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【遺書】

1 名前:邪険ヴォーイ 投稿日:2003年02月05日(水)23時11分18秒
他の板でも書いている者でございます。自分がこの小説を書くに従って、少しでも読者の方々に
明日への希望や何かを感じてもらえたら、それこそが最高の望みだと思います。そしてもしかし
たら多少の不愉快な文章や誤字、…等などがあると思います、その時は御詫びすることしかでき
ません。お許し下さい。
2 名前:プロローグ 投稿日:2003年02月05日(水)23時17分55秒
日本では三万人以上の人々が、自らその命を絶っている。その中には多くの若者が
含まれており、それだけ多くの人々が亡くなっているのにも関わらず、残された者
の悲しみや苦痛を直接聞く機会はほとんどない。一人の人間が、自殺をすることで
一体何が起こるのか。そして、遺族は何を想い、生きているのか。

この小説を通じて一番感じてもらいたいのは、自殺の真実。それは、決して報道さ
れることのないありのままの現実。

残された遺族や友人の深い悲しみと、決して癒されることのない深い心の傷。

死を決意するこほdに悩んでいたことにすら、気付いてあげることができなかっ
た、と残された人たちは痛々しいほど自分を責めている、そんな重荷を遺族に
一生背負わせてまで自殺をしなければならなかったのか。






3 名前:邪険ヴォーイ 投稿日:2003年02月05日(水)23時19分50秒
うわ、最初っから間違ってる…。後ろから三行目の、『決意するほどに悩んで』
でした。すいません。。。
4 名前:遺書 投稿日:2003年02月05日(水)23時21分46秒




     ぼうりょくではないけど、




     ぼうりょくよりもひさんだった


     かなしかった




     私はすべてを聞いていた


     あの4人に


     いじめられていた、私は



     死ぬ――――――――――――――――――――――――――――――
5 名前:自殺当日 投稿日:2003年02月05日(水)23時31分26秒

人は自殺することを決め、実行するまでにどれくたいの月日を要するのだろうか?


東京都、後藤真希さん、十三歳の場合は十三日間だった。
1996年12月26日に自殺を示すメッセージを残してから役二週間、
世間一般の眼からすればまだ子供の域を脱していない中学生にはあまりにも長い
葛藤のとき。―――そして、あまりにも短い生き急いだ人生だったのでは
ないだろうか。

まだ正月気分の抜けきらない、1996年1月7日の夜半過ぎ、真希は自宅の
ベランダに縄跳びのロープをかけ、自ら命を絶った。

三学期が始まる前日、彼女は周囲には、自殺をするなどというそぶりをまったく
見せない一日を過ごしていた。冬休み最後の日ということで、学校の準備をして
いた昼間、上履きが破れていることに気付いた母は、街へ買い物に行こうと真希
を誘った。


「いいよ、その靴で」
そう言って真希は遠慮をしたが、あまりにも上履きが汚れていたので母は真希と
姉を車に乗せ、駅前まで買い物に出かけたのだった。
6 名前:邪険ヴォーイ 投稿日:2003年02月05日(水)23時32分36秒
今日は更新、このぐらいで申し訳。ではまた明日に。
7 名前:名無しさん 投稿日:2003年02月06日(木)08時20分51秒
間違い指摘 96年12月にはごっちんは13じゃないけど設定として考えたらスルーできる、でも約二週間後は96年1月じゃなく97年1月だと思う じゃなきゃ同じ一年を繰り返していることになる もう少し誤字の点検をしたほうがいいと思う でも割りとこういう話しは好きだから続きには期待
8 名前:邪険ヴォーイ 投稿日:2003年02月06日(木)16時34分45秒
すいません、今後気をつけます。
9 名前:自殺当日 投稿日:2003年02月06日(木)16時54分40秒

「お正月に色々と手伝ってくれたし、頑張ってくれたから
欲しがってた服、買ってあげる」駅前までの車の中、そう
母に言われた。真希は、以前からその服のために、少しず
つお小遣いを貯めていた。

ちょうど、靴屋の道を隔てた向かいが、欲しがっていた服
の店で、上履きを買った後にその店に立ち寄った。

「これでいい」
真希が欲しかった服ではなく、なぜかその服よりずいぶん
安いキャミソールを買ってもらい、帰途へとついた。

買ってもらった服をさっそく着、鏡の前でしばらく自
分の服と向かい合っていた後、珍しく早く帰っていた
父の車に乗せてもらい、午後六時三十分頃、通ってい
た塾へと再び駅前まで送ってもらった。塾に到着する
と、なぜか無言で車のドアを閉め、そのまま階段を昇
って行ってしまった。

塾から帰ってきたのが午後十時三十分頃。テレビを見
たり、ゲームをしたりして、真希はいつもと変わらな
い時間を過ごしていた。
10 名前:自殺当日 投稿日:2003年02月06日(木)16時59分46秒

その後、親と姉、祖父母と共に夕食に鍋を囲んでいた。
「明日、学校で早いから」
午前0時頃に巻きは二階の自分の部屋に戻って行った。

特に変わったそぶりは、見せていなかった真希だったが、
姉は何かを感じ取ったのかもしれない。しばらくして、
姉は真希の部屋を覗いた。しかし、そこに真希の姿は
なかった。

「お風呂かな…」
姉は階段を降り、風呂場を覗く。そこにも見当たらな
かった。玄関も見てみると、そこにあった真希の靴が
消えていた。それまでこんなに遅い時間に出かけて行
ったことはなかった。ましてや、一月の東京、低い気
温に加えて雪がかなり積もっていた。そこで初めて、
姉は異変に気付いた。

「お母さん、真希がいない!」
11 名前:邪険ヴォーイ 投稿日:2003年02月06日(木)17時01分28秒
またや(;_;)すいません。。。
初めから三行目の「巻き」は「真希」です。
12 名前:自殺当日 投稿日:2003年02月06日(木)17時06分58秒

知らせを聞いた家族が一緒に真希を捜した。
外を見回りに行った母の悲鳴が聞こえたのは、その直後の事だった。
真希はベランダの縄跳びのロープをかけ小さな椅子を蹴って、庭で
首を吊って自殺していたのだった。

両親は、真希を無我夢中で抱えおろした。ぐったりした真希は
まだ体にぬくもりを残していた。救急車が来るまでの間、父は
必死になって人工呼吸を行っていた。しかし、その甲斐もなく、
地元の病院に運ばれた真希は、わずか十三才でその一生を終えたのだった。


ポケットには、おそらく欲しかった服を買うために貯めていたお小遣い
であろう二万五千円程の現金と遺書が入っていた。

「あの4人にいじめられていた、私は死ぬ」
残された遺書にはそう書いてあり、その裏には、
「ぼうりょくではないけど ぼうりょくよりもひさんだった
 かなしかった 私はすべて聞いていた」
と、しっかりとした文字で書かれていた。
13 名前:自殺当日 投稿日:2003年02月06日(木)17時15分52秒
それまでいじめられていたそぶりなど、まったく見せていなかった真希が、
いじめを受けていたことを家族はその遺書から初めて知ったのだ。

「お母さん、なぜ真希が!」
突然のことに動転している父が、母に問い掛けた。
しかし母にも同じ気持ちだった。あの優しい真希が、
なぜそこまで悩まなくてはならなかったのか。
なぜ一言、家族に相談をしてくれなかったのか。学校は
気付いていなかったのか。何か対策をとってくれなかったのか。

いくつもの疑問とぶつけようのない怒りがこみあげてきた。



14 名前:自殺当日 投稿日:2003年02月06日(木)17時22分12秒

姉と真希は毎年大晦日の日には夜更かしをして、真希と新年の抱負やその年に
起こった出来事を2人きりで語り合っていた。その後、一緒に初詣に出かける
のが恒例となっていた。しかし、その年に限って友人と出かけてしまったこと
を、姉は悔やんでいた。

「今年も真希と一緒に過ごしてあげればよかった。そうすれば、あんなことには
ならなかったのかもしれないのに……」
大晦日を一緒に過ごしていれば、少しは真希の悩みに相談に乗れたのではないか、
自殺を決意するほど追い込まれていた気持ちを癒せたのではないだろうか、と。

真希の悲報を受けて、病院には親戚や、学校関係者、地元警察も顔を見せた。
突然の事態に、まだ気が動転している両親に対して、警察官が発したセリフは、

「保険に何本入っていますか?」

という血も涙もないものだった。両親は言葉を失った。事件を解明する
役割の警察がこんなことでは、何を頼りにこの無念を晴らせばいいのだろうか。

娘が自殺した真相を解明してくれるのだろうか。父は警察官の言葉に
不安を感じずにはいられなかった。


15 名前:自殺当日 投稿日:2003年02月06日(木)17時27分19秒

警察は「あの4人に……」と書かれた遺書を含む何点かの証拠資料を持ってきた。
自殺現場からは、迷いのない自殺であったことがわかった。自殺をした庭の軒先
には大きな庭石がある。真希はその横に椅子を置き、ベランダにロープをかけて
椅子を蹴っていた。


もし、少しでも躊躇することがあったなら、椅子よりも背の高い庭石に足を
かけていただろう。しかし、庭に降り積もった雪にはそういった痕跡は
残されていなかった。


遺書に残されていた「あの4人」とは果たして誰なのか。
学校が真希の自殺原因について明確な回答を出してくれるのか。
そのときはまだ、これから始まるこの問題の難しさに、

父は気付いてはいなかった。
16 名前:邪険ヴォーイ 投稿日:2003年02月06日(木)17時28分34秒

更新終了です。
17 名前:りゅ〜ば 投稿日:2003年02月07日(金)13時34分46秒
こういう暗い話大好きなので更新期待してます。
頑張って下さい。
18 名前:邪険ヴォーイ 投稿日:2003年02月08日(土)11時25分35秒
>>17りゅ〜ば様
ありがとうございます!でわ一気に更新。
19 名前:短すぎた日々 投稿日:2003年02月08日(土)11時36分51秒
真希は、非常に優しい性格の女の子に育った。

幼稚園児時代には従姉妹や姉、近所の友達と、優しい女の子ばかりの環境で
育ったためか、姉妹の仲のよさは近所でも評判で、非常に手のかからない
子供だったと、母親は振り返っている。当時、友達の親御さんからは、

「真希ちゃんがうちの子供の面倒をよく見てくれて……」

「優しいお子さんですね」

と、ことあるごとに感謝された。「面倒見の良い優しい女の子」それが
周囲の印象だった。小学校に入ってからも、優しい性格は変わらなかった。
二年生の時のこと、仲良くしていた隣りの家の子が転校することになったが、
真希はその子に自分が一番大切にしていた宝物をプレゼントしたこともあった。

また、ちょうど同じ二年生の時、後に真希の一番の親友となる子が
香港から転入してきた。海外生活の長かったその子は心が広い性格で、
まるで教室で飛び回っているような子だったという。周りの子供達は
その子になじめず、次第に仲間はずれをするようになっていった。

そんな中でも、真希はその子を疎外するようなことはなく、一人ぼっちで
いるその子に手を差し伸べてあげたのだ。


20 名前:短すぎた日々 投稿日:2003年02月08日(土)11時43分30秒


真希は、歌う事が大好きで、いつもテレビに出てくる好きな歌手のダンスや
歌を必死で覚えていたくらいだ。また、真希は将来歌手になりたいと思い、
それは音楽専門学校に行きたいといった希望にも見てとれる。


運動の方では、バスケットのエースで、何が苦手といったことはないようだった。
また、運動会。真希の出たリレーで、一気に最下位から一位へと繋いだ牧真希の
足のはやさには、みんなが注目していたという。

優しく思いやりのある性格の真希は、当然みんなの信頼も厚く、六年生のとき
には前期に体育委員会の副委員長、後期に図書委員会の委員長を努めた。

明るく、人望もあり、真希はたくさんの友達に囲まれていた。男の子からの
人気も抜群だった。また、真希は学校が大好きだった。高熱が出ているのにも
関わらず、学校に行ってしまうこともあった。結局、小学校の六年間は、
無欠席で通した。

21 名前:短すぎた日々 投稿日:2003年02月08日(土)11時51分31秒
中学校に入学してからも、真希は持ち前の明るさと人望を活かし、
校友会と呼ばれる生徒会の中で、学級長に次ぐポストである代議員に
選ばれた。

中学校に入学して、生徒同士が馴染んできた一学期も半ばの六月頃に、
クラスで異変が起き始めた。性格もよく、運動神経も抜群だったクラスの
人気者である真希をかえって妬む連中が一部に出始めたのだ。
真希のクラスには、ある女の子がいた。その子は真希と比べると、決して
運動神経もよくなく、性格もそんなに明るいわけではなかったが、小学校
時代からその悪名は高かった。

彼女にいじめられたせいで、別の地域に越境入学した子や、不登校になって
しまった子が何人かいた。そのような彼女にとって、何かと目立つタイプ
であった真希は鼻についたのだろう。いつしか、目をつけられるように
なっていった。


22 名前:短すぎた日々 投稿日:2003年02月08日(土)11時57分28秒


まず、彼女は同じクラスのバスケット部員だった生徒3人を彼女の仲間として
引き入れた。真希と同じバスケット部の生徒なら、1人だけあわやレギュラーに
なろうかという真希に反感を持っていると考えたのだろうか。結果的に、
彼女を筆頭にその3人を含むこのグループが、真希が「あの4人」と遺書に
残した、いじめの直接的な実行犯となった。


真希が自殺後に行われた調査の結果、様々なことがわかってきた。
自宅の机の引き出しからは「パシリ」「パシル」とマジックで書かれた
マグネットシートが何枚か出てきた。「パシリ」とは言うまでもなく
「使いっぱしり」のこと。このマグネットシートは、教室の黒板に日直などを
表すために使われるもので、そこに「パシリ」と書かれていたということは、
クラスメイトの何人かは真希がいじめられていたことを知っていたのでは
ないだろうか。


一学期には積極的に先生の質問に答えたりと、発言をしていた真希が、二学期に
なると段々発言をしなくなっていたこともわかった。

23 名前:短すぎた日々 投稿日:2003年02月08日(土)12時08分43秒

また、人望のあったはずの真希が音楽や理科の授業の教室移動で1人で
移動していることもあった。同じ授業を受けるのに、1人で移動することなど
あるのだろうか。ことのことからも「あの4人」たちの行ったいじめが次第に
クラス全体を巻き込んで、真希を孤独に追い込んでいったことがわかる。


それこそが、真希が「ぼうりょくではないけど ぼうりょくよりも
 ひさんだった」と、書き残した遺書のいじの実態だったのではないだろうか。



真希の死から三日後の、一月十一日には、新聞各紙に記事が載った。


真希の葬儀は、新聞に記事が掲載されたその日に市内葬祭センターで行われた。
「クラス代表と部活代表にはぜひとも読んでもらいたい」と両親は願ったが、
学校側の指名で小学校時代から仲の良かった女子生徒と男子バスケット部の
部員が読んだ。
24 名前:短すぎた日々 投稿日:2003年02月08日(土)12時14分06秒


真希の自殺が報道発表されてから、両親の元には校外から様々な情報が入って
くるようになった。マスコミから、友人や生徒から、その親であるPTA
などからだ。


「中学校」のこと、「生徒」のこと、「学校で起きた様々な事件」のことなど、
いじめられていたことを一言も言わなかった真希からは決して知らされなかった
ことばかりで、両親の胸には驚きと同時に不安が広がっていた。


それというもの、毎日訪れる教師らに対し、「何かわかりましたでしょうか?」
といくら尋ねても、返ってくる答えは「真剣に調査を行っていますが、今の
ところ何もわかりません」というものばかり。学校に話しを聞きに行っても、
「ノーコメント」の一点張り。決して一対一では応対をしない教師たちは、
まるで汚い政治家のようだった。「あの4人…」という抽象的な表現で
遺書を残した真希のいじめの実態が、いつ明らかになるのだろうかと両親は
疑問を感じ始めていた。
25 名前:短すぎた日々 投稿日:2003年02月08日(土)12時18分18秒


学校側の非協力的な態度と、真相解明が少しも進まないことで不安になっていた
両親のために、親戚が「教育と自治研究所」に相談を持ちかけた。
真希が死を選んでから七日目のことだった。

研究所の協力によって、学校が保管しており、両親の手元には渡されて
いなかった「生活記録」という毎日の学校での生活を生徒と教師が報告
し合うノートを引き渡してもらうことができた。

表紙はボロボロになり、真ん中には穴が空いていた。几帳面な性格の真希の
物とは到底思えない状態になっていた。

さらにその内容からも、真希が追い詰められていったと思われる様々な
情報が見てとれた。

26 名前:短すぎた日々 投稿日:2003年02月08日(土)12時22分48秒

九月十九日から二十三日のページには、
「ふみんしょうで、ひるまねむくて夜眠れない」
と書いてあった。ノートがボロボロになったのは、どうやら十二月二十日
らしいということもわかった。


この日、担任の教師のコメントが、
「表し破れ応急処置はした。自分でしっかりやっておこう」
となっている。真希が
「ぼーっとしていたら、そのまま一日がおわった」
そう書いたことに対する教師の反応がさきほどのもの。不自然な状態の
ノートに書き込まれた、不安定な精神状態を教師は理解できなかった
のだろうか。



私の大ニュース      バスケ部に入部した

 

32.53.25.45.52.32.41



27 名前:短すぎた日々 投稿日:2003年02月08日(土)12時29分35秒

十二月二十六日の国語の時間には、「今年の自分の大ニュース」を
書くことが授業内容になっていた。その国語の先生は、真希がただ1人、
心を許せる先生だったのだろうか、自殺を示すメッセージはこのとき
書かれたのだった。

「32.53.25.45.52.32.41」

この数字こそ、真希が残した最大のメッセージ。
このメッセージはポケベルのコード入力表を数字にしたものだった。


数字をひらがなに変換していくと・・・


「し ぬ こ と に し た」

と読むことができる。

しかしこのメッセージは先生には伝わらなかった。
また、その日の五時間目にあった体育の授業でやったサッカーで、いつもは
積極的に攻め込んでいた真希が、この日はあの、悪名の名の高いあの女の子に
「あんたは下がれ」と言われ、やむ終えず後ろの方に下がって
いることも目撃されている。

授業後に真希が沈み込んでいるのを見つけたクラスメイトが真希に
「どうしたの?」
と声をかけると、
「人生に疲れた……人生って、つらいね」
と言ったという。
28 名前:短すぎた日々 投稿日:2003年02月08日(土)12時35分59秒
その後も調査を続けていくうちに、真希が紐を見ながら
「死……」
とつぶやいていることがあったなど多くのことがわかってきた。

残された証拠として、小さな紙切れに「孤独」と書かれたものが
いくつか見つかっている。また、学級新聞に載せるアンケートの
「来年のクリスマス、誰と過ごす?」という項目に「1人」と
書いており、おなじく十年後のクリスマスは?というものにも

「孤独で1人」
と書かれていた。漢字の書き取りの練習ノートには、はじめの方が普通に
書き取りがされていたが、最後のページには

「感電死」  「焼死」  「溺死」


といった、死に関する言葉が書かれていた。
中学生レベルでこのようなことを書くのはきわめて異例のことであり、
死を確実に意識していたことの表出と考えて間違いない。

真希がこのような助けを求めるシグナル、証拠などたくさんのものを残していた
のにも関わらず、誰も一つの命を救うことはできなかった。
29 名前:短すぎた日々 投稿日:2003年02月08日(土)12時41分38秒

周囲は果たして本当に気付いていなかったのだろうか。

家族が真希のことを思い返してみると、そういえばということが
いくつか浮かぶ。いつもは多くの友人たちと一緒に学校から
帰宅していた真希だったが、年末あたりから1人で帰ってくることが
多くなっていた。また、年賀状を三十枚も自分で用意していたのに、
一枚も書こうとはせず、なぜ書かないのかを母が尋ねると、

「届いた人にだけ出すよ」

という力のない返事が返ってきた。実際に届いた年賀状は、
クラスメイトからはたった一枚だった。それまで、多くの友人に囲まれ、
毎年多くの年賀状が届いていたのとは大違いだった。

貰ったお年玉も一切使おうとせず、バスケットシューズや欲しい服など
欲しがっていたものを、買ってあげようとしても遠慮するばかりだった。

さらに、正月に大掃除をしたときに、なぜか自分の部屋にはあまり力を入れず、
他の居間などを一生懸命掃除していたことなども、今思えばすべて最後に親に
迷惑をかけたくない、立つ鳥後を濁さず、という思いからの行動だったのでは
ないかと家族は思い返している。

30 名前:短すぎた日々 投稿日:2003年02月08日(土)12時52分13秒


なかなか進行しない事実を解明する方法を模索する中、1997年3月2日に
父は、真希の実名を公表し、情報提供をを呼びかけることにした。
事実を知りたいといううやむやにやまれぬ切実な思いから公表した実名だったが、
このことは様々な波紋を呼んだ。


実名公表は行政にとって敵対行為と受け取られた。教育委員会の教学指導課長
は、「はじめは協力的だったが3月2日以降は敵対的で残念だ。学校との
間に溝を作った」と発言した。

そればかりか、父が社長室付支配人を努めていた冠婚葬祭の会社のトップに、
「会社は創業董二から市にお世話になっている。君の運動は会社にとって
大きな影響のある行動だ。運動を止めるか、会社を辞めるか、選んでくれ。
頼むから解雇という形を取らせないでくれ」

と言われたのだ。会社の業績を引き上げ、役員への昇格を内示されていた父に
はショックだった。それでも、父は真希の真相解明をすることによってもう二
度とこういった事件を起こさないためにも、辞表を出した。

こうして、父の生活はすべて自殺の真相究明にあてられることとなり、
真希の死から丸5年が経った現在もそれは変わっていない。
31 名前:短すぎた日々 投稿日:2003年02月08日(土)12時53分31秒
董二じゃなく当時ということで…(九行目)
32 名前:短すぎた日々 投稿日:2003年02月08日(土)13時00分41秒
両親は、こう思っている。


 『……どんな親でも、子供のしてしまったことは許せるし、受け入れられる。
それを受け止めるのが、家族の役目だ。親を苦しめないで欲しい。
先に逝かれるほどに切ないことはない。何でも打ち明けて欲しかった。
それを受け止めるのが、家族なんだから……真希……帰ってきて欲しかった』



現在も父は、無職のままで真相解明のために、そしていじめをなくすために
戦っている。裁判にあたっては、教育問題に詳しい弁護士が弁護団を
結成して、父を応援している。自宅に設置したファックスと電話には、真希の情報
だけではなく、全国からいじめを受けた親や本人からの相談も寄せられている。

そのような相談を受けて止め、父は「私に少しでもできること」を、と思い
全国を飛び回っている。徐々に運動の成果が実り、いじめの実態も明らかに
なってきた。「いじめ」自殺ということを認めてなかった行政側も、いじめが
あったことを認めてきた。

これまで巻きのいじめの実態、助けを求める叫びも、こうした努力の結果から
明らかになってきた。
33 名前:短すぎた日々 投稿日:2003年02月08日(土)13時08分24秒
娘、真希へ

とうとう、損害賠償請求の裁判をすることにしました。

真希には本当にすまないことになってしまいました。

この5年間、お父さんは、人を信じ、真希の思いを、大切にして欲しいと

願いつづけてきましたが、先生は一度も本音で話すことはなく、違う学校に

行ってしまいました。学校長も今でも「真希さんの死は、いじめによる死と

断定すべきではない」といい続け、君の最後の言葉を、無視しています。

真希は、すべての先生、友達を信じ遺書に名前を残さなかったのに、

名前が書いてないことを、良いことに、反省も謝罪もしてくれません。

4人も「いじめてません」といいつづけ、他の生徒をいじめています。

こんな人たち、お父さんもう許せません、もう裁判しかありません。

34 名前:遺族による遺書への返信 投稿日:2003年02月08日(土)13時12分47秒


真希は、どんなに苦しく、悲しいときも、私たち家族に対し、笑顔でやさしく

接してくれました。そんな君を、お父さんはこの5年間一日も忘れたことは

ありませんし、忘れられません。

又、一日も休まる日はありませんでした。真希ちゃん、裁判は本当に大変な

ことですが、何年かかっても、君の名誉回復と、今でもいじめで苦しんでいる

子供達のために、

お父さん、

頑張りますので、応援たのみます。

追伸、命日、友達が15人遊びにきてくれました。みんな大きくなり、

成長が楽しみです。真希ちゃんも、そちらの世界で楽しくしていてください。

また返事書きます。


それじゃまた・・・
35 名前:邪険ヴォーイ 投稿日:2003年02月08日(土)13時14分55秒
更新終了と同時にこの作品を完結します。
短い間でしたが、ありがとうございました。
また、この作品による感想レス大歓迎ですので、よろしくお願いします。
36 名前:りゅ〜ば 投稿日:2003年02月08日(土)19時12分02秒
完結お疲れ様です。
何だか物凄くリアルに感じました。
いじめや自殺について、改めて深く考えさせられました。
心に染みる作品を、どうもありがとう。
37 名前:名無しさん 投稿日:2003年02月08日(土)21時20分18秒
私的意見ですが。
扱う題材が重いわりに、内容があまり読み手に響いてきませんでした。
(少なくとも私には、この文章で何が言いたかったのかもよく判りません。
イジメはいけないことだ、という意味ですか?)


それと、このスレッドはこの小説だけで終了されるんでしょうか?
だったらスレの乱立は控えてください。
35レスで終わるんであれば、他の自スレの連載物を終わらせてからでも良かったんではないでしょうか?
少し身勝手すぎると思います。
38 名前:名無しさん 投稿日:2003年02月08日(土)21時34分17秒
作者さんが言う明日への希望は感じなかった…
39 名前:邪険ヴォーイ 投稿日:2003年02月08日(土)23時03分26秒

レスありがとうございます。
>>37・38
多少そうなると思ってました。すいません。
身勝手な乱立すいませんでした。
40 名前:名無しさん 投稿日:2003年02月09日(日)02時59分52秒
>>39
確信犯なら余計悪い。

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