案内板発企画・リレー小説3
- 1 名前:名無しさん 投稿日:2003年05月07日(水)00時28分57秒
- このスレッドは、案内板のリレー小説スレ2の専用スレッドです。
以下の注意書きの熟読をお願いします。
☆読者さんへ
・このスレッドは”投稿”専用です。感想・批評・雑談は
『リレー小説スレ2』
ttp://m-seek.net/cgi-bin/read.cgi/imp/1021479823/
にお願いします。
・また、企画の性質上過剰な先読み(「○○のあの行動は、絶対複線で××になるんだって」等)は、
後の作者さんの迷惑になる恐れがありますので、ご遠慮ください。
・なお、作者としての参加希望はすでに締め切っています。
- 2 名前:名無し読者 投稿日:2003年05月07日(水)00時30分10秒
- ★作者さんへ
・投稿前に、まず自分の順番かどうかをもう1度確認してください。
・投稿ができる状態であれば、前の作者が終了を宣言していることを確認したうえで、
その後投稿を開始してください。
・自分の順番になって、4日以上放置の状態が続く場合、参加意思なしとみなし、
次の方に順番が移ります。
・ただし、投稿意思を締めしたうえでの投稿期間延長は3日間まで認められています。
・最後に投稿が終了したら、その旨を必ず宣言し、次の方への引継ぎを行ってください。
・以上の引継ぎに関する手続きはすべて
『リレー小説スレ2』
ttp://m-seek.net/cgi-bin/read.cgi/imp/1021479823/
にて、行ってください。
・その他、詳細や質問・問い合わせ等も上記の『リレー小説スレ2』にお願いします。
・投稿するレス数は各自の自由ですが、10レス前後を目安にしてください。
名前欄は『○章 (章タイトル)』のように書き込んでください。
また、メール欄につていては空白とします。
- 3 名前:第一章 夢の中 投稿日:2003年05月07日(水)10時55分49秒
- あふ、と紺野あさ美はあくびを噛み殺した。
今はミュージカルの稽古中。
自分の出番はしばらくないとはいえ、こんなところ見られたら気が緩んでると怒られてしまう。
昨日は早く寝たのになあ。
『モーニング娘。』として、同じ年頃の普通の女の子とは比べ物にならないほど忙しい毎日。
充実した日々ではあるものの、人よりテンポの遅い紺野にはゆっくり落ち着ける暇もない。
だからせめて、よく食べてよく眠る事を健康法として守っていた。
まあ、そのせいで最近、ほっぺたの丸みが気になったりもするのだけれど。
とにかく、昨日はいつもより早めにベッドに潜り込んだ。
それなのに……。
あんなヘンな夢見ちゃったからだろうなあ。
涙の滲んだ眼をくしくしと擦る紺野に、後ろから特徴的な高い声がかけられた。
「みーたーぞー」
「い、石川さん!」
声に振り返ると、上目遣いにこちらをにらむ先輩、石川梨華の姿。
「だーめじゃない。あくびなんかしてちゃ」
「ご、ごめんなさい」
頭を下げる紺野を見て、石川はくすくす笑った。
- 4 名前:第一章 夢の中 投稿日:2003年05月07日(水)10時56分26秒
- 「夜更かしとかしてたんじゃないの?」
「ち、違います! 夜更かしなんかしてないですよ」
「ほんとにぃ?」
「ほんとです。ただ……ちょっと良く眠れなくって……」
顔を伏せる紺野を、石川は心配そうに覗き込む。
「何か悩み事? あ! もしかしてあの事?
紺野、あの事聞いちゃったの!?」
「あの事? あの事ってなんですか?」
「え! 違うの!?」
しまった、という顔をして石川は自分の口を手で押さえた。
急に態度の変わった先輩を見て、紺野は不思議そうに首をかしげる。
「あの……わたし、昨日ヘンな夢見て……それで……」
「あ! そ、そうなんだ。うん。
え、さっきの事? なんでもない。なんでもないよ」
手を振りながら、石川はそそくさと立ち上がった。
「わ、わたしそろそろ出番だから。ごめん、じゃあね」
「あ、石川さん!」
立ち去る石川の背中を見送りながら、紺野は首をひねった。
石川さんの出番、次はわたしと同じシーンなのに……。
- 5 名前:第一章 夢の中 投稿日:2003年05月07日(水)10時57分01秒
- 慌しく石川が去ってしまうと、なんとなく気が抜けてしまった。
そのせいか、またあくびがこみ上げてくる。
いけない。また怒られちゃう。
誰にも見られないよう、慌てて後ろを向く。
すると、同じようにあくびを堪えてる同期、小川麻琴と偶然目があった。
しばらく見詰め合った後、どちらからともなく、ぷっと吹き出す。
「だめじゃん、あさ美ちゃん。あくびなんてしてちゃ」
「まこっちゃんこそ」
練習の邪魔にならないよう、小さな声でくすくす笑い、肘で相手をつつきあう。
「あさ美ちゃんも寝不足なの?」
「うん、なんだかヘンな夢見ちゃって」
「ヘンな……夢?」
「うん、それがね……」
眉を寄せる小川に向かって、紺野は顔を近づけた。
昨日見た夢の事は鮮明に覚えている。
まるで本当にあった出来事だったかのように。
- 6 名前:第一章 夢の中 投稿日:2003年05月07日(水)10時57分31秒
- ──気が付くと、ひとり森の中に立っていた。
瑞々しい木々の香り。
生い茂った葉の間からこぼれる木漏れ日。
肌をなでる少し冷たい風。
ここ……どこなんだろう。
まるで外国の映画に出てきそうな、鮮やかな緑の空間。
チチチ、という鳥のさえずりまで聞こえてくる。
呆然としたまま、紺野は首をひねった。
お気に入りのパジャマに着替え、ベッドに潜り込んだところまでは覚えてる。
疲れていたせいか、横になってすぐ眠りに落ちてしまった。
そこからの記憶がない。ということは……。
……夢……かな。
この状況だとそれしか思いつかなかった。
紺野は頬をつねってみようと手を伸ばした。
その手が、後ろから聞こえてきたがさがさという音に止まる。
ああ、これはやっぱり夢なんだ
草むらから飛び出してきたものを見て、紺野はそう確信した。
なぜならそれは、チョッキから時計を取り出し、二本足で歩く大きなウサギだったのだから。
- 7 名前:第一章 夢の中 投稿日:2003年05月07日(水)10時58分11秒
- 「ああ、忙しい、忙しい」
呆然としたままの紺野の前を、ウサギはブツブツ呟きながら通り過ぎた。
「ま、待って!」
はっと我に返ると、紺野はウサギを追いかけた。
ひょこひょこと体を左右に揺らしながら走るウサギ。
忙しい、忙しいと呟く声が時折聞こえてくる。
その姿はとても速そうには見えないのに、どうしても追いつけない。
必死になって走り続けるうち、急に辺りが明るくなった。
どうやら森を抜けたらしい。
絵に描いたような広い草原が目の前に広がる。
その中央を横切るように小さな川が流れていた。
「どこ行ったんだろ」
いつの間にか、ウサギの姿は見えなくなっていた。
仕方なく、とぼとぼと歩いていった紺野は、川の手前で足を止めた。
きらきらと太陽の光を跳ね返す水の流れ。
透明度の高い綺麗な水に誘われるように、紺野はそっと手を川に浸けた。
体に染み込むような冷たさが心地よい。
夢なのに、冷たいってわかるんだ。
妙なところに感心し、川面に映る自分の姿がおかしな事にようやく気が付いた。
- 8 名前:第一章 夢の中 投稿日:2003年05月07日(水)10時58分54秒
- 気が動転していたせいで今まで気が付かなかったが、着ているものが普段と違っている。
サテン地の青いドレスにフリルのついた白いエプロン。
清楚な白のソックスにエナメルの靴。
まるで古い少女漫画の主人公のようなファッション。
おかしなのは服装だけではない。
自分の姿に違和感を感じた紺野は、しゃがみこんで水面に顔を寄せた。
これ……わたし?
そこに映し出された顔。
頭には赤い大きなリボン。
そばかすの浮いた白い頬。
風になびくふわふわとした長い金髪。
パッチリと開いた瞳は綺麗なブルー。
それは自分ではない誰か別の少女の顔だった。
この格好。あのウサギ。
これは……昔、図書館の本で見た……。
- 9 名前:第一章 夢の中 投稿日:2003年05月07日(水)10時59分49秒
- 「アリス?」
「そう、『不思議の国のアリス』。昔、読んだことあったんだ」
真剣な顔になった小川に、紺野はこくりと頷いた。
「でもね、別にわたし、アリスが好きだったわけじゃないんだよ。
なのに、なんであんな夢見たのか……。
それにね、夢はそれで終わりじゃなかったんだ」
ずっと抱え込んでいた、もやもやしたものを吐き出すことができて嬉しいのか、
紺野はいつもよりも早口で夢の続きを語り始めた。
小川の表情が、いつもと違っている事にも気が付かずに。
- 10 名前:第一章 夢の中 投稿日:2003年05月07日(水)11時00分37秒
- 「こんにちは」
考え込んでいた紺野は、後ろから声をかけられて慌てて振り向いた。
「あなた……誰?」
アリスになった紺野の前に立っているのはひとりの少年。
ふちがギザギザになった緑色の服。
頭には羽根のついた同じ色の三角帽子。
膝丈のパンツは他よりも濃い緑、腰には銀の短剣を刺している。
少年は、紺野に向かって人懐っこい笑顔を見せた。
「良かった。やっと人に会えた。
ずっといろんなところまわってたけど、誰もいなくってなんか不安だったんだ」
この格好。これもどこかで見たことある。
それも絵本だけじゃなくって、この間テレビでやってた……。
「誰もって……あなたもどこかからここへ来たの?」
「そ、気が付いたらここにいたんだ。
ねえ、そんな事より一緒に行こうよ」
「行くって……どこに?」
差し出された手を、無意識のうちに紺野は握っていた。
温かくて柔らかい手の感触が、なぜか安心感を与えてくれる。
- 11 名前:第一章 夢の中 投稿日:2003年05月07日(水)11時01分14秒
- 少年はにっこり笑うと、紺野の手を取ったのと逆の人差し指を上に向けた。
「空の上さ」
その言葉とともに、二人の体はふわりと浮き上がった。
「きゃ!」
「大丈夫。落ちたりしないから」
まるで重力がなくなったみたいに、体が宙へと浮かんでいく。
今までいた場所が見る見る小さくなった。
「すごい!」
「さあ、行こう!」
少年が手を引くと、すぅっと景色が後ろへ流れた。
耳元で風がびゅんびゅん音を立てる。
「どう? 気持ちいいでしょ」
「うん!」
少年に大きく頷いて、紺野はさっき心の中で考えたことを思い返してみた。
夢の中だからって空を飛ぶなんて。
うん、前にディズニーの映画で見た。
この子、やっぱり……ピーターパンなんだ。
- 12 名前:第一章 夢の中 投稿日:2003年05月07日(水)11時01分45秒
- 「ピーターパン……か」
「それで、気が付いたら自分の部屋のベッドで寝てたの。
ね、ヘンな夢でしょ。それに、一度も目を覚まさなかったのに、なんだか今日は眠くって」
冗談めかしてそう言い、相手の顔を見る。
そこでようやく、紺野は小川が難しい顔で考え込んでいるのに気が付いた。
「どうしたの?」
「あたしも……見たんだ。昨日。ヘンな夢」
「え?」
床の一点を見据えて喋る小川の横顔。
いつもの柔和な顔ではなく、ダンスを踊るときと同じ真剣な顔。
「あたし、夢の中で自分以外の誰かになってた。
緑の服を着て……男の子になってた」
「まこっちゃん、それって……」
顔を上げ、小川は紺野と目を合わせた。
「あたし、そこで出会った女の子と一緒に……空を飛んだ。
あたしは……夢の中で……ピーターパンになってたんだ」
「そんな……それじゃあの夢って……。
あれは……あのピーターパンは……まこっちゃん!?」
真っ直ぐに自分を見詰める小川の視線を受け、紺野はただ目をパチパチさせることしかできなかった。
- 13 名前:第二章 焼き肉と懐中時計 投稿日:2003年05月13日(火)23時33分49秒
- 「どうでもいいけどさ、さっきからずーと見つめ合って何してるワケ?」
斜め方向からかけられた声にびくっと反応する紺野と小川。
声の主はこのミュージカルから本格的にモーニング娘。として活動する藤本美貴だった。
「あ、いや、なんでもないです」
「う、うん。今日終わったらどうしようかって話を」
「そんじゃ、美貴もご一緒してよろしいでしょうか?」
慌てて取り繕う2人へ、藤本はいつもの見透かすような笑みを浮かべた。
返事を渋ってしまう紺野と小川。
正直なところ、5期メンバーの4人は藤本との微妙な関係に悩んでいた。
モーニング娘。としてはもちろん、芸能人としてもデビューが先の5期メンバーは先輩になる。
しかし、藤本はソロで実績を残しているうえ、事務所に入ったのも紺野たちより先。
もちろん年齢的にも藤本が上なのは言うまでもない。
紺野は、おそらく給料も上だろうと考えていた。
- 14 名前:第二章 焼き肉と懐中時計 投稿日:2003年05月13日(火)23時34分25秒
- 「そっか、紺野さんと小川さんは新しい後輩を煙たがるんですか。美貴は悲しいよぉ」
「ちちちち、違いますって!」
ニヤニヤしながら二匹の子羊を追いつめていく、ハンターの藤本。
小川があわてて反応するが、むしろ深みにはまるだけだった。
「でも、まだ何も決まってないですし…」
「何でもOK。卒業した保田先輩みたいに焼き肉とか食べながら後輩の悩みを聞くとかさ」
紺野のささやかな抵抗も虚しく、藤本の提案に再び顔を見合わせる2人。
もう、勝負は見えていた。力なくうなずく。
「じゃ、ごちそうになりますねー」
勝ち誇った後ろ姿を見送る2人は、そっとため息をついた。
- 15 名前:第二章 焼き肉と懐中時計 投稿日:2003年05月13日(火)23時35分01秒
□ ■ □ ■
焼き肉屋の個室に3人きり。
正座して並ぶ紺野と小川に向かい合ってあぐらをかく藤本。
「タン塩と、サーロインにロースとカルビ骨付きにホルモンとミノ。
それからレバ刺し、全部3人前ね。あ、あとウーロン茶も」
「はい、かしこまりました。他にご注文は?」
「アンタたちなにか食べたいもの物ないの」
「あ、この野菜を…」
「はい、野菜の盛り合わせですね」
”誘われた”立場の藤本だが、まるで常連客のようにメニューも見ずに流れるように注文をする。
それに圧倒された2人は、なんとか小川がカボチャを確保するのが精一杯。
藤本のウーロン茶が来てから、ようやくドリンクを頼まなかったことに気付くほどだった。
- 16 名前:第二章 焼き肉と懐中時計 投稿日:2003年05月13日(火)23時35分59秒
- 微妙な空気に堅くなってしまう紺野と小川。
藤本は2人をまったく気にせず、ウーロン茶をまるでビールのようにグビグビ飲む。
とはいえ、肉が出てきてもそのままの2人。
さすがに藤本もいたたまれなくなったのか、ため息をついてから詰問した。
「大体さ、他に誰か誘わなかったの?」
まるで、説教部屋のような雰囲気だった。
「あのー、誘ったんですけど、なんかみんなから断られちゃって…」
申し訳なさそうに答える紺野に、小川も同意する。
実際、このような状況を予想した2人は何とかしようと他のメンバーを誘っていた。
レギュラーの仕事に加えミュージカルのレッスンはあるが、ライブツアー終了で段落したこの時期。
誰かしら、…たとえばノリのいい矢口や石川あたりが誘いに乗ってくれると思っていた。
しかし頼りにしていた同期にも見放された2人は覚悟して焼き肉に臨んだのだった。
「…足崩して。今日の分は美貴がもつからどんどん頼んでいいよ」
メニューを投げてよこした藤本はそのまま店員を呼んだ。
- 17 名前:第二章 焼き肉と懐中時計 投稿日:2003年05月13日(火)23時36分39秒
- 「私もさ、自分の立場はわきまえてるつもりだから。
無用な波風は立てたくないの。立てちゃう性分なんだけど」
藤本が分厚いサーロインを頬張りながらしゃべる。
幾分打ち解けた雰囲気になったとはいえ、ほとんど藤本の独演会の様相だった。
それなりに気を使う藤本、話を中断して2人の取り皿に焼けた肉を乗せる。
「ほら、食べなよ。で、なんだっけ。そうそう波風の話だ。
こっちは立てたくないんだけど、何となく壁を感じちゃうんだよね」
「はぁ、あんまりそんなことも感じませんけど…」
微妙な話題だけに、はっきりと返答できない2人。
「今日もアンタたちが他の人誘ったの知ってたけど、誰も来ないと思ってたんだ」
「どうして、そんな…」
「みんな、私が一緒だから避けたんだよ。そうに決まってる」
炭火の放射熱を受けた藤本の顔は、真っ赤に火照っていた。
- 18 名前:第二章 焼き肉と懐中時計 投稿日:2003年05月13日(火)23時37分36秒
- 「まぁね、そんなことどうでもいいんだけどさ。仲良しが一番ってわけでもないし」
話の展開にハラハラした紺野だが、藤本はすでにいつもの笑みを取り戻していた。
「ほら、食えよ!余っちまうぞ」
紺野と小川はようやくいつもの調子を取り戻しかけていた。
年上の後輩に負けないよう、箸を動かす。
肉だけを勢いよく食べていく藤本。
白いご飯と肉を同じ割合でしか食べない小川。
焼け具合を確認しながら、ひとつずつ着実に食べる紺野。
三者三様の食べ方をお互いに笑いながら、空腹を満たしていった。
- 19 名前:第二章 焼き肉と懐中時計 投稿日:2003年05月13日(火)23時38分12秒
- 焼き肉も終盤になると、3人は初めからは考えられないほどすっかり打ち解けていた。
「あの、すいません。ユッケビビンバひとつお願いします」
「紺野まだ食うのかよ!」
「あさ美ちゃんはいつもこんな感じなんですよぉ」
小川の説明に藤本はガハハと笑い、紺野は下を向く。
満腹からか、お腹をさすりながら大あくびをした藤本。
卵黄の乗ったユッケに思いをはせていた紺野が、それに気付く。
「藤本さん、眠いんですか?」
「ああ、ちょっとね。最近寝付きが悪くてねー。ヘンな夢見たりとかで」
その言葉に、紺野は反応した。
小川も見たという、あの夢の中での光景が頭の中で広がる。
もしかして。そう、もしかして。
「その夢って…」
- 20 名前:第二章 焼き肉と懐中時計 投稿日:2003年05月13日(火)23時38分49秒
- そう切り出した瞬間。
「はいお待たせしました。カボチャのアイスにウーロン茶とユッケビビンバでーす」
「わーいかぼちゃ、かぼちゃ、かぼちゃのアイス!」
興奮する小川。紺野の目の前にもユッケビビンバが置かれ、場が再び盛り上がる。
紺野は、最後の注文を持ってきた店員によって、問いかけるタイミングを完全に失ってしまった。
- 21 名前:第二章 焼き肉と懐中時計 投稿日:2003年05月13日(火)23時39分52秒
□ ■ □ ■
「遅いよ石川!」
「スミマセンでした。着替えてたら遅くなっちゃって」
ズンズンと地下鉄の階段を下っていく矢口の後ろを、石川が慌てて追いかけていく。
「まったく、石川は口が軽いから心配してたんだよ」
「スミマセンでした。でも紺野ちゃんは気付いてないみたいですよ」
「当たり前だろ。今気付かれたら困るんだから」
吐き捨てるように石川に言いながら、矢口は早足で歩いていく。
そのまま改札を通りホームへ出る。石川も遅れて続く。
「時間、間に合いますか?」
「ギリギリだけど、何とか大丈夫だろうな。忙しいけど」
ポケットから時計を取り出して時間を確認した矢口。
「それ、かわいい時計ですね」
「ああ」
矢口は石川の言葉を適当に流しながら、時計をポケットにしまった。
なんの変哲もないこの小さな懐中時計を、もし紺野が目にしていたならばこう言っただろう。
夢の中のウサギが持っていた時計だ、と。
- 22 名前:第三章 楽屋と家と図書館 投稿日:2003年05月15日(木)20時39分23秒
- □ ■ □ ■
「よっすぃ」
その頃楽屋では、楽屋で一人雑誌に目を通していた吉澤ひとみの下に、
息を切らせた安倍なつみが駆け込んできていた。
夜も遅くなり、外はネオンの光が渦巻いている。
「どうしました?」
のんびりとした調子で吉澤が聞くと、安倍はじれったそうに身体を捻り、
それから少し落ち着いたのか、パイプ椅子を引き寄せ腰を下ろした。
「高橋と新垣が、夢見たって」
安倍の言葉に吉澤は顔を上げ、ひゅう、と口笛を吹き鳴らす。
そして、ちょっと待ってくださいね、と言い置いて、
足元に置いてあった鞄から、メモ帳とボールペンを取り出した。
「何見たって言ってました?」
「高橋が赤頭巾で、新垣が親指姫だと思う」
「思う?」
「新垣の方は、まだはっきりしてないんだよ。
小さい人間だったとは言ってたんだけど…」
だって、アリスも小さくなるから。
その安倍の言葉に、吉澤は大きく頷いた。
- 23 名前:第三章 楽屋と家と図書館 投稿日:2003年05月15日(木)20時40分01秒
- 「ま、でも一応、親指姫で行きましょうか。
はっきりするまでは」
「そうだね」
吉澤が何事か呟きながらメモ帳に書き込み、安倍がそれを肩越しから見つめる。
そして、あ、そういえば被っちゃうのか、と小さく呟いた。
手帳には、
「紺野・アリス。
小川・ピーターパン。
藤本・?」
と既に記されている。
そこに、高橋の赤頭巾と、疑問符つきの新垣の親指姫が書き加えられた。
- 24 名前:第三章 楽屋と家と図書館 投稿日:2003年05月15日(木)20時40分51秒
- 安倍の問いに、吉澤は小首を傾げ、
「ないと考えるのが無難じゃないですかね。
アリスとピーターパンの時点で、接点が見つかりませんでしたし」
「そうだよね…」
「強いてあげれば、童話の世界ですか」
「うーん…」
得心のいかないと言った表情の安倍に、吉澤が苦笑を見せる。
「さっぱりわかんないすね」
「ホントに…」
口調とは裏腹に、さほど悔しさを見せず、吉澤はメモ帳を閉じ、鞄に放り込んだ。
- 25 名前:第三章 楽屋と家と図書館 投稿日:2003年05月15日(木)20時41分55秒
- □ ■ □ ■
「赤頭巾ってぇ、お姫様の友達いたっけか?」
安倍と吉澤の密やかな会話が行われた翌日。
全体終日オフを利して紺野の家にきていた高橋愛から、紺野はそんな言葉を聞かされていた。
「は?」
「いやだから、赤頭巾にお姫様の友達がいたかって」
高橋の唐突過ぎる質問にうろたえながら、
紺野は記憶を手繰り寄せ、赤頭巾の話を思い出していた。
赤頭巾、お使い、おばあさん、狼、変装…、
多少記憶は曖昧とは言え、いくつかあげたキーワードの中には、姫などと言う単語は出てこない。
まかり間違っても、友人である事はないだろう。
「いないんじゃない?」
「そうやろ?でもいたんよ」
- 26 名前:第三章 楽屋と家と図書館 投稿日:2003年05月15日(木)20時42分40秒
- 紺野は再び大きく目を見開いた。
「いたんよ?」
「おう、いたんよ」
「いたんよってどういうこと?」
紺野に問われると、高橋は急に声を落として言った。
「実はな、昨日夢見たんよ。
私が赤頭巾になってる夢…」
「赤頭巾…」
紺野の頭をよぎるものがあった。
もちろん、あの不可思議なアリスの夢だ。
高橋は紺野の変調に気付かないのか続ける。
「そしたらな、肩にお姫様乗っけてるんよ。
こんくらいの」
高橋はそういって、指で大きさを示して見せる。
それは丁度、親指程度の大きさだった。
- 27 名前:第三章 楽屋と家と図書館 投稿日:2003年05月15日(木)20時43分55秒
- □ ■ □ ■
高橋と紺野が談笑している頃、新垣里沙は一人、オフを利用し、本を読むために図書館へと向かっていた。
少し遠出をする必要があるため、貴重なオフを一日費やす覚悟である。
何が悲しくて…と思わないでもなかったが、この数日間見た夢の事を思うと、
普段のオフのようにのんべんだらりと家で過ごす気にはなりにくかった。
不思議な夢である。
新垣が目を覚ますと、そこは森の中。
見覚えのない風景に慌てて、方々に視線を飛ばしてみると、
自分の真横に、何か大きなものがあるのに気が付いた。
白みを帯びた肌色のそれにこわごわ手を伸ばしてみると、
それは大きく動き、代わりに突起物と、薄赤いものが姿を見せた。
「気が付いた?」
薄赤いものが開閉を繰り返し、音を発した。
そこでようやく新垣は、薄赤いものが唇である事に気付き、
突起物が鼻、そして最初に見えていたものが頬であることに思い当たった。
- 28 名前:第三章 楽屋と家と図書館 投稿日:2003年05月15日(木)20時44分42秒
- 「え…あの…」
しかし気が付いたからと言って、状況が把握できたわけでもない。
何せ見知らぬ、そして超が付くほどの巨人の肩に乗っているのだ。
瞬時に夢である事には気付いたものの、あまり気分のいいものではない。
「もう大丈夫だからね」
巨人はそんな新垣の心境などどこ吹く風と言った様子で語りかけてくる。
言葉尻の柔らかさや、断片しか見えないとは言え、
きっと笑顔であろう表情のことを思うと、新垣はさらに混乱した。
己と巨人との関係がサッパリ見えてこない。
「大丈夫だからね…」
そして巨人がその言葉を繰り返したところで、いつも夢は終わっていた。
尻切れトンボもいいところである。
- 29 名前:第三章 楽屋と家と図書館 投稿日:2003年05月15日(木)20時46分19秒
- しかし同じような映像を何度も何度も見せられているうち、
どうにも気になってしまってきていた。
何か意味があるのかもしれない。
そう思うと、泣く泣くオフを潰すのも仕方がないことに思えてきたのだ。
図書館に向かおうと思ったのは、風景に見覚えがあったからに他ならない。
どこかで見た風景。
いや、何かで見た風景に似ていた。
新垣の目指す図書館は、最寄り駅から電車で二駅いった所にある。
切符を買い、改札を抜け、ホームに立つと、程なく電車がやってきた。
しかしいつも思うことだが、この駅の騒々しいことと言ったらどうか。
電車が来るたびにどこかで誰かが奇声を上げている。
今日も、「急げ!」だの「ママァー」だの「ドアが閉まります」だの「待ってくださーい」だの…。
うるさいったらない。
新垣は一つ大きなため息をつきながら、電車に乗り込んだ。
- 30 名前:第四章 僅かな誤算 投稿日:2003年05月21日(水)21時56分59秒
- 図書館に着いた新垣は真っ先に童話のコーナーに向かった。
そこで、新垣は一冊の赤頭巾の本を取り、適当にページをめくっていった。
ページをめくる手を突然止めて、新垣は一言つぶやいた。
「うそ・・・・・」
予測はしていたが、驚かずにはいられなかった。
そこには新垣が夢で見た光景が広がっていた。
そして、夢に出てきた巨人そっくりの可愛らしい少女が、楽しそうに歩い
ておばあさんの家に向かっているところだった。
- 31 名前:第四章 僅かな誤算 投稿日:2003年05月21日(水)21時58分41秒
- 「新垣じゃん。」
突然の背後からの声に驚いた新垣は慌てて振り向くと、吉澤と加護と、そし
て後藤の姿があった。
どうやらさっきの声は吉澤のものらしく、加護と後藤は今新垣に気づいた
ようであった。
「本当だ、里沙ちゃん、何やってるの?」
加護が新垣の近くに行き、新垣の見ていた本を見せてもらう。
「これって・・・もしかして里沙ちゃん・・・あの夢の事を調べてたの?」
加護の言葉に吉澤と後藤も近づいてくる。
加護はともかく三つも年上の先輩二人に囲まれた新垣は怖気ながらも疑問
を口にした。
「あのう・・・それよりどうして後藤さん達は図書館に来てるんですか?」
「どうする?ごっちん。」
吉澤は後藤に尋ねた。
後藤は首を左右に振る事で返答した。
「まだ早いよ・・・じゃあ新垣、後藤たちはちょっと調べたい事があるか
ら。」
と、半ば強引に後藤は吉澤と加護を連れて新垣から離れていった。
後には、頭に疑問符を浮かべた新垣だけが残っていた。
- 32 名前:第四章 僅かな誤算 投稿日:2003年05月21日(水)22時01分42秒
- □ ■ □ ■
新垣からだいぶ離れた席に座った三人はしばらく黙ったままだった。
「どうする?一応リーダーに報告しておこうか?」
最初に口を開いたのは吉澤だった。
「いいんじゃない?調べたところで何が分かるってもんじゃないし・・・。」
後藤の言葉に加護もうなずく。
「それに、よしことあいぼんが担当してるのは小川と紺野のほうでしょ?
新垣の事はやぐっつぁんと梨華ちゃんに任せとけばいいんじゃない?」
後藤の言った事はもっともだと思ったので、吉澤も話題を変えた。
- 33 名前:第四章 僅かな誤算 投稿日:2003年05月21日(水)22時02分37秒
- 「問題は美貴ちゃんのほうだよね。ごっちん、なんか分かった事ある?」
「大丈夫、あややに条件付きでお願いしたらミキティーに夢の事、聞いてく
れるってさ。
今日聞くって言ってたから、もうすぐメールが来ると思うよ。」
後藤の言葉に吉澤と加護はほっとしたようだった。
「でも、よくあややがOKしたよね。ごっちん、条件って何だったの?」
吉澤の問いに後藤は苦笑いをした。
「実はさあ、あややの条件ってのはよしことミキティーの二ショットなんだ。
しかも男装で。」
「はあ?」
「なんで?」
後藤が予想していたとおりの反応を示す二人。
「後藤もよく知らないんだけど、なんか最近、かっこいい女性の写真をコレク
ションしているらしく、ぜひとも二人の二ショットを、って頼まれたんだ。だ
から明日にでも撮らせてね。」
- 34 名前:第四章 僅かな誤算 投稿日:2003年05月21日(水)22時05分00秒
- □ ■ □ ■
「なに?あやや。聞きたいことって?」
同時刻、藤本は松浦と一緒にある喫茶店に入っていた。
藤本はコーヒー、松浦はミルクティーをウエイトレスにオーダーした
後、藤本は口を開いた。
「なんかさあ、ミキティーが最近へんな夢を見ているって、紺野ちゃ
んとかに聞いてさあ。」
「ああ、あのことね。別に怖いってわけじゃないんだけど、ここ数日
同じ夢ばっか見るんだ。」
「ふ〜ん、どんな夢なの?」
「えっと・・・なんて言ったっけ、あれ。あの・・・嘘つくと鼻が伸
びる奴。」
- 35 名前:第四章 僅かな誤算 投稿日:2003年05月21日(水)22時09分49秒
- 「ピノキオ?」
「そう、それそれ。美貴がピノキオになってんのよ。笑っちゃうでし
ょ?何でピノキオ、って感じで。」
笑いながら話す藤本に対して、松浦は真剣に聞いている。
「具体的にはどんな夢だったの?」
「ん?え〜と・・・
気づいたときには美貴はどっかの城に連れてかれる途中みたいだった
んだ。周りを五,六人の兵士が囲んでいてさあ。美貴は訳が分からず、
連れてかれるままにされてたんだ。その途中で美貴の体がおかしい事
に気づいて、よく見ると体が木でできてんの。で、城に入ったときに
近くに鏡があったから見てみたら、ピノキオだったわけよ。
- 36 名前:第四章 僅かな誤算 投稿日:2003年05月21日(水)22時11分27秒
- それから、お姫様らしい人と面会させられたんだ。お姫様といっても
多分三十は過ぎてたと思うけど。
そいつがいろいろ質問してくるわけよ。しかも、その質問を全て、い
いえで答えろって言うの。で、美貴の鼻が伸びていくのを見て楽しん
でんの。
美貴はもうこれは夢だって気づいてたから、素直に答えてたのよ。と
ころが、何個目かの質問で、そいつが、
「私の事をきれいだと思うか?」って質問出して、美貴が、いいえっ
て言っても鼻が伸びなかったものだから、激怒して、兵士に、こいつ
の首を切れ、って命令すんだ。すぐに兵士が出てきて、今にも首を切
ろうとしたときに、兵士とお姫様もどきがバタって倒れたんだ。
- 37 名前:第四章 僅かな誤算 投稿日:2003年05月21日(水)22時13分34秒
- 美貴が、「なにこれ??」って思ってると、窓から妖精が入ってきた。
その妖精が、
「よかった、間に合って。もう大丈夫だよ。」
って美貴にささやいたんだ。美貴が、ありがとうって言おうとしたら、
急にその妖精が光り出して、美貴が目をつぶったの。
そこでいつも夢は終わり。
いつも、その妖精の事が気になってるんだけど、どうしてもその先の
夢を見ることは無いんだ・・・
ありがと、あやや。おかげでなんか少し気が楽になったわ。」
- 38 名前:第四章 僅かな誤算 投稿日:2003年05月21日(水)22時14分52秒
- 藤本の長い夢の話を聞き終わった松浦はしばらく考え込んでいたが、少
しして、お手上げのポーズのように両手を上げ、ため息をついた。
藤本と別れた後、松浦は後藤に結果報告のメールをして、少し思いつめ
たような顔をして、高橋もいる紺野の家に向かった。
- 39 名前:第五章 覚醒 投稿日:2003年05月24日(土)23時42分09秒
- 松浦は藤本の話を聞いてから、何か大事な事を忘れているような気がして、ずっと引っかかっていた。
タクシーを拾って紺野の自宅の住所を告げた後も考え続けて、ついに思い出した。
芸能界に入って直ぐにマネージャーから秘密めかして聞いた話を。
今まで忘れていた、恐怖心ゆえに封印していた記憶を。
松浦が紺野のマンションに向かってタクシーを走らせている頃、紺野と高橋は思いがけない事実に言葉を失っていた。
- 40 名前:第五章 覚醒 投稿日:2003年05月24日(土)23時45分27秒
- 「じゃあ、あさ美ちゃんも不思議な国のアリスの夢を繰り返し見たんや・・・、しかも、あさ美ちゃんの夢の中で麻琴がピーターパンになって登場したやと。全く驚くわぁ。」
福井弁丸出しの早口で愛ちゃんが叫ぶ。
「たぶん愛ちゃんの夢の中に登場した親指位のお姫様ってお豆だよ。昨日かな。お豆から、赤い布から何を連想する?って言われて、わたし、その時は何も疑問に思わないで、うーん赤ずきんちゃんとかかなって答えたんだけど、いま考えると、お豆も愛ちゃんと同じ夢を見たんだと思う。」
わたしは妙に確信を持って断言した。親指姫はお豆に違いない。
「あさ美ちゃんと麻琴が同じ夢を見た。あっしとお豆が同じ夢を見た。どういう意味やろか。しかも、みんな童話の主人公になっているやんて。」
その時だった。来訪者を知らせるチャイムが鳴る音がした。わたしは慌てて玄関脇にあるインターフォンのモニターのスイッチを入れた。わたしのマンションは来訪者の顔を確認してからオートロックを解除するシステムになっているのだ。
「えっ?」
モニターの白黒画面に予想していない顔を発見して動揺してしまった。
「松浦さん!?どうして?今、扉開けます。」
- 41 名前:第五章 覚醒 投稿日:2003年05月24日(土)23時46分15秒
- わたしは心臓の鼓動が早くなるのを感じていた。確かに、去年の夏にシャッフルユニットで一緒になった時に控え室とかで結構おしゃべりしたり、住所や携帯番を交換したりしたが、いきなり訪ねて来るほど親しくもない筈だった。
「松浦さん来るって。」
自分の部屋の開け放したドアから顔だけ出して愛ちゃんに告げる。
「なんでぇ?」
「分からないけど。」
愛ちゃんがクッキーを口にくわえたまま、目を丸くしてオランウータンの子供みたいな顔で驚き顔をしているのを目の端に捉えて、台所に紅茶を淹れに行く。そうこうする内にドアのチャイムが鳴った。扉の覗き窓から外を見てみる。魚眼レンズの歪んだ視野の中に松浦さんの姿が見えた。
(やっぱり松浦さんだ。幻覚?じゃない。)
扉の鍵を開けて彼女を招き入れた。
- 42 名前:第五章 覚醒 投稿日:2003年05月24日(土)23時47分24秒
- わたしの部屋で松浦さんとわたし達二人が向かい合って座わる形に自然となった。松浦さんの前で、さっき淹れた紅茶が儚げな湯気を立てていた。まるで時の流れが固まったような時間がしばし訪れたが、松浦さんは口を湿らすように紅茶を一口飲んだ後に話し始めた。
「ごめんね。いきなり来ちゃって。でもね、どうしても話しておきたいことがあってね。」
そこで目の前の二人の顔をじっと睨みつけるような視線を送った。
「愛ちゃん。あさ美ちゃん。二人はどうしてモーニングに選ばれたと思う?」
わたしたちは顔を見合わせた。松浦さんが何を言おうとしているのか、その意図を図りかねていたというのが正しい。わたしたちの戸惑いの表情を見て、松浦さんは何かの確信を持ったみたいだった。
「もちろん二人とも選ばれるだけの実力があったと思うよ。でも、それだけじゃない。」
松浦さんは断言する。
「あのね。忠告しておきたいの。二人が既に覚醒しているのか、していないか私には分からないけど、モーニング娘。に選ばれる人間は潜在的に、ある特殊能力を持っているの。でもね、その能力は決して二人を幸せにしないかもしれないの。」
一呼吸入れた。
- 43 名前:第五章 覚醒 投稿日:2003年05月24日(土)23時48分47秒
- 「美貴たんが『能力』に覚醒しちゃったの。お願い。美貴たんを守ってあげて。美貴たんは本当は覚醒する筈じゃなかったのに、娘。に入ることが決まってから・・・」
驚いたことに松浦さんは泣き始めて、言葉に詰まってしまった。
松浦さんのそんな姿にあっけに取られて、どう対応してよいものか考えあぐねていたけど、それでも辛うじてわたしは声を絞り出すようにして
「特殊能力って何ですか?」
とだけ訊いた。
「・・・そうか。まだ知らないんだ。」
松浦が涙を止めるように上を向いて、しばらく考えをまとめているみたいだった。わたしたちは黙って松浦さんの様子を見守り、次の言葉を待っていた。
でも松浦さんの言葉が発せられる前に『Be Happy恋のやじろべえ』の着メロが唐突に流れた。
「すいません。」
廊下に出て携帯に出る。
「紺野か。」飯田さんの声だった。
「紺野。高橋もそこにいるだろ。オフで休んでいるところを済まないけど、二人ですぐに事務所まで来てくれないか。いま直ぐにね。詳しいことは後で話すから。」
有無も言わせずに切れてしまった。
- 44 名前:第五章 覚醒 投稿日:2003年05月24日(土)23時52分08秒
- 「愛ちゃん。飯田さんが、直ぐに事務所に来てだってさ。」
松浦さんの方にすまなそうに視線を移した。彼女は事情を察したかのように
「ごめんね。取り乱して。用事あるんでしょ。一緒に出ようか。私も事務所にちょっと寄らなければいけないし。」
と言って立ち上がった。
事務所のロビーで別れるときに、松浦さんはまるで雨にぬれた子犬のような目をして「美貴たんの事をさりげなくでもいいから、気に掛けてあげてね。残念だけど私じゃ駄目だから。」と耳元で告げた。その目の色や、覚醒、能力など松浦さんが語った謎の言葉が頭の中をグルグル駆け回り、わたしは何だか体中が微熱を帯びたかの様な感覚を感じていた。
事務所の会議室には五期の四人だけではなく、上のメンバーが全員集合していた。何故かみんな緊張している様子だった。その緊張感がいきなり招集された五期メンにも伝染し意味もなく固くなって、会話もせず四人肩を寄せ合うみたいに座っていたが、とりあえず松浦さんとの出来事を要点だけ、まこっちゃんとお豆に伝えておいた。
- 45 名前:第五章 覚醒 投稿日:2003年05月24日(土)23時54分16秒
- 「私から話すよ。」
飯田さんが立ち上がって口火を切る。
「五期メンのみんな、『夢を見た』んだってね。覚醒おめでとう・・・と言っても本当にめでたいかどうか分からないけどさ。これからキツイかも知れないね。」
(覚醒?不思議な夢を見たことが覚醒なんだろうか?)
まこっちゃんやお豆ちゃん、愛ちゃんも狐につままれたような顔をしている。
「いきなり言われても、なかなか受け入れられないかもしれないけれど良く聞いてね。命がかかっているから。覚醒しちゃった以上逃げることは出来ないから。知っておかなければいけないことだから。ここ数日、五期の子達が覚醒したと聞いて、事実を伝えるべきか、まだ早いか迷ったけど、伝えることにするよ。」
(命がかかっている?)
何かすごい話になってきちゃったな。
「高橋。」
いきなり名前を呼ばれて愛ちゃんがびくっと体を固くして反応した。
「高橋、モーニング娘。はどうしてモーニング娘。と呼ばれるか知ってる?」
- 46 名前:第五章 覚醒 投稿日:2003年05月24日(土)23時56分36秒
- 「はい・・・。あのう、モーニングセットみたいにコーヒーもトーストも卵もついてお得なユニットになるようにってつんくさんが付けてくれたんですよね。」
この辺のエピソードは漫画とかにもなっていて有名だから私も知っている。
飯田さんはまるで何かを講義する教授の様に淡々とした調子で話し続ける。
「うん。表向きはね、そうだけど実は違う。わたしたちモーニング娘。はこの世の中の人達が幸せで気持ちのいい朝が迎えられるように、みんなの夢を守っているんだ。だから朝の娘・・・モーニング娘。と名付けられたのが本当の名前の由来なんだよ。」
「ちょっと待って下さい。夢を守っているって、何から守っているんですか?」
お豆ちゃんが口を挟む。
飯田さんは、少し言い淀んだ。恐怖心?それとも躊躇なのだろうか、複雑な表情が顔に浮かんでいる。
「夢魔。」
聞こえるか聞こえないか位の微かな声だった。
「夢魔!?」
期せずして五期の四人の声がシンクロする。
- 47 名前:第五章 覚醒 投稿日:2003年05月24日(土)23時59分43秒
- 「そう、夢魔。ナイトメアとも言うけど。実体はよく分からない。どこから来たかも不明だよ。異次元からきたのか、人間の潜在意識が作り出した精神的な存在なのか、よく分からない。でも、我々の敵であることには変わりない。夢魔は人間の精神を栄養にしているんだ。」
飯田さんは明らかに怒っていた。棒立ちになり、ただでさえ大きな目をもっと大きく見開いていた。
「明日香も、彩っぺもやられた。精神を奴らに・・・、廃人にさせられたんだ。」
「圭織!落ち着いてよ。私から補足説明するよ。」
矢口さんが飯田さんの後を継いだ。飯田さんは椅子に身を投げるように座り込む。
「いつの頃からか、夢魔と呼ばれる存在が人間の夢に侵入してきたんだ。ポックリ病とか睡眠時無呼吸症候群とかという言葉を聞いたことがあるだろ。寝ている間に原因不明の死を遂げたり、呼吸が止まったりする事だけど、全部が夢魔の仕業なんだよ。」
わたしたちは息を潜めて矢口さんの次の言葉を待った。
- 48 名前:第五章 覚醒 投稿日:2003年05月25日(日)00時01分02秒
- 「オイラ達の任務は人々の夢の中に侵入して夢魔と闘うこと。そういう特殊能力を持った人間だけが娘。に選ばれているんだ。あんたらも受けたでしょ、オーディションの時にテストを。」
そう言われてみれば、オーディションの時に精神をリラックスさせる訓練とか言われて、脳波を測定する電極を頭につけて瞑想状態に誘導されたことがあった。その時は特に疑問にも思わなかったが、あのテストは確かに異質だった。
「だいたい、娘。になって1年から2年でたいていは能力に目覚める。『夢を見る』って、うちらは言っているけど。その時が来るまで『夢魔』の話はしないように固く決められているんだ。だから今まで全くその話をしなかったけどさ。オイラも最初この話を聞いたときは、すげぇビックリしたよ。」
「正直言って危険な任務なんだよね。」
飯田さんが少し落ち着いたのか再び話し始めた。
- 49 名前:第五章 覚醒 投稿日:2003年05月25日(日)00時02分05秒
- 「夢魔との闘いは油断しているとこっちがやられる。夢の中で受けたダメージは精神力のダメージとして現れるんだ。明日香と彩っぺは夢から二度と覚めることが無かった。植物人間状態になってしまった。表向きは芸能界を引退した事になっているけど・・・。紗耶香は夢魔に手酷くやられて回復まで一年以上かかった。裕ちゃんと圭ちゃんは夢魔との闘いに体も精神も限界までボロボロになってリタイアしていったよ。ごっちんは、今のところは元気回復休暇ってとこかな。そのうち復活する予定だよ。」
一呼吸置く。
「どうする?やる?やらない?」
飯田さんは五期のみんなの顔を見回した。
誰も答えない。
(突然に、そういうシビアな話されても決められないですよ。)
正直そんな気持ちだった。
「夢魔ってどんな生き物?なんですか。」
まこっちゃんが恐る恐るという感じで質問する。
- 50 名前:第五章 覚醒 投稿日:2003年05月25日(日)00時03分36秒
- 「形は様々だよ。そう言えば、藤本が夢の中で遭ったという30過ぎの『あたしきれい?』って訊いてきて、嘘を言うと殺そうとする、まるで酒癖の悪い裕ちゃんみたいなお姫様も夢魔だよ。もっとも藤本の遭った夢魔は弱くて害の少ない奴だけど。もっとおぞましくて強力で悪意に満ちた野郎がうじゃうじゃいるよ。」
飯田さんは何かを思い出したように身震いする。
「ところで、お姫様の夢魔を倒したティンカーベルは、のんちゃんだよね。」
ティンカーベルとはピーターパンに出てくる、小さな空飛ぶ妖精だ。
「そうれす。ののが倒したのれす。あの木の人形は美貴ちゃんだったのれすね。気付かなかったれす。」
辻さんがちょっと得意そうに鼻の下をこすった。
「そう言えば藤本、来てないね。」
矢口さんが部屋を見回して、疑問とも独り言ともつかない風に呟いた。
「藤本はジョーカーだから。」
安倍さんが意味ありげに目配せする。
- 51 名前:第五章 覚醒 投稿日:2003年05月25日(日)00時05分01秒
- (ジョーカー?)
また分からないことが出てきた。
「五期の4人。藤本。この短期間に五人も覚醒するなんてある意味で異常事態なんだよね。それから、いままでメンバーが同じ夢に共存するってことも無かった。ずっと一人で夢魔と闘ってきたんだ。いま分かっているだけでも『紺野小川矢口』『新垣高橋』『藤本のんちゃん』が同じ夢で共存している。こんな事は初めてだよ。」
覚醒。特殊能力。夢魔。ジョーカー。
わたしたちは好むと好まざるとに関わらず、とてつもない宿命の奔流に中にいることがひしひしと感じられる。これからわたしたちはどうなってしまうのだろうか。松浦さんの声が頭によみがえる。
「その能力は幸せをもたらさないかも知れない。」と・・・。
- 52 名前:第六章 私だけの力 投稿日:2003年06月01日(日)23時08分18秒
会議室は水を打ったような静けさにつつまれた。
飯田を始め、すべての瞳が安倍に向けられた。視線の中心にいる当の本人は、
突然の注目を浴びて、きょとんとした表情をする。
「なんで藤本がジョーカーだって思うの?」
飯田は安倍に聞いた。
「あれ? 言ってなかったッけ? 2、3日前にね。感じたんだ」
「マジ?」
「嘘ついてどうするのさ」
飯田はため息をつくと腰に手を当て、悪戯好きの小犬を叱る飼主のように安倍
を見下ろした。
「なんでそんな大事なこと、もっと早く言わないの?」
「なに? なっちはなんでも圭織に話さないといけないわけ?」
安倍はむっとした。
「そういうことを言ってるんじゃない。伝えなきゃいけないことの区別ぐらい
つけられるでしょ。もし藤本がジョーカーなら藤本にも伝えなきゃ、教えなきゃ
いけないことがいっぱいある。意識していないのが一番危険だってことぐらい
なっちも知ってるでしょ」
「はいはい、圭織の言ってることが正しいよ。なっちが悪かったです」
安倍は悪びれた様子もなく言う。
- 53 名前:第六章 私だけの力 投稿日:2003年06月01日(日)23時10分07秒
- 両者は互いににらみ合い、ぴりぴりとした空気が流れる。
2人のやり取りを、少し離れた場所で楽しそうに見ている吉澤とは対照的に、
石川は傍目で見ても分るぐらいにオロオロとうろたえていた。
紺野は、その険悪なムードにジョーカーとは何なのか聞けずにいた。ジョーカー
だけではない。どうして毎夜変な夢を見るのか、夢魔とは何なのか、おかしな
夢と夢魔との関連性など、わからない事はたくさんある。しかし、聞きたい事
はたくさんあるのに、一度に与えられた情報の量とその内容が頭を混乱させて、
どう切り出していいのかも分らず、ただ傍観していた。
飯田は安倍の態度に頭にきているらしく、今にも掴みかかって殴り合いでも始
めるのではないかと周囲をはらはらさせている。今まさに、会議室で事件が起
きようとしていた。
険悪な雰囲気を一変させたのは、まだ言い足りないのか飯田が口を開きかけた
その時に、けたたましく鳴り響いたアラームの警告音だった。
- 54 名前:第六章 私だけの力 投稿日:2003年06月01日(日)23時15分24秒
- 会議室に鳴り響く場違いなアラーム音は、その場に居合わせている面々に共通
の緊張感を与えた。飯田は舌打ちすると、戸口から見て正面となる壁の手前ま
で移動すると、正面の壁を手の平で強く叩いた。
まるで、ヒーロー物の番組を見ているようであった。
叩かれた壁の3分の1ほどが減り込み、くり抜かれようになる。そして、凹ん
だ壁は四等分されると巨大な画面と入れ替わった。液晶の表示媒体にガラスを
かぶせたような画面で、下部にはその画面を操作する為の物と思われるボール
型の突起物やスイッチ類が取りつけられていた。
飯田は画面下部のボールに手を触れると、画面にUFA(アップ・フロント・
エージェンシー)のタイトルロゴのアニメーションが流れる。そして、一瞬画
面が暗転したかと思うと、日本どこかだと思われる地図が表示された。
その地図が何処であるのか判別できなかったのは、局地的な場所であるのと、
描写が細々としていたためだ。地図上の特定の位置には赤い円形のマーキング
が表示されており、指示線の先にはその地点の情報が記されている。
- 55 名前:第六章 私だけの力 投稿日:2003年06月01日(日)23時16分37秒
- 飯田が慣れた手つきで操作を続けると、赤いマーキングのあるエリアが次々に
切り取られ、拡大して表示された。
「ち、こんな真っ昼間から出やがって」
矢口が悔しそうに言う。
四期以上のメンバーは苦々しげに画面を見つめ、五期のメンバーもわけがわか
らないまま画面を見ていた。
飯田は頷くと、メンバーの全員を見渡した。
「みんな、また夢魔が出現したわ! 場所は、中目黒の鈴木さんに調布の小池
さん、そして……当ビル内の小川麻琴!?」
飯田の声に、会議室の全員が一斉に小川を見た。
小川は、黒い皮の長椅子に身を沈め、気持ちよさそうに眠っていた。
すやすやと寝息を立て、時折、んん、ふぐっと声を上げてにやける。
「紺野、起こせ!」
飯田は、小川の隣に座っている紺野に声をかけた。紺野は慌てて小川の体を激
しく揺さぶる。しかし、小川は起きる気配などまるで見せない。それどころか
「むふ、だめ、ほーへない、んふふ」と寝言を言う。
「ダメです! 飯田さん! 起きません!」
紺野は泣きそうな声を出した。
「うちにまかせろ」
吉澤は長椅子の下から木製のバットを取り出した。
バットには南無阿弥陀仏と正楷書体で書かれていた。
- 56 名前:第六章 私だけの力 投稿日:2003年06月01日(日)23時17分26秒
- 吉澤はバットを片手で持って垂直に構えると、バットを持つ方の二の腕部分の
洋服を軽く引っ張り上げる。
「この金剛丸で」
「だめよっすぃー! そんなことしたら永久に目覚めなくなるかも」
石川が止めに入った。
「大丈夫だよ。こうするから」
そう言うと、バットを振り上げ、そして、振り下ろした。
「ほいやぁ」
「ぐっ!」
紺野の頭上で、鈍器で殴ったような鈍い音がする。
振り下ろされた金剛丸が、紺野の頭部に直撃したのだ。
紺野は頭部に激痛を受け、急速に意識が遠のいていく。
薄れゆく意識のなかで、吉澤が石川に攻められている姿が目に映った。
何かを言い合っているようであるが、頭の中で、音が爆発したように響くだけ
で何を言っているかまでは分らない。
最後に見た映像は、逆上した吉澤が、石川に向けてバットを振り上げる姿だった。
- 57 名前:第六章 私だけの力 投稿日:2003年06月01日(日)23時18分36秒
* * * * *
眼を覚ますと、紺野は見渡すばかりのお花畑に倒れていた。
別に痛みはないのだが、意識を失う直前の映像が強烈過ぎたため、おもわず頭
を振りながらゆっくりと体を起こす。手を頭に持っていき、殴られた後を確認
するように触った。しかし、手に振れるのは、蝶々のように結われた、リボン
の布の感触だった。紺野は慌てて自分の服装を確かめる。そして、夢で見てい
たアリスの格好であることを確認すると、肩を落としてため息をついた。
紺野の周囲は薄いピンクがかった白い花々で地面が覆われ、更にその奥は木々
が立ち並んでいる。数十メートル先には馬車道が見えることから、森の道から
外れた白い花の群生地にいるようだ。馬車道の先は、鋭い棘のある深い茨の壁
で塞がれ、その先にはとても進めそうになかった。しかし、道の先は小高い丘
になっており、その頂には、上空を灰色の雲に覆われた西洋風の古城が見えた。
- 58 名前:第六章 私だけの力 投稿日:2003年06月01日(日)23時19分41秒
- ふと、水を引っ掛ける音が聞こえた。
音は背後から聞こえており、振り向くと広く澄んだ湖が広がっていた。
湖の中央にはボートが一隻浮かんでおり、そのボートには、黒いローブを纏っ
た、腰まである長い黒髪の女性が乗っていた。
ボートのすぐ傍では、緑色の服を着た見覚えのある少年が溺れていた。
黒髪の女は、湖の水を柄杓で汲むと、その少年の頭にかけていた。
その少年は、ピーターパンだった。
「大変! 助けなきゃ!」
紺野は湖に向けて走り出した。
そして、湖の縁まで辿り着くと、湖に飛び込もうとした。
しかし、湖を間近にした瞬間、紺野の脳裏に幼少の頃の苦い思い出が蘇る。
もし、ここで飛び込んで洋服が濡れたらどうしよう。
目が覚めたらおねしょしてるかも知れない!
事務所にはメンバーがいる……もしそんな事になれば生きていけない!
紺野は身動きが取れなくなった。
- 59 名前:第六章 私だけの力 投稿日:2003年06月01日(日)23時20分51秒
「だ、だれか、誰か助けてーっ!」
紺野は叫んでいた。今の彼女には、ただそれしかできなかった。
黒髪の女は紺野を見るとニヤリと笑い、ピーターパンに水をかける。
「イヤァ! だれか! お願い! まこっちゃんを虐めないでぇ!」
ピーターパンは沈んでは浮かび、また沈んだ。
「やめて、お願いです! 止めてください!」
黒髪の女は、紺野の叫び声を聞いて、嬉しそうに笑っている。
「誰か助けて……お願い……助けてよ。誰か……」
紺野は体の力が抜け、その場にへたり込んだ。恐怖のためか、胸の動悸が荒く
なる。全身に寒気を覚え、風邪の引き始めのような軽い眩暈と脱力を感じた。
「呼んだかい?」
不意に背後から声がした。
驚いて振り向くと、白い花々に埋もれるように、ちょこんと猫が座っていた。
猫は、目を閉じたまま眠たそうに欠伸をすると、口の両端を耳まで吊り上げて
ニヤニヤ笑いを浮かべている。
「あなた……なの?」
「なんだい、おかしな顔して。猫がしゃべるのがそんなに不思議かい?」
「いいえ、だってあなた、チェシャ猫さんでしょう?」
「あんたがそう思うんならそうだろうよ」
チェシャ猫は言った。
- 60 名前:第六章 私だけの力 投稿日:2003年06月01日(日)23時21分48秒
- 「お願いです。助けてください! まこっちゃんを助けて!」
チェシャ猫はつまらなそうに欠伸をした。
「あんたが助けるんだよ」
「そんな、無理です。あたし、何も出来ない」
「出来ないんじゃない。知らないだけさ。あんたには、あんただけしかできな
い戦い方ってのがちゃんとあるんだよ」
「わたしだけの?」
「まぁ、そうだね」
「私だけの力……まこっちゃんを助ける為の力……」
紺野は自信なさげに呟いた。
「ないよ、そんな力……私に何が出来る? 何も出来ないじゃない!」
「そう思うんならそうなんだろうよ」
紺野はムッとした。
「ふざけないで。あなたはなんでも知っているのでしょう? ねぇ、どうやっ
たらまこっちゃんを助けられるの? 私の力って何?」
紺野はわけがわからずチェシャ猫に聞いた。
しかし、チェシャ猫はからかうようにニヤニヤ笑いをもっとニッタリとさせる。
「あんたはもう力を使っているんだよ。答えはアタイさ。後は自分で考えるん
だね」
チェシャ猫はそう言うと、ジャンプして、空中に溶け込むように消えた。
- 61 名前:第六章 私だけの力 投稿日:2003年06月01日(日)23時22分27秒
- 「力を……使ってる? チェシャ猫さんが答え……」
紺野は助けを呼んだ。
そうしたらチェシャ猫が現われた。
そして、消える間際にチェシャ猫が残した言葉。
「アタイを呼び出した」
「力を使っている」
「アタイが答え」
紺野は、チェシャ猫が消えた場所を見つめながら、浮かんだ言葉を口にした。
そして、その言葉が意味することを推測して、それが正しい答えなのか自信を
持てない表情をする。やがて、決心したかのように頷くと、立ち上がった。
可能性があることなら全てを試してみようと思ったのだ。
「お願い! 私を助けて! トランプの兵隊さん!」
紺野は目を閉じ、祈るような思いで叫んだ。
すると、目の前にトランプの兵隊が現われた。
- 62 名前:第六章 私だけの力 投稿日:2003年06月01日(日)23時24分23秒
- 数十枚のトランプの兵士は、みな、隊列を組んで立っていた。
トランプの兵士の中には直立不動して厳粛にしているトランプ兵もいれば、
隣同士で何やら雑談しているトランプ兵もいた。彼らは、紺野に対して関心
を持っているようだ。
紺野は、湖に浮かぶボートを指差した。
「私、あのボートまで行きたいの!」
紺野が言うと、それまで雑談していたトランプ兵まで黙り、ピタリと身動き
するのを止めた。一瞬、時間が止まったのではないかと思えたほどだ。
「仰せのままに」
隊長らしきサーベルを持ったトランプ兵がそう言うと、指揮を始めた。
一人のトランプ兵が湖に飛び込むと、水面に浮かんだ。そのトランプ兵の両
足を、別の兵士が湖の端で掴む。さらに、別の兵士が、湖に浮かぶ兵士の上
に飛び乗ると湖に飛びこんだ。そして、先ほど飛びこんだトランプ兵は、最
初に飛び込んだトランプ兵に両足を掴つかまれた。
そうして、次々とトランプ兵は飛び込み、両足を掴む事で繋がってゆき、湖
に浮かぶトランプの橋を作り出した。
- 63 名前:第六章 私だけの力 投稿日:2003年06月01日(日)23時25分24秒
- 紺野はトランプ兵の橋に飛び乗ると、ボートに向けて駆け出した。
水面に浮かぶトランプの橋は、滑りやすく安定していなかった。
しかし、絶妙のバランスを保ちながら、スピードを落とすことなくトランプ
の橋を走る。
黒髪の女は、トランプの橋を駆ける紺野を見て笑うのを止めた。
「邪魔をするな」
黒髪の女はそう言うと、柄杓で湖の水を汲んだ。そして、紺野めがけて水を
引っ掛ける。
「ハンプティダンプティさん!」
紺野はトランプの橋を駆けながら叫んだ。
すると、紺野の肩の上に、ちょび髭を生やし、シルクハット帽子に燕尾服を
着こなしステッキを持った紳士姿の卵が現われた。
卵の紳士は、巨大化すると透明の殻となって紺野の周囲を覆った。
黒髪の女が柄杓ですくった水は、その透明の殻によって弾かれ、雫となって
四方に飛んだ。
卵の紳士は、水を弾くと縮小し、元のサイズに戻った時には紺野の肩の上に
足を組んだ姿勢で座っていた。
- 64 名前:第六章 私だけの力 投稿日:2003年06月01日(日)23時26分10秒
- 紺野は既にボートの数メートルそばまで近づいていた。トランプ兵の橋も、
次のカードで途切れている。紺野は、最後のカードを踏みしめて身を屈める
とジャンプした。そして、ボートの舳先に飛び乗ると、黒髪の女に向けても
う一度ジャンプする。
「はぁっ!」
紺野は黒髪の女の膝の上に着地しすると、そのまま踏み台にして飛び上がり、
顔面に膝蹴りをお見舞いした。魔女は、悲鳴を上げて吹っ飛び、紺野が空中
で態勢を整えボートに着地すると同時に水飛沫を上げて湖に落ちた。
紺野は急いでピーターパンの様子を覗う。
しかし、すでにピーターパンは沈んでおり、その場所で泡がブクブクと浮か
んでいた。
- 65 名前:第六章 私だけの力 投稿日:2003年06月01日(日)23時27分12秒
- 「ああっ、まこっちゃんが! 海亀さん、お願い、出て来て」
すると、湖の中から子牛が頭を突き出した。
頭は子牛であるが、体は海亀の胴体と鰭といった姿をしている。
海亀もどきは、何も言わずに悲しそうな瞳を紺野に向けていた。
「お願い。まこっちゃんを助けて欲しいの」
「いいよ」
海亀もどきは、深く虚ろな声で言った。
そして、ゆっくりと水中へと沈んでいく。
次に現れた時には、甲羅の上にピーターパンを乗せていた。
「まこっちゃん!」
紺野はピーターパンをボートの上に引きずり上げて抱きかかえた。
「まこっちゃん! 大丈夫!?」
紺野がいくら呼びかけても、ピーターパンは返事をせずぐったりとしていた。
その時、水中で爆発が起こったかのような水飛沫が上がり、その爆発の中央
に黒髪の女が恐ろしい形相で現れた。
黒髪の女は、地面の上にいるかのように水面に立っている。
「小娘め、よくもやったな!」
紺野はピーターパンを寝かせると、ボートの上に立ち上がり、黒髪の女を見
据えた。
「よくもまこっちゃんを……ゆるさない!」
そして、黒髪の女を睨みつけた。
- 66 名前:第六章 私だけの力 投稿日:2003年06月01日(日)23時28分01秒
- 「白兎さん!」
紺野が叫ぶと、チョッキを着て懐中時計を持った白兎が現われた。
白兎は、懐中時計に息を吹きかけるとチョッキで拭き取る。
そして、紺野と黒髪の女を見比べて、えへん、と咳払いをした。
「では、制限時間3分。よーい、スタート!」
白兎はジャンプして叫ぶ。
黒髪の女は小馬鹿にしたように笑うと、片手を前に突き出す。
すると、湖の水面から水が吸い上げられ、手のひらの正面に拳大の水の珠を
作り出した。
「あ、あっしはこれで」
亀もどきは身の危険を感じて水中に潜っていった。
「ワーハハハ。ペチャンコになっておしまい」
「キャァ」
黒髪の女は紺野に向けて水の珠を一直線に飛ばした。
紺野は悲鳴を上げて身構える。
しかし、水の珠が紺野にぶつかる直前に、卵の紳士は巨大化して紺野を覆い、
盾となった。
- 67 名前:第六章 私だけの力 投稿日:2003年06月01日(日)23時29分39秒
- 「び、びっくりしたぁ。今度はこっちの番、ハートの女王さま」
紺野が名を呼ぶと、胸が開いたピンクのドレスを着て、もこもこがついたコー
トを羽織った頭に金のティアラを乗せた女性が現れた。
ハートの女王は、紺野を見ると突然抱きつき、紺野の顔をその豊満な胸に押
し付けた。
「キャァ、かわいーっ!」
「うわぁ、び、びっくりしたぁ」
「ねぇ、お嬢ちゃん、なんていうの? どこから来たの? 食べていい?」
「ちょっちょっとまってください。お願いがあるのですが」
「ん? なぁに? いってごらんなさい?」
「あ、あの。あの人をやっつけてください」
紺野は黒髪の女を指差した。
ハートの女王は指先の方向を見ると、怪しく微笑んだ。
「あら、モーちゃんじゃない」
「その名で呼ぶな! インケン首切り女」
ハートの女王はピクリと眉を動かす。
「あら、ずいぶんと失礼じゃない? やっと私に挑戦する気になったの?」
「ふん、このこーまんきち女。いつまでも自分が勝ってると思ってるんじゃ
ない。私は随分と力をつけたよ」
「やれやれ、成長ないねぇ。だからダメダメダメ子さんなのよ」
- 68 名前:第六章 私だけの力 投稿日:2003年06月01日(日)23時31分19秒
- ハートの女王は紺野を放すと黒髪の女に向き直った。右手には、いつの間に
か真っ赤な鞭を持っている。
最初に動いたのは黒髪の女だった。
両手を左右に広げると、湖の水を巻き上げ、幾つもの水の珠を作り出す。
そして、同時にハートの女王に向けて水の珠を飛ばした。
「ヲーホホホホ。ムダムダムダァ」
ハートの女王は鞭を撓らせ、次々と水の珠を打ち落としていく。
そして、全ての水の珠を打ち落とすと、黒髪の女を鞭で攻撃した。
「キャァッ!」
黒髪の女は悲鳴を上げた。
ハートの女王は、黒髪の女が上げた悲鳴に光悦とした表情を浮かべる。
「ヲーホホホホ。女王様とお呼びぃ!」
ハートの女王は何度も鞭を撓らせ、黒髪の女を打ち付ける。
黒髪の女はたまらず遠ざかると距離をおいた。
「あ、あ、あんた! キャラ変わったわね!」
「あら、時代とともに変えていかなきゃ。いつまでも同じじゃつまんないで
しょ。ちなみにこのキャラは中年層のエリートに人気が高いのよ」
「くそぅ、馬鹿にしてぇ」
黒髪の女は涙目でハートの女王を睨みつけた。
そして、身をかがめると水面を両手で勢いよく叩いた。
- 69 名前:第六章 私だけの力 投稿日:2003年06月01日(日)23時32分22秒
- 「これでもくらえ!」
黒髪の女の手元の水面が突然凍り、氷柱が突き出した。
その冷気は一直線にボートへと向かい、水面を凍らせながら氷柱を作りだす。
「あまい!」
ハートの女王が鞭を一閃させると、氷柱は砕け散り、氷の破片となって四方
に飛び散った。同時に冷気も消し飛び、氷柱の進行も止まった。
ハートの女王は、ふふんと鼻を鳴らして黒髪の女を見ると、彼女は遠くに逃
げようと水面を走っていた。
「あぁ、どうしよう! 逃げちゃうよぅ」
ハートの女王は紺野に抱きつきながら言った。
「ちょ、ちょっと待ってください。チェシャ猫さん」
「あぁっ! ちょい待ち。いい、呼ばなくていいから」
「呼んだかい。お嬢ちゃん」
ボートの上にチェシャ猫が現われた。
チェシャ猫は相変わらずニヤニヤ笑いを浮かべ、目を閉じている。
ハートの女王は、チェシャ猫から目をそらすと、つまらなそうに舌打ちした。
- 70 名前:第六章 私だけの力 投稿日:2003年06月01日(日)23時33分33秒
- 「あの、私、あの女を逃がしたくないの」
紺野は遠ざかる黒いローブの後姿を指差した。
チェシャ猫はため息をする。
「ふぅ、まあいいさ。今回は特別だよ」
「なによ。偉そうに」
ハートの女王はチェシャ猫から目をそらしたまま口を突き出していった。
チェシャ猫は、姿を消したかと思うと、舳先の上に現れた。そして、ゆっく
りと目を開く。その瞳はエメラルドグリーンの輝きを放っていた。
次の瞬間、湖の水面に、幾つもの植物の若葉が飛び出した。若葉はぐんぐん
と成長をし、数メートルの立派な木へと成長する。そして、瞬く間に周囲を
木々で囲まれ湖の上に森が出現した。
- 71 名前:第六章 私だけの力 投稿日:2003年06月01日(日)23時34分33秒
- 黒髪の女は突然現れた森に混乱していた。必死に木々の間を抜け、湖のほと
りを目指す。
「くそ、なんだこの木は」
黒髪の女は文句を言いながら森の中を駆け回る。
やがて、木々の隙間から開けた場所が見えた。
「やった、出口だ」
黒髪の女はその場所に向って急いだ。
そして、ついに開けた場所に辿り着くと、そこには一隻のボートが浮かんで
いた。
「あれ?」
頭にハテナマークを浮かべる黒髪の女に、チェシャ猫は怪しく笑う。
「残念だね。アタイの案内無しにこの森は抜けられないよ」
エメラルドグリーンの瞳を黒髪の女に向けながらチェシャ猫が言った。
黒髪の女は全てを悟った。チェシャ猫の術中に嵌ってしまったのだ。
- 72 名前:第六章 私だけの力 投稿日:2003年06月01日(日)23時35分39秒
- 黒髪の女は悔し泣きをすると、ボートの上の面々を睨みつけた。
「ふん、ならば全てを破壊するまでだ」
黒髪の女はそう言うと、両手を頭上に掲げ、意識を集中する。
。
すると、黒髪の女の頭上に幾筋もの湖の水が吸い上げられ、一箇所に集まる
と、黒髪の女の身長をはるかに超えた、巨大な水の塊を作り出した。
それと同時に、黒髪の女の髪は真っ白に変わってゆき、全身に皺が刻まれ、
枯れ枝のように細く痩せ細る。
黒髪の女は、瞬く間におばあさんに変わっていった。
「なんとしたことじゃ! あの大きさでは我輩の殻では防ぎきれん」
卵の紳士が言った。
「ほう、相手も命をかける気になったようだね」
チェシャ猫は言う。
「みんな、ペチャンコになっちゃえ」
おばあさんと変わった女は、水の塊を紺野たちめがけて放った。
その瞬間、白兎が飛びあがり叫んだ。
「ターイムアーップ!」
白兎が叫ぶと同時に、上空に小さな黒点が現われた。
- 73 名前:第六章 私だけの力 投稿日:2003年06月01日(日)23時37分08秒
- 黒点は周りにあるもの全てを吸い上げ始めた。
水球は、黒点に吸い寄せられ、紺野に直撃する手前で止まる。
そして、徐々に形を崩しながら黒い穴に吸い込まれていった。
周囲の水面は波立ち、ボートが徐々に穴に近づいていく。
その時、卵の紳士はこれまでになく巨大化するとボートごと紺野を覆った。
黒い穴の力は卵の紳士の内部までは及ばないのか、その内側だけは吸い込む
力は失われ、ボートの周りの波も穏やかになってくる。
おばあさんの体は浮き上がり、黒点に吸い込まれようとしていた。
しかし、近くの木の枝に掴まると、必死に抵抗していた。
「無駄だよ。ラビットホールは全てを吸い込む。それが自然の摂理なのさ」
白兎は肩を上げて言う。
「しかし、これじゃ埒があかないねぇ」
チェシャ猫が言うと、エメラルドグリーンの瞳を閉じた。
その瞬間、水面に現れた森は幻と消えた。
おばあさんは、体を支えていたものを失い、空中を掻きながら黒い穴に吸い
込まれていった。
- 74 名前:第六章 私だけの力 投稿日:2003年06月01日(日)23時38分17秒
- おばあさんが吸い込まれるのを確認すると、白兎はジャンプして空中の穴へ
と向った。そして、穴に吸い込まれるとそこからひょっこりと顔を出した。
「んじゃ、またね」
白兎がそう言うと、空中の穴は消えて再び穏やかな水面に戻っていく。
その一連を見終わると、チェシャ猫はくるりと向きを変えた。
「さぁ、アタイらの仕事は終わったよ。帰った帰った」
チェシャ猫が言うと、ハートの女王はつまらなそうに口を尖らせた。
「やだ」
「おや? アタイは別にいいんだよ」
卵の紳士は、ハートの女王の頭をステッキで突付くと、諦めろと言わんばか
りに体を横に振った。
ハートの女王ため息を付くと、紺野に抱きついたまま顔を覗き込んだ。
「ねぇ、お嬢ちゃん。名前は何?」
「えと、紺野です」
「こんちゃんかぁ。またあたしを呼んでよ。サービスするからさ」
ハートの女王は紺野の頬にキスをすると、紺野から離れた。
卵の紳士もハートの女王に飛び移る。
そして、次の瞬間チェシャ猫を残し、手を振りながら彼等は消えた。
- 75 名前:第六章 私だけの力 投稿日:2003年06月01日(日)23時39分34秒
- 「そうだ!まこっちゃん!」
紺野はピーターパンを心配して後ろを振り向いた。
しかし、足腰に力が入らず振り向いた拍子に崩れ落ちる。
紺野は這いつくばりながらピーターパンに近づいた。
そして、ピーターパンに抱きつくと、体を起こし、背をボートに預けて胸に
抱いた。
「まこっちゃん! まこっちゃん大丈夫!?」
体を揺らし、無事なのか確認する。
ピーターパンは、もうたべれないよぉと寝言を言い、ゆだれをたらしていた。
紺野はその場にへたり込み、ほっとする。
「よかったぁ」
紺野はチェシャ猫に目を向けた。
「でも、力のこと教えてくれてもよかったのに」
紺野は非難めいた視線をチェシャ猫に向ける。
チェシャ猫は素知らぬ顔をしてにやっと笑う。
「力は自分で気づくことが大切なのさ。教えられるのではなく、自分で考え、
そしてイメージする。本当の力は与えられるものではなく、自分の中から搾
り出すものだろう?」
そう言われると納得するしかなかった。
紺野は力無く笑う。
- 76 名前:第六章 私だけの力 投稿日:2003年06月01日(日)23時40分35秒
- 「そういえば、あの女が最後の攻撃をしかけた時に、命をかける気になった
ようだって言ってたけど、どうして?」
「簡単な理屈だよ。夢の住民にとって精神は有限なのさ。無限なのは人間だ
け。だからやつらは人間から精神を奪うのさ。生きる為にね。夢の住民が力
を使うって事は命を削ということなのさ」
「へぇ、じゃあなた達って凄いのね。あんなに凄い力を使ったのにぜんぜん
元気じゃない」
チェシャ猫は紺野に顔を向け、さらに口元をにやけさせる。
「あんたが立てないほど疲れ切っているのは何でだと思うのかい?」
「まさか」
「気づいたようだね。アタイらも夢の住民なんだよ。あいつ等と同じにね」
紺野はチェシャ猫の言葉を薄れる意識の中で聞いた。
急激な疲れが押し寄せ、頭に白い靄がかかっていくように真っ白になる。
そして、紺野は意識を失った。
- 77 名前:第六章 私だけの力 投稿日:2003年06月01日(日)23時43分48秒
- 突然、湖の周りの木々がざわざわとざわめいた。
チェシャ猫は髭をピンと伸ばすと、空気の匂いを嗅ぐような仕草をする。
「まったく、うるさい連中だねぇ」
チェシャ猫がそう言うと、ボートを中心に湖に波紋が立った。
その波紋は湖の隅々まで伝わり、湖全体に広がると木々のざわめきが止んだ。
そして、ふん、と鼻を鳴らすとアリスの顔をじっと覗きこむ。
「やれやれ、そこらじゅうにあんた等を狙ってる奴が居るってのによく眠れ
るね」
呆れたようにそう言うと、ニヤニヤ笑みを浮かべる。
「しかし、怒りで心が強くなるなんて、人間ってのは恐ろしい生き物だね。
しかも、そういう時の精神は決まって美味ときている」
そう言うと、舌を突き出し口の周りをなめた。
「そこの坊やもあれだけ精神を奪われながらまったく揺らぎが見えない。まっ
たく、底が知れないねぇ」
- 78 名前:第六章 私だけの力 投稿日:2003年06月01日(日)23時47分19秒
- チェシャ猫は、口元をニヤニヤさせたまま、暫く二人をじっと見ていたかと思
うと、自嘲気味に笑いだす。
「くっくっ、アタイらしくもない。さっさとこいつ等を帰して森の木陰で昼寝
でもするかね」
そう言うと、チェシャ猫と共にアリスとピーターパンの姿が薄れ、空気中に溶
け込むように消えると、森の湖には、突然過重が失われて小刻みに揺れる一隻
のボートだけが残った。
- 79 名前:第七章 暗中模索ディスカス、そして 投稿日:2003年06月02日(月)16時40分44秒
- □ ■ □ ■
「は…」
紺野が目を覚ますと、辺りの風景は見慣れたものに戻っていた。
吉澤に殴られ気を失う前までいた会議室だ。
殴られた衝撃で床に突っ伏していたのか、さらけ出されている腕部にフローリングが冷たい。
まだ軽く残る鈍痛に頭を抱えながら立ち上がると、会議室の様相は一変していた。
まるで美術の時間に勉強した戦の女神と群集たちの絵のような、と言った感じだろうか。
床と言わず椅子と言わずモニター画面と言わず、至る所にメンバーが突っ伏している。
床に倒れている石川の背には覆いかぶさるように矢口の身体があり、
椅子を抱きとめている形で気を失っている加護に寄り添うように辻の身体がある。
机には高橋が身体を二つに折りたたむように凭れ掛かっており、
モニター画面には安倍と飯田が見つめあいと言うのかにらみ合いと言うのか、
とにかく顔を寄せ合い崩れ落ちていた。
保田と新垣は仰向けに倒れている。
- 80 名前:第七章 暗中模索ディスカス、そして 投稿日:2003年06月02日(月)16時41分29秒
- 「何…」
どれくらい気を失っていたのか定かではないが、
あまりの状況の変わり具合に紺野は混乱した。
突如この部屋に快楽猟奇殺人犯が飛び込んできて暴れた、
或いはモンスーンが通り過ぎていった、などと言われても首肯せざるを得ない。
その雰囲気は異様としか言いようが無く、現場はただ異常な空気に包まれていた。
「紺野、目ぇ覚めたんだ」
そんなところに突然声が響いたものだから、紺野は飛び上がらんばかりに驚いてしまった。
一瞬何処から声が聞こえたのか分からず、あちらこちらと室内に視線を飛ばしてみると、
部屋の隅、モニター画面に程近い部分に、
矢吹某よろしく、肩で息をしながらパイプ椅子に腰掛けている吉澤の姿があった。
- 81 名前:第七章 暗中模索ディスカス、そして 投稿日:2003年06月02日(月)16時43分08秒
- 「よ、吉澤さん、これ一体どういうことです?」
紺野が吉澤に詰め寄り唾を盛大に飛ばしながらそうまくし立てる。
吉澤はうざったそうに首を振りながら、しかし殊勝な声で言った。
「…アタシがやったらしい」
「は?」
「アタシがコイツでやっちまったらしい…」
そういいながら吉澤が視線を向けたのは、
紺野に一撃を食らわせた例の南無阿弥陀仏のバット、金剛丸である。
「やったって…」
「わかんない。
わかんないけど、この様子だとどうもバーサーカーモードが発動したんじゃないかと…」
語尾に向かってどんどんと声の小さくなる吉澤を視界の端に捕らえてはいながら、
紺野の脳内では気を失う前の映像が巻き戻され、そして流されていた。
あの時確か、吉澤は石川にバットを振りかぶっていたはずだ。
- 82 名前:第七章 暗中模索ディスカス、そして 投稿日:2003年06月02日(月)16時44分01秒
- 「と言うことは、みんな夢の中ですか?」
「うん、多分…。
ウチラと言うか、四期以上のメンバーは無事に夢に入っただろうけど…」
そういってから、吉澤が不安げに視線をずらした。
紺野がそれを追うと、その視線は机の上の高橋、机に下半身が隠れている新垣、
そして吉澤に駆け寄った紺野の足元にいる小川の順で動いた。
「まだ成長しきってない五期のメンバーはもしかしたら…」
「そんな!」
「でも、紺野が大丈夫だったんだ。
大丈夫だろ」
紺野に詰め寄られそうになった吉澤は慌てて前言を撤回する。
そして、天から降りてきた一筋の糸にすがるように声を張り上げた。
「大丈夫だ、うん、高橋も新垣も息してる」
言われるがままに二人を見ると、確かに肩口が規則的に上下している。
同時に足元からは、「何で今頃かぼちゃケーキが…」とか何とか言う寝言も聞こえた。
脱力感を感じながらも、紺野はほっと胸をなでおろす。
安心からか、思わず、小川の掌を軽く蹴飛ばしてしまった。
- 83 名前:第七章 暗中模索ディスカス、そして 投稿日:2003年06月02日(月)16時45分02秒
- 「とりあえずみんなは夢の中だ。
麻布の工藤さんだか神田の山下さんだかのところに夢魔退治に行ってるだろ」
心なしか晴れやかな声で吉澤が言った。
殺人者にならなくて済んだからかも知れない。
「そういえば、私まだ何が何だか全然分かってないんですけど…。
いきなり夢魔とか言われて殴られて気が付いたらアリスだったし…」
状況が落ち着き、紺野が思っていた疑問を口にした。
と言っても精神的にはまだ混乱を引きずっているらしく、多少言葉がどもっている。
吉澤も小首を傾げ、しかし言葉の意味を理解したのか、
隣に立てかけられていたパイプ椅子を組み、
「座りなよ、長い話になるかも知んないし」
- 84 名前:第七章 暗中模索ディスカス、そして 投稿日:2003年06月02日(月)16時45分38秒
- 「何から説明しようか…。
ごちゃごちゃしててよくわかんないんだよなぁ」
長い話になるといいながら、吉澤はいきなり話題に詰まったらしく頭をがりがりと掻いている。
紺野はそんな吉澤を見ながら、いくつかの質問を繰り出した。
「えと、私達が童話の夢を見るのは、その、夢魔ハンターに覚醒したからですよね?」
「夢魔ハンターとはまた…。
まぁ、でもそういうことだね」
「で、夢魔って言うのは一体なんなんです?
世界中にいたりするんですか?」
「その辺が曖昧でね…。
少なくとも、私達の行動範囲は日本だけ。
いや、日本だけってのは正しくないのかな。
さっきのモニターに表示されてたでしょ?夢魔に襲われそうになってる人たちが」
「ええ」
「その人たちの夢に溶け込むって感じなんだよね。
夢魔を退治するために。
その範囲は一応日本全土に及んでるけど」
「人の夢に入り込むんですか?」
「その言い方は正しくないね。
夢に登録商標は無いんだから、夢魔のいる夢に入り込むというのが正しい」
分かるような分からないような説明だけれど、全体像はつかめてきた。
紺野が頷くと、吉澤は続ける。
- 85 名前:第七章 暗中模索ディスカス、そして 投稿日:2003年06月02日(月)16時46分52秒
- 「で、今の説明でも言ったけど、夢を見ている人はいても、その夢を保有している人はいない。
つまり夢は自由にならないんだよ。
誰が出てくるとか、どんな場所にいるだとか、夢を見る人には決定権が無いでしょ?」
「そうですね」
「それで、夢魔が出るにはいくつかの条件があるわけ。
運悪くそれをクリアしちゃった夢を見ている人のところに、夢魔が流れていくんだよ」
「条件?」
「うん、いくつかあるんだよ」
「それが、童話の世界ですか?」
その問いに吉澤は首を振る。
「童話の世界ってのは、夢魔退治者の初級の入門講座みたいなもんなんだよ」
「え?」
「ウチラも、覚醒したばっかりの頃は童話と言うかフィクションの世界だったんだよね。
そのうち、個々の性格だとか保持している力によって世界は変わってくる。
例えばウチは、最初は侍ジャイアンツだったよ、知ってる?」
紺野が首を降ると、吉澤はだよねと呟きながら苦笑した。
「で、今は夢に入るとバット背負って大阪のうらぶれた路地。
辻なんか、未だにティンカーベルだってのに」
少し寂しそうに言う吉澤である。
- 86 名前:第七章 暗中模索ディスカス、そして 投稿日:2003年06月02日(月)16時47分52秒
- 「で、能力もそれ相応のものになる。
アタシは知ってのとおりと言うか、見たまんまと言うか」
つまり暴走と言うわけだ。
紺野は昔見たアニメを思い出していた。
「それで、ある程度力とかが覚醒しきってくると、それぞれの夢から一個、
強い関連性を持つものが飛び出して来るんだよ」
「関連性?」
「そう、アタシのバットとか、紺野のそれとか」
吉澤がそういって、紺野の頭の上に手を伸ばしてくる。
紺野が身動きできず固まっていると、髪の上を何かが滑る感触があった。
そして目の前には、吉澤の手の上に乗せられた大きな赤いリボンが現れた。
「あ…」
「これは力の証明みたいなもんだからね。
大事にしなよ」
力の証明、と言う言葉は、紺野にはとてもしっくり来た。
吉澤が突然長椅子の下からバットを取り出した理由もこれでつかめる。
紺野は受け取ったリボンをしげしげと眺めながらそんなことを考えた。
- 87 名前:第七章 暗中模索ディスカス、そして 投稿日:2003年06月02日(月)16時48分44秒
- 「でだ、厄介なのがジョーカーなんだよ」
パイプ椅子を軋ませ座りなおしてから、吉澤は大袈裟にため息をついて見せた。
ジョーカーとは話を聞いている限り藤本のことであるらしい。
紺野は顔を上げ尋ねる。
「厄介?」
「ああ、飯田さんが言ってたけど、最近夢を共存し出したんだよね」
紺野と小川が同じ夢にいるどうこうの事である。
「関係ないかもしれないけどさ、アタシはジョーカーが関係してると思う」
吉澤が力強く言う。
紺野は疑問に思っていることを口にした。
- 88 名前:第七章 暗中模索ディスカス、そして 投稿日:2003年06月02日(月)16時50分43秒
- 「あの、ジョーカーって…」
「ジョーカーはねぇ、難しい。
アタシもよく知らないんだ。
ただ聞いてるのは、つまはじき、切り札、城下、浄化、情火…」
「え?」
「洒落じゃないよ。
いや、洒落かもしれないけど。
ジョーカーに関しては何もわかんないんだよ、少なくともアタシは。
だからまぁ、夢の共存もわかんない、ジョーカーのせいじゃないかも」
何だかまた話がきな臭くなってきた。
紺野がそう思い始めたその時、室内のどこかから小さなうめき声が聞こえた。
- 89 名前:第八章 わずかな道しるべ 投稿日:2003年06月10日(火)00時47分54秒
- 「おい、誰だ!」
吉澤がうめき声の方に反応する。
その過剰な反応に、紺野はちょっとした恐怖を感じた。
また、バットを振り回すのではないかと。
「高橋か!おい、しっかりしろ!どうしたテッテケテー!」
高橋の華奢な両肩を両手でがくがく揺さぶる吉澤。
しかし、高橋は反応を示さない。
それどころか苦しげな表情にさえなっていた。
「吉澤さん、どうなっているんでしょうか?」
紺野が心配そうにたずねるが、吉澤は無言のまま。
「何とかならないんですか?そのバットで!
さっきみたいに私を夢の世界に飛ばせるんじゃないんですか?」
思わず声を大きくする紺野。
「それが、難しいんだよ。うまく思い通りに人の夢の中へと送り込めるわけじゃないんだ。
特に、高橋のような目覚めたばかりの人間の場合はね」
「そんな…」
紺野は絶句した。
- 90 名前:第八章 わずかな道しるべ 投稿日:2003年06月10日(火)00時48分49秒
- 「無理ってわけじゃないんだ。たとえば高橋が紺野のことを思っている時。
その思いの精神エネルギーを道しるべにして入っていけるんだ。けれど…」
「けれど?けれど何なんですか!」
「もし、途中で迷ったりすると、紺野は戻って来れなくなるかもしれないんだ。
そうすると、紺野は高橋の夢の中で彷徨うことになるんだ。
…それでも、いいのか?」
「…はい。かまいません」
紺野はゆっくりとうなずいた。
「わかった。友達想いなんだな」
吉澤はそれだけ言うと、バットを片手にもって立ち上がった。
紺野も覚悟を決めて、目を閉じる。
ハラ減ったぁ、と苦しそうにつぶやく高橋の傍らで、吉澤はバットを振り上げた。
- 91 名前:第八章 わずかな道しるべ 投稿日:2003年06月10日(火)00時49分25秒
-
□ ■ □ ■
高橋は必死に走っていた。
逃げているのか、追いかけているのか。あるいはどこかを目指しているのか。
なぜ走っているのか全くわからないまま、ただ本能の命じるまま走っていた。
息が切れていた。立ち止まり顎まで滴った汗を手の甲で拭う。
熱帯雨林を思わせるような青々と繁茂した木々の中の小径で、高橋は初めて振り返った。
あたり一面、人影は全く見あたらない。もっとも、この森の中で姿を隠すのは簡単なことだが。
一息ついて再び走り出す。一生懸命に走るが、景色も雰囲気もなにも変わらない。
ただ、道を覆い隠すように草が生えていて、走りづらくなっていく。
「あっ」
蔦に足を取られて前に転んだ。
草のベッドに受け止められて痛くはなかった。
しかし、何となく恥ずかしくてすぐに立ち上がる。
体を見回して、ぱんぱんと埃を払う。
「でへへへ」
誰も見ていないのに、気まずさを隠すように笑顔を作ってみる。
気を取り直して走りだそうとした高橋の視線に、信じられないものが写った。
- 92 名前:第八章 わずかな道しるべ 投稿日:2003年06月10日(火)00時50分00秒
- 「えっ?!」
蔦に絡め取られ、逆さ吊りになっているのは、紛れもなく人影。
それも、あまり大きくない。思い当たるのは、
「矢口さん!」
「あぁ、その声は高橋かぁ。オイラやられちゃったよ〜」
いつもの矢口とは全く違う、力無い声が返ってきた。
あわててそちらに向かう高橋。
しかしびっしりと絡み合った蔦が行く手を阻み、なかなか近づけない。
それどころか、逆に高橋の手足に蔦が絡まってくる。
それも、まるで意志を持った動物のように動いて高橋を拘束していく。
「ちょ、これなんなんやわ!」
「高橋、逃げろ!」
矢口の叫びに反応する高橋だが、すでに遅かった。
- 93 名前:第八章 わずかな道しるべ 投稿日:2003年06月10日(火)00時51分12秒
- 「矢口さん、あの、これはなんなんやろか?」
両手両足を拘束された高橋が、恐る恐る聞く。
「うん、ここは夢の世界で、コイツらが夢魔だよ。
人の羞恥心につけ込み、人間の精神エネルギーを吸い取って成長していくヤツだ。」
あまり派手に動いたりしないが、その分スキが無くて手強いみたいだ」
薄々は感じていたが、それでも矢口の答えでようやく実感する。
いや、夢の世界を実感するなんておかしいのかも。
高橋の思考が混乱する。
「ったく、よっすぃがさ、適当に送り出すから。
小池さんはオイラひとりで助けなきゃだったんだよ。
なんとか助けることはできたけど、今度はオイラが…うぅ」
「大丈夫ですか?」
「ま、今のところは、まだね…」
とは言うものの、逆さ吊りのままでだいぶ苦しそうだ。
それに蔦も高橋よりきつく巻き付いている。
- 94 名前:第八章 わずかな道しるべ 投稿日:2003年06月10日(火)00時51分44秒
- 「あのさ、高橋はまだ動ける?」
「あ、はぃ。ちょっとなら」
「高橋の辺に、時計落ちてないかな。銀色の、懐中時計が」
真剣に目を凝らすも、地面は蔦やら草やらに覆われて見えないほどになっていた。
何か落ちていても、見つけるのは難しい。
しばらく探すも見つからない。
しかし、高橋はあきらめて顔を上げようとしたとき、キラリと反射する何かを見つけた。
力を入れて無理矢理蔦をかき分けていく。
それを何度か繰り返して、ようやく見えた。
それは紛れもなく銀に輝く懐中時計だったが、高橋の手はとうてい届きそうになかった。
「あの、あったんですけど、取れねぇっす」
- 95 名前:第八章 わずかな道しるべ 投稿日:2003年06月10日(火)00時52分26秒
- 「いいんだ、取れなくても。
そうしたら、もう少し高橋に手伝ってもらうから」
「はぁ」
状況を飲み込めずに生返事をする高橋。
一方で矢口はわずかに残された身体の自由を使ってごそごそと何かしている。
「うちらがした話おぼえてるよな。夢魔と闘うという話」
「ええ。でも、なんのことやらまったくわからねえままで…」
「だろうな。本当はきちんと訓練を受けてから実戦に出るのだからな。
けど、これは非常事態だ。今ここで高橋に何とかしてもらわなきゃならない」
矢口の強い意志に押されて、うなずく高橋。
「いい、オイラの言う通りに。
まずは身体の力を抜いてリラックス。気持ちを落ち着かせるんだ」
胸だけで深呼吸して、全身の無駄な力を抜いていく。
そうすることで身体を自然の状態に近づけ、心身の能力を十分に引き出すことができる。
格闘技などの立ち姿勢に盛り込まれている基本だが、言うは易し行うは難し。
しかし、バレエを習っていた高橋には、それが身についていた。
- 96 名前:第八章 わずかな道しるべ 投稿日:2003年06月10日(火)00時53分02秒
- 「おー、いい感じだ。
そうしたら次。そのまま全身で感じるんだ」
「へ?」
突然、以前の飯田のようなことを言った矢口に高橋は意表を突かれる。
しかし、矢口はいたってマジメだ。
「いいか高橋、感じるんだ。自らの意志を感じ取るんだ。
考えちゃダメだ。感じるんだ」
「そんな、飯田さんのようなことを突然言われてもできねぇですよ」
「いいからやるんだ。
どうしたいのか、どうなりたいのか。それを感じるんだ」
矢口に押し切られて、仕方なく目を閉じる。
再び深呼吸をして、心を落ち着かせていく。
ゆっくりと、ゆっくりと。
□ ■ □ ■
- 97 名前:第八章 わずかな道しるべ 投稿日:2003年06月10日(火)00時53分35秒
- 真っ暗な闇の中。
その中に浮かぶ光、ゆっくりと大きくなっていく。
やがて映し出される風景。
どこか懐かしい故郷の福井の春江町を想わせる山並み。
それはやがて高速で過ぎ去り、高層ビルの建ち並ぶ冷たくもの悲しい風景に変わった。
そして、人。
たくさんの人間が集まっている。
みんな、笑顔で輝いている。
みんな、何かを目指して力を合わせている。
そうだ、私には仲間がいるんだ。
大切な仲間が。
そして…
そして…私は今、空腹なんだぁ!
- 98 名前:第八章 わずかな道しるべ 投稿日:2003年06月10日(火)00時54分22秒
-
□ ■ □ ■
矢口は、高橋に最後の望みをかけていた。
今のところ、それは成功とも失敗とも判断が付かなかった。
ただひとつ言えるのは、矢口の体力はどんどん少なくなっているということ。
高橋が力を発揮して状況を打開するまでに、力尽きるのではないか。
そんな思いが一瞬よぎる。
いや、そんなことはない。強く否定する矢口。
とはいえ、この否定する力すらだんだんと失われてきている。
何とかしなくては。
このままでは自分だけでなく、高橋までも犠牲になってしまう。
矢口は最後の力を振り絞って、懐中時計に注ぐ。
それに反応して、時計の蓋がカパッと音を立てて開く。
そして、ほんの少しだけ、しかし確実に時計の針が逆転し始めた。
- 99 名前:第九章 危機一髪!?それぞれの力 投稿日:2003年06月22日(日)22時37分21秒
- ちぇっ、五分しか無理だったか・・・でも、これで少しは高橋の時間稼ぎにはなるかな。
周りを見ると、高橋以外、矢口自身も含めて、動いているものは無い。
これが矢口の能力だった。
時計に念じて戻した時間だけ、対象の人物一人以外の全ての10m以内のものを動けなくする事ができる。
止めれる時間は能力者の精神状態に大きく関わっている。
普通の状態なら約三十分は止める事ができるが、その分時間がかかるので、危険が伴う。
普通、この能力は矢口自身に使うのだが、現在の状況では高橋に頼るしかなかった。
そして、矢口はまだ周りに気づかずに目を閉じている高橋に全てをまかせて意識を失った。
- 100 名前:第九章 危機一髪!?それぞれの力 投稿日:2003年06月22日(日)22時40分06秒
- □ ■ □ ■
その頃、吉澤は矢口の危機を感じ取った。
「矢口さん・・・」
矢口と吉澤、飯田と辻、そして今はいないが、後藤と加護、保田と石川はそれぞれお互いの危機を知ることができる。
これはメンバーの中でも絆が特に深い師弟同士だけがなせるものだ。
しかし、吉澤は動こうとしなかった。
一時の感情に流されて全体を見失ってはいけない。
矢口からまず最初に教えてもらった事だった。
そうだ、まだ助けられないわけじゃない。
近くには高橋がいるようだし、紺野も向かっている。
しかし、不安だ・・・。
二人ともこれが初めての戦いなんだ。
吉澤が助けに行く方法を思案しているとき、部屋の隅で一人目を覚ました。
- 101 名前:第九章 危機一髪!?それぞれの力 投稿日:2003年06月22日(日)22時42分09秒
- □ ■ □ ■
紺野は闇の中、一人さまよっていた。
もう十分は歩いただろうか。
しかし、出口が見える気配は少しも無い。
不安じゃないといえば嘘になる。
だが、紺野は歩きつづけた。
愛ちゃんが苦しんでいるんだ。
助けたい。
その気持ちが紺野を突き動かしていた。
歩きつづける紺野の目に一瞬きらりと光る何かが映った。
紺野は歩みを止め、周りを見渡すと確かに小さな光が見えた。
紺野はその光に向かって走り出した。
どんどんと光が大きくなっていく。
そして、紺野は光に包まれた。
- 102 名前:第九章 危機一髪!?それぞれの力 投稿日:2003年06月22日(日)22時43分33秒
- □ ■ □ ■
紺野が目を開けるとそこには直立して目を閉じている高橋と蔦に絡まって微動だにしない矢口の姿があった。
何これ?矢口さんと・・・愛ちゃん!?
しだいに状況をつかめてきた紺野は高橋のほうに向かおうとする。
が、蔦が邪魔でなかなか進むことができない。
「愛ちゃん!」
紺野は高橋に呼びかけるが、高橋はこちらに気づいた様子は無く、目を閉じたままだ。
「あ、そうだ!まこっちゃんのときみたいに助けを呼べば・・・。お願い!白兎さん、出てきて矢口さんと愛ちゃんを助けて!」
紺野がそう叫ぶと、突然白兎が現れた。
白兎はそのまま蔦をくぐったり飛び越えたりしながら、矢口に近づいていく。
しかし、後数メートルのところで、紺野は知らないが矢口が使っていた、時間を止める能力が時間が切れ、効力を失った。
- 103 名前:第九章 危機一髪!?それぞれの力 投稿日:2003年06月22日(日)22時45分32秒
- 「うわ!なんだこれ!?」
突然動き出した蔦によって白兎までもが身動きを取れなくなった。
蔦は紺野にまで迫って巻きつき、その身動きを止める。
紺野はこの状況を打開する方法を考えるが、自分の能力に慣れていないせいもあり、何も思いつかない。
私、何も役に立たないや・・・
紺野が諦めかけた時だった。
突然、紺野の目の片隅に映っていた高橋の体から光があふれてきた。
その光はどんどん輝きを増し、ついに紺野は目を開けていられなくなった。
何、この光?愛ちゃんの能力?
不思議と嫌な感じは受けなかった。
それどころかとても優しい安心できる光で、紺野と矢口、それに白兎の傷や疲れまでも癒していっ
- 104 名前:第九章 危機一髪!?それぞれの力 投稿日:2003年06月22日(日)22時47分34秒
- 矢口も意識を取り戻した。
どうなったの?傷がもう治ってる。もしかしてこれが高橋の能力って訳?ヒーリング?ってことはなっちと同じような能力なのか・・・
矢口は周りを見渡し、ようやく紺野の存在に気づいた。
「あれ、紺野?何でこんなところにいるわけ。小川のとこに行ったんじゃないの?」
紺野も矢口の意識が戻った事に気づき、まだ身動きは取れないままだがホッと一安心した。
「まこっちゃんならもう大丈夫です。それより・・・これが愛ちゃんの能力ですか?」
「そうみたい、多分なっちと同じヒーリング能力の一種だと思うよ。結構珍しい能力なんだ。」
「安倍さんもですか!?そうですか・・・それよりこれからどうしますか?傷は治っても全然動けないし・・・」
「そうなんだよねえ。高橋のほうはどうやら能力の使いすぎで冬眠に入ったみたいだし。」
紺野が高橋のほうを見ると、高橋は蔦に巻きつかれたままいびきをかいていた。
「このままだとまたどんどん体力が削られるだけですよ。」
「う〜ん、あそこの奥に見える夢魔の本体を倒すしかないんだけど、このままじゃねえ・・・」
- 105 名前:第九章 危機一髪!?それぞれの力 投稿日:2003年06月22日(日)22時49分56秒
- 奥に紺野が目をやると、奇妙にうごめいている大きな花が見えた。
前に図鑑で見た事がある、ラフレシアという花に似ていて、蔦はその花から伸びているようだった。
「おいらの能力は一日二回しか使えなくて、もう二回使っちゃったし・・・いくら回復したといっても後持って三十分ぐらいだね。」
「私の能力もこの状況を変える力は無いし・・・。」
「「矢口さ〜ん!!」」
「「!!」」
突然の声に矢口と紺野は声のした方角を振り返った。
そこに立っていたのは金剛丸を持った吉澤と首に大きなハートのペンダントをつけた加護だった。
「よっすぃ〜!加護!」「吉澤さん!あいぼん!」
「お!紺野もいたんだ、ちょっと待ってて今助けるから。」
- 106 名前:第九章 危機一髪!?それぞれの力 投稿日:2003年06月22日(日)22時51分03秒
- 「助けるって一体どうや・・・」
紺野の目から突然吉澤の姿が消え、その直後に夢魔の本体がいるまったく逆の方向から鈍い音が聞こえた。
紺野が頭を向けると夢魔の本体を金剛丸でつぶし、こちらにVサインをしている吉澤の姿があった。
蔦が枯れていき、矢口も紺野も身動きができるようになった。
紺野が状況をつかめず、口を開けたまま呆けてると、矢口が苦笑しながら紺野に言った。
「あれがよっすぃ〜だよ、パワーだけじゃなくてスピードもメンバーで一番の速さを備えている肉弾戦のスペシャリスト。」
吉澤はそれからすぐに眠っている高橋に近づいて、背中に背負い、矢口のところに近づいていった。
加護も同様に近づき、矢口の周りに矢口を含め、五人全員が集まる事になった。
矢口が吉澤と加護にサンキューと言ったので、紺野もそれに続いて、ありがとうございます、とお礼を言った。
「さあ、あまり長居するわけにはいかないし、現実世界に戻りますか!」
その矢口の一言で矢口と、高橋を背負った吉澤は当然のように加護に近づいた。
- 107 名前:第九章 危機一髪!?それぞれの力 投稿日:2003年06月22日(日)22時52分26秒
- 紺野は二人の行動が分からず、その場に立ったままでいると、それに気づいた吉澤が思い出したように紺野に言った。
「ああ、そういやあ、何でうちがここに来れたか言ってなかったね。全部あいぼんの能力、瞬間移動のおかげなんだ。ある人物のことを思い浮かべると、その人物の所に一瞬で行けるんだ。」
「そうゆうこと。」
吉澤と矢口の言葉に納得した紺野は二人を見習って、加護の肩に手を置いた。
加護はみんなが準備できた事を確認すると、ペンダントに手をやって、目をつぶった。
次の瞬間、ペンダントが光を放ち、紺野が気づいたときには五人はもうもとの会議室に立っていた。
- 108 名前:第十章 ジョーカー 投稿日:2003年06月28日(土)22時10分39秒
- 藤本は松浦に会った後で、全てを思い出していた。
それは封印された記憶とでも呼ぶべき物だった。
(わたしはピノキオか・・・)
あまりの符合に自嘲にも似た笑いがこみ上げてくる。
夢の中で、どのような姿を取るかは、夢の中に入る能力を持った人間の精神の「形」に左右されるし、夢の中で発揮される能力は、その人間の「精神の色合い」が具体化されたものだ。
他人を想う気持ちが強い人間はヒーラーや瞬間移動などのサポート系の能力を使うことが出来るし、吉澤のような根が「おっさん」な人間は肉弾系の力を持つことが出来る。そして、また姿もその人間にふさわしい形を取る。お嬢様ぽい紺野がアリス、吉澤が侍ジャイアンツというように。
で、自分はピノキオだ。
人間になりそこねた、木で出来た人形。嘘をつくと鼻が伸びる嘘つき人形。
おじいさんを悲しませる事ばかりする人間もどき。
4期オーディションの補欠としてハロプロに入り、6期でやっと娘。入りした「娘。の出来損ない」の自分にふさわしい姿じゃないか。
- 109 名前:第十章 ジョーカー 投稿日:2003年06月28日(土)22時13分31秒
- 同時に藤本は自分自身の中にとてつもない能力が眠っているのも自覚していた。基本的に娘。は夢の中に入り夢魔と闘う能力がある人間が選抜される。逆に言えば、いくら松浦のようにタレントとしての才能があったとしても、夢に入る能力がなければ娘。には入れないということだ。
藤本は一旦は娘。入りを見送られたのは理由があった。藤本の精神の形は他のメンバーと比べると余りに特殊だったのだ。それが彼女自身が「ジョーカー」と呼ばれる所以である。
他人の夢に入るということは、ある意味で他人の精神を支配するということだ。誰しも夢の中では無防備で裸の子供の様なものだ。いくら現世で権力や体力があったとしても、夢の中では一切の物理的な力のない精神的な存在として置かれている。
だからこそ、無力な人達を夢魔の魔の手から護る娘。メンバーのような人間が必要なのだ。しかし、夢の世界でも様々な能力を発揮できる娘。メンバーは無力な人にとって見れば、夢の世界の絶対者や神に近い存在ともいえる。
- 110 名前:第十章 ジョーカー 投稿日:2003年06月28日(土)22時14分28秒
- 他人を夢の世界で支配したりしない。
自分の能力を悪用しない。
私利私欲のために己の能力を使わない。
そういう高潔な精神を娘。メンバーは要求されている。
実際の世界では、食欲や物欲の煩悩に捕らわれているメンバーばかりだが(笑)、ひとたび夢の世界に入れば、能力を悪用しないということは保証済みなメンバーばかりである。
が、藤本は「悪の心」と「善の心」を半々に持っている。
能力を悪用する可能性があり危険だ。
4期選抜の時に、そう判断された。
一方で、このまま藤本の潜在能力を埋もれさせたままにするのは余りにも、もったいないという意見も多かった。
そこで、補欠という立場でキープして、しばらく様子を見てみようという妥協案が採用されたという訳だ。
- 111 名前:第十章 ジョーカー 投稿日:2003年06月28日(土)22時15分29秒
- 「くっ。」
藤本は短く笑う。
「おまえらなんかに、わたしの精神を支配できると思っているのか。」
補欠として採用され、ソロデビューの2年ほどの間に舞台裏で受けていたトレーニングの数々を思い浮かべていた。もちろん、きちんとしたダンスレッスンやボイトレもあったが、藤本の「悪の心」を潰すための精神操作やマインドコントロールもどきのトレーニングも相当やらされた。それは、辛く苦しい体験だった。いま思い出しても二度と体験したくないような事ばかりだ。
(夏まゆみ。おまえの事は忘れないぞ。この能力に覚醒した以上、わたしが夢の支配者だ。)
まず、手始めに自分がどこまで出来るか適当な夢に入ってみることにした。
藤本は目をつぶり、眉間の間に意識を集中させた。感覚がどんどん鋭くなっていく。ラジオのチューナーを合わせるように、入っていける夢を慎重に探る。
- 112 名前:第十章 ジョーカー 投稿日:2003年06月28日(土)22時18分26秒
- (これにするか。)
さらに意識を集中し、一点にえぐり込むようにする。
すうっと体が浮遊するような感覚が体を包み、他人の夢の中にダイブした。
ここはどこだ。
懐かしい匂いがする。ああ、札幌の街だ。
碁盤の目のような町並み。妙に広く青々とした空。ポプラ並木。時計塔。
やはり、まだ夢に入ることに慣れていないせいか、自分と波長の合う人間の夢を無意識に選んでいるのだな。
この夢の主人公は誰だろうか。
自分の能力は完全に思い出している。
あえて名前を付けるならば『絶対の支配・・・Ultimate Control』だ。
夢の中でしか使えないが相手の精神を完全に支配する能力。夢魔に対しても有効である。
もし夢魔と対決するならば、これほど心強い能力は無いであろう。藤本の能力に掛かれば、いかに凶暴で邪悪な夢魔といえども、まるで借りてきた猫のようにおとなしくなり藤本に懐いてしまう。まったく闘わずして、夢魔を屈服させることも可能なのだ。もちろん、強力な夢魔を屈服させるためには、それに見合うだけの量の精神エネルギーが必要な事は言うまでもないが。
- 113 名前:第十章 ジョーカー 投稿日:2003年06月28日(土)22時20分04秒
- 藤本は、まるで獲物を前にした肉食獣のように、体の中に力がみなぎってくるのを感じていた。いま、藤本の頭の中には己の能力を使って、この夢の主人公の精神を支配してみたい。そういう原始的な欲望で一杯だった。
(近い。獲物は近いよ。)
ふっ。と血の生臭い匂いがしたような気がした。夢の中で現実に匂いなどする訳もないのだが、弱った精神が傷ついて血を流しているイメージが、血の香りとして感じられたのかも知れない。
匂いのする方向に走り出す。
(おっ。)
藤本は瀕死のウサギをなぶる狐の気持ちが分かるような気がした。
(里田だよ。この夢の主人公は里田か。)
里田まい。同じ4期オーディションの落選組。ソロデビューも出来ず、カントリーなんてハロプロの二軍ユニットに入れられた人間。
里田とて、4期オーディションの補欠組だから、夢に入る潜在能力はあるはずだ。しかし、未だ能力に覚醒できない中途半端者。
- 114 名前:第十章 ジョーカー 投稿日:2003年06月28日(土)22時22分13秒
- (自分の能力を使うには少々物足らないが、手下にしておくには丁度手頃か。)
藤本は覚悟を決めた。初めて自分の能力を使ってみるが、絶対に上手くいく、使いこなしてみせるという確信めいた思いが、藤本を突き動かしていた。
里田の精神をのぞき込んでみる。
・ ・・恐怖心。単純な恐怖心が里田の心を支配している。
(里田、何をそんなに怖がっているんだ?)
よく目を凝らすと、里田の前には見るからに弱々しい(もっとも藤本の目から見てということだが。)夢魔がいた。
夢魔は『グルグル』と低いうなり声を上げて、里田を牽制している。里田は恐怖心に凍り付き足がすくんで、身動きも取れないみたいだ。
(ふん。あんなモノが怖いのか。)
その生き物は黒光りする毛と奇妙に幅の広い羽根を持ち、ゴキブリのようなネズミのような蛾のような、生理的な嫌悪感を引き起こす、おぞましい夢魔であった。人の恐怖心や嫌悪心を栄養にするタイプの夢魔なのだろう。
- 115 名前:第十章 ジョーカー 投稿日:2003年06月28日(土)22時25分00秒
- (まったく情けない。補欠とは言え、夢魔を退治する能力を認められて採用されたというのに、こんな弱い夢魔すら怖がって、攻撃も出来ないとは。)
藤本の心に憐れみに似た気持ちが湧いてきた。
そして、残酷な感情が、それに続く。
(単純に里田の精神を支配しても、つまらない。里田の心を極限の恐怖心で満たしてから支配する。支配した里田の精神は恐怖心でさぞかし真っ赤な色に染まっていることだろうな。)
藤本はターゲットを夢魔に絞る。
夢魔の精神は人の精神ほど複雑ではない。本能的な欲望が渦巻いているだけだ。
この夢魔も『精神を食べたい。精神を食べたい。』という単純な食欲に精神が満たされていた。
藤本は、釣り人が撒き餌をまいて魚を呼び寄せるように、自分の精神エネルギーをほんの少しだけ放出してみた。里田の前にいる夢魔が藤本の放出した精神エネルギーに気付いたようで、方向転換して食いついてきた。
(単純な奴だ。)
あまりの食いつきの良さに、半ば呆れながらも、藤本は夢魔を引き寄せる。
- 116 名前:第十章 ジョーカー 投稿日:2003年06月28日(土)22時26分31秒
- (次の瞬間がチャンスだ。)
もう少しだけ精神エネルギーを放出する。飢えた野良犬のように夢魔は藤本の餌にかぶりついてきた。その瞬間をねらって、藤本は合気道の達人が相手の力を利用して相手を転ばすように、夢魔の精神の勢いを利用して夢魔の精神を支配することに成功した。
(やってみれば、簡単なことだな。)
まるで己の手の平の上にあるように、夢魔の精神が身近にあるのが感じられる。自分の能力の切れ味に自画自賛の微笑みを送りつつ、藤本は次に自分がすべきことに頭を巡らせていた。言うまでも無く、次のターゲットは里田だ。
「行け。『ネズミ』。あそこの女の精神は極上の美味だぞ。」
藤本は、いまや従順な手下と化した夢魔に『ネズミ』という名前を与えてやり、闘争心を刺激してやる。ネズミは『ガフガフ』と狂犬のような唸り声を上げて里田に飛びかかる。
里田はぎゃーと悲鳴を出して、飛びかかってきた夢魔を必死で振り払おうとした。両手を狂ったように振り回す。
- 117 名前:第十章 ジョーカー 投稿日:2003年06月28日(土)22時30分25秒
- 「ひゃひゃひゃ。」
里田の必死な様子を見て、藤本は笑いがこみ上げてくる。
全能感。支配感。残酷な気分が満ちてくる。
こんなに愉快な気分になったのは、本当に久しぶりな事だ。と藤本はつくづく思った。
(恐がれ。もっと恐がれ。)
恐怖心が精神を支配すればするほど、精神は無防備に隙だらけになってくる。
そこが狙い目だ。
『グボォグボォ』よだれを口の端から垂らしながら、夢魔が里田の首を噛もうとする。里田は、もう半狂乱で泣き喚きながら、夢魔から逃げ回るだけしか出来ない。その様子をしばらく見ていたが、もういいだろうと頃合いを見計らい、藤本は里田の精神を支配することにした。通常、人の場合は精神が夢魔より複雑なために、よほど強い精神エネルギーを使わなければ支配することに成功しないのだが、恐慌状態にある今の里田の精神を乗っ取ることは、藤本にとって、さほど難しい仕事ではない。
ほんの少しだけ精神を集中する。里田の精神に触れて、ぐっと引き寄せる。
それだけで、もう里田の精神は藤本の支配下にあった。
- 118 名前:第十章 ジョーカー 投稿日:2003年06月28日(土)22時32分46秒
- 藤本はとても満足した。
自分がこれだけやれることを証明できた。
もう、この夢から出る時間だろう。
藤本は意識を夢の外側に向けて、里田の夢に合わせていた精神の同調を解いた。ふうっと意識が遠くなる感覚がして、夢の外の出た事が分かった。
藤本は自分の部屋のベットの上で目を開き、自分の能力がもたらした結果をもう一度、反芻する。
(わたしが夢の支配者だ。能力を使って支配者になる。)
その時だった。藤本は頭が割れるほどの激痛を感じた。頭の中から脳味噌をグルグルかき回されているような激烈な痛みだった。
「ぐうっ。」
痛みに気が失いそうだ。
- 119 名前:第十章 ジョーカー 投稿日:2003年06月28日(土)22時33分46秒
- 遠のく意識の中で藤本は夏まゆみの言葉を思い出していた。
『もし、おまえの中に再び悪の心が芽生えた時の為に、おまえの精神にプロテクトを掛けておく。』
藤本の中にある悪の心は痛みに押し潰されようとしていた。
善なる心が藤本の中で優勢を占める。
(負けないぞ。善などに染まるものか。)
藤本は必死になって痛みに抗う。
(わたしは悪の王になるのだ。)
藤本の中で悪の心と善の心がせめぎ合いを続けていた。
藤本が娘。の仲間となるのか、敵となるのか、その行方は神のみぞ知るのかもしれない。しかし、藤本の心には娘。メンバーといかなる形にしろ決着をつける時が近づいているという予感があった。
- 120 名前:第十一章 全ての終わりと全ての始まり 投稿日:2003年07月04日(金)19時25分30秒
- □ ■ □ ■
「つんくくん」
「お、まゆみちゃん。ええとこに来たわ。
今度の新曲なんやけど、ちょっと不良っぽい感じでいこうと思うんや。
んで、勢いのある振り付け考えて欲しいんやけど。
せやな、こう、頭ガンガン振って──」
「それどころじゃないよ」
厳しい表情を崩さない夏の顔を見て、つんくは言葉を止めた。
「どないしたんや? そんな怖い顔して」
「藤本が……ジョーカーが目覚めたみたいなの」
「なんやて!?
……アカンな、それは。まだ早すぎる。
秋の分割までもってくれんかったか。
せやけど、アイツにはまゆみちゃんのプロテクトが──」
「あんなものただの気休めよ。果たしてどれだけ凌げるか……。
どっちにしても、あれじゃ根本的な解決にはならない。
どうするの? あの子が敵に回ったらあたし達は……。
だからあたしは反対したのよ。あの子をモーニングに入れるのは危険だって」
「今更ゆうてもしゃーないやろ」
腕を組んで漂々と答えるつんくを、夏はじれったそうにみつめた。
- 121 名前:第十一章 全ての終わりと全ての始まり 投稿日:2003年07月04日(金)19時28分14秒
- 「あの子の力は確かに強力よ。でも心が弱すぎた。
暗黒面を抑えきることができなかった。
一度ソロでデビューさせたのが裏目に出たわね。
微妙な立場にしてしまった所為で、よけい心が負に染まってしまった。
あたし達は心強い味方を作るつもりで、恐ろしい敵を作ってしまったのかもしれない。
だいたい上はどんなつもりでこんなこと──」
「まあ、偉いさんの考えることはよーわからんわ。
しっかし、こうなるとあの戦いで後藤が戦線離脱したのが痛かったな」
ため息を吐くつんく。夏もつられて声を落とす。
「そうね……。でも、あれは厳しい戦いだったから。
命に別状がなかっただけでも良しとしなくちゃ。
で……どうするの? これから」
- 122 名前:第十一章 全ての終わりと全ての始まり 投稿日:2003年07月04日(金)19時28分46秒
- 「ジョーカー。すべての者を自分の支配下に入れる『城下』の力。
世界を作った蛇なる女神『ジョカ』……か。
やれやれ、分割さえしてしまえば、飯田と石川の力でどうにかなると思っとったけど、
今となってはあれじゃ時間がかかりすぎる。
……となると、やっぱりアイツを使うしかないか」
「アイツ? アイツって?」
「もちろん、ジョーカーのことやがな」
「ジョーカー!? どういうこと?」
眉を寄せる夏の顔を、つんくは座ったまま上目遣いに見上げた。
「ジョーカー──切り札は一枚とは限らんってことや」
つんくの唇がにぃっと吊り上がった。
- 123 名前:第十一章 全ての終わりと全ての始まり 投稿日:2003年07月04日(金)19時29分17秒
- □ ■ □ ■
事務所の会議室。
ついこの間、紺野達が自分の能力について教えられた場所。
そして初めての戦いを経験した場所。
飯田によって、再びこの場にはモーニング娘。全員が集められていた。
ただし、その中に6期メンバーの姿はない。
もちろん、藤本の姿も。
「それじゃ、藤本はオイラ達の敵に回ったってことかよ!?」
「残念ながらそう言うことね」
「そんな! だって美貴ちゃんはあたし達の切り札だって……」
「そう、確かに美貴は強い力を持ってた。でも、同時に悪の心も持ってたの。
だから4期のオーディションではモーニングに入れなかった」
悲しそうに眉を下げる石川に、飯田は冷静に告げた。
「辻さん、ちゃんと聞いてないとダメですよ」
「だってさ、むずかしい話良くわかんないんだもん」
「オマエラ、まじめな話なんだから真剣に聞けよ!」
「あて!」
「な、何であたしまで……」
辻の巻き添えを食って、矢口にげんこつを落とされた新垣は、不服そうに唇を尖らせた。
- 124 名前:第十一章 全ての終わりと全ての始まり 投稿日:2003年07月04日(金)19時30分02秒
- 「でもミキティがモーニングに入るのって、もう大丈夫になったからだって、
悪い心はもう無くなったからって!」
「落ち着いて、よっすぃー。
確かに美貴の悪い心は一見抑え込まれていた。でも消えたわけじゃなかったの。
結局、あの子は自分の中の悪の心に支配されてしまった。
自分自身の持つ力に飲み込まれてしまったのよ」
しん、と会議室の中に沈黙が落ちる。
「それで、飯田さん。あたし達はこれからどうすれば」
「とりあえずは、つんくさんの指示を待つことになるわね」
「ミキティと戦わなくちゃいけないのか……」
吉澤はぎゅっと拳を握り締めた。
その手を石川はそっと握り締めた。
「きっと何か手があるよ。美貴ちゃんだってきっと前みたいに戻ってくれる。
だって美貴ちゃん、しっかりした子だもん。
そうしたらみんなで仲良く──」
「そうかな」
- 125 名前:第十一章 全ての終わりと全ての始まり 投稿日:2003年07月04日(金)19時31分43秒
- ポツリと呟いた安倍に、全員の視線が集まった。
安倍の顔からは、いつもの陽気な笑顔がなりを潜め、
その目は、モーニング娘。オリジナルメンバーとしての厳しい光を宿していた。
「なっちはね、今までいろんな人の夢を見てきた。
若い人、年取った人、男の人、女の人、良い人、悪い人。
夢って言うのはね、その人の本当の姿が出てくるものなんだ。
普段、隠しているものまで全部見えてしまう。
夢の中では自分自身をさらけ出さなきゃいけない。
良い感情も悪い感情も。
夢を見るって事はね。自分と向き合うことなんだ。
きっと、夢の中の力が強いってことは、それだけ強い欲望に向き合わなきゃいけなくなるんだと思う。
醜い感情と真正面から対決しなきゃいけなくなるんだ。
だから藤本は……」
重苦しい空気がその場を包み込む。
- 126 名前:第十一章 全ての終わりと全ての始まり 投稿日:2003年07月04日(金)19時32分23秒
- 「藤本は選んだんだ。自分自身で。
わたし達と一緒に夢を守るんじゃなく、一人で全てを支配する方を」
「でも! でも……やっぱり藤本さん、そんなに悪い人じゃないです。
わたし達に焼き肉……おごってくれたし……。
確かにちょっと怖かったけど、でもそれは強がってるだけで、
ホントは……なんだか寂しそうで……。だから……だから!」
「紺野……」
珍しく声を荒げた紺野に、場の空気はさらに静まりかえった。
隣の小川が、紺野の肩を抱きしめるように優しく叩いた。
- 127 名前:第十一章 全ての終わりと全ての始まり 投稿日:2003年07月04日(金)19時33分01秒
- 「ふん、相変わらず甘いわね。あんたたちは」
「誰だ!」
矢口は声のしたほうに振り向いた。
新垣が、目を丸くして声を発した人物を見上げている。
「辻? 違う、お前藤本だな!」
ゆらりと立った辻の目は閉じられたままだった。
その口から、いつもと違う皮肉気な声が漏れる。
「今、この子はあたしの支配下にある。
下手な事はしないでちょうだいね」
「なんで……。そうか!
バカ! 辻! おまえ居眠りしてたな!」
矢口の怒鳴り声も今の辻には通じない。
「ちょっと静かにしといて、矢口さん。
今日ここに来た目的はただ一つだから。
あたしは力を手に入れた。
全ての夢を支配する強い力を。
もう、誰からも何も指示される事はない。
あたしは頂点に立ったんだ」
- 128 名前:第十一章 全ての終わりと全ての始まり 投稿日:2003年07月04日(金)19時33分38秒
- ぐったりと力なく項垂れた辻の口から、興奮した言葉が発せられる。
それはひどくシュールな光景に思えた。
「っきしょ、なんだよ! 自分の力を自慢しに来たのかよ!」
矢口の言葉を辻の中の藤本は鼻で笑う。
「違うよ。今日ここに来たのは美貴のこの力を完全にするため。
アイツラが余計な事をできなくするため」
謎めいた藤本の発言に矢口の眉が寄る。
突然、操られた辻の手に黒い霧のような塊が湧き上がった。
まるで闇そのものを固めたような禍々しき球体。
「邪魔者は……消す!」
辻の手から黒い塊が飛んだ。
塊はまっすぐに目標──紺野へと向かった。
「紺野!」
「あさ美ちゃん! 危ない!」
- 129 名前:第十一章 全ての終わりと全ての始まり 投稿日:2003年07月04日(金)19時34分09秒
- 急な出来事に紺野は何の反応もできないでいた。
ただ、目を見開いて全てを見ていることしかできなかった。
自分をかばった小川の体が、ぐったりと自分にもたれかかってきてもなお。
「小川! くっそ、よくも!」
金剛丸を構えた吉澤が辻に迫る。
「奇襲失敗か……。
ま、いいや。チャンスはまだあるだろうしね。
今日のところはこれで引き上げるよ。
さすがに分が悪いしね」
そう言うと辻はその場に崩れ落ちた。
「辻!」
駆け寄った吉澤が辻を抱え起こす。
しかし、当の本人は幸せそうにすうすうと寝息を立てていた。
「ったく、こいつは……」
「まこっちゃん! まこっちゃん!」
吉澤が振り向くと、小川を抱きかかえた紺野がぼろぼろと涙をこぼしていた。
小川の体はぐったりと紺野にもたれかかっている。
「まこっちゃん! しっかりして!
まこっちゃん!!」
悲痛な叫びが会議室の中に木霊した。
- 130 名前:第十一章 全ての終わりと全ての始まり 投稿日:2003年07月04日(金)19時34分46秒
- □ ■ □ ■
「どういうこと?」
ニヤニヤ笑うつんくの顔を見て、夏は目を細めた。
「なんのために俺がアイツをモーニングに入れたか。
歌もダメ、ダンスもダメ、テンポも悪い。
ま、確かに意外性があっておもろかったけどな」
くくく、と喉の奥でつんくが笑う。
「ちょっと、それってまさか……」
「ジョーカーを押さえる力。『浄化』の力。
ピノキオのジムニーを扱えるのはアイツだけや。
アイツの能力、『ワンダーランド』が目覚めれば……。
ま、なんにしたって俺らにはもうできることは何もない。
こうなったらアイツにかけてみるさ」
目を閉じ、椅子の背にもたれかかってそのまま口をつぐんだたつんくを、
夏はただ黙って見つめるしかなかった。
- 131 名前:第十二章 成長 投稿日:2003年07月08日(火)13時25分03秒
- □ ■ □ ■
「…ねぇカオリ」
混乱状態の続く会議室。
めいめい、辻を叩き起こしたり小川の手当てに努めたりしている中、
様子を見守っていた安倍はそっと飯田に歩み寄り、耳元で囁くようにいった。
「何?」
振り向いた飯田の顔は不機嫌そのものだった。
藤本の奇襲を許したこと、小川にダメージを与えてしまったこと、
そして何より、かわいい弟子である辻が藤本に侵されたことが心配でしょうがないのだろう、
辻の横っ面をはたいていた鬼気迫った表情をそのままこちらに差し向けていた。
「なっち何?
用がないなら、辻起こすの手伝って」
そういって飯田はさっさと辻のほうへと向き直ってしまう。
辻、辻、と必死に呼びかけながら頬を叩き続ける飯田を見ながら、
不謹慎ながら、安倍はこみ上げてくる微笑みを抑えることが出来ないでいた。
- 132 名前:第十二章 成長 投稿日:2003年07月08日(火)13時25分31秒
- いいリーダーになったね。
安倍の脳裡に、モーニング娘。結成当時のことが思い出される。
歌手でありながら、突然夢魔退治のエキスパートとして任命された時の混乱。
飯田と安倍は、五人の中で最も取り乱した二人だった。
年かさのいかない福田が、今考えてみるとアレすら能力だったのかもしれないと思うほどの落ち着きを発揮する中、
二人はいつも寄り添いあい、不安に身を震わせていた。
増殖する夢魔に対するため、随時新たなメンバーを補充していくと言う通達にも、
中澤や石黒ほどではないと言え、飯田も激しく動揺していた。
「怖いよ、なっち」
「何が?」
「新しく入ってきた子が、カオリよりすごい力もってたらどうしようって思うと…」
当時、まだ覚醒しきっていなかった飯田の能力は、
どう贔屓目に見ても五人中五番目の力しか有していなかった。
結束が乱れることを危惧した年長者二人とは違う悩みを彼女は抱えていたのだ。
また、そんな自分勝手な悩みしか抱けないことも、彼女を苦しめる一因となっていた。
二人は夜な夜な、電話口でお互いを慰めあっていた。
- 133 名前:第十二章 成長 投稿日:2003年07月08日(火)13時26分00秒
- そんな飯田が劇的に変わったのは、四期メンバーが加入してきた時期と重なる。
統率力のあった市井の思いがけない戦傷による離脱もあり、彼女達が浮き足立っている頃、
安倍は呼び出された楽屋で、飯田と二人だけの密談を交わしていた。
「今からさ、カオリ、すごい自分勝手なこと言おうと思うの」
飯田の第一声はそれだった。
「しばらくさ、仲悪くなろうよ」
普段から彼女の唐突な物言いには慣れていたとはいえ、
流石に全く予想していない言葉を聞かされると驚く。
安倍が問い返すと、
「今さ、ウチラってすごい仲いいじゃん。
四期の子達も、比較的順応性高そうだし。
だけどさ、こういうのって、やっぱり少しは緊張感がないといけないと思うのね」
「…だから、ウチラが緊張感を持たせる役割になろうってこと?
紗耶香も倒れちゃったことだし」
安倍が言うと、流石にわかってるね、と飯田は嬉しそうに返してきた。
「でも、本当に仲悪くなるわけじゃないよ?
それはカオリ嫌だから」
「そんなことわかってるよ」
そういって、お互いニヤリとした時の顔には、どちらにも悪戯っぽい影が纏わりついていた。
- 134 名前:第十二章 成長 投稿日:2003年07月08日(火)13時26分28秒
- 結果的には、飯田の試みは成功したか微妙である。
彼女は意識して安倍には辛く当たるようにしたものの、肝心の四期、
殊更辻は徹底的といっていいほど甘やかしていた。
そんな状態で緊張感が生まれるはずもなく、
それどころか二人がお互いを嫌悪していると言う側面だけがクローズアップされた意味もあった。
しかし、それを境に彼女の能力が開花したのもまた事実である。
元来、彼女は人の上に立ってこそ力を発揮するタイプだったのかもしれない。
だからこそ、中澤の跡を継ぎ、二代目リーダーとして就任したのだ。
その頃には、不安にびくついていた過去の飯田は消え去っていた。
「なっち、今カオリいい感じじゃない?」
「うん、すごいいい感じ」
「なっちも、すごいいい感じ」
「そう?ありがと」
結成当初から残った二人。
お互いの成長を見つめあいながら、ここまで来た。
- 135 名前:第十二章 成長 投稿日:2003年07月08日(火)13時26分52秒
- 「辻は、起こさないで」
毅然とした口調で言った安倍のほうを飯田が再度向き直ると、
安倍は瞳に力強さをたたえて、じっと辻を見下ろしていた。
「何言ってんのなっち!
さっきの藤本見たでしょ?アイツはセンサーに反応しなかったんだよ!
もしかしたら、まだ辻の夢の中にいるかも知れないんだよ!」
なんだ、カオリ冷静じゃん、と安倍はまたも微笑みを抑えるのに苦労する。
その通りだ、どうやったのかは知らないが、藤本は夢魔センサーをかいくぐって現れた。
悪に染まった以上、機械は彼女をも夢魔として判別するはずである。
もしかしたら、彼女は悪に染まりきっていないのかもしれない。
それとも、これがいわゆる『城下』の力なのかも知れないけれど、そんなことは問題ではない。
重要なのは…。
「藤本が、まだ辻の中、いや、夢の中にいるかもしれない。
それはもしかしたら、チャンスかもしれないんだよ」
飯田が小首を傾げる。
安倍の言ったことがわからなかったのだろう。
「これは推測なんだけど、かなりの確率で当たってると思う。
もしかしたら、藤本が捻じ曲げたのかもしれない。
無意識のうちに、そっちのほうが支配する時に都合がいいからって…」
- 136 名前:第十二章 成長 投稿日:2003年07月08日(火)13時27分18秒
- □ ■ □ ■
「…っちゃん、まこっちゃん」
小川の白濁した意識の中で、囁くような甘い声が聞こえだした。
柔らかい声だなぁ、もしかしたら天使の声かなぁ、私死ぬのかなぁ。
「まこっちゃん、まこっちゃん」
柔らかな声は小川を呼び続ける。
へぇぇ、天使って渾名で呼んでくれるんだぁ、てっきり呼び捨てだと思ってたよ…。
「まこっちゃん、まこっちゃん、まこっちゃん!」
声は悲壮感を帯び始めた。
天使さん、ありがとう。
私のために泣いてくれるなんて…。
「おいこら小川麻琴起きろゴルァ!
何遍呼んだら目覚ますんじゃ己は!」
あれ、天使さんが怒った、そんな、私ただお迎えを待ってるだけ…。
そこで、ようやく小川は声に聞き覚えがあることに気がついた。
うっすらと目を開けてみると、泣きはらしたような真っ赤な目をしながら、
それでも般若のような物凄い形相でこちらを睨みつけている辻と目が合った。
「うわぁっ!」
小川は両手を地面についたまま、じさじさと後ずさりをした。
- 137 名前:第十二章 成長 投稿日:2003年07月08日(火)13時27分47秒
- 「まこっちゃん寝ぼけすぎらよぉ!」
「辻さん、なんでこんなトコに…」
お互い全くかみ合わない一語目を発した後、
アイコンタクトで発言権を譲られた辻のほうから話をし始めた。
「のんは、目が覚めたらここにいたよ。
で、まこっちゃんがいきなり現れたんだよ、それも気絶したまま。
もうびっくりしたよぉ」
所々しゃくりあげながら辻はそういった。
「現れたんですか?私が」
「そう、いきなりふぁん、って感じで出てきた」
きっと藤本にやられたことが原因だろうと小川は推測する。
夢の世界に飛ばされてしまったらしい。
「まこっちゃんはなんでいきなりこっちに来たの?」
辻の疑問に、小川が一部始終を説明すると、
辻はそうかぁ、といったきり押し黙ってしまった。
- 138 名前:第十二章 成長 投稿日:2003年07月08日(火)13時28分06秒
- 「あんまりびっくりしてませんね?」
辻の妙にあっさりした態度に疑問を感じながら、小川がそう訊ねると、
辻はうぅんと唸ってから、
「なんかね、あんまりこういうことはいいたくないんだけど、
なんとなく予想できたっていうかね…」
「藤本さんの裏切りがですか?」
「うーん…なんとなく嫌な予感がしたってだけなんだけどね。
この前、のんが美貴ちゃんを助けたことがあったでしょ、覚えてる?
その時ね、なんか嫌な予感っていうか、負のオーラみたいなものが感じられて…」
そういえば、まだ能力についてよく知らなかったころ、そんなことがあった。
ティンカーベルの辻がピノキオの藤本を助けて…
「あれ?」
「どうかした?」
「辻さん、ティンカーベルじゃない…」
「え?」
辻は慌てて自分の身体を両手で弄り出した。
目の前の辻は、現実世界で顔を合わせている辻と寸分違わない。
そこではっ、と気付き、小川も辻に倣うように両手を身体に這わせてみると、
会議室で身につけていたものと全く同じ服装をしていた。
- 139 名前:第十二章 成長 投稿日:2003年07月08日(火)13時28分28秒
- 「うわーいやったー!覚醒だ覚醒ー!」
辻がぴょんぴょんとあたりを跳ね回る。
身体中のエネルギーが外へと向けられているようで、発狂したような声を出しながら。
「覚醒?」
そんな辻に少し恐怖感を覚えながら、小川が恐る恐る訊ねると、
「そう、覚醒。
あ、覚醒っていうか、成熟なのかな」
「成熟?」
「そう、能力が成熟してくると、夢の中の姿に変化が起きるんだよ」
辻は小川に詳しく説明する。
夢の舞台が変わってくること、そこから関連性の強いものが飛び出してくること等々。
「それ、夢の中にも出てくるんですか?」
「え?出てこないのかな?
よっすぃは金剛丸持ったまま夢に入ったことがあったから、大丈夫だと思うけど」
どことなく頼りないが、もし何か役に立つものがあれば儲けだ。
「それじゃあ私も…」
「まこっちゃんはなんだったっけ?」
「ピーターパンです。
もしかしたら何か…」
「探してみよう、きっと出てるよ。
のんのも何か出てるかも知れないし」
そういうと辻は小川の手を取った。
- 140 名前:第十二章 成長 投稿日:2003年07月08日(火)13時28分50秒
- 二人が目を覚ました場所は広大な荒地の真ん中あたりであるらしく、
四方を見渡してみても、特に目に付くようなものはない。
小川は強く辻の手を握り締めながら訊いてみた。
「どんなものが現れてるんでしょうね?」
「わかんない、ティンカーベルなんて何が出てくるんだろうね」
心なしか楽しそうに辻はいう。
「まこっちゃんはピーターパンだから、短剣とかかな?」
「短剣ですか、怖いなぁ…。
物騒なものは嫌ですよ」
「そんなこといったって、美貴ちゃんと戦うには怖がってられないよ」
「それはそうですけど…」
しばらくそんなことを話しながら歩いていると、前方に大きな橙色の物体が見え出した。
「あれ、なんですかあれ?」
「行ってみよう」
二人が小走りで駆け寄る。
近づけば近づくほど輪郭がはっきりとしだし、やがて小川が呟くようにいった。
「あれ?かぼちゃ…」
- 141 名前:第十二章 成長 投稿日:2003年07月08日(火)13時29分11秒
- それは確かにかぼちゃだった。
大きさこそ馬鹿でかいものの、表面の色といい形といい、かぼちゃ以外に形容のしようがない。
しかし、そのかぼちゃの表面は、何かをコーティングでもしてあるのかてらてらと輝いており、
さらによく見ると、幾箇所かくりぬいてある部分が見止められる。
これはまるで…。
「かぼちゃの馬車だよ…」
「そうですよね…」
二人が呟いたとおり、馬こそいないものの、どうやらかぼちゃで出来た馬車らしい。
入り口用らしく少し大きめにくりぬいてある場所から中に入ってみると、
ご丁寧なことに、かぼちゃの中には長いすが三脚置いてあった。
十数人が楽に座れる程度のものだ。
「かぼちゃってことはまこっちゃんだよね…?」
「そうかもしれませんけど…これが成熟の証ですか?
こんなのが現実世界にどかんと出てきたら困りますよ」
「そうだよね…」
辻にも判断がつかないらしい。
小川は窓用にくりぬかれたと思しき場所から顔を出して、何気なく外装を叩いてみた。
カンカンと心地よい音がする。
えらく硬い材質で出来ているらしい。
- 142 名前:第十二章 成長 投稿日:2003年07月08日(火)13時29分34秒
- 「防御用かなぁ…でも確かにこんなのが出てきたら困るなぁ…。
じゃあこれじゃないのかなぁ…」
小川が顔を引っ込めると、椅子に腰掛けた辻がなにやらブツブツと呟いていた。
その横顔に小川が声を掛ける。
「辻さんのものもありませんしね」
「そうなんだよね…。
二人とも成熟したはずなんだけどなぁ…」
参った参ったといった風に、辻が頭に手をやる。
しばしそのままのポーズで二人とも静止していると、ふいに小川の頭に考えがよぎった。
「辻さん、もしかしたら現実世界に何か出てるんじゃないですか?」
「ふえ?」
「だから、現実世界に私達の成熟の証が…」
「そうか、それだよ!」
辻が勢い込んで立ち上がる。
「絶対それだ。
じゃあ今頃向こうにはなんか出てるかも…」
「そうですよ、だって…」
小川は外に出て、また外装を叩いた。
「もしこれが馬車なら、何か動力源がいりますもん。
このままじゃただの飾りですよ」
- 143 名前:第十二章 成長 投稿日:2003年07月08日(火)13時30分15秒
- □ ■ □ ■
「夢が地続き?」
飯田の素っ頓狂な声にも、安倍は神妙に頷いた。
「だって、今まではウチラが干渉しあうなんてことなかったじゃん。
それなのに、最近は夢を共有し出してる。
もしかしたら、夢が一つになったのかもしれない」
「どういうこと?」
「今までは、例えばシャボン玉みたいなもので、泡一つ一つに世界があった。
でも今は、いってみればシャボン液みたいなもので、世界が一つになってるんじゃないかなと思うの」
「なんで藤本がそんなこと…」
「だから、もしかしたら無意識のうちにそうしてたのかもしれない。
でもどう考えたって、ばらばらにあるより一つにまとまってたほうが支配しやすいっしょ?」
なるほど。
安倍の説明は論理的だ。
飯田は納得し、
「じゃあ、今からみんなで夢にはいるの?」
「そうすれば、藤本に遭遇できる可能性は高いと思う」
「わかった。
ちょっと、みんな聞いて」
飯田は即座に辻から手を放し、室内全体に聞こえるような大きな声で話し始めた。
- 144 名前:第十二章 成長 投稿日:2003年07月08日(火)13時31分02秒
- 飯田の説明を聞き終えたあと、真っ先に声を発したのは吉澤だった。
「じゃあ、ウチがみんなをコイツで夢の世界に送ればいいんですね」
そういって金剛丸を握り締める。
「そう、なっちが思うに、今夢の世界は一つしかないはず。
だからどこに出ても大丈夫だと思うの。
よっすぃは自分で来れる?」
「大丈夫です」
「わかった。
それで夢の世界に入ったら、むやみに動かないこと。
加護の瞬間移動か、カオリの…」
そういって安倍がちらりと飯田の方を見やると、飯田は親指を突きたてゴーサインを出した。
「カオリの操り人形になるまで、その場にジッとしてて。
みんなが集まったら、小川と辻を探しにいくから」
- 145 名前:第十二章 成長 投稿日:2003年07月08日(火)13時31分29秒
- 説明していて、皮肉なものだと安倍は思う。
飯田の能力「操り人形」は、その名の通り、対象を操ることのできる能力だ。
もっとも色々と制限が多く使いにくい能力ではある。
例えば操れる数に限りがあったり、また悪の心の強すぎるものは操れなかったりと、
一対一の戦いより、どちらかといえば補助的な能力である面も大きい。
しかし、見れば見るほどリーダーである彼女に最適な能力といえるのではないだろうか。
それに関係ないとはいえ、敵となった藤本が見た夢はくしくもピノキオ。
出来すぎだ。
「カオリ、何人までいける?」
「…四人だね、後は加護に任せないと…」
「わかった、じゃあ、なっちと矢口とよっすぃと梨華ちゃんはカオリが。
あとは加護、いける?」
「大丈夫です」
加護の瞬間移動にも定員はある。
しかし五期の三人を引き連れる程度ならばどうやら大丈夫なようだ。
「よし、じゃあ…」
- 146 名前:第十二章 成長 投稿日:2003年07月08日(火)13時31分50秒
- 「ちょっと待ってください、なんか変なものが…」
安倍が出発の合図を出そうとした瞬間、新垣が声を上げた。
皆一斉にそちらを向くと、新垣が手に何かを持っている。
「何それ?」
矢口の質問に、新垣は首を傾げることしか出来ないようだ。
「わかりません…机に乗ってたんですが、羽根、いや、翼かな。
それとこっちは…姫かぼちゃっていうんですか?」
そんなものがあるのか誰も知らなかったが、確かにそれは小さなかぼちゃと真っ白な翼だった。
片手に二つ揃って乗る程度の大きさしかない。
「…誰のものでもないんだよね?」
安倍の言葉に皆無言で頷く。
「…じゃあ、持ってこうか。
このかぼちゃ、小川のものかもしれないしね」
安倍が笑顔でいうと、その瞬間だけ空気が弛緩したように感じられた。
「よっし、それじゃ改めて行こうか。
よっすぃお願いね、みんな怖がらないでよ」
あいよー、と力の抜けそうな声を出しながら、吉澤がまず新垣に向かって金剛丸を振り上げる。
- 147 名前:第十二章 成長 投稿日:2003年07月08日(火)13時32分13秒
- 「ねぇ」
「ん?」
その様子を見ていた安倍の耳元で、飯田が囁いた。
「なっち、リーダーみたい」
「怒ってる?」
声からして笑っていることは明らかだったが訊いてみた。
「別にー。
ただ意外と様になってるなぁって」
「意外ってのは余計だべ」
そんな軽口の途中に金剛丸が天から降ってきて、二人の会話はせき止められた。
- 148 名前:第十三章 コンタクト 投稿日:2003年07月11日(金)19時45分14秒
- □ ■ □ ■
石川はぼんやりと頭を上げた。
どうやら無事に夢の中に入れたようだ。
後頭部が妙に重たいのは、吉澤の金剛丸のせいだろう。
いつものこととはいえ、あれだけは何度経験しても慣れない。
一つため息をついて、あたりを見渡した。
鮮やかな緑が映える森。
その向こうに草原と小川が流れているのが見える。
石川は知らないが、それは紺野が見た夢の世界と同じ物だった。
とはいえ、それは驚くことではない。なぜなら石川も同じ光景を見たことがあったのだから。
人の夢、それは不思議なほどに共通した部分を持つ。
この森もその一つだ。大部分の人間がこれと同じ光景を夢の中に持っている。
それは人々が持つ原始の風景なのかもしれなかった。
しかし、森の外の風景には、ぬぐい去れない違和感が残されていた。
透明感のある小川の横には、妙にデフォルメされた家が建っている。
ウエハースでできた屋根、クリームのたっぷり塗られた壁。
甘ったるい匂いの漂ってきそうなそれは、昔絵本で見たお菓子の家そのもの。
しかし、木々の向こうには、それと正反対の未来的なフォルムのビルが見える。
- 149 名前:第十三章 コンタクト 投稿日:2003年07月11日(金)19時47分59秒
- さわやかな日の光に似つかわしくない、極彩色のキノコ。
ぴしゃりと跳ねる、バランスのおかしな魚。
パースの狂った、見ている者を落ち着かなくさせる構図。
ひどく収まりの悪い、統一感のない光景。
「気持ち……悪い」
石川は眉をひそめた。
とても一人の人間の精神世界だとは思えない。
複数の人間。それも二人三人のものではない、もっと多くの人の夢。
とすれば、これが安倍の言う、夢が地続きになった世界なのだろうか。
キメラとなりはてた夢の世界。それはまさに悪夢と言うしかなかった。
あらためて四方に目をやる。
周りには自分以外に誰もいない。
急に不安になり、石川はぶるっと体を震わせた。
石川の能力はもともと戦闘向きな能力ではない。
飯田と同じような、補助系の力しか持っていない。
慌てていたために深く考えてはいなかったが、他のメンバーと合流するまでどうすればいいのか。
もし、今ここで敵の攻撃を受けたら。
「梨華ちゃん」
「ひゃああ!」
不意に呼びかけられ、石川は思わず悲鳴を上げた。
聞き覚えのある声。しかし、今この場所では絶対に聴くはずのない声。
驚愕に目を見開いて振り返る。
- 150 名前:第十三章 コンタクト 投稿日:2003年07月11日(金)19時48分36秒
- 「し、柴ちゃん!?」
そこに立っていたのは、石川の親友であり、同じタンポポのメンバーである柴田あゆみだった。
「な、なんでぇ?」
目をぱちぱちさせる石川に、柴田はにっこり笑いかけた。
その笑顔は長年見てきたものと同じもの。偽物だとは思えない。
考えてみればここは地続きの夢の世界。
これを作ったのが藤本だとすれば、身近な人間の夢をつなぎ合わせたのだと考えるのが自然だ。
おそらくはハロプロメンバーの夢を使っているのだろう。
だとすれば、そこに柴田の夢の世界があっても不思議ではない。
「本物……なの?」
柴田は微笑んだまま軽く頷く。
「良かった……柴ちゃーん!」
安心したのか、石川は半泣きで柴田に駆け寄った。
「っしゃーーー!!」
突然聞こえてきた気合いの声とともに、何者かが勢いよく飛び込んできた。
柴田の姿が石川の視界から消える。
代わりに目の前に現われたのは、金剛丸を振り切った体勢で満面の笑みを浮かべる吉澤の背中。
「よ、よ、よ、よっすぃー!?」
「よっ、元気にしてた?」
顔を引きつらせる石川に、吉澤は軽く右手を挙げた。
- 151 名前:第十三章 コンタクト 投稿日:2003年07月11日(金)19時49分15秒
- 「な、何言ってんのよ! 何で柴ちゃんにこんなこと……」
おろおろと、石川の目は吉澤と吹き飛んだ柴田を行き来する。
「ったく、そっちこそ何言ってんだよ。
この世界はミキティの支配の中にあるんだぜ。
あたし達みたいな『力に目覚めたもの』はともかく、
普通の人間がふつうでいられるわけないじゃん」
ちちち、と指先を振る吉澤に石川が噛みつく。
「それにしたって、確かめるぐらいするのが普通でしょ!
もし間違いだったらどうするつもりなのよ!
ううん、たとえ操られてるからって、あんなことしたら柴ちゃんの本体も無事じゃ──」
「心配ないって、ほら」
吉澤の指さした先を見て、石川は思わず声を漏らした。
倒れていたはずの柴田の体は、いつの間にかその場から消え去っていた。
「やっぱり、この世界全体がミキティの支配下か。
おまけにこの様子じゃ、どれだけの夢がくっついてんのか……。
やれやれ、めんどくさいことになるぞ、こりゃ」
- 152 名前:第十三章 コンタクト 投稿日:2003年07月11日(金)19時50分45秒
- 「ねぇ、よっすぃー」
「ん?」
急に沈んだ声を出す石川に、吉澤はぼんやりと答える。
「これってジョーカーの力なのかな」
「なんの話?」
「この世界のこと。夢がくっつきあったこのヘンな世界。
夢を支配する力、ジョーカーの力。
それってこんな力のことだったの?
だって、美貴ちゃんはもともと、わたし達の切り札だったんでしょう。
すてきな夢をみんなに届けること。それがわたし達の仕事のはずなのに。
こんなキモチワルイ世界を作ることが、どうして切り札になるんだろう。
これが……これがわたし達の目指す世界だったなんて、そんなの……そんなの悲しす──」
「それはどうかな」
自分の世界に浸りかけた石川を、ばっさり切り捨てるように吉澤は口を挟んだ。
- 153 名前:第十三章 コンタクト 投稿日:2003年07月11日(金)19時53分56秒
- 「……どういうことよ」
泣き崩れるタイミングを失った石川は、恨めしそうに吉澤を見上げる。
「この世界を作ったのがミキティだとは限らないってこと。
あたしも最初そう思ってたんだけどね。
ま、確かにタイミングはばっちりだった。
五期の子やジョーカーが目覚めるのと同時に、夢が共有され始めたわけだし。
ただ、逆に言えばそれしか根拠はない。
結局、あたし達はジョーカーが何なのか知らないわけだから」
「それってどういうこと!?
わたし達が今まで思ってたことが、間違ってたってこと?」
「知らない。あたしは頭使うのが仕事じゃないから」
口をあんぐり開けた石川に対し、全く気のないそぶりで吉澤は言葉を続ける。
- 154 名前:第十三章 コンタクト 投稿日:2003年07月11日(金)19時54分29秒
- 「何が真実なのかは考えたって分かんないよ。
実際、この世界をミキティが利用してるのも確かなわけだし」
「なによ! それじゃなんにも分かってないってことじゃない。
なんでそんな無責任なこと言うのぉ。もー、いっつもよっすぃーは──」
「あたしはさ、これを使うのが仕事なわけよ」
前を見据えたまま、吉澤は金剛丸をくるりと回す。
「体動かすのが仕事。戦うのが仕事。……だから、きっちり仕事しなくちゃね」
不敵な笑みに誘われて、石川も吉澤の目線を追った。
「柴……ちゃん」
いつの間に現われたのか、そこには再び立っていたのは間違いなく柴田だった。
しかも、今度は柴田だけではない。その後ろに立つ、三つの人影。
「メロン記念日勢揃いか。この分だと、他に誰が出てきてもおかしくないね。
へへ、腕が鳴るな」
「ちょっとよっすぃー、無茶したらダメだよ。みんな操られてるだけなんだから」
「だーいじょーぶ、むゎーかせて!」
腕をまくり、バットを構えて飛び出していく吉澤を、石川は複雑な表情で見送った。
- 155 名前:第十三章 コンタクト 投稿日:2003年07月11日(金)19時55分12秒
- □ ■ □ ■
同じ頃、小川をのぞく五期メンバー三人は、森の中をただ彷徨っていた。
加護と合流するはずが、いつまでたっても先輩の姿が現われる様子がない。
仕方なくあたりをうろついては見たものの、どこまで行っても同じような森が続くだけ。
三人の顔に、徐々に不安が登り始めていた。
「マコト、大丈夫やろか」
沈黙に耐えきれなくなった高橋が呟く。
しかし、残る二人には返す答えもない。
「あたし、許せん! 藤本さん、あんなことするやなんて!」
「うん。まさか、あんな人だとは思わなかった」
新垣の声が高橋の肩から聞こえた。
すでに覚醒し、リボンを得ていた紺野、うやむやのうちに覚醒し、証であるバスケットを
手に提げた高橋と違い、新垣はまだ親指姫のままだ。
- 156 名前:第十三章 コンタクト 投稿日:2003年07月11日(金)19時56分09秒
- 「どしたん? あさ美。なんか元気ないよ」
うつむいてとぼとぼ歩く紺野に高橋が声をかけた。
紺野の顔は夢の世界に入ってからずっと晴れないままだ。
「うん……」
「しっかりせんと。マコトの敵討ちなんやし」
「そーだよ。そんなんじゃ藤本さんに勝てないよ」
「うん……」
はっきりしない紺野の態度に、二人は顔を見合わせて首を捻る。
「どうしたの?」
「あのね……。わたし、藤本さんがまこっちゃんにしたこと、ヒドいことだと思うし、許せないと思う。
……でもね、でも……やっぱり藤本さんが悪い人だとは思えないんだ」
「あさ美……」
「分かってる。藤本さんが悪い感情に飲み込まれてしまったことは。
でも、でも何か方法があると思う。藤本さんを元に戻す方法が。
きっとなにか……きっと……」
何も言えず、高橋は唇をへの字に曲げた。
- 157 名前:第十三章 コンタクト 投稿日:2003年07月11日(金)19時57分27秒
- 「あのね、ずっと気になってたことがあるんだ」
自慢の眉毛を斜めに下げて、新垣がぽつりと呟く。
「さっきの藤本さん。あのときの攻撃って……あれ、あさ美ちゃんを狙ってた」
「え?」
「間違いないよ。あたし、近くで見てたから。
藤本さん、あさ美ちゃんのこと『邪魔者』だって」
「で、でも、わたし別に何も……」
「そういえば、『自分の力を完全にする』とかゆーてたなあ。
ちょ、ほやったら、敵の狙いはあさ美!?
もしかしたらここにも敵が……。は、はやく先輩達と合流せんと──」
唐突に脚を止めた紺野のせいで、いつも以上の早口になっていた高橋も言葉を止めた。
疑問符を頭の上に浮かべ、丸くなった紺野の視線の先を追う。
ひゅ、と息を呑んだ。
「さ、里田さん……」
カントリー娘。里田まいは、三人の行く手を遮るように、うつろな顔で道に立っていた。
- 158 名前:第十四章 コンバット! 投稿日:2003年07月23日(水)03時20分58秒
- 「来やがれコイツら!」
叫びながら金剛丸を振り回す吉澤。
素速いモーションで拳銃を構える大谷。手にはS&Wのコンバットマグナムが。
しかし、吉澤のダッシュが速い。クリーンヒットした大谷がきれいな放物線を描いてすっ飛ぶ。
その背後で村田は日本刀を抜いた。が、吉澤は動きを読んでいた。
刀を振る前に吉澤の振り向きざまの攻撃が炸裂。地面に叩きつけられて砂埃が上がる。
現物よりもさらにグラマーな斎藤は手を太股に持っていき、ガーターベルトからブローニングを取り出す。
が、それを構える前に身体ごと吹き飛ばされる斎藤。二回転半して地面に倒れ込む。
残る柴田が吉澤と対峙する。両者は間合いを計り、じりじりと接近する。
柴田が手にしているのはワルサーP38。しかし打つ体制にはなっていない。
しばしの沈黙。刹那、柴田が地面を蹴り、それに吉澤も反応する。
そのまま高速ですれ違う二人。その瞬間に勝負は決まっていた。
崩れ落ちる柴田。吉澤はかすり傷すら受けていない。
- 159 名前:第十四章 コンバット! 投稿日:2003年07月23日(水)03時22分28秒
- 「どーんなもんだい!」
「…ひとみちゃん」
得意げな吉澤の傍らで、石川は複雑な気分になっていた。
襲ってきたとはいえ、相手は親友の柴田を含むメロン記念日だ。
敵だと簡単に割り切れない部分が、どうしても残っている。
そして、それだけではないイヤな予感が石川の心中にあるのも確かだった。
その予感はすぐに現実となった。
倒れていた柴田と大谷がむくむくと立ち上がる。
斎藤と村田もゆっくりと起きあがり、二人の方へと向かってくる。
「この野郎!」
再び吉澤のバットが一閃し、バタバタと倒れ込む。
しかし、何度倒しても何事もなかったように起きあがってくる。
「くたばれこの有象無象ども!」
威勢はいいがさすがの吉澤も消耗してきた。肩で息をしている。
相手の持っているのは拳銃と日本刀だ。一方こちらはいかに万能とはいえバット。勝負にならない。
今のところ吉澤の天性の運動能力と、連携のない相手の攻撃でなんとか持ちこたえている。
しかし、石川も守らなくてはならない。同時に襲われたらひとたまりもない状況だ。
- 160 名前:第十四章 コンバット! 投稿日:2003年07月23日(水)03時23分49秒
- 「ひとみちゃん、後ろ!」
石川の悲鳴に吉澤が振り返る。
見れば、さらに4人が取り囲むように立っていた。
能面のような表情から感情を読みとることは難しいが、少なくとも友好的な雰囲気でないことは確かだ。
「だ、誰だお前ら!」
吉澤が狼狽を隠せない声で叫ぶ。
その声に反応するように、じりじりっと距離を縮める4人の女性。
見たことがあるような顔だったが、吉澤・石川ともに思い出せない。
二人はすっかり忘れ去っていたが、4人はシェキドルの荒井沙紀・大木衣吹・北上アミ・末永真己だった。
メンバー入れ替えがあったシェキだが、新旧全員が揃っての登場だ。
だが、そんなことはどうでも良かった。余計なことを考えるヒマが無いくらい、状況は厳しくなっていた。
- 161 名前:第十四章 コンバット! 投稿日:2003年07月23日(水)03時25分05秒
- 「よっしぃ、どうしよう」
「大丈夫、何とかなるって梨華ちゃん」
追いつめられ、背中合わせになる吉澤と石川。
「ここは、やっぱり私が…」
「いや、梨華ちゃんはいいよ。ウチの力でなんとかするよ」
「で、でも…」
ついに連携することを思いついたのか、8人は歩調を合わせるように接近していた。
このままなら、さすがの吉澤でも苦しいのは目に見えている。
「やっぱり私がここで、決着をつけるよ」
「…うん、わかった。任せるよ」
仕方ないといった様子で金剛丸を納める吉澤。そして、手で耳をふさいだ。
「来なさい!そして、私の美声を全身で感じるのよ!」
仁王立ちする石川。そして右手にはマイクが。
そのまま、目一杯空気を吸い込んで、歌いだした。
- 162 名前:第十四章 コンバット! 投稿日:2003年07月23日(水)03時25分41秒
- ♪わったしは梨華〜 スーパーチャーミー梨華〜
♪なっちにごっちん目じゃないわ〜
強烈な音波が一帯を支配し、全てを震わせた。
寝る子を起こし、泣く子がさらに泣きわめくという石川の美声。
この声に含まれる特殊な音波の振動エネルギーが夢と現実の境界をこじ開け、無理矢理に送還するのだ。
効かないものはほとんど無く、大抵の救助に使えるすぐれもののこの能力。
しかし、敵味方関係なく作用するのと、現実への強制送還で肉体へダメージを生じるという欠点がある。
そのためこの能力はあくまで最終手段として扱われ、ほとんど使われたことがなかった。
まずは正対するメロン記念日の4人がその餌食となった。
先頭の村田が一瞬で消し飛び、続いて大谷が消滅する。
そして斎藤と柴田が同時に、悲鳴を上げるまもなく消えた。
そのままターンする石川。今度はよくわからない4人組が標的だ。
こちらはメロンよりもあっけなく、4人まとめて消え去っていった。
- 163 名前:第十四章 コンバット! 投稿日:2003年07月23日(水)03時26分26秒
- その間、吉澤は必死に耐えていた。
音波に耐えきれず座り込み、さらに両手で耳をふさいだまま頭を膝の間にうずめて。
一応、耳栓はしていたが、それは気休め程度の効果しかない。
肉体と脳味噌、そして内蔵か個別に揺すられ、何とも表現しがたい感覚に陥る。
それはまるで、夢から覚める寸前の意識と肉体が乖離している時に近い。
かみしめていたいたはずの顎がゆるみ、耳を押さえていた両手も浮いている。
脳の中で円運動が始まり、意識が遠のく。
最後の手段。吉澤は残った力を振り絞り、なんとか叫ぶ。
「うぉぉぉぉぉ、もうやめろー!」
次の瞬間、ぴたりと音波が止まった。
こわごわと頭を上げ、ゆっくりと目を開く。両手はそのままで、ゆっくりとあたりを見回す。
メロンも、よくわからない4人組もどこかに消えていた。
しかし、それよりもやっかいな存在に気がつく吉澤。
「もうやめろって、そんなこと言わなくてもいいじゃない…」
そこには、思いっきり悲しそうな顔をした石川梨華が立っていた。
- 164 名前:第十四章 コンバット! 投稿日:2003年07月23日(水)03時27分02秒
- その修羅場のような戦場のすぐそばで、同じように現実へ戻されそうになっていた二人がいた。
長身に長い黒髪のリーダー飯田と、いつも変わらない笑顔のエース安倍だった。
つきあいが長くお互いを良く知るこの二人、とばされた場所も近かった。
お互いが引き合うようにすぐに合流し、そして他のメンバーを捜し始めたところだった。
だが、なかなか手がかりをつかめないままでいたのだった。
「これ、この音波は石川の…」
「だね。梨華ちゃんの」
何とか立ち直った二人は音源の方向へと向かった。
林を抜けて、スラムの路地を通り、砂浜から草原へ。
やがて小川と森が見え、そこには想像通り石川と吉澤が痴話喧嘩をしていた。
気づかれないように近づく飯田と安倍。そっと聞き耳を立てる。
けんかの理由は音波に耐えかねた吉澤の一言が石川を傷つけたという、たわいもないもの。
二人は目で確認して、意思統一。一、二の、三でタイミングを合わせて飛び出す。
「「梨華ちゃんをいじめるな〜」」
「うわぁぁぁ〜!」
「キャッッッッーー!!」
悪乗りしすぎたせいで、3人は再び現実に送還されそうになった。
- 165 名前:第十四章 コンバット! 投稿日:2003年07月23日(水)03時29分49秒
- □ ■ □ ■
「…つまり、新生カントリー娘。は、藤本さんを監視するためのユニットなんですね」
「そう。紺野ちゃんとわたしがその役目を負っているのです」
なぜここに彼女がいるのか。そんな疑問を抱きつつも、3人は里田の言葉を信じ始めていた。
「でも、もう監視している場合ではないと思うのですけど…」
新垣の疑問に紺野と高橋も頷く。藤本が目覚めた今、監視なんて悠長な事態ではないと思われた。
「だからこそ、私が必要なんです。
いつでもどこでも監視できるよう、わたしには藤本さんを察知する能力があります。
すなわち、いま藤本さんがどこにいるか、わかるということなのです」
最後の一言に反応する紺野。確かに、いまどこにいるかわかる、と断言した。
「お願いします!私をそこへ案内して下さい!」
「もちろん。そのために私がここへ来たのですから」
責任感に駆られる紺野に、里田は当たり前のように答えて歩き出す。
それを追う紺野。高橋もすぐ後ろをついていく。
残された新垣は、里田の定まらない視線にどうしても疑問を拭えないでいた。
しかし、ここでひとり残るわけにもいかない。仕方なく歩き出す。
- 166 名前:第十四章 コンバット! 投稿日:2003年07月23日(水)03時31分03秒
- 森の中を、里田を先頭に進んでいく。
3人にはゆっくりと、しかし確実に悪意の源へ近づいていくように感じられた。
この先に待ち受けるのものを知りながらも、それを具体的に想像することができない恐怖。
それでも、感情を押し殺しながら進んでいく。
とはいえ、紺野は藤本のことを簡単には割り切れないでいた。
仲間を、そして大切な友人を傷つけたことを簡単に許すつもりはない。
しかし、いつまでも憎むつもりもなかった。
強気で意地っ張りで目立ちたがりの表面とは裏腹に、本当は細やかで思いやりのある藤本。
それを知っている紺野だからこそ、簡単に信じられないでいた。
ましてや、自分が藤本に狙われているかもしれないなんて、予想すらできなかった。
- 167 名前:第十四章 コンバット! 投稿日:2003年07月23日(水)03時31分35秒
- 自分をかばった小川を思い出す。
あの痛みは、本当は仲間を信じ切れなかった自分が受けるべきものだったのだ。
それを、相手を思う気持ちに甘えた結果、今こうして普通にいられるのだ。
小川の気持ちに応えるには、一刻も早くこんな状況を打ち破り、平静な世界を取り戻すしかない。
そう、そのために進んでいるんだ。
恐怖になんか、負けるわけにはいかないのだ。
拳をぎゅっと握りしめ、決意を固める。
もう、迷いはなかった。
- 168 名前:第十四章 コンバット! 投稿日:2003年07月23日(水)03時32分19秒
- 「はーいそこまでそこまで。なかなか手の込んだことするねー、美貴ちゃんってば」
突然、どこからか聞き覚えのある声が聞こえてきた。
急に立ち止まる里田。そして里田の背中にぶつかってしまう紺野。
同時に上から物音がした。反射的に上を向くと何かが落ちてきた。
それはおもり付きのネットだった。紺野と里田をまとめて、頭からすっぽりと覆ってしまう。
あっけにとられる高橋と新垣の前に、矢口と加護が木からするするっと降り立つ。
「どーんなもんだい」
「へっ、ウチらを騙すなんて10年早いんだよ!」
「そうですよね。特に矢口さんは顔面全体が騙しのテクニック満載ですものね」
「そうそう。もーさ、デビュー直後あまりにヤバかったから一生懸命努力してテク上げたんだよ…
って、違うだろ!なーに言ってるの!」
「…あのぉ、27時間テレビで安倍さんとやってた、よくわかんねぇ漫才の方がおもしろかっただす」
「というか…聞いていて痛々しかったんですけど…」
突然現れてせっかくの緊張感をぶち壊した先輩2人に、言い返す高橋と新垣。
メンバー内のムードメーカーを自認する矢口と加護も、さすがに沈黙する。
- 169 名前:第十四章 コンバット! 投稿日:2003年07月23日(水)03時36分16秒
- 「で、それはいいんですけど、騙すってなんなんですか?もしかして里田さんが?」
最後まで疑問を捨てていなかった新垣が矢口に詰め寄る。
「そう。これも加護の能力なんだけど、人間の状態を見分けることができるんだ。
ただこれも具体的に見えるのでなくて、抽象的な形でしか見えなくてね。
幸い、里田には糸が付いていたからわかったのだけど」
「糸?」
妙なイントネーションで聞き返す高橋に加護が答える。
「黒くて細い糸が手足についていて、まるで操り人形みたいだったんですよ。
で、怪しいと思って後をつけていたら、案の定3人に適当なことを言って」
「だからこうやって先回りして準備した結果、こうやって里田だけを捕まえたわけなんだよ」
「そう。準備万端作戦成功一網打尽ってところですね」
「…あのー、そのネットにはあさ美ちゃんも入っているんですけど」
藤本のコントロール下にある里田と同じネットの中に、紺野が捕らわれているのだ。
得意げにしている矢口だったが、新垣に言われるまで重大ミスに気付かなかった。
「しまった!」
ネットの中にはあるはずの里田と紺野の姿が、綺麗に消えていた。
矢口に、緊張が走った。
- 170 名前:第十四章 コンバット! 投稿日:2003年07月23日(水)03時37分29秒
- 矢口の仕掛けたネットの罠から抜け出した里田は…正確には藤本が操る里田は、
気絶させた紺野を抱きかかえ、藤本の元へと向かっていた。
目的は、もちろん紺野の持つ能力を使い、自らの力を完全にすること。
そのためには、藤本が紺野に直接触れなくてはならなかった。
藤本の精神には夏によりプロテクトが掛けられている。
力を制限するものではないが、暗黒面の動きに反応して精神にダメージを与えるものだ。
強力な力は発揮できるが、連続して安定した力を発することはできなかった。
しかし、娘。メンバーを殲滅するためには、安定した力を出す必要がある。
そのためにはこのプロテクトを解かなくてはならない。
それに必要なのが、紺野の『浄化』の力なのだ。
- 171 名前:第十四章 コンバット! 投稿日:2003年07月23日(水)03時38分34秒
- 『浄化』の力は暗黒面を除去することができるだけではない。
複雑に入り組んだ精神をひとつずつ解きほぐしていき、それぞれを単一にしていくものだ。
その上で必要のないものを切り捨てるという、いわゆる雑念を振り払うようなこともできる。
この能力を用いれば精神に掛けられたプロテクトを外すことなど朝飯前。
それだけでない。わずかに残った善の心を完全に捨て去ることも可能なのだ。
そうすれば、今のような悩み苦しむ自分を捨て去ることもできるのだ。
紺野を抱えた里田が森を抜け、川を渡り、平原を進み、白い塔にたどり着く。
肩に紺野を担ぎ塔をゆっくりと上っていく。
その最上階には、藤本が首を長くして待っていた。
紺野がこちらの手に落ちれば、あとは怖いものなどなかった。
少し邪魔が入ったが、事は順調に進んでいる。自然と、笑みがこぼれる。
いや、声を上げて大笑いするところだった。
窓から高速でこちらに向かってくるオレンジ色の物体に気が付くまでは。
- 172 名前:第十四章 コンバット! 投稿日:2003年07月23日(水)03時39分13秒
- 藤本の目に映った丸い形の物体は、まっすぐに藤本のいる塔に向かっていた。
スピードを落とさず、寸分の狂いも無くまっすぐに。
避けることも逃げ出すこともできず、そのまま塔の下部につっこむオレンジ色の物体。
同時に強烈な振動が下から突き上げて、同時に床が揺さぶられた。
しばらく状況が把握できない藤本。しかし、床が傾いできてからなにが起きているのかわかった。
塔が、崩れ落ちているのだ。
わかっても、なにもできないなら同じ事。
藤本は重力に身を任せて落下するしかなかった。
それは塔に召還されていたココナッツの2人と、そして里田と紺野も同じことだった。
- 173 名前:第十四章 コンバット! 投稿日:2003年07月23日(水)03時50分28秒
- 「またぶつかったじゃんかー。まこっちゃーん、避けてって言ったのに」
「しょうがないですよー辻さん。まだ上手くコントロールできないんですもん」
白い塔を突き抜けてから少し進んで止まったオレンジ色の物体。
それは巨大なカボチャだった。
そのカボチャに開けられた窓から頭を出しのは、小川と辻だった。
この巨大なカボチャの周りでいろいろしているうちに、小川の念で動かせることがわかったのだ。
中に乗り込んでまるで自動車のように進み出したのだが、そこからまた一騒動。
まともに操縦できずに、樹やら岩やら進行方向にあるモノをはね飛ばし粉砕しながら進んでいたのだ。
そして挙げ句の果てにこの塔に突っ込み倒壊させてしまったのだった。
- 174 名前:第十四章 コンバット! 投稿日:2003年07月23日(水)03時51分09秒
- 塔にぶつかったことで言い争いを始めた2人だが、どこか楽しそうだった。
「止まるのと進むのはできるようになったんですけど、曲がるのがよくわからなくて」
「だったらぶつかる前に止まろうと思わないの?」
「そっかぁ!それには気づかなかったです」
「辻でも気が付いたことなんだけど。
でさ、これどうするの?」
辻が指差したのは、寸前まで塔だったガレキの山。
よくわからないとはいえ、塔を破壊した罪悪感がゼロではなかった。
しかしここは夢の中だ。建物を壊しても現実世界には影響がない。
わざわざそこまで考えることもなかった。それに、それよりも気になることが。
「また聞こえたよ!」
「小川にも聞こえました!」
ガレキの山から微かに聞こえる人の声。その声の持ち主に気づいた小川が叫ぶ。
「あさ美ちゃん!? これはあさ美ちゃんの声ですよ!」
- 175 名前:超格好良い兄さん 投稿日:2003年07月25日(金)18時51分05秒
- あーしんど
- 176 名前:第15章 親友登場 投稿日:2003年07月27日(日)21時56分39秒
- 辻と小川で、紺野をガレキの山から救い出す。
「「あさ美ちゃん!!大丈夫!?」」
「のんちゃんにまこっちゃん!!何でここに?」
どうやら紺野に大きな怪我はないようだ。
「あさ美ちゃんこそ、どうしてこんなところに?」
「私は・・・・そうだ!!里田さんに連れて来られて・・・」
「そう、私が連れてこさせるように里田に命じたのよ。」
「「「!!!」」」
三人が振り返った先には、傷どころか汚れ一つない姿の藤本が立っていた。
- 177 名前:第15章 親友登場 投稿日:2003年07月27日(日)21時57分55秒
- □ ■ □ ■
「ちっくしょ〜!どこいったんだよ、里田の奴。」
「矢口さんが油断するからですよ。」
「加護、うるさい!」
急いで、里田の後を追った矢口・加護・高橋・新垣の四人だったが、すぐに見失ってしまった。
高橋と新垣は紺野の事が心配で、先輩二人の話もろくに聞いている様子ではなかった。
とりあえず、四人は里田が向かった方向にまっすぐ歩いていく事にした。
歩き出して、すぐに石川の怪音波が聞こえてきた。
何の声か全然分からなくて不安がっている二人をよそに正体を知っている二人は一人でも仲間の位置がわかったことの
喜びから、二人で顔を見合って、ハイタッチする。
二人にあの声は石川のだと説明した後、加護の瞬間移動によって四人でそこへ向かう事にした。
- 178 名前:第15章 親友登場 投稿日:2003年07月27日(日)21時59分20秒
- □ ■ □ ■
「びっくりした〜、驚かさないでくださいよ、安倍さんに飯田さん」
「ホントですよ〜」
「「ごめんごめん」」
ひとまず落ち着いた四人はこれからの事について話し合う事にした。
「まずは、藤本の居場所を突き止めないとね。」
「カオリ、それより矢口達と合流したほうがよくない?」
「大丈夫ですって、安倍さん。あいぼんがいるんだからさっきの梨華ちゃんの怪音波を聞いて、みんなすぐに飛んできますって」
「ちょっと、よっすぃ〜。怪音波って・・・」
「お〜、みんなそろってるじゃん。待った?」
「矢口!」
ちょうど、矢口達が到着した。
八人が再会を喜んでいると、飯田が紺野がいない事に気づいた。
「矢口、紺野は?一緒だったんじゃないの?」
「そ、それがさあ、実は・・・・・」
- 179 名前:第15章 親友登場 投稿日:2003年07月27日(日)22時00分42秒
- 「何!?藤本のもとに連れていかれた!?」
矢口から事の次第を聞いて、飯田達四人はすっかり再会の喜びも消えうせた。
「で、紺野はどこに連れていかれたの?」
「分からないけど、多分かなり遠くまで行ってると思う。」
「で、何で瞬間移動して紺野を追いかけなかったの?」
安倍の冷静な質問に矢口達四人は顔を見合わせた。
「・・・・・忘れてた」
矢口の言葉に飯田達四人はずっこけた。
「そうだよ、その方法があったんだ。加護、行くよ!」
「待って!」
すぐに追い掛けようとする矢口を飯田が止める。
「行く前に計画を立てたほうがいいと思うの、紺野がいる先には間違いなく藤本もいるはずだから。」
「でも・・・早くしないと紺野が・・・」
「矢口、カオリの言う通りだよ。まともに行ったって返り討ちにあうだけ。なんか作戦立てないと」
飯田と安倍の言葉にようやく矢口は落ち着きを取り戻した。
そうして、八人で輪になって作戦会議を開くことにした。
- 180 名前:第15章 親友登場 投稿日:2003年07月27日(日)22時02分46秒
- 「ちょっと飯田さん、一つやってみたい事があるんですけど・・・」
「なに?よっすぃ〜」
「私を現実世界に戻してください」
「え!?」
吉澤の言葉にほかの七人は驚きを表す。
「どういう事、よっすぃ〜?」
「ごっちんを連れてきたいんです、ミキティーを倒すためにはごっちんの能力だって必要です。」
「!!!・・・なるほど、そういう事か・・・分かった、よっすぃ〜、一人で大丈夫?」
後藤の能力を知らない高橋と新垣はともかくそれ以外の五人は吉澤の言葉に納得した。
「はい、大丈夫です」
「じゃあ、おいら達で時間をかせいどくから、なるべく早く頼むね」
藤本を倒すためのわずかな光が見つかったあとは、その他の作戦もすばやく決まっていった。
まず、時間稼ぎのために飯田・矢口・安倍が藤本のもとに向かう事になった。
その後、加護が吉澤を現実世界に送っていって戻ってきたら、加護が石川・高橋・新垣を連れて行く事になった。
八人はお互いの健闘を祈り、そして必ず生きて再会する事を誓いながら、先に飯田達は出発した。
そして、吉澤は加護の瞬間移動によって、現実世界に戻った
- 181 名前:第15章 親友登場 投稿日:2003年07月27日(日)22時04分49秒
- □ ■ □ ■
「やっぱり寝てるね」
「じゃあ、あいぼん。すぐにごっちんを連れていくから・・・」
「うん、よっすぃ〜、待っとるから・・・」
そうして、加護は石川達のもとに戻っていった。
ちなみにここは後藤の部屋である。
加護が瞬間移動のとき、後藤のところに着くようにしたのだから当然であるが。
吉澤の目の前にはベッドで寝ている後藤がいる。
後藤が普通の体質であったなら、後藤は夢の中という事になるので、現実世界に戻る手間が省ける。
しかし、後藤は特殊な体質で、後藤自身が夢を見るという事がないのだ。
つまり、生まれて一度も夢を見た事がない。
だから、後藤を夢の世界に送るには吉澤が金剛丸で他の人の夢に後藤を送るしかない。
そこで、後藤を起こさない事にはどうしようもない。
また、その体質と同じで、後藤の能力もかなり特殊なものである。
「ごっち〜ん、起きろ〜!!!」
「・・・・・」
- 182 名前:第15章 親友登場 投稿日:2003年07月27日(日)22時06分15秒
- 全然起きる気配のない後藤と格闘する事二十分、ようやく吉澤は後藤を起こすことに成功した。
「んあ・・・よしこ?」
「はあはあはあ・・・ようやく起きた。ごっちん起きなさ過ぎ」
「ごめんごめん。で、どうしたの?」
吉澤がこれまでの経緯を後藤に説明した。
「そんな事になってたの?全然知らなかった」
「そう、ごっちん来てくれるよね?」
「もちろんいいよ」
「よかった〜。それとごっちん、これは誰にも言ってないんだけど、もう一つ提案があるんだ」
「んあ?」
吉澤からその提案を聞かされた後藤は驚いて、すっかり眠気も吹っ飛んだ。
「まじでそれやるの?カオリ達に後で怒られても知らないよ」
「まじだよ。高橋から聞いたんだけど、紺野も私と似たようなこと言ってたんだって。ミキティーを
元に戻したいって。さすがにその方法までは分からなかっただろうけど。私はそのためにはこの方法
がベストだと思うんだ。ごっちんはどう思う?」
- 183 名前:第15章 親友登場 投稿日:2003年07月27日(日)22時07分49秒
- 「う〜ん・・・怒られるときはごとーも一緒だからね」
「え!?じゃあ・・・」
「よしこの考えに反対するわけ無いじゃん。ごとーもその方法しかないと思うし」
「ありがとう、ごっちん。そうと決まったら急ごう」
「うん」
二人は急いで、後藤の部屋を出て、ある人のところへ向かっていった。
- 184 名前:第15章 親友登場 投稿日:2003年07月27日(日)22時09分21秒
- □ ■ □ ■
時間を少しさかのぼる。
先行組として、藤本のもとに現れた飯田・矢口・安倍が見たのは、ぼろぼろになりながらも、藤本に
向かっていっている辻・小川そして紺野だった。
「のんちゃん!小川!」
「二人もここにいたんだ。早く助けなきゃ」
「辻!ここはおいらたちにまかせろ!」
飯田達に気づき、三人は喜びを顔に表すが、藤本の放つ黒い球体をよけるのに精一杯だった。
藤本のほうは現れた三人に対し、一瞥しただけで何の興味も示さなかった。
飯田達三人はすぐに藤本のほうに向かっていった。
しかし、藤本の放つ球のせいで近づく事すら容易ではない。
五分ほど経ち、加護が石川達三人を連れて現れたが、状況に変化をもたらす事は無かった。
でも、これも後藤が来るまで時間を稼ぐための作戦だった。
- 185 名前:第15章 親友登場 投稿日:2003年07月27日(日)22時10分42秒
- しばらく時間が経ち、藤本のほうもだんだんイライラしてきた。
黒い球体の数がどんどん増えていく。
皆がそれぞれの能力を使う暇を与えないほどの数。
安倍は辻達のそばに球を避けながらなんとか近づいていく。
ポケットから、小さなかぼちゃと真っ白な翼を出し、辻と小川に話しかける。
「これ、ののと小川のだよね?覚醒したんでしょ。使う暇があるかどうかわかんないけど、一応渡すね」
辻と小川は一度お互いに顔を見合わせた後、安倍からそれぞれ受け取った。
その後も状況は変わらず、みんな避けるだけで精一杯の持久戦となった。
30分が経ち、疲労の色が見え始め、もうやられるのも時間の問題となったころ、藤本の手が止まった。
「あやや・・・?」
藤本のつぶやきに反応して、みんなが振り向くと、吉澤と後藤の間にはさまれ、こちらに向かっている松浦の姿があった。
- 186 名前:第16章 ワンダーランド 投稿日:2003年08月03日(日)15時45分18秒
- 「みきたん。もう止めようよ。自分で自分を傷つけるのは止めて。」
松浦は目を大きく見開いて、びっくりするほどの大粒の涙を流れるに任せて泣いていた。
「ねえ。みきたんは気付いていないかもしれないけど、みんな『あの人』が計画してやっている事なんだよ。みきたんはただ操られているだけだよ。そんなのつまらないよ。みきたんには仲間が必要なんだよ。娘。のみんなと一緒に『能力』をいい方向に使おうよ。」
松浦の言葉は砂漠の中で出会ったオアシスの水のように清らかで透き通っていた。そこにいる誰もが善の方向に導かれるような、そういう魔力を持った言霊の響きだった。
松浦自身は夢魔と闘う特殊能力は持っていないはずだった。
しかし、娘。メンバーと行動を共にするうちに、いつの間にか、その声を聞く者を『善の方向』に導くような能力に覚醒したのかも知れない。
吉澤と後藤は、松浦がそのような能力の覚醒をもちろん知る由も無かったが、動物的な勘とでも言おうか、思い切り振り回したバットがまぐれ当たりしてホームランとでも言おうか、無理を承知で松浦を藤本が支配する夢の中に連れてきたことは、藤本の中に眠っている善の心を呼び覚まそうとしていた。
- 187 名前:第16章 ワンダーランド 投稿日:2003年08月03日(日)15時46分52秒
- 「ぐうう。」
藤本が全ての動きを止めて呻く。
唯一の親友といってよい松浦の声が耳の中に心地よく侵入してくる。
いま、藤本の心の中には善の心がまばゆく暖かい光と共に満ちあふれようとしていた。夏まゆみに掛けられたプロテクトのせいで、ずっと藤本を酷く苦しめていた頭痛も消え去さり、頭の中は台風が去った後の空のようにスッキリと澄み渡っていた。
善なる心は心地よく気持ちがいい。
藤本の偽らざる心境であった。
善に帰依しよう。仲間と共に生きよう。
そう、藤本は99%決心しかけた。
周囲の娘。メンバー達も、そんな藤本の葛藤を息を詰めて見守るだけだ。
誰もの心の中にあった思いは藤本がこっちの側に来て欲しい、そういう祈りにも似た気持ちだった。
- 188 名前:第16章 ワンダーランド 投稿日:2003年08月03日(日)15時48分11秒
- しかし、次の瞬間に藤本の口から出た言葉は、そういうメンバーの願いを打ち砕くのに十分なものであったのだ。
「はん。松浦。おまえの声などわたしの心の底まで届くと思っているのか?」
まるで地獄の最下層部から吹いてくるような冷たく残酷な声だった。
松浦の顔が悲しみに歪む。
(いつもはあやちゃんって呼ぶのに・・・)
松浦にとっては藤本が自分の事を呼び捨てにするほど、人間が変わってしまった事が無性に悲しかった。
また、自分には藤本を救ってあげられなかったという敗北感も強く感じていた。
娘。のメンバーの間にも失望感が一瞬の内に駆けめぐる。出来れば、藤本と互いに潰し合うような形で最終決着は付けたくなかった。それはメンバーの中で一致した合意だ。
誰しも仲間同士で傷つけ合うことは望まない。
が、状況は最悪であることは誰の目にも明らかだった。
総力戦になる。
娘。メンバーはアイコンタクトを取り、じりじりと藤本に詰め寄った。
- 189 名前:第16章 ワンダーランド 投稿日:2003年08月03日(日)15時50分01秒
- 松浦の言霊の能力によって、藤本は99%は善の心に支配されていた。
しかし、最後の1%に残っていたものが藤本をやはり悪の心へと引き戻したのだ。その1%に残っていたものは正確に言うと支配欲や破壊欲といった『悪の心』では無かった。
『あの人』への忠誠心。
あの人を裏切ることは絶対に出来ないという忠誠心とあの人への恐怖心が藤本自身を善の方向へと向かわせることを思い止まらせたのだった。
『あの人』の視線。
『あの人』の言葉。
『あの人』の仕草。
全てが藤本にとって畏怖と崇拝の対象であった。
あの人に反抗するぐらいなら、娘。メンバーと血で血を洗うような闘いも厭わない。藤本は一瞬のうちに覚悟を決めて、じりじりと詰め寄ってくる娘。メンバーの引きつった顔を見回して、右手に特大級の黒い球を作り出すために精神を集中し始めた。
- 190 名前:第16章 ワンダーランド 投稿日:2003年08月03日(日)15時53分44秒
- □■□■
「つんくくん。これはどういうこと?」
夏まゆみがつんくに詰め寄る。
「何か知っているんでしょう?」
石川の歌声の能力で現実世界に強制送還された、メロン記念日の4人は石川の能力の副作用として相当の肉体的なダメージを受けていた。
とは言うものの、数日の間だけ自宅で安静にしていれば快復する程度の打撲傷にしか過ぎないのだが。
しかし、メロン記念日もそれなりに仕事のスケジュールは詰まっており、朝起きたら体中が原因不明の打撲を受けましたから、仕事はキャンセルして下さいなどという言い訳が通用する世界ではない。
今、UFAの事務所はメロン記念日の事故で上へ下への大騒ぎの最中だった。
メロンのメンバーに原因を訊いても、夢の中で石川さんがとか、吉澤さんに夢の中でバットで打たれましたとか、あんたら目を開けたまま夢を見とるんかいと突っ込みたくなるような、要領の得ない返事が返ってくるばかりだった。
- 191 名前:第16章 ワンダーランド 投稿日:2003年08月03日(日)15時55分07秒
- そして、冒頭の夏とつんくの会話になる。
娘。が夢魔が闘っている事実は事務所でも、ごく一部の人間しか知り得ないトップシークレットで、夏まゆみも全貌を知っているという立場ではない。
相変わらず、つんくはニヤニヤした態度で
「石川。ようやるなぁ。」
としきりに感心している。
「藤本が大分暴走しておるみたいやな。」
「メロン記念日のことはともかく、娘。メンバーや藤本や松浦や後藤までもが、死んだように眠っていて、いくら揺すっても叩いても起きないんだって。知っている事は、全部教えて。この前に紺野が藤本の能力を抑えるって話してたよね。どういうこと?この状況は藤本が関係しているの?」
「まあまあ、いっぺんにゴチャゴチャいうなや。順番に話すわ。」
つんくはテーブルの上の紙コップにポットからコーヒーを入れて、砂糖もミルクも加えず一口飲んだ。
- 192 名前:第16章 ワンダーランド 投稿日:2003年08月03日(日)15時56分43秒
- 「藤本がジョーカーと呼ばれていることは知っておるな。」
つんくは夏に確認を求めた。夏はうなづく。
「まあ、そのことは単に藤本が善悪両方の心を持っていて他のメンバーとは質の違う『支配』の能力を持っているからジョーカーと呼ばれているだけなのや。単に切り札と呼べる藤本と同等の能力を持つメンバーは藤本の他のにも何人かおる。」
「同等の能力?」
夏が疑問を差し挟んだ。
「同等の能力とは一言で言うと精神に直接作用できる能力ということやね。」
つんくは喉が渇くのか盛んにコーヒーに口を付ける。
「娘。メンバーの中では、藤本、紺野、後藤の3人だけが夢の中で他人の精神を直接に操作できる。紺野の能力『ワンダーランド』は精神の入れ物の形を変える能力や。精神エネルギーそのものは無色で善も悪も無い。入れ物の形がその人間の精神の形を決めるんや。複雑に入り組んだ精神エネルギーの入れ物を解きほぐしシンプルにし、必要のないものを切り捨てて形を整える能力。悪の心の入れ物を善の心の入れ物に作り替え『浄化』する能力。それが紺野や。』
- 193 名前:第16章 ワンダーランド 投稿日:2003年08月03日(日)15時58分41秒
- 「さらに言うと、藤本の能力は他人の精神エネルギーの詰まった『入れ物』を自由に『支配』していく能力だわな。藤本は、入れ物それ自体は変えられないけど、入れ物を扱う技術は優れているということや。」
夏は分かったような分からないような微妙な顔つきだ。
「まゆみちゃん。大丈夫かいな。つまり、紺野の能力を使えば藤本の悪に凝り固まった心も善に戻せるということや。上手くいけばの話。」
つんくは、なおも説明を続ける。
「まゆみちゃんの話では、後藤も一枚噛んでいるみたいやな。しかし、後藤はこの前の闘いのダメージも残っているだろうし前線復帰には、いくら何でも早過ぎるやろう。」
「ねえ。後藤の『ドレイン』ていうのはどういう能力?」
夏は名前だけ聞き知っている後藤の能力の名前を口にした。
- 194 名前:第16章 ワンダーランド 投稿日:2003年08月03日(日)16時00分11秒
- 「ドレイン・・・排水孔やな。後藤の能力は排水孔のように相手の精神エネルギーを吸い込み自分の中に取り込んでしまう能力や。夢魔にしても、人間にしても夢の中では精神エネルギー体の形で存在していることは、まゆみちゃんも知っているやろ。後藤の能力は相手が固有の形で夢の中に存在できなくなるほど精神エネルギーを削り込む能力や。だだなぁ・・・」
つんくはもったいぶったように言う。
「後藤の能力は危険と隣合わせなんやよな。例えるなら、汚い容器に入った水を飲むと腹を下すみたいな。後藤の場合も洒落にならんほど邪悪な夢魔の精神を吸い込んで『食あたり』して、しばらく精神の調子がおかしくなって休養してたんや。藤本の精神がどれくらい悪に染まっているかは分からんが、下手な物を食べてO−157みたいにならんとエエけど。後藤の能力は藤本を倒せる事は倒せるが、根本的な解決にはならんよな。」
「じゃあ。いま眠っている紺野や後藤は、暴走した藤本を善に戻すために夢の中で闘っている最中という訳?他の娘。メンバーや松浦も?」
夏が口早に結論を出した。
- 195 名前:第16章 ワンダーランド 投稿日:2003年08月03日(日)16時01分32秒
- つんくはコップの底に残った最後のコーヒーを飲み干すと
「ぶっちゃけ、そういうことやな。」
と短く答えて空の紙コップを握りつぶした。
「しかし、今の状況は『あの人』もちょっとやりすぎや。藤本の能力を暴走させたらどうなるかぐらいは十分知っているはずなのになぁ。そもそも藤本の精神にプロテクトを掛けろと、まゆみちゃんに命令したのは『あの人』なのに、藤本が悪の心に染まっていくのを楽しそうに見物と決め込んでいるんだから、全く訳わからんわ。」
夏にも『あの人』が誰を指すのかが分かった。
(『あの人』がこの騒動の裏にいたんだ。)
知ってみれば『あの人』ほど、こういう騒動のシナリオを書くのに適した人物はいないだろう。
「じゃあ、まゆみちゃん。黒幕の『あの人』と対決といきましょうか。」
つんくは椅子から立ち上がった。
- 196 名前:第16章 ワンダーランド 投稿日:2003年08月03日(日)16時06分22秒
- □ ■□■
「どうした。かかって来いよ。」
藤本が挑発する。
「そっちが来ないなら、こっちが行くよ。」
藤本は口の中で短い呪文を唱えた。
すると、キッズの子たちが朧気な霧のように姿を現し、次第に実体化し始めた。
「さあ、おチビちゃん達の出番だ。」
いまや、キッズは完全に実体化して藤本と娘。たちの間を塞ぐように立ちはだかった。まだ幼さの残る子供達は妙に冷え切った感情の無い目をして娘。の方へと迫ってくる。手には刃物や銃器を持ち、彼女らのあどけない外見との非常な違和感を感じさせた。
「藤本!!てめぇ。小学生の子供達をこんな闘いに巻き込むなんて、何を考えているんだ。正気か?」
矢口が今にも飛びかからんばかりに興奮した様子で叫ぶ。
「止しな。矢口。」
飯田が冷静に矢口の腕をつかんで制止する。
「これも藤本の手口だよ。キッズの子たちを盾にしようという作戦だ。軽々しく藤本の策略にはまったら負けだよ。」
「・・・うん。」
矢口は悔しそうに藤本をにらみつける。
- 197 名前:第16章 ワンダーランド 投稿日:2003年08月03日(日)16時08分11秒
- 「ごっちん。石川。キッズの子を現実世界に強制送還して。」
飯田が指令を送る。
「うん。任せておいて。」
後藤は返事をしながら、藤本の方を見た。
その時の気持ちを正直に言えば(僕には分かる。)だ。
後藤自身、自分の能力のために何度も『悪の心』に飲み込まれそうになった。
精神エネルギーは基本的に悪でも善でもないが、やはり長く悪の心に閉じこめられていた精神は微かな苦みのように悪の味がした。そんな物を大量に吸い込んで体に良いわけがない。
後藤は夢を見ない。正確に言うと夢は見ているが、その夢は黒一色に塗りつぶされている。後藤の中に吸い込まれ蓄えられた無数の精神エネルギーは、絵の具箱の中の全ての絵の具を混ぜ合わせると黒になるように、後藤の夢を黒一色に染めてしまったのだ。他の人は極彩色の夢を見ているらしい。そんな話にも羨ましいとも感じなくなっていた。物心ついた時から黒い夢しか見たことがないからだ。
- 198 名前:第16章 ワンダーランド 投稿日:2003年08月03日(日)16時12分25秒
- 自分のこの特殊な体質が他の人に『いい夢』を届けるのに役立っている事は誇りに思っている。しかし、夢魔との闘いの後はいつも心が荒み意味もなく攻撃的な気持ちになった。物や家族に当たったこともある。それでも決定的に悪に染まらなかったのは仲間がいてくれたためだと思う。藤本の仲間になってやりたい。後藤はそう思った。
(今は、目の前の仕事を片づけよう。)
後藤は精神を集中して、『ドレイン』を発動した。どんどん後藤の中にキッズの子供らの精神エネルギーが流れ込んでくる。そして、段々とキッズの子たちの輪郭が不確かになってゆき形を失い、最後には夢の世界からその姿を消失した。
夢の世界でのみ存在できる夢魔にとっては『精神エネルギーの消失=死』であるが、現実世界に実体を持つキッズのような人間にとっては単に現実に強制送還されることにしか過ぎない。現実世界で再び精神エネルギーを回復すれば、日常生活には何の支障もないだろう。
- 199 名前:第16章 ワンダーランド 投稿日:2003年08月03日(日)16時13分43秒
- 「石川。あんたはやりすぎるなよ。」
後藤はすきを見て、石川に注意した。石川の能力は副作用がいささか強すぎる。強制送還したはいいが、肉体的なダメージが残る。
「ええっ。わたしの美声が聞きたくないんですか?そんなの悲しすぎる・・・」
それでも石川は『自称』美声を遺憾なく発揮し、次々とキッズの子を現実世界へと引き戻していった。石川の歌声を聞かさた子は災難としかいいようが無いが。
- 200 名前:第16章 ワンダーランド 投稿日:2003年08月03日(日)16時14分32秒
- 「藤本。あんたの相手はうちらがするよ。」
飯田が大きな目をさらに見開き、真っ直ぐに藤本の顔を見つめて宣言した。
「お相手させていただきます。せ・ん・ぱ・い。」
藤本は慇懃無礼に言うか言わないかのうちに、右手の上で2メートル近くまで成長した黒い球を娘。目がけて投げつけた。
そんなものが直撃したら、とても無事では済まない。しかも互いの間は10メートルほどのごく至近距離なのだ。
避ける間も無いほどの光速のスピードで黒い球は娘。に迫ってくる。
目が潰れるかと思うほどの閃光を伴って、すざまじい轟音が鳴り響き大地が振動した。とても立ってられないほどの地震が娘。を襲う。土煙と何かが焦げるような異臭が周囲に漂ってきた。
黒い球が直撃した場所にはクレーターのような穴ができたようだ。
自分の黒い球から来る直接の爆風を避けるために上空に退避していた藤本は、自分の眼下に現れた、まるで9.11のグラウンドゼロを見ているかのごとき死の荒野に満足していた。
- 201 名前:第16章 ワンダーランド 投稿日:2003年08月03日(日)16時17分29秒
- 「ひゃひゃひゃ。口ほどにも無い。果たして何人が生き残ったのかな?」
藤本は勝利の確信を抱きながら堪えきれない笑い声を上げる。
が、辺り一面を覆っていた白煙が収まるにつれて、その笑い声も凍り付いた。
(あれは何だ?)
藤本は目を疑った。
(カボチャ?なぜ、カボチャがあんな所にあるんだ・・・)
爆心地のクレーターのすぐ側に一個の巨大なカボチャがぽつんと置かれていた。
あれだけの爆発があったにも関わらず表面には傷一つなく、テカテカと美味しそうな光沢を放っていた。
実は藤本が巨大な黒い球を放つより一瞬早く、小川が自分の能力である『パンプキン』を発動していたのだ。
小川の精神力がつくりだす『かぼちゃの馬車』は移動手段として使えるだけではなく、いかなる攻撃に対しても無敵の防御力を誇る盾としても有効であった。
娘。メンバーは『パンプキン』の能力に護られて、まったくダメージを受けることなくカボチャの馬車の中にいた。
(くそ。思ったより奴らの覚醒と成熟が進んでいるみたいだな。)
藤本は歯ぎしりしたくなるような思いに駆られた。
- 202 名前:第16章 ワンダーランド 投稿日:2003年08月03日(日)16時18分58秒
- 「下ばっかり見て油断してんじゃねーよ。」
いきなり吉澤の声がして、藤本は後頭部に激痛を感じた。
とっさに振り向いた藤本の目の端に、バットを振り下ろした吉澤の姿が映る。
加護の瞬間移動の能力で藤本の背後に送り込まれた吉澤の、思いっきり振りかざした金剛丸を使っての強烈な後頭部への痛打だ。
藤本はバランスを失い、地面に叩きつけられた。
藤本の口の中に土と血の混じった複雑な味が広がる。
(もう、許さない。こんな屈辱は初めてだ。)
藤本は屈辱感に体が引き裂かれそうになりながら立ち上がる。
しかし、娘。達の攻撃は藤本に立ち直る隙を与えなかった。
「美貴ちゃん。精神エネルギーを弾のように放出できるのは美貴ちゃんだけではないのです。」
辻は成熟した証である白い翼を握りしめて振りかざした。すると、無数の鳥の羽根がまるでカミソリのような鋭さで藤本めがけて飛翔し切りかかった。
流石の藤本も吉澤からの一撃を食らって、地面に叩きつけられたダメージが残っている段階での辻の鳥の羽根攻撃は、無防備に避けるのが精一杯だった。
それでも何枚かの羽根が藤本の顔や腕をかすめ、藤本の顔が苦痛で歪んだ。
- 203 名前:第16章 ワンダーランド 投稿日:2003年08月03日(日)16時21分18秒
- そのチャンスを見逃さず、飯田が自分の能力『操り人形』を発動し、藤本の自由を奪った。
飯田の『操り人形』は能力をかけられた人間の意志とは関係なく、飯田の操り人形にしてしまう能力だが、飯田の極限まで成長した能力をもってしても、ほとんど悪に染まった、しかも強大な能力を持つ藤本の動きを奪うことが出来る時間は、せいぜい5分が限界といったところだ。
「紺野。早く藤本の心を善に戻してあげて。」
飯田は集中心が途切れて藤本に掛けた能力が消えないようにしながら、せっぱ詰まった声で叫ぶ。
「はい。」
高橋と安倍のヒーリング能力で完璧に復活した紺野が前に進み出て、藤本の額に触れる。
藤本が憎々しげな目つきをして紺野を睨み、いやいやをするように首を振るが、無駄な抵抗だった。
紺野は土と血で汚れた藤本の額をそっと触り、意識を集中させた。
触れずに精神の形を変えることも可能だが、確実に精神の形を変えるためには対象にさわったほうがよい。
- 204 名前:第16章 ワンダーランド 投稿日:2003年08月03日(日)16時22分49秒
- 紺野の中に藤本の精神の形のイメージが浮かび上がってきた。
何と表現したら適切であるか言葉ではなかなか形容できないが、紺野は昔に見た『エイリアン』という映画の中に出てきたエイリアンの卵に似ていると思った。ヘドロの様な色をした皮膚質の卵に無数の血管と粘液が絡みつき脈動しているイメージだ。
しかし、紺野にはそのおぞましい外見の下に宝珠のような藤本の善の心が覆い隠されていることも知っていた。
複雑に入り組んだ精神の外側の余分な物を解きほぐし、切り捨てていった。
(腕のいい脳外科医が脳を手術するときは、こんな感覚なんだろうか。)
紺野はふと、そんなことを思った。
間違ったところを切ってはいけない。
顕微鏡下の数ミリを切り分けるような世界。
慎重に。慎重に。
段々と藤本の善の心が放つ光が強くなってきていた。
悪の心に隠されていた善の心が、その七色の真珠のように輝く外観を見せ始めている。
- 205 名前:第16章 ワンダーランド 投稿日:2003年08月03日(日)16時24分04秒
- 「紺野。どう?もう、わたしの能力も限界が近いよ。」
飯田が紺野に語りかける。
「もうすぐなんですけど・・・」
紺野は戸惑った声を上げた。すでに99%は善の心を取り戻したと思う。
しかし、残りの1%がどうしても除去できないのだ。よほど強固に藤本の心を支配している観念のようだ。
藤本の首を動かす動作が激しくなる。指先も何かを求めて空中を引っ掻くように動き始めた。飯田の能力の支配力は確実に切れかけていた。
あと、もう一歩で藤本は善の心を取り戻すのだが。
「まだ?まだ、善の心を取り戻せない?」
飯田の声が切迫してくる。
そして、ついに
「もう駄目だぁ。」
飯田の悲痛な叫び声が辺りに響いた。
溜め息とも悲鳴ともつかぬ、声にならない声が娘。メンバーの間に広まる。
- 206 名前:第16章 ワンダーランド 投稿日:2003年08月03日(日)16時26分05秒
- しかし、飯田の能力が切れた後も藤本の動きは再び停止し動くことは無かった。
飯田の『操り人形』に支配されている時は、首や指先を盛んに動かして些細な抵抗を続けていた藤本が、マネキン人形みたいに空中の一点を凝視したまま、ピクリとも体を動かすことを止めた。
「まだ、5分あるよ。」
矢口が手元の懐中時計をかざして言う。
飯田の能力が切れた瞬間に、矢口は紺野以外の周囲10メートルの藤本を含めた全ての物体の時間を停止する能力『タイムキーパー』を発動したのだ。
紺野は再び、藤本の精神に集中した。
(これは何だろう?)
藤本の心にロックをかけている存在に、紺野は言いようのない焦りを感じていた。
悪の心は完全に除去したはずだ。
しかし、ほんの少しだけ残っている異物が、どうしても藤本の心を善に戻さないのだ。この不純物を放置すれば、再び藤本は精神を悪に支配されてしまうだろう。
紺野はあらゆるアプローチをその異物に向けて行ったが、藤本の精神がそれを固く握りしめたまま絶対に手放そうとしなかった。
- 207 名前:第16章 ワンダーランド 投稿日:2003年08月03日(日)16時27分45秒
- 「紺野。あと一分しか時間がないよ。オイラも圭織も能力を使っちゃたから、メンバーの中で藤本の力を押さえ込めるのは、ごっちんだけだよ。でも、ごっちんの力を使うと藤本はこの夢の世界から一瞬は消えるけど、また復活して戻ってくる。それは何としても避けたいんだ。」
矢口はせわしなく懐中時計の蓋を開けたり閉めたりして、少しイライラした調子で紺野に話しかける。
「・・・はい。一生懸命にやっているんですけど、最後のどうしても外せないガードがあるんですよ。それさえ外せれば。」
紺野はほとんど泣きそうになっていた。
- 208 名前:第16章 ワンダーランド 投稿日:2003年08月03日(日)16時30分23秒
- □ ■□■
ちょうどその頃、つんくと夏まゆみは青山にあるUFAの事務所ビル最上階のある扉の前に立っていた。
つんくが決心したかのように、その扉を叩く。重厚な木で出来た扉で、近代的な内装が施してある他のフロアーとは趣が異なっている。
つんくは数回ほど扉を叩いたが、内部から応答が無いので、夏を促して中に入った。
夏もこの部屋の来たことは数えるほどしかなかったが、室内はびっくりするほど何も置かれていなかった。
広々とした部屋はシックな焦げ茶色のカーペットが敷きつめられており、渋谷の街が一望できる窓に面して、畳一畳はあろうかというほど大きな黒檀の事務机と、これまたつんく顎の高さまである背もたれの付いた椅子が置かれているだけだ。
「山崎はん。」
つんくが声を掛ける。
「んん。」
今まで寝ていたのだろうか、微かな呻き声を上げてこの部屋の主が目を開いた。
- 209 名前:第16章 ワンダーランド 投稿日:2003年08月03日(日)16時35分40秒
- 背もたれの付いた回転椅子から、身を半分だけ起こし山崎は来訪者を見回した。
つんくは決心したかのように口火を切る。
「山崎はん。もう、うちらがこの部屋に来た理由は分かっていると思いますけど、あんたナンボ何でもやりすぎでっせ。」
「やりすぎ?何がだね。」
何も言わなければ30代後半と言っても通用しそうな肌艶と野心的な目をした山崎会長が、つんくを試すような視線を投げかける。
どこか、含み笑いをしているような楽しそうな視線である。
つんくは山崎の質問には直接答えず
「自分は山崎はんの事を尊敬しておったんですよ。現実世界でも夢の世界でも、人々がみんな楽しくいられるように、夢魔と闘って夢の世界を護り、同時に歌やダンスやミュージカルなんかの総合エンターテーメントもやる全く新しいアイドルユニットを作るというアンタの思想に共鳴したからこそ、こうやって骨身を惜しまずに協力してきた。」
と噛んで含めるようにゆっくりとした口調で話し始めた。
- 210 名前:第16章 ワンダーランド 投稿日:2003年08月03日(日)16時36分28秒
- 「山崎はん。あんたはある意味天才やわ。決して才能もルックスも恵まれていない女の子達の集団を、あっという間に日本を代表する、誰にも真似できないアイドルユニットに育て上げた。しかしな、自分の才能に溺れちゃいかんわ。」
「わたしが何をしたと言うのかな?」
「現実の世界では、いくらでもハロプロの女の子達を順列組み合わせして新しいユニットやプロジェクトをやることについては何も言わん。でもな、他人の夢を融合させて共有させて、さらに藤本に妙な暗示をかけて悪の心を肥大化させて、本来は仲間である娘。メンバーと闘わせて、それを楽しそうに高みから見物するなんて事までは、自分は見過ごせないのや。」
「藤本みたいな優れた能力がある問題児を娘。達の中に放り込んで、メンバーの間に競争意識や闘争意識を生み出すことで、娘。全体が活性化すると考えないのか?実際、藤本が娘。に加入する事で5期メンバー全員が覚醒したじゃないか。自分の中に眠っていた能力を発掘できた。これは素晴らしい事じゃないか。そうだろう?」
- 211 名前:第16章 ワンダーランド 投稿日:2003年08月03日(日)16時40分05秒
- つんくは呆れたように上を向いた。
「はっきり言わして貰いますけど、ハロプロの女の子達は山崎はんの趣味のオモチャじゃないんですよ。今、この瞬間にも藤本とモーニングの子たちは夢の世界で死ぬ思いをして闘っているんです。お互いを憎みあっている訳でもないのに闘わされているですよ。」
「で、君は俺に何をしろというのかね?」
山崎がふてぶてしく言い放つ。
「道頓堀で頭を冷やしなはれ。」
「えっ?何を言う?」
「道頓堀で頭を冷やせ。言うたんや。このボケ!!!」
言うが早いかつんくは、いつの間にか手に持っていた黒と黄色の虎のマークが入っているプラスチック製のメガフォンで山崎の前頭部を叩いた。パコーンという乾いた良い音がした。
「阪神優勝(予定)記念の特大ホームランや。掛布、バース、岡田〜。」
- 212 名前:第16章 ワンダーランド 投稿日:2003年08月03日(日)16時41分29秒
- さほど強く叩いた訳でもないのに、山崎はすぐに昏倒し、かなり派手な音を立てて前のめりになって机の上にうつ伏した。
「つんくくん!!」
堪らず、夏が叫ぶ。
「大丈夫や。俺かて娘。のプロデューサーやぞ。人間の一人くらい夢の世界に送り込む芸当はできるんや。ちょっと、山崎はんには夢の世界に行ってもらった。」
「・・・そうなんだ。」
夏は半信半疑の気持ちで、机の上にうつ伏して身動き一つしない山崎を見つめていた。
- 213 名前:第16章 ワンダーランド 投稿日:2003年08月03日(日)16時43分41秒
- □ ■□■
つんくの手によって山崎が夢の世界に送られた瞬間、藤本の精神を強力に拘束していた山崎の暗示は外れた。善の心だけが持ちうる暖かい陽の光が藤本の精神を満たす。
「やりました。美貴ちゃんは善の心をやっと取り戻しました。」
紺野が感激のあまり半泣きになりながら言った。
藤本の額から手を放した後も、あまりの極度の緊張感と疲労感のためか、紺野はその場にへたり込んで座ったまま立ち上がれずにいた。
娘。の仲間達が紺野をねぎらうかのように彼女の周囲に集まって、肩に手をかけたり頭を撫でたりしてして祝福する。
「ふえぇ。危ないとこだった。あと10秒しか残ってなかったよ。」
矢口の能力の効果が消え、紺野の周りの時間が再び動き出す。人形みたいに固まっていた藤本にも生気が戻ってきた。しかし目は閉じたままだ。
「しばらく美貴ちゃんは起きないと思います。精神の形をだいぶ変えたから、体がそれに順応するまで時間が少しかかると思うので・・・」
- 214 名前:第16章 ワンダーランド 投稿日:2003年08月03日(日)16時45分15秒
- 『友情』『努力』『勝利』
まるで週間少年ジャンプのべたな宣伝みたいだが、志を同じくする仲間達の力を合わせて悪の心に染まってしまった藤本を善の側に取り戻す事が出来た。
誰もがボロボロに傷つきながらも、その顔には自分たちは最後までやり切ったんだという充実感が輝いていた。
「おーい。紺野。」
紺野の頭の中でつんくの声がいきなりした。
「はいっ。」
紺野は反射的に立ち上がる。
「紺野。藤本は上手く善の心を取り戻せたか?」
「はい。何とかやりました。」
「そうか。それは良かったわ。でな、お疲れのとこをスマンが、もう一仕事してほしいんや。紺野たちがいる場所から西のほうに超近代的なビルが見えるやろ。」
「はい。見えます。」
「そこな。実は大阪の街やねん。そこの心斎橋・・・そうそうグリコの看板があるとこや・・・に頭から水を被ってびしょ濡れの男の子がいるねん。頭のエエ男の子やけど、ちょっと性格がねじ曲がってしまっとるんで、紺野の能力を使って、真っ直ぐで気持ちのエエ子にしてやって欲しいねん。出来るか?」
「ええ、やってみます。」
- 215 名前:第16章 ワンダーランド 投稿日:2003年08月03日(日)16時47分14秒
- 紺野たちの上には青空が広がっていた。
娘。の赤点娘。と言われてきた自分だけれど、自分の中に眠っていた『ワンダーランド』の能力は娘。の危機を救い、美貴ちゃんに善の心を取り戻させた。
最初にモー娘。は夢魔と闘って、みんなの夢を護る仕事をしているんだって聞いた時は自分には絶対に無理だと思ったけれど、何とかやれるような気になってきた。
『ワンダーランド』は今、紺野の目の前にあった。
- 216 名前:第16章 ワンダーランド 投稿日:2003年08月03日(日)16時50分14秒
- 《おわり》
- 217 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/19(木) 23:43
- 半年…
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