【 シ ェイプ レス 】

1 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2003年04月15日(火)00時18分41秒





   〓〓〓〓〓 終    了 〓〓〓〓〓



2 名前: 投稿日:2003年04月15日(火)00時19分13秒


グルーン


3 名前: 投稿日:2003年04月15日(火)00時19分43秒
そよ風のような音を立てて自動ドアのガラスが滑る。曇り一つなく磨き上げられた扉は午後の日差しを反射する
角度にあって初めて存在を確認できるほどに透き通っている。
薄い灰色の上に濃い灰色でWelcomeと太い自体で書かれたマットを次々と踏みしめて、店内に
新垣里沙、高橋愛、小川麻琴、紺野あさ美の順に姿を現す。レジスターの前に立っている店員が
条件反射で頭を下げる。店名とシンボルのイラストがプリントされた緑色のエプロンをつけて、
清潔そうな制服を着て髪を丁寧にセットしている。

四人は一番奥の席に視線を向け、そこに先客、男女のカップルがすでに陣取ってアイスコーヒーを飲んでいるのを
認めると、その次に奥にある席へと足早に移動する。店内の空気は穏やかな空調が効いて淀みがない。

4 名前: 投稿日:2003年04月15日(火)00時20分13秒
奥のソファに高橋と新垣が座り、一本脚の優雅な曲線でデザインされた椅子に紺野と小川が座る。四人とも
帽子をかぶっている。小川がまず帽子を脱いで髪を掻き上げる。ついで高橋、新垣も脱ぎ、最後に紺野が
おずおずと帽子を取って髪をほぐす。
高橋は店内の様子を見渡せる場所にいる。午後四時二十四分。客入りはまばらで四人の存在に気付いた様子の客はいない。
店員が氷の浮かんだ水の入った四つのコップを持ちにこやかに歩み寄ってくる。
コップの色はグラデーションのブラウンで、サングラスを想像させる。
店員の態度からは四人の正体に気付いているのかどうかは読みとれない。
普段からそうした出来事への対応がマニュアル化されているかのように。

5 名前: 投稿日:2003年04月15日(火)00時20分44秒
ほどなくして別の店員が注文伝票を手にやってくる。全く同じような姿勢と立ち振る舞いと笑顔で武装している。
「あたしはアイスレモンティー」
「じゃ私も愛ちゃん……彼女と同じで」小川は正面の高橋を顎で示す。高橋は少し眉を顰めて口を尖らせるが、すぐに消す。
「私はオレンジジュースで」
「……そうですね、私は、カフェオレでいいです」

6 名前: 投稿日:2003年04月15日(火)00時21分18秒
店員が、心持ち小走り気味に戻っていく。可能な限りはやく注文の品をお届けしようと言う意思を演出している。
店内には静かなBGMが絶え間なく流れている。ピアノの柔らかな和音が繊細な展開で移り変わっていく。
四人は顔を見合わせる。お互いに誰かが会話の糸口を切り出すのを待ちかまえている。高橋が薄く水滴の浮いたコップを手にとって
一口冷たい水を含む。正面に座っている小川も一拍遅れて同じように水を飲む。
紺野が緊張をほぐすように肩を落とす。誰も話を切り出そうとしない気配に気づき、新垣が口を開く。

7 名前: 投稿日:2003年04月15日(火)00時21分48秒
「どう最近」会話の糸口としてもっとも当たり障りのないテンプレ。
紺野はちらっと新垣を見て、すぐに目を伏せる。小川は尖った氷が二割ほど顔を出している水面に目を落としたまま
くるくるとコップを回している。高橋はもう一口水を口に含むと、当たり障りのない言葉を返す。
「まあまあ」
「今んとこ割とまったりしてるよね」
新垣は言うと正面の二人を交互に見る。
紺野は頬に手を当てると、
「特番ラッシュもすぎたもんね」
「でも春はなにげにすくなかったで楽じゃったよ」
高橋が早口で言う。小川が顔を上げて、高橋を見つめる。
「うん。でもそれってあんまりいいことでもないよね」
新垣は無邪気に言って笑う。三人は笑わない。

8 名前: 投稿日:2003年04月15日(火)00時22分21秒
四人分のドリンクが届けられる。高橋と小川の前に置かれたアイスレモンティーは筒のような細長いコップに
細かく砕かれた氷と一緒に入れられ、白いストローが刺され、薄っぺらいレモンが縁に飾られている。
新垣のオレンジジュースはこの種の店にしては比較的濃厚で同じように薄っぺらいオレンジが装飾されている。
紺野のカフェオレはアイスレモンティーと同じグラスに同じように入れられているが、装飾はない。

9 名前: 投稿日:2003年04月15日(火)00時22分55秒
「なに話してたんやっけ」店員が去って行ってから、高橋が口を開く。
「仕事の話」
新垣は切り口上で言うとストローを曲げて口にくわえた。
「でも楽いうてもやっぱ学校あるしなんだかんだで働いてるよねえうちら」
手首を軽くもみほぐしながら高橋が言う。小川は高橋を見て、上目遣いで正面を見ている新垣と視線を合わせた。
新垣はストローを口から離すと、
「そりゃでも愛ちゃんはさー」
「あ」
今まで黙っていた紺野が声をあげて新垣のセリフを遮る。
新垣は特徴的な眉を八の字にしかめる。
「どうしたの?」
小川が左隣の紺野を振り返る。紺野はばつの悪そうな笑みを浮かべると奥の座席に座っているカップルから視線を逸らす。
「なんでもない」

10 名前: 投稿日:2003年04月15日(火)00時23分26秒
「やっぱあハロモニとかでも何べんも衣装変えたりで大変やって」
高橋はストローでカシャカシャと氷を溶かしながら言う。
「いや私すぐ終わりだったけど」
小川はぽつりと呟くと上目遣いで高橋を見つめる。
新垣は薄く笑みを浮かべて小川と高橋を見比べる。
高橋はじっと見つめてくる小川から目を逸らすと手持ちぶさたに意味もなくアイスティーをかき回し続ける。

小川は溜息をついて高橋と同じ飲物に口を付ける。高橋のは半分ほどに減っているが小川のはまだわずかしか減っていない。
高橋が一瞬口を開いてまたすぐに閉じる。
新垣はじっと二人の様子を窺っている。

11 名前: 投稿日:2003年04月15日(火)00時24分06秒
「あ」
その時また紺野が声をあげる。
三人が一斉に視線を向けたとき、奥の席から女性の甲高い声が店内にの隅々まで響く。
「だから私はもうあなたとは限界だっていってんの。分からないの」
女は濃紺のスーツを纏っている。背が高く髪が短い。化粧は薄かったが口紅は真っ赤に浮き上がっている。
「なあだから俺のどこがダメなのかって」
女に向かって低い姿勢でしきりに周囲の視線を気にしながら言葉を発し続けている男は、薄いグレーのスーツに
髪は普通の会社員にしては長めで淡い茶色に脱色されている。

12 名前: 投稿日:2003年04月15日(火)00時24分44秒
「あさ美ちゃんなに聞き耳立ててんのお」
高橋がにやにや笑いを浮かべてからかう。紺野は狼狽したように手を振るとカフェオレを啜ってから口を開く。
「いや、そんなんじゃないって。ただちょっと」
「あれえでももうダメっぽいよねえ」
「愛ちゃん声が大きいって」
新垣が声を潜めて高橋に囁きかける。少し腰を浮かせて奥の座席を見ていた高橋は慌てて深くソファへ座り直す。

「お願いだからもう私に関わらないでくれる」女の冷たいセリフは続く。高橋はテーブルに肘をついて姿勢を
低くするとひそひそと新垣に話しかける。
「けどこういう話って里沙ちゃんたちのラジオとかで使えるんでないの?」
「んー……。そういうコーナーってあったっけ」
新垣に声をかけられて、紺野は慌てて振り返った。
「えっ?」
「オソロでさ、なんか恋愛のどうたらみたいな」
「えー、あー、うーん、どうだったかな」
紺野は眼をくるくるさせながら言うとカフェオレを飲んだ。
「ラジオか」
小川が俯いたままぽつりと呟く。三人の視線が集中してすぐに散っていく。

13 名前: 投稿日:2003年04月15日(火)00時25分15秒
「また一からやりなおせばいいと思うんだよ、出会った頃のことを思い出してさあ」男は未練たらしい口調で懇願を
続ける。高橋はコップの底でほとんど水になっているアイスティーをずるずると音を立てて啜る。小川は
まだ半分ほど残っているアイスティーの水面に視線を落としている。
「愛ちゃんさああの県庁所在地の歌」
新垣が言いかけるのに、高橋は強い視線を向ける。新垣は口をつぐむ。紺野はまた椅子から身を
乗り出して奥の座席へ顔を向けている。

14 名前: 投稿日:2003年04月15日(火)00時25分47秒
「そうだ、ねえ、かっぱの花道でまだ絡んでないよねうちら」
新垣が高橋を振り向いて言う。高橋は口を尖らせて微妙な表情のまま頷く。
「楽しみだな、ほら愛ちゃんとあさ美ちゃんと私……」
そこまで言って、新垣は言葉を飲み込む。
小川は無言でコップをコースターから持ち上げたり下ろしたりしている。
奥の座席からこれまででもっとも大きな女性の声が挙がる。
「金輪際わたしにつきまとわないで!」
女はほとんど口を付けてない野菜ジュースを男に向かってぶちまけると、大股で喫茶店を出ていってしまう。
赤い液体を滴らせながら、男は項垂れたまま椅子の上でブロンズ像のようにじっとしている。

15 名前: 投稿日:2003年04月15日(火)00時26分20秒
「修羅場だね……」紺野が頬を紅潮させて呟く。
「よーし今日は一番お姉さんのうちがおごっちゃろうかなー」
高橋は引きつったような笑顔を浮かべて芝居がかった口調で言う。
「マジでーさっすがー」
新垣も調子を合わせて大袈裟に言うとパチパチと手を叩く。
「いやわたし払うからいいよ」
小川はびしょびしょになったコップの表面に指を這わせながら小声で言う。
「あー……」
口を開いたまま高橋は意味もなく視線を彷徨わせる。
新垣は薄い笑みを浮かべて肩を竦める。
紺野は頬に手を当てたまま女の出ていったドアと奥の座席を見比べている。

16 名前: 投稿日:2003年04月15日(火)00時26分50秒
「グルーン」
新垣はコースターを口元に当てて、右手をひらひらと泳がせながら言う。
小川は目を上げると、アイスティーを少しだけ飲む。
そよ風のような音を立てて自動ドアが滑り、店員がいらっしゃいませと言う声が聞こえてくる。


17 名前: 投稿日:2003年04月15日(火)00時27分21秒


   〆


18 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2003年04月15日(火)00時27分53秒



流す
19 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2003年04月15日(火)00時28分23秒

もういっちょ





20 名前:名無しさん 投稿日:2003年04月17日(木)01時28分18秒
小川…(泣
21 名前:名無しさん 投稿日:2003年04月18日(金)09時49分47秒
こ、これは……
連作になってるんでしょうか?
こ、この雰囲気で続くんでしょうか…正直楽しみです
22 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2003年04月19日(土)22時51分06秒

萌え萌えのあやみきを書きます。

23 名前: 投稿日:2003年04月19日(土)22時51分37秒

       警告

24 名前: 投稿日:2003年04月19日(土)22時52分07秒
手首切っちゃうかも。冗談めかして亜弥は言う。わたしは冷たい表情で受け流す。なんちゃって、と付け加えて
照れたように笑う。わたしは何気なく携帯を開いたり閉じたりして、テーブルの上に放る。

私の部屋はがらんとしている。わたしはベッドの白いシーツにくるまってテレビを見つめている。
亜弥はキッチンで林檎を剥いている。わたしとテレビと亜弥の三点が与えられたとします。そうするとちょうど
正三角形が得られます。他には小さなコンポとか、身内ばかりのCDとか、空気清浄機とか、衝動買いした
インテリアとか。フローリングの床はつるつるして冷たい。

25 名前: 投稿日:2003年04月19日(土)22時52分41秒
それでね、亜弥は続ける。次の日のスポーツ新聞に載るんだ。松浦亜弥、藤本美貴の部屋で自殺!? 
わたしは声を出さないで笑う。美貴はわたしの顔を見てニコニコと笑う。これは警告なんだよ、
だからそんなに笑って聞いてたらダメだよ、そう言う亜弥が一番笑っている。

ナイフの刃が白っぽい明かりを反射してちらちらと眼に刺さる。テレビは横に長い長方形の画面に
マイクを持った亜弥の笑顔を映し出している。両手で握って、口づけするように唇を尖らせている。

林檎の切れ端をくわえて亜弥はシーツに潜り込んでくる。わたしは身を捩ってぬけだすとキッチンへ行く。亜弥は
口を尖らせて、なんで逃げるのー、と甘ったるい声を背中に投げかけてくる。

26 名前: 投稿日:2003年04月19日(土)22時53分18秒
歌声が聞こえてくる。迷うなあ。電波を通して愛の伝道師を演じている。わたしは冷蔵庫からミネラル
ウォーターを出して一口だけ口に含む。亜弥が林檎を齧る音が聞こえてくる。口の中で、繊維の網目に
絡め取られていた甘ったるい液体が解放されて、拡がっていっている。どっちが好きなの? 軽やかな
メロディー。細長い赤い皮が散らかっている流しに小さく鋭いナイフが置き去りにされている。手首を
切るときはね、亜弥が言う。ただ傷付けるだけじゃダメなんだって。ちゃんと血が出るように、
水につけておかないといけないの。だからみんな浴槽に水を溜めて、それから切るんだ。

それじゃあとで掃除が大変だよ。わたしは言いながら流しの皮を集めて、ゴミ箱へ放り込む。あなたが好き
だからよ。歌声が続いている。うちのお風呂場が真っ赤になったら困るし。亜弥は笑っている。この部屋に
あとから入ってくる人もいやじゃん。

27 名前: 投稿日:2003年04月19日(土)22時53分49秒
シーツが滑る。冷蔵庫を派手な音を立てて閉じてカウンターから振り返る。亜弥はクッションを抱いてフローリングに
体育座り。歌い終わった亜弥はカメラに向かって満面の笑みを浮かべている。わたしは皿に丁寧に並べられている
林檎を取ってキッチンから出る。亜弥はリモコンを取り上げると、ビデオを巻き戻す。逆回転で歌い踊っている
亜弥がノイズ混じりに通り過ぎていく。見えたよ、と亜弥が言う。冷蔵庫の中にワイン。わたしはなにも言わずに
湖のような形をした小さなテーブルに皿を置く。亜弥はビデオを止めるとリモコンを置いて立ち上がる。テレビでは
またさっきと同じ映像が繰り返されている。松浦さんは藤本美貴ちゃんと仲がいいんですよね、はい、休みの
時とかもいつも一緒でえ、買い物行ったりとか、お風呂入ったりとか、キスしたりとか。

ワインワイン。鼻歌交じりの声が聞こえる。わたしはテレビから目を逸らすと、テーブルに視線を落とす。林檎が
並べられた皿、リモコン、携帯電話、ビデオテープが二本、この部屋ほどには閑散としていない。わたしは
一切れの林檎を口に含んで噛み砕く。ほどよく酸味がかった甘さが心地よく味覚を刺激する。



28 名前: 投稿日:2003年04月19日(土)22時54分52秒
水の流れる音。キッチンへ目を向ける。亜弥がナイフを洗っている。というよりもただ水にさらしている。手首まで
ぬらして、もう片方の手で引き出しをかき回している。ステンレスが触れ合う音が水音と混じり合っている。コルク抜きなら、
わたしは言う。下の引き出しだよ。なんだー早く言ってよー。水音が止まる。ていうかマジで飲むわけ? うんだって
飲みたい気分だしー。水浸しのナイフをカゴの中に放り込む。食器棚が開き、今度はガラスの軽く触れ合う音が
聞こえてくる。テレビの中での会話は続いている。へえそんなに仲がいいんですね。そうなんですよー、今度の新曲も。

29 名前: 投稿日:2003年04月19日(土)22時55分22秒
コルク抜けないよー。わたしは答えずに林檎を齧る。携帯が複雑なメロディーで着信を告げる。開いて、液晶を
一瞥してすぐに閉じる。誰? 別に。ふうん。コルクの抜けて空気の弾ける音が聞こえる。犬歯が柔らかな
繊維を切り裂く感触が心地よく感じられる。それじゃ歌の方のスタンバイを。はーい。じゃあよろしく
お願いしまーす。飾り気のないコップがテーブルに二つ並ぶ。ワイングラスではなく、普通のお茶を飲むような
円筒形の装飾のないコップに、赤い液体が注がれる。ねえってばねえ。お話聞いて。瓶の中の気体と液体が
入れ替わる音が、一定のリズムで赤色の流れを波打たせている。

30 名前: 投稿日:2003年04月19日(土)22時56分03秒
みきたん実はお酒よわいんだよねー。後ろから目の前をふさがれる。耳元の声とテレビからの歌声が共鳴する。なんで
そんなこと知ってるの。うーんただなんとなく言ってみたんだけどあってたんだー。まあね。あんまりいい思い出は
ないかもしれないなー。氷って入れるんだっけ? 手を外して小首を傾げる。テレビの亜弥はいつも同じ顔をして
いるように見える。目の前にはテレビで見せない顔がある。いれないでいいよ。わたしはそう言って一口だけ
飲む。これっていいやつ? ひょっとしてめっちゃ高価いやつだったりしてー。眼をキラキラさせて、わたしの
顔を覗き込む。そうでもないよ。多分。ストレス解消用にテキトーに買っておいただけ。なんだー。軽く
ガッカリした様子で呷る。喉を通過する液体が艶めかしく波打っている。

31 名前: 投稿日:2003年04月19日(土)22時56分36秒
アルコールが脳の血流を乱し始める。亜弥はわたしの眼を覗き込む。赤いよー。顔よりもそっちに先に
出るんだー。なんでそんなに嬉しそうなのよお。あはは。呂律ちょっと怪しくなってる。テレビからの
単調なビートが細い血液をギターの弦のように痙攣させる。リズムのないメロディーが聞こえる。携帯を
掴み、開いて、閉じる。誰? さあ。ふーん。ビデオが止まる。音のない世界で逆回転の踊りを踊る。

唇の端からこぼれた赤い液体を舐める。眼が。声が聞こえる。座ってきてるよ大丈夫? なに言ってんの。わたしは
林檎を一切れ取って口に放り込む。歯に触れるとすぐに繊維が裂けて水分が溢れ出す。松浦さんは。アナウンサーの
作り物めいた声。藤本美貴さんと、とても。ねえ、おフロ入ろうよ。えー。こめかみを触る。指に汗がついて光を
照り返す。シャワーでも浴びて。メロディーがなる。開いて、閉じて、壁に投げつける。誰? さあ。ふーん。

32 名前: 投稿日:2003年04月19日(土)22時57分16秒
イライラしてる? 林檎を手に取る。表面がうっすらと湿っている。白っぽい光を反射してちらちらと眼に
刺さる。シャワー浴びてきたら。そうするよ。キッチンまで歩く。冷蔵庫を開き、ミネラルウォーターを一口
含む。水に濡れたナイフがカゴの中で光っている。手のひらが汗でべとついている。蛇口を捻る。水の
流れる音が聞こえる。赤い液体が波打っている。手首を水につける。歌声が聞こえてくる。笑い声。ねえなんで
笑ってるの。酔ってるでしょ。そりゃ酔ってるよ。ワイン飲んだんだもん。だからシャワーをね。シーツに
くるまって、テレビを眺めている。松浦さんは、藤本美貴さんと。とても。ナイフを手にとって、
皮を剥いている。柔らかな繊維を切り裂く感覚が。心地よい酸味がかった液体が艶めかしく波打って
溢れ出して。水につけると。繊維が裂けて液体が。開いて、閉じる。誰? さあ。ふーん。あなたが
33 名前: 投稿日:2003年04月19日(土)22時57分47秒
好きだから。見えたよ。自殺!?の文字が新聞に。円筒から赤い液体が波打って。正三角形を与え
られ。逆回転で踊りを踊る。両手で握って、口づけするように、口を尖らせて、お話聞いて。休みの
時とか、いつも、お買い物とか、キスしたり。鼻歌交じりの声。迷うわ。どっちが。冷たい表情で
受け流す。シャワーを。だってお風呂場が真っ赤に。いやじゃん。なんちゃって。



34 名前: 投稿日:2003年04月19日(土)22時58分18秒
どっちが好きなの?
さあ。
警告なんだよ。
ふーん。
ねえ?


35 名前: 投稿日:2003年04月19日(土)22時58分49秒






36 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2003年04月19日(土)22時59分21秒
>>20>>21レスありがとう!
短編集です。相互の繋がりはありません。


37 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2003年04月19日(土)22時59分52秒
流し






38 名前:名無しさん 投稿日:2003年04月20日(日)18時59分37秒
やっちゃえば良かったのに…
39 名前:名無し 投稿日:2003年04月20日(日)20時32分50秒
おもしろいです。
なんかこういう静な世界観は好きです
40 名前:名無しミトコンドリア 投稿日:2003年05月01日(木)20時49分10秒
いいっすね。作者様最高です。
不思議な感覚で読める小説はこれが初めてです。
かなり続き希望です
41 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2003年05月12日(月)22時57分46秒


       血の雨



42 名前: 投稿日:2003年05月12日(月)22時58分16秒
異国の街が灼かれている。硝煙が舞い上がり、ミサイルが飛び交う。灼熱の砂漠を、
重装備の兵士たちが無言で行軍している。

後藤真希はぼんやりとした表情でロビーのテレビを見つめている。空港の
ロビーにはあらゆる種類の人間が行き交っている。ステッカーだらけのスーツケースを
引きずった旅行者、スーツ姿のサラリーマン、肌の色の違う人々が同じ空間の中で
右往左往しながら、時折時計に目をやっている。

鼻を撫でながら振り返る。待ち人はまだ来ない。

43 名前: 投稿日:2003年05月12日(月)22時58分50秒
表は雨が降っている。ガラスにぶつかった雨粒が絶え間なくしたたり落ちていく。
額に手をやる。少し熱っぽい。戦争が始まってから、熱っぽい体調が続いている。
腕時計を見て、苛立たしげにつま先を上下させる。周囲の人の流れは止まらず、
たまに後藤へ好奇心まじりの視線を投げかけてくる。
少し俯いてから、天を仰ぐ。高い天井。誰ともなく小声で呟く。
「ちょっと早く来すぎちゃったかなー……」

テレビの粗い映像からは細部は分からない。空調の効いたロビーから砂漠の
乾いた熱気を想像するのは難しい。
七三のコメンテーターが熱っぽく喋っている。イスラエル。サダム・フセイン、
オイル利権、ラムズフェルド、バグダッド、意味のないシラブルは耳の奥を
右から左へと横切って消える。
44 名前: 投稿日:2003年05月12日(月)22時59分32秒
後藤は鞄からイヤホンを引っ張り出すと、耳へ突っ込む。新曲のデモが入った
MDをずっと聴き続けている。単調なリズムボックスにカラダを揺らし、メロディを
刻み込もうと集中する。

爆撃が音もなく続いている。塹壕からヘルメットが見え隠れしている。異国の空は
青く透き通っている。

45 名前: 投稿日:2003年05月12日(月)23時00分03秒
視線を下ろすと目の前を真っ赤なスーツケースが通り過ぎていく。グレイのスーツを
身につけた男のチャックが全開になっている。スーツケースに張られているラッパの
マークのステッカーが目に留まるが、すぐにそれは雑踏の中へと紛れてしまう。

ジャズ。新曲を説明するときにつんくが使っていた言葉を思い出す。長いトランペットの
ソロがなかなか耳に馴染んでくれない。ループするリズムにふわふわと都会的な
コードが浮遊している。

ラッパの音は進軍の音。コメンテーターの横に映っている映像の中で段ボール箱みたいな
建物が崩れ落ちる。ついさっきまで壁だったものが煙になって舞い上がる。

46 名前: 投稿日:2003年05月12日(月)23時00分35秒
雨は降り続いている。雨だれは広いガラスを果てしなく流れ落ちていくように見える。
一台のジャンボジェットが音もなく舞い上がる。軽いものが落ちて重いものが
浮かんでるんだな、と後藤は馬鹿なことを考えて、一人で声を抑えて笑う。

派手な爆発が連続して起きる。振動を感じる。後藤はイアホンを外すと首から
ぶら下がっている携帯を開く。
「はい」
「あー後藤もうそっち行ってるの?」
「ええ。ちょっと早かったですけど」
「いや、先方がね、ちょっと遅れるって連絡があって。ほら大物外タレだから
よくあるんだよ。悪いけどもうちょっと待ってくれるかな」
「はーい」
「悪いねー。もうちょっとしたら通訳の人とそっちつくと思うから」

47 名前: 投稿日:2003年05月12日(月)23時01分12秒
専用機で来るくらいの大物ならある話だろうな、と思う。と言っても後藤は相手の
正体はまったく知らない。豚のように太った大物のソウル・シンガー。質問の内容は
大体頭に入っている。アメリカ、ユダヤ系、反戦、メッセージ、……インタビュー
にはそれほど自信はない。が、通訳に頼りっきりになるつもりはない。

カウンターの方でちょっとした争いごとが起こっている。黒々とした髭で顔の下半分を
覆い尽くした男が、よく分からない言葉でなにかを訴えている。カウンターの
女性は困惑気味にぽつぽつと応答している。

基地から戦闘機が飛び立つ映像が映されている。空高く舞い上がり、砂漠の街に
爆弾を降り注ぐ。先制攻撃、これは先制攻撃。

48 名前: 投稿日:2003年05月12日(月)23時01分45秒
イアホンをつけ、目を閉じる。攻撃的な女性が新曲の主人公で、後藤はなんとか
リズムとメロディと一体化させたイメージを浮かべようとする。

カウンターの口論は続いている。職員が何人も集まってきているが、一様に困惑気味の
表情を浮かべている。

後藤の目の前で、全速力でダッシュしていた子供が脚を滑らせる。右腕に抱えていた
ポップコーンが床一面にばらまかれ、子供は呆然とした表情を浮かべたあと
けたたましく泣き始める。人々の視線が集中し、指を指して笑っている者も
いる。親がやってくる様子はなく、子供は泣き続ける。

49 名前: 投稿日:2003年05月12日(月)23時02分18秒
イライラして、後藤はイアホンを外す。豚にまたがったパラシュート部隊を展開
すればいいんですよ。テレビで冗談好きのコメンテーターが喋っている。イスラム
では豚は神聖な動物なんです。だから絶対に攻撃されることはありません。司会者は
微妙な表情で笑いながら相槌を打っている。

額にうっすらと浮かんだ汗を、指先で拭う。体温がまた上がったように感じる。
ペットボトルのキャップを外して、ミネラルウォーターで喉を潤す。

カウンターでの争いは収束する気配がない。男がなにに腹を立てているのか、
その場にいる誰もが分からない様子でいる。小声で呟きながら目配せしあって
いるのが余計に男の感情を逆撫でしているように見える。

50 名前: 投稿日:2003年05月12日(月)23時03分02秒
大学生の団体が大声で喋りながら通り過ぎていく。泣き続けている子供の前を、
ポップコーンを踏みしめながら通り過ぎる。乾いた炸裂音が断続的に起きる。
派手な迷彩色のスニーカーは脆い塊を無慈悲に破壊していく。

ラッパが映っている。テレビの隅に歪んだ字体でイスラエルと表示されている。
新しい別のコメンテーターが夢中で喋り続けている。後藤の耳に言葉は入って
来ない。泣き声はけたたましく続き、話し声は遠くから近くから取り囲んでいる。

後藤は目を落とすと腕時計を見る。文字盤の上で淡々と秒針が時を進めている。
テレビ画面には何台もの迷彩色の戦車が乾燥した大地を突き進んでいる。隅に
切り取られた正方形の中では、コメンテーターが喋り続けている。二つの映像は、
全くシンクロすることなく同じ時を共有している。

51 名前: 投稿日:2003年05月12日(月)23時03分33秒
カウンターから怒鳴り声が聞こえ、後藤は目を細めてそちらへ顔を向ける。髭の
男が、カウンターの男たちに向かってブタ! ブタ! と罵声を浴びせている。
意味も分からず唯一覚えている罵倒語を、男は顔を赤らめて連呼している。カウンターの
隅の方で、何人かの女性スタッフが必死で笑いをこらえている。

雨は降り続いて、止む気配がない。

52 名前: 投稿日:2003年05月12日(月)23時04分13秒
振り返る。マネージャーが、彫りの深く髭を生やした、ターバンの男と一緒に
近付いてくる。

テレビの中で、一際大きな爆発が起きる。灼熱の砂塵の中で、異国の人々が
逃げまどっている。
体温が上がる。額に手を当てて、熱っぽい皮膚に浮いた汗を拭う。鼻の下を
撫でると、指に血が付いている。


53 名前:名無しさん 投稿日:2003年05月12日(月)23時04分46秒





54 名前: 投稿日:2003年05月12日(月)23時05分18秒
>>38>>39>>40
レスサンクス

55 名前:。。。 投稿日:2003年05月12日(月)23時05分51秒

shape-less (形)[通例けなして]
1.定型のない。
2.格好の悪い。無様な。

56 名前:名無しさん 投稿日:2003年05月13日(火)17時56分51秒
なんともいえないこの雰囲気が良か(w
レスすると迷惑かな??毎回読んでますのでがんばって下さい。
57 名前:。。。 投稿日:2003年06月02日(月)19時11分33秒


       NYC Ghosts & Flowers



58 名前: 投稿日:2003年06月02日(月)19時12分07秒

#1


あれからもう半年だって。なんかすごく時間が経つのが早くなったような
気がするな。
バタバタといろいろあったからそう感じるのかもしれないけど。

私は……最近やっと落ち着けたかな、って感じ。本当は全然そうじゃないのかも
しれないけどね。無理矢理。自己暗示かけてさ。なんか、そこから離れないと
ダメだって、ね。だって一週間近く一睡も出来なかったんだから。一睡もだよ。
信じられる? 人間の記憶ってどういうふうになってるんだろ。目を閉じるとさ、
パッて浮かんでくるんだよね。写真みたいに。だれ瞼の裏にこっそり貼り付けたの、
みたいな。それがね、瞬きするたびに、パラパラ漫画みたいに。不思議だね。
動かないんだよね。止まってるの。

59 名前: 投稿日:2003年06月02日(月)19時12分41秒
寝ないと起きたまま夢って見られるんだよ。世界がなんか二重写しになるって
いうか、なんていえばいいのかな、あれ、ここ私の部屋なのになんでペンギンが
あるいてるんだろー、みたいな。普通にね。フローリングをぺたぺた歩いてんの。

でもなんかペンギンが夢なのかそれを見てる自分が夢なのかって、ちょっと
不安になるんだよ。訳分かんないんだけどね。その時は本気だから。
結局薬に頼るしかなかったんだけどね。やだったなあ。健康だけが取り柄だった
って。自分で言っちゃお終いだよな。でも本当に、頭と身体ってちゃんと
繋がってるんだーって、下らないことに感心しちゃって。

60 名前: 投稿日:2003年06月02日(月)19時13分13秒
初夏の透明な日差しが庭に降り注いでいる。緑に溢れた広い庭は、二人の目には
まるで作り物のように映っているのだろう。
吉澤は落ち着かない様子で喋り続けている。なにかが心の奥に不安として残されて
おり、そのせいで喋るのをやめることが出来ないように見える。
そんな吉澤の様子を、石川はぼんやりとした眼で見つめたり、意味もなく庭を
眺め回したりして、やはり落ち着きなく彷徨っている。

縁側に裸足をぶらぶらさせながら、二人は予定外の待ち時間を持て余している
ようだった。少し気が早い風鈴が、穏やかな風を受けて静かな音を立てている。
二人の側には氷の入った麦茶がおかれている。ガラスのコップの表面にたっぷり
汗をかいて、木目に染みを作っている。

61 名前: 投稿日:2003年06月02日(月)19時13分50秒
圭ちゃんどこまで散歩に行ってるんだろうね。吉澤が言う。石川は顔を上げると、
溜息をつく。
でも積極的に、そういうのをやろうってのはいいことだよ、うん。自分に言い
聞かせるように、吉澤が付け加える。

石川は庭へ目を向けると、白っぽい色の小さな花を見つめたまま口を開く。
そうだよね。ぽつりと小声で呟く。

そうだよ! だってさ、圭ちゃんだよ、それでないと、圭ちゃんじゃないよな。
勢い込んで、下を噛みそうになりながら吉澤が言う。無表情だった石川の
表情が少し緩む。

石川はゆっくりと手を伸ばすと、吉澤の両目を覆っている大きなサングラスを
撫でた。吉澤はビクッと体を震わせると、次の言葉を飲み込んだ。

62 名前: 投稿日:2003年06月02日(月)19時14分32秒
その夢、右の眼で見てるんだよ。抑えた声で石川が言う。吉澤は一瞬表情を
強張らせると、すぐに無理矢理笑い声をあげて言う。

くだらねー。相変わらずキショいメルヘンキャラやってんのかよ。

風が吹いている。切れ切れの雲が、ゆっくりと空を流れている。湿気を多く
含んだ空気が、二人の髪を揺らす。

そうそう、大変だったんだよ、ごっちんのさ。梨華ちゃんはいなかったから
知らないだろうけど。
藤本がいつもの感じでさ……。多分、悪気とか全然なかったと思うけどね。
ほら、前だってなんか普通にしてても、睨んでるみたいとか言われてたじゃん。
じっと黙って、神妙に? でいいのかな。そんな感じで落ち着いてたら、矢口さんが
キレちゃって。いきなり殴りかかって。お前、お前にうちらのことなんて
分かるのかよって。

63 名前: 投稿日:2003年06月02日(月)19時15分12秒
矢口さんが? 石川が目を見開いて言う。

いろいろテンパってたんだと思うな。ほら、あん時直前でバス代わったじゃん。
別に本人が悪いなんてこと全然ないのに、矢口さんの性格的に、なんかそれで
すげー罪悪感みたいな。それとなんか重なって変な風に爆発しちゃったのかも
しれないよね。でも藤本だって、そんなの同じことだと思うんだよ。メンバーとして
どうのこうのって言われても、合流する直前のことだもん。だからそこで
殴り合いになっちゃってさ。みんなで止めたんだけど、でも私さ、なんか
もうああいう風に殴り合えるってだけでいいじゃん、なんて変なこと考え
ちゃってさ、止めなかったんだけど。

一息つくと、自嘲的に笑う。石川は何とも言えない表情のままじっと吉澤を
見つめている。

64 名前: 投稿日:2003年06月02日(月)19時15分46秒
けど圭ちゃんの実家って、聞きしに勝る田舎だよなー。ド田舎って感じ。ここ
首都圏じゃねーべ。千葉って首都圏? だっけ? ねえ。

石川は苦笑すると、首都圏だよ、と言う。

圭ちゃん遅いなー。吉澤が空を仰ぎながら言う。カラスの群が上空を通り
過ぎていく。

ニューヨーク目指してるんだよね。すげーよなー。吉澤が言うのに、石川が
不思議そうな顔で聞き返す。ニューヨークって?

圭ちゃんがさ、ニューヨークのなんとかシアターで唄いたいんだって。ね、確かに
歌は奪われてないもんね。でもニューヨークだよ。野望でかいよ。夢を見ようよ
でっかい、っていうね。さすがだよな。

そうだね。石川はすこし笑って言う。

65 名前: 投稿日:2003年06月02日(月)19時16分20秒
淡々と時間が過ぎていく。吉澤は落ち着かなげに身体を揺すったりしている。
石川は右腕を身体に回したまま、じっと庭の花を見つめている。

あ。突然吉澤が声をあげる。なによ。石川が少し狼狽した様子で振り返る。いや、
あそこの花、あん時とおなじ花だ。

二人は背後の座敷を振り返る。田舎の日本家屋にありふれた光景。畳が敷かれ、
かなり使い込まれた様子の箪笥が並び、砂壁が落ち着いた空気を作っている。
その中で隅に置かれたデスクトップのマッキントッシュだけがどこか浮いて
見える。そのすぐ隣に古びた鏡台が置かれ、細長い花瓶に生けられたスマートな
花が見える。白い花びらの隙間に、薄いクリーム色をした花弁がのぞいている。

ていうか花瓶も一緒だよ。すごい偶然だな。それともうちらが知らないところで
超流行してたとか? あでも圭ちゃんとごっちんだから二人して。

66 名前: 投稿日:2003年06月02日(月)19時16分56秒
ねえ、なんのこと言ってるのよ。石川が苛ついたように言って吉澤の袖を引っ張る。

ん? いや、さっきの話だよ。矢口さんと藤本がさ。そんときに側にあった
花瓶でね。それがあれとおなじやつだったような気がする。

花瓶で殴り合ったの? 石川が眉を顰めて言う。いや違うって。まあいいや。
あんまりこの話するなって言われてるんだよ。ほら、まだいろいろネタ探して
うろついてる連中っているだろ? ったく、半年も経ってるのによく飽きないよな。
それでいて犯人とかは全然見付からないっておかしいだろ。どっちが先なんだって。

私はこないだまで入院してたから……。石川が複雑な感情のこもった口調で言う。
まあ、おいおいね、なにが起きたかとかは話てくよ。そりゃおいらだってこんなさ、
落ち着いたふりしてっけど全然そんなんじゃないもん。大変だよ。まだ頭んなか
ぐちゃぐちゃで整理ついてないしさ。

67 名前: 投稿日:2003年06月02日(月)19時17分26秒
まあでも話すことっていいって聞くよな。話したり書いたりすると、頭んなかで
わけわかんなくなってるものもなんとなく整理つくっていうか。おいらは文章は
ダメだからこうやって話してるんだけど。でも話すなって言われてるしなあ。

私だったら大丈夫だよ。石川は不満そうに言う。

うんそれはそうだよ。そんなこと言ってるわけじゃないよ。でも梨華ちゃんみたいに
すぐ気絶しちゃえるのってなにげにうらやましいよな。だってさーあのドタバタした
なかで、ずーっと寝てられたわけじゃん。

ひどい。石川が言い、すぐに涙目になる。私だってなにもそんなつもりで……。

68 名前: 投稿日:2003年06月02日(月)19時17分57秒
や、いや例え話だってば。例え話って言わないか。言う? どうだろ。でもまあ
みんなねえ、うちらなんて恵まれてる方だよ。恵まれてはいないか。不幸中の
幸いっていうのかな。よくわかんないや。

玄関の方から話し声が聞こえる。保田の母親が娘の帰りを出迎えている。
吉澤と石川は、顔を見合わせると示し合わせたように息を吐いた。


69 名前: 投稿日:2003年06月02日(月)19時18分32秒

#2


よっすぃーは夢を見てるって言ってたけど、じゃあ私もそうなのかな。ペンギンが
見えたってことは南極にいるのかな。なんでだろう。
でも私とは全然違うってことは分かる。だって生きてるし、動いてるし。

私はずっと眠り続けているのだろうか。それとも右眼が眠っているときは左眼が
こっちのほうで起きてるのだろうか。よく分からない。こんなこと考えたって
分かりっこない。

裏の世界ってやつかな。なんかの漫画で読んだことがある。でもどっちが表で
どっちが裏ってどうやって見分けるのかな。でもこっちのほうが私にはまだ
居心地がいいから、こっちのほうが表ってことになるのかな。でもあり得ない
ってことではこっちのほうが裏っぽいんだよね。

70 名前: 投稿日:2003年06月02日(月)19時19分03秒
はじめにココで目を開いたときは訳わかんなかった。いかにも田舎の家って
感じの部屋で、薄暗くてなにもよく見えなかったし。一応私はここにはいる
んだろうけど、全然動けないんだよね。あーやっぱりこれって夢なんだ、って
そんときは思ったな。現実を微妙に反映するって聞いたことあるし。

うん、なんか直前のことって妙に鮮明に覚えてるよね。あー後藤最後尾で
けーちゃんとよっすぃーに挟まれてたなー、とか。前の席に梨華ちゃんがいて
背もたれにもたれてなにか寒いこと喋ってたなーとか前のバスのみんななに
話してるのかなーとか北海道はやっぱり寒いなーとかハロモニ二番煎じ多いなーとか。

71 名前: 投稿日:2003年06月02日(月)19時19分36秒
そのうちなんとなくここがどこなのか分かった。向こうの廊下の方から声が
聞こえて、どっかで聞いたことあるなーって思ったら、あ、圭ちゃんのお母さんの
声だって。泣き声だったからはじめはよくわかんなかったんだよね。

そのあともいろんな人が来てさ、ココの部屋で話してることとか聞いて。なんか
こっちでは眼と耳が生きてるみたいなんだよね。向こうだともう外界から
ペリって切り離されちゃってるからさ、なんかこっちに残って向こうに身体だけ
ふっとんだのかな。それとも逆かな。

でもビックリしたな。なんでけーちゃんのマックだったんだろうね。全然カンケー
ないじゃん。や、そりゃけーちゃんとは仲良かったけどさ、だからってねえ。

72 名前: 投稿日:2003年06月02日(月)19時20分24秒
あはは。そりゃそうだよね。そっちのほうがビックリするよね。ホントにねえ、
信じられる? って感じだよ。でもさー、フツーパソコンに入ったらネットの中を
行ったり来たり出来そうだけど、そういうのはムリっぽいんだよね。つまんないなー。
メールとかも読めないしさー。え、読むなって? えへへ、読まれて困るような
メールとかやりとりしてるんだ? ま、いーけどね。

けどやぐっつぁんがねー。意外な感じ。
あれ、まだ話してなかったっけ。後藤のなんだろ、告別式みたいなの? そん
ときに美貴ちゃんと殴り合いの喧嘩したんだって。よっすぃーが言ってた。見た
かったなー。
他人事みたいにいうなって、だって他人事だもん。当事者は確かに後藤かも
しれないけどさー。死んでちゃなにも出来ないし。

73 名前: 投稿日:2003年06月02日(月)19時20分56秒
美貴ちゃんもね、後藤と一緒でなんかフツーにしてるだけで誤解されちゃう
人だよねえ。やぐっつぁんが切れたってのはでも意外だった。

そうでもないかな。へー、まあ後藤は鈍いしね。でも嬉しいかな……。
ていうかけーちゃんそこにいなかったんだ。あ、まだ病院にいたんだっけ。マジ?
じゃあ見てないんだ。でも見たいよねえ。殴り合い。
不謹慎? そんなことないよ。だって私じゃん、死んでるの。本人が言っても
不謹慎じゃないよぉ。
でも花瓶の話はちょっと気になるなあ。え? いや後藤もちゃんと聞いてなかった
からわかんないけど。今度会ったときよっすぃーに聞いてみてよ。

そんな話にばっかり食いつくなって、しょうがないじゃん。面白いんだから。

74 名前: 投稿日:2003年06月02日(月)19時21分28秒
あ、そうそうけーちゃんってニューヨーク行くんだって? なんだよー後藤には
そんなこと一言も言ってなかったじゃんか。
バカになんてしないよー。応援するって。ここじゃなにも出来ないけどさあ。
でも車椅子で外歩くのって大変そうだよね。腕とかすごくマッチョになりそう。
マッチョなけーちゃんってちょっと面白いよね。。

梨華ちゃんとよっすぃーはなんか痛々しかったなー。え? いや後藤は全然
平気だよ。こうやってけーちゃんとも喋れるしさ。
まあ本当は一番不幸なのかもしれないけど、別にそう思わなければそうじゃない
んだって。気の持ちようだよ。けーちゃんだってまだ歌えるって思えばさ、
そんなに凹まないでしょ? それと同じだよ。それに今更愚痴ってもしょうが
ないし。けーちゃんがビシッと犯人見つけてくれるのを期待して……。

75 名前: 投稿日:2003年06月02日(月)19時21分58秒
いや冗談だよ。そんなのムリに決まってるじゃん。どっちかと言えば探偵っつーか
ハメられる方だよね。天然だしさー。

怒らなくたっていいじゃん。あ、なんかでも後藤の喋ってるのってけーちゃんには
どんな感じで聞こえてるの? 音? 字がダイレクトに入ってくる感じ?

前にも訊いたっけ。よく覚えてないや。

76 名前: 投稿日:2003年06月02日(月)19時22分28秒
ふーん、頭の中で後藤が喋ってるのが見えるんだ。それってよっすぃーが
ペンギン見てるのと同じような感じなのかな。じゃあひょっとして今喋ってる
後藤はけーちゃんの妄想なのかもね。

あはは。今ちょっと本気で怖がったでしょ。でもなんか、夢の中で夢だって
気付くと目が覚めちゃうって聞いたことあるよ。なんならほっぺたつねって
見たら分かるんじゃない。

……ホントにやんなくてもいいよ。

77 名前: 投稿日:2003年06月02日(月)19時23分01秒
え? こっちの方は相変わらずだよ。ずーっと寝たきりでさ。なんも見えないし
聞こえないし。たまにお医者さんとか来てね、手のひらに何か書いてくれるんだけど
もうめんどくさくてさ。そんなことしたって意味ないじゃんねえ。

そりゃ確かに頑張ってくれてるってのは分かるけど。向こうのけーちゃんが
どうなってるかとか、そいうのに興味あったりするわけ? んー、でもこっちの
後藤は完全にユーレイだよねえ。ユーレイにしちゃ明るすぎだって。あはは。

78 名前: 投稿日:2003年06月02日(月)19時23分31秒
まあでもよっすぃーも梨華ちゃんもなんとなく落ち着いてきてるみたいで安心
したな。人間って結構なにが起こってもフツーに戻れるもんね。
……そりゃ後藤はちょっと落ち着くのがはやいってのはあるかもしれないけどさ。
みんな割とそうだと思うけどなー。じゃないと辛くてやってけないよ。

あれ、もう寝るの? 明日人来るんだ。誰? イヤな相手だ。だって顔に書いて
あるもん。ダメだよー本人の前でそんな表情したら。

あ、ニューヨーク行くときは後藤も連れてってね。向こう行ってもマック使う
でしょ。それにあの花瓶も持ってったら? なんかいい感じじゃん。

おやすみー。


79 名前: 投稿日:2003年06月02日(月)19時24分02秒

#3


モニタには無愛想な白い画面にただ蟻のように文字が並んでいる。カギ括弧を
使わないのは、その場に後藤がいる痕跡を消したくないから。そんなことは
私にしか分からない意図なんだけど。
私は一息つくと、車椅子に手をかけて振り返る。和室に客を迎えているので、
どうしても見下ろす格好になってしまう。
もっともそんなことを気遣うような相手ではないのだが。

80 名前: 投稿日:2003年06月02日(月)19時24分45秒
「なにを書いてらっしゃるんですか?」慇懃無礼な、この種のライターに特有の
イヤらしい口調が私を苛立たせる。意識せずとも眉と両目がつり上がってるの
だろう。それを見ていかにも面白がっていそうな男の態度が不愉快だ。

「別に。ただの日記ですよ」
「闘病日記ですか? 出版予定とか?」
「まさか」

そんなつまらない商売に荷担するほど私は落ちぶれてない。それに私には
他に書かなければいけないものがあるんだ。まだ全く手つかずの状態だけど、
いつかはあの事件の真相を暴き出さなければならない。それは私にしか出来ない。
誰もが出来事そのものを闇へと葬り去ろうとしている。そんなことは許せない。

81 名前: 投稿日:2003年06月02日(月)19時25分22秒
今までにも、彼のような人間がここを訪れることは何度もあった。下手に
追い返そうとしてもどうせずっと粘るんだろうし、田舎町でそんな変な噂でも
立てられたらたまらない。なので、一度は座敷へ上げることにしている。

それでも、私が無視してこうやってマックに向かっていれば、さすがのハイエナ
どもも日が落ちる頃には根負けして帰っていってしまう。無礼さを武器にしてきた
ような連中は遠慮なくモニタを覗き込んだりもしてきたが、別に見られたって
構わないようなことしか書いていない。私の文章を読んでさっと表情を強張らせて
帰っていってしまった奴もいる。それなりに効果があるようだ。私にはよく
分からないんだけど。

82 名前: 投稿日:2003年06月02日(月)19時25分53秒
そういう連中に比べると今日の相手は少ししぶとそうだ。私の態度にもなんら
苛ついた様子も見せず、一見礼儀正しい風を装いながらじっと座り続けている。

チョコレート色の古びた座卓に向かい、硬い座布団の上にちょこんと正座している。
どこか和田さんを思い出させる。小男で、調子のいい口調で喋り、如才がない。
よれよれの安っぽいスーツを着ているのも、演出のつもりなのか。額の禿あがり
具合もなんとも絶妙に脱力させられる。

83 名前: 投稿日:2003年06月02日(月)19時26分28秒
「いい花瓶ですね」
マックの隣、鏡台の方へ目をやりながら言う。おべんちゃらのつもりなのだろうか。
私は花瓶を見て、それから縁側へと視線を移す。石川と吉澤が、肩を並べて
庭を見つめている。ちらちらと吉澤の顔が動き、そのたびに光を失った右眼を
隠しているサングラスが目にはいる。

「多分母が買ったものでしょうけどね」
切り口上で言う。男は、へえ、とでも言いたげに眉を上げてみせる。

「しかし保田さんの悪運の強さには……おっと失礼。強運には驚かされますね。
もちろんそれも実力あってのことですよ。それはもちろんですが」

あからさまな。私は相手にしない。

84 名前: 投稿日:2003年06月02日(月)19時27分05秒
「あの事故の中でたった一人生還ですからね……。信じられます? それも
まだ唄うことだってできる。あなたの一番の才能が生かされてるのは、なにか
感じませんか。あ、あとこうして私と喋ることも」

まただ。こいつもまた訳の分からないことをいう。誘導尋問のつもりなのか。

もう一度縁側へと目を向ける。石川と肩を並べてピンク色のペンギンが腰を
かけている。あの事故以来、私の瞼の裏にもこうして別の世界が突然入り込んで
来ることがある。でも吉澤がペンギンやってたのは現実じゃなかっただろうか。

85 名前: 投稿日:2003年06月02日(月)19時27分35秒
「その強運を生かしていっそニューヨークでデビューとか? 保田さんの
歌唱力なら」

当てずっぽうに言ったって、そんなことに惑わされるものか。

私はまたモニタに向きなおり、キーボードを叩き始める。出来ることなら、
目の前の邪魔者をぶん殴ってやりたい。

86 名前: 投稿日:2003年06月02日(月)19時28分09秒
「そうそう、噂ですがね、あくまで」へらへらとした口調で言う。
「藤本美貴さんが心労で長期休養したって。まあご存知でしょうけど」

なるべく平静を保とうとするが、男のぬめぬめした口調がイヤでもキーを叩く
手つきを荒っぽくさせる。せわしなくプラスチックの触れ合う音と妙に甲高い
男の饒舌が、初夏の空気の中に溶け込んでいく。

「後藤さんのお通夜の場所でなにか一悶着あったって、ちょっと小耳に挟んだん
ですがね。保田さんはなにか」

キーを打つ手が止まる。目を閉じて俯くと、深く息を吸い込んで心臓を抑える。
頼むから、誰かこいつを黙らせてくれ。

87 名前: 投稿日:2003年06月02日(月)19時28分41秒
けーちゃん。後藤の声が、記憶の中から蘇ったのか、今語りかけてきているのか、
よく分からない。あの花瓶裏返して、後藤の病室に花飾ってよ。

こめかみを押さえたまま、縁側を振り返る。ピンクのペンギンが横たわって
いる。石川がすっと立ち上がるとこちらを振り向く。

左腕のない石川の身体は、幽霊のように畳の上を滑る。男は気付かないまま、
下世話な勘ぐりをあれこれと並べ立てている。

石川の右手が花瓶を手に取り、男の背後へと滑っていく。


88 名前: 投稿日:2003年06月02日(月)19時29分19秒






89 名前:。。。 投稿日:2003年06月02日(月)19時29分51秒
>>56レスありがとうございます。


90 名前:。。。 投稿日:2003年06月02日(月)19時31分08秒
Theme from ノベルモニ企画


91 名前:名無しだけど読者 投稿日:2003年06月04日(水)19時27分39秒
怖っ。おもろっ!!
92 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2003年06月22日(日)02時42分52秒


       アルペン・ヘリコプター



93 名前:  投稿日:2003年06月22日(日)02時43分31秒
滑らかな曲線で縁取られた小さなテーブルに、小さなグラスとシャンペンの
ボトルが置かれている。グラスの曲線が柔らかな照明とテレビからのけばけばしい
色彩を反射してきらめく。ボトルを通して見慣れた部屋の風景が歪んで映る。
0時を回って少し経つ。中澤裕子は携帯電話を手に取ると、酔いのせいか
おぼつかない手つきでボードを繰り始める。新着メールがいくつか。開く
までもないが開いてみる。おめでとう。おめでとう。おめでとうございます。
中澤はとろんとした眼で次々とメールを開いては閉じていく。それから、
小声でポツリと、全然めでたないわ、と呟いてから、苦笑する。

一人寂しく祝杯を煽っているわけではなかった。ただなんとなく、人生の
こうした一つの局面を騒々しい場所で迎えたくないと言う気持ちから、周囲の
好意をことわって、こうして一人でちびちびとシャンペンを傾けている。

94 名前:  投稿日:2003年06月22日(日)02時44分01秒
何も変わりはない。自分も、この部屋も、三本の針が真上を向いて重なった
瞬間に恐れていたこと全てが一挙に降りかかってくるはずなんてない。当たり前
のことだったが、なんとなく中澤はそのことに安堵している。意味のない
自動化されたお祝いのメッセージも、微笑ましいものに見える。これまで
三十回繰り返してきたことを、あと三十回繰り返したとして、やはりなにも
変わることはないのだろう、などと軽くアルコールの回った頭は考える。

足を組み、細長いデザインチェアーに背中を委ねながら、部屋を見回す。
意外に散らかっている。気に掛かるほどではないが、小さなものがあちこちに
散見することが出来る。そのほとんどが、見慣れない新しい訪問者のように
見える。日付が変わった瞬間に、カーペットやデスクやソファから沸き上がって
来たかのように。

95 名前:  投稿日:2003年06月22日(日)02時44分35秒
意味もなく携帯でネットを彷徨っていると、手元が滑って見慣れないページへと
飛ばされる。つまらない口コミの噂とかジンクスのようなものがいろいろと
コレクションされている。中にはどこかで聞いたことのあるような、幸運を
呼び寄せるための都市伝説もある。適当に読み流しながら、目を逸らす。

キャビネットの上に小さな白い欠片が置かれている。薄っぺらく、輪郭は
円形に隆起したり逆に凹んだりして、角は鋭く尖っている。ひしゃげた煙草の
箱と数本の金髪が絡まったブラシに挟まれて、その欠片はなんの自己主張も
していない。が、なぜかその時は中澤の関心を引いた。あれはなんだったっけ。
靄がかかったような頭で思い出そうとする。
96 名前:  投稿日:2003年06月22日(日)02時45分10秒
外からヘリコプターの飛ぶ音が聞こえてくる。今夜は月は出てるだろうか。
ごちゃごちゃと絡まった記憶の糸のカタマリから一本を捕まえて引っ張り出す。
そのさきっちょにくっついていた甲高い声が解答を告げる。中澤さーん、
目を閉じると、こめかみを押さえて頭を振り、シャンペンを一口。なぜ今
この瞬間にあの欠片が目に留まったのか、すぐに思い出す。そう、あれは
ちょうど一年前の今日。ハロモニ収録後の楽屋での出来事。

中澤さーん、石川が言う。ハロプロニュースの収録を終え、出ていく準備を
していたときのこと。卒業してからはグループとは別の個人の楽屋であること
が、ゆっくり出来る反面寂しくもある。

97 名前:  投稿日:2003年06月22日(日)02時45分50秒
てっきりマイク片手にお馴染みの指のマークを作って入ってくるかと思ってしまうが
石川は微妙な普段着でにこにこと笑いながら楽屋へと入ってくる。

「なんやねん」眉を顰めて、面倒臭そうに応じる。石川はお約束のように
困ったような表情を返すと、すぐに笑顔に戻り、

「お誕生日おめでとうございまーす」両手を開きながら言う。どこかで見たような
ポーズだったが、軽く流す。
「ああ、ありがと」
「あれ」石川は頬を膨らませると、
「なんか冷たくないですかー?」
「あんたが最後やねん。それに大してめでたくもないしな」
「あ、もう三十路でしたっけ?」
「アホ」
中澤は振り返ると、軽く石川の額を小突く。

98 名前:  投稿日:2003年06月22日(日)02時46分21秒
「いたあい」
「来年や。まだまだ二十代やで」
「あと一年、ラストチャンスですね」
妙に嬉しそうな口調で言う。中澤はムッとした表情で石川を睨む。
「ほっとけ」
そう言うと、鞄を持って出ていこうとする。

「あ、待ってくださいよ」石川は慌てて中澤の引き留める。
「まだなんかあるんか?」
「ちょっとですね、プレゼントがあるんですよ」

中澤は呆気に取られたように目を瞬かせる。
「へえ」
「大したものでもないんですけど」石川は言いながらピンク色のバッグを
開き、ビニール袋に入れられた小さなものを取り出す。
「石川の持ってる百分の一を、中澤さんに譲ってあげます」
中澤は石川から受け取ったそれをまじまじと見つめると、溜息をついて、
「ゴミやん」
「あ、なにするんですか!」

99 名前:  投稿日:2003年06月22日(日)02時47分03秒
中澤が放ったそれを、石川は驚くべき反射神経でキャッチして安堵の呼吸を
漏らす。
「ふう、危ない危ない」
「なんやねんそれ」
「ま、聞いてくださいよ。これ、中澤さんも持ってるはずですよ」
「んー……?」

石川の言葉に、中澤は改めてそれを改めなおす。それから、ようやく得心して
あーあーと声を出しながら何度か頷く。
「あれや、圭織の……」
「そうです。でもこれ、今すごい話題なんですよ。若い女の子の間で!」

やたら強調されて言われた最後の言葉に、中澤はまたカチンときたように
額にしわを寄せる。
「あんたな……」
「ホントは私もあげたくなかったんですけど、やっぱりラストチャンスの
中澤さんにハッピーになって欲しいと思って」
そう言いながらまた満面の笑み。
失礼天然にはもう太刀打ちできない、と言った様子で中澤は溜息をつくと、
石川に詳しい説明を促す。

100 名前:  投稿日:2003年06月22日(日)02時47分46秒
それはまた、さらに一年ほど前に遡る。卒業前後の慌ただしい状況もようやく
落ち着きかけて、冷静に自分自身のことを考えることが出来るようになった
ころの出来事。

午前を回って頃に自宅のマンションへと戻る。いつものようにタクシーを
降りて、疲れ果てた身体を引きずるようにしてエントランスを通り抜ける。
エレベータの中で郵便物の束をパラパラとチェックしていると、DMの山に
混じって地味な封書が一通。宛名の字体を見ただけで差出人が分かる。
「圭織か……なんやろ」

薄っぺらい茶封筒を開けると、不規則な輪郭をもった白い欠片が一つだけ
入っている。それと、飯田の自筆による短い手紙。中澤はざっと手紙に目を
通すと、思わず微笑みを浮かべ、それから不思議そうに首を傾げる。

「ああー、あんときの……でも、これどうなってんのやろ?」

101 名前:  投稿日:2003年06月22日(日)02時48分19秒
飯田からの手紙を読み返しながら、中澤はぼんやりとその時のことを思い出す。
それはやはり一年ほど前の、誕生日の前後の出来事。グループとしての大きな
ブレイクも成し遂げ、仕事も増えてようやく安定期に入ろうとしていた時期の
ことだった記憶がある。曖昧ながら、その時のことを思い起こす。

中澤は飯田のマンションにいる。それほどキレイに整理整頓がなされている
わけでもないのに、ほとんど生活感が感じられないのが不思議に感じられる。
飯田が入れてくれた紅茶を冷ましながら、よく分からない話を続けている飯田の
声をぼんやりと聞き流している。

「裕ちゃーん、圭織の話、聞いてる?」
キッチンにいたはずが、いつの間にか目の前に顔をよせてきている。カップを
口に付けていた中澤は驚いてふかしそうになってしまう。
「わ、ん、ああ、うん、聞いてる聞いてる」
早口でいいながら、手の甲で口を拭う。その時、部屋の隅に置かれてある
大きめのキャンバスが目に留まる。まだ色はつけられておらず、鉛筆による
ラフなスケッチだけが描かれている。
102 名前:  投稿日:2003年06月22日(日)02時49分10秒
飯田が絵を描くことにハマっているというのは聞いたことがあったが、飯田を
それなりに知っているつもりの中澤から見ても、その絵の内容はよく分からない。
ヘリコプターのように見えるシルエットを円で囲み、左端でバルコニーの
ような場所から身を乗り出してそれを見つめている女性が描かれている。
女性の手にはシャンペングラスと、小さくてなんだか分からない欠片が
握られている。

「あれ、なんや?」
「ん? あの絵?」
飯田はキャンバスに目を向けると、真顔でまた中澤に向きなおる。
「アルペン・ヘリコプター」
「は?」
思わず額にしわを寄せて、中澤は飯田を睨み返してしまう。飯田はパチパチと
目を瞬かせると、口を歪める。

103 名前:  投稿日:2003年06月22日(日)02時49分43秒
「どういう意味やねん」
いいかけた途中で中澤は不用意な発言に気付くが、すでに言葉は発せられて
飯田はきょとんとした顔で中澤を見つめている。が、すぐに嬉しそうな
表情で、謎めいた絵画の背後に隠された物語を語り始める。

「けっこう前の話なんだけどね、女の人がマンションのバルコニーから落ち
ちゃうって事件があったんだって。その時の話を新聞で読んだんだけど、
単なる事故じゃなかったみたいなの。その女の人の話によるとね、私たちには
見えない、アルペン・ヘリコプターっていう不思議なヘリコプターがある
らしいんだって。普段は透明で見えないんだけど、月の光を浴びたときだけ、
どういう仕組みなのか分からないんだけど見えるのね。その時に、アルペン・
ヘリコプターが月の光を屈折させて、特別な光を出すらしいんだけど、それが
幸せを運んできてくれるの。ね、これなにか分かる?」

104 名前:  投稿日:2003年06月22日(日)02時50分32秒
飯田は話しながら、キャンバスに描かれた女性の手元を指さす。

「グラスやろ?」
「それじゃなくてこっち。これね、ジグソーパズルのピース。大昔にアルペン・
ヘリコプターを見た人が、あまりに美しいんで感動して、それを絵にして
残したんだって。スイスの人らしいんだけど、その時に書かれた絵が、そのあと
どういう経緯かジグソーパズルになって、世界中にばらまかれたんだって。
ちょうど百ピースに分かれてて、いろんな人の手に渡っていくうちに絵が
消えちゃって、ただの白い欠片になっちゃったんだけど、それがアルペン・
ヘリコプターの光を浴びるとその時だけ絵が蘇るっていう云い伝えがあって、
その絵を完全に見た人は完全な幸福を手に入れられる。でも欠片だけでも
百分の一の幸せは手に入る。ね、すごくロマンチックな話だと思わない?」
105 名前:  投稿日:2003年06月22日(日)02時51分37秒
「ああ、まあ、そやな」
気のない声で中澤はいう。飯田は不満そうな表情で、
「裕ちゃんってホントこういうのに興味ないよね」
「や、そんなことないで」
中澤はキャンバスに目を向けながら、意味もなく頷いて見せる。
「で、あんたもそのなんちゃらヘリコプターを見たいんか?」
「まさか。いくらなんでもそんな話は信じてないよ」

意外にもそんなことを言う。困惑気味の中澤に、飯田が話を続ける。
「ただね、その女の人の話を読んでいい話だなーって思ったから、圭織も
アルペン・ヘリコプターのジグソーパズルを作って、みんなの幸福のお守りに
出来たらいいなーって思ったんだ」
「ああ、あれはじゃあジグソーパズルにする絵なんや」
ようやく納得がいったように、中澤は呟く。
「そうそう。ジグソーパズルにしたあと、また白く戻してからメンバーとか
スタッフさんとかに配ろうかなって思って」
「消してまうんか?」
「だってそれじゃないと意味ないじゃん。絵を見ちゃったら」
「けどあんたが描いた絵やろ?」
「んー……まあ、それはそれで、いいじゃん」
106 名前:  投稿日:2003年06月22日(日)02時52分32秒
そう言いながら飯田がまた考え込みそうになり、中澤は慌てて声をかける。
「そ、そやな、そこはしゃあないもんな」
いいながら、別のことが頭に浮かぶ。
「けど、その女の人も、バルコニーから落ちてもうたら、幸せもなにも
ないやんか」
「それはあれだよ、酔っぱらってたからアルペン・ヘリコプターを見るのに
失敗したんだよ、きっと」
「ふうん……それっていつ頃の話なん?」

中澤が訊くのに、飯田は少し考えると、
「ちょうど一年くらい前かな」

そのマンションの周囲には、すでに人だかりが出来ている。中には新聞記者や
カメラマン、その他のマスコミ周辺の人物も多く混じっている。

帽子をかぶった中学生の三人組が、肩を寄せ合いながらそろそろと群衆の
側までやってくる。と、いち早く彼女たちの正体に気付いた一人の女性が
慌てて駆け寄ってくる。

107 名前:  投稿日:2003年06月22日(日)02時53分21秒
「こら、こんなとこまで来ちゃダメだって言ったでしょう」
「中澤さん、大丈夫なんですか?」
三人のなかで、一番年上の亀井絵里が心配そうに言う。あとの二人、田中れいなと
道重さゆみも不安そうな目で女性を見つめている。
「と、とりあえずこっちに来て」
そう言いながら、人目につかない場所まで三人を誘導すると、小声だが
厳しい口調で、
「いい、中澤のことは他の誰にも言わないように、分かった?」

マネージャーの女性がいうのに、田中が不思議そうな表情で返す。
「なんでですか?」
「いろいろとまた騒がれると困るから。今の段階ではまだ中澤だって言うことは
気付かれてないのよ。だから、今日はもう戻りなさい」
「それで、ケガは……」
マネージャーの言葉に少し苛ついたように、道重が訊く。
「幸い、途中で木にひっかかかって、落ちたところも植え込みだから大した
ことはないみたい。だから心配することはないから、もう戻って」

なかば強引に追い返されるようにして、三人は中澤のマンションを後にする。

108 名前:  投稿日:2003年06月22日(日)02時54分07秒
「なんか感じ悪いね」
帰りの電車の中で、亀井が不満そうな声を漏らす。
「芸能人だから、まあしょうがないんじゃない?」
田中はそう言いながら軽く肩を竦める。
「昨日って中澤さんの誕生日でしょ? 誕生日なのに大変だよね」
どこか気の抜けた道重の言葉に、二人は笑ってしまう。

「そういえば中澤さんっていくつだっけ?」
少しムッとした表情で、道重が話題を変える。
「三十?」
「そうだっけ?」
田中と亀井が口々に言う。道重は首を傾げると、
「三十っていつも言ってるネタじゃないの?」
「意外にまだ二十五歳とかなのかも」
亀井の言葉に、二人が間髪を入れず突っ込む。
「それはないよ」
「あり得ないあり得ない」

三人の屈託のない笑い声が電車の中に響く。初夏の日差しが、窓を通して
差し込んできている。

109 名前:名無しさん 投稿日:2003年06月22日(日)02時54分44秒






110 名前:。。。 投稿日:2003年06月22日(日)02時55分33秒
>>91レスサンクス

111 名前:。。。 投稿日:2003年06月22日(日)02時56分17秒

三日遅れですが




112 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月02日(水)22時12分25秒
アルペンヘリコプター級のをズバズバ打ち込んでいただけると
個人的には非常に嬉しいなり。
他のも好きですけど本作が一番好きです。
がんがってくらさいてへてへ。
113 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月30日(水)23時22分03秒
マンセー
114 名前:名無しさん 投稿日:2003年09月02日(火)22時53分05秒


       プラトーの日々



115 名前:名無し読者 投稿日:2003年09月02日(火)22時53分52秒

バルコニーから見下ろせるだだっ広い空間がある。夜になるとそこは二カ所の
常夜灯に照らされているだけで、真っ黒な水を湛えた泉のように見える。
近くの塀に、月極駐車場と書かれた看板がなかば落ちかかっているのを見かけた
ことがあるが、私はそこにクルマが止まっているのを見たことがない。

くたびれて仕事から戻っても、部屋で何もする気にはならない。そんなときには、
部屋の明かりを消してバルコニーからぼんやりと泉を見下ろす。二本の道路に
挟まれた泉の向こうにマンションがあり、いくつかの窓からはカーテン越しの
明るい光が漏れ、いくつかは私の部屋のように真っ暗で、寂しそうだ。

ある時、いつもは真っ暗なはずの駐車場がぼうっとした光に包まれているのを
見た。常夜灯の白く冷たい光ではなく、やわらなオレンジ色が全体をうっすらと
包み、なにもない空間を浮かび上がらせていた。

116 名前:名無し読者 投稿日:2003年09月02日(火)22時54分26秒
一度目を閉じてもう一度見下ろす。泉の水面は緩やかに波打ち、その真ん中に
少女が浮かんでいる。

胸を押さえる。硬い皮膚の下で柔らかな水が揺れるのが感じられる。そして、
忘れていた音が戻ってくる。チクタクチクタク。私の胸には水が溜まっていて、
心臓のある場所に時計が浮かんでいるのだ。琥珀の中に閉じこめられた蜂のように、
ずっと止まっていた時計がまた、動き始めてくれた。私は思わず、うれしさで
笑みを浮かべていた。


117 名前:名無し読者 投稿日:2003年09月02日(火)22時55分09秒

 ◆


サンドームのコンサートで地元へ戻ったとき、リハーサルの合間に三人で
抜け出したことがある。私と、加護さんと石川さんで、なんでその二人だった
のかはあんまりよく覚えていない。多分加護さんが私に持ちかけて、たまたま
その場に居合わせた石川さんが付いてきたんじゃないかと思う。

地元の女性スタッフを捕まえて、クルマを走らせて数十分。なぜか車中では
東尋坊の話題が盛り上がっていた。二人は私の実家を見たがっていたようだけど、
私は何を思ったのか、私だけの知っている秘密の場所へ連れて行って驚かせて
やろうとしたのだ。ちょっとした悪戯心だった。私には珍しい。

118 名前:名無し読者 投稿日:2003年09月02日(火)22時55分44秒

「愛ちゃんの秘密基地でもあるんか?」
舗装された道路からそれて、アスファルトのない剥き出しの地面から雑草の
生い茂った場所へ入っていく。
「そんなたいそうなもんでもないですけど」
興味深げに訊いてくる加護さんに、私は少しの不安を抱えながら答えた。

広めの間隔で木々が立ち並ぶ間を雑草や灌木が歩きにくくしている。当たり前の
ように行き来していた少女時代の記憶とは大分食い違っている。

「ねえ、まだー?」
早くも石川さんが悲鳴を上げ始めていた。秋に入ったとはいえこの場所には
まだ蚊なども飛び回っている。こんなときに大事な肌を痛めでもしたら私が
怒られてしまう。

「えっとぉ、もうちょっとなんで」
冷や汗を拭いながら、少し急な斜面を恐る恐る登って記憶の場所を見下ろした。

119 名前:名無し読者 投稿日:2003年09月02日(火)22時56分26秒

「わあ……」
「きれい」
二人は口々に声をあげる。私は笑顔の戻った二人の様子に安心しながら、そこが
もう記憶通りの場所でないことに落胆していた。

「すごいなこれ、自然にこんなんなったん?」
「あ、はいそうだと思います」
そろそろと水面に手を伸ばしながら言う加護さんに、私は少し上擦り気味の声で
返す。石川さんは私服の汚れを気にしながらも、興味深げにそこを見下ろしている。

真四角に切り取られた天然の泉。緑色の雑草に囲まれて、水はほとんど濁りも
せずに、数少ない美しい植物だけを選んで、泳がせてやっているようだった。

紅潮した頬のような色の蓮の花が開き、微風で作られる波の上をゆるやかに
揺らめいている。太陽の加減か、水面は自然と光を放っているように静かな
オレンジ色に煌めいて、幻想的な雰囲気を強めている。
120 名前:名無し読者 投稿日:2003年09月02日(火)22時57分04秒

「すごいなー、田舎ってやっぱり底知れんな」
「あいぼん、それちょっと微妙にバカにしてない?」
「なんでやねん、ちゃうって」

加護さんと石川さんが話しているのを聞きながら、私は記憶に残っている光景を
瞼の裏に呼び起こそうとしていた。しかし、あれだけ強烈な印象だったものが
今では夢の中で見たもののように、茫洋としか浮かんできてくれない。


121 名前:名無し読者 投稿日:2003年09月02日(火)22時57分37秒
 ◆


時折猛スピードで駆け抜けていくクルマは、誰もその異変には気付いていない
ようにわき目もふらず通り過ぎていく。私はハッと我に返ると、サンダル履きの
まま部屋を横切って、表へ飛び出していった。エレベーターを待っているのも
もどかしく、一段とばしで階段を駆け下りていく。道路へ出てから踏み残した
階段が気に掛かったが、振り向かないでいた。

歪んだフェンスに囲まれた泉は、バルコニーから見下ろしたのと同じように、
夜の闇の中にぼんやりと光を放ち、風もないのに穏やかな波を立てていた。
私はふと顔を上げ、周囲を取り囲んでいるマンションを見回した。無数の窓に
光がともり、色とりどりのカーテンがそれぞれの生活を隠している。

122 名前:名無し読者 投稿日:2003年09月02日(火)22時58分20秒

あそこにいる誰もがこの異変には気付いていないのだろうか。私は一抹の
不安を抱えながら、また泉の水面へと視線を戻した。

やはり、彼女はそこにいた。消えていなかったのだ。波打つ水面のすぐ下に
葉脈を広げ、穏やかな波動を受け揺らめいている。

彼女はその日を最後にまた消えてしまった。しかし、私の時計は再び動き始めて、
止まろうとはしなかった。胸に手を当てると、チクタクチクタクと、規則的で
気持ちのいいリズムが感じられる。
123 名前:名無し読者 投稿日:2003年09月02日(火)22時58分59秒

 ◆


「ねえねえ、愛ちゃんは誰が受かると思う?」
楽屋で四人してスタッフから渡されたテープを見ながら、まこっちゃんが言った。
私がずっと黙り込んでいる間に、他の三人ではずっとそんな話題で盛り上がって
いたのだろう。追加メンバーの最終候補に選ばれた三人が歌っている映像は、
いつの間にか終わってしまっていた。

「あ、えーと、……最初の子かな」
あんまり落ち着かない態度だった私に見かねて、まこっちゃんは声をかけて
くれたのだろうと思う。目の端には小さなテレビカメラが置かれているのが
見える。これもまた番組で使われるのだろう。

「はじめの子っていうと、かめいえり?」
あさ美ちゃんは、“かめいえり”というのがそれだけで繋がっているような
イントネーションで、そう言った。

かめい・えり、か。あの少女はそういう名前だったのか。
124 名前:名無し読者 投稿日:2003年09月02日(火)22時59分59秒

「私は二番目の子だと思うなあ」
里沙ちゃんが言うのをきっかけにして、また三人は合格予想の話で勝手に
盛り上がり始めた。私はまた取り残されて、じっと黒く沈黙してしまっている
テレビ画面を、ぼんやりと見つめていた。


125 名前:名無し読者 投稿日:2003年09月02日(火)23時00分38秒

 ◆


中学一年のとき、泉に浮かぶ死体を見つけた。

なにがきっかけだったのかはよく覚えていない。些細なことで両親と口論になり、
勢いに任せて表へ飛び出していってしまったのだろうと思う。

日は落ちていたが、残暑らしく肌にまとわりついてくるような熱気が表へ出た
途端に感じられ、うっとおしく感じられた。田舎町には、夜中に家を飛び出した
少女を受け入れてくれるような場所はない。私はただ涙を浮かべたまま、あてもなく
走り続けて、いつしか少し前も見えないような闇の中へ足を踏み入れていた。

勢いをなくしたセミの声や、雑草の隙間に身をひそめた虫たちがたてるしんしんと
いう鳴き声が、周囲を覆っていた。

126 名前:名無し読者 投稿日:2003年09月02日(火)23時01分14秒

足下で枯枝やセミの死骸が砕け、乾いた感触を伝えてくる。道のない道を、
どれくらい歩いただろう。実際には大した距離ではなくても、闇の中での
一歩は途方もない距離を跨いでいるような感覚に陥る。

くたびれた足を引きずりながらのろのろと斜面を越え、突然開かれた場所に
出た。闇の中心にあってそこはぼんやりとしたオレンジ色の光に包まれ、
誘蛾灯に吸い寄せられる虫たちのように私は意識せずに導かれていたのかも
しれない。

真四角な泉の真ん中に、少女は両手を広げて十字架のように浮かんでいた。
水面からの逆光を浴びたシルエットはとても美しく見えた。白く透明な顔には
濡れた黒髪がまとわりついていたが、表情は安らかだった。少女の身体の
周囲には蓮の葉が寄り添うように集まり、いくつかのつぼみをつけていた。

白いシャツは泥一つつかずに綺麗なままで、紺色のスカートから伸びた細い
足は、驚くほど白かった。生きている人間ではあり得ないほど、身体の
あちこちが透き通って見える。
127 名前:名無し読者 投稿日:2003年09月02日(火)23時01分44秒

少女の左胸にはぽっかりと穴が空いていた。その周辺だけ、赤黒く血が滲み、
清潔な身体を汚していた。流れ出た血はすべて泉と蓮に吸い込まれてしまった
ようだった。

左胸に空いた穴には、心臓の代わりに時計が浮かんでいた。

128 名前:名無し読者 投稿日:2003年09月02日(火)23時02分28秒

 ◆


絶対見ない方がいいと思うけど、と前置きして、矢口さんが教えてくれた
サイト。私以外にも多分教えてるんだろう、同じように前置きをして、それでも
必ず見てしまうことが分かっていて。

携帯の小さい液晶画面で、つらつらと不特定多数の独り言を眺めながらスクロール
していく。もう慣れたつもりでいても、心の奥にはちゃんとストレスが蓄積
されていっているんだろう。

「なに見てるんですか?」

横から、細い声を投げかけながら亀井が覗き込んでくる。私は慌てて携帯を
閉じると、深呼吸をして気持ちを落ち着かせようとする。
「あんま見ない方がいいよ」
「えー、教えてくださいよ」
「だめやって」
「じゃいいです。他の先輩に訊きます」
129 名前:名無し読者 投稿日:2003年09月02日(火)23時03分06秒

突き放すとすぐに拗ねた態度を取る。可愛がるとすぐに甘えてくる。
でも私は彼女のことがいまだによく分からない。まるで死体のように、掴み所がない。

あまり大きくない水族館は、昼過ぎで閑散としていた。空は曇り、空気は
生ぬるかった。双眼鏡の足場の周りに、何人かの子供達が群れて騒いでいる
他は、どこも疲れ果てているように見えた。

何人かと連れだって遊び歩いた後、誰が言いだしたのかは分からないが、足休め
のためにこんな人のいない水族館へやってきたのだった。しかし、今私の
隣にいるのは亀井だけで、金網に囲まれた生け簀をつまらなそうに見つめていた。
130 名前:名無し読者 投稿日:2003年09月02日(火)23時04分17秒

「日本初公開の怪魚、っていつ出てくるんでしょうね」
亀井がいってから、私はここへ入館する前に見たやたら胡散臭い看板を
思い出していた。昔の少年雑誌かなにかに載っていそうな怪しげなイラストと、
妙に角張った字体で虚仮威しのような宣伝文句が書かれている。

ここへ来ている数少ない客たちも、それに期待してこうしてつまらなそうに
生け簀へ目を向けているのだろうか。

「センパイ」亀井が言った。「エサ買ってください」
彼女の指さす方を見ると、金網に錆び付いた針金で縛り付けられた白い鉄板に
『エサ 500円』と書かれている。

131 名前:名無しさん 投稿日:2003年09月02日(火)23時05分47秒

「自分で買ったら?」
「買ってくださいよぉ」
上目遣いで見ながら甘ったるい声で言う。言い始めたらきかないのだ。

私は手を挙げると係員を呼んだ。関係者外立入禁止の扉の側で暇そうにしていた
係員は、すぐさまバケツをぶら下げてやってきた。

バケツの中には死んだ魚が何匹も入っていた。私は係員に二人分のエサ代を
手渡すと、親指と人差し指だけで魚をつまんで持ち上げた。亀井はやたらと
か細い悲鳴をあげながら、同じようにした。

「でもなにも出てこないと、エサ買っても……」
生け簀を見ながら、私は嘆息した。亀井は魚をぶら下げたまま、おかしそうに
私の目の前につきだしてきた。

132 名前:名無しさん 投稿日:2003年09月02日(火)23時06分30秒

「センパイ、面白いですよ、これ」
亀井がぶら下げている魚、死んだ目が澱んでいるはずの場所には時計があった。
砂粒のように小さな文字盤の上で、秒針がチクタクと時を刻んでいる。

私は目を見開いて、亀井を睨んだ。彼女はにこにこと微笑んだまま、やはり
何を考えているのかよく分からない。

金網と生け簀を挟んだ向こうで誰かが騒ぎ始めた。いつまでたってもなにも
姿を現さないことに、とうとう堪忍袋の緒が切れたようだった。

作業服のようなものを着た男が係員を怒鳴りつけている間、男のズボンの裾に
縋り付いて女の子が泣きわめいていた。親子で遊びに来たのだろうか。

男の声に煽られるようにして、他の退屈そうにしていた客たちも騒ぎ始めた。
といっても、ほとんどは意味も分からずに、ただ大声をあげたいだけで
騒いでいるようにも見えた。
133 名前:名無しさん 投稿日:2003年09月02日(火)23時07分32秒

「帰ろうか。みんなどこ行ったんだろう……」
私はそう言いながら亀井の肩を叩いた。亀井は私がベンチの上に置き去りに
してあった魚を取り上げると、両手で並べるようにしてぶら下げた。四つの
時計は微妙にずれた秒針の音をチクタクと立てている。

「ちょっと待ってください。その前に」
言い終えないうちに、亀井は両手に持った魚を生け簀へ放っていた。二つの
死体は放物線を描きながら静まりかえった水面へ近付いていく。と、突然
水面が大きく波打ち、巨大な影が浮かび上がってきた。

しかし、一度火のついてしまった喧噪は、そんな程度のことでは静まりそうに
なく、誰も生け簀から現れた生き物には気付いていないようだった。

134 名前:名無しさん 投稿日:2003年09月02日(火)23時08分44秒

 ◆


時計の音に導かれるようにして、私は何度も繰り返し泉へ足を運んだ。
少女の死体は腐ることなく、いつまでも蝋細工のように白く美しい表面を
保っていた。水に沈んだ身体の裏側からは、見るたびに半透明の何かの植物が、
じわじわと枝を伸ばしてきていた。

死体から養分を吸って、太陽と泉からのエネルギーで植物はあっというまに
成長し、泉を覆い尽くしていた。泉は、さながら十字型に寝そべった少女を
受け止めている、緑色のベッドのようになっていた。

135 名前:名無しさん 投稿日:2003年09月02日(火)23時09分27秒

時計と引き替えに少女に渡した心臓は、ゆっくりと脈打っていた。植物の
枝は、半透明で丸く枝と言うよりも血管のようにも見える。死体の全身から
血管だけが成長して、背中を食い破って拡がっていっているようだ。

血管は心臓の鼓動とシンクロするように静かに揺れ動き、そのたびに泉の
水面はゆっくりと波打った。水底からの仄暗い光は波によって微妙に波動を
変化させながら、夜の闇の中で繊細な生命を照らし出している。

斜面に腰掛けて、私は左胸の時計が時を刻むのを感じながら、じっと泉が
波打つのを眺めていた。昼間に起きるさまざまな出来事でいくらストレスを
抱え込んでいても、こうして少女と泉と向かい合っているうちに、彼女の
血液のようにストレスも溶けて流れ出ていってくれるように思えた。

136 名前:名無しさん 投稿日:2003年09月02日(火)23時10分17秒

冬が過ぎ、春になると植物は一斉に花を咲かせた。数千、数万、……ひょっと
したら数億にものぼるかもしれない。放射状に拡がった血管を覆うように、
小さな花は無数に花開き、アメーバ状に全体が一つの塊のようになって
少女の周囲を彩っていた。かすかな隙間からはもれる水底の光はまるで
ガラスの破片のように、細かく鋭かった。

花の色は、心臓と同じくらい赤く、針を刺すと血が零れそうだった。

137 名前:名無しさん 投稿日:2003年09月02日(火)23時11分00秒

 ◆


楽屋の隅で携帯をいじっていると、いつの間にか亀井が隣に来ていて驚いた。
「センパイ」
歌うときはそうでもないのに、なんで話す声はいつもか細いのだろうと、
毎回不思議に思う。
「センパイっていつも独りでいますよね」
「え? そんなことないよ」
「そうですよ」

そう言ってまた少し膨れる。なんで自分のことで他人にムキになられないと
いけないのか釈然としなかったが、抑えた。

「亀井ちゃんは、他の二人とかと一緒じゃないの?」
「れなとさゆはさっき二人で出てっちゃいました」
「あーそう……」
138 名前:名無しさん 投稿日:2003年09月02日(火)23時11分35秒

私は言いながら、亀井が開きっぱなしになっている携帯を覗き込んでいるのに
気付いて、慌てて閉じた。
「だから見ちゃダメだって!」
「ねえセンパイ」
猫なで声で言う。私はそっぽを向いたまま頷く。
「なに」
「今夜センパイの家に行ってもいいですか?」

唐突にそんなことを言われて、私は当惑気味に振り返った。
「い、いいけど別に……お家とか、大丈夫なん?」
「ええ、平気です」
微笑みながら亀井は言う。一度笑みを浮かべられると、もうどうやっても
彼女の表情からは真意をはかることなんて出来ない。


139 名前:名無しさん 投稿日:2003年09月02日(火)23時12分26秒

 ◆


その日も仕事終わりに、個人的にハードなレッスンをこなした。サイトを見る
たびに、焦燥感に駆られ、自分の身体を痛めつけるようにしてレッスンを
繰り返していた。はじめは心配して声をかけてくれたメンバーも、もう
呆れてしまったのかなにも言わなくなっていた。

なんでそこまでこだわるのかは分からない。ただ、外側から潰されないように
するためには、自身を潰してしまうくらいまでに鍛えなければならないと
いう恐怖のようなものはあった。

シャワーを浴びてから帰路につく。夜風はようやく肌に優しく感じられる
くらいの乾きと冷たさを取り戻してくれていた。
140 名前:名無しさん 投稿日:2003年09月02日(火)23時13分05秒

クルマのない駐車場は、やはりなにごともなかったかのように駐車場で、
くたびれたフェンスと完全に垂れ下がってしまった月極の看板が、風に
ふかれてガタガタと音を立てていた。私は、駐車場のわきを通り過ぎようと
したとき、不意に昼の亀井の言葉を思い出した。そして、突然不安になり
気付いたら人気のない夜道をバカみたいに駆けだしていた。

息を切らしながら、縺れそうな指先でカギを引っ張り出すと猛スピードで
回し、見慣れた部屋の中へ飛び込んだ。

いや、そこにはもう見慣れた部屋はなかった。扉をくぐった瞬間、水の中へ
飛び込んだような反動が感じられた。絡め取られるようにして部屋の奥まで
流されていった私は、気泡を吐きながらもがくことしかできないでいた。
141 名前:名無しさん 投稿日:2003年09月02日(火)23時14分11秒

水中には一面に植物の茎が……血管が張り巡らされ、鼓動と反響するように
うごめいている。水中で見るそれは、生き物と言うよりも機械の一部の
ようにも見えた。機械のリズムで、途切れることなく各部へエネルギーを
送り込むシステム。私はまとわりついてくる血管を振りほどきながら、なんとか
逃げ場所へたどり着こうとしていた。

部屋の奥、バルコニーへの扉の横に亀井が膝を抱えて座っていた。部屋中に
伸びた血管は亀井の背中に密集し、そこから機械のケーブルやシャフトのように
複雑に張り巡らされ、統一した波動を与えられていた。
142 名前:名無しさん 投稿日:2003年09月02日(火)23時14分57秒

「か、亀井ちゃん……」
水の中にいるのに、普通に喋ることが出来た。が、パニックになっていた
私はそんなことを気にかけている余裕はなかった。

「センパイ、やっぱりセンパイに返します」
亀井は白いシャツを着て、紺色のスカートを履いていた。綺麗な黒髪は
水中で揺らめき、ときおり顔を覆い隠していた。

「返すって、なにを……」
私が言うのに、亀井は黙ってふわりと浮かび上がった。亀井の左胸には、
綺麗に丸くくり抜かれたように穴が空いていて、そこからするりと血管の
束に繋がった心臓だけが残された。

「……!」
魚のように滑らかに私へ近付いてくる。私は手を伸ばしてくる亀井から身を
翻すと、バルコニーへと逃げようとした。

143 名前:名無しさん 投稿日:2003年09月02日(火)23時15分34秒

「センパイ、私の時計、返してくださいよぉ」

甘ったれた声は、もう耳に入らなかった。これは私のものだ。私がここまで
来るのに、この時計が必要だったのだ。

足を掴まれるのと、私がバルコニーの扉を開くのはほぼ同時だった。真下には
真四角で黄色く光る泉が、私を待ちかまえている。

部屋から大量の血のような液体が押し出されて、私と亀井は激流の中で
もがいた。

左胸を押さえる。よかった。まだ時計はここにある。チクタクチクタク。

144 名前:名無しさん 投稿日:2003年09月02日(火)23時16分29秒

  〆>ヽ||'-' 川



145 名前:名無し読者 投稿日:2003年09月02日(火)23時18分02秒
>>112>>113レスありがとうございます

メル欄はミスです。ごめんなさい
146 名前:名無しさん 投稿日:2003年09月02日(火)23時22分03秒
ってまたミスしてるし。。。

とりあえず流す
147 名前:名無し読者 投稿日:2003/09/10(水) 00:51
面白かったっす。ファンタジーな世界観ですね!
グルーンのような写実的な世界も好きですが、プラトーの日々のような不思議世界も大好きです。
でも、よく考えたらファンタジー(?)じゃなくてホラー(?)ですねw
144のAAの意味分かりました。ワラタ。
148 名前:(゜皿゜)/ 投稿日:2003/09/10(水) 19:51
otu
149 名前:名無し読者 投稿日:2003/10/11(土) 15:14
一気に読みました
最高です
sonic youthのが一番好きかな
150 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/01(月) 21:16
チンチン
151 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:08


      ニグレド



         ヴァン・ゴッホは、そのカラスどもを、自殺者である自分の
          脾臓から生れる黒いばいきんのように、画面の上から数センチの
           ところに、まるで下からわきでたように黒い傷あとのような線によって解き放つ。

                                       ───アントナン・アルトー


152 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:08

鳥がいる。クチバシも羽根もカラダも脚も、全てが黒で覆われている。深みや
落ち着きを連想させるような黒ではなくて、ただ汚らしく、胆汁がそのまま
固まったような黒い生き物は、いつも感情もなしに私を見ている。双眸は
ただの丸い半休で、皮膚に針を刺した時に浮かんでくる、腐った血の凝結の
ように見える。

早朝にマンションを出ると鳥はいつも二、三羽いて、電柱の根本に放置され
ているゴミ袋をつついたり、薄暗い路地をうろうろと歩き回ったりしている。
私に気付くとぜんまい仕掛けみたいなカクカクとした動きで首を上下させ
ながら、視線を送ってくる。

153 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:09

鳥たちが集まり始めたのは多分一週間ほど前だと思う。どこの住人かは
分からないが、大量のロブスターの殻を、袋にも入れずにぼろぼろのバケツに
放り込んだまま路地裏に放置していったのだ。その生臭い匂いに引き寄せ
られるようにして、どこからか鳥たちはやってきて、住み着いてしまった
のだろう。ある朝路上のあちこちに、赤黒いハサミが散らばっていて、それが
ひどく薄気味悪い風景のように見えた記憶が残っている。

アスファルトの上を跳ねながら、時々電線やフェンスの上に跳び上がったり、
しゃがれた声で鳴いたりする。私は不吉さを象徴するような鳥たちに眉を
顰めながら、足早に、なるべく目を合わせないように通り過ぎていく。


154 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:09

 ◆


「高橋さんって黒い服似合いますよね」
そう、唐突に話しかけてきたのは誰かと思って顔を上げると、田中がきょとんと
した表情で私を見下ろしていた。私はいつもみたいに、壁に背中をつけて
黙々と本のページを捲っていた。

「そ、そう?」
なにを思って私に話しかけたりしたんだろう、なんて考えてしまうのが
自然になってるのが自分でもイヤだった。いつごろから、誰に対しても
そんな風に構えるようになっていた。

「多くないですか? 黒着てること」
そう言えば他のメンバーにも似たようなこと言ってたなあなんてまた嫌な
ことを考えてしまう。田中の場合、どこまで本気なのか、世渡り上手で
先輩のあいだで立ち回るのが巧いのか、よく分からない。

「どうやろ」
言いながら自分の格好を見直すと、ものの見事に黒い。いつごろから着て
いるか覚えてないが、レッスンがある日にはこの動きやすいジャージを
なにも考えずに身につけてくることが多い。

155 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:10
「なんか、キャラというか、イメージ的に、合ってると思います」
そう言う田中はなんだかスケーターみたいなおどろおどろしいイラストの
描かれた赤いTシャツを着ていて、また番組のトークで話題にされそうだ。

田中にとっては、あまり接点のない私に話しかけるためのきっかけでしか
ないのかもしれなかったけど、妙に嬉しくなった。
「私ってそういうイメージ? 訛りの抜けん田舎もんみたいな感じやなくて」
「えー、だってしゃべってるときはそうでも、歌ったり踊ったりしてる
時はすごくクールで、カッコいいですよ」

「えへへ……」
私ははにかみながら田中を見る。第一印象ではきついイメージがあったけど、
近くでよく見ると愛嬌があって可愛らしい顔つきをしていて驚いた。

「れいなー」
ドアの方から呼びかけは亀井の声だろうか、田中は軽く、じゃあ、と一礼
すると、立ち上がってすばしっこい動きで去っていく。私は小さな背中を
見送りながら、改めて自分の黒い姿を見直してみる。

156 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:10
イメージを変えたいと考えていたことがあった。髪の色を明るくして、服装も、
意識して明るい色調を選ぶようにしていた。同じユニットの、辻さんや
加護さんと並んでも違和感のないように、立ち振る舞いも変えたつもり
だったし、衣装で肌の露出が増えるのも、健康的な印象のためだと考えれば
自分の中で納得できていた。

それも、気付いたらまた元に戻っていて、ほとんど意味のないことのように
も思えた。相変わらず一人でいるときのほうが落ち着いたし、私が話しても
話題の中心にはいけない、却って流れを崩してしまって困惑することも
多かったから、なるべく口をつぐんでいることが懸命な判断のように思えた。

古びたテレビ受像機に映るざらついたモノクロームの世界が、周りの華やかな
メンバーに混じって私の背景に流れているようだった。そして、暗く落ち
着いた風景に身を委ねているときに感じられる安らぎが、今は心地よかった。

157 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:11

 ◆


冷たい空気に身を縮めながらエントランスを通り抜ける。早朝の空、少し
だけ湿気があって、うっすらとした霧のような雲に覆われた灰色の空を
見上げるのが好きだ。しかし、フェンスの上で並んで身を寄せ合っている
鳥たちを見て、うんざりとした気分になる。吐き出された溜息は白い靄に
なって、空気の中に蒸発して消える。

鳥は明らかに増え始めている。路地に投棄されたビニール袋の山に群がって
いる数羽と、路上を物欲しげに彷徨している数羽、フェンスや電柱を耳障りな
羽音をたてて行ったり来たりしている数羽、合わせて二十匹ほどいそうだった。

158 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:11
私の気配に、鳥たちはいっせいにその無表情なプラスチックのような眼を
向けてくる。くすんだ住宅街を背景にして、薄汚れた黒い鳥たちはよく
馴染んでいるように見える。私は背筋に冷たいものが走るのを感じ、好き
勝手に朝の時間を楽しんでいるような鳥たちから目を背けると、足早に
その場を後にした。

鳥たちは無視しないといけない。彼らは私たちをじっと観察して、人間に
匹敵するくらいの明晰な頭脳で全てを把握している。そんなことをなにかの
雑誌で読んだことがある。あの鉱物みたいな目の向こうで鳥たちがなにを
企んでるかなんて想像しただけで嫌な気分になる。外見に滲み出ている
ように、内面にも黒くて不定形の、意識以前の気味悪いカタマリがあても
なくうごめいたり、くっついたり離れたりしてるだけなんだろう。


159 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:12

 ◆


イアフォンを耳にかけ、リモコンを手探りで手繰り寄せてスイッチを押すと
耳元から突然低音の効いたドラムとベースが耳を聾して、慌ててヴォリューム
を下げた。これまでに比べて格段に複雑なグルーヴに合わせて、軽くカラダを
揺らしながらそれを自然なものにしようとする。

はじめに聴かされたときのイメージはなぜか黒だった。それから、なんか
節操がないななんて到底口に出来ないようなことも思った。真剣な表情で
聴き入っている私の横で、三人は勝手に盛り上がっていた。すぐに辻さんが
私の方を振り向いて、笑いながらもどこか複雑そうな表情で、これ哀ちゃんの
曲だよねーなんて冗談めかした口調で言った。私は周りの視線を感じながら
頷くことも出来ず、びっくりしたように
160 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:13
眼を見開いただけだった。

黒かと感じた私の感性は、ごく自然なものかとその時は思ったけど、結果と
しては大分ずれたもののようだった。ブラックミュージック風のリズムから
想像したような生命力の感じられる黒ではなくて、私が考えたのは単なる
漆黒、深夜に窓ガラスの向こうに私を分身させるような闇だった。今でも、
私はあのピンク色の衣装には少なからず違和感を感じ続けている。

変則的なアクセントの16ビートに、単純な四拍子に慣れた私の身体はなかなか
馴染むことが出来ない。イアフォンからの音に、座ったまま全身でその入り
組んだシーケンスを取り込もうと努力する。しかし、関節に染みついた
リズムが絶えず不満を表明し続けてきている。

この場での時間の過ごし方は自由だった。ケータイを弄ったり、なにかの
アンケートの解答を真剣に考えたり、二人して組み体操のような動きで
声出しをしたり、筋トレをしたりお菓子を頬張ったり自慢話で張り合ったり……。

161 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:13
部屋の隅の方で、田中が黙々とカラダを動かしているのが目に入った。田中は
赤色の派手なジャージを着て、髪をアップにしていた。額には、うっすら
と汗が浮かんでいて、明るすぎる蛍光灯の光を反射していた。

と、私からの視線に気付いたのか、田中はハンカチで軽く汗を拭うと、口を
パクパクと動かしながら私の方に近付いてきた。なんで、紺野でもない
のにキンギョだか鯉だかのモノマネを見せつけてるんだろうひょっとして
なにかの番組のためにやってるのかななんて考えてから、それは勘違いで
あると分かった。

私がリモコンでMDを止めてイアフォンを外したときには、田中はもう
喋り終えてしまっていたようだった。私は困ったときの常で変に目を見
開いて、引きつったような笑みを浮かべてから、勝手に言葉が口からこぼれ
落ちるのを待った。

162 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:14
「田中ちゃん、練習好き?」
勝手に口をついて出て来たのはそんな言葉だった。そう言えば、田中の
ことを田中ちゃんと呼べばいいのかれいなちゃんとか呼べばいいのか先輩
らしくさくっと呼び捨てにすればいいのかどうすればベターなんだろう
なんて考えて、これまで、新しいメンバーが入ってから半年以上も経って
るのにそんなこともちゃんと考えたことのない自分に驚いた。

「ええと……」
少し困ったような表情で首を傾げる。私は慌てていつものような早口で
言葉を継いだ。舌を噛みそうになった。

「いやほら、前にも番組でなんかそんな話してんかったっけ。さっきも
なんかみんな休んだり遊んだりしてんのに一人でカラダ動かしてたし……」
「あ、あの、わたし、新しいユニットがあるんで……」
私の隣にしゃがみ込んで、小声で密談するように呟いて、それから人懐っ
こい笑顔を見せる。そうだった。あまり興味は持っていなかったけど、ハロー
プロジェクトのキッズの誰かと誰かと3人だか4人だかでユニットを組む
なんていっていたような気がする。

163 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:14
そして、そのことが同期に対しての負い目に繋がっているような感情も、
私には嫌と言うほど分かった。勝手に押されて、押されるのは期待と共に
巨大なプレッシャーともセットになっていて、しかも周囲に対しても理不尽
なほどの気遣いが要求されるものなのだった。

「ああー……そうやったね。もう曲とか貰ったんだ?」
「はい。明日レコーディングで、明後日にはフリを一日でつけないといけ
ないし、私リーダーだから引っ張っていかないと、キッズの子とかも困っ
ちゃうから、ちゃんと慣れておかないといけないなって」
「うんうん」
「なんで、練習しないと」

164 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:15
田中はそう言うと、軽く、礼儀正しい一礼を返してまた自分の居場所に
戻っていった。彼女の言葉からは、なんとか今の課題に食らいついていか
ないといけないと言う感情しか表れていないようだった。私のように、押さ
れることに対する屈折した感情は、まだ生まれてきていないようで、それ
がうらやましく感じられた。

シャットアウトしていたはずの周囲の喧噪が、いつの間にか私の包み込み
欠けていた。私は慌ててイアフォンを取ると、目を伏せて音だけの世界に
戻るために神経を集中させた。この場所に、一人でいる私を連れ戻して
くれるような人は、誰もいないようだった。


165 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:15

 ◆


鳥たちは、明らかに私に興味を抱いている。以前から感じられたことだけど
よりはっきりしてきたようだ。

毎日朝、鳥たちの溜まり場を通り抜けるたびに数がじわじわと増え続けて
いるのが、数を数えなくても分かった。数が増えるのと比例するように
して、鳥たちの行動もまた我が物顔になっていった。
ほんの少し前には、匂いに引きつけられながらも遠慮がちにクチバシを
こすりつけているだけだったゴミ袋を、鳥たちは鋭く黒いクチバシでズタ
ズタに引き裂いて、中につまっている腐敗した野菜の切れ端や、卵の殻や、
弁当箱にこびりついたソースまみれの残飯やらを、道路中に散乱させていた。
また、か細い声で鳴いていただけの鳥たちは、発情した野生動物のように、
品のないガラガラ声で喚き散らすようになった。そして、不思議なことに
悪臭まで強烈なものになっていて、生ゴミの饐えたような臭いに混じって、
有毒ガスのような原色の煙を伴っていそうな悪臭を引きずって、あたりを
飛び回っていた。
鳥たちの飛びかたも見かけ通り不格好で、大きく不揃いでぼろぼろの羽根を
ばさばさと振り回すようにして、よたよたと電線とフェンスとアスファルト
をかったるそうに往復しているのだった。

166 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:16
私はなるべく鳥たちとは関わり合いにならないように、顔をそむけながら
小走りに通りを抜けていこうとするのだが、私が姿を現すと鳥たちは一斉に
耳障りな声で喚き始めるのが常だった。
以前はその無機質な黒い双眸でチラチラと遠目に窺っているだけだった
のが、今ではあからさまに私を意識して、挑発しているようにすら感じ
られた。

こないだなど二羽ほどが頭上すれすれにまで飛来してきて、私が驚いて
バッグを振り回したらそのままゆらりと上昇し、頭上を二羽で円を描きながら
からかうように旋回していたこともあったし、上の方に気を取られてる
あいだに足下へ駆け寄ってきた鳥がいきなりクツにクチバシを突き立て
てきたこともあった。私が蹴りつけてやろうとしても、そんなときだけいや
に俊敏な動作で、飛びもせずに黒くて硬そうな針金のような脚で、よち
よちと遠ざかっていく。

167 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:16
午後からの仕事の日、少し遅い時間に目が覚め、眠い目を擦りながらカーテンを
開くと、バルコニーの柵の上にずらっと鳥たちが並んでいて、一瞬全身が
硬直した。
禍々しい黒で覆い尽くされた鳥たちは、あいかわらずカクカクとした、古びた
機械仕掛けのような動きで首を振りながら、私がガラスのむこうで引き
つった声で悲鳴を上げたのにも動じない様子で、ひょこひょこと柵の上を
跳ねていた。

私は即座にカーテンを閉じると、激しく動悸をうち続ける心臓を抑える
ように両手を胸に当て、三度ほど深く息を吸い込んでから、ようやく自分が
追い込まれている状況を把握することが出来た。
しかし、恐る恐るカーテンを細く捲った隙間からバルコニーを覗いてみる
と、鳥たちは私の姿を見て満足したのか、すでに姿を消してしまった後
だった。

その日一日、私は鳥たちがいつ集団で襲いかかってくるかという恐怖から、
まともに喋ることも出来ずに周りから失笑を買ってしまっていた。もっとも、
そうしたリアクションと、普段早口で訛りを披露したときのリアクション
と、どう違うのかはあまりよく分からなかったのだけど。

168 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:17

 ◆


「そう……いっぱいいるんやけど」
「警察? とかって、……多分ムリやし」
「テレビで?」
「わからん」
「ああー……けど。そういうんて、どこに……」
「そやけど」
「あーもういい」

私はつい声を荒げてしまうと電話を切った。いくら説明しても、あの薄気味
悪さは全然伝えることなんて出来ない。

日当たりのいいロビーで、何人かのメンバーが退屈そうに自分の出番を
待っている。ずっと前に、突撃英会話なんてやってたような空間だった。
通廊を、へんてこな衣装を付けたタレントや、三日以上はろくに眠って
いないようなスタッフ達が、慌ただしく往来するのを見ていた。

169 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:17
会話を終えると、急にまたエアポケットに落ち込んだような気分になった。
目を上げると、すぐ前に三台の自動販売機がならんでいる。不思議なことに、
メニューはどれもコーヒーばかりだった。異なる種類のコーヒー、アメリカ
なんちゃらとかあれこれブレンドとか……そんなのばかりが何種類も用意
されていたが、あいにくコーヒーはあまり好きではなかった。どれもこれも
黒い液体で、子供の舌には違いなんてよく分からない。

イライラしたように携帯を開いたり閉じたりしていると、手を背中に組んで
窓に背中をつけて立っている田中と目があった。逆光を浴びて、どんな
表情をしているのかよく見えなかった。

170 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:18
「なんの話ですか?」
戸惑うことなく、唐突にそんなことを言う。。どうやら電話の会話が耳に
入っていたらしい。
「やーちょっと……実家と電話」
「ケンカしてましたよね」
なぜかにこにこ顔で言われる。私はムッとすると、
「そういうわけやないよ」
「警察とか言ってたじゃないですか。なんか気になります」

興味津々といった表情で、目をキラキラさせている。確かに、私が逆の
立場だったらやっぱり野次馬根性丸出しで、うざがられても首を突っ込んで
いたかもしれない。気持ちはわかる。

「ここだけの話やけど」
近くに誰かいたわけでもないけど、なぜか声を潜めて言ってみる。ちょっと
した密談風。
「最近変な鳥がうちのそばにいっぱいいて、困ってるの」
「鳥?」
「そう、鳥」
「なんの鳥ですか?」

171 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:19
鳥の話題は、意外に興味をそそるものだったらしい。
「わからんけど、カラスっぽいやつ」
「カラスじゃないんですか?」
「カラスかもしれん。けど、もっとやなかんじ」
「カラス嫌いですか?」

真顔で訊かれるのに、私は狼狽して数回大きく目を瞬かせた。
「田中ちゃんはカラスみたいな、ああいう鳥好きなの?」
「好きじゃないですよー」
ビックリしたように言うと、大仰な仕草で手を振って笑った。
「なんていうか、高橋さんの言い方とか、表情とかが、めちゃめちゃいやな
ものを語るみたいな感じになってたんで、驚いたんで」
「ああ……そう」

172 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:19
私は溜息をつくと、アタマを掻きながら苦笑した。誇張でもなんでもなく、
私にとっては連中は「めちゃめちゃいやなもの」に相当するものには違い
なかった。
「カラスでもニワトリでも、つきまとわれたらやっぱキライになるって」
私がうんざりしたように呟くのに、田中も頷いた。
「分かります」
「ほんで、なんとかならんかなーってお母さんに相談してたんやけど、全然
マジメに考えてくれなくて。田舎だから、普通に鳥とかいてもいやがる
もんじゃないっつー感じで」
「街中でみる鳥って気持ち悪いですよね」
妙に物分かりよく田中が言う。私は眉を顰めると、
「うん、なんか、自然のものじゃないふうに見える」
「でも、高橋さんが好きなんですよ、多分、その鳥」

にやにや笑いながら言われて、私はまたムッとした。
「そんなわけないよ。私見てぎゃーぎゃー騒いでるだけやよ」
「愛されてるんですよー」
「やだ。最悪。うざい。キモイ。死んで欲しい」
一つ一つの言葉を吐き捨てるように言う。田中はふっと真剣な表情になる
と、急に声のトーンを下げて顔を近づけて言った。密談風に。

173 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:20
「だったら、退治しちゃったほうがいいですよ」
「退治?」
私は肩を竦めると、
「できたらやってるよ。なんか怖いじゃん。こっちから追っ払おうとしたら
いきなりうわーって襲ってきそうやし……」
「群で来ますからね」
冷静な口調でいう田中はなんだかさっきとは別人みたいだ。
「田中ちゃん、経験あんの?」
「経験とかないですけど、けっこう研究したことあるんです。ああいう
変な鳥の生態」
「自由研究かなにかで?」
「そんなもんです」

意外だった。田中が学校の自由研究にマジメに取り組んでいるということが。
「やっぱ、市役所とかに行った方がいいのやろか」
「取り合ってくれるんですか」
「知らんけど、よくニュースとかで、スズメバチの巣を潰したりとか、そう
いう部署があるんやないの?」
「あんまりあてにならないですよ」

174 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:20
田中が言うのに、私は口を尖らせた。
「でもほっといたら増え続けるだけやし……増えたら余計好き勝手に騒ぎ
はじめるよ」
「だから、自分で退治した方が確実ですって」

私は田中を見返すと、
「どうやってよ」
「空気銃を使うのがいいですよ。今の性能のいいやつなら、一発です」
「ムリやて」
私はかぶりを振った。
「そんなん触ったこともないし、あいて飛ぶし、当たるわけない」
「大丈夫ですよ。いい方法があるんです」
田中が言ったとき、遠くから私たちを呼ぶ声が聞こえた。田中はさっき
までとはうって変わった、子供っぽい素直なトーンで返事をすると、すぐ
立ち上がっててきぱきと動き始めた。

175 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:21

 ◆


その日は慌ただしく過ぎていき、結局田中から話のつづきを聞くことは
出来なかった。私はいつものように夜遅くまでの個人的なレッスンを終える
と、独りで帰路についた。

自宅からはかなり離れた場所でタクシーを降りる。住宅街に入る路地には
いつものように人気がなく、等間隔で並んだ街灯が白く冷たい光を点々と
落としていた。

なるべく足音を立てないようにしながら、急ぎ足でマンションへ向かう。
十一月の空気は冷たく、向かい風が肌に痛かった。乾燥した空気を吸い
込むと、使いすぎの喉がヒリヒリと熱くなる。私はオレンジ色のドロップを
ポケットから出すと、口の中へ放り込んだ。

176 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:22
鳥たちはいつものように、エントランス周辺や狭い路地に溜まっていた。
強い光から逃れ暗闇に溶け込もうとするように、不格好なカラダを揺らし
ながら、せわしなく移動を繰り返していた。以前は夜中になれば自分の
寝床に戻っていく鳥が大半だったようだが、最近はいつ見ても、群をなした
鳥たちが一日中騒ぎ、傍若無人に暴れ回っている。全くいつ眠ってるんだ
ろうと思うが、恐らく別々の鳥が入れ替わり立ち替わりやってきてるだけ
なんだろう。

口の中で清涼感のあるドロップを転がしながら、身を縮こませて通り過ぎ
ようとするが、目敏く私を見つけた鳥たちは一斉に虚ろな双眸を向け、いつも
のようにじたばたと大騒ぎを始めた。私は出来る限り無関心を装いながら、
頭上や足下をうろちょろし始めた鳥たちをやり過ごそうとした。

177 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:22
「てっ」
感じるのと、反射的に声が零れたのはほぼ同時だった。開いた口から声と
一緒にドロップが飛び出しそうになり、慌てて戻した拍子に下唇を噛んで
しまった。額に手を伸ばすと、刺すような痛みがあり、生暖かい感触が
指先に残った。

一匹の鳥が、私にクチバシでちょっかいを出したに違いない。私は驚きと
怒りでつい叫び声をあげると、騒ぎ続ける鳥たちをバッグで振り払うように
しながらエントランスに駆け込んでいった。羽毛に汚れの溜まった羽根を
重そうに振り回すばたばたという音が折り重なって、耳の奥に残っていた。
部屋に戻っても、延々と背後から追われているような恐怖の感覚は、しばらく
消えていってくれなかった。額から垂れ落ちてきた血が、鼻筋をつたって
唇の端についた。ドロップの涼しげな味の残る舌で舐めると、ひどく熱く、
穢れたもののように思えた。


178 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:23

 ◆


出血の割に傷は浅く、大きな絆創膏を貼って眠ったら一晩で痛みはなく
なっていた。しかし、鳥に対する恐怖感は、精神の奥に深い傷となって
残されていた。あれが一匹の狂った鳥の暴走だとしても、群をなした鳥
どもがそれに煽られるようにして襲いかかってくる光景は、充分リアルに
思い描くことが出来た。黒く、醜くてぶよぶよしたカタマリが一斉に私の
カラダを目がけて飛びかかってくる……想像しただけで吐き気がする。

なるべく刺激を与えないようにしようというのが、甘かったのかもしれ
ない。早朝、私はエントランスを抜けるとただまっすぐ前だけを見ながら
全速力で駆け抜けていった。背後で禍々しい羽音と鳴き声が入り交じった
音響が渦巻いていたが、それを振り払うようにして走った。鳥たちも、いつも
と異なる私の様子に戸惑ったのか、しつこく追いすがってくることもなく
住宅街を抜ける頃には見かけなくなっていた。

179 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:23
「高橋! どうしたのそれ」
スタジオに入ると、安倍さんが真っ先に甲高い声をあげた。それを合図に
したように、さくらの他のメンバーも私の額に貼られた絆創膏を見て、心配
そうな声を口々にかけてきた。

「やー……ちょっと転んじゃって」
イジメを受けてる小学生のような言い訳だったが、誰も疑ってはいない
ようだった。
「大丈夫? 血が……」
そう言ったのはあさ美ちゃんだった。そう言われて、私は貼り替えてくる
のを忘れていたことに気付いた。
「あの、もう多分治ってるんで、本当に大丈夫ですから」
「よかったなー今日収録なくて」
矢口さんが現実的なことをいう。今日の仕事はコンサートのリハーサル
だけだった。


180 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:23
テレビに出る仕事なんだから自分のカラダは大切な商品だと思って気を
つけて扱いなさいとかいろいろとマネージャーに絞られた後、私は独りで
トイレに行くと鏡の前で絆創膏を剥がした。少し痛みを感じたが、傷は
赤い一筋を残してふさがっているようだった。前髪を垂らせば隠すことは
難しくないように思えた。

くず入れに絆創膏を放り込むと、周囲の廊下に誰もいないのを確認して
から、ケータイを取りだした。儀礼的に交換されたメンバーの電話番号が
並んでいるディスプレイから一つを選択する。

数回の呼び出し音の後、相手の声が聞こえた。
「はい」
「あ、もしもし、田中ちゃん?」
「高橋さんですか?」
電話の向こうから、喧噪の余韻が微かに伝わってくる。田中がその場を
遠ざかっていくのが、音の遠近感で分かった。
「あ、今まずかった?」
「や、そんなことないですよ」
私の方はさほど長話している余裕はなかったので、すぐに用件に移った。
181 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:24
「でね、昨日はなしてたことなんやけども」
「え? なんでしたっけ」
「ほら、あれ、鳥の……」
なぜか禁じられたことを話しているような感覚になり、おどおどと周囲を
見回したりしてしまう。
「あ、鳥をやっつけるんですね」
田中の方は気にすることもなく、明朗な調子で喋っている。
「う、うん」
「じゃあ、仕事おわったあと、会いましょうよ」
「出来ればそうしたいんやけど」
「分かりました」
そう言うと、田中は待ち合わせ場所を口にした。私もよく知っている場所
だったので、メモを取る必要はなかった。

182 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:24

 ◆


駅前で田中と落ち合った。私は黒い帽子にサングラスをつけていたが、田中は
そのまんまの格好で無防備に突っ立っていた。私の姿を認めると、嬉し
そうに大きく両手を振ったので、周囲の何人かが振り返った。

「やっぱり黒似合ってますね」
帽子からブーツのつま先まで視線を動かしながら、田中が言う。
「うれしくないよ」
私はなぜか不快そうに言うと、早足でその場を離れた。周りからはそれほど
注目されてる様子でもなかったのが、安心でもあったが寂しくもあった。

馴染みのない場所ではなかった。以前にも服を買いに行ったり、メンバーと
連れだってクレープを食べながらぶらついたりもしたことがあったが、一歩
路地裏に足を踏み入れると、そこは異世界のように見えた。

183 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:25
日の光の届かず薄暗いとおりには、整理された小綺麗な街並みとは対照的な
雑然とした軒先がならび、普段はほとんど気にならない路上のゴミが、ここ
では急に存在感が増したように、路上のそこかしこに転がっている。人の
往来は少なかったが、みなどこかのスパイのような、油断のならない人間
であるように見えてしまう。

「こういうとこよく来るの?」
勝手知った様子で先を歩いている田中に、私は寄り添うようにして小声で
話しかけた。田中はちょっと振り返ると、笑って、
「だってこっちのほうが楽しいじゃないですか」
「えー……怖いよ」


184 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:25
店内は狭かった。床から天井まで伸びたラックは、見たこともないような
様々な道具で埋め尽くされていた。狭い通路にも無造作に品物が投げ出され、
足下を注意しないと歩けない。薄暗い店内は、チカチカと明滅し振動する
ような音を立てている蛍光灯に照らされ、私たちの他には誰も、店主さえも
いないように思えた。

「ここって……護身具? の専門店?」
強度別に並んだスタンガンや警棒などを見て、私はそう訊いてみた。が、
他にも手錠やヌンチャク、名前も分からない、木や金属で組まれた道具
も所狭しと並べられている。
「そんな感じですね」

田中は構わずに奥まで足早に進んでいった。まだキョロキョロと周囲の
見慣れない商品を観察し続けていた私も、慌てて後を追った。

185 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:26
「これです。空気銃」
田中は埃を被った箱の積み重ねられた一角でしゃがみ込むと、足下近くに、
隠されるようにして置かれていた黒いものを手に取った。

想像していたよりもそれは小さく、長さは前腕と同じくらいのものだった。
田中に手渡されて、恐る恐る構えてみる。プラスチックと硬質ゴムといくつかの
金属パーツから組み立てられた銃は、ひどく軽くて頼りなく感じられた。

「なんかおもちゃみたいやね」
「おもちゃですよ」
田中はこともなげに言う。
「あとこれも」
そう言うと、近くの暗がりへ手を伸ばして、細長いボードのようなものを
引っ張り出した。部品同士が触れ合って、じゃらじゃらとした金属的な
音を立てた。小さな音だったが妙に耳障りだった。

186 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:26
「それは?」
「ニグレドっていって、一種の、罠です」
「なんて?」
見開いた目を近づけてよく見てみる。薄暗くて細部はよく見えなかったが、
私の知識の中にある罠と呼ばれる道具とは、かなりかけ離れているように
見える。が、奇妙な形にねじ曲げられた金属部品が、シンプルだが複雑な
機構として精密に組み立てられているのは分かった。

「……」
「これで鳥を捕まえて置いて、空気銃で一発。簡単ですよ」
そう言うと、田中は手を伸ばして、ニグレドから突き出ている金属の突起を
指先で弄った。錠の外れるような音が連続して、板状だったニグレドは
鎖のように腕から垂れ下がった。
「わっ」
驚いて私はそれを落としそうになる。田中は笑いながら、
「使い方はすぐ覚えられますよ」

187 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:27
ぶら下がって、慣性で蛇のようにのたくっている、絡み合った鎖を見下ろし
ながら、私はどこか禍々しいものを感じた。しかし、昨夜に感じた恐怖を
思い起こすと、ここで後戻りをすることは出来なかった。

気にすることなんてない、たかだか鳥だ。しかもゴミを漁ったり、日がな
騒ぎ続けたり、人を傷付けたりする鳥どもだ。退治してしまって、なんの
悪いことがあるだろう。

自分に言い聞かせるように、空気銃と金属製の罠を見つめながら、下唇を
噛んだ。田中はそんな私に、どこか期待を込めた視線を送っていたが、その
ときはほとんど気にかけることも出来なかった。


188 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:27

 ◆


それほど遅い時間でもなかったが、すでに日は落ちてあたりは闇が広がり
始めていた。住宅街はいつものように人影を見せることはなく、時々ここに
並んでいる家やマンションはみなコントで使うような張りぼてなんじゃ
ないかなどと思ったりする。

鳥たちは相変わらず暇そうに、路地の隅に数匹固まってガラガラ声を交わし
あっていた。本当に暇な連中だ、と私は心中で吐き捨てる。人間の気配に、
鳥たちはすぐに気付いて一斉に振り返るが、今朝のいつもと様子の違う
私のことを小さな脳に記憶していたのか、ゆうべに比べると多少腰が引け
ているように見えておかしかった。

189 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:28
時間のせいか、いつもに比べて数は少ない。練習するにはいい機会といえた。
私は腰につけていたニグレドを取り外すと、田中に教わったとおりに鳥たちへ
向かって放った。それほど難しい動作ではなく、二、三回練習しただけで
不器用な私にも覚えることが出来た。

アスファルトにぶつかり金属的な音を立て、その音に鳥たちは一瞬反応した
ようだったが、その時にはすでにニグレドに脚を絡め取られていた。三羽
ほどが咄嗟に飛び上がって難を逃れていたが、慣れればこんなミスもなく
なるはずだ。

190 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:28
「やったっ」
思わず声をあげてしまい、人目がないか首を竦めて周囲を見回した。が、
そんな心配はいらないのだ。ここには私と鳥たち以外なにもいないんだから。

装填済みの空気銃をバッグから引っ張り出すと、両手で構えて狙いをつける。
逃げ去った鳥たちは電線の高みから、おちつかなげな様子でことの成り
行きを見守っている。私は、連中にも見せつけてやるつもりで、躊躇なく
レバーをセイフティからオートに変えて、トリガーを引いた。

空気の抜ける乾いた音と、目の前で黒いカタマリが爆ぜるのはほぼ同時
だった。田中から言われたように、一番膨れあがっている胸の当たりを
狙って撃ったが、弾丸を受けた鳥は罠に捕らわれた二本の脚だけを残して
弾け飛んでしまったように見えた。

191 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:29
胸から上を失ってしまっても、いまだ状況が掴めない様子で、どす黒い
血を撒き散らしながらくねくねと動いている。路上には、飛び散った羽毛や
肉片、内臓の欠片などが飛び散り、電柱や壁に張り付き血を垂らして、腹腔
からこぼれ落ちた腸は、廃液のような跡を残しながら引きずられている。

身動きの取れない鳥たちは突然の出来事に、訳もわからず汚い声で騒ぎ
始めた。電線やフェンスで様子を見守っていた鳥たちは、狼狽し飛び去って
いってしまった。鳥たちの混乱した様子と、目の前のぐちゃぐちゃになった
鳥の残骸を見て、私のなかでヒューズが飛んだような気がした。

私は空気銃を構え直すと、立て続けに五発、鳥に向かって銃弾を放った。
プラスチック製の尖った銃弾と一緒に、私のカラダに溜まっていた黒ずんだ
澱みも、一緒になって排出されていくような気がした。
私の狙いはなにかに操られているように正確で、瞬く間に鳥たちは血と
肉の混ざり合った汚らしい残骸になれはてた。黒い羽毛の下に隠されて
いた肉や骨も、どす黒く血もまた黒かった。全身に、澱んだ黒い粒子が
染み渡っているのだ。

192 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:29
辺りに、冷たい空気に混じって生暖かい血煙が霧のように舞っている。悪臭は、
海岸に打ち上げられた腐敗した魚のようだった。空気銃を握りしめた両手も、
額も汗でびしょびしょだった。熱くなった体温と冷えた外気の差に、一瞬
カラダが痙攣したように震えた。

私はゆらゆらと湯気をあげ続けている肉を踏みつけながら、血塗れになった
ニグレドを回収して、意気揚々とマンションへ入っていった。手にヤニ汁の
ような体液がベトベトとついていたが、そんなものは気にならなかった。
興奮で、鼓動が高まっているのが分かった。荒く口から吐き出される息が、
白い煙になって宙空へ舞い上がり消えていった。


193 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:30
部屋に戻り、シャワーを浴びるついでにニグレドを洗浄すると、ようやく一息
つくことが出来た。

普段より大きめの音でステレオを鳴らし、ソファに身を投げ出した。こんな
気分のいい夜は久しぶりだった。
私はケータイを手に取ると、田中に電話を入れた。

「やっつけられましたか?」
少し心配そうな口調で言う田中に、私は、見えもしないのに、立ち上がって
胸を張りながら、
「そりゃもう、完璧」
「すごい! さすが高橋さんですね」
電話口の向こうの田中もテンションがあがったようだった。と、急に声の
トーンを低くして、言った、
「あ、でも注意してくださいね」
「ん?」
気が上がっていたせいか、田中の言葉がうまく耳に入ってこなかったようだ。
「なんて?」
「鳥ってしつこいですから。いったんおとなしくなっても、すぐまた暴れ
出しますよ」
「そんなの大丈夫やってー! また来たらすぐやっつけてやればええん
やから」
「そうですよね」
田中もすぐに明るいトーンに戻って、
「あ、あともう一個注意してください」
「なにに?」
「ニグレド。あれすごい便利ですけど、油断すると危ないですから」

194 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:30
田中が言うのに、タオルで磨いて、壁にぶら下げて乾かしているニグレドを
見た。
メタリックな光沢が室内の明かりを照り返して、鈍色に輝いている。その
光は、とても頼もしく見えた。

「うん、わかった」
深く考えもせずに返すと、私は電話を切った。

その夜は、とてもよく眠れた。


195 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:31

 ◆


不思議な達成感と共に、名状しがたい不吉な予感も残っていた。早朝、バルコニー
からの灰色の光で目を覚ました私は、まだ浅い眠りの中にいるような気分で、
のろのろと顔を洗い、朝食を摂り、歯を磨いた。その間も、アタマの中の
もやもやとしたものは、ずっと渦巻き続けていた。

静かな朝だった。騒々しい羽音も、倍音混じりの嬌声も聞こえてこない。
エントランスを抜けて、見えた路地の光景はひどく寒々しく見えた。昨夜の
殺戮の後は消え去っていて、風景全体がひどく強力な漂白剤を浴びたように
奇妙につるっとして見えた。私は、目深に被った黒のチューリップハットを
少しあげると、軽く息を吐いた。

ふとした気配に、目を上げた。瞬間、全身の神経が冷却されたような衝撃が、
凍り付いたカラダに拡がった。

196 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:31
路地に面したフェンスの上に、鳥たちがずらっと並んでいた。声もあげず、
ただ黙ってじっと私の方を見つめている。その中央に、六羽の風変わりな
──忘れもしない、私の凶弾の餌食になった、不幸な鳥どもだ。一羽が
緩慢な動きで首を回す。それは錆び付いた金属板とシャフトで繋がれた、
ポンコツ機械の一部だった。使い捨てカメラのレンズが冷たい隻眼の、樹脂が
剥がれ、錆び付いた針金の束をねじ曲げた網が不格好な羽根の、数機の
モーターは小さなバッテリーに繋がれ、赤と青のケーブルは剥き出しの
血管の、半透明のストローは消化器の、ゴミ袋から掻き集められた代用品
として、乱雑に組み上げられていた。

197 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:32
数秒ほど、呼吸をすることも出来なかった。ひょっとして心臓も止まって
いたかも知れない。私は文字通りのガラクタの集積になった鳥と向かい
合ったまま、その光景の意味するところをどうにか理解しようとした。が、
続いて急流のように襲ってきたいい知れない恐怖の感情に押し流され、背中を
押されたようにその場を駆けだしていた。罠も空気銃もバッグに入れて
あったが、そんな余裕はまったくなかった。

198 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:32

 ◆


スタジオに入ってからも、今に背後から、サイボーグ化した鳥が錆び付いた
クチバシを突き立ててくるんじゃないかという恐怖に囚われて、ときおり
ビクビクとなにもない後ろを振り返った。いつもと同じように、他のメンバー
たちはそんな私の異変にも気付かず、楽しげな時間を過ごしているように
見える。しかし、私の耳に入り込んでくるのは、錆び付いた蝶番がおんぼろ
モーターのうめきと共に軋んで、機械化された鳥が不器用に歩み寄ってくる
不快な音で、周囲の明るい喧噪は感覚の隙間を素通りしていってしまう。

この場には全員のメンバーが揃っている。私は田中の方へ視線を向けるが、
亀井や道重たちと一緒に楽しげで、なかなか話しかけるタイミングが掴め
ないでいる。と、急にみなが立ち上がる。私もよく分からないが周囲に
合わせて立ち上がると、開いたドアからつんく♂さんがへらへら笑いながら
入ってくるのが見えた。私は条件反射のようにアタマを下げる。

199 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:33
「うぃーっす」
大物然とした鷹揚さで軽く挨拶を交わすと、つんくさんは私の方を向いて、
相変わらずの軽い口調で、
「あ、高橋、お前近いうちソロで出すかもしれんから」
と一言、ひどく日常的な会話の一部であるように投げ出すように言った。

「あ……」
私はまこっちゃんみたいにぽかんと口を開けっぱなしにしたまま、唖然と
した表情でさっきの報告の意味を考えていた。周囲の視線は、みな私の
方を向いていた。

「おめでとうございまーす」
誰かが言う。機械のサンプルみたいな抑揚のない声で、それを合図にした
ように乾いた拍手の音が続く。私は口を開けたまま、笑うことも出来ずに
視線を彷徨わせ続けていた。

200 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:33

 ◆


その日は誰とも話さずに過ぎてしまった。周囲が私の妙な空気に気を遣った
のか、それとは別の理由なのか、あるいはそれが普段通りなのか……私には
よく分からなかったけど。

鳥のことを田中に話すチャンスはなかった。二人だけになる機会はなかったし、
もし話せたとしても、あまり有効なアドバイスはもらえなさそうな気が、
なんとなくしていた。

もしあの鳥たちが、サイボーグ化されて蘇生させられたものとして、……
しかしそれは私にとってはあまり重要なことではなかった。問題なのは、
彼らを抹殺するためには、別の方法が必要だと言うことだ。鳥たちの数は
思ったよりも多く、思ったよりもしぶとい生命力を持っている。もはや、
私にとっても彼らにとっても、無邪気なじゃれあいではなくなっている。

201 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:33
トリガーを引き、目の前で黒いカタマリが粉砕されたときの感触は、今でも
まだ鮮明に残されている。私は自分の両手を見る。戦争になれば、どちらが
先に手を出したかというのは問題にはならない……そんな理屈ではなくて、
あくまでも相手を死滅されることだけが、重要であって、些末なことは
あとから考えればいいだけのことだ。

「気持ち悪いやつらは、皆殺しにすればいいんだ」
私が呟くのに、タクシーの運転手は訝しげに眉を顰めた。私はお釣りを
うけとると目を伏せたままタクシーを降りた。外の空気は急に冷たくなった
ようで、吐く息の白いカタマリは手で掴めそうなくらいだった。乾いた
唇を舐め、空を見上げると、濁った大気の向こうから満月が見下ろしていた。

202 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:34
腰からぶら下げたニグレドがじゃらじゃらと音を立てて揺れている。私は
左手で冷たい金属の感触を確かめると、バッグの中から空気銃をとりだした。
プラスチックの軽く頑丈な表面、外観はちゃちで子供向けのおもちゃにしか
見えない。

マンションに近付いても、不思議なほどに周囲の空気は平穏だった。今の
私には、それが逆に悪意ある罠のように感じられてしまう。息を潜めて、
足音を立てないようにしながら、私は静かに歩みを進めていった。古びた
街灯が点滅するチカチカという音が、静寂の中でやけに耳障りだった。

フェンスの上で羽を休めているのは、たった一羽の鳥だけだった。それは、
私に射撃され、ガラクタの器官で蘇った鳥たちのなかの一羽だった。私は
不安げに周囲を見回したが、他の鳥たちが卑怯な待ち伏せをしているような
気配は感じられなかった。そもそも、彼らがそんな頭脳を持っているという
ことも疑わしかった。

203 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:34
鳥は眠っているように頭を垂れ、カラダを揺らめかせていた。私は音を立て
ないようにニグレドを掴むと、鳥に向かって放った。狙い通り、うねる
ように射出された鎖が二本の脚を絡め取り、鳥はろくな抵抗もせずフェンス
から落ちた。まだ寝惚けているのか、よたよたと羽根を動かしながら体勢を
整えようとして、アスファルトの上で無様にもがいている。

ニグレドを引いたまま私は空気銃を構えたが、その時、ふとしたことに
思い当たって、銃を下ろした。私はほとんど抵抗のない鳥を引っ張ると、
仲間達が戻ってこないうちにすばやくバッグの中に押し込めて、エントランス
へ向けて走っていった。


204 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:35

 ◆


部屋に飛び込み、後ろ手にドアを閉じると、室内に残っていた空気がとても
暖かく、安心させてくれるように感じられる。階段を駆け上ってきたせいか、
頬が上気し息が上がっていた。両手で胸に抱きしめたバッグは、不気味な
ほど静かで、ほとんどなんの動きもなく、死体が詰まっているようだった。

明かりをつけ、ソファの上にゆっくりとバッグを下ろす。閉じられた隙間
から、ニグレドの鎖がはみ出して揺れている。私は外からバッグを押さえ
つけたまま、慎重にそれを開き、中で息を潜めている鳥をゆっくりと引っ
張り出した。

205 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:35
鳥はやはり、脚を絡め取られたまま死んだようにじっとしていたが、絡まった
ガラクタの隙間から見えるモーターは、微かな呻き声のような音を立て続け
ている。羽根の根本につけられた蝶番や首筋のシリンダー、アタマに貼り
付けられた金属片は、どれも悪性の皮膚病のように錆び付いていた。精巧に
組み立てられているようにも見えたし、ゴミ捨て場の巣のように、手当たり
しだいに集めてきた材料をただ乱雑に結びつけただけのようにも見えた。

私は羽根までを鎖でぐるぐる巻きに固定すると、鳥をカーペットの上に
転がした。それでも、ほとんど鳥は動きを見せることはなく、本当にそれは
死んでしまっているようだった。私はソックスを履いたままのつま先で
そろそろとつついてみたが、やはり反応はない。

206 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:36
「おい」
小声で言いながら、かがみ込んでカラダを掴んだ。その時、金属の軋む
耳障りな甲高い音が響き、鳥の首が回転した。罅の入ったプラスチックの
双眸が、私を見据え、開かれたクチバシから奔流のように音声が襲いかか
って来た。

腐った磁気テープを無理矢理に再生させたような、ざらついて不安定に
揺らめいて流れ出たのは、悪意にみちた声の集積だった。個々の単語には
なんの意味もなく、それはただ悪意を表明するためにだけ選ばれて、……
無数の主体のない声が、冷たい感情のカタマリとなって私に押し寄せてきた。
私は目を見開いたまま、身動きも取ることが出来ずにその声を受け入れて
いた。耳を塞ぐことも目を閉じることも、思いつかなかった。私には、その
無表情な声が私に向けられた物だということが、分かっていた。私に向け
られる数え切れないほどの顔を持たない声が……愛情の裏返しでも屈曲した
現れでもなく、ただ純粋な悪意だといことを知っていた。私が可能な限り
聴かないようにして、目をそむけてきて、それは黒ずんだ沈殿物になって
溜め込まれ、腐敗し、体内の奥底で毒を持ったガスを吐き出しながら、噴出
される限界まで抑圧されていた、私の中にある黒々としたカタマリが、今
こうして鳥のカラダから私に向けて、流出し続けて……。

207 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:36
その声が鳥たちへの合図だったのか、バルコニーのガラスが突如の轟音と
ともに粉々に砕け散った。オレンジ色のカーテンが舞い上がり、鋭いクチバシ
によってズタズタに切り裂かれた。何十羽、何百羽の鳥たちが、ガラスを
うち破り、私の部屋へなだれ込んできた。私は襲撃に大して微動だにする
ことも出来ず、ただ反射的に顔を振り向かせただけだった。私の眼に映った
のは、舞い散るガラスの欠片のキラメキと、全身黒に覆われた鳥の群が
突風のように襲いかかってくる光景と、微かな隙間から見えた海底のよう
な夜空だった。次の瞬間には、私のカラダは彼らのクチバシによって引き
裂かれ、筋肉の隙間からバラバラに分解されていた。

私のカラダの中からは、鳥たちと同じようなどろどろの黒い粘液が飛び散り、
部屋のあちこちに汚らしい飛沫を撒き散らした。胆汁のような液体の中から
私は必死になって逃げだした。私もまた黒いクチバシと羽根を持った、一羽の
鳥だった。鳥たちがカラダをぶつけ合い、羽毛を飛ばしあいながらたかって
いる抜け殻から、私は彼らを押しのけるようにして強引に羽ばたいていった。
乾いた空気が剥き出しの瞳に痛く、全身から私の奥底に詰まっていた黒い
粘液が糸を引いていた。

208 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:37
引き裂かれたカーテンを枠に鋭い歯のように残されたガラスの残骸を横目に
見ながら、冷たい空気に満ちた夜空へ飛び立っていった。風に乗り、不慣れな
羽ばたきで、私は鳥たちから遠ざかっていった。どこへ向かっているかは、
全然考えていなかった。ただ、背後から近付いてくる恐怖に追い立てられる
ように、必死で羽根を上下させていた。

眼下で、住宅街から漏れる光が残像を引いて流れている。周囲は人気のない
場所に囲まれて、鬱蒼とした緑は太陽がない夜には闇でしかなかった。私は
慣れない飛行で激しく上下動を繰り返しながら、街から遠ざかり、静かに
流れる川を通り過ぎ、光の海が拡がっている繁華街へ、街灯に引き寄せられ
る蛾のように引き寄せられていった。カラダはひどく軽くて、黒い表面の
下はまったくの真空状態のように感じられた。私の目は暗く、光と闇の
区別くらいしか付けることが出来ず、遠方に浮かぶのはぼんやりとした
色彩のカタマリで、波長のように放射される光の線は水に溶け込むように
にじみ、空へ向かって消えていった。

209 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:37
焦燥と、疲労とで、なんども大地へと引き寄せられそうになり、すれすれで
慌てて舞い上がることを繰り返していた。喉はカラカラに乾き、時折意識
せずに漏れる声は自分でも驚くほど醜い雑音だった。慣れない筋肉を酷使
したせいで、全身が引き裂かれるように痛んだ。

限界が近いように感じられた。目の前に少し弛んで横たわっている電線が
見える。私は鳥たちがいつもやっているようにそれを掴もうとしたが、脚を
滑らせてバランスを失い、無様に転がり落ちた。真下のフェンスにしがみ
つこうとして失敗し、壁にカラダをぶつけて金網に積み上げられたゴミの
山にアタマから突っ込んだ。有機物の酸化した臭いが鼻を突き、湿った
感触を振り払うように私は全身でもがき、ゴミから這い出した。よたよたと
勾配のあるアスファルトの上を数歩歩き、無理矢理羽根を広げてフェンスの
上に舞い上がった。夜霧で湿って滑りやすくなっているフェンスを、今度は
しっかりと爪のある両脚でとらえ、ようやく全身を休めることが出来た。

羽根を閉じ、アタマを下げた。喉の渇きと空腹が発作のようにカラダの奥
から沸き上がってきた。顔を上げ、目に入ってきた月は記憶にあるもの
からは遠く、異様に明るく見えた。揺れながら、恐怖をみなぎらせてこちら
を窺っている月は、水面のような夜空に映った私の眼のようだった。

210 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:38
衝撃を受け、カラダがぐらついた。金属の触れ合うガチャガチャと言う音が
聞こえたが、その時はすでに私は地面に転がっていた。立ち上がろうと
もがくとまた金属音が聞こえ、両脚がひどく痛んだ。ニグレドの一撃が
私の動きを封じていた。私は羽根を広げようとしたが、ずるずると意味も
なくアスファルトの上を半周しただけだった。

路地の向こうに、銃口が見えた。可愛らしい手提げのバッグに収まるくらい
の小さな空気銃だ。田中はじっと狙いを定めたまま、ためらうことなく
トリガーを引いた。

211 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:38
「鳥って、いい鳥と悪い鳥の二種類いるんですよ」二人で買い物に行った
ときに、彼女はそんなことを言っていた。「見分けかた知ってますか?」

私が「それなに?」と訊こうとしたときには、先の尖った銃弾が私の黒い
カラダを粉々に破壊していた。


212 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:39


                   〆



213 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:40
>>147>>148>>149>>150
レスサンクス
なんていうか、ぼちぼち続けていこうと思います。。。
214 名前: 投稿日:2003/12/13(土) 21:40
流したり
215 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/22(月) 19:03
あんたスゲーよ…
216 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/15(日) 16:13
217 名前:名無し 投稿日:2004/02/29(日) 01:57

        シ ェイプ レス 


218 名前:名無し 投稿日:2004/02/29(日) 01:57
カップにミルクを注ぐ。黒地に白い空間が生まれて、わずかな流れに沿って
ゆるやかに広がっていく。高橋愛はスプーンを取ると、サラサラとかき混ぜて
砂糖を二匙、そしてまたかき混ぜる。
「愛ちゃんって」
向かい合って座っている紺野あさ美が言う。窓際の席で、通行人が時折
立ち止まっては、指さしてひそひそ話をしたりしているが、大して気に
している様子はない。
「なに?」
「砂糖あんまり入れないんだね」

219 名前:名無し 投稿日:2004/02/29(日) 01:57
数刻きょとんとした顔で紺野を見つめてから、ああ、といった様子で頷く。
「眠気覚ましだから」
「けどさ、カフェインの量って砂糖とかミルクとかと関係なくない?」
紺野が言う。またきょとんとした顔で数刻の沈黙があったあと、少し不満げな
表情で、
「気分の問題があるの」
そう言うと湯気の立つコーヒーを一口啜る。黒地は消えて、柔らかな茶色に
変わっている。

表の天気は悪く、いまにも雨が降り出しそうな空模様で、通行人は足早に
帰路を急いでいる。と、パラパラと小さな水滴が窓に数条のあとを残す。
「降ってきた」
「降ってきたね」
紺野がカウンターの方へチラチラと視線を送りながら返す。オーダーした
フルーツパフェはまだ来る様子がない。

220 名前:名無し 投稿日:2004/02/29(日) 01:58
「あのさ」
黙々とコーヒーを啜っている高橋に、紺野が言う。
「ん?」
「一度混ぜたコーヒーとミルクを、また元に戻す方法って知ってる?」

高橋は唇からカップを離すと、揺れている茶色の水面に視線を落とす。
店内の明かりを反射して、薄いグラデーションが出来ている。
「なにそれ? とんちクイズ?」
「とんちって……。アタマを柔らかくするクイズみたいな」
「ふうん……」

221 名前:名無し 投稿日:2004/02/29(日) 01:59
気のなさそうな口調で呟くと、また一口啜る。ちびちびと飲んでいるので
ほとんど減っていない。大分冷めてしまっている。
「答えは?」
目を上げて高橋が言う。紺野はまたカウンターへ顔を向けているが、すぐに
振り返って、
「じゃ、私のが来たら答えいうよ」
「えー。気になるなあ」
「それまでなんかお話しして」

222 名前:名無し 投稿日:2004/02/29(日) 02:00
フロアはどこも人気がなく、静けさに包まれている。どこかのスピーカー
から流れ出ている古びたジャズの音だけが、ゆるやかな時間と共に流れて
行っている。

「ええと、それじゃ、死後の話してあげる」
高橋が唐突に言い、紺野はビクッとカラダを震わせる。
「えっ? それ……怖い話系?」
「ちゃうよー。逆。明るい話」
「ホントかなあ……」
不審そうに首を傾げる紺野に、高橋は声のトーンをあげて、
「うん。私ね、ちっちゃいころ死ぬのすごく怖くて」
「当たり前だよ」
「そんままパーって全部消えちゃうのかなーって。でも消えてまうっても
なんかおかしいっていうか、納得できなくて、考えたの。どうなるかって
いろいろ」
「魂がとか……そういうの?」
「うん。タマシイ。ほら、カラダが死んでもタマシイは死なないって、そういう
のってなんかよく分かるし。でもじゃあカラダなくなって居場所なくなったら
どこ行っちゃうんだろうなーって」
「それは……やっぱり、……漂ったりしてるんじゃないの? 夜とか……
よく分からないけど、……」
自分の言葉に怯えているように、紺野は言葉をフェイドアウトさせる。
高橋は調子が乗ってきたようで、さらに早口になって話を続ける。

223 名前:名無し 投稿日:2004/02/29(日) 02:00
「けどそれっておかしいと思わん? だって最初から漂えるんなら絶対
カラダとか窮屈なとこいないでもっと飛び回ってたほうが楽でしょ? あたし
ずっとそれがなんかおかしいなって思ってて」
「ああ……、うん……」
「ね? そんで思いついたの。これって自分ちがなくなっちゃうのと同じような
感じなんでないかなーって。あのね、あたし小三のとき隣町のユミちゃんって
いう子の家が火事で焼けてもうてそれすっげー火事でうちから煙とか火の光とか
全部見えたくらいで」
「へぇ……」
紺野は目を伏せたまま、テーブルを指で撫で回したりしている。
「んでね、家なくなったらやっぱ友達んちとか泊めてもらったりするって
思うのね。ちょっとだけスペースあけてもらって。だから死んでまったあと
のタマシイさんもやっぱそんなふうにあっちこっち泊めてもらうんだって
考えたの。他んひとんとこに」
「うん……」
224 名前:名無し 投稿日:2004/02/29(日) 02:00

「ほんで、じゃタマシイさんどこ泊まるんだろうってやっぱアタマんなか
開いてる時間ってったら夜でしょ? 寝てるあいだアタマずっと休んでるし。
そのあいだちょっとだけ入れてもらうの。いろんな人のとこ。ほら、世界って
場所によって寝る時間違うからちょっとずつ泊まっていけるで」
「うん……」
「そんで思ったのがね、夢ってその泊まってるタマシイさんの生きてたころ
の記憶っつうか映像が、こっちのアタマんなかに残ってるんじゃないかって。
だってほら、全然自分のこととかと関係ない夢とかよく見るでしょ? それって
やっぱ他んとこから入ってきてるって考えたら納得できんでない?」
「……」
「逆にね、泊まったとこの記憶みたいなんがタマシイさんにくっついて、
別んとこに持ってってそれが夢んなってたりとか。なんかそうやっていろんな
人の記憶とかが繋がってるって思うと、すっごい感動して」
「……」
「あたしは独りじゃないんだーって。毎晩寝て夢見るのが楽しくなってくる。
悪い夢とかでも、誰かの体験したことって思うとおおーって感じだし、そうそう、
あたしゆうべ紺ちゃんの夢みてえ」
「え?」

225 名前:名無し 投稿日:2004/02/29(日) 02:01
紺野がふっと顔を上げる。高橋は顎を組んだ両手に乗せて、じっと紺野を
見つめている。

「外は雨降っててね、なんかあたしが紺ちゃんになっててあたしと向かい
合ってて、頼んだのがなかなか来なくて」
「……」
「あたしはコーヒー飲んでて、ミルク入れて、それであたしが言うの。一度
まざったコーヒーとミルクを分ける方法知ってる、って」
「……答えは?」
「だから、あたしのが来たら言うって。それまで、お話の続き、聞かせて」

カウンターを見る。誰もいない。誰かが来る様子もない。


226 名前:名無し 投稿日:2004/02/29(日) 02:01

               〆


227 名前:名無し 投稿日:2004/02/29(日) 02:01
>>215>>216
ありがとう
228 名前:名無し 投稿日:2004/02/29(日) 02:03
このスレこれで



   〓〓〓〓〓 終    了 〓〓〓〓〓



こっちのほうよろしく。更新少ないけど
http://m-seek.net/cgi-bin/test/read.cgi/moon/1062419704/

229 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/29(日) 02:45
お疲れ様でした。
今ぐらいのペースでも更新の際には「キター!」と叫んでた人間なので、
終了宣言は非常に淋しいのですが、
以降はあっちを応援させていただきます。
にやりとさせられる作品集をありがとうございました。
230 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/29(日) 22:40
ちそちそ

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