オサヴリオ

1 名前:名無しOA 投稿日:2003年04月23日(水)01時07分52秒
リーダーに敬意を表して、あえて仮題のままで。
今回も見事に同じニオイしか漂っていません。

どうかよろしくお願いします。

なお、詳しくは>>2をご参照下さい。
2 名前:名無しOA 投稿日:2003年04月23日(水)01時09分08秒
自分では続き物だとは思っていないのですが、同じ設定の話がすでにあります。
原点は「ナース石川企画」です。この場をお借りして、改めて皆様に多謝。

黄板倉庫に『空の手のひらの中』
森板『銀河鉄道の夜』スレッド内に『WITH』と予告。

ナース石川企画、でグーグル検索していただいてトップに来るページには、
両方の整形版を並べていただいてます。そちらからも、是非。
3 名前:名無しOA 投稿日:2003年04月23日(水)01時10分13秒
夢中で書き、恐る恐る出した『空の手のひらの中』は、
私に有形無形のさまざまをもたらしてくれました。

『WITH』をまた夢中で書きながら、できればもっと
このキャストで書き続けたい、そう思いました。

そうだ、一話完結にすれば、それが叶うかも。

もはや、単なるワガママとしか言えない感情なのですが、
もし「よし、どこまでも付き合ってやろう」という方が
おられましたら、今後ともよろしくお願いします。
4 名前:第零話 投稿日:2003年04月23日(水)01時11分29秒

――― Without You ―――

5 名前:第零話 Without You 投稿日:2003年04月23日(水)01時12分46秒
先生が、いつになく深刻な顔で、私に言った。
「梨華ちゃん。ちょっと、相談があるんだけど」
「・・・なに?」
切り出したくせに、迷っているらしい先生。長い長い沈黙を、私はじっと待つ。
「幼なじみが、ナースマンになって待っててくれたらしくて」
だから、結婚するって、中澤先生が言うんだ。・・・で、ね。

「『アンタに後を頼みたいねん』って。ナースも一人、定年になる予定だからって」
ただし、それは半年先なんだけど。

「行きたいんだ。それで、半年後に、梨華ちゃんにも来てほしい」
中澤先生がいなくなって、内科で先生がやりにくくなっているのは知っていた。
先生には、何というか、町医者が似合うと思う。よい意味で患者をこなすことの
出来ない先生は、総合病院向きではないのだ。
6 名前:第零話 Without 投稿日:2003年04月23日(水)01時13分45秒
「ゴメン。勝手なこと言って」
先生は。もっと。わがままになった方がいいよ。
「ついてくよ。当たり前でしょ」

結婚して、郷里で、開業するという中澤先生の後任を引き受けて。
先生が風の岬の診療所に赴任して、6ヶ月。

ナースのポストが、予定通り一つ空いた。
私は、しばしの別れをたくさんした。
7 名前:第一話 投稿日:2003年04月23日(水)01時14分55秒

――― 愛は待ってくれない? ―――

8 名前:第一話 愛は待ってくれない? 投稿日:2003年04月23日(水)01時16分24秒
一両編成の電車に揺られながら、私は車窓に見え隠れする海を、見るともなしに
見ていた。車両にいるのは、私のほかに赤いシャツを着た人が一人と、少し離れて
ノートパソコンを広げた人が一人だけ。
並走する国道を、車が猛スピードで駆け抜けていく。

「空港まで、迎えに行ってもらうよ。不便だしさ」
「ううん、いいの」
少しずつ、自分で先生に近づいていきたいから。

じゃあ、電車を降りたら、バスに乗って。整理券取って。
『診療所前』で降りればいいから。そう、先生が教えてくれた。

電車は一日、十往復足らず。運良く予定より一本早い便をつかまえる。
きっと、びっくりするだろうな。
伝えてある時間より、ずいぶん早く着くはずだから。
9 名前:第一話 愛は待ってくれない? 投稿日:2003年04月23日(水)01時17分52秒
6ヶ月前。私は旅立つ先生を見送った。
あのとき泣かなかった自分は、今でも誉めてやりたいと思う。
見送りの人がほかにもいた、っていうのもあるけど。
先生の行き足を鈍らせたくなかったのが、一番の理由。

あの日から今日までの半年は、ほんとにほんとに長かった。
なんでだろう。出会う前は、先生なしでちゃんと生きてこれたのに。
あーもう、バス走るの遅いよー。何やってんのー。
バスの中を走って前進したい気分。意味ないって、分かってはいるんだけど。

メール、電話、手紙。頼りないラインは、確かに遠く離れた二人を繋いで
くれたけれど。文字を読むたび、声を聴くたび、会いたさも限りなく募る。
ちゃんと髪切ってる?ほかの人にニヤニヤしたりしてない?
仕事を終えて、一人になると、そんなことばかり考える毎日だった。
10 名前:第一話 愛は待ってくれない? 投稿日:2003年04月23日(水)01時18分59秒
終点近くでバスを降りてすぐ、診療所の看板が見える。
何度も見た夢と、同じ建物。この中に、先生が、いるんだ。
やっと本物の先生に会える。その胸に飛び込もうとしたとたん、姿が消えて
しまうような、そんなベタな夢とも今日でやっとお別れ。

海へと暮れかかる太陽を背に、その扉を押した。
診療時間を終え、待ち人のない待合室に西日が射し込む。
その奥に、開け放たれた診察室の入り口。確かに人の気配がする。

そっと靴を脱ぎ、足音を忍ばせて近寄ると、私はその中を窺った。
変わらない、白衣の背中。私を惹きつけて止まないその後姿。
11 名前:第一話 愛は待ってくれない? 投稿日:2003年04月23日(水)01時20分19秒
「先生」
そっと呼びかける。本当は大声で叫びたかった。
走って行って、その背中にしがみつきたかった。
ようやくたどり着いたゴールを目前に、なぜか足も声もすくんでいる。
「はあい」
のんきに返事をしてくれながら、先生が振り向いて私を見た。

「梨華ちゃん!」
椅子を蹴飛ばすかのような勢いで駆け寄って、抱きしめてくれる。
と、思っていたのに。
数秒私を凝視してから、先生は体勢を戻し、再びカルテに目を落とした。
まるで、何事もなかったかのように。もーう、何なのなによ。
12 名前:第一話 愛は待ってくれない? 投稿日:2003年04月23日(水)01時21分50秒
「先生!」
整理しかけのカルテを見たまま、先生はブンブン首を横に振る。
脱力した私は、先生に手が届きそうな距離まで歩を進めた。
「先生ってば!」
再び私に目を向けた先生が、ゆっくりと立ち上がった。
「梨華ちゃんは、まだバスに乗ってるはずなんだけど」
「予定より早い電車に乗れたの。もっと喜んでよ」
「触っても、消えたりしない?」
先生も同じ夢、見てくれてたのかな。

「本物、だあ。本物の梨華ちゃんだ」
やっと抱きしめてくれた。耳元で、ノイズのないクリアな声が響く。
「んがー、物凄い勢いでキスしたいけど。仕事終わるまで、我慢する」
ずっとずっと聞きたかった声。世界で一番ステキな音。
「手伝おっか?」
「いや、いいよ。梨華ちゃんは隣で休んでて」
すぐ終わるから。いや、終わらせるから。
私のカバンを持って、追い立てるように隣接する家に案内すると、先生は
ダッシュで診療所に戻った。
13 名前:第一話 愛は待ってくれない? 投稿日:2003年04月23日(水)01時22分48秒
先生を待つ間、シンクの中の食器を片付ける。先生がとった昼食のものだろう。
適当に自分でお茶を入れて、私はリビングのソファに落ち着いた。
この家には、一度来たことがある。中澤先生が赴任してすぐの夏。
印象そのものは、その時と変わらない。
だけど、ここで先生が暮らしている、そう思っただけで、私の胸はどうしても
高鳴ってしまう。毎日、どんなふうに本読んでたの?どんなご飯食べてたの?
いつもジャージ着てたんでしょ?とりとめのない思いが頭を駆け巡る。
14 名前:第一話 愛は待ってくれない? 投稿日:2003年04月23日(水)01時24分12秒
玄関の扉が、突然大きな音を立てた。迎えに出ようと立ち上がると、先生が
忘れ物を取りに帰った小学生のような勢いで入ってくる。

「ただいま」
肩で息しちゃって。そんなに慌てなくても。もう、どこにも行かないのに。
「おかえりなさい。お疲れさま」
引き寄せられた胸の、懐かしい香り。半年ぶりの、優しい唇の感触。

会いたいと思えば、いつでも会える近さにいたころは、キスなんて、食卓に
いつも並んでいるチクワやカマボコみたいなものだと思っていた。

好きな人の腕の中にいて、その匂いや呼吸を感じられること。
どうして人間って、失いかけないとその大切さがわからないんだろう。
15 名前:第一話 愛は待ってくれない? 投稿日:2003年04月23日(水)01時25分29秒
日常だった口づけでさえ、鹿児島で食べる出来立てのさつま揚げのように
大切なものに感じられる。まるで全身が心臓になったみたい。
キスがさつま揚げだったら、その先はいったい・・・。
私の中で、小さなつむじ風が渦を巻く。

「遠かったでしょ?疲れてない?」
「うん。だいじょうぶ」
先生の顔見たら、そんなのどっかに飛んで行ったよ。
「そっか。今夜は、きっとよく眠れると思うよ」
「ニヤニヤしないでよ〜」
恥ずかしいじゃない。
行こ!先生が私の手を取って、寝室へと引っぱった。
「今日だけは、なるべく邪魔しないでって、頼んどいたんだ」
だから、早く早く。って、ちょっと、誰に何を頼んだのよ?
16 名前:第一話 愛は待ってくれない? 投稿日:2003年04月23日(水)01時26分38秒
おどけながら、先生は私を押し倒す。
少しずつ、丁寧に二人を隔てる布を取り去って、私を包みこむ。
そのまま、何かを確かめるように、あちこちに触れる。

「梨華ちゃん、少し痩せた?」
あー、そうかも。
「仕事、たくさんたくさんしたから」
「ごめんね。淋しい思いさせて」
終わったら、何かおいしいもの食べに行こう。終わったら、ね。

唇から、半年分の愛が滑り込んでくる。痛いくらい強く、手をつなぐ。
愛はここで、私を待っていてくれた。遅くなって、ゴメンなさい。
17 名前:第一話 愛は待ってくれない? 投稿日:2003年04月23日(水)01時27分59秒
風が吹くから木が揺れるのか。木が揺れるから、風が生まれるのか。
つむじ風が、竜巻に変わる。私の中のすべてを舞い上げて暴れる。
私は風の中で、懸命に目を開けて、両足を踏ん張り、唇を先生に返す。

先生、会いたかった。精一杯強がってたけど、ほんとは淋しかった。
ずっと欲しかった温もりにすべてを委ねて、目の前の鎖骨に頬を押し当てる。
竜巻はやがて私自身をも巻き込んでうねり、私は抗わず、素直に登りつめた。
18 名前:第一話 愛は待ってくれない? 投稿日:2003年04月23日(水)01時29分41秒
嵐の後の静けさの中で、短い言葉や、小さなキスを交わす。
「お腹、すいたね」
先生は答えずに、ふいに私を強く抱きしめた。
てっきり、激しい運動したからね、とか何とか言うと思っていたのに。
「先生?」
あれ?・・・・・・・・・泣いてる?
「ねえ、どうしたの?」
来てくれて、ありがとう。かすかにそう聞こえた。
「こんな、何にもないところに、来てくれて、ありがとう」
声を殺して泣く先生を胸に抱いて、唇を髪に寄せる。
先生、私、来たんじゃないよ。あなたの胸に、帰ってきたんだよ。
19 名前:第一話 愛は待ってくれない? 投稿日:2003年04月23日(水)01時32分39秒
「コンビニも、映画館も、何もなくても」
そんなの、あるところまで、出かけて行けばいいんだもん。
「先生がいてくれれば、それでいいの」
しゃくりあげながら、やっと先生が言う。
「だって、冬とか、ほんとに、すごい寒いよ」
もーう、わかってないね、先生は。
「私にとって、ここよりあったかい場所は、この世のどこにもないの」

春まだ浅い風の岬に、やっと私の春がやってきた。
20 名前:第一話 愛は待ってくれない? 投稿日:2003年04月23日(水)01時34分11秒


え?その先の味?ゴメン、練り物には、例えられなかった。ほんとゴメンね。


              < 第一話 「愛は待ってくれない?」 了 >
21 名前:名無しOA 投稿日:2003年04月23日(水)01時36分03秒
ちょっと比喩に無理がありましたかね?
まあ、いいや。日本できっとお一人ぐらいは、深く頷いて下さる方が
いらっしゃることを信じて。

第二話の予定は未定ですが、必ず。目標は連休明けあたり。

重ね重ね、今後ともよろしくお願いします。
22 名前:サイレンス 投稿日:2003年04月23日(水)12時34分43秒
初めまして。いしよしを書かせてもらってる者です。

『空の手のひらの中』は自分がいしよしを
書いてみようという気にさせてもらった名作の
1つでその世界観がとても大好きな作品の1つです。

今回はその世界観のままということで
とても楽しみです。

今回も吉澤先生の良さ、石川さんの良さが
とても良く表現されている気がします。

偉そうなこといって申し訳ありません。
でも、もれからもがんばってください!!
23 名前:名無しさん 投稿日:2003年04月23日(水)13時09分48秒
大好きなシリーズの新連載、とても嬉しいです。
これからも素敵な文章で、勝手にホカホカさせていただきます。
24 名前:名無し読者 投稿日:2003年04月23日(水)13時14分44秒
新スレ、おめでとうございます。
またこの作品が読めるとは感激です。
前スレから追い掛けて参りました。ずっと追い掛けると決めましたのでw
ここでも変わらず、お隣りをキープさせて下さいませ。

いよいよ風の岬の診療所編が始まりましたか・・
「WITH」で中澤先生がご結婚されたのはちょっと予想外ではあったのですが、
幼馴染との結婚もまた先生らしいかな、と思っております。
「リストランテM」のような素敵なお店は無いけれど、どこにいたって
お互いがお互いを必要としている二人だから、きっとまた素敵な日常が
始まるのでしょうね。タイトルと同じように・・

次回更新も期待しております。
25 名前:第二話 桜の木の下 投稿日:2003年05月08日(木)20時53分22秒
休診日を利用して、私と先生は大車輪で荷物を片付けた。それまでにも少しずつ
手はつけていたから、あらかたを太陽が昇り切る前に終える。
さて、お昼ごはん、何食べよう。先生、どうする?
「天気いいから、外に出たいね」
窓の外には、水平線まで穏やかな青空が広がる。風も優しい。
「うん」
窓から海を見下ろす。
「そうだ、花見、しようか」
「え?花見って?」
桜に決まってるでしょ。今が盛りなんだよ。
片道の切符を手に見た葉桜を思い出す。
そっかあ。そうだよね。前線が私を追いかけて来たんだ。違う?まあいいじゃん。
26 名前:第二話 桜の木の下 投稿日:2003年05月08日(木)20時54分43秒
「一本だけ、近くに大きな桜の木があるんだ」
相当な樹齢らしいその桜は、気まぐれに咲かない年があるという。
今年は、当たり。今がまさに満開だけれど、地元の人は車で名所へ繰り出して行く。
「梨華ちゃんが来るの、待ってたんじゃない?」
きっと、先生のことも、待ってたんだと思うよ。
「交替の先生が来る日なら、もっとたくさん咲いてるとこまで行けたんだけどな」
先生が、残念そうに言う。先生、一本だけでも、たとえ咲いてなくても、別にいいよ。
27 名前:第二話 桜の木の下 投稿日:2003年05月08日(木)20時56分13秒
休診日だから、自由に出かけてもかまわない。でもそうすると、このあたりに医師が
一人もいない状態になる。夜間にも同じことが言えるのだけれど、先生は決して
ここを無医地区にして、出かけようとしなかった。

原則月に2回、交替の医師が街から来てくれる。
その派遣を根気強く町にかけあったのは、中澤先生。今だから思うことなのだけれど、
先生はかなり前からプロポーズされていたんじゃないだろうか。
あとから来る人間がやりやすいように、あらゆる面で遺産を残してくれていた。
おかげでその日だけは、先生が本当の休息を得られる。
28 名前:第二話 桜の木の下 投稿日:2003年05月08日(木)20時57分39秒
「おにぎり、作るね」
先生は笑顔で頷いて、卵をゆで始めた。
万端の準備を片手に、向かいのよろず屋さんに声をかけ、五分足らずの散歩に出発。

道すがらには梅も咲いている。
北国の植物は用心深い。だから本当に春が来たと確信してから、そのつぼみを
ほころばせる。同時に梅と桜が咲く、話に聞いたことはあっても、目の当たりに
するとやっぱり不思議な光景。

これらの樹々や海や人々や先生が越えてきた冬を思う。
春を喜ぶ気持ちは、きっと私には想像もつかないだろう。
29 名前:第二話 桜の木の下 投稿日:2003年05月08日(木)20時58分26秒
その枝振りを目指して車道から少し脇にそれ、私たちは老木の根元にシートを敷いて
腰を下ろした。
草と土の匂い。しわだらけのおじいちゃんのような木の肌。
葉ずれ。潮騒。時おり、思い出したように通りかかる車のエンジン音。
携帯電話が圏内なことを確認する先生。こんな日は、それ、鳴らないといいね。

おにぎりを二つ取り出して一つを私に差し出すと、先生は早速かじりつく。
私が何を作っても、先生が言うことはいつも同じ。
「すげえおいしいよ」
嘘じゃないとは思うけれど、だから私はちっとも料理が上手にならない。
30 名前:第二話 桜の木の下 投稿日:2003年05月08日(木)20時59分19秒
自ら茹でた好物の卵までを胃に収め、先生は大の字に寝転がった。
「先生、牛になっちゃうよ」
「右側を下にして寝ると、消化にいいんだよ」
梨華ちゃんに背中向けちゃうからしないけど。
・・・医療関係者にあるまじき会話かもしれない。
でも、幸いにも健康に生まれついた人間は、ついつい本能のままに行動してしまう。
先生、今日は、許してあげるね。今日だけだよ。
31 名前:第二話 桜の木の下 投稿日:2003年05月08日(木)21時00分23秒
「梨華ちゃんも、おいでよ」
導かれて、腕の中で桜を見上げる。
頭上から垂直に伸びた幹と、平行に張った枝。
花びらを透かして、柔らかくふりそそぐ太陽。

陽光に目を細める。ふいに、唇を頬に受ける。
まぶたに返す。額に受ける。唇に、返す。唇に受ける。
先生は少し笑って、安心したように目を閉じた。
私は、自分の膝を先生の枕にするために起き上がる。
32 名前:第二話 桜の木の下 投稿日:2003年05月08日(木)21時01分33秒
膝の上の先生の寝顔。木漏れ陽が白い頬に描くモザイク模様。
軽く手をつなぐ。額にかかる髪を払う。
何もない時間と、花散らしの風が通り過ぎてゆく。

先生、ゆっくり寝るの、久しぶりなんじゃない?
ごめんね、もっと力になれるように、早くいろいろ覚えなきゃね。

太陽が海に溶けはじめるまで、先生は眠っていた。
鳴らなかった電話と、穏やかな空に感謝しよう。
「よく眠れた?」
「うん。ありがとね、枕」
起き上がり、並んで座ると、先生はもう一度キスしてくれた。
33 名前:第二話 桜の木の下 投稿日:2003年05月08日(木)21時02分20秒
ブランケット代わりにしていた上着に袖を通しながら、先生がつぶやく。
「もうすぐ雨、降るんじゃないかな」
未だ空は晴れ渡っている。
「こんなにいい天気なのに?」
「うーん。うん」
先生は、少し自信なさげに頷いた。ねえ、なんで?なんでそう思うの?
「今バイクで走って行った人ね。雨女なんだ」
「へ?・・・そう、なんだ」
「この辺じゃ、有名なんだよ」
昨日も車、洗ってたしな。冗談とも本気ともつかない顔で先生が言う。
「ほんと?」
ほんとに予報の根拠は、それだけなの?
34 名前:第二話 桜の木の下 投稿日:2003年05月08日(木)21時03分44秒
「冗談だよ。なんとなくそんな気がするだけ」
漁師さんと毎日話してたら、それぐらいわかるようになってきたんだ。
天気をピタリと当てる漁師さんがカッコ良くて、勉強したらしい。

太陽が海の向こうに消えると、にわかに雲行きがあやしくなってきた。
立ちこめる雲が残照に映える。

「日が落ちると、すぐ冷え込んじゃうからさ」
そろそろ帰ろう。家へ、帰ろう。
薄暮の中を、思い切り先生に甘えながら歩く。
35 名前:第二話 桜の木の下 投稿日:2003年05月08日(木)21時04分43秒
夜半、寝静まった町に、雨音の調べが響いた。先生の言ったとおり。
「この雨は、いつ止むの?」
「朝には上がってる、と、思うけど」
きっと、その通りになるのだろう。

桜も先生も、この地に根を張っている。
私も、冬を越えて、花を咲かせたいと思う。
36 名前:第二話 桜の木の下 投稿日:2003年05月08日(木)21時06分19秒

    < 第二話 「桜の木の下」 了 >

37 名前:名無しOA 投稿日:2003年05月08日(木)21時07分36秒
いつまでも根無しな自分に喝を入れつつの更新です。
ちなみに、松前、函館など道南を除けば、ほとんどの地方はまだ満開までには
至っていません。なので、季節を少しだけ先取り。日本は長いですね。

>22 サイレンス様

ありがとうございます、そして、初めまして。私も拝見させていただいてます。

今回は、ではなく今回も、毎回同じような話にお付き合いいただき、恐縮です。
名作、そして世界観なんて、ほんとうに畏れ多いのですが、いただいたお言葉に
恥じることのないよう、これからも努力したいと思います。
サイレンス様も、どうか御身御大切に、更新楽しみにしておりますので。

どうか、今後ともよろしくお願いします。

>23 名無しさん

ありがとうございます。

娘。さんたちの姿に、またいただいたお褒めの言葉に恥じることのないよう、
微力ながら、いつまでもホカホカしていただけるよう、精進いたしますので、
よろしければ今後ともお付き合い下さい。
38 名前:名無しOA 投稿日:2003年05月08日(木)21時08分51秒
>24 名無し読者様 

いつもありがとうございます。毎回励みにさせていただいてます。

私も、中澤先生には、孤高が似合ったのかもしれない、と、恥ずかしながら
思ったりしました。ですが、リング上では一人でも、セコンドあってのボクサー、
そんなイメージで、こういう道を選ぶのもアリかな、と考えました。
いつか、機会があったら、また中澤先生にもご登場願いたいと思います。

診療所編、と言っても、そんな期待(もどんな期待も)なさっていないとは
思いますが、医療ものにはなりません。正確に申し上げると、出来ません。

少しは喧嘩したりしながら、支えあい、照らしあって生きていく人たちの
日常の断片をなんとか書き出していけたら、と考えています。

今後とも、変わらぬお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。



何事もない限り、次回も同じぐらいのペースで。
よろしければ今しばらくお付き合い下さい。
39 名前:サイレンス 投稿日:2003年05月08日(木)23時04分33秒
更新お疲れ様でした。
正直、自分が感想を書くことで作品の雰囲気を
壊してしまうことを恐れながらレスさせてもらってます。
自分の下手ないしよしを読んでいただいているとは
光栄としか言えません。ありがとうございます。
作者様の温かいお言葉に恥じぬよう精進していきたい
と考えています。
 吉澤先生のやさしさ、石川さんのかわいさが
すごく感じられる今回の更新でした。
 次回もすごく楽しみです。ご自分のペースで時間の
あるときに更新していただけたらうれしいです。
40 名前:名無し読者 投稿日:2003年05月08日(木)23時19分23秒
雨女禿しくワラタ
41 名前:第三話 強いて言うなら、愛の病 投稿日:2003年05月14日(水)22時07分10秒
病院には時おり、健康な患者も訪れる。
例えば、健康診断。最近多いんだ、特に梨華ちゃんが来てくれてからは。
中澤先生が、年一回の受診を強く推奨していた頃は、みんな先延ばしにしていたクセに。

あの電話を受けた時も、きっと梨華ちゃん目当てで来るんだろうな、って思ったっけ。

そうだ、今日は、梨華ちゃんが大事に飾っている、一枚の絵について話そうか。
42 名前:第三話 強いて言うなら、愛の病 投稿日:2003年05月14日(水)22時08分52秒

                 *  

43 名前:第三話 強いて言うなら、愛の病 投稿日:2003年05月14日(水)22時10分33秒
就職活動か〜。めんどくせー、あーマジめんどくせー。
つってもやんなきゃなんだよな。おいしい話なんてそうそう転がってるワケじゃなし。
もちろん、こんな田舎に戻って就職する気なんてさらさらない。
だってそんなことしたら苦労して美大に行った意味なくなっちゃうからさ。
絵の周辺で食ってくには、やっぱ、都会にいないと何かと都合が悪い。

だけど、親孝行のつもりで、一応地元の企業も押さえておこうかな、なんて。
ヒサブリに新鮮な魚も食べたかったし。海を見ながら、散歩したりしたかったし。
んなわけで、スーツ持参で帰省してきたわけだ。
もちろん、メインはあくまで就活ですよ、就活。
だから学生課で、必要書類を揃えていざ進め!だったはずなんですがー。

えー、健康診断証明書を思いっ切り家に忘れてきてしまいました。
あー、ヲレのバカ。まあいいや、しゃあねえ、取りに帰るわけにもいかないし。
ボンクラだったりドジだったりは今に始まったことじゃなし。むしろ王様級。
44 名前:第三話 強いて言うなら、愛の病 投稿日:2003年05月14日(水)22時11分47秒
診療所に電話してみたら、そこで受けられるというので、午後イチで予約を入れる。
まあ、一安心。総合病院までは、誰かに車出してもらわないと行けないから。
メンドーなことは、ちょっとでも避けたいじゃん。え?だったら忘れるなって?
それは言わない約束でしょ、ってもんですよアナタ。

採血のため、昼食抜き。ブラブラ歩いて、幼い頃から親しんだ建物にたどり着く。
なんだか妙に懐かしい。よく風邪ひいて、母さんに連れて来られたっけ。
ここ、先生はコロコロ変わるんだよな。でも前の先生はわりと長くいたらしい。
45 名前:第三話 強いて言うなら、愛の病 投稿日:2003年05月14日(水)22時13分36秒
扉を開けると、当たり前だけど病院の匂いがして。
どこから白衣なのかわかんないぐらい色白な先生が、待合室をモップ掛けしていた。
「あのー、えーっと、今朝電話で・・・」
「ああ、健康診断の?」
「はい、そうです。・・・手伝いましょうか?」
「今ちょうど、終わったとこ。ありがとね」
それ、書きながら待ってて。既に準備済みの必要書類を示しながら、先生は手を洗いに
席を外した。ここの先生って一人だけだよな?掃除もするんだ。なんかスゲー。

午後イチだから、先客はなく、すんなり診察室に招かれる。
まずは先生の前へ。はじめに、問診。
病歴やら普段の生活やら大学のことやらについて聞かれる。素直に答える。
続いて、聴診、触診。あちこち丁寧に診察してくれる。

正直、健康的な毎日を送っている、とは言えないような生活だから、ちょっと緊張。
「異常なさそうだね」
そうすか、良かった。ホッとしました。
「ただし、あんまり丈夫そうなノドじゃないから、ちゃんと手洗いうがいしてね」
んあ、はい。わかりました。歌いすぎにも気をつけます。出来るだけ。
46 名前:第三話 強いて言うなら、愛の病 投稿日:2003年05月14日(水)22時15分49秒
お次は、採血らしい。ついたての奥に、先生が呼びかける。
「石川さーん、サイの国、採血ぅー、の準備、出来てる?」
先生、埼玉出身?まあいいや、スルーしとこう。
確か、看護婦はいつも同じおばちゃんだったはずだけど、イシカワって名前だったっけ?
「出来てますよー」
お、声が若い。看護婦さんも変わったのか。今は看護師っていうんだっけ。

先生に案内されて、返事の主が見える位置まで進み、そこから一歩も動けなかった。
「どうしたの?注射キライ?」
いえ、あの、てか、か、可愛い。マジかあいい。んげーかあいい。
センセー、この生命体も皆と同じ人間ですか?同じなんですか!?
47 名前:第三話 強いて言うなら、愛の病 投稿日:2003年05月14日(水)22時17分18秒
イシカワさんに促されるまま、操り人形のような動きで椅子に座る。
面接なんて比べ物にならないような緊張感。

「採血しますので、袖をまくって下さい」
「えっと、ど、どっちの腕がいいんでしょうか?」
「右利きだったら、左の方がいいかも」
右利きだったので、左の腕を出す。
目の前に、イシカワさんの胸、じゃなくて、名札。
石川梨華さん、っていうのか。名前まで可愛いとは、神様もイイ仕事しやがる。

上腕をゴムで縛られる。細い指が静脈を確認する。
「ゴメンなさいゴメンなさい、血管沈んでて」
「ううん、だいじょうぶ。まだやりやすいほうだよ」
そういえば先生もだったけど。触れる手が暖かくて、なんか安心する。
でもずっとドキドキしっぱなし。鎮まれ、心臓。いや、無理言って正直スマンカッタ。
止まらないでいてくれたらそれでいいよ。好きにしたまえ。
48 名前:第三話 強いて言うなら、愛の病 投稿日:2003年05月14日(水)22時18分45秒
石川さんにポワワ〜っとしたまま、すべての検査を終えた。
気づいたら、再び先生の前に座っている。
先生、あのー、なんでそんな難しいカオしてるんでしょう?

「うーん。あのねえ、一つ、非常に言いづらいことがあるんだ」
「・・・どっか良くないんですか?」
「ううん。血液検査の結果がまだだけど、健康だと言える、とは思う」
「・・・じゃ、何でしょう?」
「健康診断てね・・・・高いんだ。保険きかないし」
ガーン。最初に言えばよかったね、なんて慰めてくれながら先生が示した料金は、
確かに学生には大金だった。
飛び出しそうな目のまんま、先生と視線がぶつかること、しばし。
くっそう、こんなことなら帰ってくるんじゃなかったよ、トホホ。
49 名前:第三話 強いて言うなら、愛の病 投稿日:2003年05月14日(水)22時20分17秒
「ほんとに、就職活動に必要なんだ」
え?最初っからそう言ってますよね?んな嘘言ってどうする?
「ほんとにって、どういう意味っすか?」
「あー、いや、こっちの話。じゃあさ、いいよ、出世払いで」
そのかわりってわけじゃないんだけど。
「ひとつ、お願いがあるんだ。いい?」
「あ、はい。出来る範囲のことなら、何でも」
でも、マジいいんすかね、ほんとに出世して払ったなんて聞いたことないですけど。

「似顔絵、描いてよ、梨華ちゃんの。将来、おつりがくるかもしれないし」
頼まれなくても、描くつもりでいましたよ。だからこっそり凝視してましたよ。
なあんだ。正々堂々ガン見していいんですか?いいんですね?

おつりはこないかもしれないけど、でも、全身全霊を込めて描きます。
石川さん、そこに座ってください。こっち向いてください。

脈拍が、徐々に平静を取り戻す。そう、今やらずに、いつやるってんだ。
50 名前:第三話 強いて言うなら、愛の病 投稿日:2003年05月14日(水)22時24分28秒
無言で筆を走らせて、そろそろ仕上げに入るころ、石川さんが口を開いた。
「今お話しても、だいじょうぶ?」
「ゼンゼン問題ないです。ちょっとぐらい動いても平気ですよ」
ほとんど、出来上がってますし。

「あのね、私ね。最初、病院の事務職員だったの」
よっしゃ、出来た。すいません、続きをどうぞ。

「あるとき、自分のおばあちゃんが入院してきてね」
おばあちゃん、わざわざ私がいるところに転院して来てくれたのに。
働いてるとこは病院なのに結局、私、最後まで何もできなくて。
何だか残念で悔しくて、それで、ナースになったの。
一から勉強しなおすの、大変だったけど。

おかげで、いろんな出会いもあったし。
こうして、ここで、あなたとも出会えたし。
あのとき、諦めなくてよかったなあ、って今でも時々思うよ。
51 名前:第三話 強いて言うなら、愛の病 投稿日:2003年05月14日(水)22時25分47秒
「だから、あなたも、がんばってね」
「はい!」
石川さん、ありがとう。愛をこめて、サインを入れる。
「これ。似てなくてスイマセン」
「嬉しい。ありがとう」
この時の石川さんの笑顔は、きっと人生最後の走馬灯でトップに来るだろう。
「あの、握手、してもらっていいですか?」
照れながら差し出された手の温もりを、きっと一生忘れないだろう。
52 名前:第三話 強いて言うなら、愛の病 投稿日:2003年05月14日(水)22時26分53秒
石川さんと先生が、わざわざ玄関先まで出てきてくれた。
並んで立つ二人の、なんと絵になることか。
きっと、二人は、そう、そういうことなんだろうな。
ちょっと悔しいけど、石川さんが幸せなら、それでいいよ。
先生、頼んだよ。で、今度また来ていい?

「もちろん。でも、病気にはなんないようにね」
見送られ、あえて振り返らずに家路を辿りながら、思う。

今日は昨日より、明日は今日より、少しだけ、がんばってみよう。
そうすればきっと、何かが見つかるはずだ。
53 名前:第三話 強いて言うなら、愛の病 投稿日:2003年05月14日(水)22時28分16秒

                 *  

54 名前:第三話 強いて言うなら、愛の病 投稿日:2003年05月14日(水)22時29分36秒
その夜、梨華ちゃんは、描いてもらった絵を飽きずに眺めていた。
湯上り、ベッドに腰掛けて。入れ替わりに私がシャワーを浴びて戻ってきても、
まだ同じ姿勢。隣に座って、私も覗きこむ。

なぜ梨華ちゃんが魅入られているか、よくわかる。なんというか、そんな絵なんだ。
「ねえ、先生。ものすごく可愛く描いてくれてるよね」
「いや、誇張はないと思うな。実物と同じくらい可愛いよ」
そう?梨華ちゃんは、自分と並べて絵を掲げる。
私は本物の梨華ちゃんの頭を撫でて、紙の上の梨華ちゃんにそっと口づけた。

「間違っちゃった」
紙の梨華ちゃんに妬いた本物が、私の唇を奪う。負けじと奪い返す。
「湯冷めしちゃうよ。休もうか」
梨華ちゃんは頷いて、大事そうに絵をファイルに挟み、本棚にしまうために立ち上がった。
55 名前:第三話 強いて言うなら、愛の病 投稿日:2003年05月14日(水)22時31分30秒
私は一足先にベッドにもぐりこんで、腕の中に梨華ちゃんを迎える。
冷えかけた梨華ちゃんを抱きしめて、体温を移す。
あったまった梨華ちゃんに、眠気がさすのがわかる。
とりあえず一日を終えた、安らぎのひととき。

今度さ、フレーム、買いに行こう。あの絵が、思いっきり映えるような。ね?
何色の枠がいいか迷いながら、梨華ちゃんは寝息を立てはじめた。
夢の中へと梨華ちゃんを追いかけながら、さっきの絵を思う。
絵描きはきっと、梨華ちゃんに惚れたのだろう。筆致から、思いが強烈にあふれ出ていた。

でも。残念ながら。梨華ちゃんを譲るわけにはいかないんだ。
挑戦は、受けて立つよ。だからまた、いつでも遊びにおいで。待ってるから。

それから、忙しくても、時々は母ちゃんに電話して、元気な声、聞かせてあげなよ。

わかった?それじゃ、おやすみ。



              < 第三話 「強いて言うなら、愛の病」 了 >
56 名前:名無しOA 投稿日:2003年05月14日(水)22時32分49秒
採血されたい。全部血を抜かれても、後悔( ^▽^)<しないよ。
そんな私のワガママを表現してみました。お付き合いいただき、申し訳ありません。
でも、きっと「採血されたい仲間」は私一人じゃないはずなんて言ってみる試み。

就活中、転職準備中(密かに自分を含んでみたり)の方々に、ささやかなエールを
添えて。
57 名前:名無しOA 投稿日:2003年05月14日(水)22時33分45秒
>39 サイレンス 様

夏だから、Silence様、でしたね。
ありがとうございます。レスしていただけたらそれだけで嬉しいです。
私がバカ丁寧なために余計な気を使わせてしまい、申し訳ないです。
どうぞ遠慮なく何でも書き込んでくださいね。
次回(に限りませんが)もきっと同じような話ですが、よろしければ
どうかお付き合い下さい。

>40 名無し読者 様

ありがとうございます。
何より笑ったといっていただけるのが、一番嬉しいです。
お兄さんの無事故を祈願しつつ。今後ともよろしくお願いします。


次回の目標、今月中。相変わらず読み応えのない更新量ですいません。
58 名前:匿名匿名希望 投稿日:2003年05月14日(水)22時57分17秒
更新お疲れ様です。
作者様の書く文章が大好きで、初期の頃からずっと愛読させていただいてました。
読むごとにその場の情景がリアルに頭に思い浮かびます。

絵ってその時の気持ちとか想いが強く出るんですよね。
自分もそうです。後から見るとこの時はこんな気持ちだったなぁなんて思います。
だから今回の更新を読みながら1人PCの前で頷いていました(w

次回更新もまったりと待たせていただきます。
59 名前:名無し読者 投稿日:2003年05月15日(木)01時21分26秒
読み終わる度になんでこんなにホンワカなるんだろ。
60 名前:Silence 投稿日:2003年05月15日(木)01時29分46秒
更新お疲れ様でした。
いやー、短編の方もご覧になっていただいてましたか。
う〜ん、実は前の感想あれ書くのに20分くらい
かかったんですよ。ちょっと堅苦しかったですよね(w

>センセー、この生命体も皆と同じ人間ですか?
自分もこれすっごい疑問なんですよ。あの人かわい過ぎですw

次回の更新もじっくりと待ってます。
61 名前:第四話 小雨、のち快晴 投稿日:2003年05月22日(木)21時38分43秒
たった一つのネジの緩みが、すべての歯車を狂わせてしまうことがある。
小さな行き違いもたび重なると、大きなすれ違いになってしまうことがある。

はじまりはささいなことで、一つ一つはたいしたことじゃない。
「疑ったりしてゴメンなさい」
今なら、笑って言えるような、そんな出来事なのに。
62 名前:第四話 小雨、のち快晴 投稿日:2003年05月22日(木)21時41分30秒
私は、まだ新しい環境になじめていなかったんだろう。
「今日だけは邪魔しないでって、頼んだ」
そんな先生の言葉を裏付けるように、家にもしょっちゅう人が訪れる。
「よそ者だからね。話しやすいんだと思うよ。ゴメンね」
小さな町では、うかつに愚痴もこぼせない。
ここでの話は、ここで終わる。だから、町の人々は先生に話相手を求める。

そんなに頻繁じゃないけれど、夜中や早朝に急患もある。
「今夜は、たぶんだいじょうぶ」
深夜、口づけて昂ぶった瞬間に電話が鳴る、そんなことが何度か続いた。
63 名前:第四話 小雨、のち快晴 投稿日:2003年05月22日(木)21時43分19秒
背の高い、髪の長い女の人が診療所の前に佇んでいたのは、ちょうどそんな時。
その思いつめた顔は、一目で病気で来たわけじゃないことがわかるほど。
診療時間の終わる間際、私はその人を診察室に案内して、席を外した。

やっと先生が戻ってきたのは、私が、いくつかの電話に応対し、食卓を整え、
少し事務仕事を片付けたころ。

「遅かったね。だいじょうぶ?」
「うん。まあ、たぶんだいじょうぶじゃないかな」
落ち着いたら、ゆっくり話すから。ご飯、食べちゃおう。
先生が脱いだ白衣を受け取って、洗濯カゴに入れかけた。
64 名前:第四話 小雨、のち快晴 投稿日:2003年05月22日(木)21時44分26秒
肩のあたりに、紅のしみ。私のじゃない。白衣の時に甘えたことなんてない。
さっきの人、キレイだったな。カオリさん、っていったっけ。
わかってる。これは、これは何かの拍子についただけ。
けど、先生が誰にでも優しいのも、やっぱり事実。そこも好きだけど、でも・・・。

「どした?」
気配なく先生が背後に迫っていて、驚いた。私は白衣を握り締めている。
「あ、えと、そろそろクリーニング出したほうがいいかなと思って・・・」
じゃ、取りに来てもらうように、明日電話しとくよ。ご飯にしよ?ね?
65 名前:第四話 小雨、のち快晴 投稿日:2003年05月22日(木)21時46分17秒
自然と集まってくる海産物や採れたての野菜と引き換えに、食事の仕度は
休診日を除いて、近くの料理屋さんに頼んでいる。
今夜も食卓に並ぶのは、目にも美味しい鮮やかなお皿。

「先生、明日の準備は?」
「うん、出来てる。ありがと」
明日、先生は、隣町まで出張。隣とはいえそれなりに時間がかかるため、
打ち合わせも兼ねて泊まりがけになる。

せっかくの彩りも、新鮮な魚も、砂を噛むように味気ないのは、先生のいない
明日を思うせいだろうか。
66 名前:第四話 小雨、のち快晴 投稿日:2003年05月22日(木)21時47分15秒
その夜は、久しぶりにとても静かで。
きっと邪魔が入らないような、そんな気がしたけれど。

「いい?」
私の唇から離れた唇が、囁く。
「今日は・・・ゴメン」
「だいじょうぶ?疲れてるの?」
記憶にある限り初めて、私は先生を拒んだ。
「・・・少し。ゴメンね」
「ううん。ほんとにだいじょうぶ?」
「うん。ゴメンなさい」
いいって。おやすみ。私を寝かしつけるように、髪を撫で続ける先生。
私は拭いきれない違和感を携えたまま、浅い眠りを貪る。

朝まで、一度も電話は鳴らなかった。
67 名前:第四話 小雨、のち快晴 投稿日:2003年05月22日(木)21時47分58秒
「梨華ちゃん」
揺り起こされて、目をこじ開ける。
「もう出かけるけど。ほんとに疲れてたみたいだね」
気づかなくて、ごめんね。申し訳なさそうに先生が言う。
今、何時?えっ、昼過ぎ!信じられない気持ちで起き上がる。

「今日は休んでていいよ。戸田先生には言っておいたから」
戸田先生、もう来てくれてるんだ。
「でも・・・」
「だいじょうぶ。何かあったときだけ来てくれればいいって」
じゃあ、家で事務の方やってる。
「無理しなくていいから。ほんとに休んでてよ」
来た早々からいっぱい働かせて、ゴメンね。
先生は、そう言ってゆっくりゆっくり、私の頭を撫でた。

玄関先まで先生を送る。何となく離れたくなくて、抱きつく。
「帰り、何時ごろになる?」
行かないでほしい、このまま抱いていてほしい。
「晩御飯には間に合うように帰ってくるよ」
いつもと同じ、嘘のない優しさ。でも、これまで全部が嘘だったとしたら?
68 名前:第四話 小雨、のち快晴 投稿日:2003年05月22日(木)21時49分11秒
一人の長い夜を、どうやって過ごしたんだろう。思い出せない。

翌日は、休診日。朝、クリーニング屋さんが集配に来た。
「先生、お出かけかい?」
車庫がからっぽだから、すぐにわかる。
「はい。昨日から出張なんです」
「出張?カオリさんと?」
しまった、と顔に書いてある。・・・狭い町。
「あの、いや、昨日すれ違ったと思ったけど、人違いかな」
歯切れの悪い言い訳と、気まずい空気を残して、お兄さんは去った。
先生。今、誰と、どこにいるの?信じて、いいよね?
69 名前:第四話 小雨、のち快晴 投稿日:2003年05月22日(木)21時50分01秒
全然集中できないまま、長時間かかって事務仕事を片付ける。
なんだか疲れ果てていた。もういい。寝る。
私は、歯車を動かすための努力を放棄して、早々に布団にもぐりこんだ。
電気だけつけておこうかな。真っ暗な家に帰るのって、ヤダもんね。
いいや、知らない。先生なんて、知らないんだから。

私の中でプツン、と何かが切れて、私は一気に睡魔に飲み込まれた。
先生が帰ってくるまで数時間、私は夢も見ずに眠った。
70 名前:第四話 小雨、のち快晴 投稿日:2003年05月22日(木)21時50分58秒
何度目かのチャイムに目が覚める。諦めて鍵を開ける気配がする。
もうそんな時間。御飯もお風呂も、全然用意してない。
「ただいま〜。いないの?」
ざわめく心。顔を見てしまったら、何を言い出すかわからない自分。
静かに、寝室のドアが開く。私は先生に背を向ける。

「梨華ちゃん。ただいま」
肩まで布団を引き上げる。笑顔でおかえり、って言えば。
そう言えばいいのだろうか。背を向ける私を、覗きこむ先生。
「どうしたの?やっぱり具合悪い?」
嘘なら、いらない。頬にかかる髪を、先生がかきあげる。
「触らないで」
頭まで布団を引き上げた。自分でもびっくりするぐらい冷たい声。
「だいじょうぶだから」
私を気遣いながら、寝室を出て行く先生。心の奥が痛む。
71 名前:第四話 小雨、のち快晴 投稿日:2003年05月22日(木)21時51分44秒
再び閉じられたドアの向こうの、先生の気配に耳をそばだてる。
ゴメンね、一緒にご飯食べられるように、急いで帰ってきてくれたのに。
低く絞ったテレビの音。先生、悲しいニュース、一人で見ちゃダメだよ。

電気を消す音がして、リビングが静まりかえった。
そんなところで寝たら、風邪引いちゃうじゃない。

先生、ゴメン。どうしたらいいか、私にも分からないの。
72 名前:第四話 小雨、のち快晴 投稿日:2003年05月22日(木)21時52分36秒

                 *

73 名前:第四話 小雨、のち快晴 投稿日:2003年05月22日(木)21時53分26秒
「睡眠薬出してよ」
梨華ちゃんが席を外すなり、カオリさんが言った。
「どれくらい?」
「たくさん」
カオリさん。えーっと、とりあえずちょっと落ち着こうか。

「眠れないの?何かあった?」
あーあ、泣き出しちゃった。
「どうしちゃったの?だいじょうぶ?」
抱きしめて肩を貸すと、声を上げて泣きはじめる。
泣き止むまで少しかかりそうだ。
カオリさんを座らせて小一時間、ようやく話を聞けた。
74 名前:第四話 小雨、のち快晴 投稿日:2003年05月22日(木)21時54分06秒
「健ちゃんが浮気?!」
健ちゃんは、飯田家のムコ殿。旅先でカオリさんに一目ボレして、都会から
引っ越してきて猛烈に押しまくり、つい最近めでたく婿養子になった。

ありえねー、マジありえねー。
だって、うちに飲みに来ても、あいつが「カオリさんヌハー」以外のこと言ってるの、
聞いたことないんだよ。

いつだったか、カオリさんに聞いてみたんだ。
何であんなに嫌がってたのに、OKしたのって。
カオリさんは静かに、遠くを見ながら。
「愛されてる方が、楽だから」
好きすぎて辛いのは、疲れたの。そう言った。
75 名前:第四話 小雨、のち快晴 投稿日:2003年05月22日(木)21時56分38秒
「何で、そう思うの?」
しばらく黙ったまま交信するカオリさん。
「見た人がいるの」
・・・何を?
「女の人と、一緒に、街を歩いてるところ」
致命的だ。少なくともこの狭い町では致命的。
人づてにそれを聞いたカオリさんが怒るのも無理はない。
「誰と?」
「飲み屋の人だって。知らない」

思い浮かぶのは一軒だけ。チャーミーっていう店が、健ちゃんの行きつけだったはず。
働いてる女の人は二人で、そのうち一人はママ。
すでに孫が何人かいるような歳だから、外して考えていいだろう。
もう一人は・・・。あのちっちゃくて可愛らしいオバちゃ・・・じゃないオネエちゃんか。
カラオケしながら息ピッタリ浮かれモードでクルクル回ってるとこは見たことあるけど。
でも、でもさ。
76 名前:第四話 小雨、のち快晴 投稿日:2003年05月22日(木)21時57分49秒
「カオリさん。何かの間違いだよ」
「もういいの。生きていたくない」
そんな、健ちゃんごときでもったいない。
「わかった、一錠だけあげるから。今夜はそれ飲んで、ゆっくり寝て。ね」
鍵付きの棚から、うやうやしく一錠を取り出して、渡す。
「ほんとはこんなことしちゃ、いけないんだ。内緒ね」
何とかなだめすかして、カオリさんを車に乗せ、家まで送った。

「明日から出張だけど、行く前に寄るから。絶対だいじょうぶだよ」
カオリさんは力なく頷いて、ドアの中へ消えた。
77 名前:第四話 小雨、のち快晴 投稿日:2003年05月22日(木)21時58分45秒
翌朝。一人で診療所を開ける。
梨華ちゃんは、出来るだけ寝かせておいてあげよう。

早起きのおばあさんの相手をしていると、休診日より一日早く、交替の戸田先生が
来てくれた。このまま明後日までいてくれて、その間私は、ほんとに休める。

「梨華ちゃん、ちょっと疲れがたまってるみたいで」
「そう。来たばっかりだもんね」
そうだ。今まであまりにも、気配りが足りなかった。
「今日一日、休ませてもらってもいいですか?」
「もちろん。ノープロブレム」
戸田先生は、外科。出発の時間まで、専門外の分野についての疑問をぶつける。
こういう時間は本当に貴重だ。中澤先生に、大感謝。
78 名前:第四話 小雨、のち快晴 投稿日:2003年05月22日(木)21時59分35秒
ところで、そろそろ出かけなきゃいけないんだけど。
梨華ちゃん、まだ寝てるかな。置き手紙していこうか。
いや、やっぱ顔見てから出かけよう。
そっと起こすと、寝坊した自分にびっくりしながら、玄関まで送ってくれた。

「気をつけてね」
「うん、ありがと」
梨華ちゃんが抱きついてくる。
「帰り、何時ごろになる?」
そうか。梨華ちゃんは、初めてこの家で一人で過ごすんだ。
「晩御飯には間に合うように帰ってくるよ」
頬にさす翳は、疲れのせいだろうか?こんな時に留守にして、ゴメンね。
79 名前:第四話 小雨、のち快晴 投稿日:2003年05月22日(木)22時00分53秒
申し訳ない気持ちで車を出す。えーと、まずは、カオリさんとこに行かなきゃ。
少しは、いい方向へ向かってくれてるといいんだけどな。なんて思いながら
最後の角を折れると、窓から海を見ているカオリさんと目が合った。
車を降りて、そのまま窓越しに話す。

「どう?昨日は眠れた?」
「うん。おかげさまで。薬、効いたのかな」
ビタミン剤でも、不眠は治る。これだから信頼って大事。ね、中澤先生。
幾分顔色はいいかな。だけど、ここで悶々とさせてちゃ同じこと。
「健ちゃんと、何か話した?」
「ううん。顔も見ないで寝たから」
そっか。早く何とかしないと。でもこの状態で話し合ってもな。
浮気なんてありえない。だから、カオリさんが、言い訳を聞く耳を持ってくれない限り、
どうしようもない。うーん。
80 名前:第四話 小雨、のち快晴 投稿日:2003年05月22日(木)22時01分39秒
そうだ。ねえ、カオリさん。
「今から、温泉行かない?」
隣町は、温泉が観光資源だ。今日泊まる旅館にも、あると聞いている。
「・・・え?」
「だから、温泉。気分転換したほうがいいよ」
そこに健ちゃんを呼んで、3人で、または2人で話せばいい。

「早く用意して。んで、乗って乗って」
急かされて、しぶしぶドアから出てきたはずなのに。
車中でカオリさんのテンションはぐんぐん上がって。
到着するころには、すっかり元気になっており。
81 名前:第四話 小雨、のち快晴 投稿日:2003年05月22日(木)22時02分42秒
私が打ち合わせから戻ってきたら、温泉を満喫しきって、寝ちゃってた。
ヤケになってる感じはしない。たぶん、一人で、静かに考えて。
きっと、何かを吹っ切ったのだろう。ひょっとして、古い恋かもしれない。
開き直った女の人は、強いんだ。例えば、梨華ちゃん。
健ちゃんには気の毒だけど、とりあえず、この先ずっと、カカア天下確定かな。

えっと、気持ちよさそうにお休みのところ、失礼します。
「カオリさん、健ちゃんに電話した?」
「んー、まだ。ねえよっすぃー、お腹すいた」
「それは、連絡してから」
「ビールも飲みたい」
「だから、連絡してから」
心底面倒そうに、電話を取り出すカオリさん。
つながらなかったらしく、名前と居場所だけ、ぶっきらぼうに告げる。
「したよ、連絡」
まあ、いっか。きっと二人にはそれで充分なんだろう。
82 名前:第四話 小雨、のち快晴 投稿日:2003年05月22日(木)22時03分19秒
夜遅く、留守電を聞いた健ちゃんが、こけつまろびつやってきた。
その、しどろもどろの言い訳によると。
『チャーミー』のおば、ゴホン、おネエちゃんと街を歩いていたのは事実。
カオリさんへの誕生日プレゼントを、見立ててもらっただけだという。

「健ちゃん。一生ここで暮らすんでしょ?」
ここらじゃ、二人きりでいたってだけで、付き合ってるって噂が立つ。
女の人を助手席に乗せたりしたら、もうデキテル、ってことになる。
悪気がなくても、誤解を招くような行動は慎まないと、ダメだよ。
83 名前:第四話 小雨、のち快晴 投稿日:2003年05月22日(木)22時04分04秒
健ちゃんは何度も頭を下げてカオリさんに謝り、カオリさんは許した。
空いている別の部屋を、二人のために手配して、この問題は解決。
小さな荷物を片手に、カオリさんが私を振り返る。
「よっすぃー」
「ん?」
「サンキュ」
「うん」
誘ってみて、よかった。ヒサブリにゆっくり眠れそうだ。
梨華ちゃんに電話、はもう遅いか。せめて声だけ、聞きたかったけど。
大丈夫かな?明日、なるべく急いで帰ろう。
84 名前:第四話 小雨、のち快晴 投稿日:2003年05月22日(木)22時04分55秒
翌日、集団健診と救急救命講習、実はメインだった仕事をつつがなく終える。
よし、一路、梨華ちゃんのもとへ。何だろう。無性に会いたい。
気をつけて急ぐ行く手に、診療所の灯りと、真っ暗な家。

とりあえず、戸田先生にお土産を渡す。梨華ちゃんが出かけた様子はないという。
ほかに変わったことも、特になし。明日も、よろしくお願いします。

何度か家のチャイムを鳴らして、結局自分で鍵を開ける。
ただいまを言いながら灯りをつけると、テーブルに、やりかけのままの仕事。
らしくない。そんなに、体調が良くないんだろうか?
85 名前:第四話 小雨、のち快晴 投稿日:2003年05月22日(木)22時05分38秒
寝室を覗いて、ベッドの上にふくらみを見つける。
「梨華ちゃん。ただいま」
背中を向けた梨華ちゃんが、肩まで肌掛けを引き上げる。
「どうしたの?やっぱり具合悪い?」
覗き込んで、表情を隠す髪を、耳の方へとかきあげた。

「触らないで」
どうしたんだろう。ムチャクチャ機嫌悪いみたい。
「だいじょうぶだから」
頭まで肌掛けをかぶって、完全拒絶モードオン。
差し当たって心当たりはないんだけど、私が悪いらしい。
他のことでへこんでいるなら、触るなとまでは言われないだろう。
「リビングにいるから、何かあったら言ってね」
しばらく、そっとしておこう。怒られるようなこと、しちゃったのかも。
86 名前:第四話 小雨、のち快晴 投稿日:2003年05月22日(木)22時06分28秒
考える。拒絶の原因を考える。最近変わったことといえば、一つだけ。
カオリさんのことしかないんだけど。でも、何でだ?

考え続けながら、荷物を片付ける。食事をする。
昨日、やっぱり電話すればよかったかなあ?
新聞を読む。寝る準備をする。
わからない。明日何とかして話を聞こう。

ソファで寝ようとして、思い出す。すべての寝具は梨華ちゃんのいる部屋にある。
仕方ない、ちょっと寒いけど、さっき脱いだ上着を被って寝よう。

豆電球以外の灯りを落として、横になる。苦もなく眠りに引き込まれる。
短い上着に全身を収めようと膝を抱えた。どんな状況でも寝られることは、
私の特技だと言っていい。そのまま5分、10分いや、もう少し眠ったか。
87 名前:第四話 小雨、のち快晴 投稿日:2003年05月22日(木)22時07分49秒
寝室のドアが開く音がした。覚めた目を、あえて閉じたままにする。
目が合ったりしたら、梨華ちゃんが気まずい思いをするだろう。

近づく足音が傍らで止まり、私は柔らかな温もりに包まれた。
私を覆ったのは、梨華ちゃんのお気に入りの毛布。

足音が引き返す。
「ありがと」
一瞬の静寂ののち、足音は無言のまま寝室へ消えた。
ありがとね。これなら足伸ばせるから、楽チン。梨華ちゃんの匂いもするし。
明日には、きっとわかりあえるだろう。とりあえず、おやすみ。

再び、まどろみかける。また足音が近づいてきて、さっきより遠くで止まる。
目を開けようか、どうしようか。薄目で足だけを見る。爪先が私を指している。
私は梨華ちゃんを見た。梨華ちゃんは、仄かな明かりを背に、黙って泣いていた。
88 名前:第四話 小雨、のち快晴 投稿日:2003年05月22日(木)22時08分35秒
身体を起こし、隣を空ける。
「座らない?」
ストン、と梨華ちゃんは腰を下ろす。
並んだ膝に毛布をかける。初夏とはいえ、夜は冷える。

触ったら、怒られるんだろうな。たしか、上着のポケットにハンカチがあったはず。
取り出して渡すと、それは素直に受け取ってくれた。

「梨華ちゃん」
触らないように気をつけて、覗き込む。そっぽを向かれる。
「ワケがわからないんだけど、何か悪いこと、した?」
後から後から涙があふれている。触るな、なんて、拷問に近い。
「ねえ。泣かないでよ」
願いは聞き入れてもらえない。聞こえるのは、切れ切れの涙声。
「出張、なんて、ウソなんでしょ」
「ウソなわけないっしょ」
いったい、どうしちゃったの?
「今まで、誰と、どこにいたの」
「言った通りの宿にいたよ。カオリさんと健ちゃんがもれなく付いてきたけど」
それを話そうと思ったら、触らないでって言われちゃったんだよ。
ねえ、どうして嘘だなんて思うの?ほんとにわからないよ。
89 名前:第四話 小雨、のち快晴 投稿日:2003年05月22日(木)22時09分41秒
「白衣の肩に、口紅がついてた」
「泣き出しちゃったから、抱きしめたんだよ」
「泣いてたら、誰でも抱きしめるの?」
「人の温もりが薬になると思ったら、そうする」
「カオリさんキレイだもんね」
「梨華ちゃん以外の人が美人だろうが可愛かろうが、関係ないよ」
きっと、わかってくれてると思う。ただ、振り上げた拳の下ろしどころを、
探しあぐねているだけで。

「カオリさんが一緒だったって、クリーニング屋さんが言ってた」
「気分転換したほうがいいと思って、とりあえず連れてったんだよ」

事の顛末を、順序だてて話す。梨華ちゃんの涙が少しずつ乾いていく。
「帰ったら、話そうと思ってた。嘘は言ってないよ」
信じてくれるって、信じてる。意地っぱりなとこも、好きだよ。
90 名前:第四話 小雨、のち快晴 投稿日:2003年05月22日(木)22時10分50秒
梨華ちゃんの勘違いと、私の遅すぎた報告。
非は同じぐらいどちらにもあるだろう。
同じぐらいなら、私が折れればいいだけの話。
「梨華ちゃん。ゴメンね。ねえ、こっち向いてよ」

いや、違う。全部私が悪い。
悪気がなくても、誤解されるようなことしちゃいけない、なんて、
偉そうに言ってる場合じゃなかった。
「ほんとにゴメン。もう少し早く話すべきだった。ゴメン」
91 名前:第四話 小雨、のち快晴 投稿日:2003年05月22日(木)22時11分38秒
スローモーションで顔を近づける。逃げないで・・・。
「罰金」
「・・・え?なんで?」
「だって、先生悪くないもん」
ゴメン禁止令か。懐かしい。出会ってすぐの頃だ。
「無意識だけど、梨華ちゃんを後回しにしちゃって。悪かったよ」
「私も、温泉行きたい」
そういえばまだ、どこにも出かけてないや。
「うん。今度の休みに、一緒に行こう」
ようやく許してくれた唇を、いつもより長めに味わう。

「梨華ちゃん、眠い?」
「ううん。フテ寝してたから。先生は?疲れてないの?」
「少し横になったから、だいじょうぶ」
仲直り、しようよ?ね。

薄闇でも赤く染まったことが見てとれる梨華ちゃんの頬にキスした。
今夜は眠らない。眠らせない。長い夜が終わり、そして始まった。
92 名前:第四話 小雨、のち快晴 投稿日:2003年05月22日(木)22時13分03秒

              *

93 名前:第四話 小雨、のち快晴 投稿日:2003年05月22日(木)22時13分45秒
ねえ、先生。
「また、電話鳴るかも。どうするの?」
「119番に転送する」
そんなこと、出来ないくせに。だってそこが好きなんだもん。

「今夜は、戸田先生がいてくれるからさ」
朝までだって大丈夫。梨華ちゃん、ついて来れる?
「私、寝てたもん。先生の方が心配だよ」
うーん。先生は眉根にしわを寄せる。
「善処します」
何よソレ。でも、無理しないでね。
一番後回しで、いいよ。一番多く、愛してくれれば。

遠のいていた分、がんばっちゃえ!な先生に、身を任せる。
困らせたりして、ゴメンね。
これからもずっと、みんなに優しい先生でいて。


大好きだよ。



             < 第四話 「小雨、のち快晴」 了 >
94 名前:名無しOA 投稿日:2003年05月22日(木)22時14分56秒
雨降って地固まる。固まってるかな?ぬかるんでたりして。
それ以前に、雨さえ降ってなかったりして。なんて独り言はさておき。

これぐらい自分に余裕があれば、傷つけあわずにすんだかもしれない過去など、
思い返したりしつつ。特にこと恋愛に限らず。後の祭りですけど。
よく似た事々がもし起きたら、善処したいな、とも思いつつの更新。

なお、健ちゃんに深い意味はありません。
クリーニング屋が出てきたから健ちゃんにしたとか、そういう年齢層の高い推測は、
外れてますよー。

>58 匿名匿名希望 様

ありがとうございます。
実は毎回、「説明不足じゃないの?」という自分と闘ってまして。
そういっていただけて喜んでます。
また、絵を描く方のお気持ちも、漠然としかわからず、不安いっぱいで
書き綴ったのですが、ほんとにホッとしました。

今後ともよろしくお願いします。
95 名前:名無しOA 投稿日:2003年05月22日(木)22時15分42秒
>59 名無し読者 様

ありがとうございます。
それは、きっと、春だからですよ。
夏に読んだら暑苦しい、なんてことにならないように努力しますので、
よろしければまた、お付き合い下さい。

>60 Silence 様

ありがとうございます。
突然変異、なんでしょうかね?私も疑問ですが。
推測ですが、内面の、心の変化が、彼女の外側の輝きに与えた影響は
相当大きいんじゃないかと。
幸せな人の笑顔は、周囲を巻き込む力を秘めるのではないでしょうか?

新スレ移行後も、がんばってくださいね。楽しみにしてます。



少し、休憩させていただいて。次回目標は、父の日あたり。
よろしければまた、お付き合い下さい。
96 名前:じゃない 投稿日:2003年05月22日(木)22時37分25秒
いつも楽しく読んでいます。
とりあえず回っときます。
97 名前:名無しOA 投稿日:2003年05月22日(木)22時51分14秒
>96 親愛なるじゃない 様

びっくりしました。物凄くびっくりしました。
嬉しいです。ってか、スゲーハライテー。マジウレシー。

取り乱しましてすいません。これからもよろしくお願いします。

めちゃオモシロイヨー。誰か助けてー! 
98 名前:Silence 投稿日:2003年05月23日(金)13時01分02秒
更新お疲れ様でした。
よかった。だって二人が喧嘩(すれ違い)したまま次回まで
待つのは酷ですから。吉澤先生って本当に誠実な人ですね。

>突然変異、なんでしょうかね?私も疑問ですが。
突然変異ですか。う〜ん確かにそうかも。
わかっていることは、石川さんはまさに『白衣の天使』ってこと
ですよね(w

>新スレ移行後も、がんばってくださいね。楽しみにしてます。
ありがとうございます。そう言ってもらえるとすっごく励みになります。
(ってゆーほど、まじめな作品でもないんですが(w
99 名前:匿名匿名希望 投稿日:2003年05月24日(土)09時37分53秒
更新お疲れ様です。
眠気眼で読んでしまったことをちょっと後悔です。
昼くらいにもう一度読もうって思ってます。
そうですよね、ささいなすれ違いがこうやって膨らむことってあるんですよね。
いつも作者様の書く文章には頷かされてばかりいます。
次の更新は父の日あたりですか。
まったりと待っていますので、頑張って下さい。
100 名前:名無しOA 投稿日:2003年06月16日(月)00時11分08秒
>96 改めまして、じゃない様

当たり前なんですけど、やっぱりまだ回って下さってたんですね。
いまだに嬉しさは変わりません。いやー、なんというかすごい破壊力。
ほんとにありがとうございます。これからもよろしくお付き合い下さい。

>98 Silence様

ありがとうございます。
二人がすれ違ったまま次回、というのもきっと一つの技術なのでしょうが、
それは私が一番辛いのです。イタイ話で恐縮です。

それから、Silence様の更新ペース、見習いたい思いです。
今後とも、御身御大切に、そしてよろしくお願いします。

>99 匿名匿名希望様

ありがとうございます。
何事も、小さなすれ違いのうちに修正しておけば、痛手は最小限で済んだはず。
そんな過去など思い出しつつ書き進めていたら、進まなくなってしまいまして。
結局、父の日に間に合いませんでした。申し訳ありません。
もうしばらくお待ちいただけると、幸いに存じます。よろしくお願いします。


改めまして、目標は今週中。締め切りを延ばすほどの量じゃないのは従来通りですので、
先謝りします。ゴメンナサイ。ちょっとサボってしまっただけです。スイマセン。
101 名前:第五話 オサヴリオ 投稿日:2003年06月21日(土)00時47分39秒
中澤先生から、気をつけて見るように、と申し送りを受けた人が、何人かいる。
診る、じゃない、見る。そのうちの一人が、ロクローさん。
本名は違うのだが、なぜだかみんながそう呼んでいる。

ロクローさんは。
早くに奥さんを亡くし。
男手一つで育てた息子を、海に奪われ。
一人ぼっちで取り残されて。
そうして、酒浸りで身体を壊すまで、長くはかからなかった。

「いっぺん検査においで、とは言うてあるんやけど」
鉛色の顔で、そのうち、そのうちって答えるだけ。
私も梨華ちゃんも、顔を見るたびに声をかけたし、時々家も訪ねた。
102 名前:第五話 オサヴリオ 投稿日:2003年06月21日(土)00時49分10秒
もし、その日が、比較的あったかい日じゃなくて。
私が、往診でロクローさんの家の前を通らなかったら。
あるいはその「もしも」こそがロクローさんの望む結果だったのかもしれない。

開けられた窓から、大きないびきが聞こえて、自転車を止める。
不審に思って覗き見ると、転がった酒瓶、倒れたグラス。
そのどちらもから零れた酒を浴びながら、ロクローさんは寝ていた。
幸か不幸か、私は気付いてしまった。ただ眠っているんじゃない。
窓から家に入る。救急車を呼ぶ。うちじゃ、手に負えない。
103 名前:第五話 オサヴリオ 投稿日:2003年06月21日(土)00時52分20秒
留守番の梨華ちゃんにも電話して、往診を中止。
すべてを終えて家に着くころには、とうに日が暮れていた。
「どうだった?」
「命は、なんとか」
「そう。良かった」
そう、これで、良かったんだ。
生きていてほしいと思うのは、医者のエゴなんかじゃない。

「ご飯、食べる?それとも、お風呂?」
とにかく、横になりたい。疲れた。
「大変だったね」
うん。でもこれからのほうが、もっと大変かもしれない。
今回は、間に合った。でも、回復して同じように飲み始めたら。

半ば強制的に着替えさせられながら、私はベッドに倒れこんだ。
次は、こんなに長い助走期間はとれない。早く何とか、しなきゃ。
でも、その前に、ちょっとだけ、休もう。
104 名前:第五話 オサヴリオ 投稿日:2003年06月21日(土)00時53分28秒
仮眠が得意になったのは、いつだったっけ。夜中に目が覚める。
梨華ちゃんを起こさないように、そっと隣を抜け出す。

窓の向こうに横たわる、静かな夜。一人なら、きっと取り残された寂しさが
募ってしまうだろう。冷蔵庫からビールを出して、リビングに戻る。

「どしたの?付き合おうか?」
寝室からひょっこり、梨華ちゃんが顔を出した。
「あー。ゴメンね。起こした?」
「ううん。なんだ、飲んでるんじゃないんだ?」
プルを引かないままの缶ビールを、私は見つめていた。隣に梨華ちゃんが座る。
「よし、飲もうか」
缶の中身を、二つのグラスに分ける。その黄金色をやっぱり見つめる。
105 名前:第五話 オサヴリオ 投稿日:2003年06月21日(土)00時54分56秒
「こうやってさ、例えば、今日も一日お疲れさん、って乾杯する分にはさ」
ぜんぜんお酒って悪いもんじゃないわけでしょ?
でも、量を過ごすと、命を脅かす存在に変わってしまう。
一時の酩酊を求めて薬を毒にしてしまうのは、人間の側の問題だ。

「例えば、バット一本で何億円も稼ぐ人もいれば、凶器に使っちゃう人もいる、
っていうのと、同じようなこと?」
「そうか。根は同じこと、かなあ?」
罪自体は、人間にある。酒やバットそのものは、存在しているだけ。
無論、当事者だけの罪ではないにしても。

淋しくても、酒に走らない人はたくさんいる。
だから要は、ロクローさん自身の問題なんだ。
何でもいいから、生きる意味を感じない限り、ロクローさんはきっと飲み続ける。
二人のもとに行けるまで。医者に出来ることなんて、残念ながら多くはない。
106 名前:第五話 オサヴリオ 投稿日:2003年06月21日(土)00時56分08秒
グラスに口をつける。コク、キレ、CMの謳い文句が、喉を下りていく。
ロクローさんにとって、アルコールって何だろう。毒か?薬か?
妻を、子を思う気持ちを、どうすれば生きる力に向けられるだろう。

梨華ちゃん。あのね。
「生きててよかったなあって思うのって、どんなとき?」
「うーん」
肩にもたれる、梨華ちゃんの重みを感じた。
「こういう時間、かな?」
ごめん、不謹慎だよね。ロクローさん倒れたばっかりなのに。
「ううん。言いたいことは、よくわかるよ」
手を伸ばして、梨華ちゃんを抱き寄せる。こうして、愛する人の温もりを
身近に感じること。あまりに近すぎて、その幸せを時々忘れそうになるけど。
大切な人と過ごす時間の、なんといとおしいことだろう。
107 名前:第五話 オサヴリオ 投稿日:2003年06月21日(土)00時57分15秒
梨華ちゃんを失ったこの世を想像する。
たしかに、生きていても仕方ない、のかもしれない。
だからって梨華ちゃんを追いかければいいかっていうと、違う気がする。
そんなの、何より梨華ちゃんが望まないと思うから。
遺してゆく者の辛さも、遺される者のそれに劣るはずがない。
だから、生きなきゃいけない。だからロクローさんにも、生きてもらいたい。
そのために、私に何が出来るだろう。いや、それ以前に。

「こうなるまでに、何か出来ること、なかったかなあ」
無力感に襲われながら、梨華ちゃんの膝に頭を預けた。
「中澤先生や先生がいたから、これぐらいでおさまったんでしょ?」
自分を責めてる場合じゃないよ。
「一緒にこれからのこと、考えよう」
ロクローさんのために、出来ること。きっと何かあるよ。
「だって、チャンスじゃない。24時間見張ってられるんだから」
108 名前:第五話 オサヴリオ 投稿日:2003年06月21日(土)00時58分54秒
そう、梨華ちゃんの言うとおりだ。
肝臓は、栄養と安静が、療養のメイン。入院も長くなるだろう。
「梨華ちゃん。こっちは一人で何とかするからさ」
明日から、ロクローさんのとこ、通ってもらえるかな?
「わかった。何をすればいいの?」
「えーと、献身的な看護」
「まかせて」
得意なんだよ。先生、知ってた?

膝から見上げる、梨華ちゃんの笑顔。
この笑顔が持つ力に比べたら、医者なんて無力なもんだ。
「うん、知ってる。まかせるよ」
引き立て役にまわるから、頼むね。

眠りにつきながら、明日からのシナリオを組み立てる。
キャストは、ロクローさんと、梨華ちゃんと、町のみんな。
依存症は、一人じゃ治せない。だから、少しずつでいいから、たくさんの人の
協力がほしい。忙しくなりそうだ。
109 名前:第五話 オサヴリオ 投稿日:2003年06月21日(土)01時00分42秒
予想通り、翌日からの毎日は慌しく過ぎていった。
漁が忙しい時期で、比較的診療所が暇だったことが、せめてもの救い。
時間を見つけて、人が集まる場所に出向く。見舞いを呼びかける。
帰ってきた梨華ちゃんに様子を聞く。幸い、回復は順調なようだ。

離脱症状が落ち着いて、身体が楽になり、退屈するころ。
ちょうど、戸田先生が来てくれる。明日あたり、ちょっと行ってみようか。

厳密に言えば、一般病棟では24時間見張られてはいない。
歩くことが出来れば、いくらでも抜け出せる。娑婆へ。酒の海へ。
そこで溺れるか、浮かぶ瀬を見つけるかは、ロクローさん次第なんだ。
今、私に出来ること。憎まれ役になること。ダイコンだけど。
110 名前:第五話 オサヴリオ 投稿日:2003年06月21日(土)01時02分14秒
海沿いを小一時間。一番近い総合病院だけれど、もしもの時には微妙な距離になる。
だけど、今日は、ゆっくりのんびり。台本を頭で繰り返しながら、到着。
大部屋を覗くと、ちょうど、梨華ちゃんが昼食のトレーを下げるところ。
廊下で待って、食器を確認する。梨華ちゃんに目で合図して、部屋へ入る。

「どう?ずいぶん楽になったでしょ?」
黄色い顔に、やや赤みがさしている。食器に、食べ残しはほとんどなかった。
食べて寝ていれば、日に日に楽になる。そういう病気なのだ。だから、ここが肝心。

口ごもりながら礼を述べてくれるロクローさんを制した。
「当たり前のこと、しただけだから。こう見えても、一応、医者だからね」
アクトワン。ぶっつけ本番、スタート。
111 名前:第五話 オサヴリオ 投稿日:2003年06月21日(土)01時03分57秒
「診療所に来る前は、こんなぐらいの規模の病院にいてさ」
いろんな人が入院してきて、退院したり、息を引き取ったりしてった。
ある人は、生まれつきの病気で。
ある人は、ある日突然、病気になって。
この世の理不尽を、全部一人で引き受けたような子もいたよ。

ロクローさんも、みんなと同じ病人だと思ってるとしたら、間違ってる。
ロクローさんは違う。勝手に病気になったんだから。

危ないとこだったんだよ。それとも余計なことしやがって、って思ってる?

だけど、そんなロクローさんに会っても、奥さんと息子さん、喜ぶかな。
黄色い顔して二人に会って、恥ずかしくないの?
海の男って、そんなもんなんだ。ちょっとガッカリだな。
112 名前:第五話 オサヴリオ 投稿日:2003年06月21日(土)01時05分44秒
いい機会だから、よく考えて。
今、ロクローさんは崖っぷちに立ってる。
アルコールの海に溺れるか、踏みとどまるかの瀬戸際にいる。
どっちに転ぶかは、ロクローさん次第なんだよ。

梨華ちゃんが何のために毎日通ってるか。
ここの先生や、スタッフのみんなが、何のために毎日がんばってるか、よーく考えて。

ロクローさんの方が私より長く生きてるから、説得力ないかもしれないけど。
でも、ロクローさんよりきっと多く、いろんな人の最期を見てきてさ。
「長生きはするもんだな、ってそう思うんだ」
ヤなことばっかりだった人は、長生きしてこそ、それを取り戻せる。

「だから、しっかり休んで、早くよくなってよ、ね」

カット。まあまあ、かな。あとは梨華ちゃんがフォローしてくれるだろう。
入り口で見てくれていた梨華ちゃんと交代して、私はひとりの家路を辿る。

その日、遅れて帰ってきた唯一の観客が、思いっ切り私を誉めてくれた。
113 名前:第五話 オサヴリオ 投稿日:2003年06月21日(土)01時06分51秒
やがて、長い長い入院を経て、ロクローさんは回復した。
退院の日、健ちゃんに無理を言って、迎えに行ってもらう。
出来るだけ多くの人に関わってもらったほうがいい。
孤独は、肴になってしまうから。

無理やりにでも、家に連れてきて、って頼んだ通りにしてくれた健ちゃんに
感謝しつつ、ロクローさんを家に迎える。
キッチンの梨華ちゃんにも丁寧な挨拶をして、ロクローさんが私の前に座る。

「顔色、ずいぶん良くなったね」
ロクローさんは、おかげさまで、なんてうつむいている。
「これで治った、ってことじゃないのは、聞いてるよね?」
頷くロクローさん。

簡単に言うと、割れちゃったグラスの破片を張り合わせたような状態なんだよ、
ロクローさんの肝臓。接着剤じゃなくて、ゴハン粒で。
アルコールの分解以外の機能は、それでなんとか間に合うって、そういう状態。
そこに酒を注いだら、どうなるか、分かってくれるでしょ?
114 名前:第五話 オサヴリオ 投稿日:2003年06月21日(土)01時08分04秒
「ただし、医者の立場から言えばね」
医学的には、飲んだら終わりですよ、なんて言えないんだ。

「でも、ただの、一人の人間として言うとね」
ただの、じゃないか。ロクローさんが思うよりきっと、ロクローさんのことを
大切に思ってて、ついでにちょっと人より体のことを勉強した、一人の人間として、
言わせてもらえばね。

こんど深酒したら、終わるよ。血を吐いたら、私が通りかかっても、手遅れ。
ロクローさんがいなくなったら、梨華ちゃんも私も、きっと淋しいと思うな。
飲むな、なんて言わないよ。でも、まあ、出来たら、今日話したこと、覚えてて。
んで、グラスに酒を注ぎ足す前に、ちょっとでいいから、思い出して。
別に、そんなにかしこまらなくても、話はそれだけだから。
115 名前:第五話 オサヴリオ 投稿日:2003年06月21日(土)01時09分14秒
「シャバのメシ、食べてく?」
私も手伝って、梨華ちゃんに気合の入った食事を用意してもらってある。
「退院祝いだから、遠慮しないでよ、ね?」
このまま黙って、家に帰らせるわけにはいかないんだ。
話を聞いていたらしい梨華ちゃんが、有無を言わさず3人分を食卓に並べる。
固辞するロクローさんを説得してくれて、夕食がはじまった。

「うまいっしょ。梨華ちゃんが作ったんだよ」
ロクローさんは病み上がりとは思えない勢いで黙って箸を動かす。不器用な人だ。

「今夜、家に帰って、お酒、飲まなかったらさ」
明日の朝、ここで朝ごはん一緒に食べよう。明日飲まなかったら、明後日も。
明後日飲まなかったら、しあさっても。どう?一人で食べるより、きっと美味しいよ。
116 名前:第五話 オサヴリオ 投稿日:2003年06月21日(土)01時10分12秒
この提案にロクローさんの心が動くかどうかは、分からない。
そうやって、明日まで、明日まで、って生きていくことがロクローさんにとって
幸せなのかどうかも、分からない。

でも、目覚めて、梨華ちゃんが作った朝ごはんが食べられる、そのことは
少なくとも不幸せじゃないって、ただそう思うんだ。

「梨華ちゃんがさ。これで、美味しい魚があればカンペキなのに、って悔しがってる
んだけど、なんとかならないかなあ」
117 名前:第五話 オサヴリオ 投稿日:2003年06月21日(土)01時11分29秒
それから4日間、ロクローさんは朝ごはんを食べに来た。
私と梨華ちゃんは、わざわざスーパーで買ってきた魚を焼いて、朝の食卓に並べた。
はっきり言って、美味しくない。野菜や米や卵は、患者さんたちからの頂き物で、
手をかけなくても、いやむしろかけないほうが美味しい。
ロクローさんは、その魚をやっぱり黙って食べて、5日目からは食べに来なかった。

漁に出はじめたのだ。美味しくないなら、自給自足。
さび付いた船を磨いて、ロクローさんは再び海に出た。
心まで腐蝕は進んでいなかった、ということか。
もともと真面目な人だし、そんなに大酒のみでもなかったらしい。
これでしばらく酒から遠ざかってくれれば、そのうちきっといいこともある。

私たちが起き出すぐらいの時間にやって来て、とれたての魚を梨華ちゃんに渡すと、
ロクローさんは、まだ仕分けがあるから、と言って、来た道を戻った。
118 名前:第五話 オサヴリオ 投稿日:2003年06月21日(土)01時12分57秒
ただの自己満足かもしれないけれど。
だけど、生きるってこと、助けたくて医者になったんだし。
これで間違ってない、と思いたい。

「先生」
「ん?」
「実は、毎日のようにお見舞いに来る女の人が、私以外にも一人いたの」
「そっか」
「うまくいくといいね」

きっと、うまくいくさ。

昨日より、今日が悪い日だったとしても。
明日が、今日より良くない日とは、限らないじゃないか。

これから、ロクローさんには、いいことばっかり訪れるんだ。

「その魚、さっそく焼いて食べようよ」
「うん。美味しそうだね」

今日も、新しい一日が始まる。誰にとっても、どうかいい日でありますように。



                     <第五話 「オサヴリオ」 了>
119 名前:名無しOA 投稿日:2003年06月21日(土)01時15分37秒
どうしても、本文に使いたくない一文字がありまして。
そのために大変回りくどくなっているかと思います。申し訳ございません。

言行は一致してなかったら、とってもカッコ悪いわけで。
この回を書きながら、タバコをやめてみました。10日ほど続いています。
何が「言」で、どう一致してんねん?とか言われちゃったりして。はは。

さて、次回目標は、七夕あたり。よろしければ、またお付き合い下さい。
120 名前:Silence 投稿日:2003年06月21日(土)13時38分52秒
更新お疲れ様でした。
やっぱりいいお話ですね。最後の118の部分が特に。
なんかこの小説を読んでると自分もいろいろ考えさせられ
ちゃいます。(自分も少し控えるか、いろいろ。
次回の七夕楽しみにしていますが、無理をなさらないで
くださいね。
121 名前:匿名匿名希望 投稿日:2003年07月07日(月)14時22分43秒
すごく遅くなりましたが、更新お疲れ様でし。
人はやっぱり誰かの優しさっていうのが必要なんですよね。
ロクローさんのまわりにこういう温かい人がいてよかった。
Silenceさん同様、私も読みながら色々なことを考えてしまいました。
ここのお話を読むと心が温かくなります(ほんわか)
次回更新もじっくり待っているので、作者様のペースで書いていって下さい。
一読者として楽しみにしています。
122 名前:第六話 Bookends 投稿日:2003年07月09日(水)01時03分28秒
病院が大好きな子どもなんて、めったにいない。
だから、泣きそうな顔の子どもならしょっちゅう見かけるけれど。

診察室に入ったとたん、火がついたように泣かれることも珍しい。
なんとかなだめようとする、先生の努力もむなしく。
あまりの大音声に、たまりかねたお母さんが一旦、待合室へ戻った。

「待合室で問診したときは、わりと平気そうだったのに」
「一歳半か。仕方ないね」
先生の指示で、待合室に様子を見に行く。さっきより落ち着いたみたい。
申し訳なさそうに子どもをあやすお母さんの説明を、そのまま先生に伝える。
123 名前:第六話 Bookends 投稿日:2003年07月09日(水)01時04分11秒
「白衣が、怖いんだって。病院の匂いも、好きじゃないみたい」
「そっか。どっかで、痛い思いでもしたかな?」
しばらく考え込んだ後、先生は言った。
「じゃあ、帰ってもらって」
「え?」
「普段着で、往診に行くから」
「あ。なるほど」
「アンパンマンとドラえもんどっちが好きか、聞いといてね」

その質問には、一緒に連れてこられた二つ上のお兄ちゃんが答えてくれた。
「ドラえもんだって」
アンパンマンの方が得意なのにな、なんて悔しそうに準備する先生。
着替えが間に合って、5人一緒に診療所を出る。
124 名前:第六話 Bookends 投稿日:2003年07月09日(水)01時05分54秒
私と先生の間で手をつないで、お兄ちゃんのヨシオくん。
お母さんに抱っこされて、弟のマサオくん。

海沿いを歩いて、漁師町に出る。
ふいに、ヨシオくんが手をふりほどいて走り出す。
ヨシオくんが引き戸を開けて入っていった家を見て、私と先生は固まった。

「サブちゃんの孫だったのか」
「そういえば、うちの孫は良い男と正しい男だって、言ってたね」
サブちゃん、なんて本人の前では言えないけれど、キタジマさんは、
ここらで一番ベテランの漁師さん。
高血圧で受診しているのだけれど、とにかく頑固なので、先生はいつも
言葉かけに苦心している。
娘さんは今、違う姓なので、保険証では気づかなかった。
125 名前:第六話 Bookends 投稿日:2003年07月09日(水)01時07分01秒
大きなバッグが置いてある居間を適当にアレンジして、診察しやすくする。
とりあえず、先生の肩の辺りでぬいぐるみを動かすのが、私の役割。
「ぼくドラえもんです。マサオくん、ちょっと『あーん』してね」
似てねー。でも、マサオくんは素直にその指示に従う。
さっきと違って泣くこともなく、診察は順調に終わった。

「移動の疲れが出ちゃったのかな」
ご主人が海外出張の間、実家へ帰ることにして、昨日着いたばかり。
「症状は発熱だけだし、明日までこのまま、様子を見ましょうか」
いくつかの注意点と、診療所の電話番号を伝えて、一段落。
126 名前:第六話 Bookends 投稿日:2003年07月09日(水)01時08分07秒
「おじいちゃんたちは、今日から町内会の旅行でしたよね?」
そういえば、朝、会長さんが挨拶に来ていた。

ということは、今夜はお母さんしかいないんだ。・・・大変そう。
ヨシオくんに懐かれながら、話を聞いていた先生が言う。
「お母さん、よかったらお子さん一人、うちで見ましょうか」
病気の子は、お母さんと一緒なのが一番の薬だから。

「ヨシオ、今日はうちに泊まろうか?」
パジャマとパンツ、持っておいでよ。
先生の言葉に目を輝かせて、ヨシオくんがはしゃぐ。
親と離れて寝たことがない、と心配するお母さんをよそに、嬉々として
準備するヨシオくん。

何というか、先生にはそんな力がある。
「お母さん、心配ないと思いますよ」
私には、ヨシオくんの気持ちがよく分かる。
だって、そんな先生に、私も惹かれたから。
127 名前:第六話 Bookends 投稿日:2003年07月09日(水)01時09分12秒
お願いします、と頭を下げるお母さんに手を振って、三人で、来た道を戻った。
薄暮の空に浮かぶ、薄切りにし損ねた大根みたいな月。
何がそんなに嬉しいんだろう、ヨシオくんは、不思議なぐらいにハイテンション。
「走らないの!暗いんだから、気をつけてよ!」
先生も負けていない。いきなり、二人の子持ちになった気分。

ハラハラさせられながら、家に着く。二人はますますヒートアップする。
「ひーちゃんお腹空いちゃったよー、ごはんまあだ?」
「バカなこと言ってないで、これ運んで。ヨシオくんも」
調子に乗り続ける二人に何十回も「あーん」させられて、賑やかな夕食が終わった。
ヨシオくんを先生に任せて、後片付けをする。
と、なにやらリビングでドタバタ始まったみたい。
128 名前:第六話 Bookends 投稿日:2003年07月09日(水)01時10分32秒
先生が物陰に隠れる。覗き込みながら、おそるおそるヨシオくんが近づく。
先生が現れて、捕まえ、押さえ込む。適当に力を緩めて逃がすと、倒れたふり。
またヨシオくんが近づく。捕まる。逃げる。物陰に隠れる。捕まえる。
延々、この繰り返し。

どうやら、鬼ごっことかくれんぼとプロレスが混ざった、二人独自のルールで
遊んでいるらしい。

仲良きことは美しい。けど、騒がしいことこの上ない。
「ふたりともっ!」
ルールに、「だるまさんがころんだ」が加わったかのようなフリーズ。

「お風呂、早く入りなさい!」
はーい。良い返事を残して、二人は浴室へ消えた。
そしてこれがまた、なっかなか上がってこない。
129 名前:第六話 Bookends 投稿日:2003年07月09日(水)01時11分32秒
少し、いや、かなり待った。そろそろ、限界。
「いい加減にしなさい!いつまで遊んでるの!」
梨華ちゃんツノ出てるよ、こあいねー。先生がヨシオくんに耳打ちする。
「聞こえてるよ!」
「ヨシオ、10数えて、上がろう」
一から、ゆっくり数え始めた二人を脱衣所で待つ。カウントが終わる。
広げて構えたバスタオルに、ホカホカのヨシオくんが飛び込んでくる。
湯気を立てるヨシオくんを、くすぐったりしながら拭いてあげる。
途中で、自分の着衣を終わらせた先生が代わってくれた。
130 名前:第六話 Bookends 投稿日:2003年07月09日(水)01時12分44秒
「ゴメンね、遅くなって。梨華ちゃんも、お風呂入って」
「うん。着替え、ここに置くね」
私が服を脱ぎかけると、先生がヨシオくんの目をタオルで覆う。

「ヨシオは、見ちゃダメ」
抵抗するヨシオくん。見たいからじゃなくて、目隠しがイヤなだけだと思うけど。
「いいじゃん、別に。私、平気だよ」
「ダメだよ、こういうことはキチンとしとかないと」
どうやら、本気で言っているらしい先生。

「ヨシオくん、もっかい私とお風呂入ろうか?」
「ダメダメそんなの絶対ダメ。ドクターストップ」
「じゃあ、早く服着せて出てってよ。・・・脱ぐよ?」
「待って待って待って。一分だけ待って」
超高速でヨシオくんを整えて抱き上げ、先生は大慌てでリビングへ出て行った。
131 名前:第六話 Bookends 投稿日:2003年07月09日(水)01時13分51秒
長かった一日を、バスタブの中で振り返る。
いつもより、はしゃいでいた先生。
呆れたり、ちょっと怒ったり、私の感情も忙しかった。

そしてすごく、楽しかった。

さすがに疲れたのか、二人が騒いでいる気配はしない。
「まだ、明日もあるしね」
感傷に浸っている場合じゃ、ないや。
132 名前:第六話 Bookends 投稿日:2003年07月09日(水)01時14分53秒
お風呂から上がると、リビングの灯りが半分落ちて、寝室のドアが細く開いていた。
そっと開けると、先生の腕にちょこん、と頭を乗せて、ヨシオくんが眠っている。

私専用の枕、とられちゃった。
「今日だけ、貸してやってね」
とられた枕から伸びた手と、手をつなぐ。
空いた手を伸ばして、指先で先生の唇をなぞる。
「こっちは?まだ専用?」
「あ・・・。えと・・・」
もう、とられちゃったの?ヨシオくん?
「ううん。人工呼吸は、別?」
「うん。おまけしとく」
なら、専用だよ。これからも、ずっと専用。

ヨシオくん越しにキスをする。甘いあなたの味。匂い。
133 名前:第六話 Bookends 投稿日:2003年07月09日(水)01時15分51秒
って、そんなわけないでしょ、初恋じゃあるまいし。

「先生」
「・・・なに?」
私の声音に、何かを察したらしい。
「お昼、暑い暑いってアイス食べたよね?」
「あ、はい」
ますます警戒。

「アイスは一日一本、って決めたの、先生だよね?」
「はい」
「なんで今、バニラの匂いがするのかな?」
「えーっとぉ、それは・・・」

つないだ手から、不審な挙動が伝わってくる。もう、子どもじゃないんだから。
「食べたのは、先生だけ?」
「えと、二人で、半分こしました」
「そのあと、ちゃんと歯は磨いた?」
「・・・いいえ」
「最後まで、言わなくていいよね?」
「はい」
134 名前:第六話 Bookends 投稿日:2003年07月09日(水)01時16分42秒
ヨシオくんを揺り起こして肩に担ぎ、先生は洗面所へ向かった。
「バレちゃった、ごめんな」
なんて言いながら、歯を磨いてやっている。

もし。もし、子どもがいたら、こんな感じなのかなあ。
ネガティブになりそうな思考を慌てて振り払う。

「先生は、自分の歯、磨いて」
「あ、うん。ゴメンね」
「正直だったから、許してあげる」
私は眠そうなヨシオくんの歯を磨き終え、先生は自分の歯を磨き終えた。

再び、川の字になる。スイッチを切ったかのように寝付く二人。
互い違いに聞こえる、穏やかな寝息。
私たちには、こんな夜は来ないと、ずっと思っていた。
さまざまに浮かぶ思いを振り切れず、私はなかなか寝付けなかった。
135 名前:第六話 Bookends 投稿日:2003年07月09日(水)01時17分37秒
翌日は、休診日。いつもより遅く起きると、ベッドには私ひとり。
リビングへ出ると、今日は二人ともおとなしく、ヨシオくんは先生の膝の上で、
本を見ている。世代交代を繰り返す、ヒーローものの絵本。
「あ、おはよ。先に朝ゴハン食べちゃった」
梨華ちゃんの分も、ふたりで作ったから、食べてね。

「うん。ありがとう。ねえ、その本どうしたの?」
「サブちゃん家まで、取りに行ってきた」
マサオくんはまだ寝ていたけれど、熱は下がっていたという。
「よかった。安心だね」
「うん。夕方にちゃんと往診する、って言ってきたから」
それまでは、もうしばらく、3人の一日。
136 名前:第六話 Bookends 投稿日:2003年07月09日(水)01時18分54秒
私が、薄味の味噌汁や、少し殻入りの卵焼きを平らげるのを見届けると、二人は、
ちょっと町中探検してくる、と言って出かけた。
残されて、洗い上がりの大きなTシャツと、小さなパンツを並べて干しながら、
私は、ゆうべ生まれた思いを、ひとりで持て余す。

先生が、好き。だから一緒にいたい。
でもそのことは、先生から、子どもを取り上げたってことになるのかも。
どんなにがんばっても、二人の間に子どもは出来ない。

「当たり前でしょ」
そう言ってついてきたけれど、本当にそれでよかったのだろうか?
それしか、なかったのだろうか?
137 名前:第六話 Bookends 投稿日:2003年07月09日(水)01時19分48秒
「ただいまー」
大きな声で我に返る。探検終了らしい。
「商店街一周して、お昼も食べてきちゃった。ゴメンね」
「お腹空いてないから、いいよ」
ヨシオくんは、本屋さんの紙袋を、一心に開けようとしている。
「なに買ったの?見せて」
ひとつは、さっきのヒーローものの最新版。
もうひとつは、人体のしくみを、分かりやすく解説した絵本。

「こっちにはあんまり興味ないみたいだね」
「うん。3歳じゃ、まだちょっと早いしね」
でも、いつか思い出して見てくれたらいいと思って、無理やり買ったんだ。
ヨシオくんを見つめながら笑う先生の横顔を、まっすぐ見られない。
138 名前:第六話 Bookends 投稿日:2003年07月09日(水)01時25分42秒
ヨシオくんは、ヒーローものの方をひとわたり、また先生の膝の上で見ている。
「よし、そろそろ、じいちゃんとこ帰ろっか」
時計を見ながら、先生がヨシオくんを促した。
往診の準備をして、手をつないで海沿いを歩く。
先生は、昨日から、どんな思いでヨシオくんと遊んでいるんだろう。
昨日と同じ場所で走り出したヨシオくんを、一緒に追いかける。

どんなに速く走っても、追いつけそうにないその背中。
とても小さくて、でもとても大きいその背中。
139 名前:第六話 Bookends 投稿日:2003年07月09日(水)01時27分05秒
マサオくんは見た目にもだいぶ元気になっていて、心配なさそう。
「よし、終わり。今度は怖がらないで、診療所に来てね」
ニコニコとよだれを垂らすマサオくんの頭を撫でて、先生は立ち上がった。

先生を見上げて、ヨシオくんが本を差し出す。
「せんせー、これありがと」
「おう。マサオと一緒に見るんだよ」
ヨシオくんは、本を胸に抱えて、こくん、と頷く。

「ヨシオくん、また遊びにおいでね」
「りかたんもね」
名前、覚えてくれたんだね。
「ちょっと梨華ちゃん、ストップストップ」
嬉しくて、思わずキスしようとしたら、先生に本気で止められた。
140 名前:第六話 Bookends 投稿日:2003年07月09日(水)01時28分04秒
昨日と同じ家路を、二人で辿り。いつもと同じ、二人の夕食。
食欲がない私を気遣って、先生が後片付けを引き受けてくれる。
私は、入り組んだ思考を引きずったまま、ぼんやりソファに腰掛けた。
隣が先生の重みで沈むまで、その気配にも気づかないほど。

「どしたの?阪神負けちゃった?」
「ううん。また勝った。マジック点いちゃった」
「・・・何か、あった?今日、ずっと元気なかったね」
何も、ないよ。ないけど・・・。
141 名前:第六話 Bookends 投稿日:2003年07月09日(水)01時29分36秒
「・・・先生、ゴメンね」
先生の胸に頬を押し付けて、涙を吸い取らせる。
「何が?ねえ、何のこと?」
「子ども、欲しかったでしょ?」
我慢したけれど、最後は涙声になる。

「梨華ちゃん、それ以上、言いっこなしね」
梨華ちゃんが泣くことも、謝ることもないから。
「出会っちゃったんだ。そのこと、悔やむ?」
ただただ、かぶりを振る。
「なら、仕方ないことじゃん、ね?」
142 名前:第六話 Bookends 投稿日:2003年07月09日(水)01時30分20秒
ゆっくり、私の髪を撫でながら、先生が言う。
「あのねえ、ウィーンの、ある幼稚園の壁に、こんな詩が書いてあるんだって」

『子どもは一冊の本である その本から われわれは何かを読み取り
その本に われわれは 何かを書きこんで いかねばならぬ』

書き込んだり、読み取ったりは、主に親の仕事だから、遠慮しなきゃいけない
部分もあると思うんだ。
143 名前:第六話 Bookends 投稿日:2003年07月09日(水)01時31分03秒
だから、一緒に、本立てになろう。
二人で、両側から、ここに来る子どもを支えよう。
それだって、ものすごく大切な役割だと思うよ。

どっちかが男だったとしても、子どもができるとは限らないしさ。
町の子みんなが、うちの子だと思えばいいじゃない。
ヨシオも、マサオも、チヒロも、サツキもメイも、大事な、うちの子。
だから、誰かが倒れそうな時には、両側から支えてやろうよ、ね。

先生は、ときどき診察に来る子どもの名前を、次々に挙げる。
頷きながら涙を止められない私は、いつしか本格的に泣いていた。
「なんだ、今日は梨華ちゃんが子どもみたいだね」
アイス、半分こしようか?あ、食べた後はちゃんと歯磨きね。
144 名前:第六話 Bookends 投稿日:2003年07月09日(水)01時32分02秒
「ねえ、先生」
間に、誰も子どもがいないときは、少しだけもたれてもいい?
「うん。じゃあ、そういうときは、人っていう字になろうよ」
「金八も似てないから、やらなくていいから」
「も、ってなんだよー。心配したのに、元気じゃんか」

静かに、二人の夜が更けていく。
「落ち着いた?」
「うん。もう、だいじょうぶ」
この夜は、二人で選んだ夜。

だから、後悔なんてしないよ、先生。

先生に負けない、本立てになるね。



                <第六話 「Bookends」 了>
145 名前:名無しOA 投稿日:2003年07月09日(水)01時33分11秒
シャッフル発売日記念更新。
内容はなんの関係もありませんが。

>120 Silence 様 

ありがとうございます。
七夕には、少し遅れてのお届けになってしまいました。
あまり、考えないで読んでくださいね。ボロが出てしまいますので。
禁煙は「禁」という感じもなく続けられていますが、これがもし、
「禁( ^▽^)」とか「禁(0^〜^)」だったら5分ももたないと思われ。

更新楽しみにしてます。今後ともよろしくお願いします。
146 名前:名無しOA 投稿日:2003年07月09日(水)01時33分57秒
>121 匿名匿名希望 様

ありがとうございます。
私が七夕なんてウソを言ったために、ご足労おかけしました。
いろんな人がいて、いろんな役割を負っているのは、補い合うためなんじゃないかと
思います。鶴を折れない人は、折れる人に教えてもらって出来るようになればいい。
その人のペースで。
必ずしも、「自分のことは自分で」しなきゃいけないわけじゃない、なんて思ったり。

でも、こういうことも後から考えついているだけなので、ほんとあまり考えないで
読んでくださいね。

今後ともよろしくお願いします。


さて、次回。努力目標は、今月中。きっと今月中。
よろしければまた、お付き合い下さい。よろしくお願いします。
147 名前:名無し読み専 投稿日:2003年07月10日(木)22時15分46秒
更新お疲れさまです。
毎回、毎回素敵なお話で感動してます。(今回は不覚にも涙しちゃいました)
簡単ですが・・・次回も楽しみにしてます。
148 名前:Silence 投稿日:2003年07月11日(金)15時59分35秒
更新お疲れ様でした。
いや〜、相変わらずのいいお話、今回も堪能させてもらいました。
今回の笑いのツボは「ダメダメそんなの絶対ダメ。ドクターストップ」
に尽きます(w 次回もゆっくりでいいのでがんばってください。
自分も「禁( ^▽^)」とか「禁(0^〜^)」は無理です(w

はい、読んでもらっているみたいで。こちらこそこれからも
よろしくお願いします。
149 名前:匿名匿名希望 投稿日:2003年07月12日(土)16時15分24秒
更新お疲れ様です。
温かい家族を見た感じです。
読んだ後、余韻に浸ってその後また読み返したくなります(そして自分の欲望に忠実に
読み返しました)
今回も楽しませていただきました。
やはり次回更新も待ち遠しいです(プレッシャーかけようと思ってるワケじゃないですよ(笑)
作者様のペースでゆっくりやって下さい。
私はやはり一読者として、作者様の作品を楽しませて頂こうと思っております(ぺこり)
最後になりましたが、今回も温かいお話しをありがとうございました。
150 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月14日(月)19時22分08秒
更新お疲れ様です。

いつも仕事の合間に見させて頂いてます。←仕事しろって(w
とても緩やかで暖かな二人の日常風景に、毎回和んでおります。
阪神ネタが激ツボでした。些細なことでも( ^▽^)の事を把握してる(0^〜^)がイイ!
生活を覗き見したみたいで、ちょっとテレくさかったりもするのですが(笑)
次回更新、繰り返し読み返して(・∀・)ニヤニヤしながら待っております。
151 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月14日(月)23時50分00秒
更新お疲れ様でした。
2枚の石川さんの写真越しに読ませていただきました。(w
ここの石川さんと吉澤さんの雰囲気が、かなり好きです。
月並み程度の感想しか出来なくてすいません。。。ってか感想になってな(ry
次回の更新、2枚の石川さんと共にマターリ待ってます。

152 名前:第七話 愛で乾杯! 投稿日:2003年07月16日(水)00時41分40秒
診察時間が無事終わり、沈んでゆく夕陽を見ながら、先生が言った。
「梨華ちゃん、今日は、外で食べようか」
「うん。どこ行く?」
「そうだな・・・」
歩きながら、決めよう。
初夏とはいえ、肌寒い夜へ、二人で繰り出す。

潮風に背中を押されながら、少し歩いて。
ネオンが集まる一角にたどり着いた。
「さーて、どうしようか」
あっという間に通り抜けてしまいそうな、短い歓楽街。
選択肢は、そんなに多くない。
153 名前:第七話 愛で乾杯! 投稿日:2003年07月16日(水)00時43分07秒
ふと、『チャーミー』という店の前で先生が立ち止まる。
「梨華ちゃん、まだこの店来たことないでしょ?」
ここのお姉さん、ちっちゃくて元気が良くて、オモシロイんだよ。
「で、ちょっと淋しがりやで」
最後は独り言のような声でつぶやいて、先生が扉を押した。

細く隙間が開いたとたんに、扉の向こうで破裂音が響く。
何事か、と顔を見合わせたけれど、中からは歓声しか聞こえない。
いったん止めた扉を押して、先生が店へ足を踏み入れた。

「なんだ、先生か」
空になったクラッカーを手にしたお客さんたちが、口々に言う。
「なんだ、って、どういう意味?ってか、何があったの、一体?」
154 名前:第七話 愛で乾杯! 投稿日:2003年07月16日(水)00時44分14秒
「先生は、記念すべき2万人目のお客様なんですよー」
お姉さんが棒読みで答える。
「なんで、みんなガッカリしてるの?」
「えー、おそらく、後ろの可愛いお連れ様が先に入って下さってれば」
もっと、祭りが盛り上がったかと、ええ、みたいなね。

「ま、どっちにしても、おめでたいことですから」
気を取り直して、みなさーん、はじめましょうかー。
「本日は、食べ放題、飲み放題でーす」
今日は特別なのだろう、バイキング仕様で食べ物が並べてある。
155 名前:第七話 愛で乾杯! 投稿日:2003年07月16日(水)00時45分42秒
さーらーにー。
「本日は、カラオケも、開放したりしなかったりしまーす」
お客さんみんなが、こっちを見ている。
カラオケ使用は10時以降、という旨の張り紙があるから、きっと私たちの
許可を待っているのだと思う。
「食事どころじゃなくなるかもしれないけど、いい?」
私に確認してから、先生はみんなに向かって頷く。

とたんにお客さんたちはイスやテーブルを端に寄せ、フロアを広くした。
邪魔にならないように、カウンターに腰掛ける。フロアが見渡せる、角の席。
156 名前:第七話 愛で乾杯! 投稿日:2003年07月16日(水)00時46分24秒
大音響で一曲目が始まる。
はじかれたように、みんな一斉に踊りだす。回る。飛び跳ねる。

あっけにとられて見ている私を、面白そうに見ている先生。
間奏に入ると、お約束のように誰かがドアを開け、別の一人が、後ろ向きに
走りながら出て行った。

「よかった。転ばなかったね」
出て行った人の行方を目で追いながら、先生が笑う。
157 名前:第七話 愛で乾杯! 投稿日:2003年07月16日(水)00時47分33秒
あ。
思い出した!
私がこっちに来て間もないころ、みんなまとまって診療所に来たことがある。

「センセー、アバラ痛いです」
「センセー、喉痛いです」
「センセー、全身筋肉痛です」
「センセー、後ろ向きに走ってたら転びました」

先生は、ひとりひとりを丁寧に診察して。
「みんな、そのうち自然に治るから、だいじょうぶ」
でも、ほどほどにしなよ、って言っても無理か。
なんて、苦笑いしてたっけ。

「後ろ向きに走ってた理由、聞かないの?」
だって、普通に生活してたら、あんまりそんなことしないでしょ?
「ああ。そのうち、梨華ちゃんにも分かるよ」
そう、先生、必死に思い出し笑いをこらえてた。
158 名前:第七話 愛で乾杯! 投稿日:2003年07月16日(水)00時49分02秒
そっか、こういうことだったんだ。
みんな、なんて楽しそうなんだろう。

「梨華ちゃんも、行って来たら?」
耳元で、先生の大きな声がした。
「え、でも・・・」
みんな、優しくて、親切だから。ああ見えても。
「だいじょうぶ、一緒に踊っておいで」
159 名前:第七話 愛で乾杯! 投稿日:2003年07月16日(水)00時49分51秒
先生に背中を押されて立ち上がった私を、お姉さんが迎えに来てくれた。
あっという間に、輪の中に連れて行かれる。

ほんと、みんな、優しくて親切で。
あっという間に、私はその中に溶け込んだ。

たしかに食事どころじゃなくなったけど。
たまにはこういう夜も、悪くない。
160 名前:第七話 愛で乾杯! 投稿日:2003年07月16日(水)00時51分11秒
名残惜しかったけれど、二人分の食事を折り詰めにしてもらって、
私たちは家路に着いた。明日も、診察がある。
みんなは、朝まで続けるみたいだから、また診療所に来るかもしれない。

「楽しかった?」
「うん。とっても」
「そっか、よかった」

つないだ手を先生のポケットに入れて、ゆっくり歩く。
潮騒。二人の足音。離れていく町の灯り。澄んだ空気を震わせる、先生の声。

「あのねえ、梨華ちゃん」

この町では、ね。

名前を知らない人も。
逆に、名前を知ってて、顔は知らないって人も。
通りすがりの人も。

ここにいる限り、みんな、そうだな、まあ親戚みたいなもんなんだ。
161 名前:第七話 愛で乾杯! 投稿日:2003年07月16日(水)00時52分39秒
だから、誰かが困っているときは、ほかの誰かが助けるし。
誰かに悲しいことがあったら、みんなで励ますし。
誰かに嬉しいことがあったら、みんなで喜ぶし。

みんな、そんな、すっごい仲間。

「梨華ちゃんも、もちろんその一員なんだよ」

嬉しくなって、仰いだ夜空に、満天の星。
先生についてきて、ほんとによかった。

心から、そう思った。




                < 第七話 「愛で乾杯!」 了 >
162 名前:名無しOA 投稿日:2003年07月16日(水)00時53分47秒
言い訳じみますが、自分にしては、あまり時間をかけずに書いたもので。
お見苦しい点も多々あるかと思いますが、ご容赦下さい。

>147 名無し読み専 様

ありがとうございます。
実は、丸一日以上感想をいただけなかったので、物凄い凹んでたんですよ。
いつもはあまり気にしていないんですけれど、今回は、いつも以上に気合を入れて
書いたので、空回りしたかな、なんて。だからすごい嬉しかったです。
よければまた、ぜひ書き込んでください。よろしくお願いします。

>148 Silence 様

いつもありがとうございます。
どこかに小ネタを必ず入れたい、で、ついついやり過ぎそうになる自分と
いつも闘っていたり。いい感じで笑っていただけたとしたら、よかったです。
でもすでにやり過ぎているかもしれない。気をつけますです。

こちらこそ、今後ともどうかよろしくお願いします。
Silence様に負けないペースで私も更新を・・・って無理だなそりゃ。
163 名前:名無しOA 投稿日:2003年07月16日(水)00時55分04秒
>149  匿名匿名希望 様

いつもありがとうございます。
実は、最後に自分の姪の名前を折り込んでみたんです。めいの名はメイ。
ウソのようなほんとの話なんですけど、そう言っていただけると、ネタにされた
私の家族も浮かばれるというものです。今回は、果たしてご期待に添えたかどうか。

実は、追いつくまでは失礼のないようにと、触れるのを自粛していたのですが、
遅ればせながら、先日ようやく連載分に追いつきまして。
私の方こそ、一読者として楽しませていただいてますので、よろしくお願いしますね(ぺこり)

>150 名無しさん 様

こちらこそお疲れ様です。わざわざありがとうございます。
「マジック点いちゃった」
この部分は直前に挿入したのですが、まさかこの時期にこんなセリフが入るなんて!
石川さん吉澤さんは、前回優勝の年に生まれているんですよね。
阪神には、このままがんばってもらいたいです。だって、石川さんが嬉しいと、
やっぱりヲタも嬉しい。秋口には優勝をネタになにか書きたいものです。

お手数かけてスイマセンデシタ。今後ともよろしくお願いします。
164 名前:名無しOA 投稿日:2003年07月16日(水)00時56分59秒
>151  名無しさん 様

こちらこそお疲れ様です。わざわざありがとうございます。
きっとあの写真とあの写真?いやそれともあれかな?どれだろ?
【結論】どの写真も可愛いので、どの写真でも良い。

│`◇´) <・・・ぉぃ

きっと私が皆さんに余計な気を遣わせているのだと思いますが、一行でも一言でも、
どうかお気軽に書き込んでください。今後ともよろしくお願いします。




さて、実は予定外でしたので、やはり再び、目標は今月中。
皆様に、感謝をこめて。
よろしければまた、お付き合いください。
165 名前:じゃない 投稿日:2003年07月16日(水)12時54分36秒
とりあえずまたマワットキマス。

ヒーチャンモ 『チャーミー』デ ノミタイYO
166 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月16日(水)13時32分52秒
予想外の早い更新。
一番好きな小説なのでちょっと小躍りしてしまいました。
こんな町に住みたい。
167 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月16日(水)19時29分14秒
おぉ、予定外の更新!お疲れ様です。
例によって仕事中に(ry
うれしくて、何度も読み返しました。
「すっごい仲間」、あの歌と同じくらいの幸福感を感じましたよー
次回も楽しみにお待ちしております。

そして。
阪神頑張れ!阪神ネタ、実現の為に!(笑)
168 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月16日(水)20時09分08秒
やかましい!
阪神、阪神と!
おいらは巨人ファンでは無い(他チームも)が
阪神は嫌いなんじゃ!

お願いだから、阪神ネタは持ち込まないで!
169 名前:名無しOA 投稿日:2003年07月16日(水)21時11分08秒
更新はまだ出来ませんが、とりあえずお礼を。

>165 親愛なるじゃない 様

ありがとうございます。お疲れ様です。
相変わらずの破壊力、回っていただけて、ほんと無条件で嬉しいです。
『チャーミー』、いい店ですよね。仕切りが素晴らしいからでしょう。

またお世話になります。今後ともよろしくお願いします。

>166 名無しさん 様

ありがとうございます。
いただいたお言葉は、私の身に余る光栄、これからも恥じないように
精進していきたいです。
町をつくるのは、そこに住む人々なわけで。
きっと、166様のお住まいの町も、ステキなところなんだろうなあ、
と勝手に想像してみたり。

どうか、今後ともよろしくお願いします。
170 名前:名無しOA 投稿日:2003年07月16日(水)21時15分08秒
>167 名無しさん 様

ありがとうございます。お仕事お疲れ様です。
見つからないように、気をつけてくださいね。ホントに。
「すっごい仲間」いい歌ですよね。幸せになっていただけて嬉しいです。
願わくばその幸福が、末永く続きますように。

そう、ほんと、このままがんばってほしい。油断するなよ。
石川さんの喜ぶ顔が見たいですね。

どうか、次回もよろしくお願いします。

>168 名無しさん 様

ありがとうございます。
そうですよね。確かにそういう方もいらっしゃるでしょう。
ですが、ここ38年(!)で2回目の優勝、かもしれないんですよ。
なので、元来調子に乗りやすい関西人(私、実は大阪出身なのですが)は、
ついはしゃいでしまったり。申し訳ありませんでした。

もし、万一、ネタにするとしたら、それだけで一本、なんてことはせず、
こっそり、静かに祭りますので、そのときは笑って許していただければ
幸いです。
今後とも、よろしくお願いします。


では、また次回更新で。
なお、お手すきでしたら、引き続き、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします。
171 名前:匿名匿名希望 投稿日:2003年07月17日(木)19時03分45秒
遅くなりましたが更新お疲れ様でした。
更新されていたことに翌日気付き、読んだけれどゆっくりとレスを書く時間がなくて・・・。
皆様同様、私も予想以上に早い更新でPCの前で小躍りをしてしましました(w
そしてまたまた、読み返すこと数回。
皆いい人だなぁっと感じつつ、こんなお店に行きたい!!と心の中で叫びました。
今月の楽しみがまた増えたことが嬉しいです。

そして私の作品まで読んでいただいたみたいで(恥)
こちらこそ重ね重ねよろしくお願いいたします(ぺこりんこ)
ここで書かせていただくのもどうかなぁと思ったんですけど、やっぱり嬉しくて
書かせていただきました(照)

次回の更新も楽しみにまったりと待っています。
172 名前:Silence 投稿日:2003年07月17日(木)23時10分04秒
更新お疲れ様でした。
町にいる人がみんな家族かぁ。なんか、いいな〜そんな場所。
そ〜いえば最近家族とすらまともに「おはよう。」「おやすみ。」
という挨拶すらしてませんでした。明日は挨拶してみよっかな(w

う〜ん、うちの小説は考えて書くってより思いつきで書くって方が
多いのでやっぱその差ですよ。(カンガエテカイテルホウハチットモ・・・(w
それでは次回も作者様のペースでの更新期待してます!!
173 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月21日(月)02時49分58秒
今回はもしかして内輪ネタというやつですか?
174 名前:第八話 温泉旅行 投稿日:2003年08月06日(水)21時01分34秒
いろいろあって、戸田先生が交代で来てくれるのは、少し久しぶり。
もちろん医者に休日なんてないんだけど、これでようやく一息つける。

例えばサラリーマンだったとして、金曜の夜にネクタイを緩める時って、
きっとこんな感じなんだろう。
引継ぎついでに少し世間話などして、家に戻った。
175 名前:第八話 温泉旅行 投稿日:2003年08月06日(水)21時02分50秒
「ただい・・・ま」
すっかり着替えて、玄関に仁王立ちの梨華ちゃん。
いつもみたいな部屋着じゃない。

「先生」
うへえ。何か怒ってるみたい。なんでだろ?
「はい」
静かに怒ってるときが、一番コワイんだよな。

「何か、忘れてることあるよね?」
忘れてること?忘れてること。ゴメン、わかんない。

「いつになったら連れて行ってくれるの?」
「どこへ?」
やべー、すんごい怒ってるよ。
思い出せ、吉澤、思い出せ。
176 名前:第八話 温泉旅行 投稿日:2003年08月06日(水)21時04分20秒
って、あ!そうだ、温泉。
わざとじゃないんだ。
「ちょっと最近、忙しかったから」
あの、その、と口ごもる私を、梨華ちゃんが一喝。

「言い訳しないの!」
視線を下げると、梨華ちゃんの足元にバッグが二つ。
「今から、行くからね」
有無を言わさず着替えさせられ、車に押し込まれる。
タイミングよく出てきた戸田先生。どうやら打ち合わせ済みだったらしく。
「留守は、心配いらないから」
お土産、頼むね、なんて笑顔で送り出されてしまった。
177 名前:第八話 温泉旅行 投稿日:2003年08月06日(水)21時06分09秒
梨華ちゃんがステアリングを操る。運転、上達したよね。
って違う、そうじゃなくってー。

「ねえ、どこ行くの?」
「だいじょうぶだよ、1時間もかかんないから」
それなら、何かあってもすぐ戻れるから、安心だね。
って違う、そうじゃなくってー。

「いや、あの具体的に・・・」
私の問いに、梨華ちゃんは、高級で知られる旅館の名前を挙げた。
「ああ、あそこかあ。なるほど」
平静を装ったけれど、頭を諭吉が走っていく。
「しかも、別館の方だから」
別館は、いつでも国賓が泊まれるようなつくりなのだと聞いたことがある。
開いた口を塞ぐことが出来ない私を見て、梨華ちゃんが笑った。
178 名前:第八話 温泉旅行 投稿日:2003年08月06日(水)21時07分07秒
「だいじょうぶ、割引券もらったし」
「半額・・・」
いや、でも、それでも・・・。・・・まあ、いっか、たまには。
だって、こっちに来てずいぶん経つのに、まだどこにも出かけていない。
たぶん、これからも、こんな機会は多くないだろう。

「そんなに心配しなくても、へそくりあるから」
「へそくり?」
「うん。先生の」
えーと。・・・本人がそれを知らないってのは、あり?
こりゃ、愛想尽かされちゃったら、手も足も出ないな。
「よーし、思いっ切り、贅沢しよっか」
日ごろの感謝をこめて、今日はご奉仕させていただきます。

赤信号でキスをした。
旅館に着くまで、信号はその一箇所だけだった。
179 名前:第八話 温泉旅行 投稿日:2003年08月06日(水)21時08分04秒
案内された別館は、日本家屋の一軒家。客は一日一組。
庭に露天風呂。枯山水の先で崖が落ち込み、その向こうには、海がただ広がる。

「すごいね」
窓から、暮れ残る庭の夕景を眺める。
「料理も、すごいらしいよ。楽しみだね」

ひと頃に比べると、格段に早くなった日没。
噂にたがわぬ夕食を終え、庭の露天風呂を味わう頃には、辺りは真っ暗だった。
背中をお互いに流し合って、肩までお湯に沈む。
180 名前:第八話 温泉旅行 投稿日:2003年08月06日(水)21時09分07秒
「ふぃー、キモチいいねえ」
「先生、ほんとオヤジくさいよね」
「そう?」
湯船のお湯で、顔を洗う。
「それが、もうだいぶキテる」
ふははは、そうなのか。自覚ないし。
「直した方がいい?」
「うーん。別に、どっちでもいいよ」
「どうでもいいんだ?」
「違うよ。どんな先生でも、好きだってこと」
あのー、普通に言われると、すごい照れちゃうんですけど。

「どしたの、先生、真っ赤になっちゃって。のぼせた?」
「ううん。梨華ちゃんがあんまり可愛いから、恥ずかしくなって」
ちょっと仕返し。のはずだったのに、ほんとに恥ずかしくなって、
目前に広がる黒い海に、視線を移した。
今夜は新月。闇を飲み込んで、微かに星空を映す、黒い海。
181 名前:第八話 温泉旅行 投稿日:2003年08月06日(水)21時10分14秒
あのねえ、梨華ちゃん。こないだね。
「でっかいナスの夢、見たんだ」
「ナス?食べる茄子?」
「うん」
「でっかいって、このくらい?」
向かい合わせの手のひらを、肩幅ぐらいに広げて示す梨華ちゃん。
「ううん、もっと」
さらに倍。もっと。さらに倍。梨華ちゃんの両手が、限界まで広がる。

ううん、違うんだ。強いて言うなら。
「暗闇に、ヘタをつけたような」
梨華ちゃんの視線が、黒い海へ向かう。
「っていう落語があるんだけど」
今夜は本当に、そんな深い闇だね。
182 名前:第八話 温泉旅行 投稿日:2003年08月06日(水)21時11分45秒
ねえ、梨華ちゃん。
こっちに来てから、当たり前のことを、たくさん知った気がするんだ。

夜って、暗いなあ、とか。
月って、明るいなあ、とか。
星って、こんなにたくさんあったんだ、とか。

当たり前っていうか、太古の昔には、当たり前だったこと。
何か、人に出来ることの小ささを知った、っていう感じ。

医者って、大学出たとたん、いきなり先生扱いされちゃうでしょ。
「今まで、勘違いして、患者さんに偉そうにしたりしてなかったかなあ」
なんて、ちょっと、反省してるんだ。

「確かに、意味なく偉そうにしてるドクターって、たくさんいたけど」
私の知る限り、先生は、そんなところからは一番遠い存在だよ。
「ありがと。最高の誉め言葉だよ」

過ぎてゆく風が冷たくなってきて、とりあえず長い入浴を終わりにした。
183 名前:第八話 温泉旅行 投稿日:2003年08月06日(水)21時12分49秒
念入りに肌を手入れする梨華ちゃんを待ちながら、既に敷かれてあった
布団にうつぶせる。湯気が立ってるんじゃないかと思うほどの温まりよう。

一緒にお風呂に入ったのも、こんなにゆっくり浸かったのも、思い出せない
くらい久しぶりだ。連れてこられて、よかったや。

静かに足音が近づいてきて、腰の辺りに重みを感じた。
私に馬乗りになっている、梨華ちゃんの重み。

「マッサージ、してあげる」
「んあ、ありがとー」
梨華ちゃん、上手なんだよな。何回かしてもらったことあるけど。
肩、背中、腰、腕。的確な刺激を与えてくれる、細い指。
184 名前:第八話 温泉旅行 投稿日:2003年08月06日(水)21時14分05秒
「先生って、すごいよね」
「何が?」
「だって、この両肩に町の人の命がかかってるんだもん」
「そんなことないよ」
梨華ちゃんが治した患者さんだって、いっぱいいるよ。
「ありがと。今夜は、急患ないといいね」
戸田先生がいてくれてても、もし何かあったら、やっぱり心配でゆっくりできない。

「うん。でもなあ・・・」
こうゆう時って、日頃の行いが影響するんだよねえ。
「じゃあ、だいじょうぶなんじゃない?」
さあ、それはどうだろ?私はいいとしても。
「梨華ちゃんは、存在自体が罪だからなあ」
ぴたっと、指の動きが止まる。
「・・・頭の中まで、湯当たりしたんじゃないの?」
あはは、呆れられちゃったか。
185 名前:第八話 温泉旅行 投稿日:2003年08月06日(水)21時15分34秒
「そうかも。でも、どっちにしろ年中のぼせてるよ、梨華ちゃんに」
「何言ってんの、倒置法まで使って」
「しょうがないじゃん、ほんとのことなんだから」
どんな言葉も、表現技法も、もどかしいんだ。
だって、きっと、この気持ちには足りないよ。
「だいじょうぶ。伝わってるよ、ちゃんと」
だから、安心して。
「うん。ありがと」

再び動き始めた梨華ちゃんの指が、リンパに沿って滑っていく。
「どう?気持ちいい?」
すげー気持ちいい。なんだかぼんやりしてきた。
「うん」
「じゃ、今度は前ね。仰向けになって待ってて」
仰向けでマッサージって、あるかなあ?なんて思いながら指示に従う。
梨華ちゃんが立ち上がって、部屋の明かりが消えた。
186 名前:第八話 温泉旅行 投稿日:2003年08月06日(水)21時16分47秒


え。あ。ちょ、ちょっと待って梨華ちゃん。んぐ。



その夜は。

久しぶりに。

梨華ちゃんに、襲われた。

187 名前:第八話 温泉旅行 投稿日:2003年08月06日(水)21時17分51秒
つかまる背中が、汗で、滑る。
何度か、許しを請う。
何度も、許しを請う。

聞き入れてもらえない。
梨華ちゃんて、案外意地悪だったんだね。

更なる許しを請う。
「ダメだよ、もう少し」
わかったから、お願い、耳元で言わないで。

結局許してもらえないまま終わりを迎えた私を、それでも梨華ちゃんは
優しく包んでくれた。余裕の笑みを浮かべながら。

負けず嫌いだもんなー。奇襲とはいえ、今日は私の完敗。
勝ち負けなんて、あるのかどうかわからないけど。
188 名前:第八話 温泉旅行 投稿日:2003年08月06日(水)21時18分56秒
お互いの呼吸が落ち着いたところで、ふと思った疑問を口にしてみる。

「あのー、ところでさ」
割引券って、誰にもらったの?
「ロクローさん」
「いつの間に?」
「ナイショ」
なんだよ、私以外みんなグルだったのか。まあ、自業自得かな。

「ゴメンね、梨華ちゃん」
約束、後回しになっちゃって。しかも、ちょっと忘れてて。
「そんなの、いいよ。気にしなくて」
だって、預かってる生命より大事なものなんて、ないもん。
189 名前:第八話 温泉旅行 投稿日:2003年08月06日(水)21時20分16秒
「・・・何かね、今ね」
梨華ちゃんを好きでよかった、ってそう思った。

ギュッと抱き寄せた梨華ちゃんから、湯の香が立ち上る。
リベンジしたい。でも今夜は、体力的に無理っぽい。

「ねえ、梨華ちゃん」
もう一泊、しちゃおうか。へそくり、だいじょうぶでしょ?
「だいじょうぶだけど、いいの?」
「いいの」
だって、今、改めて、決意したんだ。

患者さんのことも、梨華ちゃんのことも、力いっぱい大切にする、って。
「帰るまで、何事も起こらないことを祈ろう」
だから、せっかくのチャンスは、出来るだけ生かさなきゃ。
190 名前:第八話 温泉旅行 投稿日:2003年08月06日(水)21時21分18秒
梨華ちゃん。
「今夜は・・・・・寝るんだけど」
明日は、寝かさないから。
「いいよ、無理しなくて」
こうやって、ゆっくり話せるだけで、充分だから。

「そうか、朝からって手もあるよね」
「ないよ。私の話聞いてる?」
「ごめん、聞いてる聞いてる」
呆れて背中を向けようとする梨華ちゃんを、慌てて抱きしめた。
ほんとにエロ旦那なんだから、とかなんとか呟いてる。
首筋から、すごくいい匂い。だめだ、どうにも止まらない。
191 名前:第八話 温泉旅行 投稿日:2003年08月06日(水)21時22分44秒
よし、決めた。
「今夜も、寝かさないことにする」
「・・・だいじょうぶなの?」
「途中で寝ちゃっても、許してね」
「許しません」

頬を両手で挟まれて、いわゆるアッチョンブリケ状態。
そのまま口づける。とりあえず、はじめちゃおう。

何とかなるさ。

だって、体力と、梨華ちゃんを好きなことにかけては、自信があるから。




                   < 第八話 「温泉旅行」 了 >
192 名前:名無しOA 投稿日:2003年08月06日(水)21時24分40秒
とっくに8月で申し訳ありません。平謝り。

>171 匿名匿名希望 様

ありがとうございます。
前回ちょっとがんばったと思ったら、今回この体たらく。
まったく申し訳ないことです。平謝り(ぺこりんこ)
こんなお店、きっとこの空の下のどこかにあるはず(切望)
もし見つかったら、きっと物凄い勢いで通ってしまいそうです。
一緒に、常連仲間になりましょうね。

次回まで間が開きますが、またよろしくお願いします。
193 名前:名無しOA 投稿日:2003年08月06日(水)21時25分33秒
>172 Silence 様

ありがとうございます。
私も、離れているのをいいことに、家族には不義理を重ねています。
一つ屋根の下、または、一つの血のつながりの中。
近すぎて見えないこと、切れない絆ゆえの甘え。
家族って、単純なようで複雑なのか、はたまた逆か。

なんて、書いてるときは、私も思いつきなんですよ。
皆様のレスに育てていただいて、何とかやっていけてます。

次回はちょっと遅くなりそうですが、またよろしくお願いします。

>173 名無しさん 様

はい。お察しの通りです。
194 名前:名無しOA 投稿日:2003年08月06日(水)21時26分39秒
さて、次回ですが。
夏は毎年、スケジュール管理などをしてくれているナンシーと、
休暇を兼ねて、スイスの別荘で過ごすことにしております。

( `◇´) <秘書と避暑ちゅうオチやったら張り倒すで。

あ・・・・・。

それはウソなのですが、ちょっと休ませていただいて、次回は
医療つながり(?)で、救急の日、あたり。

よろしければ、変わらぬお付き合いのほどを。

暑い日が続いているらしい中、皆様のご健康とご多幸、
心よりお祈りいたしております。
195 名前:匿名匿名希望 投稿日:2003年08月06日(水)22時23分41秒
更新お疲れ様です。
ほのぼのとしながらも萌状態(w
読めば読む程はまっていきます。
日常の中に一瞬でも何か違ったモノが入り込んだり、違ったことがあったりすりと
見えてくるもの。
モノでも人でも『大切』とか『大事』とかはそんな時に気付いたりするんですよねぇ(私はですが(苦笑))
今回も町の皆さんの温かさを感じ、久しく温泉になんて行ってないなぁと思ってみたりしながら
楽しませていただきました。
(やっぱり読み終わって色々と考えたり思ったりするのは私のクセですね(w))

常連仲間なりましょう。
クセになったら抜けれなさそうなお店が一つあるのもいいことだと思いますから(w

次回の更新もまったりと待っています。
休暇、ゆっくりと楽しんできてくださいね。
196 名前:名無しアゴン 投稿日:2003年08月07日(木)06時36分37秒

更新、オツです。

いつも思うのですが、OAさんの作品には、何とも言えない
ゆったりしたリズムが有るんですよね。
声に出して読むと一層よく分かります。
でも、夜中には止めておかないと、周りから白い目で見られますが。
それが心地よくて、読み終わった後にほのぼのとなります。

ナンシーとスイスですか?
私はニースです、向こうで逢いましょう。
197 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月07日(木)21時50分25秒
温浅旅行、とろけましたー。
ごちそうさまです。
198 名前:Silence 投稿日:2003年08月09日(土)14時22分12秒
更新お疲れ様でした。
どんな医者よりも患者さんのことを思っている先生の休暇ですね。
・・・。言葉が出てこないや。なんかここの小説ってほんと大人
の小説って感じで。でも、め〜いっぱい楽しませてもらってます。

ヽ(^〜^0≡^〜^)ノ <ほんとだよ。楽しんでるよ(w

まったりと待ってますよ。作者様も休暇楽しんで来てくださいね。
(秘書と避暑ちょいつぼでした
199 名前:第九話 忘れた頃に・・・ 投稿日:2003/09/30(火) 15:35
窓が軋んで、震える音で目を覚ました。
風、いつもより強いのかな?ううん、何か違う。
胸騒ぎがして、先生の腕を強く掴む。
目を覚まして私の方を向いてくれた先生と目が合った瞬間、ベッドが
大きく跳ね上がって、頼りなくグラグラ揺れ始めた。

先生は私をかばうように覆いかぶさり、頭まで布団を引き上げる。
「怖い」
「だいじょうぶだから、つかまってて」
先生のパジャマの胸の辺りをぎゅっと握る。怖い。怖い。
永遠にも感じられる長い長い数十秒が過ぎ、揺れがおさまった。
200 名前:第九話 忘れた頃に・・・ 投稿日:2003/09/30(火) 15:36
「地震?」
「うん。ケガは?ないね?」
棚の上のあらゆるものが床に散乱しているけれど、幸い割れものは寝室には
置いていなかった。家具はすべて、あらかじめ固定してある。

「今のうちに着替えて」
先生が、床からスリッパを探し出して、差し出してくれる。
「危ないから裸足で歩かないでね」
いまだ呆然とする私の両肩に手を置いて、先生が強く言った。
「梨華ちゃん、単なる被災者じゃないんだから、しっかりして」
そう、ぼんやりしてる場合じゃない。
201 名前:第九話 忘れた頃に・・・ 投稿日:2003/09/30(火) 15:37
私が着替えている間に電気や水道を確認した先生が、ラジオを片手に戻ってきた。
「電気、止まってるみたい。水は来てる。ガスはとりあえず閉めた」
手渡されたラジオをチューニングする。
アナウンサーが、身近な地名の震度を読み上げていく。

「ちょっと役場行ってくるよ」
言いながら、先生が5秒で着替えを済ませた。
「私は?とりあえずどうすればいい?」

家はいいから、診療所をとりあえず使えるようにしといて。
それから、余震があるかもしれないから、少しでも揺れを感じたら、
机かなんかの下にもぐりこんで。
危ないから、車は使わないで。それから、絶対海に近づいちゃダメ。
今より大きい揺れは来ないから、とにかく落ち着いて対応して、ね。

「頼んだよ」
上着を引っかけて、そう言い残し、先生は自転車を漕いで駆けていった。
と思ったら全速力でUターンして戻ってくる。
202 名前:第九話 忘れた頃に・・・ 投稿日:2003/09/30(火) 15:38
「救急ボックス忘れちゃった」
落ち着いているようで、先生も動揺している。
だって、先生も初めて体験するんだもん。
私も、負けないようにしっかりしなきゃ。

再び先生が飛び出してすぐ、私は診療所を開けた。
非常用の自家発電を頼りに、最小限の明かりをつける。

待合室の雑誌やスリッパを拾い集め、あらぬ方を向いたイスを戻す。
診察室の中は、細かい器具がすべてばら撒かれ、散らかっていた。

何から手をつけよう。とりあえず、ケガした人が多いはずだから・・・。
切り傷や打撲、骨折なんかの疾患に対応できるようにしておこう。
必要と思われる器具を拾い、消毒し、包帯や薬品を一箇所に集める。

薬品庫は作り付けで鍵付きだから無事。カルテの棚も同じ。
レントゲンほかの設備もちゃんと使えるみたい。
203 名前:第九話 忘れた頃に・・・ 投稿日:2003/09/30(火) 15:39
割れたガラスを片付けながら、私は心の準備をした。
余震が来たら・・・。先生が帰る前に、患者さんが来たら・・・。

とるべき手順を反芻している途中で、先生が帰ってきた。
あわただしく上着を脱いで、白衣に着替える。
「レントゲン、確認してある?」
「はい」
倒れてきたタンスで胸を打ったという男性が、担架で運ばれてきた。

それを皮切りに、休む間もなく手当てに暮れた一日だった。
204 名前:第九話 忘れた頃に・・・ 投稿日:2003/09/30(火) 15:39
夜半、やっと通じた電気のありがたさをかみしめながら、今度は家の片づけ。
先生はまだ、往診に行ったまま帰ってこない。
一人暮らしのお年寄りの家で、片づけを手伝っているんだろう。

大きな揺れのわりに、被害は少なかったと思う。
動けないような大ケガした人はいなかったし。
町の人全員の生存が、さっき確認されたらしいし。

道路が陥没したり、家が傾いたり、そういった被害はもちろん深刻なんだけど。
でも、無事でさえあれば、必ずいつか取り戻せることだから。
205 名前:第九話 忘れた頃に・・・ 投稿日:2003/09/30(火) 15:40
「ただいまー」
さすがに疲れ切った声。思えば二人とも、朝から何も食べていない。
「おかえり。お腹すいたでしょ」
「ああ、そういえば。梨華ちゃんも食べてないよね?」
気づいたとたんに、空腹が襲い掛かってくる。

「うん。でもごめん、何も用意してないの」
「あはは。そりゃそうだよ」
じゃーん。自ら効果音をつけながら、先生はカバンからカップめんを二つ取り出した。
「もらったんだ。今夜はコレ食べて、もう寝よう」
今日初めて、先生が笑った。
206 名前:第九話 忘れた頃に・・・ 投稿日:2003/09/30(火) 15:41
お湯を注いでからの3分間で、長い一日を振り返ってみる。

「いろんな『もしも』を考え始めると、きりがないんだけど」
もしもストーブを使う冬だったら。炊事を始める時間だったら。
備えのない地域で同じことが起こったら。
または、住宅密集地で、同じように揺れたとしたら。

「無事に暮らせるって、偶然の積み重ねだよね」
「うん。でも梨華ちゃんと出会えたのは必然だけどね」
「はいはい。伸びちゃうから早く食べて」

こんなこと言ってられるのも、みんなが無事だったから。
207 名前:第九話 忘れた頃に・・・ 投稿日:2003/09/30(火) 15:41
「先生。今朝、真っ先にかばってくれてありがとう」
「ん、いや。怒鳴ったりしてごめんね」
「ううん。私が悪かったから」

全部ひっくるめて、今日の先生はとってもカッコよくって。

惚れ直したよ、なんてことは、だけど言わないでおこう。


 
          < 第九話 「忘れた頃に・・・」 了 >
208 名前:名無しOA 投稿日:2003/09/30(火) 15:43
3名の行方不明者の方の生存と、怪我された方の早い回復を心よりお祈りしつつ。


( `◇´) <救急の日っていつやと思てんねん・・・

11月9日でしょ?

( `◇´) <とぼけんな!

ゴメンナサイ。平謝り。
209 名前:名無しOA 投稿日:2003/09/30(火) 15:43
>195 匿名匿名希望 様

ありがとうございます。遅くなってすいませんでした。

日常の一瞬の中に見えるもの。今回、ちょっとだけ揺れが強かったところに
住んでいるのですが、それでも感じることはいろいろありました。
守るべきものと、捨てていいもの。
守るべきものを守れる力のなさに愕然としてみたり。

近いうち、チャーミーでお会いしましょう。

>196 名無しアゴン 様

ありがとうございます。
読むんですか?声に出して!?
ものすごく恥ずかしいですが、そんなふうに誉めていただいたのは初めてで、
嬉しいです。

向こうではすれ違っちゃいましたね。来年お会いしましょう。
210 名前:名無しOA 投稿日:2003/09/30(火) 15:44
>197 名無しさん 様

ありがとうございまーす。
私もとろけたいです。とけてしまうほど浸かりたいです。

>198 Silence 様

ありがとうございます。
僻地のお医者さんって、こんな感じらしいですよ。
お風呂にも電話を持って入るとか。

ヽ(^〜^0≡^〜^)ノ <別に疑ってないよー

書いてる本人はいつまでもコドモなのに、この二人は勝手に動いてくれて、
ありがたいやら、自分がナサケナイやらでもう・・・。
お待たせして申し訳ありませんでした。


さて、次回目標は、10月中。よろしければまた、お付き合いください。
211 名前:匿名匿名希望 投稿日:2003/09/30(火) 20:18
更新お疲れ様でした。
『笑える』っていうのは幸せなことだなぁって思いました。
普段はあんまり考えなくて、いつもは思わないことも、何だかこの小説読むと
考えたり思ったりするんでしょねぇ。

次回もマッタリと待っています。
何処までついていきますから(w

そして近いうちに絶対お会いましょうね(w
212 名前:名無し読者 投稿日:2003/09/30(火) 21:51
更新乙です。
お話がリアルでどきどきしました。
自分さえも守る術がなくオロオロしていただけの私は、先生の様に、
とは言わないけれど、せめて冷静に動けるようになりたいー

今回の地震でえりも町が87センチも移動したそうですが、
自然の力のすごさに驚くばかりです。。。
213 名前:Silence 投稿日:2003/10/14(火) 11:51
更新お疲れ様でした〜。
自分のことより他人のことを真っ先に思いやれる先生を
尊敬します。自分なんか(ry 次回も楽しみに。
214 名前:名無しOA 投稿日:2003/10/27(月) 23:20
毎回自分に締め切りを課しているのですが、
今回は大幅に遅れてしまいそうです。

お付き合いいただける方、おられましたら、申し訳ありませんが、
もう少々お待ちいただければ幸いです。

>211 匿名匿名希望 様

ありがとうございます。
ほんとにそうですね。無事であることの偶然。
昔、「赤ちゃんを抱いたお母さん」を助手席に乗せた時、
この世って危険がいっぱいだったんだな、と改めて思いました。
私も、普段は考えないようなこと、書きながら気づいていたり。 

お待たせしてすいません。
そのうち『チャーミー』、予約しておきますね。
215 名前:名無しOA 投稿日:2003/10/27(月) 23:21
>212 名無し読者 様

ありがとうございます。
レス番が市町村の数と同じなのは、必然でしょうか(笑)?

ほんとうに、ご無事で何よりでした。
足元が突然一メートル近く動いたら、オロオロしちゃう方が普通ですよ。
私もそうでした。吉澤先生は別格です(笑)。
余震ならぬ「予震」があればいいのになあ。

>213 Silence 様

ありがとうございます。
Silence様もご無事で何よりでした。
私も心から先生を尊敬し、こうありたいと思ったり(笑)。

お待たせしてホントにすいません。


改めて次回目標は、来月前半。
お付き合いいただける方、どうかよろしくお願いします。
216 名前:名無し読者 投稿日:2003/11/20(木) 00:50


いつまでも待ちますよー
217 名前:第十話 冬支度 投稿日:2003/11/27(木) 02:58
短い秋が、山の色を塗り替えながら通り過ぎていく。
みるみる夜が長くなり、風が厳しさを増す。
朝夕、そして日中もストーブに火を入れる日が増え始めた。
218 名前:第十話 冬支度 投稿日:2003/11/27(木) 02:59
「今日は絶対勝つよ、悪いけど」
朝の冷気の中、一日は寝床でのじゃんけんから始まる。
起き出すには少し早い時間に、どっちが診療所を暖めに行くか、
そうやって決めることにしたのだ。
一番乗りの患者さんを、寒いところへ迎えるわけにはいかない。

そして目下、先生は6連敗中。二割五分というありえない勝率を誇っている。

「グー出すからね、グー」
「普通にやった方が、絶対勝率上がると思うけど」
「いいからいいから。パー出せば、梨華ちゃんの勝ちだから」
「わかった、パーね。はい、じゃんけん・・」
219 名前:第十話 冬支度 投稿日:2003/11/27(木) 02:59
ホイ!

私はチョキ。
先生はパー。

「グー出すって言ったからチョキ出してあげたのに、何やってんの?」
「だって昨日は確か・・・えっとどうだったんだっけ?」
「昨日はチョキ出すって言ってパー出して負けたの」
「そうだっけ・・・。・・・行ってくるね・・・」
確率から言って、二回に一回は勝てるはずなのになぁ、なんてぶつぶつ言いながら、
策に溺れっぱなしの策士は、寝室を出て行った。
220 名前:第十話 冬支度 投稿日:2003/11/27(木) 03:00
「うぉーーー!さみぃーーーー!」
叫び声とともに、玄関が閉まる音がする。
診療所と、リビングのストーブを点けて帰ってくるのが、敗者の仕事。
勝者は、どっちもが暖まる頃まで、お布団の中にいることができる。

タイマー付きのストーブに買い換えよう、という話は何度かした。
話している間に、それが必要な季節が来てしまったけれど。

再び玄関で音がして、敗者の足音が寝室へ駆けてくる。
敗者を暖めてあげられるのは、勝者の特権で。
221 名前:第十話 冬支度 投稿日:2003/11/27(木) 03:02
「あー、今日はマジ寒いよー」
隣に戻ってきた先生を包んで、背中をさする。
ホントだ、冷たい。

「タイマー付き、買わない?」
「うーん、風情がないっちゅうかなんちゅうか」
「当番制にしてもいいよ」
「それも、風情がないっちゅうかなんちゅうか」
「私はいいけどね、先生じゃんけん弱いから」
「ぬぅー、明日は絶対勝つ。パーで勝つ」
「じゃあ、グー出してあげるからね。がんばってね」

それが敗因だってことは、本人も分かってやってるんだろう。
私は黙って笑っていた。
222 名前:第十話 冬支度 投稿日:2003/11/27(木) 03:03
その日の午後、往診がいくつかキャンセルされて、ぽっかり時間が空く。
「買い物、行こうか」
晴れ渡る空を見上げながら、先生が提案する。
「うん!」

お買い物って言っても、原宿に行くわけじゃない。
だけど、一緒に出かける機会そのものが多くないから、ちょっとしたことが
すごく嬉しく感じられる。

交換したての冬タイヤを履いた車で目指すのは、町で一番大きな建物の、
ホームセンター。

ほんの数分のドライブ。なのに移ろう景色は、数日前ともう違っている。
ゆるやかに落ち葉を巻き上げながら、車は駐車場に滑り込んだ。
223 名前:第十話 冬支度 投稿日:2003/11/27(木) 03:03
車や、庭の除雪用品。軍手。灯油タンク。
並んでカートを押しながら、足りなかった冬支度を完璧にしてゆく。

「あ、そうだ。梨華ちゃんのアレ、まだ準備してないね」
「アレ?」
「そう、えっと、こっちこっち」
足を速める先生についていく。いくつか角を曲がる。

え?
224 名前:第十話 冬支度 投稿日:2003/11/27(木) 03:04
プレゼントするから、好きなの選んでいいよ、って先生が示したのは、
ずらりと並んだ・・・長靴。
「あったかいからね、そろそろ、雪が来るんだよ」
って、誰かが言ってたらしい。
「そうすると、必要になるから」
往診の道のり、除雪、あらゆる場面で強い味方になってくれるという。
幼稚園の頃、雨の日に履かされたっけ。まさかこの歳で再会するなんて。

「これなんかどう?」
「おっきくない?」
「ズボンをね、こうやって中に入れるからね、これくらいでいいと思うよ」
実演してくれた先生の似合いっぷりに敬意を表して、そのチョイスに従った。
225 名前:第十話 冬支度 投稿日:2003/11/27(木) 03:05
夕刻、すっかり暮れかけた帰り道。
荒れはじめた海の音。立ち込める雲。一気に下がる気温。
「初雪、来るかもね」
「積もる?」
「かも。でも、まだすぐ解けるから」
本当に積もるのは、もう少し先のこと。

最後のカーブに差しかかったとき、薄闇の中に白い雪が浮かびはじめた。
「ほら、来た」
「ほんと・・・」
「雪見るの、久しぶりでしょ?」
「うん・・・」
フロントガラスに当たっては解ける雪に、私は釘付けになっていた。
226 名前:第十話 冬支度 投稿日:2003/11/27(木) 03:06
帰り着き、車を降りる。低く垂れこめた空を見上げる。
音もなく湿った雪が降りてきて、夜の底が白く染まっていく。

「だいじょうぶかな、私?」
「ん?何が?」
「冬、越せるかな?」
「はは、だいじょうぶだって」

昨日より今日の方が寒くなって、だんだん冬が近づいてきて。
昨日より今日の方が暖かくなってきたら、春。
それだけだよ、どこにいても同じ。

こともなげに言う先生を見ていたら、だいじょうぶな気がしてきた。
考えてたって、しょうがないもんね。将軍、来るなら来い!

こうしてポジティブに、二人の冬がはじまった。



                < 第十話  「冬支度」 了 >
227 名前:名無しOA 投稿日:2003/11/27(木) 03:10
>216 名無し読者 様。



すいません、お手数かけました。



お待ちいただいた皆さん、どうもすいませんでした。
そんなこんなで、冬です。御身御大切に。

さて、次回ですが、目標は年内。
よろしければ、今しばらくお付き合いください。

228 名前:匿名匿名希望 投稿日:2003/11/27(木) 19:05
更新お疲れ様です。
そしてお待ちしておりました(w
長靴をはいた2人をニヤニヤしてしまいましたよ。
寒い季節に暖かい風が吹き込んできた感じですね。
ほこほこです。
今後もおつき合いさせていただきますので、まったりと頑張って下さい。
229 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/20(土) 23:47
保全
230 名前:第十一話 Very Merry Christmas! 投稿日:2003/12/24(水) 22:48
冬がはじまると、診療所は少し賑やかになる。

漁師がヒマになると、それ以外の職業は忙しくなり。
それから、みんな季節の変わり目で調子を崩したり、ヒサブリの降雪で転んだり。

だから気をつけてはいたのに、不覚にも私自身が風邪を引いてしまった。
文字通り、医者の不養生ってやつだ。
231 名前:第十一話 Very Merry Christmas! 投稿日:2003/12/24(水) 22:50
風呂上がりに寒気を覚える。
ストーブにがっつきながら、舌下に体温計を差し込んで、しばし。
「う〜、やっぱちょっと微熱あるや」
あーへこむ、あーマジへこむ。

「だから昨日、あれほど薬飲んで早く寝なさいって言ったのに」
ここ数週間、2、3日おきに夜中の急患が続いていた。
幸い大きな疾病ではなかったけれど、何となく浅い眠りしかとれなくて、
リズムを崩していたことは事実。
・・・何年か前なら、これくらい平気だったことも、事実。

「ねえ、ルルルAってどこにあったっけ?」
「ちゃんと自分で処方しなさい!」
「・・・はぁーい」
「先生の代わりはいないんだからね!」
はぁーいおっしゃるとおりですゴメンナサイ。
232 名前:第十一話 Very Merry Christmas! 投稿日:2003/12/24(水) 22:51
梨華ちゃんが薬を取りに行ってくれた間に、私はベッドの横に布団を敷いた。
一緒に寝て、移してしまったら大変だ。
こっちに来てから、家で別々に寝るのは初めて、かな。

戻ってきた梨華ちゃんにお礼を言って、薬を受け取る。
「何かあったら、叩き起こしてね」
「うん。わかってる」
白湯で錠剤を飲み下す。よし、これで明日には元通り、絶対治ってる。
軽く自己暗示をかけて、心配そうな梨華ちゃんに微笑んだ。

「髪、乾かしてあげるから、座って」
「梨華ちゃんお風呂まだでしょ?自分でやるよ」
「いいから、早く」
いつもはここまでしてくれない。ので、素直に甘えてみる。
耳元で大きな音を立てるドライヤーと、優しく髪を梳く梨華ちゃんの指。
たまにはこんなのもいいけど、でも、ホントにもっと気をつけないとな。
233 名前:第十一話 Very Merry Christmas! 投稿日:2003/12/24(水) 22:52
「よし、完了」
カチッと音がして、リビングが静まり返る。
「今日は布団で寝るけど、もし何か・・・」
「あったら叩き起こすから心配しないでおやすみなさい」
「あ、うん。頼むね」

バスルームへ向かう梨華ちゃんと別れて、布団に潜り込む。
しぶしぶ処方した薬の成分のおかげで、難なく熟睡モードに入れた。
しばらくあとで、梨華ちゃんが枕元に来て、額に触れてくれたけれど、
薄目を開けるので精一杯。


ごめん、梨華ちゃん。
ごめん、おやすみ。

234 名前:第十一話 Very Merry Christmas! 投稿日:2003/12/24(水) 22:53

              *

235 名前:第十一話 Very Merry Christmas! 投稿日:2003/12/24(水) 22:54
くどいほど言われた「何かあったら叩き起こして」という先生の言葉。
ふと気づいた乳房のしこりが、その「何か」に該当するのかどうか、
私は一人で逡巡していた。

お風呂上がりの裸身を、ふと映した鏡の中の、アシンメトリー。
見間違い、かな?そっと触れてみる。膨らんだ皮膚が指に当たる。
・・・この間の健診では、何も言われなかったのに。なぜ?いつから?

次第に早まる鼓動を自覚しながら、自分に言い聞かせる。
いつも先生が、患者さんに言ってるじゃない。
『乳房のしこりの9割近くは、良性なんですよ』
これも、その可能性が高いです。だから、そんなに心配しないで。
でも、ウチには専用の機械がないんで、一度大きな病院で診てもらいましょう。

実際、紹介先の病院から絶望して帰ってきた人は、幸いにしてまだ、いない。
236 名前:第十一話 Very Merry Christmas! 投稿日:2003/12/24(水) 22:55
迷いながら、寝支度を終える。
今先生を起こして、風邪をこじらせたりしたら。
私一人の先生じゃない。町の人みんなを、不安にさせてしまう。

リビングの灯りを消して、そっと寝室に入る。
枕元にペットボトルを置いて、先生の額に触れる。
かろうじて薄目を開けた先生はとても眠そうで、このままにしてあげたかった。
「明日で、いいかな」
9割は良性。だから、起こすほどのことじゃ、ない、よ、ね。

ひとりベッドに入って、もう一度触れてみる。確かにそこにある違和感。
分かっているつもりでいたけれど、本当には理解していなかった。
9割だなんて数字、気休めに過ぎないこと。
当の本人にとっては、ゼロか百かだってこと。
だって、私が、その9割に入ってる保証は、どこにもない。

その夜、私は、なかなか寝付けなかった。
237 名前:第十一話 Very Merry Christmas! 投稿日:2003/12/24(水) 22:56
「梨華ちゃん」
先生に起こされて浅い眠りから醒めた、翌朝。
「外、すごいよ」
窓の外に目を向ける。風に舞い狂う雪。生まれて初めて見る、吹雪。
「こんな日は、誰も来ないかもね。去年もそうだったし」
切羽詰った病状じゃない限り、確かに病院へ行こうという気にはならないかも。
病院どころか、ちょっとした買い物へさえ。
波の砕ける音が遠くに聞こえて、私は、本当の冬の訪れを知った。

「一人じゃ眠れなかった?」
私をからかう余裕があるくらい、先生は元気。
「ううん。ね、先生、風邪は?」
「あーもう全快。楽勝」
ふへへへ、と笑う先生に、私は一瞬、不安を忘れた。
「ごはん、食べよ」
「うん」
神様に意地悪される覚えはない。
だから、きっと今日は吹雪なんだ。
私が先生に診てもらえる時間を、神様がくれた。

そう、ポジティブ!

私はベッドを出て、身支度を整えた。
238 名前:第十一話 Very Merry Christmas! 投稿日:2003/12/24(水) 22:57
先生の予想通り、診療所は開院休業。

「ゆーきは降る、患者はーコナイー、ってか梨華ちゃん」
「ん?」
「風邪、うつしちゃった?」
「ううん」
「何かちょっと元気ないからさ」
言うなら、今。
「・・・先生」
上ずる声を自覚できる。
「どしたの?」
先生が、伺うように私を見ている。
私は黙って患者さん用の椅子に座り、上半身を露にした。

向かい合う右手を掴んで、胸へと導く。先生の表情が、初めて見るそれに変わる。
「そのまま、横になってくれるかな」
素直に従い、診察台に横たわる。
「両腕、上げて。下げて。もう一回、上げて」
視線をどこに向けたらいいのかわからない。
「押さえたとき、痛む?」
「ううん、全然」
「そっか。ちょっとエコー、やってみようか」
私の上半身にタオルをかけてから、先生は準備を始めた。
239 名前:第十一話 Very Merry Christmas! 投稿日:2003/12/24(水) 22:58
「これは、超音波で身体の中を見る機械で、痛くはないけど・・・」
「ちょっとヒヤッとするんでしょ」
「あ、うん、・・・ゴメン。知ってるよね」
複雑な笑顔を見せて、先生は診察を続ける。
モニターを見ながら説明してくれたけれど、あまり耳に入らなかった。
だって先生、ほかの患者さんを診るときと、違うカオ、してるから。

「よし、終わり。もう服着ても、いいよ」
制服に腕を通しながら、覚えのある先生の言葉を聞く。

触った感じだけだと、少なくとも悪性ではないとは思う。
でも、この機会にちゃんと診てもらったほうがいいから、紹介状書くよ。
こっちはいいから、明日にでも行ってきて、ね。

私も、9割に入ってた。
240 名前:第十一話 Very Merry Christmas! 投稿日:2003/12/24(水) 22:59
「気づいたのは、いつ?」
「・・・昨日、お風呂で」
「どうして、起こしてくれなかったの?」
「久しぶりによく寝てたから・・・。ゴメンなさい」
「ううん、責めてるんじゃないから」

一人で、不安だったでしょ。こんなにそばにいるのに、ゴメンね。
強く抱きしめてくれた先生の腕の中で、やっと私に安心が訪れる。

夕方に吹雪がおさまるまで、休業状態は続いた。
来ない患者さんを待ちながら、先生はいつも以上に私を気遣ってくれ、
明日すぐに検査を受けられるように、手配も済ませてくれた。

結局、その日の来院者数は、薬を取りにきた2人だけ。正直、助かった。
だって、今日の診療所の空気は、あまり健康に良くない気がするから。
241 名前:第十一話 Very Merry Christmas! 投稿日:2003/12/24(水) 23:00
微妙な雰囲気は、当然家にも持ち込まれる。
ごはんのときも、そのあと寝るまでの時間も、落ち着きを取り戻す私に
反比例して、先生の様子が少しずつおかしくなっていく。

二日ぶりの同じベッドの中で、何だか先生はいよいよヘンだった。
明日、遠足にでも行くんだろうか。外観はたぶん、そんな子どもと同じ。

「センセ」
枕もとの灯りをつけた。
「ん、なに?」
「ジアゼパム、出してほしいな」
「いいけど・・・。眠れない?」
「・・・こっそり先生に飲ませるの」
また、見たことないカオ、してる。
「・・・ゴメン。何か、落ち着かなくて」
先生は起き上がると、顔を両手で覆った。私も追いかけて、先生を覗き込む。
242 名前:第十一話 Very Merry Christmas! 投稿日:2003/12/24(水) 23:01
「ねえ。先生がそんなだと、どうしても不安になっちゃうんだけど」
良性のはずなのに、どうしちゃったんだろう。丸くなった背中をさする。
「ゴメン。こんな気持ち初めてだから、コントロール出来なくて」
どうしたらいいかわかんない、絞り出すように先生が言う。

「・・・ホントは悪いんだったら、言って。私、先生から聞きたい」
「違うんだ。それは絶対違う」
ゆっくりゆっくり、先生が話す。言葉を探しながら。
「今のとこ、ベクトルは全部良性の方を向いてて」
でも、良性であってくれ、って願う心が、診断を狂わせてないとは、
言い切れないわけで。

「どんなに仲のいい他人でも、私情を挟まないで診察できてたんだけど」
長い、大きなため息。
「家族を診察するの、初めてなんだ」
ごめん、だから、間違ってないとは思うけど、自信は持てないや。

「ある意味、当事者だからさ。冷静に診察するなんて、無理な話だよね」
243 名前:第十一話 Very Merry Christmas! 投稿日:2003/12/24(水) 23:02
出会ってからは、ずいぶん経つけれど。
一緒に暮らしはじめてから、まだ一年にもならないのに。
だから、仲のいい他人で、充分なのに。
家族って思ってくれてること、すごく嬉しいよ。

「あ、や、だから、たぶん心配ないから、泣かないでよ」
違うの。違う違う違う。言葉に出来ない思いが、涙になって溢れていく。

大丈夫、大丈夫だから。私を抱きしめて、そう言ってくれる先生。
「梨華ちゃんが泣いてたら、なんか落ち着いてきた気がする」
苦笑いを含みながら先生がそう言って、ようやく私の涙は乾いた。

「ね、もう寝よ。梨華ちゃんは明日早いし、雪道運転だし」
「うん」

腕枕に身体を預けて、私は目を閉じた。
この人の誤診ならば、たとえ命に関わっても、私は許すだろう。
先生ありがとう、最後の一瞬まで、きっとそう思えるだろう。
244 名前:第十一話 Very Merry Christmas! 投稿日:2003/12/24(水) 23:03
翌日、朝早く出かけた私は、夕刻、無事をお土産に診療所へ戻った。
「どうだった?」
「イェイ!」
ピースサインで結果を伝える。
少し時間のかかる細胞診の結果は、特別に、今夜中に知らせてくれるらしい。

「よかったぁ。もうお祝いの手配、してあるんだ」
「何の?」
「もちろん、梨華ちゃんの無事の」
別にそれで今までどおりなんだから、お祝いなんていいのに。
それに、今夜はもっとほかに、祝うべきことがあるでしょ?
245 名前:第十一話 Very Merry Christmas! 投稿日:2003/12/24(水) 23:03
少し豪華な夕餉を味わったその夜遅く、電話が鳴った。
ワンコールで先生が出る。
「マジッすか?どうもありがとうございました」
電話なのに、深々とおじぎしている先生。

「検査結果?」
「うん。今後、経過観察すればいいって」
「よかった。でも、先生も同じ歳なんだから、気をつけないとダメだよ」
「そだね。うん。じゃあさ」

早速、経過観察しよう。並んで腰掛けたソファに、そのまま押し倒される。
「バーカ。バカバカバカバカ」

もう。でも、好き。

「よかった。ホントよかった。サンタさんにお願いした甲斐あったよ」
246 名前:第十一話 Very Merry Christmas! 投稿日:2003/12/24(水) 23:04
「先生、お願いするとこ、間違ってるって」
「いいよ、叶ったんだから。それ以外なにもいらないし」
「じゃあ、プレゼント買ってきたけど、返してくるね」
「あ、ウソウソ。それも欲しい」

お互いナイショで用意したプレゼントを交換しあう。
二人の夜が、静かに、静かに更けていく。

今夜、この空でつながる、すべての人たちの元にも。
幸せをプレゼントに、サンタクロースが訪れますように。




     <第十一話 「Very Merry Christmas!」 了 >
247 名前:名無しOA 投稿日:2003/12/24(水) 23:09
>228 匿名匿名希望 様

ありがとうございます。
長靴、ふとした拍子に、金髪のヤンキーみたいな女の子が履いてるのを見かけたりして、
自分的にはけっこうツボだったりしました。
若い男の子が履いてるのも、可愛かったりするんですけどね。

寒さ厳しき折から、どうぞご自愛のほどを。

もう少し、お付き合いよろしくお願いします。

>229 名無し読者 様

お手数かけてすいませんでした。
どうか良いクリスマスを。
248 名前:名無しOA 投稿日:2003/12/24(水) 23:11
さて、次回。

形は更新ではないかもしれませんが、必ずや近日中に。

読んでくださっているすべての皆様へ。

 Very Merry Christmas!
249 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/25(木) 00:26
イブの夜に更新乙です。

いやー泣いたりほっとしたり。
次回楽しみにしています。
250 名前:匿名匿名希望 投稿日:2003/12/25(木) 00:37
更新お疲れ様です。
もう少しでなくてもずっとお付き合いさせていただきます(w
いつも素敵なお話をありがとうございます。
そして作者さんも良いクリスマスを。
251 名前:名無しOA 投稿日:2003/12/28(日) 00:33
サンタがプレゼントをくれたようなので、是非皆様にも。
お手すきでしたら、メール欄のほうご覧下さい。
でも、私の方だけチェックしてくださってるかたは少ないでしょうから、既出かな?

>249 名無し読者 様

イヴの夜に更新ってのもどうか?と思いましたが、気づいたら24日だったんですよね。
それで、ちょっとだけ最後クリスマス仕様に、書き直しました。
一番ホッとしてるのは、たぶん、私です(笑)。

どうか良いお年をお迎えください。風邪など召されませぬよう。

>250 匿名匿名希望 様

いつもありがとうございます。
来年も、どうかよろしくお願いします(笑)。
いつも素敵なお話を、は、私の方のセリフですよ。

匿名匿名希望様も、どうか、良いお年を。


252 名前:名無しOA 投稿日:2003/12/28(日) 00:37
すいません、一レスだけ私信に使わせてください。

>>24 の名無し読者様、お元気でしょうか?
お姿お見かけしないこと、ずっと気になってました。
どうか良いお年をお迎えください。


読んでくださっている皆様へ。

今年一年のお付き合い、本当にどうもありがとうございました。
来年も、その先もずっと、皆様にとって良い年でありますように。
253 名前:24 投稿日:2004/01/13(火) 18:03
24です。昨年夏頃よりしばらく飼育を離れており、大変ご無沙汰して
おります。
「お隣りをキープさせて下さい」などと書いておきながら、全然
お邪魔出来ずにおりまして、本当に申し訳ございません。
生存報告も兼ねてお邪魔いたしました。

しばらく(いや、かなりの間)お邪魔しないうちに、こんなに素敵な
お話が第十一話まで進んでおられたのですね。
どのお話もまさに珠玉の短編集を読ませていただいているようです。

先生と石川さんが風の岬で幸せに過ごしているようで、安心いたしました。
これからも楽しみにしています。
254 名前:名無しOA 投稿日:2004/01/16(金) 20:02
>253 名無し読者 様

ご無事でおられること、信じてました。
お元気そうで、本当に何よりです。
お忙しいところ書き込みいただいて、ありがとうございました。
今後とも、どうかよろしくお願いします。

喜びのあまり、何かヘンなことを口走ったりしないうちに。

今夜は、再会を祝して、乾杯代わりに、新しいネタをひとつ。
255 名前:第十二話 温泉旅行、再び(前) 投稿日:2004/01/16(金) 20:03
「はあ、やっと休めるねー」
「うん。お疲れ様。なんか忙しかったもんね」
今年初めての、戸田先生が来てくれる週末。
年越しをはさんで間があいたので、気を使っていつもより早い時間に来てくださった。

バトンタッチして家に帰ると、先生はソファにぐったり。
私のことでも心配かけたし、ホント、ゆっくりさせてあげたい。
なんだかんだで結局、クリスマスもお正月も何もないまま過ぎて行ったし。

「年末年始くらい、実家に帰ってくれば?」
先生はそう勧めてくれたけれど。

「私、いないほうがゆっくりできる?」
「んなわけないしょ。いてくれたら、そりゃ嬉しいけど」

先生はもちろん、ここを離れるわけにはいかないし、そうしようともしない。
この町への赴任を決めるとき、ご両親には、せっかく医者になったけど、最期までは
看取れないかもしれない、って伝えて許してもらったそう。

「子どもはあと二人いるから、あなたは自分の仕事をしなさい」
そう言って快く送り出してくれたご両親の話になると、先生は少し淋しそうな顔をする。

そんな先生を、一人残していくのがイヤで、私は結局帰省しなかった。
256 名前:第十二話 温泉旅行、再び(前) 投稿日:2004/01/16(金) 20:04
「お風呂、今いれるから」
「あ、ねえ、今日は草津の湯がいいな」
お歳暮にもらった入浴剤セットが、いたくお気に入りだった先生。

「・・・・・・・ゴメン。昨日で全部使っちゃったの」
「・・・・ガーーーン」
そんな、この世の終わりみたいな顔しないでよ。
ブレンドして新しい温泉を開発するとかやってたから、早くなくなっちゃったんじゃない。

「ちょっと買ってくるから。待ってて」
「いや・・・いいよ。・・・行こう。本物の温泉入りに行こう!」

スクッと立ち上がりスタスタ電話まで歩くと、呆然とする私を残して、先生は黄色い、
薄い電話帳をパラパラ繰った。

「あった、これだ」

ダイヤルをプッシュ。

「すいません、今日、空きあります?んじゃ、二人お願いします」

必要事項を告げて、そっと受話器を置くと、先生は私に向き直る。
257 名前:第十二話 温泉旅行、再び(前) 投稿日:2004/01/16(金) 20:05
「ボンヤリしてないで、早く準備して、行こ」
「・・・どこへ?」
「こないだのとこ。今回は本館だけど」

てきぱき私に準備を指示すると、先生は自分もそれに取り掛かった。
戸田先生に行き先を伝えて。車を暖めて。

戸締り用心火の用心で、出発。

スリップしないように、慎重に車を走らせる先生。
「すっかり冬になっちゃったね」
「うん」
どこまでも続く雪景色。つるべ落としよりも早く沈む太陽。
夜にはまだ早い時間なのに、もうあたりは薄暗くなりかけている。

「冬はね、オフシーズン料金で、穴場なんだって」
「見るとこ、何もないもんね」
「うん。でも最近は、わざわざ都会から来る人もいるらしいよ」
現に、別館の方には予約が入っていたらしい。
先生が電話口でホッとした顔してたのは、そのことを聞いたときなのかもしれない。
258 名前:第十二話 温泉旅行、再び(前) 投稿日:2004/01/16(金) 20:06
無事に駐車場まで着いて、玄関へ。
私たちを出迎えてくれたのは、物凄い勢いで飛び出してくる三人連れ。

この寒い中、そんなに急いでどこ行くんだろ?転ばないでね。
微笑みあって三人を見送りながら、部屋へと案内してもらう。

本館の方も、広くて、きれい。
で、静か、と言いたいところだけれど。外から聞こえてくる嬌声。

「梨華ちゃんほら、見て」
先生が、窓から見下ろせる庭を指差す。
「さっき玄関ですれ違ったコたちだよね?」
「うん。元気だねえ」
積もりたての雪を固めて、無邪気に投げつけあう3人。
そんなに子どもじゃないように見える。なのに、あんなにはしゃいじゃってるってことは、
きっと、雪のないところから来たんだろうな。
259 名前:第十二話 温泉旅行、再び(前) 投稿日:2004/01/16(金) 20:06
「あれさ、ついついホンキになっちゃうんだよね」
「・・・やったの?」
「うん。去年、毎日のように。今年も多分、誘いに来ると思うけど」
今年は雪が遅くて、本格的に積もってまだ間がない。
だから、近所の小学生たちも、まだ戦闘モードじゃないんだって。

「こっちはとっくに銭湯モードなんだけどね」
先生がお風呂セットを持ち上げて、私に示す。
私は、駄ジャレの『駄』の意味を、再認識する。
「・・・・・」
「固まってないで、お風呂行こ。大浴場」

二人分の着替えを持って、先生は私の手を引いた。
260 名前:第十二話 温泉旅行、再び(前) 投稿日:2004/01/16(金) 20:07

立派な大浴場に先客はなく、二人でゆっくりのんびり。
お湯の中で悪戯しようとする先生の手を叱ったり、小さくキスしてみたり。

「重力ってさ、あるんだなあ、と思うよね」
「言わないでよー、思い出さないようにしてるのに」
気をつけても気をつけても、カラダが地球と仲良くなりたがる。

「梨華ちゃんは、ゼンゼンピチピチ・・・じゃん」
「何よ、今のヘンな間は!」
「弾いてる、弾いてるよ」
「棒読みじゃない!」
「シーッ。誰か来たみたいだから、静かに、ね」

さりげないふうを装って入り口を見ると、庭で遊んでいた女の子たちだった。
声を潜めて、会話を続ける。
「さっきの子たちだね」
「ハタチくらい?一人はもっと若いかな?」
「うん。高校生くらい?」
「この辺の子なら、雪合戦する歳じゃないよね?」
「うん、そだね。どっか、街から来たのかな」

元気なのは、いいことだ。先生はそうつぶやいた。
「上がって、ビール飲もっか」
「うん」

若い二人に貸し切りを譲って、私たちは浴場を後にした。
261 名前:第十二話 温泉旅行、再び(前) 投稿日:2004/01/16(金) 20:08

浴衣に半纏を羽織って、脱衣所を出る。
いい感じの湯上り。温泉のある国に生まれてよかった、なんて思うひととき。

部屋へ帰る途中、売店の前で、先生が歩みを止めた。
「お土産、ここで調達しといたほうがいいかも」
そうだね。この間買った店は、冬季休業中だったし。

「お財布取ってくる。先生、先に見てて」
「あ、いいの?ゴメンね」
ついでだから荷物を預かって部屋に戻り、財布だけもって引き返す。

温泉地独特の、需要の定まらないキーホルダーやストラップを横目に、
店の中へ入りかける。と、そこに悪気なく通路を塞ぐ男の子。
腰に手を当てて、コーヒー牛乳を飲み干している。
分かるよ、美味しいんだよね、そうやってお風呂上りに一気飲みするの。

「ゴメンね、ちょっと通らせて」

慌てて道をあけてくれる様子がちょっとおかしくて、笑いが漏れてしまった。
聞かれちゃったかな?ゴメンね。

先生と相談して、いくつかの菓子折りを購入。
無事に部屋へと戻った。
262 名前:第十二話 温泉旅行、再び(前) 投稿日:2004/01/16(金) 20:09
変わらず美味しかった夕食を平らげて、久しぶりにお酒も飲んで。
早々に敷いてもらった布団に、ゴロンと横たわる。

「疲れ、取れた?」
「うん。また来ようね」
先生が大きなあくびをひとつした。
「少し早いけど、もう寝ちゃう?」
「そうだね。電気、消してくる」

立ち上がった先生を目で追いながら、私は布団に潜り込む。
帰ってきた先生に向かって、掛け布団を少し上げる。
「おいで」

先生が腕の中に滑り込んできて、1、2、3、パチンで、静かな寝息。
こうしていると、ホント、手の掛からない子どもみたい。
子どもっていうには少し、いや、かなり大きいけど。

まだまだ、低学年の子でも起きている時間なんだけど。
でも、その穏やかな呼吸に誘われて、私も一緒に眠りへと落ちた。
263 名前:第十二話 温泉旅行、再び(前) 投稿日:2004/01/16(金) 20:10


・・・あれ?目覚まし、なんてセットしたっけ?
先生がしたのかな?それにしても、電話によく似た音。
あ、モーニングコールか。旅館だもんね。早く止めないと・・・。

ガバッと掛け布団がはがされる。
先生が起き上がったみたい。

「電話、鳴ってる」
あ、ホント。着信を示すランプが、暗闇に浮かんでる。
近くにある時計に目を凝らすと、どうやらモーニングコールには程遠い時間。
悪い知らせじゃないといいけど。電話に近かった私が、出た。

「もしもし?」
『おやすみのところ、申し訳ございません』
フロントから、女将さん、らしき人の声。
急病人なので、診てもらいたいとのこと。

電話のやりとりだけでそれを察した先生が、着替えて顔を洗いに行く。
「車からカバン取ってくる。梨華ちゃんも着替えてて」
「はい」
患者さんの待つ部屋に、それぞれ向かうことにした。
264 名前:第十二話 温泉旅行、再び(前) 投稿日:2004/01/16(金) 20:11
とりあえず身支度をすませて、教えられた部屋に向かい、ドアをノックする。
待ち構えたように、ドアが開く。

「ナースの石川と申します」
迎えてくれたのは、年配の男の人。奥から、咳き込む声が聞こえる。
「お休みのところ、申し訳ありません」
「いえ、あの患者さんは?」

案内された部屋の中には、布団が5組。家族旅行中、かな?
心配そうに見守る家族の中、私は患者の女の子に近づいた。

額に触れてみる。熱い。すごい咳。抱き起こして、背中をさする。
「大丈夫だよ。もうすぐ先生来るからね」

水枕。氷。洗面器。これくらいは用意しておいた方がいいだろう。
それから、すごい汗だから、着替え。

「着替え、ありますか?Tシャツか何か。それと、タオル」
お姉ちゃんらしき人がすぐに動く。あ、お風呂で見かけた子だ。
じゃあ、この子もそう。お兄ちゃんぽい人と合わせて、雪合戦3人衆か。
265 名前:第十二話 温泉旅行、再び(前) 投稿日:2004/01/16(金) 20:12
「男の方は、席を外してもらえますか」
立ち上がり、ふすまを閉めかける、お父さんとお兄ちゃん。
「あの、フロントに確認して、水枕と、氷と洗面器、もらって来て下さい」
私に頷いて、出て行きかけるお兄ちゃんと入れ替わりに、先生が到着した。

「すいません、お待たせして」
応急処置が出来るだけの用意は、いつも車に載せてある。
役に立ったのは、今回が初めてだけれど。

「名前、教えてくれる?」
「ヨシザワ、マコト、です」
先生と同姓?ヨシザワって苗字、そんなに多かったっけ?
266 名前:第十二話 温泉旅行、再び(前) 投稿日:2004/01/16(金) 20:13

触診、聴診、検体採取。
お母さんとお姉ちゃんが遠巻きに見守る中、先生は診察を進める。

「こんなに咳ひどいと、眠れないね」
お薬飲んで、咳を鎮めて、今夜ゆっくり寝て、そしたら明日にはだいぶ楽になってるよ。
優しく、でも確かにマコトちゃんを励ます先生。いつも惚れ直す瞬間。
「ごめん、石川さん、お水お願い」

「はい」

返事が二つ。キョトンとする返事の主体と客体、三人。

「えーと、お水。どっちの石川さんでもいいから」
恥ずかしさを押し隠すように、もう一人のイシカワさんがお水を取りに行ってくれた。
その間に私は、簡易検査の結果を先生に報告する。
267 名前:第十二話 温泉旅行、再び(前) 投稿日:2004/01/16(金) 20:14
「よかった、インフルエンザじゃないみたい」
先生、きっと秘密兵器を使うつもりだ。

「晩御飯は食べたね?」
「はい」
「んじゃ、まずこれ二つ、飲んで」
効用を説明しながら、先生が薬を手渡す。
言われるまま、手の中の錠剤を飲み下すマコトちゃん。

先生が私に目配せをする。オーケー姉者。おまかせあれ。
「マコトちゃんは、ラッキーガールだね」
「ふへ?」
「今日はたまたま、すっごくよく効く薬、持ってたんだ」
「先生、これ。マコトちゃん、ついてるね。日頃の行いだね」
「珍しい薬だから、普段は持ち歩いてないんだけど、運命かな」
これも合わせて飲んでおけば、明日には元気になれると思うよ。
先生は、ビタミン剤を服用するマコトちゃんを、笑顔で見守った。
268 名前:第十二話 温泉旅行、再び(前) 投稿日:2004/01/16(金) 20:15


「ときに、マコトちゃん。注射は、好き?」
「・・・キライですよぉ。痛いし」
「そっか。今ちょっとガマンすれば、早くよくなると思うけど、どうしよう?」
「お願いします。ガンバリまっす!」
んじゃ、ちょっと腕出して。痛くない、すぐ終わるからね。

「よし、オッケー。着替えて横になって朝がくれば、もう大丈夫」
「どうもありがとうございました」
新しいTシャツから顔を出しながら、マコトちゃんが頭を下げた。

「あ、あのぉ、もう入っても大丈夫ですか?」
あ、そうだ。お兄ちゃんに頼みごとしたんだった。
開いたふすまの向こうに、中身の用意された水枕と、洗面器を持って立つ人影。
ゴメンね、心配したでしょ。もう安心してだいじょうぶだからね。
269 名前:第十二話 温泉旅行、再び(前) 投稿日:2004/01/16(金) 20:15
「明日の朝、また会おうね」
そう言って、先生がマコトちゃんに笑いかける。思わず、妬いちゃうような笑顔。
「はーい、おやすみなさーい」
水枕に頭を預けて、みんなに守られながら、目を閉じるマコトちゃん。
薬が効くにはまだ早いはずなのに、まるで魔法にかかったように咳も止まっている。
私は先生に出会ってから、奇跡って案外、身近にあるんじゃないかと思うようになった。

「じゃ、今夜はとりあえずこれで」
荷物を持って、部屋を辞しかける。4人が、一斉に頭を下げる。
「どうもありがとうございました」
「明日の朝、また様子見に来ますね」
「はい。すみません。あの、先生、お礼・・・」
「あ、いや。たいしたことしてませんから」
先生はいつもこう。でも、それだと、ご家族の気がすまない。
「明日、できれば診療所に寄って下さい、すぐ近くなんで」
そのとき、薬代だけいただきますから、ね。

食い下がるお父さんにそう言うと、先生はにっこり笑った。
「それより早く、そばにいてあげて下さい」
深く深く頭を下げるお父さんを、先生は制した。
「それじゃ、おやすみなさい」
私たちが見えなくなるまで、お父さんは頭を下げ続けていた。
270 名前:第十二話 温泉旅行、再び(前) 投稿日:2004/01/16(金) 20:16

部屋に戻り、一段落して、もといた布団に入る。
「先生、また患者さんダマした」
「そんな、人聞きの悪い。素直な子には、あれが一番効くんだから」
冷たくなった寝具が、少しずつ温もりを取り戻してゆく。

「ね、お兄ちゃん、なのかな?男の子、いたでしょ」
「ああ、うん」
「一瞬、先生の弟かと思ったよ」
「ん?よく見なかったけど、似てたの?」
「うん。ちょっとカッコよかった」
「カッコよかったんだ」
「違うの、似てたから」
先生が笑いをこらえている。
からかわれるとすぐムキになっちゃうところ、私はちっとも進歩していない。

「イシカワさん、っていうのかな。お水取りに行ってくれた子」
「うん。お姉ちゃんじゃないのかな?」
「みたいだね。あの子も、梨華ちゃんに似てたよ。ちょっとだけ若・・・ゴホン」
「・・・知らない」
背中を向けようとした私を、先生は強く抱きしめて動けなくする。
「ウソウソ。ごめん」
271 名前:第十二話 温泉旅行、再び(前) 投稿日:2004/01/16(金) 20:17
どんなにシワシワのおばあちゃんになっても、梨華ちゃんが一番カワイイ。
「だから、ずっとこっち向いて笑ってて」

私は、きっとお見通しの頬の熱さを、それでも気取られないように、
先生の腕の中深くに潜り込む。髪を梳く長い指に、私の奥が疼く。

「眠れそう?」
「ううん、なんか目が冴えちゃって」
「あはは、同じだね」
先生が枕もとの灯りをつけて、私を見つめた。

唇が軽く触れる。唇が、深く結びつく。
求めるでも、与えるでも、奪うでもない、ただそこにある口づけ。
結んだばかりの帯に、先生の手が掛かる。
あっけなくほどかれる。私がほどけていく。

先生の優しさや激しさは、いつも同じ。
なのに、肩の向こうに見える景色がそのたびに違うのは、どうしてなんだろう?
272 名前:第十二話 温泉旅行、再び(前) 投稿日:2004/01/16(金) 20:18




迎えた朝の、冬の陽射しは柔らかく、とても暖かで。
マコトちゃんはきっと元気になっている、私はそう確信した。




           < 第十二話「温泉旅行、再び」後編へ続く >


273 名前:名無しOA 投稿日:2004/01/16(金) 20:19
さて、後編は、明日にでも。

「あれあれ?」と思われた方が、おられるかもしれません。
が、後編が終わるまで、今しばらく見守っていただければ幸いです。

どうかよろしくお願いします。
274 名前:第十二話 温泉旅行、再び(後) 投稿日:2004/01/18(日) 00:09

「先生、マコトちゃん、まだ寝てるかな?」
「どうだろ?よくなってるといいけどね」
「きっとだいじょうぶだよ」
「そう?」
「そう。早くご飯食べて、会いに行こ!」

朝からハイテンションな梨華ちゃんに連れられて、マコトちゃんの部屋へ行く。

「あ、せんせ〜と石川さ〜ん」
よかった、元気そうだ。
「おはよー、マコトちゃん、すっかりよくなったみたいだね」

診察しかけると、お父さんとお兄ちゃんが、昨夜と同じように立ち上がりかけた。
「あ、そのまま見ててもだいじょうぶですよ」
胸を開く必要は、多分ないだろう。
275 名前:第十二話 温泉旅行、再び(後) 投稿日:2004/01/18(日) 00:10
「あーんして」
咽頭、よし。
「オッケー、口閉じていいよ」
って言ったのに、ちょっと開いてるけど、まあよし。

リンパ腺よし。
熱も下がってるし。

「よし、もう大丈夫。ただし、今日は雪合戦は禁止ね」
表情に安堵を見せるマコトちゃん。再び、深く頭を下げるお父さん。
「本当、ありがとうございます」
「いえ。あの、でもお薬は出しておきたいんですよ」
どうしようか。いつ来てもらおう。
276 名前:第十二話 温泉旅行、再び(後) 投稿日:2004/01/18(日) 00:11
「今日は、ご予定は?どこか行かれるんですか?」
「いや、後は帰るだけですね」

そっか。えーと、私たちの予定は、どうなっているんでございましょう?
こっそり梨華ちゃんに確認する。昨日お土産も買ったし、帰る予定は同じみたい。
それなら、一緒に行っちゃえばいいよね。

「診療所まで、道案内しますよ」
目印、何もないしな。それに。
「地図書くの、苦手なんですよ。だから」

喜ぶマコトちゃんを嗜めて、固辞するお父さんとお母さん。
ここで会ったが運の尽き?百年目?とにかく、遠慮はいりません。
少し強引に、案内役を引き受けさせてもらった。
277 名前:第十二話 温泉旅行、再び(後) 投稿日:2004/01/18(日) 00:11

帰り支度をしてから駐車場で落ち合い、一家を乗せた車を先導する。

道しかない道を連なって、ゆっくり走る。
今日、帰っちゃうのか。冬の岬、見せてあげたいな。

「梨華ちゃん、グラウンドコート積んでたよね?あと長靴も」
「うん、あるよ。何で?」
「いや、岬に寄りたいんだけど、寒いからマコトちゃんに着せようかと思って」
「冬の岬、私も見てみたかった。でも、・・・」
「着いたら、どうするか聞いてみよっか。梨華ちゃんはいつでも来られるしさ」

見たいって、言ってくれたら嬉しいな。何があるってわけじゃないけど。
ただ、陸が終わって海が始まってる、それだけなんだけど。
だけど、見て帰ってほしい。
278 名前:第十二話 温泉旅行、再び(後) 投稿日:2004/01/18(日) 00:12

とりあえず岬の駐車場に入る。梨華ちゃんを残して車を降り、伝令に走る。
車の窓を、少しだけ開けてもらう。

「寒いけど、ちょっとだけ岬、見ていきませんか?」
大声をあげても、風がさらっていく。だけど通じたみたい。
この寒い中を、ひとり残らず外に出てくれた。やっぱり嬉しい。

様子を見ていたらしい梨華ちゃんが、コートと長靴を持って車から降りてきた。
背中からマコトちゃんにコートを羽織らせて、手伝って靴も履き替えて。
見た目は良くないけど、完全武装。オトナは各自、気合でしのいでもらうことにしよう。

細長く連なって、遊歩道を、岬の先まで歩く。
きっと百年後も千年後ももっと後も、ここから見わたせる景色に大きな違いはないだろう。

この景色に、何かを感じてくれたら、やっぱり嬉しい。
特に、弟よ。キミにはこの町で、一皮むけて帰ってほしいんだ。
279 名前:第十二話 温泉旅行、再び(後) 投稿日:2004/01/18(日) 00:13
岬の先で、ボンヤリしている彼に、声をかけてみる。
「すごいでしょ?ここ」
荒れた海に目を奪われたまま、黙って頷いている。

ホントにすごいでしょ?私は、ここに来るといつも、人間の力の限界を思い知るよ。
だけどさ。大切なものを守るために、負けを覚悟で挑まなきゃいけない戦いもあるんだ。
守るべきもの、キミにはたくさんある。だから、がんばって生きなきゃダメだぞ。

「今日帰っちゃうんだ。もっとゆっくりしてけばいいのに」
「あ、僕らだけ、あの、もう1泊することになったんです」
ほお。それは素晴らしい。で、僕らって?イシカワさんとキミのことか。
寒さのせいなのかなんなのか、しどろもどろな説明だったけれど、大体はわかった。

「最初はね、3人兄妹かと思ったんだ」
「僕らがですか?」

「うん。仲良さそうに雪合戦とかしてたから」

「僕ら、似てますかね?」

「そうだね。普通に兄妹には見えたよ。マコトちゃんとキミは似てるし」
ぎこちなく笑いながら、彼はこう返した。
「でも、イシカワさんと僕は似てないですよ」

当たり前だろ。カノジョと兄妹に見えたら、ダメじゃんか。
280 名前:第十二話 温泉旅行、再び(後) 投稿日:2004/01/18(日) 00:14


いよいよ寒さが増してきて、私は少し離れて立っている梨華ちゃんに声をかけた。

「戻ろっか。お昼、どうしよう?」
「マコトちゃんに聞いてみるね」

フードを被って頭を押さえるマコトちゃんに、梨華ちゃんが近づいていく。
ほんの少しの距離の会話も、風に流されて、聞き取ることが出来ない。

リサーチの結果、マコトちゃんはかぼちゃが食べたいらしく。
それならもらい物が家にあったから誘った、ということだった。
煮たり焼いたり揚げたり、食べたいようにしてもらえばいいかな。
281 名前:第十二話 温泉旅行、再び(後) 投稿日:2004/01/18(日) 00:14

再び2台連なって、岬から診療所へ、道しかない道を走る。
そっか、今夜は二人きりか。弟の、たぶん記念すべき一日を、ボンヤリ考える。

「お兄ちゃんは、最近お兄ちゃんになったんだって」
「へ?」
突然話しかけられて、訳がわからなかった。突然じゃなくても、わからなかったかも。
「父さんと母さんの再婚旅行って、マコトちゃん言ってたよ」
「血縁はないってこと?」
「そうなんじゃない?で、イシカワさんは、お兄ちゃんのカノジョなんだって」

そうか。兄妹って言ったとき、ヘンなカオしてたのは、そのせいだったか。
再婚旅行は、いい思い出になっただろうか?
282 名前:第十二話 温泉旅行、再び(後) 投稿日:2004/01/18(日) 00:15
家に着いて、戸田先生も誘って、久しぶりの、賑やかな昼食。
そういえば、父さんにも母さんにも、本物の弟にも、ゼンゼン連絡してないな。
電話、してみるか。都合がついたら、少し帰るのもいいし、来てもらってもいい。
梨華ちゃんとのことも、そろそろ、ちゃんと話さなきゃ。

帰りの時間が近づいてくる。乗りかかった船で、空港まで見送りを申し出る。
さすがに強く断られたけれど、半ば強引にその役目を引き受けた。
だって、そうすれば、少しでも早く、二人っきりにしてやれるからさ。
そんなわけで、戸田先生、もう少しだけ留守をよろしくお願いします。

最後に、マコトちゃんの提案で、記念撮影。
にわかカメラマンの指示通りに移動して、位置を決める。
カシャリ、とセルフタイマーで降りたシャッターが、偶然の出会いを切り取った。
283 名前:第十二話 温泉旅行、再び(後) 投稿日:2004/01/18(日) 00:17

さて。レンタカーで宿に戻る二人とは、一足早くお別れ。
「運転、気をつけて。それから、ガンバレよな」

いろんな意味のガンバレ。すべての意味を理解してくれなくても、今はそれでいい。

「はい、お世話になりました」

ゆっくりと小さくなってゆく車を見送ってから、私たちも出発。
道中、言葉少ないご両親と、誰彼かまわず、ひっきりなしに話しかけるマコトちゃん。

それぞれの思いを載せて、車は無事空港にたどり着いた。
284 名前:第十二話 温泉旅行、再び(後) 投稿日:2004/01/18(日) 00:17

手続きを済ませて、土産物屋を冷やかして、いよいよ、出発時刻。

「元気でね。風邪引いたら、またおいで」
「帰ったら写真送りますね」
「ありがと。戸田先生の分も、一緒に頼むね」

ちょっぴり泣きそうなマコトちゃんを、梨華ちゃんが抱きしめている。

きっと、また会えるさ。
今度出会うときは、必然。

展望デッキから、マコトちゃんたちを乗せた飛行機を見送る。
ええいいあマコからもらい泣き、しちゃってる梨華ちゃん。

出会いの数だけ、別れの辛さも増えるけれど。
それでも出会いに対して、臆病になりたくない、なんて思う、今日この頃。
285 名前:第十二話 温泉旅行、再び(後) 投稿日:2004/01/18(日) 00:18


          *


286 名前:第十二話 温泉旅行、再び(後) 投稿日:2004/01/18(日) 00:19

寝る前にソファーでお茶を飲みながら、先生は黙って何かを考えていた。
私も黙って付き合いながら、先生を見るともなしに見る。

「あいつ、さ」
「あいつって?」
「梨華ちゃんが、カッコいいって言ってた男の子」
投げやりな口調。
先生でも、そのくらいで拗ねたりするんだ。

「違うよ、先生に似てるって言ったんだよ」
「どっちでもいいけど、そいつね」
さっきより少し、優しい言い方。
「なに?どうしたの?」
「今夜決めなきゃ、オトコじゃないね」
・・・真面目な顔して、そんなこと考えてたの?

「仲良さそうだったじゃん。もうとっくに・・・」
「いや、まだだね」
「何で分かるの?」
「観察も、大事な医者の仕事、てかクセみたいなもんかな」
そうですか。
287 名前:第十二話 温泉旅行、再び(後) 投稿日:2004/01/18(日) 00:20
私の肩に腕を回しながら、先生が言った。
「覚えてる?最初の夜」
「うん」
忘れられないよ。だって、あんなの、初めてだったから。
あれから何年も経つのに、そのたびごとに違う波が私をさらっていくのが、
不思議で仕方ない。ふいに抱きしめて欲しくなり、私は先生の首筋に鼻先を埋めた。
私を受けとめながら、先生が小さな声で言う。

「あの夜まで、石川さんって呼んでたし、敬語だった」
「そういえば、そうだった。・・・あ」

そっか。彼もイシカワさんって呼んでたし、確か、彼女もヨシザワくんって。
「まあ根拠は、それだけじゃないけどね」
意味ありげにつぶやいてから、先生は私を強い力で抱きしめた。
288 名前:第十二話 温泉旅行、再び(後) 投稿日:2004/01/18(日) 00:21

「梨華ちゃん。後悔してない?」
「してないよ」
「それなら、いいんだけど」
「言いっこなしっていつか言ったの、先生だよ」
「うん。ゴメン」

この腕以外に、身を委ねたくはない。
そんな誰かに出会えた幸せに、なんの後悔があるだろう。

少しだけ腕の力を緩めて、先生はエロ旦那の仮面をつけた。
「燃え上がろっか?出会った頃思い出してさ」

私の奥に埋まった火種は、とっくにくすぶっている。
「連日はキツイ、って言ってなかった?」
「正直、ちょっと」
「ちゃんと火を消せなかったら、弟に浮気しちゃおっかなー」
289 名前:第十二話 温泉旅行、再び(後) 投稿日:2004/01/18(日) 00:21
そんなことはさせないぞ!
何かの絵描き歌の節で言うと、先生は私を抱き上げた。

はいいけど、あいててて、と言ってすぐに下ろされる。
先生は腰を押さえて、その場にうずくまっている。

「バカじゃないの?」
「そうかも。イテテ」
「先に寝るから」
「あ、待って待って。イテー」

しょうがない、マッサージしてあげる。
「横になって。ほら、早く」
「う、ゴメンね」
「いいから」

火の消し方はひとつじゃない。
私は笑いをこらえながら、先生の腰を思い切り押した。

「イテー!梨華ちゃん、優しく、優しくして!」
「誰かに聞かれたら誤解されるようなこと言わないで!」
さらに押す。もっと押す。ギュッと押す。
290 名前:第十二話 温泉旅行、再び(後) 投稿日:2004/01/18(日) 00:22




「うわああ!マジで痛いって!」

先生の悲痛な叫びは、夜の遠くへと、風に運ばれていった。





              < 第十二話「温泉旅行、再び」 了 >
291 名前:名無しOA 投稿日:2004/01/18(日) 00:32
お気づきの方がほとんどだったと思いますが。
空板の「僕と君との物語り。2」スレッド内の、「広いよ空は、どこまでも」というお話と、
同じストーリー展開になっています。あわせてお楽しみいただければ、この上なき幸せ。

この場を借りて、匿名匿名希望様、楽しかったです。どうもありがとうございました。

お付き合いいただいた皆様、ありがとうございました。
次回は、2月中を努力目標に。

忘れた頃にでものぞいてやって下さい。よろしくお願いします。
292 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/01/18(日) 01:01
更新乙です。
コラボ、すごい良かったです。すげー嬉しかったです。

弟を気遣う先生にホの字(古っ)でございますw
293 名前:匿名匿名希望 投稿日:2004/01/18(日) 01:15
更新お疲れ様です。
書くのも読むのもたっぷりと楽しませていただきました。
いつもいつも温かいお話ありがとうございます(ぺこり)

私も弟を気遣ってくれる先生にホの(ry

( ^▽^)<・・・。

本当にありがとうございました。
これからも更新楽しみにしています。
294 名前:名無読者M 投稿日:2004/01/18(日) 01:30
連載、お疲れ様です。
またも素敵なお話を読ませていただき、ありがとうございます。

あちらの二人の進展にこちらの先生が関わってくれていることが
なんだか無性に嬉しくてたまりません。
295 名前:第十三話 弟よ 投稿日:2004/01/31(土) 01:23

いつもどおりに、排気音が近づいてきた。
雨の日も風の日も雪の日も、皆のさまざまな思いを乗せたバイクは駆ける。

「はーい郵便!」
「お疲れさまー」

受付に置かれた手紙の束を仕分けるのは、手が空いた梨華ちゃんの仕事。

往診から戻ると、届いたマコトちゃんからの手紙が、私を迎えてくれた。
296 名前:第十三話 弟よ 投稿日:2004/01/31(土) 01:25
「こないだの写真?」
「たぶん。一緒に見たかったから、まだ開けてないの」
「よし、早く見よう見よう」

もどかしく手洗いをすませて、梨華ちゃんの手による開封を待つ。
ご両親を含む全員分の手紙と、数枚の写真。
偶然に出会った、同じ名前を持つ「弟」の、新しい家族の写真。
きっとこの先家族になるであろう、5人の写真。

8人で一緒に撮った写真も、ちゃんと3枚入っている。
「並んで映ってると、似てるって言われるの、わかるね」
うん。てか、どっちもそっくりだな、こりゃ。
297 名前:第十三話 弟よ 投稿日:2004/01/31(土) 01:26
しばらく写真に見入ったあと、弟からの短い手紙に目を移した。
文面に滲み出る、ほんの少しの自信と、たっぷりの決意。
うんうん、いい傾向だ。今のその気持ち、忘れるんじゃないぞ。

これから二人は、どんな道のりを歩んでゆくのだろう。
登り坂、下り坂。デコボコ道。使い古された表現しか浮かばないけれど、
あるいは、それは、その歩みの普遍性をよく表しているのかもしれない。

二人とも、どんな時も何があっても、隣を歩くその人の手を離しちゃダメだよ。
298 名前:第十三話 弟よ 投稿日:2004/01/31(土) 01:28

弟よ。

自らが喜びにあるとき。

それを真っ先に報告したい人は、誰?

または、怒りに震えるとき。

その渦に巻き込みたくない人は、誰?

哀しいとき。

同じ思いをさせたくないと、誰を思う?

楽しいとき。

それを分かち合いたいと思う人は、誰?

あるいはそれらは、誰と誰?

人として、あるいは男として生まれ持ったその力は。
愛する人たちを守るために備わってるんだ。

愛は一人だけに注がなくてもいい。
だって大切な人は、一人とは限らない。

だから一番大切な人には、二番目に大切な人を、一緒に愛してもらわなくちゃならないんだ。
299 名前:第十三話 弟よ 投稿日:2004/01/31(土) 01:29

「梨華ちゃん」
「はい」

軽く呼びかけたつもりなのに、「石川さん」って呼んだときみたいな返事。
隠したい感情も読み取られてしまう距離の近さに、照れ笑い。

「あの、ね」

出会ってから、いくつ季節を数えただろう。
この町に来てくれてからだけでも、もうすぐ一年になるな。

「両親に、会ってほしいなって」
「・・・え?」
「ちゃんと、紹介してないもんね。んでもって、その・・・」

梨華ちゃんのお父さんとお母さんにも。
ご挨拶、したいんだ。

「もう、何か話してる?」
「ううん。でも、うすうす気づいてはいるみたい」

そうだよね。
いきなり、こんな何もない町に、何もないのに来るわけないもんね。
300 名前:第十三話 弟よ 投稿日:2004/01/31(土) 01:30
あの二人、見ててさ。
何ていうか、ちゃんとしなきゃって、思って。
まあ、ずっと思ってたんだけど。

「これからも、何があっても、ずっと一緒にいてくれる?」
ただ黙って、梨華ちゃんは頷いた。何度も頷いてくれた。

何か言いたげで、でも言葉が見つからなそうな、そんな唇をそっと塞ぐ。
こうやってダイレクトに、すべての思いが伝わればいいのに。

でも、愛を囁く必要がなくなるのも、淋しいといえば淋しいかな。

「今までほったらかしにしてて、ゴメンね」
「ううん、しょうがないよ」
「ホント、ゴメン」
「いいってば。罰金取るよ?」
「んあ、ゴメ、ええっと」
肩の辺りで、くぐもった笑い声。
つられて笑ってしまう。
何とか、なるだろう。きっとだいじょうぶ。
301 名前:第十三話 弟よ 投稿日:2004/01/31(土) 01:31

「あ、そうだ、先生。もう一通、ヘンな手紙が来てるの」
「ヘンなって?」
「差出人が書いてなくって。私あてなんだけど」

警戒しつつ、今度は私が封を切る。出てきたのは、普通の事務用箋。
特に不審な点はない。ははあ、なるほど。
本編同様無駄の多い文章の中から、要点である一行を、読み上げてみる。

「『私もあんなフレッシュなシーン、書きたいです(涙)』だってさ」
「え?誰から?」
不思議そうな顔の梨華ちゃん。
「書いてる人から、みたいだよ」
「は・・・・・・?」
推測できる差出人について説明すると、梨華ちゃんはあっさり納得した。





てか、納得すんな!
まあ、いいけど。
302 名前:第十三話 弟よ 投稿日:2004/01/31(土) 01:33

「ナニが言いたいんだろうね?」
「単なる愚痴・・・じゃないかな?」
改めて手紙に目を通しながら、梨華ちゃんが続ける。

「そう?先生と私に、新鮮味がなくなってる、って意味じゃないの?」
「え、でもそうだとしても、それは書いてる人の責任でしょ?」
「うん。でも・・・」
「マンネリ化、してる?梨華ちゃんもそう思ってるの??」
「・・・思ってないよ」
「・・・思ってるんだね・・・」
「思ってないってば!」

否定されればされるほど、肯定されたような気になってくる。
安穏としてるだけじゃダメだ。・・・現状を打破するには・・・。
303 名前:第十三話 弟よ 投稿日:2004/01/31(土) 01:34


例えば・・・。

軽く縛ってみたりとか。

「ちょっと、先生!」

違うか。じゃあ・・・。

「目隠しするとかはどう?」
「方向そのものが違うんだってば!」

あらら。それじゃあ・・・。

外科に転向して、少ない設備で難しい手術してみたりとか。

「南の島に、既にそういう先生いるから」
「ああ、Dr.ゴトーだっけ?」
「それは狩にあったネタス・・・えっとちょっと違うと思うよ」
「違うのか・・・」

あー、これ以上思いつかないや。ね、どうすればいいの?
304 名前:第十三話 弟よ 投稿日:2004/01/31(土) 01:35

「このままで、いいよ」
「ホントに?」
「毎日先生と一緒に過ごせて、嬉しいよ」

町の人に、元気をもらって。
でっかい宇宙の、懐に抱かれて。

「こうやって過ごせる毎日が、私にとって一番の幸せなの」
「・・・ありがとう」
「きっと、ちゃんとわかってくれるって」

梨華ちゃんが、私に笑いかけてくれる。
頷いて、つないだ手に唇を寄せた瞬間、不意に涙が滲んだ。

声を上げてしゃくりあげはじめた私を、梨華ちゃんがあやしてくれる。
私の頭を胸に抱え込んで、髪を撫でて。
この細い腕が、出会ってから今まで、頼りない私をずっと支えてくれた。
私にまつわる喜怒哀楽は、すべて梨華ちゃんのそばにある。
305 名前:第十三話 弟よ 投稿日:2004/01/31(土) 01:36

「だいじょうぶだよ。泣かないで」
「うん」
「何があっても、離れたりしないから」
「うん」

何年かかってもいい。きちんと家族に理解してもらおう。
どっちも大切で、選ぶことなんて出来ない。

次第に落ち着きを取り戻す私に、再び笑顔をくれる梨華ちゃん。
何があっても、この笑顔を曇らせたくない。

この笑顔の隣で、私は生きていく。

だって私にとっても、それが幸せのすべてだから。



                < 第十三話 「弟よ」 了 >
306 名前:名無しOA 投稿日:2004/01/31(土) 01:37
名前書き忘れたまま、投函しちゃいました。あはは。


>292 名無飼育さん 様
ありがとうございます。
実は書いてる本人が、一番楽しんでたり。
弟も無事一皮むけたようで、何より嬉しい出来事でした。

今しばらくのお付き合い、どうかよろしくお願いします。

>293 匿名匿名希望 様

どうも、本当にありがとうございました。
うちの二人にも、良い刺激になったみたいです。

ところで。

 完結したのに、新スレに移行しようとしてる件

責めてるんじゃないですよ(笑)。楽しみにしてますね。
307 名前:名無しOA 投稿日:2004/01/31(土) 01:38
>294 名無読者M 様

ありがとうございます。ご無沙汰してます。

私も無性に嬉しくて、性懲りもなく続きなど書いてみました。
あちらの二人の幸せを、合わせて祈りつつ。

先日再びお目にかかれたこと、本当に嬉しく思っていました。
よろしければ、これからも、見守ってやってください。



さて、次回。
予定が繰り上がりましたので、再び2月中を努力目標に。

よろしければ、いましばらくお付き合いください。
308 名前:匿名匿名希望 投稿日:2004/01/31(土) 10:53
更新お疲れ様です。
先生の弟には私から伝えておきます(笑)
きっと嬉しかったり感動したりで泣いちゃいますかも。
新スレ・・・新スレ・・・楽しみにしていただけるように頑張ります。
次回の更新も楽しみにしてますね。
309 名前:24 投稿日:2004/01/31(土) 14:32
更新、お疲れ様でした。
先生の「決意」がひしひしと伝わって来て、静かに感動していたのも
束の間、301番からの文章にヤラレましたw
ひとしきりニヤニヤして、最後にはまた温かいものに包まれたような
気持ちです。
次回更新も楽しみです。
310 名前:ヤッスー 投稿日:2004/02/25(水) 19:34
311 名前:コナン 投稿日:2004/03/16(火) 04:48
初めまして〜いい作品だぁ(きっぱり)

吉澤センセーとナース石川 (┴┴┴∠┴┴┴)
いいなすっごくいいな二人がとってもいいな!

僕君とのコラボも最高にいいです。
更新を楽しみにお待ちしてます。
312 名前:名無しOA 投稿日:2004/03/19(金) 01:09
目標を4月中に訂正させてください。ゴメンナサイ。平謝り。

>308 匿名匿名希望様

ありがとうございます。
ボンヤリしている間に、新スレもだいぶ進んでますね。
遅くなって申し訳ありません。今しばらくお待ちいただければ
幸いです。

>309 名無し読者様。

ありがとうございます。
久しぶりにお会いできたと思ったらこの体たらく。
申し訳ないことです。
もしもネタに走りすぎていたら、遠慮なくご指摘下さいね。
今回もちょっとやりすぎたかな、とドキドキしていたぐらいで(笑)。
お待たせして申し訳ありません。今しばらくのお付き合い、どうか
よろしくお願いします。
313 名前:名無しOA 投稿日:2004/03/19(金) 01:09
>310 ヤッスー(あえて敬称略)




>311 コナン様

初めまして、どうもありがとうございます。

吉澤センセーとナース石川さん、気づいたら一年半も書いちゃってました。
もう少しだけ続けるつもりですので、よければ今後もお付き合いください。
よろしくお願いします。




お待たせして申し訳ありません。
少しの間、みちよヲタ活動に専念させてください。
彼女の活動が一段落したら、こっちに集中して書きたいと思っています。

我儘を申しますが、どうかお許しください。
4月中には、必ず更新致します。
314 名前:名無し( ゜皿 ゜)  投稿日:2004/03/27(土) 12:39
じっと我慢の子でお待ちしてます。
いい子によろしく。
315 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/01(土) 01:58
316 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(前) 投稿日:2004/05/01(土) 02:49
少しだけ春の足音が聞こえる、そんな夜が多くなってきた。
雪解け水が、道路を川にして、海へと流れていく。
何だかんだで半年近く履いた長靴は、そろそろ倉庫にしまって、また来年。


あれから二人とも、長い時間をかけて、両親あての手紙を書いた。
それに同封した航空券の日付は、明日。
317 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(前) 投稿日:2004/05/01(土) 02:50
今さら悩んだって、もうどうしようもないよね。
なんて、いつも通り、眠りに就こうとしたのに。
先生が隣でゴロゴロ寝返りを打って、私の安眠を妨げる。

「ヤベー、緊張してきた。眠れそうにないよ」
「だいじょうぶ!覚悟した!ってさっきは言ってたじゃない」
「さっきはそう思ったんだけどさ・・・」
ちょっと水飲んでくる、そう言い残して、先生はベッドを抜け出した。
あの様子じゃ、きっとすぐには眠らないだろう。
それなら、久しぶりにゆっくり、とりとめのない話でもしようよ、ね。
318 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(前) 投稿日:2004/05/01(土) 02:51
戻ってきた先生を、両腕で抱きとめる。
「ね、梨華ちゃんは、なんでそんなに余裕あるの?」
「・・・・先生がそんなだから」
先生はちょっと笑いながら、私の胸に頬を埋めた。

「そっかそっか。ねえ、一生付いてっていい?」
「今考え直せば、まだ間に合うよね」
「そういうイジワルなとこも好きだから、もう間に合わないよーだ」
もしも出会えなければ、私は、二人は、どんな暮らしをしていたのだろう。

「ねえ、まだ寝ない?」
「ん?ほっといてくれれば、そのうち寝るよ」
薄暗がりの中、先生が腕の中から私を見上げる。
「淋しいくせに」
「まあ、そうだけど」
先生の髪を一度撫でてから、私は枕元の灯りをつけた。
大きな目を眩しそうに細める先生。
暗いままでも良かったけれど、何となく、表情が見たい。

「質問、してもいいかな?」
「いいとも〜」
前々から一度聞いてみたくて、聞きそびれていたことがある。
319 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(前) 投稿日:2004/05/01(土) 02:52
「先生は、どうして医者になったの?」
「ん?話したこと、ない?」
「実は、ないの」
そうだったっけ、とつぶやきながら、先生はさりげなく腕枕を代わってくれた。
「んーと、あのねえ」
遠い昔、出会う前の昔に、思いを馳せる顔つき。
「大げさに言うと、マッドサイエンティストの素質があったんだよね」

「・・・え?」
マッドサイエンティスト?
「だから、ちっちゃい時」
「・・・どゆこと?」
「葉っぱとかちぎってきて、すりつぶして、まぜて、薄めて」
お腹にいいって、弟だまして、飲ませてみたりとか。

「・・・」
「いや、何ともなかったよ、幸い」
「幸い・・・」
「お茶だって、元は葉っぱじゃん」
「そういう問題?」
「時効時効」
クスクス笑いながら、先生は私を抱き寄せた。
320 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(前) 投稿日:2004/05/01(土) 02:53
当たり前のことだけど、先生には、私の知らない昔がある。
それは、言うまでもなく、私にも。

『過去』だって、お互いに一つや二つ、ある。
愛の途中で、愛の終わりを見つけた苦い思い出。
かつて愛した人たちも、今、幸せでいるだろうか?

黙り込んでしまった私の頬に、優しい手が触れた。
「どした?」
「ううん。近所に住んでなくてよかったって思ったの」
「残念。スペシャルミルクティー飲んでほしかったな」
「どんなの?」
「牛乳に茶色い絵の具を溶かすの」
「はいはいおいしそうだねそれで?」
「それで、って?」
それで、って、ちょっと先生。
321 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(前) 投稿日:2004/05/01(土) 02:54
「・・・何の話してたか忘れちゃったんでしょ?」
「ああ、薬学部目指して勉強してたら、何か医学部も狙える感じで」
「現役、じゃなかったよね?」
「うん。薬学ならいけそうだったんだけど、どうせならって」
浪人時代の話は、そういえば時々聞いたことがある。
辛い辛いと思ってたけれど、研修医時代に比べればまだ楽だったって言ってた。

「一浪、でもないよね?」
「弟もいたし、私立は無理だったから、結局二浪しちゃった」
「もし、現役で薬学部に行ってたら・・・」
「画期的な新薬を開発してたかもしんない」
こらえきれずに笑いながら、先生は続けた。

「じゃなくって、こうして一緒にはいられなかったかもね」

出会うまでに重ねてきた年月の中で、そんな分岐は数限りなくあっただろう。
迷ったかに思えたいくつかの過去。いくつもの過去。
それらすべてが、出会うために必要な道のりだったと、今ははっきり思える。
322 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(前) 投稿日:2004/05/01(土) 02:55
「梨華ちゃん、覚えてる?初めて会った日のこと」
忘れるわけ、ないでしょ。
「うん。廊下で、呼び止められて」
「廊下?それも覚えてくれてるの?」

あのー、すいません、って声をかけたっきり。
「覚えてるよ。だって、呼んでおいて何も言わないんだもん」
先生、まん丸な大きな目をして固まってたっけ。

「こんなカワイイ人いたんだー、ってびっくりしたの」
「うん、よく言われるー」
「過去形、じゃなくて?」
「・・・何よ、眠れないっていうから付き合ってあげてるのに」
「そうだったんだ」
「もう知らない」
背中を向けた私を、先生はそのまま強く抱きしめた。
323 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(前) 投稿日:2004/05/01(土) 02:56
「梨華ちゃん」
答えない。答えてあげない。
「梨華ちゃんってば」
私の耳に唇をつけて、先生が囁く。
くすぐったさに身をよじった一瞬に、唇を奪われた。

「ずるいよ」
「ふふ、ゴメン。おかげで、眠れそう」
向き直って、もう一度唇を重ねる。

「おやすみ」
「おやすみ。ありがとね」
「うん」

灯りを消して、布団を肩まで引き上げる。
こうなると、先生の寝つきはギネス級の早さ。
置いていかれないように、私はその腕の中深くへもぐりこんだ。






           < 第十四話「愛あらば IT'S ALL RIGHT」中編へ続く >
324 名前:名無しOA 投稿日:2004/05/01(土) 02:57
間に合わなかった_| ̄|○
すいませんでした。

>314 名無し( ゜皿 ゜)様

ありがとうございます。
お伝えしときました。明後日としあさっても、同じ伝言をお預かりして
出かけてきます。

>315 名無飼育さん

ありがとうございました。お手数かけました。
325 名前:名無しOA 投稿日:2004/05/01(土) 02:58
歳月人を待たず、といいますが、とりわけ私だけを待ってくれない
ような気がするのは、気のせいでしょうか。

・・・気のせいでしょうね。

さして長くはないのですが、前中後と、三回に分けようかなと。
今月中に14話が終われれば、と夢のようにぼんやり考えています。
夢なので、さてどうなるか。

今回ほど長く待っていただくことはないと思いますので、
懲りずにお付き合いくだされば幸いです。
326 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/01(土) 16:14
もちろん懲りてなんていないです。
これからもお待ちしております。

確かに時間はあっという間ですね。
こちらのお二人もステキに時間を重ねているのを感じられ私も幸せになれます。
327 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/31(月) 21:24
ho
328 名前:名無しOA 投稿日:2004/06/13(日) 21:09
>326 名無し飼育さん

ありがとうございます。ああ、また長らくお待たせしてしまった気が・・・。

一歳の子どもの一年を100パーセントとするならば、33歳の人間にとって、
一年は約3パーセントにあたる。歳を経るごとに一年が早く過ぎるのは、だから、
当たり前、って誰かが言ってた。

すいません、自分でも何を言い訳したいのかよく分かりません(笑)。

>327 名無し飼育さん

ありがとうございました。お手数かけました。
329 名前:名無しOA 投稿日:2004/06/13(日) 21:10
これまでもそうでしたが、名前だけ必要な登場人物には、今までに
ドラマなどで使われた役名を適当に当てています。
終わりまでそんな感じになると思いますので、よろしくお願いします。

また、医療に関わる細かい記述については、医者コントだとご理解下さい。
330 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(中) 投稿日:2004/06/13(日) 21:11
誰のもとにも、等しく朝は訪れる。
あるいは、それは、生きていることの証。


っていつも言ってるの先生でしょ!

「起きるのヤダとか言わないの」
「・・・もうちょっと現実逃避させて」
「ダメ!もうすぐお昼だよ」
しぶしぶ起き上がった先生に無理やり支度をさせて、私は少しだけ、
寝坊な子を持つ親の気分を味わった。

「お土産も積んだし、いつでも出られるよ」
「パンクしてたりとかは?」
だから、往生際悪すぎるってば、先生。

「しません。残念ながら完璧です」
331 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(中) 投稿日:2004/06/13(日) 21:12
互いの両親が待つのは、診療所のすぐ近くの旅館。
前カゴにお土産を乗せた自転車を、並んで漕ぐ。
荷物がなければ、歩いた方が早いかもしれない道のりは、すぐに終わった。

「もう着いてる、みたいだね」
始まりかけた夏にも、観光客はまだ少なく、駐車場にはレンタカーが
2台並んでいるだけ。
入り口の脇に自転車を止めて、先生は大きく深呼吸した。

「よし、行こう!」
入り口の前に立つ。自動ドアが開く。

「いらっしゃいま、あ、先生」
「こんちは。あのー、うちの・・・」
「はいはい。いらしてますよ。今ご案内しますね」
カウンターから出てきた番頭さんの後ろを歩きながら、先生がそっと
手をつなぎ、ギュッと握ってくれた。
332 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(中) 投稿日:2004/06/13(日) 21:12

そう、この手を、離さない。何があっても、絶対に。

「じゃ、また後でね」
連れられて昇った階段の上で、二手に分かれる。

これから、お互いの両親が泊まる部屋で話したあと、同席する予定。
それぞれに、話が、物別れに終わらなければ、だけど。
333 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(中) 投稿日:2004/06/13(日) 21:13
静かな部屋に、微かに響く波の音。いつまでも黙っていられない。
だけど、何を、何から話せばいいんだろう。

「あのー・・・ごめんなさい」
両親を前に、とりあえず私は頭を下げた。

長く長く、永遠にも思える沈黙。

「どうして・・・謝るの?」
それを破ったのは、決して責めるではない、母の口調。

ホントだ、どうして、だろう?

「こんなに遠くまで、わざわざ来てもらって・・・」
先生とのことでは、私、誰にも謝らなきゃいけないようなことはしていない。
334 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(中) 投稿日:2004/06/13(日) 21:14
「梨華」
「はい」
久しぶりに父の声で名を呼ばれて、私は頭を上げた。
黙って私を見ていた父は、やがてゆっくりと母を見やり、頷く。

「先生に、会わせて」
父の視線を受けて、母が私に告げる。

「わかった、今、お部屋に電話してみるね」
先生とご両親は、いまごろ、どんな話をしているのだろう。
335 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(中) 投稿日:2004/06/13(日) 21:14
受話器をあげ、部屋番号を呼び出す。
『もしもし』
すぐ近くにいるのに、電話越しの先生の声。だけど、心底安心した。

「先生?もう、そっちに行ってもいい?」
いったい、どれぐらいの時間が経ったのだろう。
『うん、待ってるよ。梨華ちゃん、あの、だいじょうぶ?』
「だいじょぶ。ありがと」

部屋を出て、窓越しに海を望む廊下を、ほんの数メートル移動する。
私の育った町も、こんなふうに海が近くて。
私のワガママで離れてしまったけど、でもずっと、同じ海と空でつながってたんだ。
ましてや家族だもん、分かり合えないはず、ないよね。
私の好きな人を、パパとママにも好きになってほしい。

私たちの到着よりも早く、先生が扉を開けて廊下に顔を覗かせた。
336 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(中) 投稿日:2004/06/13(日) 21:15
招き入れられた部屋の中、お見合いのように並び、ぎこちない挨拶が終わる。
向かいに座る先生の、覚悟を決めた、迷いのない表情。


「手紙にも、書いたことなんですけど・・・」

互いの両親を前に、先生はゆっくりと話した。

出会ってから、二人で大切に育ててきた思いを。
これからもずっと、私と一緒に生きていきたいという決意を。
家族も私も、どちらも大切で無くしたくない。
だからどうか理解してほしいという願いを。

どっちの親も、諦めとも納得ともつかない表情。

微妙な空気を引き裂くように、突然、電話のベルが響いた。
337 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(中) 投稿日:2004/06/13(日) 21:16
先生と顔を見合わせてから、その受話器を取りに向かう。
たぶん、いい知らせじゃないことは、何となく二人とも分かっている。

「もしもし」
『診療所の戸田先生からお電話ですが』
戸田先生が、出先に連絡をくれるのは初めてのはず。
「つないでください」
答えながら、先生に目で合図を送る。膝で歩きながら、先生が移動してくる。

『もしもし』
急を要しそうな、戸田先生の声。
「もしもし、石川です」
『ゴメン、よっすぃーも、そこにいるよね?』
「はい、一緒です」
もう一度合図すると、先生は迷わず自分の耳を受話器に近づけた。
自然、頬を寄せている状態になる。
背後に複雑な視線を感じるけれど、構っていられない。
338 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(中) 投稿日:2004/06/13(日) 21:16
『いい?バイクと、乗用車の衝突事故発生。関係者三名。重軽傷不明』
「はい」
『要応急処置、救急車に分乗の上、ここに向かってる。来られる?』
「5分で着けると思います」
『分かった、待ってる』

電話を切る。振り向いて、先生が説明する。
「すいません、近くで交通事故があったみたいで、ちょっと席外します」

部屋のドアから半分身体を出しながら、先生は中に向かって叫んだ。

「いつ戻れるかわからないので、えーと、ゆっくりしてて下さい」

バタン。
339 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(中) 投稿日:2004/06/13(日) 21:17
あとはひたすら廊下を、階段を走り、自転車を急がせた。

風を切って到着した私たちを追いかけるように、救急車が近づいてくる。
負けじと大急ぎで着替えて、手指の消毒を済ませる。

救急隊員が押すストレッチャー上には、見るからにライダーな青年。
くの字に身体を折り曲げて、苦しそうにしている。
もうだいじょうぶだよ、だから、がんばって。

「この子がバイクの方?」
「そうです」
事故の状況とバイタルの数字を、隊員が先生に報告する。

「せーの、いちにっさん!」
診察台に移動させて、修羅場が始まった。
340 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(中) 投稿日:2004/06/13(日) 21:17
「身元は?」
「今手元にありませんが、免許証確認できてます。旅行者みたいで」
「そう。おーい、名前言える?」

青年が薄く目を開けて、力なくつぶやく。
「ほっかい・・しゃけお」

北海?鮭夫?
「冗談言えるんならだいじょうぶ。服切るからね」

戸田先生がポータブルのレントゲンとエコーを引っぱってきた。
「石川さん、酸素」
「はい!」
341 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(中) 投稿日:2004/06/13(日) 21:18
妊婦を乗せて怖々走る車を追い越そうとしたバイクが、ハンドル操作を誤った。
事故の概要を一行で表すと、こう。
車は、転んだバイクを避けようとして、避けきれずにかすめ、防波堤に衝突。

「車の方のけが人は?」
「間もなく到着すると思います」

産気づいてるんで、慎重に搬送してますから。
・・・産気づいてる?ってことはもしかして・・。

「おおーい、病院だぞ!しっかりしろ!」
自身も顔から血を流しながら付き添っているのは、やっぱり、サブちゃ・・キタジマさん!
二台目のストレッチャーに横たわっているのは、ヨシオくんのお母さん。
大きなお腹で、ついこの間ヨシオくんを連れて遊びに来てくれたところだった。
342 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(中) 投稿日:2004/06/13(日) 21:18
スピードが遅かったおかげで、車の二人はかすり傷程度で済んでいる。
だけど、ヨシオくんのお母さんは、エアバッグ作動の衝撃で破水。
そうはいっても、まだまだ分娩まで時間はかかるはずだから、今から救急車で・・・。
でも、もしも、搬送中に何かあったら、取り返しがつかないし・・・。

「先生」
どうするの?
「三人目だからな・・・」
陣痛が始まってから赤ちゃんが出てくるまでの時間は、初産より一般に短いと言われている。

「鮭夫くん、結構重症なんだ。だから戸田先生と二人がかりになる」
同時にここで診るには、手が足りなすぎる。
数秒黙り込んだ先生が、どうやら決断した。
343 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(中) 投稿日:2004/06/13(日) 21:19
「助産師の資格、持ってたよね?」
「持ってるけど、でも、持ってるだけだよ」
「だいじょうぶ、特殊なケースじゃないから」
医者なんていなかったずっと昔から、生き物は繁殖してるんだから。

「病院まで、石川さん、付き添って」
「ひとりで?」
「ううん、サブちゃんと」
「そういう意味じゃないよ」
「だいじょうぶだって」

子宮口全開まで、まだまだ時間はかかる。
だから、梨華ちゃんは病院まで、お母さんを励ましてあげるだけでいい。
無事着いたら、あとは産婦人科で見てくれるから。
344 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(中) 投稿日:2004/06/13(日) 21:20
「わかった。でも、連絡はつくようにしておいてね」
「もちろん」

ストレッチャーの横でうろたえるサブちゃんの向かい側に、先生が回る。
「今から、救急車で総合病院に行くけど」
苦しげに呼吸するお母さんの汗を拭ってあげながら、先生は言い聞かせた。
「石川さんが付き添うから。だから心配ないから、ね」
陣痛がちょうどヤマらしく、お母さんには返事をする余裕がない。

「石川さんは助産師で、何人も赤ちゃん取り上げてるんだよ」
また、そんな何かあったらすぐバレるようなウソついて。
だけど、こんなときには、演技力も医療技術のうちだって、先生の背中が言ってる。
345 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(中) 投稿日:2004/06/13(日) 21:20
私は迷わずサブちゃんを押しのけて、お母さんの手を握った。
「大船に乗ったつもりで、安心しててね」
少なくとも、藁にすがるよりは、私のほうがましだろう。たぶん、きっと。

細かな指示をメモした紙を、先生がくれる。
『万一、分娩第二期に入ったら、迷わず民家に駆け込むこと』
注、なるべくならおばあちゃんがいる家の方が、何かと経験豊富で安心。

どんな指示なんだか、まったく。

若い救急隊員にも、先生は声をかける。
このあいだ子どもが生まれたばかりの、ヌクイさんだ。
「急がなくていいから、段差と急ハンドルだけ気をつけて」
「はい」
「何かあったら、石川さんの指示に従って」
「はい」
「最終的に、責任は私が取るから」
「・・・はい!」
私たちが乗り込んだ救急車のハッチが、先生の手でそっと閉められた。

ここから先は、もう、誰にも頼れない。
346 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(中) 投稿日:2004/06/13(日) 21:21
急いで、でも、ゆっくり。
ときどき子宮の様子を見ながらの、長い長い道行き。
状態は落ち着いている。たぶん、無事に着けば、問題なく出産できるだろう。

「そだ、キタジマさん、顔のケガ、消毒しますね」
「いいよそんなものは」
「ダメです、こっち向いて」
「いいっつってんだろ」
「ダメですってば、もう!子どもじゃないんだから!」

痛みが谷間で少し余裕がある娘さんに笑われて、ようやくサブちゃんが観念した。
347 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(中) 投稿日:2004/06/13(日) 21:21
擦り傷に消毒液をしみこませる。
「イテーよ、もうちっと優しくできねーのかテメーは」
何よ、これくらい。陣痛の方が何倍も痛いっていうのに。
「着いたら、キタジマさんも検査してもらいますね」
先生のメモにも、ちゃんと書いてある。

「何でだよ、別に何ともねえよ」
「何ともないかどうか、すぐに分からないこともありますから」
「検査って何すんだよ」
「まずは、病院嫌いが治る大きい注射ですかね」
「何だと!」
「はいはい、手当ては終わりましたから、ちょっとどいて下さい」
私は再び、サブちゃんを押しのけた。
348 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(中) 投稿日:2004/06/13(日) 21:24

汗だくで笑いをこらえるお母さんの手を握る。
「もうすぐ着きますから。もう少しだけがんばって」


道の向こうに、ようやく、目指す病院が見えてきた。


どうか無事に、元気な赤ちゃんが産まれますように。






         < 第十四話「愛あらば IT'S ALL RIGHT」後編へ続く >
349 名前:名無しOA 投稿日:2004/06/13(日) 21:33
>>329
「今までにドラマなどで出てきた役名」とか言ってるのに、サブちゃんなんて
一回もたぶん登場していないことに、今気づきました。

>>122あたりの話、その場限りの予定で適当につけた名前の人物の再登場です。
お詫びして訂正いたします。すいませんでした。

さて、次回目標。なるべく今回よりも間をあけずに、第14話後編。

さらに、第15話で第一部が完結、第16話から、第二部へ、という流れを予定しています。

よろしければ、また次回お付き合いのほどをよろしくお願いします。
350 名前:匿名匿名希望 投稿日:2004/06/13(日) 21:50
更新お疲れ様でした。
そして嬉しい第ニ部の予告。
ついていきます、永遠に(w
無理をしない程度に頑張って下さい。
351 名前:名無し読者 投稿日:2004/07/30(金) 01:02
いつまでも待ってます
352 名前:名無しOA 投稿日:2004/07/30(金) 02:15
>350 匿名匿名希望様

ありがとうございます。
あのね、第二部をもって完結の予定なんですよ。
ですから私が永遠についていきますので、
無理をしない程度に頑張って下さいです、ハイ。

>351 名無し読者様

おりがとうございます。
お待たせして申し訳ありません。

来週中ぐらいのアップを目途に書いてますので、
もう少しだけお待ちいただけると幸いです。
353 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(後) 投稿日:2004/08/12(木) 00:38
一瞬だけ救急車を見送って、すぐに診察室へ戻る。
鮭夫くんの治療は、隣町の救急隊員が手伝ってくれていた。

駆けつけた救急車のうち一台は、隣町の消防の所属。
この町に、救急車は一台しか配備されていない。
だから、事故が町の境目付近で起きたことは、不幸中の幸いだったと
言えるのかもしれない。

「すいません、今、車一台出ました」
場を外したことを詫び、現場に戻った。
鮭夫くんの意識レベルが下がってきている。ヤバイ。

「血液検査の値、出てる?」
「はい」
隊員のうちの一人が、数値のプリントされた用紙を差し出してくれる。
「貧血、かなり進んでます」
「やっぱり、腹腔内で出血してるね」
戸田先生の表情が険しくなる。その値は、如実に緊急手術の必要を示していた。
354 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(後) 投稿日:2004/08/12(木) 00:39
「開腹、しますか?」
うちにある設備は、お世辞にも最先端とはいえない。
そして手術になった場合の主治医は、必然的に外科の戸田先生になる。

輸血しながら救急車で総合病院に運ぶか。
リスクを覚悟で、ここで緊急に手術するか。

「自信、ないけど」
一瞬の沈黙の後、戸田先生が口を開いた。
「助手の腕を信じて、賭けてみることにする」
謙遜しながら、戸田先生が決意してくれた。
355 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(後) 投稿日:2004/08/12(木) 00:40
「家族と連絡は?」
隊員に聞いてみる。
「警察経由で取れてます」
旅行者、って言ってたな。
「至急、手術の承諾取りたいんだけど」

「はい。バイタルから判断して、手術に関しても、同意を得ておきました」
「ありがと、助かるよ」
鮭夫くん、キミは幸運みたいだよ。だから、生きるんだよ。

「戸田先生、供血者募ってきますから、オペの準備お願いします」
「わかった、頼むね」
A型か。よし、とりあえず役場に電話して、町内放送で呼びかけてもらおう。

そう思って電話のある受付に出たとき、待合室に人影が見えた。
患者さん?・・・じゃないみたい。
356 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(後) 投稿日:2004/08/12(木) 00:41
「父さん、母さん!何やってんの?」
梨華ちゃんのご両親も一緒にいる。
「いや、何か手持ち無沙汰だったから・・・」
車借りてるんだから、その辺ドライブでもしてくればいいのに。
なんつーか、恥ずかしいじゃんか。

まあいいや、梨華ちゃんはたしかA型だったはず。
ってことは両親のどっちかはA型だろうから、献血頼んじゃえ。

「A型の血液が必要なんですけど、ご協力お願いできますか?」
一瞬の戸惑いもなく、お父さんが手を上げてくれた。
「助かります、ありがとうございます」

隊員の一人に採血を頼んで、二人分の術着を準備する。
手入れは常にしてるけど、コレも手術室も、初めてちゃんと使うかも。
357 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(後) 投稿日:2004/08/12(木) 00:42

「これだけしか設備ありませんけど、大丈夫ですよね?」
「充分。準備、いい?」
「はい。血液も、間もなく準備できます」
「わかった、じゃ、メス」

流れるように手術は進み、やはり内臓に出血が見られた。
手早く止血が施される。
「裂傷はこの一箇所だけだね」
「そうですね」
「縫合するから、ギュッて押さえてて」
「はい」

そんなこんなで、無事にすべての術式が終了。
たぶん、ここで処置しなかったら、危なかった。
358 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(後) 投稿日:2004/08/12(木) 00:43
非常事態は脱したものの、まだ何箇所か骨折があり、そっちの手術も必要だ。
サブちゃんたちが行ったのと同じ病院に受け入れを頼んで、今度は搬送。
診療所の留守を戸田先生に、家の留守を両親たちに頼んで、私が随行することにした。

「ゆっくり、揺れないように運転してね」
「はい、気をつけます」
「それから、家族に無事の連絡・・・」
「警察経由で、既にしておきました。今夜遅くに着くそうです」
「そっか。早いね、仕事」
「辛い連絡じゃありませんでしたから、楽勝です」
「お互い、悲しい知らせをしなくてすむように、これからも頑張ろうね」
心の底から隊員をねぎらって、救急車に乗り込んだ。

ついさっき、梨華ちゃんが通ったのと同じ道を辿る。
そろそろ、産まれるころかなあ。まーた、男だったりして。
したら、今度はどんな名前だろ。優しい男でヤサオ?それはないな。
あ、この悪運の強い彼の名前をもじって、鮭男?てか本名じゃないし。
359 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(後) 投稿日:2004/08/12(木) 00:44

道の先に、傾きかけた陽を浴びる、白い建物が見えてきた。
「鮭夫くん、もう少しで着くよ。頑張れ」
梨華ちゃんも、きっとこの辺で同じこと、言ったんだろうな。


救急の入り口で待ち構えていた医師に、歩きながら経過を話す。
「ホントにオペしたんですか?」
口には出さないものの、『あんな小さい診療所で?』と顔に書いてある。
「非常勤で外科の先生がいるときだったんで、はい」
「そうですか」
半信半疑の医師に細々とした引継ぎをして、とりあえず私の役目は終わった。

そりゃ信じられないだろうなあ。
立ち会った本人でさえ、夢だったように感じてるんだから。
360 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(後) 投稿日:2004/08/12(木) 00:44
さてと。受付に戻って、サブちゃんの居場所を尋ねる。
案内された部屋のドアを、ノックしてから開いた。

「おお、先生。バイクの子は何科に入院したんだ?」
「整形外科ですけど、何で経過知ってるんですか?」
「石川がさっき診療所に連絡したんだよ」
「ああ。明日には意識戻るでしょうから、見舞ってあげてくださいね」

大仕事を終えたお母さんは、ぐっすり眠っていた。
そのまま、サブちゃんの案内で新生児室を覗く。

「見てみろよ、オレにそっくりだろ?」
「いや、全然全く似てませんよ」
「そんなことねえだろ、鼻のあたりとか、ほら」
「似てませんてば。女の子なのに、縁起でもない。で、うちの石川は?」
「会わなかったのかい?入れ違いで帰ったけど」
「そうっすか」
「つーかてめえ、さっき何つった、おい!」
「まだ片付けとかあるんで、あの、今度抱っこさせて下さいね、じゃ!」
361 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(後) 投稿日:2004/08/12(木) 00:45

親バカならぬ爺バカ?に忙しいサブちゃんを置いて、梨華ちゃんを探す。
待合室あたりにでもいるかな?とりあえず見に行くか。
歩き出すと、ずっと緊張していたせいか、足が重く、廊下が長く感じた。
もしも待合室にいなかったら、動かないで探してくれるの待とうかな。
強く念じれば、テレパシーを受け取ってくれるはず。
もしくは小指の赤い糸を手繰って・・・。


「先生」
廊下の向こうから、控え目に私を呼ぶ声がした。
缶ジュースを二本持って、白衣の梨華ちゃんが手を振っている。
ほら、やっぱり通じた。

「今、探してた」
「私も」
手渡された缶を受け取る。冷たくて気持ちいい。
空いているベンチに、並んで腰掛ける。
362 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(後) 投稿日:2004/08/12(木) 00:46
「サブちゃん達に会った?」
「うん。初めての女の子の孫だから、そうとう嬉しいみたいだね」
「もうお嫁に行く時の心配してたよ」
「はえーな、早すぎだよ」
梨華ちゃんや私が生まれたときも、父さんや母さんは同じこと考えたのかな。
私や梨華ちゃんは、もしかして、親不孝、なのかな・・・。

「先生、聞いてる?」
覗き込むような梨華ちゃんの視線。我に返る。
「ゴメン、なに?」
「鮭夫くんは?整形?」
「うん。複雑骨折もあって、それはうちじゃ、ちょっと無理だから」
「でも、手術、したんだって?」
「戸田先生がね」
363 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(後) 投稿日:2004/08/12(木) 00:47
何度か一緒に話したことがある。
もし、私の専門外の、外科的治療が必要な患者さんが運ばれてきたら。
それなりの研修は、赴任する前に受けてきた。
だから、単純な外傷ぐらいなら、迷わず何とかできる。
だけど、今日、もし医師が私一人だったら、どうしていただろう。
リスクは大きいけど、それでも、やっぱりやるしかなかっただろう。

「鮭夫くん、ツイてたね。名医が二人もいるところへ運ばれてきて」
「いや。戸田先生がいてくれて、ホントよかったよ」
万一のときのために、もっともっともっと、勉強しなきゃ。
生かせる命を逝かせるわけにはいかないんだ、なんつって。

「あ、そだ、梨華ちゃんのお父さんに献血してもらったんだ」
「5リットルくらい抜いた?」
冗談を言いながら、自分で笑ってしまう、いつも通りの梨華ちゃん。
「全部じゃんか」
「あとで、お礼言っとくね」
364 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(後) 投稿日:2004/08/12(木) 00:48
張り詰めて渇いていた喉が、あっという間に缶を空にした。
大きく息をひとつ。長い一日だったな。まだ終わってないけど。

「戻ろっか。バスあるかな?」
救急車には、次なる緊急時に備えて、先に帰ってもらった。
「お父さんたちは?旅館に戻ったの?」
「ううん、話も途中だし、家で待ってもらってる」
肩を並べてバス停へ、出口のドアをくぐる。

とそこにはまた人影が、って母さん、父さんも!
「何やってんの?」
数時間前にも、同じセリフ言ったような気がする。
365 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(後) 投稿日:2004/08/12(木) 00:48
「迎えに来たのよ」
「何で?」
「車で」
「いや、そうじゃなくて」
「帰りはバスかタクシーだって、戸田先生に聞いたから」
「そっかあ、ありがと。にしても、中で待っててくれたらよかったのに」

ふと、母さんが笑う。いつかセピア色の写真で見たような、若い頃の笑顔。
「波の音、聞いてたのよ。二人で、ね」
水を向けられた父さんが、言葉を濁しながら視線を移した先に、茜色の空。
父さんたちが二人で過ごすこんな時間って、ずいぶん久しぶりなんじゃないかな。
366 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(後) 投稿日:2004/08/12(木) 00:49
お父さんがお母さんに出会ったように。
お母さんがお父さんに出会ったように。

私はただ、梨華ちゃんに出会っちゃったんだ。

「後ろに、お邪魔していい?」
「邪魔じゃないわよ、別に」
母さんも、少し照れている。
「ホントに、ありがと。すごい助かった」

乗り込んだ後部座席のシートに沈み込むと同時に、私は眠りに引き込まれた。
367 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(後) 投稿日:2004/08/12(木) 00:50



      *



368 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(後) 投稿日:2004/08/12(木) 00:50
「お腹、すいたな・・・」
車に乗り込むなり、そんな一言を残して、先生は寝息を立てはじめた。
無理もない。お昼も食べてないし、久しぶりに、ホントに大変だったし。
私は着ていたカーディガンを脱いで、先生の膝に掛ける。

「石川さん、あなたも休んでていいわよ」
「ありがとうございます、だいじょうぶです」
先生と同じ、優しいトーンの声、気遣い。
「いつも、こんなふうに忙しいの?」
「いいえ、今日は特別です。私が来てから、一番慌しい日でした」
「働いてるとこ、初めて見たから、びっくりしちゃった」
そういえば、まだ家族を診たことがない、って言ってたっけ。

窓の外を、いつもそこにある海が後ろへ流れていく。
369 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(後) 投稿日:2004/08/12(木) 00:51
「小さい頃から、まるでやんちゃ坊主みたいな子でね」
「今も、同じかも。近所の小学生たちの大将なんです」

雪合戦、サッカーに野球にドッジボール。
先生は、寸暇を惜しんで、子どもたちの誘いに応じている。
もちろん、遊ぶばっかりじゃなくて、宿題だって見てあげてるけど。

「洗濯、大変でしょう?」
「いいえ、ちゃんと自分でしてくれてますから」
洗濯。お母さんの意外な返しに、笑いをこらえられなかった。
370 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(後) 投稿日:2004/08/12(木) 00:51
一瞬、沈黙が車内を包む。お母さんが、静かに切り出す。

「石川さん」
「はい」
「あなたは、ひとみにはもったいないんじゃないかしら」
「・・・え?」
暗に、別れを諭されているのだろうか。
「美人だし、まだ若いし」
たぶん、違うと思う。だって、お母さんは、先生を育てた人。

うまく言葉が出てこなくて、私は何度もかぶりを振った。
「先生は、優しくて、厳しくて、まっすぐで、大きくて」
なんで、こんなときに涙声になるのよ。
「先生が、私にはもったいないんです」
先生に追いつきたくて、ずっと隣にいたくて、だから、私、毎日、
がんばって生きられるんです。笑顔でいられるんです。

指先で、目頭を拭う。大事な時に、泣いていられない。
371 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(後) 投稿日:2004/08/12(木) 00:52
「ひとみの下には、弟が二人でしょ?」
「いつも、どうしてるかなあって、気にかけてるみたいです」

また、沈黙。私は懸命に言葉を探す。見つからない。

「だから私ね、ずっとね・・・。石川さんみたいな、娘が欲しかったのよ」

ダメ、また、涙。止まりなさいってば。

「ひとみのこと、よろしくお願いしますね」
「・・・はい」

返事だけ、やっと言葉に出来た。
涙はなかなか止まってくれなかった。
372 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(後) 投稿日:2004/08/12(木) 00:53
「着いたよ」
寝起きの先生を残して車を降り、ご両親を家に案内する。
私の両親は、自分で入れたらしいお茶を、所在なさげに飲んでいた。
自分の母親にお茶の追加を二つ頼んで、診療所の片付けに向かう。

ドアを開けると、誰もいない待合室で、ポツンと一人座っている先生。
私を認めて立ち上がると、真正面に来て、向かい合う。

「片づけなら、終わったよ。ってかもう全部戸田先生がやってくれてた」
それならなぜ、こんなところにいるんだろう。
「うん。じゃあ、晩御飯どうするか、決めないと」
「運んでもらって、うちで食べようよ。いいでしょ?」
「もちろんいい、けど・・・」
穴が開きそうなほど見つめられて、どうしたらいいかわからない。
373 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(後) 投稿日:2004/08/12(木) 00:53
「何?私、なんかおかしい?」
「おかしい、っていうか・・・。泣いた後みたいに見えるから」
バレてたか。観察も、大事な医者の仕事、っていつも言ってるもんね。

「何か、言われたの?」
「うん」
頷いて、少しうつむく。先生が、かすかに眉をひそめる。
「何て言われたの?」
軽い詰問口調。少し罪悪感を感じたけど、寝てた先生が悪いんだもんね。

「石川さんは、うちのひとみにはもったいない、って」
「それは・・・、おっしゃる通りです。で?」
「他に、いいひと探したほうがいいんじゃないか、って」
「・・・何て答えたの?」
「そうかもしれませんね、考えておきます、って」
「・・・ウソ・・・でしょ?」
「うん・・・まあ、ウソだけど」
374 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(後) 投稿日:2004/08/12(木) 00:54
実際のやりとりを話す。ただし私の、先生への気持ちは端折って。

「嬉し泣きってこと?」
「うん」
「本当?」
「本当だよ」
「なら、いいんだけど」
「ちょっとからかったの。ゴメンナサイ」
「ホントならいいんだ。ごはんにしよ」
ポンポン、と肩を叩かれ、出口へ導かれた。私は素直に従う。

「ホントに、ゴメンね、先生」
「ううん。こっちこそ、肝心な時に寝ちゃってゴメン」
心底ホッとした様子の先生に、さらなる罪悪感を覚えながら、
隣の家へと短い帰路を急いだ。
375 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(後) 投稿日:2004/08/12(木) 00:55
旅館から運んでもらった食事を並べて、ぎこちない会食。
「これは、なあに?」
「ホッキガイですね。北に寄る貝で、北寄貝」
当たり障りのなさすぎる会話が続く。

何となく話を合わせながら、先生は好きなものばかりに箸を伸ばしている。
疲れが限界に近い時の食べ方。表情も、何だかぼんやり。

「先生、少し休ませてもらったら?」
「ううん、だいじょぶだよ」
誰から見ても先生はだいじょうぶなんかじゃなく、全員が口々に
休むように勧めた。

「それじゃ、お言葉に甘えます。すみません」

頼りなげな後姿で、寝室に消えていく先生。
ホントはもう少しこの場にいてほしかったけど、これ以上無理させるのは、
見ている方も辛い。
376 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(後) 投稿日:2004/08/12(木) 00:55
宴は、時おり静まりかえったりしながら、訥々と進む。
何度目かの沈黙の後、先生のお母さんが、申し訳なさそうに口火を切った。

「あのー、石川さんのご両親には、すごく勝手な話なんですけど」
自分の娘が、ね。こうやって懸命に町の人の命、守ってて。
その上、あの、何ていうか、幸せそうに見えて、ね。

「もうそれだけでいいじゃないか、ってそんな気がしてきました」

先生のご両親が、ここまで言ってくれているのだから。
私が、ちゃんと説得しなきゃいけない。

「あの・・・パパ、ママ、私ね」
同級生とかみんな普通に結婚して、子どももいて。
それで、たまに電話したりすると、やっぱり多少の愚痴とか不満とか、
みんな話してて。それも含めて幸せなんだろうな、ってこと、
もちろん分かるんだけど、だけど、あのね。
377 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(後) 投稿日:2004/08/12(木) 00:56
戸惑うより、考えるより先に、唇から言葉がこぼれる。
でも止まらない、止められない。

「先生と一緒にいて、私、ひとつの不満もなくて、毎日楽しくて・・・」
産まれてきて、出会えてよかったなあって、毎晩布団の中で、
今日も幸せだったなあって、そう思うの。

支離滅裂なこと言ってるかも。しかも半分泣きながら。
「それだけじゃ、やっぱりダメ?」

重苦しい沈黙を、遠くに聞こえる波の音が包む。潮騒、また、潮騒。
ゆっくりと私の肩に手をかけながら、静かにパパが言った。
378 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(後) 投稿日:2004/08/12(木) 00:57

「ダメなわけ、ないじゃないか。なあママ」

黙って私を見つめながら、ママが頷く。パパが言葉を続ける。
「吉澤さん、今夜は飲みましょうよ。やっぱりダメ?」

吹っ切れたように笑いながら、先生のお父さんが答えた。
「ダメなわけ、ないじゃないか。なあ母さん」

泣き笑いしながら、私は二人の父に交互にお酌をした。

379 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(後) 投稿日:2004/08/12(木) 00:57



      *


380 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(後) 投稿日:2004/08/12(木) 00:58
寝てもいいよ、とは言われたけれど。
梨華ちゃん一人に任せておくわけにはいかない。
第一、梨華ちゃんだって今日はすごく疲れてるはずだし。

だけど、ちょっとだけゴメン、マジで限界っぽいんだわ。
一時間くらいで、起きるから、ちょっとだけ、寝かせて・・・。

ベッドに倒れこんで、梨華ちゃんの枕を抱きしめる。

仮眠するだけ。ちょっと寝るだけ。
自分に言い聞かせながら、目を閉じた瞬間、気を失うように眠った。

381 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(後) 投稿日:2004/08/12(木) 00:59




・・・遠くで、誰かが呼ぶ声がする。

・・・んせ、せんせー

ん?

「・・せんせ」

だれ?どうしたの?

「先生」

あ、梨華ちゃん。あ!梨華ちゃん!

慌てて飛び起きる。ヤベ、マジ寝してた。

「ゴメン、すぐに起きるつもりだったんだけど」
「しょうがないよ、今日は忙しかったもん」
「もしかしてもう、みんな帰っちゃった?」
「ううん、今帰るところなんだけど、お父さん車に乗せるの手伝って」
「ん?どっちの?」
「どっちも」

何だかまた、肝心な時に寝てしまっていたらしい。
寝ぼけまなこでリビングに出ると、ラグの上に父親連が転がされていた。
382 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(後) 投稿日:2004/08/12(木) 00:59
「起こしちゃって悪いわね」
「こっちこそ寝ちゃってゴメン。母さんが運転するの?」
「うん。玄関前に車は寄せたんだけど、酔っ払いが重くて」

私が寝てから、そんなに時間は経っていない。
結構、ピッチが早かったってことか。
一応脈を取ってみる。うん、まあ、だいじょうぶでしょ。

「水分、取らせた?」
梨華ちゃんに聞く。
「うん。でも、その分重くなった感じなの」
「そっか。二人で、一人ずつ行こう、そっち担いで」
383 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(後) 投稿日:2004/08/12(木) 01:00

せーの、よいしょ。

まずはうちの父親。心なしか梨華ちゃんの方に、多く体重を掛けている。
「オレがあと30年、いや20年早く生まれていれば・・・」
んだよ、梨華ちゃんと結婚したかったとでも言うの?まったく・・・。
軟体動物のような身体を引き寄せて梨華ちゃんから離し、後部座席へ
押し込む。さて、次に、梨華ちゃんのお父さん。

こちらは完全に眠っていて、さらに重い。
さっきより時間をかけて、これまた後部座席に押し込む。

「母さん、気をつけてね、真っ暗だから」
「近いから、平気よ」
何かあっても、名医がいるしね。
悪戯っぽく微笑んで手を振りながら、母さんは車に乗り込んだ。
384 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(後) 投稿日:2004/08/12(木) 01:01

二人並んで車を見送ってから、気づく。父さんたちを、どうやって降ろすんだろ?
まあ、いっか。旅館の誰かが手伝ってくれるだろう。

ところで、私が寝ていた少しの間に、いったい何があったのかな。
とりあえず家の中に戻り、食器を洗いながら、聞いてみた。

「結局、どうなったの?」
「どうなったって・・・最終的な結論でいい?」
「うん」
「明日の朝、お父さんたち二人で釣りに行くの」
「は?」
「ロクローさんに頼んだら、船を出してくれるって」
「あんなんで明日船なんて乗ったら、知らないよ?」

だけど、問題はそういうことじゃない気もするけど・・・。
「でも、ロクローさん、張り切って宿にまで迎えに行ってくれるって」
「・・・そうなんだ。じゃ、逃げらんないか」
「お昼は、お父さんたちが釣ってきた魚を、お母さんたちが料理してくれるの」
「いやだから、ぜってー釣れねーってばよ」
よく分からないけど、ここまで来てもらった意味は、大いにあったみたい。
385 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(後) 投稿日:2004/08/12(木) 01:01

「まあ、いいんじゃない、釣れなくても」
それもそうだ。海から岬を見られるだけで、船酔いするだけの価値はある。

「そだね。あ、もうあとやっとくから、お風呂入っておいでよ」
「うん。先生は?」
「オペで大汗かいた後、ざっと流したから」
「あ、そっか。もう同じ一日の出来事だって忘れてた」
確かに今日は、長くて濃い一日だった。
今朝、自転車で出かけたのが、3ヶ月ほど前にも思えるな。
でも、知らない間に、何もかも、何とかうまくいったみたいだし。

終わりよければ何とやら。そう、イッツオーライってやつだ。
386 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(後) 投稿日:2004/08/12(木) 01:02
ひととおり家を元通りにして、ベッドの上で正座しながら梨華ちゃんを待つ。
静かに足音が近づいてきて、ドアが開く。驚いた顔で私を見る梨華ちゃん。

「先に、寝てると思ってた。どうしたの?」
同じように正座して、儀式に付き合ってくれる。

「梨華ちゃん、今まで、ホントにありがとう」
「何が?何で?」
「うまく言えないんだけど、何となくありがとうって言いたくなって」
生まれた場所からこんなに遠く離れて、一緒にいてくれて。
いつもいつも、助けて、励ましてくれて。そんなすべてにありがとうって。

「お礼言われるようなこと、してないよ」
「ううん、一人だったら、とっくに逃げて帰ってたかも」
「そんなこと、絶対ない。そんな先生だったら好きになってないもん」
387 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(後) 投稿日:2004/08/12(木) 01:03
いやー、それは買いかぶりってヤツですよ。確かに、梨華ちゃんが相手なら甘えて、
弱いところを見せたりも出来るけど、それ以上に強がっちゃう部分も、やっぱり多いし。
いいとこ見せたくて大きく出てみたら、結果オーライだったってこともあったし。

「でも、隣にいてくれたおかげで、いろんなこと乗り越えられたのは事実だから」
「こっちこそ、ありがとう。そう言ってもらえて嬉しい」

背筋を伸ばす。三つ指なんかついて、頭を下げる。
「これからも、よろしくお願いします」
「こちらこそ、ふつつか者ですが、よろしくお願いします」
梨華ちゃんも真似をして、頭を下げている。

「それはもちろん存じ上げておりまする」
「ちょっとどういう意味よ!」
梨華ちゃんは、笑いながら真意を問うてくる。
ごまかすように腕を伸ばして、その身体ごと胸に引き寄せた。
388 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(後) 投稿日:2004/08/12(木) 01:04

唇を重ね、強く抱き合ったまま、そっとベッドへ押し倒す。
私の髪を梳く梨華ちゃんの指が、愛しくて気持ちいい。

思いを乗せた唇を、髪に、頬に、耳元に、首筋に・・・。
さっき閉じられたばかりのボタンを外してイザ、というときに気がついた。

力を失った指、そして穏やかに、規則正しく上下する胸。

・・・・・もしかして、寝ちゃったの?無理もないか。

「お姫様は、普通、キスしたら起きるもんなんじゃないの?」
ひとりごちながら、眠る梨華ちゃんを抱き寄せて腕枕した。

梨華ちゃんが、薄く目をこじ開ける。
「ごめ・・・ねむ・・・」
「分かってるって。おやすみ」
前髪をかきあげて、額に口づけた。
「・・・ん・・・おやすみ・・・」
閉じられたまぶたにもう一度口づけてから、私も目を閉じた。

明日はもう一回鮭夫くんのところへ行って、家族に話をして、それから・・・。
そう、父さんたちが釣ってきた魚を食べるんだっけな・・・。
389 名前:第十四話 愛あらば IT'S ALL RIGHT(後) 投稿日:2004/08/12(木) 01:05


今までいくつ、二人で夜を過ごしただろう。

これからいくつ、一緒の夜を数えられるだろう。

明日がどんな日になるか、私にも、誰にも分からないけれど。

だけど、例えば明日、二人に向かい風が吹いたら、
私は梨華ちゃんの前に立つよ。

そんなことしか出来ないけど、本当にこれからも、よろしくね。








             < 第十四話「愛あらば IT'S ALL RIGHT」了 >
390 名前:名無しOA 投稿日:2004/08/12(木) 01:08
想像以上に、時間がかかってしまいまして。
お待ちいただいた皆様、本当に申し訳ありませんでした。

次回は、熱っちい地球が、ちょっこす涼しくなった頃に。
ちなみに、第一部最終回を予定しています。

またもや間があいてしまいそうですが、よろしければ、変わらぬお付き合いのほどを。
391 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/12(木) 02:13
このお話を読んで娘。小説を書いてみようと
思ったので更新されていて非常に嬉しかったです。
名無しOAさん、いいお話をありがとうです。
じんわり泣けました。。。
これからも頑張ってください。期待してます。
392 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/13(金) 15:04
更新乙です
石川さん吉澤さんの両親がステキです

これからも楽しみにしています
393 名前:名無しOA 投稿日:2004/09/02(木) 01:49
>391 名無飼育さん
ありがとうございます。身に余る光栄です。
どうにもこうにも滞りがちで、本当に申し訳ありません。

もしよかったら、391さんが書かれている作品、ヒントだけでも
教えていただけると嬉しいです。

これからもがんばりますので、どうかよろしくお願いします。

>392 名無飼育さん
ご両親のイメージを損ねないように、という点に時間を割きましたので、
そう言っていただけて安心しました。ありがとうございます。

ご期待に添えますよう、努力は惜しまないつもりですので、
どうかよろしくお願いします。
394 名前:名無しOA 投稿日:2004/09/02(木) 01:52
ところで、続きを書くために読み返してみて、間違いに気づきました。

>>383

>「オレがあと30年、いや20年早く生まれていれば・・・」

よけいにじじぃじゃねーかよそれじゃあ。

×早く
○遅く

ですよね。お父さん酔ってたんですね。
あるいは、私が酔っていたのかもしれません。
先生も気づかなかったようで。

すいませんが訂正させてください。

では、また次回更新時に。
395 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/09(土) 23:58
更新楽しみにしてます。
396 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/18(木) 19:12
待ってます。
397 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/22(月) 22:49
そろそろ涼しくなってきました...。
更新お待ちしてます。
398 名前:くろ 投稿日:2004/12/06(月) 17:22
初めまして
『ナース石川企画』で作者さんの『空の手のひらの中』に感動し、ずっと他の作品を探しておりました。
今更ながらも、偶然こちらで見つけることが出来、一気に読ませていただきました。
作者さんの作品の持つ、独特の温かさや雰囲気が大好きです。
これからも応援しています。
無理をなさらずに、がんばってください。
399 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/06(月) 21:14
ochi
400 名前:名無しOA 投稿日:2004/12/13(月) 00:37
暖冬をいいことになまけてしまっています。
目標を年内に改めさせていただきたく。。。

すいません、できれば気長にお待ちいただければ、大変ありがたく存じます。
本当に申し訳ございません。

>395
>396
>397

すでに涼しいどころじゃないですよね。
お待たせしてホントに申し訳ありません。

>398 くろ様

『空の手のひらの中』も今や昔、2年も前になりますね。
にも関わらず、今そうおっしゃってくださる方がおられることに、改めて気合を入れなおす思いです。
自分で自分に「もうちょっと無理しろよ」と思うようなペースで書き綴っておりますので、
よろしければ終わりまでお付き合い、よろしくお願いいたします。
応援、本当にありがとうございます。

>399
お手数かけました。ありがとうございました。上にあったら、びっくりしたかもです。



401 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(前) 投稿日:2005/01/11(火) 16:21


今日か、明日か。

心の準備があっても、やっぱり末期の水を取るのは淋しいことで。


402 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(前) 投稿日:2005/01/11(火) 16:23
ヤマジのおばあちゃんは、ご主人を早くに失くしてから、ずっと働き詰めで、
医師の診察なんて受けたことがなかった。
中澤先生が、全戸訪問で、町の全員を診察するまでは。

そんなおばあちゃんの持病は、慢性肝炎。
沈黙の臓器と言われる肝臓に、自覚症状はほとんどない。
403 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(前) 投稿日:2005/01/11(火) 16:23
「ヤマジさん。何となくだるかったりとか、してたでしょう?」
中澤先生が気づいた時には、もうかなり進行した状態だったらしい。
「そうね。でも忙しくて病院どころじゃなかったさ」
女手ひとつで、息子を大学までやったことは、おばあちゃんの誇りでもあり自慢でもある。

「いろいろ苦労しはったんやもんね」
「そうでもないよ」
「息子さんも立派になりはって、楽になりましたねえ」
「そうね。おかげさんでね」
「そやから、ちょっとだけ病院に来る時間とってもらわれへんかな?」
「取れなくもないかもしれんね」
「病院は嫌い?」
「好かん」
「あらら。でも、嫌われるようなことしないから、時々来てくれる?」
「わからん」
404 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(前) 投稿日:2005/01/11(火) 16:24
医者は、嫌い。だって、あんたら、次から次へとしょっちゅう変わるだろ。
「一体誰の言うこと聞いたらいいのか、さっぱりわからん」

熱意ある医師がへき地に根付かないのは、医療界が抱え続ける問題。
それは、隣町の、比較的大きな総合病院でさえそうなのだ。

「ゴメンね。でも、もしできたら、これからは月一回ぐらい顔出してほしいなあ」
「わからん」
「そしたら、ヤマジさんとこへ私が来てもいい?」
「それはどうにもならんね」
何度か訪問を繰り返すうち、中澤先生が今までの医師とは少し違うことを、
おばあちゃんもやっとわかってくれたらしい。
405 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(前) 投稿日:2005/01/11(火) 16:25
そんな何年かのあとを引き継いで、病状を診てきたのが、吉澤先生。
「あんたは、これからどれぐらいここにいるのかね?」
「そうですねー、あと50年くらいですかねえ」
のほほーんと、先生が答える。あるいはウソとも冗談とも取られかねないそんなセリフが、
不思議とそうは聞こえない魅力が、先生にはある。

「ほんとかい?そりゃ心強いね」

二人の先生の尽力で、私が来た頃には、おばあちゃんはずいぶん心を開いてくれていた。
406 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(前) 投稿日:2005/01/11(火) 16:26
私と同じ頃、息子さんたちの家族が、何とかこちらに仕事を見つけて帰ってきたことも、
おばあちゃんを穏やかにさせたのだろう。

私が薬を届けるたび、先生たちに診てもらったことで、ずいぶん身体が楽になったと、
いつもそう言ってくれていたのに。
407 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(前) 投稿日:2005/01/11(火) 16:27


       *


408 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(前) 投稿日:2005/01/11(火) 16:28
「こんちはー」
夕餉の支度の手を止めて、イズミさんが迎えに出てくれる。
ばあちゃんの息子さんがコウスケさん。で、そのコウスケさんが、都会の大学で
出会ったお嫁さんが、こちらイズミさん。二人の息子で、私の遊び仲間が、もうすぐ
5歳になるダイスケくん。
梨華ちゃんが私に遅れてここに来たのと同じ頃、一家でばあちゃんのもとに帰ってきた。

「あら先生。えーと、ダイスケ?」
「うんと、ばあちゃんのほうです」
かすかに、イズミさんの顔が曇る。
「今日は来て下さる予定でした?」
「いえ。通りかかったんで、おられるんなら顔だけでも、と思って」
もしかして、タイミング悪かったのかな?
409 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(前) 投稿日:2005/01/11(火) 16:28
「もし都合悪いんなら、出直しますよ」
「いいえ、どうぞ上がって下さい」
エプロンで拭いた手でスリッパを並べてくれながら、イズミさんはどこか上の空。
これは、もしかすると・・・。

「おばあちゃん庭にいるんで、呼んできますね」
「あの、洗濯中ですか?」
「ええ。そうなんですよ」
やっぱり。イズミさんが困っている理由がわかった。
洗濯のジャマすると、ばあちゃんはすごく機嫌が悪くなるんだよなー。

「もうすぐ、終わると思うんですけど」
「なら、待ってますから、呼びに行ったりしないほうが・・・」
私のためでも、イズミさんのためでもあるような気が、しないこともない。
「すみません。じゃあ今、お茶淹れますね」
心なしか安心したようなイズミさんに招かれて、居間へとお邪魔した。
410 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(前) 投稿日:2005/01/11(火) 16:29
出されたお茶をいただきながら、ばあちゃんを待つ。
廊下の向こうから、小さな足音が近づいてくる。
「せんせー、こんにちはー」
「おー、こんちは。ダイスケいたんだ、久しぶりだね」
「ねえ、いまいそがしい?おしごとちゅう?」
「ばあちゃんが来るまでは、ヒマだよ」
「じゃあいっしょにあそべる?」
「うん」
「やったー!」

ダイスケと『グランファイターごっこ室内版』をやっているうちに、
ばあちゃんは洗濯物を干し終えたらしい。
411 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(前) 投稿日:2005/01/11(火) 16:30
「すまんね、待たせたかい?」
空っぽのカゴを抱えて、ばあちゃんが戻ってきた。
思ったとおり、肩で息をしている。
「いいえ。よしダイスケ、今日はここまで。お母さんのとこ行っておいで」
「はぁーい、バイバイ」
「またもっと広いところでやろうな」
「うん!」
ばあちゃんもバイバーイ、と愛くるしい笑顔で手を振って、ダイスケは
イズミさんのところへテッテケテー、と走っていった。

「だいじょうぶですか?寒くなかった?」
「このくらい、寒いなんて言わんよ」
「あは、すいません。でも、外に干せるのも、今のうちですもんね」
日中の気温が上がらないと外には干せないし、雪が来ても当然ダメだ。
そして、この二、三日の暖かさは、きっと降雪の前触れだと思う。
「そうさ。ひょっとして今日が最後かもね」
412 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(前) 投稿日:2005/01/11(火) 16:31
今日が、最後。
もちろんばあちゃんは「今年は」という意味で話しているはず。
何気ないその一言は、だけど私の胸を、強くえぐった。

実は昨日、最新の検査結果が届いていて。
その数値は、こうして元気に洗濯し、話しているのが不思議なぐらい、
良くないものだったから。

「何しに来た?」
最初の頃、同じセリフは、拒絶を含んでいたように聞こえた。
「通りかかったから、ちょっと寄ったんです」
「そうかい。晩御飯食べてく?」
ばあちゃんはただ、ぶっきらぼうなだけ。中澤先生に、少し似てる。
「いえ、それは、また今度。ありがとうございます」
「したら、お茶は?」
「もう頂いてます。あの、ついでだから、ちょっと診察させてもらってもいいですか?」
413 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(前) 投稿日:2005/01/11(火) 16:32
一通りの問診と、聴診を終える。薬を強くするべきか否か。
「肝臓さわってみますんで、寝転んで、ひざを立てて下さい」
あばらの下に差し込んだ手刀の先が、皮膚越しの臓器に触れた。
「大きく息を吸って、そうそういい感じ」
数値のとおり、だいぶ硬化が進んでいるみたいだ。

「終わりましたよー、服着てください」
「どうね?」
「そうですね、もう少し詳しく診たいんですけど」
「行けばいいのかい?」
「出来れば、明日にでも。迎えに来ましょうか?」
「イズミに送ってもらうよ」
「じゃ、お待ちしてますね。約束ですよ」

少し前までは、決まって『歩いて行くよ』と返してくれた。
やはり、だるさや疲れが出やすくなっているのだろう。

ご家族とは、早急に話をしておいた方がいい。
今夜にでも、コウスケさんと一緒に来てほしい旨をイズミさんに話して、
私はヤマジ家を辞した。
414 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(前) 投稿日:2005/01/11(火) 16:32
どんなふうに話をするのが、一番いいだろう。
約束の時間の限界まで考えたけれど、結論は出ない。
タイムアウトのチャイムが玄関で鳴り、私は思考を中断した。

「お忙しいところをお呼びたてして、すみません」
「先生、お茶、どうします?」
「4つ入れて、石川さんも一緒にいて」
「分かりました」

あるがままを、伝えるしかない。
私にはそれしか出来ない。
415 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(前) 投稿日:2005/01/11(火) 16:33
「ご家族の目から見られて、どうですか、最近のおばあちゃんは?」
「・・・どう、って?」
「どんな小さなことでも構いません。お気づきになられたことは?」
二人で顔を見合わせて考え込んだ後、コウスケさんが口を開く。
「何となく、動くのを嫌がってる気はしますね」
「例えば?」
「すぐ近くにあるものを、取ってくれって頼まれたり」
やっぱり、そうか。

「他には、何かないですか?」
「他に・・・」
「例えば、夜はきちんと寝られてますか?」
「あ、そういえば・・・」
416 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(前) 投稿日:2005/01/11(火) 16:34
聞き進めると、病状の進行を示す行動が多く出てきた。

「イズミさん、例えば、理不尽に叱られたりとかは?」
「それは・・・あるような、ないような・・・」
コウスケさんに遠慮もあるのだろう。

「それも症状のひとつなので、こらえてあげてくださいね」
「そうだったんですか。分かりました」

どうやら、検査結果に大きな間違いはなさそうだ。
私にとって辛い夜は、患者の家族にとってはもっと辛い夜。
417 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(前) 投稿日:2005/01/11(火) 16:35
「実は、思った以上に、検査の結果が良くなかったんです」

並んだ数字に、出来るだけわかりやすく説明を加える。
普通の人の数値と、ばあちゃんの数値。
その差は何よりも雄弁に、すぐそこにあるひとつの結末を語る。

コウスケさんの顔が、みるみる色を失っていく。
そこへ追い討ちをかけるのも、私の仕事のひとつ。
このときだけは、心の底から医者を辞めたくなる。

「この数字だと、経験的に言って・・・」
静まり返る部屋が、私に続きを促す。
今さら言葉を選んでも、仕方ない。

「もう、あまり長くは生きられない、と思います」
418 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(前) 投稿日:2005/01/11(火) 16:35
「そんな・・・少し弱ったかなとは思うけど、でも・・・」
ようやくこぼれたコウスケさんの声は、はっきり震えていて。
「だって、あんなに、元気なのに・・・」
その気持ちは、私にもよくわかる。

「実は今日、普通に洗濯しておられるのを見て、ちょっとびっくりしました」
「私がやりますって、いつも言ってるんですけど」
「わかってます。何度か、無理やり白衣脱がされましたから」

ついつい白衣のまんま、ダイスケと遊んじゃったときとか。
前の家で、ちょっと血がついちゃったりしたときとか。
419 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(前) 投稿日:2005/01/11(火) 16:36
「コウスケさんたちが帰ってくる前、ばあちゃんが、一人暮らしだったときね」

一人分だと、洗濯物が少ないから淋しいって。
青い空に、白いタオルやシーツや、小さい大きいシャツや靴下が、たくさんたくさん
並んでるのが好きなのに、って、よく。

うちに来て干すのを手伝ってくれたこともあるし、前にいた中澤先生も、
しょっちゅう脱がされてたみたいで。

「だから、今はホントに楽しそうで、ばあちゃんよかったねって」
だけど、もう少し病気が進めば、好きな洗濯も難しくなってくるだろう。
420 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(前) 投稿日:2005/01/11(火) 16:36
コウスケさんが、かすれた声を振り絞る。
「オレがオフクロを一人にしてた間、毎日酒飲んでたせいですか」
「中澤先生と約束してからは、飲んでおられないはずです」
「でもその前ずっとオレが・・・」
「コウスケさん」
「オレが・・・もっと早く、帰って来るべきでした」
「これだけ良くない数値で、今の元気さがあるのは、コウスケさんたちの力ですよ」
「でも・・・」
「これからの話、しましょ、ね。無限の命なんてないんです」
だから、誰のせいでもないんですよ。
421 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(前) 投稿日:2005/01/11(火) 16:37
どんな励ましの言葉も、今は意味を持って届かないだろう。
愛する者を失いつつある人を前に、無力なのは言葉か、それとも私自身か。

希望の少ないこれからの話を、それでもやはりしなければならない。

なぜならば、一日いちにちをより大事に過ごすために。
遺される者には、全力を尽くす義務があるから。
422 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(前) 投稿日:2005/01/11(火) 16:37
「今ある数字だけから、予測できる今後なんですけど・・・」
非情なのは、私か、検査結果か。
「近いうちに、起き上がる気力が尽きてしまうと考えられます」
無言の二人に、最後通告。

「冬は越せない可能性が高い、そう覚悟していてください」
非情なのは、きっと私だ。

うつむいて真っ白に拳を握り締めるコウスケさん。
「お気持ちは分かりますが・・・」
否、きっと、本当に分かってはいないくせに。

「医学的には、治るということも、劇的に回復するということも、ありえません」
「・・・奇跡、奇跡が起きる可能性は・・・」
「半年の寿命が一年に延びるのをそう呼ぶとすれば、ありえます」
「・・・どうしても、助からないんですか・・・」
「私たちも全力を尽くします」

一日でも長く、ばあちゃんが元気でいられるように。
423 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(前) 投稿日:2005/01/11(火) 16:38
肩を落として帰路に着く二人を、黙って見送った。
力を尽くすと言ったって、たいして何にも出来やしない。
なのに、ひと様の命を云々する資格が、私にあるのだろうか。

今後について調べなければならないことは、山積している。
けれど、とりあえずすべてを投げ出して、ソファに横になった。

「お茶、淹れなおすね」
手付かずのままの湯呑み茶碗を、梨華ちゃんがキッチンへ下げる。
424 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(前) 投稿日:2005/01/11(火) 16:39
水音。炎立つコンロの温もり。触れ合う食器が奏でる旋律。

立ち働く梨華ちゃんの気配が、私のいる場所までをも優しく包み込む。
何にも言わずにそばにいてくれることが、ただただ心強く、愛しく。


後から後からあふれてくる涙の理由は、自分でもよく分からなかった。







              <第十五話「アヴニール〜未来〜」後編へ続く>
425 名前:名無しOA 投稿日:2005/01/11(火) 16:43
長らくお待たせしてしまい申し訳ありませんでした。

後編は近日中に。
426 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/11(火) 19:16
更新キター!!(AA略
待ってましたよ〜。嬉々として読みました。
でも話の内容に胸が痛んだり…後半が読みたいような、読みたくないような(ニガワラ
427 名前:391 投稿日:2005/01/11(火) 20:41
更新の嬉しさとお話の切なさでちょっと涙が。
取り扱うテーマがテーマだけになにかと大変だと思いますが頑張ってください。
428 名前:くろ 投稿日:2005/01/11(火) 21:11
お待ちしてました。
更新ありがとうございます。
リアルタイムで読むのは初めてなので、ドキドキしました。
後編も期待しています。
429 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/11(火) 22:15
思わず涙してしまいました。後編も楽しみです。
ヤマジさんってあのヤマジさん一家なんですね。
先生たちと同じくらい気になっていますw
430 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/12(水) 12:43
更新お待ちしてました!
続編も楽しみにしております。


>>428 くろさん E-mailにはsageを入れてください。
431 名前:くろ 投稿日:2005/01/12(水) 20:39
申し訳ありません
432 名前:名無しOA 投稿日:2005/01/13(木) 15:09
たくさんのご感想、ありがとうございます。
更新に先立ちまして、まずはお礼を。

>426 名無飼育さん

ありがとうございます。
後編はいかがでしたでしょうか?
ものすごく淋しいけれど、そんなに悲しくはない、ひとつの命の終わり。
目指した内容は、そんな感じだったのですが。

>427 名無飼育さん

ありがとうございます。
正直申し上げると、本当に大変でした(笑)
幸せな命の終わりはありうるか?
そんなことを表してみたかったのですが、さて上手く描けたのやら。
433 名前:名無しOA 投稿日:2005/01/13(木) 15:10
>428 くろ 様

こちらこそ、早速お読みいただいてありがとうございます。
果たして、ご期待に沿える後編でしたでしょうか。


>429 名無飼育さん

ありがとうございます。
実は、微妙に古いドラマの名前を使わせてもらっているのは、
当時からこの回に手をつけていたからでして。
いっそ変えようか、とも考えましたが、足かけ半年がかり(笑)に免じて、
更新の遅さを多めに見ていただこうかな、と思いそのままにしました。

>430 名無飼育さん

ありがとうございます。
楽しみにしていただいたお気持ちに、お応えできていればいいのですが。
434 名前:名無しOA 投稿日:2005/01/13(木) 15:11
以下の第十五話後編を持ちまして、一旦、第一部の完結をみることが出来ました。
これも、すべて、読んで下さっている皆様のおかげと感謝しております。
435 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(後) 投稿日:2005/01/13(木) 15:15

あの夜は、もう3ヶ月ほども前になる。

先生は、けして予言者ではない。ただ、数値が正直なだけ。

あれから、ヤマジのおばあちゃんは。
少しずつ、少しずつ、起きているより寝ている時間のほうが長くなり。

初雪が来て、大雪が根雪になってまもなく、寝たきりになってしまった。

436 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(後) 投稿日:2005/01/13(木) 15:15

おばあちゃんの家へ、もはや日課になった雪の通い路を、今日も歩く。
私ひとりの日も、先生ひとりの日もあるけれど、今日は、並んで。

二人とも口数が少ないのは、ここ何日かが峠だと知っているから。
昨日から降り続いていた雪もやみ、足元で新雪だけが音を立てている。
「寒い」
先生が一言だけつぶやいて、ポケットのカイロを握りしめた。
437 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(後) 投稿日:2005/01/13(木) 15:16
海から続く、緩やかな長い坂を登った先に、おばあちゃんの家は建っている。
転ばないように足元を見ながら歩いていると、行く先から大きな声が聞こえた。

「先生!」
イズミさんの声。
「石川さん走るよ、気をつけて」
「はい」
雪を跳ね上げて走る先生の後を、私は無心で追いかけた。
438 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(後) 投稿日:2005/01/13(木) 15:17
イズミさんが待つ玄関で、長靴を脱ぐ。
「電話しようと思ったら姿が見えたからあのおばあちゃんが」
「もうだいじょうぶ、落ち着いて」

先生が枕元に駆け寄り、胸をはだけて聴診器を当てる。
「コウスケさんは?」
「さっき連絡して、すぐ帰るって」
職場はすぐそこの農協だから、きっと間に合うだろう。

「ダイスケくんは?保育園?」
「はい」
「すぐ迎えに行ってください。ゆっくり、急いで」
「わかりました」
落ち着きを少し取り戻したイズミさんが、車の鍵だけ持って出て行った。
439 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(後) 投稿日:2005/01/13(木) 15:17
とりあえず、苦痛を除く手当てにかかる。
『畳の上で、安らかに、孫の顔を見ながら』
それが、元気な時の世間話で繰り返していた、おばあちゃんの希望。
そのうち二つは、きっと叶う。だからあと、たったひとつ。

「ばあちゃん、もうちょっとだけ、みんなを待ってやってよ」
祈るようにつぶやきながら、先生が手首で脈を取る。

ようやく、玄関で大きな音がして、コウスケさんが駆け込んできた。
「先生!」
「そっちの手を、握ってあげて」
先生の反対側にそっと座って、コウスケさんはおばあちゃんの手をとった。
男の人が泣いているのを、久しぶりに見るような気がする。
440 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(後) 投稿日:2005/01/13(木) 15:18
続いて車の止まる音がして、今度はイズミさんとダイスケくん。
「ただいまー、あ、吉澤隊長!」
「おかえり。ダイスケ隊員、ちょっとおいで」
「はい」
敬礼しながらカバンを下ろすと、ダイスケくんは先生の隣に座った。
泣いているお父さんを不思議そうに見ているけれど、何も言わない。
何となく、何かを分かってはいるのだろう。

「今から大切な報告をする。準備は?」
「OKです!」
ダイスケくんは、再び敬礼で先生に答える。

「ダイスケ隊員のおばあちゃんは、ね」
今から、長い長い旅に出る。だから、とりあえずさよならしなきゃならない。
「長いって?」
うーん、そうだな・・・。
441 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(後) 投稿日:2005/01/13(木) 15:18
「ダイスケ隊員が今度会えるのは・・・」
80年くらい後、かな・・・。

「80年?ボク、何年生?」
「何年生っていうか、うーん、生まれてきてから今までを、20回繰り返すくらい」
「20回?わかんないよ」
「まあ、過ぎてしまえば、大したことない長さだけどね」
とにかく、ずっと会えないから、ちゃんとさよならしてね。

「大きな声で元気よく言わないと、聞こえないからね」
「ラジャー!」
大切な者を失う、その理解に、ダイスケくんは、少し幼すぎるのかもしれない。
442 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(後) 投稿日:2005/01/13(木) 15:18
「おばあちゃーん!聞こえるー??」
あのねーボクねー、と大声で話しかけていたダイスケくんが、先生の方を向いた。

「どした?」
「センセー、それ貸して」
「ん?聴診器?」
「そ。ちっちゃい音がおっきくなるんだべ?」
「そうだけど・・・」
「ばあちゃんにつけてよ」
「・・・そか。ダイスケ頭いいな」

聴診器をつければ、意識の遠のきつつあるおばあちゃんにも、声が届くかもしれない。
細い管を通した、代わる代わる精一杯の、家族の呼びかけ。
かろうじて聞こえてはいるのだろう、しわだらけの顔に、穏やかな笑みが浮かぶ。
443 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(後) 投稿日:2005/01/13(木) 15:19
脈を取るために握っていた手首を、先生がそっと布団の中に戻した。
反射を失った瞳孔を確認して、時計を見る。

かすれる先生の声で、静かに臨終が告げられて。
おじいちゃんの遺してくれた家で、家族みんなに見守られながら。
ゆっくり、ゆっくり、おばあちゃんの命は幕を閉じた。
444 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(後) 投稿日:2005/01/13(木) 15:19
さまざまな手続きや、ご遺体の清拭、着替えなどを、ご家族と一緒に行う。
あとは、末期の水で唇を潤してあげて、私たちに出来ることは終わり。

「先生、ちょっとだけコレで濡らしてやってもいいかな?」
コウスケさんが示したのは、おばあちゃんが先生たちとの約束で控えていたお酒。
「はい。たっぷり、湿らせてあげてください」
先生の言葉どおり、目いっぱい脱脂綿にお酒を含ませるコウスケさん。

「母さん、もう好きなだけ飲んでいいんだぞ」
おばあちゃんと、傍らのコウスケさんの姿が、私の視界で少し滲んだ。
445 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(後) 投稿日:2005/01/13(木) 15:20
ふと、思い出したように先生が口を開く。
「黄疸が、出て、しまっているので・・・」
先生はそれっきりうつむいて、何も言えなくなってしまった。

私が、あとを引き取る。
「お化粧、してあげて下さい。もうすぐ、おじいちゃんと久しぶりにデートだって、
いつもおっしゃってましたから」

イズミさんがうなずいて、準備のために立ち上がる。
446 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(後) 投稿日:2005/01/13(木) 15:20
「先生」
コウスケさんが声をかけてくれた。先生は、涙で答えられない。
「オフクロは、先生が来るの、ほんとに楽しみにしてました」
先生の肩に手をかけて、コウスケさんが続ける。

「先生が来て、診察してくれると、寿命が延びる気がするって」
涙を拭いながら、先生が顔を上げた。
「診察なんて、ほとんどしてません。すみませんでした」

先生は、限りある設備で出来ることはすべてした。
ただ、もし、大きな病院に入院していれば、何日か、何週間かは、
命を永らえたかもしれない。すみません、は、きっとその意味。

だけど、そこでは、こんなに穏やかな最期が有り得たか。
447 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(後) 投稿日:2005/01/13(木) 15:21
「自転車の音でね、『先生が来たから、お茶淹れて』って、いつも」
化粧道具を手に戻ってきたイズミさんが続ける。
「先生用に、いいお茶買って来ないと、怒られたんですよ」
「すいません。うちのお茶とは違うな、とは思ってたんですけど」
うちのは普通のお茶で、悪かったでございますわね。

「怒られたのは、まあそれだけじゃないですけど」
出来の悪い自分を嘆くように、イズミさんがつぶやく。
「あれ、いないところでは、いっつも褒めておられましたよ、ね、先生」
「うん。うちの息子にはもったいないって、口癖のように」
「・・・ホントですか?」

面と向かっては、一度も言われたことがないのだろう。
「ええ。今年のニシン漬けは、イズミと一緒に仕込んだから」
「あんたらも必ず食べなさいよって、何度も何度も」

私が何回作り方を聞いても、全然教えてくれなかったのに。
見込みがないからダメ、って。

「口紅忘れた。叱られちゃう」
こぼれた涙を隠すように、イズミさんがもう一度立ち上がった。
私たちも、そろそろ戻って、診療所を開けなきゃならない。
448 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(後) 投稿日:2005/01/13(木) 15:21
お化粧をするイズミさんと、それを見守るダイスケくんには居間で別れを告げ、
コウスケさんは、玄関まで見送りに出てくれた。

「石川さんも、いろいろありがとう」
「いいえ。コウスケさん、お礼なら、まずイズミさんに言わないと」
「え?」
「お母さんには、ひとつの床ずれもありませんでした」
寝たきりの、義理の母親。介護はきれいごとばかりでは済まない。

「私でも、自分の親をそれくらい看られるか、自信ないです」
「分かりました。でも、石川さんもありがとね」
「はい」
「あ、そうだ、ちょっと待って」

庭先の、納屋の方へ走っていくコウスケさん。
形見分けだといって、『共同作業』のニシン漬けを持たせてくれた。
449 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(後) 投稿日:2005/01/13(木) 15:22

こんな夜。
誰かを、亡くした日の夜。

先生は、しばらく寝室に閉じこもる。

タイミングを見て声をかけると、反応は、たいてい二通り。

生返事をして背を向けるとき。
まだ生きられたであろう年齢の患者さんを、神様に奪われたとき。

おいで、と言うかのように、私へと手を伸ばしてくれるとき。
それは、今日みたいに、穏やかな最期を看取ったとき。

私は、先生が伸ばした手と握手して、ベッドの端に腰掛けた。
450 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(後) 投稿日:2005/01/13(木) 15:22
「こっちに来てから、前より患者さんを見送るのが辛いんだ」
「うん。元気なときから仲良しだもんね」
普通に病院で働いていれば、病気になってからのその人しか知らない場合が多い。

問わず語りに、ポツリポツリと先生が話す。

よく、人間の寿命をろうそくの火に例えたりするけど。

たしかにその通りでさ。
突然風が吹いて、消えちゃう火もあるし。
静かに、燃え尽きる火もあるし。
同じ風に吹かれても、消える火と消えない火があるし。

医者やナースに出来ることってのは、限られてて。
風でゆらゆらしてたり、消えそうになってる火を手や板で囲って、
風から守ってあげることだけで。

まだ長さを残して消えちゃった火を、点けなおしたりとか。
短くなったからって、ろうそくを長くしたりとか。
そんなことは、絶対できないわけじゃん。
だから、弱くても火が点いてるうちに、出来るだけのことするしかない。
まあそれは、どんな場所で医者やってても、同じなんだけどね。

だけど、近くにいたんだから、もっと早く風に気づいて防いであげてれば、とか。
風向きを読み違ったんじゃないか、とか。
451 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(後) 投稿日:2005/01/13(木) 15:23
「何かね、いろいろ考えちゃうんだよね」
「うん。分かる」

先生とはもちろん立場が違うけれど、思いは私も同じ。
あのときもっとこうしてあげてたら、なんて、よく後悔する。

命にやり直しはきかない。今度こそ、なんて言葉は通用しない。
慎重さも大胆さも命取りになりうる、そんな職業ほかにあるだろうか。

直接の責任を負う先生の心の内を思い、私はそっとその頭を撫でた。
「何て言ったらいいのかわからないけど」
今日のヤマジのおばあちゃんのろうそくは、いい消え方だったと思うよ。

「うん。そう。そうだね」

それきり黙りこんで、先生は静かに目を閉じた。
先生、このまま何時間でも、おばあちゃんのこと、思い返してていいよ。
先生の気が済むまで、私も隣で、一緒にそうしてるからね。

身体はなくなっても、語り継がれ、思い継がれて、誰かの心の中にあり続ける。
私にも先生にも、この世に生きる者には、いつか必ずその順番がくるのだと、改めて思う。
452 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(後) 投稿日:2005/01/13(木) 15:23
「梨華ちゃん」
「ん?」
「お腹すいちゃった。おかずなに?」
「ニシン漬け」
「あ、そうか」
「少し、早いらしいんだけど」
一緒に立ち上がって、食事の支度をする。
件のニシン漬けと、残り物が並んだ食卓を見渡して、先生が言った。

「味付け海苔、なかったっけ?」
先生が食卓に注文をつけるのは、すごく珍しい。
いつもは出されたものを、おいしいって食べるだけなのに。
「あるよ」
「どこ?」
「取ってくる。ひとつでいい?」
「うん。ありがと」
453 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(後) 投稿日:2005/01/13(木) 15:24
数枚の海苔が入った細長い袋を切り離して、先生に渡す。

「同じメーカーだ」
「何と?」
「いや、何でもない」

手の中の小袋をしばし見つめて、突然先生が頭を下げた。

「梨華ちゃん、ゴメン」
「何よ、どしたの?」
「隠しごと、してた」
やっと、あのこと、話してくれる気になったんだ。
でも、海苔で思い出すような話じゃなかったと思うんだけど。
454 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(後) 投稿日:2005/01/13(木) 15:24
「診察で二人きりのときにね」
「おばあちゃんと?」
「うん」
私の予想とは、どうやら違う話らしい。

「ときどきこっそり、この海苔もらってたんだ」
「缶ごと?」
「ううん、コレを、いつもひとつ」
イズミさんの様子を窺いながら、ポケットに押し込んでくれたのだという。
「もらったの、どうしてたの?」
「帰り道で一気食いしてた。見つかっちゃいけない気がして」
袋を開けて、先生がその様子を再現してくれる。
ニッっと笑うと歯が真っ黒で、私は思わず吹き出してしまった。

「それが、隠してたこと?」
「うん。一応、他のヒトとの、内緒ごとかなー、って」
海苔をお茶で流し込みながら、先生が答える。

どうしようかな。
あのことは、話してくれるまで、黙っていようと思っていたのだけれど。
でも、先生がもし、話す機会を窺い続けてるとしたら、それも辛いだろうし。
軽い感じで、水を向けてみようかな。
455 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(後) 投稿日:2005/01/13(木) 15:25
「なんだ。こないだ下ろした200万の使い道、聞かせてくれるのかと思った」
「うぐっ」
「信金のめぐちゃんが、訂正印もらい忘れたってうちに来たの。先生の留守に」
「げっ」
通常の三倍に見開かれた、先生の目。

「しょっちゅう大金下ろしてるみたいね、私に黙って」
「あのー、すぐ、すぐ同じ額預けてるんだよ、また」
「じゃあ、誰かに貸してあげたってこと?」
思った以上に、先生は動揺している。

「お金のことで治療が受けられないとか、出来るだけなくしたくて」
「わかるよ」
「当座の生活資金とか入院費用とか、出来るだけ協力したくて」
問い詰めている口調ではない、と自分では思っているのだけれど。
むやみに口数の多い先生を見ていると、無意識にそうなってしまってるのかも。
456 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(後) 投稿日:2005/01/13(木) 15:26
「生命保険のお金がもらえるまでね、ちょっと苦しかったりとか、あるじゃん」
「うん。あるよね」
「審査が終わって保険が下りれば、ね、みんな必ず返してくれてるしね、ね」
「言い訳しなくても、別に怒ってないよ。先生のお金だし」
咎めるつもりは、本当に全くない。

「いつか折を見て話そうと思ってた。ゴメンナサイ」
土下座しそうな勢い。ホントに、怒ってはいないんだけどな。

「いいってば。そんなことだろうと思ってた」
ただ、ちょっと寂しかっただけ。
「ゴメン。ホントゴメン」
「もし、先生の口座じゃ足りないくらいお金が必要になったら、どうするの?」
「・・・どうしよう・・・」
「私も、少しなら協力できるよ。先生のへそくりもあるし」
「ゴメンね。ありがとう」

怒ってないから、謝らないで。
ただいつか、その優しさが先生自身を傷つけるんじゃないかって、心配なの。
「今度から、ちゃんと話してくれるよね?」
「うん。もちろん」
大荷物を下ろしたような先生の顔を見て、切り出してよかったと思った。
457 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(後) 投稿日:2005/01/13(木) 15:26
「まさかもう、他には隠しごと、ないよね?」
「・・・ある」

え、まだあるの?
言葉を失った私に、悪戯っぽい笑顔を向ける先生。

「海苔じゃなくて、ラップに包んだ梅干のときもあった」
さっきみたいな話が、まだあるような気がしていたから、少しホッとする。

「で、それも一気に食べてたの?」
「うん。酸っぱかった」
・・・ねえ、どうして今は笑ってないの?真面目に言ってるの?

こんなとき、ふいに思い出す、ひとつの真実。
458 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(後) 投稿日:2005/01/13(木) 15:27


「先生ってさ・・・バカだよね」
「え、何で?」
「梅干食べてさ、酸っぱかったって、バカじゃん」
「正直な感想言っただけなんだけど・・・」
「そんなんでよく医者になれたよね」
「それは・・・自分でもそう思うけどね」

先生が、止めていた箸を再び動かす。
「食べ終わったらさ、星、見に行こう」
「うん」

空のどこかで、きっと、おばあちゃんも笑ってる。
459 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(後) 投稿日:2005/01/13(木) 15:28


食事の後、これでもかってくらい着込んで、星のよく見える場所を目指した。
とはいえ、数分歩けば、寒さ以外何の苦もなく、真っ暗な場所に出られる。

澄んだ冬空に浮かぶ星々。白い息が、唇から長く長く伸びていく。
これを星空と呼ぶのならば、私はここに来て、それを初めて見た、と思う。

「すごい、きれい」
「夏より冬の方が、やっぱりよく見えるね」
「でも、寒いよ」
「したら、こっちおいで」

先生は自分のコートのファスナーを開けて、その中へ私を招いてくれた。

「こうすれば、あったかくてきれい」
「うん。ありがと。ね、おばあちゃんどの星かなあ?」

腕の中から、遥か水平線ギリギリまで広がる星空を見る。
人って、本当に、なんてちっぽけな存在なんだろう。
460 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(後) 投稿日:2005/01/13(木) 15:28

お別れは、空の手のひらの中。
自分の力なんて、及ばないところにある。

先生がそう言ったのは、出会った頃、弟のような少年を亡くしたときだった。

その言葉どおり、命の炎を脅かす風に対して、私たちはあまりにも無力だ。
だからこそ、いつも全力で、抗いようのない大きな力を相手に抵抗し続ける。

461 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(後) 投稿日:2005/01/13(木) 15:29

そう遠くない将来に、私と先生の別れも待っているだろう。
そのとき。愛する人が、大きな力に連れ去られようとするとき。
うろたえずに闘える準備をするってことが、きっと、生きてくってことなんだ。

「今まで通りで、だから、いいんだよね」
「うん、いいんじゃない?」
「ひとりごとに答えないで」
「エー。ゴメンナサーイ」

先生の笑い声が背中に響いて、私のそれと交じり合う。

462 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(後) 投稿日:2005/01/13(木) 15:30

こうやって、一緒に笑いながら。
このでっかい宇宙の、丸い地球の片隅で。

私は、愛する人と生きていく。
私は、背中のこの人と、未来へ進んでく。

この先、何が起こっても怖くない。
だって、私の炎は、この腕に守られている。
私の腕は、先生の炎を守り続ける。
そして二人で、たくさんの人たちの炎をかばい続ける。
信じてたどり着いたこの道に、何を恐れる必要があるだろう。

そうして、いつか訪れる、最期の一息まで。

この空という無限のキャンバスに、何かを描き続けよう。
463 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(後) 投稿日:2005/01/13(木) 15:31



   そう、そんなふうに、ずっと。
   このまま、ずっと。
   ずっと二人で。
   命を紡いで、生きてゆきたい。





             < 第十五話 「アヴニール〜未来〜」 了 >

464 名前:第十五話 アヴニール〜未来〜(後) 投稿日:2005/01/13(木) 15:32




         < オサヴリオ 第一部 了 >










465 名前:名無しOA 投稿日:2005/01/13(木) 15:34
これで終わってもいい、むしろ終わった方がいいような気もしますが、第二部へ続きます。
少し休ませていただいて、このスレッド内での再開を予定しています。

長らくのお付き合い、本当にありがとうございます。
第二部の完結編は、私のワガママのみで成り立つ予定です。

それでも、もしよろしければ、変わらぬお付き合いのほど、切にお願いしたく。

次回こそ、なるべく早くお目にかかれますよう、努力いたします。

それでは、また会える日を楽しみに。
466 名前:よす 投稿日:2005/01/13(木) 20:36
貴方はなんてひどい人だ。
私みたいなおっさーーんをこんなに泣かすなんて。
もう、ぐしゅぐしゅです。
OAさんの作品は初期作からずっと読ませて頂いてます。
たまにしかれす出来ませんが第2部まで付いて行きますよ。
467 名前:匿名匿名希望 投稿日:2005/01/13(木) 23:36
眠気が目に溜まった涙でフッ飛びました。
第二部、空の手のひらの中やオサヴリオを読み返しながら楽しみに待っています。
いつも素敵な物語りをありがとうございます。
更新お疲れ様でした。
468 名前:391 投稿日:2005/01/14(金) 01:28
まずはお疲れ様でしたと心を込めて。そしてありがとうを。
思えば最初はいしよしが好きで軽い気持ちで読み始め、いつのまにやら作者さんの世界に引き込まれていました。(もちろん過去の作品も読了済みです)
ややもすると重くなりがちなテーマですがいしよしの二人と作者さんのおかげでとても爽やかな、心にしみわたるようなお話の数々が決して押しつけがましくなく、妙な気負いもなく表現されていたような気がします。うん、やっぱり爽やかだ。
いしよしの枠を超えてとても大好きなお気に入りの作品です。第二部へ続くことが素直に嬉しい。
作者さん、本当にお疲れ様でした。いつまでもお待ちしています。

それにしても視界が滲んでディスプレイが見にくいなぁ…
469 名前:くろ 投稿日:2005/02/08(火) 02:26
遅くなりましたが、完結お疲れ様でした。
私事ですが、昨年身内を亡くし、生きていくってなんだろうってぼんやり考えていました。
その答えは、この小説の中で見つけることが出来ました。
心にしみる素敵なお話をありがとうございました。
470 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/18(月) 00:47
hozen
471 名前:名無しOA 投稿日:2005/05/05(木) 01:07
ありがとうございます。
とりあえず、お礼に参りました。

>466 よす様

相すみませんでした。
涙も、もう乾きましたよね?

第二部は、間もなく開始の予定です。
ずいぶん間が開いてしまいましたが、よろしければ
変わらぬお付き合いのほど、お願いいたします。

>467 匿名匿名希望様

ありがとうございます。
読み返し甲斐のない量で申し訳ないです。
お褒めの言葉を胸に、第二部もご期待に添えるよう努力します。
よろしければ変わらぬお付き合いのほど、お願いいたします。
472 名前:名無しOA 投稿日:2005/05/05(木) 01:08
>468 391様

ありがとうございます。
私も、軽い気持ちで書き始めて、気がついたらこんなに長く、
この話と一緒に歩いていました。
今回、生命の終わりを扱うにあたって悩みぬきましたので、
そう言っていただけて安心しました。

ずいぶんお待たせして、申し訳ありません。
第二部も変わらぬお付き合い、よろしくお願いします。

>469 くろ様

ありがとうございます。
淋しいけれど、そんなに悲しくはない、そんな終わり方もあるかも、
というのが、今回の話を書くにあたって思っていたことでした。
もちろん、悲しくて淋しい終わりもあり、答えはひとつに限らないと思います。
ですから娘。に関係のない、本物の小説の中にも、答えを探してみられては
いかがでしょうか。
473 名前:名無しOA 投稿日:2005/05/05(木) 01:08
>470 名無し飼育さん
ありがとうございました。お手数かけました。

長らくお待たせして申し訳ありませんでした。
まだ大筋しかできていませんが、
今月中を目途に第二部を開始したいと考えています。
どうぞ変わらぬお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。
474 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/01(水) 03:25

オサヴリオ 第二部 

            〜Amazing Grace〜


475 名前:序章 投稿日:2005/06/01(水) 03:29
今日は、午後から、予防接種。
必要なこととはいえ、仲良しの、病気じゃない小学生や中学生に針を刺すのは、
あまり気分のいいことじゃない。

「先生、元気ないね?注射イヤだから?」
ほとんど昼食を食べ終えた梨華ちゃんが、気遣うように私を見ている。
「あ、うん、大丈夫だよ」
取り残されている自分のお皿を引き寄せた。
味は、いつもと変わらない。だけど、何だか、食欲がわかない。

「ごめん、残していい?」
「いいけど、ホントに大丈夫?」
「ありがと。平気平気」
ちょっと疲れてる、ってのはあるかもしれない。
最近、少し忙しかったし、なによりもう、若くないしなあ。
476 名前:序章 投稿日:2005/06/01(水) 03:30
「落ち込んでるの?パーマ失敗したから?」
「失敗してねって」

ちょっと、気分転換に、髪型を変えてみた。
会う人会う人に、先生チリチリだね、そう言われて、少し凹んだのは事実。
だけど、それを変だとは誰も言ってないし、そもそもチリチリなのは、単なる事実。

「やっぱり元に戻そうかなあ、って言ってたじゃない」
「だって、みんながみんな何か言うんだもん」
「かわいいのに、ねえ」
「ねえ」
477 名前:序章 投稿日:2005/06/01(水) 03:31
急に真面目な顔になって、梨華ちゃんが言う。
「かわいいけど、今日、あんまり顔色良くないよ」
「あー、やっぱり?」
「時間まで、横になったら?」
「うん、そうするかな」

憶えている限り、この日が、長い長い戦いの始まりだった。
そう、何気ない、普段と少し違うだけのこの日が。
478 名前:第一章 風に立つライオン 投稿日:2005/06/01(水) 03:32

─── 第一章 風に立つライオン ───



479 名前:第一章 風に立つライオン 投稿日:2005/06/01(水) 03:33
いつもどおりに、一日分の書類を整理する。
梨華ちゃんは、待合室や受付の片付け。

「小学生は全員終わり、と」
中学生は、えーと欠席が二人。明後日の放課後に再訪して接種、と。
「泣いてる女の子に針刺してさ。医者じゃなかったら傷害罪だよね」

加齢によるものか、最近、独り言が増えている自覚はある。
「先生、また独り言?」
なんて梨華ちゃんにもよく指摘されるけれど、当の本人も、
ブツブツ呟きながら買い物したりしていることを、私は知っている。

お昼をあまり食べなかったせいか、やっと空腹を覚えてきた。
さて、とまた独りごちて、最後のカルテを棚に仕舞いかけたとき。
480 名前:第一章 風に立つライオン 投稿日:2005/06/01(水) 03:34

「えー!ウソでしょーーーー」
受付から、梨華ちゃんの叫び声が聞こえた。
これは、さすがに独り言じゃなさそうだ。
何事か、と腰を上げかけると、すぐに私を呼ぶ高い声。

「ちょっと、せんせー!」
受付へつながる扉を開ける。
カウンター越しに見えるのは、この辺じゃ見かけない、高校生くらいの男の子。

「こんちは。ご無沙汰してます」
ぺこりと頭を下げた彼の、その声に聞き覚えはなく・・・。
だけど今、ご無沙汰って・・・。どっかで会ったことある気はする。もしかして・・・。
481 名前:第一章 風に立つライオン 投稿日:2005/06/01(水) 03:35
「・・・ヨシオ?」
「はい。先生、元気だった?」
やっぱヨシオかあ。でも、初めて聞く声だ。
声変わりか。そりゃそうだよなー。

「うん元気。おっきくなったねえ」
この間会った時は、たしかまだ小学生だったはず。
中学で野球部に入って練習漬けになるまでは、長期休暇によく遊びに来ていた。

「あれ?まだ夏休みじゃないよね?」
「うん。創立記念日と土日で、連休だったから」
でも、テスト休みの期間さえ、練習は休みじゃないって、言ってたような。

「部活は?」
「地区予選でソッコー負けちゃって。あとは受験に専念です」
「受験って、大学?うわー、マジで?また野球やるの?」
もう、高校三年生か。えー、もう18歳かよー。
「いや、まだそこまでは考えてないけど」
「まあ、まず受からなきゃだよねー」
「そうですね」
成長したヨシオを頼もしく見上げながら、遥か昔に思いを馳せる。
482 名前:第一章 風に立つライオン 投稿日:2005/06/01(水) 03:36
初めて会ったのって、3歳くらいのときだっけ?
たしか、まだアカンボだった弟のマサオが熱出して、ヨシオを預からせてもらったときだ。
あれから何年経つのか、もう一切、考えたくもない。

「ねえ、ヨシオくん、ごはん、一緒に食べよ?」
「構わないですか?」
「もちろん。言ってくれたら、ちゃんと準備したのに」
梨華ちゃんはすごく残念そう。
「あ、じいちゃんが、これ持って行けって」
「わあ、すっごーい、ありがとう」
梨華ちゃんが受け取って見せてくれた包みの中には、色とりどりの刺身が並んでいる。

「どうせろくなもん用意してねえだろうから、とか言ってなかった?」
「あー、言ってました。すいません」
「いや、ホントのことだし。帰ったらお礼言っておいてね」

少しだけヨシオに待ってもらって、大急ぎで仕事を片付けた。
483 名前:第一章 風に立つライオン 投稿日:2005/06/01(水) 03:37
いきなり豪勢になった食卓を、懐かしい話が彩ってゆく。
ヨシオはこの町に住んでいるわけじゃないから、年に何回かしか会えなかった。
なのに、なぜだか私たちといつも一緒にいたかのように、思い出がたくさんあるのだ。

「ヨシオさあ、ホントは遊びに来るより、勉強しなきゃいけないんじゃないの?」
「もちろん、そうなんだけど」
「ただ遊びに来たわけじゃないでしょ?」
何か話したそうな様子が、さっきから気になっていた。

「実は、進路のことで・・・」
「うん。どした?」
「医学部に行きたいんだけど、ちょっと迷ってて」
「迷うって、何を?成績はクリアしてるから行きたいんだよね?」
「自信がないっていうか、こんなんが医者になっていいのかなって」

大丈夫だよ、ヨシオ。今のヨシオは、18歳の私より、ずっとしっかりしてる。
484 名前:第一章 風に立つライオン 投稿日:2005/06/01(水) 03:40
「先生はさ、なんで医者になったの?」
「うーん。正直に言っちゃうと、運良く医学部に入れたから」
私を見つめたまま、ヨシオはキョトンとしている。

「ごめん、何の参考にもならないよね」
「うん」
苦笑いするのも無理はない。でも、なんとなく医者になっちゃったのは本当のこと。
今にして思うけれど、使命感に燃えて医者を目指していたら、きっと挫折していた。

まあ、医者にはなったにせよ、こんなふうにへき地には赴任していなかったと思う。
だけど、今、ヨシオに清く正しくない医者の世界を聞かせても、何の意味もない。

「でも、ちょっと待ってね」
ふと思い出した、ある歌。それが収録されたCDが、確かあったはずだ。
プレイヤーの傍の棚から、久しぶりにそれを手にしてホコリを払い、食卓に戻った。
485 名前:第一章 風に立つライオン 投稿日:2005/06/01(水) 03:41
「医学部時代に、こんな医者になりたいって思ったきっかけなら、あるよ」
「何ですか?」
「『風に立つライオン』っていう歌。聞いたことある?」
「いや、知らないです」
「このアルバムの、最後の曲なんだけど」

持ってきたCDを手渡しながら、歌の背景を説明する。
とは言え、私もそんなに詳しいわけじゃないんだけど。

むかし、今みたいに青年海外協力隊とか、国境なき医師団なんてなかった頃。
一人の若い医者が、単身でアフリカに医療奉仕に渡ったんだって。
日本に、恋人を残して。その恋人の、了解を得られないままで。

何年か経って、その医者の元に、彼女から手紙が届くんだ。
「他の人と、結婚しようと思う」
たぶん、そんなふうに書かれた手紙。

この歌は、その手紙への返事らしいんだけどね。
486 名前:第一章 風に立つライオン 投稿日:2005/06/01(水) 03:41
「じいちゃんちのラジカセ、今、壊れてて。聞かせてもらえないですか?」
「したら、それ、あげるからさ。帰ってから一人でじっくり聞いて、よく考えてみて」

一人で悩んで、考えなきゃいけないこともある。
大人になろうとする時期には、特に。
何も考えないうちに助言したって、迷うだけだろう。

「ひとつだけ、これだけは確かに言えるんだけど」
「はい」
「医者になったことを後悔したことは、一度もないよ」
力強く頷いて、ヨシオはじいちゃんの家へ帰って行った。

見えなくなるまで、後姿を見送る。
その一歩一歩が、大人への道のりであることを願いつつ。
487 名前:第一章 風に立つライオン 投稿日:2005/06/01(水) 03:42

私が洗った食器を拭いて、棚に仕舞いながら、梨華ちゃんが言う。

「先生、さっきの歌って、どんな歌なの?」

質問の意味を、しばらく理解できなかった。

「・・・え?聞いたことなかったっけ?」
「うん。ない」
「マジで・・・。ゴメン」
てっきり、一緒に聞いたことがあると思い込んでいた。
あの流れで私にも聞かせてとは、さすがに言いづらかったよね。

「あんまり上手く伝えられる自信ないんだけど、いい?」
「歌えないの?」
「恥ずかしいし。今度またCD買って来るよ」
「歌ってほしいなー」
いや、カンベンしてよ。えーっと、あのね。
488 名前:第一章 風に立つライオン 投稿日:2005/06/01(水) 03:43
「ナイロビで過ごす、3回目の4月を迎えてね」
ふるさとじゃなく、君と見た東京の桜を思い出すって。

こっちにきて、感動を君と分けたいと思ったことがたくさんあったって。
辛くないと言えば嘘になるけど、やっぱり来てよかった、幸せだって。

あなたや日本を捨てたわけじゃなくて、僕は今を生きる事に思いあがりたくない。

偉大な自然の中で、病と向かい合って、神について、ヒトについて考えて。
僕は風に向かって立つライオンでありたいと思う。
最後になったけど、心から、遠くから、あなたの幸福をいつも祈っています。
489 名前:第一章 風に立つライオン 投稿日:2005/06/01(水) 03:44

「そんな感じ。で、ラストは『おめでとう さようなら』って、結ばれてる」

もしも梨華ちゃんが、一緒に来てくれなかったら。
あるいは、私もいつか、そんな手紙を書いたのかもしれない。

「その彼女、ナースになればよかったのにね」
「ここじゃなくてアフリカでも、一緒に来てくれた?」
「あったりまえじゃん」
「そっか。嬉しいな。・・・・実はさ・・・・」
490 名前:第一章 風に立つライオン 投稿日:2005/06/01(水) 03:44
歌はここで終わりだけれど、この話には、続きがある。

「それから何年かして、ドクターは日本に戻るんだ」
「一時帰国じゃなくて、完全に?」
「うん。多分、設備が整ったり、同じ志の若者が育ってきたりしたんだろうね」

そして、驚く。恋人が、独り身のまま、自分を待っていてくれたことに。

「その恋人は、今はドクターの奥さんなんだって」
491 名前:第一章 風に立つライオン 投稿日:2005/06/01(水) 03:45


きっと、大切なことは。
自分が、今居る草原で。
風に立つライオンであろうとすることなんだろう。


492 名前:第一章 風に立つライオン 投稿日:2005/06/01(水) 03:45
ヨシオが帰ってから数日後、一葉の絵ハガキが届いた。
紺碧の空。その下の山並みは、きっと歌に出てくるキリマンジャロだと思う。

『僕も、風に向かって立つライオンになりたいです』

宛名の下に、たった一行、そう書いてあった。




                      < 第一章 「風に立つライオン」 了 >

493 名前:名無しOA 投稿日:2005/06/01(水) 03:59
長らくお待たせいたしまして、本当に申し訳ありませんでした。
これからも変わらぬお付き合い、どうかよろしくお願いします。

次回は、夏までにお会いできるべく、書き進めたいと思っています。
494 名前:391 投稿日:2005/06/02(木) 12:44
お待ちしておりました。作者さんおかえりなさい!
更新されているのを知って感極まりそうになったのは内緒ですw
新たな物語のスタートにあたり相変わらずな2人に目を細めましたが
>>477のあたりに少し鳥肌を立ててみたり…。
今後もじっくりまったり見守らせていただきます。
495 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/03(金) 01:00
更新ありがとうございます。
月日が、また一層絆が深まった二人を見れるのが、とてもうれしいです。
夏がくるのが待ち遠しいです。
どうぞ作者様のペースで・・・。まったりお待ちしております。
496 名前:くろ 投稿日:2005/06/08(水) 00:51
更新お疲れ様です。
実際に歌を聴いてみました。なんというか、胸に響く深い詩と壮大なスケールの曲でした。
こんな歌が創れる人も、それを元に小説が書ける作者さんも、本当にすごいと思います。
次回も楽しみにしています。
497 名前:第二章 夢ならば 投稿日:2005/06/22(水) 19:19
午前中の診察開始まで、あと一時間。
いろいろな準備を考えると、起きなきゃいけない限界。

今まではずっと、二人とも、もっと早くに起きていた。

「今日もか・・・」
よっぽど疲れているのか、それともどこか具合が悪いのか。
無理やり起こしに寝室へ向かうのは、もう何日連続だろう。
498 名前:第二章 夢ならば 投稿日:2005/06/22(水) 19:20
「先生、そろそろ起きないと」
「うん・・・。あと五分寝かせて・・・」
「けど、もう、結構ギリギリだよ」

少し前まで、私のほうが格段に朝は苦手だったのに・・・。

「わかってるから、もうあと五分、五分だけ・・・」
寝ぼけて言いながら背中を向けた先生の、パジャマがじっとり濡れていて。
「すごい寝汗・・・」
思わず先生の額に伸ばした手のひらが、すごく熱かった。
すぐに体温計を持って戻り、胸を少しはだけて、腋の下に差し込む。

「ちょっとじっとしてて」
肘のあたりを押さえて、体温計がずれないように腋を閉める。
「ん、どしたの?」
寝ぼけまなこをこじ開ける先生。
「寝てていいよ。ちょっと微熱あるみたい」
「ん?梨華ちゃんが?だいじょうぶ?」
「何で私が熱あって、先生が測るのよ?」
499 名前:第二章 夢ならば 投稿日:2005/06/22(水) 19:21
電子音が、測定の終了を知らせた。再び胸を開け、体温計を抜き取る。
「何度?」
先生がゆっくりと起き上がった。さりげなく隠しながら、液晶を見る。
・・・39度5分。伝えない方がいいかな。

「7度8分くらい。忙しかったから、疲れが出ちゃったんだね」
「あー、そういえばなんか、すごい汗かいてる」
「着替えなきゃね。タオル絞ってくるね」
最低でも、今日一日は休ませたい。どうやって説得しよう。
500 名前:第二章 夢ならば 投稿日:2005/06/22(水) 19:22
私が持ってきた洗いたてのパジャマを、先生は不思議そうに見つめた。
「なんで、またパジャマに着替えるの?」
「今日は、臨時休診にするから」
「え、なんで?たいしたことないって」
フラフラと、クローゼットに向かおうとする。その行く手を、私はさえぎる。

「絶対ダメ。先生、疲れてるんだよ。寝起きだって悪くなってるし」
「そうかもしれないけど、別に、解熱すれば、開けられるよ」
「『発熱は、身体を守ろうとする働きの一つですから』」

口癖を真似ると、先生は、ようやく諦めたように口をつぐんだ。
「『もし、休めるんなら安易に熱を下げない方がいいんですよ』」
「・・・わかった。わかりました」

渋る先生のパジャマを脱がせて、冷たく絞ってきたタオルで背中を拭った。
「気持ちいい。ありがと」
久しぶりに何も着ていない上半身を見るけれど、先生、すごい、痩せた。

何故だか、少し泣きそうになる。急いで、新しいパジャマを着せ掛ける。
「着替えたら、横になってて。何か飲み物取ってくる」

何故だろう。どうしてこれぐらいのことで、涙が出そうになるんだろう。
501 名前:第二章 夢ならば 投稿日:2005/06/22(水) 19:23
『臨時休診致します 急患の方は家まで』
診療所の入り口に札をかけ、役場に町内放送を頼んだ。
スポーツドリンクを薄めてペットボトルに入れ、先生の枕元に戻る。

「今、喉、渇いてない?」
「だいじょうぶ」
「じゃ、ここに置いとくから。寒くない?眠れそう?」
「・・・うん。ねえ、ホントは何度あったの?」
「7度8分だよ。少し休めば、すぐ良くなるから」
もう一度額に手のひらを伸ばし、そのまま手櫛で、髪を梳く。

「それぐらいで休むの、気がひけるなあ」
「変に長引いちゃうよりいいよ。何も気にしないで、寝てていいから」
「うん。ゴメンね」
「謝らないの。寝ないなら子守唄歌うよ?」
「んがー、おやすみおやすみおやすみ」
502 名前:第二章 夢ならば 投稿日:2005/06/22(水) 19:23
大きな瞳が閉じられてしばらくすると、寝息が聞こえ始めた。
今のうちに、何か食べられそうなもの、準備しよう。

静かに、音を立てないように、寝室を出てドアを閉める。

「だいじょうぶ、だいじょうぶ、なんともないって」
音も立てずにせり上がってくる不安を、独り言で打ち消した。

何年も、長く休むことなく、診察を続けている。
先生ひとりで、いくつもの尊い命を預かっている。
その重圧たるや、ナースの端くれである私にすら、想像もつかない。
503 名前:第二章 夢ならば 投稿日:2005/06/22(水) 19:24

だから、きっと、ちょっと、疲れがいっぺんに出ただけのこと。
今まであまり寝込んだりしなかったことの方が、不思議なくらいだよ。
504 名前:第二章 夢ならば 投稿日:2005/06/22(水) 19:25

          *

505 名前:第二章 夢ならば 投稿日:2005/06/22(水) 19:26

7度8分、7度8分の熱の中で眠りながら、たくさんの夢を見た。

梨華ちゃん。故郷の家族。町の人たち。旧友。
いろんな人たちが、消えては現れ、現れては消えてゆく。

脈絡のない会話。さまざまなシチュエーション。

気がつくとひとり、吹雪の中を、パジャマ姿で彷徨っている。
あまりの寒さにうずくまり、ひざを抱えて小さくなった。
これは、きっと夢。ちゃんとわかってる。だけど・・・。
506 名前:第二章 夢ならば 投稿日:2005/06/22(水) 19:26
「寒いの?」

声はすれども姿は見えず。
寒い。眠い。寒くて、眠れない。眠いから、目が開けられない。
夢うつつの中、吹雪の場面は終わり、ベッドで丸くなっている自分を認識できた。

「寒い?」
「うん」
「すぐに毛布、持ってくるからね」

こないだ、クリーニングに出したばっかりなのに、申し訳ないなあ。

「また洗えばいいんだから」

あれ、思っただけで、口には出していないつもりだったのに。
507 名前:第二章 夢ならば 投稿日:2005/06/22(水) 19:27
「あったまったら、ちょっとお水飲もうね」
掛けられた毛布越し、声の主が、私を優しく撫でてくれている。
寒さが少しずつ和らいで、震えがおさまり、ようやく人心地つけた。

「梨華ちゃん、だよね?」
「そうだよー、他に誰がいるの?」
それはそうだけど。声が遠くに聞こえるから、ちょっと確かめただけ。
ホッとして毛布から少し手を出すと、すぐに気づいて握ってくれた。

感触だけしか分からないのがもったいなくて、がんばって目を開けてみる。
これで、夢じゃなくなった?それともまだ、目を開けた夢の中?
508 名前:第二章 夢ならば 投稿日:2005/06/22(水) 19:27
「お水、飲める?」
繋いでいない手で梨華ちゃんが持ち上げたのは、寝たまま水分を吸収できる、吸い飲み。
これじゃ、まるで重病人じゃん。でも、現状では、すごくありがたい。
少し抵抗はあるけれど、起き上がる気力はなく、そして何より喉が渇いていた。
差し出されるままに、中の液体を全部飲み干す。

「もう少し飲む?」
睡魔に耐え切れずに目を閉じて、首を横に振った。
握ったままの手に、少し力を入れる。

梨華ちゃん、お願い。しばらく、このままでいて。
そうすれば今度はきっと、穏やかな、春の夢にさすらえるから。
509 名前:第二章 夢ならば 投稿日:2005/06/22(水) 19:28

          *

510 名前:第二章 夢ならば 投稿日:2005/06/22(水) 19:29
ガコン、と先生の足元から音がした。
少し前に入れた湯タンポを、蹴り落としてしまったみたい。
本人も、その音に驚いたのか、目を覚まして起き上がった。

「暑くなってきた?」
ぼんやりしているその背中に触れると、汗びっしょり。
「着替えようね」

されるがままの先生を着替えさせて、今度はグラスで水を飲ませる。
「一日中寝てるのも、疲れるでしょ?」
「うん。もう、夕方なんだ?」
細めた目を、窓の外に向ける先生。表情に生気が戻ってきた。

「急病とか、何もなかった?」
「うん。すりむいたって小学生が来たくらい」
「そっか。よかった」
先生はいつも、町の人のこと気をにしてる。たぶん、眠っているときも。
こうしていま、自分が病気の時でさえ。

「ごはん、食べられそう?お腹、あんまりすいてないか」
「いや、食べる。いただきます」
おどけて合掌しながら、目を閉じる先生。よかった、すごい元気だ。
511 名前:第二章 夢ならば 投稿日:2005/06/22(水) 19:29
「わかった、用意してくる。検温してて」
体温計を、先生に手渡す。ニヤニヤしながら受け取る先生。
「あれぇ、自分で計っちゃっていいの?」
「どういう意味?何の話?」

さっき少し触った感じでは、7度8分より下がっているとは思う。
本当の体温はちゃんと記録してあるから、あとで伝えればいいだろう。

ダマされて治る病気も、まあ、中にはあるよ。
もし、嘘について何か言われたら、言い返す準備も出来ている。
ごくたまに発動する、先生の口癖。

「計るのは、汗、ちゃんと拭いてからね」
タオルを先生に手渡して、私は食事の準備に向かった。
512 名前:第二章 夢ならば 投稿日:2005/06/22(水) 19:30
おかゆと、薄味で煮た野菜。温泉たまご。
好きなものばっかりにしたから、きっと食べてくれる。
そんな私の期待通りに、先生は精力的に箸を動かしている。

「梨華ちゃんは?一緒に食べないの?」
「あ、そういえば忘れてた」
少し元気を取り戻してくれたことで安心して、本当に忘れていた。
それに、食事より先に、どうしても言っておきたいこともある。
513 名前:第二章 夢ならば 投稿日:2005/06/22(水) 19:31

「先生、お願いがあるの」
一生のお願い。

「・・・なに?」
「ちゃんと、検査、受けて」
だって先生、この頃ちょっと、やっぱりおかしいよ。

「わかった。わかったから。心配いらないから」
「約束だよ」
「うん。すぐに手配する」

やっと一息ついた私は、自分の食器を取りに立ち上がった。
だいじょうぶ、きっとだいじょうぶだから、泣いちゃいけない。
514 名前:第二章 夢ならば 投稿日:2005/06/22(水) 19:31


思えばこのとき、暗雲は、二人のすぐ背後まで迫っていた。
もっと早くに、兆しはなかった?気づかなかった?気づけなかった?

毎日毎日、先生と一緒にいたのに。先生を見ていたのに。

夢なら、覚めて。夢ならば、誰か早く起こしてよ。





                        <第二章 「夢ならば」 了 >


515 名前:名無しOA 投稿日:2005/06/22(水) 19:33
>494 391様
ただいま帰りました。遅くなって申し訳ありませんでした。

また、ご心配いただいているようで、重ねてお詫び申し上げます。
おこがましいようですが、どうか、信じて見守っていただきたく。
今後ともよろしくお願いします。

>495 名無し飼育さん
こちらこそ、ありがとうございます。
お待たせして申し訳ありませんでした。
何とか、夏には間に合ったようで、一安心です。
今後とも、どうかよろしくお願いします。
516 名前:名無しOA 投稿日:2005/06/22(水) 19:33
>496 くろ様
わざわざ聴いていただけたとは、感激です。ありがとうございました。
歌の凄さには到底及びませんが、努力は惜しまず進めていきたいと思っています。
今後とも、よろしくお願いします。
517 名前:名無しOA 投稿日:2005/06/22(水) 19:34
次回更新は、目途がつき次第、お知らせいたします。
お待たせするかもしれませんが、変わらずお付き合いいただければ幸いです。

どうか今後とも、よろしくお願い致します。
518 名前:>495 投稿日:2005/06/22(水) 21:02
更新お疲れさまです。飛んできましたw
こんなに早く読むことができて感激です。

ああ・・・胸が痛みます・・・。
次の更新を息をひそめてお待ちしております。
519 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/22(水) 21:28
あぁ、もうすでに涙が…。
仕事の合間に我慢しきれずに読んでしまったのが間違いだったかも…
しかも携帯から…。作者さんの言葉を信じて見守りたいと思います。
520 名前:くろ 投稿日:2005/06/23(木) 01:04
更新ありがとうございます。
続きがとても気になります。読みたいような読みたくないような…
521 名前:第三章 負けない、負けたくない 投稿日:2005/06/25(土) 01:10
「まさか、自分が一番に使うことになるなんてね」
宿願かなってCTスキャンが診療所に導入されたのは、つい先月のこと。
予定していた往診を早めに済ませて、私はその第一号患者となった。

血液検査は、大至急で外部に委託した。今日にも結果が出るだろう。
内視鏡やレントゲンなどで消化管を調べたけれど、特に異常はなかった。
あとは、このCTで、肝臓などの、中身の詰まった臓器を検査するだけだ。

梨華ちゃんに手伝ってもらって、無事に撮影を終える。
これで異常が見つからなければ、梨華ちゃんを安心させてあげられるんだけどな・・・。
522 名前:第三章 負けない、負けたくない 投稿日:2005/06/25(土) 01:12
つきまとう不安を振り払って、出来上がったフィルムを読影する。
白い光に浮かび上がる、自分の輪切り写真。

背後に、届いたばかりの血液検査の結果を持って来る、梨華ちゃんの足音。
フィルムの一点に見入る私の顔面は、おそらく蒼白であったろう。

「どうしたの?」
問いかける梨華ちゃんの声がかすれている。

「ここ、わかる?」
私が指さした先の黒い影。見つめる梨華ちゃんが、言葉を失い固まった。

「膵臓に、腫瘍があるみたい」
自分でも、不思議なくらい、冷静な声だった。

「良性、かもしれないじゃない」
「うん。もちろん、検査しないとわからない、けど」

その確率は、おそらく低いね。
それから、転移がなくて、手術が出来たとしても。
五年生存率は、よくて30%、ってところかな。

他人事のように説明することで、私は、何かから、逃げたかったんだと思う。
523 名前:第三章 負けない、負けたくない 投稿日:2005/06/25(土) 01:12


不運の中にも、いくつかの幸運はあった。
まず、梨華ちゃんのおかげで、早期発見が出来たこと。
それから、一年ほど前、わりと近くに新設された医大の教授に、友人がなったこと。
そして、その友人の専門が、とりわけ膵臓だったこと。
524 名前:第三章 負けない、負けたくない 投稿日:2005/06/25(土) 01:13
自己診断の後すぐ、私はその友人に電話をかけた。

「実は、セカンドオピニオンをお願いしたい患者がおりまして」
「いいけど、いつ?」
「できれば、今から」
こんなときくらい、少々のワガママは許されるだろう。

「何時に着くの?」
「三時間はかからないと思う」
「わかった、気をつけて。着いたら守衛さんに名前言って」
忙しいのだろう、詳しくは質問されなかった。

「今夜中に、戻るから」
梨華ちゃんに留守を頼み、私は、大学病院へ車を走らせた。
525 名前:第三章 負けない、負けたくない 投稿日:2005/06/25(土) 01:14
「悪性だろうね。ステージTかな」
画像を見ながら、藤本先生が、私と同じ診断を下す。
「手術、お願いできます?」
「患者、いくつ?」
「先生と同い年。二枚目に詳しく書いてあります」
渡したファイルには、無地の表紙をつけてある。

「なんで先に言わないのよ」
「忘れてたんです」
念のために、わざと隠した。診断に私情を挟ませないためだ。

「すぐに、ベッド空けるから」
「順番、待ちますよ」
「悠長なこと言ってられないの、わかってるでしょ?」
「じゃあ廊下でいいよ、別に」
「そっちがよくても、こっちが困るんで」
「ですよね。すいません、お手数かけて」
「権力使うかもしれないけど、軽蔑しないでね」
「しませんけど。でも、無理しないで下さいね」

無闇な権力の公使は、軽蔑されるべきだと思っている。
そんな藤本先生を、私は信頼している。
526 名前:第三章 負けない、負けたくない 投稿日:2005/06/25(土) 01:15

「今すぐ入院できる?」
「代わりの医者が、見つかり次第」
「遅くなるようだったら、強制収容しに行くから」
「いいけど、ちゃんと優秀なドクター連れてきてね」
でないと、治療に専念できないから。

「私が代理じゃ、不足?」
「いや、主治医やってよ。収容される意味、なくなっちゃうじゃんか」
「うちの若いのじゃダメ?」
ダメじゃない。不可じゃない。だけど、適性が未知数なのは、少し困る。
あまりにも、時間がないからだ。

「あてが外れたら、お願いするかもしれません」
「わかった。ホントに急いでよ」
念押しに頷く。初めての大病。私は、医師に恵まれたと思う。

改めて、画像を見た。この病には珍しいくらいの早期発見。
527 名前:第三章 負けない、負けたくない 投稿日:2005/06/25(土) 01:16

「助かる、かなあ?」
「さあ」
冷てえなー、オイ。
「変わってないねえ」

でも、弱気がさしたとはいえ、今のは、私の愚問。

「だって、助けるのはミキじゃないし」
命の在り方を決めるのは、医者ではない。そもそも人ではない。
わかっていたはずなのに、こと病が自分に及ぶと、医学に、人智にすがりたくなる。
528 名前:第三章 負けない、負けたくない 投稿日:2005/06/25(土) 01:17
命を左右するのは、ちっぽけな人間の力なんて及ばない、何か大きな力。
その大きな力の持ち主を、今、仮に、神と呼ぶとする。

「助けるのは、神様だよ。ミキたちは一緒に闘ってあげられるだけ」
「だから、助かる意志のない患者を手伝うのは難しい、だっけ?」
「そうだよ。だから、回り回って結局運命を決めるのは自分なの」

よっちゃんさんなの!

据わった目で、怒ったように呟く藤本先生。

「がんばるよ」
守りたいものだらけのこの世から、まだいなくなるわけにはいかない。


本当は、このまま帰したくないくらいだ、となおも迫る藤本先生に感謝しながら、
私は家路を急いだ。
529 名前:第三章 負けない、負けたくない 投稿日:2005/06/25(土) 01:18

「おかえり」
「うん、ただいま」
一人で、何も手につかない、不安な時間を過ごしたことだろう。
きつく抱きしめて、想いを乗せた、ただいまのキスをする。

「どう、だった?」
「同じ判断だった。今すぐ入院だって」
「そう」
「でも、誰か、代わりにここ見てくれる先生探さないと、ね」

最難関を目前に、とりあえず着替えて、ソファに腰掛ける。

一日二日の話じゃないから、誰でもいい、ってわけにもいかない。
変わった症例も、地位も名誉もない、ついでに娯楽もない。
そんなへき地で医者をやろうなんてのは、自虐的に言えばモノズキな人間だけ。

私の知る限り、頼めそうな医師は、一人しかいなかった。
530 名前:第三章 負けない、負けたくない 投稿日:2005/06/25(土) 01:19
隣の梨華ちゃんの脳裏にも、たぶん同じ人物が浮かんでいると思う。

「中澤先生の、ダンナさん、さ」
水を向けてみる。

「もう卒業してるはず、だよね」
やっぱり、同じこと、考えてたみたい。

「いま、先生、ダンナって言った。怒られるよー」
「だって、他にどう呼ぶのさ。ノビタさん?」
「だよね、困るよね。まあ、私が告げ口しなきゃいいんだけど」
「黙っててね。絶対だよ」
問題は呼び方というより、二人とも名前を覚える気がないことなんだけど。
531 名前:第三章 負けない、負けたくない 投稿日:2005/06/25(土) 01:20
ノビタっていうのは、酔っぱらった中澤先生がつけたらしいあだ名。
由来は、もちろん、その頼りなさそ・・・・いや、優しそうな風貌。
本名は忘れたけど、たしか戦国武将みたいな、硬い感じだったかな。

ノビタさんは、中澤先生の幼なじみ。
わざわざ看護師になってから、この町で一人がんばっていた先生に求婚した。
あの中澤先生に、ノビタさんが具体的にいつ、なんて言ったのかは知らない。

確かにわかっていることは、プロポーズを受けた中澤先生が、私に後任を依頼し、
私が謹んでそれを受け、今ここにいて。
中澤先生は、彼の住む、自らが生まれた街に戻って、開業した、その二つだけ。

年賀状の行き来はあるけれど、詳しいことはいつも書いていない。
だから、そのあとのことは、断片的にしかわからない。
532 名前:第三章 負けない、負けたくない 投稿日:2005/06/25(土) 01:20
「うっさいなー、ご主人様はアタシや」
ことあるごとに言われて奮起したノビタさんは、医学部に編入したという。

「同じ医者になっちゃったら、永遠に後輩じゃん、ねえ」
「えー、先生わかんない?私、何となくだけど、わかるよ」
話を聞いたとき、そんなやりとりをした記憶がある。

あれはいったい、何年前だったか。

「もう十年くらい前のような気がするけど」
「だよね。だとしたら、今、医師二人体制で診察やってるのかな・・・」
533 名前:第三章 負けない、負けたくない 投稿日:2005/06/25(土) 01:21
正直に全部を話してお願いすれば、何をおいても駆けつけてくれる気がする。
たとえ、自身の医院を一時、閉めなければならないとしても。
だからこそ心苦しくて、頼みづらい。

でも、最終的に困るのは私だけじゃなくて、町の人たち。
もしも信頼が不十分な人に代理を頼んで、万が一、何かがあったら。
いくら後悔しても、それで済む話じゃない。

「ね、先生。ここで、いろいろ考えてみたってさ」
悩む私の肩を、ポンポン、と梨華ちゃんが叩いた。

「結局頼んでみなきゃ、わかんないじゃん」
「うん。そうなんだけど」
「開業するとき、借金だって相当したみたいだしさ、ダメならちゃんと断ってくれるって」
ちゃんと断ってくれる、っておもしろい言い方。だけど、よくわかる。

「ダメもとで、中澤先生にお願いしてみれば?」
「そうだね。それしかない気がするね」
534 名前:第三章 負けない、負けたくない 投稿日:2005/06/25(土) 01:22

結論は出た。でも、今日は、さすがにもう遅い。明日の朝、早速電話してみよう。

「よし、寝よっか。遅くなっちゃったね」
「疲れてるでしょ?だいじょうぶ?」
「だいじょぶだいじょぶ。だって、これといって、何も変わらないもん」

強がったわけじゃない。本当にそう思っていた。
今までと違うのは、ただ、病の存在に気づいたかどうかだけ。

寝室に向かう。寝室に入る。ベッドに滑り込む。スタンドだけ残して、灯りを落とす。
ほんの少し、他愛のない話をする。手をつなぐ。おやすみのキスをする。
そして、すべての灯りを消す。いつもと、何も変わらなかったはずだ。
535 名前:第三章 負けない、負けたくない 投稿日:2005/06/25(土) 01:23

真っ暗な部屋。真っ暗な視界。目を閉じてしまえば、どちらも同じこと。
懸命にそう言い聞かせた。けれど、冷や汗と震えが止まらない。

梨華ちゃんは、私の異変にすぐ気づいた。
「どうしたの先生?」
「電気、電気つけて」
震えで歯の根が合わず、うまく声が出ない。すぐに、部屋が明るくなる。

「だいじょうぶよ、落ち着いて。だいじょうぶだからね」
抱きしめて、背中をさすってくれる梨華ちゃんにしがみついた。
意識的に、大きく呼吸をする。少しずつ、心が鎮まってゆく。

どれくらい時間が経ったのかわからない。一分か、それとも一時間か。
気づいた時には、梨華ちゃんの腕の中で、平静を取り戻していた。

「だいじょうぶ?」
「うん、何とか。あーびっくりした」
「もう、こっちのセリフだよ。ホントびっくりした」

何がいけなかったんだろう。やはり、暗闇だろうか。
夜はおそらく、終末を人に思い起こさせるのだろう。
536 名前:第三章 負けない、負けたくない 投稿日:2005/06/25(土) 01:23
「電気、全部消しちゃうとマズイみたい」
「スタンドだけなら平気?天井もつけとく?」
正直、やってみないとわからないけど。

「梨華ちゃんが見えれば、だいじょうぶなんだと思う」
そばにいてくれていることが、視認できれば、たぶん。

「天井、消してみるよ?いい?」
「うん」
枕元の薄明かりが、梨華ちゃんを照らす。黒くて闇に溶けそうだけど、見える。

「だいじょうぶみたい」
梨華ちゃんが、私を抱き寄せる。素直に、何も考えずに身を委ねる。

「眠れそう?」
「うん。おやすみ」
「おやすみ」

目を閉じて、暗闇になる一瞬。その一瞬が怖くて、赤ちゃんは夜泣きする。
そんなことを、どこかでいつか、聞いた。だから、母の胸で泣き止むのだと。

今度その説を唱える人にあったら、諸手をあげて賛成しよう。
だってホントに、まったくもっておっしゃる通りだと思うから。
537 名前:第三章 負けない、負けたくない 投稿日:2005/06/25(土) 01:24

翌朝。
窓越しの太陽の、特別な眩しさを胸に刻んで、私は中澤先生に電話をかけた。

先生とは、前に話したのがいつか、思い出せないくらい久しぶり。
だけど、ウダウダ挨拶をすると叱られてしまうから、気をつけないと。

「おはようございます、吉澤です」
「久しぶり、どしたん?」
「実は、入院しなきゃいけなくなって」
「アンタがか?なんで?」
「はい。まだ疑診ですけど、膵がんのステージTです」
気弱な言い方にならないように、できるだけ気をつけたつもりだ。
だけど、この時点で、要件はもう伝わってしまっただろう。
538 名前:第三章 負けない、負けたくない 投稿日:2005/06/25(土) 01:24
「えー、えらいやっかいやな。いつ入院すんの?」
「出来るだけ早く、って指示されてるんですが」
「そら急いだ方がええわな。進行も早いし」
「でも、代わりの医師が、なかなか見つからなくって」
「三ヶ月、いや、もろもろで半年ぐらいはかかるからなあ」
「そうなんです。そこで、その間を、先生にお願い出来ないかなと」
気をつけたつもりだけれど、誰が聞いても、これは懇願だ。

「うーん。ちょっと待ってや」
受話器をふさいで、誰かに何かを呼びかけている気配。
予定表か何かを見ているのだろう。
ページを繰るような、そんな音が聞こえる。

「やっぱ、無理ですよね。すいません、突然こんなこと」
そもそも、この町と先生の街との間は、気軽に代理を承諾できるような距離ではない。
539 名前:第三章 負けない、負けたくない 投稿日:2005/06/25(土) 01:25

「うん、ちょーっと、難しいなー、今日からちゅうのは」
それは、聞かなくてもわかりますよ。無理に決まってるでしょう。

「もちろん、そんな急なお願いしようとは思ってませんよ」
「明日からでええか?」
「だから、急なお願いしようとは思ってないんですってば」
「明日からやったらあかんのか?」
「いえ、いいです。お願いします。・・・・いいんですか?」
「夕方には着くわ。ほなまた明日」

驚くほどあっさり了承され、私は電話を切ったまま、しばらく立ち尽くした。
540 名前:第三章 負けない、負けたくない 投稿日:2005/06/25(土) 01:26
「どうだった?」
振り向くと、梨華ちゃんが、心配そうに私を見ている。
「来てくれるって」
「やっぱりねー。よかった」
梨華ちゃんにとっても、想定の範囲内だったんだな。

「いつ?」
「明日の夕方には、って」
「早すぎ」
でもこっちは、やっぱり想定外。

「これで、早ければ、明後日から入院できるかな」
「お昼にでも、役場に休職手続きとか、しに行ってくる」
「そっか。そういうのもあるよね。気がつかなかったな」

そのときは、何の気なしに、思ったことを口にしただけだった。
今考えれば、軽率だったなって、ホントに思うんだけど。

「梨華ちゃん、ゴメンね、いろいろ迷惑かけちゃって」

向かい合う梨華ちゃんの、眉が下がる。唇がとがる。
次の瞬間、左耳の近くで鳴る、乾いた、大きな音。
梨華ちゃんに頬を張られた、それに気づくのに数秒かかった。
541 名前:第三章 負けない、負けたくない 投稿日:2005/06/25(土) 01:27

「迷惑ってなに?どういう意味?」
「どういう意味って・・・」
頬を押さえると、少しずつ熱を持ち始めている。結構、痛い。
「先生は、自分の病気のこと、迷惑な‘がん’だなって思ってるの?」
「思ってない。だって、自分のことだし」
「私だって、私だって先生のこと、自分と同じに思ってるよ!」

指の間が真っ白になるくらい、拳を握り締めて、梨華ちゃんは怒っていた。

「迷惑って何なの!何よ!」

上気した頬を、一筋の涙が伝う。

「じゃあ先生は、私が病気になったら迷惑だって思うの?」
「思わない、思わないよ。ゴメン、悪かった。ゴメン」

声を上げて泣き始めた梨華ちゃんを、夢中で抱きしめて謝った。
542 名前:第三章 負けない、負けたくない 投稿日:2005/06/25(土) 01:27


「置いていかないで。ひとりにしないでよ」
しゃくりあげながら繰り返す梨華ちゃんに、言うべき言葉が見つからない。
きっと今まで、無理して、元気に、明るく、励ましてくれてたんだ。

「置いていかない。ひとりにしない。だから、泣かないで」
「痛かったでしょ。いきなり叩いたりして、ゴメンなさい」
泣きながら詫びる梨華ちゃんを、思い切り抱きしめる。懸命に、言葉を探す。

「おかげで、目が覚めたから。一緒に、闘ってね。頼りにしてるからね」

泣かないで。梨華ちゃんを、ひとりにしたりしないから。
543 名前:第三章 負けない、負けたくない 投稿日:2005/06/25(土) 01:28



 絶対に、死にたくない。死んでたまるかってんだ。






                  < 第三章 「負けない、負けたくない」 了 >

544 名前:名無しOA 投稿日:2005/06/25(土) 01:29
2章の終わり方のまま、お待たせするのが心苦しかったので、続きを急ぎました。
これで、前よりは、多少の光明が差したか思うのですが、どうでしょうか。

解釈によっては、逆にも取れるかもしれませんね。
ですがあのままでは、誰よりも私自身が、このスレッドを開くのが辛かったので。

余談ではありますが、最後ら辺は、一連の話の中で、二番目に好きな場面です。
もしかすると、ちょっとマゾなのかも。
なお一番は、古い話で恐縮ですが「空手」の第5章あたりかな。ホントに余談ですが。

なお今回、正直、相当な無理をしましたので、再び待っていただくことになると思います。
申し訳ありませんが、よろしくお願いします。
545 名前:名無しOA 投稿日:2005/06/25(土) 01:30
>518 495様
ありがとうございます。バラバラなペースですみません。
これじゃ、もしホントのマラソンだったらゴールできないでしょうね。
今後しばらくご心配をお掛けしますが、どうか、信じて下さい。

>519 名無飼育さん
お仕事お疲れさまです。
携帯からまで読んでいただいているというご期待、また、
信じていただいているお気持ちを裏切らない結末にむけて、がんばります。

>520 くろ様
ありがとうございます。
続きが気にならないことが、このスレッドの唯一の長所だったのに、本当にすみません。
正直、私も、続きが書きたいような、書くのが辛いような・・・。
546 名前:名無しOA 投稿日:2005/06/25(土) 01:30
次回更新につきましては>>517の通りです。
それから、定期医者コント>>329でよろしくお願い致します。
では、また。
547 名前:ろて@携帯 投稿日:2005/06/25(土) 13:54
みっともないくらい泣いてしまいました。
今までは名無しやレス番でしたがハンドル晒して見守ることにします。
最後らへん、自分もかなり好きなシーンです。
次回更新も頑張ってください。
548 名前:495 投稿日:2005/06/25(土) 16:32
更新お疲れ様でした。そして読ませていただいて、本当にありがとうございます。
唇を噛みしめながら読ませていただきました。
でも名無しOAさんのおっしゃるとおり、不思議と肝がすわったというか
ほんとに作者様を信じてお待ちしようと、静かな気持になりました。
どうぞご無理のないように・・・。
空手の5章も、すごく好きです。
549 名前:くろ 投稿日:2005/06/26(日) 16:28
更新ありがとうございます。
次々とわかる事実に胸が締めつけられる思いです。
でも、あのままで待つのはもっと辛かったかも…
いつまでもお待ちしておりますので、作者さんのペースで頑張ってください。

私事ですが、空手の頃からずっと携帯で読ませてもらっています。
550 名前:第四章 いざ、ランゲルハンス島へ 投稿日:2005/06/27(月) 23:32
「何そのチリチリ」

カウンターパンチ。
これ以上に的確な表現が存在するのなら、ぜひ教えていただきたい。

久しぶりに会ったのに。
挨拶もなしで。
病気の後輩に会って開口一番が、それですか。

中澤先生。
そんな先生が、初めて言うかもしれないけど、大好きです。

私は、サヨナラホームランを浴びてマウンドに座り込む投手のように、
うなだれ、頭を抱えてしゃがみこんだ。

「ちょっと先生、これでも本人、気にしてるんですから」
これでもって言うな。
「あ、ゴメン、そやったん。かわいいかわいい」
取ってつけたように言うな。

おまいら、もっと病人をいたわりやがれっての。
551 名前:第四章 いざ、ランゲルハンス島へ 投稿日:2005/06/27(月) 23:34
夕食の準備を梨華ちゃんに頼み、私は中澤先生を案内する。
とはいっても、先生のいた当時から劇的な変化はないので、ごく簡単に。

「なあ、拗ねてんの?マジで似合ってると思うで」
「いいですよ、べつにフォローしてくれなくても」

ご指摘どおり少々拗ねながら、引継ぎをする。

「電子カルテはこれです」
「うちのと、使い方は同じみたいやね」
「私は、診察そのものには使ってないんです。画面見ちゃうから」
「患者見るほうが大事よな。うちも、データ送るときしか使ってないなあ」

時代遅れの、男になりたい。そんな歌、たしかあったな。

「で、紙の方ですけど、来院予定者のはここ、往診予定はこっち」
「置き場所、変わってないねんね。そやけど、増えたなあ」
確かに、三倍近くにはなっている。周りの町や村からの患者さんも増えた。だけど。

「それは、先生が、道をつけてくれたからです」
謝辞を述べると、中澤先生は、予想通り照れた。

「何言うてんの。アンタの方が何倍も長くやってるやん」

CTは?どこ?なんて言いながら、逃げてしまう。
552 名前:第四章 いざ、ランゲルハンス島へ 投稿日:2005/06/27(月) 23:35
案内していたはずが、後を歩く形になった。
歩きながら、聞かなきゃ、言わなきゃと思っていたことを、切り出してみる。

「中澤先生、こんなに急に、だいじょうぶだったんですか?」
「何が?」
「何がって、先生の病院とか、えーと・・・」
「ノビタ?」
「そう、とか」
「一人で、どないかするやろ」
「ホントに、何ていうか、すいません、勝手なお願いして」
「謝らんでええよ。あっちじゃ、ノビタだけが医者じゃなし」

なあ、よっさん。都会には、医者なんてゴマンとおるねんで。
ここにおるのはアンタ一人で、自分が病気になって困ってんのに。
それやのに、病院が多すぎて働く医者が足らんとか、おもろい国やわ。

「日本なんて、こんなに狭いのに、なあ」

CT室への扉を開けながら、独り言のように、先生は続ける。

誰も、不老不死なんて贅沢言うてない。
日本じゃ治せません。でも、海を渡って臓器移植すれば助かります。
日本の保険では、この薬しか使えません。でも保険外なら、もっといい薬があります。

「ただしお金はかかります、やってさ」

命とお金と天秤にかけろって、どうやって説明せえちゅうねん、なあ。
お父さんのために家屋敷売り払ってお金作って、もし遺されたらどうやって暮らすねん。

それは、たいていの医師が抱き、そして解決できない疑問だった。
553 名前:第四章 いざ、ランゲルハンス島へ 投稿日:2005/06/27(月) 23:36
そして、それはもはや、私にとっても、決して他人事ではない。

私は、真面目に、何年も健康保険の掛け金を払ってきた。
だから、病院に保険証を提示すれば、治療にかかった金額の一部を負担すればすむ。
残額は、たくさんの人が払った掛け金をプールした中から、医師の元に支払われる。

大雑把に言うと、病気で、注射や薬に五千円かかったとしたら、例えば二割の千円、患者が医師に払う。
残りの四千円は保険がカバーしてくれる。この仕組みは、なるほど、懐には優しく思える。

このような、保険が利く診療で、私に使える抗がん剤は、日本においてはただ、ひとつ。
だけど、国際的に効果が認められ、使われている薬は、他にも複数存在する。
ただし、それらは日本では未承認、いわばモグリの薬であり、保険が利かない。
保険が利かないということは、さっきの例えだと、千円のところが五千円になるってこと。

なぜ、諸外国で普通に使われている薬が、日本ではモグリ扱いになるのか。
それは、日本で再び、悠長に実験をしてから承認するシステムになっているからだ。

最も、まったく使えないわけではない。保険に頼らないで治療をする分には、規制はないから。
誤解を恐れずに言えばそれらは、ちょっと危険も孕んだ健康食品のようなもの、ってところだろうか。
554 名前:第四章 いざ、ランゲルハンス島へ 投稿日:2005/06/27(月) 23:37
例えば、そのたったひとつの抗がん剤に効果がなければ、こうなる。

「吉澤さん、あなたのがんには、承認薬のジェムザールは効かないみたいです」
「では、イリノテカンを併用して下さい。海外では、有効であるという報告がされているはずです」
「日本では、イリノテカンは『膵臓がんについては』未承認ですので、保険が利きませんが」
「わかりました、それでもいいです。大切な命のためです」

この場合、保険が利かないというのは、どういう意味か。
私は、何についての全額を、自己負担しなければならないか。

「イリノテカンとかいう薬の分だけでしょ?」

違う。

『その病気について、その病院で受けた治療の全額』について、負担しなければならない。
有効だというイリノテカンを使わなければ、保険が利いたはずの注射や薬代も、全額。
治る保証などない治療に、車一台ぶん、ともすれば家一軒ぶんのお金がかかる。

長年掛けた健康保険。こういうときのために、少なくない金額を毎月天引きされてきたのに。


ただ、保険が利く範囲の診療で、先の、効果がある二剤を併用する方法も、なくはない。

肺への転移を、待てばよいのだ。肺がんについては、イリノテカンは承認されているから。
555 名前:第四章 いざ、ランゲルハンス島へ 投稿日:2005/06/27(月) 23:38
ボンヤリ突っ立っている私を、中澤先生がCTにもたれながら見ていた。

「ごめん、ちょっとブルーにさせてもうた?雨も降ってないのに」
「いえ、あの、売り払う物、何にもないなあ、と思って」

家もない。車もない。改めて考えてびっくりするぐらい、私にはなにもなかった。
確かに、普通のサラリーマンより、給料は多いだろう。
でもたぶん、よい時の漁師さんよりは、少ないと思う。
孫の顔が見せられない分、老いた親にもいくばくかの仕送りをしていたから、
自慢できるほどの貯金も、もちろんない。

「何かあったら、うちの病院抵当に入れたるわ。心配せんでええよ」
「心強いです。ありがとうございます」
「ノビタごと借金のカタにするか。いや、かえって資産価値下がってまうかもな」
なあに言ってるんですか、もう、中澤先生。

「淋しくないですか、離れちゃって」
「あ?新婚じゃあるまいし」
「そんなもんですかね。私は、未だに、片時も離れたくないですけどね」
「幸せもんやで、アンタ。ほんまに」
「そう思います、自分でも。会えてよかった」

思えば結局、出会いのきっかけを作ってくれたのも、この中澤先生なのだ。

「はいはいもうごちそうさま。お腹いっぱいですわ」
「ご飯、これからですよ。行きましょ」

中澤先生。この感謝の気持ちは、生きることで表します。必ず。
556 名前:第四章 いざ、ランゲルハンス島へ 投稿日:2005/06/27(月) 23:38


長旅を経て来てくれた中澤先生に、ささやかな感謝の膳。

「全部、今朝獲れた魚ばっかりです。美味しいですよ」
昨日から漁師さんにお願いしておき、今日届けてもらった。
「ここにおったときは、こんなん毎日食べててんもんなあ」
考えてみれば、本当に贅沢な話だ。

中澤先生は、ひとつひとつの料理を、至福の表情で味わってくれている。
無理をお願いしたのだから、今日くらいはゆっくり過ごしてもらいたい。

「先生、ビール、出しましょうか?」
私と同じ気持ちらしい梨華ちゃんが、言った。
間髪入れずに、中澤先生は返した。

「いらんいらん。夜中起きられへん」
まさか遠慮じゃないだろうけど、それではあまりに申し訳ない。

「今夜は私が見ますから、飲んで下さいよ」
中澤先生が、箸を置いて、私をまっすぐ見つめた。
557 名前:第四章 いざ、ランゲルハンス島へ 投稿日:2005/06/27(月) 23:39
「アホなこと言うな。あのなあ吉澤。学生の時、何部やった?」
何部?クラブ活動のことだろうか。

「バレー部、でした」
「大会の前の日、どうしてた?」
「んと、荷物準備して、しっかり食べて、早く寝てました」
「そうやろ」

入院とか手術、ちゅうのは、それと同じや。試合や。勝負や。

「命がけやねんで。ベストコンディションで挑まんでどうすんねん」
テーブルに乗り出し、私の胸倉を掴んで締め上げる。ド迫力だ。

「わかりました。よくわかりました」
本当に、心から納得した。
だから、その手を、離して下さいお願いします。
558 名前:第四章 いざ、ランゲルハンス島へ 投稿日:2005/06/27(月) 23:40
「か、監督!私、かつおぶし持ってきます!」
「よし、石川、行って来い!」
中澤先生は至近距離で私をにらんだまま、梨華ちゃんに指示を出す。
私は蛇に睨まれたカエルのまま、慌てて駆け出す梨華ちゃんの足音を聞く。

「取ってきました!監督、何にかけますか?」
「全部に。まんべんなく」
「お刺身にも焼き魚にもですか?」
「とにかく全部や。吉澤の分は、特に山盛りで」

梨華ちゃんが指示通りにしたあとで、ようやく私は解放された。

かつおと、勝つ、をかけたゲンかつぎ。
ベタだけど、悪くない。ついでに味も、まあ、悪くない。
559 名前:第四章 いざ、ランゲルハンス島へ 投稿日:2005/06/27(月) 23:41
「電話、二階の子機だけ鳴るようにして」
食事と入浴を終えるやいなや、中澤先生は、さらなる指示を出した。
先生には、あいている二階を使ってもらうことにして、掃除を済ませてある。
説明書を見ながら操作する私が頼りなかったのか、先生は携帯電話をとりだした。
今いる場所から今いる場所へ、わざわざ確認の電話をかける。

「ちゃんと二階だけ鳴ってますね」
三人揃って耳を澄ませる様子は不審げで、ちょっと他の人には見せられない。

「よーし、消灯、就寝!」

中澤先生が高らかに告げ、二階へ上がっていったのは。
まだ、ちょっと昔なら、全員集合したような時間だった。
560 名前:第四章 いざ、ランゲルハンス島へ 投稿日:2005/06/27(月) 23:41

            *

561 名前:第四章 いざ、ランゲルハンス島へ 投稿日:2005/06/27(月) 23:42
見回りを恐れて枕投げは控え、私たちもおとなしくベッドに入る。
枕元の灯りは残し、今日も先生を腕に抱いて、横になる。

「先生、まだ眠くないでしょ?」
「うん。ちょっと早すぎるかな・・・」
「でも起きてゴソゴソしてると、鬼監督に叱られるよ」
「だね。竹刀とか持って乗り込まれそうだね」
「目をつぶってじっとしてれば、眠くなるよ、そのうち」
「うん」
先生は私の胸に頬を押しつけ、パジャマの背中を強く握った。

「怖いの?」
「ううん、だいじょうぶ。・・・梨華ちゃん、あのさ・・・」
腕の中から私を見上げ、えーと、えーとを繰り返して、言葉を探す先生。
「なあに?どうしたの?」
流れていく、数秒の沈黙。

「イトナマナイ?」
いとなまない?糸?生?無い?
「え?」
先生は、クイズの答が外れたような反応をみせる。

「違ったか。ちょっと待ってやり直す」
再び、えーと、に戻った先生。私は懸命に、先生の意図を探る。
562 名前:第四章 いざ、ランゲルハンス島へ 投稿日:2005/06/27(月) 23:43
あー、わかった!営まない?だ。
気づいていないふりを続けたら、今度は何て言うんだろう。
楽しみではあったけれど、残念ながら笑いをこらえられなかった。

「何で笑うんだよー」
「おもしろいから」
軽く傷ついた先生が、拗ねる。可愛くてしかたない。

「営まない、って言ったの?」
「やり直してるんだから、それは忘れてよ」
「ねえ、営み、って夫婦の、とか、夜の、とかの、そういう意味?」
「・・・・・うん」
「どこの世界に、そんな変な誘い方する人がいるのよ」
少なくとも、ここに一人、いるけどさあ。

「だって、一番最近、って、もう結構むかしだよね?」
言われてみれば、確かにそうかもしれない。
お互いに年月を重ねるうち、次第に、胸を、肌を合わせなくても、手をつないだり、
腕に頭を預けたり、ただどこかに触れているだけで、満ち足りるようになったから。

クスクス笑う私に、先生は恥ずかしそうに続ける。
「だから、正直どうやってそういうふうになってたか、うろ覚えで」

忘れたからって、よりにもよって、営まない?はないでしょうよ。

「いつも、別に何も言われなかったよ」
「そんな気はしたけど、だからって今、無言でいきなりってのは、戸惑うかと思って」
そうかもしれないけど、でも、それはそれで嬉しいのに。
563 名前:第四章 いざ、ランゲルハンス島へ 投稿日:2005/06/27(月) 23:44
「だいじょうぶ?疲れてないの?」
「たぶん、だいじょうぶだと思う」

私は先生に寄り添って、その腕を私の腰に回させた。
自分の腕は、先生の首に回す。

私がゆっくりと近づけた唇を、先生は迎え入れた。
私を抱きしめる先生の腕が、次第に力強さを増す。

どう?思い出してくれた?

「すんごい、ドキドキする」
「何よ、今さら」

もう一度、唇を近づける。ペースを掴んだ先生が、私を仰向けにする。
丁寧な仕草で、一つずつ、パジャマのボタンが外されてゆく。

身頃の合わせ目から滑り込んでくる手のひら。
まだ始まったばかりなのに、もう胸が苦しい。

「声、我慢してる?」
だって、真上に中澤先生が・・・。

「いつまでもつかな?」
「・・・・意地悪しないで」
調子を取り戻した先生に身を任せながら、時おり、小さく息を吐く。
そして、歯を食いしばる。声を上げないように。そして、泣かないように。


この夜が、ずっと続けばいいのに。
永遠に、明けなければいいのに。
564 名前:第四章 いざ、ランゲルハンス島へ 投稿日:2005/06/27(月) 23:45


来なければいいと願った朝なのに、それでも、晴れてくれた。

迎えに来てくれたタクシーの傍で、先生を見送る。
中澤先生と、ふたりで並んで。

「じゃあ、行ってきます」
「りんねがいてる時に、顔見に行くわ」
「ありがとうございます。それから、よろしくお願いします」
「うん。安心しい」
微笑んだ中澤先生が、視界の端に、獲物を捉えた。

「おーロクちゃん!」
「ギョ!」

実際にぎょっとしながら、ギョ、って言う人を初めて見た。
何日か前に、運悪く、縫合が必要なケガをしてしまったロクローさん。
更に運の悪いことに、今日、経過を見て、抜糸する予定になっている。

中澤先生が、ロクローさんの元へ小走りに駆けていく。
「まだ生きてたん。えらい顔色ええやんか」
「なんで?なんでなの?なんでいるの?」
ロクローさんは、ザリガニのように後ずさりしている。

ロクローさんは、中澤先生が、なんというか、苦手なのだ。
生きることから逃げていたとき、それを責め続けてくれた人だから。
放っておいてほしかったのに、先生はその甘えを許さなかった。
そのおかげで今があることを、もちろんロクローさんはよくわかっている。
中澤先生への感謝を忘れずに、ちゃんと今を生きている。
565 名前:第四章 いざ、ランゲルハンス島へ 投稿日:2005/06/27(月) 23:45
「中で二人っきりで説明したるから。今日抜糸やったな」
「ちょっと待って。っちょ、ねえ、石川さん!」

助けを求めながら連れ去られるロクローさんに、黙って手を振った。
でも何で、中澤先生、ロクローさんの経過をもう把握しているんだろう?

「先生、そんな細かく引き継ぎしたの?」
「いや、そんな時間なかったよ」
なぜ?包帯でわかった?でもそれなら、やけども擦り傷も、同じ見た目。

「昨日、お手洗いに起きたときね」
「あ、夜中?」
「うん。先生の靴が玄関にないから、ちょっと外に出てみたんだ」

そしたら、診療所の灯り、ついてた。
呟くように、先生が言う。

「頼んでみてよかったね。安心して、治療できるね」
「うん。細かいことは、梨華ちゃん、頼むね」
私は、ここに残る。このことは二人で話し合って決めた。

「任せて。落ち着いたら、会いに行くね」
「楽しみに待ってる」

先生が、後部座席に乗り込む。
開いた窓越しの、名残の尽きぬ会話。
566 名前:第四章 いざ、ランゲルハンス島へ 投稿日:2005/06/27(月) 23:47
「梨華ちゃん。無事、退院できたらさ、二人で、旅行に行こう」
「うん。行きたいところあるの?」
「素敵な島、見つけたんだ。チョー穴場」

今度は、意図を探らなくてもすぐ、わかった。

「ランゲルハンス島、って言いたいんでしょ?」
「・・・・バレたか。悔しいな」
にこっと、先生が笑う。

「じゃあ、本当に、行ってくるね」
「行ってらっしゃい。がんばってね」
「うん。帰ったらまずはお風呂ね」
「わかった。準備しとくね」

先生を乗せたタクシーが、ゆっくりと見えなくなってゆく。

本当は、一緒に行きたい。
病室で目を覚ました時、先生が淋しくないように。
先生がひとりで、夜に震えないように。
ずっと、そばにいてあげたい。

だけど私は、残ってここを守る。
だって、ここは、先生が帰ってくる場所だから。
567 名前:第四章 いざ、ランゲルハンス島へ 投稿日:2005/06/27(月) 23:47


余裕なんてあるはずない先生が、あんなにがんばってるんだから。

だからもう、涙は見せない。少なくとも、先生の前では。

私は、改めて、固く固く、そう誓った。





                 < 第四章 「いざ、ランゲルハンス島へ」 了 >

568 名前:名無しOA 投稿日:2005/06/27(月) 23:50
3章を乗り越えたら、ここまではすんなり書けました。
蛇足ですが、ランゲルハンス島は、膵臓内の器官の名前です。

定期医者コント>>329に加えて、健康保険の説明のあたり、
調べて書いてはいますが、事実と合致しているかは自信がありません。
医療技術は日進月歩ですから、薬の事情も、もしかすると少し違うかも。
それ以前に、事実の誤認があるかもですので、読み流してください。
569 名前:名無しOA 投稿日:2005/06/27(月) 23:51
>547 ロテ様
何となく、そうじゃないかと思っていました。ありがとうございます。
今回は、登場人物は誰も泣いていません。
なのに、私も、書いててちょっと涙ぐんでしまったりして。
お互い、あまり入れ込み過ぎないように気をつけましょうね(笑)

>548 495様
ありがとうございます。
今後もご心配をおかけしますが、どうかよろしくお願いします。
それから、古い話を覚えていて下さってありがとうございます。
空手について非常に残念なのは、書いたのが私だということです(笑)


>549 くろ様
ありがとうございます。
正直申しますと、もう、小出しにしないで、一気に吐き出したい気持ちです。
でも、まだこの続きは書けていないのですが。
携帯からありがとうございます。気の引き締まる思いです。
570 名前:名無しOA 投稿日:2005/06/27(月) 23:51
そして、次回こそ、>>517です。よろしくお願いします。
571 名前:ろて 投稿日:2005/06/28(火) 01:22
光明が見えた幸せなひとときにまたしても涙。
パブロフの犬かと自分に突っ込みつつマターリお待ちしております。
人間ってたくましい。いろんな意味でそう思いました。
(お気遣い痛み入ります。もちろん皮肉じゃないですよw)
572 名前:くろ 投稿日:2005/06/28(火) 04:03
お疲れ様です。
眠れない夜に更新されていることを知り、更に眠れなくなるのでは?と迷いましたが、読んでよかったです。(すいません)
これから少しずつ明るい光が射してくれることを祈ります。
573 名前:未来のMD 投稿日:2005/06/28(火) 07:09
>569
楽しみに読ませていただいています。
よく調べていらっしゃいますね。
pancreatic cancerの治療のストラテジー
などは国立がんセンター等のホームページ
を参照されるとよいと思いますよ。
574 名前:未来のMD 投稿日:2005/06/28(火) 07:22
ジェムザールはpancreatic cancerの患者さんによく使う薬です。
膵切除例においても5年生存率は10〜20%程度。
治療成績が悪い理由は早期診断断が難しいのと生物学的悪性度が
高いことなどが挙げられます。
手術の他にも放射線療法や化学療法などを組み合わせた
治療を行うことが多いですね。
藤本先生はどのような治療を行うのか楽しみです。
575 名前:第五章 Amazing Grace 投稿日:2005/07/02(土) 22:51
目的地の大学病院までは、そこそこ、長い道のり。
迎えに来てくれたタクシーを運転するのは、私より少し年下の、通称ジョージさん。

「先生、音楽かけてもいいか?」
「うん。歌ってもいいよ」
若い頃演歌歌手を目指していたというジョージさんの歌は、今でも宴会の華だ。

嬉々としてオーディオを操作し、抑えた声で歌いはじめるジョージさん。
聞くともなく聞いていると、少し心が軽くなっていくような気がした。


「おまえが〜オレには最後の〜おんな〜」

気持ちよく歌うジョージさんを邪魔しないように、曲が終わるのを待って話しかける。
出発してすぐから、なんとなくおかしいな、と、ずっと思っていた。
576 名前:第五章 Amazing Grace 投稿日:2005/07/02(土) 22:52
「ジョージさん、メーター、動いてないんじゃない?」
「だって、倒してないからね」
歌うように答えられて、一瞬意味を見失う。

「・・・・何で?ダメだよ、そんなの」
「いいんだ、今日はオレ、休暇とったから」
「休暇?え、休みなの?」
「だから、車を会社から借りて、好きで先生送ってんだ」
手袋して、ネクタイ締めて、帽子までかぶってるのに?

「話聞いてさ、社長が、そういうことにしろって」
「そんな・・・。何で・・・」
「いっつも助けてもらってんだ、こんなときくらい、何かさせてくれよ」
「別に、何もしてないよ」
「こっちは夜中でもなんでも、嫌な顔しないで診てもらえるだけで、ありがたいんだよ」
「そんなの、当たり前のことじゃんか」
「それは違うよ、先生」
577 名前:第五章 Amazing Grace 投稿日:2005/07/02(土) 22:53
赤信号で止まり、ジョージさんは振り向く。
「中澤先生や、先生が来てくれるまで、オレら、結構苦労してたんだ」

信号が変わり、再び車を走らせながら、ジョージさんは言った。

具合なんて、別に医者が寝てるときだって悪くなるさ。
こっちだって、申し訳ないって思ってるから頭下げてんのに。
それをわかんねえで、迷惑そうな顔しやがったりしてよ。
長続きしなくて、逃げやがったヤローも多かったしよ。

医者がいねえってときは、仕方ないから、夜中でも隣町まで行ったりしたしな。
今は先生がいてくれるから、急に子どもがケガしたって、慌てなくていいしさ。

「うまく言えねえけど、わかる?オレの言いたいこと」
「わかるよ。すごくわかるよ」
「先生、どんな病気か知らねえけど、がんばってな」
「うん、ありがとう」
本当に、ありがとう。
578 名前:第五章 Amazing Grace 投稿日:2005/07/02(土) 22:54
「道はわかるから、狭いけど横になってくれていいよ」
「うん。そのうち、そうさせてもらう」
「迎えの方も、任せてくれ」
「うん」
涙が、こみ上げてきそうになる。

「ただし、ガソリン代だけは、もらうからな」
「ええ、そうなの?」
やっぱりすぐに引っ込む。

冗談だよ、とミラー越しに笑って、ジョージさんは歌に戻った。


絶対に、元気になって、この道を戻る。岬の町へ、戻ってやる。
579 名前:第五章 Amazing Grace 投稿日:2005/07/02(土) 22:54

港町の演歌と、私の決意を乗せた車は、無事に病院へ着いた。
ジョージさんに、せめてなにかお礼を、と、缶コーヒーを買って渡す。

それから、受付で手続きを済ませて、病棟へ。

藤本先生には、おそらく相当な無理をさせたのだろう。
ベッドの用意がまだらしく、まずは説明を受けることになり、担当医を紹介された。

「執刀は私がやるけど、担当はこの紺野にしてもらうから」
「どうも、吉澤です。よろしくお願いします」
名札には、研修医、の文字がある。大変だろうけど、がんばれよ。

紺野先生の背後に、検査で撮影したフィルムが、すでに用意されている。
何となくそれがよく見える正面に座り、少し離れて、藤本先生が腰掛けた。

「では、はじめさせていただきます」
「よろしくお願いします」
何となく神妙な気持ちになり、私は背筋を伸ばした。
580 名前:第五章 Amazing Grace 投稿日:2005/07/02(土) 22:55
「こちらが、CT、吉澤さんの身体を、輪切りにした写真です」
藤本先生と、目が合う。とりあえず片目をつぶってみる。

「この、細長い臓器が、少し悪い部分が見つかっている、膵臓ですね」
若い者の話を黙って聞くのは、年寄りの大切な務めだ。

「膵臓は、症状から普通3つに分けて考えられていて・・・」
だけどさすがに、こんなに初歩から説明されるのは、きついな。

「この太い部分を頭に、順に、膵頭部、膵体部、膵尾部・・・」
一生懸命なところに水を差すのは、ものすごい罪悪感。

「この、膵頭部、頭の部分の黒い影が、悪性が疑われる腫瘍です」
でも、紺野先生も、手間が省けた方が楽だと思うし、うん。

「これから、膵臓に重点を置いた検査を、いくつか受けていただきます」
うちで出来なかったこと、やるんだよな。てことは・・・。
581 名前:第五章 Amazing Grace 投稿日:2005/07/02(土) 22:56
「まずは、ダイナミックCTですか?それともERCP?」
「いえ、今のところまずMRCPか、PETを考えていま・・・・・・す?う?」
お、負担の少ない検査してくれるんだ。で、気づいたかな?気づいただろうね。

「藤本先生、あえて言わなかったのか忘れてたのか、どっち?」
「ごめん、忘れてたみたい。友達だとは言ったと思うんだけど」
こらえていた笑いを、豪快にぶちまけながら、藤本先生は言った。
紺野先生は、目を丸くして、私と藤本先生を交互に見ている。

「紺野、この人、医者だから。そのつもりで説明して」
顔を真っ赤にしながら、紺野先生は説明を続けた。
もちろん、立て板に水どころか滝のごとく、それは進む。

簡単にまとめると、まずは検査。それから手術。そして抗がん剤。
最後に検査をして、異常を示す値がなければ、退院。
最初の検査のあと、手術の方針を、今と同じように話し合う。

一通り納得して、紺野先生と、改めてがっちり握手をした。
仲間は、多いほうがいい。相手が強ければ、なおさら。
今、私が相手にしているのは、いわばラスボスのようなものだ。
582 名前:第五章 Amazing Grace 投稿日:2005/07/02(土) 22:57


準備ができました、と、案内された先は、ごく普通の、殺風景な個室だった。
荷物を置いて、着替えを済ませる。今日のところは夕食まで、とくに予定はない。

退屈しのぎに雑誌を読む。が、すぐに諦める。
内容なんて、全然頭に入ってこなかった。

「淋しい?大部屋の方がよかった?」
グッドタイミングで、藤本先生が来訪。
「ううん。ひとりで、ゆっくり考え事でもしてる」
今は何となく、個室がありがたかった。
病気の人に囲まれていたら、やっぱりどうしても気になってしまうだろう。

「これ。検査、すぐ出来るようにしたから」
じきじきにスケジュール表を持参してくれたようだ。
「すいません。お手数かけて」
「同じ病状の人なら、面識がない患者でも、同じことした」
「時間、ないもんね」
「だから、特別扱いじゃない。だから、気を使わなくていい」
「うん。でも、嬉しいし心強いよ。ありがとう」

優しさが、いつもより心に沁みるのは、病気だからだろうか。
だとしたら、確かに不運だったけれど、そんなに悪いことばかりでもない。
583 名前:第五章 Amazing Grace 投稿日:2005/07/02(土) 22:57
「あ、ねえねえ、藤本教授の総回診でーす、とか、やっぱあるの?」
「ないよ。あんまり意味ないし。必要があるときはちゃんと診てるし」
「見たかったなあ」
「やってるところに転院すれば?紹介状書いたげる」
「いや、別に総回診そのものを見たいわけじゃないし」

おそらく、旧弊を打ち破るために、新設医大に来たのだろう。
自信がなければ、伝統的な態様を取りやめることはできない。

私と話している間にも、何人かの医師が次々指示を求めにやって来た。
失礼ながら、私は驚く。藤本先生が、患者の名前を覚えていることに。

「名前と経過、全員一致してるんだ」
「普通でしょ?よっちゃんさんは、家族構成まで覚えてんじゃん」
それとこれとは、同じなようで少し話が違う。

「だって、病名で呼ばれるなんてミキはまっぴらだもん」
ヨシオには、この大学の受験をぜひ、勧めてみなきゃ。
584 名前:第五章 Amazing Grace 投稿日:2005/07/02(土) 22:58
忙しい藤本先生は疾風のように去り、私は、喉の渇きを覚えた。
フロアの案内図を片手に、探検がてら、自販機コーナーに向かう。
あっけなくたどり着く。数台の販売機。何人か座れる、長い椅子。

そこにポツンと一人腰掛けていた先客は、紺野先生。

「いいの?サボってて」
ミネラルウォーターを買い、なんとなく隣に座った。
「あの、さっきやっとお昼食べて、少し休憩です」
「いや、責めてない責めてない。ゆっくりしなよ」

医者なんて、常に何かに追われている。
束の間ホッとするくらいの時間、なかったらやっていけない。
585 名前:第五章 Amazing Grace 投稿日:2005/07/02(土) 22:59
冷たい水を喉に流し込もうとすると、唐突に、思いつめたように、紺野先生が言った。
「考えてたんです。いえ、ずっと考えてるんです」
「ん?」
「どうして、いい人ばっかり病気になるんだろうって」
「ああ。わかるわかる」
私も、忘れるくらい大昔に、同じことを考えたな。

「どうせなら悪いヤツを病気にして、懲らしめてやればいいのに」
「そしたら、悪い人ばっかりのために仕事しなきゃいけなくなるよ」
そして、この世に悪人なんてあんまりいないんだ、ってのが、個人的に出した答え。

「たぶん、神様はさ、そういう、まあ、悪い人のことは、見放してるんだよ」
憎まれっ子世にはばかる、ってことわざもあるから、昔からそうなんだろう。

「藤本先生だって、見込みのないヤツには厳しく指導したりしないでしょ?」
無言で私を見つめている紺野先生に、なおも続けた。

病気だって、それと似たようなもんなんじゃないかな。
コイツだ!って神様に選ばれて、試練を与えてもらってるんだから、乗り越えないと。
なんて、そうとでもカッコつけないと、イチ患者としてはやってけないんだけどね。

医師の立場で言えば、誰かの人生の、そんなすごく重大な場面において何かを手伝える、
それは、自分のすべてを懸けるに値する仕事だと思ってる。その誰かが、たとえ悪い人でも。

紺野先生、まだまだこれから、きっと、もっと理不尽な症例にいくつも出会うよ。
病気に対して、医者にできることなんて、絶望的に少ない。
どんなにがんばったって、命はそもそも有限だからね。
だから、いちいち心を痛めてたら、医者としてやってけない。
586 名前:第五章 Amazing Grace 投稿日:2005/07/02(土) 23:00
「だけど、まったく心を痛めなかったら、医者以前に人間として失格」
「難しい。自信、なくなってきました」
「困るなあ、頼りにしてるのに」

難しく考える必要はない。精一杯、出来ることをすればいいだけ。
もちろん、それ自体は、簡単なわけじゃないけど。

「初めて病気になってわかったこと、たくさんあるんだ」
患者さんの気持ちとか、励ましがどれほど生きる力になるか、とか。

「だから、一日も早く、復帰したい」
診療所に、戻りたい。
私が立っていられるのは、その思いが私を支えてくれているから。

「力、貸してくれるでしょ?」
「はい。がんばります」
「そろそろ戻らなくていいのかあ?研修医。なんて、引き止めて悪かったね」
「いいえ。ありがとうございました」

ぺこっと頭を下げて、小走りに去る背中を、そっと見つめた。
彼女はきっと、いい医者になるだろう。
587 名前:第五章 Amazing Grace 投稿日:2005/07/02(土) 23:01
数日後、予定通りに検査結果が出揃い、今日は二度目の説明。
メンバーは、一回目と同じ三人。

最初と同じように、紺野先生の背後にフィルムが並んでいる。
幸い、転移は、今のところ認められない。日程は、明日の午前。

「術式は、幽門輪温存膵頭十二指腸切除術を予定しています」
「え、何て?もう一回言って下さい」
「よっちゃんさん!からかわないの。紺野もバカ丁寧に、PPPDでいいよわかるんだから」

ち、バレたか。だって、早口言葉みたいじゃん?

幽門とは、胃の出口。要は、胃は残して、病巣のある膵臓の頭部に加えて、十二指腸を切る。
文字から得られる情報はそれだけだけれど、他に胆管、胆嚢も切除して、それぞれ再建、
つまり機能を補えるようにつなぎ直す、結構な大手術だ。

以前は、胃の一部も切除する術式が主流だった。十二指腸とつながる胃の一部も取れば、
転移の可能性は低くなるのだが、合併症のリスクや、また消化吸収機能の回復に多くの時間が
かかることなどから、今の主流は、先の早口言葉に移行しつつある。
だから温存、という二文字がわざわざ使われているのは、二つの術式の対比のため。
588 名前:第五章 Amazing Grace 投稿日:2005/07/02(土) 23:01
「はい、すいませんでした。えーと、よろしいですか?」
「ごめんなさい、続けて下さい」
「それから、開腹創に向けて、術中照射を行います」
「わかりました」

術中照射とは、手術中、病巣を切除した後、内臓に直接、放射線を当てること。
これは、手術で切除しきれない、微細ながん細胞を死滅させることを期待して行う。
皮膚越しよりも、高い濃度の放射線を照射できるため、そのぶん効果も望める。

これらは、私の病気の治療としては正攻法だといえるし、そのほか細かい点にも疑問はない。
あとはもう、先生たちに全てを任せて、まな板の上の鯉でいればいいだけ。

私という鯉は、運良く、信頼できる板前に出会えた。

実は、どんな病気の治療においても、これが一番難しくて、一番重要なんじゃないかと思う。
589 名前:第五章 Amazing Grace 投稿日:2005/07/02(土) 23:02
麻酔科とも別に打ち合わせて、いよいよ厨房、ではない、手術室に入る朝が来た。
慌しく、点滴やら注射やら、いろんな準備を整えられて、私は今、まさに俎上に横たわっている。

予備の麻酔で遠のく意識の中、吸入マスクが口元に寄せられた。

いよいよだ。ドラマなんかだと、ここで・・・・。

「ゆっくり数を数えて下さい」
おー、ホントにそういう展開なんだ。
3つくらいで、眠っちゃうんだよな、確か。
あ、そうだ、だったら・・・。

「チャー・シュー・メーン」
「バーカ」

藤本先生の声が、微かに聞こえたのを最後に、意識がシャットダウン。

その一秒後。
「終わりましたよー、吉澤さーん」
誰かに声をかけられて、目を開け、時計を見たことだけ覚えている。
話は知ってるけど、ホントに短く感じるんだーなんて、思った。

一秒に感じた所要時間の実際は、約五時間。これでも、この手術にしてはたぶんすごく早い。
さすがは藤本先生。そして改めて、外科医って大変だ。内科選んでよかった。
590 名前:第五章 Amazing Grace 投稿日:2005/07/02(土) 23:03
次に目を覚ましたときには、扉から出て行きかける藤本先生が見えた。
私の様子に気づいたナースが、その背中を呼び止める。

「教授!」
おー教授、そうだ、教授なんだよ。
振り向いた教授が、私の枕元に戻ってくる。
私は、なんとなくまた、時計を見た。

「4時間?」
「28時間だよ。どんだけ寝れば気が済むのよ」
「一回は、ちゃんと起きたじゃん。眠かったんだもん」
「麻酔科が焦ってたよ。ミスしたかと思って」
「あー、謝っといてね。ゴメンって」

朦朧とする私のかたわらでいくつかナースに指示を与え、藤本先生は去った。
591 名前:第五章 Amazing Grace 投稿日:2005/07/02(土) 23:04
眠い。それでもまだ眠い。眠りつかれて、なお眠い。

久しぶりに、何も考えないで眠ったからかな。

それにしても、何だか全身チューブだらけだ。

病院なんてこれだもん、みんな、最期は畳の上で、って言うはずだよ。

ぼんやり思いながら私は、また眠った。






                             < 第五章 「Amazing Grace」 了 >
592 名前:名無しOA 投稿日:2005/07/02(土) 23:04
>571 ろて様
ありがとうございます。
今回こそは、涙されるような場面はなかったかと(笑)。
最後まで、笑って過ごしたい。病にあっても懸命に生きていれば、きっと神様はそれぐらいの
願いなら聞き入れてくれるはず、そんな思いをこめて書いています。
今後とも、よろしくお願いします。

>572 くろ様
ありがとうございます。
これで、少しは安心していただけましたでしょうか。
どうか今夜はゆっくり眠っていただけますように。
593 名前:名無しOA 投稿日:2005/07/02(土) 23:05
>573-574 未来のMD様
ありがとうございます。
正直すごく調べて書いていますので(笑)、誉めていただいて報われました。
教えていただいたページも参考にさせていただきます。
ドラマなんかの主人公の病気で、一昔前なら定番だった骨肉腫や白血病に代わって
この病気が増えているのは、予後の悪さからきてるんですね。
逆に言えば、昔は不治だった病がそうでなくなってきている、という希望も持てるようで。

藤本先生は、とりあえずオーソドックスな集学的治療を試みるようです。
何故なら、私が調べられる範囲では、それしかわからないから(笑)

何ていうか、専門の方にも見ていただいているという、すごいプレッシャーを楽しみつつ。
今後も何かありましたらご教唆下さい。よろしくお願いします。
594 名前:名無しOA 投稿日:2005/07/02(土) 23:06
第二部も、半ば付近にさしかかりました。
定期医者コント>>329(本当は麻酔で数を数えたりしないかも)
及び、定期>>517で、今後ともよろしくお願い致します
595 名前:ろて 投稿日:2005/07/03(日) 01:34
はい、涙は大丈夫でした。でも実はギリだったりw
知らず知らずのうちに拳を握り締めて読んでました。
よっちゃん頑張れ、みんな頑張れと前のめりになってw
そして頭の中ではAmazing Graceが流れてました。
596 名前:495 投稿日:2005/07/03(日) 17:29
更新をしていただくたびに、心からの感謝に溢れます。
読ませていただいてありがとうございます。
(前回のレスを書かせていただこうとも思って開いたら、もう次のがきていたなんて・・・)
私もロテさんと同様、Amazing Grace流れていました。
小説なのに、もう小説を越えているというか・・・
全身全霊で、頑張れっ!と応援したい・・・。
597 名前:そーせき 投稿日:2005/07/03(日) 18:10
第3章を読んだとき、胸が苦しくなるほど号泣してしまいました。
ここまで読んで、今、少し心穏やかになれたので、初めてレスさせていただきました。
「空の手」シリーズは、ずっと私の中ではフィクションではありません。
登場人物の皆さん、(私も含めた)読者の皆さんに微笑みが戻ることを切に祈りつつ、
静かに更新をお待ちします
598 名前:くろ 投稿日:2005/07/04(月) 02:53
お気遣いありがとうございます。
今夜は眠れそうです…と言いつつ、前から読み返していたらこんな時間とか(笑)

私も昨年手術をしましたが、麻酔は本当に数を数えるように言われた記憶がありますよ。
599 名前:第六章 愛から遠く離れて 投稿日:2005/07/05(火) 18:04
術後、薄紙をはがすように少しずつ、体調はよくなっていった。
ひとつひとつ、体から出ていたチューブが減る。
食事からも、徐々に病人っぽさが消えていく。

「絶対良くなる」
数回唱えて、食事をする。残さずたいらげる。薬を飲む。
何度か、その姿をナースに見られて、笑ってごまかした。

そんな不審そうな顔、しないでよ。人間なんて、案外単純なものなんだよ。
600 名前:第六章 愛から遠く離れて 投稿日:2005/07/05(火) 18:04

今日は、間もなく始まる抗がん剤治療についての説明。
こうやって話をするのは、都合三度目だったか。メンツは、相変わらずの三人。

手術でがんは切除できたのに、なぜ抗がん剤を投与するのか。
理由は、簡単に言うと術中照射と同じで、再発や転移を予防するため。
手術といっても、一つのこらずがん細胞を取り除くのは、無理に近い。
そして一つでも細胞が残っていると、がんはまた機を見て活動を始め、増殖する。
だから、小さなうちに少しでも弱らせておく。これが、今の医学にできる限界でもある。

一通りの説明を、紺野先生から受けた。提案された量にも回数にも疑問はない。
何度も慎重に検討した上で、方針を打ち出してくれていると思う。
きつい薬に耐えられる体力も、何とか回復できた自信はある。

「じゃあ、来週早々から開始しますね」
「はい、よろしくお願いします」

最後の最後で、紺野先生が嬉しいことを言ってくれた。
601 名前:第六章 愛から遠く離れて 投稿日:2005/07/05(火) 18:05
「始める前に、外泊していただいても構わないんですが」
「ホントですか。うわー、やったー」
「ただ、おうちまでの移動は、少し負担が大きいかとも思うんです」
「じゃあ、近くに宿とって、家族を呼びます」
何度か機会はあったがすれ違い、結局梨華ちゃんとはまだ会えていない。

「外食も、しても構いませんか?」
「もちろんです。多少の約束は、守っていただきますが」
「食べたいなあ、肉。霜降りの。あと、カレーとか。すごい辛いの」
紺野先生は困っている。私が、膵臓に負担をかける食べ物を並べたから。

「またからかってんでしょ?わかってるくせに」
藤本先生に、速攻で突っ込まれる。でもまあ、その通りなんだけど。
「うん」
「週末、向こうは休診でしょ?その日でいい?」
「はい、お願いします」
鶴の一声で、外泊の日程が決まる。
602 名前:第六章 愛から遠く離れて 投稿日:2005/07/05(火) 18:06
「紺野、いちいちうろたえない。ダメならダメってきっぱり言いなさい」
別れ際、教授から、紺野先生へのダメ出し。あーもう、何か他人事じゃないし。耳が痛いな。

紺野先生をからかうのは控えよっかな。面白かったから、ザンネンだけど。

「はい。気をつけます。それから、泊まられるところが決まったら、教えて下さいね」
後半は、私に向けられたセリフ。
「えー、邪魔しに来るんですかあ」
いけね、今の今、控えようって思ったところだったのに。

「クローゼットの中から覗き見するだけですから、ご心配なく」
お、なかなか成長してきたじゃん。でも、取材には答えないでくれたまえよ。
603 名前:第六章 愛から遠く離れて 投稿日:2005/07/05(火) 18:07
夕食を終えて、梨華ちゃんに電話をかける。
前に話したの、いつだっけ?呼び出し音が一回、二回、三回・・・。

「もしもし」
「梨華ちゃん?」
「あー、先生!久しぶりじゃん!」
弾んだ声。早く、直接聞きたい。

「だね。ゴメンね。あのね、外泊許可、もらった」
「ホント?帰ってくるの?」
「ちょっと家までは遠いから、近くでどっかに泊まりたいなって」
「いつ?」
「明後日。休診に合わせてもらったんだけど、来られる?」
「ちょっと待って」
近くにいるらしい、中澤先生に相談している気配。

「だいじょうぶ、OKだよ」
「したら、どうしよっか?」
「泊まるとこ、探すよ。希望ある?」
「ちょっともう、ベッドは飽きたねえ」
まあ家でも、ベッドに寝てたけどね。

「じゃ、畳?ホテルより旅館がいい?」
「ん、まあ、何でもいいんだけど」
一目、会えれば。少しでも、一緒にいられれば。

「どっかいいとこ予約して、迎えに行くね」
「頼むね。待ってる」

受話器を置くと、訳もなく、叫びだしたい気持ちに襲われた。
嬉しい。ただ、梨華ちゃんに会えるのが嬉しい。

それから二晩、浮き立つ心は、なかなか私を眠らせてくれなかった。
604 名前:第六章 愛から遠く離れて 投稿日:2005/07/05(火) 18:08

「あー、うちはいいなーって感じ。うちじゃないのに」
畳に大の字に寝転んで、目を閉じる。やっぱり、病院のベッドって狭いな。

梨華ちゃんが予約してくれたのは、瀟洒な温泉旅館の、広い部屋。
窓から遠くには、ずっと見たかった、海も望める。

「また色んなとこに気を使ってるんでしょ?かえって疲れてるんじゃない?」
「いや、全然。診療所の心配しなくていいから、よく寝られるし」
初々しい研修医からかうのも、けっこう楽しいし。

「でも、師長さんが、もっとワガママ言うように伝えて下さいって」
「絶対に電気消さないでって、ちゃんと言ったよ」
「だから、それだけじゃなくて、もっと我慢してることあるでしょ?」
我慢かあ。がまん、ガマン・・・。別にしてないけどなあ。

「うーん、ごはんも美味しいし。みんな優しいし・・・」
治療の意味もよくわかるから、不満も不安も、まったくないし。

「ストレスだって病気にはよくないから、心配してくれてるんだよ」
「うん。ただ、ひとつだけ、会えないことだけは、ちょっと辛かったかな」

こんなに長く離れていたのは、たぶん出会ってから二度目。
私が先に診療所へ来て、梨華ちゃんを半年待っていたとき以来のことだ。

すぐそばに座っている梨華ちゃんに、手を伸ばす。
つないだ手をそっと引いて、抱き寄せる。

そう、この感じ、これが、何より私には、よく効く薬。
ちょっと依存性が高いのが、難点といえばそうなんだけど。
605 名前:第六章 愛から遠く離れて 投稿日:2005/07/05(火) 18:09

静かな数分が流れた後に、梨華ちゃんはそっと起き上った。
何も言わずに、寝たままの私のシャツを捲り上げる。

あ、あ、ちょっと待ってその前にシャワー浴びた、って違うのか。

傷口をじっと見る。指でなぞる。そっと、唇をつける。
「キレイでしょ?」
話しかけてもきつく目を閉じたまま、私の傷に頬を寄せ、動かない。
もしかして、泣かないって、決めちゃってるのかも。

「それに、小さく切ってくれたんだって。嫁入り前だから」
ねえ、だったら、そんな顔しないで、笑ってよ。命がけで冗談言ってるのにさあ。
頬を覆う、艶やかな髪に手を伸ばし、そっと耳にかける。ねえ、梨華ちゃん。

「替わってあげたい」
かすれ声でそれだけ言うと、梨華ちゃんは再び、きつく目を閉じた。
「私でよかったよ。それはホント、神様に感謝してる」
606 名前:第六章 愛から遠く離れて 投稿日:2005/07/05(火) 18:10
他の誰でもなく、病気になったのが私で、本当によかった。
格好つけているわけじゃなく、それは、自分のための本心だった。

梨華ちゃんが、もし、私と同じ病気だったら。
私には、今の梨華ちゃんの立場は耐えられない。

私なら、何も出来ないとわかっていても、全てを投げ出してそばにいようとしただろう。
病気をふりかざして、もっといろんな人に、それこそ迷惑をかけてしまっただろう。

起き上がり、抱きしめようとして、気づいた。ダメだ、出来ない。
「お風呂、入ってきていい?二日も入ってないから」
仕方ない。だって、そういうスケジュールなんだもん。
でももう、さっきちょっと、くっついちゃったけどね。

「大浴場、行く?部屋のお風呂も、蛇口から温泉出るみたいだけど」
「部屋の方でいいや。一緒に入ろうよ」
「うん。お湯張って来るね」
「サンキュー」

普通のやりとり。普通の生活。
失いかけて初めて、足元の幸せに気づく。

大切に、しなきゃ。もっと。私を取り囲む、すべての物事を。
607 名前:第六章 愛から遠く離れて 投稿日:2005/07/05(火) 18:11
何となく、お茶を淹れる。我ながら単純だけど、いつもより心を込めて。
味見をしていると、バスルームの方から、梨華ちゃんが戻ってきた。

「10分くらいで、入れそうな感じ」
勢いよく吹き出す水音が、部屋まで聞こえてくる。
じゃあ、お茶が終わったくらいでちょうどいい時間かな。

「夕食って、ついてるの?」
「食べたいものわからなかったから、断ったよ」
「よーし、じゃあ、上がったら、ごはん食べに行こう。おごってね」
「そう言うと思って、お金持ってきたの。先生のへそくりから」
「ぐはー。あーでも、保険入っててよかった」
へそくり、なくなっちゃうとこだった。いくらあるのか、全然知らないけど。

「冗談だよ。お金のことだったら、何も心配しなくていいから」
「うん。全然心配してない。まかせっきり」
「あ、お風呂、そろそろだいじょうぶかも」
梨華ちゃんが用意してくれた着替えを持って、立ち上がる。
ひとつだけ、服を脱ぐ前に、言わなきゃいけないことがある。

「あー梨華ちゃん、あの、検査で、絶食とかよくあってさ」
「うん」
「すごい痩せちゃってるけど、びっくりしないで」
「わかった」
自分でも驚いてるくらいだから、いきなり見たら、ショックも大きいだろう。

「これから美味しいもの、いっぱい食べさせてね」
「太りすぎないでよー」
「わかってるって。気をつけるよ」
これで、泣かせなくてすんだかな。決意、固いみたいだしね。
608 名前:第六章 愛から遠く離れて 投稿日:2005/07/05(火) 18:13
のぼせるくらいゆっくり、お風呂にはいる。
なんでもない話をしながら、食事をする。
くだらないテレビを見ながら、少し、夜更かし。

他愛のない出来事が全部愛しくて、ずっと起きていたかった。

「先生、眠いんでしょ?」
「あー、うん。消灯9時っていう生活だったからね」
それに、昨日と一昨日は、今日が楽しみすぎて、よく眠れなかったし。

「もうとっくに過ぎてるね。お布団行こ?」
「えーヤダ。私が寝た後、梨華ちゃんだけお寿司とか食べるんでしょ?」
うちだけかなあ。小さい頃、夜中に起きたりすると、両親が美味しそうなもの食べてたの。

「バッカじゃないの?小学生?しかも低学年?」
「じゃ、お茶漬け?ラーメン?」
うちだけじゃ、ないんだ。ちょっと安心。
「食べません!電気消すよ?」
「あーヤダヤダ。待って待って」

大急ぎで布団にもぐりこんで、梨華ちゃんを待った。
枕元だけ残して、灯りが消える。この瞬間は、今でも少し緊張する。

「いい?一緒に寝ても。ひとりの方が楽じゃない?」
「ふたりがいい」
隣に梨華ちゃんがそっと入ってきて、私はその腕の中におさまった。

「疲れたでしょ?」
「少し。でも楽しかった。やっぱり一緒がいいな」
「もうちょっとだよ。ジェムザール1クールでしょ?」
「うん。その予定」
1クールは、約1ヶ月。あと1ヶ月ちょっとで、こんな毎日に戻れる。
609 名前:第六章 愛から遠く離れて 投稿日:2005/07/05(火) 18:14

その思いを支えに、私は無事に1ヶ月間の抗がん剤治療を乗り切った。

今日は、四回目の説明。この入院では、おそらくこれが最後だろう。
検査結果が並ぶ。手術の創にも、あらゆる数字にも、特に異常はない。

「検査結果だけから見ると、支障なく日常生活を送っていただけるとは思います」

ただ、と、言葉を探しながら、紺野先生は続けた。
「個人的には、お仕事には戻られないほうがいいとも思います」
「客観的に見れば、そうかもしれませんね」
不規則になりがちな診療所の仕事は、確かに病人向きではない。

「町でたった一人の医師という今のお立場は・・・先生の体には、負担が大きすぎます」
「医者を、やめろってことですか?」
「いいえ。医師をお続けになりたいなら、生まれた街へ帰って・・・」
「街中で開業すれば、決まった時間だけ働けますからね」
救急指定医や、休日担当医の制度があるところでなら、体に負担の少ない暮らしはできるだろう。

「はい。ぜひ、そうされることをお勧めします」
「でもね、紺野先生」
私のことを、よく考えてくれている、それは心からありがたいと思う、でも。
610 名前:第六章 愛から遠く離れて 投稿日:2005/07/05(火) 18:15

「それでは、生きていることにならないんですよ」
それなら、歌を忘れた、カナリアと同じなんだ。
「あの町が、診療所が好きだから。離れたくないんです」
「それが結局、結局・・・・・」
命を縮めることになっても、って言いたくて、言えなくて困ってるんだろう。

黙って様子を見ていた藤本先生が、立ち上がり、近づいてくる。
「よっちゃんさんがそうしたいっていうなら、そうするしかないんだよ、紺野」
「ダメならダメって言えっておっしゃったのは、教授じゃないですか」
そう、確かにそう言った。それは、私も一緒に聞いたよ。だけどね。

「患者が、送りたい人生を送るのに必要なことは、禁止したらダメなの」
「じゃあ、アルコール依存の患者には、酒を飲めって勧めるんですか!」
初めて耳にする、紺野先生の大声。静かに、藤本先生が諭す。
611 名前:第六章 愛から遠く離れて 投稿日:2005/07/05(火) 18:16

「そうだね。その人が、本当に飲みたくて飲んでるんならね」
黙ってしまった紺野先生の気持ちが、痛いほどよくわかる。

「お酒と心中したい人なんて、たぶんいないよ。わかるよね?」
うつむいてしまった紺野先生の頭をそっと撫で、藤本先生は私に向き直った。

「退院を許可します。これまでどおりの生活に戻ってかまいません」
「ありがとうございます」
その瞳に浮かんだ涙を隠すように、藤本先生が、座る私の頭を胸にかき抱く。

「その代わり、一緒に闘わせて。ずっと一緒に、闘わせて」
「よろしく、お願いします」
そう、まだまだ終わったわけじゃない。

腕にさらに力を込めて、藤本先生が、言葉を絞り出す。
「心中なんて、絶対にさせないから」

胸がつまって、うまく声が出ない。
「ありがと」

病を得てから初めて、私は泣いた。
612 名前:第六章 愛から遠く離れて 投稿日:2005/07/05(火) 18:17


本当の闘い。絶対に負けられない闘い。


それは、まだまだ、これからも続く。






                          < 第六章 「愛から遠く離れて」 了 >

613 名前:名無しOA 投稿日:2005/07/05(火) 18:17
>595 ろて様
ありがとうございます。
私が書きながら危なかったのは、実はタクシーの場面です(笑)、なんて。
まだまだ先生の闘病は続くようです。変わらぬ応援、よろしくお願いします。

>596 495様
私の方こそ、過分なお褒めの言葉をありがとうございます。
バラバラなペースですみません。実は筆が止まらなくて困ってました。
皆さんの応援があらばこそ、先生もここまで回復できました。
これからもよろしくおねがいします。

>597 そーせき様
ありがとうございます。
私も実は、心苦しさに先を急いだような。
もしかしたら私の中でも、もはや作り話ではないのかもしれませんね。
私も、微力ながら共に祈りを捧げます。これからもよろしくお願いします。

>598 くろ様
貴重な経験談、ありがとうございます。
私は手術どころか、入院も、もっと言えば通院も、ほとんど経験がありません。
それがきっと、私へのAmazing Graceなんでしょう。
今後とも、よろしくお願いします。
614 名前:名無しOA 投稿日:2005/07/05(火) 18:18
ただ希望なき人びとのためにのみ、希望はぼくらに与えられているのだ
                                 by Walter Benjamin
615 名前:名無しOA 投稿日:2005/07/05(火) 18:19
定期医者コント>>329及び、定期>>517で、今後ともよろしくお願い致します。
616 名前:オレンヂ 投稿日:2005/07/05(火) 22:54
更新お疲れ様でした。
涙なしでは読めませんでしたけどすごく感動しました。
それから>>602の最後の2行に爆笑しました(笑)
これからも先生とみんなを応援していきます。
617 名前:くろ 投稿日:2005/07/06(水) 13:16
更新お疲れ様です。
大切な人の存在は何よりの薬ですよね。
第十一話のVery Merry Christmas!を思い出しました。
これからも作者さんを信じて静かに見守りたいと思います。
618 名前:そーせき 投稿日:2005/07/07(木) 00:19
この小説は、私のような一生付き合っていかなければならない病を持つ者への
静かで暖かい応援歌です。
この作品を知ったことは、私の人生での幸運の1つです。
こちらこそ、これからもよろしくお願いします。
619 名前:ろて 投稿日:2005/07/07(木) 16:29
更新お疲れ様です。
早い更新に驚いたり喜んだりと忙しいですw
紺野先生を困らせるよっちゃんが可愛くて可愛くて。
いしよしの二人の穏やかな時間が愛しくて愛しくて。

>>602の紺野先生の台詞にニヤリ。
>>611のあたりはまたしても堪え切れませんでした。
最後の行、「得る」という表現にも唸りました。
620 名前:未来のMD 投稿日:2005/07/08(金) 01:04
更新ご苦労様です。
PPPDですか・・・。
ジェムシタビンは膵癌切除術後補助化学療法の
標準薬となりうる可能性が示唆されています。

今後の展開を注視しております。
621 名前:第七章 夕焼けが美しい 投稿日:2005/07/14(木) 00:24
帰り道は、約束どおりジョージさんに迎えを頼んだ。
昼食までお世話になることにして、あとは約束の時間まで、できるだけ挨拶に回る。

「お先にね」
「戻ってきちゃダメだよ」
「うん。負けないでね」

結局ずっと個室にいたけれど、いつの間にか患者さんにも、たくさん友達が出来ていた。
送られる側は、初めての経験。結構、複雑な気持ちだ。
重い病の人も多い。でも、諦めないでほしい。命のある限り、きっと希望はあるから。
622 名前:第七章 夕焼けが美しい 投稿日:2005/07/14(木) 00:25
やがて迎えの知らせが来て、病院の前まで、藤本先生たちが見送りに出てくれた。
退院は素直に嬉しいけれど、もちろん、少し淋しくもある。

「ありがとう。これからもよろしく」
「うん。くれぐれも無理しないようにね」
「はい。気をつけて、がんばります」
藤本先生から順番に握手をして、最後は紺野先生。

「ありがとね」
「こちらこそ。いろいろ勉強させていただきました」
「いい医者になってね」
「はい、努力します」

医師ではなくひとりの患者として、これら握手は、永の別れか、しばしの別れか。
それは、神のみぞ知るところ。そう、答えは、空の手のひらの中にある。
623 名前:第七章 夕焼けが美しい 投稿日:2005/07/14(木) 00:27
みんなが見えなくなるまで手を振ってから座りなおし、改めて、車窓を眺めた。
車は、あっという間に市街地を抜け出す。あとは海に出るまで、単調な田園風景。

山。森。田畑。川。空。雲。牧場の動物たち。
飽きるほど見ていたはずの光景が、胸に痛いほどいとおしい。

「ジョージさん、『文字を覚えて、夕焼けが美しい』って、知ってる?」
「何だそりゃ?字と夕焼けと、何の関係があるんだ?」
「どっかで、何かで読んで、今思い出したんだけどさ」

いろいろな事情で学習の機会を得られなくて、読み書きが出来なかったおばあちゃんがね。
識字学級、っていって、同じような境遇の高齢者とか、外国人なんかに字を教える教室に通ってさ。
大変な苦労の末に、ひらがなと数字、あと簡単な漢字なんかを習得するの。
それで、覚えた文字で一生懸命、知人にあてて書いた手紙がね。

数字が読めるから、スーパーや市場へ行くのも楽しくなったし。
今まで、必要な時は代筆を頼んでた名前を自分で書いてみたら、ちゃんと呼び出してもらえて嬉しかったり。
旅館に行っても、部屋番号がわかるから、迷わなくてすんだり。

「今まで『夕やけを見てもあまりうつくしいと思わなかったけれど
じをおぼえてほんとうにうつくしいと思うようになりました』って、そういう内容なの」
「うん。で、何で、そんなこと急に言い出したのさ?」
624 名前:第七章 夕焼けが美しい 投稿日:2005/07/14(木) 00:28
何でだろう。自分でもよく分からないけど。
「見慣れた景色なのにさ、病気の前より、すごくきれいに感じるから。だから、同じかなと思って」
「わかんないけど、元気になったから、きれいに見えるんだべ?よかったじゃん」
「そうだね、ありがとう。あ、遠慮しないで、歌ってよ」
「お、そういや忘れてたよ」

静かに、冬の日本海を描く歌が流れ始める。私は少し眠気を覚え、シートに深くもたれ込んだ。

そう、さっきの手紙の結び。書いたのは、70歳近い、おばあちゃん。
『これからはがんばってもっともっとべんきょうをしたいです。十年ながいきをしたいと思います』


ばあちゃん、負けないからね。長生きも勉強も、悪いけど、絶対負けないから。

目を閉じるのは、少し惜しかった。だけど、落ちてくるまぶたに、抗いきれない。
海に着く頃には、夕焼けが見られるだろう。うまく起きられるといいんだけど。

私は、流れてゆく景色に目を細め、やがて完全にそれを閉じた。
625 名前:第七章 夕焼けが美しい 投稿日:2005/07/14(木) 00:29

ぼんやりと目が覚めたときにはもう、車は町へ入っていた。
もうすぐ、海。私は再び目を閉じる。ここからならそれでも、道は分かる。

ほどなくして車が減速し、カチカチと、方向指示器の音が聞こえた。

「海だよ、先生」
「うん」

ゆっくりと、まぶたを持ち上げる。視界一面に、かつて毎日見ていた海。
むら雲を、水面を朱色に染め上げながら、海へと沈んでゆく太陽。
夕やけがうつくしい、か。私にも、格別に思えるよ、おばあちゃん。
626 名前:第七章 夕焼けが美しい 投稿日:2005/07/14(木) 00:30
懐かしい建物の前に、車が滑り込んで止まる。
ジョージさんが荷物を降ろしてくれている間に、診療所から梨華ちゃんが出てきた。
両手で抱えているのは、重そうな箱。頼んだ差し入れ、そんなにたくさん用意してくれたんだ。

箱を持つのを少し手伝って、降ろした荷物と入れ違いにトランクに入れた。

「おかえりなさい」
改めて、満面の笑顔。
「ただいま」
帰ってきたよ。もう、どこにも行きたくない。

「荷物、玄関に置いたから。おー、石川さん、今日もカワイイね」
「おかえりなさい。ジョージさんありがとう。これ皆さんで分けてね」
示した先には、昼夜問わず走らなければならないドライバーの皆さんのための、栄養ドリンク。

「えー、かえって悪いなあ。・・・ひとりじめしちゃダメ?」
「いいよ。でもジョージさんはそんな人じゃない、って、私は信じてるけどね」
627 名前:第七章 夕焼けが美しい 投稿日:2005/07/14(木) 00:31
梨華ちゃんの笑顔に砕け散ったジョージさんは、きっと独占なんて出来ないだろう。

町の人たちに、積極的に私たちの間柄を話したことはない。
だから、何と言うか、むかし、梨華ちゃんはすごくモテた。
恥ずかしいけど、まあ、私も、少しは。

そのうちみんな、何となくわかって、何となく諦めて、他の人と幸せになったけれど。
ジョージさんは、若い頃、懸命に梨華ちゃんを口説いていたうちのひとりだ。

「ホントにありがとね。社長さんにもよろしく伝えてね」
「おう。またなんかあったら、いつでも言ってくれ」
爽やかに去っていくジョージさん。カッコよくて、いつも奥さんの尻に敷かれてるようには見えない。

「ひとりじめなら、ちゃんと予約して買ってもらわないとね」
「え、何の話?」
「いや、何でもないよ、こっちの話。中澤先生は?」
「診察室で待ってるって」
季節がひとつ変わるほど久しぶりに、私は診療所へと足を踏み入れた。
628 名前:第七章 夕焼けが美しい 投稿日:2005/07/14(木) 00:32
「結局、一回も会いに行かれへんかったな。ゴメンな」
「とんでもないです。ありがとうございました」
一日の診察を終えたばかりの中澤先生と、診察室でご対面。

仕事への復帰については、中澤先生とも相談して、と、藤本先生に言われている。

「まず、診せてもらおか。上めくって」
「お願いします」

指示通りに服をめくったり、大きく息を吸ったり、また、横になったり。

内臓音や顔色、皮膚の質感、爪の厚み、反射、などなど。
仔細に渡って、長い時間をかけて、先生は私を診察してくれる。

聴診器以外は使わない。かつては、これだけが病を知る術だった。
だから、一人前の医者になるには、今よりもっと経験が必要とされた。
もちろん今、外来患者全てに同じことをしていたら、日が暮れてしまうけれど。
629 名前:第七章 夕焼けが美しい 投稿日:2005/07/14(木) 00:34
「きれいで小さい傷、さすがやねえ」
藤本教授を、もちろん知っている、と先生は言っていた。

「中身も、きれいな縫合ですよ。ビデオ見ます?」
「そんなんあんの?後で見せてもらうわ」
私は既に見たけれど、見事な手技だった。
おかげで、後遺症も合併症も少なく、こうして退院できている。

患者は、可能な限り、病院ではなく、医師を選ぶべきだ。
それなりの情報を開示するシステムも、整えなくてはならないだろう。
もちろん医師自身が、選ばれるだけの努力をすべきなのは言うまでもない。

そして、私の患者さんには、医師を選べる余地がほとんどない。
だから私は、それ以上の努力をしなければならない。

「全身状態は、思ったよりいいね」
「よく食べましたから」
「うん。それが一番の早道やな」
私も、その通りだと思う。

「ただし、貧血と痩せすぎは要改善かな。ちょっと内蔵が遊んでる感じ」
「はい。努力します」
レバ刺し五人前くらい食べるといいよ、って、藤本先生は冗談で言ってたっけ。
630 名前:第七章 夕焼けが美しい 投稿日:2005/07/14(木) 00:35
聴診器を置くと、見守っていた梨華ちゃんの方を向いて、先生は問いかけた。
「石川て。アンタとよっさん、どっちが健康と思うよ?」

突然の質問に首をかしげて悩みながら、梨華ちゃんは答える。

「たぶん、私、です」
「まあ、そうやな。そしたら、どっちが長生きすると思う?」

これは、相当な難題だ。なぜなら、明日も生きているという保証は、誰も得られない。
その一点においてのみ、人間は平等だということが出来るから。

「わかりません」
再び悩んだ後、梨華ちゃんはギブアップした。

「わからんか。吉澤は?どう思う?」
いや、もしかしたら、それが悩んだ末に出した答だったのかも。

「梨華ちゃんの答で、正解だと思います」
「そうやな。そんなこと、誰にも分かれへんわ」

膵炎とか糖尿病を継続的に観察してたら、腫瘍も早期発見可能かもしれんし。
それ以前に全く健康な人より、食べたり飲んだりにも、気をつけるやろしな。

「一病息災、ですね」
「そう。何が幸運かなんて、最後までわからへんよ」
夕やけが美しく見えるのは、きっと幸運のうちのひとつだ。
631 名前:第七章 夕焼けが美しい 投稿日:2005/07/14(木) 00:37
「いろいろ経験して、病気したことを、運が悪かったとは思わなくなりました」
「そうか。前向きな患者は、必ずいい方に向かうよ」
「ありがとうございます」

医師から希望の言葉が聞けるのは、患者にとっては嬉しいことだ。
たとえ望みは薄くとも、絶望よりはずっとずっと力になる。

「今よりアンタが三キロ太ったら、私はとりあえず帰るわ」
「三キロか・・・結構キツイっすね。病気じゃなかったら逆なのにな」
「慌てんでええで。別に、戻りたいわけじゃなし」

そのまま三人で、復帰に向かうスケジュールを大まかに決めた。
一週間ほど、仕事はしないで療養する。
様子をみて、徐々に診察を手伝う時間を増やしていく。
食欲がうまく維持できれば、目標体重になるころには、完全復帰できるだろう。

それが、中澤先生の見通し。
私にも梨華ちゃんにも、特に異論はない。

「さっそく祝杯あげるか。いや、祝膳やな、今日のところは」
「みんなから、お魚とか、いろいろ届いてるよ」
楽しみだなあ。そりゃ、病院食も、噂に聞くほど悪くはなかったけど。
だけど、やはり家での食事に勝るものはない。

「そうだ、町の人には、何て?」
「聞かれたら、膵炎や、って答えといた」
「わかりました。ありがとうございました」
何人か、遠いところを見舞ってくれた人たちもいた。
明日からでも、少しずつ挨拶に回ろう。
632 名前:第七章 夕焼けが美しい 投稿日:2005/07/14(木) 00:37
食事に大満足して、入浴もすませ、私は早々にベッドに落ち着く。
久しぶりに見る、天井の模様。やっぱり、ここが一番いい。

遅れて寝支度を終えた梨華ちゃんのために、少し場所を空ける。
梨華ちゃんはそっと私に寄り添い、髪や背中を静かに撫でてくれた。

「疲れたでしょ?」
「ううん、元気。何なら営もうか?」
事実、町や家の空気に触れたことで、私の身体は力を取り戻していた。

「ダメに決まってるでしょ。三キロ太ってから」
「くー、茨の道だなー」
「こんなに近くにいるのにね」
「いや、まあ、ホントはそれだけでいいんだけどね」
もう、入院はイヤだ。だって、二度と離れたくない。
633 名前:第七章 夕焼けが美しい 投稿日:2005/07/14(木) 00:38



生まれ変わっても、また出会いたい。一緒にいたい。
出来れば今度は、梨華ちゃんから生まれたいな。
そしたら、恋人は違う人か。それは、ちょっとイヤかも。

決して口には出せない、とりとめのない思いに紛れ、いつしか私は眠りにおちていた。






                           < 第七章 「夕焼けが美しい」 了 >
634 名前:名無しOA 投稿日:2005/07/14(木) 00:39
>616 オレンヂ様
ありがとうございます。
602あたりは古すぎるかなと思って控えめに折込みましたが、
やっぱり、よい作品は色あせないんですね。
懐かしくなって読みに行ってみたり(笑)
今後とも、応援よろしくお願いします。

>617 くろ様
ありがとうございます。
そうですね。私も何度リアルの石川さんに助けられたかわかりません。
一方通行なのがいかんともしがたいところですが(笑)
これからも、よろしくお願いします。

>618 そーせき様
ありがとうございます。
一病息災、ですよ。
願わくば、完結してからも同じことを言っていただけるように、
努力したいと思います。
今後ともよろしくお願いします。

>619 ろて様
ありがとうございます。
最初は普通に「病気になってから初めて」って書いていました。
何となく違う気がして「得て」に変えてみたんです。
この話が終わってみて、あ、変えてよかったかもと思ったんですが、
その時は、まだこの回は一行も書いていなかったのに、不思議な感じです。
穏やかに、でも確実に、闘いは続いています。
今後とも、応援よろしくお願いします。

>620 未来のMD様
ありがとうございます。
PDと相当迷ったんですが、QOLの点から、できるなら温存してあげたいなと。
食べる喜びは大きいというお話を、いくつかの闘病記で拝見したので。
術後のGEM投与で、五生率が大幅に改善している施設もあるみたいですね。
でもそれでも、たとえ他人事であっても、希望は持ちにくい数字でした。
結核が恐るるに足らぬ病となったように、よい薬が開発され、早急に承認されることを、
願って止みません。今後とも、よろしくお願いします。
635 名前:名無しOA 投稿日:2005/07/14(木) 00:42
>>623
下から3行目

思わなかったけれど
↓原文ママ
思はなかったけれど

となっています。読みやすいように変えさせていただきました。
636 名前:名無しOA 投稿日:2005/07/14(木) 00:43
たとえ、世界の終末が明日であろうとも、私は今日、林檎の種を蒔くだろう。
                          byコンスタンチン・ゲオルギー (他説あり)
637 名前:名無しOA 投稿日:2005/07/14(木) 00:44
定期>>615で、今後ともよろしくお願い致します。
638 名前:くろ 投稿日:2005/07/14(木) 19:55
更新お疲れ様です。
そして吉澤先生、おかえりなさい。
今はただ安堵の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。
作者さんの小説も小ネタも大好きです(笑)
639 名前:そーせき 投稿日:2005/07/14(木) 20:56
一病息災、私もそう思っています。
あと確かに、病を得て、幸せだと思うことが多くなりました。
罹病して良かった、とはやはり思えませんが、
日々、一杯幸福を感じられるようになったことに救われてます。
だから夕焼けのエピソードは、実感できて胸に染みました。
またちょっぴり泣かされちゃいましたけど、今回も、元気をありがとうございました。
640 名前:名無しOA 投稿日:2005/07/18(月) 18:16
同じ内容になってしまうので、すいませんがまとめさせて下さい。

>638 くろ様
>639 そーせき様

ありがとうございます。
そして、ゴメンナサイ。
これが当初より予定の流れでした。
641 名前:第八章 ALL FOR ONE&ONE FOR ALL! 投稿日:2005/07/18(月) 18:18

「なんでそんなに冷静なのよ!」

再発と転移を映し出す画像を前に、最初に取り乱したのは、藤本先生だった。
あふれる涙を拭おうともせず、私に掴みかかってくる。
そんな、全然、冷静なんかじゃないよ。だけど。

「昨日、家でも、話合ったし」
血液検査の結果を見ながら、予想しうる事態について、二人で覚悟を決めた。
正直に告白すれば、昨夜は、どちらかというと逆の立場でもあった。

私へと伸び、服を掴む手を、そっと握る。

「それに、ずっとこの日のことは、頭のどこかにあったから」
夢にも、何度も見た。うなされて起こしてもらったことも、一度や二度ではない。
642 名前:第八章 ALL FOR ONE&ONE FOR ALL! 投稿日:2005/07/18(月) 18:19
懸命に、泣き止まない藤本先生をなだめる。
いつかしてもらったのと同じように、胸にその頭を抱いて。

「例えばさ。今思うと、誤診なんてヤマほどしたと思うんだ」
機械やコンピューターでさえ、完璧なんてありえない。ましてや私は、ただの人間だ。
今まで延べ何人の患者さんが、頼りない私を頼ってくれたのだろう。何千人?いや、何万人か。

「だけど、一回も大きな問題になったりしなかった」
胸元から絶え間なく響く、藤本先生の嗚咽。

「その上、先生の手術のおかげで長い間、無事に過ごさせてもらったし」
こんなに長く、いくつもの季節を胸に刻めたのは、藤本先生がいてくれたから。

これでもう、少なくとも、再発に怯えずに生きられる。
もちろんそれは、ほんのわずかな時間かもしれないけれど。

「きっとそれで、ラッキーは使い果たしちゃったんだと思う」
おまけに梨華ちゃんにまで、出会っちゃってるしなあ。

「たぶんもう、運には頼れないけど、だけど、諦めないから」
先生たちに力になってもらわなければならないことは、まだまだたくさんある。

「だから、泣かないでよ。まだ終わってないじゃん」
つーか、これ、完全に逆でしょ、逆。

ハンカチを渡すと、ようやく藤本先生は落ち着きを取り戻した。
643 名前:第八章 ALL FOR ONE&ONE FOR ALL! 投稿日:2005/07/18(月) 18:20
黙って、じっと二人を見ていた紺野先生に、向き直る。
きっと、こんな教授を見たのは、初めてだっただろう。

「先生、いつかさ『ダメならダメってきっぱり言いなさい』って、言われてたよね」
「はい、覚えてます」

私は職業柄、普通の人より多く、命の終わりに立ち会ってきた。
だから、知ってる。寿命や余命なんて、誰にも分からないってこと。

「もし、私が医者じゃなかったら、こう聞いたと思う」
だけど、普通の患者さんは、答えを求める。

「先生、私に残された命は、どのくらいですか?って」
紺野先生はうつむいて黙ってしまった。ひざの上で握り締められる拳。
医師の余命宣告は重い。実際には、外れることの方が多いのに、だ。

「私の知る限りのケースでは・・・」

名札から、とうに研修医の文字はなくなっている。
紺野先生も、あれから、たくさんの人の最期に立ち会っただろう。
特別じゃなくていい、知らない人と同じに思ってくれていいから、答えて。

「長くて、一年・・・」
「わかりました。ありがとう」
辛い思いをさせて、申し訳なかったね。
644 名前:第八章 ALL FOR ONE&ONE FOR ALL! 投稿日:2005/07/18(月) 18:20
再び、沈黙。ねえ、紺野先生、藤本先生。

「どうしましょうか。とりあえず、放射線ですか?」
患者に、議事進行させるなってのよ。

「併用で行く」
同時に、抗がん剤治療も試みるということ。

「入院、すぐできる?」
「二ヶ月、くらいですか?」
「うん。放射線が終われば、あとは、診療所で何とかなると思う」
遠くはないけれど、近くもない。通院による消耗は出来れば避けたい。
中澤先生に診てもらえば、週一回の点滴そのものは、うちでもできる。

「一週間、いえ、三日でいいです。時間をもらえますか?」
両親に、伝えなきゃ。前回は全て終わってから、膵炎だったと嘘をついた。
今度はもう、そういうわけにはいかない。
退院を待っていたら、その頃には身体が移動に耐えられるかどうかわからない。

「いつでも入院出来るように、手配しとくから」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
645 名前:第八章 ALL FOR ONE&ONE FOR ALL! 投稿日:2005/07/18(月) 18:21


本当に全然、冷静なんかじゃなかった。その証拠に、帰り道の記憶がない。
まったく、よく無事に帰れたなと、自分でも思う。

646 名前:第八章 ALL FOR ONE&ONE FOR ALL! 投稿日:2005/07/18(月) 18:22
診察より前に、中澤先生には知らせてあった。
私が家に帰ると、予定よりずいぶん早く、そこにもう、先生の姿。

「最終便に間に合ったから、来たで」
「また、無理言っちゃって。すいません」
「ええて。病気以外のこと、なんにも考えんでええで」
今度は、何年かかるかわからない。
それでもただ、わかったって、引き受けてくれた中澤先生。
梨華ちゃんの次に愛してます。いや、次の次の次くらいでもいいですか?

「ご家族には?」
「明日、とりあえず帰って伝えます」
「時々は帰ってたんか?」
「まあ。でも、すごく久しぶりですね」
突然、中途半端な時期に、話があるから帰るね、なんて。
年頃の娘なら、会わせたい人がいるから、ってなもんだろうけど。
647 名前:第八章 ALL FOR ONE&ONE FOR ALL! 投稿日:2005/07/18(月) 18:23
「今回は助っ人も呼んだからな。石川も一緒に帰ってええで」
「え?」
「もちろん、入院もな。片時も、離れたくないねやろ?」
「そうですけど・・・」
「病院の近くに、ウィークリーマンション借りといた」
なんでそこまで・・・。やっぱり梨華ちゃんの次に好きです。

「一人じゃない方が、待ってる方も気楽やしな」
「ありがとうございます。あの、助っ人って、看護師さんですか?」
「うん。明日から、柴田が来る。ちょうど、パート探してたらしいわ」
「柴ちゃん?てか、パートって、ええ?」
「子どもも独立してるし、何ヶ月かは手伝えるって。入院の間は、それでだいじょうぶや」
「柴ちゃんまで、そんな・・・」
「まあ、細かいことは気にせんでええねん。そんなヒマないで、アンタには」

すごい速さで、周りが動き始めていた。取り残されている場合じゃない。
私も、走り出さなきゃ。明るい方へ。光の射す彼方へ。

まずは、えーと、行きの航空券の予約から。小さなことから、コツコツやらなきゃね。
648 名前:第八章 ALL FOR ONE&ONE FOR ALL! 投稿日:2005/07/18(月) 18:23
翌日は柴ちゃんを迎えてから、二人で機上の人となった。

「ちょっと避暑に行けへん?」
柴ちゃんは最初、そんなふうに誘われたという。
子どもが独立したのを機に、仕事を辞めた。やっぱり暇で、パート勤めを探していた。
ここまでは、どうやら本当らしい。

「まさかこんな遠くで見つかるとは、思ってなかったけどね」
笑いながら話していたけれど、詳しく聞いて断れなくなっちゃったんだろう。
柴ちゃん、変わってなかった。少し歳をとったのは、それは、お互い様ってやつ。
649 名前:第八章 ALL FOR ONE&ONE FOR ALL! 投稿日:2005/07/18(月) 18:24
「私やっぱり、先生の家まで送っていくよ」
「いいよ、家族で話する時間、なくなっちゃうじゃん」
「だって、心配だもん」
「だいじょうぶだって。子ども扱いしないでよ」

今夜は、別々に、それぞれの家で過ごす。
一緒に泊まってもよかったのだけれど、明日、待ち合わせがしたかった。
梨華ちゃんを、どこかで待ったり待たせたりなんて機会、めったにないし。

まずは、梨華ちゃんの家まで、挨拶に行く。
ご両親にも妹さんにも、まだ何も話していない。

本人の前で聞かされても、たぶん困るだろう。
だから、私が自分の家に帰ってから、話してもらうことに決めている。
650 名前:第八章 ALL FOR ONE&ONE FOR ALL! 投稿日:2005/07/18(月) 18:25
手作りのケーキ。おいしい紅茶。
梨華ちゃんの小さい頃の、ビデオやアルバムを見せてもらう。
名残惜しいし、残念だけど、そろそろ、行かなきゃ。

「お邪魔しました」
「また、いらしてくださいね」
「はい、必ず」

必ず、また来ます。だって、ビデオ、あれで全部じゃないでしょ?
もっと見たかったなあ。ぽちゃっとして、可愛くて。年中日焼けしててさ。

「先生が白すぎるの」
「そういうことにしておいてもいいけどね」

梨華ちゃんに駅まで車で送ってもらって、私は一人で、生家に向かった。
651 名前:第八章 ALL FOR ONE&ONE FOR ALL! 投稿日:2005/07/18(月) 18:25
揺れる電車の中で、伝えなければならないことを整理する。

今日明日で、病状が変わるものではないこと。
だけど、一年後のことは、誰にも分からないこと。
岬の町を離れるつもりは、ないこと。

それから、出来るだけ何度でも、遊びに来てほしいこと。
652 名前:第八章 ALL FOR ONE&ONE FOR ALL! 投稿日:2005/07/18(月) 18:26

改まって両親を前にしても、落ち着いて話せた。
そんな私に混乱を見せずに、二人ともきちんと聞いてくれた。

「これ、飛行機の回数券。なくなったら言ってね」
「ありがとう」
「もう一人、先生がいてくれるから。だから今度は、ちゃんと案内できるから」
「楽しみにしてるわ」
653 名前:第八章 ALL FOR ONE&ONE FOR ALL! 投稿日:2005/07/18(月) 18:26

その夜、母は、私がいくら嫌がっても一歩も譲らなかった。
こんな歳になって、母親と一つの布団で寝るなんて。

やめてよね、母さん。恥ずかしすぎて、泣いてしまいそうだよ。

654 名前:第八章 ALL FOR ONE&ONE FOR ALL! 投稿日:2005/07/18(月) 18:27

           *

655 名前:第八章 ALL FOR ONE&ONE FOR ALL! 投稿日:2005/07/18(月) 18:28
行き交う人波をぼんやり見ながら、私は先生を待っていた。
大きな乗換駅の、いくつかある目印のうちのひとつ。
約束の時間の少し前、私を見つけた先生が、急ぎ足で近づいてくる。

「お待たせ。って、何か新鮮だね」
待ち合わせなんて、懐かしいくらい昔にしたっきり。
何年も、遠くへ出かけることも少なく、あの町で一緒に過ごしてきた。

「せっかくだからさ、もう一泊、して行こうよ」
「え?いいの?」
「うん。もう診療所には連絡した」
「どこに泊まるの?」
「そこ」
先生が指さした先は、すぐ目の前にそびえ立つホテル。

「上のほうの階、予約したんだ。町じゃ絶対見られない景色だよ」
「私、何も用意してないよ」
「中にたくさん店あるって。外にも。買い物もしようよ、ね」

私の手を引いて、大またで歩いていく先生の後について、回転扉をくぐる。

先生がフロントで受け取った鍵には、本当に上のほうの部屋番号が書かれている。

「たまには、いいでしょ、こういう贅沢も」
「うん。何か楽しくなってきた」

今は少しだけ、先のことを考えるのは休憩しよう。
656 名前:第八章 ALL FOR ONE&ONE FOR ALL! 投稿日:2005/07/18(月) 18:29

「どうぞ」
先生がドアを開け、私を先に入らせてくれる。
寝室が別にあるような、広い部屋。こんなところに泊まるのって、初めて。
浮き立つ心を伝えたくて、振り返ろうとした。

大きな窓から差し込む、夏の強い陽射し。
太陽に目がくらみ、視界がゆがむ。部屋が、大きく回転する。

「梨華ちゃん!」
駆け寄る先生の気配。私はその場に、膝から崩れ落ちた。
657 名前:第八章 ALL FOR ONE&ONE FOR ALL! 投稿日:2005/07/18(月) 18:29

先生の声が聞こえてから、どれくらい時間が経ったのだろう。

「気がついた?」
床に横たわる自分と、心配そうに覗き込む先生。

「抱えて運ぼうとしたけど、ちょっと無理だった。ゴメン」
脈を取られている手首。先生のカバンで、少し高くなっている足元。
少しずつ、状況を把握する。私、倒れちゃったんだ。

「ベッドまで動ける?もう少し横になってた方がいいよ」
支えられて、ベッドに移動する。これじゃ、どっちが病人だかわからない。

「ここんとこ寝てないからでしょ。ゴメンね」
「違うよ、暑かったから。向こうの天気に慣れちゃってるんだね」
「レストランも予約しちゃったんだけど、断ろっか?」
「だいじょうぶ。行きたい」
「わかった。まだ時間あるから、それまで休もうね」
658 名前:第八章 ALL FOR ONE&ONE FOR ALL! 投稿日:2005/07/18(月) 18:30
私は黙って頷いて、目を閉じた。自分が情なくて、涙が出そう。

「梨華ちゃん」
何も言わないで。お願い。

「泣き顔も好きだから、たまには見たいな」
ダメ。お願いだから。

両腕をクロスさせて、顔をかばう。
身体ごと、顔を背ける。

「一緒に休んでいい?」
振り返らずに、頷いた。

先生は、背中から私を抱きしめて、あとはもう時間まで、何も言わなかった。
659 名前:第八章 ALL FOR ONE&ONE FOR ALL! 投稿日:2005/07/18(月) 18:31

夜景を見ながら、向かい合って食事をする。

「きれいだね」
「うん。でも梨華ちゃんの方がきれい」
「酔ってるの?」
「うん。梨華ちゃんに」
「もういいよ。やめて」

おばあちゃんになってヒマになったら、一緒に、また来ようね。
絶対だよ。だって、そのために、一生懸命へそくりしてるんだから。

660 名前:第八章 ALL FOR ONE&ONE FOR ALL! 投稿日:2005/07/18(月) 18:31

          *

661 名前:第八章 ALL FOR ONE&ONE FOR ALL! 投稿日:2005/07/18(月) 18:32

「ただいまー」
家に帰り着くと、玄関に見慣れない靴がいくつか。お客さんかな。

「おかえり」
「うわ、びっくりさせないでよ」
藤本先生に、紺野先生も。わざわざ来てくれたんだ。

「一度来たいと思ってたから。治療の前に、と思って」
「いいとこでしょ?」
「うん。それに、設備も立派だね」
「思ってたよりは、でしょ?」
「そんなことないけど。ここなら、充分対応できるね」
苦笑いでごまかされた。今までも、見学に来た医師は、たいてい同じ反応だった。
最初は、ホントに何もなかったよ。器具も機器も、少しずつ、増やしたんだよ。

「あれ、中澤先生は?」
診療所には、もう誰もいなかった。そういえば、柴ちゃんも見当たらない。
「頼んだ夕食、取りに行ってくるって」
「そっか。魚、食べてってね。お肉じゃなくて申し訳ないけど」
「最近は、魚だってよく食べてるよ」

玄関先に車が止まる音がして、荷物を抱えた二人が、家に帰ってきた。
662 名前:第八章 ALL FOR ONE&ONE FOR ALL! 投稿日:2005/07/18(月) 18:33
食事の前に、これからの、それぞれの役割について打ち合わせる。

入院中の治療。退院してからの治療。
今後、使う予定の薬について。普段の生活について。

素人はいないから、みんなわかっている。
わかってしまっている。この病との、闘いの厳しさについて。
663 名前:第八章 ALL FOR ONE&ONE FOR ALL! 投稿日:2005/07/18(月) 18:34
「今の状況は、そやな。例えて言うたら、ラグビーのスクラム、あんな感じかな」

ゴールラインから5メートル。私らは全員で肩組んで、相手と押し合ってる。

「前進せんでもええ。持ちこたえるだけで、うんと長生きできる可能性は十分ある」

そやけど、相手チームは、全員牛みたいなフォワード。
こんなん釈迦に説法やろうけど、口で言うほど、簡単なことじゃない。

ホンマのラグビーやったら、もし押し込まれても、相手チームに点が入るだけ。
体格が小さくても、走って取り返せたら、勝てるチャンスはまだ残ってる。

でも、吉澤の場合は、違う。

「ライン割ったら、その時点で試合終了、やね」
改めて告げられると、胸に刺さる。でも、まだラインまで5メートルも残っている。
664 名前:第八章 ALL FOR ONE&ONE FOR ALL! 投稿日:2005/07/18(月) 18:36
「ラグビーボールは楕円や。だから、どう転がるかは、誰にもわからへん」
この話、どこかで、聞いたことがあるような。

「だから最後まであきらめるなって、ドラマで暑苦しい教師が言うてたやろ」
やっぱり、そうだ。ラグビーで不良が立ち直る、あの話。

「あの病気の子、グリムやったっけ?」
「イソップです。それと、たとえが古すぎます」
梨華ちゃんが、冷静に対応する。テレビっ子だったから、昔のことでも知ってるんだろう。
表情からして、紺野先生は取り残されている。私だって、微妙なくらいだしねえ。

「なんでえや、映画はわりと最近やん、見てないけど」
「映画にイソップは出てきません」
「え、そうなん!・・・って、石川のせいで話、それたがな」
「ちょ、え、私ですか?」
「とにかく!」
665 名前:第八章 ALL FOR ONE&ONE FOR ALL! 投稿日:2005/07/18(月) 18:37

正直、圧倒的にこっちが不利や。それは、吉澤もわかってると思う。

「そやけど、負けるわけにはいかへんで」

厳しい闘い。でも、絶対に負けられない。
666 名前:第八章 ALL FOR ONE&ONE FOR ALL! 投稿日:2005/07/18(月) 18:38


ALL FOR ONE、ONE FOR ALL。

確か、ラグビーでよく使われる言葉じゃなかったか。


みんなによって、私は生かされている。

みんなのために、私には、何が出来るのだろう。



              < 第八章 「ALL FOR ONE & ONE FOR ALL!」 了 >
667 名前:名無しOA 投稿日:2005/07/18(月) 18:38
病むものは汝一人ならざるを知れ     内村鑑三
668 名前:名無しOA 投稿日:2005/07/18(月) 18:39
絶望するなかれ。たとえ絶望したとしても、絶望のうちに働き続けよ
                             by  Edmund Burke
669 名前:名無しOA 投稿日:2005/07/18(月) 18:40
残り4章を2回に分けて、近日中に更新したいと思っています。
レスしていただき辛い状況だと思いますので、完結まで放置して下さい。
わがままを申しますが、どうかよろしくお願いします。
670 名前:第九章 追憶 投稿日:2005/07/19(火) 18:45


「まるで、寝てるみたい」
朝だよ、先生、起きて。

いつもみたいに、おはよ、って言って。

671 名前:第九章 追憶 投稿日:2005/07/19(火) 18:46

   *
672 名前:第九章 追憶 投稿日:2005/07/19(火) 18:47


───あれから。最初の入院から、もう、何年になる?

「先生!中澤先生!ちょっと見て下さい!早く!」
「朝から何やねん?どしたん?」
「ほらほら、三キロ、増えましたよ、ね?」
無邪気で、心から嬉しそうやったっけ。

「うん。でも、誰が最大瞬間値や言うた?正味の体重に決まってるやろ?」
極端な話、水一リットル飲んですぐ計ったら、体重は一キロ多くなる。

「えー、三キロは三キロでしょー」
一生懸命踏みつけて、大きい数字出そうとしてたっけ。
「アホか。体重計の上で暴れるな、壊れるわ。はよ、朝ごはん、食べるで」
毎日、何でも、残さんと食べてたな。けっこうしんどかったやろに。
そやから、予想より早く、完全に復帰出来たもんな。

それが、アンタの望み通りやったんは間違いない。
そやけど、結局よかったんか悪かったんか、私には難しくてわからへん。

今日まで、長かったか?それともあっという間やった?
辛かったやろ?それでも、せめてひとつでも、楽しいことの方が多かったか?

吉澤、ホンマに、ようがんばったなあ。
もう、ええで。もう、ゆっくり休んでもええねんで。

673 名前:第九章 追憶 投稿日:2005/07/19(火) 18:47

     *

674 名前:第九章 追憶 投稿日:2005/07/19(火) 18:48


「最初の早さだと、どうなることかと思ったけど」
のんきに、他人事みたいに。

ジェムザール、5−FU、イリノテカン、シスプラチン。
ロイコボリン、TS-1、オキサリプラチン───。

適応外処方や治験、健康保険の限界まで、使える手は、全部使った。
タイミングも、組み合わせも量も、出来る工夫は全部やった。

なのにどれもこれも、大して効かない。
劇的に効く人だってたくさんいるのに。何でなのよ。

「進行、遅くなってる気はしますね」
「でも、止まってない。小さくもなってない」
「そんな、悲観しないでよ。少しは効いてるんだし」
優しい顔して、私のこと励まさないでよ。
お願いだから、もっと患者らしくして。

「このお腹の中、そんなに居心地いいのかなあ」
「ねえ、ひょっとしてバカ?」
「よく言われるんすよ、これが」

医者だろ、だったら、治してくれよ、って、もっと辛く当たってよ。
675 名前:第九章 追憶 投稿日:2005/07/19(火) 18:49
プリンペラン、ステロイド、アセナリン。
六君子湯、ヒスロンH───。

せめて副作用だけでも、止めてあげたかった。

「おかげで、ちゃんと食欲もあるしさ。毎日、楽しく過ごせてるし」
でももう、抗がん剤を続けるには、肝機能が限界に近い。

「一旦、休薬しようか。肝臓弱ってるから」
「じゃあ、強力ネオミノファーゲンC、やりましょうよ」
「経口薬じゃ、追いつかないのかな・・・」
飲み薬はすでに出している。もうこれ以上、この白い肌に針を刺したくない。

「つーかさ、強力だよ、ネオだよ。効きそうじゃん?」
「・・・わかったよ。やろう、強ミノ」

これだけの気力があれば、きっとまだ押し戻せる。いや、一緒に押し戻す。
私たちは、ゴールラインを割ってない。だから試合は、まだ終わってない。
676 名前:第九章 追憶 投稿日:2005/07/19(火) 18:49

「それから、アバスチン、取り寄せるから」
「待って、ダメだよ、日本じゃ試験もまだでしょ?立場考えてよ」
立場って何よ。友達ひとり手伝えなくて、何が教授なのよ。

「個人輸入する。余計な心配しなくていい」
「心配するよ。今までだって相当無理してるでしょ?」
「約束したじゃん。一緒に闘わせてって」
こんなときだけ、弱気にならないでよね。

「じゃあ、私が自分で輸入するから。お願い」
「それはダメ。何かあったら、ここにいられなくなるかもよ。復帰するんでしょ?」
「でも・・・」
「だいじょうぶ。大学は関係ない」
クビになっても、この腕があればどうにかなる。後悔するより、その方がずっといい。
677 名前:第九章 追憶 投稿日:2005/07/19(火) 18:50


担当者に逃げられるくらい、何度も電話して手続きを急かした。

でも、間に合わなかった。

よっちゃんのバカ。これ、いくらするか知ってるでしょ?
無駄にしていいと思ってんの?ねえ、答えてよ。

聞いてんの?ちゃんと起きて、答えてよ。
起きなさいよ!起きてよ!起きろっつってんだろ!


678 名前:第九章 追憶 投稿日:2005/07/19(火) 18:51

   *
679 名前:第九章 追憶 投稿日:2005/07/19(火) 18:51


二度目の退院、した日だったね。

「電気消すよ、いい?」
「あー待って」
「どしたの?」
「ずっと気になってたの。胸、診せて」

月に一度の経過観察を、ずっと続けてくれていた。
前回の入院のときは、中澤先生が診てくれて、恥ずかしかったっけ。
今回、それが途切れていたことを、私は初めて思い出した。
680 名前:第九章 追憶 投稿日:2005/07/19(火) 18:52
丁寧な触診。この手に、私は全部を預けてきた。

「よし、オッケー。だいぶ、小さくなってるね」
「歳だもん」
「それは、否定できないけど」
笑いながら、先生は私のパジャマのボタンを留める。

「年一回の健診、忘れないで受けてね」
「・・・いなくなるような言い方しないで」
泣かないために、私は先生の両頬を軽くつかんで引っぱった。

「イテテ、ゴメンゴメン、そうゆうつもりじゃないよー」
「じゃ、どういうつもり?」
手を離し、軽く問い詰める。

「どういうつもりってか、梨華ちゃん置いて、どこにも行くつもりない」
「本当?」
「うん。約束する」

結んだ小指を、離す。固く抱きあい、ベッドにもつれ込む。
いつもと同じ、優しい手。いつもと同じ、柔らかい唇。私の、全て。
681 名前:第九章 追憶 投稿日:2005/07/19(火) 18:52


先生は、約束、破ったことなんてないもん。
だから、あの夜が、最後の営みじゃないでしょ?
もう一度、私を抱きしめてくれるでしょ?


ねえ、先生。先生ってば。

682 名前:第九章 追憶 投稿日:2005/07/19(火) 18:53

    *
683 名前:第九章 追憶 投稿日:2005/07/19(火) 18:53


「先生、オプソ、処方してもらえませんか?」
「痛むんか?」
「背中の方が、少し。お願いします」
「わかった。MSコンチンも出しとく。噛みなや」
「ひっでーなー。わかってますよ。プルゼニドもお願いしますね」
「うっさい、わかっとるわ」

あのときが、初めてやったなあ。痛いって言うたん。
最後ぐらい、我慢せんでもええのに。

痛み、取ったるぐらいしか、私には出来ることないのに。
もっと早く言うてくれな、私が立つ瀬ないやんか。

まだ、あれから何日も経ってないやん。
もっと何かさせてよ。もっと私に出来ること、言うてよ、吉澤。

684 名前:第九章 追憶 投稿日:2005/07/19(火) 18:54

   *
685 名前:第九章 追憶 投稿日:2005/07/19(火) 18:55


昏睡状態だった先生が、信じられない力で私の手を握った。
はっとして先生を見た私の頬へと、その手がゆっくり移動する。

「先生・・・」
細くなってしまった親指が、私の目からあふれる涙を拭う。

微かに、動く唇。耳を近づける。愛しい声。

「やっぱり、泣き顔も、かわいいよ」

そっと、細い肩に腕を回す。頬を寄せ、抱きしめる。

「置いてかないって言ったじゃない」
ゆっくりゆっくり、私の髪を撫でる手のひら。

「約束、した。ちゃんと、守るよ」
もう一度、手を握る。強く強く、握り返してくれる。
大きな瞳は、しっかり私を見つめてる。
686 名前:第九章 追憶 投稿日:2005/07/19(火) 18:56

「ありがと、梨華ちゃん」

振り絞られるその声に、答える言葉が見つからない。

「愛してる」
「私もだよ。先生!」

虚ろになる目。弱まる呼吸。握られたまま、力を失う手。
私の返事は、ちゃんと届いているだろうか。

「耳は、最期まで聞こえてる。まだ試合は終わってないで」

吉澤!という大声に、少し指先が反応した。
まだ、闘ってる。先生は、まだ諦めていない。

「先生!」

世界の中心で、ではないけれど。
私は、愛を叫んだ。声を限りに叫んだ。

返事、してよ。ちゃんと、手、握り返してよ。先生ってば。
687 名前:第九章 追憶 投稿日:2005/07/19(火) 18:56


先生、私、あの時の約束、ずっと忘れないよ。
今度会ったら、ハリセンボン、ちゃんと飲んでもらうからね。

688 名前:第九章 追憶 投稿日:2005/07/19(火) 18:57




数時間後、嘘つきの先生は、私を置いて遠くへ行ってしまった。





                        < 第九章 「追憶」 了 >
689 名前:名無しOA 投稿日:2005/07/19(火) 18:58
君が長生きするかどうかは、運命にかかっている。
だが、充実して生きるかどうかは、君の魂にかかっている
                      by Lucius Annaeus Seneca
690 名前:名無しOA 投稿日:2005/07/19(火) 18:58
天使とは美しい花をまき散らす者ではなく、苦悩する人のために戦う者です。
                  by Florence Nightingale(フローレンス・ナイチンゲール)
691 名前:名無しOA 投稿日:2005/07/19(火) 18:59
次回が、最後の更新になります。

重ねて申し上げます。信じて下さい。
692 名前:第十章 幸せのあしあと 投稿日:2005/07/21(木) 00:33
考えたり、落ち込んだりする余裕もないほど、慌しく葬儀は終わった。
町中の人が、先生とのお別れに駆けつけてくれた。

かわるがわるにかけられる、さまざまに、心のこもった言葉。
先生は、微笑んだ表情のまま聞いていた。

私を励ましてくれる声も、とても多かったという。
けれど残念なことに、一連の見送りについて、私はほとんど記憶していない。
ただただ、今にも目を覚ましそうな先生の横顔を、じっと見つめていたから。
693 名前:第十章 幸せのあしあと 投稿日:2005/07/21(木) 00:34

「柴田、明日帰るって。どうや、アンタ、だいじょうぶか?」
柴ちゃん、予定より、ずいぶん長くいてくれた。私が、こんなだからかな。
中澤先生は、適任者が見つかるまで、何年でも残ってくれるという。

「はい。だいしょうぶです」
「一人でも何とかなるから、もうちょっと休んでもええねんで」
「いいえ。仕事、させて下さい」

淡々と、日々の業務をこなす。
ただ、ミスをしないようにだけ気をつけて。
先生がいた頃と、同じようにがんばらなきゃ。
でないと先生に、合わせる顔がなくなっちゃう。

心がけとは裏腹に、その頃の私の顔は、ヌケガラか、能面のようであったと思う。
694 名前:第十章 幸せのあしあと 投稿日:2005/07/21(木) 00:35

小さくなってしまった先生と過ごす日々は、長いようで短かった。

「お骨、どうすんの?」
「ご両親と一緒に。今日、帰られるそうです」
「そう」

ご両親は、私を心配し、励ましながら、先生が育った町へ帰って行かれた。
お父さんやお母さんの方が、よっぽどお辛いだろうに。なんだか、申し訳ない。
695 名前:第十章 幸せのあしあと 投稿日:2005/07/21(木) 00:36

「どこ行っちゃったのよ。バカ」

現実にそうなるまで、お骨がなくなっても、あまり変わらないだろうと思っていた。
先生がいなくなった事実にくらべたら、たいしたことないだろうって。

振り向いた先に、いつもいた先生がいない。
もう、優しい声で呼びかけてくれることもない。

それに比べれば、大きな変化じゃないだろうって。
でも違った。空洞だと思っていた心に、さらに大きな穴が開いた気がした。
696 名前:第十章 幸せのあしあと 投稿日:2005/07/21(木) 00:36

ぼんやりと、数日を暮らす。
夜が来て朝が来て仕事して、また夜が来る。先生のいない日々の繰り返し。

先生が使っていた枕。
それから、少し分けてもらった遺灰だけが、私のよすが。

淋しいよ。先生、とっても淋しいの。
涙はとっくに枯れて、私は夜毎、先生の香りを残す枕を抱きしめる。
697 名前:第十章 幸せのあしあと 投稿日:2005/07/21(木) 00:37

そんな虚ろな夜の中。

突然、寝室の扉が乱暴にノックされた。
私の名前を連呼する、中澤先生の声が聞こえる。
扉を開けると、ラジオを片手にした先生に、手を引っぱられる。

「ちょっとおいで、早く」
「急患ですか?」
「違う、吉澤のお母さんや、早く!」

窓際に連れて行かれる。ラジオが聞こえやすい場所。
それでも風のせいか、受信状態はあまりよくない。

「しっかりせんかい、二階やったら聞こえたやんか」
呟きながら先生は、アンテナをあちこちに向け、ボリュームをあげた。
まさに波のようにうねりながら、メールを読むDJの声が届く。
698 名前:第十章 幸せのあしあと 投稿日:2005/07/21(木) 00:38

・・・・遠い岬の町に・・・・心配でたまりませんでした・・・
難しい病気と・・・・・娘は最期まで・・・・・よくがんばり・・・

・・・・長い間・・・・・・・共に闘い・・・・・娘を支えてくれた・・・・・
ちょっぴり悔しい・・・娘の最愛の人は・・・・家族よりも・・・
そんな・・・さんに元気になって・・・リクエストする曲は・・・・・・


先生が、ラジオを高く掲げると、ようやく電波が安定した。

「・・・・沖縄の方言で、『涙ぽろぽろ』という意味です、どうぞ」
699 名前:第十章 幸せのあしあと 投稿日:2005/07/21(木) 00:38

三線に乗って聞こえる、透き通る歌声。
曲名の通り、悔しいくらいにとめどなく、枯れたと思っていた涙があふれてくる。

会いたくて会いたくて、後から後から涙があふれてくる。
700 名前:第十章 幸せのあしあと 投稿日:2005/07/21(木) 00:39

先生のお母さんが贈ってくれた歌を聴きながら、私は、黙って泣いた。

私が泣き止むまで、中澤先生はずっと隣にいてくれた。
701 名前:第十章 幸せのあしあと 投稿日:2005/07/21(木) 00:40

翌朝の空の青さを、私は一生忘れないだろう。
この空のどこかから、先生は私を、きっと見てくれている。
夕暮れには、いつか会える、そう信じながら、心いっぱい先生を探そう。

702 名前:第十章 幸せのあしあと 投稿日:2005/07/21(木) 00:40

今度こそ本当に、今まで通りの診察を終えたあと、中澤先生に夕食の準備をお願いした。

「ええよ。どっか出かけんの?」
「はい。ちょっと岬まで。すぐ戻ります」
「わかった。気いつけてな」
703 名前:第十章 幸せのあしあと 投稿日:2005/07/21(木) 00:41

遺灰を忍ばせた小袋をポケットに、私はひとり、岬の先へたどり着く。
静かに、袋を開ける。微かに舞う、その名の通りに灰色の、先生のかけら。

少し、指先でつまむ。迷わず、口に含む。

「苦いけど、おいしい」
我ながら、変な感想。

袋に手をいれて、ひとつかみにする。
袋から手を出して、風の中で拳を開く。

さらさらと、先生が海へ運ばれていく。
私もいつか、先生と、この海の中でひとつになりたい。
704 名前:第十章 幸せのあしあと 投稿日:2005/07/21(木) 00:42

帰り道、中澤先生に会った。
散歩、なんて言ってるけれど、心配して探しに来てくれたのかも。
「おーい、ごはん出来てるでー」
遠くから呼びかけられるさまは、小学生のようで気恥ずかしい。

早足で隣へ急ぎ、並んで家路をたどった。

「先生は、バカです。神様にまで好かれちゃって」
「ほんまに、困った気まぐれさんやからなあ、神様は」
「ええヤツほど、そばに置きたがる、でしたっけ?」
先生、私、ちょっとは元気になりました。もう、安心して下さい。

「そうや。おかげでアタシはまだまだ生きられそうやわ」
ガッツポーズをする中澤先生は、きっと百歳までも元気だろう。
705 名前:第十章 幸せのあしあと 投稿日:2005/07/21(木) 00:43

「ちゃんと会えたかなあ?あの子と。先生、覚えてますか?」
「ああ、博物館くんか。覚えてるよ。忘れられへんわ」

彼が読みかけだった本は、棺にいれて、先生に預けた。
記憶が薄い中で、それだけが私の果たした役目。
彼は、いくつになったのだろう。あ、数えてみたらもう、いいおじさんじゃんよー。
706 名前:第十章 幸せのあしあと 投稿日:2005/07/21(木) 00:45

自然に、頬がほころぶのがわかる。

「石川」
まだ少し心配そうな中澤先生に、笑顔を向けた。無理はしていない。
「はい」
先生が、歩みを止める。私も立ち止まる。

「大丈夫か?」
「大丈夫です」
「そうか、よかった」
二人揃って、再び歩き始める。
707 名前:第十章 幸せのあしあと 投稿日:2005/07/21(木) 00:45

「先生、私ね、思うんです」
「ん?」
「上原より、松坂より、村田兆治の方が、きっとすごいって」
「ちょっと、ホンマに大丈夫か?」
「大丈夫です。私、長生きします」
708 名前:第十章 幸せのあしあと 投稿日:2005/07/21(木) 00:46


残された私には、生き抜く義務がある。だから私は、生きていく。
太く長く、生きていく。笑いながら、生きていく。先生の分まで。生きて生きて、生き抜いてやる。


ここから先生のところまで、一歩一歩、幸せのあしあと、つけながら歩いて行くから。

だから、もう少し、そっちで待っててね。





                      < 第十章 「幸せのあしあと」 了 >
709 名前:第十一章 天国の診療所 投稿日:2005/07/21(木) 00:49
赴任を来週に控えて、僕は、部屋の片付けに勤しんでいた。
生まれてから今までの全部を整理して、家を出よう。

だってもう、僕はここへは帰ってこない。
風の岬に、骨を埋めるつもりでいるから。

捨てていいもの。取っておくもの。持って行くもの。
押入れの奥の隅々まで、自分に関わるものを全て引っ張り出して仕分けてゆく。

何年も、もしかしたら何十年も開けられることのなかったダンボールの数々。

「こんなものまでとってあったのか」
下手で粗末な工作や、夏休みの宿題、落書きの類まで残っている。
母のためにと一応、申し訳程度に写真で記録しながら、僕は作業を続けた。
710 名前:第十一章 天国の診療所 投稿日:2005/07/21(木) 00:49
「よいしょっと」
新しく開けた箱の中、ふと、見覚えのない一冊の本に心が留まる。
こんな本、僕、持ってたっけ?覚えていてもおかしくないのに。

「マサオのかな?」
長時間作業したせいで痛む腰を押さえながら、僕は立ち上がった。
別の部屋で、必要な物を梱包してくれている母に、尋ねてみようと思いながら。

「母さん、この本、何?」
「覚えてないの?一時期、あんなに毎晩見てたのに」
「全然覚えてない」
驚きと呆れをないまぜにしたような顔で、母は僕を見ていた。

「てっきりその本があったから、医者になるって言い出したのかと思ってたよ」
「母さんが買ってくれたの?」
「何言ってんの、吉澤先生よ。あんた、ホントに覚えてないのね」
吉澤先生?吉澤先生って、あの?
711 名前:第十一章 天国の診療所 投稿日:2005/07/21(木) 00:50
「え・・・いつ?」
「3歳ぐらいのときだったと思うけどねえ」

そうか、そうだったのか。
僕の道程は、そんなに早くから、始まってたのか。

18歳のとき。今の僕が僕であるための、大事な歌を教えてくれた先生。
あのとき、この本のこと、覚えてくれていたんだろうか?


ボロボロに擦り切れた『からだのふしぎ』という絵本。
『風に立つライオン』という歌が収録されたCD。

吉澤先生からの大きな贈り物を、僕はそっと手荷物のカバンに入れた。
712 名前:第十一章 天国の診療所 投稿日:2005/07/21(木) 00:51

「こんにちはー」
赴任第一声が、こんな間の抜けた挨拶でいいのだろうか。
玄関で戸惑う僕を認めた石川さんが、駆け寄ってくれる。

「お待ちしておりました、センセ」
「あ、よろしくお願いします」
「お昼ごはん、食べた?」
「いや、まだです」
「じゃあ、準備してあるから、早く食べて」

わけもわからず急かされて、食卓につく。
ごはんと味噌汁が、魔法のように目の前に並ぶ。
「・・・いただきます」
「食べ終わったら、着替えて、診療所に来てね」
「あ、あの・・・」
「どうしたの?」
「今までいらした先生は?」
確か、吉澤先生を看取ってくれた先生が、ずっと残って下さってたはずだ。

「中澤先生?午前中診て、帰っちゃったの。もうトシだから、早く家に着きたいって」
「あ・・・そうなんですか」
会えると思ってたのに、残念だな。
「もう、午後の患者さん来るころだから、先に行ってるね」

ちょっと拍子抜けしちゃったけど。
今日から早速、診察できるのか。よーし、張り切っていこう。
713 名前:第十一章 天国の診療所 投稿日:2005/07/21(木) 00:52

さて。早速一人目の患者さんは、上腹部の不快感が主訴。
「気持ち悪いのは、このあたりですか?背中の方も?」
触れてみると、押さえた時に痛む、圧痛があるようだ。
少し黄色がかった白目も、気になる。

「軽くですが、黄疸が出てますねえ」
「どこを横切るんですか?」
は?え?ヨコギル?
ポカンとして固まった僕の後ろから、石川さんの声。

「その横断じゃありません。皮膚とか白目が、黄色くなってるんです」
ああ、そういうことかあ。漫才も勉強しなきゃいけないのか。

気を取り直して、診察を続ける。
「この辺に、ちょっと石があるのかもしれないですね」
「石?そんなの食べてないです」
「石といっても、体の中で勝手に出来ちゃうんですよ。ちょっとお腹の中、見ましょうか」
「え!」
「だいじょうぶ、外から超音波を当てるだけですからね」
「痛いんでしょう?」
「まったく痛くないですよ」
「身体の中を見るのに?」
「だから、えーっと・・・」
714 名前:第十一章 天国の診療所 投稿日:2005/07/21(木) 00:53
再び、石川さんの声。
「超能力でね、透視するみたいなものですよ」
なるほど、って、僕が感心してどうするよ。
「袋の中身を当てるのに、袋を破ったりしないでしょ?」
うまいこと言うなあ、ってまた感心しちゃった。

「それと同じで、お腹を切って見るわけじゃないから、安心して」
「そんなら、痛くないわな」
患者さんも、すんなり納得してくれた。

僕にだって、多くはないけれど、臨床経験はある。
なのに、何だか、都会の病院とは、どうも勝手が違う感じだ。
戸惑いながら、患者さんを診察台に寝かせた。

指示より前に、手早く準備されているエコー。

「先生、お願いします」
差し出されたのは、患部に塗布するためのジェル。
「あ、ども」
我ながら、間の抜けた返事だと思うけど、仕方ない。

何の気なく患部にジェルを塗ろうとした僕の腕を、石川さんがそっと制した。

「ちょっと冷たいですからね。びっくりしないでね」
「はーい」

今まで、いきなり塗りつけてたなあ。患者さんが冷たがるなんて、考えてもみなかった。
まったく、僕みたいな若造の医師なんて、ナースの手のひらの孫悟空みたいなもんだ。

あげく、患部がよく見える角度まで石川さんに指導されて、なんとか診察を終えた。
715 名前:第十一章 天国の診療所 投稿日:2005/07/21(木) 00:54

「はぁー。すごいですね、石川さん」
僕よりすごいのは、当たり前の話。だって、普通の病院にいれば、総師長クラスなんだから。
そうじゃない、僕が感じたのは、もっと違うすごさなんだけど、うまく言葉に出来ない。

「門前の小僧習わぬなんとやら、ってだけよ」
「でも、僕、なんか自分が情けなくなっちゃいました」
「何言ってるの。私、先生の指示がなかったら、何も出来ないのよ」

石川さんが言っているのは、あくまでシステムの話。
確かに、看護師ひとりの判断では、薬一つ出せないことにはなっている。

でも現に、医師である僕より、石川さんのほうが、もう断然、頼もしいわけで。
716 名前:第十一章 天国の診療所 投稿日:2005/07/21(木) 00:55
「もう自信なくしたの?」
笑みを湛えながら、問いかけられた。
「はい」
正直に肯定する。今までは、診断だけが、診察だと思い込んでいた。
病気を診るんじゃなく、病人を見る。大事なことを、きっと、忘れていた。

「でも、あの微かな黄疸に気づいたのは、すごいと思うよ。石もあったし」
「ホントですか?」
「今の気持ちを忘れなければ、いいお医者さんになれるよ、きっと」
「ありがとうございます。これからもよろしくお願いします」

よし、がんばろう。僕は僕なりに、風に向かって立つライオンになろう。

だけどなんだか、先生の背中も、石川さんの背中も、遥か遠くにあるなあ。
でもまあ、千里の道も一歩からっていうじゃないか。

僕は今日、記念すべき一歩目を、踏み出したばかりなんだ。
717 名前:第十一章 天国の診療所 投稿日:2005/07/21(木) 00:57
 ────────────────────────────

 吉澤先生。
 
 いかがお過ごしですか?
 僕がここへ来てから、早くも、季節がひとつ過ぎました。

 まだまだ半人前だけど、石川さんのフォローのおかげもあって、
 何とか、やっていけそうです。

 患者さんが、みんな不安そうな顔をするのが、ちょっと悔しくて(笑)。
 まあ、その気持ちもよくわかるんですけど。

 少しでも先生に追いつきたい僕は、石川さんの助言に従って、
 ポケットにカイロを持つようになりました。
 心なしか、評判が良くなったみたいです、なんて。


 最近、僕は、改めて感じています。先生の本当のすごさを。

 気負いなんて、まったく感じられなかった先生が、
 毎日どれほどの重圧に耐えていたのか。

 そんなことを石川さんにこぼすと、石川さんは眩しいぐらいの笑顔で、
 先生の思い出を話してくれるんです。
 
 そんな石川さんを見て、なんとなくですが、僕も、早く、
 一緒に歩いてゆける人と出会いたいなあ、と思うようになりました。

 でも、まだまだまだまだ、それどころじゃない感じですけど。

 先生、きっと、そっちでも、診療所開いてるんでしょう?
 石川さんが手伝いに行けるまで、きっともう少し時間がかかるよ。
 それまで、淋しいでしょうけど、ひとりでがんばってくださいね。

 僕はいつか必ず、先生に負けない医者になります。
 きっと心配でたまらないだろうけど、見守っていてください。


                           新米医師 ヨシオ より

 ─────────────────────────────
718 名前:第十一章 天国の診療所 投稿日:2005/07/21(木) 00:58


天国の診療所の待合室でも、どこも悪くないお年寄りたちが、大勢順番待ちをしているに違いない。

先生の暖かい手に、幾人もの天使たちが、心癒されているに違いない。





                        < 第十一章 「天国の診療所」 了 >
719 名前:最終章 Stairway to Heaven 投稿日:2005/07/21(木) 01:00

「そこの、赤い屋根の・・・・廃屋の前で止めて下さい」

生まれ育った家を、ついつい廃屋と表現したことは、少なからず私を感傷的にした。
母も、父も、とうにこの世の者ではない。
誰もいなくなった生家、つまり、この廃屋は、すでに人手に渡っている。
だから、この町に帰ってくるのは、いったい、何十年ぶりになるだろう。

タクシーを降りて、深呼吸する。胸いっぱいに広がる、懐かしい故郷の匂い。
ずいぶん、遅くなってしまった。診療所の石川さんは、まだ元気でいるだろうか。

会いたい気持ちと、かすかな記憶を頼りに、診療所へと歩を進める。
時を経てすっかり変わった家並みに迷いながら、相当な遠回りの末にたどり着いた。
720 名前:最終章 Stairway to Heaven 投稿日:2005/07/21(木) 01:01
ようやくの思いで、あの頃が跡形もないほど新しくなった診療所の、扉の前に立つ。
自動ドア、か。センサーで開いたドアは、中に誰かいることを示すのだろうか。
開いてゆくガラスに映る、自分の白髪頭が、過ぎ去った長い年月を思い起こさせた。

ガランとした待合室。表の看板によれば、今は診察時間外のようだ。

「すいません、どなたかいらっしゃいますか?」
「はいはい、どうされました?」

おそらく私より、ゆうに十以上は歳若であろう医師が、私を迎えてくれる。
名乗りながら、習慣で名刺を手渡す。町とは無関係の会社の、つまらない肩書き入りの名刺。

「昔、ここに、石川さんて方、いらしたと思うんですが」
「はい。・・・あの、失礼ですがあなたは?」
「若い頃、ちょっとお世話になりまして」
「そうでしたか。・・・実は、去年、亡くなったんですよ」

もしかしたら、そうじゃないかという気はしていた。
しかしあるいは、素敵なおばあちゃんになった石川さんに会えるかも。
そんな一縷の望みを掛けて、私は既に意味を持たない故郷へ足を運んだのだ。
721 名前:最終章 Stairway to Heaven 投稿日:2005/07/21(木) 01:02

遅い知らせに肩を落とす私を、医師は自宅へと案内してくれた。
「こっちは、石川さんたちが住んでいた当時と、同じですから」
医師の住まいも、診療所に付属して、町の予算で建てられている。
よって、医療そのものの充実に重点をおくと、必然的に福利厚生は後回しになる。

「頑丈に造ってあるんですが、さすがに築半世紀を過ぎちゃうと、すきま風がひどくって」
近々建て直す予定だという、当時のままの古い家は、あちこち改築されてはいるものの、
あの頃の面影を色濃く残していた。懐かしさに、私の感傷は加速する。

ふと、色褪せた壁紙の上に、まごうかたなき自らの筆致を認めて、私は固まった。

「どうかされましたか?」
「・・・この絵を描いたの・・・・私なんですよ」
「そうでしたか。ずいぶん、大事にしていましたよ」

食い入るようにその肖像を見ている私に、医師は続けた。
722 名前:最終章 Stairway to Heaven 投稿日:2005/07/21(木) 01:03
「亡くなる少し前に『今日からこの絵は、あなたが守って』って渡されたんです」

まるで、昨日のことのように、初夏のあの日が蘇る。
石川さんへの想いをありったけこめて、夢中でペンを走らせたあの日。

「今、家内が出かけてて、お茶ぐらいしかお出しできないんですが」
「いや、もう、お構いなく」
疑いようもなく震える自らの声が、自らの耳に届く。。
とうに初老を超えても、失った人のために流す涙が残っていようとは。

気を利かせてくれたのか、医師は、台所へと席を外した。
その隙に、ポケットからハンカチを取り出し、頬を伝い落ちる涙を拭う。
723 名前:最終章 Stairway to Heaven 投稿日:2005/07/21(木) 01:04

気を紛らわせようと、何の変哲もない部屋の中を見回してみる。
医学書が詰まった本棚の一箇所に違和感を覚え、視線が止まった。
何故かそこに、たった一冊だけ並ぶ、擦り切れた絵本。
思わず、吸い込まれるように手を出し、手に取る。

「ああ、それね」
いつの間にか、医師は、茶碗を両手に戻って来ていた。
「そこにあるの、不自然でしょう。でも、僕の原点なんですよ」
原点か。なるほど、子ども向けに人体の仕組みを解説してある。

ソファとお茶とを勧めてくれながら、問わず語りに、医師は語る。

「3歳ぐらいの時かなあ、母と、一緒にここに来てね」
そのとき、吉澤先生に、買ってもらったらしくて。
その後も何度も遊びに来て、だけど、その本のことだけは、全く覚えてなくて。
でも、間違いなく、僕の原点なんです。
724 名前:最終章 Stairway to Heaven 投稿日:2005/07/21(木) 01:04

「あ、ご存知ですよね、先生のことも」
「はい。一度、健康診断、してもらいました」
忘れていたわけではないが、先生のことを、まだ尋ねていない。
大恩は、むしろ先生の方にあるというのに。

「先生、は?」
「ああ、去年が、二十七回忌でした」
「そうですか・・・。存じ上げずに、失礼いたしました」
ずいぶん、若くして亡くなったことになる。結局、何も恩返しできなかったか。

確かに、忙しかった。もう少し、もう少し頑張ってから、と思い続けてはいた。
しかしそれらはもう、今となっては、空虚な言い訳に過ぎない。
725 名前:最終章 Stairway to Heaven 投稿日:2005/07/21(木) 01:05
「先生たちは、今、どこに?」
ならばせめて、花だけでも手向けさせてもらおう。
「お骨は、それぞれのご両親と同じところに。ここからは遠いですが」
二人の眠る場所を、医師はメモにしてくれた。

「それから二人とも、岬に、少しだけ散骨してあります。ぜひ行ってあげてください」
「わかりました。必ず、行きます」
風の岬か。子どもの頃は、よく紙飛行機を持って遊びに行ったものだ。

「何か、このあたりに記念碑的なものは、ないんですか?」
「そんな余裕があるんだったら、医療に役立てた方がいい、って方たちでしたから」
「なるほど。よくわかります」
「その代わりじゃないんですが、少し遺産があるので、基金を作ろうという話になってます」
「キキン?」
「はい。身寄りのない人への医療援助とか、がんや交通遺児への奨学金なんかが目的の」
「その基金ですか」
726 名前:最終章 Stairway to Heaven 投稿日:2005/07/21(木) 01:06
激しく、心が動いた。その基金に名を冠すれば、二人は永久に語り継がれる。

「ただ、今、役場に話を預けているんですが、難しいみたいで」
「と、おっしゃいますと?」
「運営適任者が、なかなか見つからなくて。役場も、人手不足なんでしょうね」
考えるより先に、言葉が出ていた。
「やらせてもらえませんか、私に」

年齢に不相応な私の勢いに飲まれたのか、医師は一瞬怯んだ。
「大変、みたいですよ。いいんですか?」
「ぜひ、やらせていただきたいんです。やらなきゃいけないんです」
「じゃあ、すぐ、担当者に連絡しますね。喜ぶと思うなあ」

電話のみの情報によると、正式にまとまった話ではないゆえに、担当者は業務時間外、
つまり、プライベートな時間を割いて、ことに当たっているらしい。
察するに、受話器の向こうの彼もおそらく、二人に世話になったのだろう。
終業後に役場で落ち合い、食事がてら会う約束をして、電話を切った。
727 名前:最終章 Stairway to Heaven 投稿日:2005/07/21(木) 01:06

遅かった。だが、遅すぎではなかった。
まだ、二人のために、私に出来ることがちゃんとあった。

「ぜひ、先生にもご同席お願いしたいんですが」
「そうですね。お手伝いくらいなら、僕にもさせてもらえるかもしれませんし」
「では、後ほど。私は、先に岬へ、挨拶に行ってきます」
728 名前:最終章 Stairway to Heaven 投稿日:2005/07/21(木) 01:08

診療所を後にして、岬へ向かう。
遊歩道は新しくなっているが、陸が尽き、海の始まる風景は少しも変わっていない。
それで当然か。人の寿命程度の年月など、海にとれば、ほんの一瞬に過ぎないのだから。

風の岬の、切っ先にたどり着く。曇天。遥か足下で、砕けては寄せる波の音。
ここから投げる紙飛行機は、風に乗り、おもしろいように飛距離を伸ばしたものだ。
次々に、幼なじみたちの顔が思い浮かぶ。刹那、童心に帰る。

足を上げ、振りかぶる。右手には、透明の紙飛行機。
日ごとの工夫の成果で、まっすぐ空を行くはずの。
729 名前:最終章 Stairway to Heaven 投稿日:2005/07/21(木) 01:09

放たれたその行く手の遥か、水平線の上空で突然、雲が切れた。
わずかに覗く青空から、一条の陽光が射す。
切れ間は広がり、幾筋もの光が、放射状に海へ届く。

「こういうの、天国への階段、って言うんだっけな」

私も、やがて間もなく、その階段を昇るだろう。
その先に、先生たちの笑顔があるのかと思えば、それも怖くはない。

しかし、まだ私には、この世で果たさなければならない役割が残っている。
まずは、何を投げおいても、かの基金の運営を成功させなければ。
730 名前:最終章 Stairway to Heaven 投稿日:2005/07/21(木) 01:10


先生、石川さん、やっと出世払いできそうだよ。
これで、胸を張ってそっちに行っていいでしょ?

「気長に、待ってるよ」

風に乗って、二人の声が聞こえた気がした。

私は、役場へ向かうため、天国への階段に背を向けた。






                        <最終章 「Stairway to Heaven」 了 >
731 名前:最終章 Stairway to Heaven 投稿日:2005/07/21(木) 01:10

         ─── オサヴリオ 第二部 Amazing Grace 了 ───
732 名前:最終章 Stairway to Heaven 投稿日:2005/07/21(木) 01:11

            ─── オサヴリオ 完 ───

733 名前:名無しOA 投稿日:2005/07/21(木) 01:14
淋しいなあ。もう、続きを書くことはないんだなあ。
ホッとするより先に、これが一番の実感です。

でも、この話が終わらないと、私は何も始められない。新しい話とか、もはやそういう次元ではなく。
第一部の終わりあたりで触れた、私のワガママのみで成り立つ第二部、とは、そんな意味でした。

この日を見据えて、最終章をメモしはじめたのは、思えば、もう二年以上も前になります。
安易な『お涙頂戴』はどうしても避けたく、努力しましたが、結果的にそうなってしまったかな。

ですから、幾度も申し上げた、信じて見守ってくれ、という生意気に見合うものがお届けできたかどうか。

私の力ではこれが限界で、これでよかったんだと、私自身は今、心からそう思っています。


『空の手のひらの中』から、実に三年近く。
長きに渡りお付き合いくださった皆様に、心から感謝いたしております。

応援、本当に本当にありがとうございました。


                                                 名無し空手
734 名前:名無し読者M 投稿日:2005/07/21(木) 01:29
完結、おめでとうございます。
実は久しぶりにここの先生と看護師さんの優しい笑顔に逢いたくてやってきました。
これも巡り合わせでしょうか、ちょうど最終便に間に合ったようです。

そこに姿は見えずとも、伝わってくる想いにその存在を感じられて
そして感動を静かに味わっております。

作者様の次なる歩みを楽しみにしつつ、良き作品に出会えた感謝とさせていただきます。
735 名前:シュレーゲル 投稿日:2005/07/21(木) 02:13
長きに渡り、どうもありがとうございました。
736 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/21(木) 02:17
737 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/21(木) 02:20
完結おめでとうございます。いつも読ませていただいてました。ものすごく感動いたしました。ありきたりな言葉ですいません。お疲れさまでした。
738 名前:くろ 投稿日:2005/07/21(木) 06:22
完結おめでとうございます。長きにわたりお疲れ様でした。
丁寧な描写や過去の話との繋がりがすごく好きでした。
一冊の本にして大切に保存しておきたい気分です。
あと、懐かしい小ネタを結構わかる自分がいたり…
739 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/21(木) 07:20

ありがとう。そして、お疲れ様でした。
740 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/21(木) 10:01
毎回楽しみに読ませていただいてました。
完結、お疲れ様です。
741 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/21(木) 10:12
完結お疲れ様でした。
泣かないつもりだったのに…気づくと泣いていました。

長い間、本当にご苦労さまでした。
ゆっくり休んで、また新たな物語を届けてください。
742 名前:オレンヂ 投稿日:2005/07/21(木) 13:29
完結お疲れさまでした。
今までの話がバーっと思い出されて
最初の何行か読んだ時点で泣いてしまいました。
この作品は登場人物が生きていて本当に日本のどこかに
こういう暮らしをしている人たちがいるんじゃないかなと思って読んでいました。
素晴らしい物語をありがとうございました。
743 名前:匿名匿名希望 投稿日:2005/07/21(木) 18:29
お疲れ様でした。
最近はレスこそしていませんでしたが、ずっと読ませて頂いてました。
早く続きが読みたいような、でも、終わってしまうのがすごいイヤで(苦笑)
だけど、この物語りに出会えて良かったです。本当に良かったです。
どうもありがとうございました。
744 名前:ろて 投稿日:2005/07/21(木) 21:08
以前いしよしの枠を超えて大好きな作品ですと書きました。
今もその気持ちは変わりません。もっと好きになりました。
大好きで、大切なお話です。信じていてよかった。
最期のときから続く未来までをも描き切った作者さん、本当にお疲れ様です。
作者さんはもとより素敵な登場人物たち、そしていしよしの二人にありがとうを。
745 名前:未来のMD 投稿日:2005/07/22(金) 01:35
ご苦労様です。
漠然と「これは厳しいな」とは思っておましたが、やはり残念な結果
に終わってしまった。しかし、それと同時に新たなる希望が芽生えた
ことは救いです。

「終(つい)に以(も)って其(その)職に死するの精神覚悟あるを要す」
これは文部科学大臣室に掲げられている初代文部大臣・森有礼の「自警書」
の一節です。ご存知の通り、森は自分の使命に忠実で、結果として殉職
しました。OA様の作品に通じる、ある種の精神を感じます。
当然のように繰返される生と死にどうして抵抗するのか?
そして、どうして他人のために命を懸けることができるのか?
その答えが少しは見えたような気がします。

士気が著しく低下している私ですが、どうやら持ち直したようです。
本当にありがとう。そして本当にご苦労様でした。
746 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/22(金) 01:55
更新されてると気づいた時、嬉しさと同時に
終わってしまう寂しさも感じました

本当に最後まで読めて幸せでした

完結お疲れ様でした
747 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/22(金) 04:12
素晴らしい作品をありがとうございました。
涙はもちろんのこと、心の中にも色んな感情が湧いて止まりません。
この作品に出会えて本当に良かったです。
完結お疲れ様でした。
748 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/23(土) 01:59
作者さま、お疲れ様でした。
最初から最後までひきこまれるように読み
続けました。
本当に心に染みました。
749 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/27(水) 20:35
風の岬には一度行ってみたいと思いつつ、なかなか多忙で時間もままならず、
代わりにあの賑やかな連中に行ってもらいました。
吉澤先生と石川さんには大変お世話になりました。
この小説から人生と人間の優しさを学びました。
そして、作者さんの作品に対する姿勢からも。
その真摯な処は見習わねば、と何度も思いました。

ありがとう。
お疲れ様でした。
750 名前:495 投稿日:2005/08/02(火) 17:15
脱稿本当にお疲れ様でした。
空手から、最後までもう一度一気にすべてを読み返して
それからレスを書かせていただきたくて・・・。
直後に最終章を読ませていただいたときには
泣いて泣いて力が抜けてしまって、立ち直るのに時間がかかりました。
でも、今全てを読み返して、やはりこのラストしかありえないと
心からそう、思いました。
最後の闘い、そして二人から繋がっていく未来までを書ききってくださった作者様に、
深い感謝の気持ちで一杯です。
この二人はもういしよしという枠を越えて
ずっとずっと心の中に生きつづけていくと思います。
本当にありがとうございます。
またいつか作者さまのお話を読めるのを楽しみにしております。
751 名前:名無しOA 投稿日:2005/09/21(水) 00:58
御礼が遅くなって申し訳ありません。
たくさんのお言葉、本当にありがとうございます。

>734 名無し読者M様
ご無沙汰してます。思えば、最初のスレッドからお付き合いいただいてますね。
最終便は、片道切符でした。行き先は、まだわかりません。
でも、またいつか、どこかたどり着いた先でお会いしたいと願っています。
長い間、本当にありがとうございました。

>735 シュレーゲル様
こちらこそ、本当にありがとうございました。

>737 名無飼育さん

今回たくさんのレスを頂いて、名もなき皆さんに支えられての歩みだったなあ、と、
改めて思いました。本当にありがとうございました。
752 名前:名無しOA 投稿日:2005/09/21(水) 00:59
>738 くろ様

でも、私としては、今読み返して説明が足りないな、なんて思う箇所も出てきたり(笑)。
不足している描写を、皆さんにきっと脳内で補完していただいたおかげで、
気楽に書くことが出来ました。
長い間のお付き合い、ありがとうございました。


>739 名無飼育さん
ありがとうございました。なかなか心地よい疲れでした(笑)。


>740 名無飼育さん
ありがとうございました。
楽しみにしてくださっている皆さんのお気持ちが、私の原動力でした。

>741 名無飼育さん
ありがとうございました。
最後にあたっては、私も、気づくとモニターが霞んでいることがままあり。
涙ぐみながら書いている姿は、ちょっと誰にもお見せ出来ません(笑)
753 名前:名無しOA 投稿日:2005/09/21(水) 01:00
>742 オレンヂ様

ありがとうございました。
私も、同じ気持ちで書いていましたので、本当に嬉しく思います。
日本中のどこででも、みんなが、こんなふうにいたわりあって暮らせたら。
それが、叶わぬ夢ではないことを、日々、切に祈っています。


>743 匿名匿名希望様

ありがとうございました。
それから、いつぞやはお世話になりました。
そちらのお二人も、元気にお過ごしでしょうか?
てか新作まーだぁ?(笑)


>744 ろて様

正直、ロテさんほどの方にこんなにも誉めていただけると、
恥ずかしくて、座りがあんまりよくないです(笑)。
今回、「吉一」の皆様にもお褒めの言葉をたくさんいただき、
本当に肩の荷が下りる思いです。
長い間のお付き合い、ありがとうございました。

そして私からも、登場人物のみんなにありがとうを。
754 名前:名無しOA 投稿日:2005/09/21(水) 01:01
>745 未来のMD様
途中のアドバイス、ありがとうございました。助かりました。

私事ですが、一昔前に、実は教育大を卒業しておりまして、何と懐かしい名前に、
まさかこのスレッドで出会おうとは、と驚愕しました。なんて、やや誇張ですが。

「僕のような罪深き人間は、のたれ死なねばいかんとです」
『風に立つライオン』という歌のモデルとなった外科の先生の、口癖だそうです。
誰かの、消えそうな命を救うということは、神様に逆らうことだから、と。
また、劇中の、助けるのは神様だから、助かる気のない患者を治すのは難しい、
という藤本先生のセリフも、実は引用させていただいてます。

職業として医師を目指せるほどの方は、きっと神様に選ばれた人です。
選ばれた人には、努力する義務がある。身近に娘。という好例もあるように。

私が言うのもおこがましいですが、どうか、がんばって。
いつか、診てもらえる日を楽しみにしています。

>746 名無飼育さん
私の中にも、今もって、嬉しさと寂しさが同居しています。

寂しさがうちにあっても書き進めることが出来たのは、皆様の励ましの
おかげあってのことでした。何というか、私も幸せです。
ありがとうございました。
755 名前:名無しOA 投稿日:2005/09/21(水) 01:03
>747 名無飼育さん
ありがとうございました。
私が言うのはおかしいかもしれませんが、私もこの作品に出会えて本当によかったです(笑)。
この作品を通して、数え切れないほどの新しい出会いを得ましたから。
もちろん、747様との出会いも、大切なその一つ。
またどこかでお会いできますようにと、願って止みません。

>748 名無飼育さん
ありがとうございました。
私も最後の方は日常を半ばほったらかして魅入られたように書き続けましたので、
そうおっしゃっていただけて、本当に嬉しいです。

>749 名無飼育さん

ごまべーぐるさんですね。いつぞやはお世話になりました。
お先に完結させていただきました。

お褒めの言葉、ありがとうございます。
ずいぶん間が開いてしまったりしたことも多々あり、
とても真摯に取り組んでいたとはいえません(笑)。
とりあえず完結を見ることが出来、スレ立てした責任だけは、
ようやく果たせたと安堵しています。
これからは気楽に更新を待たせていただきますので、
がんばって下さいね。

>750 495様

ありがとうございました。
結末を、私だけが知っているときから、皆さんに「信じて下さい」と、
繰り返し申し上げてきたのですが、実はずっと迷っていました。

この終わり方は、あるいは深く思い入れ、長くお付き合い下さっている方をこそ、
裏切ってしまうのではないかと。
このラストしかありえないというお言葉は、だから非常に嬉しく思います。
長いお付き合いに、私の方こそ感謝いたします。
重ねて、今まで本当にありがとうございました。
756 名前:名無しOA 投稿日:2005/09/21(水) 01:04
死なせなくても、いいんじゃないか。
何度も迷った結末を読み返してみて、でも今、やはりこれでよかったと思っています。

きっと今日も、風の岬では、立派になったヨシオ先生が命を紡いでいることでしょう。
あるいは、第二のヨシオくんが、もうすでに存在するかもしれないし。
そんなふうに想像を巡らせることができる話に出会えたのも、皆さんのおかげです。
改めて、本当にありがとうございました。

今も、何気なくテレビ番組や書物に触れていて、お医者様が出てこられると、
そのお話を心の中に書きとめておくクセが抜けてくれません。
終わらなくては始められないから、終わらせたはずなのに。

「んなこと覚えて、もう、どーすんだよ」
と、ひとり苦笑いすることもしばしば。

でもまあ、もしかしたら、いつか役に立つこともあるかもしれず。

新ネタは、間もなくサイトよりお知らせいたします。
>>119のメール欄よりお越しいただければ幸いです。お待ちしています。
757 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/21(水) 01:04
>>1-1000 おまいらオサヴリオスキスキ板池
758 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/09/21(水) 01:05
( ´D`)<くこれす
759 名前:名無しOA 投稿日:2005/09/21(水) 01:06
くこれしたか。なんつって。
読んでくださったすべてのみなさま、本当にありがとうございました。
またいつかお会いできる日を、楽しみにしています。
                                 名無し空手
760 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/12(月) 04:12
突然失礼します。
いま、2005年の飼育を振り返っての投票イベント
「2005飼育小説大賞」が企画されています。よろしければ一度、
案内板の飼育大賞準備スレをご覧になっていただければと思います。
お邪魔してすみませんでした。ありがとうございます。

Converted by dat2html.pl v0.2