Darks
- 1 名前:ゲリマンダー 投稿日:2003年02月05日(水)19時48分15秒
- 初投稿です。
元々文章構成の練習として書いていたものですが、
人目に晒す覚悟をしたほうが勉強としても有益だと思い、投稿させていただきます。
あまりレスに答えることは出来ないと思いますので、そこは御了承下さい。
更新の時は、前もってレスをつけます。更新が終わるまで、書き込む際にはなるべくご注意を。
それ以前にレスがつかないというオチもありますが、まあそれはともかく。
お楽しみいただければ、幸いです。
- 2 名前:------- 投稿日:2003年02月05日(水)19時52分31秒
- 砂利の敷かれた空き地がある。
光を吸い込んだ林に四方を囲まれ、世界という定義において”数”という概念がいかに下らないものかを、
暗闇を引きずった雑多な虫の唸り声が訴えている。
東京の都心でも珍しく、人家の少ない地域。特に雑木林の残る周辺は、夜になればなにもかもが一つに溶け込んで、
人間には右も左も区別がつかない。全てが一つとなり、一つが全てとなるこの場所で、その空き地は異質な平面空間だった。
そこでは、本来夜の時代が来れば死に絶えるはずのものが、昂然と白い光を放ってその存在を繋ぎ止めていた。
- 3 名前:------- 投稿日:2003年02月05日(水)20時08分11秒
- ・・・モーニング娘。というグループを、ご存知ですか。
ええ。名前くらいは。
・・・
二ヶ月程前、モーニング娘。のメンバーの一人が、暴漢に刃物で刺されるという事件が起こりました。幸い、命に別状はありませんでしたが・・・・・・実に、”不可思議な”結末を迎えることになってしまいました。
”不可思議”・・・と、いうと。
彼女達・・・その時被害を受けたメンバーと、同行していた他のメンバーを含めた4人の証言によりますと・・・・・・暴漢はそのメンバーを刺した後、気を失ったようにその場へ倒れこんだというのです。しかもその暴漢は、取り調べに対しても「記憶がない」の一点張りだということで、警察の方でも、嘘の供述を崩そうと精神鑑定を行ったらしいのですが・・・・・・逆に、暴漢の記憶喪失を裏付ける結果が出てしまったそうなのです。
・・・裁判は?
無罪判決が、四日前に。
・・・それで、僕に何を?
あなたには、この事件の調査をお願いしたいのです。
- 4 名前:------- 投稿日:2003年02月05日(水)20時09分50秒
- ・・・僕は探偵じゃありませんよ。
ええ。それは十分、承知の上です。
・・・調査だけが目的ではない、と。言うまでもないことだとは、思いますけど。
お引き受け、願えますか。
・・・いいでしょう。ただ、これだけは明確に認識してもらいたいんですよ。
一切の結果や事実を背負うのは、僕じゃなく、その”彼女達”だってことを。
本人達に、そのことはよく確認しております。
・・・わかりました。依頼を受けましょう。
・・・報酬については?
”彼女達”に会ってから決めますよ。報酬なんて、後回しでかまいませんから。
何故ですか?あなたにとって、一番重要な問題でしょう。
・・・いいんですよ。
・・・こっちは、”好きで”、やってるだけですから。
- 5 名前:遮断する機械博士 投稿日:2003年02月05日(水)20時15分27秒
- Chapter 1
何か、ボヤボヤとした不快な臭気が鼻を突いた時・・・・・・・その臭いを辿って、
臭気の源泉を探り当てようとするのが、”人間”という欠落し片割れた炭素生物の
自動的な対機能であり、その臭気こそが、”世界”が撒き散らす、むせ返るような官能の主成分である
- 6 名前:Darks 投稿日:2003年02月05日(水)20時20分02秒
- 彼の予想は、そこにある現実と噛み合わないまま、暖房のイガつく空気へと溶けていった。
彼の目の前に、四人の女が立っている。
「なんか、意外な感じ。もっとオッサンかと思ってたよ。」
彼がその部屋のドアを開け、無愛想な挨拶を交わし、最初に浴びせられた言葉は、彼の中で形作られていた全ての符号にヒビを入れた。
「ほんとほんと。高校生みたい。」
星空のようにほくろを顔全体に浮かばせた女の言葉に、地黒の女が浮世離れした声で相槌を打つ。
「・・・すいません。この二人の言うことは気にしないでください。夢遊病患者の独り言みたいなもんですから。」
切れ目の女が”弁解”の意を目の端に浮かべて、軽く頭を下げた。
「それ、どうゆう意味ですかぁ〜保田さぁん。」
「・・いいから、二人ともしばらく黙ってなさい。」
長身の女が、諭すように目をひそめて言った。
そんなやり取りのさなか、彼は珍しい虫を見るような心地で、”夢遊病患者”達を眺めている。
「あの・・・とりあえず、座りませんか?」
長身の女の言葉が、浮き立った彼の意識を引き戻した。
- 7 名前:Darks 投稿日:2003年02月05日(水)20時21分50秒
- 「さて。」
彼は、二つの突き合わせたテーブルの真中から、両側に座った四人の女の顔を改めて眺めてみた。
(確かに、どこか普通じゃないな。雰囲気が。)
「僕がどういう類の人間か・・・ということは、マネージャーの方から聞いていると思います。」
「始末屋さん・・・でしたっけ。」
切れ目の女が思い出したように口を開く。
「まあ、字面でいけば、その呼び方が一番わかりやすいですね。」
「やっぱ、あってたじゃん!」
彼の言葉を聞いた途端、何やら勝ち誇ったように笑いながら、ほくろの女が大きい声を放った。
「だから言ったでしょ〜、絶対始末屋だって!」
「・・・あのね、よっすぃ。とりあえず、黙ってて。お願いだから。」
長身の女が、さっきよりきつい口調で静かに諭す。”よっすぃ”と呼ばれた女は、自分の場に合わない言動に気付いたのか、重苦しい顔付きで黙り込んだ。
- 8 名前:Darks 投稿日:2003年02月05日(水)20時22分46秒
- 「・・・一つ、確認させてください。皆さんの依頼は、既に判決の下った・・・言わば”片付いた事件”の再調査、ということで間違いないですね?」
腕を組んで話す彼の言葉は、スタジオ風の、音の消えたフローリング部屋の乾いた空気をかすかに震わせる。
「はい。」
長身の女が、透けるような声で答える。
「・・・僕はまだ、例の事件に関して、大雑把な情報しか手に入れていません。それも、たとえ全てのパーツを組み上げてもゼロに戻ってしまうような、どうとでもなるものばかりです。最終的に、最も重要な”鍵”となる情報であることは間違いないんですが、それを補強するための・・・詳細で信用に足る情報が、一かけらも手元にない。・・・そこでまず、皆さんにやっていただきたいのは、事件の最中に何が起こったのかを、ここではっきりとした形に残すこと。つまり、今回の調査に楔を打つ基準となる作業を行ってもらいたい・・・と、いうことです。」
話し終えると、彼は紙コップに入れられたぬるいコーヒーを口に含んだ。
- 9 名前:Darks 投稿日:2003年02月05日(水)20時23分28秒
- 「・・・その前に、お互いの名前ぐらいは知っておいたほうがいいんじゃないですか?」
と、切れ目の女。
「そうですね。それじゃ・・・」
「私達から、紹介しますね。」
そう言うと、長身の女は席から立ちあがった。
「私は飯田。飯田圭織です。よろしく。」
すっと手を差し伸べ、水のような微笑を口元にたたえる。その表情は、彼に”奇妙な”落ち着きを判で押したような印象を与えた。
「・・・よろしく。」
立ち上がって、差し伸べられた手を軽く握り、彼は違和感を感じた。
こういう属性を持つ人間の手が、大抵の場合ナイフのように冷たいことを彼は知っていた。が、その女・・・飯田の手は、不自然なほど熱を持っている。
「・・私の手、変に見えます?」
女の視線に気付き、彼は手の平に残留した違和感を握りつぶした。
「いや、綺麗だな、と思って。」
適当にひねり出した彼の言葉は、この女にとって意外なものだったようだ。女はほんのかすかな恥じらいのような照れを頬に滲ませ、手を引っ込めた。
- 10 名前:Darks 投稿日:2003年02月05日(水)20時24分13秒
- 「ハハハ、なんだぁ、生真面目な人なのかと思ったら、結構ウマイですね〜。」
切れ目の女がおかしそうに言った。
「うるさいよ、圭ちゃん。ほれ、石川!次!」
照れ隠しのつもりだろうか、向かい側の地黒の女に手をひらひらと振って促す。
「は、はい・・・私はチャーみぶっ・・・・!」
言いかけて、慌てて口を閉じようとする拍子に舌を噛んだらしい。口を手で抑えながら俯いて痛みに耐える姿が、妙に浮ついていて滑稽に映ったらしく、隣に座ったほくろの女が必死に笑いをかみ殺している。
「・・・大丈夫ですか?」
事情が飲み込めず、釈然としない表情で彼が声をかけると、女は俯いたまま頭を縦に振った。
見かねたように、切れ目の女がパイプイスから立ち上がる。
「そ、それじゃ、次は私から。私の名前は保田圭。安田火災の『安』じゃなくて、保健体育の『保』の字なんで、そこのところはよろしく。」
握手を交わしながら、彼は保田の顔を無意識のうちに観察する。美人とは言えないが、何ともインパクトの強い造形だ。一度見れば、到底忘れることなど出来まいという印象が、ただ数秒の凝視で彼の頭の中に結ばれた。
- 11 名前:Darks 投稿日:2003年02月05日(水)20時25分12秒
- 「ほらほら、よっすぃの番だよ。」
飯田に促され、抑えつけた笑みを特徴的な頬の上に引きずりながら、おずおずと女が立ち上がった。
「吉澤・・・ひとみです。モー娘。やってます。よろしく。」
三度目の握手を交わした時には、地黒の女も話せる状態に回復したらしい。
「す、すいません・・・舌噛んじゃって・・・。・・石川梨華です。よろしくお願いします。」
そして、四度目の握手。
「・・・僕は相馬武彦といいます。・・・今回、皆さんが巻き込まれた事件は、常識的な思考を寄せ付けない、歪められた不可解な要素が入り混じっています。それを元の姿に組み立てるのが、僕に与えられた第一の仕事です。そして、この仕事を果たすには、皆さんの協力が何よりも欠かせません。どうぞ、よろしく。」
言い終わり、彼と四人はパイプイスに座った。
- 12 名前:Darks 投稿日:2003年02月05日(水)20時25分38秒
- 「自己紹介も済んだところで、まずは事件の骨格を作り上げましょう。」
「あらまし、ってことですか?」
と、保田。
「ええ。全員の記憶を突き合わせて、共通部分を抜き出します。気が付いたことがあれば、どんな些細なことでも教えてください。」
「・・それじゃあ、私があの時までのことを説明するよ。」
「そうだね。カオリ、あの時のことあんまり覚えてないって言ってたしね。」
飯田の提案に、保田が同意を示した。吉澤と石川も頷く。
「・・・まず、事件当日の状況からお願いします。」
- 13 名前:Darks 投稿日:2003年02月05日(水)20時26分09秒
- 「・・・去年の九月の年末、27日の夜に、ここにいる四人でご飯を食べに行ったんです。その日はモーニング娘。持ちの番組収録があって、収録が終わったのは・・・六時頃だったかな。
いつもだったら、その後もダンスとか歌のレッスンがあるんですけど・・・その頃はツアーライブが終わった直後で、みんな体力の限界に近かったから、外せない仕事以外はフリーにしてもらってました。丁度メンバーが揃ったところで、パーッと打ち上げ代わりに焼肉でも食べに行こうかと思って、三人を誘って行きつけの店へ行きました。」
「そこで、事件が起きた。」
「・・・はい。店を出ようとしたのが・・・・・・九時頃だったかなぁ。圭ちゃん、覚えてる?」
「・・・多分、それくらいだったと思う。はっきりとは覚えてないけど。ヨッシーと石川は?」
吉澤は首を横に振った。
「・・私も、よく覚えてません。」
と、石川。
- 14 名前:Darks 投稿日:2003年02月05日(水)20時26分44秒
- 「とりあえず、今考えられる時間は九時頃ですね・・・それで、店を出ようとしたら?」
「・・・その時・・・私はレジでお金を払っていて、三人は先に店を出ようとしたところでした。
突然、凄い叫び声が、すぐ傍で上がって。叫び声っていうより、うまく言えないんですけど・・・・・・雄たけび、かな?動物が相手を威嚇する時の声。そんな感じに聞こえました。」
「・・・確かにあれは、人間の出せる声じゃなかったね。」
保田が眉をひそめる。
「・・・それで、何かと思って店の引き戸の方を見ました。そうしたら、よっすぃが・・・あ、これ、吉澤のあだ名なんですけど・・・とにかく、吉澤が男の人に折り重なって、店の中に押し倒されてきたんです。一瞬、時間が止まったみたいに店中が静まり返ったのは覚えてます。でも、その後は本当に無我夢中だったから、あんまりよく覚えてません。その時のことは、他の三人に思い出してもらったほうがいいと思います。」
- 15 名前:Darks 投稿日:2003年02月05日(水)20時27分15秒
- 「わかりました。・・・それじゃ吉澤さん、その時のことを、思い出せる範囲でかまいませんから話してもらえますか。」
(忘れるはずもないだろうが。)
「・・・ちょっと、いいですか?」
吉澤が、何に対してかはわからないが、憮然とした表情で相馬を見た。
「・・・何か?」
「失礼ですけど、おいくつですか?」
「・・・17、ですけど。」
四人の顔に驚きが浮かぶ。吉澤も、予期しない答えに面食らったようだ。
「ええっ!やっぱり高校生なんですかぁ!?」
ディズニーキャラクターが叫んだような石川の声が、静かな部屋に反響した。
「・・・これを言うと、僕を信用してくれなくなる人が多いもんで、あんまり言いたくはなかったんです。でも”この業界”じゃ、年齢なんて何の尺度にもなりません。評価されるのは、結果だけです。それだけはわかってください。」
しばらくの沈黙。鉛を削る静寂。
- 16 名前:Darks 投稿日:2003年02月05日(水)20時28分39秒
- 「・・・私達だって、同じです。」
膜張りの静寂を破ったのは、飯田の一声だった。
「私達も、年齢で判断されることはいくらでもありました。だから、あなたの言いたいことはよくわかります。そんなこと全然気にしてませんから。ね、石川?」
再び水のような微笑をたたえて、石川の方を振り向く。
「・・・もちろんですよ〜。でも、やっぱり驚いちゃいますよ。普通。」
「・・・私も驚いた。話し方からして、全然高校生っぽくないですよね。」
相馬の顔をまじまじと見つめながら、保田が相槌を打つ。
「仕事柄、こういう話し方のほうが都合がいいんで、それっぽくやってるだけですよ。」
そう言って、相馬は軽く笑った。
- 17 名前:Darks 投稿日:2003年02月05日(水)20時30分48秒
- 「それじゃあ、やめようよその話し方。気になって気になって、もう全身むずがゆくてしょうがなかったんだ〜。」
同年代だとわかって気を許したらしく、吉澤は顔を緩ませた。
「別にやめたっていいんだけどね。・・・こんな感じでいいのかな。」
「全然オッケーだよ。飯田さんだって、なんかターミネーターみたいで違和感バリバリですよぉ。いつも通りにいきましょうよ。」
「ターミネーターはひどくない?・・・まあ、相馬さんがそれでいいなら、いいけどさ。」
「まあ、タメ口の方が私達らしいっちゃらしいか。」
保田の一言が、妙に四人を納得させたらしい。四人の顔から、互いを仲間だと認め合った人間達が示す、あの笑みが同時に浮かび上がった。
- 18 名前:Darks 投稿日:2003年02月05日(水)20時31分36秒
- 「さて、それじゃ・・・・えーと・・・・よっしー、でいいの?」
ぎこちない調子で、言葉をつむぐ。
「おっけーおっけー。で、あの時のこと、話せばいいんだよね。」
吉澤の顔から、ゆっくりと笑いが掃き捨てられた。
「・・・・・・私が店から出ると、あの声が聞こえてきたんだ。声が飛んできた方向を見た瞬間、男の人がものすごい顔で突進してきて、肩からこう、タックルする感じでぶつかってきて。ほんの一瞬、腕になんか当たってるなっていうのを感じて、次にはもう泣きたくなるぐらいの痛みがじわっと
全身に広がって・・・・・・店に倒れこんだ時には、軽く気絶してた。十何秒ぐらいだと思うけどね。で、気が付いた時には、刺してきた奴も・・・よくわかんないけどぐったりしちゃってた。叩いてもゆすっても全然反応がないし、わけわかんなかったよ。」
その時々の状況を表現するように、吉澤の表情がくるくると変化する。
「・・・その男の様子を、もっと詳しく知りたいな・・・。何か、その男に関して気が付いたことは?」
「・・・う〜ん・・・・・・かなりパニくってたからなぁ・・・・。」
腕を組み、考え込む吉澤。
- 19 名前:Darks 投稿日:2003年02月05日(水)20時32分11秒
- 「そういえば。」
2時間ドラマで繰り返されるあの台詞が、保田の口から漏れた。
保田を除く四人の視線が、一斉に保田へと向かう。
「変な臭いがした。あの人。」
「・・・どんな臭いでした?」
冷たい鉄芯が突き通された声。
「・・・化学系、というか・・・・・・果物とかの酸っぱさじゃなくて、うわっとくるやつ。」
「・・その臭いのことを、警察に証言しました?」
「・・・いや、その時は臭いのことなんて忘れてた。今思い返してみたら、そういえばって。臭いっていっても、ほとんど気付かない程度だったし。」
「・・そんな臭い、かいだかも。言われてみれば。」
飯田も思い出したように口を揃える。
(”臭い”・・・。調書をさらうのも面倒くさいから、本人達から玉を集めようと思ったが・・・・・・”臭い”のことに、警察は気付かなかったのか?だとしたら、薬物検査は期待できないな。
とりあえず、会ってみるしかない・・・・・・記憶障害の切り裂きジャック君に。)
- 20 名前:Darks 投稿日:2003年02月05日(水)20時33分33秒
----数日後----
- 21 名前:Darks 投稿日:2003年02月05日(水)20時34分03秒
- 横浜市西区、JR横浜駅周辺。
亜硫酸ガスで濃い目の化粧をしたビルが、中央のターミナルを四方から囲むように配置されている。鳩の糞にやられた出来損ないの箱庭みたいだと、彼は思った。
「やっぱ人多いな〜。日曜だからな〜。みんな浮かれた顔してる〜。」
間延びた声を漏らしながら、つばの広いパナマ帽を目深に調整する。
”うんざり”と刻印された封札を、顔に貼り付けてやりたい。ヘラヘラと笑う女を横目で睨みながら、彼は何度もそう思った。
「なんか、怒ってる?」
「・・・怒っちゃいないさ。」
「じゃあ、そんな顔するこたぁないじゃん。」
「・・・馬鹿馬鹿しいだけだよ。」
- 22 名前:Darks 投稿日:2003年02月05日(水)20時34分55秒
- メンバーとの顔合わせと聞き取りが終わった後、彼は日曜日、切りつけ犯に会う予定だと四人に伝えた。吉澤がそれに同伴したいと頼んできたのだが、それを承諾したのが間違いの始まりだったということだろう。誰もが、まさかどこの国に、雪の残る冬場に浮かれた陽気を織り込んだパナマ帽をかぶって外を歩く人間がいるものかと、当然のように考えるだろう。
だが、万物に例外がなかったためしはなく、真理は突然、あまりにも無様な姿をさらして現れることがある。
「・・・下手な受け狙いはやめてくれ。」
しばらくの沈黙の後、十分に冷却され、硬度を持った彼の言葉は、吉澤の耳に鋭く突き刺さった。
「な、なにそれ〜。どういう意味〜?」
(なんて反応だ・・・。)
「・・・タクシーつかまえるから。」
「・・へ〜い。」
- 23 名前:Darks 投稿日:2003年02月05日(水)20時35分49秒
- 二人を乗せたタクシーは、曲がりくねった細い坂を上っていく。
体をシート側に引っ張る妙な重力を感じながら、彼は情報を頭の中でつなぎ合わせる。
今のところ、事件の引き金である動機・目的に関しては、全く見当もつかない状態だ。もちろん、存在することが前提だが・・・。
鍵は、犯人の記憶喪失にあるだろう。そう捉えなければ、道は残されていない。何処かに置き忘れた”らしい”記憶を、何とかひねり出すことが出来れば儲けものだが、その可能性は極めて低い・・・というより、全くの未知数。期待すべきじゃない。
「思うんだけどさ。」
吉澤が言葉を置いた。腕を組んだまま、彼は窓へ向けていた首を振りかえる。
「あの人、嘘はついてないと思う。」
「・・・記憶喪失の話?」
「そう。最初はね、絶対とぼけてるだけだって思い込んでた。被害者だったしさ。でも・・・」
吉澤の目が、シートの一点を射るように固定される。
「もっとマシな嘘、いくらでもあったはずだよ。それに、精神鑑定だって出てるし。・・・・単なる直感だけど。野生の勘、てやつかな?ハハ。」
- 24 名前:Darks 投稿日:2003年02月05日(水)20時36分39秒
- こいつの勘は間違っちゃいない。記憶喪失を疑う意味は、あまりない。
犯行時、本当に気絶していたかどうかは、搬送された病院で確認されている。そして、男から薬物反応は出なかった。予想は別の意味で当たっていたわけだ。”臭い”の数少ない可能性は、明確な根拠をもって消されなければならない。
皮肉なことに・・・”気絶”という要素は、犯人とされている男にとって、自らの行為の犯罪性を打ち砕いてくれる強力な証拠となった。警察はさぞ頭を抱えただろう。容疑者を追い詰める唯一無比の武器である医学が、逆に容疑者の非有罪を・・・もちろん、これだけで”無罪”とは言いきれないが・・・裏付けてしまったのだから。
そして、精神鑑定の結果を尊重し、裁判所は容疑者の心神喪失を認めた。
つまるところ、結論はこうだ。切り裂きジャックが嘘をつく必要はなかった。嘘をつく前から、結果は出ていた。それを認め、命令に従い、さっさと家に帰ればそれでよかったのだ。
- 25 名前:Darks 投稿日:2003年02月05日(水)20時37分19秒
- 「・・・勘も重要な判断力の一つさ。判断なんてものは、突き詰めりゃ全部勘だよ。」
「お、もしかして誉めてる?なんも出ないよ。」
ニッと歯を見せ、横目でいたずらっぽく笑う。
「・・・なんなら、叩いてみるか。」
ふっと霧吹きのように笑い、組んでいた左手の裏拳が飛ぶ。吉澤の脳はその速さに反応しきれず、目の前に現れた拳の存在を捉えるのに、数瞬を必要とした。
寝ぼけた動物が跳ね起きるように、ひゃっと声にならない声を上げる吉澤。
「・・・冗談だよ。」
「シャレになってねぇっつの!あ〜びっくりした・・・。」
- 26 名前:Darks 投稿日:2003年02月05日(水)20時37分55秒
- タクシーを降りると、排気ガスから逃れた小高い丘の空気が、二人に冷えた風を巻きつけた。
丘陵地に位置する、入り組んだ住宅地の一角。二人は狭い路地を歩き、表札を探す。
吉澤を切りつけた犯人・・・小滝俊夫という名前の、モーニング娘。とは何の縁もない、ごく普通のサラリーマン。履歴書を眺めただけなら、そう判断するのが妥当だ。最も、日本人の八割強が”ごく普通の”サラリーマンである以上、この肩書きに大した意味はない。
”小滝”の表札。目当ての物は、かなり奥まった行き止まりにあった。
両側を囲まれ、影に埋もれた家。それ以外、特徴の見出せない門構え。
彼は、カメラ付きのインターホンを鳴らした。
どなたですか。ああ、昨日電話を下さった。少しお待ちください。
- 27 名前:Darks 投稿日:2003年02月05日(水)20時38分37秒
- 「驚きましたよ。目が覚めると、どこともわからない病院に運ばれていたんですから。」
対になったソファの真中に、ガラステーブルが置かれている。その上では、三つのコーヒーカップが湯気を立てている。
彼の目の前に座り、笑っている男・・・小滝は、あらゆる意味で、何の符号もその身に絡めていなかった。ラコステのセーターを着、青いジーンズ、気弱な笑顔。
「あれから、あの時の記憶を思い出そう、思い出そうと躍起になっていました。ですが・・・未だに何も・・・。」
「・・・心配なさらなくても大丈夫ですよ。あなたの記憶障害を疑っているわけではありません。」
吉澤はコーヒーカップに手を伸ばし、口元へ持っていった。唇に液面が触れ、その熱さに慌てて口を離す。
「・・・本当に、申し訳ない。自分でもわからないとはいえ、あなたに怪我をさせ、その上無罪判決を受けるなんて・・・。」
沈痛な面持ちで息を吐き出す。
- 28 名前:Darks 投稿日:2003年02月05日(水)20時39分08秒
- 吉澤は、軽く首を横に振って見せる。
「あの、私は・・・その・・・刺されたこと自体は、どうでもいいんです。なんていうか・・・・・・本当のことが知りたくて。」
「ええ・・・。あなたのお気持ちは、相馬さんからお聞きしました。私も真相が知りたいのです。何故、こんなことになってしまったのか・・・。そのために出来ることなら、何でも致します。」
(・・・・・。)
- 29 名前:Darks 投稿日:2003年02月05日(水)20時39分44秒
- 「・・・まず、これは事実として断定できます・・・・・・小滝さん、事件におけるあなたの行為には、犯罪性はありません。
この国の裁判システムは最悪と言っても過言じゃありませんが、そんな連中でも無罪判決を下すしかなかった。・・・ご承知の通りですが、だからといって、事件が”解決”したわけではありません。あえて言うなら、”片付いた”と言うべきでしょう。
一番手っ取り早いのは、あなたに記憶を取り戻してもらうことです。しかし、この方法には膨大な時間が必要でしょうし、あまりにも不確実です。別の角度からの考察が必要でしょう。
- 30 名前:Darks 投稿日:2003年02月05日(水)20時40分15秒
- ”あなたが何故、記憶を失ったのか”。今のところ、この一点が考察の起点であり、おそらく帰結点でもあるでしょう。
あなたがあの時、気絶し記憶を失うということは・・・それ以前に、何故ナイフを持ち、そこにいる彼女を刺したのかは置いて・・・全く不自然なことです。あなたはショック性のアレルギー体質でもなければ、ドラッグの常習者でもない。脳関係の持病もお持ちでない。・・・”気絶し記憶を失う”ことは、有り得ないはずです。
当然、警察も最初は、あなたには何かしらの後ろめたい事情があり、それを隠蔽するために下手な嘘をついていると思ったのでしょう。彼らは僕が先ほど挙げた、考えうるあらゆる要素を調べ上げました。特にドラッグ関係・・・エクスタシー、ハーブ、LSD、アヤワスカ・・・・・・幻覚性中毒に陥る可能性のあるドラッグと結び付けることが出来れば、それだけで全てがつながります。
- 31 名前:Darks 投稿日:2003年02月05日(水)20時40分56秒
- しかし、そう簡単にはいかなかった。
あなたの体から、薬物反応は出なかった。彼らにとっては、不幸な結果と言うべきかもしれません。根本から、ドラッグとの関係は否定されてしまったわけですから。
警察の捜査は、結局のところ、あなたの無実を証明することのみに終始しました。
警察が無能だったわけじゃありません。今回の事件は、それだけつかまえる糸口が奥深い部分に潜んでいるということです。
・・・これらの数少ない情報を考慮した上で・・・あなたが彼女を刺した後、気を失い、意識を取り戻した時には記憶喪失に陥っていた・・・この一連の現象と、あなたの内面的、自発的な行動との因果は・・・・・・まず、存在しえないという推論が成り立ちます。」
- 32 名前:Darks 投稿日:2003年02月05日(水)20時41分27秒
- 「・・・・・・。」
小滝は沈黙を守りながら、淡々と述べる彼の顔を食い入るように見つめている。
「この”推論”の信憑性から、地方裁判所はあなたに無罪を言い渡したわけです。
ここで、我々は次の段階へ移行しなければなりません。
この推論を裏側から解釈すれば、我々がこれから何を検証すべきかという誘導線が、そのまま示されます。
”誰が、何故、あなたから記憶を奪ったのか”。
もっとも、二つ目の”何故”という命題は、遥か後の段階でこなすべき問題ではあります。情報が不充分ですし、論理の組み立てもほとんど及ばないのが現状です。
- 33 名前:Darks 投稿日:2003年02月05日(水)20時42分25秒
- 何よりも重要なのは、この二つの命題と同じ提起の仕方で、もう一つの命題が発生することです。
”誰が、何故、あなたに彼女を刺させたのか。”
これが今、我々にとって最も重要であり、絶対不可避の問題です。我々は、ここで初めて、この事件のスタートライン上へ立つ段階まで漕ぎ着けた・・・・・・そう言ってもいいでしょう。
この問題は、まさに事件の核心です。記憶障害の原因さえ、この問題と比較すれば、単なる副産物である可能性すら否定できません。」
- 34 名前:Darks 投稿日:2003年02月05日(水)20時43分20秒
- 「それって・・・・つまり、さ。」
昼間から暖色の蛍光灯に照らされたリビングは、吉澤の喉にせり上がった黒い疑念を、より黒く対比させた。
「誰かが、わざと・・・・・私を刺すように、小滝さんを仕向けたってこと・・・?」
呟くように言い、吉澤は顔を歪める。茶化すような笑みは、無意識の否定をその表情へ投影している。
「ありえない話さ。何より、馬鹿げてる。」
自嘲の響きを込めたその言葉には、抑えられた確信が織り込まれている。
「だがまあ・・・・・・見ず知らずの人間を刃物で刺したあげく、その記憶を頭から完全に消し去ることのできる、何とも都合のいい人間がこの世の中には存在する・・・・・・そう信じる方が、余計に馬鹿げてるだろ?」
- 35 名前:Darks 投稿日:2003年02月05日(水)20時44分49秒
- 「・・・現状からいって、これ以上の推測に意味はないでしょう。たとえ話で表現すれば・・・見渡す限りの草原にばら撒かれたピースをいくつか見つけ出し、何とかパズルの一端を形にした、というところでしょうか。つなげることの出来るピースを使い果たしてしまった我々は、ひとまず腰を下ろし、次の到達目標を設定すべきでしょう。より効率的に、我々の目的を達成するために。
一つでも多くのピースを探し出し、そこに描かれた絵が”何であるのか”、想像で補える状態にまでパズルを進行させる・・・・・・これが、当面の我々の行動指針です。
- 36 名前:Darks 投稿日:2003年02月05日(水)20時45分55秒
- 当然の事ながら、この難解なパズルのピースを全てかき集めることが可能なら・・・・・・つまり、我々の立っている場所が草原ではなく、この部屋であれば・・・・・まずはテーブルをどかし、ソファと家具を別の部屋へ放りこみ、部屋の照明を片っ端からつけて回り、部屋の隅々に散らばったピースを全て拾い、その後で、余裕を持ってパズルを完成させればそれで済みます。しかし、現実に我々の前に広がっている草原は、決して消え去ってはくれない。
- 37 名前:Darks 投稿日:2003年02月05日(水)20時46分26秒
- 何より、我々が知りたいのは、隠れたピースの居所ではありません。パズルに描かれた絵であり、そこに”何が描かれているのか”です。
つまり・・・この事件の意図するものが、一体何であるのかを捉えることが出来れば、飛躍的な一歩を踏み出せるということです。
・・・もし、パズルの絵が”部屋”を描いたものだとわかれば、そこで何が行われているのか、見当をつけられるようになりますからね。」
- 38 名前:Darks 投稿日:2003年02月05日(水)20時47分04秒
- 話を切り、ブラックのコーヒーを一口含み、軽く息を吐く。
「・・・こんな下らない前置きをグダグダとしゃべったのにも、訳があります。この事件を真の意味で解決するには、些末な情報の収集で躍起になったところで、ただ時間を浪費するだけだということを、まず念頭に置いていただきたかったのです。
・・・今のところ、事件に関する有益な情報を引き出せる可能性を持っているのは、あなただけです。正確には、あなたの”体”なんですが。」
「私の体・・・ですか?」
片手を胸に当て、不思議そうに呟く小滝。
- 39 名前:Darks 投稿日:2003年02月05日(水)20時48分15秒
- 「頭が覚えていないとしても、”体”が覚えている可能性はあるんです。」
話から要領を得られず、吉澤の脳は演算能力の比重を視聴覚から思考へと傾けていく。定まらない蝋燭の火を見つめるように、吉澤の目は彼の顔の部位をランダムに捉えながら、小刻みに遊んでいた。
「僕にも詳しいことはわかりませんが・・・・・・記憶喪失の原因は、必ずしも脳への物理的刺激、または精神的ショックによるものではないという話を、ある専門家から聞きましてね。彼女によると、どうも人間の脳というのは、内臓のちょっとした異常と連動して、おかしくなってしまうことがあるらしいんですが・・・・・・そこで僕は、その専門家から、あなたが被験者として”ある実験”に協力してもらえるのなら、記憶喪失の原因調査を引き受ける・・・・・こういう申し出を受けました。」
- 40 名前:Darks 投稿日:2003年02月05日(水)20時49分02秒
- 「実験・・・・・・具体的には、どのような・・・?」
「僕のような素人が説明するよりも、彼女に説明してもらった方がいいでしょう。・・・もし、協力していただけるのなら、ですがね。・・・信用できないとおっしゃるのなら、今ここで断ってくだされば結構です。あくまで、あなたの意志を尊重することが前提ですから。実験についての説明を受けてからでも、遅くはないと思いますが・・・ね。」
重苦しい沈黙。
腕を組み、小滝は考え込んでいる。
(・・・もう、一押しか・・・。)
「・・・小滝さん。僕はあなたに対して、この調査への協力を強制する権利なんて持ち合わせていませんから、ただ提案をすることしか出来ません。これはあなたにとっても有益な調査であると、僕は確信しています。」
(・・まるでセールスマンのくどき文句だな・・。)
- 41 名前:Darks 投稿日:2003年02月05日(水)20時49分40秒
- 「・・・・・・・あのっ!」
ようやく話を飲み込めた吉澤が、口を開いた。
「えーと、その・・・・・・調査のことは、よくわからないんですけど、その・・・・・・お願いします!協力してください!」
深々と頭を垂れる。
「そんな、吉澤さん・・・頭を上げてください・・・。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・私の意志は、先ほど申し上げた通りですよ。・・・吉澤さん、たとえ法律の範疇では無罪であっても、私が”あなたを刺した罪”を償わなくてはならないことは、自明の理です。その調査によってこの事件が解決へと向かうのなら、是非はありません。喜んで、協力させていただきます。」
- 42 名前:Darks 投稿日:2003年02月05日(水)20時50分37秒
- 門を出ると、既に日が落ち始めている。雲一つなく澄んだ空は、水平線へ向かって落ち行く太陽の嫉妬と情熱を受け、赤く頬を染めていた。
二人は住宅街を抜け、曲がりくねった坂を下る。
「これから、どうするの。」
吉澤はパナマ帽を人差し指に引っ掛け、くるくると回しながら言った。
「・・・さあて、ね。こっちが聞きたいくらいだ。」
「なぁにそれ。」
クスクスと笑い、遠心力を失って指で静止しているパナマ帽を持ちかえる。
「・・・心細い話だが、検査の結果が出ないことには、こっちも動きようがない。」
ナイロンのブラックコートのポケットに手を突っ込み、恥らうように赤く燃える空を、彼は見上げた。
- 43 名前:Darks 投稿日:2003年02月05日(水)20時51分14秒
- 「・・手掛かりが、なぁんにも出てこなかったら?」
「・・・その方がいいのか?お前は。」
「そんなわけないじゃん。どうすんのかな、と思って。」
「・・・その時、考える。」
「・・・ぷっ。」
吉澤の笑い声が、静かな車道の空気を震わせ、歩道に面したコンクリートの崖にこだまする。
「うん、やっぱ気が合うよ。私達。」
バンバンと彼の肩を叩き、楽しそうに声を弾ませる。
「・・・・・・。」
「ほらぁ、そうやってすぐ黙る。気が合うんだよ?私達。これって凄いことなんだよ?もっと驚けって。」
(余計なお世話だ・・・。)
- 44 名前:Darks 投稿日:2003年02月05日(水)20時52分00秒
- 「とりあえず、用心しなけりゃならんな。」
コキ、コキと首を鳴らし、彼は呟いた。
「・・何を?」
「・・・どうするつもりだったのかは知らないが、確実にお前を”どうにかしたい”と思ってる奴がいる。本当の狙いは、あの三人の誰かだったのかも知れないし、あるいは”モーニング娘。”そのものへの攻撃・・・・あの事件の状況なら、そう捉えるのも不可能じゃない。」
「・・・・・・。」
「あくまで可能性の領域は出ないが・・・・・・何にせよ、用心に越したことはないだろ。俺も出来るだけ、モーニング娘。の予定に沿って行動するが、マネさんから、ガードマンをつけるように言ってもらったほうがいい。」
- 45 名前:Darks 投稿日:2003年02月05日(水)20時52分51秒
- 無表情に話す彼を見る吉澤の目に、うっすらと夕日の橙が溶けこむ。
「なんかさ。」
「・・・何?」
「大人だね。」
「・・・・・・大人、ねぇ。」
「・・・同い年とは、思えないよ。」
水平線にその身の半分を沈めた太陽が、あがくように乱光線を放つ。光速の宝槍は、目に見える万物へ無差別に突き刺さり、世界の内に宿る熱の色を露わにしていく。
「私なんて、どうしようもない馬鹿だからさ・・・・・・何もできないまま、うろうろしてるだけ。でも、相馬君は違うでしょ。すごいなって、思ったわけ。」
沈黙。
- 46 名前:Darks 投稿日:2003年02月05日(水)20時53分58秒
- 「・・・・・・下らんね。」
「え?」
「・・・こんなことが出来ても、自慢になんかなりゃしない。そうだろ?俺がどうしようと、何を為そうと、世の中が評価するわけじゃない。何故か?・・・・俺の方が、世の中に何も与えちゃいないからだ。」
「・・・・・・。」
「だが、お前はそうか・・・?違うだろ。お前は世の中に、何かを与えてる。だからモーニング娘。とやらを、評価する人間が出てくる。
こいつは特権なんだ。限られた人間に許された。」
透き通った槍が、彼のコートに突き刺さる。冷めきった黒い宇宙から、熱の色が浮かび出る。
「・・・下らない考え方だよ、そいつは。俺には俺の日常があり、お前にはお前の仕事がある。それだけさ。」
吉澤の目に、槍が突き刺さる。全ての光源が熱を持ち、己に酔い、煌く。
「・・・・・・意外と、カッコつけるの、好きでしょ?」
「・・・・・・。」
「だぁ〜かぁ〜らぁ〜、黙るなっての!」
吉澤の笑顔は、熱をその表面に躍らせて、槍を融解させていく。
その日は、気温の低い、乾いた一日だった。
- 47 名前:Darks 投稿日:2003年02月05日(水)20時56分19秒
- ----Intermission----
- 48 名前:ゲリマンダー 投稿日:2003年02月05日(水)21時08分29秒
- 更新終了です。
次の更新時期は、ちょっと未定です。
- 49 名前:名無し読者 投稿日:2003年02月20日(木)23時13分18秒
- 早く続きが読みたいヨ
- 50 名前:死影を摘む少女 投稿日:2003年02月25日(火)02時21分26秒
- Chapter 2
”気がする”と”思う”・・・・・・どう違うんだろう。どうでもいいけど。
- 51 名前:Darks 投稿日:2003年02月25日(火)02時23分05秒
「へ〜。高校生なんだ、その探偵さん。」
「探偵じゃなくて、始末屋。」
「似たようなもんでしょ。」
裸にされたみかんをバラバラにしながら、気のない生返事をする女。見事なまでに、二つの頬がうす赤く染まっている。
「マネさん、なんて言ってた?」
「ガードマン、無理だって。」
「そりゃそうっしょ。」
「まあねぇ。」
飯田も生返事を返す。
「でもさ・・・あの子の考え、面白いと思うんだよね。カオリは。」
「・・・そうかなぁ。」
ちゃぶ台の中央に積み上げられた、みかんの小山の頂上から摘み上げられた一粒が、赤い頬の女の口へと運ばれる。
- 52 名前:Darks 投稿日:2003年02月25日(火)02時24分03秒
- 「なんか、おかしいな。」
赤い頬の女は、くすくすと笑い出す。
「よっすぃは、随分気に入ってるみたいっしょ。その子のこと。カオリも、まんざらじゃないとか?」
「・・・そういう、下司な勘繰りはいかんよ。なっちくん。腐っても、天使なんだから。」
「・・・腐ってもは、余計。」
ふふっ、と飯田は笑う。
「確かにさ・・・・・・ぱっと見の印象だけどね。魅力あるよ、あの子。でも、それは男と女だから、ってことじゃないの。人間としての緊張感があるのよ。話し方とか、目付きとか。」
「・・・カオリがそう思うんなら、きっとそうなんだろうね。」
また一つ、死人山から人身御供が摘み上げられる。
時刻は正午過ぎ。二人の会話が静かに響く楽屋。
- 53 名前:Darks 投稿日:2003年02月25日(火)02時24分43秒
- 突然、ドアから騒がしい声が乱入する。
「おはよー!」
鼻に詰まった、甲高い声。
「・・・また間違えたな〜、挨拶。」
教師の威圧感を言葉に込め、”なっち”が軽く頬を膨らます。
「あ・・・・・・。」
「気を抜くと忘れるね。ののは。」
おかしそうに微笑む飯田。
「・・・次は間違えないよー。」
そう言って、”のの”は猫科の動物特有のものに似た、突き出た犬歯を見せて笑った。もっともこの八重歯では、”見せて”というより、口を開けば嫌でも覗かずにはいられない。
「他のみんなは?」
と、”なっち”が尋ねる。
「あいぼんは、すぐ来ると思う・・・梨華ちゃんはわかんない・・・あ、そういえば、よっすぃがロビーにいたよ。誰かとしゃべってた。」
「誰かって?」
「黒いコートの、男の人。」
- 54 名前:Darks 投稿日:2003年02月25日(火)02時25分54秒
- 「駄目だったか。」
空の紙コップをゆるゆると揺らしながら、彼はため息をついた。
「・・・説明の仕方が、悪かったかなぁ。」
彼の仕草を真似るように、吉澤もため息をつく。
テーブルを直角に囲む二つのソファ。ロビーの片側一面に張られたガラス窓から、のろのろと這っているモノレールの様子が見える。
「・・・所詮は、保険だからな。」
声の響きは乾いている。
「それより、時間はいいのか?収録があるんだろ。」
「ああ、だいじょぶだいじょぶ。収録二時だから。」
「・・・ま、頑張ってくれ。」
立ちあがり、コートの襟を立て直す。
- 55 名前:Darks 投稿日:2003年02月25日(火)02時27分52秒
- 紙コップを握りつぶし、ゴミ箱へ放り投げる。
「そろそろ退散するよ。検査結果が気になる。」
「えっ・・・・!マジ?マジ?もう出たの!?」
黄色い声が、ロビー中に響き渡る。訝しげな目を向ける受付嬢、通行人。
彼の脳裏を、あの封札が再びよぎった。
「・・・お前はもう、二度とついてくるな。頼むから。」
「・・・・・・ごめん。」
「・・・五時頃、もう一度ここに寄る。結果は、その時に。」
ゴッ、ゴッ、とブーツの硬いゴム底でフロアを鳴らし、彼は入り口の自動ドアへと歩いていく。
吉澤はなんともなしに、ドアが開き、外へと出て行くその後姿を、ソファに座ったまま眺めていた。
- 56 名前:Darks 投稿日:2003年02月25日(火)02時28分40秒
- 待って!
お前には、荷が勝ちすぎたんだ。諦めろ。
なんとかする!
・・・・・・
”ヘタウマ”。
土曜だ。遅れるな。
ブツッ
ツー ツー ツー
- 57 名前:Darks 投稿日:2003年02月25日(火)02時29分22秒
- ”研究”ってやつは、どうしてこうも黴臭いのか。
そんな感慨を抱きながら、薄汚れた蛍光灯が等間隔に張りついた階段を、彼は降りていった。
剥き出しのコンクリートが、視界を支配している。通路の天井、壁、床・・・・・・目に見える全てが暗く、重い灰色で覆われ、その表面を、彼の足音が鈍く反射する。
通路の突き当たりに見える、”所長室”のプレート。彼は真新しいドアをノックし、ドアを開ける。
外の陰惨とした雰囲気に比べれば、不自然な清潔感の漂う部屋だ。マットの敷かれた床、パネル調の壁、年代物のデスクと二対のソファ。
「時間通り。」
デスクチェアに座った白衣の女が、書類を持って立ちあがり、デスクの前に置かれたソファへ腰を下ろす。
- 58 名前:Darks 投稿日:2003年02月25日(火)02時29分58秒
- 「とりあえず、座りなさいな。」
言われるまま、彼は女の向かいへ座る。
「・・・それにしても、変わったわね。」
彼の顔をじっと見据えて、女は言った。
「何が。」
憮然とした表情で、彼は言葉を投げつける。
「少なくとも、私が知っているあなたは・・・・・・あのテの依頼を、真に受けるような人じゃなかったわ。」
ソファへ寄りかかり、腕を組んで、女は笑う。空を舞う笑い。
「・・・そうとも、限らんさ。」
答えを返すように、彼は笑う。
「馬鹿にならなきゃ、楽には生きられない。」
「・・・・・・そうね。」
「それに、いいモルモットが手に入ったんだ。文句はないだろ?」
「・・・・・・。」
- 59 名前:Darks 投稿日:2003年02月25日(火)02時31分04秒
- 「要約するわ。こんなもの、見ていられないでしょう?」
片手で分厚い書類の束を取り上げ、もう一方の手ではたく。
「・・・そうしてもらえると、助かる。」
「・・・
今回、被験者・小滝俊夫に対して行った検査は・・・自律神経機能検査、脳検査、その他臓器系の個別検査。これらの検査によって判明した事実を、次に列挙する。
一つは、後頭部の大脳記憶野における損傷。これは物理的ショックによるもので、現在までに至る被験者の記憶障害を引き起こした要因と考えられる。
二つは、大脳全体における、原因不明の脳内麻薬様物質過剰分泌。事件における被験者の異常行動は、この現象により発生したトリップ効果から招かれたものと考えられる。
三つは、被験者の大腸内から検出された、未知の物質。複雑な化学構成のもので、人体内部で自然合成された・・・または人為的製造物である可能性も低いと思われる・・・。」
- 60 名前:Darks 投稿日:2003年02月25日(火)02時31分50秒
- 彼は腕を組み、首をコートの襟の内へ埋めるように腰を落とす。
大きな疑問が、彼の喉仏を刺激する。
「・・・”物理的ショック”、というと?」
「後頭部への、鈍器による殴打。軽い脳震盪を起こす程度かしら。そこへ、原因不明の脳内麻薬。あなたが知りたがっている”記憶喪失の原因”は、突き詰めるとここに端を発する・・・・・・そう、調査グループは見ているようね。」
「・・・殴られた、か。」
警察の調書に、そんな記載はなかった。
- 61 名前:Darks 投稿日:2003年02月25日(火)02時32分39秒
- 「・・・被験者の脳内で発生した、麻薬様物質の過剰分泌。これに関しては、面白いデータを収集することが出来たわ。
短期間で脳があそこまで崩壊するには、平常時の分泌量では説明がつかない。麻薬によって過剰分泌を誘発されたのではないとすれば、何が原因なのか・・・・・・。実に、興味深いわね。」
女は、かすかに恍惚の混じった笑みを浮かべた。
「正体不明の物質の存在については、現在調査中。明確なデータを出すには、まだ時間がかかる。でも、あえてここで、根拠のない推測を立てようと思えば、出来ないこともないわね。
まだ調査中だから、迂闊なことは言えないけど・・・・・・おそらくこの物質が、過剰分泌のトリガー。」
「・・・・・・。」
「これは私個人の推測だから、聞き流してもらって構わないわ。あなた自身で判断して頂戴。”不条理な勘”は、あなたの専売特許でしょう?」
挑発するような、皮肉った笑み。
- 62 名前:Darks 投稿日:2003年02月25日(火)02時33分16秒
- 「・・・・・・小滝は?」
「・・・検査が終わってから、帰らせた。」
女の笑みが変化する。頬の筋肉がおどけ、影を引いていく。
「実験は、やらないのか。」
その影の意味を、彼は嫌というほど知っていた。
人間の顔は、無意識下へ埋没した感情をひとりでに表現することがある。水面が、その身に映し出している物の姿を知らないように。
掻っ切られた首に張りついた表情は、永久透写の水面でしかない。
「・・・明日にはネズミが死ぬとわかっていて、それでもそのネズミを飼おうとする物好きが、どれほどいるのかしら?」
- 63 名前:Darks 投稿日:2003年02月25日(火)02時34分05秒
- 一人きりの楽屋は、物凄く静か。
誰もいない部屋に一人でいると、その部屋に敷いてある畳とか、鏡とか、蛍光灯とか、とにかくそういう何かに、自分のことをじーっと見られてるような気がしてくる。まさに今、そんな気分。
のの、帰っちゃったしなぁ。あいぼんもいない。
暇だ。
5時まで、まだ全然だし。
今なら、梨華ちゃんでも許せる。誰か来ないか。つーか来い。
来ないか。
・・・ごっちん、今日はフリーなんだっけ。電話してみっかな。
- 64 名前:Darks 投稿日:2003年02月25日(火)02時34分38秒
- 世界が、落ちてく。
何処に。
知らない。
知るか。
知ってる。知らない。何処に?
すぺーすしゃとる。すぺーすでぶり。えんでばー。
死ね。しんじまってぇーじいさん。
- 65 名前:Darks 投稿日:2003年02月25日(火)02時37分00秒
- しねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしね
- 66 名前:Darks 投稿日:2003年02月25日(火)02時37分31秒
- かーいし。まわってる。ふるどけい
おーーきーーーなのぉぉぉぉぽのぉぉぉぉぉ
ばっとぉぉぉぉぉぉさぁぁぁんんんんん
あぁぁぁああぁああかぁぁぁぁぁなぁぁぁぁしぃぃぃぃぃこぉぉぉぉとぉぉぉぉぉ
おおおおおおおおわぁぁぁかぁぁぁぁれぇぇぇのぉとぉきぃぃぃぃ
いぃぃぃぃまぁぁぁぁわぁぁぁぁぁっ
もぉぉぉぉぉぉうっ
ガギッ
- 67 名前:Darks 投稿日:2003年02月25日(火)02時38分06秒
- ”ただいま、電源が入っていないか、電波の届か”
ピッ
「・・・?」
思いがけぬ機械の理不尽な反応に、吉澤は顔をしかめる。
携帯をバッグにしまい、ため息をつく。
言いようのない疲れが、肉の内側で液体金属のごとくへばりついている。
だるい。特に、左肩。後遺症かなぁ。
刺されたぐらいで?冗談じゃない。寝りゃいいんだ。若いんだから。
顎の筋肉を全開し、犬臭いあくびをする。
「暇なんですけど。」
虚空が吉澤の声に、一瞬震える。返答はない。
あ〜〜、アホらし。
「あ。」
呆けた一文字を空中へ飛ばし、再び携帯を取り出す。
液晶の斜め右端に表示された、”4:27”。
とっとと来い。
- 68 名前:Darks 投稿日:2003年02月25日(火)02時38分47秒
- ダークブルーの空の下、バイクは天王州へ向かって国道を走る。
規則正しく群がる車のひり出す、腐ったガスを切り裂き、巻き上げて、SV400Sは疾走する。
彼のコートの内ポケットで、ブルブルと身震いする携帯。
あの、シナプスの足りなそうな女。
心の中で呟き、スロットルを解放する。
弾けるエンジンの叫びは、居並ぶ屁こき羊達のフレームをガタガタと震わせた。
- 69 名前:Darks 投稿日:2003年02月25日(火)02時39分28秒
- 彼が天王州スタジオに着いたのは、5時を回るか回らないかという時刻だった。
ロビーの自動ドアが開く。真っ直ぐ進み、エレベーターのボタンを押す。
エレベーターが降りて来るのを待っているうちに、彼は携帯を開く。
”はやくこい”。
(こっちは胸糞悪くて反吐が出そうだってのに。)
少年は、心の中で嘘を吐いた。
人間という生き物は、どうにも自分を騙すことから離れられないらしい。
セルバンテスは、この法則を・・・・・・白痴症の、ひたすらにマヌケな農夫へと適用した。
そう・・・このふざけた悪感は、理性と呼ばれるペテン師の常套手段に過ぎない。
わかりきったことだ。
目に映る全てが黒く、蒼ざめている理由。
右手が疼くのは、生き血が欲しいからじゃない。ただ、痺れているだけだ。
欲しいものなんぞ、何処にある?
世界が捻じれ、特異点を通り過ぎた今となって。
- 70 名前:Darks 投稿日:2003年02月25日(火)02時40分06秒
- ガチャリとドアが開き、黒いコートが楽屋に入り込む。
「お、やっと来た。」
ちゃぶ台の上に突っ伏していた吉澤が、上半身を起こす。
「みんな先に帰っちゃってさ〜、暇で暇で・・・。」
言いかけて、吉澤は口を動かせなくなった。
あの影が、彼の目や、顔面の皮膚と筋肉から滲み出し、彼を取り巻く大気へと拡散しているのを・・・草原に佇む草食動物が肉食獣の息遣いを聞き取るように、肌で感じ取ったために。
何?どうして、そんな目するわけ?
虫のように動きを止めた吉澤を、彼はアクを溜めた眼球で捉えている。
「・・・結果を、知りたいか。」
冷たい鉄芯を突き通した声で、言葉を放つ。
吉澤の肉体は凝り固まったまま、ただ鼓膜だけを機能させていた。
当たり前じゃん。なんで今更、そんなこと聞くの?
紡がれた言葉は、吉澤の舌へ乗る前に、霧消してしまう。
吉澤の首が、重い石門が開くように、ゆっくりと縦に落ちる。
- 71 名前:Darks 投稿日:2003年02月25日(火)02時40分44秒
- 彼の表情から影が消滅し、吉澤の思考と筋肉を縛り付けていた黒い大気も、吹かれたように消える。
吉澤は我に返った。
「・・・なに・・・何か、あったの・・・・?」
吉澤の横を通り過ぎ、手に持った茶封筒をちゃぶ台の上へ投げ置く。
「・・・ありゃしないさ。何も。」
何それ・・・どういう意味だよ。
得体の知れない憤りを感じながら、吉澤はあぐらをかく。
畳の中央に置かれたちゃぶ台から離れた、楽屋を取り囲む白い壁へ寄りかかるように、彼は腰を下ろした。
- 72 名前:Darks 投稿日:2003年02月25日(火)02時41分15秒
- 両足を立て、鋭角を作った膝に腕を乗せ、両膝の中央で手を絡ませる。
両眼のアクを留めたまま、彼は灰色に滲む手を眺め、思案する。
「・・・聞かせてくれないか。」
彼の眼差しが、手からちゃぶ台へと移る。
彼の様子を怪訝そうに伺っていた吉澤の眼差しが、彼のそれと交差する。
「何を?」
「・・・理由。」
「何の?」
”言わなきゃ、わからないって?”
彼の目がそう言っているように思えて、吉澤の胸の中で燻っていた火種が、さらなるカロリーを放出し始めた。
「・・・なんかさ、そういう目で見られるの、むかつくからやめて。マジで。」
肩をほんの少しすくめ、彼は言う。
「依頼の、理由だよ。」
- 73 名前:Darks 投稿日:2003年02月25日(火)02時41分58秒
- 理由。
それは、怒り。
だった。ちょっと前までは。
大体なに?人のこと刺しといて、忘れちゃいましたぁ、だから許してぇ、はい許すぅ、しゅうりょー。
刺し返していいですかこいつ?とか思った。刺すまではいかなくても、殴り殺そうとした。みんなに止められたけど。
どうしても許せなかった。
でも。
よく考えたらおかしいことばっかだし、なにより当の本人が、これ以上ないくらい普通の人っぽい。
裁判の時もありえないぐらいオドオドしてて、見てるこっちが笑っちゃうくらい。むちゃくちゃ気が弱いんだろうなぁ。始まる前から、無罪だって知ってたはずなんだけど。
あの時から、なんとなくわかってた。あの人に罪があるんじゃないってことは。
じゃあ、なんで。
なんでこんなことになっちゃったわけ?
- 74 名前:Darks 投稿日:2003年02月25日(火)02時42分35秒
- 「・・・はっきりさせたいんだよね。誰が悪いとか、そういうことじゃなくて。」
沈黙が続く。
しばらくして、彼はゆっくりと立ち上がり、背中から壁にもたれかかる。
彼は言った。
「小滝が、死ぬ。」
空虚で、乾いた響き。
吉澤の喉に、出来損ないの言葉の塊がドロドロとせり上がっていく。
”死”という言葉は、吉澤の頭の中で渦巻く言葉の原形を、軟体質の奇形児へと変えていった。
「一ヶ月か一年か、近いうちに。原因は、そこの紙切れに書いてある。脳をやられてるらしい。」
左斜めからのブレた視線を感じながら、彼は言葉を続ける。
「どう考えたって、不自然過ぎるんだ。ごく普通の生活を送っていた人間が、ある日突然、コークの末期患者よりも脳をボロボロに出来る方法があれば、話は別だが。
もちろん、あるんだろう。そんな方法が。手がかりも、ないわけじゃない。」
ブレた視線。灰色の眼球。
- 75 名前:Darks 投稿日:2003年02月25日(火)02時43分33秒
- 「・・・本来なら、そこの紙切れを埋めている染みの集まりは、お前にとって”知るはずもなかった”情報なんだ。
小滝が死ぬこと・・・・・・お世辞にも、それが自然死なんて言える状況じゃないってこともだ。」
壁から離れ、ゆったりとした動作で、吉澤の向かい側へ腰を下ろす。
「・・・いいか。これだけは理解してくれ。
これから先、どれだけ”はっきりしたこと”とやらが飛び出てこようと、その中には、お前にとって得になるような情報は、一つもない。
だが、その逆なら、大いに有り得るんだ。」
ちゃぶ台に両腕を乗せ、軽く背中を屈め、灰色の眼球を前方へ向ける。
甲殻類の両眼。
「今なら、この事件との関わりを終わらせることも出来る。
そうすれば、お前は知るべきことだけを知って、これまで通りにやっていける。事件のことも、いずれ忘れられるだろう。
そうしろって言いたいわけじゃない。ただ、確認しておきたいだけなんだ。」
詰まった言葉を飲み下し、吉澤は解放された喉をぎこちなく働かせる。
「確認・・・?」
- 76 名前:Darks 投稿日:2003年02月25日(火)02時45分17秒
- 「・・・俺は最初の段階から、犯人の意志がお前へ向いていることを前提に、その可能性を優先して潰そうとした。事件自体の異常さを見れば、この方向から切り崩すのが一番効率的だと思ったんだ。
だがまあ、結局のところ、それも徒労に終わったわけだ。たった一回の検査で、これだけ確固とした証拠が出てきたんだからな。
今回の事件・・・”吉澤ひとみが被害者である事件”の考察は、小滝の記憶喪失が起点になった。その一点しか、踏み込む余地がなかったからだ。
だが、”小滝俊夫が被害者である事件”へ思考をスライドした場合、同じことが言えるのか?
- 77 名前:Darks 投稿日:2003年02月25日(火)02時46分20秒
- ”犯人の目的は、お前個人か、あるいはモーニング娘。自体への攻撃かもしれない”。前に、そう話したな。
あの時点では、あんな馬鹿げた予測すら、否定は出来なかった。だからこそ、この調査は意味を保っていられたんだ。
しかし、この紙切れのおかげで、別の道筋が現れた。キナクサくて、先の見えない道が。
小滝はお前を刺した。自分の意志に関わりなく。
それが、何を意味するのか。単純に考えればいい。
今回の事件が起こる以前に、ある、別の事件が起きていたとしたら。
犯人は、ある男を殴り、気絶させ、その男に”何か”をした。目的はわからない。
殴られた男は、気が付くと、病院のベッドで点滴を打たれていた。そして目を覚ました途端、傍に突っ立っていた男から、こう言われた。
”刑法第204条、傷害罪の容疑だ”」
- 78 名前:Darks 投稿日:2003年02月25日(火)02時47分20秒
- 「・・・・・・。」
「・・・犯人にとって、その男の脳をボロボロにすることも故意の産物だったのか、偶然だったのか、それはわからない。
いずれにしろ、”手が込んでる”なんてレベルの事件じゃないことは確かだ。
だからこそ、確認する必要がある。
吉澤ひとみが、小滝俊夫に刺されたのは、単なる偶然だった。
犯人の意志は、最初から小滝に向いていたんだ。
事件当時の小滝の状態を考えれば、小滝が”誰を刺すか”なんて、奴にコントロール出来るわけもない。小滝の暴走さえ、奴にとっては誤算だった可能性も高い。
つまり・・・・・・この事件は、本来なら、吉澤ひとみにとって何の関係もない、”知るはずもなかった”出来事なんだ。
はっきりさせるべきことなんぞ、何処にもない。
- 79 名前:Darks 投稿日:2003年02月25日(火)02時48分01秒
- それでも、この先に隠れているものの正体を見たいと思うなら、それはそれで構わない。
ただ、一歩でも足を踏み出せば、何があったとしても、逃げることは出来なくなる。
とてもじゃないが、今回の事件のことを、犯人が知らないとは思えない。仮に知らないとしても、調査が進めば、嫌でも奴の視界へ入り込まなきゃならないだろう。ただの一般人ならごまかしも効くだろうが、お前の場合、そういうわけにもいかない。
これ以上何かを知れば、お前は奴の”敵”になるんだ。そうなれば、後は徹底的にやりあうしかない。
全てを承知の上で、それでも知りたいと思うなら、覚悟を決めてもらわなきゃならない。」
「覚悟・・・。」
「覚悟じゃ、ちょっと違うな。言い換えるなら・・・・・・”意志”、か。」
意志、と繰り返そうとして、吉澤は口をつぐんだ。
- 80 名前:Darks 投稿日:2003年02月25日(火)02時48分42秒
- 「まあ、言葉のあやなんてどうでもいい。
この先に進むか、捨てておくか、決断しなきゃならないってことだ。改めて、な。」
彼の両目が、段々と表面のコントラストを回復させていく。
沈黙が続くなか、空調機の小刻みなさえずりだけが、楽屋の中に充満した虚空を支配している。
ちゃぶ台の木目を見つめ、吉澤は”決断”の意味を考える。
小滝の死。別の事件。自分の存在。
一つ一つの事柄を考えようとしても、絡み合ったタコアシ配線をほどくようなもどかしい思いが、余計に頭を混乱させる。
「焦る必要はないんだ。迷いがあるなら、消えるまで考えればいい。」
腰を上げて、彼は楽屋の時計を見やった。
「そろそろ、帰った方がいいんじゃないか?」
のろのろと、吉澤の目が文字盤を追う。6:15。
「・・・お前の意志が決まらなければ、俺の行動も決められない。
主体は、お前なんだ。それさえ忘れなければ、判断は下せるさ。」
- 81 名前:Darks 投稿日:2003年02月25日(火)02時49分25秒
- スタジオ入り口前のコンクリート質な駐車場は、ナトリウムランプの、自動販売機を連想させる暖かいオレンジ色に染まっている。Cクラスベンツやランドローバー、SV400Sも、その光から逃れることは出来ない。
駐車場の片隅から、地面から壁へ、二つの人影が身長を伸ばしながら映りこむ。
「バイク、乗るんだ。」
丸みのある声が、駐車場のコンクリートに反響し、人工的な響きを含む。
「仕事には、足がいるから。」
影を引きずった声。
「どんなやつ?」
「スズキの400cc。ちょうどいい大きさだし、エンジンも悪くない。良くもないけどな。」
「ふ〜ん。」
スニーカーの控えめな足音と、トレッキングブーツのくぐもった足音が響く。
吉澤は、二本の柱で仕切られた駐車スペースを覗きこみ、右、左と交互に首を巡回させる。
- 82 名前:Darks 投稿日:2003年02月25日(火)02時50分00秒
- 「どれ?何色?」
「14番の、黒いやつ。」
「・・・そんなに好きなの?」
「何が。」
「黒。」
「・・・いけないか。」
「いけなくないけど。」
この女は、笑うと、頬が丸く浮き出る。
さしずめ、笑瘤とでも言うべきか。
そんなことを、彼は思った。
「いっつも、全身黒ずくめでしょ。アヤシイよ。」
「・・・何処にでもいるだろ。そんな奴くらい。」
「いねーいねー。いねーっす。そんな奴。」
いねーいねーと、呟くように繰り返す。
二人が柱を通りすぎるたびに、ペイントされた番号が、内に含む数を増していく。
その数字が”14”に差しかかり、14と15の柱の間で彼は立ち止まった。
ランプに照らされた黒一色のバイクが、大型SUVの横で片足をつき、涼しげに佇んでいる。
- 83 名前:Darks 投稿日:2003年02月25日(火)02時50分47秒
- 「へぇ〜、かっけーじゃん。」
流線型の雫を強化プラスチックでかたどった二つのライトが、カウルの表情を鋭く印象付けている。
彼は、ハンドルにぶら下げてあったライダーヘルメットを手に取った。
「出来るだけ、資料は読んでおけよ。」
力を抜いた腕にヘルメットをぶら下げ、置き残すように彼は言った。
「面倒くさかったら、レポートだけでも、目を通した方がいい。」
何もかも了解していると言いたいのか、吉澤はうるさそうに笑う。
しかし、その笑顔も徐々に薄れ、消えていく。
不安が口から漏れ出しそうになり、何か言葉を発したくても、言いあぐねてしまう。
「・・・小滝さん。」
その言葉は、吉澤にとって意識的であり、また、無意識的に漏れ出したものでもあった。
無表情のまま、彼はそんな吉澤の仕草を見つめている。
「本当に・・・・?」
無言のまま、頷く。
「検査の前から、うすうす気付いてはいたらしい。もっとも、死を宣告されるほどとは、思ってなかっただろうな。」
- 84 名前:Darks 投稿日:2003年02月25日(火)02時51分38秒
- コンクリートの、冷たい無感情。
俯き加減に目を伏せる吉澤の顔は、闇の粒子を含んだ橙光を引き付け、影を生む。
「・・・・知らない方が、よかったのかな。」
一台のベンツが、闇を振り払うように心臓を鼓動させ、その響きを、地下世界を覆うコンクリートの肉壁へ埋めこもうと、暴力的な叫び声を上げながら走り去る。
白い光が、一瞬の内に影を散らし、通り過ぎた瞬間、元通りに浮かび上がる。
- 85 名前:Darks 投稿日:2003年02月25日(火)02時52分15秒
- 「・・・判断するのは、本人だ。お前じゃない。」
投げつけるように言って、彼はバイクに跨った。
ヘルメットをかぶり、アイガードを下げる。
「とにかく、連絡してくれ。心が決まったら。」
黙ったまま顔を上げ、吉澤は頷いた。心の内では、粘ついた奇形児の悲鳴を抑えつけながら。
彼はエンジンをふかし、鉄の心臓の鼓動音を確かめる。
流線型の雫から、白い光が拡散し、オレンジ光を駆逐する。
やがて、動力を後輪に伝え、バイクは走り出した。
白い光が過ぎ、オレンジ光が地下世界の席巻を完了し、駐車場は静まり返る。
終わり切った世界の中で、自分だけが、始まってもいない。
吉澤は、そんな錯覚を覚えた。
- 86 名前:Darks 投稿日:2003年02月25日(火)02時53分04秒
- はぁ。
疲れた。
意味わかんないくらい。
眠気は、体の疲れに比例する。なんとなく間違ってない気がしてた。
じゃあ、現に全然眠れる気がしないのは、あたしが間違っていると。あたしの、体と頭。
あいつに渡された資料、読んでみようか。あれなら即効だろ。
そう思って、何度も何度も手に取ってみたんだけどな。
封筒の中からレポートを出そうとしても、手が止まる。
背筋が寒くなって、なんかわかんないけど、冷たい手で背中をさすられそうな感じがする。
そのまま、背骨をどっかに持って行かれそうな。
- 87 名前:Darks 投稿日:2003年02月25日(火)02時53分40秒
- 怖い。
よくわかんないけど。
・・・そうだ。あいつが、あんな言い方するから。
あたしが悪いみたいじゃん。元々関係なかったんだ、どうのこうのって。うるせーっつの。死んじゃえよ。
・・・・・・
小滝さん。
どうしてだろ。
あいつは、小滝さんも、別の事件の被害者なんだって言ってた。
かわいそう。なんとなく、ほんとになんとなく、そう思ったんだ。けど。
腹が立ってくる。自分に。
かわいそう。
自分でも、思いたいんだ。関係ないんだって。
あーあ、かわいそー。かわいそー。かわいそー。
あたしは、多分キレる。言った奴、アイアンで殴ってる。
だったら、自分の顔も、アイアンで潰せるの?
馬鹿でー、こいつ。自分の顔、アイアンでぶん殴ったー。
ほんとに、馬鹿みたい。
寝よ。
- 88 名前:Darks 投稿日:2003年02月25日(火)02時54分43秒
駄目だ。
寝れねぇ。
・・・学校、休むか。
眠気にゃ、かなわない。ごっちんの口癖。
確かに、その通り。
- 89 名前:Darks 投稿日:2003年02月25日(火)02時57分40秒
- ----Intermission----
- 90 名前:ゲリマンダー 投稿日:2003年02月25日(火)02時58分32秒
- >>49
更新しますた
- 91 名前:名無し読者 投稿日:2003年02月25日(火)13時27分13秒
- おもしろいよ。男が出てくるから敬遠する人多いのかな。
それはチョピーリ残念だ。
- 92 名前:CD-R 投稿日:2003年02月25日(火)18時29分42秒
- はじめましてzaiといいます。
前回の更新分と今回の更新分いっきにみました。
かなり面白かったです。続き待ってます。
- 93 名前:ゲリマンダー 投稿日:2003年02月26日(水)16時30分40秒
- >>91
敬遠、ですか。
そういえば、メンバー以外の登場人物があんまり出てこないですね。全板含めて。
>>92
ありがとうございます。
これからの更新は、かなり不安定になりそうです。
なるたけ早く書こうとは思いますが、どうか気長にお待ち下さい。
- 94 名前:猛禽少年 投稿日:2003年03月06日(木)01時46分39秒
- 今さら気付いたのかい。
あんたの片足には、僕の心血が欠けているんだ。
- 95 名前:Darks 投稿日:2003年03月06日(木)01時48分08秒
- ----Chapter 3----
- 96 名前:Darks 投稿日:2003年03月06日(木)01時49分44秒
- 10時。
結構寝た。夢は見なかった。
つーか、腹減ったわ。猛烈に。なんか、食わなきゃ。
ありゃ。
誰もいない。
テーブルの上に、書置き。
”朝ご飯、適当にすませといて”。
出かけるって、昨日言ってたっけ?
まあいいか。
とりあえず、食いもん。
- 97 名前:Darks 投稿日:2003年03月06日(木)01時50分43秒
- 今日は曇り。空が一面、雑巾色。
パンにツナをのっけながら、レポートを読んでみる。
やばい。何言ってるかわかんない。
何が簡易版だよ。頭痛くなってくる。こういう、世の中に出回ってない文字見てると。
なんとか的。なんとか的。
あーうぜー。
・・・ツナうめー。
このレポート、用語ばっかで読みにくいけど、一度通して読んだら、大体の文脈は掴めた。
あいつが言ってた通り、小滝さんは誰かに殴られて、”何か”をされた。そんな内容。
あたしを刺したのも、そのせい。らしい。
だからなんだっていうの?
そう言っちゃえば、それまで。
でも、やっぱ知りたい。
じゃあ、覚悟を決める?
踏ん切りがつくか、つかないか。それが、答え。
- 98 名前:Darks 投稿日:2003年03月06日(木)01時51分29秒
- 飯食って、ポケーっとして、考えて、ポケーっとして、考えて、の繰り返し。
結局、決められない。
優柔不断。
そう。昔から。
うわべだけは繕っておく。蓋を開けりゃぁなんてことない、ただ流されてるだけ。
救いようがないのは、自分でそのことに”気付いた”んじゃなくて、”気付かされた”ってこと。
きっかけは、たった一言。
「焦ったら、損するよ。」
二人っきりで楽屋にいた時、ポツッと言われた。
ごっちんに。
何のことかわかんなかった。その時は。
焦る?何を?
その場で聞き返そうとしたけど、声が出せなかった。
あれ?喉がなくなった。みたいな。
考えてみれば、それからだったような気がする。ごっちんと話してる時間が長くなって、一緒にいる時間も長くなったの。
- 99 名前:Darks 投稿日:2003年03月06日(木)01時52分00秒
- ごっちんは、あたしとはまるで正反対。
ぱっと見だと何にも考えてなさそうだし、眠そうだし、やる気なさげ。おまけに、「近づくんじゃねーよ」って感じのオーラも出まくってる。
でも、違うんだよなぁ。
パッパと決めて、さっさとやる。考えなきゃなんないことは、絶対に避けない。実は努力家。気に入ったやつには、子犬よりもなつっこい。
ごっちんはシャイだから、そういうところを人に見せたがらない。
だけど、少なくともあたしを含めたメンバー全員が、ごっちんのそういう性格を認めてるし、尊敬さえしてる。
と、思う。
- 100 名前:Darks 投稿日:2003年03月06日(木)01時52分41秒
- 携帯がつながんない。壊したのかな。
よく壊すからなぁ、ドライヤーとか。
普通に使えば壊れるはずがないもんを普通に壊せるのは、なんでだろ〜。
しょうがねぇ、こうなったら家電だ。家電。
ぷるるるるる、ぷるるるるる
がちゃ
”後藤ですがぁ。”
いつにも増して、眠そうな声。
「寝てた?」
”あ、よし子ぉ。うん、寝てた。”
「そうかい。」
”うん。”
「ちょっと、相談したいことがあってさ。」
”・・・あ〜、もしかして、あれ?”
「あれってなに。」
”あれだよ。”
「だからあれって。」
”前言ってたじゃん。始末屋さんのこと。”
「あー、惜しい。かすってる。」
”どこらへんがかすってる?”
「”始末”ぐらい。」
”なにそれ〜、粗大ゴミの始末とか〜?”
なんだそりゃ。
「人に相談することじゃないでしょ。」
”そりゃそう。”
笑い声。たははって。
「正解は、始末屋への依頼について。」
”ど〜ゆ〜ことでしょぉか。”
なんか、妙にテンション高いな。寝起きのくせに。
- 101 名前:Darks 投稿日:2003年03月06日(木)01時53分23秒
- あたしが刺された事件のことは、ワイドショーなんかでも話題になったし、あたし自身からの説明も加えれば、ごっちんがあの事件のことで知らないことは殆どない。
とりあえず、あのうざったいレポートの内容を”かいつまんで”説明しておくか。
話を聞きながら、ごっちんは電話の向こうでふんふん言ってる。
あたしがしゃべり終えると、ごっちんは少しだけ間を空けて、こう言った。
”・・・・・・難しい、ね。”
ごっちんの声が変わった。ほんの少し、緊張感がこもった感じ。
真面目に意見を言おうとする時には、この声で話すんだ。自分でも、気付いてないんだろうけど。
”・・・よし子、事件の真相が知りたいって、言ったよね。”
「うん。」
”真相って・・・よし子的には、何なの?”
「あたし的に。」
”そう。”
- 102 名前:Darks 投稿日:2003年03月06日(木)01時54分15秒
- 真相。
真相、かぁ。
最初は、なんで小滝さんがあたしを刺さなきゃならなかったのか。それが知りたかったんだよなぁ。
つっても、依頼する前から自覚してたわけじゃなくて、あいつに気付かされたんだけど。気付かされてばっかりの人生。
とにかく、それじゃ、今はどうなんですかっつーと。
なんで、事件は起こったのか。なんで被害者があたしで、加害者が小滝さんだったのか。
プリン並にすべっこいとはいえ、あたしの頭の中身は、自分にとっての真相をちゃんと理解してた。
昨日までは。
昨日の6時頃から今の今まで、あたしのプリン脳は、自分にとっての真相を見失ってる。
”これ以上何を知ろうと、お前にとっては何の意味もないんだ”。
何の意味もない?何なの、意味って。何なんだよ。って何なんだよ。
昨日からずっと、同じ所でぐるぐるぐる。
真実を知れば、それで万事解決ってわけにはいかない。馬鹿なあたしでも、それぐらいはわかってる。
それでも。
ぐるぐる。
- 103 名前:Darks 投稿日:2003年03月06日(木)01時54分49秒
- 「・・・わかんない。」
それしか言えない。アホ過ぎるな、あたし。
”わかんないか〜。”
ごっちんのたはは笑いは、相手の話しに興味がないのか、それとも本当にたははなのか、判別は難しい。
最近になって、やっと区別がつけられるようになったけど、今のは本当にたははと笑いたい気分なんだろう。そりゃそうか。
”・・・ねぇ。いっつも思うんだけど。”
「なにさぁ。」
”よし子ってさ・・・・・・頭の中ではわかってるのに、口ではわからないって言うのが癖になってるんじゃない?”
頭の中では、わかってる?
そうかな。
”さっきの話にしてもさ。続けてもらいたいんでしょ。調査。”
気付かれっぱなしの人生。
「・・・あたし一人の問題じゃ、済まないんだよね。皆に迷惑かけるかもしれないし。」
迷惑どころか、あたしみたいに刺されたりしたら。
取り返しがつかなくなる。
”大丈夫だよ。気にするような人、いないじゃん。”
確かに。って、そういう問題じゃないんだけど。
”よし子が調査を続けたいんなら、そうすればいいんだし、もういいやって思うんなら、やめればいいんだから。”
- 104 名前:Darks 投稿日:2003年03月06日(木)01時55分49秒
- ごっちんは、知らない。
小滝さんの命が、長くはないこと。
わざと”かいつまんで”教えなかったんだから、当たり前だけど。
だから、ごっちんのこの答えは、予想通りの結果。
汚い手。
ここで電話を切ってもいいんだけど。
やっぱりごっちんには、あたしと同じ立場から意見を言って欲しい。
関係のないやつに、教えすぎちゃいけない。
あいつがここにいたら、そう言うんだろうな。
わかってるけどさ。
- 105 名前:Darks 投稿日:2003年03月06日(木)01時56分38秒
- 「あたしを刺した人・・・小滝さんって、いうんだけどね。」
”うん。”
「長くないんだ。」
ごっちんの息づかいが、すっと止まった。
”何が?”
「命。」
”えっ?”
「・・・事件の後遺症。運が良ければ、脳死で済むかもしれないって。」
”・・・そんなの、死ぬのと同じじゃん。”
おっしゃる通り。
「・・・昨日ね、始末屋の人に言われたんだ。これ以上踏み込むと、危ないって。」
”・・・・・・。”
- 106 名前:Darks 投稿日:2003年03月06日(木)01時57分27秒
- 「それってあたしだけじゃなくて、あたしの周りの人、皆に言えることでしょ。モーニングの皆もそうだし、ごっちんだってその中の一人なんだよ。」
わかりきったことを言ってるのは、自覚してる。
それに、こんなこと言われたって、ごっちんは困るだけ。いい迷惑。
でも、言わずには。いられない。
「あたしが事件の全てを知りたいからって、皆を危ない目に遭わせて、いいわけない。
でも、でもさ、やっぱり知りたいんだ。
小滝さんは、あたしを刺したよ。確かに。
だからって、なんで死ななきゃいけないの?
そんなの、おかしいよ。
やりたくて、やったんじゃないのに。」
言いたいだけ受話器にぶつけて、自分を笑い殺したくなった。
ごっちんに、何を言ってもらいたいんだろう。あたしは。
こんなくっさい台詞吐いて、まるではみ出し刑事”情熱系”。
- 107 名前:Darks 投稿日:2003年03月06日(木)01時58分19秒
- ごっちんは、受話器の向こうで黙ったまま。
0.1秒が、アンデスマラソンの10分ぐらい、息苦しい。
そろそろ死んでもいいやと思い始めた時、受話器の向こうで、すっと息づかいが戻る。
”やっぱり、わかってるじゃん。”
「は?」
”は、じゃなくて。やっぱねー。そうなんだよねー。”
なにを言ってんだこのゾウムシ娘は。
”だからさー、ちゃんとわかってるじゃん。頭ん中で。”
・・・・・・
また。
気付かれっぱなしの人生。
”あのね。よし子。”
一言置いて、ごっちんはあの声に戻った。
”余計な心配しなくても、いいんだよ。
さっきも言ったでしょ。モーニングの皆はわかってくれるよ。気にしないって、そういう意味だからね。もちろん、私もそう。
むしろさぁ、今の話やぐっさんが聞いたら、『よし!今すぐ犯人ぶっ殺す!』とか言い出すよ。”
たははははぁ。ごっちんは笑う。
”心配してくれる気持ちは、嬉しいけどね。そりゃぁさ。
そんなに心配ならさぁ、皆に聞いてみようよ。直接。私もついてくから。”
- 108 名前:Darks 投稿日:2003年03月06日(木)01時59分17秒
- マラソンって、走り終わると気持ちいい。
- 109 名前:Darks 投稿日:2003年03月06日(木)01時59分51秒
- ----Intermission----
- 110 名前:ゲリマンダー 投稿日:2003年03月06日(木)02時00分44秒
- 更新終了
- 111 名前:ゲリマンダー 投稿日:2003年03月16日(日)03時21分32秒
- 現在、すでにChapter4が出来上がっているのですが、載せようか迷っています。
僕としては、展開上、もっと書き足したいなぁとは思うのですが。
誠に勝手な私情でしかありませんが、ここ数日で浪人が決まったので、あまり書く時間を作れそうにないのです。
プロットは打ち立て済みなので、必ず完結はさせます。
とはいえ、途中まで書き上げた分だけでも載せるべきかと思い、暫定的な区切りを用意しました。
すぐに更新するか、それとも書き直すか、どちらが望ましいと思われますか?
「ま、マターリ待つか」という意見が多ければ、いつになるかはわかりませんが、本来想定していた分量まで書き増してから投稿します。
「出来てんならとっとと見せろやヴォケが!」という意見が多ければ、すぐにChapter4を載せます。
やはり、見切り発車は間違いの元。本当に申し訳のないことです。
年内に終わらせられるかどうかもわかりませんが、それでも待とうと思って下さる方がいらっしゃれば、不定期でも更新だけは続けていきたいと思います。
- 112 名前:ゲリマンダー 投稿日:2003年03月20日(木)18時58分40秒
- とりあえず、あげておきます
- 113 名前:zai 投稿日:2003年03月20日(木)23時31分21秒
- はじめましてzaiです
あせらなくてもいいですよ
ゆっくりやってください
- 114 名前:名無し読者 投稿日:2003年03月20日(木)23時38分04秒
- ・・・
- 115 名前:ゲリマンダー 投稿日:2003年03月22日(土)01時37分06秒
- 色々と考えた末、暫定版のChapter4を載せることに決めました。
更新は月一50レス程度のペースを維持できれば・・・と思っていますが、正直に言ってあまり自信はありません。
これ以上長ったらしいレスを繰り返しても言い訳がましいので、更新始めます。
- 116 名前:消炭の幽谷を見上げる角笛吹き 投稿日:2003年03月22日(土)01時38分10秒
- 破滅の根本から見出す、希望と絶望。
それ以上でも、それ以下でもってやつだ。
- 117 名前:Darks 投稿日:2003年03月22日(土)01時39分28秒
- ----Chapter 4----
- 118 名前:Darks 投稿日:2003年03月22日(土)01時40分00秒
- 何者かが、厚く空を覆う雲の壁へ水を叩きつけ、そのしぶきの集合体となった霧雨が、ガタついたアスファルトへ均等に降りかかり、その色を黒く染めている。
プラスチック窓に取り付いた、無数の水滴。臨飽点に達した水分が、イオンの結びつきを緩め、窓を白く色づけている。
(・・・もう、三月なのか。)
大型カーエアコンの、蝋燭を優しく吹き消すような風の音を耳に吸い付けながら、彼はノートPCの液晶画面を見つめていた。
- 119 名前:Darks 投稿日:2003年03月22日(土)01時40分34秒
- 送信者:CATMAN 宛先:darks
件名:経過報告
- 120 名前:Darks 投稿日:2003年03月22日(土)01時41分20秒
- そっちは大分落ち着いたようだな。なによりだ。
それにしても、なかなか面白いネタじゃないか。こいつは調べ甲斐がありそうな予感がするんだ。鼻がチリチリしてな。
近頃、嫌な仕事が蛆みたいに湧いてきやがる。クソ面白くもない雑用ばかりだ。お前がうらやましいよ。
愚痴はよそう。選択の違いに、長短はつきもんだ。
例の調査の見通しだが、今のところはなんとも言えん。
警視庁のデータベースを洗ってみたが、似たようなケースは殆ど、全くと言っていいほど見当たらんようだ。まあ、奴らが後生大事に溜めこんだデータなんざ、カラスの光物に過ぎんが。
あの調書にしたって、お前に頼まれたから調達はしたが、素人のスクラップ帳みたいなもんだよ。本質ってものを、まるでわかっちゃいないんだ。奴らは。
- 121 名前:Darks 投稿日:2003年03月22日(土)01時43分51秒
- 察関係の情報はクソの役にも立たんが、一つだけ、ネズミの居そうな話が上がっている。
ここ最近、フリーク連中の間で、妙な噂が飛び交っているらしい。
何やらドラえもんもびっくりの、気違い地味た”洗剤”が、渋谷か池袋辺りで手に入るなんて話が、まことしやかに語り伝えられてるってことだ。
”洗剤”は隠語だろう。詳しいことはまだ何もわからん。叩けばネズミが飛び出してくるかもしれん。
こんなところだ。新しい情報が手に入ったら、すぐに送ってくれ。
もっと時間を割きたいところなんだが、俺も宮仕えの身なんだ。わかってくれや。
- 122 名前:Darks 投稿日:2003年03月22日(土)01時44分35秒
- (・・・相変わらず、か。)
”愚痴はよそう”。あの男がこの定型句を吐き続けるうちは、表面張力と同じ性質をもった、本当の意味での”平和”が絶えることはない。
結構なこった。
革張りのダイネットシートに身を任せ、彼はノートPCから窓へと目を向ける。
眼底に映る、白濁とした透明な樹脂をスクリーン代わりに、スライドフィルム状の情報が重ね合わされ、一つの映像として投影されていく。
フィルムをプロジェクターの淡い照明へと差しこむ手が、一つのフィルムをつかみ、はたと止まる。
こいつは、まだ使えない。
フィルムは意識の手を滑り落ち、記憶の上澄みへ、バターのように溶け込んでいく。
- 123 名前:Darks 投稿日:2003年03月22日(土)01時47分08秒
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- 124 名前:Darks 投稿日:2003年03月22日(土)01時47分44秒
- コロイド質の記憶海の中で、無意識の操るクーロン力に引き寄せられた微粒子が、数え切れぬほどのいびつなフィルムを形作る。
”闇”の記憶。
闇。
闇の息吹。
不声音。不可視の言葉。
あの時、あの瞬間、”闇”に分解され、再構築された。
朽ちていた。
ただ一人で腐敗し、流れ去れば、それで終わるはずだった。
”闇”に、意志はない。”闇”は全てだ。
なら、俺自身の選択だとでもいうのか。
ゾンビの選択?ゾンビの権利?
笑えない冗談だ。
海の底部、無意識のヘドロに浮かぶフィルムをつかみ、ぐしゃぐしゃと握り潰す。
寄せ集められ、丸く固められたフィルムは、ヘドロの浮力に負け、ぶつぶつと泡を漏らして沈んでいく。
- 125 名前:Darks 投稿日:2003年03月22日(土)01時48分15秒
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- 126 名前:Darks 投稿日:2003年03月22日(土)01時48分49秒
- ”洗剤”。
嘘か真かは、確かめてみるしかないだろう。
ため息をつき、彼はノートPCのシステムを落とした。
- 127 名前:Darks 投稿日:2003年03月22日(土)01時49分36秒
- 「馬鹿が。」
ごっ がっ
「そいつなんとかしろ。便所に放っとけ。」
ぎゃああああぁぁぁぁあああぁぁああぁぁあああぁああああああ
「何度言えばわかんだ。顎砕くんだよ。」
あああああぁぁあああびぶっ
「手際わりーな。リストラすんぞてめーら。」
「流行に疎いな。」
「あ?」
「今の流行は、早期退職だ。」
「どういう意味だよ。」
「早いうちに、進んで辞めてもらう。手間要らず。金要らず。いいことずくめだ。」
「知らねーな。」
- 128 名前:Darks 投稿日:2003年03月22日(土)01時50分58秒
- おぉおーきなのっぽのふぅるぅどぉけぇいぃ おじいぃーさぁんのぉーとけいぃぃぃーー
ひゃぁくねぇんいつぅもぉー うごいぃていたぁー ごぉじぃまぁんのとぉぉけいさぁー
「あれは、いつできんだ。」
「市場の反応はまだ薄い。投げ入れるのは当分先になる。」
ひゃくねん やぁすまずにぃー ちく たく ちく たく
おじぃぃーさんとぉいっしょにぃ ちく たく ちく たく
「なんでもいいけどよ。そろそろ在庫足さねーと、こいつら首吊るぞ。」
「結構じゃないか。マスコミが宣伝してくれる。」
- 129 名前:Darks 投稿日:2003年03月22日(土)01時51分37秒
- いまはぁ もぉう うごぉかぁなぁいぃ
そぉのぉとぉーーけぇーーいぃぃぃ
「それ、いいな。」
なぁぁんんでもしってるふぅるぅどぉけいぃ おじぃぃーさぁんのぉーとけいぃぃぃーー
きれいぃーーなはぁなぁぁよめやぁーてきたぁぁー そのぉひぃーもうごぉーいてたぁー
「あの女、来やがらねぇ。」
「来るさ。そうじゃなければ、首吊りの真っ最中だろう。」
うぅれしぃぃーこぉとぉもぉぉーー かぁなぁしぃいこぉとぉもぉー
みぃなしぃってるとぉけいさぁぁーー
「あの女のサバキは、クロマグロ並だぜ。死んでもらっちゃ困るなぁ。」
「心配するな。ここにいるガキどもより、よっぽどタフな奴だよ。」
いまはぁ もぉう うごぉかぁなぁいぃ
そぉのぉとぉーーけぇーーいぃぃぃいいいい
- 130 名前:Darks 投稿日:2003年03月22日(土)01時52分18秒
- 立て付けの悪い窓が、ガタガタと風に反応する・・・・・・あの音と似た属性の濁音が、彼を目覚めさせた。
リアベッドに接したキッチンカウンターの上で、アイスホッケーのパックのように、携帯が摩擦を失い、浮き足立っている。
ムクリと起き上がり、足元のキッチンカウンターへ手を伸ばし、法螺貝のような震動音を立てる携帯を取り上げる。
非通知。
緊張の糸を微調整しながら、彼はボタンを押した。
息を殺し、様子を見る。
チリチリというノイズ以外、彼の耳へは何も届かない。
しばらくして、切断音が鳴った。
”HLD”と印字されたボタンを押し、携帯をカウンターへ放り投げる。
ガタガタと投げやりな音を響かせ、携帯は虚しそうに動きを止める。
深く考える必要はないと判断し、彼は上半身の力を抜いた。
つまらない行為を殊更に好む人種は、どこにでもいる。
そいつらの人権や存在意義を確保するのは、政治屋と教師の仕事だ。
知ったことじゃない。
- 131 名前:ゲリマンダー 投稿日:2003年03月22日(土)01時53分44秒
- 再び、あの濁音。
目を開く。
青白いダイオードの瞬きが、意識を強張らせる。
彼は携帯を手に取った。
”起きてた?”
「ああ。」
”・・・機嫌悪そうじゃん。”
「ほっとけ。」
”はは。やっぱ寝起き?”
「・・・・・・。」
”黙んなって。”
「用件を言え。用件を。」
”決まってるでしょうが。”
「・・・それじゃ、お聞かせ願おうか。」
答えを。
”・・・・・・。”
沈黙。
”・・・その前に、ちょっと聞きたいんだけど。”
「何を。」
”依頼料のこと。”
「代理人から、伝わってるんじゃないのか?」
”もちろん、聞いてるけどさ。いい機会だから、ちゃんと決めておきたいなって。”
- 132 名前:ゲリマンダー 投稿日:2003年03月22日(土)01時54分22秒
- 「・・・どうでもいいんだ。金のことは。」
”・・・?どうして。”
「なんでもいいだろ。」
”気になるじゃん。”
「・・・全部片付いたら、お前が納得出来る額を用意すればいい。それで構わないんだ。何も言うことはないだろう。」
”・・・まあ、いいけど。”
「もっとも、やめるつもりなら、金の話も必要だがな。」
”・・・・・・やめないよ。”
「・・・続けるのか。」
”なんだよなー。その、うわー、こいつ馬鹿だよー、って言い方。”
「自覚はあるんだな。」
”うるへぇうるへぇ。うだうだ考えんのは、もうやめた。自分でもわかんないんだよ。いくら考えたって。”
「本当にいいのか。」
”・・・男じゃないけど、二言はなし。”
「そうか。」
数瞬の沈黙。
”あのさ。”
「何。」
”・・・やっぱやめとく。”
「・・・そろそろ切るぞ。」
”あ・・・うん。何かわかったら、連絡して。”
「ああ。」
”・・・それじゃ。”
- 133 名前:Darks 投稿日:2003年03月22日(土)01時59分55秒
- 雨の匂いが感じ取れなくなるほどに冷え切った夜の空気を、彼は暖房で乾いた喉を通し、肺へと吸い込んだ。
降り続けていた雨は既に止み、燐光をまとった街灯が一つ、濡れそぼった道路の曲がり角で、寂しげな姿を晒している。
キャンピングカーの中腹に切り込まれたドアを背に、体に篭った熱が闇に飲み込まれていくのを感じながら、身を預ける車が一つもない荒んだ駐車場の只中で、彼は佇んでいる。
虹彩を目一杯に広げた彼の目は、なるがままに放置された駐車場へ、申し訳程度に被さっているアスファルトの大地の様を、固定カメラの手法で見回した。
地盤の緩みがそのままアスファルトに伝わるためか、あちこちでひび割れた黒い大地がぶつかり合い、隆起して、ちっぽけな山脈を形成している。
- 134 名前:Darks 投稿日:2003年03月22日(土)02時00分27秒
- プレートテクトニクスは、学術的な評価を受けるまでに、膨大な時を費やさねばならなかった。
そんな逸話を思い出したことが、彼にはおかしかった。
塩っ辛い海水の受け皿は、その下で煮えたぎるマントルの海を浮かぶ、幾分か冷めたマグマの凝固膜で、その膜の循環によって、地球の表面は流動を続けていく。
真実を手に入れたウェゲナーが、その代償として受けた扱いは、100年間の黙殺だった。
あの女は、ウェゲナーと同じ道を選んだのかもしれない。
- 135 名前:Darks 投稿日:2003年03月22日(土)02時00分58秒
- しゃあしゃあと数知れない葉の擦れ合う音が、肉体の内側に満ちる、彼の闇へ染み込んでいく。
やがて、彼は背にしたドアを開き、薄暗い車内へ消えていった。
臨機応変に雨露を凌いでいた虫達が、ガヤガヤとしゃべり始める。
ある者は、葉表に溜まった露を飲み、過ぎ去った危機を懐かしむ。
ある者は、蒸気を吸い、凝固した鱗粉を払い落とそうと、木々の間を跳ね回る。
ある者は、土で蓋をした巣穴をこじ開け、ジメついた住処に夜風を誘い込む。
ある者は、誰かが始めた他愛もない音の羅列へ、無心に耳を傾けながら、闇が深けるのを楽しむ。
暗黙の喜びを分かち合い、彼らの時は、今日もまた積み重なった。
- 136 名前:Darks 投稿日:2003年03月22日(土)02時01分57秒
- ----Intermission----
- 137 名前:名無し読者 投稿日:2003年03月22日(土)17時20分46秒
- 間違いなく筆力は飼育トップレベルて感じっす。おもろい。
多分作者さんの受けた大学、発表日から考えて俺が去年受けて落ちた大学かも。
いや、あくまで推測なんですけど(汗)浪人がんばってくらさい。はい。
- 138 名前:名無し読者 投稿日:2003年03月22日(土)22時53分19秒
- 本当の“小説”を読んでいる気がします。
続きが気になって仕方ない。
とは言っても作者さんにも色々と都合があるでしょうから。
またーり待たせてもらいます。頑張って下さい。
- 139 名前:ゲリマンダー 投稿日:2003年05月11日(日)23時18分53秒
- 私の不手際から、顎さんの手を煩わせてしまいました。
これからは、なるべく自分で保全するように努めます。
復活させていただいた以上、書き切る覚悟でおりますので、どうかご容赦を。
以降、sage進行でいきます。更新は・・・努力します。励みます。骨身の削るるままに。
外部スレの皆様、流れを止めてしまって申し訳ありませんでした。
あー、ハズイことをしてしまった。まったく。
- 140 名前:裏返った内臓 投稿日:2003年05月15日(木)12時30分42秒
体温を失った。代わりに、冷気を手に入れた。
血液を失った。代わりに、人間を手に入れた。
鼓動を失った。代わりに、葛藤を手に入れた。
夕闇を失った。代わりに、哀景を手に入れた。
- 141 名前:Darks 投稿日:2003年05月15日(木)12時31分45秒
- ----Chapter 5----
- 142 名前:Darks 投稿日:2003年05月15日(木)12時33分35秒
三原色の看板が光る、西新宿の裏通り。
新宿中を探し回って二日を潰し、ようやく見つけ出したビル看板。
バイクのライトに照らされた文字。
見つからないわけだ、と彼は思った。
アメリカ製の菓子包装に使われるような、極彩色のうねりを一面に躍らせたその文字は、見ようによっては”BAROQUE”と読めなくもない。
ふざけてやがる。
看板をぶち破りたくなる衝動を、苦々しい表情の裏で噛みしだき、ヘルメットを脱ぐ。
”新宿にある、BAROQUEという場所に行け。
そこの管理人が、お前に会いたがっている。
というかだ、お前に会ってからでなければ、情報は渡せないと言い張っている。
物好きな女でな。本人曰く、対面主義らしい。”
- 143 名前:Darks 投稿日:2003年05月15日(木)12時34分45秒
物好きに、悪い奴はいない。
CATMANの定型句は、丸二日、裏通りの生温かい空気を吸わされた彼にとっては、ふやけきった胸へ熱湯をかけられるような、余計に気分を悪くさせるだけの代物だった。
バイクを降り、紫と黄色が入り乱れる立て看板に記された矢印の方向へ目を向けると、赤いタイルを隈なく張られたビルが立っている。
入り口上部に輝く、金メッキをまとったカタカナ。
”サクーセス ビルデイング”。
薄焼けた街の暗闇の中で、武骨な角張りを宿した文字列が白々しく放つ反射光は、疲れや苛立ちと糞味噌に混ざり合い、彼には幻めいて見えた。
- 144 名前:Darks 投稿日:2003年05月15日(木)12時35分58秒
「どうなのよ。」
どうなのよ、と言われましても。
「何かわかったの?」
飯田さんは、口を開けばこればっかり。
この一言が餌になって、皆蟻みたいに群がってくる。
「いや〜、何も。」
「え〜、なんかないのぉ?」
あいぼんも、こればっか。
「しょうがないじゃん。連絡ないんだもん。」
だから、こうして飯田さんに尋ねられて、あいぼんにブーイングかまされて、その他大勢に群がってこられても、教えられることはなんにもない。
つーか、こう毎日毎日催促されたって、どうしようもないんですが。
餌切れだってわかった途端、数人を除くその他大勢は、ぞろぞろと元の位置に帰っていく。
帰らないのは、飯田さんとあいぼん、それと利華ちゃん、保田さん、矢口さん。
ここ最近、気が付くとこのメンバーで固まって、事件とか、調査のことなんかを話してるなぁ。
なんであいぼんがいるのか・・・・・・聞いてるだけでも面白いのかな。
- 145 名前:Darks 投稿日:2003年05月15日(木)12時37分05秒
- 「しっかしさぁ。」
矢口さんが、ひよこみたいなピヨピヨ声で言う。
「意味不明だよねぇ。」
「どこらへんが?」
飯田さんに返されて、矢口さんは”ん?”って感じの表情で固まった。
「いや、全体的に。」
「アバウトですねぇ。」
「だってさぁ、わかんないんだからしょうがないじゃーん。じゃあ、いしかーさんはなにもかもご承知なんですかぁー。」
「わかんないですよぉ、私だってぇ。推理なんて無理です。無理ぃ。」
「そりゃ無理だよ。考えられる材料、ないし。」
飯田さん、真っ当ど真ん中の発言。
「でもさぁ、なんかわかんじゃない?ほら、あれ・・・・・・。」
「三人寄れば?」
保田さんが助け舟を出して、矢口さんが人差し指を立てる。
「それそれ。こうやって話してればさ、なんかわかるよ。・・うん。」
最後のうん、がちょっと弱かったな。
いつも通りグダグダに終わって、後は毒も薬もへったくれもない雑談。
この一週間、同じことの繰り返し。
- 146 名前:Darks 投稿日:2003年05月15日(木)12時38分10秒
- 特別頭がいいわけでもない・・・つーかむしろ、特別頭がヤバめかもしれない六人が寄り集まって脳味噌ひねったって、衝撃の新事実なんて見つけられるはずもない。
わかってる。
あいつからの連絡を待つしかないのは、わかってる。
でも、なんか落ち着かない。つけないって言った方がいいのかも。
こういう・・・焦りみたいな、焦りともいえない感じを胸の中に持ち続けるのが、嫌で嫌でしょうがないんだ。
素っ裸になって、全身引っ掻き回したくなる。冗談抜きで。
だからこうやって、意味がないってことは百も承知で、ダラダラ中だるみながらくっちゃべり、くっちゃべりを繰り返してしまうと。
多分、目の前の五人も、似たような気持ちなんだろうな。
・・・あいぼんとやぐっさんは、多分違うけど。
- 147 名前:Darks 投稿日:2003年05月15日(木)12時38分52秒
- ”BAROQUE”と刻印されたプレート。
スチール製のドアを開ける。
暗闇の只中へ。
正面の窓から入り込む希薄な明かりが、がらんとした室内の様子を、対照比の濃度を極限まで高めた映像として照らし出す。
視線をゆっくりと泳がせ、電源を探す。
スイッチを見つけ、彼はドアの隣に設置されたそれを押す。
部屋の四隅に位置するダウンライトが、洗い晒しの漂白色を振りまき、対照比を一瞬にして中間値へ引き戻す。
(・・・”BAROQUE”?)
ムラのない、灰色一色の閉鎖空間は、研磨された建材特有の硬度と虚無で塗り潰されている。
入り口の他に、ドアはない。
(確かに、物好きらしいな。)
壁際へ歩み寄り、彼は寄りかかるようにして腰を下ろした。
あの猫野郎が、女相手に騙されるような性根の人間ではないことぐらい、わかりきっている。
曖昧な場所指定の狙いも、判然としない。
監視されているのか。
違うだろう。少なくとも、この部屋の内部に関しては。
- 148 名前:Darks 投稿日:2003年05月15日(木)12時41分10秒
- 部屋を一瞥し、瞼を降ろす。
- 149 名前:Darks 投稿日:2003年05月15日(木)12時41分50秒
- ..........:
..........:
- 150 名前:Darks 投稿日:2003年05月15日(木)12時43分02秒
- ”スイッチのない死刑具”。
ある男の遺言を、彼は思い出していた。
”ギロチン・・・絞首台・・・電気イス・・・
欠陥品ばかりだ。重大な欠陥を抱えている。
被刑者の死を、鬱血させてしまうからな。あのガラクタどもは。”
男が、立っている。
- 151 名前:Darks 投稿日:2003年05月15日(木)12時43分43秒
- 男は・・・向かい側から彼を見下ろし、止まりかけの振り子の反復を上体に与え、壁際へ寄りかかり、離れの前後運動を繰り返している。
泣き腫らしたように毛細血管を浮き上がらせ、血液を集めて膨張した眼球が、彼のうなだれた首筋を見つめる。
上体が壁に触れるたび、わずかな震動が頭部へ伝わり、男の視線が揺らぐ。
視線の揺らぎは、彼を包む闇の色を、壁の灰色とせめぎあわせ、際立たせる。
『どうするつもりだ。』
俯いたまま、彼は呟く。
- 152 名前:Darks 投稿日:2003年05月15日(木)12時44分30秒
- 男は、口を弛緩させ、笑った。
”死刑執行の宣言・・・
そんなものは存在しない。
その中に入った人間は、もはや死んでいる。
シュレディンガーの猫だ。
蓋を開けば、屍が転がっている。”
- 153 名前:Darks 投稿日:2003年05月15日(木)12時45分07秒
- ..........:
..........:
- 154 名前:Darks 投稿日:2003年05月15日(木)12時45分47秒
- 目を開き、顔を上げる。
何物も存在しない、ただがらんどうな部屋が、灰色にくすんだ外郭を晒して、目の前を取り囲んでいる。
灰色に宿る嘲笑うような拒絶が、彼の意識の奥底へ、埃と化した綿クズを詰め込み、苛立ちを太らせていく。
コートの内ポケットから、携帯を取り出す。
”件の場所を見つけ出しさえすれば、どんな時刻だろうとすぐに駆けつけます、だとさ。
あの女が持ちこむ情報は、信用に足る。それは保証するよ。得るものはあるだろう。”
(・・・。)
彼はコールボタンを押した。
”誰。”
「あんたに情報提供を依頼した者だ。今、”BAROQUE”の中にいる。」
”・・・あ、あぁあぁ。もう見つけたの。早いねぇ。”
(・・・癇に障るしゃべり方だ。)
”んんぁぁぁぁっと、10分ぐらい待っててくださいねぇ。”
ブツッ
携帯をしまい、彼は立ち上がった。
鬼が出るか、蛇が出るか。
何が出てこようと、来る者は拒まず。
(拒める余裕が、あるわけじゃなし。)
- 155 名前:Darks 投稿日:2003年05月15日(木)12時46分57秒
- ドアが開く。
重厚な作りのドアが、ぶずっと音を立てて空気を押し潰し、かすかな風の流れを生み出す。
それが感じられるほど、この部屋の空気は殺されているのだということに、彼は気付いた。
「どうも、こんちは。」
入ってきた女は、口当たりの良い笑顔を見せ、手を差し伸べる。
彼の手は、微動だにしない。
「・・悪いが、まだ”商談”に臨むつもりはない。」
女は笑顔を崩さず、差し出した手を降ろす。
「なんか問題でもあるんすか、だんなぁ。」
湿気った笑顔の糖衣で顔をくるんでいるその光景は、彼の胸の中に、大量の黒ずんだ綿埃を発生させる。
- 156 名前:Darks 投稿日:2003年05月15日(木)12時47分30秒
- 「説明してもらおうか。」
糖衣の裏へ隠れた目を突き刺すように、彼は女の眉間へ視線を合わせる。
「言われなくたってそうしまーす。もー怖い目やめてぇ。もんたじゃあるめぇしさぁ。」
そう言って、女は笑顔を崩した。笑顔そのものが消えたわけではなく、無意識的な笑みの輪郭は、表情の端々に残っている。
「あなたが聞きたいのはどっちなんでしょう。探偵ごっこのこと?それともここのこと?」
人差し指を床へ向け、上下に動かす。
「両方。」
「そりゃそうだよねぇ。」
あははは。
女の笑い声が、建材の硬度を響きに加え、彼の耳へ突き刺さる。
「・・・んー、まずさ、悪気はないからさ、それはわかってよ。ね。そんな顔しないでさ。」
右手を腰に当て、面の皮一枚の薄笑いを浮かべる。
味のなくなったガムに似た異物感を感じつつ、彼は表情を消している。
- 157 名前:Darks 投稿日:2003年05月15日(木)12時48分09秒
- 「・・・この部屋は?」
「・・んー、そうだねぇ、言うなればぁ。」
彼の横を通り抜け、女は窓際へ歩み寄る。
「貸し倉庫兼、貸し取引所兼、貸し隠れ家ってとこかしらねぇ?
ここら辺、色んなヤバ取引があるでしょ。皆さん、いっつも場所取りに困ってるわけよ。」
「中間マネージか。」
「そんなとこ。」
彼の顔を眺めながら、女は糖衣で顔を包む。
「この部屋にはね、何もあっちゃいけないの。テーブル一つ、イス一つ。
有象無象の千里眼や地獄耳に怯えることなく、商売に没頭したい・・・・ってのは、やっぱり皆さん共通の願いなんで、あたしが第三者の立場からハッテン場を提供してるってわけですよ。
これで説明おーけー?」
鈍い灰色の床へ視線を落とし、霧吹きのように笑い、彼は壁へ寄りかかる。
「”第三者”であるあんたが、”探偵ごっこ”を俺にやらせたのは。」
糖衣を被ったまま、女は窓の外へ顔を向ける。
「ゲームはゲーム。そのまんまの意味です。」
- 158 名前:Darks 投稿日:2003年05月15日(木)12時48分48秒
- 振り向けられた女の視線が、彼の顔を舐める。
彼の目が、急速に灰汁を溜め、渦巻き始める。
女の視覚が渦の干渉を受け、歪む。
女の眼球が、灰色の渦の引力に抗おうと視線を泳がせる。
女の顔を覆う糖衣が、灰色の視線に穿たれ、ひび割れ、剥がされていく。
「面白い人。」
口元にわずかな笑みを保ちながら、女は言葉を漏らした。
「前振りはいい。先へ進ませてくれ。」
返事の代わりに、女は両の眉を跳ねる。
「・・あたしは、信用って言葉が大っ嫌いなの。人間が生み出した、最低最悪の妄想ね。あんなの。
世の中は信用で成り立ってるんだよーなんて腐った人肉歯の間にぶら下げてほざくのが、人間ってもんでしょ。」
「・・・・・・。」
「だからして、あたしとしてはなるべく、ハッテン場の情報を流したくない。お客には、自力でここを探し出してもらう。最低条件ね。
こんなもんで、どうでしょか。」
「・・・わかった。」
渦巻く濁流が収束し、灰汁が排出される。
「そろそろ、商談に入ろう。」
- 159 名前:Darks 投稿日:2003年05月15日(木)12時49分37秒
- ”よっしー。”
夜遅く、飯田さんからの電話。
「飯田さぁん。どうしたんですかぁ。」
そろそろ寝ようと思ってたんすけど。
”なんとなく、よっしーと話したくなったの。”
飯田さんが、あたしと?
「どうしたんですかぁ?」
思わず繰り返したくなるぐらい、驚くというか、どぎまぎしてる。
飯田さんが”なんとなく”電話してくるなんて、これまで無かったから。
”・・・。”
黙っちゃった。
うーとかえーとか言ってる飯田さんの表情が、手に取るように見える。
”・・・ごめん。なんとなくなんて、嘘。”
飯田さん?
”どうしても、離れなくて。離れないんだ。全然。”
あの時。あの時。
飯田さんは、失語症みたいに繰り返す。
”なんでかなぁ。なんだろう。なんだろうね。もう、わかんない。”
からかってあげようかと思ったけど、そんな気にもなれない。
”なんか、なんか・・・・・・わけわかんなくなるの。あの時のこと、思い出すと。
ごめん。ごめんね。こんな時間に。遠くでもいいから、誰かがいるんだってわからないと、おかしくなりそうで。”
飯田さんが、攣っちゃいそうなくらい早口になってまで、何を言おうとしてるのか・・・すぐにわかった。
- 160 名前:Darks 投稿日:2003年05月15日(木)12時50分19秒
- 耳について離れない、あの叫び声。
ホラー映画に出てくる、外見だけじゃ正体不明のバケモノが、これまた正体不明の液体を口からゴバゴバ吐き出しながら立てるような声。
こんな言葉じゃ足んないくらい、恐い音。
事件の真相なんて、本当はどうでもいい。あたしの中に、そんな思いがあるのも・・・・・確か。
本当は・・・・・・あの時から付き纏ってくる声を・・・・・・得体の知れない恐怖を・・・・・・なんとかしたいだけなのかもしれない。
飯田さんは・・・入院中も、裁判中も、ずっとあたしを見守ってくれてた。ずっと。ずっと。
お香みたいな、包んでくれる優しさ。
言葉に出さなくても・・・出さないから、飯田さんの気遣いは、痛いくらい身にしみた。
でも、その優しさは、裏返しだったんだ。
あの叫び声を聞いて以来・・・・・・飯田さんは、マジもんの”悪夢”を見るようになって、満足に眠れたことは殆どなかったらしい。
- 161 名前:Darks 投稿日:2003年05月15日(木)12時50分56秒
- あたしも、入院中に見たことがあった。
フラッシュバックって言った方が、合ってると思う。
あの時に見た映像と音が、プレイバックされる。
叫び声。小滝さん。赤色。フラッシュ。顔。目。
それの繰り返し。何度も何度も、ひたすら。
入院してしばらくの間、それが続いて、全然眠れなかった。そのせいで食欲も湧かなくて、体力が底まで空っぽになって、ベッドから降りる気力も失せた。
鏡に映った、ボロキレみたいな顔の自分を見て、ぞっとしたりもした。
これ以上無いってくらい最低な状態に陥ってるあたしを・・・飯田さんは、日の光の当たるところへ、そっと引っ張り上げてくれた。
- 162 名前:Darks 投稿日:2003年05月15日(木)12時51分36秒
- あの時、ちょうど昼を過ぎた頃・・・ベッドの傍であたしを見下ろしながら、静かに笑ってる飯田さんが・・・・・・手の届きそうで届かない、日の光の差し込む場所・・・・・・そんなところにいるような気がして・・・・あたしは、何時の間にか眠り込んでた。
それ以来、もうフラッシュバックは見なくなった。
起きた時には、もう飯田さんは帰った後だったけど・・・・・・飯田さんの笑顔が、部屋中に溶けこんであたしを包んでるんだって、なんとなく思ったのを覚えてる。
「なんか、飯田さんらしくないですよぉ。」
こんなことしか言えないのか。
こんな時、安部さんならどんなことを言ってあげるんだろう。
保田さんなら。やぐっさんなら。
- 163 名前:Darks 投稿日:2003年05月15日(木)12時52分37秒
- ”・・・よっしーは、大丈夫?”
何を言ってんだか。
「熟睡しまくりですよぉ。あんまり活発なもんで、お腹も減りまくり。タマちゃん、バリっと完食できるくらい。」
”バリっと。”
「オオグンタマのエヒフとか。」
”ぶっ”
あ。入った。
狙ってないのに。
ホント、弱いなぁ。ツボが。
飯田さんの息がぶほぶほ音を立てて、携帯にかかるのが聞こえてくる。
”やふぃっ、ふーふぃっ”
何語しゃべってんの。
あー、なんかムラムラっときた。
「山梨、北海道」
”やっやみっふっ”
「ヤマイドウ。」
ボンッて音。
携帯、落としたらしい。
おーい。
・・・・・・
ま。
人間、笑うのが一番。
大いに笑うがいいさ。
笑え笑え。
- 164 名前:Darks 投稿日:2003年05月15日(木)12時53分34秒
- 押し潰された空気圧に乗り、眠りについた街を打ちつけ、コンクリート建造物の隙間を吹き抜け、風の猛り声が響く。
剛性のないプラスチックの看板が、四辻の狭間でとぐろを巻く辻風の放つ、冷気とぶっ切り刀の砕ける波動をその身に叩きつけられ、ビルに打ち付けられたアルミの支柱に支えられながらも、ブルブルと身震いを抑えられずにいる。
ゴミ箱が倒れる。生ゴミと共に、透明な液体がばら撒かれる。散り散りになった液体は、丸く傾斜した地面をじくじくとにじり、電柱の下に穿たれた排水溝へと集まって、夜闇よりも暗い闇の中へと消えていく。
水平に浮かび、ざあざあと地面を擦り、また浮かびながら、水色の蓋が飛ぶ。しばらく裏返しのまま休んでいたかと思えば、さらわれて、滑空する。
- 165 名前:Darks 投稿日:2003年05月15日(木)12時54分57秒
- 彼は少しの間、倒れたゴミ箱を見つめていたが、俯いて目を逸らした。
帰ろうかと思うたび、彼は、そんな気力さえとうに失せていることを思い知らされるばかりだった。
女からの情報は、取るに足らない代物ばかりで、マシなものも2、3はあったが、調査の材料となるかどうかを確かめなければならない”怪情報”に過ぎず・・・・・・彼の気分は、芯まで腐っていた。
腐った芯は、夜風に曝したほうがより早く、硬く再生する。
バイクのシートに腰を乗せて、彼は風の動きを頬で感じ取る。
- 166 名前:Darks 投稿日:2003年05月15日(木)12時55分35秒
何処へ行く。
そんなに急いで。弱い者を蹴散らして。剛毅を振りかざして。
街は、いずれ壊れる。お前はただ、遠くでせせら笑っていればいい。
好きなのか。
ここが。
遊びたいのか。
この場所で。
物好きなもんだ。
- 167 名前:Darks 投稿日:2003年05月15日(木)12時56分36秒
- 一際、強い風が吹く。
ごぉうごぉう ひゅぃぃぃぃ びゅうううぅぅぅ
ガタガタと看板の震える音が、振幅を大きく広げていく。
円形のゴミ箱が転がり出し、流されそうになりながら、電柱に引っかかって動きを止める。
反射的に、彼は目を細める。
「足りない。」
低く、自分にも聞こえないほどの、小さな呟き。
看板は震え続ける。その疾走を断つものはなく、風は走る。
鴉が一匹、電柱の傍に降り立つ。
ちっちっと跳ねて進み、ぶちまけられた生ゴミをつつく。
しばらくそれを続けていたが、飽きてしまったらしく、ゆったりと羽を開く。
吹き荒ぶ風の勢いを借りて、数回羽ばたき、翼を固めて、直線を切るように飛び去っていく。
黒い影は、明るみを見せ始めた空に、くっきりと残像を刻みつけていった。
- 168 名前:Darks 投稿日:2003年05月15日(木)12時57分32秒
昼休み。
あたしは、気持ち良く寝ていた。つい、さっきまで。
お腹をつままれて、んがっとかうめいて目を開けると、寝イスの正面に、膝小僧を抱えてるあいぼんが。
「なにすんだよぅ。」
あんまり怒る気になれなくて、変なトーンの猫なで声になった。
「携帯、鳴ってるぞぅ。」
マジで。気付きませんでした。
「ありがとぉう。」
誰からよ。
お。
こいつか。
- 169 名前:Darks 投稿日:2003年05月15日(木)13時00分00秒
- 「なんかわかった?」
”いや。”
「じゃあ、なに。なんなの。」
”小滝が、倒れた。”
「えっ」
”俺が着いた時には、手術が始まっていた。今もランプが灯ったままだ。”
「病院にいるの?」
”かれこれ2時間は。”
何が。何が。
喋れない。うまく。
不安そうな顔をしたあいぼんが、あたしを見てる。
”どうも、来る気配がない。”
「誰が。」
”家族が。”
家族。いたんだ。
”そのおかげで、俺も呼び出されたんだろう。こっちにとっちゃ、不幸中の幸いみたいなもんだが。”
- 170 名前:Darks 投稿日:2003年05月15日(木)13時01分19秒
- 「誰もいないの。」
”勤め先の知り合いらしいのが、何人か来た。色々と話しを聞けたよ。わかったことも、いくつかある。後で話すから、時間を作れないか?出来れば今日中に。”
・・・・・・今日中。
「・・・すぐにかけ直すから、ちょっと待ってて。」
”ああ。”
今日のレッスン、五時までだよな。
ちょっときついか。
「よっすぃー。どうしたのぉ。」
ごめんよ、あいぼんさん。後で話すよ。
「ちょっと、ね。」
・・・あーあ。
ご飯食べに行こうって、約束したんだけどなぁ。
- 171 名前:Darks 投稿日:2003年05月15日(木)13時02分33秒
- ----Intermission----
- 172 名前: 投稿日:2003年06月14日(土)03時12分17秒
- 172
- 173 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月14日(月)16時36分43秒
- 保全
- 174 名前:コーヒーを飲み過ぎた男 投稿日:2003年08月05日(火)21時23分06秒
- シニテイの戯言にゃ、うんざりしてるから。
だから奴らは、朝昼晩と鎌を一振り。おわり。
片っ端から首の皮不満足。口を開ける前に。
おれぁやだやだ。溶接機械になんのは。金輪際だ。
つなげるよりぁ、捨てる方がいいんで。
つって拾う神はいねぇんだ。そこがまたいいんだよな。
そのな、んーまあ、とっとと帰れってことよ。
- 175 名前:Darks 投稿日:2003年08月05日(火)21時24分01秒
- ----Chapter 6----
- 176 名前:Darks 投稿日:2003年08月05日(火)21時24分54秒
- 全面ガラスの向こうに、運河が見える。普段は緑色に染まっている水面が、今は夜闇の黒を飲み込んで、スタジオ全体からこぼれ出し、力尽きた光を受け止め、ちらちらと揺れている。
ガラスの内側には、灰色がかったパステルカラーのマットを敷いたフロアがあり、小さい弧円形のソファを八個、M字に並べたものがいくつか置かれている。その内の一組みに、二人の人間が座っている。
「いつ頃だって。」
「6時頃には着くって。」
携帯を開き、時間を確かめる。
「・・・一時間はあるねぇ。」
弱くかすれた呟きを漏らして、携帯を手にぶら下げたまま、飯田はガラスの傍へ歩み寄る。
「ほんとすいません。」
「もういいってぇ。よっしー謝り過ぎ。」
仕方なさそうに笑い、体ごとガラスからソファの側へ振り向く。
「目一杯おごらせてやるーとか企んでたのに。」
「いつでもいいっしょ。また今度ね。」
そう言って、全面ガラスの方へ向き直った飯田の背を、吉澤は見つめる。他に目をやるような物もなく、ただそればかりを眺め、そして考えている。
- 177 名前:Darks 投稿日:2003年08月05日(火)21時27分19秒
- いつか死ぬなんて言われたって、実感が持てなかった。結局、そんなもんなのかな。
そんなもんかもしれないけど、それが嫌なら、わかってるならなぁ。
決めつけちゃうわけにも、いかないけど。
・・・腹減ったのぉ。
がー。飯田さんおいしそー。
なんつって。
やっぱ明日にしとくべきだったか。
・・・ブロントザウルスかって。3秒で忘れる梅干サイズってか。はは。
- 178 名前:Darks 投稿日:2003年08月05日(火)21時27分53秒
- 「何笑ってんの?」
「あ、なんでもないっす。なんでも。」
「・・・なんか変だった?ねぇ。」
頭をキョロキョロと振り向け、振り向け、不安そうに自分の体を見回す。
飯田の仕草を眺める吉澤には、気の抜けた苦笑いを顔に張りつけることしかできなかった。
- 179 名前:Darks 投稿日:2003年08月05日(火)21時28分44秒
- 前を走る軽自動車の、赤いテールランプが目に刺さる。
進んでは止まり、進んでは止まり、その度に刺激性のビームを食らいながら、彼は途切れ途切れに思考をつなげる。
万物はそれにあり。汝にあり。眼裏にあり。
並べ立てた言葉の群れを、彼は笑い飛ばし、吹き消した。
テールランプが消え、車が動き出す。
ガスが目の前を覆う。エンジン音が高まっていく。
彼のバイクが、溜め込んでいた力を吐き出していく。
伸びるアスファルトの空白を踏み越えながら、バイクは国道を進んでいった。
- 180 名前:Darks 投稿日:2003年08月05日(火)21時29分15秒
- 「来たよ。」
エレベーターにつながる通路の向こうへ会釈をして、飯田は吉澤の肩を叩いた。
腕組みをしたまま横に寝転んだ姿勢から上半身を振起こし、吉澤は立ち上がる。
マットを踏みしめる靴音が、二人の耳を取り巻くように響き、近づく。
「飯田さん。」
彼はただ、呼びかけるように言った。
「私も聞きたくなって。まずいかな?」
「・・・構いませんよ。全然。」
軽く笑って、彼はコートを脱ぎ、M字ソファの左側の谷間へ、二つ折りになったそれを投げ掛けた。
「小滝さんは?」
「体の機能は持ち直した。意識が戻るのを待つだけだ。」
「よかった。」
頬に笑みを引いて、吉澤は言葉を漏らした。
ぽつりと一つ、ガラス窓に水滴が垂れる。一つ、また一つと、新たな筋が加わっていく。
「・・・雨か。」
がしがしと頭を掻いて、彼はソファへもたれかかる。
- 181 名前:Darks 投稿日:2003年08月05日(火)21時30分43秒
- 「やっぱり、アレ?」
撫で下ろすようにして頭のてっ辺から後頭部に手を回し、吉澤が尋ねる。
「そうだろうな。詳しい原因はわからないが。」
彼の目は、窓の外で滲んでいく暗闇を見つめている。
暗闇の中、運河の水も、橋の上の車の群れも、息を殺して流れていく。
ガラスを叩く雨音が、厚いガラスをすり抜けるうちに押し潰され、フロアへ渡って弱く打ち響く。
「大丈夫なの?」
「どういう意味で言ってるんだ。」
「・・・その・・・意識が戻らないとか、そういうこともあるのかなぁって。」
「明日には戻る可能性は高いが、保証は出来ない、らしい。」
言葉が途絶え、雨音ばかりが三人の耳を打つ。
- 182 名前:Darks 投稿日:2003年08月05日(火)21時31分55秒
- 「家族は?」
「最後まで来なかった。」
「来なかったの?」
彼の左側から覗きこむように顔を向け、飯田が言う。
「別居してるそうですよ。」
「別居。」
「彼の同僚から聞いた話なんですが。」
「事件がきっかけなのかな。」
「いずれ、本人から直接聞きますよ。口が利けるようになれば、ですけど。」
”口が利けるようになれば”という言葉が、吉澤の頭の中で数回、反芻される。
フロアと外界を隔てる全面ガラスは、すっかり雨水に覆われ、その水脈の膜に透かされた光の全ては滲み、流れている。
- 183 名前:Darks 投稿日:2003年08月05日(火)21時32分35秒
- 「小滝は商社に勤めていたが、今は事件を理由に辞めている。
会社を辞めた後、小滝は一人で動いていたらしい。自分をあの事件に巻き込んだ”もの”が何なのか、突き止めようと思ったんだろう。」
「・・・・・・。」
「今年に入ってから、今回を含めて二度、小滝は病院に担ぎ込まれたことがあるらしい。」
「二度?」
「入院したのは確かだと小滝の同僚は言っていたが、それ以上のことはわからない。」
吉澤はテーブルを見つめるようにして顔を伏せていたが、やがて顔を上げ、彼の横顔を見据えた。
「ねぇ、それって・・」
「検査で見つかったのは、一ヶ所だけだ。」
遮るように、彼は言葉を繋げる。
- 184 名前:Darks 投稿日:2003年08月05日(火)21時33分11秒
- 「おかしいとは思ったんだ。」
丸く背を屈め、彼は呟く。
「あの傷を、警察が見逃すはずはない。そんなことはわかり切っていたんだが。」
彼の目が、濁り始める。
彼の内側で起こり始めている変化に気付いて、飯田は、何かの気体が喉の奥で膨らんでいくような感覚に捕われた。
「ドックって、あの報告書を出したとこでしょ。」
「そう。あの検査では、打撲傷を受けた時期は特定できなかった。報告書に記載がないからな。その代わり、小滝への事情聴取が記録してある。それによれば、誰かに殴られた覚えはないと、はっきり証言している。」
沈黙。
低い雨音。
「小滝さんに、嘘をつく理由があった?」
飯田が投げかける。
「わかりません。あるんでしょうが、本人に問いただすしかないでしょうねぇ。」
飯田は、彼の目を見つめている。
その瞳から何かを伺おうとしても、濁りばかりが目の奥に残った。
- 185 名前:Darks 投稿日:2003年08月05日(火)21時39分06秒
- 「でも」
吉澤が言葉を切る。
「嘘までついて、隠さなきゃなんない何かって?」
膝の上に立てた腕へ顎を乗せ、虫を食ったような顔をして、彼は横目で吉澤を見る。
「心の底では、俺達を・・・特に俺を、信用しちゃいなかったのかもしれない。あの時点じゃそれも仕方のないことかもしれないが、それなら、最初から断れば済むことだ。
自分の片足が棺桶の中にあることを知っちまった人間が、今更何を墓場に持っていこうと思うのか・・・。」
言い終えてから、少し間を置いて、彼は無言の笑いを浮かべた。
彼の頭が、小刻みに震える。
声は出さず、ただ咳き込むように息を吐く。
笑みで細まった目が、さらに濁りを深めていく。
その濁りと音のない笑いが、飯田の喉の圧迫感をさらに高めていく。
耳を潰された小動物のように、飯田の思考が堂々巡りを続ける。
飯田はただ、途切れのない息苦しさを感じていた。
- 186 名前:Darks 投稿日:2003年08月05日(火)21時39分46秒
- 「まったく」
笑いに喉を詰まらせ、声を溜め込む。
「馬鹿げてやがる。」
- 187 名前:Darks 投稿日:2003年08月05日(火)21時47分22秒
- ねずみ色のシートが、じっとりと汗をかいている。古びたゴムの臭いが、湿気とアスファルトのべとつく臭いに混じり、吉澤の鼻をついた。
吉澤が乗りこみ、飯田がその後に続く。
飯田が行き先を告げると、運転手は小さく何かを言い、ハンドルを車道側に切った。
車道には、動きを止めた車が二つの列を作っている。その歩道側の列の脇で、ウインカーを点滅させながら、タクシーは割り込む隙を窺っている。
雨は激しさを増していた。車体を打つ雨音は、泥の塊をぶつけるような重い音に変わっていた。
- 188 名前:Darks 投稿日:2003年08月05日(火)21時53分12秒
- 「タフだねぇ。」
吉澤は振り向いたが、すぐに返答はせず、再び渋滞の列を眺めた。
「そうですねぇ。」
何がそうなのかもわからず、吉澤は独り言でも呟くように、小さい声で空返事をした。
「この雨の中、バイクじゃ辛いっしょ。」
飯田の声には、何の感慨もこもってはいない。
それぞれが別々のことを考えていることを知りながら、二人は虚ろな言葉の投げ合いを続けた。
発した言葉は雨音に潰され、耳に入ってはすぐにかき消えていく。
震動を伴って、タクシーが動き出した。
車一つ分の隙間へ滑り込む。
- 189 名前:Darks 投稿日:2003年08月05日(火)21時54分01秒
- 飯田は、無意識の内に口を動かしていた。まとわりつくような、喉を絞めつける感覚から逃れるために。
「変だったね」
飯田の顔に、窓を這う、無数の水滴の影が映り込む。
「彼。」
吉澤は無言の笑いを思い出した。
「何がおかしかったんだろ。」
吉澤の問いには答えず、飯田は頭を窓へ寄りかける。
- 190 名前:Darks 投稿日:2003年08月05日(火)21時55分07秒
- タクシーはのろのろと街の中を走っている。風景はとろとろと流れながら、滲んでいる。
吉澤は目を閉じかけていた。疲労と空腹が、襲ってきた眠気に拍車をかけ、何を見ているのかも忘れかけるほど、ますます風景は滲んでいく。
その風景は、丸い縁取りを絞るように、黒く塗り潰されていった。
- 191 名前:Darks 投稿日:2003年08月05日(火)21時56分17秒
- 「ねぇ。人って、笑うでしょ。ねぇ?」
吉澤は、闇の中から引きずり出された。
飯田は、吉澤が目を閉じる前と同じ体勢のまま、窓の外を見ている。
「そうですねぇ。」
スポンジを噛むような声。
「楽しいとか、嬉しいとか、そういうので人は笑うんだって、ずっと思ってたんだけどね。
本当は、逆なんじゃないかってさ。」
「逆?」
「どうしようもないぐらい、どん底の、どろどろしたやつが、喉まで出かかって、そこまで来て、人って、心の底から笑い出すのかもって。」
- 192 名前:Darks 投稿日:2003年08月05日(火)21時57分14秒
- 「へぇ。」
何の話をしてるわけ。わかんねーよ。
ねみー。ねみーんだよ。
「笑わなくちゃ、いられないんだよ。」
吉澤には、飯田の声が少し上ずっているように聞こえた。
飯田は、笑っている。
口元に落ちた陰影が、濃くなり薄くなり、車内の暗がりに紛れて不安定に変化し、笑みの輪郭を歪める。
吉澤は、もう一度、無言の笑いを思い出した。
- 193 名前:Darks 投稿日:2003年08月05日(火)22時05分49秒
- タクシーが動きを止める。
ワイパーがせかせかとフロントガラスを舐めているその先で、テールランプの均等な列が直線を描き、その上空に、一本の支柱に支えられた赤信号が、遠くを見るほど小さくぼやけながら、間隔を空けて連なっている。
- 194 名前:Darks 投稿日:2003年08月05日(火)22時06分27秒
- 見慣れたものであったその光景が、唐突に、吉澤の心をかき乱し始めた。
赤い警告色が地に満ち、見える限りの空にぶらぶらと浮かぶ。
吉澤は、眠ってしまおうと思い、目をつむった。
だが、意識を閉ざそうとしても、赤黒いスクリーンの中で無言の笑いが這い出し、駆けずり回った。
テールランプの直線をなぞり、タクシーが走り出す。
飯田はもう、笑いを消している。眼球をせわしく動かし、流れる夜景の中にさらわれている物と人を、焦点の定まらない目で、一心に掬っていた。
- 195 名前:Darks 投稿日:2003年08月05日(火)22時55分15秒
- ----intermission----
- 196 名前:ゲリマンダー 投稿日:2003年08月05日(火)23時05分10秒
- 生きております。
次回未定。
善処致します。
- 197 名前: 投稿日:2003/09/16(火) 21:01
-
- 198 名前:名無し読者 投稿日:2003/10/15(水) 18:43
- 保全
- 199 名前:名無し読者 投稿日:2003/11/19(水) 13:02
- 保全
- 200 名前:---- 投稿日:2003/11/25(火) 11:24
- 睨
盲
睥
- 201 名前:Darks 投稿日:2003/11/25(火) 11:25
- ----Chapter 7----
- 202 名前:Darks 投稿日:2003/11/25(火) 11:27
- リアベッドに腰掛け、彼は暗がりを見ていた。
その位置からは、リアベッドからダイネットの脇を沿って運転席へ至る通路を通して、
車内全体を視界に入れることができ、運転席のフロントガラスから、ざわつく林の様子を確かめることもできた。
彼は目を閉ざすことなく、暗がりの中に身を置いて、意識をつなぎ止めている。
彼の眼差しの先にあるのは、不透明な無意識の底だった。
- 203 名前:Darks 投稿日:2003/11/25(火) 11:28
- ・・・
小滝は、今年に入ってから一度、入院した。
病院に居合わせた連中によれば、1月頃のことで、頭に包帯を巻くほどの怪我だったようだ。
本人は理由を話さなかったらしいが、その怪我が打撲によるものであることは、ほぼ疑いない。
あの事件が”小滝の故意”によるものか、それとも”他者の介在”によるものか。
打撲傷が事件によるものではないことがはっきりした以上、”他者の介在”を示す手がかりは消えた。
だからといって、”小滝の故意”が働き得なかったという可能性まで、否定することはできない。
- 204 名前:Darks 投稿日:2003/11/25(火) 11:29
- あの男は、穴にはまった。
気が付いた時には、はまっていた。
上を見上げても、暗闇を見回しても、出口もなければ空も見えない。そもそも、穴に足をかけた覚えさえなくなっている。
落とし穴にはめられたのか。そうではないとしたら?
あの事件の最中、小滝がどんな状態にいたかをもっと詳しく知る必要がある。
意識が働いていなかったことは確かだろうが、絶対の確証はない。
それに、小滝の肉体には限界が近づいている。再検査したところで、有効な結果が出るとは限らないだろう。
事件の痕跡を探そうにも、体が先に壊れてしまうかもしれない。
- 205 名前:Darks 投稿日:2003/11/25(火) 11:30
- 角度を変える必要がある。
因果をつなぐということは、偶然性を排除することだ。
一つ間違え、二つ間違えて奈落の底、そんな想像を脳味噌から追い払って、強制的に決めつけてやることだ。
あの男は、誰かに殴られた。
何のため。あの事件が発端で。
発端?
因りの一端と、果ての一端がある。
果ての一端は、小滝の中にある。そう考える他ないだろう。
- 206 名前:Darks 投稿日:2003/11/25(火) 11:31
- キャットマンは、今回の事件と関係のありそうな事柄を”おざなりに”漁った末、”洗剤”と呼ばれるものに行き着いたらしい。
”洗剤”に関する詳細は、何もわかっていない。
本当にドラッグなのかどうかさえわからない。そもそも、存在さえ確かめられてはいない。
キャットマンも、それほど確信を持ってドラッグ云々と言い出したわけではないだろう。
ただ、あの胡散臭い倉庫番の与太話からいけば、ある漠然とした流れがあり、ごく限られた人間が”それ”を手に入れているようだ。
特殊なまとまり、ごく小さな共同体のようなものの中でのみ取引しているとも考えられる。
小滝はその共同体の構成員か、さもなければ、偶然に関わりを持ってしまっただけなのかもしれない。
あの女は、全てをこちらに与えたわけではないような気がする。そういう匂いを漂わせていた節はあった。
こちらがどこまで辿り着くか、計算していたのだろうか。だとすれば、虫食い花の誘いかもしれない。
- 207 名前:Darks 投稿日:2003/11/25(火) 11:32
- 枕元のノートPCへ目を流す。
(あの倉庫番と会うには、まだ早いか)
黒いスクリーンに囲まれて、ちらちらとこぼれ落ちるように映像が流れている。
ピンク基調のスタジオセットの中、どこからか遠い笑い声がしきりに鳴り、くびれた透明なテーブルをはさんで、二人の人物が笑っている。
小さめのテーブルの片側に、頭から眉毛まで化学的な金色に染めた男が座っている。
もう片側に座った女が、いかにも苦しそうな笑い顔をちらつかせながら、上体を繰り返し折っている。
(誰だったかな)
その女の、自分の体を抱きしめている仕草や、首をさわる程度の髪が、どこか人形のような印象を彼に与えた。
- 208 名前:Darks 投稿日:2003/11/25(火) 11:32
- パソコンの音を消し、暗闇の底へ目を戻す。
暗闇の底で、竹林が息を殺して揺れている。
竹の葉の一枚一枚が、雨曝しの体を風に揺すらせ、細い線のような残像を描き出す。
無数の残像が連なり合い、竹林の輪郭が身震いをしながら広がっていく。
疲れ切った風が動きを止め、徐々に竹林の輪郭がしぼんでいく。
葉に注がれていた力は、闇に放たれ、空を泳いでいく。
- 209 名前:Darks 投稿日:2003/11/25(火) 11:33
- 彼は目を凝らし、闇に紛れた輪郭の震えを捉え、放たれた力の流れが残す、青紫の残像を描き出そうとしていた。
だが、漠然とした感覚と残像は、つかんでは燃え滓のように崩れ、消え去っていった。
それらが崩れるたび、知覚神経が本来の色を失い、何かの色に染まっていくのを、彼は感じていた。
それが何の色なのかを、彼は知っていた。
彼は目を閉じた。
- 210 名前:Darks 投稿日:2003/11/25(火) 11:33
- 知覚神経から色が抜けていけばいくほど、彼の意識は肉体を失っていった。
体中に埋まった神経が働きを止め、神経に縛られていた感覚は、肉体との親和性を失い始める。
形を失って小波となった感覚は、群れを成して重なり合い、彼の意識へと雪崩れ込む。
ちりちりという雑音、無数の穴から染み出す光、肌をなぞる風が、彼を押し潰した。
- 211 名前:Darks 投稿日:2003/11/25(火) 11:34
- 彼の右手に、感覚がこもる。
感覚は、それぞれの指の付け根からうねるようにして何本も這い出し、もつれ合って、蔓状を成していく。
やがて、感覚は五本の蔓となり、宙を探るように漂い出す。
冴えて熱を失った空気をゆっくりとかき回し、それぞれの蔓が絡まり合っては解けながら、揺らぎ続ける。
凪いだ風の中で、竹林は力を抜き、立ち尽くしていた。
(落ち着くまで、小滝は放っておこう)
思考を繋げながら、彼は感覚を内側へ引きこんでいく。
やがて、揺らいでいた感覚は、引力の導く方向へ真っ直ぐに落ち込んでいき、体中へ溶けて散り散りになっていった。
- 212 名前:Darks 投稿日:2003/11/25(火) 11:35
-
・・・・・・・・
- 213 名前:Darks 投稿日:2003/11/25(火) 11:36
- 引き千切れた青黒い雲が、煤けた乳白色の横断歩道を跨いでいく。
信号の手前でバイクを止め、右を向くと、背の高い木のようなオブジェが生えている。
すべっこい幹から伸びたいくつもの枝の先端が、神経質なまでに赤や緑で塗りたくられた笑顔を象っている。
落ち窪んだ顔の群れは、あらゆる三次元方向へ一心に笑いかけながら、彼を見下ろしている。
(岡本太郎か)
作品名はわからなかったが、彼は適当に当たりをつけた。
(ここら辺は、悪趣味なものが多過ぎるなぁ)
湿気て緑色にぐずついた”青山学院大学”の銅板と、
国連の旗をだらりと掲げた、真新しい左右対称の建造物を見比べながら、彼はそう思った。
信号が青く灯り、居並ぶ車が一斉に走り出す。
彼もまた、走り出す。
- 214 名前:Darks 投稿日:2003/11/25(火) 11:37
- ”ネズミを一匹、捕まえたぞ”
CATMANが彼の元へ連絡をよこしたのは、二日前のことだった。
「”洗剤”絡みか」
”そうじゃない。例の事件の目撃者だ。警察の取り調べは受けていない”
「信用できるのか?」
彼の反応を予測していたらしく、CATMANはすかさず鼻先で笑う。
”会って確かめろよ。ついでに現場検証でもしてみたらどうだ。まだ行ってないんだろ。
探偵ごっこってのは、暇潰しのためにあるんだぜ。言い出したのは、お前さんの方だろうが。
どうせ車ん中で腐ってばっかだろう?”
「・・・。」
- 215 名前:Darks 投稿日:2003/11/25(火) 11:37
- (例の事件から、半年以上立っている)
尖った風が肩の上を走り抜け、コートを後方へ吸いつける。
(”ありのままの記憶”。そんなものがあるのかどうか。
欠けた記憶を補おうとすれば、どうしても使い捨ての現実を埋め込まなきゃならなくなる。
そのこと自体に善悪はない。人間にとって必要な機能が働いている。それだけのことだろう。
こちらとしては、それじゃ困るんだが)
ヘルメットの下で欠伸を噛み殺すと、かすかな涙が、湧いた途端に視界へ張りついた。
- 216 名前:Darks 投稿日:2003/11/25(火) 11:38
- (あの野郎は、名前も教えようとしなかった)
電話越しの会話から感じた疑問を、彼はその場で問いただそうとはしなかった。
これまでにも、彼がCATMANの小細工に引っ掛かることは幾度かあった。
そのチンケな臭いに気付く時もあり、まんまと無臭の毒饅頭をぶち込まれる時もあった。
その毒に当たると、脈絡のない映像が弾け、効果音らしき笑い声が耳を伝い、
みずぼらしさの混じった怠さが何処からともなく湧いてきて、彼の頭を濁らせてしまう。
しかし、濁りはすぐに引いて、跡形もなくなってしまうのが大抵でもあった。
(相手の名前くらいは知っておかないとまずい)
何処かから漏れ出してきたような台詞を、彼は”まずい”の前で噛み切った。
まずい?
- 217 名前:Darks 投稿日:2003/11/25(火) 11:39
- CATMANが何のつもりで豆鉄砲を仕掛けるのか、彼は知ろうとしなかったし、想像してみる気も起きなかった。
ただ、CATMANが仕込む毒に対して、彼はある種の裏っ返しの信用を置いていた。
(ふざけた野郎だが、自分から仕事の成果を台無しにするようなことはしてこなかった。少なくとも、これまでは)
彼は、微塵も”まずい”とは感じていなかった。
たった今、二日前から頭のどこかに潜んでいた思い込みに気が付いたのだった。
ぼやけ始めていた視界が、反射的に焦点を詰める。
先行車の背中が、ゆっくりと近づいてきている。信号は赤だ。スピードを緩めなきゃならない。
先行車が動きを止めると、彼は再び考え始める。
- 218 名前:Darks 投稿日:2003/11/25(火) 11:40
- 奴の話振りからして、”捕まえた”わけではなく、目撃者の方から”捕まりに来た”というのが事の始まりらしい。
待ち合わせ場所は、明治神宮本殿。朝の7時。目撃者本人が指定したんだというが。
初対面の人間と待ち合わせるのに、わざわざ森の真ん中にある場所を選ぶような人間らしい。
名前に関しては・・・・・・相手が匿名を望んだ?それならそうだと、奴は言ってくるはずだが。
まあ、何しろ”確かめてみろよ”と来たんだ。反吐が出そうな台詞を吐きやがる。
- 219 名前:Darks 投稿日:2003/11/25(火) 11:41
- 喧騒が、彼を取り巻き始める。
のろのろと坂を進む。この坂を下れば、渋谷駅へ出る。
不揃いな交差点から並木道に沿って上れば、明治神宮へ至る。
交差点の前で、バイクを止める。横断歩道を行き交う無数の視線が、彼の両頬を掠める。
目の前を通り過ぎる一人一人の表情が、記憶の表面へ次々と上乗せされるその瞬間に、つながりを持たない映像を呼び起こす。
それらは風景画に似た質感を持っていて、
沈んでいた感情が泥のように形を失って映像の中にこびり付いているせいで、所々の遠近感が狂ってしまっている。
- 220 名前:Darks 投稿日:2003/11/25(火) 11:42
- 漠然とした思いが、彼の中で生まれては消えていく。
あらゆる事物が、表情を露わにし始めていた。
信号機が彼を見下ろし、渋谷駅が交差点を見下ろしている。
抗いようのない視線が、彼の肌を冷やしていく。
(どうでもいいじゃないか)
際限のない欠伸の何十回目かを噛み殺しているうちに、彼の眠気は倦怠感に変わっていた。
(何しろ”暇潰し”なんだ。こんな朝っぱらから。一体、どこの死に損いのせいで?)
- 221 名前:Darks 投稿日:2003/11/25(火) 11:43
-
・・・・・・・・
- 222 名前:Darks 投稿日:2003/11/25(火) 11:44
- 色が落ちて石化してしまったような姿をした鳥居をくぐると、両側を森に仕切られた太い参道が視界を占めるが、歩いている人間は一人もいない。
道の果てに緩やかな曲がり角が見え、その参道の行き着く先は見通せなかった。
道の左脇に寄り、せり出した木陰に埋もれながら、彼は砂利道を進む。
居所のわからないカラスの返り鳴きと、その遠さに紛れて、近くはあるがか細い虫の泣き声が、砂利道を行き交っている。
すぐ傍の国道では、タイヤのゴムがアスファルトをかじっているはずだが、塗り壁のように密生した雑木林が、その音を飲み込んでしまうらしい。
彼の耳には、原宿の地鳴りはほとんど届かなかった。
- 223 名前:Darks 投稿日:2003/11/25(火) 11:44
- (鎮守の杜、か)
真っ直ぐに伸びたクヌギらしい木々が立ち並び、その根元には、羊歯が絨毯のように地面を覆っている。
森を見通せば、霧が彼方を透かしてたち込め、ただ際限のない緑がそこにあることに気付く。
ベビーカーが、しばらく先の脇道から現れる。それに続いて、三人の人間が脇道から参道に入ってくる。
- 224 名前:Darks 投稿日:2003/11/25(火) 11:45
- ベビーカーのフレームに、星条旗が掲げられている。ベビーカーを引く白髪の老人と、ベビーカーの両脇に連れ立って歩く夫婦らしい男女が、アメリカ人らしく身振り手振りを交えて何かを話しながら、彼が入ってきた鳥居の方へ歩いてくる。
白人の女の、ポリエチレンのような赤いショートカットの髪を見つめながら、彼は気分が昂揚していくのを感じた。
- 225 名前:Darks 投稿日:2003/11/25(火) 11:45
- その”赤”が目に飛び込んできた瞬間、彼が以前から抱き続けてきた、ある虚ろな感覚が膨らみ始めた。それは空腹によく似ていて、対象のない欲求のようなものだった。それは肉体との繋がりを持たないために、これまでに一度も、彼の中で実体を得ることはなかった。ある一瞬、思いがけぬ瞬間にのみ、それは収縮して濃度を増すが、握ろうとするとたちまちに飛散して、何処かへ消えてしまう。欠片も残さずに消えてしまうため、彼はそれを捕らえることが出来ずにいた。それが現れた瞬間という”時”を思い起こすことは出来ても、その感覚自体が何であるのかはわからないままでいた。
- 226 名前:Darks 投稿日:2003/11/25(火) 11:46
- 彼は近づいてくる赤い髪を、顔の向きは進行方向へ固めたまま、視線をずらしながら見つめている。
三人は彼に見られていることには気付いていない様子で、ベビーカーを挟んで互いに向き合い、笑顔を示しながら、ゆったりとした歩調で言葉を交わしている。老人も、言葉は発しないが、静かに微笑んでいる。
- 227 名前:Darks 投稿日:2003/11/25(火) 11:47
- 三人は参道の中央を進んでいく。少し間隔を離して、彼と三人はすれ違った。
引きずられるように首を後ろへ向けて、彼は赤い髪を見送った。
やがて彼等の話し声が聞こえなくなると、彼の陶酔感は冷えていった。
それが神経の昂ぶりによるものだと、彼は気付いていた。そしてまた、どうこうしなくても勝手にいなくなるものだということも知っていた。
- 228 名前:Darks 投稿日:2003/11/25(火) 11:48
- 曲がり角を過ぎると、数メートルほど先で、そのまま正面に進む道と、ほぼ垂直に伸びる左側の道とに分かれている。
彼には、どちらが本殿に通じる道かはわからなかった。
立て札を探す。分かれ道によくある、道の方向へ沿って札を重ねたタイプのものが、道の隅に立っている。白いペンキで”至神宮本殿”と書かれた板が、左側の道を示している。
左に曲がって、再び人気のない道を進む。
森が揺れる音。カラスの共鳴が重なる。
- 229 名前:Darks 投稿日:2003/11/25(火) 11:48
- 奴等は、どこへいくのか?
朝飯を探しにいくんだろう。そりゃそうだ。まずは食らわんことにはな。しかしこんなに大勢、当てがあるのか?あるんだろうさ。当てがあるってのは、幸福なことにはちがいない。
彼はまた、欠伸を噛み殺した。誰が見ているわけでもなかったが、それでも彼は噛み殺した。
噛み殺すたびに、彼の中から感情らしきものが消えていった。ただそのたびに、肌が熱を失っていき、腕の筋肉の緊張が緩んでいった。
彼を取り巻く一切が、熱を失っている。森は弱々しい朝日を腹の底にしまいこんでいて、道に敷き詰められた玉砂利を踏みしめると、足の底から頭の天辺へ音が閃き、その一つ一つが、自分の内部にころがっているものを一つずつ砕いて沈めていくようで、彼には快かった。
- 230 名前:Darks 投稿日:2003/11/25(火) 11:49
- 次の角を過ぎると、鳥居の向こうに石畳の広場があり、さらに奥には大門が見える。
参道の入り口で見たものと比べ、本殿の入り口を飾る鳥居はその半分ほどの大きさで、人の背丈ほどの塀を脇に随えている。石のような肌合いは、参道の入り口のものとさほど変わらない。
鳥居の根元に、男が立っている。白い帽子を被り、紺色の制服を着ていて、参道から現れた彼に目を向けている。外見からすると職員のようだが、背が低く、警備員という風でもない。
その人間からの視線を感じながら、彼は鳥居に歩み寄っていく。それに呼応して、相手も彼が来るのを待ち受けているかのような動きを示した。
- 231 名前:Darks 投稿日:2003/11/25(火) 11:49
- 「参拝の方ですか」
「ええ」
少し間を置いて、彼は答えた。
相手の目に、窺がうような色が漂っている。
「お早いですね」
彼は笑みを浮かべた。何と答えていいかわからなかった。
「先に来た人はいますか」
「えぇ」
声を飲み込むように顎を引き、戻す。
「一人いらっしゃいました。黒いコートの人が来ていないか、聞かれましたがね」
老人らしい口調で、男は言った。
「お嬢さんでしたよ」
彼は小さく会釈をして、大門へ向かって歩き出した。
制服の男は、窺がうように彼の背中を見つめていたが、すぐに参道の方へ向き直った。
- 232 名前:Darks 投稿日:2003/11/25(火) 11:51
- 参道に入るまでは青暗かった空が、いくらか白味を帯び出している。本殿に辿り着くまで、思ったより歩いたらしい。
大門の傍まで歩くと、彼は大門の内側を見渡した。
大門を真っ直ぐ進んだ先に本殿があり、大門から本殿までの間には、鳥居から大門までの広場と同じような空間が広がっている。本殿の両脇に、大きく枝葉を広げた木が生えていて、双方とも全体の輪郭がいびつな球形を描いている。
木の下にはベンチが一つずつ置いてあり、大門から見て右側のものに人が座っている。
- 233 名前:Darks 投稿日:2003/11/25(火) 11:52
- 彼は門をくぐり、本殿へと向かう。
彼が大門から現れると、ベンチに座っていた人物はゆっくりと立ち上がり、彼に向かって歩き始める。
彼は立ち止まり、近づいてくる人物を見つめる。
その人物は、丸い帽子を目深に被り、全体に薄めの金色に染まった髪を背中へ流し、彼を真っ直ぐ見据えて近づいてくる。
あの老人が帽子の陰から窺がえば、”お嬢さん”に見えるのだろう。彼はそう思った。
- 234 名前:Darks 投稿日:2003/11/25(火) 11:52
- 彼から一、二歩の距離まで歩いてくると、女は彼をじっと見つめたまま歩みを止めた。
「あの、相馬さんですよね?」
「ええ」
「あたしのこと、わかりますか」
(何だ、こいつ)
「いいえ」
彼がそう答えると、女はからからと笑い出した。
「やっぱり。そういう人なんだ」
その笑顔が、彼の記憶にわずかな引っかかりを残す。
女は振り返り、木の下のベンチへ顔を向けてから、再び彼の顔を見た。女の顔には、先ほどの笑みが薄っすらと残っている。
「とりあえず、座りません?」
- 235 名前:Darks 投稿日:2003/11/25(火) 11:53
- 「後藤真希さん、ですよね」
彼は呟くように言った。
「知ってたんですか?」
女は笑みを保ち、彼の横顔を見つめながら問い返す。
「今、思い出したんですよ」
再び呟くような口調で、彼は言う。
女の視線が・・・それと共に迫ってくる出来合いの笑顔が、彼には煙たかった。
何羽ものカラス達が、空を行き交っている。それらの何十という鳴き声は、森の中で聞く共鳴とあまり変わらないほどの重なりを持って、二人が座るベンチと石畳の広場へ降り注いでいる。
- 236 名前:Darks 投稿日:2003/11/25(火) 11:53
- 「後藤さん」
彼は正面を向いたまま、呟くような口調を変えずに呼びかける。
「あなたにとって、不快な詮索になるかもしれませんが」
女は表情を戻し、視線を逸らさずに彼の言葉へ耳を傾けている。
「僕は、あなたからの匿名での申し出を代理人から伝えられた時・・・少し、妙な印象を持ちました。
僕のやっている仕事は、非常に匿名性の高いものです。外部の人間が僕と連絡を取るには、代理人を経由する以外に方法はありません。
もしも、ある人物が、間接的に僕の調べている事件に関わったとして、何らかの情報を知っていたとしても・・・依頼者との繋がりがない限り、僕に連絡を取ろうと思いつくことは、まず有り得ない。
そしてまた、もしも依頼者と親しい関係にある人物が、僕に情報提供をしたいと考えるのなら・・・その人物が、余程手続きというものに愛着を感じるような人間でなければ、依頼者を経由して連絡を取ろうとするはずです。何しろあの代理人は、社会的にはいないも同然の存在ですから・・・僕も含めてね」
- 237 名前:Darks 投稿日:2003/11/25(火) 11:54
- 時々胸の上へ流した髪を気にするような仕草を見せながらも、女の視線は、彼の横顔へ向けて固められている。
「今、あなたが誰であるかわかった上で」
言葉を切り、彼は女の瞳へ視線を返す。
「あなたがこういう形で僕と会おうとしたことが、少し気にかかりましてね」
彼が話し終えると、女は固めていた視線を解き、わずかに俯いて石畳の地面へと目を向けた。
少しの沈黙が過ぎる。
女は前屈みになり、両肘を膝の上について右の手の甲に左の手のひらを交差させ、晒された右の手のひらを見つめている。
女の瞳孔は、何かを追いかけるように手のひらの中を動き回っている。
「とりあえず、事件のことから話してもいいですか」
「どうぞ」
- 238 名前:Darks 投稿日:2003/11/25(火) 11:55
- 「あの事件の日・・・あたしも、後からあの店に行ったんです」
「事件が起こった後ですか」
女は頷いた。
「時間は覚えてますか?」
「時間は・・・わからないです。皆はもういなくて、何があったんだろうって思いながらしばらくその辺にいたんですけど・・・その時に、変なことがあって」
「変なこと?」
「何の音なのか全然わからないんですけど・・・聞いたこともないような、物凄く変な音が聞こえてきて」
「唸り声のような?」
彼がそう言うと、その音を思い出そうとしているのか、女は目を上げて考え込んだ。
「・・・そう。そんな感じ。すごくぞっとする音。それで、その音が聞こえてから、ちょっと・・・説明しづらいんですけど・・・」
女は言い澱んだ。
- 239 名前:Darks 投稿日:2003/11/25(火) 11:56
- 「警察の調書には」
女が横目で彼を見る。
「例の事件が起こった後・・・大体一時間くらい後に、ある妙な事件が起こったという記録があります。現場検証をやっている最中に、現場から数メートル・・・その店が面している通りの、その店から見てちょうど反対側ですね。そこに、頭蓋骨にかなりの損傷を負った人間が倒れていた。それがほぼ致命傷で、その人物は搬送中に亡くなったそうです。
”倒れていた”って、随分ぐずぐずした表現でしょう?どうも、文字通り”倒れていた”ところを発見したのみで、こっちの事件も、例の事件同様お蔵入りになったらしいことがわかる」
言葉を切ると、彼は少し首を傾けて空を見上げ、カラスの飛び交う様を眺めた。
- 240 名前:Darks 投稿日:2003/11/25(火) 11:56
- 彼は、空を眺めたまま笑みを浮かべる。
「あなたは、彼女のために情報提供をするつもりなんですか」
「そうですよ」
女の言葉に、投げつけるような調子が込もる。
「あの子から、事件を調べてもらってるって聞いて・・・その後で、あの時のことを思い出してみると、結構怪しいことがあったなって思って」
女の目に、一瞬、鈍い動きが走る。彼はそれを、洞穴のように空っぽな目で観察している。
「あの子には、秘密にしておいてくれますか」
女の言葉には、窺がうようでいて、少なからぬ断定が込められている。
「もちろん」
- 241 名前:Darks 投稿日:2003/11/25(火) 11:57
- 「見たんです。その人が、殴られてるところ」
女の瞳孔の動きが、かすかに素早さを増す。
「殴られてる時は、その人、まだ生きてるみたいで・・・その人を取り囲んで、二、三人でなんか・・・金属の塊みたいなやつで、その人を殴って・・・それでも、その人、通りに這って行こうとして・・・それを、あいつら笑って・・・」
「・・・」
「・・・見てるだけで、すぐそこに警察の人達がいるのに、全然動けなかった。叫ぶだけでもよかったのに」
女の声は、カラスの鳴き声に紛れて、低く唸るような響きになっていた。
「そんなこと・・・本当に馬鹿みたいですけど、あの子に知られたくなかったから・・・・・・探偵さんと直接会いたくて、あの子の依頼を取り次いでくれた人に、連絡先を教えてもらったんです」
彼はしばらく黙っていた。その間も、彼の目は観察を止めなかった。
- 242 名前:Darks 投稿日:2003/11/25(火) 11:57
- 「後藤さん」
女から目を離して、カラスにでも話しかけるように彼は言った。
「あなたの過去に対して、善悪を言うつもりはありません」
大小のカラスの影が、あらゆる方向から石畳の上を滑り出す。数秒経つと、ほとんどの影が広場を抜け出し、森の中へ消えていった。
「ただ、そういう事情のせいで、あなたの証言が不透明になってしまうようなことは、出来る限り避けてもらいたい。そのためには、あなたの見たあるがままを僕に教えると約束してもらえれば、それで十分です。あなたの記憶が、結果的に事実と違っていたとしても、そんなことは問題じゃない。それさえ約束してもらえれば、あなたがどういうつもりで情報提供をしようと思ったのか、なぜ彼女に知られたくないのかなんて、知ろうとは思いません。
- 243 名前:Darks 投稿日:2003/11/25(火) 11:59
- 僕は虫けらのような人間です。虫けらにとって、物事の価値判断なんてものは意味を成しません。情も憎しみも、その内にありはしない。だからあなたがどんなに卑劣な人間だとしても、僕があなたと会うことが彼女のためにならないとしても、そんなことは知ったことじゃない。カマキリがモンシロチョウを食うのと同じです。あなたがどんなに怒ろうと、悲しもうと、カマキリはモンシロチョウを食う」
彼は少し前屈みになり、いくらか静かな声で話している。女は背筋を伸ばして、同じ高さに並んだ彼の顔を、まじまじと見つめている。
「約束してもらえますか」
ちらっと女と視線を交わして、彼は言った。
- 244 名前:Darks 投稿日:2003/11/25(火) 12:01
- 彼と目が会った瞬間、女は目を逸らしたが、すぐに戻して、頷いた。
「じゃあ、行きましょう」
彼は立ち上がった。
「こんなところにいても、埒が明かない」
その頃には、空は完全に光をた。日の光を背中から受けて発光した雲が、空の高層を埋め尽くし、その下では、乱層雲が思い思いの大きさの塊となり、埃を吸ったような灰色の体を横たえている。
女は立ち上がった。女に向けて、彼は微笑みかける。女も微笑み返す。
「行きますかぁ」
ここにはいない誰かへ呼びかけるように、底の抜けた声で、女は言った。
- 245 名前:Darks 投稿日:2003/11/25(火) 12:03
- ----Intermission----
- 246 名前:ゲリマンダー 投稿日:2003/11/25(火) 12:06
- ここまでで力尽きました。
実質上、次の章はChapter 7-2です。
中途半端で申し訳ない。
- 247 名前:名無し読者 投稿日:2003/11/25(火) 12:07
-
- 248 名前:名無し読者 投稿日:2003/11/25(火) 12:07
-
- 249 名前:ゲリマンダー 投稿日:2003/11/25(火) 12:11
- 訂正です。
244:空は完全に光をた→空は完全に光を取り戻していた
猛省。
- 250 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/01/20(火) 00:51
- 保全?
- 251 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/17(水) 11:55
- 保全
- 252 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/01(木) 04:22
- 保全!
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