恋文
- 1 名前:wasabi 投稿日:2003年01月21日(火)02時51分48秒
- はじめまして。
「wasabi」と言います。
何せ初めての作品なので、とても稚拙なものになると思います。
きっと、更新速度も遅いかと…。
その辺をご理解いただける心の広い方に読んで頂ければ幸いです。
ちなみに、「いちごま」をメインに進めたいと思っています。
エピソードや時間軸が狂っていても、大目に見てやって下さい。
- 2 名前:wasabi 投稿日:2003年01月21日(火)02時55分26秒
- 2002年12月31日
私は一人、部屋のTVで紅白歌合戦を観ていた。
私のいない12人の娘。たちが、私がいなくなってからの最新シングルを唄っている。
「みんなロンリー Boys & Girls …」
そう言いながら浮かべるなっちの屈託の無い笑顔に、
少しだけ「お門違いな」苛立ちを覚えた。
迷い無くTVを消してキッチンに向かう。
両手を併せた位の小さなナベを火に掛け、ミルクを少しだけ入れる。
私は何を期待していたのだろう。
この日の仕事を全て断って、一体私は何を…。
四つ葉のクローバーを散りばめたティーカップに煮立ったミルクを注ぎ、
少しだけインスタントコーヒーを加える。
猫舌の私がようやく口をつけられる位に冷めた頃、
よっすぃ〜からメールが届いた事を知らせるメロディがなった。
時計を見ると、22時を少し過ぎている。
- 3 名前:wasabi 投稿日:2003年01月21日(火)02時57分37秒
- そっか、18歳未満は21時以降「生」では出られないもんね。
シャワー浴びて、着替えを済ませても、よっすぃ〜ならこんなもんか…。
私は誰が見ているわけでもないのに、控えめに苦笑いを浮かべる。
できれば今、このタイミングでメールは欲しくなかったのが本音。
でも、妙なプライドがそれを無視させてくれなかった。
逆撫でしない内容である事を祈りつつ、決定キーを押す。
『TV観ててくれた〜? やっと終わったよぉ! 圭ちゃんたちには悪いけど、ヤングチームは一足先にあがりま〜す!
(2行の改行)
ごっちんの方はどう?』
奥歯の更に奥の方で鈍い痛みが広がっていく。
改行された2行の中から、彼女の想いが溢れているのが分かる。
- 4 名前:wasabi 投稿日:2003年01月21日(火)03時00分17秒
- 『おつかれさま〜! 黒髪、メチャカッコ良かったよ! みんなによろしく♪ 今度ゆっくり初カラオケしようね』
何度も打ち直して、やっと返信を送った時にはもう30分近く経っていた。
ごめんね、よっすぃ〜。こんな返信しか出来なくて。
でもきっとあなたは解ってくれる。
まだ、もう少しだけあなたの優しさに甘えさせてもらいます。
そう心で唱えた後、ベットに携帯を放り投げて仰向けになる。
冷たいシーツ、それが今私を取り巻く現実そのもの。
毎日見ている筈の天井も、心なしか低く感じる。
壁に掛けた透明なブルーのラックカーテンには、不定期にあなたから届くCDが5枚入っている。
高校に通いやすいようにと一人暮らしを始めたのに、
今ではこの部屋も、ただいたずらに孤独を膨らませるだけの空間になってしまった。
マンションの窓下から酔っ払いらしき数人の男女が、
大声を上げながら通り過ぎるのが聞こえる。
- 5 名前:wasabi 投稿日:2003年01月21日(火)03時05分51秒
- 本当に導入部分だけでスイマセン…。
次回はもう少しテーマが分かる内容になると思いますので、
今日のところは、これだけでご勘弁を。
- 6 名前:名無し読者 投稿日:2003年01月21日(火)11時25分01秒
- よしこらしい優しさに・゚・(ノД`)・゚・。
吉ゴマらしい友情表現に・゚・(ノД`)・゚・。
ごっつぁむの未来に幸はあるのでしょうか・・市井さんがカギになるのかな。
- 7 名前:wasabi 投稿日:2003年01月22日(水)02時11分17秒
- ■■■■■■
私の卒業を、ひとり「許せない」と言ったあなた。
ラストのコンサートで一粒の涙も見せなかったあなた。
不思議だね。
そんなよしこの存在が、今、一番私の心を掬い暖めてくれている。
この1年半の間に起こった出来事を、冷静に振り返るのはまだ無理だけど、
あなたを許し、私を許し、すべてきちんと消化するにはもう少し時間が掛かりそうだけど、
それでもね…。
よっすぃ〜、私はね、もう二人はお互いを失う事はないと思っているの。
いつか笑い合って、あの日々を振り返る事は出来なくても、
きっと私達は、ずっとお互いを感じ合って生きていく気がする。
こんな事言える立場じゃない事は、重々承知の上。。。
だからこれからもきっと、誰にも、あなたにすら伝える事のない、
これは、私だけの自惚れた確信。
- 8 名前:wasabi 投稿日:2003年01月22日(水)02時16分14秒
- あ、それから、ひとつ報告があるんだ。
よしこが身をもって教えてくれようとした、止まった時計のネジの巻き方。
私はやっと、あの人との「止まった時間」を進める勇気が生まれてきました。
カチカチカチ…
『あはは!大丈夫だよ〜。ごっちんにはあたしがついてるからさ!』
ホントはね、動き出した時間の先に、どんな自分がいるのかとても不安。
だけど、そんなものはきっとあなたが笑い飛ばしてくれると信じよう。
『大丈夫!きっと大丈夫!』
そう唄いながら浮かべる、あなたのいたずらっ子な笑顔は、
私の手足から一つずつ「マイナス思考」という枷を外していく…。
- 9 名前:wasabi 投稿日:2003年01月22日(水)02時19分03秒
- ■■■■■■
眼を閉じると、瞼の裏のスクリーンに映し出されるいつもの場面。
あなたはアスファルトの真ん中で、夜明けの太陽を背負って笑っている…らしい。
「らしい」と言うのは、逆光でその表情がよく見えないから。
それでも笑ってるように感じるのは、今まで何度も見てきた笑顔の輪郭そのものだから。
そしてあなたは両手を黄色いダッフルコートのポケットに入れたまま、
いつも同じ台詞を口にする。
「いつも後藤の幸せを願ってるよ」
私はそんな時も、口を開けたままの間抜けな顔をしてる。
そしてやっぱり指一本動かない事を確認した後、心の中で毎回同じように応える。
『…「後藤の幸せ」って何?』
- 10 名前:wasabi 投稿日:2003年01月22日(水)02時21分27秒
- もちろん、それに対する返答はない。
私は黙る。
ただ黙って得意の作り笑いを浮かべてみる。
ホントの心を少しだけ削って作る、あなたの代わりに私を護ってくれるハリボテの「殻」。
あなたがいなくなった直後、こっそりなっちが教えてくれた護身法。
あなたには通じるはずの無い完璧な笑顔。
『仕方ないじゃない…。私はただ、唄い続けたかったの。
あなたがいなくなって、私にはただ唄う選択肢しか残らなかった』
ねぇ、教えて。
この唄声の行き着く先は何処かにあるの?
あなたの言う「幸せ」とやらに、この想いはいつか辿り付けるの?
繰り返される夢の記憶に結末は訪れるの?
残された「枷」は、再び私の歩みを妨げる。
- 11 名前:wasabi 投稿日:2003年01月22日(水)02時33分07秒
- つづく
- 12 名前:wasabi 投稿日:2003年01月22日(水)02時33分53秒
- 昨日のままじゃ全く訳が分からないと思い、もう少しだけ進めてみました。
でも、会話が少なく読みにくいですね。。。
次回こそ!(笑)
>>6
レスありがとうございます。
よしこは自分も大好きなんです。
だから、この中でも重要な立ち回りをしてもらうつもりです。
だけど、それはもうちょっと先になると思います。
気長に待っていていただけると嬉しいです。
- 13 名前:ヽ^∀^ノヲタ 投稿日:2003年01月23日(木)00時56分26秒
- 黄色いダッフルコートキタ━━━(゚∀゚)━━━!!
- 14 名前:wasabi 投稿日:2003年01月23日(木)02時51分44秒
- ■■■■■■
私はこの場面を見てしまった時はいつも、
それを忘れようと、別の記憶を思い出すようにしている。
そう、それはまるで古いビデオを上書きするように。
意識の中で広がる暗闇から、垂れ下がる長短無数の糸のうちの、
その一本を選び、ゆっくり引っ張ってみる。
すると、しばらくして暗闇に真っ白なスポットライトがあたり、
映画が始まるように3、2、1とカウントダウンが始まる。
そして、記憶の再生が始まる。
その時、私はそこにあの人が登場しない事を祈る…。
- 15 名前:wasabi 投稿日:2003年01月23日(木)02時54分43秒
- □□□□□□
「ねね、ごっちん。どう思う?今度のシャッフルのタイトル」
「ん?」
どうやら、場面は毎夏恒例のシャッフルユニットの曲を初めて聞かされた時のようだ。
そうそう、楽屋の隅で座っている私に声を掛けてきたのは梨華ちゃんだった。
「『幸せですか?』だって」
「ん〜。どうって聞かれてもなぁ…」
少し離れたところで荷物を整理しているよっすぃ〜をチラっと見る。
「良く分からないケド…大人っぽい曲だなって思う」
「そうだよねぇ…。『セクシー8』だもんね。メンバーみんな大人っぽいから、不安だな〜私…」
「…後藤は大人じゃないよ」
「それは『素』のごっちんでしょ。これ唄ってる時のごっちんは誰が見たって大人っぽいって言うと思うよ〜」
「………」
「でも、私も頑張ろうって思うんだ。
なんたって、ごっちんとよっすぃ〜と三人一緒になった初めてのユニットだもんね!」
「そだね。頑張ろう」
私はそれ以上敢えて梨華ちゃんの言葉を否定しなかった。
その代わりに得意の笑顔を浮かべる。
梨華ちゃんは満足したように笑うと、今度はよっすぃ〜の所へ行き、同じ事を聞き始めた。
- 16 名前:wasabi 投稿日:2003年01月23日(木)02時57分56秒
- 少し迷った後に私は席を立ち、二人の横をそっとすり抜け楽屋を出た。
隣にいた辻に「ちょっとトイレ」と、少し大きめな声でわざわざ告げて。
『幸せですか?』
洗面所の、手垢で少し汚れた鏡に映る【後藤真希】が、私に向かって問い掛ける。
優等生なコメントも、意地張った強がりも必要ない…
そう分かっているのに、どうしてだろう…
答えの欠片すら見つける事ができない。
『幸せなんですか?』
鏡の中の【後藤真希】が少しだけ意地悪く笑った気がする。
その笑顔を見て少し感心する。『へぇ…私、こんな表情できたんだ』
一気に心が硬くなるのを感じた。
「ごっち〜ん!」
- 17 名前:wasabi 投稿日:2003年01月23日(木)03時00分42秒
- 遠くで誰かが呼ぶ声がする。
あの声は…辻?
私が「トイレに行く」って行ったから、律儀に迎えに来てくれたのかな?
彼女に声を掛けといたのは正解だったな、と私は思う。
彼女の無垢な存在が、近頃の私にはとても助けになっている。
彼女が、彼女の意志で私に声を掛けてくれると、
こんな私でもまだ【こちら側】にいて良いんだと思える。
『重症だなぁ…』そう思って、今日何度目かの苦笑いを浮かべた。
「ごっち〜ん!もう行くよぉ〜!」
「うん!分かった、すぐ行く〜」
水道の水を両手で掬い、鏡の中の【後藤真希】にかけてみた。
ホンの一瞬の間でも、誰もそこに映る彼女の表情を見てとる事が出来ないように。
…流れ落ちる水滴に紛れて、彼女が泣いても良いように。
パタン
- 18 名前:wasabi 投稿日:2003年01月23日(木)03時04分59秒
- □□□□□□
トイレのドアが閉まるのと同時に映像は終わり、再び元の暗闇が広がる。
感想なんてない、何の感情も起きる訳ない。
だって、これはもはや記憶ですらない。無造作に選ばれた、ただの過去の記録。
あなたとの、答えの出ない「夢」から逃げ出すためだけに行う記録の再生。
私は誰にともなくそう言い訳すると、ゆっくりと意識に光を与え始める。
それでも、天井の高さは少しだけ元に戻っているように思えた。
- 19 名前:wasabi 投稿日:2003年01月23日(木)03時06分02秒
- つづく
- 20 名前:wasabi 投稿日:2003年01月23日(木)03時23分03秒
- いきなりですが、ごめんなさい。
今日読み返したら、何て分かり難い書き方なんだと反省しました。
お気づきかと思いますが、文中の「あなた」の指す相手が曖昧で非常に分かり辛い。。。
以後、気をつけます。
(↑今日はこれだけ書きたくて更新したようなもんです…)
また、現在後藤さんの「痛い」独白が続いておりますが、
ちゃんともうすぐ市井さんを始め、他のメンバーも出てくる予定ですので(笑)
>>13
気付いてくれて嬉しいです。
それだけで、あの章を書いた意味があります(笑)
- 21 名前:名無し読者 投稿日:2003年01月23日(木)17時57分53秒
- 初めての作品ですか〜。
作者さんのペースで頑張ってください!
いちごま好きなので期待してます。
- 22 名前:wasabi 投稿日:2003年01月24日(金)03時51分07秒
- ■■■■■■
『幸せ』
大体、こんな単語を誰が考えたのだろう。
あなたが、こんな曖昧な『モノ』を大事に持っておくよう言うもんだから、
私はそれに縛られ、いつまでたっても前に進めないんだ。
こんな人それぞれ解釈が違うもん、大事に持っとけなんて言われても困るんだよね。ホント…。
それでもとりあえず、その正確な意味を辞書で引いてみようと、
ベッドを降り、四つん這いのまま部屋の隅にある学用品の山に向かった。
それは高校を辞めたときに、その全てを頬リ投げたまま出来上がったもの。
漁ると中には殆ど使う事のなかった教科書、ノート。少し胸が痛む。。。
その中から国語辞典を引っ張り出して、そっと埃を払う。
片手で数えられる位しか開いていない辞書は、開くと黴臭い古本屋のニオイがした。
- 23 名前:wasabi 投稿日:2003年01月24日(金)03時54分31秒
- -----------------------------------------------------------------
しあわせ ―あはせ 【幸せ・仕合(わ)せ・倖せ】
(名・形動)[文]ナリ
(1)めぐりあわせがよい・こと(さま)。幸運。幸福。
(2)めぐりあわせ。運命。
(3)ことの次第。始末。
-----------------------------------------------------------------
そうなんだ…。
めぐりあえた事、その事実を『幸せ』と言うのか〜。
元々そこに『継続』というガイネンなんて存在しないんだ…。
じゃあ、その後に苦しみや哀しみが続くのは、『幸せ』の処方を誤っていたって事?
でも…「後藤の幸せを願う」ってどう言う事だろう?
現時点で私は『幸せ』なめぐりあいをしていないの?
ねぇ、そうなの?
新品同然のこの辞書なら、どこかにそんな私の『?』に対する答えさえ載っているだろうか。
---市井紗耶香と後藤真希のめぐり逢いは『幸せ』と呼ぶにふさわしいか?
- 24 名前:wasabi 投稿日:2003年01月24日(金)03時57分34秒
- ■■■■■■
どの位経ったろう…。
いつの間にかそのまま眠ってしまっていたらしい。
私はベッドの上でうつ伏せのまま眼を覚ました。
「冷たっ…」
誰かの訪問を知らせる部屋のチャイムや、
待ちわびたあの人からの着信音で目が覚めるならともかく、
自分で流した涙の冷たさで目が覚めるなんて、使い古された演歌の歌詞そのものだよ…。
『何かカッコわる…』そう自嘲気味にため息をついてみる。
恐る恐る壁に掛かった時計を見てみると、2003年も一時間ほど過ぎている事を示していた。
「最悪っ!」
今度は口に出してみた。
だけどその言葉は、誰にも、何処にも辿りつけず、戸惑いながら消えていった。
- 25 名前:wasabi 投稿日:2003年01月24日(金)04時00分04秒
- 仰向けになって、両手でベッドを思い切り叩いた。
枕元にあった携帯が小さく跳ねて床に落ちる。
ベッドとラグマットの間にある僅かな隙間のフローリング部分に落下し、
『ガシャ』と痛そうに悲鳴を上げた。
私は一瞬の間を置いて、勢い良く携帯を手に取る。
そこにはしっかりと【不在着信 4件】の文字があった。
意を決して相手先を確認する。
『もう、何ドキドキしてんだか』
自らを奮い立たせるように、都合よく【冷めた自分】を引っ張り出してみる。
一件目
0:57 よっすぃ〜携帯
二件目
0:45 よっすぃ〜携帯
三件目
0:42 かご携帯
この期に及んで、それでもまだ最後の一人に期待をしている自分が…痛々しい。
少し大袈裟にため息をついて、四件目の人物を確認をするためキーを押す。
- 26 名前:wasabi 投稿日:2003年01月24日(金)04時03分37秒
- ピンポーン
久し振りに聞く、この部屋への訪問者を知らせるインターホンの音は、
記憶していたものよりかなり大きいものだったので、少なからず驚き、肩を竦めた。
そして、インターホンの小さなTV画面がマンションのエントランスを映し出す。
そこに佇む彼女の姿を見て、私は頭の中が真っ白になっていくのが分かった。
小さな頃に遊んだ、砂鉄で字を書く事の出来る白板。
書いては消して、書いては消す、まるであの行為のように、
私の思考は全て真っ白に消されて行く…。
「あけましておめでとう」
玄関のドアを開くと、そこには四件目に(時間的には一番初めに)不在着信を残した本人が立っていた。
彼女は濃紺のハーフコートに白いマフラーをグルグル巻いた出で立ちで、
頬を寒さのせいで少し赤らめていた。
差し出すお土産を持つ手には、彼女らしいグレーの大きめな手袋がはめられている。
彼女は白い息とともに僅かに笑っていたけど、
どうやら私に『お年玉』を持って来てくれた訳ではなさそうだった。
そんな笑顔、私には通じないよ。
だって、それはあなたが私に教えてくれたものじゃない…。
四件目
0:06 なっち携帯
- 27 名前:wasabi 投稿日:2003年01月24日(金)04時05分52秒
- 第一章「introduction」おわり
- 28 名前:wasabi 投稿日:2003年01月24日(金)04時13分13秒
- どうしても週末までに導入部分は終わらせておきたくて、
ついつい無理しちゃいました。。。
次回更新より、新章突入します。
…眠っ。
>>21
レスありがとうございます。
そうなんです。初めてなんです。
だから、エピソードがツギハギで読みにくいと思います。
ごめんなさいです…。
でも、次回より市井さんもたくさん出る予定なので、
暖かく見守っていただけたら嬉しいです。
- 29 名前:名無し読者 投稿日:2003年01月24日(金)19時15分59秒
- なっちが黒そうな予感。子悪魔っぽいなっち好きなんで微妙に
喜んでおります(何)ひさびさのいちごまリアルで期待大です。
- 30 名前:wasabi 投稿日:2003年01月26日(日)18時07分40秒
- ≪Acrobat love≫
■■■■■■
2000年5月21日
「お疲れ様でした〜〜!!」
舞台を降りた後の裕ちゃんのいつもの台詞を、
今日は代わりにいちーちゃんが大声で口にした。
腹が立つくらいすっきりした声だった。
それを見た裕ちゃんは「しっかりしなきゃ」って感じで、
涙顔のまま挨拶をし、新メンの4人も控えめに続いた。
(きっと裕ちゃんは今までに無いくらい眉間にシワを刻んで、
とっても恐い顔をしてるんだろうなぁ…。)
- 31 名前:wasabi 投稿日:2003年01月26日(日)18時11分03秒
- 私の位置からは、なっちと圭ちゃんの姿はよく見えなかったけど、
視界の隅にようやく見える圭織とやぐっちゃんは、ずっと涙が止まらないみたいだった。
微かに聞こえてくるいくつかの挨拶声は、
それが誰の口から発せられたものかさえ分からない位小さい。
代わりに舞台裏の踊り場には、ただただ、興奮したみんなの嗚咽がこだまし続けていた。
その原因を作った張本人は、私の隣でバツが悪そうに苦笑いを浮かべているらしい。
(実際に顔は見ていなかったんだけど、きっとそうに違いない!)
- 32 名前:wasabi 投稿日:2003年01月26日(日)18時12分52秒
- 『よし!いちーちゃんのためだ…』と私も意を決して挨拶する事にした。
けれど顔を上げると、そこでは滲んだ景色がグニャグニャと歪んでいるだけだった。
まるで、無重力空間の中、突然全てのものから「輪郭」が奪われ、
器から溢れ出したそれぞれの「色」だけが、
宙をふわふわと頼りなく漂っているような、そんな風景が広がる。
『あぁ〜。私、すんごい泣いてる…』変に感心している私。
- 33 名前:wasabi 投稿日:2003年01月26日(日)18時14分20秒
- 「なぁ…いい加減に、その子供みたいにヒキツケ起しながら泣くの止めろよ〜」
それでもいちーちゃんは私にだけにそう言うと、
大きな10個の花束を左手一つに持ち直して、右手で私の頭をくしゃくしゃっとした。
「だ…だってぇ〜〜」
そんな事言ったって涙は止まってくれないし、無理に押さえ込もうとするからこうなるんだもん。
分かってるくせに…。
後藤がこうなるの分かってて、更にそんな事するいちーちゃんは絶対【S】だ…。
それでもどうにか顔を上げると、私を覗き込むいちーちゃんは、流れる汗も涙も拭いもせずに笑っていた。
『キュン…』
あなたの笑顔は、私の心を鷲掴みにして、確実に優しく握りつぶしていく。。。
- 34 名前:wasabi 投稿日:2003年01月26日(日)18時15分14秒
- つづく
- 35 名前:wasabi 投稿日:2003年01月26日(日)18時27分54秒
- 今章は少し過去の話になっていて、事実上のオープニングのつもりです。
前章の後藤さんとはかなり違う感じですが、愛情持って書いているつもりです(笑)
それが伝われば嬉しいです。
>>13
これからの市井さんを気に入って貰えたら嬉いっす!
自分も”アレ”にはそう言う印象持っているので。
>>29
小悪魔「なっち」ですかぁ〜。似合いますね♪
ご期待に添えられるかどうか分かりませんが、今後の「なっち」にも注目してて下さい!
- 36 名前:名無し読者 投稿日:2003年01月27日(月)19時02分08秒
- いちごまですか!
楽しみにしてます。
がんばって下さい。
- 37 名前:wasabi 投稿日:2003年01月28日(火)01時28分23秒
- ■■■■■■
それからの私は実はちょっと不機嫌だった。
コンサートの後、マッハでシャワー浴びて着替えを済ませたら、
いつも一番に帰り支度を終えているいちーちゃんのトコに行き、
そのまま連れ出してしまおうと画策していた。
それが無理でも、後で二人きりになれる約束をしておきたかった。
なのに、肝心ないちーちゃんがなかなか出て来ない。
「どうしたの?トイレ??」
私の次に用意を終えて楽屋を出てきたなっちは、ソワソワしている私を見てそう言った。
「ううん…。違うよ」
そんな訳ないじゃん…。
『水分』ならもう私の体には残ってないよ…。
- 38 名前:wasabi 投稿日:2003年01月28日(火)01時38分56秒
- そうこうしているうちに、他のみんなも用意を終えて楽屋を出てきた。
そしてとうとう裕ちゃんが、事務所の人にメンバーだけで食事に行く許可を取ってしまった。
はぁ…当然といえば当然なんだけど。
ただね、後藤は早く何か一つ「確かなモノ」が欲しかったの。
どんな小さな約束でもいい。
誰よりも先に、二人きりで、誰の眼も届かない場所で、
今日で『モーニング娘。』じゃなくなってしまうあなたと、その前に、早く何かひとつ「約束」を取り付けておきたい。
だって、「約束」がない事実は、私をとっても不安にさせるんだよ…。
それってゼイタク?ワガママ??
そして、最後に出てきたいちーちゃんは、花束に埋もれて殆ど顔が見えない状態だった。
私が花束を少し持ってあげようと、一番離れた所から一歩近づいた時、
それを意地悪く遮るように、メンバーみんなが彼女を取り囲む。
- 39 名前:wasabi 投稿日:2003年01月28日(火)01時44分21秒
- 「紗耶香ぁ〜、今夜は寝かさへんでぇ。覚悟しとき!」
そう言えば、裕ちゃんはライブで何度もいちーちゃんにキスせがまれてた。
「裕ちゃん!独り占めはダメだよ〜。最後は同期で昔みたいに愚痴の言い合いするんだからっ!」
圭ちゃん…。私もあなたくらい素直にいちーちゃんの手を取ってステージを歩きたかったな。
「そうそう、紗耶香は渡さないもんね」
やぐっちゃんは最後、いちーちゃんに「愛してるよ」って言われて泣いちゃってた…。
「ちょっと、ちょっと、みんな人をモノみたいにぃ〜…。ん!? 圭織、何?そんな恐い顔して睨まないでよ〜」
いちーちゃんの言葉を睨みながら聞いている圭織は…そう、最後に思い切り抱擁されてたし…。
- 40 名前:wasabi 投稿日:2003年01月28日(火)01時54分37秒
- 「ささ、行くべさ」
あ、でも、なんかいちーちゃんとなっちの間には、
ちょっとした『よそよそしさ』を感じたな〜。
…と思ったら、何、その笑顔の交換は!言葉なんか要らない、みたいな!
「市井さん、私達も行きたいんですけど…マネージャーさんがダメだって…」
石川さん…。ちょっと、やめてよね。
これ以上人数増えたら、ホントに二人きりになるチャンスなくなっちゃうよ。
大体さっき、ライブ最後の挨拶で、私がすぐ隣にいるのにさぁ、
反対側のあなたにばかり話し掛けるいちーちゃん見て、ごとーはどんなに辛かったか。。。
- 41 名前:wasabi 投稿日:2003年01月28日(火)01時55分26秒
- あ〜あ…。
私はずっとあなたを見ていたんだな〜と思い知らされる。
なのに、あなたはみんなに「平等」だ。
それは決して、10%×10人の「均等」ではなく、100%/人の「平等」…。
そう、この人はみんなに優しい。
そして、性質の悪い事に、自分の笑顔がどれだけの威力をもっているかきっと分かっていない。
いちーちゃん…。
今日までは後藤の教育係でしょ。
今日まで後藤はいちーちゃんの「特別」でいさせてよ…。
- 42 名前:wasabi 投稿日:2003年01月28日(火)01時56分47秒
- 「どした? ご・と・お」
私の全てを見透かしたように、意地悪く笑うあなた。
無駄な抵抗と分かっていながら、服の上から右手で【こころ】がありそうな胸のあたりを隠してみる。
ねね、さっきライブでしてくれたみたいにも一回、『あたまごっつん』てして。
そうしたら、もう少しだけ頑張る。我慢する。
みんなとの食事が終わるまで、その笑顔を振りまくの許してあげるよ。
- 43 名前:wasabi 投稿日:2003年01月28日(火)01時57分46秒
- つづく
- 44 名前:wasabi 投稿日:2003年01月28日(火)02時05分26秒
- 今日の更新はここまでです。
>>36
レスありがとうございます。
語り尽くされた感のある「いちごま」にあえてチャレンジした事を、
実は今更ながら少し悔やんでたりしてますが…(笑)
やっぱり好きな物を書くのが一番だと思って頑張ってます。
これからもよろしくです!
- 45 名前:名無し読者 投稿日:2003年01月28日(火)22時29分11秒
- 更新お疲れさまです。
武道館、懐かしいな〜。いい時代でしたね。
続き楽しみにしてますので、頑張って下さい。
- 46 名前:ヽ^∀^ノヲタ 投稿日:2003年01月31日(金)01時47分10秒
- 個人的に、いちーちゃん、およびいちごま大好きなんで、
激しく期待して読ませていただきマス。
コッチを先に書けYo!! と言う突っ込みはナシの方面で…(w
- 47 名前:wasabi 投稿日:2003年02月01日(土)03時29分55秒
- ■■■■■■
お店に向かう道中のバスの中で、私の隣に座ったいちーちゃんはすぐに眠りについてしまった。
『もう、最後だって言うのに…』
そう拗ねたい気持ちは、あなたのその姿を見てたら我慢できてしまった。
あなたのその頭の垂れ方は、眠りの深さを十分に示していた。
そりゃそうだ…。
色んな不安や迷いを抱えたまま、この人は一世一代の大立ち回りをしたんだもん。
たった2つ年上なだけのあなた…。
それでも、私はどうにかしていちーちゃんのその寝顔を見たくなって、
その顔を覆っているソバージュに息を吹きかけたりしてみた。
『起さなきゃ良いよね♪』
だけどそれも、あなたを『起さない』程度では、
微かに赤みを帯びた鼻先を覗き見られるくらいだった。
- 48 名前:wasabi 投稿日:2003年02月01日(土)03時31分06秒
- ガタン!
その時、バスが右折するのと同時にあなたの頭が揺れた。
お決まりのように、窓側にいるいちーちゃんの首がこちらに傾く。
私はそっと目を閉じて、自分の頭をいちーちゃんのその上に軽く乗せる。
あなたを起さないように…。
でも、今度逆にバスが曲がっても、その頭が私から離れていかないように。
いちーちゃんの香りだ〜。
いちーちゃんの寝息。
いちーちゃんの体温。
いちーちゃんの…。
〜何だか春の土手みたい〜
「後藤、着いたよ」
「んあ?」
起されてどうするんだ!?
後藤真希ぃ〜。
- 49 名前:wasabi 投稿日:2003年02月01日(土)03時35分57秒
- ■■■■■■
「お疲れさまでしたぁ〜」
通路側に座っていた私が、いちーちゃんより先にバスから降りようとすると、
その背後から、少し『緊張』を含んだ声が聞こえた。
「市井さんに憧れてたんです。本当です。頑張って下さい!」
「必ずまたお話してください!」
「頑張って下さい!」
「もっと色々教えてほしかったです…」
最後にそう言ったのは吉澤さんだった。
他の3人が寂しそうなのに比べ、彼女は一人悔しそうな顔でいちーちゃんを見つめている。
彼女のその色素の薄い、茶色掛かった眼を見た時、私は懐かしい何かを思い出しかけていた。
一体何だっけ…。
そんな事をボーっと考えている間、いちーちゃんは、新メンバーひとりずつと丁寧に目を見て握手していた。
この人は何処まで優しいんだろう…。
でも、ふと思う。
その優しさが自らをすり減らしてしまう前に、娘。を辞める事は正解なのかも知れない。
- 50 名前:wasabi 投稿日:2003年02月01日(土)03時38分38秒
- この仕事を始めて、最近気付いた事。
いろんな物をさらけ出すよう要求される事。
そして捏造される、【後藤真希】の趣味、友人、笑顔…そして、こころ。
ブラウン管の中で作られた笑顔を振りまく自分に、きっといつか、本当の自分は取って代わられるんだという恐怖。
みんな、その恐怖と戦い、譲れない『デッドライン』をギリギリのところでどうにか守り続けている。
人一倍優しいいちーちゃんは、だから、それに負けてしまったんだね。きっと。
だけど。
理解は出来ても、納得はしない、出来ないよ…。
それだけの理由だったなら、私が守ってあげるのに。
そこまで考えた所で、手繰っていた私の思考の糸は切れてしまう。
そして押し寄せてくる、やり場のない苛立ち。
「いちーちゃん!みんな待ってる!!」
私はバスの降り口で地団駄を踏んで駄々をこねる。
- 51 名前:wasabi 投稿日:2003年02月01日(土)03時40分30秒
- 私にそうさせるのは、ただの苛立ちだけではなかった。
あなたに比べて、私の心は泣けるほど小さい。
いちーちゃんのそこで立ち止まる数分が、大勢に影響しないのは分かっているつもりなのに、
『寄り道』して欲しくないって強く思ってしまう。
ううん。違うなぁ…。
私は今、【市井紗耶香】には【後藤真希】以外の全てのモノへ時間を割いて欲しく無いのだ。
「わかったよ。もう…そゆ事言わないの!」
分かってた。
きっと、いちーちゃんはそう言って私を優しく戒めてくれる筈だってこと。
あれ?私はそれを望んでいる??
なんだ、いちーちゃんが【S】なんじゃなくて、私が【M】なんだ。。。
- 52 名前:wasabi 投稿日:2003年02月01日(土)03時41分45秒
- 私の背後、バスの降り口の階段に右足を掛けた後、
いちーちゃんは私の肩に軽く手を掛けてもう一度振り返った。
「じゃあね、みんな頑張れよ〜〜!バイバイ!!」
まるでさっきまで立っていた武道館のラストそのままに、そう言って軽く左手を上げると、
4人の返事を待つ事無く、私の横を通り過ぎて降りてしまった。
「行こっ!」
「ちょっ…ちょっと、待ってよ〜」
あなたを今感じることの出来るこの歓びと、明日からあなたがいない哀しみ。
それが交互に私の頭と心を支配して、今、ごとーはパンク寸前です。。。
- 53 名前:wasabi 投稿日:2003年02月01日(土)03時42分33秒
- つづく
- 54 名前:wasabi 投稿日:2003年02月01日(土)03時59分35秒
- 今日の更新はここまでです。
この週末でもう一回位更新できたらと思っています。
>>45
レスありがとうございます。
本当に良い時代でしたよね。
今章を書くにあたり、武道館のビデオを見返したんですが、
結局、普通に何度も見ちゃいました。(笑)
そんな想いが伝わってたら嬉しいです。
>>46
ごもっとも!(笑)
ただあの導入部は、今後、話の方向を見失わない為には大事だったんです。
これから話はあっちゃこっちゃに行く予定ですが、その『種』を蒔いておいたつもりです。
下手くそな文章ですが、これからもお付き合い頂けたら幸いです。
- 55 名前:和尚 投稿日:2003年02月02日(日)01時24分58秒
- 後藤さんの市井さんへの想いが溢れていて切なく感じました。
更新が非常に気になる作品です。
頑張って下さい。
- 56 名前:名無し読者 投稿日:2003年02月02日(日)06時07分18秒
- 続き期待sage
- 57 名前:wasabi 投稿日:2003年02月03日(月)01時35分45秒
- ■■■■■■
バスを降りると、歩道を横切った先にある小さなビルの前で、圭ちゃんが一人待っていてくれた。
「紗耶香!後藤!遅〜い!ほら、こっちこっち」
言葉じりとは裏腹に圭ちゃんは笑顔だ。
黒い帽子を目深にかぶっているけど、すぐに分かる。
この人も本当にいちーちゃんが大好きなんだ。
プッチを結成した頃、戦友のような二人の関係に私はよく小さな疎外感を感じていた。
でもそんな時、いちーちゃん、あなたはいつも殻に閉じこもりかける私を引っ張り出してくれたよね。
- 58 名前:wasabi 投稿日:2003年02月03日(月)01時37分28秒
- 「ごめん、ごめん。後藤が熟睡してんだもん」
「え〜〜。ひどいよ、いちーちゃんが油売ってたんでしょ〜」
いちーちゃんは「ふふん」と鼻を鳴らして一笑し、圭ちゃんをも追い越して先を急いだ。
その先には、店を出て上がってくる人とすれ違う事すら難しそうな、細く急な階段が地下に向かって伸びていた。
『あ、地下のお店か。それなら携帯の電波も入らないな。うん、邪魔されずに済むぞ〜』
そう思う私は、しつこいけど「小さい」。
あ…。
そんな事考えてるから、圭ちゃんがいちーちゃんの後に続いて降り始めちゃった。
やばい、このままじゃ席隣になれないじゃん!
最後に二人で店に入れば、必ず隣同士になって座れると思ったのに〜。
- 59 名前:wasabi 投稿日:2003年02月03日(月)01時39分42秒
- 予測どおり、狭い階段は圭ちゃんを追い抜く事を許してくれなかった。
店の入り口にはカーキー色の暖簾が掛かっていた。
そこには、達筆な字で「なんたら」って漢字らしき文字が書かれている。
漢字は読めなかったけど、とっても雰囲気のある暖簾だ。
私はこの暖簾をこの先ずっと憶えている気がした。
いつかあなたが、またこの暖簾をくぐって帰ってくる姿を想像していた。
ただ何となく、そう思った。
- 60 名前:wasabi 投稿日:2003年02月03日(月)01時41分05秒
- ■■■■■■
「しっかし、何で“今”かなぁ〜」
私はやっぱりいちーちゃんの隣に座れず、しばらく拗ねていた。
だけど、とうとう食欲に負けてカニの身をほじくりはじめる。
みんなは、武道館ライブの興奮が少し落ち着き始め、それぞれ自らを振り返り、
ついにはいつもの『反省会』が始まっていた。
そんな時、圭ちゃんがボソッと呟いた。
圭ちゃん自身、自分の言葉にビックリしたように「あ!」と声に出さずに口を開いた。
みんなの箸を持つ手が、口がとまり、圭ちゃんの顔に視線が集まった。
だけど…顔は確かに圭ちゃんを見ていたけど、みんなの意識すべてがあなたに向かっているのが分かる。
- 61 名前:wasabi 投稿日:2003年02月03日(月)01時43分55秒
- 「ん?」
なのに、当の本人は『何かあったの?』みたいな顔してる。
そしてその後に見せる、いたずらっ子のようなペロっと舌を出して笑う、いつもの仕草。
知りたい。
あなたの本当の声で聞かせて欲しい、たくさんの『何で?』。
でも…。
何故か中途半端に分かってしまう。
きっとあなたは同じ台詞を繰り返すだけだという事。
ねぇ、いちーちゃん。
後藤はバカだから論理立てて説明なんて出来ないけど、
時々私は、あなたの言う事がまるで何度も繰り返し聞いてきた事のように分かってしまうんだよ…。
- 62 名前:wasabi 投稿日:2003年02月03日(月)01時49分23秒
- 「私ね…みんなと一緒に『娘。』やってきたおかげで、ホント欲張りになっちゃったの。
自分でもビックリしていて、時々カンチガイしてるかなと思う時もあるんだけど…」
---ウソ。
「でもね、市井は弱い人間だから、そう思った【今】を逃したら、
きっとこれ以上前に進めない、何も変えられないと思ってさ…」
---ウソ。
「英語も勉強して、ギターも弾けるようになって…」
---ウソ。
「『娘。』のライバルとなって、絶対帰ってくるからさ、みんなも気抜いちゃダメだよ!」
---ウソ、ばっかり…。
- 63 名前:wasabi 投稿日:2003年02月03日(月)01時54分32秒
- 悔しい。
悔しいよ、いちーちゃん。
何で私には、中途半端にあなたの言葉が「ウソ」だと分かるだけで、
【本当のあなた】の心を理解できる力がないのだろう。
ねぇ、気が付いているの?
あなたが頑なに重ねる【ウソ】は、私達二人の間に、例えそれが透明でも、
確実に厚いフィルターを降ろしているんだよ。
「分かってる。分かってるんだけどね…」
「圭ちゃん、もうやめよう…」
それでも不服そうな圭ちゃんに向かって、圭織が歯も見せず力なく笑いながらそう言った。
- 64 名前:wasabi 投稿日:2003年02月03日(月)02時03分39秒
- 「…うん」
一瞬の沈黙をおいて、やぐっちゃんがそう呟き、軽く頷いた。
それは、圭織の言葉に対してと言うより、別の何かを無理に納得するような呟きだった。
「あんたが答えるんかい!」
裕ちゃんは場の雰囲気を変えようと、やぐっちゃんに突っ込みを入れた。
「ハハハ…」と乾いた笑い声が起こった。
その中で、いちーちゃんは少しだけ申し訳なさそうに首を竦めると、また舌を出して苦笑いを浮かべた。
『大好き!』
負けないように…あらゆる【ウソ】に負けないように、私は心の中で何度も悲痛な叫びを上げる。
あなたに聞こえないよう…だけど、あなたに届くよう祈る。
大きな川の流れを小さな小石で塞き止めるようなモノだと、自嘲する自らを心のずっと深くに押し込めて…。
- 65 名前:wasabi 投稿日:2003年02月03日(月)02時04分48秒
- つづく
- 66 名前:wasabi 投稿日:2003年02月03日(月)02時23分10秒
- 今日の更新はここまでです。
展開が遅くて退屈かもしれませんが、それは嵐の前の静けさって事で。(笑)
なんせ勉強不足なもので、いろいろつじつま合わせに苦労しています。。。
でもそんな時、ただいたレスに本当に励まされています。
ありがとうございます。これからもよろしくです。
>>55 和尚さん
ありがとうございます。
作者が勝手に後藤さんは口下手だと思っているばっかりに、
彼女の気持ちは独り言ばかりでしか表現させてあげられず、ホント申し訳ないと思っています。(笑)
こんな下手くそな文章でも、切なさが伝わってくれているならとても嬉しいです。
>>56
期待sageありがとうございます。(笑)
初心者なので、sageて書いた方が良いのか、ageた方が良いのか分からないんですよね…。
とりあえず今回はsageてみました。
これからもよろしくです!
- 67 名前:名無し読者 投稿日:2003年02月03日(月)23時59分58秒
- ごっちん、切ないなぁ〜。
続き楽しみです。
頑張って下さい!
- 68 名前:wasabi 投稿日:2003年02月07日(金)02時38分12秒
- ■■■■■■
「あ、おっきな月…」
空を見上げると、満月には少し足りない月が、それでも堂々と浮かんでいる。
その月に一番近い圭織が独り言のように呟いた。
細い階段を先に上がってきた、圭織となっちと私、そしていちーちゃんは揃って夜空を見上げた。
「何かさ、黄色でも白でもない…金色だね。黄金の月」
なっちは笑った。最近、あまり見ることの無い「無防備」な笑顔だった。
「きっと、最後まで頑張ったいちーちゃんへの金メダルだよ! …ん?」
3人の視線を感じて夜空から顔を下ろすと、みんなキョトンとして私を見ている。
うわ〜。私、もしかして物凄く恥ずかしい事言ってる?
- 69 名前:wasabi 投稿日:2003年02月07日(金)02時39分04秒
- 「あはは!ごっちん、メルヘ〜ン♪」
なっちが冷やかすように笑う。
「いや、後藤良い事言った!うんうん」
圭織はマジメな顔して何度も頷いている。
「でも、欠けてんじゃン!」
いちーちゃんの突っ込みを合図に、みんなでお腹を抱えて笑った。
笑い声のボリュームがメモリ3つ分くらい上がった。
私の心臓は16ビートを刻み、顔は周りのネオンに同化するように紅潮した。
「恥ずかしがるなら言うなよ〜」
そう言って、いちーちゃんは私の顔に手をかざす。
まるで真冬の雪合戦の後、教室のストーブにあたるように。
「…いぢわる」
「お〜こわっ」
紗耶香はやっぱり【S】、真希はやっぱり【M】
- 70 名前:wasabi 投稿日:2003年02月07日(金)02時39分54秒
- 「お、何や、何や?えらい賑やかやな〜」と裕ちゃん。
「ちょっと、ちょっと、そんなに騒いで〜。周りにばれたらどうすんの?」心配症の圭ちゃん。
「え〜なになに!矢口にも教えてよ〜」そう言って、無邪気にいちーちゃんの背中に飛びつくやぐっちゃん。
新メンには悪いけど、このメンバーは最高のバランスで「モーニング娘。」を構成していたんだなぁと思う。
7つのピースがピタっと収まっている実感がある。
例えば、じゃんけんには「グー」「チョキ」「パー」しか無いように、
モーニング娘。には、これ以上の要素は不必要な気さえする。
「市井紗耶香」と言うピースの欠落は、例え4人だろうと、10人だろうと埋めることは出来ない…。
もちろん、これからも「モーニング娘。」は続いて行く。
けれど、上手く言えないけど、私が入った「モーニング娘。」はこれで終わる気がする。
そうだね…。
残された私達6人も、今日『モーニング娘。』を卒業するのかもしれない。
- 71 名前:wasabi 投稿日:2003年02月07日(金)02時42分23秒
- 「ねぇ、少し歩かへん?」
「いいねぇ〜!」
「ちょっと裕ちゃん、矢口も!いくら明日休みだからって…。羽目外しすぎるなって言われたじゃん…」
「圭ちゃん、心配しすぎ〜」
「なっち、だって…」
「そそ。少しなんてケチな事言わず、あの金メダル取りに行こう!ねぇ、後藤」
「…ぅぅぅ。圭織までいぢわる言ってぇ〜」
私がまた真っ赤になってそう言うと、みんな一度声を上げて笑い、その後に黙ったままのいちーちゃんの様子を伺う。
一番後ろで、まるで自分の孫達を見るような眼で見守っていたいちーちゃんは、黙って口元だけで笑顔を作ると、
ウンウンと大袈裟に頷いてみせ、先頭に出て振り返った。
「みんなで唄いながら歩きたい!」
あなたにそんな笑顔で頼まれて、断る事ができる人がいたらここに連れてきてほしいもんだ。。。
少なくとも私は、例えそれがどんな恥ずかしい事でも、どんな凶悪犯罪であっても、二つ返事で受けてしまうだろう。
私達6人はまるで催眠術に掛かったように(ううん、きっと催眠術に掛けられて)、ただあなたの事をみつめた。
- 72 名前:wasabi 投稿日:2003年02月07日(金)02時44分35秒
- 「何唄う?」
とうとうやぐっちゃんが沈黙を破って、ピョンっといちーちゃんの前に跳ね、体を「ク」の字にして振り返る。
「そうやなぁ…」
「やっぱ、アカペラで唄うんなら…」
「「真夏の光線!」」
裕ちゃんとやぐっちゃんはお互いを指差しながら、笑顔を浮かべて同時にそう言った。
「そうだね」
なっちは静かに笑う。
「ボリューム落として唄おうね…」
圭ちゃんはちょっと苦笑い。。。
「紗耶香は?それで良い?」
圭織はそう言うと右手で髪を何度かとかした。
「う〜ん・・・」
「ん?どした?」
何か引っかかるような表情のいちーちゃんに向かって、裕ちゃんは優しく尋ねた。
「ワガママ言っても良い?」
いちーちゃんは上目遣いで裕ちゃんを見上げた。
- 73 名前:wasabi 投稿日:2003年02月07日(金)02時46分58秒
- 「ええよぉ。あんたの卒業記念やでぇ〜。なぁ!」
「うん」
「そうだよ」
やぐっちゃんと圭ちゃんは大袈裟なほど頷いて、裕ちゃんの言葉に賛同した。
「誤解しないで欲しいんだけど…明日香や彩っぺがどうこうじゃないの。もちろん新メンを邪険に思ってる訳でもないのよ」
「紗耶香…何いってんのさ。分かってるよ、そんなの」
「だから一体、なんやねん」
いちーちゃん…そんな卑下した言い方、圭織と裕ちゃんにはきっと逆効果だよ。
「今、最後に【娘。】として唄うなら、ずっとこの7人だけで唄った曲が良いの」
「いちーちゃん…」
「紗耶香…」
なっちと私は、あなたの名前を口にする事しか出来ず、ただあなたを見つめた。
ねぇ、いちーちゃん。
それは、私の事を想って言ってくれたって、自惚れて良いの?
彩っぺのパートを代わりに担当する私じゃなくて、【後藤真希】のパートを唄う私と一緒が良いって。。。
もしそうなら、今すぐここで大泣きしてあなたに抱きつきたいよぉ〜!
- 74 名前:wasabi 投稿日:2003年02月07日(金)02時48分22秒
- 「今日のライブで唄えなかったんだけど…実は、もう一曲好きなのがあるんだよね…」
そう言ってモジモジと照れるいちーちゃんを前に、みんなは顔を見合わせる。
そして、あなたはゆっくりと口ずさみ始める。
『ぱぁぱっぱぱっぱ………ぐっしゃいにぃ〜ん…』
「『、、、好きだよ!』だぁ〜!」
圭織の顔が笑顔でいっぱいになる。
『ぱぁぱっぱぱっぱ………』
みんなお互いの顔を見合わせながら、笑顔で口ずさみはじめる…。
だけど、私はひとり俯く。
涙が止まらない。
だって、ずっと内緒にしてたの…。
この歌詞に出てくる登場人物の二人に、私といちーちゃんの姿を重ねていた事…。
「ほら、後藤のパートからだよ」
いちーちゃんはそう言うと、私の右手をとって優しく促した。
左手はなっちが、やっぱり優しく取ってくれた。
今日で解散する『モーニング娘。』の7人は、そうして誰ともなく自然に互いの手を取り合って歩き始めた。
- 75 名前:wasabi 投稿日:2003年02月07日(金)02時48分58秒
- つづく
- 76 名前:wasabi 投稿日:2003年02月07日(金)02時57分14秒
- 今日の更新はここまでです。
う〜ん、今回は、もっと上手に描写したかったシーンだったんですが、
何だか思ったように表現できませんでした。。。
今後精進します!
>>67
レスありがとうございます。
続きが楽しみって言ってもらえるとホント「力」になります。
これからも頑張りますのでよろしくです。
- 77 名前:和尚 投稿日:2003年02月08日(土)01時55分57秒
- 更新お疲れ様です!
朝起きた時に携帯でROMしちゃうほど続きが気になってます。
やべっ、「・・・好きだよ」の曲知らないや。
ファンとしてあるまじき行為!
明日収録されてるCD買いに行ってきます!!
- 78 名前:名無し読者 投稿日:2003年02月08日(土)18時17分37秒
- 自分も『、、、好きだよ』大好きです。
1度あの7人で歌うところ、見たかったなぁ。
このまま嵐が来ないといいな〜(w
- 79 名前:wasabi 投稿日:2003年02月10日(月)02時43分04秒
- ■■■■■■
7人による、7人のモーニング娘。の「解散式」。
その最後のステージに、私達は繁華街から少し離れた所にある歩道橋の上を選んだ。
眼下を長距離トラックが通るたび、離れたこの歩道橋の上まで騒音と振動が伝わってくる。
歩道橋の階段を登る前に、圭織と私で「知らない誰か」がこの最後のステージ中に登ってくるのを防ごうと、
すぐ隣にあった【工事中】の看板を登り口の所にずらして置き直した。
反対側の登り口も気になったけど、階段を降りたその先には殆ど手入れのされていない
雑木林のような公園しか見えなかったので、まぁ大丈夫だろうという事になった。
私達は、歩道橋の、その真中あたりで横一列に並び、
そして、さっきいちーちゃんが決めた最後の曲を再び頭から唄い始めた。
東京で私達が、お客さんのいない空の下、大声で唄える場所は限られる。
そう言う意味で、ここは最適な場所なのかもしれない。歌声全てを車の騒音が掻き消してくれる。
どんなに大声で唄っても、歌詞を間違えても、音程がずれても良い。
もちろん…叫んでも………泣いても。
- 80 名前:wasabi 投稿日:2003年02月10日(月)02時46分23秒
『夕焼け 恋人 Tシャツ 色褪せ
夕焼け 恋人 ヤキソバ 大盛り
大好き 大好き…
PA YA PA YA PA PA PA YA PA…』
- 81 名前:wasabi 投稿日:2003年02月10日(月)02時48分34秒
- そしてとうとう歌はラストの部分に入った。
だけどそこから、まるで壊れたCDのように不自然なループを続ける。
止まらない…いや、「止められない」その歌声はどの位続いたろう…。
次第にみんなの笑顔に「苦い」味が含まれ、それに反比例するかのように、声のボリュームは絞られていった。
とうとう最初に歌声を止めたのはいちーちゃんだった。
けれど、それでも誰ひとり自分からは手を離す事が出来ずにいる。
そして結局それも、いちーちゃんが最初に「私の手」を離す事で、みんなを諦めさせた。
- 82 名前:wasabi 投稿日:2003年02月10日(月)02時49分10秒
- 私はその時、いちーちゃんの顔を見る事が出来ず、足元に伸びる車道に視線を落とした。
こちらに向かってくる右車線の車を、心の中で『1台、2台、3台…』と数えてみる。
そしてふと気が付く。
離れて行く逆の左側の車線には、何故か不自然なくらいに一台の車もない。
けれど、しばらくしてそのガランとした道を一台の車がスピドーをあげて走り去って行った。
それはまるで、いちーちゃんがひとり私たちから離れて行くように…。
赤いテールランプが、糸を引くように滲んで見えて、私はまた泣いている自分に気がついた。
7人による、7人のモーニング娘。の「解散式」。
それは、初めて自分達のためだけに唄った曲とともに終わりを告げた。
- 83 名前:wasabi 投稿日:2003年02月10日(月)02時50分02秒
- つづく
- 84 名前:wasabi 投稿日:2003年02月10日(月)03時16分36秒
- 今日の更新はここまでです。
シーンが変わる関係で、ほんの少ししかしておりません。
スイマセン。。。
>>77 和尚さん
レスありがとうございます。
勿体無いお言葉をいただき恐縮です…。
「続きが気になる」なんて言ってもらえると、素直に嬉しいです。ハイ。
ウチの後藤さんたちを、これからも暖かく見守って下さい。
ところでもう、『、、、好きだよ』は聞かれたのでしょうか?
>>78
ホッ…良かったです〜。
実は、実際の曲タイトルを使うのは少し迷っていたのです…。
でも、この当時の曲って、ハモったり、コーラスし合ったりのイメージが強く、
個人的に好きなので、思い切って使ってみました。
ちなみに「嵐」はもう少し先になりそうですから、是非これからもお付き合い下さい。(笑)
- 85 名前:和尚 投稿日:2003年02月11日(火)01時29分13秒
- 更新お疲れ様です。
『、、、好きだよ』聞きました。
後藤さんの心境にピッタリと思いました。
聞いた後にもう一度読み直したら、後藤さんとシンクロしちゃいました(笑)
市井さんのこと心から大好きなんだなぁ〜って。
- 86 名前:名無し読者 投稿日:2003年02月11日(火)20時36分40秒
- 『、、、好きだよ』いいですねぇ〜。
ピンチランナーのメーキングで圭織と2人で
楽しそうに歌ってたのを思い出しました。
続き楽しみにしてますので、がんばって下さい。
- 87 名前:wasabi 投稿日:2003年02月12日(水)02時56分41秒
- ■■■■■■
■■■■■■
「ねぇ、紗耶香…」
タクシーを降りる寸前に、やぐっちゃんは一度ためらいの【間】をおいてから、そう切り出した。
オリメンの3人が(気を利かせて?)先に帰り、追加組の私達4人はタクシーを拾った。
本当は同期3人にしてあげるべきなのかもしれないけど、ごめん…今日だけは譲れない。
「なぁに?お姉ちゃん♪」
「マジで聞いて!」
やぐっちゃんの珍しく低い声に、私は思わずビクッとした。
「あ、ごめん…」
「ホントは…最後まで、のー天気な矢口でいようと思ってたんだけど…。
…でも、やっぱり無理だ」
やぐっちゃんは笑ったつもりのようだった。
でも、その声は少し震えていて…それは叫びたい気持ちを無理に押さえ込んでいる様に見えた。
本当はその言葉の後には『もう、待てない』って続くはずだだったと思う。
- 88 名前:wasabi 投稿日:2003年02月12日(水)02時57分44秒
- 「紗耶香はさぁ、何でも一人で決めようとする悪い癖があるの。
今回のこともそう…。人一倍泣き虫のくせに、それ以上に頑固で、負けず嫌いでさ…」
「矢口…」
「もし…もしさ、オイラたちに迷惑掛けたくないから相談しないんだ、とか思っているなら、それは…」
やぐっちゃんは一度俯き鼻をすすった。
「それは、オイラ達に対する、モノ凄く酷い侮辱だよ」
何故か、やぐっちゃんは『思っていたのなら…』と過去形で話さなかった。
それはきっと、いちーちゃんの為に『今でもドアの鍵を開けて待っている』って事伝えたかったんだと思う。
いちーちゃんが、今この瞬間にでも、【弱み】をぶちまけ駆け込んできても良いように…。
「…侮辱」
いちーちゃんは、やぐっちゃんの言葉に確かに驚いていたけど、
その表情は決して狼狽するような感じではなく、静かに言葉の続きを待っていた。
- 89 名前:wasabi 投稿日:2003年02月12日(水)02時59分14秒
- 「そう…。これからはもっと周りを信じて、頼らなきゃダメだよ。人は…例え紗耶香だって一人じゃ生きられないんだよ。
…って言うか、元々紗耶香は独りじゃないんだからね。それ、絶対に忘れないで」
「矢口…」
「やぐっちゃん…」
圭ちゃんも私も戸惑いを隠せずにいた。
ただただ寂しがっていると思ってたやぐっちゃんが、実はそんな事考えてたなんて…。
「最初に紗耶香が娘を辞めるって聞いた時、私、寂しさより憤りを感じた」
「………」
「圭ちゃんと三人で、あんなに毎日辛くて…。それでも『いつか見てろ!』ってさ…。
そんな私達の関係は…だから、安ぽい【友情】なんて越えている、と思ってた」
「………」
「紗耶香…あんたの本当の気持ちが何処にあるかは分からないし…もう聞かない。
だけど…だけどね…
『唄う事』を辞めたら、ホント、絶対に許さないから」
「………」
やぐっちゃんはそう力強く言い切っているけど、寂しくないなんて嘘。
鼻を真っ赤にして止め処なく流れる涙は、やっぱり「寂しい」って叫び続けている。
- 90 名前:wasabi 投稿日:2003年02月12日(水)03時00分32秒
そっか…この人も気が付いてるんだ。
いちーちゃんの辞める理由が本当は別にある事。
「ごめん、矢口…」
いちーちゃんはまっすぐにやぐっちゃんを見つめて、そう言った。
動揺もせず、言い訳する様子もなく、ただあなたはそう言って少しだけ頭を下げた。
「……じゃーね。頑張れ!」
それ以上待っても、いちーちゃんの言葉が続かないと悟ったのか、やぐっちゃんは無理に笑顔を浮かべてそう言った。
彼女の小さい体が、更に小さく見えた。
バタン
冷たく閉じられたタクシーのドア越しにふと空を見上げると、
黄金の月が薄い雲に隠れていた。
私は、余計な事を考えたくなくて、その滲んだ月を何度も目を凝らして見つめた。
- 91 名前:wasabi 投稿日:2003年02月12日(水)03時01分36秒
- つづく
- 92 名前:wasabi 投稿日:2003年02月12日(水)03時22分16秒
- 今日もプチ更新でスイマセン…。
あと、あまりsageると間違ったトコに投稿しそうだったのでageとく事にしました。
>>85 和尚さん
レスありがとうございます。
賛同してくれてホッとしました。
「期待はずれ!」とか思われてたらどうしようかとビクビクしてたので(笑)
早く後藤さんにはいい思いさせてあげたい、とは思ってるんですけどね…。
とりあえず、もう少し(だと思う)ので、これからもよろしくです。
>>86
やっぱりバレました??(笑)
だから、ここでも真っ先に飯田さんに気付いてもらいました。
これからもそんな「ジコマン」エピソードを盛り込んでいけたらなぁと思っているので、
お付き合い下さい!
- 93 名前:名無し読者 投稿日:2003年02月13日(木)21時59分13秒
- 久しぶりに来たら、すごく更新されてる!
ピンチランナーも懐かしいなぁ。
あの頃は今の半分の人数だったんですよね…。
さて、ここからどうやって黒なっちに結びつくのかな?
- 94 名前:wasabi 投稿日:2003年02月15日(土)19時14分04秒
- ■■■■■■
やぐっちゃんと別れた後のタクシーの中はあまりにも静かで、タクシーの運転手は、
私達がそこにいる事を確認するように、何度もチラチラとバックミラー越しに後ろを見た。
後部座席の真ん中に座っていた私は、おかげで何度も彼と目が合うことになり、その度に苦笑いで答えた。
私の左に座っている圭ちゃんは、目を閉じて俯き、何か掛けるべき言葉を心の中で見つけては反芻しているようだった。
一方右に座るいちーちゃんは、車の窓枠に肘を掛けて頬杖をつき、ただ流れる景色を目で追っていた。
「なんかさ、こうして3人でタクシーに乗ってると、またこのまま【プッチ合宿】突入!って感じだね」
私はまるでカサブタを剥がすようにおそるおそると、立ち入り禁止の芝生に足を踏み入れた。
- 95 名前:wasabi 投稿日:2003年02月15日(土)19時16分29秒
- せっかくやぐっちゃんが懸命に残してくれた、【市井紗耶香】の本心が閉じ込められている部屋の「カギ」だけど、
私にはまだ、それの「正しい」差し込み方が分からない。
圭ちゃんはゆっくりと目を開き、顔を少しこちらに傾け、『私もだよ』と口元だけで笑顔を作った。
だけど、いちーちゃんは、そんな私の言葉に何の反応も見せなかった。
瞬きをする間隔すら変わらなかった。
やぐっちゃんに、【隠しつづける何か】の存在を気付かれていた事がショックだったんだろうか?
その言葉に驚かなかった私達2人にショックを受けたのだろうか?
いずれにしろ、やぐっちゃんの言葉を聞いてから、いちーちゃんは口を閉ざしてしまった。
「次の信号を左に曲がったところで一人降ります…」
タクシーの運転手に掛けた、力ない圭ちゃんの声は、
『もう私にはどうする事も出来ない』と両手を上げているように、全てを諦めたものだった。
圭ちゃん…私は諦めないよ。
大事な人を失うのに、それを阻止できるかもしれないのに、
大人ぶって諦めたふりして我慢するなんて、絶対に嫌だ。
- 96 名前:wasabi 投稿日:2003年02月15日(土)19時21分39秒
タクシーは信号を左折し、坂を少し登りかけたところでハザードを出して止まった。
「あれ?」
タクシーを降りてすぐ、圭ちゃんが驚いて振り返った。
「ん?」
「後藤、あんたどこまでついて来てんのよ。もう、とっくに家過ぎてんじゃん!」
「あ…。いや、あの…」
「もう、しょうがないな…。ちょっと待って、携帯にこの近所のタクシー会社のTEL入れてたはず…」
「あ…いや、圭ちゃん…」
マズった〜。
こうなった時の台詞を用意していなかった…。
後藤はこう言うとき、咄嗟の切り返しができないんだよなぁ。
だからバラエティや歌番組のトーク中、よく裕ちゃんに「ごとーさん聞いてる?」って言われちゃう。
よし!そっと目配せして気付いてもらおう。
うん、そうだ、圭ちゃんだって私がいちーちゃんの事好きなの分かってるはずだし、ウィンクの意味に感づいてくれるはず!
大体、こんな時に即席で取り繕った所で、私のウソなんて簡単にバレるに決まってる。
よし!そうしよう!!
- 97 名前:wasabi 投稿日:2003年02月15日(土)19時26分49秒
- 『ねね、圭ちゃ…』
「圭ちゃんいいの」
私が小声で、圭ちゃんの手にしている携帯から視線を奪おうとした時、
いちーちゃんは私の体を乗り越えるようにして、私の言葉を遮りそう言った。
「今夜、家に来てもらうよう、私が後藤に頼んだの」
「え…!?」
「今、部屋に母さんが来ててさ…ほら、前に圭ちゃんも会ったじゃん」
「…う、ん」
「ずっと前から後藤にも会わせてくれって言われててさ…。
まったくミーハーな親で困っちゃうんだけど、私が卒業しちゃったら、今度いつこういう機会があるか分からないから…」
「ふ〜ん。じゃ、三人で…」
「ついでに後藤に最後のお説教を!!
…と言うのは冗談で、後藤が加護の教育係として悩んでいるようだから、最後のオツトメとして相談に乗ってあげようと思ってさ」
いちーちゃんはそう言って、圭ちゃんの「三人」て言葉が聞こえないフリをした。
タクシーの外に立つ圭ちゃんは一瞬不服そうな表情を見せたけど、割と素直に携帯をたたんでバッグにしまった。
- 98 名前:wasabi 投稿日:2003年02月15日(土)19時30分42秒
- でもいちーちゃん、おかしいよ。だって…不自然すぎるもん。
さっきまで人形のように黙っていたくせに、急にそんな喋り倒すなんて…。
しかもチョー説明台詞じゃん。
いくら相手が圭ちゃんだって、そりゃバレバレだよ。
そう考えると何だか笑いがこみ上げてきた。
そして、それは圭ちゃんも同じみたいだった。
「わかった。でも後藤、紗耶香は疲れてるんだからね。あんまりワガママ言って困らせちゃダメだよ」
「あは。圭ちゃん、後藤のお母さんみたいだね」
「うん。良い子にするよ、ママ〜!」
「バカ。私の子供が後藤みたいにボーっとしてるわけないでしょ!」
「ひどーい!こんなに可愛いわけないでしょ、の間違いじゃない?」
「あははは」
『ンン』とタクシーの運転手が咳払いをした。
三人で顔を見合わせる…。
「やっと、三人笑い合えたね」と圭ちゃんが言った。
「うん」と私が頷く。
「へへ」といちーちゃんは舌を出して照れ笑い。
「やっぱ、私達は…【プッチ】はこうでなきゃ」
圭ちゃんが笑う。いちーちゃんも笑う。それが私はとても嬉しかった。
- 99 名前:wasabi 投稿日:2003年02月15日(土)19時32分23秒
- 「紗耶香、あんたは私のライバルだからね。くじけたりしたら許さないからね」
「…分かってるって」
「そして…私の事も見ててね。くじけないように」
「うん…うん」
「じゃ…『またね』。おやすみ」
「うん、『またね』。…おやすみ」
「おやすみ…」
そうして、ドアが閉まる最後の最後まで、圭ちゃんはやぐっちゃんが残してくれた【カギ】を使おうとはしなかった。
いちーちゃんを責める事も、引き止めることもしなかった。
閉まったドアの向こうで、圭ちゃんが体をかがめて中を覗きこんでいる。
大きく開いた口元は『が・ん・ば・れ』って繰り返している。
いちーちゃんはそれに何度も大きく頷いた。
天真爛漫で、周りからは明るいばっかりに思われているだろうやぐっちゃんが、
まるごと…心ごと、いちーちゃんにぶつかって行ったのに対して、
いつも肩肘張って「熱く」見られがちの圭ちゃんは、どこまでも穏やかにいちーちゃんを想っているようだった。
- 100 名前:wasabi 投稿日:2003年02月15日(土)19時34分03秒
- タクシーがゆっくりと動き出す。
私といちーちゃんはシートに膝を立てて、リアガラス越しに圭ちゃんを見送る。
その間も、ずっと圭ちゃんの『が・ん・ば・れ』は続いていた。
いちーちゃんが浮かべる眉間の皺と、キュッと結ばれた口元は、張り詰めているものが決壊寸前な事を表していた。
私のすぐ隣にあるその瞳は、いっぱいの水を表面張力でどうにかこぼさずにいる、頼りないグラスを想像させた。
タクシーが一度乱暴に曲がったら、間違いなくこぼれてしまうだろう…。
私は考える…。
泣き虫なあなたが、そんな二人の想いを目の当たりにしても、
その涙を我慢し、貫こうとする『ワガママ』って一体何だろう?
寂しくなる。
不安になる。
私は、これでも精一杯期待をしないでいるつもりなのに、
僅かに残った、小さく頼りない炎すら消してしまわなきゃいけないの?
『あなたが好き』
私は消えかけた炎にそっと手をかざした。
- 101 名前:wasabi 投稿日:2003年02月15日(土)19時45分22秒
- つづく
- 102 名前:wasabi 投稿日:2003年02月15日(土)19時57分17秒
- とりあえずキリ番ってことで、今日の更新はここまでにしておきます。
やっと二人きりになりましたので、次回からしばらくは『甘く切ないメロディ〜』って感じで(笑)
>>93
せっかく戻って来てくれたのに、全然なっちが出てくる気配が無くてスイマセンです。(笑)
実は、物語自体が予定(予測)よりも長くなってしまっております…。
もっと早くなっちには出演してもらうつもりだったんですが、随分お待たせしてしまってます。
…と言うわけで、もしよろしければ、また気の向いた時にでも覗いてみて下さい。
- 103 名前:和尚 投稿日:2003年02月16日(日)01時28分48秒
- 矢口さんも保田さんも市井さんの事好きなんだと感じました。
やっと、2人きりになった後藤さんと市井さん。
これからの展開がドキドキしてしまいます。
後藤さんの想いが複雑そうで・・・
いや、市井さんの想いが複雑なのかも・・・?
- 104 名前:wasabi 投稿日:2003年02月19日(水)02時23分10秒
- ■■■■■■
「ねぇ、いちーちゃん」
「ん?」
「何でさっき圭ちゃんに言い訳してくれたの?」
「何でって…」
「な・ん・で?」
「ええ〜い、甘えた声出してくっつくな!」
「あはは、照れてるぅ〜。もしかして、いちーちゃん…」
「ん?」
「もしかして、ごとーと二人きりになりたかった?」
「!?」
「ねぇ…そうなの?」
「………さ、さぁね!」
「あぁ〜ずる〜い!」
「後藤こそどういうつもりだったんだよ。わざと降りなかったんだろ?」
「どう…って。う〜ん」
「おいおい…」
「どうしよっか♪」
「何も考えてないのかよ…。う〜ん、じゃ、どっか近くのファミレスでも入る?」
「えぇ〜。ごとーお腹いっぱいだよぉ」
「……食うなよ」
「あはは。そっか」
「…ったく」
- 105 名前:wasabi 投稿日:2003年02月19日(水)02時24分44秒
- 「そうだ。ねぇ、いちーちゃんのお母さんに会わなくてもいいの?」
「…おまえなぁ〜。嘘だって分かってて聞くか〜?」
「あはは。ごめん、ごめん」
「あぁ〜。一人でバカみたいだ。私…」
「…怒った?」
「…って言うか、力抜けた」
「じゃあさ、じゃあさ、呆れられついでに、も一個ワガママ言っても良い?」
「ん?なにさ」
「えへへ…」
「何だよ。気持ち悪い…」
「あぁ〜!気持ち悪いって言ったぁ!」
「ウソウソ!何、何?後藤さぁん、何かなぁ〜?」
「………傷付いた」
「だから、悪かったって」
「…もう、絶対断わっちゃダメだからね!」
「…?」
「う、んとねぇ…」
「うんうん」
- 106 名前:wasabi 投稿日:2003年02月19日(水)02時25分59秒
- 「いちーちゃん家にお泊りしたい!」
「………」
「ダメ?」
「………」
「…ダメ」
「………」
「…って言ったら帰るのかよ」
「………………帰らない」
「あはは。何だよそれ〜!…分かった、いいよ」
「やりぃ〜!」
「ちゃんと家に連絡しておけよ」
「うん!わかってる。いっぱい話そうね♪」
「後藤…あんた、それって天然なの?」
「ん?どゆ事?」
「…ううん、何でもない。 あ、先に言っておくけど、お菓子買うのホドホドにしような」
「えぇ〜。ブーブー」
「ええい、分かりやすく文句言うな!私が傍にいるのに、これ以上太らせる訳にはいきません!」
「うう…。気にしてるのにぃ…」
「嘘つけ!気にしてるヤツが一日5食も6食も食べるか?!」
「…8食だもん」
「おま…プロレスラーにでもなるつもりかぁ?」
「もう、やめてよ〜。ほらぁ〜運転手さんに笑われたぁ…。」
「いいんだ、せっかくだから窓も開けて、通行中の皆さんにも聞いてもらおう!後藤真希は…」
「やめて〜〜」
「デビュー当時より10キロも太りましたぁ!!」
「いちーちゃんの教育のせいで〜す!!」
「あはははは」
「えへへへへ」
- 107 名前:wasabi 投稿日:2003年02月19日(水)02時27分19秒
- 『神様、人生最後の10年いらないから、この3年間の高校生活をもう一度下さい』
昔、お姉ちゃんの読んでいた漫画にあった一文を思い出した。
ねぇ神様、私は3年なんて贅沢言いません。
差し出す年月も、倍の20年持って行って下さい。
だから、この人と初めて出逢った、あの夏の終わりに私を連れ戻してくれませんか?
たとえ、同じ日々の繰り返しでも構いません。
8ヶ月半で、また今日の別れを迎えると知っていても、そう願わずにはいられないのです。
あなたとの、あの日々を再び過ごす事が出来るなら、何度も、そう何度でもこの苦しみを甘受してみせます。
ねぇ神様、私は…後藤真希は、市井紗耶香が大好きなんです。
- 108 名前:wasabi 投稿日:2003年02月19日(水)02時28分04秒
- つづく
- 109 名前:wasabi 投稿日:2003年02月19日(水)02時41分06秒
- 今日の更新はここまでです。
色々悩んだ挙句、今回は殆ど会話だけのシーンになってしまいました。
これもヒトエに作者の力不足です…。お恥ずかしい…。
>>103 和尚さん
レスありがとうございます。
ホントにいつも力にさせていただいております。
よろしければ、市井さんと後藤さん、訳アリなこの二人の逢瀬に
しばしお付き合いいただけたらと思います。
これからもよろしくです。
- 110 名前:和尚 投稿日:2003年02月20日(木)00時37分16秒
- 心臓で鷲掴みされるほど切なすぎです。
後藤さんの市井さんへの想いに涙が出てきそうです。
訳アリな二人の逢瀬・・・
勿論、喜んでお付き合いします!
- 111 名前:名無し読者 投稿日:2003年02月20日(木)22時57分32秒
- 2人の会話シーン、なんかいいなぁ〜。
じれったい感じが堪んないです。
私も付いて行きますよ〜。頑張って下さい!
- 112 名前:名無し読者 投稿日:2003年02月23日(日)23時12分33秒
- 待ってるよ〜。
- 113 名前:wasabi 投稿日:2003年02月24日(月)02時59分32秒
■■■■■■
私の後からコンビニを出て来たいちーちゃんが空を見上げた。
私は実家への連絡を終えると、携帯電話の「終話」ボタンを押し、あなたと同じように夜空を見上げた。
黄金の月は随分高い位置に移動していた。
私は再びそっと携帯を開き、時刻を確認する。
【市井紗耶香】が『モーニング娘。』じゃなくなる時間がすぐそこまで来ていた。
「後藤どうした? 電話…大丈夫だった?」
「うん。…何でもないよ、大丈夫」
そう、何でもない。
日付が変わったところで、いちーちゃんが急に別人になる訳じゃない。
そう思い直して、自らを奮い立たせる。
分かっている、そう分かっているのに、何故か手遅れになりそうな気がした。
私はそんな言いようのない焦燥感に包まれ、知らずのうちに足早になっていた。
- 114 名前:wasabi 投稿日:2003年02月24日(月)03時02分18秒
「後藤、何処行くの?ここだよ」
いちーちゃんのその言葉で私は我に還った。
振り返った先にあるマンションは、左右に分かれて二つの棟が立ち、それぞれが奥で繋がっている「お洒落」な感じの外観だった。
入り口に掛かる赤く大きな屋根は、無機質な割に柔らかなカーブを描いているため、嫌味な感じを与えない。
私はいちーちゃんに続いて、大理石で出来たマンションの階段を上げ底のブーツで上がる。
三段目に右足を掛けた時、コケそうになった。
すると、いちーちゃんは一段上から自分の左手を私の右肘に添えてくれた。
「大丈夫? 実は、私も初めの頃、この階段で良くコケたんだ…」
「うん…」
「後藤もさ、歩きやすい靴にした方が良いよ」
「え…な、何で?」
その時、私の口にした『何で?』は否定的な疑問ではく、それについての、【市井紗耶香】の考えを早く知りたい『何で?』。
あなたが自分の事を話してくれる、それを聞くのが私は好き。
- 115 名前:wasabi 投稿日:2003年02月24日(月)03時03分33秒
「別に…何でって言われると、アレなんだけど…」
「うんうん」
「…いつでも、ダッシュ出来るように!」
「…え!?」
「あはは〜」
あなたは、そう笑ってごまかして、何故か最後までその理由について説明も訂正もしなかった。
いちーちゃんは、どうして「ダッシュ」に備える必要があるんだろう…。
願わくば、何かから逃げ出す「ダッシュ」じゃなく、大事なモノをいち早く手にする為の「ダッシュ」であってほしい。
どんなに遠くからでも、コケて転びそうになる後藤真希の右肘を支える為の「ダッシュ」。
もしそうだったら最高なんだけどなぁ…。
- 116 名前:wasabi 投稿日:2003年02月24日(月)03時05分31秒
エントランスに入り、いちーちゃんが暗証番号を入力すると、大きな自動ドアが開いた。
その奥にあるエレベーターホールには、仰々しい骨董品のような、大きい花瓶が置いてあり、
そこには生け花とも造花とも見分けられない枝花がさしてあった。
「あ、花瓶、買わなきゃ…」
いちーちゃんはそう独り言のように呟いた。
そして、チラッと私に目配せをした後、笑った。
「ん?」
「いや、ごとーって可愛いな、と思ってさ」
不思議そうな私の顔を見て、いちーちゃんはすぐに笑顔の理由をそう話してくれた。
その言葉が、ライブで花束を渡した時の「大泣きしている私」を指しているって気が付かずに、
私はただ、『可愛いな』ってあなたの言葉に頬を赤らめてしまった。
まるで化学反応をおこすように、あなたにさっき触れられた右肘の温度が上昇して行く。
笑いをかみ殺しているのか、いちーちゃんは、震える指で△のボタンを押す。
- 117 名前:wasabi 投稿日:2003年02月24日(月)03時10分57秒
■■■■■■
「んぁ〜〜。すごぉ〜い…」
いちーちゃんが部屋の前に立ち、バッグの中からカギを探している時、私は背後に広がる光景に思わず声をあげた。
少し高台にあるマンションの、更に8階ともなると結構な高さだ。
「そう?」
「うん!何だか、さっきより少しだけ月に近づいた気がする…」
私がそう言うと、いちーちゃんは『え?』と驚いて、鞄の中を漁る手を止め、
こちらを振り向き、私の横に歩み寄り手摺に肘を掛けて身を乗り出した。
「…そうだね」
「ね、ね、でっしょ〜。う〜ん、さっきは殆ど星が見えなかったけど、うん、ここからだといつもより少し多く見えるくらい…」
「後藤…」
「んぁ?」
いちーちゃんは私の顔を不思議そうに見つめた。
『かわいいなぁ…』
ヤバッ…。
こんな静かな場所じゃ、鼓動の高鳴りすら聞こえちゃいそう…。
- 118 名前:wasabi 投稿日:2003年02月24日(月)03時12分53秒
「普通はさ、下に広がる街のネオンが綺麗だって言わない?ほら、凄いよ」
「え? あぁ…ホントだ、そっちも綺麗だね」
「こんな都会の、星が溶けかかったような夜空で感動するヤツも珍しいぞ…」
「そお?でも、ごとーはずっと東京に住んでるから、分かるんだ…今夜の夜空は綺麗だよ」
幼い頃、お父さんが話してくれた言葉を思い出す。
『真希は本当に星を見るのが好きなんだなぁ〜。よし、今度山のてっぺんからもっと沢山の星を見せてあげよう』
隣でヤキモチ焼いて泣く弟。それをあやすお姉ちゃん。
結局、お父さんとその約束を叶える事は出来なかったけど、いつもそうして星空を見上げていたおかげで、
お父さんがいなくなった時、私にだけに見える星がひとつ増えたように思う事ができて、少しだけ救われたのを思い出す。
「あのね、いちーちゃん…」
「ん?」
「昔、まだお父さんが生きてた頃、教えてくれた事があるの」
いちーちゃんの驚いた顔を見て、私は気が付いた。
そう言えば、メンバーの前でお父さんの話をするのは初めてだ。
- 119 名前:wasabi 投稿日:2003年02月24日(月)03時15分35秒
「今、この夜空に見える星の光は、もうずぅ〜っと前に輝いたもので、今、確かにその光は見えているけど、
もしかしたら私の目に見えるこの瞬間には、本当はもうその星はなくなってるかもしれないんだよ、って」
「………」
「その話を聞いた時、私怖くなっちゃって、すんごい泣いたんだぁ…」
そう…私はとっても恐かった。
眼に見えるもの、その【現実】がイコール【真実】ではないと言う事実は、
小さかった私には受け止められない位の、大きな恐怖を抱かせていた。
だけど、今の私は思う。
今、【後藤真希】が【市井紗耶香】を好きだと叫ぶ真実の声は、時間や物理的距離を越えて、
いつか何処かにいるあなたに届くのではないか、と。
いちーちゃんの顔をそっと覗いてみる。
するとあなたは、目を閉じてうなだれるように手摺に顔を埋めていた。
ヤバっ。誤解させちゃったかな?
もしいちーちゃんが、今の私の話を聞いて…
『眼に見える輝き=【娘。】で放った輝き』
『なくなった星=未来の自分』
そんな風に、自分の未来に不安を感じていたら…。そんな誤解させていたらたらどうしよう…。
- 120 名前:wasabi 投稿日:2003年02月24日(月)03時17分07秒
「あ、いや、いちーちゃん、違うの。あのね…」
私は、どうしてもっと一生懸命勉強してこなかったんだろう、と悔やむ。
もっときちんと勉強して、もっと沢山の本を読んで、もっと色んな言葉を知っていたなら…。
そうして、上手に自分の気持ちを伝える事が出来たなら、こんな誤解であなたを哀しませたりしないで済むのに、と…。
「後藤…」
いちーちゃんは、言い訳をしようとする私の言葉を遮ってそう言うと、
私の左手首を、まるで力の加減が出来なくなったかのように、乱暴に掴み引っ張った。
「…行こう」
「え?ど、何処に?いち…」
私は、まるで赤ちゃんが振り回すぬいぐるみのように、無抵抗のまま部屋の中に引っ張り込まれた。
あなたの手の平は汗ばんでいて、だけど、何だか少し冷たかった。
- 121 名前:wasabi 投稿日:2003年02月24日(月)03時17分53秒
つづく
- 122 名前:wasabi 投稿日:2003年02月24日(月)03時38分05秒
- 今回の更新はココまでです。
勢いに任せて書いた部分があるので、読みにくかったらゴメンナサイです。
>>110 和尚さん
いつもレスありがとうです。
次回から、少し話の展開に変化があるかもです。
期待しないで待ってて下さいね。(笑)
>>111
レスありがとうございます。
なんて事ない会話のシーンだったんですが、余計な情景描写をしたくなくて…。
でも、そんな風に言ってもらえて良かったです。
これからもついて来てもらえるよう頑張ります!
>>112
お待ちど〜です。(笑)
このCPが不評みたいな事知って、実は少しヘコんでたんです。
だから、すごく嬉しいです。
これからもよろしくです!
- 123 名前:名無し読者 投稿日:2003年02月26日(水)20時00分32秒
- いちごま大好きですが(w
だからこの話が読めて嬉しいです。
楽しみにしてますので、がんばって下さいね。
- 124 名前:和尚 投稿日:2003年02月27日(木)00時29分01秒
- ああ、次回の更新が非常に気になります。
期待しないで・・・すみません、ただ今期待度MAXです。
だっていちごま好きなんですもの(笑)
- 125 名前:wasabi 投稿日:2003年03月03日(月)02時07分26秒
- ■■■■■■
「ちょ…、いちーちゃん、あたし、ブーツ脱いでないよっ!」
いちーちゃんは玄関でサッサと自分だけブルーのスニーカーを脱ぎ捨てると、私の手を掴み引っ張って、部屋の中を進んだ。
そして、リビングに続くガラス扉も思い切り開けると、そのすぐ左側にある腰の高さ位のキャビネットの中をあさり始めた。
「ねぇいちーちゃん、靴脱ぐから一回手離して…。床、汚れちゃう…」
ふと見ると、いちーちゃんに強く掴まれたままの私の手首は少し赤くなり始めていた。
だけどあなたは、そんな私の言葉には何の反応も見せずに、一心不乱に何かを探し続けている。
そして、一瞬私の手を掴む力が緩んだ。
「あった…」
いちーちゃんの左手には、赤く大きな懐中電灯が握り締められていた。
「こっち!」
勢いのある言葉と共に、再び込められる右手の力。
私は気を付けてオフホワイトの絨毯を避けて歩いた。
その事に気を取られすぎて、窓際に置いてあった観葉植物の鉢に軽くぶつかってしまい、足がもつれて躓きそうになる。
だけど今度は、いちーちゃんの右手がさっきのように支えてはくれる事はなかった。
- 126 名前:wasabi 投稿日:2003年03月03日(月)02時12分53秒
ガラッ!
いちーちゃんはベランダへ続く掃き出しのサッシを乱暴に開き、再び星空の下に出る。
私が両手を広げたくらいの奥行きのベランダには、
丸い小さなテーブルと、同じ素材の椅子が一対置いてあり、その上には綺麗な水色の格子柄のカバーが掛けてあった。
いちーちゃんは私の横から、そのまま飛び降りるんじゃないかと思う位の勢いで身を乗り出した。
視界に広がる夜空は、さっき見たものとは違って街の明かりが見えない分『闇』が深かった。
だけどその代わり、星はさっきより数を増して見える。
黄金の月も、殆ど真上にあるお陰でどうにか見つける事が出来た。
- 127 名前:wasabi 投稿日:2003年03月03日(月)02時15分00秒
「いちーちゃん…?」
あなたはしばらく無言で前方を向いたあと、右手を私の手首から今度は手の平に移し、そして指を互い違いにして優しく握った。
なんだか【市井紗耶香】がグラグラと不安定に見える。
私はそれを支えようと、彼女の手を握り返した。
いちーちゃんは手にしていた懐中電灯のスイッチを入れると、ゆっくり夜空にその光を向けた。
「何?どうしたの? …いちーちゃん?」
「どれが良い?」
「え?」
「どの星に向かって光を届ければ良い?…後藤が選んで」
「…どういう事??」
「……どれ?」
その幾つか交わされた会話の間、あなたは一度も私に顔を向けなかった。
私にはまったく、いちーちゃんの『こころ』を感じ取る事が出来なかったけど、
それ以上は尋ねず、夜空を見上げ直してあなたのために星を探した。
今は無理にその真意を引き出す時じゃないと思った。
あなたが私に何かを求めているような気がする。
もしそうであるなら、私はその事実だけを大切にして、今は「それ以上もそれ以下も」考える必要はない。
私の数少ない『能力』---【市井紗耶香の事を中途半端に知る事が出来る力】---がそう言っていた。
- 128 名前:wasabi 投稿日:2003年03月03日(月)02時16分36秒
「あれっ!」
「…どこ?」
「あそこ、あそこ。ほら、あそこにある学校のすぐ上の方にあるやつ」
「…あぁ〜、チカチカして見えるやつ?」
「そうそう、あの星が良い!」
私は、はぐれたように他の星と離れて低く光る、少し輝きの鈍い星を選んだ。
あなたに与えられた光で、私が少しづつ輝く事ができたように、あの星もあなたの光を受けて輝きを増せば良い。
そう、だから、私に似た『輝き方の知らない』あの星が良い。
「分かった…」
あなたはそう言うと、手にした懐中電灯の光をその星に向けた。
いちーちゃんの左手から伸びる光は、強い意志を持った鋭い剣のように、どこまでもまっすぐ伸びて行った。
- 129 名前:wasabi 投稿日:2003年03月03日(月)02時20分17秒
■■■■■■
「私は…今、ここにいる!」
いちーちゃんは、何処までも伸びる光の、その剣の先を見据えたまま搾り出すように呟いた。
いちーちゃん…あなたは何を独りで抱え込んでいるの?
何にそんなに怯えているの?
後藤に話してよ…。
それが例えどんな恐ろしい事でも、私が守ってあげるから。
だって、それが何であれ、私が【市井紗耶香】を失う事よりは怖いことではないでしょ…。
言いようのない切なさに「こころ」を掴まれた私は、どうして良いか分からずに、苦し紛れにいちーちゃんの顔をそっと盗み見た。
顔を前を向けたまま、視線だけをあなたに向けたつもりだったけど、どうやらそれは相当に【熱い】視線だったらしい…。
いちーちゃんは『それ以上気付かない振りが出来ない』と諦めたように、とうとう私の方を振り返った。
そして、一瞬だけ口元で控えめに笑顔を浮かべると、再び前を向き直す。
ホンの一瞬の出来事…。
だけど、私はこの笑顔を絶対に忘れない。
もしかしたら、これが初めて見せてくれた、本当の【市井紗耶香】かもしれないと思った。
- 130 名前:wasabi 投稿日:2003年03月03日(月)02時27分19秒
「市井紗耶香は!今!確かにここにいるぞぉ〜っ!!」
いちーちゃんは、一つ一つの言葉をとても大事そうに、そう小さく叫んだ。
それはまるで、人里から離れて住む偏屈な獣医が、ずっと介抱してきた野鳥を森に返してあげる行為に似ていた。
同時に私の左の手の平は、あなたの強い意志と共に再び握り直される。
私の「頭の中」は、まるでスィッチを「パチン」とOFFにされた小部屋ように真っ暗になり、
そしてとうとう何の役にも立たなくなってしまった。
その時、私の「こころ」の奥深くでひとつ小さな爆発が起きた。
それがとめどない小波を生み、私の体の隅々に向かって走り始めるのを感じる。
小波は私の体をひとしきり巡り終えると、勢いを弱める事無く、私の左手を通してあなたの体へも伝わって行った…。
---市井紗耶香が泣いていた。
- 131 名前:wasabi 投稿日:2003年03月03日(月)02時28分03秒
つづく
- 132 名前:wasabi 投稿日:2003年03月03日(月)02時48分10秒
- 今日の更新はココまでです。
前回は、読んでくださっている方々に対して、大変失礼な発言をしてしまいました…。
不快に思われた方、スイマセンでした。反省しとります。。。
ささ、これからは頑張ってテンション上げてくぞぉ〜!(笑)
>>123
レスありがとうございます。
実は、作者もいちごま大好きなんです。(笑)
すごくシンプルにそれを気付かせてくれて感謝です。
これからもよろしくです!
>>124 和尚さん
今回はどんなもんでしょうか?
最近、和尚さんの評価がとっても気になってしまいます。(笑)
あ、もちろんイイ意味で…ですよ♪
これからも見守っててくださいね。
- 133 名前:名無し読者 投稿日:2003年03月03日(月)20時45分22秒
- 私もいちごま好きです。
だからがんばってね。
- 134 名前:和尚 投稿日:2003年03月04日(火)00時26分50秒
- 市井さんの行動の意味が何となくわかった様な気がします。
何か・・・切ないッス。
ええ、見守って行きます!ストーカーの様に見守りますとも!!(バカでゴメンなさい)
- 135 名前:wasabi 投稿日:2003年03月06日(木)03時23分08秒
- ■■■■■■
私は今まで自分の事を、とても『強い人間』だと思っていた。
腕力なら自信がある。
小さい頃から相撲を取らせたら男の子にだって負けなかった。
この前、楽屋でモーニングのメンバーと腕相撲やった時も一番だった。
その力を頼りに、いつだって独りで生きてきた。
根性だってなかなかのもんだと思ってる。
小さい頃から、このマイペースな性格と口下手のお陰でよく誤解される女の子だったけど、
特にその誤解について、いちいち反論しなくてもこうして生きて来られた。
大きくイジける事も、尖る事も、諦める事もなく、こうして人並みに真っ直ぐ生きている事実は、
我ながらたいしたもんだと自負している。
- 136 名前:wasabi 投稿日:2003年03月06日(木)03時24分28秒
- なのに…情けないことに、
今私は、何よりも大切に想っている【市井紗耶香】を守るために、指一本動かす事が出来ないでいる。
『どうして?どうして?』
本当は…
ありったけの優しい言葉を、柔らかい毛布のように、その細い肩から掛けてあげたいのに…。
その涙にそっと口づけて、安心させる笑顔を浮かべて拭ってあげたいのに…。
いちーちゃんは、私がそんな事を考えている間を使い、ひとしきり「さめざめ」と泣いた後、ゆっくりと眼を閉じた。
そして、心を落ち着かせるように深呼吸をして呼吸を整え始める。
いつものように、自分で…自分ひとりの力で乗り越えようとしている。
- 137 名前:wasabi 投稿日:2003年03月06日(木)03時25分00秒
- 『乗り越える?』
いちーちゃん…違う。
それは違うよ。
いちーちゃんがしているのは、ただ過ぎ去るのを待っているだけ。
熱いものが喉元を過ぎるのを、じっと耐えて我慢しているだけだよ。
ただ、心の奥底に沈めて、その入り口にカギを掛けた気になっているだけじゃない。
乗り越えてなんかいない。
私達はまだ、独りで何でも乗り越えられる訳ないんだよ。
私が一緒にいるのに…。
そう…今、後藤はあなたの傍にいるんじゃない!
初めからあなたを救おうだなんて無理する事はない、まずはあなたが独りじゃない事をちゃんと伝えるんだ!
私は前を向き直し、いちーちゃんの手から伸びる光を見つめた。
- 138 名前:wasabi 投稿日:2003年03月06日(木)03時26分29秒
「後藤真希も!今!いちーちゃ…、市井紗耶香と!絶対ここにいるぞぉ〜っ!!」
その言葉にゆっくり反応したいちーちゃんの視線を感じる。
『あなたのためだ』と思い切ったはずなのに…なのに何故だろう…ふと、初めて舞台に立ったあの時を思い出す。
【うまくやれない】自分が写った写真を、次々と目の前に突きつけられるような、あの感覚…。
『ヤバ…。またあの時のように泣いちゃいそう…』
あなたと繋いだ手が汗ばんでくる。
今宣言を行ったばかりの口元が、ガタガタと音を立てて震える。
私は座り込んでしまわないように、両足の指先を丸めて踏ん張り、意識を集中させる。
すると…何処からか風が緩やかに吹き、私の髪を使ってこの情けない表情を覆い隠してくれた。
あの時、あなたが優しく私の頭をを撫でてくれたように…。
- 139 名前:wasabi 投稿日:2003年03月06日(木)03時27分15秒
そうだ、知ってもらわなくちゃいけない。
私はあなたのおかげで、もうステージに上がるのが恐くなくなったって事。
あなたのおかげで【乗り越えられた】って事。
私は意を決して、空いてる自分の右手を、懐中電灯を持つあなたの左手に重ねる。
私達の体は、この星空の下でまるで社交ダンスをするかのように向き合う形になって密着した。
微かに震える光線をしっかり固定して、一度深く息を吸う。
- 140 名前:wasabi 投稿日:2003年03月06日(木)03時28分12秒
「市井紗耶香が好きぃーーーーーっ!」
…ねぇ、いちーちゃん。
口下手な私は、それでも愛の告白の時には、もっと気の利いた台詞を口にしたいと思っていたんだよ。
なのに、これじゃ小さな女の子が親戚のお兄ちゃんに甘えるのと変わらないじゃない…。
いや、近頃じゃ小学生だってもっと雰囲気のある告白をするよ…。
案の定、いちーちゃんはキョトンと私を見つめたまま微動だにしない。
私の体中を【ジコケンオ】って悪ガキが指を指しながら得意げに駆け回る。
- 141 名前:wasabi 投稿日:2003年03月06日(木)03時29分39秒
だけど【真実の言葉】じゃなきゃ、あなたには伝わらない事を感じていた。
今にも閉じてしまいそうな、あなたの「こころ」へ続くゲートをくぐるには、
余計なものを全て削ぎ落としてしまわなければならないと思ったの。
私は目を閉じて俯く…。
正攻法じゃなくてもいい、結果オーライで充分だ。
私は何とかしてあなたの「こころ」に滑り込み、あなたの硬くなった「それ」を解きほぐしてあげるんだ。
「後藤…」
「………」
「あんたって、ホント不思議な力持ってるよね…。調子狂うよ…」
いちーちゃんはそう言うと、微かに涙を残したまま、静かに笑った。
その涙すら、まるで笑い過ぎて流れた涙だと錯覚するくらい素敵な笑顔だった。
- 142 名前:wasabi 投稿日:2003年03月06日(木)03時30分47秒
「くじけそうだよ…」
その時のいちーちゃんの呟きを、私はあなたが【娘。】を辞めた事を後悔して出たものだと思った。
だから私は、『それなら娘。に戻っておいでよ』って言いかけた。
もし、それであなたが非難される事があっても、私が必ず守ってあげるから。
だけど、言わなかった。
安心してあなたが『やっぱ、娘に戻ろっかな』って口にするには、まだ私の気持ちが充分に伝わっていない気がしたから。
だけど、このいちーちゃんの呟きの真意が別にあった事を、私はずっと先になって知ることになる。
漆黒の闇に堕ちていくような、そんな深い痛みを伴って…。
- 143 名前:wasabi 投稿日:2003年03月06日(木)03時31分17秒
つづく
- 144 名前:wasabi 投稿日:2003年03月06日(木)03時40分34秒
- 今回の更新もプッチですいません…。
後藤さん、とうとう言っちまいました。
あんまりロマンチックじゃなくて、スイマセン。(笑)
>>133
レスありがとうございます。
がんばりますよぉ〜!
この世に「いちごま」好きな人がいる限り!(笑)
>>134 和尚さん
やばっ、展開が読まれてしまいましたか〜?
これからは、いい意味で裏切れるようがんばります!
でも、あまり過度な期待は禁物です。(笑)
- 145 名前:和尚 投稿日:2003年03月06日(木)23時20分43秒
- 市井さんへの告白、後藤さんらしくて良いと思いますよ。
この時は中学生ですからね。
市井さんへの想いは大人ですけど・・・
市井さんの呟きが気になります。
今日一日そればっか考えてました。
- 146 名前:wasabi 投稿日:2003年03月11日(火)03時17分16秒
■■■■■■
■■■■■■
「うぅ〜。さむっ。もうすぐ6月だって言うのに、夜はまだまだ寒いねぇ…」
部屋に入ると、いちーちゃんはそうわざとオバさん臭く言い、自分の両肩を抱いて寒さに震えるジェスチャーを見せた。
私が玄関にブーツを置いてから部屋に帰ってきた時には、既にいちーちゃんはいつもの【市井紗耶香】に戻っていた。
『ちょっと、ちょっと…さっきの私の愛の告白を【なし】にしないでよねぇ…』
私は目の前に広がるその現実に一抹の不安と、寂しさを感じた。
ソファーの上でそうひとり拗ねている私の顔を、いちーちゃんはキッチンから首を傾げて覗き込んでいた。
『…何?』と、私は上目使いでそんないちーちゃんと眼を合わせ、ちょっと膨れてみせる。
「ううん。ただ、後藤はこうして観察しているだけで飽きないなぁ〜と思ってさ♪」
「!?」
「あはは!赤くなった!可愛いぃ〜!」
「ちょ…ひど〜い!」
「あはは〜」
あなたは満足そうにそう笑うと、振り返り、背を向けたままヤカンに水を注ぎ始めた。
そうだった…この人は【S】なんだった…。
- 147 名前:wasabi 投稿日:2003年03月11日(火)03時18分28秒
「後藤もホットレモンで良い?」
「う…うん」
「最近、はまってるんだ。喉に良いからって勧められてさ」
「へぇ…」
「気の抜けた返事だなぁ…。後藤もプロなんだからさ、ちゃんと気に掛けなきゃダメだよ〜」
「いいのぉ〜」
「? 何がいいんだよ!」
いいの。
今、私はプロになりたいんじゃないもん。私はあなたの隣で唄えればいいの。
---ほら、こんなにも【後藤真希】は、プロ意識に欠けてますよ。
---まだまだ教育の必要があるんじゃないですか?
もしもまだ、この現実を変えることが出来るのなら…、
放っておけない性格のあなたの前で、一番効果的な【後藤真希】すら演じてやるんだもんね。
- 148 名前:wasabi 投稿日:2003年03月11日(火)03時19分31秒
■■■■■■
1LDKのあなたの部屋の、私はリビングにある若草色のソファーに座り、部屋をぐるっと見回す。
モノが整理されている部屋は、何だか少し殺風景に感じる。
元来飾りっ気のない人ではあるけど、そう言うのとは何か違う…。
『引越しの準備?』
…絶対に聞かない。そんな事、絶対に口にしない。
胸が苦しい…。
- 149 名前:wasabi 投稿日:2003年03月11日(火)03時22分07秒
私は寝室のドアが僅かに開いているのに気付き、それを閉めてあげようと近づく。
部屋の前に立ち一度キッチンに目をやる。
そこでは、いちーちゃんがこちらに背を向けたまま二人分のカップを用意していた。
『ちょっとだけ、覗いちゃおっと…』
寝室には壁一面のに大きなクロゼットがあり、あとはベッドとその横にサイドテーブル、スチール製のパソコンデスクがあった。
そのサイドテーブルの上には、無造作に本が数冊と、サプリメントらしき錠剤の入った透明なビンが置いてあった。
「こらっ!後藤!」
慌てて振り向く私の目の前には、両手に湯気が立ち昇るカップを持ったいちーちゃんが立っていた。
言葉ジリとは裏腹に、その顔には笑みがこぼれていた。いつもの【市井紗耶香】の笑顔…。
ちょっと嬉しいけど、ちょっと寂しい…。
- 150 名前:wasabi 投稿日:2003年03月11日(火)03時23分45秒
「いちーちゃん、今度はどんな漫画読んでるの?」
「ん?」
ソファーに座る私の足元、いちーちゃんはオフホワイトの絨毯の上に直に座った。
そして、まだ熱いカップを両手で大事そうに持ち、
それをゆっくり口元に運びながら、目線だけで私の言葉に反応した。
「ベッドの横にたくさん本があったよ」
「あぁ…。あれ、漫画じゃないよ。小説とか、詩集とか、エッセイ…」
「ええ〜…。いちーちゃんが漫画以外のもの読んでるの??」
「あのなぁ…。これでもシンガーソングライター目指してるんだぞ」
「そうだよねぇ…」
「…なんつって、読んでるとすぐ眠くなっちゃうんだけどね」
- 151 名前:wasabi 投稿日:2003年03月11日(火)03時25分33秒
あなたがあんまりにも自然にそう言うから、私は自信がなくなる…。
【市井紗耶香】は、本当にソロシンガーを目指しているんだ、と思えそうな気さえする。
何を信じればいいのか、真実は何処にあるのか分からなくなる。
そして、その一方で、そんな事すらどうでも良いのかも知れない、とも思う。
今、この瞬間、あなたの傍に私だけがいる。
はっきりとこの眼に見える【事実】だけで充分、と思ってしまいそうな自分…。
ここは、夜空に浮かぶ私とあなた二人だけの【エデンの園】なんじゃないだろうか。
- 152 名前:wasabi 投稿日:2003年03月11日(火)03時28分36秒
■■■■■■
「ねぇ…昔のビデオでも見よっか?後藤が入ったばっかりの頃のASAYANとか…」
「えぇ〜!やめようよ」
いざとなると何を話していいか分からなくなってしまい、黙ってしまった私に気を使っているのか、
いちーちゃんはわざと意地悪くそう言った。
「何で?恥ずかしいの?そんなん、お互い様じゃん」
「そういう訳じゃないけど…」
「…けど、何?」
「だって…」
「何だよぉ〜。きっと楽しいよ〜。…後藤真希って言う新メンバーが♪」
そう言って大袈裟に笑うあなた。
まるで必死に子供の機嫌を取る、日曜日の父親のようだ。
「だって…あの頃の私は…」
「ん?」
「あの頃の私は、いちーちゃんが卒業しちゃうなんて知らずに、バカみたいに笑ってるはずだもん」
「………後藤」
「エヘへ…それ観るのは、ちと辛いっス」
私は涙声をごまかすように、テーブルの下にあったティッシュを一枚取ると、鼻をかみながら笑った。
いちーちゃんはそんな私を何とも言えない表情で見つめた。
気のせいじゃなければ、それは「寂しい、切ない、哀しい、もどかしい」…そんなあらゆる「負」の感情を含んだ表情だった。
- 153 名前:wasabi 投稿日:2003年03月11日(火)03時30分22秒
「じゃあさ…」
いちーちゃんは部屋を見回したあと、気を取り直したように言った。
「ん?なに?」
「手伝って欲しい事があるんだ…」
そう言って立ち上がると、いちーちゃんは寝室に入って行った。
私はその隙にもう一枚ティッシュを取ると、それで涙を完全に拭き取り、壁際にある姿見の鏡で確認した。
そして、一度笑顔を作ってみる。
『うん。まだ笑える』
「これこれ…」
「なにこれ? ジグソーパズル??」
「そう!」
いちーちゃんは、カレンダーくらいの大きさの台紙を箱の上に乗せ、それを両手でコワゴワ持ってきた。
私は慌てて、テーブルの上のカップといくつかのリモコンを床に降ろしてそれを置くスペースを確保した。
- 154 名前:wasabi 投稿日:2003年03月11日(火)03時35分16秒
いちーちゃんは、カレンダーくらいの大きさの台紙を箱の上に乗せ、それを両手でコワゴワ持ってきた。
私は慌ててテーブルの上のカップといくつかのリモコンを床に降ろし、それを置くスペースを確保した。
「もう一年くらい前に衝動買いしたんだけど、ずっと作ってなくて…。でも、この前ふと思い出してやり始めたの」
いちーちゃんはそう言うと、それに軽く息を吹きかけて埃を払った。
箱に描かれた完成図を見ると、そこには【夏の草原】が描かれていた。
絵の殆どの部分は草原で、右下に小さく描かれた子供が二人、手を繋いで何かを追いかけるようにその中を走っている。
ほかには、いくつかの「木々」と、涼しげに流れる「雲」のみ。
本当にまだ始めたばかリらしく、四辺をグルッと一周した他は、ポツポツと局部的に4、5個のピースがはめられているだけだった。
そのピースの欠片だちは、まるで南の「諸島」を連想させる。
私もいちーちゃんの真似をして埃を払おうと息を吹きかけたけど、適度な加減が出来ずにひとつの「島」を丸ごと水没させてしまった。
- 155 名前:wasabi 投稿日:2003年03月11日(火)03時36分04秒
「もう…」
いちーちゃんはそう言って優しく笑うと、ゆっくりと私の隣に腰をおろした。
いちーちゃんの右腕が私の左腕に微かに触れる。
あなたの素肌に触れた事なんて何度もあるはずなのに、どうしてこんなにドキドキするんだろう。
それって、やっぱりさっきの「告白」のせいなんだよなぁ…。
『市井紗耶香が好き』
…ねぇいちーちゃん、ちゃんと憶えてる?
- 156 名前:wasabi 投稿日:2003年03月11日(火)03時36分49秒
つづく
- 157 名前:wasabi 投稿日:2003年03月11日(火)03時48分51秒
- 今日の更新はココまでです。
少しだけ甘い「かほり」が…(笑)
>>145 和尚さん
レスありがとうございます。
女子中学生の恋心を描くのは難しいですね。
今更言うなよって感じですケド。(笑)
これからも頑張りますので、少しだけ大目に見てやって下さい。
- 158 名前:名無し読者 投稿日:2003年03月11日(火)18時53分18秒
- おー。このまま甘くなるのかな?
それとも「かほり」だけで終わるのかな(w
楽しみにお待ちしてます。
- 159 名前:wasabi 投稿日:2003年03月15日(土)02時57分41秒
■■■■■■
「で?どう?」
「んぁ?」
いちーちゃんはちょっと眉間に皺を寄せて、散らばるパズルのピースを手に取りながら言った。
私には視線を向けず、どちらかと言えばパズルを完成させる事の方が重要な課題のように、
それは『とりあえず』っぽい言い方だった。
「何、ビックリしてんのさ。さっき圭ちゃんに言った事、別に全部ウソだった訳じゃないんだよ」
「え〜。…何だっけ?」
「…教育係。何とかやれそう?」
「………」
「ん??どうした??」
「…あ〜あ。何か評価低いんだなぁ、ごとーって」
「ん?どうしてさ」
「だって、『上手くやれそう?』じゃなくて『何とかやれそう?』なんだもん…」
「あはは、そっかごめん、ごめん」
いちーちゃんはそう笑うと、やっとこっちを向いて手を合わせて謝った。
私は、それが嬉しかったけど、もう少しあやして欲しくて唇を尖らせた。
- 160 名前:wasabi 投稿日:2003年03月15日(土)03時03分24秒
「そんなに怒るなよぉ…。
そうじゃなくて…私も最初に後藤の教育係になった時かなり悩んだからさ〜、後藤もそうじゃないかな〜と思ったの」
「いちーちゃん悩んでたの?全然見えなかったよ」
「それは…後藤が鈍いから助かってただけ」
そう言って無邪気に笑ういちーちゃんに、私は『もう!』と言って手をあげて、背中を叩く振りをした。
すると、いちーちゃんは更に笑い声のボリュームをあげ、おどけて逃げるような仕草をとる。
それを見てたら…私は振り上げた両手をそのまま横に広げ、よっぽど抱きしめちゃおうかと思った。
「いちーちゃんはどう思う?加護の事」
「う〜ん…」
「実はね…私、年下の女の子って苦手で…どう接したらいいか戸惑っちゃう…。
加護って、結構すぐ黙っちゃって、何考えてるか分かりにくいトコあるし…」
『何考えてるか分かりにくいトコは、後藤も負けてないよ』って意地悪く言う【S】の市井紗耶香。
- 161 名前:wasabi 投稿日:2003年03月15日(土)03時05分54秒
「あはは、うそうそ!たぶん…あの子はとっても優しいんだと思うよ。
そして、周りが見え過ぎちゃうんだろうね…何だかバランスを取る事ばかり気にしているような感じがする」
「だから、黙っちゃうの?」
「そう、後輩である事、一番年下である事、そう言う事全部気になって身動きが取れなくなっちゃう…。
あんなちっちゃいクセにね。
でも、大丈夫!後藤は後藤の思うまま、加護と一緒になって考えてあげればいいと思うよ」
「それで良いのかなぁ…。私はいちーちゃんにいっぱいの事教わったのに…」
「…そんな事無いよぉ〜。後藤からは私の方がいっぱい貰ったモン」
いちーちゃんはそう言うと、照れ隠しのように軽く肩を軽くぶつけてきた。
『この言葉は本心だ…』
そう思うと、私はだらしない笑顔を浮かべよろけてしまう。
- 162 名前:wasabi 投稿日:2003年03月15日(土)03時08分21秒
「それじゃ…石川さんは?」
私は体勢を整え、そう続けた。
うん、この話題は落ち込まなくて済みそうだし、良いぞ。
「なんで、石川?」
「別に『何で』って事はないんだケド…。さっきのライブとか、最近いちーちゃん結構話し掛けてるよね…」
「なに? …妬いてんの?」
そう言って意地悪く笑うあなたを、私は『負けないぞ』って睨み返す。
「そんなんじゃないもん」
−−−ホントはそうだけど…。
「彼女に話し掛けるのは…無理してるかなぁ〜って思うから。何だか分かるんだよね…その気持ち。
早く結果が欲しくて、私達に追いつきたくて…うん、今はまだ空回りしてる感じ」
いちーちゃんの口から出る、『私達』って単語がもの凄く嬉しい。
だけど、それを悟られてはいけない。
「娘。」を卒業したあなたは、それに気付いた途端、二度と口にしないに決まってる。
- 163 名前:wasabi 投稿日:2003年03月15日(土)03時10分31秒
「そういうタイプってさ、バカ言って笑い合う、そんな【ガス抜き】が必要なんだと思うんだよね。
…ほら、あたしたちのすぐ近くにも似てる人いるじゃん」
いちーちゃんは軽く首を傾げて、私に答えるよう促す。
「う〜ん。 …あ!圭ちゃん?」
「ピンポ〜ン!! そう意味じゃ、圭ちゃんが教育係なのは微妙だよね〜。 なんつったら、怒られるか。あはは…。
だけど、一生懸命な分、歯車が噛み合ったら一気にブレイク!って予感もする」
−−−へぇ…。
「…後藤!」
「んぁ?」
「負けんなよ!【最強師弟コンビ】はあたしらだぞ!!」
そう言っていちーちゃんはケラケラと笑った。
やぐっちゃんも顔負けなくらい、高い声で楽しそうに笑った。
私は、反射的に気持ちに蓋をした。そうせずにはいられなかった。
でないと、あらゆる感情が溢れてしまいそうだった。
『ズルイよ…。ひとりでいなくなっちゃうくせに…』
- 164 名前:wasabi 投稿日:2003年03月15日(土)03時12分34秒
パズルは思いのほか順調に進んで行き、既に3分の2くらい出来上がった。
そこで、いちーちゃんは飲み物のお代わりに立った。
立ち上がる時私の肩に手を掛けて、『よっこいしょ』ってわざと年寄り臭い言葉を口にする。
私はそっとあなたの顔を見上げる。今ここに、確かにいちーちゃんはいる…。
パズルは、あと少しで「青空」の部分が出来上がりそうだった。
「そうそう、さっきの続きだけど…」
再び私の隣に戻ってきたいちーちゃんの手には、右手にお代わりの「ホットレモン」、
そして、左手にはチョコレートのコーティングがされたクッキーの袋が掴まれていた。
「ついでに言うと、辻はねぇ…」
「うん…」
「あの子を見てると、後藤の姿がだぶるんだよねぇ…」
「え?どんなところが?」
「良く食べるところ」
「………」
「あはは、うそうそ」
いちーちゃん、あなたは天才だよ。
【後藤真希】の心を弄ぶ大天才…。
「ただただ、【唄うこと】が好きなところ」
- 165 名前:wasabi 投稿日:2003年03月15日(土)03時15分58秒
少しだけマジメな顔をしてそう言ったいちーちゃんの言葉は、私には少し意外だった。
人からは大人っぽく見られがちな私が、あの「見た目100%子供」の辻と、その姿を重ねられて見られてたなんて。
だけど、いちーちゃんの言う事には、何となく納得できる気もする。
実際のところ、私はただ歌を唄いたい一心で、ろくに「モーニング娘。」のメンバーの名前すら知らない状態でオーディションを受けていたし、
辻にしても、普段は私が見てもまるで子供そのもので、泣いたり甘えたり…人一倍人見知り屋なのに、
この間ふと唄っている時の顔を見てみたら、ホント嬉しそうで、何だかとても堂々としていた。
「ま、みんな唄う事が好きか。…私も含めて」
「そうだよ〜。だからソロになりたいんでしょ…」
「そうだった、そうだった…」
いちーちゃんは笑いながら、そう不自然に頷いた。
私はいちーちゃんの横顔を見つめた。テーブルの上のパズルへ向けられた瞳を注意深く覗き込んだ。
なんだろう?この喉の奥に引っかかるザラッとした異物感は…。
- 166 名前:wasabi 投稿日:2003年03月15日(土)03時19分10秒
壁に掛かった時計を見ると、もうすぐ午前1時になるところだった。
『あぁ〜。いちーちゃんは、もうモーニング娘。じゃなくなっちゃたんだなぁ…』
でも、今その話題を持ち出しても哀しくなるだけだから止めておこう。
まだ、5月21日の25時だと思おう。
うん、そうしよう…。
「じゃ、吉澤さんは…?」
ピ〜ピピポポ〜♪ ピ〜ピピポポ〜♪
私の言葉を遮る携帯の着信音。単音でただメロディをなぞるだけの味気ない電子音。
あれ?いちーちゃん、何か取る気配がないみたい…。
音小さいし、パズルを超真剣に睨んでるとこ見ると、気付いてないのかな?
「いちーちゃん、携帯なってるよ」
「え? あ、あぁ、ホントだ…」
そう言うといちーちゃんは一度カップに口をつけた。
それから不自然にキョロキョロ見回して、携帯電話を探した。
「あそこ、あそこ」
「あ、あぁ」
私はダイニングの椅子に置かれたグレーのトートバッグを指差す。
いちーちゃんは、決して急ぐ事無く腰をあげ歩を進め、それからゆっくり鞄の中に手を入れた。
そして、取り上げた携帯の画面を見ると、表情を変えずに一呼吸おき、耳元に持っていった。
- 167 名前:wasabi 投稿日:2003年03月15日(土)03時22分21秒
『もしもし』
『うん…部屋』
『大丈夫』
『うん…うん…ありがと』
『ごめん、今、人と一緒なんだ…』
『うん…じゃ』
『…おやすみ』
いちーちゃんは電話を切ると、それをダイニングテーブルの上に無造作に置き、
それから気持ちのスイッチを切り替えるように一度ゆっくりと瞬きをした。
そして、再び私の隣に座る。
「いちーちゃん、今の…」
「地元の友達だよ」
「え……」
「…あ、男じゃないからね!」
「………」
「さ、もう少し頑張ろう! でも、今夜中の完成は難しいかなぁ〜」
「………」
どうして?
ワカラナイ、何で??
今の着メロって「ダンスサイト」でしょ。
「ごとぉ〜、なにその顔〜?疑ってんの?」
「………」
「神に誓って【男】じゃありません!」
…知ってるよ。
その着メロが【男】からじゃない事は…。
モウヤダヨ…。
「ねぇ…いちーちゃん…」
「ん?」
「…好き」
「!?」
「ごとう…、いちーちゃんが好きなの…」
- 168 名前:wasabi 投稿日:2003年03月15日(土)03時24分21秒
私はそれだけ言うと、もうそれ以上あなたの顔が見えなくなった。
私の中で張り詰めていた糸は、それでも良くもったと思う。
けど、もうダメだった。もう、ボロボロだった。
『よくも、こんなに…』って思うほど、涙がとめどなく溢れてくる。
色んな感情が涙となって一気に溢れ出して、どうする事も出来なかった。
この大事な言葉が、正しく使われていない事さえ、もはや私には分からなかった。
−−−つい最近の話じゃない。
世間話の中の、とりとめのない話題だったから、後藤は忘れていると思った?
見くびらないで。
私はいちーちゃんの言った事は、頭じゃなくて、心で覚えてしまうんだから。
その着メロは…
特定の人たちからの着信を教えてくれるものなんでしょ。
「恋のダンスサイト」は…
【女】だけの、モーニング娘。のメンバーからの電話の時にだけ流れるんだよね…。
私の意識は、そこでプツンと切れる。
糸の切れた凧のように、クルクルと風に飛ばされて…
そして、何処かに落ちた。
- 169 名前:wasabi 投稿日:2003年03月15日(土)03時25分59秒
つづく
- 170 名前:wasabi 投稿日:2003年03月15日(土)03時40分39秒
今回の更新はココまでです。
素直に甘い話が掛けない自分がもどかしいっす…。(笑)
しかし、後藤さん視点ってホント難しい…。
>>158
レスありがとうございます。
「かほり」だけで終わらせるつもりはないんですけどねぇ…。
もう少ししたら…きっと…たぶん…おそらく(笑)
それまでお待ちいただけたら幸いです。
- 171 名前:名無し読者 投稿日:2003年03月18日(火)19時41分40秒
- 電話、誰からなんだろ…。
続きお待ちしてます。
- 172 名前:和尚 投稿日:2003年03月19日(水)00時14分48秒
- 後藤さんの切ない告白に心臓が鷲掴みされた感じです。
急展開で後藤さんと同じ様に一瞬、意識がプツンと切れました。
- 173 名前:wasabi 投稿日:2003年03月25日(火)03時07分54秒
■■■■■■
■■■■■■
私はそれが夢だと自覚していた。
真っ青で、静かで、生温い海の底…私は体中の全ての力を抜いて仰向けに沈んでいる。
視界の端には、自分の髪の毛がまるで海草のようにゆらゆらと立ち上がっているのが見える。
そのずっと先に広がる水面では、太陽の光がまるで蜘蛛の巣のようにグニャグニャと反射していた。
私は何処へ流れるでもなく、ただただその海の底の澱みに身を任せる。
息も出来ない、何も聞こえないはずなのに、何故だか少しの不安も感じられない。
いや、不安だけじゃない…何の感情も起きていない…。
そんな冷たいくらいの静かな心のまま、私はゆっくりと眼を閉じる。
次第に自分の手足の感覚が無くなって行く…。
やがて、私の身体はゆっくりと水に溶け始め、ついには意識だけが残るような、そんな感覚に陥った。
- 174 名前:wasabi 投稿日:2003年03月25日(火)03時09分42秒
次の瞬間、私の意識が水面を横切る影を捉える。
「いちいさやか」
すると、突然四肢に感覚が戻り、私の身体は水圧に押し潰されそうになる。
息ができない事に気付き、何も聞こえない事を不安に感じ始める。
私はその影を追うように、一生懸命浮上しようと手足を漕ぐけれど、
どんなに浮上したつもりでも、一向に水面が近づいてこない。
水面をもう一度さっきの影が横切る。
私は、それに向かって右手を懸命に伸ばす。
「いちーちゃん!」
そう…
私はそこで夢が覚めると分かっていた。
- 175 名前:wasabi 投稿日:2003年03月25日(火)03時13分08秒
■■■■■■
■■■■■■
目が覚めると、視界に少しくすんだ若草色が飛び込んでくる。
『ここはどこ…?』
私は一瞬戸惑ったけれど、その匂いや肌触りから、ここが春の草原ではなく、
あなたの部屋にある人工革のソファーの上だと分かった。
私はどうやらボロボロに泣いたまま寝てしまったらしい。
ソファーの背もたれに向かって丸まる私の体には、薄いベージュのタオルケットが掛けてあった。
そこから微かに香るあなたの香りが、私に哀しい出来事を思い出させる。
だけど…今の私にはろくな思考能力もなく、結局あなたを探す為にゆっくりと体を起し振り返った。
さっき見た夢のせいで、体中がキリキリと妙な痛みを持っている事に気付いた。
- 176 名前:wasabi 投稿日:2003年03月25日(火)03時17分19秒
目の前のあなたは、体育座りの格好で私に背を向け座っていた。
そして、その小さく並んだ両膝にチョコンと顔を乗せたままジグソーパズルを続けている。
それはまるで、いつ帰ってくるか分からない両親を、真っ暗な部屋で待つ子供のようだった。
そこには、いつもの『凛』とした【市井紗耶香】の姿はなかった。
「…いちーちゃん…」
おそるおそる声を掛けてみる。
「あ…起きた?」
「…うん」 ---さっきの電話…
「…大丈夫?」
「…うん」 ---誰からだったの?
「そっか…」
「…うん」 ---どうして隠すの?
カチカチカチ…
壁に掛かった八角形の時計が、意地悪く大きな音を立てて時を刻んでいる。
私達はお互いがお互いの『こころ』を想い、何も喋れなくなっている事を感じていた。
- 177 名前:wasabi 投稿日:2003年03月25日(火)03時21分11秒
私の頭の中では「裕ちゃん、なっち、圭織、圭ちゃん、やぐっちゃん…」と、みんなの顔がエンドレスで繰り返し映し出される。
でも、それが誰であったとしても、私はどうするべきかなんて分からない。
分からないケド…でも…知りたい。
いちーちゃん…あなたの『こころ』が知りたいの。
グゥ〜
「!?」
その雰囲気に耐えられなくなったように、私のお腹が気を利かせて『助け舟』を出してくれた。
あぁ…でも、これで『振り出しに戻る』だよ…。
「ごとぉ・・・」
案の定、呆れるようないちーちゃんの声。
まぁ…いっか。
「えへへ・・・」
「あれだけ泣けばお腹もすくか」
どこかぎこちないいちーちゃんの笑顔に、私はそれでもホッとする。
そんな私を見て、いちーちゃんもホッとする。
そんな顔を見たら、さっきの電話が誰からのものかなんて聞けなくなってしまう…。
私はあなたを信じよう。
あなたが口にした『ウソ』じゃなくて、あなたが私のために『そう言わざるを得なかった気持ち』を信じよう。
【事実】はイコール【真実】とは限らない、と思い切ろう。
- 178 名前:wasabi 投稿日:2003年03月25日(火)03時23分53秒
つづく
- 179 名前:wasabi 投稿日:2003年03月25日(火)03時37分26秒
ホントごめんなさい。
今回は大量更新するつもりだったのに、
ちょっと直したいトコが出ちゃったので、少しだけになってしまいました。
こんな事なら、ageるんじゃなかった…。
>>171
レスありがとうございます。
せっかくお待ちいただいてたのに、このプチ更新…スイマセン。
面白いかどうかは別として、これからも細々続けていきますので、
ぜひともよろしくです。
>>172 和尚さん
レスありがとうございます。
作者もきっと【S】ですね。(笑)
これからも後藤さんには切ない想いをしてもらう予定ですが、
次回は少しだけ違うかも?です。
期待せずにお待ちください。
- 180 名前:名無し読者 投稿日:2003年03月27日(木)18時48分14秒
- 更新お疲れさまです。
マターリお待ちしてますので、
焦らず自分のペースで頑張って下さい。
- 181 名前:和尚 投稿日:2003年03月29日(土)02時42分03秒
- 更新お疲れ様です。
と、いう事は私は【M】ですな(苦笑)
だって後藤さんにシンクロしちゃって読んでますから(笑)
- 182 名前:wasabi 投稿日:2003年03月31日(月)02時25分47秒
「できちゃたね。…バズル」
「うん…」
テーブルの上では、春のそよ風になびく草原と抜けるような青空が広がり、その中を幼い男の子と女の子が駆けている。
二人はまるでハッピーエンドを迎えた後のヒーローとヒロインのように、しっかりと手を繋いでいた。
男の子の右手は少し強引な感じで彼女の左手を引いているけど、でもその顔はしっかり斜め後ろの彼女を見守っている。
女の子は翻るスカートを気にしながら、その右手は大きな帽子が風に飛ばされないよう懸命に押さえている。
とても懐かしい、そんな、いつか夢で見た光景。
だけどそれは…今の私には美しすぎて、少し哀しい光景に映った。
- 183 名前:wasabi 投稿日:2003年03月31日(月)02時28分37秒
「だけど…どうしても1ピースだけ見つからないんだよ…。どこに落としちゃったかなぁ…」
いちーちゃんはテーブルの下を覗き込み、自分の足元を探った。
そしてしばらくそうした後、女の子座りになってわざと大きく肩を落としてため息をついた。
「…くっそ〜。何か1ピースだけ無いって言うのが悔しいよなぁ…いくつも足りないなら諦めもつくのに」
そうだね…。
あなただけが卒業するんじゃなくて、いっそ【モーニング娘。】ごと解散してしまえば諦めもつくのに…。
いちーちゃんは私に背を向けたまま、もう一つため息をつくと、ゆっくりとカップを口に持っていった。
パズルは真中より少し右寄りのところ、「青空」と「草原」が交わる1ピースだけ抜け落ちていた。
そして、カップをそっと床に置くと、再びテーブルの下を覗き込む。
そんないちーちゃんの姿を見て、私は思わず小さく吹き出してしまった。
- 184 名前:wasabi 投稿日:2003年03月31日(月)02時30分23秒
「な…なんだよぉ〜」
「いや、だって、いちーちゃん諦め悪すぎなんだもん。そこ、さっきも見たじゃん」
「う…うるさいなぁ…」
「でも、あれだね…。
パズルって1,000以上のピースがしっかりはまっていても、たった1ピース無いだけで【不完全】になっちゃうんだね…」
だけど、そんな【未完成】なパズルは私を慰めてくれる。
今の私にとって、例えそれがハッピーなものであったとしても、【完成】という事実は残酷な【結末】にしか思えなかった。
そう、それはまさしく…
「何だか、これからの【娘。】みたい…」
出来るだけ【寂しさ】を含まずそう言ったつもりだったけど、ダメだったみたい…。
いちーちゃんは少し焦るように何度か瞬きをした。
「バカ…何情けない事言ってんだよ…あんたがしっかりしなきゃ…」
「……どーせ、ごとーはバカですよぉ。そんなのいちーちゃんが一番良く知ってんじゃん」
「お、逆ギレかよ…」
いちーちゃんは『待ってました』と言わんばかりの笑顔を浮かべる。少し憂いを帯びた笑顔。
- 185 名前:wasabi 投稿日:2003年03月31日(月)02時31分50秒
もう…。
少しでも会話に【真剣】な香りがすると、あなたはすぐにそうやって茶化してイナそうとするんだもんなぁ〜。
悔しくて、夢の中からずっと握ったままになっているコブシに力を込める…。
あれ…?
「ん?どした?」
「…な、何でもないよ」
「何でもなくないだろ〜。後藤が隠し事した時の顔くらい分かるっての!」
「何でもないってば!」
私はそう言って体を硬直させる。
何とかうまくごまかす事は出来ないだろうか…。
「こら!何か隠したな!見せろ〜!」
「…や、やだぁ〜!」
出来るわけがない…。
【蛇に睨まれた蛙】って見た事ないけど、きっとこんな感じなんだろうな…。
『最後の抵抗!』と、私は言う事を聞かない体に鞭打って、なんとかその両手を腰の後ろに回した。
だけど、そんなの逆に宝の在りかを示しているようなもんだ。
そう、私ならともかく、あなたがそれを見逃す訳がなかった…。
- 186 名前:wasabi 投稿日:2003年03月31日(月)02時35分26秒
「…ごとぉ〜」
「な、なによぉ…」
「ほら!手を見せろ!!」
そう言ったあなたは笑顔のまま、動けない私に飛びかかり、私の両手を掴んで前に引き寄せようとする。
私は必死に無駄な抵抗を試みるけど、とうとう胸の前で右手を開かせられてしまった。
「あぁ〜、折れ曲がっちゃってんじゃんかぁ〜」
私の手の平の上には、夢の中でようやく掴んだ【いちいさやか】という名のピースがひとつ、
汗を含んで柔らかく、そして半分に折れ曲がって乗っていた。
「ごとぉ〜、どうしてそんな意地悪すんの?」
いちーちゃんは、呆れたような笑顔で言うと、それを取り上げようとした。
「…ダメェ〜!」
私は咄嗟に、それを少しでもあなたから遠ざけようと、再びこぶしを握リ直して頭上に持っていく。
無意味だと分かってる…。ホンの数秒の時間稼ぎ…。
そう、諦めが悪いのは師匠ゆずりさ。
いちーちゃんはそんな私の行動に、鳩が豆鉄砲を食らったように眼をパチクリさせている。
「ちょっと!こら!!」
いちーちゃんは意地になって、私の「握りこぶし」めがけて再び飛び掛ってきた。
そして、そのまま二人してソファーに倒れこむ…。
- 187 名前:wasabi 投稿日:2003年03月31日(月)02時37分54秒
「………」
「………」
私に馬乗りのような格好になったいちーちゃんの動きが止まる。
私は下から、そんなあなたの戸惑った顔を見上げた。
「ごとお?」
「…いちーちゃん…ヒック」
「後藤…泣いてるの?」
泣いている事実は、自分でも意外だった。
『想いが溢れる』って言うのは本当なんだな…と考える。
今夜、私の【瞳】は優秀だ。
言葉足らずな私の気持ちを、何度もそうやって代弁してくれる。
「いちーちゃん…。私、迷惑…?」
「………」
「…私が『好き』って言うの困る?」
「……後藤」
「いちーちゃん…ごとーの事嫌い?」
「そんな!!……そんな事…ない…よ」
慌てて否定するその言葉に、表情に、私はあなたの【真実】を感じる事が出来た。
眼もあわせず、体も逃げ腰なあなただけど、その右手だけは一向に私を離す気配がない。
- 188 名前:wasabi 投稿日:2003年03月31日(月)02時39分50秒
「じゃぁ…好き?」
「な!?」
「いちーちゃんも、ごとーの事『好き』?」
「………」
「…『好き』?」
私は、いちーちゃんに茶化す隙を与えないよう、低く真剣な声色を使った。
そしてその「好き」が、「Like」だなんてアリキタリなオチにさせないよう、熱い視線を向ける。
もう、ごまかさないで…逃げないで。
さっきの電話が誰からでも構わない。
ただ、今目の前にいる私を見て。
私の言葉に耳を傾けて。
私のこころを感じて。
感じて…。
「……うん」
「え!?」
「だから…『うん』って言ったの!」
「そんなのヤ…。ちゃんと言ってよ」
「えぇ〜。まじぃ…」
消え入りそうないちーちゃんの声が不満…。
だけど不思議。
確かに【不満】だけど、決して【不安】ではない…。
- 189 名前:wasabi 投稿日:2003年03月31日(月)02時44分14秒
「……だよ…」
こんなシオラシイ【市井紗耶香】の表情を知っているのは、私だけなのかも知れない…。
そんな風に考えると、私は単純にも嬉しくなってしまう。
でも…今ここで笑顔を見せるわけにはいかない。
そして、私は一つの『計画』を思いつく…。
「聞こえないよぉ…」
「……もう」
「いちーちゃん?」
「後藤真希の事が好きです!
…これで良いんだろっ!」
照れを隠すように、ぶっきぼらぼうな言い方。
今だけは、いちーちゃんの【こころ】が手に取るように分かる。
「…知ってるよ♪」
「な!…あんた、あたしの事からかって…」
「愛してる?」
「!?」
「愛してる?」
私は、いちーちゃんが得意な『意地悪』な笑顔を浮かべて、そう尋ねた。
案の定、いちーちゃんは『バ、バカ、何言ってんの!』と私の体から離れようとする。
そこで、私はすかさず両手をいちーちゃんの腰に回して引き寄せる。
「痛っ!」
いちーちゃんはそう言って、再び私の上に倒れこむ。
あなたの足がテーブルを蹴飛ばし、「青空」と「草原」と「ふたりの子供」がスローモーションでバラバラになる。
- 190 名前:wasabi 投稿日:2003年03月31日(月)02時48分02秒
「ちょっと…後藤!」
そう言ってあなたは抵抗する。
エヘヘ…。無駄だよいちーちゃん。
私は昔から『腕力には自信がある』んだもんね。
「大好きだよ!いちーちゃん!」
私は両手を腰からいちーちゃんの細い背中に移動させ、押さえ込むように抱きしめる。
そして、涙の乾ききらない顔で満面の笑みを浮かべる。
「…ったく」
あなたはそう呆れながらも、私につられるように笑顔になる。
そして、私は『計画』を最終段階に進める。
- 191 名前:wasabi 投稿日:2003年03月31日(月)02時50分11秒
「3、2、1…」
「??」
「ゼロ!」
私は、3秒間だけあなたに心の準備を与えた後、
足元にあるベージュのタオルケットを、思い切り引っ張りあげて二人を頭ごと包み込んだ。
『ち、ちょっと!なに??』いちーちゃんの驚く表情を最後に、私達の視界は暗闇に支配される。
私は腹筋に力を込める。
そして…明るいうちに充分狙いを定めておいた、目の前の【それ】に向かって飛び掛った。
例えこのキスが合意の下にされたものでなくても…出会い頭の事故のようだと思われても構わない。
だって、いちーちゃんの唇は確かに柔らかくて、そこには何の『ウソ』も無いって解るから。
薄いタオルケットの中で無限に広がる…
『永遠の一瞬』
- 192 名前:wasabi 投稿日:2003年03月31日(月)02時50分55秒
つづく
- 193 名前:wasabi 投稿日:2003年03月31日(月)03時07分07秒
今回の更新はココまでです。
え…と、今回はノーコメントって事で(笑)
>>180
レスありがとうございます。
お言葉に甘えて、これからもマターリ更新させていただこうと思います。
…とは言っても、忘れられない程度には続けていきたいので、
マターリし過ぎてたら、叱咤激励をよろしくです!(笑)
>>181 和尚さん
レスありがとうございます。
そんな和尚さんには、今回の内容は不満でしょうかね?(笑)
でも、安心して下さい。
ただただ「甘く」はしないつもりですので。
なんせ、HNがHNですから(笑)
- 194 名前:和尚 投稿日:2003年04月02日(水)02時25分49秒
- 更新お疲れ様です。
今回の内容は不満でしょうかね?(笑)・・・いえ、不満じゃないですよぉ(笑)
ドキドキしながら読んでますもの。
次の更新が非常に気になりますが、マターリ待ちます。
- 195 名前:名無し読者 投稿日:2003年04月02日(水)22時02分48秒
- この小説すごくいいなぁ〜。
とても初めての作品とは思えません。
私も読んでいてドキドキしますよ。
- 196 名前:名無し読者 投稿日:2003年04月02日(水)23時35分57秒
- 更新お疲れさまです。
HNはそういう意味だったのか〜。
でも辛さは控えめにお願いしますね(w
続き、楽しみにお待ちしてます。
- 197 名前:名無し読者 投稿日:2003年04月04日(金)13時08分13秒
- 今この小説の存在に気がつきましたが…。
いいですねぇ。かなり引き込まれます。
自分は文章読解力が少ないので何度も読みかえしてみましたが、読めば読むほど切なくなりました。
更新楽しみに待ってますね。がんばってください
- 198 名前:wasabi 投稿日:2003年04月07日(月)02時11分13秒
■■■■■■
『恋は盲目』
今、私の頭の中は、自分の望みが叶えられていく歓びだけに支配されていた。
あの電話の主が誰なのかなんて小さな事に思えていたし、それどころか…
さっきまであんなに頼りなくふらついていた、いちーちゃんの『きもち』さえ想う余裕が無くなっていた。
そう…。
山の頂上でこの手からこぼれ落ちた小さな雪玉は、もうすでに食い止める事ができなくらい巨大になって転がり始めている。
「いちーちゃん、行こう」
私は、消極的に嫌がるあなたの腕を半ば強引に引いて寝室に入った。
目の前のベッドには、さっきまでパズルに描かれていた【青空】のような薄いスカイブルーが広がっている。
2方向にある部屋の窓は、薄く白いレースカーテンしか閉められておらず、そこから差し込む月明かりが私達の顔を真白に染め上げる。
さっきまでリビングに降り注いでいた、【昼下がりの公園】のような暖かいオレンジ色の光はここには無かった。
ここでは、誰もいない【日曜日の古い教会】のような、そんな荘厳な空間が二人を包み始める。
- 199 名前:wasabi 投稿日:2003年04月07日(月)02時14分11秒
そして私はゆっくりとベッドの端に座り、戸惑い立ち尽くすあなたの右腕をゆっくりと引いて、隣に座るよう促した。
そんな私の視線の先でいちーちゃんは、相変わらず私と眼をあわせようとしない。
私は待つ。
私が強引に引っ張る事ができるのはココまでで、あとは【市井紗耶香】が彼女の意志でそうしてくれなければ、これ以上先には進めないと思ったから。
「後藤…やっぱ…やっぱさ…」
そう言い掛けて、いちーちゃんはやっと私を見つめる。
その視線の先で、私はどんな表情をしていたのだろう。
哀しい顔だったろうか?責める顔だったろうか?それとも…優しく諭すような笑顔?
とにかくいちーちゃんはそんな私の顔をしばらく見つめて、そして言い掛けた言葉を放棄した。
そして、ゆっくり眼を閉じ、部屋中に聞こえるくらいの音を立てて唾と一緒にそれを呑み込んだ。
- 200 名前:wasabi 投稿日:2003年04月07日(月)02時20分05秒
「後藤…あんたってホント、バカだよ…」
「…うん」
「後悔してもしらないよ」
「…うん」
「絶対、あんたには受けとめらんないんだから」
「…うん…うん」
「もう、ちゃんと聞いてるのかよぉ!」
「……すき…」
「ご、ごと…!?」
「いちーちゃん、だいすき!!」
私は、そんな風にネガティブな事ばかり発するあなたの唇に封をする。
いちーちゃんはそのまま後ろに体を反らして逃げようとするけど、私は膝のところであなたの両手を掴んでそうさせない。
「んん…」
いちーちゃんは、しばらく抵抗を試みていたけど、とうとう観念して全身の力を抜いた。
私は一度あなたから唇を離してその瞳を覗き込む。
そしたら何だか急に恥ずかしくなって、私は照れ笑いを浮かべた。
そりゃ、照れるさぁ〜。
私だって、こんな【後藤真希】に初めて出逢ったんだもん…。
「…にゃろぉ」
いちーちゃんはゆっくりとベッドの上で立膝になり、そして突然、両手で私の頭を抱えるようにして引き寄せた。
左の頬に、いちーちゃんの胸のふくらみを感じて、私は意識が飛んでしまいそうになる。
- 201 名前:wasabi 投稿日:2003年04月07日(月)02時27分14秒
「うわぁ!な、なに??」
「お前…そんな顔で笑えばあたしが何でも許すと思ってるだろぉ〜!」
「え、ええ〜〜」
――そうだったの?もっと早く言ってよぉ〜。
――しっかり覚えておかなきゃ!
それからいちーちゃんは、胸のあたりに抱えた私の頭の上へ、静かに自らの顔を埋めた。
私にはそれが少しだけ苦しく感じる。何故だろう…その行為には小さく【哀しみ】が交じっている気がした…。
まるで…大好きなぬいぐるみを手放さなきゃいけない子供のよう…。
『大丈夫、いちーちゃん。ごとーは何処にも行かないよ』
私はその体勢のまま、いちーちゃんのTシャツの裾から両手を背中に滑り込ませる。
そして、まるで天使の羽を捜すように、その背をまさぐる。
でも、そこには当然天使の羽なんかなくて、代わりに微かに汗ばんだ生身の素肌が感じ取れた。
いちーちゃんは立膝のまま、私の頭を抱える両手に力を込めた。
- 202 名前:wasabi 投稿日:2003年04月07日(月)02時31分09秒
しばらくそうした後、私は両手をいちーちゃんの背中から更に上へ這わせる。
いちーちゃんは一瞬体をこわばらせたけど、やがて力を抜いて抱えた私の頭を手放す。
そして私がTシャツの襟元から両手を出すと、いちーちゃんは諦めるように「バンザイ」をして、私がそれを脱がせる事を許した。
「何か…恥ずかしいなぁ…」
いちーちゃんは静かにそう言って、目を合わせずに照れ笑いを浮かべた。
「…私だって恥ずかしいんだから…」
「そ、そうじゃなくて…まさか後藤にこうやってリードされるとは思わなかったから…」
「えへへ…やめてよぉ…。でも、いちーちゃん、キレイだから大丈夫」
「あはは…『大丈夫』ってなんだよぉ〜」
真っ白な月明かりを背負って笑うあなたの身体。
逆立つ両腕の産毛が、月の明かりを浴びて光る。
それはまるで、薄いショールを身にまとったマリア像のようで、本当に綺麗…。
全てを許し、全てを受け入れる…あなたのそんな達観したような表情は、怖いくらいの【美】を含んでいた。
一方それを見上げる私と言えば、あなたの前でただただ欲望に駆られた自分を懺悔しているよう…。
- 203 名前:wasabi 投稿日:2003年04月07日(月)02時39分33秒
「いちーちゃん…」
「ん?」
「………も」
「え??」
「ごとーも…」
「なに?」
「ごとーのも脱がしてよ…」
「あ、あぁ…そっか…」
私、何言ってるんだろう…。
んんん〜〜。頭で考えちゃダメだ…。
頭で考えて、気持ちを言葉に変換した瞬間、私の体はもの凄い熱を持つに決まってる。
あなたを火傷させてしまうんじゃないかって気になって、触れる事ができなくなったら、それこそ困る。
意外にもいちーちゃんは素直に立膝をやめて私の目の前に座り直し、ゆっくりと私のTシャツを脱がせてくれた。
だけど、その脱がせた私のTシャツの始末に困ったらしく、おもむろにそれをベッドの上で丁寧にたたみ始めた。
「あはは、なにやってんの? いちーちゃん」
「な、なにって…だってシワになっちゃうだろ…」
私のTシャツをたたみ終えてたどたどしくそう言った後、今度はさっき私が脱がせたままになっている自分のTシャツに手を伸ばした。
そんな初々しいいちーちゃんの姿を見て、私は嬉しくなる。
いちーちゃん『も』、こういう事するの初めてなんだなぁ〜って思えるから。
- 204 名前:wasabi 投稿日:2003年04月07日(月)02時56分08秒
「…どう…すんの…」
「そ、そんなこと聞かないでよぉ〜。 ごとーだって…」
私は『初めてなんだから』って言葉を飲み込んだ。
『大好きな【市井紗耶香】に触れていたい。その手でもっと触れて欲しい』
その一心でココまであなたの手を引っ張って来ちゃったけど、本当は私だって女同士で何をどうできるかなんて知らないんだから…。
窓の外で静かに流れる雲が、部屋に差し込む月明かりを少しだけ弱めた時、私はゆっくりとあなたのその真白に透き通る胸に手を伸ばす。
私の手がその細い肩に触れ、そしていよいよ背中に回ろうかと言う時、いちーちゃんは突然私の手を取り体を引き寄せた。
そして唇を私のそれに押し付けるようにして重ねる。
「…ごめん後藤。今夜はこれ以上、やめよう…」
「…え?」
- 205 名前:wasabi 投稿日:2003年04月07日(月)03時06分23秒
いちーちゃんは一度中断させてそう言うと、私の返事を待たずに再びキスを再開した。
とても激しく、【市井紗耶香】は顔を何度も左右に倒しながら【後藤真希】を貪った。
そこで私は、また中途半端に気付いてしまう…。
あなたのその要望が、ただ『初めての不安』から来るものではない事に気付いてしまう。
『何も聞かないで…』
出口の見えないトンネルの向こう側から、そんなあなたの声が聞こえる…。
そこで、私はやっといちーちゃんの『きもち』を考える。
本当はずっと、『好きだった』私を拒みつづけた、その理由を考える。
こんな風に中途半端に受け入れて、やっぱりブレーキを踏んでしまう、そんなあなたの『きもち』を想ってみる。
…だけどもちろん、いつものように答えなんか出ない。
哀しくなんかないよ。
これは嬉し涙なんだから…。
――カナシクナイ…カナシクナイ…――
あなたに悟られないように、自身に言い聞かせるように…私はその呪文を心の中で繰り返した。
- 206 名前:wasabi 投稿日:2003年04月07日(月)03時07分38秒
つづく
- 207 名前:wasabi 投稿日:2003年04月07日(月)03時39分44秒
今回の更新はココまでです。
sage更新するつもりが2レス目で失敗(笑)
内容については今回もノーコメントで…。
>>194 和尚さん
レスありがとうございます。
実は作者もドキドキしています。恥ずかしくて…(笑)
「甘い」部分になると急に更新頻度が鈍る、そんな作品ですがこれからもよろしくです。
>>195
「すごくいいなぁ〜」って、何だかすごくいいなぁ〜。(笑)
とても力になるレスです。ありがとうございます。
これからも、そう思い続けてもらえるよう頑張りますのでよろしくです。
>>196
スイマセン…HNの由来は『後付け』です。(笑)
でも、目指せ!『甘辛小説』で頑張ります。
これからまた辛味が強くなる事もあると思いますが、
きっとその後には甘くなりますので、見捨てないで下さいね。
>>197
レスありがとうございます。
ごめんなさい…。
こうやって皆さんに読んでいただける場所に出す以上、
解りやすく、独りよがりな文章にならないよう気を付けてはいたんですが…。
これから精進しますので、もう少しお付き合いいただけたら幸いです。
- 208 名前:名無し読者 投稿日:2003年04月07日(月)11時06分23秒
- 更新乙です。
切ないですね…これから二人はそうなってゆくのか…期待です
- 209 名前:和尚 投稿日:2003年04月09日(水)10時31分20秒
- 更新お疲れ様です。
後藤さんの想いが通じた、甘くて切ないシーンですが、
すみません、市井さんがTシャツたたんでいるのを想像したら笑っちゃった。
こーゆートコ市井さんらしいなぁ
- 210 名前:wasabi 投稿日:2003年04月14日(月)01時07分21秒
■■■■■■
「…ごとう…」
長く激しいキスを交わした後、いちーちゃんは、差し込む真白な月の光を全身に浴びるように、私と背中合わせに座り直した。
そして、自分の頭を後ろに倒して私の頭の上に乗せる。
「ねぇ…」
「…何??」
「うん…。あのさ…どうして、あたしなのかなぁ…」
私に対して問い掛けているのか、それとも目に見えない他の『何か』に語り掛けているのか、
それとも、どっちでもないただの独り言なのか…。
いちーちゃんはそんな気の抜けた言葉を宙に向かって放り投げた。
「…どうして…って?」
「う〜ん…。 後藤ならきっと、望めばタイガイの男の子と『普通に』付き合えるんじゃない?…と思って」
その『普通に』って言葉に、ちょっとカチンとくる。
「そうかもね…」
私は思ってもいない言葉を口にする。
悔しかった。哀しかった。
今、いちーちゃんの口から『普通』なんて言葉聞きたくないよ。
- 211 名前:wasabi 投稿日:2003年04月14日(月)01時11分48秒
「あたしが一番一緒にいる時間が長いからかなぁ…。 それとも教育係でちょっと特別に見えた?」
「…いちーちゃん…本気で言ってるの?」
自分でもビックリするくらいの低く冷たい声。
まるで大量の粘土を押し込められたように、私は胃の辺りに鈍い重みを感じる。
「いや…うん…ごめん。…何だか、信じられなくて…」
「え?…」
「…いくつも…いくつもあると思ってたから…」
「な、なにが?」
「乗り越えなきゃならないこと…諦めなきゃいけないもの…」
「いちーちゃん…」
「何かさ、いきなり霧がパーっと晴れちゃった感じで、どう進んでいいか…戸惑っちゃってるんだよね」
いちーちゃんはそう言うと、照れくさそうに鼻を掻いた。
あなたらしい、そんな愛の告白。
そっか…。
浮かんだり、沈んだり…。
あなたの『こころ』もきっと、私のそれと同じだったんだね…。
- 212 名前:wasabi 投稿日:2003年04月14日(月)01時13分13秒
「…ダッシュでしょ〜」
「え??」
「そりゃもちろん、いちーちゃんの得意な『ダッシュ』で、ごとーんトコ来るに決まってるでしょ〜」
「あはは…そっか、そうだね」
でっかい宇宙の、中くらいの地球の、青空色の小さなベッド…。
それから私達はその中に潜り込み、下着だけを着けたおかしな格好でじゃれあいながら話をした。
- 213 名前:wasabi 投稿日:2003年04月14日(月)01時17分53秒
「ねぇ、いちーちゃん…」
「ん?」
「唄って」
「え? …唄うって、何で?」
不安だから…。
私もあなたも、まだまだ不安なこころを抱えているから、だから唄ってほしいの。
そう言ったところで、あなたはきっと『訳わかんない』って言うかな。
だけどね、いちーちゃんの唄声を聞くと、少なくとも私はとても安心できるの。
理屈なしにそうなの。ホントだよ。
「いいじゃ〜ん。 ね、いちーちゃんの唄が聞きたいの」
「えぇ…。 何唄えばいいのさ」
「いちーちゃんの好きなのでイイ」
「そういわれてもなぁ…」
「じゃあ…ドリカムがいい」
「ドリカム? あんた、ドリカムなんて聞いたっけ?」
そう、私は今までこのグループの曲を特に良く聞く訳ではなかった。
…あなたが『好き』だと知るまでは。
- 214 名前:wasabi 投稿日:2003年04月14日(月)01時41分11秒
「えへへ…少しだけどね、聞くようになったんだ」
「へぇ…」
そんな意外そうな顔をしないで…。
誰かを好きになれば、その人が好きなものに興味が湧くのは当然じゃない。
いちーちゃんが唄う時にする、独特な左手のリズムの取り方って…きっとこの人の受け売りなんだよね。
そう言う事も全て知りたいの。
今までこっそり想像していた【市井紗耶香】にまつわる様々なもの…
今、そのひとつひとつにきちんと輪郭をつけて、この手にしっかり掴んでおきたい。
「じゃ、後藤の好きな曲を一緒に唄おうよ」
「え…まじ? …どうしよう。 私が好きな曲でイイの?」
「もちろん」
「でもなぁ…えぇ〜!困ったよぉ〜!」
「あはは、何だよ自分で言っといてさ! ホントは曲知らないんじゃないの〜」
「知ってるもん!」
「そっか…そうだよね。お姉ちゃんが二人もいるんだもんな、家にCDの一枚くらいあるか」
- 215 名前:wasabi 投稿日:2003年04月14日(月)01時44分39秒
いちーちゃんは天井を向き、鼻歌で何かの前奏を奏で始めた。
違うの…。
私が曲目をなかなか選べないのは、歌詞の内容を吟味しているから。
哀しいモノは論外だけど、さすがに『愛してる』とか唄ってもらうのは照れてしまうでしょ…。
「『空気がぁ ユライデゆくね〜』…」
「お!?」
「題名わかんないんだけど…そんなのあったよね」
「え…と、『LOVE GOES ON…』だね、あたしも好きだよ。 でも…あんた、随分渋いの知ってるね」
「えへへ。 昔いちーちゃんがカラオケで唄ってた…あの…ほら、なんだっけ…あ、『未来予想図U』だ! それと同じアルバムに入ってるよね」
「あたしがカラオケで唄ったのなんて良く憶えてんな〜。 …でも、今は『未来予想図U』じゃないんだ」
憶えてるっちゅうの!
私は、あなたの事を昨日今日好きになった訳じゃないんだからね。
あの時、いちーちゃんの好きな歌がすぐにインプットされて、すぐにCD買ったんだもん。
そこで知ったこの曲。
『愛してる』なんて歌詞はないケド、とても幸せそうな2人の風景が目に浮かぶ曲…。
- 216 名前:wasabi 投稿日:2003年04月14日(月)01時48分37秒
「いちーちゃん、唄って」
「ちょっと〜。 後藤も一緒に唄おうよ」
「いやぁ〜。 歌詞がちょっと怪しいんだよね…唄えるトコで乱入するからっ!」
「なんだよぉ…だったら、唄えるの選べよなぁ…」
「いいの! ほら、唄って!」
「もう…」
私がそう言って体ごと摺り寄せ促すと、いちーちゃんは照れくさそうに唄い始めた。
けれど照れてたのは初めだけで、次第に気分が盛り上がり、2回目のBメロからは左手を布団から出して、いつものように宙でリズムを取リ始めた。
私はあなたの歌声に小さくハミングを乗せて、そっとハモった。
- 217 名前:wasabi 投稿日:2003年04月14日(月)01時49分20秒
2人でいると いつでも 笑い合っていられる
どんな時も両手広げて 抱きしめてくれるあなたが好き
こんなに素直に こんなに自然に 私とあなたがいる
’もっと顔をよく見せて’ あえない時間も忘れないように
このまま ずっと ずっと ずっと …
- 218 名前:wasabi 投稿日:2003年04月14日(月)01時51分37秒
唄い終わって、再び『照れ』が込み上げた様子のあなたに、私は何も言わずに笑顔でキスをする。
私が求める長いキス…。
言葉での表現に難がある、そんな私が気持ちを伝えるのに使う常套手段…『口移し』。
いちーちゃんはそれを丸ごと優しく受け取ってくれる。
それからあなたは、最後に決まって笑顔で軽い口づけをする。
『ハイ、おしまい。チュッ』
そんな感じ。
そして、その後に私が浮かべる物足りなさそうな苦笑いを、いちーちゃんは優しく満足そうに見つめる。
私はこの切ない「愛おしさ」を表現する方法が別に思いつかなくて、再びキスを求める。
いちーちゃんは、嫌な顔一つせずにそれに答えてくれる。
その繰り返し…。
- 219 名前:wasabi 投稿日:2003年04月14日(月)01時55分39秒
「のど…渇かない?」
「んぁ? うん…少し、渇いたかも」
「それと…少しは冷やさないとね。 こぉ〜んなになっちゃうよ、唇」
いちーちゃんは笑顔でそう言うと、唇を突き出して「タラコクチビル」を作って見せた。
私は両手でシーツを掴んで、その唇に飛び掛りそうな自分をどうにか治める。
いちーちゃんは私の頭の下から器用に右腕をすっと抜いて、ベッドを抜け出る。
そしてベッドの横に立った後、一度両手で髪を書き上げ、そして寝室を出て行った。
私はその後姿を見送ったあと、改めて部屋を見渡す。
この部屋に入ってから一度も電気をつけていないせいか、真白な月明かりが充分明るく感じる位に私の目は暗闇に慣れていた。
私はさっき覗き見た光景を思い出して、サイドテーブルにあるだろう本に手を伸ばした。
一番最近読んだものらしい文庫本を手に取った時、いちーちゃんが戻ってきた。
- 220 名前:wasabi 投稿日:2003年04月14日(月)01時57分49秒
いちーちゃんは少し寒そうに肩を竦めて、滑り込むようにこっちの部屋に入り、そして扉を閉めて明るすぎるリビングの光を遮った。
カッ…
新しいミネラルウォーターの蓋を開ける音が部屋に響く。
早朝の美術館にハイヒールの足音が響くように…。小さく広く響く。
いちーちゃんはベッドの端に座り、私の眼を見て少し微笑んだ後、ペットボトルに静かに口をつける。
コクコク…
私は黙って、あなたのその喉が微かに上下に動くのを静かに見つめる。
数秒後の事を想像してドキドキしている自分がおかしい…。
「はい、あと全部飲んでいいよ」
飲みかけのペットボトルを差し出すいちーちゃんの目を、私は見ることができない。
さっきまであんなに激しくキスを重ねていたくせに、数秒後、同じペットボトルに口をつけるって想像するだけで、何でこんなにドキドキするのだろう…。
- 221 名前:wasabi 投稿日:2003年04月14日(月)01時59分15秒
私はいちーちゃんからペットボトルを受け取ろうと、手にしていた文庫本をサイドテーブルへ戻そうとした。
そのときページの間から一枚の紙切れが枕もとに落ちる。
「??」
「あ…!」
私は一瞬だけ早くいちーちゃんより先にそれを手に入れる。
「ちょっと! 後藤、それ返して!」
「え〜。そう言われて返すわけないじゃん! 何?これ…」
「マジ、カンベンして! ね、ね、ごとー!」
「だぁ〜め! えっと…!?」
- 222 名前:wasabi 投稿日:2003年04月14日(月)01時59分45秒
つづく
- 223 名前:wasabi 投稿日:2003年04月14日(月)02時31分52秒
更新はココまでです。
中途半端な感じの終わりで…申し訳。
実は今回、娘。以外の曲を引用する事に凄く迷いました。
でも、そこは市井さんの好きなもののひとつとして、読んでもらえたらなと。
後藤さんのお願いですし、どうかご勘弁を♪
>>208
レスありがとうございます。
これから二人は…どうなるのでしょう?
作者も、ストックを読み直す度に少しずつ書き換えてしまうため、
実は良く分からなかったりするんです…(笑)
>>209 和尚さん
レスありがとうございます。
作者もそのシーン気に入ってるんで、嬉しいっす!
このシーンを書いている時、照れながら強がる市井さんの姿が映像ではっきり浮かんだのを憶えています。
主導権を失った市井さんを描くのが、最近楽しくて仕方ない作者をこれからもよろしくです。
- 224 名前:名無し読者 投稿日:2003年04月16日(水)21時02分19秒
- 紙切れはなんなのか?
すごく楽しみです。
主導権を失った紗耶香、自分も大好きです。
更新待っています!
- 225 名前:名無し読者 投稿日:2003年04月16日(水)21時49分37秒
- いつも気になる所で切れますね〜。
それにまんまとハマってますが(w
楽しみに待ってますので、がんばって下さい!
- 226 名前:和尚 投稿日:2003年04月17日(木)23時03分33秒
- すっげぇ気になるトコで『つづく』ですか。
忘れてましたよwasabi 様が【S】だという事を・・・。
そして自分は【M】だということを・・・(泣)
更新を大人しく待ちます。
今回出た歌詞は市井さんと後藤さんの事を言っている様で納得してしまいました。
- 227 名前:名無し読者 投稿日:2003年04月19日(土)12時01分07秒
- 更新乙です。
あぁ…またもや気になる部分で切れてます。
紙切れ気になりますね〜。
それによって二人の仲が険悪になったりしたら嫌ですけどね(w
- 228 名前:wasabi 投稿日:2003年04月21日(月)02時08分30秒
□□□□□□□□□□□□
いちーちゃんへ
いや〜大変だったけど、プッチいろいろと楽しかったね。
ウチら3人のキャラを強く出せたのも『プッチモニ』だと思うし、
それに、ごとーがちゃんと育っていったのも『プッチモニ』のおかげ。
特に、いちーちゃんにはいろいろと、お世話と言うか…
教育してもらったりして、迷惑とか掛けたりしたと思う。
ゴメンナサイ。
なんだか5月21日はイヤだね〜。
寂しくなるよ。
寂しいね…。
でも、自分で決めた夢にも進んでいってほしいと思う。
絶対に戻って来て下さい!
待ってます!!
そんでもって、ゲストに絶対出てきて下さい。
その頃は、プッチがもっと大きくなっていると思います。
いちーちゃん!がんばれ!!
今までありがとう。
これからも仲間だからね。
後藤真希
□□□□□□□□□□□□
- 229 名前:wasabi 投稿日:2003年04月21日(月)02時13分06秒
その見慣れた子供っぽい文字は、【後藤真希】…私のものだった。
シンプルなクリーム色の、そんな何処にでもあるような便箋。
それは、一週間前に【市井紗耶香】最後の『プッチモニダイバー』で私が読み上げた手紙だった。
「……」
しばらくして、私は手にした便箋の両端が少しシワになっている事に気が付く。
そして…その握り締められてついた跡が、一週間前のモノなのか、それとも最近つけられたモノなのか…そんな事を考え始める。
つまり、そのシワは【後藤真希】の想いの跡なのか、【市井紗耶香】の現在の想いなのか…。
私は、その小さなシワにそんな大役を与え、勝手にオオゴトと捉え真剣に考えていた。
『そんな的外れな事考えている場合じゃない』って声が、何処からか聞こえてくる。
けれど、今、私の思考は完全にエアポケットに入ってしまっていた。
突然予想外の出来事に遭遇してしまい、それを考える事から逃げ出すように、しばらくそんな迷路の中で行ったり来たりしている。
- 230 名前:wasabi 投稿日:2003年04月21日(月)02時15分39秒
「あ…」
放心状態の私の手から、照れて横を向いたまま、いちーちゃんが便箋を取り返す。
それをきっかけに、私はようやく一週間前の出来事を思い出せるようになってきた。
あのスタジオの風景がフラッシュバックし始める。
そうだ…あの日、番組のスタッフに頼まれて、私はラジオ用にあなたを明るく送り出す「応援メッセージ」を書いたんだった…。
『でも、自分で決めた夢にも進んでいって欲しいと思う…』
…ホントに書きたかったコトは違った。
『寂しいね…』
そのヒトコトが本音だった…。
「いちーちゃん…ちゃんと持って帰って来てくれてたんだ…」
「あ、当たり前じゃんか! 圭ちゃんの手紙だってあるよ…。 うん、どっかその辺にあるはず…」
そう言って慌ててイイワケするあなたに、私は小さな満足感を感じる。
収録後、スタッフの人に頼んでこっそり手紙をもらっているあなたの姿を想像して、少しだけ意地悪そうな笑顔になる。
あなたは、そんな私の顔を見て『何言ってもムダだなぁ…』と諦めたみたい…。
軽く笑顔を浮かべて、小さくため息をついた。
- 231 名前:wasabi 投稿日:2003年04月21日(月)02時19分01秒
「今日のライブに向かう前に、もう一回読んだんだ…。
後藤の『いちーちゃん!がんばれ!!』って文字を見て、声を思い出して…不安な気持ちを振り払いたくて…」
「いちーちゃん…」
「これ読んで…先にありったけの涙を出しておいて…そんで、ライブでは絶対に泣かないように…って」
いちーちゃんは独り言のように呟いた。
とても静かにそう言った。
「おかげで、ライブでは涙見せる事無く、完全燃焼できたよ。 …ありがとね、後藤」
『いちーちゃん!』私はそう小さく叫んで、あなたに抱きつく。
あなたの手の中で、便箋が軽く「クシャ」っと音を立てた。
そう…【市井紗耶香】はちっとも強くなんかないんだよね。
ラジオでもすんごい泣いてたもんね…。
あの日も、後でスタッフの人たちに、圭ちゃんと三人、鼻をすする音ばかり流れてたってからかわれたんだよね。
あ、もうひとつ思い出した…。
私がこの手紙を読んだ後に、いちーちゃんが掛けてくれた言葉。
『かーいいな、後藤!かーいいな!マジで』
- 232 名前:wasabi 投稿日:2003年04月21日(月)02時21分25秒
そうか…
【市井紗耶香】は、ただの見栄っ張りな頑張り屋さんなんだ。
そうだね…だから…
私はそんなあなたの全てを抱きしめ、素直になれないあなたの代わりにたくさん泣いてあげよう。
今夜、こんなにも泣き虫な自分を、そうやって正当化しておこう…。
- 233 名前:wasabi 投稿日:2003年04月21日(月)02時22分00秒
つづく
- 234 名前:wasabi 投稿日:2003年04月21日(月)03時06分22秒
今回の更新はココまでです。
『紙切れ』の正体…がっかりさせてしまいましたかね…。
でも、この日の放送は今でも作者のモチベーション維持に大きく役立っていて、
どうしても盛り込みたかったリアルなエピソードのひとつだったんです。
え…と、それからですね…
思いのほか長くなってしまいましたが、次回の更新を持ってやっと第一章が終了する予定です。
…これって、まだ一日の出来事なんですよね(汗)
- 235 名前:wasabi 投稿日:2003年04月21日(月)03時22分22秒
>>224
レスありがとうございます。
主導権を失った市井さんが好きだなんて…解ってくれる方がいて嬉しいです♪(笑)
でも、調子に乗ってあまりいじめすぎないよう気をつけますので、これからもよろしくです。
>>225
ハマってるだなんて…嬉しいです!ありがとうございます。
これからも続きが楽しみと思ってもらえるよう頑張りますので、
ぜひぜひ、末永くお付き合い下さいませ。
>>226 和尚さん
レスありがとうございます。
そうです。【S】=紗耶香=作者、なんですから。
これからも二人は前途多難な予定ですが、頑張って耐えてくださいね!(笑)
>>227
レスありがとうございます。
とりあえず『紙切れ』は二人の仲を険悪にするものではありませんでした。
レスを読ませていただいて、そっちに方向転換しようか悩みましたケド…。(笑)
これからも、二人を暖かく見守っていただけたらと思います。
- 236 名前:名無し読者 投稿日:2003年04月21日(月)23時05分54秒
- 良かった…。手紙の内容があれで…作者さんに感謝します(w
なんにしても二人の仲がぐっと近づいたのは確かですね。
毎回ドキドキ(?)して読ませて頂いています。
これからもがんばってくださいね!!
- 237 名前:名無し読者 投稿日:2003年04月22日(火)19時46分27秒
- 良かった〜。どうなる事かと思いましたが。
せめて今だけでも甘く…(w
もうあれから3年になるんですねぇ。
続き楽しみにしてます。頑張って下さい。
- 238 名前:和尚 投稿日:2003年04月28日(月)00時21分30秒
- お疲れ様です。
なんか市井さんの行動わかるような気がしました。
自分舞台やってたんですが(少しの間)公演の時似たような事やってましたから。
次回で第一章終了ですか。どうなるんだろうドキドキ
- 239 名前:wasabi 投稿日:2003年05月02日(金)02時03分21秒
■■■■■■
私達が抱き合う、夜空に浮かぶこの部屋のずっと下のほうで、車が一台遠慮がちにクラクションを鳴らして過ぎ去っていった。
それはまるで…私にそっと『ある決心』をさせようと、誰かが合図として鳴らしてくれたかのようだった。
『【市井紗耶香】に、もっと触れたい…』
あなたに悟られないよう、微かに右手の人差し指をあなたの背中を這わせる。
その途中、私はいつの間にか頭の中で流れている名も知らぬメロディに気付く。
いつだったか…楽屋のラジオから流れてきた、切ないピアノと哀しい女性の歌声…。
『なんだか…上手くいえないけど…すごく良い曲だね』いちーちゃんが呟いたのを思い出す。
それが今、ドラマの最終回に流れる挿入歌のように次第にボリュームを上げ、私の心を鼓舞する。
私は、数時間前までの『叶わぬ願い』が、今はこの腕の中にある奇跡を改めて考える…。
記憶から次々と溢れてくる、私の言葉にならない『想い』が震えている。
そんな私の『想い』に共振して、あなたは声を出さず、涙を流さず泣いているみたい…。
- 240 名前:wasabi 投稿日:2003年05月02日(金)02時09分33秒
ねぇ、いちーちゃん…。
私、今なら言えるよ…。
明日の希望より、昨日の記憶よりも、私は今、この腕の中にある『あなた』という奇跡だけが欲しい…。
【今の市井紗耶香】、それでいい…だけど、その全てが欲しい。
私は抱きしめていた両腕をゆっくり緩め、あなたの肩紐に指を掛ける。
するといちーちゃんは、やっぱり大袈裟と思えるほど体を強張らせた。
「…ダメ?」
「………」
「何かね…こんなたった一枚の布切れが、とっても邪魔に思えちゃうの…」
本音だった。
何もまとわず、素肌の胸と胸を併せて、私の『こころ』と、いちーちゃんの『こころ』を可能な限り近づけたかった。
口下手な私と、言葉足らずなあなたが解り合うためには、そうする事が最も自然で、そして必要な事だと思った。
- 241 名前:wasabi 投稿日:2003年05月02日(金)02時11分32秒
そんな私の気持ちを、いちーちゃんも解っているようだった。
だけどあなたは、目を閉じて、唇をキュッと結んで、必死に葛藤している…。
…どうして?
あなたはどうしてそんなに身体を併せる事をためらうのだろう?
さっき私に掛けてくれた【市井紗耶香】の『好き』は、そんなにも【後藤真希】の『好き』と違うの?
抱き締めあってキスをするのはOKで、裸になって体を併せるのはNOなの?
なんで?
…頭の中に流れるメロディが突然変わる。
単音で味気ない「恋のダンスサイト」
なんで…なんで、こんな時に…。
そんな落ち込んだ表情を浮かべる私の背後に、いつの間にかあなたの手が回る。
少しだけ震えたあなたの手は、優しく私の体を引き寄せると、一気に背中のホックを外した。
- 242 名前:wasabi 投稿日:2003年05月02日(金)02時12分14秒
「えっ??」
「…あはは」
「いちーちゃん?」
「やっぱ、今度は後藤が先だろ」
「………」
「さっきは、私が先に脱いだんだから、今度は後藤から脱いでもらうよぉ〜」
スルリと下着が胸元から落ちる。
私は思わず両手で胸元を覆い隠した。
『こころ』ごと隠すように、両手で押さえつけるように…。
それからあなたは少しだけ眼を赤くさせたまま、精一杯意地悪く笑った。
哀しい笑顔が私に刺さる。
「あはっ…何だか恥ずかしいね…」
「だろ? う〜ん、でも『大丈夫』…後藤も綺麗だよ♪」
いちーちゃんは、さっき私が口にしたピントのボケた誉め言葉をわざと口にする。
私はバツの悪い苦笑いを浮かべた。
- 243 名前:wasabi 投稿日:2003年05月02日(金)02時13分49秒
ウソだよね…。
あなたが、体を強張らせた理由は別にあるんでしょ?
でも、聞かないから安心して。
あなたがそれを突き通そうと言うのなら、私はいつまでも騙されよう。
時々こうして「ご褒美」さえくれたなら、私はいつまでも…そう、何処までだって、その『造られた橋』を渡るよ。
「えへへ…」
私はそう言って、あなたの哀しい笑顔に付き合う。
だけど…本当は内緒で少しだけ期待しているの。
今、私が渡っている『造られた橋』は、もうすぐ終わるのではないかと。
そしてその先には、まるごと本物の【市井紗耶香】が手を広げて、【後藤真希】を待っていてくれているのではないかと…。
「いちーちゃん…きれい…」
私は今、いちーちゃんの…現実に目の前にある、その下着を取った姿にしばし見とれている。
『それでいい…』
明日の希望より、昨日の記憶よりも…。
- 244 名前:wasabi 投稿日:2003年05月02日(金)02時22分22秒
■■■■■■
そう言えば、今まで地方の公演先で大浴場に入る機会があっても、いちーちゃんの裸ってちゃんと見た事がなかった。
もちろんその理由は『照れ』以外のなにものでもなくて、私はいつもごまかすように、なっちややぐっちゃんと必要以上に『馬鹿』をやっていた。
だからなのかな…この目の前に広がる現実に、まだ私の気持ちは追いついて来れないみたい…。
「ちょっと…後藤、口開いてる…。 そんなにマジマジと見られると恥ずかしいだろぉ…」
「んぁ…ごめん」
「あ…イヤ、別にいいんだけ…ど…さ」
「え?」
「いや…うん…せっかくだから、ちゃんと見て、しっかり憶えておいてもらおうかな…なんちゃって、あはは…」
「あ、もしかして…いちーちゃん…こういうの、今夜で最後にしようとか言うんじゃないでしょうねぇ…」
「………」
「いちーちゃん?」
- 245 名前:wasabi 投稿日:2003年05月02日(金)02時23分25秒
「ち、違うよ。…でも、せっかく『きれい』なんて言ってもらえたし…。これから、こういうのにあんまり慣れないでほしいって言うか…」
「へ、変なの〜。慣れたりしないよぉ。いちーちゃんこそ、あたしの体に飽きたりしない?」
「あはは、何だかえっちぃ〜ね。その言い方」
「!?」
「ごめん、ごめん、意地悪だった!」
恥ずかしくて、私は言葉を失った。
確かに、ちょっといやらしい言い方だったな〜。
でも…忘れたりしないよ。いちーちゃんの透き通るような肌も、今のこの切ない気持ちも、全て。
忘れる訳がないよ…。
だって…二人の『今』は、ずっと続いて行くんだから。
決して『過去』にならない、永遠に続く『今』…。
ねぇ、そうでしょう?
ずっと…ずっと…。
- 246 名前:wasabi 投稿日:2003年05月02日(金)02時25分33秒
■■■■■■
それから私達はゆっくりと近づき、そして再び抱き締めあった。
『今、二人の間を遮る物は何もないんだ…』
激しく打つ鼓動が頭の中で響き渡り、私は気を失う程の目眩を憶える。
それでも、私は頭の中をフラットにして、ただ、あなたの全てを愛撫した。
『こころ』と『からだ』を抱きしめた。『過去』にも『今』にも口づけた。
そして、『未来』に横たわる、得体の知れない『何か』にすら…私は愛情を捧げる…。
本当はもっと色んな手段を使って『快楽』を得たい、与えたいと思う…。
だけど、それには如何せん私達二人は幼すぎた…。
そして…純粋すぎた…。
『どうすれば?』と、その答えを出すために、私は思考回路の電力を少しだけ上げる。
すると、頭に余計な『理性』が戻ってきて、この手の動きを鈍らせる。
そんな時、いちーちゃんが口を開いた。
- 247 名前:wasabi 投稿日:2003年05月02日(金)02時26分48秒
「そうだ…」
「…んぁ?」
「あの…ひとつお願いしちゃおうかな…」
「…な、なに?」
「あの…あのさ…」
「…?」
「あ…やっぱいいや…」
「えぇ〜。 そんなのナシだよぉ…」
「う…」
「…なぁに? いちーちゃん…」
「う…ん…後藤との『約束』が欲しい…なぁ…なんて」
「約束?」
「…うん…約束」
「え…でも…なんで?」
「…う〜ん。 理由とかなくちゃダメ?」
「そんな事ないけど…。 『約束が欲しい』なんて、いちーちゃんの口から聞けるなんて思わなかったから…」
「そ…そう? ま、良いじゃないか! イチイもそれだけ後藤のコトが好きってこった〜」
- 248 名前:wasabi 投稿日:2003年05月02日(金)02時29分40秒
いちーちゃんは照れて赤くなった顔を見せたくないのか、そう笑って私を引き寄せ、胸の辺りで無理に強く抱きしめた。
…そんな事言っていいの?
私は精一杯強がって、やっと『明日への希望』なんかいらないって思い切れたのに…。
期待しちゃうよ…。
ねぇ、いいの? いちーちゃん…。
「してくれる? …『約束』」
「…もちろん」
抱きしめられて、あなたの顔は見えないけど、その真剣な声に『こころ』が震える…。
私は、さっき水分補給をし損ねた事を後悔した。
涙が…止まらない…。
「どんな約束をしようか…」
「…う…ん…ヒック…」
「『うん』ってなんだよぉ…。 そんなに泣くなんて…本当はイヤ…?」
「もう…違うの知ってるでしょ…いちーちゃんのバカ…」
「…うん。 ごめん…」
- 249 名前:wasabi 投稿日:2003年05月02日(金)02時31分44秒
私は意地悪ないちーちゃんに罰を与えるよう、抱きしめ返した両腕に力を込める。
そして、ひとつ大きく深呼吸をして、小さな反抗を決心する。
『いちーちゃんのイジワル…。もう…それがどんな申し出でもすぐに頷いてやらないんだから』
いちーちゃんは、両肩を持って私の体を優しく引き剥がした。
そして、ゆっくりオデコ同士をくっつける。
「いつか…一緒に暮らそっか」
すぐ目の前には、照れながらぎこちない笑顔を浮かべるいちーちゃんがいる。
苦しい…苦しいよ、いちーちゃん。
あぁ…このままあなたを愛しつづけてけてしまったら、私はきっと消えてしまうね…。
人間に恋をした人魚が、やがて泡になってしまうように…。
- 250 名前:wasabi 投稿日:2003年05月02日(金)02時36分10秒
「…後藤?」
「えへへ…」
そんな心配そうな顔しないで。
私の答えを気にして待ってるいちーちゃんなんて『らしく』ないよ。
「いちーちゃんが…」
「ん?」
「いちーちゃんが、もう少し…うまくなったらね」
「…うまく…って、なにが?」
「へへ…。 いちーちゃんが、もう少しうまく【愛】を語れるようになったら…」
私はそこまで口にした後、いちーちゃんの瞳を覗き込んだ。
『ワレながら、恥ずかしいくらいキザな台詞だ…』
こころの中でそう自分を誉めた後、私は出来る限りの笑顔であなたにキスをする。
「そしたら一緒に暮らしてもいいよっ!」
- 251 名前:wasabi 投稿日:2003年05月02日(金)02時37分20秒
そうだね…どうせするなら、なかなか叶わない『約束』がいい。
少なくとも、そこに辿り付くまでの時間、あなたと一緒にいられるもの。
大好きなマンガに最終回が来ないよう祈るように、例えハッピーエンドでも、二人の完結はずっと先であってほしい。
小さな『約束』を積み重ねて進むよりも、ともすれば見えなくなってしまうくらい、ずっと先に大きな『約束』を据えておきたい。
それを頼りに生きるには、きっと、とてつもなく強い精神力が必要なのかもしれないけどね…。
でも…
私、自信あるからさ。
「えぇ〜。 …ハードル高いなぁ…くじけそう」
「もう…すぐ諦めないでってば!」
「あはは…分かった…『頑張る』よ」
「うん、そうだよ。 頑張ってよね〜」
「…はいはい。 はぁ〜…いつになることやら…」
「えへへ…気長に待ってるよ」
- 252 名前:wasabi 投稿日:2003年05月02日(金)02時43分03秒
ねぇ、いちーちゃん、でも…私の『本心』もちゃんと考えてね。
私がすぐに『良いよ』って飛びつかない訳…。
『もう少し上手く【愛】を語れるようになったら…』
それは、あなたが今隠し通している『何か』を、自分の口できちんと話してほしいって事だからね。
それだけは、これから二人が一緒にい続けるために絶対クリアにしておかなきゃならない事だって解るの。
例によって、私の未熟な能力がそう言ってるの。
その代わり…
いちーちゃん、私、ちゃんと待ってるよ。
例えそれがどんなに先になっても、待ってるから。
輝きの鈍いあの星に、今夜私達が放ったばかりの光が届くまでかかったって待ってる。
それで例え、このからだが泡になって消えてしまったとしても…【愛】を抱いて、ずっとずっと待ってる…。
- 253 名前:wasabi 投稿日:2003年05月02日(金)02時44分25秒
□□□□□□
「さ、少し眠ろう…」
いちーちゃんはそう言って私に優しく口づける。
私は軽く目を閉じてそれを受け取ると、素直に従い布団の中に入った。
続いて布団に入って来たいちーちゃんは、再び私の体を包み込むように抱きしめる。
今夜、大人のような『愛の確認』は出来なかったけど、この手の中には『夢』ではない現実の【市井紗耶香】がいる。
あなたの右頬が私の左頬に乗せられ、そしてあなたの唇が私の左耳に口づけた。
『結局…最後にイニシアチブを取るのは、やっぱり【市井紗耶香】じゃん』
…私はそう思った。
- 254 名前:wasabi 投稿日:2003年05月02日(金)02時45分02秒
そうして、『こころ』ごとあなたに包まれるように、私は眠りに落ちていく。
本当は少し眠ってしまうのはもったいないとも思う。
未解決なままの『哀しい現実』も、まだいくつも横たわったままだし…。
だけど…一方で眠りが訪れる事は喜ばしいとも考えていた。
だってそれは、この数時間の出来事が【後藤真希】のヒトリヨガリな『夢』ではない事を証明してくれるから。
そう…絶対に『夢』にしてはいけない言葉がある…。
『いつか、あなたがもっと上手に【愛】についてうまく話せるようになったら、そうしたら…一緒に暮らそう』
私達は『約束』をしたんだ。
- 255 名前:wasabi 投稿日:2003年05月02日(金)02時46分18秒
少し結露している窓から見える『生まれたての空』が、真っ白に眩しく焼けている。
今も時々私を不安にさせる、【市井紗耶香】と【後藤真希】の間にある『溝』の、その底すら照らしてくれるくらいに眩しく…。
『そうだ…輝きの鈍いあの星は、もう見えなくなちゃったかな…』
私の意識はそれを最後に完全に落ちる。
遠くでは小鳥がさえずり、ふたりの夜がそろそろ明けることを知らせていた。
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- 256 名前:wasabi 投稿日:2003年05月02日(金)02時46分54秒
第二章 「Acrobat love」 おわり
- 257 名前:wasabi 投稿日:2003年05月02日(金)02時54分14秒
更新はココまでです。
大した盛り上がりもなく終わり、第三章に続いちゃいます。(笑)
ちなみにこれは第一章かと思ってたんですが、導入部分を第一章にしていたので実は第二章でした…。
それから…
ウチの後藤さん、中学生にしては難しい言い回しをしていますが、そこへの突っ込みはご勘弁下さい…。
- 258 名前:wasabi 投稿日:2003年05月02日(金)03時18分17秒
>>236
レスありがとうございます。
こんな拙い文章にドキドキして下さって、恐縮です…。
後藤さんの手紙ホント良いですよね。『らしく』て大好きです。
これからも頑張りますので、市井さんと後藤さんと作者をよろしくです。(笑)
>>237
レスありがとうございます。
「せめて今だけでも甘く…」って…良く分かってらっしゃる!
ここの所、甘めにしてただけにそろそろ…。
とにかく、これからもよろしくです!(笑)
>>238 和尚さん
レスありがとうございます。
メール全盛の昨今ですが、だから余計に直筆の手紙って良いですよね。
そこに、好きな人の字で「がんばれ」なんて書いてあればなおさら…。
それにしても、和尚さんが舞台に立たれていた方だなんて…。
そんな方に読まれているかと思うと、ちょっと緊張。(笑)
でも(?)これからもよろしくです。
- 259 名前:名無し読者 投稿日:2003年05月03日(土)08時16分34秒
- 第二章更新終了お疲れ様でした。
続いて第三章も楽しみにお待ちしています!
- 260 名前:名無し読者 投稿日:2003年05月03日(土)21時53分00秒
- 更新お疲れさまです。
第三章はいよいよ作者様の本領発揮のピリ辛風味でしょうか(w
そろそろあの黒い人も再登場なのかな〜。
楽しみにお待ちしてますんで、頑張って下さい。
- 261 名前:和尚 投稿日:2003年05月06日(火)13時08分04秒
- 更新お疲れ様でした。
いやぁ〜盛り上がりましたよ。
「いつか…一緒に暮らそっか」この言葉にグッときました。
( ´ Д `)<いちーちゃん♪から
( ´ Д `)<・・・・になってしまった後藤さんの理由が明らかになるんでしょうか?
何はともあれ、ドキドキしながら第三章お待ちしています。
- 262 名前:wasabi 投稿日:2003年05月12日(月)01時44分11秒
≪Easy way out≫
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2000年6月15日
「ねぇ、ごっつぁん…何笑ってんのさぁ〜?」
「んぁ?」
番組収録の休憩中、セットのソファーで隣に座っていたなっちが私に声を掛けてきた。
『今の私でも、この人より上手く笑う事は出来ないかもしれない』そう思えるほどなっちの笑顔は完璧だった。
「え…別に笑ってなんかないよぉ…」
「うそうそ、すんごいニヤけてたよ。 何か良い事あったなぁ〜」
なっちはそう言うと、今度は辻や加護にも負けないくらいの『幼い』笑顔を浮かべて、私の脇を右肘で軽く小突いた。
私はよろけて手をついた拍子に、持っていた薄いオレンジ色のクッションを膝から落としそうになった。
「べ、別に、なんでもないって〜!」
視線も合わせずに私は苦笑いで答えた。
- 263 名前:wasabi 投稿日:2003年05月12日(月)01時45分29秒
そんな私の声を耳にして、前方に座って不安そうに【週末運勢ニュース】の練習をしていた加護が振り返る。
私は笑顔で軽く握りこぶしを見せ、口パクで『大丈夫!』ってエールを送る。
彼女はそれを、引きつった笑顔を浮かべて受け取り、そしてゆっくりとまたカメラに顔を向けた。
その間、私の隣でなっちが『あやしいなぁ〜』って言っているけど、私は聞こえないフリをする。
『バレバレかぁ…』
でも、きっとそう…。
どちらかと言うと『鈍い』なっちにバレてしまうくらい、私は今、確かに満面の笑みを浮かべてたに違いない。
だって、この番組収録が終われば明日はオフ。そして…今夜は『あの日』以来久し振りのお泊りなんだもん。
ゆっくり、いちーちゃんに逢える…。
- 264 名前:wasabi 投稿日:2003年05月12日(月)01時48分47秒
「はい、本番で〜す! 3、2…」
カメラに向かって口を開き始める加護を背中から見つめる。
首筋、両肩、そしてその小さな背中が硬く強張っているのが分かる。
『一緒に頑張ろうね、加護』
いちーちゃん、私はあなたの言葉を信じて、この子と一緒に悩みながら頑張るよ…。
だから、いちーちゃん…たまには私のこと誉めて。
そして『いい子いい子』って頭を撫でてね…。
私の【恋心】はそんな主人の気の緩みを見逃さず、心の中から指の間をすり抜けるように飛び出した。
『お先に!』
そして彼女はそんな言葉を残すと、とっとと先に行ってしまった。
意地悪にも心の中に【焦り】を代わりに置いて。
- 265 名前:wasabi 投稿日:2003年05月12日(月)01時49分56秒
■■■■■■
最近の娘はTVでも歌以外の仕事が増えてきている。
しかもそっちの方が比重が重くなってきた感じで、以前より拘束時間が長くなっていた。
いちーちゃんが卒業する前は、そんな時間さえ何の苦にもならなかったのに、
今はふと気付くとスタジオの時計ばかり見ている自分がいる。
『今日は1時間逢えるな』とか『電話が掛けられるうちにあがれるかな』とか…そんな事ばかり考えている。
でも、そんな事絶対口にできないんだけどね…。
そんな事言おうものなら、いちーちゃんは怒って、きっと『しばらく逢わないでおこう』って言うに決まってる。
だから、私は決して不満な表情は浮かべずに、テッテー的に【アイドル】になりきる。
でも、今この瞬間に私が浮かべた笑顔は、そんな作られた【アイドル】のものではなかった。
もちろん、―― これからいちーちゃんとゆっくり逢えるから ――って言うのも原因のひとつだけど、実はもうひとつ…。
- 266 名前:wasabi 投稿日:2003年05月12日(月)01時50分56秒
『来週の運勢第一位―――山羊座A型』
思いがけずに、そんな嬉しい【お土産】をあなたに持っていってあげられる。
そう、いちーちゃんが優しく浮かべるだろう笑顔を想うと、自然と頬が緩んじゃうんだよね…。
そして私はペットの子犬のように、あなたからどんなご褒美を貰えるか楽しみにしている。
- 267 名前:wasabi 投稿日:2003年05月12日(月)01時52分02秒
「ねぇ、ねぇ、明日渋谷に買い物行かない? オイラ欲しいブーツあんだよねぇ〜」
私がそんな風に幸せに浸っていると、やぐっちゃんが腕をを絡ませ、顔を摺り寄せてきた。
年上なのに、その仕草や喋り方がとっても可愛くて、時々すごく羨ましくなる人。
私と出逢うまでの1年3ヶ月の間…この人は、いちーちゃんとずっと一緒だったんだよなぁ…。
もしかしたら、このちっちゃくて可愛らしい同期に対して、あなたは特別な感情を抱いていたかも知れない…。
『だから…安っぽい【友情】なんて越えている、と思ってた』
一月前、タクシーの中でのやぐっちゃんの言葉を思い出して、私は独りで勝手に苦しむ。
『ばぁ〜か』
そして浮かぶ、現在の【市井紗耶香】の笑顔。
- 268 名前:wasabi 投稿日:2003年05月12日(月)01時53分30秒
「矢口…この前買ったばっかじゃん」
「…もう、いいじゃんよぉ〜。なっちはすぐそうやって『おばさん』臭いこと言うんだから…」
「あ、ひどぉ〜い」
「きゃはは!じゃ、ごっつぁん2人で行こっか?」
私なら絶対にその誘いを断らないって信じ込んでるような、そんなやぐっちゃんの口調。
でも…ごめんね、やぐっちゃん…明日は無理なんだ。
明日は、自分でもビックリするくらい、【後藤真希】が最高に可愛くなれる日なの。
まぁ…それよりなにより『他の』誰かと二人っきりってのもね…。
- 269 名前:wasabi 投稿日:2003年05月12日(月)01時56分49秒
「んぁ〜、ごとーはいいや…」
「ええ〜。なんで?絶対ごっつぁんも好きなカンジだよぉ〜」
「う…ん。ごとー、厚底とか、もういっかなぁ〜…と思って」
「まじぃ!? 急にどしたのごっつぁん、何で?どっかに頭でもぶつけた?」
「え…い、いや、別に何でもないよ」
「ふふ〜ん…何か怪しいんだよね〜ごっつぁん♪」
「えええ! な、なに、なに、そうなの?? でも、【男】はダ・メ・だ・ぞ!」
「そ…そんなんじゃないよぉ〜」
「あぁ〜。 何か顔赤くなぁ〜い?」
時々なっちの無邪気さは凶器になる…。
「ち、ちがうよぉ…。 照明のせいじゃん…」
それからも、二人は意地悪そうな笑顔で私に誘導尋問を続けた。
でも、大丈夫!
私は笑顔でそれをかわし続ける。
その程度なら、『師匠』に散々鍛えられているごとーにとっては何てことないんだから。
ねぇ、いちーちゃん…。
不思議だね。
公表できない『虚しさ』も、今の私には【市井紗耶香】と【後藤真希】を結び付けてくれる甘い『秘密』にしか感じられない。
そう…それはまるで、スイカの甘さを際立たせてくれる塩みたいなもの…。
たいした事じゃない…たいした事じゃ…。
- 270 名前:wasabi 投稿日:2003年05月12日(月)01時57分47秒
「はい、OKで〜す! じゃ、次行きま〜す」
ADさんの声がスタジオに響く。
それを合図に一斉に大勢の大人たちが動き始める。
わたしたち子供は、その中でじっとソファーに座って待っていた。
左隣では、やぐっちゃんがメイクさんに髪を直してもらっている。
スタジオの小さな照明たちが、まるで真夏のアスファルトのようにチリチリと小さく音を立てていた。
私は自分が少しだけ苛立っていることに気が付く。
あと少しであなたに逢えるのに、それを邪魔されているような、そんな心地いい『苛立ち』
「ごっちん、元気そうで、ホント良かった…」
だから…
そんな なっち の独り言のような呟きさえ、私はなんの違和感もなく聞き流してしまっていた。
「………」
遠くから投げかけられている彼女の『視線』にも、今の私は気付かない…。
- 271 名前:wasabi 投稿日:2003年05月12日(月)01時58分19秒
つづく
- 272 名前:wasabi 投稿日:2003年05月12日(月)02時03分44秒
今回の更新はココまでです。
第三章に突入と言う事で、気合を入れ直し書き始めたのですが…
実はへまをして、ストックを全部消しちゃいました…(泣)
と言うわけで、貴重な読者の方々…
今一生懸命思い出していますので、見捨てずにお待ち下さい。
よろしくお願いしますです。ハァ…。
- 273 名前:wasabi 投稿日:2003年05月12日(月)02時21分33秒
>>259
早速のレスありがとうございました。
そんな訳で、更新頻度は落ちてしまうかもしれませんが、
これからも読んでいただけるよう頑張りますので、叱咤激励よろしくです!
>>260
レスありがとうございます。
いきなりピリ辛にしようとしたからバチがあたったんでしょうかね。(苦笑)
ところであの黒い人って…。
だ、だ、だ、誰の事でしょう?(笑)
>>261 和尚さん
レスありがとうございます。
ひとつひとつの台詞を大事に読んでいて下さって、本当に嬉しいです。
特に市井さんの言葉は、これからも注目していただければと思います。
後藤さんは…う〜ん、何も言えませんが、応援してやって下さい。(笑)
- 274 名前:名無し読者 投稿日:2003年05月12日(月)20時13分46秒
- 更新お疲れ様です。
なんだか第三章に入って、急展開!?といいますか、怪しい雲行きですね…
早く市井に会いたがる後藤さん、可愛いです(w
安倍と矢口がどんな行動を見せるのか気になります。
- 275 名前:和尚 投稿日:2003年05月12日(月)22時22分46秒
- 更新ありがとうございます。
出ました安倍さん!安倍さんが出ただけで心臓がドキドキしてます。
これからの展開、心臓が耐えられるか(苦笑)
頑張れ後藤さん!
頑張れwasabi様!!
- 276 名前:wasabi 投稿日:2003年05月26日(月)02時31分07秒
- 更新が止まってしまって申し訳ありません。
だいぶ書きたまってきたので、何とか数日中には更新したいと思います。
まだ気に掛けて下さっている方がいらしたら、もう少し待ってくだされば幸いです…。
>>274
レスのお礼が遅くなってしまいスイマセン。
後藤さんにも随分市井さんに逢わせてあげられず、可哀想な事しています。(笑)
再開後は、安倍さんに矢口さん…その他のメンバーにも登場をしてもらう予定です。
また読んでいただけるよう頑張りますので、よろしくお願いします!
>>275 和尚さん
遅ればせながら、レスありがとうございます。
ストックが飛んでから、モチベーションが上がらず苦労しました。
そんな時、最新の和尚さんの「頑張れ」って言葉には本当に励まされました。
ありがとうございます。再開後は、またよろしくお願いします。
(愛想をつかされてないといいんですが…)
- 277 名前:wasabi 投稿日:2003年05月29日(木)02時16分01秒
■■■■■■
「お疲れ様でしたぁ〜!!」
私は最後の力を振り絞り、元気良くスタッフの人達に挨拶をする。
そして、メンバーとはなるべく目を合わせないようにして、小走りにスタジオの出口に向かった。
当然のように収録は押してしまい、出口の上に掛かっている大きな時計はもうすぐ21時になるところだった。
『明日の撮影は18時までの予定だから、ソッコーあがって20時までには行くよっ!ごとーがご飯作ってあげる!』
昨夜、電話でいちーちゃんに告げた自分のウキウキ声が腹立たしく思い出される…。
スタジオの壁に立ててある大きな姿見に自分の姿が映し出される。
やば…笑顔が引きつっているよ〜。
テッテー的【アイドル】でいられる時間が少なくなってきた…。
ピィコ、ピィコ、ピィコ………ピコ、ピコ、ピコ……ピコッ、ピコッ…胸のカラータイマーの点滅間隔が短くなってきている。
『【後藤真希】は、【市井紗耶香】の元を3分以上離れる事は出来ないのだ!』
頭の中でこだまするナレーションは、『懐かしのヒーローベスト30』って番組で流れてきそうな、何だかとってもフルメカシイ声だった。
- 278 名前:wasabi 投稿日:2003年05月29日(木)02時17分35秒
「加護…?」
スタジオを出る数メートル手前で、彼女は小さな体で大きく立ちはだかった。
ピコ、ピコ、ピコ…
胸のタイマーは鳴り続いている…。
「後藤さん…ごめんなさい。 私、あんなにNGばっかり出しちゃって…」
「え? あぁ…うん…」
「何がダメなんでしょうか…? どうすれば…」
「大丈夫、大丈夫、うん…最初から正しくやろうなんてムリなんだから…」
「…え?」
「う〜んとねぇ…大事なのは、『一生懸命やる事』と『間違いを繰り返さない事』…私もそうやって……」
「…?」
「教えられたから!」
何故か私は『いちーちゃんに』って言葉を省略した。
不思議そうな彼女の表情があまりに純粋で、私は目を逸らす。
今どうして『いちーちゃん』の名前を呑み込んだのだろう?
それは…多分、他の誰かに見られたくなかったのかもしれない。
いちーちゃんが掛けてくれた言葉は、私だけの大事なバイブル。
加護を含む、周りにいる人、誰にも見せたくない…。
イヤナヤツ…。
- 279 名前:wasabi 投稿日:2003年05月29日(木)02時18分51秒
そして、『優しくて、周りが見えすぎてしまう』加護は、帰りを急いでいる私に気が付く。
彼女はそれ以上私を引きとめようとはしなかった。
「…ありがとうございます…」
消え入りそうな声に、私は5ミリ程の罪悪感を感じる…。
『A:もう少し話しを聞く?』 『B:今度ゆっくり話しを聞くから』
ルーレットスタート!
ストップが押せない私…。
「…明日ゆっくり休んで、また頑張りますっ!」
精一杯の笑顔で、加護は小さくガッツポーズをした。
それは、さっき私が彼女に送ったものよりも、数段上手なガッツポーズだった。
娘。の中で『ガッツポーズ選手権』を開いたなら、きっと今加護が見せたガッツポーズが優勝するだろう、と私は真剣に考えた。
『最優秀ガッツポーズ賞』加護亜衣殿…。
賞状を貰った彼女は更にチャーミングにガッツポーズを見せ、記録を更新する。
また始まった…現実逃避する私の思考…クダラナイ。
- 280 名前:wasabi 投稿日:2003年05月29日(木)02時19分52秒
「うん…。じゃ…」
私はそんな彼女のガッツポーズには一切触れず、それだけ口にして出口に向かう。
それ以上話し続け、まともに考えてしまったら、泣いてしまいそうだった。
『ジコケンオ』に押し潰されてしまう前に、ここから逃げ出したかった。
胸のカラータイマーは真っ赤に点灯している。
「ご…」
スタジオのブ厚いドアが閉まる瞬間、誰かが私を呼び止めようとする声が聞こえたけど、もう私は振り返らなかった。
誰か分からないけど、ごめん、もう今夜はカンベンです!
パタン…
厚いスタジオの扉が閉じられ、私は【モーニング娘。の後藤真希】から、ただの【後藤真希】に成り変わる。
ただの、【市井紗耶香のことが大好きな後藤真希】に…。
テッテー的アイドルも、ジコケンオも、キョウイクガカリもすべて、扉の向こうに置いてくる。
- 281 名前:wasabi 投稿日:2003年05月29日(木)02時21分22秒
■■■■■■
廊下を進む足取りが、『早足』からいつの間にか『ダッシュ』に変わっていた。
その刻む一歩ごとが、さっきまでの重い気持ちをも引き離してくれるみたい。
いちーちゃん、感謝だよ…。
あなたがスニーカーを勧めてくれたおかげで、私は今夜、確実に1分は早くあなたに逢えるコトでしょう。
私は楽屋を、そしてスタジオも文字通り飛び出して、通りに出てタクシーを拾った。
それから、今にも雨粒が落ちてきそうな、そんな低い雲を避けるように身をかがめてタクシーに乗る。
乗り込むと同時に携帯を取り出して、一通のメールを打つ。
『大好きないちーちゃんへ、遅くなってゴメン。 すぐに飛んでくからイイコで待っててね♪ あなたの大好きなごとうより』
電話じゃ照れて言えないから、そっとメールで書いてみた。
『大好きないちーちゃんへ』
心の中でそっと反芻してみる。
結局、ヘコんだ私を救ってくれるのは、【市井紗耶香】という存在だけ。
私、【恋】をしているんだなぁ…。
- 282 名前:wasabi 投稿日:2003年05月29日(木)02時22分28秒
それから私は頭の中で時間の掛からないメニューに変更をして、必要な材料をリストアップしてみた。
ここはやっぱ、ごとーの十八番である『オムライス』だな!
お米を炊くのに少し時間掛かるけど、手際も味も、一番自信があるもんね。
それと、スープにサラダに…。
あ、そうだ!フルーツを買って行こう。
いちーちゃんの嫌いなあの果物を買っていって、絶対好きになってもらおう。
私はタクシーの後部座席でひとり、だらしない笑顔を浮かべたまま携帯をバッグにしまった。
そして、それを膝の上からシートへ降ろそうとした時、携帯の着メロが鳴った。
『うわぁ〜。いちーちゃん、そんなに待ち焦がれててくれたの?』
私はそう、何の疑いもなく通話ボタンを押した。
「ごめ〜ん、遅くなっちゃったよぉ…」
『後藤? 何、あんた約束あったの?』
---??
『後藤、聞こえてる〜??』
---え?え??
- 283 名前:wasabi 投稿日:2003年05月29日(木)02時25分13秒
「け…圭ちゃん?」
『そうだよー。あんた誰と間違えてんのさ…。 もう、何で何も言わずに帰るんだよ〜。裕ちゃんカンカンだよ〜』
「え…?」
---あれ、なんだっけ??
『今日は撮影が早く終わるから、みんなで裕ちゃんと辻の合同誕生会をしよって言ってあったじゃん…』
「あ…」
『あ…じゃないよ。まったく…。
一応私が『具合悪いから帰らせた』って言っといたから大丈夫だと思うケド。…後で二人にフォローのメールでもしておきなよ』
「…ゴメン、圭ちゃん。…ありがと」
『別にいいケドさ…。
でも、裕ちゃんが収録一緒じゃなくて良かったよ。収録中のあんたの顔見てたら、具合悪いなんてウソは絶対通用しなかったもん。
言っとくケド今回限りだからね〜。あたしあんたと一緒で、そういう【とっさの判断】とか苦手なんだからさぁ〜』
そう一気に圭ちゃんはまくし立て、そしてクスクスと笑った。
『全てお見通しだよ』って、そんな遠くにいるはずの圭ちゃんの笑い方が私の顔を赤らめる。
- 284 名前:wasabi 投稿日:2003年05月29日(木)02時27分34秒
私はどう答えて良いのか分からずしばらく黙っていた。
バックミラー越しにチラッと運転手の顔を見る。
しばらくそうして黙っていたけど、圭ちゃんは私の言葉を待っているみたいだった。
私は、ごまかすように彼女の事を口にする。
「あの…」
『ん?』
「加護は? …いる?」
『いるよ。 なんで?』
「う、ううん。 何でもない」
『そうだよ〜。 教育係のあんたがサッサと帰っちゃって良いと思ってんのぉ〜?』
「…ごめんなさい」
『あはは…まぁ、後藤らしいけどね。他に気になることがあると、そればっかになちゃうトコ』
「え…?」
タクシーが少し急なブレーキを掛けたせいで、携帯が耳元から外れ、圭ちゃんの声がうまく聞き取れなかった。
その時、隣で並走する若いドライバーと眼があいそうになり、私は帽子のつばに手を掛ける。
- 285 名前:wasabi 投稿日:2003年05月29日(木)02時28分44秒
「ホント、ゴメンなさい…。裕ちゃんにも辻にもメールしときます」
『うん…そうだね…加護にもね』
「……うん…」
『それから…』
「ん?」
『何ていうか……支えになって…あげてね。 あんたなら、きっと【それ】になれるからさっ』
「え…? け、圭ちゃん? それって…どういう…」
『あ、ゴメン、みんな来ちゃった。(ハーイ!今行く〜!)じゃあね、よろしく伝えといて!』
「ちょ…と…」
『あ、そうそう、今日はなんかつんくさんも来るらしいよ。 休み明けにマネージャーさんに怒られっかもよぉ〜。』
プツッ ツー ツー
私には解った。
圭ちゃんが言った『支えになってあげてね』が、加護に向けられたものではないってコト。
何故か彼女は、私がいちーちゃんと逢うことを見抜いていた。
私は切れた電話の、その液晶画面を見つめながら、圭ちゃんが最後に言った【それ】に思いを馳せる。
- 286 名前:wasabi 投稿日:2003年05月29日(木)02時34分57秒
私の向かう先を、どうして圭ちゃんがそんなに自信満々に見抜いているのか…
そんなことはどうでも良かった。
私は…ただ…圭ちゃんが口にした【それ】だけを考えていた。
【それ】の形を想像してみる。
【それ】の色を思い浮かべてみる。
【それ】の匂いや感触はどんな感じなのだろう…。
私は今、本当に【それ】に近づけているのだろうか?
圭ちゃんや、きっと、やぐっちゃんですら諦めた【市井紗耶香のそれ】…。
『はぁ…』
タイミング良く、タクシーの運転手が目の前の渋滞に向かって溜息を漏らす。
何だかそれが『無理なんじゃない?』と言っているようで、私は少なからず落ち込んだ。
携帯電話の電源を落とす。
あらゆる心配事に蓋をするように、マイナス方向へ向かう思考をそうやって無理矢理に断ち切り、私は眼を閉じた。
- 287 名前:wasabi 投稿日:2003年05月29日(木)02時37分53秒
つづく
- 288 名前:wasabi 投稿日:2003年05月29日(木)02時45分21秒
やっとこさ更新できました。
これからも細々とですが、書かせていただきたいと思います。
よろしくお願いします。
- 289 名前:名無しさん 投稿日:2003年05月29日(木)19時12分22秒
- 更新お疲れさまです。
いよいよ再会ですか。こっちまでドキドキです。
あれ?第三章は黒なっち登場じゃないのかな?
って、勝手に黒くしたらダメか(w
ストックが消えたそうで大変でしょうが、
ゆっくりお待ちしてますので頑張って下さい。
- 290 名前:和尚 投稿日:2003年05月31日(土)04時47分51秒
- 更新有難う御座います。
ごとーさん幸せ絶頂!!と言いたいのですが、なにやら所々ヤバイ予感・・・
幸せのままでいければ良いんですが・・・
愛想つかしてないですよ〜。頑張って下さい。
- 291 名前:名無しさん 投稿日:2003年05月31日(土)18時45分43秒
- 更新きた!
めっちゃ期待してます。
がんばってください。
- 292 名前:wasabi 投稿日:2003年06月03日(火)01時02分13秒
■■■■■■
閉店間際のスーパーで、私は一通りの材料を買った。
圭ちゃんの言葉が気になったせいで、何か絶対買い忘れている気がするけど…『仕方ない…』
今、携帯を開いてあなたに電話を掛けて、冷蔵庫にあるものを聞いてみれば良かったのかもしれない。
そうすれば、こっちからしつこく連絡しても不自然じゃなかったし、声が聞ければ、この言いようのない不安も拭えただろう…。
けれど出来なかった…。
私は諦めて、そこから歩いて10分程の高台にあるいちーちゃんのマンションへ向かって歩を進め始めた。
湿気を含んだ6月の夜風が、私に必要以上の不快感を与える。
人とすれ違う度にうつむいてしまう自分にも、訳もなくイライラしてしまう。
「もう!いちーちゃん!!」
苛立ちの矛先をいちーちゃんに向けてみる。
携帯の電源を入れて留守電とメールの問い合わせをしてみたけど、いちーちゃんは何のフォローもしてくれなかった。
そして私は、深い絶望の中で携帯の電源を落とそうとした。
「あ…」
すると、その時一通のメールが届く。
- 293 名前:wasabi 投稿日:2003年06月03日(火)01時04分34秒
□□□□□□
ごっつぁん、お疲れ様。
今日は帰っちゃったんだね。
何か用事でもあったのかな?(今日、すごいニヤけてたもんね〜)
明日…やっぱり買い物行くのムリ?
ちょっと話したいこともあるから、もし来られるようだったら連絡ほしいなぁ〜。
明日がダメなら別の日でも良いので、今度時間を取ってほしいんだ。
じゃ、良いオフを過ごしてネ♪
なっち達は、これから焼肉で〜す。
(でも、なんか誕生パーティーっぽくないよね。)
なっち
□□□□□□
- 294 名前:wasabi 投稿日:2003年06月03日(火)01時06分27秒
私はそのメールを一度だけ流し読みすると、我に返り慌てて電源を落とした。
見てはいけないものを見てしまったと、私は激しく自分を責めた。
理由なんて分からない…ただ、私の中にある女の勘が、本能がそう警告していた。
【安倍なつみ】が【後藤真希】に『ちょっと話したいこと』って何だろう?
どうしてメールじゃダメなんだろう?
あの完璧な笑顔の裏で、どんな言葉を準備しているのだろう?
考えてはいけないと思えば思うほど、私の頭の中は彼女の声で支配されていった。
『何か良い事あったなぁ〜』
私は、不吉に高鳴る鼓動を無理に押さえつけようと、眼を閉じてひとつ深呼吸をする。
- 295 名前:wasabi 投稿日:2003年06月03日(火)01時07分04秒
そして、私は眼を閉じたままいちーちゃんの事を考えてみる。
広がる暗闇の中で、今部屋にいるはずのあなたを想像してみる…。
一生懸命部屋を片付けている姿を浮かべてみる。
コーヒーカップをふたつ、キッチンに用意しながら照れている笑顔を想ってみる。
私が気付かない程度に、薄くルージュを引いているのかも?
もしかして…シャワーを浴びて、大好きだって言ってたスカイブルーの下着に変えてたりして…。
ダメだ…最近の私は妄想がひどくなっているみたい。
眼をあける瞬間、妄想の中で振り向いた【市井紗耶香】が、一瞬【安倍なつみ】の姿に変わった気がした。
- 296 名前:wasabi 投稿日:2003年06月03日(火)01時08分26秒
『もう、そんなに片付けに時間がかかるほど、部屋散らかしてるの?』
最後の映像を見なかった事にしようと、自らを奮い立たせる虚しい独り言。
けれど、それは確実に私の瞼の裏に焼きついていた。
そして、一度向いてしまったマイナス思考への矢印は、携帯の電源を落とした位ではなかなか修正できるものではなかった。
頭の中では、あなたが何の連絡もしてこない理由が浮かんでは消え、消えては浮かんだ。
あの日から何度かになる、あなたの部屋へと続く最後の坂道が心なしかいつもより急に思える。
スタジオを出る時、私に『悦び』を与えてくれたこの一歩一歩が、今は逆にそれを奪って行く気さえする。
いつもと同じ大きな自動ドアが、いつもと同じスピードで開く。
【歓迎】も【拒絶】も感じさせない、平らで味気ないスピード。
私はエントランスを横切り、集合ポストの前にいるおじさんに気付かれないようにインターホンの前に立った。
それから、ゆっくりとあなたの部屋番号を押して返事を待った。
- 297 名前:wasabi 投稿日:2003年06月03日(火)01時09分05秒
5秒、10秒…
応答がない。
だけど、それが帰ってこない事を、私は何故か分かっていたような気がした。
そう…だからさっきも電話をかける事が出来なかったんだ。
どうしても出来なかったの…。
いろんな声色の『まさか』がエンドレスでこだまする。
『もう一度…』
そう思って指を伸ばしたとき、零れるように涙が流れた。
そして、私は全身の力が抜けていくのに耐え切れず、その場で膝を抱えるようにしてうずくまる。
ねぇ、いちーちゃん。
人を好きになるって、こんなにもすごい事なんだね。
『あなたがいない』
こんな些細な出来事にすら、私の心は無数の『もしも』に激しく揺り動かされ、涙が零れてしまう…。
- 298 名前:wasabi 投稿日:2003年06月03日(火)01時09分59秒
「後藤!」
マンションの中ではなく、私が今入ってきたおもての自動ドアが開いた。
そして、小さく響くいちーちゃんの声。
熱いフライパンの上に垂らした水滴のように、全ての妄想をジュッて消し去ってくれる、あなたの『後藤!』って声。
なんだ、やっぱりちゃんと見つけてくれるんじゃない…。
もう、いいよ…。
そんな『じらし』のテクニックなんか使わなくたって、私はもう、いちーちゃんにメロメロなんだから…。
「おいおい、何泣いてんだよぉ〜!」
そんなあなたの声が、私の涙腺の蛇口を更に開く。
私は口を一文字に結んだまま、あなたをキっと睨んだ。
「ちょ…と、何で怒ってるのさ? 心配したんだぞ〜。メール見たあと、何度こっちから電話しても留守電になっちゃうから…。
そんで、そろそろだろうって思って、わざわざ外まで出て待ってたのに…」
- 299 名前:wasabi 投稿日:2003年06月03日(火)01時11分13秒
私はそのままの表情で小さく首を振り、そして幼い子供のようにいちーちゃんに抱きついた。
『どこですれ違ってしまったのだろう』なんて考える余裕はなかった。
あなたの首にぶら下がるようにして、そしてその唇を強く引き寄せる。
私は強引にあなたと唇で繋がりながら、再び圭ちゃんが口にした【それ】について考えてみた。
…考えたけど、答えなんか出ない。
だって、私は私…【後藤真希】でしかいられないもの。
何だか良く分かんない【それ】になんてなれない…。
「最近の【後藤真希】は、ホント泣き虫だなぁ…」
「…ヒック…えへへ、ごめんね…ヒック…」
「………ううん」
いちーちゃんはゆっくりと唇を離すと、そう小さく首を振り、愛しそうに私を見つめた。
少しだけ滲んで見えるあなたの姿。
- 300 名前:wasabi 投稿日:2003年06月03日(火)01時12分04秒
「でもね…」
いちーちゃんが口を開いた。
とても優しく、私を諭すような話し方だ。
「こんな事言うなんて、ひどいヤツかもしれないけど…」
「…ヒック…」
「実は…後藤がそうやって私の事で取り乱しているトコ見るの、イヤじゃないんだ…」
「え…?」
「後藤にとって、私の存在は決して小さいモノじゃないんだなって思えて…何か、どんな言葉よりも信じる事が出来るんだ…」
「いちーちゃん…」
「えへへ…ヒネクレ者でゴメン。 あ、でもいつもこんなんじゃウザいぞ!」
いちーちゃんは笑う。
そして『照れ』を精一杯隠すように、まるで教育TVのお姉さんのように右手の人差し指を一本、私の泣き顔の前に立てた。
ひどいよ…。
あなたの存在が『小さいモのじゃない』だなんてさ…。
今の【後藤真希】にとっては、その頭も体も心も全て【市井紗耶香】でいっぱいだっての!
もう…全然分かってないんだから、いちーちゃん…。
- 301 名前:wasabi 投稿日:2003年06月03日(火)01時13分01秒
「そうだ…あたし、ひとつカミングアウトしちゃおっかな…」
「え?」
「ちょっと来て」
いちーちゃんはそう言って、私の肘を引っ張り立ち上がらせる。
そして、私をどうにかインターホンの前まで連れて来て、そのまま後ろから肩を抱き、そっと右後ろからその顔を覗かせた。
「指、貸して」
いちーちゃんは少し照れくさそうにそう言うと、その細い指で、私の右手の人差し指をとった。
そして、私の指を優しく包むように握ったまま、それを使ってゆっくりと番号のボタンを押し始めた。
孤独な殺し屋が女子高生にピストルの撃ち方を教えるように、私の手の平をそっと導く。
5・1・0・1・1
「分かった?」
「暗証番号? 教えてくれるの? …嬉しい!」
そう言って飛びつこうとする私を、いちーちゃんが静かに笑顔で制する。
頭の中にたくさんの『?』が、まるで小川の湧き水のように次から次へと溢れて出てきた。
- 302 名前:wasabi 投稿日:2003年06月03日(火)01時14分09秒
「イヤ…それもそうなんだけど…他に…何か気が付かない?」
「ん〜〜〜〜」
「分かんないかなぁ〜。 あのぉ…あのね…暗証番号…ご(5)とう(10)いち(1)い(1)なんだよ…ここに住む時、自分で決めたの」
「………あっ…」
「やっと気付いたか…もう、相変わらずニブイなぁ〜」
「………」
「恥ずかしいから言うつもりなかったんだけど…なんか…後藤さ、時々『自分ばっかり…』みたいな事言うじゃん…。
だから…私もそうだったんだよって…あんたにコクられたから今こうなってるんじゃないよって事、いつかちゃんと伝えなくちゃなぁ〜と思っててさ…。
言葉じゃなくて、何かもっと…こう…信じてもらえそうな何かで…」
「………」
「…ちょっと、何か言ってよ。恥ずかしいんだからさ…」
「…えへへ…ありがちぃ〜」
「な…!な、なんだとぉ〜〜!」
- 303 名前:wasabi 投稿日:2003年06月03日(火)01時15分16秒
大きな自動ドアが、今度は確実に【歓迎するスピード】で開いた。
そしてそれがまるで開かれたダムの水門のように、止まりかけていた私の涙を放出した。
さっきとは比べ物にならないくらいの勢いで再び流れ始める涙に、頭の奥で洪水警報がなっている。
いちーちゃんは、精一杯の告白をしているつもりだろうケド、結局今も『好き』って単語を使ってくれないだよね〜。
ホント、呆れるくらいにガンコもんなんだから…。
もう…あなたがその単語を使わずに、いつまでマワリクドク愛情を表現してくれるのか…最近じゃ楽しみにすら感じてきたよ…。
『好き、好き、好き、好き…いちーちゃん、大好き』
いいさ、いいさ…仕方ないから、その分ごとーがいちーちゃんの分まで『好き』って口にしてあげよう。
…あなたがこうして二人の『これから』を信じさせてくれるなら、隠し通す『何か』の存在なんてどうでも良い事なのかもしれないと思う。
あぁ〜あ、『条件』を満たす前でも、あの『約束』にOKを出してしまいそうになるよ…。
- 304 名前:wasabi 投稿日:2003年06月03日(火)01時16分17秒
でもね…ただひとつ心配な事があるの…。
二人でこのまま進んでも、私はそのゴールを見る前に、自らの流すこの涙に溺れ死んでしまうんじゃないかなぁ…って。
…そうだ、この涙の川には二人以外のすべてを流してしまおう。
圭ちゃんの【それ】も。
やぐっちゃんの【友情】も。
加護の【ガッツポーズ】も。
裕ちゃんと辻の【誕生パーティー】も。
そして…
なっちの【完璧な笑顔】も…。
- 305 名前:wasabi 投稿日:2003年06月03日(火)01時17分36秒
つづく
- 306 名前:wasabi 投稿日:2003年06月03日(火)01時42分44秒
愛想つかされていなかったコトが嬉しくて、思わず勢いで更新しちゃいました。
ちなみに、暗証番号のくだりは、あまりにもベタで最後まで悩んだんですが、
この二人だったら、こんなベタも『あり』でしょう!と勝手に納得して、そのままあげました。
後藤さんも喜んでいるみたいだし、どうかお見逃しを。(笑)
- 307 名前:wasabi 投稿日:2003年06月03日(火)01時43分31秒
>>289
レスありがとうございます!
これから安倍さんもいよいよ本格的に絡んできます。
あ、絡んでくる予定です。(笑)
でも、まだ『黒い』とは言ってませんよ。
なんたって、なっちですから。
>>290 和尚さん
愛想尽かさず待ってていただき感謝です。
今回、消してしまった部分を書き直しているうちに、何だか後藤さんが可哀想になってきてしまって…。
実は、少し幸せなシーンを追加しようと考えています。
作者が『照れ』に負けなければ、見ていただける機会もあると思います。(笑)
これからもよろしくです。
>>291
レスありがとうございます。
頑張っちゃいました!
いい意味で期待を裏切るよう頑張りますので、これからもよろしくです。
(更新頻度とかじゃなく…)
- 308 名前:名無しさん 投稿日:2003年06月03日(火)09時46分00秒
- 更新お疲れ様でした!!
いや〜こんなベタもありでしょう!(笑)
まったく作者さんは落として上げる作戦が多いんだから…(w
まだ一波乱は来ないようですね。
いつになく黒そうななっちが何をしでかすかワクワクしながら待ってます
- 309 名前:和尚 投稿日:2003年06月07日(土)11時45分35秒
- 更新有難う御座います!
こーゆーシーンどわぃ好きです!
いちーさんを想いながら一生懸命になるごとーさん。
ごとーさんを優しく受け止めるいちーさん・・・
満足です!
そして、いちーさんが照れながら暗証番号の意味を教えたりして、
ごとーさんの事が好きなんだなぁ〜と思いました。
なっちの存在がでも非常に気になるんですよ。
ドキドキして次回更新をお待ちしてます。
- 310 名前:名無しさん 投稿日:2003年06月07日(土)14時35分59秒
- 更新お疲れさまです。
ベタでも何でも、2人が幸せなら問題なし!
でも、この幸せはいつまで続くんでしょう…(w
続き楽しみにお待ちしてます。
- 311 名前:wasabi 投稿日:2003年06月13日(金)01時56分59秒
■■■■■■
それから…
私は引きずられるようにしていちーちゃんの部屋に入り、そして靴を履いたまま玄関の框に座り込んだ。
漂うミントの香りが鼻を刺激して、私の顔は涙と鼻水でグシャグシャになっていた。
いちーちゃんは嗚咽しつづける私の隣に座って、この背中をずっと擦ってくれている。
観葉植物に語りかけながら、その葉についた埃を拭き取ってあげるような…それは、そんな優しい手付きだった。
「…落ち着いた?」
いちーちゃんは『めずらしく』優しい声でそう言うと、絶妙な角度で首をかしげた。
その顔が何とも愛しくて、私は唇を結んで眼を閉じ、溢れそうな『何か』を懸命に押しとどめる。
そして、おどけるようにいちーちゃんの肩のあたりに渇ききらない涙と鼻水を思い切りこすり付ける。
- 312 名前:wasabi 投稿日:2003年06月13日(金)01時57分38秒
「あぁ〜〜。 ち、ちょっと!」
「えへへ…らしくないのぉ〜。そんな優しい口調はいちーちゃんらしくないぞ!」
私は(きっと)真っ赤な目をしたまま、照れ隠しの言葉を口にする。
目の前では愛しいくすんだ紅色の唇が、絶妙な形で小さな笑みを作っていた。
梅雨入りしてぐずついた、最近の雨雲を軽く吹き飛ばしてしまいそうな…それは、そんな魔法のような笑みだった。
「ねぇ、いちーちゃん…」
「ん?」
「ご飯食べちゃった?」
「ううん、食べてないよ…だって、せっかく後藤が作ってくれるって言ってたのに…」
「今から作っても…待っていられる?」
「後藤シェフ!今夜のメニューは何でしょうか?」
「…はい!ごとー特製、【愛情たっぷりオムライス】でございます!」
後藤真希、敬礼。
市井紗耶香、ちょっと後ずさり。
- 313 名前:wasabi 投稿日:2003年06月13日(金)01時58分12秒
「あはは!何だか、めっちゃ【甘そう】だなぁ〜」
「えへへ…大丈夫!【甘〜い】デザートは食後にとっておいてあります」
『もちろん、それは…わ・た・し♪』と言う代わりに、私はハートマークの眼でいちーちゃんを見つめた。
少女マンガの主人公が憧れの先輩を遠くから見るように、私は両手を胸の前で組み、真っ赤に腫れた眼で何度も何度も瞬きをした。
たくさんの星をその中に散りばめて、背後にはたくさんのバラと何人もの天使も用意したつもりだったけど、さすがにそれは伝わってないようだった。
「げぇ…デザートっていうボリュームじゃない気がするんですけどぉ…」
「あぁ〜ひど〜い…」
「あはは…ばぁ〜か」
「えへへ…」
「じゃ…まずは一緒にご飯作ろっか。 手伝うよ」
「うん!」
「でも…その前に…」
「んぁ?」
- 314 名前:wasabi 投稿日:2003年06月13日(金)01時59分11秒
いちーちゃんは私の両肩を掴むと、そのままゆっくり私の体を倒して廊下に仰向けにさせた。
そして、四つん這いになり、呆気に取られている私の顔を満面の笑みを浮かべて私を見下ろす。
私が抵抗しない事を確認すると、肩から両手とも離し、垂れ下がるソバージュを同時に両耳に掛けた。
『おかえり…ごとう』
多分、いちーちゃんはそう言ったんだと思う。
…多分って言うのは、その時、あまりに自分の心臓が激しく高鳴ってしまい、実際に声になっていたのかどうか確信が持てなかったから。
瞬きすら忘れてしまった、そんな私の顔を見て、いちーちゃんは小さく鼻を鳴らして笑った。
そしてそのまま、いちーちゃんの笑顔が私の視界の中で大きくなって、そしてぶつかった。
- 315 名前:wasabi 投稿日:2003年06月13日(金)02時00分07秒
それは、滅多にお目にかかれない、いちーちゃんからのとても優しいキスだった。
そのまま、この廊下の上で溶けてしまいそうな、そんな全身の力を奪い取るキス。
意識が月にまで飛びそうになる寸前、いちーちゃんはこれ以上ないってタイミングで唇を離す。
そして、私の上をわざと跨いで、ひとりでさっさと部屋の中にあがってしまった。
「ささ、腹減ったぞぉ〜」
お〜〜〜い…。
大好きなひとんちの玄関先で、靴を履いたまま、眼を見開いて仰向けになっている【後藤真希】14歳…。
- 316 名前:wasabi 投稿日:2003年06月13日(金)02時00分49秒
■■■■■■
「いやぁ〜。食った、食った」
「ちょっと〜。 いちーちゃん、お腹叩かないでよぉ〜。 オヤジみたい…」
私がそう言うと、いちーちゃんは満足そうに笑った。
『もう、何で笑ってんのよぉ〜』と私が膨れると、肩を竦めて更にその笑顔の光量を上げる。
「こんなに食べたの久し振りだよ」
「ふ〜ん…そうなんだ。 いちーちゃん、もともと小食だもんね」
「そう? そんな事はないと思うケド…。 ここんトコちょっとダイエットしてたんだけどなぁ…美味しかったもんだから…つい」
「もぅ!! ぶぅ〜ぶぅ〜」
「!? …何怒ってんの? 美味しかったって言ってんじゃん。 ホントだって」
「ちが〜う!いちーちゃんがダイエットするなんていっちゃダメだって言ってんのぉ〜」
「あはは! なんでよ〜」
「こんなに細いいちーちゃんがダイエットなんかしてたら、ごとーはどうするのよぉ…」
「いいじゃん、いいじゃん、後藤は今育ち盛りなんだからさっ」
「………」
- 317 名前:wasabi 投稿日:2003年06月13日(金)02時02分13秒
いちーちゃんはどうにかそう言うと、こらえきれずに笑い出した。
私は、改めてあなたの身体を足元から髪の先までゆっくりと見た。
そのスレンダーな身体であんまり大袈裟に笑うもんだから、私はさすがにちょっと哀しくなる…。
『そんな、自分だけ大人ぶらないでよ…』
気持ちがなかなか伝わらなくて、もどかしい…。
私は、何だか娘。に入った初日を思い出した。
メンバーもスタッフもみんながめまぐるしく私の周りを動いているのに、ふと気付くと何もする事のない事実にとても孤独を感じた、あの楽屋の風景。
台風の目の中に入ってしまったような…取り残されたような、そんな気持ち。
「そんな顔しないの!」
「だってぇ…」
「もぅ…。 ダイエットってのは大袈裟だけど、娘。を辞めて体動かさなくなってるから、前と同じペースで食べちゃまずいっしょ。
だから、ここんとこ少し自制してたの」
「…そっか」
「後藤…」
「んぁ?」
- 318 名前:wasabi 投稿日:2003年06月13日(金)02時02分48秒
「あのね、大家族のあんたには分からないかもしれないけど、ひとりで食べる食事ってのはホントに味気ないものなんだよ。
今夜…大事なのは『何を食べる』かじゃなくて『誰と食べる』かなんだなぁ〜って、つくづくそう感じたの。
後藤と隣に並んで食べるオムライスは、何だか…そうだなぁ…うん、魔法の粉を振りふりかけたみたいで、すごく美味しかったんだ」
「そっか…ごめん。 …ううん、ありがと。 いちーちゃん」
「いえいえ、どーいたしまして。 こちらこそ、どーもご馳走様でした♪」
小さないちーちゃんの頭がペコリと音を立てて折れ曲がる。
食事前に器用に片手でひとつに結んだ髪の、その中に入れなかった後れ毛が一束優しく揺れた。
- 319 名前:wasabi 投稿日:2003年06月13日(金)02時03分33秒
ありがとう。いちーちゃん。
そうだった…思えばいつも、孤独な私を救ってくれたのはいちーちゃんだったんだ。
いちーちゃんは、私がひとりぼっちになると、すかさず隣に座っていつもこうやって掬い上げてくれた。
今思えば、それは教育係の責任感からだったのかもしれない。
だけど、例えそうだったとしても嬉しかったなぁ…。だって、その優しさに私はホントに救われたんだよ。
そう…同期がひとりもいない私は、いつも何処かでひとりぼっちだったから。
ねぇ、いちーちゃん。
これからもどうか私を独りにしないで下さい。
もう、ひとりぼっちはヤだよ。
あなたが卒業してしまった事実はもう変えられないかもしれないけど、せめて『いつも傍にいるよ』ってテレパシー送っててね。
いつまでも、いつまでも、そう感じさせてね。
- 320 名前:wasabi 投稿日:2003年06月13日(金)02時05分13秒
「後藤?」
うつむき黙り続ける私の顔をいちーちゃんが覗き込む。
心配そうな、不安そうな、でも私の事だけを考えていてくれている声。
「えへへ…魔法の粉なんか使ってないよ。 ごとーの腕が良いんだからっ!」
私はそう笑いながら考えている。
「そかそか、後藤はきっと『いいお嫁さん』になるね」
そんな事言ったってもうダメ。
そんな意地悪は今は通じない。
「…?」
イジケル私を期待していたいちーちゃんの顔が少し戸惑っている。
私は笑顔のボリュームを絞らずにあなたをみつめ、どう伝えようか考えている。
「ごとー…いちーちゃんの事、いっぱい、いっぱい幸せにしてあげる! どうやってなんて聞かないでね。 ただそう決めたの」
いちーちゃんは『え』って、声を出さずに口を動かした。
そして戸惑い混乱した笑顔を浮かべる。
「いちーちゃんは深く考えなくて良いの! ごとーが、ただそう決めたんだから」
「あはは…。 そりゃどーも」
- 321 名前:wasabi 投稿日:2003年06月13日(金)02時06分01秒
【市井紗耶香】の『幸せ』も、【後藤真希】のそれについても、何ひとつ心配する事はない。
二人でならば、そんな漠然としたモノですら、必ず手に入ると信じられる。
何の根拠もないけど、ただ私とあなたはずっとココにとどまればいい…それだけで全て上手くいくはずなんだ。
ねぇ、いちーちゃん…。
もしも『魔法の粉』が本当に存在するのなら、それは後藤の作ったオムライスにふりかけられたんじゃないと思う。
それはきっともう既に…お互いが自分の気持ちに素直になった時からずっと、ふたりの頭上に降り続いているんだよ。
シアワセの暗証番号『51011』
シアワセの素『オムライス』
コンサートのクライマックスに舞い降りる金色の紙吹雪のように、それはゆらゆらと音も立てずに降り続けて、
二人が触れるもの全てを『シアワセ』なものに変えていくんだ。
「では、今度は私がお礼にレモンティーでも淹れてさしあげましょう…」
私は、ティーカップの上にゆっくり舞い降りる魔法の粉を簡単に想像する事が出来た。
こころが『ジーン』と音を立てて震え、私はまた涙を流してしまいそうになる。
- 322 名前:wasabi 投稿日:2003年06月13日(金)02時07分03秒
足踏みをするようなこんな時間も、根拠のない遥か先の未来も、その全てが私にとっては『幸せ』。
だから、本当の意味なんて今の私にはどうでも良い事だった。
ずっと先になって、知ることになる『幸せ』という単語の本当の意味なんて…。
- 323 名前:wasabi 投稿日:2003年06月13日(金)02時07分39秒
つづく
- 324 名前:wasabi 投稿日:2003年06月13日(金)02時29分29秒
今回の更新はココまでです。
更新が遅い上に、こんな中途半端な『甘い』時間が続き申し訳ありません…。(笑)
>>308
レスありがとうございます。
作戦バレバレっすね。
黒いなっちが何をしでかすか…実は作者も楽しみだったりして。(笑)
>>309 和尚さん
レス感謝です!
あんなベタなシ―ンを気に入っていただいて恐縮です。
迷った挙句にアップして良かった…。
なっちの存在を忘れずに、今はこの中途半端な『甘さ』にお付き合い下さい。(笑)
>>310
レスありがとうです。
そうなんです!『2人が幸せなら…』って大事なコトですよね。
とりあえず、こういう分かり易い『幸せ』はもう少しだけ続く予定ですので、
これからもよろしくです。
- 325 名前:名無しさん 投稿日:2003年06月13日(金)21時32分14秒
- 最後の二文あたり…意・味・深。
どうかこのまま甘〜くいちごまが続いてくれぇ!!!
- 326 名前:和尚 投稿日:2003年06月17日(火)15時47分08秒
- 更新お疲れ様です。
何度読んでも良いですねこーゆーシーンは。
いちーさんからのキスに目を見開いて仰向けになってるごとーさんが好き。
突然の出来事には弱いんですね(笑)
お付き合い下さい・・・ってことはまだ続くんですね!そうですね!!
安倍さんが今後どのように出てくるのかドキドキします〜。
- 327 名前:wasabi 投稿日:2003年06月24日(火)01時03分40秒
■■■■■■
■■■■■■
「髪…金髪だったんだよなぁ…」
いちーちゃんは右手で私を腕枕したまま、空いた左手で私の髪を静かに梳いた。
『ん…』
それはそのまま私のこころまで愛撫しているようで、私はゾクっと小さく身震いをし、思わず声をあげそうになる。
今、私達は食事の後片付けもせずに、真っ暗な部屋でベッドに潜り込んでじゃれあっている。
TVも音楽もつけずに、真っ暗な中で抱き合っていると、時間の経過を感じなくて、何故か不思議と心が落ち着く。
―――永遠の一瞬。
- 328 名前:wasabi 投稿日:2003年06月24日(火)01時04分16秒
「金髪のままの方が良かった?」
「いや、そうじゃなくて…最初に逢った時の事思い出してたの…。 もの凄く衝撃的だったからさ」
「へぇ…そうなんだ…」
「…うん、はっきり言って心配だった。 こんな『ふりょー』と一緒にやってけるのかなぁ…って」
「いちーちゃん…『ふりょー』って…」
「あはは、ごめん。でも…第一印象がアテにならないってホントだね。今じゃ…ねぇ…」
いちーちゃんは少しだけ右手に力を込めて私の頭を引き寄せた。
それは、例えば…
偶然出くわした銀行強盗の現場で、犯人達がその場に居合わせた人間の中から『誰を人質にするか』って相談している時、
黙って『後藤だけは絶対に渡さない』ってするような、そんな深い愛情と強い意志を感じる抱き寄せ方だった。
私はあなたの首筋辺りに顔を埋め、そっと目を閉じ全身の力を抜いて、この身を委ねる。
4月の土手のようないちーちゃんの香りが、春風に乗ってやってくる。
- 329 名前:wasabi 投稿日:2003年06月24日(火)01時06分02秒
「あたし…後藤の髪、好きなんだよなぁ…。 細くて、柔らかくてさ…このまま伸ばしたら、どんな風になるんだろう…」
なんかイヤな言い方。
いちーちゃん、そんな遠い目をしていわないでよぉ…。
「ホント、羨ましい…あたしなんかソバージュかけてから、痛んじゃって痛んじゃって…」
「…じゃ、ごとー、髪伸ばすよ。 だから…」
「…?」
「…ううん。 …なんでもない」
私は精一杯の笑顔で、また言葉を呑み込んだ。
『だから、いつまでもごとーの髪を撫でててね』って言葉。
何だか、あなたに好きだと告げてから、私はこうやって言葉を呑み込む事が多くなった気がする…。
臆病でズルい私はそうやって、いつも細い一本の逃げ道を確保しておくんだ…。
こんな小さな葛藤なんて、ホントは意味のない事かもしれないのにね。
だって…どんな風に隠したって、きっといちーちゃんには、この恋心は全てお見通しだろうから…。
『いつまでも』
だけど、今その言葉を口にしたら、私のこころに【不安】という小さなホコロビが出来そうで怖かった。
この髪が肩まで伸びる頃、女同士のあなたと私はどうなっているのだろう…。
- 330 名前:wasabi 投稿日:2003年06月24日(火)01時06分50秒
『何、心配なんかしてるんだろ?』
まるでそう言うように、いちーちゃんは不思議そうに小さく首をかしげた。
「ごとーは…」
だけど…例えバレバレだったとしても、私は呑み込んだ言葉を追求されたくなくて、話題を変える。
『ん?』という言葉とともに、いちーちゃんの喉が少し動くのを感じた。
「ごとーはね…いちーちゃんの【胸】が好き!」
「…!?」
「柔らかくて…透き通るみたいに白くて…何より、ごとーだけが独占できるから!」
「…ば…ばかっ…」
いちーちゃんは今までにないくらい動揺してそう言うと、私に背を向けて向こう側を向いてしまった。
私はそのまま背中から両手を回して、精一杯優しく自分の【胸】を押し付け、そしていちーちゃんを丸ごと抱きしめる。
いちーちゃん、ホントだよ。
私にとって、あなたのその【胸】は、そのままあなたの【こころ】なの。
その【胸】に触れると、あなたの【こころ】に触れられているような気持ちになれて、とても安心できるんだ〜。
- 331 名前:wasabi 投稿日:2003年06月24日(火)01時07分24秒
「ねぇ、後藤…」
いちーちゃんは私に背を向けたまま口を開いた。
それは感情を含まない、どこまでも平らな声だった。
「んぁ?」
「もし…もしさ、あたしが男になっちゃったらどうする?」
「ええええええ????」
「ば、ばか、『もしも』の話だよ! なるわけないだろ…」
「…じゃあ、何でそんな事聞くの?」
「…うん…例えば私が…今の【市井紗耶香】の外見が、何らかの理由で大きく変わってしまったとするじゃない?
そんな【市井紗耶香】は、もう後藤が大好きと言ってくれた…この【胸】も持ってないの…」
「………」
「…そうなっても、【後藤真希】は【市井紗耶香】のことが好きでいられる?」
「う〜〜ん。 言ってる事がよく分かんないよぉ…」
「………」
「…いちーちゃん、最近そう言う難しい例えが多くない…?」
「………」
「…いちーちゃん?」
「…そっか…そうだよね、訳わかんないよな。 ただ、今何となく不安になっただけ」
「え…不安…?」
「くだらないタトエバナシだよ。 忘れて」
- 332 名前:wasabi 投稿日:2003年06月24日(火)01時08分37秒
いちーちゃんはそれっきりしばらく黙っていた。
私に背を向け、窓からかろうじて見える滲んだ月を見ているようだった。
ねぇ、いちーちゃん…そんなあなたの背中を見ていると、ごとーの方が『不安』になるよ…。
私は回した両手に少しだけ力を込める。
細いあなたの躰が少しだけ軋み、小さく悲鳴をあげているようだった。
いちーちゃん…。
やっぱり、あなたはステージを降りてしまった事で、輝きを失ってしまうんじゃないかって不安になってるの?
ねぇ、そんな心配しないで。私はあなたにアイドルとして、芸能人としての輝きなど望んでいないんだから。
いちーちゃんの輝きはね、私にとってはもっとシンプルなモノなんだよ…。
例えば…満開の桜はキレイだとか、彼女のピアノの音色は泣けるとか、そんなこころの根っこの部分を直接照らすような輝きなの。
伝えてあげたい。
【市井紗耶香】はアイドルなんてブランドがなくても充分魅力的だってこと。
- 333 名前:wasabi 投稿日:2003年06月24日(火)01時09分23秒
ううん…。
それどころか、肩の力を抜いてベッドの上で控えめに微笑むあなたは、テッテー的アイドルな笑顔を降りまくステージの上よりもずっと素敵だよ。
少し時間は掛かるかもしれないけど、私はそういうあなたが大好きだってことを、もっともっと上手に伝えたい。
私はもう一度回した両手にゆっくり力を込め、そして触れるか触れないかって位軽く、あなたの背中に口づけた。
小さい時に夜店の縁日で買ってもらった風船に、いつまでも長持ちするよう空気を吹き込んだ事を思い出す。
『だ・い・す・き』
私は声に出さずに、あなたの背中に口づけた唇をそのまま大袈裟に動かしてみる。
いちーちゃん、気がついてくれたかな…。
―――バタン
マンションの隣で部屋の玄関が閉まる音が響いた。
それを聞くと、夢と現実の間を漂っていた私の心はビックリして現実の方へと引き戻された。
- 334 名前:wasabi 投稿日:2003年06月24日(火)01時10分05秒
「あ、忘れてた…」
「ん?何を?」
「ごとーね、デザートにフルーツ買ってきてたんだよ」
「へぇ…あ、そう言えば冷蔵庫に何か紙袋に包まれたものが入ってたなぁ…。何買ってきたの?」
「えへへ…」
「……なんだよ、気持ち悪い」
「もう!前も言ったけど、その『気持ち悪い』って言うのなしぃ〜」
「あはは、悪い悪い。 …って言うか、何かイヤな予感がするんだけど…」
やっといちーちゃんはゆっくりと私の方に顔を向け笑った。
何だかそれは、少しぎこちない笑顔だった。
だけど、私はそんなぎこちない笑顔をを大切にしたいと、こころから思う。
とりあえず今は、あなたをたくさん笑わせてあげよう。
くだらないダジャレやら、ドジな私やら、真っ黒に焦げそうなヤキモチやら…
そんなものを全て総動員して、不安なんか感じる暇のないくらいにあなたを笑顔にしてしまおう。
- 335 名前:wasabi 投稿日:2003年06月24日(火)01時10分59秒
『ねぇ、笑って!』
そう言う圭織の真顔が頭に浮かんで、私は何だか可笑しくなった。
私はいちーちゃんと入れ替わるように天井を向き、顔をくしゃくしゃにしてわざとらしく笑顔を作ってみる。
『ごと〜』と言ういちーちゃんの言葉を満足そうに受けとめた後、私は布団から左手を少しだけ出して、人差し指を一本立てた。
「ピンポ〜ン! 【イ・チ・ゴ】です♪」
そうだよね…。
これから、時間はいくらでもあるんだから。
ゆっくりこの気持ちを伝えれば良い…。
そう、そしてゆっくり、ふたりで幸せになればいいんだ…。
ゆっくり…ふたり…歩く速さで…。
- 336 名前:wasabi 投稿日:2003年06月24日(火)01時12分00秒
「げぇ〜!やっぱなぁ…。 何で、あたしが嫌いなの知ってて買ってくんだよ…」
「何で嫌いなの〜? 【イチゴ味】は好きなのに、変なのぉ〜」
「別に良いだろ…」
「良くない!」
「な、なんでだよ!良いじゃんか!」
「良くないのっ!!」
私はそう言うと、体を起こしていちーちゃんの上に四つん這いになって覆い被さった。
下には驚いて目をまん丸にしたいちーちゃんが見える。
「な、なにムキになってるんだよ」
「わかんないの?」
「…う…うん」
「もう、全然ダメぇ〜」
「え…ま、まさか…」
「【いちご】なんて…『いち』ーちゃんと『ご』とうのためにあるような果物でしょ!」
「……やっぱ…」
「でしょ!!」
「オヤジギャグかよ…圭織じゃあるまいし…」
『ねぇ、笑って!』また、圭織が頭の中で私を笑わそうとする。
いちーちゃんと同じタイミングで『圭織』の姿を思い出した事実は、私を喜ばせ笑顔にしようとする。
だけど、まだダメ。
今、私はいちーちゃんに怒った振りをしてるんだ。
- 337 名前:wasabi 投稿日:2003年06月24日(火)01時12分52秒
「ひどぉ! いちーちゃんの暗証番号だって同じじゃんかぁ〜!」
「……おっと、そうだったか」
そう言って苦笑いを浮かべるいちーちゃん。
その、おどけてごまかそうとする表情に不満な私は、いちーちゃんの『へ』の字になった唇に自らの唇を押し付けた。
だけど、しばらくするといちーちゃんは、『ぷはっ!』と、息継ぎをするように唇を離した。
「もう…色気ないなぁ〜。絶対わざとやってるでしょ…」
さっきまで演技で怒っていたはずなのに、いつの間にか私は本気で哀しくなっている。
けれどそうやって本気でへこみそうになる、そのギリギリのトコで、あなたは両手を私の背中に回して思い切り躰を引き寄せる。
「後藤…」
「なによぉ〜」
「機嫌…直せよぉ〜」
「……【しんちゃん】の真似したってダメ」
「…ちぇ〜」
いちーちゃんはそう言うと、唇を尖らせて視線を外し、それから私を抱きしめていた両腕の力を緩めた。
けれどすぐ、思い直したように私の事を見つめ直し笑顔になる。
- 338 名前:wasabi 投稿日:2003年06月24日(火)01時13分44秒
「ねぇ…明日、買い物に行こうか?」
「…え?」
「天気も良さそうだし、外でデートしよっ♪」
「なぁ〜んか、無理やりっぽいなぁ…あやされてる気分…」
「あ…そういう事言うの? ふ〜ん…。 じゃ、もういいよ」
「うそうそ!いちーちゃん、行くってば!行く!行く!」
「…別に無理しなくてもイイんだけどぉ〜」
うわっ…。
いちーちゃん、その意地悪な顔、チョーカワイイ。
「…何、満面の笑顔浮かべてんだよ」
「あはは、何でもない! …でも、何買うの?」
「イヤ、別に決めてないケド…後藤、最近何か買おうと思ってたものないの?」
「う〜〜〜ん・・・。 あ!」
「え? なに?」
「口紅!」
「口紅??」
「そう、私そろそろ買わなきゃって思ってたんだ。 お揃いのヤツ一緒に選んで買わない?」
「口紅か…」
「…ダメ?」
「ううん、まさか。 いいよ。 お揃いの買おう、口紅」
「やったぁ〜!」
- 339 名前:wasabi 投稿日:2003年06月24日(火)01時14分22秒
私はそう言うと、いちーちゃんの躰を力任せに引き寄せキスをした。
数時間後、お揃いの紅色がひかれる事になる、その柔らかな唇を惜しむように貪った。
さっきヘコんでた私のこころは、あっと言う間に元通りになり、更にひと回り大きく膨らんでいるみたいだった。
「ねぇ、いちーちゃん…あとさ、Tシャツも買おうよ」
「Tシャツ?」
「そう! おもいきりハデなやつ♪」
「あはは!『はぐれないように』ね」
「やったぁ! 約束ね!」
そう…
この恋についてだけは何故か、心配性でマイナス思考な私達。
そんな二人が、これから何度となく繰り返す季節の中で、決してお互いを見失わないように揃えるんだ。
シアワセの目印『ハデなTシャツ』
- 340 名前:wasabi 投稿日:2003年06月24日(火)01時15分06秒
「ランチは【ヤキソバ大盛り】ってか?」
「【ニラレバ炒め】はやめようね!」
「あはは!」
「えへへ…」
私はゆっくりと唇を重ね、それから舌であなたの唇の輪郭をそっとなぞってみる。
いちーちゃんはビクっとして一瞬肩をすぼめた。
「ご、後藤…。 くすっぐったいよ」
「えへへ…」
「あはは」
「もう、こわいっす…自分がどんななっちゃうのか…こわいよ、いちーちゃん」
「…ま、いいんじゃない?」
私達は顔を見合わせ、噴出すように笑い合い、それから再び抱き合いキスをした。
じゃれるように、くすぐりあうように、それは笑いの絶えない抱擁だった。
私はその間、『女同士だから味わえる、こんな幸せもあるのかもしれないなぁ…』なんて考えていた。
【市井紗耶香】は笑い、【後藤真希】は笑った。
そんな『幸せな夜』が、後ろ髪をひかれるようにゆっくりと更けていく…。
- 341 名前:wasabi 投稿日:2003年06月24日(火)01時16分38秒
□□□□□□
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- 342 名前:wasabi 投稿日:2003年06月24日(火)01時17分11秒
…だけど、私は大きな過ちを犯していた。
そう…大事な言葉を忘れていたんだ。
これからの二人にとって、とても大切だった、決定的な言葉。
この夜が、まるで三角定規のとんがったトコみたいに、私達二人の分岐点となる…。
その事に、この時の私はまだ気がついていない。
…いつもそうだ。
私は、いつも大事な事を後になって気がつく…。
- 343 名前:wasabi 投稿日:2003年06月24日(火)01時17分48秒
つづく
- 344 名前:wasabi 投稿日:2003年06月24日(火)01時39分30秒
今回の更新はココまでです。
ヤバいっす…甘いシーンを書くのが楽しくなってきちゃいました。(笑)
最後の一文はそんな自分への警鐘だったりします。。。
>>325
レスありがとうございます!
ベタな甘さも、書いていると結構クセになってしまいますね。
でも…『このまま甘い訳ないぞ』って思いながら読んでいただければと思います。(笑)
>>326 和尚さん
レスありがとうございます!
こんな下手くそな甘々シーンですが、お付き合いいただけてるでしょうか?(笑)
おかげで、安倍さんたちがすっかり割を食っちゃってます。
申し訳ありませんが、今しばらくお待ち下さい!これからもよろしくです。
- 345 名前:名無しさん 投稿日:2003年06月24日(火)21時13分11秒
- 更新お疲れさまです。
うぎゃ〜甘いのは今回&次回あたりまでか?(w
良いっすね〜いちごま。めっちゃなごみます
自分はかっこいいごまも好きですけど、妹みたいに甘えるごまの方が好きなんです。
この作品大好きです。更新頑張って下さいね。
- 346 名前:和尚 投稿日:2003年06月26日(木)21時54分38秒
- 2人の甘いシーン凄い大好きです!
マッタリして、まさに2人だけの世界!!
ちゃんとお付き合いさせてもらってます!!
でも最後の文章でwasabi 様風味が出てきました。
どうなっちゃうんだ〜!
- 347 名前:wasabi 投稿日:2003年07月17日(木)01時44分30秒
- ■■■■■■
■■■■■■
ふと我に返ると、【後藤真希】はホテルのベッドの中にいた。
ほんの一秒前、自分が何処にいたのかすら思い出せないくらい、それは突然のシーンチェンジだった。
小さく首を左右に倒して周りを見渡す。
淡いオレンジ色の光が部屋中の全てを包み、無理やりに不自然な暖かさを演出している。
私はひとつ咳払いをして自分の存在を確認すると、そっとベッドから抜け出した。
遮光性の高いベージュのカーテンをゆっくり開けてみる。
洗いすぎたジーンズのような…そんな色をした夜明け前の空が窓いっぱいに広がる。
窓の下を見下ろしてみる。
そこには飛行機の窓から見えるような雲の海原ばかりが広がり、あるはずの街並みがまるで見えなかった。
『ここは地上何階なの…』
- 348 名前:wasabi 投稿日:2003年07月17日(木)01時45分06秒
部屋のドアは不自然な位大きな音を立てて閉まった。
それから私はエレベータホールに向かって廊下を進む。
ふと視線を落とすと、まるでステージ上のような白いスモッグが足元に絡み付いていた。
それは、10Mほど先で左に曲がるエレベーターホールの方から音もなくゆっくりこちらに向かって流れている。
『なんだろう…火事?』
私は何度も瞼を擦った。けれど、その煙は消えない。
まるで真綿が水を含むように、私の心の中で『不安』がどんどん大きくなる…。
そのスモッグの流れに逆らうようにエレベーターの前まで来ると、迷わず▽のボタンを押した。
『よっこいしょ』
エレベーターが面倒くさそうに、そう小さく音を立てて上がり始める。
そして『1』から始まった数字の点滅が『13』のところで止まると、私の目の前でアルミ色の扉が開いた。
同時に、そのエレベーターは我慢の限界だと言わんばかりに真っ白なスモッグを大量に吐き出した。
- 349 名前:wasabi 投稿日:2003年07月17日(木)01時45分54秒
スモッグが微かに残るエレベーターの中で、私は『何か考えなきゃ』と考える。
けれど、何からどう考えたら良いかサッパリ分からなかった。
こんな感覚…そう言えば前にも一度あった気がする…。
渋谷の交差点の真中で、ピアスを片方落としてしまった事に気がついた時の、あの感覚。
点滅する信号を見つめながら、ただ諦めるしかなかったあの夏の午後。
1階に着き、『早く降りろ』と押し出されるように、エレベーターを降りる。
私は帽子をかぶってくるのを忘れた事を思い出し、髪の毛で顔を隠すよう俯き、そのまま足早にロビーを横切った。
けれど、本当はそんな事する必要なかったかもしれない。
だって、ここには人の気配が全く無い…。
ひとりぼっち…。
また私はひとりぼっちなのだろうか…。
- 350 名前:wasabi 投稿日:2003年07月17日(木)01時46分38秒
自動ドアを抜けて通りに出てみる。
『さむっ…』
あれ?今は冬だっけ?
そう思った瞬間、突風が私を正面から吹き付け、髪を舞い上げ視界を広げた。
誰もいない…。
頭の中が真っ白になった私は、フラフラと車道の真中まで行って、その場で途方に暮れた。
夜明けは既に訪れていて、早朝独特の薄い空気が私を更に息苦しくさせる。
ぐるりと何度も躰を捻ってあたりを見回してみる。
空にはちぎった雲がゆっくり流れ、足元には綺麗に舗装されたアスファルトが何処までも延びている。
真っ直ぐにそびえたつ高層ビルがあって、スクランブル交差点の信号機は赤から青に変わる。
そこに広がるのは、いつもの見慣れた風景だった。
ただひとつ…あらゆる『生』が存在しない事を除いては。
『置いていかれたんだ…。私がうまく出来ないから、みんな怒って先に行っちゃったんだ…』
そんなピントのずれた哀しみに、私は真剣に苦しむ。
意識しないと呼吸すら出来なかった。
声をあげる事も、瞬きをする事も思いつかなかった。
左眼から涙が一筋頬を伝う…。
- 351 名前:wasabi 投稿日:2003年07月17日(木)01時47分28秒
「後藤の幸せを願っているよ」
停止していた思考が一瞬の間を置いて動き出し、私はその声のする背後を振り返った。
さっき、地の果てまで続いているんじゃないかと思われたアスファルトの上には、いつ間にかひとりの少女が立っていた。
彼女の背後では、不自然なくらい低く朝日が輝いている。
眼を細めなくてはその表情が見えなかった。
綿菓子をちぎったような無数の白い雲が、小さな風に乗って私の顔の横を吹き抜ける。
「いつも後藤の幸せを祈ってるよ」
黄色いダッフルコートに身を包んだ少女は再びそう繰り返した。
深い森の奥に住む魔女の呪いで感情を全て奪い取られてしまったかのように、少女の声はとても哀しく平坦なものだった…。
「いちーちゃん…」
逆光で真っ暗になった顔で、だけど…【市井紗耶香】は穏やかに笑っていた。
□□□□□□□
- 352 名前:wasabi 投稿日:2003年07月17日(木)01時48分05秒
私がこの哀しい夢を見た初めての朝だった。
□□□
□□□□□
□□□□□□□
- 353 名前:wasabi 投稿日:2003年07月17日(木)01時48分58秒
■■■■■■
記憶の中に不完全な哀しみだけを残し、いつの間にか【リアル】な朝はやってきていた。
私はうつ伏せて、枕を抱えるようにして目を覚ます。
窓から差し込む朝日にどのくらい晒されていたのだろう…背中にはうっすらと汗が滲んでいた。
目覚めの悪い私は、いつものようにそのまま意識の充電がFullになるのをじっと待つ。
なんの夢を見たのだろう…。
歯を食いしばったせいか、両顎がひどく疲れている。
『あれ?…いちーちゃん??』
私は、意識が3割程充電された時、その事実に気づく。
隣にいるはずの【市井紗耶香】がいない…。
- 354 名前:wasabi 投稿日:2003年07月17日(木)01時49分31秒
「いちーちゃん!!」
私はベッドから思い切り上半身だけ起こして、周りを見渡す。
そして、部屋にあなたの姿が見えないのを確認すると、子供のようにあなたの名前を呼び続けた。
「いちーちゃん!いちーちゃん!!」
急に躰を起こして大きな声を上げたせいで、軽い目眩に襲われる。
私はそのまま前かがみになって、上半身を布団の上に投げ出した。
しばらくして、扉の向こうから焦ったように部屋に近づく足音が聞こえる。
そして、勢い良く開かれた扉の向こうから眼を丸くしたいちーちゃんが現れた。
いちーちゃんはひとつ深呼吸をした後、一気にベッドの中の私のところに駆け寄り、隣に腰掛けた。
私は再び躰を起こして飛びつくように抱きつく。
『良かった…いちーちゃん…』
私はいちーちゃんに抱きつきながら、安堵の中で全身の力が抜けていくのを感じた。
だからその時は、脇腹の辺りに小さな塊が当たるのに違和感を感じる余裕なんて無かったんだ…。
- 355 名前:wasabi 投稿日:2003年07月17日(木)01時50分27秒
「ちょ、ちょっと、後藤どうしたの??」
「なんで、いちーちゃんいないのよぉ〜」
「いるじゃんか…」
「…隣にいないじゃな〜い」
「何言ってんだよ。 私が後藤より先に起きるのなんていつものことだろ…」
「だめぇ…二人で一緒に眠ったときは、後藤が眼を覚ますまで隣にいてよぉ…」
「…ワガママ言ってんなぁ〜。だいたいオフの日の後藤が起きるの待ってたら夕方になっちゃうよ」
「そん時は叩き起こしても良いから!」
「おい、『絶対、早起きするから』って言えよ…。
もぅ…。 せめて部屋ん中探してから大声だせよなぁ〜。 そんなに広い家じゃないんだからさ」
「だって、怖くて動けなかったんだもん! もし、そのドア開いてもいちーちゃんがいなかったら…って思うと、怖くて…」
「………」
「ねぇ、お願い。 いちーちゃん、いつも私の隣にいるって約束して。 もう…ひとりはヤなのっ!」
- 356 名前:wasabi 投稿日:2003年07月17日(木)01時53分41秒
どうして私は想いを伝える事がこうも出来ないのだろう…。
そんな自分が歯がゆくて歯がゆくて、仕方ないから目の前で呆れてるいちーちゃんの首もとに再び顔を埋める。
あなたは『…ったく』とだけ言って、あとは黙っていた。
いちーちゃん…。
私憶えていないんだけど、何だかとても哀しい夢を見たの。
口に含んだ角砂糖がいつのまにか溶けてなくなり、あとに残った【甘さ】だけがその存在を思い出させるように、
この胸に残る【哀しみ】が、哀しい夢を見た事実を忘れさせてくれない。
それは…あなたを失う事くらい哀しい夢だったの…。
だから、目覚めてあなたが隣にいなかった時は、ホントに怖くて動けなかった。
ゴメンねいちーちゃん、ホントに手の掛かるヤツで…。
- 357 名前:wasabi 投稿日:2003年07月17日(木)01時54分18秒
『離さない…絶対に離さないよ…』
そんな決意を持った私の両腕に抱かれて、いちーちゃんは微かに笑って頷いてくれた。
面倒くさい事を色々考える私は、だけど、それだけでやっぱり救われる。
それから私は『落ち着くまでこうしてて』とだけ言って、しばらくそのままいちーちゃんに抱きついていた。
そんな私をいちーちゃんもなすがままになって受けとめてくれている。
気が付くと、いちーちゃんの体から【炒め物】の匂いがしていた。
何か、本当に『かあさん』みたいだって思えて笑えてくる。
- 358 名前:wasabi 投稿日:2003年07月17日(木)01時54分53秒
「ねぇ、ねぇ、いちーちゃん…」
「ん?」
「朝ご飯…なに?」
「……」
「だって良い匂いがするんだも〜ん」
「もぅ…結局、食い気かよ。 心配して損した…」
「えへへ…。 ゴメンね、いちーちゃん♪」
「…はい、はい」
「ねぇ、いちーちゃん…」
「ん?」
「昨夜食べられなかったイチゴも食べようね♪」
「やぁ〜だよ!」
「だぁ〜め〜!」
ピーーッ
扉の向こうからお湯が沸いた事を知らせる笛の音が聞こえてきた。
それがまるで【タイムアップ】の笛のようで、私達は顔を見合わせて笑った。
- 359 名前:wasabi 投稿日:2003年07月17日(木)01時55分56秒
「お先っ!」
いちーちゃんはそう言うと、眼をぎゅっと閉じ、そして唇を尖らせ『チュ』っと音だけ立ててキス真似をすると、勢い良くベッドを立った。
『おはよう』のキスを貰い損ねた私は、あまりの悔しさにベッドの上でしばらく身悶え、ブルーの枕に八つ当たりのパンチを2発食らわす。
今の私は痛いくらいに願っている。
ずっとずっと、『目の前に広がる』現実が続いてほしいと、それだけを願っている。
不確実な哀しい【夢】なんかではなく、あなたの体温を感じるこの【現実】だけがイコール【真実】なのだと…。
「早く起きておいで」
扉に手を掛けたまま、いちーちゃんが振り向き少しだけ右に首を傾げて微笑む。
あなたがそんなに愛しく微笑むから、私は最後までそれに気がつく事が出来なかった。
ずっと後になるまで、その事実を知ることがなかったんだ…。
- 360 名前:wasabi 投稿日:2003年07月17日(木)01時59分08秒
あなたがしていた黒い小さな格子が規則的に並ぶエンジ色のエプロン。
左右に二つあるポケットの、その片方が不自然に垂れ下がっていたこと。
そこに小さな凶器が仕舞われていた【現実】。
どんなに哀しいものでも、夢ならまだましだった…。
夢だと分かれば、いくらでも都合よく自分に言い訳が出来る。
けれど、そのあなたの姿は、例え記憶に残らなくても、紛れも無い【現実】そのものだった。
どんな鋭利なナイフよりも簡単に、私の無意識を切り裂く…。
ポケットの中のリアルな【現実】
―――ケイタイデンワ
- 361 名前:wasabi 投稿日:2003年07月17日(木)01時59分48秒
つづく
- 362 名前:wasabi 投稿日:2003年07月17日(木)02時05分30秒
あまりに更新が遅くなってしまったので、今回はsageで…。
事情があって更新できなかったってのもあるんですが、
それ以上に今回はなかなか納得いかなくて、何度も書き直していました。
いつか書き直す機会があったら、もっと上手に書きたいなと思う場面です。
- 363 名前:wasabi 投稿日:2003年07月17日(木)02時17分43秒
>>345
レスありがとうございます。
大好きと言ってもらえて素直に嬉しいです。
今回かなり煮詰まっていましたが、
たまに、いただいたレスを見返して励みにさせていただきました。
二人の甘い時間は、まだあと少しある…かもです。
だって…作者は妹のように甘える後藤さんの方が断然好きなので!(笑)
>>346 和尚さん
いつもレス下さってホント感謝です!
こんなにも更新が遅れて、また読んでいただけるか心配ですが…。
これからはいよいよ甘辛風味が強くなる予定ですので、
気が向いた時にでもフラっとお立ち寄りくださいね。
きっと細々とやってますから。
- 364 名前:和尚 投稿日:2003年07月17日(木)20時54分16秒
- 更新お疲れ様です。
まず最初に・・・読んでますよ〜♪
いよいよですか甘辛風味。どうなってしまうのかドキドキです。
個人的には『ブルーの枕に八つ当たりのパンチを2発食らわす』が大好きです(笑)
- 365 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月19日(土)21時01分50秒
- 更新乙です(w
…最後の文はいったいどういった意味なのでしょうか…?
だんだん甘い時間が黒く変わっていきそうで怖いですw
次もドキドキしながら見守らせて頂きます
- 366 名前:wasabi 投稿日:2003年07月26日(土)04時17分38秒
■■■■■■
■■■■■■
ウィーン
マンションの自動ドアが開き、二人の躰を6月の少し生暖かい空気が包む。
隣に立ついちーちゃんが軽く眼を細め、そして控えめに笑顔になる。
空気が揺らいでいく…。
私はあの日コケそうになった階段を、スニーカーで一気に降りきる。
階段の最後の2段を飛ばして着地すると、勢い良く振り返る。
あとからゆっくり降りてくるいちーちゃんを待って、その左手を取ろうとそっと手を伸ばす。
あなたがスローモーションで笑顔になる。
- 367 名前:wasabi 投稿日:2003年07月26日(土)04時18分54秒
「あ…」
突然、いちーちゃんは伸ばしかけた手を止めた。
まるで熱いヤカンを触ってしまった時のように、伸ばしかけた指先が僅かにピクッと動く。
「んぁ? どしたの?」
「ケータイ…」
「ケータイ?」
「うん、忘れちゃったみたい。 ちょっと待ってて、取って来る」
「ええ〜別にいらないじゃん。 今日はずっと私と一緒でしょ…。 何かあったらごとーの貸してあげるからさ…」
「………」
私の必死な説得に、いちーちゃんは少し不思議そうな表情をした。
そして、そのまま私の目を覗き込んで黙っている。
しばらくすると、左手の人差し指で眉毛の端っこを2、3度掻いた。
「う〜ん…やっぱ取ってくるわ。 すぐ戻るから!」
「あ、いち…」
私の言葉を遮るように、いちーちゃんは軽やかに躰を翻し、再び階段を駆け上がっていった。
背を向ける直前にいちーちゃんが見せた一瞬の笑顔が、何故だかとても切なく私の心に刺さった。
- 368 名前:wasabi 投稿日:2003年07月26日(土)04時20分07秒
ひとり取り残された私の頭の中に、あの日、あなたの携帯電話から流れた『恋のダンスサイト』のメロディがリフレインし始める。
未解決なあの日の謎に、私はまた怯えなくてはならないの?
意識の奥底に無理やり押し込んだ哀しみが、再び喉下に上がってくる気がした。
軽い目眩が襲う…。
- 369 名前:wasabi 投稿日:2003年07月26日(土)04時21分15秒
私は空を見上げて目を閉じた。
そして、そのまま無理に笑顔を浮かべてみる。
何くじけそうになってるんだ、後藤真希!
『どこまでも付き合う』って決めたじゃない。
それが例え【造られた橋】であったとしても、どこまでも渡るんだ…って。
『後藤真希の事が好きです!
…これで良いんだろっ!』
あの日、いちーちゃんが照れながらやっと口にしてくれた言葉が全てじゃないか。
不明確な不安やら哀しみにこころを痛め、今、すぐ隣であなたを感じる事の出来る喜びを忘れちゃいけない。
例えどんなにいびつな形をしていようと、私は今、間違いなくこころから望んだ道の上に立っているんだから…。
「待ってるよ…いちーちゃん」
私はゆっくり目を開いて、そして小さく…ホントに小さくそう呟いた。
頭上で若葉の擦れあう音が聞こえる。
いつの間にか『恋のダンスサイト』は聞こえなくなっていた。
- 370 名前:wasabi 投稿日:2003年07月26日(土)04時22分23秒
目の前には、昨夜歩くのが苦痛だった、急な坂道が延びている。
けれど今、その坂道は柔らかい光を浴びてとても暖かく、そして緩やかに感じられる。
「後藤!お待たせ!」
いちーちゃんの愛しい声。
私は再び左手を伸ばしてあなたの手を求める。
今度こそちゃんと捕まえるよ…。
そしたら、あなたの手を少しだけ強く握って、そして許してあげよう。
もし、あなたが『痛い』と言ったなら、私は笑顔で『うん』って優しく笑顔で答えよう…。
- 371 名前:wasabi 投稿日:2003年07月26日(土)04時24分31秒
□□□□□□□
私達は手を繋いだまま、駅までの道のりをゆっくりと噛み締めるように歩き出した。
チリン チリン
体格のいいオバちゃんの乗った自転車が、少し苦しそうにフラフラと私達を追い抜いていく。
大通りに出る手前で彼女は一度止まり、左右を確認したあと空を見上げた。
その姿を見て、私もつられるように空を見上げる。
梅雨明けを思わせるような、そんな真っ青な空が広がっている。
そしてそこには、ぽつんと取り残されたように小さな二つの雲が浮かんでいた。
私はその雲に私達ふたりの姿を重ねながら、自然と繋いだ手に力を込めた。
そんな事を無意識にしてしまう自分が何だかとっても恥ずかしい…。
…恥ずかしくて…嬉しい。
私はそれをいちーちゃんに悟られないよう、眼は合わせずにしばらく空を見ていた。
- 372 名前:wasabi 投稿日:2003年07月26日(土)04時27分57秒
「……たかぁ〜い」
「…うん」
私が無意識に口にしたその言葉に、いちーちゃんは優しく包み込むような笑顔で相槌を打ってくれた。
その笑顔に、こころの芯の部分が共振するように震え、私の『いちーちゃんLOVEメーター』が更に1メモリ上がる。
いちーちゃんはその場に立ち止まり、両手をオデコに添えて空を見上げて眩しそうに眼を細める。
そして…思い違いじゃなければ、いちーちゃんは空を見上げたまま半歩ほど私との距離を縮めた。
「…私、この空…一生忘れないと思うなぁ」
無意識に『一生』って単語を使っていた。
私は【幸せ】とか【愛】の形なんて知らないから、ずっと先まで今のこの気持ちをまるまる正確に憶えておくことは出来ないかもしれない。
だけど…この【空】は、その匂いも、この肌触りも、あの青色も、全てをリアルな記憶として留める事ができる。
そう…初めて逢った時にあなたが身に付けていた、あの優しいオレンジ色のTシャツと同じように…いつまでも。
- 373 名前:wasabi 投稿日:2003年07月26日(土)04時29分05秒
「じゃぁ、私もしっかり憶えておこう…」
「うん…」
「うん…永遠に憶えておこう」
「…うん。 …ヒック…」
あなたの呟きのような声が、真っ直ぐに無防備な私のこころに飛び込んでくるのが分かる。
いちーちゃんが意識的に『永遠に』って単語を使ってくれた事が嬉しい。
ねぇ、いちーちゃん…知ってる?
こんな些細なやり取りで、今の私は充分泣けてしまうのよ…。
- 374 名前:wasabi 投稿日:2003年07月26日(土)04時30分24秒
□□□□□□□
ふぅ〜!ふぅ〜!
「ん? 後藤…何やってるの?」
私は唇を尖らせ、空に向かって懸命に息を吹きかける。
「ほら、あのふたつの雲…あと少しでくっつきそう」
「…え??」
「ねぇ、いちーちゃんも!」
「あはは。 もぅ…かーいいな、ごとーは…」
私達の視線の先に広がる真っ青でどこまでも高い空には、小さく真白な雲がふたつだけ浮かんでいる。
あの日…初めての夜、真青なシーツに横たわる、月明かりを浴びた真白なあなたの背中を思い出す。
- 375 名前:wasabi 投稿日:2003年07月26日(土)04時32分23秒
それから私達は手を繋いだまま、しばらく『ふぅ〜ふぅ〜』と唇を尖らして高い空に向かって息を吹きかける。
私があまりに真剣にやるもんだから、最後はいちーちゃんが大笑いして終わりになった。
ふたつの雲は、結局一つにはならなかったけど…だけどさっきより少しだけ近づいていた。
今、もしその事を伝えたなら、あなたは『まさかぁ〜』と笑って信じてくれないかな?
でもね、ホントだよ…ホントに絶対さっきより近づいていたモン…。
「あはは、いつまでやってるつもり? ほら、もう行こうよ」
いちーちゃんは繋いでいた手を離し、空に向かって両手を上げ、伸びをしながら一人で歩き出した。
「ちょ…ちょっと待ってよぉ〜」
「ほら、早くしないと置いてくよ〜」
そう言って早歩きになるいちーちゃんの背中を、私は笑顔で追いかける。
- 376 名前:wasabi 投稿日:2003年07月26日(土)04時33分27秒
…いちーちゃん、私気付いてたよ。
あなたのその左眼からも一粒の水滴が零れていたよね…。
その涙は、この空の完璧な青色に感動したものかな…。
ううん…違う…。
それはきっと、私と…大好きな【後藤真希】と並んで青空を見上げる幸せのせいだよね…きっとそう。
自惚れなんかじゃなく、殆ど確信のように、私はそう決め付けひとり納得してる。
- 377 名前:wasabi 投稿日:2003年07月26日(土)04時34分22秒
できる事なら…
一粒でいいから、その雫をそのままの形でとっておきたいなぁ。
大事な指輪を入れるみたいに、青いフェルト地の小さな箱にそっとしまって、ずっと…ず〜っと持っていたい。
いちーちゃんにそっと取られた右手から、私の体いっぱいにあなたの優しさが広がる。
渇いた砂漠に雨が染み渡るように、それは音もなく広がり続ける。
相変わらず空は高く、光をたくさん含んだ青色はどこまでも深かった。
私の躰を蝕む、あらゆるマイナス思考を笑って受けとめ、全て溶かしてくれそうな…それは、そんな青空だ。
- 378 名前:wasabi 投稿日:2003年07月26日(土)04時35分41秒
つづく
- 379 名前:wasabi 投稿日:2003年07月26日(土)04時49分21秒
今回は、殆ど『辛』なしでした(笑)
>>364 和尚さん
レスありがとうございます。
愛想尽かさずにお付き合いいただき、ホント感謝です。
出来るだけひとつひとつの言葉を大切にして書いているつもりなので、
そういう1フレーズを誉めてもらえると嬉しいです。
これからもよろしくです。
>>365
レスありがとうございます。
>…最後の文はいったいどういった意味なのでしょうか…?
ぅぅぅ…だから納得いかないて言ったじゃないですかぁ〜!(笑)
市井さんが先にベッドから抜け出した理由が、もしその携帯電話だったなら、
きっと後藤さんは…って事が表現したかったんです。(説明してるし…)
これから精進しますっ!!
- 380 名前:和尚 投稿日:2003年07月27日(日)02時40分08秒
- 『辛』無しだけど切なく感じてしまうのは自分の気のせいでしょうか?(苦笑)
次の更新も切なそうな予感しまくりです。
とりあえずこれだけは言える・・・ごとーさん頑張って・・・
- 381 名前:wasabi 投稿日:2003年08月04日(月)02時27分44秒
■■■■■■
地下鉄の階段をゆっくり登る。
ステージの光も良いけど、やっぱり太陽の光は気持ちいい。
都会の濁った空気さえ、何だか浄化してくれるみたいで明るい気持ちになれる。
そして…
すぐ隣にはいちーちゃん。
『けっこー幸せってこんなもんなのかもなぁ…』と私は思う。
そんな私の視線に気が付いたあなたは、口元だけで笑みを浮かべ眩しそうに眉をひそめた。
「しかし…何か久し振りに来ると、やっぱ凄い人だね。渋谷って」
街の喧騒に負けないようにと思ったのか、いちーちゃんは思いの外大きな声でそう言った。
私は少しビックリして帽子に手を掛け、周りを警戒する。
今、誰かが【市井紗耶香】と【後藤真希】の並んで歩く姿に気付いたところで、それをスクープだと騒ぎ立てる事はないって分かってる…。
だけど、私は昨夜の出来事を覚えているから、どうしても二人でいるトコを突っ込まれるんじゃないかと心配してしまうんだよね。
あなたのその肌のぬくもり、あの息遣いが鮮明に蘇る…。
こんな高い空の下、降り注ぐ陽を浴びながら、そんなことを思う私はいやらしくて不健全かな?
ちょっと自己嫌悪…だけど、やっぱり笑顔になる。
- 382 名前:wasabi 投稿日:2003年08月04日(月)02時30分23秒
「いちーちゃんは家にこもり過ぎなんだよぉ〜。
…ごとーと付き合ったからには、これからどんどん外に連れ出すからね!」
「ええ〜。 あたし、こう…人がいっぱいの中にいると酔っちゃうんだよね…」
「だめですぅ〜。これから二人でたくさんのトコ行くの!」
「そいつぅ〜はこまったぁ〜♪」
「唄ってごまかしてもダメ!」
「ほ〜い」
「あああっ! そうやって、また話流す〜!」
「あはは!」
いちーちゃんは、またそう笑ってごまかすと、私の子供じみた要求から逃げるように小走りになった。
私は、その背中を追いかけながら、でも実はホッとしている。
「後藤!後藤!これなんかどうよ」
あなたはそう言って、店頭に掛かっているセールワゴンの中からピンク色のTシャツを手にとって振り返る。
- 383 名前:wasabi 投稿日:2003年08月04日(月)02時31分56秒
『ごとーと付き合ったからには…』
私はその言葉を口にする事に、少なからずの不安があった…。
だから、いちーちゃんがそれを聞き流してくれた事に、私はとってもホッとしたんだ。
私たち付き合ってるんだよね…。
両手で広げたピンクのTシャツを早く私の躰にあててみたいらしく、いちーちゃんがそのまま2歩ほどこっちに向かってくる。
こんなにもたくさんの人が行き交う街中なのに、私にはあなたの笑顔しか見えない…。
「ねぇ、ねぇ、それごとーに似合う?」
私は笑顔であなたに駆け寄る。
あなたは不安なんて微塵も感じさせない表情で、広げたTシャツを私にあて、首を傾げてマジマジと私を見つめた。
「プッチのトレーナーのイメージが強いからなのかな? 何か…『後藤はピンク』って感じ」
「へぇ〜。 私、家じゃ殆ど着ない色だなぁ…」
「そっか…じゃ、別の色にしよう。 えっと…」
「え…。良いよ、これも買う!」
「あはは、無理すんなよ」
- 384 名前:wasabi 投稿日:2003年08月04日(月)02時33分10秒
いちーちゃんは後ろにいる私を振り向く事無く、そう笑って言った。
そして、そのままワゴンの中に潜るんじゃないかと思うくらい、Tシャツの山を掻き分けて次のTシャツを探してる。
『いちーちゃん、たくましいなぁ…。 ホントかあさんみたい…』
あ、こんなふうに感じるの、今日2度目だ…。
しかし、タカさんは上手い事言うな…思わず吹き出しそうになる。
「べ、別に無理なんてしてないよぉ…」
「まぁ、いいって…違う色探すからさ」
「ええ〜何でよぉ〜。 せっかくいちーちゃんがごとーをイメージして選んでくれたのに…」
「やっぱ、ピンクじゃないほうが良いよ…。 だって…」
「んぁ?」
「だって…最近の【後藤真希】は泣いたり怒ったり、それから…えへへ…ねぇ…」
「…?」
「ま、とにかく色々と顔を『赤く』する事が多いから、Tシャツまで似たような色にする事ないって…」
「!?」
- 385 名前:wasabi 投稿日:2003年08月04日(月)02時33分53秒
いちーちゃんは振り向いてそう言うと、いたずらっぽく舌をペロっと出してこらえるように笑った。
私は最初、いちーちゃんが何を伝えようとしているのか分からなかった。
だけど、その意地悪そうな笑顔を見て、それが【ベッドの中の私】を指しているのだと気付く…。
「あれぇ〜? ごとーさん??」
ぅぅぅ…。久々に出たな、【S】ないちーちゃん…。
周りの雑踏がフェードアウトするように遠のいて行く。
頭の中が真っ白になり、鼓動の音だけが体中で暴れ始める。
…はい、そのとおりです。
【後藤真希】は、今もまっぴるまからこんなにも真っ赤になっています…。
- 386 名前:wasabi 投稿日:2003年08月04日(月)02時36分13秒
それから私達は3軒のショップをハシゴした。
その間に私はTシャツを2枚と、ノースリーブの白いニットのシャツを1枚を買った。
そして今、四軒目のこのショップでは赤いステッチの入った可愛いジーンズ地のスカートを手にしている。
「あんた、まだ買うの? 確かに、それ可愛いけど…」
「…ダメ?」
「ダメじゃないけど…。けどさ、それにしても、考えなしに買いすぎじゃない?」
「いいの! これは【証】みたいなもんなんだから…」
「アカシ? なんだそりゃ? …後藤のくせに、随分難しい言葉使いやがってぇ〜」
いちーちゃんはいつものように鼻を鳴らして小さく笑った。
伊達眼鏡の奥にある瞳が、「へ」の字になる。
- 387 名前:wasabi 投稿日:2003年08月04日(月)02時38分00秒
『後藤はピンクって感じ』
――ピンク色の小さめのTシャツ。
『このプリントされている犬、ちょー可愛い』
――肩口に小さなリボンのついたノースリーブのシャツ。
『こういうシンプルなのも似合うと思うよ』
――シルバーで英字ロゴの入った黒いTシャツ。
そして、今手にしている『可愛い』スカート。
それら全て、私達ふたりが今ここにいる事の【証】。
Tシャツたちはただ客観的に、今、私達が存在している事を証明してくれる。
【市井紗耶香】が選び、【後藤真希】が身に付ける…そんなただの客観的事実。
そして、それはいつまでも…
そう、きっといつまでも【事実】と【真実】とを結び付けてくれる…。
- 388 名前:wasabi 投稿日:2003年08月04日(月)02時38分59秒
つづく
- 389 名前:wasabi 投稿日:2003年08月04日(月)02時49分02秒
キリが悪いため、今回はプチ更新です…。
いつも、一定のストックがたまらないと更新しないようにしているんですが、
今書いている部分がかなり手間取っていて、なかなか更新できずにいました。
…というわけで、以前より更新頻度が落ちていますが、決して放置するつもりはありません。
一応、念のため…。
- 390 名前:wasabi 投稿日:2003年08月04日(月)02時56分52秒
>>380 和尚さん
ごとーさん頑張ってます!(笑)
二回連続『辛』なしになってしまいました…。
だって、最近の後藤さん(現実の)って、本当に魅力的じゃないですか?
何だか辛い思いをさせるのが忍びなくて…。
- 391 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月04日(月)15時35分13秒
- やはりまだ『辛』があるのか…
いやだぁーこのまま甘くいってくれ!(w
人生楽ありゃ苦もあるって事で、静かに更新見守らせていただきます。
- 392 名前:和尚 投稿日:2003年08月05日(火)18時40分20秒
- わーい二回連続『辛』無しだ〜♪
でも、次回はその反動で思いっきり辛いって事は無しですよね(苦笑)
>本当に魅力的じゃないですか?
- 393 名前:和尚 投稿日:2003年08月05日(火)18時51分11秒
- すいません!レスの途中で投稿ボタン押してしまいました!
続き書かせて下さい(泣)
>だって、最近の後藤さん(現実の)って、本当に魅力的じゃないですか?
激ヤセして落ち着いた身体になった(何かヤラシイ)ごとーさんが掲載されてる雑誌を見た瞬間、
大人っぽくなったな〜と感じました。
次回更新楽しみにしています。
- 394 名前:wasabi 投稿日:2003年08月18日(月)00時57分48秒
■■■■■■
それから私達は丸井に入り、口紅を求めて地下のフロアに向かった。
少しひんやりした空気が、今、私の火照った肌には心地いい。
私は先にエスカレーターに乗り、一段上のいちーちゃんを見上げた。
『ん?』
いちーちゃんは眉を少しあげて笑顔で答えてくれた。
「あ…」
その時、ふと私は気が付いた。
エスカレーターの上には私達二人しかいない事実。
『チャ〜ンス!』
心の中で指を鳴らしてそう呟き、そっとあなたの腰に両手を回して軽く引き寄せ、そして顔を埋めた。
「ぎゅ〜〜っ!」
「あはは、何でぇ…」
そう笑って、いちーちゃんが私の頭を軽く抱える。
これだ…
あなたのこの柔らかい温もりが、麻薬のように私の心を捉え、どこまでも深みにはめて行くんだよなぁ…。
- 395 名前:wasabi 投稿日:2003年08月18日(月)00時58分48秒
「ねぇ、ねぇ、口紅買ったらさ、あとでまるきゅーにも行こうね」
私はいちーちゃんのお腹のあたりに顔を押し付けたままそう言った。
あなたの手が、私の髪を一度だけ優しく梳く。
ゾクッとして、左手の二の腕あたりに鳥肌が立つのが分かった。
「ええ〜。 まだ、服買うの〜?」
「イイじゃん、イイじゃん…ね、お願い!」
「…ハイハイ。 わかったよ。 ほら、もう着くから…前向かないと転ぶよ…」
私は買い物に来る度、密かにいちーちゃんに似合いそうな服をチェックしてる。
いつ一緒に買い物できるか分からないのに、私はいつもあなたのと、二人分を選んでたんだよ。
そうだ!一番最近見た、あの紫色のスカートを見てもらおう。
気に入ってくれるとイイなぁ…いちーちゃん。
数少ない本当の願い事は、強く想えばいつか叶うモノなのかもしれない。
そんな都合のいい台詞さえ、今の私には恥ずかしげもなく浮かんでくる。
- 396 名前:wasabi 投稿日:2003年08月18日(月)01時00分36秒
そうして、あまりにも短いエスカレーター上の幸せが終わると、やがて化粧品独特の香りが漂ってきた。
色んな種類の匂いが混ざり合って、そこは何とも言えない【甘ったるい】空気が漂い滞る空間だった。
そういえば…お姉ちゃんの部屋ってこんな匂いだよなぁ…。
「ねぇ、ねぇ、いちーちゃんはどんな感じのが好き?」
私は一番近くにあったガラスケースに駆けより、上半身をべったりくっつけて覗き込みながらそう言った。
自然にいちーちゃんの名前を口にした後で、『しまった』と思い目の前の店員さんをおそるおそる見上げた。
彼女は少しだけ眉を上に動かして微笑んだけれど、特に私達の正体に興味は無いようだった。
- 397 名前:wasabi 投稿日:2003年08月18日(月)01時01分10秒
「…うん、そうだなぁ…」
少し不自然な間をおいて、いちーちゃんはそう言った。
私はふと心配になって後ろにいるはずのいちーちゃんを確かめるように振り向く。
何故かいちーちゃんの気配が少しだけ薄くなった気がした…。
「ん? なに?」
「…ううん。 何でもない…」
私はその言葉を自分自身に投げかけた。
時々不意に襲ってくるこの得体の知れない不安は一体何なんだろう…。
私はそんな不安をこころの奥底に押し込めるように、眼を閉じて、一度つばを呑み込んだ。
ダメダメ…。
私があなたを救ってあげるって…いっぱい笑わせてあげるって、昨夜そう決めたばかりじゃない。
- 398 名前:wasabi 投稿日:2003年08月18日(月)01時01分47秒
「じゃぁ〜ねぇ…。 こんなんどう?」
「ん? どれどれ?」
いちーちゃんはそう言うと、切なくなるくらいの優しい表情で近づいてくる。
『く、苦しい』
…私は息を止めている自分に気が付いて、慌ててこっそり深呼吸をした。
「??どしたの?」
「ううん。何でもない…。 あ、これ、これ」
私はそう言って、適当に一番近くにあるサンプルを手に取った。
「!? あはは、あんた本気ぃ? 私達にこんな大人っぽい色似合うわけないじゃんかぁ〜」
「あ、あぁ〜…。 あはは、やっぱぁ〜」
「そうだよ〜」
「そっか…これじゃプールに入りすぎた小学生みたいになっちゃうね」
「あはは、それおもしろ〜い」
- 399 名前:wasabi 投稿日:2003年08月18日(月)01時02分29秒
成功だ。いちーちゃんが笑っている。
まったく…
何だろう、この人のこの笑顔の威力は。
どうして、私だけがこんなに苦しんでいるんだろう…。
時々思う…『メンバーはみんな、この笑顔を近くで見ていて良く正気でいられるよなぁ〜』…って。
私だけがヘンなのかな?
まぁ、いっか。
だからこそ、プライベートだけとはいえ、あなたの笑顔をこうしてほぼ独占できるんだもんね。
これからの人生、この人の笑顔の回数を数えて生きていくのって悪くないよなぁ〜。
- 400 名前:wasabi 投稿日:2003年08月18日(月)01時03分16秒
「う〜ん…。 どっちかといえば…こっちの方が良くない?」
「えぇ…それも結構大人っぽいじゃん」
「そうかな…。 後藤、『顔だけは』大人っぽいから、これ位なら似合うと思ったんけど…」
「あ、ひどぉ〜い」
「あはは…」
そんな騒がしい私達に、店員さんが嫌な顔せず『お試しになってみますか?』と優しく声を掛けてくれた。
『あ、はい…』私はその店員さんの言葉に反射的にそう答えた。
見上げた店員さんの職業笑顔が、私達の【テッテー的アイドル】な笑顔に負けないくらい完璧で何だか可笑しい。
「あ…大人っぽいのは『顔』だけじゃないか…」
- 401 名前:wasabi 投稿日:2003年08月18日(月)01時04分07秒
店員さんが筆を使って丁寧に私の唇を塗り始めた時、いちーちゃんは私にだけ聞こえるようにそう言って『ポン』と手を打った。
『ち…ちょっと…いちーちゃん!』
私は唇を動かして喋れない分、大きく心の中で叫んだ。
塗られている唇よりも先に顔が赤くなるのが、目の前の小さな鏡でわかる。
『してやったり』
鏡越しのいちーちゃんはそんな風に笑いながら、胸のあたりを両手をクロスして隠している。
『いやぁ〜ん』
いちーちゃんの口元は確実にそう言っていた。
『人間は学習する生き物なんだぞ』
中学の担任の言葉を思い出す。
でも、先生…ごとーは、この人の前では同じことを繰り返す事しか出来ないみたい。
「好き」「不安」「切ない」「知りたい」「でも好き」「やっぱり不安」………。
改めて、この人に出逢えた奇跡を想う。
- 402 名前:wasabi 投稿日:2003年08月18日(月)01時05分50秒
「もぅ! いちーちゃ〜ん!!」
私は店員さんに丁寧にお礼を言った後、先を歩くあなたを追いかけ、そしてその背中を軽く何度か叩いた。
いちーちゃんはまたおどけるように肩を竦めて『ごめんごめん』と振り向かずにそう謝った。
「あ、ここ。 見てみない?」
「え…?」
突然いちーちゃんが立ち止まる。
結構有名なそのブランドの売り場は、他と比べても多くの人で賑わっていた。
人込みの苦手ないちーちゃんがその売り場を見たいと言った事を、私は少し意外に思った。
- 403 名前:wasabi 投稿日:2003年08月18日(月)01時06分37秒
「へぇ…いちーちゃんもココ好きなんだぁ〜」
「『も』? じゃ、後藤も?」
「ううん、あたしじゃなくて… あれ?誰だっけかなぁ〜。 …この前楽屋で誰かが好きって言ってた気がするなぁ〜」
「………」
「…う〜ん、誰だっけかなぁ」
「ま、誰でも良いよ。 今、結構流行ってるし、矢口あたりが言ったんじゃない?
そう言えば、前に雑誌見ながら『可愛いよねぇ〜』って話したような気するし…」
「やぐっちゃん…だったかなぁ…」
「ほら、入るよ!」
いちーちゃんは私の記憶回路のコンセントを抜くように、私の左手を力任せに引っ張った。
私は我に返ると、改めて混んだ店内に気が付き、慌てて帽子を深くかぶり直した。
私は久々にあなたの口から聞く、私以外のメンバーの名前に少しドキドキしていた。
- 404 名前:wasabi 投稿日:2003年08月18日(月)01時07分16秒
「う〜ん…」
いちーちゃんは時々そう唸って眉をしかめた。
何だか隣に私がいる事を忘れているんじゃないかって位、真剣な眼差しでショーケースを覗き込んでいる。
私はいちーちゃんの後ろから、その視線の先を確かめる。
ショーケースに並ぶいくつもの口紅。私は全てに共通するその柄の部分にやっぱり見覚えがある。
今度やぐっちゃんに聞いてみよう。
『ごっつぁん、色気づいちゃって〜。やっぱり恋してるでしょぉ〜』
そんな風にまた、なっちと二人でからかわれちゃうかな?
知らずにニヤけてしまった笑顔を、OL風の二人組が眼を丸くしながらすれ違いざまに見て行った。
私は我に帰り、慌てて帽子をかぶり直した。
- 405 名前:wasabi 投稿日:2003年08月18日(月)01時08分13秒
「ねぇ、いちーちゃん、これ新色だって…可愛いね」
「う、うん…」
「? …いちーちゃん?」
「………」
「ど、どうしたの?」
「…ゴメン、ちょっとトイレ」
「大丈夫? 顔色悪いよ…」
「うん、すぐ戻るから、ここで待ってて」
そう言い終えると同時に、いちーちゃんは逃げるようにその場を立ち去った。
私は突然の事にしばらく事態が呑み込めず呆然とその場に立ち尽くす。
いちーちゃんの背中が人込みにすっかり消えてしまった頃、私はやっと我に返る事ができた。
そして、いちーちゃんを追おうと両手の手提げ袋を持ち直した。
「ちょっと待って、いち・・・」
「ごっつぁん?」
- 406 名前:wasabi 投稿日:2003年08月18日(月)01時08分55秒
その時、背後から聞き覚えのある甲高い声が聞こえた。
私は振り返る事を一瞬で思いとどまった。
その声で背筋が一気に凍りつくのが分かる…。
だけど、その声が『ごっつぁん?』って疑問形から『ごっつぁん!』ていう確信に変わり続いたため、
それ以上無視し続ける事が出来なくなってしまった。
目を閉じて一度静かに深呼吸をした後、私は睨まないよう気をつけながら声の主を振り返った。
店内の冷房は効きすぎなんじゃないかってイラついた。
- 407 名前:wasabi 投稿日:2003年08月18日(月)01時09分34秒
つづく
- 408 名前:wasabi 投稿日:2003年08月18日(月)01時27分31秒
今回の更新はココまでです。
甘い時間もとうとう…。
>>391
レスありがとうございます。
まずはスイマセン(苦笑)
ガラにもなく甘い時間を長く描いていましたが、
これから次第に『辛』になっていく予定です…。
でも、お付き合いいただけると嬉しいです。
>>392 和尚さん
連続投稿ありがとうございます(笑)
最近の後藤さん…容姿もそうなんですが、笑顔や喋りがとっても自然に見えて、
時々何だか…市井さんといた頃に似ているな〜って思うんです。
作者は、あの頃の後藤さんが大好きなもので…。
…とか言いつつ、今回『辛』にしちゃいましたけど(苦笑)
- 409 名前:391 投稿日:2003年08月19日(火)16時29分13秒
- おおぅ!ついにあの人の登場か…
と、ゆーか市井さんの微妙な反応が気になる…
( ´ Д `)< 更新期待してお待ちしております
- 410 名前:和尚 投稿日:2003年08月26日(火)12時36分37秒
- あああ・・・甘い時間が終ってもうた〜。
ごとーさんを呼んだ人って多分あの人なんだろうな〜。
次回は目が離せません(キッパリ)
容姿もそうなんですが、笑顔や喋りがとっても自然に見えて・・・・・
ヽ^∀^ノ<ごとーはずっと変ってないぞ!
といちーさんが言ってますよ(笑)
- 411 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月27日(水)22時11分54秒
- 今飼育で一番続きが楽しみな小説です。
陰ながら応援しています。
- 412 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月31日(日)01時09分46秒
- これからの展開にワクワクです!
- 413 名前:wasabi 投稿日:2003年09月03日(水)01時13分38秒
■■■■■■
「やっぱ、ごっつぁんだぁ〜」
「あぁ…ホントだ。 矢口良く分かったね」
「やっぱ、ちがうなぁ…。 ごっつぁんには、こう…オーラがあるよね」
「悪かったわねぇ〜。 どーせ、なっちにはそんなもんないよ!」
「キャハハ…いいじゃん! なっちはそれがウリなんだからさ〜」
「何それー意味わかんないからっ! …ってか、絶対バカにしてるべぇ〜」
- 414 名前:wasabi 投稿日:2003年09月03日(水)01時14分39秒
そんな笑えないやり取りと共に、人込みの中からちっちゃな二人が完全防備の変装姿で現れた。
なっちの掛けたピンク縁の伊達眼鏡が何だかとっても不自然で、私は思わず目を逸らす。
逸らした視線の先には、これまた不自然な位大きな袋を下げたやぐっちゃんの姿があった。
『そう言えば…やぐっちゃん、ブーツを買いに渋谷に来るって言ってたんだっけ…。』
私の顔に、あからさまにバツの悪い苦笑いが浮ぶ。
「なんだよぉ…。ごっつぁんも渋谷に来てんじゃ〜ん。 昨日、誘った時は断ったくせにぃ…」
「あ…ごめん…」
「…別に謝んないでいいよ。 なっちがおばさんクサイこと言ったからいけないんだよね、キャハハ」
「ひっどぉ〜。関係ないじゃ〜ん」
- 415 名前:wasabi 投稿日:2003年09月03日(水)01時15分40秒
なっちは首を少しだけ右に傾け、唇をすぼめてイジケて見せた。
『ちょっと話したい事もあるから…』
まるで、昨夜そんなメールを出した事実なんて無かったような、いつも通りななっちの態度。
イヤな汗が背中をつたう。
近くで制服姿の女子高生が3人で無邪気に大声を上げて笑った。
それはとても癇に障る笑い方だった。世の中にはそう言う笑い方が存在するんだ。
癇に障る笑い方。テッテー的アイドルな笑顔。化粧品売り場の職業的笑顔、どこまでも完璧ななっちの笑顔。
そして…愛しの意地悪笑顔。
私の思考は、結局全てが【市井紗耶香】へと繋がる。
だけど、そこに留まれないと何故かいつもそう悟り、アサッテの方向に暴走する。
そして…深い森の中に、暗い海の底に迷い込み、ひとり勝手に苦しむ…。
- 416 名前:wasabi 投稿日:2003年09月03日(水)01時17分20秒
「しっかし、随分買い物してるね〜。 へぇ…その色可愛い♪」
なっちは再び屈託なく笑い、私が手にしていた口紅のサンプルを、私の手ごと掴んでゆっくり引き寄せた。
ただの想い過ごしかもしれない…。
だけど…なっちのその笑顔がとても悪意を含んでいるような気がして、私は反射的にその手を軽く振り払った。
「ううん、これはやめとく」
私は出来るだけ冷たい感じを与えないようにそう言って、口紅をディスプレイの上に戻す。
他の誰かに触れられた事で、何だか市井紗耶香と後藤真希を結びつける【証】としての効力がなくなってしまった気がした…。
「え〜やめちゃうの? 可愛いのに…じゃ、なっち買っちゃうよ〜ん」
「…うん、イイよ。」
「キャハハ、そんな意地悪言うのやめなよぉ〜なっち。 ごっちん、遠慮しないで買いなよ」
「…いや、ホントに買うつもりなかったから」
今度は冷たい口調を隠す事無く、そう言った。
やぐっちゃんは、『そう…』と言って申し訳なさそうな顔をした。
どうやら彼女は、私が恥ずかしくて意地になっていると思ってるみたいだった。
- 417 名前:wasabi 投稿日:2003年09月03日(水)01時18分25秒
それから二人はキャッキャ言いながら、狭い店内を物色し始めた。
私はその後ろをついて歩きながら悩んでいる。
今にも立ち消えてしまいそうな、そんないちーちゃんの蒼白な顔が瞼から離れない…。
すぐにでもトイレに走って、傍についていてあげたい。
けれど…今、この場を適当に繕ってそこへ向かう事は、どうしても危険な気がしてならない。
まるで答えを丸暗記した数学のテストの時のように、途中式のない正解だけが浮かんだ。
私は、それから途中式を考える…。
仮にうまく二人の目を盗みひとりでトイレに行き、そこでいちーちゃんを捕まえられたとしても、
あなたが珍しく『ここ見たい』と言った、この売り場に戻ろうとする確立は高い。
『そこにはなっちとやぐっちゃんがいるから別な場所に移ろうよ』
私がそう提案したところで、きっとあなたは『なんで?一緒にお茶しようよ』って言うに決まってる。
だけど…それはダメだ。
いちーちゃんに二人の存在を知られる事なく、二人でここから離れなくちゃいけない。
ヤキモチだけじゃないの。
本当に、ここには危険な何かが横たわっている気がして…怖いの。
- 418 名前:wasabi 投稿日:2003年09月03日(水)01時19分42秒
「ねぇ、ねぇ、なっちこれ見て! これ裕ちゃんに似合いそうじゃない?」
「あはは、ほんとだぁ〜。 …でも、裕ちゃんちょっと…怒るかも…『ウチはヤンキーじゃない!』って」
「…う〜ん…確かに…」
「ねぇ、どー思う? …」
よし!
やっぱり、今、一世一代の嘘をついていちーちゃんを連れ出そう。
『あの店に怪しいカメラマンみたいな人がいたの』
そう言えば、責任感の強いいちーちゃんは、私をそっと連れ出してくれるに違いない。
…っつぁん…
…だけど…万が一なっちとやぐっちゃんに見つかってしまったら、何て言い訳しよう…。
とっさの判断が出来ない私は、その時きっと手詰まりになってしまう…。
…う〜ん。
早くしないといちーちゃんが戻ってきちゃうよ…。
私の思考はそうやって【メビウスの輪】をすでに200回以上回っていた…。
オーバーヒート気味に私の躰は、熱を帯びてさっきより体温が2℃位上がった気がする。
「…ごっつぁん!」
- 419 名前:wasabi 投稿日:2003年09月03日(水)01時21分05秒
「んぁ!?」
「もぅ…なに、ぼーっとしてんの?」
気がつくと、呆れたやぐっちゃんが、さっきの『プールに入りすぎた小学生』みたいな色の口紅を手にして立っていた。
そして、『じゃ〜ねぇ…』と言いながら別の口紅を探しに左手のディスプレイに移動して行った。
「で?ひとり?」
「…え?」
そんなやぐっちゃんの後ろ姿を見つめたまま、なっちがおもむろにそう言った。
全てを見抜いているような、そんな直球な言葉が私の胸に投げつけられた。
ドスッ…
その言葉の塊は、鈍い音を伴って胸のあたりをヘコます。
「ああああっ!!」
「なぁに、矢口! ビックリするじゃんよぉ〜」
「ま、まさか…。本当に【おとこ】なの??」
やぐっちゃんは口紅を手にしたまま駆けより、目をまん丸にして【おとこ】って部分を強調してそう言った。
それからやぐっちゃんは、小さな躰を精一杯伸ばしてあたりを見回す。
「え…?」
私はそれだけ口にするのが精一杯だった。
『サー』っと血の気が引くのが、まるで滝の音のように聞こえる。
それは恐ろしい程リアルな音だった。
- 420 名前:wasabi 投稿日:2003年09月03日(水)01時22分08秒
「ち…違う!違う!」
私は全身の力を振り絞って、何度も顔を左右に振り、全力で否定した。
だけど、やぐっちゃんはそんな私の言葉が聞こえないかのように、キョロキョロといるはずの無い【おとこ】を探しつづけた。
「ホントに違うってば〜」
「えぇ〜。じゃ、誰と一緒なのさ…」
「それは…」
あはは…もう『誰か』と一緒な事は決まってるのね…。
いつものやぐっちゃんの無邪気さが、今日は計算し尽くされた悪魔の尋問に聞こえるよ。
どうしよう…。
『いちーちゃんと一緒なの』ってサラっと言ってしまえば、『な〜んだ』って何事もなく受け流されるかもしれない。
マイナス思考で心配性な私の思い過ごしである確率だって十分考えられる…。
考えられるんだけど…昨日二人に変な突込みをされたり、食事会もすっぽかしてたりしてるからなぁ…。
その原因が全ていちーちゃんに結び付けられるのは…ちょっとイヤ。
それと…何故か昨夜のなっちのメールが心に引っかかり【市井紗耶香】の名前をなかなか口に出来ない。
- 421 名前:wasabi 投稿日:2003年09月03日(水)01時24分31秒
「ごっつぁん、顔赤いよ…」
「やっぱ、男なんじゃないのぉ〜」
以外にも、そんなやぐっちゃんの言葉に私より動揺していたのは、安倍なつみ、その人だった…。
「嘘…だ…よね」
彼女が消え入りそうな声でそう呟いた。
まるでいちーちゃんの卒業を聞かされたときの私のそれと同じように、それは【驚きの表情】の模範のようだった…。
けれど、その時なっちがどうしてそんなにも驚いていたのか、私には分からなかった。
と言うより、それを考える余裕なんかなかったっていうのが正しいかもしれない…。
「ちょ…ちょっと、なっちまでそんなマジな顔しないでよ…ウチらよく言ってんじゃん…『最近のごっつぁん怪しいね』って…」
「………」
「なっちぃ〜……」
三人の間を、重い荷物を背負った天使がゆっくり気まずそうに通り抜ける。
誰一人として、今この場で口にすべき言葉が思いつかないみたいだった。
- 422 名前:wasabi 投稿日:2003年09月03日(水)01時26分17秒
「…ホント、違うから…」
私はもう一度搾り出すように、やっとそれだけ口にする。
二人と眼を合わす事すらできなかった。
「だ…だから冗談だって…そんな顔で答えられたら、こっちがドキドキすんじゃん…」
やぐっちゃんはそう言うと、申し訳なさそうに小さく肩を竦めた。
ヤバイ、これ以上この雰囲気に耐えられない…。
もう無理だ…。選択肢は無くなったよ…。
もうすぐいちーちゃんはトイレから帰って来ちゃう。
仕方ない、諦めて【市井紗耶香】の名前を白状しよう。
いちーちゃんが戻ってくるだろうトイレの方向をそっと一瞥した後、軽く目を閉じた。
よし、サラっと、サラっとだぞ…後藤真希…。
私は、全てが杞憂に終わってくれる事をただただ祈る。
- 423 名前:wasabi 投稿日:2003年09月03日(水)01時27分01秒
「実はね…い…」
私が意を決して白状しようとしたとき、首にぶら下げた携帯電話からメールの着信音が鳴った。
まるでその名前を出したらダメだと言う暗示のように、それは抜群のタイミングだった。
『ちょっと、ゴメン』と二人に断りメールを開く。
二人はそんな私の声など始めから聞こえないかのように、不自然にあたりを見回し、私と一緒の【誰か】を探している。
尋問から開放され、私はホッとしても良いはずなのに、何故だろう…胸騒ぎがする。
「!?」
- 424 名前:wasabi 投稿日:2003年09月03日(水)01時28分30秒
□□□□□□
後藤へ
ごめん、具合が悪いから先に帰る。
一緒に帰ろうと思ったけど、戻ろうとしたらなっちと矢口が見えたから。
二人に逢ったらすぐ帰れなくなるな、と思って。
勝手言ってホントにごめん。
家で待ってます。
□□□□□□
- 425 名前:wasabi 投稿日:2003年09月03日(水)01時29分42秒
そ…そんなぁ…。
そりゃない…そりゃないよぉ〜…いちーちゃん。
「ん!? ご、ごっちん!!」
なっちが私の手を取ろうとしてくれたけど間に合わない…。
やぐっちゃんが顔を上げる姿がスローモーションで見えて、そして暗闇の中に消えた。
私はまるで紐を切られた操り人形のように、その場にヘナヘナと座り込んでしまった。
- 426 名前:wasabi 投稿日:2003年09月03日(水)01時30分33秒
つづく
- 427 名前:wasabi 投稿日:2003年09月03日(水)01時48分35秒
やっとこさの更新です。
そして、いよいよ彼女が始動です。(笑)
>>409 391さん
レスありがとうございます。
市井さんの微妙な反応…イイとこに眼をつけてらしゃる(笑)
よかったらこれからもお付き合いくださいませ。
>>410 和尚さん
レスありがとうございます。
>ヽ^∀^ノ<ごとーはずっと変ってないぞ!
>といちーさんが言ってますよ(笑)
そうでしたか!市井さんはそう言ってましたか!
和尚さんのレスを見て、市井さんがまた「ごとー」って言うのを
リアルで聞きたいなぁ…と心から思ってしまいました。
>>411
レスありがとうございます。
楽しみだなんて言ってもらえてホント嬉しいです♪
陰ながらなんて言わずに、これからも叱咤激励よろしくです!
>>412
レスありがとうございます。
これからの展開…いい意味で期待を裏切れるよう頑張ります!
よろしくです!
- 428 名前:和尚 投稿日:2003年09月04日(木)21時52分37秒
- 更新お疲れ様です。
まさしく「そりゃないよ〜いちーちゃん」です。
でもこの後のなっちの行動・・・いちーさんの状態が気になります。
心臓持つかな?(苦笑)
- 429 名前:S 投稿日:2003/09/17(水) 20:42
- 初めて読みました。すごくおもしろいです。
市井さんの様子が気になります。つづきが楽しみです。
- 430 名前:名無し読者 投稿日:2003/10/14(火) 01:49
- 市井さんはこの後、後藤さんにどういう態度をするんだろう・・・。
続きをお待ちしております。
- 431 名前:名無し読者 投稿日:2003/10/16(木) 14:21
- 待ってます。
- 432 名前:wasabi 投稿日:2003/10/23(木) 02:02
-
■■■■■■
「大丈夫?…少しは落ち着いた?」
「…うん」
なっちとやぐっちゃんに連れられて、私は店の外にある木製の小さなベンチに座らせられた。
三人で座るには少し狭いけど、二人で座ると微妙な隙間が空いてしまう、そんな中途半端な大きさのベンチだった。
そう思い始めると、そのシックな塗装も何だかわざわざ古めかしく見せようとしているような気がして、私は小さな苛立ちをおぼえる。
だけどそんなのただの八つ当たり…。
本当は、【市井紗耶香】の傍にいない【後藤真希】に、私はイライラしている…。
なっちがいつものように私の右側に位置して座った。
「何か飲み物買ってくる」
持っていた大きな紙袋を、少し乱暴にベンチの私の左側の空いたスペースに放り投げると、
やぐっちゃんは小さなバックだけ手に持って通りの向こうに走っていった。
テケテケって音が聞こえてきそうな、そんな走り方だった。
- 433 名前:wasabi 投稿日:2003/10/23(木) 02:03
-
「ハハハ…」
厚底ブーツで小走りになる彼女の後姿は、何だか少し滑稽で、私は思わず笑い声をあげた。
思いのほか無機質に響く、そんな自らの【渇いた笑い声】に少し戸惑う…。
なっちはそのピンク縁の伊達眼鏡の奥で、キョトンと目を見開き「どうして笑っているの?」って表情をしてこっちを見ていた。
瞬きすら忘れたようなその瞳はあまりに澄んでいて…それが私には何だかとても悔しかった。
悔しいなんて感情…おかしいかもしれない。
けれど、感情をストレートに表情に出しているなっちを見ていると、何故かとめどなく悔しさが押し寄せてくる。
『大丈夫なわけないじゃん…』
もしも、さっきの問いにそう素直に口にする事が出来ていたら、この悔しさでイラついた気持ちも少しはすっきりしたんだろうか?
…ダメだよね。
そんな事口にしたらまた怒られちゃう。
『後藤!その口の利き方は何? …いい、良く聞くんだよ…』
そうやって諭すあなたの顔を思い出す。
眉をひそめ、口をキュと結んだいちーちゃんの怪訝な顔…。
- 434 名前:wasabi 投稿日:2003/10/23(木) 02:04
-
いちーちゃんは、素直でいる事とワガママを言う事…そこを履き違えないように、特にうるさく言い続けてた。
加入当時、『娘。』はすでに売れっ子扱いだったし、まして苦労した時期を知らない一番年下の私なんて、
周りの大人がみんなでチヤホヤするもんだから、悪気なくてもついワガママになってしまってた…。
そんな私の言動を、いつも裕ちゃんやマネージャーさんに気付かれる前に戒めてくれたのがいちーちゃんだった。
『後藤、感謝の気持ちを忘れたらダメ。本気で叱ってくれたり、心配してくれる人を大事にしなきゃダメだよ』
同じ過ちを繰り返す私に、だけどいちーちゃんは根気良くそう言い続けてくれた。
けれど…何度言われても、その時の私は、いちーちゃんの口にするそんな大人な台詞に素直に頷く事が出来なかった。
他のメンバーの、誰にでも大袈裟に挨拶する姿が私には何だか媚を売っているように見えて…正直、凄く嫌悪を感じていた。
バカだよね…。
そんな笑顔も、幼い私達がこの世界で生きて行くためには絶対に身に付けておかなくちゃならない処世術のひとつなのに…。
あれから一年弱経って、後輩も出来た今の私なら、それを少しは実感として理解する事ができる。
いちーちゃんは最初から本気で私を想っていてくれてたんだ…その時だけでなく、ずっと先を見据えていてくれてたんだ。
あぁ…私は何をやっていたんだろう…。あの時のいちーちゃんの表情を思い出すと、切なくて涙が出そうになるよ…。
- 435 名前:wasabi 投稿日:2003/10/23(木) 02:04
-
けれど…
あの時の、そんなあなたの【優しさ】にさえ素直に喜べない私が今ここにいる。
だって、どうしたって考えてしまうんだもの…。
いちーちゃんが、もしあの時すでに自らの卒業を決めていたのだとしたら…
ただ、【自分がいなくなった後の後藤】を心配していただけなのだとしたら…と。
マイナス思考の【後藤真希】が頭を擡げて、胸が張り裂けそうになる。
あの時のあなたの表情も声も…その全てをはっきりと思い出せてしまうばっかりに、その切なさはどこまでも深く私の胸をえぐり続ける。
いちーちゃん…
確かに、あなたの言う通り、私を支えてくれているのはいちーちゃんだけじゃないかもしれない。
今だって、なっちとやぐっちゃんが、私の事本気で心配してくれてる…それは分かるの…。
だけど、だけどね…。
やっぱり、いちーちゃん…あなたはごとーの事分かってない!って思う…。
だってそうでしょ?
誰が、どんなにたくさんの愛情を私に注いでくれたとしても、
【後藤真希】にとって【市井紗耶香】の代わりになる存在なんてありはしないんだから…。
- 436 名前:wasabi 投稿日:2003/10/23(木) 02:05
-
「ごっつぁん…?」
…!?
そんなシリメツレツな事を永遠と考えている私の思考を、この人は全て見透かしているみたい…。
腫れ物に触るかのように、なっちはおそるおそる目の前の私に声をかけてくれた。
覗き込む彼女の眼は、心の底から【弱った後藤真希】を心配している…純粋を絵に描いたような、そんな眼だった。
『やめて!』
反射的に心の中でそう叫び、強く眼を閉じ、私は目の前のこの人を拒絶した。
ああ…
いちーちゃんに逢いたい。
今すぐ壊れるくらいに抱きしめてほしい。
あなたのその腕で、こんな私の心を抱き壊して、そして救ってほしい。
心配してくれている仲間を…あなたの優しさすら信じる事の出来ないでいる、こんな歪んだ私の心…壊して。
「………」
なっちは再び俯く私の姿を見て、それっきり何も言わずただその小さな手で私を仰ぎ続けてくれた。
浅くベンチに腰掛けているのは、通りから私の顔が通行人に見えないようにする、彼女なりの優しさなのだろう…。
そこにはやっぱり微塵の偽善もないように思えた。
少しだけ視線を上げて、通りの向こうを見る。
自動販売機の前で小銭を落としてしまったらしいやぐっちゃんが、不自然な体勢で小さくかがんでいた。
『厚底のブーツで、落ちた小銭を拾うのはとてもキツイんだよね…』
そんな彼女の姿にも、もちろん一粒の嘘も感じられない。
…私の歪んだ心でも、そう認めるしかないくらいに二人の想いは真っ直ぐ私に飛び込んでくる。
ムジュンシテイル…私ノココロ。
- 437 名前:wasabi 投稿日:2003/10/23(木) 02:05
-
「ごっつぁん…」
その時少しだけトーンを下げて、なっちが再び私の名前を呟いた。
それはさっきとも違う、TVの前では決して発せられる事のない声色だった。
「最近のごっつぁん、ホント『イイカンジ』だよ…」
「え…?」
「うん…『イイカンジ』…」
言葉とはウラハラに、なっちはしみじみとそう言った。
こちらを見る訳でもなく、それはまるで独り言のような呟きで、私は最初彼女が何と言ったのか分からなかった。
けれど、確かにそう言っていた。
『イイカンジ』
手放しに喜んでいると言う感じではなく、どちらかと言えば【ホッとしている】…そんな温度を持った言葉だった。
【違和感】…ただそんな言葉が心のササクレに引っかかる。
「…今なら…きっと…」
更に小さく、多分なっちはそう呟いた。
『イマナラ?』
遠くで誰かが私の思考ごと空き缶を蹴っ飛ばした。
デリカシーのない渇いた金属音が私の耳の中で響き、そしてこだまし続ける。
『ちょっと話したいこともあるから…』
なっちから送られてきた昨夜のメール画面が、突然脳裏に浮かぶ。
- 438 名前:wasabi 投稿日:2003/10/23(木) 02:06
-
「…なっち?」
しばらくしてから、私は彼女に言葉の続きを促した。
だけど、彼女は足元のアスファルトを見つめたまま、なかなか言葉を続けてくれなかった。
『沈黙』という名前のフカフカな羽毛布団で圧迫されるような…私は次第にその「笑顔」に圧迫されて息苦しさを感じ始める。
助けを求めるように視線をやぐっちゃんに向ける。
だけど彼女は通りの向こうにいて、まだここに辿り付けない。
私は居心地の悪いそんな【間】を埋めるように、何度か訳もなく腰を少し上げて座り直した。
「だって…うん。 ごっつぁんもなっちも、いつまでもここに立ち止まってる訳にはいかないもんね」
「………」
「うん…だから、これからも頑張って行こう。 今は、ただ…前だけ向いて走り続けようよ」
「………」
「うん…。それが良いよ…うん」
なっちはまるで独り言のように、何度もひとり『うん』って頷きながら話を続けた。
- 439 名前:wasabi 投稿日:2003/10/23(木) 02:06
-
この人は何が言いたいんだろう。
『立ち止まっちゃいけない』って…。
まさか…いちーちゃんの卒業の事を言ってるの?
言われなくたって、私頑張ってる。
一生懸命【テッテー的アイドル】やってるじゃない。
なっちにそんな事言われたくない…。
私は無意識になっちを睨んでいる事に気が付いた。
気が付いたけど…止められない。
だいたい…
あなたにいちーちゃんを失う哀しみなんて分かるはずない!
『前だけ向いて』とか簡単に言わないで…。
「でも…それでも、どうしても辛くなったら…」
なっちは一度だけ顔を上げて私の眼を見た後、再び視線を外した。
私の鋭く睨みつけた眼差しに気がついただろうか?
「…その時は…なっちに相談してくれないかな?」
どうやら彼女は、私のそんな視線には全然気がついていなかったらしい。
みんなは私の事をマイペースだって言うけど、この人だって相当のマイペース人間だ。
私は話の内容なんかより、まるで暗記した台詞を口にするようにな…そんなマイペースな口調にイラだってしまう。
- 440 名前:wasabi 投稿日:2003/10/23(木) 02:07
-
「なっち…ごっつぁんの力になりたいの」
一瞬で思考が停止する。
なっちはその言葉だけ、まるでミュージカルの台詞のように大袈裟な抑揚をつけた。
雑踏が消え、風が止み、通り過ぎる人々さえ止まる…そんな感覚が数秒をかけて静かにやってきた。
そして更に数秒をかけ、まるでかじかんだ手を湯船につけた時のように、ジワジワと思考が再起動する。
『この人は一体何を考えてるの…? ごとーの力になる? いちーちゃんじゃなくて…なっちが?』
「ううん…ならなきゃいけないの…」
私は何も考えられずに、ただなっちの横顔を見た。
ゆで卵のようなつるんとした頬、おでこから鼻にかけての絶妙なカーブ、夏の朝露のような瞳、たてたての生クリームのようにフワフワした唇。
思わず『キレイな横顔だな…』と見当違いな事を考え、それに見とれている自分に気が付く。
慌てて視線を外し、足元に横たわる誰かが捨てた吸殻に視線を落とした。
そんななっちの瞳に見つめられたら、未来に絶望しかなかったこの吸殻たちさえ可愛らしい黄色の花でも咲かせるんじゃないだろうか…。
『ハハハ…』
再び渇いた笑い声が、今度は声にすらならずに、ただ心の中で響いた。
- 441 名前:wasabi 投稿日:2003/10/23(木) 02:07
-
「な…なにそれ…。 ならなきゃいけないって何? …訳分かんないよ。 ヘンなのぉ〜」
だけど私は苦笑いを浮かべ抵抗する。
精一杯とぼけて、そのフカフカで暖かそうな羽毛布団から逃げ回る。
どーせ油断させといて、私がその布団に手を伸ばした途端『ブス』って一突きに刺すつもりなんでしょう?
『こら!後藤!』
…いちーちゃんの怒った顔が浮かび、そして哀しそうに消えた。
でも…
でもねいちーちゃん…。
なっちの言葉で花を咲かせる訳にはいかないよ。
私はいちーちゃんの言葉でだけ、このつぼみを開くの。
いつだって、何処でだって、どんな理由があったって…それ以外は考えられない…アリエナイヨ…。
- 442 名前:wasabi 投稿日:2003/10/23(木) 02:08
-
「ごっつぁん…」
なっち…だからお願い。
そんな哀しい眼をして私に笑い掛けないで…。
「ごめん…そうだよね。 …いいの。 でも…こころのどっかにとどめておいて…なっちは…」
なっちがそこまで言いかけた時、私は具合の悪さがぶり返したフリをして、両手で顔を覆い大袈裟にうな垂れた。
そして、耳の中から栓をして、なっちの言葉の続きを拒否した。
やぐっちゃん…早く戻って来て。なっちがヘンな事言うの…。
聞きたくない。聞きたくないの…。
だけど、頭のずっと奥の方で誰かが私を戒める。
『ゴトウ、マチガッテル…マチガッテルヨ…』
あの人の声。
今誰よりも逢いたい、あの人の…声。
- 443 名前:wasabi 投稿日:2003/10/23(木) 02:08
-
つづく
- 444 名前:wasabi 投稿日:2003/10/23(木) 02:29
- 半ば放置のような状態になってしまい申し訳ありませんでした。
訳あってこれからも更新頻度はそんなに高くなりませんが、
これからもボチボチ書かせて頂きたいと思っています。
お付き合いいただける方がいてくれたら幸いです。
>>428 和尚さん
お久し振りです(苦笑)
休み中に色々考えたんですが、やっぱり「辛」で行こうと思います。
心臓の方、いたわって下さいね。これからもよろしくです!
>>429 Sさん
レスありがとうございます。
初めて読んでいただいたのに、全然更新されなくてがっかりされた事でしょう。(笑)
駄文ですが、これからも気が向いたら読んでみて下さい。
>>430
レスありがとうございます。
市井さんの真意が分からなくて、後藤さんはすっかりヘコんでます。
そんな後藤さんをこれからも見守っていただけたらと思います。
>>431
ホントお待たせしました…(苦笑)
- 445 名前:和尚 投稿日:2003/10/23(木) 13:21
- 更新お待ちしていました。
相変わらずいいトコで次回に続くとは・・・(苦笑)
こどーさんが辛そうで、辛そうで(泣)
- 446 名前:S 投稿日:2003/10/23(木) 19:48
- おお!更新されてる!待ってましたよ〜。嬉しいです!
早く後藤を市井ちゃんに会わせてあげて〜。
続き、楽しみにしてます。無理をせず、がんばってくださいね。
- 447 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/07(日) 09:23
- お待ちしております。
- 448 名前:wasabi 投稿日:2003/12/31(水) 23:36
-
■■■■■■
「お待た…せ…!?」
強く塞いだ左右の耳から、息を切らせたやぐっちゃんの声が聞こえた。
それが例え気休めであったとしても、私は心の底からホッとする。
けれどそう感じた次の瞬間、ペットボトルが地面に落ちる鈍い音が、頭の芯を乱暴に揺り動かした。
「ご、ごっつぁん! 大丈夫!!」
深くうな垂れる私の姿を見て、やぐっちゃんは驚いてそう叫んだ。
それから目の前まで駆けて来て、私の小さく震える両肩をおもいきり掴んだ。
まるで雪山で遭難した相棒を寝かすまいとするように、一度だけ大きく私の躰を揺り動かす。
- 449 名前:wasabi 投稿日:2003/12/31(水) 23:37
-
「痛っ…」
「あっ…ごめん…」
私が小さくそう言うと、やぐっちゃんは驚いたように私の両肩から手を引っ込めた。
掴まれていた両肩がひどく熱を帯びているのが分かる。
やぐっちゃんの小さな手の跡がくっきりと残っているんじゃないかって思うくらい、両肩が熱い…。
---!?
すると、一瞬の間を置いてやぐっちゃんの髪の束が私の鼻先をかすめる。
目をつぶっていた私は一瞬何が起こったのか分からなかった。
そして、追いかけるように彼女の髪の香りが通り抜ける。
ダンスレッスンの時にもよく漂ってくる、いつもの愛用シャンプーの香りだ。
あの人と同じフローラルの香り…。
どうやら彼女は勢い良く右隣にいるなっちの方を振り向いたらしい。
- 450 名前:wasabi 投稿日:2003/12/31(水) 23:38
-
ダンスレッスンか…。
稽古場でイキイキと踊る、そんなあの人の弾けるような笑顔が、閉じた瞼の裏側いっぱいに浮かぶ。
自らの休憩中ですら、スタジオの端っこでドリンクのストローを加えたまま、ジっと私を見守る姿がフラッシュバックする。
いちーちゃん…
まただ…どんな時でも、全ての思考はあなたへと…。
「なっち!」
---え…?
やぐっちゃんが懸命に声を押し殺してそう言った。
- 451 名前:wasabi 投稿日:2003/12/31(水) 23:40
-
「なっち…ごっつぁんに何言ったのさ…」
「ち…ちが…」
「ごっつぁん、いま具合悪いんだよ! そんなの見れば分かるじゃん」
な、なんで? やぐっちゃん…怒ってるの?
私は俯いたまま薄く眼を開いた。
視線の先にやぐっちゃんの厚底ブーツのつま先が見える。
「もしかして…」
何かに気がついたやぐっちゃんは眼を見開き、その小さな躰は怒りに少し震えているみたいだった。
私は直感で『この人がこんな哀しそうに怒るなんてよっぽどの事だ…』と感じた。
二人が自分の事について話しているにもかかわらず、けれど私はそれをどこか他人事のように聞いていた。
- 452 名前:wasabi 投稿日:2003/12/31(水) 23:46
-
「ひどい…ひどいよ、なっち。 何も今言う事ないじゃん! こんな…」
「ちょ…ちょっと待って矢口、なっちは何も…」
「じゃあ、何でごっつぁん、こんなになってんのさ!」
「あの…あのね…ちゃんと説明するから、その前にお願いだから落ち着いて…」
「落ち着けないよ…。 ごっつぁんにとって、どれだけ大事な事か分かってて…」
やぐっちゃんはそこまで一息に喋ると、ゆっくりと眼を閉じ、唾と一緒にいくつかの『言葉』を呑み込んだ。
「ごっつぁんをこんな風に哀しませる為に、みんな、なっちに任せたんじゃない!」
「や、矢口、違う、違うの…お願いだから、なっちの話し聞いて…」
懸命に押し殺しつづける怒りと哀しみが、臨界点を超えて溢れている…そんなやぐっちゃんの声に、私は少し怯えた。
『カナシマセル?』『ナッチニマカセタ?』
なに? …何なの?
まるで神経衰弱の一番手の時ように、今するべき事の手掛かりが何処にもなくて…
私は、ただただ戸惑うばかりだった。
- 453 名前:wasabi 投稿日:2003/12/31(水) 23:47
-
つづく
- 454 名前:wasabi 投稿日:2003/12/31(水) 23:53
- 長い間放置状態でごめんなさい。
しかもプチプチ更新…。
本当はまだ本格的再開する気持ちにはなれていないんですが、
今日は市井さんの誕生日ですしね…。
何とか近いうちに本格的再開できるように頑張ります。
『市井さん、20歳の誕生日おめでとうございます』
- 455 名前:wasabi 投稿日:2004/01/01(木) 00:00
- >>445 和尚さん
和尚さんはもう立ち直りましたか?
自分はまだ上手く理解できないでいます…。
何かアドバイスを!(苦笑)
>>446 Sさん
レスありがとうございます。
もうちょっと無理して更新しろ!って感じですよね〜。
でも、やっと何とか少しづつ書き溜めはじめているので、
また機会があれば読んでもらえたら嬉しいです。
>>447
お待たせしました。
…って、まだ待っていてくれてるのでしょうか?(笑)
- 456 名前:S 投稿日:2004/01/01(木) 20:54
- あけましておめでとうございます。
そして、更新おつかれさまでした。首を長くして待ってましたよ〜。
本格的再開、楽しみにしてますね。この作品、ほんとに大好きなので☆
- 457 名前:和尚 投稿日:2004/01/03(土) 01:01
- ヾ((Д`≡´Д))ノ<いや〜なんなの!なんなの!!
こりゃ気になるトコで『続く』とは・・・ごとーさんがイタイのが見てて辛いなと。
更新マターリお待ちしてます。
>和尚さんはもう立ち直りましたか?
なんとか立ち直ってますよ(苦笑)
『いちごま』を思う存分に楽しむコトにしましたから。
芸能界で会ってなくても違う場所で会ってると思ってます!
それにごとーさんの口から(いちーさんのコト)「だーいすきですよ」と聞いたので、
それを信じてます!!
- 458 名前:K 投稿日:2004/01/04(日) 00:02
- あけましておめでとうございます!!
久しぶりにのぞいてみたら更新されててうれしかったです。
おいらもこの作品好きなんでがんばってほしいです☆
- 459 名前:447 投稿日:2004/01/04(日) 21:36
- 更新お疲れ様です。
続きが読めてうれしいです。続きの展開が気になる…。
またマターリお待ちします。更新がんばってください。
- 460 名前:wasabi 投稿日:2004/02/15(日) 04:19
-
■■■■■■
「なっちはね…ただ…」
私は少しだけ顔を上げて、二人の事を見上げる。
目の前でなっちはそこまで言いかけ、そして哀しそうに…悔しそうに口をつぐんでしまった。
…気がつくと、周りが少しざわついている。
どうやら、この不穏な空気が私達の正体を通行人にばらし始めているらしい。
さすがのなっちもそんな異様な雰囲気には気が付いたらしく、もはや再び口を開く気配はなかった…。
私はその何とも言えず無念そうななっちの顔が見ていられなくて、視線をやぐっちゃんへと移す。
けれど、そのやぐっちゃんも、怒りと哀しみが溢れるのを止めるためには、もう眼やら口やらを力いっぱい閉じるしかないようだった。
- 461 名前:wasabi 投稿日:2004/02/15(日) 04:24
-
『カナシマセル?』『ナッチニマカセタ?』
私は俯き、その言葉をただ何度も頭の中で反芻する。
「ごっつぁん…行こう」
やぐっちゃんは、淋しそうに転がっていたペットボトルをゆっくり拾い上げ優しく土を払った。
そして再び目の前に戻って来ると、私の帽子を優しくかぶり直させてくれた。
それから自分の買い物袋と私の袋を一緒に左肩に掛け、右手で自分より大きい私を抱えるようベンチから立たせた。
私は、思いのほか自分の体が重たくて驚いた…。
- 462 名前:wasabi 投稿日:2004/02/15(日) 04:26
-
「…なっち…ゴメン。オイラ、ついカッとしちゃって…」
「矢口…」
「あはは…らしくないよね…」
「………」
「なっちの話し…今度ちゃんと聞く。 …今日はごっつぁんを送って帰るわ…」
やぐっちゃんはいつもより少し低いトーンで、やっぱり怒りを押し殺したままそう言うと、なっちの姿を一切見る事無くその横を通り過ぎた。
それは『やっと』って感じの、無理やり搾り出すような声だった。
私を抱える小さなその躰からは、怒りで帯びた熱が伝わってくるようだった。
「ごっつぁん…大丈夫だよ…オイラがついてるからね…」
優しく…だけど哀しく、やぐっちゃんは私の顔を見て微笑んだ。
私もそれに答えようと微笑を作ったつもりだったけど、きっと上手には出来なかったと思う。
そんな私の下手くそな笑顔に答えるやぐっちゃんの顔。
あの日、武道館から帰るタクシーの中でいちーちゃんに怒った哀しそうな顔が時を越えてそこに重なった。
- 463 名前:wasabi 投稿日:2004/02/15(日) 04:28
-
「やぐっちゃん…」
「ん?」
「大丈夫だよ…ごとー、一人で歩けるから…」
「で、でも…」
「ホント…大丈夫…。 貸して、ごとーの荷物。 自分で持つから…」
「う…うん」
二人が何ついて話していたのか…今はそれが何であろうと聞くまい、と心に誓い、私は下手くそな笑顔を浮かべながら精一杯気丈に振舞った。
心を開かない私の姿を、哀しむような表情で見つめるやぐっちゃんに、だけど…私は自己嫌悪になる余裕さえなかった。
ゴメンねやぐっちゃん…。
その小さな手で掴まれた両肩の感触から、あなたの優しさは痛い程伝わってきます。
あなたに心を開いていないとか、そう言うんじゃないの…。
ただ…
いちーちゃんが選んでくれたこの安いTシャツだけはどうしても触って欲しくない…それだけ。
何て言うか…今、頭ん中混乱してて…
だから…確実にごとーといちーちゃんと結び付けてくれる、このTシャツたちだけが頼りなの。
今の私は、これがないと、両手、両足…頭も全てバラバラになってしまいそうだから…。
本当にただそれだけなの…ゴメンね。
- 464 名前:wasabi 投稿日:2004/02/15(日) 04:35
-
返してもらった紙袋を、私は胸で一度抱きしめてからゆっくり右肩に掛けた。
それから、やぐっちゃんに促されてゆっくり歩き出す。
背後になっちの気配が少しずつ小さくなっていくのを感じながら…それでも私達は歩みを緩める事なく進んだ。
そうしてしばらく進んだ後、私は紙袋の紐を掛け直す振りをして小さく後ろを振り返った。
すると、なっちはこちらに躰を向けて、そのつぶらな眼で私の事を見つめていた。
哀しそうに、寂しそうに、もどかしそうに…。
いちーちゃん…ダメだぁ…。
『あなたを苦しめる何か』を見出す事なんて、弱っちい私には到底無理だったんだ…。
なっちの、あの何か言いたげな顔を見ても、これ以上それを聞き出す力が今の私にはない。
あぁ…今はただ早く、何も言わずに抱きしめて欲しい。
『良く頑張ったね』って…笑顔で頭ごっつんってして欲しいよ…。
- 465 名前:wasabi 投稿日:2004/02/15(日) 04:36
-
ねぇ…いちーちゃん。
あなたは知っているの?
なっちとやぐっちゃんが言う『私を苦しめる何か』のこと…。
- 466 名前:wasabi 投稿日:2004/02/15(日) 04:38
-
−−−ごめん…。
『誰?』
その呟きは耳にではなく、直接私の頭ん中にズカズカと上がりこんできた。
まるで何かに対するあて付けのように…デリカシーの欠片もない言葉の塊だった。
なっち? やぐっちゃん?
それとも…他の誰かなの?
私は隣のやぐっちゃんの顔を勢い良く見た。
「な…なに!?」
驚くやぐっちゃんをそのままに、私は再び後ろを振り向く。
…けれど、その視線の先にいる筈の彼女の姿を確認する事は出来ない。
四方八方から行き交う人々に、【安倍なつみ】は既にすっかり呑み込まれていた。
視線をあげる。
いつの間にか、空はすっかり夕刻の色でいっぱいになっていた。
手にした紙袋がすれ違いざま女子高生にぶつかり、そして哀しそうに『クシャ』と音を立てた。
- 467 名前:wasabi 投稿日:2004/02/15(日) 04:47
-
つづく
- 468 名前:wasabi 投稿日:2004/02/15(日) 04:49
- 今回もまたまたプチ更新でスイマセン。
まだしばらくはこんなカンジの更新頻度かもしれませんが、
気が向いた時にでも読んでもらえたら幸いです。
- 469 名前:wasabi 投稿日:2004/02/15(日) 05:11
- >>456 Sさん
遅ればせながらあけましておめでとうございます(苦笑)
そんな訳で本格的再開はもちょっと待っていただけますか?
実は…「大好きなので☆」←☆がとても嬉しかったりしました(笑)
>>457 和尚さん
アドバイスありがとうございます!
すぐにでもお礼を言いたかったのに、こんなにも遅くなってしまいました。
ごめんなさい…。
それにしても、ごとーさんの口から「(いちーさんのコト)だーいすきですよ」って聞かれたんですか??
それは何より力になりますよね!!
勝手ながら、自分もそれを信じさせてもらいます。
これからも叱咤激励よろしくです♪
>>458 Kさん
こんな暗い話を好きだと言って下さってありがとうございます(笑)
いつ更新するか分からないような話ですが、また気が向いたら見に来て下さいね〜。
>>459 457さん
レスありがとうございます。
遅々として一向に進まない話ですが、一生懸命書いているつもりです。
下手くそな文章ですが、これからもよろしくお願いします!
- 470 名前:S 投稿日:2004/02/16(月) 01:25
- プチ更新お疲れさまでした。プチでも、とても嬉しいです。
続き、マターリ待ってますので、無理をせずがんばってくださいね☆
・・・・早く後藤を市井ちゃんと会わせてあげて〜〜。
- 471 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/01(木) 11:50
- がんばって
- 472 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/09(日) 03:05
- 続いてほしいな〜
- 473 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/27(火) 06:41
- 今更一気に読みました。
いちごまになちまりがどう絡まっていくのか気になりますねぇ♪更新されることを切に願ってます。
- 474 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/22(日) 23:47
- 待ってますよー
- 475 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/30(月) 01:58
- 待っとるで〜。
- 476 名前:wasabi 投稿日:2004/09/23(木) 04:26
-
■■■■■■
「ごっつぁん…切符、何処まで買えばイイ?」
地下鉄の券売機の前で、やぐっちゃんは苦しそうに少し背伸びをして路線図を見上げた。
白い大きめのTシャツの首元が、肩に掛けた荷物のせいで少し伸びていて、
中から少しくすんだ黒いタンクトップがわずかにのぞいている。
「…?? ごっつぁん?聞いてる??」
私はそんなやぐっちゃんの言葉に慌てて頷いた。
そして彼女の肩口をぼんやり見つめながら、さっき、目の前で交わされたなっちとやぐっちゃんとの会話を反芻してみる。
『モシカシテ…』とやぐっちゃんは言った。
『私、何モ…』となっち。
『コンナ風ニ哀シマセル為ニ…』
ホームから吹き上げてくる地下の生温い風が、私の頬をいやらしく撫でる。
まるで『それ以上考えるな』と警告しているかのように、それは、何と言うか…こう…『不吉な』肌触りだった。
- 477 名前:wasabi 投稿日:2004/09/23(木) 04:27
-
「やぐっちゃん…」
「ん?」
「ひとつ聞いてもイイ?」
「…な、なに?」
やぐっちゃんは少し上目使いになって、一瞬眉をひそめた後、そうあからさまに警戒する声を出した。
きっと…さっきしていた、なっちとの話の内容を聞かれるんじゃないかと思ってるんだろうなぁ…。
「さっきのお店…」
「お店?」
「うん、口紅見てたでしょ?」
「あ…。 あぁ〜あの店ね…」
私は、そんなやぐっちゃんの心底ホッとした表情に少しだけカチンときた。
だけど今の私には、それにムカついた態度を取る力すら残っていなかった。
ただ、今かろうじて私を支えているのは、はっきりと足元に横たわる問題を一つ一つクリアにして行くんだという気力だけ…。
なぜだろう…去年のマラソン大会を思い出す。
『次の電柱まで歩かずに我慢して走ろう』
『電柱もう1本分だけ頑張ろう…』
そういって最後まで歩かずに完走した、あのマラソン大会。
少し尖った凍った空気が、どこまでも続いていた…そんな何でもない真冬の1日。
そういえばその後、そんな負けず嫌いな性格が災いして、3日間だか体調を崩して寝込む事になったんだった…。
なぜだろう…なぜ、今そんな日の事を思い出すんだろう…。
- 478 名前:wasabi 投稿日:2004/09/23(木) 04:28
-
「あそこのブランドって…やぐっちゃん、前に好きって言ってたっけ?」
「え? オイラが?」
「うん…。 ほら、何か前に楽屋で、雑誌見ながら話してなかったっけ?」
「…ううん、それオイラじゃないよ。 あの店入ったの、今日が初めてだし…」
私はその表情の小さな変化すら見逃さないよう、瞬きすらせずにやぐっちゃんの顔を見つめた。
彼女はそんな私の眼力に押されるように、少しだけ上半身をのけぞらせ、それから音を立てないようそっと唾を呑み込んだ。
『警戒してるんだ…』そんな心の揺れ動きが、この人はすぐに表情に表れる…。
本当に素直な人なんだな…そう思うと、そんな人にカマをかけている自分が何だかとても醜く感じた。
「じ…実は裕ちゃんの誕生日プレゼントを探してたんだ。 ま、裕ちゃんには若すぎるみたいだったからやめたけどね …でもどうして?」
「いや、別に…。 ただ前に、楽屋かどっかで誰かが『好き』って言ってたの聞いた気がしたな〜と思って…」
「う〜ん…」
やぐっちゃんはそう言って、首を小さく傾げ、唇をすぼめて懸命に何かを思い出そうとしてくれている。
そんなやぐっちゃんの姿が、次第に何だか痛々しく映り始め、私は思わず『もういいよ…』と言いそうになった。
この人の気持ちは本当だ。本当に私の事想ってくれている…。
「あ…。 もしかして、あのコじゃない?」
「え? …な、なに?」
半ばやぐっちゃんからの新情報を諦めていた私は、どもりながら慌てて聞き返した。
- 479 名前:wasabi 投稿日:2004/09/23(木) 04:29
-
「ごっつぁんが言ってるの…たぶん、あのコだよ」
「…あのコ?」
「うん………吉澤」
「よしざわ…さん…」
「うん…前、レコーディングの休憩中に二人で練習してた時、そんな話した気がする。 あっ…」
「?」
「…いや、何でもない…」
やぐっちゃんはそう言うと、何かを思い出したように目を見開いて口をつぐんだ。
それはまるで、『あんたなんか本当の子供じゃないくせに!』と思わず口走ってしまった、安っぽい昼ドラマの思慮浅いキャストのような表情だった。
私はそれを無視して、あの日の楽屋の風景をもう一度思い出そうと、眼を閉じて意識を集中してみる。
記憶の端に微かに残る映像を鮮明にしようと、何度も意識のピントを絞り直してみる。
けれど、何度それを行ってみても、どうしてもうまくその声の主を確認する事が出来ない。
ただそこで繰り返されるのは、例の低くこもった【誰か】の声と、それを掻き消すように響くのっぺりとしたいくつかの笑い声だけ。
『ワタシダイスキナンダ』
集中するため、シワが刻み込まれるくらい眉をひそめたせいで、眉間の辺りがキリキリと軽く痛み出した。
- 480 名前:wasabi 投稿日:2004/09/23(木) 04:30
-
「ふ〜ん。 じゃあ、今日あの店に行ったのは彼女のお勧め?」
私は記憶の引出しを無理に引っ張り出すことを一旦止め、もう少しやぐっちゃんの力を借りる事にした。
何か…そう、何かとても小さなきっかけで、それは劇的に進展するような予感があるんだ…。
「ううん、関係ないよ。 彼女が『好きだ』って言ってたの、今ごっつぁんに言われて思い出したんだもん」
「じゃあ、どうして? …たまたま?」
「う〜ん…。
なっちが…なっちがね、『あそこなんてどう?』って言って、連れてってくれたの…」
やぐっちゃんは『なっち』ってトコだけ、少し言いづらそうに口篭もった。
そして、話を逸らそうとして不自然に視線を券売機の方に向ける。
『はい、この話はココマデ!』
そんなやぐっちゃんの意志は、とても強く、そして切実に全身から滲み出ている。
けれど、そんな彼女の姿は今の私には一層虚しく感じられた。
- 481 名前:wasabi 投稿日:2004/09/23(木) 04:31
-
つづく
- 482 名前:wasabi 投稿日:2004/09/23(木) 05:02
-
まずは、こんな放置状態になってしまった事、心よりお詫びいたします。
そんな間にもレスを下さった方々、そして…
今、見捨てずにこのレスを読んでくださったあなたに、更に心よりの感謝を申し上げます。
市井さんの引退で、このまま書き続けて良いのかなど、本当に色々悩みましたが、
とりあえず、もう少し書かせていただこうと思います。
市井さんへも、この物語へも、『愛あるが故…』なのだとご理解いただけると幸いです。
これからも…なんて都合良い事は言えませんが、また気が向いたらお立ち寄りください。
よろしくお願いいたします。
ちなみに、今日再開するのは…
……狙ってました。(笑)
後藤真希さん
誕生日おめでとうございます☆
- 483 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/23(木) 20:21
- よかった放棄じゃなかったんだ。すごく嬉しい。
先が読めないというか、なにがどうなっているのかいまだに見通せないですが
引き込まれてます。
ぜひとも続きを読ませてください。結末まで読ませてください。
- 484 名前:475 投稿日:2004/09/24(金) 01:02
- おぉ!更新されてる〜!
放棄じゃなくて安心しました。
これからも頑張って下さい。。。。
- 485 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/03(日) 19:54
- 待ってましたよ!
再開嬉しいです!!
状況も変わりすぎてて難しいとは思いますがこれからも期待しております!!
- 486 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/03(日) 20:20
- あ〜更新されてる!本当に嬉しいです。
- 487 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/05(金) 22:27
- 待ってるです
- 488 名前:wasabi 投稿日:2004/12/31(金) 21:15
-
今日こそは絶対更新しようと頑張っていたんですが、
物理的事情(?)によりもう数日後になりそうです…。
まだ見に来ていただいているかも知れない、愛すべき奇特な皆様、大変申し訳ありませんm(__)m
粛々とですがまだ書いておりますです。
そして、そして…
いちーさん、誕生日おめでとうございます♪
wasabi@携帯
- 489 名前:wasabi 投稿日:2005/01/06(木) 03:09
-
■■■■■■
「へぇ…」
私はやぐっちゃんの言葉に適当な相槌を打ったあと、いちーちゃんとの会話を思い出してみる…。
ほんの1時間前に交わした短い会話。
『へぇ…いちーちゃんもココ好きなんだぁ〜』
『『も』? じゃ、後藤も?』
『ま、誰でも良いよ。 今、結構流行ってるらしいし、矢口あたりが言ったんじゃない?
そう言えば、前に雑誌見ながら『可愛いよねぇ〜』って話したような気するし…』
いちーちゃんが口にした『後藤も?』は、一体どう言う意味だったんだろう?
『後藤も好きなの?へぇ〜実は私もなんだ』なのか『後藤も好きなの?そう言えば〇〇も好きなんだよ』なのか…。
- 490 名前:wasabi 投稿日:2005/01/06(木) 03:11
-
遠くの方から、鈍い金属音と共に軽い目眩がやって来る。
そして、そんな時は決まって私の【あの能力】が発動する。
その『も』は、間違いなく後者だと、得意気に私に伝える。
…いちーちゃんは誰かがこのブランドを好きだと言うのを知っていたんだ。
---誰?
今日やぐっちゃんをあの店に誘い出したなっち?
それとも、私の記憶の端っこにずっと引っ掛かっている、あの声の主なの?
ま、まさか、やぐっちゃん!?
…ではないよなぁ。
私を思いやってくれた、この数十分の姿が嘘だとは思いたくないし…。
いや、確かにその人間が誰かと言う事も気になることなんだけど、
それより、どうしても理解できないのは、いちーちゃんがその『誰か』を私に知られまいと懸命に誤魔化した事…。
ドウシテ?
ごとーがヤキモチ妬くから?
- 491 名前:wasabi 投稿日:2005/01/06(木) 03:13
-
はぁ…。
これじゃまるでさつま芋掘りだ。
地上に顔を出している蔦を頼りに、いくらその下の土を掘ってみても、
地中に隠れている根っこの広がりがまったく予想できない…。
ただただ手が汚れるばっかで、そのくせ乱暴に蔦を引っ張れば、ブチっと切れてしまいそうで…ホント性質が悪い。
はぁ…。
何だか全てが無駄なような気がして、やりきれなくて、目を閉じ軽く頭を振ってみる。
すると、忘れかけていた目眩が再発し、その存在が余計気になってしまった。
振り払うように、もう一度少し強めに頭を振ってみたけれど、目眩はオデコの裏側にはりついたまま剥がれ落ちてはくれない。
- 492 名前:wasabi 投稿日:2005/01/06(木) 03:13
-
ピ〜ピピポポ〜♪ ピ〜ピピポポ〜♪
---!?
「あ…ごめん…」
やぐっちゃんはそう言うと、買い物袋を地べたに置き、それを両足で挟んだまま慌てて胸にぶら下がる携帯を開いた。
『恋のダンスサイト!? この人もこのメロディを使っているんだ…』
やぐっちゃんに対して少し開きかけた心が、再びその分厚い扉を閉じていくのが分かる。
ギューっと大きな音を立て、何かが私の胸を鷲掴みにして締め付ける。
容疑者リストからやぐっちゃんを外すのはまだ早そうだ…。
「もしもし…うん、うん…まだ渋谷なの…うん、ゴメン。 え!? いや、ちょっと…ち、違うって…」
- 493 名前:wasabi 投稿日:2005/01/06(木) 03:17
-
『良かった…いちーちゃんじゃないみたい…』
その電話は、やぐっちゃんがこれから会う約束をしている相手から掛かって来きているようだった。
やぐっちゃんは、最初のうちこそ隣の私に気を使っているように話していたけど、
約束の時間が過ぎた事を電話口で相当怒られているらしく、次第にその怒りをなだめる事で精一杯になり、
明らかに私の姿は彼女の視界から外れていっているようだった。
「…後でちゃんと話すから、もうちょっと待っててよ。 ……イヤ、だからぁ……」
どうやら相手の怒りは収まらないらしい。
私はやぐっちゃんがそんなやり取りをしている隙に、そっと自分の分の切符を買った。
そして、少しかがんでやぐっちゃんの視界の中に入り、『帰るね』と切符を見せながら口パクでそう言って改札に向かった。
やぐっちゃんは慌てたように目を見開き、それからマズイって感じで眉をひそめ、そして『待って』という顔をした。
でも、私には分かってしまった。
やぐっちゃんは、きっとその電話はまだしばらく切ることが出来ないはずだって事。
- 494 名前:wasabi 投稿日:2005/01/06(木) 03:19
-
『裕ちゃんによろしく』
私はもう一度振り返り、ぎこちない笑顔のまま口パクでそう言い、やぐっちゃんの携帯電話を指差した。
背を向けたあと、後ろからパタパタと地団駄を踏む軽そうな足音が聞こえた。
トイレを我慢する小学生のようなやぐっちゃんの姿を思い浮かべると、少しだけ心が和んだ。
ホントに少しだけ…。
- 495 名前:wasabi 投稿日:2005/01/06(木) 03:21
-
このままもう少しやぐっちゃんと話をすれば、他にも何か手掛かりが見つかったかもしれない。
このまま具合の悪い【後藤真希】をさらけ出し続ければ、まだまだ彼女から色々と聞き出せたかもしれない。
そうやって、手繰り寄せるべき決定的な芋の蔦が頭を出したかも知れない。
そう…。
私の知らない【市井紗耶香】の事をもっと知るチャンスは、きっと今なんだろう。
だけど、湿気を含み澱んだこの空気は、体中に絡みついてきて確実に私の生気を奪っていた。
『もう限界』
そう意識し、感じ始めると、どうする事も出来なかった。
本当にいても立ってもいられなくて、とにかく早くココを抜け出さなきゃならなかった。
- 496 名前:wasabi 投稿日:2005/01/06(木) 03:24
- 改札を抜け、階段をフラフラになりながらやっとの思いで降り、そしてホームに辿り付く。
そして、ホームの壁際にある手垢まみれの小さな鏡の中に【後藤真希】を見つける。
『抜け殻みたい』
私は鏡の向こうの自分にそっと右手を伸ばし、なぞるようにゆっくり撫でてみた。
すぐ隣を、小学生くらいの女の子とお母さんが私の顔を覗き込むようにしてすれ違う。
あれだけ練習したのに、こんな時にはテッテー的アイドルスマイルすら浮かべる事が出来ない…。
親子はそんな私に少し哀れみを含んだ笑顔を与え、そして、気を取り直すように取り合った手を握り直した。
そうしてホームの先へ歩を進め始めた親子の頭上から、目を伏せた孤独な私に向かって、構内アナウンスが語り掛ける。
---危ないですから、白線の内側まで下がってお待ちください---
ありがとう、と呟いてみる。
そして押し寄せる更なる孤独。
- 497 名前:wasabi 投稿日:2005/01/06(木) 03:25
-
つづく
- 498 名前:wasabi 投稿日:2005/01/06(木) 03:47
-
相変わらずのプチ放置&プチ更新、本当に本当にスイマセン。
何とかもう少しでも更新をペースアップできるよう頑張りたいと思います。。。
>>483さん
レスありがとうございました。
作者自身、早く結末を文章にしたいと思っているので、
何とか頑張って完結したいと思います。
確かに、まだ分からない事だらけの展開ですが、
一応、最後はちゃんと全てが繋がるはずです(予定)
また立ち寄っていただけると幸いです。
>>484 475さん
ご心配お掛けしています。
放棄はしませんので、またお立ち寄りください!
そしてぜひハッパ掛けて下さい!
>>485さん
レスありがとうございます。
そうなんですよね。
あまりに状況が変わりすぎてしまって、モチベーションやら何やらが…。
とにかくかなり頑張らなくては!と思っています。
>>486さん
喜んでいただいて嬉しいです。
こんな超スローな更新でも、また思い出して立ち寄っていただけると嬉しいです…。
>>487さん
お待たせして申し訳ないです…。
でも、これからもよろしくです!!
- 499 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/11(火) 22:40
- よかった続ききたー
後藤さんなんか静かに危なっかしいな
ほんとこの先どうなるんだろうというかなにがどうなってるんだろう
- 500 名前:ミッチー 投稿日:2005/01/23(日) 12:54
- をー!更新されてる!!
続き待ってましたヨ!
頑張って下さいネ。。。。
- 501 名前:wasabi 投稿日:2005/06/02(木) 02:08
-
■■■■■■
暗闇と静寂を無神経に壊しながら、薄暗い鼠色をした地下鉄の車両がズカズカとホームに入ってきた。
車両のドアが横柄に開く。私はそれに腹を立てる気力も無く、ただ転がり込むように乗りこんだ。
そのまま反対側のドアまで一気に進み歩き、そして、まるでフルマラソン完走後の選手がコーチの腕の中に倒れこむように、扉のガラスに頭からぶつかり体を預けた。
鈍いブザー音を合図に電車がゆっくり動き出すと、その揺れに身を任せ扉横の手摺をたよりに"くるり"と体を反転させる。
少し湿気を帯びた手摺に寄りかかったまま、私はボーっと窓の外を流れるただの暗闇を見つめていた。
- 502 名前:wasabi 投稿日:2005/06/02(木) 02:10
-
車両の揺れにあわせ、うつむいたまま車内を目だけで見回す。
無機質なグレーのシートは、絶妙な間隔を保ちまばらにその表面を露にしている。
そのシートは、まるで遭難した雪山でやって来る睡魔のように、心身ともに弱った私を甘く誘っていた。
だけど、私は座らなかった…イヤ、正確に言うと座れなかった。
一度腰をおろしてしまったら、再び立ち上がる自信がなかった…。
私はそれ程までに、徹底的に弱っている自分を強く感じていた。
- 503 名前:wasabi 投稿日:2005/06/02(木) 02:11
-
電車が小さなカーブに差し掛かり、その拍子に車両が揺れる。
向かいに座り熟睡している女性の首が右から左に折れ、車両の床をお茶の小さなペットボトルが転がった。
まるで、あっちからもこっちからものけ者にされているように、ペットボトルは右のシートから左の座席へと行ったり来たり…。
その間【後藤真希】はというと、小さな車両の揺れにあわせて、垂らした頭を何度も扉のガラスにぶつけたりしている。
途切れそうな意識を強引に繋ぎとめる為、顔をあげて軽く振ってみる。
扉の向こう側ではなく、ガラスに写る澱んだ車内の景色を見てみる。
川に捨てられたビニール袋のような色をした窓ガラスは、その一番手前に生気の失せた【後藤真希】の姿を映し出す。
その抜け殻のような姿の中には、さっきまで具合の悪さを演じていたリアルな【後藤真希】すら消えてしまっていた。
まるで溶け始めたバニラ味のアイスキャンデーのように、心なしかその輪郭すら歪んで見える。
『きっと体重も少し軽くなってるんだろうな…』遠い国に住む他人事のように考えている。
- 504 名前:wasabi 投稿日:2005/06/02(木) 02:13
-
ガラスに映った抜け殻の向こうを、蛍光灯の鈍い光が何度もすり抜ける…。
その度、【後藤真希】の抜け殻は光の中に消えてしまいそうになる…。
右手でガラスに映った自らの輪郭をなぞってみる。
今の私にはガラスに映ったその姿の方がニセモノである自信がない。
もしかしたら…
こちら側の【後藤真希】もきっと同じように透け始めていて、最後には完全に入れ替わるんじゃないだろうか…。
ガラスの中の【後藤真希】をなぞったその右手で、今度は現実の世界にいると思われる【後藤真希】の左頬を擦ってみる…。
車両がイレギュラーに大きく揺れる。
- 505 名前:wasabi 投稿日:2005/06/02(木) 02:14
-
ふと、さっき私に囁いた彼女の声が蘇る。
『なっち…ごっつぁんの力になりたいの』
その言葉がオデコの裏あたりでリフレインする。
言葉だけじゃなく、眼を閉じるとさっきまでそこにあったあの光景が鮮明に浮かんでくる。
ゆで卵のようなつるんとした頬、おでこから鼻にかけての絶妙なカーブ、夏の朝露のような瞳、たてたての生クリームのようにフワフワした唇。
絶妙なさじ加減で憂いを帯びている、不自然なほど完璧なあの表情…。
繰り返されるその言葉と映像に耐え切れず、私は再び眼を開いた。
ガラスの向こうではさっきから少しも進んでいないんじゃないかって思えるくらい、全く同じ暗闇が流れ続けている。
そして、これまた全く同じように【後藤真希】の抜け殻を蛍光灯の鈍い光が通り抜け続ける…。
- 506 名前:wasabi 投稿日:2005/06/02(木) 02:15
-
この列車は…この明ける事の無い暗闇を走り続けることで、一体何処に辿り付くのだろう?
文句一つ言わず、こうして頑張って走り続ければ、いつか太陽の下を走る事が許されるのだろうか?
『私と一緒…』
陽の目を見る事はないと、何処かでそう思っているのに、走り続けることを止められない…。
そんないちーちゃんへの想いは、この地下鉄の走り続ける理由と同じなのかも知れない。
『つらいよぉ…』
涙を流す事も苦笑いを浮かべる事も出来ず、私はただ地下鉄の小さな揺れに身を任せ、そんな事を考えていた。
後ろのシートに座るOL風のお姉さんのヘッドフォンからかすかに漏れる名も知らぬメロディだけが、いつのまにか私を癒してくれる。
歌詞もアーティストも聞き取る事のできない、ただの【音】だけが、今は私を現実に引き止め孤独から救ってくれている気がした。
- 507 名前:wasabi 投稿日:2005/06/02(木) 02:17
-
『いちーちゃん…何やってんのよお…』
私は表情を変える気力すらないまま、それでも【市井紗耶香】を求め続けた。
【モーニング娘。に衝撃走る!】
市井紗耶香の脱退を餌にする女性週刊誌のゴシップが、薄っぺらい吊り広告の上で下品に揺れていた。
『…あいたい、あいたい、あいたい、あいたい…いちーちゃんにあいたいよ…』
私は、被っていた帽子を更に目深に被り直し、それからあきらめてゆっくりと目を閉じた。
しばらく瞬きをしていなかったせいか、目を閉じると瞼の奥で涙がじわっと満ちてきて、そして溢れ零れる。
頬を伝い始めた涙は、デリカシーの無い電車の揺れにあわせて、その真中辺りで行き先を決めかねるように揺れていた。
- 508 名前:wasabi 投稿日:2005/06/02(木) 02:17
-
目的地を知らせるアナウンスが、これ以上ないくらい平坦な声色で流れる。
そんな声を聞き、凍えた手足に血が通い始めるように、意識が次第にはっきりしてくる。
そして、思う。
私はこの地下鉄とは違う。永遠に暗闇を走り続けるなんてイヤだ。
もうすぐこの暗闇を抜けて、私は明るく風の吹く世界に駆け上がるんだ。
もうすぐ私は【市井紗耶香】の住む街に着く。
- 509 名前:wasabi 投稿日:2005/06/02(木) 02:18
-
つづく
- 510 名前:wasabi 投稿日:2005/06/02(木) 02:30
-
恒例の『忘れた頃にやって来るプチ更新』!!
今回はココまでです。
少しペースアップしますとか言いつつ、このテイタラク…ホントすいません。
しかし、武道館メンバーがいるうちに話を進めないと、何だかさっぱり分からなくなっちゃいますね(汗)
見てくださってる人がまだいらっしゃるか分かりませんが、もう少し頑張りたいと思います。
…きっと。
- 511 名前:wasabi 投稿日:2005/06/02(木) 02:39
-
>>499さん
レスありがとうございました。
まだ見てくださってますでしょうかね。。。
ホント、種まきをするだけして、全然刈り取りしなくてすいませんです。
何がどうなっているか、徐々にちゃんと明らかにしたいと思ってるんですけどね…。
これでも…一応(苦笑)
また、ご覧いただけたら嬉しいです。
>>500 ミッチーさん
ミッチーさんの『頑張って下さいネ』の一言にどれだけ勇気付けられたことか…。
ホントありがとうございました。
こんな更新頻度に懲りず、また読んでいただけたら幸いです。
- 512 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/03(金) 00:01
- 信じて待っとったよ、ありがとう
このままどんどん後藤が壊れちゃいそうだ
電車の窓ガラスにうつる影とかすごくリアルだし痛いくらいだった、さすが
またずっと待ちますね
- 513 名前:ミッチー 投稿日:2005/06/03(金) 00:18
- 更新お疲れ様&ありがとうございます!!
後藤さん、痛いっすねぇ〜。
続き楽しみに待ってます☆
- 514 名前:kk 投稿日:2005/06/15(水) 17:03
- 待ってましたよ!!
次は進展ありかな??
またーりお待ちしております!!
- 515 名前:wasabi 投稿日:2005/09/23(金) 23:41
-
後藤さん、20歳の誕生日おめでとう!!
月並みだけど、素晴らしい一年になる事を祈っています。
今日までに更新したかったんですけどね……。
ん〜我ながら情けない。
こんな根性ナシ作者をお許しクダサイ…。
- 516 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/12(月) 05:34
- 突然失礼します。
いま、2005年の飼育を振り返っての投票イベント
「2005飼育小説大賞」が企画されています。よろしければ一度、
案内板の飼育大賞準備スレをご覧になっていただければと思います。
お邪魔してすみませんでした。ありがとうございます。
- 517 名前:wasabi 投稿日:2006/01/01(日) 02:35
-
少し遅れてしまいましたが、いちーさん、誕生日おめでとうございます。
こうして、ここにお祝いのメッセージを書き込むのももう何度目でしょうか。
それだけ時間が過ぎている証拠ですね。
決して放置するつもりはないのですけど…ダメな作者です。
とにかく早く更新するぞ!
- 518 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/16(月) 00:52
- まったり待ち続けてます
気長によろしくお願いします
- 519 名前:wasabi 投稿日:2006/02/15(水) 08:50
-
>>518さん
コメントありがとうございます!
こんな作品と作者を見捨てないで下さり、
ホントにホントに感謝です。
今月、必ず更新します!!
- 520 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/02/15(水) 20:20
- よかったー
待ってるよん
- 521 名前:wasabi 投稿日:2006/03/01(水) 02:27
-
■■■■■■
地下鉄の改札を、その少し錆びた匂いと共に抜けきり、生暖かくべとついた手摺を頼りに何とか地上に出る。
今の私には、頼るものを選択する余裕などない。
ベトついた手摺だろうが、澱んだ東京の空だろうが、安いTシャツだろうが、
少しでも私を支え、照らし、暖めてくれるものであれば、その全てにすがりつく以外選択肢はない。
さっきまで、小さな希望を掲げ誇らしげに高く輝いていた太陽も、
今はビルの隙間から後ろめたそうに見え隠れするくらいまで低く沈み始めていた。
代わりに、背後にある小さな林の向こうからは、こう…何と言うか…
【悪しき予感】に色をつけたような、そんな暗闇が急速に迫ってきているのが分かる。
おそらくそれは、あと数十分で、この街全体を静かに、ただ静かに食らってしまうのだろう。
それは、古い中国の掛け軸に描かれた墨絵のように…ただただ静かで、そしてどこまでも寂しい。
- 522 名前:wasabi 投稿日:2006/03/01(水) 02:28
-
『世界の終り』
私はそんな大袈裟な事を考えながら、だけど無意識に胸からぶら下げる携帯を開き、留守番メッセージの確認をしていた。
そう、私にとっては、『世界の終り』なんかよりも断然『いちいさやかの現在』の方がユユシキモンダイなんだ。
携帯電話の液晶画面の中で、電話のマークが何度も点滅する。
留守電の有無を発表するその判決までの時間が、何だか今日はやけに長く感じる。
まるで覚悟の決まらない私を弄ぶかのよう…。
そんな心臓に悪い時間が意地悪く流れた後、バスクリンのような色の携帯画面の上には、録音メッセージが存在する事を知らせる電話のアイコンがぽつんと残った。
- 523 名前:wasabi 投稿日:2006/03/01(水) 02:31
-
ファーストフード店を出る時、忘れ物がないか確かめるように、私は少しだけ周りを見やり、そして一拍間をおいてから、意識してゆっくりと数字のキーを押し始めた。
1、4、1…
すぅーーーーー
はぁーーーーーー
冷静さを装うために、一度目を閉じ、時間をかけて深呼吸をする。
ははは…
私は、一体誰に対して「落ち着き」を演じているんだ?
…7
プッ、プッ、プッ、プッ…
『コチラハ留守番電話サービスセンターデス…』
コラ、ちょっと、心臓落ち着いて…。
留守電が聞こえないじゃない。
トク トク トク トク…
お願いだから落ち着いてってば。
ワタシノシンゾウ
そっか…ごめん…
あなたもいちーちゃんの声が聴きたいのね…。
- 524 名前:wasabi 投稿日:2006/03/01(水) 02:33
-
『もしもし? 後藤、どうしたの?』
目を閉じる。
瞼の裏にいちーちゃんが現れる。
うん、間違いない。市井紗耶香だ。
ウカガウように、オビエルように、少し上目遣いのその目は潤んでいる。
まるで飼い主に怒られたチワワのような表情なのに、その視線は私の全てを見透かすよう…。
私は耳元から広がるその声にゾクゾクッとして、今まで経験した事のない位の鳥肌をたてた。
『二人に捕まっちゃった? それとも…
…もしかして先に帰ったこと怒ってる?』
鳥肌は、受話器をあてた左耳の裏から、肩をつたい、そして背中まで一瞬で広がる。
膝が笑い、腰が抜けそうになり、あやうく手に持った大切なTシャツの入った紙袋を落としてしまいそうになった。
もう一度再生し直してみる。
『もしもし? 後藤、どうしたの? 二人に捕まっちゃった? それとも…
…もしかして先に帰ったこと怒ってる?』
あれ…?
「チク」っと、何かがひっかっかった気がした。
いつだったか…
乱雑な私の部屋から、弟が雑誌一冊を勝手に持っていった事に気づいた…
うん、あの時感じた違和感にどこか似ている。
何だろう?…どうしたんだろう?
ちょっと焦るような、探るような…そんな…言葉を選ぶような【らしくない】話し方…。
- 525 名前:wasabi 投稿日:2006/03/01(水) 02:36
-
『もしもし? 後藤、どうしたの? 二人に捕まっちゃった? それとも…
…もしかして先に帰ったこと怒ってる?』
三度目の再生。
もう、こうして三度も再生し直している時点で、私いちーちゃんの事信じきってなんかいないじゃない。
何度も再生して、むしろそこにホコロビを見つけようとしているんじゃない。
私の中に棲む【例の力】が、小さく冷たく、その鐘を鳴らしている。
結局、私は【市井紗耶香】よりも、その鐘…【後藤真希】自身を信じている…。
泣きたくなる…。
そんな心持のせいか、私の歩みは、いつしかとても寂しげなものになっていた。
まるで、何度も落選したオーディションの帰りのような、そんなトボトボとした歩みだった。
『あぁ…また今日も全てを出しきれなかった…』
ジコケンオ
- 526 名前:wasabi 投稿日:2006/03/01(水) 02:38
-
背後に落ちていく夕陽の、その紅い光に焼かれるように、目の前の景色から色が失われていく。
路駐のMINIも、鉄柵の向こうにあるアジサイの葉も、頼りなくただ伸びる私の影も、坂の下から届く自転車のブレーキ音も…
その全てが真っ赤に燃え、そして灰になっていくように色を失っていった。
私は歩道のタイルのツナギ目を踏まないよう深く俯き、知らず知らずのうちにとても不自然な歩幅で歩いていた。
そして、何度も携帯電話の1キーを押して、【らしくない】いちーちゃんの声を繰り返し再生する。
けれど、聴けば聴くほど混乱するんだ。
どうもうまくいかない。
何度聞いても、いちーちゃんが発するその言葉の欠片たちをうまく繋ぎ合わせる事ができない…。
『どうして?どうしてなの? 教えてよ、いちーちゃん…。
いつもみたいに、【それは、こうするんだよ】って優しく手を取って導いてよぉ…』
いつの間にか、鳥肌はおさまっていた。
- 527 名前:wasabi 投稿日:2006/03/01(水) 02:40
-
塗り替えたばかりだと思われる、そんな味も素っ気もない、ただ真白なガードレールに寄りかかり身を委ねる。
坂のてっぺんまであとわずかなココから、少しだけ近くなった空を見上げる。
それから…ゆっくり坂下を向き直り、少しずつ遠ざかる街並みを見下ろす。
街を覆う赤黒く焼けた空間には、無数の電線が絶妙な不規則さで張り巡らされている。
その向こうには、真赤に焼けている太陽が見える。
そして、こちら側には色さえ抜けたような私。
電線の網に捕らえられているのは…太陽?それとも、私?
- 528 名前:wasabi 投稿日:2006/03/01(水) 02:42
-
私は考える。
色んな事が、こうも不安定で、コトがどうにも真っ直ぐ運ばないのは、やっぱり私自身に問題があるからなんだろう。
ようするに、【後藤真希】という人間はとても重大なピースの欠落したイキモノなんだ。
例えば…
『現状を正しく把握すること』
『要領よく生きること』 『大人になること』 『上手く笑うこと』
そして…
『市井紗耶香を正しく愛すること』
- 529 名前:wasabi 投稿日:2006/03/01(水) 02:49
-
さっき瞼の裏に浮かんだいちーちゃんの姿がプレイバックする。
ウカガウような、オビエルような、少し上目遣いのいちーちゃん。
「あ…」
さっき「チク」っとした理由がわかったよ。
一緒だからだ。
このいちーちゃんと、私は今朝すでに逢っていたんだ。
眩しいくらいまっ黄色なダッフルコートに身を包み、だけど…
その派手な色をも完全に打ち消す、どこまでも深い哀しみを纏ったその表情。
あぁ…
今、私の前に現れる【市井紗耶香】は…
あの哀しい夢に出てきた、あの【市井紗耶香】なんだ。
- 530 名前:wasabi 投稿日:2006/03/01(水) 02:50
-
つづく
- 531 名前:wasabi 投稿日:2006/03/01(水) 03:00
-
やっと更新しました!!
…と言っても、後藤さんが数十メートル坂を登ったくらいで、
内容自体は殆ど進展しておらず。
あらすじ書いてる段階では10行くらいだったのになぁ…。(汗)
よし!
次の更新では、せめて市井さんは登場させるぞー!
まぁ…
まだ読んでくださる人がいれば、ですが…。
- 532 名前:wasabi 投稿日:2006/03/01(水) 03:05
-
>>520さん
518さんと同一の方でしょうかね…。
もはや、あなたと作者だけしか読んでいないかもしれませんが、
もし良かったらこれからもお付き合い下さい!
よろしくです。
- 533 名前:ミッチー 投稿日:2006/03/01(水) 22:44
- 更新お疲れ様デス。。。
何だか痛いですね。
違和感の正体が私には分かりませんが、
その正体を読みながら見つけていきたいです。
マターリ待ってるので頑張ってください☆
- 534 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/03/06(月) 01:31
- 待ってました
待った甲斐あって後藤さん難行苦行だなあ
市井さんが出てくれないと後藤さんが壊れてしまいそうです
これからも楽しみです
- 535 名前:wasabi 投稿日:2006/09/09(土) 18:59
-
■■■■■■
ヒューヒュー
私の躰の何処かで空気が漏れる音がする。
坂のてっぺんまであと少し。
そのあと少しの坂道が、まるで天竺に続く道のようにきつく感じる。
重く辛い気持ちを背負っているから、その苦しみは一足毎に加速度的に大きくなる。
いや、私の気持ちがこんな風に不安定だからこそ、この坂道はわざといつもよりその勾配を急にしているのかもしれない。
『さぁ。後藤真希。それでもあなたはこの急な坂を登って、それでも市井紗耶香に会いに行きますか?』
…試されている私の想い。
- 536 名前:wasabi 投稿日:2006/09/09(土) 19:00
-
いつもの角を曲がると、いちーちゃんの部屋に繋がる坂道が、私の前で意地悪く立ちはだかる。
「望むところさぁ。」
自らを奮い立たせるように呟いてみる。
しかしそれは、「後藤真希」じゃない、何か別のものが発した音のように、何にも影響を与えることなく、
ただフワフワとそこらを漂った後、空気に溶けるように静かに消えていった。
うん、その先が本当にゴールだというのなら、どんな急な坂だろうが喜んで登ってみせるよ。
坂のてっぺんで、いちーちゃんが両手を広げて待っていてくれて、『ごと〜!遅いよお〜!!』ってハグなんかしてくれるなら…
うん、私は、最終日のステージ以上に笑顔をうかべ、両手を腰にあて、スキップして登ってみせるさ。
この坂の先にはゴールがあるんだよと、誰かがそっと耳打ちしてくれさえすれば…。
- 537 名前:wasabi 投稿日:2006/09/09(土) 19:02
-
『折れかけたこの気持ちを、私はどうやって立て直したら良いの』
- 538 名前:wasabi 投稿日:2006/09/09(土) 19:05
-
私は坂の途中で立ち止まり、いちーちゃんの部屋の方角をちいさく見上げた。
スーパーのビニール袋を右手にぶら下げたサラリーマンが、私を追い越しがてら、なめるように見つめ、そして怪訝な表情を隠さずに浮かべた。
私は目をそらす事も、睨み返す事もせず、ただ何となく彼の顔の辺りに視線を集めた。
そして、諦めるようにひとつ溜め息をつくと、手にした紙袋を持ち直し、再びゆっくり坂を登り始めた。
息をする事、瞬きをする事のように、それは意識すれば止められる事なのかもしれない。
だけど、これはもうきっと本能なんだね…
そこがゴールじゃなくとも、甘い愛の言葉が聞けなくとも、ただただ辛い現実しかなくとも、私はあなたの元に向かう、この歩みを止めることができないんだ。
それ以外の選択肢がない。
初めて目にした動くものを母親だと認識するひよこのように、もう、市井紗耶香を愛することは、本能として後藤真希のDNAに組み込まれてしまっているのです。
五感も…それこそ肉体そのものがなくなって、意識だけになってしまったとしても、私はあなたを求め、見つけ出し、寄り添うことを望むでしょう。
…って、我ながら何だか怖いや。
- 539 名前:wasabi 投稿日:2006/09/09(土) 19:06
-
それから、右足を踏み出すごとに「達観した気持ち」、左足を前に出すと「押しつぶそうとする不安」とが、一歩ずつ交互にやってきた。
しかもタチの悪いことに、どちらの気持ちも今ここにいないいちーちゃんの姿を一緒に連れてくるので、結局私の中の【いちーちゃん依存度】は加速度的に大きくなっていった。
何とか坂の半ば過ぎまで辿り付いた時、私はもう『いちーちゃん』と心の中で反芻するだけで涙が出そうなくらいにいっぱいいっぱいになっていた。
- 540 名前:wasabi 投稿日:2006/09/09(土) 19:07
-
『ご…ぉ…』
!?
いちーちゃんだ!いちーちゃんの意識が聞こえた!
意識が聞こえるっていうのも変だけど、タイキを伝わる音声じゃない、そんな想いの塊りが伝わってきた。
絶対絶対いちーちゃんが私を見つけてくれたんだ!
自分で言うのも何だけど、研ぎ澄まされた私の能力はホントすごい…。
『野生の勘だ』ときっといちーちゃんは意地悪く言うね。
そしたら、私は『愛の力です!』そうきっぱりと言おう。
私は立ち止まり、サバンナの草食動物のようにその場で首を伸ばした。
そして、まだ遠くにしか見えないいちーちゃんの部屋のあたりを見上げる。
暗がりの中、ようやく焦点があい始めた時、手摺から身を乗り出している市井紗耶香が小さく見えた。
『んぁ〜〜。すごぉ〜い…』
と、前に私がそのくすんだ夜空に感動したあの日のあの場所に、彼女はひとりでいる。
そんな市井紗耶香を、私は見つけてしまった。
- 541 名前:wasabi 投稿日:2006/09/09(土) 19:08
-
「はは…」
私はただ力ない苦笑いを浮かべる事しかできなかった…。
飢え求めていた人の姿を見つけることができたのに、私の顔にまず浮かんできたのは苦笑いだった。
それは、辿り着いた天竺が思いのほか俗っぽかったからじゃない。
ましてや、躍起になって私を探すいちーちゃんの姿に冷めた訳でもない。
私のいちーちゃんへの異常なまでの想いの強さが実証され、もう我ながら呆れるしかなかったんだ。
もう、神様が私に【市井紗耶香を感じ見つけ出す能力】を与えたとしか思えない。
そしてその能力は、情緒不安定な私の心なんかお構いなしに、いつでもどこでもどんな時でも発揮されてしまう。
パブロフの犬状態…そう、まるで梅干を見ただけで唾液が溢れるような、そんなカンジ。
ちょっと違うか…。
- 542 名前:wasabi 投稿日:2006/09/09(土) 19:10
-
目を閉じ、一度深呼吸をして心を落ち着かせた後、再びゆっくりと、小さないちーちゃんの姿に視線を向けた。
湿気を含んだ生暖かな夕刻の風が、帽子からはみ出した髪先を不規則に遊ばせる。
息を殺し、しばらくその場で立ち止まってみる。
どうやら、いちーちゃんの目には、暗闇に呑み込まれたままの後藤真希の姿は、まだ届いていないらしい。
彼女には、私と同じ【後藤真希を感じ見つけ出す能力】は備わっていないらしい。
切なくて、胸が苦しくなった。
戻る事のない伝書鳩を待つ薄幸の少女のように、遠くの空を見つめるいちーちゃんのその姿はとても不安で物憂げだった。
いつもならそっこー返ってくる私からの返信がなくて、さすがに心配になって部屋を出てきてくれたのだろうか…。
- 543 名前:wasabi 投稿日:2006/09/09(土) 19:18
-
「いちーー、ちゃん」
私はキスをするように唇を尖らせたあと、いちーちゃんの名前を静かに口にしてみた。
いつもより長めに「いちーー」と伸ばしてみた。
それは遠くに小さく見える愛しの【市井紗耶香】に届けるためのものではなく、ただ、自分のための少し大きめな独り言だった。
そしてまたその場にしばらく立ち尽くし、そして考えていた。
きっと、その後姿は、買い物から帰ったら家が火事になっていて呆然とする主婦のようだったと思う。
ボウゼンジシツってやつ?
さて…数分後、私はいちーちゃんに会って、まずどんな言葉を口にするべきなんだろう、と考える。
『先に帰るなんてひどいよぉ〜』と笑って責めるべきかな?
それとも『具合大丈夫?後藤はちゃんと戻ってきたんだから、少し休んでなよ』と心配してみる?
『………』無言で拗ねてみせれば、いつものSないちーちゃんになって、何でもなかった今朝の二人に戻れる?
- 544 名前:wasabi 投稿日:2006/09/09(土) 19:20
-
『いちーちゃん…ごとー、何か疲れちゃったよ…』
そう正直に心の中で弱音を吐いた瞬間、微かにきしんだ心にできた裂け目をめがけ、
『待ってました!』とばかりの勢いでつけいるように、首から下げた携帯電話が突然暴れながら鳴りだした。
デリカシーもない、人情も、センスもない。ただの機械的単音が下品になり響いた。
- 545 名前:wasabi 投稿日:2006/09/09(土) 19:22
-
「…はい」
「………」
「…はい、もしもし…」
「………」
「………」
「…ごっつぁん?」
「………」
「ごっつぁん…」
そうだった。
私には何となく分かっていた。
彼女から電話が掛かってくる事。
- 546 名前:wasabi 投稿日:2006/09/09(土) 19:23
-
ザワワ…
大型台風の接近を知らせるように、心の中の木々が不吉にざわめく。
そのざわめきは、私に小さな覚悟をするよう伝えている。
ザワワ…ザワワ…
私は顔を上げる事ができない。
それよりも、この場所から吹き飛ばされてしまわない事を考えなきゃならない。
私は、唇を軽く結び、そして両足の指を丸めて力をこめてしっかりアスファルトをつかんだ。
ザワワ…ザワワ…
激しい夕立でもくれば、月9のクライマックスにでもなりそうなシチュエーションなのに。
その後、私は何故か冷静にそんな事を考えていた。
ザワワ…ザワワ…
- 547 名前:wasabi 投稿日:2006/09/09(土) 19:25
-
つづく
- 548 名前:wasabi 投稿日:2006/09/09(土) 19:35
-
…今回の更新はここまでです。
前回のお約束通り、何とか市井さんは登場させることができました。
まぁかなり小さいですが…。
次回は市井さんにしゃべってもらおうと思います!
- 549 名前:wasabi 投稿日:2006/09/09(土) 19:46
-
>>533 ミッチーさん
レス&応援ありがとうございます。
その違和感の正体がこの物語の肝なので、
ばれないよう、でもヒントは所々に散りばめながら…と
素人作者は日々苦労しております。。。
また、お立ち寄りいただければ嬉しいです。
>>534さん
難行苦行ばかりの後藤さんには
大変申し訳ない事をしていると思っています…。
また『あまーい時間』がくる予定もありますが、
でも、何故か後藤さんには辛いシチュエーションが似合う気がしてしまうんですよね(汗)
また感想を聞かせてもらえると嬉しいです。
- 550 名前:ミッチー 投稿日:2006/09/10(日) 03:35
- 更新お疲れ様デス。。。
待ってました!続きが読めて嬉しいです。
後藤さんの【市井紗耶香を感じ見つけ出す能力】はすごいです。
電話の相手は誰でしょうか???
次、市井さんがしゃべるのを楽しみにしてます☆
物語の最後まで、しっかりと読ませて頂きます。
- 551 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/03/08(木) 03:14
- 作者さん頑張ってぇ☆☆
- 552 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/03/08(木) 07:32
- 上げないで!
- 553 名前:wasabi 投稿日:2007/03/09(金) 00:28
- みなさん、激励ありがとうございます。
ダメな作者で本当にすいません。。。
コメントをいただき、意地でも近いうちにアップできるよう頑張ろうと決めました!
もしよろしければ、また気が向いた時に覗いてみてください。
- 554 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/03/09(金) 00:59
- わーい、楽しみにしてマス!!
- 555 名前:ミッチー 投稿日:2007/03/09(金) 01:04
- 私も楽しみにしてます!
- 556 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/03/14(水) 00:07
- いちごま♪
- 557 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/03/24(土) 04:23
- 待ちまーす
- 558 名前:wasabi 投稿日:2007/03/24(土) 14:20
-
■■■■■■
「やっぱり…ちゃんと話しておきたいから…」
「…うん」
「その時は、明日でも今晩でも1時間後でもなく、今じゃなきゃダメな気がするの」
視線の先には、吹き上げる強いマンション風に煽られ、髪をボサボサにしている市井紗耶香が佇む。
アリーナの最前列から1cmでも舞台の私たちに近づこうとするファンのように、彼女は手摺からその細い身を乗り出している。
- 559 名前:wasabi 投稿日:2007/03/24(土) 14:21
-
珍しく想定外の行動をとる後藤真希が気になって仕方ないあの人は、人目を気にしながら懸命に私を探している。
いや…いちーちゃんが気にしているのは、他の誰かじゃなく、絶対ごとーの目だな。
【S】ないちーちゃんはきっと、【後藤真希を血眼になって探す市井紗耶香の姿】ってやつを、ごとーに見られたくないんだ。
『いちーちゃん!ごとーのこと心配で、会いたくて、それで一生懸命探してくれてたんだねー!』
なんて、後で私に言わせたくないんだ。うん、きっとそうだ。
私は市井紗耶香のちっちゃな姿を穴が開くほど見つめ、そんな事を考えていた。
『キャラじゃないよ…』
軽い苦笑いが浮かぶ。
- 560 名前:wasabi 投稿日:2007/03/24(土) 14:22
-
「…つぁん、聞いてる?」
携帯から聞こえる少しトーンの高い声が、耳の奥にある私のデリケートな呼び鈴の紐を乱暴に引っ張る。
ここまで、ちっちゃな市井紗耶香に集中する事で他の一切を遮断していた意識の壁に、僅かな亀裂が入り始めた。
稲妻が光り、雷鳴が轟くまでのその狭間にいるような、そんな居心地の悪さを感じた。
「あ、あぁ…うん」
「あのね…」
「…うん」
「明日、正式に発表があると思うんだけど…」
「………」
「落ち着いて聞いてね…」
この人のこういう思わせぶりにもったいぶるところが嫌い。
宮本武蔵のしたたかさより、佐々木小次郎のバカ正直さが、私は好きなの。
「…ごっつぁん?」
「…うん。聞いてるよ…」
「あ…。そっか…良かった…」
- 561 名前:wasabi 投稿日:2007/03/24(土) 14:22
-
無理やり何かを引っぺがすように、遠くの空で雷鳴がバリバリと鳴いている。
それが私の頭の中で生まれている音なのか、それとも現実に空が嘶いているのか、もはや私は分からなくなっていた。
ただ…"その時”が確実に近づいて来ているという事だけは確信できる。
「………」
「あの…あのね…」
「………」
「紗耶香の…代わりに…」
「……え?」
私はいちーちゃんの名前が出た瞬間、思わず小さな声をあげた。
授業中、ウワノソラのまま教室の窓から外を眺めていたら、急に先生に名前を呼ばれて咄嗟にあげた、そんな小さな驚きの声。
- 562 名前:wasabi 投稿日:2007/03/24(土) 14:23
-
気がつくと、キーンという耳鳴りが頭の中でこだまし続けていた。
馴れ馴れしく、図々しく、もう昔から自分の居場所はここだと言わんばかりに、それは悪びれる事なく鳴り続ける。
「紗耶香の代わりにね…吉澤さんが入る事になったの」
- 563 名前:wasabi 投稿日:2007/03/24(土) 14:24
-
アスファルトの坂を風が流れるように巡った。
何枚かの葉っぱと紙くずが、一列に並んで私の足元をくねくねと揺らぎ降りて行く。
それはまるで、人には見えない路を使って、いろんな生き物がこの危険な場所から一目散に退避して行くように見える。
『私もついて行かなきゃ』
地下鉄のガラスに映った後藤真希が小さく呟いた。
不思議だった。
今、この人の残酷な言葉を耳にしても、何の感情も起こらない自分がいる。
驚きも、悲しみも怒りもなく、ただ言いようのないドス黒い虚しさだけが、まるでブラックホールのように胸の中で静かに広がる…。
改めて、遠くのマンションに見えるちっちゃい市井紗耶香に焦点をあわせた。
- 564 名前:wasabi 投稿日:2007/03/24(土) 14:25
-
「ごっつぁん聞いてる? あのね…プッチに…」
懸命にたて直そうとする私をあざ笑うように、容赦なくえぐってくる彼女の言葉。
もう限界だ…。
「なんで…?」
彼女の言葉をばっさりと遮り、気がつくと私はそう呟いていた。
「…うん。 …詳しい話は、明日つんくさんかマネージャーさんから説明があると思うけど…」
「なんで、なっちなの?」
「え?」
「なんで、なっちから私はそんな事聞かなきゃなんないの? なんの…」
「………」
自分でも驚く程の冷たい声が口をついた。
そんな感情を含まない口調は、私なりの最後の抵抗だった。
だけど、それは私じゃない誰かの言葉のようだった。
やっぱり地下鉄のガラスに映っていた方の後藤真希が話しているんだ、と思った。
まるで怒りと絶望だけ抱いて、海の底に沈んだタイタニックの乗客の想いのように、それくらいに私の言葉には一握りの救いもなかった。
- 565 名前:wasabi 投稿日:2007/03/24(土) 14:26
-
確かに、安倍なつみから電話が掛かってくる事、私には分かっていた。
例の力のせいなのか、それは確信に近いものだった。
けれど…こんなのはない。あまりにもひどい。
近所のおばさんから、真っ先にオーディションの不合格を告げられるより腹立たしい。
どうせ『また頑張れば良いわよ』なんて無責任に言うんだ。
『何の権利があって』
…それでも、最後の理性がその言葉をどうにか呑み込ませてくれた。
「……な、な、なっちがそうさせて欲しいって…みんなに頼んだの。
本当なら、つんくさんかマネージャーさんか、裕ちゃんや圭ちゃんが言うべきなんだろうけど…
だけど、私がごっつぁんに話したいって、そうお願いしたの」
- 566 名前:wasabi 投稿日:2007/03/24(土) 14:27
-
「…みんな知ってたんだ」
「あ…。 …うん、ごめんね。 この前のハワイロケでごっつあん少し体調崩して部屋に一人で残ってた時あったでしょ?
あの時にマネージャーさんがね…」
「…別に、もう良いよ」
経緯も理由も、そんなの私には何の救いにもならない。
それを聞いたところで、プッチモニに吉澤ひとみが入る事実を変えられない事くらい分かってる。
『市井紗耶香』のモーニング娘。脱退が撤回される事がないように…。
「…ごめん。ずっと黙ってて…」
耳鳴りが酷くなってきた。
気圧の変化のせいかな…夕立が来るのかもしれない。
頭の中でジェットコースターがずっと回転し続けている、そんな感覚が消えてくれない。
- 567 名前:wasabi 投稿日:2007/03/24(土) 14:28
-
目の前の夕刻の風景が、ガラガラと崩れ落ちる幻覚が見える。
大きく燃える太陽はボロボロと崩れ、そして、マンションの海に沈んでいく。
昔、砂場で作った泥玉を地面に落としてしまった時のように、それは儚くあっけないものだった。
「でもね、信じてほしいの。 みんなごっつぁんに頑張って欲しいって思ってるの。 きっと…」
「冗談…」
彼女の言葉をまた遮る。
『きっと、紗耶香も…』なんて口にされてたら、私の理性のタガは完全に吹っ飛んでいたと思う。
「え……」
ハワイロケの最終日、優勝のご褒美として優勝チームのメンバーで買い物をした事を思い出した。
その時、ずっと隣にいた吉澤ひとみの緊張を含んだ笑顔を思い出した。
『彼女とは仲良くなれるかも』そう少しだけ心を許した帰りの飛行機の風景を思い出した。
「冗談じゃない…」
- 568 名前:wasabi 投稿日:2007/03/24(土) 14:29
-
最近、メンバーが私の事腫れ物に触るように接していたのはこのせいなのか…。
何だか全てが虚しく、無意味に思えてきた。
また、渋谷のスクランブル交差点で片方のピアスを落としたときの事がフラッシュバックで蘇る。
息をするのも億劫な気分だった。
最後の力を振り絞って、目をつぶりゆっくり息を吐いてみる。
「…それで?」
「え?」
「話ってそれだけ? 私これからタクシー乗るから、電話切りたいんだけど…」
「え…あ…。ごめん…」
私はそんな空しい嘘に頼り、この馬鹿げたひとときに幕を降ろそうとした。
- 569 名前:wasabi 投稿日:2007/03/24(土) 14:29
-
本当は、いちーちゃんはこの事を知っているの?と聞きたかった。
でも、聞けなかった。
私の例の力がそれを口にする事を阻んでいた。
…きっと知ってたんだろうな。
だから、あの日…卒業の日の夜、自分の存在が消えてしまいそうな不安に押し潰されそうで、あんなにも不安定だったんだろうと思う。
どんなに市井紗耶香の功績が大きくても、彼女のプッチモニはもう新しい歴史を作ることができない。
けれど、吉澤ひとみの加入したプッチモニは、これから何枚ものCDとステージに立つ未来を携えている。
私の…後藤真希の未来はどっちだろう。
- 570 名前:wasabi 投稿日:2007/03/24(土) 14:30
-
「だけど、本心だから…」
「…本心?」
「さっき言った事…。 あ、あのね、なっち、本当にごっつぁんの力に…」
私は、その安倍なつみの言葉を最後まで聞く事無く電話を耳から外し、そして躊躇なく切った。
底に穴の開いた水槽から、私を造る全てのものが流れ出し始め、水位がみるみる下がって行く。
その水がすっかりなくなってしまった時、この胸にに棲む恋心という金魚はどうなってしまうのだろう。
湿る地面に投げ出され、苦しく跳ね続ける彼女の姿を思い浮かべた時、私からやっと涙が流れた。
『いつも後藤の幸せを願ってるよ』
あなたに会いたくて目を閉じると、なのに、あなたは両手を黄色いダッフルコートのポケットに入れたまま、またその台詞を口にする。
- 571 名前:wasabi 投稿日:2007/03/24(土) 14:31
-
■■■■■■
■■■■■■
本当はこの時、私はこの人の話の続きをもっとちゃんと聞くべきだったんだ。
どうせ食べなきゃ怒られる嫌いなピーマンは、鼻を摘んででも一気にまとめて食べちゃうべきだし、
いつか知らなきゃならない辛い現実は、泣き叫びながらでも一気にまとめて知るべきだったのだと、
私は後になってつくづく思い知る…。
- 572 名前:wasabi 投稿日:2007/03/24(土) 14:32
-
つづく
- 573 名前:wasabi 投稿日:2007/03/24(土) 14:36
-
今回の更新はここまでです。
本当は市井さんに話をしてもらうところまで進めたかったのですが…すいません。
次回こそ!
…たぶん。
…きっと。
頑張ります! はい。
- 574 名前:wasabi 投稿日:2007/03/24(土) 14:51
-
>>550、555 ミッチーさん
いつも暖かく見守って下さり、ホントにホントにありがとうございます。
ミッチーさんのコメントを読んでは、怠け者の自分を戒める毎日です。
これからもよろしくお願いします。
>>551さん
激励ありがとうございます!
正直、あげていただいたお陰で一瞬“焦り”に火が点いたのは事実です(笑)
>>552さん
落としていただきありがとうございます。
文字通り「後が無い」つもりで頑張ります!
>>554さん
暗い話が続いているにも関わらず、そう言ってもらえると励みになります。
そろそろ後藤さんたちにも楽しい想いをさせてあげたいな、と思っています。
これからもよろしくお願いしますね。
>>556さん
現役のいちごま好きの人たちみんなが集まって来てもらえるような物語…
そんな野望が作者には…
…無理、無理(笑)
>>557さん
お待たせしましたー。
全然近いうちじゃなくてすいませんデス。。。
- 575 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/03/24(土) 20:22
- よっしゃー更新来た!!!
作者さんお疲れさまです!!!!
なんか切ない展開っすね…最後の辛い現実ってのも気になる……ごま頑張れ!!
- 576 名前:ミッチー 投稿日:2007/03/25(日) 04:00
- 更新お疲れ様デス。。。
待ってましたよ!
辛いですねぇ。
後藤さんには幸せになって欲しいです。
次回も楽しみにしてます。
- 577 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/03/25(日) 23:45
- wasabiさんファイト〜〜〜〜♪
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