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ありふれた日常。
- 1 名前:鬼音 投稿日:2003年02月22日(土)02時34分06秒
- 一人称なので、舞台設定の説明等はなるべく入れないようにしています。
色々読み難い点はあると思いますが、読んで頂ければ幸いです。
拙い文章ですがよろしくお願いします。
- 2 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)02時35分09秒
- 彼女がモーニング娘。を卒業してから三年の月日が流れた頃、
彼女は突然その華やかな世界から姿を消した。
二〇〇四年になって間もない頃のことやった。
- 3 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)02時35分47秒
- 僕はこの春高校を卒業して、就職も進学もせんとバイトで食い繋ぐ、
どこにでもおるフリーターの一人。
十九歳。夢なし金なし彼女なし。
けど、特別困ってるって訳やない。
それなりに気ままに、何もない日々を生きてる。
現実っていうんは、こんなもんやろうって思てるし。
- 4 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)02時37分02秒
- 高一の頃からやっとるこの工場でのバイトも、もう四年目。
昼間に入れた掃除のバイトを五時に終え、そのままこの仕事場に自転車で向かう。
昼飯を食べてから半日、何も食わんと働くっていう生活にもだいぶ慣れてきた。
「はよーございまーす。」
いつも通り、事務所を抜けてロッカーへと向かう。
色褪せて、もう純白とは呼べんようになった作業着に袖を通し、タイムカードを打つ。
それからローラーを掛けよったら、萩原さんに声を掛けられた。
「あっくん、今日、二十時入りの新人さん入るきんな。」
「新人さんっすか。」
「そうや。
久しぶりやなぁ、弁当ラインに新人入れてくれるん。」
「ほんまっすねぇ。
…若い人っすか?」
「さぁ、そこまで知らんけど。
何?オバサンはもういらん言うんな?」
「そんなこと言うてませんやんか。」
- 5 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)02時37分34秒
- 久しぶり、とは言え、半年に一人くらいは長期パートの人が入ってきて、
そして知らん間に去ってく。
まぁ、古株の人が根気良く勤めてくれとるからそれでも何とか出荷時間守れてるみたいやけど。
なんて、考えは徐々に脱線していって、現場に入る頃にはすっかり忘れてしもとった。
僕はまだ、この後自分に待ち受けとる事態を知る由もなかったから。
- 6 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)02時38分09秒
- 二時間後。
「はよーございまーす。」
「はよーございます。」
「はよーございます。」
二十時入りのメンバーが次々とやってくる。
そん中に新人の証であるピンクの頭巾を被った女の人がおった。
僕は、そういえば今日新人がくるって言いよったなぁって、ぼんやり思い出っしょった。
「今日から入った中澤さん。
よろしくしてあげてな。」
「はーい。」
キャプテンが僕等十八時入りのメンバーに紹介する。
こんな光景、ほんま久しぶりやった。
- 7 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)02時38分54秒
- 「分からんことあったら近くにおる人、誰にでも訊いてな。」
「はい。」
「あ、でもあの子には訊かん方がええで。」
キャプテンは僕を指してそう言う。
「ちょっ、何で僕はあかんのっすか。」
「ナンパするきん。」
「してませんやんか。」
「せんとも限らん。」
「くっ…。」
いつの間に僕はそんなキャラになってしもたんやろうか。
- 8 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)02時39分38秒
- ちらっと見ただけやけど、頭巾とマスクの間から覗く目元が、周りにおるオバサンのとは違って見えた。
「…若いっぽいっすねぇ?
ここ、僕除いた平均年齢、五十ジャストっすからねぇ…。」
「こらっ、あっくん。それは内緒や。」
「よう言いますわ。
自分等ではじき出したくせに。」
「とにかくそれは極秘なんやきんな。」
「はいはい。」
ベルトコンベヤーの上を流れていく弁当に具材を詰めながら、そんな風に話をしよった。
- 9 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)02時40分31秒
- 「えーっと…。」
「ん?あぁ、朝本っす。」
「朝本君は若いん?」
「十九っすねぇ。」
「十代かぁ…。」
「そう。唯一のティーネイジャー。」
「他はおらんのや?」
「僕が入った頃はおったんすけど、卒業とかで一気におらんようになりましたねぇ。」
「あっくん、ナンパしたらあかん言うてるやろ。
ちゃんと働きぃ。」
「働いてますやんか。
…今の人、逆らっちゃ駄目っすよ。」
「そうなん?」
「中澤さん連れて入ってきた人、あの人がキャプテン言うて、
パートの中じゃ一番えらいさんで、その次の人っす。」
「あっくん。
あんま言うと今日帰さんで。」
「うっわ。それはやばい。
嘘嘘。冗談ですって。」
- 10 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)02時41分13秒
- 綺麗な声をしてた。
もう、ここでオジサンオバサンの声に聞き慣れてしもとったから、
その若い声は新鮮に聞こえた。
けど、一日一日、日を負うごとにその声に聞き慣れていって、
それは大きな疑問へと変わっていく。
できれば肯定したくない仮説が僕の中で浮上するくらいの。
- 11 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)02時41分52秒
- 「中澤さん」がここにくるようになってから半年くらいが過ぎていった。
季節はもう冬。
今年もそろそろ終わろうとしてる。
僕は、僕の中にあるこの仮説を否定してくれるものを探っしょった。
その仮説っていうんは、今僕の目の前で弁当を作んじょるこの人が、
今年の春に芸能界を引退したあの「中澤裕子」やないんかってこと。
例えば、「中澤さん」と同じ時間に入るオバサンやったら、頭巾もマスクもしてない彼女の顔を知っとるから
この「中澤さん」があの「中澤裕子」なんかって訊けば解決するやろうか。
平均年齢五十ジャストのオバサンが、そもそもモーニング娘。の存在を知っとるかどうかが怪しい。
しかも彼女はもう四年近く前に辞めてしもとる訳やし、知っとったとしてももう記憶にはないやろうし。
やから、確認の仕様がない。
- 12 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)02時42分40秒
- 何故、僕がこんなにその仮説を否定したがんじょるかっていうと、それは簡単なことや。
今僕は、この「中澤さん」に惹かれ始めとるから。
僕は彼女について「中澤さん」であること以上のことは知らんに等しい。
素顔もフルネームも知らんのやから。
なのに、惹かれよんが自分でも分かる。
言い訳する訳やないけど、僕は特別「中澤裕子」のファンやったって訳やない。
ただ、二十代後半にしては美人やなぁと思っとった程度。
どっちかっていうと、同年代の吉澤や石川の方が好きやったくらいやし。
だから、僕が惹かれてるんはこの人が「中澤裕子」かもしれんからやないって
証明するためやって言うてええんかもしれん。
- 13 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)02時43分24秒
- …。もし、もしも彼女が本物の「中澤裕子」なんやとしたら、何故こんなとこにおるんやろう。
香川県にいる理由は?
工場で弁当や作んじょる理由は?
何かがあったんやろうけど、じゃぁ、何が?
去年、二〇〇三年の秋口に、そういえば一度、結婚するって噂があった気がするけど…。
もし、そうやとしても、それなら「中澤」ではないやろうし。
…わざわざ、顔の隠せるここを選んだ…?
浮かんでは消える謎、謎、謎…。
そして僕のこの感情は、ほんまに恋心なんか、それとも興味本位なんやろうか…?
- 14 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)02時44分12秒
- その日は木曜日やった。
「あっくん。
今日成木さん公休やきんラップお願いなぁ。」
「あ、そうか。いいっすよ。」
一週間振りやなぁ。
シュリンク、頼むで。僕ん時いつも調子悪いねんから。
――。
「…何すか?」
何かよお分からんけど、めっちゃ見られてるし。
「いや、ラップできるんやなぁって。」
「そら、覚えましたから。
若い子の方が物覚えええから、あんた教えて貰いって。」
「…無理矢理やん。」
「無理矢理っすね。」
- 15 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)02時45分00秒
- 結局、二十四時に上がるまでずっと蓋とラップんとこに入らされてえらい目に合うた。
けど、まぁ、定刻に上がれたからええことにしよう。
「十二時三分かぁ…。」
タイムカードを打って、ロッカーにいくために休憩室に入って、
何の気なしにテレビのスイッチを入れた。
…。っうっわ、モー娘。やん。久しぶりに見たなぁ。
歌番組の時間、働いとるきん、ほんま久しぶりやわ。
生かなぁ、何かたどたどしいきんなぁ。
まぁ、年末近いし、特番のゲストか何かやろうな。
けど、吉澤おるなぁ…。
あぁ、そうか、僕が十九やってことは吉澤も十九やんか。
そうか、知らん間に年長組入りかぁ…。
――けどなぁ、何かなぁ…。
- 16 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)02時46分00秒
- 僕は、何故か思い出しよった。
あの頃、まだモー娘。が二分割される前。
「中澤裕子」が芸能人やった頃。
モー娘。との仕事を楽しげにする「中澤裕子」の姿を。
そんなに見とった訳やないけど、あの頃、結構楽しかったなぁ。
何か、「中澤裕子」が経営しとる牧場ん中、
気ままに放し飼いされとるモー娘。のメンバーって感じがしとった。
「中澤裕子」もモー娘。もテレビ見とる僕等も、本気で楽しんどったんやろうなぁ、
「モーニング娘。」っていう媒体を。
そんなことを思いながらついついテレビに見入ってしもとったら、
たぶんトイレ休憩に上がってきとったんであろう中澤さんと鉢合わせた。
「あ…。」
中澤さんは一瞬テレビに視線を落としたように見えた。
けど、それからすぐに僕の方見て、
「あぁ、朝本君ってそんな顔してたんや。
初めて見たわ。結構いけてるやんかぁ。」
って、何気ないようにそう言うた。
- 17 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)02時46分45秒
- ―僕もあなたの顔見てみたい―
言うんか言わんのかは僕次第。
鼓動が激しく脈を打つ。
…言うて、しまうんか?
「…。」
「…。」
「中澤さーん、いくでー?」
「あ、はい。」
中澤さんは「ほな、またな。」って言うて、手洗い場へと向かう。
―僕は、訊かれへんかった。
- 18 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)02時47分25秒
- ×――――×
- 19 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)02時48分23秒
- 「彼女おらんの?」
今日は珍しく中澤さんと二人、ハコトリに回されとって、ちょっと、ちょっとだけラッキーやなぁって思ってたら、
とんでもない質問を受けることになってしもた。
「…。」
「もうすぐクリスマスやで?慌ててでも作らんと。」
「…。出逢いがないんすよ、マジで。
ここ、みんなオバサンやし、昼の仕事の方もスーパーのお客さんに手ぇ出す訳にもいかんし。」
「十九やろ?
うーん、高校の同級生とかは?」
「…僕、あんま明るい方やなかったからなぁ。」
「…。」
「そーゆー中澤さんはどうなんすか?」
「何?ナンパ?」
「ちゃいますよ。
そんなん僕かて相手選びます。」
「うぁ、失礼な子やわぁ。」
まだここにきて半年やいうのに、中澤さんは器用にラベルを貼ってく。
その弁当をアキバコに詰めながら、やっぱり一緒に過ごす相手おるんかなぁ、とか考えてしもた。
けど、クリスマス当日、恋人リーチがかかったんは、僕自身の方やった。
- 20 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)02時49分22秒
- それはほんまに突然やった。
聞き慣れたクリスマスソングが町のあちこちから溢れてくる中、僕は電話で呼び出された。
高校ん時、同じクラスやった女の子からやった。
この町じゃぁ珍しく、雪が降っとって、確か、もう十年以上振りのホワイトクリスマス(イブ)。
「私、ずっと朝本のこと好きやったんや。
けど、言わずじまいで卒業してしもて…。
それから一年になろうとしてんのに忘れることできんかった。
…私と、付き合ってくれへん?」
告ったことは何度かあった、それなりに。
けど、告られるんは初めてやった。
バレンタインに義理チョコ一つも貰われへんような奴やったから。
しかも、相手は、一年の時、僕もちょっとええなぁって思てたことがある人やった。
きっと本来は、人生こんな大どんでん返しあってええんかって感じで、
二つ返事でええよって言うところのはずやのに、僕は、そうは答えんかった。
「…ごめん、付き合われへんわ…。」
何が、何処があかんのかって訊かれても困る。
そんなん、僕にもよう分からんから。
けど、一つ確かなんは、僕は顔も知らんあの「中澤さん」に
既に惚れてしもてるってこと。
- 21 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)02時50分32秒
- 降りしきる雪の下を歩いてた。
今日はバイトも休み。
こんな時間に、こんな空気冷え込んだ町ん中で、
何、センチメンタルぶってんやろう、僕は。
自分で振っときながら、まるで振られたみたいに沈んどることに気付いて、
慌てて心を奮い起こした。
田舎の夜は更けるんが早い。
こんな黒ずくめのかっこで大通りや歩っきょったら車にはじかれるかもしれんから
路地を通って帰ることにした。
その通路には、工場の前もルートに入っとる。
僕がそこに差し掛かった時、一台の車がその駐車場に入っていった。
何気なく、ほんまに何の気なしにそっちに視線をやったら、
見覚えのある横顔が目に飛び込んできて、僕は足を止めてしもた。
- 22 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)02時51分16秒
- 「っ…。」
もし、この世界に存在する事実が、知るべきことと、知らんでええことの二択やったとしたら、
これは、知らんでええことやったんかもしれん。
やっぱり、あの「中澤さん」は、あの「中澤裕子」やった。
僕は思わず駆け寄って、声を掛けた。
「あ、あのっっ。」
次の言葉を捜す僕に、中澤さんは苦笑いを浮かべて、
「あーぁ、バレたかぁ。」
って言うた。
それが何か妙に胸にぐさっと刺さった。
- 23 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)02時52分19秒
- 「ぼ、僕、別にそんなこと気にしっとった訳やないんすよ。
いや、そらちょっとは…。
けど、僕は今ここにおる中澤さんのこ…。」
…踏み止まれてしもた。
今、こんな場面で告白したって、何の得にもならんって分かってたから。
「…明日。」
「え?」
「明日、出勤日っすよね?」
「あ、うん。」
「明日、また。
すいません、引き止めてしもて。はよいかんと間に合わんのに。」
精一杯の笑顔で言うたつもりだ。
「…。朝本君、変わってるな。」
手を振ってから去っていく中澤さんの後ろ姿に、僕は見惚れてしまっていた。
- 24 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)02時53分02秒
- 翌日。
「はよーございまーす。」
いつも通り、仕事が始まる。
- 25 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)02時53分36秒
- ×――――×
- 26 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)02時54分21秒
- それにしても不思議やった。
元モーニング娘。の「中澤裕子」の突然の芸能界引退は、結構大きなニュースやったはずやのに
まだどのメディアもここにその「中澤裕子」がおるってことを知らん。
何でやろうか。
昼間、買い物にやっていくやろうし、絶対誰かしらにバレると思うんやけどなぁ。
僕はさりげなく本人に訊いてみることにした。
「そういえば、全然バレないっすよねぇ。
何かすごいテク持ってるんすか?」
「あー、そら、今黒髪やし。
それに普段は標準語話すようにしてるから。
ここにおる時だけやで、関西弁は。」
- 27 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)02時55分04秒
- ――。
僕は、これを納得するべきなんやろうか。
確かに、こないだ見た時も黒髪やった。
標準語話せば、すれ違う程度、一瞬言葉を交わす程度ならバレんのかもしれん。
けど――
ほんまにそんな安直な答えで、それを鵜呑みにするべきなんやろうか。
納得がいかんかった。
何か納得する訳にはいかんかった。
「けどっ。」
「…。芸能界っていう所はサイクルが早いねん。
いらんようになった駒はゴミ箱にあっさり捨てられる。
捨てられた駒は、もう世間の記憶からも排除される。
せやから、私のこと覚えてる朝本君の方が普通やないねんて。」
- 28 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)02時55分47秒
- だって、それは。
別に覚えてた訳やない。
ただ、忘れてなかっただけやし。
だって、モーニング娘。の出とる番組をたまに見かけると、否が応にも思い出すやろ。
甦ってくるやんか。
かつてそこにおった「中澤裕子」を。
必要やから。
少なくとも僕にとっては必要やった。
モー娘。の近くには「中澤裕子」の存在がなかったらあかんやん。
僕は別にモー娘。のファンやない。おもろいなぁとは思うけど。
そんな程度の僕にかて分かる。
「中澤さん」の居場所が何処なんかは。
「帰らないんすか?」
- 29 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)02時56分24秒
- 愚問、やったかもしれん。
そもそもそんな気があったら、こんなとこでこんなことしよらんやろうから。
「帰りたいからって帰れるとこでもないし。
それに私、自分から辞めてんから。」
頭巾とマスクが表情を隠す。
目元だけやったからよう分からんけど、たぶん、いや、きっと絶対、
寂しいそうな顔やったはずや。
まだ、未練あるんすよねぇ?
まだ、帰りたいって気持ち、あるんすよねぇ?
そう、思いたい。
僕は、夢も希望もない、しがないただのフリーター。
やけど、中澤さんにはまだ、それはある。
そう信じたい。
「僕は、中澤さんのことが好きです。
テレビに出とったからやとか、そんなん関係なしに、ここにおる中澤さんが好きです。
けど、中澤さんはこんなことで、コンビニの弁当や作んりょる場合やないんすよ。
ここは、中澤さんの居場所じゃないんすよ。」
シュリンクとかの機械の音や、周りの話し声で、きっとお互い以外の人には聞こえてへんかったと思う。
それが唯一の救いやった。唯一の。
- 30 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)02時57分09秒
- 「…訳、分からんわ。
それ、告白なん?それともウザイってことなん?」
ベルトコンベヤーを挟んで向かい合って、どっちも目線を合わせずに会話をする。
「…両方、です。」
「……ごめんな。」
「…それは、どっちの答えですか?」
「…両方、かな。」
―振られたことは仕方ない。
そんなん分かりきっとったことやし。
けど…。僕は僕の記憶にある、テレビで見とった「中澤裕子」はもう少し、
ガンコ者で、しつこくて、諦めの悪い人やと思てた。
もう、ほんまにおらんのやなぁって実感した。
もう、あの「中澤裕子」はおらんのや。
- 31 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)02時57分44秒
- ×――――×
- 32 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)02時58分27秒
- 諦めたつもりやった。
けど、少し時間が経って、冷静になったら、やっぱ何かがおかしいって思った。
僕はとりあえずケータイのメモリーに入っとる知り合いに手当たり次第電話を掛けた。
「中澤裕子」を知らんかって訊くために。
僕の中ではその質問には続きがあっって、
「その中澤裕子をこの辺で見かけたことない?」って続くはずやった。
やのに。
「ナカザワユウコぉ?」
「そう。ほら、モー娘。に昔おったやんか。」
「…知らんなぁ。」
「やきん、茶髪で関西弁話して、ちょっと気合入ってます系の…。」
「そんなんおったか?」
「おったやんか。」
「知らんで、そんなん。」
どういうことや。
訊く相手みんなが知らんて言う。
- 33 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)02時59分17秒
- 仕方なく僕は、最後の手段っていうか、頼みの綱っていうか、
高校の同級でモー娘。のファンやった奴に訊くことにした。
「あ、僕や、朝本や。」
「おー、久しぶりやんか。」
「久しぶり。
…なぁ、ちょっと訊きたいことあるんやけどな。」
「何や?」
「…中澤裕子、知ってるよな?」
「…ナカザワユウコねぇ…。」
「…。」
「朝本の彼女か何かか?」
「…それ、シャレか?」
「…何や、訳分からん奴っちゃなぁ。
知らんで。そんな名前聞いたことないし。」
「そうか…。ほな、な…。」
どういうことや。
何かの冗談やろ?
みんなグルんなって僕のこと騙そうとしてんねんやろ?
プチドッキリやんなぁ?
- 34 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)03時00分02秒
- 不安になる。
あっという間に僕の心は暗闇ん中に落ちていった。
僕の記憶の方がおかしいんかとさえ思えてきた。
そもそもあの世界に「中澤裕子」は存在しとったんやろうかと疑いたくなる。
けど、けど確かにこの目で見とった。
テレビ画面に映る「中澤裕子」を。
これを否定したら、もう何が何か分からんようになるやんか。
つじつま合わへんようになるやん。
いつも弁当ラインで顔合わせよるあの人は一体誰やいうんや?
僕は「中澤裕子」を知っとる。
そんで、あの人はそんな僕に「バレた」って漏らした。
つまり、あの人はあの世界におった「中澤裕子」で、
そして僕が「中澤裕子」を知っとることを当然として知っとった。
…正常なんは、僕やろ?
これは悪い夢なんか?
これは現実か?ほんまに。
誰も彼女を知らんやなんて…
- 35 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)03時00分44秒
- ×――――×
- 36 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)03時01分22秒
- 二月十四日。
毎年思う。
今日は、男に生まれた方が惨めな日なんか、女に生まれた方が惨めな日なんか。
僕みたいに義理チョコの一つも貰われへん奴は、
ここに男のくせに男に生まれた意味のない人がいますよー、てアピールしとるみたいやんか。
その点、女はええわ。
それこそ義理チョコ配っとけばイベントに参加した感を得られるんやから。
…そうか、やっぱり今日一番惨めなんは僕か…。
- 37 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)03時02分10秒
- 掃除の仕事をしよる途中、社員食堂でコーヒー飲んで一息つっきょったら、
先輩の一人がやってきて、話しかけてきた。
「朝本ぉ。今日の手応えはどうや?」
…早速その話題っすか…。
「アテなしっす。」
「うっわ。もてねー奴はやだねぇ。」
「そーゆー先輩こそどうなんすか。」
「俺?俺は彼女おるし。」
「…。見せつけかよぉ。」
「当たり前やん。」
最悪や。気分は最悪やわ。
- 38 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)03時02分47秒
- そんで、その最悪の気分を引きずったまま、夜の仕事の方に向かった。
もう午後五時半回ったっていうのに、やっぱり義理チョコの一つも貰えてない。
もう笑うしかない。僕って奴はそんな奴やと。
今日も後、六時間半で終わる。
流石に四年連続ゼロってなると、ちょっとキツイなぁ。
「あっくん、今年はチョコ貰ったんな?」
くるオバサンくるオバサンみんなが口を揃えて訊いてくる。
もうそのことには触れんでええのに。
「よけーなお世話っすよぉ。
僕、ここくるようになってから貰われへんようになったんすよぉ。
何か変な呪いかけてんちゃいますの?」
「自分がもてんのをオバサン等のせいにしたらあかんわぁ。」
…まったく、こっちの気も知らんで。
- 39 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)03時03分29秒
- 「一個も貰ってないん?」
「え?」
…中澤さん、あなたもっすか…。
「…そうっすよ。」
「…。後で、朝本君が帰る時声かけて。」
「は?」
「ええな?」
「は、はぁ…。」
…ええんか?
期待とかしてもええんかなぁ。
いや、するないう方が無理な相談やねんけどな。
この後上がるまでの四時間、僕の心は覚束んかった。
- 40 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)03時04分09秒
- 「おつかれさまでした。」
「おつかれー。」
「おつかれさん。」
きりのええところで上がらして貰って、弁当ラインを出ようとしてると、
中澤さんと目が合うて、中澤さんは少し小走り気味になって僕の後を追って出てきた。
「朝本君の声かける、はアイコンタクトやねんやなぁ…。」
「いや、そういう訳やないっすけど。」
エプロンを掛けて、仕込みの部屋を抜けて、手洗い場へと戻ってきた。
僕はそこで手を洗って、靴を靴箱にしまう。
その後、タイムカードを打って、休憩室に入ったら、
中澤さんは冷蔵庫から小さめの箱を取り出して、それを僕に差し出した。
- 41 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)03時04分49秒
- 「あげるわ。」
「…僕に、ですか?」
「他に誰がおるん?」
「は、はぁ。ありがとうございます。」
僕はその深緑色した箱を受け取る。
「…義理、っすよねぇ?」
「…義理、やなぁ。」
いや、義理でも十分やわ。
今年ももう無理やろうて諦めてたとこやし。
しかも、振られたとはいえ、好きな人から貰えたんやから、万々歳やんか。
この時ばかりは嬉しかった。
何もかもを忘れて、とにかく喜んでた。
一時の幸福やった、ほんまに一時の。
- 42 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)03時05分21秒
- ×――――×
- 43 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)03時06分09秒
- 高橋のモーニング娘。卒業が発表されたんは、三月の半ばを過ぎた頃やった。
ほんまにそれは何の前触れもなくやってくるもんやった。
これが高橋の意思なんか、そうやないんかは僕には分からん。
けど、これは一つのきっかけになった。
…僕は、思い出されへんかった。
モーニング娘。がデビューした当時、五人やったんは覚えてる。
その時から飯田と安倍がおったんも知っとる。
もう一人、「中澤裕子」もその当時からのメンバーやってことも。
けど、あと二人、誰が、何ていう名前の人がおったんかが思い出せん。
顔も名前も、これっぽっちも思い出せんかった。
メンバーが増員されるっていうことは、誰かが卒業していったっていうことで、
やのに、その卒業していった人のことを全然覚えてない。
全く記憶がなかった。
「中澤裕子」以外、誰が辞めたんか分からんかった。
- 44 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)03時06分49秒
- 何で覚えてないんやろうか。
「中澤裕子」よりもっと最近辞めた人やっておるはずやのに、
誰なんか心あたりすらないんは何でなんやろうか。
…むしろ、逆なんかもしれん。
何で覚えとらんのやろう、やなくて、
何で僕は「中澤裕子」のことを覚えてんのかってことの方が正しい疑問なんかもしれん。
例えば、紙の切れ端に「高橋愛」って書いて、机の奥にでも押し込んどいて、
それを高橋が卒業した以降に見つけたら、この名前が元モー娘。のメンバーやった人のやって
僕は覚えとるやろうか。
五月に高橋が卒業して、そのまま芸能界も引退やったとして、
その後も僕は高橋のことを覚えとるやろうか…。自信なんか、なかった。
- 45 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)03時07分27秒
- ×――――×
- 46 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)03時08分05秒
- なら、何故僕は「中澤裕子」を覚えてるんか、何故彼女を知っとんのか。
僕は「中澤裕子」のファンではない。
やから、気持ちとか想いの問題やないんやろうと思う。
年とか性別とかそんなもんやないっていうんも、こないだのメモリー総当りで証明されてしもたし…
正直、僕自身、思い当たる節がない。
僕は仕事が終わってから二時間、休憩室で時間を潰して、中澤さんが上がってくるんを待った。
もしかしたら中澤さんが何か知っとんのかもしれんし。
僕が、「中澤裕子」とここにおる「中澤さん」が同一人物やっていうことに気付いたことを知ってた。
つまり、何かバレへん心あたりがある、もしくはバレる心あたりがあるってことなんやないかと思うから。
- 47 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)03時08分47秒
- 「…何してんの?」
「子供はもう寝る時間やろー?」
次々と二時上がりのオバサンが上がってくる。
その最後に中澤さんは姿を見せた。
「ちょっと、いいっすか?」
少し考えた後、中澤さんは「ちょっと待って。」って言うて、ロッカーに消えていった。
それから五分ぐらいして、着替えを終えて戻ってきた。
僕の隣に座って、僕の言葉を待つ。
「…何?」
「…。僕は、何で中澤さんのこと覚えてるんすか?
モー娘。のファンやっていう奴ですら覚えてないっていうのに。」
「…なぁ、何でやろうな。
ほんまはな、朝本君みたいな人が一番に忘れてしまうはずやねんで。
私のこと、そんな興味なくて、何となく見てた人が。」
確かにそんな感じやったし、否定する言葉は持ってなかった。
- 48 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)03時09分41秒
- 「私の存在認めてくれて、ほんまに必要やって思てくれてる人以外は
忘れてしまうもんやねんって。」
僕には、何で中澤さんはその訳を知っとったんかを気にする余裕はなかった。
「…じゃぁ、もしかしたら、ありえんとは思うけど…
今のモー娘。のメンバーでも中澤さんのこと忘れてる可能性はあるって言うんすか…?」
「そうやな。」
そうやな、って…。
そんな簡単に肯定するけど…それは、どうなんや。
それでええんか?
…何かが、起こってんのか?
世界がおかしくないか?
前はこんなことなかったはずや。
”あの人は今”みたいな番組があるくらいなんやきん、みんな自分の思い出に残っとるアイドルとかは
ずっと覚えとるはずや。
好きやったアイドルだけやなくて、当時流行ってたもんとか、人とか、だいたい全部把握できたはずやんか。
…あかんのや、きっとこのままやとあかん。
- 49 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)03時10分21秒
- 中澤さんの言うたことが確かなんやとしたら、僕は「中澤裕子」の存在を認めて、
ほんまに必要やと思てる人間やってことや。
まぁ、僕自身、自覚なんかないけど。
なら、これはきっと僕に与えられた試練なんやろう。
この訳分からん現象を打ち砕くことが、僕に与えられた試練やろう、きっと。
- 50 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)03時10分55秒
- ×――――×
- 51 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)03時11分48秒
- 「そういえば、中澤さんはモー娘。の元メンバー全員言えますか?
僕、中澤さん以外一人も思い出されへんのですよ。」
「んー、言えるでぇ。
福田明日香やろ、石黒彩、で、市井紗耶香、後藤真希に保田圭。」
「すっげぇー…。っていうか、後藤と保田、モー娘。やったんすか?」
僕の言葉に中澤さんは苦笑する。
「そうやで。」
「…何でそんな覚えてるんすか?」
これこそ愚問やったなって、言うた後で気が付いた。
「必要やったから。
私にとっては、みんな大切な存在やったから。」
そうや。この人、こういう人やったやんか。
- 52 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)03時12分43秒
- 「…。思うんすけど。」
「何?」
「中澤さん自身が、中澤さんの存在認めて、ほんまに必要やと信じれば、
あの場所に戻れるんとちゃうんすか?」
何か、日本語おかしいかもしれんけど。
「自分にとって一番厄介な存在って、自分自身やったりするやないっすか。
やから、もしかしたら、中澤さんの芸能界復帰の一番の足かせは、それなんちゃうんかなぁって思て。」
「…どうやろな…。」
「…きっと、世界は眠ってるんすよ。
もう、使い捨てのサイクルに追いつけんようになって、疲れて眠ってしもたんすよ。
もう、記憶の中に綴り込むことを、拒否してしもてるんすよ…。
「世界は」っていうか、「僕等は」、なんすけどね…。
やから、せやったら、目覚めさせましょうよ。
僕等はきっかけを探してるんすよ。あの頃に還るきっかけを。
やから、「中澤裕子」をきっかけにしましょうよ。
中澤さんがあの世界に戻って、奥の、奥の方に追いやっとった「中澤裕子」の記憶を引きずり出さして、
そんで、世界をこの眠りから目覚めさせましょうよ。」
- 53 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)03時13分42秒
- そんなことで何とかなるんかどうかや分からん。
それが答えなんかっていうことどころか、問題が何なんかすら、きちんと把握できとる訳やないから。
けど、僕にはそれが正解に思えた。
僕には他に解答はなかった。
「けど、私は…。」
「もう二度と帰りたくないって訳やないんでしょ?
せやたら、もっかい、もっかいだけあの場所に…。」
僕の押しを中澤さんは押し返す。
「見たいんです、見せてください。
テレビで、モー娘。のメンバーとかと楽しげに話っしょる中澤さんを。」
「けど、私一人の意見でどないかなるってもんでもないって言うてるやんか。」
「けど、中澤さんがその気にならんことには、どないもこないもないんすよ。」
もう何日もこんな言い合いが続いた。
「中澤さんっっ。お願いしますよぉ。
このままやあかんじゃないっすか。
そう思うでしょう?」
「…分かったわ…。」
この一言を聞くまでに、半月近く費やしてしもてた。
- 54 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)03時14分26秒
- ×――――×
- 55 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)03時15分04秒
- 中澤さんが僕の意見にようやく乗ってき出した頃、一人の少女がこの工場にやってきた。
- 56 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)03時15分45秒
- ×××××
「ここかぁ、讃岐デリカ。
中澤さん、ここにいるのかぁ…。」
白と青のチェック柄のシャツを羽織って、小さなリュックを背負って工場を見上げる。
×××××
- 57 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)03時16分36秒
- 僕はこの日、居残りで働いとって、上がらして貰ったんは中澤さんと同じ時刻やった。
もう、空腹と体力の限界でどないかなりそうやわって思てたんやけど、
この日僕がそんな時間まで働いてたんは、偶然とかやなくて、必然やったからなんとちゃうんかと思た。
僕は中澤さんと一緒に外に出た。
目の前の駐車場と、その奥にある駐輪場との間に、人影らしいんが見えてた。
真夜中やからよう分からんかったけど、
一歩一歩近くなる度に、その姿をだんだん捉えられてくる。
「…あれ…。」
あれは、もしかして…。
- 58 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)03時17分13秒
- 「あっ、中澤さんっ!
ほんとにいたぁ。」
”中澤さん”。僕はしっかり聞いた。
「吉澤。」
せや。吉澤ひとみ。
モー娘。の吉澤やんか。
「よぉきたなぁ。」
「そりゃぁ、中澤さんに会うためなら、山越え谷越え…。」
「谷はなかったやろ…。」
「あはは、そうっすね。」
何や、どうなってるんやろう。
何で吉澤がここにおるんや?
- 59 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)03時17分55秒
- 頭の上にハテナマークいっぱい飛ばしとる僕に気付いて、中澤さんは説明してくれた。
「あぁ、こないだ電話してみたんや。
ちょっと考えがあってな。
そのためにはメンバーの誰かこっち側につけなあかんなぁって思て。
ほんなら、吉澤、私のこと覚えとってなぁ。」
嬉しそうに笑った。
僕もさっき、吉澤も中澤さんのこと忘れてなかったもんの一人やったんや、て
ちょっと感動したし。
「忘れる訳ないじゃないっすかぁ。」
吉澤も笑う。
- 60 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)03時18分42秒
- 「…吉澤さんて、中澤さんのこと、必要やと思てたんすねぇ。」
「どういう意味や。」
「そうっすよ。」
「いや、何か、意外やなぁって思って。」
「よっさん・なっさんの仲やもんなぁ。」
「そうっすよね。」
僕も、笑えた。
「…で、その作戦会議しようと思てな。
けど、くるとは思わんかったわ。」
「きて欲しそうにいってたからわざわざきたのにぃ。」
「…作戦会議、かぁ…。」
「そう。朝本君も参加してや。
あ、とりあえず場所変えよか。」
「そうっすね。」
- 61 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)03時19分28秒
- 僕等は、近くにあるファミレスに入って、本格的に、ほんまに作戦会議をし始めた。
「十六日からモーニング娘。のコンサート始まるんやけどな、
これ、高橋の卒業コンサートなんや。
せやから、衛星の方で生中継が入んねん。」
「生中継かぁ…。
あっ。もしかして。」
「せや。それに乱入、やな。」
「…めっちゃやる気ですやん。」
あんだけ渋っとったのに。
- 62 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)03時20分14秒
- 「で、その途中に吉澤のMCがあるんすよ。」
「取れたん?」
「意外にすんなり。
何か、初めから入れようかって話はあったみたいなんで。」
「…生って、一日だけなんすか?」
「いや、初日と、ラス1、ラス2の三日間っすよ。」
「ラストは高橋に花持たしてやらんとまずいやろ。
初日はなぁ…、誰か別のゲスト呼んでそうやからなぁ。」
「ラス2、ですね。狙い目は。」
「せやな。」
「…スタッフの人も何人か巻き込んだ方がええんとちゃいますか?」
「あぁ、そうやわ。
共犯者は多いにこしたことないからな。」
「それは任せてください。
何人か目星はついてるっていうか。」
「なら、どうするか決めよか。」
「そうですね。」
- 63 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)03時20分56秒
- 吉澤はリュックからプリントの綴りを出して眺める。
「うーん…そのMCコーナー、持ち時間五分強ってとこっすねぇ…。
バックについてくれるメロンのメンバー相手に話すってコーナーなんで…。」
「手の込んだことはあんまできんな。」
「…手っ取り早く、歌にしません?」
「歌かぁ…。」
「駄目っすか?」
「いや、ええけど。
何歌う?インパクトっていうか、これやっていうん。」
二人はしばし考え込む。
「…あの、僕、でしゃばっても構いませんか?」
「えーよえーよ。何?」
「僕、あれがいいです、あれ。」
「あれって…?」
「―――。」
- 64 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)03時21分45秒
- 僕の言うた曲に吉澤はすぐに反応した。
「だったら、ライトは絶対赤っすよ。
後ろ全部赤で、ピンスポだけ白。」
「あー…ええなぁ…。」
「…朝本君、今の発言はちょっとオッサンぽいで…。」
「あ、すんません。」
「じゃあ、朝本君の言うた曲にしよか。」
「そうっすね。用意しますよ。
で、その日はメロンのメンバーを何処かに拉致して貰って。」
「拉致て。」
「拉致っすよ。
っあ〜、もうこんな時間だぁ。
昼から仕事あるんで帰りますね。
五月二十一日、楽しみにしてます。
それまで完璧に準備しときますから。」
立ち上がった吉澤は、何かを思い出したように、中澤さんの方を見た。
- 65 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)03時22分31秒
- 「…安倍さん、覚えてましたよ。」
「…そっか…。」
「裕ちゃん今頃何処で何してんのかなぁって言ってました。」
「…そうか。」
「…じゃあ、失礼します。また。」
「ん、ほな、またな。」
何や、ちゃんと繋がってるやん、て思た。
中澤さんと吉澤、吉澤を通して、中澤さんと安倍が。
- 66 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)03時23分08秒
- そして、五月十九日。
中澤さんがこの町を去る時がやってきた。
僕は、知ってる。
僕の中で疼く想いは、今もなお恋やと言い切れるもんであることを。
けど、それを言葉にすることはない。この先、もう二度と。
昼の仕事を途中で抜けて、駅のホームに中澤さんを見送りにきた。
ちゃんと、自分の心にケジメをつけるためにも、ちゃんと、見送るべきやと思たから。
「…今まで、ありがとうな。楽しかったで。」
「…僕もです。」
アナウンスが流れる。
「上り線に南風リレー号が入ります」と。
「…。
いってらっしゃい。」
「…いってきます。」
これが、僕が「中澤さん」と交わした最後の言葉やった。
- 67 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)03時23分42秒
- ×――――×
- 68 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)03時24分33秒
- 二〇〇五年五月二十一日。
ついにこの日がやってきた。
午後六時。
コンサートの幕が上がる。
僕はバイトの公休を振り替えて、BSに入っとる実家に押し掛けてテレビに見入った。
歓声が上がり、ステージが照らし出される。
総勢十五人のメンバーの姿が映し出されて、一曲目が始まった。
いよいよ、カウントダウンが始まる。
「中澤裕子」登場までの、そして世界が眠りから目覚めるはずの時までの。
次々に曲が変わって、メンバーの衣装も変わる。
客席の声援も絶えることはない。
開幕から約一時間。
その時が迫ってきとる。
- 69 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)03時25分12秒
- メドレーが終わって、吉澤が一人、舞台の上に残された。
吉澤はマイクを片手に持って、大きく深呼吸する。
「…いつもだったらここで、メロン記念日のみんなとトークなんすけど、
今日はごめんなさい。それはカットさせて貰います。」
客席から「えぇーーっ。」と、ブーイングのような声が上がる。
それが一段落するんを待って、吉澤が
「この曲を聴いてください。」
と言うと、いきなり暗転になって、それから、僕の希望したあの曲のイントロが流れる。
そしたら客席はシーンと静まり返った。
僕は、絶対この曲しかないって思った。
中澤さんが、「モーニング娘。の中澤ゆうこ」として出したラストシングルやから。
前奏の終わり、中澤さんに白いスポットライトが当たって、バックは真っ赤に染め上げられる。
さぁ、始まる。
- 70 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)03時25分59秒
- あなたにもらった 指輪を外すわ最後だから
あなたと泊まった 香港の夜が懐かしいわ
写真とか 一枚も 残さず 私行くわ
胸にある 思い出を ただ抱きしめて
あの女性に返すわ
悔し涙 ぽろり
涙 ぽろり ぽろり 泣かないと
約束したけれど
涙 ぽろり ぽろり
ごめんなさい Ah
- 71 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)03時26分49秒
- 一番が終わって、間奏に入ったら、それまで沈黙しとった客席から、怒涛のような声援が巻き起こった。
「ナカザワーッ。」
「裕ちゃーんっ。」
「裕子ぉーっ。」
赤い衣装を身に纏った中澤さんは、涙を目に一杯溜めて、けど、全開の笑顔でそれに応える。
- 72 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)03時27分35秒
- あなたが笑った 顔がなんとなく好きだったけど
あなたが夢見る 話を聞くのも好きだったけど
泊まらずに 帰るのは 仕方ないと 知ってた
枕には 思い出と においが残る
あの家庭に返すわ
悔し涙 ぽろり
涙 ぽろり ぽろり 止まらない
何もいらないわよ
涙 ぽろり ぽろり
悔し泣き Ah
悔し涙 ぽろり
涙 ぽろり ぽろり 泣かないと
約束したけれど
涙 ぽろり ぽろり
ごめんなさい
悔し涙 ぽろり
涙 ぽろり ぽろり 止まらない
何もいらないわよ
涙 ぽろり ぽろり
悔し泣き Ah
- 73 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)03時28分08秒
- みんな、忘れてなかったんやんか。
ちゃんと、思い出せたやんか。
何や…何や…。
今まさに、世界が目覚めた瞬間やった。
- 74 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)03時28分43秒
- ×――――×
- 75 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)03時29分39秒
- 僕は去年、高校を卒業してから、就職も進学もせんとバイトで食い繋ぐ、
どこにでもおるフリーターの一人。
二十歳。夢なし金なし彼女なし。
けど、特別困ってるって訳やない。
それなりに気ままに、何もない日々を生きてる。
現実っていうんは、こんなもんやろうし。
十二時二十五分。
黄色い自転車でスーパーの掃除へと向かう。
十七時。
定刻に終了し、家へと戻る。
息つく間もなく荷物を持ち替えて、すぐに工場に向かう。
今日も、夕飯は抜き。
切る風が心地いい。
僕のありふれた日常は、日々、続いていく。
- 76 名前:ありふれた日常。 投稿日:2003年02月22日(土)03時30分10秒
- FIN.
- 77 名前:鬼音 投稿日:2003年02月22日(土)03時30分55秒
- ×――――×
- 78 名前:鬼音 投稿日:2003年02月22日(土)03時31分38秒
- ×――――×
- 79 名前:名無し読者 投稿日:2003年02月22日(土)23時07分52秒
- なんだかよくわからいけど
なんだか良かったです。
- 80 名前:名無し読者 投稿日:2003年02月22日(土)23時44分18秒
- 途中でどこにいくのかわからなくなっちゃったけど、なんだかいいもの読めて良かったです。
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