飛べない天使たち。 〜 learn to fly 〜
- 1 名前:名無し作者。 投稿日:2003年03月27日(木)02時11分06秒
- 初めて書かせていただきます。
パラレルで、元ネタ有り。恋愛色は薄くなるかと思います。
拙い文章ですが、おつきあいいただければ幸いです。
- 2 名前:◇ 0. prologue 投稿日:2003年03月27日(木)02時13分10秒
―――あたしはホンマに、この子らを飛ばしてやれるんやろか。
あたしはホンマに飛べるんやろか。この子らと一緒に―――
- 3 名前:◇ 1. cry baby 投稿日:2003年03月27日(木)02時15分47秒
- 「みっちゃーん。おかわりー」
もうすっかり客もまばらになった店内で、裕子は勢いよく空のグラスを差し出す。
そしてそのままカウンターの上に突っ伏してしまった。
平家みちよが経営する小さなスポーツ・バー『cafe "morning"』は、西朝比奈町商店街のはずれにある。
小さな店内に数台置かれたテレビからは、いつも様々なスポーツの試合が流れ、壁にはみちよがどこからか買い集めてきた有名選手たちのサイン入りユニフォームが飾られている。
下町情緒あふれる西朝比奈町商店街では少々変わった存在だけれど、スポーツ好きな住民が多い土地柄のせいか、気さくなみちよの人柄のせいか、店はいつもにぎわっていた。
- 4 名前: 投稿日:2003年03月27日(木)02時18分14秒
「ねえさん、えーかげんにしといた方がええんちゃうの?」
もうこれで何杯目になるだろう。
カウンターの向こうで洗い物をしていたみちよが、あきれたように声をかける。
「ええから、もう一杯っ。おかわりおかわりーっ」
「あー、はいはいっ。しゃぁないなぁ、もうっ」
みちよは裕子の声を振り切るように水道の蛇口をひねると、身に着けていたエプロンでパンパンと音をたてて両手を拭いた。
「もうホンマに、これで最後やで?」
仕方なく、差し出された裕子の手から、グラスを抜き取る。
- 5 名前: 投稿日:2003年03月27日(木)02時19分09秒
- カウンターに突っ伏したままの裕子が、上に置かれたテレビをちらりと見て、忌々しげに口を開いた。
「・・・なあ、番組変えへん? サッカーとか、野球とか、他にもあるやろ?」
店中のテレビに、NHL(北米プロアイスホッケーリーグ)の試合が流れている。
「なに言うてんのん。ウチの大事なポールの試合やもん、絶対変えへんでっ」
テレビの中では、その『ウチの大事なポール』こと、NHLの日系人スター選手ポール・カリヤが、持ち前のスピードとスティック・ハンドリングで華麗に敵を抜き去り、ゴールへと迫っていた。
- 6 名前: 投稿日:2003年03月27日(木)02時20分09秒
- カウンターの向こうのみちよは、まるで祈るように胸の前でグラスを両手で握りしめて、すっかり試合に夢中になっている。
「きゃーーーっ、ポールぅぅぅ。いけっ! シュートォッッ! ・・・って、またなんつーセービングしよんねん、あのゴーリーはっ」
みちよはバンッとカウンターを叩いた。
「みっちゃーん。アタシの酒はー?」
「あー? あ、はいはい」
慌てて振り返ったみちよはグラスを置くと、奥の棚からボトルを取り出して、キャップを開けた。
- 7 名前: 投稿日:2003年03月27日(木)02時21分24秒
- 「・・・まったく。なにが『ウチの大事なポール』やねん」
裕子は小皿に乗ったピーナッツをまとめてつかんで口の中に放ると、ボリボリと音をたてて噛み砕いく。
「えー? ええやんかー。あのストイックなところが、母性本能くすぐんねんて」
「アイスホッケーなんて、あかんて。もう・・・」
弱々しい口調で毒づくと、カウンターに伏せたまま、裕子はごろりとテレビに背を向けた。
「そんな飲んだくれてるくらいやったら、あの話、受けてくれたらええのに?」
「せやから、もうホッケーはあかんて」
- 8 名前: 投稿日:2003年03月27日(木)02時22分46秒
- 「・・・ねえさん、まだ吹っ切れてないねんなぁ?」
みちよは腰に両手をあてて、少し大げさにため息をついた。
「ちゃんとした指導者もおらへんで、あのコらも不憫やし。やぐっちゃんも、苦労してるみたいやし?」
「矢口・・・何か言うてたんか?」
裕子がむくっと頭を上げた。
「何も言わへんよ? 言わへんから心配やねんて。あのコ、ああ見えてむっちゃ気ぃ使いーやんか」
ねーさんが一番わかってるやろ?、とみちよが言う。
- 9 名前: 投稿日:2003年03月27日(木)02時23分40秒
- 裕子は、いつも人一倍明るく振る舞って、人に気を配っている事すら気づかせない義理の妹を思い浮かべた。
そして少々心苦しさを感じたのか、ばつが悪そうな顔をして、またカウンターに伏せてしまう。
「まだキツイやろうとは思うけど・・・少しづつ、向き合う努力もしていかな」
裕子が失ったものが、彼女にとってどれだけ大きかったか。
裕子がこの街に来てからずっと見てきたみちよは知っている。だけど。
「余計なお世話やろうけど・・・ウチも心配やし」
みちよがグラスに酒を注いで軽くステアすると、氷がカラカラと涼やかな音をたてた。
- 10 名前: 投稿日:2003年03月27日(木)02時25分47秒
- 「今すぐ決めろとは言わへんしー。とりあえず練習、見に行ったってや?」
そう言って、裕子の前にコトンとグラスを置いた。
「・・・って、ねえさん??」
反応の無さに、みちよは思わずカウンターから乗り出して裕子の顔をのぞきこむ。
すると当の本人は、唇にピーナッツのかけらを付けたまま、すーすーと寝息をたてていた。
「・・・ま、しゃぁないか」
肩をすくめたみちよは、壁に掛けられた電話の受話器をはずし、もうすっかりそらで覚えてしまった電話番号を押した。
- 11 名前:名無し作者。 投稿日:2003年03月27日(木)02時27分02秒
- 更新終了!
- 12 名前:名無し読者 投稿日:2003年03月27日(木)02時41分38秒
- 題名が、なんか今の・・・。をあらわして・・・(苦笑
みっちゃんも今は・・・
頑張ってみんな飛んで欲しいですね〜。
- 13 名前:名無し読者 投稿日:2003年03月27日(木)12時58分32秒
- この元ネタは小学生の頃に学校のビデオで見た記憶があります。
結構面白かったと思うのでつづきが楽しみです。
作者様、頑張って下さい。
- 14 名前: ◇ 1. cry baby (2) 投稿日:2003年03月29日(土)23時22分24秒
- 「こんばんはー。うちのアホ裕子を回収しに来ましたー」
みちよが閉店の準備を始めた頃、見慣れた小柄な金髪が、元気よく店に入ってきた。
「お。やぐっちゃん、ご苦労さん。えらい早かったやんか」
「うん。裕ちゃんの車、勝手に借りてきた」
きゃはは、と笑って、矢口真里は車の鍵をじゃらじゃら鳴らしてみせる。裕子の愛車、真っ赤なフェアレディZの鍵だ。
「ホントはおいらが運転するの、すっごい嫌がるんだけどねー」
二十歳になってやっと念願の免許を手に入れた真里は、とにかく運転したくて仕方ないらしい。
以前、見かけによらず飛ばし屋な真里を心配した裕子が真顔で「危なっかしくてかなわん」とボヤいていたのを思い出して、みちよは苦笑した。
「ま、安全運転で頼むで。車は壊れても直せるやろけど、やぐっちゃんになんかあったら大変やからなぁ。・・・この人が」
みちよは裕子を指差して、どうせ一人じゃなんもできひんのやろ?と笑った。
「紅茶でも入れるさかい、飲んでってや」
「ありがと」
真里はちょこんと裕子の隣のスツールに腰掛けた。そして、裕子の寝顔をのぞき込んで、思わず苦笑する。
「あーあ。今日も荒れてたんだ?」
- 15 名前: 投稿日:2003年03月29日(土)23時25分23秒
- 真里は裕子の薄く開いた唇にくっついたピーナッツを、小さな指先で払い取った。
「うんー・・・まだ喪も明けてへんし、しんどいやろとは思うねんけどなぁ」
みちよは真里の前に白い湯気の立つカップを置き、さらに、これはサービス、と言ってクッキーの乗った皿を出してきた。
「あの件、一応ねーさんにまた打診してみたんよ」
「・・・裕ちゃん、なんて?」
クッキーを一つ手に取って、真里が聞いた。
「やるともやらんとも言うてくれへんかったけど・・・。やぐっちゃんはどうなん? 自分の練習もままならんのと違う?」
「まぁねぇ。でも、今までなんとかやって来れたし・・・これからもそうするだけだし」
「ねえさんがどんな人かは、知ってんのやろ?」
学生の頃の裕子は、実は関西では名の知れた選手だったのだと、以前、兄から聞いた事があった。
「うん。でもまぁ、名選手が名監督になるとは限らないしねー」
うちのお兄ちゃんなんか、監督としても選手としても微妙だったし、と真里は笑う。
- 16 名前: 投稿日:2003年03月29日(土)23時27分01秒
- 「・・・やぐっちゃん」
カウンターに手をついて、みちよはその端正な顔を曇らせた。
「うちなぁ、エンジェルズもやけど・・・ねーさん本人が心配やねん」
あの日以来、裕子がみちよの店に来ると、必ずと言っていいほど今夜のように潰れるまで呑んでしまう。
本当なら、酒の呑み方も自分の量も知らないような裕子ではない。
「立ち直るきっかけ言うたら大袈裟やけど、とにかく・・・なんや余計な事考えられへんようにしてやりたいねん」
「それはおいらもそう思うよ。でもこれは・・・やっぱり、裕ちゃんの気持ち次第だからなぁ」
隣で眠る裕子を見て、真里は言った。
「ねーさんも、リンクにさえ出てったら気持ちも変わると思うねんけど」
「うーん。そんなもんかなぁ・・・」
真里は眉間にしわをよせて、クッキーをかじった。
- 17 名前: 投稿日:2003年03月29日(土)23時28分40秒
すっかり寝静まった真夜中の西朝比奈町商店街は、昼間の賑やかさが嘘のようにしんと静まり返っている。
どこか遠くの方から、救急車がサイレンを鳴らして走り去る音がかすかに聞こえた。
「うわっ。裕ちゃん、酒くさっ」
みちよに礼を言って店を出た真里は、ぐったりしている裕子を小さな身体で抱きかかえて、店の斜向かいに止めた車まで、苦労しながら運ぶ。
ぐずる裕子を無理矢理助手席に押し込んで、ふと見上げると。
通りの向こうの風呂屋の煙突の上で、大きな三日月が青白く光っていた。
―――そういえば、あの日も月が綺麗だったっけ。
泣きじゃくる裕子の隣で病院の窓から見た月を思い出しながら、真里は運転席のドアを開けた。
そして、前に目一杯ずらしたシートにクッションを二つ重ねて、その上にぽふっ、と腰掛ける。
「うぉーい、アホ裕子ー。帰るぞー」
シートベルトを締めながら、ウィンドウにもたれて寝息をたてる裕子をちらりと見遣って、エンジンをかけた。
- 18 名前: 投稿日:2003年03月29日(土)23時30分24秒
―――それで裕ちゃんの気がまぎれるなら、いいけど
ハンドルを切りながら真里は思う。
裕子の夫だった男は、女子アイスホッケーチーム朝比奈エンジェルズの監督で、真里の兄でもあった。
二人が結婚する前から裕子に懐いていた真里は、それこそ実の姉妹のように裕子に懐いていた。
兄と裕子の結婚が決まった時、真里は自分の事のように喜んだ。
それが半年前のある日、兄は突然の交通事故で、裕子と真里とエンジェルズを残し他界してしまった。
歩道に突っ込んで来たトラックから身を呈して子供をかばったのだと、後日、その助かった子供の母親から聞かされた。
二人に向かって泣きながら何度も頭を下げるその母親に、お人好しのあの人らしいと、その時裕子は静かに笑っていたけれど・・・。
あの日以来、強くて優しかった裕子が、どんなに悲嘆にくれて来たか、真里はずっと傍で見守ってきた。
だから。
みちよがエンジェルズの次期監督に裕子を推してきたときは、正直真里も嬉しかったけれど、兄を思い起こさせるものを避けたがる裕子に、まだ乾いていないカサブタをはがすような事をしたくはなかった。
- 19 名前: 投稿日:2003年03月29日(土)23時32分56秒
- できるならもうこれ以上、裕子が傷つくのを見たくはなかったのだけれど、兄が亡くなった後、必死で守ってきたチームを他人に引き継がせる事も、真里は嫌だった。
朝比奈エンジェルズは、大事な兄の形見でもあったから。
実際、今まで何人かから監督を引き受けるという申し出があったのだけれど、真里はそれらを全て断ってきた。
でも、みちよの言う通り、それもそろそろ限界かなぁと真里は思う。
練習メニューは、今までの経験でなんとかできる。
でも、責任者である大人がいないのは、いざという時チームにとっては困るだろう。公式試合である大会も、目前だ。
「・・・どうするかなぁ」
ハンドルにもたれて、フロントガラス越しに赤信号を眺めながら、真里はため息をついた。その時
「矢口ぃ・・・やるでー」
隣で眠っていたはずの裕子が突然口を開いた。
「はぁ?」
真里は思わず聞き返す。
「せやから、エンジェルズの監督」
「えっ?」
寝ぼけているのか酔っぱらったままなのかと、真里はハンドルを握ったまま、何度も裕子の横顔をちらちらと見遣った。
- 20 名前: 投稿日:2003年03月29日(土)23時34分30秒
- 「とりあえず、今度の大会終わるまでなぁ・・・」
「・・・ホントに大丈夫? いいの?」
「んー・・・明日の練習、行ったるからぁ・・・」
ウィンドウにもたれて目を閉じたまま、裕子はにぃっ、と口元だけで笑っていた。
散々しぶっていた裕子を動かしたものが何なのか、真里にはわからないけれど。
こんな風に裕子の方から動きかけるのは、あの日以来、初めてのような気がする。
―――もう大丈夫なのかな・・・
真里は思った。
真里にも、エンジェルズにも―――そして裕子にも。
今までいろんな事があったけれど、これからは・・・きっと。
―――今年はいいシーズンになるといいな
信号は青に変わり、真里と裕子を乗せた赤いフェアレディはゆっくりと走り出した。
- 21 名前: 投稿日:2003年03月29日(土)23時35分50秒
「あー・・・矢口ぃ」
「なに?」
指先で軽くハンドルを叩きながら、ラジオから流れる曲に合わせて鼻歌を歌っていた真里は、うめくような裕子の声に、思わず振り返った。
「・・・気持ち悪ぅ。 ・・・うっ」
見ると裕子は口元を押さえて助手席でうずくまっている。
「もうすぐ着くからっっ。は、吐くなよお?! うわーっ!!」
―――やっぱり今年も大変かも
こっそりと小さなため息をついて、真里はアクセルをグッと踏み込んだ。
- 22 名前: 名無し作者。 投稿日:2003年03月29日(土)23時37分12秒
- 更新終了。
- 23 名前:名無し作者。 投稿日:2003年03月29日(土)23時41分25秒
>>3-21
◇ 1. cry baby
- 24 名前:名無し作者。 投稿日:2003年03月29日(土)23時49分04秒
- 早速のレス、ありがとうございました。
嬉しかったです。(^^)
>12様。
何の気なしにつけたタイトルですが・・・よく考えると、かなり微妙でしたね。
しかも設定古いし。すみません。(^^;
でも、話の中の・・・。はちゃんと飛ばせてあげられるよう、がんばります。
>13様。
あ、ご存じでしたか。というか、タイトルでバレバレですね。(^^;
元ネタと全く同じストーリー。という訳にはいかないのですが、あんな風に小気味良く皆を動かせたらいいなあ、と思っています。
はい。がんばりますので、よろしくお願いします。
- 25 名前:名無し読者 投稿日:2003年03月30日(日)00時59分18秒
- すごく楽しみでーす。
- 26 名前:名前無いよ 投稿日:2003年04月07日(月)03時42分12秒
- Zとはまた渋いw ストーリーに関係ない話ですんまそん
これからの展開も楽しみです 頑張ってください
- 27 名前:◇ 2. the "Angels" 投稿日:2003年04月09日(水)23時21分48秒
「あたたた・・・」
明るい光が射し込むキッチンに、目を覚ましたばかりの裕子がこめかみを押さえながら入ってきた。
壁掛け時計の針はもう、両方とも真上近くを指している。
裕子はぼやけた頭を抱えたまま、冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出してキャップをひねり、そのまま唇をつける。
冷たい水が喉元を通り過ぎる感覚に、やっと頭がはっきりするような気がした。
こんな風にラッパ飲みしていても、パジャマ姿のままうろついていても、あの甲高い声で小言を言われない。きっと真里はもう出かけてしまっているのだろう。
テーブルの上には、ラップのかかった皿と一枚のメモが置いてあった。
『バイトに行きます。
今日の練習は夜8時から、朝比奈スケートリンクです。
おいらはバイト先から直接行くから。
みんな楽しみにしてるから、ちゃんと来いよなー。
p.s. あっためて食べてね
真里 』
- 28 名前: 投稿日:2003年04月09日(水)23時22分53秒
―――あぁ、そうやったっけ
メモを手に取って、裕子は昨夜を思い出した。
みちよの店に飲みに言ったら、またまたエンジェルズの監督の件を持ち出されて。
酔ってうとうとしていたら、矢口とみちよの会話がぼんやりと聞こえてきて。
監督でもあった裕子の夫が亡くなってから、矢口がひとり、キャプテンとコーチを兼任してがんばってきたのは裕子もよく知っていた。
だからつい、引き受けてしまったのだけれど。
確かに昔は選手として氷の上にいたけれど、それももう何年も前の話。
もちろん、指導者の立場にたった経験などない。
それなのに「みんな楽しみにしてるから」だなんて・・・どうやら後にはひけないらしい。
「・・・ほんまに大丈夫かなぁ、あたし」
裕子はラップのかかった皿を、ため息と一緒に電子レンジに放り込んだ。
- 29 名前: 投稿日:2003年04月09日(水)23時23分45秒
電子レンジの小さな扉の向こうで、オレンジ色の光を浴びた皿が、ゆっくりと回る。
裕子はテーブルの上に頬杖をついてそれをぼんやりと眺めながら、昨夜盗み見た、監督を引き受けると言った時の真里の表情を思い浮かべた。
―――あんな顔すると思わへんかった・・・
もともと陽気で良く笑う子だったけれど、あんなに嬉しそうな顔をしたのは、一緒に暮らすようになってから初めて見たような気がする。
裕子ははっとした。
裕子と夫の新居だったこの家に、真里が転がり込んできてから、もう3ヶ月以上になる。
こっちの方が大学に近いんだとかもっともらしい理由を並べてやってきた真里を、内心ひとりにしておいて欲しいと思いながらも、裕子は放っておいた。
裕子よりも器用に家事をこなし、いつの間にかこの家の『主婦』になってしまった真里を、みちよは「えらいちっさい押し掛け女房やな」と笑っていた。
とにかく忘れてしまおうと仕事に没頭しても、ときどき目には見えない何か大きなものに押しつぶされてしまいそうになる。気持ちのバランスを崩して、酒に逃げてしまう事もある。
- 30 名前: 投稿日:2003年04月09日(水)23時24分47秒
- そんなとき、自分を叱咤する事はあっても、必要以上には立ち入ってこない真里との生活は、次第に裕子にとって居心地の良いものに変わっていった。
いつも黙ってそばにいてくれる小さな存在は、気づかないうちに裕子の中で大きなものとなっていた。
「まだ心配させてんねんなぁ」
でも、これで真里が安心するのならと、改めて裕子は思う。
その時、チン!と音がして、裕子はすっかり温まった皿を注意深く電子レンジから取り出す。
ラップをはがすと、真っ白な湯気と一緒に食欲をそそるいい香りが広がって、中からデミグラスソースのかかったオムライスが現れた。
「・・・まぁ、なんとかなるやろ」
――もちろん、不安がないわけではないけれど。
裕子はスプーンでオムライスを崩し、少しすくって口に運ぶ。
頬張ったオムライスは、文句のつけようのない、裕子好みの味付けだった。
- 31 名前: 投稿日:2003年04月09日(水)23時25分47秒
◇ ◇ ◇
朝比奈市の西の端に、そのスケートリンクはあった。
正面の入口にも、その横のチケット売り場にも、少し錆び付いたシャッターが降りている。
古びた電灯に照らされた駐車場には、いくつかの車がまばらに停められていた。
裕子はフェアレディの運転席で、ハンドルにもたれたまま、その日何度目になるかわからないため息をついた。
「はぁ・・・。行かな、しゃぁないかなぁ。もう」
リンクの隣の道を行く車の灯りが、裕子の顔を一瞬だけ照らす。
時計はもう8時を少し過ぎた頃を指していて、車のウィンドウ越しに、時折リンクの方からホイッスルの音が聞こえてきた。
きちんと仏壇の前で手を合わせて、神頼みならぬ旦那頼みをしてから家を出たのが、数十分前。
踏ん切りをつけてきたはずなのに、いざリンクに来てみると、どうも気が重い。
いい大人が格好悪いと思いつつも、まるでギプスが取れたばかりの足で恐る恐る一歩を踏み出すような、そんな気分で。
「あ〜っ! いいかげんハラ括らんかいっ、あたしっ」
裕子は両手で自分の頬をぴしゃぴしゃっと叩くと、勢いよく車のドアを開けた。
「・・・っしゃ、いくでっ!」
- 32 名前: 投稿日:2003年04月09日(水)23時26分44秒
県営朝比奈スケートリンク。
朝比奈エンジェルズが本拠地にしているこのリンクは、県内最古を誇る、といえば聞こえがいいが、中の設備も県内最古。県で一番のおんぼろリンクだった。
それでも、リンクは今でも土日ともなれば子供達や若者達でいっぱいで、夜間や早朝の貸切の時間枠は、フィギュアのレッスンやホッケーチームの練習ですぐに埋まってしまう。
すぐに湿って水浸しになってしまう氷、おんぼろの製氷車、代わり映えのない売店のメニュー―――…
そんなものひとつひとつに文句を言いながらも、町の人々はこのリンクに集まってきた。
――そして裕子も、真里や夫とここで出会った。たくさんの時を、ここで一緒に過ごしてきた。
あれから裕子を取り巻く状況はすっかり変わってしまったけれど――。
「・・・変わってへんねんなぁ」
車を降りた裕子は、電飾の切れかかった看板を見上げて、つぶやいた。
- 33 名前: 投稿日:2003年04月09日(水)23時30分10秒
裕子はリンクの裏手にまわり、貸切専用出入口と書かれた重たい扉を開ける。
とたんにスケートリンク独特の匂いと冷たい空気とが押し寄せてきて、裕子を包み込んだ。
吸い込むたびに、甘ったるいような懐かしさと、胸がきゅうっと締め付けられるような痛みを感じる。
抱えていたベンチコートに袖を通しながら重い足取りで薄暗い通路を抜けると、やがて照明に照らされた真っ白な氷の上で、思い思いのホッケージャージに身を包んだ少女達がパックを追い掛けているのが見えた。
「気合い入れていけよー! こらー!!」
ホイッスルを首から下げた一番ちっちゃな選手が、大声で指示を出しながらちょこまかと動き回っている。裕子はふっと笑みを漏らした。
―――あれ、矢口やろ?
ヘルメットをかぶっていても、すぐに見分けられる。
スケートが勢いよく氷を削る音
鳴り響くホイッスル
選手達のかけ声
氷を囲うフェンスに近付いて、走り回る選手達を眺めていた裕子の目蓋の裏に、いつかここで見た光景が浮かんでいた。
観客席にいた自分。氷の上にはユニフォーム姿で滑る真里がいて、そしてベンチには―――
「『監督』れすね? お久しぶりれす」
- 34 名前: 投稿日:2003年04月09日(水)23時34分15秒
- 突然、後ろから声をかけられ、裕子ははっと振り返った。
見ると、良く似た背格好の選手が二人、防具姿のままドリンクのボトルを抱えて立っている。
「のの・・・あいぼん?」
「15分、遅刻やで? 就任早々遅刻や・・・て、どないしたん?」
「え? ・・・なに?」
関西弁の少女、加護亜依が、裕子の顔を黒目がちな瞳でのぞき込んで、心配そうに言う。
「なに? て・・・泣きそうな顔、してるやん?」
「んー、なんにもあらへんよ?」
もうここにもいるはずのない人物を、つい目で探してしまっていた事に気がついて、裕子は苦笑した。
―――せやから、ほんまはここに来るの、嫌やってんけど
裕子は慌てて目もとを指先で拭って、二人の頭をくしゃくしゃっと撫でた。
「・・・それより、ののもあいぼんも久しぶりやなぁ。元気にしてたんか?」
「はいっ! 元気れす!」
「みんな、待ってたんやで?」
「そら嬉しいな。・・・てか、あんたらは何で氷に乗ってへんの?」
「人手不足やさかい、マネージャー業も当番制やねん」
亜依はドリンクのボトルを一本、顔の前で振ってみせた。
- 35 名前: 投稿日:2003年04月09日(水)23時35分33秒
- 「練習が終わったら、日誌もつけなあかんねんで?」
「早く戻らないと、練習時間がなくなるんれす。監督も、早くー」
「あ・・・いや、あたしは監督いうてもまだ・・・」
裕子の言葉が終わらぬうちに、亜依ともう一人の少女、辻希美が、裕子の手を片方づつ掴んで、ベンチの方へとぐいぐい引っぱって行く。
希美が舌ったらずな口調で、氷上の選手に向かって叫んだ。
「矢口さーん。監督れーす!」
ホイッスルを首に下げた小さな選手が振り返り、ベンチの方へと勢い良く滑って来ると、フェンスの手前でざっ!と氷の飛沫を上げて止まった。
「なんだー。遅いよ、裕ちゃん」
希美と亜依に無理矢理ベンチに引っ張り上げられた裕子に向かって、ヘルメットのフェイスガードを上げた真里が、にかっと笑う。
「へへっ。でも裕ちゃん、ちゃんと来てくれたんだー?」
「まぁなぁ。約束は守らんと」
「ちょっと待ってて。今、集合かけるから」
ぎこちない笑みを浮かべる裕子を見て真里は苦笑すると、振り返ってホイッスルを鳴らした。
- 36 名前: 投稿日:2003年04月09日(水)23時38分55秒
- 氷上に散っていた選手達が、ぱらぱらと集まってくる。
以前から観客としてよくエンジェルズの試合を見ていたし、家に遊びに来た事のある選手もいたから、裕子にとっては顔見知りばかりだったが
「あのコらは・・・もう辞めてもうたん?」
いくつか見えない顔があるのに気づいた裕子は、真里に向かって小声で言った。
「いやー、辞めた訳じゃぁないんだけど・・・いろいろあってさぁ」
真里が言い淀む。そのとき
「どうも、お久しぶりです」
裕子の前に出来た選手達の輪の中から、副キャプテンの大谷雅恵が、一歩進み出た。
ヘルメットを取り、トレードマークの金髪を揺らして、軽く会釈する。
「裕ちゃん、ごめんねぇ。まだ大変な時なのに・・・」
後ろの方にいた長身のゴールキーパー、飯田圭織も口を開く。
圭織はチーム創立時からのメンバーで、真里同様、裕子との付き合いも長かった。
「でも裕ちゃんが来るって聞いて、みんなで喜んでたんだよ」
圭織の言葉に、他の選手達がこくこくと頷く。
- 37 名前: 投稿日:2003年04月09日(水)23時40分36秒
「とにかく大会が終わるまで、ご面倒おかけしますけど・・・よろしくお願いします」
そう言って雅恵が金色の頭を深々と下げると、他の選手達も
「「「よろしくお願いしまーす!」」」
声を揃えて、一斉に頭を下げた。
「え? あー・・・まぁ、こちらこそ、よろしくなぁ」
すっかり気圧された様子でぎこちなく答える裕子に、真里は思わずぷっと吹き出してしまった。
裕子は無言で、真里の頭の上にげんこつを落とした。
「で、試合はいつからなんやったっけ?」
帰り道。ウィンドウの向こうを、町の夜景が流れていく。
フェアレディのハンドルを握りながら、裕子が聞いた。秋季リーグの開幕は、もうすぐのはずだ。
「今度の土曜日」
助手席のシートに埋もれるように納まっていた真里は、ペットボトルに口をつけたまま答えた。
- 38 名前: 投稿日:2003年04月09日(水)23時41分58秒
「はぁ? 今日、日曜やで? 時間ないやん? はよ言わんかいっ、そういう事は」
「だって裕ちゃん、今までしぶってたのに急に引き受けてくれるっていうし、昨夜は酔っぱらってたし、今朝は起きて来ないし。
ってか、裕ちゃんの方こそ、なんでそんな大事なこと今頃聞くかなぁ」
「あー・・・」
隣でまくしたてる真里を見て、裕子はがしがしと片手で前髪をかきあげた。
「で、初戦の相手は、どこなん?」
「・・・デビルズ」
「デビルズて・・・」
「うん・・・『朝比奈ブルーデビルズ』」
空になったペットボトルを手で玩びながら、真里が申し訳なさそうに言った。
裕子の知る限りでは、それは県内の公式戦で連勝記録更新中の、強豪チームの名前だ。
―――よりによって、またいきなりなんちゅーとこと当たんねん・・・
裕子は隣で小さくなっている真里に手を伸ばすと、その頭をくしゃくしゃっと撫でる。
「大丈夫やて。・・・まぁ、なんとかなるやろ」
裕子はため息をついて、ハンドルを切った。
- 39 名前:名無し作者。 投稿日:2003年04月09日(水)23時43分36秒
更新終了です。
- 40 名前:名無し作者。 投稿日:2003年04月09日(水)23時47分49秒
- > 25様。
ありがとうございます。励みになります。
> 26様。
この話の中の裕ちゃんの、『密かなこだわり』という事にしてください。(^^;
なぜか裕ちゃんは真っ赤なスポーツカーに乗せたかったんですよね。
- 41 名前:名無し作者。 投稿日:2003年04月09日(水)23時49分30秒
- のんびりしたペースで更新していくと思いますが
気長におつきあいいただければ、幸いです。
よろしくお願いします。
- 42 名前:名無し読者 投稿日:2003年04月12日(土)01時30分45秒
- 続き楽しみに待ってます〜。
- 43 名前:名無し読者 投稿日:2003年04月14日(月)12時16分53秒
- せつない感じが好きです
- 44 名前:◇ 2. the "Angels"(2) 投稿日:2003年04月22日(火)15時41分23秒
◇ ◇ ◇
あまり知られていない事だけれど、東京からさほど遠くないこの県では、昔からスケート競技が結構盛んだ。
フィギュアの日本代表選手も輩出しているし、アイスホッケーの県代表チームも、毎年国体で北国の強豪チームを相手になかなかの成績を納めている。
県内にアイスホッケーの女子チームは6つ。どれも中学生以上の女性達で構成されるクラブチームばかりだ。
男子やジュニアのチームほどの規模ではないものの、毎年秋にはリーグ戦、春にはトーナメント戦が行われていた。
- 45 名前: 投稿日:2003年04月22日(火)15時43分18秒
その秋期リーグ。
朝比奈エンジェルズの新監督・中澤裕子は、ベンチで頭を抱えていた。
エンジェルズの第一試合、対ブルーデビルズ戦。
毎年プレーオフ出場圏への出入りを繰り返しているエンジェルズと、連勝記録更新中のブルーデビルズは、本拠地を同じ朝比奈市内に置いている。
その「朝比奈ダービー」は、白地に赤いラインのジャージを着た天使達が、濃紺のジャージに身を包んだ悪魔に、文字通り翻弄されていた。
レフトウィングに昨季のリーグ得点王・松浦亜弥を擁する第一セットを中心に、悪魔達がエンジェルズゴールに容赦なく襲い掛かる。
エンジェルズのシュートは、同じく昨季の最優秀GK・藤本美貴がことごとく跳ね返した。
ブルーデビルスが得点する度に、監督・山崎がにやにやと余裕の笑みを浮かべ、ちらりちらりとこちらを見遣る。
腕組みをして戦況を見つめていた裕子は、その視線にいらいらしながら親指の爪を噛んだ。
スコアは第二ピリオド終了時点で、6−0。残り1ピリオドでこれをひっくり返すのは、至難の技だ。
それでも、それがかえって忘れられていた裕子の闘争心に火をつけた。
- 46 名前: 投稿日:2003年04月22日(火)15時45分08秒
この試合最後のインターバル。
エンジェルズ側ベンチで、キャプテンの真里が激を飛ばす。
「ほら、下向くなー! まだあと1ピリオド残ってるよっっ!」
ベンチに座ってがっくり肩を落とす選手達の前で、真里はスケート靴で床をだんだんっ!と踏みならす。
うつむいたままの選手達の耳に、隣のベンチから怒鳴り声が聞こえてきた。
「いいか! 大事な初戦だ。リードしてるからと言って、気ぃ抜くなよ!
ここまで来たら、徹底的に叩け!」
「「「はい!」」」
叱咤するブルーデビルズ監督・山崎に、選手達が大声で返事をかえす。
「相変わらず、すごいれすね」
「・・・血管切れそやな。山崎のおっさん」
「こらっ! あんなんに圧倒されてんなよ?!」
思わず相手ベンチの方を見た加護と辻の頭を、真里がグローブでぽこぽこっと叩く。
その時、ベンチの後ろの観客席から、男の怒鳴り声が飛んできた。
「こらぁ、雅恵ぇ! あんなんにスカスカスカスカ抜かれてんじゃねぇ!」
- 47 名前: 投稿日:2003年04月22日(火)15時48分20秒
- 一人の中年男が、観客席から身を乗り出して拳を振り上げている。べらんめぇ口調のその男は、まなじりの切れ上がった涼しげな顔だちをしていた。
「うわ! お父ちゃん?!」
振り返った雅恵が、金色の頭を抱えて、首をすくめた。
西朝比奈町商店街の鮮魚店「魚谷」の主人は、チーム創立時からの熱心なサポーターだ。
「おめーのせいで負けてるようなもんだぁ。めぐちゃんも、なんか言ってやんなっ?!」
雅恵とコンビを組む村田めぐみが、客席の雅恵の父に向かい、にっこり笑って頭を下げる。
そして
「残りの時間は、絶対守ろぉ?」
隣で小さくなっている雅恵の頭をぽんぽんと叩いた。
やがてベンチの隅で険しい表情をしていた裕子が、腕組みしたまま口を開く。
「あんたら、勝ちたいか?」
「「「え?」」」
「この試合、勝ちたいかって聞いとんねん」
裕子の静かだが力のある口調に押されて、選手たちは無言で頷いた。
「・・・よしゃ。ほな、作戦変更や」
裕子はベンチの真ん中に選手達を集めて、耳打ちした。
- 48 名前: 投稿日:2003年04月22日(火)15時50分34秒
- 「向こうはかなりプレーが荒い。当たられたら、とにかく倒れろ。腕でも脚でも、どこか身体を押さえてな」
「「「は?」」」
「ちょ、ちょっと裕ちゃん。なに言ってんの?!」
「ええから黙っとき」
割って入った真里をさえぎって、裕子が続けた。
「ええか? 当たられて、身体押さえて倒れとったら、向こうがペナルティとられるやろ。
それでとにかく、こっちのパワープレイにすんねん。そしたらなんとかチャンスはできる」
相手のファールを誘う事ができれば、その相手がペナルティ・ベンチに入っている間、こちらが数的有利になる。でも
「ちょっと待ってよ。おいら、そんな汚い真似・・・」
「残り1ピリオド。時間ないねんで? ごちゃごちゃ言うてる場合か?」
「・・・・・」
裕子は一喝した。
唇をへの字に曲げた真里は、両手でスティックを握りしめたまま、裕子を見上げて睨みつけた。
その時、
ビィーーーーーーッ
インターバル終了のブザーが鳴り、選手達は一斉に立ち上がる。
「さぁっ、最後やで! なんでもええから、一泡吹かせたれ!」
裕子は両手を叩きながら声を上げ、天使達を氷上へ送り出した。
- 49 名前: 投稿日:2003年04月22日(火)15時52分31秒
裕子の指示通り、天使達は接触プレーになる度に、ばたばたと倒れる。倒される。
それでも相変わらず、防戦一方の試合展開は続く。
雨のように打ち込まれるシュートを、ゴールキーパーの圭織が長い手足を目一杯使い、驚異的な集中力でセーブしていく。
そんな中、自陣深くでパックを取り返したディフェンスの雅恵が、フォローに来たセンターの真里に短いパスを繋いだ。
真里はそのまま駆け上がると、パックを大きく逆サイドに振る。
それを、飛び出してきた亜依がキャッチ。
「あいぼん、行けー!」
フェンス際を軽やかに駆ける亜依が、ブルーラインの手前で相手ディフェンスと一対一になる。
「今や! やったれ」
ベンチから裕子の声が飛んだ。
「・・・しゃぁないなぁ」
いつもなら自在にパックを操って人を食ったようなフェイントをかけ、ディフェンスに挑むところを
「だぁーーーっ!」
間をつめたディフェンスが身体にふれた瞬間、スティックを放り出し、バランスを崩して前のめりに倒れた。
- 50 名前: 投稿日:2003年04月22日(火)15時53分59秒
- 「・・・って、鳴らへんやん、笛ぇ」
わざとらしい転倒でペナルティがとれるほど、審判も甘くはなく。
勢いあまった亜依は、倒れた姿勢のまま氷上を滑って行く。
「あいぼん! 何やってんの?!」
「せやから、監督が・・・」
敵ディフェンスはゆうゆうとこぼれたパックを拾い、フォアチェックをかける真里をかわして、前線へと繋いだ。
「いーから! 聞かなくていーから、アホ裕子の言う事なんかっ!」
真里は言い捨てて、パックの行方を追う。
「そんなん・・・どないせぇっちゅーねん・・・」
起き上がった亜依は、ジャージに着いた氷の粉を乱暴に払うと、氷上に転がったスティックを拾い上げて、駆け出した。
- 51 名前: 投稿日:2003年04月22日(火)15時55分44秒
ディフェンスの村田が敵陣にパックを放り込むと、第一セットの選手達が一斉にベンチに引き上げ、第二セットが次々にフェンスを乗り越え氷上へ出て行く。
ゴール裏のフェンスに当たって跳ね返って来たパックを、少々頼りないスケーティングで追って来た紺野あさ美が拾う。
そこへ、敵ディフェンスが低い姿勢で猛然と突っ込んで来た。
ベンチに控えていた天使達が、悲鳴のような叫び声をあげる。
「うわっ、あさ美ちゃん!」
「紺野ーっ!」
あさ美がフェンスに叩きつけられると誰もが思った、その時
―――がしっっ!
防具がぶつかる鈍い音。
そして、白い氷の上に弾き飛ばされたのは、―――濃紺のユニフォーム。
- 52 名前: 投稿日:2003年04月22日(火)15時57分24秒
- 一瞬、何が起ったのかわからず唖然としていた裕子は、審判の吹く鋭いホイッスルの音で我にかえった。
「うわ・・・さすが黒帯」
「スケーティングは『白帯』やねんけど」
「・・・え? 黒帯て?」
思わずベンチから身を乗り出していた麻琴と亜依に、裕子が聞いた。
「東朝比奈町に、道場あるやろー?」
亜依が振り返って答える。
裕子は、隣町にある大きな空手道場を思い出した。
「あれ・・・あさ美ちゃんちなんです」
申し訳なさそうに麻琴が言う。
審判に促されてとぼとぼとペナルティ・ベンチに向かうあさ美を見ながら、裕子はため息をついた。
「・・・なるほどな」
オフィシャル席から、場内アナウンスが流れる。
『――― ただ今の反則、朝比奈エンジェルズ、15番、紺野あさ美。
ラッフィングによりマイナー・ペナルティ、2分間の退場 ――― 』
それは朝比奈エンジェルズのチーム史上に残る、見事な正拳突きだった。
- 53 名前: 投稿日:2003年04月22日(火)15時59分14秒
あさ美がペナルティ・ベンチに入っている間に、さらに1点を悪魔達に奪われた。
そして、リンク中央でのフェイス・オフ。
両チームが、センターラインを挟んで対峙する。
ライトウィング小川麻琴の正面にポジションを取るのは、ブルーデビルズのエース・松浦亜弥。
「カッコいい事言ってチームを飛び出してったクセに、今年もそんなもんなんだ?」
亜弥がフェイスガードの向こうから強い視線で麻琴を見ながら、嘲るような口調で言った。
「・・・っさいなぁ!」
麻琴は視線を落としたまま、スティックを氷に着けて構える。
その時。
審判の手から、パックが落とされる。
両チームの選手達がぶつかり合う。
センターフォワードの真里が身体ごとスティックを引いて、敵とパックを奪い合う。
その瞬間、パックの行方に目を奪われていた麻琴に、亜弥が肩から突っ込んできた。
麻琴は後ろへ勢いよくひっくり返る。
審判の笛は、鳴らない。
「だから甘いんだってば!」
亜弥は言い捨てると、味方のセンターが奪ったパックを受けて、エンジェルズ陣内へと切り込んで言った。
「・・・っくしょー!」
麻琴は顔をしかめて起き上がると、全速力でその後を追った。
- 54 名前: 投稿日:2003年04月22日(火)16時00分05秒
スピードに乗ったままパックを操る亜弥は、追いすがる天使達を軽々とかわして、ゴールへと迫る。
ゴ−ル前で構える圭織と対峙した亜弥は、一瞬、体重を右足にのせ、パックを大きく右に動かした。
圭織がそれに反応して、パックの方へ大きく開脚し、スティックを伸ばす。
それを見た亜弥はニッと笑うと、素早くパックを逆にシフトして、バックハンドでシュートを放った。
パックは圭織の上で弧を描き、ゴールの中へ吸い込まれていく。
ゴール・ジャッジの赤いランプが点灯し、ブルーデビルズベンチが沸き上がる。
歓声の中、亜弥は腕を大きくぐるぐる回してからガッツポーズを作ると、その拳を麻琴へと向ける。
麻琴は唇を噛んで、それを見つめた。
- 55 名前: 投稿日:2003年04月22日(火)16時01分49秒
試合時間、残り5分。
敵陣に放り込まれたパックを、全速力で真里が追う。
ゴールライン付近で拾ったパックをゴール裏に持ち込むと、追い掛けてきたディフェンスにブロックされる。
フェンスにぎゅうぎゅう押し付けられた真里は、小さな身体を目一杯使って、ディフェンスからパックをカバーした。
「矢口ぃ、今や! 倒れんかいっ!」
ベンチで叫ぶ裕子の声が聞こえる。
真里はベンチをにらみ付けたまま、必死でパックをキープする。
「なんで倒れんねん、矢口ぃ! 言う事きかんかいっ!」
「・・・裕子のバカやろー!!」
ディフェンスが、真里を押さえ付けながら囁いた。
「ちっさいくせに、無理すんなって。倒れちゃえば? 他の奴らみたいにさぁ」
「ちっさい言うなぁ! くっそー!」
- 56 名前: 投稿日:2003年04月22日(火)16時03分15秒
- 「矢口さんっ!」
ディフェンスと押し合いながら、フォローに来た麻琴に向かって足元のパックを蹴り出した。
麻琴は敵をかわしてコーナーへ抜け出ると、ゴール前にタイミング良く飛び込んで来た亜依にパス。
「あいぼん!」
「はいよー!」
亜依はそれをノートラップで押し込むと、パックはキーパー藤本美貴のスケート靴をかすめて、ゴールに吸い込まれた。
ゴール裏の赤いランプが点灯し、審判のサインがゴールを示す。
ベンチと観客席が、爆発するようにどっと湧いた。
エンジェルズ、やっと一点を奪取。
飛び上がって喜ぶチームメイト達をよそに、真里はベンチをにらみ続けた。
- 57 名前: 投稿日:2003年04月22日(火)16時04分53秒
ビィーーーーーッ・・・
試合終了のブザーが鳴った。
整列して礼をすませた選手達が、ばらばらとベンチに戻り、肩を落としたままロッカールームへと引き上げて行く。
氷上で仲間達ひとりひとりの肩を叩き、ねぎらいの声をかけていた真里が、一番最後にベンチに戻って来た。
「矢口、おつかれ・・・」
頭を撫でようとした裕子の手を、真里は口をへの字に曲げまま振り払う。
そして裕子の顔など見向きもせずに、がつがつとスケート靴を鳴らしてロッカールームの方へと歩いて行った。
裕子はため息をつきながらそれを見送って、掲げられたままのスコアボードを見上げる。
8−1。
朝比奈エンジェルズの完敗だった。
- 58 名前: 投稿日:2003年04月22日(火)16時10分10秒
- ―――――――――――――――――――――――――――――
秋期リーグ
第一戦 対 朝比奈ブルーデビルズ
ブルーデビルズ 8−1 エンジェルズ
得点:#13 加護(アシスト #88 矢口、#19 小川)
反則:#15 紺野(ラッフィング、2min)
―――――――――――――――――――――――――――――
- 59 名前:名無し作者。 投稿日:2003年04月22日(火)16時11分24秒
更新終了です。
- 60 名前:名無し作者。 投稿日:2003年04月22日(火)16時12分13秒
- 忙しかったり体調を崩していたりで、更新が遅くなってしまいました。
申し訳ありません。
それにしても、やっぱり試合のシーンは書くのが難しいですね。
解りづらくなければ良いのだけど。。。
- 61 名前:名無し作者。 投稿日:2003年04月22日(火)16時16分42秒
- >42様。
ありがとうございます。励みになります。
>43様。
裕ちゃんの設定があんな風なんで、不快に思われる方もいらっしゃるんじゃないかと
心配してたのですが・・・好きだと言っていただけて安心?しました。
ありがとうございます。
- 62 名前:◇ 2. the "Angels"(3) 投稿日:2003年05月01日(木)15時10分22秒
◇ ◇ ◇
照明を落とされた薄暗いリンクのロビーで、自販機の明かりがぼんやりと辺りを照らしている。
裕子はかじかむ手でコートのポケットから小銭入れを出すと、氷のように冷たくなった百円玉をひとつ、自販機に入れた。
コトンと落ちた紙コップに熱いコーヒーが注がれるのを待っていると、誰かが後ろから声をかけてきた。
「矢口・・・いや、中澤監督?」
「はい?」
ブルーデビルズの監督・山崎が、振り返った裕子に向かって軽く頭を下げる。
「いや〜、今日はどうもありがとうございました」
「いえ、こちらこそ・・・」
敗戦直後の裕子にとっては、あまり顔を合わせたくない相手だ。
上機嫌な様子の山崎に苦笑しながら、裕子が会釈する。
「・・・その節はいろいろ大変でしたね、中澤さんも。もう落ち着きましたか」
「ええ・・・まぁ、おかげさまで」
いきなり触れられたくないところに触れられて、裕子はあいまいな笑みを返した。
- 63 名前: 投稿日:2003年05月01日(木)15時12分19秒
- 二人の会話を遮るように、自販機がピーッと音を立てる。
裕子は屈んで、湯気の立つ紙コップを自販機から注意深く取り出した。
「そうそう」
山崎はジャケットのポケットをあちこち探りながら言った。
「僕は選手時代のあなたを、知ってますよ。
関西選抜のメンバーとして、全国大会の決勝まで進んで。
北海道の強豪チームを相手に、少しも怯まずにチームを引っ張って・・・3点のビハインドを同点にまで持ち込んで。
あれはいい試合でした。名勝負と言った方がいいかな」
思いもよらない人物から昔話を持ち出されて、裕子は思わず苦笑した。
山崎はやっとの事で取り出した小銭を、自販機に入れる。
そして指先を少し迷わせてからボタンを押した。
「だから、そのあなたがエンジェルズを引き継いだと聞いた時には、正直焦りましたよ。
でも・・・それは買い被りだったかな」
振り返った山崎は、眉を上げて口元にニヤリと笑みを浮かべた。
裕子はカップを口につけたまま、すうっと目を細める。
- 64 名前: 投稿日:2003年05月01日(木)15時13分57秒
- 「毎年成績は今一つでも、いいチームだった。矢口君のエンジェルズは。
勝っても負けても正々堂々。矢口君も選手達も、いつでも思いきりゲームを楽しんでいた」
一瞬、ふと表情を消した山崎が、強い視線で裕子を見つめる。
「今のエンジェルズは・・・いや。中澤さん。あなたは、ホッケーを楽しんでますか?」
- 65 名前: 投稿日:2003年05月01日(木)15時15分43秒
- 裕子は紙コップを両手で包むように持って、立ち上る湯気に目を落とした。
選手達の戸惑ったような表情と、必死にパックをキープしていた真里の強い目が浮かぶ。
ほんの一口。
口に含んだコーヒーが、苦い。
確かに、流されるままに監督を引き受けて、ベンチに立ったまでだけれど、でも
―――あんたなんかに、何がわかんねん?
裕子はキッと視線を上げた。
「山崎さん。あたしは・・・」
「いやいや、部外者が口を挟み過ぎましたね」
山崎はよいしょ、と屈んでカップを取り出す。
顔を上げた山崎は、またいつもの薄笑いを浮かべていた。
「まぁ、選手も減ってしまったようですし、今シーズンは大変でしょうが。
がんばってくださいよ? エンジェルズさんが勝たないと、リーグが盛り上がりませんからね」
- 66 名前: 投稿日:2003年05月01日(木)15時17分02秒
- じゃ、と片手を上げて立ち去ろうとする山崎に、裕子は強い口調で言った。
「・・・プレーオフで、会いましょう!」
振り返った山崎は、一瞬驚いたような顔をすると、にやりと笑って手を振りながらロッカールームの方へと消えていった。
「ええ・・・プレーオフで」
山崎の後ろ姿を見送った裕子は、残りのコーヒーを一気に飲み干すと、紙コップをぎゅっと握りつぶしてゴミ箱に放り込む。
そして、大きく一つ深呼吸をして、破れた天使達の待つロッカールームへと向かった。
- 67 名前:名無し作者。 投稿日:2003年05月01日(木)15時18分03秒
- 更新終了です。
- 68 名前:◇ 2. the "Angels"(4) 投稿日:2003年05月15日(木)22時41分15秒
◇ ◇ ◇
「・・・まともにぶつかっても、ダメ。汚い手ぇ使っても・・・やっぱり、ダメ」
両足を放り出してベンチに腰掛けていた真琴は、タオルで顔をすっぽり被って、後ろの壁にもたれかかった。
いつも賑やかなはずのロッカールームは、重たい空気で充ちていて。
それは負けた悔しさと、なにか後味の悪さのようなものが混じっていた。
選手たちは重たい身体でのろのろと着替えを終えて、帰り支度を始める。
「なんかカッコ悪いれすねぇ、のの達」
「そら、新しい監督来たからて、デビルズに勝てるとは思うてへんかったけど・・・」
防具をバッグに詰め込んでいた希美がつぶやく。
その隣で、スケート靴についた水滴を拭いながら、亜依がため息をついた。
- 69 名前: 投稿日:2003年05月15日(木)22時42分20秒
- 確かに、裕子と共に試合にのぞめたのは、嬉しかったのだけれど。
―――こんなはずじゃぁなかったのに・・・
耳に流れてくるチームメイト達の会話をやるせない思いで聞きながら、真里は床に転がった自分のグローブを拾い上げて、叩き付けるようにバッグの中に放り込んだ。
- 70 名前: 投稿日:2003年05月15日(木)22時44分03秒
- 「矢口ぃ!」
バタン!と乱暴にドアが開く大きな音とともに、自分の名前が飛んで来て、真里は思わず振り返った。
「あたしが言うた事が、なんで出来ひんの?!」
硬い表情をした裕子が、ヒールの踵をかつかつと鳴らして入ってくる。
裕子が何に声を荒げているのか充分身に覚えのある真里は、一喝されて唇をきゅっと結んだまま視線をそらした。
「矢口! あたしの目ぇ、見んかい!」
真里は不満げに唇を噛んで、ゆっくりと裕子に視線を合わせた。
目の前に立った裕子は、腕組みをしたまま、少し屈んで真里の顔を覗き込む。
「ちゃんとやれ言うた事は、ちゃんとやらんと。・・・ええな?」
強い視線で見上げる真里の頭を、裕子がくしゃくしゃっと撫でる。
―――裕ちゃん、やっぱりわかってないや・・・
少しだけ優しくなった裕子の口調にかえって苛立って、真里は頭に置かれた裕子の手を振り払った。
- 71 名前: 投稿日:2003年05月15日(木)22時46分21秒
- 「・・・そりゃぁ監督は裕ちゃんだけど?! でもおいらは、あんな汚い真似・・・!」
真里はロッカールームの中をぐるっと見回した。
「今日、どんな気持ちでホッケーしてたか。みんなの顔、よーく見てみなよ!」
視線を落としたチ−ムメイト達の、覇気無くした顔、顔、顔・・・。
「それから・・・自分の顔も!」
真里は小さな拳で、裕子の肩を叩いた。
―――あたしの・・・顔?
裕子の胸の奥に、不意にさっき投げかけられた山崎の言葉が浮かぶ。
―――『ホッケーを楽しんでますか?』
その言葉の意味と繋がりを、裕子が自分の中で探りかけた時。
「・・・どうせ勝てなくてもっ!」
裕子を見上げる真里の目がじわじわと潤んで、口がみるみるうちにヘの字に曲がっていく。
「おいらは最後まで真正面から勝負したかった!」
- 72 名前: 投稿日:2003年05月15日(木)22時51分22秒
- 涙まじりの大きな声で、真里は言った。
そして、自分がすっぽり入ってしまいそうな大きな防具のバッグを軽々担ぎ上げると、立て掛けてあったスティックを掴んで、そのまま部屋を出て行った。
「ちょ・・・待・・・っ、やぐ・・・」
慌てた裕子が、その後を追う。
まるで体当たりするように扉を開けた裕子は、同時に外から入ってきた人物にぶつかって押し戻された。
「おうっ、雅恵! 帰ぇるぞっ!」
その人物は、周りには目もくれずに、ずかずかと大股でロッカールームに押し入ってくる。
それは、さっきまで観客席にいた「魚谷」の主人、雅恵の父親だった。
- 73 名前: 投稿日:2003年05月15日(木)22時52分49秒
- 「ちょっ・・・お父ちゃん! ここ、"女子"更衣室だよ?!」
雅恵の父親は構わずに、慌てて立ち上がった雅恵の腕を片手で掴んで、出口の方へと引っ張って行った。
そして扉の前で立ち止まると、あぜんとしたままの裕子を振り返り
「・・・店ぇ早終いして見に来た試合が、これかぁ?!」
そう吐き捨てて、ロッカールムームを出て行く。
眉をハの字にして、父親と裕子の顔を何度も見比べていた雅恵は、やがて困ったように裕子に向かって両手を合わせ、唇を『すいません』と動かした。
そして、部屋の奥にいためぐみに手招きして、慌てて父親を追ってロッカールームを出て行った。
するとそれを合図に、他の選手達も次々と無言のまま、荷物を担いでスティックを手に、ロッカールームを後にした。
- 74 名前: 投稿日:2003年05月15日(木)22時54分15秒
ひとり残されたロッカールームで。
さっき意味を探りかけた言葉が、頭の中でぐるぐるとまわる。
『ホッケーを楽しんでますか?』
『おいらは最後まで真正面から勝負したかった!』
裕子はがらんとした部屋の中を見回して、ため息をついた。
―――せやかて・・・勝たなんだらおもろないんとちゃうんか?!
裕子はがしがしと前髪を掻き上げる。
―――楽しいとか楽しくないとか・・・あたしにどないせぇっちゅーねん?!
- 75 名前: 名無し作者。 投稿日:2003年05月15日(木)22時56分01秒
- 更新終了です。
更新が遅い上に少ない量ですみません。。。
- 76 名前:◇ 2. the "Angels"(5) 投稿日:2003年05月21日(水)17時10分28秒
◇ ◇ ◇
朝比奈スケートリンクのちょうど裏手に、オープンしたばかりのコンビニがある。
開店して間もないその店は、もうすっかりリンクに通うスケート選手たちの御用達となっていた。
その駐車場の隅で、ジャージ姿の少女が4人、防具を積めたバッグに腰掛けている。
調達したての食料を手に、覇気のない表情でもくもくと口を動かす4人の顔を、店の灯りが照らしていた。
「なんか・・・つまんないよねぇ」
少女の一人、新垣里沙が、肉まんの包み紙を開きながら、濃いめの眉毛をひそめた。
「まぁ、あんだけやられりゃのー。ほやけど、デビルズにボロ負けなんざー、これが初めてやないやろー?」
隣に座っていた高橋愛が、ぱっちりした目をさらに大きくして、おにぎりにかぶりつく。
口をもぐもぐ動かしながら、ま、今日は特にヒドかったけどね。と、複雑な表情で笑った。
- 77 名前: 投稿日:2003年05月21日(水)17時12分09秒
- 「そうなんだけど・・・なんていうのかな。前はもっとこう、試合の後って勝っても負けても気持ちはスカッとしてたのに」
「んー。確かに、負けてもこんなに後引かんかったかも」
おにぎりを片手に首を傾げる愛の横で、里沙は肉まんを振りかざして力強く言った。
「でしょ? あたし、怒った矢口さんの気持ち、なんかわかるもん」
「ほりゃ、里沙ちゃんは矢口さんのファンやけー。でも」
愛はふと、おにぎりから顔を出した明太子に視線を落とした。
「・・・やっぱり矢口監督の奥さんやからって、期待しちゃいけんかったんかのー?」
裕子が昔プレーヤーだった事、そして関西では名の知れた選手だった事は、愛たちも真里から聞いて知っていた。
そして、前監督が亡くなって半年。
監督の代わりに、一人で奮闘していた真里。
それと裏腹に、ほんの少しづつだけれど、ぎくしゃくしていくチーム。
裕子が監督になると真里から聞かされて、愛たちは皆、驚いたけれど、喜んだ。
選手としての経験が豊富な裕子なら。
前監督の身内の裕子なら。
これでまたチームも以前のようになるかもしれないと、楽しみにしていたのだけれど・・・。
- 78 名前: 投稿日:2003年05月21日(水)17時13分41秒
- 「あさ美ちゃん、どうしたの? 全然食べてないじゃん?」
里沙の声に、愛ははっとして向かいに座るあさ美を見る。
両手で大事そうに肉まんを持ったあさ美は、じっと手元に視線を落としたままうつむいていた。
確かに、食欲旺盛なはずのあさ美の肉まんは、ほんの一口かじられたきり、ちっとも減ってはいない。
「ほんとに、どしたの? どっか具合悪いん?」
「ううん、大丈夫」
顔を上げたあさ美は、無理に口の端を上げて笑ってみせた。
「あ。もしかして、あのペナルティ気にしてるとか?」
里沙の言葉に、あさ美はまたうつむいてしまう。
「里沙ちゃん・・・!」
愛は里沙を肘で突いた。
「・・・あさ美ちゃんは、悪くないよ」
それまで黙っていた麻琴が、2個目のパンの袋を破りながら口を開いた。
- 79 名前: 投稿日:2003年05月21日(水)17時15分05秒
- 「でも・・・」
「だから、あさ美ちゃんが悪いんじゃないって」
あの時、裕子があんなヘンな指示を出さなければ、皆こんな風に嫌な気持ちを引きずらなくてすんだのに。
―――そりゃぁ、点を取れなかった情けない自分が、一番いけないんだけど
麻琴は口の中にパンをぎゅうぎゅう詰め込んで、むしゃくしゃする気持ちと一緒に紅茶で流し込んだ。
そして、空になったペットボトルをゴミ箱へと放り投げる。
それはゴミ箱の口をわずかにそれて角に当たり、ちょうど店から出てきた少女の足元へと、からからと音をたてて転がっていった。
「・・・へぇ? あんな負け方したのに、食欲だけはあるんだ?」
「松浦・・・!?」
- 80 名前: 投稿日:2003年05月21日(水)17時16分14秒
- コンビニ袋を下げた気の強そうなその美少女が、良く通る高い声でそう言いながら、ペットボトルを拾い上げる。
「カッコ悪い。あんなホッケーする為に、デビルズを辞めたの?」
亜弥はペットボトルをゴミ箱へ投げ入れると、麻琴達の方へと歩み寄った。
頭をがしがし掻きながら、麻琴はそっぽを向く。
「うるさいな。・・・あんたには、わかんないよ」
「じゃ、逃げたんだ?」
「違う!」
麻琴はキッと顔を上げた。
「仲間だか友達だか知らないけど、結局はただの馴れ合いなんじゃない」
それまで麻琴に強い視線を向けていた亜弥は、ちらりとあさ美を見遣った。
- 81 名前: 投稿日:2003年05月21日(水)17時17分23秒
- 「なんでわざわざこんなチームに・・・」
「んあー。あんまりうちの後輩達をイジメないでくれるー?」
ふいに亜弥の後ろから声がして、二本の腕が亜弥を抱きかかえるように巻き付いた。
「「「「後藤さん!?」」」」
麻琴達が一斉に声を上げ、驚いた亜弥が勢いよく振り返る。
亜弥の目にアップで飛び込んできた人物は、茶色の前髪をさらりと揺らして、ふにゃっと笑った。
- 82 名前:名無し作者。 投稿日:2003年05月21日(水)17時18分41秒
- 更新終了です。
- 83 名前: ◇ 2. the "Angels"(6) 投稿日:2003年05月24日(土)12時54分01秒
- 「まぁ『うちの後輩』っていっても、ごとー達、幽霊部員だけどねぇ」
「そろそろリーグ戦が始まるんじゃないの? おまえら、こんな所でもめ事起こすなよー?」
長身の少女―吉澤ひとみが自転車に跨がったまま、のんびりとした口調で言った。
「ってか、まつーら。『こんなチーム』って、何よ?」
ひとみは自転車のスタンドを立てながら、聞き捨てならないとばかりに、亜弥の後ろで端正な顔を大げさにしかめてみせた。
「もう始まってますっ。エンジェルズなら今日、8−1で、うちがやっつけましたからっ」
「へぇ〜。さぁっすが、やってくれるねぇ」
「んぐ・・・っ!」
じたばたともがきながら強気に言い放つ亜弥を、後ろから抱きかかえた少女―後藤真希が、腕でぎゅうぎゅう締め付ける。
「あやちゃん! 何やってんの?」
「みきたん!」
- 84 名前: 投稿日:2003年05月24日(土)12時56分23秒
- 店の前の道路の端に停められた高級セダンの助手席の窓から、きつい顔立ちの美少女、ブルーデビルズの藤本美貴が顔を出していた。
「おおっ、かっけー! 女王様のお出迎えだよ?」
おどけた調子のひとみの言葉が聞こえたのか聞こえなかったのか、美貴は無表情のまま、助手席の窓からひとみと真希に向かって会釈してみせた。
そして
「あやちゃん、帰ろ!」
「うん!」
亜弥は真希の腕を振りほどいて、車の方へと駆けて行く。
そして後部座席に亜弥を乗せたその車は、やがて低いエンジン音を響かせて、夜の町の中を消えていった。
- 85 名前: 投稿日:2003年05月24日(土)12時58分59秒
- 「で、どうだった? 試合の、内容の方は」
「・・・聞かないでくださいよ」
思い出したように問いかけるひとみから、麻琴は思わず視線をそらした。
「途中から、わざとペナルティ貰いにいって、かえってめちゃくちゃになっちゃって」
「ありゃー・・・」
「んあ? ごとー、やぐっつぁんから裕ちゃんが監督になったって聞いたけど?」
めちゃくちゃな試合だなんて、ちゃんとした指導者がいるのに?
真希は思った。・・・まぁ、ボロ負けはともかく。
「ええ、まぁ、そうなんですけど・・・」
口ごもる麻琴と一緒に、他の後輩たちもうつむいてしまう。
流れる微妙な空気の中、あさ美が大きな目を潤ませて口を開いた。
「あの・・・後藤さんも・・・吉澤さんも、もうチームには戻らないんですか?」
- 86 名前: 投稿日:2003年05月24日(土)13時01分08秒
- 思わぬ問いに、真希とひとみは顔を見合わせる。
「え? いや〜・・・。ごとーはちょっと、戻るに戻れぬ事情があってねぇ」
真希は困ったように首を傾げ、助けを求めてひとみに視線を投げた。
「あ、あたしは・・・矢口さんがどうしても退部させてくれないんだけどね」
ひとみは、人の良さそうな笑みにほんの少し困惑の色をまぜて言った。
「でも・・・あたしはもう、ホッケーは辞めたから」
がっかりとうなだれたあさ美の頭を、真希ががしがしと撫でる。
「悪いけど、そういうわけだから。ま、後は頼むよぉ、君たちぃ」
そして、ひとみが跨がった自転車の後ろに、真希がひらりと飛び乗って。
「がんばれよぉ。若者達ぃ」
「子供は早く家に帰りなさーい」
ひらひらと手を振りながら、二人乗りの自転車は町の中へ漕ぎ出していった。
- 87 名前: 投稿日:2003年05月24日(土)13時02分14秒
- 「こりゃー、今シーズンもやっぱり大変なんかのー?」
消えて行く自転車をみつめながら、ぽつりと愛が呟いて。
駐車場に取り残された4人は、顔を見合わせてため息をついた。
- 88 名前:名無し作者。 投稿日:2003年05月24日(土)13時05分15秒
- 更新終了です。
自分の場合、更新が遅いだけじゃなくて、話が進むのも遅いですね。(^^;
こんな調子ですが、感想などいただければ嬉しいです。
- 89 名前:名無し作者。 投稿日:2003年05月24日(土)13時08分12秒
- えー、本文とは関係ないので恐縮ですが。(^^;
ただ今、NHL(北米プロアイスホッケーリーグ)ではプレーオフが佳境を迎えてまして。
以前、文中にちらりと出したNHL(北米プロアイスホッケーリーグ)の日系人スター選手Paul KARIYAが所属するMIGHTY DUCKS of Anaheimが、プレーオフ決勝進出を決めました!
チーム創立以来、プレーオフ出場さえできない年が何年も続いていたようなチームで、今年やっと、しかもぎりぎりの順位でプレーオフに滑り込んだ状態だったのですが・・・。
もう、こうなったら決勝も "がんばっちゃえ!"
sports-i ESPNなどが見られる方、よかったら観戦してみてくださいね。
- 90 名前:名無し作者。 投稿日:2003年05月24日(土)13時09分10秒
( `◇´)<Get the "Cup", Paul !!
- 91 名前:名無し作者。 投稿日:2003年05月26日(月)22時44分05秒
- 駄文をさらすのが、やっぱり急に恥ずかしくなったので、ochiに。(^^;
- 92 名前:名無しさん 投稿日:2003年05月30日(金)15時17分47秒
- 駄文だなんて…
ホッケーに興味の無かった、自分でも楽しませてもらってますよ。
たまにしかコレませんが、ガンガッテ下さい。
- 93 名前:◇ 3. all imperfect things(1) 投稿日:2003年06月06日(金)23時13分36秒
「どうしました? もうそろそろ試合開始の時間ですけど」
「すみません。あと5分だけ、待ってください」
ベンチまで確認に来た主審に、裕子は深々と頭を下げた。
- 94 名前: 投稿日:2003年06月06日(金)23時15分04秒
- 秋期リーグ第二節、対 ホーネッツ戦。
試合前の氷上練習の時間だというのに、エンジェルズ側の氷の上には数人の選手しかいない。
ゴールキーパーの飯田圭織を相手にシュート練習をしているのは、ディフェンスの村田めぐみ、ミカ・トッド。それからフォワードの紺野あさ美と、キャプテンの真里。
この大会の規定では、試合開始時にキーパーを含む8人の選手がベンチ入りしていないと試合放棄と見なされ、不戦敗となってしまう。
「・・・なぁ。他の皆は、どないしたん?」
「さぁ?」
裕子はベンチから身を乗り出して問いかける。
練習を抜けて駆け寄ってきた真里は、フェンスによりかかってそっぽを向いたまま、そっけなく答えた。
- 95 名前: 投稿日:2003年06月06日(金)23時16分41秒
- 「さぁ?・・・て。あんた、キャプテンやろ? 何か知ってるんちゃうの?」
「知らないよ。おいら、集合時間はちゃんと連絡したし」
「じゃぁ、皆なんで来えへんの?」
「だから、知らないって・・・」
真里はため息を落して、裕子の目の前でくるりと小さくターンをすると、練習の輪の中へと戻っていった。
- 96 名前: 投稿日:2003年06月06日(金)23時18分33秒
- 先ほどから裕子の中には、必死に頭の隅に追いやろうとしている事が一つだけあって。
一向に増える気配のない氷上の天使達と、容赦なく進んでいく時計の針とを見比べるたびに、それは徐々に確信へと形を変えて、裕子の中でどんどん膨らんでいく。
「もう5分になりますけど。どうします?」
いつのまにか再び確認に来ていた主審が、裕子に向かって自分の腕時計を指差して見せる。
- 97 名前: 投稿日:2003年06月06日(金)23時19分57秒
- ―――そういう事なら
裕子は自分の額に手を当てた。
―――今日はもう、あかんのやろな・・・
氷上の天使達をぼんやり見つめていた裕子は、電光掲示板の時計に目を移す。
そして大きく息を吸ってから、再び主審に深々と頭を下げた。
「・・・すみません。エンジェルズ・・・棄権します」
- 98 名前:名無し作者。 投稿日:2003年06月06日(金)23時21分29秒
- 少しですみません。更新終了です。
- 99 名前:名無し作者。 投稿日:2003年06月06日(金)23時25分37秒
- > 92様。
ありがとうございます。
> ホッケーに興味の無かった、自分でも楽しませてもらってますよ。
↑今の自分にとって最高の褒め言葉をいただいた気がします。
すっごく嬉しかったです。(^^)
しばらく"底"の方で地味に更新していく予定です。
お暇な時に、また覗きに来てやってくださいね。
- 100 名前:◇ 3. all imperfect things(2) 投稿日:2003年06月11日(水)21時55分39秒
◇ ◇ ◇
「矢口ぃ!」
ロッカールームを出て足早に歩いて行く真里を、裕子は慌てて追い掛けた。
大きな防具のバッグを担いだ小さな真里が、正面玄関のガラス扉の前で、身体ごとくるりと振り向く。
やっとの思いで追い付いた裕子は、ぜぇぜぇと息を切らしながら、真里の腕を捕まえて言った。
「・・・矢口ぃ。今日も帰らへんの?」
「うん。おいら、もうちょっと・・・圭織の家にいるよ」
ブルーデビルズ戦の後、リンクを飛び出した真里は、練習には顔を出していたものの家には帰らず、ずっと圭織の家に居候していた。
- 101 名前: 投稿日:2003年06月11日(水)21時57分22秒
- 「矢口ぃ・・・」
「あのね、裕ちゃん」
真里はつかまれた腕に目を落す。
「おいら、裕ちゃんとホッケー出来ると思って浮かれてた。みっちゃんに、裕ちゃんに監督を頼んだって聞いた時はホントに嬉しくて。でも・・・」
真里の腕を捕らえたまま、捨てられた子犬のような目で見下ろす裕子に、真里はしっかりと視線をあわせた。
「やっぱり、こんなんじゃいけないと思う。チームにとっても・・・裕ちゃんにとっても」
「矢口ぃ、あたしは・・・」
「だから、いいから。無理しなくていいから」
裕子の手を、真里はもう片方の手でゆっくりと解いた。
「おいらも頭冷やすから・・・裕ちゃんもホントは自分がどうしたいのか、よく考え直して?」
- 102 名前: 投稿日:2003年06月11日(水)21時58分38秒
- 真里はそう告げると、身体ごとぶつかるように大きなガラス扉をぐっと押し開け、その隙間に身体を滑り込ませて、リンクを出て行った。
裕子の目の前で、ギィッと音をたてながら、扉がゆっくりと閉まる。
その向こうで、駐車場から車を回して来た圭織が、真里に向かってひと言ふた言、何か声をかけるのが見えた。
圭織は、黙ったままその黄色い軽自動車の助手席に乗り込む真里に、肩をすくめる。
そしてふとこちらを見て、申し訳なさそうに胸の前で小さく手を振ると、大きな身体を窮屈そうに折り曲げて、運転席に乗り込んだ。
二人を乗せた車のテールランプが消えていくのを、裕子はぼんやりと見送っていた。
- 103 名前: 投稿日:2003年06月11日(水)22時00分19秒
―――――――――――――――――――――――――――――
秋期リーグ
第二戦 対 ホーネッツ
ホーネッツ 15−0 エンジェルズ
(メンバー不足によりエンジェルズ棄権。因って大会規定により
15−0でホーネッツの不戦勝)
得点: ―――
反則: ―――
―――――――――――――――――――――――――――――
- 104 名前:名無し作者。 投稿日:2003年06月11日(水)22時03分50秒
> ( ● ´ ー ` ● )<飛べない天使はただの天使
う〜ん・・・が、がんばります。
- 105 名前:名無しさん 投稿日:2003年06月28日(土)15時53分48秒
- 失ったモノは大きいようですね…
リーグ戦で2連敗!
天使たちが残り3戦でどのようになっていくか楽しみにしてます。
- 106 名前:◇ 3. all imperfect things(3) 投稿日:2003年07月13日(日)23時06分39秒
- もともと食べるという事にあまり執着しない裕子だけれど、さすがにコンビニの弁当や惣菜ばかりでは飽きてくる。
それでも、自分の腕が悪いのか、一人きりの味気なさのせいなのか。
形の悪いオムライスを、散々スプーンでもてあそんでいた裕子は
「・・・まずっ!」
一口食べるなり顔をしかめて、スプーンを放り出す。
久しぶりに一人悪戦苦闘して作ったオムライスは、あえなく生ゴミとなってしまった。
「あー・・・」
大きく伸びをしながら両足を投げ出して、椅子の背もたれにぐったりと寄り掛る。
すると今度は、流しに溜まったたくさんの洗い物が目に入って、裕子はため息をついた。
ついでに、風呂場の脱衣所に数日分の洗濯物を溜めてしまっていた事まで思い出して、ますます気分が重くなる。
―――こんなん見られたら、また怒るんやろうなぁ
甲高い真里の怒鳴り声が飛んでくるのをいつの間にか待っている自分に気づいて、裕子は苦笑した。
ほんの数日間離れているだけなのに、叱られた事すら恋しいと思う。
- 107 名前: 投稿日:2003年07月13日(日)23時08分12秒
裕子は立ち上がって、冷蔵庫からよく冷えた缶ビールを2つ取り出して、台所を出た。
スリッパを引きずって、冷たい板張りの廊下を歩く。
縁側の向こうで、降り出した雨が庭先に黒い染みをつくるのが、窓越しに見えた。
まだ青い畳が敷かれた茶の間の隅に、黒塗りの小さな仏壇がある。
裕子はその前に膝をついて鈴(りん)を鳴らすと、目を閉じて軽く両手を合わせてから、缶ビールの蓋を開けた。
一つを遺影の隣に供え、手に持ったもう一つを、カチンとそれに合わせる。
そして、缶を小さく掲げてから一口、ぐっとあおった。
「もう・・・どうしたらええんやろなぁ」
膝を抱えて座り込んだ裕子は、ぷはーっとアルコール臭いため息を吐く。
答えが返ってくるだなんて、思ってはいないけれど。
案の定、小さな写真立てに納まったモノクロの写真は、いつか見た笑顔のまま、黙って裕子を見つめている。
「笑い事やあらへんで?」
裕子は、写真立てをピンッと指ではじいた。
―――あたしはホンマに、この子らを飛ばしてやれるんやろか
あたしはホンマに飛べるんやろか、この子らと一緒に
例え、あんたみたいに上手く出来ひんかったとしても―――
- 108 名前: 投稿日:2003年07月13日(日)23時09分42秒
- ◇ ◇ ◇
「みっちゃーん。おかわりー」
裕子は勢いよく空のジョッキを差し出して、そのままカウンターの上に突っ伏した。
西朝比奈商店街のスポーツ・バー『cafe "morning"』は、今夜も賑わっていた。
外では雨がまだ降り続いていて、ときどきその雨から逃れるように、客が転がり込んで来る。
店内のTVモニターでは今夜、今まで何度も故障に泣かされてきたあるボクサーが、チャンピオンに引退をかけた最後の戦いを挑んでいた。
「やぐっちゃんもおらへんのやし・・・ほどほどになぁ」
「それを言わんといて」
カウンターの中のみちよが少々複雑な笑みを浮かべて、洗い物をしていた手を止めた。
「なんや・・・いろいろ大変やったんやて?」
みちよがカウンター越しに、裕子からジョッキを受け取る。
雅恵やめぐみ、圭織たちエンジェルズの「年長組」が、店に遊びに来たついでにでも話して帰ったのだろう。
予想はしていた事だけれど、事の顛末がもうみちよの耳に入っている事に、裕子は思わず苦笑した。
- 109 名前: 投稿日:2003年07月13日(日)23時11分13秒
- 「あたし・・・やっぱり辞めといたほうがええんやろか」
流されるまま、軽い気持ちで引き受けてしまったけれど。
思うほど簡単ではなかったことに、今になって気づく。
裕子はカウンターに頬杖をついて、ジョッキの泡をながめた。
「ねーさんを監督に推したから言う訳やないけど・・・もう投げ出すのん?」
グラスを磨きながら、みちよが静かに口を開いた。
「しばらく来えへんかったから、上手いことやってはんのや思うて安心してたんやけど」
店中からわーっと歓声が上がり、裕子はふとカウンターの上のモニターを見やった。
ちょうど四角い画面の中では、挑戦者がトップロープをつかんで、足元をふらつかせながらも、その日何度目かのダウンから立ち上っていた。
「大丈夫、まだ行けるだろ。死んでねーもん、目が」
裕子の隣の客が、誰に言うでもなくそう言って、グラスを傾けた。
挑戦者がチャンピオンに向かってファイティングポーズをとる。
その真っ赤に腫れた目蓋の下の眼は、彼の言葉通り、ぎらぎらと光っていた。
- 110 名前: 投稿日:2003年07月13日(日)23時12分45秒
- 「うちはもっぱら観戦専門やから、選手の気持ちはようわからへんけど」
グラスを磨いていたみちよが、TVモニターを見つめながらつぶやく。
「大事なもんて案外、勝ったとか負けたとか、そんなんとは違うトコロにあるもんなんかも知れへんねぇ・・・」
カウンターに頬杖をついてぼんやりモニターをながめていた裕子は、勢いよくみちよを振り返った。
「ごめん! みっちゃん、あたし・・・」
「ん?」
裕子は身を乗り出して、なにやら感慨深げな表情で、みちよを見つめた。
「あたし、あんたの事・・・ただのミーハーなホッケー・ファンやと思うてたんやけど・・・ちゃうねんなぁ?」
「はぁ?」
裕子はガタン!と音をたてて立ち上がり、「釣りはいらんで?」と千円札を数枚、みちよに押し付ける。
怪訝そうな顔のみちよを置いて、裕子は転がるように店を出た。
- 111 名前: 投稿日:2003年07月13日(日)23時14分29秒
さっきまでの雨は、もうすっかり上がっていた。
夜空を覆った雲のすき間から大きな月が少しだけ顔を出して、夜の商店街を照らしている。
まだ湿った空気の中を足早に歩きながら、裕子は思う。
―――とにかく、きちんとぶつかろう。きちんと楽しもう
持っていた傘を振り上げるように、うーんと伸びをしてから、裕子はぴしゃぴしゃっと自分の頬を叩いた。
「まずは、そこからやんなぁ?」
まだ傷は癒えてはいないけれど。
誰もいない静かな道に、裕子の長い影が伸びた。
- 112 名前: 投稿日:2003年07月13日(日)23時15分38秒
結局モニターの中の挑戦者は、最終ラウンドまで粘った挙げ句に、惜しくも判定で破れてしまったのだけれど。
勝ったチャンピオンが、破れた挑戦者の手をとって、高く掲げる。
『cafe "morning"』の客は皆、モニターの中の二人に惜しみ無い拍手を送っていた。
- 113 名前:名無し作者。 投稿日:2003年07月13日(日)23時16分45秒
- 更新終了です。
- 114 名前:名無し作者。 投稿日:2003年07月13日(日)23時18分48秒
- >>105様。
レス、ありがとうございます。
これからも気長に見守っていってください。m(__)m
- 115 名前:みっくす 投稿日:2003年08月19日(火)08時37分43秒
- 保全
- 116 名前:みっくす 投稿日:2003/09/14(日) 08:47
- 保全
- 117 名前:名無し読者 投稿日:2003/09/24(水) 17:30
- ほぜん
- 118 名前:みっくす 投稿日:2003/10/19(日) 08:05
- 保全
- 119 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/19(金) 03:48
- ho
- 120 名前:◇ 3. all imperfect things(4) 投稿日:2003/12/21(日) 23:54
- 『cafe "morning"』を飛び出した裕子が、店に傘を置き忘れたのを思い出した頃には、大降りだった雨はもうすっかりと止んでしまっていた。
湿った夜道を小走りに急いでいた裕子は、ふと腕時計を覗き込む。
はぁはぁと吐き出す息が、文字盤の前で白く滲んだ。
「まだ開いてるやろか」
急いでも、ぎりぎりやろなぁ。
試合はともかく、練習中にも氷に乗らない監督だなんて、見た事も聞いた事もない。
…とにかく、やり直すにはまず、あれを手に入れないと。
やがて見えてきた明かりの漏れる小さなその店に、裕子は飛び込んだ。
- 121 名前: 投稿日:2003/12/21(日) 23:55
-
重いガラス扉を、身体をぶつけるように押し開けて、すき間に身体を滑り込ませる。
閉店真際のはずの店の奥からは、機械がスケート靴の歯を研ぐ鈍い金属音が聞こえていた。
「こんばんはぁ」
声をかけながら、裕子は雨に濡れた薄手のコートを脱いで、店内をぐるりと見回す。そして、その懐かしい風景に頬をゆるめた。
「ここも変わってへんねんなぁ」
スケート靴やホッケーの防具、スティックにレプリカのユニフォーム…その他諸々。小さな店内いっぱいに商品が置かれている。
その壁には、いたるところにNHLや日本リーグの選手達のポスターやサイン。朝比奈の草チームが掲載された、ローカル紙の古い切り抜きまで貼ってあった。
「こんばんはぁ」
もう一度、店の奥に向かって声をかけるが、返事が返ってくる気配がない。
カウンターに置かれた小さなテレビから、NHLの試合が流れていて、スケート靴を研摩する音のすき間をぬって、歓声や英語のアナウンスが聞こえていた。
裕子はその辺に置いてあったスツール引き寄せて腰掛けると、ぼーっとテレビを眺めた。
「ごめんなさい。今日はもう閉店で…あ、Hi !! 」
「あ?! あぁ、アヤカ」
- 122 名前: 投稿日:2003/12/21(日) 23:56
- いつの間にか鈍い金属音は止んでいて、突然カウンターの向こうから聞こえた柔らかい女性の声に、裕子ははっと顔を上げた。見ると、スケート靴メーカーのロゴが入ったエプロンをした髪の長い女性が、店の奥から顔を出している。
そのとき、画面の中の選手が鮮やかなスラップショットを決めて、TVからわーっと歓声が上がる。
返事もそこそこに、思わず「あっ!?」とテレビを振り返る裕子を見て、カウンターの向こうの女性が、楽しそうにくすくすと笑った。
アヤカ…木村絢香は、この小さなスケートショップの店長代理で、エンジェルズのOGでもある。
もともとフィギュアをやっていたのが、格闘技の好きな従姉妹のミカにつられて転向。
2人でコンビを組んでディフェンスとして活躍していたが、父親が病気で倒れた事と、自身の怪我の悪化もあって、裕子が真里の兄と結婚した頃、一人静かに氷を降りた。
「やっぱり好きなんですね」
「自分でも、もう大嫌いになったと思うてたんやけどなぁ」
どこか嬉しそうなアヤカに、まぁいろいろあったんよ。と、裕子は少々きまり悪そうに答える。そして、スツールから立ち上がりながら、ゆっくり伸びをした。
- 123 名前: 投稿日:2003/12/21(日) 23:57
-
「ホントに久しぶりですね…そろそろいらっしゃる頃だとは思ってましたけど」
エンジェルズの件、全部聞いてますよ。
アヤカは長い髪を揺らして、くりっとした瞳にいたずらっぽい笑みを浮かべる。
その情報の早さに、裕子は苦笑した。
「もう話が回ってたんや」
「ええ。朝比奈の選手たちは、みんなお得意様ですから」
ここをどこだと思ってるんですか。
ウィンクしながらそう言って笑うと、アヤカはカウンターの下から箱を一つ取り出した。
「そうそう…これ。CCMの…サイズは、えぇと…22.5cmでしたよね? あ、歯はもう研いでるんで、すぐにでも滑れますよ?」
箱の中から出したホッケー用の靴を両手に持つと、やはりいたずらっぽい表情で、顔の横に掲げてみせる。
靴のサイズも合っている。CCMは確かに、裕子が選手時代に愛用していたメーカーだった。
なんでアヤカがそこまで知っているのだろうと訝しがりながら、裕子はバッグの中から財布を取り出した。
- 124 名前: 投稿日:2003/12/21(日) 23:58
-
「いえ。これは、ある方からの贈り物なんです」
数枚の紙幣を差し出した裕子を、no.とアヤカが制した。
「ある方? あたしに?」
「そう。中澤さんが来たら、渡してくれって」
「誰やろ…あたしにも、足長おじさんがおったんやな」
その言葉に、強いて言えば『足長お姉さん』かな。と、アヤカが真面目な顔で小首をかしげる。
お姉さん、と聞いて、裕子の頭にぼんやりとある顔が浮かんだ。
「あぁ…あたし、もう酒も控えなあかんと思うてたんやけど。
ほな、あたしの為に無理してくれはった足長お姉さんの為に、またこれからも売り上げに協力しに行かなあかんかなぁ」
「ええ、そうしてあげてください」
名前をあえて口に出さずニヤリと笑う裕子に、アヤカも「ほどほどに、ですけどね」と付け加えて笑った。
- 125 名前: 投稿日:2003/12/21(日) 23:59
-
「それにしても、サイズやメーカーまでよう知ってたなぁ」
先程から疑問に思っていたことを、口にしてみる。
つぶやいた裕子に、靴を箱に戻して梱包しなおしていたアヤカは、手を止めて顔を上げた。
「実はもう一人、足長お姉さんがいるんです。サイズとかは、その人からの情報で」
「もう一人?」
「ええ。多分…今の中澤さんの一番の理解者で、応援団長なんじゃないかな」
アヤカはにっこり笑って、また箱にぐるぐるテープを巻いていく。
その様子をぼんやり眺めていた裕子の頭に、もう一つの別の顔が浮かんだ。
それは自分が傷つけてしまったばかりの、大切な存在。
「ああ…もう、適わんなぁ」
裕子は思わず苦笑しながら頭をかいて、アヤカから靴の入った箱を受け取った。
「これ、ありがたく貰うとくわ。それから…スティックとグローブと。レガースも買いたいんやけど」
きれいに梱包された箱を大事に大事に抱えて、裕子は追加の注文を出す。
アヤカは"Yes,sir !" とおどけて敬礼しながら、決して営業用などではない笑みを満面に浮かべて、カウンターを出た。
「…なぁ。あんたはもう、ホッケーはやらんの?」
- 126 名前: 投稿日:2003/12/22(月) 00:00
-
数本のスティックを抱えたまま棚の上のグローブを見繕っていたアヤカの背中に、裕子は声をかけた。
「ええディフェンスやったのに」
この街に来てしばらくした頃に初めて観たエンジェルズの試合で、アヤカがミカと一緒にブルーラインに立っていたのを、裕子は今でも覚えている。
ブランクがあるとはいえ、ぎりぎりの人数で試合に出ている今のエンジェルズにとっては大きな戦力になるはずなのにと、裕子は思った。
「お父さんが良くなったら、またチームに戻って来ぃ。ミカもおるし」
「んー、そうしたいんですけど。膝がもう…氷の上だと、あんまり言う事聞いてくれななくて」
アヤカは振り返ると、自分の左膝を手に持ったグローブでぽんぽんと軽く叩く。そしてほんの少しだけ、寂しそうに笑った。
裕子は、狭い店内を軽やかに動き回っていたアヤカが、カウンターから出る時に一瞬だけ、左脚をかばうようにしたのを思い出す。
自分が失言した事に気づいて表情を硬くした裕子に、アヤカは慌てたように"don't worry !"と両手を振った。
抱えていたスティックが、ばらばらと床に落ちる。
- 127 名前: 投稿日:2003/12/22(月) 00:01
-
「…確かにチームを辞めたのは仕方なく、だったけど…今は違う。この店を手伝ってるうちに、氷の上にいなくても、皆の力になれる事がわかったんです」
なんと声をかけたらいいのか言葉を失ったままの裕子に、アヤカはゆっくりしゃがんでスティックを拾い上げながら言った。
「ミカとも皆とも、もう一緒に試合には出られないけど、でも…チームの為に私にできる事があるならしたい。それがどんな形でも」
手伝おうと慌ててしゃがんだ裕子を手で制して、立ち上がったアヤカは拾い上げたスティックとグローブを裕子に はいっ!と手渡した。
なすがままそれを受け取った裕子は、思わずアヤカの顔を見上げる。
「…エンジェルスは今でも、私の夢ですからね」
それは晴れやかな笑顔だった。
- 128 名前: 投稿日:2003/12/22(月) 00:02
-
◇ ◇ ◇
昨夜の雨とはうってかわって、今日は絶好の買物日和。
黒いゴムの前掛けにゴム長靴姿の店員たちが、大きな売り口上と共に客の間をきびきびと動き回る。
「はーいっ、安いよ安いよー!」
「今日は活きのいいのが入ったからねー。これ、買ってって旦那に食わしてやんなよ」
「奥さん。これ、お買得だよ! まけとくから、持ってきな!」
日曜日の西朝比奈商店街は、平日とはまた違ったにぎわいを見せていて。
「……ここんとこ、みっちゃんの店にしか来てへんかったからなぁ」
久々に訪れた昼間の商店街の熱気に圧倒されて、裕子は鮮魚店『魚谷』の店先で、所在なさげに立ち尽くしていた。
そのとき、後ろから誰かにどん!とぶつかられて、裕子ははっと我に返る。
「あら、ごめんなさい」
「いえ…」
振り返ると、買物カゴを下げた中年の主婦が、裕子に向かってすまなそうに軽く頭を下げた。
裕子も会釈を返しながら、はじめて自分が緊張している事に気がついた。
- 129 名前: 投稿日:2003/12/22(月) 00:02
-
「試合前にも、こんなんならへんかったのになぁ」
何かこう、逃げ出したくなるような、それでいて気持ちが沸き立つような。
小さくかたかた震える自分の手のひらを見て、裕子は自嘲気味に唇をゆがめた。
「どうですかー、その秋刀魚。旨そうでしょ?!」
ふいに店の奥から聞き覚えのあるしゃがれた男の声がして顔を上げると、『魚谷』の店長・大谷雅恵の父親が顔を出すのが見えた。
他の店員と同じ、黒いゴムの前掛けをした父親は、客に話し掛けながら、魚の値札を手際良く次々に付け直していく。
「ピチピチツヤツヤしてるでしょ?奥さんみたいだぁ。脂も乗ってるし、食べごろだよ?」
父親は裕子には気づかないまま、店先で品定めをする客に向かってニカッと笑ってみせる。
「やだー、店長たらもうっ。……それ、もらえる?」
声を掛けられた若い主婦は、まんざらでもない顔で雅恵の父の腕をばんばん叩くと、買物カゴから財布を取り出した。
父親は彼女に向かって軽く頭を下げると、銀色に光る秋刀魚を一皿、器用に包んでビニール袋に入れる。
- 130 名前: 投稿日:2003/12/22(月) 00:03
-
「まいどっ!」
ビニール袋を買物カゴにしまって、客が足取り軽く店先を離れて行く。
軽く手を上げて彼女を見送った父親は、くるりと振り返り
「へいっ! いらっしゃ…あ?! なんでぇ。あんたか」
裕子の顔を見たとたん、口元に浮かべていた営業用の笑みを消して、眉間に深いしわを寄せた。
裕子自身も、自分の顔がほんの少し強張るのがわかった。目の前にいるのは、自分の緊張の素。この"1on1"は、絶対に勝たなくてはいけない。
「いつもは真里ちゃんを使いによこすくせに…今日はいったい何の用でいっ?」
せっかくの天気なのに、雨が降っちまわぁ。
早速のボディブロー。
家事一切を真里任せにしている裕子を知っているのか、父親がチクリと嫌味を言った。
そして、どっこいしょ、と足元にあった白い発泡スチロールの箱を抱えて、裕子の目の前をずかずかと通り過ぎる。
「あ…あのー!」
案の定、トゲのある言葉を投げ付けられた裕子は、なけなしの勇気をかき集めて大声を出した。
- 131 名前: 投稿日:2003/12/22(月) 00:04
-
「マサオ…雅恵さんに、チームの事でお話があるんですが」
「お話だぁ? うちの雅恵はあんたなんかにゃ話はねぇよ。こちとら書き入れ時で忙しいんだ、どいてくんなっ」
一蹴された裕子は、思わず気押されそうになったものの、なんとか踏み止まる。
元来、ケンカや勝負事が嫌いな訳ではない。
裕子の生来の負けん気に火がついた。
「彼女になくても、私にはあるんですっ。だいたい話がないだなんて、なんでお父さんにわかるんですかっ?」
「あんたにお父さんだなんて呼ばれる筋合いはねぇよ」
「だから、そこじゃなくてっ」
いつの間にか、店の前には人垣ができていて。
他の客達が遠巻きに見守る中、店先で火花を散らしそうな勢いで睨み合ったまま、どちらも一歩も引かない。
その時 店の奥から、やはり黒いゴムの前掛けをつけた雅恵が、受話器を片手に顔を出した。
「お父ちゃん、村屋から電話ー。注文の追加が…。あ…監督?」
裕子を見て細い目を丸くしたまま、雅恵が軽く頭を下げる。
- 132 名前: 投稿日:2003/12/22(月) 00:04
-
「おう、村田さんとこだろ? 後でかけ直すって言っとけ!」
「はい…」
何か言いたげな表情でちらりと裕子を見てから、再び裏に引っ込もうとした雅恵に、裕子が声をかけた。
「マサオ−! あんたホンマにホッケーやりたないんか? ホンマはそんな事ないんやろ?」
「おいおい、あんたいーかげんに…」
「私は確かにひどい試合をしました。この子達を傷つけてしまったけどっ」
慌てて間に入った父親を遮るように、裕子が大声で言った。
「勝ち負けの他にも大事なことがあるって事を、この子達が私に思い出させてくれました。
今度は私が…連帯感や一体感、努力が報われる喜び…それをこの子達に教えたい」
渋い表情で腕組みをしたままの父親を静かに見つめながら、裕子は続けた。
「もう一度だけ、チャンスが欲しいと思うてます。でもそれには、雅恵さんが…選手皆が必要なんです」
裕子はもう一度、店の奥を振り返る。
そして心配そうにこちらの様子を伺っていた雅恵に、今度は静かに問いかけた。
「マサオ…あんたは、どうなん?」
- 133 名前: 投稿日:2003/12/22(月) 00:05
- 「あたしは…あたしは、また皆とホッケーがしたいです! だけど…」
雅恵はきゅっと下唇を噛んで受話器を握りしめたまま、金色の前髪の下から父親の顔をちらりと見やった。
父親は気まずそうに首の後ろをぼりぼり掻いて、ちっと舌打ちする。
「……あんた、もしかしてそうやって選手全員の家ぇ回るつもりかい?」
「ええ、まぁ…少なくともあの試合に出た子たちとは、きちんと話したいと思ってますので」
「ふんっ…おう、雅恵ぇ! ちょっと車出してやんなっ。ちんたら歩き回ってたんじゃぁ、明日になっちまわぁ!」
店の奥の雅恵を振り返って、大声を出した。
「お、お父ちゃん!?」
「早くしねぇと、日が暮れちまうぞ?!」
「は…はーい!」
雅恵は急いでエプロンを外して、店の裏手へと走って行く。
「お父さん。あの…」
「だから、あんたにお父さんなんて言われる覚えは」
「どうもありがとうございます」
仕事に戻りかけた父親の背中に向かって、裕子が深々と頭を下げる。
- 134 名前: 投稿日:2003/12/22(月) 00:06
- 「…ふんっ」
父親は白い発泡スチロールの箱を抱えなおすと、黙って店の奥へと消えていった。
その時、裕子を遠巻きに囲んでいた人垣から、ぱらぱらと拍手が起きて、それがだんだん大きくなっていく。
驚いて辺りを見回すと、「いよっ。店長、男だねぇ」「いーぞー、エンジェルズー!」「いや、ねーちゃんもよくがんばったっ!」と声援が飛ぶ。
雅恵が呼びに来るまでの間、裕子は少々面喰らいながらも、気の良い街の人達に会釈とぎこちない愛想笑いをどうもどうも振りまいていた。
- 135 名前:名無し作者。 投稿日:2003/12/22(月) 00:08
- 長い間放置してしまっていて申し訳ありません。
>>115 - >> 119
保全、ありがとうございました。
お手数かけます。m(__)m
- 136 名前:みっくす 投稿日:2003/12/24(水) 06:55
- 更新おつかれさまです。
楽しみにしてましたので再開嬉しいかぎりです。
次回も楽しみにしてます。
- 137 名前:◇ 3. all imperfect things(5) 投稿日:2004/01/25(日) 22:38
-
◇ ◇ ◇
バックミラーには、地元の神社の交通安全の御守が。
AMしか入らないラジオからは、ベテラン演歌歌手の新曲が。
ドアに紺色で『魚谷』と書かれた白い軽トラックは、雅恵と裕子を乗せ、商店街を抜けて駅前へと走って行く。
「…すみません、生臭い車で」
「ええよ、気にせんといて」
やたらと恐縮する雅恵に向かって、裕子はひらひらと手を振ってみせた。
軽トラに乗るのは初めてだけれど、いつもの愛車とは違う、良くも悪くもワイルドな乗り心地に、まぁたまにはええもんや、と裕子は思う。
「ほな、家が遠い子のところから、先に回ってもらおか?」
裕子のリクエストに、雅恵はうなずいてハンドルを切った。
「あの…この間は、すみませんでした。試合、すっぽかして」
トラックがぽっぽっと軽いエンジン音を立てて、駅前の交差点で信号待ちをしている時。
運転席でハンドルを握ったまま、雅恵が頭を下げた。
「どうしても、父が家を出してくれなくて」
「…あはは。そうやろうと思ったわ」
ぼんやりと窓の外を眺めていた裕子は、先ほどまで自分とやり合っていた雅恵の父親を思い出して、苦笑した。
- 138 名前: 投稿日:2004/01/25(日) 22:39
-
「こっちこそ、あんたらの事も考えんと、むちゃくちゃ言うてしもて」
裕子の言葉に、雅恵は黙ったまま、まるで子犬のように勢いよく頭を左右に振る。
その様子を横目で見ていた裕子は、ふっと口元を緩めた。
「ほんまはホッケーもリンクの氷も、見るのも嫌やってんけど。いざ試合になってみたら…」
負けたくなかったんよ。
裕子は雅恵の横顔を見ながら、自嘲気味に笑った。
最初は何もかもが面倒で、ただ与えられた役割をこなせばいいと思っていた。
でもそのうち、みちよや真里の喜ぶ顔を見て、みちよの顔を立て、真里を安心させてやろうと、ただ思った。
ところが…どこかで何かを履き違えて、気づいたときには大事な何かを壊してしまった後だった。
「ほんまに、しょうもないなぁ。あたしは…」
呟いた裕子は、わざと頭をぶつけるようにごつんと音をたてて、窓ガラスにもたれる。
そんな裕子をちらりと見やって、雅恵はハンドルをきりながら明るく口を開いた。
「…うちの父ね、ああ見えて、昔は自分もホッケー選手だったんですよ。
家を継がなくちゃいけないし、腰を傷めたし。で、泣く泣く氷を降りたみたいなんですけど。
だからうち、昔から家にスケート靴があったし、小さい頃からリンクに遊びに行くのが当たり前で」
- 139 名前: 投稿日:2004/01/25(日) 22:40
-
亜依に希美に、めぐみに…エンジェルズにも大勢いる、この商店街に住む選手たちはみんなそんなものだ、と雅恵が言う。
「小さい頃、初めて履いた自分専用の靴も、父が買ってくれたんです。『スケート靴っつったら、コレだろ』って。
でも、いざリンクに行ったら、女の子達は白いフィギュア用の靴を履いてるのに、私だけ黒いホッケー用で」
今でこそ県内の女子チームは6つあるものの、当時はまだまだスケートといえば「女の子はフィギュア」というのが一般的で、そういえば裕子自身も、選手時代は「女のくせに」と言われて腹をたてたことが何度かあった。
それにしても…と裕子は思う。カラフルなフィギュア選手達に囲まれ、おどおどと周囲を気にしながらホッケー靴で滑っている小さな雅恵を想像すると、ついぷっと吹き出してしまった。
それでも雅恵はちらりとこちらを見ると、怒りもせず、どこか安心したようにふわりと笑う。
「ええお父さんやんか」
裕子が言うと、雅恵は笑顔を残したまま頷いて「まぁ、いい迷惑なんですけどね」と返した。
「きっとマサオのお父さんは何か、氷の上に落とし物があるんかも知れへんねぇ」
雅恵の、エンジェルズの試合を通して、無意識のうちにそれを見つけようとしてるのかもしれない。
本人はきっとそんな小難しい事など考えもせずに、ただ目の前の勝負事に夢中になっているのだろうけど。
「お父さん、見てて腹たったやろなぁ」
- 140 名前: 投稿日:2004/01/25(日) 22:41
-
夢を半ばにして、道をあきらめなければならなかった人がいる。
―――きっと向こうで、歯痒い思いしながらこっちを見てたんやろなぁ。
今はいないその人の気持ちを慮って、裕子は深いため息をつく。
自らの喪失の悲しみで、すっかり忘れてしまっていたけれど。
「最初なぁ、みっちゃんや矢口があたしに監督やらせたがるのがわからなかったんよ。
でも今は…もしあの人にも落とし物があるなら、それはあたしがちゃんと拾うてやろうと思うてる。それが…」
『エンジェルスは今でも、私の夢ですから』
―――昨晩、帰り際にアヤカが言った言葉が、ふと裕子の頭に浮かんだ。
「それが、今のあたしの夢やねん」
- 141 名前: 投稿日:2004/01/25(日) 22:42
-
◇ ◇ ◇
氷の上には、有線放送で最新のヒット曲が流れる。
NHLのレプリカジャージに身を包み、暴走する子供達。
ジャンプの練習をするフィギュアスケーターの卵。
二人で手を繋いだまま転ぶカップル達。
日曜日の県営朝比奈スケートリンクは、大勢の子供達や若者達で朝からごった返していた。
「もー、なんでこう日曜やっつーとカップルばっかやねんっ。氷の上でいちゃいちゃすんなや。ちっとも滑れへんやんかー」
亜依は氷から上がるなり、乱暴に手袋をはぎ取りながら、ベンチをがつんと蹴飛ばす。
最初こそおもしろがって、冷やかし半分にカップル達の間を縫うように滑っていたものの、やがてそれにも飽きて、ベンチに引き上げてきた。
そういえば、そろそろ小腹も空いてきた頃だ。
亜依は冷えた身体を縮こまらせて、リンクの隅の売店に向かう。
- 142 名前: 投稿日:2004/01/25(日) 22:43
-
「あいぼんこそ、そんなに滑りたいなら、素直にリンクに来れば良かったんれすよ。誘ってたのにー」
「や、それとこれとは話が別やねん。ってか、ののかて試合すっぽかしたやん?」
亜依は振り返って、続いて氷から上がって来た希美に向かって裏拳を入れた。
希美は、冷えて真っ赤になった耳を、毛糸のミトンを着けた両手で押さえながら、ぷうっと膨れる。
確かにあのブルーデビルズ戦の裕子の采配は、どうしても納得が行かなくて。
もやもやした気持ちのまま氷になんか乗りたくはなくて、次の試合は休んでしまったのだけど。
でも、決してホッケーがやりたくなかったわけではないし、嫌いになった訳でもない。
そしてそれは多分、他のみんなもきっと同じ。
その証拠に、放課後にでも滑りに行こうとあれから希美がどんなに誘っても、ずっとへそを曲げていた亜依が、今朝になって突然、自分から「リンクに行こう」と電話してきたのだ。
「…らからって、朝っぱらから集合かけなくても」
- 143 名前: 投稿日:2004/01/25(日) 22:44
-
亜依にどういう心境の変化があったかはしらないが、とりあえずリンクの開館時間からずっとはしゃいで滑り通しで、気がつけば膝はガクガクで。
見れば一緒に滑っていたはずの麻琴や愛達はとっくに氷から上がっていて、すでに売店の前のテーブルを一つ占領している。
「おばちゃーん! うどん2つ!」
希美の言葉を遮るようにずかずかと売店のカウンターに歩き寄って、亜依がぶっきらぼうに小銭を置いた。
「ののもええやろ? うどんで」
「あいぼん?!」
「…今日はおごったるわ。急に呼び出して、付き合わせてしもうたし」
「あいぼん…」
振り返った亜依は照れ隠しなのか、視線をそらして唇を尖らせる。
「…肉まんもつけてくらさい」
「へ?」
「うどんじゃ足りないれす」
あっけにとられる亜依を見て、希美がてへへっと笑う。
「らって、安心したら、お腹がすいたから」
- 144 名前: 投稿日:2004/01/25(日) 22:44
-
自分も試合をさぼってしまったものの、実はこのままチームが、自分と亜依がばらばらになるんじゃないかと、内心では心配していて。
急に呼び出してきた亜依に、勝手なもんだと少々腹を立てつつも、変わらずに誘ってくれた事が、やっぱり嬉しくて。
なんだかんだと集まってきた麻琴達を見て、安心して。
安心したら、お腹がすいて。
だから
「うどんじゃ足りないれすよ」
屈託ない笑顔を見せる希美に
「…しゃぁないなぁ」
亜依は、ようわからん、といいながらも、ジャケットのポケットを探って小銭入れを出した。
- 145 名前: 投稿日:2004/01/25(日) 22:45
-
「…ねぇ。愛ちゃんてさぁ、なんでフィギュア辞めてホッケーやろうと思ったの?」
すでに売店のテーブルに着いていた麻琴は、湯気を立てるどんぶりを前にして、割り箸を割る。
さっき氷上で、ホッケー靴のまま見事なスピンを決めて子供達からやんやの喝采を浴びていた愛は、今はケチャップを垂らさずにホットドッグを食べるのに一苦労していた。
ずっと同じホッケー選手としてつきあってきたから、あまり気にした事もなかったが、さっきの綺麗なスピンを見てふと思い出した事を、麻琴はなんとなく愛に聞いてみた。
麻琴とあさ美がブルーデビルズから移籍してきた時には、もう愛はエンジェルズの選手としてチームに在籍していて、彼女がフィギュアから転向してきたと知ったのは、麻琴達がチームに馴染んでしばらくしてからだった。
「んー、なんやろ。人に自分の点数つけられるのが、嫌になったんよ。
ホッケーは、たくさん点取った方が勝ち、取られた方が負け。はっきりしとって、ええなぁと思うて」
大きく目を見開いてホットドッグにかぶりついていた愛は、なんでもない事のようにそう言って、指先についたケチャップをぺろりと舐める。
- 146 名前: 投稿日:2004/01/25(日) 22:46
- もちろん、そういう採点競技の世界に身を置いて、自分を磨き続けている選手はたくさんいるし、それを否定するつもりは愛にはない。
でもそこは、愛にとってはただ居心地が悪いだけでしかなかった。
同じ氷上の競技とはいえ、ずいぶんと思い切った転向に思えるのに。
小さな頃からホッケー用の靴しか履いて来なかった麻琴にはピンとこなくて、どんぶりを抱えたまま、うどんの麺を箸で玩んで首を傾げる。
「そんなもんかなぁ」
「うん。それに、前に見たエンジェルズの試合が、楽しそうやったんよ。勝っても負けても、みんなでわいわいしとって。
フィギュアは嬉しいのも悔しいのも独りやから…ちょっとうらやましかった」
愛はぽかんと口を開けたままの麻琴に向かって、小さく笑った。
小さな頃から親に言われるままにフィギュアスケートの教室に通い、氷の上は独りで闘う場所だと思っていた愛にとって、それはあまりにも新鮮で、魅力的な光景に映った。
「愛ちゃんが見た試合って…あ。後藤さんとか吉澤さんがいた頃?」
「うん…そうやけど…」
里沙が無邪気に『無期休部中』の先輩達の名前を挙げる。
突然思い出させられた、いつチームに戻るとも知れない2人の元エースの名前に、麻琴達はそろって大きなため息をついた。
- 147 名前: 投稿日:2004/01/25(日) 22:47
-
「…ってか、自分ら、なんでわざわざうちに移籍して来たん? 向こうにおったら、今頃こんな惨めな思いせんで済んだやろ」
だってブルーデビルズは、県で一番のチームだから。
氷上にいたと思っていた亜依が、麻琴の顔の横からぬっと手を伸ばしてトレーをどかっとテーブルに置く。2人前のうどんと肉まんが、トレーの上でほかほかと白い湯気を立てる。
そして、希美がどこからかずるずると引きずって来た椅子に、二人で腰掛けた。
エンジェルズ生え抜きの亜依にしてみれば、いわばエリート軍団から移籍してきた物好きなチームメイト達に、嫌味でもなんでもなく、ただ素朴な疑問をぶつけてみただけなのだけれど。
亜依の言葉に、テーブルの隅で黙って肉まんを頬張っていたあさ美の顔が、ほんの少しだけ、強張る。
それをちらりと見て取った麻琴は
「勝ちゃいーってもんでもないでしょ?!」
まぁ、いろいろあったんだけどねぇ。
そっけなく言い放って、勢いよくうどんをすすった。
「なんかそういうの、もういいやって思ったんだよねぇ。それなのに」
「なんやぁ。あんたら、みんな一緒やったんか」
「「「げっ?!」」」
- 148 名前: 投稿日:2004/01/25(日) 22:47
-
聞き覚えのある柔らかい関西弁が突然降ってきて、麻琴達は一瞬、びくっと身体を震わせてから、顔を見合わる。
ゆっくり恐る恐る振り返ると、そこにはやはり、監督の裕子が立っていて。
両手に息を吹き掛けている裕子の、さらにその向こうで、副キャプテンの雅恵が寒さに身を縮こまらせながらも、にこにこと胸の前で小さく手を振っていた。
「だっ、誰が教えたんや?!」
「あ、あたしじゃないしっ」
「あいぼんがリンクに行こうなんて言うからっ…」
亜依達はわたわたと慌てふためいて、小声で言い争う。
それが聞こえているのかいないのか、裕子はゆっくり近づいて
「いやなぁ、さっき小川の家に行ったら、お母さんにここやて言われて…」
亜依達のテーブルの側にあった椅子を引き寄せて腰掛けると、天使達ひとりひとりの顔に目をやった。
てっきり無断欠席の件を咎められるんじゃないかと畏縮していた亜依達にとって、それは思いのほか穏やかな視線で。
何事だろうと訝しく思いながらも、ほんの少しだけ拍子抜けして、ほんの少しだけ安心した。
そんな亜依達の様子に微苦笑しながら、やがて裕子は静かに口を開く。
「悪いけど、あんたらみんなに話があんねん。…ちょお、聞いてもらえるか?」
- 149 名前: 投稿日:2004/01/25(日) 22:49
-
◇ ◇ ◇
すっかり日が傾いて、橙色に染った辺りが深い闇の色へと変わる頃。
街中の電灯が、ぽつぽつと明かりを灯しだしていく。
天使達のもとをぐるりとひとまわりして、この西朝比奈町商店街に戻ってきた白い軽トラは、一軒の花屋の手前で停まった。
この商店街では珍しいレンガづくりの建物の、『フローレンス飯田』と書かれた看板の灯が落ちる。
すっかり店じまいの仕度も済んだのか、赤いエプロン姿の店員がガラガラと大きな音をたててシャッターを下ろすのが見えた。
「ここでええよ。ありがとう」
がちゃがちゃと不器用にシートベルトを外しながら、裕子は礼を言った。
圭織の家にいると言った真里の言葉が本当なら、この2階のアパートに、その真里がいるはずで。
「はぁ…。あかん、また緊張してきた」
「みんなもわかってくれたんだし、大丈夫ですよ」
なにしろ、あのうちの父にも勝ったんだから。
- 150 名前: 投稿日:2004/01/25(日) 22:50
-
さぁ困ったとばかりに眉根を寄せる裕子に、今さら何を言ってるんだと雅恵が笑う。
「せやなぁ。ここまで来たんや。がんばらな。…今日はほんまに、どうもありがとうなぁ」
お父さんにもよろしく言うといて、と言い置いて、裕子はひらりと軽トラックから降りた。
ドアを閉める瞬間、
「これから…がんばりましょうね、監督」
強くて静かな眼でこちらをまっすぐに見つめながら、運転席の雅恵が言う。
裕子はにっこり笑って、でも力強くうなずくと、軽く手を振ってから、白いドアを閉めた。
やがて軽トラは、軽いエンジン音をたてて商店街の通りを駆けていく。
その走り去る音を聞きながら、裕子は漂い始めた冷たい夜の空気を思い切り吸い込んで、アパートの明かりを見上げた。
- 151 名前:名無し作者。 投稿日:2004/01/25(日) 22:51
-
更新終了です。
- 152 名前:名無し作者。 投稿日:2004/01/25(日) 22:53
- >>136 みっくす様
その節は度々の保全、どうもありがとうございました。
嬉しかっただなんて言っていただけて、こちらもとても嬉しかったです。
- 153 名前:名無し作者。 投稿日:2004/01/25(日) 22:57
- 巣立っていく娘。さんも、
残された娘。さんも。
その行く道先に幸多からん事を願うばかりです。
- 154 名前:みっくす 投稿日:2004/01/27(火) 07:03
- 更新おつかれさまです。
はたしてメンバーはみんな帰って来るのでしょうかね。
次回楽しみにしてます。
- 155 名前:*O 投稿日:2004/07/27(火) 16:19
- すごく面白い話で、いいなと思いました。
あ、初めまして。(笑)
更新まっています。
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