら後藤を振り返ると、後藤はもう、こっちを見てないで、そのかわり俯かずに遠くを見ていた。
草原の向こうには樹海が、はるか星の地平まで続く。
あたしたちの瞳は今きっと、緑色をしている。
そう思ったら、なぜか、後藤の瞳が見たくなった。

向き直れば、大きな緑の中で、蟻のうしろ姿は、泣きたいくらいに小さかった。
蜘蛛も同じだろうか。
「後藤」
雨脚が強くなり、呼ぶ声はあたし自身にさえ希薄だった。
雨が弾けるせいで、後藤の背中が真っ白に光る。
濃い緑に埋もれていきそうに、光はちらちら瞬いた。
手を伸ばしかけて下ろし、下ろしてやはり持ち上げて、震える指先を光へ伸ばした。
ゆっくり、伸ばした。



          ―― 完 ――



362 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/23(火) 19:51



363 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/23(火) 19:51



364 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/23(火) 19:52

終わりです。

期待はずれだったことだろうと思います。
ですが、申し訳ない、とは言わないことにします。

今は、読んでくれた人に、ただ読んでくれたことに対して
感謝したい気持ちです。
読んでくださった皆さん、本当にありがとうございました。
深く感謝します。

2003.9.23 駄作屋


365 名前:名無し読者 投稿日:2003/09/23(火) 20:31
ありがとうございました。
366 名前:名無し読者 投稿日:2003/09/23(火) 23:13
この話に出会えてよかったです。
ありがとうございました。
367 名前:名無し読者 投稿日:2003/09/23(火) 23:14
更新乙。
本編ではあまり出てこなかった吉澤と石川サイドの
ストーリーも読みたくなる最期でした。
368 名前:つみ 投稿日:2003/09/23(火) 23:24
駄作屋さんありがとうございました。
何か自分の考え方が変わった作品でした。
私も吉澤と石川サイドのストーリーが読みたくなりました。
369 名前:名無し読者 投稿日:2003/09/23(火) 23:40
本当にありがとう。
面白かった。
370 名前:名無し読者 投稿日:2003/09/23(火) 23:55
ずっと読み続けていました。
良かったです。駄作屋さん、お疲れさまでした。
そして出来るなら、私も吉澤と石川のサイドストーリーが読みたいと思いました。
371 名前:名無し読者 投稿日:2003/09/24(水) 01:19
。・゚・(ノД`)・゚・。

>>367
激しく同意
372 名前:S 投稿日:2003/09/24(水) 06:03
この作品はすごいですよ。
駄作屋さん、お疲れさまでした。すばらしい作品をありがとうございました。
次回作も期待しております。
373 名前:名無し読者 投稿日:2003/09/24(水) 19:05
サンキュー!
374 名前:名無し読者 投稿日:2003/09/24(水) 19:08
ずっと読ませて頂いてました。
ラストまで気が抜けず、本当にこんな本が売ってたら買うだろうな、などと思ってしまうくらい素晴らしい作品でした。
駄作屋さん感動を有難う。
次回作も期待しております。
375 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2003/09/24(水) 19:32
感動しました
作者さんお疲れ様でした
吉澤と石川のことも気になりますが何よりこの作品にも
作者さんの愛情が感じられました
ありがとうございます
376 名前:名無し読者 投稿日:2003/09/24(水) 19:32
凄く面白かった
次回作も期待してます
377 名前:名無し読者 投稿日:2003/09/24(水) 20:34
駄作屋さんのラストがすごく好き。
ROMっててホントよかったです。
脱稿お疲れ様でした。m(_ _)m
378 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/24(水) 23:26

レスありがとうございます。

>いしよし
蝶が2羽出てくる話と、蟻が2匹出てくる話を
それぞれ、番外編として書く予定にしています。
公開は遠そうですけれども。

>次回作
あんまり誰も読んでないスレだと思うんですけど、
稼動中のスレを1本、抱えてますので
「次回」より、そっちをじっくりいきたいと思ってます。

個別に返レスしようかとも思いましたが、
ありがとうございます、以外に言えることもなさそうなので
とりあえず、こんなところで。

379 名前: 投稿日:2003/09/25(木) 00:28
面白かったです!!!
更新するたび、ハラハラドキドキしてました。
これからも、私達に感動を下さい。

380 名前:名無し読者 投稿日:2003/09/25(木) 01:53
久々に感動しました。
ありがとうございました。
381 名前:名無し読者 投稿日:2003/09/25(木) 02:11
自分の予想とかなり違ってて、
こんな結末になるとは考えもしなかった。
ただただ、作者さんに脱帽です。
感動をありがとう。
番外編楽しみにしてます。
382 名前:名無し読者 投稿日:2003/09/25(木) 22:31
ありがとう。。。

色んなことを考えて感じた小説だった。
市井と後藤に有難う。
そして駄作屋さん、本当にありがとう。
383 名前:名無し読者 投稿日:2003/09/26(金) 01:28
ありがとうございました。
そんなことくらいしか言えませんが
いい作品を読ませていただき
本当にありがとうございました。
384 名前:sage 投稿日:2003/09/26(金) 17:36
あんた凄いよ!
向こうも楽しみにしてるよ。
385 名前:駄作屋 投稿日:2003/09/27(土) 09:56
>>354
の「両手」は「手のひら」の間違いです。
単なる誤字脱字と違って欝なミスだ……。
すみませんでした。
案内板でご指摘くださった方、ありがとうございました。
386 名前:結恋〜ユイコ〜 投稿日:2003/09/30(火) 02:48
駄作屋さんありがとう。ただひたすらに、、、ありがとう。
「緑の星」は、私の大切な大切な宝物です。

これからもずっと、貴方の作品に逢えるのを楽しみにしています。
387 名前:名無し読者 投稿日:2003/09/30(火) 22:21
完結お疲れ様でした。
駄作屋さんが伝えたかったテーマは、
きっと自分が受け取れた範囲では
収まりきらないくらいに重くて大きいんでしょうけど、
そのテーマをきちんと面白い小説として読めたのが凄く嬉しかったです。
ラストは自分が想像していたものよりも悲しいものでしたが、
自分が想像していたものよりも感動しました。
ありがとうございました。

もう一つのスレもお待ちしています。
388 名前:愛里 投稿日:2003/10/04(土) 22:44
とてもよかったです。
メチャメチャ感動しました。
作者さん上手いですね…。尊敬します。
本当にお疲れ様でした。
そして、ありがとうございました。
389 名前:名無し読者 投稿日:2003/10/10(金) 02:28
ここに書くような感想じゃないかも知れないけど、折角のスレなので書かせて頂きます。

吉澤さんの優しさは石川さんのためでもあったわけか、納得。
緑の星は少女っぽい話だと思いました。
駄作屋さんの言いたくても普段言えない部分を思い切りぶつけたような話だと勝手に思いました。誰もが思ってるけど恥ずかしくて言えないことを面と向かって大きな声で叫んでいる話だと。
だから科白とかも結構臭いセリフもあったりして良かったです。
作者で作品を語るのもなんだけど駄作屋さんがこういう話を書いてくれた事が嬉しかったです。
こんだけの人の心を動かすなんて、やっぱり、

すごいぞ、駄作屋。
390 名前:名無し蟻。 投稿日:2003/10/28(火) 02:23
まだかな番外編…待ってますよー
391 名前:名無し読者 投稿日:2003/11/17(月) 00:10
いつまでも待ちます。
392 名前:名無し読者 投稿日:2003/11/18(火) 03:30
今更ながらこのスレを知り、一気に読んで号泣しまくってしまいました。
個人的に突き刺さる部分が多かったです。番外編、待ってます。
393 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2003/12/06(土) 12:50
番外編まだですかね
394 名前:駄作屋 投稿日:2003/12/07(日) 23:01
番外編は、一篇すべてを一度に更新する形にしようと思っています。
ぼちぼち書き始めてはいますが、当分は完結しそうになく、
年内の更新はできない見通しです。すみません。
395 名前:駄作屋 投稿日:2003/12/07(日) 23:02
ここを更新するまでに、
『リストラ 3rd』スレを更新することがあると思います。
更新の遅れている方を優先しようと思っても、
なかなか、そういう順に書けるものでもなかったり…。

あちこち更新を中断しているところ、恐縮ですが
先月、ふと思いついて短編を書きました。
そういうときは20レス程度を数時間で書き上げることができます。
ところが『edge』や『緑の星』で20レス書くまでには、
何倍もの時間がかかります。
長くつきあってる分、勢いがないからだろうと思います。

けれど、最近はそういうことも、わりと楽しかったりします。
勢いに乗って書くのも楽しかったんですが、
ゆっくり書くのも、苦しいけれど面白いと思うようになりました。
勝手でごめんなさい。

これ以上「待ってください」とは言えませんが、
放棄はしませんとだけ、お伝えしておきます。
勝手ばかり言いまして、本当に申し訳ありません。
396 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/07(日) 23:20
作者さんの作品なのですから、納得のいくまで課程も楽しんで下さい。
我々はただそのおこぼれをいただいているだけなのですから。
だから俺は、いくらでも待ちますとだけ言います。
けっこう、焦らされながら待つのも楽しいもんです。
397 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/07(日) 23:27
いくらでも待ちますよ。
作者さんの書いてくれるものならいくら待ってでも読みたいですもん。
どれだけ長い時間がかかったって構いませんから
作者さんのペースで書いてください。
398 名前:名無し蟻。 投稿日:2004/01/06(火) 02:38
いつかは読めることがわかってさえいれば満足。もうこの遅ささえ愛しいというか。
399 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/17(火) 21:24
駄作屋さん忙しいのかな・・
400 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/13(土) 17:12
一週間以内に生存報告してくれないと倉庫逝きになってしまうのです。。。
401 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/18(木) 19:24
作者さん、今夜整理があるっぽいです!
402 名前:名無し飼育さん 投稿日:2004/03/22(月) 23:24
作者さん〜がんばれー!
403 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/26(金) 18:59
おれ、顎タンの愛を信じる
404 名前:ほっしゃん 投稿日:2004/04/09(金) 00:13
まだ?
405 名前:名無し飼育さん 投稿日:2004/04/23(金) 19:56
音沙汰無しなんでちょと心配。すごい楽しみなんだけど・・
406 名前:『風の船』 投稿日:2004/05/05(水) 15:00

風に乗って、誰か歌う声が聞こえた気がした。
長椅子で目を閉じて、けれど、もう一度聞こうとすれば、ただ鳥が啼くだけだった。
地中を離れて塔に暮らす酔狂は、いい風が入るという、それだけが理由。
女王時代に、ここをたびたび使ったこととは関係がない、つもりだ。

「お見舞いに、後藤が」
側仕えの者が、いかにも言いにくそうに告げる。
わたしは、ため息のように笑う。
なにごとも深刻に考えずにおかない侍従がおかしかったのと。
気などまわされている自分がおかしかったからだ。

見た目のことで差別を受ける存在でありながら、わたしの愛人でもあった「後藤」の名前は、もともとコロニーでは扱いにくいものだった。
「事件」以前でさえ。
以後なら、ほとんど禁句になっている。

407 名前:『風の船』 投稿日:2004/05/05(水) 15:01

実際、久しぶりに聞く名前は、それでもまだ「懐かしい」にはつながらなかった。
忘れたと思った痛みを、たやすく連れてくるのには、驚いた。

「帰るように伝えて」
後藤がいま、どんなに幸せであるのか。
それは、わたしの、この世に対する、いまや最後の興味だったけれど、同時にこの世で最も知りたくないことでもあった。

「ですが」
侍従は下がらずに、ぐずぐずした。
古い者だ。後藤がここへ通いはじめた頃に側仕えになった。
「ああ。ふたりにお茶くらいは振舞ってやって」
「ひとりで参っておりますが」
「ひとり?」
「ええ」
舌打ちしたくなった。
現在の後藤の住まいからコロニーまで、保護区は途切れているはずだ。
市井が一緒ならともかく、後藤ひとりでは、悪くすれば殺される。

408 名前:『風の船』 投稿日:2004/05/05(水) 15:01

「訂正する」
「お通しになりますか?」
「選士隊から何名か、護送に借りて」
護衛をつけて届けようと思った。あの蜘蛛のところまで。
元・女王にもその程度のわがままは許されるはずだ。

「よろしいので?」
「死なれたら後味が悪いじゃない」
「いえ。会わなくてよろしいので?」
会えるはずがない。
「いいの」
痩せ衰えた体で、あの子には。
もう、わたしのものではない、あの子には。

木の葉がひっきりなしに鳴る。
耳をすませば、意味ある言葉になって聞こえそうだ。
「不思議」
つぶやくと、ドアの前で侍従が振り返る。
なんでもないと手を振った。

409 名前:『風の船』 投稿日:2004/05/05(水) 15:02

―――――不思議だった。
さっきまで、あの子のことを、ちょうど思い出していた。

410 名前:『風の船』 投稿日:2004/05/05(水) 15:02

初めて見たとき、後藤は殺される寸前だった。
卵から孵ったばかりの赤ん坊は、タオルで拭われることもなく、濡れたままで震えていた。
まだ縮こまって十分に伸びない触角が、それでも誰かの声のたびに、かすかに左右に振れた。

白っぽい子だった。
肌の色も透けるようだったし、髪は栗色で、瞳の色は光の角度ごとに変わった。
誰かが「気味が悪い」と言うまで、わたしにとって「白っぽい」は「白っぽい」で、むしろ「美しい」に近かったかもしれない。
そういえば奇形ということになる、と思い当たって、それはわたしに暗い仲間意識をもたらした。

411 名前:『風の船』 投稿日:2004/05/05(水) 15:03

憐れみというよりは、共感だったのだと思う。
生まれた瞬間に運命が決まった子ども。
その行く先を、自分の手で変えてみたかった。
本当のところ、後藤が救われるのを見たかったのか、わたしの手が後藤を救うのを見たかったのか、今は思い出せない。

とにかく、冷ややかな眼差しの中を、後藤はいつも歩いて塔へやってきた。
わたしが呼んだからであり、ここへ来るしか、後藤の生きる道はなかったから。
そのことに、わたしは密かに心地よさを感じていた。
食べものも着るものも教育も、なにもかも満足には与えられないのを見て、この子を相手になら、神にもなれると思った。
光もぬくもりも、すべて、わたしの手だけが与えられると、信じていた。

412 名前:『風の船』 投稿日:2004/05/05(水) 15:03

「ごとう?」
確かめるように発音して、後藤は小さな頭を傾けた。まだ短い触角も、いっしょに傾く。
「名前だよ。番号とは別に、あげる」
食べものを与え、着るものを与え、次に与えたのが、名前だった。
「番号とは、違うの?」
後藤はその頃、単に「510」と呼ばれていて、名前の意味を知らなかった。

「番号は、誰かの前、誰かの後」
わたしの言葉に耳を傾ける後藤の目は、夕陽を映して、はしばみ色をしていた。
その瞳がそのとき、強さを増したようにきらめいたことを覚えている。
「ひとつでは意味を持てないっていうことだよ」

413 名前:『風の船』 投稿日:2004/05/05(水) 15:04

後藤には、ほんの幼い頃から、空気の色を見分ける力が備わっていた。
こちらが真剣に話したいと思うときには、特に声を低くしたり、目に力を入れなくても、それを察した。
このときもそうで、後藤は汽車のおもちゃから手を離して、わたしを見た。
「名前は、ひとりで意味が持てる?」
「うん、ひとつで―――」
答えかけて、今の「ひとり」は言い間違いではなかったのではないか、と思った。
後藤には、そういうところがあったから。
「ひとり、では、どうだろうね……」
後藤はまた首を傾げて、圭織どうしたの難しいこと考えてるの、と言った。
圭織、と心配そうに呼んだ。
わたしは、そんなことないよ、と笑った。

414 名前:『風の船』 投稿日:2004/05/05(水) 15:04

当時、わたしの名前を呼ぶのはあの子だけだった。
愛人の中でも、年端がゆかず、世の仕組みを知らない後藤だけが、呼ぶことを許された名前。今は。
今は、誰もわたしを呼ばない。
呼ばれない名前は、意味を持てるのだろうか。
呼ぶ人がいないで、「ひとり」で意味を。

「失礼いたします」
侍従が戻っていた。
「少し休ませまして、間もなく発ちます」
頷いて応じた。後藤も、わたしに会えるとは、きっと思ってない。

「できればご主人様にと、ケーキなど持ちこんでおりますが」
抑える間もなく、自分の笑い声を久しぶりに聞いた。
これだから後藤には困る。
表情を制御しよう、と考えるより早く、懐に潜られる。迷惑。
「もらっておいて。あとで食べるから」

415 名前:『風の船』 投稿日:2004/05/05(水) 15:05

後藤は、わたしがケーキを好きだと思い込んでいるが、実のところ、わたしは特に好きでもなんでもなかった。
誤解の理由は、多分ふたつ、ある。
ひとつは、なんのことはない、後藤こそ、ケーキが好きだから。
自分が好きなものは他者だって、という子どもらしい誤解。
もうひとつは、ふたりでケーキを食べるとき、わたしがよく笑ったからだろう。

服や首輪を買ってやるたび、後藤は誤解に則って、次に会うときにはケーキを焼いてきた。
決してまずくはないのだが、いそいそと持ってくる後藤のケーキは甘ったるくて、そうそう入らない。後藤はいつも、自分で焼いたホール・ケーキの4分の3以上を食べることになった。
それでいて、わたしが4分の1以下を食べ終わるときに、後藤も食べ終わるのだった。
本当に、後藤は甘いものに目がなくて――――だから、わたしは笑った。
後藤が笑ったからだ。

416 名前:『風の船』 投稿日:2004/05/05(水) 15:05

「見舞いのお礼に、適当になにか―――」
言いかけて、無駄なことだったな、と思い出した。
それでも、続けておく。
「いらないって言うかもしれないけど、なにか持たせてやって」
かしこまりました、と侍従は出て行った。
なにも、と後藤は言うのだろう。
いつも、そうだったから。

後藤は、なにも欲しがらなかった。
着るものを買い与えれば顔をほころばせたし、おもちゃをやればはしゃいだし、出されたものはなんでもよく食べたけれど、「なにが欲しい?」と訊けば必ず困った顔をした。なにもいらない、と答えた。
あの無数の「いらない」のうち、何回までが本当で、どれほどの嘘があったのか、知らない。
ただ一度を除いて、わたしには後藤の嘘が見抜けなかった。

417 名前:『風の船』 投稿日:2004/05/05(水) 15:05

稀有なる一度は、後藤が4歳のときだった。
ここで後藤とふたり、食事をとった朝、ほぼ真下で貴族の結婚の宴が始まった。
窓にはりついた後藤は、わあ、とため息のような声をあげた。
「ドレスが着たい?」
隣から覗き込んで尋ねたけれど、これはたぶん本音から、「ううん」と首を横に振る。美しいドレスや、きらびやかな装飾のいろいろには、心底、興味がないようだった。
それでも、後藤の瞳はどこかへ向いて、きらきら光り、よく動く。
「なに?」
その瞳を占めるものが見たくて、わたしは後藤に訊いた。
「あれ、あれ」
後藤は答えるのも、もどかしそうに、それでも、一瞬はわたしを見て、熱狂のもとを指さした。
「え、あれ?」

風船がいくつも、空へ舞い上がるところだった。
赤、白、黄色に青、緑。紫、橙、いくつも。

418 名前:『風の船』 投稿日:2004/05/05(水) 15:06

初めて見た、と後藤は興奮を隠さないで言った。
「すごいね、圭織。ごとー、空は羽がないと飛べないと思ってたよ。丸いだけなのに飛ぶんだね。すっごいねぇ」
はしゃいだ後藤の顔を、わたしはいくつも知った気になっていたけれど、それは間違いだったと気づいた。
これがおそらく本当に喜んでいるときの顔で、わたしはそれを初めて見た。
「欲しいの?」

そのときの、後藤の顔。
熱望が最初に、それを抑えこもうとする怜悧さが次に表れ、最後に諦念のようなものが浮かび、それすらもすぐに消えた。
「ううん、欲しくない」
後藤は笑った。

青い風船が木々を抜けて群青の空に溶けるのを、わたしは見ていたけれど、同時に横目でちゃんと、気がついていた。
後藤は、わたしにきちんと顔を向けてから笑い、ふたたび窓へ向いた後、ひっそりと笑うのをやめていた。

419 名前:『風の船』 投稿日:2004/05/05(水) 15:07

「わたしは欲しいな」
頭を撫でてやると、後藤の触覚が、わたしの手を受け入れるように両側へ寝た。
「えー。圭織、子どもみたいだねぇ」
強がるのは放っておいて、「風船をここへ」と侍従に言いつけた。
後藤が侍従とわたしをじっと見ているのがわかる。振り返らずに訊いてやる。
「なに色がいいの」
「白!」
即答の直後に、しまった、という顔をする。
「バカだね、後藤、ほんとに」
やわらかな髪をわしわしかきまぜると、後藤は気持ちよさそうに目を閉じた。

420 名前:『風の船』 投稿日:2004/05/05(水) 15:07

いつのまにか静かになっていた。
顔を上げれば、開いた窓から、風船が流れていくところだった。
窓の前に後藤が立って、その手が、握るものを失って、宙をしばらくさまよった。
「ちゃんと閉めとかないから」
後藤がさぞ悲しがるだろうと思うと、さっきまでの気持ちと裏腹に、残念だった。
当の本人はしかし、ほんの少し寂しそうに、でもすっきりと諦めたふうに、目を伏せるだけだった。
それで、ああ、これは、と気がつく。

「……わざと?」
後藤はこっくり頷いて、ごめんなさい、と小さく言う。
「別に謝ることないけど。なんで?」
「飛びたいんじゃないかと、思ったから」
ふうん、と答えた。なんとなく、いやな感じがした。
「ふうせんの『せん』は、『船』って書くんだよね?」
「そうだけど」
「乗れたらいいのに」
今度はもっと明確に、いやだ、と思った。
「乗れないよ。風の船には」
冷たい言い方だったかもしれない。
もう一言なにか加えようかと思ったとき、そうだね、と後藤は言った。
そうだね、と静かに。

421 名前:『風の船』 投稿日:2004/05/05(水) 15:08


* * *


422 名前:『風の船』 投稿日:2004/05/05(水) 15:08

陽が、さっき見たより、赤みを増した。
侍従がまたやってきて、「ただいま発ちました」と述べる。
「そう」

なにか土産をやったかと尋ねようとして、必要がなくなったのでやめた。
窓の外で、白い風船がたったひとつ、森を見下ろしていた。
「せっかくもらったものを、あの子はいつも」
苦笑いになる。侍従も窓の向こうに気がついて笑った。

紐が風に揺れている。
後藤が持って帰りやすいように、誰かがつけてやったものだろう。
一心に空へ向かう船の、そこだけが地上への未練に見えた。
手繰り寄せたいと願うのは、叶わないことを知っているからだろうか。

船からは、今どんな景色が見えるのだろうと、ふと思った。
船にもし心があるなら、この緑の星を、美しいと思うのだろうか。
あのとき紐を放した後藤のことが、今になって少し、わかる気がした。
自分が乗れない風の船を、ただ見送ってもいいと思う気持ちが、わかる気がした。

423 名前:『風の船』 投稿日:2004/05/05(水) 15:09

小さな白が、青の中でどんどん、すぼまっていく。
指先よりも小さく、きゅうと集まるように点に変わって、そうして消える、音もなく。
かわりに、誰かを呼んで、鳥が啼く。
船は黙って、いま消える。
風の船が、いま消えた。



― 了 ―


424 名前:駄作屋 投稿日:2004/05/05(水) 15:09

『緑の星』番外編の1本目で、『風の船』でした。
425 名前:駄作屋 投稿日:2004/05/05(水) 15:10

本編246レス目あたりの飯田の言動は、
作者の脳内に置いてある背景事情がわからないと、
読む人には意味不明だろうなと気になっていたので、
そのための妄想披露、でした。
単にかおごまが書きたかったのもあるんですが。
426 名前:駄作屋 投稿日:2004/05/05(水) 15:11

もし、まだお待ちいただいているとすれば、
それは絶対、蝶のほうだろうな、とは思ったのですが、
できたほうから先に公開させていただきました。

蝶のほうは、正直に打ち明けると、全部で15レス程度だけ書いて
まだ目鼻がついたかつかないか、という感じです。書いたり消したり。
完成させるつもりですが、期待はしないでください。
ここまで引っ張って、こんな状況報告で申し訳ありません。
427 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/05(水) 15:11
更新おつです。
待ってました。
428 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/06(木) 00:49
思うことはたくさんあるのだけれど、うまく文章にできないのでひとつだけ。
あなたの物語を読めて嬉しいです。ありがとう。
429 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/06(木) 20:04
>>428と同じく、レスをつけようと思っても言葉が浮かんできません、いい意味で。
もうとにかくなんていうか・・・・゚・(ノД`)・゚・イイ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

蝶のほうも期待してます。のんびりでいいんでがんばってください。
430 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/07(金) 01:13
スバラシヒネ
431 名前:駄作屋 投稿日:2004/05/07(金) 02:50

ごめんなさい。
レス1つ分の文章を、まるまる飛ばして投稿するというミスに
今ごろ気がつきました。
とりいそぎ、抜けた分をここにアップさせていただいた上で、
自サイトにきちんとした形のものを掲載することにしたいと思います。
不注意を心から反省しています。以後、気をつけます。
本当に申し訳ありませんでした。
なんていうか、本当に……繰り返しになりますが、
申し訳ありませんでした。
レスいただいた皆さん、ごめんなさい。
432 名前:419と420の間 投稿日:2004/05/07(金) 02:52

風船がくると、後藤は紐を引いて部屋の中を駆けた。
ちょっと手を放しては、のぼろうとするのを捕まえる。
単純な遊びを、飽きずに繰り返すのだった。
そうしていると、風船はまるで生きもので、後藤とはあねいもうとのようだった。

わたしは、後藤が見ないのをいいことに、両手を拳にしていた。
微笑ましい、と思う気持ちと別に、どうしてか破壊の欲求を感じた。
風船の白い肌に、爪をあてがいたくて、たまらなかった。

見ていられなくなって、ただ俯いた。
施しによる自己満足や、セックスによる性欲の解消や。
それだけなら、楽だった。そうなら、よかった。
わたしは火のような後悔をしたけれど、考えてみれば、いつの時点に戻って悔いるといいのか、わからないのだった。

433 名前:駄作屋 投稿日:2004/05/07(金) 03:29

見苦しいことで、ごめんなさい。
整形したものを、サイトにアップロードしました。
こちらで連載させていただいている作品なのに恐縮ですが、
こればっかりは、サイト版で読んでいただけると、
とてもうれしいです。
http://www.neoweb.jp/level-i/o2l/novel/g_wind.html
このたびは、本当に申し訳ありませんでした。

434 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/07(金) 20:16
読みました。
なんて綺麗な話なのだろう、と思いました。
他にもいろいろなにか言いたいのですが、きっと長ったらしくなるので止めときます。
ありがとう。次の番外編も楽しみにしております。
435 名前:名無し飼育さん 投稿日:2004/05/12(水) 01:01
うわ、素敵なタイトルだ・・
436 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/20(日) 04:45
かおごま、いいですねぇ
ってか、なんでこんなに綺麗な文章が書けるのでしょうか
437 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/24(木) 23:25
読ませて頂やした。
「何で蜘蛛やねん」とか思っていたのが、
引き込まれ・・・、一気に読んじゃったよ。
次の番外編も読みたいな。
438 名前:ミッチー 投稿日:2004/08/02(月) 16:51
今日、初めて一気に読まさせて頂きました。
何か、切なかったデス。。。
何回も涙しました。
素敵な話をありがとう!
439 名前:名無し飼育さん 投稿日:2004/08/08(日) 10:30
駄作屋さん元気してるかな・・
440 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2004/08/17(火) 16:58
蝶・・・
441 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/24(金) 22:06
番外編読むためだけに生きてます。
442 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/26(火) 18:03
443 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/19(金) 21:04
444 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/22(月) 01:10
今まで出演メン重視で小説を選んで読んでいましたが、
推しメンが主役でなくて涙を流した話は初めてです。
吸い込まれるように最後まで読んでしまいました。
番外のお話に、本編とはちがった不思議な気持ちに
させられてしまいました。
とても、大好きです。
445 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/20(月) 16:27
446 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/21(火) 20:04
蝶、まだかなぁ
447 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/24(月) 23:16
ほー
448 名前:駄作屋 投稿日:2005/02/22(火) 01:04
長い間、なんの音沙汰もなしで申し訳ありません。
書くつもりはあり、途中まで書いてはいますが、
全く更新のメドが立ちませんので、
このスレは倉庫へ落としていただければと思います。
番外編が書きあがったときには、Web上のどこかしらへアップして、
もう1つのスレかどこか飼育ユーザーの目につくところから
誘導をさせていただこうと考えています。
本当に申し訳ありませんでした。

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