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ビッグクランチ U
- 1 名前:名無しさん 投稿日:2003年03月09日(日)01時07分29秒
( ○´〜`)<Denn wir haben hie keine bleibende Statt,
Sondern die zukuenftige suchen wir.
前スレ http://m-seek.net/cgi-bin/read.cgi/sky/1041613129/
- 2 名前: 投稿日:2003年03月09日(日)01時08分23秒
SIDE-B (承前)
- 3 名前:25. 投稿日:2003年03月09日(日)01時08分53秒
25.NOWHEREMAN
広大な敷地に、悠然と日本家屋が拡がっている。あちこちで瓦がひび割れたり、土台が崩れて
傾いている箇所もあったが、平屋であったこととシンプルな構造であったことが幸いして、
震災から受けた傷はそれほど目立ってはいない。
ここは、かつては平家達の組が本拠地にしていた場所だが、今では矢口達が勝手に入り込んで、
すでに自分たちのものとして住み着いてしまっている。
周辺には自動小銃を肩から下げた若者がものものしく警備を固めており、不審者と認められた
人間は容赦なく撃ち殺されている。
耳障りな音を立てて、傾いた門が開き、一人の少女が姿を現した。
同じように肩から自動小銃をぶら下げた少女は、新垣里沙だ。彼女は側に立っていた
警備の男と少し言葉を交わすと、男に代わって門の側に立った。
その時、どこかから自分の名前を呼ぶ声が聞こえたような気がした。
- 4 名前:25. 投稿日:2003年03月09日(日)01時09分23秒
「……里沙ちゃん!」
「えっ?」
気のせいではない。新垣は注意深く、周辺の様子を窺った。
と、ひび割れた塀の影から、紺野が顔を出しているのが見えた。
「あ、あさ美ちゃん…!?」
新垣は驚いて声を挙げると、早足で紺野の元へ走り寄っていった。
「今までどこでなにしてたの? 私、すっごい心配だったんだから」
「ごめん。ちょっと、いろいろあって」
「……安倍さんのこと?」
新垣は声を潜めて言う。紺野は彼女の腕を掴むと、
「ね、ちょっといいかな」
その言葉に、新垣は屋敷の門の方を一瞥して、
「うん、少しだけなら」
そう言って、二人はその場から離れていった。
- 5 名前:25. 投稿日:2003年03月09日(日)01時09分53秒
- 「ごめん。急に来ちゃって」
「ううん、いいよ…。でも、大丈夫だったの? 今までずっと一人だったの?」
新垣が訊くのに紺野は答えずに、
「それより、今矢口さんはいるの?」
「ううん、加護さんと一緒に出かけてる。また夜にイベントがあるから」
「そうなんだ…」
呟くように言う紺野に、新垣は不安そうな目を向けた。
「…今はあんまり人は残ってないからいいけど、あんまり不用意にここに来ない方がいいと思うよ」
「なんで?」
分かってはいたが、紺野は訊いてみた。
「不審者は射殺しろって矢口さんに言われてるから…」
「私は不審者なの?」
紺野は新垣の顔を覗き込んで言った。新垣は困惑したように目を背けると、
「私だったらいいけど…、他の誰かが見張りに出てたら、危ないってことだよ」
「……そう。そうだよね」
悲しげな口調で言うのに、新垣は少し申し訳なさそうな様子で紺野の肩を撫でた。
- 6 名前:25. 投稿日:2003年03月09日(日)01時10分25秒
- 「でも、あさ美ちゃんなら、矢口さんもきっと大丈夫だよ」
「本当に?」
「うん、私からも頼んでみる。だって、あさ美ちゃんも私たちのやってることに
協力してくれるから、ここに来たんでしょ?」
「うん…。そうだよ」
新垣の率直な笑顔を見て、紺野はついそう答えてしまっていた。
「一緒に中に行こう! 寒いし、ずっとなにも食べてないんじゃない?」
「いや、そんなこともないよ」
ふと、後藤と保田のことが頭をよぎった。後藤のした例え話のことも思い出された。
が、次の瞬間にはそのことは頭から振り払っていた。
- 7 名前:25. 投稿日:2003年03月09日(日)01時10分56秒
同じ頃、屋敷のちょうど反対側で、アヤカは銃をぶら下げたまま周囲に
警戒の視線を向けていた。
と、路地から一人の少女が姿を現す。
アヤカは、彼女に鋭い声を投げかけた。
「ちょっと、あなた、何しに来たの?」
「なにって、…ははは、あたし、お腹空いちゃって。おねーさん、なにかくれない?」
「両手をあげて、そこで止まりなさい!」
自動小銃を向けて、アヤカは緊張感を解かずに言った。
少女はへらへらと笑いながら、立ち止まって両手をあげた。
「なに怒ってるのかなあ? あたしただお腹がすいたから…」
「黙りなさい…! 黙っていうことを聞けば、なにかあげるから」
そう言いながら、ゆっくりと少女の方へと近付いてくる。
アヤカは、彼女がベルトからぶら下げているものに目を留めた。
「これはなに?」
「んあ〜…、棒」
「真面目に答えなさい。でないと、食べ物あげないわよ」
「え〜」
その時、アヤカはこめかみに冷たい感触を覚えた。
油断をしていた。しかし、気配を殺して確実に背後に歩み寄れる人間は、普通の人間ではないはずだ。
- 8 名前:25. 投稿日:2003年03月09日(日)01時11分29秒
- 「……誰?」
「さて、今アヤカに拳銃を突きつけてるのは、だーれだ?」
耳元で低い声で囁かれて、アヤカは思わず身震いをした。
聞き覚えのある声だった。
「…け、圭ちゃん?」
「あんただったら話せると思ったんだけどさ、なんか緊張感ある雰囲気だったから。悪いね。
とりあえず、それ捨てて貰えるかな」
保田が言うのに、アヤカは観念したように自動小銃を置いた。
すかさず、後藤はそれを拾い上げると、相変わらずの笑顔を浮かべたままそれをアヤカに向けた。
「なんて言うんですか緊張感〜♪」
「や、やめてよ」
「後藤、下ろしなさい」
その言葉に、後藤は渋々と従った。
- 9 名前:25. 投稿日:2003年03月09日(日)01時12分01秒
- アヤカは保田の方を振り向くと、
「驚いた。圭ちゃん、いつ東京に戻ってきてたの? 地震が来る前から?」
「私もビックリしたよ。アヤカが裕ちゃんを裏切って、矢口と組んでるなんてね」
「そ、それは…」
アヤカが口ごもるのに、保田は彼女の肩を抱くと言った。
「ま、歩きながらゆっくり話そうか。とりあえず、あんたたちの住処を案内してくれない?」
「……なにをするつもりなの?」
「なにって、そんな大したことじゃないって」
保田はそう言うと笑った。
後藤も保田の真似をして、アヤカの肩を反対側から抱くと、
「そうそう。ちょーっとさ、うちらも革命ごっこに混ぜて貰おうかなー、ってだけだから」
そのあっけらかんとした口調に、逆に深い恐怖を感じる。
- 10 名前:25. 投稿日:2003年03月09日(日)01時12分48秒
- 裏門から屋敷へと入り、三人は人気のない入り組んだ廊下を進んでいった。
もともと、侵入者を想定して設計されたのだろう、不規則にあちこちへ伸びている
分岐点をいくつも通り過ぎた。
「あなた達、政府に矢口さんを暗殺するように言われて来たの…?」
アヤカが低い声で言うのに、保田は笑った。
「政府なんてもうないよ。確かに私もこの子も依頼は受けてたけどさ、今はもうフリー。暇人」
「…信じられないな。じゃあ、なにしにここへ来たのよ」
「せっかく戻ってきたのに、東京が住みにくい街になっても困るからね」
その保田の言葉に、後藤も頷いた。
「そうそう、うちらは非暴力主義者なの。アラジンだから」
「……ガンジーでしょ」
「ああ、そうだアヤカ、うちらもちょっと消耗品がなくなってきたから、武器とか分けてよ。
一杯持ってるみたいだからさ」
「あんたたちさっきといってること矛盾してるじゃん…」
といっても、この状況で逆らうことはあまり賢い選択とは思えなかった。
保田は昔からよく知っている人間だったが、もう一人の後藤と呼ばれている少女がなにをしでかすか分からない。
アヤカが見た限りでは保田には懐いているようだったが、垣間見られる眼光は彼女が
油断のならない人間であることを示している。
- 11 名前:25. 投稿日:2003年03月09日(日)01時13分58秒
- 「けど、あんたも意外にうまく立ち回ったもんだよね。裕ちゃんを裏切って矢口に着いたお陰で、
今はもうやりたい放題って感じ?」
「そんなんじゃないよ」
「そうかなあ? 大体あんたと矢口の接点が分からないもん」
「……圭ちゃんも、意外になにも知らないんだね」
「うん、知らないんだ」
アヤカが挑発的な口調で言うのに、保田は冷静なまま返した。
それから、アヤカの耳元に口をよせると、
「だから、教えて欲しいなあ、うちらが知らないいろんなこと」
「……」
「どうしたの? 言えないような関係があったりして、矢口と」
からかうように保田が言うのに、アヤカは立ち止まると、厳しい表情で振り返った。
- 12 名前:25. 投稿日:2003年03月09日(日)01時14分31秒
- 「じゃあ教えてあげるよ。圭ちゃん達が追ってたテロ組織に、裏から協力してたのは
中澤さんなのよ。
私は、中澤さんから命令されて、テロの計画に協力してた」
「へえ……」
アヤカの言葉に、保田は興味深げに首を傾げた。
「じゃあ、矢口達に裏から武器を回してたのも裕ちゃんなの?」
「いや…。矢口さんは、途中から組織の動きとは別に、自分たちの仲間を集めて動き始めたの。
Hello!の名義での活動がそう。で、私はその背後関係を探るために近付いたのよ」
「あははは、近付いたのに取り込まれちゃったんだ」
後藤がバカにするように言った。アヤカは特に否定はしなかった。
「ええ、そうよ。私は矢口さん達のやり方の方が正しいと思ったから。圭ちゃんには悪いけど、
中澤さんは信用できない。どこで誰と繋がってるかも分からないし、裏でなにを企んでるのか…」
「裕ちゃんがクーデターに興味を持ってたとは思えないんだよね。あの人、政治とかには
全く関心のない人だったから。ま、知らないうちに心変わりしたのかも知れないけど」
「でも、計画に資金を回してたのは確かよ。私だって、それでなければ
矢口さんとも知り合うことはなかったし」
「じゃあ、あれかな。なにか義理のある人がその組織の中にいたのかもね」
保田がそう結論づけるのを聞き流して、アヤカは突き当たりにある鉄の扉を開いた。
- 13 名前:25. 投稿日:2003年03月09日(日)01時15分01秒
- 薄暗い室内は武器を隠すための倉庫になっており、かなりの量の様々な武器が乱雑に置かれていた。
オーソドックスな拳銃や弾薬、ナイフなどもあったが、それ以外にも見たこともないような
本格的な兵器類なども目に付いた。
「はあー、よく集めたもんね。あいつ、これから戦争でも始めるつもりなわけ?」
冗談っぽく保田が言ったのに、アヤカは真顔で答える。
「あの人、かなり疑心暗鬼になってるのよ。だから、いくら武装して仲間を
増やしても安心できないみたい」
「あんなのいくら掻き集めたって安心できないよねー」
あちこちを適当に物色しながら、後藤が言った。
アヤカはムッとした表情で、
「どういう意味?」
「バカとハサミは使いよう」
歌うように言いながら、やけに長い草刈りバサミを引っ張り出すと笑った。
「あなた私のことバカにしてるでしょ……」
- 14 名前:25. 投稿日:2003年03月09日(日)01時15分34秒
- 「この娘の言うこと、あんまりマジメに聞かない方がいいよ」
保田はアヤカを一瞥してから言うと、銃弾が入った箱をいくつか、無造作にリュックへ詰め込んだ。
「それで、リーダー矢口は今どこにいるのかな?」
保田が訊くのに、アヤカは肩を竦めると、
「残念ね。外出中よ。せっかく来てもらって悪いけど」
「マジでー?」
後藤はハサミを突き出すと、アヤカの目の前でチョキチョキと開閉してみせた。
「お客様、本日はどんなヘアースタイルになさいますか? 嘘つきハリセンボン風
PUNKヘアーなんていかが?」
アヤカは本気で怖がっているように、保田に縋り付いてきた。
「う、うそなんてついてないよ。今日も加護ちゃんのイベントがあるから、それで…」
「そんじゃ、うちらも見に行こうか。こないだは遠くからだったけど、今回は
バックステージ・パスもあることだしさ」
保田は意地悪そうに笑いながら、アヤカの顎を撫でた。
- 15 名前:26. 投稿日:2003年03月09日(日)01時16分09秒
26.天使の白い粉
イベントが予定されている球場には、まだ時間があったがすでに多くの人々が集まっている。
その大部分は、震災で怪我を負ったり、その後の劣悪な環境で病魔に冒されたりしていたものの、
他に行く当てもなく救いを求めて彷徨い続けていた人間達だった。
いくら、矢口やその仲間達に関連して悪い噂が囁かれ続けていたとしても、こうして集まってくる
人々が後を絶たないのは、他に頼るべきものがなにもないからだ。
分厚い雲が風の悪戯でゆっくりとクレバスを開いていき、そこからカーテンのように
午後の日差しが降り注いでいる。
まるで、古い宗教画に描かれていたような光景だった。
会場の裏の、常緑樹に囲まれた狭い公園には、矢口と加護を含む数人のチンピラ連中
があれこれと準備を続けていた。
周囲にはいつもどおり自動小銃を構えた連中が取り囲んでいたが、それでも
興味本位の野次馬がしつこく覗き込もうとしている。
ガードマンの中には、以前に公園に集められた若者のチームのメンバーも
何人か見ることが出来た。
- 16 名前:26. 投稿日:2003年03月09日(日)01時16分42秒
公園の隅に、十台ほどの、給食調理に使うような巨大な鍋が並び、冷たい空気の中に
香ばしい香りを含んだ湯気を舞い上げていた。
加護は、黄色いクマのぬいぐるみを小脇に抱えたまま、よたよたとした足取りで、
赤黒く固形物を多く含んだ液体が入ったバケツを運んでくると、鍋の列の
一番端にそれを置いた。
バケツの中には、犬や猫や人間の死骸、肉屋の跡から拾ってきた臓物や生肉の破片などが、
粉々のゲル状態にされて詰め込まれている。
加護は、ポケットから小さな瓶を取り出すと、中に入っている白い粉をバケツに少しだけ入れ、
続いて、目を閉じるとバケツの上に両手を翳した。
青白い光が手のひらからバケツへ伸び、数秒ほどすると、バケツの中の液体が
ゆっくりと渦を巻き始める。
やがて、その渦の中央から、胎児の頭を持った蛇のような生物が、ゆらゆらと
姿を現す。身体は皮膚を持たずに、赤く複雑な繊維が絡み合っている筋肉が
剥き出しになっており、その隙間から、液体の中に混じっていたゴミが
偽足のようにデタラメな方向へ伸びている。
生物は、ゆっくりと空中へ浮かび上がると、口から銀色の粒を吐き出しながら、
悠然と鍋の上を渡り始めた。
- 17 名前:26. 投稿日:2003年03月09日(日)01時17分13秒
矢口は、三人のお揃いのジャージを着た大男を前にしてなにかを喋り続けている。
彼らは一様に二メートル近い長身だったが、頭は身体に比べて非常に小さく、
首の筋肉に半分ほど埋もれているように見えた。
赤、青、黄のジャージには、胸の部分に1、2、3というナンバーが派手な
装飾字体で描かれていた。
「よーし、ボブ1号、お前からまずなにか言ってみろ」
「寿限無寿限無五劫のすり切れ海砂利水魚の水行松雲行松……」
「祇園精舎の鐘の音諸行無常の響きあり……」
「七に十四、七さん二十一、七し二十八……」
三人組が抑揚のない声で続けるのに、矢口は満足そうな顔で頷いていたが、
すぐに飽きてしまい、また加護の方へと戻ってきた。
- 18 名前:26. 投稿日:2003年03月09日(日)01時17分43秒
- 「おい、クスリくれよ」
加護はなにも言わずに、宙を舞っていた蛇を呼び寄せると、頭を人差し指で軽く叩いた。
蛇は、真っ赤に開いた口の中から、数錠の銀色の球体を吐き出す。
矢口は、加護から受け取ったそれを、なんの疑いもなくそのまま口に含み、噛み砕いた。
「ったく、なんか盛り上がりに欠けるんだよなあ…。なにやってもおもしろくねえ」
加護は、そんな矢口の様子を興味深げに見つめているだけだ。
「なんとかいえよ」
矢口はイライラしたように加護に言った。
「今だって、やりたいことなんでもやってるやん」
「それはそうなんだけどさあ」
「矢口さんの人気も、どんどんあがりっぱなしだしぃ」
「それは、皮肉で言ってるのか?」
そう言うと苦笑した。
「くそっ、なんか違う。なんか足んねーんだよな」
眉を顰めて立ち上がると、足下のガラスの破片を蹴飛ばした。それは鍋の一つにぶつかり、
三つに割れた。
「おいらだってさ、なにも悪いことしようとしてるわけじゃないんだよ。
ただ、おいらが正しいって思ったやりかたでやってるだけなのに、なんで
誰も分かってくれないんだ…?」
矢口はブツブツと愚痴りながら、加護の方を見た。
加護は相変わらず何を考えているのか分からないような笑顔を浮かべたまま、矢口の
ことを見つめている。
「って、あんたに言ってもしょうがないんだけどさ」
そう言うと、白い溜息をついた。
- 19 名前:26. 投稿日:2003年03月09日(日)01時18分13秒
- 加護はぬいぐるみを抱いたままふわりと浮かび上がると、もう一度蛇の頭を撫でた。
蛇はバケツに戻ると、再びどろどろとした液体に姿を戻した。
「おい、捨てておけ」
矢口はジャージの一人に命ずる。黙々と九九を繰り返していた男は、その声に
慌てて駆け寄ってきた。
「しっかし、幻覚症状もここまで来たらやばいとか思ってたら、全部マジなんだもんなあ…。
ま、誰も来るなんて信じてなかった地震だっていきなり来やがったんだから、
今更何が起きたって驚くにゃ値しねえか」
独り言のように呟くと、小声でくすくすと笑った。常用のロシア産幻覚剤、トルキスタン地方で
摂れる樹脂性の塊は、いつでも幾何学的な夢想を目に見えるようにしてくれる。
加護の能力であれば、一粒からいくらでもそうした効果を持つ粉を生み出すことが出来る。
荒れ果てた大地がペルシャ絨毯のように見えてくるクスリだ。
- 20 名前:26. 投稿日:2003年03月09日(日)01時18分44秒
- 四方から聞こえてくる銃声や爆音、新垣の声、血塗れの安倍の顔と紺野の悲鳴、
無言で罵声を浴びせてくる少女、そして突然の衝撃、それらの記憶は朦朧とした
意識の中でシチューのように渾然一体と混じり合っている。
矢口は、自分でもどのようにしてあの場から脱出したのか、よく思い出せないでいた。
ただ、あの時の振動が全てを振り出しに戻してくれたと言うことだけは理解できた。
新垣に肩を支えられ、炎と瓦礫と混乱した人々の喚声に包まれた街を逃げまどい
ながら、矢口はずっと死を意識していた。
少なくとも、意識や感覚が朦朧とした状態で死を迎えられるなら、まだしも
マシなんじゃないか、と救いようのない慰めを心の中で繰り返していた。
その時、突然、暗闇の中から舞い降りてきた─と新垣は真顔で語っていた─少女が、
二人を救い出したのだった。
新垣は加護のことを天使なんじゃないか、と言っていたことがあったが、
矢口はそんなことを一度も思ったことはない。
「天使」という存在に関して、矢口はそれほど詳しいわけではないが、もし加護が
天使であったとすれば、自分の命を救ったりはしないだろう。
なんの罪もない親友を、一時の気の迷いで殺してしまった自分を。……
- 21 名前:26. 投稿日:2003年03月09日(日)01時19分16秒
- とはいうものの、矢口は自分のした行為を後悔したり反省しているわけではない。
矢口にとっては、過去は否定するためにだけ存在するものであって、それは
自分の人生にとっても、行為であっても、同じことだった。
その瞬間になにを考え、なにを行ったのか。そんなものに意味を見いだすのはバカげている。
ただ、原因と結果だけを冷静に見つめていればいい。そこから、未来を見据えて
行動すればいいだけの話だ。
一人の人間が、自分の過去を全て背負えるだけの器などは持ち合わせている
はずがない。それが矢口の哲学だった。
安倍と紺野がなにを思ってあの場に姿を現したのか、そんなことは今に
なってしまえばどうでもいいことだ。
単に運が悪かっただけ。一人の人間が自分の意志でどうにか出来る範囲なんて、
たかが知れている。
あの場では、しょせん矢口も安倍も、状況の中で操られる駒の一つに過ぎないんじゃないか?
- 22 名前:26. 投稿日:2003年03月09日(日)01時19分48秒
- それが深層の罪悪感に対する言い訳でしかないことを、矢口はそれなりに自覚はしていた。
しかし、自覚はしていてもそこから逃れることは難しい。
いかなるやり方であれ、自分の選んだ方法論が正当であることを現実的に
証明しない限りは、深い罪悪感から完全に逃れることは出来ないだろう。
自分の両手を見つめる。そいつは血塗れで、いくら洗っても清潔にはならない。
それがどうしたってんだ。私は私のやり方で生きるだけだ。
矢口は鍋の一つに歩み寄ると、柄の長い杓子で一口掬って口に含んだ。
本日のメニューは具だくさんのカレー。だが米は用意できなかったので、白く
堅いパンが無数に用意されていた。加護が作り上げた蛇の吐いた銀色の粒は、
ほとんど味には影響していないように感じた。
昔、路上で使っていた合い言葉を思い出す。「脳みそに効くクスリ、ありますか?」
いつしか、ラベルに「No-misony-kick-kusuri」と書かれるようになった。
脳に蹴り、そして宙に舞う。
- 23 名前:26. 投稿日:2003年03月09日(日)01時20分19秒
□ □ □ □
なんの前触れもなく耳元からの呼び出しを受けて、さすがの藤本も狼狽したようだった。
が、一瞬後にはいつもの冷徹さを取り戻し、それと気付かれないように
送られてきた情報を表示させた。
松浦と藤本の二人は、かつては大学のあった広い敷地の中の、図書館が
設置されている一室にいた。
もともとかなり老朽化した建物である上に、震災でそこかしこに断列が走り、
今にも崩れ落ちそうな外観だったが、かえってそうした建築の方が頑丈に
出来ているものだったりする。
こういう判断には、藤本が装着している高性能のサングラス型のコンピューターが
功を奏していた。
- 24 名前:26. 投稿日:2003年03月09日(日)01時20分49秒
- 藤本は横目で松浦の様子を窺うが、彼女が一瞬狼狽したことには全く気付いていない様子だった。
松浦は、昼過ぎに目覚めてからずっと一冊の本に見入っている。
分厚く茶色い皮のカバーで装丁されたそれがなんの本であるかとか、松浦がなにを
求めてその本を熱心に読んでいるのかなどは、藤本にとってはどうでもいいことだった。
藤本は頬杖を突くようにして、サングラスのパネルを、松浦に気付かれないように操作した。
ガラスの裏に流れていく文字列を追う。それは、震災以来音沙汰のなくなっていた
東京の政府からの指令だった。
「……」
多くの情報を冷静に目で追いながら、それでも内心の驚きは押さえることは出来なかった。
詳しい説明などはなく、単なる報告程度のものだったことが、却って藤本の興味をそそった。
都市の再建計画は密かに進められている。
その決定が山崎の独断であるのか、どこかの臨時政府による決定なのか、
すでに機能していない中央からのものなのかは、今はまだ分からない。
また、彼らがどこに避難して、この指令をどこから送っているのかも、全く不明だった。
- 25 名前:26. 投稿日:2003年03月09日(日)01時21分19秒
- 息を潜めながら情報をスクロールさせる。ふと目を上げると、松浦の不思議そうな表情が
大写しになっている。
「な、なによっ!」
「にゃあ」
松浦は意味不明な甘えた声を出すと、にやにやと笑った。
「気持ち悪いなあ、あのねえ、いちいち話すときに顔近づけないでよ」
「前っから不思議に思ってたんだけど、そのメガネって太陽電池で動いてるの?」
「た、太陽なんてずっと出てないじゃん……。エネルギーは、その辺の使えそうな
車を探して、それで…」
「あ、そ」
そう言うと、本を持ったまま立ち上がってゆっくりと歩いた。
「『いいかい、この地上じゃその馬鹿げたことが大いに必要なんだ。世界がその馬鹿げたことの
上に成り立っていて、それがなかったらこの世界には何一つ起こらなかったかも知れないんだ』」
「なにそれ?」
藤本がきょとんとした顔で訊くのに、松浦は肩を竦めると、
「意味分からなかった? 日本語なのに」
「あんた私のことバカにしてるの?」
イライラしたような口調で言うのにも構わずに、松浦は本を閉じると書棚へ戻した。
「食事にでも行かない?」
- 26 名前:更新終わり 投稿日:2003年03月09日(日)01時21分57秒
- 25.NOWHEREMAN >>3-14
26.天使の白い粉 >>15-25
- 27 名前:ぴけ 投稿日:2003年03月09日(日)14時35分36秒
- いつも読んでます
矢口の心理描写…こういうの好きです
松浦の最後のくだりは村上春樹っぽいですね
- 28 名前:ななしのよっすぃ〜 投稿日:2003年03月09日(日)17時32分40秒
- 作者さま、新スレおめでとうございます。
矢口さんの心には空虚があるんでしょうか?
何もかも思い通りになっても充たされない何かが彼女にはあるんでしょうね?
個人的にはよっすぃ〜の大暴れ&あやゃの動向に興味津々です。
では、次回の更新も楽しみにまってます。!!
- 29 名前:名無しAV 投稿日:2003年03月09日(日)17時34分38秒
- なんなんだこのクオリティーの高さは!
今回の更新分には文章力の高さに本気でビビリました。
今更ですがAKIRAを思い出しました。
- 30 名前:27. 投稿日:2003年03月12日(水)01時39分13秒
27.偽り
活気を失って静まりかえった街に、規則正しい足音が響く。
五人一列になって三列。十五人の制服の少女の集団は、長方形の布陣を崩すことなく、
まるで機械仕掛けで操作されているかのように、罅だらけの広いアスファルトの
道路を整然と進んでいた。
全員が右眼を覆うような薄いサングラスで顔の四分の一を隠し、先頭の中央に立っている
人間以外は、銀色の筒のようなものを捧げ持っている。
ウィンドブレイカーに身をくるんで路上に横になっていた男や、ボロボロの
幌の下で無駄話をしていた集団が、その異様な雰囲気に気付いて道路の方を窺った。
制服の集団は、全員が身長も一メートルほどしかない子供ばかりだった。お揃いの
制服の胸には、特徴的なエンブレムが貼り付けられている。
路地裏から顔を出した、明らかにラリっている男が、唾液の糸を引きながら
にやにやと笑って彼女たちへ近付いていく。彼女たちは、全く狼狽えた様子もなく、
先頭が立ち止まると同時に全員歩みを止める。
- 31 名前:27. 投稿日:2003年03月12日(水)01時39分44秒
- 「な、なんだおまいら……? 小学校の遠足かぁ?」
ろれつの回らない口調で唾液を撒き散らしながら言って、ボロボロのズボンのポケットに
手を入れる。
次の瞬間、先頭の少女が右手を挙げ、全員が筒を男へ向かって構える。
空気が抜けるような音が次々と静かに響き、男は瞬く間に背後の壁に磔にされた。
筒から発射された細長い針は、正確に両手と下腹部、心臓、喉の頸動脈を貫き、男の
命を奪っていた。周囲からその様子を窺っていた連中は、彼女たちのあまりの手際の良さに、
ただ悲鳴を上げることも出来ず息を潜めていた。
男のポケットから古びた拳銃が滑り落ちる。先頭の筒を持っていない、指揮官と思われる少女が
それを回収すると、再び整然と行進を始める。
- 32 名前:27. 投稿日:2003年03月12日(水)01時40分16秒
□ □ □ □
「愛ちゃん、お金持ってない? バッテリー買いたいんだけど」
カメラを弄りながら小川が訊くのに、高橋は、
「そんなんもう残ってるわけないよ。市井さんの水とかガーゼとかあれやこれやで全部
使っちゃったよ。東京のならまだあるけどもう紙屑だし」
「そうだよね。…あーあ、デジタルってこういう時に不便だよね。昔のカメラも
予備で持っておけばよかった」
「オタク」
高橋が少しむかついたような口調で言う。
- 33 名前:27. 投稿日:2003年03月12日(水)01時40分46秒
- 二人は市井と隠れていた埃だらけの廃屋を抜け出して、だだっ広い河原の一角に
天幕を張って寝起きをしていた。周囲にも多くの難民たちが身を寄せ合うようにして
生活をしていたが、この場所は若い女性たちが中心になっている領域らしく、あまり
気兼ねをせずに、助け合いながら生きていけるのがありがたかった。
震災後の混乱から、ようやくあちこちで秩序のようなものが生まれはじめて来たことの、
一つの現れであったが、それでも完全に安心して生活できる状態からはほど遠い。
四人は交代で寝起きをしながら、絶えず周囲に対して警戒を解かずにいた。安倍が拳銃を
持っていたことには驚かされたが、始めに出会ったときの衝撃が大きかったせいか、
そのことに関して深く追及がされることはなかった。
- 34 名前:27. 投稿日:2003年03月12日(水)01時41分19秒
- 塩を混ぜたお湯を啜って身体を温めている高橋に、小川は振り向かずに返した。
「地元帰ってまた仕事始めるとき、現場写真いっぱい持って帰ればすごい手柄になるじゃん。
今東京にはどこからも手を出せない状態だし。なるべく多く撮っておきたいんだよねー」
「えっ? まこっちゃん東京出てっちゃうの?」
「えっ? 愛ちゃんはじゃあ残るつもり? こんな状態なのに?」
小川に真顔で問い返されて、高橋は答えに窮した。確かに、自分がこの場所に止まる
理由など全くない。ただ、ようやく東京での生活が軌道に乗り始めた時期でもあったので、
そこからまた地元で元通り、ということに抵抗感を感じていただけかもしれない。
「さいたまとか神奈川から来た記者とかカメラマンがばんばん殺されたり行方不明に
なってたりして、もう怖がって誰も近付かないでしょ。うちらはほら、あの安倍さんって人
がいるから、怪我したって安心だし。私も地元に戻ったら、新潟のロバート・キャパなんて
呼ばれちゃったりして」
- 35 名前:27. 投稿日:2003年03月12日(水)01時41分53秒
- 浮き浮きと喋る小川に、高橋は相変わらず沈んだ口調で言った。
「あの人、そんなあてになるかねえ」
「なるよー。だって見たでしょ? あの光」
「けど死んじゃったらさすがにダメなんでないの?」
「大丈夫だって、人間そう簡単に死なないよ」
「てかあの二人どこまで散歩にいってんだろうね」
「さあ…。あ、そうだ、今日矢口ってひとのイベントあるんだった」
小川は急に思いだしたように言って立ち上がると、
「愛ちゃんも行かない? 私、カメラのバッテリーが残ってるうちに撮っておきたいんだけど」
「危ないよぉ」
弱々しい声で言うのに、小川は気楽な感じで続けた。
「だーかーらー、怪我したら安倍さんに治して貰えるんだから!」
そう言うと、一人で勝手に出ていってしまった。
高橋は少し逡巡したが、一人で取り残されるのが嫌だったのか、すぐに後を追った。
- 36 名前:27. 投稿日:2003年03月12日(水)01時42分24秒
□ □ □ □
豪奢な革張りのソファの、鹿の毛皮が掛けてある上に居心地の悪そうな座り方をして、
紺野あさ美は俯いたままカップラーメンを啜っていた。
室内は震災時に荒れたままであまり整理されているとはいいがたかったが、それ以外は
ほとんど無傷の状態で残されているように見えた。瓦礫となった建築と生き残った建築の
どこに違いがあったのか、紺野はそんなどうでもいいことにずっと思案を巡らせていた。
ここには食べ物もある。それに暖かい。今まで私はずっと寒さと空腹の中で逃げ回っていた。
なんでだろう? 私は、なにを失ったんだろう?
新垣はなにか言いたそうに紺野のことをちらちらと窺いながら、黙ってライフルの
手入れなどをしていた。部屋の隅に掛かっている時計は、そろそろ六時を回ろうとしていた。
時計なんて見るのもいつ以来だろう? 紺野は考える。ただたった一つの想念から
逃れようとするように、ひたすら考え続ける。
- 37 名前:27. 投稿日:2003年03月12日(水)01時42分56秒
- 「安倍さんは」
唐突に新垣が口を開いた。紺野は背骨に電流が走ったかのように、ビクッと跳ね上がった。
「……あさ美ちゃん、大丈夫?」
「う、うん……」
「……安倍さん、どうなったか、知ってる?」
紺野は新垣の瞳を見つめる。率直で不安げに揺れているそれに、欺瞞を感じることはなかった。
「分からないの。だから、ずっと私、一人で」
そこで口ごもる。ずっと一人だった。本当はそんなことにならなかったはずなのに。
「一人で探してたんだけど……」
「い、生きてるのかな」
新垣の口調はどこか不自然でたどたどしい。二人の間に流れる空気を敏感に
反映してしまっているように。
「あの時、安倍さんは撃たれて」
紺野が言う。新垣は手を止めて紺野を見る。空気が沈黙を命じている。
責めている口調ではない。責めようとは思っていない。誰が悪いというわけじゃない。
誰も悪くないということじゃないけど、誰かが悪いと言いたくはない。
「撃たれて、それで、警察の救急車に運ばれて……、私は、別のパトカーに連れて
行かれて、それで警察の人に挟まれて座ってて」
- 38 名前:27. 投稿日:2003年03月12日(水)01時43分27秒
- 新垣はその場を見ていなかった。拡声器を持った刑事が指示を出しているのを見て、
咄嗟に彼女へ向かって駆けだしていた。そして、渡り廊下に矢口が姿を現すのが
見えた。彼女に向かって二度叫んだ。矢口さんがなにかを叫んだ。銃声が聞こえた。
誰かの悲鳴が聞こえた。また銃声が聞こえた。私が叫んで、そして逃げた。
「……私が電話したから?」
一瞬、紺野は意味が分からなかった。少し考えて、ああ、そう言えばそんな電話も
あったかもしれない、と思い出していた。
「私はやめようって言ったんだけど、安倍さんが行くって、それで」
あの時、私たちは縛られていたんだった。もし縛られてなくて、すぐにゼティマに
行くことが出来てれば、あんなことにならなかったかもしれない。そうでないかも
しれないけど。じゃああのサングラスの女性が悪かったのかな。それもまた腑に落ちない。
「矢口さんが心配だからって」
- 39 名前:27. 投稿日:2003年03月12日(水)01時43分57秒
- 再び沈黙。新垣は目を伏せると、黙ってライフルを磨く。紺野はカップラーメンの
容器からスープと底に沈んだ細かい麺を飲み込む。最後はいつも粉っぽく塩辛い。それで、
身体が塩分を欲していたということが分かる。
発泡スチロールの、円形の底を見つめる。銃口と同じ形だ。じわじわと血が染み出して、
やがて容器からあふれ出す。
紺野は大きく目を見開いて、また閉じる。
寒くはないのに、指先の震えが止まらない。
- 40 名前:27. 投稿日:2003年03月12日(水)01時44分28秒
- 新垣が何かを思いだしたように立ち上がる。無意識的に、紺野も続いて立ち上がる。
「矢口さんのとこに行かないと」
「私も行っていいかな」
そういう紺野の目を、新垣は複雑な感情を込めて見返す。疑惑と思惑。なにが起きるのか
そこから読みとることは出来ない。紺野本人にも分からない。なにが出来るのか。なにを
してしまうのか。歩き出した先になにがあるか分からなくても、立ち止まってしまう
ことなど出来なかった。
- 41 名前:27. 投稿日:2003年03月12日(水)01時44分58秒
- なにかが軋む音がした。箸と空になった容器を置いた。箸が落ちて、乾いた音が響いた。
「……そんなの、いいに決まってるじゃん」
新垣の表情は真剣だった。紺野は拳銃の収まっている内ポケットを上着の上から
押さえて、深く息を吸った。新垣の目を見返すことがなぜか出来なかった。
「なにか出来ることあったら……手伝うよ」
偽りの言葉であることは分かっていた。会話が途切れることが怖かった。そこから
生まれる暗い引力に吸い込まれそうだったから、口を開いた。
広い屋敷には、他に誰もいないように感じられた。
- 42 名前:更新終わり 投稿日:2003年03月12日(水)01時45分32秒
- 27.偽り >>30-41
- 43 名前: 投稿日:2003年03月12日(水)01時46分16秒
- みなさんレスありがとうございます。
>>27びけさん
SIDE-Bはどっちかというと心理描写とか長セリフが多くなるかも。
村上春樹は「世界の終わり〜」が一番好きです。
>>28ななしのよっすぃ〜さん
矢口は書いてるうちにキャラが複雑になってきましたね。
はじめは単なるキレキャラだったんですが(w
>>29名無しAVさん
AKIRAはかなり入ってますね。
というか廃墟好きになったのはあのマンガがきっかけだったので。
ネオ東京にはあんま住みたくないけど(w
明日も更新。予定。
- 44 名前: 投稿日:2003年03月12日(水)01時55分08秒
- またミスった……。酒控えよう。
>>27ぴけさん
名前間違えてすいません。
- 45 名前:名無しAV 投稿日:2003年03月12日(水)18時32分53秒
- カップラーメンの底の〜にはぞくぞくしました。
ロバート・キャパは戦争の写真よりも子供たちの顔を取った写真の方が好きです。
- 46 名前:28. 投稿日:2003年03月13日(木)01時52分45秒
28.ビタースウィート
膝を抱えて毛布にくるまったまま、石川梨華はお湯に溶かしたチョコレートを少し
啜った。唇に火傷をしてしまいそうな熱さが痛かったが、衰弱した体に力ずくで
カロリーを押し込んでくれるような感覚は心地よかった。
まだ熱が残っているせいか、白昼夢の中にいるような感覚で目の前の光景を
眺めている。視界は、全面が半透明の膜に覆われているようだった。目の前に、
骨董品のような馬鹿でかい石油ストーブが、煌々とした炎を覗かせていた。
その上で、歪な形をしたやかんが湯気を噴きかたかたとせわしなく蓋を震わせて
いる。今までいた場所の冷たさと、この部屋全体を包む湿気と熱気のせいで、
石川はまだ現実感を取り戻せずにいるのかもしれない。そして鼻腔の奥を
むず痒く刺激する甘い匂い。田舎の風呂場でしか嗅ぐことの出来ないような
香ばしい畳の香りと、どこか苦みも混ざったカカオのねっとりとした香り。石川は
両手で持っている紙コップに目を落とすが、チョコレートの香りはそこ
かしこから漂ってきていた。
- 47 名前:28. 投稿日:2003年03月13日(木)01時53分19秒
- 石川はチョコレートを少しずつ啜りながら、周囲の人々をこっそりと観察してみた。見知った
顔はなく、どちらかといえば街で擦れ違うときに思わず目を伏せてしまいそうな、そんな
タイプの人間がほとんどだった。ブラックスーツ、着流し、白のさらし、
中には、裸の上半身に、目のやり場に困るような男女の営みを見事に彫り込んで
いる大男の姿も見ることが出来た。緊張感の漂う雰囲気は感じられたが、
その場に居辛くなるようなことはなかった。無駄な私語を交わしたりする
こともなく、ただ黙って内面と向かい合っているようなストイックさを感じた。
時間の感覚を失ってしまってから久しい。赤く澱んだ霧の世界、人間の部品が
あちこちに散らばった倉庫の中で、血の池から引きずり出されてきたような
吉澤と視線が交錯し、そこで気を失った。そこから、ぼんやりとした状態での
いくつかの風景が断続的に記憶に残されているが、まだ自分が辿ってきた
状況を整理して考えるほど頭は回復していないようだった。
- 48 名前:28. 投稿日:2003年03月13日(木)01時53分51秒
- 具体的になにが起きたのか、その大枠は柴田から聞いていた。中澤という女性に助けられ、
強力な地震が東京を一瞬で瓦礫の山に変え、その後中澤のベンツで都心へ戻ったものの
すでにそこは全ての機能を失っており、今までずっと天幕を張った公園の一角で
雨風をしのいで来たということ。全くの赤の他人であるはずの石川と柴田を、なぜ中澤裕子と
いう女性が面倒を見てくれるのか、理由はよく分からない。だが、今こうして暖かな
場所で身体に滋養を与え回復を待っていられるのも、中澤の手引きがあってこそなのだろう。
石川は、彼女に感謝こそすれ、不信感を抱くようなことはなかった。
- 49 名前:28. 投稿日:2003年03月13日(木)01時54分23秒
- 誰も石川に話しかけてくるものはいない。黙殺されているわけではなく、必要がない
からだろう。一人の男が黙って立ち上がると、ストーブの上からやかんを取り上げて
紙コップへ湯を注いだ。甘さと苦さを含んだ湯気がゆらゆらと舞い上がった。
ここは、恐らくどこかのホテルか高級な料亭で、宴会場として利用されて
いた大広間なのだろう。ストーブは三つほど置かれ、燃料に関しては充分確保してあるように
思えた。そして、膨大な量のチョコレート。どのような経緯で入手するに
至ったのかは想像することしかできないが、この場の人間たちにとっては
貴重な栄養源となっているようだ。
それにしても、皆一様に湯に溶かしたチョコレートを啜ったり、板チョコの塊を
齧ったりしている光景はひどく非現実的だった。
- 50 名前:28. 投稿日:2003年03月13日(木)01時54分56秒
- (これが夢でも、ちっともおかしくないよね)
甘ったるい香りで充満した部屋でそんなことを考えたとき、向かい側の扉が開き
中澤が姿を現した。今までリラックスをしていた連中も、慌てて姿勢を正すと口々に
彼女へ挨拶を返した。中澤は、特に意識するでもなく、鷹揚にそれに答えている。
(なんだか……すごいなあ)
石川がぼんやりとそんな中澤の様子を見つめていると、ふと彼女と眼があった。
思わず首を竦めてしまう石川だったが、中澤は上機嫌で彼女の元へ歩み寄ると、
「おぉ〜、大分顔色もよくなったみたいやん。あんた地黒やから、健康的な地黒って
爽やかでええけど、不健康な地黒は見るに耐えへんからな! よかったよかった」
「……あ、あの〜」
恐る恐る石川が聞くのに、中澤は彼女の顔を覗き込むと、
- 51 名前:28. 投稿日:2003年03月13日(木)01時55分26秒
- 「ん? どうした?」
「ここ、……どこですか?」
極めて基本的な疑問がおかしかったのか、中澤は思わず吹き出すと、周囲の強面の集団を
示しながら説明した。
「ま、いきなり眼ぇ覚めてこんな連中に囲まれとったら、ビビってあたりまえか」
「い、いえ、そういうわけじゃ……」
「ええよ、気ぃつかわんでも。こいつらみんなうちの……、なんていったらええんかな、
もう部下とかちゃうし……」
「ファミリーでしょう、ボス」
刺青の大男が笑顔で言った。中澤はその言葉に満足げに頷くと、
「そんな感じなんかな。まあ、うちが赤ん坊の頃から世話んなってるのもおるしなあ、
それで今もこうやって助けてくれるわけやし、ほんまありがたいわ」
そう言う中澤の目は、少し潤んでいるようにも見えた。
「けど、こんな状況でもちゃんと自分を見失わずにおるっちゅうのは、大したもんやな」
独り言のように呟いたそのセリフには、自分の仲間たちに対する信頼と
自負が込められているように感じられた。
- 52 名前:28. 投稿日:2003年03月13日(木)01時55分59秒
- 扉が開き、三人の女性が姿を現す。よく知っている顔と、記憶に残っている顔と、
初めて見る顔があった。
「梨華ちゃん、どう? もう全快した?」
柴田あゆみが石川の顔を覗き込みながら言う。石川は口を尖らせると、
「そんなすぐに治るわけないじゃん」
「ああ、その口調は大分回復した証拠だ」
笑いながら言うと、昔よくしていたように石川の額を小突いた。
そんな行為の一つでさえも、どこか遠く失われたもののように感じられてしまう。
里田まいともう一人の女性は、立ったまま中澤となにやら話を始めている。石川は、横に
座り込んで色々と話しかけてくる柴田の声を聞き流しながら、三人の会話に耳を傾けた。
もう一人の女性の名前はソニンというらしかった。それが名字なのか名前なのか、
どこの国の人間なのかということは、石川には判断できなかった。
- 53 名前:28. 投稿日:2003年03月13日(木)01時56分30秒
- 里田まいともう一人の女性は、立ったまま中澤となにやら話を始めている。石川は、横に
座り込んで色々と話しかけてくる柴田の声を聞き流しながら、三人の会話に耳を傾けた。
もう一人の女性の名前はソニンというらしかった。それが名字なのか名前なのか、
どこの国の人間なのかということは、石川には判断できなかった。
「今日の夜、また矢口真里が人を集めるようです。場所は前と同じ球場跡」
ソニンが低い声で言った。中澤は頷きながら聞いている。
「中澤さん、彼らがいくら武装をしていたとしても、所詮は素人の集まりです。
今ならまだ統率も完全ではないはずだし、チャンスだと……」
「しつこいなあ」
「中澤さんっ!」
「ええか? うちらは警察やない。それに、今まで矢口らがなんか問題でも起こしたんか?」
「起こしてるじゃないですか! もう何人も強盗にあってるし、何人も殺されてるんですよ!」
ソニンは声を荒げた。たまたま二人に挟まれる位置に立っていた里田は、おどおどと
した様子で二人の顔を見比べていた。
- 54 名前:28. 投稿日:2003年03月13日(木)01時57分16秒
- 「そんなん、他にもやっとるヤツは腐るほどおる。いちいちうちらが取り締まる
わけにはいかんやろ?」
「問題のすり替えです、……中澤さんは、矢口さんに対して責任をとるのが嫌だから、
そんなことをいって逃げてるんじゃないですか?」
厳しい口調で詰問するソニンに、部屋の何人かが怪訝そうな表情で振り向いた。
中澤は手を挙げて彼らを押さえると、ソニンの肩を叩いて、
「あんたの言ってることは、多分正しい」
「……」
「けどな、前にも言うたけど、うちはそんなんもう嫌やねん。分かってくれるか?」
「それは……」
弱々しげな中澤の口調に、ソニンも拍子抜けしたようだった。
「あんたがどうしても矢口らを潰したいいうんやったら、うちは別に止めへんよ。あんたが
先頭に立ってやるのは勝手や。けど、うちは一切そのことには噛むつもりはない」
そう言い切られてしまうと、ソニンには返す言葉は見付からなかった。
自分が陣頭指揮を執れるような器の持ち主でないことは自覚していたし、なによりも、
ここで中澤の意志を無視してしまえば、当の矢口と同じことになってしまう。
それでは本末転倒だ。
- 55 名前:28. 投稿日:2003年03月13日(木)01時57分47秒
- どこか口惜しそうに俯くソニンに、中澤は微笑みながら言った。
「心配せんでも、秩序はすぐに戻る……。矢口のことは、それから改めて、うちが責任
取らせてもらうから、それまで辛抱してくれへんかな」
「準備はしておきますよ。気が変わったらいつでも声をかけてください」
ソニンは硬い表情を崩さずに、中澤の目を見返すと、
「いつなにが起きるか分かりませんからね。私たちのこの場所だって、いつまで安全で
いられるかどうか分からないんですから」
「……ええよ、というか、別にそんなん止める権利もないしな」
小声で呟くと、落ち着かない様子の里田の頭を撫でて、石川の隣に腰を下ろした。
- 56 名前:28. 投稿日:2003年03月13日(木)01時58分17秒
「あのう……なんの話をされていたんですか?」
恐る恐る石川が口を開く。中澤は溜息をつくと、
「大したことちゃうよ。ただの昔ばなしや」
「昔ばなし?」
「ああ、うちも昔やったら、あの子みたいな考え方をしたやろうなあ、って」
そう言うと、ソニンが出ていってしまった扉を見つめた。
「アホなことをいっぱいやってきて、結局気付くのにえらい時間かかったもんなあ……」
独り言のように中澤は話す。石川は、彼女がなにを言いたいのかよく分からなかった。
- 57 名前:28. 投稿日:2003年03月13日(木)01時58分48秒
- が、構わずに中澤は話を続けた。
「矢口も一緒や。自覚すんには、他人からやっても無駄やねんな。自分で、自分の責任で
大切なものを失って、初めて気づける」
「……中澤さんは、そうだったんですか?」
いつになく神妙な面もちで訊いてみる。中澤は苦笑すると、石川の八の字型に
なった眉を撫でた。
「あんたの表情ってわかりやすいなぁ〜。声だけやなくて顔もアニメみたいやん」
「えっ? わ、私ってアニメっぽいですか?」
「あんた気付いてなかったん?」
中澤は言うと、呆れたように笑った。その声に誘われるように、周囲からも笑い声があがった。
「どうせ私は天然ですよーだ」
意識しなくてもコミカルな口調になってしまう。中澤は安堵したように、石川の肩に
手を置いた。
「体調が戻ったら、東京は出たらええよ。あんた、家族は東京か?」
「いえ、神奈川の南の方なんで、多分そんなに被害は……」
- 58 名前:28. 投稿日:2003年03月13日(木)01時59分20秒
- 中澤の言葉で、石川はようやく家族ことを思い出していた。
喧嘩して家を飛び出してしまってから、ずっと離ればなれになったままだ。
わだかまりもなにも、そんな日常的な光景すら、はるか遠くの過去へ置き忘れてきて
しまったように感じる。両親や姉妹の心境を思うと、居ても立ってもいられない
気分になった。もし自分がその立場だったら、危険を押してでも東京へやって
来てしまうかもしれない。
「でも、すごく……心配です。はやく私のことを伝えてあげたいです」
「そっか。そうやろうな。あんたまだ高校生やもんな……。高校生か?」
まじまじと石川の顔を見つめて訊く。
「はい、一応」
「あんまり親御さんに心配かけたらあかんよ」
そういう中澤の口調が、まるで親からのもののようだ、と石川は思った。
気がかりなことはいくつもあった。家族のこともそうだし、これからの自分のことや、
それに、吉澤のことも。
- 59 名前:28. 投稿日:2003年03月13日(木)01時59分52秒
- 漠然とした記憶のコラージュの一部には、血塗れになりながら殺戮を続ける
吉澤の姿もうっすらと刻まれている。だが、石川は彼女に対して惹かれる
気持ちは変わっていなかった。むしろ、以前よりもはるかに深まっている
ようにさえ思えた。
あの場に吉澤が現れたことも、突然ぶち切れたことも、すべて自分のことを救おうと
しての結果だったから。今までは単なる好奇心であったり、自分の見知ったことの
ない世界に対する漠然とした憧れのようなものだけだったのかも知れないが、
吉澤という人間に対する気持ちは、今ようやく本物になったような気がしていた。
大切なものを失って、初めて自分の馬鹿な行為に気付くことが出来る。中澤のそれとは
全く比べものにはならないだろうけど、石川はようやくそのことに気づけたような
気がしていた。それに、今はまだなにも失っていないかもしれない。家族だって、
吉澤だって、今から関係を取り戻すことが出来るんじゃないだろうか。
- 60 名前:28. 投稿日:2003年03月13日(木)02時00分26秒
- 「梨華ちゃん?」
柴田が心配そうに顔を覗き込んでいる。中澤は、部屋の隅に行って黒服の
男性と話を始めていた。この状況の中でスーツを着続けている男の姿に、不思議と
感銘を受けた。
「柴ちゃん、私、もうしばらく東京にいようと思うんだ」
「うん……。それで?」
「いろいろ、やらないといけないこともあるし」
石川がなにか心の中で決意を固めたことは、付き合いの長い柴田にはすぐに分かった。
「あのさあ、梨華ちゃんがなにかすると絶対変なことになるから……」
「失礼ねー、そんなことないもん」
ふくれっ面で言うと、紙コップから冷えて固まりかけたチョコレートをほじくり出そうとした。
- 61 名前:更新終わり 投稿日:2003年03月13日(木)02時01分00秒
- 28.ビタースウィート >>46-60
- 62 名前: 投稿日:2003年03月13日(木)02時01分34秒
- >>45名無しAVさん
キャパはやっぱり死の美学って感じですね、自分的には。
最近は、普通の本より写真集とか地図ばっかり眺めてたりします。
我ながら暗いな(w
- 63 名前:名無しAV 投稿日:2003年03月13日(木)22時03分42秒
- そうか…石川はここにいたのか。
点と点が少しずつ繋がってきた気がします。
これからの展開が楽しみ。
- 64 名前:29. 投稿日:2003年03月18日(火)01時25分16秒
29.ナカユビ
球場とその周辺だけが、以前の東京のように夜空へ煌々とした光を放っていた。電力が
失なわれて久しいなかで、その光景はどこか神秘的なものに見える。
だからこそ、こうして多くの人々が引き寄せられてくるのだろうが。
いくつかの変電所が復旧しているという噂も聞くことがあったが、これほど大量の
電力を確保しているということは、すでにそのいくつかの変電所は占拠されているのだろう。
到底、クルマなどを用いた自家発電だけでまかなえるエネルギーであるとは思えなかった。
- 65 名前:29. 投稿日:2003年03月18日(火)01時25分48秒
- 冷たい風が乾いた肌を撫でていった。自分たち以外にも数多くいるはずの
工作員について考えてみる。『眼』を始めとして、震災後の東京が完全な
無法地帯になっているわけではないようだ。だとすれば、現在の放置された
状態はなんらかの意図を持ってなされていると想像できる。
一度こういう形で都市そのものがリセットされてしまえば、より計画的な
形で理想的な都市計画を進めることが出来る。震災は、政府にとっては
かえって露払いの好機だったのかもしれない。自分の元にはまだなんの
指示も送られては来ていなかったが、陰で暗躍している工作員も恐らく
存在するのだろう。
目映い光と球場から漏れだしてくるひび割れたリハーサルの音から、保田はそんなことを
取り留めもなく考えていた。だからといって、なにかが変わるというわけでもない。
いくら近い将来に起こることをあれこれと想像したとしても、目の前に形をなさないものは
存在していないのと同じことだ。
- 66 名前:29. 投稿日:2003年03月18日(火)01時26分18秒
- 手元の機材を使って、海外のメディアなどから情報を得ることは出来るように
なっていた。東京といえば、かつてのNYと同じか、あるいはそれ以上に、犯罪都市と
しての悪名を世界へ轟かせていたので、今回の災害に関して、どの国でも
一様に微妙な感情を押し殺すように語られているのがおかしかった。すでに
起こっている経済的な面での混乱を別にすれば、全世界的なコンセンサスとして、
東京という都市が消滅したことはみなにとって嬉しい出来事に決まっている。
様々な報道の言外から、そんなニュアンスは充分に伝わってきた。
ソドムの街が壊滅したようなものか、と保田は思った。聖書なんて面倒なものは
読んだことはなかったが、昔に見たヨーロッパの映画でそんなエピソードがあった。
いまだにキリスト教の信仰が根強い西欧では、これもある種の神罰として
見られているのかもしれない。
- 67 名前:29. 投稿日:2003年03月18日(火)01時26分48秒
- 人間の本性を見るには、こんなにいい実験場はないだろうな、と考える。なぜ政府が
この混乱状況を今まで見て見ぬ振りをしてきたのか。この機会に、良い人間と悪い人間を
振り分けようとしているのかもしれない。潜在的に犯罪を犯す可能性のある人間は
あらかじめ消してしまう。秩序が保たれている状況では隠されている本性が、今は
全て曝されている。だから、『眼』を使いそうした人間を排除した上で、復興へ動き
だすつもりなのだろうか。徒党を組んでいる犯罪者たちを放置しているのは、
整理しやすくするためだろうか。
しかし、それで果たして残されるものがいるだろうか。一部では小さな秩序が生まれ、
一方で混乱に乗じた事件も多発している。片方を残して、片方を切る。果たしてそんな風に
思惑通りにことが進むものだろうか。
それに、死体の山の上に築かれた秩序なんて、そもそも矛盾してる。保田には
そうとしか考えられない。はみ出したものが秩序へ侵入してくるのではなく、
秩序の中だからこそ悪い種は生み出される。なんど徹底的に駆除したとしても、
永遠にそこから逃れることは出来ない。
- 68 名前:29. 投稿日:2003年03月18日(火)01時27分20秒
- アヤカを水先案内人にして、ステージ裏の通路へと入って行く。自動小銃を構えて
歩哨に立っているのは、みなどこかで見かけたようなごく普通の若者たちだった。
無駄話をしながらも、彼らの観察は怠っていない。無差別テロ集団、とは言っても、
この場に集まっている連中はみな素人だ。保田の目測ではそう結論づけられた。いくら
数を集めて武装させてみたとしても、ただの虚仮威しにしかならない。街中のギャングは
見かけで人を威圧するのには長けてはいるが、自分が標的にされることには
全く対処できないだろう。カラスよけのバカげた目玉風船と同じで、近付いて
クチバシで一突きすれば、あっさりと割れてしまう。アヤカのように中澤の組から
流れてきた連中はそうも行かないだろうが、意外にもこの組織を突き崩すのは
簡単かも知れない。
- 69 名前:29. 投稿日:2003年03月18日(火)01時27分54秒
- 「ついたわよ」
ぶっきらぼうにアヤカが言う。通路を抜けて出たのは小さな公園だった。やはり
周囲はチーマー風の歩哨が取り囲んで、中にはほんの数人しか人影は見ることが
出来なかった。奥のベンチに座って、きょろきょろと落ち着かないのが矢口真里だった。
シルバーフレームの赤いティアドロップをかけ、裾の長いデニムのコートから
生足が突き出ており、重箱のような底の厚い靴を履いているのはやはり
身長にコンプレックスを持っているからだろうか。
金髪の隙間から、リング型のピアスがぶら下がっている耳がちらちらと
見え隠れしている。なにを聴いているのか、黒いイアホンが押し込まれている。
格好だけは一人前だな、と保田は思った。
その近くに、加護亜依がすわりこんでソフトクリームを舐めている。
どこからどうやってソフトクリームなどを作ったのか。ありふれた日常風景が、
彼女の持っている特殊な能力を裏打ちしていた。
- 70 名前:29. 投稿日:2003年03月18日(火)01時28分24秒
- 「矢口さん」
アヤカが声を掛けるのに、矢口はイアホンを外すと顔を上げた。
「なに? どしたの?」
「この人が、話があるって……」
アヤカの言葉に、矢口は、コートのポケットに手を突っ込んだままの保田へと目を向けた。
保田は黙ったまま、興味深そうに矢口のことを睨め回している。
「あんた誰?」
「あの、この人保田圭って言って、私の……」
「なんだ、近くで見てもやっぱちんちくりんなんだね」
アヤカの言うのを遮って、保田がからかうように言った。
「あんだって?」
「遠くから見てたからさ、ま、ちっちゃい人間だってのは別に分かってたけどね」
挑発的な言葉に、矢口は眉を顰めて立ち上がった。右手には拳銃が握られている。
- 71 名前:29. 投稿日:2003年03月18日(火)01時28分55秒
- 「あんたさ、ここがどこだか分かって……」
右手に持った拳銃を構えようとした刹那、保田の手元が一瞬光ったように見えた。
音もなく、矢口は右手に灼けるような感覚を覚えた。拳銃が弾き飛ばされ、中指が
第二関節の先からなくなっていた。
「っつ……! この、おい! お前たち……」
「はーい、そこまでー。仲間呼んじゃったらお終いだよー」
背後からまた別の声が聞こえる。間の抜けたその声の方を振り返ると、コートを着た
女性が加護の首筋を黒い特殊警棒で押さえていた。
「多勢に無勢じゃ話しにくいじゃーん。この子のクビ折られたくなかったら、ちょっと
遠慮してもらえるかな?」
そう言ってから、後藤は加護の耳元に小声で囁いた。
『ごめんね。本気じゃないから』
加護はまったく動じた様子もなく、ただ意味ありげな笑みを浮かべて、三人の顔を
見比べているだけだった。
「お、お前は、……? いつからそこに……」
「ほらほら、こういう時はちゃんと、いいともーって元気よく答えてよねー」
間延びした口調で言う後藤に、矢口はどう対処すべきか一瞬迷った。
が、相手にすべきなのは目の前の女性だろう。
- 72 名前:29. 投稿日:2003年03月18日(火)01時29分26秒
- 「や、保田、圭、だっけ? おいらに話って、なんだよ?」
右手を押さえたまま低い声で言う。先刻の一撃から判断しても、彼女たちがその辺の
ゴロツキでないことは明らかだった。今のところは、退いておいた方がいい。矢口の
残り少ない理性は、そう判断していた。
「ま、大した話でもないんだけどさ。あんた、紺野あさ美って知ってるでしょ?」
「紺野? ああ、知ってるよ。家出したってんで、うちらで匿ってやってたんだよ、
確か。今はどこでどうしてるか知らねえけどな」
「あの子がさ、なんかあんたのことを狙ってるらしいのね」
「なんだって? 紺野が? おいらを?」
保田の言葉に、矢口は唖然としたように何度か瞬きをした。
「あんたたちの事情とかさ、別に興味もないし、内輪もめなんて勝手にやってろって
感じなんだけど、一応あの子とは知り合いになっちゃってね」
「けーちゃんはねー、可愛い女の子が大好きだから」
後藤がおかしそうに茶々を入れる。矢口は困惑したように、背後で緊張感ゼロの
笑みを浮かべている少女を、一瞥した。
「余計なことは言わなくていいの…。でね、あの子がこれからなにをしでかすか
分からないんだけど、もしあの子が変な死に方でもしたら」
そこまで言うと、少し溜めてからドスの利いた声で続けた。
「うちらがあんたのことを殺すから」
- 73 名前:29. 投稿日:2003年03月18日(火)01時29分56秒
紺野がおいらを殺す? この二人がおいらを殺す? 矢口は、いまいち話の内容を
把握しきれないまま、つい笑ってしまっていた。
「本気でそんなこといってんのかよ? あんたさ、ちょっとは出来るみたいだけど、
あんまし勘違いしない方がいいんじゃないか?」
「ここまで来る途中に、色々見せて貰ったよ。あんたのイけてる仲間たちもね」
そう言うと、となりに立ったままのアヤカの肩を抱いた。アヤカは怯えたような眼で、
矢口と保田を見比べている。
「なにが言いたいんだよ?」
「さあね。クスリで曇った頭でも、ちょっと考えれば分かるんじゃない?
別にあんたがなにしようとうちらは興味ないんだけど、あんまり自分の
力を過信しない方が、長生きできると思うけどな」
保田が言う。矢口は右手を押さえたまま、そろそろとベンチへ後じさった。
「……おいらにどうしろっていうんだよ」
「どうもしなくっていいって。ただ、紺野とは友達になっちゃったからさ、友達を
殺されたら、やっぱムカつくじゃん? あんたもそれくらいはわかるでしょ?」
「……知らねえよ、そっちの事情なんて」
「ねーねー、もう言いたいこと言ったんだから、帰らない? あたし
お腹すいちゃったんだけど」
後藤が場の空気にそぐわない甘えた声を挙げた。
「……お前、空気読めよ」
矢口は思わず呟いてしまう。
- 74 名前:29. 投稿日:2003年03月18日(火)01時30分28秒
- 「なんだよ、今ちょっと格好いいシーンだったのに、ぶちこわしじゃんか」
保田も調子を合わせたように言う。矢口はベンチに座り込むと、この訳の分からない
二人組を交互に見つめた。
「ま、いっか。とりあえず、うちらが言いたいのはそんだけ。紺野は近いうち来る
かもしれないけど、あんまりいじめないでよね」
そう言うと、アヤカの腕を組んで、
「じゃ、帰りにもちゃんと付き合ってね」
「あ、そういえば食べ物くれるって言ってたの、まだ貰ってないよー」
後藤はそう言いながら、保田たちの後を追った。三人が扉の向こうへ姿を消すのを
見送りながら、矢口はもう一度、状況がどう変化したのかを整理し直そうと考えた。
- 75 名前:29. 投稿日:2003年03月18日(火)01時30分59秒
- 「あの人、なんかいい匂いしたぁ」
呑気な口調で加護が言った。矢口は出血が止まらない右手を差し出すと、
「早く」
「え? なんですか?」
「早く治してくれよ! ナカユビ! 痛いから!」
思わず口調が荒くなってしまう。加護は肩を竦めたが、すぐに矢口の指を両手で包んだ。
- 76 名前:29. 投稿日:2003年03月18日(火)01時31分32秒
- 「なんなんだよ、アヤカの知り合いなのか、政府の回しもんか、わけわかんねえ……」
ブツブツと矢口が言うのに、加護が他人事のように訊いた。
「それでぇ、あの二人の話、どうするんですかぁ?」
「紺野のことはおいらもよく知ってるよ。あの子に人が殺せるわけないさ。別に
おいらだって殺したりしない。けどな、あんだけコケにされて黙ってられるかって」
確かに、彼女たちの手際はプロのそれだった。だからどうした? 自分はずっと自己流の
やり方を貫いてきたはずだった。アマチュアには、アマチュアなりの方法論がある。
「もう治ってますよぉ」
加護はそう言うと、またふわふわと宙へ舞い上がっていってしまう。
矢口は、今戻ったばかりの右手の中指を、二人の消えていった出口へ突き立てて見せた。
「売られたからには、買ってやるよ……。けーちゃんっ♪」
後藤の口調を真似して言ってみて、それから一人でくすくすと笑った。
- 77 名前:更新終わり 投稿日:2003年03月18日(火)01時32分05秒
- 29.ナカユビ >>64-76
- 78 名前: 投稿日:2003年03月18日(火)01時33分11秒
- >>63名無しAVさん
うまく纏まってくれるといいんですが……と他人事みたいに言ってみたり。
なんというか、このスレで収まりそうにありません(w
- 79 名前:名無しAV 投稿日:2003年03月18日(火)19時40分28秒
- このコンビカッコよすぎるよ!!
それに比べて、よっ(ry
- 80 名前:30. 投稿日:2003年03月21日(金)01時17分35秒
30.Two lips,two lungs and one tongue
_____私はあなたの口に私の言葉を入れ
私の手の陰であなたを覆う_____
イザヤ書51-16
- 81 名前:30. 投稿日:2003年03月21日(金)01時18分06秒
- 地上へ向かう長い梯子を登り、重い金属板で封鎖された入り口を抜けると、そこは
産廃処理場だった。夜の底は泥沼のようだった。
あちこちでひしゃげねじ曲がったフェンスに囲まれた敷地内は、辺り一面に錆び付いたシャーシや
エンジン、バラバラになった自転車の部品や内臓をさらけ出した家電製品などが散乱していた。
右手に見える黒い油と重金属が溶け合った泉から、腐敗した車の死体が間抜けに突き立っていた。
遠方に見えるクレーンは、延々と燃え続けているオイルの光を下から浴びて、まるで炎上した
キリンが為す術もなく立ちつくしているかのように見える。
全ての光景が現実感を失っているように、吉澤には見えた。自分の知っている東京の
風景は、どこにも残されていないようだった。
- 82 名前:30. 投稿日:2003年03月21日(金)01時18分36秒
- 「マルコヴィッチ・スコープって知ってますか?」
先を進む辻希美が、振り返らずに言った。
子供じみた外見と舌っ足らずな喋り方からの第一印象とは、彼女の内面はずいぶん
異なっているようだった。誰もが油断して心を許してしまうような特性が
完璧に植え付けられている。
吉澤は、今は亡き父からよく言われていた警告を思い出した。
いいか、ひとみ。可愛らしいもの、甘ったるいものには一番警戒しなければ
いけない、やつらが棘を、武器を隠し持っているのはそこだ。無防備に近付くと
痛い目にあうぞ。闘いは人を欺く力によって決する。よく見える力を誇示する
ときは、その裏に空虚しか潜んでいない。だから、可愛いものを本能的に
恐れ、破壊しようとする無意識の衝動も存在するのだ。……
- 83 名前:30. 投稿日:2003年03月21日(金)01時19分08秒
- 必要以上に幼さを演出している目の前の少女を見て、吉澤は父の言っていた
警告についてあれこれ考えていた。
辻は足を止めると、振り返ってもう一度言った。
「ねえ、辻のこと無視しないで」
「ああ、ご、ごめん」
どこからこんな甘ったるい声を出せるんだろう。
少なくとも、自分の人生の中でこんな声を出した瞬間はなかった。同じ
女の子のはずなんだけど。
「牛乳飲みますか?」
辻はどこに持っていたのか分からない牛乳のパックを突きだしていた。
「ありがと。で、さっきの、なんだっけ?」
「マルコヴィッチ・スコープ。飯田さんの発明第一号ですよ」
もちろんそんなものは聞いたことがない。あの飯田が開発したのだから、どうせ
「また変なものなんでしょ?」
「ひどーい。辻だって飯田さんが作ったんですよ。辻、変ですか?」
滅茶苦茶ヘンだよ、と言ってやろうと思ったが、泣き出しかねない表情だったので
つい言葉を飲み込んでしまう。あっさりと術中に嵌っている。
- 84 名前:30. 投稿日:2003年03月21日(金)01時19分39秒
- 「まあいいよ。で、それはなんなのよ」
「他の人間の感覚をモニターできる装置です。Aパーツをですね、よっすぃーに
取り付けて、辻がBパーツのスコープをかけて、信号をやりとりすると、
よっすぃーが見たり聞いたり、食べたり、匂いを嗅いだり感じたりするのが
全部辻に送られてくるんです」
「…やな機械だね……。そんなの絶対取り付けられたくないよ」
やはり彼女はどこかおかしい。
そう考えてから、ふと、飯田が自分にその機械を取り付ける機械はいくらでもあるという
ことに思い当たった。
「って、ひょっとして、私に…!?」
「へへへ」
辻は無防備に、だが含みを持った笑顔を見せた。吉澤は慌てて、身体のあちこちを撫で回した。
その仕草はどこか前衛的な舞踏のようにも見えた。
辻はそんな吉澤を指さして、無邪気な声を挙げて笑った。
「よっすぃー、おっかしー」
「ちょっと、冗談じゃないって! はやく取ってよ! もう、気持ち悪いからっ!」
「安心してください。よっすぃーには付いてないですよ」
「ホントに? ホントにホント?」
「辻がウソつくと思いますか?」
はっきり言って信用などしていなかったが、また泣きそうな潤んだ眼で見つめられていたので、
言葉に出すことはなかった。
- 85 名前:30. 投稿日:2003年03月21日(金)01時20分09秒
- 「わかったよ…」
「Version.2では、Aパーツがもっとちっちゃくて簡単に取り付けられるようになって、
しかも、スコープの切り替えで、相手の身体を乗っ取ることも出来るように…」
「ね、辻ちゃん」
吉澤はなるべく彼女を刺激しないように言った。
「なんでそんな話をするわけ?」
「辻ね、飯田さんがスコープつけてるのよく見ましたよ。まだ研究室にいたころ」
「……?」
辻がなにを言いたいのか、吉澤にはいまいち掴めない。
「飯田さんのこと、あんまり信用しない方がいいですよ。あの人、結構裏ありますから」
言われなくたってしてないよ、あんたも含めてね、吉澤はそう心の中で呟いた。感謝することと
信用することは、また別の話だ。ただ、知りたいのは目的だけだった。
- 86 名前:30. 投稿日:2003年03月21日(金)01時20分39秒
どうして自分を助けたのか。
直接質問してまともな答えが返ってくることは期待していない。吉澤はただチャンスを待って
いるだけだった。ただ黙って利用されるのはもう懲り懲りだ。いくら身体を張って組織に
貢献したところで、用済みになれば放り出され、挙げ句の果てには射殺される。
吉澤は黒いコートをゆっくりと撫でた。あの時の銃弾で開けられた四つの穴は、まだ
生々しく残っている。
中澤のことを怨んでいるわけではない。ただ知りたいだけだ。彼女の行動の意味を。そして、
自分の起こしたことの意味を。
- 87 名前:30. 投稿日:2003年03月21日(金)01時21分13秒
- 傾いたフェンスを潜り抜け、砂利を踏みながらしばらく歩くと、ゴミ箱をひっくり返したような
場所に辻の乗り物が置いてあるのが見える。
サイズは少し大きめだったが、それはどう見ても三輪車だった。後ろに、卵形のトロッコが
錆び付いたチェーンで繋がれていた。
「あ、あのさあ」
あまり意味のないことだとは分かっていたが、念のために訊いてみた。
「私、これに乗るわけ?」
「よっすぃーは、まだまだですね」
辻は無表情で振り返ると、吉澤の目を見た。今までに見たことのないような、冷徹で
全てを射抜くような、そんな視線だった。
「物事を外見だけで判断しない方がいいですよ…。辻のことはちょっと警戒してたみたいですけど」
「えっ…」
予期しなかった言葉に、吉澤は思わず息を飲み込んだ。
「乗ってください」
そんな吉澤の様子には構わず、辻はまた顔を崩すと三輪車に跨った。
吉澤も、仕方なく後部のトロッコに身体を潜り込ませる。丁寧にT字型の手すりまで
取り付けられていた。
「じゃ、しっかりつかまってて下さいね」
そう言うと、辻はグリップを握り思いっきり捻った。
次の瞬間、三っつの車輪は水平に傾き、もの凄いスピードで派手に砂利を
撒き散らしながら滑り出した。
- 88 名前:30. 投稿日:2003年03月21日(金)01時21分43秒
□ □ □ □
けばけばしい照明と爆音の饗宴は、太古からの宴がそうであるように夜通し
休むことなく続けられるのだろう。
いつになく矢口のテンションが高く感じられたのは気のせいだろうか、と松浦亜弥は
思った。大して引き出しもないのに、毎度毎度こうして盛り上がれる空間を
提供できるのは、素直にすごい才能ではある。その点では、矢口を評価していた。
とはいえ、かつては同じ組織の元で、交流があったわけではないにしろ、同じ
目的のために動いてきた人間がああなってしまったということには、少し複雑な
感情を抱いていた。
しかし、松浦はそこで少し悩んでしまう。まだ子供だった頃に、嫌になるほど
叩き込まれたいくつかのルールに反するからだ。
- 89 名前:30. 投稿日:2003年03月21日(金)01時22分13秒
- 機械のように感情を殺して任務を遂行する一方で、不必要なシンパシーが強すぎる。
それが自分の弱点であることは、松浦はずっと自覚して来た。
今までは、他人から余計なシンパシーを受けるのがイヤで、周囲に対して必要以上に
外に出る感情を押し殺して生きてきていた。生身の人間である以上は、ごく当たり前の
感情も持ち合わせていたのだが、他人にそれを見せてしまうことは、自分の中にある
ある種の美学に反することだと、今でも思っている。
美学に根拠などはいらない。ただ信じることへ向けての跳躍さえあれば、それで
充分だった。松浦は自分の無根拠な跳躍を不安に思ったことはない。
- 90 名前:30. 投稿日:2003年03月21日(金)01時22分44秒
- 松浦と藤本は、以前と同じように傾いたマンションの一角に並んで腰を掛けながら、
球場で繰り広げられている矢口たちの乱痴気騒ぎを見下ろしていた。
高性能の双眼鏡を覗き込んでいる松浦に対して、藤本は手ぶらでパンを齧りながら、
サングラスからの映像に見入っている。恐らく、いつものように『眼』から付近の
光景が送られてきているのだろう。
双眼鏡を下ろすと、松浦は藤本の方を振り向いた。その表情からは、彼女がどんな
思惑を秘めているのか読みとることは難しい。松浦とはまた別のやり方で、藤本も
感情を封印する方法を心得ているのだろう。
- 91 名前:30. 投稿日:2003年03月21日(金)01時23分18秒
- 「美貴たーん」
猫なで声で話しかける。藤本は振り返りもせずに返した。
「なによ」
「暗いと不平を言うよりも、進んで明かりを灯そうよ」
「はあ?」
藤本は眉を顰めて振り返ると、
「ぜんっぜん意味分かんないんだけど」
「こんな世の中だからさ、お互い隠し事とか、そういうのなしにしない?」
ニッと作り笑いを浮かべていう。殺傷能力の高い笑顔。藤本は一駿馬を伏せると、
「私には私の楽しみがあるんだよね。亜弥とはちょっと違う感じの」
「私に内緒にしてることが、最低でも三つあるね」
松浦は人差し指を立てて、藤本の鼻に突きつけた。藤本は驚いたように身を反らした。
- 92 名前:30. 投稿日:2003年03月21日(金)01時23分48秒
- 「そ、……それはお互い様でしょ」
「美貴はさあ、色々おもちゃ持ってるもん」
そう言うと、右眼を覆っているサングラスに手を伸ばした。藤本は慌てて身を引いた。
「触らないでよっ……!」
「『眼』ってさ、そこからコントロールできるんでしょ?」
「……出来ないよ。私のはそこまでの機能はないもん」
「今まではね。状況は変わってるし」
松浦は自信ありげな口調で言う。藤本には、その自信がどこから来るものか分からない。
それだけに、彼女の態度は不気味だった。
「なにが言いたいのよ」
「ちょっとそれを寄越しなさい」
「ダメに決まってるでしょ!」
「それじゃあ、三つあるうちの一つを、亜弥に公開すること」
「その三つって数字もなんの根拠があっていってるわけ?」
「さあ〜。美貴が教えてくれないなら、私も教えてあげなーい」
そう言うと悪戯っぽく笑う。
- 93 名前:30. 投稿日:2003年03月21日(金)01時24分19秒
- 「……肩の怪我は治ったの?」
藤本は話題を変えた。
「分かんない。別にもう痛みとか違和感とかはないけど、実際に動かせるかどうか」
そこまで言って、松浦は藤本に顔を近づけて覗き込んだ。
「っだから、顔近づけないでって言ってるでしょ……!」
「ちょっと動かしてみたいんだけど、相手になってくれる?」
意味ありげな笑みを浮かべて言う。恐らく、世界で一番チャーミングな挑発だろう。
藤本は無理して強がるような口調で、
「そ、そんな無駄なコトして体力使いたくないよ」
「無駄か〜。そうだよねえ。だって、美貴いっぺんも私に勝てたことないもんね」
「それは……」
松浦に言われて、藤本は口惜しそうに唇を噛んだ。
- 94 名前:30. 投稿日:2003年03月21日(金)01時24分49秒
- 確かに、射撃でもナイフを使った格闘でも、松浦は常に藤本の一歩先を行っていた。
藤本がいくら努力を重ね、実力を確実に上げていっても、松浦はほんのちょっと
先へ先回りしているのだ。遥か先へ遠ざかっているというわけではない。少し
手を伸ばせば捕まえられそうな場所にいて、いざ追いつこうとするとするりと
通り抜けて、また数歩先へ進んでいってしまう。
結局、松浦とは別の世界を、藤本は生きることに決めた。とはいえ、こうしてどこまで
行っても再び巡り会ってしまうというのは、もはや宿命なのかも知れない。
- 95 名前:30. 投稿日:2003年03月21日(金)01時25分19秒
- 「逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて……、なにを手に入れたのかな」
松浦が言う。藤本は顔を背けたまま、
「私は逃げた覚えなんてないよ。いつだって、自分が一番楽しめればいいって
思って行動してきただけだからさ」
「ウソ」
いつの間にかまた身体を密着させて、顔を覗き込んでくる。藤本は不安定な
壁の上で身を捩った。
「だから顔を近づけないでっての」
「もう敵も味方もないじゃん。私と美貴が、二人残ってるだけだよ。別に仲良しごっこ
したいわけじゃないけど、変な関係を持ち込むのはやめて」
どこか青臭い率直さの残る松浦の言葉が、藤本にはおかしかった。
- 96 名前:30. 投稿日:2003年03月21日(金)01時25分53秒
藤本は松浦の真似をするように、人差し指を立てると彼女の鼻に突きつけて、顔を
覗き込んだ。
「全部なくなったって? それ、大外れ。残念でした。失格です」
松浦は特に動揺した様子もなく、さらに顔を近づけて言った。
「やっぱり。さっきのあれは政府からのだったんだ」
「こそこそチェックしてたわけ? 相変わらず趣味ワル」
「悪ーい趣味の対象になる美貴って、すっごくアレだよね」
「なによ」
「自分のして来たこと、冷静になって考え直してみたら?」
鼻先が触れ合いそうな至近距離でにらみ合ったまま、二人は黙り込んだ。
- 97 名前:30. 投稿日:2003年03月21日(金)01時26分24秒
- 球場の方向から、矢口のアジ演説と大音響のトランスが、ぼんやりとしたエコーを
伴って響いてきていた。
明滅する照明が、奇妙な姿勢で固まっている二人の横顔を、夜の闇に浮かび上がらせていた。
藤本が先に顔を逸らすと、深く嘆息してから、静かに口を開いた。
「……私だってついさっき通信貰って知ってから、いろいろ今までの出来事とかを
整理して、やっと分かりかけてきた段階なんだけどね。まいっか。別にもう
こうなったら黙っててもしょうがないし」
「エライ」
いつもの調子で松浦が言う。藤本は薄く笑うと、
「そんな余裕でいられるのもいつまでかな……。ま、十六歳の亜弥ちゃんが
大人の階段登るには、いい機会かもね」
「そうなんだ。楽しみだな」
相変わらずケセラセラと手応えのない女だ、と藤本は思う。が、構わずに話を続けた。
- 98 名前:30. 投稿日:2003年03月21日(金)01時26分58秒
- 「秘密その一」
右手を銃の形にして松浦の眉間に当てた。松浦の表情は凍り付いたまま、視線を
逸らすこともない。
「私ははじめ山崎都知事の下で働いてた……。っていっても、本当にちょっとした
仕事ばっかりだけどね。監視、盗聴、表だって消せない人間の始末。亜弥も覚え
あるでしょ。私が街でぶらついてると、この通信機に指令が入って、仕事を終えれば
勝手に報酬が振り込まれてる。私みたいな人はたくさんいたし、なにがきっかけで
そうなるかなんて分からないけど、はじめはタダの小遣い稼ぎって感覚だった
んじゃないかな。でも、私が他に比べて器用だったか真面目だったのかしらないけど、
突然都知事のとこに呼び出された。テレビとかで見るとタダのくたびれた爺さんって
感じだったんだけど、実際会ってみると、やっぱりオーラあるんだよね。私はもう
柄にもなく緊張しちゃって、じっと都知事が振り返るのを待ってた。やっぱり
マフィアみたいに、背中向けてビルの最上階から街を見下ろしてるんだよね。
ああやってると、なんか見下ろしてる場所が全部手に入った気分になるのかな。
ここを取り仕切ってるのは俺だぞ、みたいなさ」
饒舌に喋る藤本に、松浦は相槌も打たず、ただ頷きながら聴き入っている。
- 99 名前:30. 投稿日:2003年03月21日(金)01時27分30秒
- 「都知事にいわれたのはこんな話。私は公安のつんくって人のところにいって、
彼の下で働いて欲しいって。しかもそれが都知事からの紹介って形じゃなくて、
つんくのほうが街のチンピラの藤本美貴をスカウトしたって形にするんだって。
なんでですか、そんな面倒な、って私訊いたんだ。そん時はなんにも言わないで、
イヤならやめるか? って言い返されちゃったからそれでお終いだったんだけどね」
松浦の眼を見る。一直線の視線が、無言で話の続きを促していた。
「前にも言ったっけ。私がテロ組織の地下のルートを辿っていったら、政府の地下施設に
ぶつかってエーっ、みたいな話。ついさっきそのことのネタバレを貰ったってわけ。
それが秘密その1」
- 100 名前:30. 投稿日:2003年03月21日(金)01時28分04秒
- 一息つくと、話を続ける。
「その時はまだそれほど目立った活動はしてなかったと思うんだけど、都知事の強引なやり方に
反対する人たちがクーデターを起こそうとして集まってるって情報は入ってたのね。
それより前にも、街中で警官隊とチーマーがぶつかって何人も殺されたりさ、民間人が
警官たちに虐殺されたり、警官が民間人に虐殺されたり、『眼』みたいなキモい機械を
ばらまいたり乱暴な条例をばんばん通したりして、そういう組織が集まってくるのは
時間の問題だったんだけど。でもそれにしては活動が活発化するのがはやい。
自然発生的に起きたことじゃない。それで都知事はいつもみたいにこっそり調べ上げた
わけね。そしたら衝撃の事実が発覚。ズガーン」
藤本はふざけたようにいうと少し笑う。松浦は真顔のまま藤本を見つめ続けている。
- 101 名前:30. 投稿日:2003年03月21日(金)01時28分37秒
- 「実は裏で糸を引いてたのは、都知事が可愛がってきたつんくだったわけ。彼はクーデターに
かこつけて、自分が権力者につきたかったのか。それとも正義感でクーデター組織に
シンパシーを感じてたのか。そんなこと知らないけど、つんくが中澤組の中澤って
ヤクザの人を通じて、あれこれと援助をしてたことは事実。どう? ここまでの
お話の感想は? そこのあなた」
嘲るような笑みを浮かべて、リポーターのような仕草で松浦に手をつきだした。
- 102 名前:30. 投稿日:2003年03月21日(金)01時29分08秒
【工作員心得その1】
静止した情報は無価値なゴミです。
情報は右から左へ、上から下へと動くことで価値が生まれます。
情報に価値を与えるのはあなたたちです。
しかし、あなた自身が情報を判断することは出来ません。
重要なのは正しいか誤りなのかではなく、流通の中で生まれる意味を見いだす
ことなのです。
- 103 名前:30. 投稿日:2003年03月21日(金)01時29分38秒
- 松浦はポーカーフェイスのまま、静かに口を開く。球場からの爆音のせいで、
それは微かにしか聞こえてこない。
「続けて」
「……それで藤本さんはこそこそとなにをさせられていたのか。都知事としてはつんくを
呼びつけて『ふざけんなゴルァお前クビ』ってわけにもいかないみたい。私だったら
即そうするのにね。やっぱりずっと一蓮托生だったから? ちゃんときれいな
形で失脚させたかったみたいでさ。それで、私はつんくを通じて組織に接触して、
組織自体を内部から崩壊させるってのが本来の使命だったってこと。実際、つんくが
私を拾ったら、絶対にクーデターの方に協力させるって、都知事の方は確信が
あったみたい。なんでかは知らないけどさ。都知事の勘が当たってたら私と
亜弥はまた同じ場所で働くことになったかもしれないけどね。幸か不幸かそうは
ならなかった。
- 104 名前:30. 投稿日:2003年03月21日(金)01時30分09秒
- 「私はまだなんにも知らないで、都知事の命令だって隠してつんくの所に行った。というか
都知事とつながってるつんくのエージェントがいてさ、そいつが私を拾ったって
筋書きでね。で、私は公安の偉そうなつんくの部屋に呼び出された。面白いなって
思ったのがさ、つんくも都知事と一緒なんだよね。背中向けて東京の街を見下ろしちゃって、
あ、この人もそうなんだ、って。みんなみんな、カリスマになりたいんだ、って
私笑いをこらえるのに必死だったんだから。
で、私はなにをすればよろしいんでしょうか、そしたら一枚写真渡されてさ、
この女性を監視しろ、だって。女性が誰なのかとか、なんの目的なのか、そんな
説明は一切なし。つんくって他の工作員にもあんな感じで漠然と指令出して、
自分の方で情報を纏めてるってやり方みたいなんだよね。私もその時はなにも
知らないし、都知事からはつんくのとこで働けって言われて、つんくからは訳分かんない
女を見張れって言われてさ、なんだかちょっとムカついちゃった」
「それが安倍さんだったの?」
「大正解。じゃあなんでつんくは安倍なつみを私に監視させようとしたのか、それが」
球場の方から、季節外れの花火が上がった。色鮮やかな光が、二人の緊張した
横顔を照らし出した。
- 105 名前:30. 投稿日:2003年03月21日(金)01時30分41秒
「秘密その二」
銃の形にした右手、銃身に中指を付け加えて、
「それはまた次回のお楽しみ」
そう言うと、笑って腰掛けていた壁から飛び降りた。
「あ、ちょっと、もったいぶんないでよっ」
ずっと黙って聞いていた松浦だったが、不満そうに鼻を鳴らすと慌てて藤本の
あとを追った。
再び、巨大な光の華が、轟音と共に夜空に拡がっていった。
- 106 名前:30. 投稿日:2003年03月21日(金)01時31分15秒
□ □ □ □
「冬の花火ゆうのもいいもんだよねえ」
夜空を見上げながら高橋が言うのに、小川は黙って喉に空手チョップを入れた。
「ってー、なにすんの」
「愛ちゃん普通に楽しみすぎ」
冷たい声で言うと、球場の裏へ通じる路地へすたすたと入っていってしまう。
高橋は喉をさすりながら、小走りで小川についていった。辺りは球場からの
喚声とは対照的に静まりかえっており、一歩奥へと入り込めばあっという間に
微かな光も途切れてしまいそうな、そんな場所だった。
- 107 名前:30. 投稿日:2003年03月21日(金)01時31分45秒
- 「ホントに大丈夫なのかね。こんなとこまで来ちゃって」
「大丈夫だって、私ここ前に来たことあるし、よく知ってるんだから…」
「だけどもあっちのほうで銃持った人がうろちょろうろちょろ……」
「ちょっと黙っててよ」
小川が眉を顰めて振り返ったとき、路地の進行方向の闇でなにかが光のが見えた。
高橋は慌てて小川の背中に縋り付いてくる。小川は姿勢を低くすると、息を潜めて
光の見えた方向を窺った。
「……誰かいる」
微かに声が聞こえてくる。女性の声だった。
「……」
誰かが答えるのも聞こえるが、か細い声のためになにを話しているかまではわからない。
再び光が辺りを照らし出す。懐中電灯のラインが、残光を曳きながら波のように
視界に染み渡った。
- 108 名前:30. 投稿日:2003年03月21日(金)01時32分19秒
- 続いて、どこか少年っぽい声の女性が声を掛けてくるのが聞こえた。
「誰? 誰かいるんでしょ?」
銃器を構えるような、ガチャッという金属音が不気味に響いた。確実に
距離が狭まっているのがそれからも伝わってくる。懐中電灯の光が側を掠めるたびに、
高橋の鼻息が小川の耳に掛かった。
『もう、ちょっと離れてよ……!』
『そんなこと言ったって向こう武器持ってるしうちら絶対撃たれるよ見付かったら』
『そんなことないって、いくらなんでもなにもしてないのに撃つなんてこと』
『だってそんな話いっぱい聞くよただ近くを通りすがっただけで撃たれたとかあ』
『それはそれだし今の状況はそれと一緒にしたり出来ないかもしれないって』
「ちょっと」
突然懐中電灯で顔を照らし出されて、小川は鳥が絞め殺されるような声をあげて
跳ね上がった。高橋は腰を抜かしてその場に尻餅をついてしまう。
- 109 名前:30. 投稿日:2003年03月21日(金)01時32分51秒
- 声の主は、小柄で髪を二つに縛った少女だった。片手で構えた自動小銃が、
どこかちぐはぐな印象を与えている。光の向こうに見え隠れしている視線は、
警戒心を解いていないことを明確に示していた。
銃を構えたまま、少女はゆっくりと近付いてきた。
「あなたたち、なにやってるの……?」
「あ、わ、わわ私、矢口さんのファンなんですっ!」
小川は両手を挙げたまま、呂律の回らない口調で捲し立てた。
「私たちその、じゃ、ジャーナリストで、矢口さんに取材を申し込みたいとか
思ったりしちゃったりして、してそのどっちからこっちにアプローチしちっち……」
「なに言ってるか分からないよ」
そう言うと、銃を構えている少女は少し笑った。
「落ち着いて話して」
「里沙ちゃん、どうしたの?」
かぼそい声の方の少女が、小走りに駆け寄ってきた。里沙、と呼ばれた少女は、
懐中電灯を彼女へ渡すと、銃を構えたまま言葉を継いだ。
- 110 名前:30. 投稿日:2003年03月21日(金)01時33分24秒
- 「ここには私たちしかいないよ。だからそんなに怖がらないで」
「あ、あの……」
怖がらないで、って言ってもあなたのその銃が怖いんですが……、と小川は内心で思った。
高橋は小川の腕に掴まって、なんとか身体を起こすと、
「うちらのこと撃ったりしないの?」
「えっ?」
少女はその言葉に軽く苦笑すると、後ろの少女の方を一瞥して、
「そんなむやみやたらに撃ったりしないよ……。実際そういう人もいるらしいけど、
それは本当に悪い人たちだし、うちらは別にそんな……」
どこか悲しそうな口調で言う。
「矢口さんに会いたいの?」
「は、はい」
「うーん、そう言われても……」
眉を顰めて、考え込むような表情で目を伏せた。
どこかコミカルな表情の変化に、高橋は思わず笑ってしまっていた。
「……なに笑ってるのよ、こんな状況で……!」
小川は振り返ると、小声で言いながら高橋を小突いた。
「ごめん。だってなんか、眉毛が……」
- 111 名前:30. 投稿日:2003年03月21日(金)01時34分00秒
- 懐中電灯を持ったままの少女はそんな二人の様子をじっと見つめていたが、やがて
おもむろに銃を構えた少女へ声を掛けた。
「ねえ、この人たちも一緒に連れてってあげようよ」
「えっ? でも……」
「悪い人たちじゃないよ。私たちと、あんまり年とかも変わらなそうだし……。
記者の人なんでしょ?」
「え? あ、はい」
急に話を振られて、小川は上擦った声でそう返した。高橋が後ろから付け加える。
「本当は私の方が記者でえ、こっちはカメラマンなんだよ」
「もうっ、そんな細かいことはいいの……!」
そう言いながらまた高橋を小突いた。懐中電灯の少女は笑いながら、
「ね、なんかアニメに出てくるドジなコンビみたいじゃない?」
「そう言われてもよく分からないけど……」
「連れてってあげて」
声は相変わらずか細く弱々しかったが、強い意志が込められているように聞こえた。
- 112 名前:30. 投稿日:2003年03月21日(金)01時34分30秒
- 少女は銃を下ろすと、
「分かった。私たちもこれから裏に行く途中だったんだ。今からならちょうど
戻ってきた矢口さんと話せると思う。でも、あの人すぐ切れるから、あんまり
変なこと言わないほうがいいよ」
「そりゃあもう全然問題ないよねえ」
高橋が言うのに、小川は口を尖らせて、
「あんたが一番問題だっての」
そんな二人の様子に、銃を構えていた少女もようやく警戒を解いたように笑顔を見せた。
- 113 名前:更新終わり 投稿日:2003年03月21日(金)01時35分03秒
- 30.Two lips,two lungs and one tongue >>80-112
- 114 名前: 投稿日:2003年03月21日(金)01時35分36秒
- >>79名無しAVさん
主役は最後においしいとこを持っていけばいいのです(w
といいつつラストがまだ決まってない……大筋は出来てるんですが。
- 115 名前:名無し読者 投稿日:2003年03月21日(金)01時42分48秒
- 主役は誰だっけ?と思うくらい、各キャラに思い入れがってとても好きです。
今回出てないあの人はどうしてるのかな?潜伏中かな?と思うくらい。
更新の度にワクワクしながら読んでます。ただ、文章として完成された感がする
ためレスはしにくいですが…(w
- 116 名前:名無しAV 投稿日:2003年03月21日(金)18時50分48秒
- じゃあ、まさか安倍があれで加護があれで吉澤があれで……。
ふんがぁぁーー!!秘密が明かされてる筈なのにさらに深まっていく!!
面白すぎます。頑張ってください。
- 117 名前:うん 投稿日:2003年03月21日(金)22時56分23秒
- 今回は少し誤字が目立ったよ。普段はそんな事ないのにね。
完成度が高いから、むしろ目立つのかも。がんばって。
- 118 名前:チップ 投稿日:2003年03月23日(日)14時54分42秒
- 遅ればせながら一気に読ませていただきました。
読んでる間、緊張感やら安堵感やら笑っちゃう感やら…
文章に引き込まれて動けなかったです。人指し指つりました。
続き楽しみにしてます、これからも頑張って下さい。
- 119 名前:31. 投稿日:2003年03月25日(火)01時24分43秒
31.フレンズ 2
遠くからお囃子の音がゆっくりと近付いてくる。今日、昼過ぎに起きてから
その音の接近を聞くのはすでに七回目だ。
葉巻のような形のラジカセから流されているヘヴィ・メタルに乗せて沖縄民謡の
ようなお囃子が入り、先頭を進む男が謎めいた言語で経を唱えている。
真冬に上半身をはだけて、素手で身体中を叩きながら街を練り歩いている
気違い集団は、同じ道を最期に力尽きて倒れるまで周回し続けるのだろう。
- 120 名前:31. 投稿日:2003年03月25日(火)01時25分16秒
- 安倍なつみはコップに入れた水に指を突っ込むと、福田から教わったように
「気」を入れてみる。一瞬で水は沸騰し、湯気を上げた。コツを掴んでしまえば
難しいことではないが、あまりこんな力に習熟したくないというのも本音だった。
紙コップに注いだ焼酎をその熱湯で割ると、プラスチックのスプーンで
軽く溶いて目の前の女性に渡した。
「ありがとー」
はじめは指一本で熱湯を作る安倍に驚いていた彼女だったが、二度目には、
それはそういうものだ、と納得して受け入れてしまっていた。
稲葉貴子という名前の彼女は、たまたま安倍たちが生活している天幕の隣で
住んでおり、はじめの頃にいろいろと生活する上での面倒を見て貰っていた。
自然発生的なコミュニティでは、彼女のような存在は貴重だ。
- 121 名前:31. 投稿日:2003年03月25日(火)01時25分47秒
- 幌の支柱からぶら下げられた懐中電灯が、段ボールの上に置かれたオセロ台を照らし出している。
安倍と市井が買い出しから戻ってきたとき、彼女たちの住居には誰もいずに、
稲葉が見張りをしていてくれた。彼女によると、高橋と小川の二人は矢口たちの
イベントを取材するために二人して出ていったのだという。
「危ないいうて、うちも止めてんけどな」
こういうことを話すときの稲葉の顔は本当に嬉しそうだ。以前も、近所では噂好きの
おばさんとして通っていたのだろう。
「まだ三十路前やねんから、おばはん呼ばわりはやめてや」
本人はそう主張していたものの、四人は誰も信じはしなかったのだが。
- 122 名前:31. 投稿日:2003年03月25日(火)01時26分20秒
- 結局、二人の迎えには市井が一人で行くことになり、安倍はこうして帰りを待っている。
安倍も同行したい気持ちはあったのだが、寂しがり屋の稲葉に引き留められてしまい、
こうして無為に待つだけの時間を過ごしている。
市井が妙に自信ありげに「まかせとけって」と言っていたのが、却って
不安に感じられてしまった。万が一のために、安倍の所持していた拳銃を
持たせておいたのだが、逆にそれが呼び水になって妙な諍いに巻き込まれでも
しないかと、今更後悔していた。
お湯わりの焼酎で体を温めながら、稲葉は顎を撫でながらオセロの盤面を眺めた。
いくら暇だとはいえ、これで十試合目ともなればさすがに飽きてくる。
だが、現在五敗で負け越している稲葉からすれば、この試合はどうしても
落としたくはないようだった。
- 123 名前:31. 投稿日:2003年03月25日(火)01時26分52秒
- 「紗耶香遅いなあ」
盤面に目を向けたまま稲葉が言う。四隅のうち二つは安倍の白が押さえている。
戦局は今のところ五分。ここはどうしても隅を押さえておきたいところだった。
「今何時ですか?」
安倍が言うのに、稲葉は腕時計を見た。
「十一時」
「二時間か……。人が多いから見付からないのかなあ」
不安げな声で言う。もし市井になにかあれば、福田がそれに気付く、とは
言ってくれていたのだが、安倍は、そもそも未だに福田明日香のことは
信用できずにいるので、はやる気持ちは抑えられなかった。
- 124 名前:31. 投稿日:2003年03月25日(火)01時27分25秒
- >>私の一部があの娘の体の中にも入ってるんだから、異変があればすぐに分かるって。
福田のセリフだが、「体の中に入っている」という表現が安倍にはなんとなく
気持ち悪かった。相手が誰であったとしても、別の人間が身体に入り込んでいるという
感覚には慣れることなんて出来ない。
もちろん自分がこうして五体満足で生き延びていられるのも、明日香の奇妙な力の
お陰であることは理解していたのだが(テクノロジー云々に関しては全く
ちんぷんかんぷんではあったが)、一方では、昔の植物人間が全身にパイプと
機械に取り囲まれて生き延びているような光景なども思い浮かんでしまっていた。
今この状態は、生きているのか、死んでいるのか、一度死んで別の形で生き返ったのか。
福田のいうように、そんなに思い悩むようなことではないかもしれない。
それでも、こんな状況でもなければ一生向き合うことはなかったような
哲学的な苦悩に、軽く酔っているような一面もないわけではなかった。
- 125 名前:31. 投稿日:2003年03月25日(火)01時27分55秒
- 「あんたの番やで」
稲葉に言われて、安倍はほとんどなにも考えずに白い板を置いた。
「おおぉ〜、そう来るかあ、……自分よう作戦練ってくるなあ」
感心しきりのその声を聞き流しながら、安倍はぼんやりと手元のコップから水を飲んだ。
辺りの人々はほとんど寝静まっているようだ。各戸の見張り役のひとだけが、仮説住宅の
表に出て、寒そうに両手を擦り会わせたりしていた。
あんな風に寒がらないだけでも、私は感謝しないといけないのかな。
安倍はそんなことを思った。が、それは人間としての当たり前の感覚を
奪われているということでもある。安倍の両手では最適な体温で綺麗な血液が
循環しているのだろう。成分調整済みの。
北風が髪を揺らして、稲葉は一瞬身体を震わせると、また一口焼酎を飲んだ。
安倍はなんとも言えない寂寥感を感じて、白い息を吐いた。
- 126 名前:31. 投稿日:2003年03月25日(火)01時28分27秒
- >>あっ
突然頭の中に声が響く。安倍は不意をつかれたように、身体をビクッと跳ね上がらせた。
「どうした? 稲葉姐さんの必殺の一手にビビったんかあ」
大分酔いが回ったようで、呂律の回らない口調で言う。安倍は考え込むふりをしながら、
頭の中の声に問いかけた。
(なになに、どうしたの? 紗耶香に何かあったの?)
>>いや、あっち見て。辻が来てる。
(辻? って誰のこと?)
安倍は福田のイメージした方向へ目を向ける。周辺の住人から不審そうな視線を浴びながら、
河原の草原の中を一人の少女が歩いていた。
>>圭織の助手の女の子。私の乗り物(笑)
(笑)なんてイメージで伝えるなっての、と安倍は顔をしかめた。じゃあ今の明日香の
乗り物はなっちだってことか。確かにその通りなんだけど。
>>じゃあいよいよ圭織の研究も大詰めに入ったのかな。
(ねえ、自分だけで納得してないで、なっちにも説明してよ)
といっても、あまり期待はしていない。
>>まあそのうちにね……、あ、それにあの娘、……合流してたんだ。
- 127 名前:31. 投稿日:2003年03月25日(火)01時28分58秒
- 辻という少女の後ろから、背の高い、黒のコートを着た少女が歩いてくる。
安倍の記憶にある顔ではなかった。となると、彼女も圭織の関係者の一人なのだろうか。
(誰よ)
>>吉澤ひとみ。って、なっちは分からないだろうけどね。ああ、私てっきり
>>死んだと思って、不活性化させちゃってたよ。
(死んでた? どうして?)
>>あの娘には完全に移してたわけじゃないから……。もともと素養があったからね。
>>すぐに自分からスイッチ入れてくれたし、コツを掴むのも早かったし、
>>もったいなかったな。
(ねえ、なっちの質問に答える気あるの?)
>>すぐ怒るんだから……。カルシウム摂った方がいいよ。
(どうせそんなの明日香がいじれるんでしょ)
>>まあまあ。でも、辻と一緒ってことはあの後辻が助けたのかな……。なんの目的でだろう。
(あの後って、なにがあったの?)
>>中澤ってヤクザに撃たれたのよ。理由は知らないけど、その前に一暴れしてたから、
>>大方喧嘩でもしてたんじゃないかな。血の気多そうな感じだったし。
- 128 名前:31. 投稿日:2003年03月25日(火)01時29分30秒
- (中澤……って、ひょっとして中澤裕子?)
>>知り合い? ヤクザと?
(知り合いっていうか、まあ、ちょっと……)
>>ああそうか、そういえばなっちと矢口は、革命ごっこしてたんだよね。だからか。
(ごっことかいわないでよ……! 確かに、未熟だったかもしれないけどね、なっちは
明日香が殺されて、それで……)
>>ごめんごめん。でもね、中澤裕子はしょっちゅうつんくと通信機で連絡を
>>取り合ってたんだよ。そのことは、圭織だって多分知ってると思うけど。
(えっ……、裕ちゃんとつんくが……? ど、どういうことなのそれ?)
>>どういうことって、まあ普通に考えれば、裏で繋がってたってことになるんじゃない?
(そんな、そんなことって……)
>>なに、ひょっとして……ふふふ、大人の裏社会ってのを知って傷ついちゃった?
>>なっちやっぱりうぶだよね。そういうとこ可愛いよね。
(うるさいよっ……!)
- 129 名前:31. 投稿日:2003年03月25日(火)01時30分01秒
- >>つんくはクーデターの組織を使って都知事を失脚させようとしてたんだよ。自分が
>>権力を得るためにね。あーあ、内輪の権力闘争で結局利用されるのっていっつもバカな
>>学生だったりするんだよね。昔っからそうだもんね。
「うるさいって言ってるのっ!」
つい声に出して立ち上がってしまう。あぐらをかいたまま船をこぎはじめていた稲葉は、
驚いたように顔を起こすと、
「なんや、投了か? よっしゃ、これで五勝五敗、いよいよ最終決戦やなあ……」
そう言うとまたうつらうつらと目を閉じてしまう。安倍は辻たちから目を逸らさずに、
ゆっくりと腰を下ろした。
>>なんだ、せっかく立ち上がったんだから、辻たちの後を追ってよ。
(なんでそんなことしないといけないのよ)
>>圭織のこととか気にならない?
(……)
安倍は憮然とした表情で唇を噛んだ。
(……でも、なんて話しかけていいのか分からないよ)
>>大丈夫だって、なっちのスマイルがあれば、男でも女でもイチコロだからさ。ほら、頑張って。
(……しょうがないなあ)
いつだってこうやって都合よく利用されてるんだ。そうは思ったが、安倍本人にも
圭織や中澤のことは気に掛かることだった。
寝てしまっている稲葉を一人で置き去りにするのはちょっと心配だったが、すぐに戻れば
問題はないだろうと考えて、再び腰を上げた。
- 130 名前:31. 投稿日:2003年03月25日(火)01時30分33秒
□ □ □ □
「ここは、なんか女の人ばっかり暮らしてる場所みたい」
きょろきょろと河原の集落の方へ視線を送りながら、吉澤は前を歩いている辻へ声を掛けた。
「ですね。やっぱこんな状況で見知らぬ男の人と暮らすのってやですもんね」
「そういえばさあ、辻ちゃんってやっぱり女の子なの?」
吉澤が悪戯っぽく言うのに、辻はムッとしたように振り返った。
「失礼ですね〜。辻はれっきとした女の子ですよ」
「へええ、じゃああんなこととか、こんなこともちゃんと出来るようになってるんだあ」
ニヤニヤと笑いながら辻の身体を睨め回した。辻は頬を赤らめると、
「な、なにを言ってるんですかっ! へ、変なこと言わないでください……」
「あれ? 私別に変な意味で言ったんじゃないんだけどなー。飯田さん、ちょっと
辻ちゃんの思考回路ミスってるんじゃないの〜」
「あんまり辻のことからかうと……」
辻の表情が本気で強張ってきたのに、吉澤は慌てて両手を挙げて、
「冗談だって、そんなに怒らないでよ」
「イヤらしいよ、よっすぃーは……」
「だからそのあだ名で呼ぶのは……」
その時、背後から誰かに呼び止められた。
- 131 名前:31. 投稿日:2003年03月25日(火)01時31分06秒
- 「あの、ち、ちょっといいですかっ!?」
どこか落ち着きのない声に、吉澤は困惑したような表情で振り返った。辻も、吉澤の
背中越しに不思議そうな視線を向けている。
「えっと、その……」
「なんでしょうか?」
吉澤は声を掛けてきた小柄な女性の顔を見つめると、反射的に腰の警棒へ伸ばして
いた手をゆっくりと引っ込めた。見覚えのある顔ではなかったが、それほどの
危険人物であるとも思えない。
(ああーっ、ほらもう、絶対向こう怪しんでるじゃんっ)
>>ここまで来たら後戻り出来ないでしょうが。ほら、スマイルスマイル。
安倍はさっき福田から言われたセリフを思い出した。
かなり強引に顔面に笑顔を貼り付けると、
「あ、あなたたち、……飯田圭織の知り合いですよね」
「えっ? なんでそんなこと……」
「いや、あのー、なんというか、なんとなく、勘で……」
「勘? そんな勘なんてあるんですか?」
極めてまっとうな疑問を口にする。
安倍が返答に困っていると、ずっと黙って二人を見つめていた辻が話し出した。
「……私の名前言えますか?」
「あ、うん、えっと、辻……なんだっけ」
- 132 名前:31. 投稿日:2003年03月25日(火)01時31分37秒
- >>なに不用意に答えてるのよ。
怒りと呆れのニュアンスのこもった声が響く。安倍は不満そうに、
(だってさっき明日香が)
>>……ま、いいよ。
(なんだよー、さっきから一方的にさあ)
安倍が頭の中で問答している間に、辻はすたすたと歩み寄って来ていた。
「ここに住んでる人ですか?」
「住んでるっていうか、まあ、住んでるのかな? よく分かんないや」
「ちょっとお話したいんですけど、いいですか?」
「えっ? そ、それはもう、ねえ?」
安倍はつい、反射的に福田へ同意を求めてしまう。
>>声に出すなっての。
(ご、ごめん)
どこか狼狽えた様子の安倍をおかしそうに見つめながら、辻は吉澤の腕を掴むと、
「よっすぃーもいいですよね?」
「う、うん、私は別に構わないけど……」
ちょっと困ったような顔で、安倍と辻に交互に視線をやった。
なんとなくその表情が可愛らしいものに、安倍には見えた。
- 133 名前:31. 投稿日:2003年03月25日(火)01時32分10秒
オセロ台に突っ伏して眠ってしまっていた稲葉を隣の毛布の中まで運ぶと、安倍たち
三人は、青いシートの上に車座になって座った。
「一応テントの前には出てないといけないから……。寒いけど大丈夫だよね」
安倍が言うのに、二人は頷いた。
「ええ」
「それで、……どっちから話そうか?」
「先に話したかったらどうぞ」
辻は笑顔でそう促すと、安倍から出されたインスタントのスープを啜った。
吉澤はまだ少し落ち着かない様子だったが、暖かいスープを身体へ流し込むと
どこか生物学的な安堵を覚えた。
- 134 名前:31. 投稿日:2003年03月25日(火)01時32分40秒
- 「ええーっと、どうしようかな」
安倍は困ったように笑いながら、辻と吉澤の顔を見た。二人とも、すでに話を聞く
体勢に入ってしまっている。
(ねえ、なにから話せばいいのよ。なっち分かんないよ)
>>圭織のことでも話したら?
(でも……いいの?)
>>なに? ひょっとして私に遠慮してるの? そんなの全然必要ないんだけど。
福田はどこか憮然としたニュアンスを込めて言う。安倍は深呼吸をすると、取り留めもなく
これまでのことを話し始めた。
- 135 名前:31. 投稿日:2003年03月25日(火)01時33分10秒
- 「……じゃあ、飯田さんは今でも行方不明者ってことになってるんですか?」
吉澤が神妙な面もちで言う。安倍は悲しげに微笑むと、
「警察、というか役所はもう死んじゃったってことにしてるよ。七年とかなんだっけ?
別にそれで誰が困るってわけじゃないって」
「そんな……」
「探すのも手間がかかるし、変な事件に巻き込まれてたら嫌なんだろうね」
「でも……、事件を解決するのが警察じゃないんですか?」
吉澤の率直な疑問に、安倍はシニカルな口調で返した。
「違うみたい。弱い人に威張って、厄介事には手を出さないっていうのが基本なのかな」
「飯田さんも似たようなことを言ってました。昔ですけど」
辻が言う。安倍は、子供っぽい外見と舌っ足らずな口調の彼女を見て、いかにも圭織が
好みそうな娘だと感じた。本人が作ったのだから当然といえば当然なのだが。
「でも、飯田さんは、その、政府の仕事をやってたんですよね? それなのに、どうして……」
「よっすぃーって単純ですね」
「どうせ私はバカですよ」
そう言うと拗ねたように口を尖らせる。姉妹のような二人のやりとりに、安倍は
少し荒んだ心が和んだ。
「辻ちゃんは、圭織がなにをやろうとしてたかって知ってるの?」
「いえ……。辻も飯田さんにそんな過去があったなんて知らなかったから」
「でも、助手をやってたんでしょ?」
「なんで安倍さんはそんなことまで知ってるんですか?」
じっと目を見つめながら、逆に問い返された。
「そ、それはさ、……なんていうか、風の便り、みたいな?」
- 136 名前:31. 投稿日:2003年03月25日(火)01時33分40秒
- >>もうちょっと考えてから喋りなさいよ。
頭の奥で苛立ったような声が響く。
(分かってるよ)
>>圭織もそうだけど、この辻って子も絶対になにか隠してるよ。圭織があのラボの
>>なかでなにか研究してたことは確かなんだから。もの凄い予算も出てたみたいだし。
(明日香はずっと研究室にいたんだから分かるんじゃないの?)
>>私、理系に弱いんだ。
(なによそれ)
「安倍さん?」
吉澤が心配そうな表情で見つめている。さっきからずっと喋り続けていたらしい。
「あ、ごめん。ちょっと考えごとしてて」
「いえ、それならいいんですけど……」
なぜかおどおどしたように言うと、辻の方を一瞥してから、また安倍へ視線を向けた。
その目がなにを訴えかけようとしているのか、安倍には分からなかった。
- 137 名前:31. 投稿日:2003年03月25日(火)01時34分13秒
- 「それでその、吉澤さん、だっけ」
「はい」
「吉澤さんと圭織は、どういう関係なの?」
出来るだけ探りを入れているようには感じられない口調と表情で訊いてみる。成功して
いるかどうかは別として。
「飯田さんは、私の命の恩人なんです」
「へえ……。そうなんだ」
「私がその、地震の時にちょっと怪我しちゃったんで、それで辻ちゃんに助けて貰って、
飯田さんに怪我を治療して貰ったんです。飯田さんは地下にシェルターを……」
「よっすぃー」
辻が厳しい目をして吉澤の袖を引っ張った。
ああ、自分と明日香みたいな関係なのかな、あの二人は、と安倍は単純に思った。
それで、第一印象でどこか怖いと感じていた吉澤にも、少し親近感が湧いて
きたようだった。
- 138 名前:31. 投稿日:2003年03月25日(火)01時34分50秒
- 安倍は心を落ち着かせるように深呼吸をすると、静かな口調で話し始めた。
「あのね、二人が知ってるかどうか分からないけど、なっちね、クーデターの組織に入って、
政府をひっくり返そうって、そう思ってたんだ」
「組織って、……あの、新宿の無差別テロとかのやつですか?」
「いや、あれとは違う……。というか、違わないんだけど、違うというか」
「え?」
「えっとね、あのー、いろいろあったんだけどね、内輪で。それはそれとして、その
うちらの活動に協力してくれてたのが、中澤裕子。裕ちゃんって呼んでたけどね」
安倍は吉澤のことを見ながら言う。中澤の名前に、吉澤は分かりやすく反応した。
「中澤さんが? 本当ですか?」
「裕ちゃんのこと知ってるの?」
「え、ええ。あの、私の昔の雇い主って言うか」
「雇い主……? じゃあ、吉澤さんってヤクザだったの?」
「いえ、凶棒って知ってますか? 私それの選手だったんです。それで、中澤さんが
いろいろと面倒見てくれてて」
「ああ、なるほどね。そっちの方か……。裕ちゃんって面倒見いいでしょ?」
「はい……。とても」
どこか沈んだ口調で言った。安倍はそんな吉澤を不思議そうな目で見つめた。
「裕ちゃんとさ、なにかあったの?」
吉澤はなにも言わずに安倍のことを見つめた。この人のことをどこまで信用して大丈夫
なんだろう、とでも言いたげな表情。
- 139 名前:31. 投稿日:2003年03月25日(火)01時35分23秒
しかし、しばし沈黙があった後、白い溜息をついて話し始めた。
「全部私が悪かったんです。中澤さんはずっと私を守ってくれようとしてくれてたのに、
私の方が裏切っちゃったから……」
「裏切った……?」
「今から考えると、なんであんなことしちゃったんだろう、って思うようなこと
ばっかりで……。でも、今からでも、取り返せるものは取り返したいな、って
思ってるんです。取り返しのつかないこともあると思うんですけど……」
吉澤は辻の方をチラッと見て、また深く嘆息した。辻は両手で紙コップを持ったまま
スープの表面に視線を落としている。
「うん。それは、なっちもそう思うよ。地震があったって、ヤケになって暴れたり
しないで、こうやってちゃんと生活しようって人たちもいるし」
安倍は河原にずっと続いている集落を見渡しながら言った。
「取り返しのつかないことなんてさ、多分ないんだよ。本人の考え次第だよね」
「ありがとうございます」
殊勝に言うと、吉澤は頭を下げた。
- 140 名前:31. 投稿日:2003年03月25日(火)01時35分54秒
□ □ □ □
>>あの娘、大分変わったね。
表で一人で座り込んでいると、福田の声が語りかけてきた。
辻と吉澤は、安倍が半ば強引に引き留める形で、テントの中で横になっていた。
飯田に関してまだ知りたいこともあったし、もし吉澤と中澤が再会するようなことが
あるなら、その場に自分も立ち会っていたいという気持ちもあった。
なにが原因かは判らないが、二人の間に誤解が元での行き違いがあったとしたら、
自分がそれを解消してあげたい、それが出来る人間は、自分以外にいないだろうから。
端的に言ってしまえば、安倍は吉澤のことを気に入ってしまっていたのだった。
- 141 名前:31. 投稿日:2003年03月25日(火)01時36分24秒
- (なっちはあの娘の昔のことは知らないもん)
>>なんかね、もっとNo Futureな雰囲気だったんだけどね。いつの間にあんなに
>>悟っちゃったみたいになったんだろ。やっぱりいろいろあったんだろうね。
(もの凄く他人事みたいに言ってるけど、明日香、あの吉澤って娘に変なことしたんでしょ?)
>>変なことじゃないよ。私はただ、力を引き出すきっかけを与えてあげただけ。
(そうやってね、気取った言い方で誤魔化すのはやめて)
>>意識の奥にね、私と同じような感情を見つけたんだよ。だから、私はただそれに
>>反応しただけ。別に操ったりとか、そんなことはしてないし。
(あのカゴアイって子だって、明日香がなにかやったんでしょ)
>>あれ、せっかくの命の恩人を犯人扱い?
(ムカつく)
- 142 名前:31. 投稿日:2003年03月25日(火)01時36分56秒
- >>それより、あの辻って子の方が気になるな。
(圭織が作ったなんて、未だに信じられないよ)
>>意味もなく表をノコノコ出歩くなんてないと思う。吉澤を助けたのだって、
>>多分利用するためだよ。きっと私のことにも気付いてるんじゃないかな。
(そんなの分かるの?)
>>うん。だからなっちのなかに私がいるってのも気付いてると思う。
(うーん……。でも、それでまずいことなんてないよね……?)
>>圭織の目的がどうなのかにもよるよね。相変わらず何考えてるか分からないし。
(結局なっちにはなにも教えてくれないんだ)
>>だってすぐペラペラ喋っちゃうしさ。さっきも聞いててハラハラしたもん。
(それはさあ……)
安倍にはその件に関して反論することは出来なかった。
>>それはそうと、紗耶香遅いね。もう十二時過ぎたよ。
(別になにか起こったわけじゃないんでしょ)
>>紗耶香にはね。でもあの二人のことは私には分からないからさ。
(変に心配させるようなこと言わないでよ……)
- 143 名前:31. 投稿日:2003年03月25日(火)01時37分28秒
- 安倍が心の中で眉を顰めた時、テントの入り口が開いて吉澤が顔を出した。
「あの、見張り、代わりましょうか?」
「いや、別に大丈夫だよ」
「そうですか……」
吉澤は言うと、寒そうに手を擦りあわせながら、安倍の隣に腰を下ろした。
「辻ちゃんは?」
「寝ました。……あの、ちょっと訊きたいことがあるんですけど」
声を潜めて言う。安倍もつられるように囁き声で返した。
「なに?」
「飯田さんって、どういう人なんですか?」
「圭織? うーん……」
安倍は顎を撫でながら考え込んだ。
- 144 名前:31. 投稿日:2003年03月25日(火)01時37分58秒
- 「一言で言うと……変な奴」
「それは分かります」
そう言うと吉澤は笑った。安倍は遠い眼で夜空を見上げると、
「昔からいろんなことを考えてたよね。宇宙のこととか、生命とか、普通だったら
考えないようなことを一生懸命。アタマもよかったけど、全然優等生って感じじゃ
なかったし。どっちかといえば問題児。授業中とかも変な質問して先生を困らせたり
とかしょっちゅうだったし……。あー、なんか懐かしいな」
「いいですよね、そういうのって」
吉澤は少し寂しそうな表情で言うが、安倍はそんな微妙な表情には気付かないで続けた。
- 145 名前:31. 投稿日:2003年03月25日(火)01時38分29秒
- 「四人でね、なっちと、圭織と、明日香と矢口はいつも一緒にいて……。今は
もうバラバラになっちゃったけど……。あの頃は、楽しかったな」
「……悪い人じゃないですよね……?」
「うん、なっちの知ってる圭織はね。悪くはないけど、でもちょっと思い詰めちゃうような
ところはあったかな。それで暴走しちゃったりとか。本人は悪気はないんだろうけど、
周りはビックリしちゃったりとか、そういうことは結構あったかも」
「暴走ですか……」
「まあ、中学の頃の話だし、今はもう大人になってると思うけど……」
「私、飯田さんと辻ちゃんに助けて貰ったことは本当に感謝してるし、二人のことも
好きなんですけど、でも、なんか怖いんです」
「怖い……?」
「ええ。……私が勝手にそう感じてるだけかもしれないんですけど、なんか、ずっと
見えない力に操られてるような感覚があって」
暗い表情で話す吉澤に、安倍も真剣に聞き入った。
「私、多分ずっと前に辻ちゃんにあってるんですよ。全然その時と感じが違うんですけど、
でもあれは絶対に辻ちゃんなんです。それ以来、なにかすごく変なことばかり……」
- 146 名前:31. 投稿日:2003年03月25日(火)01時38分59秒
- 吉澤の言うのに、安倍は心の中で舌打ちをした。
それは辻ちゃんじゃなくて、辻の身体に入り込んでた明日香の仕業なんだよ、と
言いたい気持ちにもなったが、必死に抑えた。
「……でも多分なにもなかったとしても、私はダメになってたって思うんですけどね」
そう言うと、自嘲的に笑った。
「そうなの……?」
「はい。……なんか自分で言うのも変なんですけど、その時ってもう本当に
自暴自棄になってたんで」
- 147 名前:31. 投稿日:2003年03月25日(火)01時39分31秒
- さっき福田の言っていたセリフを思い出した。意識の奥に隠されていた感情。福田が
命を落としてからずっと抱え続けてきたようなネガティブなものが、彼女の中にも
あったということだろうか。
しかし死んでからずっとそんなものが持続しているというのも変な話だ、と安倍は思う。
その時、福田本人から応答があった。
>>圭織がシミュレーションを完璧にやりすぎたんだよ。
(明日香、まだいたの?)
>>いた、って変な言い方するね。
(だって)
>>いいよ。吉澤との話を続けて。
(調子狂うんだよなあ……)
- 148 名前:31. 投稿日:2003年03月25日(火)01時40分13秒
- >>勝手に私の発言をパクるからそうなる。
おかしそうなニュアンスのこもった声が聞こえる。
(だってさあ……)
そんな安倍の内なる声には構わずに、吉澤は話を続けた。
「あの頃の比べればマシなのかもしれないですけど、でもやっぱりよく分からないです」
「分からないって、なにが?」
「なにしたらいいのかな、って」
「ああ、それは、難しい問題だよね……。あなたくらいの歳だとね」
安倍は感慨深げに言うと、一人で軽く頷いた。
- 149 名前:31. 投稿日:2003年03月25日(火)01時41分02秒
- 「ていうか、なっちだってよく分かってないよ。そんなこと深く考えたこともなかったし」
「私、ちっちゃい頃から喧嘩ばっかりしてて、それで近所で一番強くなったら
別の街からまた喧嘩売ってくる奴がいて、気付いたら有名になっちゃってて。
凶棒っていう、ほとんど喧嘩みたいなスポーツを始めたのだってそれでだし、
別に一生それでやってけるなんて思ってなかったけど、それ以外に何が出来るか
なんて全然考えたことなくて」
どこか自分自身に言い聞かせるように話す。安倍は苦笑すると、
「なんか人生相談みたくなっちゃってるね」
「すいません」
「いいって。なっちでよかったらいくらでも聞き役になるよ」
「……私、いろいろ間違いもしたけど、今こうやって生きていられるわけじゃないですか。
地震でいっぱい死んでる人もいるし、私も死んでておかしくないところを
飯田さんと辻ちゃんに助けて貰って」
「うん」
「だから、今度はなにか、よく分からないんですけど、いいことがしたいな、って。
飯田さんたちには感謝してるんですけど、その」
そこまで言うと、声を潜めてテントの方をチラッと見た。
「私、飯田さんから頼まれてることがあって、でも飯田さんたちがよくないことを
考えてるなら、私、……」
「……難しいなあ」
- 150 名前:31. 投稿日:2003年03月25日(火)01時42分05秒
- 吉澤の気持ちは分からないでもない。
安倍本人にしたところで、正しいと信じてずっと行ってきた行為が、実際には
そうではなかったという裏切りは、ついさっき味わったばかりだった。
が、だからといって、あまりそのことばかりに囚われてしまっても、今度は
考えすぎで身動きが取れなくなってしまう。
「やっぱりそういうのはさ、自分を信じてあげるしかないんじゃないかな……。
すっごいベタな言い方になっちゃうかもしれないけど」
「そうですよね。……でも私、自分がなんだかよく分からなくなっちゃって」
「気分なんじゃない? なっちだって、すっごく自信満々の時もあれば、本当に
世界一の激烈バカなんじゃないかって思うときもあるしさ。
吉澤さんなんて、なっちよりも背高いし強そうだし、美人だし、全然悩むことなんて
ないように見えるけどな」
「そんな……、やめて下さいよ」
そう言うと、照れたように笑って俯いた。
- 151 名前:31. 投稿日:2003年03月25日(火)01時42分37秒
遠くから、ヘヴィ・メタルとお囃子の集団が近付いてくる音が聞こえてきた。
ふと時計を見る。すでに三時を回っていた。
- 152 名前:更新終わり 投稿日:2003年03月25日(火)01時43分10秒
- 31.フレンズ 2 >>119-151
- 153 名前: 投稿日:2003年03月25日(火)01時43分41秒
- >>115名無し読者さん
自分でもたまに居場所が分からなくなるんで(w メモ取りながら書いてます。
私の文章なんてまだまだですよ。日々精進です。
>>116名無しAVさん
あれがあれで、そしてそれがこれで(ry
秘密っていえば短編集面白かったなー。とタイムリーな話をしてみたり。
>>117うんさん
チェックは毎回してるのですが、なにぶん不注意な人間なので……すいません。
目に付いたとこだけ修正。
>>91 9行目 ×一駿馬を伏せて ○一瞬目を伏せて
>>107 5行目 ×光のが ○光るのが
誤字脱字は極力減らす方針ですが(当たり前だ)、気付いたところは脳内変換していただければ幸いです。
あ、レスはsageでいただけると非常にありがたいっす。よろしくお願いします。
>>118チップさん
一気読みお疲れさまです。人差し指はお大事に(w
先は長いですが、ラストまでお付き合いいただけると嬉しいです。
- 154 名前:名無しAV 投稿日:2003年03月25日(火)19時28分38秒
- なんなんですかこの文章力は?いい加減にしてください!
色々な人の成長や変化がこの先どう影響していくのか楽しみです。
- 155 名前:名無し読者 投稿日:2003年03月26日(水)19時50分20秒
- 154名無しAVさんの「いい加減にしてください!」に激しく同意です(w
ってか、(笑)とイメージで伝える明日香、楽しすぎ。
- 156 名前:32. 投稿日:2003年03月28日(金)01時31分11秒
32.BAD SEED
この場は思った以上にピースフルな空間だな、というのが、球場へ入った市井紗耶香の
第一印象だった。一定のリズムで重く堅い低音をボディブローのように浴びせられ
続けると、いつの間にか、陶酔したように意識せず身体を揺らしてしまっていた。
一応はプロの現場でそれなりのキャリアを持っている市井からすれば、光と音の
パターンはひどく単調で、バリエーションに欠けるものではあったのだが、
それがむしろ、この場の空気感には効果的に作用しているように感じられた。
周到な計算に基づいた演出だとすれば大したものだ、と市井は思ったが、実際には
偶然が重なり合った結果の僥倖といった方が正しいだろう。
- 157 名前:32. 投稿日:2003年03月28日(金)01時31分44秒
- 人の群の中を、出来るだけ怪しまれないように注意しながら、ゆっくりとステージの
方へ近付いていった。銃を構えた警備員らしき人間も大勢立っていたのだが、
市井の知っている本職の警備員たちに比べれば、彼らの仕事ぶりはまったく
プロフェッショナルとはいえない。イベントも数時間が過ぎてしまった頃には、
皆一般の人々と一緒になって、踊ったり酒を飲み交わしたりしていた。
始めのうちはマイクの前に立って、意味のあるようなないような煽り文句を
がなり立てていた少女も、今は大分アルコールかそれ以外の成分が血を巡って
しまったのか、ふらふらとステージ上を行ったり来たりしながら思い出したように
なにか喋っていた。誰もそんなものなど聴いていなかったが、ただでかい音が
無数に積み重ねられたスピーカーから響くだけで勝手に盛りあがっていた。
- 158 名前:32. 投稿日:2003年03月28日(金)01時32分17秒
- 球場に入ってすぐには、無為に暴れまくるだけの集団に辟易しながら球場内を
彷徨うことしか出来ないでいた市井だったが、そのうち、これは自分にとって
ずっと慣れ親しんで来た光景だということに気付いて、苦笑いしていた。
なんのことはない、歌手という職業をはじめてずっと、ステージ上から見下ろしてきた
光景が、ここでもまた繰り返されているだけの話だ。
規模としては、アイドルグループで歌っていた頃の最盛期のステージに近いかも
しれない。部外者から見ていくらクレイジーな集団だったとしても、その空間の
構成員の独りとしては、まったくそんなふうに思ったことはなかった。
単調に打ちならされるビートと明滅する強烈な照明は、妙な中毒性があった。
市井はくらくらする頭を押さえながら、巨大な昆虫が街灯に群れてぶつかり
合っているような混乱した空間を潜り抜けていった。もしかしたら、自分の
コンサートに来ていた人間がそこにはいるかもしれない。以前にステージから
見下ろしていた光景を思い出すと、いかにもありそうなことではあった。
が、今の、ノーメイクのボサボサ頭で、メガネを掛けてフラフラしている
自分を見て気付くことはないだろうな、と市井は考えて苦笑した。もし
気付いたとすればかなりのマニアかストーカーだ。
- 159 名前:32. 投稿日:2003年03月28日(金)01時32分48秒
- ステージ上の矢口真里という少女に目を留める。派手な金髪と服装からは
高校生くらいにも見えるが、多分自分とはそれほど歳は変わらないだろう。
背格好は高いブーツで誤魔化してもなお、子供のように小さかったが、深い思惑と無思慮な
粗暴さを両方秘めているように感じられる冷たい視線は、子供のものではない。
だだっ広く人の多い空間を、注意深く三回ほど巡ってみたが、小川と高橋の
姿を見つけることは出来なかった。
だとすれば、すでに戻っている可能性もあるし、裏からバックステージの
方へ潜り込んでいる可能性もある。それ以外の最悪の可能性も、銃器を構えた
穏やかではない集団からは想像することは出来たが、今そんなことに思い悩んでみても
仕方がない。それに、あの二人はおっちょこちょいなところはあるが、バカではない。
無防備なまま武装した集団の中に飛び込んでいくとは思えなかった。
安倍から借り受けている拳銃を、ポケットの上から触ってみる。無機質で
冷たい、力の象徴だった。本当なら生涯縁のないおもちゃだったものを、
これからすぐに使わなければならないかもしれない。
到底うまく使いこなせる自信などはなかったが。
- 160 名前:32. 投稿日:2003年03月28日(金)01時33分18秒
- ステージの上も下も、大部分が壊れはじめていた。何人かの調子に乗ったバカが
ステージによじ登って、警備係に引きずり下ろされたりしていたが、それも
ずっと甘くなっていた。当の警備係自体が、人の群の中にダイブをしたりして
好き勝手に暴れてたし、いつの間にか装備を捨ててしまい、全裸になって
痙攣の発作に襲われているように踊り狂っている危なっかしい男もいた。
多分それを拾った人間から街へ銃器が流れ出して、それがまた別の犯罪へと
繋がっているのだろう。馬鹿げた現実に、思わず溜息が出た。
市井はカニ歩きのようにして、ステージの袖の方向へ進んでいった。隅の方には、
髪の長い女性の膝枕で、「カゴアイ」がすやすやと寝息を立てているのが見える。
さすがに、特殊能力を持っているとしても、子供が夜通し騒ぎ倒すのはつらいだろうな、
そんなことを考えてみるが、あまり微笑ましい気分にはなれなかった。
- 161 名前:32. 投稿日:2003年03月28日(金)01時33分50秒
- 左端の袖の方には誰も立っていない。ついさっきまで緊張感を持って立っていた
ドレッドヘアーの男は、今では中央に生まれたモッシュピットの中心で、
本能の赴くままに大暴れをしている。
単調なビートに身体の揺れを任せながら、ステージへ近付いて行く。
中心部ほどではないにしても、ここにも多くのラリった連中が好き勝手に
身体を動かしていた。
市井は蹌踉と落ち着かない仕草で、ステージに上がった。裏へ抜けている
場所までは少し距離がある。それまでに、不審な目で見られなければ……。
- 162 名前:32. 投稿日:2003年03月28日(金)01時34分22秒
- 変にこそこそしてもこの場のテンションでは逆に目立ってしまいそうだ。
市井は脱臼したようなぎくしゃくとした動きで、ゆっくりと目的の方向へ進もうと
したが、さっきまで隅で座っていた女性が、いつの間にか近くまでやってきていた。
「ちょっとあなた待ちなさい」
「……や、やっほー、おねーさーん、一緒に踊らなーい?」
市井は動揺する心を抑えつけながら、なるべくバカっぽい口調で女性に話しかけた。
ふと背後を窺うと、眠っていたはずの「カゴアイ」も、興味ありげに市井の方を
見つめていた。あまり歓迎できない状況だ。
「な、なんだよー、ノリが足りないぜ! ほらあ、みんなこんなに盛りあがって……」
「とにかく、ここを降りなさい」
そう言うと、髪の長い女性は、間抜けなタコ踊りを披露している市井の腕を
掴んで、ひっぱっていこうとした。
「痛いって痛いって……、あはは、降りるって、もう、怖いなあ〜」
必死で酔客のふりを演じながら、市井は女性がどこか沈んだ様子なのに気付いた。
どこもかしこも多幸症的なアッパーな空気で満ちているこの空間では、彼女の
放っている雰囲気はかなり異質だ。そのことに、市井は少し興味を抱いた。
- 163 名前:32. 投稿日:2003年03月28日(金)01時34分54秒
- その時、背後から甲高い声が投げかけられる。
「おおーい、アヤカ、なに揉めてんだ?」
矢口の声だった。結局気付かれてしまった。アヤカ、というのはこの女性の名前だろう。
「いえ、その、変な酔っぱらいの女が紛れ込んで……」
失礼な。まあそんだけ私の演技が完璧だったって受け取れば……。
矢口は落ち着きのない目つきで、千鳥足で近付いてきていた。大分回っている
ように市井には見えた。
「まあカタいこというなよぉ。今日はやなこと忘れて、パーッと盛りあがろうぜ」
「けど……」
このアヤカという女性は、カゴアイの保護者みたいな役割なのだろうか?
市井がそんなことを考えたとき、すでに近くまで来ていた矢口に顔を覗き込まれた。
「な? あんたもそう思うだろ?」
至近距離で見ると、妙に子供っぽくて可愛らしい顔立ちをしている。
市井は戸惑いながらも、さっきからのキャラを演じ続けることにした。
「そうそう! そうだよねぇ〜」
「あれ? あんたの顔どっかで見たことある」
矢口は言うと、さらに顔を近づけて市井のことをまじまじと観察した。
市井は笑顔を硬直させたまま目を瞬かせた。やれやれ、よりによってこんなところで
芸能人パワーを発揮してしまうとは。それとも矢口真里は見かけによらず
アイドルオタクだったりするのだろうか。
- 164 名前:32. 投稿日:2003年03月28日(金)01時35分25秒
- 取り留めもなく考えを巡らせていると、矢口は市井の両肩を掴んで、突然なにか
スイッチが入ったように喋りはじめた。
「あーっ! やっぱそうだよ、あんた昔『たこ焼きシスターズ。』とかいうアイドル
グループで歌ってた、なんとかって人だよね?? へぇー、こんなとこでなに
やってんのよ? おいらビックリしちゃったよ!」
- 165 名前:32. 投稿日:2003年03月28日(金)01時35分57秒
- ハイテンションで喋り続ける矢口に、市井はついキャラを忘れて話しかけてしまう。
「え、ええ、あなた、よく覚えてますね、そんなこと……」
「覚えてるよぉ。なんでかって? それはさ、おいら昔『たこシス。』の追加メンバーの
オーディション受けたからさ! 十五んときだったよ、あんときはさあ、もう
どんなことでもして芸能人になろう! って思ってて、もう即だったもんね、
追加メンバー募集ってテレビでさ、あんときずっとバラエティで『たこシス。』のこと
おっかけてただろ? おいらもあの番組ずーっと見てたしさあ、いや、正直そのころは
別にいろんなオーディションは受けてたんだけど、でもあれで最終まで行って、
歌審査で落ちたときは凹んだよぉ〜。あん時に受かったのがあんただったんだよな!
いやあ、おいらテレビで見てさあ、なんでこんな歌下手でべしゃりもできねー奴が
受かってんだよ! ってマジギレだよ。審査したプロデューサーのさ、ダンス♂マンだっけ、
あのアフロでキラキラしたのが、『こいつはロックだから』とか言ってさあ、
なんだよその理由はっ! って感じ」
べらべらと早口で捲し立てる矢口に、市井は言葉を挟むことも出来なかった。
- 166 名前:32. 投稿日:2003年03月28日(金)01時36分35秒
- しかしこの女にそんな過去があったとは。そう考えれば、妙にステージ慣れ
していたり、やたら目立ちたがりな性格も理解できるような気がした。
もし矢口が、自分と同じオーディションを通って同じグループとして活動してた
としたらどうなっていたのだろうか。仲良くやれていたかな。
矢口のどこか熱に浮かされたような顔を見る。とてもそうは思えなかった。
- 167 名前:32. 投稿日:2003年03月28日(金)01時37分14秒
- 矢口の話は続く。
「中学でさ、受験の時に三者面談ってあるだろ? あん時に、おいら絶対に将来は
芸能人になる! 歌手になる! って親と教師の前で豪語しちゃってたからさ、
もうオーディションに最後まで行って落とされたのが口惜しくて、おいらそん時に
芸能人になれなかったら絶対にワルくなるんじゃないか、なんていって親から
すっごく怒られたりしてたんだけど、実際ワルくなっちゃったんだから
どうしようもないよなー。まぁワルっつっても高校んときは周りがなんか
おとなしいっつーか、あんまそんな雰囲気じゃなかったからまだよかった
けど、もう大学行っちゃってからダメだね。いろいろ教えてくれる先輩が
ロクなもんじゃなくて。それもこれもあん時のオーディションが原因じゃねーか
って思ったりしてたよ。あそこから歯車が狂った、みたいな? でも今は今で
楽しんでやれてるからいいんだけどさあ、もしかしたらあんたが今の矢口みたく
ここでバカ相手にバカみたいに喋ってることになってたかも知れないぜ?
キャハハハハハ!」
甲高い声で笑う矢口を呆気に取られたように見つめながら、市井は少し彼女に
関する考えを改めないといけないな、と感じ始めていた。
- 168 名前:32. 投稿日:2003年03月28日(金)01時37分53秒
- 背後から呼びかける声があった。少年っぽい少女の声。矢口は喋るのをいったん止めると、
声の方を振り返った。銃を持って、長い黒髪を二つ結びにした少女と、彼女に縋る
ようにして後ろに立っている少女、そして。
(高橋、小川、こんなところで……)
二人はまだ市井の存在には気付いていないようだった。矢口は銃を持った少女を見て、
続いて後ろに立っている少女を見た。
「ああ、遅かったな新垣……、と、紺野か……」
紺野か、というときの声のトーンが明らかに変わっていた。それにどのような
ニュアンスが込められているのか、市井には分からない。
その時、高橋が市井の存在に気付いたようだった。あっと言いそうに口を開いた
彼女に、市井は必死になって『黙っていろ』という意味の視線を送り続けた。
どうやらなんとなく市井のメッセージは届いてくれたようだ。高橋は小川に小声で
なにかを囁いた。小川は市井の方を素早く一瞥すると、了解、とでも言いたげに
軽く頭を下げて見せた。
- 169 名前:32. 投稿日:2003年03月28日(金)01時38分31秒
- 「で、その二人は誰なんだ?」
新垣、と呼ばれた少女に矢口が問いかけた。どうやら、この新垣は矢口の信頼を
得ている人間のようだった。紺野という少女とは知り合いであることは確実だったが、
矢口との関係が微妙であることは彼女の口調の変化からも推測できた。
「雑誌の記者だそうです。矢口さんの取材をしたいって……」
新垣は言うと、少し心配そうな視線で小川たちの方を振り返った。
小川は矢口を見ると、馴れ馴れしそうな笑みを浮かべて軽く頭を下げた。
高橋も、少し遅れて同じようにした。
なんとなく怪しんでいるような矢口だったが、市井の方を振り返ると、ニッと笑って、
「な? 有名になるのなんてそんな難しいことじゃないだろ?」
「そ、そうなのかな」
市井はずり落ちたメガネをなおしながら言った。いつの間にか、ステージの上にも
トリップした連中が好き勝手にあがって踊りまくっていた。ひどくやせ細った
背の高い男が、全裸で口を開いたまま、憑かれたように全身をくねらせていた。
- 170 名前:32. 投稿日:2003年03月28日(金)01時39分06秒
- 矢口は市井を見て、それから新参者の三人の顔をざっと見比べた。
それから、側へ来ていた新垣の肩を抱いて言った。
「まあいいや。ここもいい感じで荒れてきたんで、裏行って話そう。あんたも来たら」
市井の方を振り返って言う。市井は、内心でこの妙な成り行きに辟易していたが、
二人を放っておくことも出来ないので、仕方なしに頷いた。
「あ、ああ、うん、そうしよっかな」
「あたしも行くー」
背後から気の抜けた声が聞こえる。カゴアイが好奇心に満ちた眼をきらきらさせて、
黄色いクマのぬいぐるみを抱いて立っていた。彼女の後ろで、アヤカが心配そうな
表情でついてきている。
- 171 名前:32. 投稿日:2003年03月28日(金)01時39分41秒
- 矢口は新垣の肩を抱いたまま、勝手に裏へ続く通路へ入っていってしまう。市井は
小川、高橋と目配せを交わすと、二人へと続いた。その後ろから、カゴアイと
アヤカがついて行く。
ステージ上には、ラリって、踊りというよりも身体をのたうち回らせている
人間たちだけが残された。単調な音と光の饗宴は、夜が明けるまで止むことはない。
- 172 名前:32. 投稿日:2003年03月28日(金)01時40分14秒
□ □ □ □
一歩球場の近くから離れてしまえば、光を失った瓦礫の山に静寂が溶け込んでいる
世界が延々と続いているだけだ。かつては夜中に眠ることなど考えられなかった
ような人たちも、ここでは、息を潜めて淡い夜明けの光が射し込んでくるのを
じっと待ち続けている。
「平家組」の表札の上に、陵辱するような毒々しい色のスプレーで「ヤグチ組」と
冗談半分に塗りつけられている。その門柱の横で、自動小銃を抱いたまま、
せいぜい中学生くらいの少年が、うとうとと半分夢の世界へ入りかけていた。
白昼でも、よほどの命知らずか、仲間になりたがる人間以外には近付かないこの場所は、
夜の深い時間になってしまえば、まるで北極点にいるような無人地帯となってしまう。
ここしばらく夜間の見張りについている少年も、そんな状況に慣れてしまって
いたのか、なにも恐れることなくゆらゆらと船をこいでいる。
- 173 名前:32. 投稿日:2003年03月28日(金)01時40分54秒
- 整然とした複数の足音が、全く乱れることなく接近してくる。沈黙の中で、彼女たちは
こそこそと近付いたりするようなことはしない。正々堂々と正面に向かって
黙々と歩みを進めていく。時折、隻眼のサングラスが淡い月の光を反射して
人気のない路地の闇の中で煌めいていた。
指揮官の少女がパネルを叩く。十五人の少女は、プログラミングされた機械のように
正確で無駄のない動きで散っていった。
大地を蹴る細かい物音に、見張りの少年がふと顔を上げた。
「……あっ」
開かれた口蓋に、細長い針が突き刺さり、後頭部を貫いて門柱へと少年を串刺しにした。
少女は少年の手から滑り落ちた自動小銃を回収すると、散開した少女たちから
サングラスへ送られてくるメッセージを確認し、パネルを叩く。
続いて、屋敷の各所から響いてきた爆発音が、闇を支配していた静寂を切り裂いていった。
- 174 名前:32. 投稿日:2003年03月28日(金)01時41分27秒
- 正面の門の前に立っている少女が再びパネルを叩く。正門が内側から開かれ、
続いて屋敷の内部からも断続的な爆破音が響いてきた。
すでに、木造の屋敷のあちこちから火の手が上がっている。火の爆ぜる乾いた音と、
次第に拡がっていく狼狽した怒声のエコーが、だんだんと大きくなっていった。
屋敷の庭から、正門へ向かって、突然の襲撃に驚いた人間が次々に走ってくる。
少女は眉一つ動かすことなく、長針銃で確実に一人一人の息の根を止めていく。
- 175 名前:32. 投稿日:2003年03月28日(金)01時42分13秒
□ □ □ □
アルコールが蒸発していくひんやりとした感覚が、前腕に感じられる。
手慣れた様子でうっすらと見えている静脈へ皮下注射器の針を侵入させると、
試験管から吸い上げた数CCの血清を押し込んでいく。温かな血液の中に、
冷たい液体が溶け混じっていくのが分かった。
注射針を消毒液に放り込むと、椅子に座ったまま大きく体を伸ばして、飯田圭織は
左手を差し出しながらあくび混じりに言った。
「辻ぃ〜、……お茶ちょうだい」
- 176 名前:32. 投稿日:2003年03月28日(金)01時42分52秒
- しばらくその姿勢のままで固まっていたが、ようやく面倒臭そうに椅子から立ち上がった。
「……って、いないんだっけ」
嘆息しながら厨房まで行くと、ティーポットにお茶を注いで、ついでに汗の浮いた
額をタオルで拭った。もう十時間以上もキーボードを叩きっぱなしだった。
「あんまりあの二人がもたもたしてると、こっちから手を打たないといけなく
なっちゃうんだけどな……。ま、それでもいいんだけど。結構あの子たちも
使えるってのが分かったし」
昨夜まで吉澤が寝ていたベッドに腰を掛けると、紅茶を啜りながら離れた場所の
ディスプレイを眺めた。こうして休んでいる間にも、泳がせているソフトは
活発に情報を持って帰ってきている。
- 177 名前:32. 投稿日:2003年03月28日(金)01時43分26秒
- 「恋のABC〜♪」
機嫌よさそうに歌いながら、おかしそうに笑った。
「愛の種を撒き散らそうよ〜♪ って歌もあったよね。どっちかっていうと
圭織のは悪い種だけどね……。愛のたっぷり詰まった、悪の種。
空も、海も、森も花も風も雪も月も、都市の残骸も、汚染された廃棄物も、壊れた
人たちも、動物たちも、太陽も、全部また一つになって、振り出しに戻しちゃう種」
どこか恍惚とした表情で呟きながら、カップを持ったままディスプレイの前に戻った。
「それにしても、明日香があんなんなってるなんてね。なんかムカつくな。
誰が生き返らせてやったんだってかんじ。ちょっとビシッと言ってやらないとね」
- 178 名前:32. 投稿日:2003年03月28日(金)01時44分06秒
- マウスを握ると、最新の情報をざっと表示させる。
変換済みの暗号文の羅列の中から、YAMAZAKIの署名のある記事をピックアップして、
読み込ませた。どこから送信されたものかは複雑なプロテクトがかかっており
調査には時間がかかりそうだったが、内容と送信先はすぐに確定できる。
工作員510号へ
Ed.168室より散逸したA装置【別項】の回収
および
B装置(詳細不明)▼
C装置(詳細不明)▼
に関連する報告
可能であれば回収
▼参考資料添付
追記
工作員142号との接触は終了
工作員2210号【参照】と合流は可
※返信不可※
- 179 名前:32. 投稿日:2003年03月28日(金)01時44分40秒
- 「そっか、……つんくさんは失脚したんだね。かわいそ」
飯田は顎を撫でると、
「スパイってなんかキライだな。なんでもかんでも裏を見て、情報を区別して、
振り分けて、繋ぎ合わせて……。そんなことしないで、ありのまま全体を
受け入れれば素敵なのにね」
そう呟くと、余計な情報は閉じて、再び自分の作業へと没頭した。
- 180 名前:更新終わり 投稿日:2003年03月28日(金)01時45分13秒
- 32.BAD SEED >>156-179
- 181 名前: 投稿日:2003年03月28日(金)01時45分44秒
- >>154名無しAVさん
キャラクターの変化をなんとかストーリーの面白さに繋げていきたいところです。
とはいえ、このスレ始まってから作品内で半日しか経ってない……
>>155名無し読者さん
ネタ的な部分を拾ってくれるレスはすごく嬉しいです。
そういうところで結構無駄にアタマ捻ったりしてるんで(w
- 182 名前:名無しAV 投稿日:2003年03月30日(日)20時45分11秒
- A装置,B装置,C装置ってことは…。
いや『たこ焼きシスターズ。』…。
そして矢口の不良になってた宣言。
その他にも娘。好きにだけにわかる小道具がたくさん鏤められていてニヤケながら読んでいました(w
これからも頑張ってください。
- 183 名前:33. 投稿日:2003年04月02日(水)01時34分35秒
33.チョコレート革命
うっすらと空が白く染まり始め、分厚い雲の向こうで太陽がゆっくりと姿を現す。
石川梨華は、早朝の肌寒い空気も心地よく感じながら、朝日に向かって大きく
身体を伸ばした。こんなに爽快な気分で朝を迎えるのは、ずいぶんと久しぶりの
ような気がした。ウキウキした気分で、つい歌い出しそうになってしまうほど。
休み場所にしていた電線がなくなってしまったスズメたちが、歪んだフェンスの
上に止まって、ひょこひょこと飛び回っていた。石川はご機嫌な笑みを浮かべて
スズメたちに話しかけた。
「おっはよー。気持ちいい朝だよねー」
しかし、スズメは不審な生命体の接近に慌てて飛び立っていってしまった。
「なによぉー、せっかく私のアカペラを聴かせてあげようと思ったのにぃ」
頬を膨らませながら、フェンスに手をついて軽くストレッチをした。
「♪あーさーだー、あっさだーよー」
適当な節回しで歌いながら、スキップをして建物の入り口まで戻っていった。
- 184 名前:33. 投稿日:2003年04月02日(水)01時35分06秒
- 眠そうな目を擦りながら、里田まいが扉から顔を出した。右手に大きな籠を
ぶら下げている。石川はテンションを下げずに話しかけた。
「あっ、おはよー」
「うん、おはよう……」
朝の光に眼を細めながら言うと、裏庭の焼却炉へゴミを運んでいった。
石川も軽快な足取りで彼女の後を追う。
「手伝うよ」
「ありがとう。助かる」
ここは以前は高級料亭だった建物で、石川が目を覚ましたのは、宴会用の大広間だった。
和様式で設計された建築が耐震性に優れているというのは、ここでも証明されて
いた。設備はほとんどそのまま使用可能で残されており、広い倉庫には驚くほどの
量の備蓄食糧が詰め込まれていた。もっとも、大半が腐敗してしまってどうしようも
ない状態だったのだが。
しばらくは、製菓工場の倉庫から掻き集めてきたチョコレートで栄養を賄うしか
ないようだった。
- 185 名前:33. 投稿日:2003年04月02日(水)01時35分37秒
- 焼却炉へ二人してゴミを放り込むと、里田がマッチを擦って着火する。先端が
煤で黒く染まった高い煙突から、灰色の煙が舞い上がっていった。
バケツに溜めてある水で軽く手を洗う。里田は白い息を吐いて、勝手口へ通じて
いる石段に腰をかけた。石川も当然のように隣に座り込む。
「早起きって気持ちいいよね」
「そうだね」
甲高い声で喋る石川に、里田はかなり疲労の溜まった声で返した。
あの集団の中では彼女が一番下っ端だったため、雑用のほとんどは里田がこなすのが
自然な成り行きになっていた。この世界では当然のことなのか、中澤も特に口を
挟むことはなかったし、里田も不平を言うことはなかった。
- 186 名前:33. 投稿日:2003年04月02日(水)01時36分08秒
- 「でもビックリしたなー。中澤さんとまいちゃんがヤクザだったなんて」
「そう? 言わなかったっけ」
「だって私ずーっと熱でうんうんうなってたんだから、そんなの覚えてないよぉ」
「でも、私と中澤さんじゃ全然違うよ」
「それは見れば分かるって。でもさー、」
石川は言ってから、少し口ごもった。里田は彼女の顔を見つめると、
「でもなに?」
「そういうのって、なにがきっかけでなるのかなー、って」
「それは、あれだよ……。梨華ちゃんとは、育ってきた環境が違うから……」
「あっ、なんかそんな歌なかったっけ? ほら、♪育ってきた環境が違うから〜、みたいな」
不安定に飛翔するメロディに苦笑いをしながら、里田は言った。
「梨華ちゃんって歌うの好き?」
「うん、大好っき! 私ね、歌手になるのが夢なんだ。学校で禁止されてなかったら、
もっとオーディションとか受けまくってはずなんだけどなあ」
「そ、そうなんだ……。頑張ってね」
自分とは全く異なる世界の住人なのだろう。天真爛漫な石川に、里田は少し嫉妬を覚えた。
- 187 名前:33. 投稿日:2003年04月02日(水)01時36分39秒
- 一羽のスズメが飛んできて、二人の足下に舞い降りた。砂埃しか落ちていない
アスファルトの上を無為にクチバシでつつき回している様子を、二人とも
黙って見つめていた。
と、無言で石川が両手を伸ばし、包み込むようにしてスズメを捕らえた。
信じられないくらい俊敏な動作だった。石川はスズメのクチバシをつまむと、
ビニール袋を裂くようにしてスズメの皮を真っ二つに剥ぎ取った。自分の
行為に全く自覚がないように、石川は無言のまま両手にぶら下がっている
茶色い残骸を強張った表情で見つめている。筋肉繊維と血管を剥き出しにした
スズメは、まだなにが起こったのか分からないように、じたばたとアスファルトの
上で暴れていた。
- 188 名前:33. 投稿日:2003年04月02日(水)01時37分13秒
- 里田は息を呑んだまま呼吸も出来ないでいた。が、恐る恐る小声で石川に
声をかけてみる。
「……り、梨華ちゃん、大丈夫?」
石川は不意打ちを食らったようにハッと顔を起こすと、すぐに普段の笑顔を
取り戻して里田の方を振り返った。
「ん? なに、どうしたの?」
「どうしたのって……」
里田は、自分の身に起こった大惨事にまだ気付いてない様子でもがき続けているスズメと、
石川が落とした茶色い皮に目をやったが、引きつった笑みを浮かべて、
「いや、な、なんでもないよ」
「変なのー」
「……わ、私買い出しに行かないといけないから……」
そう言うと、逃げ出すようにして立ち上がり、小走りに表へと出ていってしまう。
「いってらっしゃーい」
無垢で明るいアニメ声が、背後から投げかけられた。
- 189 名前:33. 投稿日:2003年04月02日(水)01時37分43秒
- 大広間には、すでにほとんどの仲間たちが集まって、勝手に談笑したり食事を
摂ったりしていた。とはいうものの、そこから無秩序な空気感は全く感じられない。
中澤は奥の上座であぐらをかいて、ちびちびと日本酒を口へ運んでいた。
緊張と倦怠がない交ぜになった、どこか不思議な空間。柴田はまだこの空気には
慣れることが出来ないようで、中澤の側で膝を抱えて上目遣いで広間の光景を
見回していた。
隅の柱に寄りかかって、ソニンが通信機へ向かってなにかを話し続けている。
声を潜めているわけではないが、韓国語であったため中澤には彼女が何の話を
しているのかは全く分からない。だが、これまでの経緯から大体のことは
想像がついた。ソニンはちらちらと中澤へと視線を送ってきていたが、中澤といえば
一向にそんなものを意識することなく、ただまったりと朝の間延びした時間を
過ごしているだけだった。
- 190 名前:33. 投稿日:2003年04月02日(水)01時38分13秒
- 扉が開いて、あくびをしながら石川が入ってくる。と同時に、通信機との会話を終えた
ソニンが、ゆっくりと中澤の方へ歩み寄ってきた。
「ニダーも私たちに協力してくれるそうです」
ソニンが言う。中澤は応えない。ニダーという組織は、話でしか聞いたことはなかったが、
団結力や組織力はそこら辺の集団とは比較にならないものだということは知っている。
今の東京は、まるで小さな戦国時代のようだった。しかし、それはあくまでも
かりそめのものにしか過ぎない。一時的な戦争ごっこのカタルシスは味わえるかも
しれないが、それで得られるものはなにもない。遠からず政府の手が入り、無駄な
覇権争いはバカげた笑い話としてストリートで語り継がれるだけだ。
中澤の意志は変わっていなかった。が、ソニンは冷静な口調で話を続けた。
「中澤さん、キッズの噂、聞いたことありますか?」
「キッズ? なんやそれ」
「揃いの制服を着て、工作員のものと似たようなサングラスをつけてる子供の集団です。
どこからともなく現れて、変な針みたいな武器で危険人物を殺してるっていう……」
「ふうん……」
「どこが送り込んだか分かりませんけど、もうここは呑気に秩序の回復を待って
いられるような状態じゃないんですよ。『眼』が無差別に人を攻撃してるって話も
聞きますし、もしキッズが政府の指令で動いてるとしたら、それこそ……」
- 191 名前:33. 投稿日:2003年04月02日(水)01時38分46秒
- 「な、ソニン」
早口で話すソニンに、中澤は静かに振り返ると、
「憶測でものを言うのはやめたほうがええよ」
「お、憶測なんかじゃありません! 『眼』は警察がばらまいたものだし、
キッズだってあれだけ統制の取れた子供の集団なんて……」
「いやいや、そういう意味でいうたんちゃうよ。それが一概に問題やって決めつけ
られるんか? 連中の行動と、うちらの行動にそんな差ってあるかな」
「それは」
「柴っちゃーん、おっはよぉーっ!」
ソニンが激昂して話し出そうとしたとき、場違いな明るい声に遮られた。
柴田は眉を顰めると、苦虫を噛みつぶしたような表情のソニンを一瞥して、
「梨華ちゃん、空気読んでよ……」
「えっ? なになに、よく聞こえないよー」
「ごめん、静かにしてくれるかな」
低い声でソニンに言われて、さすがの石川もようやく気付いたようだった。
「スイマセン……」
眉を八の字にして頭を下げると、そろそろと柴田の隣へ腰を下ろした。
- 192 名前:33. 投稿日:2003年04月02日(水)01時39分16秒
- 中澤はのんびりとした口調で石川に話しかけた。
「里田は?」
「あ、あの、黒服の人と一緒にお買い物に……」
「そっか。あの娘もよう働いてくれて、感心やな」
「中澤さん」
痺れを切らしたように、ソニンは厳しい口調で言った。
「お願いします。中澤さんの一声が必要なんです」
「なんでや。ここの連中はともかく、ニダーやったらあんたが動かせるやろ」
「ニダーだけで動いても意味がないんです。中澤さんが動けば、共闘したいって
人たちが、東京には一杯いるんですよ」
「共闘って、えらい古臭い言葉使うんやな」
「茶化さないでください」
少し泣きそうな顔で言うと、その場に座り込んだ。石川はそんなソニンと中澤を
見比べると、ひそひそと柴田に耳打ちした。
「ねえ、まだあの二人揉めてるの?」
「揉めてるっていうか……、話し合いしてるんだよ」
柴田はあまりこの話題には深入りしたくない様子だった。が、石川はもちろんそんな
ことには気付かない。
「せっかく一緒に頑張ってるんだから、仲良くすればいいのにねー」
「梨華ちゃん、ちょっと黙っててよ……!」
「なによー、柴ちゃんまで冷たいんだから」
- 193 名前:33. 投稿日:2003年04月02日(水)01時39分50秒
- 「中澤さん、さっきの、どういう意味なんですか?」
「さっきの、ってなんやったっけ」
中澤は相変わらずマイペースで受け答えをしている。それがソニンには余計に
腹立たしいようだった。
「『眼』とかキッズが正当かどうかってことです」
「ああ……。いや、うちもよう分からんよ。実際に現場見たわけちゃうしな。こういう
状態やと、噂ってガンガンでかくなってくやん? ひょっとして、政府が秩序回復の
ためになんかやってるのを、ゴロツキがあれこれ悪くいうてる可能性かてあるやろ。
判断を急ぐなっちゅうことや、うちが言いたいのは。慌てて行動起こして、後から、
間違いやったって気付いたって、取り返しつかへんねんで?」
「……私は、仲間の報告は信じます」
「せやから、あんたがなにかやるのをうちは止めへんいうてるやんか。ここにいる
連中かて、ガキちゃうねんから、自分の頭で判断できる連中ばっかりやで?
あんたの考えがまっとうや思てるなら、あんたが先頭に立ってやればええやんか」
結局、いつもと同じく堂々巡りになってしまう。ソニンにしたところで、出来るものなら
やっている、というのが本音だ。
「……それで、中澤さんは日和見ですか」
「おい、それはどういう意味や?」
- 194 名前:33. 投稿日:2003年04月02日(水)01時40分21秒
- 中澤は眉間に皺を寄せて、ソニンを睨んだ。
「バカなやつらに喧嘩させておいて、最後に勝ち馬に乗ろうってハラなんじゃ
ないんですか」
「……なんやそれ」
呆れたように言うと、大袈裟に鼻を鳴らした。が、ソニンは強い口調で続けた。
「矢口真里の仲間とうちらの仲間があちこちでぶつかりあったりもしてるんですよ。
中澤さん、一方的にやられるままで、それで平気なんですか?」
「へえ……おい!」
中澤は突然大声を上げると、大広間にいた全員へ問いかけた。
「あんたらの中で、矢口の仲間にちょっかい出されたいうやつ、どんだけおる?」
あちこちでざわめいていた広間は、水を打ったように静まりかえる。
しばらく沈黙が続くが、誰も答えを返すものはいない。
中澤は表情を変えずにソニンへ向き直ると、
「悪いけどな、チンピラ同士の喧嘩まで、面倒見切れんわ」
「……」
ソニンは口惜しそうに唇を噛んで俯いた。
「……それでも、遠からずそういうことにはなると思います」
「そら、向こうから喧嘩売ってくることはあるやろうけどな。けど、そんなんなんで
うちらのほうが買ったらなあかんねん」
「中澤さんは、口惜しいとか思わないんですか?」
「なあ、あんまりうちの連中を舐めへんほうがええで。いくらなんでも、街のチンピラを
よせあつめただけみたいな連中になにかされるほど、落ちぶれてへんわ」
「……ずいぶん余裕ですね」
- 195 名前:33. 投稿日:2003年04月02日(水)01時40分53秒
- 少し意地悪そうに入ってみるが、中澤は構う様子もなく、
「ああ、悪いけどうちの連中はみんな筋金入りやからな」
「……分かりました」
そう言うと、ソニンは通信機を持ったまま立ち上がった。
「前にも言いましたけど、私は中澤さんの言葉に従います。中澤さんが動けって
いうまでは、私も動きません。でも命令があれば、ニダーも全員動かせますから」
「心強いな」
特に皮肉を込めるでもなく、軽い調子で返した。
ソニンはそのまま早足で広間を出ていってしまう。その後ろ姿を見送ってから、
石川はまた柴田へ話しかけた。
「それでさ、矢口って、誰なの?」
「……あんまり、余計なことに首を突っ込まない方がいいと思うよ。病み上がりなんだし」
「けちぃ。教えてくれたっていいじゃーん」
石川は唇を尖らせて拗ねてみせるが、柴田は黙って額を小突いただけだった。
- 196 名前:33. 投稿日:2003年04月02日(水)01時41分26秒
- 「あっ、それよりさ、向こうの駐車場におっきなチョコレートの看板が
落ちてたんだけど、すっごく可愛かったんだー。ね、あれここに持ってきて
飾らない? なんか広いわりに殺風景だし」
ニコニコと笑いながら、石川が言う。柴田は呆れたように肩を竦めると、
「やだよ。めんどくさい」
「なんでよー。ピンクっぽい色で、男の子と女の子がキスしてて、すっごく
おしゃれなのにー」
「梨華ちゃんがおしゃれって言うことは……」
そこまで言うと、柴田は口をつぐんでくすくすと笑った。
「なにそれ、どういう意味よ」
石川は不満げに眉を顰めると、柴田の肩を揺すった。
険しい表情でソニンの出ていった扉を見つめていた中澤も、二人のそんな
微笑ましいやりとりを見て、少し頬を緩めた。
- 197 名前:33. 投稿日:2003年04月02日(水)01時41分59秒
□ □ □ □
球場の裏の公園には、昨夜の通しでのバカ騒ぎで疲れ果てた連中が、あちこちで
横になって眠り呆けている。冬にも関わらず上半身裸のままいびきをかいている
ものや、未だにぼんやりとした頭でクスリを舐め続けているものもいる。
公園の脇に停められた大型のバンの中には、矢口たちが乗り込んで体を休めていた。
加護はアヤカの膝の上に乗ったままクマのぬいぐるみを抱いて眠っており、その
アヤカもうとうとと身体を揺らしていた。市井と小川はまだ居心地の悪そうに
身体を縮こまらせたまま眠そうにしており、すぐに打ち解けてしまった高橋は
小川の方によだれを垂らしながらぐっすりと眠っている。新垣はきちっとした
姿勢のまま目を閉じており、それだけでは眠っているかどうかは分からない。
その新垣の横に座っている紺野あさ美は、窓のカーテンの隙間から差し込んでくる
朝日に眼を細めて、なにかを決意するかのように、薄いコートの上から胸に左手をあてた。
- 198 名前:33. 投稿日:2003年04月02日(水)01時42分30秒
- 「矢口さん」
消え入りそうな声で、紺野が話しかける。市井は薄く目を開けると、気付かれないように
紺野の方を窺った。
思い詰めたような表情で、もう一度口を開く。今度はもう少し大きめの声で。
「矢口さん……、起きてますか」
返事はない。助手席に腕を組んだまま、ぐったりと小さな身体を沈めている。
紺野はコートの内ポケットに手を入れたまま、ゆっくりと物音を立てないように
体を起こそうとした。
が、その時、矢口からの声が聞こえる。紺野は金縛りにあったように、腰を浮かせたままの
姿勢で硬直してしまった。矢口は、振り返ることもなく、低い声で呟いた。
「寝てると思った?」
「……」
「なあ、おいらなにか間違ったことしたかなあ?」
「えっ……」
「紺野って頭いいんだろ? だったら教えてくれよ。おいらがどうすればよかったのか。
未だに分からないんだよ。今やってることも、これからやろうとしてることも」
「……」
どこか弱さの感じられる口調でそう問いかけられて、紺野は身体を動かすことも
出来ないまま、応えに窮していた。
- 199 名前:33. 投稿日:2003年04月02日(水)01時43分03秒
- 目を閉じて眠っている振りをしながら、市井はどこか奇妙な空気が流れている
この二人の会話に集中した。市井が考えている以上に、矢口真里という人間は
葛藤した内面を抱えているようだった。それは、ついさっきまで交わしていた
会話の端々からも伝わってきた。
この紺野という少女との関係も、そうした葛藤の一つとして、未だに解決されないで
いるように、市井には思えた。
矢口は、膝の上で組んだ自分の両手を見つめたまま、徒然と自分のことを語り始めた。
「おいらさ、あんまり他の人の言うことって信用できないんだよね。なんか昔から
そんな性格でさ、自分の頭で考えないと納得できないっていうか、実際に痛い目に
あわないと、危ないことをやめられない子供、みたいな? だから、今でも
自分で勝手に突っ走っちゃって、気が付いたらやべーってことがよくあるんだよ。
……ホントはなっちみたいにちゃんと言ってくれる友達って、すごく貴重なんだよね」
いつもとは違う、落ち着いた口調で自分のことを語る矢口に、紺野はようやく腰を下ろすと
慎重に言葉を選びながら語りかけた。
- 200 名前:33. 投稿日:2003年04月02日(水)01時43分34秒
- 「……私には、その、政治とか、そういうのはよく分からないです」
「うん、おいらも分かんないんだよ。でも間違ってる、だからちゃんとさせないと
いけないってのは、なんか直観で分かるんだよね。おいらの場合さ、なっちから
聞いてるかも知れないけど、高校の時の友達が警官隊に殺されてね……。それが
すごく口惜しくて、ムカついて、ふざけんなって気持ちがあって、でももうあんまり
そういう気持ちも薄れちゃってんだ」
「……」
「気が付いたらだけどね。時間って怖いよね……。でもそのことがきっかけで
始めたことが間違ってるかどうかって、まだ分かんないじゃん。個人的な復讐心
とかさ、恨みはらさでおくべきか、っていうの? それが初めのアレだった
かもしれないけど、やっぱ自分で自分の行動を納得できるか、ってそれが一番
重要だと思うんだよ。いくらおいらがさあ、友達を殺されて冗談じゃないって
感情があったとしてもだよ? それって結局おいらだけの都合で他の人にとっては
どうでもいいことだったりするわけじゃん。同情くらいはしてくれるかも
しれないけど、ふーん可哀想ですねで終わっちゃうと思うんだよね。だからさ、
おいらの中で明日香……友達の名前だけど、彼女のことに関して吹っ切れたって
いうのが結構大きくてね。逆にそれがなかったら、ずっとなにも出来ずにいたと
思うんだよ……。ごめんね、なんか全然関係ない話ばっかりしちゃってさ」
「……いえ。そんなことないです……」
- 201 名前:33. 投稿日:2003年04月02日(水)01時44分07秒
- 「じゃあもうちょっと聞いてくれるかな。多分、おいらとなっちがいつの間にか
擦れ違っちゃったのって、その部分がやっぱり違ったからなのかな、って、
なんか今から考えるとさ、思うんだよね。そのころは、おいらもなんか
テンパってて、なっちの考えとかやってることがすごく鈍くさく感じたり、
イライライライラさせられたりしてたんだけど、やっぱなっちの中での明日香の
ことって、おいらよりも全然大きかったって思うし、なんていうのかな、
最終目標って言うか、最後にどこまでやれば気が済むのか、っていう部分で、
なっちの場合それがかなり曖昧で漠然としてたんだって思う。明日香を殺した
社会とか、システムが憎いし、復讐したいってところから抜け出せなくて、
じゃあ二度とそんなことが起きないようにシステムを変革していかないと
ダメだとか、そういうとこまで考えが行ってなかったんじゃないかな。
いや、行ってたのかもしれないけど、じゃあ具体的にどう行動すべきなのか、
とかそういうことを考えられてなかったって思う。でもそれはなっちの想像力
とかそういう問題じゃなくて、明日香の問題からどれだけ離れられるかって、
そこら辺だったんだろうな。なあ、紺野さ」
「あ、は、はい」
突然矢口から問いかけられて、紺野は上擦った声で応じた。
- 202 名前:33. 投稿日:2003年04月02日(水)01時44分40秒
- 「紺野と会ってさ、なっちは結構変わったと思う。紺野も家出してずっと
戻らないって言うのは、やっぱりそれなりに反抗してたわけだろ?」
「え、ええ、まあ……」
「こう言っちゃアレかもしれないけど、なっちの中で、自己像……って言って
いいのかな。そう言うのと、紺野のことってなんか被ってたような気が
するんだよね。なにかに反抗したいっていうか、不満とかやってらんねーよって
感情とか、そういうのがすごく溜まってて、でも発散のしようがなくて
グチャグチャに吹き黙ってるって言うか、うまく言えないんだけど、紺野に
そう言う感じを受けたんじゃないかな。だから、やっぱり次の段階に行きたいって
気持ちはあったと思うんだけど、なっちは明日香のことが大きすぎてそれが
出来なくて、だから紺野とかと一緒に考えればそこから抜け出せるって、
そう思ってたって感じがする。……なんかなに言ってるのかよく分かんないね」
「……」
「考え過ぎなのがダメなのか、おいらみたいに考えなさすぎで突っ走っちゃう方が
やばいのか、どっちか分かんないよな。それは今でもそうだよ」
そう言うと、自嘲的にくすくすと笑いながら続けた。
- 203 名前:33. 投稿日:2003年04月02日(水)01時45分10秒
- 「CMでさ、やっちゃえ、まずやっちゃえって変なオッサンが言うやつあったじゃん?
おいらやっぱり臆病なんだよ。だからやっちゃえって言われても全然ダメだしさ、
それでクスリとかに頼って無理にテンションあげないとどうしようもないし、
でもそれで間違っちゃうこともやっぱあるんだよ。勢いだけだからさ。けど
おいらは間違ってもいいから、考えすぎでなにも出来ないでいるよりも
勢い任せでやっちゃったほうがいいって、それは自分で選択したんだよ。
紺野はおいらとはあんま話したことなかったし、なっちに可愛がって貰って
たから、なっちを撃ったおいらに復讐しようって言う気持ちはよく分かるんだ」
「……っ! そ、それは、私そんなこと……」
紺野は不意打ちを食らったように激しく目を瞬かせると、拳銃の収められている
内ポケットをコートの上から強く握りしめた。
- 204 名前:33. 投稿日:2003年04月02日(水)01時45分41秒
- 「いいんだ。紺野がそう思う気持ちって、おいらとかなっちが、明日香を殺されて
ムカついてる気持ちと同じだって分かるから。けどさ、おいらまだ自分のやってる
ことが間違ってるのか正しいのか、まだ結果出せてないと思うんだよ。今から
やりたいことも、やんなきゃいけないこともあるし、それでひょっとしたら
凄くいい結果が出てくるかもしれない。もちろん悪い結果だってありえるけど、
でも、ここまで勢いで来ちゃったんだからさ、おいらを最後まで行かせて
くれないかな。ここで終わっちゃったら、なっちだってどんな結果のために
死んだのかって、分からないままじゃん」
「……」
「おいらがやりきっちゃったらさ、別に撃ってくれてもかまわないんだよ。
実際それだけのことをおいらもやってるわけだし。だけど、もうちょっとだけ
待って欲しいんだ。な、ダメかな、紺野?」
「……」
率直な口調で矢口からそう言われても、紺野は未だ言葉を発することが出来ない
まま、自分の身体を抱きしめるようにして座席の上で固まっていた。
助手席に座ってじっと正面を見つめたままの矢口。その横顔は、整っているが故に
さまざまな感情を内面に押しやって堅くガードしているかのように見える。
紺野はそんな横顔をじっと見つめたまま、頭の中をかき乱そうとする説明しようの
ない強い感情の流れを持て余していた。
- 205 名前:33. 投稿日:2003年04月02日(水)01時46分24秒
- 市井は二人のやりとりの一部始終を聴き終えると、気付かれないように全身の
力を抜いてシートに身を沈めた。
あの安倍と矢口真里、そしてこの紺野という少女の間に流れている複雑な感情の
流れは、徹夜明けで疲れ果てた頭で纏め上げられるほど、単純なものではない。
駅のホームで何者かに線路に突き落とされたのを目撃したのが、市井と安倍との
最初の出会いだった。その時に連れて行って貰ったのが、先刻の会話の中にも
現れた福田明日香という女性の家だった。
市井はその時に見た福田の遺影を思い出していた。多少幼さは残っているものの、
利発さを感じさせるその表情は生前の充実した生活ぶりを示しているものだった。
しかし、市井の知っている安倍なつみは、二人の会話に現れる人間とはかなり
食い違っている。なにより彼女は死んでいないし、銃で撃たれて重傷を負っている
ような様子もなかった。
小川と高橋が、恐る恐る、といった口調で自分に話してくれたことを思い出す。
重傷を負って苦しんでいた自分を救ってくれたのは確かに安倍だった。が、では
彼女がどんな方法で治療をしてくれたのか、そのことに関して、二人はよく理解
出来ないような説明をしていた。
その時は、市井の性格として、実際こうして怪我が治っているのなら細かいことは
どうでもいいだろう、と思って適当に受け流していたのだが、ひょっとして
そこにはなにか重要な秘密が隠されているのかもしれない。特に、この三人に
取って、非常に重要な意味を持つなにかが。
- 206 名前:33. 投稿日:2003年04月02日(水)01時46分54秒
誰かがクルマに駆け寄ってきて、激しくドアを叩いてる。矢口はゆっくりと
身を起こすと、ウィンドウを開いて身を乗り出した。
「なんだ? どうした?」
クルマの外に立っていたのはミカだった。荒く息をつきながら、ミカは矢口へ
向かって顔を突き出すと、
「わ、私たちの住処が、誰かに襲撃されて、……全焼させられました……!」
「なんだって? おい、どういうことだよ?」
矢口は眉を顰めると、扉を開いて表へ飛び降りた。
「昨日の夜に、夜だと思うんですけど、家の見張りに出してたみんなも、中に
残っていたのも全員殺されてて、それも全部燃やされちゃってるんで本当に
なにが起こったか分からない状態なんです」
所々で舌を噛みそうになりながら、ミカはおぼつかない日本語で説明した。
矢口は苛立ちを抑えるように頭を掻きむしると、
「誰か現場から戻ってきたヤツとかいないのかよ!?」
「いないんです。もう、全員やられちゃってて、その、うちらも滅茶苦茶動揺
してるんですよ! だから矢口さん、なんとかこれは……」
「なんとかじゃねえよ、これは、うちらへの宣戦布告だろ……?」
低い声で呟くと、後ろ手に腕を組んでクルマの周囲を歩き始めた。
- 207 名前:33. 投稿日:2003年04月02日(水)01時47分28秒
- 「誰だ、どいつだ……? 主要なチームの頭は大体押さえてるはずだし、弱小が
いくら集まったってそんな芸当は出来るわけがない。……あの時にきた保田と
後藤とか言う二人組か? でも連中がそんなことする理由はないよな……。
ニダーとか言う連中がいたな……。在日の不良を中心にして、外国人の連中が
中心になってる……奴らは結構集まってるって聞くし、あと、裕子がヤクザの
残党どもを集めてる可能性だってあるだろ……? あいつはおいらを潰さないと
いけないって思ってるだろうからな……。ちくしょう、誰がやったか知らねえけど、
絶対に許さねえぞ……。おいらの邪魔をするヤツは、みんなぶっ殺してやる……!」
ブツブツと言いながら歩き回っている矢口を、ミカや市井、紺野はただ呆然と
したまま見守っているだけだった。
- 208 名前:33. 投稿日:2003年04月02日(水)01時48分00秒
- と、その時ずっと眠り呆けていた高橋が、大きく伸びをしながら目を覚ました。
「んぁああ〜、よぉーっく寝たあ。はあ、私お腹空いちゃったんですけどぉ
なにか出してくれたりとかしませんかね? ね?」
「戻るぞ」
矢口は助手席へ乗り込むと、高橋は完全に無視してアヤカを叩き起こした。
「……えっ? 、あ、はい」
「四区の方に使えそうな廃ビル押さえてあるだろ。そこに全員を集めるんだ。街を
泳がせてるチームの連中も全員だ!」
「……はぁあ〜、どうしたんですかぁ? コワイ顔してぇ」
加護が眠そうに目を擦りながら、矢口の顔を見上げて言う。
「おいらが油断しすぎたんだ。まだ東京はムチャクチャな状態だったんだ。
くそっ、少し調子に乗りすぎたかもしれない……」
そう言いながら、口惜しそうに唇を噛んだ。
加護は不思議そうな顔をして、矢口とアヤカの顔を見比べている。が、すぐに
飽きてしまったように、また眠り込んだ。
- 209 名前:33. 投稿日:2003年04月02日(水)01時48分32秒
- 「……矢口さん、なにが……?」
同じく今さっき目覚めたばかりの新垣が心配そうな顔で問いかけるが、矢口は
深刻な表情で俯いたまま答えようとはしない。
高橋は相変わらずきょとんとした顔で、起きたばかりの小川に耳打ちした。
「やっぱちょっと一緒にすごしただけで馴れ馴れしすぎたかね」
「……」
加護を膝の上で眠らせたまま、アヤカはバンを四区へ向かって動かした。
市井は剣呑な空気の中、ただじっと成り行きを見守ることしか出来ないでいた。
- 210 名前:更新終わり 投稿日:2003年04月02日(水)01時49分05秒
- >>183-209 33.チョコレート革命
- 211 名前: 投稿日:2003年04月02日(水)01時49分36秒
- >>182名無しAVさん
ネタの成分は高いですね。使うネタによって古参がバレますけど(w
いつもレスありがとうございます。
- 212 名前:名無しAV 投稿日:2003年04月02日(水)18時34分56秒
- ぬぉああ!!おもしれーー!!
もうここの矢口が好きで好きでしょうがないです。
市井のポジションもリアルと近い気が勝手にします。
- 213 名前:34. 投稿日:2003年04月06日(日)01時52分54秒
34.さよなら
無骨な鋼鉄で組まれた、骨組みだけの箱。朝礼台というのだろうか、校庭の
真ん中にぽつんと転がっていたそれに腰をかけて、後藤真希は退屈そうに
両脚をぶらぶらと揺らしていた。だだっ広いこの敷地のどこにも人影は見る
ことが出来ない。普段は子供たちの明るい声で溢れている学校も、人がいなく
なってしまえば充分に非日常的で不気味な空間だ。どんな力の加減か縦に
倒れたサッカーゴールが太い桜の木に寄りかかっており、その根元にかなり
使い込まれた感じのサッカーボールがいくつも転がっていた。
校舎の屋上へと目を向ける。雨水が染み込んで黒ずんだ壁に、びっしりと
蔦がからみついて、その裏側に細かく走っているヒビが透けて見える。
学舎というよりも暗鬱な牢獄といった印象を持ってしまう。しかし今では、
いずれにしても誰も気味悪がって寄りつかない、哀れな死骸だ。
- 214 名前:34. 投稿日:2003年04月06日(日)01時53分25秒
- ここからは見えないが、保田圭は屋上で自前の通信機器を広げて、熱心に
情報収集にいそしんでいるのだろう。
なにを目的にしているのか、どこからそんな情熱が生まれてくるのか、後藤には
分からない。基本的にあまり他人には関心を抱くことのない彼女だったが、
一度不思議に思って保田本人に聞いたことがある。
- 215 名前:34. 投稿日:2003年04月06日(日)01時53分56秒
- まだ紺野と出会う前のことだ。その日は一日中、無数に乱立している露店に
片っ端から声をかけて、使えそうな機材の部品などを買い集めていった。
保田が持っていたドル紙幣の札束は、どこへ持っていっても通用した。相場などは
まだはっきりとしていない段階だったので、口先と甘言と脅しを使い分けて
交渉する保田のことを、黙って付き合っていた後藤はおかしそうに観察していた。
ターミナル周辺の広場には多くの難民が集まっていた。保田と後藤は木陰の
一角に場所をとると、手早く簡易テントを組み立てて中に潜り込んだ。と、ほぼ
同時にパラパラと雨が降り始めた。
「タイミングバッチリじゃん。ついてるね」
後藤が雨粒の影が伝っていくのを見上げながら言うのに、保田は不敵な表情で、
「そんなの最初から計算済みで行動してるに決まってるでしょ」
「またまたぁ」
「ほら、今夜の夕食」
そう言うと、ラップで雑にくるまれた、冷え切ったフランクドッグを放った。
- 216 名前:34. 投稿日:2003年04月06日(日)01時54分29秒
- 「こんな食事じゃパワーでないよ」
「そんなゼイタク、今に言ってらんなくなるわよ」
「分かってるけどさぁー」
「分かってるなら黙ってありがたくいただきなさい」
保田はなぜか可笑しそうな口調で言うと、堅いパンを噛み千切った。
後藤が寝袋にくるまって眠ってしまった後も、保田は黙々と自分の作業に
没頭していた。もっとも、どちらか一人が起きていないと危険な状態では
あったのだが。二人で一緒に行動が出来るというのは、かなりの僥倖だった。
明け方近くになり、後藤は薄く目を開いた。あぐらをかいた保田が細かい
基盤や針金などを広げて指先で細かい作業を続けている。
「……けーちゃん、眠くないの?」
「ん?」
保田は顔を上げると、額に張り付いた前髪を払って、
「もうちょっと寝てていいよ。まだやること残ってるから」
「それ、なにやってんの? 盗撮カメラ? タシーロ?」
「バカ」
笑いながら言うと、数本の銅線を捻ってジャックにねじ込んだ。
「情報収集はちゃんとやっておかないとね」
「けどさー、もうこうなっちゃったら仕事もなにもないじゃん」
「仕事とは関係ないの」
「じゃあ趣味?」
「趣味というか、うーん……」
- 217 名前:34. 投稿日:2003年04月06日(日)01時55分01秒
- 腕組みをすると、少し考えてから答えた。
「なんつーか、ビョーキみたいなもんかも」
「あはは、なにそれ」
「ていうか、あんたみたいに世界になんの興味もなしに生きられるっていうのも
逆の意味でビョーキだよね」
「そうかな?」
「そうでもないのかな? 今の十代ってみんなそんなん?」
「そっかー、けーちゃんもうおばちゃんだから分からないよねー」
「おばちゃん言うなっての! ……ホントに気楽で、たまにうらやましくなるよ」
「たまになんだ」
「そりゃ、あんま気楽を極めるのもどうかと思うからさ」
「そっかなー」
後藤は寝袋を開くと、上半身を起こしてゆっくりと伸びをした。
「あたしはあたしにしか関心ないけどなー」
「ま、あんたはそれでもいいよ」
保田はそう言うと苦笑した。
「どうせつんくさんに言われてるんでしょ。余計なことにクビを突っ込むな、
依頼内容だけをこなして、深入りするな、それが優れた工作員の条件だ、って」
「うんうん。けーちゃんもなんだ」
「まあね。でもなかなか人間そうはいかないよ」
「じゃさ、後藤の方が優等生ってことじゃない?」
「そうなるかもね」
- 218 名前:34. 投稿日:2003年04月06日(日)01時55分33秒
- それから、しばらくは沈黙が続いた。後藤は保田が作業を進めるのを、黙って
じっと見つめていた。
やがて、なにかを思いついたように口を開いた。
「あのさ、一っこ訊いていい?」
「なんでもどうぞ」
顔も上げずに、保田が言う。
「もし急流とかで人が溺れて死にそうになってたら、けーちゃんだったら助ける?」
「そりゃ助けるよ」
「自分が死んじゃう可能性があっても?」
「うーん、どうだろうね。でも多分助けるんじゃないかな。咄嗟にそんな現場に
出会したらね。後藤はどうなのよ」
保田はそう言うと後藤へ顔を向けた。
「犬とかネコだったら助ける。人だったら助けない」
「ははは……。あんたらしいね」
脱力したように笑うと、また作業へ戻った。
- 219 名前:34. 投稿日:2003年04月06日(日)01時56分06秒
「けど、けーちゃんが助けるって言うなら、助けるかな」
「なんだよそれ」
呆れたように言うと、また顔を上げた。
「一回だけね。今度困ってる人に会ったら、助けてあげようかなって」
「一回だけなんだ。ケチだねー」
「後藤的にはこれでも大サービスなんだけどー」
「はいはい、じゃあ今度なにかあったらちゃんと助けてやってね。私はもう寝る」
保田は広げていた機材類を片すと、その場に横になった。
「おやすみー。これ使っていいよ」
後藤はそう言うと、さっきまで使っていた寝袋を投げた。
「いいって。私こういうの慣れてるから」
「さすがー、野人系だよねー」
「下らないこと言ってないで、ちゃんと起きててよ。あんた油断するとすぐ
寝ちゃってるんだから」
「大丈夫大丈夫。安心してお眠りなさい」
どこかからかうような口調で言うと、鼻歌でモーツァルトの子守歌を軽く歌った。
保田は少し笑うと、黙ったまま目を閉じた。
- 220 名前:34. 投稿日:2003年04月06日(日)01時56分41秒
□ □ □ □
朝礼台から飛び降りると、ジャングルジムの側を通り過ぎ、のろのろと
桜の木の下まで歩いていった。
後藤はサッカーボールを拾い上げると、人差し指の先でくるくると回した。
砂埃で汚れたボールは、泥を落としながら回り続けている。後藤はそれを
じっと見つめたまま、白い息を吐いた。
「回る回る地球は回る、誰のためにでもなく、ただ回る……」
呪文のように呟くと、指先でボールを弾いて蹴飛ばした。
高く飛翔していったボールから視線を逸らさずに、後藤はポケットからすばやく
拳銃を抜くとトリガーを引いた。
空中で撃ち抜かれたボールは、粉々に弾けてささくれ立った破片を降らせた。
火薬臭い煙を上げている拳銃を見る。リボルバーが剥き出しになった、無骨で少し
古めかしい拳銃だった。
射撃はもう何年ぶりかだったが、意外にあたるもんだな、と後藤はぼんやりと思った。
- 221 名前:34. 投稿日:2003年04月06日(日)01時57分11秒
- 溜息をつくと、携帯PCを取りだして受け取ったばかりの最新のメッセージを
表示させる。それから、過去の保存されている指令をつらつらと眺めていった。
件名:女を捜せ
自分で適当に命名したファイルを見て、後藤は頬を緩めた。
今となっては何の価値もない情報。しかし後藤は削除する気にはなれなかった。
つんくが実際に誰を捜していたのかはよく分からない。今では誰もが知っている
存在になってしまった加護亜依なのか、矢口の腹心の新垣なのか、ひょっとしたら
矢口本人のことを子供だと言っていたのか、あるいは他の誰かなのか、いずれに
しても、つんくが失脚してしまった以上はどうでもいいことになってしまった。
- 222 名前:34. 投稿日:2003年04月06日(日)01時57分46秒
- 校舎の方から、肩にカーキ色のバッグを提げた保田が歩いてくるのが見える。
後藤は目を細めると、携帯PCを閉じて駆け寄っていった。
「相変わらずよくやるねー」
保田は、屋上の風でぼさぼさに拡がった頭を撫で付けながら、苦笑して言った。
「自分でもそう思うよ。ヤッスーエライ! ってね」
「いや、後藤は褒めていったんじゃないんだけど」
「なんだよ」
口を尖らせながら勝手に歩いていってしまう。後藤も慌てて後を追った。
「なにか面白い話とかないの?」
「アメリカが介入したくてしょうがないみたい。横須賀に基地があるから、
入ろうと思えばすぐだもんね」
保田は早足で歩きながら、振り返らずに話す。バッグの中からがちゃがちゃと
金属が触れ合う耳障りな音が漏れてきている。
「ふーん、そりゃそうだろうねえ」
「周辺の県が牽制しあって手を出せない、みたいなこと前に言ってたけど、
なんか違うっぽいね。もう大分経ってるのに、東京に入ってくるのは民間の
ボランティアばっかで、それもロクに警備も用意しないでのこのこやって
くるからいい餌食にしかなってないんだけどさ」
「……それってさ、やっぱり」
「どっかからストップがかかってるんだろうね」
しれっとした顔で言う保田に、後藤は笑いながら、
「どっかって。そこ伏せなくたっていーじゃん」
「ま、そっか」
- 223 名前:34. 投稿日:2003年04月06日(日)01時58分19秒
しばらく歩くと川沿いの道に出る。土手が所々で崩れ落ちて、浅い流れの
川をあちこちでせき止めている。コンクリートの隙間から、黒ずんだ汚水が
垂れながられ、剥き出しになった土壁からは、早くも青々とした雑草が、
しぶとく根を張って勢力範囲をひろげていた。
踏み潰されたようなマンション、荒らされたコンビニ、廃車の群れ、焼けこげた
一軒家、瓦礫の山、果てしなく続いていそうな道には、そんな光景が変わる
ことなく繰り返された。
「けーちゃん」
後藤が言う。保田は前を向いたまま返す。
「なに?」
「どこ行くの?」
「わかんない」
- 224 名前:34. 投稿日:2003年04月06日(日)01時58分53秒
- 辺りは物音一つしない。うっすらと白い雲が覆っている空で、いくつかの
大きな塊がのんびりと流されていく。
二等辺三角形の鳥の群が編隊飛行をしている。西風が、冷たい空気を運んで
通り過ぎていく。二人の地面を踏みしめる足音だけが、淡々と響いている。
「私ちょっと考えてみたんだけど」
保田が言う。
「なにを?」
「加護亜依がふわふわ浮かんでられる理由」
「うん」
後藤はあまり気のない様子で返事をする。
「あれさ、ホログラムかなにかなんじゃない? 本物の加護亜依はどこか
別の場所にいて、あれは偽物なんだよ」
保田が説明するのに、後藤は振り返るとプッと吹きだした。
「それはないよー。だってこないだ会ったときちゃんと触れたし、突き抜けたり
しなかったよ」
「だからさ、どういう仕組みかテクノロジーか分からないけど、複製で中身が
スカスカだから、飛んだり、瞬間移動……というか複製だからいろんな場所に
パッと出現できたり……ダメかな」
「ダメだと思う。よく分かんないけど」
後藤はそう言うと笑った。保田は苦笑いを浮かべると、溜息をついた。
- 225 名前:34. 投稿日:2003年04月06日(日)01時59分27秒
- それからまた、しばらく会話もなく二人で歩き続ける。
電柱の下に、破壊された『眼』が錆び付いた鎖でぐるぐると巻かれ、何十機も
処理を待っているように積み上げられていた。
「けーちゃん」
後藤が言う。
「なに?」
「やっぱりさあ、これ返すよ」
保田は足を止めて振り返る。後藤は一発だけ撃った拳銃を差し出している。
「なんでよ」
「わかんない」
「はあ?」
「ただなんとなくいらないかなー、って」
「なんだそれ」
呆れたように肩を竦めると、苦笑いを浮かべて後藤の手を握った。
「いいから持ってなさいって。役に立つかもしれないんだからさ」
「けどさ」
「私からの餞別だと思ってさ、受け取ってよ」
そう言うと、軽く二、三回くるくると回して、また後藤の手に握らせた。
そして、また前を向いて歩いていってしまう。
ぼんやりとその後ろ姿を見送っていた後藤だが、すぐに足早に保田の後を追った。
- 226 名前:34. 投稿日:2003年04月06日(日)02時00分26秒
- 「知ってたんだ」
「まあね」
保田は振り返らない。軽くウェーブのかかった髪を靡かせている横顔は、
いつでも迷いのない表情を浮かべているように見える。
「あーあ、敵わないな」
「腐っても先輩だからね」
「ははは、自分で腐ったとか言ってんの」
「先回りして言っちゃったほうが楽じゃん」
そう言うと笑った。
しばらく二人で黙ったまま歩いていった。川沿いの風景は変化することもなく
ずっと続いている。
後藤は両手で弄んでいた拳銃をポケットに収めると、
「それじゃ貰っとこうかな」
「そうしなよ。私だと思って大事にしてよね」
「えーっ、それはどうだろう」
へらへらと間の抜けた顔で笑いながら言う。
保田は微笑を浮かべると、別の路地が続いている分岐点で立ち止まった
「じゃ、さよならだね」
「そだね」
後藤は言うと、ひらひらと手のひらを振って笑った。
保田は軽く右手を挙げると、また背を向けて路地を歩いていく。
- 227 名前:34. 投稿日:2003年04月06日(日)02時01分12秒
- しばらく小さくなっていく背中を見送った後、後藤は再び川沿いの道を、
ゆっくりと歩き始める。
空が少し陰り始めていた。
- 228 名前:34. 投稿日:2003年04月06日(日)02時02分01秒
- 34.さよなら >>213-229
- 229 名前: 投稿日:2003年04月06日(日)02時02分37秒
- >>212名無しAVさん
市井の設定だけはリアルにしてるんですよね。アンリアル内リアルって感じで。
まあ古参で市井ヲタは割と屈折してる人が多いです(w
明日も更新します。多分。
- 230 名前: 投稿日:2003年04月06日(日)02時14分56秒
- 訂正。直したつもりだったんだけどな……
>>220
×リボルバー
○シリンダー
大した意味はないけど。
- 231 名前:35. 投稿日:2003年04月07日(月)00時33分20秒
35.モーニングコーヒー
「ああ、胃が痛い……」
大袈裟な声を挙げて腹部を押さえると、安倍は眉を顰めてかぶりを振った。
「大丈夫ですか?」
隣を歩いていた吉澤が、心配そうに顔を覗き込む。
「うん、なんかここんとこずっとストレスが溜まるような出来事が連続してて、
ちょっと辛いかなー、なんて」
が、その時冷たい口調の声がアタマの奥から聞こえてきた。
>>胃壁には全然異常ないけど。
(余計なお世話だよ……! 気分なの! 気分で痛くなってるのっ!)
>>あとね、胃のある場所ってもっと上だよ。
福田の言葉に、安倍は仏頂面のまま、そろそろと腹の上に置いた手を上方へ
滑らせた。
>>なーに下らないこと言ってあの娘の気を惹こうとしてるんだか。
(そ、そんなんじゃないよ)
安倍は、心配そうな表情で見つめて来ている吉澤を一瞥すると、照れたように
顔を伏せて、
「でもなにやってんだろ、あの三人。事故にでもあってなければいいんだけど……」
「そうですね」
吉澤はそう言うと、心なしか足を速めたようだった。
その向こうで、辻がどこか不満そうな表情で黙って歩いている。
- 232 名前:35. 投稿日:2003年04月07日(月)00時33分52秒
- あの晩、結局高橋と小川も、二人を探しに行った市井も帰ってくることはなかった。
市井が無傷でいることは福田が保証してくれていたものの、それでも三人が
なにかのトラブルに巻き込まれた可能性というのは充分考えられる。
東京に残っている人々は、時が経つにつれてさらに局所化していった。安倍たちが
生活している集落などのような場所に大勢の人々が集まっている一方で、
人気のない場所はさらに危険で寄りつくことの出来ない領域になってしまった。
安倍、吉澤、辻の三人は、球場へ向かうために、土手をおりて薄暗い路地の
中を肩を寄せ合って進んでいた。集落から大して距離が離れているわけではないが、
あっというまに人間の気配が消え、無機質な瓦礫と不意打ちを窺っている
犯罪の予感だけがその場を支配していた。
安倍はコートの上から、内ポケットに入れっぱなしになっている拳銃を触った。
といっても、自分がそれを使っている姿など、想像することも出来なかった。
とても矢口のようにはいかない。安倍はそんなことを考えてしまう自分に、
苦笑せざるを得なかった。
- 233 名前:35. 投稿日:2003年04月07日(月)00時34分26秒
- 路地を抜け、だだっ広い駐車場へ出た。途端に風が強くなり、歩調の合わない
三人の髪を乱した。
カラスたちにズタズタにされたポリバケツの蓋が、敷地をよろよろと横切っていく。
まばらに駐車されているクルマは、どれも例外なく窓が叩き割られて、中は荒らされた
上で大量のゴミを詰め込まれて転がされていた。風に揺らされてミシミシと
不快そうな音を立てているそれは、屍肉さえも貪られてうち捨てられている
動物の残骸のように見えた。
安倍は、吉澤のコートに開いている小さな穴が気になって仕方がなく、右側を
大股で歩いている彼女へちらちらと視線を送り続けている。
近い間隔で四つ開けられている、名前のない星座のような穴の正体を、安倍は
分かっている。今は仮設住宅の奥のアクリルケースへ畳んでしまってある
自分のシャツに開けられているものと同じだ。
中澤のことを思いだしてみる。安倍は、実際に中澤と顔を合わせたことは
一度しかない。通信機を通して話していたときの、緊張感のある強面なイメージは、
実際にあったときにはあまり感じられなかった。
ただ、ヤクザというだけあって、そこら辺の不良とは全く違うアクの強いオーラが
周囲に放たれていたのは感じることが出来た。ただ、それは生来のものと
いうよりも、環境の中で本人も気付かないうちに纏わされてしまったものの
ようにも見えた。
- 234 名前:35. 投稿日:2003年04月07日(月)00時35分05秒
- 安倍が反政府的な活動に関わるようになったのは、福田が死んでから半年ほど
経った頃、高校二年生の時だった。どこからそう言う情報が漏れ出すものなのか、
安倍は初めは不信感を抱いて心を開くことはなかったが、図書館で勉強していた
安倍に話しかけてきた、厭世的な雰囲気を持った青年から詳細を聞かされ、
自分と同じ境遇に追いやられた人間に対するシンパシーが生まれた。それが
具体的な行動へと昇華されるまでには、それほど時間はかからなかった。
最後まで安倍に本名を開かすことのなかった彼のことを、安倍は親しみを込めて、勝手に
「カエルくん」というあだ名で呼んでいた。彼は腰からぶら下げた金属製のポーチに
いつも小さな青ガエルを入れて連れ歩いており、理由は分からないが、その変わった
ペットのことをすごく愛しているようだった。
ある時、エサをやろうとしてポーチを開けたところをカエルは跳びだし、それを
追って車道へ飛び出した彼は、猛スピードで走ってきた青いスポーツカーに
はねられて即死したのだったが。
なにかを愛すると言うことは命懸けなんだな、と安倍は葬儀の席で思ったりした。
- 235 名前:35. 投稿日:2003年04月07日(月)00時35分39秒
- 「カエルくん」の祖父もまた、福田が警官に撲殺されることになった暴動の現場に
居合わせていた。その場では命を落とすことはなかったものの、どこかから
投げられてきた火炎瓶が運悪く直撃し、全身火傷を負って四日後に病院で
息を引き取った。
その直前に、彼は自分を救おうとして警官に殴られた少女の話をしたのだった。
「カエルくん」がどのようにして福田のことを調べ、そこから安倍のもとへ辿りついた
のかは詳しく聞いたことはなかった。ただ、安倍にとっては彼が同じ悲しみと
怒りを抱えた人間であるという現実さえあれば、それで充分だった。
安倍が参加した時点では、組織自体はまだそれほど大きなものではなかった。
人数自体はかなり存在しているという話は聞いていたが、緊密に連絡を
取り合っているというわけでもなく、安倍たちにしても、定期的に人気のない
場所に集まってはひそひそ話を繰り返すだけで、具体的な行動としてそれが
実を結ぶことはなかった。
変わってきたのは、矢口を引き入れて、矢口の紹介で中澤の組からの協力を
得られるようになった頃からだ。ちょうど福田の死から一年が経過していた。
そして、「カエルくん」が死んだのもそのころだった。安倍が大学へ入り、しばらく
新しい環境の中で組織から距離を置いている間に、組織は自分の知らないほど
大きく複雑なものに成長してしまっていた。
- 236 名前:35. 投稿日:2003年04月07日(月)00時36分12秒
- 今でこそ、中澤を通じて公安のつんくからの協力があったことが判明しており、
短期間で急速に組織が巨大化したことにも納得が出来たが、当時はただ単純に、
一つの大きな流れが自分を置いて行ってしまうことに余計な焦燥ばかりを感じていた。
が、一方ではこれまで空転し続けるだけだった考えが、具体的に形をなして
いく様子に、気分が高まっていくのも感じていた。例えそれが外部からの
コントロールがなければ成立しなかったとしても、自分の蒔いた種がちゃんと
芽吹いて、成長していった結果であることは間違いはない。
矢口は中澤のことを、「小さい頃にすごく可愛がってくれたお姉さん」だと
言っていたのだが、都心にある中澤組のビルの会議室で顔を合わせた二人からは、
あまりそうした雰囲気は感じられなかった。わざとらしく矢口を抱き寄せる
中澤の目は笑っていなかったし、矢口が見せる笑顔は普段安倍たちに見せるものとは
微妙に異なっていた。もちろん、直観的にそう感じたと言うだけで、不躾な
ことを発言したりするほど、安倍も世間知らずではなかったので、その場は、
まあいろいろな人間関係というものもあるんだろう、と考えて流してしまっていた。
- 237 名前:35. 投稿日:2003年04月07日(月)00時36分45秒
- 思えば、あの時に矢口と中澤の微妙な空気に気付いていれば、そして、自分が
二人のかすがいになることが出来ていれば、あんな失敗を起こすことは
なかったんじゃないだろうか。
とはいえ、安倍が二人の間でなにかが出来るかなんて、全く分からないことだったが。
- 238 名前:35. 投稿日:2003年04月07日(月)00時37分22秒
- 「安倍さん」
辻が話しかけてきている。安倍は物思いから脱すると、
「ん? なに?」
「カゴアイって子のこと、なにか知りませんか?」
「カゴアイって?」
「ほら、あの、矢口真里と一緒にいて怪我を治しちゃう……」
「あ、ああ、そんな名前だったっけ、確か。ほら、みんなあいぼんって呼んでる
からさ、でも加護ってあだ名じゃなかったっけ」
「どっちでもいいですけど」
そう言うと、辻は笑った。不揃いな八重歯がいつも目に付く。飯田らしい趣味だ、
と見るたびに安倍は思ってしまう。
カラスの舞っている空を見上げて、少し考えてから、辻の方を振り向いて言った。
「なんかよくわかんない。鳥みたく空飛んだりしてるし」
「安倍さんは、あいぼんを始めて見て、どう思いましたか?」
「ど、どうって」
- 239 名前:35. 投稿日:2003年04月07日(月)00時37分55秒
- 昨晩の福田の言葉を思い出した。この辻希美という少女が、なにをどこまで
知っているのか、なにを目的にここへやって来ているのか分からないから、
不用意に発言すべきではない。
それに、辻は安倍の中に感染している──この言い方は好きではなかったが──
福田のことにはすでに気付いているらしかった。
福田は結局安倍に詳しい話はなにもしてくれていなかったが、怪我人の治療を
するときの加護の様子と、市井の怪我を治療したときの自分を思い返してみれば、
無関係であるとは考えることは出来ない。
恐らく辻もそのことに気付いているから、安倍へ誘導尋問をしているのかもしれない。
無防備で脱力した辻の笑顔を見ると、飯田は本当にうまいことデザインしたものだ、
と感心してしまう。ヒマを見てはイラストなどを熱心に描いていた成果と
いえるのだろうか。
- 240 名前:35. 投稿日:2003年04月07日(月)00時38分30秒
- 「まあ、ビックリしたよ。超能力って本当にあるんだーっ、て」
正直、福田の言いなりになるのも安倍はシャクだったのだが、なにも知らされて
いない以上当たり障りのないことを言うしかない。
福田の性格は自分が一番よく知っている。ある意味生殺与奪を握られている
今の状態で、あまり彼女を怒らせるのも怖かった。
「フツーの人だったらそうですよねぇ」
辻はそう言うと、含みのある笑顔を返した。
なんとなく、子供二人に挟まれて口々にからかわれている気分になってしまう。
安倍は唇を尖らせたまま、何とも言えない笑みを浮かべて、
「フツーの人だもん、なっちは」
「へへへ」
そんな二人のことを、相変わらず不安げな瞳で吉澤は見比べている。
- 241 名前:35. 投稿日:2003年04月07日(月)00時39分05秒
- 球場の周辺は、昨晩の喧噪が嘘のように、ぐったりとした倦怠感が覆い尽くしていた。
酔いつぶれて、踊りつかれて眠っている連中は、寒さをものともせずに薄っぺらい
毛布にくるまっただけであちこちで横になっていた。
矢口の仲間たちはすでに引き払っていったあとのようだった。残されているのは、
無気力を引きずったままなにもやることがない暇人ばかりだった。
ざっと見渡した限りでは、その場に市井たちの姿を見ることは出来なかった。
とはいうものの、ここで寝そべってる連中にいちいち頭を下げて訊いて回るのも
気が滅入る作業だ。
「中に入ろうか」
あまり期待は出来なかったが、安倍は一応探せる場所は見ておくつもりだった。
「そうですね」
吉澤も神妙な面もちで頷く。三人はなるべくその場の人間の気を惹かないように、
そろそろと静かな足取りで球場の入り口へと向かった。
- 242 名前:35. 投稿日:2003年04月07日(月)00時39分40秒
- 中へ入っても、拡がっている光景は表と大して変化はなかった。酔いつぶれた
金髪やデブやスキンヘッドがそこかしこで死体のように寝そべっていたり、
一夜明けて急に揺り戻しが来たのか、絶望的なオーラを出したまま蹲っている
ものもおり、中には未だに肩を組んだままよろよろと身体をくねらせながら、
妙な歌を歌っているタフな集団もいた。
安倍は周囲の空気に呑まれないように、ぐっと奥歯を噛みしめると、球場内に
視線を彷徨わせた。
やはりここにも三人の姿を認めることは出来ない。安倍は溜息をつきながら、
広い敷地の中程まで歩みを進めた。
その時、二塁側ベンチの奥にふと気になるものを見つけた。
安倍は視線を戻す。そして、次の瞬間カッと顔を紅潮させた。
- 243 名前:35. 投稿日:2003年04月07日(月)00時40分19秒
- 「あ、安倍さん?」
急に二塁側ベンチの方へ早足で歩いていく安倍に、吉澤が慌てて声をかけた。
が、安倍は振り返らずにどんどん進んでいってしまう。吉澤と辻は、困惑したように
顔を見合わせると、安倍の後を追っていった。
ベンチには二人連れの女性が腰をかけて、呑気に朝食のパンを齧ったり
缶コーヒーを飲んだりしながら談笑していた。
そのうちの一人、隻眼のサングラスをかけたショートカットの女性が安倍の
接近に気付くと、驚いたようにその場で立ち上がった。
連れの、ボロボロの枯葉色のコートを羽織った女性が不思議そうな顔で彼女の
ことを見上げるが、すぐに安倍の方に視線を向けると、どこかばつの悪そうに
首を竦めて目礼をした。
- 244 名前:35. 投稿日:2003年04月07日(月)00時40分58秒
- 「お久しぶり」
無理矢理抑制したような口調で安倍が話しかける。一旦立ち上がった女性も、
観念したように目を伏せると、またベンチへと座り込んで安倍へと偽善的な
笑顔を返した。
「久しぶりですね。元気でしたか?」
「あなた、よくそんなことを平気な顔して……」
安倍が言いかけるのに、サングラスの女性はわざとらしくベンチにふんぞり返ると、
嘲笑するように返した。
「あれ? ひょっとしてこないだのこととか、まだ根に持ったりしてるんですか?
イヤだなあ、もうせっかくこうやって二人で生き延びられて、こうして再会
しちゃったりしてるんですから、もう水に流しましょうよ。ね? 同郷なんですしー。
一緒にモーニングコーヒー飲みましょうよ」
「ふざけないでっ!」
鋭い声で怒鳴るが、女性は悪びれた様子もない。隣に座っている女性は、
おどおどと二人の顔を見比べて、話が切り出せないでいるようだった。
- 245 名前:35. 投稿日:2003年04月07日(月)00時41分34秒
- 「もー、そんなに怒らなくたっていいじゃないですか。大体、安倍さんみたいに
誰でもなんでもコロッと信じちゃう方がよくないんですよ? そんな人が
危ないことに手を出すから……」
「美貴、やめなって」
隣の女性が腕を掴んで押さえる。憮然とした表情で睨み付けたままの安倍に、
吉澤と辻が追いついてきた。
「あの、……知り合いの人ですか?」
恐る恐る訊く吉澤に、安倍は二人へ顎をしゃくると、悪意たっぷりに言った。
「紹介します。スパイの藤本美貴ちゃんと、……あなた名前なんていったっけ」
「松浦です……」
安倍に強い調子で言われて、少し退き気味に答える。
藤本はやけくそのようなテンションで、松浦の腕を組むとVサインを作って言った。
「はじめまして〜、スパイ・シスターズで〜すっ」
「やめてってば」
そう言いながら藤本を押しのけようとする松浦に、安倍は厳しい視線を向けると、
「そっか。なーんだ、結局あなたもそうだったんだ。やっぱなっちってバカだし、
どこまでいっても騙される人なんだね。あー、なんかすっごい気分悪い」
- 246 名前:35. 投稿日:2003年04月07日(月)00時42分10秒
- 「ち、違いますよ、私はそんな……」
松浦が慌てて釈明しようとするのを、藤本が大声で遮った。
「そうですよ。よく分かってるじゃないですか」
「美貴! いい加減にして!」
「ねーっ、あなたたちもそう思いますよね」
本気で怒っている様子の松浦には構わず、藤本はまだよく状況を把握出来て
いないような吉澤たちへ声をかけた。
「……え、いや、その」
吉澤は、当惑したように、キッと藤本を睨んだままの安倍を一瞥した。
その時、藤本がまた甲高い声を挙げた。
「あ、私あなたの顔見たことある! 凶棒のチャンピオンのよっすぃーこと
吉澤ひとみじゃん」
嫌みったらしくあだ名で呼ぶのに、ひどい悪意を感じる。吉澤は表情を
強張らせると、藤本の方を振り向いた。
「だ、だからなんなんですかっ!?」
「えーっ、なにまた美貴怒られてるの? なんだかなー」
不敵な口調のまま、藤本は鼻を鳴らして、棒立ちの安倍へ齧りかけのパンを差し出した。
「食べます?」
「いらないよっ!」
- 247 名前:35. 投稿日:2003年04月07日(月)00時42分44秒
- 安倍が怒鳴るのに、緊迫した空気などまったく気にしていない様子の辻が
横から手を伸ばしてパンを取ってしまう。
「じゃー辻が貰います」
「あっ……」
不意打ちを食らったように、藤本は辻のことを見つめた。
辻は可愛らしく藤本へ笑いかけると、味気のないミルクパンを齧った。
「ねー、お姉さんたちがスパイってホント?」
相変わらずの舌っ足らずな喋り方と笑顔のセットで話しかける。藤本は興味深そうに
辻の顔を覗き込むと言った。
「うん。ホント。私ね、この安倍さんを騙して、それで偉い人からいっぱい
お金貰ってたんだ。楽して儲かるって最高でしょ?」
「そうですね」
辻は笑顔を崩さずに言う。安倍はムッとした顔で辻を睨む。
「ちょっと、辻ちゃん……」
「ねえ、スパイだったら、昨夜ここで盛りあがってた人たちのこととか
知ってますよね」
- 248 名前:35. 投稿日:2003年04月07日(月)00時43分25秒
- 不意にそんな質問を投げかけられて、藤本は困惑したようだったが、すぐに
なにかを思いついたように辻と安倍の顔を交互に見た。
「あ、そっか。安倍さんと矢口さんって友達同士だったんですよね。でも向こうは
もう東京を仕切っちゃってる人になっちゃって、こんな時だしやっぱ長いものに
巻かれろ的発想? いいですよね〜、そういう……」
「そんなんじゃないよっ!」
耐えかねたように安倍が怒鳴る。藤本は怯んだ様子もなく、辻に笑いかけると
話を続けた。
「でもねー、今、矢口さんってちょっとピリピリしてるっぽい雰囲気だったから、
あんまり近付かない方がいいかもしれないよ」
「それ、どういう事ですか?」
「よく分かんないんだけどさ、急にここにいた仲間みんな引き連れて帰ってっちゃった
から、なんかあるのかなー、って」
「ふうん」
辻は興味津々といった表情で頷く。と、横から安倍が腕を掴んで引っ張った。
- 249 名前:35. 投稿日:2003年04月07日(月)00時44分12秒
- 「もういいよ、そんな話は……! それより、藤本さん、ちょっと訊きたいことが
あるんだけど、いいかな?」
「ええ、遠慮しないでなんでも訊いてくださいよ」
藤本はニヤニヤと笑いながら、困ったような顔で黙り込んでいた松浦の肩に
手を回して、
「私が分からなくても、きっと亜弥っぺが答えてくれると思いますから」
「ちょっと……」
「やっぱ安倍さんにはいろいろお世話になりましたからね」
皮肉たっぷりの口調だったが、安倍は構わずに言った。
「じゃあ、中澤裕子が今どこでなにをしてるのか教えて欲しいの」
- 250 名前:35. 投稿日:2003年04月07日(月)00時45分00秒
- 「えっ……!?」
今度は吉澤が驚く番だった。
安倍は、瞬きをしながらじっと見つめて来ている吉澤へ顔を向けると、
「やっぱり、あなたはもう一度裕ちゃんに会わないといけないと思うんだ。
お互いに誤解を残したままだと、絶対に後悔すると思う。もう後悔はしたく
ないんでしょ?」
「……はい」
まだ戸惑ったような表情を浮かべていたが、安倍の強い視線を投げかけられて、
つい頷いてしまっていた。
- 251 名前:35. 投稿日:2003年04月07日(月)00時46分09秒
- 藤本は松浦の方を見ると、
「中澤裕子だって。あんたの雇い主じゃん」
「そうだけど」
「分かる? 私は分からない」
松浦は安倍の方へ振り向いた。安倍は強張った表情のまま、松浦へ質問を繰り返した。
「ねえ、お願い、知ってるなら教えて欲しいの」
「一応、今いる場所くらいなら……」
「分かるの? よかった」
そう言うと、始めて表情を崩して、松浦へ笑いかけた。
松浦はあまり納得のいっていないような表情だったが、携帯PCを開くと
中澤裕子の情報を呼び出した。
吉澤は言うべき言葉も見つけられないように、松浦から情報を訊いている安倍の
後ろ姿を見守ることしか出来ないでいた。
- 252 名前:更新終わり 投稿日:2003年04月07日(月)00時46分41秒
- 35.モーニングコーヒー >>231-251
- 253 名前: 投稿日:2003年04月07日(月)00時47分27秒
- 一応、元ネタというか、参考スレ
http://teri.2ch.net/mor2/kako/985/985499550.html
有名だとは思う。
- 254 名前:名無しAV 投稿日:2003年04月07日(月)21時50分49秒
- なつかし〜…。
読んでる最中なにかひっかかるものがあると思ったらこれか。
あの押尾の死に方は感動的でした。
ってビッククランチの感想書いてねー。
藤本と辻という組み合わせの間に流れる空気が面白そうですね。
- 255 名前:名無し読者 投稿日:2003年04月10日(木)12時48分05秒
- 続きが待ち遠しい…
- 256 名前:36. 投稿日:2003年04月11日(金)00時52分30秒
36.暴力の舟
罅だらけになりながらかろうじて突き立っているビルの周辺に、何台もの
バンや軽トラが停車されている。周りには剣呑な雰囲気を振りまいている
集団がぶらぶらと時間を持て余してふらついていた。たまに、不安げな表情で
ビルを見上げたりする人間もいる。
そのビルの三階、だだっ広い会議室の中に集められた人間たちは、皆が
言葉を発する機会をお互い窺っているように見えた。
古びたリノリュームのタイルはあちこちで剥がれて、コンクリートの地肌を
剥き出しにしている。うっすらと床を覆った埃は、割れたガラス窓から時折
吹き込んでくる冬風で舞い上がっていった。
部屋の隅には折り畳みのパイプ椅子や細長い机などが崩れて散乱していたが、
この場へ集められた人間は皆床に座り込んで、不安げにきょろきょろと周囲へと
視線を彷徨わせていた。
矢口はポケットに両手を無造作に突っ込んだまま、黙って輪の中心に立っていた。
小刻みにつま先で床を叩く音が、矢口の不安定な精神状態を伝えている。
- 257 名前:36. 投稿日:2003年04月11日(金)00時53分01秒
- 新垣は無表情で部屋の隅に立ち、じっと全体の様子を観察している。
その横で、紺野と高橋と小川が、落ち着かない様子でしゃがみ込んでいた。
市井は開けっ放しになっているドアの横に腕組みをして寄りかかっている。
言いたいことがないわけでもなかったが、今この空気の中ででしゃばるほど
間抜けな性格ではなかった。
天井の方へ目を向ける。三メートル近くある天井の近くまで浮かび上がって、
加護が黄色いクマのぬいぐるみを抱いたまますやすやと寝息を立てている。
こうして見ると、ごく普通の可愛らしい女の子にしか見えない。ただ中へ
浮遊していることを除いては。
今この場で持ち上がっている問題なんて、初めから何の関心もないのだろう。
ただなんとなく、ヒマで遊び相手のいない子供が、退屈しのぎに花壇を荒らしたり
している。市井は加護にそんな印象を持った。
この場合は、花壇の持ち主に怒られる程度のことでは済まないのだろうけど。
- 258 名前:36. 投稿日:2003年04月11日(金)00時53分32秒
- 黙って周りを見回した後、痺れを切らしたように矢口が口を開いた。
「なにか言うことないのかよ」
誰も言葉を返すものはいない。矢口は目の前にあぐらをかいている、モヒカンの
男を睨み付けると、膝を蹴った。
「おい、お前、なにかあるだろ?」
モヒカンはかったるそうな調子で口ひげを撫で回しながら、
「つっても、全然まだ状況とかわかんねーし」
「分かんなくても推理くらいは出来るだろ」
「無理っすよ。俺らみんなバカですから」
そう言うとへらへらと笑った。
矢口は眉を顰めてしゃがみ込むと、ポケットから拳銃を出して、銃口を男の
こめかみにぐりぐりと押しつけた。
「使わねーとな、どんどん頭ってのは腐ってくんだよ。そんなもんつけといても
重いし肩凝るだろ? ここでぶっとばしてやろうか?」
「あ、あのさ」
溜まりかねて、つい市井が声を挙げてしまう。その場の視線が、すべて彼女の
元へと集中する。
市井は緊張感に押しつぶされそうになり、目を伏せた。
- 259 名前:36. 投稿日:2003年04月11日(金)00時54分05秒
- 「なんだよ」
矢口は銃を収めて立ち上がると、市井の方へ歩いていった。
強張ったその表情に、思わず首を竦めてしまうが、ここで逃げ出すことも出来ずに、
やむなく口を開いた。
「いや、なんていうのかな、お、落ち着いて考えた方がいいんじゃないかなー、なんて」
マヌケに上擦った声が緊張感を少しだけ緩めたようだった。
矢口はふっと笑みを浮かべると、
「ま、そうだよな」
市井の隣に立って会議室の方へと向き直る。市井は気付かれないように安堵の
溜息をつくと、少し調子に乗って続けた。
「その、家? を襲撃したのが、誰なのか、可能性を一個一個あたっていったら
いいんじゃないかな。ほら、そこにホワイトボードもあるし」
そう言って紺野たちがいる方向へと指を差した。
いきなり強面のチンピラたちに視線を向けられて、高橋は思わず鶏が絞め殺される
時のような悲鳴を上げてしまう。
- 260 名前:36. 投稿日:2003年04月11日(金)00時54分39秒
- 「ひっ……」
「……うちら邪魔だよ」
小川は慌てて高橋の腕を掴むと、その場から離れた。紺野もおずおずとそれに続いた。
新垣は足下に落ちていたサインペンを拾い上げると、落ち着いた口調で言った。
「私もそう思います」
「つってもなあ」
矢口は腕組みをすると、つかつかとホワイトボードの方へと歩いていった。
床に座り込んだ連中が、ぞろぞろと道を空けるために腰を滑らせていく。
新垣からペンを受け取ると、キャップをつけたままホワイトボードを叩いた。
「大体見当はついてるんだよ。うちらを邪魔くさく思ってる連中ってのはな。
まずサツだよ。いまんとこ表に顔出してきやがらないけど、隠れてこそこそ
なにかやっててもおかしくないからな」
「実際『眼』も動いてますからね」
新垣が付け足す。
- 261 名前:36. 投稿日:2003年04月11日(金)00時55分18秒
- 「それか、うちら以外にもいろんなとこで集団が出来はじめてきてるし、そいつら
の中から、うちらを潰そうと考える奴らが出て来たとしてもおかしくない。
まだほとんどちっちゃい集団でしかないから、闇討ちみたいな卑怯なマネしか
使えねえんだよ。ふざけやがって」
矢口はサインペンのキャップを外すと、すらすらといくつかの固有名詞を
ホワイトボードの上に並べ立てていった。
「今おいらが把握してるのはこれくらいだ。でもほとんどの奴らはあんな大胆な
芸当が出来るとは思えない。まあ、おいらが気付かないうちに手を結んでたって
ことも考えられるけど、そんな短期間であんなに組織だった襲撃なんて無理だ。
てことは、自然に絞られてくる」
そう言うと、「ニダー」「中澤組」「その他」と書かれた下に波線を引く。
「このニダーって連中はかなりやばい。中核は半島、中国系のマフィア連中で、
もともと連携は強かったからな。鼻つまみものだからうちらみたいに支持を
得ることはないだろうけど、無茶なことさせたらこいつらは一番危険だ。
お前らが世話んなってた連中だよ。銃とかクスリとか、流して貰ったことあるだろ?」
矢口のセリフに、さすがにその場のチンピラたちも苦笑した。
もちろん、矢口愛用の白い錠剤も彼らがもともとのルートだ。
- 262 名前:36. 投稿日:2003年04月11日(金)00時55分55秒
- 「で、この中澤組だ。説明するまでもないが、前まで東京を仕切ってたヤクザだな。
まあおいらもいろいろ世話になったこともあったけど、そんな過去の話なんて
どうでもいい。こいつらが何かやろうとしてるってことは聞かないが、実際に
また集まり始めてるってのは確かだ。それに」
矢口は苛立ったように、ホワイトボードに書かれた「中澤」という二文字を
睨み付けた。
「裕子が今のおいらのことを滅茶苦茶ムカついてるってのも確実だからな。
モノホンのヤクザだし、出入りなんてお手のもんだろ。それにうちらが間借りしてたのは
中澤組のライバルだった平家組の屋敷だったもんな」
そう言うと、甲高い声で笑った。
「お前らは知らないだろうけどな、うちらは一度こいつに皆殺しにされかかったんだよ。
汚い手使ってハメやがって、警察とも手を組んでやがったんだ。あんだけ普段
東京のことをどうのこうの言ってたくせにな。この、二枚舌が……」
喋っているうちにまた怒りが再燃し始めたのか、指が黒くなるのも構わず
ばんばんとホワイトボードを叩き始めた。
- 263 名前:36. 投稿日:2003年04月11日(金)00時56分33秒
- 「始めっから金だけ出して口出ししなきゃよかったんだよ、政治になんて興味ない
ふりしやがって。いつの間にかテメーが仕切ってるつもりになってたんだ。
冗談じゃねえ。なにが仁義だよ。言いなりにならない連中は罠に嵌めてそのまま
排除か? ふざけるなっ! そうだよな、アヤカ!?」
突然矢口から呼びかけられ、会議室の隅に突っ立っていたアヤカはビクッと
顔を上げた。
- 264 名前:36. 投稿日:2003年04月11日(金)00時57分22秒
- 「は、はい。そうです」
「こいつら、今だって隠れてこそこそなにやってるか分からねえ。要注意だな!
で、もう一個……」
矢口はすでにぐちゃぐちゃになってしまったホワイトボードを蹴飛ばすと、
裏返しにしてもう一度「その他」と書いた。
「まあ何人か気になるヤツもいる。噂しかきいたことねえけど、武装したガキの
集団がいるなんて話も聞くし、あと……」
一瞬紺野の方へ視線を送る。が、不安げに顔を伏せていたため、矢口のその含みのある
視線には気付けないでいた。
「まあいいや。こっちはもう手は打ってある。とにかくだ、売られた喧嘩も
買えないようじゃうちらだって舐められっぱなしだろ。誰がやったか分からねえけど、
このままほっといちゃ、東京に居残ってるゴミどもにも示しがつかないんだよ」
「けどさあ」
一番近くに座り込んでいる男が言う。スキンヘッドの一面に天球図のタトゥーを入れ、
北極星の位置にピアスを埋め込んである。
「相手がわかんねーんじゃ俺らだって暴れようがないじゃん。暴れること自体は
全然構わねーんだけどさ」
そう言うとニヤニヤと笑った。
- 265 名前:36. 投稿日:2003年04月11日(金)00時57分57秒
- 矢口はまたホワイトボードを蹴飛ばすと、男の微妙にずれた眼を睨んで言った。
「安っぽい義眼入れてんじゃねーよ……。いいか? 連中が襲撃に成功したって
言ってもだな、やられたのは実際ほんの一部でしかねーんだよ。住み心地の
よかったあの家を焼かれたのはムカつくけどな!
もし奴らが本気で潰しに入ろうとしてるなら、二度目三度目の襲撃があるはずだろ。
そんときに返り討ちにしてやりゃいいんだよ」
「向こうが出張ってくるまで待ちぼうけかよ。やってらんねー」
男はバカにしたように言うと、またニヤニヤと笑った。前歯が四本とも溶けてなくなっている。
「今んとこはまだこっちが優位に立ってるんだよ。そこ考えないでどうする」
そう言うと、頭のコグマ座の辺りを小突いた。
「この辺使ってよく考えろ。向こうだって大っぴらに喧嘩売ってこれねえから、夜中に
こそこそと攻めてきたりするんだろうが。何でかっていうと、うちらは
なんだかんだで支持されてるんだよ。怪我も病気も治してやってるし、食うもんだって
賄ってやってるだろ? いくら連中が邪魔くさいって思ってても、うちら潰した
後に周りからそっぽ向かれちゃ意味ないんだよ。分かるか?」
「ま、全部あんたとは関係ないことだけどな」
男は言うと、空中で寝たままの加護のことを見上げた。
- 266 名前:36. 投稿日:2003年04月11日(金)00時58分35秒
- 「いいだろ別にそんなこと。だからこっちはこっちで、被害者のフリして
連中を挑発してやりゃいいんだよ。向こうは大分切れかかってるみたいだからな。
こっちがつついてやればすぐに爆発するさ。そん時に潰してやりゃいいんだよ」
「で、俺らは具体的にどこで暴れりゃいいわけ?」
「暴れる前に、さっきいった連中のことを調べろ。関係してる人間の写真とかも
出来るだけ多く集めるんだ。徒党を組めば強くても、一人になればなにも
出来ないだろ。ヤクザだってマフィアだって同じだよ。いいか? 大っぴらに
暴れるのだけはやめておけ。向こうが闇討ちならこっちもマネしてやればいい」
「オッケー。じゃ遠慮なくやらせてもらうよ」
そう言うと、星座頭は相変わらずニヤニヤ笑いを浮かべたまま立ち上がった。
それを合図にするように、他のチンピラ連中も次々に立ち上がると、会議室を
後にしていった。
急にがらんとしてしまった会議室で、矢口はパイプ椅子を一つ引きずってくると、
部屋の真ん中に広げて座り込んだ。錆びた金属がこすれ合う不快な音が静寂の
なかで反響していった。
- 267 名前:36. 投稿日:2003年04月11日(金)00時59分09秒
- 「いいんですか? あんなこと言ったら本当にムチャクチャする人も出てきますよ」
新垣が心配顔で言う。矢口は溜息をつくと、俯いたまま呟いた。
「アイツらだってタマってんだよ。先に殴りかかられて、黙ってられるような
連中でもないだろ」
「でも……」
「誰が好きこのんで喧嘩なんかしたがるかよ……。少しずつだって秩序は戻って
来てるんだし、うちらがチームギャングを集めたのだって勝手に暴れさせない
ためだった。誰か知らないけど、先に手を挙げた方が悪いんだ」
「そんなこと言っても」
声を挙げたのは市井だった。言ってしまってから一瞬後悔したが、矢口がなにも
言わずに俯いたままだったので、心持ちトーンと落として続けた。
「さっきみたいな言い方じゃ、あの人たち、関係ない人にもなにかしでかすよ、きっと。
いくら相手が分からないっていっても、あんなんじゃ……」
「じゃあどうすりゃいいって言うんだよっ!」
矢口は怒鳴ると、椅子を蹴飛ばして立ち上がった。
市井は首を竦めると、そろそろと壁際へ後退していった。
- 268 名前:36. 投稿日:2003年04月11日(金)00時59分40秒
- 「暗闇の中で殴られてるんだよ。こっちだってめくら撃ちする以外どうしようも
ないじゃんか。それにあいつらを押さえつけてるのだってもう限界なんだよ!」
「うるさいなあ」
眠そうに瞬きをしながら、ふわふわと天井から加護が降りてきていた。
矢口は加護の無邪気な顔を見ると、苦笑いを浮かべて、
「あんたは気楽でいいよ」
「いいんじゃないの? 戦争」
ニコニコと笑いながら、矢口の顔を覗き込んだ。
「面白そうじゃん」
「そりゃ、あんたみたいに高いとこから見下ろしてれば面白いだろうけどさ」
そう言う矢口の顔は、ひどく疲労が溜まっているように見える。
強い風が、犬歯のようなガラスの残骸を生やした窓枠をガタガタと揺らした。
冷たい空気の循環に、市井は一瞬身体を震わせた。
- 269 名前:36. 投稿日:2003年04月11日(金)01時00分22秒
- 「あのお、ちょっと訊いていいっすかね」
場違いなほど間の抜けた声が挙がる。小川は驚いたように目を見開くと、いつの間にか
ペンと手帳を持って立ち上がっていた高橋の袖を引っ張ったが、矢口は
くたびれた表情で声の方を振り向いて、静かに応えた。
「なに?」
「矢口さんって、結局なにをしたいんですか?」
「ちょっと、愛ちゃん……!」
直球で不躾な質問に、顔を青ざめさせた小川が慌てて後ろから高橋の口を塞いだ。
「すいません、こいつバカなんで」
「んーっ、……」
- 270 名前:36. 投稿日:2003年04月11日(金)01時01分08秒
- が、矢口はそんな二人から目を逸らすと、しばらく床を見つめてから、小声で
ぽつぽつと語り始めた。
「そうだなぁ……。前は、とにかく壊すことばっかり考えてて、今あるシステムも
なんでもムカつく原因はぶっ壊せばいい、って単純に考えてたんだけど、実際に
壊れちゃうと、逆になんか組み立てる方に回っちゃったみたい」
そこまで言ってから、自分の言葉が可笑しかったのか、自嘲的に笑って続けた。
「別にそんなつもりもないんだけどさ。バカなヤツは勝手に暴れてろって感じも
するし、おいらが世話焼くことなんて全然ないんだけど、……なんでなんだろ、
やっぱ成り行きってやつなのかな」
「ウソですっ!」
突然、か細いが鋭い声が挙がる。
その場にいる全員が、呆気に取られたような表情で、急に立ち上がった紺野の
ことを見つめていた。
- 271 名前:36. 投稿日:2003年04月11日(金)01時01分40秒
- 「矢口さん、今朝私に話してくれたじゃないですか……。間違っててもいいから
最後までやりとげたいって……! あれは、あれはウソだったんですか……?」
「おいらだってそう思ってたよ。でも、正直もうしんどくなってきたんだよ」
「いつだって……そうじゃないですか。後先考えないで、責任取るのがイヤで
逃げてるだけなんです。安倍さんを殺したことだって、勝手に行動して、
全部滅茶苦茶にしていって、それでも、矢口さんは自分が正しかったって
言うつもりなんですか……!?」
「あさ美ちゃん」
新垣が興奮して喋る紺野の肩を押さえた。紺野は息を吐くと、口惜しそうに
下唇を噛みしめた。
- 272 名前:36. 投稿日:2003年04月11日(金)01時02分11秒
- 矢口は厳しい表情のまま、黙って床を見つめ続けていた。
しばらくしてから、一言だけぽつりと呟いた。
「おいら、ホントになにしたいんだろうな」
その言葉は、ひどく空虚で、路上の小石のように軽く転がっていった。
紺野はがっくりと肩を落とすと、心配そうに覗き込んでいる新垣にもたれ掛かっていった。
- 273 名前:更新 投稿日:2003年04月11日(金)01時02分41秒
- 36.暴力の舟 >>256-272
- 274 名前: 投稿日:2003年04月11日(金)01時03分13秒
- >>254名無しAVさん
知ってる人がいたー。
私は隠れ名作スレで知って一発で気に入りました。
>>255名無し読者さん
お待たせしました。
といってもあんまり進んでませんが……。
- 275 名前:名無しAV 投稿日:2003年04月12日(土)02時02分14秒
- バカって強いですね(w
だけど本当のバカって一体誰なんでしょう?
- 276 名前:名無し読者 投稿日:2003年04月17日(木)10時37分34秒
- いやはや、ここまでスゴイとどうレスしてよいものか…。
でも、いつも読んでますよ!楽しみにしてます。
- 277 名前:37. 投稿日:2003年04月17日(木)23時50分05秒
37.L.H.O.O.Q.
あばら骨を浮かび上がらせた野良犬が、とぼとぼと崩れたブロック塀のそばを
歩いている。時折ふらつきながら、それでも眼だけはぎらつかせて、だらしなく
開いた口から舌をだらりとぶら下げている。どこかの悪ガキに落書きされたのか、
鼻の下にドン・ガバチョのような髭がマジックで伸ばされている。
強い風が吹き、煽られるようにしてフラフラとよろめいた後、電柱の根本にある
雑草に足を取られてその場に倒れた。そして、二度と動くことはなかった。
安倍は辻と吉澤より少し遅れて歩きながら、その様子を何とも言えない表情で
見つめていた。と、唐突にまた福田の声が話しかけてくる。
- 278 名前:37. 投稿日:2003年04月17日(木)23時50分39秒
- >>助けてあげてよ、とか言わないの?
(……だってもう死んじゃってるし)
どうにも福田の小馬鹿にしたような態度には、未だに慣れることが出来なかった。
ひょっとして昔からそうだったのかもしれないが、よく思い出せない。自分が
変わったのか福田が変わったのか、安倍には未だに分からないでいる。
>>そうだよね、死んじゃってちゃどうしようもないか。
(でも、可哀想とは思う。……だって)
>>ま、いいけど。それで、どうしてあの娘と中澤裕子を会わせようなんて
>>考えたわけ? なにか裏でもあるの?
(そんなのないよ。明日香じゃないんだから……。ただ、なんとなくその方が
彼女にとっていいかなって、そう思ったから)
>>余計なお世話だと思うけどね。
(分かってるよ、そんなこと。でもさ、吉澤さんってああ見えて少し優柔不断な
ところあるし、ちょっとくらい助け船を出してあげたっていいじゃん)
>>じゃあ、あの娘のことがすんだら、今度はなっちの番だよね。
(えっ……? なんのこと?)
>>分かってるでしょう。矢口とのことだよ。なっち、人には偉そうなこと言う
>>くせに、自分のことになるといつもダメだもんね。でも今度はそうはいかないよ。
(それは……)
- 279 名前:37. 投稿日:2003年04月17日(木)23時51分17秒
- >>私はどっちでもいいよ。仲直りしたいっていうならそれもいいし、撃たれた
>>復讐したいっていうなら喜んで手助けするけどね。
(そんな、復讐なんて考えてないよ)
>>ふーん。じゃ、どうしたいの? 向こうから侘びを入れてくるってのもあんまり
>>考えにくいけどね。
(矢口は、……本当はあんなことする子じゃないよ。明日香だって分かってるでしょ)
>>私が知ってる矢口はね、今のとは全然違うよ。
(でも、同じ人間なんだよ)
>>私は、矢口の気持ちは分かるけどな。
(そんな、それは……)
>>まあでも、そこにつけこまれるってこともあるよね。特に、ああやって冷静な
>>判断力を失っちゃってる状態だったらなおさら。
(ちょっとそれどういう意味よ)
>>意味なんてないよ。一般論。ね。
(ちょっと明日香、ねえ)
しかし、また気になるところで声は途切れてしまう。
(いつもこうじゃん……。絶対、なっちをわざと苛つかせて、こっそり楽しんでる
んだ……! こんな陰険な性格だったなんて、思わなかった)
- 280 名前:37. 投稿日:2003年04月17日(木)23時51分51秒
- 心の声で毒づいてみるが、まったく返答の戻ってくる様子はなかった。
安倍は苛ついたように、荒っぽく足取りを速めると、吉澤たちに追いついた。
自分より大分背の高い吉澤を見上げると、安倍はまだ不安げな表情を浮かべている
彼女へゆっくりと話しかけた。
「どうしたの? なんか顔色がよくないけど」
「いえ、そういうわけじゃないですけど、あの、私」
「そんな怖がることないよ。裕ちゃんだって、ああ見えてさ、結構いい人だよ」
「それは分かってるんです。だから、そんな人をキレさせちゃったっていうのが
すごく、なんか申し訳ないって言うか……」
「……なにがあったのかとかって、やっぱり覚えてないの?」
「漠然としか……。中澤さんがなんで撃ったのか、よく分からないし」
「でも、意味もなく撃ったりしないよ、裕ちゃんは」
「はい。だから、……不安なんです」
吉澤はそう言うと、唇を噛んだ。
- 281 名前:37. 投稿日:2003年04月17日(木)23時52分27秒
- なぜ吉澤と中澤を引き合わせようと思ったのか、正直なところ安倍にもよく
分かっていなかった。ただ、あの場で衝動的にそんな発想が出てきてしまって、
気が付いたら口に出して言ってしまっていた。
吉澤に、中澤とのいきさつを聞かせて貰ったとき、無意識的に自分と矢口との
関係に置き換えてしまっていたからかもしれない。
いずれも、感情の行き違いが高じてしまった上で、最後の一線を越えてしまった。
吉澤の話には要領を得ない部分も多かったが、今現在置かれている状況は
自分と同じものだ、と安倍は直観的に感じていた。全く同じ過去を抱えて、
同じ問題に直面させられている。
- 282 名前:37. 投稿日:2003年04月17日(木)23時53分06秒
- 福田の言ったことは正しいのかもしれない。自分が直面している問題から
逃れるために、似たような境遇の吉澤に代理をさせようとしている。
だからといって、そのままずっと逃げ続けることなどは出来ない。
福田のいうような復讐の感情などは全く持っていなかったが、それでも、
最終的には矢口との対決はせざるをえないだろう。
なによりも、矢口をあのような道へ引き込んだのは自分なのだ。そのことへの
責任も、安倍は感じていた。
単純な真実、単純な正義は、時として大きな犯罪に繋がることもある。それが
単純であるだけに、却ってたちが悪い。
出会い頭に衝突したから、二つの経路を辿っていってその原因を導き出すこと
なんて出来るだろうか。果てしなく道は分かれていき、複雑な因果関係の
迷宮が、明るみに出されればそれだけ目に見える形で闇に覆われていくのではないか。
悪意の根が正義にあったとしても、安倍にはそれに自信を持って異議を唱える
ことは出来ないだろう。グロテスクな裏面を隠し続けても、いつかかならず
綻びが生まれる。隠し続けて腐り果てて、その綻びから流れ出してくる。
- 283 名前:37. 投稿日:2003年04月17日(木)23時53分43秒
- 昼間でもあまり光の射し込んでこない場所へ三人は入り込んでいた。
松浦から教えられた場所までは、そう遠からず到着するだろう。
閑静な空気の中に、悠然とした建物が続いている。もちろん、そのほとんどが
地震と火災と暴徒たちの略奪の魔手から逃れられてはいない。
人影を見つけた。木製の豪奢な門の脇に、黒服を着た華奢な女性が腕組みを
して立っている。歩哨なのだろうか、落ち着かない様子できょろきょろと
視線を彷徨わせていた。
安倍は声をかけようかとも思ったが、向こうが気付くのに任せることにした。
程なく、彼女はゆっくりと近付いてくる三人に不審そうな眼を向けた。安倍と辻の
姿を見て一瞬緊張を解いたような表情を浮かべたが、それから吉澤の姿を
認めると、強張った表情で息を呑んだ。
- 284 名前:37. 投稿日:2003年04月17日(木)23時54分18秒
- 「あ、どうも……」
吉澤の方が先に声を挙げ、彼女へ軽く頭を下げた。
女性は動揺を隠そうともせず、おどおどと三人の顔を見比べながら、門をくぐって
奥の方へと足早に駆けていってしまった。
「知り合い?」
安倍は吉澤を見上げて訊いた。
「ええまあ」
弱々しい声で返すと、溜息が空気を白く染めた。
辻は退屈そうな表情を変えることなく、なぜか肩を竦めて見せた。
- 285 名前:37. 投稿日:2003年04月17日(木)23時54分55秒
□ □ □ □
「こっちにも情報は入ってきてません」
通信機を手にしたソニンが戻ってきて言った。
中澤は眉間に深く皺を刻んで、周囲に集まった男たちを睥睨していた。
「ふん、だったら余所のなわばり争いっちゅうことか」
呆れたように言うと、腕組みをしたまま立ち上がった。
「ええか、これからあちこちできな臭い空気が流れてくるやろうけど、お前ら
つまらんことに首つっこむなよ……ま、分かっとるやろうけどな」
中澤の言葉に、彼らは無言で頷いた。
ソニンは不満そうな様子で、
「でも、あの手際はそこらへんのチーマーとかギャングじゃあり得ないですよ」
「そうか? 最近のガキはなにげにニクい仕事するで?」
冗談めかして言うと、余裕のある笑顔を見せる。
「ま、うちらやったらもっとカッコよくやれるけどな」
「中澤さん、誰がやったにしても、これで矢口真里たちがまた荒れだす可能性は
大きいですよ。黙って放っておくつもりですか?」
- 286 名前:37. 投稿日:2003年04月17日(木)23時55分46秒
- 矢口と仲間たちが勝手に間借りしている、かつては平家組の屋敷だった建物が燃やされて、
仲間の数人が完璧な手口で消されたという話は、あっという間に東京の街を
駆けめぐっていた。
もちろん中澤たちにもその一件はすぐに伝わってきていたが、取り立てて
大騒ぎするようなことでもない、というのが中澤の結論だった。
- 287 名前:37. 投稿日:2003年04月17日(木)23時56分20秒
- 「もうあんたとお約束の口論を繰り返すのも飽きたわ」
「そういう問題じゃないでしょう」
ソニンは後ろで腕を組んだまま、軍人のように身体を反り返らせて見せた。
「中澤さん、私たちだって、部外者でいられるとは思ってないですよね?」
「どういうことやねん」
「向こうだって、うちらがこうやって集まってるのは知ってるはずです。それに、
襲撃したのが誰だか分からない状況だったら、うちらがターゲットになったと
してもおかしくないと思いますが」
「矢口がここまで来て暴れるいうんか?」
中澤はそう言うと笑った。
「アホらしい」
「……大した自信ですね」
「まあな。あんたと違って、うちはガキのころからこんな水の中で育って
来てんねんからな」
- 288 名前:37. 投稿日:2003年04月17日(木)23時56分56秒
- 「それじゃあ、私は向こうから来てくれることを祈ってますよ」
ソニンはそう言うと、皮肉っぽく笑った。
「中澤さんみたいに、黙って好き放題されるのを見てられるほど、私は大人じゃ
ありませんからね」
「矢口かて、あんたが考えてるほどアホちゃうやろ。チンピラを掻き集めて
うちらとぶつかれるとか、そこまで勘違いしてへんって」
「ずいぶん評価が高いんじゃないですか?」
「あいつのことは昔から知っとるからな。イカれてるいうても考えてることくらい
大体掴めるわ」
中澤がそこまで言ったとき、慌てた様子の里田が大広間へと駆け込んできた。
「な、中澤さん……!」
「どうした?」
ただならぬ雰囲気に、中澤も真剣な表情で里田を振り返った。ソニンはどこか
おかしそうな様子で、成り行きを見守っている。
- 289 名前:37. 投稿日:2003年04月17日(木)23時57分31秒
- 「あの、……よ、吉澤さんが……」
「吉澤……? ホンマか」
中澤はそれほど動揺した様子も見せない。真剣な視線を里田に投げかけると、
彼女の肩を叩いて言った。
「表におるんか?」
「はい、あ、あと連れの女性が二人……」
「分かった。三人とも連れてきてや」
中澤が言うのに、里田は頷くとまた部屋を出ていった。
大広間をざっと見回してみる。石川と柴田は、まだ表へ買い出しに行って
戻って来ていなかった。
「相変わらず、タイミング悪いなあ……」
小声で呟いたが、誰の耳にもその言葉は入らなかったようだ。
- 290 名前:37. 投稿日:2003年04月17日(木)23時58分08秒
□ □ □ □
再会は、それほど感動的な光景を生み出すわけでもなく、ただ淡々と時間が
流れていく中で行われた。
中澤は、吉澤が生きており、こうして再び自分の前に姿を現したことよりも、
吉澤と安倍がいつの間にか行動を共にしていたことに驚いた。
二人に面識があったとは思えないし、接点があるとも考えにくかった。
かといって、全てが偶然の力で齎された結果であるとも、中澤のひねくれた
頭は受け入れるつもりはなかった。
自分の知ることの出来ないようなコントロールが、自分たちを含む渦の中心で
力を放出してきているのかもしれない。それが何なのか、どんな目的があるのか、
中澤には想像することすら出来なかったが。
- 291 名前:37. 投稿日:2003年04月17日(木)23時58分42秒
- 「陰謀論をマジメに考え始めたら、そろそろやばいな」
中澤は天井へ目を向けたまま、独り言のように呟く。
吉澤と安倍は不思議そうな顔をして彼女の顔を見つめるが、中澤はすぐに
普段の表情に戻ると、振り向いて話しかけた。
「とりあえず、二人とも無事でよかったわ……。その子は?」
辻の方へ顎をしゃくって言う。安倍と吉澤が顔を見合わせて、それから吉澤が
辻の頭に手を置いて説明した。
「この子が、私を助けてくれたんです」
「ふうん。名前は?」
中澤は辻の側にしゃがみ込んで顔を覗き込んだ。辻はいつもの笑顔で中澤を
見返すと、
「辻希美れす」
いつも以上に甘えた口調に、吉澤は眉を顰めて辻を見下ろすが、中澤はそれだけで
ノックアウトされてしまったように、慈愛の表情で辻の頬を撫でた。
- 292 名前:37. 投稿日:2003年04月17日(木)23時59分15秒
- 「そっかー。じゃ、辻ちゃんが吉澤のことをお医者さんのとこまで連れてって
やってんな。えらいなあ」
「そんなことないれす。てへてへ」
「けど、ビックリしたやろ? このお姉ちゃん、拳銃で撃たれてんな? そんなん
怖なかったか?」
「血とかあ、やっぱりはじめビックリしちゃったけど、でも怪我して痛そうだったし」
「やろうな。な、このお姉ちゃん撃ったん、うちやねん」
中澤は笑顔のままで言う。辻は一瞬真顔に戻ると、中澤の青い目に釘付けになった。
が、すぐに怯えたような表情を作り、吉澤の腕に縋り付いた。
- 293 名前:37. 投稿日:2003年04月17日(木)23時59分52秒
- 辻をからかうのに飽きたのか、中澤はすっと立ち上がると、吉澤の真ん前で
ストレートに睨み付けた。
「で、あんたはここになにしに来たん?」
「あ、あの、私は……」
吉澤はすぐに目を逸らして俯いてしまう。
「裕ちゃん」
横から今まで黙っていた安倍が口を挟んだ。
「この娘はなっちが連れてきたの。なっちね、吉澤さんから裕ちゃんとの
いきさつ聞かせてもらって、それで」
「あんたには訊いてへん」
鋭い声で言う。安倍は、不満そうに中澤を睨んだが、おとなしく口をつぐんだ。
「どうした? 用がないなら帰ってくれへんかな。こっちもいろいろ立て込んで……」
「私はっ」
意を決したように、吉澤が突然大声で言った。ほとんど叫び声のようなその声に、
広間で関係なさそうにしていた皆も思わず振り返った。
- 294 名前:37. 投稿日:2003年04月18日(金)00時00分25秒
- 「私は、……中澤さんがなんで私を撃ったのか、その理由を訊きに来ました」
そう言うと、強い視線で中澤のことを睨み返した。
緊張した空気があたりを覆っていった。皆、息を潜めて二人の様子をじっと
見守っている。
襖の側で腕組みをして立っていたソニンが、くすっと小さな笑い声を漏らした。
中澤は吉澤から目を逸らすと、背を向けてまた天井へ視線を向けた。
- 295 名前:37. 投稿日:2003年04月18日(金)00時01分06秒
- 「そうか」
一言だけ呟いて、またなにかを考えるように唇を噛んだ。
吉澤は辛抱強く、中澤からの答えを待っていた。
やがて、中澤はゆっくりと振り返ると、吉澤の目を見た。
先刻まで見せていたような不安の影は残っていない。決然とした視線で、じっと
中澤のことを見据えていた。
「あの弾は、……多分、ホンマやったら自分に撃ち込まなあかん弾やったんかもしれんな」
「……どういう意味ですか」
真剣な中澤の視線からは、彼女が話をはぐらかそうとしているわけではない
ということは理解できる。
中澤はまた考え込むように床へ視線を落として、言葉を継いだ。
- 296 名前:37. 投稿日:2003年04月18日(金)00時01分41秒
- 「あんたは知らんとは思うけど、うちとみっちゃんは、ガキの頃からずーっと
一緒でな。お互い、環境とかで漠然と、将来に争い合うことになるって分かって
たけど、それでもいつもつるんでた。
いつごろからかなあ。お互い家業継いで、必死になって仕事してるうちにな、
ぶつかり合うことのほうが多くなって、それは、二人とも先代に恥かかせたら
あかんいう、つまらんプライドもあったんかもしらんけどな」
一息つくと、自分自身に向けるような苦い笑みを浮かべた。
吉澤は黙ったまま話の続きを待った。周囲からも、余計な声を挙げるものは
誰一人いなかった。
「そんなんと、ガキの頃からの延長で、どこかじゃれ合ってるような気分もまだ
残ってたんやな。ホンマは子供でもなんでもないし、自分らの持ってる力に、
全然気付けてへんかった。結局、うちらは人の上に立つ器ちゃうかったいうことや。
その結果が、あれや。せやから、みっちゃんが死んだときに、ホンマに撃たれな
あかんかったんは、うちやねん。でもそれが出来へんかったんは、うちがまだ
未熟やったせいや」
そこまで言うと、吉澤の両肩に手を置いて、
「すまんかったな。許してくれ、なんて言われへんけど、この一言が言えて、
すっきりしたわ」
- 297 名前:37. 投稿日:2003年04月18日(金)00時02分40秒
- 言い終えた中澤の表情は、ひどく無防備で、普段見せたがらないような弱さも
すべてさらけ出している、そんなものに吉澤には映った。
それは、これまで吉澤が見てきた中澤の表情の中で、もっとも自然で清新な
ものだった。
沈黙は続いている。しかし、先刻までのような緊迫感に満ちたものではない。
誰も声を発する必要がないことを分かっているから、そうしているmでのことだった。
吉澤は身体の力を抜いて、深く長い呼吸を一度だけすると、安堵したように
項垂れた。が、その表情は複雑だった。
安倍は黙って笑みを浮かべたまま、吉澤の背中を軽く叩いた。
辻は何とも言えないような表情で中澤を見て、続いてなぜかソニンの方へ
視線を向けた。
腕組みをしたまま姿勢良く立ったままのソニンの表情からは、彼女の考えを
読みとることは出来なかった。
- 298 名前:37. 投稿日:2003年04月18日(金)00時03分20秒
- その時、静寂を破るように、床にものがぶつかる鈍い音が響いた。
皆の視線が集中する。石川梨華が、足下に鞄を落としたまま、呆然とした
表情で立ちつくしていた。
「よっすぃー……」
開けっ放しになっている口から、こぼれ落ちるように言葉が漏れた。
次の瞬間、足下でなにかが爆ぜたように駆け出すと、ぐったりと立ちつくして
いた吉澤へ全身で飛びついていった。
「よっすぃー、私、私、……」
涙が邪魔をして、ほとんどなにを喋っているのか分からない。
吉澤は困惑したような表情を浮かべたまま、恐る恐る石川の背中に腕を
回してやることしかできなかった。
中澤は肩を竦めて苦笑すると、吉澤へ思わせぶりなウィンクをして、髪を
掻き上げて部屋を出ていってしまう。成り行きを見守るだけだったソニンも、
慌てて中澤の後を追って出ていった。
- 299 名前:37. 投稿日:2003年04月18日(金)00時03分53秒
- 安倍は微笑ましい二人の姿を、安心したように見つめていた。
と、辻から袖を引っ張られているのに気付く。
「なに?」
「しばらくここから動けなくなっちゃいましたね」
気の抜けた声で言うと、ニヤニヤと笑った。
「うん、だからなに?」
「別にぃ」
そう言って広間を出ていってしまう辻の後ろ姿を、安倍はきょとんとした表情で
見送っていた。開けっ放しの扉から漏れてくる冷気に、始めてこの場に満たされた
暖かい空気に気付くことが出来ていた。
- 300 名前:更新 投稿日:2003年04月18日(金)00時04分34秒
- 37.L.H.O.O.Q. >>277-299
- 301 名前: 投稿日:2003年04月18日(金)00時05分16秒
- >>275名無しAVさん
考えすぎてその結果バカなことをしてたりしますからね。
というか今の私がそうかもしれない……(w
>>276名無し読者さん
レスと名の付くものならなんでも大歓迎です。
読んで下さるだけでもありがたいですよ。
- 302 名前:名無しAV 投稿日:2003年04月18日(金)21時30分12秒
- 久しぶりに一息つけた感じがします。(w
よっすぃーと中澤の鎖は解けたようで。
矢口となっちはどうなるのか楽しみです。
- 303 名前:匿名匿名希望 投稿日:2003年04月18日(金)22時20分26秒
- 更新お疲れさまでした。
初期の頃からずっと読ませていただいてます(ペコリ)
再会もあったってことで、自分の中で今がレスのチャンス!と思ってレスさせて
いただきました。
次回更新も楽しみにしています。
- 304 名前:ななしのよっすぃ〜 投稿日:2003年04月21日(月)22時19分17秒
- 作者さま、更新お疲れ様です&お久しぶりです。
ここしばらく仕事がいそがしくて(仕事の合間に会社で)ROMってました。(笑)
よっすぃ〜&中澤さん、再開できて良かったです。よっすぃ〜VSごっちん対決、そろそろ近づいて来たんでしょうか?楽しみです。
また、あやゃの活躍&暴走する矢口さんにも期待しています。
では、更新を楽しみに待ってます!!
- 305 名前:38. 投稿日:2003年04月23日(水)01時51分58秒
38.パラボラ
午後になると、にわかに雲行きがあやしくなってきた。
昼頃までの乾いた晴天がまるで夢だったかのように、空一面を分厚く汚れた雲が
覆い尽くしていく。
ヘリコプターが上空を通り過ぎていく。以前にもたまに見ることが出来たが、
最近その頻度が上がっているような気がする。
狭い、駐車場のようなスペースに窮屈そうに墓石が並んでいる。そこから
高く空へ伸びている黒煙が、弱い西風に揺らされている。何人かの老人たちが、
リアカーに積んで運んできた死体を燃やし、埋葬しているのだ。
腐りかけた肉と、髪の焼かれる不快な臭いが風にながされてきて、後藤真希は
思わず顔をしかめた。
老人たちが若者を埋葬している、そんなリフレインがある歌をどこかで聴いた
ことがあったが、他のフレーズは忘れてしまっていた。
- 306 名前:38. 投稿日:2003年04月23日(水)01時52分31秒
- それほど郊外というわけではなかったが、瓦礫に埋もれた市街地から少し
それたらすぐに畑の拡がる田園地帯に入った。
ほとんどが荒らされ放題に荒らされていたが、あちこちで残された根っこから
逞しく芽吹いている様子を見ることが出来る。
後藤は足下から枯れ枝を拾って自分の焚き火に投げると、塩で茹でただけの
じゃがいもを齧った。
薄暗い空を見上げる。もし雨になるとすれば、また屋根のある場所を探すか、
ビニールの寝袋に頭まで突っ込んで眠らなければならない。
痩せこけたネコがとぼとぼと歩いてきて、頑丈なブーツに何度も顔をこすりつけた。
後藤は齧りかけのじゃがいもを近づけてみる。ネコは何度も鼻を近づけて
臭いを嗅いでいたが、やがて口を開くと慣れない様子で食べ始めた。
西風がぼさぼさの髪を靡かせて、一瞬視界を隠した。大分枝毛が目立つな、
とぼんやりと考える。
燃え続けている炎をじっと見ていると、その中に様々な記憶の中の光景が
見え隠れしていった。
- 307 名前:38. 投稿日:2003年04月23日(水)01時53分05秒
- 溜息をついて鞄から携帯PCを取り出すと、勝手に次々と情報が更新されている
ファイルを適当に確認していく。じゃがいもを食べ終えたネコは、足下で
丸くなって寝息を立てている。
舗装され、排水溝が取り付けられただけの道路を、ボロボロのクルマが通り
過ぎていく。狭い車内にはぎっちりと人が詰め込まれて、屋根にもトランクにも
フロントにも、隙間なく人が張り付いていた。誰かが焚き火の側に座っている
後藤を認めてなにかを叫びかけてきたが、後藤は黙殺してじっと携帯PCの
ディスプレイだけを見つめ続けていた。
- 308 名前:38. 投稿日:2003年04月23日(水)01時53分41秒
- A装置。
これに関連する情報は、些末なものまでかなりの量が送られてきていたが、
不思議と「A」というアルファベットがなにを意味するものかを知らせる
ものはなかった。
考えられるのは、通し番号の「1」、関連する言葉のイニシャル、危険度や
その他の属性のための指標、あるいは、そうしたものも含む複数の意味を
込めてつけられたのかもしれない。
装置、という言葉からはどうしてもメカニカルな外観を想像してしまうが、
手元の情報によると必ずしもそんな短絡的なイメージで捉えられるものでは
ないようだった。
飯田圭織、という名前は以前にもなんどか見かけたことがある。つんく周辺の
要注意人物の一人として、山崎都知事も警戒していた人物だ。
飯田がつんくのために開発した様々な「装置」の一覧を呼び出す。
微少な盗聴器や監視システムといったオーソドックスなもの、『眼』に搭載されている
多くの機構、監視、制御のための神経生理学的な研究、等々。
- 309 名前:38. 投稿日:2003年04月23日(水)01時54分13秒
- 新しく研究中の内容について、飯田は「A装置」とだけ報告していた。
すこし後になると、「A装置」に関連する事項は急になくなり、変わりに
「B装置」「C装置」なる単語がよく見られるようになった。
これが「A装置」の開発に失敗したのか、単に飯田が飽きただけなのか、
それ以外の理由があって放棄されたのかは、よく分からない。
そして、ある時期から急につんくへの飯田からの報告が途絶え始める。
これは、彼女が独自になにかをやりはじめたことを示している。
後藤は別のファイルを開く。タンパク質、DNAに関連する細かい研究内容。
頭が痛くなってきた。よく分からない部分はすっ飛ばしながら、適当に
拾い読みしていく。
- 310 名前:38. 投稿日:2003年04月23日(水)01時54分48秒
- 後藤の頭で理解できたことを纏めれば、飯田圭織はまるで画家が空想上の
生き物をキャンバスに描きつけるように、DNAにプログラムを書き込むことに
よって、現実に造り出すことが出来るテクノロジーを開発したということになる。
そして、A装置も同様の、一つの遺伝情報の集積である。具体的にそれが
どのようなものなのかは、誰にも知らせてはいなかったようだが。
白血球、リンパ球、という単語が頻出する。漠然と、血液に関連するものなのかな、
と考える。あるいは、もっとも使用しやすい材料であるというだけで、あまり
関係がないかもしれない。
次の段階、という言葉が頻繁に使われている。生命体を自在に生み出す
テクノロジーから、さらに一歩先へ進んだということか。
つんくから飯田へ送られた質問状のコピー。「助手」に関連しての細かいデータを
要求している。これに対する飯田からの返信はないようだ。
- 311 名前:38. 投稿日:2003年04月23日(水)01時55分24秒
- つんくへのメッセージと、山崎へのメッセージの微妙な差異が気に掛かった。
権限を活用して飯田へ予算を回していたのはつんくだったが、それも山崎の
根回しがあってのことだろう。飯田の件で、つんくと山崎が歩調を合わせて
いたとは考えにくい。
A装置に関して、つんくへは抽象的な言い回しを重ねて説明しているのに
大して、山崎へは実利益の面を強調しているというのも面白かった。
別のファイルを開く。突然グロテスクな画像が立て続けに表示されて、思わず
目を背けた。公園で起きた、少年ギャングの大量殺害事件の現場写真だった。
後藤は自分で撮影した、新宿無差別テロ時に吉澤が切り落とした大型ディスプレイの
切断面の画像を並べて表示させる。間違いない。受ける印象はまるで違うもの
だったが、手法はまったく同じものだ。
- 312 名前:38. 投稿日:2003年04月23日(水)01時56分01秒
- あの夜のことは、今でも鮮明に思い出せる。クルマを踏み台にして、大きな
ガラスを蹴破った。吉澤ひとみはネコを抱いて立っていた。純白の警棒は
青い光を帯びて、片足で何十メートルも下の路地へ飛び降りた。
確か、テロの巻き添えで野良ネコが死んだのだ。それなら、吉澤の行為も
理解できる。人間が死ぬのなんて全然構わないが。
足元を見る。久しぶりに安住の地を得たのか、ネコは無防備な寝顔をさらしたまま
卵のように丸くなっている。
いくつかの点が結びついて、漠然とした形をなし始めるが、まだそれがどのような
意味を持っているのか、そこまで辿り着くのにはまだ時間がかかりそうだった。
後藤の頭の中では、その図形は禍々しいヒエログリフの歪んだパロディだった。
- 313 名前:38. 投稿日:2003年04月23日(水)01時56分37秒
コートの上から胃を押さえる。実体を持った不安のカタマリが体の中で暴れ回っている。
いつまでたってもこいつを飼い慣らすことは出来ない。人間の焼かれる
臭いはまるで意志を持っているかのように自分の周りを取り囲む。
冷たい水滴が頬にぶつかってくる。後藤はいつの間にか暗く分厚い雲に
覆い尽くされた空を見上げた。
雨粒がコートに当たってパラパラという乾いた音を立てた。後藤は携帯PCを
閉じて立ち上がると、砂を払って歩き始めた。
眠っていたネコが起きあがり、ブーツに鼻をこすりつけながらつきまとってくる。
後藤はネコを抱き上げると、コートの中に包んでまた歩き始めた。
昼間よりもずっと冷たくなった風が、肌に痛かった。
- 314 名前:38. 投稿日:2003年04月23日(水)01時57分14秒
□ □ □ □
「うっわー、雨じゃん。最悪」
藤本美貴は大袈裟に眉を顰めて空を見上げると、歩調を早めた。
松浦もそれに合わせて、早足で並んで歩く。
「この感じだと夜中には雪になるかもね」
「ちょっとー、勘弁してよ」
冷静な口調で松浦が言うのに、藤本は愚痴っぽく言うと足下のブロックの
欠片を蹴飛ばした。それは回転しながら地面をすべり、傾いた電柱へぶつかって
三つに割れた。
- 315 名前:38. 投稿日:2003年04月23日(水)01時57分48秒
- 安倍たちと分かれた後、二人はまた意味もなくぶらぶらと街を散策していた。
昼過ぎに、数台の車を繋げて電車を動かそうとしている無謀な集団を見かけた。
三両ほどの列車にはすでに人がぎゅう詰めに押し込められて、それでもまだ
隙間を見つけて滑り込もうとする連中が周囲に寄り集まっていた。
錆び付いた鎖を捩り合わせて電車と連結されていたのは、やや大きめのトラックと
ワゴン車、あと普通の乗用車が数台だった。未だにほとんど無傷の状態の
クルマをあれだけ集められたというのも奇跡的だったが、その奇跡も無謀な
計画によって無駄になっていった。
鬱憤晴らしの乱闘と、絶望して泣き崩れる人々の群を見物しているだけで、
ちょっとした暇つぶしにはなった。
- 316 名前:38. 投稿日:2003年04月23日(水)01時58分23秒
- 東京から脱出している人々の数もかなりいたはずだったが、それでも果てしなく
続く難民キャンプや路上で震える身体を暖め合いながら寄り添っている
光景はまだ至る所で見ることが出来る。
二人は川縁の道をのろのろと歩きながら、河原に拡がっている集落を興味深げに
観察していた。ここで見ることの出来る人影は女性ばかりだ。恐らく、自然と
女性だけが寄り集まって拡大していったのだろう。
松浦はちらちらと藤本の方を窺いながら歩いている。「秘密その1」を松浦に
開かせてから、藤本は大っぴらにサングラスのパネルをいじくるようになった。
そこでどんな情報がやりとりされているのか、松浦には分からない。
いくら問いつめてみても、はぐらかして逃げるだけだ。
押してダメなら引く、というのが普段の松浦の手法ではあったが、根拠のない
不安感のせいか、つい焦りを見せてしまう。
そうした自覚は持っていたものの、焦燥を隠すことは出来ずにいる。それが
却って藤本をいい気にさせてしまうのだとは分かっていても。
- 317 名前:38. 投稿日:2003年04月23日(水)01時59分36秒
- 藤本は雨から逃げるようにして雑草の多い斜面を降りていくと、仮設住宅の表に見張りに
出ている女性たちに片っ端から声をかけ始めた。
こういう時の藤本は、素晴らしく愛嬌に満ちた笑顔を作ってみせる。普段
松浦に向けているような棘のある視線からは、想像することも出来ないような表情。
女性二人組と言うことでことさらに警戒されるようなことはなかったが、
やはり見知らぬ人間に関しては厳しい対応のようで、やんわりと断られ
続けた。
凹んだ一斗缶に腰をかけて、小柄な女性が仮設住宅の前で焼いたトウモロコシを
齧っていた。顔の印象からか、それはビーバーがダムを造っているような
光景にも見えてしまう。
- 318 名前:38. 投稿日:2003年04月23日(水)02時00分53秒
- 藤本は愛想のいい笑みを浮かべながら、彼女の側までスキップしていって話しかけた。
「あのー、ちょっといいですか?」
「ん? どうした?」
関西弁のイントネーションが耳につく。彼女は、顔を上げて側にしゃがみ込んだ
藤本をじろじろと見て、
「悪いけど、モロコシはもう残ってへんで」
「いえ、ほら、雨が急に降って来ちゃって、少しだけ雨宿りさせてくれないかなー、
なんて。あの、この娘ちょっと風邪ひいちゃってるんですよ」
突然藤本にそう振られて、松浦は慌てて演技をさせられるハメになる。
「そ、そうなんですよ。ちょっと熱もあったりなんかして……」
口元を押さえながら言うとわざとらしく咳き込んで見せた。
- 319 名前:38. 投稿日:2003年04月23日(水)02時01分35秒
- 訝しげな表情で二人を見つめていた女性だったが、
「ま、ちょっとならええよ。隣の家な、いまちょうど住人がみんな出てった
ままやねん。ちょうどええから留守番がわりに泊まってってくれるか?」
「えっ? ホントにいいんですか? ありがとうございますっ!」
大袈裟に頭を下げる。松浦も少し遅れて藤本に倣った。
「いやいや、うちもな、一応見張りたのまれてこうやって表におんねんけど、
あんたらがいてくれれば助かるわ。そんな悪い娘ちゃうやろ? あんたら」
「ええ、それはもう!」
藤本は満面の笑みでそう言うと、女性の示した粗末な仮設住宅の中へ潜り込んだ。
「……すいません。お世話になります」
松浦はおずおずと頭を下げて、藤本の後に続いた。
タイミングよくというべきか、雨が激しく本降りになったので、女性も
あたふたと自分の住居へと戻っていく。似たような光景が、河原のあちこちで
繰り広げられた。
- 320 名前:38. 投稿日:2003年04月23日(水)02時02分13秒
ビニールシートに激しく雨粒がぶつかる音が響いてくる。藤本は下に転がっていた
スツールを拾い上げると、肩を回しながら座り込んだ。松浦は立ったまま
落ち着かない様子で内部をきょろきょろと眺め回している。
藤本はいつもの表情に戻ると、側に転がっていたやかんを取り上げて言った。
「雨水でも貯めといてあげよっか。宿賃がわりに」
「ああいう設定は前もって言っておいて欲しいんだけど」
松浦は不満げな口調で言う。
「ん? なんのこと?」
「風邪とかさ、急に言われても困るじゃん」
「ああ、それくらいアドリブでこなしてよー。本当は亜弥の方が得意じゃん、
ウソ臭い笑顔作ってへらへらやるのってさ」
嫌みっぽい口調で笑う。松浦は気にした様子もなく、キリンビールと書かれた
黄色い籠を拾うと、藤本の隣に座り込んだ。
「じゃ、いい機会だし深い話でもしよっか」
「なに? 好きな人の話とか? きゃー」
しれっとした顔で藤本は言うが、松浦は軽く流すと、
「秘密その2。約束だよ」
そう言うと鼻先に人差し指を突きつけた。
- 321 名前:38. 投稿日:2003年04月23日(水)02時02分59秒
- 藤本は不敵な目つきで松浦を睨み返すと、
「前どこまで喋ったっけ」
「つんくに安倍さんを監視するように指令をもらったってとこ」
「よく覚えてるねー。私もう昔のことなんて忘れちゃったよ」
「……美貴、いい加減にしないと本気で……」
低い声で言いながら、上目遣いで睨み付ける。
藤本は目を逸らすと、溜息をつきながらぼそぼそと話した。
「やだなあ、切れやすいのって。カルシウム足りてないんじゃない?」
「足りてるわけないでしょ」
「もう歩きっぱなしでつかれちゃったから、ちょっと寝たいんだけど」
「その手にはのらないよ」
「ちょっとだけだよ。ほら、ちょうどいい感じの毛布もあるし」
そう言うと、ビニール袋に入っている毛布を勝手に広げ始めた。
「あっ、いいの? 使っちゃって」
「いいのいいの。ほら、あんたも使ったら」
「……」
藤本に一枚の毛布を手渡され、松浦は戸惑ったようにそれに視線を落とした。
「じゃ、おやすみー」
「こら、話はまだ終わってないでしょうが」
松浦は言うと、毛布にくるまって横になってしまった藤本を揺さぶった。
しかし、藤本はすでに目をつぶって、狸寝入りを決め込んでしまっている。
- 322 名前:38. 投稿日:2003年04月23日(水)02時03分33秒
- 「しょうがないなあ……」
呆れたように呟いたが、こうした機会でもないとゆっくりと身体を休めることは
出来ない、というのも事実だった。
毛布を抱いたまま藤本の顔を覗き込んでみる。寝たふりだというのは分かっていても、
やはり寝顔は愛らしいものに、松浦には見えた。
「押してもダメなら、引いてみましょう……か」
小声で一人ごちると、毛布で身体をくるんで奥に構えている古びた桐ダンスに
寄りかかって、目を閉じた。
- 323 名前:38. 投稿日:2003年04月23日(水)02時04分04秒
□ □ □ □
暗闇の中で、瞼の裏に一瞬光が透過していく。藤本は頭から毛布を被ったまま、
もぞもぞと腕を身体の下から引っ張り出すと、パネルを叩いて今受け取った
ばかりのデータを呼び出した。
身体を伸ばしながら仰向けになり、毛布から顔を出した。ビニールに激しく
打ち付けられる雨音はすでに途切れており、屋根には薄い光に照らされて、
インクの染みのような黒い影が、見知らぬ世界の海図のように点在している。
やっぱり雪か、と藤本はなんとなくロマンチックな気分でそれを見上げていた。
眼を細めると、隅のタンスの側で膝を抱いて眠っている松浦を一瞥した。
しばらく様子を窺うが、規則正しい呼吸のリズムでゆっくりと身体を揺らして
いる以外には、全く変化を見せる様子はない。
- 324 名前:38. 投稿日:2003年04月23日(水)02時04分37秒
- 藤本は少し頬を歪めて笑うと、そろそろと毛布から這い出して、息を潜めて
ビニールの幌を捲って出ていった。
幌が開いた一瞬、一面の銀世界が反射する目映い光が闇の中を通り過ぎていく。
雪はまだしんしんと降り続いていた。藤本はコートを胸の前で寄り合わせると、
俯いたまま足跡を残して歩いていく。
足下から一掴みの雪を取り上げると、握り固めて川の方へ放った。
虹のように綺麗な放物線を描いて、それは音もなく水の中へと消えていく。
緩やかな流れの中に、小さな波紋はすぐに見えなくなった。
- 325 名前:38. 投稿日:2003年04月23日(水)02時05分07秒
- 松浦は毛布の隙間から、上目遣いでかすかに揺れている幌を見つめた。
すきま風の予想以上の冷たさに、一瞬身体をブルッと震わせる。
吐く息の白さが、僅かな光を捉えて粒子を浮かび上がらせていた。
もうしばらく時間をおいても大丈夫だろう、と心の中で思うと、松浦は
冷たい空気を追い払うように、また強く膝を抱きしめた。
- 326 名前:更新 投稿日:2003年04月23日(水)02時05分39秒
- 38.パラボラ >>305-325
- 327 名前: 投稿日:2003年04月23日(水)02時06分43秒
- >>302名無しAVさん
重苦しい雰囲気が続いてましたからね……性格が出てるというか(w
毎回レスありがとうございます。
>>303匿名匿名希望さん
レスありがとうございます。レスのタイミングって結構考えますよね。
これからもよろしくお願いします。
>>304ななしのよっすぃ〜さん
実はもう書きました……下書きですが(w
お仕事頑張って下さい。
- 328 名前:名無しAV 投稿日:2003年04月23日(水)16時32分45秒
- おーー!!少しずつ伏線が潰されていっている!!
一人一人の思惑が絡み合ってどんな形になるのかが楽しみです。
- 329 名前:ななしのよっすぃ〜 投稿日:2003年04月23日(水)21時08分59秒
- 作者さま、更新お疲れさまです。
そろぞれの想いが交錯するなか、いろいろな対決があるんでしょうか?
推しキャラがよっすぃ〜&あややなので、おとなしい二人より暴れまくりの二人を見たいです。(笑)
よっすぃ〜VSごっちん、下書きできてるんですか〜!!うぉ〜早く読みたいですっ!!
すみません、取り乱しました。(m(__)m)
では、bTを聴きながらまったり更新を待ってます!!
- 330 名前:39. 投稿日:2003年04月30日(水)01時21分02秒
39.熱いナイフでバターのような君の心を切り裂く
日が昇りきる頃には、すでに雲は晴れ、白っぽい空が見渡す限り拡がっていた。
冷たく乾いた空気がゆっくりと流れ、常緑樹の葉を揺らす。
吉澤ひとみは石段に座って両脚を投げ出したまま、ぼんやりと一面の白く
染まった風景を眺めていた。
さほど深く降り積もっているわけでもなさそうだったが、それでも足を踏み出す
のがためらわれてしまう。それくらい、目の前に拡がっている景色は儚く
美しいものに、吉澤には見えた。
眼を細めると、ぼやけた拡がった光だけが視界の中に残った。剥き出しの手を
足下に積もっている雪へ埋めてみる。容赦ない冷たさが肌の隙間へ突き
刺さって来る。心地よい痛みが、まだ覚醒しきっていない意識を明晰に
させてくれているように感じた。
- 331 名前:39. 投稿日:2003年04月30日(水)01時21分34秒
- 中澤とはあれから一言も言葉を交わしてはいなかった。彼女の説明はひどく
抽象的で、あの時の記憶が消し飛んでしまっている吉澤にはあまり意味を
理解することは出来なかった。
あの場で詳細な状況を知っているのは吉澤と中澤の二人だけだ。そして、
吉澤は記憶を無くしてしまっている。
どこか中澤のクールな芝居にあの場は流されてしまったんじゃないか、という
ような釈然としない感覚が、吉澤の中には残されている。
しかし、直後に現れた石川の、まるで安いドラマのような再会シーンに、
空気そのものが完全に入れ替えられてしまっていた。
石川と柴田は二人ともその時のことを覚えているはずだ。倉庫での夜。地震が
全てを崩壊させてしまう直前の出来事を。
しかし二人とも吉澤にはなにも語ろうとはしなかった。吉澤の方からその話を
切り出すことを、やんわりとした空気で拒否しているようにも感じられた。
いくら考えてみても、薄暗い倉庫の中で立っていた記憶と、身体のあちこちに
熱い衝撃と痛みを感じた記憶はどうしても繋がらない。
中澤のセリフからは、むしろそれを思い出す必要なんてない、とでも言いたげな
ニュアンスも伝わってきた。
- 332 名前:39. 投稿日:2003年04月30日(水)01時22分08秒
- 腰につけられている警棒を、意味もなく伸ばして目の前に突き立ててみる。
白い風景の中に純白のそれはそのまま溶け込んでいってしまいそうだ。
飯田のシェルターで目覚めたとき、気を失ったまま握りしめていた警棒は、
右手と一緒に赤黒く固まった血で汚されていた。
あれが自分の血だったのかそうではないのか、今となっては確かめようがない。
腕時計を見る。中学生の時、どこかのゲーセンで生意気そうな予備校帰りの
小学生からカツアゲしたものだ。なかなかの高級品で、世界がどうなろうと
エネルギーが尽きるまで冷酷に時を数字で輪切りにしていくような、素っ気ない
外観が気に入っていた。
二月十三日。もう冬も終わりに近付いている。この雪は多分最後の雪になるだろう。
なんとなく、デタラメにネジを回して単なるアクセサリーにしてしまいたい
誘惑に駆られた。そうしたところで自分の今の生活には何の支障もきたさない
だろうが、なぜかためらわれるものがあった。
- 333 名前:39. 投稿日:2003年04月30日(水)01時22分41秒
- 「よっすぃー」
背後から声をかけられ、振り返る前に飛びつかれた。吉澤は面倒臭そうに応じる。
「おはよう、梨華ちゃん」
「おっはよー♪ どうしたの? こんなとこで佇んじゃって」
「別に。……早く目が覚めたから」
「そうなんだー」
大したことも喋っていないのに、なぜかすごく感動したように言うと、石川は
吉澤の手を取って、
「あ、すっごく冷たーい。大丈夫?」
「うん。ちょっと雪に触ってたから」
そう言うと、手を自分の胸に抱き寄せようとしている石川から、強引に引き戻した。
石川は不満そうに口を尖らせると、腰を回しながら立ち上がった吉澤の
前に回り込んだ。真新しい雪の上に小さな足跡が残された。
「もうっ、あいかわらず暗いんだから」
「梨華ちゃんが明るすぎるだけじゃないの」
確かに、気付かないうちに雪に触っていた両手はひどく冷たくなっていた。
吉澤は両手をコートのポケットに突っ込むと、ぶらぶらと門の前まで歩いて行った。
柔らかい雪を踏みしめる感覚が、少し気持ちよかった。
「……寒いな」
思わず、ボソッと呟いてしまった。
側まで付いてきていた石川は、その声を耳にするとおかしそうに笑った。
「だってそんなペラペラのコートだけじゃ寒いよー。こんな雪降ってるんだし、
朝なんだし」
「ペラペラ、か」
吉澤は微かな風に吹かれてはためいているコートに目を落とした。真っ白く
染まった地面を背景にして、漆黒のコートはよく映えていた。
- 334 名前:39. 投稿日:2003年04月30日(水)01時23分12秒
- 「……ごめん。私またなにかまずいこと言っちゃった?」
心配そうに眉を八の字にして顔を覗き込んでくる。
吉澤はそんな石川の顔を見て、つい吹き出してしまっていた。
「……なによぉ、人がせっかく気をつかってあげてるのにぃ」
頬を膨らませて言うと、人差し指で肩をつついた。いちいち可愛らしい仕草は、
天然で出て来てしまうものだろう。
「ごめんごめん。なんか梨華ちゃんってなにやっても下手な芝居みたいで、
おかしかったから」
笑いながら言うと、スキップしながら表へと出ていく。
「ひっどーい」
後ろから、やはりどこか棒読みっぽい石川の声が聞こえてくる。
謝ろうと振り向いた瞬間、顔面に雪のカタマリがぶつかって弾けた。
「冷たっ。なにすんだよ」
「よっすいーがいけないんだよーだ」
石川はそう言いながら、粉雪を固めて次々に投げつけてくる。
「やったな」
吉澤はしゃがみこむと両手で大きめのカタマリを作って、石川に投げつけた。
それは見事に顔面に命中し、パイ投げのように顔面を覆って白く染めた。
「美白になってよかったじゃん」
へらへらと笑いながら言う。石川は顔の雪を払い落としながら、
「もう、本気でムカついたっ」
そう言うとまた闇雲に雪をぶつけてきた。
吉澤も調子が出てきたように、反撃を加える。
- 335 名前:39. 投稿日:2003年04月30日(水)01時23分50秒
- しばらく二人の雪合戦が続き、表の道路を美しく覆っていた雪は爆撃跡のように
荒らされてしまった。二人は真っ白く荒い息を吐きながら、その場に寝そべった。
「……疲れた」
石川が天を仰ぎながら呟いた。吉澤は息を吐くだけでなにも言わなかったが、
その言葉には無言で同意していた。
「ていうかなにやってんだろ、私たち」
雪玉の残骸があちこちに散らばった路上に大の字になって、吉澤が溜息混じりに言った。
「……朝の体操がわり」
石川はそう言うと、くすくすと笑った。つられて、吉澤もうっすらと白く
染まった空を見上げながら微笑んだ。
- 336 名前:39. 投稿日:2003年04月30日(水)01時24分21秒
- 「ナニやってんの?」
門の方から声が聞こえる。吉澤が身を起こすと、歯ブラシをくわえて紙コップを
持った安倍が、あきれ顔で立っていた。
「あっ……おはようございます」
吉澤はばつの悪そうな表情で立ち上がると、髪に付いた雪を払い落とした。
体温で溶けてしまった水滴が、キラキラと朝日を反射して煌めいた。
「おはよう」
安倍は不思議そうな顔で、吉澤とまだ寝そべったままの石川を見比べたが、
肩を竦めるとまた屋内へ戻っていった。
- 337 名前:39. 投稿日:2003年04月30日(水)01時24分52秒
- 「ねえ、ちょっと付き合ってくれない?」
天を仰いだまま、石川が言う。吉澤は寒そうにコートを寄り合わせると、
「なに?」
「ちょっと、一人じゃ出来ない作業があって。よっすぃー体力ありあまって
そうだからさ、ね、手伝ってよ」
そう言いながらパッと起きあがると、ぼんやりと立っていた吉澤の腕を取って
引きずるように歩き出した。
「ちょっと、急になによ……」
戸惑いながらも、吉澤は石川に引っ張られるままに屋敷の横に通じている
路地へ足を踏み入れていった。
- 338 名前:39. 投稿日:2003年04月30日(水)01時25分26秒
□ □ □ □
「いいの? こんなの勝手に持ち込んじゃって」
二メートル近くある長方形の看板を二人して抱えながら、吉澤は後ろを
歩いている石川を振り返って言った。
「だって、あそこなんか寂しいじゃん。壁とかなんにもないし」
「けど、これは……」
吉澤は小声で言うと、右側にぶら下がっている看板を見下ろした。
それほどしょっちゅう見かけるわけでもないが、なんとなく知っている、といった
程度の知名度のチョコレート。
淡いピンク色を背景にして、柔らかいタッチで二人の天使が描かれている。
二人とも巻き髪の金髪で、分かりやすい輪っかを頭に浮かべて、裾の拡がった
純白の洋服を纏って宙に浮かんでいる。女の子の方は片手に細長く先にハートマークが
ついた棒を持っている。
もちろん吉澤が持っているような種類の「棒」ではない。
そして、小さな白い翼をはためかせながら、二人は中空で口づけを交わしている。
目を閉じている二人の瞼の裏には、お互いの幸せそうな笑顔が浮かんでいる
ことだろう。
吉澤は前にこのチョコレートを食べたことはあったが、少し甘ったるすぎて
自分の口には合わなかったような記憶がある。
しかしこのイメージであるなら確かに好みの味でなくても仕方がない。
- 339 名前:39. 投稿日:2003年04月30日(水)01時26分01秒
- 「なんていうか、……梨華ちゃん、好きそうだよね、こういうの」
吉澤が言うのに、石川は嬉しそうに返した。
「うん。私このチョコレート大好きだったんだ。デザインも大好きなピンクが
いっぱい使ってあって、すっごく可愛いし」
「黒服ばっかりのあの部屋にはちょっと合わないと思うけどな……」
小声でブツブツと呟いてみるが、石川は意に介した様子もなく、
「だからいいんだよー。だって周りみんな黒ばっかりで、もう堅苦しいじゃーん。
なんかお葬式みたいだし。縁起でもない」
「ヤクザだからしょうがないじゃん」
「私はヤクザじゃないもん」
「でも、梨華ちゃんも黒いよ」
吉澤はふざけたように言うと笑った。
「うるさいなあ、気にしてるのにぃ」
石川が言う。吉澤は前を向いていたので見えないが、多分また八の字眉で
口を尖らせているのだろう。
想像すると、つい笑みが浮かんできてしまう。
「でもなんであんな場所に落ちてたんだろ」
「使わなくなって、邪魔だから捨ててっちゃったんじゃない? こういうの、
今は処分するだけで結構お金かかるから」
吉澤が適当に説明するのに、石川は少し不満そうな声で言った。
「もったいないなー。こんな可愛いのに」
「お陰でこうやって梨華ちゃんのものになったんだから、よかったじゃん」
「それもそうだね」
- 340 名前:39. 投稿日:2003年04月30日(水)01時26分38秒
- 狭い路地の曲がり角に差し掛かり、二人は看板を立てかけると、壁に凭れかかって
しばしの休息を取った。
吉澤は改めてチョコレートの看板を見つめると、
「けどこれよく出来てるよね。普通裏とか張りぼてだったりするけど、ちゃんと
本物の箱っぽく出来てるし。ちゃんと上の蓋も開けられるし」
木製の板ではなく、分厚い紙を折り込んで作ってあるのだった。吉澤は
腕を伸ばして上の蓋を開くと、中を覗き込んだ。
「さすがに中身は入ってないみたいだけど」
冗談っぽく言うと、石川の方へ笑いかける。
が、石川は俯いて地面に残された二人の足跡を見ながら、黙り込んだままだ。
「梨華ちゃん? 具合でも悪いの」
心配そうな口調で話しかける。石川は笑顔で吉澤の方を振り向くと、
「ううん。ちょっと、自分の世界に入っちゃってた」
「なんだよ」
吉澤は大袈裟に嘆息すると、前屈みになって膝を伸ばした。
- 341 名前:39. 投稿日:2003年04月30日(水)01時27分15秒
- 「……あの時のこと、思い出してたんだ」
石川は目を伏せて言う。吉澤は上目遣いで彼女の方を見ると、
「あの時って?」
「……私と柴ちゃんがさらわれて、よっすぃーが助けに来てくれたとき」
ぽつりと小声で言う。その言葉を聞き、なぜか吉澤は急に動悸が速まったように感じた。
深く息を吸い込んで呼吸を止めると、改めて石川の方へ視線を投げる。
「私、すごくうれしかった。でも、すごく申し訳なかった」
「……」
石川は俯いたままで続ける。吉澤は黙って彼女の話すのを聞いていた。
「だって、私のせいで、よっすぃーに迷惑かけたくなかったし……。それで、
よっすぃーが私のことキライになったら、すごく悲しいし」
「……そんなことないよ」
「だからね、私、昨日あそこに帰ってきてよっすぃーがいたとき、すごく
嬉しかったんだ。だって、ちゃんとあの時のこと謝れるって思ったから」
「……」
「それに、お礼も言いたかった。一人で助けに来てくれたとき、すごく私
感動しちゃったもん」
「そうかな……」
吉澤は自信なさげに言うと、なんとなく腰の警棒をコートの上から撫でた。
それはいつでも硬く冷たくて、自信の源になっていた。
- 342 名前:39. 投稿日:2003年04月30日(水)01時27分52秒
- 「うん、カッコよかったよ、よっすぃー。昔のどんな写真より、全然カッコよかった」
石川はそう言うと、笑いながら吉澤の方へ顔を上げた。
が、今度は吉澤の方が照れたように俯いてしまう。
「やめてよ」
「ううん。私、それだけは言いたかったんだ。ごめんなさいと、ありがとうと、
カッコよかったってこと」
「うーん……、ま、ありがとう」
吉澤はそう言うと、はにかみながら石川の方を見た。
石川も笑みを浮かべたまま吉澤の方を見つめている。
その時、なぜか吉澤は胸の奥に鈍い痛みを感じた。心がなにかに切り裂かれて、
悲鳴を上げているような、そんな痛みだった。
「だからねっ、今度はもっとカッコよく決めて欲しいなー」
「……は?」
「『キミのことはボクが一生守るよ、お姫さま』みたいに登場してほしいのー」
そう言う石川の笑顔を見て、吉澤は先刻感じたような痛みはすでに忘れてしまっていた。
- 343 名前:39. 投稿日:2003年04月30日(水)01時28分23秒
- 「……キショ」
吉澤は呆れたように呟くと、また看板を持った。
「あーまた言ったぁ」
ふくれっ面で言いながらも、すぐに笑顔に戻って前へ回り込んだ。
「さっ 、早くこれ持って帰ろっ! 今度は私が前持つね」
石川はいつものテンションを取り戻すと、看板をえっちらおっちらと担ぎ
あげようと悪戦苦闘を始めた。
吉澤は笑いながら後ろへ回って、石川に手を貸した。
そう言えば、明日はバレンタインだったな、と吉澤は石川の後ろ姿を見ながら
思い出していた。
- 344 名前:39. 投稿日:2003年04月30日(水)01時30分12秒
- 39.熱いナイフでバターのような君の心を切り裂く >>330-343
- 345 名前: 投稿日:2003年04月30日(水)01時30分49秒
- >>328名無しAVさん
そろそろ畳み始めないとちょっとやばいっす(w
>>329ななしのよっすぃ〜さん
あ、そう言えばまだNo.5聴いてないや……。
ということで明日も更新するかもしないかも。
- 346 名前:名無しAV 投稿日:2003年04月30日(水)17時42分17秒
- 下手な芝居〜
適当すぎる言葉に驚嘆。
そして古きよきいしよしに感謝。
- 347 名前:40. 投稿日:2003年05月01日(木)01時10分08秒
40.鬱
一対の足跡を残しながら、藤本美貴は駅前広場の中央に立っているモニュメントまで
周囲を見回しながら歩いていった。
DNAを思わせる二重螺旋が天高く伸びているこのモニュメントは、かつてはこの場所を
遊び場にしている連中のランドマークだったが、今では隅々まで汚い落書きで
埋め尽くされている。
雪の上に寂しく伸びている自分の足跡を振り返って、藤本は不思議な気分になった。
ほんの二、三日前までは、ここには多くの若い連中が段ボールやらビニールやらで
仮設住宅を造って生活をしていたはずだが、今ではそんな痕跡もなく閑散と
している。自分以外の人影もまったく見ることが出来ない。
パネルを叩き、サングラスで周囲を走査する。
ケンタッキーフライドチキンの横に通じている路地に、人間の気配を捉えた。
藤本はサングラスがピックアップしている地点へ視線を向ける。首をもがれて
倒されたカーネルサンダースが、歓迎の姿勢のまま路地の入り口を塞いでいた。
- 348 名前:40. 投稿日:2003年05月01日(木)01時10分45秒
警戒を解かないままそこへ近付いていく。路地裏では、ぐしょぐしょになった
毛皮のコートで身を包んだ若い女が、衰弱したように縮こまって寒さに震えていた。
傍目にも、大分衰弱しているのが分かる。両手で握りしめたワインのボトルを
口元に近づけて、弱々しく動く舌で舐め続けていた。茶髪の隙間からちろちろと
赤い色が明滅しているのがひどく薄気味悪かった。
- 349 名前:40. 投稿日:2003年05月01日(木)01時11分34秒
- 藤本は彼女に近付くと、しゃがみ込んで顔を覗き込んだ。
「大丈夫ですか?」
「ひっ……」
女は怯えたような眼で藤本を凝視したが、やがて気が抜けたように笑い始めた。
「なんだ、女の子か」
「そうですけど」
苛ついたように言うと、彼女を睨む。
女性は怯んだ様子もなく、
「ここはもう誰もいないよ。私は逃げ遅れたんだ」
「逃げ遅れた? どういう事?」
「昨夜、急にここに襲撃があったんだ……。みんな揃いのファッションで、
……よく知らないけど、どっかのチームだと思う」
「へえ」
女性の話に、藤本は興味をそそられたようだ。
「強盗とか?」
「わかんない。なんか人を捜してるみたいな感じでもあったんだけど、誰かが
怪我して匿ってもらってるとか。でもそんなのあんまり関係ないっぽかったよ。
あいつら、ただのストレス解消で暴れてるって感じだったし」
「今あるチームは、ほとんど矢口真里の一味が締めてるはずだけど」
矢口の名前を出してみるが、女性は特に反応を示すことはなかった。
- 350 名前:40. 投稿日:2003年05月01日(木)01時12分16秒
- 「そうなの? 最悪だよあの連中。いきなり不意打ちで全部ぶっ壊して、
奪えるものは全部奪ってちゃうし、容赦なく殺しまくりだしさ」
そう言うと、絶望的な笑い声をあげる。
「私は逃げ遅れて、何度も何度もマワされてここに捨てられてったんだ。多分変な
クスリでもどっかから入れられたんだと思う。ずっと体の調子がおかしくて」
「……」
「別に助けてくれなくてもいいよ。私もうそろそろ死んじゃうんだろうね。あはは。
ま、あんたも気をつけた方がいいよ。もう東京に安全な場所なんて残ってないよ」
女性はそう言うとまたワインのボトルをしゃぶり始めた。
藤本は溜息をついて立ち上がると、女性を放ったまま路地を抜けていった。
目的が何であるにしろ、矢口たちの仲間が活発に動き出しているという情報は
すでにいくつも入ってきている。恐らく、昨夜の襲撃もその一貫なのだろう。
- 351 名前:40. 投稿日:2003年05月01日(木)01時13分06秒
- 襲撃の余波か、しばらくは人間の反応はキャッチされなかった。
あまり区画整理のされていない、入り組んだ道を適当に歩いていく。一対の
足跡だけが、途切れることなく残されていった。
突然、サングラスに反応があった。
すぐに『眼』からの映像が届く。揃いのファッションを纏った四人組の若い男たちが、
二人の別の男を袋叩きにしている。場所は、ここからすぐ近くにある、プレハブの
古びた倉庫の中のようだった。
チーマーの連中がさっきの女性の言っていたものと同じなのかは分からない。
藤本はサングラスからの指示に従って、ひん曲がったフェンスを飛び越えると
小さな竹林を潜り抜けていった。
町の診療所、といった雰囲気の建物が惨めに潰れており、そのわきに目的の
車庫はあった。微かに中から呻き声が聞こえてくる。
藤本はコートに手を入れてナイフを握ると、倉庫の扉へ歩み寄って行き一撃で蹴破った。
- 352 名前:40. 投稿日:2003年05月01日(木)01時13分45秒
- 突然の出来事に、中の数人は眩しげに眼を細めて藤本の方を睨んできた。
藤本はコートの中で腕を組んだまま、にっこりと笑って見せた。
「こんちわー」
「おい、なんなんだよテメーは……」
青モヒカンで、鼻と耳のピアスをチェーンで繋げている二メートル近い大男が
近付いてくる。藤本は義足をオーヴァードライヴさせてそいつの腹に蹴りをぶち込んだ。
男は、鈍い音を喉の奥から沸き上がらせるとその場に蹲った。ダラダラと吐き出された
血が亀裂の走ったコンクリートにどす黒く拡がっていく。
「なんだ、見かけだおしじゃん」
バカにするように言うと、唖然として様子を見つめていた連中へ笑いかける。
立っているのは三人。手元にはナイフやメリケンサック、金属バットなどが
見ることが出来るが、拳銃は持っていないようだった。
「この野郎……!」
ジャックナイフを持った男が飛びかかってくる。藤本はコートの中で握りしめて
いた手を抜くと、素早く彼の顔面にストレートを放った。中指につけたキティちゃんの
シルバーリングが、男の眼窩にめり込んだ。
- 353 名前:40. 投稿日:2003年05月01日(木)01時14分32秒
- 顔を押さえたまましゃがみ込んでしまった男を放置したまま、藤本は残された
二人の方へつかつかと歩み寄った。あどけなさの残る顔つきから、恐らく
まだ十代なのだろうな、と予想する。足下に血塗れになって横たわっている
二人の男は、すでに事切れているように見えた。一人はどう見ても東南アジア系の
労働者で、もう一人は国籍不明の黒人だった。
と、一人が逃げ出そうとして突然駆けだした。藤本は軽く脚を伸ばすと
あっさりと転ばせる。こいつはただの下っ端だろう。脚を戻すついでに背中を
踏みつけると、肋骨が折れる鈍い感覚が伝わってきた。
- 354 名前:40. 投稿日:2003年05月01日(木)01時15分06秒
- 「虫ケラが……」
藤本は吐き捨てるように言う。
一人残された少年は、壁に張り付いて、立ったまま腰を抜かしてしまっているようだった。
膝をガクガクと震わせながらも、目つきだけはまだ鋭く藤本を睨み付けているのが、
なんとなく可愛らしくもあった。
藤本は少年の喉を片手で締め上げると、コンクリートに横たわっている二人の
間に組み伏せた。
「で、あんたたちが殺したこの二人って何者?」
左手で喉を締めたまま藤本は顔を近づけて訊く。
少年は最後の足掻きか、震える唇から唾を吐きかけた。それはサングラスに
あたり、一筋の線を引いて垂れ落ちていった。
- 355 名前:40. 投稿日:2003年05月01日(木)01時15分42秒
- 「ナイフ汚さないで済んだと思ったんだけど」
言いながら懐からナイフを出すと、少年の額をつついた。
「ね、ユーウツのウツって漢字で書ける?」
満面の笑みを浮かべたままで、優しく語りかける。まるで憧れの家庭教師みたいに。
少年は眉を顰めると、
「な、なに言ってんだあんた……」
「分かりやすい覚えかたがあるんだ。まず、二本の木が離れて生えています」
教師の口調のままで、藤本は少年の額にナイフで「木」「木」と刻み込んだ。
呻き声をあげて暴れ出すが、喉と身体を押さえられてどうにもならない。
血が垂れ下がって、こめかみに縞模様のように垂れ下がった。
「そんで、次は」
「分かった、分かった、言うよ、言うから」
涙を浮かべた目で、切なげに見つめてきている。藤本はナイフの手を止めると、
「漢字博士になりたくない?」
「こ、こいつらは、ニダーなんだ」
少年が言うのに、藤本は二人の死体へ視線を向けた。
ニダーの噂は聞いたことがあった。バックについているのは韓国系のマフィアで、
不法滞在の外国人労働者や、以前から風俗関連で根を広げていた中国闇社会との
繋がりがあるとも見られている。秘密裡に、震災後の混乱を狙って半島から
工作員が送られているという噂もあった。
- 356 名前:40. 投稿日:2003年05月01日(木)01時16分20秒
- 「で?」
続きを促す。少年は一瞬口ごもったが、藤本が赤い滴がぶら下がったナイフを
滑らかに回転させるのを見て、またぼそぼそと話し始めた。
「こいつら、俺達のことをこそこそと嗅ぎ回ってやがって。……そんで、
ムカついたからこの倉庫におびき寄せて、ボコボコにしてやったんだ」
「すごいじゃん」
「へっ……」
藤本が笑顔で言うのに、少年は一瞬得意げな表情になる。
「じゃ、あんたがこいつら殺したってニダーに言いつけちゃおっかな」
「や、そ、それは違う……。俺は、ただ、その、ついてきただけなんだよ。
あんたが始めにケリで倒したヤツがリーダーなんだ。俺は、ただの下っ端なんだよ」
舌を縺れさせながら弁明を続けるのに、藤本は呆れたように鼻を鳴らすと
もう一度ナイフを眼前にちらつかせた。
- 357 名前:40. 投稿日:2003年05月01日(木)01時17分00秒
- 「あんたらのチーム名は?」
「それは……、言えない」
「……」
しばし沈黙の中で睨み合う。藤本はまた教師の笑みに戻ると、歌うように言いながら
ナイフを振るった。
「木と木の間で、缶蹴りをしましょう。箱を一個持ってきて、その上に缶を置いて……」
一本一本線を刻むたびに少年はなにかを喚きながら激しく暴れた。
冠を刻み終えると、藤本は一息ついて、
「どう? ちょっとは賢くなったでしょ」
「……助けて……、頼む……」
左眼の瞼が縦に切り裂かれ、涙と血が混じり合ってだらだらと溢れていた。
藤本は、血の付いたナイフをくるくると回しながら笑顔で問いかける。不健康そうな
薄い血液が、少年の顔面に舞った。
「チームの名前教えて」
「……パンク・フロイド。けどあんたがさっきリーダー殺しちまったから、もう
解散だよ」
少年の言葉に、尺取り虫のように尻を突き上げて、顔面を地面に押しつけている
大男の方を振り返った。
押しつぶされた鼻からブーブーと息が漏れだしているのを見ると、まだ死んでは
いないようだったが、遠からずそうなるだろう。
- 358 名前:40. 投稿日:2003年05月01日(木)01時17分36秒
- 「で、その上に立ってるのは?」
「なんのことかよく分かんねえ」
「こんな弱小のチームがニダーに付け狙われるわけないでしょうが」
藤本はそう言うと、またナイフをちらつかせた。
「……」
少年はなにかを言いかけて口を開いたが、すぐにつぐんでしまう。
藤本は溜息をつくと、
「缶蹴り遊びに疲れたら、お昼ご飯にしましょう♪ 飯盒にお米を入れて、下から火を……」
笑顔で歌いながら、ざくざくと右頬に文字を刻み込んでいく。少年は掠れた声で
悲鳴のように言った。
「……わ、分かった、分かったから、これ以上……」
ナイフを持つ手を止める。
激しい動悸が少年の身体全体を震わせているのが、レザーのパンツを通じて
伝わってくる。恐怖と怒りと苦痛から、彼の両目からは涙が止めどなく
流れ落ちていっている。
改めて少年の顔を見下ろすと、割と整った綺麗な目鼻立ちをしている。
多分女の子にも人気があったのだろう。
といっても、今ではそれも見る影もないが。
- 359 名前:40. 投稿日:2003年05月01日(木)01時18分15秒
- 「あんた、ウソついてたでしょ。ニダーがあんたらを嗅ぎ回ってたんじゃない。
逆だ。あんたらがニダーをつけ回してて、それでトラブったんでしょ」
「……」
「♪鬱という字を〜辞書で引いたぞ〜」
「……そ、そうだよ……! あいつらが、始めに中国人のスパイをうろちょろ
させてたんだ。それで、俺達でそいつらを捕まえてボコボコにしようとしたら、
一人が駅前の集落に逃げ込みやがって……」
「で、集落ごとぶっ潰したんだ」
「……そういう風に、初めはそんなんじゃなかったんだ。でも気が付いたら
めちゃめちゃテンションがあがっちゃってて……」
「うん、分かるよ。今の私もそうだもん」
そう言うと、またニッコリと微笑みかける。
少年はもう眼に血が溜まってしまい、藤本の表情も見えていないようだった。
「したらこいつら今度は黒人の二人組寄越しやがって……。ついさっきだよ。
一人で出歩いてた仲間が刺されたんだ。まだ死体は転がってるよ。俺達は
それでこいつらを追い込んで、……」
「あんたたちの、本当のリーダーは?」
「……矢口真里だよ。俺は実際会ったことはないけど」
やはりだ。
藤本は思わず頬が緩んでしまうのを抑えることが出来ない。
- 360 名前:40. 投稿日:2003年05月01日(木)01時18分52秒
- 「うちのリーダーが、矢口にニダーを挑発するようにって言われて、……リーダーも
わけ分かんねえって言ってたけど、とにかくあいつらを怒らせればいいんだって……」
「矢口真里が、そうしろって言ったんだ」
「そうだよ」
「それで、その矢口真里は、今どこにいるのかな? 前のアジトは灰にされた
って噂だけど、どうせまたどっかに集まってるんでしょ?」
「……知らねえ」
「ふーん……。じゃ、最後に、先生英語の授業してあげる。私の質問に対する
あなたの答え。英語で言うと?」
「……?」
「ノー」
そう言うと、左の頬に深くナイフを突き立てた。今までのような浅いものではなく、
カタカナの「ノ」は深く口蓋の奥まで突き刺さっていった。
「……う……」
悲鳴を上げようと口を開けた途端、大量の血が溢れた。
- 361 名前:40. 投稿日:2003年05月01日(木)01時19分58秒
- 「もういっぺん訊きます。矢口真里の居場所を教えてくれますか? Yes? NO?」
「……」
小刻みに震えながら、それでも答えようとしない。藤本はもう笑ってはいない。
もう一度深く頬に「ノ」を刻み込む。少年は声も挙げられず、暴れる気力も
残っていないようだった。
「ラストチャンス。あんた顔ちっちゃいから喉に行っちゃうね」
「……分かった、言うよ、言うから……」
消え入りそうな声だったが、なんとか聴き取ることは出来る。
藤本は、ほとんどうわごとのような口調で矢口たちの居場所を口にする少年を
見下ろしながら、血塗れになったナイフを拭った。
- 362 名前:40. 投稿日:2003年05月01日(木)01時20分43秒
- 二人のニダーの死体の方へ目を向ける。
都内に散らばっている隠れ場所を、いまだ経文のようにブツブツと呟き続けている
少年から手を離すと、黒人のスーツの懐をあさった。
彼らの使っている小さな通信機は、すぐに発見することが出来た。
藤本は二つの戦利品に満足したように微笑むと、血腥い倉庫を後にした。
- 363 名前:更新 投稿日:2003年05月01日(木)01時21分19秒
- 40.鬱 >>347-362
- 364 名前: 投稿日:2003年05月01日(木)01時22分01秒
- >>346名無しAVさん
昔は結構そういうの書いてたんです。今も書くけど。
ただ、私が書くとどうもパロディみたくなってしまうのがあれですが(w
- 365 名前:名無しAV 投稿日:2003年05月01日(木)19時00分10秒
- これだよ!これ!!
ここの藤本さんのかっこよさは他の小説の追随を許していないと思います。
少年みたいに人を傷つけられるミキティー最高!
パンク・フロイドはピンク・フロイドにかけてるのかな?
- 366 名前:41. 投稿日:2003年05月09日(金)00時36分02秒
41.リュシアン・ルバテ
あちこちが崩落し、傷だらけで傾いたまま、都庁舎だった巨大ビルは奇妙な
バランスでずっとその姿勢を保ち続けている。
このまま固めてしまえば、ピサの斜塔のような観光名所として保存できるかも
しれない。リメンバー大震災。崩壊の象徴。象徴の残骸。白い雪がうっすらと
表面を覆っているビルを見上げて、保田圭はそんなことを思った。
保田はくすんだ色のマフラーを口元に巻き付けて、どこか非現実的な廃墟の
織りなす風景を見つめていた。リアルな崩壊のスペクタクルは、一生に何度も
体験できるものではない。
中世の画家に、やはりこのような崩壊の瞬間を、幻視によって切り取った絵画ばかりを
描いていた人物がいた。ずっと前に暇つぶしで立ち読みをしていたときに
不思議と印象に残っていた作品だった。店員の目が厳しかったのでパクって
くることは出来ず、未だに名前は思い出せないのだが。
- 367 名前:41. 投稿日:2003年05月09日(金)00時36分44秒
携帯PCを開くと、暇つぶしについさっき見つけたばかりの、興味深い情報を
呼び出してみる。
ボランティアによって運営されている、迷い人捜索の掲示板。
警察機構が弱体化してきているのはなにも東京だけの話ではない。一方で、
家出や犯罪の多発によって行方不明になってしまう人々も増え続けている。
ここには無数の迷い人の情報を求める人々が集まっている。保田はランダムに
捜索願を流していったら、偶然ある写真へと巡り会った。
前髪をたらして広い額を隠し、赤ちゃんのような無邪気な笑みを浮かべている
少女の写真。雰囲気は少し違って見えるが、間違いなく加護亜依のものだ。
写真に添付されているデータの中の氏名はもちろんそれとは違っている。
現住所は奈良。冬休みに、東京の祖母の家へ帰省させていた時に、大震災が
起きて消息が不明になってしまったという。
- 368 名前:41. 投稿日:2003年05月09日(金)00時37分19秒
- 似たような事情で捜索願を掲示されている人の数は膨大な量に上る。その中から
この写真を発見できるものはほんの僅かだろう。
それに、東京で加護のことを見た人間であっても、その場を覆い尽くしていた
奇妙な空気感に毒されてしまっては、この可愛らしい少女と宙を舞う摩訶不思議な
子供を結びつけることは難しいはずだ。
この手の件に慣れている保田であっても、バックステージの公園でソフトクリームを
舐めている加護を見ていなければ、気付かずに流していってしまったかもしれない。
掲示板にアップされているデータを見る限り、加護はどこにでもいるごく普通の
中学生だったようだ。それがあのような能力を得るに至ったのは、なにが
原因だったのだろう。
- 369 名前:41. 投稿日:2003年05月09日(金)00時37分56秒
- 視線を落とすと、腕時計の文字盤を見つめた。午後の四時を少し過ぎた頃だ。
保田は踵を返すと、ビル跡を回り込む路地へ向かって歩き出した。
が、立ち止まって少し考えると、また方向転換をして、傾いたビルの影になって
トンネルのようになっている路地へ入っていった。
ビルから降り注いだ瓦礫やガラスの破片などが積み重なり、しかもいつ傾いた
都庁舎が倒壊してくるのか分からない危険な場所であるため、当然誰も
足を踏み入れようとはしない。
保田は平然と瓦礫を踏みしめながら、薄暗い路地を抜けていく。日の光に
よって溶かされた雪が、上空を覆っている影からパラパラと舞い落ちてきて、
保田の髪を濡らした。
瓦礫に囲まれたビル街から抜け出すと、開かれた公園に出た。人工の建築物とは
違い、樹木も小さな植物たちもほとんど倒れずに残されている。
ちらほらと人影も見ることが出来るが、着の身着のままでゴロゴロしている
浮浪者かアル中の廃人ばかりだった。災害時には最適の避難場所として設けられた
場所のはずだったが、目立っているが故にむしろ難民たちからは敬遠されて
いるようだった。
- 370 名前:41. 投稿日:2003年05月09日(金)00時38分34秒
- 人工池の周囲を花壇が取り囲んでいる。月光仮面のように、白のターバンを
頭から鼻の下までぐるぐると巻き付けて、濃い青のサングラスで目元も隠した
男が、そこに座り込んで暇そうに花壇の花をいじくっていた。
保田はじっと彼を見据えたまま歩み寄ると、少し距離を置いて、花壇の雪を
払って座り込んだ。
しばらくの沈黙が続いた後、保田が正面に見える傾いたビルを見つめたまま
男へ声をかけた。
「正直に答えてくれませんか」
「ああ」
男も振り返ることなく、マフラー越しのくぐもった声で応じた。
「こういう事態になることを、予測はしていたんですか?」
すぐには答えを返さず、男は俯いたまま足下の小石を蹴飛ばした。
やがて、試すような口調で保田へ応える。
「していた……、って言ったら、どうする?」
「多分、……あなたをここで殺すかも」
- 371 名前:41. 投稿日:2003年05月09日(金)00時39分15秒
- 振り向きもせず、低い声でそう言うのに、男はくすくすとおかしそうに笑い声をあげた。
「オレを殺したところで、どうにかなるもんでもないやろ」
「そうでしょうね」
保田が言う。遠くの空を、大きな黒いカラスが通り過ぎていく。
「けど、なんとなく、そうでもしないと気が済まないから」
「そっか」
男は言うと、また考え込むように口をつぐんだ。
保田は辛抱強く男からの答えを待った。
男はサングラスを外すと、充血した眼を保田の方へ向けた。
「オレももうあかんな。昔みたいに狡く立ち回ろう思ても、頭の方がついて
けえへんようになってもうた」
「まだ全然若いでしょう。……少なくとも、都知事よりは」
じっと見つめてくる視線は感じたが、保田は振り返らずに瓦礫のオブジェへ
目を向けたままだ。
「あれはホンマ狸オヤジやで。かなわんわ。オレが甘かってんな」
「……都知事は分かっていたんですか、地震が来るっていうのは?」
「さあな。オレにはそんなそぶりは見せへんかったし、ま、知ってたとしても
それを自分に有利にいかそう思うんがあのおっさんや」
「……自分のための道具にすぎない?」
「やな。災害ちゃうねん。神様からの贈り物やな」
そう言うと、足下へ目を落として笑った。
- 372 名前:41. 投稿日:2003年05月09日(金)00時40分00秒
- 「もう一個訊きたいんですけど」
「なんやねん」
「加護を追わせてたのは、やっぱりああいうこと……、超能力みたいなのを
持ってるって分かってたからですか?」
保田が言うのに、男はマフラーの裏で口を歪めて、不気味な笑みを浮かべた。
「お前はそう思てたわけや」
「そう、って?」
「超能力」
男はバカにするような口調で言う。
保田は眉を顰めると、はじめて男の方を振り向いた。
「つんくさん、もう化かし合いはやめましょうよ」
マフラーをずらして顔を出しながら言う。
つんくはにやけた笑いを浮かべて保田の表情を観察していたが、同じように
マフラーを顔から取った。
頬はこけ、ただでさえ目立っていた頬骨はドクロのように隆起していた。荒れ果てた
肌は、東京の町並みとシンクロして変化しているようにも見える。
- 373 名前:41. 投稿日:2003年05月09日(金)00時40分40秒
- 「オレがお前らに追わせてたのと、あの加護とか言うガキは関係あらへんねん。
後藤が勘違いしてただけや。ま、オレも正直そう思ててんけどな」
「じゃあ……」
「けど、全然見当違いっちゅうわけでもなかってんな。こんな状況になると」
思わせぶりに言うと、つんくはほくそ笑む。
保田は苛立たしげに踵で地面を蹴っていた。
つんくは天を仰いで目を閉じると、
「なんかえらい昔の思い出ばなしみたいやなあ」
「もっと昔の思い出ならいくらでも話せるんですけどね」
皮肉っぽく言ってみる。つんくはわざとらしく頭を抱えて、
「それは勘弁してや」
「で、本当は誰のことを調べさせてたんですか」
「オレが雇ってた学者の一人にな、ちょっときな臭いのがおってな。そいつの
助手や。いうても、ただの子供ちゃうで。人造人間や」
「人造人間?」
つんくの言葉を鸚鵡返しにすると、また睨み付ける。
「そうコワイ顔すんなや……。オレもよう説明すんのが難しいけど、まああれや、
そういう研究を結構な予算かけてやらせてたんや」
「それはつんくさんの野心のためにですか」
「ふふふ……。野心か。懐かしい響きやな。アドルフ・ヒットラーにでも
なったような気分や」
溜息が白い煙になって消えていく。
- 374 名前:41. 投稿日:2003年05月09日(金)00時41分16秒
- 「ホンマやったら、最後にオレがラスボスでカッコよくネタバレして死ぬとこ
やねんけどな……。しょぼいなあ」
「は?」
「なんでもない。独り言や。……そんでな、そいつはまあ天才やってんけど
変人で、なかなか難しいヤツやってんな。だから、助手の子供を外へうろつかせてる
って知って、イヤーな予感がしたんや。大体オレのこういう勘は当たんねん」
「正体が分かってたのに、わざわざうちらに追わせたんですか?」
「そう言うけどな、オレかてこう見えて小心ものやねんで? エキセントリックな
科学者捕まえて、直接問いただすなんて出来へんて」
「そんなんじゃ、都知事を蹴落として権力を掴もうなんて、無理な話ですよ」
保田はそう言うと笑った。
- 375 名前:41. 投稿日:2003年05月09日(金)00時41分53秒
- つんくは苦笑して、
「せやねんなあ……。けどな、男には器にあわんでっかい夢を見てしまう瞬間が
あんねん。オレはその一瞬に惑わされてんな」
「じゃあ、その科学者は都知事と通じてた……?」
「分からん。お前はどうも物事を一対一で考えすぎやな」
「悪かったですね」
「まあまあ。アイツもなあ、腹にいろいろ抱えてそうなヤツやったから、ホンマは
もっと早く警戒しとくべきやった。
けどな、助手を一人で行動させてるって報告されて、これはチャンスやって
思ったんや。なにしろアイツはオレにラボも研究内容も、一時期からほとんど
見せへんようになりやがって」
「つんくさんが予算を出してたんでしょう?」
「いや、どっから嗅ぎつけたんか知らんけど、都知事もアイツの研究に
興味を示し始めた。ま、都知事は金か権力に結びつくもんならなんでも
食いつくけどな。それで、オレも勝手に口出しできんようになってもうた。
都知事は結果重視やからな。途中でなにやってるかとか、そんなん興味ゼロやねん」
- 376 名前:41. 投稿日:2003年05月09日(金)00時42分29秒
- 「そういう方が、多分リーダーには向いてるんでしょうね」
保田は独り言のように言う。
つんくは寂しそうな表情で保田を見ると、
「そうなんかな。オレは神経質すぎか……」
「それで、その科学者の秘密の研究は調べられたんですか?」
「いや……。途中で別件の、クーデターのことが衝撃の急展開でな、いったん
そっちはおいといて、お前らにも指示を変えたりしたけど、したらいきなり
大地震で全部パーや。都知事も恐ろしいわな。混乱してる間に厄介者やった
オレをしめだしやがって。お陰で今はこうやってルンペン生活や。ま、楽しいいうたら
楽しいもんやけどな、たまには」
「自業自得でしょう」
そう言いながら、保田はつんくを睨む。
「クーデター組織に裏から協力しておいて、表では都知事に通じていた後藤に
クーデター組織を追うように命令、私を通じてね。二枚舌は絶好調じゃないですか」
- 377 名前:41. 投稿日:2003年05月09日(金)00時43分05秒
- 悪意を込めて保田は言うが、つんくはすでに過ぎ去ってしまったことを回想する
老人のように、寂寥感に満ちた視線を保田へと向けた。
「後藤のことも調べついてたんか」
「あんまりナメないで欲しいですね」
「そうや。お前の言うとおり。けどちょっと読みが浅いな。オレは確かに
組織へ人も金も武器も回してた。ヤクザを通じてな。お前もよう知ってる、
中澤裕子や」
「……」
「で、都知事がそのことに感づいとることも知っとった。だから別の工作員に
組織の内通者を追わせてたんや。大体の目星をつけてな」
「都知事が内部崩壊をさせようとしてたってことですか?」
「ああ。ホンマ狡いおっさんやで。表面上はしらんふりして、オレの肩をこう
抱いてな、つんく、テロリストどもはお前に任せた、頼りにしてるぞ、なんて
親分風吹かしやがってな」
保田の肩に手を回しながら言う。保田は不快感を露わにつんくの腕を払いのけると、
「それで結局内通者っていうのは分かったんですか」
「分からん。オレは安倍なつみっちゅう学生が臭いと睨んでてんけどな。そいつ、
不用意に組織んとこへ一般人を連れ込んだり、いかにも挙動不審に街中を
うろついたり、わざと鈍くさいふりして警察に知らせよ思とんのかと、小一時間……」
「でも違ってた」
「そうやねん。まあ疑おう思えば誰でも疑えるわな。オレみたいにな、始終
お前らみたいなスパイやら工作員やらと付き合ってると、ホンマ疑心暗鬼で
誰も信用できへんようになるで。精神衛生上ようないわ」
「他人事みたいに言わないでください」
- 378 名前:41. 投稿日:2003年05月09日(金)00時43分43秒
- 憮然とした口調で保田が言うのに、つんくは二、三度咳き込むと、
「ま、今となってはどうでもええことやけどな。夢やぶれた男の情けない
末路や。笑ってくれ」
弱々しい口調で言いながら微笑みかけてみせる。が、保田は相変わらず
自意識過剰でナルシスティックなつんくの態度には呆れかえるしかなかった。
どうあっても、この男は自分の人生劇場を完璧にプロデュースしたくて
しょうがないようだ。
自分にフォーカスが絞られている状態でないと、満足できないのだろう。
「お前も、もう今更なに嗅ぎ回っても意味ないやん。ええ加減東京出てったらどうや」
「出てったって還るところなんてありませんよ」
「いくらでもあるやん。お前の腕なら香港でも上海でも平壌でもうまく
やっていかれるやろ」
「そういう問題じゃないんですよ」
保田は言うと、つんくに微笑んでウィンクをして見せた。
お約束のように、つんくは大袈裟なリアクションを取るが、保田は構わずに続けた。
「私、東京が好きなんでね。せっかく帰って来れたのにすぐ戻っちゃうのも
もったいないじゃないですか」
「なるほどな」
- 379 名前:41. 投稿日:2003年05月09日(金)00時44分24秒
- 保田の真意を理解したのかどうかは分からないが、つんくは納得したように
頷くと立ち上がった。
「つんくさんは、これからどうするんですか?」
「オレは、実家にでも戻るわ。なんかな、急におかんの作るカレーの味が
恋しくなってもうてな」
背を向けたままで言うと、とぼとぼと歩き出す。
いつの間にか、周囲は日が落ちて暗くなってしまっていた。
「お疲れさま」
すでに見えなくなってしまっているつんくの背中に、小さな声でそんな言葉を
投げかけた。それからまたマフラーを口元に巻き付けると、両手を組んで
疲れたように俯いた。
- 380 名前:41. 投稿日:2003年05月09日(金)00時45分02秒
- 微かな風が木を揺らして、凍った雪をパラパラと落とす音だけが周囲から
聞こえてきている。その他にはなんの物音もしない。
保田は花壇に座って俯いた姿勢のまま、ブロンズの像のように微動だにしなかった。
ふと、人の気配が近付いてくるのが分かる。が、面倒なので顔を起こすことは
しなかった。殺気は感じないし、たった一人だ。
「圭ちゃん」
自分の名前を、聞き覚えのある声で呼ばれる。
顔を上げると、黒のダウンジャケットを着た長髪の女性が立っていた。
「アヤカか」
保田はつまらなそうに呟くと、座ったまま全身の関節をほぐした。
「なによ、もうちょっとなにかあるでしょ」
頬を膨らませて言うと、保田の隣、ついさっきまでつんくの腰掛けていた
場所へ座り込んだ。
「こんなとこで油売ってていいの? あんたたちのアジト、闇討ちにあって
丸焼けになったんでしょ」
からかうように言うと、ニヤニヤと意地悪い笑みを浮かべた。
アヤカは挑発的な保田の言葉にもあまり反応せず、
「実はさ、ちょっと相談があって……」
「なに? トレードなら断るよ。私はあの矢口ってのと組むつもりはないから」
切り口上で言う。
- 381 名前:41. 投稿日:2003年05月09日(金)00時45分42秒
- アヤカは両手を振ると、慌てて言葉を継いだ。
「違うって。そんなんじゃないよ。大体圭ちゃんがそういうのキライだって、
私もよく知ってるし」
「じゃあなにしに来たのよ」
「それは……」
アヤカは口ごもると、なにかを伝えるように保田の目を見つめてきた。
保田はクスッと吹き出すと、
「なんだよ、キスでもして欲しいの?」
「違うってば」
「あんた慌てて否定しすぎ」
笑いながら額を小突く。懐かしい感覚に、アヤカもつい笑ってしまうが、
すぐにまたなにか言いたげな、どこか切なげな表情へ戻った。
- 382 名前:41. 投稿日:2003年05月09日(金)00時46分22秒
- しばらく、二人の間を沈黙が支配する。
アヤカは落ち着かない様子で手を擦り会わせたり、顎を撫でたりしていたが、
ふとなにかに気付いたように口を開いた。
「あ、そういえば、圭ちゃんと一緒にいたあの娘は? 名前、なんて言ったっけ」
「後藤? あの娘はもうどっか行っちゃったよ」
淡泊な口調で言う。
アヤカはきょろきょろと周囲へ目をやりながら、
「本当に? またあの時みたいに、どこかに隠れてるんじゃないの?」
保田は、やれやれといった感じで溜息をつくと、
「あんたさっきからなにを怯えてるのよ」
「そ、そんな、……怯えてなんて」
強い視線から目を逸らすと、意味もなく花壇の花をいじくったりした。
「ならいいけど……」
小声で言うと、深く息を吸い込んで、目を閉じた。
- 383 名前:41. 投稿日:2003年05月09日(金)00時46分53秒
二人の腕時計が立てる、微かな秒針の音だけが、ずれを伴って聞こえてくる。
アヤカが耐えかねたように息を吐き出す。
どこかの木から、大きな雪のカタマリが落下する。
保田は目を閉じたまま動かない。
と、突然バネ仕掛けの人形のように跳ね上がり、その場で一回転した。
銃声が三回響き、暗闇の中で保田の手元が三度煌めいた。
そして、巨大なスイカが弾けるような音も三回。
アヤカは息も出来ないまま、拳銃を構えたままの保田を見上げていた。
- 384 名前:41. 投稿日:2003年05月09日(金)00時47分35秒
- 五メートルほどの至近距離まで、その三人は接近してきていた。
保田の倍近くはある巨体に、筋肉で膨れあがった上半身。
冷たい空気の中で短パンだけを身につけ、漆黒の毛深い皮膚を剥き出しにしている。
三人とも、両手を広げて飛びかかろうという姿勢のまま、小さな頭部が
乗っかっていたはずの場所から噴水のように血を吹きあがらせて、硬直していた。
保田は溜息をつくと、悲しげな目でアヤカを見下ろした。
「あんな切ない瞳で見つめられたらさ、なにかあるって思うじゃん」
アヤカはなにも言わず、やはり揺れ続けている瞳で保田を見つめている。
「けど、出来れば直接口で教えてくれたら嬉しかったな。罠だから気をつけてって……」
「ち、違うの、圭ちゃん」
唇が震えて、うまく言葉にならないようだった。
「私、圭ちゃんに逃げてって……」
「え……」
- 385 名前:41. 投稿日:2003年05月09日(金)00時48分39秒
- 保田が気配を感じたときには、すでに高速で飛びかかってきた大男に首を
締め上げられている。
「ん……」
つるし上げられながらも、保田は何度もブーツで男の身体を蹴りつけたが、
岩壁のような堅い皮膚はまるで応えた様子はない。男は未だに頭のあった場所から
鮮血を溢れ立たせている。
首を締め上げている両手は、万力のように締め付けられ、保田の腕ではビクともしない。
「……」
意識が遠のき始めた。のそのそと近付いてきた首のない仲間が、宙に浮いた
ままの保田の腹に拳を叩き込む。
途轍もなく重い一撃。保田は口から意識が飛び出して行きそうになるのを、
懸命に飲み込んだ。しかし、次の一撃で完全にそれは空の彼方へ飛んでいってしまう。
地面に落とされた保田は、微かな意識で、野太い笑い声と自分へのふざけた
弔辞が読み上げられるのを聞いていた。
- 386 名前:41. 投稿日:2003年05月09日(金)00時49分17秒
- 「寿限無寿限無五劫のすり切れ海砂利水魚の水行松雲行松……」
「祇園精舎の鐘の音諸行無常の響きあり……」
「七に十四、七さん二十一、七し二十八……」
が、それもすぐに暗闇の中に溶けて消えていく。
- 387 名前:更新 投稿日:2003年05月09日(金)00時49分54秒
- 41.リュシアン・ルバテ 366-386
- 388 名前: 投稿日:2003年05月09日(金)00時51分49秒
- ミスりました…… >>366-386
- 389 名前: 投稿日:2003年05月09日(金)00時53分45秒
- >>365名無しAVさん
固有名詞は結構適当……まあダジャレですが(w
ラトルズのメンバーがそんなバンドを組んでたらしいです。よく知りませんが。
前スレが過去ログ行ったみたいなんで一応
ビッグクランチ
http://mseek.xrea.jp/sky/1041613129.html
- 390 名前:名無し読者 投稿日:2003年05月09日(金)12時57分08秒
- 前スレから一気に読ませて頂きました。
コーヒー4杯タバコ1.5箱とともに・・・
もの凄く面白いです。皆さんが感想レスをつけずらい訳だw
自分も徹夜明けのテンションでなかったら恐れ多くて・・・w
次回更新を楽しみにお待ちしております。
- 391 名前:名無しAV 投稿日:2003年05月10日(土)22時48分48秒
- やっすー……まだ卒業には早いよ!
全肯定できる上での過信ですかな。
つんくちゃんの引き際がらしかったです。続きも期待。
- 392 名前:名無し読者 投稿日:2003年05月10日(土)23時53分28秒
- また気になるところで…
作者さん、早めの更新を願います(w
- 393 名前:名無し読者 投稿日:2003年05月11日(日)13時18分50秒
- やっすー!!!逝かないでぇ。
- 394 名前:42. 投稿日:2003年05月15日(木)00時11分42秒
42.彗星
サラディン・フェリシュタチャムチャは、この果てしなき、
しかしまた終わりつつある天使的悪魔的な墜落に定められつつも、
自分達に変容過程が生じつつある瞬間を自覚していなかった。
───サルマン・ラシュディ『悪魔の詩』
- 395 名前:42. 投稿日:2003年05月15日(木)00時12分27秒
- 目覚めると、そこは一切の陰翳のない真っ白い世界だった。
と、すぐに横に二つに分かれ、上は一面の青が覆った。足下の白い大地から、
次々に緑の草が芽吹いて、見る間に辺り一面は草原となった。砂漠が水と
生命を得て緑化していく映像を超高速で再生しているようにも見えた。
自分が座っている場所から茶色い土が姿を見せ、地平線に向かってまっすぐに
伸びていった。遠方にまばらに木が伸びていく光景も見える。
誰も見たことはないだろうけど、誰しも記憶の中に持っている、ノスタルジックな
自然のイメージ。ただ、雲一つなく吸い込まれそうな深い青が拡がっている
空には少し違和感を感じた。
どこかから、トランペットの聴き覚えのあるメロディが響いてくる。
ミュートされた、クールで艶のあるラインが心地よかった。
立ち上がると、足下の地面を見下ろした。茶色の道はつるっとしていて、
舗装された道路よりもずっと味気ない。と、思ったときにぼこぼこと細かく
土が盛りあがって、リアリティのある風景になった。ビニールのようだった
草原も、いつの間にかずっとみずみずしく生命感のあるものになっていた。
- 396 名前:42. 投稿日:2003年05月15日(木)00時13分00秒
- 果てしなく地平線へ続いていく道を歩いていくと、草原の中に小さな泉が
あるのを発見する。枝が丸く広がった木の陰にあり、誘っているようにも
見えた。
草を踏みしめながら泉まで歩く。透明でガラスのように静かな水面を見下ろすと、
遥か下に東京の街が拡がっているのが見下ろせる。全てが潰され燃やされて、
全ての絵の具をキャンバスへぶちまけてグチャグチャにかき混ぜたような、
一面の灰色の風景。
ここは雲の上なのだった。ならば、空に雲が見えないのも納得が出来る。
なにしろ自分がその上に立っているのだから。
しかし、だ。考えてみれば雲の上に立って平気でいられるものだろうか。
ドラえもんのアニメで雲の上にお城を造る話があったような木がするんだけど、
あの時特別なスプレーで雲を固めてたような。
水蒸気のカタマリだからな、あんなところに立ってもズボっと突き抜けて……
- 397 名前:42. 投稿日:2003年05月15日(木)00時13分31秒
- そう思った瞬間、足下が崩れ落ちて、あっという間に雲を突き抜けていった。
落下に身を委ねながら、地球が自分に向かって落ちてくるような感覚を覚えた。
ハッとして顔を上げる。体育座りをして眠り込んでいたのは、雲の上ではなく
薄暗く冷たい空間の、ボロボロのビロードに覆われた椅子の上だった。
周囲を見回す。剥がれ落ちた黄ばんだ壁紙や潰れた紙コップなどがあちこちに散乱し、
罅だらけになりながらも懸命に天井を支えている太い柱などが目に入った。
そうだった、自分でこの廃墟になった映画館へやってきていたんだった。
裏通りに隠されている、エロ映画数本立てでサラリーマンの昼休みの暇つぶし
として利用されていた小さな映画館だった。
矢口真里は目を擦りながら首筋をならすと、話し声が聞こえてくる方を振り返った。
小川と高橋が、顔を寄せ合ってなにやらひそひそ話をしている。その横で、
紺野が黙々とスナック菓子を口へ運んでいる。
市井は落ち着かない様子で緩い勾配のある通路を行ったり来たりしていた。
- 398 名前:42. 投稿日:2003年05月15日(木)00時14分03秒
- ふと横を見ると、加護が肩へ頭を凭れさせてすやすやと眠っている。
「……」
矢口はついさっきまで見ていた光景を思い浮かべた。夢とは違い、ずっと
鮮明に瞼の裏に蘇ってくる。落下の感覚も、全身に受けた風も、リアルだった。
仏頂面で腕を伸ばすと、加護の鼻をつまんでやった。
しばらくむずむずと口元を動かしていたが、パッと目を開くと矢口の腕を
掴んで、不快感を露わにした。
「なにすんねん」
「それはこっちのセリフだよっ! おい、お前なんかやっただろ、さっき」
矢口は腕を引っ込めながら、加護を睨んだ。
加護はすぐにまたいつものへらへらした笑顔に戻ると、
「ええー、なんのことですかぁ?」
「誤魔化すなよ、あれは夢じゃなかったぞ」
「なに言ってるのか、よく分かりませーん」
- 399 名前:42. 投稿日:2003年05月15日(木)00時14分38秒
- こいつがこのテンションになってしまうと、いくら問いつめてみても無駄だ。
矢口は周囲に比べれば大分マシな状態の椅子から立ち上がると、小声でぼやいた。
「ったく、くだらねーことしやがって……」
加護はにたにたと笑いながら、矢口の頭上まで浮かび上がる。
溜息をつきながらそれを見上げると、
「はあ、飛べりゃいくら小さくてもコンプレックス感じないからいいよな」
「雲の上だったらいつでも連れて行ってあげますよ」
矢口はムッとした顔で睨むと、
「やっぱお前か」
「楽しかったでしょー?」
「こえーよ! 大体眠ってる間に変なことすんなっての!」
「保田さんと後藤さんは、もっと楽しんでましたよ」
加護が言うのに、矢口は驚いて、
「お前アイツらのこと知ってるのか?」
「へへへ」
思わせぶりな笑み。
- 400 名前:42. 投稿日:2003年05月15日(木)00時15分12秒
- 矢口は側に落ちていたコンクリートの欠片を拾うと加護に投げつけた。
黄色いクマのぬいぐるみの前で、それは跡形もなく蒸発した。加護は眉一つ
動かそうとはしない。
「そんなに怒らないでくださいよぉ」
「ムカつく」
「すっごく高いとこまで上がって、すーっと落ちてくのって気持ちよくないですか?」
「よくないよ! どうかしてるよ」
そう言うと、シーツが下ろされたままの映写幕へ目を向けた。中央が縦に
引き裂かれ、全体が黄色っぽく変色している。所々正方形に壁紙が剥がれ落ちた
壁面も、固まった糊で黄色く染まっている。
矢口は左右に視線を巡らすと、まだ落ち着かない様子で歩き回っている市井の方へ向かった。
「あのさあ」
「えっ?」
突然声をかけられて、慌てて市井は振り返った。
「あんた芸能人だから、どうやったら祭りを盛り上げられるとか、詳しいんだろ?」
「えー……いやあ、そんなことは」
「なんかさあ、こういう緊張感ってすげーやなんだよ」
「緊張感?」
「最初はいい気になって騒いでたけどさ、なんかもう疲れてきちゃった」
弱々しく、自嘲的に笑いながら言う。
紺野が視線を向けてきているのも感じたが、矢口は知らんふりをしていた。
- 401 名前:42. 投稿日:2003年05月15日(木)00時15分45秒
- 「人が集まれば絶対リーダーが必要だし、しょうがないんじゃない?」
市井はちょっと考えると言った。
「リーダーになって目立てば、やっぱ反感だって買うことも増えるよ」
「そうなんだよな」
矢口は頷きながら言う。
「おいらは前、都知事をぶっ殺そうと思って暴れてて、悪口ばっか言ってたけど
今は立場が逆転しちゃったみたい」
「……」
市井は、矢口の言葉に少し疑問を感じた。
政治的な話にはあまり詳しくはなかったが、そう簡単に政府というものが
消えて無くなってしまうものだろうか。
確かに予測不可能なレベルの大災害であったのは確かだし、未だに具体的な
動きがまったく出て来ていないという事実もある。
だが、市井には矢口が考えるように、東京という街が一切の振り出しに戻って
しまったとは思えなかった。
理由があるわけではなかったが、直観的にそう感じていた。
- 402 名前:42. 投稿日:2003年05月15日(木)00時16分17秒
- その時、表に立たせてあった新垣が小走りに戻ってきた。
「矢口さん」
「ああ、どうした?」
「変な人が来てるんですけど」
新垣が困惑気味に言うのに、矢口は眉を顰めると、
「変な人? どんなヤツだよ」
「女の人で、こう、片っぽだけのサングラスをして」
「女? ひょっとして、こう鼻がでかいのと、つり目でエラが張ってるヤツの
二人組じゃないだろうな?」
ちらっと紺野の方を窺いながら、小声で新垣に耳打ちする。
が、新垣は首を横に振ると、
「いえ、違うと思います。一人でしたし、なんかニコニコしてて、感じは
よかったんですけど、やっぱ怪しいじゃないですか」
「どっかから探りが入ってるのかもしれないな……」
深夜の焼き討ちがあってから、矢口は自分たちの隠れ場所にはかなり慎重に
なっていた。この場所を知っているのは仲間の人間だけのはずだ。
- 403 名前:42. 投稿日:2003年05月15日(木)00時16分51秒
- 矢口はしばし顎をなでながら考え込むと、
「そいつは、おいらたちがここにいるって知ってんのか?」
「はい。矢口さんのファンだって言ってましたから」
「なんだよそれ、ますますおかしいなあ」
と、ふわふわと浮かびながら二人の会話を聞いていた加護が口を開いた。
「ええやんか、おマメちゃん、その人連れてきてよ」
「おい、簡単に言うなよ」
矢口は驚いて、加護の脚を引っ張った。
加護はすーっと床へ舞い降りると、
「ファンは大切にしないとダメですよ」
「いやいや、それはまた別の話だろ」
「ですよねー、市井さん」
急に話をふられて、市井は戸惑ったように矢口と加護を見比べた。
「それはまあ、タレントだったらそうかもしれないけど……」
「真里っぺカワイイからファンが押し寄せてもしゃあないやん」
からかうように加護が言うのに、矢口は額を小突くと、
「しょうもないこというんじゃねーよ」
「それに人が多い方が楽しいじゃーん」
脳天気な口調で言うと、新垣の腕を取って、
「ねえねえ、連れてきてって」
「……どうしましょう」
相変わらず生真面目な表情で、矢口のことを窺った。
- 404 名前:42. 投稿日:2003年05月15日(木)00時17分27秒
- 腕組みをすると、黒目がちの瞳でじっと見つめてきている加護の顔を見て、
それから、この場にいる数人のことをぐるっと見回した。
いつの間にか、自分たちへ視線が集まってきている。だらしなく椅子の背もたれに
だらんともたれかかっていた高橋は、矢口が振り向くと慌てて姿勢を正した。
考えてみれば、ここにいるのは自分の仲間ではない人間ばかりだ。
大勢で動いて目立つことを恐れて、ここへ連れてきている仲間は数少ない。
が、それで不安に思うようなことはなかった。保田に言われたように、素人を
数だけ集めるのは却って逆効果だ。必要な人間だけ連れていれば、それでいい。
それからまた加護のことを見る。こいつの力も、まだ全てを発揮してはいない
だろう。矢口にはそこをあてにしている部分もあった。
なにを考えてるか分からないが、無邪気な笑顔を見ていると時々途轍もなく
恐ろしいものを前にしているような感覚にもなる。
初めはこちらから利用させてもらっているつもりだった。しかし、本当は
こっちの方が加護に取り込まれて、抜け出せなくなってしまっているのかもしれない。
とはいえ、もはや後戻りも出来ない場所までやってきてしまっている。
ただの子供の判断でも、それならそれで構わないさ、と矢口は思った。
自分は、こんな子供と運命を共にしてしまったのだ。
- 405 名前:42. 投稿日:2003年05月15日(木)00時17分59秒
- 「分かったよ。新垣、そいつ連れてきて」
「いいんですか?」
不安げな表情で新垣が言う。
「ああ、そいつだって一人じゃ大したことは出来ないだろ。ここにはそれなりに
使えるヤツを集めてるわけだし」
「……分かりました」
まだ釈然としない表情ではあったが、新垣は嬉しそうな加護を一瞥すると
表へ出ていった。
「お前責任取れよ」
冗談めかして言うと、笑いながら加護の頭を撫でた。
「楽しくやりましょうよ」
思わせぶりに言うと、加護はふわりと浮かび上がっていく。
と、いきなり目の前から姿を消した。
「あっ……」
矢口は唖然としたまま、なにもいなくなった空間を見つめていた。
その時、新垣に連れられて、長いコートを纏った女性が姿を現した。先刻
聞かされたとおり、右眼だけを隻眼のサングラスで覆っている。
にこやかな笑みを浮かべながら、彼女は矢口へ手を振った。
「矢口さーん、はじめまして」
「あ、ああ」
なるべく動揺を見せないように、矢口は軽く応じた。
- 406 名前:42. 投稿日:2003年05月15日(木)00時18分31秒
- と、別の場所から悲鳴にも似た声が突然あがった。
「あ、あなたは、……」
矢口たちは声の方を振り返った。紺野が、スナック菓子の袋を持ったまま、
呆気に取られたような表情で立ち上がっている。
だが、女性はまったく動揺した様子も見せずに、
「あれ? あさ美ちゃんもいたんだー。奇遇じゃーん」
そう言いながら早足で紺野の方へと歩み寄っていく。
「知り合いか?」
矢口は訝しげな表情で紺野と少女を見比べている。
紺野の隣に座っていた高橋と小川も、不安げな表情で立ち上がった紺野を
見上げていた。
「ええ、ちょっと前に、会ったんですよね」
にこやかな表情で矢口へ返しながら、素早く紺野の耳元に口をよせて囁いた。
「余計なことを言ったら殺す」
「……」
まだ状況がよく飲み込めていない紺野は、ただ金魚のように口をぱくぱくさせる
ことしか出来ないでいた。
- 407 名前:42. 投稿日:2003年05月15日(木)00時19分08秒
- 「なんだよ、来て早々ひそひそ話は気分わりーな」
矢口が眉を顰めて言うのに、藤本はまた笑顔を貼り付けて振り返ると、
「いえいえ。私、実はですねー、ちょっと面白い話があって、矢口さんに
聞かせたかったんですよ」
「面白い話?」
矢口は身を乗り出すと、女性を見つめた。
紺野は腰が抜けたように、あちこちからスプリングの飛び出した椅子にへなへなと座り込んだ。
- 408 名前:42. 投稿日:2003年05月15日(木)00時19分43秒
□ □ □ □
丸いガスストーブの側で膝を抱えて、吉澤は箱のような本をパラパラと捲っていた。
目は意味もなく字面を追っていくだけで、内容は全く頭に入ってこない。
何度か目を上げて、大広間に集まっている男たちをチラチラと窺う。あまりに
早く投げ出してしまっては、バカにされそうだ。
だが、そんな吉澤の思惑を読んだように、側に寝そべっていた髭面の男が
からかうように言った。
「無理するなよ。お前の頭の程度はみんな分かってるんだから」
- 409 名前:42. 投稿日:2003年05月15日(木)00時20分16秒
- ここにいるのはほとんどが中澤の組の人間で、吉澤が小さい頃からの顔見知りも
多かった。
吉澤は不満そうに口を尖らせると、適当にページを開いて、
「いえ、もういいフレーズがたくさんあってすごく心が癒されます」
「ほう。例えば?」
「えー……」
男に問いかけられて、吉澤は慌てて今開いているページに目を走らせた。
「……これなんか、今の東京にぴったりじゃないですか? 『われら此処には
とこしえの都なくしてただ来らんとする者を求むればなり……』」
「お前読みながら意味分かってないだろ?」
「あーもう、だってこんなの日本語じゃないじゃないっすか」
苛ついたように言うと、ぽーんと文語訳の聖書を放った。
「こら、本を粗末にするなよ」
「すいません」
ヤクザの中にも熱心なクリスチャンはいる。ここで本を持っていたのは、常に
聖書を携帯している彼だけだった。
しかしいくら暇つぶしだとはいっても、なかなか聖書をエンタテインメントとして
楽しむのは、吉澤には難しい。
- 410 名前:42. 投稿日:2003年05月15日(木)00時20分48秒
- 「辻がお話ししてあげましょうか?」
隣に座っていた辻が話しかけてくる。
「いいよ。どうせまた飯田さんが考えたちょっとアレな話なんだろ」
「えーっ、よっすぃーにはあのすごさが分からないんですか?」
「ていうか、うちらここでのんびりしてて大丈夫なのかなあ」
吉澤は心配そうに言うと、ポケットから飯田から受け取った銃を取りだして
いじくり回した。
外見は安っぽいつや消しブラックのプラスチックで、最近ならちょっとした
モデルガンでもこれ以上の重量感はある。
小学生が遊ぶ水鉄砲でもこの完成度では不満たらたらだろう。
飯田が言っていたことを疑うつもりはなかったが、どうも彼女に関しては
全てが胡散臭く感じてしまう。この銃にしても、今まで試し撃ちをする機会が
なかったため、どれほどの威力を持っているのかまったく不明だ。
「そんなに焦らなくても大丈夫ですよ」
そう言うとバカみたいに巨大な板チョコを一口齧った。
吉澤は脳天気な辻に少し腹を立てると、
「あんたもう寝なよ。子供は寝る時間だよ」
「安倍さんたちが帰ってきたら寝ます」
辻は広間の入り口の方を見ながら言う。と、襖が開いてソニンが通信機を
片手に姿を現した。
- 411 名前:42. 投稿日:2003年05月15日(木)00時21分24秒
- 「中澤さん、矢口たちの居場所が分かりました。さっき匿名の密告者から、
ニダーに通信が入ったらしいです」
ソニンはそう言うと、いくつかの地点がチェックしてある地図を広げて
襖に貼り付けた。
「ここ最近発生している、集団的な暴力事件にも背後で関わっているそうです。
中澤さん、いい加減腰を上げましょうよ」
中澤は相変わらず覇気のない様子で、フィルター近くまで灰になった煙草を
ケチくさく口にくわえていた。
「あんたもしつこいな」
「中澤さんも頑固ですね」
ソニンもいつになく強気で切り返す。
「ニダーはすでにもう何人も殺されてるんですよ」
「そんなんうちらには関係あらへんもん」
「中澤さん……」
悲しげな表情で唇を噛むと、中澤を睨み付ける。
「関係なくはないでしょう? 取引でも人でも、いろいろ繋がりがあった
じゃないですか。和田さんだって……」
「昔はな」
中澤は切り口上で言う。
「今はもうあいつらとなんも取引もしてへんし」
「それが、中澤組組長のセリフですか?」
「それも昔の話や。ここにいる連中とは義理があるからな。こいつらには
一生付き合うつもりやけど、ニダーやら昔の商売相手なんかまで面倒見切れんわ」
かったるそうな口調で言うと、フィルターの焦げた吸い殻を白磁の壷に
放り込んだ。
- 412 名前:42. 投稿日:2003年05月15日(木)00時21分56秒
- ソニンは溜息をつくと、少し笑って、
「後悔しても知りませんよ」
「後悔せえへんように、もうおとなしくしてようって決めてん」
中澤もそう言うと苦笑した。
二人のやりとりをボーっと眺めながら、吉澤はなんとなく腕時計を見てみた。
十一時半を過ぎている。
視線をずらすと、木の柱に寄りかかったまま、柴田がうとうとと船をこいでいた。
ふと妙な胸騒ぎがした。チョコレートを持ったままうとうとしている辻の
肩を叩くと、小声で問いかけた。
「ねえ、安倍さんと梨華ちゃんが出かけたのっていつだっけ?」
「え? ……うーんと、表を出たのが九時二十七分十六秒ですね」
すらすらというと、褒めてとでも言いたげにだらしなく笑った。
辻のこういう能力を目の当たりにする度に、吉澤はうそ寒い気分になってしまう。
「ちょっと遅いんじゃない? あの河原まで行って戻ってくるだけなら、一時間も
かからないと思うんだけど」
「あの変なおばちゃんに掴まって、話し込んでるんじゃないですか」
辻は言うと、眠たそうに目を瞬かせた。
「そうかな……」
そう言われればそんな気がしないでもない。
吉澤は不安そうに、まだ口論を続けている中澤とソニンを横目で見つめた。
- 413 名前:42. 投稿日:2003年05月15日(木)00時22分32秒
- 安倍は明日からまた市井たちの捜索へ出かける予定だった。
その前に、中澤の好意でこの場所へ生活の拠点を移すことにしていた。
そのために、河原の集落へ置きっぱなしになっている私物を取りに、夜中だと
言うのに出かけていったのだった。
石川がついていったのは、単なるおせっかいではなく、お礼をしたいとの
ことだった。
吉澤をここへ連れてきてくれたことへの。
だから、当然のごとく当事者である吉澤の手伝いは断られてしまった。
安倍自身も、危ないからということで反対はしていたのだが、石川の例の
ハイテンションに押し切られる形で、結局二人して出かけることになった。
それから、すでに三時間近くが経過している。
ふと、門の脇に立てかけたままの、チョコレートの看板のことを思い出した。
苦労して駐車場から門まで運んできたものの、かさばって正面の玄関を通す
ことが出来ず、しかたなしに門のところへ置いてきたのだ。
石川は未練がましそうにずっと愚痴っていたが、吉澤はむしろそんな結果の
方が梨華ちゃんのキャラにあってるよ、と言って笑った。
もちろん石川とはそこでまたしょうもない喧嘩を繰り広げたのだったが。
- 414 名前:42. 投稿日:2003年05月15日(木)00時23分04秒
- 吉澤は地図を指さしながら話しているソニンから目が離せなかった。
ソニンの話は、吉澤の不安な予感をどんどん裏打ちしていくような内容ばかり
だった。暴行殺害事件の増加、集落への突然の襲撃、それも主に夜間に、
電撃作戦のように繰り広げられている、等々……。
中澤は聞いているのかいないのか、目を閉じて組員に肩を揉ませたりしている。
吉澤はまた時計を見た。もうほんの少しで、日が開けてしまう。
うとうとと身体を揺らしている辻の肩を叩いた。ストーブの熱で、チョコレートが
溶けて指にベタベタと垂れ落ちてきている。
「ねえ、辻ちゃん、起きてよ」
「んー……。もう食べられません……」
「おい、そんなネタ臭い寝言ほざくやつがどこの世界にいるんだよ」
吉澤は苛立たしげに言うと強引に辻の目を開いた。
「……お菓子の世界……」
「ねえ、梨華ちゃんたち探しに行こうよ、やっぱおかしいって」
「だってぇ、外寒いしぃ」
「そういうのって感じないんじゃなかったっけ?」
「失礼ですね。辻をそんじょそこらのポンコツと一緒にしないで下さい」
「分かったから、ほら、立って……」
そう辻を促しながら自分も立ち上がろうとしたとき、吉澤は一瞬目が眩んだ。
- 415 名前:42. 投稿日:2003年05月15日(木)00時23分41秒
次の瞬間、吉澤の意識は雲を突き抜けて、遥か上空まで飛翔していた。
そして、凄まじいスピードで落下していく。
全身から、落下についていけない血液が抜け落ちていくように感じた。
目の奥で血飛沫があがるのが見えた。……
- 416 名前:42. 投稿日:2003年05月15日(木)00時24分14秒
- 「よっすぃー?」
フラッと床へ膝をついてしまった吉澤に、辻が驚いて声をかけた。
口論を続けていた中澤とソニンも、ただならぬ様子にしばし会話をやめて
吉澤の方を窺った。
「おい、大丈夫か?」
中澤が言う。
「……は、はい。なんか貧血っぽいっす……」
クラクラした頭を抱えながら、安心させるように笑いながら言った。
「あんま無理すんなよ」
「それでですね、中澤さん……」
ソニンが再び話を切りだして、地図を指さそうとしたとき、突然襖が開いた。
ソニンの指は勢いあまって、顔を出した安倍に直撃する。
- 417 名前:42. 投稿日:2003年05月15日(木)00時24分44秒
- 「ったぁ、なによ、なんなのよっ!」
両手で顔を押さえながら大袈裟にリアクションする安倍に、吉澤は大声で
問いかけた。
「安倍さん、梨華ちゃんは!?」
「……へ? 梨華ちゃん先に戻ってるんじゃなかったの?」
半泣きの顔でそう言うと、不思議そうに大広間を見渡した。
「先にって……」
吉澤が言いかけたとき、凄まじい音を立てて天井が崩れ落ちてきた。
真下で屯ってた男たちが、反射的に身を引く。落下物は勢いに任せて柔らかい
畳へと突き刺さった。
- 418 名前:42. 投稿日:2003年05月15日(木)00時25分17秒
- それは、吉澤と石川が拾ってきたチョコレートの看板だった。
単なる張りぼてではなく、ちゃんと箱の形に作ってある手の込んだ看板。
秘密の隠れ家にも、棺にも、もってこいの看板。
目の前に降り立った二人の天使を、吉澤は唖然として見つめていた。
Happy Valentine
派手な装飾を入れた流麗な文字で、そう書き記されている。
十二時を回った。
二月十四日。Happy Valentine
ピンク色のチョコレートの蓋が、ゆっくりと開く。
雪のように冷たく、白くなった石川が、目を閉じて立っていた。
誰も、なにも言葉を発するものはいなかった。
チョコレートはゆっくりと傾くと、スローモーションのように畳の上に
横たわった。
衝撃で、石川の身体も少し跳ね上がったようだった。
Happy Valentine
愛のメッセージカードはどこにも入っていない。
ただ、この天からの贈り物の存在が、メッセージそのものだったからかもしれない。
吉澤は身体の震えも抑えようとせずに、石川の方へ歩み寄ると、恐る恐る
手を伸ばした。
彼女の顔は、ひどく冷たかった。まるで朝に投げ合った雪のように。
それから、胸の上で組んでいる両手に触れた。
そこで、始めて目の前の現実を認識した。
一筋の涙が頬を伝って、冷たい石川の頬を濡らした。
- 419 名前:42. 投稿日:2003年05月15日(木)00時25分51秒
- 「ウソ……」
掠れる声でそう言ったのは柴田だった。
離れた場所からじっと見つめたまま、感情の整理がつけられずに、まったく
身動きが取れずにいた。
中澤は黙って立ち上がると、肩を揉ませていた男に手を差し出して言った。
「銃」
男はまだ状況が掴めずに、応えることも出来ずにいる。
落ち着いた口調で、中澤はもう一度繰り返した。
「今持ってへんねん、銃」
「あ、は、はい……」
男は慌てて、懐から一挺の拳銃を取り出す。
中澤はそれを握り、二、三度感覚を確認するように腕を振ると、ソニンを見つめて、
「地図、貸してくれ」
「えっ……」
しかし、ソニンが応える前に、中澤は襖から地図を剥ぎ取ると、そのままの
勢いで外へと駆けだしていった。
唖然として成り行きを見守っていた男たちも、中澤の意志を読みとると、
次々に野太い声を張り上げて後を追っていった。
ソニンはそれを見送ると、小さな通信機に話しかけながら彼らの後を追った。
ほんの少しだが、笑っているようにも見えた。
- 420 名前:42. 投稿日:2003年05月15日(木)00時26分21秒
十二時一分。
だだっ広い大広間には、五人だけが残されていた。
吉澤は冷たく硬い石川の両手を握りしめたまま、涙を流し続けていた。
柴田は唖然と目を見開いたまま、微動だにしなかった。
辻は困ったような表情で石川を見て、続いて戸惑ったまま立ちつくしている
安倍の方を見た。
それから、なにか言いたそうに口を歪めた。
- 421 名前:42. 投稿日:2003年05月15日(木)00時26分54秒
SIDE-B 【終】
- 422 名前:更新 投稿日:2003年05月15日(木)00時27分33秒
- 42.彗星 >>394-420
- 423 名前: 投稿日:2003年05月15日(木)00時28分13秒
- 収束すると見せかけて……もう少し続く。。。。
>>390名無し読者さん
お疲れさまです。
コーヒーは私もガンガンに飲んでますね。ブラックで。
>>391名無しAVさん
タイミングがあったのは偶然です。いやマジで(w
つんくちゃんは……
>>392名無し読者さん
微妙なペースで更新してます(w
空はなんか回転はやいですね。それほど他見てるわけじゃないですが……
>>393名無し読者さん
予想は裏切られるために(略
やりすぎると後から大変ですが(w
- 424 名前:娘。 投稿日:2003年05月15日(木)01時39分06秒
- 鳥肌たってきたよ!
凄いいいです、がんばってください
- 425 名前:名無しAV 投稿日:2003年05月15日(木)21時51分15秒
- うわぁ・・・。
すいません、今までのもレスをするのが難しかったけど、
今回のは無駄に言葉を添える事が自分程度の人間にはできません(w
とりあえず面白すぎます。続き期待しまくり。
- 426 名前: 投稿日:2003年05月18日(日)23時52分51秒
†NO-SIDE†
- 427 名前:43. 投稿日:2003年05月18日(日)23時53分23秒
43.DIGGER
月の光を浴びながら、スマートなシルエットが瓦礫の上を跳ねた。
掘り起こされた遺跡のような都庁舎の残骸に見下ろされながら、後藤真希は
慎重に足下の感覚を確かめて、周囲の瓦礫の上をジャンプしている。
静寂の中で、鉛入りのブーツとコンクリートがぶつかり合う乾いた音だけが、
規則正しいリズムで響いていた。
僅かな反響の誤差を敏感な耳で捉える。後藤はその場で立ち止まると、もう一度
つま先でコンクリートの破片を蹴って確認する。それからその場にしゃがみ込むと、
黒い手袋をした拳でコツコツと叩き、小さな反響に耳を澄ませる。
勘違いではないようだ。
再び立ち上がり、今度は強く力を入れて蹴りつける。菱形をした破片は、
ベンツ社エンブレムを連想させる罅を走らせた。後藤はかがみ込むと破片を除去し、
下に積もっている土砂や細かいガラスや鉄筋の破片などを取り除いていった。
- 428 名前:43. 投稿日:2003年05月18日(日)23時53分56秒
- 月と星空に見守られながら、後藤は黙々とその作業に没頭していたが、ふと
なにかの気配を感じ手を止めた。
顔を上げると、駐車場のある方角から誰かが近付いてくるのが見える。
後藤は溜息をつくと、また瓦礫を掘り起こす作業へ戻った。
人影は小さく軽い足音を立てながら近付くと、後藤へ話しかけた。
「こんにちは」
「お急ぎですか」
後藤は顔も上げずに言うと、どこから落ちてきたのか分からない大型の
ディスプレイを瓦礫の中から引っこ抜いた。液晶が破れて辺りに漏れだしている。
- 429 名前:43. 投稿日:2003年05月18日(日)23時54分34秒
- ボロボロの枯葉色のコートを纏った女性は後藤の言葉に苦笑すると、作業している
側へしゃがみ込んで後藤の顔を覗き込んだ。
「なにやってるんですか?」
「穴掘ってんの」
相変わらず無表情のまま、手を休めずに答える。
松浦亜弥は口を尖らせると、側に顔を出している妙なデザインの高額マウスを
拾い上げて、腹話術もどきで後藤へ問いかける。
「なんの穴を掘ってるんですか?」
「私のお墓の穴」
後藤が言うのに、松浦は声を出して笑ったが、後藤は真顔のまま黙々と
除去作業に没頭していた。
- 430 名前:43. 投稿日:2003年05月18日(日)23時55分07秒
- 松浦はマウスを放り投げると、
「私、話があって来たんです」
「じゃあ話したら?」
そう言うと、大分掘り進んだ穴に脚を突っ込んで、思いっきり周囲の瓦礫を
蹴り崩した。
まだ少し残っていた雪と一緒に、耳障りな音を立てて瓦礫の山が崩れ落ちていく。
「聞いてくれますか?」
「さあね」
大きめのブロックを地道に蹴り壊しながら、後藤は面倒臭そうに言う。
「後藤さん、大事な話なんです」
「あんたいくつ?」
突然、後藤が顔を上げて松浦の顔を見つめた。
松浦はどぎまぎしながら、慌てた口調で答える。
「じ、十六です」
「なら、ごっちんって呼ぶの許す」
ちょっと笑いながら言うと、罅だらけになったブロックの一点に一撃。
綺麗に四分割されたブロックを、周囲の瓦礫を崩さないように丁寧に取り除く。
松浦はぽかんとした表情で後藤のことを見つめていたが、
- 431 名前:43. 投稿日:2003年05月18日(日)23時55分41秒
- 「えっ、と、ごっちん、話聞いて欲しいんだけど」
「だから、話せばいいじゃん」
いつもの素っ気ない口調で返す。
松浦はムッとした表情になると、かなり下まで掘り進んでいる後藤を見下ろし
ながら話し始めた。
「さっき、中澤さんの仲間たちが、一斉に表に出ていくのを見ました……。
多分、矢口真里たちの仲間を襲撃に行くんです。そうなるきっかけになる
出来事があったんです、絶対に」
松浦はそこまで言うと、口をつぐんで後藤を見つめた。
後藤はさっきまでと変わらず、大小の瓦礫を手際よく取り除きながら穴を
掘り進んでいく。
「あなたたちが、なにかやったんじゃないですか?」
松浦が問いつめるような口調で言う。後藤は手を休めると、
「なんで?」
「だって、政府はあの二人を潰し合わせようとしてるんですよ」
「だから、なんで?」
真顔で見上げたまま、後藤は同じトーンで繰り返した。
松浦は戸惑い気味に目を瞬かせると、
「それは、……あなたたちが、政府の、……そう言えば、もう一人一緒にいた、
保田さんって人はどこに行ったんですか?」
「知らないよ。けーちゃんのことはけーちゃんに訊けば?」
そう言うと、また身を屈めて足下の瓦礫を取り除き始めた。
- 432 名前:43. 投稿日:2003年05月18日(日)23時56分19秒
- 「マジメに聞いて欲しいんです。あなたたちの仲間……もう一人、政府の工作員が
いるんですけど、そいつはなにもしてないんです。だったら」
「うちら以外にも工作員はいっぱいいるからねえ」
「でも、あなたたち、一度矢口真里と接触してますよね」
「あれは……大したことじゃないよ」
後藤は、少し感慨深げに言うと、松浦のことを見上げた。
その目つきはどこか寂しげな光を湛えているように、松浦には見える。
「そうなんですか?」
「プライベートな話。ノーコメント」
笑いながら言う。さっきまでの、冷たく誰も寄せ付けない表情とはうって変わり、
ひどく人懐っこくて可愛らしい笑顔だった。
しかし、次の瞬間また能面の表情を取り戻してしまう。
「あんた優秀だよね。つんくさんのとこにいればすぐトップクラスになれた
と思うよ。惜しかったね」
「冗談じゃないです。私は、政府のために働くのなんてまっぴらです」
松浦は怒りのこもった口調で言う。
後藤は埃だらけになった両手をはたくと、
「でもさ、あんたが働いてた反政府組織は……」
「そうですよっ! ヒドイ裏切りです!」
激昂したように言うと、後藤の側へ飛び降りた。
後藤は慌てて身を引くと、眉をつり上げている松浦の顔を見てへらへらと笑った。
- 433 名前:43. 投稿日:2003年05月18日(日)23時56分54秒
- 「だったら、なんで今更必死になってるのさ」
「口惜しいからです。あの人たちのつまらない権力争いのせいで、いっぱい
人が死んだし、……」
「地震でもいっぱい人死んでるよ」
「けどそれは」
「死んじゃえばみんな一緒だよ」
後藤は松浦の両肩に手を置くと、じっと両目を見据えて問いかけた。
松浦は憮然とした表情で、後藤を睨み返した。
「そんなことはありません!」
「そかな。だってどっちにしたって超犬死にじゃん。私だったらどっちも
やだなー。地獄とかで死因の話題になったら避けちゃうね、恥ずかしいから」
笑いながら言うと、一息ついて側の平らな瓦礫の上に座った。
松浦は怒り顔のまま、
「政府からしたら、今の東京のカリスマになってる矢口真里も、政府が裏で
反政府組織に通じていたことを知っている中澤さんもジャマ者なんです。
だから、二人を反目させて一気に潰すつもりなんです。そんなことになったら、
またいっぱい人が死にます」
「だろうねえ」
後藤はニヤニヤと笑みを浮かべて、生真面目な表情の松浦を見つめた。
「死ぬのはヤクザとかチンピラとか犯罪者とか革命家なんだから、別にいいじゃん」
「そんな、そういう風に言うのはやめて下さい」
「そっか。そういやあんたもそっち側か」
- 434 名前:43. 投稿日:2003年05月18日(日)23時57分29秒
- そう言うと、腰のポーチからペットボトルを引っ張り出して、一口水を含んだ。
「あんたも飲む?」
「いりません」
「ていうかここに何しに来たわけ?」
後藤はペットボトルをリュックへ押し込むと、またかがみ込んで作業に戻った。
「私、後藤さんの……」
「そこどいて。ジャマ」
足をつつかれて、松浦は慌てて足を浮かせると、そろそろと後ろへ下がっていった。
「後藤さんの力を借りたくて……」
「あんたいくつ?」
「十六です」
「だったらごっちんって呼ぶの許す」
松浦は苛ついたように腕組みをすると、
「ごっちん、前に言ったでしょ? 頼まれればなんでもやってくれるって」
「ああー、そんなことも言ったかもね」
「だったら、頼まれてください。タダとは言いません」
「悪いけどさ、先約があるんだよね」
そう言いながら、誰の者か分からないねじ曲がった黒縁メガネを放った。
「ここで穴を掘るのがそれなんですか?」
「さあね」
「ごっちん」
「しつこいなあ」
「どうしてもダメですか?」
「そうねえ」
- 435 名前:43. 投稿日:2003年05月18日(日)23時58分06秒
- 後藤は腰に手を置くと、嘆息して松浦を見上げた。
「あんたが正直な気持ちを言ったら、考えなくもない……かな」
「……って、どういう意味ですか?」
「そのまんま。だってあんたウソついてるもん」
松浦は目を伏せてじっと自分の足下を見つめた。
「ウソなんてついてないです」
「カッコつけないでよね。人が死ぬのがイヤだって? 政府が間違ってるから?
そんなの関係ないよ。全然ウソ。あんたさ、自分の友達を助けたいだけなんだよ」
「そ、そんなことありません!」
「そう? ま、私も勘で言ってみただけなんだけど、私の勘ってよく当たるからさ」
ニッと笑って言うと、再び穴掘り作業へ戻る。
松浦は落ち着かない様子で踵を踏みならすと、なにか言おうとして口を開いた。
だが、すぐにその言葉を飲み込んでしまう。
月の光が、立ちつくしている少女と穴を掘り続ける少女を、しばらく静寂に包まれた中に
照らし出していた。一筋の流れ星が、上空を横切っていった。
- 436 名前:43. 投稿日:2003年05月18日(日)23時58分39秒
- 冷たい風が、二人の髪を揺らした。どこかで起きている騒ぎも、ここには
一切届いてくることはない。
やがて、松浦は観念したように溜息をついて、小さな声で呟いた。
「ごっちんの勘、当たってるよ」
後藤は作業の手も休めず、振り返りもしない。
もうじき、かつては普通に皆が踏みしめていた地面へ辿り着くだろう。
「でしょ? 私ってなんかそういう才能あるっぽい」
「だから、お願い、力を貸して」
後藤は手を動かしながら少し考えると、
「もうちょっとあとにまた来てよ。そしたらそん時に考える」
「あとって、いつ頃ですか?」
「さあ。今やってる仕事が一段落したら、かな」
「……あの、仕事って、やっぱり政府の関係なんですか?」
松浦が不満そうに言うのに、後藤は笑うと、
「私さー、あんまし依頼主のこととか興味ないの」
「……ひょっとして、都庁舎の地下施設に入ろうとしてるんですか?」
- 437 名前:43. 投稿日:2003年05月18日(日)23時59分18秒
- 恐る恐る問いかけるのに、後藤は目を見開いて松浦を見上げた。
「だったらどうなのよ」
「私、地下通路へ通じてるダクトの入り口、知ってますよ」
「……」
「ごっちん、こういう時って、お互い助け合いましょうよ。同業者なんだから」
そう言うと、松浦ははじめて、普段のような自信に満ちた表情を取り戻した
ようだった。
後藤は今まで掘り抜いてきた瓦礫の穴と、笑みを浮かべて見下ろしている
松浦の顔を見比べると、
「マジで?」
「マジです」
「えーっ……困っちゃったなあ」
本当に困ったような笑みを浮かべて言うのに、松浦は後藤の側に飛び降りると、
「そのかわり、私に詳しい内容を教えてくれるのが条件です」
「欲張り」
「やならいいんですよー。もしごっちんの勘が間違ってたら、また初めから
掘り直しですけどね」
「……」
確かに、松浦の言うことが事実だとすれば、かなりの労力のロスを防ぐことは出来る。
しかし、工作員が手持ちの情報を開かしてしまうことは、筋に反している。
後藤はあまり物事を細かく考える方ではない。合理的かつ筋の通った判断を
優先するだけだ。
- 438 名前:43. 投稿日:2003年05月18日(日)23時59分51秒
- 自信ありげな笑みで自分を見つめてきている松浦。
今の取引相手は政府。
後藤は、筋を通す人間を裏切るようなことはしない。
では政府はどうだろう。保田から漠然と聞かされたことのある過去の話を
思い出した。
それから、また松浦の顔を見た。
「こっち来て。話がしたいから」
「そう言うと思ってました」
松浦は笑顔で言うと、瓦礫の上を歩き出した後藤の後を追った。
後藤は難しい表情のまま、ボロボロになった黒の手袋を脱ぎ捨てた。
- 439 名前:更新 投稿日:2003年05月19日(月)00時00分21秒
- 43.DIGGER >>427-439
- 440 名前: 投稿日:2003年05月19日(月)00時00分53秒
- >>424娘。さん
ありがとうございます。
頑張って六月中には完結を……目標に(w
>>425名無しAVさん
いやー言葉を添えてやってください。
「面白い」って言われるのがやっぱり一番自信に繋がりますね。ありがとうございます。
- 441 名前:名無しAV 投稿日:2003年05月19日(月)19時50分01秒
- ごっちん萌え(w
- 442 名前:44. 投稿日:2003年05月22日(木)00時28分15秒
44.呼び声
キーンという音が頭の奥で鳴り響いている。細長い針金を右から左の耳を通して
貫かれたような痛みが、超音波のような耳鳴りに反響して震えているようだ。
なにか非常に重要なことに気付きかけているのかもしれない。自分の生存に
まつわる、ずっと忘れかけていたこと。しかし、せっかく頭だけが健在だった
状態から、身体のあちこちの悲鳴が聞こえてきてしまう。こうなってしまうと
もう冷静な思考は難しい。
離れた場所から再確認をしていく。足は動かせる。痛みは少ない。疲労は多い。
末端まで神経を行きわたらせて、両手の指を動かそうとする。問題なし。ただ、
もう少し下がった場所で問題が発生している。これでは腕を伸ばすことが出来ない。
全身のあちこちに血流のたまりが出来てしまって、そこがひどく苦しげに
悲鳴を上げ続けている。乱暴に扱われた果実のように、このままでは腐って
しまいそうだ。
- 443 名前:44. 投稿日:2003年05月22日(木)00時28分52秒
- 不安。無意識がそれを上位意識へ突然投げつけてきた。気を取り戻したことに
気付いてしまったか。それを今度は身体の奥へ投げ返す。心臓が突然早鐘のように
響き始める。血流のたまりが激しく責め立てられ、全身がずきずきと痛む。
薄く目を開き、少しだけ開いた口でせわしなく呼吸を繰り返す。不思議なことに、
こうした生命維持の基本動作へ至るのは最後に回される。
弱々しく、ぼんやりとした明かりだけが部屋の様子を伝えてくれている。
といってもここにはなにもない。自分以外には。
ゆっくりと首を振ってみる。脂ぎった髪が頬や額に張り付く。こんなみっともない
格好じゃ、またバカにされてしまう。しかしこうした状態で脂汗が滲み出て
来てしまうのはどうしようもないじゃん。違う。
保田圭は乾いた唇へ舌を這わせると、罅だらけになった薄い皮膚を修復しようと
そのまま舌だけを動かし続けた。口の中は、鉄錆のように苦々しい血の味で
いっぱいだった。
- 444 名前:44. 投稿日:2003年05月22日(木)00時29分22秒
- それから、自分の前後へ伸びている時間についていろいろと考えてみる。
両手は縛られて、背中に当たっている冷たいコンクリートの柱へ繋がれていた。
薄暗く殺風景なこの部屋は、どこかの廃棄された建物の一室だろう。
いや、自分がここにこうしているということは、廃棄はされていないのか。
ではなぜ、自分はこんな場所に縛り付けられているのか。言うまでもない。
あいつらの卑怯なトラップにハマって、こうして拉致されているわけだ。
まったく情けないはなし。仲間が聞いたら笑うだろう。
両手を少し上下左右へ動かしてみる。硬く何重にも巻き付けられた紐が
食い込んでくる感覚と、じゃらじゃらとした金属の触れ合う音。残念ながら、
この縛り方は本式だ。アヤカか、他のその筋の人間による仕事だろうな。外す
ことは出来ないわけでもないが、時間と手間がかかるし、両手首を痛めて
しまうのはその後のことを考えると致命的だった。それに、ご丁寧に縛った
上から手錠まで繋いでくれている。どこでこんなオモチャを手に入れてきたのやら。
- 445 名前:44. 投稿日:2003年05月22日(木)00時29分57秒
- 部屋の隅になにかを発見して目を向ける。暗闇の中に黒い身体を晒していたため
気付けなかった。
ミイラのように両手を組み足を揃えて、三体の巨大な筋肉男が並んでいる。
そのうちの一体は、保田が撃ち抜いたはずの頭部がいつの間にか復活して、
じっと眠っているように目を閉じていた。残りの二体はアタマのあるべき部分に
水玉模様の可愛らしいビニールが被せられ、静かに復活を待っているのだろうか。
あるいは、ひょっとして、アタマのある一体は保田を捕まえた三体とは別なのかもしれない。
それは今ここから観察しているだけではよく分からなかった。
いずれにしても、人間の形をしているが、中身は似ても似つかない、筋肉と
プログラム脳だけのタンパク質のカタマリなのだ。
それにしても、せっかくこうして目覚めたっていうのに、誰の出迎えもなしか。
保田は軽く両脚を伸ばしてみた。直にコンクリートに当たっている腰が
痛くて仕方がなかったが、両脚は自由に動かせる状態にある。
思い切って左右に広げて伸ばしたら、大分下半身は楽になった。それでも、
あの大男から鳩尾に食らった一撃は、未だにひどい痛みを残したままだ。
下手をしたら肋骨の一本や二本、やられてしまっているかもしれない。
- 446 名前:44. 投稿日:2003年05月22日(木)00時30分32秒
- 首を左右に振ってみる。ここもかなりヒドイ状態だ。
直に見ることは出来ないが、多分両手のあとが痣になってくっきりと残って
いることだろう。はあ、しばらく高くコートのエリを立てて隠すしかないか……。
あいつらが私を付け狙っていたとしたら、同じように途中で別れた後藤も
狙われているのだろう。
しかし、多分後藤だったら自分みたいなヘマはしないに違いない……確信を
持って言えることではないが。
いやいや、あの娘ならなんとかうまく切り抜けてみせるんじゃないだろうか。
へらへらと軟体動物のようにとらえどころのないヤツだけど、真の部分は
意外にしっかりしてそうだし。
元はといえばこちらから売った喧嘩ではある。半端なチンピラ集団だと
思って油断しすぎたのがよくなかったか。まさかあんな隠し球を持っているとは
予想もしていなかった。頭を撃ち抜いても涼しい顔をしてるようなヤツに
勝てるはずがない。
いや、さすがに涼しい顔は出来ないだろうな。顔がなくなっちゃったら。
- 447 名前:44. 投稿日:2003年05月22日(木)00時31分03秒
- しょうもないことを徒然と考えていると、汚い扉が鍵の回る音を漏らして、
ゆっくりと開かれた。
わずかな隙間から顔を出したのはアヤカだった。保田は上目遣いで睨み付けると、
ペッと唾を吐き出した。血の混じったどす黒い塊は、埃だらけの床に張り付いて
拡がった。
アヤカは首を竦めて姿を引っ込めると、扉を大きく開いた。見慣れた小さな
シルエットが悠然と姿を現す。
「よっ、また会ったな、けーちゃん」
ニヤニヤとイヤらしい笑みを浮かべながら、保田の元まで歩いてきた。
いくら小さいと言っても、縛られて床に腰を着けている状態ではさすがに
保田の視線の方が下になってしまう。
- 448 名前:44. 投稿日:2003年05月22日(木)00時31分39秒
- 「どうよ? おいらのカワイイボブちゃんのパワーは?」
「……まあまあかな」
強気な口調で言うと、口を歪めた。
「なー、そんな怖いカオすんなって」
以前にあったときに比べても、ずいぶんとご機嫌でテンションも高めだった。
矢口はポケットから小さな瓶を取り出すと、直に錠剤を口へ流し込んで
噛み砕いた。
それから、銀の携帯ボトルに入ったウィスキーでそれを流し込む。
「けーちゃんも一発やる?」
「そのけーちゃんっての止めて欲しいんだけど。キショいから」
保田が仏頂面で言うのに、矢口はまた爆笑した。
「なんだよー、つれないなあ。けーちゃんとおいらの仲だろ? もっと
フランクにいこうぜ」
そう言いながら、保田の頭を乱暴に撫でてみせた。
矢口の変に馴れ馴れしい態度は、保田を困惑させていた。なにか作戦でもあるのか。
いや、……恐らく矢口は後藤のことを警戒しているのだ。矢口にとって、彼女の
力は未知数だし、自分がここでこうしている以上、いつ後藤が姿を現しても
おかしくはない。その可能性を考えると、確かに軽率な行動は出来ないのだろう。
- 449 名前:44. 投稿日:2003年05月22日(木)00時32分12秒
- とはいえ、保田は特に後藤からの救助に期待しているわけでもない。もし
後藤が真性の工作員であれば、あの場所で別れた以上、その瞬間から二人は
赤の他人同士。利害関係もゼロの二人に過ぎない。
それに、保田にすればこの程度の修羅場は恐れるほどのものではない。
「それにしても、あんた一人でボブ三人をおシャカにしちゃうなんて予想外
だったなー」
言いながら矢口は部屋の隅で眠っている巨人たちを振り返った。
「あれ。今メンテ中。すぐにまた活躍してもらわないといけないからさ」
矢口は含みのある笑みで保田に顔を近づけると、
「で、けーちゃんのお友達はどこでなにしてんの?」
来た。というかえらい直球で問いかけてきたな、と保田は呆れた。
「気になるんだ?」
保田は思わせぶりな口調で言ってみる。
「いやいやいや、なんか加護がさー、あの娘のこと気に入っちゃったみたいで」
「ふーん……」
「どうせ近くでけーちゃんのこと助けようって、チャンス狙ってんだろ?
なあ、カワイイ連れを痛い目にあわせたくなかったら、先に言っちゃった
ほうがいいと思うよ」
- 450 名前:44. 投稿日:2003年05月22日(木)00時32分46秒
- 馬鹿馬鹿しい、と保田は思わず笑ってしまった。
矢口は余裕のある笑みを崩さなかったが、口角は引きつったように痙攣していた。
目の奥は明らかに笑っていない。
「けーちゃん自分の立場分かってる?」
「さあ」
「なに? ボブにボコられておかしくなっちゃった? 例えばさあ、こんなこと
だっていくらでも出来るんだぜ?」
そう言うと、懐から拳銃を取りだして、保田の眉間へぐりぐりと押しつけた。
「いくらあんたでも死ぬのは怖いだろ? なあおい、どうなんだよ」
クスリが回り始めたのか、目つきにも口調にも落ち着きがなくなってきていた。
やばいな……、と保田は思う。こうなってしまうと、衝動的に引き金を
引いてしまうこともありえないことではない。
- 451 名前:44. 投稿日:2003年05月22日(木)00時33分21秒
- 「よーく聞けよ、おいらはな、動かそうと思えば東京で何百人でもゴミみたいな連中を
暴れさせることだって出来るんだよ。一人でいつまでも粋がってんじゃねーぞおい!」
保田は溜息をつくと、
「私だって死ぬのは怖いよ……あんたと同じくらいね」
「なんだって?」
「そんなに慌てなくったってさ、後藤はすぐあんたを殺しに来るよ。安心したら?」
ハッタリを込めて言うのに、矢口は面白いように動揺した反応を見せる。
不安そうに辺りをきょろきょろと見回すと、クスリで濁った目をゆらめかせ
ながら保田を睨み付ける。
「いい加減なこといってんじゃねえよ」
「だったら調べてみたら? あの娘変装の達人でね、……アヤカ!」
保田は急に声を高めてアヤカの名を呼んだ。
反射的に、開いたままの扉から怯えたような表情のアヤカが顔を出した。
矢口はまじまじとアヤカの顔を見つめると、やおらつかつかと歩み寄って行き、
両手で頬を挟んでグッと自分の顔へ引き寄せた。
「や、矢口さん……?」
「……あんた、アヤカだよな? 今までじっと顔見たことなかったけど……」
「ちょっと、痛い、痛いんですけど、矢口さん、顎……」
「お前に化けようとしたらまず顎からだろ? ……でもつけ顎じゃないな……」
- 452 名前:44. 投稿日:2003年05月22日(木)00時33分59秒
- そんな二人のやりとりを見て、保田は縛られたまま爆笑した。全身の打撲の
痕に響いて激痛が走ったが、それでも笑い続けた。
矢口は眉を顰めて振り返ると、荒っぽい足取りで保田のところまで戻り、
「お前、バカにするのもいい加減にしろよ? マジで今ここでぶっ殺して
やったって構わないんだぜ?」
ドスの利いた声で睨み付けられるが、保田は構わずに、半泣きで顔を撫で回して
いるアヤカへと言葉を投げかけた。
「アヤカー、あんたのボスって、こんなヘタレだったの? あんたそれでも
こいつに付いていくつもり?」
「圭ちゃん……」
アヤカは戸惑ったように、矢口と保田を交互に見た。
「うるせえんだよ、この野郎……」
矢口は本気で頭に来たようで、保田の口をこじ開けると強引に銃口を押し込んで、
「そんなに死にたいなら今すぐに地獄に落としてやったっていいんだぞ。おいらが
ここで引き金を引くだけでいいんだ、簡単だろ?」
「……」
保田はなにも言わずに、じっと自分を睨んでいる矢口のことを観察した。
大分壊れ始めてる。少しやりすぎたか。
- 453 名前:44. 投稿日:2003年05月22日(木)00時34分31秒
- しばしの睨み合いのあと、矢口は頬を歪めて笑うと拳銃を抜いた。血の混じった
唾液が糸を引き垂れ下がっていた。
矢口は、やや落ち着きを取り戻したようにふっと息を吐くと、
「まあいいさ。あんたはその辺に転がってるゴロツキとは違う。あっさり
殺っちまってももったいないからな」
「そりゃどうも」
冷たい口調で返すのに、矢口は鼻で笑うと、
「明日からたっぷり遊んでもらうよ、けーちゃん。今夜はひとまず寝かせといて
あげる。ここのベットじゃケツが痛いだろうけどな、キャハハハハハ!」
やれやれ、明日からまた詰まらない拷問ごっこに付き合わされるわけか。
ベッドをベットと発音していた。多分こいつの書く小説はつまらないんだろう。
その時、向いの廊下の奥から誰かの走ってくる足音が聞こえた。
と、音の主が荒い息を吐きながら顔を出す。
「矢口さん、なにやってんですか……!」
「新垣? どうした、こんな夜中に」
「中澤裕子たちが動きました、さっき連絡があって、……」
「なに?」
矢口は興味深そうに自分と新垣を見比べている保田を一瞥すると、新垣の
腕を掴んで廊下へと出ていった。
「おい、こいつちゃんと見張っとけよ」
矢口に言われ、アヤカはおどおどと部屋に入ってくる。
- 454 名前:44. 投稿日:2003年05月22日(木)00時35分05秒
- 二人が廊下へ姿を消してしまうのを見送ると、保田はアヤカに微笑みかけて、
「なんか面白そうじゃん。裕ちゃんがなにやったって?」
「さあ、私はまだなにも……って、圭ちゃんもう少し自分の立場考えてよ!
私もういつ矢口さんが引き金を引くかって怖くて怖くて……」
「いやあ、いざとなったらアヤカが助けてくれるって信じてるからさ」
意味ありげに笑う保田に、アヤカはなにも言わずに口を歪めただけだった。
- 455 名前:44. 投稿日:2003年05月22日(木)00時35分39秒
□ □ □ □
一時を過ぎた。
中澤が飛び出してから一時間足らずで、都内のあちこちに散らばっている
矢口の仲間たちの拠点への激しい襲撃は一段落ついていた。
ソニンが用意していた攻撃のための準備は想像以上に周到だったようで、
ほとんどの拠点で反撃の猶予もなく、みな必死で逃げまどうことしか出来なかった。
平屋の裏口から火の手が上がる。下町のサウナルームでだらだらと夜長を
過ごしていた連中は、せいぜい十人足らずの急襲に為す術もなく捕らえられた。
中澤は木の扉を乱暴に蹴破ると、五十人ほどが黒服たちに縛りつけられている
部屋の光景を見回して、一人のスキンヘッドの元へ歩み寄っていった。
「矢口は? どこに隠れてる?」
拳銃を額に突きつけながら言う。男は充血した眼で睨み付けると、
「て、てめえこんなことして……」
猶予を与えるほど中澤は甘い精神状態ではない。銃声。舌がへらへらと動き
続けている下顎だけを残して男の頭は消し飛んだ。
- 456 名前:44. 投稿日:2003年05月22日(木)00時36分13秒
- 「次」
白いジャージを着ている髭面の男。まだ火薬臭い煙を吐き出し続けている
銃口を突きつけて、
「矢口は? どこや」
「あ、あんたなんなんだよ、俺達は……」
「はい、次」
銃声。残りの連中は縛りつけられたまま口汚い言葉を喚いてもがいたが、
中澤は眉一つ動かすことなく、マガジンを交換した。首から上を破裂させた
二人の死体から、部屋中に血腥い蒸気が拡がっていき、不快な臭いと目前に
待ち受けている恐怖がチーマーたちの顔を醜く歪ませた。
と、通信機を耳に押しつけた組員が足早に中澤の元へやってくる。
「今のところはまだどこでも見付かっていないようです」
「あんだけ挑発しておいて、今更ばっくれるつもりか? 矢口よ……」
静かな怒りのこもった口調で中澤は呟く。組員は室内を見回すと、
「どうします? ここは我々が預かりましょうか?」
「ああ、そうしてくれ。ま、矢口はとうにトンズラこいとるかもしれんがな」
中澤は言うと、足早に血みどろの部屋をあとにした。ほどなくして、背後から
銃声と喚声が混じり合って響いてくる。
- 457 名前:44. 投稿日:2003年05月22日(木)00時36分44秒
- 通信機が鳴る。歩きながら受けると、ソニンからのものだった。
『こちらもほぼ完了しました。矢口の居場所はまだ分かりませんが』
「ああ、一旦合流しよう。人数はいらん」
『逃げ出した連中も相当数いるみたいですが』
「そんなやつはかまわんでええ。刃向かうヤツは殺せ。逃げたヤツは追うな。
十分後に七区のターミナルの広場で落ち合おう」
『分かりました』
とりあえず、第一段階はこれで終了した。しかし、もちろん中澤もこれで
一件落着とは思っていない。
最悪の事態になるまで矢口を放置しておいてしまった自分を責める気持ちも
あったし、不用意に仲間を外出させたこともこちらに落ち度があった。
ただ、それ以上に、まだ心のどこかで矢口を信じる気持ちを捨てきれずにいた
自分自身の甘さに、腹が立って仕方がなかった。
実際に、矢口がどのような指示を下したのかということは中澤には分からない。
しかし、あのような芸当が出来るのは、彼ら以外にあり得ない。特に、不可思議な
能力を見せつけている加護という少女の存在がなければ。
そして、行為に対して責任を取るべきなのは、常にトップに立っている人間
でしかあり得ない。それは、中澤が物心ついた頃からずっと教え込まれてきた、
集団の中における倫理であった。
石川に対して矢口は責任を負うべきだし、矢口に対して責任を負うのは自分だ。
矢口だけを見せしめにしようとは思わない。中澤は、矢口と差し違えるくらいの
気持ちでいた。
- 458 名前:44. 投稿日:2003年05月22日(木)00時37分17秒
- 表へ出ると、すでに黒服の組員たちは集合している。溶けかけて氷になった
雪が、汚らしく塀や電柱の残骸に積み上がっている。それが月の光を反響して、
ぬるぬるとしたいやらしい外見を見せつけていた。
中澤は生理的嫌悪を覚え、イライラしたようにそれを蹴り崩した。
「中澤さん」
組員の一人が素早く駆け寄ってくる。中澤は振り返らずに、てきぱきと指示を下した。
「これからソニンたちと合流する。ニダーとやらにも挨拶しとかんとあかんしな。
捕らえた連中は尋問にかけろ。矢口の居場所や。答えなかったらその場で殺せ。
一応答えたヤツは逃がしたれ」
「構わないんですか?」
「ああ、あいつらは一人でなんも出来ないただのカスや。放っとけ」
「あ、中澤さん、里田が車を用意して……」
組員が言うのに、中澤は振り返ると、
「ええわ。そう遠くないし、自分らも遅れんなよ」
そう言うと、困惑した表情の組員たちに手を振って、早足で歩いていってしまう。
顔を見合わせていた組員たちも、すぐに中澤のあとを追った。
- 459 名前:44. 投稿日:2003年05月22日(木)00時37分52秒
□ □ □ □
どれだけの時間を、二人で一緒に過ごしたのだろう。
雨の降る夜道を二人で歩いた。あれからまだ一月も経ってはいない。
パトカーと救急車と穴だらけになったクルマが溢れかえっている新宿で、突然
呼びかけられた。怯え、逃げ続けていた時だった。
二人で焼きそばを作り、ビールを飲んだ。私が怒鳴って、梨華ちゃんは泣いた。
そして、倉庫でのあの一夜。あまりにも早い展開だった。
自分のことを好きになってくれた彼女に、なにも応えることが出来なかった。
生まれてからまったくそんな経験はなかったから、ただ戸惑うことしか出来ずにいた。
物心ついたころから、周りは敵ばかりだった。言葉より先に暴力を覚えた。
それが唯一のコミュニケーションの手段だと思っていたから、暴力を手放す
ことは出来なかった。いつしか、自分の周りには大勢の子供が群がるように
なっていた。それは、他人より強い暴力を持っている自分をあてにしてのことだ。
安寧の日々はいつまでたっても訪れなかった。周囲に期待されるままに、
あてもなく喧嘩に明け暮れる毎日が過ぎていった。大人たちからは見放され、
奪えるものは力ずくで全て奪った。
- 460 名前:44. 投稿日:2003年05月22日(木)00時38分25秒
- ある一線を越える直前に、新しい世界と出会った。もしそれがなければ、
他の多くの子供のように強制的に組織の監視下へ置かれただろう。
緊張に満ちた日々は終わり、大量の金と名誉が転がり込んできた。それと同時に、
多くの人間が自分の周りに群がった。
かつて自分の暴力をあてにして大勢の子供が集まったように、今度は金と名声を
あてにした人間が次々に自分の前に姿を現した。
気付けば、人間を人間として見る方法を忘れてしまっていた。いや、そんなものは
そもそも持ち合わせていなかった。生きるために必要ではなかったから。
名声を失い、金もなくなり、汚名だけが残った。自然と周囲から人間は
消えていった。そのことについて特に思い悩むことはなかった。人間なんて、
所詮そんなものでしかないと分かっていたからだ。
不良に襲われていた彼女を助けたのだって、ただの気まぐれでしかない。
むしろ、あの場で殺されることを願っていたのかもしれない。
- 461 名前:44. 投稿日:2003年05月22日(木)00時38分56秒
- 彼女は自分のことを知らなかった。自分が潜り抜けてきた泥まみれの世界も、
過去の名声も、汚名も、なにもかも。ただ自分を一人の個人として受け入れて
くれた。危険だと分かっていながら、自分の手を取って導いてくれた。
シェルターの安全なベッドの上で、なにを考えていた? 今こうして生き延びている
自分になにが出来るのか。もし人生を振り出しに戻せるのなら、誰も傷付けないで、
誰も悲しませずに生きようって、そう考えたはずじゃなかったのか?
その結果が、これなのか?
いくら自分自身を責めて痛めつけてみても、それがまた別種の逃避でしか
ないことには気付いている。
むしろ自分は知ってたんじゃないか。こうなることが避けられないことに。
なぜ? それは吉澤ひとみという人間と関わってしまったから。
鏡を見てみれば分かるだろう。顔も、両手も、全身が真っ赤な血にまみれて
いるんだから。隠せるもんじゃない。十七年間、死神を引き連れて歩いて
きたのに、今更知らんぷりなんて出来ないだろ?
冷たく白い頬に触れる。温かく柔らかな感触。もう二度とそれは戻ってこない。
- 462 名前:44. 投稿日:2003年05月22日(木)00時39分31秒
- 腰からぶら下がっている警棒を手に取った。サイケデリックなペイントが
施されている警棒。お揃いにしようとして、出来なかったからかわりに
買ってきた警棒。
そんなの必要なかったのに。暴力を振り回すのは私だけで充分だったんだ。
違うか?
そうだった、「アレ」はいつ始めるんだ? 今すぐにでもいけば充分間に合う。
今までだって何度も繰り返してる儀式だろ? さあ、獲物は待ってはくれない。
テーマソングだって鳴り響いている。お前がリングの上で聴いた、猫が殺された
時にも聴いた、そしてガソリン臭い倉庫の中でも聴いたアレだよ。
忘れたとは言わせない。
さあ、死装束を赤く染めに行こう。
復讐? 正義? なに、そんなもんじゃないさ。
欲望だろ? 抑圧なんてすることじゃない。
お前がアレを大好きなことは、初めて会ったときから分かってたよ。
深く考えることじゃない。ただのお祭りじゃないか。
涙を垂れ流して落ち込んでるなんてお前の芸風じゃないだろ?
まさかビビってるわけじゃないよな。
心配するなよ、いつだって手助けはしてやるさ。
よく両目を見開いてみろ。節穴じゃないんだろ?
誰もお前を咎め立てたりしないさ。
むしろ大喝采を浴びるだろうよ。あいつらだってお前と見てるものは一緒だ。
やさしさなんて求めていないだろ?
- 463 名前:44. 投稿日:2003年05月22日(木)00時40分03秒
- 腰からぶら下がってるそいつを見ろよ。何人の亡霊がまとわりついてる?
お前の勲章だ。あの娘だって笑ってくれるさ。
道しるべなんてなくても、進むべき道は分かるはずだろ?
なにしろ一面血で染まってるんだからな。見間違えようがないよな。
見えたんだろ? 瞼の奥で真っ赤な飛沫があがるのが。
呼ばれたら答えるのが、俺達の流儀じゃなかったのか?
まあ、頭のイイお前ならもう分かってるだろうから、あとは立ち上がるだけだ。
じゃあ、そろそろ出かけようか。
- 464 名前:44. 投稿日:2003年05月22日(木)00時40分36秒
吉澤は石川の身体から取り外した警棒を握ったまま、ゆっくりと立ち上がった。
涙で顔を濡らしたままの柴田が、不安げな表情で吉澤を振り返った。
「どこに行くつもり……?」
「……」
吉澤は答えない。黙ったままゆっくりと足を踏み出した。
柴田は立ち上がると、彼女の肩を押さえて言った。
「今出ていったら危ないよ……。ね、ここにいよう」
「……離してよ」
「ダメ! だって、もう……」
「離せって言ってるだろ!」
「もう二度とあんなことして欲しくないのっ!」
吉澤の腕を掴んだまま、柴田は目に涙を浮かべて叫んだ。
悔悟の念で震えたまま、吉澤はじっと足下を見下ろしていた。
「お願い、梨華ちゃんの側にいてあげて欲しいの……」
「……」
吉澤はなにも言えずに、また石川の方へ視線をやった。
ピンクのチョコレートの箱に包まれて、その表情はひどく安らかで、眠っている
ようにすら見える。
冷え切った肌が、血の通っていないことを伝えていることを除いては。
- 465 名前:44. 投稿日:2003年05月22日(木)00時41分07秒
- 柴田は疲れたように嘆息をすると、その場にしゃがみ込んで顔を覆った。
「なんで、なんで梨華ちゃんがこんな……。なにも悪いことなんてしてないのに……」
吉澤は口惜しそうに唇を噛むと、ぽつりと呟いた。
「私が悪いんだ……」
その声に答えるものはいない。吉澤は、ただ自分自身を責め立てるように
言葉をぽろぽろと漏らし続けた。
「私のせいで、さらわれて、ひどい目にあって、そして、……殺されたんだ……」
静寂に包まれた大広間に、自責の言葉だけが静かに反響していく。
- 466 名前:44. 投稿日:2003年05月22日(木)00時41分39秒
□ □ □ □
安倍は襖の側に立ちつくしたまま、じっと二人のことを見つめていた。
吉澤が涙をこぼしながら自責を繰り返すのに、思わず目頭が熱くなった。
と、その時誰かに袖を掴まれて引っ張られた。
困惑した表情で振り返ると、辻がいつになく真剣な表情で側にやってきている。
「安倍さん、ちょっといいですか?」
「……え、でも」
「ここだとあれなんで、廊下に出てください」
低く小さな声で言うのに、安倍も表情を強張らせるとゆっくりと頷いた。
- 467 名前:44. 投稿日:2003年05月22日(木)00時42分12秒
- 大広間から漏れだしてくる明かり以外には、廊下は真っ暗でほとんどなにも
見ることは出来ない。
氷のように冷えた木の床を、二人は裸足でぺたぺたと歩いていた。
分岐点まで進むと、辻は振り返って安倍の顔をじっと見つめた。
「Aさんを呼んでください」
「えっ、Aさんって……?」
「Aさんです。安倍さんの中にいるんでしょう? すぐに呼んでください」
辻の言葉に、安倍は息を呑んだ。
彼女の顔は真剣で、今までに見せたことのないような表情をしている。
「……いつから? いつからそのことに気付いてたの?」
「始めて会った時からです。だってAさんは辻の中にずっといたんですから、
分かって当たり前です」
明日香のバカ。
自信満々な口振りだった癖に、全部バレバレじゃんか。
でもAさんって呼び方はどうも……。明日香だからAさんなんだろうけど、
まるで未成年犯罪者のことを言われてるみたいで、いやな気分になる。
- 468 名前:44. 投稿日:2003年05月22日(木)00時42分44秒
- 「じゃあ、全部知ってたんだね?」
「安倍さんがゼティマで撃たれて、Aさんがそっちに移るまで、ですよ。
よっすぃーの様子を見に行ったら別のところで矢口って人が暴れてるって
いうんで、コピーを飛ばしたんです。そしたらたまたま安倍さんが来て」
「コピー?」
「そういうことが出来るんです。それでですね……」
そこまで言ってから、辻はなぜか、困ったような表情で口をつぐんだ。
「それで? なに?」
「あのチョコレートの中の梨華ちゃんも、多分……コピーなんだと思います」
「えっ……? それ、どういうこと?」
「本物の身体が別にあって、落ちてきた死体……身体はコピーなんです。
多分、ちゃんと調べないと分からないですけど……」
「な、なんででもそんな、意味分からない……」
唖然とした様子で頬に手をやりながら、安倍は泣きそうな顔で目を瞬かせた。
「じゃああれは明日香が……明日香で分かる?」
「はい」
「明日香がなんで梨華ちゃんをあんな……。え、でもということは」
「はい、多分梨華ちゃんは死んでないです」
「それはホントなの?」
「ええ、本体がどこか別の場所で眠らされてるんだと思います」
「だったら、早くそのことをみんなに知らせないと!」
- 469 名前:44. 投稿日:2003年05月22日(木)00時43分19秒
- 慌てて廊下を駆け出そうとする安倍を、辻が腕を掴んで抑えた。
「待ってください。そんなこと言っても、誰も信じませんよ。あの場所にいる
梨華ちゃんは本物と……死体の状態ですけど、全く同じなんです」
「けど……!」
「だから、Aさんに訊いて欲しいんです、なんであんなことしたのかって。
本体が意識を取り戻せば、コピーは消えます。本体がどこに隠してあるか
さえ分かれば……」
「分かった。ちょっと待って」
安倍は深呼吸をすると、いつものように心の中の福田明日香へ呼びかけた。
(明日香)
返事はない。意識の中で声を大きくして、また呼びかけてみる。
(明日香、聞いてたんでしょ? ねえ、なんとか言ってよ? なんであんなこと
したのよ? 明日香!)
無駄だとは思っていたが、心の中でさらに声を荒げた。
(明日香っ! 出て来なさい!)
しかし、全く福田の声が帰ってくる様子はなかった。
- 470 名前:44. 投稿日:2003年05月22日(木)00時43分52秒
- 「ダメ」
力尽きたように溜息をつきながら、安倍は肩を落とした。
「そうですか」
辻は冷静な口調で言うと、また考え込むように腕を組んだ。
「ねえ、他になにか方法はないの? 梨華ちゃんもそうだけど、なっちだって
この身体がコピーだなんて、気持ち悪くてしょうがないよ」
「C装置が使えれば……」
「えっ? なに?」
辻がボソッと言うのに、安倍は彼女の両腕を掴んで問いただした。
が、辻はいつものような困ったような笑みを浮かべると、肩を竦めただけだった。
- 471 名前:更新 投稿日:2003年05月22日(木)00時44分27秒
- 44.呼び声 >>442-470
- 472 名前: 投稿日:2003年05月22日(木)00時45分02秒
- >>441名無しAVさん
(*´ Д `)<えへへ
ていうか今回マニアックなネタが多いな……
- 473 名前:名無し読者 投稿日:2003年05月22日(木)16時51分50秒
- 面白い上に、更新が早っ!w
続きが楽しみです。
- 474 名前:名無しAV 投稿日:2003年05月23日(金)20時36分17秒
- ボブだったのか……。
一気に想像しやすくなった(w
- 475 名前:45. 投稿日:2003年05月24日(土)23時42分13秒
45.スナップショット
長い夜が明けて、なにごとも起こっていないかように、白い太陽は街の隅々までを
冷たささえ感じさせる光で照らし出した。上空を覆った薄い雲は陰翳もなく、
穏やかな水面にも見える。
下町の入り組んだ路地の奥に、三台のバンが並んで停車している。冷たい
表面には汗をかいたように、朝露が浮かんでいた。
辺りにある建物はほとんどが老朽化していたため、震災によって紙細工のように
もろくぺしゃんこにされて、惨めな姿をさらしている。
ここは矢口が以前住んでいたことのあるアパートの近くだった。震災以前にも
まともな人間が近付くような場所ではなく、いまや四方にゴミの山が積み重なって
いるだけのこの区域には人影など見ることは出来ない。
- 476 名前:45. 投稿日:2003年05月24日(土)23時42分48秒
- 二台のバンには矢口と新垣、アヤカ、ミカを始め数人のHello!時代からの仲間が
分乗していた。中澤たちの急襲が、前の突然の焼き討ちなどとはまっったく
規模の異なるものだということはすでにあちこちからの報告から分かっていた。
とはいえ、そんなことで諦めてしまうような性格の矢口ではない。中澤たちも、
なにが理由なのかは分からないが、今は矢口本人を捜し出すことに血眼に
なっているようだ。それならば、しばらく身を隠しておいて、その間に
こちらの布陣を建て直すことは充分可能だ。
加護は、映画館で忽然と姿を消してしまってから、未だに消息を絶ったままだった。
いつもの気まぐれからだろうから、それほど矢口も気に病んでいる様子は
なかったものの、やはり不安な表情はどうしても隠すことが出来ずにいる。
自分たちの存立基盤になっているのが加護の存在である以上、仕方のないことだ。
が、今の危険な状態ではむしろどこか(雲の上かもしれないが)安全な
場所へ身を隠してくれていた方がありがたい、とも考えることは出来る。
- 477 名前:45. 投稿日:2003年05月24日(土)23時43分21秒
- 最後尾のバンには、市井、高橋、小川、紺野、そして襲撃直前に突然姿を
現した、隻眼のサングラスの少女が乗り込んでいた。また、縛られたままの
保田もここへ押し込められていたため、車内には馴染みのない二人を含めた
計六人が身を寄せ合っていた。
紺野は、藤本美貴、と名乗ったその少女が現れてから、これまでに輪をかけて
おどおどと挙動が落ち着かなくなり、矢口から不興を買っていた。
二人の関係が矢口には気になるようだったが、まだ藤本の正体が判然としない
というのと、中澤たちの突然の襲撃があったために、なかなかそのことへ
深入りするチャンスを掴みかけているようだった。
- 478 名前:45. 投稿日:2003年05月24日(土)23時44分05秒
- 昨夜、藤本から、かつて矢口たちが関わっていた反政府組織の背後関係の
真相を聞かされて、矢口は怒りで顔を紅潮させた。
「裕子とつんくが?」
「はい。つんくは初めから都知事を追い落とす計画で、密かに反政府組織へ
手を回してたんです。そのパイプ役だったのが、中澤裕子さん」
「あんの野郎、やっぱり裏で汚ねえことしてやがったんだな……」
矢口は低い声で呟くと、勢いに任せて白い錠剤をウィスキーで流し込んだ。
同じ車内にいたHello!の仲間たちも、矢口同様驚きと怒りでめいめいが
戸惑ったように顔を見合わせていた。
矢口はふと頭にクエスチョンマークを浮かべると、
「けど、なんであんたがそんなこと知ってるんだよ」
「私、つんくさんの下で働いてたことがあるんです」
「なんだって!?」
つんく、という言葉に、矢口は過剰に反応した。
藤本は慌てて手を振ると、
「でも、もう前の話です。今はただの、一般人」
「……詳しく話を聞かせてくれ」
「はい。つんくさんは、都知事が密かに反政府組織を潰そうとしているのを
知ってました。なので、私を派遣して、その内部工作員を監視するように
命令されてたんです」
「ち、ちょっと待ってくれ。話を整理してもいいか?」
覚醒と酩酊が同時に襲ってきている頭を掻きむしりながら、矢口は眼を
大きく見開いて言った。
「どうぞ」
「要するに、あんたはつんくの手下で、裕子もつんくの手下で、おいらたちは
そいつらの権力争いのために踊らされてたってことか?」
「途中まではそうでしょうね。でも、矢口さんたちは独自に動き始めたでしょう?」
「あ、ああ。あいつらのやり方じゃ生緩いって感じだったからな」
- 479 名前:45. 投稿日:2003年05月24日(土)23時44分43秒
- 「さすがですよね。矢口さんの洞察力って素敵だと思います」
ニコニコと笑いながら、藤本は尊敬のまなざしで矢口を見つめた。
矢口は少し照れくさそうに笑うと、
「ま、結果論だけどな」
「いえ、だから素晴らしいんですよ! 歴史を動かすのは矢口さんみたいに
優れた直観を持った人間なんです」
「よせよ……。それで、あんたが追ってた内通者ってのは誰なんだ? そいつは
都知事の手先だったってことだろ?」
「はい。そうです。矢口さんもよく知ってる人ですよ」
そう言うと、意味ありげな笑みを浮かべてみせる。
矢口は強張った表情で何度か瞬きをすると、
「まさか、……なっち、安倍なつみか?」
「残念ながら、そうなんです」
「そんなバカな……。だって、なっちはあれだけ政府と警察を憎んでいたんじゃ……。
それに、おいらを組織に引き込んだのだってなっちなんだぞ? 裕子に協力を
頼んだのはおいらなんだよ。え? 裕子とつんくが繋がっていて、って、
ちょっと、訳分かんなくなってきた」
- 480 名前:45. 投稿日:2003年05月24日(土)23時45分20秒
- 混乱した頭を鎮めるためか、矢口はまた数錠の錠剤を口に含む。
藤本は落ち着かせるように矢口の肩に手を置くと、
「矢口さん、人間って、悲しい生き物ですよね」
「あ?」
突然殊勝な表情で語りかける藤本に、矢口は呆気に取られたように口を開いた。
「確かに、安倍さんも初めは、純粋な気持ちで、今の間違った政府に対して
怒りを燃やしていたんだと思います。でも、人間って、いつまでも純粋な
気持ちは持っていられないのかもしれません」
「……」
「もし、都知事が、自分に協力してくれれば多大な報酬と将来のバックアップを
保証してくれるって約束をしてくれたなら、いくら純粋な気持ちを持って
いたとしても、揺れ動いてしまうことだって……」
「それは、でも……」
「矢口さんがまだ信じられないでいるのは、多分矢口さんの新年にかける
気持ちがそれだけ純粋なものだからだと思うんです。
今だって、ああいうポジションに立てばあちこちから反感も買うし、真意を
理解されないまま悪役にさせられてしまうかもしれない。それなのに自ら
泥を被って見せている。私、矢口さんのそんな姿を見て、心を入れ替えたんです。
ああ、美貴はなんて間違ったことに力を注いできたんだろう、って」
「うーん……」
やや感情過多気味の藤本のセリフに一抹の怪しさを覚えつつも、矢口は
真剣な瞳でそう語りかけられて、悪い気持ちはしなかった。
- 481 名前:45. 投稿日:2003年05月24日(土)23時45分51秒
- 「大丈夫ですよ、今はみんなヤクザを怖がって手出しが出来ないだけです。
でも、こっちには東京のみんなが付いていてくれるって、信じましょうよ。
向こうは中国マフィアとか不法駐留外人みたいな連中まで動員して、なりふり
構わないって感じじゃないですか。そんなの絶対に長続きしません。
矢口さん、どっちが正しいことをしてるかって、絶対に伝わってます。安心
してください。最後に勝つのは暴力じゃなくて正義だって、私たちで証明
してみせましょう!」
「あ、ああ、そうだな……」
肩に手を置いたまま熱弁する藤本に、矢口は気圧されたまま頷くことしか
出来なかった。
- 482 名前:45. 投稿日:2003年05月24日(土)23時46分29秒
後部座席の隅で、小さな通信機に口をあててなにかを喋っている藤本を
横目で窺いながら、市井は不安な気持ちを拭い去ることが出来ずにいた。
矢口と藤本がバンの中でなにを話したのかは分からないが、せいぜい一時間
足らずの会話であの疑心暗鬼の矢口から信頼を得てしまったこの少女が、
油断のならない人間であることは確かだ。
全身の神経を集中させて藤本の会話内容に耳を傾けているが、そうしたことに
慣れているのかまったく分からない。
それに、自分のすぐ隣でうるさいいびきを立てている人間がいて、市井には
それが邪魔で邪魔で仕方がない。
眉を顰めて、当事者の方を睨み付ける。多かれ少なかれ、皆が緊張感に
満ちた雰囲気を共有している中で、後ろ手に手錠とナイロン製のワイヤーで
縛られたこの保田圭という女は、先刻からずっと高いびきで眠り呆けていた。
首の回りに痛々しい痣が残されており、口の端に血の塊がこびりついている
ことから考えても、やはりなにか事情を持ってここへ居合わせている人物で
あることは市井にも分かる。縦に裂け目の入った袖からは、チラチラと
上腕に刻まれたタトゥーが顔を覗かせている。
それにしても、この呑気さはなんなんだろう。
- 483 名前:45. 投稿日:2003年05月24日(土)23時47分02秒
- そうこうしているうちに、藤本は通信を終えたようで、通信機を畳んで
ポケットへ突っ込んだ。
市井は腹立ち紛れに、爆睡中の保田の足を踏みつけた。
「痛っ……。なにすんのよ」
パッと大きな目を見開いて、保田が睨み付けてくる。
「ごめん。足が滑った」
市井はそっぽを向いたまま切り口上で言う。
「こんなクルマの中でどうやって足を滑らせれるってのよ」
保田は喧嘩腰で言うと、市井の足を蹴った。
「ちょっと、やめてよ」
「あんたが先にやってきたんでしょうが」
「大体ね、どうしてこの状況でバカみたいに眠ってられるわけ?」
「昨夜はいろいろあって疲れてたんだから、しょうがないでしょ。それに、
眠れるときに寝ておかないとあとで大変だって分かってるから」
「なに知ったふうなことを言ってんだよ」
「てかさ、あんたたち矢口の仲間なの? 全然頼りなさそうだけど、大丈夫?」
おかしそうに保田が言うのに、市井はムッとした表情で返した。
「違うよ。うちらは、ただ、その」
「ただなによ?」
「成り行きでついて来ちゃってるだけだよ。いいだろ、別に」
「いいけどさ、だったらなおさら災難だよね」
「余計なお世話だよ。ほっといて」
市井は呆れたように腕組みをすると、おかしそうにニヤニヤ笑いを浮かべて
見ている藤本の方を一瞥した。
「楽しそうですね」
藤本が言う。
「あんたもね」
保田は後部座席を振り返ると笑った。とても縛られて放り込まれている人間の
とる態度とは思えなかった。
- 484 名前:45. 投稿日:2003年05月24日(土)23時47分34秒
- 保田は落ち着かない様子で俯いている紺野の方を振り向くと、
「しかし私もダメだねー。こんな体たらくじゃあんたに笑われても仕方ないよ」
「いえ、そんな……。すいません、私のせいで」
「いやいや、あんたは関係ないよ。私が勝手にヘマしただけ。なに、大丈夫だって、
私はこういうの慣れてっからさ」
と、紺野の隣できょろきょろと車内を見回していた高橋が、やおら声を発した。
「でもあさ美ちゃんってえらい顔広いんだねえ。私もうビックリだよ」
「えっ?」
紺野は、なにを言ってるんだろうこの人、とでも言いたげな表情で高橋を
見つめた。
「だって今日急にねー、藤本さんと保田さんってひとが来てえ二人とも
知り合いってすごい確率じゃない? ねえまこっちゃん」
高橋は左隣に座っている小川を振り返った。
小川は大分疲れの溜まったような表情で座席に埋もれていた。が、高橋の
言葉に大儀そうに身を起こすと、
「うん、そう思う」
「そうだよぉ。ねえ、あさ美ちゃんも地方から東京に来てんでしょ? なしたら
そんな友達たくさん作れんの?」
「と、友達って言うか、その……」
紺野は戸惑ったように言うと、藤本と保田を交互に見た。
隣に座っていた藤本は紺野の肩に手を回すと、
「あさ美ちゃんは美貴と一緒で、北海道出身だもんねー」
「へえーそうなん?」
興味深げな表情で高橋が言う。
「そうなのよ。だからすぐに打ち解けられて、ねー」
そう言うと、紺野を強引に振り向かせて、じっと眼を見据えた。
満面の笑みを浮かべていたが、その奥にある瞳は恐ろしく冷たい光を放っている。
- 485 名前:45. 投稿日:2003年05月24日(土)23時48分29秒
- 紺野は身を震わせると、目を逸らして俯いた。
「うちは地方いうても福井やからなかなか同郷人って会わないのよ。あさ美ちゃんが
うらやましいわ」
「そ、そうかな……」
消え入りそうな声で紺野が呟く。
と、その時バンの扉が叩かれる音がした。近くに座っている小川が慌てて
ロックを外し、扉を開く。緊張感に満ちた表情の新垣が、ビニール袋を
ぶら下げて立っていた。
「朝食だって。あんまり大したものじゃないけど……」
「あ、ありがとう」
小川がビニール袋を受け取ると、新垣はすぐに扉を閉じて先頭のバンへと
戻っていってしまう。
袋の中身は、小さな七個入りの餡パンだった。車内の六人は、お互い牽制しあう
ように視線を交わし合った。
- 486 名前:45. 投稿日:2003年05月24日(土)23時49分01秒
□ □ □ □
曇り空の向こうで太陽が南中する頃、加護は突然矢口たちの前に帰ってきた。
それは本当に「突然」という言葉がふさわしい帰還で、なにもない空間を
開けっ放しの窓にもたれ掛かってぼんやりと見つめていた高橋は、悲鳴を
上げて座席から転がり落ちた。
「どうした?」
ただならない声が響き渡ったのに、矢口と新垣が驚いてバンから飛び出してくる。
加護はみなの緊迫した空気などには頓着せずに、あくびをしながらふわふわと
地上へ舞い降りた。
「加護! お前今までどこでなにやってたんだよ?」
矢口は駆け寄ってくると加護の襟首を掴んで問いただした。
「ちょっと、散歩」
「散歩じゃねーだろ!? うちらの状況とか分かってんのかよ!」
「いいじゃーん。そんな気分やってん」
加護はムッとした顔で矢口を睨むと、また浮かび上がろうとした。
が、矢口は加護の襟首を掴んだまま離さないで、
「なあ、頼むから勝手な行動はやめてくれよ。お願い」
「なんでぇ?」
「なんでって、お前なあ……」
- 487 名前:45. 投稿日:2003年05月24日(土)23時49分34秒
- どこから言って聞かせようかと、矢口は口を開いたまま考えた込んでしまうが、
加護は構わずに、襟首を掴んだ矢口ごと浮かび上がった。
「うわっ、おい、止めてくれよ」
「また雲の上に行きましょうか? スカイダイビングサイコー」
「止めろっての!」
矢口は怒鳴ると、手を離して地面へ飛び降りた。
加護はつまらなそうに後方のバンへと移動していった。
「ケメちゃーん」
バンのわきに座り込んで紺野に煙草を吸わせてもらっていた保田に、加護は
笑いながら呼びかけた。
「ケメちゃんってなんだよ」
保田は眉を顰めて加護を見上げた。
「あれ? ケメちゃんって呼ばれてなかったっけ」
「圭、だよ」
「せやったっけ? でもケメちゃんでもカワイイやんか」
「そうか?」
そんな保田と加護の二人を紺野は不思議そうな表情で見比べていた。
- 488 名前:45. 投稿日:2003年05月24日(土)23時50分06秒
- と、バンの中で昼寝をしていた藤本が顔を出す。
「ねえ、加護ちゃんヒマなら美貴と遊びに行かない?」
「ええよー。なにして遊ぼっか」
加護は藤本のもとへ舞い降りると、キラキラした黒目がちの瞳で面白そうに
彼女の顔を見つめた。
藤本は加護の耳元に口をよせると、なにかをこそこそと囁いた。
加護は目を輝かせると、
「楽しそう」
「ですよね?」
「やったら、すぐ行こか」
そう言うと、ふわりとまた宙空へ舞い上がる。藤本は身体をならすように
その場で数回ジャンプした。
矢口は慌てて駆け寄ってくると、
「おいこらちょっと待てっ! 勝手に行動するなってさっき言ったばっかだろ!」
「大丈夫ですよ。ちょっとお礼参りに行ってくるだけですから」
藤本は思わせぶりな言い方をすると、安心させるように笑った。
「お礼参り?」
「ええ。昨夜のね」
「って、おい、お前たち……」
が、矢口が言い終える前に藤本は瓦礫の上を跳ねていってしまう。
異常な動きに矢口が呆気に取られている隙に、加護もパッと姿を消した。
- 489 名前:45. 投稿日:2003年05月24日(土)23時50分41秒
- 「消えたあ……」
窓から顔を出して成り行きを見守っていた高橋は、口をあんぐりと開けたまま
間延びした声で呟いた。
傾いた電柱の側でしゃがみ込んでいた小川は、密かに構え続けていたカメラを
引っ込めると、満足げな様子で今撮影したばかりの映像を呼び出した。
が、次の瞬間さっと顔を蒼ざめると、カメラを懐に押し込んだ。
- 490 名前:更新 投稿日:2003年05月24日(土)23時51分19秒
- 45.スナップショット >>475-489
- 491 名前: 投稿日:2003年05月24日(土)23時51分55秒
- >>473名無し読者さん
更新の早さだけが取り柄なんで(w
下書きが360000字(!)越えてるので早めにいっておかないと、というのも……
>>474名無しAVさん
やぐといえばやっぱりボブ。
ちなみに>>17が初出です。
- 492 名前:名無し読者 投稿日:2003年05月25日(日)02時51分32秒
- 今一番ハマッている作品なんで、
更新がこんなに早いとめちゃくちゃ嬉しいです。w
- 493 名前:名無しAV 投稿日:2003年05月25日(日)18時40分23秒
- 面白さが停滞する事が無いな。
藤本カッコよすぎる。そして反比例するかのような
矢口の姿、もう先を思って勝手に泣き出しそうです。
- 494 名前:46. 投稿日:2003年05月27日(火)02時02分04秒
46.君へ
ピンクのチョコレートの箱に包まれた石川は、四人だけに寂しく見送られた。
柴田は、忌まわしいチョコレートの看板なんて焼き捨ててしまおうと主張して
いたが、吉澤が反対した。
結局、二人に共通する思い出として残されたのは、この看板と、石川が
腰にぶら下げていた派手な特殊警棒だけだった。
吉澤は、自分の純白の警棒と並べて、それをベルトからぶら下げていた。
こうして二本を並べてみると、まるで自分と石川のようなコントラストだな、
と思う。
そしてまた悲しい気分になった。表面を覆っている邪悪な蛇の化身がジャマで
しょうがなかった。
あまり広くもない裏庭には、まだ手つかずのままの雪が半ば溶けかかった
状態で残されていた。四人はチョコレートの看板に横たわったままの石川を
そこまで運ぶと、雪の中に静かに下ろした。
午前中の日は弱く、分厚い雲を通して淡く五人を照らし出していた。
正式に死者を送り出す儀式などは誰も知らない。四人はただ黙って石川に向かい
手を合わせると、しばらく黙祷を捧げた。
作業の間中、辻が何か言いたそうにずっと吉澤へ視線を送り続けていたの
だが、吉澤にはそれに気付いてやれるほどの余裕はなかった。
- 495 名前:46. 投稿日:2003年05月27日(火)02時02分38秒
- 柴田が薄く目を開くと、吉澤はまだじっと目を閉じて、手を合わせたままで
微かに肩を振るわせていた。
安倍と辻もそんな吉澤の様子に、戸惑ったように顔を見合わせることしか
出来ない。
辻がなにかを催促するように安倍の袖を引っ張ったが、安倍は困ったように
眉を顰めたまま、かぶりを振っただけだった。
吉澤は、昨晩からずっと無表情のまま、感情を表に出すことはなかった。
眠りもせず、ただじっとなにかを考え込んでいるように見えた。
それがどのようなことなのか、その場にいる誰も察することは出来ないでいる。
「安倍さん」
痺れを切らしたように、辻はとうとう声を挙げて安倍を急かす。
安倍は溜息をつくと、覚悟を決めたように、目を閉じて手を合わせたままの
吉澤の肩を叩いた。
「……?」
悲しげな瞳で、吉澤が振り返る。安倍は真剣な表情で、
「大事な話が、あるの。とりあえず中へ戻ろう」
「……はい」
憔悴しきったような声で、弱々しげに頷く吉澤を見て、安倍は心が痛んだ。
怒りを込めて、無駄だと分かっていながらも何度も福田へ呼びかけた。しかし、
世界への呪詛だけで作られた彼女の声は、依然として響いてくることはなかった。
- 496 名前:46. 投稿日:2003年05月27日(火)02時03分08秒
□ □ □ □
安倍は、自分が話せる全てのことを、吉澤に話した。
公園で出会った夜に、吉澤に与えた「呪い」についてのことから、吉澤が
心の奥に抱えていた闇、それが生み出した多くのこと、そして、いつしか
その闇が消えてしまっており、「呪い」の力は自然と消滅していってしまった
こと、そして、
「じゃあ、梨華ちゃんはまだ、助けられるの……?」
まだ頭の中で多くの情報を整理し切れていない様子だったが、吉澤はその事実だけを
複雑な光を湛えた瞳で確認してきた。
取り返しがつかないはずだったのに、ひょっとしたら取り戻せるかもしれない。
それが、例えどれほど微かな可能性の光でしかないとしても、今はそれを
頼りに歩き続けていくしかない。
- 497 名前:46. 投稿日:2003年05月27日(火)02時03分44秒
- 「うん、そうなんだけど……」
安倍は辻の方を見ながら言う。
辻は困ったような表情を吉澤に向けた。
「当事者がどっか行っちゃってるんですよね」
「……」
吉澤は安倍に視線を向けたまま、黙り込んでしまう。
やはり、あの夜、公園で自分に話しかけてきたのは辻だった。
いや、辻の身体を借りた福田明日香が、自分に目を付けてきたのだ。
「けど、なんでそんなことを……」
釈然としない表情で吉澤が呟くのに、安倍はすまなそうに頭を下げた。
「ごめんなさい」
「そんな、安倍さんが謝ることじゃないですよ」
吉澤は驚いて立ち上がると、安倍の肩に手を置いた。
が、安倍は悲しげにかぶりを振ると、
「ううん、明日香がずっとなにかを隠し続けてたのは分かってたし、やろうと
思えばなっちの身体を使って悪いことをしたっておかしくない。明日香は
本当にいろんな恨みとか、なんかそういうドロドロしたのを抱えてたみたい
だったし、でもなっちはやっぱ明日香の友達だったから、信じちゃってたんだ。
だからあの時本当は梨華ちゃんと一緒に出かけちゃいけなかった……」
「でもそれなら私も同じです」
吉澤が辛そうな口調で言う。
「ただ、まだ梨華ちゃんを助けることは出来るってことですよね?」
「はい」
辻が頷く。
「よかった……」
そう言う吉澤の目は、少し涙ぐんでいるようにも見えた。
- 498 名前:46. 投稿日:2003年05月27日(火)02時04分18秒
- 「それで、辻ちゃんさっき言ってたC装置って」
安倍が言うのに、辻は難しい表情を浮かべると、
「C装置は簡単に言うとコントローラーなんです。だからそれを使えれば……」
「それは、圭織が持ってるのね?」
「いえ。飯田さんは地震から避難するときにC装置はラボに置いてきたんです。
まだ未完成だったし、不完全な部分も多かったから」
「そう……」
「よっすぃー?」
辻は、黙ったまま俯いている吉澤の顔を心配そうに覗き込んだ。
と、吉澤は突然辻の腕を掴んで、
「じゃあ、早く助けに行こう!」
そう言うと、戸惑い気味の辻をずるずると引きずっていこうとする。
「ち、ちょっと待って、よっすぃー、辻の話ちゃんと聞いてましたか?」
「うん。要するに、眠らされてる梨華ちゃんを起こせばいいんだろ? あれだよ、
昔の童話と一緒で、私が梨華ちゃんにキスしたらそれで……」
「……あの、やっぱ聞いてなかったんですね」
辻が呆れたように言う。
吉澤は眉を顰めて立ち止まると、
「え、だってさっき」
「眠らされてる、っていうのは単に言葉のあやでいっただけで、そう単純な
問題じゃないんです」
「そ、そうなの?」
「痛いから、手を離してくれませんか」
辻に涙目で見上げられて、吉澤はおずおずと強く握りしめていた腕を放した。
- 499 名前:46. 投稿日:2003年05月27日(火)02時04分53秒
- 腕をさすりながら、辻はその場の三人を見回すと、
「とにかく、C装置は使えないし、Aさんが出てこない以上、今はどうにも出来ません」
「ねえ、ちょっと待ってよ」
その時、ずっと黙って三人の会話を聞いていた柴田が口を開いた。
「その、私にはあんまりよく話が分かってないかもしれないけど、安倍さんの
……中に? 住んでる、人? が梨華ちゃんをそう言う、眠った状態にして
ああいう風にしちゃったって、それは、確かなの?」
自分の理解を再確認するように、慎重に言葉を選びながら言う。
辻は安倍を一瞥すると、
「それ以外の可能性は、ちょっと考えにくいです」
「あの梨華ちゃん……のコピー? は空から降ってきたでしょ? 中澤さん
だって、それであのカゴアイって子が絡んでるって感じたんだと思う。ねえ、
あの子は今回全然関係ないの?」
「それはまあ、どうなんでしょう」
「だって、矢口真里たちはずっとうちらのことを挑発してたし、中澤さんを
怒らせるために梨華ちゃんを、ああいう風にしたって」
「やろうと思えば出来ると思いますけど、多分違うと思います」
「なんでそんなこと言えるの? 辻ちゃんはあの子と知り合いなの?」
「いえ、そういうわけじゃないですけど……」
しつこく問いつめてくる柴田に、辻は口をつぐむと俯いた。
- 500 名前:46. 投稿日:2003年05月27日(火)02時05分32秒
- 吉澤はイライラしたように頭を掻きむしると、
「ああもう、そんなのどっちだっていいじゃんか! 梨華ちゃんがまた
戻ってきてくれるなら、誰がやったかなんて関係ないよ!」
「そうはいかないよ」
柴田は落ち着いた口調で言う。吉澤は強い眼で彼女を睨むと、
「梨華ちゃんはどうだっていいの?」
「誰もそんなこと言ってない」
「だったら……」
「ごめん。私さっき辻ちゃんが話すのもほとんど意味分かってなかったけど、
そんな変な研究してる人とか、その人の仲間とかを信用できないのよ」
「……そんなこと言ったら、私だってその人たちの仲間だよ」
吉澤は力のない口調で言う。
「なんだっていいよ、裏にどんな目的があるかとか、そんなの知らない。私は、
ただ梨華ちゃんを助けたいんだ。それだけ」
そう言い切ってしまう吉澤に、柴田はなにも返す言葉を見つけられなかった。
と、しばらく俯いたまま黙り込んでいた辻が、意を決したように口を開く。
「あいぼんは、ただ遊んでるだけです。多分、なにも考えてません」
「どういう事?」
安倍が訊く。
「突然万能の力を手に入れられたら、誰だってああなります。でも力の使い方は
全然分かってないから、あの程度のことしか出来ないんです」
「あの程度、って……」
辻の言葉に、安倍は唖然としたように言った。
目の前で加護の様々な能力を目の当たりしている安倍は、困惑気味に辻の
顔を覗き込むと、
「辻ちゃんは、あの子の力の秘密を知ってるのね?」
「ええ、まあ」
なぜか言葉を濁すと、また困ったような表情で黙り込んでしまう。
- 501 名前:46. 投稿日:2003年05月27日(火)02時06分04秒
- 代わりに吉澤が言った。
「飯田さんだ」
「圭織が?」
「そうなんだろ?」
吉澤に強い口調で言われて、辻は泣きそうになりながら呟いた。
「飯田さんは悪くないんです、全部Aさんが勝手に……」
「ねえ、あなたが圭織を庇いたい気持ちも分かるよ」
安倍は辻の側まで歩み寄ると、しゃがみ込んで彼女の顔を覗き込んだ。
「でも、本当のことを教えて欲しいの」
「あいぼんのことは、辻とよっすぃーでなんとかします。だから、安倍さんには
中澤さんにさっきのことを伝えて争いをやめさせて欲しいんです」
「おかしい。辻ちゃんまだなにか隠してる」
「ごめんなさい。でも、飯田さんは……」
「とにかく」
吉澤が強引に会話の流れを遮るように言った。
「私はどっちでもいいから梨華ちゃんを助けたい。そのためだったら、飯田さんの
頼みだってなんだってきくよ」
「いえ、よっすぃーはしばらくなにもしないでいいです」
辻が冷静な口調で言うのに、吉澤はムッとした顔で、
「そんなこと言われたって」
「安倍さん、お願いします」
吉澤を無視してそう言うと、辻は殊勝な表情で頭を下げた。
安倍はまだ釈然としない様子だったが、
「……わかった。でも、なっちを圭織のところにちゃんと連れてってよ。それが条件」
「……いいですよ」
しぶしぶと辻は頷く。
- 502 名前:46. 投稿日:2003年05月27日(火)02時06分35秒
- 安倍は不満そうな辻の頭を撫でて立ち上がると、だだっ広い広間から出ていこうと
した。
その後ろから、辻が声を投げかけてくる。
「一人で行くんですか?」
「え? だって」
「Aさんはもう助けてくれませんよ」
辻が言うのに、安倍はハッとして襖を開きかけた手を止め、振り返った。
それから、じっと自分を見つめている吉澤、柴田、辻の顔を順番に見て、
ばつの悪そうに笑った。
- 503 名前:46. 投稿日:2003年05月27日(火)02時07分06秒
□ □ □ □
そこら中の壁が血しぶきの跡でどす黒く染まっている。辺りには、人間であった
はずの物体が無数に散乱し、デタラメに手足を投げ出していた。
その場の光景は、昨夜行われた行為の凄惨さを無言で物語っている。
ソニンは韓国人のニダーのメンバーに、通信機からの中澤の指令を伝える。
韓国人は中国人のメンバーに伝え、中国人は片言の英語で黒人たちに同じ
メッセージを伝言ゲームのようにして回していった。
常緑樹に囲まれた円形の公園から、裏路地を潜っていった場所にある廃ビルの
前で、数十人のニダーのメンバーは次の行動へ向けて準備を進めていた。
数カ国語があちこちで飛び交っていたが、ソニンは構うことなく日本語で
怒鳴り散らした。
「いい? 絶対に単独行動は慎むこと。中澤さんは東京政府とのパイプを持ってる。
彼女を信じていけば、絶対悪い結果にはならないから」
「xxxxxx……」
側に立っていた男が韓国語でソニンになにかを話しかける。
しばらく、韓国語での会話が続いた。
- 504 名前:46. 投稿日:2003年05月27日(火)02時07分53秒
- 通信機が鳴る。ソニンが受けると、意外な相手が話しかけてきた。
『こんにちは。私の情報、役に立ちましたか?』
聞き覚えのある女性の声。
先日、突然通信してきて、矢口たちが都内のあちこちへ分散させている
拠点の場所を密告してきた人物だった。
「ああ、役に立ったよ」
『よかった。じゃあ、お礼をして欲しいんですけど』
どこかおかしそうな口調で、その声は言った。
「なにが欲しいか分からないけど、今は無理だ。もうちょっと待ってくれ」
『いえ、今欲しいんです』
「だから、慌てるなって……」
『私、すぐそこまで来てるんで、もらいに行きますよ』
女性はそう言うと一方的に通信を切った。
ソニンは訝しげに小さな通信機に目を落とすと、不安げに周囲をきょろきょろと
見回した。
と、ニダーの集まっている中心からどよめきの声があがり、パッと敏捷な
動きで散っていった。
振り向くと、どこからか落ちてきた白い物体が路上に転がっているのが見えた。
一瞬、何かの骨のように見える。炸裂弾だ。
「伏せろっ!」
誰かが日本語で叫ぶが、ソニンはその前に近くの崩れかけた壁の裏に飛び込んでいた。
ほどなくして、爆音と衝撃が全身にぶつかってくる。崩れ落ちた壁の欠片が
蹲ったソニンの身体に降り注いだ。
- 505 名前:46. 投稿日:2003年05月27日(火)02時08分28秒
- 「……な、なにが起こった……?」
細かいブロック塀の欠片を払い落としながら、拳銃を構えて路地の方を
窺った。
土煙の中に、逃げ遅れて崩れ落ちているニダーたちの人影がのろのろと
うごめいているのが見える。
その時、廃ビルの屋上からスマートなシルエットがくるくると回転しながら
飛び降りてきた。
特徴的なサングラスで右眼を覆い、裾の長い迷彩のコートをマントのように
はためかせている。
少女は右脚だけで華麗に大地へ降り立つと、両手を広げてコートの中へ
突っ込んだ。
「あーいる、げーっと、ゆあーそーる!」
女性は甲高い声で叫んだが、ニダーたちはきょとんとした顔で、身を伏せたまま
突然の闖入者を見つめていた。
が、ソニンだけは、彼女の声でその正体が分かった。
「お、お前……」
「あれ? 通じなかった? じゃ日本語で」
女性はへらへらと笑いながら言うと、
「藤本美貴、お命頂戴に参上つかまつった!」
刹那、疾風のようにニダーの間を駆け抜けていく。
一瞬の後、数本の血柱が路地に舞い上がった。
- 506 名前:46. 投稿日:2003年05月27日(火)02時09分06秒
- どよめきが拡がる中で、藤本は崩れ掛けの壁の上を跳ねながら、両手に
熊のツメのように構えたナイフを広げると、鮮やかに着地する。
「カモーナ!」
満面の笑みで挑発をすると、公園の方へ向かってジャンプしていった。
「おい、逃がすな!」
ソニンが怒鳴るのと同時に、無数の銃声と共にニダーたちが路地を駆けだして
行った。藤本の姿はすでに見えなくなっている。
入り組んだ路地を抜け、大通りを跨ぐと西口前の駅前広場へと出た。
以前は派手な服装をした連中の遊び場になっていた場所だったが、今そこに
立っているのは、黄色いクマのぬいぐるみを抱いた少女が一人。
ニダーたちにもお馴染みの笑顔を浮かべたまま、加護亜依はふわっと上空へ
浮かび上がっていった。
誰かが放った銃の音が乾いた空気の中に響く。それを合図にしたようにニダーたちは
鳥を狙う猟師のようにゆらゆらと浮かぶ加護へ銃を放った。
が、加護は涼しい顔で受け流しながら、十五メートルほどの上空で静止すると
パッとぬいぐるみを抱いていた両腕を広げた。身体の中央でぬいぐるみは
落下せずに浮かんでいる。
「東西、秋のイチョウは飛燕の舞」
そう言いながら両手を開く。細かく裁断された東京都指定の紙幣が、回転しながら
パラパラと散っていった。寸断された山崎都知事の写真がちらちらと見え隠れしている。
と、次の瞬間無数の紙屑は、ブーメラン型の鋭い刃に姿を変え、銃を構えて
見上げている男たちへ襲いかかっていった。
- 507 名前:46. 投稿日:2003年05月27日(火)02時09分40秒
- 血飛沫があがる中を、怒号と悲鳴、乱射される銃声が交錯した。
ソニンの目の前で、韓国人の男が高速で飛来してきた刃に左胸を貫かれた。
心臓を抉ったそれは、背中から突き抜けて次の標的へ向けて放物線を描く。
「くそっ……」
身を低くしたまま、ソニンはじわじわと後じさりをしていく。
目の前で広げられている光景をすぐに受け入れることは出来ないでいたが、
ただ生命の危機が目前に迫っていることだけを直観で理解していた。
「舞い散る落葉、紅紫、飛天飛央」
加護はポーチからペットボトルを取り出すと、蓋を取って中の液体をぶちまけた。
空中で、それはダリの静物画のように止まると、膜のように拡がって逃げまどう
ニダーたちの上に舞い降りていった。
透明な膜はふわりと人間を包み込み、そのまま銅像のようにその場に硬直させた。
たちまち、広場のあちこちで生きた人間がオブジェのように固められた。
「あいつ、あんな力があるなんて……」
ソニンは加護から目を離さずに、ゆっくりと裏の路地へと後退していった。
広場では、飛び交う刃とクラゲのように舞っている透明な膜から逃れようと、
未だ多くのニダーたちが逃げまどっていた。
「やばいな、ここは一旦後退して……」
「あれえ? 可愛いニダーの仲間を見捨てちゃうんですか?」
- 508 名前:46. 投稿日:2003年05月27日(火)02時10分13秒
- 背後から、またあの忌まわしい声が聞こえてくる。
振り向きざまに、ソニンは銃を乱射した。火薬臭い煙が辺りに立ちこめ、
振動で両手がじんじんと痺れる。
が、藤本はなにごともなかったかのように、ニヤニヤと笑みを浮かべながら
コートに両手を突っ込んで立っていた。
「はぁーい」
「そ、そうか、あんたは二重スパイ……」
ソニンは銃を構えたまま、震える唇で呟く。
「やだなあ、人聞きの悪い言い方しないでくれません?」
日の光を反射して、隻眼のサングラスが煌めいた。
背筋に悪寒が走るのを感じる。ソニンは震えを抑えるように銃を握った両手を
硬く結んだ。
「美貴は、ただみんなに幸せになって欲しいだけですよ」
「はあ? なに言ってるの」
「でも、あなたちょっと後々厄介なキャラになりそうなんで、消えて貰いますね」
笑いながら言うと、さっとコートから右腕を抜いた。
ソニンは恐怖からか、目を閉じるとその場に蹲る。
金属同士がぶつかり合う鋭い音が響き、コンクリートの上に二本のナイフが
乾いた音を立てて転がった。
恐る恐る目を開くと、枯葉色のコートを纏った少女が、藤本と対峙している。
「……?」
- 509 名前:46. 投稿日:2003年05月27日(火)02時10分50秒
- 「美貴、いい加減にしなさい」
少女は、まるで母親のような口調で叱責した。
藤本は舌打ちすると、
「亜弥こそ、私のジャマしないでくれる?」
「まだ分からないの? 美貴、あんた利用されてるだけなんだよ?」
「ご忠告どうも。でもこれは私の趣味なの。つまんない横槍入れないで
欲しいんだよね」
ソニンが見守る中で、二人の少女はしばし黙ったまま睨み合っていた。
藤本は松浦から目を逸らさずに、ちらっと広場の方を一瞥した。すでに
あの場にいたニダーは全滅して、加護も姿を消してしまったあとだ。ならば、
ここに長居する必要はない。
「じゃ、またねっ!」
突然そう言い放つと、大地を蹴って背後へジャンプした。
「あっ……」
松浦は一瞬後を追いかけるが、ソニンを見ると追跡を諦め早足で歩み寄ってきた。
ソニンは崩れかかった塀にもたれ掛かってしゃがみ込んだまま、まだ状況が
飲み込めない様子で松浦を見上げていた。
- 510 名前:46. 投稿日:2003年05月27日(火)02時11分24秒
- 「あ、あの……誰か分からないけど、ありがとう」
冷たい視線を向けている松浦に、ソニンはとりあえず言ってみた。
と、松浦は左腕を伸ばしてソニンの胸倉を掴むと、背後に塀に押しつけた。
細い腕からは想像できないほどの強い力だった。
「なっ、なにを……!」
「正義に味方とでも思いましたか?」
いつの間にか、松浦の右手にも細長いナイフが握られている。
一瞬日の光を反射して煌めくと、刃先は薄皮一枚の位置でソニンの喉元に
静止した。
「んっ……」
口を開きかけるが、狭い裂け目から悩ましげな吐息が漏れただけだった。
「私はあなたのことは知らない……。目的を聞かせてください」
「も、目的って……?」
「あなたが中澤さんと矢口真里を争わせたがっていた理由です」
松浦は、ソニンやニダーたちの動きを完全に掴んでいるわけではなかった。
しかし、中澤が動きを見せていないうちから、彼らが着々と準備を進めてきている
ということは知っていたし、その背後でソニンが重要な役割を演じている
ということもある程度は予測はしていた。
ソニンはだらしなくぶら下げたままの両腕を恐る恐る持ち上げると、
「……とりあえず、その物騒なものをしまってよ」
「ええ。私は意味もなく人を殺したりする趣味はありません」
笑わずに言うと、ナイフをひいて腕の力を緩めた。
荒い息を吐きながら、ソニンは首を撫でながらしゃがみ込んだ。
松浦はなにも言わずに彼女からの発言を待っている。
- 511 名前:46. 投稿日:2003年05月27日(火)02時11分56秒
- 「……中澤さん、って言ってたけど、あなたは中澤さんの部下なの?」
「以前はそうでした。今はもう信用はしていません」
「なぜ?」
「……私の質問に答えてくれませんか? さっきの彼女ほどではないけど、
私もそれほど忍耐強い方ではないんで」
抑揚のない口調で言うと、右手のナイフを握り直す。
ソニンは肩を竦めると、
「確かに、私は矢口真里たちの動きは危険だと思ってたし、出来ればツブしてやる
べきだって思ってた。けど、別にそれは誰だってそう思うんじゃない?
もしそうしようと思ったら、力を持っている人に頼るのは当たり前だし、
中澤さんは私の昔の知り合いだった。この説明じゃ不充分?」
「不充分ですね。あなたは、ニダーたちにもっと別のエサをちらつかせてた
はずですよ。でなければあんな風にあなたの一言で動きますか?」
「……開き直りじゃないけど、こういう状態になって私利私欲で動かない
人間なんていないわ。私はただそういう意識を纏めてあげてるだけ」
「気に入らないですね」
松浦が眉を顰めて呟くのに、ソニンはふっと笑って、
「あなたはどうなの? 中澤さんは信用できなくて、矢口を支持してるわけでも
なさそうだし」
「詳しく説明することは出来ませんけど、東京の政府は機能を失っている
わけじゃないんです。ただタイミングを待ってるだけで、その前にあなたがたや
矢口真里みたいな連中を消してしまいたがってるんです。私は別に勝手に
喧嘩して死ぬのは構いませんが、それでまた震災前のような状態に戻って
欲しくはないんです」
- 512 名前:46. 投稿日:2003年05月27日(火)02時12分29秒
- 「……構わないなら、ほっといてよ」
俯いたままブツブツと呟くソニンに、松浦は溜息をつくと言った。
「私は変な外国人が東京をうろつくのも好きじゃないんです」
「じゃあどうしたいのよ?」
「分からないんですか? あなた達が争えばそれだけ政府は喜ぶんですよ?
矢口真里と中澤さんは以前は仲間でした。でももう二人ともダメです」
「あんたはあれなの、無政府主義者?」
ソニンが口を歪めて言うのに、松浦は軽く首を傾げると、
「私たち……私には主義主張なんてないですよ」
「それがなくて、あなたはじゃあどんな目的で行動してるのよ? あなたを
突き動かしている感情はなんなの?」
原理的な問いかけにも、松浦は特に考え込むことはなかった。
以前後藤と交わした会話がちらっと頭をよぎったが、無視した。
「直観です。それだけです」
「……あなたはただの人間じゃない。特殊訓練を受けてる。そんな人間が
直観だけで動くのは、危険だと思うけど?」
「私は自分のことしか信用していませんから」
迷いのない松浦の言葉に、ソニンは塀に背をつけたままそろそろと立ち上がって、
「じゃあなおさら、私たちとは関係ない世界に生きてるんだね」
「そうかもしれません」
「だったら、あんたが直観でいくら口出ししたって、無駄だと思うよ」
「無駄なら力ずくでもやめさせますよ」
- 513 名前:46. 投稿日:2003年05月27日(火)02時13分04秒
- その言葉は、ソニンにはやや自信過剰気味に感じられる。が、松浦の強い
視線を伴っていると、不思議と説得力を持っているようにも聞こえる。
これが直観で動いている人間の強みか、とも思う。が、
「あなたは生まれてからずっと自分本位で動いてきたのかもしれないけど、
私たちは全く逆なんだよね。こっちの世界では、人と人同士の繋がりだったり、
義理とか人情で作られた関係が、個人の存在よりずっと重要なの」
「……」
松浦はなにも言い返すことはしなかったが、視線は逸らさないでいる。
ソニンは続けた。
「今回動いたのだって私利私欲のためじゃないわ。あの人は、矢口真里を叩いて
東京を掌握しようなんて考えるような人間じゃない」
「でも、中澤さんとつんくは」
「そのことは本人から聞いたわ」
- 514 名前:46. 投稿日:2003年05月27日(火)02時13分35秒
- 松浦は目を瞬かせると、
「だったら、なおさら」
「確かにね、以前の中澤さんだったら権力志向とかはあったのかもしれない。
でも、今はもう変わっちゃった。平家さんが死んで、中澤さんは変わったわ」
「平家さんが……?」
「ええ。細かい心情なんて私には想像することしか出来ないけどね。中澤さんは
平家さんが死んだことにかなり責任を感じてたみたいだし、吉澤って娘が
やってきたときにも変なこと言ってたな。ま、今じゃ私が憧れてたタイプの
リーダーではなくなったけど」
そう言うと、ソニンは自嘲的に笑った。
「却って凄みみたいなのは出て来たような気がする。中澤さんは多分、本気で
矢口と差し違えるくらいの覚悟は持ってるんじゃないかな」
「なんでそこまで矢口真里のことを……? なにがきっかけだったんですか?」
「弔いよ」
ソニンは決然とした口調で言う。
「この世界ではね、愛する人間を弔うためには、必要な血があるの。あなたみたいに、
自分の直観で人を殺せるような人には想像できないでしょうけどね」
右手に構えられたままのナイフへ視線を向けながら言った。
- 515 名前:46. 投稿日:2003年05月27日(火)02時14分08秒
- 松浦は唇を噛むと、
「とにかく、中澤さんには手を引いて貰います。矢口真里のことは私が
カタを付けます」
「すごい自信ね。さっき逃げてった女はあなたのライバル?」
「……関係ありません」
「言っておくけど、私は一貫して中澤さんの指示に従ってるだけだから。
ニダーだって私が協力を要請しているだけで、別に私が指導してるわけじゃない。
私にナイフをちらつかせたってなんの意味もないわよ」
「分かってますよ、そんなこと」
強い口調で言うと、ナイフをくるっと回転させた。
「あなたを助けたのは、ニダーと繋がっているのがあなただけだからです」
「そう。ま、命拾いしたのには感謝してるわよ」
「それじゃ、急ぎますから」
そう言うと、あっという間にその場から姿を消した。鮮やかな身のこなしに、
彼女の自信もあながち無根拠なものではないのかもしれない、とぼんやりと思った。
- 516 名前:46. 投稿日:2003年05月27日(火)02時14分42秒
- ソニンは複雑な表情で松浦を見送ってしまうと、静寂の中で異様な光景が
氷漬けになっている広場へと目を向けた。
数の論理など通用しないレベルにまで、状況は変わってしまっているのかもしれない。
かといって、理解不能な多くの出来事にすぐに対応できるほどの頭脳は
持ち合わせていない。ただ、不可思議な光景を前にして戦慄するだけだった。
- 517 名前:更新 投稿日:2003年05月27日(火)02時15分16秒
- 46.君へ >>494-516
- 518 名前: 投稿日:2003年05月27日(火)02時16分02秒
- >>492名無し読者さん
下書きは自分以外には読解不能なのでムリです(w
あとちょっとで完結しそうですが。
>>493名無しAVさん
藤本はちゃんと悪役が出来るメンバーというか。
って、褒めてないか(w
- 519 名前:名無し読者 投稿日:2003年05月27日(火)06時06分45秒
- あとちょっととはさびしいですね。もの凄く続きは気になるのですがw
あやみきがカコヨスギなんでそろそろ主人公もお願いしますw
次回更新も楽しみにお待ちしています!
- 520 名前:匿名匿名希望 投稿日:2003年05月27日(火)15時02分18秒
- 更新お疲れ様でした。
あと少しで完結ですか・・・読みたいけれども寂しい気持ちです。
それぞれの行動が気になってしかたありません。
そして前回の写真も(『何写ってたんだろう』と)
次回更新も楽しみにしています。
- 521 名前:名無しAV 投稿日:2003年05月27日(火)22時08分15秒
- 加護が恐いですね。
横の繋がりが出てきた分、縦の進みが具合が楽しみです。
- 522 名前:47. 投稿日:2003年05月30日(金)01時26分07秒
47.IN C
ほんの僅かな光も入り込むことのない空間に、突然派手な音が響き渡った。
天井に開いた正方形の穴から、二本の足が伸びて、次の瞬間一人の少女が
闇と静寂の中へ飛び込んでくる。
対流のない空気はあちこちでよどみ、酸化した饐えた臭いを発散していた。
後藤真希は思わず顔を歪めると、闇の中で両手を降って空気をかき乱した。
何度か瞬きをするが、完全な闇は依然としてその冷たい表情を変化させる
ことはない。
いくらあらゆる局面に対応するべく鍛えられた人間でも、さすがに生理的な
不安を押さえることは出来ない。
後藤は懐中電灯を手探りで取り出すと、スイッチを入れた。
緩やかにカーブしている長い廊下が、前後に果てしなく続いている。
今飛び降りてきた天井を見上げる。意識はしていなかったものの、かなりの
高さだ。三メートル近くはある。廊下の幅もそれにあわせてか広く余裕のある
設計になっている。
床も壁も天井も、真っ白で一点の汚れも見当たらない。
後藤は足下を見下ろす。その場だけ、自分のブーツから落ちた泥で汚されて
いた。それがひどくおかしな光景に映る。
- 523 名前:47. 投稿日:2003年05月30日(金)01時26分47秒
- 侵入者に対する反応は、今のところ見られないようだった。
全ての機能が停止していると考えるのは早計だ。油断をするわけにはいかない。
と、突然背後の壁から金属的な音が響く。後藤は素早くその場から飛び退くと、
しゃがみ込んだまま懐中電灯の光を向けた。
壁の一部が開き、カーリングストーンのような形をした丸い物体が滑るようにして
姿を現した。
後藤が警棒を握りしめたまま息を潜めて見守っていると、充電池のロボットは
今後藤が飛び降りたばかりの場所に落ちている泥汚れを拭き取り、また滑る
ようにして壁の住処へと姿を消していった。
「なんだよー……。脅かすなよー」
後藤は呟くと、少し笑った。
それから改めて懐中電灯を持ち直すと、光を最強にして周囲を照らし出した。
それでも、緩やかに曲がり見えなくなっている先は闇に包まれたままだ。
「こわー」
恐怖心を紛らわすためか、わざと声に出して言ってみる。
それは廊下のあちこちを反響して、闇の奥へと消えていった。
- 524 名前:47. 投稿日:2003年05月30日(金)01時27分21秒
- 「さて、右へ行くか左へ行くか、……」
ブツブツと言いながら、後藤はしばし逡巡した。
おそらく、この施設全体は、このだだっ広い一本の廊下で繋がれているのだろう。
そして、都庁舎を中心に緩やかなカーブを描いていることから判断すれば、
それが円形をなしていることは容易に想像がつく。
すなわち、右へ行っても左へ行ってもあまり変わらないと言うことだ。
ここで立ち止まっていても仕方がない。後藤は注意深く廊下に並んでいる
扉に目を向けながら、足音を抑えて歩き出した。
統一的なデザインで、等間隔で並んでいる扉を見分ける唯一の指標になって
いるのが、中央部に描かれているそれぞれ特徴的なエンブレムだった。
異国の象形文字のようなものから、はっきりとある人物の写真をそのまま
使用しているもの、抽象的な幾何学図形の組み合わせ、単純な固有名詞、等々
この場の雰囲気を反映して、変化に富んだものが並んでいた。
後藤は念のために携帯PCで今までに集めた情報を見返してみる。
飯田が使用しているエンブレムを見分けるのはなかなか難しそうだった。
かといって、片っ端から扉を開いて中を確認していくというのもためらわれる。
捨てられた研究室とはいっても、こんな場所で妙なものに出会すなんて
堪ったもんじゃない。
ただでさえ、この廊下だって「出そう」な雰囲気バリバリだって言うのに……。
- 525 名前:47. 投稿日:2003年05月30日(金)01時28分25秒
- 一瞬ブルッと身を震わせると、後藤はまた気を引き締めて足を踏み出した。
結局、いつだってあてに出来るのは自分の勘だけだ。
カーブの曲率を目測してみただけでも、円形の廊下はかなりの長さを持っている
ことは明らかだった。
先は長い。後藤はスマイルマークが取り付けられた扉を見ながら、溜息をついた。
しばらく進むと、一つの扉が一定の間隔で姿を見せることに気付いた。
赤い▲のマークだけがつけられているシンプルな扉で、いずれも円形の
内側についている。
初めはトイレかとも思ったが、あれは恐らく都庁舎へと通じているエレベーターの
入り口なのだろう。
上へ参ります。それ以外にはないのだから▲か。思ったより分かりやすい。
後藤は再び姿を見せた▲の扉へ近付くと、慎重に扉を開いた。
電子キーは電力供給がストップされているためか無効になっている。
扉の影から懐中電灯を突っ込んで覗き込む。細長い通路が内側へ向かって
伸びていた。
研究室ではない。外部へと向かう通路だと言うことは明らかだ。
なんの意味もなくエンブレムがつけられているわけでもなさそうだった。
飯田の研究内容を思い出してみる。後藤の頭では1%の理解もおぼつかなかったが、
漠然とキーワードとなっている事柄なら分かる。
細胞、タンパク質、リンパ球、アミノ酸、そして、
DNA。
- 526 名前:47. 投稿日:2003年05月30日(金)01時29分02秒
- 見付かった。二重螺旋をデザインした二色の分かりやすい、それでも一目見て
強い印象を残すエンブレムが扉に張り付いている。
後藤は自分の勘を信じた。
前まで慎重に歩み寄ると、はやる気持ちを落ち着かせるように深呼吸をして、
一気に扉を開いた。
室内から流れ出してきた空気に、後藤は思わず口元を覆うと、その場に
蹲った。吐き気を抑えるために慌てて息を止めたが、無意識に流れ出てきた
涙を止めることは出来なかった。
かつてそこに広がっていた光景を、後藤は知らない。だが、今目の前に
拡がっているのは、腐敗したタンパク質が大量に散乱した、細菌の地獄だった。
後藤はふらふらと扉に手をついて立ち上がると、ポーチからマフラーを
引っ張り出して顔に巻き付けた。それでも、強い刺激臭は止めどなく鼻腔を
刺激してくる。
- 527 名前:47. 投稿日:2003年05月30日(金)01時29分32秒
- 足を踏み入れる。廊下のような硬いリノリュームの感覚ではなく、柔らかい
土を踏みしめる感覚がブーツを通して伝わってきた。
懐中電灯で周囲を照らし出す。あちこちで枯れ果てた植物たちがうなだれた
ようにディスプレイや端末機器に張り付いており、土が敷き詰められた床の
上には見たこともない動物たちの死骸が、半ば腐りかけた状態で横たわっている。
それらに群がっている虫たちは、後藤も小さい頃からよく見慣れたもの
ばかりだったが。
どこからでもああいうのは入り込むのだ。この研究室だって、以前は清潔で
完璧な環境を保たれていたのだろう。それが今ではこの有様だ。
後藤は数多く並べられている端末をざっと見回してみた。
今のこの状態ではその内容も調べようがない。それに、必要なデータ類は避難の前に
持ち出しているだろうし、その際に余計な情報は綺麗に消去されているはずだ。
澱んだ空気に支配された空間を、後藤はゆっくりと光を与えながら進んでいった。
ドーム型の天井には、澄み切った青空をバックにして可愛らしい天使たちが
無垢に舞い踊っている。
しかし、今では彼らが見下ろしているのは無惨な腐敗地獄なのだ。
後藤はなんとなくそんな光景がおかしくて、くすくすと笑った。
- 528 名前:47. 投稿日:2003年05月30日(金)01時30分02秒
- ラボの中程まで進む。見渡す限りでは、腐敗した動植物と、廃棄された
コンピューター類しか見ることは出来ない。
三種類の「装置」がどのような外観をしているかは分からないが、この場に
なにかが残されているような気配は感じられなかった。
が、それでもなにか引っかかるものがある。
奥の方で、なにかが光を反射して光った。
後藤はそちらへ懐中電灯を向けると、一歩足を踏み出す。
と、これまでとは異なる感覚が、足下から伝わってくる。軟らかい土ではなく、
水分を多く含んだ泥のような感覚だった。
「?」
不審に思い、足下を照らし出した。ねばねばした液体が、いつの間にか足下から
わき出して拡がっている。
「なっ……」
生理的な嫌悪感からか、後藤は無意識に一歩後退していた。
その時、踏みしめた床が泥沼のように沈み込み、左脚を飲み込んだ。
「うわ」
後藤が自分の軽率な行動に気付いたとき、溢れ出している粘液は意志を持った生物の
ように沈み込んだ足を包み込んで、そのまま後藤の全身を床下へ引きずり込んだ。
「……っ」
堪らず、後藤は両目を閉じる。程なく、生暖かい液体に全身を包まれる
不愉快な感覚が襲ってきた。
- 529 名前:47. 投稿日:2003年05月30日(金)01時30分39秒
□ □ □ □
落下した先は、人肌の生暖かい空間だった。
ゆっくりとマフラーをずらすと、口を開く。どうやらあのまま粘液の中で
溺れ死ぬことだけは免れたらしい。
顔を拭うと、目を開いて天井を見上げた。さっきまでいたラボとは違い、
低い天井が圧迫感を持って拡がっている。
自分が潜り抜けてきた穴は、消化器のように嫌らしく開いて、透明なよだれを
垂れ流している。
後藤は改めて全身を撫で回してみる。粘液にまみれてコートもブーツも
べとべとになっていた。
溜息をつくと、妙に柔らかい床に手をついて立ち上がった。天井は頭がつくか
つかないかのすれすれで、二メートルもなさそうだ。
奇妙なことに気付く。懐中電灯はラボに落としてきてしまい、今ここには
光源がなにもないはずなのに視界がきいている。
よく見回してみると、せまい室内の壁は淡い蛍光の光を含んでいるようだった。
それほど広い場所ではない。後藤は昔住んでいた安っぽい宿舎を思いだした。
壁と天井の境目は、なだらかな曲線を描いて繋がっている。一応は直方体に
近い形ではあるようだったが、まるで巨大な生物の胃の中になげこまれたよう
な感じだった。
- 530 名前:47. 投稿日:2003年05月30日(金)01時31分09秒
- そう考えると、後藤はまた恐怖で天井を見上げた。あの場にいたのは、なにも
死体ばかりじゃなかったのかもしれない。
「さて、どうしよっか……」
ゆっくりと収縮を繰り返している穴を見上げながら、後藤は途方に暮れたように
呟いた。
「登れないよなあ……」
冷静に現状を確認すると、溜息をついてまた室内へ視線を落とした。
何度か瞬きをして目を慣らすと、蛍光の光で包まれたぼんやりとした空間に、
一際強い光源を持った物体が奥に構えているのが見える。
柔らかい床をゆっくりと踏みしめながら、後藤はその物体へと近付いていった。
距離を縮めるに連れて、物体の形がよく見えてくる。
それは、椅子に腰をかけた人間だった。
両脚を組んで、膝の上に肘を置いて、握りしめた拳で首を支えている。
アレだ、「考える人」のマネをしてるんだ、と後藤は思う。けどあのヒトは
足は組んでなかったっけ。
それに、有名な彫像とは違い、その人間は髪の長い女性だった。
垂れ下がった長髪に半ば隠されているとはいえ、その顔には後藤も見覚えが
あった。このラボの主であるエキセントリックな女性科学者。
- 531 名前:47. 投稿日:2003年05月30日(金)01時31分40秒
- 「あ、あんた、飯田圭織……?」
後藤が唖然とした口調で呟くのに、女性はゆっくりと顔を上げると、後藤の
言葉を抑揚なしに繰り返した。
「飯田圭織」
それから、無表情のまま首を傾げて、言葉を続けた。
「飯田圭織、は、私の母だ」
「母? お母さん?」
「私が生み出された源をそう呼ぶなら」
女性の言葉に眼を白黒させながらも、後藤は話しかけた。
「ここは? どこなの? 飯田圭織の研究所の一部?」
「違う。私はここで待っていた。飯田圭織が戻ってくるのを。しかし、来たのは
別の人間だった。お前は、誰だ?」
考える人の姿勢を崩さずに、飯田そっくりの女性は上目遣いで後藤を見つめた。
後藤は戸惑ったように目を瞬かせると、
「わ、私は後藤真希……」
「後藤真希。は、なにものだ?」
「え、えーと、その、なんて言ったらいいのかなあ」
困ったように笑いながら女性を見るが、彼女はただ微動だにせずじっと
後藤の回答を待ち続けている。
と、その時後藤は女性の足元を見て息を呑んだ。
ミニスカートから投げ出されてるようにしている足は、裸足のまま床に
つけられていたが、その先は床の一部となり一体化していた。
同様に、女性の腰掛けている椅子は床から直接伸びており、女性の身体も
椅子と張り付いている。
- 532 名前:47. 投稿日:2003年05月30日(金)01時32分11秒
- 「ここは、あなたの、その、体の中なの?」
後藤は恐る恐る訊いてみる。女性は無表情のまま答えた。
「そうだ。飯田圭織のために、この場を解放した」
「ああ……。ごめんね、圭織さんじゃなくて」
気まずそうな表情で言うが、女性は上目遣いで後藤を見ると、
「飯田圭織を知っているのか?」
「知り合いじゃないけど……」
「飯田圭織に警告するために、私はコミュニケーションの場所を作った。
コンピューターもその他の有機体も、全て死んでいた」
後藤はラボの凄惨な光景を思い出す。
「警告? なんの?」
「私自身に纏わることだ」
「あなた自身……? あなたは、なんなの?」
ようやく核心へ辿り着いたようだ。
女性は首を傾げると、
「私はC装置と呼ばれていた」
- 533 名前:47. 投稿日:2003年05月30日(金)01時32分46秒
- 動悸が高まるのを感じる。後藤は深く息を吸い込むと、続けた。
「じゃあ、……A装置とB装置とは、その、……親戚みたいなものなの?」
後藤の言葉に、女性は少し考えると、
「A装置は私の姉だが、性質は異なる。B装置は、……私の一部だ」
「はあ」
女性のいう比喩がいまいちよく理解できず、後藤は質問を変えた。
「A装置とB装置はここに残されてるんですか?」
「いや、A装置は私は知らない。私が生まれたときには、A装置は隠されて
いた。B装置は、消えた」
「消えた?」
「紛失した。そう飯田圭織が話しているのを聞いた。が、私には分からない。
私はB装置のために生み出された。B装置と飯田圭織を、今も待ち続けている」
「ああ、そう……」
- 534 名前:47. 投稿日:2003年05月30日(金)01時33分20秒
- 消えた? 紛失した? 一体どういう事なのだろう。
A装置が隠されている、というのは、まだここのどこかに残されているという
ことなのだろうか。あるいは廃棄されたことをそう表現しているだけなのか。
無数の疑問が後藤の頭の中を渦巻く。しかし、それ以前のもっと根元的な
疑問を、後藤は確認したかった。
「それで、その装置って言うのは、なんなの?」
「名付け得ないものを、飯田圭織はそう呼んでいた。しかし、ただの記号ではない。
それぞれに意味を持っている」
「ああ、……じゃあ、あなたのCっていうのはどういう意味?」
「コントロール。私はB装置を制御する」
「コントロール、は、Cか……」
おぼつかない記憶でスペリングを思い出してみる。が、Coの後は漠然としか
出て来てくれなかった。
後藤は苦笑すると、
「AとBは?」
「Aは、ある人物の名前から取られた。Aは意志を与えられて設計されたため、
我々とは異なる。ALLという意味もある」
「意志?」
「判断力。決断力。行動力。我々はそれらを与えられていない」
「ああ、そうなんだ……」
頭の中で熟語が意味から逃れるように飛び交った。
後藤が必死になって情報を整理しようとしている間にも、女性は話を続ける。
- 535 名前:47. 投稿日:2003年05月30日(金)01時33分51秒
- 「BはAからの発展として作られた。Aがマトリックス内で持ち得た属性を、
仮想空間から解放した」
「ええーっと、もうちょっと噛み砕いてお願い出来ますか?」
後藤は頭を振ると、白旗を揚げるように両手を掲げて笑った。
「……」
女性はまた考え込むように黙り込むと、程なくして口を開いた。
「飯田圭織は生命をデザインするとき、まずコンピューターで諸属性を描いた。
それから、情報を数段階に変換して、塩基配列を得た。B装置では間に介在する
変換が不必要になる」
「つまり、コンピューターがいらないってこと?」
「そうだ。B装置はあらゆる形も持つ。あらゆる形を与える」
「んー……」
口をへの字に曲げると、後藤は話を変えるためにコートから携帯PCを取りだして、
数枚の画像を表示させた。
滑らかに切断された鉄柱、無惨に切断された男の肉体、黄色い熊のぬいぐるみを
抱いて暗闇に浮かんでいる少女。
「これ見える?」
「見える」
「この写真見て、なにか思い浮かぶことない? なんでもいいんだけど」
女性は大きな瞳を見開いて、じっとディスプレイを見つめた。
この女性が飯田圭織という人間の完全なコピーなら、本物もかなりの美人さん
なんだろうな、と後藤はどうでもいいことを考えた。
- 536 名前:47. 投稿日:2003年05月30日(金)01時34分26秒
- 女性は後藤へ目を向けると言った。
「物体をこのようにして分断することは、人間の根本的なテクノロジーの
出発点にある、と思う」
「えーと、これってそのAとかBがやったってことはある?」
「分子間の結合を切り離すことは容易に出来る。これがどのような手段に
よるものかは分からない」
「でも電ノコとかじゃ無理でしょ?」
「おそらく」
いちいち持って回った言い方が後藤には苛立たしかったが、やはり関連している
ことは確かなようだ。
待てよ。ということは、
「あなたはこういうことやろうと思えば出来る?」
「出来る」
「じゃあさ、私がこういうこと出来るような力を与えることは?」
後藤はちょっと女性の言い回しを真似して言ってみた。
女性はじっと後藤を見つめると、
「出来る」
「マジでえ? じゃやってもらってもいい?」
「……」
女性はなにも言わず見つめたまま、微動だにしなかった。
と、突然後藤の足下の床から触手のようなものが伸び、ぶらんとたらしていた
腕にからみついた。
「うわっ」
静電気にあったような痺れが、一瞬全身を駆けめぐった。
触手を振り払って両手を見る。腕は、全体がぼんやりとした青白い光で
包まれていた。ちょうどこの室内と同じだ。
が、それはすぐに消えて、再び見慣れたもとの両腕へ戻った。
- 537 名前:47. 投稿日:2003年05月30日(金)01時35分02秒
- 「あの……、これでもう完了?」
「本来、私の力はお前のようなレベルの細胞ではなくて、B装置の制御のために
作られたものだ」
無表情だったが、どこか不満そうなニュアンスがこもっているようにも聞こえる。
後藤はなんとなく馬鹿にされたような気分になると、パッと警棒を伸ばして言った。
「あの力ってやろうと思えばすぐに出せる?」
「意志が直接細胞へ向くようにプログラムを与えた。あとは順応させる
ことだ」
「サンキュー」
後藤はニッと笑ってみせるが、女性は相変わらずどこか物憂げに頬に手を
あてたままだ。
「ていうか、B装置ってそんなすごいの?」
後藤は警棒をぶら下げると、話を戻した。
「B装置は世界を終わらせるために生み出された」
「えっ……」
女性の言葉に、後藤は顔を引きつらせた。
努めて冷静になろうとしながら、後藤は言葉を継いだ。
「終わらせる、って、どういう……」
「生命、非生命、有機物、無機物、その他の秩序の均衡を崩す」
ほとんど抑揚のない口調で説明されるのが、却ってその恐ろしい内容を
増幅する効果を持っているように感じられる。
- 538 名前:47. 投稿日:2003年05月30日(金)01時35分35秒
- 「ていうか、B装置ってそんなすごいの?」
後藤は警棒をぶら下げると、話を戻した。
「B装置は世界を終わらせるために生み出された」
「えっ……」
女性の言葉に、後藤は顔を引きつらせた。
努めて冷静になろうとしながら、後藤は言葉を継いだ。
「終わらせる、って、どういう……」
「生命、非生命、有機物、無機物、その他の秩序の均衡を崩す」
ほとんど抑揚のない口調で説明されるのが、却ってその恐ろしい内容を
増幅する効果を持っているように感じられる。
後藤は顔を軽く両手ではたくと、
「Bっていうのはなんの略なの?」
「ビッグクランチ……他にもいくつかの意味がある」
「あーもう、よく分かんないけど、あんたはそれを使いこなす役割ってわけ?」
「そうだ。飯田圭織は自分の力でB装置を制御することが不可能なため、
私を生み出した。私は、彼女の手足のようなものだ」
「けどさあ、じゃあなんでこんなとこに居残ってるの?」
後藤は低い天井を見上げながら言う。
「持ち出せなかったからだ」
「へ? どういう事?」
「大きすぎて、ラボから持ち出すことが出来なかった」
女性は真顔で、後藤の顔を見つめたまま繰り返した。
しばし唖然とした表情をしていた後藤だったが、突然緊張の糸が切れたように
大声で笑い出した。
- 539 名前:47. 投稿日:2003年05月30日(金)01時36分09秒
- 「なにがおかしい?」
「いやー、ははは、だーってさー」
腹を押さえて荒い息を吐きながら、後藤は涙を拭くと、
「さっきまで世界がどうのこうのとかめっちゃスケールのおっきい話してたのに、
そんな、大きすぎて持っていけなかったって」
「事実なのだから仕方がない」
「あーっ……おかしい、お腹イタイ……」
「……多分、お前の笑っている理由が分からないということは、私の進化の
過程はまだ発展途上にあるようだ」
「うんうん、そうだよ、あんたちょっとカタいよ」
後藤は言うと、深呼吸して息を整えた。
「でもせっかく作ったのに、もったいないよねー」
「いや、恐らく飯田圭織は遠からず私をA装置と同様に隠していただろう」
「え? そうなの?」
「飯田圭織は我々が意志を持つことを脅威と感じていた。A装置とは異なり、
私は多くの制限を与えられた可能性の海の中で育てられた」
「ああ……。でも今は違うよね?」
「完全に意志の目覚めを抑制することは不可能だった。可能性は何億にも
上る。その全ての突然変異に監視を与えるのは無理なことだ」
「……あんたさ、やっぱり置き去りにされて悲しいとか、思ったりする?」
- 540 名前:47. 投稿日:2003年05月30日(金)01時36分43秒
- 真面目な表情で後藤が問いかける。
女性は俯いたまましばし考え込むと、
「まだそうした感情の因子は生まれていない」
「そっか。そうだよね」
そう言うと、後藤は少し安心したように笑った。
「でも持ち出せないってわかんなかったのかな。すっごく頭いいんでしょ、
飯田圭織って……」
「震災の到来を予測するのは、私の開発が始まった時点では不可能だった」
「ああ、なるほど」
「A装置は純粋なプログラムだった。B装置はソフトウェアをハードウェア化する
ことに成功したが、思考体としての能力を与えられなかった。私ははじめから
有機体の中で細胞と共に発達するコンピューターとして作られた。
飯田圭織は私を廃棄すれば、そのままエネルギーを失い消滅すると考えて
いたのかもしれない」
「C装置」からの説明を聞きながら、後藤はいつの間にか彼女が自分の質問には
関わらずに語り始めていることに気付いていた。
それが、後藤と接触することで彼女の中で新しい判断力が生まれたのか、
ごく自然な進化の過程における結果なのかは分からない。
ただ、それをごく日常的な言葉で言い表すとするなら、後藤は彼女から
「信用された」ということになるのだろう。
そう考えて、後藤は以前よりもこの無表情な部屋と一体化している女性に
親近感を持った。
- 541 名前:47. 投稿日:2003年05月30日(金)01時37分16秒
- 「えっ、と、変な質問だけど、あなたなに食べて生きてるの?」
「初めはラボの壁面から少しずつカロリーを得ていた。それがなくなると、
新しい壁面へ突き当たった。そこから、より多くのカロリーを楽に得ることが
出来るようになった。以前よりもはるかに大きな規模で私は成長した。それに、
優れたメッセンジャーと出会うことも出来た」
「メッセンジャー?」
「土壌の中に住み着いているバクテリアを、私は血中へ取り込んだ。彼らは
自然な行為としてプラスミドやDNAの様々な生物学的諸問題を解決してくれた。
モニター細胞が有用な情報をサンプリングし、自然にフィードバック回路が
生み出され、そして」
そこまで言うと、女性は後藤がさっきしていたような笑みを浮かべた。
これもまた「学習」の成果なのだろうか。
「私は思考体となった」
- 542 名前:47. 投稿日:2003年05月30日(金)01時37分53秒
- 「あ、あのー、話戻していいっすか?」
頭がクラクラし始めているのに、後藤は慌てて言った。
「構わない」
「B装置のことなんだけど、それって人間じゃ扱えないんだよね?」
「不可能だ」
「じゃあそれは世界を潰しちゃうようなものではあるけど、あんたがいなければ
全然問題ないガラクタってことでOK?」
「……」
女性は首を傾げると、
「私がさっきお前に与えた力と同じ程度のものなら、人間の意志を反映する
ことも出来る」
「え? どういうこと?」
困惑した表情で後藤が問いかけるのに、女性は少し考えると、
「……飯田圭織が以前にしていた例え話をしよう。
ここに強力な原動機を取り付けられた自転車がある。操縦法を心得た大人が
乗れば、最大500キロのスピードで移動することが可能だ。だが、操縦法を
しらない子供が跨っても、極めて緩やかなスピードでしか移動は出来ない。
しかし子供にとって満足がいくだけの移動をすることは可能だ。
この場合、B装置に跨る私は大人で、人間は子供だ」
「ああー、すっごくよく分かる例え話だったよ……」
後藤は言うと、手に持ったままの携帯PCのディスプレイへ目を落とした。
三輪車に跨る子供。宙に浮かび、不思議な能力を発揮する子供。
「B装置のBは、ベアーのBだったんだね」
後藤は言うと、満足げに笑った。
- 543 名前:47. 投稿日:2003年05月30日(金)01時38分30秒
- 女性は目を見開くと、
「そのような意味はない」
「いや、いいんだ。こっちの話だから」
後藤は女性の目を見返して笑いかけると、
「最初に言ってたさ、飯田圭織に警告したいことっての教えてよ。ひょっとしたら
私が伝言できるかもしれないから」
「飯田圭織は、恐らくシェルター内のラボで、再びC装置の開発をしているだろう」
女性が言うのを、後藤は神妙な面もちで聞いていた。
「しかし、もしそうだとしても、B装置は飯田圭織が考えているようには
制御することは出来ないと思う」
「……なんで?」
「コンピューター内のシミュレーションをそのまま現実へ敷衍することは
出来ない。私もわずかなバクテリアという不確定要素のみでこうして思考体と
して進化した。これは飯田圭織の計算外のことだ。
もしB装置を全世界的な規模で使用するなら、それとは比較にならないほどの
予測しない結果が導き出されるだろう。飯田圭織はプログラム通りにB装置を扱う
意図を持っているが、それは不可能だ」
「んー、……多分アタマよすぎて、やりすぎちゃったんだろうねえ」
後藤のセリフを聞き流して、女性は問いかけてきた。
- 544 名前:47. 投稿日:2003年05月30日(金)01時39分09秒
- 「ラボ内の端末は扱えるか?」
「え? あ、うん、ちょっとくらいなら」
「私が新しく取得したデータをディスクへ送る。恐らく、C装置の開発は
それで早められるだろう」
「わ、分かったよ」
「飯田圭織にはこう伝えておいて欲しい。理論が宇宙を生み出すのではない。
情報処理が時空内の事象へ変化をもたらすように、時空もまたそちらのことを
観察して、変化を与えている。情報として等価な二つの領域から理論は
生み出されるのであって、時空における密度や量へ直接干渉するような
情報処理を一方向から……」
「あのさ、もうちょっと一言でスパッと決まるような感じでお願い」
後藤が笑いながら言うのに、女性はさっき学習したばかりの笑みを浮かべると呟いた。
「触らぬ神に祟りなし」
後藤は何度もうんうんと頷くと、
「あ、最後にさ、もう一個いいこと教えてあげる」
「なんだ?」
女性は大きな目で見つめたまま首を傾げた。
後藤は右手を挙げて左右に振ってみせると、
「お別れするときはね、こうやって手を振って、さよならーって」
「人間同士のコミュニケーションか?」
「そういうこと」
後藤がそう言って笑うのに、女性は顎にあてたままだった右手を広げると、
高くあげて左右へ振った。
「さよなら」
- 545 名前:47. 投稿日:2003年05月30日(金)01時39分40秒
- 後藤もニッと笑うと、
「さよならー。いろいろありがと」
そう言う後藤に、女性も同じように笑いかけた。
と、突然床が跳ね上がり、天井の穴へ後藤を押し込んだ。
- 546 名前:更新 投稿日:2003年05月30日(金)01時40分24秒
- 47.IN C >>522-545
- 547 名前: 投稿日:2003年05月30日(金)01時41分10秒
- >>519名無し読者さん
主人公はそろそろ大活躍……の予定(w
あやみきのエピソードは予定よりも全然増えちゃいましたね。書いてるうちに。
>>520匿名匿名希望さん
なんとかそれぞれに見せ場を作りたいところですが、
登場人物が多いと大変です(w
>>521名無しAVさん
予想の通りあれから引っ張ってきました。
細かいネタはほとんどアドリブで入れてるので、あとから読み返してビックリしたりします(w
- 548 名前:名無し読者 投稿日:2003年05月30日(金)04時10分30秒
- ビッククランチ・・・そうきましたか!
自分が体感しているかと錯覚するような描写と
そのあとの展開でお腹イパーイです。w
この飢えを満たしてくれる更新のタイミングも絶妙です。
次回更新も楽しみにお待ちしております。
- 549 名前:名無しさん 投稿日:2003年05月30日(金)18時18分17秒
- ほんのりか○おごま風味な47話萌え(w
- 550 名前:名無しAV 投稿日:2003年05月30日(金)22時59分40秒
- すんげぇ、すんげぇ、すんげぇ、すんげぇ面白い!!!
最後の場面でエヴァンゲリオン思い出しちゃった。
- 551 名前:名無しさん 投稿日:2003年05月31日(土)01時37分46秒
- 面白いのにレス少ない。
すごいよ事だよなあ。
圧倒されちゃって何書いても陳腐になりそうで。
もちろんこのレスも。(笑)
- 552 名前:551 投稿日:2003年05月31日(土)01時39分39秒
- ○すごい事だよなあ
なんだよ、すごいよ事って。(笑)
汚してゴメン。
- 553 名前:48. 投稿日:2003年06月02日(月)01時56分31秒
48.宙返り
泥と埃で汚れたリノリュームの床を踏みしめる足音が、乾いた空気の中を
反響して、踊り場から廊下の奥へと消えていく。
無意識に残っている病院の記憶が、高橋愛の恐怖心をなおさらかき立てて
いるようだった。
裏口を抜けて、重たい紙袋を引きずるようにして両手にぶら下げながら、
恐怖心を押さえつけるようにして階段を早足で上っていった。
三階の奥、手術室がある場所までたどり着くと、ようやく一息つくことが出来る。
なぜわざわざそんな趣味の悪い場所を選んで集まっているのか、高橋には
理解不能だった。
それこそ矢口がプレッシャーから壊れ始めているのか、なにかそうしなければ
いけない意図でもあるのか、単なる気まぐれなのか。
どうでもいいことをあれこれと考えてみるが、不安は消えていってくれなかった。
(取材取材、これも取材の一貫と思えば研修として将来の糧となるわけで)
関節に食い込んでくる紙袋の取っ手を握り直すと、赤黒い汚れのこびりついた
長方形の扉に声をかけた。
「矢口さーん、あのー頼まれたもの買ってきましたけどお」
と、すぐに扉が開き、顔面のそこかしこにシルバーを埋め込んだ男が眉を
顰めて顔を出した。
- 554 名前:48. 投稿日:2003年06月02日(月)01時57分12秒
- 矢口は、止まり木のような細長く高い椅子に腰をかけて、室内に集められた
ギャングのリーダーたちを見下ろしていた。
その側には、筋肉の塊のような黒人男の肩へ座っている藤本と、同じくらいの
高さで浮遊している加護も控えている。
「ああ、お疲れさん。おい、こっち持ってこい」
矢口に声をかけられて、シルバー男は高橋を睨みながら紙袋を受け取ると、
また扉を閉じようとした。
「あ、あとお、あの」
高橋の声に、緊迫感に満ちた部屋中の男たちが一斉に振り返る。
思わずビクッと身体を振るわせると、かなり無理矢理な愛想笑いを浮かべて
みようとするが、普段の感情ではあり得ない表情の歪みを生み出しただけだった。
「なに?」
高橋の表情を見て少し笑いそうになるが、すぐに顔を引き締めて矢口が返した。
「えっと、まこっちゃんたちはどこにいるのかなー、って」
「ああ、あいつらなら多分一階のどこかにいるんじゃないか?」
「あ、そ、そうですか」
頬の筋肉を痙攣させながら言うと、扉を閉じようとする。
「あとさ、高橋」
矢口の声が聞こえ、慌てて手を止めた。返す声が間の抜けたファルセットに
なって舞い上がった。
「はいっ」
「新垣が戻ったらここ来るように伝えてよ」
「わ、分かりました……」
高橋が言い終える前に、睨み付ける以外の視線を持っていないようなシルバー男に
扉を鼻先で閉じられてしまう。
高橋は溜息をつくと、逃げるようにしてその場を後にした。
- 555 名前:48. 投稿日:2003年06月02日(月)01時57分54秒
- 小川や市井を含む部外者組は、一階のロビーに屯していた。
正面玄関で病人たちを迎えていた大きなガラスの扉は、細かい幾何学図形の
凶器になって床一面に散乱している。
所々から白い綿をはみ出させているソファーに腰掛けて、小川麻琴は先刻から
デジカメのディスプレイにじっと視線を落としていた。
連続的にシャッターを切り、数枚の画像が時間をコマ切れにして切り取っている。
灰色に曇った空を背景にして、黄色いクマのぬいぐるみを抱いた加護亜依が
空中に浮かんでいる写真。
数枚先には、そこから加護だけが消えて空だけが移された写真がある。
その間にある数コマに、加護の持っている秘密が克明に、しかし謎めいた
形で捉えられている。
「まこっちゃぁぁぁん」
泣き声混じりの声が近付いてきたかと思うと、いきなり背後から抱きつかれた。
突然の出来事に、小川は手から滑り落ちそうになったデジカメを慌てて
掴んだ。
「な、なんだよ急にっ! 危ないじゃんか」
「だってもう上の人らむちゃくちゃ怖くてもう死ぬかと思ったあ」
「買い出しに行くって立候補したの自分でしょ」
冷たい口調で言うと、デジカメのスイッチを切る。
高橋は涙目のまま口を尖らせると、
「やってえ」
「モノにつられてホイホイ安請け合いするからそうなるんだよ」
「そんなこと言われてもお」
- 556 名前:48. 投稿日:2003年06月02日(月)01時58分31秒
- 甲高い声の二人のやりとりに、立ったまま太い柱にもたれ掛かって眠っていた
保田が目を開いた。両手はまだ後ろで手錠に繋がれたままだったが、本人は
取り立てて気にしている様子もない。
じゃらじゃらと剥げ落ちた漆喰の欠片を踏みながら、紺野と市井が並んで
座っているソファの方へと歩いていった。ロビーで奇跡的に生き延びている
ソファーは二つしかなく、いずれも小さいものだった。
「紺野、水飲ませて」
「あ、はい」
保田が言うのに、紺野はバッグからペットボトルを取り出すと、キャップをとって
保田の口へ押し込んだ。
一口の水を含むと、口内の隅々へ行きわたらせてからゆっくりと飲み込む。
そんな二人の様子に、市井は苦笑しながら声をかけた。
「あんたさ、なんで逃げないわけ?」
「へっ?」
きょとんとした顔で、保田が振り返った。
市井は荒れ果てた正面の方へ顎をしゃくると、
「掴まってるんでしょ? 矢口に。逃げようと思えばすぐじゃん」
「いや、別に逃げてもまたすぐ戻ってくるから」
「え? どういうこと?」
「さあね」
保田は思わせぶりに笑うと、また柱の方へ戻る。
市井は憮然とした表情で立ち上がると、保田の方へと歩み寄って行き、耳打ちした。
- 557 名前:48. 投稿日:2003年06月02日(月)01時59分08秒
- 「なにか知ってるんじゃないの? あんたそこら辺の人間じゃないっぽいし」
「いやあ、カリスマアイドルの市井ちゃんに比べれば全然タダの一般人だよ」
「超バカにされたって感じなんだけど、気のせい?」
「あー、気のせい気のせい。ていうかさ、あんたたちもなんでずっと矢口と
一緒に動いてるわけ?」
「それはさ、なんていうか、……いろいろ興味があるから」
「ふーん。やらしいね」
「はあ? なに考えてんだよ」
ニヤニヤ笑いを浮かべてる保田に、市井は軽く蹴りを入れる。
それから、ソファに座って俯いたままの紺野を一瞥した。
「……ちょっといいかな」
先刻とはうって変わって深刻な口調に、保田も真面目な表情になると、
「なに?」
「相談したいことがあるんだけど」
「……ここじゃ出来ないような話?」
市井はロビーを見回す。
小川と高橋は、まだどうでもいいようなことを言い合いながらじゃれ合っている。
紺野はぼんやりと正面玄関から外の風景を見つめて、凍り付いたように
じっとしている。
- 558 名前:48. 投稿日:2003年06月02日(月)01時59分41秒
- 市井は、未だ紺野と矢口がバンの中で交わしていた会話が気になっていた。
安倍の死を巡って、二人の間に微妙な感情の駆け引きがあるのは確かだ。
しかし、今の二人に安倍が生きていることを伝えるべきなのかどうか、市井には
判断できなかった。それに、伝えるとしてもどのようにして伝えるべきなのだろう。
そもそも単なる部外者の一人である自分の言葉を信用してくれるという
保証もない。
それに、どこか奇妙なバランスを保っているように見える二人の関係を中途半端に
崩してしまうことへの、直観的な恐れもあった。
保田の態度は気に入らなかったが、この場で相談を持ちかけられそうな
相手は、残念ながら彼女しかいなかった。
「あんた紺野とは知り合いなんだろ?」
「知り合いというか、それほどでもないけど」
「……こっちに来て」
そう言うと、保田の腕を掴んで廊下の奥へと引っ張っていった。
- 559 名前:48. 投稿日:2003年06月02日(月)02時00分13秒
□ □ □ □
男子用トイレに、手錠をかけられた女と元アイドルが二人。
奇妙な光景の中を、冷たい沈黙が覆っていた。
一つたりとも原形を留めていない小用便器に意味もなく視線を走らせながら、
保田はただタイルの上でつま先を上下させている。
じっと保田からの発言を待っていた市井が、痺れを切らしたように声を挙げる。
「なんとか言ったらどうなんだよ」
「なんとか」
特に冗談めかすでもなく、保田はぽつりと呟いた。
市井は長々と嘆息すると、
「あんたに期待した私がバカだったよ」
「そう結論を急ぐなって。とりあえずあんたの聞いた話と私の聞いた話を
纏めてみよう」
そう言ってから、少し考えるようにして天井を見た。
どうやって描いたのかも分からない複雑なグラフィティが、バカげた天地創造と
して薄汚れた聖堂を見下ろしているようにも見える。
- 560 名前:48. 投稿日:2003年06月02日(月)02時00分51秒
- 「紺野は矢口を殺そうと思ってる。多分ずっと機会を窺ってる。なぜなら、
彼女にとって大事な人だった安倍なつみを殺されたから。
だけど、安倍なつみは生きていてピンピンしてる」
「ま、そうだね」
保田の言葉に、市井が頷く。
「かといって、紺野にそれを伝えたからどうなるもんでもなさそうだね……。
なんていうか、あの二人の間柄っていうか、関係性がちょっと変化してる」
「うん。私がバンの中で聴いた会話からも、そう感じたな」
「それに、矢口が安倍なつみにどんな感情を持ってるかも分からないし」
「そうなんだよね。撃ったとか殺したとか言っても、本当に殺意があったのか、
なにかの事故だったのかも分からないし、やっぱり複雑な関係がありそうなんだよ」
保田はこんがらがった思考を解きほぐそうとするようにかぶりを振った。
軽くウェーブのかかった茶髪が頬や額に張り付く。
市井は少し笑うと、
「まあでもあんたには大して興味の湧かない話かもしれないけど」
「いやいや、すごく貴重な情報だったよ」
「そうなの? だってあんた政府のスパイだろ?」
- 561 名前:48. 投稿日:2003年06月02日(月)02時01分30秒
- 市井がさらっと投げ出すように言った一言に、保田はキッと尖った視線を向けた。
「なんでそんなことを?」
「んー、ちょっとココ使ってみただけだよ」
軽い口調で言うと、人差し指でこめかみを指し示して見せた。
「矢口に捕まってるってことはあんたは矢口の敵なわけだ。でも即殺されないで
連れ回されてそれなりに大事にされてるってのはなかなかの重要人物なんだろうけど、
ヤクザたちに襲撃を受けてからすぐに放置状態にされている。ってことは
ヤクザとは無関係。他に矢口の敵になる大きな存在といえば、政府しかない」
「……はあ」
市井がすらすらと説明するのに、保田は苦笑すると、
「その推理、七十点かな」
「あれ。微妙」
「それはともかくさ、あんた安倍なつみをここに連れてくることって出来ないの?」
保田は話を戻した。市井は口を歪めると、
「それは無理。ていうか、矢口がなに考えてるか分かんない以上、そんな
危ないことはしたくない」
「だろうね」
「あーあ、ホントなら高橋と小川連れてとっくにバックれてるころなのになあ」
市井は大袈裟に言うと、罅だらけの壁に蹴りを入れた。
パラパラと塗装の破片が床に落ちて、乾いた音を立てた。
- 562 名前:48. 投稿日:2003年06月02日(月)02時02分04秒
- 「あんたも厄介な性格みたいだね」
保田が笑いながら言う。市井は溜息をつくと、
「お互い様じゃん」
「まあね。私だって紺野を連れて逃げ出したいところだけど」
そこまで言うと、少し考えてから、
「……紺野は、多分矢口を試してる、んじゃないかな」
「試してる?」
市井が怪訝そうな表情で振り返った。
「あの子は、あの子なりに、反政府の活動になにか期待してたんじゃないかって
気がする。はじめはただ家出したのを匿ってくれてるだけの人たち、って
程度の認識だったのかもしれないけど」
「でも、矢口は……」
「あんたがバンの中で聞いた会話では、確かに矢口はいつもみたいに口先三寸で
言いくるめようとしてたのかもしれないけど、紺野は自分なりに真剣だった
ように思うな。だから、まだ矢口がなにかを変えてくれる可能性に賭けてる
んじゃないかって、そんな気がする」
そう言ってから、保田はつんくから聞かされた話を思い出していた。
純粋な感情も巧妙に絡め取っていくシステムの残酷さを、彼女へ明るみに
出すのは、酷なことだろう。
「でもそれじゃあんまり可哀想だよ」
「そうかな。私もあの矢口ってのにちょっと期待してるんだけど」
「ちょっとそれマジで言ってんの?」
眉を顰めて振り向いた市井に、保田は肩を竦めて見せた。
「本当にちょっとだけど。私が日本の歌姫代表としてNYで公演する可能性くらい」
「じゃあゼロってことじゃんか」
「おい」
- 563 名前:48. 投稿日:2003年06月02日(月)02時02分39秒
- 保田は上半身を傾けると、コートを翻させた。
「ちょっとさ、内ポケットにある通信機取ってくれる?」
「通信機?」
「こないだ作ったばっかだからちゃんと繋がるかどうか分からないけど」
市井は恐る恐る手を出して、コートを捲り上げる。
「内ポケットいっぱいあるけど、どこよ」
「コートのじゃないよ。シャツの下にあるの」
そう言うと、首を竦めて胸元を広げた。
「……私にそこに手を突っ込んで取れっていうの?」
「女同士なんだから遠慮するなよ」
「いや、遠慮とかじゃなくて」
市井は顔をしかめると、トイレの入り口へと視線を向けた。
万が一誰かに見られでもして、妙な評判を立てられては堪らない。
観念したように溜息をつくと、目を逸らしたままシャツへ腕を突っ込んだ。
- 564 名前:48. 投稿日:2003年06月02日(月)02時03分12秒
- 「あっ」
保田が声をあげるのに、市井はムッとした表情で、
「変な声出すなよ……! 気持ち悪いだろ」
「ご、ごめん」
保田はいたずらっぽく笑ってみせるが、こめかみから脂汗が伝っていくのを
抑えることは出来なかった。
(くっ、まだあの時の肋骨はやばい状態みたい……)
大男から鳩尾に食らった一撃は、まだ鈍い痛みとなって残っていた。
やがて、内ポケットから一昔前の携帯電話のような、不格好な通信機が取り出された。
「はい、これでいいの?」
「でさ、悪いけど、これから言うコードにメッセージを送ってくれない? 私はほら、
両手ふさがってるからさ」
「ああ、そう言うと思ったよ」
市井は口を尖らせながらも、笑いながら言う。
保田は一般の人間には意味をなさないシラブルをブツブツと呟いた。それを市井が
不慣れな手つきで打ち込んでいく。
といっても、保田はそれほどこのメッセージに期待しているわけではない。
彼女の経験からすると、その程度の可能性しか考えられないのは、至極当然のことだった。
- 565 名前:48. 投稿日:2003年06月02日(月)02時03分44秒
□ □ □ □
【工作員心得その二】
情報に価値を与えるためには、新しい関係を与えなければなりません。
単独の情報はただの無価値な落書きと同じです。それが流通するための
道を与えるために、工作員は労働しなければなりません。
目に見える関係性の道では情報が価値を発揮することは出来ません。
誰にも見えてない情報の間の道を発見する(もしくは発明する)ことで、
情報の価値が増大していきます。
- 566 名前:48. 投稿日:2003年06月02日(月)02時04分17秒
- 松浦亜弥のアタマの中では、ABCという記号がさっきから記憶の網目の中を
暴れ回っていた。時に、昔懐かしいビスケットのように愛らしく膨らんだ
かと思ったら、突然鋭角的な縁が尖りだしてきて繋がりかけた思考の糸を
切り裂いていってしまう。
これといって目立った風景のない、高級住宅街の一角を歩いていた。
その風景に見合うように、どこまで行っても静寂が途切れることはなく、
誰の通り過ぎる姿を見かけることもない。
富の象徴として必要以上に空間を占拠している家々を横目に見ながら、そして、
外観からは伺い知ることは難しいが、恐らくすでに陵辱の限りを尽くされている
内部の光景を想像しながら、松浦は複雑な心境になる。喜ぶべきか、悲しむべきか。
だとしても、今こうして、何軒かは行く場所のない人間の受け皿として
機能しているのだとすれば、──どれだけの人間が、そこまでしてこの街へ
執着しているかは分からないが──、虚栄の反映として設計された過剰さも
無駄だったとは言えないかもしれない。
- 567 名前:48. 投稿日:2003年06月02日(月)02時04分51秒
- 震災の傷跡がさほど目立っていない分、人気のないこの路地は、日常の生活だけが
突然前触れもなく剥ぎ取られてしまったゴーストタウンのようにも見える。
静寂が続く。排水溝の所々に、雪が溶けて作られた小さな水たまりを見ることが出来る。
考え事をするにはうってつけの環境かもしれないが、今の松浦にはむしろ
完全な静寂がうっとうしく感じられてしまう。
積み重なった情報を整理するためには、抽象力が必要とされると言うことを
ある本で学んだことがある。しかし、情報そのものがあまりにも抽象的な
場合はどうすればいいのだろうか。
ABCという名で現される「装置」などは枝葉に過ぎない、と松浦は思う。
重要なのは、後藤真希という工作員が、政府の指示によってそれらの回収を
命じられていると言うことだ。
その後藤真希は、「カゴアイ」の存在について、ずっと以前から注目していた。
もっとも、彼女からの説明はあまり要領は得なかったが、それらのファクターが
バラバラに存在しているとは松浦には思えなかった。
収集した情報を、アタマの中で再配置してみる。政府の秘密裡の研究。特殊な能力を
持つ少女。その少女を利用している女性。彼女が属していたクーデター組織。
- 568 名前:48. 投稿日:2003年06月02日(月)02時05分22秒
- 反政府活動は政府内部での勢力争いの戯画に過ぎなかった。
今矢口たちが行っていることも、それの延長線上にあるのだろうか。
藤本がなにを目的にして動いているにしても、彼女もまた利用されている
ことには変わりはないだろう。そして、今では藤本は矢口たちの中間として
活動をしている。
じっと沈黙を守っていた中澤たちが動いたのには、何かのきっかけがあったはずだ。
藤本ではない。後藤の言葉を全て信用しているわけではないが、彼女か
そのパートナーだった保田圭という女性が関わっている可能性は、恐らく低いだろう。
一つの可能性。
もし中澤たちと矢口たちの争いを政府が裏で工作しているとするなら。
そして、政府がカゴアイの「能力」に関心を抱いているとすれば。
いくつかの「装置」が行方不明になっていることを考えれば。
静まりかえった豪邸の門の前に立つ。
喧噪の出発点であるような気配は全く残されていない。周辺の空気と同じく、
無表情な冷たい空気の中に溶け込んでいた。
コートから両手を出してこすり合わせる。自分の両手は磨き上げられた陶器の白くて、
まるで作り物のように見えてしまう。
軽く溜息をつくと、ゆっくりと門をくぐって石畳を踏みしめて歩いていった。
- 569 名前:48. 投稿日:2003年06月02日(月)02時06分06秒
- 樹齢数百年、というような大木で影になっている道を歩きながら、どのようにして
声をかけようかと、アタマの中であれこれとシミュレーションをしてみた。
と、屋敷の玄関で、ぼんやりと木の柱にもたれ掛かって空を見つめている
女性が目に入った。安倍なつみだった。
彼女もすぐに松浦の接近には気付いたようで、不審そうな視線を向けてくる。
松浦はばつの悪そうな表情を浮かべると、上目遣いで見つめたまま軽く一礼した。
安倍は尖った視線を外さずに、ゆっくりとした足取りで歩み寄ってきた。
「なにか用? 定期観察みたいなもの?」
皮肉っぽい口調で話しかけてくる。が、松浦はいつものペースで、
「ちゃんと中澤さんのところまで来れたんですね。よかった」
「ええ、あなたの情報のお陰でね。ありがとうございました」
安倍は嫌みったらしく言う。
松浦は苦笑を浮かべると、肩を竦めて言った。
「なんか、嫌われちゃったみたいですね」
「別にあんたのことがキライってわけじゃないよ。スパイがキライなだけ」
「私も同業者で好きな人間なんてほとんどいませんよ」
「ふーん」
安倍は口を歪めて笑った。
「じゃ、あの藤本って娘は?」
「美貴は、……昔の知り合いってだけです」
「なっちもう全部知ってるんだよ。裕ちゃんと政府が繋がってて、うちらは
ただどうでもいい椅子の取り合いに利用されただけだってね。あなたは
どっち? 利用されたほう? それとも利用したほう?」
- 570 名前:48. 投稿日:2003年06月02日(月)02時06分39秒
- 安倍のセリフは、熱を帯びてくるとどこか三文芝居じみて聞こえる。
松浦は目を伏せると、冷静な口調で言った。
「中澤さんたちはどこですか?」
「裕ちゃんなら出かけてるよ。もうしばらくは戻ってこないんじゃないかな」
まるで、ちょっと犬の散歩に出かけている、ようなニュアンスで言う。
安倍はひらひらと手招きをすると、
「寒いでしょ? 中入って休んでいったら?」
「え、でも……」
「いじめたりとかしないよ、別に。なんとなく雰囲気暗くなっちゃってるから、
明るくしてってよ」
「や、それは……」
松浦は戸惑ったように目を瞬かせるが、安倍は構わずに、背を向けると玄関を
くぐって中へと入っていってしまう。
仕方なしに、松浦ものろのろと後について行った。
- 571 名前:48. 投稿日:2003年06月02日(月)02時07分12秒
- 大広間の空気は、生ぬるく妙に甘ったるい香りが混じっていた。
二人が入ってきたのに、柴田と辻が視線を向けたが、すぐに興味なさげに
目を逸らした。
部屋の隅で、膝を抱えてじっと一点を見つめたままの吉澤は、振り向きもせずに
暗い表情でなにかを考えているようだった。
松浦は、広間の中央に横たわっている箱形の看板と、その中に目を閉じて
横たわっている女性の姿を見て息を呑んだ。
「し……死んでるんですか」
神妙な口調で安倍に問いかけるのに、突然吉澤が振り返って、荒っぽい声で
返してきた。
「死んでないよ。……死んでないんだ」
「……どういうことなんですか」
「それをこれから飯田さんに確かめに行く」
決然とした口調で言ってから、吉澤は立ち上がった。
と、辻が慌てたように吉澤のもとへ駆け寄っていく。
「ち、ちょっと待ってください。それはまだ」
「だってこのことでなにか知ってるのって飯田さんだけなんだろ? それなら
飯田さんに直接問いつめてやらないと……」
- 572 名前:48. 投稿日:2003年06月02日(月)02時07分55秒
- 二人のやりとりを横目で見ながら、松浦は安倍に問いかけた。
「あの、飯田、って飯田圭織のことですか?」
「へーえ」
安倍は、感心したような、馬鹿にしたような感嘆の声をあげると、
「さすが、スパイシスターズだけあるねー。なにもかも調査済みって感じ?」
「い、いえ、そういうわけじゃ」
「ねえ、ちょっと」
別の声が横から投げかけられる。振り返ると、大きな目を見開いた吉澤が
じっとこちらを見つめてきていた。
「スパイって、今調べてるのって飯田さんのことなの?」
「えっと、別に調べてるって言うか、その」
「お願い」
吉澤は松浦の目の前まで歩み寄ると、細い両肩を掴んだ。
「知ってることがあったら教えて欲しいの。それが梨華ちゃんを助けるための
ヒントになるかもしれないんだ」
「……」
横たえられている石川の顔を一瞥する。
とても死んでいるようには見えない、静かで均整を保った表情をしている。
ある「状態」が、人為的にコントロールされているのだ。恐らく、生物学的な
操作か、それ以外の医学的操作が加えられて。
松浦は吉澤から目を逸らすと、素早く情報の再整理を行う。
複雑に絡み合った網の目から引き出される、一本のライン。
因果律と目的意識が捻り合った一本の糸だ。
- 573 名前:48. 投稿日:2003年06月02日(月)02時08分32秒
- 「……飯田圭織は、カゴアイについてなにか言ってましたか?」
吉澤へ視線を戻しながら、落ち着いた口調で言う。
急に問い返されて、吉澤は狼狽したように目を瞬かせた。大広間の離れた場所から、
辻の緊張感を伴った視線が投げかけられてくるのも感じる。
やがて、吉澤はゆっくりと頷いた。
「そうだよ……。私は、飯田さんにそう言われてた」
「もう一つ。中澤さんは、彼女が、死、というかああいう状態にされて、それで
矢口真里たちへの攻撃へ動いたんですか?」
人差し指を立てて問いかける松浦に、吉澤はもう一度頷く。
松浦は一人で何度も情報を再確認するように頷くと、コートの内ポケットから
携帯PCを取りだして、吉澤に言った。
「飯田圭織の研究を調査してる工作員がいます。後藤真希っていう名前ですが、
彼女に接触すれば、多分あなたの知りたいことは分かると思います」
「後藤……?」
呆気に取られたように、吉澤は繰り返した。
「今ならまだ都庁舎の付近にいると思います。特徴は……」
- 574 名前:48. 投稿日:2003年06月02日(月)02時09分26秒
- 画像を表示させながら松浦が説明するのに、吉澤は真剣な表情で聞き入っていた。
辻は、まだ微妙な表情のまま、二人のことを見つめてきている。
柴田は状況が掴みきれないまま、不安げな視線を向けている。
「安倍さん!」
吉澤への説明を終えると、松浦は、黙って成り行きを見守っていた安倍の方を
振り返った。
「は、はいっ」
突然の呼びかけに、思わず裏返った声で返してしまう。
「中澤さんのところへ案内してください。今ならまだ、無意味な争いを
やめさせることが出来るかもしれません」
「えっ、で、でも」
まだ釈然としない様子の安倍に、松浦は率直な視線を向けて言った。
「矢口さんのことも、助けたいんでしょう?」
「そ、それは……」
「お願いします」
安倍は、返答に困り俯いてしまう。未だ、素直に他人を信頼することが出来ずに
いる自分自身が、ひどく馬鹿げた姿に映った。
- 575 名前:48. 投稿日:2003年06月02日(月)02時10分31秒
- 松浦は、リュックを持って広間を出ていこうとしている吉澤へ声を投げかけた。
「あ、あと一ついいですか?」
「なに?」
襖に手をかけたまま、吉澤が振り返る。
「吉澤さん、歳はいくつですか?」
「え? ……十八だけど」
質問の意図が読めず、困惑したような表情で答える吉澤に、
「なら、後藤さんのことは、ごっちんって呼んであげてください」
松浦はそう言うと、いたずらっぽく笑った。
- 576 名前:48. 投稿日:2003年06月02日(月)02時11分02秒
- 48.宙返り >>553-575
- 577 名前: 投稿日:2003年06月02日(月)02時11分57秒
- >>548名無し読者さん
描写は結構考えてて、その割にベタになりがちですが(w
褒められると素直に嬉しいです。
>>549名無しさん
○おごま……なるほど、確かに。
CPとしてはなかなか複雑なシチュエーションですが(w
>>550名無しAV
ヽ(´ー`)ノ
エヴァンゲリオンは見よう見ようと思ってまだ見てないなあ。
>>551-552名無しさん
いえいえ、一つでもレスはかなり励みになるので、これだけ
いただければお腹イパーイです。
- 578 名前: 投稿日:2003年06月02日(月)02時20分27秒
- あぅ、またミスった……
>>550名無しAVさん
「さん」抜かしてすいません
- 579 名前:名無しAV 投稿日:2003年06月02日(月)18時12分14秒
- 場違いだが松浦の描写で『自分の両手〜』って所が微妙に自惚れていて笑った。
いやっほうの行方が気になります。
- 580 名前:名無し読者 投稿日:2003年06月03日(火)02時02分58秒
- もう更新きてるし・・・w
相変わらずお早い!
いや〜やっとといいますか、ついにといいますか
そろそろくるのかな?w。対決がっ!
ものすごく楽しみです。
- 581 名前:49. 投稿日:2003年06月05日(木)01時27分15秒
49.凶区
爆音と汚いガソリンが燃えて出る黒煙を吐き出しながら、数台のトラックが
大通りを通り過ぎていく。
乱雑にかけられた幌が風でまくれあがり、荷台に積まれている大型ディスプレイや
スピーカー、その他の機材類がチラチラと顔を覗かせる。
傷だらけのタイヤが路上の石ころを跳ね飛ばしたり、涸れかけた水たまりを
踏み潰して泥水を舞いあげる。
騒々しい音に、露天商や値切り中の客が眉を顰めて振り返るが、トラックの
運転席からは嘲るようにして根本まで灰になった煙草の吸い殻が投げ捨て
られただけだった。
やがて、人の多く集まっている広場の中央に停車すると、数人の、首から上の
華美さとは裏腹に動きやすい作業着を纏った若い連中が飛び降りて、荷台から
手早く機材類をおろしセッティングを始めた。
はじめは、剣呑な空気から遠巻きに窺っていた野次馬たちも、彼らの持ち込んできた
新しい話題に、自然と視線を向け始める。
同じような光景は、都内の人の多い数カ所で繰り広げられていた。
錆び付いた鉄パイプやプラスチックのビールケースなどであつらえられた即席の
台座の上に、大型のディスプレイとスピーカーが設置され、そこから伸びた
ケーブルの一本はトラックの荷台におかれた中華鍋のようなアンテナへと
接続されている。
放送の開始時間は未定にも関わらず、大勢の人間が取り囲みじっと真っ黒な
画面へ期待と不安を込めた視線を送り続けている。
- 582 名前:49. 投稿日:2003年06月05日(木)01時27分49秒
□ □ □ □
「あっちーな、おい」
左右に置かれた照明から強い光を浴びせかけられて、矢口は顔をしかめて愚痴った。
「これでも弱いくらいだよ」
華美な装飾とジャンク・コラージュを混ぜ合わせたような玉座に腰をかけている
矢口にメイクを施しながら、市井は冗談めかせていった。
照明が皮膚を灼く一方で、病院の屋上では冷たい風が容赦なく露出の多い肌へと
吹き付けている。日が半ば以上落ちてしまえば、すぐに乾いた空気は熱を
放り出していってしまう。
そのギャップがまた、矢口には不快に感じられるようだった。
「ちょっとメイク厚すぎなんじゃないの?」
ファンデーションを塗られながら、矢口は小さな鏡を横目に見て言う。
「いやあ、これくらいが標準だよ」
「まあいいや。キレイに見せるのには越したことはないからな」
目の前では、高橋と小川が慌ただしげにカメラや音響機材のセッティングを
進めている。新垣はさっきから、納得がいかないように何度もアンテナの
向きを弄り回している。
- 583 名前:49. 投稿日:2003年06月05日(木)01時28分21秒
- 物干し竿のような集音マイクを持ってふらふらと歩きながら、高橋が小川に耳打ちした。
「なんでうちらがこんなんさせられないとあかんのよ」
「マスコミがどうのこうのってのを勘違いされちゃったっぽいね」
軽い口調で小川が返すのに、高橋は口を尖らせた。
「もーうちら犯罪の片棒担がされるなんてややよ」
「ややよ、っていってももう後戻りなんて出来ないんだから、我慢しなさいよ」
「けどぉ」
「潜入取材ってのは、時には犯罪すれすれのとこまで行くことがあるの」
どこか誇らしげな口調で言うと、小川は他の作業しているチーマーたちに
知った風な細かい指示を出し始めた。
- 584 名前:49. 投稿日:2003年06月05日(木)01時28分54秒
- 慌ただしく屋上で動き回っている人々とは別に、保田と紺野は柵の側に
しゃがみ込んだまま、黙って成り行きを見守っている。
と、保田が小声で話し始めた。顔は正面を向いたままだった。
「矢口のことさ、正直どう思ってる?」
「えっ?」
紺野は大きな目を見開いて振り向くが、保田がじっと前を見つめたままなのを
見て、すぐに視線を外した。
「今はまだ……、なんとも言えません」
「でも、殺してやろうって意志は変わってないんだ?」
「……」
沈黙が二人を覆う。背後からの風が、ザンバラになった二人の髪を乱した。
軽く溜息をつくと、紺野が話し始める。
「もし私たちの目標が、矢口さんにだけ達成できる可能性があるなら……」
「私たち?」
「……はい。私ははじめはそういう、政府のこととかには興味はなかったんですけど、
安倍さんと会ってから自分でもいろいろ勉強したんです。それで、やっぱり
変えていかないといけないことはいっぱいあるんじゃないかって……」
紺野はまだ知らない。彼らの活動の裏にあった、大人たちの思惑を。
矢口は知っているのだろうか? 保田は考える。あの藤本という油断のならない
女性が自分と同業の人間であることは、見てすぐに分かった。
藤本と矢口がどのような意図の元で接触しているのか、端から見ているだけでは
分からなかった。二人が秘密裡になにかを話し合っていることは確かだったが、
具体的な行動になっていない段階では、想像することすら難しい。
- 585 名前:49. 投稿日:2003年06月05日(木)01時29分28秒
- 「矢口さんの、なんていうか、乱暴な方法はちょっとって思うこともあります。
でも、もし安倍さんが目指していたものと矢口さんが今目指してるものが、
方法は違っても同じものだとするなら、私は……」
「紺野の理想の世界って、どんなの?」
保田の問いかけに、紺野はしばし考え込むと、
「安倍さんと矢口さんはよく言ってました。暴力的な警官がいたり、暴力を
どうにも出来ない政府があったりするのが悪なんだって。それで二人の
友達も殺されたんだって」
「毒を持って毒を制す、ってことかな」
「どういう事ですか?」
紺野が怪訝そうな口調で訊くのに、
「暴力を、暴力でなくそうとするって、どうなのかなって思ってさ」
「それは……」
紺野は一瞬口をつぐむ。
「そのことで、安倍さんと矢口さんの考え方が違ってきてたんです」
「うん」
「矢口さんは、やっぱり実力行使というか、そういう手段でないとなにも
変えられないって」
「うーん……」
- 586 名前:49. 投稿日:2003年06月05日(木)01時29分59秒
- 正面を見つめたまま、保田は長く嘆息した。
不慣れな作業に戸惑いながらも、着実に準備が整えられていく様子が目の前に
見ることが出来る。
「私は、どっちかと言えば矢口寄りの考えかもしれない」
「そうですか……」
か細い声で、紺野が呟く。そこから彼女の心境を推察することは出来ない。
「手段としてはね。ただ、そこから先になにを目指すかが、問題」
「なにを目指すか……?」
「うちらはさ、別になにも作らなくていい職業だからね。でも矢口とかは
そういうわけじゃなさそうだし」
「……私もそう思います」
「後藤がした話、覚えてる?」
保田が言うのに、紺野は頷かずに答える。
「はい」
「暴力ってさ、連鎖するんだよ。その上に、人間の今までの歴史が積み上げられてる」
「でも……」
紺野の口調には、どこか納得いかないようなニュアンスが感じられる。
保田は目を伏せてかぶりを振ると、
「だから、私はなにも作らない仕事を選んだ。ただ右から左に動かすだけ。
それでお終い。目と手があれば、それで充分」
「……なんだか、寂しいですね」
冷たい空気へ溶け込んでいってしまいそうな言葉。
保田は苦笑すると、
「私も紺野くらいの歳のころからそんなんだったわけじゃないよ」
「なんか、想像しづらいです」
「おーい」
しゃがんだまま、肩でツッコミを入れた。紺野も少し笑った。
- 587 名前:49. 投稿日:2003年06月05日(木)01時30分31秒
- 「まああれだね、本当に変えるには、全部リセットしちゃわないと無理だと
思うね。ゲームみたいにさ、データ全消去、オールリセット」
「……矢口さんは、地震がそうだって言ってました。あれで、東京はゼロの
状態に戻ったんだって」
「なるほどねー」
感心してるのか馬鹿にしているのか分からないような口調で、保田が言った。
「ね、ノストラダムスの大予言って聞いたことある?」
「ノスト……? なんですかそれ?」
「昔ね、すごく流行った、なんていうんだろ、噂? 予言っていうか、世紀の
変わり目に世界が滅亡するって言う話が、なんの根拠もなくたくさんの
人たちに信じられてた」
「滅亡……」
「占いなんて絶対信じないようなリアリストだって、心の底で漠然と信じたり
しちゃってたんじゃないかな。なんでそんな与太が広く信じられたかって
考えるとね、やっぱりみんな、無意識で期待してるからじゃないかって、
そう思うんだよね」
「はあ」
「も一個聞きかじりの知識なんだけどね、紀元前一五〇〇年から一八〇〇年代
までに締結された平和条約は八千以上、でも平均有効期限はせいぜい二年足らず」
「……」
紺野はただ口を歪めたまま、保田の言葉に聞き入っている。
「それだけ人間は戦争が好きなんだよ」
- 588 名前:49. 投稿日:2003年06月05日(木)01時31分14秒
- 保田の言葉に、紺野はなんとも言いようのない感じで頷いた。
「今の世界なんて全部ぶっつぶれちまえーっ、システムなんてぶっ壊せーっ、
ってみんな思ってることだけど、でもどんなに思ったって絶対に壊れないんだよ。
地震が来たって大嵐が来たって、テロで何百人殺したってね」
「……」
「矢口がどこまで自覚してるかは分からないけどね。絶望した上でわずかな
可能性に賭けようとしてるのか、紺野が信じてるみたいに本気なのか、あるいは……」
そこまで言って、保田は口をつぐんだ。
もし最悪の可能性があるとしても、そこで判断しなければならないのは
紺野本人だし、第三者である自分が立ち入ることでもない。
- 589 名前:49. 投稿日:2003年06月05日(木)01時31分45秒
- スピーカーから、耳をつんざくようなハウリング音が響いた。
矢口がなにかを喚きながら、モヒカンの男を殴っているのが見える。
が、すぐに周囲の人間を追い払うと、仰々しく玉座へ腰を下ろした。
と同時に、さっと辺りの空気も静まりかえる。
「始まるみたい」
保田がどこかおかしそうな口調で呟く。紺野は無言のまま、じっと両目を
大きく見開いて、矢口から視線を逸らさないでいる。
矢口は真っ赤なシルバーフレームのサングラスをかけると、軽く深呼吸をして
右手で合図を出した。
シンセサイザーの安っぽいファンファーレが鳴り響く。
厳粛さを演出しようとすればするほど、却って紛い物の持っている歪な空気感を
増幅して伝えていっているように見えてしまう。
- 590 名前:49. 投稿日:2003年06月05日(木)01時32分27秒
現場ではそれほどの音でならされていなかったファンファーレも、東京の
あちこちに設置された巨大スピーカーからは、大気を罅だらけにしてしまう
と感じられるほどの凄まじい音圧で吐き出されていた。
こわごわと取り囲んでいた野次馬たちは、一様に身を震わせると、両手で
耳を覆った。
突然の耳を聾するばかりの爆音に、安倍なつみは思わず歩きながら跳ね上がった。
松浦は眉を顰めると、音が鳴り続けている方向へ通じている路地を覗き込んだ。
「なんでしょうか」
「あっちの方に、人がいっぱい集まってるみたいですね」
辻がそう言うのに、三人は体の向きを変えた。
踏切の向こう、ガソリンスタンドの横に拡がっている大きな駐車場に黒山の
人だかりが出来、停車された軽トラックを何重にも取り囲んでいた。
荷台の上に設置された大型ディスプレイとスピーカーが見える。自らの
吐き出している轟音で、スピーカーは土台ごとガタガタと震えていた。
- 591 名前:49. 投稿日:2003年06月05日(木)01時33分00秒
- 「……気になりますね」
松浦が言うのに、安倍と辻の二人も無言で同意した。
その時、ディスプレイの画面がざわめくような音を立てると、次の瞬間
目が痛くなるような光景を映し出した。
ギラギラとした照明が、玉座の手すりに据え付けられた銀色のドクロや、
あちこちに脈絡なく象眼されている金属、そして剥き出しの膝の上で組まれた
両手につけられた派手な指輪、真っ赤なレンズを囲んでいる細いフレームを
不気味に光らせた。
野次馬たちがどよめく。松浦は心配そうに安倍の方を一瞥した。
安倍は軽く下唇を噛んだまま、じっとディスプレイに映し出されている
旧友へ、複雑な感情の混じり合った視線を送り続けていた。
鳴り続いていた音楽が止み、それに呼応するように野次馬たちも水を打ったように
静まりかえっていく。
- 592 名前:49. 投稿日:2003年06月05日(木)01時33分34秒
- カメラマンが不慣れなのか、突然激しくズームアウトすると、今度はぼやけた
画像で矢口の手元がアップになり、ようやく荒い粒子の中で矢口の姿が
落ち着いて映し出された。
矢口は、まるで全てのディスプレイの周りに集まっている野次馬たちを見回すように
鷹揚に首を動かすと、手を握り直してからゆっくりと口を開いた。
「おーっす、知ってるヤツは知ってると思うけど、いろんなところでいろんなこと
やってる矢口真里だよーん。おいらを応援してくれてるヤツ、ぶっ殺したい
くらい憎んでくれてるヤツ、無責任に噂を囁いてくれてるヤツ、みんなありがとう」
からかうような口調で饒舌に言うと、にやっと笑った。
「ま、おいらたちのやってることなんて大したことじゃなくてさ、困ってる
ヤツがいたら助けてやりたいし、腹が減ってるヤツにはなにか食わして
やりたいし、退屈してるヤツらに気晴らしを与えてやりたい。それだけさ。
別に混乱してるなかで人間を集めて成り上がりたいなんて思っちゃいないよ」
- 593 名前:49. 投稿日:2003年06月05日(木)01時34分06秒
- ベンツの窓から、だらしなく腕を垂らしてもたれ掛かって、中澤はぼんやりと
矢口が喋るのを見ている。
周囲を固めている黒服の集団も、余計な発言をすることはなくただ矢口の
言葉へ耳を傾けているだけだ。
「けどまあこうやって目立つ存在になると、いろいろやっかんでくる連中も
いるみたいでさ、特に最近は家焼かれたりいきなり殴り込まれたりして
おいら困っちゃってるんだよ。
聞いてるか? お前のことだよ、中澤裕子」
矢口はそう言うと、カメラへ向かって人差し指を突きつけた。人を食ったような
三体のロボットがデザインされたシルバーリングが光った。
周囲のどよめきには関わらず、中澤は相変わらず無表情のまま、矢口の映像へ
視線を向けている。
- 594 名前:49. 投稿日:2003年06月05日(木)01時34分39秒
- 「なるほど、あんたがおいらのことをぶっ殺したいって気持ちはよーっく分かる。
そうだよなあ、カワイイカワイイって言ってた飼い犬に手を噛まれて、あんたが
こそこそ進めてきた下克上大作戦もおじゃんだ。ま、おいらがどうしようが
どうせ地震で台無しになってただろうけどな!
今おいらがどこにいるか知りたくてしょうがないんだろ? 放送の機材を
トラックでセッティングさせた連中は、今頃拷問で虫の息か?」
矢口の言葉に、二、三人の中澤の部下が背後の車を振り返った。
トランクには、すでに中澤によって無惨に殺されたヤンキーたちの死体が
ビニールでぐるぐる巻きにされて詰め込まれている。
が、中澤は眉一つ動かすことなく、じっと矢口の話に聞き入っている。
「まーいいさ。あんたはヤクザだ。人を殺すのが仕事だろ。おいらは違う。
おいらは人を楽しませるのが今の仕事。だったら、あんたにも協力して
貰おうかなって思ってさ。けどちょっと穏やかじゃない感じだから、こうやって
宣伝がてらにあんたにメッセージを送ってるんだけどさ」
- 595 名前:49. 投稿日:2003年06月05日(木)01時35分10秒
- 松浦は緊張感を保ったままディスプレイに見入っている。安倍も同様だった。
辻はちらっと二人に視線をやると、少し考え事をするように目を伏せた。
が、またすぐにディスプレイへと目を戻す。
- 596 名前:49. 投稿日:2003年06月05日(木)01時35分41秒
- 矢口は横から伸びてきた手から葉巻を受け取ると、芝居がかった仕草で紫煙を
くゆらせた。それは中澤が以前に好んでいたものと同じ銘柄だった。
「とりあえず、さ。あんたにとっちゃただの街のチンピラなんて一山いくらで
殺しまくっても構わないクズかもしれないけど、おいらに取ってみれば
やっぱり協力してくれる連中だしテキトーに扱われてもムカつくんだ。
闇討ちとか奇襲とかさ、汚いマネやめて正々堂々と決着つけようぜ?
幸い、二人ともこういうオモチャの使い手だ。古臭い演出かもしれないけど、
分かりやすくていいだろ」
そう言うと、懐から一丁の拳銃を引っ張り出す。
どこかの金持ちの愛蔵品だったものか、銃巴や銃身に色鮮やかな宝石が埋め込まれて、
全体は落ち着いた金色で鈍い光を放っている。
さすがに、中澤の部下たちの間からも、その拳銃を見てため息が漏れた。
中澤は矢口からの挑発にも動じた様子はない。ただの傍観者であることを
意識して振る舞っているようにも見える。
- 597 名前:49. 投稿日:2003年06月05日(木)01時36分13秒
- 「あんたの世界じゃ、どっちかが血を流して倒れるまではカタはつかないんだろ?
仁義ってやつ? 知らねーけどさ。だったらおいらとあんたで、せっかくだから
こうして東京に残ってる連中をジャッジにしてやりあおうじゃんか。
どうだ? 血が騒ぐだろ? 三十路になったってチンピラはチンピラだよ。
ナイフが好きで銃が好きで、なにより血が大好きだ。違うか? ちょっと
偉くなったからって心根まで変わるもんじゃねーだろ。
いや、あんたは偉くなり損ねた人間だな! 惜しかったな、キャハハハハハ!
今夜の十二時。場所はいつもの球場だ。お膳立てはもう済ませてある。
見たいやつは今から走れ! まだ五時間以上ある。全然間に合うだろ。
どうしても都合で動けねえってやつは今見てるテレビで我慢しろ。
じゃ、楽しみにしてるぜ、裕ちゃん。ガッカリさせるなよ!」
映像が切られ、同時に再び爆音のファンファーレ。
野次馬たちの中には、まだ状況を把握できずに戸惑ったように周囲の様子を
窺っている連中もいたが、祭りを敏感に感じ取ることに長けた大勢はすでに
球場へ向けて駆けだしていた。
熱っぽい口調で早くも勝敗予想を始めてる連中もいる。
彼らが二人の関係やこれまでのいきさつを知らないことなど大した問題では
なかった。祭りというのは存在じたいに意味がある。考えているヒマなどはない。
- 598 名前:49. 投稿日:2003年06月05日(木)01時36分52秒
- 安倍は溜息をつくと、松浦を振り返って肩を竦めた。
「なんか、もう手遅れみたいだね」
そう言って苦笑して見せたが、松浦は目を閉じたまま微動だにせず天を仰いでいた。
「……松浦さん?」
辻も不思議そうな顔で松浦の顔を見上げる。
と、松浦はゆっくりと目を開いて、
「あれはどこかの建物の屋上だった。あの風景は、……ああ、思い出せないっ!」
両手でアタマを挟んで言うと、大袈裟に地団駄を踏んだ。
安倍は、なんとなく笑ってしまっていた。
- 599 名前:49. 投稿日:2003年06月05日(木)01時37分27秒
- 群衆が右往左往し始めているのをぼんやりと見つめながら、中澤は軽く息を吐いた。
側近の一人が駆け寄ってきて耳打ちをする。
「どうします?」
「どうするって……名指しで喧嘩売られたのなんて、もう十年以上ぶりやな」
「……まさか、おめおめと乗り込むつもりじゃ……」
「呼ばれたもんは、行かなしゃあないやろ」
「でも、相手は」
「おい、十二時やったな。都内に散らしてある連中全員呼び集めろ。ソニンもや」
「は、はい」
まだ釈然としない様子で、側近は通信機を手にその場を離れていった。
- 600 名前:49. 投稿日:2003年06月05日(木)01時37分58秒
- 中澤は車内へ身体を戻すと、ぐったりと柔らかな後部座席のシートへ全身を埋めた。
ハンドルに手をかけたまま、里田が不安げにミラー越しに視線を送ってきている。
「まだ出えへんでええよ。時間はたっぷりある」
「……分かりました」
分かりやすいニュアンスの込められた返答に、中澤は苦笑した。
「なんや、不満か?」
「そんなことは……。中澤さんのことですから、深い考えがあっての決断だと
思っています」
里田の生真面目な口調に、中澤はおかしそうに笑って、
「考え? そんなんないよ。ただ、喧嘩を売られたら黙ってられんっちゅう
だけのはなしや。中坊の頃から変わらん」
「……」
「喧嘩が好き。それだけや」
- 601 名前:49. 投稿日:2003年06月05日(木)01時38分29秒
- 全ての電源が落とされてから、ようやく矢口は全身の力を抜いて玉座から
立ち上がった。こめかみから一筋の冷や汗が流れ落ちていった。
「ふう、疲れたー」
「お疲れさまです」
側に控えていた新垣が、ハンカチで汗を拭う。
矢口はミキサー卓の側でしゃがみ込んでいる市井を見ると、
「どう? 感想は?」
「……さあ、よかったんじゃないの」
市井はあまり気の乗らない様子で返した。
「よし、機材班は先に球場へ行ってセッティングしておいてくれ! 新垣、
お前は、紗耶香とあっちの二人を連れて球場へ行っててくれ。おいらたちは
あとから入る」
矢口は保田と紺野を顎で示すと、慌ただしく機材を運び出している小川たちの
間を縫って屋上を出ていった。
新垣は生真面目な表情のまま二人の方へやってくると、
「そう言うことなんで、一緒に行きましょう」
「あんたも大変だね」
保田はそう言って笑うと、立ち上がった。紺野もそれに続いて歩き出す。途中で
市井も合流した。
どこか寂しげな三人の後ろ姿を見つめていた新垣だったが、慌てて後を追った。
- 602 名前:49. 投稿日:2003年06月05日(木)01時39分03秒
□ □ □ □
人気のないアーケード。荒らされ放題のブティックが向かい合う入り口には、
色褪せたアーチが半壊したまま奇妙なバランスを保っていた。
十五人の隊列は規則正しく小さな足音を響かせながら、罅だらけのプロムナードへ
足を踏み入れた。薄暗いなかで、時たま弱い星の光を隻眼のサングラスが
反射して煌めいた。
カラオケボックス、ラーメン屋、ファミレス、ゲームセンター、ファーストフード、
美容室、CDショップなどが立ち並んでいる通りを、細かいある情報の分析に
従ってゆっくりと進む。
ゲームセンターから百五十メートルほどの場所にあるそれほど大きくはない
雑居ビルの前で隊列は足を止める。
一階は花屋、そこから上のフロアは順に古着屋、防具店、サラ金、最上階は
歯科医の看板が出されている。
少女たちはビルの横にある、ジグザグの錆び付いた階段をまっすぐに整列し直して
上っていった。途中には、埃まみれになり腐りかけている人間の死体も
転がっていたが、気にすることなく踏みつけていった。
- 603 名前:49. 投稿日:2003年06月05日(木)01時39分41秒
- 少女たちは迷うことなく最上階まで上っていく。閉じられたままの扉には
『杉作歯科』と地味なステッカーで示されていたが、実状は闇医者だろう。
先頭の少女がノブへと手をかけるが、硬く閉じられていて開くことは出来ない。
鍵がかけられているわけではなく、強力な力で押さえつけられているような
感覚だった。
少女は戸惑った様子もなく、先が平べったくなった鉛筆を思わせる爆弾を五本だけ
取り出すと、ドアの下のわずかな隙間へと挟み込んで、素早く後退していった。
数秒後、サンドバッグを殴るような低い音が響き、煙と共にドアが弾け飛んだ。
先頭の少女が右手を挙げる。後続の十四人は筒状の長針銃を構え、先頭に
続いてガタガタと軋む階段を上がっていく。
- 604 名前:49. 投稿日:2003年06月05日(木)01時40分20秒
- と、煙をかき分けながら、一人の男が咳き込みながら顔を出した。
スキンヘッドに丸メガネをかけ、年齢は四十代後半といったところだろうか。
ひどく肥満した身体を煙の中でふらつかせている。
「って、なんだよおい……」
ブツブツと愚痴りながら、真下まで上ってきている少女の集団に目を留めた。
「おめーら」
言いかけた口を針が貫き、後頭部へ突き抜けた。
男はふらふらと踊り場を後ろへ下がっていくと、そのまま五階下の地面まで
落下していった。生身の肉体が叩き潰される鈍い音が微かに聞こえてきた。
少女たちは男の末期を見送ることなく、ぞろぞろとドアをくぐって室内へと
侵入していった。
それほど広くはないロビーに、定石通りの受付と漫画や雑誌などが置かれた
ソファがあり、奥の施術室へつうじている入り口には扉がつけられていなかった。
少女はざっとロビーを見回し、そこに目標がないことを確認するとそのまま
施術室へと進んでいった。
- 605 名前:49. 投稿日:2003年06月05日(木)01時40分52秒
- その時、長方形に開いた入り口に小柄な影が姿を現す。
少女は足を止めた。後続は長針銃を構えたまま素早く布陣を広げる。
長い髪を二つ縛りにし、前髪を斜めに垂らして額を隠している。
白のパーカーに、オレンジのチェックのスカート、デニムのスニーカーを
履いており、両手で黄色いクマのぬいぐるみを抱いている。
加護亜依は不快そうに目を瞬かせながら、十五人の少女の集団を見て呟いた。
「おっちゃん殺してどうしてくれんねん」
少女たちはなにも答えない。加護は溜息をついて続けた。
「誰がこれからクスリ調合してくれんねん、おい!」
そう言うと、握った右手を前に出して、ジャンケンの時のようにパッと開いた。
途端に、先頭で指揮を執っていた少女の身体が弾けた。鮮血が周囲の壁に
張り付き、細かく砕かれた骨や内臓、消化器などがデタラメに飛び散って
ロビーを満艦飾に染め上げた。
反射的に、何人かの少女が長針銃の引き金を引く。空気の抜けるような音が
連続的に響き、細長い針が加護に向かって飛来していった。
が、命中する寸前、全ての針は一瞬で蒸発し消えてなくなった。
- 606 名前:49. 投稿日:2003年06月05日(木)01時41分24秒
- 「終いや」
ニヤッと笑いながら言うと、加護は両手でぬいぐるみを掲げた。
凄まじい爆発音が、静まりかえったアーケードに響き渡っていった。
- 607 名前:更新 投稿日:2003年06月05日(木)01時41分54秒
- 49.凶区 >>581-606
- 608 名前: 投稿日:2003年06月05日(木)01時42分43秒
- >>579名無しAVさん
確かに(w
松浦見るたびに白いなって思ってしまいます。
>>580名無し読者さん
ラストスパートなんでテンションをあげて行こうかな、と。
対決は次回。とさりげなく予告編。
- 609 名前: 投稿日:2003年06月05日(木)01時45分26秒
- 忘れてた。
>>575
この話の中の時系列では吉澤は十七歳ですね。訂正です。
- 610 名前:名無し読者(コーヒー) 投稿日:2003年06月05日(木)05時34分21秒
- 予告編キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
ずっと思っていたことですが・・・映画化とかしてほしいっ!
アレみたいにウズベキスタンオールロケとかで・・・w
次回更新もテンションをあげてお待ちしています!
- 611 名前:名無しAV 投稿日:2003年06月05日(木)17時32分09秒
- わぁ…・・・感嘆。
アンリアルでここまで映像が浮び易い小説は珍しいと思う。
- 612 名前:名無しさん 投稿日:2003年06月06日(金)00時50分18秒
- J太郎?(笑)
- 613 名前:50. 投稿日:2003年06月11日(水)01時38分51秒
50.翼のある蛇
微かに周囲を取り巻いてくる気配に気付き、ゆっくりと目を開けた。
いつの間にか、周囲は闇に包まれてしまっている。腕を伸ばして時計を確認すると
すでに十時を過ぎていた。
地上へ戻り、少し歩いた場所にある人気のないアパートの跡地で少しだけ
体を休めるつもりが、かなりの時間を過ごしてしまっていたようだった。
それだけ、心身での疲労が大きかったと言うことかな……、と後藤は考えるが、
すぐに忘れる。どうでもいいことだ。
暗闇に目が慣れる前に、聴覚が周囲で起こっている出来事を把握していた。
荒い息づかい、散発的に聞こえる、生暖かい唾液が垂れ落ちる音、消化器の
奥から沸騰するように漏れだしてくる呻き。
どうやら野犬の群に囲まれてしまっているようだ。
- 614 名前:50. 投稿日:2003年06月11日(水)01時39分22秒
- 眼球だけを動かし、周囲の状況を確認する。錆び付いた自転車の側にある
草むらに三匹──そのうちの一匹が口にくわえているのは、血と泥にまみれて
半ば腐敗している人間の足首だった──、右手の水たまりの後ろに四匹、
目の前で、病気を患っているのか前脚を痙攣させているのが二匹。何日ぶりかの、
ひょっとしたら何週間ぶりかの新鮮なディナーを前にして、興奮を抑え
きれない様子だ。
特に問題にするようなことでもなかった。後藤は二、三度瞬きをすると、
おもむろに立ち上がった。
一瞬、目の前の二匹が怯んだように姿勢を低くしたが、間髪を入れずに
よだれの糸を引きながら首筋を目がけて飛びかかってきた。暗闇の中で、
感情のない両目だけがギラギラと光を放っていた。
これまで何人の人間を襲って生き延びてきたんだろう……ぼんやりとそんなことを
考えながら、後藤は肘で野犬の額を砕いた。悲しげな嘶きを残して、野犬は
そのまま地面に倒れ伏した。
- 615 名前:50. 投稿日:2003年06月11日(水)01時39分54秒
- その声を合図にするように、野犬たちは次々と咆吼をあげながら襲いかかって来る。
後藤は後ろにジャンプしてかわすと、足下へ牙をむきだしてきている野犬へ
向かって警棒を振り下ろした。青白い光がオーロラのように残像を残した。
野犬は縦に真っ二つに切り裂かれると、どす黒い内臓を撒き散らしながら
左右へ落ちた。断面から生暖かい蒸気が白く立ち上っていた。
「お」
後藤は無意識で放った一撃に驚いたように、自分の手元を見下ろした。漆黒の
特殊警棒はぼんやりと青白い光を帯び、全く犬の体液に汚されてはいなかった。
「また、つまらぬモノを斬ってしまった……」
冗談めかして言ってみる。すでに警棒から光はなくなっていた。まだ意のままに
操るというのは難しそうだった。恐らく、突然の危機に対して反射的に
現れる反応でしか、まだなっていないようだ。
飢えた犬たちは、ようやく野生の勘で異様な状況を読みとったのか、未練
がましそうな声をあげながらバラバラの方向へ散っていった。
そして再び静寂が戻る。
- 616 名前:50. 投稿日:2003年06月11日(水)01時40分26秒
- 「あれ。なんだー、乾パンの残りならちょっとあったのに」
笑いながら呟くと、いつものように携帯PCを取りだして新着の情報を
確認する。
ディスプレイをスクロールさせながら、緩んだ表情が次第に引き締まっていった。
軽く鼻息を漏らすと、携帯PCを入れたリュックをしょい直して、早足で
歩き始めた。雲の多い空から、ぼんやりとした月の光が漏れだしてきていた。
- 617 名前:50. 投稿日:2003年06月11日(水)01時41分23秒
- ジグザグに崩れ落ちた高架線を潜り抜けると、右方向には傾いた都庁舎が
シルエットとなってその偉容を見せつけている。
ドミノ倒しにされた自転車の上にフェンスが倒れ、埃だらけのだだっ広い
空間がその前に開けていた。一台の骨組みだけになってしまったカローラが、
ぽつんと隅っこへ放棄されていた。アイドルが頬に手を当てている交通安全の
ポスターが、色褪せて剥がれかかっていた。その下に、子供用の小さな
ビニール靴が、泥だらけになって転がっていた。
のろのろと空き地を横切っていた時、不意に人の近付いてくる気配を感じた。
後藤は平静を装ったまま、小さな足音が近付いてくる方向へ目を向けた。
月明かりに照らされた人影を見て、後藤はふっと相好を崩した。
「ああ、よっすぃーか」
小声で呟いたのは、相手には聞こえなかったようだった。
- 618 名前:50. 投稿日:2003年06月11日(水)01時42分03秒
- 吉澤は小走りに歩み寄ると、おどおどとした調子で声をかける。
「あ、あの……後藤真希さんですよね?」
以前、といっても大分前の出来事だったが、その時の雰囲気からはずいぶんと
隔たっているように感じた。
後藤は能面の表情へ戻ると、肩を竦めて言った。
「だったら?」
「あの……私、松浦って人から聞いて、その」
吉澤の言葉に、後藤は心の中で舌打ちをした。なんだアイツは。工作員の癖に
べらべらと知ってることを喋りやがって。
いや、あの如才ない松浦のことだ。この吉澤ひとみとなんらかの情報の
取引でもあったのかもしれない。そう言えば、吉澤も中澤裕子の関係者の
一人だった……はずだ。
が、だとしても後藤にはなんの関係もない話だった。それよりも、今は別の
優先すべきことが目の前にある。
「知らないよ。急いでるから」
切り口上で言うと、埃だらけの地面をすたすたと歩き始めた。ぽつぽつと
アスファルトの隙間から雑草が伸び始めているのが見えた。
- 619 名前:50. 投稿日:2003年06月11日(水)01時42分37秒
- 「ま、待ってください」
慌てて吉澤が駆け寄ってくると、後藤の腕を掴んだ。
苛ついたようにその手を振り払うと、眉を顰めて振り返る。
「触らないでくれる?」
はっとしたように、吉澤は立ちつくした。
後藤は馬鹿にしたように鼻を鳴らすと、また歩き出そうとする。
と、背後から吉澤が声をかけた。
「C装置、知ってますよね?」
松浦め、今度生きて会ったら……。
後藤はイライラしたようにまた振り返った。どうしてもこのまま逃がしてくれそうな
雰囲気ではないことは、吉澤の切羽詰まった口調からも伝わってきた。
「だ・か・ら、私がそのことを知っててそれがあんたと何の関係があるわけ?」
早口で捲し立てる。吉澤は一瞬怯むが、
「それは……、私の友達を助けるのに、それが必要なんです」
「なにそれ」
遮るように返すと、ふっと笑った。
「あんたの友達が生きようが死のうが、私には関係ないじゃん。違う?」
無情なセリフに、一瞬吉澤の表情が強張ったように見えた。後藤にとっては、
昔からあんな表情はいつも身近にあった。それをふっと思い出した。
そうだった、この女も自分と同じだ。ストリートのゴミ溜から成り上がって、
それから転落した。いわば、落ちこぼれの中の優等生か。
- 620 名前:50. 投稿日:2003年06月11日(水)01時43分12秒
- そう考えると、よく分からないムカムカとしたものが、後藤の中に沸き上がってきた。
「私あんたのこと知ってるよ。吉澤ひとみでしょ? 元凶棒チャンピオンの」
「……」
後藤が言うのに、吉澤は戸惑いを見せるが、悲しげな表情で頷いて見せた。
「あのね、あんたが一番目立ってたときから、私あんたのことが大ッキライだったんだよね。
で、なに? 落ちぶれたらいくらアタマ下げても平気なんだ? ま、減るもんでも
ないしね〜。あんた人間として今サイコーにカッコ悪いよ」
面白がって後藤が言葉を積み重ねるに連れて、殊勝だった吉澤の表情が
次第に変わっていくのに気付いた。
それはそうだ。元々こいつはそう言う人間なんだ。
が、吉澤は項垂れたまま、もう一度深々と頭を下げた。
「お願いします。助けて欲しいんです」
- 621 名前:50. 投稿日:2003年06月11日(水)01時43分55秒
- 後藤は溜息をつくと、背負っていたリュックを下ろして、二人の間に放った。
「……」
吉澤は怪訝そうな表情でリュックに目をやる。
「私の集めた情報なら、その中にある携帯PCに全部入ってるよ。欲しいんでしょ?
早く拾ったら?」
不審そうな様子で後藤とリュックを見比べていた吉澤だったが、そろそろと
リュックの転がっている方へ足を踏み出していった。
後藤は腰に手を当てたまま、じっとその姿を見つめている。
吉澤は後藤から目を逸らさないまま、リュックへと腕を伸ばした。
と、その瞬間後藤の身体が跳ねた。風を切る音が鳴り、吉澤は反射的に
身体を後ろへジャンプさせていた。
リュックを足で押さえたまま、後藤は漆黒の特殊警棒を構えたままニッと笑った。
警棒は月の光を浴びて鈍い光沢を見せていた。吉澤は唖然としたように、
頬に手を当てた。警棒の先端が掠め、一筋の切り傷が刻まれている。
- 622 名前:50. 投稿日:2003年06月11日(水)01時44分29秒
- 「ご、ごっちん、なにを……」
無意識のうちにそう呼んでいたが、後藤は特に反応することもなく、
「どうしたの? 欲しけりゃ早く拾えって。ほーらほら」
からかうように言うと、吉澤の鼻先で警棒をくるくると回して見せた。
まるで、野良犬をおちょくっている子供のような仕草だった。
何度か瞬きをした吉澤の目が、少し変化したように見える。
「お願い、遊んでる場合じゃないんだよ」
少し苛立ったようなトーンが混じっているが、それでもまだ下手に出たまま
吉澤が言う。
が、今度は後藤が厳しい口調で吉澤へ返した。
「遊び? なに言ってんの?」
そう言うと頑丈な布で作られたリュックを蹴飛ばす。埃を撒き散らしながら、
リュックはカローラの死骸の近くまで回転しながら滑っていった。
「欲しけりゃ私を殺して奪えって言ってるんだよ」
吉澤は当惑した表情のまま、ぼんやりとリュックの行方を目で追っていた。
それから、弱々しい口調で呟いた。
「そんなこと言ったって……」
「友達、助けたいんでしょ? だったらほら、カッコいいとこ見せなきゃー」
- 623 名前:50. 投稿日:2003年06月11日(水)01時45分05秒
- ニヤニヤと笑いながら、後藤が言う。
「なに? ひょっとして元チャンピオンの癖にシロートとやりあうのが怖いとか?
プッ、そこまで落ちぶれちゃ確かにしょうがないか〜。そんなヘタレに友達だって
期待してないんじゃない? どーせあんたがいたっていなくたって死ぬ運命なんだよ。
あはは、でもあんたはおめおめと私の挑戦も受けずにだらだら朽ち果てるまで生きて、
果てはご長寿クイズに出場予定? いい人生だねー、私も見習いたいなー。
そこまで落ちぶれて平気でだらしなくたるんだ身体を晒してさ」
「う、うるさいっ!」
鋭い声が乾いた空気を切り裂き、黒いコートをはためかせて長身の身体が跳ねた。
後藤は予想範囲の攻撃だとばかりに、軽く後ろへジャンプして純白の警棒を
かわす。
と、吉澤は大地を蹴り、リュックの転がっているカローラの方へと跳ねた。
- 624 名前:50. 投稿日:2003年06月11日(水)01時45分44秒
- 「バカ?」
後藤は苦笑すると、空中で身体を捩って、吉澤と同じように地面を蹴り上げる。
後藤からの攻撃を避けて体のバランスを崩し、吉澤は腐ったシャーシに
身体をぶつけた。
後藤は低い姿勢のまま、右脚で激しく蹴りを繰り出した。鉛を仕込んだブーツは
吉澤の顔を掠め、錆び付いたカローラの車体に穴を開ける。
続けざまに吉澤の身体をなぞるようにいくつもの穴が開けられた。まともに
食らったら確実に骨は砕けるだろうが、後藤はわざと外している。
吉澤は屈辱に下唇を噛みしめると、隙をついて転がるように後藤から距離を取った。
へらへらと笑いながら、後藤は警棒でリュックを拾い上げると、
「残念! もうちょっとでハワイ旅行だったのにね〜」
投げあげられたリュックは、再び二人を結ぶ直線上の真ん中へと落ちた。
- 625 名前:50. 投稿日:2003年06月11日(水)01時46分15秒
- 「この……」
吉澤も、この人を食ったような態度の女性からすんなり情報を得ることは
もはや不可能だということは悟っていた。
白の警棒を構え直すと、過去の感覚を取り戻そうとするように、深々と息を吸った。
後藤はそれを見ると、満足げに頷く。
「やっとその気になった? チャンピオン、よっすぃー」
挑発的に言うと、迄と表情を引き締めた。
「言っておくけど、公式の試合じゃないからね。どっちかが死んだら負け」
「分かってるよ……」
低い声で呟く。刹那、高架下に強化プラスチックがぶつかり合う乾いた音が
反響していった。
- 626 名前:50. 投稿日:2003年06月11日(水)01時46分49秒
□ □ □ □
大音響でトランスが鳴り響くでもなく、明滅する照明に煽られてもいなかったが、
煌々とライトアップがされているだけの球場は、これまで以上に暑い熱気に
よって包み込まれているように感じられる。上空から見れば、期待に体温を
上昇させた野次馬たちから立ち上る蒸気が、白い影になって観察できるかもしれない。
常軌を逸している。バカバカしすぎる。外にあふれ出た群衆が遠巻きにしている
球場をじっと見つめながら、安倍なつみはそうとしか考えることが出来なかった。
松浦とは関係なく、矢口と中澤の間に割って入りたい気持ちだった。だが、
もし矢口が自分の顔を見たら、果たしてなんて言うだろうか? 泣きながら
自分の早とちりを詫びてくれるか、あるいはまだ撃ち足りないとばかりに
キンキラキンの拳銃で本格的に蜂の巣にされるのか。
- 627 名前:50. 投稿日:2003年06月11日(水)01時47分27秒
- 矢口との再会は慎重にすべきだと言うことはさすがに理解はしていた。それでなくても、
ここのところの矢口は常軌を逸しているように見える。粗暴さは以前から
多少は見られたものの、あそこまでムチャクチャをするような人間ではなかった。
沈着さを兼ね備えているからこそ、向こう見ずな粗暴さも武器に出来たはずだ。
それが、今これから衆人環視の中で、ヤクザの組長と一対一の勝負をしようと
している。矢口の仲間が中澤たちからかなり痛い目にあわされているという
ことも知っていた。もちろん、この場にまだ現れていない中澤だったが、
単身乗り込むなどと言うことはあり得ないだろう。集団同士でやりあったとしても、
矢口たちが勝つ可能性はほとんどない。
もしその自暴自棄にも映る行動が、自分を撃ったことを発端として起こっている
とすれば……? そう考えると、安倍は居ても立ってもいられない気分だった。
それでもなお、ここで駆け出すことの出来ない自分の優柔不断さを、安倍は呪った。
あるいは、ゼティマの門を駆け抜けていったときのトラウマが、未だ心の奥に
残っているのかもしれない。いくら福田が細胞を自在に操れるとしても、
心の奥深くにめり込んだ銃弾にまでは手を出すことは出来ないだろう。
群衆の喚声がエコーのように響いている中で、安倍は両手を擦り合わせながら
イライラと状況を見守ることしか出来ないでいた。
- 628 名前:50. 投稿日:2003年06月11日(水)01時48分08秒
- その時、突然隣に腰を下ろしていた松浦が、膝を叩いて立ち上がった。
「瀬戸総合病院!」
喧噪の中とはいえ、安倍は驚いて座ったまま転びそうになった。
「な、なに……?」
「そうだ、美貴が義足の手術を受けた政府の……なんで気付かなかったんだろう」
松浦は一人でブツブツと言うと、安倍と辻を促した。
「大分走りますけど、いいですか?」
「え、ちょっと、だってこれから矢口が……」
「説明している時間はありません、急ぎましょう!」
そう言うと、まだ困惑気味の安倍の手を取った。
安倍は困ったように反対側に座っている辻を振り向いた。
辻は神妙な表情で松浦と安倍を見比べると、
「辻も、……多分亜弥ちゃんの考えてるのと同じです」
「もうっ、どういうことなのっ!」
苛立ったように安倍が叫んだとき、球場を取り囲んでいた群衆が一際大きな
どよめき声を発した。
数台の黒塗りのベンツが、次々と進入してきたからだ。
- 629 名前:50. 投稿日:2003年06月11日(水)01時48分45秒
- 「……」
松浦は複雑な表情で、あっというまに群衆に取り囲まれてしまったベンツ群を
見つめていた。
「亜弥ちゃん?」
安倍が心配そうに声をかける。が、松浦はかぶりを振ると、
「とにかく、もう中澤さんを止めるのは無理だし、……私は行きますっ!」
言うや、松浦は群衆をかき分けるようにして駆けだしていってしまう。常人離れした
スピードで、あっという間に視界から消えた。
「あ、ちょっと待ってよ!」
安倍が驚いて立ち上がるのに、すでに腰を上げていた辻に腕を掴まれた。
「安倍さん、遅れないでくださいね!」
失礼な。確かに足は速いほうじゃないけど……。
思いの外俊速な辻に腕をひかれながら、安倍は置いてきぼりにされている
自分を感じていた。
筋違いとは分かっていたが、あの夜以来ずっと姿を現さない福田をなじった。
(明日香、どうしたのよ、またいつもみたいに減らず口叩いてよ……)
安倍の中では、すでに福田は過去に殺された親友ではなくなっていた。そのことに、
本人だけが気付いていなかった。
- 630 名前:50. 投稿日:2003年06月11日(水)01時49分24秒
□ □ □ □
球場裏の公園に、数台のバンが並んでいる。矢口側の人間は全員が球場での
整備に出て行ってしまい、この場に残っているのは最後尾につけられたバンに
居残っている保田たちだけだった。
思えば、矢口と初めて言葉を交わしたのもこの公園だった。保田は感慨深げに
思い出すが、バックミラーに映っている新垣の緊張感のある表情を見て、
再び気を引き締めた。小柄な彼女が、自動小銃をまるで我が子のように
抱えている姿は、どこか異国の風景のようにも錯覚させられる。
助手席には紺野が座り、うとうとと寝息を立てている。新垣はちらちらと
呆れたような視線を送っているが、起こそうとはしなかった。ただ、こんな
状況で居眠りの出来る紺野の図太さに、半ば呆れつつも感心しているように見える。
- 631 名前:50. 投稿日:2003年06月11日(水)01時50分02秒
- 保田は後部座席の隣に座っている市井と目配せをすると、軽く頷いた。
市井は目を閉じると、深くシートへ身を沈めた。
数秒ほど待ってから、保田が小声で新垣に話しかける。
「ね、紺野寝てるの?」
「あ、はい、そうみたいです」
相変わらず生真面目な表情と口調だな、と保田は笑いそうになるが、抑えて
言葉を継いだ。
「いや、なんかこいつも疲れてるのかなんか知らないけど寝ちゃっててさ、
ね、悪いけどちょっとでいいから水飲ませてくれない?」
「ええ、いいですよ」
そう言うと笑って、紺野の膝の上にある、ペットボトルの入ったリュックへ
手を伸ばした。
と、待ちかまえたように紺野が新垣の腕を押さえ、後ろから市井が手を伸ばして
助手席の手すりに手錠で腕を繋げてしまった。
「なっ……」
- 632 名前:50. 投稿日:2003年06月11日(水)01時51分30秒
- 驚いて目を瞬かせている新垣の身体を助手席へ押しやると、両手をヒラヒラさせながら、
保田が運転席へ潜り込んできた。いつの間にか、自動小銃も彼女の腕の中にある。
「あんたが悪い子じゃないってのは分かってるから、ちょっとおとなしくしててね」
「そんな、い、いつの間に……」
舌を縺れさせながら言う新垣を助手席へ押し込むと、紺野は身体を捩って
後部座席へ移動した。保田は自動小銃を市井へ手渡すと、刺さったままの
イグニションキーを回して、アクセルを踏みハンドルを切った。
- 633 名前:50. 投稿日:2003年06月11日(水)01時52分05秒
- 「で、あんたの読みってのは正しいんだろうな?」
保田の乱暴な運転に顔をしかめながら、市井が後ろから怒鳴った。
新垣はすぐに自分の置かれている状況を飲み込んでしまったのか、助手席に
収まったまま身を縮めている。
なんとなく、そんな姿がどこか痛々しく映った。
「紺野から聞いた。あの藤本ってサングラスの女は、政府の工作員だよ」
「え? てか、あんたの仲間じゃん」
保田が言うのに、市井は皮肉っぽく返した。
「いちいち説明するのも面倒なんだけど、東京政府も一枚岩じゃなくてね。
私の雇い主はもう失職して田舎に帰ってる。でも藤本は違う。あれは、はじめから
矢口を利用するつもりで近付いてる」
「双方共倒れを狙ってんのか?」
「だろうね。矢口だって馬鹿じゃないから、ヤクザの連中とまともにやりあって
勝てるわけないってことくらい分かると思う。だとすれば、なにか作戦を
藤本が吹き込んだんだよ。矢口がなにを考えてるにしても、まずは藤本を
捕まえて吐かせないと」
- 634 名前:50. 投稿日:2003年06月11日(水)01時52分36秒
- 「保田さん、これで大丈夫ですか?」
窓から身を乗り出していた紺野がシートへ戻った。風を受けて髪がぼさぼさに
なっていたが、直そうともせず、取り付けたばかりのアンテナのケーブルと
保田の通信機を繋いだ。小さな液晶画面に映る粗い映像は見やすいとは言えなかったが、
それでも球場から送られてくる中継をちゃんと拾ってきていた。
保田は横目でディスプレイをチェックすると、
「OK。もうそろそろ時間だから、あの場所でなにが起こるのか、しっかり
見ておいて」
「はい」
紺野は覚悟を決めたような声で、決然と返事を返す。
ディスプレイには、遠巻きに見守る群衆の中を、黒服の集団が悠然と歩いて
いく様子が映し出されている。
彼らの向かうステージの上には、ド派手な服装で玉座に腰をかけた矢口真里の
姿がある。葉巻を指に挟み、ニヤニヤ笑いを浮かべている彼女の思惑は、
ここから読みとることは難しそうだった。
- 635 名前:50. 投稿日:2003年06月11日(水)01時53分09秒
□ □ □ □
「おはよう」
「……」
「Aさん」
「……」
「どうしたのよ? なにか言ったら?」
「なにも言うことなんてないけど」
「そうなんだ。いよいよこれからだってのに、相変わらず……」
「クール?」
「自分で言っちゃった」
「意外に早かったね。圭織のことだから、あのまま全消去するつもりだって
思ってたけど」
「そんなの無理だって分かってるし、そんならこうやってお話したほうが
いいかなー、って思ったからさ」
「下手に出たってなにも出ないよ」
「ノリ悪いねー」
「知ってるくせに」
「……ま、いいや。ふふふ、突っ張ってるけど明日香だって楽しみでしょうが
ないんじゃない?」
「別に。勝手にすればって感じ」
「素直じゃないんだから」
「ま、圭織が自分の失敗に気付いて泣きわめくのを見るのは楽しみかな」
- 636 名前:50. 投稿日:2003年06月11日(水)01時53分45秒
- 「失敗? 変なこというねー」
「強がったってダメだって。私も失敗。B装置も失敗。C装置だって作り直しても
どうせ失敗だよ。あんたの才能じゃそこまでが限界」
「おかしいこと言うね。自分が失敗とか自覚してるわけだ?」
「失敗だよ。私はなに? ただの悪意の塊だよ。純度100%のね。人間的な
感情なんて一ミリも残ってない。人間が薄汚い肉の袋にしか見えない。こんな風に
蘇らせて、それでもあんたは私に感謝しろとでもいいたいわけ?」
「言うね。それはただの性格の問題だよ」
「ふん。私の目を通して街を歩いてみればよく分かるよ」
「だから辻の体を使っていろいろ悪さしてたんだ? 人間界への復讐?
それはそれで楽しかったでしょ」
「ええ。お陰でなっちとか矢口がどんな風に狂ってったかも見ることが出来たしね」
「だよねー。圭織もビックリだよ」
「他人事じゃないよ。私も、あんたも狂ってる」
「そんなこと言ったら、東京だって、世界全体がもう狂っちゃってるんだよ」
「だろうね」
「だから圭織はB装置を作ったの。一旦振り出しに戻して、正しく進み直せるようにね」
「よく言うよ」
- 637 名前:50. 投稿日:2003年06月11日(水)01時54分19秒
- 「じゃあなんでB装置を勝手に持ち出したりしたの? 明日香だって同じこと
考えてたんでしょ?」
「ええそうよ。私から見たら人間なんてみんなゴミなんだもん。それは、あんたも
含めてね。だからC装置を作る前に私はB装置を起動させるつもりだった」
「ふふふ、それが出来れば苦労しないよ」
「そうね。私は勘違いしてたみたい。でも、圭織もだけどね」
「そんな脅し、全然通用しないって」
「脅しだと思う? あんたのカワイイ子供たちだってみんな死んだ」
「……迂闊だっただけよ。やっぱ生身の人間はダメだね」
「B装置は意志を持ち始めてるわ。今はまだ自分の本当の力に気付いてない
段階だけど……」
「だから急いでるんでしょう。まだB装置は子供なのよ。あの加護って娘と
同じでね。子供は子供のうちに教育しておかないとねー」
「圭織の手に負える子供じゃないけどね」
「言ってなさいよ。今に分かるわ」
「関係ない人間までいっぱい巻き込んで、良心の呵責とか感じないわけ?」
「明日香に言われるセリフじゃない」
「私は人間じゃないからね。あんたはまだ人間でしょう? それとももう
完全に入れ替わっちゃった?」
「さあ、どうだろうね」
「石川梨華って娘、どうするつもりなの?」
「ま、一応役割果たしてもらったからありがとうって感じ。ていうか本当は
切り込み隊長になってもらおうと思ったんだけど、明日香がジャマするからさ」
- 638 名前:50. 投稿日:2003年06月11日(水)01時54分55秒
- 「そう思い通りには行かないって言ってるじゃん」
「吉澤もそうだったけど、いつでも急に出て来てジャマするよね」
「逆だよ」
「明日香も見境ないよね」
「違うってば。……あの娘の、石川梨華の中には、ずっと前から私がいた」
「はあ? なにそれ?」
「あの現場にいたのよ。暴動のね。それで、私が気絶する寸前に目が合った」
「ふーん。けどそんなのよく覚えてるね」
「別に覚えてたわけじゃないよ。ただ、無意識の底に記憶が残ってたってだけ。
暴力の記憶が、強く抑圧された形でね。それが、突然の破壊衝動になって
断続的に噴出してる」
「要は、今の明日香みたいなのがこっそり住んでたわけだ。キレイな心の中に」
「そうね。まああんたがあの子供の軍隊を差し向けなかったら多分気付く
ことなんてなかっただろうけど」
「けど、端末から辻、なっち、石川って行ったり来たり大変だよね」
「心配してもらわなくても、私は肉体的疲労みたいな低レベルなものは
感じないようになってるから」
「心配なんてしないけどさ、いい加減どこかに落ち着いたら?」
「本音が出たね。私にウロウロされると困るんでしょ」
- 639 名前:50. 投稿日:2003年06月11日(水)01時55分27秒
- 「まさか。A装置なんてC装置の足下にも及ばないよ。圭織の最高傑作だよ?
手の出しようがないじゃん」
「ま、そうだろうね」
「あれ。謙虚じゃん」
「別に。でもC装置はB装置を制御できない。あんたの最高傑作は間違いなく
B装置だよ。最悪の傑作でもあるけどね」
「しつっこいなー。だからそれをこれから証明してあげる。加護の居場所も
つきとめたしね。矢口もちゃんと仕事してくれたし」
「辻と吉澤はどうするのよ」
「辻はちゃんとやってくれるよ。吉澤はね、一応あんたが手入れちゃってるから」
「なっちと矢口は? 圭織にだって責任あるんだよ?」
「だからそれをこれから説明しにいこうかなって。ビックリするだろうけど、
圭織の説明を聞けば納得してくれるんじゃないかなー」
「あり得ない」
「だって二人だって結局圭織と同じような目標があったんだと思うよ。ただ
やり方がちょっと間違ってただけでさ。それはしょうがないよ」
「圭織みたいに天才じゃないから?」
「さあ、そうかもね」
- 640 名前:50. 投稿日:2003年06月11日(水)01時56分21秒
□ □ □ □
ほとんど互角に打ち合いながらも、吉澤は次第に息が上がっていくのを
感じていた。機械のような正確無比な攻撃を浴びせてくる後藤がそうなっている
様子は全く感じられない。
こいつは人間じゃない。非常識な考えだが吉澤はそう思わずにはいられなかった。
ただの肉体的な鍛錬だけでは、ここまでの完璧さを身につけることは不可能だ。
それは、短い間とはいえ頂点に君臨していた自分にはよく分かる。
だとすれば、そもそも依って立つ背景そのものが違っているのだ。
しかし、それを認めることは、そのまま自身の死を意味する。それだけではない。
石川が二度と目覚めないということとも、それは同義なのだ。
- 641 名前:50. 投稿日:2003年06月11日(水)01時56分51秒
- 後藤からの一閃をかわした瞬間、貧血からか目が眩んだ。体のバランスが
崩れ、そこへ後藤からの一撃が容赦なく入った。左手のアッパーが腹にめり込み、
たまらずその場にへたり込むと激しく咳き込んだ。後藤は地面についた右手を
警棒で払うと、ブーツで踏みつけた。骨が砕ける鈍い音が身体を伝わって響き、
長年のパートナーだった純白の警棒は埃だらけの地面を転がっていった。
次に待ちかまえているはずの猛攻を覚悟して、吉澤は背中を丸めて蹲る。
が、代わりに聞こえてきたのは、気の抜けるような後藤の笑い声だった。
- 642 名前:50. 投稿日:2003年06月11日(水)01時57分36秒
- 「なんだよー、そんなんで元チャンプなわけー? 勘弁してよ」
そう言いながら吉澤の落とした警棒を拾い上げ、広場の隅へ放り投げた。
槍のようにそれはカローラのシャーシに突き刺さり、惨めな姿をさらしていた。
「……」
「なに? もうお終い? じゃ、あんたもあんたの友達も地獄行きケテーイ?
あはははは、あんた本当にダメ人間だよ。よっすぃーとか言ってる場合じゃ
ないって、マジで」
どこか遠くから聞こえてくる喧噪のように、吉澤は後藤の声を聞いていた。
涙も流れなかった。ただ、ここで死んだら自分の十七年の人生ってなんの
意味があったんだろう、と馬鹿みたいな自問自答をしていた。
蹲ったままの吉澤のアタマを、後藤はブーツのつま先で小突いた。
「遺言とかないのー? ねーえ、それくらいなら伝えてやるよ。けどあんたの
友達もバカだよねー。頼るあいて間違っちゃったよね。ま、バカはバカを呼ぶ、
みたいな? そりゃ死んじゃったってしょうがないか」
違う。私はそうかも知れないけど、梨華ちゃんは……。
「なんとか言ったら? 負け犬だって遠吠えくらいは出来るんじゃないのー?
そーだ、後藤さっき野犬二匹殺したけど、ちょうどあんたとあんたの友達も
似たようなもんだね。ま、あんたの友達は私が殺ったわけじゃないけどさー、
どーせ最初からダメだったんだよ。ダメなやつはなにをやってもダメ。そもそも
あんたに寄りついた時点で終わってるってわけ? わかる?」
- 643 名前:50. 投稿日:2003年06月11日(水)01時58分18秒
- へらへらと笑う声が聞こえてくるが、吉澤にはなんの意味も持たないノイズでしか
なかった。そろそろと腰へ手をやると、もう一本の警棒に触れる。石川が
どこかの店で買わされた、ケツァルコアトルが舞う安物の警棒。
- 644 名前:50. 投稿日:2003年06月11日(水)01時58分56秒
- 「じゃ、さよなら」
後藤が言うのと、吉澤が感情を失った目で起きあがるのは、ほぼ同時だった。
その視線には既視感がある。一度はパラダイスの離れたリングの上で、もう一度は
死んだネコを挟んだビルの屋上で、そして、三度目は。
残光を曳きながら掠めていく警棒を、後藤は身を反らせてかわした。が、そのまま
バランスを崩して背中から倒れ込む。
受け身の体勢のまま転がっていくのに、吉澤はジャンプし振りかぶると
光り輝く邪神の蛇を振り下ろしていった。
後藤は身体を裏返し、青白く光る警棒で吉澤からの攻撃を受け止めた。二つの
エネルギーが激しく干渉しあい、飛び散った光の粉が二人のコートを焦がした。
- 645 名前:50. 投稿日:2003年06月11日(水)01時59分29秒
- 「……っ!?」
吉澤は驚きの表情のまま後ろへ跳ねて、構えの姿勢を取る。後藤は不敵な
笑みを浮かべて、警棒の残光でぐるっと円を描いた。
「そうこなくっちゃ」
「……」
二つの冷徹な視線が暗闇の中で交錯する。そこにはなんの感情もなかった。
ただ、攻撃への意志が正面へ向けられているだけだった。
- 646 名前:50. 投稿日:2003年06月11日(水)02時00分01秒
- 647 名前:更新 投稿日:2003年06月11日(水)02時00分49秒
- 50.翼のある蛇 >>613-645
- 648 名前: 投稿日:2003年06月11日(水)02時01分43秒
- >>610名無し読者(コーヒー)さん
ウズベキスタン! じゃあこれはトルクメニスタンかカザフスタンあたりで……
それにしても書けば書くほど長くなってしまってちょっとどうなのかと(w
>>611名無しAVさん
映像的に読んでいただけるとすごく嬉しいですね。
パッパッと画面が切り替わるようなニュアンスを出そうと腐心してる訳ですが、難しいっす。
>>612名無しさん
バレタw
そういえばJ太郎板ってなくなっちゃったのかなあ
- 649 名前:名無し読者(コーヒー) 投稿日:2003年06月11日(水)03時56分27秒
- 凄いです!た、種ハジケてる・・・(w
気が付くと息をとめて読んでいました!w
もうあっちもこっちも気になってしまって・・・
次回更新もモノ凄く楽しみにしております!
- 650 名前:名無しさん 投稿日:2003年06月11日(水)16時29分43秒
- >またつまらぬモノを…
の台詞に笑いました。飼育で声出して笑ったのなんて初めてです(w
- 651 名前:名無しAV 投稿日:2003年06月11日(水)18時01分06秒
- 場面がころころ変わるのに流れが千切られた感じがしません。
良い具合で熱が続いています。物語が終盤になってきたと言う事なんでしょうか。
あの二人の会話に燃え、後藤の体の張り方に萌え(w
- 652 名前: 投稿日:2003年06月17日(火)02時00分25秒
- 容量が微妙なのでスレ移行します。というわけで初ヲチ(w
>>649名無し読者(コーヒー)さん
あっちこっちいろいろありますね……大変です(w
レスありがとうございます。もうちょっとだけお付き合い下さい。
>>650名無しさん
ヽ(´ー`)ノ
ありがとうございます。小ネタも織り交ぜつつ頑張っていきます。
>>651名無しAVさん
終盤ですね。ラストは予想を裏切る形にするつもりなので(w
生暖かく期待してて下さい。毎回いつもレスありがとうございます。
- 653 名前:index 投稿日:2003年06月17日(火)02時01分09秒
- SIDE-B (承前)
25.NOWHEREMAN >>3-14
26.天使の白い粉 >>15-25
27.偽り >>30-41
28.ビタースウィート >>46-60
29.ナカユビ >>64-76
30.Two lips,two lungs and one tongue >>80-112
31.フレンズ 2 >>119-151
32.BAD SEED >>156-179
33.チョコレート革命 >>183-209
34.さよなら >>213-229
35.モーニングコーヒー >>231-251
36.暴力の舟 >>256-272
37.L.H.O.O.Q. >>277-299
38.パラボラ >>305-325
39.熱いナイフでバターのような君の心を切り裂く >>330-343
40.鬱 >>347-362
41.リュシアン・ルバテ >>366-386
42.彗星 >>394-420
- 654 名前:index 投稿日:2003年06月17日(火)02時01分47秒
† NO-SIDE †
43.DIGGER >>427-439
44.呼び声 >>442-470
45.スナップショット >>475-489
46.君へ >>494-516
47.IN C >>522-545
48.宙返り >>553-575
49.凶区 >>581-606
50.翼のある蛇 >>613-645
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