なちまりの短編です。

1 名前:宇治屋 投稿日:2003年01月19日(日)00時31分12秒
『最果てまで。』



――――。

ふと、微弱な電流に感電したみたいな衝撃を受けて、矢口真里は数
度まばたきをした。頭のなかの奥の奥のほうをふいに襲った、その
かすかな痛みの正体はわからない。あれおかしいな、と思った。今
ので意識の流れが断線してしまったように、つい一瞬前、自分が考
えていたことがなんなのか思いだせなかった。そんな馬鹿なでもな
んだっけ?
2 名前:  投稿日:2003年01月19日(日)00時33分11秒
そう自問したところで眼球がきょろりと無意識に動いて、まばゆい
照明に視界を灼かれた。まだ曖昧に揺れていた思考にそれで喝が入
った。視線をまっすぐ前に向ける。何台ものカメラ、何人もの大人
が白色光にくらんで涙が滲んだ視界の向こうに見えた。そうだ今は
歌番組のトーク収録中だ。六人ずつ二列になってバーのカウンター
にあるようなスツールに、メンバー全員が座っている。駄目だ駄目
だ集中しないと。

後列の矢口はスツールの座部をとくに高くしてもらっていて、だか
ら頭一つ分下の前方にメンバーたちの後頭部が見えた。視界にぎり
ぎり入るか入らないかという両脇に番組進行役の男性が一人ずつ立
っている。ぽんぽんとリズム良くメンバーに質問や話題を振ってい
る。なのに、原因不明の難聴にかかったみたいに矢口の耳にはどん
な声も音も入ってこない。エレベーターで高層階に運ばれてくとき
のぽわーんとした耳鳴りに近い感覚だけがあった。あヤバい、と心
中で呟いた。周囲のまだ誰もこの異変には気づいていないけれど、
このままでは。
3 名前:  投稿日:2003年01月19日(日)00時34分55秒
そのときメンバー全員が一斉に笑った。目に映る周囲のようすと肌
に感じる空気の波ででそれがわかった。二人の男性のどちらかがな
にかウケるようなことをいったらしい。はっとした。どっちがなに
をいったのかまるでわからなかったけれど、条件反射で(あっ、オ
イラも笑わなきゃ)と焦った。長年の経験のせいで身に染みついた
反応だった。番組進行の妨げになるようなことはしたくない。異変
を伝えるのは収録が一段落してからだ。

なんでもいいから笑わなきゃほらはやくでも笑うってどうするんだ
っけ!? なぜだか思いだせなくて一瞬で混乱した。見知らぬ家庭
に一匹で連れてこられた子犬がケースから出されたときのようにパ
ニックに陥りかけ、そこへいきなりはっきりと、矢口笑いすぎ、と
いう誰かの声がした。耳に飛びこんできた。
4 名前:  投稿日:2003年01月19日(日)00時36分05秒
ちゃんと笑っていた。そのことに自分でも気づくのに時間はかから
なかった。口の動き頬の筋肉、目の表情、ぜんぶがちゃんとさもお
かしげな笑みを形作っていた。ほんと矢口の笑い声ってうるさいよ
ね、とメンバーの誰かが言い、ほら超音波だから矢口のは、と別の
誰かが調子を合わせた。一瞬の錯覚だったみたいにもう難聴は去り、
視界も鮮明に戻り意識の混乱もどこかへ行っていた。メンバーの軽
口にほっとけよぉと返しながらさらに明るく笑い、その裏側でよか
った大丈夫だどこも変じゃないと冷静に自分を観察する余裕すら生
まれていた。

と、ちょうど前に座っているメンバーが上半身をひねってこちらを
向いた。安倍なつみだった。矢口がするバラエティ番組での基本に
忠実なはじけた馬鹿笑いとは違う、花を愛でるときのような柔らか
い笑みを浮かべていた。人を安心させる笑顔だ、と彼女を知るもの
なら誰でも思いつきそうなことを矢口は頭の隅で考えてしまう。
「いーよ矢口、なっちはそれぜんぜんアリ」
ぐっと親指をあげる仕草をして、さらに悪戯っぽく片目をつむる。
5 名前:  投稿日:2003年01月19日(日)00時37分06秒
「ねー、いいじゃんねえ」
矢口もなつみと視線を合わせてもう一度笑った。自分に向けられて
いる天使みたいな笑みに胸のどこかがちくりと痛んだけれど、それ
はいつものことなので完璧に無視した。番組収録は滞りなく進んだ。
結局、誰も矢口の異変には気づかなかったし、収録が終わるころに
は矢口自身もあれは気のせいだったんだと判断してすぐに忘れてし
まった。大部屋の楽屋にメンバー全員で大挙して戻ってからは、す
でに明日のスケジュールのことで頭は一杯だった。時刻も、もう深
夜が近い。

マネージャーからメンバーそれぞれの明日の仕事内容と集合場所お
よび時間の説明を受けて解散となった。さきほどの収録が今日最後
の仕事だった。楽屋の畳に座って自前のメイク道具やスケジュール
帳をブランドもののボストンバッグに放りこんでいると、背後から
誰かが「どーんっ」と声で擬音を発して体当たりしてきた。考える
までもなくなつみだった。いきおいのまま体に腕を回してくる相手
に、矢口はさも迷惑そうな顔を向ける。
6 名前:  投稿日:2003年01月19日(日)00時37分59秒
「ちょっとやめてくれるー? 今お片付け中なんだからさあ」
「これ、行かない?」
矢口の嫌そうな対応にまるで頓着せず――もちろんそれがわかって
いるからこそ矢口も遠慮なく迷惑顔をしてみせるのだが――、身を
離したなつみは左手を器に見立て、右手で箸を持つ格好をして両手
を口元へ動かした。

「パチンコ?」
「なわけないっしょ。てゆーか二人でそんなとこ行ったことないし」
なつみは大きなヘア留めで前髪を上げていた矢口の額をぺちんと軽
くはたいた。わざとらしく「いてっ」と言って矢口は額をさする。
なつみもまた芝居じみた声色で「ごめんねー、大丈夫でちゅかー?」
と本当は痛くもなんともないはずの額を気遣ってみせた。
7 名前:  投稿日:2003年01月19日(日)00時39分05秒
矢口はなつみの体を押しやり、
「てゆーかごはんでしょ」
「そーそー。これからどうかなって」
「いいよ」
シンプルに会話すればこれだけで用は済んでしまう。矢口は手際よ
く化粧水の瓶をバッグにしまい込み、仕上げにジッパーを閉めた。
あらためてなつみの荷物の方を見ると、まだこれっぽっちも手がつ
けられていない。玩具箱をひっくり返したような惨状のままだ。矢
口はやれやれと肩を落とす。……まあいつものことだけれども。

「ほらもー、なっちもさっさと自分の荷物片付けなよ」
はぁーい、とおどけた仕草で肩をすくめて小さく舌をだし、なつみ
は四つんばいで自分の陣地に戻っていく。その背中を見送り、矢口
は鏡の前の台からサングラスを取りあげて装用した。視線を落とし
て薄青いレンズ越しに自分の手を見た。ついさっき、なつみの体を
押しやった手。羊毛のセーターを通して彼女の胸に押しつけられた
手。もちろん故意ではなく偶然のことで、戯れあっていれば珍しい
ことでもなくて、お互い気にするようなことじゃもっとない。なのに。
8 名前:  投稿日:2003年01月19日(日)00時40分37秒
乱雑な手つきで荷物をバッグへと戻しながらなつみが鼻歌を唄って
いる。最近お気に入りだと言う英国の女流シンガーの楽曲だ。歌詞
を覚えているわけではないらしく背後から耳に届くミディアムテン
ポの歌声は、英語に近いがどの国の言語でもないでたらめなものだ
った。わざわざそちらへ意識を向けるでもなく聴くとはなしに彼女
の歌声を耳にしながら、子守唄みたいだ、と矢口は感想を抱いた。
見知らぬ異国の言葉で唄われている安らかな眠りのための歌。

だからだろうか、その歌声からはいつも夜の匂いがすると矢口は思
っていた。こんな意見は少数派かもしれない。おそらく世間一般の
なつみに対するイメージは、明るい太陽に照らされたトウモロコシ
畑が似合うといったもののはずだから。自分だけだろうか、彼女に
は夜が似合うと思っているのは。どう伝えてもそこには淫靡な意味
合いが含まれてしまいそうで、だから誰にも言ったことはないけれど。
9 名前:  投稿日:2003年01月19日(日)00時41分33秒
ずっと手元に落としていた視線を上げた。壁一面にはめ込まれてい
る鏡に派手めの私服に身を包んだ矢口の姿が映る。まだ仕事用の濃
いメイクをしたままのせいで、つくりものみたいな顔立ちが鏡のな
かからこっちを向いていた。やはりつくりものみたいな仕事用の笑
顔を浮かべてみてから、この顔が大嫌いだと胸中で吐き捨てた。視
線をずらすと自分の後ろになつみの姿が見えた。膝をついて中腰に
なり手荷物と格闘している。

一瞬、フラッシュバックのように脳裏にまっさらな雪野原の映像が
よぎった。

それから。
――――。
10 名前:  投稿日:2003年01月19日(日)00時42分41秒
なにか声が聞こえた気がして、矢口はそれを握りつぶすように、開
きっぱなしだった手をきゅっと閉じた。おっまたせー、となつみの
支度も済んだらしく二人はそろって楽屋をあとにした。TV局の裏
口から出てすぐ前の通りでタクシーを拾う。何度か利用したことが
あるスペイン料理のレストランの名前を告げた。最寄の駅前の大通
りからやや外れた場所にある、いわゆる業界人たちの隠れ家的な店。
それだけに事情通の間では有名な店で、こうして運転手に名前を出
せば所在地を教えなくとも連れていってくれる。

さほど遠くはないがそれでもタクシーを使うのは野次馬対策として
常識的な手段だ。高部座席に並んで座って二人はそれぞれにリアウ
インドウから街並みを眺めていた。矢口は高層階から眺めるロマン
チックな夜景でもないそれに興味はないのだけれど、彼女が車窓を
流れる夜の景色を好きなことなら知っているので邪魔はしない。
11 名前:  投稿日:2003年01月19日(日)00時44分48秒
すこしの間だらしなくガラスに頭をあずけて細かな震動を感じてい
たが、ふと引力に引かれた気がして反対方向へ顔を向けた。車窓に
寄りそうよう座席の脇に座り、なつみは手を膝の上にそろえ行儀よ
い姿勢で背部に身をもたれさせていた。窓外を眺めるその横顔。可
憐な唇が小さく動いていて矢口はすぐにそれがふるさとを口ずさん
でいるのだと気づいた。本当に歌が好きなんだな、とあらためて感
心する。そのことにかけてはこちらも負けてないつもりだけれど、
自分はどちらかと言うとたくさんの人に聴いてもらえることに意味
を見出していた。ああ不純だな、と胸のうちでもらした。

不純。

(なにをいまさら、だよね)
12 名前:  投稿日:2003年01月19日(日)00時45分33秒
視線を落とす。同年代の女性に比べてもかなり小柄な二人が両端に
座っているので、間の距離がずいぶん離れている感じがした。わず
かにためらってから矢口は座り位置をやや中央にずらした。たいし
て間隔は狭まらなかった。その動作に気づいてなつみがふり向いて、
自然と目が合った。なにも言わず口元をほころばせ、柔らかく目を
細めて、綿雪のような笑みをまっすぐに向けられた。矢口は首の後
ろがちりちりと痺れる感覚に襲われる。耐えられないくらい恐い怪
談を聞いていて悲鳴をあげそうになる、ぞわりと鳥肌が立ちそうに
なるその直前の凍えるにも似た悪寒だ。あのときのだ、と思った。
さっきの番組収録中にやってきた感電みたいな衝撃、その前触れの
ような感覚だと直感で悟った。ヤバい、と本能が告げた。
13 名前:  投稿日:2003年01月19日(日)00時46分33秒
「そういやまだ言ってなかったね」
「……え?」
彼女の言葉の意味がわからなくて疑問に思ったせいで意識のベクト
ルがそれた。
「矢口、今日もお疲れさまでした」
「……あ、うん」
間抜けな返事をしてしまう。するとなつみは軽く首をかしげてちょ
いちょいと自分を指差した。その仕草の意味もわからなくて意識に
空白が生まれた。すぐに、ねぎらいの言葉を矢口も返さなければい
けないんだと気づいた。

「あ、ゴメン。なっちもお疲れ」
「よし」
お姉さん風を吹かせて重々しくうなづき、彼女はそれからやや調子
を落として、
「もしかしてぐったりモードかい? 無理に誘って悪かった?」
「そんなことないよ」
「そ?」
「うんうん」
「ならいいんだけどね」
「お腹ぺこぺこだし」
「だよね。なっちもそうなんだあ」
「さっきから腹の音がうるさい」
「ちっがうべさ! それ矢口!」
「バレた? あはははは」
「もぉーっ」
14 名前:  投稿日:2003年01月19日(日)00時47分30秒
何気ない会話が心地よかった。そうこうするうちタクシーが速度を
落としはじめる。そろって前を見ると目的地のそばまで来ていて、
運転手は丁寧なハンドルさばきで車体を路肩にとめた。着きました
よ、の声に矢口はバッグから財布を取りだした。料金メーターを見
なくても初乗り運賃で間に合うとわかっている。1メーター分の料
金まで割り勘にする必要はないので、こういうのはその時々で持ち
つ持たれつだった。

気を遣ってか無用に喋りかけてこないでくれた運転手に礼を言って、
二人はタクシーから降りた。人気のない夜の車道に立つ。点々と並
ぶ街灯が黒々としたアスファルトの道路に明りを投げかけていた。
静かにタクシーが発進して遠ざかるのを矢口はぼんやりと見ていた。
辺りに満ちる夜の匂いは水の匂いにも似ていた。ならば深夜の今は
深海にでもいるようなものだろうか。錯覚とわかっていても、その
想像のせいで息苦しささえ覚えた。すぐそばにいるなつみの存在を
強く意識する。まるで酸欠にも似た胸苦しさ。
15 名前:  投稿日:2003年01月19日(日)00時48分31秒
「どしたの。行こ?」
矢口の服の袖を引っぱってなつみが急かす。二人が立っている左手
の建物が目当てのレストランだった。あまり主張の強くない店構え
のせいで、大抵の人は気にもとめず通りすぎそうな店舗だ。連れだ
って入り口へと歩を進めた。よぉーし食べるぞぉ、と張りきるなつ
みに、おーっ! と半ばやけになって賛同した。落ちついた内装の
店内の一角へ給仕に案内され二人はテーブルを挟んで席についた。
こんな時間帯でも客は少なくなかった。料理長にお任せのコースを
頼んで待つことにした。

ほぼ毎日顔を合わせているくせに、あらたまって会話しようとする
となぜか最近調子どう? そっちこそどうなの? からはじめてし
まう。それに対するお互いの返答もいつも同じだ。うんがんばって
るよ。なのに今日は違った。腰を落ちつけて一息つくなりなつみは
変化球を投げこんできた。矢口、ここんとこ疲れてるでしょう?
「え、なんで?」
「わかるんだなー、安倍さんには」
16 名前:  投稿日:2003年01月19日(日)00時49分17秒
なにもかもお見通しという笑みを向けてくる。……肉体疲労ってい
うよりどっちかっていうと精神的な疲れが溜まってる感じだよねう
んストレスってやつ絶対そうなっちわかるんだそういうのとくに矢
口はいっつも無理してるからなっちが気をつけて見ててあげないと
なーって思ってたからさ。なつみは一気に言って冷えた水が注がれ
たグラスを持ちあげ口をつけた。やっぱこのレモン風味が大事だよ
ね、と力強くうなづいている。

「あ、いやー。でもさ。……この仕事してたら誰でも同じだよ?」
「矢口はとくべつ」
気圧されながらぼそぼそと答えたところでまっすぐに否定された。
「聞いていい? 矢口ってふだんどうやってストレス解消してるの」
空白。
空白。
空白。
「……え?」
失敗した! と思った。どうみても不自然な間だった。
17 名前:  投稿日:2003年01月19日(日)00時51分35秒
適当に話を合わせるなんて簡単のはずで、焼肉を食べまくるとか洋
服を山のように買いこむとか徹夜でゲームするとか当たり障りない
手段を伝えておけば滞りなく会話は続けられたはずだ。それでなに
も問題はないのに、どんな言葉も口から出てこなかった。頭に血が
のぼって脳みそが破裂しそうになっていた。こんなあっけなく。顔
に出ないようにして必死に自分を叱りつけた。どんな馬鹿げたこと
でもいいほら自分の部屋でヒモパン履いて鏡に向かって一人ストリ
ップショーをするって喋れ早く早く! 舌を引っこ抜かれたみたい
に声がだせない。なつみは矢口の反応が意外だったようで、きょと
んとまばたきを忘れて愛嬌のある間抜けな表情をしていた。
18 名前:  投稿日:2003年01月19日(日)00時52分22秒
「あ、あのさ」
やっと声が出せたかと思ったらそれはなつみが発したものだった。
なにを言われるのかと心臓が大きく跳ねた。けれど彼女が先を続け
ようとしたときタイミングよく給仕が前菜を運んできた。もはや第
三者の言葉など耳に入らない矢口に勘づくこともなく、なんたらか
んたらのなんとかかんとかですと料理の説明をしてテーブルに皿を
並べていく。なつみは一旦口をつぐんでから給仕の説明に耳をかた
むけふんふんと相槌を打ち、温かい笑みを彼の方へ向けてどうもあ
りがとうと会釈した。
19 名前:  投稿日:2003年01月19日(日)00時53分25秒
矢口はななめ上を向いた彼女の横顔を見ていた。ほんとマシュマロ
みたいなほっぺただよねと思い、食べちゃいたくなるような耳だな
あと考え、丸みのあるあごのラインから首筋へと視線を動かして肌
の白さときめ細やかさにまっさらな雪野原を連想した。

その瞬間つながった。

本当は最初からわかっていた気もした。ぜんぶ。もう限界なのだと
いうことが。

「なっち」
「ん?」
「オイラ、なっちのことを思ってオナニーしてるんだ。毎晩」
給仕が去るのを冷静に待ってから言った。
なつみは固まっていた。当然だと思った。お構いなしに続けた。
「しかも抵抗するなっちを無理やり犯っちゃうとこ想像して」
そして眠りにつく。
20 名前:  投稿日:2003年01月19日(日)00時54分30秒
手淫の間ずっとなつみへの愛の言葉をくり返していることは伏せた。
言えるはずがなかった。妄想のなかで乱暴に衣服をはぎ、優しさな
どかけらもない手つきで屈辱的な姿勢をとらせ、ときには器具をも
使って彼女が息絶えるほど責め抜かなければ、そうやってなにかを
発散しなければ眠ることすらできないなんて。想像なんかじゃ我慢
できなくなっていて、ちょっと油断すると仕事中に後ろからうなじ
を目にしただけで脳が焼き切れるほど欲情してしまうなんて。

――真白い雪野原を自分の足で踏みにじる欲望に囚われた。
今ならわかる。あのときの意識の途絶は最後の防衛本能だ。
聞かないように意識の外へ追いやっていた内なる言葉も明白だった。

(狂ってる)
21 名前:宇治屋 投稿日:2003年01月19日(日)00時58分47秒
……というわけで前半終了です。
んがーっ! テキストファイル上だと右端きれいに揃ってんのに、
なんでこんなガタガタになってるんだーー!! み、みにくい。




22 名前:宇治屋 投稿日:2003年01月19日(日)01時05分10秒
なにせ短編だし、字詰めも濃くていやーんなので、
来週中には後半も上げてさくっと終わろうと思います。
23 名前:宇治屋 投稿日:2003年01月19日(日)01時06分37秒
と、いうわけで尻隠しのためのたわ言カキコでした。
24 名前:名無し読者 投稿日:2003年01月20日(月)23時31分18秒
続き期待sage
25 名前:名無し読者 投稿日:2003年01月21日(火)01時47分18秒
なにやらいい感じ
26 名前:名無し読者 投稿日:2003年01月26日(日)15時19分58秒
今まで読んだことのあるなちまりとは違う感じで楽しみです。
27 名前:宇治屋 投稿日:2003年01月27日(月)17時14分24秒

「……びっくりした」
「だろーね」

しばらくの沈黙のあと止めていた息を吐きだすように感想を述べた
なつみに、矢口は軽い調子で合わせた。言いたいことを言ってすっ
きりした、言ってはいけないことを言って後悔した、そのどちらで
もなかった。伝えてしまえば、それは当たりまえのことを言ったに
過ぎない白けるにも似た空っぽな感情が残った。きっと嫌われちゃ
うんだろうな、とだけ考えて残念に思った。

なつみはそれ以上なにも言わなかった。
芝居じみているほど平然とした手つきでテーブルからフォークを取
りあげて、
28 名前:宇治屋 投稿日:2003年01月27日(月)17時15分09秒
「食べよ。ほら矢口も」
「ん」
うながされて矢口も前菜を食べはじめる。こんなとき味がさっぱり
わからなくなるという話を聞いたことがあったが、空腹の胃袋に次
々収まっていく料理はどれも文句なく美味しかった。料理長の腕が
なせるわざか矢口の舌がいやしいだけなのか、きっと両方ででもた
ぶん後者の比重のほうが大きい。そう考えてちょっとおかしかった。

食事をしながらまるでいつも通りに会話した。気になっている洋服
のブランドのことや楽屋で一緒に観たバラエティ番組のこと、面白
かった映画、お互い貸し合っているDVDの感想、最近あった笑え
る失敗談を笑えない駄ジャレ混じりに交換した。メニューの最後に
出てきた変わった風味のアイスクリームを食べおえて二人は席を立
った。会計はきっちり割り勘にする。なにもかもがいつも通りのよ
うで、けれど矢口のなかでなつみとの関係はこの店に入る前と今と
で決定的に違っていた。なによりも自分が。
29 名前:宇治屋 投稿日:2003年01月27日(月)17時15分48秒
先に店を出たなつみが正面を向いて車道を見ている姿勢のままで、
うわサイアクと呟いた。なにが? と矢口も真後ろから位置をずら
し彼女の視線の先を辿った。道路上に若者のグループがたむろして
いる。十人は超えているだろうか、すべて男性でみな大学生くらい
に見えた。しかし、それだけで最悪とはなつみも言わない。一目見
れば彼らがそろって酒気を帯びていることがわかった。サークルの
飲み会かなにかが終わったあとなのかもしれない。

面割れしないうちに店内へ引き返そうかと思ったが遅かった。おっ
あれもーむすじゃんもーむすみろよあべだぜなんだよやぐちもいん
じゃんすげーっ。男たちは野次馬のお手本のように色めきたった。
こうなるともう迷惑をかけてしまうので店には戻れない。サインを
くれだ触らせろだ、ついにはお酌しろだと要求をエスカレートさせ
て二人を扇形に包囲し近づいてくる。穏便にやりすごすのは無理そ
うだった。
30 名前:宇治屋 投稿日:2003年01月27日(月)17時18分36秒
男たちの酒臭い息がいやらしい嘲笑に乗ってここまで届く。タバコ
の匂いや口臭と混じって強烈に吐き気をもよおす臭気だった。アル
コール類が苦手ななつみは矢口よりもよほど嫌悪感をあらわにして
いた。彼女を押しのけて前に進み出た。店員に気づかれるよう大声
をだすことも考えたが、騒ぎを大きくしたくないのでやめた。こう
いうとき芸能人はとことん立場が弱い。

精いっぱい凄んで男たちをにらみつけた。後ろで、ダメだよ矢口、
となつみが言った。

なんだよおめーみてーなちびがいきがったってちっともこわかねー
んだよかねもってるからっておたかそうなみせでめしくいやがって
なめてるよなどうせあきられておわりのあいどるのくせしてちょー
しにのってんじゃねーおかすぞだいたいなまいきなんだよおまえの
わらいかたすげーむかつく。
31 名前:宇治屋 投稿日:2003年01月27日(月)17時19分13秒
うんオイラもそう思ってるよ気が合うね。
(でもその汚い手で指一本でもなっちに触ったらおまえら全員殺し
てやる)
胸のうちで誓った。

正義感や騎士気取りから出たものではない。ただの一人よがりでわ
がままな独占欲だ。――汚い手。自分だってそうだ、と考えてなん
だか寂しくなった。このままここでなつみをかばって死んだら彼女
はきっととてもきれいな涙を流して悲しんでくれるだろう。それは
素敵な空想だった。

「もぉどいてって!!」
32 名前:宇治屋 投稿日:2003年01月27日(月)17時20分03秒
背後から腕をつかまれたかと思うとなつみが駈けだした。彼女は矢
口を引きずって男たちを突き飛ばしそのまま速度をあげた。逃走を
選んだ。でも脚の速さなら自分が上だ。すぐに自然と矢口が先導す
るかたちになった。男たちも追ってくる。酒が入っているためか覚
束ない走りだがとにかくしつこかった。まるでゾンビの群れに追わ
れている自分たちはホラー映画のヒロインのようだと思った。でた
らめに走った。なつみの手を引いてどこまでも駈けた。深海みたい
な真夜中の街を。

視界の端を明りの落ちた建物の影が飛ぶように過ぎていく。今日は
たまたま厚底靴を履いてなくてよかった。スニーカーの靴底がアス
ファルトの固さをふくらはぎに伝えて、絶対これは筋肉痛になると
確信した。肩に掛けたボストンバッグも激しく邪魔だ。冷えた夜気
が呼吸のたび肺の奥まで入ってきりきりと痛い。心臓が早鐘を打つ。
ライブで鍛えた体力も欠乏していく。それでも立ち止まらなかった。
息も苦しくて、今どこに向かっているかもわからなかったけれど肌
に風を感じて。夜を切り裂いて。走る。
33 名前:宇治屋 投稿日:2003年01月27日(月)17時20分37秒
強く握ったなつみの手の感触。耳を澄ますと彼女の呼吸の音。
意識がぐるぐると渦を巻いて、酩酊にも似た心地がしていた。
(夢を見てるみたいだ)
水中の泡沫のような。
走る。

……ただ仕事が楽しくて笑っていたら、いつのころからか、誰より
も率先して笑うのが仕事のようになっていた。そんな自分がサーカ
スのピエロみたいだと思った。ねえなっちピエロのお面にはどうし
て必ず涙のツブが描かれてるか知ってる? ……ただ現場がぎくし
ゃくするのが嫌で気を利かせていたら、いつのまにか、メンバー間
の溝を埋める役目を押しつけられるようになった。それが当然のよ
うに。ねえなっち世間じゃオイラ中間管理職って言われてんだよ、
笑っちゃうよね。
34 名前:宇治屋 投稿日:2003年01月27日(月)17時21分13秒
ねえなっち。
人の心はまるで海のようだって話知ってる? 矢口のは沼地なんだ
よ、しかも底無しのね。そこには毎夜のように投げこまれる想像上
のあなたの死体が数え切れないほど沈んでいて、底無しのはずなの
にもう溢れそうになっているんです。だからあたしは自分の内面を
見つめるたび途方にくれてしまう。これからどうすればいいんだろ
う、眠れない夜ごとに妄想のなかで生みだすあなたの死体をこれか
らどうすればいいんだろう、って。そうそうこの間、溢れそうにな
っているその沼地に一輪の花が育っているのを見つけました。まだ
つぼみのままなのですがそう遠くないうちに咲くと思います。

ねえなっち。
あたしはその花が咲くのを恐れているような待ち望んでいるような
変な気持ちです。
35 名前:宇治屋 投稿日:2003年01月27日(月)17時21分53秒
「    」

(え?)

「   っ」

耳をくすぐる風鳴りに混じってかすかな声が届いた。
意味のある言葉として理解するのに時間がかかった。

「やぐちっ」

名前を呼ばれている。
さっきから何度も。
36 名前:宇治屋 投稿日:2003年01月27日(月)17時22分39秒
「っと矢口! ストップストップもう大丈夫だから!」

辛そうに声を上げるなつみに顔だけふり向いた。自分たちは下り坂
を駈けていて、昇り勾配の坂道が後方にまっすぐ伸びているのが見
えた。見覚えのない通りだ。ここどこ? と疑問に思う。額に汗を
浮かせたなつみが、手を引かれるまま息を切らせていた。男たちの
姿はない。夢中で走るうちに巻いたらしい。そう理解しても斜面を
駈ける速度は急には落とせない。半端に背後へ向いた姿勢のせいで
体のバランスが崩れた。足がもつれ蛇行する。笑ってしまいそうだ
った。なぜだかおかしかった。

――ねえなっち、こういうのなんていうんだっけ。
ランナーズハイ? それともただのアホ? うん。きっとそっち。
あはは。
37 名前:宇治屋 投稿日:2003年01月27日(月)17時23分14秒

矢口、前っ。と、なつみが叫んだ気がした。無意識にバランスを保
とうとする動きで体が前を向く。そこには風俗店のチラシが隅々ま
で貼られた電信柱が立っていて、目線入りで自分の写真を使われて
いるのがはっきり見えた。ちょーウブな素人娘在籍中☆ の惹句に
(失礼な。素人じゃなくてアイドルだよ!)とズレた訂正を入れ、
そんな自分に吹きだす暇もなく矢口はコンクリートの柱へ墜落する
ごとく激突し、意識が飛んだ。

逃げきった直後の気の緩みもいけなかったのだと思う。
ごっ、という鈍い音が額からしたと、最後に記憶している。
38 名前:宇治屋 投稿日:2003年01月27日(月)17時23分45秒
頭のなかの時間の流れを司る神経が無理やり引き千切られ、そして
また気まぐれに手荒く結びつけられる不快感。昏倒した矢口が次に
目覚めたとき、逃れられない不協和音が脳みそを内側から軋ませて
いた。死んでいたほうがマシと思えるほど最悪の頭痛だった。瞼の
裏でまだ火花が散っている。海で溺れた子供のように矢口はうめき、
咳きこみ、なつみに膝枕されていると気づくまでそれは続いた。力
の入らない体が仰向けで倒れている。芝生の上らしい。頭の下には、
羊毛厚地の生地越しに柔らかくて弾力ある太ももの感触があった。
ヤバい。すげー気持ちいい、これ。
39 名前:宇治屋 投稿日:2003年01月27日(月)17時24分21秒
前髪の生えぎわに軽く手が置かれた。彼女の手が冷たいわけではな
いだろうけれど、電信柱にぶつけて額が熱をもったせいでひんやり
と感じる。思い通りにならない瞼に力を込めて細くあけた。矢口の
頭を抱えこんでなつみがようすを看ていた。今にも涙の粒を零しそ
うなほど瞳が潤んでいる。ぎゅっと強く眉をしかめて怒っている表
情にも近い。矢口が震える唇で「あ」とかすかに声をもらすと、驚
いたように大きくまばたきして雫を降らせた。口の端にもひと雫落
ちて、矢口は彼女の体内から溢れた水滴の塩気を味わう。海水の味
だ、と思った。なっち、となんとか声をしぼりだすと、なつみは
「……死んじゃうかと思って心配したっしょ?」と小さく叱った。
ごめん、と今度は言葉にならず唇だけを動かして伝える。

海の底にいるような気分。呼吸のたび気泡が生まれないのを不思議
にさえ思う。
40 名前:宇治屋 投稿日:2003年01月27日(月)17時24分57秒
「どうなの? 具合」
「あたまいたい」
「ほんと、心配したんだから」

感情を込める余力もなく平坦に答えると、なつみは泣き笑いの顔に
なって目元を拭った。鼻をすすり「へへ」と照れたように笑う。そ
の笑みに突然いらだちを覚えた。地面をまさぐり芝の手触りを確か
め、引掻いて指を立てる。気遣われたくなんかなかった。肘をつい
て上半身を起こす。なつみが押し止めてきたが乱暴にふり払った。
彼女は、なぜ拒絶されるのか理解できないと言いたげに肩をすくめ
た。その鈍感さに苛々とする。安倍なつみが安倍なつみであること
に苛々する。自分は彼女が知る矢口真里ではないのに。

そのことを教えたはずなのに。
41 名前:宇治屋 投稿日:2003年01月27日(月)17時25分36秒
「……アホ」
努力して声を吐きだした。なつみを見ずにそれだけ言って、矢口は
視線を巡らせる。さほど広くない自然公園にいた。二人のほかに誰
の姿もない。周りには灯の落ちたオフィスビルが連なって建ち、こ
こはその隙間に設けられた憩いの場だった。遊具はなく、建前でし
かない立ち入り禁止札が置かれた芝生の小島が幾つか見える。その
間を縫って砂利敷きの遊歩道が走り、道の脇にベンチと街灯が並ん
でいた。星のない夜空にはたやすく手折れそうな三日月。人工の灯
に負ける弱々しい月明り。

あれのせいにはできないだろうな、と思った。
今夜の自分のおかしさを。
42 名前:宇治屋 投稿日:2003年01月27日(月)17時26分16秒
「アホってなにさ!」
「は?」

弾けるいきおいで言われた。次いで、飛びまわる蚊を叩くように両
手で頬を挟まれた。なに? と思う間もなく首をひねられる。吐息
が触れるほどの正面になつみの顔。頭がゆれて痛みがぶり返し、反
射的に彼女をにらんだ。アホってなにさ、と言い逃れを許さない強
さでもう一度言われた。そのままの意味だよ、と喧嘩を売るみたい
に応じた。なつみは表情を変えない。ふだん過剰なまでに悲喜や愛
憎を表現する彼女だが、本気のときは驚くほど表情を削ぎ落とす。
彼女のそんなところも大好きで大嫌いだった。自分の手に入れてめ
ちゃくちゃにしたくなる。壊れるくらいめちゃくちゃにしたくなる。
……ぶくぶく。
43 名前:宇治屋 投稿日:2003年01月27日(月)17時26分55秒
「アホだからアホっつったの」
「介護してくれた相手に言うセリフ?」
「頼んでないし」
「ひねてんね、矢口って」
「あーごめんなさい」

最大限に嫌味っぽく言った。なつみは駄々をこねる幼児を扱いかね
た母親みたいに渋面をする。ぶくぶく。ぶくぶく。なんだろうこの
音はと矢口は内心で首をかしげ、ああ、とすぐに理解した。わから
ないはずがない。それは胸のうちの澱んだ沼地の底から立ちのぼっ
てくる発酵した泡の響きだった。なつみは矢口の頬を挟んだままの
両手をおろし、吐息をひとつもらした。

「あのさー、矢口」
「……なに?」
44 名前:宇治屋 投稿日:2003年01月27日(月)17時27分41秒
心に描いた指先で泡を突ついて割ってみた。ぱちん、と小気味よい
音がした。気がつくと押し倒していた。跳ねる彼女の前髪が街灯の
光を受けてきらきらと瞬く。網膜に灼きついた。驚くことに抵抗は
なかった。会話を中途で断ちきられ、しかも公園という場所なのに、
なつみはわずかに体を固くしただけでじっとしていた。矢口は自分
の行ないを棚上げして(なんでだよ、バカじゃないの?)といっそ
憎々しく思う。組み敷かれた格好で、なつみは息をひそめ静かに呼
吸していた。
45 名前:宇治屋 投稿日:2003年01月27日(月)17時28分17秒
「逃げなよ」
「どーしてさ」
「わかってんの?」
「なにが」
「オイラのこと」
「知ってる。矢口でしょ」
「違うよ」
「じゃあなに」
「なっちを狙う強姦魔」
「犯されちゃうんだ」
「んで、殺されんの」
「死んじゃうの?」
「そう」
「それが矢口のしたいこと?」
「エロエロにね」
「いいよ、しよっか」
心臓が止まるかと思う。
46 名前:てなわけで。 投稿日:2003年01月27日(月)17時31分54秒
一日遅れましたが続きです。
といっても後編ではなく中編になってしまいました。
ここまでで全体のほぼ三分の二くらいでしょうか。
今週中には完結編を上げたいと思っています。
47 名前:宇治屋 投稿日:2003年01月27日(月)17時38分54秒
しかし、読み難いカンジのものになってますね……。
一応、30字で右端を揃えているので、テキストファイルに
保存していただくと見栄えはよくなります。お暇な方はぜひ。
そもそも一太郎上では40字34行という
平均的な文庫の見開き1P分で書いているんですけど、
それが悪いのかもしれません……。
48 名前:宇治屋 投稿日:2003年01月27日(月)17時44分25秒
掲示板に投稿するにはそれに相応しい書式があるよな、
と気づくのが遅かったです。
この作品はこの字詰めありきで始めたので今更変えられず。
とにかくこんなめんどい作品を読んでくださってる方には、
カキコもROMもどちらにも等しく最大級の感謝を。
では。
49 名前:名無し読者 投稿日:2003年01月28日(火)03時52分11秒
読み難いとかよりおもしろい。
続きがすごく気になります。
50 名前:宇治屋 投稿日:2003年02月03日(月)03時01分53秒
〈前書き〉
物語の終着点が見えずに滞っております。
とりあえず、短いですが進めた分だけでも更新します。
前回、ラスト部に修正が出たので45の変更バージョンからです。
お暇な方はおつきあいくださいませ。
51 名前:宇治屋 投稿日:2003年02月03日(月)03時02分33秒
「逃げなよ」
「どーしてさ」
「わかってんの?」
「なにが」
「オイラのこと」
「知ってる。矢口でしょ」
「違うよ」
「じゃあなに」
「なっちを狙う強姦魔」
「犯されちゃうんだ」
「んで、殺されんの」
「死んじゃうの?」
「そう」
「それが矢口のしたいこと?」
「エロエロにね」
「なにそれ」
52 名前:宇治屋 投稿日:2003年02月03日(月)03時03分07秒
フフ、となつみは笑った。たんぽぽの綿毛みたいに軽やかで捉えど
ころのない笑みだった。柔らかな曲線を描く彼女の眉に、矢口は釘
付けになる。絶対見たくないものを、それでもどうしても見なくて
はいけないというように視線を下げて彼女の瞳を見た。こんな間近
で見つめあうのははじめてだ。熱を感じる。互いの衣服を隔てて体
温が混じりあう。ふたりの間の境界線が曖昧になっていく錯覚。ほ
らみろ、と冷ややかに思った。もう我慢できない。

荒々しい動作でなつみの服の胸元のボタンに左手を

――してもいいよ。
言葉と同時に、撃ち抜かれるようなくちづけが来た
53 名前:宇治屋 投稿日:2003年02月03日(月)03時04分28秒
心臓が止まるかと思う。唇の柔らかさが、歯のぶつかる痛みに消さ
れた。キスというよりも、それはただ唇を押しつけてくるだけの行
動だった。唇が重なる、その強さにすべての意味を託すように。

シテモイイヨ。壊れたラジオが唐突に直ったように、その声は脳内
でクリアに響いた。だから、なにかの間違いかと空回りする頭で考
えた。幻聴。空耳。都合のいい言葉を脳みそが勝手に再生している。
なつみが顔を離した。なっちも矢口のこと好きだからさ、してもい
いよ、矢口のしたいこと。見えないラジオから流れる誰かのセリフ。
なつみの唇がそれと同じ動きをしていることを不思議に思う。どし
たの矢口かたまっちゃって。――なつみの声だ。
54 名前:宇治屋 投稿日:2003年02月03日(月)03時05分26秒
なっちを好きにしていいよ、矢口だけとくべつ。



(子守唄だ)



夜の深海の底でそれは聞こえていた。
55 名前:宇治屋 投稿日:2003年02月03日(月)03時06分02秒
ずっとまえから気づいてたよ、矢口がなっちのことばっか見てんの。
さいしょはなんでだべなーって思ってたけど、ちょっと考えたらす
ぐにわかった。わたしのこと好きなんだって。うれしかったよ。そ
りゃあ、さっき、無理やり犯すとこ思いうかべてひとりえっちする
って聞いたときは、びっくりしたけどさ。でも、そんなにイヤな気
持ちにはなんなかった。もしかしたらなっちもちょっとヘンタイな
のかもしんない。ううん、そうじゃなくて。なっちもずっとまえか
ら矢口のこと好きだからかも。もっと早く言ってあげたらよかったね。
56 名前:宇治屋 投稿日:2003年02月03日(月)03時07分19秒
でもなんか、言ったら言ったで矢口ははぐらかしてまじめに聞いて
くれない気がしたんだ、アナタってそうでしょ。あーじゃあ、この
ままトモダチっぽい感じでいるのが一番いいのかなって、矢口はそ
れがいいのかなって思ってた。でもね、すごいこと教えてあげる。
なっちも矢口のこと考えてひとりえっちしたことあるよ。えすえむ
ちっくなんじゃなくて、もっとこうね、かわいい感じっていうのも
変だけど、いっぱいキスしてるとこ想像したりして。ほらウソだと
思ってるでしょ。信じてないしょう。だから言えなかったんだよ。
わたしはあなたのことがずっと大好きです。

(殺される)
 なつみの言葉に殺されると思った。心臓を掴み出されて。
57 名前:宇治屋 投稿日:2003年02月03日(月)03時09分25秒
〈作者コメント〉

…ほんと短いですが、更新は以上です。
ごめんなさい。
58 名前:宇治屋 投稿日:2003年02月03日(月)03時10分00秒
続きは来週。
今度こそ終わらせたい。
59 名前:宇治屋 投稿日:2003年02月03日(月)03時10分40秒
よかったら、待っててください。
では。
60 名前:名無し読者 投稿日:2003年02月03日(月)22時37分05秒
OK!
待ってる♪
61 名前:なちまりすと 投稿日:2003年02月04日(火)21時33分05秒
密かに読ませていただいています。
他にはない空気が何とも言えないですね。
頑張ってください、応援しています。
62 名前:宇治屋 投稿日:2003年02月14日(金)01時26分30秒
〈前書き〉
遅れましたが更新です。
そしてまだ終わっていません(謝)。
では、進んだ分だけ。
63 名前:宇治屋 投稿日:2003年02月14日(金)01時28分00秒
〈前書き〉
遅れましたが更新です。
そしてまだ終わっていません(謝)。
では、進んだ分だけ。
64 名前:宇治屋 投稿日:2003年02月14日(金)01時28分54秒
言葉のナイフを突きたてられて。

彼女が隠し持っていた見えないナイフはどんな刃物よりも鋭く矢口
を斬り刻んだ。喜んでいいはずの告白から逃げだしたくてしょうが
なかった。根拠のない恐れと理由のない胸の痛み。自分はなつみと
どうなりたかったのか、思いだせなくなっていた。ストレートに好
意を伝えられても、戸惑いしか生まれなかった。なつみはなにか勘
違いをしているのだろうか? この胸にあるのは、澄んだ泉なんか
じゃないのに。
65 名前:宇治屋 投稿日:2003年02月14日(金)01時29分37秒
……オイラは、と乾いた声が喉からもれた。自分の声じゃないみた
いだった。なつみが矢口の下で首をかしげた。言葉の続きを待って
いる。しかし、矢口自身も自分がこれからなにを言おうとしている
のかわからなかった。

ただ、勢いにまかせた。

「なっちのことなんか好きじゃないよ」

噛みつくようなキスがもう一度来た。
66 名前:宇治屋 投稿日:2003年02月14日(金)01時30分08秒
首に腕を回された。ぐいと頭を引きよせられ、抗いを許さない強さ
でなつみの舌が侵入してきた。どうすればいいかまるでわからない
うちに、彼女の舌が矢口の舌を捉えた。絡ませてくる。言葉にでき
ない快楽の波が背筋に走った。あえぐように口を半開きにして、矢
口もなつみとの深い接吻に溺れた。もうなにも考えられなかった。
鼻で呼吸しているせいで芝生の青臭い匂いを濃く感じた。唇の端か
ら涎が垂れていくのを自覚しても気にならなかった。唇と舌を一瞬
も離したくないと、その思いだけが脳内を占めていた。
67 名前:宇治屋 投稿日:2003年02月14日(金)01時30分49秒
底無し沼に足を踏みいれた心地だった。このままどこまでも沈んで、
窒息して死ねたらいい。自分はそのためにこれまで生きてきたんだ
と、そんな妄想が当然のことのように浮かびあがって広がっていく。

ねえなっち。あたしの胸の奥で花がひらきそうです。

狂った花が。
68 名前:宇治屋 投稿日:2003年02月14日(金)01時31分55秒
……たぶん、それは無意識の行動だったと思う。矢口の右手がなつ
みの胸の膨らみに伸びた。羊毛のセーター越しに掌を押しつけ揉み
しだくように指を動かして、その瞬間、舌に感じた激痛にうめき矢
口は身を離した。真下からなつみが悪戯っぽい笑みで見上げていた。
なんだよ、と強がって矢口がにらむと、彼女は「矢口ってほんとす
けべだね」と明るい口調で容赦なく言った。
69 名前:宇治屋 投稿日:2003年02月14日(金)01時32分35秒
「なっちからしてきたんじゃん」

舌がひりひりして喋りにくい。血が出てるんじゃ、と思う。

「胸さわっていいとは言ってないしょや」
「……だからって舌噛むことないだろー」
「見せてみ」

甘い響きのする声で言われた。
70 名前:宇治屋 投稿日:2003年02月14日(金)01時33分15秒
矢口はおずおずとまだ痺れている舌を出した。なつみが顔を近づけ、
その舌先をするっと口に含んだ。生暖かい粘膜に包まれる感触に震
えるほどぞくっとした。先ほどの激しさとはうって変わって、彼女
は優しく愛撫するように矢口の舌を唇ではさんで舐めてくる。噛み
あとを掠められ、ずき、と刺すような痛みが生まれた。それはすぐ
に蕩けるような感覚になった。性器に触られているみたいな強烈な
快感だった。
71 名前:宇治屋 投稿日:2003年02月14日(金)01時33分47秒
なつみは顔を離した。潤んだ瞳を矢口に向けて火照った吐息をもらし、

「これもセックスだよね。そう思わない?」

と言った。
72 名前:宇治屋 投稿日:2003年02月14日(金)01時34分25秒
それを聞いた矢口はどうしようもなく泣きたくなった。実際、目の
端に涙が滲んでくるのを嫌というほど思い知った。なつみの言葉の
どこが涙腺に触れたのか、たぶん考えても無駄だった。我慢できな
かった。涙の粒がなつみの顔に落ちるのと、矢口の喉から嗚咽がこ
ぼれるのは同時だった。
73 名前:宇治屋 投稿日:2003年02月14日(金)01時35分05秒
胸のなかに抱きすくめられた。彼女のセーターに涙が染みこんでい
くのがわかった。

「なっちね。もう全部わかった」

なにが、とこもった声で訊く。
74 名前:宇治屋 投稿日:2003年02月14日(金)01時35分39秒
「ようするに矢口は、なっちのことが大好きなのに自分にはその資
格がないとかバカなこと考えてんでしょ。ほんとそれバカ。だって
それ、なっちが決めることだもん。なっちがどんななっちだろうと
それを好きなるのは矢口の自由だし、矢口がどんな矢口だろうとそ
んな矢口を好きになるのもなっちの自由。言っとくけど、なっちの
自由は奪わせないよ」

なにいってっかわかんない。
75 名前:宇治屋 投稿日:2003年02月14日(金)01時36分29秒
「わかんなくていーの。うちらは完全無欠の両想いだってことだけ、
わかれ」

長い長い、永遠さえも逃げだすような沈黙。

うん、

と、矢口はうなずいた。
76 名前:宇治屋 投稿日:2003年02月14日(金)01時37分09秒
なつみに抱かれたまま、胸の奥の沼地に咲いた一輪の花を見つめて
いた。底無し底に沈む数知れない想像上のなつみの死体は、本当は
すべて矢口自身のものだった。その上に咲いた花は、予想していた
ものと違って飛びぬけて美しくもなければ目を背けたいほど醜くも
なかった。それはどこの路傍でも見つけることができる、ただの小
さな花だった。

でも、だからこそ、なににも負けないほど愛しいと思った。
77 名前:宇治屋 投稿日:2003年02月14日(金)01時37分42秒


――この花をなっちに贈れたらいいのに。

78 名前:宇治屋 投稿日:2003年02月14日(金)01時40分08秒
〈あとがき〉
ストーリーで引っ張る作品じゃないのに、
こんな細ぎれに載せてどーするんだ、とも思っております(苦)。
読んでくださってる方には、ほんと申しわけないです。
79 名前:宇治屋 投稿日:2003年02月14日(金)01時42分25秒
テーマっぽいことを安倍さんが全部言っちゃってるのも、
作者の未熟具合があからさまに出てて自己嫌悪なところです。
要修行ですね……。
80 名前:宇治屋 投稿日:2003年02月14日(金)01時46分32秒
続きは一週間後、今度こそフィナーレを迎えたい。
えーと、いちお、いつも本気です(苦笑)。
それとレスに感謝。こんな作品と作者でごめんなさい。
81 名前:名無し読者 投稿日:2003年02月14日(金)20時22分00秒
・゚・(ノД`)・゚・。
82 名前:名無し読者 投稿日:2003年02月15日(土)01時07分50秒
楽しみにしてます!
83 名前:なちまりすと 投稿日:2003年02月27日(木)21時58分56秒
頑張ってくださいね!保全。
84 名前:なちまり(*´Д`)ハァハァ 投稿日:2003年03月10日(月)22時24分05秒
保全
85 名前:名無し読者 投稿日:2003年03月16日(日)22時43分29秒
もしかして、放置されてしまったのでしょうか…(涙)。
86 名前:名無しさん 投稿日:2003年03月30日(日)11時17分10秒
期待age
87 名前:名無し読者 投稿日:2003年04月07日(月)22時38分38秒
保全
88 名前:名無し読者 投稿日:2003年04月23日(水)20時41分36秒
保全
89 名前:名無しさん 投稿日:2003年05月25日(日)15時26分50秒
保全
90 名前:名無し読者 投稿日:2003年06月26日(木)00時46分22秒
ほぜん
91 名前:名無し読者 投稿日:2003年07月26日(土)01時02分36秒
ほぜん
92 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月14日(木)09時18分25秒
早く
93 名前:名無しさん 投稿日:2003年09月05日(金)20時59分39秒
こんないい話放置するなんて。続きがきになるよ

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