眠り姫 〜deep forest〜
- 1 名前:フムフム 投稿日:2003年03月01日(土)23時51分34秒
- 娘小説初挑戦です。
主人公は吉澤保田でアンリアル。他メンも何人か主要な役で出てきます。
マイナーカプなうえ長い話になりそうなのですが、読んでやっていただけるとシアワセです。
seekマナーには目を通したつもりですが、なんかルール違反をしでかしていたら
ご注意いただけるとありがたいです。
- 2 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月01日(土)23時56分00秒
あなたは囚われの人。
残酷な運命の糸に、その身体をがんじがらめに縛られて。
逃れようとはしないのですか?
断ち切ろうともしないのですか?
ああ、あなたは
そうしていたいのですね。
それを望んでいるのですね。
そんなあなたがとても悲しいと。とても愚かだと。
とても愛しいと思いました。
そんなあなたに
私は囚われたのです。
- 3 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月02日(日)00時02分04秒
- *****
「うっわーーー!遅刻だよーーう!」
朝の通勤通学の人波でごった返す駅のホーム。
スラリとした長身を器用にすり抜けさせ、吉澤ひとみは猛ダッシュで改札を出た。
階段を下りて外に出ると、乗るはずのバスがロータリーから発車しようとしている
のが目に入った。
「待ってー!乗りまああーーす!!」
プシューッ!
「はあっ…はあっ……はーーーっ…」
親切な運転手のおかげで無事バスに滑り込み、吉澤は空いた席にドサリと腰を下ろした。
「はー…間に合った…。初日から遅刻なんてシャレになんないもんね…」
何事も第一印象が肝心だってのにさ。
呟いて、鞄からハンカチを取り出した。こめかみあたりに流れる汗をぬぐう。
- 4 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月02日(日)00時04分19秒
- 呼吸も落ち着いてきたところで、窓の外に目を向けてみた。
街路樹の緑が眩しく輝いている。流れる景色は見慣れないもの。
これから始まる新しい生活に思いをはせ、吉澤の胸はまたその打つ速度を速めた
ようだった。
そうして窓から見える景色を眺めていると、今から行くべき目的の場所が見えてきた。
今日からここが自分の勤務先。
巨大な、白い要塞のような美しい建物。
『――次は上前大学病院前』
流れてきたアナウンスが消えてしまう前に、吉澤は降車のベルを押した。
- 5 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月02日(日)00時08分01秒
シワひとつない真新しい白衣に袖を通し、ピカピカの名札を胸につける。
『研修医・吉澤ひとみ』
――本当の医者になったような気になるな。
いや。国家試験も無事合格し大学もめでたく卒業したのだから、正式に医師と呼ば
れる立場になったわけなのだが。
だが、まだまだ医師として使い物になるレベルではない。
これから約2年間、研修医として学んでいくべきことだらけなのだ。
半人前、というより、まだ学生気分の抜けないところもあるけれど…。
でもやっぱり少し誇らしい。
今までの自分より少し立派になった気分になって、吉澤はピシリと背筋を伸ばした。
周りにいる他の研修医たちも似たような気持ちなのだろう。いつもよりちょっと
顔つきが締まって見える。
ここにいるのは皆、同じ大学の医学生だった顔見知りばかりだ。
研修医としてのこれからの生活に不安はあるものの、気心の知れた学友たちがいて
くれるのでまだ心強い。
そんな事を考えているうち、教授が自分の名前を呼ぶのが聞こえた。
「じゃあ吉澤くん、行こうか」
「は、はいっ!」
今日一番の関心事…というか、心配事。
指導医との顔合わせの時がやってきた。
- 6 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月02日(日)00時12分38秒
コンコン
教授がドアをノックする。
「どうぞ、空いてますよ」
中から返事が聞こえた。女の人の声。看護婦さんかな?
ああ、緊張するよ〜〜…
教授がドアを開けると、そこには白衣を着た女の人の姿があった。
女医さんみたい。 でもあたしの指導医は男の先生のはずだから、この人は違うよね。
「お久しぶりです、教授」
「おお、元気にしてたか?」
教授の姿を見て、その人は席を立ってこちらへ笑顔を向けた。
楽しそうに教授と話をしだす。
ウチの大学の医学部を出て、この大学病院へ入局する医師や看護婦の割合はもちろん高い。
この女医さんも、ウチの大学を卒業してそのままここに勤務してるセンパイってわけだ。
少しキツそうな印象を受けるが、笑った顔は意外と柔らかい。
まだ若いよね…アタシよりちょっと上ってところかな。
うわ、おっきい眼だなあ……猫みたい。
何だかその女医さんをボーッと観察してしまって、二人の会話が耳に入っていな
かったあたしは、その猫のような眼をグルリとこちらに向けられて、不意打ちを
くらったようにビックリしてしまった。
- 7 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月02日(日)00時16分03秒
- 「ええと、吉澤先生、ね。今日から頑張ってね」
「へ? あ、ハイッ……って、え?」
「指導医の保田です。よろしく」
「……………」
…指導医……ヤスダ……ヤスダ…?
ポカーンと口を開けてしまった吉澤を、傍らの二人が訝しげに覗き込む。
「なんだ?吉澤くん、どうした?」
「……はっ!! いやっ、あのっ!ホッタさんって男の人だと思ってたんでっ…」
ポロっと口走ってから「しまった」と思ったが遅かった。
目の前の猫のような瞳が、瞬間、豹のように鋭く光ったような気が…気が……
こ、怖い………?
「…ヤスダケイ、です。男みたいな名前だけど一応女だから」
「はっ、ハイッ!すいませんッ!!」
こここ、怖いっ!!
さっきより声が1オクターブ下がってる!!
「……なによ、そんな怖がんなくても取って食ったりしやしないわよ」
「はいッ!あ、いえっ!え?あ、ハイッ!?」
いや、でも怖いんですけど!
口調もなんか変わってるんですけど!!
さっきまでは割と可愛く「よろしく♪」とか「頑張ってね♪」とか言ってたんですけど!?
- 8 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月02日(日)00時17分54秒
- 「はははっ。そういやあ保田くんは名前を間違えられるのが嫌いだったなあ」
教授ーーーっ!!
そんならそうとちゃんと教えといてくださーーい!!!
「…まあ、とにかくよろしくね。頑張んなさいよ」
ビシバシしごくからね。
「…よ、よろしくお願いしマス…」
ボソっと聞こえた最後のセリフは空耳だ。そよ風のイタズラだ。
必死でそう思い込み、あたしは差し出された掌を震える手で握り返した。
- 9 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月02日(日)22時10分02秒
- *****
「吉澤ぁーーー!!」
「すっ!すいませんーーーっ!!」
研修が始まって一週間。
病院内では、一日に何度となくこんなやりとりが聞かれるようになった。
「何なのこのカルテは!小学生の観察日記じゃないんだから!
クランケはヘチマやナスビじゃないのよっ!やり直し!!!」
「はっ、ハイーーッ!!」
「あと今日の回診リストは作ったの?まだなら早めに医局行ってやってきなさいよ!」
「はいっ!すぐやりますー!!」
- 10 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月02日(日)22時13分25秒
「はあ…」
疲れた…。
医療現場の大変さは実習に来た時に体感していたし、研修医の過酷な働きっぷりも
この目で見て覚悟はしていたのだが。
実際朝から晩まで雑務に追われ、食事を取る時間もままならない。
夜遅くまで仕事が溜まる。失敗もするし当然説教もされる。
睡眠時間も減って目の下にはクマ。
勤務時間どおりに帰れることなんてこの先もまず無いんだろう。
疲れた身体を引きずり廊下をフラフラと歩いていたら、背後から聞き覚えのある
カン高い声が聞こえてきた。
「よっすぃー!」
振り返ると、ニッコリと愛くるしい笑顔を浮かべ近づいてくるナースの姿。
「あ…梨華ちゃん」
「どうしたの?なんか疲れてるよ?」
石川梨華は大学時代の友人で、看護学科を卒業したのち、数年前からこの病院に勤めていた。
可愛い容姿に、白いナース服が似合いすぎるくらい似合っている。
まさしく「白衣の天使」という表現がピッタリな女の子だ。
- 11 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月02日(日)22時18分22秒
- 「いや〜…やっぱ大変だね、医療現場ってさ…。覚悟はしてたけど、やっぱりキツイよ」
「んー、そうだね。 研修医のうちは特にハードだよねぇ…」
吉澤の両腕にうず高く詰まれたカルテに、石川はチラリと目を向けた。
「あ、コレ保田先生に言われてさ、今からやり直しなんだよ。 昼休みの間に食事済まそうと
思ってたんだけど、今日はもう食べれそうにないなあ」
「へえー、よっすぃーの指導医って保田先生なんだ」
「そ、も〜超キビシくってさ」
はあ、とため息をついてうな垂れる吉澤。
そんな様子に石川は可笑しげに微笑んで、ポンと肩を叩いた。
「そんな落ち込むことないよお。先生が厳しいのはホントによっすぃーの為を思ってのことなんだよ」
「うん、それは分かってるんだけどね…」
たしかに保田は厳しいが、道理に外れた事を言われたことはないし、無茶な事をさせたりもしない。
指導医によっては、研修医を小間使いのように働かせる人もいるって話だし…。
- 12 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月02日(日)22時22分45秒
- 「それに、保田先生って厳しいけど、根はすごく優しいしイイ人だよ」
「えっ?」
思いがけない言葉に吉澤はパッと顔を上げた。
「そうなの?」
「うん、見た目はちょっと取っ付きにくい感じだけど、意外とシャイだったり……
そうそう、あれで実は寂しがり屋だったりするしねー」
「ええっ?!」
「夜勤の時なんてしょっちゅう看護婦の詰所に来るんだよぉ。独りでいるのが嫌みたいでね」
「……」
石川が楽しそうに話す保田の事。
自分の知っている保田とは全然違うイメージに、吉澤はちょっと驚いた。
- 13 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月02日(日)22時28分17秒
- ――そりゃ、知らない事ばっかで当たり前だよね。
あたしは保田先生に会って、まだ一週間しか経ってないんだもん。
でも、石川が知っている保田をまだ自分は知らない。
そう思うと、少し寂しさのようなものを感じた。
そんな事を考えているうち、遠くから石川を呼ぶナースの声がして。
石川は「じゃ、またね」と笑顔を残して身を翻した。
小走りで去っていく後姿をしばらく眺める。
うーん、梨華ちゃんの笑顔はなんか気分が和むよねえ…
「……はあ…。 さ、仕事仕事」
しかしながら相変わらず憂鬱の晴れないまま、吉澤は重いカルテを抱えて資料室へと向かった。
- 14 名前:名無し娘。 投稿日:2003年03月03日(月)08時34分03秒
- 期待してます。
- 15 名前:フムフム 投稿日:2003年03月03日(月)22時52分11秒
- >>14 さん
ありがとうございます。
まだ序章中の序章といった所ですが、脳内ではラストまでできあがって
いる話なので、最後までお付き合いただけるように頑張ります。
- 16 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月03日(月)22時54分48秒
昼休み返上でカルテや医学書と闘うハメになり、案の定昼食にはありつけなかった。
だがその成果あって思ったよりも早くカルテを書き直すことができ、
吉澤は再度チェックしてもらうため、保田の許へそれを見せに行った。
「……うん、今度はきっちり出来てるね」
よかった。ホッと胸をなでおろす。
「ハイ、OK。 お疲れ」
「あ、ありがとうございましたっ」
深々と頭を下げる吉澤の耳に、保田の小さく笑う音が聴こえた。
「じゃ、ちょっと休憩しといで。今日はそんなに忙しくないし、ゆっくりしてきていいから」
「……へっ?」
キョトンとなった吉澤を見て、保田は首をかしげた。
「お昼まだなんでしょ? 今なら食堂も空いてるからさ、行ってきなよ」
「あ…」
ありがとうございます、そう言おうと口を開いた時。
グゴ〜〜〜〜…と、吉澤が声を発するより早く、腹の虫が大音量で室内に響き渡った。
- 17 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月03日(月)22時56分46秒
- 「……っっあああああの」
「………」
「…す、スイマセン……」
ギャーーー!! 恥ずかしいよう〜〜〜〜!!
どうしようもなく赤くなってくる顔を隠そうと、吉澤は慌てて下を向いた。
そのとき。
「プッ……」
え?
「くっくっ……ははははは!」
…ポカンと口を開けて、今のあたしはかなりのマヌケ顔に違いない。
てゆうか何をこんなにビックリしちゃってるんだ?あたし。
…あ、そうか。
こんな風に保田先生が笑うトコ、初めて見たんだ。
- 18 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月03日(月)22時58分37秒
- 目に涙までためて笑っていた保田だったが、しばらくしてようやく息を整えた。
「いや〜あんたって凄いタイミングでボケてくれるわね。あー可笑しい」
「はあ…」
さっきまでの恥ずかしさも何処へやら。
間の抜けた返事を返すだけで、吉澤はじっと保田の顔を見つめていた。
――こんなふうに笑うんだ……
ボンヤリとそんなことを思っている吉澤の頭に、保田はポンと手を乗せた。
「ほら、午後は回診がたくさんあるんだから。いっぱい食べてエネルギー蓄えといで」
「あ、はい…」
吉澤の髪をくしゃくしゃと撫でたその手は、あたたかかった。
- 19 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月03日(月)23時03分31秒
食堂に向かう足取りが軽くなってしまうのを止められない。
気をつけないとスキップとかしちゃいそう。
心臓もやたら勢いよく跳ねてるよ。
吉澤の頬はさっきから緩みっぱなしだった。
なんだか無性に嬉しくてしょうがなかった。
保田の声、笑顔、撫でてくれた掌。 その全てが優しくて、吉澤の気持ちを高揚させた。
「保田先生は優しくて、イイ人で、実はシャイで…」
こっそり呟いてみる。梨華ちゃんが教えてくれた保田先生のこと。
そのひとつを今日、自分も発見できた。
これからどんどん、もっともっと、新しい保田先生を見つけられるんだ――。
宝探しをする子供のような気分。
期待と、好奇心と、親近感。
そんな気持ちをはっきりと自覚する。
研修7日目。
あたしは初めて「保田圭」という存在そのものに興味を持った。
- 20 名前:名無し読者 投稿日:2003年03月03日(月)23時31分16秒
- 女医 保田。
萌え〜〜〜〜〜〜!
- 21 名前:フムフム 投稿日:2003年03月04日(火)23時55分19秒
- >>20 さん
女医ヤッスー、萌えてくださってありがとうございます。
先々で萎え〜な事にならないよう、気合入れて頑張ります。
- 22 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月04日(火)23時59分54秒
- *****
受け持ちの患者さんの回診の時間。
一人でまかされている患者さん達なので、当然回診も一人でこなさないといけない。
今日はあちこちの病棟を渡り歩いての回診だ。 足腰にきついな…って、年寄りかあたしは。
まず一人目の患者さんのいる病室へと向かう。
「鈴木さーん。 どうですか?お加減は」
「ああ吉澤先生!今日は回診遅かったねえ、朝会えなくて寂しかったんだよー」
忙しい仕事の合間、患者さんにこんな風に言ってもらえるのが一番の励みになる。
あたしは笑顔を返して、首から下げた聴診器を耳にかけた。
「はい、じゃあちょっと診ますね。息を大きく吸ってくださーい…」
「いや〜、こんなキレイな先生に見てもらうとオジサン脈拍あがっちまうなあ。ははははっ」
「へ? …あ、もー何言ってんですかぁ!」
「いやいや、吉澤先生はほんっとベッピンさんだよ。いやー役得ってやつだねえ。
どう?やっぱり彼氏とかもいるんでしょ?」
「い、いませんよお!」
「またまた〜、しらばっくれんでも」
- 23 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月05日(水)00時02分29秒
- な、なんかおちょくられてる気がするけど、どうやって返したらいいものか。
はっ。 か、看護婦さんもクスクス笑ってるよ。
純粋に楽しく話をしたいだけみたいだし、邪険にするのも…。
いやいや、でもこれじゃ診察にならないし、締めるトコは締めなきゃ――…。
そんなふうにアタフタとなっている所へ。
突然誰かの手がポンっと頭の上に置かれるのを感じた。
「ちょっとー鈴木さん。あたしの可愛い弟子をイジメないでくれます?」
聴き慣れた声に吉澤がパッと頭上を振り仰ぐと、そこには保田の顔があった。
「人聞き悪いこと言わんでくれよ先生〜。苛めてなんかねえよ?」
「そういうのセクハラっつーんですよ。 からかうのも程々にしといてくんないと、
また担当あたしに戻しますよ?」
「えー!それは勘弁してくれよ先生!ははははっ」
そんな憎まれ口を言いながらも、患者さんは愉快そうに笑って。
保田先生の方も笑って「やっぱり担当替え検討しましょう」だなんて軽いジョークで答えたり。
こういう些細なやりとりで医師と患者の信頼関係って育まれていくのかなあ、と
ちょっと羨ましく思ってしまった。
- 24 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月05日(水)00時06分17秒
「…よかったねえ吉澤先生。保田先生が指導医で」
「えっ?」
そんなこんなで態勢を立て直し、再度聴診器を当てなおしていた吉澤だったが、その言葉に
再び顔を上げた。
保田は同じ病室の、ちょっと離れたベッドにいる患者を診ている。
「『可愛い弟子』だってね。可愛がってもらってるんだねえ」
「あ…えへへ……」
あれは可愛がってもらってるというのかな?
ちょっと御幣がある気がするぞ…
そう思った吉澤だったが口には出さなかった。
ただ、『可愛い弟子』だなんて言ってくれた保田の声を思い出すと、なんとなく顔が熱くなった。
- 25 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月05日(水)00時08分08秒
- *****
「っあーーー疲れたぁー…」
鞄をフローリングの床に放り投げて、そのままベッドに倒れこむ。
病院に隣接する寮の一室。 それが吉澤の今の住まいだった。
勤務初日は自宅から出勤したが、勤めが始まれば入寮することは決めていたし、あらかじめ
生活物資も部屋に運びこんでいた。
しかしまだ整然と片付け終えたわけではなく、ダンボール等も置いたままになっている。
吉澤はベットの脇に転がった目覚まし時計に目をやった。針はちょうど10時を指している。
「お風呂入んなきゃ……でも眠ーい…」
お湯張るのも面倒くさいし、今日もシャワーだけでいっか…。
吉澤は重い身体を起こしてバスルームへと向かった。
早く寝たいから手早くシャワーで済ます、というのがここに来てからの習慣になってしまったが、
もうひとつ、生活費の節約という意味も多少ある。
研修医の給料は、その労働条件から考えると割に合わなさすぎるほど低いのだ。
- 26 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月05日(水)00時10分04秒
「まったく…満足な食事もしてないし、そのうちこっちが病気になっちゃうよ」
衣服を脱いでバスルームに入り、シャワーのコックをひねった。
心地良い熱さでお湯が肌の上を流れていく。
出来れば湯船に浸かってゆっくり身体を休めたかったけど、これだけでも今日の疲れが
ほんの少し洗い流されていくみたいだ。
忙しい、果てしなく忙しい毎日。
はっきり言ってしまえば身分の低い研修医、日々忍耐なんだよね。
廊下で教授とすれ違ったと思えば論文用の資料集めを頼まれ、ナースに呼び止められたかと
思えば雑用を頼まれ……はっきり言って顎で使われまくりだし。
一度緊急でオペの補助に借り出されたときなんて、寝不足の上に朝食もとってないまま
8時間ぶっ通しで……オペが終わった途端ぶっ倒れちゃったりしたし。
まあ他の研修医たちも同じように頑張ってるんだもんね。頑張るしかないよね。
- 27 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月05日(水)00時13分23秒
- 今は毎日が必死で、充実感を感じる余裕なんてまだ生まれないけど、
でも患者さん達が笑ってくれるたび、自分の心は満たされる。頑張っていこうと思える。
患者さんに喜んでもらえるコト。
それが、何よりの励み。
「あ……」
そうだ
もうひとつ、増えた。
――保田先生に、誉めてもらうコト
「…よーーっし、明日も頑張るぞ!吉澤ひとみっ!」
身も心もサッパリとした気分になって、吉澤は勢いよくバスルームを後にした。
- 28 名前:名無し読者 投稿日:2003年03月05日(水)01時58分00秒
- 今日はじめて読みました
吉保好きなのでこれからも楽しみにしてます
- 29 名前:フムフム 投稿日:2003年03月07日(金)00時23分15秒
- >>28 さん
ありがとうございます。
マイナー路線なんでそう言っていただけるとホっとします。
最後まで読んでいただけるよう頑張ります。
- 30 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月07日(金)00時26分31秒
- *****
「吉澤。 203の佐藤さん、術後はどんな感じ?」
「あ、ハイ。 今のところ調子もいいみたいで安定してます」
「そう……で、合併症を起こす可能性はまだあるわけだけど、今後どう注意すればいい?」
「え、えーっと…悪心、嘔吐…と、頭痛の有無に注意…します」
「佐藤さんはドレーン挿入だったけど?」
「えっ!あ…えーと……え〜〜……」
「排泄量と性状をチェックしときなさい」
「は、はいッ」
研修医は勉強中の身、ということで、こんな問答が一日何度と行われる。
もちろん勉強のためだけど、どっと疲れちゃうんだよね…。
でも、だいぶこの生活にも慣れてきた。
相変わらずの忙しさだけど、要領よく仕事を片付けていくコツとか、手際良く回診をこなすコツとか、
ちょっとした隙を見つけては休憩をとるコツとか。
そういうのも結構身についたな。
この病院で働き始めた当初よりは、研修医としてちょっとは成長したかな?
- 31 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月07日(金)00時28分37秒
- そんなことを思いつつカルテの整理に励む。
しばらくすると、保田先生が椅子に座ったままこちらに身体を向けて、思い出したように口を開いた。
「そうだ、あんたもだいぶオペに慣れてきたことだし、そろそろ執刀も経験してもらわなきゃね」
「…えっ?」
イキナリの言葉に驚いた。
しゅ、手術? あたしが執刀!?
「そんな難しいオペ任せたりしないから大丈夫よ。勿論あたしもついてるしさ。
今度虫垂炎か何かの患者さんが入ったら、その時はやってもらうからね」
「あ、は、はい。頑張ります!」
ビシッと背筋を伸ばして答えた吉澤に、保田はふっと軽く微笑んだ。
その笑顔にちょっとドキリとする。
- 32 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月07日(金)00時31分24秒
保田先生のもとで働くようになって、先生のいろんな顔を見てきた。
怒ってる顔、笑ってる顔。
疲れた顔も見たし、…あ、二日酔いで死にそうになってる顔も見たな。
今みたいなちょっとした微笑みとか、そんな些細な表情も、
いつしかあたしは全て逃がさず捕らえるようになっていた。
そして時折、
物思いに沈んだように窓の外を眺める、翳りのある表情。
その保田先生の横顔は、いつもひどく寂しそうで。
そんなものに気付き始めたのは、いつからだっただろうか…。
- 33 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月07日(金)00時38分02秒
- *****
昼食を取りに食堂へと向かう。
お腹に入れば何でもいいという気分だったので、すぐに出来そうなカレーライスを注文した。
お盆を受け取ってテーブルを見回した吉澤は、一人で食事をしている友人の見慣れた後姿を見つけた。
「梨ー華ちゃん! 一人?一緒していい?」
「あ、よっすぃー! いいよ、座って座って」
そう言って嬉しそうに席を勧める石川。吉澤は向かいの椅子に腰を下ろした。
時間に余裕がないので急いで食べないといけないから、あまり会話はできないだろうけど。
それでもご飯のときくらい、友達の顔を見ながら楽しく食べたい、と思う。
そういえば、保田先生とゴハン食べたことってないなあ…
今度誘ってみようかな。
- 34 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月07日(金)00時41分08秒
- そんなことを思っていると、石川が思い出したように弾んだ声を上げた。
「あ、そうそうよっすぃー。今度オペで執刀する予定なんでしょ? 保田先生から聞いたよ」
「えっ!? もう知ってるの?」
一応その予定、というだけで、手術の日程などはまだ何も決まってもいない段階だ。
石川の情報の早さに、吉澤は驚いて顔をあげた。
「でね、私保田先生にお願いして、よっすぃの介助で入らせてもらえることになったの!」
「えっ、ホント!? 嬉しー!」
「うん!私も嬉しくって…よっすぃーのお手伝いが出来るなんてさ。 しかも記念すべき、よっすぃーの
初めてのオペだよ!」
心底嬉しそうに笑ってくれる石川を見て、自然と吉澤の顔もほころぶ。
――よおし、梨華ちゃんの応援に応えられるよう頑張らないと!
- 35 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月07日(金)00時43分24秒
「私の夢だったんだ……ホントに嬉しいな…」
気合いを入れなおしていた吉澤の耳に、石川の独り言のような呟きが聞こえた。
「え?夢って? 梨華ちゃんオペの介助初めてじゃないよね?」
「あっ、ううん!何でもないの!」
はっとしたように笑顔を作って、石川はブンブンと首を振る。
その顔がわずかに上気していたように見えたが、吉澤はさして気にとめなかった。
かわりに、ふと思い出した事を尋ねてみる。
「あ、あのさあ梨華ちゃん。 保田先生のことなんだけどさ…」
「…ん?なあに? 何か厳しいことでも言われちゃったの?」
「あ、ううん、そうじゃなくて。 あの…たまーになんだけど、保田先生がすごく沈んでる風に
見えるときがあるんだよ」
石川は箸を動かす手を止めて吉澤の顔を見た。
「沈んでる?」
「うん、ずっとって訳じゃなくて…時々ふっとそんな風に見えるんだ…」
そこまで話して、吉澤は言葉を止めた。
目の前の石川が、ちょっと困ったように首をかしげてしまったから。
- 36 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月07日(金)00時48分34秒
- 「…よっすぃーは…保田先生が心配なの?」
「え? 心配…ってゆうか、なんか気になって…。 梨華ちゃんは保田先生とも
結構話すみたいだし、何か知ってるかなって思って…」
そこまで聞いて、石川は吉澤から視線をはずしテーブルに目を落とした。
ふうん、とさして興味もなさそうに返事をして、水の入ったグラスをカラカラと回している。
心の中で吉澤は少し後悔した。
確かにこんなことを石川に聞いても仕方なかったかもしれない。
それに、これでは保田のことを陰で詮索しているようにも受け取られる。
石川は不快に感じたのではないだろうか。
「…私はよくわからないな。保田先生が沈んでる所なんかも見たことないし」
「え、そうなの?」
「うん。保田先生はクールな所もあるけど愛想良く接してくれるし、暗い所なんて知らないよ。
よっすぃーの勘違いじゃないの?」
そう言われて、吉澤は少しムッとなった。
スプーンを皿に置いて石川の顔を見る。金属音がちょっとうるさく響いた。
- 37 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月07日(金)00時52分56秒
- 「そんなことないよ。あたしはいつも保田先生と一緒にいるんだもん。
梨華ちゃんより保田先生のこと、よく見てるはずだよ」
そこまで言って吉澤ははっと口をつぐんだ。
石川の目が一瞬、泣きそうな形に歪んでみえた気がしたのだ。
――なんか、ちょっとキツい言い方しちゃったかな…。
謝ろうと、吉澤は口を開きかける。
しかし、その瞬間にはもういつもの人懐っこい笑みを浮かべ、石川は椅子から立ちあがっていた。
「もうこんな時間!私先に行くね。よっすぃーも早く食べないと、ゴハン冷めちゃうよ?」
「あ、う、うん…」
「じゃあね。今度のオペ、頑張ろうね!」
出入り口の所でもう一度振り返り、石川は笑顔でバイバイと手を振ってきた。
その様子がいつもと同じだったことにホッとしつつも、吉澤の胸には何となく
引っ掛かるものが残った。
- 38 名前:フムフム 投稿日:2003年03月07日(金)01時06分55秒
- スレが長くなったので底上げ・・・
- 39 名前:名無し読者 投稿日:2003年03月08日(土)00時38分16秒
- さ、三角関係の予感・・・・。
どきどきどきどき。
それ以上に、よっすぃ〜のオペ・・・。
ぶるぶるぶるぶる。
- 40 名前:フムフム 投稿日:2003年03月11日(火)00時13分08秒
- >>39 さん
三角関係どころかもっと複雑になる予定だったり・・・です。
よすこさんのオペは私も書きながらアリエネー(((( ;゚Д゚)))と心底思います。
しかし実際研修医が執刀するのってどれくらい経験積んでからなんでしょうか?
わかってないくせに勝手なこと書いちゃってます。
では続きです。
- 41 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月11日(火)00時17分15秒
一日の仕事がやっと終わり、吉澤はロッカー室で帰る支度をしていた。
寮が隣なのですぐ帰宅できるのは有難いけれど、食事も何も出来ていないのが辛いところだ。
コンビニまで行って何か夜食でも買っていこうかな、
と思ったとき。
「あ、いたいた。吉澤ー」
ドアの隙間からひょっこりと保田が顔を覗かせた。
もう帰り支度はすませた様子で、肩から鞄を下げている。
「あ、あれっ? どうしたんですか?」
突然現れた保田の姿に少し驚きながら、吉澤は着替えの手を止めて笑い掛けた。
なんとなく、シャツで肌を隠したりしてしまいながら。
「あのさ、あんた夕飯まだ食べてないよね? よかったら付き合わない?」
「えっ? 保田先生と…ですか?」
突然の言葉に吉澤は目を丸くした。
そんな誘いをもらえるとは思いもよらずびっくりしただけなのだが、あんまり戸惑った反応を
返してしまったせいか、保田はムッとしたように口を尖らせた。
- 42 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月11日(火)00時20分18秒
- 「そんな怯えなくてもいいでしょーが。別に無理にとは言わないわよ。せっかく奢ってやろうと
思ったんだけどね〜」
「ち、違いますよう!イヤなんかじゃないです!行きます行きます!」
な、なんかこの会話の流れじゃ、奢りってトコに釣られたみたいに思われるんじゃ…
あああ、誤解が誤解を招くなあ…
慌てて返事をした吉澤に保田はアハハと笑って、「駐車場で待ってるから」と先に行ってしまった。
吉澤も大急ぎで服を着替えて、身だしなみを整える。
なぜか化粧直しもいつもより念入りにしてしまったりして。
保田先生と食事かあ…
昼間、こっちから一度誘ってみようって思ったトコなのに、先生の方から誘ってくれるなんて。
なんか、うれしいな…
無性にニヤけてしまう顔を抑えつつ、吉澤は保田の待つ駐車場へと急いだ。
- 43 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月11日(火)00時22分17秒
「ウチの近くにおいしい店があるのよ。そこでいい?」
「はい、どこでもいいです!」
「ははっ、よっぽどお腹すいてんのねー」
…いや、食べられるなら何でもって意味じゃなくて、
保田先生と食べられるんなら何でもいいって意味だったんだけど。
そんなことを思いながら、運転席の保田の横顔をチラリと見た。
「ね、あんたお酒は飲める?」
「お酒ですか? まあ一応は…」
「そっか。 んー…今日は飲みたい気分なんだよなあ…」
何かに悩むようにブツブツ言いながら、保田はしばらく前を見据えて車を走らせていた。
そんな保田の眉間のシワや尖らせた唇の先を、吉澤は無意識に眺めていた。
- 44 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月11日(火)00時24分53秒
- 「…よしっ! 吉澤、あんた今日ウチに泊まっていきなよ」
「へ。…ええっ!?」
イキナリの発言にビックリしてしまった。
泊まるって…保田先生のウチに!?
食事だって今日初めて一緒にするっていうのに、一気にそんな親密に!?!?
「だってさ、あたしんちは店から近いから飲んでも歩いて帰れるけど、あんたを寮まで送ろうと
思ったら飲めないでしょ? あんたがウチに泊まってくれれば車出さなくて済むし」
「そ、そんな! タクシーでも拾いますから、いいですよ!」
あたふたと首を振る吉澤に、保田は目線をフロントガラスに向けたままで首をかしげた。
「別に遠慮しなくったっていいのに。 まあ怖ーい指導医の家に泊まりたくないってんなら、
無理にとは言わないけどねー」
「いっ…!! 行きます!泊まりたいです!!」
- 45 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月11日(火)00時27分16秒
- 冗談まじりな言い方でケタケタと笑っていた保田も、手の平を返したかのような吉澤の即答に
びっくりしたようだった。
ハンドルを握ったまま、思わず横目で吉澤の顔を見る。
「…そう? 泊まりたいってんなら話は早いけど。 しかしあんたってしり込みしたかと思いきや
食いついてきたり、よくわかんないわねー」
「……す、すいません…」
は、恥ずかしい……
でもやっぱり正直なところ、保田先生の家に行ってみたかったんだもん。
しかもお泊りなんてさ、なんかワクワクしちゃうよ。
だんだんと保田との距離が縮まっていく。
そんな今の状況に嬉しさが込み上げてくる。 くすぐったいような、そわそわするような気分。
吉澤はそんな自分の鼓動の速さを感じ、ひそかに苦笑をもらした。
- 46 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月11日(火)00時29分23秒
いったん保田のマンションに寄って車を置いた後、二人は歩いて目的の店に向かった。
歩き始めて5分もしないうちに着いたその店は、割と大きな構えの焼肉店だった。
店内は仕事帰りのサラリーマンといった風情の客達で賑わっていたが、若い女性客は
数えるほどしかいない。
店は大きいけれど雰囲気は居酒屋に近いかもしれない。
店員に案内されて座敷型になっている席につくと、さっそく保田はメニューを広げた。
「ここの焼肉がおいしいのよー。あんたもどんどん好きなの注文しなよ」
そう言ったものの、保田はビールの中ジョッキ2つにカルビ・ロース・タン塩・上ミノ…と
手当たり次第に注文してしていき、吉澤の希望など到底言う必要もないと思われた。
早速運ばれてきたジョッキでとりあえず乾杯して、ビールを一口飲む。
ふうっと息をついて、吉澤は改めて店内を見回した。
オジサンとかばっかで賑やかな店だなあ…。
別にこういうトコ嫌いじゃないけど、それにしてもちょっとムード無いよね…。
少しガッカリしている自分に気付いて恥ずかしくなった。
全く、どんな雰囲気を期待してたんだよ、あたしってば。 デートじゃあるまいし。
- 47 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月11日(火)00時31分04秒
- そうこうしているうちにいつの間にか食材が運ばれてきていて、目の前で保田が
テキパキと肉を鉄板に乗せていた。慌てて吉澤もそれを手伝う。
肉の焼ける匂いと油のはじける音が、忘れていた空腹を思い出させた。
「よしっ、じゃあ食べよ。いただきまーす!」
「いただきま〜す!」
タレを付けてまずパクリと一口。
薦めるだけあって、さすがに美味しい。
「んーー!お〜いし〜〜い!」
「でしょー!? あたしの知ってる店ではここの焼肉が一番なのよ! ほら、どんどん食べてよ」
「はいっ」
変に遠慮することもなく、パクパクと肉を口に運んだ。ビールの減り具合もそれにつれて早くなる。
ちらっと前を見ると、保田も心底幸せそうに肉をパクついている。
その様子がちょっと微笑ましくて、吉澤は肉をほおばりながらつい笑ってしまった。
- 48 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月11日(火)00時35分37秒
- 「何?」
「…いえ、保田先生って美味しそうに食べるなーと思って…」
クスクスと笑う吉澤に気を悪くした風でもなく、保田は箸をくわえたままうんうんと頷いた。
「あたし焼肉がこの世で一番好きなのよー。焼肉なら朝昼晩続けてでも全然余裕でイケるわね!」
「ええ〜〜!!朝昼晩ですかあ!?保田先生それ凄すぎですよお!」
酒が入って気分が良くなっているせいか、いつもよりトーンの高い声で吉澤は快活に笑った。
その声に周りの客がチラリと目線を向ける。
「じゃあ先生はオペの日でも食べれるんですかあ? あたしはさすがに肉系はパスしたく
なりますけどー、保田先生は…」
「ちょ、ちょっと吉澤」
周りの視線をキョロキョロと気にしつつ、声をひそめて保田は吉澤に顔を近づけた。
- 49 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月11日(火)00時37分27秒
- 「あんまり先生先生連呼しないでよ。なんか居心地悪いじゃない」
「え?でもじゃあ何て呼んだら…」
「何でもいいわよ、保田さんとかで。今は仕事中じゃないんだし」
「……ハイ。 じゃあ、保田…さん、で」
口にして少し照れた。
でも保田先生はそれに満足した、というかほっとしたように笑って、近付けていた身体を
後ろに戻し、再び食べることに専念しはじめた。
保田さん、か…
呼び方を変えただけ。
それだけなのに、またひとつ自分が保田先生に近付けたような、そんな気がした。
- 50 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月11日(火)00時39分12秒
「はー満足満足。 ね、おいしかったでしょ?」
「ハイ、お腹いっぱいです! ごちそうさまでしたっ」
店を出た二人は夜道をゆっくりとした足取りで歩いていた。
優しい夜風がアルコールで熱くなった頬を撫でていく。
フワフワとした良い気分に吉澤は浸っていた。
「…そういえば吉澤と食事したのって初めてよね。 プライベートでこんなに話したことも
今まで無かったし」
「そうですよね。今日はあたしすっごい楽しかったです!」
「うん、あたしも」
保田は吉澤を見てうれしそうに微笑んだ。
アルコールのせいではない熱さが、吉澤の頬を更に赤く染めた。
だが、夜陰のせいか吉澤の様子に気付いた様子もなく、保田はまた前を向いて普通に歩いていく。
まあ元々赤くなっていた顔だから、気付かれたとしても変に思われることなど無いだろうけれど。
- 51 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月11日(火)00時41分55秒
「…なんかさあ、吉澤ってイイよね」
「えっ?何がですか?」
しばらく無言で歩いていた保田が、独り言のようにポツリと呟いた。
「なんかあんたといるとさ、ホント楽しい」
吉澤は思わず言葉に詰まる。
顔が熱くなって、心臓がペースを乱されたように早鐘を打ちだした。
声がうわずってしまわないように、喉の奥をきゅっと締めつけてから口を開いた。
「そっ、そんな……あ、あたしもですよっ」
う、うわあっ。
なんかめちゃくちゃ嬉しいよう!どおしよう!
- 52 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月11日(火)00時43分32秒
「…辛い事とかも全部、忘れられる気がするよ。あんたといると…」
「えっ…」
ドキっとしてしまった。
保田さんの声が、いつになく静かで。
こんな事をこんな風に言ってもらうの、はじめてで。
心臓の音がやたらうるさい。
お酒のせい、と言い訳できないほど顔も真っ赤になってるんじゃないだろうか。
そう思ってドギマギしながら保田さんの方を見たけれど、
彼女は自分を見てはいなかった。
ぼんやりと、車道を通り過ぎていく車のライトを見つめている。
流れる明かりに照らし出されるその表情は、時折みせるあの寂しげなものと同じで。
あたしが隣にいることすら忘れてしまっているような横顔に、さっきまで感じていたうれしさや
興奮がしおれていく。
代わりに胸に沸き起こる、寂しさと、言い知れぬ不安。
それからなんとなく会話の糸口をみつけられなくて。
保田さんの家に着くまでの間、あたしは保田さんに話しかけられなかった。
- 53 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月11日(火)00時49分37秒
保田さんのマンションは一人暮らしに適した広さの、シンプルな造りのものだった。
こじんまりとしたキッチンに、ローテーブルの置かれた居間らしい部屋と、寝室用の部屋がひとつ。
忙しい生活のわりに部屋はスッキリと片付いてある。
ベランダには観葉植物が置かれてあって、なかなか見た目にもいい感じだ。
先にお風呂使っていいよ、という言葉に甘えて、お風呂を借りることにした。
脱衣所で服を脱ぎバスルームのドアを開けると、これまたいい感じの広さで。
さっき食事に行く前に一度車を置きに来た時、お風呂のお湯を入れておいてくれてたらしい。
「湯船に浸かるのって久しぶりだなあ…。 は〜、幸せ…」
脚を伸ばす事はできないけれど、たっぷりとお湯の張られた浴槽に身を浸して、吉澤は
満足気に息を吐いた。
- 54 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月11日(火)00時51分52秒
- 髪を洗おうと吉澤がシャンプーのポンプを押すと、いつも保田の髪から香るものと同じ匂いが
浴室に広がった。
フローラル系の、爽やかさと甘さが程よい具合にまざった香り。
「…保田さんの匂いだあ…」
うっとりと目を閉じて、その香りに酔いしれる。
「吉澤ー、ここにパジャマ置いとくわよ。下着も新しいの用意したからね」
無意識に浸っているところへ脱衣所から声をかけられて、夢から引き戻されたようにハッとなった。
慌てて返事をすると、「ゆっくり入っていいよ」と言い残して保田の影が脱衣所から消える。
気恥ずかしさを振り払うように、吉澤は頭からシャワーを浴びた。
- 55 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月11日(火)00時56分09秒
吉澤に続いて風呂に入った保田が、バスローブをまとって脱衣所から出てきた。
濡れた髪を乱暴な手つきで拭きながら、冷蔵庫を開けて缶ビールを取り出す。
「え!保田さんまだ飲むんですか!?」
「えー、だって風呂上りはビールでしょ。 あんたもどう?」
「い、いりませんよお。 ただでさえ今日は飲みすぎちゃったのに」
吉澤が断ると、あっそ、とそれ以上無理に勧めることもなく、保田は缶ビールのプルトップを開けた。
ローテーブルを挟んで吉澤の斜め隣に腰を下ろす。
ビールを嚥下するたびに、しっとりとした喉元の肌がうねるように動く。
吉澤は無意識にその様子を眺めてしまっていたようで、保田の目がそれに気付いたようにこちらを見た。
慌てて目をそらしたが、保田はそのままじっと吉澤の顔を凝視している。
いつまでたっても離れない視線にだんだん居たたまれなくなってきて、吉澤はもごもごと口を開いた。
- 56 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月11日(火)00時58分31秒
- 「な、なんですか……?」
「吉澤ってさあ、綺麗な顔してるよね〜…」
「はいっ!?」
突然何を言い出すかと思えば。
吉澤は思わずすっとんきょうな声をあげてしまった。
「肌なんか真っ白でさあ、スベスベじゃん。 いいなあ、若さかなぁ」
「な、何言ってんですか。そんな…」
「眼も色素薄くってキレー……うわ、睫毛も長っ! 別にハーフとかクオーターとかじゃないのよねえ?」
至近距離でまじまじと覗きこまれ、吉澤の心臓はうるさいくらいに高鳴っていた。
側にいる保田にその音が聴こえてしまうんじゃないかと、心配になるくらい。
…って、そんな間近で見つめないでくださいよお!
照れくさいじゃないですか!
それにあたしにとっちゃ保田さんの眼のほうが魅力的ですよお!パワーがあって!
- 57 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月11日(火)01時00分26秒
- 心の中でそんな反論をしながら保田にちらりと目を向けた。
目の前に、保田の大きな瞳がある。 その中に映るのは当然自分の姿で。
その瞳を真正面から捉えた瞬間、吉澤ははたと止まってしまった。
――大っきな眼……ホント、猫みたい。
吸いこまれそうな、って…こういうのを言うのかな……
さっきまでの動揺はいつの間にか消え、吉澤はやたらじっくりと保田を見つめてしまっていた。
相変わらずうるさい鼓動は鳴りやまないままだけれど。
その大きな瞳に、何だか目眩がしそうだった。
視線を少し下に落とすと、そこにはほんのりと色付いた唇があって。
今度はそちらを凝視してしまって。
そして―――…
- 58 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月11日(火)01時02分09秒
- 「ふあ〜〜あ、何か眠くなってきたわ。布団敷くかぁ」
保田は近付けていた身体を反らせてあくびをした。
今まで無遠慮に穴が開きそうなほどに人を観察していたというのに、興味を失ったおもちゃを
手放すようなあっさりとした態度だ。
しかし、内心で吉澤は心底ほっとしていた。
保田があそこで身体を離してくれていなかったら、と思うと冷汗が出た。
「あっ、手伝います」
立ち上がって、寝室に向かった保田の後を追う。
あのままああしていたら、きっと…
――あたしはあの唇に、吸い寄せられていた。
…もーーーッ!! あたしったら、どーしちゃったんだよ!しっかりしろ!
寝床の用意を手伝いながらブンブンと頭を振る。
そんな吉澤に、保田は不思議そうな顔で首をかしげていた。
- 59 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月11日(火)01時04分15秒
「あんたベッド使いなよ。あたし下で寝るから」
「そんな! あたしが下で寝ますから、保田さんはベッドで寝てください!」
「お客さんなんだから遠慮しないの。気遣わないでさっさと寝なさい」
「でも……」
「つべこべ言うなら一緒にベッドに入るわよ」
そんな押し問答の末、あたしは保田さんのベッドで寝させてもらうことになった。
フカフカの柔らかいベッドは心地良くて、保田さんの匂いがした。
ちらりと斜め下に視線を落とすと、薄手の布団にくるまって眠る保田さんの姿。
安定した寝息が聞こえる。
すっかり眠ってるみたい。寝付き早いなあ…。
ベッドに入って電気を消して、かれこれ30分くらいは経ってそうだけど。あたしには一向に睡魔が
襲ってきてくれない。
なんだか妙に目が冴えて、落ちつかないや。
寝る前に変にドキドキしちゃったせいかな…。
- 60 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月11日(火)01時06分18秒
- 「…う……」
目をつぶって寝返りを打った吉澤の耳に、かすかな音が聞こえた。
もう一度身体を戻して、寝ている保田を見下ろす。
「……う…ん…」
うなされてる?
暗がりの中でも見てとれる、苦しげな表情。
どうしよう……起こしてあげた方がいいのかな…
- 61 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月11日(火)01時07分31秒
- 「…保田さん…?」
もう一度保田の顔を覗き込んで、吉澤ははっとした。
わずかな月明かりが、保田の目尻に光るものを、吉澤の目に捉えさせた。
――泣いてる……?
「保田さ……」
手を伸ばして、保田の肩に触れた。
そのとき
「……―――……」
- 62 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月11日(火)01時10分46秒
- 吉澤は思わず伸ばした手を引っ込めた。
それはかすかな、わずかに空気を震わせる程度のかすかな音。
求めるように、いとおしむように、囁くような声でその唇から漏れた言葉。
それは
しらないひとの名前だった。
- 63 名前:名無し読者 投稿日:2003年03月12日(水)04時58分59秒
- 面白い!!
このCP今まで好きだったわけじゃないけど、この話しはいいっす。
今後も楽しみにしてます。
- 64 名前:名無し読者 投稿日:2003年03月12日(水)10時43分30秒
- 面白いです。
実は最初からずっと読んでました。
吉保好きなんで頑張ってください。
- 65 名前:名無し読者 投稿日:2003年03月14日(金)15時36分55秒
- ヤッスーの心の中には一体誰がいるんだろう?
妹みたいな彼女かな?それとも親友のあの娘?
楽しみにしてます
- 66 名前:フムフム 投稿日:2003年03月15日(土)01時22分53秒
- うはー、単純なんで褒めていただくと小躍りして喜んでしまいます。
読んでくださってありがとうございます。
>>63 さん
CPが好きなわけじゃないのに読んでいただける、というのはとても嬉しいです。
マイナーだから敬遠されるだろうなあと覚悟していたので・・・。
>>64 さん
CPが好き、と言っていただけるのもやっぱり嬉しいです。
同じ趣味の方がいらっしゃると気が大きくなれる(イイ意味で)ので有難いです。
>>65 さん
ド、ドキリ。このネタばらしはもう少し先になると思います。
それまで予想しながら楽しんで読んでいただけるとうれしいです。
- 67 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月15日(土)01時25分10秒
- *****
「はあ……」
処方書きをしていた手を止めて、吉澤はため息をついた。
背もたれに身体をあずけ、疲れた目をしばたかせて天井を見上げる。
まったく、何をそんなに気にしているんだろう。
誰だってイヤな夢くらいみる。
それに保田さんの知り合いの名前なんて、知らなくて当然。 知ってるほうがおかしいよ。
それを耳にしたくらいで、なんでこんなにモヤモヤした気持ちになってるんだろう。
保田さんの涙を…見たくらいで……
- 68 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月15日(土)01時27分25秒
「吉澤ー、回診終わったぁ?」
吉澤が頭を悩ませているところへ、大量のカルテを手に保田が部屋に入ってきた。
途端に、昨夜見た涙が脳裏に浮かびあがる。
「あ…はい。今処方書きしてます」
「そう。じゃあ今日は2時から佐々木さんのオペがあるから、それが済んだらさっと食事取っておいで」
「はい……あ、保田先生は…?」
「あたしもコレ済ませてから食べるよ」
そう言って、保田は指でぱちんとカルテをはじいた。
「…あの。じゃあもし時間があえば…お昼ご一緒していいですか?」
デスクに向かって腰を下ろした保田に、吉澤はためらいがちな声を掛けた。
- 69 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月15日(土)01時29分21秒
- 前からいつか機会をみつけて言おうと思っていたセリフ。
勇気を出して言ってみた吉澤だったが、返ってきたのは微妙に困惑したような表情だった。
「あ…ごめん。 昼はちょっと行くところもあるから無理だな…」
「そ、そうなんですか。 いえ、無理言ってすみません」
笑顔をつくって首を振った吉澤に、保田は済まなそうに小さく微笑んでデスクに顔を戻した。
残念、というか、少し胸が痛んだ。
断られても仕方ない事情があるんだと思うけれど。
保田さんが微妙に困ったような表情を見せたことが、少しだけショックだった。
- 70 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月15日(土)01時30分52秒
- *****
「よっすぃー? どうしたの?」
廊下を歩いていると、後ろから声をかけられた。
見ると、昼食の配膳に向かうところらしい石川が、ワゴンを押してこちらへ来る。
「なんか元気ないね。疲れてるの?大丈夫?」
「ううん、何でもない。大丈夫だよ」
そう言ったもののやはり元気の無い吉澤に心配そうな目を向けて、石川は並んで廊下を歩く。
「…あのさ、梨華ちゃん」
「なあに?」
「保田さ…保田先生ってさ、お昼ちゃんと食べてんのかなあ。…よく考えるとさ、今までお昼の時間が
同じになっても、食堂で会ったことってないんだよね…」
「………」
「お弁当なのかな? …まあ、ちゃんと食べてるんなら別にいいんだけど」
半ば独り言のように呟く吉澤を、石川はしばらく横目で見つめた。
- 71 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月15日(土)01時32分25秒
- 「…よっすぃー、最近保田先生のことばっかりだね」
はっとして石川の方を向くと、反対に石川は前に向き直って吉澤の視線から逃れた。
「えっ? …そう?」
「うん、私といてもいつも保田先生の話してるよ」
「そ、そうだっけ…」
意識してなかったんだけど、そうだったのか。
でも何だろう、梨華ちゃん。 怒ってはないみたいだけど、気を悪くしてたのかな…。
しばらく無言で歩いて、石川がピタリと足を止めた。配膳する病室まで来たらしい。
吉澤も同じく立ち止まる。
そこで石川は、また吉澤に視線を戻して口を開いた。
「…でもね、保田先生とお昼一緒できることって、この先もたぶん無いと思うよ」
……意味深な言い方だと思った。
何と返していいかわからず、ただ先を促すように石川の目を見る。
- 72 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月15日(土)01時33分22秒
「保田先生はね、眠り姫に夢中だから…」
「眠り姫?」
…いったい何のこと?
問い返そうとしたところへ、遮るように廊下の奥から声が響いた。
「ちょっと石川さん!何してんの! そんなトコで喋ってらんとさっさと配膳しなさい!」
声のした方に目をやると、明るい髪色をした看護婦が仁王立ちでこちらを睨んでいる。
「きゃっ、中澤主任だ! じゃあね、よっすぃー。またね!」
「あ、うん……」
結局聞き返すこともできぬまま、石川は病室へ入ってしまった。
- 73 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月15日(土)01時34分56秒
眠り姫……
何のことなんだろう。
梨華ちゃんは何を知ってるんだろうか。
あたしの知らない…保田さんのこと?
そう思うと、悔しさと寂しさの混ざった複雑な気持ちになった。
気分を変えようと、食堂へ向かう足取りを速める。
しかし、どうしても取り払いがたいしこりのようなものが、吉澤の胸には残った。
- 74 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月15日(土)01時36分14秒
- *****
昼からのオペは保田先生の執刀で、あたしも助手として手術室に入った。
今日のオペは腸のポリープ摘出手術。それほど時間もかからず無事手術は済んだ。
「……よし、と。 じゃあ吉澤先生、あとの縫合お願いします」
「はい」
あたしが縫合している間、保田さんは額の汗を拭いてもらいながらあたしの処置を見守っていた。
「そう、いいですよ……縫合は上手ね。いつもすごく綺麗に出来てる」
ほら。
そんな風に褒めてもらうと、単純なあたしは嬉しくってこんなにドキドキしてしまうのに。
それでも心の片隅には、モヤモヤとしたものが引っ掛かかったまま。
どうしてこんなことになっちゃったんだろう。
どうしてこんな気持ちになっちゃうんだろう。
- 75 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月15日(土)01時38分58秒
- 保田さんのことを知りたいと思った。
いつも保田さんのことを見て、保田さんのことたくさん知れた。
そして、保田さんに「秘密」があることも知った。
でもその「秘密」が何か、なんて―――いくらあなたを見つめても、知ることなんて出来ない。
ねえ保田さん。
あたし、聞いてもいいですか?
イヤかもしれないけど、教えてくれないかもしれないけど、
でもきっとあたし、聞かずにいられなくなると思います。
だってあたし
あなたを「知りたい」だけじゃなくて
あなたに…「近づきたい」と、思ってるから――…
- 76 名前:フムフム 投稿日:2003年03月15日(土)01時40分53秒
- 更新終了。チョット底上げ。
- 77 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月17日(月)21時41分49秒
- *****
ドキドキ、ドキドキ、
今日はとうとう初執刀のオペ。
吉澤は手術室へと続く廊下を歩いていた。
研修医が最初に執刀するオペのなかでは、割とスタンダードなものである虫垂炎の手術。
難しいものじゃない。落ち着いてやれば必ず上手く出来る自信はある。
そう、上手くやる自信はあるのだ。
そう、「落ち着いて」やれれば……
ドキドキ、ドキドキ、ドキドキ、ドキドキ、
「ああーーーもうっ! うるさぁーーい!」
「キャッ!」
- 78 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月17日(月)21時43分04秒
- 自分の叫び声ではないカワイイ悲鳴に振り返ると、そこにはビックリした顔の石川が立っていた。
慌てて笑顔をつくって吉澤は石川の肩に手を置く。
「梨華ちゃん! ご、ごめんね…驚かしちゃったね」
「ううん、大丈夫。 でもどうしたの?うるさいって何が?」
当然の疑問だ。
てゆーかうるさいのはあたしだよね…
再び笑顔をつくって弁明する。
「いや〜やっぱちょっと緊張しちゃってさ。もー心臓がウルサくって…なんか『アーー!』ってなっちゃって」
「あははっ、『アーー!』って何〜?」
「いや…なんか、イライラー!っとね…」
「ヘンなよっすぃ〜」
ひとしきり笑った後、石川は吉澤の手をぎゅっと握った。
優しく包み込むように触れられて、少しドキッとする。
「今日は頑張ってね。 私、一生懸命よっすぃーのお手伝いするからね」
「うん。ありがと梨華ちゃん」
石川の優しい笑顔に、吉澤も笑みを返した。 握ってくれる掌があたたかい。
- 79 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月17日(月)21時44分50秒
- 「はー、でも緊張が治まんないんだよね〜…はやく落ち着かなきゃ…」
そう言って片手を胸に当てる吉澤。
ふざけて笑ってみせる顔も、やはりどことなく無理をしているのが伝わる。
すると石川は何かを思いついたようにキョロッと周りを見回して、
「……ね、よっすぃー。 落ち着けるおまじない、してあげよっか?」
「え?何?」
と、聞いた途端、
頬に柔らかい感触。
「ぅわッ!…ちょ、ちょっとぉ梨華ちゃん!」
「えへへっ、きっと効くよ?キモチがこもってるから。 じゃあ先に準備行ってるねっ」
照れたように頬を赤らめるその姿が、女の目から見てもとても可愛らしい。
小走りに去っていって、石川の姿は廊下から見えなくなってしまった。
唇に触れられた頬を撫でて、わずかに赤面した吉澤は呟いた。
「なんか……余計にドキドキしちゃったんだけど?梨華ちゃん…」
- 80 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月17日(月)21時46分22秒
手洗いを済ませ、ガウンと手袋をつける
オペは助手として何度も経験しているのだが、なんというか、その度に手が荒れてしまうのは困りものだ。
まあイソジンとたわしで洗ってるんだから、そりゃ荒れるよね…。
手術室に入ると、あたしが入ってきたのに気付いて、器具をチェックしていた梨華ちゃんが顔を上げた。
「よっすぃー、頑張ってね」
「うん」
大きなマスクに隠された顔で、にっこりと優しく微笑んでくれる。
そこで、保田さんが手術室に入ってきた。
「吉澤先生、用意はいいですか」
「は、はいっ」
緊張を隠せないあたしに、保田さんは安心させるように微笑んでくれた。
「よし…それじゃ始めましょうか」
- 81 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月17日(月)21時47分30秒
メスを入れて腹部を切開する。
ちょっと手が震えそうになったけど、なんとか上手く切れた。
切開創を視診する。 虫垂は右下腹部に位置するはずなのだが、その姿がなぜか見えない。
ただでさえ緊張して速まっている鼓動が、焦りでさらに加速した。
や、やば……なんかマジで手が震えてきた。
しっかりしろよ!あたし!
心の中で自分を叱咤する。 しかし一度震えだした手はなかなか治まってはくれなくて。
落ち着かなきゃと思えば思うほどますます焦るばかりで、冷汗が背中を伝う。
梨華ちゃんが心配そうにこちらを見つめているのもわかった。
あっ、大腸のテニアを辿っていけば虫垂は絶対見つかるはずだ!
――そう思ってくまなく探してみるが、虫垂はそれでも見つからない。
な、なんで?
どうしよう……とにかくピンセットで邪魔な大網をよけて……
とにかく……落ち着け…落ち着けっ…!
震える手でピンセットを腹腔内に入れようとしたとき、
- 82 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月17日(月)21時48分34秒
- 「!」
温かい感触があたしの右手を止めた。
手袋ごしに伝わってくる、力強くて優しいぬくもり。
「…保田せんせ…」
驚いて顔を上げた吉澤に、保田は吉澤の手を握ったままジロリと横目で睨んだ。
「何ビクビクしてんのよ、このあたしが助手やってるってのにさ。それとも何?あたしじゃ信用できないって?」
「そ、そんなことないですっ」
慌ててブルブルと首を振る。
「…それとね、あたしはあんたを助けるためにここにいるんだからね? 不安な事やわかんない事があったら
聞けばいいのよ。一人で無理しないの」
「あ……」
そのとおりだ。
あたしはまだまだ半人前なんだから、わからない事があったら先生に聞かなくちゃ。
自分の頼りない判断のまま進めて、患者さんにもし何かあったらどうするんだよ!
あたしは恥ずかしさに顔が熱くなった。
- 83 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月17日(月)21時49分49秒
- 「さて、何かわかんない事ある?」
「はい…あの、テニアを辿っても虫垂が見つからなくて…大網をよけて探そうと思ったんですけど…」
「テニアを辿って見つからない場合、虫垂は大体盲腸の裏に隠れてる。 それからむやみにピンセットを
使っちゃ駄目。大網を動かすと虫垂の位置も動いちゃうからね。 ピンセットを入れるのは虫垂の位置を
ほぼ確実に捉えてからよ」
「あ、はいっ…」
恐縮したように縮こまる吉澤。その手は相変わらず小刻みに震えている。
そんな吉澤に保田はいたずらっぽく微笑んで、コツっと軽く頭をぶつけてきた。
「大丈夫…あたしが付いてるから」
優しい声が耳元をかすめて。
それだけで。
あたしは何だか自分でもびっくりするくらいに、フッと肩の力が抜けた。
- 84 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月17日(月)21時50分51秒
- 「保田さ……」
吉澤が顔を向けると、保田は安心させるようにニッコリと笑った。
「誰でも最初は緊張するわよ。あたしだって初執刀の時は今のあんたみたいにおどおどしちゃってたし。
言っとくけど昔は初々しくてカワイかったんだからね」
冗談めかした言い方に、思わず吉澤は吹き出した。
「ちょっと…吹き出すとこじゃないでしょ。失礼な奴ね。 ほら、オペの続きやるよ!」
そう言って笑った保田につられて吉澤も笑顔になる。
「はい、がんばります!」
「ん!」
それからのあたしは。
それまでの緊張が嘘みたいに治まって、不思議なくらいリラックスしてオペに集中することができた。
時折ちらっと保田さんの方を見ると、保田さんはまた優しい笑顔で頷いてくれて。
その度にあたしはひどく安心させられて。
ミスひとつ無く、その日のオペは無事終了した。
- 85 名前:名無し読者 投稿日:2003年03月18日(火)00時55分16秒
- やすよしマンセー!
・・・しかし。
ここの石川、かわいーじゃねーか(w
- 86 名前:名無し読者 投稿日:2003年03月19日(水)01時32分42秒
- ふたりともどっちかっつーと男前キャラなのに、
やすよしって組み合わせになるとめちゃめちゃ女の子なんでいいですよね。
85さんの書き込み読んだ後にこの話読み返してみて、
自動的に脳内で石川さんにキショイキャラの部分をトッピングしていた自分に気付きました(笑)
- 87 名前:フムフム 投稿日:2003年03月20日(木)00時15分37秒
- >>85 さん
マンセーありがとうございます。ウチの石川さんまで気に入って下さって光栄です。
石川さん、好きなんでつい贔屓してしまいます。( ^▽^)ニヤリ
>>86 さん
女の子っぽいですか。意識してるわけじゃないですがなんか嬉しいです。
この石川さんは基本的にはキショくない普通の人です(w あくまでも基本的には、ですが。
- 88 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月20日(木)00時18分46秒
- *****
今日は長い一日だったなあ…
長い廊下を歩きながら、吉澤は今日のことを思い返していた。
初めてのオペ。
患者さんを助ける事ができた。 もちろん簡単な手術ではあったわけだけれど、それでも…
自分も、人を救う事ができたのだ。
充実感と達成感で胸がいっぱいになる。
ま、途中はどうなることかと思ったけど……
でも……
- 89 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月20日(木)00時22分02秒
「あ、お疲れー」
第一外科室に入ると、先に戻っていた保田がソファに座ってコーヒーを飲んでいた。
そう、保田さんのおかげだよ……
「科長はもう帰られたんですか?」
「うん、もうあたし達だけだよ。 あ、あんたもコーヒー飲む?」
そう言って自分のコーヒーを飲み干してから、吉澤の返事を待たずに保田はソファから立ち上がった。
「今豆切らしちゃっててさあ。インスタントでもいいよね?」
ザラザラと直接カップにコーヒーの粉を注ぐ。
吉澤はソファにも座らずに、そのまま保田の背中を見つめていた。
「吉澤?」
吉澤の返事が無いのにいぶかしんで、保田は手をとめて後ろを振り返った。
吉澤は相変わらず保田を真っ直ぐに見つめていて。 そして、
「保田先生……今日は、ありがとうございました」
そう言って、吉澤は身体が折れそうなくらいに深々と頭を下げた。
保田はびっくりしたように目を丸くして、少し焦ったように口を開く。
- 90 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月20日(木)00時25分04秒
- 「ちょ、ちょっと何してんの。 そんなことする必要ないでしょ」
「でも……」
「あたしは何もしてないわよ?アドバイスしただけ。 今日はあんたが、あんたの力で
患者さんを治したのよ。 良いオペだった。よく頑張ったわ」
コーヒーを淹れる手を止めて、吉澤の側まで来た保田は微笑んでそう言った。
オペの時に見せてくれたのと同じ、優しい笑顔。
吉澤はその瞳を見つめ、ゆっくりと首を振った。
「違います…保田先生がいなかったら、あたしあのまま震えて、混乱したままでした。
先生がいてくれたから…落ち着くことができたんです」
「………」
「先生のおかげです。 あたし…保田先生が側にいてくれると、すごく安心します…」
真剣な面持ちで語る吉澤をじっと見つめていた保田だったが、そこまで聞いてパッと吉澤から目を背けた。
「…情けないわね。そんなんじゃいつまでたっても一人前になれないわよっ」
予想通り棘のあるセリフが返ってきて、吉澤は少し苦笑気味にクスリと笑った。
その音に、保田はまた目だけでこちらを向く。
- 91 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月20日(木)00時27分40秒
- 「でも……保田さんは優しいです」
キョロっとこちらを向いた時の猫のような眼が可愛くて、微笑むついでにそんなことまで言ってしまったら。
「…なっ……お、おだてたって何にも出ないわよっ」
案の定、ぶっきらぼうにそう言って保田はまた目を逸らせた。
ふと、その頬がわずかに赤く染まっているのに気付く。
アレ?
もしかして、保田さん……照れてます?
「…保田さんの笑った顔、すごく好きです……なんか、ほっとする…」
「……!」
追い討ちをかけるような吉澤の言葉に、保田の頬はますます赤くなっていった。
うわぁ、なんか……カワイイ…
- 92 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月20日(木)00時30分05秒
- 「バッ…何恥ずかしいこと言ってんのよ、もうっ…!」
そう言って、今度こそ保田はクルリと背を向けてしまった。
髪の隙間からのぞく耳が真っ赤になっている。
「あ、あたしもう帰るからっ!…あんたコーヒー飲んでくなら飲んでっていいから、戸締り頼むわよっ」
そう言い残して足早にドアの方へ向かう保田の後ろ姿。
白衣の裾がハラリとなびくのを目にした瞬間。
「!!」
「……あ」
あたしってば、何してるんだろう……
気付いたときにはもう、あたしは背後から保田さんを抱きすくめていた。
- 93 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月20日(木)00時32分06秒
- 保田さんはあまりのことに声も出ない様子で、あたしの腕の中でただただ硬直している。
腕におさめた身体は、なんだかいつもの保田さんより小さく感じた。
衣服越しの柔らかい感触に頭がぼうっとなる。
鼻先に触れる茶色がかった髪からは、シャンプーの香りがいつもより濃密に感じられて。
花の香りがあたしのこめかみ辺りをクラクラと刺激した。
「保田さん…あたし……」
口を開いた途端、保田さんはいきなりあたしの腕をバッと振りほどいた。
- 94 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月20日(木)00時34分00秒
- 「も…何ふざけてんのよっ、びっくりするでしょ! もおっ…」
「保田さ…」
あたしから身体を離して、早口でまくしたてる保田さんの顔は相変わらず赤くて。
いつも通りに振舞おうとしていても、その泳ぎがちな目に動揺がうかがえる。
「じゃ、じゃあ、ホントにもう帰るから…あんたも早く帰りなよっ」
「あ…」
お疲れさまでした、といつものような挨拶を返せないままに、保田さんは部屋から出て行ってしまった。
- 95 名前:名無し読者 投稿日:2003年03月20日(木)14時04分51秒
- やっすーがとてつもなくいいオンナに見える…(w
- 96 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月23日(日)00時46分32秒
- ***
吉澤はソファに座ってコーヒーを飲んでいた。
途中まで保田が用意してくれたのだから、せっかくだから飲んで帰ろうと。
そして、少し頭を冷やそうと…
「保田さん…あたし……」
さっき最後まで言えなかった言葉を繰り返してみる。
何て言おうとしたんだろう?
自分でもよくわからない。
気がついたら抱きしめていて、気がついたら口走っていて。
抱きしめた柔らかな感触を思い出して、吉澤はまた身体がカッと熱くなるのを感じた。
なんであんなことしちゃったんだろ…。
明日会ったら、保田さんはどんな顔するんだろう。 あたしはどんな顔すればいいんだろう。
- 97 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月23日(日)00時49分06秒
- 吉澤は混乱しはじめた頭をぶんぶんと振って立ち上がった。
飲み終えたカップを洗おうと流し台に向かう。
その時、保田のデスクの上に赤い手帳が置かれてあるのを見つけた。
「これ保田さんの……忘れてったんだ…」
その手帳はかなり使いこんでいるようであちこち痛んでいたが、仕立ての良い物らしく、
いい感じに皮が擦り切れていて趣があった。
まだ保田さんロッカーにいるかな…一応届けてみようか…。
そう思って手帳を取り上げた時、ヒラリと視界の端を何かがかすめた。
「?」
手帳から落ちたそれは一枚の写真だった。
床に落ちたその写真を拾い上げる。
手にしたそれに何気なく目を落とした瞬間、あたしの顔はこわばった。
そこには、保田さんと、知らない女の人が写っていた。
- 98 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月23日(日)00時52分08秒
- あたしはこんな保田さんを見たことがなかった。
こんな風に、嬉しそうに、幸せそうに笑う保田さんを。
その保田さんと並んで写る女の人も、とても楽しそうな笑顔。
涼しげな目元が印象的な、綺麗な人だった。
何故か悔しさが込み上げた。
保田さんにこんな表情をさせてみせるこの人が羨ましいと思った。
無性に腹立たしくなって、デスクに写真を叩きつけるように置いた。その時、
指の隙間から覗いたものに、あたしは目を見張った。
写真の裏に黒いペンで記された文字。
見覚えの―――いや、聞き覚えのある名前。
眠っていた保田さんが、涙を流しながら呟いた、その名前。
『 5月20日、清里にて―――紗耶香と 』
- 99 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月23日(日)00時53分44秒
- ***
あたしは足早にロッカー室に向かっていた。
ドロドロの鉛を飲み込んだみたいに胸が熱くて重かった。ムカムカしてどうしようもなかった。
写真と手帳を握り締めたまま、ロッカー室のドアを勢いよく開ける。
そこに保田さんの姿は無かった。
「…もう……帰った…か」
そりゃそうだ。
保田さんが部屋を出てからもう随分経つ。今頃とっくに車の中だろう。
吉澤は部屋の隅にある丸椅子に腰掛けた。
冷静に考えてみれば、
保田さんを追って、この写真を見せて、一体あたしはどうするというんだろう。
何を尋ねるというのだろう。
この人は誰ですか?
どうしてこんなに幸せそうなんですか?
どうしてこの人の名前を呼んで泣いていたんですか?
保田さんが答える筋合いなんて、何ひとつ無い。
その時、あたしの頬を熱いものが伝った。
- 100 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月23日(日)00時55分37秒
- 「…なに、泣いてんだか……バカみた…」
胸の奥がキリキリと痛んで、悔しくて、情けなくて。
涙を止めることができなかった。
これは嫉妬だ。わかってる。
あたしは彼女に嫉妬してる。保田さんの「特別な存在」なのであろうこの人を妬んでる。
醜い気持ち。 でも、どうしようもないんだ。
今、わかった。
違う。 きっと、もっと前からわかってた。
- 101 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月23日(日)00時57分06秒
「保田さん……あた、し……」
あたしはさっき言えなかった言葉を、わからなかった言葉の続きを、口にした。
「…あなたが……好き…です……」
涙とともに零れた告白は、冷たい部屋に吸い込まれて消えた。
- 102 名前:フムフム 投稿日:2003年03月23日(日)00時59分23秒
- 更新でした。
>>95 さん
( `.∀´)y-~~<事実とてつもなくいい女ですが何か?
とダーヤス様が言うのでそういうことにしといてやってください。
- 103 名前:名無し読者 投稿日:2003年03月23日(日)23時28分02秒
- 今一番先が楽しみなお話っす。
がんばってくらさい〜。
- 104 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月30日(日)00時46分59秒
- *****
「…おはようございまーす」
ドアがガチャリと開くと同時に、少し眠たそうな顔をした保田さんが入ってきた。
デスクから顔を上げたあたしとバッタリ目が合う。
「おはようございます…」
「あ…おはよ」
挨拶を返したあたしに保田さんは一瞬ピクリと意識したものの、すぐにいつも通りの笑顔を返してくれた。
避けられたりする様子はないことにほっとして、あたしもまた仕事に向かう。
部屋に入った保田さんは真っ先に自分のデスクに向かい、昨日忘れていった手帳を手に取った。
パラパラと中をめくって確認している。
昨夜の後ろめたさもあったあたしはその様子を見ていられなくって、保田さんの横顔から視線をはずした。
- 105 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月30日(日)00時48分29秒
- やっぱり気分が晴れない。
ゆうべはほとんど眠れなかったし。
あたしの頭の中は、保田さんと「紗耶香」さんのことでいっぱいだった。
保田さんに、あんなに幸せそうな顔で笑ってもらえる人。
保田さんの、あんなに幸せそうな笑顔を引きだせる人。
そして、夢の中で、涙をこぼさせる人―――…
保田さんが時折見せる寂しげな表情。 あれも、「紗耶香さん」のせいなんだろうか……
考えても埒があかない。
堂々巡りな思考に沈みながら、吉澤はカルテを手に外科室を後にした。
- 106 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月30日(日)00時50分07秒
ポンッ―――
「ん?」
朝の回診に向かおうと廊下を歩いていると、ふと背後から誰かに肩を叩かれた。
振り向いても誰もいない。
気のせいかな、と首をかしげて前に向き直ろうとしたとき、
「ちょ、ちょっとよっすぃー!!ここだよ!」
「へっ?」
少し下の方から声がして目を落とすと、金髪の小さな頭が目に入った。
- 107 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月30日(日)00時53分17秒
- 「あっ、矢口さん! す、すいません」
「もぉー、いくら矢口さチビだからってさ、今のギャグは失礼だぞお!」
いや、ほんとに見えなかったんです…すいません……。
とは口にせず、アハハと笑って誤魔化しておいた。
矢口さんは梨華ちゃんの先輩にあたるナース。
気さくで明るい人柄で、研修医として勤めだした当初からあたしにも良く接してくれる。
梨華ちゃんの真似をして、あたしのことよっすぃーなんて呼んじゃってるし。
子供みたいに小さな体が、ナース服に着られちゃってるみたいでちょっとカワイイ。
そんなことを思ってると、矢口さんがニッコリ笑って口を開いた。
「昨日初執刀のオペだったんだって? 上手く出来たらしいじゃん、おめでと!圭ちゃんも褒めてたよ」
おめでとう、と言われてお礼を言わなきゃならないのに、あたしはつい違う所に過敏に反応してしまった。
- 108 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月30日(日)00時54分44秒
- 「圭ちゃん…って、保田先生のことですか?」
「ん? あ…そうそう、ゴメン」
ペロッと舌を出して笑う矢口さんに、あたしはさらに聞き返す。
「矢口さん、保田先生と仲良いんですか?」
「ウン、大学の頃からずっと友達だし。たまに一緒に食事行ったりとかね」
「…二人で、ですか?」
…あたしったら何言ってるんだろう。矢口さんにまで嫉妬しちゃってんの?
「ん? 二人の時もあるけどー…だいたい裕ちゃんも一緒かな」
「裕ちゃん?」
と、これは聞き返すまでもなく誰のことかはすぐわかった。 張本人が現れたから。
「ヤグチィーーーーーッ♪♪」
「ぐえッ!」
小さい体にのしかかるように、矢口さんの背後から抱きついてきた中澤主任。
そのままほっぺにチューまでしちゃったりして。
そんな中澤主任のいきなりの抱擁に、矢口さんは顔を真っ赤にして怒ってる。 照れてるだけってのは
見てわかるけど。
今、一応仕事中なんスけどー……?
- 109 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月30日(日)00時56分13秒
- 「なになに?アタシのこと呼んだか?」
「もーっ、呼んでないよッ!アホ裕子!」
矢口さんは乱れた髪をペタペタと直している。 中澤主任は相変わらず抱きついたまま、その様子を
ニコニコと嬉しそうに眺めて。
しっかしこのお二人さん。揃いも揃って金髪のナースなんて、ただでさえ目立つってのにさ。
よくもまあこれだけ人目を気にせずイチャイチャしてくれちゃうよなあ…。
まあ気にしてないのは中澤主任だけかもだけど。
二人のいちゃいちゃっぷりに当てられていた吉澤ははっと我に返った。
――こんな所で道草してる場合じゃなかったんだ。回診回診。
「あの、あたし回診いかないと。 じゃあまた」
「おうっ!今度初執刀のお祝いに飲みに連れてったげるからねー!」
笑顔で手を振る二人に軽く頭を下げ、吉澤はその場を離れた。
- 110 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月30日(日)00時57分20秒
- 矢口さんと中澤主任か……確かによく保田さんと廊下とかで話してるのは見かけたな。
昔からの友達なんだ…。
もしかしたら……「紗耶香さん」のことも、知ってるかも…
思考がまた沈みかけた所で病室に着いた。
「…今は仕事中だろ!しっかりしろ!」
気分を変えるために頬をパンとはたいて、吉澤は病室へと入っていった。
- 111 名前:フムフム 投稿日:2003年03月30日(日)00時59分41秒
- 更新。よっすぃーの名付け親はヤグの方だろ、と自分でつっこんでおきます。
>>103 さん
なんとうれしいお言葉。はげまされます。どうもありがとうございます。
今後も微力を尽くしてがんばりますです。
- 112 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月31日(月)22時35分44秒
- ***
「ふーっ……疲れたぁ」
背中を反らせてぐっと伸びをすると、椅子のきしむ音が一人きりの室内に響いた。
一通りカルテを書き終えて、保田は壁時計を見あげた。 針は12時前を指している。
…今のうちにお昼すませといたほうがいいな。
保田はデスクの引出しを開けて、そこからビニールの包みを取り出した。 中には朝コンビニで買ってきた
弁当とペットボトルのお茶が入っている。 それを持って椅子から立ち上がった。
ドアノブに手を掛けたところで、昨日のことがふと脳裏によみがえる。
途端にカッと顔が熱くなった。
- 113 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月31日(月)22時37分06秒
吉澤はなんであんなことしたんだろう。
ただの冗談だったんだろうか。
でも―――…
自分を抱きしめた吉澤の感触がリアルに思い出される。強くて優しい感触。
あたしはどう反応していいかわからなかった。
いきなりのことに驚いて、声も出なかった。
抱きしめてくる吉澤の腕の中が、柔らかくて、温かくて、ひどく心地良くて―――
今すぐ逃げだしたい。
ずっとこうしていて欲しい。
居心地の良さと悪さがせめぎあうようなその状況に、あたしの頭はひどく混乱した。
吉澤の吐息を耳元に感じた瞬間、慌てて身体を離すことができたけれど。
吉澤と別れた後も、うるさく騒ぎ立てる心臓はなかなか落ち着いてくれなかった。
「きっと、冗談だよ…―――ね…紗耶香…」
誰もいない部屋で、そこにいない誰かにそう語りかけ、
保田はドアを勢いよく開けた。
- 114 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月31日(月)22時39分08秒
「きゃっ!」
「わッ!!ごめん!」
保田は慌ててドアを引っ込めたがすでに遅かったようで、廊下に出ると、ドアにぶつかったナースが
痛そうに顔をしかめていた。
「ご、ごめん!大丈夫?石川っ」
そう呼ばれたナース、石川梨華は、ドアに当たった左肩をさすりながらも笑顔を向けた。
「いえ、大丈夫です。私こそすみません、気がつかなくて…」
勢いよく開けてしまったから痛かったはずだ。
でも心配させまいとしてくれているのか、一生懸命笑顔を作って石川はそう答える。
「ううん、あたしが悪いんだよ。いきなり開けちゃったから…ほんとごめんね」
申し訳なくて石川の打った左肩をさすった。
保田の必死な様子がおかしかったのか、石川はクスクスと笑って「もう大丈夫ですよ」と保田の手を
やんわり外した。 痛みもだいぶ治まった様子だ。
- 115 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月31日(月)22時40分56秒
- 「あ、そうだ石川、この間はお疲れさま」
「え?」
思い出したように口を開いた保田に、石川はきょとんとして問い返す。
「吉澤のオペだよ。あんたが介助で入ってくれてたおかげで、あの子もやりやすかったみたい」
「あ……そうですか…」
「最初は緊張してたみたいだけどねー。でもあの後は立派な執刀ぶりだったし、まあ合格点だったね」
そこまで言うと、石川がふと目を伏せた。 保田は不思議に思って言葉を切る。
「…あの……保田先生…」
「?…何?」
保田は少し微笑んで、石川の言葉の続きを促した。
「あの…先生は……よっすぃーのこと……」
「え?」
うつむいて喋る石川の声がよく聞き取れなくて、保田は首をかしげて聞き返す。
しかし石川はそれ以上言葉を続けず、ぱっと顔を上げて笑顔で首を振った。
- 116 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月31日(月)22時42分15秒
- 「いえ、何でもないです! それよりすいません、保田先生どこか行かれるんじゃ…」
「え? あ、ああ…」
保田は手に持ったビニール袋に目を落とした。
石川もそれに視線を向ける。
「……お昼、行かれるんですか?」
「うん…」
保田はそう言って微笑んだ。 その笑顔は少し悲しげに見える。
- 117 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年03月31日(月)22時43分53秒
「じゃ、行くね。ほんと悪かったね」
「あ、いいえ…」
そう言って去っていく保田の背中を、石川はしばらく見つめていた。
保田が今から向かう場所を知っている石川には、その後ろ姿がひどく切なく映った。
まるで、殉教者のようだ―――と…
- 118 名前:名無し読者 投稿日:2003年04月05日(土)02時03分29秒
- 石川と吉澤を繋ぐ線、吉澤と保田を繋ぐ線、保田と市井を繋ぐ線
そして、市井と後藤を繋ぐ線…
よしやすいいな、と思うのは正直God s(ry 以来ですw
- 119 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年04月07日(月)22時33分49秒
- *****
「カンパーーーーイ!!」
5人分の声が響き、ビールのジョッキがぶつかりあう。
あれから本当に矢口と中澤が、吉澤の初執刀を祝うパーティを企画してくれたのだ。
といっても店は割と騒がしい中華料理店で、雰囲気は以前保田に連れられて行った焼肉屋のそれに近い。
保田と吉澤のほかに、石川も呼ばれて参加している。
「さーよっすぃー!!今日はじゃんじゃん食べてよー!」
「いや〜…しかし吉澤も一人前の医者になりつつあるんやなあ。最初来たばっかの時はいっつもオロオロ
しとったのになあ」
「何言ってんの裕ちゃん、今でも相変わらずよお。 あのオペの時だって最初は…」
「あーーーッ保田さんっ!!その話はいいじゃないですかあ!」
「ふふっ、そーですよぉ。 よっすぃー頑張ってましたよ。ね?」
にぎやかに食事が始まる。
話が弾むにつれて、目の前に並べられた料理やお酒も見る間にその量を減らしていく。
吉澤はビールを飲みながら、向かいに座る保田にちらりと目を向けた。 保田は隣の中澤となにやら
楽しそうに話をしている。
- 120 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年04月07日(月)22時36分32秒
あれから保田さんとは変わらず普通に接せられてるけど、心の中のわだかまりは依然消えないままだ。
そして、一度自覚してしまった保田さんへの気持ちは大きくなるばかりで。
自分でもどうしたいのか分からない。
保田さんのこと、どんどん好きになっていくのに。 でも「紗耶香さん」のことが気になって。
気になるなら聞けばいい?
聞く権利があたしにある?
「すいませーん!餃子3人前とー、春巻きとー、レバニラ追加ー!」
「ちょっと矢口、そんなに食べれるんかあ?!」
「キャハハ!だいじょぶだってー。あ、あと杏露酒も!」
周りの大きな声にはっと吉澤が我に返ると、隣から石川がメニューを差し出してきた。
- 121 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年04月07日(月)22時37分45秒
- 「よっすぃーも何か頼んだら?飲み物まだある?」
「あ、うん…ありがと」
咄嗟に笑顔を返したもののあまり上手くいかなかったようだ。
石川は吉澤の表情を見て、少し眉を曇らせた。
「よっすぃー…疲れてるんじゃない?最近ちょっとしんどそうだよ?」
「えっ……そんなことないよ?」
吉澤は驚いて石川の顔を見た。
確かに悩んではいるけれど、普段はいつもどおり明るく振舞っていたのに。
「うん、元気にしてるんだけど…なんか、無理してるんじゃないかなって…」
「………」
正直、かなり驚いてしまった。
なんでわかったんだろう、梨華ちゃん……。
- 122 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年04月07日(月)22時38分51秒
- 吉澤の驚いた顔から心情を察したのか、石川は優しく微笑んで口を開いた。
「わかるよ…。 私、いつもよっすぃーのこと見てるもの…」
「え?」
問い返すと、石川はパッと明るい笑顔を作って、吉澤の手を強く握った。
「無理はしないでね。何か悩み事とかあるんだったら…相談してね。私で良かったら…」
「…うん、ありがとう」
吉澤も笑顔を返す。今度はいつも通り笑えたようで、石川も嬉しそうに微笑んだ。
「おっ、来た来た!えーっと、烏龍茶は誰?石川?」
「あっ、ハイ!私ですー」
追加で注文した料理が運ばれてきて、石川との会話はにぎやかな空気にさらわれた。
石川は今度は矢口となにやら楽しそうに話しだしている。
その会話を聞きながら、吉澤は半分ほどに減ったビールのグラスに口をつけた。
優しくて、明るくて、いつもあたしのことを気に掛けてくれる。
梨華ちゃんみたいな友達がいて、あたしは幸せ者だな……。
でも、保田さんのことは梨華ちゃんには相談しないだろう。そうも思った。
なぜそう感じたのか分からないけど―――その方がいいと、なんとなく思った。
- 123 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年04月07日(月)22時41分05秒
- ***
店を出るともういい時間だったので、そこで解散ということになった。
中澤は店の近くにマンションがあるのでそのまま徒歩で帰宅し、帰る方向が一緒な矢口と吉澤、
保田と石川が同じタクシーで帰ることになった。
皆と別れて、吉澤は矢口とタクシーに乗り込む。
「いや〜タクシー代まで出してくれるなんて、裕ちゃんもなかなか気前いいよねー」
座席のシートに小さな身体を沈めた矢口は、ほろ酔いで気分良さげにケタケタと笑った。
「ほんとありがとうございました。すっかりご馳走になっちゃって…」
改めて吉澤が礼を口にすると、矢口はニッコリ笑って小さな手をぶんぶんと振った。
「いいのいいの!何たってよっすぃーは圭ちゃんの可愛い弟子だもんね。圭ちゃんの弟子はすなわち
矢口の弟子!みたいなもんでしょっ」
そう冗談めかして笑う矢口に、吉澤も笑みを返す。
矢口の顔を見ていると、吉澤の脳裏にふとあの事が浮かび上がってきた。
矢口さんなら知ってるかもしれない。
聞いてみようか、「紗耶香さん」のこと―――…
- 124 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年04月07日(月)22時43分42秒
- 「あの、矢口さん…」
しばらく悩んだ末、意を決して吉澤は口を開いた。
窓の外を眺めていた矢口は、小さく首をかしげて吉澤のほうを振り向く。
「何?」
「……あ、あの…」
膝の上でぎゅっと、握り拳をつくる。
ゆっくりと息を吸い込んだ。
「……紗耶香、さん…って、知ってますか…?」
そう口にした、その瞬間。
車内の暗がりの中、矢口さんの顔がこわばるのが見えた。
- 125 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年04月07日(月)22時45分36秒
しばしの沈黙のあと、矢口は静かに口を開いた。
「…誰に聞いたの? 紗耶香のこと――…」
「え、いえ…聞いたんじゃないんです。 前に、写真で……」
吉澤は矢口に、「紗耶香」の存在を知ったいきさつを掻い摘んで話した。
矢口は黙ったままその話を聞いていた。
そして、話を聞き終えたあと軽くため息をついて、
「そっか……。 でもよっすぃー、興味本位で人のプライバシーを知ろうとするのは、ちょっと感心しないよ」
「ちっ…違います!!」
咄嗟に吉澤は声を荒げた。
矢口は少し驚いた顔になって、大きな瞳を丸くしたまま吉澤を見返す。
「違います…興味本位なんかじゃ……あたし…」
吉澤はうつむいて声を震わせる。
矢口はしばらくそんな吉澤を見つめ、眉を曇らせた。
- 126 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年04月07日(月)22時47分06秒
- 「よっすぃー……」
「………」
「もしかして…圭ちゃんのこと………好きなの…?」
うつむき肩を震わせたまま答えを発しない吉澤に、心の内を悟った矢口は再び身体を前に戻した。
しばらくの沈黙が続いたあと、矢口は静かに言葉を続けた。
「…紗耶香のことは、矢口の口から言うべきことじゃないから何も言えないよ…。
知りたいなら、圭ちゃんに直接聞いた方がいい…」
「………」
車がウィンカーを点滅させ路肩に停車した。 矢口が一人暮らししているアパートが車の窓から見える。
矢口は中澤から預かったお金を吉澤に持たせ、タクシーを降りた。
ドアが閉まる前に、矢口は車内の吉澤に顔を近付けた。
- 127 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年04月07日(月)22時49分57秒
- 「よっすぃー」
「……はい…」
吉澤は顔を上げた。矢口はいつになく真剣な眼差しで吉澤を見ている。
夜の暗闇の中、綺麗な漆黒の瞳が吉澤をまっすぐに射抜いた。
「圭ちゃんのことが好きなら、紗耶香のこと聞けばいい。圭ちゃんもきっと教えてくれると思う。でも…」
「………」
「生半可な気持ちでは、聞いてほしくないよ。 圭ちゃんが傷つくのは嫌だから…」
「………」
傷つく…? どういう意味……?
「…よっすぃー、圭ちゃんのこと…ほんとに好きなんだね?」
優しい声でそう尋ねる矢口。
吉澤は、少しの沈黙のあと、まっすぐに矢口の目を見て言った。
「はい……好きです…」
その言葉に、矢口はニッコリと微笑んで車のドアを閉めた。
- 128 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年04月07日(月)22時51分12秒
タクシーは病院の寮を目指して再び走り出す。
流れる景色を眺めながら、吉澤は矢口の言葉を心の中で反芻していた。
生半可な想いなんかじゃない。こんなに人を好きになったのは初めてだから。
傷つけたりもしない。誰よりも大切にしたいと思うから。
あたしは、保田さんが好きだから。
- 129 名前:フムフム 投稿日:2003年04月07日(月)22時53分06秒
- >>118 さん
>市井と後藤を・・・
ギ、ギクッ!?
Go(ry は読んだことないんです。当時飼育来てなかったので。噂だけは(ry
そうですか、よしやすあったんですか・・・。ちょっと読んでみたかっ(ry
- 130 名前:名無し読者 投稿日:2003年04月07日(月)23時50分11秒
- よっすぃー、行けーーっ!!(w
- 131 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年04月13日(日)21時37分19秒
- *****
『圭ちゃんのことが好きなら、聞けばいい』
矢口さんはそう言ってくれたけれど、あたしはまだ保田さんに紗耶香さんのことを聞けないままでいた。
矢口さんの口振りから、それが保田さんにとって「聞かれたくないこと」なんだということは感じ取れたし。
あたしは勇気が持てないままでいた。
- 132 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年04月13日(日)21時39分09秒
「あ、吉澤。いいとこに戻ってきたね。ちょっといい?」
「…ハイ」
回診を終えた吉澤が外科室に戻ってくると、デスクに向かってファイルを製理していた保田が
手招きして呼び寄せてきた。
椅子に座っている保田の傍に寄ると、フワリと花のような香りが吉澤の嗅覚をくすぐった。
「……で、305の小林さんには整腸剤を投与したから、経過見といてね」
「…はい。……あの、保田先生」
「ん?何?」
「…香水つけてます? なんか、いつもと香り違いますね」
「え?」
唐突にそう聞いてきた吉澤に保田は一瞬首をかしげたが、ふと思い至ったように手を叩いた。
- 133 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年04月13日(日)21時43分21秒
- 「ああ、昨日アレ使ったんだよ。あのー…お風呂に入れるニオイ玉みたいなやつ」
ファイルをぱたんと閉じてそう言った保田に、思わず吉澤は軽く吹き出してしまった。
「あはっ、それを言うならバスビーズですよぉ! ニオイ玉って、保田さんそれ年寄り臭いですよ?」
ケタケタと可笑しそうに笑われてムッとなった保田は、吉澤の頭をファイルでパコンとはたき
頬をふくらませた。
「うっさいなあー、似たようなモンでしょ!貰い物だからよく知らないの!」
「あはは、すいません。でもいい匂いですね」
笑いをおさめながら吉澤が素直に褒めると、一転して保田は嬉しそうに微笑んだ。
少し照れたようなその表情が可愛くて、吉澤の胸がわずかに高鳴る。
「でしょ? 『バラの香り』なんだってさ、コレ」
「へえー……」
漂う甘い香りと、自分を見つめてくる大きな瞳に、頭の中がクラリと揺れた。
- 134 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年04月13日(日)21時45分33秒
- 「気に入ったんなら分けたげよっか?いっぱい余ってるから」
「え? や、いいですよ。 いただいても寮の狭いユニットバスに使うんじゃ勿体無いですし」
「あー…そっか…。 じゃあさ、またいつか泊まりに来なよ。その時使わせたげるから」
「エっ?」
思わず声がひっくりかえってしまった。
それが相当可笑しかったのか、保田はアハハと軽快な笑い声をたてる。
「ウチのお風呂はわりといい雰囲気でしょ? 気が向いたらおいでよ、いつでもいいから」
「……きょうっ…」
「え?」
「今日、行っていいですか」
「……」
- 135 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年04月13日(日)21時46分46秒
- 唐突すぎる申し出に、一瞬保田はポカンと吉澤を見つめる。
吉澤は吉澤で、自分の発言のあつかましさを口にしてからようやく気付き、瞬時に顔を赤く染めた。
そんな吉澤の様子がまた面白かったようで、保田は再び笑みを浮かべて吉澤の肩に手をのせた。
「いいよ、全然構わないよ。 しかしあんたもせっかちだねー」
クスクス笑う保田に、吉澤は恥ずかしさに更に頬を赤くする。
つい咄嗟にそう言ってしまった。このチャンスを逃したくなくて。
二人きりで話ができるなら叶うかもしれない。切り出す勇気が持てるかもしれない。
保田さんの気持ちを聞くことも。あたしの想いを伝えることも。
そう思った。
- 136 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年04月13日(日)21時50分59秒
- *****
保田さんのマンションに来るのは二度目だけど、やっぱりまだ緊張しちゃう。
保田さんへの想いを自覚してしまったから、尚更そうなってしまうんだけれど…。
「保田さーん、お先でしたー」
風呂からあがり脱衣所から出てきた吉澤は、濡れた髪を拭きながら保田に声をかけた。
保田は缶ビールを片手に、テーブルに広げた雑誌に目を落としたまま返事をする。
「どお?いい香りだったでしょー」
「はい、すごく……って保田さん、もうビール飲んでるんですか!?」
「いいのいいの、まだいっぱいあるから。冷蔵庫に入ってるからあんたも飲みなよ」
「いっぱいって…そうゆう問題じゃないですよぉー!」
吉澤の小言を聞き流し、保田は鼻歌を口ずさみながらに脱衣所へと入っていってしまった。
そんな姿を苦笑まじりに見送り、吉澤は腰を下ろして保田の見ていた雑誌をパラパラとめくった。
身体から立ちのぼる花の香りと湿った温かさが心地良い。
頭の中がフワっと軽くて、少し眠気を感じた。
こんな保田さんとの他愛ないやりとりに、くすぐったいような幸せを感じる。
ずっとこうして、保田さんの側で笑っていられたら……。
- 137 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年04月13日(日)21時53分03秒
「あらら…」
長めの入浴を終えて部屋に戻ってきた保田は、目下の光景に思わずため息をもらした。
濡れた髪もそのままに、吉澤がテーブルに突っ伏して眠り込んでいる。
まるで小さな子供のようなその姿に思わず笑みを漏らし、保田はそっと声を掛けた。
「吉澤ー、起きな。風邪ひくよ」
高い位置から声をかけても夢の中の吉澤には届かなかったようで、返ってくるのは返事ではなく
相変わらずの静かな寝息だった。
「もぉ…しょうがないなあー…。 こら、吉澤ってば」
保田は吉澤の隣りに腰を下ろし、肩に手を置きかけた。が、
その手は触れる寸前でピタリと止まった。
目を閉じて眠っている吉澤の美しさに、保田は今あらためて目を奪われた。
- 138 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年04月13日(日)21時56分01秒
綺麗な瞳に幕をおろす長い睫毛や、透きとおるように白い肌。 薄い唇は花びらのように可憐で。
その姿はまるで絵画の中から現れたかのように美しくて。
保田の鼓動は知らず速まった。
「……可愛い、ね……吉澤は…」
いつも側にいて、自分を慕い、子犬のように懐いてくる。
この子と一緒にいるとなぜか気持ちが安らいだ。この子の笑顔が好きだった。
一緒にいると楽しいから。 心から笑えて、幸せな気持ちになれるから……
だから、側にいてくれると嬉しかった。
救われた。
「…あたしはあんたを利用してるのかな……苦しみから…逃げる為に…」
保田がそう呟いた、その瞬間。
吉澤の瞼が揺れた。
- 139 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年04月13日(日)21時57分34秒
「あんた…起きてたの……」
吉澤の薄茶の瞳が保田をとらえる。 明らかに動揺を隠せない声色で保田は呟いた。
身体を起こした吉澤は、気まずそうに、少し申し訳無さそうに小さく首を振った。
「いえ……今、ふっと気がついて…」
しかしさっきのセリフは確かに、はっきりと耳に届き、吉澤の意識を瞬時に覚醒へ導いた。
二人の間に気まずい沈黙が漂う。
お互い何を言えばいいのか、何を言うべきかを計りかねていた。
「保田さん……」
吉澤が静かに口を開くと、うつむいていた保田が顔をあげた。反対に吉澤は保田から視線を落とす。
保田は弁解の言葉も見つけられず、黙ったまま吉澤の言葉を待った。
しばしの沈黙が流れた後。
吉澤は再び顔を上げ、保田をまっすぐに見据えた。
その瞳に浮かぶ光があまりに真摯で。
保田は心臓をギュッと掴まれたような、生々しい焦燥と興奮をおぼえた。
- 140 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年04月13日(日)22時00分21秒
「…あたし……」
言いたいことも、聞きたいこともたくさんある。
しかし、今、口にすべきことはたったひとつ。
そう思った。
「保田さんが、好きです……」
- 141 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年04月13日(日)22時02分29秒
そう言った瞬間、保田さんの目が大きく見開かれたのは見えたけれど。
そのあと保田さんはどんな表情をしたんだろう。
もう分からなかった。
怖くて視線を伏せてしまったから。
- 142 名前:フムフム 投稿日:2003年04月13日(日)22時04分07秒
- 更新でした。
>>130 さん
よすこさん一応行くには行ったものの・・・。ハゲしく中途半端なとこで区切ってスイマセン。
- 143 名前:フムフム 投稿日:2003年04月13日(日)22時04分50秒
- 流し
- 144 名前:ドウモ 投稿日:2003年04月15日(火)08時47分14秒
- 毎日のぞかせて頂いてます。
よしやす大好きな者です。
どうしても我慢できなくてレスらせてもらいました。
God s(ryって何ですかぁ!?
読みてぇんです。よしやす不足なんです。
自分でも少し探してみたんですが、わかりません。
具体的にいえなくても、どの辺か教えてもらえません?
よろしくお願いします。
そして、このお話も頑張って、よしとやすをくっつけてください。
- 145 名前:名無しさん 投稿日:2003年04月15日(火)21時11分25秒
- >>144
god spell
ttp://godspelllog.tripod.co.jp/
ここいって見てちょ。
スレチガイかもしれませんが乗せました
作者さますいませんです。応援しております。
- 146 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年04月20日(日)17時10分46秒
静寂が二人きりの室内をつつむ。
押し黙ったままの二人。
吉澤は自分の心臓が壊れたように脈打つ音だけをただ聴いていた。
「……ごめん…」
長い長い、吉澤にとっては時が止まったかのように思える長い沈黙のあと。
保田から返ってきたのはある意味予想どおりの、しかし吉澤の心を打ち砕くには充分すぎる重さを持った
言葉だった。
「…吉澤のことは大好きだよ。 好きだって言ってくれて、ほんとに嬉しい……でも…」
「………」
「吉澤の、その……気持ちには、応えられないんだ……」
ごめん。 ともう一度小さく呟いて、保田さんは辛そうに目を伏せた。
保田さんの謝罪の言葉に、あたしは下を向いて首を振るだけで精一杯だった。
覚悟はしていたけれど、やっぱり苦しくて、胸がズキズキと痛んで。
保田さんの気持ちとか、紗耶香さんのこととかも、聞きたいことはまだまだあるのに。
何か言葉を零せば、一緒に涙まで零れ落ちてしまいそうで―――。
その時、フワリと温かいものがあたしの肩を包んだ。
- 147 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年04月20日(日)17時17分40秒
- 「………!」
静かに抱きしめてくれる保田さんの腕。
そのぬくもりは優しすぎるくらい優しくて、保田さんの精一杯の思いがこめられているのがわかった。
堰を切ったように涙が溢れ出した。
一度零れだした涙はなかなか止めることができなくて、保田さんの肩が温かい雫で濡らされていく。
「……っ保田…さ…」
「…ありがと、吉澤……」
保田さんが優しくあたしの髪を撫でてくれる。
その肩口にあずけていた顔を離すと、あたしの目を見て保田さんはニッコリと笑った。
「…あーあ、キレイな顔が台無しじゃん。 ほら、顔拭いて……」
そう言ってタオルで涙を拭ってくれる。
あたしは子供みたいな扱いをされてるのが可笑しくなって笑った。
「うん、やっぱり吉澤は笑ってるのが一番だよ」
笑顔になったあたしを見て、保田さんはホッとしたようにまた優しく微笑んだ。
- 148 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年04月20日(日)17時19分52秒
その笑顔を見て改めて思う。
やっぱりこの人が好きだと。
たとえ振られたってその想いは変わらない。変えられない。
紗耶香さんが、たとえば保田さんの恋人だったとしても。
保田さんがあたしのことを好きじゃなくたって、他に好きな人がいたって、あたしは保田さんが好き。
これからも、保田さんが好きです。
あたしは保田さんの笑顔に、心の中でそう呟いた。
- 149 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年04月20日(日)17時22分18秒
- ***
待って。
行かないで。
一人で行ってしまわないで。
どこにいるの?
寂しいよ。
寂しい。寂しい…
- 150 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年04月20日(日)17時24分53秒
「紗耶香……」
保田は自分の呟きに目を覚ました。
室内はまだ暗く、真夜中の静けさにつつまれている。
ひどく汗をかいたようで肌がじんめりとする。 喉がカラカラに渇いていた。
布団から身体を起こし、闇の中おぼつかない足取りでキッチンへ向かう。
喉を潤して寝室へ戻ると、ベッドの上で静かな寝息を立てている吉澤の姿が目に入った。
その安らかな寝顔を見て、ホッとする。
悲しい夢のせいで重くなっていた心が、フワリと軽くなるようだった。
あたしを好きだと言ってくれた吉澤。
確かに…少なからず好意を持ってくれているとは、思っていたけれど。
でも―――…
- 151 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年04月20日(日)17時27分44秒
「あんたみたいな子に好きになってもらえる資格なんて…あたしにはないから……」
低くそう呟いて、保田は吉澤のやわらかい前髪を撫でた。
その幼い寝顔を素直に愛しいと思った。
白い額に、保田は静かに唇を落とす。
何故かたまらなく切なくなった。
「おやすみ、吉澤……」
以前にも感じたことのあるような、不思議な、懐かしい感覚。
チクリと胸をさす棘のような痛み。
しかし、この気持ちについてそれ以上は考えを巡らせないまま、
保田は再びシーツに身体を横たえて目を閉じた。
- 152 名前:フムフム 投稿日:2003年04月20日(日)17時29分51秒
- >>144 さん
読んでくださってありがとうございます。よしやすの結末は既に決めてあるんですが、
ラストまでまだまだ先が長・・・なので、何とぞ気長にお付き合いくださいませ。
>>145 さん
自分も便乗して見させてもらいました。読んだことなかったんで正直嬉しかっ(ry
そして応援くださってありがとうございます。
- 153 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年04月26日(土)18時26分02秒
- *****
それからはまたいつも通りの毎日。
医学書を見ている吉澤の傍らで、保田はデスクのパソコンに向かいデータを打ち込んでいる。
吉澤が一番怖れていたことは、告白して今までの関係が壊れること。保田に避けられてしまうことだった。
自分の気持ちを告げてしまった以上、どのように保田に接したらよいのかと吉澤は気に病んでいたが、
保田の変わりのない態度のおかげで今までどおりの自分でいられた。
今までと何ら変わりなく接してくれる保田をありがたく思った。
- 154 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年04月26日(土)18時27分25秒
キーを叩いていた手を止めて、保田がふと時計を見た。
デスクの引出しからごそごそとコンビニの袋を取り出すと、椅子から立ち上がって吉澤を顧みる。
「あたしお昼行ってくるね。あんたもキリのいいとこでお昼にしなよ」
「あ、はい。お疲れさまです」
そう言って保田の後ろ姿を見送る。
保田が出て行ったドアから視線を外し、吉澤は医学書を閉じた。 電話帳のように分厚いそれを
本棚に戻しに行く。
結局、紗耶香さんの事については聞けずじまいだった。
やっぱり保田さんの恋人なのかな……それとも想い人…?
まあ振られてしまったんだから、今更そんなこと聞いてもどうしようもないけど。
「好きでいるだけなら……いいですよね…」
吉澤は瞳を閉じて、唇の中で小さく呟いた。
- 155 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年04月26日(土)18時29分32秒
- ***
「あ、よっすぃ〜!」
食堂の券売機でメニューを選んでいると、後ろから聴き慣れた声がした。
振り向くと、矢口がすぐ側のテーブルから手を振っている。
吉澤は笑顔で手を振り返し、手早く注文を済ませて矢口のいるテーブルへ向かった。
矢口に会うのはあの食事の日以来だ。
「よっすぃーとお昼一緒になるなんて珍しいよねー。 おっ、それエビフライ定食?おいしそーじゃん〜」
「あはは、ひとつどうですか?」
「マジ?ありがとー!じゃ矢口のからあげとチェンジしよ!」
いつもと変わらない矢口の明るい態度に、保田の事に関して触れないでおこうとしてくれる優しさを感じた。
その心遣いを吉澤は嬉しく思う。
でも、やっぱり矢口さんには話しておくべきだよね――…
- 156 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年04月26日(土)18時33分28秒
- 「…あの、矢口さん」
「ん?」
吉澤は一息ついて、そして笑顔を作って言った。
「吉澤、保田さんに振られちゃいました」
その言葉に矢口は一瞬驚いたように目を見開き、そして徐々に視線を下げてうつむいた。
- 157 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年04月26日(土)18時35分18秒
- 「そっか……振られちゃったか」
「……ハイ…」
笑顔を保っていたけど、うまく笑えてるかどうかは自信がなかった。
矢口さんはまたあたしの方を見て、優しい顔で尋ねた。
「紗耶香のことは聞いたの…?」
あたしは意味もなくエビフライを突付きながら小さく首を振った。
そんなあたしの様子に矢口さんもそれ以上は何も聞いてこなくて、しばらくの間お互い無言で。
「…しっかし圭ちゃんもバチあたりだよねえ。こーんな可愛いコを振っちゃうなんてさ!」
明るい口調で矢口さんはそう言ったけれど、表情はどことなく寂しそうだった。
なんで矢口さんがそんな顔をするんだろう、とあたしはちょっと不思議に思って、矢口さんの顔を見つめる。
そんなあたしの視線に気付いた矢口さんは、あたしの顔を見てバツが悪そうにまた笑ってみせた。
「…オイラ実はさ、よっすぃーと圭ちゃんには…うまくいって欲しいなあって思ってたんだ」
「……え?」
矢口さんの言う意味がわからなくて、あたしは目を丸くさせたまま矢口さんの言葉を待った。
- 158 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年04月26日(土)18時37分53秒
- 「よっすぃーといる時の圭ちゃんはさ、ほんとに楽しそうなんだよね。 ほんとイイ顔で笑ってて、
すごい自然なカンジでさ……」
「………」
「他の誰といるときよりも……よっすぃーといる時の圭ちゃんが一番、幸せそうに笑ってるって…
…そう思ってたんだ。矢口は…」
独り言のように呟く矢口さんの言葉を聞きながら、あたしは頭が混乱しそうになるのを抑えていた。
矢口さんの言葉をよく理解しようと、頭の中で反芻する。
「あ、ごめんね。なんか変なこと言っちゃって…もう時間だからオイラ行くね」
元気だせよ!とまた明るい口調に戻って、トレイを手に矢口は席を立っていってしまった。
吉澤はぼんやりとした意識のままかろうじて矢口に返事を返し、また考えにふけった。
…これはどういう事なんだろう。
矢口さんの言葉はどういう意味?
- 159 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年04月26日(土)18時40分06秒
- あたしと保田さんにうまくいって欲しかった?
―――つまり…紗耶香さんは保田さんの恋人ではないってこと?
あたしといる時の保田さんが一番幸せそう?
―――紗耶香さんといるときよりも?
「紗耶香」さんの存在が、また大きな疑問となって頭にもたげてきた。
そして、会ったことも無い彼女に対する不信感が湧き上がる。
保田さんが眠りの中でみせたあの涙。 時折覗く、寂しそうな表情。
保田さんは一体何に苦しんでいるの?
その苦しみは紗耶香さんのせいなの?
- 160 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年04月26日(土)18時41分57秒
たとえ保田さんが紗耶香さんのことを好きだとしても、
紗耶香さんのために保田さんが泣くのは我慢できない。
たとえ保田さんがあたしのことを好きじゃなくたって、
あたしが保田さんを笑顔にしてあげられるというのなら……
あたし、保田さんを渡さない。
心の中で呟くと同時に、勢いよく椅子を蹴って立ち上がった。
透きとおったその瞳に決意をにじませて、吉澤は足早に食堂を後にした。
- 161 名前:フムフム 投稿日:2003年04月26日(土)18時44分41秒
- 更新です。流し。
- 162 名前:名無し読者 投稿日:2003年04月27日(日)23時25分13秒
- よすぃこ。
君は男だ!!(w
- 163 名前:名無し読者 投稿日:2003年04月28日(月)09時26分25秒
- うぉい格好良いなよっすぃー…
圭ちゃんは何を抱えているんだろう…
楽しみにしています
- 164 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月03日(土)00時41分07秒
- ***
吉澤はやみくもに病院内を駆け回った。
走り出してしまいそうになる衝動を何とか抑え、保田の姿を探す。
今すぐ保田さんに会いたい。会ってもう一度言いたい。
あたしの想い。
そして、この決心を。
あなたの笑顔を守る力があたしにあるのなら、もしそうなら―――…
見知った医師や看護婦とすれ違うたびに保田の所在を尋ねてまわるが、芳しい返事は返ってこない。
誰か知っている人がいるはずだ。
この時間、このわずかな休憩の合い間、一体保田さんはいつも何処にいるのか。
- 165 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月03日(土)00時42分41秒
「――! 梨華ちゃん!!」
廊下の角を曲がった所で、ほっそりとした見慣れた後ろ姿を見つけ、吉澤は大声でその名を呼び止めた。
周りにいた看護婦や患者が厳しい一瞥を向けたが、気にとめる余裕もなく石川の許へと駆け寄る。
「よ、よっすぃー? どうしたの…びっくりしたよ?」
「ねえ梨華ちゃん、保田さんはどこ!?」
側に来て唐突にそう尋ねてくる吉澤に、石川は面食らったように目を見開かせた。
「えっ……何? 急にどうしたの…」
「梨華ちゃん知ってるんでしょ?保田さんがどこにいるのか。 教えて、お願い!」
一体どうしたの?
そう問い質そうと口を開きかけた石川だったが、吉澤の鋭い視線に射抜かれ言葉に詰まった。
切羽詰まった、という表現がふさわしい吉澤の表情に、石川の眉が曇る。
真剣な吉澤の顔をしばらく見つめて、石川は唇を開いた。
- 166 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月03日(土)00時45分14秒
「よっすぃー……保田先生のこと、好きなんだね…?」
「…えっ」
不意をついた石川の発言に、今度は吉澤が面食らう番だった。
どうして分かったの? と思う間に、頬が熱くなってしまったのを自覚した。
石川はそんな吉澤の様子を見て、それ以上答えを求める気は無い、といったように目を伏せた。
「…東病棟の501号室……一番奥の病室だよ」
ぽつりと小さな声で石川は呟いた。
頼りないかすかな声だったけれど、吉澤ははっきりと聞きとめた。
「…501……ありがとう、梨華ちゃん!」
礼を述べて、吉澤は踵をかえし石川の許から去っていった。
石川は小さくなっていく吉澤の背中をじっと見つめる。
その姿が見えなくなってから、石川は寂しげな瞳のままかすれた呟きを零した。
「でも、無理なんだよ……よっすぃー…」
- 167 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月03日(土)00時47分02秒
- ***
東病棟へ移動して、階段を駆け上がる。
5階はちょっとキツイけど、悠長にエレベーターを待つ気分じゃなかった。
息を切らしてようやく5階まで上りきり、目的の病室を探す。
長い廊下の角を曲がると、その一番奥先に梨華ちゃんの教えてくれた病室があった。 たしかこの一角は
すべて個室だったはずだ。
乱れた呼吸を整えるために、ゆっくり歩いて奥へと向かう。
病室の前まで辿りつくと、中からかすかな話し声が聞こえた。
―――保田さんの声だ。
誰かと話してる?
その時ふと、写真で見た綺麗な笑顔が頭に浮かんだ。
保田さんが毎日ここへ、会いに来てるのは―――……
- 168 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月03日(土)00時48分24秒
- 「…それで…吉澤がね……」
えっ!?
部屋の中からかすかに聞こえてくる保田の声に思いがけず自分の名前を聞き取って、吉澤は驚いて
思考を止めてしまった。
――あ、あたしの話?
耳を澄ませてドアに顔を近付けると、保田の小さく笑う声も聞こえた。
――や、保田さんってば! 何話してるんだよぉ!?
思わぬ所で話題にされていることを知り、腹立たしさより恥ずかしさが先に立って、吉澤は躊躇なく
そのドアノブに手を掛けた。
- 169 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月03日(土)00時50分32秒
「や、保田さんっ!」
勢いよく扉を開けたその瞬間。
目に映ったものは、驚きに目を見開きあたしを凝視する保田さんの顔。
その傍らにある白いベッド。
そして、
何本ものチューブに身体を繋がれ、瞳を閉ざしたまま横たわる少女の姿だった。
- 170 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月03日(土)00時52分54秒
「吉澤、あんた……どうして…」
保田さんの声はひどく動揺して干からびている。
でもあたしは保田さんの言葉に返事も出来ないまま、ベッドに横たわるその人を呆然と見つめていた。
紗耶香さんでは、なかった。
写真にあったあの顔ではない、見たことのない顔。
大人びているような、子供っぽいような、どちらともつかない不思議な印象を受ける。
微動だにしない美しい寝顔に、その声を、瞳の色を、見てみたいなと感じた。
でも、それは叶わないのだろう。
ベッドの周りに設置された機材。そこから彼女の身体へと伸びる無数の管。
静かな部屋に彼女の命の脈動を知らせる電子音だけが小さく響いて。
彼女は眠りのさなかにいる人なのだ。
そう、いつ覚めるともわからない、長い長い眠りの中に―――…
- 171 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月03日(土)00時55分39秒
- ふと保田さんの小さな溜息が聞こえ、ベッドに釘付けになっていたあたしはようやく現実に引き戻された。
保田さんへと視線を戻すと、保田さんはパイプ椅子に座ったまま食べかけだったお弁当に蓋をしている。
保田さんは毎日ここで食事をして、話をしていたんだ。
そう……
「植物状態」の―――彼女と……
もう一度ベッドに目を向ける。
ベッドサイドに掲げられた名札には、手書きの文字でこう書かれていた。
――― 後藤真希 ―――
- 172 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月03日(土)00時57分41秒
- ガタン、と床と椅子の擦れる音がした。
椅子から立った保田さんは、あたしの顔を見て静かな声で言った。
「…場所を変えようか」
その声に怒りの色は感じられなかった。
ただ、諦めたような、何かを決意するような、微妙な響きが宿っていた。
あたしは返事を返すこともできぬまま、部屋を出ようとする保田さんの後を追った。
部屋を出る間際にもう一度、「真希」という少女の寝顔を目に焼き付けて。
- 173 名前:フムフム 投稿日:2003年05月03日(土)00時59分54秒
- 更新です。
やっと登場人物が出揃いました。内容もようやく本題に入ってきたという具合です。
- 174 名前:フムフム 投稿日:2003年05月03日(土)01時03分09秒
- レスありがとうございます。
>>162 さん
(;O^〜^)<男なのかYO!
可愛くもあり男らしくもあり(?)なよすこさんが好きっす。ラヴ。
>>163 さん
今回保田さんの抱えているものがやっと出てきました。詳細は次回に持ちこしですが・・・
楽しみにしてもらえてうれしいです。
- 175 名前:フムフム 投稿日:2003年05月03日(土)01時04分01秒
- 流します
- 176 名前:名無し読者 投稿日:2003年05月06日(火)00時10分24秒
- 2代目プッチ揃いましたね〜。
笑わん姫が眠り姫だったとわ!
- 177 名前:名無し娘。 投稿日:2003年05月06日(火)12時25分24秒
- わーい。流した意味が無ーい。
でも感想書くとある程度ネタバレますよね。
- 178 名前:176 投稿日:2003年05月07日(水)07時10分33秒
- あ、申し訳!!
ほんと、流した意味がないっすね。
気づかなんだです。
逝ってきます。
- 179 名前:176 投稿日:2003年05月07日(水)07時11分27秒
- 流します。
すんません。
- 180 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月14日(水)23時29分58秒
- ***
屋上に出ると爽やかな風が吉澤の前髪を撫で上げてきた。
物干しには無数のシーツがはためいて、反射する光が目に眩しい。
真っ青な空とシーツの白とのコントラストがとても綺麗だ。
保田は翻るシーツを避けながらフェンスの際まで歩いていった。
吉澤も黙って後ろに続く。
フェンスに両手を掛けて眼下の景色を見下ろしている保田の横顔を、吉澤も同じ姿勢でじっと見つめていた。
- 181 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月14日(水)23時33分55秒
「……そうだな…何から話そうか…」
ずっと黙りこんでいた保田が、そう言葉を紡ぎかけた瞬間。
「ごめんなさい」
吉澤は唐突に謝罪の言葉を口にした。保田は驚いたように吉澤の顔を見る。
吉澤は保田のまなざしから目を逸らし、景色に視線を落としたままで口を開いた。
「保田さん、あたし…保田さんの手帳にあった写真を見てしまったんです。 それで…『紗耶香さん』って人に
ずっと嫉妬してました。 その上こんな、保田さんのプライベートに立ち入るようなことまでしてしまって……
…本当にごめんなさい」
吉澤は今まで告げられなかった事を一気に告白した。
自分の罪を懺悔しないままで保田の話を聞くことは、フェアでないように思われたから。
- 182 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月14日(水)23時35分02秒
- 吉澤の告白に保田は驚きの表情を隠せないまましばし沈黙していたが、再び視線を前に戻したかと思うと
自嘲気味に笑った。
「ほんとに…あんたはいつも驚かしてくれるねー…。そのうえバカ正直だし」
クスクスと可笑しそうに笑うだけで、保田はやはり吉澤を責めはしない。
吉澤はほっとしつつも、無性に胸が痛んだ。
「…紗耶香のことはいいんだよ。後藤のこと話すには…紗耶香のことも聞いてもらうことになるんだし」
そう前置きして、保田は静かに目を閉じた。
- 183 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月14日(水)23時38分16秒
「紗耶香はね、あたしが好きだった人」
半ば予想はしてはいたが、改めて本人の口から告げられると正直重かった。
心臓がギュッと縮んだような、切ない痛みが走る。
「でも恋人だったわけじゃない。あたしの一方的な片想い。 紗耶香もあたしの気持ちには、気付いて
なかったと思う…」
「………」
瞳を閉じたまま淡々と語る保田の横顔。
平静な表情だというのに、吉澤にはその横顔がひどく悲しそうに映る。
「病室にいたあの子は後藤真希っていって……そうだな、あたしの妹みたいなもんかな」
その時、二人の間を優しい風が通り抜けた。
保田の茶色い髪がフワリと舞い上がり陽の光に煌めいた。吉澤はそれを眩しそうに見つめる。
ゆっくりと、保田は目を開けた。
「吉澤には、話しておくべきかもしれない……そう思ってた…」
- 184 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月14日(水)23時43分55秒
- ―――――
紗耶香とあたしは昔からの友人で、いわゆる幼馴染というやつだった。
歳は少し離れていたけれど、同い年の友人のように何でも言い合える、そんな間柄で。
二人とも医者を目指し、友人としてもライバルとしても、お互いを認め合っていた。
そんな紗耶香の笑顔や潔い美しさに、友情以上の感情を持ち始めたのはいつからだっただろうか。
あたしが紗耶香より一足早く大学に進学した頃、紗耶香の高校の後輩にあたる後藤真希という少女を
紹介された。
後藤は紗耶香と同じ部活でしかも看護婦志望ということで、紗耶香と意気投合し仲良くなったらしい。
紗耶香の繋がりであたしとも親しくなり、紗耶香と大学へ見学に来たり、3人でよく遊びに行ったりもした。
後藤はあたしにも物怖じせずに懐いてくる妹のように可愛い存在だった。
そんな後藤が紗耶香を先輩としてだけではなく、特別な想いで慕っていることはすぐに分かった。
そして、紗耶香もまた、後藤に特別な愛情を持っていると。
- 185 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月14日(水)23時46分02秒
- ほどなく紗耶香と後藤は付き合いはじめ、あたしは二人を心から祝福した。
辛くなかったといえば嘘になる。嫉妬に苛まれたこともあった。
だけど、何よりあたしは二人が大好きだったから。
二人には幸せで、笑顔でいてほしいと心から思っていたから。
だから、あたしたち3人は幸せだった。
あの日が来るまでは。
- 186 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月14日(水)23時47分13秒
今から二年前のことだった。
あたしはすでにこの病院で働いていて、紗耶香も春から研修医として勤務することが決まり、順調に互いの
夢を叶えていた。
後藤は1浪して入学した大学の看護学科を卒業し、国家試験にも無事合格した。
そんな二人へのお祝いに、あたしは春休みを利用した旅行をプレゼントした。
「そんな…こんなプレゼントだなんて、悪いよ」
「そおだよ!それに行くんなら圭ちゃんも一緒に行こうよぉ!」
二人は口々に異議を唱えて遠慮をしめしたが、
「あのねえ後藤、あたしにはもう春休みなんて無いの!今だけだよ?自由に旅行なんか行けるの。
あんたたちも働き出したら当分行けなくなるんだから、遠慮しないで行っといで」
そんなあたしの説得を受けて、二人はようやく申し出を受け入れてくれた。
- 187 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月14日(水)23時48分55秒
- 「ありがと圭ちゃん。 じゃ、行ってくるね」
「行ってきまーす!おみやげ買ってくるからねぇ!」
一泊二日のささやかな国内旅行。
明日には元気な笑顔とたくさんのみやげ話を抱えて帰って来てくれるだろう。
そう信じて疑うことなどなかった。
- 188 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月14日(水)23時51分11秒
- 次の日、自宅に電話が掛かってきた。警察からだった。
二人の乗ったバスが帰宅途中、事故に遭ったと。
二人が収容されたという病院へ向かいながら、あたしは何を考えていただろうか。
きっと、何も考えていなかった。
電話を受けたその瞬間から頭の中が真っ白で、何かを考えることなどできなかった。
今あたしは夢を見ているんだろう、と、心の片隅でそんなことを思っていた。
意識が覚醒したのは病院についた瞬間。
ベッドの上に横たわる、紗耶香の真っ白い顔を見たときだった。
―――――
- 189 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月14日(水)23時52分58秒
「その後のことは、あんまり憶えてないんだ…。さんざん泣き喚いたのかなって思うけど、よく憶えてない…。
なんかしばらく入院させられたらしいんだけど」
後追いすると思われたんだってさ。
そう言って、保田は苦笑した。
「………なんで、あんたが泣くの……」
ゆっくりと微笑んで、保田は吉澤の背中に腕を回した。
吉澤は涙を抑えることが出来ず、保田の肩に顔をうずめ白衣の裾をにぎった。
「…だっ…て、保田さんが…泣かないから……」
――保田さんが泣かないから。寂しそうに微笑むから。
あたしは胸が痛くてたまらない。
ずっとそうしてきたんですか?
自分を責めて、紗耶香さんの死を背負ったまま、ひとりで苦しんでいたんですか?
- 190 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月14日(水)23時54分27秒
- 「…事故の瞬間、紗耶香は後藤をかばったらしいんだ。…後藤は頭を強く打ったけど、幸い命に別状は
なかった。紗耶香が守ってくれたおかげで…」
吉澤を抱きしめたまま保田は続けた。
保田の肩口を涙で濡らしながら、吉澤はその言葉にじっと聞き入る。
「後藤はいつ目覚めてもおかしくないんだよ。 植物状態に陥るような脳挫傷を起こしたわけでもないし、
脊椎の損傷だってみられなかった。 なのに眠り続けてるんだ……原因はわからない」
「…………」
「目覚めたくないのかもしれないね……。紗耶香の死を、知りたくなくて…」
- 191 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月14日(水)23時55分18秒
- 保田の言葉を遮るように、吉澤はその身体を思いきり抱きしめた。
抱きしめていた今までと反対にいきなり抱きしめられる形になって、保田は吉澤の腕の中で
その顔を見上げる。
「吉澤…?」
「…もういいです。 それ以上…言わないでください…」
淡々と過去を語る保田の姿は、まるで罰を求める罪人のようで。
一言一言を発するごとに、自らの身体を刃物で切りつけているかのようだった。
あまりに悲しくて、痛々しくて、言葉がみつからない。
ただこうやって抱きしめることしか、今の吉澤には出来なかった。
「あたしのせい」などという他人の同情を誘うような自虐的な言葉は、保田は一言も発さなかった。
しかし、そんな保田が自身を誰より責めているということが吉澤には分かりすぎるくらい分かった。
- 192 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月14日(水)23時57分01秒
「……保田さん…」
吉澤の言葉に、保田はその腕の中でまた顔を上げた。
涙に濡れた瞳のまま、吉澤はまっすぐに保田の目を見る。
「あたし……保田さんが好きです」
二度目の告白。
でもこれは一度目のそれとは違う、ゆるぎない決意の言葉。
吉澤の真摯なまなざしを受け、保田の瞳が大きく揺れた。
「…保田さん、前に言ってくれましたよね…。あたしといると楽しいって……辛いこと全部、忘れられるって…」
「………」
「苦しみから逃げる為にあたしを利用してるのかもしれない、…そうも言ってました」
「よし……」
何か言おうと開きかけた保田の唇を、吉澤の長い指先がふと止めた。
戸惑ったような表情になりながらも、保田はまた口をつぐむ。
- 193 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月14日(水)23時58分35秒
「利用してください。あたしが保田さんの心を癒してあげられるなら、苦しみを和らげてあげられるなら……
…こんなに嬉しいことってないから…」
「………」
微笑んでそう言う吉澤の顔は、慈愛に満ちた聖母のようで。
たまらなく切ない気持ちになって、保田はその身体を抱きしめたい衝動を必死に抑えた。
―――違う。
甘えちゃ駄目だ……あたしは…
「あたしのこと、好きになってくれなんて言いません…。 でも、側にいさせてください……
…ただこうして、側に…」
- 194 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月14日(水)23時59分45秒
- 吉澤の言葉を最後まで聞きとどける前に、保田は腕を突っぱねて吉澤の身体を引き離した。
いきなり身体を押し返されて驚く吉澤の目に、頭を縮めるように下を向いている保田の表情は見えない。
「ごめんね、吉澤………ありがとう」
絞り出すようにそれだけ告げると、保田は身を翻して吉澤に背を向けた。
「保田さ…」
咄嗟に声をかけたけれど、保田は吉澤の呼びかけに振り返らないまま、はためくシーツの間を足早に
すりぬけて屋上から消えてしまった。
吉澤はただ呆然と、翻るシーツの向こうに見えるドアを見つめていた。
去っていくその顔は見えなかったけれど。
きっと、彼女は泣いていた。
そう思った。
- 195 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月15日(木)00時01分33秒
- ***
足早に階段を駆け下りる。
誰ともすれ違わないことを祈りながら。
うまく呼吸ができない。胸のあたりに何かが詰まったように苦しくて、痛かった。
自分が泣いていることに自分自身で驚いていた。
あたたかい腕の中で、あんな自信の無い、切ない言葉を聞かされて。
あのままでいたら認めてしまいそうになる。応えてしまいそうになる。
今まで気付かないようにしていた自分の本心を。
知らず知らずのうちに育まれてきた、この気持ちを。
そんなことは許されない。
人を愛する幸せ? 人に愛される幸せ? ――そんなものを手に入れる権利があたしのどこにある!?
全て紗耶香と後藤から奪ってしまったものじゃないか!!
- 196 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月15日(木)00時02分29秒
- 踊り場の壁に思いきり手をついた。
腕に痺れが走り抜け、手首が痛みに悲鳴をあげる。
「紗耶香…ごめんね………後藤…ごめ……」
うつむいた瞳から雫がこぼれて足元に落ちた。
パタパタと音を立てて砕け散るそれを見ながら、吉澤の笑顔が脳裏に浮かんだ。
いつもあたしの心をあたたかくしてくれる、明るい笑顔。
思い浮かべた大好きなはずのその笑顔は、今のあたしの胸をさらに締め付けた。
- 197 名前:フムフム 投稿日:2003年05月15日(木)00時03分07秒
- 更新です
- 198 名前:フムフム 投稿日:2003年05月15日(木)00時05分04秒
- >>176 さん
はい、プッチです。そうです私はプッチヲタ〜。
それと流したのは「ネタバレ厳禁!」とか思ってのコトではありませんのでどうぞお気になさらず。
本文上でババンとネタばらしが目に飛び込んでくるのはさすがに興醒めだな・・・と思って流しただけなので。
かえって気を遣わせてしまいましてすみません。レスありがとうございました。
>>177 さん
感想上のネタバレはある程度仕方ないですよね。
私自身読み手になった時でもそういうのはさほど気になりません。(勿論気にする人もいるでしょうが・・・)
何が何でもネタバレ阻止したいときは書き手がそうお願いしとくべき?ですかね。
- 199 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月19日(月)20時14分06秒
- *****
今までと変わりない、いつも通りの毎日。
朝起きて、病院へ行って、仕事をして。
そして、昼になればいつものように、保田さんはあの病室へと向かう。
今までと違うところはたったひとつ。
保田さんが、あたしを避けはじめたということだけ。
仕事中は今までどおりに接しているけど、必要な限りの言葉しか交わさない。
こちらから仕事以外の会話を振っても、曖昧に笑ってかわされるだけで。
- 200 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月19日(月)20時15分34秒
「とうとう嫌われちゃったのかな……」
昼休み。
自販機で買ったカフェオレを一口飲んで、吉澤は深いため息を吐き出した。
保田さんがあたしを避けるのも無理はない。
過去を保田さんの口からあんな形で語らせてしまったことに、あたしはひどく罪悪感を感じていた。
誰にだって語るのが辛い過去はある。
できればそっとしておいてほしい現実だってある。
それなのに、あたしは彼女の心の一番奥にあるドアを強引にこじ開けて、暴かせてしまったのだ。
保田さんを好きだからといって、全てを知りたいからといって、そんなことをする権利はあたしには無かった。
そのうえもう一度、スキだなんて。
困るに決まってる。
振った相手にしつこく想いを告げられても。
迷惑と思われて…あたりまえだ。
- 201 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月19日(月)20時16分32秒
- 「おっ?どうしたー?お疲れやなあ」
物思いに沈んでいた吉澤は、背後から掛けられた声に顔をあげた。
振り向くと、やわらかい笑みを浮かべながらこちらへと近づいてくる中澤の姿があった。
手にはパンの入ったビニール袋。今から昼食なのだろう。
「中澤さん、お昼ゴハンですか?」
「そ、今日はいい天気やから中庭で食べようかと思ってな。 あんたは?昼まだなんとちゃうん?」
そう言いながら財布から小銭を取り出して自販機に入れる。白い指がボタンを押すと、派手な音を立てて
缶コーヒーが落ちてきた。
「あたしは……あんまり食欲なくて…」
「ええっ?なんで?体調悪いんか?」
驚いた様子で吉澤の顔をまじまじと見て、中澤は少し高い位置にあるその額に手を伸ばした。
うーん、と掌をあてながらちょっと考え込んで。
- 202 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月19日(月)20時17分38秒
- 「熱はないようやけどなあ…。重労働やねんからちゃんと食べなあかんで、食欲なくても」
「はい……」
吉澤の蚊の鳴くような返事を聞いて、中澤は少し困ったように、しかし優しい目で微笑んだ。
「ぶっ倒れてからじゃ遅いねんから、気ィつけてな。無理せんと休める時は休みや。
あんたがそんなんやったら圭坊も心配するで」
「………」
「えっ……よ、吉澤!?」
なんか今のあたし、相当弱っちゃってるみたいだ。
優しい言葉をかけられたくらいで、まさか泣いちゃうなんて。情けないや。
- 203 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月19日(月)20時18分38秒
- 「よ、吉澤ー、どうしたぁ? しっかりしいや。よしよし」
いきなりボロボロと泣き出した吉澤に戸惑いながらも、中澤はその身体を引き寄せて頭を撫でてやった。
しかし吉澤の涙は一向に止まらない。
「中澤さ……あた…しっ………キラわれちゃっ…」
「え?」
しゃくり上げながら呟いた言葉がよく聞き取れず、中澤は吉澤の口許に耳を近付けた。
「……告白な…て、…しなきゃよかっ…た……」
涙と一緒に感情がどっと溢れ出してきた。
この胸の行き詰まった想いをどうすればいいのか、どうしたら良かったのか、誰かに教えてほしかった。
- 204 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月19日(月)20時19分34秒
- ***
病院の中庭は広く、綺麗に刈られた芝生や手入れの行き届いた樹木の緑が心を和ませてくれる。
日当たりも良く散歩などをするのにも適していて、患者たちの憩いの場となっている。
吉澤と中澤はそんな一角にあるベンチに並んで腰掛けていた。
あたしは自分の思いを全部中澤さんにぶちまけた。
泣きながら思うままに言葉を連ねるばかりで、要領を得ないところもあったかもしれない。
けど、中澤さんは黙ったまま真剣に耳を傾けてくれた。
保田さんに告白したことを伝えると少し驚いたように見えたけど、またすぐ表情を戻してあたしの話に
聞き入っていた。
もしかしたら中澤さんも薄々気付いていたのかもしれない。あたしの気持ちを。
そんな中澤さんが驚きを隠せない表情になったのは、あたしが保田さんの過去を聞いたことを告げたとき。
そして、保田さんがあたしを避けていることを告げたとき、中澤さんの目は悲しそうに歪んでいた。
- 205 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月19日(月)20時20分40秒
「落ち着いたか…?」
優しい声に尋ねられ、吉澤はコクンと頷く。
ひとしきり話を聞いてもらったあと、吉澤は中澤が分けてくれたパンを食べていた。
思いきり泣いたらなんだかお腹が減ってしまったのだ。
そんな吉澤の隣で、中澤はゆっくりとした動作でパンを口に運びながら、考えに耽っているようだった。
だんだん落ち着いてきた吉澤は、自分が一方的に中澤に感情をぶちまけてしまった事を恥ずかしく思った。
自分の悩みに中澤が巻き込まれる筋合いなど無いはずなのに。
そんなことを考え吉澤が縮こまっていると、中澤がポツリと口を開いた。
「圭坊は……勘違いしてるからなあ…」
「…えっ…?」
口にした意味がわからず、吉澤は中澤の顔を振り仰いだ。
それでも中澤は変わらず庭の芝生をみつめたままで、更に独り言のように呟く。
「…誰もが幸せに―――なんて、そんな上手い事そうそう無いとは思うけど……。
だからって、誰もが不幸になる道をみすみす選ぶ必要は無いと思えへん?」
- 206 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月19日(月)20時21分24秒
- 中澤が何を言いたいのかよくわからなかったけれど、言っている内容は正論だと思ったので、
吉澤はコクンと頷きを返す。
そんな吉澤を見て、中澤は目元を柔らかく細めた。
「吉澤はほんまに、圭坊に告白せんかったらよかったって思ってる?」
「………」
「圭坊のことなんて、好きにならん方がよかったって…思うか?」
中澤の問いに、吉澤は黙り込んでうつむいた。
どうすればよかったのか。
好きにならなければよかった?出会わなければよかった?
そう考えた吉澤の脳裏に、保田の笑顔が浮かんだ。
それだけで胸がどうしようもなく締めつけられて、愛しさがこみあげてくる。
吉澤はのしかかっていた重たい感情を振り払うかのように頭を振って、勢いよく顔を上げた。
- 207 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月19日(月)20時22分16秒
- 「あたしは…やっぱり保田さんが好きです! 避けられても、嫌われても、どうしようもなく好きなんです!」
「吉澤……」
「告白してギクシャクしちゃったのは辛いけど、でも……それでもやっぱり、言ってよかった。
伝えなきゃ始まらないから。 伝えなきゃ……あたしが前に進むことも、保田さんに前を向いて
もらうことも出来ない…!」
そう言った吉澤の瞳は、迷いの無いまっすぐな光を宿していた。
何かを吹っ切ったような、決意を新たにしたその瞳をみて、中澤は小さく呟いた。
「あんたなら、大丈夫やな……」
「…えっ?」
そのまっすぐな瞳で、大切なものを見失えへん限り―――…
- 208 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月19日(月)20時23分13秒
- 「…圭坊はあんたのこと嫌いになったんとちゃう。逃げてるだけや。 自分の心に正直に生きることを、
自分で戒めてるから……」
「戒め…る……?」
「あんたがいてくれれば、圭坊も気付くかもしれへん。 圭坊を縛る呪縛なんて無いってことに。
圭坊が自分で自分を縛り付けてるだけやってことに」
「………」
中澤はふっと笑みを漏らし、自分を見つめる吉澤の方へ顔を向けた。白い指先が吉澤の胸元をさす。
「鍵は、あんたが持ってる。 あとはその鍵で、圭坊自身が鎖を解き放つだけやな」
ドクン、と、心臓が大きく波打つのを感じた。
中澤さんの言葉に鼓動が高まりだす。
鍵は、あたしが……
- 209 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月19日(月)20時25分26秒
「あたしに…できる……かな…」
「……どう思う?」
ニヤリといたずらっぽく微笑んだ中澤さんの目をみて、煽られたように胸が熱くなった。
ぎゅっと、両手をきつく握り締める。
「…できます―――やってみせる!」
あたしの力いっぱいの返事に、中澤さんは満面の笑みを返してくれた。
- 210 名前:フムフム 投稿日:2003年05月19日(月)20時26分18秒
- 更新です
- 211 名前:名無し読者 投稿日:2003年05月20日(火)00時21分44秒
- とってもポジティブで直球勝負なよすぃこがいいっす!!
( T▽T)<ポジティブは私の専売特許なのに〜・・・
- 212 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月25日(日)01時38分49秒
- *****
「圭坊今晩ヒマか?ちょっと付き合ってくれへん?飲みに行こーや」
「え、二人で?矢口は?」
「んー、今日は二人のがええな。ちょっと圭坊に聞きたいこともあるし」
そう言われたときになんとなく予感はしていた。
きっと触れてほしくない話題に触れられるんだろうな、と。
自分でも後ろめたいことをしているという自覚はあったし、周りの人間――特に、親しい矢口や裕ちゃんには
訝しがられるのも時間の問題だろうとは思っていた。
- 213 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月25日(日)01時40分21秒
保田が中澤に連れて来られたのは雰囲気のいいバーだった。
店内は全体的に落ち着いた色調で、所々にアンティークらしい装飾品が飾られている。
かといって過度に大人びた感じではなく、若者でも入りやすい気さくな雰囲気があった。
「へえ…めずらしいね。裕ちゃんがこんなとこに連れてきてくれるなんて」
「ええ店やろ?今日は静かなとこでゆっくり話したいと思ってな」
中澤はマスターに声を掛け、あえて奥まったテーブル席を頼んだ。
カウンターより落ちついて話ができるとの配慮だろう。
注文した品が運ばれてきて、二人の目の前に並べられる。
宝石を溶かしたようなグラスの中の美しい色彩が、店内の明かりに反射してきらめいた。
中澤は手に持った小さなグラスをゆらりと揺らし、香りを楽しむように目を細めた。
ブルーのカクテルが白い肌に美しく映えるさまを、保田は何となしにぼんやりと見つめていた。
- 214 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月25日(日)01時41分55秒
- 「…圭坊も察しはついてるんちゃう? あたしの話が何か」
カクテルをひとくち含み、おもむろに中澤は口を開いた。
真正面から視線を合わせられ、保田は思わず目をそむけてしまう。
「……吉澤のこと…だよね」
運ばれてきたカクテルに口を付けぬまま、保田は小さい声でそう返した。
中澤はグラスをテーブルに置いて、まっすぐに保田の方に向き直った。
「…あんたらの間に何があったか、大体の話は吉澤に聞いた。 あの子…よっぽど悩んでたんやろうな。
タガが外れたみたいにボロボロに泣いてたで」
「………」
ズキズキと胸が痛みだした。 頭の中に浮かんだ吉澤の泣き顔が、あたしの胸郭を締め付ける。
違う。
泣かせたかったんじゃない。
あの子の笑顔が好きなのに、いつも笑っていてほしいと思うのに……結局あたしは…。
- 215 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月25日(日)01時43分25秒
- 「なんで吉澤のこと避けてるん?」
「………」
自分でも分かってる。吉澤にひどいことしてるって。
でも、どうしたらいいのかわからない。 どうしても吉澤に向き合えない。
「吉澤のこと、嫌いなん?」
「……そういうわけじゃ…」
「じゃあ好き?」
「…………」
黙ったままうつむいてしまったあたしの耳に、裕ちゃんが小さくため息を吐き出すのが聞こえた。
「圭坊…あんた、一生人を好きにならへんつもりなんか?」
- 216 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月25日(日)01時44分24秒
- なんと答えていいのか分からず、あたしは更に黙り込む。
そんなあたしの様子に、裕ちゃんはしばらく口をつぐんだあと、また小さく息を吐き出した。
「…あたしが紗耶香やったら嫌やな。いい迷惑やわ。自分のせいで新しい恋ができへんなんて言われても」
「ッ……!」
胸に何かを突き刺されたように感じた。
裕ちゃんの言葉にあたしは電流に打たれたように、目を見開いたまま固まってしまった。
- 217 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月25日(日)01時45分48秒
「…紗耶香が圭坊を縛り付けてるんと違う。逆や。 圭坊が勝手に囚われてるねん。紗耶香の存在に。
もう……紗耶香を自由にしてあげてもいいんちゃう?」
考えた事もなかった。
あたしが、紗耶香を―――縛り付けてる?
「圭坊がいつまでも自分の人生粗末に扱うようじゃ、紗耶香も心配であっちで気が気じゃないやろ」
裕ちゃんの手がテーブル越しにあたしの肩に触れてきた。
顔をあげると、まっすぐな裕ちゃんの目がそこにあった。
肩に置かれた手に、ぐっと力が込められる。
- 218 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月25日(日)01時46分44秒
「紗耶香の死は『事故のせい』や。 『圭坊のせい』なんて思ってる奴、誰一人いてへん。
それでも圭坊が自分を責めずにはいられへんっていうんやったら、それは…もうしゃあないけど…」
「裕……」
「そのかわり…圭坊が自分を責めて苦しみながら生きたところで、喜ぶ人は誰もいてへん。
ただ周りの人までも悲しくさせるだけ……それだけは、覚えといて」
辛そうにそこまで言い切ったあと、中澤は席から立ち上がった。
それまでの硬い表情をくずして、保田を見下ろす位置から微笑みかける。
「ここは奢るわ。あたしは先に帰るけど、圭坊ゆっくりしていき。 圭坊にとっても、吉澤にとっても、
一番いい選択は何か……よぉ考えて」
「…裕ちゃん…」
席を立った中澤は、保田の傍らに立ってもう一度肩に手を乗せた。
見上げたそこには、中澤の優しい瞳があった。
- 219 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月25日(日)01時49分24秒
- 「圭坊は充分苦しんだやろ。 もう、自分を許してやってもいい頃ちゃう……?」
最後にそう告げて、踵を返した中澤は店から出て行った。
一人取り残された保田は、まだなみなみと残った淡い紅色のカクテルに視線を落とした。
――裕ちゃんの言葉は痛かった。
ぼんやりと寝ぼけていた頭が、平手打ちでもされて無理矢理に目覚めさせられた気分。
紗耶香の死から2年たった今だからこそ、あえて厳しいことも言えると裕ちゃんは思ったのかもしれない。
あの事故から2年、あたしを責める人など誰一人いなかった。
紗耶香や後藤の家族の人達でさえ、あたしを責めはしなかった。 むしろ、こんなあたしの心情を
労ってくれさえして……。
優しくされればされるほど、どうしようもない罪の意識でいっぱいになって。
誰もあたしを罰してくれないなら、あたしがあたしを罰するしかない。そう思った。
誰も好きになったりしない。
あたしの人生の総てを、紗耶香と後藤にささげようと―――
でも、そんなのはあたしの独りよがりな自己満足にすぎなかったんだろうか。
- 220 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月25日(日)01時50分50秒
「紗耶香―――あたしは…間違ってたのかな……」
今のあたしを見て、あんたはどんなふうに思ってるんだろう。
あたしはあんたを苦しめてる?悲しませてる?
自分のことばっかりで、紗耶香の気持ちなんて考えもしてなかったよ。
――いつも前向きで、まっすぐで、自分の気持ちに正直に生きていた紗耶香。
もしも今、会うことができたなら。
あんたはこんなあたしを叱るのかな……
- 221 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月25日(日)01時51分59秒
- グラスに手を伸ばして紅い液体に口をつけた。
甘さとアルコールの香りがふわっと広がると同時に、紗耶香の笑顔が瞼に浮かんできた。
あたしの胸の中で何度でも甦るその笑顔は、いつだって鮮やかで、生き生きと輝いていて。
その笑顔が瞼の裏から消えた瞬間、あたしの目に涙が浮かんだ。
その涙はなぜか、いつもよりあたたかくて…
心の中で、何かが溶けはじめるのを感じた。
- 222 名前:フムフム 投稿日:2003年05月25日(日)01時53分42秒
- 更新でした。
>>211 さん
ウジウジしたかと思えば突如ポジティブに(w
ちょっと躁鬱入ってる(?)ウチのよすこさんですが、イイと言ってもらえて嬉しいです。
- 223 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月30日(金)20時50分26秒
- *****
中澤さんにああまで言い切ったものの、これからどうすればいいんだろう。
保田さんを絶対振り向かせてみせる!って…保田さんに宣言する?
それとも毎日出来る限りベッタリくっついてまわろうかな。
…なんかストーカーかも。あたしって…
そんなことを考えながらベッドに横になって天井を見つめていると、ふいに携帯から陽気な音が響いてきた。
床に転がっていたそれに手を伸ばす。腕を攣らせそうになりながらも何とか拾い上げた。
寝転んだまま手にとって見てみると、「石川梨華」の文字。
吉澤は通話ボタンを押しながら両足をくいと天井に向け、そのまま反動をつけて身体を起きあがらせた。
- 224 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月30日(金)20時52分21秒
- 「もしもし?梨華ちゃん?」
『あっ、うん……』
どうしたの?と尋ねる。 梨華ちゃんが直接電話してくるなんてめずらしい。
『…あのね、今よっすぃー寮にいる?』
「うん、いるけど?」
『あの…今私寮の前に来てるんだけど、ちょっと出てきてもらっていいかな…?』
「えっ?」
慌ててベッドを降りて窓辺へ駆け寄る。
カーテンの隙間から外を覗くと、門のところに見慣れた人影が見えた。
「…ちょっと待ってて、今下りるから!」
――わざわざどうしたんだろう?
そんな疑問を頭に浮かべながら、あたしは部屋の鍵を手に、スニーカーをつっかけたままで玄関を飛び出した。
- 225 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月30日(金)20時53分10秒
- 「梨華ちゃん!」
その声に、門の所で背を向けて立っていた石川がぱっと振り返って笑顔をみせた。
吉澤は寮の入口から出てきて足早に石川の許に駆け寄る。
側まで近づくと、自分に微笑みかけるその頬がわずかに上気しているのがわかった。
「どうしたの?急に…なんか用事?」
「うん……用事っていうか……」
石川は淡いピンクのワンピース姿にベージュの小ぶりな鞄を下げていた。
時間的に考えると仕事帰りなのだろうが、それにしては少し遅い気がする。
「梨華ちゃん仕事今だったの?随分遅いじゃん」
「あ、ううん…もっと早く終わってたんだけど、よっすぃーのトコに行こうかどうか迷ってて……」
何をそんなに迷ってたんだろう。それに話だったら病院でも出来るのに。
まあ確かに最近は病院内でもあまり会えなかったけど……
- 226 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月30日(金)20時54分45秒
- 「あの、あのね……。 よっすぃー、保田先生とは…あれからどうなったの…?」
突然保田の名前を出されて、吉澤の顔にカッと熱がのぼった。
不意打ちをくらったように胸に動揺が走る。
そうだ、梨華ちゃんにはあたしの気持ち、バレちゃってるんだ―――
顔を赤くしてうつむいてしまった吉澤を見て、石川は慌てて言葉を続けた。
「ごっ、ゴメンね! 私ったら関係ないのに……」
「…ううん」
吉澤に負けず劣らずの赤い顔で謝る石川がなんだか可愛くて、吉澤は小さく笑った。
赤くなってしまった頬を撫でさすりながら、自嘲気味に苦笑してみせる。
「保田さんには……振られちゃったんだ」
「………」
「でもまだ諦めてないんだよ。…いつか絶対振り向かせてやるぞ!って、決意を新たにしちゃってるんだ」
しつこいよね〜、あたしって。
冗談交じりそう言って笑う吉澤を見て、石川の目が辛そうに歪んだ。
- 227 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月30日(金)20時55分53秒
「梨華ちゃん?」
「………よっすぃー…」
「ん?」
何?と首をかしげる吉澤。
石川はしばらく無言のままじっとうつむいて、そして意を決したようにパッと顔を上げた。
その目はひどく真剣で、切なげな光が宿っていた。
「……私じゃダメ、かな…?」
「え?」
「…私じゃ、保田先生の代わりになれないかな?」
「………梨華ちゃ…?」
「…好きなの……」
か細い声でそれだけ告げたあと、石川はまたうつむいてしまった。
吉澤は驚きに目を丸くして、顔を隠してしまった石川を見つめた。
- 228 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月30日(金)20時57分17秒
細い肩が小刻みに震えているのがわかる。
そんな姿がいじらしくて、思わず抱きしめてあげたくなったけれど―――…
あたしは目をつむりひとつ深呼吸したあと、梨華ちゃんの肩に両手をのせた。
その瞬間、華奢な肩がピクリと揺れたのが伝わった。
「ありがと梨華ちゃん……梨華ちゃんの気持ち、すごくうれしいよ。 でも……」
「………」
「あたしはやっぱり、保田さんが好きなんだ」
それだけ告げて、あたしは少し黙り込んだ。
自分でもちょっと驚いていた。自分の中に迷いが全然生まれなかったことに。
梨華ちゃんはすごく可愛いし、好きだと言われて確かに嬉しかったけど、心は揺れたりしなかった。
あたしにはやっぱり保田さんだけなんだ―――
この想いの深さを改めて実感して、自分で感心したり。
- 229 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月30日(金)20時58分24秒
「…あたし梨華ちゃんのこと大好きだよ。可愛くて優しくて…本当に大好き。すごく大切に思ってる」
「………」
「これからもずっと…友達でいてほしいんだ……勝手な言い分だけど…」
そこまで言って吉澤は口を閉ざした。
顔を伏せて黙ったままの石川の様子が気になって、少しかがんでその顔を覗き込んでみる。
その途端、突然パッと顔を上げた石川に、思わず吉澤は身体を軽く仰け反らせた。
石川の目にはうっすらと涙が浮かんでいたけれど、その表情はサッパリとした笑顔だった。
「ありがとう、よっすぃー。…やっぱり私が好きになったよっすぃーだよ」
「……梨華ちゃん…」
涙のきらめく笑顔でそう言われ、吉澤は何と返していいのかわからない。
複雑そうな吉澤の表情を見て、石川は安心させるように明るい声で言った。
「これからもずっと……友達でいてね!」
「―――…もちろん!」
- 230 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月30日(金)20時59分32秒
- 石川の笑顔につられて、吉澤も微笑む。
そこで石川は思い出したように腕時計に目をやった。
「もうこんな時間! はやく帰らなきゃ…」
「あ、じゃあ送るよ」
「えっ? い、いいよ! バス停までそんな遠くないし、一人で大丈夫だから」
「ダメだよ、こんな可愛い女の子夜道に一人歩かせるなんてさぁ。心配で気が気じゃないもん」
そう言われて石川は顔を赤く染めたが、吉澤はそれに気付かず石川のピンクのワンピースに目を落とし、
「うんうん、やっぱ危ないよ」と一人で頷いている。
- 231 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月30日(金)21時00分21秒
- 「……そういうコト言うから…」
「えっ?何か言った?」
ボソッと呟いた石川の声に吉澤が顔を上げる。石川は慌てて首と両手を同時に振った。
「な、何でも……あ、そ、そう! そんなことしたらよっすぃーだって帰り危なくなるじゃん!
よっすぃーも『可愛い女の子』だよ!?」
「え?アハハっ、だいじょーぶ! あたしは自転車で行くから。ちょっと取ってくるから待ってて!」
そう言い置いて、吉澤は声を掛ける間もなく駐輪場へと走り去っていく。
そんな吉澤の軽快な後ろ姿を、石川は赤い顔のまま苦笑交じりに見つめた。
冷たい夜風が熱くなったその頬を優しく撫でていく。
――諦めるには……ちょっと時間が掛かっちゃいそうだよ、よっすぃー…。
- 232 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年05月30日(金)21時01分13秒
- 「おまたせー!」
自転車を押して戻ってきた吉澤に振り返って、石川はまたいつもの微笑みをみせた。
胸を刺すこの切ない痛みを、大好きな人に悟られないように。
「大好きな友達」としての、とびきりの微笑みを。
- 233 名前:フムフム 投稿日:2003年05月30日(金)21時03分39秒
- 更新でした。
ゴメンヨいしよし・・・石投げられませんように。ナムナム
- 234 名前:名無し読者 投稿日:2003年05月31日(土)00時27分52秒
- よすぃ・・・あんたいい子だよ
- 235 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月01日(日)21時32分25秒
- *****
「はい、もうちょっと…傷跡キレイになってますよ………ハイ、抜糸おわり」
「あ、ありがとうございましたっ」
ほっと安心したように微笑む患者さんに、こちらも笑顔をみせる。
ドアの前でもう一度振り返ってお礼を言う患者さんに挨拶を返したところで、背後に立っていたナースが
声を掛けてきた。
- 236 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月01日(日)21時33分34秒
- 「吉澤先生、今日の外来これで終わりです。 今のうちにお昼とっておいてくださいね」
「あ、はい。 じゃあ行ってきます」
あたしは席を立ってぐっと伸びをした。
窓の外を見ながら目をぱちぱちと瞬かせて、疲労のこびりついた目の周りをほぐす。
部屋を出ようとドアに手を掛けかけたところで、入れ替わりに保田さんが入ってきた。
思わず固まってしまったあたしとバッタリ目が合う。
「…今からお昼?」
「あっ…はい。 えっと…せ、先生は?」
「あたしはもう済んだ。この後はオペも入ってるし今日は当直でしょ?しっかり食べときなよ」
「は、はい」
軽く微笑んで、保田さんはあたしの脇を通り抜け部屋の奥へと入っていった。
- 237 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月01日(日)21時34分30秒
- 相変わらず保田さんとの会話は少ないし、やっぱりどことなくぎこちないんだけど。
でも――以前ほどの頑なな拒絶は感じられなくなったような気がする。
まあ、あたしの気のせいかもしれないけど…。
「あ、そういや今日の当直…保田さんも一緒じゃなかったっけ?」
廊下を歩きながらふと思い出した。
なんというか、ある意味チャンスかもしれない。今の曖昧な関係を打破するための―――…
今の状態じゃゆっくり話をすることもできないし。
今日なら一晩中時間はあるわけだし、保田さんと一緒にいる時間も作れるはず……
あたしはわずかな期待と不安とを胸に、夜の来るのを待ちわびた。
- 238 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月01日(日)21時35分51秒
- ***
「もお〜〜〜なんでこんな日に限って…」
急患が入るんだよう!!
事故で二人の患者さんが急遽運ばれてきて、第一、第二手術室に分かれての緊急手術。
あたしは第二手術室でのオペの介助に借り出された。
そして患者さんが無事助かってほっと一息ついたころには、時刻は午前3時を回っていた。
うう……そりゃオペ中は必死でそんなこと考えてなかったけどさあ…。
- 239 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月01日(日)21時36分49秒
- 保田さんの姿を探して第一手術室に向かう。保田さんはそちらの執刀にあたっていたのだ。
手術室に着くとそこはもう早くにオペが終わっていたのか、看護婦たちが黙々と片付け作業をしていた。
「あ、あのっ……オペはどうでしたか?」
吉澤の声にひとりのナースが手を止め顔をあげて、にっこりと笑顔をみせた。
「ああ、吉澤先生。無事成功しましたよ」
「…や、保田先生は…」
「保田先生なら仮眠室じゃないですかね。シャワーもとっくに済まされたでしょうし」
がっくり。
思いっきり肩を落としてうな垂れてしまった。
今夜は絶対話ができると思ったのに……。
- 240 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月01日(日)21時38分26秒
- あたしは疲れた身体をひきずってトボトボと廊下を歩いた。
疲れてはいるけれど、興奮して頭が冴えたせいか仮眠をとる気にならない。
なんとなく、その足は東病棟へと向かっていた。
長く暗い廊下を歩いて、その病室の前に辿りつく。
ゆっくりとドアを開けると、小さな電子音が耳に届いた。
闇が支配する病室の中、冴えた月明かりがかすかに室内の様子を認識させてくれる。
あたしはそっとベッドに近寄って、傍らにあったパイプ椅子に静かに腰を下ろした。
だんだん暗闇に目が慣れてきて、彼女の寝顔がうっすらと月の光に浮かび上がってくる。
白磁のような滑らかな肌。
人形のように綺麗な顔。
そのはかなげな美しさはこの世のものとは思えないほど、透明で。
- 241 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月01日(日)21時39分42秒
「まさに、眠り姫……だね…」
あなたを眠りの淵から救い出すのは誰なんだろう。あなたは…紗耶香さんを待っているの?
でも保田さんは、あなたの側を離れないよ。
お姫様に忠誠を誓った騎士みたいに、ずっとあなたの側で、あなたを守りつづけるんだ……
羨ましい。 なんて、不謹慎なコト……思っちゃいけないことだけど。
「でも…少しね……嫉妬しちゃうよ…」
綺麗な寝顔にぼんやりと見惚れているうち、疲れた身体がようやく眠気を呼び起こしてきてくれて。
あたしは頭の中が白く霞んでいくのを感じながら、柔らかいベッドの上に頭をあずけた。
- 242 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月01日(日)21時41分23秒
- ***
気付くと頬にやわらかいシーツの感触。
ああ……ベッドに突っ伏して寝ちゃってたんだ。
室内の闇がわずかに青みがかっている。
目だけを動かして窓の外を見ると、かすかに空が白んできているのが分かった。
まだしつこくくっつこうとする瞼をこすって上半身をを起こした。
無理な体勢で寝たせいか、背筋が少し痛む。
「目が覚めた?」
- 243 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月01日(日)21時42分10秒
- 突然かけられた声に心臓が飛び跳ねた。
声のした方に目をやると、ドアの前あたりで椅子に腰掛けている人影が映る。
「…保田……さん……」
夜明け前の青白い空気の中、静かにこちらを見つめる保田さんの姿があった。
- 244 名前:フムフム 投稿日:2003年06月01日(日)21時45分35秒
- 更新
- 245 名前:フムフム 投稿日:2003年06月01日(日)21時46分13秒
- >>234 さん
レスありがとうございます。
(O^〜^)<イェーイ!イイコだって褒められたYO!
( T▽T)<…ヤサシサッテ残酷ネ…
- 246 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月07日(土)23時31分22秒
「あ……い、いつからいたんですか…?」
「…そんなに経ってないよ。仮眠とってたんだけど目が覚めてさ。後藤の様子でもと思って見にきたら、
あんたがいた」
室内の闇はだんだんと朝の気配に侵食されつつあって。
透明な青さを含んだ薄暗い部屋で、保田さんの表情ははっきりと見て取れる。
穏やかそうでいて…寂しそうでいて……
「…あの……そこで何してたんですか?」
保田さんの心情をはかりかねて、あたしはとりあえず会話を進める。
あたしの質問に、保田さんは少し目を伏せて小さく笑った。
「何って……吉澤を見てた」
- 247 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月07日(土)23時32分19秒
- 瞬時に顔が熱くなる。
そんな風に言われるとは思ってもいなくて。
ドキドキとうるさく高鳴る胸をなんとか落ち着かせようとしていると、保田さんがポツリと口を開いた。
「…あたし、吉澤に謝らなきゃって…ずっと思ってて……」
「え…?」
保田さんは椅子から立ち上がって、ゆっくりとこちらへ歩み寄った。ベッドを挟んであたしの向かいに立つ。
目は少し伏せがちにしたまま、わずかに眉根をよせた辛そうな表情で。
「…ずっと、ヤな思いさせたよね…。…ごめん……」
「…やす…」
そう言って、保田さんは頭を下げた。
思わずあたしも立ち上がってしまう。
- 248 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月07日(土)23時33分47秒
- 「避けちゃったりして……ほんとに悪かったって…思ってる…」
「そ、そんな!元はと言えばあたしが悪いんです!保田さんの秘密を探るようなことしちゃったから…」
「よしざ…」
「ごめんなさい。いけない事だって分かってたけど……でもあたし、保田さんに近づきたかった…」
あたしの言葉に、保田さんは合わせていた目を逸らした。 その視線はベッドの眠り続ける彼女に
向けられている。
その保田さんの表情が、一瞬、泣き出しそうに歪んで見えた。
「…それだけ…謝りたかっただけだから………じゃあ…」
小さい声でそう呟いて、保田さんはくるりと踵を返した。
足早に部屋から出て行こうとする彼女を、あたしは慌てて追いかけた。咄嗟に手首を捕らえる。
「……!」
手首を掴まれて保田さんの身体がビクリと揺れた。
ドアノブに掛けようとしていたもう片方の手が宙で止まる。
保田さんに触れているその箇所から、自分の体温が上昇していくのを感じた。
- 249 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月07日(土)23時36分37秒
「……梨華ちゃんが、言ってました。 保田さんは…眠り姫に夢中だって…」
あたしの言葉に、保田さんがゆっくりとこちらに顔を向けた。
少し驚いたような、不思議そうな目をあたしに向けている。
「…眠り…姫…? 石川が…?」
小さく頷いたあたしに、なおも保田さんは戸惑ったような表情のままで。
「…でも、眠り姫は彼女だけじゃない……保田さんだってそうです」
「…え…?」
「ずっと……紗耶香さんが亡くなってから…ずっと苦しんで、自分を責め続けてきたんでしょう?」
――そして、残された眠り姫を守るために身を捧げ、自分までもを犠牲にしている…
- 250 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月07日(土)23時38分11秒
「…眠ってるのは保田さんも同じです。誰も好きにならないって…心を眠らせてる」
「………」
あたしは目をつむり、ひとつゆっくりと呼吸したあと、まっすぐに保田さんを見て言った。
「あたし、保田さんを眠りから解き放ちたいんです」
保田さんの瞳が揺れたのが分かった。眉間のあたりに彼女の動揺がにじんでいる。
咄嗟にあたしから離れようと動いた彼女の身体を、掴んだ片手で引き寄せた。
- 251 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月07日(土)23時39分25秒
「…っ!」
バランスを崩しかけた保田さんの手が、あたしの白衣の胸元を掴む。
あたしはその身体を両腕に閉じ込めて、そして囁いた。
何度だって、どこでだって言える、誓いの言葉を。
「…あたしは、保田さんが好きです」
「……よし…」
「今までも、これからも…どんなことがあっても……保田さんだけが好きです……」
触れ合った部分から、保田さんの気持ちが流れ込んでくるようだった。
これはあたしの自惚れなんかじゃなくて、きっと、
きっと……
- 252 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月07日(土)23時41分10秒
- ***
目眩がしそうだった。
吉澤の腕の中はひどくあたたかくて。
壊れ物に触れるように優しく抱きしめられているのに、その腕をふりほどくことができない。
「――罪の意識があるんでしょう…? 紗耶香さんと…後藤さんに…」
「…やめて…」
「自分を責めないでください。事故は保田さんのせいじゃない。保田さんが自分を犠牲にする必要もない。
そんなことをして…紗耶香さんが戻ってくるわけでも、後藤さんが目覚めるわけでもない」
「やめて…!」
「……独りで苦しむ必要もないんです。 辛かったら、誰かに寄りかかったっていいんですよ。
誰だって、独りで生きていくことなんて…出来ないんだから…」
吉澤の一言一言があたしの心をえぐる。
どうしてこの子はこんなに真っ直ぐなんだろう。
――甘えちゃ駄目だ………駄目なのに…
「…あたしの気持ち…迷惑ですか…?」
- 253 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月07日(土)23時43分07秒
- ここでそうだと言えればよかったんだろうか。
でもあたしはどうしても言えなかった。
あたしはそんな器用な人間じゃない。
こうしてこのあたたかい腕に包まれながら、心にも無い嘘をつくことなんて出来るわけがなかった。
「…紗耶香さんとか、後藤さんとか、そんなの関係ない。 あたしは保田さんの気持ちが聞きたいんです。
保田さんのあたしに対する正直な気持ち……それだけでいい…」
「………」
「目を見て、ちゃんと……答えてください…」
あたしはゆっくりと顔をあげた。
吉澤の綺麗な瞳が目の前にある。
宝石のような汚れのないその瞳に、胸が詰まるような、それでいて溢れ出すような感情が沸き起こる。
ずっと胸の中で抱え続けてきた氷のような重い塊が、温かく溶け出していく。
ああ―――… この気持ちが、すべてだ
- 254 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月07日(土)23時45分56秒
震える唇をなんとか動かそうとするけれど声にならない。
でも、ここで言わなければ、言えなければ……あたしは前に進めない。
自分で縛りつけた鎖は、自分で解くしかない―――
「あた…し……」
絞り出した声はみっともなく震えていて。
でも構わない。
この声が届けば。 この想いが届けば……。
- 255 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月07日(土)23時47分06秒
「……はい…」
「…あたし…も……」
あたしの背に回されたままの吉澤の手に、わずかに強さが込められる。
そこから力を与えられたように、あたしの唇はその言葉を紡いだ。
吉澤の瞳を、まっすぐ見つめたまま―――
―――好き―――…
- 256 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月07日(土)23時48分11秒
かすかに空気を震わす程度の、小さな言葉。
それは零れ落ちた瞬間に、吉澤の唇に吸い込まれた。
- 257 名前:フムフム 投稿日:2003年06月07日(土)23時48分52秒
- 更新でした。
- 258 名前:フムフム 投稿日:2003年06月07日(土)23時50分06秒
- ここで言うのもナンですがCP板に紹介してくださった方ありがとうございました。
まさか自分のがあるとは思わなんだのでビクーリしつつも嬉しかったです。
身に余る紹介文恐縮でした。
- 259 名前:フムフム 投稿日:2003年06月07日(土)23時51分15秒
- 流します。
- 260 名前:260 投稿日:2003年06月08日(日)05時45分26秒
- 更新おつかれさまです。
CP分類板でこちらの作品を紹介させていただいた者です。この小説の吉保、紹介せねばならぬ、という気持ちでいっぱいでした。作者さんに喜んでいただけてうれしいです。
ああ、もう、みんないいやつばっかりじゃねーか!
幸せになるのは悪いことじゃないんだ。
突っ走れ、跳んでしまえ!
というわけで怒涛の展開に息を飲みつつ、次回を楽しみにしております。
- 261 名前:名無し読者 投稿日:2003年06月08日(日)13時38分30秒
- よしこ…真っ直ぐなやつだなあ…
そりゃ保田さんも素直になっちゃうよ
ジーンとしました
- 262 名前:名無しさん 投稿日:2003年06月11日(水)00時14分02秒
- 今日偶然発見させていただきました。
作者さんは初作品との事ですが、全くそんな風に見えませんね!
文章が凄く綺麗で、世界に引き込まれます。やすよしが好きになっちゃいました♪
医療描写の部分も凄く緻密でカッコ良いです。その筋(笑)の方なのですか?
これからも楽しみに拝見させていただきます。
- 263 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月13日(金)20時56分52秒
- ***
抱きしめた身体とか。初めて触れた唇とか。
それが愛しい人のものだというだけで、こんなにも胸が熱く震えるなんて。
薄暗い早朝の病室はほのかに寒かった。
まだ朝の光の届かない青白い空間は、まるで隔絶された世界のようで。
そんな中、お互いのぬくもりだけを確かめ合うように、あたしたちは言葉も無くただ抱き合っていた。
鼻先に触れた保田さんの髪から、いつもと同じ花の香りがする。
この香りをやっと手に入れられた―――…その喜びに目眩がした。
- 264 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月13日(金)20時58分58秒
- 「……何?」
クスリと小さな笑い声を漏らしたあたしに、腕の中の保田さんがふと顔を上げた。
猫みたいな大きな瞳が不思議そうに動く。
「いや…あたしってゲンキンだなあ、って思って…。 保田さんの気持ちを確かめるまでは不安で
仕方なかったのに……好きって言ってもらえた途端、こんなにも自信が湧いてくるんだから……」
「自信…?」
あたしの言葉にちょっと頬を赤くしながらも、保田さんが小首をかしげて尋ねる。
「保田さんを絶対幸せにする!って自信です。 何があったって、あたしは保田さんの味方ですから…。
…絶対に…あたしはあなたを守ります」
自分でも恥ずかしいセリフだなって感心しちゃうけど、これが掛け値なしの本音だから。
伝えておきたい、そう思った。
そんなあたしの言葉に保田さんはパッと視線を横にそらし、モゴモゴと口篭もりながら呟いた。
- 265 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月13日(金)21時00分58秒
- 「そ、そんなのあたしだって思ってるわよ。 あんたにいつも笑っててほしいって…。
あんたの笑顔を…守りたい…なって……」
あたしに負けず劣らずのクサイ台詞を言ってくれた保田さんは、言い終えた途端に顔を赤くして
うつむいてしまった。
まさかそんな言葉をもらえるとは思っていなかったあたしは思わず感激に目を潤ませたけれど、
そんな間にも保田さんの顔はみるみる真っ赤になっていって。
それにつれて頭がどんどん下へ下へとうつむいていく。
赤い顔を見られるのが恥ずかしいんだなっていうのが分かったから、あたしはまた保田さんの頭を肩口に
寄せるように抱きしめた。
幸せに思わずニヤけてしまうあたしの顔を見られないため、っていうのもあるけれど。
あたしの背にたどたどしく回される手を感じて、それだけで言いようのない幸せが込み上げる。
互いの想いが交じり合う―――その果てしない喜びを、あたしは全身で感じていた。
- 266 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月13日(金)21時02分01秒
- ***
どれくらい時間が経ったんだろう。
あたしは保田さんを抱きしめたまま、保田さんもあたしを抱きしめたまま、一秒ごとに朝の匂いを増していく
部屋の空気を感じていた。
ずっとこうしていたいけど、そういうわけにもいかないよね…。
- 267 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月13日(金)21時03分08秒
「保田さん……」
ゆっくりと、名残惜しげに身体を離す。
保田さんの腕もあたしの背中からゆっくりと離された。
「そろそろ戻りましょう…」
「ん……」
小さく微笑んで、身体を動かしかけた、次の瞬間。
保田さんの身体がビクリと固まった。
- 268 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月13日(金)21時03分58秒
- 「……保田さん?」
どうしたんですか?
首をかしげて尋ねても、保田さんは微動だにしないままで。
まるであたしの声なんか聴こえていないかのように、大きな目を見開いて一点を凝視している。
「やす……」
あたしは保田さんの両肩をつかんで顔を覗き込んだ。
その肩は小刻みに震えていた。
- 269 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月13日(金)21時04分54秒
その時、やっとあたしも感じた。
この部屋の空気がわずかに揺らいでいることに。
あたしのものでも、保田さんのものでもない、小さな空気の揺らぎ。
保田さんの視線の先を振り返る。
そこには
閉ざされていたはずの、綺麗な瞳があった。
- 270 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月13日(金)21時05分47秒
- ***
おぼつかない足取りで、保田さんは彼女の許へと近寄った。
ベッドの傍らで崩れ落ちるように膝を付き、横たわる彼女の顔を覗きこんだ。
手を取った。震えた手つきで。
「ご……と、う…」
側にいる保田さんの声に彼女は反応しない。
その瞳はぼんやりと宙をみつめたまま、まだ夢の中を彷徨っているかのようで。
保田さんはベッドに力なく投げ出されている白い手を取った。
カタカタと小刻みに揺れる両手で握り締める。
- 271 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月13日(金)21時06分50秒
「後藤……わかる…? あたしがわかる……?」
保田さんの声が震えている。
声だけじゃない。 手を握る指先も、身体も、すべて。
宙を見つめていた彼女の瞳がゆっくりと、ゆっくりと動いた。
その視線が、保田さんの姿を映してピタリと止まる。
そのとき、朝の訪れを告げる最初の光が病室に射しこんだ。
- 272 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月13日(金)21時07分41秒
「…けー………ちゃ……」
小さな、でも、確かな声。
「――ああ―――……」
紗耶香――――――……
- 273 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月13日(金)21時09分03秒
泣き伏した保田さんの呟きは届いただろうか、あの人に。
あたしはこの日はじめて目にした。
―――奇跡というものを……
- 274 名前:フムフム 投稿日:2003年06月13日(金)21時09分42秒
- 更新でした
- 275 名前:フムフム 投稿日:2003年06月13日(金)21時10分24秒
- >>260 さん
いやはやどうもありがとうございました。
読んでくださってる上に紹介までしていただけるとは・・・本当に光栄です。
またもやチョイと展開が変わってきましたが、よしやすはこのまま突っ走れますでしょうか。
>>261 さん
ジーンとしてくださったなんて嬉しいです。
ウチのよすこさんは基本的に直情型ですね。ヤッスーも素直になれてとりあえずはメデタシ。
(;0^〜^)(; `.∀´)<とりあえず?
- 276 名前:フムフム 投稿日:2003年06月13日(金)21時11分22秒
- >>262 さん
勿体無すぎるお褒めの言葉ありがとうございます。
小説が初めてというわけではないのですが娘小説が初挑戦なのですね。
医療に関しても全くのド素人ですよ。適当に漁ってきたやっつけ知識を並べてるだけなんで
きっと間違いだらけだと思われます。ハズカシーんでその辺は見逃していただきたいなと(w
- 277 名前:260 投稿日:2003年06月14日(土)03時53分50秒
- 更新おつかれさまです。
それにしても…感動だ!
前回は静かで暖かな感動だったけど、今回は明るく爽やかな感動だー!!
作者さん…あああありがとう!
こうなったらもうね、よしやすだけじゃないっすよ。
みんなみんな、明日に向かって突っ走れ! 未来に向かって跳べーーーーー!!
- 278 名前:名無し読者 投稿日:2003年06月14日(土)14時22分47秒
- あー良かった・・・よしやす二人とも素直になれて
とりあえずはってことはこのあともやっぱり色々あるんすよね・・・
ごっちんも目覚めたようだし・・・でもとりあえずは良かったぁ
- 279 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月28日(土)02時25分37秒
- *****
それからの数日は慌しかった。
昏睡状態だった彼女が目覚めたという報を受け、家族や親類らが面会に訪れては涙を流して喜び合った。
当の本人である彼女は、自分が2年間も眠り続けていたという事実に混乱気味ではあったけれど、
家族や友人らの喜ぶ姿にとまどいつつも笑顔を返していた。
彼女が目覚めてすぐ、脳波や神経系統の諸検査が行われたが、驚くべき事に異常はほとんど見られ
なかった。 確かに彼女の場合は昏睡状態に陥った原因がそもそも謎だったわけだから、この検査結果は
ある意味当然かもしれないが。
筋力や体力は著しく低下しているから元気に動けるようになるにはリハビリが必要だが、きっと元通りの
生活に戻れるだろうと、専門医はそう述べた。
- 280 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月28日(土)02時26分54秒
- 保田さんは彼女が目覚めてから、暇さえあれば彼女に付きっきりだった。
彼女の家族らが病室に泊まりこむことも多かったけれど、そうでない日は保田さんが彼女の病室で
夜を明かしていた。
彼女がまた目を覚まさなくなるのではないか、という恐怖があるみたいだった。
あたしは彼女に付きっきりな保田さんにちょっと妬けちゃったりもしたけれど、それでも心底嬉しそうな
保田さんを見られて幸せだった。彼女が目覚めてくれて本当に良かった。
ただ、紗耶香さんの死については、未だ彼女には知らされないままでいる。
目が覚めて、知らぬ間に2年もの月日が流れていたという彼女の精神状態はひどく不安定なものだろう。
ショックな事実を告げられて錯乱状態に陥る怖れもある。
医師や家族らが話し合って、少し時間を置こうということになった。
保田さんはその時、告げるときは自分が彼女に伝える、と、そう皆に宣言した。
- 281 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月28日(土)02時28分36秒
- *****
―――コンコン
ノックすると、中から複数の声で返事が聞こえた。
隙間を開けたドアから室内を様子を覗き込んでみて、吉澤は苦笑する。
「あはは、先客がいますね」
ちょうど昼食の時間。
ベッドの上で食事をとる後藤の横で、矢口が座ってパンを食べていた。
「あ、吉澤センセーじゃん。いらっしゃ〜い」
「おーよっすぃー。今からお昼?」
矢口の問いに、吉澤は手に下げた弁当の包みを持ち上げた。
日頃から保田だけでなく矢口や中澤も、昼食時に後藤の許へ訪れて一緒に食べる時間を作っている
ようだった。
矢口や中澤は市井だけでなく後藤とも知り合いだったようで、後藤が目覚めた時には泣いて駆けつけ
喜び合い、それからも病室へ頻繁に会いにきていた。
- 282 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月28日(土)02時30分52秒
- 「あたしも一緒していいですか?」
「もっちろんだよぉ。大勢で食べた方がおいしいもんね!病院食はマズイけどさー」
「コラごっつぁん!しっかり食べろよッ!好き嫌いしてちゃ元気になんないぞ」
二人の会話を聞きながら、吉澤はパイプ椅子をベッドの傍らへ引きずってきて腰を下ろした。
布製の包みをほどいて弁当箱を開ける。
「うわ、よっすぃーそれ手作り!?朝から作ったの?」
吉澤の弁当を覗き込んで矢口が歎声をあげる。吉澤は少し恥ずかしそうに苦笑して顔を上げた。
「今日はちょっと早く起きたんで作ってみたんですよ。冷凍モノばっかですけど…」
照れたように言う吉澤に、矢口は悪戯っぽい視線をチラリと投げかけた。
「ふ〜ん、何? もしかしてさっそく愛の手作り弁当ってやつー?」
「ばっ!! そ、そんなんじゃないですって!一人分です!」
「とか言ってえ、ラブラブなんでしょおー。 『いつか美味しいお弁当作ってあげたいの〜♪』とかじゃ
ないのお?」
「違いますってば!!」
ニヤニヤと含み笑いを浮かべつつ楽しげに茶化す矢口に、吉澤は真っ赤になって反論する。
- 283 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月28日(土)02時31分58秒
- 「なになに?ラブラブって何の話?後藤にも教えて」
「あ、あのねえー、こないだよっすぃーはとうとう……」
「矢口さんっ!!!」
ギャーギャーと騒ぎながら、言おう、言わせまい、ともみ合っている二人に挟まれた後藤は、しばらくして
飽きたのか興味を違うところに移した。
「あ、クリームコロッケだあ。いっただきぃ〜」
「あ!」
言うや否や、後藤の手がひょいと伸びてきて弁当箱からコロッケをさらっていってしまった。
パクっと即座に口の中に放り込む。
「ん〜〜おいしーーっ♪」
「こっ、コラーー!後藤ッッ!!」
矢口がぺしっと後藤の頭をはたいた。後藤は悪びれた様子もなく、いたずらっぽく舌を出して笑っている。
- 284 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月28日(土)02時33分03秒
- 「あんたの献立はちゃーんと栄養面が考えられてるんだから、余計なモン食べちゃダメでしょーが!
しかもよっすぃーのお弁当を…行儀悪いよ!」
ガミガミと説教する矢口をいとも自然に無視して、後藤はパッと吉澤の方へ顔を向けた。
「でもセンセー、冷凍モノばっかじゃ身体に良くないじゃん。あたし結構料理うまいんだよー。
クリームコロッケも作れるし」
「へえ、そうなの?」
「うん、またみんなに作ってあげたいなあー。市井ちゃんとか圭ちゃんとかも呼んで…」
市井ちゃん、という言葉に矢口の表情が少し強張った。
吉澤の胸にも緊張が走る。
「市井ちゃん海外にいるんだよね…。いつ帰ってこられんのかなぁ……早く会いたいな…」
- 285 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月28日(土)02時33分48秒
- 目が覚めて、後藤に事故の後遺症は無かったし、記憶障害なども見られなかった。
ただ、事故の時のことははっきりとは覚えていないようだった。
市井が会いに来ないことを訝しがる彼女に、周囲は苦し紛れの嘘をついた。
今市井は海外の医学を学ぶために留学中で、すぐには帰ってこられないのだと…。
「…ね、吉澤センセイって『よっすぃー』って呼ばれてんの?」
ふと話題を転じた後藤の言葉に、緊張していた空気がふっと緩んだ。
「え? あ、そうだよ」
「じゃあさ、後藤もよっすぃーって呼んでいい?」
人懐っこい笑顔でそう言われ、吉澤は何と返していいのか返答に詰まってしまう。
そこで矢口がはーっと溜息をついて後藤をギロリと睨んだ。
- 286 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月28日(土)02時35分03秒
- 「あのねえごっつぁん。仮にもよっすぃーはお医者さんなんだよ?よっすぃーは無いでしょよっすぃーは」
「えー、そんなら圭ちゃんだってそうじゃん。お医者さんでそのうえ年上だけど『圭ちゃん』だよ。
やぐっつぁんだって裕ちゃんだって…」
「あたしらは昔っからの知り合いだろー!それとこれとは…」
「ね、いいじゃんね、よっすぃー♪」
またもくるっと吉澤の方を向いて笑う後藤。
無視かよ!と後ろから突っ込む矢口につい笑ってしまった。
「うーん…じゃあ、こういうプライベートな時だけならいっか」
吉澤がそう言うと、後藤は手を叩いて喜んでみせた。子供のように無邪気な笑顔が本当に可愛らしい。
「あはっ、やったあ! じゃーあたしの事も『ごっちん』でいーよぉ」
「コラーーッ!後藤ってば!」
「もぉー固いなあやぐっつぁんは。別によっすぃーだけに限ったことじゃないからいいじゃん」
「へっ?それどういう…」
矢口がキョトンとして後藤を見つめたその瞬間、
病室のドアがバーンと勢いよく開いて、機械音声じみたハイトーンが室内に響きわたった。
- 287 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月28日(土)02時36分32秒
「後藤さーん!お食事終わりましたかー!?」
矢口と吉澤がドアの方を見ると、そこには満面の笑みをたたえた石川の姿が。
「げっ、梨華ちゃんだー…」
「『げっ』てなあにぃ?失礼しちゃうー。それよりごっちん今日は全部食べたんでしょうねっ?」
「石川……」
ベッドへつかつかと歩み寄る石川の姿に矢口はがっくりとうな垂れた。
…おまえら知り合いじゃなかっただろー……馴染みすぎだよ!
心の中で突っ込む。
「…この豆の煮物マズイよー……こんなん食べれないよごとー…」
「ワガママ言わないの!全部食べなきゃお盆下げないからね!」
「…他の看護婦さんはちょっとくらい残しても許してくれるのにー……」
「石川はごっちんの甘えには付き合いません!食べなきゃ無理矢理口に突っ込んじゃうよ!」
「あーもぉー…わかったよー」
ブツブツ言いながら膨れっ面でスプーンを口に運ぶ後藤。
その姿を矢口と吉澤は呆れ顔で、石川は満足げにそれぞれ眺めていた。
- 288 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月28日(土)02時37分38秒
- ***
「ごっちん、かぁ…」
誰もいないロッカー室で帰り支度の途中。
昼間のやりとりを思い出して吉澤はクスリと笑った。
奔放でマイペースなごっちんに振り回される矢口さん。そのごっちんをいつのまにやら梨華ちゃんは
手なずけてしまっているし…。
彼女が目覚めてから、みんなの笑顔が増えた。大きな喜びはみんなの気持ちを明るくしてくれた。
目が覚めた彼女と初めて対面したとき、正直あたしはどう接したらいいのか戸惑っていた。
無表情でこちらを見る彼女はとてもクールな印象で、その美しさも相まって、人を簡単には寄せ付けない
雰囲気を醸し出していた。
でも、保田さんたちと一緒に彼女と話をしていくうち、彼女はあたしにも明るい笑顔を見せてくれるように
なった。意外とお互い相性が良かったようで、あたしのことも気に入ってくれたのがわかった。
無表情の時はちょっと冷めた感じの、大人びた印象を受ける彼女だったけれど、笑うと一転して
とても子供っぽい可愛らしさがこぼれる。あたしの目から見ても彼女は魅力に溢れていた。
――紗耶香さんも、ごっちんのあの笑顔が好きだったんだろうな…
- 289 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月28日(土)02時38分38秒
- 「あ、お疲れ」
突然声を掛けられ吉澤はひゃっと声を上げた。
物思いに耽っていたところだったので必要以上に驚いてしまった。
「…驚かせた?」
「いえっなんでもないです!お疲れさまです」
保田は吉澤の後ろをすり抜け自分のロッカーを開けた。白衣を脱いで帰り支度をはじめる。
「あれっ?保田さん今日は泊まってかないんですか?」
「うん、今日は後藤のお母さんが泊まるんだって。あたしも3日続きで泊り込みだったから
久しぶりに帰りたいしね」
「………」
鼻歌を歌いながら保田は髪を梳かしている。吉澤はじっとその横顔を見つめていた。
- 290 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月28日(土)02時39分21秒
- 「あ、あのう…保田さん」
「ん?何ー?」
「えっと、そのー、今から…食事でも行きませんか?」
「へ?今から?」
…よくよく考えてみれば。
保田さんとやっと両想いになったというのに、昨今の忙しさでろくに二人っきりの時間など作れなかった。
こんな機会は滅多にないんだから、少しくらい一緒にいたいな……。
「うーん…でも今日は早めに帰りたいなあ。ここ2・3日でさすがに疲れたし」
がっくり。
目に見えて吉澤の肩が落ちた。
あまりのうな垂れように保田もはっとして慌てだす。
「え、えーと…吉澤?」
「いえ…いいんです、すいません。 そうですよね…保田さん疲れてるんだから…」
いいんです、と言いながらも物凄い落胆ぶりを見せる吉澤に、保田はどうしたものかとおろおろと焦る。
…確かにずっと後藤にかかりっきりで、吉澤とあんまりいられなかったな…。
- 291 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月28日(土)02時40分38秒
- 「あ! じゃあさ、ウチに来る?」
「えっ?」
突然の誘いに吉澤がパッと顔をあげると、保田はほっとしたように表情を崩した。
「それならいいじゃん。泊まってけば明日もラクだしさ。ね?」
「…あの……い、いいんですか…?」
「もちろんいいわよー。あー部屋はちょっと散らかってるかもしんないけどね」
嬉しそうに笑ってまた帰り支度をはじめる保田だったが、吉澤はその傍らでぐるぐると頭を回していた。
保田さん……そういう意味で聞いたんじゃーないんですよう…。
だって、だって、あたしたち一応もう恋人同士ですよね!?
恋人同士が一緒に泊まるってことは……つまり…ってコトだと思っちゃっていいんですか!?
ってゆうかもうそう思っちゃいましたからね!
その気にさせたのは保田さんですからねーーー!!
「よーし、じゃあ帰ろっかあ」
車のキーを指先でくるくる回しながら先にロッカー室を出る保田。
その後に続いた吉澤は、何やらブツブツと呟きながら仕事の疲労感の残る身体を奮い立たせていた。
- 292 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月28日(土)02時42分13秒
- ***
「はー、やっぱウチのお風呂が一番だわー。さっぱりしたあ」
すがすがしい笑顔で脱衣所から出てきた保田さんの姿を見て、あたしは更に心拍数が上がってしまった。
ゆったりめの黒いタンクトップにグレーのジャージ姿で、肩からタオルを掛けているんだけど。
下着をつけていない大きく開いた胸元にどうしても視線がいってしまう。
まあ保田さんがこんな格好なのは、愛用のパジャマをあたしに貸してくれたせいなんだけど。
いつもお風呂上りに着ているバスローブも今日は洗濯中らしい。
保田さんはそのままキッチンへと向かい、食器棚からグラスを取り出した。
「ねえ吉澤ー、あんたワイン好きー?」
「あ、はい。好きですよ」
「そっか、よかった買っといて。じゃあコレ開けよ」
保田さんはそう言って、センスの良いラベルの貼り付けられたボトルとグラスとを手に戻ってくる。
- 293 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月28日(土)02時43分22秒
- ――や、保田さんったら!あたしを酔わせる気なんですかーー??
酔っ払わなくても充分その気なのに……などと思っている間に、保田さんはコルク抜きをくるくると
ボトルにねじ込んでいる。
慣れた手つきでコルクを抜く姿に、かっけーなあ…と見惚れてしまった。
保田さんはまずあたしのグラスにワインを注いでくれた。
なみなみと揺れる琥珀色の美しさに思わず目を奪われる。
「これ洋梨のワインなんだ。いい匂いでしょ?」
「ほんとだ…梨の匂いがするー」
グラスをユラリと揺らしてもう一度香りを楽しんでから、ワインをひとくち口に含んだ。
甘酸っぱい風味が口の中に広がって、思わず顔がほころぶ。
そんなあたしの様子を楽しそうに眺めてから、保田さんもワインを口にした。
飲み込んで、はーっと満足そうに息を吐く。
- 294 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月28日(土)02時44分42秒
- 「…やっぱりあれだね。一緒に飲むといつもよりおいしいね」
「…………」
――……まったくこの人は…。
さり気に、しかも無自覚に殺し文句を言っちゃうんだから…。タチが悪いよ……。
赤くなっているあたしに気付きもせず、保田さんはぐいぐいとワインをあおる。 あたしもそのペースにつられて
グラスの減りが早くなった。
アルコールに手伝われるまま上機嫌で他愛ない話を交わす。
ふと昼間のことが頭をよぎって、ごっちんの笑顔を思い出したあたしはつい顔をほころばせた。
「…でも、ほんとに良かったですね。ごっちんの意識が戻って…」
「ごっちん!?」
何気に話題を振ったあたしの言葉を保田さんが聞きとがめた。
「あんた、ごっちんなんていつの間に?」
「あー……えーとですねェ…」
そうか。そういや今までは「後藤さん」だったんだ。
- 295 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月28日(土)02時46分57秒
- 今日の昼間のいきさつを説明すると、保田さんはちょっと呆れたように、でも可笑しそうにくっくっと
肩を揺らした。
「ははっ、後藤のマイペースっぷりにはホント参っちゃうわねー」
「梨華ちゃんともすでに馴染んじゃってましたからねえ。恐るべしですよ」
「まあ…あれがあいつのいい所でもあるのよね。 正直な奴だから、皆と仲良くやってるって
証拠で嬉しいよ…」
そう言って保田さんはぼんやりと遠くを見つめた。その視線を見れば何を考えているかは分かる。
思案しているのだ。
未だ告げられないでいる、彼女にいつかは突きつけなければならない残酷な事実について――
「…リハビリも少しずつだけど頑張ってますね。ごっちんは…ほんとに強い子ですよね…」
少しでも保田さんの重荷を軽くしてあげたい。
そんなことを思ったあたしの言葉に保田さんは笑って頷き、またワインのボトルに手を伸ばした。
- 296 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月28日(土)02時47分42秒
二人でいろいろと話しながら飲んでいるうち、気付くともう底が見えそうなほどワインが減ってしまっていた。
「あー、コレ二人で空けちゃいましたね…」
「んー…? ああ、ほんと…」
ふと保田さんの口調がひどくゆっくりなことに気付いて顔を見ると、いつもの保田さんのキリッとした
大きな目は今はトロンと潤んでしまっていた。
保田さん、お酒は強いはずだけど……もしかして酔っちゃった…?
しっとりと揺れる瞳が妙に色っぽくて、ドキドキと心臓が高鳴ってしまう。
- 297 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月28日(土)02時48分17秒
- 「あ、あたしちょっと…お手洗い借りますねっ」
さっと立ち上がりその場を離れ、バタンと個室に飛び込んで必死に呼吸を整えた。
と、とうとう来るべき時が来たのかぁーーー!!!
お、落ち着けひとみ!頑張れひとみっ!!
よし、いざ出陣!!
…と気合を入れて、覚悟新たに再びリビングに戻ったのだけれど。
- 298 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月28日(土)02時49分00秒
「……………」
…まあ、嫌な予感がないわけでもなかったよ…。 けどねえ………ハァ。
あたしはがっくりと肩を落として、テーブルにうつ伏せて寝息をたてている保田さんの傍らに腰を下ろした。
酔っ払ったってワケじゃなくて、単に眠かったんですね保田さん……。
まあ、疲れてるんだもん。無理ないか。
あたしはムクムクと育っていた下心を溜息とともに吐き出してしまって、そっと保田さんの顔を覗き込んだ。
無防備な寝顔に笑みがこぼれる。
意外と長い睫毛や、うっすらと開いたほの紅い唇。 柔らかな髪に、穏やかな寝顔……
すべてが愛しかった。
あたしの大好きな意思の強い瞳は、今は閉じられているけれど。
- 299 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年06月28日(土)02時49分38秒
「…保田さん、大スキですよ……」
頬にかかる髪を指先でかきわけて、そっとキスを落とした。
少しくすぐったそうに眉をしかめた保田さんを見て、また笑みがこぼれた。
ずっとこの寝顔を側で見ていられる。
そう思うと、たまらなく幸せな気持ちが込み上げてきた。
ずっとずっと、側にいられるんだ。
そう思った。
そう信じていた。
- 300 名前:フムフム 投稿日:2003年06月28日(土)02時50分10秒
- 更新でした
- 301 名前:フムフム 投稿日:2003年06月28日(土)02時51分26秒
- レスありがとうございます。
>>277 さん
そんな感動していただけるとは・・・感涙です。ありがとうございます。
明日に向かって突っ走れ・・・るといいんですが、はてさて真っ直ぐ突っ走れますかドウカ。
>>278 さん
はい、やっと素直になれました。・・・とりあえず(w
やっとごっちんを起こせてほっとしてます。主要キャラなのにマトモな登場まで300レス近くかかってる・・・。
- 302 名前:260 投稿日:2003年06月28日(土)13時30分52秒
- なんか、なんか…みんな幸せっていいなあ。
幸せな空間に泣きそう。
吉澤がもうほんとうに微笑ましいったら!
もういっちゃえ、いっちゃえって
…なのに作者さん、恐ろしげなことを言わんでくださいよ〜。
ますます目が離せなくなるぞ。と。
主要キャラ登場まで300レスってことは、もう300レスは余裕でいきますな!
続いてほしい…。(すんません)
- 303 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年07月13日(日)18時00分51秒
- *****
「よっ後藤。どう?調子は」
「あ、圭ちゃ…って、どおしたのぉーー!?その花!キレーッ!」
正午すぎ。
いつものように昼食を携えて後藤の病室を訪れた保田は、もう片方の手に大きな花束を抱えていた。
ふんわりとした柔らかそうな花びらの、可愛らしい白いバラ。
「へへ、いいでしょ。花屋で見かけてあんまり綺麗だったからさ。ちょっとフンパツしちゃった」
「すっごーい……キレーだあ…」
うっとりと花に見惚れる後藤に笑いかけ、保田は戸棚からガラスの花瓶を取り出して
ベッド脇の棚へ置いた。
水差しで水をゆっくりと注ぎ込む。
窓から射しこむ光が水に反射して、より一層ガラスを美しくきらめかせた。
- 304 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年07月13日(日)18時03分07秒
- 「ほんとは朝のうちに持ってきて生けたかったんだけどさ、時間が無くて…。でも元気に咲いてる
みたいでよかったよ」
生けられた花を満足そうに眺める保田に、ベッドの上から後藤が嬉しそうな声を掛ける。
「ね、圭ちゃんそれ、後藤のためにわざわざ買ってきてくれたの?」
「…ん?いやー…まああたしもキレーだなーって…買いたくなったんだよ」
背中を向けたまま、もごもごと照れくさそうに言い訳をする保田に、後藤は可笑しげにケタケタと笑った。
「あはっ、圭ちゃん照れてんの?かわい〜っ」
「う、うるさいな。照れてなんかないよ」
「ねー、後藤の好きな色覚えててくれてたの?そんで白い花選んでくれたの?」
「あーーもうそんなんじゃないっつーの! そんなことよりあんた、今日もリハビリだったんでしょ?
どうだった?」
強引に話題を変えた保田の言葉に、後藤は起きあがらせていた上半身をごろんとベッドに倒した。
両腕を天井に突き出しながら溜息を吐く。
自分の両手をじっと見つめながら、後藤は少しトーンの下がった声を出した。
- 305 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年07月13日(日)18時04分28秒
- 「うーん……疲れた。 なーんかさあ、全然思うように動かないんだよねー。力が入んないの」
「…まだ筋力が戻ってないんだもん。仕方ないよ」
「うん…でもさあ、ちょっと不安にもなっちゃうんだよね。 なんか、ほんとに元通り歩けるように
なるのかなあーって……」
目を伏せて後藤は小さな声で呟いた。綺麗な瞳に不安の影が色濃く表れている。
保田はそんな後藤の顔をひょいと覗き込んで、にっこりと笑ってみせた。
「後藤は頑張ってるよ。今はまだ上手くいかなくて不安だろうけど、どこも悪い所なんか無いんだから
心配いらないって。絶対歩けるようになるから、ね!」
そう言って後藤の額を人差し指ではじくと、後藤はまたいつもの屈託の無い笑顔に戻った。
- 306 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年07月13日(日)18時05分44秒
「そーだね、市井ちゃんに会う時までには少しでも歩けるようになんないとね。頑張るよ」
「………」
無邪気な笑みでそう言う後藤の瞳に、今の自分は一体どんな表情で映っているんだろうか。
後藤の口から市井の名が出るたび、保田はいつも心臓がぎゅっと縮むような悲しみと緊張を覚える。
きっと微妙に表情にも表れてしまっているんではないかと危惧するけれど、幸い後藤には
気付かれてはいないようだ。
しかしそれも時間の問題だと、そう感じていた。
「でも不思議な気分なんだよねー。なんか気付いたら2年も歳とっちゃっててさ。周りの皆も2年前と
たいして変わってないから、あんまり実感湧かないんだけど…」
「ん……そうだね」
「これって人生2年分損したことになんのかなぁ……。 ね、でも浦島太郎みたいな体験できてさ、
ちょっと面白いよね」
「はは、後藤らしいよ」
- 307 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年07月13日(日)18時06分51秒
- 保田は後藤に背を向けて、花瓶に生けた花を挿しなおすふりをした。
後藤に今の自分の顔を見られてしまうのが怖かった。
本来楽天的なところもある後藤だけれど、こういう時に心配をかけまいと精一杯明るく振舞っている
いじらしさが伝わる分、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「市井ちゃん、今頃なにやってるかな…。 2年の間に勉強がんばって、偉くなったのかなあ。
後藤もがんばんなきゃ…」
花を生ける保田の手が宙で止まる。
「はやく会いたいなあ………2年間も心配させちゃって…はやく謝りたいよ」
「………」
- 308 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年07月13日(日)18時07分55秒
「圭ちゃん?」
無言でいる保田に気付き、後藤は不思議そうに保田の背中を振り仰いだ。
保田は何か言葉を返さないとと思ったが、涙をこらえる声が震えるのを怖れて口を開けない。
「…圭ちゃん……どうしたの?……泣いてるの?」
気付かせまいと必死にこらえていたが、震える肩が保田の涙を後藤に伝えてしまった。
保田は背を向けたままうつむいて、後藤を振り返ることができない。
「大丈夫?…しんどいの?どっか痛い?」
後藤の問いかけに思わず口許を覆う。
なんとか首を左右に振ったものの、保田の肩は相変わらず小刻みに震えていた。
後藤はまだ思うように動かない身体を起こして、保田の背に腕を伸ばした。
背中に感じる掌の温かみが、保田の胸をさらにきしませる。
- 309 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年07月13日(日)18時08分46秒
「疲れてるんじゃない?ここんとこ後藤につきっきりでいてくれたから…。
休んできてよ圭ちゃん。後藤は平気だからさ」
後藤がそう言った次の瞬間。
保田は身体を翻して後藤を抱きしめていた。
- 310 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年07月13日(日)18時10分19秒
「ちょっ…圭ちゃん?どうしたの?」
すがりつくようにきつく身体を抱きしめるあたしに、後藤はひどく面食らっているようだった。
でもそんなこと気にしていられなかった。
ただ後藤にすがりながら、心の中で何度も叫んでいた。 ごめんね、ごめんね―――と…
これ以上隠せない。騙せない。
純真なこの子をこれ以上あざむけない。
あたしは後藤の首筋にうずめていた顔を上げて、真っ直ぐに後藤の目を見た。
もう涙に濡れた目を隠したりしない。
いつもと違う雰囲気に、後藤も動揺を隠せない瞳をしている。
- 311 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年07月13日(日)18時12分13秒
「………けー…ちゃ…?」
「…ずっと…はやく言わなくちゃって……思ってた…」
告げるのはあたしの責務だ。
どんなに辛くてもあたしが告げなければならない。逃げる事なんて許されない。
あたしなんかよりずっと、ずっとずっと辛い思いをするだろうこの子のために……
「…気持ちを静めて……聞いてほしい…」
神様、願わくは
この子の心をお守りください。
この子が背負う苦しみを少しでも、少しでも、代わりにあたしに負わせてください。
どうか……願わくは―――…
- 312 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年07月13日(日)18時14分07秒
- *****
え?
やだ圭ちゃん。何言ってんの?
ちょっとぉ…冗談キツイよお? やめてよそーゆーの。
ねえってば、圭ちゃん。
顔上げてよ。いーかげんに…
ねえ……やめてよ
ねえ………
- 313 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年07月13日(日)18時15分23秒
- ***
あたしが騒ぎを聞きつけて病室へ駆けつけたとき、その室内の惨状におもわず息を呑んでしまった。
砕け散ったガラス片。真っ白い花びらが床一面に散らばっていた。
ベッドからずり落ちたまま狂ったように泣き叫んでいるごっちんを、看護婦達が必死に取り押さえている。
その傍らで、涙を流したまま放心したように床に座り込んでいる保田さんの姿があった。
「安定剤を!はやく!」
医師がごっちんの腕を押さえて叫び、看護婦から受け取った注射器の針をその細い腕に刺し込んだ。
ほどなく、ごっちんの瞳は焦点を失って閉じられていく。
涙に濡れた頬には、ガラスで傷つけられたのか赤い血が小さく滲んでいた。
床に撒き散らされた白い花びらは、むしりとられた天使の羽が無残に散らばるさまに見えた。
- 314 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年07月13日(日)18時17分24秒
眠りに落ちたごっちんは再びベッドに寝かされ、床に散らばった花瓶の破片や花びらを看護婦達が
てきぱきと片していく。
あたしは床にへたり込んだままの保田さんの側へ近づき、床に膝をついて彼女の肩に触れた。
聞かなくても何があったのかは分かる。保田さんは彼女に打ち明けたのだ。
保田さんはじっと床を見つめたまま、声も出さずに泣いていた。パタパタと涙が落ちては砕け散る。
そんな彼女の手の甲に切り傷を見つけ、あたしは静かな声で語りかけた。
「…保田さん…。怪我してるから…手当てしに行きましょう……」
「………」
あたしの言葉に保田さんはうつむいたまま、何の言葉も返してくれない。
そうしているうちに、室内をすっかり片付けた看護婦達が病室から出ていった。
- 315 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年07月13日(日)18時18分51秒
- 「血が出てますよ…? ほら、立って……」
保田さんの手を取って立たせようとしたとき、彼女の唇が開いた。
「後藤……ごめんね…ごと……」
「…保田さ…」
「結局何もできない……何の力にもなれない…あたしは……」
涙に震える声でつぶやく保田さんの身体を、あたしは精一杯の力で抱きしめた。
あたしの腕の中で、保田さんは力無くなすがままになっている。
「そんなことない!保田さんは……ごっちんのために頑張ったんです!」
「………」
「こんな辛い事…たった一人で………誰にも保田さんを責めさせたりしない!
あたしが絶対保田さんを守りますから!」
- 316 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年07月13日(日)18時19分50秒
- 抱きしめた保田さんの涙があたしの肩口を濡らしていく。
あたしは泣いた。
ごっちんのことを思って泣いた。保田さんの気持ちを思って泣いた。
大切な人を失った者の悲しみはあまりにも圧倒的で、周りの者の心の奥までもを深くえぐる。
どうしようもなく胸が痛いのに、何も出来ない自分の非力さがもどかしかった。
あたしにできることは見守ることだけ。祈ることだけ。
ごっちんの心が一日も早く癒えることを。
みんなが幸せになれる日が来ることを。
目の前の大切な人たちの為にあたしが出来る事は、それだけだった。
- 317 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年07月13日(日)18時21分16秒
- ***
「吉澤!」
勤務が終わった帰り際、ロビーで聴き慣れた声に呼び止められて振り返る。
見ると、私服姿の中澤さんが小走りにこちらへ駆け寄ってくるのが見えた。
あたしの側まで来た中澤さんはひどく神妙な顔付きで、開きかけた口を迷ったように一度つぐんだ後、
言葉を選ぶように遠慮がちに口を開いた。
「聞いたで、昼間のこと…。 どうなん?後藤の様子は…」
あたしは中澤さんから目を逸らせたまま、自分が見た範囲の今日のいきさつを語った。
話を聞き終えて、中澤さんの眉間がさらに寄せられる。
「そうか……圭坊、一人で打ち明けてんな…。勇気いったやろうに…」
「保田さんもひどく落ち込んでて…今日は早めにあがってもらいました。科長たちも配慮してくださって…」
「そっか…」
- 318 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年07月13日(日)18時21分58秒
- あたし達は並んでロビーの自動ドアをくぐり、外へと出た。 夜の冷たい風が頬をしずかに撫でていく。
「で、それから後藤は…?」
「ごっちんはあれからずっと眠ったままらしいです。安定剤がよく効いてるんだと思いますけど…」
そう、心配なのはこれからだった。
目を覚ましたごっちんは、一体どうなってしまうんだろう…。
「…明日ごっちんに、なんて声をかければいいんだろうって…。何を言ったって、ごっちんを慰めては
あげられないから…」
「…そやな……今は…」
あたしの言葉に中澤さんは苦しそうな声で頷いた。
そのままゆっくりと歩みを進めながら、お互いしばらく無言でいて。
あたしが何の言葉も見つけられないでいると、隣を歩く中澤さんがまっすぐ前を見据えポツリと呟いた。
自分に言い聞かせるような、芯の通った声で。
「でも…時間は掛かっても、きっと後藤は立ち直ってくれるって信じてるよ。
あたしらはあたしらの出来る限りのことをしていこ。後藤のために」
「…はい……」
- 319 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年07月13日(日)18時22分48秒
寮の前で中澤さんと別れたところで、あたしはカバンから携帯を取り出した。
ボタンを押して、コール音に耳を当てる。
10回ほど鳴ったところでコールは途切れた。
『はい…』
「あ、吉澤です…」
保田さんの声は当然かもしれないが沈んでいるようだった。
あたしは努めて暗くならないように、普段どおりのトーンで保田さんに語りかけた。
「あの、保田さん今家ですよね? 今からあたし、お邪魔したいんですけどいいですか?」
今夜はずっと保田さんの側についていようとあたしは思っていた。
側にいてどうなるわけでもないけど、慰めの言葉も見つからないだろうけど、側にいてあげるだけでも
気持ちは落ち着くと思ったから。
少しの沈黙のあと、保田さんの小さく息を吸う音がした。
- 320 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年07月13日(日)18時23分20秒
- 『ありがと……でも今日は一人でいたいんだ。 ごめんね、また明日…』
心なしか保田さんの声が少し明るく聞こえた。
あたしに心配させまいとして、無理に声色を上げたんだろうって分かってしまう。
でも、保田さんが無理してるって分かっても、きっぱり断られてしまったら押しかけることなんてできない。
それに保田さんの気持ちはわかる。
ごっちんが独りきりの夜を過ごしているというのに、保田さんの側にあたしがいるというのがきっと
許せないんだろう。
保田さんを独りにするのは心配だったけど、あたしは今日は引き下がることにした。
- 321 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年07月13日(日)18時23分58秒
- 「そうですか……じゃあ、早めに休んでよく眠ってくださいね。おやすみなさい…」
『うん、ありがと。おやすみ…』
携帯を切ってあたしは溜息をついた。
肝心な時に側にいられないなんて、恋人としてちょっと情けないなって思うけど。
でも保田さんがあたしを呼んでくれれば、あたしはいつだって、どこへだって駆けつけるから。
あたしはふと顔を上げて空を見た。
そこには、夜の闇に負けないようにと星たちが懸命に小さな光を放っていた。
- 322 名前:フムフム 投稿日:2003年07月13日(日)18時25分41秒
- 更新です。
>>302 さん
みんな幸せで喜んで下さってたというのにすみません、早速幸せじゃなくなってき(ry
300レスはさすがにいかぬはずと思いたいですが、しかしなかなか終わりがみえてこないです。ウウム。
目が離せないだなんて嬉しいお言葉。このまま見放されないようガンバリます。
- 323 名前:名無し読者 投稿日:2003年07月14日(月)23時23分26秒
- あぁ…いたぃ…
保田さんのことを思っても、ごっちんの事を思っても
よっすぃーのことを思っても…みんな切ないなあ…
誰かが悪いって訳じゃないから余計にやるせないっすね
- 324 名前:260 投稿日:2003年07月14日(月)23時25分20秒
- ああもう、なんてこった!
作者さん、あんた、あんた…鬼だ! 幸せでいいじゃないかぁぁあああ!
……すみません、とりみだしてしまいまして。
吉澤、こういうときは待っていたらダメだぞ、がむしゃらに前に出ろ。
受けとめるんじゃない、抱きしめろ!
うやむやで冷えてしまうのが一番怖いからな…。
どんどん引き込まれております。
- 325 名前:名無し読者 投稿日:2003年07月17日(木)00時43分34秒
- とうとう真実を伝えたんですね・・・
嘘をつき続けることは出来ないけど
辛すぎる現実だぁ・・・
作者さん毎回更新を楽しみに読ませてもらっています
作者さんのペースで頑張ってください。
- 326 名前:みるく 投稿日:2003年07月17日(木)09時23分35秒
- 今日初めて読まさせてもらいました。
文章がすごくきれくて、引き込まれました。
これからのごっちん、やすいしがとても気になります。
楽しみにしています。頑張ってください!!
- 327 名前:みるく 投稿日:2003年07月17日(木)09時55分27秒
- ↑ごめんない
やすいしじゃなくて、やすよしでした。
本当にごめんなさい。
- 328 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年07月19日(土)20時37分40秒
- *****
ガラガラガラガラ……
病院の廊下にワゴンを押す音が響く。
昼食の膳を回収にまわっている石川の表情は、暗く沈んでいた。
「石川ー」
「あ…矢口さん…」
ひときわ小柄なナースが石川の姿を見つけて駆け寄ってくる。
その明るい色の前髪からのぞく瞳にも、心配げな光が宿っていた。
- 329 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年07月19日(土)20時38分54秒
- 「ごっつぁんどうだった?食べた?」
「…今日もダメです…食べてくれません…。どんなに説得しても私の声なんか聞こえてないみたいに、
ぼーっと空を見つめて…」
そう言って、石川は涙ぐんでうつむいた。矢口も沈痛な面持ちで目を伏せる。
「まるで生きることを拒否してるみたいで……このままごっちん…死んじゃうんじゃないかって…」
「バカ!そんなわけないじゃん!」
矢口が咄嗟に声を荒げると、石川は「すいません」と、さらに涙を浮かべてうつむいた。
矢口は自分より高い位置にある石川の肩に手を置いて、優しく、なるべく明るい声で語りかける。
「栄養は点滴で摂れてるんだし、石川がそんなに落ち込むことはないよ。 今はショックが大きすぎて、
不安定になっちゃってるけど……ごっつぁんは絶対立ち直ってくれるよ!ね?」
「…はい……」
- 330 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年07月19日(土)20時40分06秒
- それでも蚊の鳴くような力無い返事を返す石川に、矢口は指先でその額を軽くはじいてやった。
びっくりしたように顔を上げた石川にニカッと明るい笑ってみせて、よしよしと頭を撫でてやる。
そこでようやく石川もつられたように笑顔を見せて、手の甲で涙を拭ってから元気な声を出した。
「えへへ…すいませんでした。 じゃ、回収の続きありますから…」
「おう、がんばれよっ!」
ワゴンを押して去っていく石川の後姿をしばらく見つめたあと、矢口は誰にも聞こえないように
小さく息を吐いた。
石川に言った言葉は、なにより矢口が自分自身にも言い聞かせたい言葉だった。
- 331 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年07月19日(土)20時41分18秒
- ***
「ごっちん…?」
太陽が西へと傾きかけた時刻。
吉澤は時間を作って後藤の病室を訪れた。
後藤はベッドに横になって、ぼんやりと窓の外を眺めている。
ドアを静かに閉めて、吉澤はベッドの傍らの椅子に腰を下ろし後藤に笑顔を向けた。
「…ごっちん、またお昼食べなかったんだって? 食べなきゃ身体に良くないよ?」
「……食べたく…ないから…」
視線を窓に向けたまま、後藤はポツリと呟いた。
もともと白い後藤の肌は、食事を取らなくなってから一層青みを増した。
そんな痛々しい姿が吉澤の胸に刺さる。
- 332 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年07月19日(土)20時42分25秒
- 「…でも食べないと力つかないよ? せっかくごっちんリハビリ頑張ってたじゃん…」
そこまで言って、吉澤ははっと言葉を止めた。
窓の外を眺める後藤の目から、一筋の涙が零れ落ちる。
「ごっちん……」
吉澤の言葉に何の反応も示さず、後藤はぼんやりと窓の外を眺めたまま泣いていた。
虚ろな瞳から涙はとめどなく溢れ、滑らかな頬に幾筋もの軌跡を残していく。
その瞳の先に、誰の面影を映しているのだろうか。
吉澤は胸が張り裂けるような切なさに、涙をこらえるのに精一杯になる。
何を言っても今の後藤には届かないだろうと思いながらも、一言言葉を残していく。
「…お腹空いたらいつでも言ってね。 クリームコロッケだって何だって、頑張って作っちゃうからさ、ね?」
病室を出る時、もう一度後藤の姿を振り返る。
その瞳は変わらず窓辺に向けられたまま、涙を流しつづけていた。
- 333 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年07月19日(土)20時43分18秒
- ***
外科室に戻ると、そこは保田さん一人だけだった。
部屋に入ってきたあたしの姿を見とめて、彼女は小さく微笑んだ。
「お疲れ。コーヒーでも淹れようか」
「あ、いえ、それならあたしが…」
「いいから。座ってて」
デスクから立ち上がって、保田さんはコーヒーメーカーに落としておいたそれをカップに注いでくれた。
あたしは言葉に甘えてそのままソファに腰を下ろし、その様子をじっと見つめる。
「熱いから気をつけて」
隣に腰を下ろしカップを手渡してくれる。 その笑顔が、心なしか幾分ほっそりしたように思う。
…ちゃんと食べてるのかな―――。
ごっちんのことだけでなく、あたしは保田さんのことも心配だった。
- 334 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年07月19日(土)20時44分16秒
「後藤……今日も食べなかったってね」
「…そう、みたいですね…」
保田さんの言葉に、さっき目にしたごっちんの涙を思い出して胸が詰まった。
またじわりと涙が浮かんできそうになるのをぐっとこらえて、保田さんに笑顔を向ける。
「でも…ごっちんは絶対大丈夫ですよ。 ごっちんは…ダメになったりしない。絶対立ち直ってくれます…」
「…うん……」
保田さんは相槌を打って、静かに微笑んだ。
コーヒーをひとくち口にしたあと、カップをテーブルに置いて保田さんは背もたれに身体をあずける。
湯気の立つカップに視線を留めながらしばらく無言でいた後、彼女は低い声で呟いた。
- 335 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年07月19日(土)20時45分31秒
- 「でもね……後藤、あたしを責めないんだ…。 あたし覚悟してたんだよ、後藤に言われるの」
「…保田さん……」
視線を変えない保田さんの横顔に、少し自嘲気味な笑みが浮かぶ。
「市井ちゃんを返して…って、責められるの…受け止める覚悟してた。 なのに、あいつそんな言葉
一言も言わないの。ただ黙って泣くだけ。 ただ…独りで泣くだけなんだ……」
そこまで言って、保田さんはたまらなくなったように片手で顔を覆った。
確かに、静かに涙を流すごっちんのあの姿は、保田さんにとって何よりの責め苦になっているだろう。
あたしは横からそっと保田さんの肩に手を回して、優しくその身体を包み込んだ。
泣き顔を見られるのは嫌だろうから、胸元の方へ頭を引き寄せる。
あたしの胸に顔をうずめ、保田さんはあたしの白衣をぎゅっと握り締めた。
- 336 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年07月19日(土)20時46分16秒
- 「…あたしはずるいよ。 あんたがこうやって抱きしめてくれて、苦しい気持ちを救ってもらえる…。
でも、後藤には紗耶香じゃなきゃ…。あたしがいくら抱きしめてやったって、あの子の悲しみを
救ってあげられないんだ……」
「………」
確かにそのとおりなんだ。
ごっちんが求めているのは、抱きしめてほしいのは、紗耶香さんだけだろう。
どんなに泣いても祈っても、戻ってこない。 もう触れることの叶わない人。
愛する人を失う悲しみなんて、あたしにはわからない。わかりようもないだろう。
もしあたしが保田さんを失ってしまったら―――なんて…
そんなこと想像もできない。考えたくもない恐怖だ。
でも―――…
- 337 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年07月19日(土)20時48分16秒
- 「…でも、保田さん…。紗耶香さんを失った悲しみから、保田さんは立ち直ったでしょう…?」
「………」
「もちろん寂しさは消えはしないだろうけど……でも、人は絶対に、悲しみを乗り越えて生きる強さを
持ってると思う…。違いますか…?」
あたしの腕の中で、保田さんはゆっくりと首を振った。
「…だから、ごっちんもきっと……時間はかかるだろうけど、きっと乗り越えてくれるって信じてます。
ごっちんなら……きっと大丈夫…」
「うん……うん…」
- 338 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年07月19日(土)20時50分04秒
あたしの背にまわされた保田さんの腕に、ぎゅっと力がこもる。
自分が少しでも保田さんの支えになれていることが嬉しかった。
あたしも彼女を抱きしめる力を強くして、目を閉じて祈った。
ごっちんのために。
ごっちんにもどうか、愛する人が―――生きる希望となる人が、いつかきっと現れてくれますように。
神様に、
そして紗耶香さんに、祈った―――
- 339 名前:フムフム 投稿日:2003年07月19日(土)20時50分35秒
- 更新でした
- 340 名前:フムフム 投稿日:2003年07月19日(土)20時52分29秒
- レスありがとうございます。
>>323 さん
イタイですか。うーんすみません。確かに辛い目にあわせちゃってますねえ。
好きなメンバーばっかりなのになんで苛めちゃってんでしょうかね・・・。
>>324 さん
鬼ですか?いやはやすみません。しかしこれから更に・・・ゲフゲフ。
ご進言、ウチのよすこさんに届くとよいのですが・・・ シャカシャカ♪ (Ω0^〜^)
- 341 名前:フムフム 投稿日:2003年07月19日(土)20時54分05秒
- >>325 さん
そうですね、やはり避けては通れない道ということで・・・。
一応週一更新を目指しているんですがナカナカ難しいですね。励ましのお言葉ありがとうございます。
>>326 さん
読んでくださってありがとうございます。拙い文章ですがお褒めいただいてとても嬉しいです。
やすよしごまの行方はどうなりますか・・・最後までお付き合いいただけるように頑張ります。
- 342 名前:名無し読者 投稿日:2003年07月22日(火)11時38分59秒
- 切ないねぇ…
一人で受け止めるには重過ぎる事実…
- 343 名前:260 投稿日:2003年07月22日(火)19時40分54秒
- 更新お疲れさまです。
乗り越えるのと忘れるのと、紙一重だったりするからね…そこがつらいよ。
まずは目の前の大切な人をつかまえておけ、吉澤。
なんか、先が見えないというか。
そうそう光が見えそうにないというか。
とにかく、はまり続けます。
- 344 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年07月29日(火)21時59分34秒
- *****
コンコン。
小さくノックして、音を立てないようにドアを開ける。
暗い病室に静かに足を踏み入れた。
ひっそりとした室内には、小さな寝息以外に耳にとどく音はない。
――こぼさないようにしないと……
保田は手にガラスの花瓶を持っていた。そこには一輪の花がささっている。
あの日、錯乱した後藤が花瓶を割ってしまってから、病室には花がなかった。
保田は白い花に似合うものをと探してこのガラスの花瓶を買った。
窓辺へと歩み寄り、小さな出窓状になっている所へ花瓶を置く。
室内の暗さに目が慣れてきたところでベッドの後藤に視線を落とした。
- 345 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年07月29日(火)22時01分01秒
- 「っ! ――起きてたの?」
眠っているとばかり思っていた後藤は、目を開けてぼんやりと保田の方を見ていた。
保田の声に、後藤は少し睫毛を伏せて答える。
「…目が…覚めたの……」
「あ、ああ……起こしちゃったんだ。ごめんね…」
ちょっと照れくさそうに保田は笑って、戸棚から出してきた毛布をソファの上へ広げた。
着ていた白衣を脱ぎながら後藤に微笑みかける。
「今日はあたしがここで寝るからさ、何かあったら起こしてね。お腹空いたとかでもいいから…」
そこまで言ったところで保田は口をつぐんだ。
後藤の視線が窓辺の花へと向けられている事に気付いたからだ。
- 346 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年07月29日(火)22時02分29秒
「ああ…綺麗でしょ?これ…」
保田は再び窓辺へと寄って、月明かりの下に白く浮かび上がる花に手を添えた。
ゆるやかにうねった茎の先にあるのは大きな蕾で、その花びらはまだ開いてはいない。
「『月下美人』っていってね、夜のほんの数時間だけしか咲かないの。
花が開くのは少しの間だけだけど、真っ白でね…すごく綺麗なんだよ……」
まだ咲いてはいないけれど……
首をのばして月を仰ぐ凛としたその姿は、懐かしい彼女を思い出させた。
後藤を見ると、同じようにじっと花に見入っている。
彼女もまた、そこに愛しい人の面影を映しとっているのかもしれない……
- 347 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年07月29日(火)22時03分57秒
「あっ……」
一体どれくらいの時間、黙ったまま二人で花を見つめていただろうか。
じっと眺めている時は気付かなかった。 でも確かに、最初よりも蕾がわずかに開いている。
花がゆっくりと咲きはじめていた。
「後藤、ほら!咲き始めてるよ!」
嬉しさに声を弾ませて後藤を振り返った保田は、そこでピタリと動きを止めた。
「ごと……」
後藤は泣いていた。
開きはじめた花をじっと見つめながら。声も出さずに。
- 348 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年07月29日(火)22時05分19秒
- 「…後藤……!」
保田は後藤の側に駆け寄ってその身体を強く抱きしめた。
保田の腕の中で横たわったまま、後藤はじっと花に視線を据えたまま身じろぎひとつしない。
「後藤…ごめんね……ごめ…」
――後藤はこんな風に泣く子じゃなかった。
虚ろな瞳のまま声を立てずに泣くような、こんな悲しい泣き方をする子じゃなかった。
後藤がこんな風になってしまったのは、すべて……
- 349 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年07月29日(火)22時06分15秒
「…圭ちゃん……」
シーツに瞼を押しつけて泣いていた保田の耳に、後藤の小さな声が届いた。
涙に濡れた顔をあげて、後藤の目を覗きこむ。
「何…?後藤……?」
後藤の白い頬はまだ濡れていたけれど、涙はもう流れてはいなかった。
相変わらず視線は窓辺の花に向けられたままで。
「圭ちゃん……あたしのこと、好き…?」
力無い声で後藤はそう聞いた。
保田はいきなりの質問の意味を量りかねてとまどったが、素直に言葉を返す。
「…うん、好きだよ…?」
保田の返事に、後藤はしばらく黙り込んで。
そして、機械のような動きで、唇を動かした。
- 350 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年07月29日(火)22時07分42秒
「じゃあ、後藤のこと愛してよ。市井ちゃんの代わりに…」
「…っ……」
後藤の言葉に保田の目は大きく見開かれた。
言葉につまって何も言えないでいる保田に、後藤の瞳がはじめて動いた。
花から保田へ視線を移す。
「な……何言って…」
「ねえ……できないの? …できないんなら、後藤のこと殺してよ」
「――後藤!!」
思わず鋭い声で叫んだ保田だったが、後藤の目を見て再びひるんでしまった。
後藤は自分をみつめたまま、その目からまた涙を溢れさせている。虚ろな視線のままで。
- 351 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年07月29日(火)22時08分49秒
「殺してよ……市井ちゃんに会いたいよ…」
「…………」
「会いたい…。 ねえ圭ちゃん……市井ちゃんに会いたい…」
思わず保田は両手で耳をふさいだ。
歪んだ目元から涙がにじんで、目の前の後藤の姿がユラユラと揺れる。
「もうこんな辛いのやだ……市井ちゃんのとこに行きたい………ねえ、圭ちゃ…」
- 352 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年07月29日(火)22時10分22秒
たまらず保田は後藤の身体を抱きしめた。
さっきよりも強く、強く。
「……もっとぎゅってして…」
言われるままにさらに力を込める。
後藤の孤独も悲しみも、全部、全部抱きしめてやりたかった。
「キスしてよ…」
「……ごと…」
「市井ちゃんはしてくれたよ…。 後藤好きだよって、笑って言ってくれたよ……。 ねえ…圭ちゃん…」
保田はゆっくりと顔を上げた。後藤のガラス玉のような瞳がそこにある。
悲しい色の瞳に見つめられ、胸が切なさに締め付けられた。
「……好きだよ……後藤…」
- 353 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年07月29日(火)22時11分56秒
- 唇をあわせた。
紗耶香がそうしていたように。
笑うことなど、もちろんできなかったけれど―――…
「…もっとして……」
軽く触れて離れたあたしに、後藤は再び懇願する。
もう一度、キスを落とした。
「もっと……」
「………」
「…もっ…と……」
- 354 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年07月29日(火)22時13分43秒
- 後藤の目はあたしを見てはいなかった。後藤はあたしの中に紗耶香を探していた。
わかってる。こんなことは間違ってる。
でもその時のあたしは―――
ただ、後藤が望むことに応えてやりたかった。
それがどんなことでも。
どんな、愚かなことでも……
- 355 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年07月29日(火)22時14分48秒
月明かりの下、蕾は静かに大輪の花へとその姿を変えていた。
誇らしげに、幾重もの花びらを広げて。
シーツの擦れる音と、時折ベッドの軋む音だけが響く部屋の中――…
あたしたちの過ちを、真っ白な花だけが見つめていた。
- 356 名前:フムフム 投稿日:2003年07月29日(火)22時15分20秒
- 更新です
- 357 名前:フムフム 投稿日:2003年07月29日(火)22時15分59秒
- >>342 さん
ごっちんスマソ・・・と心の中で平謝りながら書いてます。
しかもこんなことになってしまいました。ドロ沼ー・・・。
>>343 さん
よすこさんもスマソ・・・。なんでこうアイタタな展開にしてしまうんでしょう。
毎回260さんのご助言に逆らうような展開になってばっかですがワザとじゃないのでお許しを。
- 358 名前:フムフム 投稿日:2003年07月29日(火)22時16分46秒
- 流しときます
- 359 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月30日(水)23時33分26秒
- うわ〜〜ん。
何だかもう、うわ〜ん。
早くみんながシアワセになれますように。
- 360 名前:260 投稿日:2003年08月01日(金)01時32分46秒
- 更新お疲れさまです。
おいおいおいおいおいおい!
吉澤ばっかり見張ってたら…なんてこった!
「過ち」、なのか? そう思ってるのか?! いや、過ちなんだろうけど…
やばいぞ、完全に作者さんの掌で転がされてる…
落ち着くために客観的感想。
月光に浮き上がる真っ白い花と病室内の…の対比が、画として浮かびました。美しいです。
小道具の利かせ方が好きです。
というわけで次回も楽しみです。
- 361 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月09日(土)21時46分59秒
- *****
「えっ!本当!?」
「うん!もう私うれしくって…」
看護婦の詰所の前を通りかかった吉澤の姿を見つけて、石川は吉澤を呼び止めた。
その口から、吉澤は嬉しい話を聞かされた。
「本当に?ごっちんゴハン食べてくれたの?」
「うん!まだ全部は食べれないみたいだったけど、半分くらい食べてくれたんだよ!」
石川は心底嬉しそうな笑顔で吉澤にそう報告した。
吉澤も喜びを隠せず、つい大きな声ではしゃいでしまう。
- 362 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月09日(土)21時47分46秒
- 「よかったぁー…! 少しずつでも食べる気を取り戻してくれたってことだよね…。ほんとによかった…!」
思わず涙がこみあげそうになるのを抑え、吉澤はまたにっこりと笑った。
「そうだ、保田さんにも教えたげなきゃ。喜ぶよぉー…」
「あ、保田先生はもう知ってるよ。 っていうか…一緒にその場で食べてたからね」
「そうなの? じゃあなおさら嬉しかっただろうなぁ…」
嬉しそうに微笑む吉澤の横顔をちらりと見て、石川は少し笑みを小さく収める。
吉澤に気付かれないように、それでも少し、不安げな表情を浮かべた。
――ごっちんが食事を取るようになってくれたのは、ほんとに嬉しいけど…
- 363 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月09日(土)21時48分24秒
- ひっかかりというか、違和感というか。
さきほど目にした保田と後藤の姿に、石川はひそかにそんな疑問も感じていた。
違和感とは何か―――、尋ねられてもうまく答えられないだろう。
石川自身もそれが何なのかよくわかっていなかったから。
『 圭ちゃん、もっとこっち来て。 側にいて 』
『 もう行くの? 次は何時ごろ来てくれるの? 早く戻ってきて。 待ってるから 』
依存…? 執着…?
わからないけど、何かが違っていたような気がした。
元気だったころのごっちんが見せていたワガママや甘えとはまた違った、切羽詰まったような感情…。
それを受け入れている保田先生も、いつもとどこか違う。
笑顔を見せていても、なにか―――…
- 364 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月09日(土)21時49分17秒
「梨華ちゃん?」
物思いにふけっていたところで、吉澤が不思議そうに声を掛けてきた。
はっと我に返って石川は顔を上げる。
「どうかしたの?」
「うっ、ううん!何でもないの!」
心配そうな顔で自分を覗き込む吉澤に、石川は慌てていつもの笑顔を作り直した。
それを見て、吉澤は再び安心したように微笑む。
――気にしすぎかな…。今ごっちんは心細くなってるから……そのせいだよね。
心の内でそう自分を納得させて、石川は嬉しそうに微笑む吉澤にもう一度笑顔を返した。
- 365 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月09日(土)21時50分37秒
- *****
石川の抱いた疑問は、さして間もないうちに他の者たちの感じるところとなった。
常に保田を求める後藤。
姿が長く見えないと、ひどく不安を示して保田の名を呼ぶ。
保田が後藤のもとへ駆けつけると、その存在を確かめるようにぎゅっと縋りついたり。
安心させるように、保田も後藤を優しく抱きしめ返したり…。
- 366 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月09日(土)21時51分44秒
- 「でもちょっと心配だね。なんかごっつぁん、あんまり不安定でさ…」
「…そうですね……」
食堂で矢口と一緒になった吉澤は、昼食を取りながら二人のことに考えをめぐらせていた。
矢口たちと顔を合わせれば、話題は自然と後藤のことになってしまう。
「ここ一週間くらいだよね。ごっつぁんゴハン食べるようになって、口数も少し増えたけど…どうなんだろう。
圭ちゃんはずっと病室に泊まってるんでしょ?」
「一度家に着替えに帰って、それからまた病院に戻ってきたりしてるみたいです…」
吉澤の言葉を聞いて、矢口ははーっと溜息をついた。
「圭ちゃんのことも心配だよね。最近あんまり元気ないし…ぶっ倒れちゃったりしなきゃいいけど…」
保田と交代で後藤に付き添うことを皆が申し出たけれど、保田はそれをやんわりと拒否した。
なにより後藤自身が望まないのだ。保田以外の人間を。
- 367 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月09日(土)21時52分38秒
- 「まあ…ごっつぁんの辛さはオイラたちには分かりようもないくらい、大きすぎるから……
今は仕方ないのかもしれないけどね…」
矢口はそう言ってトレイを持って立ち上がった。
高い位置から吉澤を見下ろして、にっこりと明るい笑顔を作る。
「よっすぃーはさ、圭ちゃんのことしっかり支えてあげてね。 やっぱ今の圭ちゃんはよっすぃーを一番、
誰より必要としてるだろうからさ」
「…はい…」
じゃあね、と手を振って去っていく矢口の後姿を見送って、今度は吉澤が溜息をつく。
―――必要……か…。
- 368 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月09日(土)21時53分28秒
- 正直そういう自負はあった。
保田さんが疲れている時、落ち込んでいる時、誰よりも彼女の力になってあげられるのはあたしだと。
彼女も、あたしを必要としてくれていると。
だけど、最近の保田さんは何か不自然だった。
あたしへの態度。 ぎこちない笑顔や、まるで合うのを怖れるように避けられる視線。
――何かあったんですか――?
聞きたいけれど、聞くチャンスも、一緒にいる時間もほとんど作れなくなっていて…
- 369 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月09日(土)21時54分39秒
「――ほんっと情けないなぁ……あたしって…」
周りに聞こえないくらいの小さな声で呟いて。
吉澤はモヤモヤとした気持ちを胸に抱えたまま、軽くなったトレイを片手に重い腰をあげた。
- 370 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月09日(土)21時55分39秒
- *****
その日の夜、12時もまわった頃。携帯の着信音が寮の部屋に鳴りひびいた。
あの人が好きだと言っていた、とあるジャズの名曲。
最近滅多に鳴らなくなっていたその着信音を耳にして、あたしは慌ててカバンの中から携帯を探り出し
通話ボタンを押した。
「も、もしもしっ!」
『あ…吉澤? 悪いね遅くに…寝てなかった?』
大好きな声が電話ごしに聞こえてきて、思わず頬がゆるんでしまう。
ベッドに座りなおして明るい声で返事をした。
- 371 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月09日(土)21時57分07秒
- 「いえ、起きてましたよ。 保田さんは?今夜も病院ですか…?」
『うん…』
ごっちんの側には今日も保田さんがいる。
不謹慎だけど、あたしはやっぱり軽い嫉妬を覚えてしまう。
そんな醜い考えを吹き消したくて、さっきよりも元気な声を作って話をすすめた。
「で、どうしたんですか?いきなり電話くれるなんて」
『あ、うん……あのさ、あんた明日の日曜…ヒマ?』
「えっ?」
『もし時間あったらさ、その…どっか出かけない?』
「………」
…えーと……それは、つまり…
- 372 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月09日(土)21時57分53秒
『……おーい、吉澤?聞いてる?』
「…あの……それってデートのお誘いですか…?」
保田さんは言葉に詰まったように、無言になる。
きっと受話器の向こうで顔を赤らめているんだろうって、想像して可笑しくなった。
『なによ!嫌ならいいわよっ別に!』
「や!ちがっ…嫌なんかじゃないですよう!すっごい暇です!デートしたいです!」
デート、という言葉がなにやら彼女は恥ずかしいらしい。
あたしがその言葉を口にするたびに、いちいち返答に詰まる様子がなんとも可愛い。
- 373 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月09日(土)21時58分49秒
- 『えっと…あたし朝に一度病院に行って、夜にまた戻るつもりだから…昼の間しか無理なんだけど…』
「全然構いませんよ。少しの間でも会えるだけで嬉しいですから」
『そ、そう…』
照れる保田さんの声を聞きたくて、あたしはわざとストレートな言葉をぶつけていじわるをする。
時間と待ち合わせ場所を決めて電話を切ったあと、あたしは枕を抱きしめてベッドに寝転がった。
「へへっ……デートだあーっ」
ニヤける顔を枕にうずめてベッドの上をごろごろと転がる。
さっきまでごっちんに感じていた小さな嫉妬心は、どこかへ吹き飛んでしまっていた。
電話口での保田さんは近頃の元気の無さを感じさせない明るい声で、
それがまたあたしを安心させてくれた。
ここ最近感じていた不安や憂鬱が一気に晴れてしまう。我ながらゲンキンだなって思うけど。
- 374 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月09日(土)21時59分32秒
- 「おやすみなさい、保田さん…」
明日会えるはずの保田さんの笑顔を思い浮かべて、あたしは瞳を閉じた。
幸せな気持ちを胸いっぱいに抱えて。
明日が幸せな一日になると、疑いもなく信じて。
- 375 名前:フムフム 投稿日:2003年08月09日(土)22時00分19秒
- 更新でした
- 376 名前:フムフム 投稿日:2003年08月09日(土)22時01分00秒
- >>359 さん
嘆かせてしまってまことにすみませんです。
どうぞ皆のしあわせを祈ってやっていてくださいませ・・・。
>>360 さん
イヤ、読者さまを転がす力量などござんせんですよ。話を運ぶのだけで四苦八苦ですんで。
小道具ほめてくださってどうもです。いい感じに利いてれば嬉しいです。
- 377 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月10日(日)23時48分39秒
- やっとデート!!
と、思ったら。
最後の一行になにやら不穏な空気を感じるんですけど・・・。
- 378 名前:260 投稿日:2003年08月14日(木)00時30分04秒
- ベッドの上で転がる吉澤がすんごい愛くるしいのにな〜。
このままでいいのに…いや、解決にならないな。
なんかやばそう。
- 379 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月22日(金)23時14分28秒
- *****
鏡の前に立って、くるりと一回転する。
薄くグロスの光る唇で、にっこりと微笑んでみる。
「…よしっ」
メイクもばっちり。髪型もばっちり。服装もばっちり。
時計を見ると、約束の時間まであと20分といったところだった。
もう一度鏡を見る。そこにはめずらしくスカートなんかをはいた自分の姿。
- 380 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月22日(金)23時15分21秒
- 「保田さん…なんて言うかな?」
いつも職場では研修医の白衣にズボン姿。
私服だってジーパンとか、動きやすい格好ばかりしちゃってるあたし。
今日はいつもと違った姿を見てもらいたくて、前に一目ぼれして衝動買いしたまま一度も着たことの
なかったスカートをおろした。
上品な藤色のスカートはふんわりと空気をはらんだような凝った素材のもので、柔らかなラインが嫌味の
ない女らしさを演出してくれる。
甘くなりすぎるのもどうかと思ったので、上にはかっちりとした細身の白いブラウスをあわせた。
「へっへー……けっこーいいじゃん?」
我ながらこういうカッコもなかなか見れるじゃないか、と、ちょっぴり自惚れたりしながら、
あたしは鏡に映る自分の姿に満足してもう一度くるりとまわった。
- 381 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月22日(金)23時16分41秒
- 「やば!いつまでもこんなことやってる場合じゃないや。行かないと…」
再び時計に目をやって、あたしはくるくると回転させていた身体をピタリと止めた。
今日は寮まで保田さんが迎えに来てくれる約束。
早めに行って、保田さんが来るまでに待っときたいもんね。
もう一度鏡をにらみ手櫛で前髪を整え、あたしはカバンを手に玄関を出た。
うっかり鍵を閉め忘れてそのまま駆け出しそうになったところではたと気付き、慌てて踵を返して
カバンから鍵を探る。
身も心もこれ以上ないほど浮き足立たせてしまっている自分に、少し赤面してしまう。
鍵をきちんと閉めたことを確認して、あたしは今度こそと軽快に身を翻した。
階段を駆け下りる足音が、胸の鼓動と歩調を合わせるように速まった。
- 382 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月22日(金)23時18分54秒
- 「えっ」
寮の門を出たところで思わず足が止まった。
門の前の道路にはすでに見覚えのある車が停まっていて、それに寄りかかるようにして佇んでいる
保田さんの姿があった。
時計を見ると、まだ待ち合わせの15分前。
「――あ、おはよう」
立ちすくんでいるあたしに気付いた保田さんが顔を上げ、にっこりと微笑んで片手を振る。
あたしは急いで保田さんの許まで駆け寄った。
- 383 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月22日(金)23時19分45秒
- 「すいません!待たせちゃいましたか?」
「ううん、あたしが早く着きすぎただけだからさ。気にしないで」
「そんな……呼んでくれたらすぐ出てきたのに…」
「あはは、だから気にしなくていいってば。女の子を急かすようなことしちゃダメでしょ?」
どこぞの紳士のようなセリフを吐く保田さんに、あたしは思わず照れて言葉を詰まらせた。
そこでふと、保田さんの服装に目がいく。
ぴったりと太腿にフィットしたブーツカットのジーンズ。
厚手の糸でざっくりと編まれた黒いニットが、ジーパンにも保田さんにもぴったりで、すごくかっこいい。
保田さんはこういうカッコが似合うなあ……と、しみじみ見惚れていたけれど。
基本的には別段いつもと変わらない保田さんの格好。
特別気合いを入れてきたとか、そんな雰囲気は全く無くてとても自然だ。
- 384 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月22日(金)23時20分23秒
- …なんかあたし、一人で気負いすぎちゃった……?
途端に無性に恥ずかしくなってきた。いつもと明らかに違う自分の姿を少し縮ませてうつむく。
保田さん、どう思ってるだろう……呆れちゃったりしてるかな?
いや、もしかしたらいつもと違うなんて、気づいてないかも……
「――可愛いじゃん」
「えっ?」
保田さんの突然の言葉にあたしははっと顔を上げた。
見ると保田さんは車体にもたれて腕を組んだまま、にっこりと微笑んであたしの姿を眺めている。
- 385 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月22日(金)23時21分06秒
- 「スカート。 似合う」
「………」
あたしがこんなこと言おうものなら自分は真っ赤になって照れちゃうくせに。
人にはさらっと言ってのけちゃうんだから。
自覚あるのかないのか分かんないけどさ、タチ悪いですよ……。
「あんたは色白だからさ、こういう淡い色がよく似合うよね。すごく綺麗だな」
「…あ、ありがとうございマス……」
さらに賞賛してくれるセリフが照れくさいやら嬉しいやらで、あたしはうつむいたまま
もごもごと返事を返す。
保田さんはそんなあたしの様子に気づく素振りも見せず、さてと、と呟きながらひとつ伸びをして
運転席の方へ移動した。
「さ、乗って。行こう」
「あ、はいっ…!」
保田さんに促され助手席のドアに手を掛ける。
今日一日の期待に再び胸を高鳴らせ、あたしは座り心地の良いシートに身体を沈めた。
- 386 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月22日(金)23時22分22秒
- ***
「いい天気だね。どこに行こっか」
あてもなく車を走らせながら、保田は助手席の吉澤に声を掛けた。
吉澤は窓から射しこむ光に目を細めながら、うーんと顎に手をあてて思案する。
「そうですねー……どっか緑の多い、綺麗な所でゆっくりしたいな…」
「いいね。公園でも行く?」
「じゃあお弁当買いましょう! サンドイッチとか食べて、のんびりする!」
「オッケー。じゃあまずは食料調達だね」
微笑んで、保田はアクセルを踏む足に力を込めた。
- 387 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月22日(金)23時23分57秒
- 二人はまずカフェに立ち寄って昼食になりそうなものを買い込み、海岸近くにある大きな公園に向かった。
駐車場に車を置き、荷物を抱えて緑の中を歩く。
「うっわー…気持ちいい〜!」
空を見上げるとそこには驚くほどの青さが広がっていた。
葉の緑とのコントラストが目に眩しい。
「あの辺に座ろっか。人もいないしいいんじゃない?」
保田が指差した一角は、短く刈揃えられた芝が広がり、そこに大きな木々が点在して葉を広げていた。
珍しく家族連れなどの姿も見当たらない。
二人はそこにシートを広げて、買い込んだ食料を取り出した。
- 388 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月22日(金)23時25分24秒
- 「…ちょっとあんた、見事にベーグルばっか買ったね」
吉澤の前に並んだのは様々な種類のベーグルばかりで。
呆れた声を出す保田にはおかまいなしに、吉澤は心底幸せそうな笑みを浮かべながら包みを開ける。
「これがおいしいんですよぉ〜。保田さんは?何にしたんですか?」
「あたしはサンドイッチとパンプキンマフィンと……まああんたみたいに偏ってはないわよ」
「あーひどい!今バカにしましたねえ?」
おだやかで幸せなひととき。
綺麗な景色と爽やかな空気の中で、二人は他愛ない話をしながら、
数え切れないほどの笑顔を交わしあった。
- 389 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月22日(金)23時26分18秒
- ***
「あー、お腹いっぱい! もう入んないよぉ〜」
「あんたねえ…全部ペロッと平らげといて言うセリフじゃないでしょ」
ばったりとシートに寝転んだ吉澤を見つめ、保田はやや呆れ顔で可笑しそうに笑った。
目を開けると、緑の葉の隙間から金色の光が細く降り注いでくる。
吉澤はその眩しさに少し目を細めた。
「あー…幸せ……」
「何…?」
瞳を閉じて呟いた吉澤を、保田が優しい笑みを浮かべて見下ろす。
吉澤は目を閉じたまま、うっとりとした口調で呟いた。
「幸せだなあ……綺麗なとこで、おいしいもの食べて…保田さんが側にいて……」
- 390 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月22日(金)23時26分49秒
- そう言って、吉澤は満足そうに息を吐いた。保田はそんな吉澤をじっと見下ろしている。
優しい風が吉澤の頬をさらりと通り過ぎた。
ふと、閉じた瞼の裏側が暗くかげった。
瞼を上げたのと、唇に柔らかい感触を感じたのは同時だった。
目の前に、保田の閉じられた睫毛が映る。
頬にさらさらと落ちかかる髪がくすぐったかった。
ゆっくりと離れていく保田の瞳を、吉澤はぼんやりと眺めていた。
葉のそよぐ音しか聞こえない静寂の中、心臓の音だけがドキドキとうるさかった。
- 391 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月22日(金)23時27分37秒
- 「あっ……ゴメン…」
我に返ったような顔になって、保田は咄嗟に謝罪の言葉を口にした。
それがなんだか可笑しくて吉澤は小さく吹きだしてしまう。
「……はじめて…」
「えっ…? な、何?」
「保田さんからキスしてくれたの、はじめてです…」
そう言って嬉しそうに微笑んだ吉澤を見て、保田は照れたような、気まずそうな表情を浮かべる。
「そうだっけ…? ごめん…」
「やだ、違いますよ。嬉しいんですから…」
熱くなった頬に手をあてながら吉澤は倒していた身体を起こした。
もう一度嬉しそうに笑いかける吉澤に、保田はちょっと困ったような微笑で目を逸らせる。
- 392 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月22日(金)23時28分49秒
「…ごめん……」
「あはは、なんで謝るんですか? さっきから変ですよ?保田さんってば」
本当に申し訳なさそうに謝る保田が可笑しくて、吉澤は身体を折り曲げてクスクスと笑った。
唇に残るキスの余韻に胸が熱くなる。
木々の緑や青い空や、きらめく光。 全てのものが美しかった。
その時のあたしはあんまり幸せで、気付くことができなかった。
あたしを見つめて微笑む保田さんの瞳が、悲しい色をたたえていたことに――…。
- 393 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月22日(金)23時29分48秒
- ***
もう太陽は西の空に姿を隠し、夜の闇が天を覆う時間。
あたしたちを乗せた車は病院の駐車場へと戻ってきた。
保田さんがいつもの場所に慣れた手つきで駐車した後、あたしたちは車から降りた。
「今日はありがとうございました。すっごい楽しかったです!」
「うん、あたしも……。寮まで送るよ」
「え?大丈夫ですよ。すぐそこなんですから…」
「いいから。送らせて」
あたしの返事を待たずに保田さんは歩き出した。
駐車場から出て行こうとする後姿をあわてて追いかける。
その行動をちょっと不思議に思ったけれど、そう言ってくれる申し出をわざわざ拒否する理由も無いし、
保田さんと一緒にいる時間が少しでも長くなるのは嬉しかった。
- 394 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月22日(金)23時30分55秒
- 寮に着くまで、あたしたちはひとことも言葉を交わさないままだった。
あたしは何度か保田さんに話しかけようとしたけれど、その度にためらってできなかった。
保田さんの横顔が、なぜか厳しさをたたえて沈んでいるように見えたから――…
寮の前まで辿り着き、隣の保田さんが足を止めたのにつられてあたしも歩みを止めた。
微妙に重たく感じられる空気を吹き払うように、明るい笑顔を彼女に向ける。
「ありがとうございました。 じゃあ、また明日」
「――吉澤…」
礼を述べたあたしに、保田さんは真剣な目を向けた。
苦しそうな、辛そうな目を。
「……なんですか?」
その目を見て、さっきから感じていた不安が大きくなる。
一体どうしたんだろう……
次の瞬間、保田さんから発せられた言葉にあたしは耳を疑った。
- 395 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月22日(金)23時32分15秒
「もう…こんなふうに会うのは、終わりにしたいんだ…」
「…えっ?」
言われた言葉の意味がよく理解できなくて、あたしは目を見開いたまま問い返した。
保田さんは眉根を寄せて、その視線を自分の足元に落とす。
「あたしはもう、あんたに好きでいてもらえる資格がない」
「……なに…何言ってるんですか?」
本当に何を言っているのかわからなかった。
資格?一体どういう意味?
ただわかったのは、保田さんの沈痛な面持ちから、彼女が冗談を言ってるのではないということ…
- 396 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月22日(金)23時32分50秒
「あたし……」
保田さんは苦しそうに目を閉じて、絞り出すような声で言った。
「あたし、後藤を抱いたんだ…」
- 397 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月22日(金)23時34分15秒
- 保田さんの言葉をすぐに理解しきれなくて、あたしはもう一度彼女の声をリフレインさせる。
でも頭の中でなにかがうるさく鳴り響いてるみたいで、うまく思考が働かない。
頭が痛い………今、保田さんは何て言った?
抱いた? 誰を?
ごっちんを?
―――嘘でしょう?
- 398 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月22日(金)23時35分04秒
- そう言いたかったけれど、保田さんの表情がそれが事実であることを何より正直に告げている。
あたしはこめかみがガンガンと痛むのをこらえながら、やっとのことで言葉を吐き出した。
「…ど……どうして…」
あたしの声はひびわれて、震えてしまっていた。
保田さんは苦しそうに眉を歪めて、ポツリと小さな声で呟いた。
「後藤が言うんだ……愛してって…紗耶香の代わりに愛してほしいって…」
あたしは目を見開いたまま立ちすくんだ。
代わり?紗耶香さんの?
そんな―――― そんなこと―――…
- 399 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月22日(金)23時35分39秒
- 「あたし…後藤のために、紗耶香の代わりになってやりたいんだ…」
「…ッ……そんな、の…っ」
「――間違ってるってわかってる。 でも、あたしは…後藤を放っておけない……」
途切れ途切れの沈んだ声で、でもきっぱりと、保田さんはそう言い切った。
あたしはそんな保田さんの言葉を受け入れられるわけがなくて。
でも、心は必死で抵抗しているのに何と言ったらいいのかわからない。
唇が凍りついたように言葉が出てこない。
- 400 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月22日(金)23時36分13秒
「後藤を抱いたの、一度だけじゃない…」
「………」
「後藤が頼むならこれからも、何度だって……あたしはあの子を抱くよ…」
「…やめ……」
涙が溢れた。
思わず下を向いて口許を覆う。
悔しいのに、悲しいのに、どうにかしたいのに言葉が出せない。
この人を逃がしたくない―――
気持ちだけがそう焦るばかりで、どうすればいいのかわからなくて――頭の中がぐちゃぐちゃだった。
言葉のかわりに涙ばかりが次から次へと零れ落ちる。
- 401 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月22日(金)23時37分37秒
- 「…許してなんて言わない。許されなくて当然だって…思ってる。 あたしは結局、あんたを傷つける
存在でしかなかった…」
「やめて!!」
あたしは咄嗟に叫んで顔を上げた。
涙に濡れた目で、まっすぐ保田さんの顔を見据える。
「じゃあ今日は…最後のつもりで? これで最後にするつもりで、あたしを誘ったって言うんですか!?」
「…………」
保田さんは黙ったまま、辛そうな瞳であたしを見た。
小さく震える唇から、絞り出すような声を紡ぐ。
「あたしのこと、好きになってくれて嬉しかった…。ありがとう…」
「やめてください!」
あたしは叫んで保田さんの声をさえぎった。そんな言葉、聞きたくなかった。
- 402 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月22日(金)23時38分31秒
「…あたしはあんたを裏切ったんだ。憎んでくれていいよ。なじってくれればいい。
あたしの顔を見るのも嫌になったなら、病院だって辞めるから…」
―――パンッ!
目の覚めるような音がして、あたしは咄嗟に自分の右手を掴んだ。
あたしは思わず、保田さんの頬を叩いてしまっていた。
- 403 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月22日(金)23時39分19秒
- 「…そ…んな、こと……言ってほしくないっ…」
保田さんの頬を打った右手がカタカタと震える。あたしの声と同じように。
悲しさと腹立たしさと、咄嗟に手をあげてしまった罪悪感と、いろんな感情がぐちゃぐちゃになって
あたしの胸の中で渦巻いていた。
「ごめんね……吉澤…」
保田さんは片手で頬を押さえ、視線を落としたまま呟く。
そんな姿が、あたしの怒りと熱情とをさらに激しくたぎらせた。
「どうしてっ――…保田さんは? 保田さんの気持ちはどうなんですか!? それでいいって…ほんとに
そう思ってるんですか!?」
「…………」
「保田さん!!」
- 404 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月22日(金)23時40分17秒
- 捲し立てるあたしから、保田さんは辛そうに顔を背けた。
「…ごめん……!」
喉の奥から押し出すようにそう言って、その場から踵を返そうとする。
あたしは咄嗟に腕を伸ばして保田さんの手首を掴んだ。
「っ…!」
彼女の身体を引き寄せて、強引に唇をあわせた。
触れ合った所から、その身体が震えているのが伝わってくる。
合わさった唇から、悲しみが流れ込んでくる―――…
- 405 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月22日(金)23時40分57秒
ドンッ――!
保田さんはあたしを突き飛ばして、腕の中から逃れてしまった。
そのまま何も言わず、あたしの前から走り去っていく。
あたしは言葉を発することも、追いかけることもできずに、保田さんの小さくなっていく後ろ姿を
ただ見つめていた。
あたしから身体を離した瞬間、彼女の瞳に薄っすらと浮かんでいた涙。
それが、いつまでも瞼に焼きついて消えなかった。
- 406 名前:フムフム 投稿日:2003年08月22日(金)23時42分02秒
- 更新でした
- 407 名前:フムフム 投稿日:2003年08月22日(金)23時43分09秒
- レスありがとうございます。
>>377 さん
やっとこさのデートでしたのに、こんなことになってしまいました。
どんどん穏やかじゃなくなっていきますね。不快な展開でスミマセンー。
>>378 さん
よすこさんにはひたすら申し訳ない展開に。天国から地獄へ直滑降であります。
序盤でウキウキさせといたっちゅーのにゴメンヨ・・。
- 408 名前:つみ 投稿日:2003年08月22日(金)23時43分39秒
- 悲しいよう・・・(泣)
- 409 名前:フムフム 投稿日:2003年08月22日(金)23時43分44秒
- なんとなく流し
- 410 名前:フムフム 投稿日:2003年08月22日(金)23時45分59秒
- >>408 さん
おっと驚いた。早速のレスをありがとうございます。
悲しませてしまいましてスミマセンです・・・
- 411 名前:名無し読者 投稿日:2003年08月23日(土)07時32分16秒
- あぁ・・・朝から泣きそうになってしまった・・・
切ねぇ・・・
どんどん引き込まれてます。
楽しみにしてるので頑張ってください。
- 412 名前:炯至 投稿日:2003年08月24日(日)22時44分53秒
- 今日偶然に発見して、読ませていただきました。
いい話です。読みやすいし、最高です。
ヤッスーもかわいそうだけど、何よりよっすぃーがかわいそう…。
この二人には幸せになってもらいたいです。
あ、でもごっちんも…。
よしやす、本気ではまりそうな予感です。
今後の展開に期待しています。
- 413 名前:名無し読者 投稿日:2003年08月26日(火)12時44分48秒
- 支度をするヨスィコが幸せそうだったのが辛い・・・。
保田さんは過去の事を抜きにしても不器用で生真面目だなぁと・・・。
男前に書かれるヨスィコよりも、どこかしら可愛いヨスィコの方が好きな私には
ここのヨスィコは凄くツボです。
作者さん、続き楽しみにしています。
- 414 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月28日(木)14時32分12秒
- 圭ちゃん・・・(泣)
みんな幸せになれることを心から祈ってます・・・。
- 415 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月30日(土)18時17分30秒
- *****
紗耶香さんの夢をみた。
会った事もない彼女は、夢の中であたしのことをじっと見つめていた。
遠くから。悲しい瞳で。
何か言っているのだけれど声がきこえない。
彼女の側まで行こうとするけれど、金縛りにあったようにあたしの身体は動かなかった。
夢から覚めたとき、あたしは泣いていた。
- 416 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月30日(土)18時20分10秒
- ***
「ひっどい顔…」
鏡に映った自分の姿に溜息をつく。
瞼が腫れて目が真っ赤になっていた。このまま病院に行ったら皆にびっくりされるだろう。
あたしは蛇口から冷たい水をひねり出して、バシャバシャと叩きつけるように顔を洗った。
泣きはらした跡を洗い流すように。
濡れた顔をタオルで拭いて、もう一度鏡を見た。
そこには相変わらずすっきりしない表情の自分がいる。
あたしはまた溜息をついて、重たい心と身体を引きずったまま朝の支度を始めた。
- 417 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月30日(土)18時21分59秒
- ***
昨夜寮に帰ってから、あたしは放心したようになっていた。あまりのショックに考えがまとまらなかった。
保田さんに裏切られたとか、そんなふうには思わなかった。
ただ、さっきまで確かに感じていた幸せが、側にあった愛しい人の存在が、この手から失われたという
事実だけを感じていた。
ごっちんが憎いとは思わない。
むしろ彼女は被害者なのだ。
ごっちんに課せられた悲しみや心の傷を思うと、今の状態の彼女を責める気になんてなれない。
でも―――…
アタシ 後藤ヲ 抱イタンダ
保田さんの言葉を思い出すたび、身体中の血が煮えたぎるような嫉妬にかられる。
考えたくもない光景が頭の中に浮かんできては、あたしの心をめちゃくちゃに掻き乱した。
- 418 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月30日(土)18時23分13秒
- 「よっすぃー!おはよっ」
掛けられた声に思考と歩みとを止めて振り返ると、バス停から小走りにこちらへ駆けて寄ってくる
矢口さんの姿が見えた。 底の厚い靴を履いても、まだ周りより頭ひとつ分は小さな愛くるしい姿。
あたしは小さく笑顔を作って挨拶を返し、矢口さんと並んで病院の門をくぐった。
「もうすっかり秋だねー。朝晩が寒くって起きるのキツイよねー」
「そうですね…」
「――あっ、圭ちゃんだ」
唐突にその名を出されてドキッとする。
窺うようにちらりと目を動かすと、駐車場の方から歩いてくる保田さんの姿が視界に映った。
- 419 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月30日(土)18時24分08秒
- 「おっはよーー!圭ちゃーん」
大声でブンブンと手を振る矢口さんを見とめた保田さんは、後ろにいるあたしの姿に一瞬視線を揺らした
ようだったけれど、すぐに小さく微笑んで手を振った。
「おはよう」
「おはよっ。 ねえ初めてじゃない? 朝にオイラたち3人が出くわすなんて」
「そうかもね。あたし今日はちょっと早めに出てきたから…」
「アレッ?そういや今日はごっつぁんのトコ泊まんなかったんだね?」
「うん……」
そこで改めて保田さんと目が合った。
動揺するあたしに対して、保田さんは静かな微笑をくずさない。
そんな保田さんの態度が、もうあたしのことは吹っ切った、と言外に伝えているような気がして、
あたしの胸をキリキリと痛ませた。
ヤバイ、泣きそう―――…
- 420 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月30日(土)18時25分14秒
- 「あのっ…あたし、先に行ってますね」
「え?よっすぃー?」
まともに保田さんの顔を見れないまま、あたしは逃げるようにその場から駆け出してしまった。
いきなりこんな態度をとって、矢口さんはきっと訝しがってるだろう。
でも、何食わぬ顔であの場にいることなんて到底できそうになかった。
二人の視線を背中に感じたまま、あたしは建物の中へ姿を隠した。
壁に身をもたれさせて二人の視線から逃れたら、ようやく涙が一粒おちた。
- 421 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月30日(土)18時26分30秒
- ***
白衣に着替えてロッカー室を出る。
いつものように、見慣れた廊下を歩いて見慣れた階段を上って、目的の場所へ向かう。
ドアを開けた瞬間、彼女の悲鳴に近い声が耳に突き刺さった。
「―――圭ちゃんっ!!」
ベッドに身体を起こして後藤はボロボロ泣いていた。
あたしの姿を見つけて、上半身を乗り出させるように両腕をさしのべてくる。
ベッドからずり落ちそうになったその身体を、慌てて駆け寄って受け止めた。
「危ないよ!どうしたの!?後藤!」
「…ど…こ…行ってたのぉ…」
後藤は涙でぐしゃぐしゃになった顔をあたしの白衣にうずめてしがみついた。
「起きた…ら、圭ちゃ…いないんだも………どこっ…にも…」
- 422 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月30日(土)18時27分32秒
- 母親を探して泣いていた子供のように、あたしの身体に必死にすがりついて泣きじゃくる。
あたしはその細い肩を抱きしめて、柔らかな髪を優しく撫でた。
「…ちょっと荷物取りに帰ってたんだ。 ごめんね…不安にさせて…」
「…ふっ……うぇ…」
あたしがいないとこんなにも不安定になってしまう。
放ってはおけない。側にいてやりたい。
あたしを求めて―――いや、「紗耶香の代わりのあたし」を求めて泣くこの子の側に。
間違っていても、愚かなことでも。
今のあたしがこの子にしてやれるのはこんなことだけだ。
どんなことだってする。
あたしの全てを捧げる。
誰より大切な人を、失ってでも―――
- 423 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月30日(土)18時29分00秒
- 「あっ、保田先生。 おはようございます」
「――ああ…おはよう、石川」
後藤がようやく落ち着いてきたところへ、朝食を運びにきた石川が病室へ入ってきた。
あたしにすがりついている後藤の姿を見て少し眉間を曇らせたが、すぐにいつもの笑顔に戻る。
「おはようごっちん。食事持ってきたんだけど、食べられる?」
ベッドの上に手際良く配膳しながら、石川は優しい笑顔で後藤に問いかけた。
石川の問いに、後藤はうつむいたまま涙に濡れた睫毛を伏せるだけだったけれど、石川とあたしが
少しだけでも食べるようにと言うと、ようやくスプーンを口に運んだ。
- 424 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月30日(土)18時29分42秒
- 「あの、保田先生…ちょっと…」
後藤が少しずつ食べはじめたのを安心したように見やってから、石川はあたしに小さく耳打ちして
病室の外へと促した。
後藤の様子をちらりと窺いながら、あたしは石川の後に続いて廊下に出た。
「――何?」
病室のドアを閉めて石川の方へ向き直る。
石川は上目遣いでちょっとためらったようにあたしを見てから、遠慮がちに小さな唇を開いた。
「…あの、保田先生…。よっすぃーと…何かあったんですか?」
石川の口から吉澤との事を咎められるとは思っていなかったあたしは、突然の問いに正直面食らった。
第一石川があたしたちのことをどの程度知っているのかすら、あたしは知らない。
石川は思いつめた表情でじっとあたしを見つめている。
なんと答えていいのか分からなくて、とりあえず当り障りのない言葉を返した。
- 425 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月30日(土)18時30分33秒
- 「…どうして?」
「…その…お二人が付き合ってるってこと、よっすぃーから聞きました。 保田先生と付き合いだして、
よっすぃーもすごく幸せそうで…」
吉澤があたしたちのことを石川に知らせていたという事実に少し驚いた。
別に隠し立てする必要など無いことだけれど、吉澤はそういったことを軽々しく吹聴するタイプとも
思えなかったから。
あたしの表情を見て何か感じたのか、石川は慌てたように両手を左右に振った。
「あ、あの! よっすぃーが話してくれたのは、あくまで私の気持ちにちゃんと応えなきゃって思って
くれたからで…軽はずみに言ったわけじゃ…」
「石川の気持ち…?」
聞きとがめたあたしの言葉に、石川はパッと口を押さえ赤くなった。
その様子から、石川と吉澤の間に何があったのかなんとなく推測できたけれど。
話題が横道に逸れそうだったのであえてそれ以上は触れず、あたしは話を本筋に戻すことにした。
決定的な一言を吐いて。
- 426 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月30日(土)18時31分40秒
- 「吉澤とは別れたよ」
「……えっ?」
石川はあたしの言葉をよく聞き取れなかったように、素っ頓狂な声をあげて目を丸く見開かせた。
あたしはもう一度、今度はゆっくりと、石川にはっきり伝わるように言った。
「吉澤とは別れたの。 石川が聞きたいことの答えに、これでなったかな?」
わざと興味なさげに言い放つ。
芝居じみた行動を取らないと、心にかぶせたメッキが剥がれ落ちそうで怖かった。
「――どうしてっ…!」
悲鳴のような声をあげて石川はあたしに詰め寄ってきた。
その目には怒りと、釈然としない憤りが感じられた。
- 427 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月30日(土)18時34分10秒
- 「よっすぃー、昨日まではすごく幸せそうでした! 保田先生ならよっすぃーを幸せにしてくれるんだって、
私納得してっ…。 それなのに今朝はまるで…泣きはらした目をして、暗く沈んじゃって……。
どうしてですか!?どうして別れたりしたんですかっ!?」
石川の厳しい糾弾の声に、あたしは自嘲気味に苦笑してみせた。
半分は演技、半分は自然と出たものだった。
「あたし最低の人間なんだ。吉澤の心を散々かき乱して、あげくに裏切った…」
「やす…」
「あたしじゃ吉澤を幸せにできなかった…。ごめんね。石川の期待も…裏切った、のかな」
泣きそうに眉根を寄せた石川の顔を見て、あたしはその視線を避けるように踵を返した。
その場に石川を残して病室へ戻る。
後ろ手にドアを閉めた後も、ドア越しの廊下に石川の気配を感じていたけれど。
- 428 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月30日(土)18時35分27秒
- あたしは床に視線を落として小さく息を吐いた。
石川に悟られないようにと必死だったけれど、心の中はひどく動揺していた。
心臓がドクドクと激しく打っている。病室へ逃げ込んで、ようやく緊張の糸が緩んでいくのを感じた。
今更自分の行いを正当化しようとは思わない。
あんな酷いことをしたのだから。
吉澤の気持ちを踏みにじって、裏切ったのだから。
吉澤が早くあたしのことを忘れてくれるように―――…そう振舞うのが一番いいはずだから。
吉澤があたしのこと、嫌いになるように。
- 429 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月30日(土)18時36分08秒
「――…って……情けないなあ…」
つい乾いた笑いが出た。
頬に涙が伝う感触を感じて、自分のあさましさが心底嫌になる。
あの子の意思も感情も無視して、有無を言わさず別れを告げた。
覚悟を決めたはずなのに、自分で決めたはずなのに、
なんて正直で身勝手な心。
吉澤に嫌われればいい、なんて―――――本当は怖くてたまらないくせに。
いつも優しくあたしを見つめてくれていたあの子の瞳が、冷たいものに変わる。
溢れるほどに寄せてくれていた愛情が、嫌悪に変わる。
そんなこと、想像するだけで耐えられないくらい苦しいのに。
- 430 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月30日(土)18時37分10秒
- 「……圭ちゃん…」
ドアに寄りかかったまま涙を落としていたあたしを、後藤が不安そうな瞳で見つめている。
あたしは涙も拭わないまま微笑を返して後藤の側へ戻った。
そっと後藤の頭を抱き寄せる。
「勝手だよね…。 人を傷つけておいて、自分が傷つくのは怖いっていうんだから……
どうしようもない奴だよね…」
あたしたちのことが矢口や裕ちゃんに気づかれるのにも、そう時間はかからないだろう。
二人とも、あたしのことを許さないかもしれない。
矢口も裕ちゃんもあたしたちのことをすごく気にかけてくれていたのに、こんな形で裏切ったんだから。
軽蔑されても仕方ない……。
- 431 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年08月30日(土)18時38分02秒
- 後藤は身じろぎひとつせず、じっとあたしの腕の中に収まっている。
あたしにはもう、この子しか残らないかもしれない。
何が正しくて何が間違いか。
こうすることが本当によかったのか。
あたしには、もう何ひとつわからなかった。
- 432 名前:フムフム 投稿日:2003年08月30日(土)18時38分39秒
- 更新でした
- 433 名前:フムフム 投稿日:2003年08月30日(土)18時39分32秒
- >>411 さん
朝から鬱にさせてしまいまして申し訳・・
引き込まれ〜なんて言っていただけて作者冥利です。目指せアリ地獄小説。
>>412 さん
勿体無いお言葉に心底恐縮。読んでくださってありがとうございます。
やすよしごまの行く末、納得できる形に締められればいいな・・と思ってます。
>>413 さん
私ってサドかしら、と思うほどよすこさんを苛めてる気がする今日この頃。
自分もよすこさんはカッコカワイイのが好きです。かつちょっとおバカだと更に萌え〜。
>>414 さん
祈ってくださってありがとうございます・・・。
作者もヒソーリと祈っております。ナムナム。 (^〜^0;)<オマイガ祈ルナYO!
- 434 名前:260 投稿日:2003年08月31日(日)21時20分48秒
- うー…
眠り姫が目を覚ます前よか、比べ物にならないくらいに先が見えないです。
いまや吉澤も眠り姫だよなあ。
もっと光を…! だめっすか?
- 435 名前:名無し読者 投稿日:2003年09月03日(水)20時07分15秒
- あぁ…切ないなぁ…
ここ何回かの更新で一喜一憂されっぱなしです…
- 436 名前:みっくす 投稿日:2003年09月05日(金)07時28分38秒
- 一気に読ませていただきました。
すごく切ないです。
それそれの思いがすべて1つづつずれちゃっていて。
みんな幸せにしてあげてください。
- 437 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年09月07日(日)22時56分04秒
- *****
バタバタと小さくも騒がしい足音が廊下に響く。
その音を聞きとがめた年配の看護婦が、詰所の窓からいかめしげな顔を覗かせた。
「ちょっと矢口さん!なんですか!騒がしいですよ!」
叱責されて、矢口は慌てて足元に急ブレーキをかけた。汗の滲んだ顔をくるりと振りむける。
「婦長!圭ちゃ――じゃない、保田先生見かけませんでした!?」
「えっ?見ないわよ?もう帰られたんじゃないの?」
「そうですか…どうも!」
「いいえ……って、走るなって言ってるでしょう!ちょっと!」
- 438 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年09月07日(日)22時57分21秒
- 婦長の怒鳴り声を背後に聞き流し、矢口はまた保田を探して走り出した。
この時間にもう見当たらないということは、
帰ったか、「あの部屋」にいるか――だ。
「くっそー……どーゆーコトだよ圭ちゃんっ。説明してもらうかんなっ…!」
- 439 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年09月07日(日)22時58分12秒
- 異変に気づいたのは数日前だった。
最初におかしいと思ったのは何だっただろう――…
そうだ。朝よっすぃーと圭ちゃんと一緒になった日だ。
朝から何となく元気がなかったよっすぃーはあの日、圭ちゃんの顔を見て避けるように、
逃げるようにして去ってしまった。
それからもずっとよっすぃーは沈みがちで、圭ちゃんと仕事以外で接している所を見なくなった。
圭ちゃんと話しているときも何か辛そうで、まるで怯えたように目をあわせようとしなくて。
圭ちゃんも、よっすぃーに対してすごくクールにみえた。
あくまで仕事のためだけの、一線を置いた接し方をしてるみたいだった。
二人の間になにがあったのか、本人達には聞くに聞けなくて、
それとなく石川にその話を振ってみたら――…
信じられない、納得できない話を聞かされたのだ。
- 440 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年09月07日(日)22時58分56秒
後藤の病室に辿りついた矢口がドアを開けると、そこには思ったとおり保田の姿があった。
ベッドの後藤はすでに眠っているようで、保田は壁際にあるソファにひとり座っていた。
「矢口…? どうしたの?」
「…圭ちゃん…ちょっといいかな…」
乱れる呼吸を整えながらドアの外に立ったままでいる矢口を見て、保田は少し沈黙した後
ソファから腰をあげた。
後藤が眠っているのを確認して病室の外へ出る。
額に汗を滲ませたまま肩で息をしている矢口を、保田は少し微笑んで見下ろした。
「…ずいぶん走ってきたみたいだね。ホラ、曲がってるよ」
保田は手を伸ばして矢口のナースキャップをまっすぐにかぶせ直した。
ついでに乱れた金髪も軽く梳いて整えてやる。
そうされながらも厳しい目で保田を見つめながら、矢口はおもむろに口を開いた。
- 441 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年09月07日(日)22時59分44秒
「…圭ちゃん…よっすぃーと別れたって、本当?」
「本当だよ」
間すら置かずに返ってきた。
悪びれもせず動揺も見せず、矢口の目を保田はまっすぐに見つめ返す。
そんな保田の態度に矢口の方が動揺を隠せなくなる。
少し間を置き次の言葉を探して、矢口は再び唇を開いた。
「……理由を…聞いてもいいかな…」
「…あたしが吉澤より、後藤を選んだからだよ」
保田の言葉に矢口は目を大きく見開かせた。
咄嗟に言葉が出てこなくて、唇が小さく震える。
- 442 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年09月07日(日)23時01分17秒
- 「なっ…何それ? どういうコト…?」
「…そのとおりの意味だよ。 あたしは吉澤を裏切って、後藤と寝た。 吉澤には酷いことしたと
思ってるけど……あたしは後藤の側にいることを選んだんだ」
保田の口から吐き出される衝撃的な言葉に、矢口は思わず頭の中が真っ白になった。
保田の発言は紛れもない事実なんだろうと無条件に感じながらも、その一方で、淡々と表情を崩さずに
語る保田の姿に激しい違和感を感じる。
目の前の友人には、何かを諦めたような、覚悟を決めた虚ろな潔さが漂っていた。
その姿が、矢口にショックを与えつつも同時に確信させる。
保田がどんなに感情を装ってみせても、この現状は決して保田が望んだことではないと。
- 443 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年09月07日(日)23時02分28秒
- 「…よっすぃーのこと、もう好きじゃないの?」
「………」
「好きなんでしょ!?わかるよ!嘘ついても矢口にはわかるんだから!」
「……もう終わったことだよ。今更こんな話しても意味ないでしょ」
眉をしかめて視線を逸らせた保田の胸元を、矢口は腕を伸ばしてきつく掴み上げた。
「終わってなんかないじゃん! よっすぃーだって圭ちゃんだって、こんなに苦しそうなくせに!!
よっすぃーのことこのまま放っておけるの!?」
涙目でそうまくしたてる矢口からさらに目をそむけて、保田は小さく唇を開いた。
さっきまでの平静さにヒビが入り、その声は少し震えていた。
- 444 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年09月07日(日)23時03分33秒
- 「…あの子はいい子だから…きっとすぐ素敵な人がみつかる。 あたしのことも忘れて、もっと幸せな
恋ができるよ…」
「っ……! 圭ちゃんのばか!!」
矢口の目からボロボロと涙がこぼれた。
保田は目を逸らせて黙ったまま、自分の衣服を掴む矢口の手をそっとはずす。
「ごめんね……もう遅いから、帰りな…」
- 445 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年09月07日(日)23時04分13秒
- 逃げるように背を向けて病室へと消える保田の背中をにじむ視界で捉えながら、矢口は身体を
動かせなかった。
納得できない思いと疑問だけが、頭の中に渦巻く。
「どうして…? おかしいよ……好きあってるのに…どうして……」
矢口の小さな呟きが、堅いドアに吸い込まれていった。
- 446 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年09月07日(日)23時04分52秒
- *****
ふと目が覚めた。
視界は真っ暗で、まだ真夜中だということがわかる。
あたしはひとつ息を吐いてベッドの上に身体を起こした。汗をかいたのか肌がじんめりとしている。
あの日から、よく眠れない日が続く。
保田さんから一方的な別れを告げられても、あたしは納得できないままで…諦められないままでいる。
- 447 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年09月07日(日)23時05分32秒
- 「…だって…無理だよ……好きなのに…」
じわりと涙がにじんできた。
涙腺は弱い方じゃなかったのに、今までだって散々泣いたのに、保田さんのことを思うたびに
涙は溢れ出してきてとどまることを知らない。
保田さんに別れを告げられたあの日以来、保田さんはあたしと接する時もいつも平静だった。
動揺も見せず、いつもクールで。
もうあたしとの事は終わった事なんだと、もう何とも思っていないんだと。 彼女の態度があたしにそう
訴えかけているようで、いつまでも引きずっているのは自分だけのような気がして切なかった。
だけど……
保田さんの気持ちはきっと変わっていない。
自惚れなんかじゃなくて、あたしはそう信じていた。
- 448 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年09月07日(日)23時06分10秒
あの日、
無理矢理に口づけて、あたしの腕から逃れた瞬間に保田さんがみせた涙。
あの涙を思い出すたび、保田さんの痛いほどの気持ちが伝わってくる。
今の状況は絶対に彼女の本意ではない。
あたしにとっても保田さんにとっても……ごっちんにだって、きっと今の不自然な関係は
間違っているはずだ。
すべてが、狂ってる。
でも―――どうすればいい?
保田さんがあたしのことを好きでいてくれたとしても、それでも。
保田さんがごっちんを選ぶと決めてしまえば、あたしにはどうしようもないじゃないか。
- 449 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年09月07日(日)23時06分46秒
- 不幸な過去を背負い、ごっちんに囚われつづける保田さんを咎めることなんてできない。
あたしだって逆の立場だったら同じようにしたかもしれない。
だけど……だからといってみすみす諦められるような、簡単な想いじゃないんだ。
あたしは彼女を幸せにしたかった。彼女と幸せになりたかった。
保田さんもそう思ってくれていたはずなのに、簡単なことだったはずなのに―――
がんじがらめに絡まった運命の糸はなんて意地悪なんだろう。
一度は解けたはずの彼女の心の鎖を、もう一度解き放つ術を見つけたい。
だけど―――…
この鎖を解く鍵はどこにあるんだろう。
今のあたしにはそれを見つける力も、探し出す力もなかった。
- 450 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年09月07日(日)23時07分42秒
- *****
ピンポーン… ピンポーン… ピンポーン…
ドアホンが同じリズムを刻んでくり返し鳴り響く。
その音を耳にした中澤は、風呂から上がったばかりの濡れた身体を簡単に拭いて
バスローブを羽織った。
足早に玄関に向かい、ドアを開けると同時に口を開く。
「こらー矢口ぃ。夜中に近所迷惑やろ?そんなに鳴らさんでも一回押したら聴こえるって」
「………」
ドアの外にはそのとおり矢口の姿があった。
矢口はぼんやりと中澤の顔を見上げたまま、玄関先に突っ立っている。
- 451 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年09月07日(日)23時08分32秒
- 「…裕ちゃん…よく矢口ってわかったね。顔も見てないのに」
「ん? そりゃまあこんな時間に押しかけてくんのなんて矢口ぐらいしかおらんし……
あとはまあ、愛の力ってヤツかな」
「……そっか……お風呂上りなの?裕ちゃん」
普段中澤が「愛」だのといったクサイ台詞を吐くと、決まって「アホ!」の一言が返ってくるというのに、
今日はさらっと流されてしまった。
そんな矢口の反応に少し意表をつかれながらも、中澤はまたふざけた会話を続ける。
「ん? あ、うん、そーや。…中なんも着けてへんねんで。色っぽいやろ〜」
中澤はローブの裾をつまんでチラリと白い太腿を覗かせてみせた。
が、そうしてみせても矢口は依然ぼーっと中澤を眺めたまま、普段なら考えられない一言を吐いた。
- 452 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年09月07日(日)23時09分29秒
- 「うん……色っぽい…」
「…………」
今度は中澤も思わず黙り込んでしまった。
なんと言ったらよいのやら、滅多に言われないことを言われた気恥ずかしさも手伝って、
うまく言葉を返せない。
柄にもなく頬を赤らめて、中澤は思わず怪訝な声をあげる。
「ちょ、ちょっと矢口、どうしたん?」
「…好きだなあ……矢口…。 裕ちゃんのこと好きだ……」
ぼんやりと中澤の瞳を見つめたままそんなことを言う矢口に、中澤は口をあんぐりと開けながらも
顔を真っ赤にさせた。
一体何がどうしたのやら、と混乱する中澤にさらに追い討ちをかけるように、目の前の矢口は今度は
いきなりポロポロと涙をこぼしはじめた。
- 453 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年09月07日(日)23時10分07秒
- 「ちょ、ちょ、ちょっと矢口ぃー!? アンタ一体どうしたん!?おかしいで? な、何かあったんか!?」
顔を赤く染めたままで、中澤はあたふたと低い位置にある矢口の顔を覗き込む。
矢口はうつむいたままふるふると首を横に振って、両手の甲で必死に涙をぬぐった。
「わかんないよ……なんでこんなことになっちゃうんだよ…? 好きなのに……」
「…矢口…?」
「…わかんない……こんなの…悲しすぎるよ…」
胸にすがりついてただただ泣きつづける恋人を、中澤は戸惑いながらもなだめすかすように
優しく抱きしめてやった。
- 454 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年09月07日(日)23時11分21秒
- ***
「はい、熱いから気ぃつけや」
ソファの上で膝を抱え込むように座っていた矢口は、中澤から手渡された赤いマグカップを
両手で受け取った。
折り曲げた膝の上にカップを乗せるようにしたまま、湯気の立つココアに息を吹きかける。
甘い香りがとても優しかった。
矢口はふと、隣に腰を下ろしてワインを飲んでいる中澤を見上げた。
バスローブのままならいかにもな姿だっただろうけれど、今はパジャマに着替えている。
ココアよりももっと甘くて、もっと優しい恋人。
- 455 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年09月07日(日)23時11分51秒
- 「……圭坊と…後藤がなぁ…」
中澤はワイングラスをテーブルに戻して、はあっと重い息を吐いた。
矢口に打ち明けられた二人の話を聞いてから、渋い顔でじっと宙を睨んでいる。
矢口は熱いカップをテーブルの上に置いて、また両腕で膝を抱え込んだ。
顔を膝に埋めるようにしながらポツリと小さな声で呟く。
「…あんなの本当の幸せじゃないよ。ほんとに好きな人と一緒にいなきゃダメだよ。
圭ちゃんだってよっすぃーだって、ごっつぁんだって……」
「………」
「…圭ちゃんね、諦めたような目してた。 自分の幸せも、好きな人を幸せにすることも……
今の圭ちゃんは全部諦めてる」
――圭ちゃんの目…全てを諦めたような、虚ろな目をしてた。
圭ちゃん辛かったはずだよ。好きな人を傷つけるなんて。好きな人を手放すなんて。
- 456 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年09月07日(日)23時12分25秒
- 「…どうして? どうしたらみんな幸せになれるの? 何で皆こんなに傷つかなきゃいけないの…?」
「…矢口……」
震える声で呟いたあと、矢口は両腕で顔を隠して泣き出した。
中澤はそんな矢口を一瞬切ない眼差しで見つめ、その小さな肩をそっと抱き寄せた。
金の髪にキスするようにしながら、優しい声を矢口の耳許にそそぐ。
「きっと…ほんまは分かってるはずや。圭坊も後藤も。こんなん間違ってるって…」
「………」
「アタシは圭坊と後藤を信じるよ。 あの二人ならきっと…絶対…自分の力でちゃんと、本当の幸せを
見つけてくれる。 吉澤のことも……あの子は自分の気持ちを見失ったりせえへんって信じてる…。
今は迷ってるかもしれへんけど、吉澤なら、きっと…」
- 457 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年09月07日(日)23時13分28秒
- 中澤の言葉に矢口は顔をあげた。
涙に濡れた真っ黒な瞳でじっと中澤を見つめる。
「そう…かな。大丈夫なのかな…?」
「そうや。ウチらの自慢の友達やんか。このまま駄目になるようなヘタレとちゃうで、あの子らは」
冗談めかした口調になって、中澤は矢口の額を白い指先ではじいた。
つられて矢口も小さく笑みをこぼす。
「幸せに…なれるかな……皆…」
「なれるよ。アタシと矢口みたいにな」
片目をつぶってそう言い放った後、さりげに中澤は矢口の唇を軽く奪ってみせる。
不意を突かれた矢口はみるみる顔を赤くして、その小さな頬をふくらませた。
- 458 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年09月07日(日)23時14分09秒
- 「もっ…もお!こんな時にぃ!裕子のアホ!」
「あははッ、可愛いなあ〜。やっぱ矢口はこうでないとな」
「もー!知らないッ!」
照れてそっぽを向いてしまった矢口に、中澤は笑ってまた抱きついた。
矢口の髪に顔をうずめたまま、目を閉じて少し思いをはせる。
あの子らのことは信じてるけど。
愛すべき人を自分達の力で見つけ、まっすぐに歩いていけるはずだと。決して間違わないと。
でも少しだけ、背中を押してあげる力を借りられるなら。
紗耶香。
どうかあの子らを、守ってやって。
導いてやってな。
- 459 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003年09月07日(日)23時15分16秒
「…裕ちゃん?なんだよー?急に黙っちゃって」
「ん? …ううん、なんでもないよ」
目を閉じたままそう祈ったら。
紗耶香の微笑みが見えた気がした。
- 460 名前:フムフム 投稿日:2003年09月07日(日)23時16分01秒
- 更新です
- 461 名前:フムフム 投稿日:2003年09月07日(日)23時16分35秒
- >>434 さん
吉澤も眠り姫・・・おお、そう言われればそうですね。そこまで気付かなかっ(ry
一番最初に目を覚ますのは誰でしょう・・・光が見えてくるとよいのですが。
>>435 さん
一喜一憂。読者様的にはイライラーでしょうがこれまた作者冥利なお言葉です。
作者的にも鬱陶しい昨今の展開。つい息抜きにやぐちゅーをイチャつかせてしまったです。
>>436 さん
こんなダラダラ長い話を一気に読んでくださったとは、ありがとうございます。
みんな幸せってのが一番理想的な結末ですね。そうなると良いのですが、さてはて・・。
- 462 名前:名無し娘。 投稿日:2003年09月08日(月)01時14分03秒
- ヤキモキしますね。
でも姐さんの言葉に希望を託します。
ていうか頼むよホント。このままじゃ紗耶香が浮かばれないよ。(/_;)
- 463 名前:炯至 投稿日:2003年09月08日(月)23時54分50秒
- あーなんかじれったいです。
自分的にヤッスーとよっすぃーに早くくっついて貰いたいです。
ヤッスーも早く本当の幸せを見つけないと、天国の市井ちゃん悲しむよ(-_-メ)
何気にやぐちゅ―のラブラブシーン、よかったです。
さっすが、裕ちゃん。
- 464 名前:名無し読者 投稿日:2003/09/09(火) 16:53
- 嗚呼、アリ地獄・・・
アリ地獄が美しい羽をもつ蜻蛉になるように、うまくいくことを祈ってます・・・
- 465 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/09/25(木) 21:03
- *****
「あら?吉澤先生?」
診察の合い間に空き時間ができ、休憩がてらにロビーの隅で缶コーヒーを飲んでいた吉澤は
自分を呼ぶ声に顔をあげた。
見ると、顔なじみの熟年のナースがカルテを持って歩いてくる。
「ああ、やっぱり吉澤先生よねぇ。一瞬誰かと思ったわ」
「え?何でですか?」
おかしなことを言われて吉澤は怪訝な顔を見せた。
そんな吉澤に、ナースはふくよかな身体を揺すって陽気に答える。
「うつむいて怖い顔になってたわよ。先生美人さんだから凄みが出て、誰だかわかんなかったわぁ」
そう言って笑いながらナースは手を振って行ってしまった。
その後姿を見送りながら、吉澤は思わず両手を頬に当てる。
- 466 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/09/25(木) 21:04
-
怖い顔かぁ……
最近モヤモヤしっぱなしだからな。ここは職場なんだし気をつけないと……
「よっすぃー」
吉澤がうつむいたままで立っていると、さっきのナースが去っていった方からまた声をかけられた。
今度は聴き慣れたその声に顔をあげると、子供のような可愛らしい姿が目に映った。
「矢口さん…」
「よっ、休憩中?」
明るい声でにっこりと笑いかけてくる。
吉澤も小さく笑って応えたが、その吉澤の顔を見て矢口は笑みを収めた。
「あのさ、今ちょっといいかな…」
吉澤のもたれていた壁に同じように並んでもたれると、隣から少しためらいがちに、矢口は吉澤の目を
覗きこむように見上げてきた。
- 467 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/09/25(木) 21:06
-
――矢口さんの目を見て悟る。
あたしと保田さん、そしてごっちんの間になにが起こったのかを矢口さんは気づいてる。
でも矢口さんの口から出てきた言葉は、あたしの想像したものとは違った。
「矢口さ、よっすぃーにお願いがあるんだ…」
「………」
詮索でも追求でもない、ただただ懇願の色を含むだけのその声に、あたしは少し戸惑った。
矢口さんはまるですがるように、子犬のようなひたむきな目でじっとあたしを見つめている。
「…圭ちゃんは、今でもよっすぃーのこと好きだよ。 だから……圭ちゃんのこと、諦めないで信じてあげて
ほしいんだ。…矢口がこんなこと言う筋合いなんて無いんだけど…」
「……矢口さん…」
「一番大切なもの、見失わないで。圭ちゃんに気づかせてあげて。 よっすぃーなら出来る――…
…ううん、よっすぃーにしか出来ないんだ、きっと…」
- 468 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/09/25(木) 21:07
- 矢口さんはそれだけ告げると、深刻な空気を払拭しようとしてか、表情を一変させて
にっこりと笑ってみせた。
「いやあ〜…ごめんねっ!ほんと余計なおせっかいでさ。言われなくても分かってらーって感じだよねっ。
ガラにもないコト言っちゃったよー」
矢口さんは少し頬を赤らめて、掌を顔の前でぶんぶんと振ってみせる。
そうやっておどけて見せても、彼女の発言が切実な思いから発せられた言葉だということはあたしにも
わかったし、心配してくれる気持ちを素直にありがたいとも思った。
「ほんとゴメンね!邪魔しちゃってさ。オイラもう行くよ。よっすぃーも早く仕事戻れよっ」
くるりと身体を反してパタパタと走っていく矢口さんの背中をあたしはぼんやりと眺める。
彼女の言葉を素直に受け止めながらも、やっぱりあたしの心は晴れないまま、光明を見出せないままで。
- 469 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/09/25(木) 21:08
-
保田さんの気持ちは…今でも信じてる。でも……
ついくじけそうになってしまう。打開策を見つけられない今の状況に。
何よりも、保田さんが側にいないことが……
保田さんがずっとごっちんの側にいるということが堪えるんだ。
悲しさと寂しさと、嫉妬に身が引き裂かれそうになる。
憂鬱とイライラの繰り返し。
あたしがこんな状態で、保田さんの心を取り戻す術なんて見つけようもない……
- 470 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/09/25(木) 21:09
- 吉澤は残っていた缶コーヒーを飲み干してゴミ箱へ投げ入れた。ぶつかりあう金属音が響いて消える。
吉澤は白衣のポケットに両手を突っ込んでその場から身を翻した。
足早に廊下を歩くその耳元に、さっきの矢口の言葉がよみがえる。
見失わないで―――気づかせてあげて―――
わかってる。そうしたいんだよ。
でもどうすればいい?
あたしはどうすればいいの? 何をすればいい?
彼女の心を動かせるのはきっと自分しかいない。確かにそうは思っていた。
ただその術となるものが、その鍵がほしい。
「信じてる」だけじゃ、何も変わらないっていうのに―――…
- 471 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/09/25(木) 21:10
-
頭の中をモヤモヤしたものがもたげてきて、吉澤は眉間に皺を刻んだまま軽く舌打ちした。
ちょうど隣をすれちがった看護婦が驚いて振り返ったが、それにも気づかぬまま歩いていく。
胸の中にたちこめる霧は、少しも晴れないままだった。
- 472 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/09/25(木) 21:11
- *****
夜中にふと目が覚めた。
かすかに誰かの声が聴こえたような気がして。
「後藤……?」
ソファから身体を起こして、離れたベッドに向かって小さく声をかけてみる。
後藤の返事は無くて、かわりに返ってきたのはかすかなうめき声だった。
あたしはソファから降りて後藤の側へ寄った。
暗がりの中覗き込むと、額に汗を浮かべて後藤は苦しそうにうなされていた。
- 473 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/09/25(木) 21:12
-
「ごとう……後藤…」
声をかけて軽く揺すってみる。
それでも起きないので少し強く揺さぶってやると、後藤ははっとしたように目を見開かせた。
「後藤…大丈夫?」
まだ夢の中にいるように後藤はしばらく怯えた目で天井を見つめていたが、あたしが声をかけると
ゆっくりと瞳を動かしてこちらを見た。
「けー……ちゃ…」
あたしの姿を認めたとたんに、後藤はボロボロと泣き出した。
あたしは後藤の頭を抱きしめて、安心させるようにゆっくりと撫でてやる。
- 474 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/09/25(木) 21:12
-
「うん…もう大丈夫だから……ね」
後藤の身体は小刻みに震えていた。
後藤がこんな風にうなされるのを見るのは一度や二度のことではない。
起こしてやるたび、言葉少なにただ涙をこぼしては、何かに怯えるようにぎゅっとすがりついてくる。
一体何度見たんだろうか、紗耶香の夢を。
悲しい夢を……。
あたしの胸に顔をうずめて泣いていた後藤はふと顔をあげた。
すがるような、不安に満ちた目であたしの顔を見あげる。
「けーちゃん…圭ちゃんはどこにも行かないよね?ずっと後藤の側にいてくれるんだよね?」
「うん……側にいるよ…だから泣かないで」
- 475 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/09/25(木) 21:14
- 後藤の泣きはらした顔を見て切なくなる。
涙に濡れたその顔は透きとおるように白くって、まるで作り物の人形のように儚くみえて。
その瞳も、人形にはめこまれたガラス玉のような虚ろな美しさだった。
この子にこんな顔をさせたくないのに。
あたしはこの子の笑った顔が大好きだったのに。
紗耶香も大好きだった、この子のあどけない笑顔が……
あたしがこうやって側にいたって、きっと後藤の心からの笑顔を取り戻してはあげられないんだろう。
でも、だからといって放っておけない。側にいてと言われれば、ずっと側にいてやる。
- 476 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/09/25(木) 21:15
-
あたしの脳裏にもうひとつ、大好きな笑顔が浮かんだ。
太陽みたいにあたたかい、優しい笑顔。
ずっと見ていたいと、ずっと守りたいと思った笑顔。
守れなかった……愛しい笑顔。
誰より大事にしたかったのに、守るどころか裏切って、傷つけた。
許してほしいなんて言わない。
あたしを憎んだほうがあの子の気持ちが楽になるというのなら、そうしてくれればいい…。
- 477 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/09/25(木) 21:17
-
でも、
ねえ吉澤。
あんたがあたしのことを嫌いになっても。
あんたがあたしに二度と笑顔を向けてくれなくなっても。
それでもあたしは心の中でだけ、あんたのことを好きでいつづけていいかな。
気持ちを出さないように心に蓋をして、全て忘れたフリをして、
そうしてあんたの幸せを願うのは許されるかな。
誰にも気づかれないように、うまく隠すから。 自分も騙せるようになるぐらい、心を眠らせるから。
だから、たまになら―――
あんたのことを想って泣いたりしても……許してね…
- 478 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/09/25(木) 21:17
-
あたしの腕の中で、泣き疲れた後藤は眠ってしまっていた。
その髪を撫でてやりながら窓の外を見る。
真っ暗な空に浮かぶ月を見ながら、もう望んではいけないあの子の笑顔を思い浮かべた。
月が滲む。
あたしは声を出さずに泣くことが上手くなった。
- 479 名前:フムフム 投稿日:2003/09/25(木) 21:19
- 更新でした
てんで進展しないのでsageで
- 480 名前:名無し読者 投稿日:2003/09/27(土) 14:49
- あぁぁぁぁ…どんどん泥沼に嵌っていくぅぅぅ。
神様仏様作者様、みんなが幸せになりますように…。
- 481 名前:フムフム 投稿日:2003/09/27(土) 20:21
- レスを頂いておきながらお返ししてないことに気付きました。
なんか余裕の無さを露呈しております。
>>462 さん
此度の更新でもサッパリ進んでませんですね。ヤキモキ続きですみません。
作者的にも早くどうにかしたいんですがこっちの頭も煮詰まり気味で・・ゲフゲフ。
>>463 さん
じれったいですね。実のところは作者が上手く進ませられないってだけで・・ゲフゲフ。
やぐちゅーは結構好きなんです。話が脱線するのであの辺で自粛しました。
>>464 さん
蟻地獄ってトンボかなにかの幼虫だったんですね。今さら知りました。オバカです。
ヤッスーやよすこさんもそんな風に脱皮できますように。ナムー。
- 482 名前:フムフム 投稿日:2003/09/27(土) 20:22
- >>480 さん
本当に、泥沼から早くはいあがってほしいものです。
我ながらコトをどう運ぼうか悶々とする始末。次回こそ何らかの進展を計りたい所です。
- 483 名前:名無し読者 投稿日:2003/10/04(土) 11:50
- よっすぃーもヤスも一途過ぎるくらい一途で切ないっすねえ・・・
あせらずマターリと続き待ってます
作者さんのペースで頑張ってください
- 484 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/05(日) 00:08
- *****
「吉澤先生、お疲れさまでした。長いオペでしたね」
「ええ、お疲れさまです」
オペの後、シャワー室から出てきた吉澤に看護婦が声をかけてきた。
吉澤は軽く笑って挨拶を返す。
介助で入っていたオペが予定外の長丁場になり、吉澤が手術室から出られた頃には
時刻は夜の8時をまわっていた。
- 485 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/05(日) 00:09
- 「先生今日はこれで上がりですよね?早く帰って休んでくださいね。最近お疲れみたいですから」
「……そう見えますか?」
吉澤の母親ほどに歳の離れたその看護婦は、吉澤の問いににっこりと笑って答えた。
「最近あんまり元気がないように見えたんでね、お疲れなのかなあって。休める時にはゆっくり
休んでくださいよ」
そう言い残しその場から去っていく看護婦を見送って、吉澤は少し苦笑をもらした。
このあいだも同じようなこと言われたばかりだ。
皆に気づかれてるようじゃ駄目だな、あたし……
- 486 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/05(日) 00:10
- しんと静まり返った薄暗い廊下を通って外科室へ戻ると、すでに他の医師たちは帰ったようで、
部屋の中は誰の姿もなく真っ暗だった。
吉澤は電気もつけないまま室内に入り、ソファに身体を投げ出すように腰を下ろした。
こんな時、独りになった時に考えるのは……
いや、いつだって。
独りでいたって誰といたって、考えるのは彼女のことばかり。
――保田さんは…今日もごっちんの所にいるのかな……
こんなことばかり考えては落ち込んで、イライラして。
かと言って何か動くわけでもなくただじれったさを感じているだけで。
自分でも歯痒いと思うけど。
でも……
- 487 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/05(日) 00:11
-
キイ…
小さくドアの開く音と、その隙間から入ってくる薄い光に気づいて吉澤は顔を上げた。
ドアの隙間に立っている人影は、廊下からの逆光で暗く影ってしまっていて、誰だかよくわからない。
目を凝らしてよく見ると、そこにあるのは友人の姿だった。
「…梨華ちゃん…?」
「やっぱりいたんだ、よっすぃー…。どうしたの?電気もつけないで…」
そう言ったものの石川はドアの横にあるスイッチに手をつけないまま、暗い部屋の中に入ってきた。
ドアが閉められると廊下からの明かりは遮断され、月の光だけが頼りになる薄暗い空間に戻る。
闇に浮かび上がる白いナース姿が、ゆっくりと吉澤の側に近づいてきた。
- 488 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/05(日) 00:12
-
「どうしたの梨華ちゃん。何か用…?」
「…用ってことはないんだけど……なんだかよっすぃーのことが気になって…」
吉澤は顔をあげて石川を見た。
暗さに慣れた目に石川の沈痛な表情が映る。
心配してくれる気持ちをありがたいと思いながらも、今の吉澤にはそうされるのがなんとなく
苛立たしく感じられた。
石川から顔を逸らせ、室内の闇を見つめたまま口を開く。
「用がないなら悪いけど出てってくんないかな。ちょっと独りにしてほしいんだよね…」
自分でも突き放した冷たい言い方だと思った。
吉澤は自分の発言に少なからず罪悪感を感じ、ちらりと石川に視線を向けた。
石川が泣いてしまうのではと危惧したのだけれど、石川の反応は吉澤の想像したものとは違った。
- 489 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/05(日) 00:13
-
「独りになんて…できないよ! こんなよっすぃーを独りになんてできない!」
石川の言葉に吉澤は目を見開いた。
石川は吉澤の隣に腰を下ろして、か細い両手を吉澤のそれに重ねた。すがるような瞳で吉澤を見上げる。
「私じゃダメ? 私じゃ保田先生の代わりになれない?」
「梨華ちゃ……」
「私なら…よっすぃーにこんな思いさせたりしない。こんな辛そうな顔させたりしないよ!」
石川の言葉に吉澤の胸がきしんだ。
すぐ目の前にある潤んだ瞳が、切実な想いを露わにしてじっと吉澤を見つめる。
吉澤は目を伏せて、そっと石川の手を握り返した。
- 490 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/05(日) 00:14
-
「ありがとう……でも…あたしはやっぱり…」
そう言った吉澤の唇にあたたかいものが触れた。
驚いて目を見開くと、視界いっぱいに石川の長い睫毛が映った。
ゆっくりと唇を離して、石川は再び吉澤の目を見つめた。
その潤んだ瞳と唇の艶っぽさに、吉澤は思わず目を奪われる。
石川は吉澤の手を取って、そのまま自分の胸元へと引き寄せた。
吉澤の手は石川に導かれるままに衣服の隙間に差し入れられ、石川の肌に触れる。
「なっ…梨華ちゃん!」
戸惑いを隠せず吉澤が声をあげると、石川は切なく揺れる瞳をさらに潤ませた。
- 491 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/05(日) 00:15
-
「お願い……今日だけで…今だけでいいから、私をよっすぃーの側にいさせて…」
「…そ……そんなこと……」
石川の言葉に吉澤はうろたえた。
その思いつめたような声があまりにも真摯で、何と言えばいいのかわからなくなる。
そんな石川の瞳は切なさと、強い意志を持って吉澤の身体を射抜く。
「私のこと好きになってなんて言わない。今だけでいいの。保田先生の代わりに…私を……」
石川の瞳から透明な涙がこぼれ落ちた瞬間。
吉澤は石川の身体をソファに押し倒した。
- 492 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/05(日) 00:16
- ***
石川の細い身体に覆い被さる吉澤に、待っていたように石川は腕を絡みつかせ、強く抱き締める。
吉澤はその首筋に顔をうずめて唇を落としていく。
そうしながら、片方の手で乱暴に服のボタンを取った。
そんな風にしながら、頭の隅ではひどく冷静な自分がいることに吉澤は気付いていた。
正直ヤケになっていたせいかもしれない。こんな誘いに乗ってしまったのは。
今だけでもいいから、この行き場のない想いをどこかにぶつけてしまいたかった。
- 493 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/05(日) 00:16
- 吉澤の手が下着の上から柔らかな胸に触れると、石川が小さく息を漏らした。
すがりつくように背中に回されていた腕に、力が込められる。
「よっすぃー…キスして…」
「……ん…」
請われるままに唇を重ねる。
目を閉じたまま貪るようなキスをして。
うっすらと目を開けると、石川の閉じられた瞼がそこに映った。
その瞬間、吉澤は動きを止めた。
- 494 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/05(日) 00:17
-
「……よっすぃー…?」
突然求めることを止めた吉澤に、石川は不思議そうに瞼を開ける。
そこには悲しそうな目をして自分を見下ろす吉澤の姿があった。
「やっぱり違うよ……こういうのは、違う…」
「……よっすぃー…」
吉澤は自分がはだけさせた石川の胸元を、衣服を寄せてそっと合わせ直した。
石川は悲しそうな目で吉澤を見つめたまま、ゆっくりと身体を起こす。
少しの沈黙が二人の間に流れ、石川はぽつりと口を開いた。
- 495 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/05(日) 00:18
-
「…やっぱり…私じゃダメなの…?」
「…違う、そういうんじゃないよ……ただ…」
ただ…何?
石川は眉根を寄せて吉澤に問い掛ける。
吉澤は石川と同じように悲しい目をして、しかし真っ直ぐに石川を見据えた。
「保田さんの代わりに梨華ちゃんを…なんて、そんなの無理なんだ。 だって…梨華ちゃんは
誰の代わりでもない。梨華ちゃんはあたしの大切な友達で、大切な…たった一人なんだよ。
保田さんの代わりなんて…そんなのおかしい」
「…………」
「あたしは保田さんが好きで、梨華ちゃんのことも大好き。 だからこそ、二人への気持ちを
履き違えたくない…」
- 496 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/05(日) 00:18
-
――あたしはむしゃくしゃした気持ちを少しでも晴らしたくて、梨華ちゃんの気持ちを利用しようとした。
保田さんの代わりを梨華ちゃんに求めようとした。
腕に抱くことのかなわない彼女を……梨華ちゃんに重ねようとしてた。
「あたし…梨華ちゃんに酷いことしようとしてた…。ごめんね…」
「………」
そう言って頭を下げる吉澤に、石川はうつむいて小さな息を漏らす。
吉澤は頭を下げたまま石川の言葉を待った。
- 497 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/05(日) 00:19
-
「結局私は…保田先生に勝てなかったし……よっすぃーに友達以上には見てもらえないんだね…」
「………」
「でも…よっすぃーは『私』を見てくれてるんだよね。 誰の代わりでもない、私自身を……」
「…梨華ちゃん…」
そう言われて顔をあげた吉澤の目に、石川の笑顔が映る。
「…ありがとう……私、嬉しいよ…」
やっぱりちょっと、切ないけどね…。
- 498 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/05(日) 00:20
- そう言ってもう一度微笑んだ石川の頬に、涙が一筋こぼれおちた。
吉澤はそんな彼女を抱きしめてやるべきか悩んだけれど、そんなことをしても一層彼女を辛くさせる
だけだと分かっていた。
石川はしばらくうつむいたまま涙を拭ったあと、顔をあげ真剣な目を吉澤に向けた。
「保田先生もきっとよっすぃーと同じだよ。よっすぃーじゃなきゃ駄目なんだよ。代わりなんていない…」
「梨華ちゃん…」
「保田先生とごっちんは、今私たちが犯そうとしてた過ちを犯してる。それに気づかないでいるんだよ。
ごっちんが紗耶香さんの代わりを保田先生に求めているなら、ごっちんが保田先生といて幸せに
なれることなんてありえない。 自分の気持ちを偽っている保田先生はもちろん…」
石川のまっすぐな声が吉澤の胸を突く。
はっとしたような吉澤の視線を受けながら、石川はさらに言葉を続けた。
- 499 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/05(日) 00:20
- 「よっすぃーなら保田先生を気づかせてあげられる。よっすぃー自身がわかったでしょ?
好きな人の面影を別の誰かに求めたって、虚しいだけだって…」
石川はそう言って少し瞼を伏せた。
やや自嘲を含む色がその瞳に浮かんでいる。
吉澤が何か言おうとした瞬間、石川は再び顔をあげてソファから立ち上がった。
そのまま吉澤の腕を引っ張りあげて立たせ、ドアの方にぐいぐいと押しやる。
「ちょっ…梨華ちゃん!?」
「ほら、行ってあげてよ。今すぐ行って、保田先生を取り戻してきて?」
その言葉に振り返って石川の顔を見ると、彼女はふわりと優しく微笑んだ。
- 500 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/05(日) 00:21
-
「願ってるだけじゃ、想ってるだけじゃ伝わらないよ。動かなきゃ変えられない。よっすぃーの気持ちを
ぶつけなきゃ保田先生は取り戻せない。よっすぃーしか保田先生の気持ちを動かせないんだから」
「…梨華ちゃ…」
「それに、よっすぃーが幸せでいてくれなきゃ私も諦めきれなくなっちゃうんだからね。二人には幸せに
なってもらわないと、私が困るの!」
いたずらっぽくそう言って、石川はにっこりと笑った。
石川の精一杯の優しさが伝わって、吉澤の胸に切なさを生む。
その気持ちを無駄にしないように、吉澤は強い意志を込めた瞳で石川を見つめ返した。
「梨華ちゃん、ごめんね…。それから……ありがとう!」
そう告げて走り出そうとする吉澤に、石川は微笑んで手を振った。
- 501 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/05(日) 00:22
-
――彼女の言葉はたしかな勇気をあたしに与えてくれた。
あたしがここを去ったあと、梨華ちゃんはきっと泣くだろうけど……
でも、振り向かずに保田さんの許へ行くことが今のあたしがするべきことなんだと、
梨華ちゃんのためにもそうすべきなんだと思った。
- 502 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/05(日) 00:22
- ***
ごっちんの病室の前まで来て、あたしはひとつ深呼吸した。
腕時計を見ると9時近くになっていた。中から話し声や物音はしない。
ゆっくりとドアを開けて中を覗くと、ごっちんがベッドで眠っているのが分かった。
保田さんの姿は無い。
音を立てないよう、室内にそっと足を踏み入れて、ごっちんの寝顔を覗く。
よく眠っているらしい。
その無垢な寝顔を眺めながら、さっきのことを考える。
代わりじゃダメなんだ。
好きな人の代わりを求めたって…満たされないんだ。 別の誰かじゃ満たされない。
あたしには保田さんしかいない。
保田さんの代わりなんて作れない。代わりなんていない。
- 503 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/05(日) 00:23
-
あたしは臆病だった。
彼女にもう一度、拒絶されるのが怖かった。
いつまでも逃げて、現実から目を背けて、
自分が傷付くことを怖れてばかりで、彼女の苦しみを思いやる余裕もなかった。
そうだ。約束したじゃないか。
保田さんを幸せにすると。何があっても彼女を守ると。
彼女を眠りの淵から取り戻せるのはあたしだけだ。
彼女を幸せにできるのは、あたしだけだ。
- 504 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/05(日) 00:23
-
見失わないで―――
矢口さんの言葉がよみがえる。
見失っちゃ駄目だ。 あたしも保田さんも、ごっちんも。
――ねえごっちん、いないんだよ。 紗耶香さんの代わりなんてどこにもいないの。
ごっちんだって…本当は気付いているんでしょう?
ごっちんの規則正しい寝息を聞きながらふと思い出した。
そういえば…今日ごっちんは検査の日だったな。
薬のせいで眠りが深いから…
保田さんは今夜は側にいなくても大丈夫だと思ったのか。だとしたら家に帰ったのかもしれない。
- 505 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/05(日) 00:24
-
あたしは来た時と同じように静かに病室を出て、急いでロッカー室に向かった。
誰もいないロッカー室に駆け込んで保田さんのロッカーを開けると、思ったとおりそこには彼女の白衣が
掛けられているだけで荷物はなかった。
あたしは自分の白衣を脱いでカバンを取り、その足ですぐさま病院を後にした。
今この胸の中にあるのは、確かな熱い想いだけ。
もう、何も怖れてはいなかった。
- 506 名前:フムフム 投稿日:2003/10/05(日) 00:26
- 更新でした
- 507 名前:フムフム 投稿日:2003/10/05(日) 00:27
- >>483 さん
寛容なお言葉をいただいた直後ですが更新できました。
自分の中で今後の展開の道筋が立った感じなんで、なるべくマターリにならんよう励みます。
- 508 名前:炯至 投稿日:2003/10/05(日) 18:07
- 梨華ちゃん、めっちゃええ奴ぅ〜!
梨華ちゃん惚れ直したよぉ!!
よっすぃー頑張れ!ごっちんから、ヤッスーを取り戻せ!!
- 509 名前:名無し読者 投稿日:2003/10/07(火) 00:55
- ( ^▽^)<ラブ&ナース
ナース石川にも愛を。
・・・そしてやすよしにもラブシーンを(w。
- 510 名前:名無し読者 投稿日:2003/10/18(土) 21:55
- えらいぞヨスィコ!
真っ直ぐで良い奴だなあ
圭ちゃんを幸せにしてやるのだ
作者さんもマターリと頑張ってくださいね
- 511 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/28(火) 22:18
- *****
かすかな音が耳に届いてきてあたしは目を覚ました。
ぼうっとする頭を働かせて、状況を把握する。
たしか家に帰ってきて食事をしてから、病院に持っていく着替えの準備をして…
どうやらそのままテーブルに突っ伏して眠ってしまったらしい。
無理な体勢でいたせいか首筋がズキズキと痛む。
- 512 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/28(火) 22:19
- あたしを眠りから呼び覚ましたのは携帯の着信音だった。
音の出所であるカバンに腕を伸ばしてたぐりよせる。
手に取った携帯のディスプレイに目を落とした瞬間、あたしの身体はびくりと固まってしまった。
そこに記された名前を見て、一瞬思考が止まる。
どうすべきか―――…
このまま出ないほうがいいかもしれない。
でも…仕事のことでの連絡かもしれないし、勝手に深読みしても……。
あたしは悩んだ末に通話ボタンを押した。
指先が少し震えた。
- 513 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/28(火) 22:20
-
「はい……」
『…保田さん? 吉澤です』
耳に直接流れ込んでくる声に、あたしの心臓が大きく波打つ。
聞かないでいようと努めていた声なのに、あたしの心はいつだってこの声を聞きたくてしょうがなかった。
壊れそうなほどに早鐘を打つ胸を押さえ、あたしは冷静に聞こえるよう精一杯の演技をした。
「何か用?」
『あの……今、マンションの前の公園にいるんですけど、出てきてもらえませんか?』
「えっ…?」
吉澤の言葉に驚いて、思わず立ち上がり窓辺へと寄る。
カーテンの隙間から眼下に見える公園に目を向けたけれど、闇の中に黒々とした木々の葉が生い茂って
いるだけで、吉澤の姿は見つけられない。
- 514 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/28(火) 22:21
- 「…なんで…そんなとこにいるの?」
『保田さんに会いにきたんです』
よどみのない声ではっきりとそう言われ、あたしの心臓はさらに打つ速度を増した。
受話器を持つ手が少し汗ばんでいる。
「何…? あたしは会うつもりはないけど?」
わざと興味なさげに冷たく言い放つ。声が震えないように必死に繕って。
しかしそんなあたしの努力も軽く流してしまうように、吉澤はきっぱりと言い切った。
- 515 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/28(火) 22:23
-
『あたし待ってます。保田さんが来てくれるまで、ずっとここにいます』
「………」
真っ直ぐすぎる吉澤の言葉にあたしはたじろいだ。
今日の吉澤の声は今までのものと違った。
あたしの冷たい言葉を怖れるようにしていた吉澤。小鹿のように怯えていた時のそれとは違う、
強い意志を感じる澄んだ声。
「…あたしは行かないよ」
『それでも、ずっと待ってます。何時間でも待ってますから…』
「…切るよ。もう遅いから…早く帰りな」
そう言って、吉澤の言葉が返ってくる前に通話ボタンを切った。
- 516 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/28(火) 22:24
-
壁にもたれて携帯を握り締める。
まだ心臓が激しく脈打っていた。
――どうして吉澤がここに? 急に会いになんて…どうしたっていうの。
疑問ばかりが頭の中に浮かぶ。
今までのあの子は、あたしと目を合わすのすら怖れるようにしていたというのに。
壁の時計を見上げると、針は9時半を指していた。
ちょうどそのとき、見計らったように、窓の外からパラパラと小さな音が不規則に聴こえてきた。
あたしの気持ちに追い討ちをかけるように、雨が降りだした。
- 517 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/28(火) 22:25
- ***
また時計を見上げる。一体何度目だろうか。
いつもの何倍も時間が過ぎるのが長く感じる。
あたしは落ち着かなさに何も手がつけられないでいた。
鳴り止まない雨の音と、異様に耳障りに感じられる時計の針の音を聴きながら。
時刻は11時になろうとしていた。電話があってからもう1時間以上たっている。
雨も降っているし、いくら何でもこんな寒空の中、馬鹿正直に待ってはいないだろう。
そう思ったところで、外から聴こえてくる雨の音が激しさを増した。かなり強く降りだしたらしい。
- 518 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/28(火) 22:26
-
もう吉澤は待っていない。
とっくに帰ったはずだ。
そう思い込もうとしても、胸騒ぎはおさまるどころかますます大きくなるばかりで。
あたしはたまらずソファから立ち上がった。
- 519 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/28(火) 22:27
- ***
傘とバスタオルとを持って雨の中へ飛び出すと、アスファルトから跳ねる雨水が脚を濡らした。
マンションの前の通りを横切って公園へ入る。
点在する外灯が弱々しく周囲を照らし出すだけで、公園内はほとんど真っ暗だった。
あたしはドキドキとうるさく鳴り続ける胸をおさえながら、公園の奥へと足を進めていった。
自分でも理解しがたい、不思議な気持ちを押さえながら。
- 520 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/28(火) 22:27
-
いなければいい。
いてほしい。
相反する二つの感情が確かにそこにあった。不安と期待。
待っていたらという不安? 待っていなかったらという不安?
いないでほしいという期待? いてほしいという期待?
どれが正直な気持ちなのかわからなかった。
きっと、いろんな感情があたしの中でせめぎあっている。
- 521 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/28(火) 22:28
- 公園の中ほどには小さな広場があった。
そこには何のためにあるのかよく分からない、普段は子供たちが遊びまわっているだけの
コンクリートでできた舞台のようなものがあった。
吉澤が待っているとしたらそこかもしれない。
あたしはゆっくりと歩みを進めてその場所へ向かった。
そこへ近づくにつれて、こめかみあたりで感じる鼓動が大きくなっていく。
まさか――― まさか、よね……
あたしは生い茂る木々の間を抜けて広場へ出た。
そこに、舞台の上でずぶ濡れのまま立っている、吉澤の姿があった。
- 522 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/28(火) 22:29
- ***
「吉澤!!」
大きな声で呼ばれ、吉澤はぱっと顔をあげた。
視線の先に保田の姿を見つけ、嬉しそうににっこりと微笑む。
「よかった…。来てくれるって…思ってました」
「…っ…馬鹿!」
保田は泣きそうな表情になりながら、吉澤の許へ走り寄った。
傘にいれてやっても無駄なほど、吉澤の身体はびっしょりと濡れてしまっている。
長時間雨の中にいて冷え切っているのだろう。ただでさえ白い肌が青白く震えていた。
- 523 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/28(火) 22:30
- 「なんで…なんでこんなことするの!? 身体壊したらどうすんのよ…!」
保田は必死にバスタオルで吉澤の身体を拭いた。しかしタオルもすぐに水を含んで重くなってしまい、
その役割を果たせない代物になる。
今にも泣きだしそうに顔を歪めて、保田は苛立たしげにバスタオルを足元に放り投げた。
「来てくれて……ありがとうございます…」
「ばか! お礼なんて言ってる場合じゃないでしょ!」
きつく言って吉澤を見上げると、吉澤は嬉しそうな、それでいて少し困ったような微妙な微笑みを
浮かべて保田を見つめていた。
保田はその視線に思わず動きを止めてしまう。
身体の芯がわずかに熱くなるのを感じた。
- 524 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/28(火) 22:32
-
「……何…?」
保田が問うと、吉澤は困ったような表情のままふわりと笑った。
「…今ね、保田さんのことすっごい抱きしめたい」
「………」
「だから困っちゃって。抱きしめたいんだけど、保田さんが濡れちゃうから…」
- 525 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/28(火) 22:33
- 保田は手に持った傘を放り出した。
自由になった両手で、吉澤の身体を思いきり抱きしめる。
「保田さ……」
「……ばかっ!………馬鹿よ…あんた…」
――打ちつける雨粒がゆっくりとあたしの身体を濡らしていく。
もっと濡らしてくれればいいと思った。頬を伝う涙を吉澤に悟られないように。
吉澤の冷えきった身体が悲しくて、愛しくて、たまらなかった。
- 526 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/28(火) 22:34
- 吉澤の腕がゆっくりと保田の背中に回される。
最初はゆっくりと、おそるおそる抱きしめてくる両手。徐々に力を込め、確かめるように強くなっていく。
最後にはしがみつくように、折れるほどに強く、吉澤は保田の身体を抱きしめた。
「あたし、信じてました…。保田さんは絶対来てくれるって…」
「…………」
「やっぱり……来てくれた…」
吉澤は保田を抱く腕に力を込めた。
保田の頬を、熱い涙が雨と一緒に流れて伝う。
――もう見つめてはいけない、触れてはいけない、そう決めたはずなのに。
こんなことはもう許されないのに。
この腕から離れないと、と警鐘を鳴らす理性とは裏腹に。
あたしの心が、身体が、あたしの全てが吉澤を求めてやまなかった。
- 527 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/28(火) 22:36
- 「…どうして…なんでこんな雨の中待ってたの? こんなことするくらいなら、部屋まで来れば
いいじゃない…」
保田は吉澤を抱きしめたまま、抱きしめられたままで震える唇を開いた。
その問いに、吉澤はゆっくりと首を振る。
濡れた髪が保田の頬をつるりと撫でた。
「…保田さんに会いに来てほしかったんです。 あたしからじゃなくて、保田さんの意思で、
あたしに会いに来てほしかった…」
「………」
保田は頭の片隅にこびりついていた理性を振り絞って、吉澤の冷えた身体をゆっくりと離した。
保田の腕に手を添わせたまま、吉澤は濡れた睫毛の下からじっとその姿を見つめる。
- 528 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/28(火) 22:37
-
「…なんで……わかんないよ。 何であたしなんかの為に……あたしはあんたを裏切ったんだよ…?」
苦しげにうつむく保田を見て、吉澤は困ったように微笑んだ。
額に落ちかかる濡れた前髪を片手でかきあげる。
「ほんと…何ででしょうね。あたしにも分かんないです。何でこんなに…保田さんじゃなきゃ駄目なのか」
苦笑交じりの吉澤の言葉に、保田はうつむいたまま目を見開かせた。
驚きと戸惑いとを浮かべたその瞳が、再び泣き出しそうにゆらりと歪む。
- 529 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/28(火) 22:38
- 「裏切られても冷たくされても、もうどうにもならないくらい…あたしは保田さんが好きなんです。
あたしには保田さんしかいないって…保田さん以外欲しくないってわかったから」
「…………」
「だからあたし、保田さんを取り戻そうって決心したんです。 保田さんもあたしのこと、変わらず好きで
いてくれてるって…信じてたから…」
少し照れたようにそう言って、吉澤は保田を見つめたまま微笑んだ。
そんな風に微笑まれ何ともいえない複雑な面持ちになった保田に、吉澤は表情を一転させ、
真剣な眼差しでじっとその顔を見つめた。
- 530 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/28(火) 22:39
-
「保田さんもごっちんも間違ってる。皆が自分の心を偽っているのに、幸せになんてなれるわけない…」
「………」
「保田さんの優しさは、逆にごっちんを苦しみに縛り付けるだけ……お互いを不幸にするだけです」
保田自身も感じていた不安を吉澤に真正面から突きつけられ、保田は思わず顔をうつむける。
濡れた髪先から透明な雫がポタポタと落ちて、コンクリートの上に砕け散った。
「紗耶香さんの代わりを探してるかぎり、ごっちんはいつまでも過去にとどまったまま歩き出せない。
ちゃんと未来を見て、心から愛する人と一緒に生きていかなきゃ…本当の幸せなんて無いです…」
「……でも…」
よどみの無い声できっぱりと言い切る吉澤の言葉をそこまで聞き終えて、保田は頼りなさげな
小さな声をはさむ。
保田のその声を受けて、吉澤は口をつぐんだ。
- 531 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/28(火) 22:41
- 「後藤にそんなこと…とても無理だよ。 あたしが側にいないだけであんなにも…今にも死んでしまい
そうなくらいなのに……」
「………」
「あんな後藤に……紗耶香を失ったあの子に、また好きな人を見つけろだなんて…そんなこと……」
うつむいて唇を噛みしめる保田に、吉澤は少し悲しそうな視線を向けた。
そしてゆっくりとひとつ瞬きをして―――優しく、穏やかに微笑んだ。
「でも、保田さんはまた人を好きに……あたしを好きになってくれたでしょう…?」
その言葉に、保田ははっとしたように顔をあげた。
- 532 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/28(火) 22:43
-
「紗耶香さんを…大好きな人を失った悲しみから立ち直って、また人を好きになれたじゃないですか。
どうしてそれがごっちんには出来ないって言うんですか?」
「………」
「それとも…最初っからその程度の気持ちだったんですか?紗耶香さんへの想いは。
ごっちんに負けて当然だって思うくらいの、その程度の……」
「違う!」
吉澤の言葉をさえぎるように、保田は鋭く叫んで首を振った。
雨の雫が髪の先からパッと散らばる。
「あたしは……紗耶香が好きだった。 誰にも負けないくらい…後藤にだって負けないくらい、
あの子が好きだったよ!」
- 533 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/28(火) 22:44
-
吉澤の目をまっすぐに見つめてそう言い切った保田に、吉澤は満足したような、それでいて少しの嫉妬を
含んだ微妙な表情で苦笑してみせた。
「じゃあ…ごっちんのこと信じてあげてください。ごっちんの心は死んでなんかいないって。
人を好きになる気持ちや生きる希望が…ごっちんの心に絶対に蘇るって…」
そう言って微笑んだ吉澤の顔が、保田の目にじわりと滲んで見えた。
思わず両手で顔を覆う。
悲しいのか嬉しいのか、自分でもよくわからない大きな気持ちが胸の中にせり上がってきて、
保田は涙が込み上げるのを止められなかった。
- 534 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/28(火) 22:44
-
「……あたしは…何ができるんだろう…。 あの子の為に…何をしてやれる……?」
顔を覆ったままその肩を震わせ、か細く途切れる声で保田は呟いた。
その身体に吉澤はゆっくりと腕を回す。
優しく包みこむように、ありったけの気持ちを込めて抱きしめた。
「…祈ってください。あたしと一緒に。 ごっちんがまた人を好きになれるように。
一緒に生きていきたいと思える人に…出会えるように…」
あたしと、保田さんみたいに。
吉澤が付け足した言葉に、保田は涙に濡れた顔を隠したままで小さく笑った。
つられて吉澤も微笑み、保田の身体をさらに強く抱きしめ返す。
- 535 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/28(火) 22:45
-
「一緒に見守りましょう。ごっちんは独りなんかじゃない。 あたしも保田さんも、矢口さんや中澤さんや、
梨華ちゃんだって……みんなごっちんのこと大切に思ってるんです。 みんなにこんなに愛されてる
ごっちんが、不幸になんてなるはずないです…」
吉澤の肩に顔をうずめ、保田は言葉も無くただ何度も頷きを返した。
きつく閉じられた瞳からとめどなく涙があふれだす。
- 536 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/28(火) 22:46
-
雨はいつの間にか止み、足早に過ぎ去っていく雨雲の隙間から星たちが小さな光を瞬かせていた。
雨が夜の空気を透明にして、澄みきった風が二人の濡れた身体を包む。
ひどく冷え切っていたはずなのに、身体の芯は火がともったように熱かった。
触れ合った部分から互いの温もりを分かち合う。熱さをを増してくる身体と心。
「吉澤……」
「………はい?」
しばらく黙ったまま抱き合って。ポツリと口を開いた保田に吉澤は優しく問いを返す。
保田は吉澤の肩に頭をあずけたまま、その背に回した腕に力を込めた。
- 537 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/28(火) 22:47
-
「…好きだよ……」
「………はい…」
保田のその言葉が、吉澤の胸に深く深く染みこんでいく。
胸の中の気持ちがとたんに溢れそうになって、思わず涙が出そうになった。
気持ちを抑えるようにぐっとそれをこらえて、吉澤は保田の身体を力いっぱいに抱きしめる。
- 538 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/28(火) 22:48
-
「好き……好きだよ…大好き…っ」
「保田さ……」
「ずっと言いたかったっ…。 あんたを見て、触って…抱きしめて……ずっとずっと、こうしたくて
気が狂いそうだった…!」
涙とともに苦しみを吐き出すようにそう言って、保田は吉澤の濡れた衣服を握りしめた。
吉澤は肩口から保田を引き離して、言葉も無いままその唇に口付けた。
お互いの焦がれた想いをぶつけあうように、そのくちづけはだんだんと激しさを増して。
- 539 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/10/28(火) 22:49
-
もう絶対離さない。
誰よりも愛しいこの人を。誰よりも大切なこの人を。
二度と、この腕から離したりしない。
もう、二度と―――…
雨に濡らされた唇の滑るような感触と、さらに熱さを増していく体温を感じながら。
愛しい唇に、誓った。
- 540 名前:フムフム 投稿日:2003/10/28(火) 22:52
- 更新でした。
マターリにならんようにと言いつつマターリしまくりました。スンマセン。
- 541 名前:フムフム 投稿日:2003/10/28(火) 22:53
- レスありがとうございました。
>>508 さん
ウチの石川さんはいい人ですね。いい人で終わってしまいましたが・・。
( T▽T)<ショセン損ナ役回リ…
>>509 さん
そうですね。石川さんの御身にも幸あらんことを祈ります。ナムー。
( T▽T)<祈ルダケナノネ…
>>510 さん
励ましありがとうございます。あと数回の更新で終わると思われます。
が、これ以上マターリにならんようにしますね・・。
- 542 名前:フムフム 投稿日:2003/10/28(火) 22:53
- 流
- 543 名前:つみ 投稿日:2003/10/28(火) 22:54
- えがったよ〜(泣)
よっすぃ〜が凄く好きになった・・・
- 544 名前:260 投稿日:2003/11/07(金) 21:13
- 光が見えた気がします。
とても激しい場面なのに、なぜかとても静かで暖かな感じがしました。
みんなが幸せになるときを待っています。
- 545 名前:名無し読者 投稿日:2003/11/08(土) 01:13
- ごっちんのことは心配だけど
とりあえずはよかった〜
巧い事言えないんですけど、話の中に凄く引き込まれます
登場人物それぞれに感情移入してしまうというか…
続き楽しみにしてます
- 546 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/11/16(日) 00:17
- *****
目を覚ますと、ほんのりと白みはじめている部屋の空気を感じた。
まだ太陽が姿を現しきらない時刻。静かすぎる早朝の部屋。
「…保田…さん…?」
あたしは隣にあるはずの温もりがないことに気付き、あわててベッドから身体を起こした。
ひんやりとした空気に肌を撫でられ、自分が何も着けていない状態であることを思い出す。
思わず顔を赤らめつつ、胸元にシーツをたぐり寄せて室内を見回した。
いない―――…
不安に駆られかけたあたしの耳に、そのとき静かにドアの開けられる音が聞こえた。
- 547 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/11/16(日) 00:18
-
「あ…おはよう」
声にぱっと振り向くと、少し照れたような保田さんの笑顔が、開け放たれたドアの向こうから現れた。
安心して胸をなでおろす。同じように微笑んで、シーツにくるまったまま挨拶を返した。
「おはようございます。…早いですね」
「ん……目が覚めちゃってね」
ドアの前の保田さんはすでに身支度を整えた格好で立っていた。
自分だけが裸のままでいることがやけに気恥ずかしくて、あたしは身体を包んでいるシーツを
肩口までたくしあげる。
そんなあたしの様子を見て、保田さんはふっと可笑しそうに笑った。
昨夜数え切れないほどのキスを落とした彼女の肌は、今はブラウスの中に隠されてしまっていた。
- 548 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/11/16(日) 00:22
-
雨の中、部屋に戻ったあたしたちは、ドアを閉めるなりやみくもに互いの身体を抱きしめ合った。
昨夜の光景が頭の中にリアルに思い出されてくる。
バスルームで熱いシャワーに打たれながら、お互いの衣服をもどかしげにはぎ取るようにして。
何かに追い立てられるように、急かされるように、触れあう熱をむさぼるようにして求め合った。
何度満たされても足りないというくらい―――今までの距離を埋めようと必死になるように。
繰り返し、繰り返し、互いを求めた。
- 549 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/11/16(日) 00:23
- 目の前の保田さんに昨夜の姿が重なり、かあっと顔が熱くなる。
冷たい空気に触れているのに再び火照りだそうとする身体を、あたしはシーツでぐるぐると巻いて
小さく縮こまらせた。
「…? 何やってんの?」
「べ、別に…なんでもないデス……」
人の気も知らないで、保田さんは面白いものでも見るように笑ったままあたしの傍らへと近づき、
そのままベッドに腰を下ろした。
その手が何かを握りしめる形であたしの目の前に差し出される。
あたしはキョトンと保田さんの顔を見つめ、とりあえず両手を受けてみた。
保田さんの手の中からあたしの手に落とされたのは、銀色の鍵だった。
- 550 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/11/16(日) 00:25
- 「ちょっと早いけどあたし行くよ。テーブルに朝ゴハン用意してあるから、あっためて食べて」
「えっ…もう行っちゃうんですか!?」
――やっとお互いの気持ちを確かめ合えた幸せな朝だっていうのに…そんなの寂しすぎるよお!
そりゃ病院でもすぐ会えるけど、もう少し二人でいたい…。
置いて行かれる捨て犬みたいにしょげたあたしを見て、保田さんは困ったように、なだめるように
優しく微笑んだ。
「うん……行って、後藤に話してくるよ」
「………」
そう言った保田さんの目には、強い決意と少しの不安とが揺らいでいた。
でも、その目にもう迷いは見られない。
それでもあたしは彼女を一人で行かせることが心配で、ベッドの傍らにあったガウンを手にとった。
- 551 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/11/16(日) 00:26
- 「あ、あたしも一緒に行きます!」
そう言ってガウンを羽織ろうとしたあたしの腕を、保田さんは手を伸ばしてさえぎった。
あたしの目を見て静かに首を振る。
「ううん…あたし一人で行くよ。 これは、あたしと後藤の問題だから。
あたしがちゃんと、あの子に話さなきゃ…」
「…保田さん……」
保田さんはあたしの目をまっすぐに見つめて頷いた。
あたしの腕がベッドに下ろされるのを見て、またにっこりと柔らかく微笑む。
「病院まで連れてってやれないけどごめんね。タクシーでも呼んでくれればいいからさ。
ちゃんと戸締りして、鍵はあとで返し……」
そこまで言って、保田さんははたと唇の動きを止めた。
少し視線を逸らせて何か考えるようにして、もう一度あたしを見たその瞳は
ちょっといたずらっぽく笑っていた。
- 552 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/11/16(日) 00:27
-
「鍵は…返さなくていいや」
「えっ…?」
「あずけとくよ、あんたに」
保田さんの言葉の意味がわかって、あたしは顔を赤らめた。 さっきから手の中にあった銀色の鍵を
ぎゅっと握りしめる。
赤くなっているあたしを見て、保田さんも少し頬を染めて。
「じゃ、行ってくるね」
そう言ってベッドから腰をあげて、保田さんはあたしに背を向けた。
そのままドアのほうへ歩いていくと思われた保田さんの足は、しかしその場でピタリと止まって
動かないままになってしまう。
- 553 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/11/16(日) 00:28
- 「――保田さん?」
首をかしげてあたしが問い掛けると、保田さんは再び振り返ってあたしを見下ろした。
その顔に、さっきのものとはまた違う不安の色が表れている。
「ねえ……吉澤」
「…はい?」
「あんたは……あたしのことホントに許せるの…? あんたのこと裏切って、あんなに傷つけたのに…」
唐突にそんなことを聞いてくる保田さんに、あたしは思わず目を丸くしてしまった。
昨夜あれほど求め合っておきながら今更尋ねる台詞でもないだろう、と、ちょっと可笑しくも思ったけど。
でも保田さんの真剣な、辛そうな眼差しに、彼女が本気でそんな不安と拭いきれない罪の意識とを
感じているんだということが分かった。
- 554 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/11/16(日) 00:29
-
「…そうですね。保田さんにはすごく…すごく傷つけられました」
「…………」
あたしの言葉に、保田さんは心底申し訳なさそうに眉を曇らせうつむく。
「あんなに傷ついたことって…今までなかったです」
「……ごめん……」
苦しそうにそう言ってさらに頭を下げた保田さんに、あたしはシーツの中から腕を伸ばして
その手首を掴んだ。
そのままぐいっと力まかせに引っぱる。
- 555 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/11/16(日) 00:30
-
「――わっ!」
バランスを崩してベッドに倒れこんだ保田さんに、あたしはその上からのしかかるように覆い被さった。
肩に手をかけて、彼女の身体を仰向かせて。
そのまま彼女の唇をふさいだ。
「んっ……」
保田さんの唇から、苦悶とも快楽ともつかない吐息が漏れる。
細い手首と柔らかな身体をベッドに押し付けて、あたしは身体の血が再び熱くなるのを感じた。
ゆっくりと唇を離して、あたしを見上げたままでいる保田さんの視線をじっと捕らえる。
- 556 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/11/16(日) 00:32
-
「保田さんに裏切られて……今までにないくらい傷付いて、嫉妬して…」
「…よし……」
保田さんの言葉をさえぎるように、再び唇をふさぐ。
今度は少し長く、深く口づけて―――
唇を少しずらすたびに零れる彼女の吐息を、あたしは全て逃がさないよう絡めとる。
「は……」
ようやく解放された唇が、空気を求めて薄く開く。
熱にうかされたように潤む瞳をじっと覗き込んで、あたしは彼女に低くささやいた。
- 557 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/11/16(日) 00:33
-
「…あたしをこんなに傷つけられるのも、こんなに幸せにしてくれるのも―――保田さんだけです」
――あたしを傷つけることができるのも、幸せにすることができるのも、あなただけなんです…
あたしは見逃さなかった。
その言葉を聞いて、あたしを見上げる保田さんの瞳が一瞬、泣きそうに揺れたのを。
- 558 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/11/16(日) 00:34
- 「…バカ……ほんっとバカだよね、あんた…」
「な!ひどーい!何でですかあ!?」
わざとらしくむくれたあたしのほっぺたに手を伸ばして、保田さんは涙目のままクスクスと笑う。
あたしは頬に触れてきたその手をぎゅっと握り返して、さらに不機嫌な顔をしてみせた。
「ほんとに…すごい嫉妬したんですから。 …この身体にあたし以外の人が触れたのか…って…」
「……ごめん…」
保田さんはまた真面目な顔になって、ベッドからゆっくりと身体を起こした。
そのままあたしの首筋に片手を回してきて、後ろ髪に指を差し入れる。
彼女の大きな瞳がゆっくりと近づいてきた。
唇が触れるその直前まで、伏し目がちにあたしを見つめてくる視線がやけに扇情的で、ドキドキした。
- 559 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/11/16(日) 00:35
-
「もう…誰にも触らせないよ。あたしはあんただけのものだから…」
保田さんの言葉に身体がかあっと熱くなった。
嬉しさと気恥ずかしさとがごっちゃになって、あたしはそれを振り払うためにわざとらしく目を逸らした。
「でっ…でもまあお互い様かもしんないですねっ。あたしも浮気しちゃいそうになったしっ」
「えっ?」
うわずったあたしのセリフを、保田さんは心底驚いた顔をして聞きとがめた。
し、しまった―――…。
保田さんの反応を見て、あたしは自分のうかつな発言に早速後悔を感じたけど、今更ひっこみも
つけられず正直に打ち明ける。
- 560 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/11/16(日) 00:36
- 「え、えっと……あたしも梨華ちゃんと…う、浮気…しそうになっちゃったんですよ…。
なんつーか…自暴自棄になっちゃって」
「………」
どことなく呆然としたように目を見開いたまま口をつぐんでいる保田さんに、あたしはさらに焦りを濃くして
必死に言い訳の言葉を探した。
「も、もちろん未遂だったんですけどっ!!」
「………どこまで…?」
「へ?」
「……だから、どこまでしたの?」
- 561 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/11/16(日) 00:37
- 直接的な質問にあたしは思わず顔を赤くしたけれど、表情を変えないまま真剣に尋ねてくる保田さんの
気迫につい気圧されてしまう。
「え……と…。キス、は…しちゃいました……」
「それだけ?」
「〜〜〜あ、と……ちょっと胸とか…触っちゃった…かな?」
「…………」
しどろもどろで答えるあたしの言葉にとうとう黙り込んでしまった保田さんを見て、あたしは内心で
心臓をばくつかせた。
保田さんは無表情のまま一点を凝視しているんだけれど、それがなにやら妙に怖い。
- 562 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/11/16(日) 00:38
-
「…ごめんね吉澤…」
「は、はいッ!?」
「あんた以外の子と寝たりして、ごめん。…こんっっなにムカつくものだったんだね」
「え? あ。キャーーーッ!!」
いきなり保田さんに押し倒され、あたしは危うくベッドの柱に頭をぶつけそうになってしまう。
とっさに運動神経を働かせてその危機を回避したと思ったら、保田さんのキスが唇に降ってきた。
「やッ、保田さん!? どーし……んッ…。どーしたんで…んうッ……すかっ!」
「いやあ……そんなこと聞いたら同じコトやりかえしたくなっちゃって」
「って! あたしはした方でされた方じゃ……ってひゃあッ!! そ、そんなコトまで
してないですってーー!!」
抵抗しながらも、じゃれあうようにふざけあうように、あたしたちはわずかな時間を惜しむように
戯れ合った。
二人の笑い声が、朝の明るさに満たされはじめた部屋に響きあう。
- 563 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/11/16(日) 00:40
-
これから先のことを考えると、不安がないわけじゃないけれど。
でも―――…
あたしは保田さんが好き。
この気持ちがあるだけで、頑張れる。
保田さんがあたしを好きでいてくれるってだけで、あたしは翼を得たみたいに、何だってできるような
気がするんだ。
- 564 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/11/16(日) 00:41
-
ずっと側にいます。
この先どんなことがあっても、もう決して、あなたの側を離れたりしない。
あたしは保田さんの身体を抱きしめながら、やっと訪れた朝の喜びをかみしめた。
この気持ちと、この決心とを、あらためて胸に刻み込んで。
- 565 名前:フムフム 投稿日:2003/11/16(日) 00:41
- 更新でした
- 566 名前:フムフム 投稿日:2003/11/16(日) 00:44
- >>543>>544>>545 さん
レスありがとうございます。
皆さんへのレスを考えているうちに1時間近く経過してしまって、こんなことで只でさえ足りない頭を
すり減らすなら早いこと更新せえや、と、さすがに自主ツッコミを入れるに至りましたので今回は
まとめレスにさせていただきました。手抜きですみません。
とりあえずあと2・3回の更新で終わる予定です。最後までお付き合いいただけるよう頑張ります。
- 567 名前:つみ 投稿日:2003/11/16(日) 00:47
- リアルタイムで来ました!
この2人を見てるとなんか心が満たされますね・・・
あと2・3回ですか・・・
いい作品にはいつかは終わりが来るものだけど少しさみしいですね〜
- 568 名前:名無し読者 投稿日:2003/11/17(月) 23:11
- じゃれあう二人に萌え!!
よかったよかった。
あと少し、とのことですが、
がんばってください。
- 569 名前:名無し読者 投稿日:2003/11/21(金) 01:58
- あー久々の可愛いヨスィコが良いですなー
大人キャラの圭ちゃんが相手だからなのか凄い可愛い
ここのヨスィコ、圭ちゃんのキャラが凄くツボです
- 570 名前:名無し読者 投稿日:2003/11/21(金) 02:31
- 本当に更新おつかれさまでした。なんかやっと安心してこのふたり
みれてます。ずっと続くといいな。次回更新楽しみにしております
- 571 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/12/20(土) 00:20
- *****
真っ暗だよ……
怖い… 怖い…
誰かそばにいて。
ここはいや。暗いのはいや。
誰でもいいからそばにいて。誰でもいいから。
誰でもいいから。
- 572 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/12/20(土) 00:22
-
誰でも…
誰か……
市井ちゃん………
- 573 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/12/20(土) 00:23
-
「…おはよう、後藤」
目を開けたその視界にぼんやりと映ったのは、夢の中で呼んだ人の姿ではなかった。
後藤は夢と現実とが混濁している意識の中で、うつろな瞳で目の前の人物を見つめる。
椅子に座って自分を見つめているその人の背後の窓から、朝の光がやわらかく射し込んでくる。
それが目にしみるように眩しくて、後藤は少し目を細めた。
「けー……ちゃん…」
「……そうだよ」
紗耶香じゃ……ない、よ。
- 574 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/12/20(土) 00:24
- 小さく囁くようにそう言った保田の言葉に、ベッドに横たわる後藤の身体がビクリと揺れた。
保田はそんな後藤を優しく哀しい眼差しで見つめたまま、もう一度口を開いた。
「後藤もほんとは分かってるはずだよね…。あたしは紗耶香じゃないって。
あたしは紗耶香の代わりになれないって…」
「…………」
「あたしたちは間違ってる。こんなこと…続けてちゃいけない。紗耶香だって――…悲しいはずだよ…」
保田の言葉に、後藤は唇を閉ざして黙ったまま、視線を小さく彷徨わせる。
その身体がわずかに震えていたことに保田は気付いていた。
ベッドに投げ出されていた後藤の細い腕を、保田の手がぎゅっと握りしめた。 その触れたところからも
小刻みな震えが伝わってくる。
保田は安心させるように、精一杯の気持ちを後藤に伝えるように、握る手に力を込めた。
- 575 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/12/20(土) 00:25
-
「今の後藤はさ、まるで…真っ暗な森の中で、独りぼっちで泣いてる子供みたいなんだよ」
「………」
「真っ暗な世界が怖くて、誰でもいいから側にいてほしい。誰かに触れていたい。
抱きしめられていたい…って。そう、泣いてる…」
「圭ちゃ…」
聞きたくない、というように、後藤はすがるような目で保田を見つめ首を振った。
今にも泣き出しそうな顔をして。
そんな後藤を見て、保田は辛そうに眉を曇らせたけれど――…
後藤の手を強く握ったまま、もう片方の手で柔らかい前髪を梳いてやって、保田は言葉を続けた。
- 576 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/12/20(土) 00:26
-
「しがみついて、うずくまっているだけじゃそこからは抜け出せない。 小さな光を…出口を探して
自分で歩いていかなきゃならないんだ」
―――あたしも前まではそうだった。
紗耶香が死んで、真っ暗な世界にひとり放り出されたみたいだった。
希望も未来もなにも見えない……そんな世界で、ずっとずっとうずくまっていたような気がする。
- 577 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/12/20(土) 00:27
-
「…でもね、あたしは光をみつけたよ」
「……ひか、り…?」
後藤の掠れた声に、保田は微笑んだまま頷いた。
その瞳は少しも揺らぐことなくまっすぐに後藤の目を見据えている。
思いを必死に、切実に伝えようとするように。
どうか後藤の心に、あたしの言葉が届いてくれるように―――…
- 578 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/12/20(土) 00:28
-
「そう…最初は…真っ暗な中にポツンと見えるだけの、小さな光だった。 あたしは暗い世界に慣れて
しまっていて、逆にそこを動くのが怖くなっていたんだけど……。 勇気を出して少しずつ…少しずつ
その光の方へ歩いていった…」
「………」
「その光は太陽みたいにあったかくって、あたしの全てを包んでくれた。 あたしはその光のおかげで、
真っ暗な世界から出られたの」
その言葉に、後藤は穏やかな微笑を浮かべている保田を見つめ返した。
瞬きもせず、その瞳の奥をじっと覗き込む。
- 579 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/12/20(土) 00:29
-
「…ひかり…って……誰…?」
「……」
「………よっすぃー…?」
後藤の消え入りそうな呟きに、保田は返事の代わりにゆっくりとひとつ瞬きをした。
微笑をたたえたままのその仕草に、その意が肯定であるということが後藤にもすぐ伝わる。
今にも涙が零れ落ちそうなほどに潤み、虚ろに揺れている後藤の瞳に、保田の胸がキリリと痛んだ。
- 580 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/12/20(土) 00:30
-
ひるんじゃいけない。
後藤が嫌がっても、泣いても、あたしは言わなきゃならない。伝えなきゃならない。
後藤を気付かせるために。
この子を本当に、眠りから目覚めさせるために―――…
片方の手でぎゅっと拳を作る。
後藤の哀しい眼差しをまっすぐに見据えなおして、保田は再び唇を開いた。
- 581 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/12/20(土) 00:30
-
「後藤が真っ暗なところで泣いてるから、あたし一緒にそこにいてあげたいと思った。 紗耶香の代わりに
抱きしめてあげたいって思った。 光に満ちたあたたかい場所を…一度は捨てた。でも……」
「――…圭ちゃんは……もう後藤の側にいてくれないの…?」
後藤の瞳から涙がこぼれ落ち、滑らかな頬を伝った。
抱えきれないほどの悲しみ、苦しみ、孤独―――…
そんなものが全て涙となって溢れ出しているかのようで、その様はあまりにも哀しすぎた。
それでも、
もうあたしは後藤を抱きしめてはやれない。
あんたがあたしに紗耶香の影を求めているかぎり、あんたを抱きしめてはやれないよ…
- 582 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/12/20(土) 00:31
- 保田は涙に濡れた後藤の頬に手を添え、そこに残る悲しみの軌跡を指先でそっとぬぐった。
保田の手に触れられても瞬きひとつせず、後藤はただじっと保田を見あげている。
「…あたしね、吉澤が好きなんだ。 あたしはあの子の側にいたい。大切にしたい。
もう、泣かせたくないの…。 だから…もう紗耶香の代わりになってあげることはできない」
「………」
「でもね、後藤にももう泣いてほしくない…。 『紗耶香の代わり』を探して泣いてほしくないんだよ」
- 583 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/12/20(土) 00:33
- 保田がそう言った瞬間、後藤ははっとしたような、同時に責めるような目をして保田の顔を見た。
その後藤の視線を受け止め、保田は少し悲しげに微笑んだ。
「残酷なことに聞こえるかもしれないね……」
「………」
後藤はじっと保田を見つめたまま、次の言葉を待っているようだった。
保田はふと椅子から立ち上がり、朝日の射しこむ窓辺へと近寄る。
まぶしい光の中、朝露にきらめく木々の細い枝先を見つめながら、保田は静かに口を開いた。
「紗耶香を忘れろって言ってるんじゃないの。忘れるなんてできるわけないよ。
どんなに辛くても悲しくても、紗耶香のことを忘れたいなんて…そんなこと思わない…」
最後は自分自身に呟くようにポツリとそう言って、保田は外へ向けていた視線を再び室内へ戻した。
その背からガラス越しに射し込んでくる光が輝きを増して、後藤はおもわず目を細める。
朝の光を背に浴びたまま、保田は後藤の瞳をまっすぐに捉えた。
- 584 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/12/20(土) 00:34
-
「でもね、紗耶香の代わりになる人間なんていないんだ。紗耶香はたったひとりなんだから。
後藤が愛した……あたしと後藤が愛した紗耶香は、この世にたったひとりしかいないんだから…」
あたしと後藤が―――…
そう言った瞬間、後藤の目が軽く見開かれたのが分かった。
- 585 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/12/20(土) 00:35
-
「…気づいてなかった…よね。隠してたからさ」
「……けー…ちゃ……」
保田は少し苦笑して、優しく微笑んだ。
少し照れくさそうな、それでいて切ないほどの悲しみをたたえた保田の微笑に、後藤は複雑な感情を
隠し切れないように瞳を揺らした。
- 586 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/12/20(土) 00:36
-
「…紗耶香が死んで、あたし抜け殻みたいになっちゃってた。 寂しくて寂しくて…心に穴が開くって言葉、
ホントだと思った。 誰かを好きになることなんて、もう二度と無いって…そう思ってた…。
…無いんだよ、『紗耶香の代わり』を探している限りは」
「………」
「寂しさは…消えないよ。心に開いた穴を埋められることも無いと思う。 それを埋められるのは
紗耶香だけだから。 忘れられることも無いと思うし、忘れたいとも思わない」
かみしめるようにそう言って、保田は瞳を閉じた。
しばらくそのままで―――まるで何かを祈っているかのように、黙ったままでいて。
再びゆっくりと開かれた時、その瞳には、かすかに涙が浮かんでいた。
しかしそれは朝の光を透かしたように、まぶしくきらめいている。
- 587 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/12/20(土) 00:38
-
「でもあたしは吉澤に出会って、また人を好きになることができた。
あたしは吉澤を紗耶香の代わりに好きになったんじゃない。吉澤だから…好きになったの」
窓辺から離れ、保田は再び傍らの椅子に腰掛けた。
後藤の細い手に、自分の掌を重ねる。
「…紗耶香を好きな気持ちは変わらないよ。それはあの頃のまま。 うん…『あの頃のまま』なんだ…」
後藤の瞳が不思議そうな色を浮かべて保田の姿を映している。
言わんとすることがわからない、といった態の後藤に、保田は優しい笑みを浮かべて言葉を続けた。
- 588 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/12/20(土) 00:39
-
「でもね、あたしの吉澤への想いは今この瞬間も、どんどん大きく育っていってるの。
これからもきっと…もっと大きくなる」
「………」
「あたしたちが一日一日を生きて、成長していくように――あたしたちの心も確かに生きて、変化して、
育ってるの。 だから、この先後藤の中に誰かへの想いが育たないなんて、あたしは思わないんだ。
…今はまだそんなこと…考えられないとは思うよ?」
あたしも、2年かかっちゃったからね……
苦笑する保田を見て後藤の瞳が揺れた。
- 589 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/12/20(土) 00:40
-
「誰も好きになれないなんて思わないで。 後藤が心から愛して、後藤のことを一番に愛してくれる人が…
一緒に生きたいと思える人が、きっと見つかるから…。
だから逃げないで。気持ちを偽ったりしないで。大切にしてほしい。 後藤の本当の気持ちを……
紗耶香への想いを…」
後藤の顔がくしゃっと歪んで、再びその瞳から涙をあふれさせた。
両手で顔を覆い、涙を止められなくなった後藤に、保田は背をかがめてその身体をそっと抱きしめた。
泣きつづける後藤の頭を撫でながら、保田は後藤の耳元にささやいた。
- 590 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/12/20(土) 00:41
-
「…あたしはずっと後藤の側にいるよ。 見守って、いつだってあんたの幸せを祈ってる。
呼べばいつだって側にいてやるし、寂しい時は抱きしめてあげる」
「……ふ……っく…」
「でもそれは『あたし』だからね。 あんたの恋人じゃない、友人の、『保田圭』……だからね」
もう、間違わないで。見失わないで。
紗耶香を愛してるなら。
あたしのことを大切に思ってくれるなら。
- 591 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/12/20(土) 00:42
- あたしの言葉がどれだけ後藤の心に響いたかはわからない。
すぐに前向きになるなんてことも無理な話だろう。
そんな器用に人の心に整理がつけられるのならば苦労は無い。
でも、あたしの言葉が後藤の胸の奥にちゃんと届いた、ということだけは分かった。
紗耶香のために、後藤はこの先もたくさん涙を流すだろう。
でもそれは決して悪い事じゃない。
後向きな事でもない。
だってそれは、紗耶香の代わりを探して泣いていた、あの涙じゃないから。
紗耶香を想って、紗耶香のために流す涙を、後向きなものだなんて言わせない。
だって、
いなくなってしまったって、紗耶香はあたしたちの、大切な人だから。
あたしたちは今も、この先もずっと、紗耶香の思い出と一緒に生きていくのだから―――…
- 592 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/12/20(土) 00:43
- 後藤のあたたかな身体を抱きしめながら願う。
紗耶香が愛したこの子が、きっと幸せになれるように。
あたしの大切な、妹のように可愛いこの子が、必ず幸せになれるように。
強くなろう。
あたしの大切な人たちを、たくさんの愛する人たちを守れるように。力になれるように。
そして紗耶香―――…
あたしもあなたのように、一番に愛する人を、まっすぐに愛しぬこう。
- 593 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/12/20(土) 00:44
-
窓から射しこむ光が強さを増し、あたしたちの影を一層色濃く白いシーツの上に形作った。
振り仰いでその太陽を瞳に映す。
その眩しさに、輝きに、なぜか涙が出た。
希望という名の美しい光がそこにあった。
- 594 名前:フムフム 投稿日:2003/12/20(土) 00:44
- 更新でした
- 595 名前:フムフム 投稿日:2003/12/20(土) 00:45
- >>567>>568>>569>>570さん
またもまとめレスですみません。あたたかいお言葉ありがとうございました。
前回の更新から一ヶ月も空いてしまいまして申し訳・・・
あと2・3回と思っていましたが、次回の更新でとりあえず終われそうです。
年内には更新します。どうぞよろしくお付き合いくださいませ。
- 596 名前:つみ 投稿日:2003/12/20(土) 12:01
- よかった・・・
よかったよ〜!!
相変わらず涙が止まらないです、はい。
後2・3回ですか、もちろんまってます!
- 597 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/20(土) 18:17
- ごっちん…辛いだろうけどがんばれ!!
ごっちんは一人ぼっちじゃないぞ!!
- 598 名前:フムフム 投稿日:2003/12/28(日) 01:06
- >>596>>597 さん
レスありがとうございました。
ということで、今から本編ラストの更新を。(>>596さんあと2・3回じゃなくてスイマセン)
宣言どおり年内に終了ということで、キリも良くて一安心です。では。
- 599 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/12/28(日) 01:08
- *****
いい天気だ。
真っ青な空に、綿菓子のような大きな白い雲が光を反射させている。
ひと気のない病院の屋上で、保田はフェンスに両肘をあずけながらその様を見上げていた。
ふと、背後でドアの開く音がした。
階段室の方から、ゆっくりとこちらへ近づく足音が聞こえる。
振り返らなくても、尋ねなくても、その足音が誰のものであるかは分かった。
- 600 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/12/28(日) 01:10
- ゆっくりと歩み寄ってきた足音の主は、保田の隣まで来て、同じようにフェンスに両手を乗せた。
そしてそのまま、何かを言い出したそうに白い指先を弄んでいたが、言いたい事をなかなか
切り出せない様子でいる。
保田は空に留めていた視線を正面に戻し、自分から口を開いた。
「吉澤……ありがと」
「えっ…?」
保田の言葉にはっとしたように、吉澤は驚いた表情を隣へ向けた。
その横顔を見つめたまま次の言葉を待ったけれど、保田は視線を前に向けたまま静かに
微笑んでいるだけで。
「何が……ですか?」
吉澤の問いに、保田は笑みを深くして瞳を閉じた。
- 601 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/12/28(日) 01:11
-
「いろんな……いろんなことに、いっぱいありがとうって言いたい。…あたしに出会ってくれたこと。
あたしを好きになってくれたこと。歩き出す勇気をくれたこと…」
保田がひとつひとつ噛みしめるように呟いた言葉に、吉澤はわずかに頬を染めた。
「…それとね、あたしがあんたを好きだっていう、この気持ちを生まれさせてくれたこと」
「……保田さ…」
「全部に感謝してるの。 あんたと出会わなかったら、あんたを好きにならなかったら……
あたしはずっと間違えたままだった。 自分で自分を縛り付けて、きっと後藤のことも…」
保田の口から後藤の名前が出て、吉澤は少し不安そうな瞳で保田の横顔を見つめた。
- 602 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/12/28(日) 01:13
-
「ごっちんは…どうだったんですか?」
吉澤の言葉に、保田はそこで初めて視線を傍らの恋人へと向けた。
安心させるように、柔らかい笑顔を浮かべてみせる。
「…あたしの言葉は、きっと伝わったと思う。 泣いてたけど……でも、やっとあの子は、紗耶香の死を
受け入れられたんじゃないかと思うんだ」
「…………」
「後藤が心から笑えるようになるには、時間はかかると思うけど……側でずっと見守って、
力になってやりたいと思う。 あの子には、いっぱい笑ったり、泣いたり、心のままに
真っ直ぐに生きていってほしいから…」
保田の言葉に、吉澤もゆっくりと微笑んで頷いた。
誰もいない屋上は、鳥のさえずる声と、シーツのはためく音が聴こえるだけ。
青い空の下、お互いの存在以外感じ取れるものは何もなくて。
ここだけは、たった二人きりの世界のようで。
- 603 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/12/28(日) 01:16
-
「…ね、今度さ、海に行こうか」
「え?」
ふいに思いついたように保田が口を開いた。
吉澤は、突然の提案に少し驚いたように保田を振り返る。
「後藤を連れて、矢口や裕ちゃんや…石川も誘ってさ。皆で行くの」
「…いいですね」
「ずっと後藤は病室にいたから、これからいっぱい見せてあげたいな。 この世界にあるたくさんの
綺麗なもの。後藤のことを大好きな人たちと一緒にさ…」
そう言って微笑む保田に、吉澤は優しい眼差しで見つめ返す。
ふと柔らかい風が吹いて、保田の髪がフワリと舞い上がった。
手を伸ばして、頬に落ちかかったその髪をそっと耳にかけてやる。
目が合った瞬間に、ゆっくりと近づいて、そのまま唇に触れた。
一番やさしくて、一番幸せなキスだった。
- 604 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/12/28(日) 01:18
- *****
「わーーー!海だあーーーっ!!」
短いトンネルを抜けると左側の視界が開け、そこに真っ青な海が姿を現した。
キャンピングカーの窓から矢口さんが頭を出して、眩しそうに海を眺めながらはしゃいでいる。
思わずあたしも窓を開けて、潮の香りをのせた風を吸いこんだ。
「すっげー!ちょっと走ったらこんなに綺麗な海があるんですねえ」
「わりと穴場なのよ。今の季節は人も少ないしね」
感激に声を弾ませたあたしに、隣の保田さんが微笑んで答えた。
皆でスケジュールを合わせて、ごっちんの外出許可をもらって。
朝早くから支度して、お弁当を手分けして作って。 約束どおり、全員そろって海へと繰り出した。
まだ歩けないごっちんには車椅子を用意して。
- 605 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/12/28(日) 01:20
-
「うーん、ホンマに綺麗な海やなあ。天気もいいし来て正解やったなー」
「コラ!裕ちゃんはよそ見しないの!運転に集中集中!」
「…ったく、損な役回りやなあ…」
助手席の矢口さんにむりやり顔を前に向きなおさせられて、運転席の中澤さんが苦笑まじりにぼやく。
そんな二人のやりとりに、車の中に皆の笑い声がはずむ。
「ほら、ごっちん見て。すっごいキレイだよ」
一番後ろの座席に座っていた梨華ちゃんが、隣に座るごっちんの肩に手を添えた。
「うん…キレーだねー…」
窓から見える海を眩しそうに見つめながら、ごっちんは小さく微笑んだ。
その笑顔に、梨華ちゃんも嬉しそうに微笑む。
まっすぐな瞳で海をながめるごっちんの姿をサイドミラー越しに見つめて、あたしも思わず顔がほころぶ。
ふと隣を見ると、同じように微笑んだ保田さんと目が合った。
もう一度海に目をやって、太陽の光に目を細める。
全てが希望に満ちて、輝いてみえた。
- 606 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/12/28(日) 01:21
- ***
「見て!これヒトデじゃないですかあ?ヒトデーっ!」
「ギャーー!やめろよ石川!触るなよーーッ!!」
「わ、わッ!ちょっとこっち持って来いなや! イヤーー!!こっち来んなってーー!!」
波打ち際でギャアギャア騒ぐ皆の姿を遠巻きに眺めながら、あたしと保田さんは二人でシートに広げた
昼食の後片付けをしていた。
「まったく…何やってんだか石川は」
「矢口さんたちの怖がり方も尋常じゃないですけどね。あんな小さいヒトデ、そんなに怖いかなあ?」
「後藤も平気そうなのにねー。あ、触った」
逃げていった矢口さんと中澤さんを追うのをやめて、梨華ちゃんは車椅子に座るごっちんに
ヒトデを見せていた。
面白そうに指先でつついたりして、二人で笑い合っている。
- 607 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/12/28(日) 01:24
-
「…ごっちん笑ってますね」
「うん…。まだ無理してるところはあるけどね。でも、楽しいってちゃんと思ってくれてるみたいで嬉しい」
シートの上を片付け終えて、あたしと保田さんは並んでそこに腰をおろした。
季節はずれの海は他に人影もなく、波の音と仲間たちのにぎやかな笑い声のほかに、聴こえてくる
ものは何もない。
「ゆっくりでいいから……少しづつ、元気を取り戻してくれれば…それが一番ですよね」
「…そうだね…」
しばらく無言で、じっと海を眺める。
青い空と、青い海との境界線がわからなくなるくらい、世界は真っ青にきらめいていて。
波の音が優しく耳を撫でていた。
- 608 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/12/28(日) 01:27
-
「吉澤……」
「はい?」
ポツリと口を開いた保田さんに、あたしは小さく微笑んで顔を向けた。
「今、幸せ?」
ぼんやりと海を見つめたままそう聞いてきた保田さんに、あたしは少し頬を染めてしまったけど。
「――はい。…保田さんは?」
「あたしも、幸せ」
そう言って、保田さんもあたしの目を見て微笑んだ。
照れくさいけれど、それ以上に嬉しくて、あたしははさらに頬を熱くしながらも、保田さんにもう一度
笑みを返す。
そうすると、保田さんはふっとシートから立ち上がり、再び海に視線を向けた。
- 609 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/12/28(日) 01:29
-
「でもあたし……吉澤に言っておかなきゃならないことがある」
保田さんの声はさっきまでと違って、少し神妙な声色だった。
ためらうような、勇気を振り絞るような、そんな間がしばらくあって。
「…あたしはあんたが好き。あんたと一緒に、ずっとずっと…一緒にいたいって思ってる。でも……」
保田さんはくるりと振り返ってあたしを見た。
海が運んでいた涼やかな風が、保田さんの髪をさらさらと梳く。
その目はまっすぐで、曇りひとつなくて――確かな決意を灯して美しくきらめいていた。
- 610 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/12/28(日) 01:32
-
「…あたしは、紗耶香を忘れないよ。 これからも、紗耶香への想いは変わらないし、紗耶香の思い出と
一緒に生きていく。 それでも……いいの?」
保田さんの声は澱みなく、美しかった。
真剣な表情でそう言った保田さんをしばらく見つめて、あたしは同じようにシートから立ち上がった。
彼女の前に立って、その大きな瞳をまっすぐに見つめて、微笑んだ。
「…紗耶香さんのこと忘れてなんて言いません。 紗耶香さんを好きだった時間があるからこそ、
今の保田さんがあるんですから。 保田さんが紗耶香さんの思い出を抱きしめて生きていくんなら、
あたしはその思い出ごと、保田さんを抱きしめたいって思うから…」
そう告げたあたしの言葉に、保田さんは驚いたように目を見開いて。
それから、照れくさかったんだろう、頬を見る間に赤く染めた。
キラキラと光る青い海を背にして、はにかんだように微笑む彼女は、今まで見た中で一番綺麗だった。
- 611 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/12/28(日) 01:35
-
「…はっずかしいセリフ!歯ぁ浮いちゃわない?」
「ひっ、どーい! 言わせたのは保田さんじゃないですかあ!」
顔を赤くして怒って見せたあたしに、保田さんは笑って逃げようとする。
その背中をあわてて追いかけた。
キャーキャーと騒ぎながら、あたしの腕をすんでのところで逃れていく。
とはいってもあたしの方が断然足は速くって、保田さんの前に回りこんで、えいっと頭からその身体を
抱きすくめてやった。
悲鳴とも笑いともつかない声を発して、保田さんは身体を縮こませる。
それからふいに黙り込んで、急に身体を伸ばして、あたしの首筋に腕を回した。
- 612 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/12/28(日) 01:37
-
「…ありがと」
耳元でそうささやいて、かすめるようなキスをあたしの唇に残して。
保田さんはまたあたしの腕からするりと逃れた。
去り際の彼女は幸せそうな微笑みで。 その瞳は少し、潤んでいるようにみえて。
それは、あたしの目を眩ませた、この浜辺の光のせいかもしれないけれど。
大好きな人といるこの瞬間が、とても眩しかった。
大好きな人たちがいるこの世界が、とても美しかった。
- 613 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/12/28(日) 01:40
-
「おーーーい! よっすぃ〜〜!!」
顔をあげると、波打ち際で矢口さんたちが手を振っていた。
いつの間にか保田さんも、ごっちんや梨華ちゃんと一緒に貝殻を拾いあって笑っている。
「はーーい!今行きまーす!!」
白いスニーカーで砂を蹴って走り出す。
雲間からのぞく太陽が、一層明るく輝いた気がした。
- 614 名前:眠り姫 〜deep forest〜 投稿日:2003/12/28(日) 01:40
-
―― end ――
- 615 名前:フムフム 投稿日:2003/12/28(日) 01:43
- 以上で本編は終了です。
だらだらと長い話になってしまいましたが、楽しく書かせていただきました。
よしやすというマイナーCPなので、スルーされること覚悟で書きはじめましたが、
読んでくださった方がいて大変嬉しかったです。ありがとうございました。
で、一応本編は終わりなのですが、番外編としてもう少し書かせていただきたいと思っています。
後藤と石川に焦点をあてた続編という形になります。
このスレで続けたいと思いますので、よろしければそちらもお付き合いくださいませ。
- 616 名前:フムフム 投稿日:2003/12/28(日) 01:44
- 流
- 617 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/28(日) 03:08
- 本編、お疲れさまでした。
番外編ムチャクチャ楽しみにしてます。
- 618 名前:つみ 投稿日:2003/12/28(日) 09:56
- 長い間お疲れ様でした。
この作品はホントによしやすが好きになった作品でした。
これまでに見た事がないCPだったのでとても新鮮でした!
おお!続編がありますか!しかもいしごまの・・・むちゃくちゃ楽しみにしてます!
- 619 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/28(日) 17:32
- たいへん楽しく読ませていただきました。
続編も楽しみにお待ちしています。
- 620 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/29(月) 16:54
- 長い間おつかれさまでした。ほんとうに楽しみに毎回
読ませていただいておりました。番外編もこれからかかれるとの
楽しみにしております。お疲れ様でございました。
- 621 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/29(月) 17:13
- 連載お疲れ様でした。ROM専でしたがいつも楽しみに更新を待ってました。
みんな幸せそうだし、ごっちんもすぐに本当に元気になると願ってます。
番外編を楽しみにしています。
- 622 名前:名無し読者 投稿日:2004/01/02(金) 12:52
- 続編、ごっちんをホントの意味で救うのは梨華ちゃん?
楽しみのお待ちしております。
- 623 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/24(火) 13:34
- 待ち〜
- 624 名前:フムフム 投稿日:2004/04/03(土) 16:56
- 皆さま温かいレスをありがとうございました。本当に嬉しかったです。
しかし長いこと放置してしまいました。すみません。
今から少しずつですが続編を書いていきたいと思います。よろしくお願いします。
- 625 名前:光の森 投稿日:2004/04/03(土) 16:58
-
「いち…にい…いち……そう、もうちょっとだよ。がんばって」
「……っつ……く…」
後藤の唇から苦しげな声が漏れる。
歯をくいしばらせて、一歩一歩、保田の許へと近づいていく。
透けるような白い手は、ぎゅっと手すりを握りしめ小刻みに震えていた。
額に浮かぶ汗を拭いもせず、自分の足元と眼前にいる保田の姿とを交互に見やりながら、
引きずるように脚を前へ前へと動かしていく。
「よし、あと3歩……2歩…」
「……っく…」
後藤の足がゴールのラインを越えた。
- 626 名前:光の森 投稿日:2004/04/03(土) 16:59
-
「よし!やったね!後藤!」
「えへへ……けーちゃ…」
「やったねーー!!ごっちーーーん!!」
やっとのことでゴールまで辿り着き、手を差し伸べて待ち構えていた保田に笑いかけた後藤は
その瞬間、背後から思いっきりタックルをくらい派手にバランスを崩した。
「うわっっ!!」
「き、キャーーーーッ!!!ごっちん!!」
「ちょっ、ちょっと石川!あんたねえ!」
前のめりに倒れそうになる後藤の身体を、石川は背中から抱きついた格好のまま、あわてて踏ん張って
支え直した。なんとか後藤は倒れるのを免れ、石川の腕に支えられたまま態勢を立て直させる。
「…梨華ちゃーん……も〜…ビックリさせないでよぉー」
「ご、ごめんごめん。つい嬉しくって…」
息を吐いて後藤は後ろを振り返った。
そこには目に涙まで浮かべ、嬉しそうに微笑んでいる石川がいた。
- 627 名前:光の森 投稿日:2004/04/03(土) 17:00
- 「頑張りましたね。この調子なら歩けるようになるのもすぐですよ」
リハビリ担当の看護師にそう言われ、後藤より先に石川が返事をする。
「ホントですかっ? ごっちーん!!良かったねえ!」
「ぐえッ……」
ぎゅうっと思いきり抱きすくめられて、思わず後藤の口からカエルのようなうめき声が漏れる。
その様子を傍らから見ていた保田が呆れたように口を開いた。
「コラ石川、後藤を疲れさせてどーすんの。まだ後藤は歩行訓練するんだからね?
あんたもそろそろ戻りなよ。他の仕事もあるんでしょ?」
「あッ、はい! ごめんねごっちん!」
保田に諭されて、慌てたようにパッと身体を離す。
それでも後藤の細い手をしっかり握ったまま、石川はニッコリと笑い掛けた。
「じゃあねごっちん、またね!ファイトだよっ!」
「うん、ありがと梨華ちゃん」
バイバイと手を振って、石川はドアの向こうへと消えた。
その姿を苦笑まじりの表情で見送って、保田は後藤の顔を覗き込んだ。
- 628 名前:光の森 投稿日:2004/04/03(土) 17:02
-
「石川と仲いいね。あんたたちって意外と気が合うのかなあ」
「う〜ん……どーなんだろ? 後藤もよくわかんない」
保田に手を貸されて、後藤は長椅子に腰を下ろした。やれやれといった様子でひとつ溜息を吐く。
「でもね、なんか梨華ちゃんって面白いなーって思うんだよね。後藤と全然性格違うし、趣味とかも
合わないっぽいんだけど…なんでだろー」
「違うからこそ、じゃないの?」
ん? と、後藤はわからないといった顔で保田を見る。
保田は笑って後藤にタオルを差し出した。
「自分とは違う人に惹かれるってよくあることじゃん。自分には無いものに惹かれるっていうか…
興味は湧くよね」
「…惹かれるって…なんかハズカシイ言い方だなあ…」
「ははっ。 まあ例えて言うなら、磁石のSとNとが引き合うみたいな感じ?なんじゃない?」
「んー…? 難しい…」
「難しいって…小学校レベルだよ。バカ」
呆れた顔で後藤の頭をぱかりと叩く。たはっと笑って後藤の顔がゆるんだ。
- 629 名前:光の森 投稿日:2004/04/03(土) 17:04
-
「まあ似たもの同士が惹かれあうって言葉もあるわけだから、一概には言えないけどね」
看護師がカルテを手に戻ってきたところで、保田はちらりと時計に目をやった。
「っと…そろそろ回診の時間だ。じゃ、あたしももう行くね。頑張るのはいいけど無理しちゃだめよ」
「ん。ありがと、圭ちゃん」
リハビリ室から出て行く保田の姿を見送る。
後藤はまた小さく息を吐いて、受け取ったタオルで流れる汗をぬぐった。
- 630 名前:光の森 投稿日:2004/04/03(土) 17:05
- *****
コンコン。
日もとっぷりと暮れている時刻。後藤の病室にノックの音が響いた。
後藤が顔をあげたと同時に、ドアがキイッと内側へ開く。
「ごーっちん!」
「あ、よっすぃ〜」
ひょっこりとドアから顔を覗かせた吉澤に、後藤はニコリと笑みを返した。
- 631 名前:光の森 投稿日:2004/04/03(土) 17:06
-
…仕事中のちょっとした隙を見計らって、みんながあたしの様子を見に来てくれる。
圭ちゃんによっすぃー。やぐっつぁんに裕ちゃんに、それから梨華ちゃんも。
リハビリに付き合ってくれたり、病室で一緒にゴハン食べてくれたり。
あたしの周りはいつもにぎやかだった。寂しさなんて感じる暇も与えてくれないくらいに。
身体も順調に回復していってる。
みんなのおかげ、って、心からそう思う。
- 632 名前:光の森 投稿日:2004/04/03(土) 17:10
- 吉澤はベッドの側まで行き、傍らの椅子に腰掛けた。
「聞いたよ、今日リハビリ頑張ったんだって? すごい歩けるようになったらしいじゃん。
あたしも見たかったなあ」
「あ、えへへー。今日はちょっとがんばっちゃった」
照れくさそうに笑う後藤に、吉澤は優しい目で微笑みかえす。
「よしよし。じゃあよく頑張ったごっちんにご褒美をあげよう」
白衣のポケットに両手を突っ込んで、中から何かを取り出す。片手にあったそれをひとつ、
後藤にポンと投げてよこした。
「あ、みかんだー。ありがと」
嬉しそうに笑う後藤に、吉澤もニカっと明るい笑顔をみせる。
自分の手に残ったみかんを両手で弄びながら、吉澤は優しい目で後藤を見たまま口を開いた。
「…どう?最近よく眠れてる?」
吉澤の問いに後藤はぱっと真顔になって、そしてすぐ、いつもの人懐っこい笑顔に戻った。
「うん。睡眠は後藤の特技だからね。それはグモンってやつだよ、よっすぃー」
「あははっ。特技ってなんだよー」
チチチ、と唇に指先を立てて軽口をたたく後藤に、吉澤は笑って返す。
後藤は壁にかかった時計にちらりと目をやった。
- 633 名前:光の森 投稿日:2004/04/03(土) 17:11
- 「もう9時前だね。よっすぃー今から帰るの?」
「うん、そうなんだけど…」
後藤の言葉を受けてなにか気付いたように、吉澤は病室を見渡した。
病室には誰の荷物も無く、来訪者がいる様子は無い。
「…今日も誰も泊まりに来ないの?」
「うん、後藤ひとり」
後藤の返事に、吉澤は一瞬心配そうな表情を覗かせた。
すぐさまにこっと微笑んで、後藤に明るい声で尋ねる。
「大丈夫? よかったらあたし泊まろっか?」
「あはっ。コドモじゃないんだからもう一人で大丈夫だよお。 ありがと、よっすぃー」
そう答えた後藤に、吉澤は小さく笑って頷いた。
悲しみを乗り越えようと精一杯明るく振舞う後藤に、少し切ない気持ちになりながら。
しばしの沈黙が、二人の間に流れた。
- 634 名前:光の森 投稿日:2004/04/03(土) 17:12
-
「よっすぃー…」
「…ん?何?」
その沈黙を破った後藤の呟きに、吉澤は顔をあげた。
「………ごめんね…」
消え入るような声でそれだけ言って、後藤はシーツをぎゅっと握りしめた。
うつむいた後藤の表情は、吉澤には見えない。
けれど、吉澤には後藤が何について謝罪しているのかすぐにわかった。
「…ううん……」
うつむいたままの後藤を優しく見つめながら、吉澤はゆっくりと首を振った。
けれど、後藤は顔をあげないまま繰り返す。
- 635 名前:光の森 投稿日:2004/04/03(土) 17:13
-
「ごめん……ホントにごめんなさい…」
「…いいんだよ。 あたしと保田さんの事、ごっちんは何も知らなかったんだし…辛かったんだもんね…」
「…うっ……」
――今まで言いたくてもなかなか言いだせなかった。
あたしは圭ちゃんとよっすぃーにすごく酷いことをしてしまった。
あたしが弱かったせいで、ワガママだったせいで―――二人を傷つけて、苦しめてしまった。
それなのに、二人はどうしてこんなあたしに優しいんだろう。
謝っても謝っても、過ちは消せるものじゃないけれど…。
圭ちゃんとよっすぃーのこと、すごく大好きだから、ちゃんと謝りたかったんだ。
後藤のこと、キライになってほしくなかったんだ。
勝手な事だってわかってるけど、それでも、あたしはこれ以上大切な人を失いたくなかったんだ。
- 636 名前:光の森 投稿日:2004/04/03(土) 17:15
- シーツを固く握りしめる拳と震える肩が、後藤の涙を吉澤に伝える。
吉澤はベッドの端に腰を下ろして、後藤の身体を引き寄せるように抱きしめた。
「……ほんとに良かった…。ごっちんがこうやって、ちゃんと泣いたり…笑ったりするようになってくれて」
吉澤はうっすらと涙を浮かべた瞳を閉じて、ぎゅっと後藤の身体を包み込む。
耳元に感じる吉澤の優しすぎる声に、後藤の瞳からさらに涙があふれた。
その涙を隠すように吉澤の肩に顔をうずめ、背中に腕を回す。
吉澤の身体は、とてもあたたかかった。
- 637 名前:光の森 投稿日:2004/04/03(土) 17:16
- *****
市井ちゃんだ。
笑ってる。
市井ちゃんが笑ってる。
やっぱり死んだなんて嘘だったんだ。
嘘だったんだね。
よかった。
神様ありがとう。
市井ちゃんを返してくれてありがとう。
ホントによかった…
よかった………
- 638 名前:光の森 投稿日:2004/04/03(土) 17:17
-
「あ………」
目を開けると、真っ暗な天井が視界に映る。
ここが病院のベッドだということを、ぼんやりと思い出す。
自分の頬が濡れているのがわかった。
途端に悲しみが、張り裂けるような切なさが込みあがってきて。
あたしはシーツをたくし上げて顔に押し付けた。
声がこぼれないように、必死に歯をくいしばる。
瞼に押し付けたところから、じわじわとシーツが湿っていくのがわかった。
- 639 名前:光の森 投稿日:2004/04/03(土) 17:18
-
あたしのことを心配して、夜泊まろうかってみんなは言ってくれた。
でも、あたしはみんなの申し出を断るようにした。
こんな姿、見せたくないから。
もう後藤のために、迷惑かけたくないから。
みんなのこと大好きだから、もう心配してほしくない。
市井ちゃんのこと大好きだから、まだ涙は止みそうにない。
- 640 名前:光の森 投稿日:2004/04/03(土) 17:22
-
「…市井ちゃん――――…」
呟いたら、市井ちゃんの笑顔がくっきりと瞼に浮かんだ。
こんなにはっきり見えるのに。
こんなに、手が届きそうなくらい、近くに見えるのに。
でも、
目を開けても、そこには真っ黒な天井があるだけで。
市井ちゃんはどこにもいなかった。
そんなのはわかってた。あたりまえなんだ。
それでも後藤は毎晩毎晩、市井ちゃんの夢を見るんだ。
後藤の気が済むまで、くりかえし、くりかえし、見るんだ…。
- 641 名前:フムフム 投稿日:2004/04/03(土) 17:22
- 更新でした
- 642 名前:フムフム 投稿日:2004/04/03(土) 17:24
- できれば続編は書き上げてから一気に更新したかったのですが、なかなか出来ず、
しかし本編が終わってから3ヶ月も経ってることに気付いてさすがに焦りまして・・・
とりあえず少しだけ始めさせてもらいました。
- 643 名前:つみ 投稿日:2004/04/03(土) 17:49
- 遂に来たー!
まってました!続編!
今回は最初から切ない感じで・・・
やはりごっちんを癒すのは・・・
次回をマッテマス!
- 644 名前:みるく 投稿日:2004/04/03(土) 19:21
- 待ってましたーーー!!
遂に始まったんですね♪かなりうれしいです(^O^)次回楽しみにしてます♪
- 645 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/16(金) 23:58
- 続き、お待ちしてました。
やっぱりこの子が救われなきゃいけないですよねえ。
本編以上にしんどい道のりのような予感もしますが…
本編ラストのあの明るさを頼みに、待ちます。
- 646 名前:名無し読者 投稿日:2004/04/26(月) 06:20
- 続編きてたー!!更新おつかれさまでした。ほんと待ってました。
また頑張ってください楽しみに待たせていただきます。
- 647 名前:フムフム 投稿日:2004/07/10(土) 00:03
- 長期間放置してしまいましてすみませんでした。
待ってくださっている方、本当に申し訳ありません。
必ず更新しますのでもう少し待ってやって下さい。本当にすみません。
- 648 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/11(日) 00:16
- 待ちます。
待ちますとも!!
- 649 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2004/07/14(水) 02:07
- 生存報告ありがとう
のんびり待ってますよ
- 650 名前:名無し読者。 投稿日:2004/07/15(木) 02:59
- 素晴らしい作品になるように、作者さんのペースで頑張ってください。
- 651 名前:光の森 投稿日:2004/08/29(日) 14:12
- *****
パタパタと軽快な足音が響く。
石川梨華は、外科病棟へと続く廊下を小走り気味に歩いていた。
「…保田先生いるかな?」
手には、放射線科の医師から保田に届けるよう頼まれたファイル。
「第一外科室」という札の掲げられたドアの前で、石川は足を止めた。
「ん…?」
ドアをノックしようと手を上げかけた所で、石川はピタリと動きを止めた。
話し声が聞こえる。
この声は―――よっすぃーと保田先生だ。二人きりみたい。
「…で……後藤が………」
ぼそぼそと聞こえてくる声。二人っきりで何を話してるんだろう。
なんとなく、石川は耳をそばだてた。
――盗み聞きなんてしちゃ悪いよねえ。
と思いながらも。
――でも保田先生に用があるんだし、かといって話の邪魔をするのもアレだし、仕方ないよね〜。
などと強引な理由で自分を正当化させながら、ドアにぴったりと耳をつけてみる。
- 652 名前:光の森 投稿日:2004/08/29(日) 14:14
-
「…それでね、ごっちんペット飼いたいって言ってたんですよ。イグアナが欲しいんだって」
「い、イグアナ〜!? あいつの趣味はホントわかんないわ…」
当の保田と吉澤は、ドアの外に張り付いている石川の存在など知る由もなく、棚の書類を探したり
カルテを整理したりしながら会話を続けていた。
「でもごっちんが飼いたいって言うんですから。退院したらお祝いにプレゼントしてあげません?」
「…そーね。リハビリも順調に頑張ってるし、この調子じゃ退院もすぐかもしれないしね」
後藤の風変わりな趣向には辟易しながらも、吉澤の提案に保田は賛同した。
それに、何かが欲しいとか、何かをしたいとか、そういう意志を後藤が持ってくれるようになった事が、
保田には何より嬉しいことだった。
- 653 名前:光の森 投稿日:2004/08/29(日) 14:15
-
「でもごっちんホント頑張ってるし、明るく喋ってくれるようになったし……嬉しいですね」
「…ん。石川とかもね、すごい面倒見てくれてさ。後藤もすごく心を開いてる感じなんだよね」
突然自分の名前を出されて、石川の心臓が跳ね上がった。
自分のいない所で自分の話題を出されるというのは、どうも気恥ずかしい。
「石川は後藤が意識を取り戻してから出来た友達じゃない? 紗耶香のことも事故のことも…直接には
知らないからさ、後藤自身気を遣わずに話せることとか多いと思うんだ。あたしも頼りにしてる」
「そうですね。梨華ちゃんはホントに優しいし、いい子ですから」
「うん。ホントにね」
思わず石川は顔を赤くした。
――そんな風に思ってくれてたんだ…。保田さん…よっすぃー…。
- 654 名前:光の森 投稿日:2004/08/29(日) 14:16
- 最初は確かに看護婦精神というか、何か力になれれば、という気持ちでごっちんに接していたけど。
途中からそんな気持ちはほとんど無くなっていった。
純粋に友達として、一緒にいて楽しかったし。純粋に友達として、ごっちんの力になりたいって
思うようになった。
でもごっちんもそんな風に、いい友達だと思ってくれてるなんて…。なんか、すごい嬉しい…。
よっすぃーも保田さんも…私のことそんなに信頼して…
「でもねー、石川はちょっと突っ走っちゃうとこがねー。ハリキリすぎっていうか。いい奴なんだけどねー」
「そうですねー、ちょっと空気読めないとことかありますからねえ。いい子なんですけどねー」
ドアの外で石川はガクっと肩を落とした。
――もう…せっかく感激してたのにぃ…。
- 655 名前:光の森 投稿日:2004/08/29(日) 14:18
- 石川が外でヘコんでいるとは露知らず、室内の二人は相変わらずのんびりと仕事の手を進めている。
カルテを整理しながら保田の言葉を心の中でもう一度反芻していた吉澤が、ふと何かに気付いたように
顔をあげた。
「…あれ? でもあたしだって、ごっちんが目覚めてからの友達ですよ?立場的には梨華ちゃんと同じ
ですよね?」
吉澤の言葉に、保田もふと気付いたように顎に手をやり、しばしうーんと考え込んだ。
「…そりゃ…そうだけど。…そうは言ってもあんたはあたしの…」
そこまで言って、保田は口をつぐむ。
吉澤はおや?と保田の顔を見た。
「あたしの……なんですか?」
少し意地悪っぽく笑いながら、吉澤は保田の顔を少し上から覗き込む。
保田は「しまった」といった苦々しい顔で口篭もる。
少し頬を赤くしながら、言いにくそうにモゴモゴと口を開いた。
「あんたは、あたしの……こ…」
「こ?」
「――こ、こここ、コイビトだからさッ…」
ニワトリのようにどもりながらそう言って、保田はカーっと赤くなった。
そんな保田に吉澤は満足そうに、嬉しそうににっこりと微笑む。
保田はしてやられた、といった憮然とした表情で、赤い顔を背けたまま言葉を続けた。
- 656 名前:光の森 投稿日:2004/08/29(日) 14:19
- 「…だから、あんたにはちょっと気を遣う部分とか、あるかもしんないじゃない?」
「そうですね、うん。それはあるかも…」
吉澤は先日の後藤の涙を思い出した。
泣きながら、ごめんね、と謝ってきた後藤。
強そうに見えて、本当は人一倍繊細で、優しくて、人の心の痛みに敏感な――…
「…何? 急に静かになっちゃって」
「いや…そうしたら、あたしってごっちんにずっと気を遣われちゃうのかなあって思って…」
悲しそうな目をしてうつむいている吉澤を見て、保田はポンとその頭に手を乗せた。
顔をあげた吉澤に、にっこりと笑顔を返す。
- 657 名前:光の森 投稿日:2004/08/29(日) 14:20
- 「後藤はそこまでネガティブじゃないよ。友達としてのあんたには遠慮せず心開いてるし、あんたのこと
大好きだってこと、見てりゃわかるよ」
「そ、そうですよね…」
ほっとしたように笑顔を見せた吉澤に、保田も優しく微笑んだ。よしよしと頭を撫でてやる。
吉澤はふと笑みを収め、保田の顔をじっと見つめた。
その雰囲気に、保田もはっとして手を引っ込める。
案の定、吉澤の顔が近づいてきて、保田はその顔を片手で軽く押し返した。
「コラ、勤務中だっつーの」
「二人きりですよ?」
「…誰か来るかもでしょ」
「誰も来ないかもしれませんよ」
「そういう問題じゃないでしょーが」
「じゃあどういう問題なんです?」
「どういうって―――んッ…」
保田の肩に片手を回して、吉澤はすばやく唇を奪った。
一瞬抵抗しようと胸を押し戻しかけた保田も、なんとなく頭がぼうっとなって、
結局行為を受け入れてしまう。
- 658 名前:光の森 投稿日:2004/08/29(日) 14:21
-
ドアの外に張り付いていた石川は、無音になってしまった室内に聞き耳を立てたまま、ドキドキと
心臓をばくつかせていた。
―――お、お、お二人さんったらあーー!!
こんなところで何やってんですか!!石川照れるじゃないですかあーーー!!
もうっ!病院内では公私混同しないでくださいよう!!
自分も決して褒められる事をしていない状況の分際で、石川は顔を赤くしながら心の中で絶叫する。
しかし、ふと石川の胸にいたずら心がむくっと芽生えた。
「………」
悪巧みを思いついた子供のようにニヤっと笑って、石川はドアノブに手を掛けた。
ガチャッ!!と勢いよくドアを開け放つ。
- 659 名前:光の森 投稿日:2004/08/29(日) 14:22
-
「失礼しまぁーーっす」
ガタガタガタガタッ!!!
カン高い声とともに満面の笑みで登場した闖入者に、保田と吉澤は慌ててお互いの身体から離れた。
脚にぶつかられたパイプ椅子が床に転がり、保田が痛そうに顔をしかめている。
わかりやすすぎる動揺っぷりだ。
「あら?どーしたんですか?お二人とも」
ニコっと邪気の無い笑みをみせる石川。
……確信犯だなコイツ……。
保田と吉澤は同時にそう思ったが、今までのやりとりを聞かれていたのだろうかと思うと気恥ずかしくて
責める気にもならない。
- 660 名前:光の森 投稿日:2004/08/29(日) 14:23
- 「保田先生、これ佐藤先生から預かってきました。307の患者さんのレントゲンです」
「…ドーモ…」
赤い顔をさすりながら、保田は石川からファイルを受け取った。
離れた所で白々しくコーヒーを飲むフリをしている吉澤の後ろ姿に、石川はちらりと目をやった。
その耳が真っ赤になっているのを見て、石川はついつい笑いをかみ殺す。
「じゃ、失礼しますねっ。お邪魔してすみませんでした〜っ」
やたら楽しげな声でそう言って、笑顔でバタンとドアを閉じる石川。
最後の一言に妙な含みを感じながらも、あえて追いかけてまでそれを聞き質す気にもなるはずなく。
保田はまた二人だけになった室内で、吉澤と赤くなった顔を見合わせ溜息をついた。
- 661 名前:光の森 投稿日:2004/08/29(日) 14:25
- ***
廊下を歩く石川はニヤニヤと笑いをかみ殺していた。
すれ違う看護婦に不審そうな目を向けられて、はっと真面目な顔をつくりなおす。
よっすぃーと保田さん、アタフタしちゃってかーわいかったなあ〜。
ん〜…せっかくの甘いムードをぶち壊しちゃって、ちょっと恨まれちゃいそうだけど。
でも私はよっすぃーに振られちゃった悲しーい経験があるんだし、これくらいのイジワルしちゃっても、
バチはあたらないよねっ。
改めて石川は二人の会話を思い出す。
二人の声は、優しくて、お互いのことを大事に思っているんだということが、それだけで伝わって
くるようだった。
- 662 名前:光の森 投稿日:2004/08/29(日) 14:27
-
「よっすぃー…幸せなんだね…」
石川は小さく微笑んで目を閉じた。
ほんの少し、切ない気持ちもまだ感じちゃったりするけど。
でも、だいぶ心に整理がつけられたな…。
こんな風に穏やかな気持ちで二人を見られるようになった自分を、少し誇らしく思う。
石川はまた顔を上げて、
そうして、暇さえあれば訪れることが日課になってしまった病室へと向かい、足取りを速めた。
- 663 名前:光の森 投稿日:2004/08/29(日) 14:28
- ***
「んーーっ、いーい天気っ!気持ちいいねえ〜」
ぐうっと両手を突き上げて伸びをしながら、石川は雲ひとつない真っ青な空を見上げた。
視界の端から射しこんでくる太陽の眩しさに目をしかめ、再び顔を前へ戻す。
その視線の先には、髪の長い少女の後ろ姿。 石川に背を向け、重たそうに松葉杖を動かしながら
歩く後藤がいた。
一緒に昼食を取った後、時間が空いていた石川は、後藤を中庭へ散歩に誘った。
車椅子で、と言う石川の助言を断り、松葉杖で歩くと言い張る後藤に根負けした石川は、数歩遅れた
所から車椅子を押して後藤の後ろ姿を見守っている。
「ごっちん、あんまり無理しちゃ駄目だよ。もう車椅子に乗ったら?」
「ん……もうちょっと。あのベンチのとこまで…」
その言葉を聞いて、石川は後藤を後ろから追い抜きベンチの横に車椅子を着けた。
ゆっくりと近寄ってくる後藤に、手を差し伸べて待ち構える。
- 664 名前:光の森 投稿日:2004/08/29(日) 14:29
-
「ん……しょっと…」
「…ハイ、お疲れさま」
後藤の長い髪が指先に触れた瞬間に、石川はその身体をふわりと抱きしめた。
「………」
抱きしめられた瞬間、ふわっと花のような甘い香りが立ちのぼって。
後藤は額のあたりがクラリと揺れる感覚を覚えた。
いい匂い…
こんな風に、優しく抱きしめられたことがある。
やわらかくて、あったかくて、いい匂いがして…
でもあの香りは、そう…… 夏の草原みたいな、爽やかな香りで…
- 665 名前:光の森 投稿日:2004/08/29(日) 14:31
- 「このまま座るよ。大丈夫?」
「あ、う、うん……」
はっと我に返って、後藤は石川の腕の中であわてて頷いた。
ゆっくりと、石川は後藤の身体を車椅子に促す。
椅子に身体を落ち着けて、後藤はふーっと大きく息をついた。
病院のロビーからこの中庭まで、歩いたのはそれほど長い距離ではない。 だというのに、全身に
鉛のようにのしかかってくる激しい疲労感。
自分の身体が思うように動かない苛立ち、焦り、不安。
こうやって身体を動かしてみる度に、そんなやるせない感情に後藤は苛まれた。
もう一度深くため息を吐いて、足元の芝生に目を落とす。
- 666 名前:光の森 投稿日:2004/08/29(日) 14:32
-
「ごっちん」
石川の声に、はっとして後藤は顔をあげた。沈みかけていた心がふっと浮上する。
「ごっちん、こっち向いて」
「え?」
くるっと石川のほうに顔を向けた後藤の額に、ピンク色のハンカチがあてられる。
「汗かいてるよ」
にっこりと微笑んだまま、石川は自分のハンカチでそっと後藤の額を拭った。
その手が後藤のこめかみに移動して、また優しく肌を拭う。
「い、いいってば。ハンカチ汚れちゃうよ」
「そんなの気にしなくていいよ。ちゃんと拭いとかないと」
間近にある石川の笑顔から、なんとなく後藤は目を逸らした。
ほっそりとした指先が、頬や髪に羽根のように優しく触れる。
なんとなく居心地の悪さを感じて、後藤は石川の手をぱっと払いのけた。
- 667 名前:光の森 投稿日:2004/08/29(日) 14:33
- 「も…もお大丈夫!ありがとっ」
ぶっきらぼうにそう言って、後藤はまた芝生に視線を落とした。
が、石川の手を邪険に払いのけてしまったことにすぐさま罪悪感を覚え、長い髪の隙間からちらりと
その顔色をうかがう。
ハンカチをポケットにしまいながら、後藤の態度に気を悪くした様子も見せず、石川は相変わらず優しい
横顔を後藤に向けていた。
――梨華ちゃんは優しいな…
梨華ちゃんみたいな子は、看護婦さんにピッタリだ。
優しくて、可愛くて、一生懸命で、誰からも好かれて…
「…ねー、梨華ちゃん…。梨華ちゃんはさあ、なんで看護婦になろうって思ったの?」
「え?どうしたの?急に」
「んー?いや別に…。なんとなく、なんでかなあって思って」
突然の質問に、石川は顎に手をあててうーんと考えこんだ。
後藤は黙ったまま、その真剣な横顔をじっと見つめる。
- 668 名前:光の森 投稿日:2004/08/29(日) 14:34
- 「そうだなあー…、病気の人や怪我した人たちのために、何か力になれることがしたいって思ったのは
もちろんだけど…。それよりもまず…」
「まず?」
「『白衣の天使』になりたかったからかな」
にっこりと、まさしく天使のような極上の笑顔で石川は答えた。
いつもの後藤なら、夢見がちな子供じみた発言にケタケタと笑ってしまうところだったが、石川の笑顔が
本当の天使のように綺麗で、ドキリとして何も言えなかった。
「小さい頃からね、ずーっと白衣の天使になりたい!って思ってたの。看護婦さんの仕事がどんなのか
とか考える前に、とにかく『白衣の天使』っていうものに漠然と憧れてたんだなあ」
照れたように、石川は笑って小さく舌を出す。後藤もそこでようやく相槌を打つように軽く笑った。
- 669 名前:光の森 投稿日:2004/08/29(日) 14:35
- 「でもね、私ホントはピンクの白衣が着たかったの。ここの白衣は白でしょ?ちょっと残念だったなあ」
「へー…」
ピンクの白衣、という言い方はなんかヘンだなあ、などと思いながらも、後藤はぼんやりと石川の
ピンクなナース姿を想像してみた。
5秒ほどたって、後藤の眉間に深いシワが刻まれる。
「…ダメ。梨華ちゃんはピンク着ちゃ絶対ダメ」
「えーーッ!?何でぇ!?」
「だって…」
エロすぎる。
再びピンクナースな石川を頭の中に思い浮かべながら、後藤はその言葉を飲み込んだ。
「何でダメなのお?似合わない?」
心底悲しそうに眉を下げて、石川はなおも後藤に喰らいついてくる。
「似合わないとかじゃなくてとにかくダメなの。患者さんの精神衛生上よくないの」
「なによおそれーっ」
ぷうっとむくれてしまった石川を見て、思わず後藤は吹き出してしまう。
- 670 名前:光の森 投稿日:2004/08/29(日) 14:36
-
「でもごっちんも看護婦の資格持ってるんでしょ?ごっちんはどうしてなりたいって思ったの?」
吹き出されてますます膨れっ面になった石川は、唇を尖らせたまま同じ質問を後藤に振った。
突然矛先を返されて、後藤はふと笑いをおさめる。
「……後藤は…」
市井ちゃんがいたから。
そうは言葉にできなくて、髪で顔を隠すようにうつむいた。
「――ヒミツ」
「あ、ずるいんだからあ。もうっ」
そう言って石川は拗ねたように再びぷうっと膨れてみせたけれど、それ以上詮索してくるようなことは
何も言わず、ベンチの上でうーんと手足を伸ばした。
後藤はそんな石川の様子に、小さく笑みを漏らす。
- 671 名前:光の森 投稿日:2004/08/29(日) 14:38
-
梨華ちゃんのこういうところ、すごく好きだなって思う。
語ろうとしないことには触れないでいてくれる、優しさが。
後藤の気持ちを大切に思ってくれてるんだなって、嬉しくなって、泣きたくなっちゃう。
看護婦さんになりたいって思ったのは、いつだったかな…。
そうだ、高1のとき。
ひとつ上の先輩だった市井ちゃんに一目惚れして、近づきたくて、同じ部活に入って。
市井ちゃんがお医者さんになりたいって夢を語ってくれた時―――あたしも実は看護婦になりたいんだ
なんて、今までそんなこと思ってもいなかったくせにぽろっと口走っちゃった。
とにかく市井ちゃんが好きで、少しでも市井ちゃんの側にいたくて。
市井ちゃんの存在が、あたしのすべてで。
でもその時から、看護婦になることが夢になったのは本当。
看護婦さんになって、お医者さんになる市井ちゃんのお手伝いがしたいって思ったから。
不純なドウキかな?
でも、後藤の夢は市井ちゃんの夢だった。
市井ちゃんがいなくなった今、後藤の夢はどこへいっちゃうのかな…。
- 672 名前:光の森 投稿日:2004/08/29(日) 14:42
-
「――あ、じゃあさ、ごっちんが元気になったら一緒に働けるね!」
「へ?」
過去に思いを馳せていた後藤を、石川の明るい声が現実に引き戻した。
石川はなにか物凄い名案を思いついたような顔をして、目をキラキラと輝かせている。
「ね?そうしようよ!一緒に働けたらきっとすっごい楽しくなるよおー…。あっ!それでこの病院の
白衣をピンクに変えてもらうの!最高じゃん!」
「だっ、だからピンクはダメだってばあ!それにごとー白のが好きだもん!」
くだらないことを言い合いながら、梨華ちゃんは楽しそうに笑った。あたしも笑った。
梨華ちゃんの笑顔を見ながら、あたしは頭の隅でひっそりとその世界を想像してみる。
お医者さんの圭ちゃんがいて、よっすぃーがいて。
看護婦さんのやぐっつぁんと、裕ちゃんがいて。そして梨華ちゃんがいて。
そこに市井ちゃんの姿はないけれど。その世界は後藤の夢見た未来ではないけれど。
でも、想像したその世界は、決して「悲しい世界」ではなかった。
- 673 名前:フムフム 投稿日:2004/08/29(日) 14:44
- 更新しました。放置しすぎまして本当にすみませんでした。
>>644-646 さん。待ってくださっていたのに、さらにお待たせしまくりまして…申し訳ありません。
>>648-650 さん。寛容なお言葉をありがとうございます。心底恐縮です。
前回の更新から5ヶ月近くも経ってしまいました。我ながら最悪だと…orz
その間ログ整理もあったようなのにスレを残してくださった顎さんにも感謝申し上げます。
- 674 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/29(日) 20:37
- おー、待ってました!
保田さん吉澤さんは夫婦漫才ですか、もはや。微笑ましいというか。
それにしても希望の見える展開でいいですね。
後藤さんが救われますように。
- 675 名前:名無し読者。 投稿日:2004/08/30(月) 04:01
- 更新うれすぃ〜
後藤さんの未来にだんだん光がさしてきたようなきがします。
保田さんと吉澤さんの甘甘っぷりもいいっすね。次の更新も楽しみにまっています。
- 676 名前:名無し飼育。 投稿日:2004/09/01(水) 01:07
- 更新まってました。
ごっちん、元気になってきて良かったあー
圭ちゃんとヨッシーは今まで大変だったので、甘甘なバカップルぶりをみせてほしいです。
- 677 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/04(木) 21:25
- 待ってます
- 678 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/11(土) 11:24
- もうちょっと待ってみる
- 679 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/11(火) 22:34
- 待ってみたりして
- 680 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/16(日) 13:43
- 更新待ってますッッw
- 681 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/16(日) 14:18
- wとかつけて晒しageてんなや
ということでochiで待つ
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