インデックス / 過去ログ倉庫
行く先のないチケット
- 1 名前:M_Y_F 投稿日:2003年02月11日(火)17時42分11秒
- はじめまして。
こちらで短編を書かしていただきます。
下手は下手なりに作品が書けたらと思っております。
つまらないものですけど、よろしくお願いします
- 2 名前:【後藤真希】 投稿日:2003年02月11日(火)17時45分49秒
- 後藤真希は空港のロビーに立っていた。
―こんな航空会社なんかないよ―
真希はロビーをくまなく探しまわるが、チケットに書かれた会社のカウンター
はどこにも見当たらない。チケットを持つ右手にもだんだん力が入ってくる。
他の航空会社の人にチケットを見せても名前は知らないばかりかこんな会社は
ないとまで言われた。よく考えたら、真希自身も聞いたこともない会社だった。
迫りくる出発時刻に焦りだけが募っていく。
―いい加減にしてよね―
真希は口を尖らせながら、目的の会社を探していた。
- 3 名前:【後藤真希】 投稿日:2003年02月11日(火)17時47分54秒
- 「お客様、失礼ですが後藤真希様ではありませんか?」
「そうですけど」
声をする方を向くと、目の前に見覚えのあるというより知っている女性が立っ
ていた。ただ、真希が知っている女性にしてはどこか影がある感じがしていた。
「あのぉ〜」
「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
「あっ、はい」
真希は途中で話を遮られて次の言葉をかける機会を失っていた。ただ淡々と女
性の後をついていくだけだった。
二人はロビーを抜けると奥にある小さな階段へと向かう。搭乗口とはまったく
逆方向に進んでいく中、真希は不安を感じずにはいられなかった。
カツッ、カツッ、カツッ、カツッ・・
薄暗く灯った光の中で階段を下りる靴の音だけが寂しく響いていた。
―こんなチケットもらうべきじゃなかったかな・・―
後悔するとともに、あのときの記憶が蘇ってきた。
- 4 名前:【後藤真希】 投稿日:2003年02月11日(火)17時50分08秒
- ―――
「あぁ〜」
真希は事務所のとある会議室にいた。今後の予定を話合うためだ。スタッフは
別件で遅れてくるという。1分1秒を争うスケジュールの中、こういうことは
多々あることだった。真希は時間を持て余していた。
コクリ、コクリ・・
真希はうとうとと眠りの世界に半分足を踏み入れていた。
コンコン、コンコン!
ビクン
ドアのノックの音に思わず背中がピーンと張る。
「どうぞ」
「ごっつあん、久しぶり」
「なっちも来てたの」
「うん、ごっつあん来てるって聞いたから顔だけは見ておこうって」
真希の前になつみが歩み寄ってきた。いつもとかわらない笑顔にどこかほっと
する。
「なっちは何してるの?」
「今後の打ち合わせだよ。ごっつあんは?」
「私も・・でも別件で用があるって待たされてるんだよね」
「そう・・あっ、そうだ!」
なつみは肩に提げていた鞄をおろすとなにやら鞄の中を探り始めた。真希は不
思議そうにその様子を見ていた。
- 5 名前:【後藤真希】 投稿日:2003年02月11日(火)17時52分46秒
- 「これだ・・これ、ごっつあんにあげるよ」
なつみが差し出したのは飛行機の往復チケットだった。チケットには聞いたこ
ともない会社の名前が載っていた。
「これ、ありがたいけど使う時間ないから、ほかの人にあげてよ」
真希は申し訳ない表情でチケットを返そうとした。実際にまとまったオフなん
てとれそうもなかった。どのチケットにも期限があることぐらいはわかってい
た。
「サービスとかすごくいいんだよ・・それに無期限だし暇になったら使えばい
いよ」
「本当?」
「うん、絶対もらって損はしないからさ」
「ありがとう、もらっておくね」
なつみの無邪気な笑顔に真希も笑顔で答える。
- 6 名前:【後藤真希】 投稿日:2003年02月11日(火)17時53分52秒
- 「わぁー、もうこんな時間だ」
なつみは腕時計を見て、慌てだした。
「なっち、大丈夫?」
その慌てぶりを心配そうに見つめる。
「じゃ、またね」
なつみはそのまま会議室を出るかと思ったとき、ドアの付近で急に引き返して
きた。
「ごめん、これ渡すの忘れてた」
なつみは真希に1枚の写真を渡した。
「これ・・」
「さっきのチケットと一緒に渡してね。きっといいことあるから」
「えっ・・」
驚いた表情をみせる真希。なつみの顔が近づいたと気づいた瞬間、真希の唇に
温かくて柔らかい感触が伝わっていた。
「なっち、何するんだよ」
「こういうのもいいべさ、アハハハー」
思わぬ展開に顔が熱くなってくるのを感じる真希だった。なつみはそんな真希
の姿を笑いながら会議室から出ていった。
――
- 7 名前:【後藤真希】 投稿日:2003年02月11日(火)17時55分37秒
真希が階段を下りていくと、そのまま飛行機がある格納庫へと導かれた。
格納庫の前に1台のセスナが止まっていた。機体整備は終わっているらしく、
いつでも飛べるような感じだった。しかし、パイロットらしき人影はいない。
真希は周りを見渡すが女性と真希以外に人はいなかった。
「さぁ、乗って下さい」
女性の言葉に従ってセスナに乗り込む真希だった。
―これで行くんだ―
真希は不思議な感じがしていたが、次の瞬間顔色が変わった。
- 8 名前:【後藤真希】 投稿日:2003年02月11日(火)17時57分36秒
- 「パイロットって・・」
「なっちだよ」
「なんでなっちが!」
操縦席に乗ってきたのはここまで真希を導いたなつみだった。
「降ろして!!」
真希は必死にドアを開けようとするが開く気配もない、そればかりかシートベ
ルトもはずれない。真希の顔がだんだんと蒼ざめていく。なつみが飛行機を操
縦できるなんてこと聞いたこともない。まだ死にたくない思いが大きくなって
いく。
セスナがゆっくりと動き出した。真希の顔は恐怖で引きつっていた。そればか
りか声も出せないような状態だった。こめかみから大粒の汗が流れていた。な
つみは真希の様子を気にすることなく操縦していた。
そして、セスナは大空へと舞い上がった。
- 9 名前:【後藤真希】 投稿日:2003年02月11日(火)21時52分24秒
- セスナは揺れることもなく空を舞っていた。なつみは平然と操縦していた。真
希はまだびびっているものの離陸時に比べたら気分もだいぶ落ち着いてきた。
「なっち、どこ行くの?」
「あぁ、こないだの写真は?」
「あるけど」
真希は鞄から写真を取り出し、なつみに渡した。
「ここね、OKだべ」
「ちょっと、OKって」
真希には何を言ってるのかさっぱりわからなかった。なつみに渡した写真には
雪が積もった街並みしか写っていなかった。しかも、どこであるかを特定でき
るようなものも写っていない。
「あのさぁ・・」
真希は言葉を続けることを諦めた。ここで何を言っても無駄なことである。自
分が操縦できるわけでもない。ましては、操縦しているのはなつみだ。何が起
こっても不思議ではなかった。できることとすれば目的地に無事に着けるよう
に胸の前で手を組んで祈るくらいだった。
- 10 名前:【後藤真希】 投稿日:2003年02月11日(火)21時55分54秒
- 「ごっつあん、そんなに緊張しなくてもいいべさ」
「だって・・」
「ごっつあんらしくないよ・・アハハハーー」
なつみにとって真希の態度はどこか侮辱されたような感じもするが、それ以上
にびびりまくる姿がどこか面白かった。いつもなら飛行機の中ではぐっすり眠
っているはずだが、こんなに顔色を変えてシートの手すりをしっかりと握って
いる様子はどこかかわいくも見えた。
―そうだ!―
なつみの中のいたずら心が芽生えてくる。
「ねぇ、ねぇ、ごっつあん、こっち向いて」
「今度は何」
なつみを方を向くとなつみは操縦桿を離していた。
「なっち、何してるの?」
「そんなに大声出さないで」
ニコニコ笑うなつみに思いっきり目を見開いて口元がヒクヒク引きつる真希、
両者の表情は対称的だった。
「ん・・」
なつみの唇が真希の唇を奪う。
「ちょっと、待ってよ!前!前!」
真希はなつみを押し返すと前方を指差す。
「もう心配性なんだから」
なつみは余裕で操縦桿を握る。
- 11 名前:【後藤真希】 投稿日:2003年02月11日(火)21時59分30秒
- 「ふぅーー」
真希肩で大きく息をした。心臓はまだバクバクいっている。なつみがいくらい
たずらが好きといっても度が過ぎている。
「なっち、いい加減に・・」
真希は言葉の途中で耳を疑った。
「あれ?操縦できない・・」
なつみの様子が変わっていた。先ほどまでの余裕の表情ではなく、焦った時の
表情に変わっていた。
「なっち、今の言葉、まじ?」
「うん・・」
「やばいじゃん、どうするの」
「どうするのって、何もできないだけど」
真希の慌てふためく態度に対して、なつみにはどこか諦めたよう感じだった。
「私、まだ死にたくないよ・・」
「もうだめだって」
なつみの言葉に耳を貸さずに必死に操縦桿を操ってみるが、セスナはぜんぜん
反応しない。
セスナはバランスを崩し、きりもみ状態で墜落していく。
「お母さーーん」
真希の叫びもセスナの中では犬の遠吠えでしかなかった。
- 12 名前:【後藤真希】 投稿日:2003年02月11日(火)23時00分56秒
- 真希の目に光が差し込んできた。光に導かれるように状態を起こした。
「え、えっーー、どこ?」
真希は思わず目を疑った。自分の記憶ではセスナに乗っていたはずだった。助
かったのかなと思い周りを見渡すが病院らしきところではない。ベッドにTV
・ラジオ・パソコンまで置いてある。自分がどうしてここにいるのかまったく
見当もつかなかった。ただ、生きていることだけが事実だった。
これまでの出来事は序章にしか過ぎなかった。
- 13 名前:M_F_Y 投稿日:2003年02月11日(火)23時13分35秒
- 今日の更新はここまでです。
>>12
誤)状態→正)上体
間違ってました。
すみません。
- 14 名前:名無し読者 投稿日:2003年02月12日(水)04時47分40秒
- なちごま?期待
- 15 名前:M_Y_F 投稿日:2003年02月13日(木)00時33分12秒
- >>14 名無し読者さん
基本はなちごまです。
では、本日の更新分です。
- 16 名前:【後藤真希】 投稿日:2003年02月13日(木)00時35分28秒
- 真希はTVの横に置かれたサービス一覧表に目を通した。
《北海道室蘭市XXX XXXホテル》
「まじっ・・」
部屋のカーテンを開けて見ると、そこは銀世界が広がっていた。
寒い地方にいることだけは確かだった。
パチッ・・ガヤガヤガヤガヤ・・
TVをつけると、朝のニュース番組をやっていた。全国のニュースが次と次と
紹介されていくがセスナが墜落したことなど一言も触れない。チャンネルを次
々と変えるがどの番組もセスナの“セ”の字も出てこなかった。そして、番組
はローカル局からの放送へ変わっていくが、そこ移ったのは北海道のある局だ
った。真希は首を捻りながら、改めて部屋を見渡した。ハンガーにはここに来
ることを知ってたかのように厚手のコートが掛けてあった。その下には旅行の
時に持ち歩くバッグまで置かれていた。真希はバッグの中にしまってあるはず
の携帯を取り出した。
- 17 名前:【後藤真希】 投稿日:2003年02月13日(木)00時38分03秒
- 真希はすかさず自宅に電話をしたが、返ってきた言葉は怒声と呆れた声だった。
何故自分がここにいるのか聞くと無理やりオフをもらって室蘭まで来たという
のだ。昨日は昨日で家族を巻き込んでの大騒ぎでめちゃくちゃだったという。
しばらく帰って来なくてもいいとまで言われた。しっかりとお土産だけは忘れ
ないように釘を刺されたが。
真希は必死で昨日一昨日と記憶を辿っていくが室蘭に行くと言った覚えなどま
ったくなかった。それに無理やりにオフをもらったことなかった。何があった
か考えながらバッグの中をチェックすると、2・3日分の着替えが入っていた
。予想もしない展開に不安だけが大きくなっていく。母親だけの話では気分が
落ち着かないのかマネジャーにも連絡するとマネジャーも母親と同じことを言
っていた。
- 18 名前:【後藤真希】 投稿日:2003年02月13日(木)00時40分56秒
- ―そうか・・オフなんだ・・―
心に少し余裕ができた。納得できない部分がほとんどだが、これ以上悩んでも
仕方のないことだった。真希はシャワーを浴びて着替えを済ませるとホテルを
出た。
「寒ーーいぃーー」
北海道の風は一段と寒いものだった。東京で北海道の様子を見たことはあるが、
ここまで寒いとは思っても見なかった。北海道にはツアーで来たことはあるが、
外の風に当たるのは車から降りるて移動するときなどごく短い時間だ。5分ほ
どしか歩いてないのに足先の感覚はなくなり、口もほとんど開けることができ
ない。北海道の風は寒いというより痛いというのが正直な感想だった。
真希は身を小さくして歩いていく。そして、雪に覆われた景色を目に映してい
く。
―ここがなっちや圭織が生まれたところなんだよね―
ちょっとだけ感動に浸っていた。
- 19 名前:【後藤真希】 投稿日:2003年02月13日(木)00時43分14秒
- 「なっちは!!」
思い出したように大声を上げた。周りを歩いていた人々の視線が真希に集まっ
た。真希は下を向いてその場から急いで離れていく。このときだけは、凍え気
味だった顔が一気に熱くなっていくのがわかった。
真希は寒さをしのぐために本屋に入った。誰もいない一角に移動すると、なつ
みに電話を掛けてみるが繋がらない。心配した真希はすかさずひとみに連絡を
とると、なつみは同じところにいてTV収録中だということだった。真希はひ
とみと一言二言話すと電話を切った。
「ふぅーー」
真希は大きくため息をつくと、背中にどっと疲れが押し寄せてきた。
―どうなってるの―
周りに人がいなければ、思いっきり叫びたかった。自分の知らないところで事
が進んでいく。自分だけが取り残された感じで、苛立つ気持ちを隠しきれない。
- 20 名前:【後藤真希】 投稿日:2003年02月13日(木)00時46分13秒
- ―もう・・―
グゥーー
急に力が抜けた感じがした。空腹感が真希を襲う。
―そういえば、朝から何も食べてなかったなぁ―
真希は街へと繰り出した。
真希は看板を見ながら、どこで食事をとるか悩んでいた。そして、一軒のラー
メン屋が目に入った。とり立てておしゃれというわけでもなく、古いともいう
わけでもない。ごく普通のラーメン屋でしかなかったが、どこか引かれる感じ
がした。自然と足が進んでいく。
ガラガラ〜
「いらっしゃいませ!」
店内に足を踏み入れると元気な声が響く。店内には2・3人の客がいたが誰も
後藤真希だとは気づいていないようだった。真希はカウンターの奥に座ると味
噌ラーメンを頼んだ。ラーメンが出来るまでの間、店内を観察するが特に変わ
った様子はなかった。何故こんな店に入ったのか自分でもよくわからなかった。
- 21 名前:【後藤真希】 投稿日:2003年02月13日(木)00時48分51秒
- 「お待たせしました。味噌ラーメンです」
真希の目の前にラーメンが出された。味噌の香りが食欲をすする。
「いただきます」
真希は麺を口にした。スープが太目の麺に絡まって、ツルツルと喉の奥まです
んなりと入っていく。スープもコクがあって見た目よりあっさりとしていた。
「おいしい!」
思わず言葉がでた。その顔は満足げだった。
一口、二口とどんどん箸が進む。そんな真希に店員が話しかけてきた。
「ごっつあん、どう?」
「おいしいですよ・・えっ・・」
真希の目にここにいるはずがない顔が映った。
「どうして・・」
真希には信じられなかった。
さっきまで温かかったラーメンが急に冷たくなっていた。そればかりか真希の
舌も味を感じなくなっていた。体の中が凍っていくような感じがしていた。実
際に足元をみると足首まで凍りついていた。凍りついた範囲はだんだん上半身
へと広がっていく。動こうにも動けない。パニックに陥った真希は大声を上げ
るしかできない。体をブルブル震わせながら顔から血の気が引いていく。
「どうして・・なっち」
真希の最後の言葉だった。
- 22 名前:M_Y_F 投稿日:2003年02月13日(木)00時50分06秒
- 今日の更新はここまでです。
- 23 名前: 【後藤真希】 投稿日:2003年02月14日(金)00時05分54秒
- コトコト、コトコト・・
真希は何かを煮込んでいる鍋の音で目が覚めた。
チッ、チッ、チッ・・
時計の針の音がハーモニーを奏でる。
―ここはどこ?―
両手を動かそうとするが、何かに抑えられたように動かない。そればかりか手
の感覚自体なかった。同様に足や頭を動かしてみるがピクリとも動かない。声
を出そうにも喉に何かが刺さった感じがして言葉が遮られてしまう。
「ララララ♪〜」
聞き覚えのある歌声が聞こえてきた。そして、歌声の主は真希の前に歩み寄っ
て来た。
「やっと、自分ものになっただべ」
うれしそうに笑顔を浮かべていたのはなつみだった。なつみは真希の肩に手を
置くと唇を近づけてきた。しかし、真希の唇とは重なることはなかった。
「ふっ、ごっつあんもうれしそうだべ」
なつみは足取りも軽く鍋の方に向かっていく。真希はなつみの様子を不思議な
感じで見ていた。
- 24 名前:【後藤真希】 投稿日:2003年02月14日(金)00時08分36秒
- なつみは鍋をかき混ぜながら、真希に話しかけるかのように語り始めた。
「ごっつあんも人気あるんだよ・・ここにいる裕ちゃんのように」
なつみは鍋から離れるとなつみは氷の塊の前で止まった。その塊は人間の形を
していた。
うっすらと氷越しに顔が見えた。
―嘘でしょう・・―
真希の目に恐怖におののいた表情をした裕子の顔が映る。後に続く言葉がなか
った。
「ごっつあんも裕ちゃんのこと食べたいって言ってたでしょう・・
だからさっき、ごっつあんにも食べさせてあげたんだ・・
本当は誰にも食べさせたくなかったんだけど・・」
なつみはまた鍋のところに戻ると鍋から骨らしきものを取り出した。真希は豚
骨かと思った。真希にはまだなつみの言葉の意味がわからない。
「裕ちゃんって、脚きれいでしょう・・だからさ、一緒に煮込んでみたんだ・・
いいダシがでてたでしょう・・とっても上品な上にまろやかでコクがあって・
チャーシューもおいしかったはずだよ・・裕ちゃんの太もも・・」
なつみはうれしそうに言葉を並べていた。
- 25 名前:【後藤真希】 投稿日:2003年02月14日(金)00時11分15秒
―うっ・・―
真希には信じられなかった。先ほどの塊に自然と視線が映る。塊全体を見てみ
ると、ちょっとバランスが悪い。下の方が極端に細かった、よく目を凝らして
みると右足がない。裕子を食べたという事実が胃の中のものを逆流させる。ど
うにもならない吐き気と裕子を食べたことに対する罪悪感が真希を打ちのめす。
本当になつみなのか疑ってしまう。今すぐにでも逃げ出したいのだが体が動か
ない。これ以上なつみの声を聞くことは耐えられなかった。
「でもさ・・」
なつみの表情が一瞬曇った。
「裕ちゃんもだけどごっつあんも誰にも渡したくなかったんだ・・
一人だけの秘密にしておきたかった・・」
なつみはゆっくりと真希の元へとやってくる。
―もう、止めて!―
真希は心の中で必死で叫んでみるがなつみには届かない。なつみの声が悪魔の
囁きへと変わっていく。
「裕ちゃんもごっつあんも欲しいって人がいるからさ、ちょっとだけ食べさせ
てあげなきゃならないのが悔しいんだべ」
なつみは真希の周りを歩きながら、寂しそうに話していた。
- 26 名前:【後藤真希】 投稿日:2003年02月14日(金)00時13分27秒
- 「でも、今日が終われば、残りのすべてがなっちのもの・・」
なつみは大きく深呼吸しながら、真希に視線を送った。
「ごめんね・・約束だから」
なつみは頭を下げると、右手にノミを持っていた。
カチッ、カチッ、カッ・・
右目の視界が良好となった。寂しげななつみの表情がはっきりとわかる。しか
し、その顔はどこか嬉しそうだった。
スッーー
なつみが視界から消えたと思うと突然針のようなものが現れて、目に突き刺さ
った。不思議なことに痛みはまったく感じなかった。いつしか右目の世界が変
わっていく。
バサッ!
右耳が突然聞こえなくなった。もちろん痛みどころか切られたという感覚もな
い。ただ、真希の目玉と右耳を持ったなつみが鍋に向かっていくのが左目に映
っていた。
ガァーー、ブクブクブク・・
ないはずの右耳から炎と沸騰する水の音が聞こえてきた。そして、右目にはお
湯の中で回転する裕子の骨と野菜、銀色の鍋や天井、それになつみの顔が映っ
ていた。真希は不思議な気分だった。恐怖を超えてわけがわからなくなってい
た。右目と左目、右耳と左耳ではまったく世界が異なっていた。
- 27 名前:【後藤真希】 投稿日:2003年02月14日(金)00時16分06秒
「おーい、なっち」
「あっ、もう少し待ってね」
右耳から聞き覚えのある声がした。
―助けて・・―
もう誰でもかまない、ここから連れ出してほしい。藁にでもすがりたい気分だ
った。
「いい香りするね・・」
「そうでしょ」
なつみは当然とばかりに返事を返した。
真希の右目には不思議な光景が映っていた。丼の中にはたっぷりの麺とチャー
シューが置かれていた。チャーシューが見えていた次の瞬間には天井が見えて
いた。
「お待たせ」
「やったね・・」
真希の視界になつみと圭の顔が入ってきた。
「なっち、悪いね・・無理言って」
「いやぁ・・裕ちゃんの時は手伝ってもらったし、皆には内緒だべ」
「わかってる」
二人は何事もなかったように会話をかわす。
「今日は特別に裕ちゃんとごっつあんの盛り合わせつくったから」
「ありがとう・・早速いただくね」
「温かいうちにどうぞ」
「いただきます」
圭は早速スープを口に運ぶ。
「おいしい!」
「そうだべ」
二人は満足そうな笑顔を浮かべていた。
- 28 名前:【後藤真希】 投稿日:2003年02月14日(金)00時17分41秒
- 「これが裕ちゃんの太ももね・・」
チャーシューを口に運ぶ圭が見えた。真希には考えられないことだ。いや、誰
が圭やなつみのことをまともだと思うだろうか。なつみばかりでもなく圭まで
もが異常と思える行動をとること自体信じられないことだった。
真希の思いを知ってか知らずか圭の箸は進む。
「これが、ごっつあんの耳か」
箸で耳を挟んでいる圭の姿があった。
―ダメ!―
真希の言葉もむなしく右耳が圭の口の中へと消えていく。
ゴクン!
右耳から聞こえた最後の音だった。
「かわいいね・・これがごっつあんの目玉か・・」
圭はじっくりと眺めていた。
どれくらい見つめられていたのであろうか・・
たった10秒ほどの時間が真希には何時間にも何十時間にも感じられた。
―どうして、圭ちゃんが・・―
戸惑いと恐怖が心の中にうずまく。どう考えても納得できないことだった。
―もう、止めて!―
右目が突然見えなくなってしまった。
圭の顔・・
右目で見た最後の景色だった。
―私が何をしたっていうの・・―
知らぬ間に涙が頬を伝わっていた。
- 29 名前:M_Y_F 投稿日:2003年02月14日(金)00時19分18秒
- 今日の更新終わりです。
- 30 名前:M_Y_F 投稿日:2003年02月16日(日)01時53分52秒
- 本日の更新です
- 31 名前:【後藤真希】 投稿日:2003年02月16日(日)01時56分14秒
真希の左目だけでなつみを見て、左耳でなつみの声を聞く日々が始まった。
「なっち、今日はラジオだったんだ・・」
なつみは今日の出来事を真希に話すのが日課になっていた。
「もう誰にも渡さないから・・
そして、誰にもあげないから・・
なっちだけのごっつぁん・・」
なつみは後ろから真希に抱きついた。そして、凍っている真希にくちづけをす
る。この姿を他人が見たら何と思うだろうか、そんなこと関係なかった。なつ
みは真希を自分のものにできて満足していた。
「でも、これだけじゃ・・」
なつみは真希に囁くように告げた。
一つのものが手に入れば、次のものを欲しくなるのが人の性である。もちろん
、なつみも例外ではなかった。
- 32 名前:【後藤真希】 投稿日:2003年02月16日(日)01時58分49秒
「最初は一緒にいられるだけでよかったんだ・・」
なつみはぽつりと漏らした。
「なっちは、ごっつあんと一緒にいられるだけでよかったの本当に・・
初めて手が触れたときのドキドキ感が忘れられなくって・・
ごっつあんの笑う顔、怒った顔、泣いた顔、間近で見ていたくて・・」
なつみは真希の表情をうかがいなら言葉を続けた。
「本当はこうするつもりはなかったの・・
本当だよ、ごっつあん」
なつみは許しを乞うような目をしていた。
「でも、ごっつあんが悪いんだよ」
なつみは髪をかき乱した。
「なっちの気持ちを知ってるくせに・・
他の皆と仲良くしちゃって・・
だから、ごっつあんを独り占めしたくて・・」
なつみは思いを噛みしめるように天を仰いだ。
- 33 名前:【後藤真希】 投稿日:2003年02月16日(日)02時00分42秒
「もう普通に遊んだりするだけでは満足できない・・
KISSとかそういうのじゃ物足りなくなったの・・
すべてが欲しくなったの
ごっつあんのすべてを知りたかったの」
なつみは懇願するように目を潤ませていた。
「誰にも渡さないから」
なつみの目がギラリと光っていた。
それは真希の知っているなつみの顔ではなかった。いつもの明るい笑顔と違い、
どこか暗くて怖い顔だった。これがなつみの隠れていた本性なのかと思わせる
ほどだった。
「ごっつあんはなっちのもの・・
ごっつあんはなっちと一緒になるの」
なつみはいつものようにのこぎりを手にしていた。
- 34 名前:【後藤真希】 投稿日:2003年02月16日(日)02時03分04秒
―なっち・・―
真希にはなつみの考えていることがわからなかった。
なつみの思いがこれほどのものとは予想もできなかった。
最初は恐怖との戦いだった。いつもの明るい顔に秘められた残虐性は衝撃的だ
った。なつみの言葉を聞くたびに震え上がっていた。自分の体が動けば即座に
逃げ出すところだった。
そのうちになつみが哀れでかわいそうになってきた。真希の前だけで見せる弱
気な一面、寂しそうな顔を見てるとほっとくにもほっとけないようになってい
た。
−なっちの為なら・・−
いつしか奇妙な愛情が芽生えはじめていた。
- 35 名前:M_Y_F 投稿日:2003年02月16日(日)02時04分01秒
- 本日はここまでです
- 36 名前:【後藤真希】 投稿日:2003年02月18日(火)00時01分19秒
なつみと真希の奇妙な生活は続いていた。
「ねぇ、ごっつあん・・」
いつもの話が始まった。
―もっと、聞かせて―
今の真希にとって、なっちの話を聞くのが唯一の楽しみだった。
体が自由に動かせるわけでもない、歌えるわけでもない。ただ、じっとしてい
るだけである。いつも同じ光景しか見えない状態で、なつみだけが唯一の癒し
となっていた。
「矢口とよっすぃーと映画見てきたんだ」
嬉しそうに話す。
―そんなこと言わないでよ―
真希はなつみが誰かと一緒にどこかに行ったとか聞くと何故か苛立ってきた。
明らかに嫉妬しているのがわかる。そんな自分が嫌だった。
―なんで私を連れて行ってくれないの―
言葉が出ない自分が歯がゆい。
もう頭だけしか残っていなかった。
- 37 名前:【後藤真希】 投稿日:2003年02月18日(火)00時02分02秒
真希を撫で回すなつみはいつにもなく寂しげだった。
なつみは顔だけになっていた真希を胸に抱えた。
「今までつらい思いばかりごめんね」
なつみの頬に涙が伝わる。
―どうしたの?―
不安がよぎる。
「本当にごめん」
そこに笑顔はなかった。
ガァーー、ブクブクブク・・
真希の耳にぐつぐつと煮えたぎる鍋の音が聞こえてきた。
―そうか・・これで終わるんだ―
真希は最後を悟った。あっけなかった。
ただ、なつみの一部となれることが救いだった。
スッーーー、ポチャン
ゆっくりと鍋の中に入っていく真希。
沸騰する鍋の音と勢いよく燃え上がる炎の音だけが部屋に残った。
- 38 名前:【後藤真希】 投稿日:2003年02月18日(火)00時02分59秒
「真希、真希!起きなさい」
−死んだはずの私なのに−
真希は不思議な気分だった。
「あれっ?何でお母さんがここにいるの?」
「あんた何言ってるの」
「私、死んだんじゃ・・」
「寝ぼけたこと言わないの!」
真希は思いっきり怒られた。頭にはこぶのようなものができていた。
- 39 名前:【後藤真希】 投稿日:2003年02月18日(火)00時04分41秒
「ほら、安倍さんからの手紙だよ」
真希は封筒をやぶくと中に入っていた手紙を取り出した。
《ごっつあんへ
楽しいときをありがとう
ごっつあん、とてもおいしかったよ
また、食べさせてね
P.S
前頼まれていた例のチケットを一緒に送ります
よっすぃーと楽しんでおいで 》
真希はチケットを取り出した。
そこには真希とひとみの名前が書かれていた。
行く先は書かれていなかった。
―でも、おいしかったって・・―
不思議な気分だった。
真希はひとみに連絡をとると旅行に行く日程を決めた。
悪夢はまだ続く・・
- 40 名前:M_Y_F 投稿日:2003年02月18日(火)00時05分32秒
- 本日はここまでです
- 41 名前:M_Y_F 投稿日:2003年02月18日(火)21時27分36秒
- 今回の更新です
- 42 名前:【後藤真希&吉澤ひとみ】 投稿日:2003年02月18日(火)21時30分06秒
「かんぱーい」
二人の少女が声がキッチンに響く。その声は明るく嬉しさに満ちたものであっ
た。ほんのり灯った灯りが二人のムードを盛り上げていた。
ヒューー、バサバサ、ギギィーー、ヒューーー
ヒューー、バサバサ、ギギィーー、バサバサ
山奥の緑に囲まれた家の外から聞こえるのは風の音と風に揺れる草と木々のだ
けである。
「ねぇ、こんなところあったんだ!でも、なんかちょっと寂しいね 」
「ううん。二人でいられるなら、こんなところがいいよ
それに、誰も邪魔がはいらないから」
二人は肩を寄せ合いながら、静かに食事をしていく。食事が進むうちに、お腹
の方も満たされてきたのか、会話がだんだんと多くなる。
「安倍さん、よくこんな場所とれたね。感心したよ」
「うん、でも田舎ってところがなっちだよね・・
よっすぃー、よく休みとれた ね?」
「ちょっと、大変だったけどね。ごっつぁんもよく休みとれたじゃん。
忙しいのに・・」
「忙しいのはお互い様じゃん。そんなことより、今を楽しまなくっちゃ」
「そうだね」
二人の少女とは、吉澤ひとみと後藤真希である。
- 43 名前:【後藤真希&吉澤ひとみ】 投稿日:2003年02月18日(火)21時31分59秒
- 二人だけの空間を楽しんでいた。真希が卒業してからTV収録で一緒になるこ
とはあっても、こうやってゆっくり話す暇もなかった。しかも二人だけである。
たわいのない会話でもよかった。二人でいられればそれでよかった。お互いに
握った手からぬくもりを感じていた。
「ごちそうさま」
二人は食事が終わると、二人で食器を運ぶ。そのまま食器を洗おうとしたとき
ひとみが真希に声をかけた。
「ごっつぁん、先にシャワー浴びてきて」
「いいよ、一緒にやるよ」
「いいって。ご飯は全部ごっつぁんが作ったでしょう。これぐらいしなきゃ」
「そんな気遣わなくてもいいのに」
「こうでもしないと私の気が済まないの」
「でも・・」
「まだ時間があるんだから」
「うん」
真希はシャワーを浴びにその場を去った。
- 44 名前:【後藤真希&吉澤ひとみ】 投稿日:2003年02月18日(火)21時36分34秒
- ひとみは食器を洗い終えると、一人リビングでくつろいでいた。
トゥルルルルーーー、トゥルルルルーーー、トゥルルルルーーー
ひとみの携帯が鳴った。相手は矢口真里だった。
【よっすぃー、どこいるんだ! 皆待ってるんだぞ!早く】
「えっ・・今日休みじゃないんですか!」
【何言ってんだ。昨日の帰る前に連絡あったろう】
「あっ・・」
ひとみは突然のことに表情を曇らせた。
「よっすぃー、どうしたの?」
そこにシャワーを浴びたばかりの真希が現れた。
「あのさぁ、矢口さんからの連絡で今日仕事だって」
「そんな・・」
真希の顔に落胆の色が見えた。
【もしもし・・もしもし!!】
携帯から怒り声の真里の声が聞こえてきた。
「あのぉ・・」
【すぐ来いよ!】
「すぐには行けないんですけど・・」
落ち込むひとみをよそに携帯から明るい声がしてきた。
【なっちだよ!元気してる!】
【なっち、人の携帯勝手にとるなよ】
先ほどの怒りは何処へやら、携帯の向こうは大騒ぎになっていた。
- 45 名前:【後藤真希&吉澤ひとみ】 投稿日:2003年02月18日(火)21時38分20秒
「・・・」
あまりの変わりように声もないひとみだった。
【うまく言っとくからさ!お土産忘れるないでね!
ごっつぁんにもよろしく・・ハハハハーー】
「あぁ・・はい・・それで・・」
ツゥーーー
ひとみが言い返すまもなく電話は切れてしまった。
「よっすぃー、帰るの?」
真希の心配そうな表情がひとみの視界に入った。
「何そんな顔してるんだよ。大丈夫!安倍さんがなんととかしてくれるって!」
「なっちが・・珍しいね」
「ごっつぁんといるのもばれてたよ。しかも、お土産よろしくだって」
「まぁ、なっちからもらったチケットだし・・」
真希の顔がほんのりと赤くなっていた。
「ごっつぁん、何考えてるの? 顔が赤いよ」
「なんでもないよ。よっすぃーもシャワー浴びてきたら?」
「そうだね」
ひとみは何事もなかったかのようにバスルームに向かう。真希は自分の心を読
まれたようで恥ずかしかった。
- 46 名前:【後藤真希&吉澤ひとみ】 投稿日:2003年02月18日(火)21時39分57秒
- 「ふぅーー」
真希は自分の気持ちを落ち着けるかのように大きく息をした。
ひとみがシャワーを浴びている間、真希はリビングをうろついていた。タンス
の扉や引き出しを開けては中をチェックするがたいしたものはなかった。不特
定多数の人が利用する場所だからだと思いながら、いろいろと見て回った。そ
して、TV台の一番下の引き出しに一体の骸骨の人形があった。
「あぁ、こんな人形どうするんだろう・・
そういえば、裕ちゃんにあげた人形と似てたな・・」
真希はそのまま引き出しを閉めると、苦笑いしながらソファに腰をかけた。
―何だったんだろう?―
なつみとの出来事が頭をよぎる。
考えれば考えるほどわけがわからなくなる。同時にあの恐ろしさが鮮明に脳裏
に浮かぶ。
「いやだ、いやだ」
真希は思いを振り切るように髪をかきむしった。
すべてを忘れ去るように、本を取り出して読み始めた。
- 47 名前:【後藤真希&吉澤ひとみ】 投稿日:2003年02月18日(火)21時41分22秒
ソファでくつろいでいる真希のところに、ひとみが髪をタオルで拭きながら現
れた。
楽しげな話し声と笑いが交差していた。そこは二人だけの世界だった。
二人は0時過ぎごろまで、様々な思いを話し合った後、それぞれの部屋に戻っ
ていった。
- 48 名前:【後藤真希&吉澤ひとみ】 投稿日:2003年02月18日(火)21時42分56秒
夜中も1時を回った頃だった。
コンコン、コンコン
ひとみの部屋のドアを叩く音がした。
「ごっつぁん、いいよ」
「えへっ・・」
ひとみの声に真希は安心したかのような表情を浮かべて、部屋に入って来た。
「こっちにおいで」
ひとみの招き通りにベッドに潜りこむ真希だった。潜り込んだ真希はひとみの
肩に頬を寄せた。ひとみの手が真希の髪に触れる。
二人だけの時が過ぎていく。
どれくらい時間が過ぎたであろうか。
ひとみが静かに体を起こした。
「ごっつぁん、ちょっとごめんね」
「どこ行くの?」
「トイレだよ」
「そうか・・」
心なしか寂しげな真希の表情を見てると、いつもになくかわいく思えてきた。
ひとみは真希の額に軽くキスをすると、部屋を出ていった。
- 49 名前:【後藤真希&吉澤ひとみ】 投稿日:2003年02月18日(火)21時45分04秒
「きゃぁーーー」
突然、ひとみの叫び声が聞こえた。
「どうしたの?」
真希は洗面所の前に駆けつけた。そこには、床に座っているひとみの姿があっ
た。
「あれっ・・」
ひとみはある方向を指差した。
「きゃぁーー」
真希もその光景に思わず悲鳴を上げた
洗面所の蛇口から赤い水が流れていた。その水はサラサラとしたものでなくド
ロドロとした感じのもので、血が流れているといってもおかしくはなかった。
「何これ?」
「わかんないよ」
二人は流れる水をそのままに一番近くにあるキッチンに向かった。
カチッ
真希が明かりをつけると、部屋全体を見渡す。そこは、さっきまで真希達がい
た部屋と何ら変わりがなかったひとみと真希は注意深く部屋の隅から隅までチ
ェックした。さすがに蛇口を捻って水をだそうとは考えもしなかった。真希と
ひとみが動きまわる物音以外音らしい音はない。周りをキョロキョロ見渡しな
がら、なにかおかしいところがないかを調べていく。
- 50 名前:【後藤真希&吉澤ひとみ】 投稿日:2003年02月18日(火)21時47分17秒
- ゴーーン、ゴーーン
キッチンある柱時計が時を知らせる。
「わぁーー」
「ちょっと・・」
今の真希とひとみにはきつすぎる洗礼だった。二人の額にはうっすらと汗がに
じんでいた。真希は時計の音にびっくりして、その場にへたり込んでしまった。
その目はひとみの様子を追っていた。
「えっ・・」
真希の目が点になった。真希の言葉にひとみが振り返る。
「きゃーーー」
ドテッ
ひとみは思わずしりもちをついた。ひとみの目には壁から染みだしてきている
のがはっきり見えた。その血は人の形へと変わる。
「こっち!」
ひとみは真希の手を引っ張ると玄関へと向かった。
- 51 名前:【後藤真希&吉澤ひとみ】 投稿日:2003年02月18日(火)21時49分23秒
- ガチャガチャ
ドアのノブを回すが全然開こうともしない。
ドンドン、ドンドン
ノブがだめなら、ドアに体当たりを試みるがびくともしなかった。
「どうなってるの」
「こんなところ、嫌だよ」
二人は家の中にいることが恐くて我慢できなくなってきた。このまま家の中に
いるよりも外に出た方がまだ安全だと思った。
ポタッ、ポタッ・・
先ほどまで開けようとしていたドアの上から滴が落ちてきた。
ピチャ
ドアの滴が1滴、ひとみの手に落ちた。あまりの冷たさに手に目をやるとそこ
には赤い水の跡が残っていた。
「うっ・・ゴクン」
思わず唾を飲みこんだ。ドアの上の方に目をやると血が滴り落ちていた。
背筋に寒気が走る。
「開いてくれ」
「お願いだから、開いて」
ひとみと真希が必死でドアのノブを回すが何の反応もない。ただ、ドア一面が
真っ赤に染まりはじめた。足元には血の固まりがあった。焦りばかりが募って
いく。
「よっすぃー、もう気味が悪いよ・・」
「そうだね・・」
二人は玄関をあきらめて、リビングへと向かった。
- 52 名前:【後藤真希&吉澤ひとみ】 投稿日:2003年02月18日(火)21時51分40秒
リビングに入ったひとみと真希は真っ先に大きな窓へと向かった。ひとみと真
希は互いにカーテンを掴んだが、カーテンが開くことはなかった、カーテンは
思いっきり湿っていた。カーテンを放した手の平は真っ赤になっていた。それ
を見た真希とひとみの顔は蒼褪めていた。特に色の白いひとみの顔から血が引
いていくのがはっきりとわかった。カーテンの上の天井から赤い滴がポタリポ
タリと落ちていた。カーテンに落ちた血はそのままカーテンに沿って床へと落
ちていく。その落ちていく血の跡がいくつも縦に流れていた。
ザァーー
突然TVの電源が入ってブラウン管に砂嵐が映し出された。そして、黒と白の
画面がだんだんと赤くなっていく。
「嘘でしょう・・」
「うっ・・」
二人はソファーに手の平を擦りつけると別の部屋へと移る。
- 53 名前:【後藤真希&吉澤ひとみ】 投稿日:2003年02月18日(火)21時54分31秒
真希が泊まっていた部屋、誰も泊まっていない部屋を見て回った。壁からは血
が染みだし床には血の固まりが、そして、移動する廊下の壁にも血が染み出て
きている。何もかもが赤く染まっていた。
最後にひとみが泊まっているの部屋に入った。壁に血が染み出しているような
個所はなかった。ドアの鍵をロックすると二人してベッドの上に座りこんだ。
息を潜める二人だった。二人の視線はドアのノブに、聴覚は部屋の外の物音に
向けられていた。
さすがに窓の側に寄る勇気はない。最初はドアのノブに集中していた視線も壁
や天井に移っていく。他の部屋と同じように血が染みでてくるのだろうかと不
安げになってくる。しかし、この部屋では血が染みだしてくる部分はまったく
なかった。二人にすれば、ここが一番落ち着ける場所だった。
ポタッ・・ポタッ・・
床に落ちる滴の音がかすかに聞こえていた。あまりにも静かすぎる家の中では
息をする音でさえ恐怖に変わる。
- 54 名前:【後藤真希&吉澤ひとみ】 投稿日:2003年02月18日(火)21時57分11秒
- コンコン・・
誰かがドアを叩く音がしていた。二人は抱きしめ合ったままベッドの上で震え
ていた。いまさらどう騒いでも家の外はおろか部屋の外にも出られない。ただ、
何も起きることなく時間が過ぎていくことだけを願っていた。
コンコン・・
ドアを叩く音は更に続く。音がする度に背中がビクンビクンと反応する。いつ
ドアが壊されて誰かが突然侵入してくるのではという予感でいっぱいだった。
全神経がドアに集中していた。体中に冷や汗をかいてることをはっきり感じて
いた。
コンコン・・
ドアを叩く音はずっと同じ調子だった。普通こういう場面ではだんだんと荒く
なってくるのがほとんどである。何も変化がないことが不気味だった。二人の
視線は自然と部屋のあらゆる場所に向けられた。しかし、他の部屋で見た壁か
ら血が染み出してくるようなことはなかった。ドアが叩かれてる間、緊張が解
けることはなかった。
ドン、ドン・・ドン・・トン・・
足音が遠くなるとともに二人の息が大きくなる。足音が消えると二人とも肩で
大きく息をした。しかし、恐怖のせいか体が動かなかった。
- 55 名前:【後藤真希&吉澤ひとみ】 投稿日:2003年02月18日(火)22時00分31秒
- 10分ぐらい経っただろうか・・
「もう大丈夫かな?」
「うーん。多分ね」
震える真希に対してひとみはゆっくりとベッドを下りた。
「ちょっと、どこ行くの?」
「ドアのところ見てくる」
「だめだよ」
「大丈夫だって」
人は恐怖が去って大丈夫だと思えば、ついその場所を見たくなるものである。
ひとみは真希の手を払うと足音立てないようにドアに近づいた。
ギィーー
ドアが開いた。真希は目を閉じて両手で顔を覆った。
10秒ほど経って、真希は指の間から覗き込むようにひとみを見た。
「誰もいないよ」
ひとみは怖がっている真希を気遣ってか明るくふるまった。
「もう、バカー・・早く閉めようよ、よっすぃー」
「うん・・」
ひとみはドアを閉め鍵をかけると真希の寝るベッドの中に潜りこんだ。
真希はひとみが無事だったことに胸をなで下ろしていた。
「何も起こらないよね」
「多分・・」
二人だけの世界がこんなに恐くなるとは思わなかった。ベッドの中ではひとみ
の右手と真希の左手がしっかり握られていた。
「大丈夫だよね・・」
真希の頭がひとみの肩に触れていた。
- 56 名前:【後藤真希&吉澤ひとみ】 投稿日:2003年02月18日(火)22時02分47秒
「スーー、スーーー」
「スーースーー」
二人は恐怖におののきながら必死に眠気をこらえていたが、移動の疲れもあっ
ていつのまにか眠りに落ちてしまった。
「やめてよ、よっすぃー」
真希の顔に何かが触っている感触がした。
「やめてって、よっすぃー」
普段の真希ならこのまま平然と寝てしまうのだが、緊張のせいで寝つけなくな
っていた。
頬に当たる感触はゴツゴツしたものだった。ふと目をあけるとひとみは目の前
で寝ていた。
「よっ・・」
ひとみの名前を呼ぼうとした瞬間冷たいものが背中と頬に感じた。真希の視線
は自然と後ろに移る。
- 57 名前:【後藤真希&吉澤ひとみ】 投稿日:2003年02月18日(火)22時05分01秒
- カチッ、カチッ、カチッ・・
真希の視線の先に顎を上下に動かす骸骨の姿があった。
「きゃっ」
思わず頭から布団かぶるとひとみの方を向いて目を閉じた。必死で恐怖に耐え
る真希だったが、やはり先ほど見た骸骨が気になってしょうがなかった。真希
はゆっくりと頭を布団から出した。覚悟を決めて振り返ったが骸骨はいなかっ
た。
「ふぅーー」
真希の口から思わずため息がもれる。視線は自然と天井に向いた。
カチッ、カチッ、カチッ・・
真希の耳に聞きたくもない音が聞こえてくる。真希の視線の先には骸骨が見え
た。
「ぎゃぁーーー!!」
真希はいてもたってもいられずに大声を上げた。普段の真希からは想像できな
いほどの声の大きさだった。
「どうしたの?」
ひとみもあまりの声に目を覚ました。
「あれ・・」
真希が震えながら指差す。
「わぁーーー」
ひとみも思わず声を上げた。指差した方向には骸骨の姿があった。
「ケッケッケッケーー」
カチッ、カチッ、カチッ・・
骸骨が二人を姿を見て笑っていた。
- 58 名前:【後藤真希&吉澤ひとみ】 投稿日:2003年02月18日(火)22時06分54秒
- 「くそっ!」
ボカ・・
ひとみは枕を投げつけたが、骸骨は笑ったまま動こうともしない。枕から飛び
出た羽毛がむなしく宙を舞う。
「うそ・・」
恐怖がこみ上げてくる。二人は手を取り合うとベッドを下りて壁に沿って動き
出した。突然のことに腰が抜けて立つことはできなかった。
「ケッケッケッケーー」
カチッ、カチッ、カチッ・・
骸骨は笑いながら二人の後を追う。
- 59 名前:【後藤真希&吉澤ひとみ】 投稿日:2003年02月18日(火)22時08分41秒
二人は部屋の隅に追いやられた。すでに逃げ場はなかった。
二人を追い込むように部屋の壁全体から血が染み出してきた。二人の背中にも
赤く冷たい血の感触が伝わってくる。全身に鳥肌が立ち、体中が震えていた。
「ケッケッケッケーー」
カチッ、カチッ、カチッ・・
骸骨が鎌を持って笑っていた。まるでこの時を待っていたかのようだった。
死の文字が二人の脳裏に浮かびあがる。
「やめろーー!」
「やめてーー!」
ひとみと真希の絶叫が家中に響き渡った。
ポトッ・・ポトッ・・ポトッ・・
鎌の先から赤い滴が床に落ちていた。
- 60 名前:【後藤真希&吉澤ひとみ】 投稿日:2003年02月18日(火)22時11分33秒
「あぁ〜、なっちだけ除け者にするから・・」
なつみはワインを片手に絵を眺めていた。
恐怖におののく二人の姿が描かれていた。
ポトッ・・ポトッ・・ポトッ・・
絵から赤い絵の具が垂れていた。
部屋の隅には鎌と骸骨の仮面が・・
「今度は誰を紹介しようかなぁ・・」
何も書かれていないチケットがなつみの手に握られていた。
- 61 名前:M_Y_F 投稿日:2003年02月18日(火)22時16分46秒
- これにて、第1部完です。
ネタが浮かべば続きを書こうと思います。
その前に、忙しい日々が続くので
しばらく更新できそうにありませんけど・・
- 62 名前:名無し読者 投稿日:2003年02月19日(水)16時00分51秒
- ミステリー満載なところが良いですね。
- 63 名前:M_Y_F 投稿日:2003年02月25日(火)00時21分09秒
- >>62 名無し読者さん
感想ありがとうございます。
それでは、第2部を書きます。
一応第2部で終了予定です
- 64 名前:【中澤裕子】 投稿日:2003年02月25日(火)00時23分25秒
- 中澤裕子はバスターミナルの中を歩いていた。
―何処にあるんや!―
裕子は苛立ちを隠しながらチケットに書かれた会社の出発場所を探していた。
空港やフェリーと違って多くのバスターミナルがある。最初はすぐに見つかる
と思っていたが、その数の多さに後悔していた。空港であればほとんどの会社
の受付が近くに集まっているのですぐにわかるが、バスとなるとそうはいかな
い。いくつかの会社毎にターミナルビルが違う。しかも近くにあればいいのだ
が、駅を挟んで両側にあったりと移動するだけも疲れる。実際に裕子の足もパ
ンパンになっていた。違う会社の受付でチケットを見せても名前は知らないば
かりかこんな会社はないとまで言われた。裕子の眉間にしわがよる。右手に握
ったチケットがグシャグシャになりかけていた。
- 65 名前:【中澤裕子】 投稿日:2003年02月25日(火)00時28分34秒
- ―本当にあるんか・・―
裕子は不安になった。あらゆるバスターミナルを回ったがチケットに書かれた
会社の看板さえない。普通ならとっくに見つかっているはずである。疲れもあ
って裕子は近くのベンチに腰を掛けた。
「お客様、失礼ですが中澤裕子様ではありませんか?」
「そうやけど」
声のする方を向くと、目の前に見覚えのあるというより知っている女性が立っていた。ただ、裕子が知っている女性にしてはどこか異質な感じがしていた。
「なんかようか」
「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
「あっ、はぁ・・」
裕子は言葉をかけるのをためらった。普段ならふざけて抱きついたりするので
あるが、その女性から近寄りがたいオーラみたいなものが出ているのを感じた。
理由はわからないがどこか気味が悪かった。2,3M距離をおいて淡々と女性
の後をついていった。
- 66 名前:【中澤裕子】 投稿日:2003年02月25日(火)00時30分06秒
- 二人はエスカレータを下へと向かった。ほとんどのバスが先ほどの場所に停ま
っていたのにもかかわらず何故別の場所に行くのか疑問に思った。回りを見れ
ば、バスが通れそうな通路もないし、他のターミナルビルに移動する気配もな
い。ただ下へ下へと降りていくことに首を傾げるのだった。
カツッ、カツッ、カツッ、カツッ・・
薄暗く灯った光の中で二人の靴音だけがハーモニーを奏でていた。
―断ろうかな・・―
迷いが生じてくるとともに、あのときの場面が頭に浮かんだ。
- 67 名前:M_Y_F 投稿日:2003年02月25日(火)00時31分08秒
- 今日はここまでです。
- 68 名前:【中澤裕子】 投稿日:2003年03月02日(日)23時17分48秒
- ―――
「ふぅ〜」
裕子は楽屋で収録前の準備をしていた。特に変わったこともなく、いつもと同
じ時間が過ぎていく。
コンコン、コンコン!
「どうぞ」
ドアのノックに振り返ることもなく返事する。
「失礼します。裕ちゃん、もう来てたんだ・・」
「なんや、なっちか・・」
「ちょっと、その“なっちか”って・・」
なつみは頬を膨らませながら裕子のもとに歩み寄ってきた。
「なっちにしては珍しく早いな・・なんかあったんか?」
「別に・・なっちだって早く来ることぐらいあるよ」
「昔は遅刻多かったしなあ・・」
「それは昔でしょう!」
なつみは裕子の肩を叩きながら、口を尖らせる。
「なっち、そんなに拗ねんと・・機嫌直してや・・」
「ちょっと・・止めてよ・・その手、セクハラだよ」
「女が女を触るのはセクハラとちゃうやん・・」
「もうしょうがないなあ・・」
裕子の手がなつみの胸を触っていた。なつみは笑いながらその手をどける。
- 69 名前:【中澤裕子】 投稿日:2003年03月02日(日)23時20分02秒
- 「なっち、何か用があるんやろう」
「そう・・そうだ!」
なつみは肩に提げていた鞄をおろすとなにやら鞄の中を探り始めた。裕子はち
ょっとだけ期待しながらその様子を見ていた。
「これだ・・これ、裕ちゃんにあげるよ」
なつみが差し出したのはバスの往復チケットだった。チケットには聞いたこと
もない会社の名前が載っていた。はっきりいって、バス会社の名前なんて有名
どころ以外知っているわけがない。一瞬ドッキリではないかと思ったほどだ。
「これ、ありがたいけど使う時間ないし、お母さんとかに使ってもろうて・・
気持ちだけ貰っとくわ・・チケットの期限とかあるやろう」
裕子の言葉になつみは一瞬寂しげな表情をみせた。そして、裕子が戻そうとし
たチケットをなつみは首を振って断った。
「無期限だし暇になったら使えばいいよ」
「本当か?」
「うん、絶対もらって損はないべさ」
「ありがとう・・では時間あるときに使わせてもらうわ」
なつみの笑顔に裕子もほっとしたような気分になる。
- 70 名前:【中澤裕子】 投稿日:2003年03月02日(日)23時21分56秒
「わぁー、もうこんな時間だ」
なつみは楽屋の時計を見て、慌てだした。
「なっち、早く来た意味がないやんか」
その様子に裕子がつっこむ。
「じゃ、あとでね」
なつみはそのまま楽屋を出るかと思ったとき、ドアの付近で急に引き返してき
た。
「ごめん、これ渡すの忘れてた」
なつみは裕子に1枚の写真を渡した。
「ほんま忙しいなあ、これなんや・・」
「さっきのチケットと一緒に渡してね。きっといいことあるから」
「そうか・・」
首を傾げて疑いの視線を向ける裕子。
「もう・・疑い深いんだから・・・ん・・・」
裕子の唇に柔らかくて暖かい感触が伝わった。
「なっち、何するんや」
「裕ちゃんだってよくするだべ、アハハハー」
なつみは笑いながら楽屋を後にした。
――
- 71 名前:M_Y_F 投稿日:2003年03月02日(日)23時24分12秒
- 今日はここまでです。
- 72 名前:【中澤裕子】 投稿日:2003年03月03日(月)23時41分44秒
- 裕子が階段を下りていくと、ひときわ天井の高い階へと導かれた。
そこには1台のバスが止まっていた。白を基調に赤と青と紫のラインが入った
ものだった。バスには会社名がプリントされていたがやっぱり見たことも聞い
たこともない名前だった。しかし、バスの車体には見たことのあるメーカーの
ロゴがあった。それだけでも、幾分気分が違う。裕子達はバスの入り口まで来て
いた。周りには裕子たち以外誰もいなかった。静かな空間が漂う。裕子は本当
に大丈夫なのか不安になる。
「さぁ、乗って下さい」
女性の言葉の通りバスに乗り込んだ。しかし、運転手の姿はなかった。思わず
足が止まる。
「奥へどうぞ」
裕子は女性の押す手に身を任せるまま一番後ろの席へと向かう。バスの内部は
落ち着いたブラウン系でまとめられていた。裕子は腰を下ろすと窓の外に視線
を移すが運転手らしき人影はまったくなかった。嫌な予感が走る。
- 73 名前:【中澤裕子】 投稿日:2003年03月03日(月)23時43分19秒
- 「お客様、写真をお持ちでしょうか?」
「はい・・」
裕子は写真を渡した。
「ここですね」
女性は振り返るとバスの前方へ歩いていた。裕子は何気なくその姿を追ってい
たが、次の瞬間自分の目を疑った。女性が運転席に座ったのである。
「ちょっと待ってや」
裕子は大声を上げた。しかし、裕子の声を無視するかのようにエンジンがかか
る音が聞こえてきた。
―まさか・・―
予期しない出来事に、裕子は自分の顔から血が引いていくのがはっきりわかっ
た。
バスが少しづつ動いていく。裕子は慌てたようにバスの前方に駆け出した。
「なっち、なんであんたが運転できるんや・・止めるんや」
「何言ってるの・・なっちだって運転ぐらいできるよ」
「嘘言うんやない、止めるんや」
「大丈夫だって・・もう、心配性なんだから・・」
恐怖に引きつる裕子とは対照的になつみは笑顔で運転する。
- 74 名前:【中澤裕子】 投稿日:2003年03月03日(月)23時45分23秒
- カーブや曲がり角でも減速せずにハンドルを切る。タイヤが悲鳴を上げる。裕
子にとっては胃が痛くなる瞬間だ。思わず顔を覆ってしまう。相変わらずなつ
みは笑っていた。
「早く止めるんや!なっち、わかるやろ!」
一般道に出る前なら被害は少なくて済む。裕子は必死で説得するが、なつみは
聞く耳を持たない。裕子の眉間にしわがよる。こんなところで事故を起こせば、
大事に至ることぐらい誰でもわかる。出口から光が射してきた。
「止めて!」
バスはだんだんスピードを上げていく。
―冗談やない・・―
裕子の額から冷や汗が流れ出す。何もできない自分が歯がゆかった。
そんな裕子の思いをあざ笑うかのようにバスは一般道へと出た。
- 75 名前:【中澤裕子】 投稿日:2003年03月03日(月)23時47分57秒
- バスは街中を進んでいく。
裕子はヒヤヒヤしながら座っていた。なつみの強引といえる運転は安心してい
られるものではなかった。
バスに驚き思わず腰を引く人々、ブレーキをかける自転車、そして、思わず止
まる小型車。こんなバスに乗っている裕子のほうが怖くなってくる。こんな状
態がずっと続いては裕子の気持ちがもたない。強引にハンドルを奪ってバスを
止めることを考えてみたが、街中でそんな暴挙にでるわけにはいかなかった。
「なっち、なっちの気持ちはよくわかったからこの辺で止めてや」
「何言ってるの、これからが面白いんだから・ちょっと人でも轢いてみようか?」
「アホ、何言っとるんや」
「冗談だよ、冗談・・アハハハーー」
なつみのからかうような笑いがバス内に響く。
「ごめん・・後ろにいくわ・・」
裕子は大きくため息をつきながら移動していく。なつみの行動にはついていけ
なくなっていた。これ以上危なかっしい場面を見続けことができなかった。そ
れなら、後ろで静かにしていたほうがましだった。
- 76 名前:【中澤裕子】 投稿日:2003年03月03日(月)23時52分07秒
―最悪や・・―
裕子は頭を抱えていた。
バスは高速へと向かう。裕子は無事に目的地に着くことだけを願っていた。
バスは高速に乗ってから、ますます速度を上げていく。これが普通の運転手な
ら、くつろいで本でも読んでいるか眠っているのであろうが、運転手はなつみ
である。ただ、目をつぶり、両手を胸の前で組んで神に祈るだけだった。
「何してるべさ、裕ちゃん」
突然、聞こえた声に顔を上げると、目の前に立っていた。
「何してるじゃないよ!運転は!!」
裕子は裏返った声で叫ぶ。
「大丈夫だよ・・」
「何が大丈夫や!」
バスはスピードを上げながら、少し曲がり始めた。
- 77 名前:【中澤裕子】 投稿日:2003年03月03日(月)23時54分46秒
「ちゃんと目的の場所には進んでるから」
「ハンドルも握らんで、誰が運転するんや」
「裕ちゃんだよ」
「そんな・・前!」
裕子は慌てふためいて前方を指差した。なつみの答えなんてどうでもいいこと
だった。前方に見えたのは道路ではなくガードレールと青空だった。
「もうあかん・・」
裕子は頭を守るように背中を丸めた。
ガシャン・・ドーーン
バスは大きな音とともにガードレールを突き破ると、崖下に一直線に落ちてい
く。
「お母さーーーん」
裕子の悲鳴が爆音に変わっていった。
- 78 名前:M_Y_F 投稿日:2003年03月03日(月)23時56分02秒
- 今日はここまでです
- 79 名前:【中澤裕子】 投稿日:2003年03月06日(木)23時45分30秒
これまでの出来事は夢だったのか・・
「うっ・・」
裕子の瞳に一筋の光が差し込んできた。
―ここが天国か・・―
ゆっくりと目を開けると、そこには天国とは思えない普通の世界だった。
テレビにラジオに時計・・天国とはまったく無縁なもの。
そして、テーブルの上には、ビールの缶が並ぶ。
「頭いた・・」
裕子はこめかみを押さえながら、ベッドを出てテーブルのもとへ歩く。
裕子のテーブルの上に置かれていた紙を手にした。
《北海道室蘭市XXX XXXホテル》
「うそや・・」
部屋のカーテンを開けると、目の前には白銀世界が広がっていた。
- 80 名前:【中澤裕子】 投稿日:2003年03月06日(木)23時47分46秒
寒い地方にいることだけは確かだった。何事もないように歩く人々の姿を見て
ると何故自分がここにいるのかわからなくなってくる。とりあえず、TVをつ
けて情報を得る。TVでは、朝の情報番組をやっていた。全国のニュースが次
々と紹介されていくが特に大きな事件は起きていないようだ。大々的に流れる
のは外交の問題と景気のことである。ローカル局の放送になって、自分が北海
道にいることだけは理解できた。ゆっくり流れる朝の時間、久しぶりのことで
ある。いつもはロケか寝ている時間帯だ。
寝ぼけたままの裕子はしばらくTVを眺めていた。
- 81 名前:【中澤裕子】 投稿日:2003年03月06日(木)23時52分15秒
「はぁ〜」
裕子はシャワーを浴びると改めて部屋を見渡した。部屋の隅に置かれたバッグ
はよく旅行に持ち歩くものだった。ハンガーにはここに来ることを知ってたか
のように厚手のコートが掛けてあった。自分で準備しない限り他人が揃えるの
は無理だった。裕子は思い出したようにバッグから携帯を取り出した。
「何や、この顔・・アハハハーー」
裕子は届いたメールに目を通した。そこには希美から送られてきた変顔が映っ
ていた。そして、しっかりと北海道のお土産まで要求していた。普段はのほほ
んとしてるのにこういうときだけはしっかりしているのに呆れながら次のメー
ルに目を通していく。誰もが北海道への旅行は知っているようだった。
- 82 名前:【中澤裕子】 投稿日:2003年03月06日(木)23時54分03秒
―なんでやろう・・―
裕子は全員からのメールを読みながら、ふと自分の行動を振り返っていた。い
ろいろと記憶を呼び返していたがどうやってここまで来たかわからない。今さ
ら何故自分がここまで来たのか誰にも聞ける状況ではなかった。
「わからん!」
裕子は髪を振り乱しながら舌を打つ。飛行機か電車に乗らない限りこんな場所
まで来るのは不可能である。しかし、それらの乗り物に覚えはない。必死に記
憶の隅まで掘り起こしてみるが何も出てこなかった。
―皆知っているようやし・・―
ここまで来て思い出せないのは気味が悪いがいつまでこうしてはいられない。
- 83 名前:【中澤裕子】 投稿日:2003年03月06日(木)23時56分03秒
「忘れてた!」
裕子は慌てて携帯を手にした。連絡先はマネージャーである。ここに来たのは
いいが、家にいるハナがどうなっているのか気にかかったからだ。裕子の慌て
ようとは反対にマネージャーからは馬鹿じゃないかと答えが返ってきた。何で
も2,3日ペット預けられるところを急に探してくれと頼んできたのに今さら
ハナがどうしてるのはないだろうと怒りを通り越して呆れた声が聞こえてきた。
裕子は見えない相手に何度も頭を下げながら携帯を切った。ハナが大丈夫だと
わかると急に気分が楽になった。裕子は着替えるとホテルを出た。
- 84 名前:【中澤裕子】 投稿日:2003年03月06日(木)23時57分56秒
「寒い!」
裕子は背中を小さくしながら歩いていく。一番寒い時期を過ぎたとはいえ北海
道である。東京とはまったく違っていた。風は一段と冷たく、寒いというより
痛いといったほうが当てはまる。かじかむ手を必死にこすりながら寒さをしの
いでいく。慣れない凍った道路をヨチヨチと歩幅を小さくして歩いていく。地
元の人は普通に歩いているのに自分だけ変な歩き方をしているのが恥ずかしか
った。しかし、東京とは違うのんびりした雰囲気に気持ちも穏やかになるのだ
った。
初めて歩く場所だった。
―室蘭・・なっちや圭織が生まれたところなんだよね―
ちょっぴり感動に浸りながら、雪で覆われた町並みを見ながら足を進めていく。
- 85 名前:【中澤裕子】 投稿日:2003年03月07日(金)00時01分01秒
「なっち!!」
裕子を突然大声を上げた。周りを歩いていた人々の視線が一気に裕子に集まる。
裕子はなつみに関する記憶を呼び起こすが肝心な部分はぼやけたままだった。
平静を取り戻しつつあった裕子の耳に周囲のあざけり笑うような声が聞こえて
きた。周りを見渡すと冷たい視線が集まっているのに気づく。自分が大声を上
げたのを思い出すと急に下を向いて恥ずかしそうにその場を去っていく。慣れ
ない足場のせいで思わずこけそうになる。その度に顔が熱くなっていくのを感
じた。体は冷え切っているのに、こめかみ付近に冷や汗が流れるくらい顔は熱
くなっていた。
―なっち・・―
裕子はなつみと何かあったかを必死に思い起こす。しかし、肝心なことはわか
らない。そんな自分に苛立ちながら歩いていく。北海道まで来てこんなことに
頭を悩ませること自体が不愉快だった。せっかくの旅行が無駄になってしまい
そうな予感がしていた。
- 86 名前:M_Y_F 投稿日:2003年03月07日(金)00時02分06秒
- 今日はここまで。
- 87 名前:名無し読者 投稿日:2003年03月07日(金)22時09分06秒
- 中澤さんとなっち・・・何があったのか謎だらけですね。
面白いです・・・この2人気になります。
- 88 名前:M_Y_F 投稿日:2003年03月08日(土)22時23分01秒
- >>87 名無し読者さん
感想ありがとうございます。
これからも少しでも面白く感じるものが書けたらと思っています。
それでは、今日の更新です
- 89 名前:【中澤裕子】 投稿日:2003年03月08日(土)22時24分58秒
裕子は何もかもが腑に落ちないまま漠然と歩いていた。本来なら楽しめる景色
も目に入ってこない。脳裏に焼きつくのは雪だけだった。最初は何もかも忘れ
て楽しむつもりだったがなつみのことが頭に引っかかってそれどころでもなか
った。
グゥーー
―朝から何も食べてなかった・・―
腹の虫がなったことで我に返る裕子。よく考えれば、室蘭に来る前から何を食
べて何を飲んだかまったく記憶がなかった。
裕子の目に色とりどりの看板や暖簾が飛び込んでくる。どこにしようか迷って
しまう。北海道といえば食べたい料理が次々と浮かんでくる。ある意味贅沢な
悩みだった。
―夜はお酒の後にラーメンやしな・・―
裕子は夜の献立を先に決めると、それ以外の店を探した。
- 90 名前:【中澤裕子】 投稿日:2003年03月08日(土)22時26分46秒
―どこがうまいんかなあ―
同じものを食べるなら、よりおいしくてより安いところがいい。しかし、初め
て来た場所でそんな条件があてはまる店なんて知る由もない。地元の人に聞く
のが一番いいのかもしれないが、見ず知らずの人に声をかけるほどの勇気もな
い。
しばらく歩いていると、一軒の店が裕子の目に留まった。紫の背景に白く浮か
んだ店の名前、そしておしゃれというわけでないが気分を落ち着かせる入り口。
裕子はためらいもなく、その店に入っていった。
「いらっしゃいませ!」
店員の元気な声が店内に響きまわる。店内には5、6人の客がいた。裕子は店
員に導かれて奥の席に座った。裕子はぐるっと店の様子を見渡す。ちょっと古
い感のある内装はゆっくりと食事をするにはぴったりだった。ピークをすぎた
こともあってお客にも店員にも慌しさはなかった。
- 91 名前:【中澤裕子】 投稿日:2003年03月08日(土)22時28分42秒
「いらっしゃいませ、何にしますか?」
裕子の前にお茶が置かれた。
「えーー、お昼のセットで」
「はい、かしこまりました」
裕子はお茶を一口飲んだ。ふと、真里や真希と一緒に食べたときのことを思い
出す。室蘭に来てから一番心休まる時間が過ぎているようだったが、現実はそ
う甘くなかった。
「おまたせしましたどうぞ」
裕子は目の前に置かれた寿司を見ながら、お絞りで手を拭く。まずは玉子から
口に運んだ。
「おいしい」
シャリの固さと量が上に乗ってる玉子と微妙なバランスだった。海老、イカと
次々と食べていく。久しぶりにまともな食事をしているような気がしていた。
「こちらもどうぞ」
裕子の前に味噌汁が出された。
「どうですか?」
「すごくおしいです・・」
裕子は料理人の言葉に素直に言葉がでた。しかし、次の瞬間、裕子の顔が変わ
った。料理人の声に手が止まった。その声は聞き覚えのある声だった。ゆっく
りと顔を上げた。
- 92 名前:【中澤裕子】 投稿日:2003年03月08日(土)22時30分26秒
「なっち、なんでここにあんたがおるんや!仕事は・・」
「そんなのいいじゃない、なっちのお寿司ちゃんと食べてよ」
「そんなんじゃない!・・仕事はえぇんか?」
「裕ちゃんも疑い深いなあ・・今は全員揃っての仕事の方が珍しいんだべ」
「そりゃわかるけど・・」
「温かいうちに食べて・・冷めちゃうよ」
「わかったわ」
なつみの言葉に応じるように再び箸を進めた。しかし、ここになつみがいるこ
と自体が不思議だった。先ほどまでおいしかった寿司もどこかまずく感じてく
るのだった。
「そんな顔してたら、おいしいものもおいしくなくなるだべ」
裕子の心を見透かしたようになつみが新たな寿司を裕子の前に差し出した。
「あぁ・・」
裕子はすかさず差し出された寿司を見た。それは魚ではなく何かの肉のようだ
った。裕子は変なものが乗っているように感じた。
- 93 名前:【中澤裕子】 投稿日:2003年03月08日(土)22時31分56秒
「裕ちゃん、どうしたの?」
なかなか手をつけようとした裕子になつみが声をかけた。
「いやぁ・・これ何の肉や?それに、こんなの頼んでないで」
裕子は疑問をぶつけた。
「心配しなくてもいいよ、これはなっちのおごりだべ
それと、それが何のお肉かはあとで教えてあげる・・
変な肉じゃないから・・」
「そうか・・」
なつみのいつもの明るさに呆れながらも、出された寿司を口にした。
「うまい」
口の中でとろけていく。まるで高級な和牛を口にしているようだった。
「でしょう!」
なつみはピースしながら、胸をはっていた。
裕子は食事を続けながらも、なつみがここにいることが納得できなかった。確
かに目の前にいるのはなつみだった。しかし、裕子が知っているなつみとはど
こか違っていた。なつみが料理が上手いのは承知していたが、寿司を握れると
は初耳だった。今まで引っかかっていたものが余計に大きくなってきた。
- 94 名前:【中澤裕子】 投稿日:2003年03月08日(土)22時34分32秒
- 食事を終えた裕子はゆっくりとお茶を飲んでいた。そして、なつみに話かけた。
「なぁ、なっち!ここには一人で来たんか?」
「ううん」
「誰と来たんや?」
「やだなあ・・もう忘れたの?」
なつみの言葉に裕子は首を捻る。
「どういうことや」
「もう・・ぼけたらだめだべ」
なつみは不思議そうに裕子を見ていた。
「私自身もどうやってここに来たんかわからんのや?」
「しょうがないなあ・・」
なつみは呆れた様子で頭を数回叩いた。
「裕ちゃんとなっちは一緒にバスでここに来たの」
「バス?」
「そうだべ、覚えてないの」
「あぁ〜」
なつみとの場面を思い起こすが、なにもでてこない。
「なっちが渡したチケットで来たんでしょう・・」
「そうや」
裕子はやっと思い出した。なつみの運転するバスに乗っていたことを、そして
崖に落ちていったことを・・
- 95 名前:【中澤裕子】 投稿日:2003年03月08日(土)22時36分21秒
- 「私らどうやってここに来たんや」
「だから、バスだって」
「嘘つくな!あんた一体誰や!」
裕子はすごい形相でなつみに食って掛かった。眉間にはしわがよって、目つき
がするどくなっていた。まさに鬼の形相だった。
「ちょっと、裕ちゃん、落ち着いてよ」
「こんなときに、そんなに落ち着いてられるか!」
裕子は周りの様子も気にせずに大声を張り上げる。
「裕ちゃん、皆見てるよ!」
「関係ない!」
頭に血が昇った裕子には何を言っても無駄のようだった。そんな裕子に対して
なつみは怯えた表情を見せた。裕子が切れたときの怖さは十分知っていた。
しばし沈黙が続く。周囲のものも何も言い出せない。
沈黙を破ったのは裕子だった。
「なんか言ったらどうや!」
「そんな・・」
「あんた何したんや」
なつみは顔を伏せたまま黙っていた。
- 96 名前:【中澤裕子】 投稿日:2003年03月08日(土)22時38分28秒
- トントン、トントン
裕子は苛立ちを隠せずに指でテーブルを叩いていた。
この険悪な空気を嫌って客はすべて帰ってしまった。
店員は二人の間の会話にも加わることなく洗い物を済ませると、店の入り口に
あった札を“準備中”にして奥に去っていった。カウンターを挟んで裕子とな
つみだけが残されていた。
なつみは誰もいなくなるのを確認して口を開いた。
「ねぇ、裕ちゃん」
「・・・」
裕子はなつみを睨んだまま何もしゃべろうとしない。
「裕ちゃんも頑固だべ・・アハハハーー」
そこには先ほどまで怯えて顔はなかった。
「まぁ、教えてあげるべ」
なつみの口調と態度ががらりと変わった。
―なんや、一体・・―
裕子の背中に寒気が走る。
- 97 名前:【中澤裕子】 投稿日:2003年03月08日(土)22時40分08秒
- 「裕ちゃんとなっちはバスでここまで来たの!
そして途中で崖に落ちて死んじゃったの
それで、魂だけがここまで来たってこと」
「はぁ・・わからんわ!
死んだんだったら、なんで食事できるんや!携帯が使えるんや!」
「なっちにはわからないだべ」
「適当なことぬかすな!」
なつみの言葉は裕子の怒りに火を注いだ。
「ものわかりの悪い裕ちゃんだべ」
「馬鹿にしてるんか!・・えっ・・」
立ち上がった瞬間、裕子は自分の体の異変に気づいた。思い通りに動かなくな
っていたのだ。必死に足を動かそうとするが一歩どころか半歩も動かせない。
「・・・」
必死になつみに話そうとするが言葉が出ない。
―どうして・・―
もがけばもがくほど全身が動かなくなっていく。
「裕ちゃんが悪いんだべ」
なつみは怪しい笑みを浮かべていた。
―なっち・・―
裕子の目の前が急に真っ白になった。
- 98 名前:M_Y_F 投稿日:2003年03月08日(土)22時41分12秒
- 今日はここまで。
- 99 名前:名無し 投稿日:2003年03月09日(日)20時47分43秒
- 死んだ!?
意外な展開になってきて続きが楽しみです!!
なっち恐いな〜(苦笑)
- 100 名前:M_Y_F 投稿日:2003年03月10日(月)22時49分29秒
- 99>> 名無しさん
感想ありがとうございます。
期待に沿うようなものが書ければいいのですが・・
あまり期待はしないで下さいね(汗)
では、本日の更新です。
- 101 名前:【中澤裕子】 投稿日:2003年03月10日(月)22時51分03秒
トントン、トントン、トントン・・
バサッ、バサッ、バサッ、バサッ・・
―ここはどこや?―
裕子は何かを切っている音で目を覚ました。
―うっ・・―
体を動かそうと力を入れるがまったく動かない。何か強い力によって動きを封
じられているようだった。
「あ・・・」
声を出そうとしても出せない。今のところ、見ることと聞くことだけはできる
ようだった。上下左右目を動かしてあらん限りの情報を取得する。耳は四方八
方のあらゆる音を聞き逃すまいとしていた。
一つの人影を見つけた。なにやら慌しく動いていた。
「ララララララララ♪〜」
聞こえてきた歌声はどこか楽しそうだった。
- 102 名前:【中澤裕子】 投稿日:2003年03月10日(月)22時52分42秒
「やっと、なっちのものになっただべ」
うれしそうに笑顔を浮かべて歩み寄ってきた。裕子の肩に手を置くと挨拶代わ
りに唇を重ねた。裕子も柔らかくて温かいものを感じた。
「キャハハハーー、裕ちゃんもうれしそうだべ」
なつみはスキップしながら何かを切っていた場所へと移動する。裕子はなつみ
のうしろ姿を不思議な気分で見ているだけだった。
なつみは鍋をかき混ぜながら、真希に話しかけるかのように語り始めた。
「裕ちゃん、人気あるんだよ・・高橋のように・・
裕ちゃんが欲しいっていうメンバー、たくさんいるんだよ」
―何わけのわからないこと言ってるんや―
裕子は口を動かしてみるが言葉がでない。
なつみは鍋に水を入れると火をつけた。ゴォーーという音とともに勢いよく炎
が上がる。そこに先ほどまで切っていたものを入れていく。
「裕ちゃん、高橋のこと食べたいって言ってたでしょう・・
だからさっき、裕ちゃんに食べさせてあげたんだべ・・
大好きな裕ちゃんの願いだから・・
あそこ見てよ!」
なつみは指さした。その方向に視線を移すと人形らしきものがおいてあった。裕子には
普通のマネキンのように見えた。
- 103 名前:【中澤裕子】 投稿日:2003年03月10日(月)22時54分48秒
「どっこいしょと・・」
なつみが裕子の目の前に人形を持ってきた。
―まじっ!―
それは愛にそっくりな人形だった。
なつみは嬉しそうに説明を始めた。
「高橋って足速いでしょう・・いい脚してるんだよ!
太ももとふくらはぎのところをちょっともらって、
お寿司にしたんだべ・・おいしかったでしょう」
―うっ・・―
裕子は信じられなかった。人間なんて食べたことないので味はわからないが、
あの肉は牛肉と同じような味がしていた。裕子は首を振って悪夢を振り払おう
とするが何もできない。
自然と愛の方に視線が移る。そこには左足がない愛がいた。
―まさか・・―
急に胃の中のものが逆流してくる感じだした。いや、できるならすべてを吐き
出したかった。しかし、胃には何もないみたいだった。口の中は胃酸でいっぱ
いになる。愛を食べたということで気が動転していた。まさかこんなことにな
るとは夢にも思わなかった。愛を食べたという罪の意識が裕子に重くのしかか
る。そして、なつみに対する怒りが湧いてきた。体が動けば、何も言わずにぶ
ん殴っていたはずだ。
- 104 名前:【中澤裕子】 投稿日:2003年03月10日(月)22時57分10秒
「でもさ・・」
なつみの表情が一瞬曇った。うつむきながら、2・3度床を蹴る。
「裕ちゃんだけは誰にも渡したくなかったんだ・・
一人だけのものにしておきたかった・・」
ゆっくりと裕子のもとに歩んできた。なつみはいとおしそうな視線で見つめて
いた。
―どういうことや!―
裕子は必死に叫んでみるが誰の耳にも届かない。歯がゆい思いだけが大きくな
る。なつみの初めて見せる一面に今までにない冷酷さを感じていた。
「裕ちゃんも高橋も欲しいって人がいるからさ、ちょっとだけ食べさせてあげ
なきゃならないのが惜しいんだべ」
なつみは裕子の周りを歩きながら、寂しそうに話していた。
「でも、今日が終われば、残りすべてがなっちのもの・・」
なつみは満面の笑みを浮かべて明るく振舞う。それは本当に欲しいものが手に
入ったという満足感からだ。
「ごめんね・・約束だから」
なつみはちょこんと頭を下げると、両手に電動ノコギリを持っていた。
グーーーィン、ウィーーーーン
電動ノコギリの刃が荒々しい音を立てて回転しだした。
- 105 名前:【中澤裕子】 投稿日:2003年03月10日(月)22時59分27秒
―ほんまか・・―
裕子は夢を見てるかのようだった。気づけば右足に刃が近づいていた。
「フフフ・・嬉しそうだべ」
なつみはゆっくりと刃を当てる。
―止めて!!―
裕子は必死にもがくがどうにもならないのが現実だった。刃が右足の付け根に
食い込む。
―嫌や!!!!―
思わず目をつぶる。裕子の思いとは反対にどんどん刃が食い込んでいく。
もう目を開けることはできなかった。
鈍い音を立てて刃が進んでいった。
すべての思いを切り裂くように。
ゴトッ
そして、裕子の足が床に転がった。
「これが裕ちゃんの足なんだ・・」
なつみは裕子の足を大事そうに抱えながら頬ずりをしていた。
「なっちもこんなきれいな足だったらなあ・・」
裕子の足についていたほこりを払いながら鍋の方に向かっていく。
- 106 名前:【中澤裕子】 投稿日:2003年03月10日(月)23時01分41秒
―どうなったんや―
裕子は静かに目を開けた。不思議なことに痛みは感じなかった。何故という文
字が頭の中を駆け巡る。なつみの方に目をやると、裕子の足を鉈で切っている
ようだった。
―これが死んだということ・・―
裕子の頭になつみの言葉が鮮明に浮かび上がる。死んだのなら、何故なつみの
くちづけの感触を感じることができたのか、何故見ることができるのか、何故
聞くことができるのか次々と疑問が浮かんでくる。
―こんなことあるわけない―
裕子は浮かび上がる疑問を必死に打ち消していく。裕子が知っているなつみは
決してこんなことができるわけがなかった。人一倍怖がり屋のなつみ、そのな
つみが人を切断していくとは考えられなかった。
- 107 名前:【中澤裕子】 投稿日:2003年03月10日(月)23時04分16秒
ポチャン
裕子の思いをあしらうかのようになつみは裕子の足を次々と鍋に入れていく。
不思議な感覚だった。死んでいるのか生きてるのかわからなくなっていた。
「裕ちゃん、本当にごめんね・・」
なつみは裕子を抱えると引きずるように移動していく。
裕子はどこに連れて行かれるか不安だったが、今さらじたばたしても無理だと
いうことを悟っていた。
「寒いけど、我慢してね」
裕子の前には大きな冷蔵庫があった。
バタン!
裕子は冷蔵庫の中に入れられた。寒いとかいう感覚はすでになかった。
―これで死ぬんや・・―
もう諦めるしかなかった。
バタン!
裕子の目の前が真っ暗になった。
そこは風とファンの音だけが響く世界だった。
- 108 名前:M_Y_F 投稿日:2003年03月10日(月)23時05分09秒
- 今日はここまで。
- 109 名前:【中澤裕子】 投稿日:2003年03月12日(水)01時08分06秒
―どうなってるんやろう・・―
裕子には不思議な感覚だった。視覚と聴覚とごく一部の触覚だけが残っていた。
お腹が減るわけでもない。眠くなるわけでもない。ただ、そこに置かれている
感じだった。
ゴトゴト、ゴトゴト・・
冷蔵庫が揺れる。
遥か遠くから聞こえてくる車のエンジン音。
どこかに移動しているようだった。
バタン!
冷蔵庫の扉が開くとともに蛍光灯の光が射しこんできた。裕子にとっては久し
ぶりの光だった。しかし、その光も何かに屈折したように見えた。目の前に氷
の壁ができていたのだ。
「裕ちゃん!」
なつみが笑いながら歩み寄ってきた。いつにもなくハイテンションな声、よほ
ど嬉しそうな感じだった。しかし、ときよりみせる冷たい影が別の何かを感じ
させた。
「ルルルルルーー」
なつみは鼻歌まじりで何かをしていたようだった。
- 110 名前:【中澤裕子】 投稿日:2003年03月12日(水)01時10分37秒
裕子は全神経を耳に集中した。
ゴォーーーー
コトコト、コトコト
炎と鍋で何かを煮ている音が聞こえてきた。
「いらっしゃいませ」
しばらくするとどこかの店のやりとりも聞こえてきた。
−どこや?−
自分がどこにいるのか想像もつかなかった。
「裕ちゃん、今日はごっつあんが来るんだよ」
なつみの言葉に裕子は真希に会いたいと思った。独りというのは想像以上に寂
しいものだった。それよりも、なつみ以外の人間と触れたかった。
―高橋は?―
ふと愛のことが心配になった。冷蔵庫の中に入れられて以来、愛の姿を見るこ
とはなかった。なつみのことだ、裕子と同じように他の冷蔵庫に入れたことは
想像できた。
- 111 名前:【中澤裕子】 投稿日:2003年03月12日(水)01時12分21秒
「今日はすごく楽しい日になりそうだべ!
裕ちゃんとごっつあんがなっちだけのものになるべさ」
裕子にはなつみの言葉の意味がまったくわからなかった。真希がこんなところ
に来るとはとても思えなかったからだ。ツアーや新曲キャンペーン等がないか
ぎり地方に行くことなんてない。少なくとも裕子が知るかぎり、真希にそうい
う予定はない。
「いただきます」
裕子の耳に聞き覚えのある声がした。
―まじ!―
裕子には信じられなかった。
「おいしい」
その声に裕子の中に悔しさが倍増する。
―止めるんや―
裕子は必死に叫んでみるが思いが届くことはなかった。
両肩に重いものがのしかかってくる。
声さえだせたら真希のことを救えたはずなのにと後悔の念が募る。
悔し涙さえ流れない。
すべてが嫌になっていた。
- 112 名前:【中澤裕子】 投稿日:2003年03月12日(水)01時16分19秒
- しばらく記憶がなかった。気づけば目の前には大きな氷の塊が置かれていた。
そして、なつみの声が聞こえてきた。
「やっと、自分ものになっただべ」
なつみは氷の塊にくちづけした。
「ふっ、ごっつあんもうれしそうだべ」
なつみは足取りも軽く鍋の方に向かっていく。
裕子は真希が最悪の結果に陥ったことを悟った。
なつみは鍋をかき混ぜながら、真希に話しかけるかのように語り始めた。
「ごっつあんも人気あるんだよ・・ここにいる裕ちゃんのように」
裕子にとっては真希がかわいそうだった。そして、愛も。
- 113 名前:【中澤裕子】 投稿日:2003年03月12日(水)01時17分29秒
「ごっつあんも裕ちゃんのこと食べたいって言ってたでしょう・・
だからさっき、ごっつあんにも食べさせてあげたんだ・・
本当は誰にも食べさせたくなかったんだけど・・」
なつみはまた鍋のところに戻ると鍋から骨らしきものを取り出した。
「裕ちゃんって、脚きれいでしょう・・だからさ、一緒に煮込んでみたんだ・・
いいダシがでてたでしょう・・とっても上品な上にまろやかでコクがあって・・
チャーシューもおいしかったはずだよ・・裕ちゃんの太もも・・」
嬉しそうに言葉を続けるなつみ。
裕子の知っているなつみの面影はなかった。
なつみに対する怒りだけが増していく。
しかし、何もできない自分が歯がゆかった。
- 114 名前:【中澤裕子】 投稿日:2003年03月12日(水)01時18分25秒
真希が裕子の前に置かれて数日が経った。
「お待たせ」
「やったね・・」
再び聞き覚えのある声が裕子の耳に入った。
なつみの犠牲になるものをこれ以上だしたくなかった。
「なっち、悪いね・・無理言って」
「いやぁ・・裕ちゃんの時は手伝ってもらったし、皆には内緒だべ」
「わかってる」
二人は何事もなかったように会話をかわす。
―えっ・・―
裕子は裏切られた感じだった。
「今日は特別に裕ちゃんとごっつあんの盛り合わせつくったから」
「ありがとう・・早速いただくね」
「温かいうちにどうぞ」
「いただきます」
「おいしい!」
「そうだべ」
二人の楽しそうな会話が次々と耳に入ってくる。
―こんなことのために・・―
裕子は次の言葉がなかった。
二人の欲望ために自分と真希が犠牲になるとは納得できなかった。
もう誰も信用できなくなっていた。
「ごちそうさまでした」
「またね」
最後に聞いたなつみと圭の会話だった。
- 115 名前:【中澤裕子】 投稿日:2003年03月12日(水)01時19分45秒
時間だけは過ぎていく。
気づけば裕子は頭だけになっていた。不思議なことに体を切り取られても痛みも出血もな
かった。本当に死んでいるのかわからなかった。
「ごめんね、裕ちゃん」
なつみは寂しそうに裕子の頭を抱えあげた。
コトコト、コトコト・・
沸騰する鍋が見えた。いろいろな野菜が入っていた。
ポチャン・・
裕子はすべての感覚を失った。
- 116 名前:【中澤裕子】 投稿日:2003年03月12日(水)01時21分13秒
ワンワン、ワンワン・・
犬の鳴き声が聞こえてきた。
―なんや、こんなときに―
裕子の目に陽の光が射しこむ。
―ここは・・―
そこは裕子の部屋だった。普段と変わりはない。とりあえず携帯に目を通し、
手帳を開いてスケジュールをチェックする。仕事に行くにはまだ早い時間だっ
た。食事を買いにコンビニへと出かけた。帰ってきたときに郵便受けをチェッ
クすると、一通の封筒が届いていた。封筒には見慣れた筆跡の文字があった。
部屋に戻った裕子は封筒の中から手紙を取り出した。
- 117 名前:【中澤裕子】 投稿日:2003年03月12日(水)01時21分48秒
《 裕ちゃんへ
楽しい北海道の旅をありがとう
裕ちゃん、すごくおいしかったよ
また、食べさせてね
P.S
頼まれていたものを一緒に送ります
圭織と楽しんできてね ≫
- 118 名前:【中澤裕子】 投稿日:2003年03月12日(水)01時23分08秒
―おいしかったって・・―
裕子は必死に記憶の辿るが何一つ思い出せなかった。
だいたい北海道に行ったことがおかしな話だった。
なつみに対する疑いからか電話するが繋がらない。
苛立ちを隠せない裕子はハナにあたる。
ハナは怖がって裕子に近づこうともしなくなっていた。
封筒の中には手紙のほかに行き先のないチケットが2枚入っていた。
- 119 名前:M_Y_F 投稿日:2003年03月12日(水)01時23分40秒
- 本日はここまで
- 120 名前:【中澤裕子 & 飯田圭織】 投稿日:2003年03月14日(金)00時11分38秒
- 「かんぱーい」
二人の女性の声がリビングに響く。その声はちょっとテンションが高いときの
ものだった。少し暗めの灯りが二人のムードを盛り上げていた。
ヒューー、バサバサ、ザパーン
ヒューー、バサバサ、ザザーーン
緑と海に囲まれた家の外から聞こえるのは風の音と風に揺れる草と木々の音と
波の音だけである。
「ねぇ、こんなところあったんだ!すごくいい 」
「ほんまや・・うるさいのもおらんし・・」
二人はちょっと高めのお酒を横に静かに食事をしていく。お腹の方もだんだん
と満たされてきたのか、会話がだんだんと多くなる。
「なっち、よくこんな場所とれたね。感心したよ」
「そうやな、でもなっちにぴったりやないか・・よく休みとれたな?」
「うん、最近個人での仕事の方が多くなってるからね」
「そうか・・相変わらず忙しそうやな・・」
「そうだね。でも一時期の頃に比べたらましだよ」
「アハハハ、それは当たってるわ!」
二人の女性とは中澤裕子と飯田圭織である。
- 121 名前:【中澤裕子 & 飯田圭織】 投稿日:2003年03月14日(金)00時13分04秒
- 二人だけの空間を楽しんでいた。裕子が娘を卒業してから急速に仲がよくなっ
てきたわだが、二人だけ旅行に来たは珍しいことだった。最近では裕子の方が
忙しいために飲みに行くことも少なくなっていた。圭織にとっては、思いっき
り甘えられるときだった。
「ごちそうさま」
「ごちそうさん、さすが圭織や」
「まあね」
裕子の言葉に胸を張る圭織。
二人は食事が終わると、二人で食器を運ぶ。そのまま食器を洗おうとしたとき
裕子が圭織の背中を押した。
「何するの?」
「ここは私に任せて、先にシャワー浴びてきぃ」
「いいよ、一緒にやるよ」
「いいって。ご飯は圭織が作ったし、これぐらいはせんとなあ」
「そんな気遣わなくてもいいのに」
「ガタガタ言わんと・・」
「うん、お願いね」
裕子に押し切られて、圭織はシャワーを浴びにその場を去った。
- 122 名前:【中澤裕子 & 飯田圭織】 投稿日:2003年03月14日(金)00時13分47秒
- 裕子は食器を洗い終えると、一人リビングでくつろいでいた。
顔がほんのりと赤くなっていた。お気に入りの音楽に耳を傾けていた。
そこにシャワーを浴びたばかりの圭織が現れた。
トゥルルルルーーー、トゥルルルルーーー、トゥルルルルーーー
圭織の携帯が鳴った。相手は保田圭だった。
- 123 名前:【中澤裕子 & 飯田圭織】 投稿日:2003年03月14日(金)00時14分53秒
- 【圭織、どこいるんだ! 仕事は!早く】
「えっ・・今日休みじゃ・・」
【何言ってんだ。昨日の帰る前にスケジュール変更の連絡あったろう】
「あっ!」
突然のことに思わず泣き出しそうな感じだった。
「圭織、どうしたんや?」
裕子は圭織を心配して声をかける。
「今日仕事になったこと忘れてた」
「なんやそれ!」
裕子は呆気にとられていた。
【もしもし・・もしもし!!】
携帯から怒り声の圭の声が聞こえてきた。
「あのぉ・・」
【すぐ来いよ!】
「すぐには行けないよ・・」
圭織は裕子に不安げな視線を送る。
しかし、新たな電話の声に圭織の顔が変わった。
【なっちだよ!元気ィーーー!】
【なっち、勝手に交代するなよ】
先ほどの怒りは何処へやら、携帯の向こうはちょっとした騒ぎになっていた。
あまりの騒がしさに頬を膨らませる圭織。
【うまく言っとくからさ!お土産忘れるないでね!
裕ちゃんにもよろしく・・ハハハハーー】
「あぁ・・なっち、待って・・」
ツゥーーー
言い返すまもなく電話は切れてしまった。
- 124 名前:【中澤裕子 & 飯田圭織】 投稿日:2003年03月14日(金)00時16分10秒
- 「圭織、どうするんや?」
「大丈夫だと思う・・なっちがなんととかしてくれるって!」
「なっちが・・珍しいなぁ、大丈夫か?」
「心配だけど・・今からじゃ間に合わないしね」
「まぁ、そうやな・・なっちからもらったチケットで来たわけやし・・」
裕子は缶ビールに口をつけていた。
しばらく沈黙が続いた。圭からの電話が気になっているようだった。
「そんな深刻に考えんと・・ゆっくりしとき・・」
「でも・・」
「どうせ怒られるんや・・楽しまんと損やで・・
そのときは私も一緒に怒られてやるから」
「うん・・」
「シャワー浴びてくるわ」
裕子は圭織の肩を叩くとウィンクしてバスルームに向かった。
圭織は少し気が楽になった。
- 125 名前:【中澤裕子 & 飯田圭織】 投稿日:2003年03月14日(金)00時17分47秒
「ふぅーー」
圭織は自分の気持ちを落ち着けるかのように大きく息をした。
裕子がシャワーを浴びている間、リビングを調べていた。タンスの扉や引き出
しを開けては中をチェックするがたいしたものはなかった。不特定多数の人が
利用する場所だからだと思いながら、いろいろと見て回った。そして、TV台
の一番下の引き出しに一体の黒髪に着物をまとった人形があった。
「あぁ、こんな人形どうするんだろう・・ちょっと気味が悪いよね」
圭織はそのまま引き出しを閉めると、苦笑いしながらソファに腰をかけた。
- 126 名前:【中澤裕子 & 飯田圭織】 投稿日:2003年03月14日(金)00時19分12秒
―わからん・・―
裕子は湯船につかったままなつみのことを考えていた。なつみがあんなに簡単
に厄介ごとを引き受けるとは考えられなかった。夢とも現実ともつかない出来
事に混乱が生じる。
「あかん、あかん」
裕子はすべての思いを振り切るかのごとく湯船に頭を沈めた。
「あぁ〜〜」
口から出るのはため息ばかりだった。
ソファでくつろいでいる圭織のところに、裕子が髪をタオルで拭きながら現れ
た。そして、楽しげな話し声と笑い声そして涙が交差していた。そこは二人だ
けの世界だった。二人は0時過ぎごろまで、様々な思いを話し合った後、それ
ぞれの部屋に戻っていった。
- 127 名前:【中澤裕子 & 飯田圭織】 投稿日:2003年03月14日(金)00時20分55秒
夜中も1時を回った頃だった。
コンコン、コンコン
裕子の部屋のドアを叩く音がした。
「いいよ」
「うん・・」
その言葉に圭織は安心したかのような笑みを浮かべて部屋に入って来た。
「おいで」
裕子の招き通りにベッドに潜りこむ圭織だった。潜り込んだ圭織は裕子の肩に
頬を寄せた。大きな体を小さくしているのが裕子には面白く思えたことであり、
いとおしく思えたことでもあった。
二人だけの時が過ぎていく。
どれくらい時間が過ぎたであろうか。
圭織が静かに上体を起こした。
「裕ちゃん、ちょっとごめんね」
「どこ行くの?」
「トイレだよ」
「そうか・・」
「ちゃんと待っててよ・・」
「はい、はい・・」
子供のような一面を見せられた裕子は一瞬ドキッとした。裕子は圭織に軽くキ
スすると、圭織は無邪気に微笑んで部屋を出ていった。
- 128 名前:【中澤裕子 & 飯田圭織】 投稿日:2003年03月14日(金)00時22分17秒
「きゃぁーーー」
突然、圭織の叫び声が聞こえた。
「どうしたんや!」
裕子は洗面所の前に駆けつけた。そこには、床に座っている圭織の姿があった。
「あれっ・・」
圭織はある方向を指差した。
「うわぁ」
裕子もその光景に思わず声を上げた
洗面所の蛇口からどす黒い水が流れていた。その水はサラサラとしたものでな
くドロドロとした感じだった。
「何やこれ?」
「わかんないよ」
二人は水を止めると、キッチンに向かった。
- 129 名前:【中澤裕子 & 飯田圭織】 投稿日:2003年03月14日(金)00時26分43秒
カチッ
灯りをつけると、部屋全体を見渡す。そこは、さっきまで裕子達がいた部屋と
何ら変わりがなかった。更に二人は注意深く部屋の隅から隅までチェックした
が変わった様子はなかった。蛇口を捻ると先ほどと同じ黒い水が流れてきた。
すぐに水を止めると、キッチン周りを調べてみるがおかしな部分はなかった。
ゴーーン、ゴーーン
キッチンある柱時計が時を知らせる。
「止めてや・・」
「びっくりした」
今の二人にはきつすぎる洗礼だった。二人の額にはうっすらと汗がにじんでい
た。圭織はしりもちまでついていた。
「痛い・・きゃーーー」
圭織の悲鳴が響く。
「どうした!」
裕子は圭織の肩を抱くと、圭織が震えながら指さす方に視線を移した。
「きゃーー」
裕子も悲鳴をあげた。
壁に女性の姿が浮かんでいた。
- 130 名前:【中澤裕子 & 飯田圭織】 投稿日:2003年03月14日(金)00時28分24秒
圭織の手を引き、裕子は裏口のドアの前に立った
ガチャガチャ
ドアのノブを回すが全然開こうともしない。
ドーン、ドン、ドーン、・・・
ノブがだめなら、ドアに体当たりを試みるがびくともしなかった。
「どうなってるの」
「こんなところ、嫌だよ」
裕子は家の中にいることのほうが恐いと直感的に感じた。もう悩む次元のもの
でなかった。
ドアが開かないとわかると玄関へと向かった。
- 131 名前:【中澤裕子 & 飯田圭織】 投稿日:2003年03月14日(金)00時29分40秒
ポタッ、ポタッ・・
必死で開けようとしていたときドアの上から滴が落ちてきた。
ピチャ
ドアの滴が1滴、裕子の手に落ちた。あまりの冷たさに手に目をやるとそこに
は黒い水の跡が残っていた。
「うっ・・ゴクン」
思わず唾を飲みこんだ。ドアに目をやると女性の姿が浮かび上がっている。
背筋に寒気が走る。
「開いて」
「お願いだから、開いて」
裕子と圭織が必死でドアのノブを回すが何の反応もない。
「裕ちゃん、もう気味が悪いよ・・」
「そうやな・・」
今にも失神しそうな圭織に裕子はマジで焦りを感じた。
二人は玄関をあきらめて、次の部屋へと向かった。
しかし、部屋に入るたびに壁やカーテンに女性の姿が浮かんでくる。その女性
は何かに恨みを持っているかのように目のあたりが妙につり上がっていた。
- 132 名前:【中澤裕子 & 飯田圭織】 投稿日:2003年03月14日(金)00時31分37秒
最後に裕子が泊まっているの部屋に入った。壁に女性の姿が浮かび上がってい
るようなところはなかった。ドアの鍵をロックすると二人してベッドの上に座
りこんだ。息を潜める二人だった。二人の目はドアに、耳は部屋の外の物音に
向けられていた。さすがに窓の側に寄る勇気はない。いきなり窓が割れること
を考えると危なくて近寄れなかった。しかも、2階である。落ちれば怪我をす
るに決まっている。二人の視線はドアから壁、壁からカーテン、カーテンから
天井、天井からドアへと移る。女性の姿が浮かび上がる気配はなかったが、い
つ浮かび上がってくるか不安だった。しかし、今の状況では、ここが一番落ち
着ける場所だった。
- 133 名前:【中澤裕子 & 飯田圭織】 投稿日:2003年03月14日(金)00時34分02秒
ポタッ・・ポタッ・・
床に落ちる滴の音がかすかに聞こえていた。あまりにも静かすぎる家の中では
小さな音でも家全体に響き渡る。
コンコン・・
誰かがドアを叩く音がしていた。二人は抱きしめ合ったままベッドの上で震え
ていた。いまさらどう騒いでも家の外はおろか部屋の外にも出られない。
ただ、何も起きることなく時間が過ぎていくことだけを神に祈っていた。
コンコン・・
ドアを叩く音は更に続く。音がする度に背中がビクンビクンと反応する。顔が
ますます引きつっていくのがわかる。いつドアが壊されて誰かが突然侵入して
くるのではという恐怖に怯えていた。知らず知らずのうちに背筋に冷や汗が流
れる。
コンコン・・
ドアを叩く音はずっと同じ調子だった。こういう場面ではだんだんと荒くなっ
てくるのが普通だ。しかし、何も変化がないことが余計に不気味だった。二人
の視線は自然と部屋のドアに集中する。ノブがガチャガチャと回る。ドアが叩
かれてる間、緊張が解けることはなかった。
- 134 名前:【中澤裕子 & 飯田圭織】 投稿日:2003年03月14日(金)00時35分46秒
10分ほど経過するとドアをノックする音が消えた。
何十時間も経ったように感じられた。
ドン、ドン・・ドン・・トン・・
足音みたいな音が遠くなるとともに二人の息が大きくなる。
足音が消えると二人とも肩で大きく息をした。
しかし、体の震えは止まらなかった。
静かな夜が過ぎていく。
「スーー、スーーー」
「スーースーー」
二人は恐怖におののきながら必死に眠気をこらえていたが、移動の疲れもあっ
ていつのまにか眠りに落ちてしまった。
- 135 名前:【中澤裕子 & 飯田圭織】 投稿日:2003年03月14日(金)00時36分59秒
チョキ、チョキ・・
「なにするんや、圭織」
裕子の耳元に聞きなれない音がした。
チョキ、チョキ・・
「やめて、」
裕子は緊張のせいで寝つけなくなっていた。
ふと髪をさわると、いつもと違和感があった。無数の髪の毛が手に絡んでいた。
「えっ・・」
圭織の名前を呼ぼうとした瞬間冷たいものを頬に感じた。
裕子の視線は自然と後ろに移る。
チョキ、チョキ、チョキ・・
裕子の視線の先にはさみを持っている着物姿の人形がいた。
「きゃあーーー」
思わずベッドの上でひっくり返る。よく見れば人形の手には髪の毛が握られて
いた。もう恐ろしいとかいう次元ではなかった。
- 136 名前:【中澤裕子 & 飯田圭織】 投稿日:2003年03月14日(金)00時38分41秒
「圭織!起きるんや」
裕子は隣で寝ていた圭織をゆするが疲れのせいもあったのだろうなかなか起き
ない。
「圭織!!」
裕子は大声で叫ぶ。人形など関係ないって感じだった。
「なんだよ・・裕ちゃん・・ぎゃぁーーー!!」
寝ぼけた顔が恐怖でこわばる。大きな目がさらに大きくなる。大きな体を裕子
に摺り寄せる。圭織は震えながら裕子の腕を握っていた。
「裕ちゃん、あれ・・」
「私もわからんわ・・」
二人とも声が震えていた。あとに続く言葉が思いつかない。
「どうして・・」
圭織の目から涙が流れていた。錯乱したような感じだった。無我夢中で頭を振
って悪夢を振り払おうとしていた。大きな体が裕子にのしかかる。
「大丈夫や、大丈夫・・」
裕子が頭を撫でながら必死で励ます。泣きたいのは裕子も同じだった。
- 137 名前:【中澤裕子 & 飯田圭織】 投稿日:2003年03月14日(金)00時40分14秒
「フフフフ・・」
チョキ、チョキ、チョキ・・
人形が二人を姿を見て笑っていた。
「くそっ!」
ボカ・・ビリッ、ビリッ・・・フワフワ、フワフワ・・
裕子は枕を投げつけたが、人形は笑ったまま動こうともしない。
枕から飛び出た羽毛がむなしく宙を舞う。
「うそ・・」
恐怖がこみ上げてくる。二人は手を取り合うとベッドを下りて壁に沿って動き
出した。恐怖のせいか腰が抜けて立つことはできず、ただ、這いつくばるだけ
だった。
「フッフッフフ」
人形は笑いながら二人の後を追う。
「こっちに来ないで!」
「向こう行け!」
二人は部屋の隅に追いやられた。すでに逃げ場はなかった。
- 138 名前:【中澤裕子 & 飯田圭織】 投稿日:2003年03月14日(金)00時42分09秒
チョキ、チョキ・・・パラパラ、パラパラ・・
人形は二人をあざ笑うかのように手にしていた髪を切り刻む。
裕子と圭織の未来を示すかのようだった。
「フフフフ」
チョキ、チョキ・・
人形は両手にはさみを持って笑い声をあげた。その声にますます恐怖心が大き
くなる。口が震えてなかなか言葉にならない
死の文字が二人の脳裏をよぎる。
「助けてーー!」
「やめてーー!」
裕子と圭織の絶叫が家中に響き渡った。
ポトッ・・ポトッ・・ポトッ・・
はさみの先から赤い滴と髪が床に落ちていた。
そして、滴と髪は赤いじゅうたんへと変わっていく。
- 139 名前:【中澤裕子 & 飯田圭織】 投稿日:2003年03月14日(金)00時42分44秒
「あぁ~、なっちだけ邪魔者扱いにするから・・」
なつみはワインを片手に人形を眺めていた。
恐怖におののいた表情の裕子と圭織の人形だった。
ポトッ・・ポトッ・・ポトッ・・
人形の足元には赤い布切れが置かれていた。
部屋の隅には髪が絡んだはさみと着物姿の人形が置かれていた。
「今度は誰を紹介しようかなぁ・・」
何も書かれていないチケットがなつみの手に握られていた。
- 140 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年03月14日(金)00時44分04秒
なつみは家に帰って、真希とひとみの絵画と裕子と圭織の人形を眺めるのが日
課になっていた。見つめているだけ満足だった。
「最高の贅沢だべ」
なつみは満面の笑みを浮かべてくつろいでいた。
- 141 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年03月14日(金)00時44分36秒
- 「ねぇ、裕ちゃん・・このままにしておくの?」
「なんや、ごっちん!そんなにソワソワして」
「だって・・・」
「ごっちん、慌てないの」
「そういう圭織が一番楽しみしてるんじゃない」
「よっすぃーこそ、顔がにやけているよ」
「そうやな・・そろそろ現実を教えてやらんといかんな」
なつみに怪しい視線が向けられていた
- 142 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年03月14日(金)00時45分10秒
なつみの楽しい時間はまもなく終わろうとしていた。
- 143 名前:行く先のないチケット 投稿日:2003年03月14日(金)00時46分02秒
完
- 144 名前:M_Y_F 投稿日:2003年03月14日(金)00時47分59秒
これで完結です。
本作品には読み苦しい点が多々あったことだと思います。
つまらない作品ではありますが、読んでいただいた方々には感謝してます。
どうもありがとうございました。
あとは、ひっそりと消えるだけです。
- 145 名前:名無し読者 投稿日:2003年03月15日(土)00時59分05秒
- 作者さんの話すごく良かったです。
読んでてすごい恐かったですが・・・(苦笑)
読み苦しいとこなんか無かったです!! お疲れ様でした!!
- 146 名前:M_Y_F 投稿日:2003年03月17日(月)20時29分27秒
- >>145 名無し読者さん
感想ありがとうございました。
少しでも怖がってもらえたら、それで何よりです。
ちょっと季節外れですけど・・
- 147 名前:M_Y_F 投稿日:2003年05月01日(木)23時47分55秒
- 容量の関係で中途半端になるのも嫌だったので完結させたのですが、
容量も増えたので続きを書きます。
自サイトではすでに続けていたので、知ってる内容かも知れませんけど・・
ひっそりと更新です。
たいしたことないですけど、暇つぶしくらいになればいいと思ってます。
- 148 名前:安倍なつみ 投稿日:2003年05月01日(木)23時49分59秒
安倍なつみは港のロビーをさまよっていた。
―こんな会社なんかないだべさ―
なつみはロビーをくまなく探しまわるが、チケットに書かれた会社のカウンタ
ーはどこにも見当たらない。そればかりかなつみと同じ会社の船で出発する人
はいないようだ。誰も何もなかったように搭乗券を手にしていく。初めはなん
でもない光景に映ったが、時間が経過していくうちにだんだんとムカついてく
る。いつもは笑顔の絶えないなつみも無口で暗い表情に変わる。チケットもク
シャクシャになりかけていた。仕方なく他の会社のカウンターで尋ねてみるが
どの会社も知らないとの返事だった。もともと移動するときは飛行機か新幹線
であり、まず船で移動することはない。なつみは不安になってきた。
―帰るだべ・・―
なつみは頬を膨らませながら、大きな荷物を抱え上げた。
- 149 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月01日(木)23時51分47秒
「お客様、失礼ですが安倍なつみ様ではありませんか?」
「そうですけど」
声をする方を向くと、目の前に見覚えのあるというより知っている女性が立っ
ていた。ただ、なつみが知っている女性にしてはあまりにも知りすぎていた。
「あのぉ〜」
「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
「あっ、はい」
気づけば声が裏返っていた。それだけ驚きが大きかった。次に続く言葉が思い
つかなかった。なつみは黙ったまま女性の後をついていくだけだった。
二人はロビーを抜けると奥にある非常階段へと向かう。搭乗口とはまったく違
う方向に進んでいく中、なつみは不安げな表情を浮かべていた。
カツッ、カツッ、カツッ、カツッ・・
冷たい風の中で、階段を下りる靴の音が風の音を遮るように響いていた。
―こんなチケットもらって損してだべ・・―
なつみの脳裏にあのときの光景が浮かんだ。
- 150 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月01日(木)23時54分06秒
―――
「あぁ〜」
なつみはTV収録のためにとある撮影所に来ていた。収録まで時間があるせい
かゆったりした時間が過ぎていく。緊張する時間でもあり、リラックスできる
時間でもあった。
飲み物を買いに自販機に向かう途中だった。
「もったないよ」
「そうやな・・」
「どうする?」
ある控え室の前を通るの中から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
それらの声はどっか楽しそうに聞こえた。
なつみは立ち止まると、ドアをノックした。
コンコン、コンコン!
「はい、どうぞ」
「失礼します」
なつみはすかさず控え室の中に入った。
「なんで、皆ここにいるの?
なっちだけ除け者にしてずるいべさ!」
目の前の光景に思いっきり頬を膨らませる。
「そういうことやないんや・・」
裕子がすかさず答える。
「でもさ・・」
なつみの怒りは収まらない。目の前になつみを除くメンバーと真希まで顔を揃
えていた。一人だけ呼ばれなかったのが悔しかった。
- 151 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月01日(木)23時55分59秒
「なっちも機嫌直してよ、矢口達が来たのは偶然なんだから・・」
「そうだよ、圭織が裕ちゃんのところに来たら、みんな偶然いてさ・・」
真里と圭織の言葉もなつみの耳には入っていないようだった。
「私たちも、そう・・○×◎△▼・・」
「ちょっと、高橋・・そんなに早口だと誰もわからないよ」
「でも・・▽×■◎・・」
「ハハハハーー」
必死で言い訳する愛の言葉と姿に笑いが起こる。
それまでの険悪な空気が和んできた。
「でも、安倍さんがいちばん遅く来たから悪いんですよね・・」
梨華の一言で一瞬にして空気が凍る。
コツン
「痛ーい、よっすぃ」
「痛いじゃないよ・・」
ひとみは視線をなつみに向ける。
梨華は気づいたのか申し訳なさそうに下を向いて、肩を小さくしていた。
「まあ、落ち着き・・」
裕子がその場をいさめるようになつみのもとに歩み寄った。
- 152 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月01日(木)23時58分23秒
「実はな・・チケットもらったんや
ところが、仕事で使えんのや・・それで誰かいる人がいたらあげようかと」
裕子はなつみの髪をクシャクシャにしながら微笑む。裕子の手には船の往復チ
ケットが握られていた。
チケットには聞いたこともない会社の名前が載っていた。
「休みだったらもらおうと思ったんだけどね・・」
圭が口惜しそうに膝をたたく。
「そう・・」
なつみは全員の表情を見渡すと、全員の顔から残念といった文字が読み取れた。
なんだかそれがおかしかった。なつみは裕子の持っていたチケットを手にした。
「この日、空いてるべさ・・」
なつみは思わずつぶやいた。
「そうなんや・・行く?」
「いいの?」
「ええよ・・皆スケジュールつまっとるし」
「じゃ、もらうよ」
なつみは確認のために全員の顔を見渡した。誰も異論はないようだ。
「やっただべ」
なつみの顔に笑顔が戻る。
「単純やなあ・・」
「そういう言い方ないべさ」
二人は抱き合ってじゃれ合う。
先ほどまでの険悪な空気がどこに行ったのかわからない。
- 153 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月01日(木)23時59分37秒
「おい、なっちに裕子!みんなが困ってるだろう」
真里が二人に釘を刺す。
「なんや矢口・・妬いてるのか?」
「そんなんじゃないよ・・わぁーー、止めろ」
言葉よりも早く裕子が真里に襲いかかる。
「アハハハハーー」
面白がっているというか呆れているかというか複雑な笑い声が沸き起こる。
「わぁー、もうこんな時間だ!!」
圭織が突然声を上げた。
「やばい、やばい」
その声に一斉に控え室を出ようとする。
「なっち!」
裕子の声になつみは立ち止まった。
「ごめん、これ渡すの忘れてわ」
裕子はなつみに1枚の写真を渡した。
「これ、何だべ?」
「さっきのチケットと一緒に渡して。きっといいことあるから」
「えっ・・」
口が開いたまま塞がらないなつみ。
裕子の顔が近づいたと気づいた瞬間、なつみの唇に温かくて柔らかい感触が伝
わっていた。
「裕ちゃん、何するべさ」
「矢口ばっかりじゃ飽きるしな、アハハハー」
「もう!」
呆れて何も言えなかった。
「急がんと・・」
「あっ、そうだ・・チケットありがとう」
なつみは慌てて控え室を出て行った。
――
- 154 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月02日(金)00時01分50秒
なつみは階段を下りると船が停泊している岸の側を歩いていく。海からの風は
強かったが潮の匂いがさわやかにしてくれる。なつみは停泊している船の大き
さと豪華さにびっくりしながらも、どんな船に乗るのか胸をわくわくさせなが
ら歩いていく。
なつみたちは船への桟橋を歩いていく。豪華で大きい船、こんな船に乗れると
は正直思ってもみなかった。しかし、桟橋は途中で右に大きく曲がっていた。
「えっ!!」
なつみは目を疑った。目の前に現れたのは小型船舶だった。しかも古くて今に
も沈没しそうな感じだった。しかも、さっきまで見ていた船の搭乗口は別のと
ころだった。あまりの違いにがっくり肩を落とす。次第に足が重くなっていく。
「どうしました?」
「いいえ・・」
女性の声になつみはうつむいたまま歩いていく。本来なら断るところだが、こ
こまで来て断ることもできない。憂鬱な気分だった。1歩1歩踏み出すたびに
ため息がもれる。せめて楽しいものになることを祈るだけだった。
- 155 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月02日(金)00時03分44秒
「こちらです、準備がありますのでお先に」
「はいっ」
なつみは首を傾げながら船に乗り込んだ。船は運転席の他に10人ぐらいが座
れるほどの広さだった。当然なつみ以外に客はいない、おまけに船長らしき人
影もなかった。先ほどの女性に視線を移すとロープを解いて出航準備をしてい
た。こんなことで大丈夫なのかふと不安がよぎるのだった。
「お待たせしました、これより出発します」
「えっ!」
なつみの顔が一気に蒼ざめていく。
「ちょっと待ってください、船長さんは?」
「私ですけど・・」
「うそだべ・・」
なつみは目を疑った。
「何そんなに目を大きくして驚いているべさ」
「ちょっと・・」
なつみは何がなんだかわからなくなっていた。なつみの目の前には自分にそっ
くりななつみがいた。世界には自分に似ている人が3人いると聞いたことある
が、これほどまで似た人物と会ったこともなければ見たこともない。ただ、鏡
を見ているような感じだった。
- 156 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月02日(金)00時05分16秒
バシャーン、バシャーーン
船がゆっくりと動き出した。
「写真を見せてください」
「は、はいっ・・」
なつみは言われるままに写真を渡した。何がおかしいとかいろいろ考える余裕
はなかった。自然と体が震えてくる。
「そんなに緊張しなくてもいいべ・・」
操縦席からなつみに声がかかる。
「・・・」
なつみは無言のまま席の肘掛をしっかりと握り締めていた。
船はスピードを上げて、水面を跳ねるように進んでいく。まともに座っていら
れる状態ではなかった。胃の中のものが逆流してくるかと思うぐらい激しい揺
れに我慢も限界に近づいてくる。
「あのぉ、スピード落としてくれませんか?」
「な〜に、言ってんの!これからが面白いんだべ」
操縦席のなつみは笑いながら相手にしない。
最後部のなつみは口に手をあてたまま必死に耐えていた。
バシャーーン、バシャーーン
船は大きな波音を立てて進む。
最後部のなつみに景色を楽しむ余裕はない。
下を向いたまま、自分と戦っていた。
- 157 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月02日(金)00時11分13秒
急に空が暗くなってきて、波が高くなってきた。
なつみの横の窓にも激しく波が打ちつける。揺れもいっそう激しくなり、なつ
みの目にも危うい状況は一目瞭然だった。
「うっ!」
必死で口を塞ぎながら操縦席へ向かう。
揺れのせいで歩くのもままならない。
体をあちこちにぶつけながらなんとか操縦席にたどり着いた。
「もう帰るだベさ」
「いや、これからがおもしろいところだべ」
「そんなことないべさ、転覆したらどうすんだべさ」
「心配することないべさ」
二人のなつみの言い合いをよそに船は進んでいく。
「あっ、危ない!!」
「大丈夫だべ!」
この状況を楽しむ笑顔のなつみと恐怖に引きつるなつみ。
二人の顔は対照的だった。
二人の会話は平行線をたどるばかりで交わることはなかった。
恐怖に震えるなつみは諦めたように最後部へと戻った。
吐き気を必死でこらえながら、無事に帰れることを神に祈ることが唯一できる
ことだった。
- 158 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月02日(金)00時12分16秒
バキ、バキ・・
船体が壊れる音が波音を切り裂いて耳に聞こえてくる。
なつみのまぶたの裏に最悪の事態が映し出される。
バキバキ、バキバキ・・
次々と大波が船を襲う。
ひときわ大きくて高い波が船に向かってくる。
「助けて」
なつみの悲鳴は波に打ち消されて、誰の耳に届くこともなかった。
船は大波とともに消え去った。
- 159 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月02日(金)00時14分01秒
これまでの出来事は幻だったのか・・
ジリジリジリリリリーーー
「えっ・・」
なつみの耳に聞き覚えのない音が聞こえてきた。
―ここ・・どこだべ?・・―
目をこすりながらゆっくりと上体を起こすと、見慣れない景色が広がっていた。
テレビにラジオに時計にベッド・・どれもが見覚えがなかった。
そして、テーブルの上にはミネラルウォーターのペットボトルが並んでいた。
「何があっただべ?」
ボサボサになった髪を指でとかしながら、寝る前のことを思い出そうとするが
何も覚えていなかった。ブツブツと独り言を漏らしながら、テーブルに歩み寄
った。
「あれっ?」
首を捻りながら、テーブルの上に置かれていた紙を手にした。
《北海道室蘭市XXX XXXホテル》
―うそっ―
部屋のカーテンを開けると、目の前には見覚えのある景色が広がっていた。
- 160 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月02日(金)00時16分27秒
窓からの景色を食い入るように覗き込むと、瞳の中に懐かしい建物が飛び込ん
でくる。その建物を見たことで、ちょっとだけ安心できたような気がした。と
りあえず、TVをつけて情報を得る。TVでは、朝の情報番組をやっていた。
全国のニュースが次と次と紹介されていくが特に大きな事件は起きていないよ
うだ。いつもなら寝ている時間なのだが、朝早く起きて得したような気分にな
る。ローカル局の放送になって、自分が北海道にいることだけは理解できた。
なつかしい言葉に思わず頬が緩む。ゆっくり流れる朝の時間、久しぶりのこと
である。しばらくTVに集中していた。
- 161 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月02日(金)00時17分53秒
「はぁ〜〜」
大きく背伸びをすると、部屋を見渡した。
―そういえば・・―
なつみは思い出しように立ち上がった。部屋の隅に置かれた鞄は間違いなくな
つみ自身のものだった。鞄の中を確かめるといつも旅行やツアーに持っていく
ものが入っていた。改めて自分がどうやってここに来たのか思い出せない。そ
ればかりか、今いるホテルの予約すらした覚えがなかった。このままでいいか
とも思ったのだが、どこか気味が悪くて落ち着かない。さんざん迷ったあげく
母に電話することにした。
- 162 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月02日(金)00時19分30秒
「もう・・そんなに怒らなくてもいいべさ」
なつみは電話したことを後悔していた。なに寝ぼけたこと言ってるのかと文句
を言われたばかりでなく、いろいろと小言まで聞かされた。何気なく聞いたこ
とでここまで言われるとは思ってなかった。頬を膨らませながら、シャワーを
浴びにいった。
―そうか・・オフなんだべ・・―
シャワーを浴びたことで、納得したわけではないがちょっとだけ気持ちの切り
替えができた。とりあえず自分の意思で来たことにはちがいないようだったが、
いつこのホテルに到着したのか、どうやって来たのかは今でも思い出せない。
このまま部屋にいても仕方がないと悟ったなつみはさっさと着替えを済ませて
街へとくりだした。
- 163 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月02日(金)00時21分34秒
「寒ーーいぃーー」
春になったとはいえ北海道の風はまだまだ冷たいものだった。ひさしぶりに歩
く街並みはどこかなつかしい。何が変わって何が変わっていないのか間違い探
しをしながら歩くのも楽しいものだった。
―やっぱいいべさ―
地元の空気は不安な気持ちを吹き飛ばしてくれた。潮の風に導かれるように海
岸線へと出た。白い波が次々と砂浜に打ち上げられていく。
ザーーザパーーン、バシャーーン
波音に耳を傾けるなつみ。人気のない場所でただ独りだけの空間を楽しんでい
た。ふと水平線を眺めると1隻の船が見えた。
―大きい船なのかな?―
いい船だったら乗ってみたい気がした。イカ釣り漁船なら乗ったことはあるが、
他に豪華客船みたいのにも乗りたいと思っていた。
「船だべ!!」
突然大声を上げた。あまりの大きさに恥ずかしさで顔が真っ赤になる。周りを
見渡したが誰もいなかった。自分の恥ずかしい場面を見られなかったことで胸
をなでおろした。
- 164 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月02日(金)00時23分38秒
「なっちは?」
頭の片隅に突然船の映像が浮かんだ。そして、裕子にチケットをもらったことも・・
確かにオフということで船に乗ったはずだった。そして、小さな船に乗って荒
波の上を進んでいるはずだった。
―ここは、一体・・―
なつみの頭に大きな波が迫ってくる光景が浮かんだ。確か海の中に沈んだはず
だと思っていた。荒れ狂う海の中で五体満足でいられたこと自体不思議だった。
何度思い返してもここにいることが信じられなかった。冷たい波に体温を奪わ
れて自然と目がかすんでいく。なんとかしようとすればするほど波に巻き込ま
れていく。なつみの脳裏に嫌な場面が次々と蘇ってくる。今の自分が誰なのか
つい考えてしまう。本当に生きている自分なのか、魂だけが彷徨っている自分
なのか、夢の中の自分なのか、考えれば考えるほどわからない。
「あぁーーー」
再び大声を上げて髪を振り乱す。しかし、何も変わるはずがない。何もないこ
とにほっとするもののどこかそっけない気がしていた。
- 165 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月02日(金)00時25分01秒
ザーーザパーーン、バシャーーン、ザパーーン
なつみの心を見透かすように波が静かに打ち寄せる。波の音がイライラした気
分を落ち着かしてくれる。都心では考えられないほど、ゆっくりした時間が過
ぎていく。
「ふぅーーー」
今までの思いを振り切るかのように大きく息をした。いつまで経っても何も変
わらないことにやっと踏ん切りがついた。いや、まだ心の中に引っかかるもの
はあるがこのままここにいても仕方なかった。ゆっくりと立ち上がると街中に
向かって歩き出した。
カツカツ、カツカツ、
アスファルトに靴音が響く。歩く足取りもどことなく軽やかだった。
- 166 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月02日(金)00時26分22秒
モクモク・・モクモク・・
「ゲホッ、ゲホッ・・目にしみるべさ・・」
なつみの目の前に黒い煙が立ち込める。思わず不機嫌な表情となる。
ジューー、ジューーー
グゥーー
肉の焦げた香りが鼻をつく。空腹感がなつみを襲う。
―ここでいいかな・・―
なつみは店の中を覗いてみた。白を基調とした店内は清潔感溢れるものだった。
ちょっと時間が遅いせいか誰も客はいない。ここなら気兼ねなく食事ができる
と思った。
「いらっしゃいませ」
店員の威勢のいい声が響く。なつみは軽く会釈をしながら奥の席へと座った。
- 167 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月02日(金)00時27分59秒
「いらっしゃいませ」
店員がお絞りとお茶を運んできた。
「ご注文は?」
店員の言葉になつみはメニューを見ながらカウンターの方を見た。
炭の上に肉汁が落ちる音が食欲をかきたてる。
「ささみとつくねと皮をお願いします」
「かしこまりました」
店員が去った後、なつみはお茶を口にした。
―裕ちゃんや圭ちゃんだったら、お酒飲むんだろうなあ―
あれこれ考えていると二人の酔った姿が浮かんでくる。思わず顔がにやけてく
る。改めて店内を見渡した。すごく落ち着いた雰囲気だった。ワイワイガヤガ
ヤ騒ぐよりゆっくりくつろげる感じの店だった。なつみの他に客が入ってきそ
うな感じはない。
「お待たせしました」
店員がテーブルの上に注文の品を置いていく。
「いただきます」
ムシャムシャ・・
なつみはゆっくりと味をかみ締めながら食べていく。
「おいしい!」
絶妙なたれの甘辛さに舌鼓を打つ。
次々と焼き鳥がなつみの胃の中へと消えていく。
- 168 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月02日(金)00時30分29秒
残った焼き鳥も数本となったときであった。
「これもどうぞ」
テーブルの上には頼んでもいない皿が並べられた。
違う種類の焼き鳥が14本、皿の上に並んでいた
「こんなの頼んでないですけど」
なつみは戸惑いの表情をみせながら、店員に皿を返そうとした。
「これはここの主人からのサービスですから、気にしないで下さい」
「ほんとうですか?」
「はい、ごゆっくりどうぞ」
申し訳なさそうに頭を下げると、店員が去っていくのを見計らって新しく出さ
れた焼き鳥を口にしていく。
「おいしい」
なつみは満足していた。それぞれの肉がジューシーで噛めば噛むほど味が出て
くる。今まで食べたことがない肉の味がしていた。一体何の肉なのか知りたか
ったが、食べるのが先だった。
「ご馳走さまでした」
なつみは膨れてたお腹を触りながら、満面の笑みを浮かべていた。地元にこん
な店があったなんて嬉しい発見だった。なつみはレジへと歩き出した。
- 169 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月02日(金)00時32分17秒
「いくらですか?」
「1200円になります」
「安いべ」
なつみは財布を取り出すと、お金をレジ係りに渡した。
「あっ、領収書お願いします。」
「かしこまりました」
なつみは店の外に視線を移していた。変な輩がいないかちょっと心配だった。
一人で来ているために守ってくれる人はいない。特に最近は思いもしない人が
急に目の前に現れるかもしれない。とりあえずは大丈夫そうだった。なつみの
視線はレジ係りの手元に移る。
「どうぞ領収書です」
「ありがとうございます・・・えっ、あなたは!!」
なつみの表情が一変した。そこには自分そっくりなもう一人のなつみがいた。
領収書を握ったまま口をパクパクさせていた。
「どうしました、そんな顔して」
レジ係りが心配そうに見つめていた。
ドクドク、ドクドク・・
心臓の音がはっきりと聞こえていた。
―嫌だ・・―
あの船での出来事が脳裏に蘇る。顔から血が引いていくのがはっきりわかる。
恐怖のせいで体が震えてきた。
- 170 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月02日(金)00時33分32秒
「そんなに震えなくてもいいべさ、私はあなた、あなたは私」
レジ係りがなつみの髪を撫でながら、不適な笑みを浮かべていた。
「止めるべさ」
なつみは手を払うと、急いで店を出ようとしたが肝心の足が動かなかった。
―どうして・・―
足元を見ると足首からしたが凍っていた。
並々ならぬ事態に頭の中はパニックになっていく。
「もうそんなに慌てて・・一緒に船に乗った仲なのに」
レジ係りは呆れたように言い放った。
「なっちに何したんだべ」
「えっ、特に何もしてないべさ」
「嘘つかないでよ」
なつみの目が鋭くなる。いつもの笑顔はなかった。
「気にしないで・・それより焼き鳥の味はどうだった」
「何よ、あんなもの・・まずいに決まってるべ」
「あんなにおいしいと言ってたのに、嘘はだめだべ」
なつみを逆なでるようにレジ係が言い放つ。
「こんなことされて、おいしいなんて言えないべさ」
「まぁ、いいべさ」
レジ係りは後ろを振り向くと急に後ろの棚の扉を開けた。
扉の向こうには大きな冷蔵庫が見えた。
- 171 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月02日(金)00時35分40秒
「ここだけの大サービスだべ・・今日の焼き鳥の材料を見せてあげるべさ」
―何言ってるの?―
なつみは首を傾げながらも、冷蔵庫の中を覗き込む。
「まじ・・」
なつみはそれ以上言葉がなかった。歯がガタガタいわせながら、口元が引きつ
ってくる。鳥肌が全身立っていた。
「どう・・裕ちゃん、ごっちん、圭織、圭ちゃん、矢口、梨華ちゃん、
よっすぃ、あいぼん、のの、高橋、小川、紺野、新垣・・皆のお肉の味は?」
レジ係りの声になつみは頭を振った。
―嘘だべ・・―
しかし、冷蔵庫の中には裕子や真希をはじめメンバーが吊るされていた。
ところどころ肉を削り取った場所が見える。
「うっ・・」
思わず胃の中のものが逆流してくる。
知らず知らずのうちに涙が溢れていた。
「ごめん・・」
なつみは後悔の念でいっぱいだった。思わず冷蔵庫の中に駆け出そうとするが
体は下半身が凍ってしまっていた。恨んだような目つきでレジ係りを睨むが自
然と目がぼやけてくる。いつしか恐怖も感じなくなってきた。いや、すべてを
諦めたといった方が正しかった。上半身はもちろん思い出まで、すべてが凍っ
ていく
「どうして」
目の前の景色が闇に消えていった。
- 172 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月02日(金)00時36分43秒
ゴォーーー
なつみは激しく燃える炎の音で目が覚めた。
―ここは?―
周りを見ると、大きなかまどが見えた。
動こうとするが手と足と腰を棒に縛られていて動けない。
「助けて!」
声を出そうとするが肝心の声がでない。
誰かいないか首を動かすが人影はなかった。
ガヤガヤ、ガヤガヤ・・
にぎやかな声に思わず目が移る。
そこには冷蔵庫に吊るされていたはずの裕子達が集まっていた。
―なぜ―
なつみは思わず目を疑った。もう一人のなつみが裕子達と楽しそうに話していた。
―そいつは偽者だべ―
必死な心の叫びは誰にも届かない。
- 173 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月02日(金)00時37分35秒
なつみは炎の上へと運ばれた。
強烈な暑さに歯を食いしばるが我慢できるはずもない。
額から汗が次々と流れる。
必死の叫びも裕子たちには聞こえない。
目の前がぼんやりとしてくる。
「アハハハーー」
なつみの耳にかすかに届く笑い声。
ガクン
なつみのすべての感覚が消えていった。
- 174 名前:M_Y_F 投稿日:2003年05月02日(金)00時40分19秒
- 今日はここまで
つまらないかもしれませんけど、
次ぐらいで本当に完結させる予定です。
- 175 名前:M_Y_F 投稿日:2003年05月07日(水)22時54分27秒
- 今日の更新です
- 176 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月07日(水)22時55分35秒
カーテンの隙間から太陽の光がこぼれる。
−室蘭にいたんじゃ・・−
なつみは不思議な気分だった。
ベッドの上で上半身だけを起こすと周りを見渡した。
そこはなつみの部屋だった。
「お母さん、なっち、いつ帰ってきただべ?」
「何言ってるの・・昨日帰ってきたんじゃない」
「私、死んだんじゃ・・」
「寝ぼけたこと言わないの!」
なつみは思いっきり怒られた。
「ほら、中澤さんからの手紙だよ」
母親は呆れた顔で手紙を渡すと、TVに視線を移していた。
なつみはそんな母親を横目に自分の部屋へと戻った。
封筒をやぶくと中に入っていた手紙を取り出した。
中には14枚の便箋と1枚のチケットが入っていた。
- 177 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月07日(水)22時56分22秒
《 なっちへ
楽しいときをありがとう!
とてもおいしかったわ
今度、また食べさせてな
裕子より 》
- 178 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月07日(水)22時57分01秒
《 なっちへ
すごく面白かったよ
思ったよりおいしかった
また、食べたいね
圭織より 》
- 179 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月07日(水)22時57分43秒
《 なっちへ
よかったよ
なかなかの珍味だった
また食べようね
ケメ子より 》
- 180 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月07日(水)22時58分29秒
《 イモなっちへ
いやぁーー、最高!
とてもおいしかったよ
今度一緒に食べよう
矢口より 》
- 181 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月07日(水)22時59分06秒
《 なっちへ
まじで楽しかった!
初めてなのに病みつきになっちゃう
また誘ってね
後藤より 》
- 182 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月07日(水)22時59分49秒
《 安倍さんへ
ハッピー!
とてもおいしかったです
また連れて行ってくださいね!グッチャー
チャーミーより 》
- 183 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月07日(水)23時00分38秒
《 安倍さんへ
すげぇー、よかったっす
うまかったっす
次もお願いします
吉澤より 》
- 184 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月07日(水)23時01分12秒
《 安倍さんへ
最高―!
とても満足しました
また行きましょうね
加護より 》
- 185 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月07日(水)23時01分42秒
《 なちゅみへ
いやぁーー、最高だね!
お腹いっぱい食べられてよかった
またお願いします
ののより 》
- 186 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月07日(水)23時02分34秒
《 安倍さんへ
すごく楽しかったです!
初めて食べたのに、すごくおいしかった
また食べさせてください
高橋より 》
- 187 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月07日(水)23時03分22秒
《 安倍さんへ
すごくよかったです!
とてもおいしかったです
今度はお腹いっぱい食べさせてください。
紺野より 》
- 188 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月07日(水)23時04分03秒
《 安倍さんへ
とても面白かったです!
最高においしかったです
また誘って下さい。
小川より 》
- 189 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月07日(水)23時04分38秒
《 安倍さんへ
感動しました!
おいしいの一言です
また行きましょうね
お豆より 》
- 190 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月07日(水)23時05分11秒
《 なっちへ
どうだった?
皆に喜んでもらってよかったでしょう?
今度もよろしくね
お礼にチケットをあげるので
楽しんできてね
なっちより 》
- 191 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月07日(水)23時06分07秒
チケットにはなつみの名前が書かれていた。
行く先は書かれていなかった。
- 192 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月07日(水)23時06分53秒
―どうなってるべさ?―
不思議な気分だった。なつみの覚えがないことばかりが書いてあった。
しかも書き覚えのない手紙まで入っていた。
チケットを握った手が心なしか震えていた。
夢とも現実ともつかない出来事がなつみの脳裏をよぎっていく。
- 193 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月07日(水)23時07分23秒
悪夢はまだ続く・・
- 194 名前:M_Y_F 投稿日:2003年05月07日(水)23時09分03秒
- 今日はここまで
つまらないものですが
次回が本当に最後の更新となります。
- 195 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月24日(土)22時07分23秒
- なつみはとあるホールへと来ていた。
なつみは目を丸くしながらキョロキョロしていた。
どこもここもすごい熱気である。
−一体誰のコンサートだべさ?−
多くの人にまぎれて会場入りするのを待っていた。
―見覚えのある人ばかりだべさ・・―
なつみは首を捻っていた。
頭の片隅と重なる映像。
歯がゆくなるばかりだった。
開場とともに入り口に向かって流れ込む人々。
なつみもその波に飲み込まれて会場に入っていた。
―何のチケットだべ―
手がかりを求めて、ここまでのことを思い出していた。
- 196 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月24日(土)22時09分04秒
――
−このチケットなんだべさ?−
わけのわからないチケットになつみは頭を悩ませていた。
チケットには日付けと集合場所しか記載されてなかった。日にちについてはオ
フなのでよかったが、何が行われるかが問題だった。自分が興味ないものなら
行ってもしょうがないと思ったが皆がくれたものである。行ってないと言えば
悪い気がしていた。
なつみはとりあえずチケットに書かれた場所に行くと多くの人々が集まってい
た。ほとんどが男性ばかりだったが女性や子供連れもいた。ちょっと場違いな
気もしたが、幸いなことに正体もばれていないようだったのでこの際行って損
はないだろうと思っていた。行って面白くなければさっさと帰ればいいだけの
ことである。第2、第3の行きたい場所ぐらいは考えていた。
- 197 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月24日(土)22時10分14秒
しばらく待つと数台のバスが目の前に停車した。
「バスに乗る前にチケットを見せてください」
添乗員らしき人が大声を上げると、一斉にバスに駆け込む。
なつみその光景を呆然と見ていた。
我先にと駆け込む姿は滑稽に思えた。どうせバスで行くのなら急がなくてもい
いのにとなつみは余裕でバスに乗り込んだ。
バスの中でなつみはひたすら眠っていた。日ごろの疲れがでているのであろう。
最近にはないほど深い眠りだった。目的地についたなつみは添乗員に起こされ
るまで夢の世界に浸っていた
――
- 198 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月24日(土)22時11分33秒
静まり返る会場。
ライトが観客席を照らながら、すべての光が中央のステージに集まる。
大きな音とともに曲が始まった。
「えっ!!」
自分の耳を疑った。はっきりと聞き覚えのある曲だった。
「オォーーー」
ステージに人が現れるたびに盛り上がる会場。ボルテージは上がっていく。
しかし、会場の雰囲気とは逆になつみの顔は蒼白になっていく。急いでステー
ジに向かおうとするが盛り上がった観客は騒ぎまくり前に進むことができない。
なつみの不安を表すように会場も違った意味でざわついていた。
「なっちがいない・・」
「なっちに何かあったの?」
ステージにはなつみ以外のメンバーが立っていた。
- 199 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月24日(土)22時13分13秒
なつみは慌てながら、ステージに向かった。
今日はオフのあるはずである。しかもコンサートがあるなんて聞いていないし、
平日である。それに、自分がいないならばマネージャーから連絡があるのにそ
の連絡さえない。
会場はなつみがいないことに騒ぎが大きくなっていた。
ここで説明しないとまずいと思うぐらいに一部では殺気立っている箇所もあった。
なつみはあとステージ5メートルほどのところまで来ていた。
そのとき、突然天井からゴンドラが降りてきた。そこにはなつみがいた。
なつみの登場に一気に会場の雰囲気が変わる
「行くよーーー!」
なつみの声に会場はひとつになる。
しかし、ステージ下のなつみだけは別だった。自分がいない娘なんて考えられ
なかった。偽者がいること自体許せないことだった。
- 200 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月24日(土)22時15分00秒
ステージが繰り広げられているのにもかかわらずなつみはステージに立った。
「どういうこと!」
突然、現れた人影に会場は再び騒然となった。
瓜二つの顔がいる。曲とともにメンバーの動きもピタッと止まった。
「まじ!」
「どっちが本物?」
なつみの周りをメンバーが取り囲んだ。
どの顔にも戸惑いの表情が見え隠れする。
すべてのライトが対峙するなつみに集まった。
「何?」
「なんで二人いるの・・」
前方のスクリーンに二人のなつみの姿が映し出されるとさらにどよめきが起こ
る。
ガシャン、ドタン、パリン、ドーーン
「きゃーーー!」
「危ない!」
「逃げろ!」
二人の登場を歓迎するかのようにセットの一部が激しく崩れ去っていく。
普通のライブでは考えられないことだった。
客席は逃げ惑う人で混乱をきたしていた。
- 201 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月24日(土)22時16分01秒
荒れ狂う観客席とは関係なくなつみを中心に娘の輪ができていた。
あるものはまばたきもせずにその様子を見ていた。
また、あるものは口をぽかんと開けたまま言葉がでない。
沈黙がその場を覆う。
沈黙を破ったのは、さっきまで歌っていたなつみである。
「邪魔しないでくれる」
「何が邪魔だべ、あなたこそ誰だべ?」
「なっちだべ、あなたこそ誰?」
「なっちはなっちだべ。いい加減なこと言わないで」
「はぁ〜、しょうがないべさ」
「どういうこと?」
「本当のことを教えてあげるべさ」
なつみの唇に唇が重なる。
スクリーンには二人の姿が映し出された。
衝撃のシーンに静まり返る会場。
「何するべさ・・」
体の力が抜けて膝から崩れ落ちていく。
視線の先には妖しい笑みを浮かべるなつみとメンバーの姿があった。
「ど・・・」
かすれゆく意識の中ですべてが失われていった。
- 202 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月24日(土)22時18分43秒
「うっ・・・」
ゆっくりと目を開けると、霧が辺りを覆っていた。とりあえず、その場をぐる
りと見渡すが周りにはゴツゴツした岩と石しかない。草さえも生えていなかっ
た。眉間を押さえながら軽く頭を振った。
―なんで、ここに―
なつみは記憶を必死に蘇らせるが、肝心のことがわからない。
どうやってここに来たか思い出そうとすると拒絶するように頭が痛くなってくる。
ヒューーー
生ぬるい風が体に吹きつけてくる。どこか気持ちが悪くなる感じだった。風が
岩に当たって石が落ちたり、小さな石粒が舞う音しか聞こえなかった。いくら
自然しかないとはいえこんな経験は初めてだった。胸の前で手を組み、背中を
丸めながらゆっくりと歩き始めた。行き先なんて考えていない。ただ、その場
にいることが我慢できなくなっていた。いくら独りといっても回りに何もない
状態では心細くなるばかりだ。おまけに霧のせいで20M先ぐらいまでしか視界
がない。必死に耳を澄ませてみるが風の音以外何も聞こえない。人の気配もい
や動植物の気配もない場所はどこか冷たく感じた。
- 203 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月24日(土)22時20分21秒
一歩一歩足を進めていくが、目の前の景色が変わることはなかった。ただ、岩
と石しかない場所だった。歩くたびに不安が一層大きくなっていく。必死に笑
顔を作ろうとするが口元が引きつってぎこちないものとなる。どこまで行って
も変わらない景色に表情は暗くなるばかりだ。
「ふぅーー」
口から出るのはため息ばかりだった。いつまでたっても変わらない状況に諦め
にも似た絶望が背中にのしかかる。携帯を取り出すが無常にも圏外の文字が大
きく光っていた。
カツ、カツ、カツ、カツ・・
かすかな望みに靴音だけが響く。
- 204 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月24日(土)22時21分40秒
「やった・・」
思わず声をあげた。
霧が晴れてきたのだった。しかし、それは期待を抱くまでにはいたらなかった。
遥か頭上に広がる空はどんよりと曇ったまま太陽の光も見えなかった。まして、
霧が晴れて視界は良くなったが見えるのは岩ばかり、これなら霧が晴れないほ
うがましだった。気持ちはますます落ち込むばかりだ。
―もう、どうでもいいべさ・・―
やけになっていた。なつみにとってそこは最悪の場所だった。自分がどこを歩
いているのかわからなかった。何時間も歩いても人はおろか植物もない世界に
自然と体が震えてくるのだった。
- 205 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月24日(土)22時23分14秒
「舟に乗りませんか?」
なつみの耳にかすかに人の声が聞こえてきた。
―これは・・―
疲れきった体に気力が溢れてくる。誰かがいるというだけで棒のようになって
いた足が自然と動き出した。今まで死にかけていた目も光で輝いていた。希望
という名の下に自然と笑みが浮かんでくる。
―頑張らないと―
そこに先ほどまでの暗さはまったくなかった。
ハァーー、ハァーー
息を切らせながらも足は一歩一歩確実に前に進んでいた。
なつみが走っている視線の先に川が見えた。ここにきて岩以外で初めて目にし
たものだった。ザァーという川の流れが耳に聞こえてくる。この川の音を聞く
だけでも心が癒される感じだった。
「もう少しだべ」
自分に言い聞かせるように大声を上げる。
ザァーーー、ザァーーーー
先ほどの川の音が大きくなってきた。
- 206 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月24日(土)22時25分04秒
「す・・すごいべさ・・」
なつみは川の傍にたどり着いた。そして、その川の幅に驚いていた。はるか遠
くに向こう岸が見えていた。川の流れがなければ、海に間違えてしまうほどだ
った。
バシャ、バシャ・・
すかさず顔を洗った。冷たい水が一気に皮膚の中に浸透していく感じだった。
ほてった体を冷ますにはもってこいの水だ。ゆっくりと水を口に含むとその味
を噛みしめながら飲み込んだ。一気に喉の渇きが潤されていく。日常ではなん
ともないかもしれないが、これほど水が贅沢なものだと感じたことはなかった。
体全体に力がみなぎっていくのを感じていた。
「こっちですよ・・」
「誰かいるべさ?」
なつみは自分の耳を疑った。さっき聞いた声と同じだった。
「こっちですよ!」
さらに大きな声が聞こえた。
タッ、タッ、タッ、タッ・・
自然と声のする方へ走り出していた。しばらくすると多くの人影が見えた。
―よかった・・―
自然と涙が溢れてくる。胸にこみ上げてくるものがあった。
1日と時間は経っていないが、この時間が何年にも感じた。
- 207 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月24日(土)22時27分11秒
「すみませーーん」
なつみは大声を出しながら駆け寄っていく。普段なら考えられない行動だった。
もし、街中で大声を出せばたちまちファンに取り囲まれてしまうのは当然の成
り行きだった。その後どれだけの騒ぎが起こるかはわからない。しかし、今は
そんなこと考える余裕もなかった。人がいるということだけで満足だった。
多くの人々が1列に並んでいた。なつみは息を切らせながら列の最後尾に並んだ。
ほっとしたのか疲れが一気に襲ってきた。その場に座り込むと大きく深呼吸を
繰り返した。安心したのか涙がこぼれてくる。人の目もはばからずに思い切り
泣いた。
―何の列なんだろう?―
なつみはずっと考えていた。先ほどから前後の人に話しかけるが返事が返って
こない。よくよくその顔を見れば青白くて生気がまったく感じられなかった。
話し声一つ聞こえてこない。聞こえるのはガイドらしき人が叫んでいる声だっ
た。しかし、岩と石しかない場所では唯一落ち着ける場所であった
- 208 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月24日(土)22時29分07秒
列はどんどん進んでいく。この先どんなことがあるのだろうか不安になる。な
つみの番まであと少しとなっていた。今までと違って心臓の音がはっきり聞こ
えるぐらい緊張していた。胸に手を当てて必死で深呼吸を繰り返す。さっきま
での足取りが嘘のように重くなっていた。
「次の方どうぞ」
「はいっ」
なつみは神妙な面持ちで一歩進んだ。
なつみの目の前にはどこかで見覚えのある白髪のおばあさんが立っていた。
「おばあさん、ここはどこなんですか?」
「サンズの川というのじゃが」
「サンズの川?」
「そうじゃ、そんなことも知らないのか」
「すみません」
思わず首をすくめた。
「どこに行きたいのかな?」
「どこって・・」
なつみは答えに窮してしまった。
予想もしない質問になんと答えていいかわからない。
サンズの川など聞いたこともなかった。
「もちろん、決めてきたんじゃろ?」
「えっ・・」
おばあさんの鋭い視線に思わずよけぞった。下手なこと言えば今にでも怒られ
そうな感じだった。それに重い空気が漂う中で迂闊なことを言えない状況だっ
た。
- 209 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月24日(土)22時30分24秒
ゴクン
思わずつばを飲み込んだ。いい答えを見つけようとすればするほど言葉が出な
くなっていく。頭の中は言葉が錯乱して考えをまとめようにもまとめられない。
緊張が増す中でパニック寸前のところまできていた。
「どうするんじゃ?決まってないなら列の後ろに並んで」
「待ってください、ちょっと暖かい場所に・・」
「そこは、どんなところでじゃ?」
「だから、暖かい場所だべ」
なつみはここから一刻も去りたかった。人がいるとはいえ妙に胸騒ぎを覚える
のであった。おまけに並んでいる人々はどこか気味が悪くて一緒にいるだけで
体中寒気がしてくる。
「お若いのにいいのじゃな?」
「早くして」
なつみはさっさと舟に乗り込んだ。誰もなつみに行く先は告げない。
それ以前に他人の言葉に耳を傾ける余裕がなつみにはなかった。
「では、行きますよ」
「はい」
なつみの返事に船頭はゆっくりと竿を動かし始めた。
- 210 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月24日(土)22時31分07秒
ユラ〜リ、ユラ〜リ
舟は動き出した。
- 211 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月24日(土)22時31分39秒
「あぁ〜、きちんと確認しないで乗るなんて・・」
岸には呆れた顔があった。
「あれでいいの?」
「いいべさ、これで本物のなっちは私だから」
かつらをはずしながら、なつみが微笑んでいた。
- 212 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月24日(土)22時32分24秒
ユラ〜リ、ユラ〜リ
舟は進んでいく。
「ここはどこだべ?」
恐怖にひきつるなつみの顔。
それは、新たなる序章にすぎなかった。
川に浮かぶ無数の白い物体。
船頭の妖しげな唄。
「きゃーーーー!」
何もない川に悲鳴が響く。
- 213 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月24日(土)22時33分05秒
舟の行き先なんて誰も知らない。
川の名前は三途の川というらしい。
- 214 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月24日(土)22時33分42秒
なつみが戻って来れたかは誰も知らない。
- 215 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月24日(土)22時34分19秒
- お
- 216 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月24日(土)22時34分50秒
- わ
- 217 名前:【安倍なつみ】 投稿日:2003年05月24日(土)22時35分32秒
- り
- 218 名前:M_Y_F 投稿日:2003年05月24日(土)22時39分07秒
- これで完結です。
一度は容量の関係で終わらせたのですが、
容量も増えて再び続きを書くことにしました。
つまらないものでありますが、
読んでいただいた方には感謝してます。
ありがとうございました。
Converted by dat2html.pl 1.0