もっきん道楽

1 名前:もっきん屋 投稿日:2003年04月03日(木)02時18分04秒
短編集です。
時間に余裕のあるときにでも、のぞいて頂ければうれしいです。
2 名前:うたうまちかど 投稿日:2003年04月03日(木)02時21分23秒
天王洲カルマ団。
その十人ばかりの旅サーカスの一座が私の街にやってきたのは、もう秋も随分と深まった頃でした。
誰かが招いたというわけではありません。
街外れに勝手に建てられた小さなテントは、
いつの間にやら、あたりの風景にとけ込んでしまっていたのです。
3 名前:うたうまちかど 投稿日:2003年04月03日(木)02時22分05秒
カルマ団の団長さんは、とても背が高く、髪のきれいな方でした。
自分では"カオリン"なんておっしゃっていましたが、本当の名前が何なのかは分かりません。
団員のみなさんは、"リーダー"とか、"いいらさん"なんて呼んでらっしゃるようでした。

"いいらさん"には不思議な癖がありました。
その癖は決まって、熱を込め真面目なお話をされている時にあらわれます。
団員のみなさんはそれを"交信"とか"電波"なんて呼んで、
その都度大笑いされ、口々に"困った困った"とおっしゃいます。
ですがそうは言いつつも、みなさん本当は次の"交信"を楽しみにされていましたし、
気きまじめな"いいらさん"のことを、とても大切に思われているのでした。
そして私たち街の者もみな、そんな"いいらさん"のことが大好きだったのです。
4 名前:うたうまちかど 投稿日:2003年04月03日(木)02時22分56秒
だけれど、ただ一つ困ったことがありました。
動物たちが彼女の言うことを聞かないのです。
鞭をぴしぴしふるってみても、猛獣たちはただけらけらと笑うばかり。
これでは猛獣使いにはなりません。
どうしても言うことを聞かぬ獣たち。
終いには温厚な"いいらさん"も、ぷりぷりと怒り出してしまいます。
ほほを膨らませ腕を組み、その場にドッカと座り込んでしまうのです。

ですが、動物たちを責めるのは止してやっては頂けないでしょうか。
何故なら、それも無理からぬことなのです。
というのも、それくらい"いいらさん"の怒った様子は素敵だったのですから。
動物たちはいつでも、真面目に火のわっかを跳ぼうだとか、りっぱに玉乗りをしようだとか、
そんな風に考えてたのに違いありません。
だけれどいざ"いいらさん"を前にすると、彼女の怒った顔が見たくて仕方なくなってしまう。
ただ、それだけのことだったのですから。

そんなわけですからつまり、カルマ団の猛獣使いはからっきしダメだった、ということなのです。
5 名前:うたうまちかど 投稿日:2003年04月03日(木)02時24分35秒
大概のサーカス団と同じように、カルマ団の目玉も、空中ブランコでした。
"のの"ちゃんと"あいぼん"という小さな双子の姉妹が、カルマ団のブランコ乗りです。
二人とも非常にはしっこく、そしてまた大変なイタズラ好きで、
いつも可愛らしいイタズラを発明しては、みなから大目玉をくらうのでした。
ですが実は、団員のみなさんは二人の新しいイタズラを楽しみにされていましたし、
私たち街の者もみな、二人のことが大好きでした。

だけれど、ただ一つ困ったことがありました。ブランコが二人を振り落とすのです。
綺麗に回転を決め、ブランコをはっしと握るや否や、
ブランコはふるふると震え出し、二人を空中に振り落とします。
これでは空中ブランコにはなりません。
いつでも二人は決まって、命綱にぶら下がり、テントの空をふゆふゆと舞うことになってしまいます。
6 名前:うたうまちかど 投稿日:2003年04月03日(木)02時25分40秒
ですが、ブランコを責めるのは止してやって頂けないでしょうか。
何故なら、それも無理からぬことなのです。
というのも、それくらい二人の手のひらは素敵にくすぐったかったのですから。
もし二人の手のひらに、もぎゅっと握られたならどうでしょう。
それはいくらブランコとて、笑い出さずにはいられません。
いつだってブランコは、パリッとものスゴい離れ業を決めてやろうと思っていたのに違いありません。
だけれど、いざ二人の柔らかな手に握られると、思わず身がよじれてしまう。
ただ、それだけのことだったのですから。

そんなわけですからつまり、カルマ団の空中ブランコはからっきしダメだった、ということなのです。
7 名前:うたうまちかど 投稿日:2003年04月03日(木)02時26分18秒
ですがカルマ団には、腕っこきのナイフ投げがおりました。
彼女より上手にナイフを投げられる者は、この星の上にはいないと言うほどの名人です。
なんでも、百メートル先の缶詰を、たった三本ナイフを投げただけで綺麗にあけてしまったことがあるといいます。
名前は"お圭さん"とおっしゃいましたが、"投げキッスのヤスス"というあだ名の方が良く知られていました。
職人気質で口数の少ない"ヤスス"さんでしたが、口に出した約束は必ず守るという律儀な方でもありました。
こちらの約束の方も実際、ナイフの腕と同じ位確かなものでした。
団員のみなさんは、そんな"ヤスス"さんのことを尊敬されていましたし、
私たち街の者もみな、彼女のことが大好きでした。
8 名前:うたうまちかど 投稿日:2003年04月03日(木)02時27分08秒
だけれど、ただ一つ困ったことがありました。ナイフが彼女から離れないのです。
というのも、ナイフが"ヤスス"さんから離れなくて良いという約束を取り付けてしまったからなのです。
手から離れさえすれば、どんな的当てだってお手のものの"ヤスス"さんも、これではどうにもなりません。
ですからいつもせいぜい、リンゴやジャガイモの皮を上手にむく位のことしかできないのでした。

ですが、ナイフを責めるのは止してやって頂けないでしょうか。
何故なら、それも無理からぬことなのです。
というのも、"ヤスス"さんのナイフさばきは、それほど素敵に巧みだったのですから。
ナイフだって本当は、シパッと見事に飛び出して的のど真ん中にめり込もう、そう考えていたのに違いありません。
だけれど、いざ投げられる段になると、"ヤスス"さんから離れたくなくなってしまう。
ただ、それだけのことだったのですから。

そんなわけですからつまり、カルマ団のナイフ投げはからっきしダメだった、ということなのです。
9 名前:うたうまちかど 投稿日:2003年04月03日(木)02時27分55秒
そう。他の団員のみなさんも、一事が万事こんな具合でした。
そんなわけですからつまり、一体全体カルマ団は、ほんとにからっきしダメだった、ということなのです。

それならお客は入らなかったのかというと、それはまるっきしそうではありません。
いつもテントは満員で、蟻の這う場も無いほどです。
もちろん、テントが狭いということもありますが、決してそればかりではありません。
本当に、お客は一杯にあったのです。
客は小さなテントの中にきゅうきゅうにつめこまれ、それでもいつもニコニコと笑っていました。

にぎやかな小さな子供たち。仲の良さそうな老夫婦。
店を早じまいして来た魚屋。学校の先生やその生徒。
その他にもいろんな人たちが、毎日テントにごった返していました。
みんなカルマ団のサーカスを愛していましたし、
カルマ団のみなさんも、そんなお客のことをとても大切にして下さいました。
私も学校がおしまいになると、毎日テントへと遊びに行きました。
私は、カルマ団が好きで仕方ないという、大勢のお客の中の一人でした。
10 名前:うたうまちかど 投稿日:2003年04月03日(木)02時29分02秒
私が毎日テントへ向かった理由が、「カルマ団を好きだったから」だけだと言うと、それはちょっぴりウソになります。
というのもやっぱり、私は心配だったのです。
もし明日になったら、あのテントは無くなっていやしないか。それが心配だったのです。
この街にやって来た時と同じように、いつの間にやら消えてしまったとしても、何一つ不思議はないのですから。
ですから街外れまで駆けてきて、あの小さなテントが見え出すと、何とも安心したものでした。
ほんとに安心したものでした。

そんな思いは、必ずしも私一人だけのものではなかったろうと思います。
おそらく街の者はみな、同じような不安を持っていたのに違いありません。
ですが、「いつまでこの街にいるの」なんて、誰も尋ねることは出来ませんでした。
それは訊いてはいけないことだと、みなが感じていましたから。
おそらくそれを聞いたなら、カルマ団は居なくなってしまう。
みんなうっすらと確かに、そのことに気づいていたのです。
11 名前:うたうまちかど 投稿日:2003年04月03日(木)02時29分48秒
ですがそんな不安も、サーカスの始まりと共にみんな吹き飛んでしまいます。
美しい楽器の音色に乗って現れる団員の面々。
繰り広げられる愉快なステージ。からっきしダメな見せ物。
けもの達はけらけらと笑い、お客達はニコニコと笑います。
どれもがすべて、素敵で素敵でたまりません。

どうしても歌いたくて仕方なくなったお客が、ステージに出てうたをうたうこともあります。
"いいらさん"や"ヤスス"さんの代わりに、猛獣使いやナイフ投げをかってでる者もいます。
やっぱりうたはからっきし下手くそですし、けものもナイフも言うことは聞かず、あさってなことばかりしています。
それでもみんなとても素敵で、お客達は大喜びです。
カルマ団のサーカスは、毎日がこんな風にとりとめがありませんでした。
何が起こるかなんて誰にも分からない、ただ素敵だと言うことだけが、毎日同じだったのです。
12 名前:うたうまちかど 投稿日:2003年04月03日(木)02時30分41秒
そんなはちゃめちゃなステージは、いつも「カルマ団のうた」を会場全員で大合唱して幕を閉じます。

やあ! やあ! みなさんごきげんよう!
小さなテントは我らがやどり
目にとまりなば お立ち寄りあれ
やあ! やあ! みなさんごきげんよう!
大きな笑いは我らがかせぎ
耳届きなば お立ち寄りあれ

うたとおどりと あまたの妙技
我ら天王洲カルマ団!
我ら天王洲カルマ団!

大合唱が終わると、美しい鐘が三度ばかし鳴って、団員のみなさんは一列になってお辞儀をします。
このときばかりは、けもの達もお行儀良くお辞儀をします。それでサーカスはお開きです。

客達はがやがやと、ひしめき合ってテントを出ます。
それから、めいめいの家へと帰るのですが、ふと後ろを振り返り、灯りに照らされたテントを見るたび、
やっぱりあの心配を思い出すのです。
"明日もサーカスを見られるだろうか… 明日もみんなで笑えるだろうか…"
それでやっぱり次の日も、みんなテントに来ずにはいられない、と言う訳なのです。
13 名前:うたうまちかど 投稿日:2003年04月03日(木)02時32分07秒
私は、カルマ団が好きで好きで仕方ない大勢のお客の一人にすぎなかった。
先ほどはそのように申し上げましたが、実はちょっぴりウソをつきました。
お客の一人であったのは確かです。
ですが私は、他の人よりちょっとだけ特別なお客だった。そのように思うのです。
街のみなに話を聞くと、"自分はちょっとだけ特別なお客だった"そのように感じている者が多いのも事実です。
ですがそれでもやはり、私は"ちょっぴり特別"なお客だったのではないかと思っています。
14 名前:うたうまちかど 投稿日:2003年04月03日(木)02時33分04秒
それはある日のことでした。
学校を終えた私は、いつも通り急いで街外れの空き地まで駆けて行きました。
小さなテントが変わらずそこにあることを見つけ、その日も大変ホッとしたのを覚えています。
サーカスの始まりまでは時間がありましたし、まだ私の他に人はやって来ていないようでした。

独りぼっちでテントを前にした私は、何故だか大変緊張しておりました。
もし私が目を離したなら、テントはその隙に消えてしまうかもしれない。
何故だか不思議とそのように感じたのです。
しっかり見張っていさえすれば、その間に消えてしまうことはありません。
ですから私は、まるで街の代表にでもなったようなつもりで、
遠巻きに、でも真剣に、一人でテントを見張っておりました。
15 名前:うたうまちかど 投稿日:2003年04月03日(木)02時34分38秒
そんな時テントの中から、ものすごい勢いで人が飛び出してきました。
「あいぼんなんて らいっきらい!」
泣きながら大声で叫んでらっしゃいました。
間違いありません。ブランコ乗りの"のの"ちゃんでした。
私はカルマ団のみなさんが大好きでしたが、"のの"ちゃんはその中でも最も好きな方の一人です。
あまりに突然の事態に、当然大変驚かされたのですが、さらに私をドッキリとさせる出来事が起きました。
飛び出してきた"のの"ちゃんは、ものすごい勢いもそのままに、見事なまでにすっ転げてしまったのです。

"ズザーーーーーッ"
それはそれは猛烈な勢いで、辺りにはまるでマンガのような音が響きました。
きっと私が転んでも"ドテッ"とか、"ポテッ"とかそのような音しかしないはずです。
転びかた一つとっても華がある。
不謹慎にも感心してしまったのを覚えています。
16 名前:うたうまちかど 投稿日:2003年04月03日(木)02時35分36秒
大転倒にもめげず、"のの"ちゃんはすぐさま立ち上がります。
これまた私にはマネの出来ぬ事です。
ですがどうしたことでしょう。
"のの"ちゃんは、そこから立ち去るでもなく、キョロキョロと地面を見回しているようでした。
どうやら転んだときに、何かを落としてしまったのでしょう。
なかなか見つけられないようで、焦ってらっしゃるのが遠目にもわかります。
あたふたあたふたと取り乱す姿は、見る者の心を締め付けます。

辺りを確認してみたのですが、私の他にはまだ誰も来ていないようでした。
ですから私は、勇気を振り絞る決意をしました。
だって誰もいないということは、助けてあげられるのは、世界中で私だけということなのですから。
17 名前:うたうまちかど 投稿日:2003年04月03日(木)02時37分38秒
ですがいくら意を決したとて、なかなか思うように行くものではありません。
早く駆けていって一緒に探してあげなくては。
心では強くそう思うのですが、緊張やら恥ずかしいやら、体はなかなか言うことを聞きません。
それでもやはり、手助けをして差し上げたい。
私は、うつむき加減にゆっくりと"のの"ちゃんの元へ近づいて参りました。

ですが世の中、何が幸いするものか分かりません。
ゆっくりと下を向いて歩いていた。それがかえって良い結果に結びつきました。
歩き始めた私は、何とすぐさま、"のの"ちゃんの探し物を見つけ出すことができたのです。
あれだけの勢いで転んだためでしょう。思う以上に遠くまで飛ばされていたようです。
"のの"ちゃんの探し物、それは銀色の小さな知恵の輪でした。

どうしてそれが探し物だと解ったのか。
誰か別の人が落とした物じゃないのか。
それは随分と遠くに落ちていたわけですし、そう思うのが普通かもしれません。
しかしその時の私は不思議と、全くそのようには考えませんでした。
落とし物はきっと、この知恵の輪に違いない。確かにそのように感じたのです。
18 名前:うたうまちかど 投稿日:2003年04月03日(木)02時38分25秒
依然あたふたと探し続ける"のの"ちゃんに、私はおそるおそる声をかけます。
「…あの、これを探されているのですか?」
大変集中されていたためでしょう。
突然の私の声に、ドキッとされたのが解りました。
ですがその顔は一瞬にして、満面の笑顔に変わります。
「ありがとうなのれす!」
やはり探し物は、銀の知恵の輪で間違いなかったのです。

何とうれしそうな顔をされるのでしょう。私もつられて暖かな気持ちになってしまいます。
これがきっと世界で一番の笑顔なんだ。私は確かにそのように思いました。
ですがその考えが過ちだということは、間をおかずに気づかされることになります。
何故ならその直後"のの"ちゃんの笑顔は、さらにもっと素敵なものになった訳ですから。
19 名前:うたうまちかど 投稿日:2003年04月03日(木)02時39分03秒
きっかけは、これまた全く予期せぬ事でした。
私が手渡そうとした瞬間、何の弾みでか知恵の輪が外れてしまった、ただそれだけのことです。
ですがまた、それは絶妙のタイミングでもありました。
私の手と"のの"ちゃんの手に、知恵の輪の片割れが一つずつ。
二人で一緒に知恵の輪を解いてしまった、まるでそういった具合です。

一段と輝きを増した"のの"ちゃんの笑顔。
人間とは、こうも朗らかに笑うことが出来る存在なのですね。
あの瞬間の鮮やかな驚きを、私は忘れることが出来ません。
20 名前:うたうまちかど 投稿日:2003年04月03日(木)02時39分51秒
そして大変興奮された口調で、"のの"ちゃんはおっしゃいます。
「"つぃ"出来たんらよね!」
「これ、ののが解いたんらよね!」
あまりに満たされた気持ちになっていたため、その時の私は無言でうなずくのが精一杯でした。
「やったー!」
私のうなずきに、飛び上がってガッツポーズをした"のの"ちゃん。
「ありがとうなのれす!」
元気な一言を残して、すぐさま大急ぎで駆け出します。

それから間もなく、テントの中からうれしそうな大声が響きました。
「あーいぼーん、本気になったら楽勝れすよ! やっぱりののは、知恵遅れなんかじゃねーのれす!」
何と言って良い物か解りません。
私は一人取り残された形になりましたが、幸せな気分はそのままでした。
21 名前:うたうまちかど 投稿日:2003年04月03日(木)02時40分50秒
しばらくはとても暖かな気持ちで、手元に残された知恵の輪の片割れを眺めておりました。
そうです。大急ぎの"のの"ちゃんは、せっかく見つけた落とし物を、しっかり半分忘れていってしまわれたのです。
片割れの知恵の輪に使い道がないのは、私も重々承知しています。
ですがそれは、何だか素敵な宝物のように思われました。
家に帰ったらすぐさま、大切な物を入れる引き出しにしまわなくては、そのように思いました。

ですが冷静になって考えれば、それは随分と図々しい考えです。
何故ならこれは、正式に頂いた物ではないのですから。
返しに行った方が良いのは間違いありません。確かに間違いなくそうなのです。
ですがその日の私は、たったそれだけの事が、どうしても出来ずにおりました。

テントの中に声をかけるのが憚られる。そういった気持ちも確かにありました。
ですがやはり、それだけではありません。
せっかくの宝物を返したくない。そんなズルい気持ちも確かにあったのです。
22 名前:うたうまちかど 投稿日:2003年04月03日(木)02時41分39秒
返さなければいけない。でも本当は返したくない。

どれだけそんな具合に、思案し続けた頃だったでしょうか。
悩み続ける私に、声をかける方がありました。
「なんや、嬢ちゃんどないしたん? 難しい顔して」
振り返るとそこには、缶ビール片手の女性の姿。
金髪に青い瞳。ダルそうに頭をかいてらっしゃいます。

もちろんこの方のことも、私は良く存じ上げておりました。
何でも"いいらさん"が団長になられる前に、団長をなさっていた方だそうです。
年齢のせいなのでしょう。今では出し物に参加されることはありません。
ですが団員の皆さんから、"裕ちゃん"なんて呼ばれて大変頼りにされている方です。

やはり世の中は、悪いことは出来ない仕組みになっているものです。
とても残念なことですが、これは仕方がありません。
「…あの、これ」
私は、ほんのしばらくの間だけ自分の物だった"宝物"を、"裕ちゃん"さんに差し出しました。
23 名前:うたうまちかど 投稿日:2003年04月03日(木)02時43分05秒
「ん、知恵の輪か?」
「…はい。本当は"のの"ちゃんのものなんです」
もじもじと話す私を見つめていた"裕ちゃん"さんは、あっさりとおっしゃいました。
「エエんちゃう。自分もろといたら?」
「…でも"のの"ちゃんが困るのではないでしょうか」
「…片っぽだけでは使い道がありません」
「まあ、そやな」
そして相変わらずダルそうに続けます。
「せやけど大丈夫や、アンタやったらエエ。裕ちゃんが保証したる」
ぽんぽんと軽く私の肩をたたくと、そのまま後ろ手を振りつつ、テントへと戻って行かれてしまいます。

「…あの!」
のんびりと遠ざかる後ろ姿に、何故だか私は声をかけずにはいられませんでした。
「ん、何?」
"裕ちゃん"さんは、立ち止まり、ゆっくりと振り返ります。
24 名前:うたうまちかど 投稿日:2003年04月03日(木)02時44分21秒
このとき私は、一体何を言おうとしたのでしょうか。
"のの"ちゃんへの伝言? それとも"裕ちゃん"さんへのお礼でしょうか。
いえきっと、そのどちらでもありません。
"何が言いたいのかも分からず声をかけた"おそらくはそれも間違いです。
私はきっとあの時も、自分が本当は何を言いたいのか、分かっていたはずです。

「……いえ。何でもありません」
「さよか。ホナいくで」
「…はい」
ただ何にせよ、その時の私は、何も言うことは出来ませんでした。

この日の特別な出来事は、たったこれだけです。
後はいつもと同じ。次第に人が集まりはじめ、その日も愉快なサーカスが始まりました。

誰にも打ち明けてはおりません。ですが、
小さな宝物と、言い残した言葉。
その二つは、私とカルマ団とをつなぐ"ちょっぴり特別"な絆です。
25 名前:うたうまちかど 投稿日:2003年04月03日(木)02時45分16秒
それから数日も経たぬうちの事でした。
ある雪の夜、本当にカルマ団のテントはその姿を消してしまいました。
やって来た時と同じに、いつの間にやらどこかへと消えてしまったのです。
街の者はみな大変びっくりして、どこかに隠れてやしないかと一生懸命に探しましたが、やはりテントは見つかりませんでした。
次の日になっても、そのまた次の日になっても、やはりテントは見つかりませんでした。

それから幾つもの季節が街を訪れ、通り過ぎてゆきました。
そのうちみんな次第に、カルマ団のことなど忘れていってしまったようです。
テントが建てられていた空き地も、いつの間にやら、綺麗にタイルが敷き詰められた公園になってしまいました。
整然と並ぶ真新しいタイルは、最早あの小さなテントには似つかわしくないもののように思われます。

ですから、このようなことを言ったら、街のみなからは笑われてしまうかもしれません。
ですが私には、今も確かな予感があるのです。
26 名前:うたうまちかど 投稿日:2003年04月03日(木)02時48分37秒
きっとまたカルマ団はこの街にやってきます。
必ずいつか、この街に帰ってきます。
そしてそれはきっと、遠い先のことではありません。

私はその時のために、心に誓っていることがあります。
あの日言いそびれてしまった言葉を、必ず伝えねばと思うのです。
それは、かなり図々しいお願いです。
ですから、断られてしまうかもしれません。
いえきっと、相手にもされないことでしょう。
それでも私は、絶対にお願いをしてみようと思います。

あの時の"のの"ちゃんみたく、素敵に笑えるようになるために。
あの時の皆さんのように、人に笑顔を分けてあげられるようになるために。
私も一緒に連れて行って頂きたい。
それをお願いしてみようと思うのです。

そしてもし断られたとしても、こっそり勝手について行ってしまおう。
実はそんな事も、おまけに密かに覚悟済みだったりはするのですが。



〜Fin
27 名前:もっきん屋 投稿日:2003年04月03日(木)02時52分51秒
一つ目の話はこれでおしまいです。
感想などいただけるとうれしいです。
28 名前:名無し 投稿日:2003年04月03日(木)21時56分38秒
あらま。
めちゃくちゃ大好きなタイプの話だ。
とても暖かくなれました。
これからも頑張ってください。
29 名前:有限会社 中澤水産 投稿日:2003年04月10日(木)19時25分27秒
有限会社中澤水産。
裕子が一代で築きあげたこの会社の理念は極めて明確である。
社長室に掲げられた額には、燦然と『魚類根絶』の四文字が輝く。
「手段は問わん。バンバン獲ったったらエエねん」
日々繰り返される言葉。裕子の信念は驚くほど堅い。

彼女は心底、魚類の絶滅を望んでいる。
ゆえに中澤水産では、獲った魚を売るのはあくまでも二次的な余録。
この世から魚類を消し去ることこそが、至上命題とされているのだ。

何故こうも魚類を敵視するのか。その鍵も、やはり裕子が握っている。
「魚さえおらなんだら…」これが彼女の口癖。
怖くてさわれないから、魚料理を作れない。
嫁に行き遅れた唯一の原因はそれ、というのが彼女の言い分なのである。

きわめて迷惑な八つ当たりである。魚には気の毒な話だ。
しかし少なくとも本人は、真剣にそう信じているのだから仕方ない。

ともあれかくして中澤水産では、今日も社員は一丸となり
『魚類根絶』へ必死の努力を続けているのだ。
30 名前:有限会社 中澤水産 投稿日:2003年04月10日(木)19時27分13秒
企業として考えた場合、世の魚類は概ね以下の2種に分類される。

1.売れるお魚
2.売れないお魚

そして『魚類根絶』をめざす企業にあって、大いに問題となるのは2のカテゴリに分類される魚である。
売れぬ以上は何らかの処分を行わねばならぬが、それには相応の費用が必要となってくるわけだから。
そして悲しいかな、世の魚類は"売れないお魚"の方が多いというのが厳然たる現実である。

中澤水産は決して大きな企業ではない。
ゆえに処分を外注しては、会社は立ちゆかない。
従って"売れないお魚"は、自社において処分を行わねばならない。

中澤水産での処分には、最も原始的な方法が採用されている。
しかし原始的だからといって、それは決して侮れたものではない。
優秀な社員たちの力もあり、これが最も効率的な処分法であることもまた確かなのだ。
31 名前:有限会社 中澤水産 投稿日:2003年04月10日(木)19時32分38秒
通例"お食事"と呼ばれるその処分は、1.咀嚼、2.消化、3.排泄、という3つの課程を持つ。
しかしこれらの課程はあくまで基本であり、担当社員の自主性に任せられる部分が大きい。
例えば、「ファンタジーを紡ぐ」ことや「ガーネットを滴らせる」ことで、3.の課程の代用とする者もいる。
また通常食用されない魚類についても、"食いしん坊チーム"と呼ばれる専門部員により同様の処理が行われるが、
この場合はおおむね、1.の課程を省略する傾向にあるようだ。

なお当初、非食用魚の"お食事"処理は不安視される向きもあったが、
「わりかしいけるで。」「おいしいれすよ。」「完璧です。」と、
当の部員たちは極めて陽気にその任務を遂行しているようである
32 名前:有限会社 中澤水産 投稿日:2003年04月10日(木)19時33分30秒
ところでそもそも、食用しない魚まで獲る必要はあるのだろうか。
食べられない魚が存在したところで、嫁入りの支障にはならないのではないか。
そのような疑問はもっともなもののように思われる。
しかし裕子はこれらの疑問に対して、次のようにコメントをよせている。

「下手に進化でもされたらたまらん。」

きわめて迷惑な勘ぐりである。非食用魚には気の毒な話だ。
しかし少なくとも本人は、真剣にそう考えているのだから仕方ない。

ともあれかくして中澤水産では、今日も社員は一丸となり
『魚類の完全根絶』へ必死の努力を続けているのだ。
33 名前:有限会社 中澤水産 投稿日:2003年04月10日(木)19時34分42秒
中澤水産は社員総数10人少々。あくまで小人数な企業にすぎない。
しかしその漁獲高は、世界的に見ても決して無視出来ない数値となっている。

かくも効率の良い漁法があるなら、是非マネをしてみたい。
そう思う向きも少なくないようだが、どうやらそれは難しいと言わざるを得ないだろう。
何故なら、中澤水産における漁法の数々は、社員個々の資質による部分があまりに大きいから。

デムパ漁法(電波の送受信が出来る人材が必須)
友釣り(魚類に酷似した人材が必須)
石化漁法(見た者を石化させてしまう人材、あるいは、子なき爺が必須)

軽く例を挙げてみただけでも、これらの漁法をマネることは、常人には不可能だと理解できる。
少なくとも素人にはオススメできない。
ともあれ斯様な多彩な人材をもって、日々中澤水産は『魚類根絶』に邁進しているのだ。
34 名前:有限会社 中澤水産 投稿日:2003年04月10日(木)19時36分18秒
彼女たちの活躍ぶりを考れば、『魚類滅亡』の目標が達成されるのは、そう遠い日ではないと見るのが妥当だろう。
おそらくはその日が、『有限会社 中澤水産』解散の時となるのに違いない。

しかしこの世からあまねく魚類が根絶されたとて、それで裕子に嫁のもらい手があるのだろうか。
事態は必ずしも楽観視出来ない。
やや失礼な物言いになるが、見込み薄、といった方が正確かもしれない。

何にせよ、魚類滅亡の日は近い。
我々は細心の注意をもって、事の成り行きを見守る必要があるだろう。
35 名前:もっきん屋 投稿日:2003年04月10日(木)19時43分19秒
意味のない小ネタ。
>>29-34

レスへのお礼
>>28さん
レスありがとうございます。
毎回話の傾向とか一定しないかもしれませんが…
気に入りそうな話の時だけでも、読んでいたければうれしいです。
36 名前:名無し 投稿日:2003年04月12日(土)01時36分00秒
バイタリティ溢れる仲間がいて良かったですね(w
37 名前:名無し読者 投稿日:2003年05月07日(水)20時11分50秒
こんにちは、今日初めて読みました。面白いですねー。
カルマ団は、なんか、ほんわかだし、中澤水産には笑かしてもらいました。
社長以外名前出てないのに誰か判ってしまうのって(多分)すごいっす。楽しみが増えました。
38 名前:名無しさん 投稿日:2003年06月03日(火)14時35分53秒
39 名前:名無しさん 投稿日:2003年06月26日(木)20時46分19秒
40 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月04日(月)00時01分38秒
vs
41 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月04日(月)16時30分49秒
42 名前:名無しさん 投稿日:2003年09月08日(月)18時35分28秒
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43 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/16(火) 15:02


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