「闘」

1 名前:0 投稿日:2003年05月14日(水)21時38分05秒

「やられたらやりかえせ…」

都心の空へ高くのびる建物。
呪文のような言葉を何度もそれに浴びせ、少女は一歩を踏み出した。

2 名前:「闘」 投稿日:2003年05月14日(水)21時39分50秒

―――――――――― So FIGHT!

3 名前:1 投稿日:2003年05月14日(水)21時41分05秒


「あー!また食ってるー!」

黒のニット帽から金色の髪をなびかせ、スカジャンにジーパン姿の少女はそう叫ぶと、
白いタオルに包まれた小さな頭を後ろから押さえこみ、細い首に腕を絡めた。

「ダメだよ、これ売りもんなんだからさー。ほらほら、吐けはけはけー!」
「うううぐるちぃー」

ヘッドロックをかけられた少女の口から、タコ焼きが苦しそうな声とともにこぼれ落ちる。
少女はひきつった表情で、自分の首を押さえている腕を力なくパンパンと叩いた。

「ギブギブギブ…」
「よっしゃー!おれの勝ちだー、ほっほっほーい!」
4 名前:1 投稿日:2003年05月14日(水)21時42分24秒
もう大人といっても過言ではない少女。
その小躍りする様子を見ながら、ぜほぜほと咳きこんでいた少女がぽつりと呟いた。

「くそー、ばか力め。こんなトコで使わないで違うのに使えよ。ばーか」
「ん?何か言ったかい?のの」
「ゲホッゲホッ…ううん、のんは何も言ってないよ」

急にこちらを振り向いた少女に、ののと呼ばれた少女は、タオルをしばり直しながら
苦笑いを浮かべる。

はー、聞かれたら間違いなく殺されます。海は苦手です。

肩をすくめ、腹巻きに両手を突っ込み降参の姿勢をとりつつ、
まだ飛び跳ねている金髪頭をにらむ。
外人さんのように大きな目に白い肌。チンピラみたいなダサい服。

こんなのが若頭だなんて――
5 名前:1 投稿日:2003年05月14日(水)21時43分32秒
飯田組。
2年前に当時急成長株だった中澤組から除籍し、
杉並周辺を本拠地にしている暴力団組織で、規模はそれほど大きくない。
今や国際化し、企業社会に進出している暴力団の世界で、
その流れに真っ向から逆らうような組だった。

組長飯田の口ぐせが「私達は人に優しいヤクザでいたい」だから、
それはしょうがないのかもしれない。

しかし、前に在籍していた中澤組は今では関東どころか全国を傘下におさめる、
この国では最大の暴力団組織になっているせいか、端からみれば飯田組は
そこから溢れた、落ちこぼれヤクザという認識の方が強かった。
6 名前:1 投稿日:2003年05月14日(水)21時44分13秒
そして、奇声をあげながら変な動きで踊る少女。
彼女が飯田組のホープ、若頭の吉澤ひとみだった。

若衆にも若さんと呼ばれ親しまれている彼女は、力関係でいえば組長飯田の
次にくる人物だったが、ピンクのカラフルなステテコを着て隣でぶーたれて
いる少女は、その若頭にも臆することなく、タメ口で話しかけていた。

少女の名前は辻希美。彼女もまた飯田組の構成員だった。
7 名前:1 投稿日:2003年05月14日(水)21時45分12秒
「よっすぃーだって、売り物のシャツ着てるじゃんかー」
「あ、これ?かっけーしょ?闘うTシャツなんだぜー!」

そう言ってスカジャンをはだけて紫のシャツを自慢げに見せる。
「闘」という白くて太い文字が、真ん中に大きくプリントされていた。
ださい…のんは着たくないな。
ひややかな視線も気にとめず、吉澤は嬉しそうに自分のシャツを眺めていた。

「でも、よっすぃーも売り物のシャツ着てるのに、何でのんが売り物のタコ食べちゃだめなの?」
「はー?当たり前じゃん。このシャツは自分で発案したやつだもん。
それにTシャツは食べれないから減らないでしょ?だからいいんだよ」

少し意味のわからない答えに、辻は首をかたむける。

「それじゃ、のんもお金払うもん」
「だからー、それじゃ意味ないんだって。ののが買ったら、自分で食べちゃったら
全然もうかんなよ。300円が缶の中に入ったり出たりするだけじゃんか」
「じゃー、500円にしようよ」
「なるほど、その手もあるか…って、それもダメだよ」
「けちー」
8 名前:1 投稿日:2003年05月14日(水)21時47分11秒
椅子に体育座りした辻は口を尖らせたまま、鉄板の上で
ジュウジュウと音をたてている丸いかたまりを凝視している。
口の周りには、ソースとかつお節が名残惜しそうについていた。

「そっちも、一つも売れてないくせに」
「なんだとー、売れるのはこれからなんだよ。これから本気で売るんだもん」
「…ふーん」

くしを持ち鉄板に向かう辻。
あっさりとした気のない返事が、吉澤の何かに火をつけた。

「こうなったら、勝負だ!ぜってー勝ってやる!」

いきなりそう宣言すると吉澤は勢い良く露店から飛び出し、すぐ隣で大声をあげた。

「へい、らっしゃーい!闘うTシャツはどうだーい!飯田組の御墨付きTシャツだぜー。
これさえ着てれば怖いもんなしときたもんだ。飯田組ばんざーい!ばんざーい!」

閑散としたジャリ道に、一つの露店と青いビニールシートを広げた店が肩を並べている。
石畳を進む人は、その声に顔を一瞬向けるものの、何も目にしていない様子で前を通り
過ぎていく。時折、近くで遊んでいる子供達が、からかいがてらに近づいてくるだけだった。
9 名前:1 投稿日:2003年05月14日(水)21時48分56秒
「よう!ボーズ。このかっけーシャツ買わない?これ着てればケンカもばっち来いだぜ」
「えーいいよ、別に。そんなダッセーの着てたら女の子にモテなくなるし」

リーダー格の子のさめた声に、周りの少年達が声を合わせた。

「「ぎゃははは、だっせーだっせー!」」

手に持ったヒーローものの剣を振り上げ笑いだす少年達に、吉澤の怒号が飛ぶ。

「うっせー!ガキはさっさと家帰ってクソして寝てろ!
金もってねーテメーらなんて、はなっから相手にしてねーよ!」
「うわー逃げろー!」
「飯田組をなめんなー!コラァ!」

蜘蛛の子を散らすように逃げ出す少年達を吉澤が追いかける。
毎日くり返される鬼ごっこを見ながら、辻はあきれた表情でタコ焼きを頬張った。

「これは、味見だもんね…」
10 名前:1 投稿日:2003年05月14日(水)21時50分21秒
「何回目のですか?」
「えーっと、いちにぃさん…8回目かな?…って、マコっちゃん!」

香ばしい湯気の向こうに、若衆の一人、小川麻琴が立っていた。

「おっす!辻姐さん、しょーばいどうでっかー?」
「ぼちぼちでんなぁー。仕事してきたマコっちゃんにもあげるよ。はい、アーン」

口をもごもごさせたまま、辻はたっぷりかつお節ののったタコ焼きを差し出した。

「んーうんめぇー!やっぱ辻さんのタコくんは最高だなぁ」
「でしょー。こんなにうまいのに何で売れないんだろう?」
「うーん。何でですかね?小川は辻さんのが一番おいしいと思うんですけど。
もう一個もらってもいいですか?」
「いいよー、こっから取って食べてよ」
「やったー!すっごいお腹減ってたんですよー」
11 名前:1 投稿日:2003年05月14日(水)21時51分06秒
「のんは、隣の人に原因があると思うんだよね」

辻はちらりと視線を動かす。小川もつられるように横を向いた。

「あー、若ですか」
「そうなの。毎日あんな風に大声出して遊んでるんだもん。お客どころか鳩も寄りつかないよ」
「あははは、確かに若は最近すっごい元気ですからねー」
「元気すぎんだよ…」

子供達に逃げられた吉澤は、腹いせなのか地面をついばんでいる鳩にターゲットを変えていた。

「タコ焼きならぬ、ハト焼きにしてやるぜー!覚悟しやがれってんだー!」
12 名前:1 投稿日:2003年05月14日(水)21時52分10秒
「はぁー、元気になったのはいいですけど、こっちは仕事増やされて大変ですよ」

ため息混じりにそう呟きながら小川の隣に表れた少女。
もうすっかり暖かい日射しが照りつける中でも、彼女はきっちりしたスーツを着ていた。
大きな荷物をどすんとカウンターに置いてから、新垣里沙はおでこの汗を拭った。

「ガキさんお疲れー。のの特製ジャンボタコ焼きあげるよ」

バカでかくタコ焼きというよりは、丸いお好み焼きのような物をのせた皿が
新垣の前に置かれ、ゆったりと踊るかつお節と青海苔のいい香りがあたりに漂う。
新垣は箸で小さく割ってから、まだ熱いそれを口へほおりこんだ。

「うんうん。やっぱ美味しいですね、辻さんの作るのは」
「そうでしょー?今ちょうどその話してたんだよ。
よっすぃーが邪魔しなければ、のんは今頃、大金持ちなのにー」
13 名前:1 投稿日:2003年05月14日(水)21時54分51秒
噂をされている吉澤は、一匹の鳩の背後で姿勢を低く屈めていた。
店主のいない隣の青いビニールシートには、「闘」と書かれたTシャツが風にはためいている。
それを目にした新垣は、困ったような表情を浮かべた。

「私だって忙しいのに、あのTシャツ作らされてるんですから。若は、私に頼めば何でも
できるって思ってるみたいなんですよね。ほんと、どうにかして下さいよ」

愚痴をこぼしながら缶コーヒーを取り出すと、新垣はがぶがぶと一気にのどへと流し込んだ。
でも、ガキさんに頼めばできないことなんてないよなぁ。
辻はゲップしている新垣にうらやましそうな視線を送る。
だって、お父さんがすごい人だって、飯田さん言ってたもん。

「あー!若、鳩つかまえようとしてますよー」

ずっと吉澤の動きを観察していた小川の声に、辻と新垣は同時にがくっと肩を落とした。
辻は恨みがましい目つきで吉澤を見る。
14 名前:1 投稿日:2003年05月14日(水)21時56分09秒
「あーあ、あれじゃただの怪しい人だよよっすぃー…あっ、逃げられた」

その無様な転び方を見て笑っている小川を横目に、複雑な表情で新垣は口を開いた。

「私には別人に見えますよ、前は声をかけるのにも緊張させられましたから。
あの目がすごい恐かったんですよね。ほんと考えられませんよ、あの頃の―」

そう言ってゴクリと唾をのみ込む。辻も小川も黙ってその声に耳を傾けていた。

「――狂犬と呼ばれ、恐れられてた頃に比べたら」


――――――――


15 名前:1 投稿日:2003年05月14日(水)21時58分57秒

「くっそー」

スカジャンを腰に巻いて吉澤は半袖姿でこちらへ歩いてくる。その白い腕からは刺青が
ちらちらと顔を覗かせていた。吉澤の歯を見せた笑顔を目にして、辻の表情は曇る。
今のよっすぃーは、本当のよっすぃーじゃない。のんは知ってるんだから…
辻は吉澤から視線を外すと、休めていた手を動かし鉄板の穴に生地を流しこんだ。

「よう、ガキさんにマコ。もう上がり?」
「ええ、今寄り合いに行ってきたんですよ。これから事務所に持っていきます」

新垣は丁寧に答えながら、大きな鞄に手を乗せる。
そしてその瞬間、吉澤の顔がにやけたのも見逃さなかった。

「みんな厳しいらしいみたいで、今月もぎりぎりかもしれないです。
だから、若が使える余分なお金なんてないですからね!」
「なんだよー!まだ何にも言ってないじゃんかー」
「え、違うんですか?」
「ううん。ガッキー大正解!」

にっこり笑顔を浮かべた吉澤は、新垣の前で手のひらを上に向けた。
16 名前:1 投稿日:2003年05月14日(水)22時00分10秒
「遊んでばっかのよっすぃーにはこれで十分だよ」
「うぉ、あっちーー!」

差し出した手にタコ焼きの失敗作をのせられた吉澤は、悲鳴を上げると
そのまま神社の境内まで何ごとかを叫びながら走っていった。
赤くなった手を水飲み場に浸しにいったようだったが、数分たってから
戻ってきた吉澤の服は、なぜか全身ビショビショに濡れていた。
吉澤は重くなった帽子を投げ捨て、箱から乾いている煙草を選びだし、
少し折れまがったそれを口にくわえた。
すかさず新垣が火をつける。

「ふー。あー、今何時だっけ?」
「6時半くらいです」
「もう、そんな時間か。ガキさんは車?」
「ええ、そこで待たせてます」
「んじゃー 新宿まで送っていってよ」
「えっ、新宿ですか…何か約束でも?」

吉澤は自分の指先で赤く燃える煙草を見つめ、意味もなくクルクルとまわしていた。

「いや、帰る前にちょっと遊んでいこうと思って。あそこのゲーセンに面白いのがあるんだよね」
「そうですか、新垣は早くこれを持って帰りたいので…そうだ、マコを連れてって下さい」
「はい!小川がお供させていただきますよ。若」
17 名前:1 投稿日:2003年05月14日(水)22時01分18秒
しかし、その元気な申し出も吉澤はすぐに断った。

「いいよ。小川はそこで、うちの代わりに闘うTシャツ売ってくれよ。
それにののを一人にするわけにもいかないしさ。な!頼んだぞ小川」
「へぇ…わかりました。若」

小川が困りながらもそう答えると、吉澤は嬉しそうに笑った。
一方、新垣の表情は険しくなる。

「何言ってるんですか、若。ここは私達のシマだからいいですけど、新宿はやつらの
縄張りですよ。そんな危ないとこに若を一人で行かせるわけにはいきません」
「大丈夫だよ、会ったからって取って食われるわけでもないし…
それに今のうちにはそんな価値ないでしょ。へへっ」

自虐的な笑みを口元に浮かべた吉澤に、一瞬、誰もが言葉を失った。

「よっしゃ!今日こそ最高のスコア出すぞー!マサオをうち負かしてやる。
小川、後はまかせたからなー」
18 名前:1 投稿日:2003年05月14日(水)22時02分33秒
「まだ勝敗ついてないのに…逃げる気だな、よっすぃー」

歩みだそうとする吉澤の背中に、黙ってやりとりを聞いていた辻が声をかけた。
目線をタコ焼きに下ろしたまま呟いたその声には、非難の色がにじんでいた。

「ちげーよ、代打だよ代打。野球にもサッカーにも交代はあるでしょ?」

辻は吉澤に顔を向けることなく口を尖らせ、タコ焼きをひっくり返している。
吉澤の表情が一瞬ゆがんだのを、辻が見ることはなかった。

「小川、ののなんかに負けるんじゃねーぞ」
「へい、がんばります!」
「のんだって負けないもん…あっ!」

できたてのタコ焼きが目の前から消える。
顔を上げた辻の目に、あっかんべーをした吉澤の憎たらしい顔が飛び込んできた。

「フヘヘヘ…このたこ焼きはいただいた!さらばじゃ!」

そう言い残して走っていく吉澤を、新垣は鞄を抱え慌てて追いかけていった。

「わかー!そっちじゃなくて、車こっちですよー!」
19 名前:1 投稿日:2003年05月14日(水)22時04分26秒
「逃げてばっかじゃだめだよ…」

辻は人の居なくなった石畳に向かって、ぽつりと言葉をもらした。
のんは知ってるんだから、よっすぃーが別人だって。
そんなよっすぃーは大っきらい。

苛立った様子で、辻は乱暴にタコ焼きをひっくり返していく。
へらへらしたよっすぃーは大っきらい。

串を入れるのが遅れたせいで、鉄板には黒いお腹が並んでしまっていた。

よっすぃーをおかしくさせちゃうあんなもの、この世から無くなっちゃえばいいのに――

少し焦がしてしまったタコ焼き。
辻はその臭いを気にすることなく口へと運ぶ。
日の落ちてきた通りに、夜の空気をのせた風が吹き抜けていった。


――――――――

20 名前:名無しさん 投稿日:2003年05月14日(水)22時07分17秒
吉澤主役のヤクザもんです。
なるべくオールキャスティング(予定)。
よろしくお願いします。
21 名前:名無し読者 投稿日:2003年05月14日(水)22時40分09秒
面白そうですね!
よしののですか?
謎だらけなよっすぃー気になります。
22 名前:2 投稿日:2003年05月16日(金)02時27分27秒

空がうっすらと色づき始め、どこからか集まってきたカラスが朝の訪れを騒ぎ立てる。
まだ澄んだ空気に包まれ、ひんやりとした街。
その通りに建物から人々の起き出す音がもれはじめた。

塵やホコリの目覚めよりも早くその風を全身に浴び、
若い配達員はきびきびした動きで家々に新聞を置いていく。

そこは都心に近い場所にあって、マンションやビルがぎっしりと建ち並んでいた。
23 名前:2 投稿日:2003年05月16日(金)02時28分23秒
その中で最も目立つ建物。
真新しい壁が眩しい、9階建ての高級マンション。
発売当初、その目を見張る価格に売れないのではないかと地元では
噂されていたが、その心配もよそにすぐに完売してしまい、今度は
どんな人間が生活するのかという話でみな盛り上がっていた。

彼も興味を持った一人だったが、ここを通る時間が時間なだけに諦めていた。
しかし、早朝だけのアルバイトのため、住人と顔を合わすこともないと
思っていた彼にも、毎日顔を見ることになった住人が一人だけいた。

その向かいにあるアパートにバイクを止めると、配達員は足どり軽く階段を駆け上る。
配り終わり階段を下りている途中、2階の踊り場で動きを止めた彼は、息を整えると
腕時計をちらりと確認してから通りを見下ろした。

「そろそろかな…」
24 名前:2 投稿日:2003年05月16日(金)02時30分20秒
全てのガラスを黒いフィルムで覆った車が、銀色の車体と
エンブレムを輝かせ、マンションの前に滑り込んできた。
運転手がドアを開け、後部座席から一人の女性が下りてくる。

パーティにでも出てきたような艶やかな赤いドレス。
その女性はバックを受け取ると、運転手にありがとうと軽く微笑んだ。
その一つ一つの動作はしなやかで、独特のオーラが彼女から発せられていた。

ヒールの音を鳴らし、ドアの向こうへ消えていく後ろ姿を眺めてから、
彼は階段をようやく下り始める。初めて彼女を目にした時から、
こうして、ここからその姿を一目拝むのが彼の日課になっていた。
25 名前:2 投稿日:2003年05月16日(金)02時31分05秒
きっと一目惚れに近いもんなんだろうな。

時間にしてみればほんの数秒で、仕事に影響は全くない。
むしろ仕事の効率は良くなり、どんどん彼の最短記録は更新されていた。

いったい、あの服はどこに消えていっているんだろう?

時として同じ格好をしているのを見た事はない。
彼女を目にする度に、彼は毎日そんな疑問を頭に浮かべていた。
彼女の周りに広がっている世界が、自分には想像もできない所だと
いうことも十分わかっていたが、思案せずにはいられなかった。
26 名前:2 投稿日:2003年05月16日(金)02時31分52秒
唯一、彼が知っているのは、彼女が新宿の有名なクラブで働いている
ホステスだということ。
そして、毎日の送り向かいの車からはその人気の高さと、
この高い建物からは背後にいるパトロンの存在を――
この2つは疑いようもなかった。

彼はいつか自分が成功したあかつきにはその店に行き、
彼女を指名しようと心の中で決めていた。

あの変なヤクザからも、俺が解放してやるんだ。

そう気合いを入れると、配達員は茶色の髪をなびかせ次の家へと向かう。
高いエンジン音が、まだ静かな街を走りぬけていった。


――――――――

27 名前:2 投稿日:2003年05月16日(金)02時32分39秒

ドアを開けた瞬間、中からむせかえるような空気が流れ出してくる。
アヤカはヒールを脱ぎ捨てると、赤いドレスがめくれるのも気にせず
その煙った部屋に、慌ただしく入っていった。

リビングへのガラス戸の向こうは真っ暗だったが、濃くなっていく臭いに
アヤカの表情はほころんでいた。

店では、髪についてしまうと文句を口にする煙草の匂いも、ここでは別だった。
28 名前:2 投稿日:2003年05月16日(金)02時33分24秒
「ただいまー、来てるの?」

電気をつけたアヤカの目に飛び込んでくる光景。
出てきた時からは想像できないほど、部屋の中は散らかっていた。
それでも、アヤカは嬉しそうな顔でそれを見つめる。

片付けられていた雑誌が床に広げられ、ビールの缶は何本も転がり
足の踏み場をなくしていた。テーブルの上には、溶けかけた氷と吸い殻の山。
そこから、咳き込む匂いと白い煙りがくすぶっている。
アヤハはその灰皿をすぐに台所の流しに持っていき、新しいのを棚から出した。
29 名前:2 投稿日:2003年05月16日(金)02時34分07秒
「そっちにいるの?」

かすかに開いた寝室へのドアに手をかけ、中へ呼びかけた。
その声は、とても優しく暗い部屋に響く。
返事も寝息も聞こえてこない代わりに、何かが壁にぶつかる音が耳に入った。
その音に、アヤカははじめて表情を曇らせる。
ドアを突き放すように押して、足を踏み入れた。

まるで泥棒が入ったかのように、荒らされた部屋。
あちこちの引き出しが何かを捜した後らしく、開けられたまま洋服が散乱している。
足先にあたった物を拾い上げ、アヤカは心の中で舌打ちした。
いくつかは破られ、すでに使い物にならなくなっていた。

倒れた照明を跨いで、暗闇を奥へと進む。
熱帯魚の明かりで浮かび上がる部屋の隅に、やっとその姿を見つけることができた。

何度見ても慣れることのない光景に、
どんどん酷くなっていくその姿に、胸の奥がずきりと痛んだ。
30 名前:2 投稿日:2003年05月16日(金)02時35分18秒
身体を震わせた少女が、壁にピタリと背をつけ膝を抱え座っている。
青白い光に浮かび上がる透き通った肌。
ぶつぶつと何かを呟きながら、少女はその肌をせわしなく掻いていた。

アヤカは脅かさないように足音をしのばせ少女に近づき、そっと肩に手を置く。
その感触に少女は体をビクッと揺らした。
恐怖にかられてはいるが、その目は異様に冴え、だらしなく開けられた口元は濡れ光っていた。

アヤカは落ち着いた様子でハンカチを少女の口へあてる。
つんとした酸っぱい臭いが鼻につくのも気にとめず、綺麗に拭きとると、
アヤカはそのまま熱っぽい少女の頬を手で包みこみ、力の抜けきった背中に腕をまわした。
31 名前:2 投稿日:2003年05月16日(金)02時36分26秒
骨張った肩の感触と少女の激しい動悸。
暴れだそうとする少女を抱きしめながら、
アヤカは子供をさとすような口調で、少女に語りかけた。

「ごめんね切らしてて。今日たくさん貰ってきたからね…」

その声に反応した少女はアヤカの顔を見つめる。
その虚ろな目は、自分を見ているようで全く違うものを見ている。
それでも、アヤカはかまうことなく微笑み返した。

「私が帰ってきたから、もう大丈夫だよ。よっすぃー」

自分の腕を振りはらい、ふらふらと立ち上がリビングへ突進していく背中を、
アヤカは寂しそうな表情で見つめることしかできなかった。

――――――――

32 名前:名無しさん 投稿日:2003年05月16日(金)02時40分36秒
更新しました。

>>21 名無し読者さん
レスありがとうございます。
よしののと言えるモノではないと思います。ごめんなさい。
「闘い」が全てということで。(w
33 名前:名無し読者 投稿日:2003年05月16日(金)11時32分58秒
どの人がどんな役どころで出るんだろう…
とかなり引っ張られています。
なんか既にハードな展開。これからが更に楽しみです。
34 名前:名無し読者 投稿日:2003年05月17日(土)23時35分49秒
こういうの個人的にらいすっき。
期待期待。
35 名前:3 投稿日:2003年05月24日(土)01時44分28秒

飯田組の朝は早い。
まだ夜の静けさが残る中、田中れいなは自分の背丈ほどあるホウキを手に
だだっ広い庭を一人動きまわっていた。
髪の毛は綺麗にセットされているが目はまだ眠たげで、動きものんびりとしていた。

「れいなー!ご飯よー!」

厳かな瓦屋根造りの日本家屋。
鳥のさえずりの気持ちいい世界に、そこから場違いな怒鳴り声が響きわたる。
れいなはその声を聞くと、待ってましたといわんばかりの勢いでホウキを放り出し、
下駄を鳴らしてその中へ入っていった。
36 名前:3 投稿日:2003年05月24日(土)01時45分05秒
高円寺にある飯田組の事務所兼宿舎は、古くから受け継がれてきた飯田の実家を
そのまま利用している。飯田の祖先は華族の末裔だったらしく、平家造りの趣あ
る建物は、今では考えられない広さを持っていた。

その土地をぐるりと囲む高い塀、それに沿うように植えられた松の木。
どっしりとかまえた門の木材は黒くくすんでいて、流れた月日の深さを感じさせる。
その周辺は、時代劇の撮影にはもってこいのロケーションだったが、
そこに掲げられた飯田組という表札が、人々の足を遠ざけていた。
37 名前:3 投稿日:2003年05月24日(土)01時45分47秒
手を洗い、れいなが居間に行くと、長い座卓にはすでに湯気をあげた料理が並んでいた。
魚の煮付け、山菜の煮物、からあげに目玉焼きにチゲ。
和食だけでなく中華に洋食と、いろんな物が混じっていた。

その前に小川と辻が並んで座り、食欲を誘う香りをかぎながら口をぽかんと開けて、
食事の開始を今か今かと待っている。
れいなは座布団に腰を下ろし、回ってくる白いご飯を順に置いていった。
38 名前:3 投稿日:2003年05月24日(土)01時46分29秒
「みんな、おはよう」

そこへ、組長の飯田が入ってきた。
藍色の着流しに身を包み、音もたてずにそろそろと畳みの上を滑るように歩く。
上座に座り、みんなの元気良く挨拶する顔を眺めると、飯田はやわらかく微笑んだ。

飯田組長っていつ起きてるんだろう?

れいなはこの組に入って、一緒に生活するようになってからも、
和服以外の格好をしている飯田を見たことは一度もなかった。
どんなに朝早くても、夜遅くても彼女は和服姿だった。
広い屋敷の中でも奥にある飯田の部屋に、近づいたことがないせいだろうか。
はっきりいって、れいなにもこの家の正確な部屋数はわからない。
奥へ続く長廊下を通れるのは、飯田の他には吉澤と辻くらいだった。

まっすぐのびた黒髪。腰のあたりで締められた帯。
ハッとするような鮮やかな桜が、裾を彩っている。
実際、背があり、すらっとした容姿の飯田にはそれがとても似合っていたし、
彼女から発せられる雰囲気には、何かしらひれ伏すものがあった。
39 名前:3 投稿日:2003年05月24日(土)01時47分23秒
そして、入りたてのれいなは、なぜか彼女に一番近い座席を指名されてしまい
そのオーラをもおかずにしながら、朝昼夜と、ここでご飯を食べていた。

「こら、のんちゃんつまみ食いしちゃだめだよ」
「だってー、のんもうお腹すいちゃったんだもん。さっき雑巾がけしたんだよ。
あっちの廊下とかいっぱい。ねー、マコっちゃん」
「ほんと、もうお腹グルグルなってますよー」
「そうなの?二人ともえらいねー」

飯田の誉め言葉に、辻と小川は誇らしげな表情を作り皿へと手をのばした。

「でも、まだダメだよ。みんな揃って、いただきますしてから食べるんだから。
それが飯田組の掟なんだからね」

あくまでもやさしい口調に、二人は文句を言いながらも手を引っ込めた。
40 名前:3 投稿日:2003年05月24日(土)01時48分14秒
飯田組の掟はいろいろある。暴力団としての掟はもちろん、
それとは関係のない変なものもたくさんあった。

一、人に優しいヤクザであること
一、人情を重んじ、人には愛を持って接すること
一、組員は寝食を共にし、ひとつ屋根の下で暮らすこと

れいなはそれを聞いて当初は首を傾げていたが、今では飯田の
背後に見える「愛」と書かれた掛け軸にも見なれてきていた。
41 名前:3 投稿日:2003年05月24日(土)01時49分14秒
「マサオ連れてきましたー!」

廊下をずるずるとした音をたてて斉藤瞳が入ってきた。オレンジ色に輝く
髪の毛にれいなの目はくぎづけになる。

あれ、また派手になってる。

ウェーブのかかった髪はライオンのたてがみのようになっていて、
あまりセンスがいいとは言えるものではなかった。
朝からテンションが高い斉藤の姿とは対照的に、その後から入ってきた
村田めぐみは、疲れきった様子で肩で息をしている。
そして、二人の足下には、引きずられてきてもまだ床で丸まっている銀色のショート
ヘアーが一つ。その頭を村田がペチンと叩くが、それにも動じる気配はない。

「いたっ…」

斉藤の力強い拳で、大谷雅恵はようやく顔をあげた。
42 名前:3 投稿日:2003年05月24日(土)01時50分25秒
彼女達は中澤組との分裂直後に飯田組に加入した組員だったが、
飯田との親交は辻や若頭の吉澤よりも古い。
東京のあちこちで小さいながらも上手く活動していた女崙連合会。
そこの幹部だった3人は、ある理由で組が解散してからも、どことも縁組みを
せずにカタギの商売をしていた。すっかり足を洗ったかのようにみえたが、
飯田組ができると聞いて組員にまっ先に立候補したのは、彼女達だった。

ヤクザとしての経験は長い。
そのせいか辻や小川、新垣も、この3人を姉のように慕い頼っていた。
特に吉澤は大谷といつも行動している。
ただ、やんちゃに遊びまくっているせいで、この二人がいつも問題を起こす。
それが飯田の頭痛の種でもあった。
43 名前:3 投稿日:2003年05月24日(土)01時51分12秒
こりもせず、また眠りに入ろうとする大谷の耳を引っぱり、田中の隣に座らせると、
二人も同じように席についた。

「おはよう、マサオ」
「ふぁー。おはよーかおり」

欠伸しながら、挨拶する大谷にも、飯田はやわらかな笑みを向ける。

「マサオ、昨日吉澤と一緒だったんだよね?」
「えっ?あー」

大谷は突然の質問に戸惑い、声がうわずった。
吉澤はかれこれ一ヶ月ほど姿を見せていない。
二人の間に挟まれ、れいなは静かにやりとりを見守っていた。
44 名前:3 投稿日:2003年05月24日(土)01時52分13秒
「一緒に帰ってこなかったの?」
「ゲーセンで遊んでたけど、その後すぐ別れたからなー」
「そう…」

寂しそうな眼差しを、飯田はれいなの前に落とした。
そこにはひっくり返されたままの茶わんが、来ることのない人を待っていた。

「何で、吉澤は帰ってこないんだろう…」

飯田がぽつりと呟いた声は、れいなの耳にしか届かない。
小さな飯田の嘆きは、元気のよい怒声によってかき消された。

「ほらー!あんたらボーっと座ってないで運びなさいよ!」

台所からキムチの皿を手に、エプロンをつけたままソニンが入ってくる。
その後ろでは、新垣が緊張した面持ちで、両手いっぱいに皿をのせていた。
料理をひっくり返さないように慎重にがに股で歩く新垣の姿に、先輩とはいえ、
れいなは笑いをこらえられなかった。
45 名前:3 投稿日:2003年05月24日(土)01時53分05秒
料理と人が揃ったのを見て、飯田はまぶたを落としゆっくり手を合わせる。
朝食の号令の気配を感じ、ざわざわしていた室内が一気に静かになった。

「今日もいい天気です。空気はとても澄んでいて、まるで初夏の匂いを私達に―」

みんな手を合わせて目をつむり、腹の虫をおさえながら飯田の長い挨拶にじっと耐える。
これはいつまでたっても慣れない。
5分くらいたった頃、ようやく終わりが見えてきた。

「―に感謝します。いただきます」
「「いっただきまーす!」」

それを合図に勢いよく箸を伸ばす。
あっという間に辻と小川の周りの料理はなくなっていった。

「あー、それまだ食べてないのに…」

その勢いに弾かれた新垣の悲しげな声に、れいなは口に入れた米粒を吹き出しそうになった。
46 名前:3 投稿日:2003年05月24日(土)01時54分11秒

「後片付けと、ユウキをよろしくねー!」

料理を作ったソニンが一番に食べ終わり、エプロンをれいなに投げ渡すと
慌ただしく出ていった。れいなはまだ入ったばかりの新米組員で、生活全般
の家事が今のところの仕事だった。嫌だなんて文句はいえない。
れいなはエプロンを手にとり小さくため息をついた。

ソニンはここに住んではいるが組員ではない。
近くの小さな町工場で、事務員をしている普通の女性だった。
飯田の遠い親戚だからといって、ヤクザと同じ屋根の下に住む根性はやはり見上げた
もので、実際のところ、この家で炊事担当の彼女に頭の上がる人物はいなかった。

一度、障子に穴をあけた罰として夜ご飯を抜きにされた辻が、大泣きしているのを
見たことがある。飯田の許してあげようよという言葉にも耳をかさないソニンの姿に、
れいながこの人には絶対逆らわない方がいいと思ったのも、まだ記憶に新しい。
47 名前:3 投稿日:2003年05月24日(土)01時54分43秒
ソニンが乗った原チャリの甲高いエンジン音が遠ざかっていくと、
ふすまの向こうから赤ちゃんの鳴き声が聞こえてくる。
飯田は箸を置きごちそうさまをすると、そのふすまをあけ、
隣の部屋のベビーベットで泣き暴れる赤ちゃんを抱き上げた。

「どちたのー?ママはお仕事にいったのよ。ぽんぽん空いちゃったの?
すぐにミルクあげるから、待っててねユウキ」

赤ちゃん言葉になる飯田を周りは誰も気にしていない。
れいなも、この頃ようやく違和感がなくなってきた。
外から見た時には想像もしていなかったことが、この組にはいっぱいあった。

「新垣、ミルクちょうだーい!」
「え?私まだ全然食べてないんですけど…」

突然の指名に、新垣は飯田には聞こえていない程度の声でぼやく。
その両側では、辻と小川が争うようにご飯をかきこんでいる。
飯田はそちらには目をむけず、赤ん坊をあやしながら、新垣を再び呼んだ。

「新垣、ミルクー!ユウキがお腹すいたって」
「はーい、わかりましたよー。もう」
48 名前:3 投稿日:2003年05月24日(土)01時55分23秒
先輩の新垣はこき使われている。
ここの組には一癖ある人間が多いせいか、いつも貧乏くじを引いているのは新垣だった。
組員の間を、文句を言いながらも走りまわっているその姿に、損な役回りだな、と
れいなは思いながらも、その頼りにされた彼女を羨ましくも思っていた。

いつになったら、ヤクザらしい仕事ができるんだろう。

雑用ばっかりさせられている自分に、最近少し焦りも感じていた。
入る前、れいなは九州一の暴走族を引っぱっていた。
血の気の多い男達をまとめあげていたし、どんないざこざにも自分から顔を出して、
先頭きって乗りこむこともよくあった。もちろん、腕っぷしにも覚えはある。
れいなにはヤクザとしてやれる自信と、やる気が十分にあった。

一番になってやる。

れいなの口癖は昔から変わっていない。
ただこの組の中で、それらしい野心を持っているのは、れいなだけのようだった。
飯田組の人間はどこか、今のゆるやかな生活で満足しているように見える。
この世界からは引っぱりだこだったれいなが、落ち目の飯田組に入ったこと自体、
疑問を持つ人は多かった。
49 名前:3 投稿日:2003年05月24日(土)01時56分30秒
「れいな」
「はい」

ミルクを少し飲ませ満足したのか、残りを赤ん坊とともに新垣に押し付けると
飯田は元の席にもどり、れいなをじっと見つめた。

「今日は、マサオについていきな」
「え?」
「夜でいいんだけど、マサオと一緒にいけば吉澤もつかまると思うから。見学がてらにね」

きょとんとした顔のれいなに飯田はにこりと笑いかけ、力強く言い放った。

「れいな、ヤクザの仕事してきなよ」
「はっ、はい!」

喜びを隠しきれない表情でれいなは飛び上がると、空になった皿を片付け始めた。


――――――――


50 名前:名無しさん 投稿日:2003年05月24日(土)02時00分38秒
更新しました。

>>33
一気に飯田組全員集合!
早く全員登場するように、更新していきたいと思います。

>>34
かなり局地的な揺れ小説だと自負していたので、こんなレスがつくとは…。
ありがとう、がんばります。
51 名前:名無しさん 投稿日:2003年05月29日(木)22時31分59秒
面白い!!
続きが読みたいです
52 名前:4 投稿日:2003年05月31日(土)14時13分00秒

12時をまわり終電も走り去ると、荻窪の繁華街は仕事帰りのサラリーマンや
帰りそびれた若者のグループ、そして、それを待ち受ける客引きであふれかえる。
照明の落ちた駅前から、時折流れてくるギターにのった歌声と車のクラクションが、
行き交う人々を振り返らせていた。

れいなはピンクのネオンサインに目を細め、密集した建物から吐き出される
澱んだ匂いに顔をしかめながら、その喧騒の中を歩いていた。

片言の日本語の女性、酔った勢いで威勢のよくなっている親父、
気味の悪い笑顔を浮かべたスーツ姿の男。

前を歩いている吉澤と大谷はみんなに声をかけ、時には立ち止まって世間話をし、
まるで巡回中の警官のような立ち振る舞いをしていた。
二人を知っている人も知らない人も、その堂々とした歩き方と
周りの反応を目にすると、みな一様に笑みを返した。

れいなは、その様子を後ろからじっと観察していた。
特に吉澤の言動を。
53 名前:4 投稿日:2003年05月31日(土)14時13分29秒
「よう!ガンちゃん。調子はどう?」
「おー若。いいですよ、もう暖かくなってきましたから。腰痛は少しあるがね。ひゃははは」
「そっか、もう若くねーんだから、気をつけなよ」
「はい、若も元気そうですね。そうだ!うちの店寄っていきませんか?
今日いい子いますよ、とびきりのが。ひゃははは」
「まじでー!どうしよっかマサオ?」
「ん?いいよいいよ。行こうぜー」

切り取られた文字をべたべたと貼り付けた大きな看板。
それを体全体で支えるようにして立っている男に、吉澤は親しげに話しかけた。
色のあせたキャップを頭にのせ、口まわりの無精髭は白色がぽつぽつと目立つ。
歳はもう60近くに見えた。
男は黄ばんで欠けた歯を見せながら、言葉尻に特徴的な笑い声をつけ喋っていた。

「あー、でもやめとくわ」

そう言って吉澤はにやけた顔のまま、れいなをちらりと見た。

「なっちゃん、怒ると怖いからね」
54 名前:4 投稿日:2003年05月31日(土)14時20分27秒
その笑みの意図を感じとり、れいなはすぐに言い返す。

「なっちゃんじゃありません!れいなです!」
「ほらー怖いでしょ?ガンちゃん。今年入ってきた新人なんだけどさ、
威勢がよくってねー。うちのなっちゃんは」
「だから、なっちゃんじゃないですって!」
「これからよく顔出すと思うからよろしくね。名前があの田中麗奈と
同じなんだよ、同姓同名。だからなっちゃんなの。ははっ」
「わかってるなら、ちゃんと呼んで下さいよ!」
「まあまぁ、かわいくていいじゃん。私なんかマサオだよ?」

不満げな顔で、れいなが吉澤に抗議する。
大谷が見かねて声をかけたが、れいなの怒りは静まりそうになかった。
55 名前:4 投稿日:2003年05月31日(土)14時22分29秒
くそー、絶対バカにしてる。

今日が吉澤とは初対面といってもよかった。
屋敷で通りすがりに挨拶することはあっても、面と向かって会話することはなかったし
気楽に声をかけられる雰囲気ではなかった。落ちぶれた組とはいえ、過去に数々の伝説を
残している人物だけに、れいなは自分でも情けないくらい緊張していて、震える声を押し
殺し挨拶した。

それなのに、吉澤にかけられた第一声は、なっちゃんだった。

人見知りの激しそうな面影はまったくなく、友達のように話しかけてくる。
その後の会話も、はぐらかされた感じで、若頭らしい言葉なんて一つも出てこなかった。
強面どころが腑抜けた吉澤の表情に、れいなは不信感を持ちはじめていた。

この人、本当にあの吉澤さんなんだろうか…
56 名前:4 投稿日:2003年05月31日(土)14時24分18秒
「ごめんごめん、そんなに怒るなよ。よしたけー」
「は?よしたけ?」
「さっ、仕事しにいくぞ、よしたけ」
「え、え?ちょっと…」

れいながその名前の意味を考えているうちに、吉澤は大谷を連れて歩きだしていた。

よしたけ?

いぶかしげな表情で見つめるれいなの視線の先で、大谷の背中が小刻みに揺れていた。

「お嬢ちゃん、あれだよあれ。酪農やってる芸能人の田中義剛。
ほら、田中って苗字が一緒だろ?面白いなー若は。ひゃははははは」

小さな声で馬鹿丁寧に教えてくれた男にお礼を言うこともなく、
れいなは吉澤の背中を追いかけていった。
57 名前:4 投稿日:2003年05月31日(土)14時26分46秒
警察も簡単には介入できないほど恐ろしい黒社会。
そこでは、たくさんの代紋が日々、目を光らせている。
新宿歌舞伎町、新大久保、中野。そこに隣接する杉並。
そんな環境下でも、飯田組は一つの代紋を掲げ続けていた。

勢力争いなど、シノギの活動にあまり強くない飯田組が
この広い縄張りを維持していけているのには、理由があった。

勢力拡大にやっきになっている現在のニ代目中澤組は、次々と他の代紋を
消していく中でも、抗争で飯田組と首を締めあうことを嫌っているのか、
杉並の土地を徹底的に無視していた。
それは、全国を統一すべく、どんな手を使ってでも他のシマを潰していく
中澤組の姿勢からは考えられないことだった。

仲たがいしたとはいっても、元は同じ組。
いつでも落とせると思っているのかもしれないが、共存共栄しているようにも見える。
どちらにせよ、飯田組に手を出したら、中澤組の面を汚してしまうことになる。
結局は、ニ代目中澤組の強大な力が飯田組を守るような形になっていた。
58 名前:4 投稿日:2003年05月31日(土)14時30分36秒
3本の電車が乗り入れる荻窪駅から広がる繁華街。
この一帯も飯田組の縄張りで、大体の飲食店は飯田組と契約していた。
みかじめ料として、べらぼうな額を要求するわけでもない。
それでいて、しっかりした後ろ楯も得られる。

ずっと手を組むことを拒む経営者はこの街にはいなかったのだが、
昔からあった劇場を最近手に入れたオーナーは、飯田組の文書や
電話をまったく無視していた。
59 名前:4 投稿日:2003年05月31日(土)14時31分40秒
「よしたけ、行ってこい」
「え?」

天上から吊るされた電球が、安っぽい造りの劇場内を暗くならない程度に
照らしている。裸の女性がポーズを取った、変に古めかしいポスターが
壁に貼られていた。
語呂合わせのようなコピーが並んだ壁の前で、目のやり場に困っていたれいなは
自分の名前で遊ぶ吉澤よりも、その出てきた言葉に思わず聞き返していた。
その様子を気にすることなく、吉澤は関係者以外立ち入り禁止と書かれた扉を指差す。

「ここ二階部分が事務所だから、そこから上がってオーナーから金とってこいよ」
「は?私一人でですか?」
「もち、おいらとマサオくんはこの劇場の偵察してくっからさ」
「そうそう、悪いね。れいな」

大して悪いとも思っていないのは、そのへらっとした大谷の顔からわかる。
60 名前:4 投稿日:2003年05月31日(土)14時33分49秒

「ちょっと待って下さいよ。私一人でショバ代取れるわけないじゃないですか」
「あははは、ショバ代だって。ヤクザみたーい!よしたけこわーい!」

バカにされたまま、黙っていられるれいなではない。
強い口調で吉澤に迫るのを、大谷は珍しいものを見るような目つきで眺めていた。

「みたいじゃなくて、私はヤクザですよ!
それに何度もいってますが、よしたけでもないです!」
「おー、言うねー。れいな」
「ほんと。かっこいいねー、よしたけって」

急におだて始めた二人に、れいなはさらに腹をたてた。

「よしたけじゃないです!」
61 名前:4 投稿日:2003年05月31日(土)14時35分10秒
「ヤクザなら一人で上げてこいよ」

急に吉澤が真面目な顔で自分を見つめたのに、れいなはビクッと反応した。

「ヤクザに新人もクソもないんだから、相手にとっちゃどれも同じヤクザだよ。
じゃぁねーよしたけ。闘ってこい」

そう捨て台詞を残すと、くるりと背を向け吉澤は赤い革張りの扉へ足を向けた。

「いっちょ、脅してきな」

れいなの肩に手を置き、大谷も先輩らしいエールを送る。
ひらひらと手をかざす吉澤達の姿が、扉の向こうに消える瞬間、
その隙間から見えた舞台を目にして、れいなの中にやり場のない怒りが再沸してきた。

偵察なんて関係ないじゃん、しかも女のストリップなんて見てどうすんだよ。

ぶつくさと文句を言いながらも、れいなは気合を入れて冷たい扉に手をかけた。

よし、族のトップだった私の実力を見せてやる!


――――――――


62 名前:名無しさん 投稿日:2003年05月31日(土)14時42分28秒
更新しました。
11WATERの面子に少しニヤニヤしています。飯田組(w

>>51
ありがとう。かなり嬉しいです。
しばらく、よしれなマサでお楽しみください。
63 名前:名無しさん 投稿日:2003年06月05日(木)22時35分31秒
同感!
11WATERの面子にドキドキ・・ハラハラ・・。
吉子さんどうします??
れいな頑張ってちょ♪
64 名前:5 投稿日:2003年06月12日(木)15時22分52秒

息巻いて乗り込んでみたものの、れいなはすっかり意気消沈していた。
用心棒がいるわけでもなく、事務所にいたのはオーナーただ一人だったのに、
れいなは手をこまねいていた。

その若いオーナーは思ったよりも背が低く細い体つきで、この通りではすぐにでも
たかられそうな容姿をしていたため、れいなも初めのうちは楽勝だと思っていた。
しかし、物腰の柔らかい、巧みな会話術を持った彼には、脅しといったカードを
出すチャンスすらなかった。

利の適った説明に、れいなは彼に好感すら持ちはじめていた。
65 名前:5 投稿日:2003年06月12日(木)15時23分43秒
「せっかくの申し出なんですけど、うちは安い値段でお客を楽しませるとこなんです。
中年のお父さん達が、少ない小遣いを削って見にきているんですよ。千円なんて…
子供の方がすぐに使ってしまったり、ビールを発泡酒で我慢しているお父さん達がね」
「はぁ…」

「だから利益なんてもんは僅かで、あなた方に支払う余裕なんて
これっぽっちもなくて…別に、暴力団お断りってわけじゃないんです。
こちらとしましても、仲良くさせていただきたいのですが、何分時間が必要で…
少し待っていただければ、すぐに飯田組とおつき合いさせていただきますから、
それまで時間をくれませんかね?」
「ええ…」

次々と押し寄せるオーナーの言葉に、れいなは曖昧に頷くことしかできない。
66 名前:5 投稿日:2003年06月12日(木)15時24分28秒
「本当は、お笑いの若手を育てる舞台にするのが夢なんです」

突然、オーナーは目を輝かせそう呟いたかと思ったら、視線をゆっくり足下へと落とした。
終始にこやかだった表情が一変する。
物憂げな色を浮かべ、言い難そうに口を開いた。

「…それが、実は私の家内がここで使おうとしていた資金を持って
逃げてしまいまして…本当のところ、家賃を支払うのでせいいっぱいなんです。
お恥ずかしい理由で、今はそのままストリップ劇場として稼ぐしかないのですが。
いつかここを改装して、大好きなコントとかやらせたいんですよ」
「そうなんですか…」

熱っぽく語るオーナーの姿に、れいなは吉澤にお願いしてみようかとも思っていた。
67 名前:5 投稿日:2003年06月12日(木)15時25分23秒

パチパチパチ…


「いやー、素晴らしい夢をお持ちですね」

いつの間にか吉澤がドアに寄りかかり、オーナーの言葉に手を叩いていた。
れいなと同じ種類の人間だとわかったオーナーは、れいなの隣の席を勧めたが
吉澤はその言葉を無視して、テーブルに脅しのお手本のように行儀悪く腰掛けた。
にやけた笑みを口元に携えたまま、オーナーを下から舐めるように見つめている。

「えーっと、"中年のお父さん達が、少ない小遣いを削って見にくるところ"でしたっけ?」
「はっ、はい」

初めから聞いていたのだろう、吉澤はオーナーの言葉を確認するように呟く。

「うーん、どっかで聞いたことあるセリフなんだけどなぁ…」
「そ、そうですか?それは…」
68 名前:5 投稿日:2003年06月12日(木)15時26分28秒
「まー、いいや。それより、さっきの話の続きをしましょうか」

口を開こうとするオーナーに隙を与えず、吉澤は声のトーンを落とした。

「ご立派なお話ですが、それと金とは別問題ですよ」
「え?」
「ただでケツ持ちしてあげれるほど、うちの組は優しくないですからね」
「しかし、払いたくても払えないんですよ。もう少しだけ待ってはくれませんか?」
「うーん。待てないね」
「ちょっと!吉澤さん」

きっぱりと言いきる吉澤の背中にれいなが声をかけても、吉澤は振り返らない。
じっとオーナーに視線を合わせている。
吉澤の迫力に、オーナーの顔が強張るのがわかった。

「吉澤さん、組長に言えば少しは…」

それを見て不憫に思ったれいなは、吉澤の前に入ろうと立ち上がる。
しかし、そこにあった吉澤の横顔に、れいなは言いかけた言葉も忘れ息を呑んだ。
69 名前:5 投稿日:2003年06月12日(木)15時27分13秒
さっきまで、気の抜けた笑みを浮かべていた吉澤からは想像できない、
消えてしまったと思っていた表情がそこにあった。

胸を射抜かれるような目。その奥にちらつく狂気。
相手の全てを、骨の中までもを見すかしたかのような微笑み。
ヤクザの恐さではない。
強いものを前にした震えとは全く違う感触が、れいなを包んだ。

こんな目で見つめられたら、たまったもんじゃない。

れいなは、理不尽にもオーナーのことはすっかり忘れ
そのほこ先が自分に向けられていないことに安堵すらしていた。
70 名前:5 投稿日:2003年06月12日(木)15時28分02秒
「わかりましたか?待てません。これが飯田組の答えですよ。佐伯さん」

低い声で自分の名前が呼ばれたことに驚いたのか、佐伯の顔は真っ青になる。
一息おいて出てきた声には、明らかに焦りの色が浮かんでいた。

「わ、わかりました。なんとか手配します」
「そうこなくっちゃ」

明るい声で人が変わったような笑みを浮かべる吉澤は、すっかり元の表情に戻っていた。
佐伯はそれを見て安心した顔を見せたが、電話へ伸ばした手はまだ小刻みに震えていた。

プッシュボタンを三つほど押した時。
何を思ったのか、興味深そうに眺めていた置き時計を、
吉澤はトロフィーを掲げるように片手で高く持ち上げた。
丸い時計を天使が支えている、ほとんど金でできた豪勢な時計だった。

唇のはしを釣り上げ、眩しそうにそれに微笑みかけてから
吉澤は重力に合わせ、それを真下に叩き付けた。
71 名前:5 投稿日:2003年06月12日(木)15時29分13秒

金色に輝く塊が落ちていく。
言葉を発する暇さえない、一瞬の出来事。
れいなは、始め何がおきたのかわからなかった。

時計の細い針。アラビア数字。微笑む天使。
ゆっくりと、ゆっくりと時間に逆らいながら落ちていく。

時計を抱えた天使がダイブした先には、白い電話が置いてあった。
通話中の赤いランプのついた電話が。

グシャリと骨の砕ける鈍い音が、時を再び進める。

「ぎゃーーーーーーーー!」

佐伯の焼け付くような悲鳴で、れいなは我に返った。

「よ、吉澤さん、何してんですか!」
「んー。何って…電話できないようにしてやったんだよ」
72 名前:5 投稿日:2003年06月12日(木)15時30分18秒
吉澤は床に這いつくばって痛みに声を上げる佐伯の腹を、思いきり蹴り上げる。
小さな身体はくの字に曲がり、少し浮かんでから重々しく床に崩れ落ちた。
その腹にくいこむ一撃で、佐伯は赤い斑点の混じったドロドロした液体を吐き散らす。
息を詰まらせ苦しそうに開ける口には嘔吐物のカスが、言い返す言葉の代わりに
何かを主張するようにはり付いていた。
背中をそらし咳き込む佐伯の前に、吉澤がしゃがみこむ。

「困るんだよねー。うちのシマで勝手なことしてもらっちゃ。佐伯ちゃんよ」

あり得ない方向に曲がった小指、紫に色を変えた拳の中で、血が逃げ道を捜して
膨れ上がっていた。プラスチックの足が手のひらから伸び、その破片を伝って
ポタリポタリと赤い染みが床に落ちていく。
佐伯が勢いよく唾を吐き始めると、吉澤はさっと後ろに飛び退いた。

「うおー!ばっちぃー!」

腕を床にだらんと押し付けたまま、佐伯はグッと唾を飲み込んで
楽しそうに声をあげるている吉澤を睨みつけた。
73 名前:5 投稿日:2003年06月12日(木)15時31分43秒
「な、なにするんですか!手配するって言ったじゃないですか!」

胃液で咽がやられたらしく、佐伯の声はひどく掠れていた。

「はははは、手配ね。佐伯ちゃんが手配しようとしたやつらは、今頃劇場で踊ってるよ」
「なんだと?」
「女の子じゃないからお客さんは帰っちゃうかもしれないけどね」
「なに言ってんだ、テメー!」

こいつ…シロウトじゃない。

吉澤に返すオ−ナーの声はドスがきいていて、さっきまでの紳士的な振る舞いは
どこかに消えてしまっていた。顔つきも、さっきとはまるで違っている。

「何って、佐伯ちゃんが舞台裏にこっそりスタンバイさせてたチンピラどものことだよ。
山竜会のね」

れいなの疑問を消化するその答えに、佐伯の顔面が蒼白になる。
手の痛みも忘れ何か思案しているのか、口を開けたまま黒目だけが揺れていた。
74 名前:5 投稿日:2003年06月12日(木)15時32分46秒
佐伯という男が山竜会に関係しているのだろう。れいなは裏切られた気分で、
今まで同情の目つきで見ていた佐伯を値踏みするように睨みつけた。

「山竜会って、あの千葉で暴れてるやつらのことですよね」
「そうだよ、よしたけ。お前も誘われたんだっけ?
最近、東京進出狙ってるらしいですね?佐伯さん」

れいなと吉澤に囲まれても、佐伯はしらばっくれた態度をとった。

「言っている意味がよくわからん…」
「ほーー!」

その弱々しく吐かれた言葉に、吉澤は雄叫びを上げてケタケタ笑い出した。
少し気狂いじみた笑い声が、れいなにさっきの吉澤を思い出させる。

「飯田組のシマに目をつけるなんてさー」

虚ろな目で吉澤は佐伯を見下ろす。
何をしでかすかわからない恐さが、また吉澤の目に宿る。
佐伯は恐怖に顔をひきつらせた。

「いい根性してるって言ってんだよ!」
75 名前:5 投稿日:2003年06月12日(木)15時33分57秒
「あーーー!」

腹の底から搾り出された叫びとその一方的な暴力に、れいなは顔をしかめた。
肉を叩きつける音がさっきよりも強く、室内に響く。

小さな窓から見えるネオンの光。
ガラス一枚隔てただけの外の喧騒が、とても遠くに聞こえる。

再度潰された佐伯の右手は、踏み付けられたトマトのようにぐしゃぐしゃで、
腕に付いていなければ、もはや手とは分らないものになっていた。
しぶきを上げて飛び出した血は、佐伯のスーツを黒く染め上げ
全身に傷を負った重傷患者のようにも見えた。
76 名前:5 投稿日:2003年06月12日(木)15時35分11秒
それでも吉澤は満足していない。
むしろその姿を見て攻撃性が強まったようだった。
爆発するような感情なんてものは見えない。

冷静でさめた表情。
決められた回数をこなすように、吉澤は一定の間隔を置いて
佐伯の身体に靴先をくいこませていく。

しんと静まり返った部屋。
生々しい音だけが、耳に届く。

ゴツッ、ゴツッ、ゴツッ

集団のざわつきも罵声も悲鳴も、何もない。
れいなはその重く低い音に、変な気持ち悪さを感じていた。
77 名前:5 投稿日:2003年06月12日(木)15時37分19秒
息苦しそうにもがく佐伯のこめかみは真っ赤で、血管ははちきれそうに膨れ上がっていた。
口から黒っぽい血の固まりを吐き出し、茶褐色のカスをのせた泡が流れ出した頃、
ようやく、ろっ骨の悲鳴が止まる。
佐伯の顔を見て、吉澤は無意識に舌舐めずりしていた。

この人、どっかおかしい。

見なれた喧嘩とはかけ離れた吉澤の形相に、れいなは混乱していた。

なっちゃんと自分のことを呼ぶ吉澤。
一言も声を発さずに、動かない塊を蹴りあげる吉澤。

まだ出会って半日もたっていない。
握り締めた手は汗ばんでいて、奥歯はギリッと痛んだ。
78 名前:5 投稿日:2003年06月12日(木)15時38分21秒
「マサオー、連れてきて」

靴の裏に付いた血をガムでも取るように床にこすりつけながら、
吉澤はいつもの調子で階下に声をかけた。
下から足音ともに、大谷の気のぬけた声が届く。

「おそいよー…って、吉澤くん。これまた派手にやったねー」
「そっかなー、どっちかっていうと地味でしょ」

床に這いつくばった赤い塊に、大谷は目を細めて笑った。
二人のくったくのない笑みを見て、れいなはとんでもない二人についてきて
しまった、と違う意味で思い直していた。

「佐伯さん、この子が全部話してくれましたよ」

大谷の後ろからバスローブを羽織った女性が顔を出す。佐伯の無惨な姿を見て、
女性の顔はみるみる血の気を失っていった。
佐伯はもう女性を見る力もこときれ、気を失ったようで、右腕だけが微かに痙攣し
ドボドボと床に赤い水たまりをつくっていた。
79 名前:5 投稿日:2003年06月12日(木)15時39分55秒
「ほらー、せっかく連れてきたのに。意味なくなっちゃったよ」
「だって、正直に言わないからさ。下のやつらはマサオに譲ってやったでしょ」
「譲ったんじゃなくて、やらせたっつうんだよ。けっこうヤバかったんだから。
何発かもらっちゃったし、それに汚れるのが嫌だったんだろう?」

大谷が自分のと相手ので黒くなった拳を吉澤の前に突き出す。
中指にはめられたナックルには赤黒いものがこびりついていた。
吉澤は口を尖らせ、それに対抗するように右足をあげる。

「こっちなんて服についてんだぞー!」

その子供のような自慢合戦を、れいなと連れてこられた女性は
ポカンとした顔で見つめている。
吉澤と大谷のやりとりは、彼女達が理解できる範囲を超えていた。
80 名前:5 投稿日:2003年06月12日(木)15時41分39秒
「あの!この人どうすんですか?」
「あ、そっか。忘れてた」

そのまま何事もなかったかのように出て行こうとする二人に、れいなは慌てて声をかける。
失神した佐伯の血は、まだ勢いを失っていない。
吉澤は血だまりをよけながら、倒れている佐伯に近づくと汚物を扱うように
足で仰向けに転がし、胸ポケットから黒い財布を取り出した。

「クリーニング代もらっとかないとねー」

札束をぬきとり財布を投げ捨てると、
吉澤と大谷は普通に話をしながら階段を下りていく。

「マサオくん。結局フォーメーションはどうなったの?」
「あぁー面倒だから、一番ちっこいのをぶら下げただけで、後は転がしといた」
「帰りにみていこっと」
「けっこういいデキだよ」

あっけにとられたれいなは、同じく呆然と立ちつくしている女性と目を合わせた。
女性が吉澤を見るのと同じ目で自分を見ているのに気づくと、
れいなはさめた表情でその視線をきる。
血まみれの体を一瞥してから、れいなは逃げるように部屋を飛び出した。


――――――――


81 名前:名無しさん 投稿日:2003年06月12日(木)15時46分51秒
更新しました。
のろい上に、ちょっとグロいかも…

>>63
吉子さん、暴走しちゃいました。(w
れいな共々よろしくお願いします。
82 名前:なちヲタ? 投稿日:2003年06月14日(土)20時30分36秒
一気に拝見させて頂きました。
食後だったもので、思わず胃の中身が這い上がってきてしまいましたが、
面白かったです。
続きを楽しみにしております。
83 名前:なちヲタ? 投稿日:2003年06月14日(土)20時33分13秒
久々にseekにレスつけたので、
間違えてあげてしまいました。ごめんなさい。
一から修行しなおしてまいります…
84 名前:6 投稿日:2003年06月25日(水)00時37分15秒

ますますごった返した通りを、れいなは目を凝らして歩いていた。
彼女の不機嫌な表情とそのヤクザらしい風貌に、道行く人は距離を取らざるおえない。
すんなりと人混みを抜け、繁華街を出た大通りでれいながようやくその姿を見つけた時、
吉澤達にはすでに先客がいた。

遠目で見ても品格が漂っている。
この場所には似合わない、身なりの良い女性が吉澤と向き合っていた。

誰だろう?あんなヤツらひきつれて…

その後ろ三メ−トルほど離れたところで、男達がその女性を護衛するように
せわしなく辺りに目を配っていた。肌の色も様々な男達は黒いスーツで身を
包んでいたが、その胸板の厚さと視線の鋭さは隠せるものではなかった。
85 名前:6 投稿日:2003年06月25日(水)00時38分12秒
それでも、通り過ぎる人は俯いたり道路の方へ顔を向けたりして、
その異様な図体をした男達に、何の関心もしめさないで歩いている。
まるでそこには誰も立っていないかのように。
誰だってやっかいごとには関わりたくはない。
れいな自身すぐにでも引き返したかったが、あいにく吉澤達はそこにいる。
渋々その輪に近づくれいなにも、男達の目が向けられた。

つかまれたら終わりだなぁ…片手で持ち上げられちゃうよ。

内心そんな事を考えながらも、れいなは相手を威嚇するように視線を固定し、
肩で風を切るように大振りに歩いていった。
86 名前:6 投稿日:2003年06月25日(水)00時40分03秒
「相変わらず元気そうね、よっすぃー」

ほのかに甘い香りが、れいなの鼻を刺激する。
満面の笑みを浮かべ吉澤に話しかけている女性。
信じられない人物がそこに立っていた。

なんで…こんな所に?

輪の中心にいる女性に、れいなの目は釘付けになる。
風にのって届く香水はそれほどきついものではなかったが、
魔法をかけられたようにれいなの足の動きは止まった。

今や敵なしの二代目中澤組のトップ、総裁の安倍なつみが吉澤の前で笑っていた。
87 名前:6 投稿日:2003年06月25日(水)00時41分40秒
傍目にはとてもヤクザには見えない。
まだ少女ともとれる彼女は年齢の割には幼い顔で、どちらかというと
喫茶店でアルバイトをしていますと言われた方がしっくりきそうだ。
こうして並んでみても、吉澤と大谷が安倍に絡んでいるようにしか見えなかった。

れいなは一度、中澤組に連れていかれた時に彼女を遠くから
見たことがあったので、それがかわいい女の子でも、おいそれと
気軽に話しかけられる人物でないことも知っていた。
88 名前:6 投稿日:2003年06月25日(水)00時43分14秒
安倍が敵対する組のトップだというのに、吉澤は睨みをきかせることも
啖呵をきるようなこともなく、へらっとした笑みを口元に浮かべたまま
楽しそうに会話をしている。

「安倍さんもこんなとこに用とは、めずらしいですね」
「ちょっとした商談の帰り道でね。なっちが自ら出向いてとってきたところなの。
吉祥寺の駅前のでっかい土地、わかるっしょ?なっちが安く買い上げてやったんだべ」

安倍の方も、代紋を気にすることなく吉澤に微笑みかける。
初めて耳にした安倍の声は思ったより柔らかいもので、消しきれて
いない方言が、懐かしさや親しみのようなものを感じさせた。
ただ、吉澤と違って、安倍の笑みには自信と誇りがみなぎっていた。
89 名前:6 投稿日:2003年06月25日(水)00時44分27秒
「あー、あの潰れたデパートかぁ。けっこう広いんですよね」
「そう、あそこ。タダも同然でとってきたから。売れば儲けは二億よ、二億!」
「すっげー!いいなー、うちらなんて20くらいですよ」

吉澤の足下についた黒い染みと腫れている大谷の唇を見て、安倍は目を細めた。

「まだそんなチンピラみたいなことやってんの?飯田組の若頭だっていうのに」
「いやー、まぁ小遣い稼ぎっていうか…」
「だらしないわねー、まったく。私が言うのも変だけど、こんなんじゃ潰し甲斐がないべさ。
いったい、かおりはどういう教育してるのかしら?」

首を横に振り、安倍は大きくため息をついた。
面と向かってぶつけられる言葉が心地よいものでなくても、
吉澤はそれを気にすることなく、笑って受け止めている。
やけにテンションの高い安倍のはしゃいだ姿にれいなは面喰らっていたが、
その笑顔から休みなく出てくる言葉は、次第にれいなを苛立たせていった。
90 名前:6 投稿日:2003年06月25日(水)00時45分23秒

「どうせまたボーっとして、どうでもいいこと考えてんでしょ。上がしっかり
しないから下がダメになんのよ、こんなに汚しちゃって…やだわー飯田組は下品で」
「なんだと!…」

自分の組を蔑む言葉の羅列に我慢できず、れいなが安倍に食いつこうとする。
すぐに大谷が腕をつかみ、後ろへひきずった。

「ちょっと離して下さいよ!あんな好き勝手なこと言わせといていいんですか?」

れいなの荒々しい声が大谷に向かう。
大谷はそれには答えずに、れいなを一睨みしただけだったが、
れいなの腕に加わる大谷の力はそのことを否定していなかった。
91 名前:6 投稿日:2003年06月25日(水)00時47分54秒
「あらあら、あなたは九州の…田中れいなちゃんじゃない?」
「え?」

自分の名前を知っている安倍に驚かされながらも、れいなは安倍に厳しい視線を
送ることで、気持ちとは裏腹に沸き上がる喜びを必死に押さえようとしていた。
敵対する人物だといっても、日本で一番のポジションにいる人間。
彼女に自分の名前が届いているのだ。嫌な気分になるわけがない。

「そっかー、飯田組に入ってたのか。せっかくなっち達が誘ったのに…。
こんな組にいたら出世できないよ。そうだ、あんたと一緒にスカウトした子。
名前なんていったかしら?チーマー上がりのと…」
「絵里とさゆみのことですか?」
「そうそう!あの新人の二人なんて、もういくつか任せられてんのよ。
れいなちゃんだったら、うちにくればすぐに加護あたりに付けてあげれるのに。
お金だって全然いいっしょ。うちに来る気はない?」
92 名前:6 投稿日:2003年06月25日(水)00時48分54秒
「まったくないです!」

考えることなく、れいなは即答する。
予想通りの答えだったのだろう、気分を害する様子もなく安倍は大声で笑い出した。

「あははは、噂通りね。まー飯田組にはピッタリかしら?なっちも今さらかおり
の所から組員はとりたくないけど、優秀な人材は失いたくなかったからね…
こんなチンピラと一緒にいたって、どっかで野たれ死ぬのがおちっしょ。
それになにー?このださいTシャツはー」

れいなに興味を失ったのか、安倍は吉澤に向き直り青いシャツを引っぱった。
吉澤も嬉しそうにそれを見せびらかす。
93 名前:6 投稿日:2003年06月25日(水)00時51分29秒
「これは飯田組特製の闘うTシャツなんです。かっけくないですか?
色もいっぱいあって…特別に安倍さんにもあげますよ」
「やだー!なっちこんなTシャツ死んでも着たくないー。
まー、よっすぃーには似合ってるんじゃないかな?」
「へへへ、やっぱ似合ってますかね。へへへ」
「そうだよ、よっすぃーぐらいでしょ。こんなの着れるのは…
あっ!もうこんな時間じゃない。なっち次の仕事があるから帰らなきゃ。
まだ生きてたら、また会いましょうね」

好き放題喋った後、安倍はさっぱりした表情で帰っていった。
94 名前:6 投稿日:2003年06月25日(水)00時52分43秒
れいなの中では、終始笑顔だった安倍よりも吉澤の表情がくり返し流れていた。

親分の悪口を言われている時、
組をけなされている時、
自分がスカウトされている時、
Tシャツをバカにされている時、

少しも変わることのなかった表情。
吉澤は、今も安倍と護衛の後ろ姿に笑顔で手を振っている。

二人のやりとりをずっと見ていたれいなは、気がつくと吉澤の胸ぐらをつかんでいた。
背の高い吉澤を、下から見上げるように睨みつける。
やり場のない怒りをぶつけられる相手は吉澤しかいなかった。
95 名前:6 投稿日:2003年06月25日(水)00時53分33秒
「吉澤さん!あんなやつにあんな事言われて悔しくないんですか!」
「おー、よしたけ熱いね」
「ちゃかさないで下さい。ガツンとさっきみたいに言ってやればいいじゃないですか!」
「へへへへ、ガツンとか。そんな事したら周りの外人さん達にぼこられちゃうよ」
「そういう問題じゃなくってですねー!」
「まぁまぁ、そう熱くなるなって、安倍さんだって悪い人じゃないんだから」
「どこがですか!あんな言いたい放題…」
「それも愛情の内って思えるようになんないとダメだよ。
よしたけには、まだわからないかな?へへへへ」
「そんなの、わかんなくていいです!」

吉澤のけだるそうな笑顔に田中はつっかかる気力もなくし、握り締めていた
Tシャツから手を離した。いつの間にか周囲に人だかりができている。
その壁の隙間をぬって顔を見せた小川と新垣にかけられた声も無視して、
れいなは繁華街へと戻っていった。
96 名前:6 投稿日:2003年06月25日(水)00時55分09秒
「どうしたんですか?マサオさん」
「いやいや、れいなちゃんが元気よくってね。そうだ、あの劇場はもう済んだからさ」

心配そうに訪ねる新垣に、大谷はたいしたことはないと笑ってみせる。
後から出てきた劇場という言葉に、れいなの事も忘れ新垣は非難めいた声をあげた。

「あー!そうだ。後片付けまでしといて下さいよ。マコと二人で大変だったんですから」
「でもさー舞台よくなかった?芸術っていうのはね…」
「あれもマサオさんの仕業でしたか。照明に絡まったやつを下ろすのが一番手間かかった
んですから。でも、あいつら山竜会のチンピラでしたよ。なんであそこに?」
「あれよ、あれ。オーナーの佐伯ってやつがそこの人間と繋がってたみたいでさ。
あの劇場を巣にして、ここらへんを乗っ取るつもりだったみたいだよ。無謀っつーか、
馬鹿なやつら」
「そうだったんですか。あの佐伯っていうのは確かリーマンだったはずなんですけど…」

新垣が慌ててポケットに手をつっこむのを制して、大谷は自分で煙草に火をつける。
安っぽいライターを眺めながら、白い煙りをゆっくり吐き出した。
97 名前:6 投稿日:2003年06月25日(水)00時55分42秒
「それは間違ってないと思うよ。国と違ってうちらの調べは厳しいからね。
きっと山竜会から声かけたんじゃないかな。金のない一般人を救うふりして
コマに使うんだよ。最近、どこも人手不足みたいだからね」
「そういえば、会社をリストラされてからの半年間だけ、消息が確認できて
なかったんですよ。本人は浮浪者のような生活をしていたと言ってましたけど」
「まぁ、チンピラも浮浪者も、社会にとっては似たようなもんだからなー」
「でも、私達には帰るお家がありますよ」
「まこっちゃん…そういうことじゃなくて」

突然会話に参加してきたかと思ったら、話の方向を微妙にずらす小川。
新垣は苦笑いを浮かべるが、それとは対照的に大谷は嬉しそうに小川の頭をなでた。

「あはは、うんうんそうだね。そうだよな、マコ」

何かを誉められたと勘違いして、口を開け笑っている小川。
新垣は呆れ返りながらも、大谷との会話を続けた。

「でもどうして、山竜会の人間ってわかったんですか?」
98 名前:6 投稿日:2003年06月25日(水)00時56分47秒
「んー、それはだな」

得意げな声が頭の上から聞こえる。
ぼーっと突っ立っていた吉澤が、いつのまにか新垣の後ろで腕を組んでいた。

「あそこにいた女が山竜会の息のかかった女だって、わかったからなんだな」
「あー、あの女ですか。バスロ−ブ姿で血相変えて逃げていきましたけど…
なんでその女が山竜会だってわかったんですか?」
「あははは、みなまで聞くな。
ただ、うちら二人が勉強熱心だということなんだよね、マサオくん」
「そうだね、よっすぃー」
「よし、稼いだことだし、ガンちゃんオススメの子でも見にいこうかね」
「おーそうしようぜ。それじゃ、親分に劇場の報告よろしくー」
99 名前:6 投稿日:2003年06月25日(水)00時57分55秒
「あ!飯田さんが帰ってこいって言ってましたよー!わかー!」

軽い足取りで肩を組み雑踏の中に紛れる2つの背中。
新垣の呼びかけも喧騒にかき消され、その姿はどんどん小さくなっていった。

「あれじゃ、今日も帰ってこないよ。あー、飯田さんに怒られる…」
「なんか楽しそうだよね。いいなぁー」

隣でうらやましそうな声を出す小川をちらりと見る。
新垣は小さく息をついてから歩き出した。

「れいなちゃん探して帰ろう」


――――――――

100 名前:6 投稿日:2003年06月25日(水)00時59分11秒

大通りには、ずらりと黒塗りの車が並んでいる。
近寄りがたい車の列は左車線を完全に潰していたが、いつもけたたましい
音を鳴らすトラックでさえも、静かにその横を通り過ぎていった。

その中でも一際大きいリムジンの後部座席に安倍が乗り込む。
護衛の男達も次々と前後の車に消えていった。

「はー、疲れたぁー」

グラスを口につけゴクリと咽を鳴らしてから、
安倍は隣で姿勢よく座っている少女に話しかけた。
101 名前:6 投稿日:2003年06月25日(水)01時00分25秒
「下りなくてよかったの?
梨華ちゃんも、少しくらい喋っていけばよかったのに」
「…えぇ」

隣で曖昧いに微笑む石川。安倍の言葉に動揺する素振りは見られない。
安倍は濃いスモークの貼られた窓の外を眺めたまま、石川に聞こえるように呟いた。

「吉澤は…もうだめっしょ」

車が動きだし、安倍はゆっくりとまぶたを下ろす。
その向こうで景色は後ろへと流れ出した。


――――――――


102 名前:名無しさん 投稿日:2003年06月25日(水)01時08分41秒
更新しました。遅くなってすみません。

次回は、二代目中澤組が揃いそうです。
103 名前:名無しさん 投稿日:2003年06月25日(水)01時09分47秒
>>82-83
すごい良いタイミングでなっち登場です。
今後も、食後に服用するには注意した方がいい場面があるのであしからず。
だからといって食前に読むのも気を付けて下さい。(w

面子的になんとなくsage更新しているだけなので、大丈夫ですよ。
たまにあがってくれないと困りますし。(w
104 名前:名無しさん 投稿日:2003年06月25日(水)18時33分34秒
梨華ちゃんと吉子の関係が気になるなぁ〜。
次は中澤組のメンツですか・・楽しみに待ってます。
105 名前:名無し読者 投稿日:2003年06月26日(木)01時38分42秒
おお…久しぶりにすごい自分の中でヒットな作品です。
かなりおもしろい。続きが気になりますね。
応援してます。頑張って下さい。
106 名前:7 投稿日:2003年07月05日(土)23時47分00秒

「くそー、また梨華ちゃんが一番かよ」

皮張りのソファーから、金色の頭だけがわずかに出ている。
足をぶらぶらさせながら、矢口真里は不満げに呟いた。

「おいらも梨華ちゃんのとこがいいな」
「あー。もしかして石川と一緒に仕事がしたいんですか?
まりっぺがどうしてもっていうなら、考えてあげてもいいですけどー」

向かいに座っている石川の挑発するような態度。
矢口は面倒臭そうに、石川に言い返す。

「うっさい。梨華ちゃんじゃなくて場所がいいって言ってるの、おいらは」
「やだー、照れなくたっていいのに。石川はいつでも大歓迎ですよ」
「照れてないし。梨華ちゃん、それ何のキャラよ?さっきからキショいよ」
「えー、キショくないですよ。チャーミーはー」
「は?チャーミー?」
「そうです。チャーオー!」
107 名前:7 投稿日:2003年07月05日(土)23時49分25秒
頬に指をあてて、とびきりの笑顔を作っている石川。
あきれかえった表情で矢口はため息をつくと、石川に
つっこむことなく膝の上のノートパソコンに視線を落とした。

「久しぶりに会ったのに、まりっぺったらつれないわ」
「まりっぺって言うな」
「うふふふ、まりっぺってあだ名可愛くないですか?」
「可愛くねーよ。今、仕事してんだから話しかけないでくれる?」
「仕事って、さっきから何やってるんですか?」
「上半期の決算だよ。なっちこういうの苦手だから全部おいらに回ってくるんだよ」

カタカタと手慣れた動きでボードを叩く矢口は、そう言うと唇をかみしめた。
眉間にしわをよせ、パソコンに集中している矢口に話しかけほど石川はバカではない。
矢口にちょっかいを出すのをあきらめ、石川は部屋の中を見回した。
108 名前:7 投稿日:2003年07月05日(土)23時51分36秒
道玄坂にある二代目中澤組の本部事務所。
窓にはブラインドがかかっていて、外の景色は全く見えない。
中央に応接セットがあり、奥に大きなデスクが置いてある部屋で
石川と矢口は主人の帰りを待っていた。
どこかの会社の社長室のような内装だったが、やけにでかい神棚と
大事そうに飾られている日本刀が、それを異質な空間に変えていた。

それともう一つ。
扉から一番離れた壁際、安倍がいつも座っているデスクの
背後に構える中澤組の象徴。部屋に足を一歩踏み入れた瞬間、
目に飛び込んでくるそれは想像以上の迫力を持っていた。

自分の胸についているバッジとは比べ物にならないほど
大きな代紋に、石川の目は自然と吸い寄せられる。
それを見ると、退屈そうに口を尖らせていた石川の表情も自然と引き締まった。
109 名前:7 投稿日:2003年07月05日(土)23時53分56秒
「安倍さん、そういえば遅いですね」

時計の針は10時近くをさしていた。
石川のことを無視していた矢口も、その言葉にはすぐに反応する。

「ほんとさー、8時に集合って言ったのにどこほっつき歩いてるんだか。
松浦はもう帰っちゃった?」
「ええ、さっき。でも当分こっちにいるみたいですよ。私が部屋用意しようと
したんですけど、美貴ちゃんのとこに世話になるからいいって」
「あー、藤本んとこか。あいつら仲いいよなぁ」
「確か、美貴ちゃん引っぱってきたのが亜弥ちゃんだったから、
うちに入る前からの付き合いなんじゃないですか?」
「そっか。まー、二人とも凄い人材には違いないからなー」

そう呟くと、矢口はせわしなく動かしていた手を止めた。
しかし、考えることはまだ終わっていないようで、
腕を組みながら画面をじっと眺めている。

することもない石川は、テレビのリモコンに手を伸ばした。
110 名前:7 投稿日:2003年07月05日(土)23時55分39秒
『今朝、井の頭公園の中で男性が血だらけで倒れているのが発見されました。
腹部には何回も蹴られたような跡があり、大勢にリンチされた模様です。
被害者の男性は病院に運ばれ手当てを受けていますが、ろっ骨を何本か
骨折しているのと、内臓にも損傷がみられ重傷です。
えー、しかしその怪我の割には現場の血液の量が少ないため、
他の場所から運ばれてきた可能性が高いということです。
警察では被害者の回復を待って事情を聞く…』

「あっ…」

昨日、安倍と仕事の帰り際に横を通った公園。
荻窪からは、空いていれば車で10分もかからない距離だ。
石川が事件現場の映像を食い入るように見ていると、パソコンを
いじりながらも音だけは聞いていた矢口がそれに気付いた。
111 名前:7 投稿日:2003年07月05日(土)23時57分02秒
「ん?…またリンチか、梨華ちゃんとこ関係あんの?」
「いえ、ないですよ。私こういうの嫌いですから」
「だよな。それに梨華ちゃんがこんな手緩いことするわけないもんな」
「ちょっと、それどういう意味ですかー?矢口さん」
「だって、梨華ちゃんってけっこうエグイの好きじゃん」
「人聞き悪いこと言わないで下さいよ、石川はきちんと仕事しているだけですから」
「きちんとか…最後までちゃんと仕事するもんね。梨華ちゃんなら」
「そうですよ。この事件なんて、喋られたら終わりじゃないですか」
「シロウトの仕業かな?最近、勘違いした若いのが多いからねー」

ニュース番組では、もう次のニュースに変わっていた。
逆光する照明の中、声を変えた女性が質問に答えている。
浮かび上がる女性のシルエットと丁寧に表示される字幕を
石川と矢口は黙って見つめていた。

『二次会でもたくさん飲まされて「もう飲めません」て言っても「大丈夫だから」
とか言ってどんどん…』
112 名前:7 投稿日:2003年07月05日(土)23時58分49秒
「今までほったらかしてたけど、こういうのも締めていかないとな。
勝手にうちらの名前使ってたみたいだし」
「ええ。今、他の似たようなのを全部洗ってるとこで…さっき亜弥ちゃんにも
『兵庫じゃそんなことありえません。東京の学生って自由なんですね』て、
言われちゃったんですよ」
「おー、言うねー松浦も。向こうと違ってこっちは広いし複雑だから、
ガキ共のもめ事にまで手まわしてらんないよな」
「でも、こういうのは許せませんよ」
「ほんと。最悪だよなこいつら」

捕まった男達の写真に映像が切り替わると、矢口は吐き捨てるように言った。
石川もその顔を見るに耐えないといった感じで、チャンネルを変える。
今人気の俳優が出ているドラマで、ラブストーリらしいシーンが展開していたが、
「好き」というセリフが出てくる前に石川はテレビの電源を切っていた。
急に静かになる室内。
矢口が小さな体をめいいっぱい伸ばし、わざと音をたてて欠伸をする。

その時、ずっと閉まっていたドアがゆっくりと開いた。
113 名前:7 投稿日:2003年07月06日(日)00時03分20秒
「おっす、お待たせー」

お気楽な表情で入ってくる安倍に、矢口が声を荒げた。

「もう、なっち!8時って言ってたのに遅いよ!」
「いやー、めんごめんご。すっかり忘れちゃってて」
「ほんとにさー、いつもいつもなっちは…この前だって」

ストレスを発散するように文句をぶつけている矢口と、
それにひたすら謝りながらも笑っている安倍。
言い合っているのに、なぜか雰囲気のいい二人。
そのやりとりを微笑ましく見ていた石川は、静かに腰をあげた。

「あのー、私そろそろ帰りますね。あっ、それと安倍さん。
昨日取ってきた書類は金庫に入れときましたから。全部揃ってますよ」
「おう、梨華ちゃんごくろう!気をつけて帰ってね」
「はい。それじゃ、また」

安倍と矢口に頭を下げてから、石川が部屋を出ていく。
立派な後輩の後ろ姿に、残された二人は言い争うのをやめ
気まずそうに手を振った。


――――――――


114 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月06日(日)00時10分15秒
少しだけ更新しました。
中澤組…全然出揃ってないですね、ごめんなさい。

>>104
石川と吉澤の関係…あまり触れないように。(w
いずれ分かると思いますが、もう少しだけもったいぶらせて下さい。

>>105
的の小さい話だったので、そう言ってもらえると妙に嬉しいです。
これからもがんばって撃ち続けるので、おつき合いよろしくお願いします。
115 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2003年07月06日(日)08時35分22秒
おもしろいです。すっごいわくわくします。
石川との関係はまだ先ですか・・・
がんばってください
116 名前:7 投稿日:2003年07月09日(水)17時37分46秒

「今回も梨華ちゃんがトップだったよ。あーぁ、また負けちゃった」

椅子に座った安倍の前に、今まとめたばかりのデータが詰まった
ノートパソコンが置かれる。
安倍はへぇーと感嘆しながら、その画面を覗き込んだ。

「やっぱシマの利だよなー。おいらのとこなんて田舎だから」
「はー?何言ってんの。横浜だって都会っしょ」
「そうだけど新宿と横浜じゃさー」
「梨華ちゃんと松浦が凄すぎるだけでしょ。矢口だってほら、前より上がってるよ」

安倍が数字の並んだ画面を指差す。
去年に比べれば矢口の数字は伸びていたが、その上にある数字の伸びが
ケタ違いなせいもあって、矢口にとっては素直に喜べる結果ではなかった。
117 名前:7 投稿日:2003年07月09日(水)17時38分41秒
「そうだけどなんか悔しいじゃん。一応おいらの方が上なんだしさ、カッコ悪くない?」
「そうかな…」
「そうだよ、それにあの二人ずるいんだよ。松浦なんてさー、兵庫だけじゃなくて
南の方全部持ってるようなもんじゃん。日本の3分の1だよ?おいらが勝てるわけないよ」

ふてくされる矢口を見て、安倍が微笑む。
怒っているとはいっても、頬をふくらます矢口は余計に子供っぽく見える。
安倍が真剣に取り合ってくれないことがわかると、矢口は小さくため息をついた。

「それにあややは可愛いしなぁ…」
「可愛いとかは関係ないっしょ。何言ってんのさ」
「えー!関係あるって!おいらなんて小さいからいつもナメられるんだよね。
まーその分ちょっとは仕返ししてやるんだけど」
「ちょっとって…」
118 名前:7 投稿日:2003年07月09日(水)17時39分32秒
安倍は苦笑した。矢口は背が低いことをとても気にしている。
流行りが終わっても、まだかなりの厚底靴を履き続けているくらいだ。
ちょっとの仕返しと本人は言っているが、ちょっとどころではないことは
安倍にも簡単に想像できた。

「もうちょっと背があって、いいシマ持ってたらおいらが一番稼いでんのになぁ。
梨華ちゃんなんて相手になんないよ。マジで」

毎年二回、この時期になると必ず矢口の口から出てくる言葉。
確かに矢口の言う通り、矢口の力を考えればそれは自信過剰な言葉
ではなかったが、安倍は毎年この愚痴を聞き流すことにしていた。

どんどん大きくなっていく組織。
一人でその全てを掌握し、統率していくのは
とても難しいことであるのと同時に危険なことでもある。
119 名前:7 投稿日:2003年07月09日(水)17時40分46秒
全方面に気を配り、細かいことにも気が付く矢口がいなければ
この組はここまで続いていなかっただろう。
野望が渦巻く人間関係にしても、矢口が潤滑油的な存在になって
いるおかげで上手くいっているのは、誰の目にも明らかだった。

彼女にはしてもらいたい仕事が山ほどある。

安倍が最も頼りにしている矢口を、新宿という荒波の中に配置する
気になるはずもない。矢口自身もそのことがわかっているからこそ、
逆にこうして堂々と不満を口にできていた。

「ほらほら、文句言わないの。全体の稼ぎが増えるんだからいいっしょ。
それに梨華ちゃんは可愛いんだもん、しょうがないべさ」
「何それー!可愛いとか関係ないじゃん!」
「関係あるって、さっき矢口が自分で言ったんでしょ」
「え?そうだっけ…あははは」
120 名前:7 投稿日:2003年07月09日(水)17時41分29秒
とぼける矢口を横目に、安倍はびっしり並んだ数字を追う。
そこに見つけた意外な名前に安倍は声をもらした。

「松浦もそうだけど、藤本も小さいわりには凄いね」
「そうなんだよー。危ないことはしてないみたいだけど、
いろいろ新しいのやってるみたいでさ。人材とか音楽関係とか」
「松浦と藤本のとこ、そっち方面に強いもんね」
「おいらも芸能プロに手を出そうかなー。かっこいい子ばっか集めて…」
「はいはい、がんばってね」
「あ、できないと思ってんな。おいらだって松浦に教えてもらえば楽勝だよ」
「なっちは遠慮しとく」
「なんだよ、協力的じゃないなー」

口を尖らせ、矢口はプールに飛び込むようにソファーへ体を投げ出す。
どっと押し寄せる疲れにのまれ目を擦りつつも、矢口は気になっていた
ことを安倍に尋ねた。
121 名前:7 投稿日:2003年07月09日(水)17時42分15秒
「なっちさー。今日わざと遅れたでしょ?」
「えっ、何が?」

うつぶせのまま喋る矢口の声はくぐもっていたが、安倍の耳には
十分届く大きさだった。言い直す矢口の口調は強くなる。

「だからー。松浦に会いたくなくて遅れたんでしょ?今日」
「いや…そういうわけじゃ…」

矢口が顔を上げて振り返る。
あせって言葉を捜している安倍の表情に、矢口は思わず吹き出した。

「ぷっ…なっちってわかりやすいよなー」
「いきなり何さー。なっちは別に松浦のこと嫌いなわけじゃないよ」
「きゃははは、なっちほんとわかりやすいって。はははは」

声を上げて笑う矢口を睨みながら、安倍はもごもごと口を動かした。
122 名前:7 投稿日:2003年07月09日(水)17時42分56秒
「ちょっと苦手なだけだもん。話が合わないっていうか…」
「無理して喋る必要はないけどさ、なっちは総裁なんだからすっぽかさないでよ。
間に挟まれる身としては大変なわけよ、わかる?おいらの気苦労が?
いっつも、おいらがフォローするわけにもいかないんだし」
「うん、ごめん矢口」
「まだ松浦こっちにいるみたいだから、一回ぐらい会ってよね」
「うん、わかってるよ…」

安倍は申し訳なさそうに頭をたれた。
しかし、それは怒っている矢口に対してであって、
遅れたことを謝っているわけではなかった。

気持ちに正直すぎて、たまに子供っぽい対応をしてしまう安倍。
その尻拭いを何度もしてきた矢口だが、そのことで安倍を嫌い
になることはなかった。
むしろ最近では、そのいつまでたっても変わらない短所が
矢口には嬉しく感じられるようになっていた。
123 名前:7 投稿日:2003年07月09日(水)17時43分45秒

「あれ、あいぼんどうしたんだろう?どんどん落ちてるね」

下の方から出てきた名前に、安倍がスクロールしていた指を止める。
加護亜依。
二代目中澤組の幹部である彼女は、こんな位置にいる人物ではなかった。

「元気ないんだよね。大阪に帰らないでずっと梨華ちゃんとこにいるみたいで」
「まだ帰ってないんだ…じゃあ、今向こうは紺野だけ?大丈夫なの?」
「うん、紺野はけっこう頭いいからね。一個債券引っぱってこれそうな所
おいらが紹介してやったし。でも、最近は松浦にまかせっぱなしっていう話も
聞くからなー、どうなんだろ」
「うーん、あいぼんは大丈夫だと思ってたんだけどなぁ…」

安倍が将来を心配していた組員は、加護ではなく石川の方だった。
まだ入ったばかりの頃は、暗くて引っ込み思案で全く使えない――
―どうしてヤクザになったのか不思議に思うほど普通の女の子だった。

一緒に盃事を交わした他の3人のインパクトが強かったせいもあって、
すぐに辞めるだろうというのが、安倍の石川に対する第一印象であった。
124 名前:7 投稿日:2003年07月09日(水)17時44分31秒
組員になる前からこっちの世界では名が売れていた吉澤と加護。
二人の奇抜な発想と行動力には、いろんな意味であっけにとられること
も多かったが、すぐに跳ね返ってくる手ごたえは素晴らしいものだった。
特に加護は辻と組んだ事で、より一層爆発力を増していった。

急に増える構成員と資金に戸惑いを隠せず、安倍は若い彼女達に嫉妬を
覚えたこともあった。しかし、それ以上にあせっていたのは他の誰でも
ない、同期の石川であったのは間違いない。

それでも時間が経つにつれ、矢口の教えもあって一人で仕事ができる
までに成長する。当初、若すぎる彼女達にバッジを預けることに反対
する声も多かったが、それはすぐに聞こえなくなった。

しかし、石川が組員らしい表情になった頃、組の内部でもめ事が起きる。

現在の飯田組の除籍騒動。
中澤組から飯田達が抜けると決まったことで、一番ショックを受け、
最後まで迷っていたのは石川だった。
125 名前:7 投稿日:2003年07月09日(水)17時45分39秒
仲が良く、仕事に関しても頼りにしていた吉澤が飯田についていくと宣言
したこともあって、安倍は石川も抜けるもんだと勝手に決めつけていた。
それに、加護と辻の二人を引き止めるのに精を出していた安倍に、
石川のことを考えている余裕はなかった。

しかし、将来性を買って可愛がっていた矢口が石川をそう簡単に手放す
わけもなく、必死の説得もあって、石川は結局兄弟分の盃を選んだ。
彼女には、その時から強い覚悟のようなものがあったのかもしれない。

今の石川に、弱々しく泣き言を言う面影は全くない。
実力も幹部の中では飛び抜けている。
専務のポジションにいる矢口には悪いが、
自分の隠居後、跡目を相続するのは石川だと安倍は確信していた。

126 名前:7 投稿日:2003年07月09日(水)17時46分47秒

「しっかし、梨華ちゃんは変わったよねー」
「あいつは変わりすぎだよ。最近ますますキショくなってさ。おいらの手におえないよ」
「たまにおかしいもんね、梨華ちゃんは…
…にしても、あいぼんだけがまだ引きずってんのかな?かおり達のこと」
「そんなのかまってらんないよ。子供じゃないんだからさ」

今まで文句を言いながらも、明るかった矢口の顔が急に険しくなる。
安倍はその反応を見てから、口を滑らしてしまったことに気付いた。
この組の中で誰よりも飯田組のこと嫌い、敵対視しているのは矢口だった。
話題にするのさえ腹が立つらしく、さすがの安倍も、昨夜吉澤達に会った
ことは内緒にしていた。

「ふん。あんなやつらのことなんかどうでもいいよ。勝手に抜けたんだし」
「だよね…」
「報告終わったから、おいらもう帰るね。総会終わったばっかで疲れてんだー」

127 名前:7 投稿日:2003年07月09日(水)17時47分40秒

笑みが消えた矢口の顔からは、かなりの疲労の色が伺える。
頬もよく見てみると、前に会った時より細くなっていた。
しかし、微妙な空気を残したまま矢口を帰してしまうのは気が引ける。
安倍は小さな背中に、なるべく明るい声をかけた。

「総会って銀行だっけ?大丈夫だった?」
「おう、ラクショー。ちんけな総会屋においらが負けるはずないじゃん。
がっぽり稼いだから年末が楽しみだなー、今度こそトップだ!」

矢口は人懐っこい笑みを浮かべて、すぐに振り返る。誇らしげに答える
矢口も同じことを考えていたんだと思うと、安倍は無性に嬉しくなった。

「あと、銀行からの伝言『新事務所のビルの融資の件を含め、今後とも
特別利率でいいのでよろしくお願いします』ってさ。矢口いい働きしてるでしょ?」
「うん!さすが矢口だね」

128 名前:7 投稿日:2003年07月09日(水)17時48分17秒

バブル崩壊後、不良債券をめぐって銀行との関係を悪化させる
暴力団が増えていく中、中澤組はそれを上手く利用することで
銀行と良好な関係を作り上げていく。

80年代後半、大手優良企業が国際資本へ移行し、借り手が減少した
日本の銀行は、バブル時にビジネスを始めた暴力団にも甘い誘いをかけ、
どんどん金を貸し付けるようになっていた。

しかしバブルがはじけ、その立場は一変する。

今まで喜んで貸していた銀行が、暴力団に金を返せと迫るようになったのだ。
だからといって、素直に返す人間の集まりではない。
彼らは彼らのやり方で、自分達の財産を守り通そうとする。

その後、某企業やS銀行の重役を始め、相次いで銀行員が殺される事件が多発した。

129 名前:7 投稿日:2003年07月09日(水)17時49分04秒

「そうそう、なっち聞いた?またあのハゲ親父がうちらと話したがってるって」
「うっそ、ほんと?しつこいね」
「今さら老いぼれに用はねーっつうの。昔は門前払いだったくせに…国会で
大人しく寝てろって感じだよね。あの頭見たら真面目な話もできねーて、ははは」

銀行の不良資産の中核をしめている建設や不動産業界。
そこに入り込んだ暴力団と政治家には、銀行もお手上げ状態だった。
銀行が命を捨ててまで、不良債券を処理して日本の将来を救おうと考えるはずもない。

そこで中澤組が暗躍する。
権利関係が複雑で回収が難しいものを、普通の不良債券として外資に疑われるずに
売りさばくのに一役勝ったり、チンピラに占有されている物件の掃除をしたり。
小さなことから頭を使うことまで、何でもやった。
それに自分達の勢力を広げることは、関係のない企業の裏の部分を潰していく
ことにもなっていたため、組にとっては一石二鳥な話でもあった。

130 名前:7 投稿日:2003年07月09日(水)17時50分09秒

銀行から相応の報酬を受け、暴力団絡みの問題を片付けることによって
中澤組は着実に力をつけていく。
もちろん義理などに厳しいこの世界からは、同業者を叩くことに対して
非難の声が上がったが、もはやそれは負け犬の遠ぼえであった。

裏の世界の流れを読み間違えると、後は急流に飲み込まれるのを待つしかない。
その覚悟すら持っていない、老いぼれの最後の悪あがきは静観するに限る。
当時、全く相手にされなかった安倍達はそれをよく理解していた。
彼女達と席を共にすることを希望している政治家連中は、今では数え切れないほどいる。

「それって、杉本さん経由?」
「そう、どうやって持ちこんだんだろうね、無駄だっていうのに。
杉ちゃんに可愛く伝えてって言っといたよ。『あいにく、うちには
じーさん相手にするホステスは一人もいません』って」
「うっわー、怒るだろうね」
「顔真っ赤にしてね。杉ちゃんのことだからもっと酷くひねって伝えてっかも」

131 名前:7 投稿日:2003年07月09日(水)17時52分53秒

杉本というのは大手T銀行の裏顧問の男。
先代の中澤ともつるんでいた元ヤクザで、T銀行の裏対策を一手に引き受けていた。

株を買い占め、経営陣のスキャンダルを持ち込み、銀行を乗っ取ろうとする
総会屋は今でも勢いを失っていない。そういう買い占め側からの攻撃のガードや、
裏処理したい案件を矢口が手伝っていた。
もちろん、杉本にはない暴力団組織としての力をフルに使ってだが。

総会屋対策。
銀行だけでなく他の企業からのコンタクトも多い仕事で、それは
中澤組にとっても収益やコネクションを得られる重要なものだった。
株主総会が開かれる前は事務所への泊まり込みが増えるせいか、
矢口はいつもイライラしている。
安倍が矢口へ電話をかけるのにも気を使うほどだった。

132 名前:7 投稿日:2003年07月09日(水)17時55分55秒

「そうだ、来週くらいに新事務所の下見もできるって。
石川忙しいみたいで矢口が変わりに行くことになったから、また連絡するね」
「うん、わかった。おつかれ矢口」
「おう」

こうして落ち着いて喋るのは久しぶりで、安倍はもっと下らない話をしたかった。
しかし、疲れた表情の矢口を無理矢理引き止めるほど無神経ではない。
扉が閉まる音が、部屋に一人でいることを示すようにいつまでも響いている。
安倍は椅子の背に体重を預けると、そのまま天井を見上げた。

「はぁー」

ため息とも、深呼吸とも取れる大きな声。

いつの間にか大きく膨らんだ足下は、
バランスを保つのに想像以上のエネルギーを必要としていた。


――――――――


133 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月09日(水)18時02分04秒
更新しました。
文章中に出てくる暴力団(銀行等)の内情などは、デタラメということで。

>>115
ありがとう。私も自分で書いててわくわくしています。(w
今回で人間関係が少し明白になったでしょうか…?
134 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2003年07月09日(水)21時36分06秒
おもしろいです。
なんかすごく新鮮なかんじです。
読んでいて次が待ち遠しいです。
頑張ってください。
135 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月13日(日)23時36分03秒
今日初めて読んだけどめちゃくちゃ面白い!
もっと早くに知りたかった
いろいろな人間関係、これから明かになっていくのが
非常に楽しみで仕方ない
続き期待してるっす
136 名前:8 投稿日:2003年07月30日(水)18時31分32秒


大型トラックが地面を揺らし、夜の深けた幹線道路を我が物顔で走っていく。
加速するスピード、強引な追い越し、横倒れしそうな車線変更。
早朝の通勤ラッシュまでは彼らの時間だった。

車体が半分にも満たない乗用車は、肩身狭そうにその空間を供用している。
ただでさえ大きくて踏みつぶされそうなタイヤを持っている大型車、
その横暴な運転には近寄りがたいものがあった。
だが、その危険なトラックの群れの中を恐れもせず突っ切っていく影が一つ。
レーサーも顔負けのハンドルさばきで、その車はスピードをぐんぐん増していく。

もちろん普通の車ではない。
車体に「警視庁」という文字をつけたミニパトが、赤色灯を回転させ
トラックの隙間をぬうように猛スピードで駆け抜けていった。

137 名前:8 投稿日:2003年07月30日(水)18時33分08秒

「あんなー、うちは君たちのアッシーくんやないんやけど」

両手でしっかりとハンドルを握りしめ、平家みちよは騒がしい後部座席に声をかける。
アクセルいっぱいの車内は静かにしていてもうるさいのに、それをはるかにしのぐ
騒音が後ろから発生していた。これでは時折入ってくる無線の内容も聞き取れない。

「うっおー!すっげー!はえー」
「みっちゃんいけいけー!もっと飛ばせー!」
「せやからうっさいねん!自分ら、もうちょい犯人らしく静かに座ってられんか」
「えー!うちら犯人なの?なんでなんで?どうしてよー」
「ほんとごにん逮捕だよー。ごにんごにん!」
「そうだよ、えんざい!えんざい!」

勢いを増すブーイングの嵐に平家は言い返す気力も失い
ため息を混じりにぽつりと呟いた。

「さっきしたことも覚えてへんのか…」

138 名前:8 投稿日:2003年07月30日(水)18時35分57秒

30分ほど前の事、警視庁交通課に勤務する平家は
いつものように取締重点地区をパトロールしていた。
ひっそりと静まり返った住宅街、ぽつりぽつりと申し訳程度に設置された
黄色い街灯の下に、二人乗りした自転車が無灯火でふらりと現れる。
目の前を堂々とつっきっていく自転車に、平家は注意しようとマイクを手にする。
サンダルをつっかけただけの足元など、止めるのに値する出で立ちだった。

「そこの二人乗りの赤い自転車、危ないから降りなさ……あっ!」

普段なら注意だけで終わることだったが、ヘッドライトに浮かび
上がった二人の姿を見て、平家のマイクを持つ手に力が入る。
派手なアロハシャツをだらしなく着ている少女は、どちらもよく知った顔だった。

139 名前:8 投稿日:2003年07月30日(水)18時37分34秒

眩しそうに手をかざして、こちらを凝視していた二人は
平家の声を耳にして顔を見合わせる。
二人が自転車をその場に乗り捨てて走り出すのと、
平家がその二人が誰かと認識したのは同時だった。

逃げ足の早い二人だが、その土地では地図が
すっぽり頭の中に入っている平家の方に勝算があった。
慌てて後を追わずに、路地裏に先回りして待っているだけで
平家は少女達と簡単に再会することができた。

地面に座りこみ、肩で息をしている二人を有無を言わせず後部座席に押し込む。
わざわざ身分証明書を出させて確認する必要もない。
金と銀の頭二つ。
見間違うはずはなかった。

140 名前:8 投稿日:2003年07月30日(水)18時39分44秒

「たいがいにせい!乗ってたチャリもどうせ人様のもんやろ!
それと信号無視に二人乗り、立派な道路交通法違反や!それに…」

平家は一旦言葉を切って振り返ると、わざとらしく鼻をくんくんと動かした。

「酒のんどんるやろ。自転車やって酒気帯びはあかん」
「こんなの飲んでるうちに入らないもん。後ろに座ってただけだし…
それにチャリ盗んだのはマサオだから、私は関係ないよ」

吉澤がさらりと自分の無罪をアピールする。
早くも始まった仲間割れに、平家が付き合ってらんと呆れながら前を向くと
吉澤の訴えを隣で聞いていた大谷が「はぁ?」とすっとんきょうな声を出した。

「何言ってんだよ!あの赤いママチャリがいいって言ったのはよっすぃーじゃんか!」
「でも実行犯はマサオだよ。鍵こわしたの見てたから…
私は犯人じゃなくて目撃者だもんね!」
「ずるいよー!何だよそれー」

141 名前:8 投稿日:2003年07月30日(水)18時42分00秒

抗議する大谷を無視して、吉澤は背筋を伸ばして膝を閉じる。
しおらしく座り直したかと思ったら、吉澤は片方の手で自分の鼻をつまんだ。

「私、見たんです。銀髪の人が近くにあった石でチャリちゃんの頭を叩く所を…
凄い音がしてました。あの硬い石で何度もチャリちゃんの頭を…ううぇーん」

よくあるワイドショーのインタビューの真似をしているらしい。
気持ち悪い鼻声をやめさせようと、大谷が吉澤をどつくが
下らない小芝居は終わりそうになかった。

こいつら、ほんまのアホちゃうか…?

前方をふさぐ車をかわしながら、平家は二人を後ろに乗せた事を後悔し始めていた。

「いってー!チャリちゃんの次はよしざわなの?ひどいわー」
「キモい声だすなよ。くっそー、こうなったら一人も二人もかんけーねー!」
「いったいって。今まじで殴っただろ!」
「そっちが先に裏切ったんじゃん!」

――ドカッ、バシッ、ガゴッ――

142 名前:8 投稿日:2003年07月30日(水)18時49分39秒

「うっさいわ!自分らそんな事でもめんな!
やったやってない関係なく、二人とも窃チャで逮捕やからな!」

平家の眉間に浮かぶしわに、本物の怒りを敏感に感じ取った
二人はつかみ合っていた手をピタッと止めた。

チャリ盗んで捕まるヤクザなんて、聞いたことあらへんで…

速度をゆるめ赤信号の下に入る。
平家に見えないよう、足下でまだ小競り合いしている二人。
交差点をぬけたところで、平家は強くアクセルを踏み込んだ。


――――――――


143 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月30日(水)18時56分34秒

少しだけ更新しました。三人の珍道中はまだまだ続きます。

>>134
お待たせしました。
夏バテぎみですが、更新スピード上げてがんばります。

>>135
マイナな集まりなのでひっそり…といいつつage。久々なので(w
楽しみという言葉を励みに、これからも書いていきたいと思います。
144 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月07日(木)21時57分37秒
マイナの集まりどころか、全員集合って感じで
読んでて楽しいです。登場人物が多いのにきちんと纏まっててイイっす
吉澤と大谷コンビなんかいいです、うんなんか
145 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月09日(土)02時20分56秒
よしまさコンビいい!!というか全員一人一人のキャラが最高です。

作者さん夏バテ大丈夫ですか?あんま無理しないで下さいね。
146 名前:8 投稿日:2003年08月12日(火)19時55分31秒


無線のザラついた音が途切れることなく入ってくる。
酔っ払いのケンカの発生から処理まで、一連の経過が流れ終わった頃
吉澤達をのせたミニパトは、大通りをさけ狭い道に入り込んでいた。

「ねぇーみっちゃん、何の集合かかったの?また例の駐禁チクリ?」

平家の素晴らしい運転技術の披露がようやく終わり、
大谷は必死に捕まっていたドアから手を離して尋ねた。

「あー、あの苦情マニアはもうかけてこんよ」
「え?なんで?」
「この前それで引っぱった車ん中に中澤組のが混じってたらしいんや」
「あらら…そういうことか、可哀想に」

哀れむ言葉とは裏腹に大谷は楽しそうに笑っている。
吉澤の方は二人の会話には興味を示さず、何か考えこんで
いるのか都心に近づく外の景色をぼーっと眺めていた。

147 名前:8 投稿日:2003年08月12日(火)19時56分35秒

「やりすぎたんやね。うちらも正直迷惑やったからなー」
「自業自得ってとこか」
「ん?どういうこと?」

急に割り込んでくる吉澤のとぼけた声。
なんや聞いとったんか、と平家がバックミラーをちらりと覗くと、
首をひねっている吉澤と鏡越しに目が合った。

「あんなー、あんたもヤクザならわかるやろ?」
「ぜんぜんわかんない」
「はー、何で警察官のあたしが説明せなあかんのよ…」

首をぶんぶんと横に振る吉澤に、平家は文句を言いながらも
複雑な部分を省いて説明し始めた。

「つまりな、簡単に言うと、車持ってかれて腹を立てたヤクザが
そのチクった苦情マニアを捜し出して、ちびらせたってわけよ。
身元全部われてんのに自分のタマかけてまで、苦情の電話なんて
何も特にならんこと続けるバカはおらんやろ」

148 名前:8 投稿日:2003年08月12日(火)19時57分55秒

「ほー、そういうことか」
「そういうこと。今日ぶっとばしてるのはそれやなくて事故のせいや」
「事故?そんなのみっちゃんが行かなくたって、人いるでしょ?」

大谷が意外そうな声を出すのも無理もない。
応援の要請が入った時、平家達はその現場からけっこう離れた所にいた。

「普通の事故ならええんやけど、君たちの同業者が絡んでるみたいやから」
「え?」
「ちょこっとあてただけの物損なのに、首痛いとか足折れたとかいうて騒いどるんや」

同業者という言葉に大谷の顔が険しくなる。
平家は慌てて「あー、ちゃうちゃう」と手を振った。

「新宿やけど、松浦んとこの若いやつらみたいやで」

石川やなくてね、と平家は心の中で呟く。
吉澤に気を使ったつもりだったが、肝心の吉澤は大きな目を
トロンとさせ、眠そうに外に目を向けているだけで
平家が少しばかり期待していた反応もみせなかった。

149 名前:8 投稿日:2003年08月12日(火)19時58分51秒

吉澤達とは中澤組からのつきあいで、誰がどこどこの
何を好物にしているかということまで平家はよく知っている。
むやみに吉澤を刺激する必要もないと思い、平家はわざと石川の
名前を出さなかったが、心の片隅では試してみたいとも思っていた。

せやけど、出したとしても変わらんやろうな。

吉澤をもう一度盗み見る。
唇に手を持っていき、爪を噛んでいる姿は幼い子供のように見える。

ほんま、別人て言われた方がましやな。

150 名前:8 投稿日:2003年08月12日(火)20時02分29秒

平家を含め警察官を全く相手にしていなかった頃、吉澤の冷い眼差しは
常に他人を牽制していたが、何故かドキリとさせられるものがあった。
恐怖感を排除できなくとも、その攻撃的な瞳の奥には心を引きつけられる
何かが確かにあったのだ。

それがこうも変化するとは…

平家はまるで義眼のようだと思っていた。
今のへらっとした笑顔で、そっくり入れ替えたんですよ
と本人に言われても少しも驚かないかもしれない。

自分に懐くようになった吉澤は明るくてよく笑う。
それが平家には嬉しかったが、自分に心を許しているわけでもなんでもなく、
ただの勘違いだったということにはすぐに気付かされた。

151 名前:8 投稿日:2003年08月12日(火)20時04分11秒

渋谷の繁華街での交通整備にかり出され、行き交う人の流れに
ぽつんと取り残されいる少年を見つけた時の事だった。
あきらかに義務教育の渦中にいると思われる少年から事情を聞き出す、
それは少年課の仕事で平家にしてみれば管轄外であったのに
彼女は思わず声をかけていた。

まだ幼さの残る少年だった。平家がよく追いかけまわす
少年達とは格好からして違っていたが、何かが引っかかった。
そしてそれは大当たりする。

少年の補導後、彼のバックから登山用の鋭利なナイフが出てきた。
それを見抜いていたわけでもなかったが、彼が実行しようとしていた
恐ろしい計画を仲間から聞いても、平家はさして驚かなかった。

152 名前:8 投稿日:2003年08月12日(火)20時07分34秒

頭の中に残るのは少年の目だけ。
何も映っていない黒い瞳。
これからの人生にすでに絶望していた少年の目は、吉澤にそっくりだった。

やる気というか、生きている人間ならば少なからずは持って
いるであろう欲、そういう強さが今の吉澤には全く感じられない。
面と向かって会話をしていても、平家自身
本当に吉澤と喋っているのか不安になることが何度かあった。

なんとなく生きている。

それが吉澤に対する平家の感想だった。

153 名前:8 投稿日:2003年08月12日(火)20時10分19秒

平家が吉澤について思いを巡らせていると、
大谷が「ふーん」と興味なさそうな声を出した。

「そんじゃ、松浦もこっち来てんの?」
「そうや、自分そんなことも知らんのか?
あと加護もこっちにおるみたいで今、マル暴は大忙しやねん。
中澤組の幹部がそろってるもんやからな。ピリピリしとるわ」
「そういえば、つんくさんやつれてたなー」
「なに?大谷またお世話になったん?」
「ちがうよ、前によっすぃーとラーメン食ってる時にたまたま…」
「奢らせたんやろ」
「おごってくれたんだよ」

マル暴の人間は、ヤクザを相手にしているせいかどっちが本物なのか
分からないほどいかつく、怖そうなおっちゃんが多い。
そんな中でも派手な格好をした男の顔を、平家は思い浮かべていた。

まったく甘やかしちゃって…

154 名前:8 投稿日:2003年08月12日(火)20時13分05秒

2年前、警視庁に新たに設置された組織犯罪対策部(組対部)。
つんくという名で呼ばれているのは、そこを構成している一つ
組織犯罪対策3課(組対3課)に所属する寺田光男という刑事のことだ。

近年、ますます凶悪化する外国人犯罪、特に中国マフィアや暴力団が
絡んだものが急激に増えている。
もともと外国人犯罪組織とは対立していた暴力団であったが、不況の
影響もあって最近では中国マフィアと手を組むことも少なくなかった。

新設された組対部は、そのようにグローバル化する組織犯罪に対応する
ために、以前あった公安部、暴対課、生活安全部、刑事四課を統合して
できたもので、狙いは暴力団などの大きな犯罪組織であった。
集団密航や殺人などの外国人犯罪、銃器薬物、ヤクザを相手にした捜査など
それぞれが個別に行っていた取り締まりを一本化することで
警察は巧妙で複雑な裏社会を、本腰入れて浄化しようしていた。

155 名前:8 投稿日:2003年08月12日(火)20時15分26秒

寺田のいる組対3課は暴対課がそのまま移行した部門で、主に暴力団組織に
関する情報収集や総会屋対策を行っている。他には組対4課がヤクザ担当の
捜査部門で、飯田組もこの二つにマークされていた。
といっても今、彼らが熱い視線を向けているのはニ代目中澤組で
痴話ゲンカぐらいしか起こさない飯田組は、ほとんど蚊帳の外状態だった。

それでも、寺田という男だけは飯田組を見守り続けていた。
吉澤のことを中澤組時代からよく知る、貴重な人物の一人でもある。

寺田は自分の事をつんくと呼ばせ、この世界でも下手なヤクザ仲間より
彼らの信頼を得ていた。身内を自分から捨てたり、天涯孤独のような
生き方をしてきたやつらばかりが肩を寄せあっているからだろうか。
30を超えた頃から、彼は父親のような扱いを受けるようになっていた。

156 名前:8 投稿日:2003年08月12日(火)20時18分45秒

本来ならば暴力団と対立する立場の人間、情報を集めるにしても
警察と暴力団が大っぴらに仲良くするのは、マスコミ、ましてや
監察官にでも目をつけられたら大変なことになる。
それでも暴対課時代にあげた寺田の功績に味をしめているのか、
貴重な情報源として上層部も寺田の行動に文句をつけることはなく
目をつぶっていた。

それに堂々と代紋の入った扉をノックするほど、寺田も浅はかではない。
圧力がかかっているとはいえ、証拠写真などが出てしまえばマスコミも
黙ってはいられない事態になることは容易に想像できる。
彼は今までの経験から、上手く立ちまわる方法を得ていた。

157 名前:8 投稿日:2003年08月12日(火)20時21分25秒

「つんくさんも人がええなぁ。こんな奴らほっときゃええのに」
「なんだとー。私らけっこう使えるんだから」

小さな組とはいっても、街のチンピラと関わり深い吉澤と大谷。
寺田はこの二人から、ごくたまにいい情報を貰うこともあれば、
逆に捜査しやすいようにガセなどを流してもらうこともあった。
その代償はラ−メン代。
監察官も笑ってしまうような可愛いもんだった。

接触方法もいたって単純。
吉澤達がよく出没する屋台にふらりと現れると、寺田は言葉も交わさずに
一人で食事を始める。隣に座ることはないし、決まって別のテーブルにつく。
彼の姿を見つけ、ここぞとばかりに注文する二人を遠くから満足げに眺めた後
寺田は何ごともなかったように吉澤達の支払い分を、たまりにたまったツケも
合わせて支払って出ていく。

彼の手に領収書とは違う別の紙がもう一枚握られている日もあれば、
紙幣の隙間に紙を忍ばせて屋台の主人に渡す日もあった。
橋渡しをしているのは、バンダナを頭にまいた威勢のいい主人。
ラーメンを作っている彼が、大昔に寺田と吉澤に世話になったこと
のあるチンピラ上がりだということは、誰も気付かないだろう。

158 名前:8 投稿日:2003年08月12日(火)20時23分49秒

「まぁ、余計なもめ事起こさんでな。総会屋でただでさえ忙しかったんやから
つんくさんに迷惑かけんやないよ」
「はーい」

大谷がいれば大丈夫かな。
呑気そうに返事する大谷の顔を見て、平家は小さく頷いた。

吉澤は相変わらず窓に顔を近付け、どこか一点をじっと凝視している。
食い入るように見入っている吉澤につられ、平家もそちらに目を向けた。
東京に住んでいれば珍しくもなんともない赤い光り。
ビルの隙間から顔を覗かせている東京タワーは、やけに大きく見えた。


――――――――


159 名前:8 投稿日:2003年08月12日(火)20時27分36秒

時間に関係なく賑わっている歌舞伎町一帯。
人が通りまで溢れていて、どの列が動いているのかわからないほど車の動きは鈍い。
現場はもう一本向こうの通りだったが、平家はそれ以上中に入っていくのを諦め
その手前で車を歩道に寄せた。

交差点付近に赤いランプを輝かせて止まっていれば、信号待ちの人々の視線は
自然と後ろの二人に向かうが、鋭く返される本物の眼差しに皆すぐに目を背ける。
ミニパト越しにいざこざが始まるのも、時間の問題のようだった。

「こら!なに眼たれてんねん。さっきの可愛い返事はどこいったんや?」
「だって向こうから」
「大人しく待ってなかったらなぁ…アタマかちわんでぇ」
「「ま、待ってます」」

二人の目を見据えて声を押し殺す平家に、二人は身を縮める。
現在はこのようにして警察の制服に腕を通している平家だが、
若い頃は派手な刺繍が縫い込まれた特攻服で大暴れしていたらしい。
それは有名な話で、二人はいろんな所から平家の素晴らしい武勇伝を
耳にしている。逮捕云々より、この言葉の方が二人にはこたえた。

160 名前:8 投稿日:2003年08月12日(火)20時30分56秒

「今日のとこは見逃しといたる」

平家がドアを開けるとムッとした熱気が入ってくる。
しゅんと肩を落としていた二人は、さらりと
言われた言葉に一瞬きょとんとしてから騒ぎ出した。

「マジンガー!?やったー!みっちゃん愛してるぜー」
「ほんと、だからみっちゃん好きなんだよ!」

平家への賛辞を次々に口にしながら、今にも降りようとする。
腰を上げた二人を平家が静かに止めた。

「勘違いすんな。誰も降りてええなんて言うてない」
「「へ?」」
「あんたらにはかおりから家出の捜索願いが出てんねん。個人的にな。
ずっと帰ってないんやろ?家出捜索なんて…ほんまだっさいヤクザやなー」

喜びの表情が一気に失せる二人を眺め、平家はにやにや笑いながら
助手席にずっと静かに座っていた新人の婦警に声をかけた。

「このおバカ達、見張っといてね。すぐに終わると思うから」
「は、はい!」

161 名前:8 投稿日:2003年08月12日(火)20時33分40秒

三人のやりとりに口を挟む暇もなく、その存在すら消えかけていた婦警は
ようやく与えられた仕事にはりきった声を出す。
敬礼する手に力が入り過ぎているその姿は、可愛らしいものだったが
少し心配でもある。
優しい眼差しをきりっと引き締め、平家は最後に後ろの二人を睨みつけた。

「あんたらも静かにしてるんだよ、わかってんな?」
「「はっ、はい!」」

極度に緊張した新人婦警の真似をして
敬礼する二人に、不安を覚えながらもドアを閉めた。

ほんま、手のかかる子ばっかやで裕ちゃん…。

ネオンと騒音がざわめく繁華街に、平家は小走りで入っていった。


――――――――


162 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月12日(火)20時39分01秒

更新しました。
ガキさんは現実でもコキ使われてるようです。がんばれ。(w

一つ訂正というか付け加え。
平家さんは本庁ではなく所轄の交通課の婦警です。(新宿署交通課勤務)
たまに管轄外の地域で出てくるかもしれませんが、顔が広いのと
放っておけない性分で許可なしに動いているという事でご理解下さい…。

>>144
そのしまりが難しいというか、面倒な部分もあるんですが
ほったらかして書くとただのアホになっていちゃいますからね。
特によしまさが。(w

>>145
ほんとヤンチャで困ってます。
夏バテというより文字バテ?ぽかったのですが、復活しました。
まだ出てきてない人のこと考えると、ウズウズしだすので
もう大丈夫だと思います。
163 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2003年08月12日(火)21時28分32秒
更新キタ━━━(゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚)━━━━!!!!!!!!!!
この三人のやりとりいい感じですね〜
吉澤はどうして変わっちゃったんでしょうね
そのことも早く知りたいですね!
164 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月13日(水)00時19分49秒
吉澤と石川の関係がすごく気になる
いやーいつ読んでも面白いっす
165 名前:名無し募集中 投稿日:2003年08月15日(金)02時23分24秒
その新米婦警さんは誰かだったりしないんですか?みうなちゃんとか。
166 名前:9 投稿日:2003年08月18日(月)20時04分12秒


東京都港区六本木、早くも東京観光の一つに加わり、今一番の人気と
集客力を持つ都市施設が、マスコミを通じて広く話題を呼んでいる。
マンションやホテル、テレビ局など近代的な建物が密集するその場所から
そう遠くない所に、遅れて完成を迎えようとしている建物があった。

各国の大使館がひしめく中、ファッションビルのような外見をまとった
高層ビルは一際目を引く。
よその人間がその綺麗なビルを見上げ、新たにできるであろう空間に
期待を込めた視線を向けることもあったが、地元の人間にとって
それは、眉間にしわが寄るだけの迷惑なものでしかなかった。

それに頭を痛めているのは警察も同じで、防衛庁と国会議事堂に
はさまれた土地赤坂に、ニ代目中澤組は新しい本部事務所を構え
大きな看板を掲げようとしていた。

167 名前:9 投稿日:2003年08月18日(月)20時06分38秒

「はぁーすっごい、豆粒みたい」

その最上階で、安倍は眼下に広がる街並みを眺めていた。
真下に見える幹線道路を赤い光りが走りぬけていく。
地上で鳴らされているクラクションも別世界のものに聞こえた。

まだ蛍光灯のついていない部屋から見る外の景色は眩しいくらいで
夜とはいっても外からの光だけで室内は明るく、躓くことなく歩ける。
一面ガラス張りで天井も高い部屋、
その開放感は以前の事務所とは比べものにならない。
ガラス窓にはガラス注意と書かれた紙がまだ貼られていて、所々ビニールで
覆われている室内は、安倍が少し動く度にかさかさと音をたてた。

「こんなに大きかったんだ」

ちょうど真正面に輝く東京タワー。鉄骨の一本一本の重量感がわかるほど
近くに迫るそれも、安倍のいる場所を明るく照らしてくれている。

「いい眺めだよね…」

窓ガラスに映りこむ自分の顔とかぶさる東京タワーに
安倍は語りかけるように呟いた。

168 名前:9 投稿日:2003年08月18日(月)20時07分55秒

「おぉー!すっげー!広い!高い!」

バタンと大きな音をたててずかずかと入ってきた矢口は、
口をぽかんと開けたまま矢継ぎ早にそう叫んだ。

「いいなぁー!なっちの部屋見晴らしいいじゃん。さすが総長!って感じ?
…あ、外で待ってて」

一通り室内を見回して騒いだ後、
開けっ放しの扉の向こうでじっと立っていた男に矢口が
そう伝えると、男は無言で頭を下げて静かに扉を閉じた。
窓際に立っている安倍は、飛び跳ねるように走ってくる矢口を
半ば呆れた表情で迎える。一週間のうちにリフレッシュしたらしく
以前の疲れた矢口はどこかに吹き飛んでいた。

「一つしか違わないのに全然眺め違うんだなぁ」
「そうなの?」
「うん、おいらの部屋からじゃ東京タワーこんなに綺麗に見えないもん」

一つ下の階にはここほどではないが、それでも十分に広い部屋が二つある。
シャワールームにキッチンなど、高級ホテルにもひけをとらない設備が
それぞれについていた。

169 名前:9 投稿日:2003年08月18日(月)20時09分19秒

この部屋のちょうど真下が矢口の部屋になるらしい。
眺めのいい部屋を矢口は気に入ったようで、ご機嫌なのが手に取るようにわかる。
石川も同じ階に引越してくるのだが、部屋割りを相談する気はこれっぽっちもないようだ。

「そっかー。それじゃ、やっぱり裕ちゃんはこの部屋にいてもらわないとね」
「だね。おいらのそばが良かったけど、そんなことしたら
タワーが見えん!てさ、呪って出てくるからね絶対。おーこわっ!」

笑いながらブルブルと震えてみせる矢口に安倍も付き合うことにする。

「ほんと、オバケになって出たらもっと怖いっしょ」
「あー!なっちひでぇーこと言うなぁ。バケモン扱いかよ」
「バケモンなんて言ってないべさ。でもバケて出るならたぶん矢口の方だよ」
「えっ…それはマジ勘弁」
「絶対矢口だって。今日帰ったら裕ちゃん待ってるかもね、玄関で」
「えぇー!そういうこと言わないでよー!ドア開けられなくなるじゃん」
「今日から矢口の守護霊になります。よろしくお願いします、って」
「わーほんと嫌だ。怖いって!敬語なのが余計怖い!」
「矢口のこと大好きだったからねぇ、守ってくれるって…」

170 名前:9 投稿日:2003年08月18日(月)20時10分35秒

心霊話が苦手な矢口だったが、安倍は今の話を矢口が心底怖がっているとは
思っていない。ここへ来るまでの暗い廊下の方がキャーキャーうるさかった。
それっきり黙りこんだ二人は目の前にそびえる赤いタワーを並んで見つめ、
それぞれ同じ思いに浸っていた。

「裕ちゃん喜んでるよね?」

しばらくして口を開いた安倍の表情は穏やかで、
その口調も矢口を気づかうようにゆっくりとしたものだった。

「うん、きっとさ…酒盛りでもしてるよ。今頃」

矢口はそう言うとガラスに手をつき、都心の夜空を見上げる。
チカチカとビルのてっぺんで点滅する明かり。
街の賑わいが、ぼんやりと視線を泳がせている矢口の顔に影を落とす。
普段から人一倍気を張っている彼女の、舎弟には絶対見せない横顔が
安倍の脳裏にあの日のことを思い出させた。

171 名前:9 投稿日:2003年08月18日(月)20時11分59秒

忘れもしない2年前のあの日。
朝から雨が降っていて、矢口は髪の毛が大変だと
ドライヤー片手に何度も部屋と洗面所を往復していた。
渋谷にある事務所のビルを丸ごと買い取ったばかりの
時期で、各階にはダンボール箱が溢れかえっていた。

いち早く片付けられた中澤の部屋で、安倍を始めとする
中澤組の幹部は顔を揃え、のんびりとお茶をすすっていた。
今思えば、それが穏やかな幸せに包まれていた最後のひと時だった。

矢口が中澤を迎えに出かけていった後、その部屋には安倍の他に飯田と
引越しをさぼっている辻と加護がいて、矢口が犬みたいだとか、おもちゃ
みたいだとか、悪口ではないがちょうど中澤と矢口のことを話していた。
中身はほとんど、中澤の矢口への溺愛ぶりについてだったと思う。

172 名前:9 投稿日:2003年08月18日(月)20時12分55秒

二人のモノマネをする辻と加護に大笑いしてる部屋に、
さぼり魔を捜していた石川と吉澤が声を聞きつけて入ってくる。
組長の部屋で安倍と飯田を前にしてふざけている二人を見た
石川達の顔は固まっいた。

その当時、まだ入って一年もたっていない石川達にとって
安倍と飯田は目を合わせることもはばかられる相手だった。
しかも雲の上の存在ともいえる中澤組長の部屋で加護は飛び跳ね、
憧れの黒い椅子には、辻が偉そうにふんぞり返っているのだ。
石川達が蒼白になるのも無理はなかった。

隙を見て逃げ出そうとする二人を吉澤が素早く捕まえる。
自分が悪いわけでもないのに何度も謝る石川に
安倍達がとまどっていた時、その電話はなった。

新しい電話のベルを初めて聞いた瞬間でもあった。

173 名前:9 投稿日:2003年08月18日(月)20時14分35秒

最初はいたずら電話だと思った。
地面にあたる雨の音に紛れて、聞こえてくる声、
それが矢口のものだと気付くのに数秒かかった。
その後のことは、ほとんど覚えていない。
気がつくと吉澤が受話器を手にして、何ごとか叫んでから
部屋を飛び出していった。辻と加護の姿もそろって消えていた。

「安倍さん達はここにいて下さい。今外に出るのは危険です。
中澤さんに代わって指揮をとるのは、安倍さんなんですから…
しっかりして下さい!」

部屋を出ようとする安倍と飯田の前に立ちはだかり、
吉澤ははっきりとした口調でそう言うと二人をソファーに座らせた。
石川を見張り役として残したのだろうが、肝心の石川は顔を
覆い隠して嗚咽を漏らすだけで、逆に飯田になだめられていた。
安倍は泣き続ける石川の声をぼんやりと聞いていた。

「裕ちゃんが…血だらけなの…」

電話越しに耳にした矢口の震えた声。
背後で上がる悲鳴と罵声の中、矢口は静かにそれだけを伝えてきた。


――――――――

174 名前:9 投稿日:2003年08月18日(月)20時17分05秒

それから中澤の葬儀まであっという間に時間がたち、
何の実感も得られないうちに全てが終わっていた。
涙にくれて思い出にしっとりとふける感覚も暇もなかった。

二代目として慌ただしい日々をやり過ごした後、たまたま吉澤と
二人っきりになる機会があり、話は自然とその時のことになった。
その頃には吉澤も幹部としての貫禄もすっかり出てきていて、
安倍とも対等に話せるようになっていたが、中澤のことについては
言葉をつまらせていた。

私、今でもあれは親分じゃなかったんじゃないかって思うんですよ―

そう前置きしてから、吉澤はその日のことを見たままに語りだした。


――
――――
175 名前:9 投稿日:2003年08月18日(月)20時21分45秒

吉澤が警察よりも先に現場に駆けつけた時、道路は一面赤く濁っていた。
まるで魚屋の調理場に足を踏み入れてしまったような感覚。
赤のマーブリング模様をのせた雨水が
道路わきに流れ、排水溝にごぼごぼと吸い込まれていく。
雨の湿っぽさに紛れて届く死の匂いに、吉澤は奥歯を噛みしめた。

誰だ?こいつ…

傘もささず立ち尽くしている彼女を見つけて、びしょ濡れの男が
すがるように近寄ってくる。ひきつった顔で何かを必死に説明する男が
中澤組のバッジをつけているのに気付き、吉澤は自分の目を疑った。
少し横暴で威厳に満ちていた男が、情けない顔で自分の腕をつかんでいたのだ。

無性に腹が立った吉澤は、その手を振りほどいて歩き出す。
見覚えのある黒服の男の横にしゃがみこみ、
すでに冷たくなっている首に手をあてた。
雨にうたれて寝そべっている男達はピクリともしない。

ねじれた体を楽な姿勢にしてやり、水を含んで重くなった
スーツを直してから、吉澤は一人ずつ手を合わせていった。

176 名前:9 投稿日:2003年08月18日(月)20時23分48秒

雨はより一層、激しさを増していく。
勢いよくアスファルトの上で弾ける水しぶき、
白い幕の向こうで、金色の髪が揺れていた。

間近で見るその姿に、吉澤は取り憑かれたように動きを失った。
青白い肌、紫になった唇、焦点の合っていない瞳。
不自然に開かれた口から流れ出している赤い線は、
細い首筋を静かに伝って雨に消えていく。

仰向けで倒れている人間と中澤との違う部分を必死に捜してみても、
そこで動かなくなっているのは中澤裕子本人で、吉澤の親分であった。
めくれた袖口から覗く白い腕だけが、吉澤の知っている親分と違って見える。
その手でふざけて叩かれたこともあったし、頭を撫でられたことも
本気の拳をもらって口の中を切ったこともあった。
その細い腕が自分に向けられた記憶が、昨日のことのように次々と蘇ってくる。

横たわっている人間を前にして、それは初めてのことだった。
この後にやらなければいけない面倒な処理のことも考えられなかった。
名前も声も知らない相手ではない、自分の事をまっすぐに見つめてくれた大人。
吉澤はこみ上げてくる涙を止めることはできなかった。

177 名前:9 投稿日:2003年08月18日(月)20時27分00秒

傍らでは矢口が同じように呆然と中澤を見下ろしていた。

「裕ちゃん…風邪ひいちゃうよ…」

その言葉を呪文のように何度もくり返す矢口の、いつも元気な背中は
本当に小さく見えて、吉澤はかける言葉も見つけられなかった。
吉澤の存在に気付いていないのか、矢口が視線を移すことはない。
彼女の目はずっと中澤を捉え、話しかけている。
だが、脈をとる必要もないほどに中澤の服には穴が開いていた。

どんよりとした空を眺めている中澤の目の上に手をかざし、
大きく見開かれたままのまぶたをそっと下ろしてやる。
手の平にまとわりつく感触と冷たさに、どきりと自分の心臓がはねた。

がくっと身体から力がぬける。

吉澤が最後に目にした親分は、かよわい一人の女性だった。


――――
――
178 名前:9 投稿日:2003年08月18日(月)20時30分12秒

口数が少なく、あまり感情的な面を出すことのない吉澤が
目を熱くして教えてくれた話を、安倍は最後まで黙って聞いていた。

遅れて駆けつけた辻と加護にわきを抱えられて帰ってきた矢口が
放心状態だったのはその日だけで、葬儀の時もいっさい涙は見せず
彼女は誰よりもしっかりとしていた。
その時は矢口の精神力の強さに驚いたけど
あれはあれで壊れていたんじゃないか、と吉澤は言っていた。

矢口さんは、まだあの日のことを乗り越えてないんじゃないですかね…

何ごともなかったかのように元気に振るまう矢口のことを一番心配して
いたのは吉澤だった。立ち直ったと思っていた安倍も、それを聞いてから
一瞬無表情になる矢口を度々目撃するようになる。
中澤がいた頃の甘えん坊だった矢口の一面は、どこかへ消えてしまっていた。

私に相談してくれてもいいのにな…


――――――――

179 名前:9 投稿日:2003年08月18日(月)20時31分25秒

「何だよなっち。おいらの顔じっと見てさー。何かついてる?」
「えっ、ううん。ちがくて―」

矢口の視線から逃げるように、安倍は窓の外に目をやる。

「――なんか、いろいろ思い出してたんだべさ」
「そっか…」

深くつっこまずにそれだけ言うと、矢口は窓から離れる。
和ませようと付け加えた方言は必要なかったようだ。

「弱肉!強食!」
「い、いきなり何だべさー。おっきな声だして」

びっくりしたー、と体ごと振り向く安倍に矢口はにっと笑ってみせた。

180 名前:9 投稿日:2003年08月18日(月)20時32分53秒

「なっち暗い顔すんなよ。こうして裕ちゃんの夢を一つ一つ叶えてるんだからさ。
東京タワーだってあんなに近いんだよ。裕ちゃんだって涙流して喜ぶって」
「うん、そうだよね。こんだけ頑張ったんだから誉めてくれるよね?」
「おう。全国制覇だってあとちょいだし。バリバリ仕事すっぞー!」

右腕をふりあげる矢口。ギャルっぽい格好をした矢口の
口から出てくる親父臭いセリフが、妙におかしかった。

「何笑ってんの?おいらがいいこと言ってるのに台無しじゃん」
「だってー、面白いんだもん」

だだっ広い部屋に笑い声がこだまする。
夜景を背にした安倍の表情は、矢口の位置からは逆光となっていて見えない。

今度は、みんな揃って引越しそば食べようね。

安倍は頬を拭ってから、心の中でそう矢口に語りかけた。    


――――――――


181 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月18日(月)20時38分36秒
更新しました。姐さん…。・゜・(ノД`)・゜・。
とんでもない誤字が多くてすみません。見返してみてガックリです。
変わるは代わるで、特は得ですね。つーか、アヤハって誰よ?(w

>>163
平家さんは大変そうですが、この3人、見てる方としては楽しいですよね。
吉澤については…後何回か更新をお待ち下さい。

>>164
うれしい限りです。ちょっと調子にのりつつ。
吉澤と石川については…後何回か更新をお待ち下さい。(w

>>165
おぉ!
新米婦警さんは…次の更新をお待ち下さい。一番早い(w
182 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月19日(火)00時16分15秒
どんどん調子に乗っちゃって下さい
あと何回更新しても構わないっす
ってか終わって欲しくないっすw
それぐらい面白いんで。少しづつ謎が解けていくのがより興味を引くっす
183 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2003年08月20日(水)19時35分02秒
なかざーさん…。・゚・(ノД`)・゚・。
184 名前:10 投稿日:2003年08月26日(火)01時03分14秒


「おい、こらねーちゃん何してんの?」

「何って仕事ですよ。見てわからないですか?」

「こんなせこいのが仕事なんか?駐禁切るより他にもっとせなあかん事
あんやろ?イジメみたいなことしてへんで凶悪犯でも捕まえてこいや!」

「わたし交通課なもんで刑事じゃないですから。それに駐車違反も立派な犯罪です」

「そないな堅いこと言わんで、ねーちゃん…まだちょこっとしか止めてへんし
堪忍してくれよー。なー?ほんま頼むわー」

「少しでもダメなものはダメです。ほら、すぐそこに禁止の看板も出てますよ」

「もうすぐオヤジが降りてくんねん。そんなだっさいのつけて走るわけ
にはいかんやろ?それにここに止めんと長い距離歩かなあかんやないか。
足腰悪いっつうのに…あーあ!ひどいなー!年寄りをいじめんのが警察官
のすることなんかぁ!え?こらっ、黙っとらんで何か言うてみぃーや!」

185 名前:10 投稿日:2003年08月26日(火)01時03分46秒

「そんなん知るかぁ!一通のど真ん中に止めとったら、後ろ通れんやろ?
ここはあんたの道やないんやで!」

「おい!おめーらか?このねーちゃん呼んだんはこらぁ。ええ度胸してん
じゃねーかよ!そないなとこでぼさっと見てへんで、こっちツラかせや!」

「今はあたしと話してんやで。人に噛みついとらんで、さっさと免許証出さんかい!」

「誰がだすか!金なんか一銭も払わんからな!優しくしとったら調子にのりやがって」

「調子にのってんのはあんたの方や!
あんまグチグチたれとると公務執行妨害でワッパかけんでぇ!」

「なんやとー!やれるもんならやってみろや!ボケ!」

――――
――

186 名前:10 投稿日:2003年08月26日(火)01時04分30秒

中澤との初対面は今でも鮮明におぼえている。

同僚につっかかっているチンピラを慣れた口調で大人しくさせた帰り道、
久しぶりにヤクザと言い合ったせいか、平家は昔の懐かしいやりとりを
思い出していた。

どんなに文句を言われても標準語を崩さなかった平家が、
関西弁で思わず応戦してしまったのは、警察に勤めだしてから
その日が初めてだった。威勢がいいわりには気の小さかった中澤が
一国一城の主人になるとは、この時は思ってもみなかった。

威勢良く出した両手に手錠をかけてやった時のあの中澤のアホ面は、
いつ思い出しても笑える。意外と根に持つタイプなのか、その後も
向こうから平家によく絡んできて、公道で人目をはばからず幾度と
なくやりあうようになった。
次第に二人のケンカは署内でも有名になっていた。

187 名前:10 投稿日:2003年08月26日(火)01時05分47秒

ヤクザ相手に立ち回れる婦警は平家くらいしかいない。
必死になって隠していた過去もいつのまにかみんなに知れ渡っていて、
ヤクザもんが絡む事故などには必ず平家がかり出されるようになって
しまっていた。半ばやけになっていた平家はすっぱりと標準語を捨てる。
それもこれも中澤のおかげだった。

中澤組の初代組長、中澤裕子に手錠をかけた警官。
今では平家の名は、尾ひれ背びれがたっぷり付いて他の署にまで伝わって
いるせいか、たまに弟子にしてくれとお門違いなことを頼みにくる人もいた。

ほんま、あんたがいなくなってから張り合いないわ…

署内でも街でも犬猿の仲で知られていた二人だったが、
それは初めの頃だけの話で、影ではこっそり酒を飲み交わす仲になっていた。
たまたま飲み屋で一緒になってから始まった関係を同僚に言えるわけもなく、
これを知っているのは当時の中澤組の人間、数人だけだった。
監察官の目におびえながらも、なぜか平家は中澤と飲むのを辞めようとは
全く思わなかった。

制服を着ていなければ話がわかるやつ。
よく酔っぱらった中澤に言われた言葉だ。

188 名前:10 投稿日:2003年08月26日(火)01時07分41秒

「は?どこ行ったんやろ、みうなまで」

平家が缶コーヒーを2つ抱えて車に戻ると、思った通りそこはもぬけの殻だった。
そのうえ、新人の斎藤美海の姿も見えない。
車のワイバーに見慣れた紙がはさまれているのを見つけ、平家は舌打ちした。

「お仕事ごくろうさまです。でも…ここは駐車禁止地域ですよ。
警察官のふしょーじを見逃すわけにはいきません…したがって
みっちゃんの後輩と大事な物をあずかった。返してほしければ
ひゃく兆円かベーグル一年分を用意しろ。よろしくよっすぃーより
…んだと?ふざけんな!ったく、あのアフォは漢字もかけんのか。
読み難くてかなわんわ」

平仮名だけが並んでいる紙に悪態をついて、くしゃくしゃに丸める。
が、平家は何か思い出したようにハッと動きを止めると、もう一度
紙を伸ばして引っかかった箇所を読み返した。

「後輩と大事な物を預かった…て、大事な物ってまさか!」

189 名前:10 投稿日:2003年08月26日(火)01時09分03秒

嫌な予感がして後部座席を覗く。平家お気に入りのお守りが消えて
いるのに気付くと、平家は急いで車に乗り込んだ。

まだ遠くへは行ってないはずや、あのバカども。
こっちは鬼ごっこなんかしとる暇はないわ!

冷房がかすかに残っている車内、二人が立ち寄りそうな店をいくつか
ピックアップして、平家は近い所から順に尋ねることにする。しかし、
エンジンをかけようとした平家の右手は鍵に触れることなく宙を泳いだ。

「あれ?キーがささっておらん…え?つけたまま出ていったよなぁ…
………あー!あいつらぁ、あのクソガキども!まじでぶっ殺す!どこに
フケやがった!くそがぁ、こうなったらぜってぇーケジメとらすからなぁ!」

警官とは思えない言葉遣いでハンドルをガシガシと叩く。
そんな中、揺れるパトカーにタイミング悪く入ってきた無線に
平家は乱れた呼吸のまま、怒りをぶちまけるように叫んだ。

「何やこらぁ!事故やと?知るかそんなもん!こっちは忙しいねん!
うちの大事な大事なピーボくんがなぁー、誘拐されたんやー!」


――――――――
190 名前:10 投稿日:2003年08月26日(火)01時11分22秒

「プリクラでも撮ろっか?」
「いいね、本物の警官と一緒なんて滅多にないからね」

平家が昔の感を取り戻している頃、吉澤達は近くのゲームセンターで
遊んでいた。婦警をつれて歩く横で、少年相手に補導をちらつかせて
景品やコインをまきあげたり、駐車禁止のシールをべたべたとゲーム
機にはりつけ店員を困らせたり、こっちはこっちで大忙しだった。

美海が解放されたのは、バッティングセンターで吉澤がホームランを
打ち当てた早朝5時近く。もう一人の人質、その後ろでキャッチャーを
つとめていた大きなピーボ君人形は一緒に返されることなく、吉澤に
しょわれて帰っていった。

翌日、美海は平家の機嫌の悪さに恐々とするはめになる。
吉澤達から預かっていたスリーショット(ピーボ君つき)
のプリクラを平家に手渡すことはできなかった。


――――――――

191 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月26日(火)01時13分50秒

更新しました。みうなで大正解です。

>>182
よーし!(w
このスレで終わるなんてことはないので、まだまだ安心して楽しんで下さい。

>>183
一代で中澤組を築いた姐さんの意思は、安倍たちが受け継いでますから…。・゜・(ノД`)・゜・。
192 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月26日(火)23時58分29秒
吉澤VS平家が楽しみだなぁ
シリアスとジョークな部分のバランスがとてもグー
いつか本物の瞳をしたよっすぃーは見れるのか!?
毎回ワクワクさせてもらってるっす
193 名前:11 投稿日:2003年09月01日(月)23時07分44秒


夕暮れの空が敷石をオレンジに染め上げる。
夏とは思えないほど爽やかな風が、開け放たれた中庭から
するりと入ってきて長い髪を揺らした。部屋の中央で正座し、
静かに墨をすっていた飯田は手を止めて息を深く吸いこむ。
やわらかな墨の香りで心を落ち着かせてから、飯田はようやく筆を取ると
ゆったりとした動きで硯に筆をおろし、墨を含ませ半紙に向かった。

赤い光が差し込む畳の上、
着物姿で背筋を伸ばし座っている様はビシッと決まっていた。

「うーん…」

真っ白な半紙の上で動きを止めること数分、いっこうに筆が下りる気配はない。
飯田は小さく息を吐くと、筆を横に置いて手入れの行き届いた中庭を見渡した。

194 名前:11 投稿日:2003年09月01日(月)23時11分19秒

どこからか迷いこんできた小鳥が、緑の芝の上を跳ねるように歩いている。
陽を吸い込んで真上へ伸びる枝、広がる深緑の葉、
自然の湧き水がちょろちょろと流れ込む瓶、
そこから溢れ出した水が砂利にしたたり落ち、涼しげな音をたてる。
造形化した大きな石もバランスよく配置されていて
屋敷に囲まれた中庭に、独特の落ち着きを醸しだしていた。

そんな情景に場違いなものが一つ、飯田は自然界に存在しえない
ショッキングな色と質感を見つけると「もう」と頬を膨らませ立ち上がる。
瓶の近くに、像の形をしたピンク色のプラスチックのじょうろが転がっていた。

「ったく、何回言ってものんちゃんはお片付けしないんだから」

よくよく見ると葉っぱで作った舟らしきものも辺りに散らばっている。
飯田が片付けようと腰を上げると、芝をついばんでいた小鳥が慌ただしく逃げていった。
紫に色を変えた空、その向こうに消えていく後ろ姿を寂しそうに見送る。
小さくなっていく影が消えてからも、飯田は大きな目で空を見すかすように眺めた。

195 名前:11 投稿日:2003年09月01日(月)23時14分18秒

「裕ちゃんは、いつがいい?」

空に向かって語りかける。じょうろの事はとっくに忘れていた。

今年は中澤裕子の三回忌にあたる。
飯田にとって中澤は親分であると同時に、この世界で
右も左もわからない頃から共に闘ってきた、友人でもあった。
中澤組を捨てた人間だ、関係がない、と言われればそれまでだが
飯田は毎年、中澤の墓参りを欠かす事はなかった。

しかし墓は一つしかなく、命日は二代目中澤組の人間が
出入りするため、飯田達が揃って顔を見せにいくわけにもいかない。
吉澤はいつでも変わらないと言うが、飯田はそういうのを変に
気にする性格で、墓参りの日を適当に決めるなんてできなかった。

お告げで決めるっていうのはどうですか―

ぐだぐだと悩む飯田にしびれを切らして、吉澤が冗談混じりに言った言葉。
それで全てが解決した。
それ以来、4月がせまる春頃、雲一つなく晴れ渡った日の夕暮れ時には、
屋敷の奥にある飯田の部屋から硯の音が聞こえてくるようになった。

196 名前:11 投稿日:2003年09月01日(月)23時16分37秒

「うーん、何で今年はお告げが来ないんだろう?」

今年は命日もとっくに過ぎ、夏さえも終わろうとしているのに
まだ墓参りに行っていなかった。
飯田の言うお告げがなかなか舞い降りてこないのだ。

「今日なんて全然集中できないなし…ん?」

顎に手をあて考え込んでいた飯田はハッと顔を上げ、中庭の向こうを見つめる。
閉じられた障子の摺り硝子越しに光る、磨き込まれた木の廊下。
居間に通じるその長廊下の奥から微かに聞こえてくる音を耳にした瞬間、
飯田の眉間に寄っていたしわが消えた。

「おかえり…」

飯田は少しゆるんだ着物を結び直すと
喜びを隠しきれない足取りで、光りのこぼれる部屋へと急いだ。


――――――――

197 名前:11 投稿日:2003年09月01日(月)23時17分43秒

「汚い足で歩くなー!」

スーパーの袋を両手に下げ、仕事から帰ってきたソニンはどかどかと
床を踏み鳴らして居間に入ってくると、開口一番そう叫んだ。

「足洗わないと追い出すからね!」

今日は忙しかったのだろう、疲れて帰ってきたソニンは小言を口に
するのもダルいようで、それだけ伝えると台所へと消えていった。

サンダルが脱ぎ捨てられていた玄関から居間へと続く黒い足跡。
それを残していった犯人は、久しぶりに聞くソニンの怒鳴り声に
身を屈め、苛立った足音が遠のいてからゆっくり顔を上げた。

198 名前:11 投稿日:2003年09月01日(月)23時19分44秒

「だから言ったのに。怒られてやんのー」

マニキュアをのせたばかりの爪に息を吹きかけながら、斉藤が大谷を肘でつつく。
赤い爪に窮屈そうな服、引き締まったウエストを惜し気もなく出している
斉藤の格好に、なんだか見てはいけないような気がして吉澤は目をそらした。
つっこむべきなのか、どうなのか…。
金色の髪に真っ赤な唇、田舎のスナックにでも足を運ばなければ出会えなそうだ。

大谷も同じ事を思ったのか、足を洗ってこようと吉澤に声をかけた。
斉藤は自分から逃げていることには気付かず、足を上げてハイハイして
出ていく二人の後ろ姿に大爆笑している。

「あれー、よっすぃーとマサオは?帰って来たよね?」

二人と入れ違いになった飯田はキョロキョロと室内を見回している。
まだ笑っている斉藤の横で、レンズを丁寧に磨いていた村田が飯田に反応した。
綺麗になった眼鏡を耳にかけて、きびきびとした動きで薄暗い庭先を指差す。

「今ソニンちゃんに怒られて、足洗いにいってますよ」
「足?」
「ええ、これです」

199 名前:11 投稿日:2003年09月01日(月)23時21分50秒

そう言って眼鏡のフレームに手をあて、畳にベタベタとついた汚れに目を落とす。
俯いた飯田は、真っ黒い足跡を見つけて口では文句を言っているものの、
顔にかかる髪の毛の隙間から伺える彼女の口元は微笑んでいた。

「村ちゃん、二人にタオル持っていってあげて」
「はい。あとゲタも必要ですね」
「そっか…まったく、どうやってここまで帰ってくるつもりだったんだろう」

吉澤達が向かった水場は古い井戸を利用したもので、屋敷の外、
庭の端に位置する。庭の水まきなどによく使われるその井戸の周りは
常にぬかっているため、屋敷から置き石が続いているとはいっても、
濡れた足を汚さずに帰ってくるのは無理があった。

よろしくね、と立ち上がる村田に声をかけた後、
飯田は座布団を抱えて入ってきた新垣を満面の笑みで出迎える。

「あのね、よっすぃー達が畳み汚しちゃったの…これかおりが並べとくから
新垣は雑巾しぼってきて。ほら、ソニンが戻ってくる前にね。急いで」

眉をひそめた新垣のいやな予感は適中した。


――――――――

200 名前:11 投稿日:2003年09月01日(月)23時25分35秒

すっかり日の落ちた庭の草むらから、ルルルル…と美しい虫の鳴き声が聞こえる。
香ばしい匂いにつられるように帰ってきた辻と小川は
庭に面した縁側に腰掛けて、何やらがさごそと袋を開けていた。

ご飯前なのに、お菓子でも買ってきちゃったのかな?

座卓を拭き終わったれいなが並んだ二人の背中を見ていると
その視線に気がついたのか、辻が振り返りれいなを手招きする。
機嫌の悪いソニン相手に台所で一人奮闘している新垣の事が一瞬
頭をかすめたが、れいなは開けっ放しの縁側に近づくことにした。

「何ですか?」
「いいから、ここに座って座って」
「あっ、はい」

蚊取り線香をのみこんだブタの焼き物から、白い線がゆらゆらと立ち上っている。
粉っぽい香りを間近で吸い込んでしまったれいなは咳き込みながらも
豚の口をのぞき込んで、当分の間持ちそうなのを確認する。
それをどかしてから、れいなは促されるまま辻の隣に腰掛けた。

201 名前:11 投稿日:2003年09月01日(月)23時27分31秒

「これ、れいなちゃんの分ね」

そう言って膝の上に載せられた物に、れいなは「え?」と声をもらす。
透明のビニールの中には、柄も色も派手な赤いシャツが入っていた。
ぱっと横を向くと、色違いのシャツを辻が広げている。
その向こうでは、もうすでに小川がそれをTシャツの上から羽織っていた。

「何ですか、これ?」
「ん?これアロハシャツだよ。ハワイのね」
「いや、そうじゃなくてですね…」

じっとれいなの目を不思議そうに見ていた辻は
あー、と頷いてから嬉しそうに笑った。

「よっすぃーのおみやげ。みんなに配ってるから遠慮しないでもらっちゃいな」
「…え、ハワイ?」

カッとして吉澤の胸ぐらをつかんだ日、れいなのヤクザ初仕事でも
あったあの日以来、れいなは吉澤達とは顔を合わせていなかった。
それは皆も同じで、二人が帰ってきた屋敷はさきほどから笑い声が途切れない。
そんな中、れいなは一人浮かない顔をしていた。

202 名前:11 投稿日:2003年09月01日(月)23時28分55秒

もう一月も前のことだが、あの時のなんとも言えない悔しさは
まだ腹の底に残っている。若頭にとる態度ではなかったかも
しれないが、その事を吉澤に謝ろうなんて気はさらさらない。
むしろ文句を言ってやりたいことが増えていた。

それなのにハワイに行ってたなんて。

あれから、れいなはがむしゃらに働いた。
この組ではまともな村田と斉藤の後ろを追っかけ、
仕事のやり方を覚えると後は一人で動いた。
とにかく早く一人前になりたかった。
上納金のかき集めからケツ持ちしている店のいざこざ処理、
新人とは思えない立ち振る舞いで次々と片付けていった。
この一ヶ月、飯田組で一番働いていたのは新垣とれいなだったのは間違いない。
顔つきがすっかり変わった、と皆にもよく言われるようになっていた。

人が働いてるっていうのに…

すっかり頭に血が上っているれいなだが、もちろん吉澤達はハワイなんかには
行っていない。威勢よくふるまっているアロハシャツも、手ぶらで帰るのに
気が引けたのか、知り合いの古着屋から強引に奪ってきたものばかりで、
服についたタグは思いっきり円表示であった。

203 名前:11 投稿日:2003年09月01日(月)23時33分51秒

「れいなちゃんもコレ欲しいの?いっぱいあるから好きなのとっていいよ」

複雑な表情でシャツを凝視していたれいなを気づかって、辻が声をかける。
年上なのに可愛らしく感じてしまう辻の無邪気な笑顔に、
怒りが沸々と湧きたっていたれいなの心も、スーっと落ち着きを取り戻す。

「何ですかこれ?」

はい、と差し出されたダンボールにはUFOキャッチャー
から拾われてきたぬいぐるみにキャラクターグッズなど、
子供が喜びそうな物が無造作に押し込まれていた。

「これもよっすぃーがくれたんだよ。
きのう新宿で鬼ごっこして勝ちとった賞品なんだって」
「新宿鬼ごっこ?」
「うん、れいなちゃんはどれが欲しかったの?のんはねぇ、これが―」

辻の勘違いに気付いたれいなは、いらないです、と迅速かつ丁寧な断わりを入れる。
その箱の中には腕章や駐車禁止のロックやステッカーなど、
あきらかに警察官が日常で使用していると思われる物が転がっていた。
昨晩、吉澤達がしたという鬼ごっこについて、れいなは深く考えるのをやめた。

204 名前:11 投稿日:2003年09月01日(月)23時34分53秒

あんな人が若頭なんて…私はぜったい認めない。

恨みがましい目つきで振り返る。居間ではしゃいでいる吉澤は、
見た目で言えば少し痩せたかもしれないが、中身は何も変わっていなかった。
今も濡れた髪をそのままに、わけのわからない言葉を発している。
ほんとに何も変わっていない。
それどころか、もっとおかしくなっている可能性の方が高かった。

そんな吉澤を嬉しそうに見つめている飯田達にも
れいなは釈然としない気持ちを抱えていた。
問題児とはいえ失踪していた二人のせいで新垣とれいなは寝る暇もない
ほど動いていたのだ。みんなに迷惑をかけ、心配させていた張本人が
こんなに暖かく迎えられていること自体、れいなは納得していなかった。

その想いを知ってか知らずか、吉澤はれいなが見ている前でさらに失態を重ねる。

205 名前:11 投稿日:2003年09月01日(月)23時37分48秒

パシンッ!

乾いた音が空気を揺らす。
ソニンの腕が勢いよく降り下ろされた先、頬を押さえている吉澤に
れいなは呆れた視線を投げかけることしかできなかった。

「何やらかしたの?」

居間に背を向けていた辻が騒ぎを聞きつけて尋ねてくる。
興味津々といった顔をしているが、今、目にしたことを
口にするのも恥ずかしくて、れいなは曖昧に首を傾げた。

「若がソニンさんのお尻を触って殴られたんですよ。
いやー、すごい痛そうだなぁ」

代わりに答えてくれた小川は自分が殴られたわけでもないのに、
頬をさすって苦い表情を作っている。バカだなー、とケラケラと
声を上げて笑う辻の隣で、れいなは無表情にただ眺めていた。

「今日よっすぃーはおかず抜きだからね!」
「えぇー!ひどーい!ひさぶりに帰ってきたのにぃー」

餃子食いたい、と叫ぶ吉澤を無視してソニンが怒りをあらわに出ていく。
れいなは向こうでせっせと手伝っている新垣にとばっちりが飛ばないことを願った。
と同時に、もう少し時間がたってから戻ることにしよう、とも決めていた。

206 名前:11 投稿日:2003年09月01日(月)23時39分12秒

「いひひひひ、よっすぃーバカすぎる…まんまと罠にひっかかるなんて」
「ワナって何ですか?あー!そういえば、さっき何か耳打ちしてましたよね。
辻のアニキが若をそそのかしたんですかー?」

この事件の首謀者は隣にいたようだ。
笑いの止まらない辻と小川の会話に、
れいなは無関心を装いながらも聞き耳をたてる。

「そうなのそうなの。でもこんなに効果抜群だとは…ひひひひ」
「何て言ったんですか?」
「ひははは…のんは事実を言っただけなんだけど、はぁーおかしくて腹いたい」
「ジジツですか?」
「うん。ソニンちゃんが会社の社長にセクハラされてるんだけど、
お尻触られても言い返せなくて黙っているらしいよ、って」
「えぇー!せくはら!?」
「そうなのよ、びっくりだよね」
「うっそだぁー!ソニンさんあんなに恐いのに」

207 名前:11 投稿日:2003年09月01日(月)23時40分53秒

信じられない、と目をまん丸くする小川は、さっきから
れいなが心の中で思っていることをすらすらと代弁してくれている。
どんな事でもはっきりと口にするソニンが、今どきセクハラされているなんて
ましてや文句も言わないなんて、信じられない、の一言につきる。
今だって、吉澤の顔にはすぐに平手が飛んできていたのに。

「ほんとなんだよ。近くで働いている近所のおっちゃんから聞いたんだから。
社長さんだから我慢してるんだって、クビになったらさー困るでしょ?
ユウキくんもいるんだし」
「ソニンさんも、バックにうちらがついてるって言えばいいのに」
「それ、のんも思ったんだけど余計ダメなんだってかおりんが言ってた。
ヤクザと一緒に暮らしてるってことがバレたら大変みたい」
「はぁー、ほんとびっくりだこりゃ…だからいつも仕事の後は機嫌が悪いんですねー」
「ストレスいっぱい溜まってそうだから、よっすぃーで解消してあげようと
思ったわけよ。でもまんまと引っかかるなんて…ひはははよっすぃーのアフォー!」

208 名前:11 投稿日:2003年09月01日(月)23時42分37秒

真っ赤な手形をつけた顔で、吉澤は相変わらず
おかしな動きをしている。そんな姿を見ていると、
れいなは何故か自分が馬鹿にされているような気分になった。

自分が知っていた吉澤はこんなんじゃない。
引きつった笑い声を上げる辻の横で、
れいなは場の雰囲気も考えずにぼそっと呟いてた。

「ほんと、吉澤さんてどうしょもないですね―」

それだけ言うと、一旦言葉を切った。
出てきた声は、自分のものとは思えないほど乾いていた。

「――昔はもっと強くて恐くて…狂犬と呼ばれてたのに」

それなのに、今では飯田にワンワン言って甘えている。
情けない顔でじゃれ合っている光景を笑って見ていられるほど、
れいなは大人ではなかった。

209 名前:11 投稿日:2003年09月01日(月)23時44分09秒

庭先に向き直り暗闇に顔を隠す。
こうして、虫の音を聞きながら外の風を感じていると、
すぐ後ろで上がる喧騒も別世界のものに聞こえた。

「れいなちゃん、よっすぃーは強くなんかないんだよ―」

足下の土に落ちる三人のシルエット、真ん中の影が小さく揺れる。
静寂をきって辻が喋り出した。

「――よっすぃーは一番繊細で、一番…傷ついているんだ」

縁側の下、力つきてひっくり返ったセミに蟻が列を作っている。
昼間からあったその死骸を見つめながら、辻は聞いたこともない声でそう呟いた。
れいながごくりと唾をのみこむ、
他の虫を黙らせる音色でリーリーリーとマツムシが騒ぎ始めた。


――――――――


210 名前:名無しさん 投稿日:2003年09月01日(月)23時52分14秒
更新しました。
次回、ついに吉澤の過去があきらかに!?

>>192
えーっと、平家さんの今後の出演予定は…モゴモゴ。
吉澤が本物の瞳を取り戻すと、ギャグがなくなり酷く痛い話になる恐れが…
なんてったって狂犬ですから。(w
211 名前:名無しさん 投稿日:2003年09月07日(日)23時46分55秒
おっ、そろそろ吉澤の過去がわかるんですね
狂犬おおいに結構!ギラギラした吉澤も見たいです
田中がどんな反応をするのか、楽しみです
212 名前:11 投稿日:2003/09/09(火) 22:15


「かおりん…飯田さんと安倍さんは仲良しだったんだよ」
「えっ?」

どこから話そうかと思案していた辻は、ちょっと長くなるけど、と断ってから喋り出した。
黙って話を聞こうとしていたのが、れいなはのっけから反応してしまう。
そんなれいなを見て辻はふっと微笑んだ。
その笑みは、れいなの受け答えが辻の予想範囲内であったことを滲ませていた。

「やっぱ、れいなちゃんも仲悪いって思ってたんだー」
「だ、だって、この前も安倍は飯田組長の悪口言ってましたし…
それに、それが原因でぬけたっていうのは有名な話じゃないですか―」

一年前、突然中澤組が二分した時には色々な噂が飛び交った。
着実に勢力を伸ばしていた中澤組にとってそれは何のメリットもないことで、
大方の見解では安倍と飯田の不仲が原因ということだった。れいなの耳に届いたのも
中澤亡き後、跡目をついだ安倍に飯田が不満を持っていたという内容だった。

213 名前:11 投稿日:2003/09/09(火) 22:17

そういえば、飯田に初めて会った時に違和感を覚えたのも、
その噂が頭の片隅に残っていたからかもしれない。
もっとギラついた目を向けられると思っていたところに現れた
飯田の穏やかな眼差しが、れいなを拍子抜けさせたのも事実だ。
ここに部屋住まいして半年になる。
飯田にそういう類いの野心が似合わないのは、れいなにもよくわかっていた。

「巷では、そういうことにしといた方が都合よかったからね」
「それじゃ何で…」
「れいなちゃん、松浦亜弥って知ってるよね?」
「はぁー松浦会のアタマですよね、兵庫の」

れいなの疑問を残したまま辻が話を変える。
れいなは戸惑いながらも答えた。

松浦会会長、松浦亜弥。
彼女の名を知らないヤクザなんていないだろう。
ここ1、2年で急激に力をつけてきている人物、若くして自分の組を持ち、
ここまで大きく成長させた功績は、極道の世界では恐れられるのと同時に、
若いやつらの憧れともなっていた。

214 名前:11 投稿日:2003/09/09(火) 22:21

「んーでは、その松浦会が私達と入れ違いで中澤組に入ったのも知ってるよね?」
「はい…それが何か?」

飯田達がぬけた後、兵庫を中心に地盤を固めていた松浦会が
中澤組の傘下に入ったことで、二代目中澤組は力を落とすことなく
それどころか更にパワーアップしていったのだ。

「本当は逆なの」
押し黙って答えを待っていると、しばらくしてから辻が口を開いた。
「ぎゃく?」
「私達がぬけたから松浦会が入ってきたんじゃなくてね、
松浦会が入ってくるから私達がぬけたんだよ」
「え!?」

口を開けたまま、れいなは辻をじっと見つめ返す。
辻は曖昧に笑ってその視線を外し、手にしたぬいぐるみに目を落とした。
その横顔に陰りがさす。
初めて見る辻の表情に、れいなの胸はざわついた。

215 名前:11 投稿日:2003/09/09(火) 22:24

「飯田さんは安倍さんが嫌だったんじゃなくて、松浦が中澤組に
入ってくるのを嫌がってたんだよ。松浦会との復縁話に反発したんだ」

首を傾げているれいなに、辻が低い声で言った。
松浦を嫌がっていた――
同じ中澤組の安倍とは違い、松浦と呼び捨てにしていることから
飯田だけでなく、辻も腹に一物抱えているのがうかがえる。
そんな辻の反応を見て、れいなの疑問はさらに膨らんだ。
松浦は性格もよく、子分にも慕われていると耳にしている。

「そうだったんですか。でも松浦会って凄い人気ありますよね?
私のとこ九州なんで、先輩達はみんな松浦会めざして関西に出てましたから…
松浦亜弥の評判もいいのに、何で飯田組長は嫌がったんですか?シマ広げるには
おいしい話じゃないですか、復縁するののどこが嫌なん…あれ?復縁って!?」

そう一気に言ってから、れいなはおかしなことに気付いた。
フクエン――
その言葉の意味を理解した時、辻が追い討ちをかけるように呟いた。

「これまた巷では縁故として伝わってるんだけど、ほんとの所は復縁なんだよね」

216 名前:11 投稿日:2003/09/09(火) 22:26

言葉も出ない。さっきかられいなは驚きっぱなしである。
目を見開いているれいなを辻が余裕の表情で受け止めているのを
見ると、まだまだこの話には爆弾が隠されていそうだ。

通常、他の組と手を組んで盃を交わすことを縁故という。
復縁という言葉を使うのは、一度切った縁を再び戻すということで
過去に盃を交わしたことがある関係だけに使われるものだった。

つまり、考えられるのは松浦が昔中澤組に在籍していたということだが
そんな話は誰からも聞いたことはない。
松浦亜弥という人物は一世一代、一人の力で今の地盤を築き上げた
一種のカリスマ性すら持っているヤクザだったはずだ。

「それじゃ、松浦がこの世界に入ったのはいつ頃でしょう?」

頭の中で答えを捜しているれいなに、辻が次々と質問を投げかける。

217 名前:11 投稿日:2003/09/09(火) 22:29

「えっと松浦会ができたのは…あのガキどもとやりあってた頃だから…」
ぶつぶつと呟きながら記憶をたどる。少し考えてかられいなは答えた。
「わかりました!2001年の夏あたりですよね」
「ブッブー!」

楽しそうに首を振る辻、間違えることを初めから期待していたようだ。
しかし、普段やってるなぞなぞとは違って、発想を転換させる必要のない答え。
空きのある脳にも、その頃の思い出と共にきっちり記憶されている。
あれは2年前だ。間違いなわけがない。
怪訝そうな顔をしているれいなに構わず、辻はのんびりとした口調で続けた。

「残念!正解は3年前の2000年でしたー。松浦会は2001年であってるよ。
でもその前に、知っている人は少ないけど、のん達の後に入ってきて…」
「え!中澤組に?」
「うん。松浦のヤクザ第一歩は松浦会でなくて中澤組からなの。
だから復縁扱い、そこがからくりのみそでもあるんだなぁ」
「みそ?」
「うん、みそみそ。でもすぐ次の年には中澤組から除籍したんだけどね」
「はぁ!?」

もう、れいなの頭の中はぐしゃぐしゃだった。
そもそも辻にこういう話を聞くこと自体、間違っていたのかもしれない。
疑問だけを残してまったく前に進まないし、それに吉澤の話をしていたのに
よしざわのよの字も出てきていない。

218 名前:11 投稿日:2003/09/09(火) 22:32

小川の方は口をぽかんと開け、家の明かりに近づいてくる虫を
目で追っているだけで、助け舟を出してくれる気配もない。
辻本人も、飽きてきたのか外に出した足をぶらぶらとさせ、
賑やかな居間の様子を気にしだしていた。

このままではまずい。
辻をどうにかしてここに引き止めて話を全部聞き出さなくては、とれいなが
思案していると、パタパタと近づいてきた足音がれいなの真後ろで止まった。

「れいな、こんなとこでさぼってないで手伝ってよー」
「あー!ガキさんいいとこに来たー!」

そこには、エプロンをつけて汗だくになっている新垣が立っていた。
辻に腕を取られ、無理矢理れいなの横にもつれるように座らされる。
新垣は居間とは正反対の静けさに困惑しながらも、三人を見渡した。

「あのー何してるんですか?」
「あのね、飯田組ができた時の話をしてたの」
「え?」
「のん上手く言えないから、松浦会と中澤組の関係とか
ガキさんがれいなちゃんに説明してあげてよ」
「は!?突然なに言い出すんですか…」

219 名前:11 投稿日:2003/09/09(火) 22:33

「お願いします。教えて下さい!」

あっけらかんという辻に代わって、れいなが深々と頭を下げる。
人一倍気の強いれいなのその態度に新垣は慌てた。
こんな場面を吉澤にでも見られたら、いじめてるだの
えばってるだの言われ、後々、冷やかされるのは目に見えている。
腰につけたエプロンでそわそわと手を拭きながら、新垣は声をどもらせた。

「わ、わわわかったから頭上げてよー」
「え!ほんとですか?教えてくれますか?」
「…う、うん。れいなちゃんも飯田組の一員なんだから知っておく必要があるもんね。
本当はその時私はいなかったから、辻さんの方が詳しいと思うんだけど…」
「ううん、新垣さんがいいです!」

れいなはそうきっぱり言うと新垣の腕をつかみ、迷っている新垣の言葉を止めた。
力強い言葉と、逃がさないと言わんばかりにつかまれた腕。
新垣はあきらめたような笑みを浮かべ、静かに口を開いた。

「れいなちゃんは、どこまで聞いたの?」
「どこって、飯田さんと安倍は仲良しで…松浦が昔中澤組にいたようなことと…後は」

わけわかんなんくてこんがらがっている、なんて辻の横で言えるわけがない。
口ごもるれいなを見て察したのか、わかったまずは松浦のことからね、と
新垣は三人と同じように足を軒下に投げ出して座り直した。

220 名前:11 投稿日:2003/09/09(火) 22:36

「松浦亜弥が中澤組に在籍していたのは一年にも満たないんだけど。三年前に中澤組の
ある幹部の舎弟として収まってから、その幹部もろもろ除籍させられる翌年まで―」

そう言ってから数秒黙り込む。
話すのにも相当の覚悟がいるようで、新垣は軽く息を吐いた。
それに反応するように、れいなの咽がごくりと音をたてる。

「――その年、松浦がぬけた年はね。中澤組にとっても忘れられない一年だったんだ…」

少し間をおいてから新垣はぼそっと呟いた。
注意していなければ聞き逃してしまうほど小さな声だった。

3年前、忘れられない年、2000年、4月…

連鎖して浮かび上がる言葉、
勉強とは縁のないれいなでも覚えている過去の年号。
頭の中で線が一本繋がったような気がした。

「それって、先代の中澤組長が殺された年…ですよね?」

れいなの声に新垣はゆっくり頷く。
四つに増えた影を見つめて聞く話は、
れいなに相づちをうつことも忘れさせるものだった。

221 名前:11 投稿日:2003/09/09(火) 22:41

三年前、松浦亜弥がすぐに組員として名を刻めることができたのは
中澤組のある幹部に養子として引き取られたからであった。
それ以前の松浦は施設で普通に暮らしていた、
そういう意味では普通の、堅気の人間だった。

中澤組で盃をもらうには、一年ほど部屋住みをして雑用をやらなければならない。
それは生半可なものではなく、その期間に礼儀作法もみっちり教え込まれる。
自由も休みもない生活。
根性のないやつはすぐに逃げ出してしまうもので、実際、一年後に中澤組の
正規の組員として街を歩けるのは、その中でもほんの一握りだった。

中身のある、キモの座ったやつしかとらん。

それが組長中澤のやり方で、組員をなかなか増やせないとしても
それだけは一歩も譲らなかった。その代わり組の結束は固く
信頼関係は揺るぎないものになっていた。

そういう中で、松浦が盃をもらえたのは異例なことだった。
ヤクザの英才教育でもするつもりだったのかもしれないその義父―
――幹部の男をそれだけ中澤が信頼していたということだ。

222 名前:11 投稿日:2003/09/09(火) 22:43

当然中澤組にいた時の名字は松浦ではなく、親である幹部のもので、仮に今
その名前が残っていたとしても、それを現在の松浦亜弥と結びつける人はいないだろう。
それに、その幹部の舎弟として盃をもらったとはいっても
将来を見据えた先行投資みたいなもので、実際は名前だけのことだった。

まだ子供だったこともあるし、めまぐるしく変わる生活の中で、
ヤクザの世界を突然、無防備な少女に見せるわけにもいかない。
当時の松浦は物静かな子で、たまに幹部が連れてきたおりには
飯田達も自分の妹のように可愛がって遊んでいたらしい。
あややというあだ名をつけたのも飯田だという。
松浦と面識のあったのは幹部数人だけで、彼らにとって
彼女は組員というよりも可愛い娘、妹といった存在だった。

しかし、それも長くは続かない。

中澤組組長、中澤裕子射殺事件――2001年春のこと。

その時から歯車は狂いだした。

223 名前:11 投稿日:2003/09/09(火) 22:46

松浦の父でもあるその幹部の男は、
中澤が命を落とした事件の唯一の生存者でもあった。

中澤が取り引きに使うマンションはバラバラで、毎回場所を変えていた。
その情報を知っているのは幹部の中でも数人、
その日迎えにいった矢口も、電話口で初めて聞いた住所だった。
そんな場所に対立していた組の奴らが待ち伏せをしていれば、
皆が命を落とした中、無傷で立っていた男が疑われるのは自然の流れだった。

ただはっきりとした証拠が出てこなかったため、
絶縁でも破門でもなく、除籍という形でケリをつけることしかできなかった。
もちろん事情を細かく知っている幹部達が、それだけで納得するわけがない。
ヒットマンをよこした組をすぐに潰し、組の面子を保ったとはいっても、
跡目を継いだ安倍の初仕事は大変なものだった。

最後まで無実を訴えていた男は、自分の指を置いて事務所を去っていった。
舎弟である松浦の名前も、この時に中澤組から消されている。

だが、指詰めだけでは怒りは消えない。

その男に制裁が与えられたのは、暴力団各組織に除籍通知が送られた翌日。
めった刺しにされた状態で発見された男の葬儀はあげられることなく、
それ以降、松浦の姿を街中で見かけることもなかった。

224 名前:11 投稿日:2003/09/09(火) 22:48

「――いくら関係ないっていっても一応義父になるわけでしょ?
松浦のことは飯田さん達も可愛がってたし、鬼じゃないから放っておくつもり
だったらしいの。それなのにてっきりどこかで息を潜めているのかと思ったら、
ぽんって松浦会作っちゃって…周りに残ってた奴らが松浦をそそのかしたみたい」

中澤裕子の死の真相、松浦との因縁。
話の内容はものものしいものだったが、新垣の口調は淡々としていた。
松浦会の名が出たところで、それまで神妙な面持ちで話を聞いていた
れいなが口をはさんだ。

「えっ、ちょっと待って下さい。そんな簡単にできるもんなんですか?
組に破門同然で追い出されたら終わりですよね、普通は」

れいなの言う通りだ。
除籍とはいえ、親である組織から絶縁に近い形で切り捨てられた場合
後は自分達の組を解散してケジメをつけるのが決まりで、
暴力団社会から足を洗う以外に道はない。
組を新たに構えるなんて非常識もいいところだった。

「そうなんだけど、世間的に絶縁ってわけでもなかったし、孤立させるにも
理由がね…松浦と中澤組は何の関係もないって事になってたから。それに
松浦会って名前は聞いてても、あの時松浦姓じゃなかったから顔見るまで
気付かなくて」

225 名前:11 投稿日:2003/09/09(火) 22:50

中澤組がヤクザ社会にその情報を流していれば、
自分達が直接手を下さなくとも松浦会はすぐにでも潰れていただろう。

ヤクザの世界はそういうことには厳しい。
粗暴な者も多く、犯罪に手を染めている集団ではあるが、
礼儀に関しては一般の会社よりも徹底している。
仁侠の精神に反することは許されないのだ。

しかし、事はそう上手くいかなかった。松浦の義父の裏切り行為
それは裏を返せば、大切な組長を身内にやられたという組の恥でもある。

この世界看板が全てだ。
中澤の死を汚すわけにはいかない――
誇りである中澤組の看板を、軽く見られるような事態は避けなくてはならない。
非難の声が上がる中での安倍の決断は、組を持続していく上では正しいものだった。
食うか食われるかの世界に、それをさらけ出すというデメリットを
若い小娘を一人消すために負うわけにはいかなかったのだ。

226 名前:11 投稿日:2003/09/09(火) 22:51

「でも他にも何とでも理由つけて、潰せたんじゃないんですか?」
「うん、そういう意見も出てたの。私とまこっちゃんが二代目中澤組に入ったのは
ちょうどその時期でみんな凄いイライラしてたなぁ。辻さんとかも全然恐かったし」
「え!そんなことないよー」

いきなり出てきた自分の名前に、辻は目をパチクリとさせる。
小川がその横で大きく頷いているのを見ると、それは本当なんだろう。
変わったのは、吉澤だけじゃないのかもしれない。
辻達の横顔を見ながら、れいなは疎外感のようなものも少し感じていた。

「いやーほんとに、辻さんすっげー恐かったですよー」
「そんなことないって」
「そんなことありますってー」
「ないって」
「ありますってぇー」

辻と小川のおばさん臭いやりとりで、深刻な雰囲気ががらりと変わる。
お互いの肩を楽しそうにつっつき合う二人に話をふったことを
新垣が後悔しているのがわかった。

227 名前:11 投稿日:2003/09/09(火) 22:55

「それで何だっけ…そうだそうだ。松浦会って今でこそあんな風になってるけど、
当時は人も少なくて、はっきりいって放っておけば潰れてたくらいの小さな組だったの、
相手にする必要もないってくらい。松浦なんて中澤組にいたけど実際は遊びに来てた程度
でしよ?ヤクザのヤの字も知らないような子に、会長やらせてる時点で終わってんのよ。
一緒に除籍させられた義父の舎弟どもが、周りを固めてたらしいけど―」

新垣が気を取り直して話し始める。
れいなも横の二人のことは忘れて、新垣の方に体ごと意識を向けた。

「力は目に見えてるし。まー、それでも一応中澤組は影から圧力かけてたんだけどね」
「なのに何で松浦会は潰れな…」
「指定だよ、サツが手貸したんだ」

れいなの言葉をさえぎって、辻が吐き捨てるように言った。
聞いたこともない辻の怒気のこもった声色に、れいなは振り返るのをためらう。
サツが手を貸した?シテイ?

「松浦会が公安の指定受けちゃったわけよ。
他にもあそこらへんのシマ持ってる暴力団はいっぱいあったから、
いつかどっかと揉めて解散するのも時間の問題だったのにさ」
「あーその指定ですか…」

それ以上何も言わなくなった辻の代わりに、新垣が丁寧に補足してくれた。

228 名前:11 投稿日:2003/09/09(火) 22:57

公安委員会に指定暴力団として登録されると、暴対法やら何やらで身動きが
取り難くなる。ヤクザの重要な収入源であるシノギを、暴力的要求行為だとか
言って罰則をちらつかせながら、お役所が堂々と文句を言ってくることもあるのだ。

例外なく、中澤組も飯田組もそのありがたくない指定を受けている。
ヤクザにしてみれば邪魔臭いものでしかない法律。しかしその使い方を
間違えると、それは一転してありがたいものとなることがあった。

「しかもね、兵庫県警の奴らの御丁寧な、監視という名の警備付き。
お巡りが24時間張り付いてる所にカチコミかけるわけにもいかないし、
さすがのうちらでも手も足も出せない状況だったんだ…」

新垣が悔しさを滲ませて付け加えた。うるさかった二人も
静かに話を聞いているようで、息遣いだけが聞こえる。
みんな口をつぐんでしまった状況の中、れいなはふと気になったことを尋ねた。

「でも、何で松浦会が公安の指定を受けられたんですか?
そんな死にかけの組を指定したって意味が…」
「あるよ、松浦会が死ななかったでしょ」
「まぁ、そうですけど」

229 名前:11 投稿日:2003/09/09(火) 23:00

まだまだ小かった松浦会にそれが与えられたのは稀なことで、その指定の
おかげで松浦会は解散することなく、一人立ちしてしまったとも言える。
兵庫県警による松浦の自宅周辺の警備は、24時間体制の厳戒なものだった。
過保護な監視のせいで中澤組を含め、松浦会を煙たがっていた組は
松浦に全く手を出せないでいた。

もしも、そこに飛び込んでいったとして、流れ弾が警察官にでも
あたったりしていたら、今度は中澤組の方が危険な状況に立たされる。
身内をやられて黙っていないのは警察も同じだ。
その警察に過剰とも思われる保護をうけている松浦の動きを、
中澤組は手をこまねいて見ているしかなかった。

それに、裏切りの張本人であった元幹部の男はすでに死んでいる、
少し言い訳がましいが、松浦会にそこまで目くじらをたてることもない。
二代目となった安倍は、事情を知っている人間にそう言い聞かせていたが
そう言っている安倍自身、納得できていないのは、付き合いの浅い新垣達
新入りにも伝わってきていた。

「だからって、スジモン助けてサツに何のメリットがあるんですか?」

れいなの尖った声が新垣に向かう。まるで自分が被害にあったかのように
腹を立てているれいなを見て、新垣の目もとに笑みが浮かんだ。

230 名前:11 投稿日:2003/09/09(火) 23:03

「アメリカがあの国は危ないとか言ってるのと同じだよ。脅威ある敵が
いなかったら戦争に備える必要もないし、軍事費用も削られるでしょ?」
「それって、うちらの争いがなくなるとサツが危ないってことですか?」
「そうそう。うちらが仲良しごっこしてたり、一つの組織が全部統治したり
してると抗争が減る。それは取り締まってるサツにとっちゃ死活問題なわけ」
「そうですか?ちょっと大げさじゃ…」

眉をひそめるれいなの鼻先で、新垣はチッチッチッと人さし指を振った。

「甘いよ、れいなちゃん。予算削られたり人員削減されたりして、
一番に響くのが自分達の懐となると、人間ていうのは頭使うんだって…
サツにとってうちらの争いは、世間のヤクザに対する関心を高めさせる宣伝みた
いなもんだから。事前に抗争があるってわかってても乗り込まないからね、絶対。
ケガしたくないでしょ、他人のもめ事で。たまに煽って派手な打ち合いさせてるし」
「せんでん…」

れいなは顎に手をあてて、ぼそっと呟いた。
宙に漂わせていた視線が一回りして新垣をとらえる。

「あー、それがトップニュースで流れれば万々歳てことですね」
「そう!話がわかるねぇ。身内の結束は敵を作ってから!翌年の
警察予算が決まる時期が一番危ないって、よく冗談めいて言ってるよ」
「そうなんですか。まぁ、サツを信用しちゃいけないのは定石ですから…」

231 名前:11 投稿日:2003/09/09(火) 23:04

「おぉ!れいなちゃんクールだわー、やだーかっこいい!」

空気を変える声がまた飛び込んでくる。
両手を頬にそえて、辻がくねくねと体を揺らしていた。
れいなは話がズレないことだけ願い、辻に話を合わせた。

「地元は最悪なお巡りが多くてですね」
「九州だっけ?」
「はい、福岡の県警は最悪ですよ」
「そうなんだぁ…あ!でもね、つんくさんはいい人だから大丈夫だよ」
「つんく?」
「いっつも、のんのたこ焼き買ってくれる常連さんなの」
「たこ焼きの常連?」
「小川もお世話になってますよー」
「ねー、けっこう古い付き合いなんだよ」
「はぁ、それでその人はいったい誰なんですか?」
「うんとねー、金髪で眉が細くって…パパみたいな感じ」
「へ?金パのパパ?」

噛み合っているようで、全く噛み合っていない会話。
願いがもろくも崩れ、落胆しているれいなに新垣がこっそり耳打ちしてくれた。

ふーん、マル暴のデカか…一回見てみたいな。

辻の話す人物像とれいなの中の警察官に対する印象、
そのギャップがれいなの興味を引いた。

232 名前:11 投稿日:2003/09/09(火) 23:06

「それじゃ、松浦会を残したのは二代目中澤組と後々ぶつけるために?」

別の話で盛り上がりだした二人を残し、れいなは新垣と向き合う。
まだまだ話を聞きがっているれいなの眼差しは、真剣そのものだった。

「そう。あいつら組長の事件の真相つかんでたはずだから、たぶんね。
松浦会と中澤組が手を組むってことまで予想はしてなかったみたいだけど」
「サツの思惑通りにはいかなくても、飯田さん達をないがしろにしてまで
松浦会と組むことなかったんじゃないですか?」

声を荒げるれいなの横で、新垣は肯定も否定もせず黙っている。
何も言わないのを見て、れいなは言葉を続けた。

「組内で反発あったんですよね?何だかんだいっても、うたったやつの娘なのに
何で入れたんですかね安倍は。そんなに向こうのシマと金が欲しかったんですか?
松浦会のことがなければ飯田さん達は今でも…」

233 名前:11 投稿日:2003/09/09(火) 23:09

新垣が目を伏せる。
れいなの声はだんだんと小さくなっていった。

何言ってるんだろう、わたし…

そんなこと新垣に聞くまでもないことだ。
松浦会が中澤組にもたらした功績も、安倍の二代目としての葛藤も。
ヤクザなら誰だって上を見る。今の中澤組は中澤の意思を受け継いだものなのだ。
どちらも形は違えど、中澤を思ってしたこと。
口を結んでいる新垣の暗い表情が、分裂した傷の深さを物語っていた。

「いっぱい喋っちゃったね。そろそろ戻るよ」

れいなちゃんも早く来てね、とだけ言い残して、新垣はすたすたと帰っていった。
申し訳ないことをしてしまった、という思いで小さな背中を見送る。
その視界の片隅にとらえた飯田と吉澤の笑顔が、れいなの心臓をちくりと刺した。


――――――――


234 名前:名無しさん 投稿日:2003/09/09(火) 23:18

更新しました。いろいろ変わっててあたふたしています。
吉澤の話までたどり着けず、全ては辻のせいということで。(w

>>211
次の更新で吉澤のことが少しわかると思います。
ギラギラは勝ち組の特権なので…あまり期待せずにお待ち下さい。(w
235 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2003/09/12(金) 13:27
更新されてる━━━━━━ヽ(゜∀。)ノ━━━━━━!!!!
次の吉澤の話楽しみにしています
がんばってください
私的に2でのアヤカ&吉澤(?)のところが気になりますが
それも何かあるのでしょうか?
236 名前:名無し読者 投稿日:2003/09/13(土) 21:16
徐々にいろんな事が明かになっていくのに
まだ何かあるのではと思わせてくれるこの小説が好きだ
吉澤の過去、非常に気になります
次回の更新楽しみにしてます
237 名前:11 投稿日:2003/09/15(月) 23:45


「よっすぃーのこと、まだ何にも言ってないよね」

泣き始めたお腹を押さえ、辻が思い出したように呟く。
その声が震えているのは、風のせいばかりでもないようだ。
れいなは静かに辻の話の行方を見守ることにした。

「れいなちゃんが知ってる昔のよっすぃーも、今みたいに
バカなこと言ってたりしてたんだよ、身内だけでいるときはね」

れいなが九州で暴れてた頃、今ほどではないが中澤組といえば誰もが一歩
引く存在で、その名を仄めかしてデカイ面したがるチンピラも多かった。
その中澤組の中でも戦闘部隊として恐れられていた保田組、
そこの若い二本柱の一人であった吉澤の名は、最も危険なヤクザだとして
遠く離れたれいなの地元でも有名だった。

血も涙もない鬼、目が合っただけで容赦なくやられる、いつも
全身黒ずくめでカラスみたいに無気味な奴、心がない悪魔一

大げさとも思われる代名詞が吉澤にはいくつもついていた。
238 名前:11 投稿日:2003/09/15(月) 23:46

「あん狂犬に睨まれたら、地獄ば見るとよ――」

れいなの前に族のヘッドをやっていた男が、久しぶりに集会に顔を出した時に
そう言っていた。実際、吉澤一人に潰された組やチームもいくつかあった。
他の暴力団組織の下っ端で、まだC瓶をばらまいていただけの男の憧れも
多少入っていたのかもしれないが、狂犬という響きにれいなの胸は高鳴った。

誰にも言っていないが、この組を選んだのも吉澤の存在が大きい。
だからこそ、今の吉澤の姿にれいなは深く失望していた。

「よっすぃーが中澤組を抜けたのはかおりんを慕ってたのもあるんだけど、
親分だったケメちゃん…あ、保田さんね。ケメちゃんがかおりんについてった
のが大きいの。自分を育ててくれたケメちゃんを見捨てるわけにはいかないし
そういうとこ奔放そうに見えても、よっすぃーは律儀だから…」

分裂前のニ代目中澤組の下部組織には、保田組の他に矢口組と飯田組があり、
それぞれが200人程度の構成員を抱えていた。そこだけ見ても、準構成員を
含めても100人に満たない現在の飯田組とは、規模がまるで違うのがわかる。
239 名前:11 投稿日:2003/09/15(月) 23:48

それだけの大所帯からの除籍ともなると、簡単に抜けることはできないし
「はいどうぞ」と一言で許されるものでもない。ケジメとして、飯田と
保田は自分達が抱えている舎弟を残して去ることを余儀なくされた。

しかし、上下間系の厳しい世界で親分は絶対的な存在であり、いくら
吉澤が一人で動けるといっても、その関係が希薄になることはなく
吉澤は親である保田について組を抜けると、指詰め覚悟で宣言した。

組長の飯田をかおりんと名前で呼び、オジキである保田をケメちゃんと
呼ぶ辻にだって同じことが言える。辻は飯田直属の子分で、自分の舎弟を
中澤組に残して去ろうとする飯田に、吉澤と同様、親の言うことに初めて
逆らい、一人強引についてきたのだ。

「でもその時、よっすぃーは大事なものをなくしちゃったんだ」
「大事なもの…ですか?」
「うん、とっても大事な人…」

ものやなかやん、と心の中で突っ込みながら、
れいなは辻が言わんとしていることを読む。
そして、答えはすぐに見つかった。
240 名前:11 投稿日:2003/09/15(月) 23:49

「それって、恋人ってことですか?」

辻がこくりと頷くのに、れいなの身体のどこかがビクンと反応した。
一人で飄々と生きていると思っていた吉澤に頼る男がいたなんて…
何だか裏切られたような気分で、れいなは次の言葉を待つ。
辻はれいなから視線をはずし、星がぽつぽつと輝く夜空を見上げた。

「よっすぃーにそのこと聞いてもはぐらかされてたから、本人の口から直接
聞いたわけじゃないんだけど、のんもみんなも二人は付き合ってると思ってたの。
あの、あんもくの了解ってやつ?今と違ってよっすぃーは口数少なくて照れ屋さん
だったかったから、どっちかっていうとリカちゃんの方がべったりって感じで…」

そこまで言って辻は一息入れる。その口元をじっと見つめていた
れいなはニ、三度瞬きしてから口をぽっかりと大きく開けた。

「へ!?リカちゃんて…中澤組の?あの石川梨華!?」
「うん。中澤さんに怒鳴られてる時とか、いっつもよっすぃーの後ろに隠れててね――」

辻はクックッと笑いながら思い出を語り始める。
れいなの耳には途中からその話は聞こえてこなくなっていた。

うっそ…
241 名前:11 投稿日:2003/09/15(月) 23:51

石川梨華といえば二代目中澤組の最高幹部。安倍や矢口に次いで
組を支えている人物で、その人気と実力は安倍にもせまる勢いだ。
度胸と力だけではやっていけないヤクザ社会の、手本ともなるべき人物である。
頭の回転が早く、慎重で、努力を惜しまない人間。
れいなの印象では、少なくとも吉澤に守られる石川なんてものはない。

つり合わないと思っているれいなの考えを読んだのか、
辻はちらりとれいなに視線を投げて言った。

「お似合いの二人だったんだよ」
「はー…」
「でも梨華ちゃんの親分は矢口さんで、それに松浦会との復縁話を持って
きたのも矢口さんだったから、そのことで何かケンカしたみたいで…
…最後の方は、目も合わせてなかったなぁ」

辻は寂しそうな声で言葉を切った。
れいなは圧し黙ったまま、風にゆれる草の先を見つめている。
頭の中では辻の言葉がグルグルと回っていた。

お似合いの二人…お似合いの…?
242 名前:11 投稿日:2003/09/15(月) 23:52

ちょっと待った。
何か引っかかっている。
何か聞き流しているような気がする。
辻の話を反芻していたれいなが、ぱっと顔を横に向けると辻もこちらを見ていた。

吉澤さんの彼女が石川梨華って……彼女って…えー!?

沈黙が降りる。
両目を見開いて呆然としているれいなを、辻が不安げな目で見つめ返してきた。

「お似合いだったんだもん」

辻はついさっき言った言葉をくり返すだけで、それ以上何も言わない。
つぶらな目でそう言われると、心に浮かんだ驚きを表に出すことも
ためらわれた。けっこう柔軟な頭をしていると思っていた自分に、
れいなは言い知れない罪悪感も感じてしまう。

お似合いだったのか…

二人の少女の並んだ画は、それほどつり合わないもんじゃなかったのかもしれない。
逆にがたいのいい男と寄り添っている吉澤の方が、今の姿からは想像しにくい。
うん、なんか嫌かも…
小さく笑みをこぼすれいなを見て、辻もほっとした表情をみせた。
243 名前:11 投稿日:2003/09/15(月) 23:54

そういえば、辻にしては饒舌で早口だった。
それも全て、れいなの否定的な反応を見たくなかったせいだったのだろう。
次に喋り出した辻の口調は、心なしか軽くなっていた。

「よっすぃーは最後まで全然平気そうな顔してたくせに、
ダメになったのは泣いてばっかだった梨華ちゃんじゃなくて、
よっすぃーの方でね。飯田組の若になった頃の荒れっぷりは
凄かったんだから。ジボウジコっていうんだってそういうの」
「自暴自棄ですよ」

こっちの話をちゃんと聞いていたらしい。
ぽかんと口を開けていた小川がフォローすると、辻は恥ずかしそうに笑った。
やけくそって意味ですよ、と付け加えてから、
小川は蚊に刺されたらしい腕をぼりぼりと掻き始る。

「そうそれ、やけっぱちのよっすぃーは誰も止められなくて、狂犬どころじゃ
なくってね…闘牛って感じ?敵に向かって一直線。ほんと、のんも恐かったもん」

れいなの脳裏に浮かび上がる一月前の出来事。
常にあのモードになっている吉澤の側になんて、頼まれたっていたくない。
蛍光灯の下、鋭い歯を剥き出しにした吉澤の表情はいつ思い出しても、
ゾクッとれいなの腹の底を震わせた。
244 名前:11 投稿日:2003/09/15(月) 23:55

「いつから変わったんですか?私がきた時にはもう―」

あんな風になってました、とれいなは後ろを振り返る。
辻は何かを吹っ切るように、敷居の溝につまっていた石ころを指で弾いてから答えた。

「去年の冬から…ケメちゃんがいなくなってからなの、おかしくなったのは」
「あー保田さんの事件ですか、殺しですよね?」
「そう。何か気張っていた糸がプチッて切れちゃったみたい」

中澤組時代から、吉澤の直系の親分であった保田圭。
飯田組を支える柱となるべき人物だったのだが、半年もたたない
うちにこの家からいなくなり、組自体もそこでつまずいてしまった。
今でも彼女がここにいてくれたら、飯田組は随分と違うものになっていた
と確信が持てるほど、この社会を知り尽くした貴重な存在であった。

彼女の人柄については言及するものの、去年の暮れに起きた殺人事件の
詳しい内容については、誰もが口を閉ざして教えてはくれなかった。
知っているのは、下された判決が執行猶予なしの懲役6年(2年で仮出獄)
という法的なことだけ。れいながまだ一度も会ったことのない人物は
傷害致死罪で起訴され、今も高い塀の向こうにいる。

飯田組ではタブーのようになっている事件だけに、詳しいことを
聞けるチャンスだと、れいなはさり気なく保田の話をぶり返した。
245 名前:11 投稿日:2003/09/15(月) 23:57

「仮釈になれば、あと1年半くらいですよね…保田さんが帰ってくるまで」
「…うん」
「保田さん、かなり恐いって本当ですか?」
「けっこうね、根は優しいんだけど。あの事件だって…ケメちゃんは悪くないのに」
「でも、悪くないっていっても相手は死んで…」
「ちがうよ!ケメちゃんに人の命を奪うなんてことできないもん」

ムキになって言い返す辻の表情に、再び陰りの色が見えた。
予想外の答えにれいなは戸惑う。
何かの地雷を踏んでしまったということだけはわかった。

「…けど、自首したんですよね?」
「そうだけど、酷いことしたのはケメちゃんじゃなくて…よっすぃーなんだ」
「はぁ!?」

酷いことをしたのは吉澤さんで保田さんじゃない…てことは…

「よっすぃーは強くなんかないんだよ――」

その言葉の意味を考えている暇もなく、辻がぼそっと呟く。
嫌な予感に包まれたまま、れいなは微動だにせず辻の横顔を見つめていた。


――――――――

246 名前:12 投稿日:2003/09/15(月) 23:58

見渡す限りのどかな田園風景が広がっていた。
都心から80Hほど離れた郊外、高速を下りて交通量の少ない道を走っていくと、
長々と続くクリーム色の壁が視界に飛び込んでくる。

しばらくして見えてくる壁の切れ目、正門入り口の植え込みには2本の旗竿がたち、
白地にそれぞれ赤と緑を落とした旗が風にたなびいていて、その奥にある二階建ての
白いコンクリートの建物は一見、小学校を思わせる外観をしていた。

こざっぱりとした綺麗な建物の中、冷房のきいた部屋の長椅子に腰掛け
矢口真里は脇においてあったパンフレットに目を通していた。

「起床6時…朝食…就業7時、ボールペン組立に自動車部品…お守り、弁当…
 こんなのやってらんねーよなぁー」
247 名前:12 投稿日:2003/09/15(月) 23:59

何度も読んだ施設の概要にも飽きて、矢口が正面の喫煙室に目を向けると
ガラスのしきりの向こうでは、男が不味そうに煙りを吐き出していた。
くたくたの背広、落ち着かない指先、張り詰めた表情。
夫婦そろって、出来の悪い娘の顔でも見にきたのだろう。
さっきまでその男がいた長椅子には、連れの中年女性が背中を丸めて座っていた。

いつもは背広をピシッと着こなした弁護士や、自分と似たような格好をした
やつらがいるのだが、今日はその夫婦らしい二人だけしかおらず、昼下がりの
建物の中はひっそりとしていて、長椅子が10本ほど並んだ病院の待ち合い室の
ような部屋には、矢口の口の中で砕かれる氷の音だけが響きわたっていた。

「まだかよー」

さっきまで目を通していたパンフレットで首元を扇いでいるとき、
割れたスピーカーの音がようやく矢口のポケットに入ってる札の番号を呼んだ。
それを聞いて、矢口は勢いよく席を立つ。
248 名前:12 投稿日:2003/09/16(火) 00:00

「まいちゃーん、行ってくるよ」
「ふぁー…あぁ、はーい…」

控えめの冷房の中、矢口の隣で口を大きく開けて寝息をたてている
里田まいの肩を揺らす。寝言のような返事をして再び眠りに落ちて
いく里田に呆れながらも、その呑気な寝顔に矢口はプッと吹き出した。
お世辞にも可愛いなんていえるものではなかった。

「親父くせー、こんなんじゃ嫁のもらい手もなくなるっつーのに」

大きな紙袋を抱えて、入り口とは反対側にあるドアを開ける。
身体にまとわりつく熱気は、9月のものとは思えない。
眩しい日射しに顔をしかめながら、
矢口は厳重にそびえる刑務所の壁に向かって歩き出した。


――――――――

249 名前:名無しさん 投稿日:2003/09/16(火) 00:04

更新しました。

>>235
アヤカ…忘れていませんとも。平家婦警に続くキーマンですから(w
あと何話か進めば、その部分も明らかになると思います。

>>236
すみません、レス見てニタニタしています。(w
過去の時間軸が長くてなかなか前に進みませんが、気長におつき合い下さい。
250 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2003/09/16(火) 10:49
吉澤昔はやっぱやんちゃだったんですね
なんか昔弱弱しかった石川が最高幹部って現状に通じるものがありますね
251 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2003/09/16(火) 11:19
更新オツです。圭ちゃんついに出しましたね。
中澤組長が撃たれたあたりで出てこなかった元娘。の人たちは
どんな役で出てくるか気になってたんですけどそう来ましたか
しかし保田組の「若い二本柱」の一人が鬼だったら
もう一人の人は魔王とかそんな感じなのかなとビクビクしながら期待してます。
252 名前:251 投稿日:2003/09/16(火) 11:21
すみません上げてしまいました以後気をつけます
253 名前:名無し読者 投稿日:2003/09/16(火) 17:11
気長に付き合いますよー
なるほど、やはり吉澤と石川はそんな感じで
二人が再会なんて事を想像するだけでワクワクしますw
まだまだ掘り出し物の過去があるんでしょうなぁ
ごまの登場が楽しみで仕方ないっす
254 名前:名無し読者 投稿日:2003/09/16(火) 23:45
保田組の二枚看板かっけー
255 名前:12 投稿日:2003/09/23(火) 11:39


厳重な塀の中に入ってからも金属探知機や手荷物の検査、
差し入れの受け渡しに書類の書きこみなど、もろもろの
手続きにかなりの時間を取られる。
やっと面会室にたどり着いた矢口は、真ん中のパイプ椅子に
ぐったりと座り込むと、少し突き出たでっぱりに顔を伏せて
コンクリートの冷やりとした感覚に声を上げた。

「はぁーきもちー」

面会室に窓はついていないが、室内は明るい雰囲気に包まれている。
白い壁は傷一つなく、部屋を真ん中でしきっているガラスがなかったら、
刑務所内の施設だとは思わないかもしれない。それくらい綺麗だった。

しばらく突っ伏していると、ガチャンと物々しい音が狭い部屋に響く。
顔を上げた矢口の視線の先、金網の入った分厚いガラス越しに現れる
懐かしい顔。グレーの、見るからに薄い生地の服を身にまとった人物は
矢口と視線を合わせると、ふっと表情をゆるめた。
256 名前:12 投稿日:2003/09/23(火) 11:41

「やっほー!圭ちゃん」
「相変わらず元気そうだねー、矢口は」

照れ隠しなのか、保田圭はぶっきらぼうに答える。
手錠と腰縄が取り除かれると、圧迫されていた手首を擦りながら
保田は慣れた動きで正面の椅子に腰掛けた。

「なっ、なによ?」

突然、矢口が身を乗り出して保田の顔を正面からまじまじと覗きこむ。
ぎょっとした顔で身体を引く保田の全身を測るように、矢口はニヤニヤ
しながら視線を縦に動かした。

「ねぇー、圭ちゃんさーもしかして太った?」
「うるさいわね!気にしてんだから言わないでよ」
「えー!マジで!?ムショ入って太るやつなんて見たことねーよー」

さいこー!と言ってケタケタ笑っている矢口に、保田は不機嫌な顔を
見せたが、次に出てきた矢口の言葉でその表情はすぐに崩れた。
257 名前:12 投稿日:2003/09/23(火) 11:42

「まー、元気そうで何よりだけどさ。あ!頼まれてたやつ入れといたよ、
税金上がる前に買いだめといたモクもつけてっから」
「おーサンキュー、悪いわねいつも」
「いいって、いいって。おいらと圭ちゃんの仲じゃん」

矢口がそう言うと、保田は静かに笑った。
今では塀の外でも別々の生活を送っている二人だが、
過去に同じ時間を共有し、様々な事を乗り越えてきた
二人の絆は、他の誰よりも深く特別なものだった。

しかし、だからといって仲たがいした組の人間の面会に
頻繁に行くわけにもいかない。
中澤組の専務である矢口が飯田組の保田に会いにいくなんて
身内にも堂々と公言できるわけもなく、ほとんどお忍びで来て
いるため、矢口は普段使っていない車に信用できる舎弟として
里田を一人、運転手も兼ねて連れてきているだけだった。
258 名前:12 投稿日:2003/09/23(火) 11:43

しかも、東京から東北道を使ってくるため半日は潰れる。
こうしてガラス越しに向き合えるのは、3ヶ月に一度くらいだった。
それでも面会に訪れる回数としては多いほうで、そんなにも自分を
気にかけてくれている、心配してくれている矢口に、保田は言葉では
言い表せないほど感謝していた。

が、実際は保田より矢口の方がこの面会を必要としている歩合が強い。
いつも気を使った生活を送っているせいなのか、保田の前にくると
なぜか急に弱気になり、たまりにたまった愚痴をもらしてしまうのだ。
保田は頷いたり、たまにアドバイスをするくらいで、ほとんど
矢口の話の聞き役にまわってるくれていることの方が多かった。

「矢口はやせたね」
「いい女になったでしょ?」
「何言ってんのよ…忙しいんじゃない?上手くいってんの?」

セクシーポーズをとる矢口に保田が呆れ顔で答える。
嫉妬すんなよ、とひやかす矢口の笑顔に垣間見える
一瞬の表情も、保田にはばればれだったようだ。
259 名前:12 投稿日:2003/09/23(火) 11:44

「うーん、まーね。シノギは順調すぎるほど順調なんだけどさ」
「けど?」
「んー何かね…人間関係が複雑で、おいらもいっぱいいっぱいなの。
みんなプライド高くってさぁー」
「あー…なっちと松浦か」

またか、といった感じで笑う保田に
矢口は何も反応せず、黙ったまま保田を見つめていた。

「えっ、違うの?」

保田がじっと見つめ返すと、少しためらってから
矢口はぽつりぽつりと話しだした。

「なっちは相変わらず天然で…どっちかっていうと松浦と石川が…」
「え!石川!?あの子はケンカとかしないでしょ」
「それが逆なの。松浦が石川に変にライバル意識燃やしてるみたいでさー
石川に言うことがきっついのよ、露骨で。もうおいら冷や汗かきっぱなし」

そう言って矢口は首元を扇いでみせる。保田は石川という名前がここで
出てくるとは予想していなかったみたいで、目を見開いて驚いていた。
260 名前:12 投稿日:2003/09/23(火) 11:46

「あらら…でも石川は応戦したりしないでしょ?大人なんだから」
「うん。今んとこは笑って嫌味も聞き流してるんだけどね。幹部会とかでさ、
顔会わせる時の緊張感っていうの?あれが最高に疲れるんだわ。なっちとの
橋渡しもしなきゃいけないのに石川までもなんて、考えるだけでため息でるよー」
「松浦と石川か…」

保田はそう呟くと、腕を組んで眉間にしわをよせた。
保田が中澤組にいた頃、矢口の舎弟だった石川の面倒を保田に見て
もらったことが何度かあった。そのため保田と石川の間には普通の
オジキ関係よりも厚い信頼がある。まるで自分の舎弟のことのように
真剣に考え込んでいる保田を見て、矢口は肩の荷が少し軽くなった気がした。

「そうか、松浦にしてみれば石川はおもしろくない存在かもね」
「そうなのよ、石川絶好調だから」
「昔は泣いてばっかだったのに…ほんと、阪神並の快進撃よね」
「ははっ、圭ちゃん何でも知ってんだね」
261 名前:12 投稿日:2003/09/23(火) 11:48

中澤組幹部の中でも抜きん出ている石川梨華。
彼女に燃やす松浦の闘志がここ最近表立ってきていた。

シマが並んでいる加護とかなり親しく、組を裏から支えている矢口とも
良好な関係を保っている松浦にしてみれば、石川と仲良くするなんて簡単
なことなはずだが、それでもそうしないのは組の柱となるシノギを誰より
も稼ぎだしている石川を、今一番のライバルとして見ているからであろう。
次期中澤組総裁を狙っている松浦にしてみれば、石川は意識せずには
いられない存在だった。

「ちょっとはさー、矢口を視界に入れてもいいとは思わない?
これでも一応専務で、なっちの次のポジションにいるんだよ?」
「あははは、松浦っていい目してんじゃない」
「なんだよー、圭ちゃんまで」
「いいじゃないの。あんたと松浦が揉めたら…それこそ一大事よ」
「やっぱ?おいらって組にとっては偉大な人物なんだよねー」
「まぁ、背は小さいけどね」
262 名前:12 投稿日:2003/09/23(火) 11:48

軽口を叩く保田に、矢口は腰を浮かして怒った素振りをみせる。
保田は構わず笑ったまま、矢口を突き放すようにつけ加えた。

「負けず嫌い同志だから、石川だと…なっちよりこじれるかもね」
「ちょっとー!圭ちゃんどうでもよさそうな顔しないでよ!
苦しんでるおいら見て楽しんでるでしょ?」
「そんなことないわよー」
「そんなことあるじゃん!フン、どうせおいらは一生課長職ですよーだ」

怒った表情でごまかしているが、矢口の顔が一瞬曇ったのを
保田は見逃していなかったらしい。保田は急に真面目な顔に
なると、矢口の目を覗き込むように身体を乗り出した。

「矢口、あんた過労で倒れないでよ」
「うーん、どうだろ。最近お腹いたくてマジ死ぬかも…」

そう言ってぐったりと頭をもたげ、保田から視線を外す。
あくまで冗談ぽく話す矢口に、保田が小さく息をつく音が聞こえた。
263 名前:12 投稿日:2003/09/23(火) 11:49

結束力が固く、下部組織間の仲も良好と見られている
二代目中澤組だが、その内情はあまり芳しくない。

特に総裁である安倍が後から傘下に入った松浦達を苦手として
いるのが問題だった。別にいじめたりしているわけではなく
会話だって普通にする。ただ、それが他人行儀だった。

他の幹部、石川や加護に対する態度と見比べれば一目瞭然の
ことで、そのせいかたまに松浦や藤本に向けられる言葉には
何かしらトゲが含まれているように聞こえてしまうこともある。

話はつけたとはいっても、昔のことを全て忘れるなんて
できないのもわかるが、安倍は中澤組の頭である。
それを態度に出してしまうことは許されない。
松浦達とのパイプ役でもある矢口が苦労を惜しんでいれば、
もっと早くに衝突し、外に噂が漏れていたのは確実であった。
264 名前:12 投稿日:2003/09/23(火) 11:51

「あんたいっつもお腹いたいって言ってるじゃない。
仮病のクセまだ治ってないの?」

何かを感じ取っているはずだが、保田はそれ以上深く追求してこない。
矢口に合わせて、世間話のような会話に付き合ってくれた。

「仮病じゃないって、おいらが倒れるのも時間の問題かもしんないよー」
「ちょっと、縁起でもないこと言わないでよ。心配事増えるでしょ?
何もない部屋ですることなくて…毎日考え事ばっかしてんだから」
「はぁ!?何言ってんのー」

矢口が目を細めると保田は戸惑ったような顔を見せる。
パイプ椅子の背にもたれ、矢口は腕を組み直し保田を見据えた。

「心配?テレビ付きの独房に入って、酒たばこし放題の圭ちゃんが考え事だって?」

瞬間、保田は目をしばたかせる。
そして首の後ろを手でさすると、すぐに苦笑いを浮かべた。

「わははは、バレてた?」
「シャバよりいい生活してんじゃん。しかも外国人用の広くて綺麗な方でしょ?
どっからどうみても日本人なんですけどねー保田さん」
「ボンジュール、コモンサヴァ?」
「いやいやいや…無理あるから圭ちゃん」
265 名前:12 投稿日:2003/09/23(火) 11:51

外国語を得意げに披露してみせる保田を軽くあしらう。
まだ喋りたそうな視線を交わしながら、矢口は椅子に深く座り直した。

「こうして苦労なくいられるのも矢口様のおかげでしたね」

しみじみと呟く保田に、矢口は何度も頷いてみせる。

「そうだよー。おいらがどんなに賄賂送ってるか」
「ちょっと!賄賂とかはっきり言わないでよ。もっとオブラートに包んで…」
「いいじゃん、誰も聞いてないんだしー」

保田の後ろで黙々と手を動かしている刑務官を
すっかり無視した発言に保田は苦笑する。
矢口はそんなことは気にせず、
口元に笑みを携えたまま保田に視線を注いでいた。

「圭ちゃんさ、最近夜はずっとマージャンやってんでしょ?」

そう言いながら、矢口は指先で牌を積み上げる仕草をする。
保田はバツの悪そうな笑みを浮かべた。
266 名前:12 投稿日:2003/09/23(火) 11:52

「えー!それもつつぬけなの?あんたほんと太いパイプもってんね」
「まあね」
にやっと笑ってから、矢口は保田の背後を覗き込むように腰を伸ばした。
「そこのお姉さーん。圭ちゃんって強いの?」

突然の質問に女性刑務官はビクッと身体を揺らしてペンを止めた。
金縛りにあったように、ピクリとも動かなくなってしまった刑務官に
「どうだって訊いてんだけどー」と乾いた声で矢口が畳み掛ける。
刑務官は用紙に目を落としたままコクリと頭だけを動かす。
それを見て、矢口は大声で笑い出した。

「ひゃはははは、本で覚えたんでしょ?独学大王だね、圭ちゃんは」
「それって誉めてるの?」
「ははは、誉めてるんだってば。ちょーすげー!ははは」

心理学の本も読みふけっていると聞いて、矢口はお腹をおさえて大爆笑する。
機嫌の上下がいつもより激しい矢口に、保田が壊れ物を扱うような視線を
向けているのに気付いていたが、それでも矢口は笑い続けた。
267 名前:12 投稿日:2003/09/23(火) 11:53

刑務官がちらちらと時計を気にしだしたのを見て、時間が30分近く
経過していることを察知する。矢口がそろそろ帰ると口にするのより
先に、保田が落ち着いた声で「あのさ」と呟いた。

「あのバカ…吉澤のことなんだけど――」

矢口の表情から笑みがさっと消える。
がたんと乱暴に椅子を引いて立ち上がる矢口の
無言の抵抗に、保田の開きかけた口が止まった。

その目に当惑の色が浮かんでいるのはわかっていたが、
それでも矢口は目を伏せて、保田の言葉に耳を傾ける
意思がないことを伝えた。

突然静かになる室内、刑務官のペンの音も止まった。

こうして二人でいる席で、矢口が苦労して割いてきた時間に
吉澤のことなんて尋ねて欲しくなかった。ましてや保田の口から
吉澤を心配するセリフなんて聞きたくもない。
これはワガママだろうか?
268 名前:12 投稿日:2003/09/23(火) 11:54

「私がこうなったのは、私が進んでしたことだから…吉澤を責めないでよ」
「知らないよ、そんなの」

吐き捨てるような口調になってしまう。重い沈黙を破って
保田が吉澤のことを申し訳なさそうに喋るのも、矢口の気に触った。

時として、組を支える幹部や親分が警察に拘束されそうになった場合、
組を壊滅させないために輩下の組員が代わりに出頭していくという事は
この世界ではよくある事で、保田が吉澤の身代わりでムショに入ると
聞いた時には、矢口も初めはしょうがないかなと思っていた。

本来ならもっと下の組員、チンピラに近い若いのを身代わりさせるのだが、
吉澤が起こした事件には目撃者がいて、吉澤と一緒にいた保田の顔を
ばっちり覚えていた。別の人間を行かせても警察で跳ね返されてしまうし、
二人の顔写真の手配がまわるのも時間の問題だった。

飯田組のナンバー2、若頭としての吉澤と自分自身を天秤にかけた結果、
保田は自ら警察署に出向いたのだった。
269 名前:12 投稿日:2003/09/23(火) 11:54

「だいたいさー圭ちゃんをこんな目に会わせといて、
あんなにヘラヘラしてんのが許せないんだよね。おいらは」

矢口だって色々なことを見てきている。
この世界を生き抜くための手段、理不尽なことなんてしょっちゅうあった。
保田の身代わり――それに反対しているわけではない。
吉澤の今の生活態度、それに腹を立てていた。

代わりに服役している保田のためにも、率先して吉澤が飯田組を
引っぱっていくものだと信じていたのだ。それを裏切るような
今の吉澤の言動に一番納得していないのは、矢口かもしれない。

矢口組の組長でもあり、上部組織の中澤組の専務でもある矢口に
してみれば、規模は月とすっぽんほど違うとはいっても、同じ
ニ番手というポジションにいながら、その役割を果たしていない
吉澤に好感を持てるわけがなかった。
270 名前:12 投稿日:2003/09/23(火) 11:55

「あいつシャブにも手出してるらしいよ、どういう御身分なんだか」

どこからか情報を入手していたのか、保田はシャブという矢口の言葉に驚く
素振りはみせなかった。心の中でついた矢口の舌打ちが聞こえたのだろうか、
笑い声の絶えなかった室内に、再び沈黙が降りる。四方をコンクリートに
囲まれているせいか、とても重たい空気が肩にのしかかった。

落ち着きなく視線をさまよわせていると、時間を気にしていた刑務官と
目が合う。その視線に背中を押されるように、矢口は軽く頷いてから
ドアに向かおうとした。

「矢口、あともう一つ聞きたいんだけど」
「なに?」

自然とふてくされた声が出てくる。
保田は少し目線を上げて矢口と顔を合わせた。

「石川は大丈夫?」
「大丈夫に決まってるじゃん。松浦なんか相手にしないって」
「…そう…だよね」

保田の意図する相手が松浦でないことはわかっていたが、
矢口は答えをはぐらかせた。
271 名前:12 投稿日:2003/09/23(火) 11:57

石川と吉澤のことなんて、もう過去の事。
そんな事に気をまわしている暇なんてない。
それに石川がその事をとっくに吹っ切っているのは
今の地位を見れば明らかだ。

「んじゃ、また来るね」

矢口は今までの話の流れを切るように、笑顔で手を振る。
保田もそれに応えて片手をあげた。

「うん。おみやげいっぱい待ってるわよ」
「おう…あーでも、少しはダイエットしろよな!」
「うっさいわね、わかってるわよ。次会う時には
めちゃくちゃスレンダーになってるから…見てなさい」
「はいはい、楽しみにしてるよ」
「ちょっと、信じてないわね!わたしだってねー…」

ガラスのしきりに手をついて叫ぶ保田から、逃げるように部屋を後にする。
数字の書かれた扉が並ぶ廊下には、窓から大量の光が差し込んでいる。
明るい床を見つめて歩く矢口の足音は、来た時よりもゆっくりとしていて
一直線に伸びる空間に寂しげに響き渡った。


――――――――

272 名前:名無しさん 投稿日:2003/09/23(火) 12:00

更新しました。

訂正 >>220

×『3年前、忘れられない年、2000年、4月…』
○『2年前、忘れられない年、2001年、4月…』

年号大間違いしてしまいました。
忘れられない(中澤が亡くなった)年は2年前です。
273 名前:名無しさん 投稿日:2003/09/23(火) 12:10
>>250
アンリアルな極道話(当たり前)ですが、やはりリアルには従順でありたく。
分割の時期とメンバーが違うぜ、とかいう突っ込みはなしで。
田中れいながこんなにプッシュされるとは…今なら間違いなく中澤組か?(w

>>251-252
ついに出てきました。塀の向こうでも存在感はばっちしです。
ニ本柱のもう一人のあだなですか、考えていませんでした。魔王…メモメモ(w
アゲサゲはさほど気にせんで下さい。流れまかせなのでうっかりも一興です。

>>253
過去は長くて深い上にあちこち散らばっているので、掘り返す作業に一番手間どってます。
スランプになるのはその深みに足を取られている時がほとんどかと。
ごまの登場は、固い岩盤が邪魔してまして…えー、いつになるのやら(w

>>254
二枚看板…その表現いただきます。いい響き(w
武闘派の二人をまとめあげていた保田が、実は一番カッコイイのかもしれません。
尻拭いなんてそうそうできるもんじゃ…損な役回りとも言えますが。
274 名前:名無し読者 投稿日:2003/09/24(水) 16:55
それぞれ立場があって、思う事があって複雑に絡み合って、
難しいもんですな。でもその絡み合いを読むのが楽しいっす
やはりいつ読んでもワクワクする
スランプになっても、足が取れた時はものすごい事にw
275 名前:13 投稿日:2003/10/01(水) 22:00


「福田さん、さっきはごめんなさいね。あいつ口悪くて」
「いえ、全然平気です」

手錠と腰にまかれた縄を外してもらう代わりに独房に鍵がかけられる。
保田が手錠の食い込んで赤くなった手首をさすっていると、
ドアについている小さなガラス窓の扉が開き、そこから
今出ていった福田という刑務官の目がこちらを覗き込んでいた。

「保田さん、差し入れは後で持ってきますから」
「あ、どうも」

保田が頷くのを見届けると、何も言わずにパタンと扉を閉じる。
刑務官の足音はコツコツコツと、規則正しい間隔で部屋から離れていった。
背筋を伸ばし膝を上げて歩く福田の足音は、いつも狂うことなく一定で
その真面目そうな性格を直に表している。耳にしただけで福田がいると
わかるようになった足音、それが小さくなってから保田は軽く息をついた。

相変わらず、よそよそしいのよね。
276 名前:13 投稿日:2003/10/01(水) 22:06

受刑者の前であまり感情はみせてはいけないのだろう、刑務官は
無表情な人間が多い。しかも女性刑務官の多いここでは、囚人も
含めて表情のない女性がかなり目につくせいか、かなり異様な
世界が広がっている。

笑顔をふりまかない女性ばかりという現実社会では考えられない
光景に保田は当初とまどい、その皮肉さを他人事のように
解釈していたが、今ではもう慣れっこになってしまっていた。
言葉を交わすのも必要最低限なもので、
会話というよりさっぱりとした事務的な応対がほとんどだった。

ここへ来てからずっと保田を担当している女性刑務官の福田は、
保田への便宜を図るようになってからも、増えた仕事を淡々と
こなしているといった感じで、その態度は変わらなかった。
277 名前:13 投稿日:2003/10/01(水) 22:08

他の人の目がある場所では、担当刑務官もあからさまに態度に出す
ような危険なことはできないのかもしれない。番号でなく名前を
呼んでもらえるだけでも、まず満足しなくてはならないようだ。

矢口は上層部の人間と話をしたのだろうが、だからといって刑務官
全員にその指示が出ているわけではないらしい。上には挨拶と少し
ばかりの気持ちを、待遇についての意見つきで渡すだけで、細かい
ことは何人かの刑務官に直接接触し、伝えているのだ。

金をつかまされているのは極一部の人間。
刑務官の中で知っているのは数名の、保田の近くにいる人物だけで、
保田が外国人用の綺麗で明るい独房を使用している理由も、所内では
保田が凶悪な暴力団員のため、厳重な警備と監視が必要なのだという
少し考えればおかしいと気付く理由だった。
278 名前:13 投稿日:2003/10/01(水) 22:11

実際、7年前に建てられたのその施設には施錠形態も最新の物が
つけられているが、警備面でそんなに差はなく、大きく違うのは
トイレと洗面台がついていて綺麗だという設備面のことくらいだ。
それなのに、そのことについて疑問の声をあげる刑務官はいない。

福田という自分とあまり変わらないと思われる女性刑務官が、
金をもらっているというのはあまり考えたくなかったが、
彼女もそれなりにいろいろあるのだろう。

何度か福田との会話を試みた保田だったが、全て失敗に終わっていた。
279 名前:13 投稿日:2003/10/01(水) 22:13

「矢口怒らしちゃったな…」

花柄のベットに腰掛け、保田は格子のついた窓の外を眺めた。
今頃車の中で不機嫌な顔でちょこんと座っている矢口のことを
思い浮かべると笑みがこぼれたが、それもすぐに消える。

矢口と吉澤…あんなに仲良かったのに。

入ったばかりの頃、吉澤は兄貴分である自分より矢口とよく喋っていて
保田にしてみれば表情には出さないものの、内心かなり面白くなかった。
本当は矢口のところに入りたいのではないか、と本気で悩んだことも
あったほどだ。よっすぃーというあだ名で呼び始めたのも矢口だったし
会う度にかわいいを連呼していて、吉澤は矢口のお気に入りだった。

吉澤の方も、保田とともに動く時の硬さや敵相手への容赦ない行動とは
反対に、矢口の前では猫をかぶったようにかわいらしい態度をとっていて、
保田をさらに悩ませていた。

裕ちゃんがマジで嫉妬してたくらいだったもんなぁ。
280 名前:13 投稿日:2003/10/01(水) 22:15

その時期を知っているだけに、矢口の吉澤への厳しい非難を聞くのは
辛かった。ただ矢口の立場を考えると、そういう敵意が吉澤に向いて
しまうのもわからなくはない。除籍騒動から少しずつおかしくなって
いった二人の関係に、決定的なヒビが入ったのは去年の冬こと。
保田が刑を受けることになった事件のせいだった。

飯田組のシマで暴れていたよそもんを、ちょうど近くにいた保田と
吉澤が店から追い出し、軽くヤキを入れようと路地裏にひっぱって
いった時のことだ。

25歳くらいのヤクザ風の男とまだ十代と思われる族上がりの少年が三人。
男は組名を仄めかしていたが、どうせ一、二回そこに出入りしたことが
ある程度の面構えで、黒ずんだ歯を見せて笑っていた。
こんな剃り込みの入ったガキ共を連れて歩いているところからして、
大したヤクザではない。少年達の方が昔吉澤にしめられたことでも
あるのか、吉澤を知っていたらしく、少年に耳打ちされた瞬間
男の目は光り、知性のかけらもない笑みが色気付いた。
281 名前:13 投稿日:2003/10/01(水) 22:17

「ひひひひ、お前が吉澤かぁーオレもついてんなぁ」

有名な吉澤を倒して自分の名をあげようという野望を勝手に
持つのはいいが、少しは自分の面を鏡で見た方がいい。
どんよりと濁った目、小刻みに震える指先、しまりのない口元。

シャブ漬けの身体で吉澤と向き合うなんて自殺行為に等しい。ましてや
中澤組を辞めて荒れている吉澤に闘いを挑むなんて無茶なことだ。
いきがりたいチンピラ共は、大人しく街の隅っこでエスでも売りさばい
てればいいのに、と保田は卑下た笑い声を上げる男に同情すらしていた。

4対2という構図に男の顔に余裕が浮かぶのもわからなくもないが、
今の吉澤にしてみればそれは取るに足らない数でしかなく、保田が
参戦するまでもない。それに人数に関係なく、向こうから飛び込ん
できてくれた獲物を吉澤が保田に譲るなんて考えられなかった。
血に飢えている。
笑っちゃうようなフレーズが吉澤にはピタリとはまった。
やりすぎんじゃないわよ、と吉澤に一言忠告して保田は静観するだけだった。
282 名前:13 投稿日:2003/10/01(水) 22:18

三人の少年が吉澤にゆっくり近づいて、囲むように輪を作る。
細い眉、金髪のロン毛、手首まで刺青をいれたガキ。
それぞれ腕っぷしには自信があるらしく、その目からは強い
意思が感じられた。吉澤がコートのポケットから両手を引き
抜くのを合図に、三人は一気に飛びかかった。

一人ずつ挑んでいたら確実に吉澤に負けるのは目に見えている。
1対1の局面を作らず、三人で囲みにいく選択は間違いではなかった。
だが、今まで一人で戦ってきた連中の中途半端な連係の隙を、
吉澤が見逃すはずがなかった。タイマンとは違って敵だけでなく
味方の動きも察知しなくてはならない状況では、必ずズレが生じる。

一番に飛び出してきた拳を足を引いて鼻先で交わし、すぐにその腕を
ねじり上げて身体ごと背中に回りこむ。そのままシャツの襟首を掴み、
吉澤は金色の頭に狙いを定めると、力一杯その背中を押した。
蹴りにいった片足を上げた格好で金髪の少年は目を見開き、向かって
くる切れ込みの入った顔と目を合わせることになる。次の瞬間、ゴンッ
という鈍い音をたてて、二人はもつれるように地面に倒れこんでいた。
283 名前:13 投稿日:2003/10/01(水) 22:19

あっという間の出来事。
他の二人に遠慮したのか、出遅れた、まだ顔に幼さの残る少年はうめき
声を上げている二人に目を奪われていて、スッと目の前に吉澤が来てい
るのにも気付かなかった。少年は息を呑む間もなく、腹の悲鳴を聴く。
吉澤の腕が肘まで入り、少年の体がくの字に曲がった。
少年は一歩も動くことなく、腹への一撃で膝から崩れ落ちた。

素早くて無駄のない吉澤の動きは、保田が感嘆に似たため息をもらす
ほどだった。

顔の周りで飛ぶ虫を手で払うように、いとも簡単に三人を地面に
転がした吉澤の動きは、後ろにいた男のだらしない笑みも消しさった。
身体を痙攣させて、息をつまらせながらも胃の内容物を吐き散らして
いる少年に数秒後の自分の姿を重ねたのだろう、その一部始終を見て
いた男の顔面からはスーッと血の気が引いてた。
284 名前:13 投稿日:2003/10/01(水) 22:19

当たり前だ。
中澤組時代から武闘派で知られている吉澤に睨まれれば、
遅かれ早かれ大抵の人間はこうなる。

飾りもんのヤッパを抜く前に、一蹴りで鞘をはじかれた後、
男の身体は次々と襲いかかる衝撃に耐えるしかなかった。
保田が仲間でもない相手のためにタオルを投げ込んでやって、
それは終わりを迎える。
吉澤の息はまったく上がっていなかった。

翌日、男が死んだと聞いた時は何かの間違いだと思った。
普通の人間ならば、一週間ほど立てなくなる程度で死ぬなんて
考えられない。運が悪いことにその男は極度のシャブ中で、骨は
スカスカ身体はボロボロという本当にカスみたいな人間だったのだ。
285 名前:13 投稿日:2003/10/01(水) 22:21

顔を見てシャブ中だと気付いたときに、少しでも配慮していれば、
分裂後の吉澤の精神面の不安定さを考えれば、シャブ中でなくても
相手が危険だということは予想できたはずだ。
酒が入っていたとはいえ、保田は自分の軽卒さに呆れた。
そのことだけは今でも後悔している。
あれは吉澤一人の犯罪ではなく自分にも責任があるのだと。
だから、身代わりにも迷いは生じなかった。

当初、保田は殺人罪で起訴されたが、男が評判の悪いチンピラで
シャブ漬けだったことと、店の従業員の証言のおかげで故意ではない
という判決が下され、傷害致死罪で服役している。
上手くいけば、あと一年ちょっとでここを出られる。

若い頃にはたまにカンカンにも出入りしていたが、年少までは
行ってない保田にとって、刑務所は未知の世界だった。
それでも矢口の恩義でかなり過ごしやすいものになっている。
シャバよりいい生活というのは、仲間に会えないことを除けば
大げさではないかもしれない。
286 名前:13 投稿日:2003/10/01(水) 22:22

下手したら、10年近くここにいなくちゃいけなかったんだよね。

保田が止めに入ったのは、ぐったりとした男に吉澤がドスを抜いた
瞬間、暗い街灯の下で一瞬見えたヒカリモンに気付かなければ、
男はその場で即死していただろう。相手が死ぬというとに代わりは
ないが、傷害致死と殺人罪では刑の重みがまったく違ってくる。
保田が吉澤を止めていなければ終身刑は確実、いや、裁判の流れに
よっては死刑だって考えられた。あろうことか、吉澤は目撃者でも
ある少年達をもその標的にしようとしていたのだ。

こいつらが喋らなければいいんですよ。

そう言ってニコッと笑う吉澤に、保田は首を振ることしかできなかった。
吉澤はそんな保田を見て、子供みたいなすね方をする。
長い付き合いで、初めて見た表情だった。

なんでですか?こんなのいらないですよ。街を汚すやつらなんて
いらない…こういうのは一回死なないと治らないのに――

ぼそぼそと独り言を呟きながら、男の腹を蹴り上げる
吉澤を呆然と眺めた時の寂しさといったら凄かった。

狂ってる、手に負えない。
本気でそう思った。
287 名前:13 投稿日:2003/10/01(水) 22:24

「まだ、へらへらしてる方がましかもね」

ベットに大の字に寝転がる。何回も見上げた天井と向き合い、
保田は大きく欠伸をした。
吉澤とはあれから一度も顔を会わせていない。
裁判の傍聴にも、今より近い東京の拘置所にいる時だって
面会には一度も来なかった。吉澤のことについては、
遠足がてらに来ている辻達から聞いているだけだった。

話を聞く限り、吉澤がまともな精神状態に戻っているとは思えない。
むしろ他人に迷惑はかけていないが、内側で進行しているのは
明らかだった。何もしてやれない保田は塀の中でいつも悶々と
した思いを抱えていて、付け焼き刃だとはわかっていても、
心理学の本にまで手を出すようになっていた。
288 名前:13 投稿日:2003/10/01(水) 22:25

「石川も、面会一度来たきりじゃない」

不満そうに呟いて、薄い枕を宙へ投げる。
年明け早々、面会室で会った石川は見違えるほど綺麗に、そして
立派な大人になっていた。中澤組幹部、石川会会長という大きな
看板をきちんと背負えているのが、話を聞かなくともわかった。
半年という短い期間でこんなにも成長するものなのか、と保田は
感心するのと同時に、一抹の寂しさも感じていた。

保田が入れる茶々にも、はっきりと嫌味まで込めて言い返せるように
なった石川と話をするのは楽しいが、加入当初のうじうじと悩んでいた
石川も保田は好きだった。親心なのだろう、矢口もたまに似たような
ことを言っている。
289 名前:13 投稿日:2003/10/01(水) 22:27

それとは別に、保田は惨めな思いもわずかに抱いていた。
今や中澤組の柱となった石川と、塀の中でこんな布切れみたいな
服を着ている自分。保田だって上を目指してヤクザになった。
そういう野望を捨てたわけではない。
すっかり立場が変わってしまった二人の会話が昔のように続くわけもなく、
石川の相談事にも、保田は歯切れの悪い言葉を返すことしかできなかった。

勘のいい石川のことだ、それっきり石川が面会に来なくなってしまったのは、
保田の気持ちを察してのことだろう。石川だって、惨めな思いをさせるために
保田に会いに来ているのではないのだ。それ以来、石川とは顔を会わせて
いないが、そのかわり保田を気にかけた手紙は毎月送られてきていた。

「石川は石川で忙しそうだなー」

石川であれば吉澤を救ってくれるかもしれない――
という思いをずっと抱えてきたのだが、最近、保田が
そのことで最後に思い浮かべる人物は石川ではなかった。
290 名前:13 投稿日:2003/10/01(水) 22:29

「ごっちんも…どこで何してんのよ」

二代目中澤組の分裂前、
訪れる嵐を察知したかのように忽然と姿を消した舎弟。
その名を口にして、保田は壁に貼られた一枚の写真に目を向けた。

ファインダーの中に入ることを嫌った二人、
可愛い子分を両腕に抱えて、強引にシャッターを切った一枚だった。
真ん中にいる保田は満面の笑みでカメラを見つめているが、その両側
で首を押さえ込まれている二人は、どちらも違う方向を向いていて、
決していい写真と言えるものではない。
それでも、その一枚は保田にとって最高の宝物だった。

右腕の中には、しかめっ面でもがいている吉澤、
左腕の中には、無愛想な顔を横にそむけた少女。

写真から逃れようとする二人の行動が、それぞれの性格を滲ませている。
もう戻れない日々のことを思い出しながら、保田はゆっくりとまぶたを閉じた。


――――――――

291 名前:名無しさん 投稿日:2003/10/01(水) 22:34

更新しました。

>>274
お互いの気持ちを想像できてしまうところが、また苦しいですね。
足かせが外れた時、ものすごい展開になることは間違いない…?
よくも悪くも、どきどきワクワク感だけは持続させたいです。(w
292 名前:名無し読者 投稿日:2003/10/01(水) 23:49
いろんな意味でキタ━━━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━━ !!!!!
毎回明らかになる過去に一喜一憂してます
あーマジで読んでて面白いっす
ほんとありがとうっす
293 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2003/10/02(木) 05:01
更新お疲れ様です
後藤きましたね
どんどんおもしろくなっていきますね
294 名前:名無し読者 投稿日:2003/10/02(木) 22:07
2代目プッチだーーーー。
マジ感動。
保田も苦しんでるんだな。
過去がどんどん明らかになってきて面白いっす。
295 名前:14 投稿日:2003/10/08(水) 21:42


石川会の事務所は、新宿の繁華街から少し外れた静かな場所にある。
築20年ほどの7階建てのビル、そこの最上階が石川会の本拠地となっていて
常時、ビルの前の道路には黒い高級車が2、3台止まっていた。

一見してそれとわかる車だが、たまに道半分を塞いでしまっているこの車に
クラクションを鳴らしたり悪態をつく者がいる。大方は地方のナンバーで、
どの運転手も無人だと思っていた車から人が下りてくると、顔が一気に青ざめた。
怒鳴り声を上げて飛び出してくる男を見て、初めて過ちに気付くのだろう。

今どきめずらしい、見事なパンチパーマにダブルの黒いスーツを
着込んだ若い男、その迫力がガラス一枚向こうにある。
クラクション一つのお返しとして罵声を浴び、ボディに凹みをもらっても
文句も言わずに逃げていく、というやりとりがその都度行われていた。
296 名前:14 投稿日:2003/10/08(水) 21:45

早朝の冷えこみが増す通り、その黒い車の列の中に
一台だけ、真っ白なベンツが混じっていた。
すぐ横には目つきの鋭い男が二人、その車を見守るように立っている。
そのせいで、脇を通り抜ける車の運転手もすれ違う人々も、彼らと
目を合わせないように、不自然に視線を下や前方だけに向けていた。
これではどんな田舎者でも気付くだろう。
今日は静かな一日になりそうだ。

白いベンツが止まっている時は、
ビルの入り口付近にむやみに近づかないほうがいい。

それは地元の人々の共通の認識で、同じビルを借りている他の会社の
社員達も、車の並びに白色を見つけるとあからさまにため息をついた。
その車を使っている人物が石川会の会長であり、会長が事務所を訪れて
いる時には警備が厳しく、人相の悪い男達がエレベーター前をうろつい
ていて、通る度に睨み付けられるということを知っているからだった。

近頃ではあまり長居することはなく、1時間もすればいなくなって
いた車だが、今日は夜中にここ来てから朝までずっと止まっている。
何かあったんでは?ともめ事を懸念する近所の人々の思いを知ってか知らずか、
最上階の一番奥にある石川の部屋では、かなり早めの大掃除が行われていた。
297 名前:14 投稿日:2003/10/08(水) 21:47

「石川さーん、これも持っていきますか?」
「うーん。そうだね、それも入れといて」
「はーい、壊れ物のほう…おっととっ、うぎゃぁ」

ガシャーンという音に続いて、ドサドサッと重い響きが床を揺らす。
突如出現した箱の山を前にして、大量に舞うホコリに咳き込みながらも
石川の頭の中では、今起きた一連の出来事がもう一度くり返されていた。

おもしろいように続いた流れ。
まず回転椅子がくるりと回り、その上で両手に荷物を抱えていた人影が
バランスを崩して、ひじを書棚にぶつける。そしてその衝撃で棚と天井
の隙間に積み上げられていたダンボールの塊が、一気に飛び出してくる。
気が付いたときには溜まったホコリがパラパラと、転がり落ちたダンボ
ールの上に朝の光りを浴びて降りそそいでいた。

「ちょっとー!大丈夫?」

口と鼻を手でふさいだまま、その山を覗きこむ。
コントじみた動きがツボに入ったのか、石川の声は笑いをこらえきれていなかった。 
298 名前:14 投稿日:2003/10/08(水) 21:49

「いててて…石川さん笑ってないで助けてくださいよ」

弱りきった声と一緒に細い腕が伸びる。その手をつかんで引っぱっり起こすと、
周りを埋め尽くしていたダンボールの山が崩れ、再びホコリが舞い上がった。
その中心で豪快なくしゃみをする顔を見て、石川はまたプッと笑い声をもらす。

「高橋、顔真っ黒だよー。眉毛もつながってるみたーい」

それにくしゃみが親父くさいよ、と指差して石川がそう言うと
高橋は首にかけたタオルで顔をごしごし拭きながら、小さな声で反論した。

「だってぇ、石川さんがこんなにいらんもんためとくから…」
「ん?何?なんか言った?」
「いえいえ、なんでもないです。あっ、これすぐに片付けますから」

手伝おうとする石川に「これは自分でやります」と高橋は強い口調で
きっぱりと断る。石川もそれを聞いてすぐに手を引っ込めた。
掃除をしているといっても、石川はさっきから必要があるかないかを
伝えているだけで、実際動いているのは高橋一人だけだった。
こんな些細なことでも、舎弟の仕事に親が手をだしてはならないのだ。
会長になっても直らない自分の行動に苦笑しながら、石川はソファに腰掛けた。
299 名前:14 投稿日:2003/10/08(水) 21:53

中澤組時代からの掟で、事務所はトイレの隅から隅まで
きれいな状態にしておかなくてはならない。
特に客人の目のつくところにゴミが、髪の毛の一本でも
落ちていたら大変なことになる。
たったそれだけの事でもこの世界では組のゆるみと判断され、
あの組は教育がなってないだの、トップがダメだなど
ささいな噂から組の名を汚されてしまうことがあるからだ。

中澤が組長だった頃は今よりも厳しく、抜き打ちで事務所に突然
やってきては、姑以上の鋭さでチェックして声をはりあげていた。

お前らたるんどるわ!掃除もでけへん組は絶対大きくならん!

もともと掃除があまり好きではなかった石川は、中澤に目を
付けられていて、頭をはたかれてはしょっちゅう泣かされていた。
あの時は、掃除ごときで怒鳴りちらす中澤のことを、本気で憎たら
しく思ったこともあった。しかし、今ではその重要さを親分として
身にしみてわかっている。
別に過去の恨みをはらしているわけでもないが、事務所番の若い衆を
叱責している石川の姿を見た矢口には「中澤がのりうつってる」と
まで言われたこともあった。
300 名前:14 投稿日:2003/10/08(水) 21:54

石川会はしつけの厳しさで有名だが、そう言っている矢口の所だって
若手の教育には力を入れている。どちらの組も、事務所に一度顔を出し
ただけで尻尾を巻いて逃げていく若者が多く、そのことでお互いよく
「最近の若いのはダメだ」と、年寄りくさい愚痴をもらし合っていた。

それくらいで消える根性のない人間は中澤組には必要ない、というのは
変わらない信念で、部屋住みがなくなり、初期の頃より組員になるのが
簡単になったとはいっても、掃除など地味な作業がくり返される中澤組
の新入りたちの一日は過酷なものだった。

ただ、石川のこの部屋には組の幹部しか入れないことになっている。
自由に出入りできるのも、鍵を持っている石川と高橋の二人だけだ。
掃除をするからといって、重要な書類や札束が保管されている部屋に
盃を交わしたばかりの事務所番の人間を通すわけにはいかなかった。

初心に返る、という名目の元、石川は高橋にもまかせることなく、
ここに移ってきた時から自分の部屋は自分で掃除すると宣言していた。
301 名前:14 投稿日:2003/10/08(水) 21:55

しかし、新宿をシマとする組の頭であり、中澤組の仕事でも
重要な役割をこなすようになった石川は現在、かなり忙しい身である。
ここに事務所を構えた当初は、まだ下っ端だった懐かしい頃を思い浮かべながら
鼻歌交じりに毛ばたきを振っていたが、若い衆の目につかないのをいいことに
途中からはおざなりになり、夏に入った辺りからは忙しくて、部屋自体にいる
時間も少なくなっていた。
いつ中澤の幽霊にどやされるかと、本気で石川はひやひやしていたものだ。

つい先日完成したばかりの二代目中澤組の高層ビル。
そこには中澤組系列のテナントはもちろんのこと、本部事務所も
上層階に設置される。矢口と並んで一室もらえることになった
石川は、これを機にそちらへ移ろうと考えていた。

今の部屋を掃除したくないとかそんな理由からではない。
その気持ちが少しあったとしてもそれは後からついてくるもので、
実質、石川会よりも中澤組の仕事の割合が増えている現状では、
赤坂に腰を据えた方がよかったのだ。

車で15分もかからない距離にあるが、その短い距離を何度も往復しなくては
ならない不便さと、重要なやりとりを電話口で話すという危険性を考慮した
上でのこと。安部と矢口もその意見には大賛成だった。
302 名前:14 投稿日:2003/10/08(水) 21:57

「石川さん、これ捨てちゃってもいいですか?」
「あー空き箱だからいいよ、そっちのも一緒に捨てといて」

6畳ほどのあまり広くない部屋には、ショッキングピンクの一人掛け
ソファとマッサージチェアという石川の個人的なものが置いてあり、
奥にある木製のデスクには仕事用の古いパソコンが一台のっかっている。
元からあった家具と、後から買ってきた自分の趣味の物が混じっているせいで、
部屋はインテリアどころか、全体の色にも統一感がなくなってしまっていた。
この部屋に身内以外の人間を入れられない、もう一つの理由でもある。

アンバランスな室内で、一番堅苦しい雰囲気をかもしだしている書棚、
その前で上下ジャージ姿の高橋が腰をかがめて作業している。
がに股になっている彼女の足元を見て、石川は静かに微笑んだ。

こんな高橋を若いのが見たら、きっと驚くだろうな。

おかしな格好でダンボールの山と挌闘している、高橋愛。
石川会の若頭はこう見えても、真面目な堅物として知られていた。
303 名前:14 投稿日:2003/10/08(水) 21:59

どこか抜けていて、あせった時にはひどく訛った言葉で早口になる。
そんな彼女の可愛らしい一面を知っているのは、中澤組の中でも幹部クラスの
付き合いの長い人間くらいで、高橋が抱えている数多くの舎弟や取引先の相手
には、真面目で冗談も言わない人物として見られている。

明治通りを挟んで向こう側、歌舞伎町のど真ん中に高橋の仕事場の一つがある。
夜には無法地帯と化す風林会館一帯、区役所通りに面したビルのワンフロアを
「エアークレジット」という名で借りている。
名前のとおり金融業を行っているが、かわいらしいキャラクターのついた
カラフルな看板が出ているだけで、石川会の代紋は掲げていなかった。
受け付けに座っているのも若い女性ばかりで、ヤクザを臭わすものは一切ない。
いわゆるダミ−会社の一つであった。

支店が20店鋪近くあるこの消費者金融の社長を努めているのは高橋で、
たまに支店を訪れることもあるし、本店のある新橋には一日中いることもある。
しかし、そこで働いている受付の女性社員達は皆、高橋が石川会の人間だという
ことも、会社の資金がそこから出ているということも知らされてはいない。
304 名前:14 投稿日:2003/10/08(水) 22:00

もちろん取り立てに回るのは石川会の若い衆なのだが、そういう風貌の
連中にはこの会社に近づくことを禁じているため、裏とのつながりには
社員であっても気付かないようになっていた。

知っているのは支店長クラスの何人かの人間だけ。
中には昔ヤクザの世界に身を置いていた者もいるが、彼らの容姿や言動は
サラリーマンそのもので、元からあまりヤクザには見えない高橋の風貌も
あって、社員の中にそんな疑問を抱く人間は出てこなかった。
若いやり手の女社長だと、憧れの声をあげる社員までいるくらいだ。

ヤクザが経営している店から、わざわざ金を借りていく客はいない。
どんなに低い金利でやっていても、その背後に暴力の影があるだけで
客足は遠のいてしまうもの。それだけ気を使わなければ一般人相手には
やっていけない仕事で、その跳ね返りも大きかった。
305 名前:14 投稿日:2003/10/08(水) 22:02

女性向けのローンを組むなど、消費者金融としてのイメージが強いが、
一方で、大物を相手にした貸し付けも行っていた。
政治家や大手企業の重役、表立って借金のできない人々。
最近、その名声に関係なく懐の寂しい人が多いようで
新橋の事務所に高橋は頻繁に出入りしている。

彼らとの話し合いには、高橋が直接向き合うようにしていた。
名前や権力をふりかざして、無茶な契約を結ぼうとする勘違いした客人の
扱いに慣れている彼女に、過去の栄光なんてものが通用しないからだ。

そこでは、金を貸す側と借りる側でしかない。

初めは威勢のよかった客人も、帰る頃には肩を落とすようになっている。
返済の見込みも、担保に入る物件の価値もなければ、相手が誰であっても
高橋は首を縦には振らない。石川会にメリットある利権が絡めば話は別だが、
つり合わない条件では、高橋の前で土下座することは無意味に等しかった。
306 名前:14 投稿日:2003/10/08(水) 22:03

そこにいる時の彼女の表情はしまっていて、
どんな大物相手にも厳しい姿勢を変えることはない。

そのせいか、石川会のシノギの柱となっている金融業を一手に
仕切っている彼女に対して「融通が利かない」と文句を言う輩もいる。
だが、危ない橋は渡らない彼女が経営を掌握していたからこそ、大きな
負債を抱えずにここまで黒字を叩き出してきてこれているのであった。

それは慎重である親分の石川を見て学んだものだという。

どんどん成長していく高橋の働きは、石川の決断に何の迷いも生じさせなかった。
自分の仕事の一部と、この事務所を高橋に任せると言った時の彼女の表情は見物だった。
目を見開いて驚いた後、遅れて表れる喜びと責任の色、「任して下さい」と
力強く頷く高橋の目を見て、石川は自分の判断は間違ってなかったと確信を深めた。
307 名前:14 投稿日:2003/10/08(水) 22:04

頼もしい舎弟の後ろ姿をぼんやりと眺めていた石川の視線に気付いたのか、
高橋が振り返る。きょとんとしている高橋に、石川は正面の壁を指差して言った。

「高橋、あれも2、3個入れといて」
「あー…それなら新しいのが倉庫にありますよ」
「ううん、この汚いのがいいの」

壁にずらりと並んだ提灯、
墨で石川会と書かれた太い文字が石川を見下ろしている。
矢口にはよくダサいと言われ散々バカにされてきた提灯は、
真っ白で眩しかった部分もすっかり黄色くなっていた。

「それじゃ、私隣にいるから」
「はーい」

一通りチェックして、することもなくなった石川は大きく背伸びすると、
せかせかと動いている高橋の背中に声をかけて、部屋を後にした。


――――――――

308 名前:名無しさん 投稿日:2003/10/08(水) 22:13

更新しました。
展開するとこまでいけず…かたい内容に。

>>292
いえいえ、こちらこそ嬉しいです。
レス見て、仕掛けた罠の手ごたえを感じていたり…
これからもばんばん引っかけていきますよ。(w

>>293
出てこなくても存在感が強い人だな、と書いてみて実感しました。
気楽にやりだしたこの話が一人立ちし始めていることに、自分が
一番驚いていて、今さらながらプレッシャーを感じています。少しばかり(w

>>294
叫んでしまう気持ちがよくわかります。(w
バラバラになっていても、揃うとやはりインパクトある3人ですよね。
古き良き過去にいつまでも思いを巡らしていたいところですが、
…そろそろ現実が動きだしそうです。
309 名前:名無し読者 投稿日:2003/10/08(水) 23:55
ちゃんと一人一人にスポットがあたるのがいいなぁ
そしてそれがいつか絡みあって一つの円になるのかと思うと
楽しみで仕方ないっす
今日もまた罠にひっかかったんだろうなぁ。嬉しいのは何故だろう?w
310 名前:14 投稿日:2003/10/16(木) 18:45

「あー!あいぼん、なに一人でいい匂いさせてんのー」

石川の部屋の前は廊下でも事務所でもなく、応接間が広がっている。
若い衆が働いている事務所に出るには、もう一つ重厚なドアを開け
なくてはならない。正面が突破されたとしても、鉄砲玉が簡単に
石川の部屋に届かないつくりになっていた。

大切な客人と話す際に使用される応接間は、その先にある石川の
部屋とは違い、個人的な趣味は全く反映されていない。街のネオンを
反射させる擦りガラス窓の反対側、白い壁一面をしめる中澤組の代紋
がなければ、一般の企業の応接室とそう変わりない空間になっていた。

茶の革張りのソファーが三つ、間に大きなガラステーブルを挟んで
配置されていて、テーブルの上には、この部屋の唯一の彩りである
ピンク色のバラが一輪、柔らかな印象と甘い香りを漂わせている。
311 名前:14 投稿日:2003/10/16(木) 18:46

しかし今、そのさわやかな香りはお腹を刺激する濃い匂いに
うち消されていた。石川の目の前では、一人の少女が頬を
ふくらませて固まっている。中澤組の幹部であり、加護組の
組長でもある加護亜依の反応に、石川は含んだ笑みをもらした。

「ふーん。あいぼんって、こっそりそういうことするんだぁ」

咽をつまらせ、ゲホゲホと咳き込みだした加護の背中をさすりながら、
そういえば矢口さんが会いたがってたな、と石川が呟く。
大阪の組の仕事を放り出して、石川のところに入り浸っている加護。
そんな彼女に会いたがっている矢口の話の内容が、どういうものだか
きちんとわかっているようで、その言葉に加護はかぶりを振って弁解しだした。

「ちっ、ちがうよー。ちゃんと梨華ちゃんの分も残してあるって」
「ほんとー?」
「うん、ほら」
「え?こんなに…」

一人で食べるつもりだったのか、と石川は少しあきれ顔になる。
加護が広げた白いビニールのさげ袋の中には、おいしそうな湯気を
封じ込めたパックが三つも重ねられていた。
312 名前:14 投稿日:2003/10/16(木) 18:48

「あれ、でもあいぼんって大阪の本場ものしか食べないって言ってなかったっけ?」
「うん?あー…いや、ここのはうまいからいいの、梨華ちゃんも食べてみなって」

はいあーん、と差し出してくる加護につられて、石川は口を開いた。
おいしい?とまるで自分が作ったかのように自慢げな表情をみせる加護。
頷き返す石川の表情を見て、加護の顔にも笑顔が浮かんだ。

まだあったかいタコ焼きの中には、かなり大きなタコの身が入っていて、
一つでもかなり食べごたえがある。お世辞を抜きにして、かなりおいしい。
自然と頬がゆるんでいた石川だったが、それを食べ終わると同時に
言おうとしていたことを思い出し、再び厳しい表情で加護を見た。

「て、違うよ!あいぼん何さぼってんの?こんなのまで買いに行ってー」

大事な仕事で大阪に一旦戻ったとしても、2、3日ですぐに東京に出て
きてしまう――組長らしからぬ生活をくり返している加護は、東京では
ホテル住まいすることなく、石川の自宅マンションに居候している。

家事もしないでフラフラしている加護に、たまには働いてもらおうと
事務所の掃除に連れてきていたのだが、一瞬の隙をついて逃げ出して
いたのだった。昔からのサボりぐせは、まだ直っていない。
313 名前:14 投稿日:2003/10/16(木) 18:49

「ちがうもん、加護は買いに行ってない…」
「どうせ若いのをパシらさせたんでしょ?もう、加護組の組長たるものがー」

タコ焼きでの買収に失敗した加護は、苦い笑みを浮かべていた。
腰に手をあてて、石川はついでに矢口の代わりに説教しようと、突き
放す口調で喋り出す。が、愛くるしい目を伏せて、虚ろな表情を作る
加護を前にすると、それを最後まで言うわけにもいかなかった。
ここ最近の加護の精神の不安定さには、石川も気を使っている。
意外と落ち込みやすい加護に、攻めるような言葉をあまり言う
べきではないということは、長い付き合いでわかっていた。

「まったく、今高橋一人でやってるから…後でそれ高橋にも差し入れしてよ」
「うん」

そう言ったきり、うつむいてしまった加護にどう接しようかと
悩んでいる時、タイミングよくギッと後ろのドアが開いた。

「石川さん!お電話です」

ドアノブに手をかけたまま、高橋が早口で言う。
彼女の言葉に見える焦りの色に、石川は眉をひそめた。
314 名前:14 投稿日:2003/10/16(木) 18:50

掃除と並んで、事務所の電話番へのしつけは徹底されている。
公安やマスコミと思われる相手方への丁寧な、また曖昧でもある
対処法はもちろんのこと、声のトーンから受話器の置き方まで
事細かに指導していた。電話一つの受け答えで、その会社の印象が
決まるのはどこも同じで、その辺の指導はぬかりなく行われていた。

しかし、中には電話番に自分の名前を名乗ることを嫌がる人間もいる。
かけ出しのヤクザを人間として見ていないのだろう、お前におれの名前を
言うつもりはない、おれクラスの人間の声もわからんのか、といった感じ
のおれ様的な考えを持つ横柄な人間がまだまだいるのだ。

そのため電話番には電話番号の他にも覚えることが山ほどあった。
ミスが組の恥さらしにすぐ繋がってしまう仕事は、かなり神経をすり減ら
すようで、帰り際になると朝とは別人のような人間がそこに座っている。
ぐったりとした若い衆を見かねて、石川が声をかけてやることもあった。
315 名前:14 投稿日:2003/10/16(木) 18:52

取次ぎの際に、相手の名前や用件が出てこないのは電話番がミスをした時、
常連である人間の声を誰と判断できなくて、そのまま回されることが一番多い。
今回のもそれだろうと、今頃先輩の組員に手痛い説教とパンチを食らっている
電話番に同情しながら、石川は応接間の隅にある電話へと近づいた。

「こっちで取るわ。何番?」
「あの、それが内線なんですけどー…」
「えっ、私に内線?」

石川の顔に疑問の色が浮かぶ。
すぐ隣からかけられてくる内線は、こういう人が訪ねて来ました、とか
この書類はどうすればいいか、など、石川に伝えずとも高橋が判断できる
ものがほとんどで、仮に用件が石川にあったとしても高橋への伝言だけで
済むはずだった。

「ちがくてですねー、内線は内線なんですけど、お客さんが来ているみたいで
どうすればいいかとの事です。それは私にも判断もできないので」

その思いを察知したのか、高橋が首を振って答える。
が、それは石川の表情をますます怪訝にさせた。

「お客さん?…私、今日予定ないよ」
「あの、たまたま近くに来たらしくて…そのー松浦さん達なんですよ」
316 名前:14 投稿日:2003/10/16(木) 18:53

「えっ!?亜弥ちゃん?」

目を大きく見開いた石川に、高橋はゆっくり頷いてみせる。
高橋の目にも戸惑いの色が見えた。

「何だろう…」

白い電話を見下ろし、ぽつりと呟く。
松浦とは親しくないだけに、石川は不安になった。
たまたま近くを通ったからといって、気安く顔を見せあうような仲ではない。
それに最近では、彼女の言葉からは刺を感じることもたまにある。
突然の訪問の意図は何だろうか?
少し躊躇した後、石川は受話器を持ち上げ、ボタンを押した。

「はい、私です…ええ聞きました。すぐにこっちにお通しして」

電話を切って部屋をさっと見回す。
タコ焼きの袋を加護に持たせて、その背中を高橋の方へと押した。

「あいぼんは高橋と向こうにいてね」
「え?あの、私もいなくていいんですか?」
「うん。さすがにその格好は…ちょっとねー」
317 名前:14 投稿日:2003/10/16(木) 18:55

三本線の入ったジャージとTシャツ姿の高橋を、松浦達に見せるのは
石川会の威厳にかかわる。一人で松浦と向かい会うのも気が引けるが、
そんな格好の高橋を相席させるのはためらわれた。

「そうですよね…」

高橋も自分の姿を足下からあらためて眺めると納得したようで、
気まずそうな笑みを浮かべた。

「それじゃー私がいる!」
「え?」
「だって、最近亜弥ちゃんに全然会ってなかったし」

タコ焼きを高橋に押し付けると、加護は石川の返事も聞かずに
ソファーに座りこんでしまった。断られても居座るつもりらしい。

加護と松浦の仲のよさは折り紙付きである。
加護の話によく出てきていた松浦に、石川も初めのうちは好印象を
持っていたのだが、ふと向けられる熱い眼差しと攻撃的な言葉に、
いつの間にか松浦は、石川にとって苦手な相手となっていた。
加護がこの場にいてくれるというのは、石川にしてみれば願っても
ないことだった。
318 名前:14 投稿日:2003/10/16(木) 19:02

あんま邪魔しないでね、と了承してから石川もソファに腰を下ろす。
上座の位地にある一人掛けのソファ。
そこを空ける相手は、今では安倍と矢口の二人しかいない。
自分の立っているポジションを再認識して、石川は小さく息をついた。

「じゃあ、高橋は片付けよろしくね。それとー…
そのタコ焼き、あいぼんからの差し入れだから」
「あっ、はい!加護さんありがとうございます」
「いやいや、たっぷり食べてよー。
がんばってる愛ちゃんのために買ってきたんだから」

さも初めから差し入れとして買ってきていた素振りで、加護はしれっと答えた。
そんな加護に石川が文句を込めた視線を向けていると、高橋が奥の部屋に
戻るのを待っていたかのように、入り口のドアがノックされる。
「松浦幹部をお連れしました」という聞き慣れた声に、スッと石川の目つきは
鋭くなり、表情も一変して、会長らしい威厳に満ちたものになった。

「はいはいー、今開けますよー」

高橋の代わりを努めるように、加護がドアのロックを外しに立ち上がる。
重いドアが開くと、この部屋には似つかわしくない女の子らしい歓声が沸き起こった。
319 名前:14 投稿日:2003/10/16(木) 19:03

「亜弥ちゃん、ひさしぶりー!」
「おぉ!あいぼん、びっくりしたぁー」

やだー元気だった?と加護と手をつないで入ってきた松浦は、今日も
可愛らしい服に身を包んでいた。新宿よりも渋谷が似合うスタイルは
ヤクザのイメージからはかけ離れたもので、一人で道を歩いていれば
いろんな人に声をかけられるような、女の子な雰囲気を持っていた。

石川も上等なスーツを着ているのだが、自由に服を
楽しんでいる松浦には少し気後れしてしまうところがある。
見た目から幹部らしくいよう、と自分に言い聞かせて、石川が
服装をあまり自のでないスーツに切り替えるようになったのは、
まだ構成員だった頃、矢口達に服のセンスがないだのダサいだの
毎日のように言われていた影響が大きかった。

唯一、遊べるのはヒールやストッキングといった足下の部分だけ。
といっても、松浦のように全身自分でプロデュースする自信が
未だに持てないのも事実だった。
320 名前:14 投稿日:2003/10/16(木) 19:08

「お久しぶりです、石川さん。突然うかがってご迷惑でしたか?」
「ううん、大丈夫よ」

深々と頭を下げる松浦に、石川は微笑んでソファに座るよう促した。
加護と松浦が並んでソファに腰を下ろした時、入り口にもう一つの
人影がよぎる。開きっぱなしのドアから遅れて入ってきた人物を見て、
硬くなっていた石川の表情が崩れた。

「あっ、柴ちゃんも来てたのー」

石川の声に親しさが加わる。
御盆を手に入ってきた「柴ちゃん」こと柴田あゆみは、
石川にとって大事な友人であり、お互い気心が知れた仲だった。
しかし、親友である以前に松浦会の若頭でもある彼女に、
お茶汲みの雑用をさせているということに、石川は慌てた。

「ちょっと、柴ちゃん。そんなの若いのにやらせてよー」
「いいのいいの、そこで強引に奪ってきただけだから」
「でも…」
「あ、梨華ちゃん。後であの子達に怒らないでよ。
私が勝手にやってるだけだし、ほんとすっごい困ってたからさー」
321 名前:14 投稿日:2003/10/16(木) 19:09

「柴田!」

若い衆の処遇を心配してそう言う柴田に、松浦の鋭い声が飛ぶ。
途端に緊張が走る室内。
今までの可愛らしい笑顔が嘘のように消え失せ、松浦は険しい
表情を浮かべていた。その隣でニコニコと笑みを絶やさなかった
加護も張りつめた空気に肩をすくめ、嵐が過ぎ去るのを静かに待つ。

石川さん、と言い直して会釈する柴田に、
石川は横目で松浦の表情をうかがいながら、やめるように言った。

「そんなこと気にしなくていいのよ」

石川がまだ幹部とは程遠い位地にいた時代、中澤組と兄弟間系にあった
女崙連合会の柴田とは仕事を組むことが多く、年は違うものの柴田とは
いい友人関係にあった。
322 名前:14 投稿日:2003/10/16(木) 19:12

石川の悩みや相談事を聞いてあげていた柴田にしてみれば、中澤組の
幹部になったとはいえ、その頃の石川のイメージがまだ抜け切れて
いないのだろう。他の目を気にしていないと、今でもつい親しい口調に
なってしまっている。それは石川にも言えることだった。

「第一、私が先に柴ちゃんって呼んじゃったんだし」
「いえ、それは構わないんです。柴田は私の舎弟なので何と呼んでいただいても。
しかし、石川さんは上の人間です。柴田が馴れ馴れしく呼ぶわけにはいきません」

「…わかったわ、とにかく座って」

きっぱりと言う松浦にそれ以上対抗する気もおきなく、
石川はあらためてソファに座るよう声をかけた。
やっちゃった、という感じで舌をペロッと見せる柴田に、
石川は松浦に気付かれないよう笑いかけた。


――――――――

323 名前:名無しさん 投稿日:2003/10/16(木) 19:18

更新しました。
最前線の二人が顔合わせ…闘いの予感?

>>309
オールキャスティングと言っときながら、けっこう無計画だったので
結果オーライな感が強いですが…なるべく各人を丁寧に扱っていけたらいいかと。
ハラハラどきどきワクワクしつつ、お待ち下さいませ。(w
324 名前:名無し読者 投稿日:2003/10/18(土) 07:51
おおおっ!熱い熱いバトルが始まるのか?
何しに来たのか、それを考えるだけで怖いっす
あややファイト!w
無計画で結果オーライでもOK!
面白かったらなんでもいいんですw
325 名前:名無し読者 投稿日:2003/10/22(水) 15:02
なんと言いますか
中澤組のストーリーを読んでるとモーニング娘。も二つのチームに分けられるように
なったんだなぁとふと思ってしまいました。
単純に二つに分けるという意味ではなく上と下に分けられるという意味で。
上チームにもいろいろと苦労はあるようでとても楽しませてもらっています。
326 名前:14 投稿日:2003/10/29(水) 20:22


賑やかだったのも束の間、朝日が差し込む応接間に石川は松浦と
二人っきりでいた。時計の針は6時を示そうとしている。

こんな時間から亜弥ちゃんと顔合わせてるなんて…

想像もしていなかった展開に、石川は居心地の悪さをごまかす
ように足を組み直した。大事な話があるという松浦の言葉に
渋々人払いをしていたため、会話の繋ぎ役として頼りにして
いた加護も友人の柴田もここにはいない。

今日も天気よさそうだね、その服かわいいね―

どうでもいいような言葉ばかりが、
石川の脳裏に浮かび上がっては消えていく。
327 名前:14 投稿日:2003/10/29(水) 20:23

「加護さん大丈夫ですかね?何か寂しそうに見えるんですよねー」

言葉を探しあぐねている石川をよそに、松浦が独特の声色を響かせた。

いとも簡単に、部屋の空気を和らげてしまう松浦の声。
その言葉の意味を受け止めるよりも先に、その口調がいつものトーンに
戻っていることに石川は内心ほっとしていた。さきほどの柴田とのやり
とりが嘘のように、松浦は穏やかな笑顔を向けている。

「むこうにいた時も明るく振るまってはいても、
どこか寂しそうな目をしてましたから…
こっちではどうですか?加護さん何か言ってます?」
「うーん、特にはないけど」
328 名前:14 投稿日:2003/10/29(水) 20:24

まだまだ松浦と遊びたそうだった加護、松浦達の前ではいつも通り
元気に喋っていたが、それでも松浦には勘付かれているらしい。
石川のあまり関心のない答えに、松浦は落胆した様子で呟いた。

「そうですかぁー。あのー加護さんにそれとなく聞いてみてもらえませんか?
石川さんになら、きっと何か話してくれると思うので」
「そんなこと…わかってるわ。いつまでも大阪空けとくわけにはいかないし、
そのせいで亜弥ちゃんにだって迷惑かけてるんだもの―」

自分の方が断然付き合いが長い加護に関して、あれこれ外から言われるのが
気に触り、思わず口調が冷たくなる。しかし、そんな石川の態度を気にする
ことなく、松浦は「迷惑なんかじゃないです」と余裕さえ伺える笑みを浮か
べ、遠慮がちに首を小さく振った。
329 名前:14 投稿日:2003/10/29(水) 20:25

「――で、大事な話って?」

お茶を一口飲んでから石川がそう切り出すと、
松浦は身体を石川に近づけ、内緒話をするように声をひそめた。

「あのですねー、近くに来たからお知らせしておこうと思いまして」

そこで一旦言葉を止めて、松浦はちらりと石川に目をやった。
何でも許してあげてしまいそうになる松浦の眼差し、それが
目上の人間に対する松浦の常套手段だということは、矢口との
やりとりで分かっている。石川がそれ以上話を聞き出そうとせず、
その視線を正面から受け止めていると、松浦の方から口を切った。

「ちょっとですねぇー…石川さんには言いにくいことなんですよ」
「いいわ、気にしないで言って」

松浦のもったいぶった話し方に、石川がようやく口を挟む。
少しためらってみせるものの、有無を言わさぬ石川の口調に
松浦は自分を納得させるよう何度か頷いてから顔を上げた。
330 名前:14 投稿日:2003/10/29(水) 20:26

「わかりました…あのーこれ、けっこう
信用あるところからの情報なんですけどー」

それでも松浦の話のテンポが変わることはない。
語尾にアクセントを持ってくる松浦の喋り方は丁寧で、そこから
謙虚さまで伺えるのだが、こういう時にはあまり耳にしたくなかった。

「驚かないで下さいねー」

まっすぐ向けられた松浦の目をじっと見つめ返す。
なかなか前進しない話に苛立ちながらも、石川は黙ったまま松浦の言葉を待った。

「飯田組の吉澤さんいるじゃないですか、なんかーシャブ漬けみたいですよ」

予想していなかった名前の出現に、石川は一瞬耳を疑う。
飯田達を追い出すような恰好で中澤組に入ってきた松浦会。
その松浦が飯田組の名を口にすること事態、初めてのことだった。
331 名前:14 投稿日:2003/10/29(水) 20:27

「この前、うちの若いのがこの近くで見かけたんですけど、
かなり痩せてたらしいんですよ。雰囲気も昔とはまるで違うって…
前はクールでかっこよかったのに…実は私、吉澤さんに憧れてたんです。
だからそれ聞いてすごいショックでですねぇ―」

石川が何の反応も示さないのを見て、松浦は言葉を続ける。
言いにくいと断っておきながら、思い出話に花を咲かせている松浦。
表情とは反対に、石川の頭の中はめまぐるしく動いていた。

いったい松浦はどこまで知っていて、この話を自分に聞かせにきたのだろう。

わざわざ足を運んでまで、吉澤のことを話題にする松浦の真意が
どこにあるのか、石川は探るような視線を松浦に向けた。
332 名前:14 投稿日:2003/10/29(水) 20:30

「やっぱり吉澤さんは強くて、クールなままでいてもらいたいですよね。
その頃を知ってる石川さん的にはどうですか?そう思いませんか?」
「…さぁ?どうでもいいわ、他の組のことなんて」

松浦と腹を割って話す気は始めからない。
吉澤がシャブに手を出しているという話は、矢口から
それとなく聞いていて知ってはいたが、そういう
素振りは見せずにさも初めから興味ない返事をした。
温度差のある答え。
松浦は石川から視線を壁の代紋に向けて言った。

「同じ組にいたのに…石川さんって冷たいんですねー」
「フフッ、今の方が大事なのはあなたも一緒でしょ?」

石川が皮肉をたっぷり込めてそう返すと、松浦も口元に薄い笑みを浮かべる。
石川には、松浦の瞳の奥に鋭い光が宿っているように見えた。
333 名前:14 投稿日:2003/10/29(水) 20:31

「アヤカどうですか?春から石川さんの店においた」

石川が湯飲みをテーブルに置くのを待って、
松浦が話の流れを変えるように口を開いた。

「あやか?」
「ええ、神戸でナンバー1だった女の子ですよ、帰国子女の」
「あー!あの綺麗な人ね」

春頃にこの事務所を訪れた女性を思い出し、石川はため息混じりに呟いた。
派手な服を身に付けていても、どことなく気品が漂っていた女性。
しっとりとした大人の雰囲気を持っている彼女とそう年が離れて
いないことに、石川は少なからずショックを受けたものだ。

「すごいって聞いてるわ、こっちでももうナンバー1だしね。英語も
喋れて頭がいいから、普段あまり来ないお客さんまで来るようになったみたい」
「そうですかぁー」

それを聞いて、松浦は自分のことのように手を叩いて喜びだした。
334 名前:14 投稿日:2003/10/29(水) 20:36

石川会が経営する銀座の高級クラブに今年になってから勤め出した
アヤカは、その前は神戸にある松浦会の店で人気を一人占めしていた。

どんなに経営陣が頭をひねってサービスをつくしたとしても
結局、水商売の売り上げは女で変わる。

店でも一番の稼ぎ頭、本来なら別の組の店に移るなんてことは
許されないのだが、何事も利益最優先に見えがちな松浦会にあって
意外と松浦自身はそうでもないらしく、アヤカのたっての願いを
偶然耳にした松浦の計らいで、彼女の上京は叶ったという。
そういう所が松浦の人気の秘密なのかもしれない。
こっちに店を持っていない松浦会から石川会に直接連絡が入り、
石川が銀座の店を紹介することになったのだ。

当時、付き添いで上京していた柴田の方に用があったため、アヤカとは
あまりきちんと話はしてないが、彼女のことはしっかりと覚えている。
335 名前:14 投稿日:2003/10/29(水) 20:37

「それにかなりセクシーですよねぇ、やっぱりあんな女性に
惹かれるんですねー男の人っていうのは。あれだけ魅力的だと吉澤さんも…あっ」

しまったという表情で口に両手をあて、松浦は固まった。
ついつい口を滑らせてしまった少女、という演目だろうか。
その計算されたような動きが石川の神経を逆なでしたが、
石川はその思いを顔には一切出さずに尋ねた。

「どういう意味?」

気まずそうに顔を上げる松浦の視線とぶつかる。
松浦は何かを言いかけ、唇をかんだ。

「吉澤さんがどうかしたの?」

あーもう、じれったい。胸の奥で込み上げる苛立ちに
ふたをして、石川は松浦の目をのぞきむようにして訊いた。
目を泳がせ、松浦はわざとらしいぐらい慌てた素振りをみせる。
その一つ一つの動きに石川は腹の中で舌打ちしていた。
336 名前:14 投稿日:2003/10/29(水) 20:38

「いや、あのですねー。これ聞いても
アヤカをクビにしないって約束してもらえます?」

胸の前で両手を合わせ、松浦は懺悔するような格好で目を震わせる。

こういう風にお願いされたら、誰も断れないんだろうな…

亜弥ちゃんて凄いな、と石川は怒りを通り越し
なかば感心しながら松浦を見つめ返した。

「約束するもなにも…店のことは若い子に任せてるから、
私はどんなことにも口出しできないし、するつもりもないわ」
「そうですかー、ありがとうございます」

一瞬にして目を輝かせ頭を下げる松浦。わかっていても
この笑顔には勝てない、と石川は心の中で大きくため息をついた。
337 名前:14 投稿日:2003/10/29(水) 20:40

「あのー実は、そのアヤカが住んでるマンションにですねぇ…
吉澤さんが頻繁に出入りしてるんですよ。アヤカ紹介したのは
うちなんで報告受けてから少し見はらせたんですけど、なんか
吉澤さんがヒモみたいにアヤカにくっついてるらしくて―」


石川のこめかみがピクリと動く。
意識せずとも険しくなる表情。
幸い松浦は俯いていたので、それらを見られることはなかったが
石川の身体は急激に熱くなっていた。

松浦は、吉澤と自分の関係を知っていてこの話をしている―

そう確信を持った石川は、頬の筋肉にまで神経を行き渡らせる。
何を狙っているのかわからない以上、
こんなことで松浦にスキを見せるわけにはいかない。

どういうつもりなんだろう…

内心の動揺を抑え、石川は松浦の横顔をまじまじと見つめる。
松浦は感情を見せることなく、淡々と喋り続けた。
338 名前:14 投稿日:2003/10/29(水) 20:42

「別に何か画策しているわけじゃないと思うんですけど、
他の組の人間と関りを持つなんて御法度じゃないですかー。
一応相手が吉澤さんなんで処分はしてないんですけど…
もし何かあったら、後々問題にもなるなぁって心配してて」
「うーん、でも向こうにうちのホステス引き抜く力なんてないからね。
そんな事ほっといてもいいんじゃない?」
「へー、石川さんって寛大ですねぇー」

石川が笑いながら答えると、松浦も冗談めいた口調でそれに
合わせる。が、明らかに石川の心情をうかがっているのは、
その目を見れば分かった。腹立たしい思いをこらえて、
石川は松浦のヨイショにのっかるように喜んでみせた。

「ふふふ、そんなことないよー。亜弥ちゃんだって人のこと言えないじゃん」

やはり、自分の反応を見るためにわざとこの話を出している。
瞬間、松浦の瞳の奥に落胆の色が滲んだのを石川は見逃さなかった。
相手の腹の内をさぐり合う会話、
その経験では、いくらなんでも松浦に負けるわけにはいかなかった。

でも、今さらそんな話…私に嫉妬でもさせたかったのかしら?

微笑み合ってはいるものの、二人は全く別のことを考えていた。
339 名前:14 投稿日:2003/10/29(水) 20:44

ドンドン!


思考を中断するように、事務所側のドアが大きな音をたてる。
ノックの強さに中腰を浮かす松浦を手で制して、石川がドアに近づく。

「何?どうしたの?」
「あー!あの、たっ大変なんです!」
「待って、すぐ開けるから」

分厚いドアの向こうから聞こえる柴田の焦った声に、松浦も駆け寄ってくる。
ドアを開けると、柴田が見たこともない表情で立っていた。
大きな目が少し潤んでいるようにも見える。

そして、その後ろに突っ立っている加護の顔を見て、
石川は何か良からぬことが起きたことを察した。
白い顔をさらに青白くさせた加護は、視点の合わない目を
石川に向けたまま、唇だけを微かに震わせていた。
340 名前:14 投稿日:2003/10/29(水) 20:46

「とりあえず、中に入って」

松浦の声に柴田がすぐに反応する。
石川が外で呆然としている加護の手を引いて中に入れやるが、
ドアを閉めてからも加護は石川の手を離そうとはしなかった。

「どうしたの?柴田」
「あっ、あの電話がありまして…」

松浦の問いかけに弱々しい声で答える。いつもしっかりしている柴田の
慌てた様子に石川は目を奪われていた。はきはきとした喋り方が一転して
どもってしまっている。うまく説明できないまま、柴田は携帯をつかんだ
手を前に出した。

「あっあの、これまだ繋がってるんで…」
「ちょっと貸して」

松浦はそれを受け取り、すぐに耳にあてる。
携帯を渡し終えた途端ふっと肩から力が抜ける柴田、
その視線が石川をとらえた。
341 名前:14 投稿日:2003/10/29(水) 20:47

松浦会のことで自分には関係ない、と思って
傍観していた石川の心臓がどきりと跳ねる。
柴田の瞳が、自分に何か訴えているように見えたのだ。
石川が口を開こうとしたとき、松浦の声が室内に響いた。

「うそっ!…」

すぐに静かになる室内、携帯からガヤガヤした音が
もれているが、内容までは聞き取れない。
松浦はそれ以上言葉を発さずに、携帯を耳にあてた状態で
柴田と一度目を合わせると何故か石川の方をちらりと見た。

何で私を見るの?

目が合った瞬間、松浦が息を呑んだのがわかった。
両腕を絡め、加護は石川にぴったりと寄り添う。
石川の胸に言い知れない不安の芽が頭をもたげた。
342 名前:14 投稿日:2003/10/29(水) 20:48

「それどこからの情報?確かなスジ?…うん、間違いないのね
…わかった。そっちは情報集めといて」

数秒見つめあってから、松浦は思い出したように携帯を握り直す。
加護の力が左腕をしめつけた。

「何かあったの?」

切った携帯をぼんやり見つめたまま動かなくなって
しまった松浦に聞こえるよう、大きな声で尋ねる。
その声に松浦は一瞬目を伏せたが、少ししてから
覚悟を決めたようにまっすぐ石川の方へ顔を向けた。

しかし、返ってくる視線は弱く、石川の不安はますます大きくなっていた。

「あの…落ち着いて聞いて下さいね」

今までとは違う松浦の口調が、石川の不安に追い討ちをかける。
こんなに震えている松浦の声を聞いたのは初めてだった。
石川がこくりと頷くと、松浦は大きく深呼吸した。
343 名前:14 投稿日:2003/10/29(水) 20:50

「あの、吉澤さんが…刺されたみたいで…」
「は?」
「飯田組の吉澤さんが…殺られたそうです。
すでに一部の連中が、タマ取ったって騒ぎだしてて」

かすれてはいるが、松浦ははっきりした口調で言った。

吉澤さんが殺られた―

松浦の言葉が脳を揺らす、
その部分だけが音となってリアルに反響した。

吉澤さんが殺られた―

混乱と動揺をくり返す頭を落ち着けようとするが
考えれば考えるほど、石川の頭の中は真っ白になっていった。
思いもしない言葉が、意思に関係なく口から飛び出してくる。

「なにそれ…亜弥ちゃん、冗談でしょ?」
「いえ…。今現場に若いのが行ってるんですけど、地面が血だらけで…
近くにいた人の話だと、救急車にのせられた身体はピクリとも動かなかったって」
344 名前:14 投稿日:2003/10/29(水) 20:52

手がだらんとタンカから落ちたらしい、と言う松浦の声が遠くに聞こえる。
松浦の頬に伝う涙を見ても、石川は何も感じなかった。

「一応運ばれていったけど、あれじゃ助からないだろうって…」

ふっと左腕から力が抜ける。
加護が声にならない声を出して、膝から崩れ落ちた。

「よっすぃーが死んじゃった…」

人形のように力なく傾いた背中。
床にぺたりと座り込み、加護は遠くを見つめて呟いた。

よっすぃーが…死んだ?

再び頭が混乱しはじめる。
石川はスーツの袖についたシワに、無意識に手を伸ばした。

あいぼんは何を言ってるんだろう…

悲鳴に近い嗚咽を漏らし出した加護を、石川はぼんやりと眺めていた。


――――――――


345 名前:名無しさん 投稿日:2003/10/29(水) 20:54

更新しました。

>>324
どちらかというと冷戦でした。
それよりも主人公(だったはずの人)が大変な事に…。

>>325
分割であーだこーだ言ってたのが、この話の原点でもあります。
5期までは、悩む事なく上下に分けられてしまうんですよね。
346 名前:名無し読者 投稿日:2003/10/29(水) 23:22
ええええええええええ?
なんですか、この急展開は?静と動が一気に
いや、あの〜その〜・・・・めちゃくちゃ動揺してるわけですが?
あややと梨華ちゃん対決どころではないです
前フリうまいなぁ。完全にやられました
347 名前:名無し読者 投稿日:2003/10/31(金) 17:56
いきなり急展開ですかー!
ドキドキしながら次回待ってます
348 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2003/11/09(日) 07:56
なにやらすごいことになってきましたね!
松浦と石川の心の探りあい上手ですね
がんばってください
349 名前:15 投稿日:2003/11/28(金) 20:10


抜けるような青空の下、
アスファルトに照りつける太陽が目を眩ませる。
解き放たれた22台の車はうねりを上げ、一斉に走り出した。

加速するスピード、果敢にアタックするマシン、湧き上がる歓声。

車の群れが崩れだすと、お約束事のようにカメラは一台の車をとらえる。
次々と切り替わるカメラに一番に姿を現す赤いマシン。
F1に詳しくない人間でも知っているチーム名と
それを操るドライバーの名前がすぐに連呼されはじめた。
350 名前:15 投稿日:2003/11/28(金) 20:12

赤いボディを輝かせて先頭を突き進む王者の後方から
周を重ねるごとに迫りくる青い影、
その気配が観客の熱気を煽る。

そしてレースも終盤、順位がある程度決まってきたころ、
ついに青のマシンが王者の後ろにピタリとつける。

それぞれの牽制し合う動きに、最高潮に達した歓声がどよめいた。

時に300km近い速度で疾走する舞台、
その上で繰り広げられるまさしくデットヒートの戦い。
一直線にのびるストレートからカーブに突入する瞬間、
青のマシンがインを攻める。

白熱する画面とともに、アナウンサーの悲鳴に近い声がもれた。
351 名前:15 投稿日:2003/11/28(金) 20:15

「うぉっ!あぶなっ!…」

広い室内に響いた声もすぐに安堵のため息に変わる。
テレビの中にはすでに、攻撃をなんなくかわした王者の姿が映し出されていた。

「これ、もう決まりかなー」

熱戦を伝える大きな液晶テレビ。
そに広がる鮮明な映像と馬鹿でかい画面を見つめたまま、
大谷は口にしていたコップをテーブルに置いた。

「一度でいいからさ、こういうとこ走りたいよね?」

床に腰を下ろし、ソファに寄りかかる恰好でテレビを見ていた大谷は
視線をテーブルの向こう側に一度投げてから、再びテレビに目を戻す。
ごくりと喉を鳴らして出てきた言葉は、自然と独り言になった。
352 名前:15 投稿日:2003/11/28(金) 20:16

ビデオデッキに記される時刻は1時20分。
ネオンが色付くカーテンの向こうとは反対に、
テレビの中の空は晴天で活気に満ち溢れていた。

こんな真夜中に、しかも遠く離れた国で
こうしてテレビの前に座っている人々までもを
熱狂させられるパワーは何なんだろうか。

ピットインで交換されるタイヤ、
周を重ねるごとに増えていくアスファルト上の黒い線。

ルールも何もわからないのだが、走り回る車の音を耳にして一人
興奮していた大谷は、ふと映る戦いの跡に目をひきつけられていた。
353 名前:15 投稿日:2003/11/28(金) 20:18

「あー、マサオさん来てたの?久しぶりだね」

廊下に続くドアの気配に振り返ると、仕事の格好をしたアヤカが立っていた。
テレビに集中しすぎていたのか、玄関のドアの音にも気づかなかったらしい。

突然の家主の帰宅に「お邪魔してまーす」と挨拶をしてから
大谷はだらしなく座っていた姿勢を正し、散らかったテーブル
の上をさりげなく片付け始めた。
少し濃い化粧と高価そうな毛皮を肩にかけたアヤカの
魅力も迫力もある姿に、大谷の酔いはとっくにさめていた。

「今日アヤカちゃんお店じゃなかったの?」

台所の冷蔵庫に直行したアヤカの背に声をかける。
吉澤に誘われて来たのも、この時間アヤカは仕事でいないと
聞いていたからで、こんな夜中に他人の家に居座れるほど
大谷は図々しい性格をしていなかった。
354 名前:15 投稿日:2003/11/28(金) 20:20

返答しだいでは、すぐにお暇しようと考えていた大谷の考えを察したのだろうか。
冷蔵庫の扉をしめて振り返ったアヤカは、疲れを一切感じさせない
笑みを大谷に向け、カウンター越しにワインボトルをかかげてみせた。

「マサオさんこれ飲まない?」
「え?」
「これ今日貰ったんだけど、ちょっと付き合ってよ」

そう言ってウィンクすると、大谷の返事も待たずに
アヤカは棚からワイングラスを取り出していた。

コートをソファにかけ、そのままの恰好で隣に座るアヤカから香る
強い香水とコルクを抜く慣れた手つきに、大谷はアヤカの仕事場に
来たような錯覚を覚えていた。グラスに注がれる赤色をぼーっと
眺めていた大谷は、差し出されたグラスにおずおずと手を伸ばした。

「カンパーイ!」

コツンとグラスを合わせる。
普段ビールやら酒やら大衆的なアルコールをがぶ飲みしている大谷は、
なんだかこっ恥ずかしい気持ちでグラスに口をつけた。
355 名前:15 投稿日:2003/11/28(金) 20:22

「今晩、追い込みがあるみたいでね。お店お休みになっちゃったの」

ワイン一杯でビールに切り替えた大谷が、今日何本目かの缶を開けていると
アヤカが思い出したように呟いた。ワイン一本を一人で飲み干す勢いで
グラスを傾けていたアヤカだったが、その声はしっかりしていて
さすがホステスだな、と大谷は別のことに感心していた。

「へー、銀座に網張るなんて入管も気合入ってんなー。
でもアヤカちゃんのとこって日本人だけでしょ?」
「そうだけど、周りが騒がしいとお客さんに迷惑かかるから…」
「あーそっか。大物いっぱいいるらしいからねー」

アヤカちゃんも罪作りだなぁ、とひやかす大谷の肩を
アヤカがすぐに突き返す。愛想笑いを浮かべながらも
やっぱり酔ってるんだな、と大谷はその力強さに顔をしかめた。

「そういうネタってどっから仕入れてるの?お客さんにそっち関係の人でもいるとか?」
356 名前:15 投稿日:2003/11/28(金) 20:25

「んー…私あんまり店のこと詳しくないから」

どっちとも取れる笑みを口元に携え、
アヤカはグラスの底に残ったワインを一気に咽に流し込む。
豪快な飲みっぷりを横目に、大谷はソファにぐったりと倒れこんだ。

「やっぱ、中澤組は敵にまわしたくねーなぁ」

大谷は感心するように呟き、天井と数秒睨めっこしてから
アヤカへと顔を戻した。軽くウェーブがかった髪、
赤い口紅、ワイングラスを持つ指先は隅々まで綺麗に
手入れされていて、アヤカの仕草は全てが様になっていた。

「でもさ、アヤカちゃんもうちらと遊んでて大丈夫なの?」
「うん、大丈夫みたい。多分バレてると思うんだけど何も言われないし、他の
組っていってもマサオさん達とは昔からの仲間だから大目に見てくれてるとか…」
「そっかな」

朱がさす横顔に向けられた視線は鋭い。
アヤカの楽観的な考えを切り捨てるように、大谷が低い声でさえぎった。
357 名前:15 投稿日:2003/11/28(金) 20:28

「店は石川会が仕切ってるっていっても、アヤカちゃんの
元々のバックは松浦でしょ?梨華ちゃんならまだしも……
松浦がうちらに対して仲間意識持ってるとは思えないんだよね」

松浦会に対する思いが、大谷の口調を冷たくする。
アヤカを責めるつもりはなかったのだが、
大谷の言葉はアヤカの酔いを一気に奪っていた。

「まー…飯田組が眼中に入ってないのかもしんないけどね。
あんなのが若頭してんだもん、しょうがねーかーあははは」

俯いたアヤカの顔を上げさせようと、大谷は慌てて話を変えた。
なるべく明るい声で、話の流れを床で呑気に寝転んでいる塊に移す。
それでも揺れる髪の向こうに見えるアヤカの表情は強ばったままで、
自分の笑い声だけが広い部屋にむなしく響いた。
358 名前:15 投稿日:2003/11/28(金) 20:32

「量も回数も…どんどん増えてってるの」

なんとも言えぬ空気が漂う中、アヤカが先に口を開いた。
小さな声で伝えられる言葉とアヤカが目を伏せた先。
テーブルの上に広がる残骸を見つけ、大谷は失敗に気付いた。
話の方向転換先として、最悪な物を選んでしまっていた。

丸められた消毒綿、100円ライター、折れた割り箸、小皿に残る白い粒。
床には、中づつが押し出されたままの注射器が転がっている。

間接照明の淡い光に浮かび上がる虚構の世界。
大谷は軽蔑するような視線をそれに向けることしかできなかった。
359 名前:15 投稿日:2003/11/28(金) 20:33

「何度もあげるのやめようって思うんだけど…だめなの」

今にも泣き出しそうなアヤカの声に胸が痛んだ。
そのか細い声が吉澤の状態をよく表している。
一人で責任を背負い込もうとするアヤカの肩を
大谷は軽く叩いて言った。

「アヤカちゃんのせいじゃないって」

人の気もしらないで寝息をたてている吉澤。
その背中を凝視したまま、
大谷ははっきりとした口調でもう一度くり返した。

「アヤカちゃんのせいじゃないよ」
360 名前:15 投稿日:2003/11/28(金) 20:35

ハイテンションになったかと思ったら次の瞬間、別人のような
表情でふさぎ込み「帰る」とだけ言い残してどこかへ消えていく。

本人も気付いていない独り言、落ち着きのない視線、
分単位で浮き沈みする感情…

今年に入ってから首を傾げる行動が増えていた吉澤の
背後には、大谷も薄々シャブの気配を感じていたのだが、
だからといって、大谷自ら苦言を呈すことはなかった。

それを口にして吉澤との信頼関係を壊したくはなかったし、
それに吉澤が他人の言う事を素直に聞くようなヤツじゃない
ということも十分にわかっていたからだ。
361 名前:15 投稿日:2003/11/28(金) 20:36

そもそも吉澤とつるむようになったのは、去年起こした事件の
再発を防ぐために飯田から頼まれたことが始まりだった。

吉澤のお目付け役。
吉澤も当初はそれを察知していてよそよそしかったのだが
時間が経過するのとともにそんなことは忘れてくれたようで、
いつの間にか二人は気兼ねなくバカをしあう仲になっていた。

ここ最近本来の目的をすっかり忘れて吉澤の遊びに付き合って
いるせいか、大谷にも飯田の厳しい視線が向けられている。

心配していたケンカの方については、吉澤がすっかり腑抜けに
なってしまったこともあって、お目付け役の仕事を放棄したと
しても飯田が心配するような事態になることもなかった。
362 名前:15 投稿日:2003/11/28(金) 20:38

ここへ連れてきてもらったことは、今日を合わせても数回しかない。
自分とは縁のない高級マンション。
都心を一望できる広々とした室内は、インテリアショップを
そのまま持ってきたような洗練された雰囲気を持っていた。
置かれている家電も新しいものばかりで、テレビなんかに至っては
来る度に薄くなっていっているような気がする。

それも、アヤカの仕事を考えれば贅沢なものではないのだろう。
DVDデッキにプロジェクター、ホームシアターセットなどが当たり
前のように完備されていて、くつろぐには最高の空間となっていた。

他に吉澤専用と思われるゲームもプレステからXboxまで揃っている。
吉澤が吉祥寺の家に帰ってこないのも頷ける環境だった。
最高級の遊び道具が揃った部屋は、大谷にとっても楽しい場になるはず
だったのだが、一度来たこの部屋に大谷が味をしめることはなかった。
初めて来た時の衝撃がまだどこかに残っているせいだろう。
大谷はなるべく吉澤からの誘いは断るようにしていた。
363 名前:15 投稿日:2003/11/28(金) 20:41

行くとこに行けば、シャブ漬けの人間を何人も目にすることはあるし、
こんな生き方をしていればそういう人間と出会う回数は自然と増える。
そんな中でも、シャブを打つ人間との付き合いを極力避けていた大谷に
とって、いくら身内とはいえ、吉澤のその姿はあまり気持ちのいいもの
ではなかったのだ。

シャブを入れた直後のこう鬱としているときには、あまり
深く考えず一緒になってバカ騒ぎすることもできたが、
突如訪れる機嫌の降下にはさすがに付き合いきれなかった。

吉澤の心に根付く不安がどんなものだか知らない。
死んだような目に見つめられ、息を呑まなければならない時間を
じっと過ごせるほどの度胸を、大谷はあいにく持ち合わせていなかった。

それだけでも「アー」という吉澤の絞り出すような声が、その後
何日も耳にまとわりついたのだ。こんな吉澤と毎日のように
向き合っているアヤカの苦労は、想像することすら忍びない。
364 名前:15 投稿日:2003/11/28(金) 20:43

「アヤカちゃんも大変なのかかえちゃったね」

肩を落としているアヤカを元気づけようと、大谷が声をはる。
軽い言葉のやりとりのつもりだったが、アヤカは真剣な顔で首を振った。

「大事な幼馴染みだから…」

幼馴染みということ以外、この二人の過去については何も聞かされていない。
懐かしそうに吉澤を見つめるアヤカの眼差しに、大谷の好奇心が刺激された。

「ずっとハワイに住んでたんだっけ?
よっすぃーぜんぜん英語喋れないから、帰国子女には見えないんだよねー」

こんなやっかいなお荷物を笑顔で受け入れていること。
神戸にある実家は名家だというのにそこから大学に通うこともなく、
ハワイから帰国してすぐホステスをやりだしたことなど。
アヤカの経歴には不可解なことがいっぱいあった。

「よっすぃーより私の方が長かったから…それによっすぃーが使う英語は限られてて」
「え?ハワイって片言でも暮らせるの?」
「最近は日本人向けの店も多いみたいだから、お金さえあれば平気じゃないかな。
ただ、よっすぃーの場合はそういうんじゃなくて…日本人相手にした仕事で」
365 名前:15 投稿日:2003/11/28(金) 20:44

「仕事ってまさか、観光ガイドとかじゃないよね?」

派手な旗を持って団体を引率する吉澤を思い浮かべ、大谷はぷっと吹き出した。
今の吉澤には意外と天職かもしれないが、昔の吉澤を知っている大谷には
違和感を覚えずにはいられない。その絵づらを想像していつまでも
笑い声を上げている大谷とは対照的に、アヤカの口調は重たかった。

「向こうでは普通の人も仕事を掛け持ちするのが当たり前なんだけど、
よっすぃーはそのころから裏の仕事もいっぱいしてて、その中でも
メインだったのが…それを観光客に売りさばくやつだったの」

アヤカがあごで示した先にある物を見て、大谷の口から息がもれる。
裏切られたような視線でシャブの残骸と吉澤を交互に見つめ、
大谷は吐き捨てるように言った。

「なんだよ、そん時から手だしてたのかよ…」
366 名前:15 投稿日:2003/11/28(金) 20:48

「違う、よっすぃーは売るだけでクスリには手を出してなかった―」

吉澤を庇うようにアヤカが慌てて付け加えた。

「――ていうか、毛嫌いしてた方だし」
「毛嫌い?」
「うん。自分で売ってるくせにクスリに手を出す客のことを軽蔑してて、
クスリの恐さを身にしみてわかってたはずだから…」
「わかってたって…どういうこと?」

そこまで言って言葉を濁すアヤカに、大谷が眉をひそめる。
吉澤の背中を数秒見つめてから、アヤカはおもむろに口を開いた。

「よっすぃーのお母さんね、クスリが原因で死んだの」

静寂が肩にのしかかる。
アヤカの遠い目が複雑な色を帯びはじめていた。


――――――――

367 名前:名無しさん 投稿日:2003/11/28(金) 20:55
ようやく更新。とんでもなくお待たせしました。
狙ってたわけじゃないんですが、変なとこで止めてすみません。
あと、アヤカがいつのまにか新宿から銀座勤めにランクアップ
してますが、始めから銀座ということでお見逃し下さいませ。

>>346
そんな状態で一月ばかり放置してしまい…ご無事でしょうか?
吉澤の方はまだまだ健在です。(w

>>347
いきなり停滞もかましてしまいました。(w
ドキドキを無駄にして申し訳ないです。

>>348
松浦と石川の会話はどこか生々しさが付きまとっていて、
書いてる方もゾクゾクしっぱなしでした。そのせいかもしれません。(w

年内にキリのええとこまでいけるよう、精進していきたいと思います。
368 名前:名無し読者 投稿日:2003/11/28(金) 22:09
これまた新事実が!
よっすぃーの中はいろんなものが蠢いてるんですね。
読んでて知らない間に力入ってました。
ってアレ!?よっすぃー・・・
じらせるの上手いですねw
369 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2003/11/29(土) 07:34
更新お疲れ様です
吉澤には混沌としたものがあって惹かれますね
370 名前:聖なる竜騎士 投稿日:2003/11/29(土) 23:17
ど〜も、初めまして、「聖なる竜騎士」と言うものです。
タイトルに魅かれて読み始めたらやくざ物と言う、何とも斬新かつ面白い内容
ですっかりハマリマシタ。
吉澤を含め、色々なところで話が展開して転がる様子は、まさに圧巻です。
これからも読み続けて行きたいので、更新の程、よろしくおねがいします。
371 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/02(火) 17:47
sageような
372 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/07(日) 20:18
更新オツです。長いこと更新されてないからもう読めないかもとまで思ってましたよ
しかしそんなところで止めるとは作者様も罪作りすぎですよ。
まあでも読者としてはただ読めればいいので次回の更新をいつまでも気長にまってます。
373 名前:<訂正> 投稿日:2003/12/15(月) 16:11
>>362  吉澤が「吉祥寺」の家に帰ってこないのも頷ける環境だった。
        
飯田組の事務所は「吉祥寺」でなく「高円寺」です。
374 名前:15 投稿日:2003/12/15(月) 16:12


ブォーーン

灼熱の太陽が降り注ぐ、初夏の匂いに包まれた庭。
目で追いかけるのは、緑の絨毯の上を歩き回る赤い機械。
次々と芝が飲み込まれていく光景は、2階のテラスからも一望できた。

オセロゲームみたいに色を変えていく庭と、ムワッと押し寄せる草の臭い。
小さな頃から好きだった世界は、アヤカが17になっても変わらずそこにあった。

ブォーーン

単調な機械の音が止まるのを合図に、アヤカはテラスから身を乗り出す。
帽子が風にさらわれないよう頭を手で押さえながら、
アヤカは真下に近づいてくる人影に元気良く声をかけた。
375 名前:15 投稿日:2003/12/15(月) 16:13

「ハーイ、トミー」

振り返る頭めがけて、きんきんに冷えたオレンジジュースのボトルを落とす。
首にかけていたタオルから手を離し、トミーは片手でそれを簡単にキャッチ
すると、被っていた麦わら帽をずらして白い歯をこぼした。

「サンキュー、アヤカ」

眩しいほどの笑顔。
重労働の疲れを感じさせない輝きに、アヤカは目を細めて微笑んだ。

「ねぇ、この後まだ仕事入ってる?」

ゴクゴクとおいしそうに咽をならすトミーにだけ聞こえるよう、
アヤカは声をひそめて尋ねる。口をつけたまま首を横に振る
トミーを見て、アヤカは嬉しそうに付け足した。

「それじゃ、海行こうよ。今日波いいんだって」
376 名前:15 投稿日:2003/12/15(月) 16:13

「―いいけど、もうすぐテストあるんじゃないの?」

あっという間に一本飲み終えたトミーは、
ニヤニヤと頬を緩ませてアヤカを見上げる。
ノリの悪い答えにアヤカは口を尖らせた。

「こんな晴れた日に勉強なんかできるわけないでしょ。
行くの?行かないのどっち?」
「行きます、行きますとも…お嬢様の言うことには逆らえませんから」

くれぐれもお母様に見つからないようにね、と余計なメッセージと
ウィンクを残してトミーはくるりと背を向ける。
小馬鹿にしたような笑みを終始浮かべていたトミーに
言い返す間もなく、その背中はずんずんと離れていった。
377 名前:15 投稿日:2003/12/15(月) 16:15

トントントン!

その直後、勢いよく背後のドアが音をたてた。
アヤカは振り返った状態で固まり、
テラスの上から部屋のドアをじっと見つめる。
突然の来訪者に、浮き足立っていた心は
冷や水を浴びせられたように冷たくなっていった。
せっかちなノックをするのは母親しかいない。

が、次にドアの向こうから聞こえてきた母親の声は
アヤカの表情を一変させるものだった。
今までの会話が筒抜けだったのでは、と心配する
アヤカをよそに、その声はやけにはずんでいた。

「アヤカ、私今晩お食事に誘われちゃったから出かけてくるわ。
パパも一緒だから遅くなると思うけど、後はケリーにまかせてあるから」
「大丈夫よママ、楽しんできてね!」
378 名前:15 投稿日:2003/12/15(月) 16:16

母親の乗った車を満面の笑みで見送った後、アヤカは一直線に部屋の
ドアに向かい、外側に睡眠中のカードをぶらさげてからカギをかけた。
急いでラフな恰好に着替え、テラスからいつも使っている脱出用の
ビニールバックをさっきまでトミーが立っていた場所に落とす。

横にある柱を慣れた動きで滑り降り、バックを拾うと、
ハウスキーパーのケリーの声が遠くにあるのを確認して、
アヤカは芝の蒸した香りが立ちこめる庭を足早に駆け出した。

どこからか湧いてくるエネルギー。

家からこっそり抜け出して遊びに行くだけのことなのに、
この瞬間、アヤカは自分の胸が踊っているのをいつも感じていた。
379 名前:15 投稿日:2003/12/15(月) 16:17

荷台に赤い芝刈り機をのせたトラックが目印。
何度も塗装をくり返している青い車体は、それがなくても
トミーの車だとわかるほど個性的に改造されていた。

「今日はどこに行きますか?お嬢様」

やかましいエンジン音を響かせている助手席に滑り込むと、
トミーは意地悪な笑みを再びアヤカに向けてきた。
付き合ってられない、と心の中で軽くため息をつきながらも、
アヤカは不機嫌な表情をつくろって、その子憎たらしい顔を
無言でじっと睨み返す。
すると、本気で怒ったと思ったのか、トミーは小さく肩を
すくめてから何事もなかったかのように親しい口調で喋り出した。

「オーケオーケー、アヤカはどこがいいと思う?さっきラジオではねー」

いつも、こうしてからかわれては誤魔化されている。
仕返し変わりにアヤカがしばらく黙っていると、
トミーの独り言はだんだんと小さくなっていった。
380 名前:15 投稿日:2003/12/15(月) 16:18

「マカハにしよう。観光客も少ないし」

沈み込んでいく横顔を見かねてアヤカが答える。
単純なトミーはその声にぱっと輝きを取り戻したが、
マカハ?と怪訝そうに呟くとすぐに顔を曇らせた。

「遠くない?すぐに帰ってこれないよ」

トミーの言うとおり、そこへ行くには車でも1時間以上かかる。
炎天下の中働いていたトミーに運転させるのも酷なことだとは思うが、
やたらと絡んでくる今日のトミーは、まだそれほど疲れていないように見える。
渋っている吉澤の横で、アヤカは前方を見据えたままぼそっと呟いた。

「それじゃあ、近くのクイーンズでもいいけど…」
「ノーノーノー、マカハまでドライブしよう!」

近場のビーチはいい波がくることよりも、男同士のカップルが
多いことで有名で、そこに女二人で乗り込むにはかなり勇気がいる。
アヤカの怒りがまだ収まっていないことを悟ったのだろう。
トミーは文句も言わず、マカハに向けて勢いよく車をスタートさせた。
381 名前:15 投稿日:2003/12/15(月) 16:19

ガタガタと振動が伝わってくるシートも何もかも、アヤカが普段使って
いるものとは対極にある代物で、あまりいい乗り心地だとは言えない。
けれど、ここに座った時の気分は最高で、それはどんなにいい車でも
味わえないものだと、アヤカ自身よく分かっていた。

何かと厳しい家から自由に遊びに連れ出してくれるこのトラックは
どんなにボロボロでも、アヤカにとっては大切な車だった。

鼻歌混じりにハンドルを握っているトミーもそう、
学校以外での唯一の友人。
ハワイでの生活の記憶しかないアヤカにとって、トミーという
愛称で呼ばれている日本人の友達は貴重な存在だった。

小さな頃から知っている、大事な大事な幼馴染み。

吉澤ひとみという本名を知ったのは、つい最近、日本に来てからのことだった。
382 名前:15 投稿日:2003/12/15(月) 16:19

アヤカが初めて吉澤に会ったのは、大好きな家の芝の上。

きちんと顔を合わせて挨拶したわけでもなく、それはアヤカが
一方的に小さな姿を見つけたと言った方がいいかもしれない。
いつも芝刈りと庭の手入れに来ていたおじいさんの助手として
ついてきていた吉澤を、その格好からアヤカは当初男の子だと
勘違いしていた。

8歳になる頃から芝刈りの仕事を手伝っていた吉澤の家庭
環境は豪邸に住み、使用人を何人も抱えているアヤカには
想像できない世界で、アヤカはずっとお喋りしたいと思っていた。

しかし、両親や世話をしてくれているケリーに業者の人達と
会話をしてはいけないと口酸っぱく言われていたため、アヤカ
は堂々と庭に降りていって彼女に話しかけることはしなかった。

それにそんなことをしたら、吉澤や仕事に来ているおじいさんに
迷惑がかかってしまうということも、十分にわかる歳だった。
383 名前:15 投稿日:2003/12/15(月) 16:20

それでも親達の目を盗んでは吉澤に近づいた。
なぜか危ないと言って学校に通う以外、家からあまり出して
もらえなかったアヤカにとって、吉澤は一番近い年齢の子で
話しかけずにはいられなかったのだ。

初めの頃、人見知りなのか全然打ち解けてくれなかった
吉澤も時間がたつにつれ子供らしい笑顔を見せ始める。
半年もすると、今度は吉澤の方から捕まえた毛虫を二階の
テラスに投げ込んできたりして、アヤカはやんちゃな妹に
手を焼くようになっていた。

それでも、次第に仲良くなっていく中、吉澤が自分の
生活や生い立ちについて自ら触れることはなかった。
チャイナタウンに母親と二人で住んでいる、という情報を
ハウスキーパーの一人から悪い噂とともに教えられていた
せいか、アヤカもそれをわざわざ知ろうとはしないでいた。
384 名前:15 投稿日:2003/12/15(月) 16:21

そういう関係で何年も過ごしてきた二人。
吉澤が自分のことをアヤカにもらしたのは知り合って5年後―
――吉澤の母親が死んだ翌日のこと。

彼女の口から出てきた言葉は衝撃的で、悲惨だった。

「あの女、よだれたらして鼻水出して、ぐしゃぐしゃな顔で
倒れてたんだ。最後はクスリにのまれてさ…ぶざまな死に方だよ。
やってた男には逃げられてるし…まぁ、手に10ドル握らされて
たから、らしいっちゃらしけどね」

母親のすさんだ生活とそのみじめな最後。
そして母親のことを他人のように呼び、卑下する彼女の姿。
ハハハと力なく笑う吉澤は、アヤカの中に存在する
かわいい妹像とはまるでかけ離れていた。
385 名前:15 投稿日:2003/12/15(月) 16:22

今でこそ、洒落たレストランやアートギャラリーがチャイナ
タウンに軒を並べているが、吉澤と母親が住み着いた当時、
そこは安全という言葉からは程遠い、殺人などの凶悪犯罪が
多発する危険な一画であったのは有名な話で、つい最近の
汚れた歴史についてはいろんなところで耳にする。

昼間から酔っ払いや浮浪者が路上を占め、
夜になれば街灯の下に売春婦が立つ街。

選ぶどころかまともな仕事すらない海外の地で、小さな子供を
抱えた吉澤の母親がチャイニーズタウンに流れついた後、その薄暗い
街灯の下に立つのにも、そんなに時間はかからなかったのだろう。

底辺で生き延びるすべ、やっと手に入れたギリギリの生活。
しかし、それも長くは続かなかった。
386 名前:15 投稿日:2003/12/15(月) 16:23
時代の変化とともに観光化していく街、
チャイナタウンの取締りに市が本気で乗り出してきたのだ。
明るい街灯が路上を照らし、あらゆる箇所に防犯カメラが顔を出す。

突如向けられた目に、犯罪にどっぷり使っていた経営者は次々と
姿を消していき、住人はほとんど入れ代わることとなった。
その過程の中で、吉澤達も街を後にする。

だが、住まいが変わったからといってそう簡単に割のいい仕事が
見つかるわけもなく、ワイキキに流れ着いてからも吉澤の母親は
通りに立ち、クスリを飲み続けることしかできなかった。

仕方なく手を染めた世界、
生温い空気は母親を包み、いつからか薄暗い光りを求めさせていた。
387 名前:15 投稿日:2003/12/15(月) 16:25

日系人に対する視線が厳しかった時代が
そう遠い昔の話ではないということは、
アヤカも両親から幾度となく聞かされて知ってはいた。

吉澤がハワイに来たのが3歳の時だったと聞いていたので、
そういうことと何かしら関わってるのではと不安に思っていたが、
それが母親という近い位置にあることにアヤカは驚きを隠せなかった。

自分とは違う世界に住んでいる。

アヤカにとって、吉澤はそういう言葉で簡単に片付けてしまえる友人ではない。
しかし、その思いを軽んじるように、
がく然としているアヤカの反応を吉澤は楽しんでいたように思えた。

388 名前:15 投稿日:2003/12/15(月) 16:25

「これで一人で生きていける」

嬉しそうにそう締めくくった吉澤は、その後すぐに母親のいなく
なったワイキキのコンドから離れ、マキキにアパートを借りた。

最近とくに治安が悪くなってきている地区で、吉澤はそこへ住み
慣れるかのように、いろいろな仕事にも手を染めはじめていった。
本人が口にしなくても、稼ぎが今までと全然違うということは
身に付けているアクセサリーからすぐに分かった。

大人っぽい雰囲気を持っているといっても、
まだ13歳だった彼女がどうやって部屋を借りられたのか。
2つ足りない年齢で、車の免許証とトラクターをどこから
入手してきたのか。

アヤカの背をいつの間にか追いこしていた吉澤が、一年という
短い期間ですっかり大人の顔になっていたのは確かだが、
それだけではフォローできないことがいくつも目についた。
389 名前:15 投稿日:2003/12/15(月) 16:26

その一方で、吉澤はアヤカの家の芝刈りという低賃金な
バイトだけは辞めようとせず、おじいさんが引退した後も
大してお金にならない仕事をそのまま引き継いでくれていた。

「ここの庭好きなんだよね。なんかほっとする」

一度だけ、辞めない理由を聞いたことがある。
ボランティアだよ、と言って庭を眺める吉澤の横顔は
昔と少しも変わっていなかった。

自分の知らないところで成長していく吉澤の心に、
わずかでもまだその思いがあるとわかっただけで満足だった。
吉澤の生活に関しても、アヤカは今まで通り口を出さないで
そっと見守ることにした。
390 名前:15 投稿日:2003/12/15(月) 16:27

不自由のない暮らしをしている自分に、言える言葉は一つもない。

心配が喉元までこみ上げてくる度に心に浮かぶ虚しさ。
温室育ちの自分と外の空気を吸い続けてきた吉澤。
本当の姉妹みたいだと思っていた関係も、今回のことで、
二人の間にある境界線がアヤカにははっきりと見えていた。

吉澤を通して見えた世界、
普段なら気にもしなかったことにアヤカは頭を悩ませるようになる。

良くも悪くも、吉澤との出会いはアヤカの人生を大きく変えていった。


――――――――
391 名前:15 投稿日:2003/12/15(月) 16:27

「トミーっていう面構えじゃねーよな」

受け止める事が多すぎる。
何から口にすればいいのか迷った末、大谷が触れたのは
下らないくだりだった。それでも、張り詰めた空気を
緩めるよう発せられた言葉はアヤカをわずかに微笑ませた。

「でもさ、何で二人とも日本に来たの?あいつはともかく、
アヤカちゃんはお嬢様でしょ?こんな仕事しなくても…」
「私、お嬢様なんかじゃなかったのよ」
「へ?」

さらりと返ってくる答えに、大谷は気の抜けた声を上げた。
392 名前:15 投稿日:2003/12/15(月) 16:28

「だって大豪邸に住んでたんでしょ?今言ってたじゃん」
「うん、18まではね―」

一度目を閉じてから、
アヤカは自嘲ともなんとも言い難い笑みを唇に浮かべた。

「――18歳までは…何も知らないお嬢様でいられたんだ」

プチッとテンポ良く続いた会話が途切れる。
どう考えても笑顔になるような話の流れではない。
言い淀むアヤカの暗い表情に、おいおいまだ何かあるのかと
大谷は重々しい響きを感じ取っていた。


――――――――

393 名前:名無しさん 投稿日:2003/12/15(月) 16:35
更新しました。誤字のないことを祈りつつ…

>>368
まだまだ色々ありそうです。
読み返してみて、自分でも引っぱり好きな小説だなと感心しております。(w

>>369
吉澤に限らず、仕事柄?みんな複雑な過去を持っているので、
一人一人そう思ってもらえるように書いていきたいと思います。

>>370
ご丁寧にどうも、ハマっていただけたようで何よりです。
吉澤のTシャツネタでついたこのタイトルに惹かれたとは…作者名利につきます(w
といっても、時間がたったせいかタイトルと内容のギャップも最近薄れてきてますね。
394 名前:名無しさん 投稿日:2003/12/15(月) 16:45
>>371
そうですね、血なまぐさい話が多いので基本方針はそんなところですが、
正直どっちでもいい感じでもあります。投げやり(w
個人的には2chブラウザを使ってるので、アガってること自体気付かないことが多く、
age,sageの問題点は今のところほとんど感じていません。

が、むやみに上にいるのもキツイですし、下に埋もれている心地良さも
あるので、この機会に『sage』ということで決めておきましょう。
そして、うっかりageてしまっても気にしないという方向で。

ただ、普通のブラウザから見る場合にはネタばれする危険性があるので
アガってる時には適当にレス隠しをお願いします。(問題点はこれくらいですよね?)

>>372
お待たせしました。なぜかタイミングいい(悪い)ところで忙しくなりまして…
次はきりのいいところで休むので安心して下さい。(w

冗談は抜きにして、次回更新後、お正月休みを少し頂こうかと思っています。
395 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/15(月) 20:09
なんつーか、一言では言い表せない過去ですねって当たり前か
まだ何かあるような感じで、上手いことのせられてる気が・・
ほんと引っ張るの好きですねw
こうなりゃとことんまで引っ張られますよ
396 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/01/08(木) 21:18
hozen
397 名前:15 投稿日:2004/01/10(土) 21:49


「わたしね、2回誘拐されたことがあって…」
「は!?ゆうかい?」

突拍子もなく出てきた言葉に大谷は耳を疑う。
アヤカは床の一点を見つめ、小さく頷いた。

「一回目は小さかったから記憶になくて、後からママに聞いただけ
なんだけど、二回目は18の時で…今でもはっきり覚えてるの。
…ほんともう少しで殺されるところだった」

恐怖がまだ身体のどこかに残っているのか、
ぼそぼそと喋るアヤカの横顔は次第に苦渋の色を帯びていった。

「そっかー。でも良かったじゃん、無事でさ。
まぁ、金の方はかなりふんだくられたんだろうけど」

無理してまで話してくれなくてもいい。
沈み込むアヤカに、大谷はその話題をこれで終わりにできるよう
そっけなく言い返す。
が、アヤカはそれを否定するかのように重々しく首を振った。
398 名前:15 投稿日:2004/01/10(土) 21:51

「違うの。お金目当てじゃなくて、たぶん私を殺すつもりだったと思う」
「え、何でアヤカちゃんを…」

大谷は途中で言葉を飲みこむ。
ぱっと浮かんだ疑問もすぐに消えていた。

今みたいに化粧をしてなくても、アヤカは十分目立つ顔だちをしている。
金でなく、少女自身を執拗に狙う連続殺人鬼。日本とは比にならない
猟奇的な事件のターゲットに彼女がなるのも不思議ではない。
よく助かったもんだ、と以前テレビでやっていた似たような事件を思い出し、
気がつくと残酷な結末をアヤカにかぶせていた大谷は慌てて頭を振った。

「見せしめ、パパへの見せしめよ」

今までにない勢いと苦々しい口調に、見当違いなことを
考えていた大谷はきょとんと顔をつき出したたまま固まる。

みせしめ?

終始目線を落としていたアヤカが顔を上げる。
その眼は、正面の壁に鋭い視線を送っていた。
399 名前:15 投稿日:2004/01/10(土) 21:53

「マサオさんならわかるでしょ?組織の中で問題を起こしたらどうなるか」
「ソシキ…え!?組織の人間って」

どういうことなのか、と首をひねる大谷と目を合わせることなく、
アヤカは壁に掛けられた絵に視線を預けたまま話を続けた。

「パパはホテルとかリゾート開発の仕事をしてる会社の社長だって
小さい頃からずっと聞かされてたんだけど、それが全部嘘だったの。
実際は…地元マフィアの一員でね、パパはコカインの製造から販売まで
手がけていたグループのボスだったのよ、ほんとおっかしいよね」

クスっと笑い声を漏らすアヤカ。
表情とは反対に、その手は膝の上でかたく握りしめられていた。

「よっすぃーに対して裏の仕事はよくないって思ってた自分が
そっちの世界にどっぷり浸ってたなんて、笑っちゃうでしょ?
よっすぃーもそのこと知ってたのにずっと黙っててくれて…
知らないで脳天着に笑ってたのは、私だけだったんだ…」
400 名前:15 投稿日:2004/01/10(土) 21:57

大谷に息をつかせる間もなく、アヤカは一気に喋った。

堤防が決壊したかのように吐き出される言葉、その波に見えかくれする感情。
ずっと向こう側の人間だと思っていたアヤカが初めからこちらの世界に
産み落とされていたという事実に驚愕したものの、話の途中から
大谷は親近感とはかけ離れた、同情に近い眼差しをアヤカに向けていた。

「よく助かったね」

感慨深げに呟かれた声がリビングに響く。
天井を仰いでから、大谷はもう一度くり返した。

「ほんと、よく助かったよ」

組織の厳しさを身を持ってしっている人間にとって、それは大げさな言葉ではない。
地下に潜っている世界で逃げ道を探すのは難しいのだ。
一度上に目をつけられれば、そこでジ・エンド。

クスリを横流しして自分の小遣いを稼いでいたと思われるアヤカの父親。
大金が絡んでいるはずだ。
逆に助かったという事実の方が、大谷には信じられなかった。
401 名前:15 投稿日:2004/01/10(土) 22:00

「よっすぃーが助けてくれたの」
「は?…だってこいつまだガキでしょ?」

疑問を解消するために発せられた言葉は、大谷をますます混乱させた。
寝返りをうつことなく突っ伏している背中に、無理だと大谷は言い切るが、
アヤカは相変わらず吉澤に頼もしい視線を向けていた。

「14くらいだったかな?…見た目でいえばよっすぃーは大人っぽかったよ。
4つ違う私ともほとんど変わらなかったし、年下なのに私よりしっかりしててね」
「えー!でも一人でマフィアとやり合うなんてさー、いくらなんでも無理あるって」
「あー、ちがうちがう。そういう意味じゃないの」

そんな無茶苦茶な奴ならば、おもりの辞退も考えなくてはならない。
一抹の不安を覚えながらあり得ないと連呼する大谷に、アヤカは苦笑しながら手を振った。

「よっすぃーは情報を流してくれただけで、別にマフィアとやり合ったわけじゃないわ。
よっすぃーは仕事でマフィアの末端の人と関わってるでしょ?それで、たまたまパパの
噂を耳にしたみたいで、直前に教えてくれただけよ。誘拐っていうか未遂だったの」
「あー、なんだそういうことか…」

勘違いに気付いた大谷は、ほっとしたような声を出した。
402 名前:15 投稿日:2004/01/10(土) 22:02

「でもね、ほんと瀬戸際だったみたい。強引に遊びに誘われて
よっすぃーのトラックで学校を抜け出してなかったら、いつも通り
家の車で帰ってたらヤバかったって。パパの周りはもう敵だらけで…
私はわけがわからないうちに母親に連れられて飛行機に乗ってたの」

アヤカはそこまで言うと小さく息をついた。
拳からほぐれた指が水のボトルに伸びる。
沈黙が降りる中、大谷もつられるように缶ビールにそっと手を伸ばす。
プルトップを開けただけのビールはまだずしりと重かった。

ごくりという音が耳もとで鳴る。
気が抜け、すっかり温くなったビールに顔をしかめつつも
大谷はもう一度それを口に含む。
今までの話を反芻しながらゆっくり飲み込んでいった。

「で、アヤカちゃんはそのまま日本に?」
「そう、どこかで身を潜めて暮らす予定だったんだけど、そのマフィア自体が
州警察に摘発されたおかげで、少ししてから神戸のママの実家に預けられたの」
「一人で?」
403 名前:15 投稿日:2004/01/10(土) 22:03

「うん。ママは連絡するつもりだったのかもしれないけど、
私もその後すぐに飛び出したから…お母さんとはそれっきり」

会っていない、とアヤカは静かに首を振る。
もう吹っ切れているのか、その表情はやけに落ち着いていた。

「あっ、家出たのは別にいじめらてたとかじゃないからね」

黙り込む大谷の思考を見すかしたかのように、アヤカはあっけらかんと言う。
自分に話したことで少し楽になったのか、いつの間にかアヤカの周囲には
リラックスした空気が戻ってきていた。

「むしろ親切にしてもらってたの。みんないい人ばっかりで…
だけどそれが逆にきつくてね。それじゃ、今までと変わらない生活でしょ?
自分の力でどうにかしたかったから―」

さっきまでかたく閉じられていた指が髪に伸びる。

「――まぁ、あんまり胸はれる仕事じゃないけどね」
「いやいや、立派だよ」

真剣な表情で即答する大谷に、アヤカはありがとうと短く微笑んだ。
404 名前:15 投稿日:2004/01/10(土) 22:06

「こいつが命の恩人ねー」

アヤカが吉澤を大切にする理由は想像以上に深いものだった。
もしかしたら彼女は父親の罪までも背負っているのかもしれない。
一人ハワイに残された父親の行方を聞くのは酷な気がした。

「情がないのは、生まれつきじゃなかったのか」

突如この世界に現れた吉澤、その基盤がハワイのマフィアにあったのならば
その狂暴性も納得できたが、アヤカの話を聞く限りそうではないようだ。
アヤカを送りだし、日本で名を上げるようになるまでのわずかな期間に
吉澤にいったい何があったのだろう。

「一見クールを装ってるけど、根は優しいからね」

神妙な面持ちで吉澤を見ている大谷とは対照的に、アヤカは微笑みながら呟いた。

クールか…そんなんで済ませられるような奴じゃなかったんだけどね―

アヤカは中澤組時代の吉澤を知らない。実物を見ると聞くとでは大違いだ。
二人が6年ぶりに再会したのはいいことだったのかもしれない。
405 名前:15 投稿日:2004/01/10(土) 22:09

「よっすぃーが日本に来てるなんて思わなかったから、すごいびっくりしたんだ」

アヤカが急に振り返る。
眉間に寄せていたしわを慌ててほどき、大谷はその輝く笑顔と向き合った。

「あー…あの時はね、うちらの方が驚いたよ」

一転したアヤカの表情に合わせるように、暗い話題を頭の隅に追いやった。
かわりにその時の光景を思い浮かべ、大谷はしみじみ呟く。
するとその隣でアヤカは吹き出し、嬉しそうに言った。

「フフッ、二人とも逃げるのに必死だったよね」
「だってさー、いかちー車が急に目の前に止まるんだもん。
チャカはじかれるかと思ったんだって」

朝方うろうろしてた二人の前にピタリと横付けされた外車。
見覚えのない車にぞっと嫌な気配を感じた二人は、黒い
フィルムの向こうを確かめることなく走り出していたのだった。
406 名前:15 投稿日:2004/01/10(土) 22:10

「でも、私が窓から顔出しても逃げようとしてたでしょ?」
「だって第一声がトミー!なんだもん、人違いって思うでしょ。ふつー」

それを聞いて、逃げる吉澤の足が速度を増していたのは事実。
大谷が吉澤の腕をつかんでいなければ、あのまま逃げ切るつもりだったはずだ。
吉澤はアヤカとの再会をなるべく避けたかったのかもしれない。
大谷は慎重に言葉を選んで付け加えた。

「まぁ、よっすぃーは恥ずかしかったんだろうね。たまにトミーって言うと怒るし」

「ううん、私と会いたくなかったんだと思う…ハワイのこと思い出すから」

アヤカも同じことを考えていた。
変な気づかいは必要なかったようだ。
再び空気が重くなるのでは、と警戒するが
ぽつりと呟くアヤカの横顔に曇りの色は見えない。
それどころか安堵した様子で、吉澤を見つめていた。
407 名前:15 投稿日:2004/01/10(土) 22:11

「英語できるのに話さないようにしてるのも、そういうことだと思う」

アヤカの言葉に、大谷からえっという小さな叫びが上がる。
目を丸くして動きを止める大谷に、アヤカは胸の前で手を合わせた。

「片言で生活してたっていうのはウソ、ごめんね。
昔のこと全部話さないつもりだったから」
「いや、そんなことはいいんだけど。英語が話せるなんてショックかも」
「よっすぃーはペラペラなはずだよ。ネイティブの人と変わらないと思う」
「まじかよ。…じゃあ、OK牧場ってのもあながち嘘じゃなかったんだなぁ」

そう感心しているとアヤカが摩訶不思議な顔で大谷を見た。

「…OKボクジョー?」

その頭上には明らかに疑問符がついていた。

――――――――


408 名前:16 投稿日:2004/01/10(土) 22:12

見覚えのない天井、壁紙、時計、ソファ…

肩に触れる感覚に目を覚ますと、アヤカがすぐ横に立っていた。
スウェットの上下、風呂上りなのか髪が湿っている。
見たこともないラフな格好のアヤカに、誰とわかるのに数秒かかってしまった。

「ごめん、起こしちゃったね」
「あーううん…」

冬に入り朝方はかなり冷え込む。
リビングの床に直接寝ていた大谷に、アヤカが毛布をかけようとしていたらしい。
重たい体を起こすと、背中のあちこちが痛んだ。

「はぁー、今何時?」
「えっと、5時半くらい」
「げっ…もうそんな時間?」
409 名前:16 投稿日:2004/01/10(土) 22:13

カーテンの隙間からもれる光に目を細めて、室内を見回す。
ソファの上に毛布に包まれた吉澤が寝転んでいた。

「あれじゃ当分起きないよな…んー、しょうがない。
よっすぃーには先に帰ったって言っといて」
「えっ、もう帰るの?」
「うん。出勤前にソニンのバイク持って帰らないと」

吉澤がソニンの愛用しているバイクを勝手に持ち出して5日、
ソニンの機嫌の悪さに恐々としている組員のことを思うと、他人事ではなかった。
それに手ぶらで返ったら、ソニンの怒りのほこ先が自分に向く可能性が大きい。
バイク?と聞き返すアヤカに事情を説明し、
代わりに乗って帰ると伝えるとアヤカは申し訳なさそうに謝った。

「ごめんね。ほんとはよっすぃーがやらなきゃいけないのに」
「いいって。ついでだし、電車で帰るのもだるいから」
410 名前:16 投稿日:2004/01/10(土) 22:16

立ち上がると、慣れないワインをのんだせいか頭がくらくらした。
腫れぼったい目をこすりながら上着をつかみ、玄関に向かう。

薄汚れた軍手、ステッカーだらけのヘルメットに
キーホルダーがじゃらじゃらとついた鍵。
廊下に点々と転がっている、こことは場違いな物体を一つずつ拾っていった。

「バイク寒いから、これ着ていってよ」

一度奥の部屋に引っ込んでいたアヤカは小走りに追いかけてくると、
吉澤が最近よく身につけている黒のダウンを大谷の前に差し出した。

「ん?大丈夫だよー。これ薄いけど結構あったかいんだ」
「でも…」
「いいのいいの。それにそれよっすぃーのお気にでしょ?
汚したりしたら後が怖いし。じゃ、急ぐから」

玄関にある時計をちらりと見る。
大谷は靴のつま先をトントンと床にあてながらドアに手をかけた。

「また来るね」

411 名前:16 投稿日:2004/01/10(土) 22:18


9、876…5…4…


エレベーターの中、大谷は減っていく数字を背に鏡と向き合っていた。

「うわー、ひっでー頭になってる…」

髪をつまみ根元をのぞかせる。目立ち始めていた黒色は
戦火を逃れていたが、大谷は大きく肩を落とした。

いくら飲んでたとはいえ、うかつだった。

そろそろ黒にもどそうかな、と大谷がぼそっと呟いた言葉。
それを聞き逃していなかった吉澤が、自分がやってあげると
得意げに言ってきたのを昨夜大谷は断れなかったのだった。

そして、頭に塗られていたのが黒ではなかったことに今ごろ
気付いた大谷は、さっきまでこの頭でアヤカと真面目な話を
していたことを思い出し、頭をぐしゃぐしゃとかいた。
412 名前:16 投稿日:2004/01/10(土) 22:21

「こんな頭じゃ、人前歩けなかったなー」

元々銀色だった髪は染まりやすかったのだろう、
綺麗なピンク色をベースにオレンジや青色が見事に入り交じっている。
バイクで助かった、とヘルメットを大事に抱えて一息つくと、
一階にたどり着いたエレベーターのドアが静かに開いた。

「うっ、さみぃー」

エントランスを出ると、無意識に言葉が漏れた。
予想以上の寒さに肩をすくめる。
吉澤のダウンを借りておけばよかった、と大谷は足を止めて
マンションを見上げるが、引き返すことなく道路に下りた。

「寒い寒い寒い…」

ぶつぶつと呟きながら、マンション脇に止められているスクーターに近づく。
後ろの気配に気付いたのは、ガソリンが空になっていないことに安堵した後だった。
フルフェイスのメットを早々に被っていたせいで、
背後に近づく足音が全く聞こえていなかったのだ。
413 名前:16 投稿日:2004/01/10(土) 22:23

ドン!

よける間もなく背中に衝撃が走る。
急に止まったわけでもない。
こんな広い道路の隅っこでぶつかられたことに
腹をたてた大谷は、振り向きざまに啖呵を切っていた。

「おいこらぁ、どこに目つけてんだ!ああ!」

メットの中にまで、ドスのきいた声が響く。
二日酔いの頭をなんとか保ち、大谷は正面をにらみつけた。
早朝のジョギングの最中だったのだろう。
その向こうでは、ウィンドブレーカーに身を包んだ男が
大汗を流しながら、青ざめた様子で目を泳がせていた。

「ガキじゃあるめーし、ボケっとつったってねーで…」

何とか言ってみろや。口はついてんだろうが――

―あれ?

自分の声が聞こえなかった。
そんなはずはない、ともう一度口を開く。
が、咽はつまるばかりで、おかしいと思った時にはぐらっと視界が反転していた。
414 名前:16 投稿日:2004/01/10(土) 22:27

男の情けない顔が消え、目の前には地面が横たわっている。
アスファルトの冷気に触れ、自分が倒れていることを自覚した瞬間、
背中につきたてられていた熱をはじめて感じた。
そしてそれは、いつの間にか体内を焼きつくしていた。

熱い、熱い熱い熱い…

激痛が全身を覆う。
ボリュームを上げていく耳鳴りが悲鳴のように脳を揺らした。

死ぬ?…このまま死ぬのか―

口からは生温い液体が溢れ出ていた。
鼻につく匂いがメットの窓を曇らせ、視界を真っ赤に染め上げる。

くそっ、何しやがった―

薄れゆく眼の隅で、大谷はしゃがみこむ男の姿を捉えた。

だ、れだ?――

大谷の意識はそこで途切れた。


――――――――


415 名前:名無しさん 投稿日:2004/01/10(土) 22:36

更新しました。年跨いでしまいましたが、第一部終了です。

>>395
引っぱったあげく、こんな落とし方ですみません…マサオ。・゜・(ノД`)・゜・。
今後「闘」の匂いが増していくかと思います。
作者としては、引っぱられすぎた糸が切れないことを願うだけです。(w

>>395
thanks。

HPと言えるほどコンテンツが充実しているわけではありませんが、
登場人物などごっちゃになりそうな部分をまとめてあります。
混乱した時の参考程度に。

ttp://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/2420/Fight.html
416 名前:名無しさん 投稿日:2004/01/10(土) 22:39

>>396

 ありがとう。

 ですな。(恥
417 名前:名無し読者 投稿日:2004/01/10(土) 23:04
うわわわわ、年明けからまたハードな展開ですね。
まだ出てこないあの人の登場も、楽しみにしています。
418 名前:名無し読者 投稿日:2004/01/11(日) 04:52
あわわわ
大谷ちゃんがスクーターをのあたりでそんな匂いはしてたのですが
まさかマヂでそうなっちゃうなんて。
それにしてもなんかヒロインアヤカみたいですね。
やっぱ現実で二人が仲良くなりすぎたからですか
419 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/01/11(日) 16:37
オーノッ!
毎回いいとこでくぅ〜、手のひらで転がらされてます
糸が切れたならまた結び直せばいいだけの事です
うーんマジで面白いですわ
420 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2004/01/11(日) 19:22
更新お疲れ様です
読めない展開に期待感が高まって次の更新がとても楽しみです
がんばってください
421 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/01/14(水) 10:46
うー心配で心配で夜も眠れないよー
422 名前:17 投稿日:2004/01/31(土) 00:23


「……はい、やっと終わりました。とりあえず成功したみたいなんですけど、
まだ危険な状態だそうです。当分気がぬけないって先生が…ええ、そうです。
はい?あー、吉澤さんなら今さっき来ましたよ…えっ?目を離さないでって…
吉澤さんについてればいいんですか?……はい…わかりました…いえ平気です。
それじゃ、また連絡しますね――」


ピッ。

携帯の電源を落として出てきた建物へと引き返す。
広々としたロビーは、アナウンスを待つ病人で混雑していた。

子供の泣き声、テレビからもれる音、事務的にくり返し呼ばれる名前。

退屈そうにソファに座っている人々の視線を一身に浴びながら
れいなは足早にそこを横切り、奥にある階段を駆け上った。
423 名前:17 投稿日:2004/01/31(土) 00:24


「どうだった?」

ひんやりとした空間に響く自分の足音、
その合間をぬって届く声に顔を上げると、上の階に新垣が立っていた。

「…だっ大丈夫でしたよ…ハァ」

途切れる声をそのままに、心配そうに首を傾げている新垣にとりあえず伝える。

「1時間くらい気を失ってただけで、もう目覚ましてるそうです」

膝に手をつき、肩を大きく上下させる。
乱れた呼吸を整えながら、れいなは最後の階段をゆっくり上っていった。

「逆にこっちに来たがってて、引き止めるのが大変みたいですよ――」
424 名前:17 投稿日:2004/01/31(土) 00:25


早朝、みんなが顔を揃えた食卓に飛び込んできた誤報。

久しぶりの電話だというのに挨拶をかわすこともなく、
寺田は西新宿にある病院の名を告げ、すぐに来いと言った。

受話器の向こう側にいる寺田の強ばった声、
それを耳にした時から察していた嫌な予感が的中する。

『――吉澤が刺されてな、重体らしい…』

寺田の言葉を最後まで聞くことなく、飯田はその場に崩れ落ちていた。

425 名前:17 投稿日:2004/01/31(土) 00:26

「よかったぁ、思いっきり頭打ってたから心配してたんだよ」
「あ、でもそれで後頭部に大きなたんこぶできたって、辻さん言ってましたよ」
「やっぱ?すっごい音してたからねー。んーでもよかったよかった」

上と下とで、そんな会話を交わしているうちに目線が揃う。
息のあがったまま、すぐに病室へ向かおうとすると、
れいなの後ろで新垣があっと小さな声を上げた。

「どうかしました?」
「いやー…そのーねぇ…」

落ち着きない手で頬をポリポリかきながら、新垣は中途半端に言葉を濁す。

なんだろう、病室に行きたくないのかな。

一向に口を開く気配がない新垣にしびれを切らしたれいなは
「いきますよ」と一声かけて、フロアへと続く重たいドアを押し開く。
新垣も後に続いたが、れいなと肩を並べて歩き出したその足取りは重かった。

「そういえば、新垣さん何で外にいたんですか?」

階段で新垣を見つけた時から気になっていたことを口にすると、
新垣は「えっ…」と驚きではなく、戸惑いに近い声をもらした。
426 名前:17 投稿日:2004/01/31(土) 00:40

長い手術が終わったばかりだというのに、
大谷は集中治療室から上階の特別個室に移されていた。

一般患者が流れ込まない特別な病棟、
ネームプレートのない個室の扉はかなりの間隔をあけて並んでいる。
ホテル並みの家具を揃えた部屋は他に5部屋ほどあるらしかったが、
人の姿を見かけることはなく、そのフロアは気味の悪さを感じるほど
静まり返っていた。

豪華な個室に移ったのは、もちろん組の贅沢な意向なんかではない。

大物政治家や有名人が身を潜めるのとは明らかに違う理由ではあるが、
病院関係者にしてみれば、自分達も厄介者に変わりはないのだろう。
組の人間が院内をうろつくことを懸念したのは警察以上に病院側で、
一つでも問題を起こしたらすぐにでも退院させる、と重傷者を前にした
医師とは思えない発言で念をおされていた。

警察にも、個室から一歩も出るなと言われている。
医療用エレベーターを除くと、このフロアへの唯一の入り口となる階段側のドア。
れいな達が出ていく度に、警備で立っている警官は部屋に戻るよう告げたが
「おつかれさん」と労をねぎらうだけで、れいな達がその若い警官の指示に
従うことはなかった。
427 名前:17 投稿日:2004/01/31(土) 00:41

「……今ね、吉澤さんが中にいるんだけど」

今ではもう目も合わせなくなった警官の前を通り過ぎ、
数歩進んだところで、ようやく新垣が重たい口を開く。
れいなが歩くスピードを緩めると、新垣はささやくような声で続けた。

「なんか食べもの買ってこいってお金渡されてね。今まこっちゃんが
パン買いに行ってるの。わたしたち朝から何も食べてなかったじゃん?」
「…あぁ」

――なんだ、そういうことか。

今までの新垣の行動とそのニュアンスだけで十分だった。
太っ腹になるのはパチンコか競馬で当てた時くらいで、
あの吉澤が自分達に気を使ってお金を出すなんて考えられない。

素直に、一人にしてくれって言えばいいのに。

個室から追い出すための口実だということを新垣もわかっているのだろう。
たどり着いた扉には手を伸ばさず、れいなは振り返って言った。

「それで、新垣さんはれいなを待ってたんですか?」
「…うん。すれ違ったらまずいからね」
428 名前:17 投稿日:2004/01/31(土) 00:42

通常なら面会が許される状況ではなかったが、ここに移されたおかげで
隣の部屋からガラス越しに大谷の様子を自由に見ることができた。

馬鹿がつくほど元気だった彼女の姿は見る影もなく、チューブが何本も
入れられているその身体は人形のように静かに横たわっていた。

ヒゾウ、オウカクマク、フクコウナイ、ドレーン…

医師が口にする難しい言葉は、何のことだがさっぱりわからなかった。
覚えているのは、背中の刺し傷は深く、少しでも遅れていたら失血死していた―
――という医師のさっぱりとした口調だけ。

そしてその恐ろしい言葉通り、青い入院着からのぞく大谷の肌は真っ白で
血の気がなく、その身体に意識が戻る気配はまだ感じられなかった。

ベットを囲んでいる機器類の動きだけが、彼女が生きていることを示していた。
429 名前:17 投稿日:2004/01/31(土) 00:45

麻酔の効いた大谷の蒼白い横顔に、吉澤も心を乱すのだろうか。
痛々しい姿を目にして、斉藤と村田が叫び声を上げたように――

れいなはぼんやりと扉に視線を戻し、
ふぅ、と軽く息をついてから腕時計に目を落とした。

「そういうことなら先に言って下さいよ。吉澤さんが一人で面会してるの
をわざわざ邪魔したりしませんって、出てくるまで外で待ってましょう」
「…え?」

何か変なことでも言っただろうか。
吉澤の意を汲んで出した答えに、新垣は眉をよせた。

「ちがうよ、れいなちゃん。中には…」

「今ごろなによ!!」

新垣の声を遮る大きな音。
扉の向こうから聞こえてきた声に、新垣とれいなはピタッと動きを止めた。
430 名前:17 投稿日:2004/01/31(土) 00:45

「人に恨みかってんのはあんたでしょ!マサオまで巻き込まないでよ!」

それは斉藤の声だった。
どんなことがあっても明るい姿勢を崩さなかった
彼女からは想像しがたい罵声。
手術の最中、みんなを励ましていた力強い声は冷えきっていた。

一人じゃなかったんだ…

扉の向こうの緊迫した空気に、二人は顔を見合わせる。
れいなは新垣が言わんとしていたことを、今ようやく理解していた。

狙われていた張本人、吉澤の遅すぎる訪問。
おそらく村田も中にいるのだろう。
昔から大谷と一緒に生きてきた斉藤達の悲しみは測り知れない。
三人が顔を合わせる室内が、あまり同席したくない雰囲気になるのは想像がついた。
431 名前:17 投稿日:2004/01/31(土) 00:47

「…おう、よしたけか」

物音に気付いた時には、すでに目の前の扉は開いていた。
見つめあっていたのはほんの数秒のこと。
れいなが言い返す前に、吉澤はれいなの脇をすりぬける。
そして隣にいた新垣の肩をぽんと叩いて、何事もなかったかのように歩き出した。

――よっすぃーから目を離さないで!

電話口に聞こえてきた声。
辻の後ろで飯田がくりかえした言葉を思い出し、はっと我に返る。
慌てて去っていく背中を追いかけようとするが、踏み出したれいなの
足より先に、後ろから追い越していった声が吉澤の動きを止めていた。

「あんたの花なんていらないわ!もう二度とこないで!
あんたのこと仲間だなんて思ってないんだから――」

叫んで、花束を床に叩き付ける。
投げ捨てられた花は、れいなの足元でばらけた。
432 名前:17 投稿日:2004/01/31(土) 00:50

「保田さんの時だってそうよ。全部あんたのせいじゃない!」

怒りなのか、悲しみなのか。
鋭い声が吉澤の背に次々と突き刺ささる。

「それなのに……なんでそんなに笑ってられんの!?
マサオはあんたの代わりに刺されたのよ!…あんたのせいで……
あんたが…あんたが刺されればよかったのよ!」

病院中に響きそうな声だった。
唇を震わせ、斉藤は床にぺたりと座り込んだ。

「…なんでよ、なんでマサオがぁ…」

細くなる声に涙が混じる。
泣き崩れる斉藤の嗚咽と、村田の諭すような問いかけだけが廊下に残る。
それでも吉澤は突っ立ったままで、こっちを見ようともしなかった。
433 名前:17 投稿日:2004/01/31(土) 00:52

よしざわ…さん?

吉澤の冷たい反応にれいなは別のことを感じていた。
振り返らないのではなく、振り返れないのではないのかと――
れいなには、斉藤の刺のある言葉が吉澤の動きを
奪っているようにしか見えなかった。

そして、思い出すのはさっき見てしまった吉澤の無防備な顔。
扉が開いた瞬間、はち合わせた吉澤の顔は悲しみで溢れていた。
すぐに笑顔に切り替わったが、その子供のような表情は
れいなの心に深く印象づけられている。

あっ、ヤバ…。

騒ぎを聞きつけてやってきた警官に気をとられていると、
いつのまにか吉澤の姿は見えなくなっていた。

「あっ、れいなちゃん!」

どこ行くの?と呼びかける新垣に返事もせず、れいなは走り出した。


――――――――

434 名前:17 投稿日:2004/01/31(土) 00:54

「――ここ何日かが峠らしいです。出血量がひどくて、
あと少しでも遅れてたら危なかったって」
「そうか、話できるような状態やないのか」
「はい、意識も戻るかどうか…」

階下から聞こえてくる話し声。
反響する吉澤の声にほっと胸をなで下ろすと、れいなは
会話を邪魔しないよう、一段一段ゆっくり下りていった。

「うーん。お前のタマ取った言うてたチンピラは噂聞いて
ほら吹いとっただけやし、証拠品もないから難しいなぁ」
「それじゃ、もうつんくさんの出番ってとこですか?」
「ちゃうちゃう、おれは心配でよっただけや。それに所轄は俺らが
顔出すと嫌がるからな、こっそり来たんや。上には顔見せへんし」
「そうですか…じゃあ目撃者の話とか聞いてないですか?」
「ふはは、わしをなめたらあかんで吉澤。そんぐらいもう耳に入っとるわ」
「えっ、まじっすか?」
「いや、期待すんな。目撃者はおらへん、ホシの手がかりは靴跡くらいやろ」
「……なんだ」
435 名前:17 投稿日:2004/01/31(土) 00:55

静かに階段を下りている間も、二人の話は続いていた。
今回の事件のことを話しているのだろう。
端々に聞こえてくる言葉で、聞き覚えのない関西弁の男が
警察の人間だということはわかった。

「とにかく余計なことはするなよ。飯田にも言っといたが
お前には釘さしとかんと、心配せんでも…ん、お仲間か?」

二人のいる踊り場にれいなが姿を見せると、男がいち早く気付いた。

もしかして、辻さんが言ってた人だろうか。

その男の雰囲気は、これまで見てきた刑事のどれとも違っていた。
茶色い髪に女性のような細い眉毛、スーツも刑事にしては派手だ。

りんく、たんく…いや、むんく?

確か変なあだ名で呼ばれていた。
辻との会話を思い返していると、吉澤がれいなを手招きした。
436 名前:17 投稿日:2004/01/31(土) 00:56

「田中れいな、今年の新人ですよ」
「おー福岡の子やろ。噂は聞いとるで」

吉澤の隣に立つれいなを男は腕を組み、しげしげと眺める。
警戒した顔つきになるれいなを見て、吉澤が小さく笑った。

「この人はつんくさん。こう見えても警視庁の人間なんだよ」

こう見えてもってなんや、とすぐに吉澤に突っ込みを入れ、
男はれいなに目を戻した。

「こいつらにはつんくって呼ばれてんねん、ほんまは寺田光男っちゅう
かっこええ名前があるんやけど。まぁ、芸能人みたいなもんやな」
「…はぁ」

初対面だというのに、やけに馴れ馴れしい。
普通の刑事ならば無視するところだが、吉澤とのやりとりを見ていると
寺田は噂通りみんなに好かれているらしく、冷たくするわけにもいかなかった。
色々と話しかけてくる寺田に、れいなは「ええ、まぁ」と短い言葉を淡々と返した。
437 名前:17 投稿日:2004/01/31(土) 00:57

「吉澤にも言ったんやけど、田中も勝手なことはすんなよ。
さしで勝負つけられるような世界とちゃうからな」

子供のお遊びの延長でヤクザになったわけではない。
その違いはわかっている。
福岡にいた頃の自分を馬鹿にされているような気がして、
れいなはムッとした表情で「しませんよ」と目を合わさないで言った。

「それと吉澤、あんまうろちょろせんと、少しもぐっとけよ。
狙われてんのは自分なんやから」
「わかってますよ、しばらくじっとしてますって。お目付役もいるし」

吉澤は聞き分けのいい生徒のような答えを持ってくると、
親しげにれいなの肩に手を置いた。
れいなはその横顔を呆れながら見上げる。
あっ、と口を開けた吉澤は空いてる手で頬をポリポリとかいた。

「そういえば、マサオ見つけて通報してくれたのってマンションの人でしたっけ?」
「ちゃうで、確か新聞配達の兄ちゃんやったと思うけど、どうかしたか?」
「いやー、その人がすぐ救急車呼んでくれたおかげじゃないっすか
マサオが助かったのは。だからお礼でもしようと思って」
438 名前:17 投稿日:2004/01/31(土) 00:58

そこの新聞たくさん取ろうかな、と吉澤は照れくさそうに笑う。
意外な一面もあるもんだ。
れいなは吉澤の頭の中に感謝という言葉があったことに驚いていた。

「まぁ、ええけど。迷惑なもんはやんなよ」
「わかってますよ。じゃ、そろそろ帰りますね」
「あっ、ちょい待て。もう一つ聞いときたいことがあるんや」

一変して、寺田は落ち着いた声を出した。
きょとんとしている吉澤の目をじっと真正面からとらえる。
その顔は真剣で、いつの間にか刑事のものとなっていた。

「去年の夏、井の頭公園にリンチくらった男が転がってたんだが、
――あれ、お前やろ」
439 名前:17 投稿日:2004/01/31(土) 01:00

「え、なんすかそれ?吉澤は何もしてないですよ」

寺田が言っているのは、劇場にいた山竜会の奴のことだろう。
とぼける吉澤の横で、れいなは血に染まった男の顔を思い出そうとする。
が、脳裏に浮かぶのは吉澤の狂った笑顔の方で、れいなは肩に置かれた
吉澤の手を急に意識しだしていた。

「その男もうすぐ退院するんやけど、事件のことまるっきし覚えてへんて、
ホシもあげなくてええって言うんや。あんだけ痛めつけられとるのに…
なぁ、きみもおかしいと思わんか?」

「へっ!?…あーどうですかねぇ」

落ち着きない様子が伝わっていたのか、寺田は吉澤かられいなに話を振ってくる。

「まぁ、チンピラなりにいろいろあるんじゃないんですか」

れいなが適当に答えると、寺田はなぜかニヤッと笑った。
440 名前:17 投稿日:2004/01/31(土) 01:02

「もういいっすよね、日が暮れないうちに帰りたいんで」

突然、がっしりと吉澤にヘッドロックをかけられる。
苦しいほど締め上げられてはないが、れいなは声を出せずにいた。

ちょっと…いきなり何するんですか!

すぐ近くにある顔を睨みつけても、腕はほどかれそうにない。
もがくれいなをよそに、吉澤はそのままの状態で寺田に言った。

「つんくさん。マサオの方の犯人、よろしくお願いしますよ」
「おう。わかっとる…これじゃあ、チンピラの件にかまってる暇はなさそうやな」

最後の言葉はれいなに向けられていた。
意味深な笑みを浮かべる寺田を残し、
れいなは吉澤に引きずられるように階段を下りていった。


――――――――

441 名前:名無しさん 投稿日:2004/01/31(土) 01:14


更新しました。れいなポロリ。

>>417
あの人というとあのお方ですね、うーん。
まだまだ先になるとか、忘れてたとか色んな噂は耳にしますよ…
というか、圧倒的な存在感に勢いあまってフライングしそうで怖いです。(w

>>418
やはり匂ってましたか。エレベーターくらいからカウントダウン入ってますよね。
ヒロインアヤカ説に真面目に答えますと(w
話の柱を考えていた時には、二人の仲の良さを認識してなかったので、たまたま
現実と噛み合っただけのようで…ハロプロ内に女性らしい人が少ないのも一因に。(w
442 名前:名無しさん 投稿日:2004/01/31(土) 01:28
>>419
今回は引っぱりませんでした。ひさびさ(w
といっても、今までの伏線が何本も絡まってましたね。
上がらないスピードに自分がイライラしてしまうかもしれませんが、
待ってる人の事を考え、じっくりゆっくりほどいていきたいと思います。(w

>>420
ありがとう、楽しんでくれているようで嬉しいです。
ノリノリで常に更新できればいいのですが、少なからずそうでない時もあるので
そう言ってもらえると助かります。はりきりすぎて展開が荒れる恐れもありますが(w

>>421
まだまだ安心できない状態ですが、今のうちに寝とかないとこれからがぁぁ…(自粛
「闘」にそなえて寝といた方が賢明のようです。
443 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2004/02/01(日) 05:52
更新お疲れ様です
やっぱりこの作品は面白いなあと再認識しているところです
次の更新も期待しています
444 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/03(火) 21:32
獅子が目を覚ますのか!?
うおーーー続きがすげぇ気になる
待ってる人の事なんで全く考えなくていいですよ
お好きなようにどうぞw
445 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2004/03/06(土) 06:50
作者さんまだですかね
446 名前:名無し野郎 投稿日:2004/03/26(金) 19:44
更新まだかな
447 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2004/04/17(土) 21:18
続きますよね?
448 名前:18 投稿日:2004/04/22(木) 18:57


「タクシー呼ぶんで、少し時間かかりますよ」
「いいよ。クソつまらねーテレビでも見てっから」

さっきより減ってはいるがまだロビーには人が溢れている。
ただでさえ避けられる容姿、
吉澤の大きな声が発せられる度に肩をすぼめていたれいなは
「静かに見てて下さいよ」と念を押して、そそくさと吉澤の側を離れた。

「こんなじじくさいの見てないでよー民放見ようぜ!民放!」

れいなの願いもむなしく、数秒後には元気な声が耳に届く。
テレビの前を陣どっている老人の一人に近づく吉澤、
その人懐っこい笑みとは対照的にロビーは一気に静寂に包まれた。

突然降りそそいだ災難に、老人は曲がっていた背筋をピンと伸ばし固まる。
助けを求めて視線を泳がせるものの、みな初めからテレビなど見ていな
かったように顔を下げていて、誰も彼と目を合わせようとしなかった。

受付を待つ人、雑談する人、壁に張られているポスターを眺める人、
それぞれ平静を装ってはいるが、意識はその一点に集中しているようで
なんだか全体の雰囲気もぎこちない。
449 名前:18 投稿日:2004/04/22(木) 18:59

「じゃあ、平和にみんしゅしゅぎで決めますよー」

それでも、吉澤はそんな空気をものともせず手を上げた。
あなたの存在自体がもう平和じゃないんですけど。
笑みをふりまきながら、半ば強制的に老人達から表を集め始める。
その光景をれいなは公衆電話片手に眺めていた。

さっさと連れて帰らんと

飯田の指示がなければ、とっくに吉澤を見捨てて帰っていたのに。
れいなはため息混じりに視線を落とし、ボタンに手を伸ばす。
タクシー会社の番号を押し終えた頃には、すでにテレビからは
賑やかな音が漏れていた。

あーぁ、他人のふりしたい…

民放で圧勝したのだろう。
ご機嫌な様子の吉澤は最前列のソファに腰を下ろし、声を上げて笑っている。
周囲の老人達がそれに合わせて笑い出す様はわがままな殿を囲む家来そのもので、
バカ殿御一行様、そんな言葉がふとれいなの頭に浮かんだ。

あんなアホな家来になるのだけは嫌だ。
吉澤の隣に自分の座るスペースを見つけ、れいなは逃げ出したい気分になっていた。
450 名前:18 投稿日:2004/04/22(木) 19:01


「よしたけっ!」

あせりを含んだ声に顔を上げる。
バカ殿の面影はどこへやら、目に飛び込んできたのは
余裕のない吉澤の表情だった。

「どうしたんですか?」
「追ってだよ、追って…あいつら第ニの刺客よこしやがった」
「は、しかく?」
「嘘じゃねえよ。くそっ、もう来やがった」

振り返る吉澤の視線をたどる。
大柄な男がこっちに向かってくるのを見て、
れいなは途中だった電話を慌てて切った。

「まじ…や」

この距離でも分かるほど立派な体格をしていた。
お見舞いのフルーツを抱えてはいるが、鋭い男の目は吉澤をとらえ
確実にこちらに近づいてきている。
一人で止めるのはまず無理だ。
ポケットに入れられた男の右手を見つめ、れいなは唇をかんだ。
451 名前:18 投稿日:2004/04/22(木) 19:09
もしあの男が鉄砲玉だったら、病院だろうが人がいようが関係なく撃ってくる。
まだロビーには小さな子供もいるし、老人も多い。
ましてやこれ以上、一般の人に迷惑をかけるわけにはいかない。
しかし、考えれば考えるほど状況は悪い方向を示す。
混乱する頭を落ち着ける暇もなく、
れいなはとりあえず出ている明確な答えだけを口にした。

「吉澤さん逃げて下さい。
向こうまわると一周できますから、刑事さん呼んできて下さい」
「は?」
「早く行って下さい!ここは私がとめますから!」

何言ってるんだ、と肩をつかむ吉澤の手を振りきり
れいなは怒鳴るように言い放った。
その勢いに吉澤は手を引っ込め、きょとんとれいなの目を見つめる。
真剣な眼差しが、吉澤の頭を縦に振らせた。

「わかった、無茶すんなよ」

もう無茶してるんですよ、とれいなは心の中で返事する。
吉澤はれいなの頭をポンポンと叩いてから走り出す。
子供扱いを嫌っていたれいなだったが、
不思議とその手をうっとおしいとは思わなかった。
452 名前:18 投稿日:2004/04/22(木) 19:11

吉澤の足音が遠ざかっていくかわりに近づいてくる男。
そのごつい顔を見て、れいなは少しばかり後悔したが
持ち前の気合いで畏縮する心を奮い立たせた。

入ってきたところばすくってやる!

れいなは男の行く手をさえぎるように通路の真ん中に立ち、拳を握る。
吉澤を追いかけようとしていた男は、れいなに気付くと足を止めた。

「なんだおまえ、こんなとこでやるのか?」

邪魔くさそうな視線がれいなに突き刺さる。
荷物を下に放り出し、男は薄い笑みを浮かべると手を顎の位置まで上げた。

こいつ…ほんもんだ、やばいな。

ポケットから黒光りするものが出てこなかったことに
ほっとするのも一瞬のこと。
その男の構えは、不意打ちなんていう芸当が通じるものではなかった。
男がれいなとの間に十分な距離を取って止まった時点で感じていた不安、
それが本物になる。

れいなの頭の中は倒すというより、
すでにどう時間稼ぎをするかということに切り替わっていた。


――――――――

453 名前:18 投稿日:2004/04/22(木) 19:12

「俺はな、小さいころ貧乏でバナナなんて一度も食ったことなかったんだ。
果物だって知らなかったから、ずっとなに竹食ってるんだ?て思っててな。
それである日、金持ちの息子に一口だけ食わせてもらったんだけど
それがメチャクチャうまくてよ。その時、俺は思ったんだ。
大人になったら、最初にもらった給料で腹一杯バナナ食おうって…」


がっしりとした身体をソファに預け、男は自分の過去を
しみじみと振り返りながら、休みなくバナナを口に運んでいた。
れいなはその横で、当たり前のように手渡されるバナナの皮をうけとる。

竹には見えなかよ…

大きな口で次々と飲み込んでいくその動きは、ほぼ野生と化していた。

「それでよ、俺はがんばって働いてバナナを腹一杯食ったんだ」

男が喋り出して1時間、
周りから投げかけられる奇怪な視線も、もうさほど気にならなくなっている。
慣れたといった方がいいのかもしれない。
薬を手に日の落ちたドアの向こうに次々と消えていく人々、
すっかり落ち着きを取り戻したロビーには、その男のでかい声がよく響いた。
454 名前:18 投稿日:2004/04/22(木) 19:15

「はぁ…よかったですね」

大して感動した様子もなく、れいなは頷いてみせる。
数分前かられいなの意識は話の内容よりも、手元にある袋の中身に集中していた。

いったいどれだけ食べるんやろ?

お見舞いとして男が持ってきていたバナナはすでに半分以上が
自らの手によって皮となっていた。

「でもなぁ―」

れいなの思いが伝わったのか、男は口に含んでいたバナナを飲み込むと
次のに手を伸ばそうとはせず、大事にかかえていたバナナを脇にどかす。
そして、でっぱったお腹をたたいて呟いた。

「――うまいのは最初の20本までだな」

ついでにゲップを一つ、豪快にぶちかます。
なんとも言えないバナナの香りに、れいなは息を止めた。
とんでもなか人に捕まった?
真面目な顔でバナナについて熱く語る男に、れいなは軽い目眩を覚えていた。
455 名前:18 投稿日:2004/04/22(木) 19:17

「あのーそれで。吉澤さんとはどういうご関係なんですか?」

気を取り直して男の顔をのぞき込む。
一時間ほどまえ、吉澤に敵だと教えられ対峙していたこの男は
刺客でもなんでもなく、噂を聞いて訪れた吉澤の見舞い客の一人だった。

そう、れいなは吉澤にまんまとはめられたのだ。
お菓子を膨大に抱えた小川が通りかかり、誤解を説いていなければ大変な
騒ぎになっていたかもしれない。監視の手を逃れ、今頃どこかで笑っているで
あろう吉澤のにくたらしい顔を思い浮かべ、れいなの表情は自然と厳しくなった。

「あいつは…うーん、そうだなぁ」

この質問には終始とぼけた受け答えをしてきた男だったが、
れいなの視線から逃れられないと悟ったのか、始めて反応を示す。
が、さっきまで饒舌だった口は重たく、垂れ下がった目も
何かを思い描くように窓の外に向けられてしまっていた。
456 名前:18 投稿日:2004/04/22(木) 19:18

年のわりには筋肉質な身体、つぶれた耳、
頬骨の張った平べったい顔、そしてそこに残る傷跡。
膝の上におかれた拳は、両方とも見事に膨れ上がっている。

どこか間のぬけた表情でずれた話ばかりする男、
会話から受ける穏やかな印象とは結びつかない数々の戦いの跡。
身体から見えかくれする男の影に、れいなの警戒心が弱まることはなかった。

「俺はな。こう見えても、あいつの憧れの人なんだ」

薄くなった頭をかきながら、男はそう呟いた。
日に焼けた顔は中年のオヤジの色が強く、とてもじゃないがダンディとはいいがたい。
自分で言っておきながら、照れくさそうにだらしない笑みを浮かべる男の
横顔を見つめ、趣味わるー、とれいなは腹の底で吉澤に毒づいていた。

「まー俺にとっても、吉澤は大事な弟子だったんだがな」
「えっ、弟子ですか?」
「おう、始めて会った時にびびっときたんだ。
こいつは根性の座った奴だって……本物のワルだってな」
457 名前:18 投稿日:2004/04/22(木) 19:19

本物のワル――

床に視線を落とし、今までにない声色で付け足された言葉。
それには、吉澤に対する男の強い思いが込められているようだった。

「この俺をちびらせたのは後にも先にもあいつ一人なんだよ。
俺から金をまきあげたのもな。ほんとあいつは恐ろしい目をしてたんだ」
「…あれ、弟子じゃなかったんですか?」

「俺はよ、ただハワイを満喫したかっただけだったんだ。
そもそも俺はわるくねーんだよ。だってさ、声かけた時は100ドルで
いいって言ってたのに500もくれって突然言い出したのは向こうで、
俺はノーサンキュウ、ってちゃんと英語で断ったんだ」

男はれいなのことなど見えていないかのように、身ぶり手ぶり
加えて熱弁し始めた。この一時間で何度も経験した空気。
バナナに逆戻りか、とれいなは苛立ちが募るのを感じながらも
男の話に黙って耳を傾けた。
458 名前:18 投稿日:2004/04/22(木) 19:20

「おれが見るにありゃー30超えてたんじゃねーかな。ひどいだろ?
サバにサギ食ってるくせして怒りだしてよ、あいつら呼んで…
一目見てヤバイと思ったね。まだガキの顔した奴らが目ギラギラ
させてさ、おもちゃみたいにチャカ持ってんだぜ。もうね、あの瞬間。
ハワイどころかアメリカまで満喫しちゃったんだな、俺は」

つっこみどころ満載な男の話も体験済み。
つーか、ただのエロおやじやん。
横目で男の表情をうかがいながら、れいなは気持ち少し開けて座り直した。

「ほんとあの時はビビったよ。結局マフィアのガキどもにあり金
全部取られちまったんだけど、日本語通じるあいつがいてくれて
命だけは助かったんだ。俺、頭テンパっちゃったからさ、
麻雀じゃないけど即リーチ!だったよ」

そう言うと、男はてかった額をなで豪快に笑った。
今のは笑うとこやった?
れいなのさめた視線も気にせず、自分のジョークが
気に入った男は、目に涙をためておかしそうに腿を何度も叩いた。
459 名前:18 投稿日:2004/04/22(木) 19:24

「ハワイって、吉澤さんハワイに住んでたんですか?」

放っておくといつまでも笑いが止みそうになかった。
男の下らない話の中から拾ってきた吉澤に関する情報は
れいなにとってどれも初耳だった。

「そうだよ。なんだおめぇそんな事もしらねえのか?
あいつは俺が日本に連れてきたんだ。いい腕もってたからな」
「いい腕?」

最後の言葉に引っかかりを覚えて、れいながすぐに聞き返す。
するとその途端、男のゆるんでいた口元がしまり、
二人の間に初めて沈黙がおりた。

「あいつはよー、俺が仕込めば最高のボクサーになってたはずなんだ。
チャンピオンにだってなれたんだ…俺にまかせとけばよ」

しばらく間があってから、男は固い表情で深々と息を吐き出した。
そして天井を見上げ、いい腕もってたんだ、ともう一度誰にともなく呟く。
460 名前:18 投稿日:2004/04/22(木) 19:27

「おじさんはボクサーなんですか?」

言葉を選びながら、当たり障りのない質問をする。
遠くを見つめ、寂しげな色を浮かべていた男の表情は
ボクサーという言葉で一変して明るくなった。

「そうだよ。知らないのかねお穣ちゃん、俺は世界ベルトもまいたことあるんだから」
「……あー、そうだったんですか」

突拍子もない答えにれいなは目を丸くする。
きっと地区大会か何かの間違いだろう。
れいなはそれには深く触れず、吉澤に話を戻した。

「つまり、おじさんは吉澤さんにボクシングを教えていたんですね」
「あぁ、あいつはいいボクサーになる。今でも俺はあきらめてないんだ」

男はれいなと目を合わせ、はっきりと言った。
ハワイでマフィアと縁を切らせたように、吉澤を
この世界から足を洗わせる自信があるのかもしれない。
宣誓布告されているような気がして、れいなは男の目を負けじと睨み返していた。
461 名前:18 投稿日:2004/04/22(木) 19:30

「吉澤さんにその気はないと思いますけど」

感情を押さえきれずにぼそっと呟く。
声に微妙なとげがあるのは、れいな自信気付いていた。

「そっかなー」

男はこれといった反応も示さず、にっこりと微笑む。
子供のように輝いた瞳がれいなには眩しかった。

「それじゃ君はどう?君もいい目してるよ。
うん、保証する。俺と一緒にチャンピオン目指さないか?」
「私もそんな気はないです!」

れいなはほぼ条件反射で答えていた。
そのせいで勢い余って立ち上がってしまったのだが、
逃げるには今しかない、とそのままの姿勢で頭を下げた。
462 名前:18 投稿日:2004/04/22(木) 19:32

「じゃ、私そろそろ失礼します」
「えぇ!もう帰んのかい?」
「はい、用事があるんで。あとこれ生ゴミですから
きちんと持って帰って捨てて下さいね」

バナナの皮がつまったビニール袋をさりげなく男に押し付ける。
男は素直にそれを受け取ると、親指をたてた。

「OK牧場!暗いからお嬢ちゃんも気をつけてな」

あったかい見送りの言葉を背に、れいなは出口へと急いだ。


――――――――

463 名前:18 投稿日:2004/04/22(木) 19:33

「タナカ!」

駐車場からの声にびくっと反応する。
自分のことかと半信半疑で振り返ると、誰かが手を上げているのが見えた。

「やっぱ田中ちゃんや、まだおったんか」

聞いたばかりの関西弁だった。
さっき始めて言葉を交わしたというのに、寺田は親しげな声をかけてくる。
もうずいぶん昔からの知り合いのような口調に、れいなは戸惑いながらも
小さく会釈をした。

「あれ、吉澤はどこにおる?」
「あー…帰りました」
「帰ったぁ?」

どこか歯切れの悪い印象を与えてしまったのだろう。
寺田は眉間に皺を寄せ、すぐに探るような目をれいなに向けた。
464 名前:18 投稿日:2004/04/22(木) 19:34

「一人でか?」
「はい、詳しくはまかれたっていうか…」
「あんのバカが!」

れいなから視線を外し、寺田は小さく舌打ちをした。
眉間に刻まれた皺がいっそう深くなっている。
苦い表情でポケットから手帳を取り出すと、
寺田は白いページを開いてペンを走らせた。

「ほな見つけたらここに連絡くれへんか」

そう言ってページをやぶる。目の前に差し出された紙切れを
れいなは断る理由もなく受け取った。携帯電話の番号らしい。
街灯の光で番号を確認してから、れいなはそれをポケットにしまった。
465 名前:18 投稿日:2004/04/22(木) 19:35

「いいですけど、どうかしたんですか?」
「あー、お前吉澤から何か聞いてへんか?」
「特に何も言ってなかったと思いますけど」
「それじゃ何か見せられんかったか?」
「いえ、何も…」

見てないと首を振るれいなに、寺田はそうかとただ頷く。
話す気がないのか、それっきり押し黙る寺田に
れいなは怪訝そうな声を上げた。

「どういうことですか?何も話してくれないのなら私も連絡できませんよ」
「そら、そうやろなぁ」

不機嫌に訴えると、意外にも寺田はあっさりとれいなの要求を飲んだ。
周囲を見渡す寺田につられ、れいなもグルッと首を回す。
切りそろえられた緑がさわさわと音をたてた。
466 名前:18 投稿日:2004/04/22(木) 19:38
「ここだけの話やで。さっき救急の人間に聞いたんやけど
運んだ時に大谷の手にしっかり握られとったもんがあってな」

人の気配がないことを確認しても、寺田は用心深く声をひそめた。

「大谷が大事にしとったもんや言うて吉澤が持ってったらしいんやけど、
お前はなんも見てへんのやろ?」
「あぁ!それって指輪のことじゃないですか?
いつもしてる大谷さんのお気に入りの…」

れいなの言葉を遮るように、寺田は首を横に大きく振った。

「ちゃうねん、救急のやつがあれはバッジやったって断言しとるんや」
「え?でも、うちの組はバッジとかつけないですよ―」

声が自然としぼんでいく。
代わりに、身体の中がかっと熱くなった。

「――じゃあ…じゃあ、そのバッジは」
「あの状況で握っとったんやからな、持ち主は言わなくてもわかるやろ?
…ったく、あいつ一人で片つけるつもりやで」
467 名前:18 投稿日:2004/04/22(木) 19:39

「どこのですか!?」

問いただす口調で寺田につめ寄る。
一人興奮しているれいなの肩に手をかけ、寺田は言い聞かせるように言った。

「それがわからんから吉澤捜しとるんや。
第一、知っとったらオレはこんなとこにおらへん。そうやろ?」

「あ、そうですよね…」

寺田に真正面から見つめられ、はっと我に返る。
大きな声を上げたことが急に恥ずかしくなり、れいなは視線をそらした。

「まー、そういうことやから吉澤見つけたら教えてくれ。
何か情報だけでもええ。吉澤と俺の仲や、悪いようにはせんから」
「はい、こっちも捜してみます」
「頼むな、あいつバカのくせして敵だけは多いからな。
いっこいっこ絞り込んでくのも大変なんや」
468 名前:18 投稿日:2004/04/22(木) 19:47

「ほんま手かかるわ、お前んとこの若様は」

寺田は車のキーを手の中で滑らせながら、ため息とともに本音を洩らす。
朝から動き回っていたのだろう。
一方向からの光りのせいもあって、目の周りのくまが際立って見える。
吉澤に振り回され、疲れた表情を浮かべる寺田に
れいなは親しみを感じずにはいられなかった。

「じゃ。またな」
「あ、はい…ども。ごくろーさまです」
「はぁーあ、こりゃーチンピラくんにもちょっかい出さなあかんかもしれへんなぁ」

独り言のように空を見上げてそう呟いてから、寺田は歩き出した。

チンピラくん?

植え込みの向こうへ消えていく背中を見送りながら、
れいなはその言葉の意味を考える。

「わいたぁー、バレとった?」

数秒してから顔色を変える。
れいなはその場に立ちつくしたまま、冷えた首にそっと手をあてた。


――――――――


469 名前:名無しさん 投稿日:2004/04/22(木) 19:56
復帰祝いにつき大量更新。

遅くなったのには、利き腕をケガしてタイピングできなかった――
という嘘くさい理由がありまして…書いてみるとほんと嘘くさいな(w
実際、ケガの方の回復は早かったので、こんなにあいてしまったのは
話を書く感覚を忘れてたせいなんですがね。なまけぐせがついたというか。
ゆっくり、じっくり、思い出しながら再開していきたいと思います。

「ひとは健康が大事とか何とかよくいいますが、一番大事なのは体ですよ」

ガッツ先生のお(かしな)言葉が身にしみてます。(w
470 名前:名無しさん 投稿日:2004/04/22(木) 20:04

>>443
ほめてもらったとこで更新なくて申し訳ない。
自分と同様、今回の更新分で熱がもどってきてくれれば良いのですが…

>>444
好きなようにダラけてたら、こんなになってしまいました。コラ(w
獅子って誰のことだろう?と今いちピンとこない頭ですが、期待してて下さい。
えっ、無理?

>>445-447
更新したどー!
471 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/23(金) 01:59
待ってたどー!
472 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/24(土) 15:53
更新きたどー!
無理はなさらずがんばってください。
473 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/28(水) 22:35
無理も何も好きなだけダラけて下さい
気が向いたら更新して下さい
いつまでも待つどー!
474 名前:名無し飼育さん 投稿日:2004/05/10(月) 12:33
更新キター 新キャラキター
なんだこのおっさん?と思って読んでたらまさかあの御方ですか〜。
鈴木有二さん(本名)が出てきた娘。小説はここぐらいのものじゃないですか
475 名前:名無し飼育さん 投稿日:2004/06/16(水) 07:30
ワクワク
476 名前:19 投稿日:2004/06/18(金) 23:27



あふれだす赤、赤、赤

鮮明な色が危険だと体を揺らす。
目にした光景を理解するよりも先に、足が小刻みに震えだしていた。


「お前のせいだ」

完全な闇の中、スポットライトが一点を照らしだす。
独特の輝きを放つ水たまり、その中心で動かなかった背中がゆれる。

「お前のせいだ」

ぼんやりした頭をぎゅっとしめつける。
苦しみの中しぼり出されたその声は、
どんなにきつく耳を塞いでも直接脳に響いた。
477 名前:19 投稿日:2004/06/18(金) 23:31

「ひっ」

敵意に満ちた視線に押し出される声、
それまでもが震えていた。

焦点の定まらない目がこちらに向けられている。
あまりの恐怖に逃げるべく足を踏み出そうとするが、
足は全く動かない。地面とつながってしまったのかと
思えるほど鈍い足の感覚に気持ちばかりが焦っていた。

「あああぁーーーーーーーーー」

追い討ちをかけるように頭を揺さぶられる。
耳をつんざく悲鳴に顔を上げると、歪んだ顔が目に入った。
むいた白目がみるみるうちに充血していく。

自分で抜いたのだろうか、
さっきまで背中にあった包丁を手に雄叫びを上げる姿は
もはや人とは別のものにしか見えなかった。
478 名前:19 投稿日:2004/06/18(金) 23:32

――確かにどこかへ消えて欲しいと願った。
でも、だからといって俺はこんな情景が見たかったわけじゃない。
これは俺が望んだ結果とは違う…ちがうんだ。
俺は関係ない。
なにもしてないし、なにも思ってない。

俺はなにも―

「うそつくんじゃねぇーよ」

赤いペインティングにはえる真っ白な顔、
怒りに満ちたそれはいつのまにか目の前に迫っていた。

「お前も道連れにしてやる」

かすれた声が飛びこんでくる。
血に染まった包丁を振り上げるその顔は笑っていた。

やめろ、やめてくれ!

心の中で叫ぶ。
声すら出なくなってしまった身体、それでも震えだけは収まらなかった。


――――――――
479 名前:19 投稿日:2004/06/18(金) 23:35

「やめろーっ」

男は自分の声で目を覚ました。
赤はなく、凶器もない、
殺意も何も感じない暗闇の中で。

助かっ…た?

気味の悪さを感じながらもう一度目を閉じる。
カラスの鳴き声が遠くに聞こえるだけの落ち着いた暗がり、
もちろんそこには何も広がっていなかった。

「夢か…」

ほっと息をついてゆっくりまぶたを上げた。
顔の上では、刃をかわそうと振りかざした両腕がまだ宙をさまっている。

何やってんだ、と男は笑う。
怖い夢見て泣き出すようなガキじゃなかったはずだ。
それでも男は注意深く辺りを見回す。
脳の覚醒と共に、ぼんやりとした視界が段々はっきりしてきていた
480 名前:19 投稿日:2004/06/18(金) 23:37

すりガラスから差し込む看板の光に、うっすらと浮かび上がる部屋の輪郭。

寝るためだけに帰る四畳半の狭い室内は、
日が落ちただけでさほど変わった様子はない。
息苦しい夢の後のせいか、視線の先にある
しみのついた天井でさえも愛おしく感じられた。

「つっ」

起き上がろうとすると頭がずきりと痛んだ。
久しぶりにあおった酒が身体を重くしていたのを
今になって思い出した。

「あー幸せ…」

今日の仕事は休みをもらっている。
時計を見ることなく、男は再び薄い布団に身体を横たえた。
481 名前:19 投稿日:2004/06/18(金) 23:38

ほんと、何びびってんだか。

背中にぐっしょりとかいた寝汗もそのままに大きな欠伸を一つ。
自分の匂いがしみついた布団と見慣れた天井、
薄暗い部屋で男はようやく安堵した表情を取り戻そうとしていた。

が、次の瞬間、それは再び凍り付いた。

「ひっ!」

すぐ側を流れる空気、
錯覚でも何でもない、視界を遮る影に息を呑んだ。

だっ、誰かいる!?

落ち着きはじめていた心臓は早鐘をならし、
夢と同様、男の体を金縛りにあったように強張らせていた。
482 名前:19 投稿日:2004/06/18(金) 23:40

「ひーっ、でたぁ!」

夢の続きはまだ終わってなかったらしい。
ためらうことなく包丁を振り下ろしてきた人間、
夢の中で血にまみれていた顔が、目と鼻の先でにこりと笑っていた。

「ごめんなさいっ、ごめんなさい!」

はじかれるように飛び起きた。
ぎゅっと目をつむり、いまわしい夢から逃れようと頭を何度も床につける。

「ごめんなさい、俺怖くて、何もできなくて…ほんとすんません!」

しかし、どんなに願っても新たな世界が開けることはなかった。

「うわぁぁー!」

ほほをたたかれるペチペチとしたリアルな感触から逃れようと、
足元に押しやられていた布団を一気に頭まで被った。
483 名前:19 投稿日:2004/06/18(金) 23:41

「なんまいだぶなんまいだぶ、成仏してください」

男は最後の手段とばかりに手を合わせる。
が、かすかな抵抗はいとも簡単にはがされ、
最後まで丸まっていた身体も強引に起こされた。

今度こそ殺られる、連れていかれる―

「はぁ?さっきから何いってんだよ。ひとを勝手に殺すなって」

男が覚悟を決めた瞬間、夢とは違うのんきな声がかけられ、
男は虚をつかれたように動きを止めた。

「おーい、聞こえてんのー?」

恐る恐る開けた瞳に映るのは、今朝方
路上で大量に血を流していたヤクザで間違いない。
それなのに、なぜか平然と笑っている。

なんで?あ、もしかしてこれが…

男の脅えた表情に答えるように、目の前の人物が先に口を開いた。
484 名前:19 投稿日:2004/06/18(金) 23:44

「なんか勘違いしてねーか?オレはお化けでもなんでもないからさ」
「え?でも…」

あんなに血が出てたのに。
なんとか出てきた声にはまだ震えが残っていた。

「あーあれね、オレじゃないんだ。メットかぶってたでしょ?
かわいそうなことに人違いでさされちゃってね」
「ヒトチガイ?違う人…えっ、それじゃ、あんたがほんものの吉澤?」
「そうだよ、わたくしがほんものの吉澤です」

そう言うと、吉澤と名乗った人物は立ち上がり、
ぶら下がった電気の糸に手をのばす。
カチカチと音をたてたあと、部屋は一気に明るくなった。

「ま、まじかよ…」
「まじっすよ」

まぶしい光の下、腕を組んで立っている人間は
あのマンションでよく見かけていたチンピラ―

――吉澤に違いなかった。
485 名前:19 投稿日:2004/06/18(金) 23:47

こいつが…本当にあの吉澤?

まだ男がやんちゃだったころ何度も耳にした名前、
それを今日、久しぶりに聞いたときにはさすがに耳を疑った。

刺されたという事件よりも重ならない人物像に。

チンピラみたいな格好でぶらぶらとうろついていた人間と
誰もが一度は憧れた名前。

ただでさえ、うっとおしく思っていたチンピラだ。
吉澤の武勇伝に心を熱くした青春時代を過ごしてきた
男にとって、それは受け入れたくない事実だったのだ。
486 名前:19 投稿日:2004/06/18(金) 23:49

「ほら、このとーりピンピンしてっから」

ぼーっと目をしばたかせていると、吉澤はくるっと一回転してみせた。
言葉通りその動きは軽快で、背中に傷を負っているようには見えない。
そしてそれは、男がイメージしていた吉澤像にも当てはまらなかった。

こいつがあの狂犬なんて…嘘だろ?

落胆する表情で、吉澤を上から下まで測るように眺める。
全国に名を馳せたヤクザの風格はどこにも残っていない。

「なんだよ。まだ疑ってんの?」
「いえっ、あの…
さっきまで、あんたがさされたと思ってたから驚いちまって」
「ふーん、なんか残念そうだなぁ」
「へっ!?いやいや全然そんなことないです。
そんなことこれっぽっちも」
487 名前:19 投稿日:2004/06/18(金) 23:51

残念っていうよりショックなんだよ。
あんたを目標にしてた男は俺の周りにたくさんいたんだぜ。
あー、俺の青春を返してくれ!

――などと本人を前にして言うわけにもいかない。
やりきれない想いを胸に押し込み、代わりに男は慣れない敬語を口にした。

「ほんと驚いてるんですよ。
それに吉澤さんはかなり有名人でしたからね」
「そう?あー!もしかして君も吉澤に憧れてたたち?」
「…ええ、まぁ」

いやー照れるなぁ、と顔をほころばせ髪をかく。
少し込められた皮肉にも気付かず喜んでいる姿に
男は苦い笑みを浮かべることしかできなかった。


――――――――

488 名前:名無しさん 投稿日:2004/06/18(金) 23:56

少しばかり更新しました。

>>471
どーどーどー…自分でふっといて返しが難しい(w
またまたお待たせしました。

>>472
ありがどー!
無理するどころか、負担をかけまいとしていたら
今ではすっかりマウスだけが左ききになりました。イェイ
489 名前:名無しさん 投稿日:2004/06/19(土) 00:05
>>473
あたたかいお言葉にダラけるつもりはなかったのですが…
そろそろ規則性を戻していこうと、秋にむけて検討中です。(w

>>474
この方のキャラが濃いせいで更新が滞ったのも事実で…(w
その上、この方が口にしている言葉はほとんど事実(噂)に
そくしていたりします。バナナとかバナナとか。

>>475
更新スイッチ押してくれてありがとう。
短い言葉にとんでもなく励まされました。なんででしょう?(w
490 名前:名無し飼育さん 投稿日:2004/06/19(土) 19:54
うぉう!更新乙です!!!!!
待ってましたよー!!!
スイッチを押すようなレスはできませんが、たのしみに待ってます!
491 名前:475 投稿日:2004/06/20(日) 08:38
お役に立てて何よりです!
待ってて良かった…
492 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/05(木) 04:20
保全
493 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/29(日) 22:23
待ってますよ
494 名前:名無しっこ 投稿日:2004/09/22(水) 14:18
待ってます
495 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/28(火) 02:38
一気に読ましてもらいました
すげーおもしれー・・・
スゲー続き読みてぇー・・・
いつまでも待ってるんで更新お願いしますね・・・
保田組万歳
496 名前:19 投稿日:2004/09/28(火) 19:06



「まー、オレのことはどーでもいいんだけどさ」

テーブル代わりに使っているダンボール箱にどかっと
腰を下ろすと、吉澤はポケットから煙草を出した。
慣れた手つきで端々が潰れている箱をトントンと叩く。
吉澤がその中から一本抜き取るのを見て、男は慌てて
物がちらかっている床に顔をつっこんだ。

あった!

ほっと一息つく間もなく探し出したライターを両手で包む。
がらにもなく震える指先で何度目かにやっとつけた火、
頼りなく揺れる小さな炎に吉澤がすっと顔を近付けた。

間近で伏せられる目、オレンジにゆらめくその顔からは
いっさいの表情が消えていた。

無防備というのともまた違う。
男はたまらず吉澤から目をそらし、
煙草の先が赤く燃えるのをじっと待った。
497 名前:19 投稿日:2004/09/28(火) 19:09

「あ゛、ちょっと!」

嫌な汗をぬぐっていると吉澤の足下が目に入った。
はきつぶされたスニーカーは汚れが目立っている程度で
何ら変なところはなかったが、首をひねって考えること数秒、
わが家の畳に続く黒い靴跡に男は一つの答えを見つけた。

「くつ!靴はいたまんまじゃないっすか!」
「あーわりぃ、そのまま入ってきてたから忘れてたわ。
でも、ここ汚いからこのままでいいっしょ?」

確かに掃除した記憶は遠い昔のモノしかないが
それとこれとでは話が違う。
ここは日本、土足の文化なんて許されない
…はずだ。
男は意を決しスニーカーから顔を上げ、

いいわけねーだろバカ、さっさとその汚ねぇの脱げよ―

と言う代わりに

「はい、すんません」

と迷うことなく頭を下げた。
498 名前:19 投稿日:2004/09/28(火) 19:11

「あれ?そういえば鍵してたはずですけど、
どっやって入ってきたんですか」

沈黙を嫌ってあたりさわりのない会話をさがす。
が、そのことを口にした瞬間、
返事を待つまでもなく男は最悪の結果を予想していた。

「あーそっちからね」

嫌な予感をひしひしと感じながら、
吉澤があごで示した先へ男はゆっくり顔を向ける。

「げっ…」

玄関とは正反対の方向、外光が強く入ってくる部分が一ケ所あった。
きっちり戸締まりをしていた窓ガラスからは
なぜか冷たい空気が送られてきている。

「あんな薄いガラスだと一発でやられるぜ。気をつけろよ」

立て付けは悪くとも寝る前までは風をきちんと遮断していたすりガラスの窓、
その中心がぽっかりときれいに抜け落ちていた。
499 名前:19 投稿日:2004/09/28(火) 19:12

自分でやっておきながらそ知らぬ顔で言う。
男は言い返す言葉もなく、その向こうに広がる夜空に
助けを求めるように小さく息をついた。

おれの給料から引かれるのに…

トイレも風呂もついてない二階建てのアパートは
会社が借り上げているもので、すぐ向かいに仕事場がある
この環境では職を離れるまで隠し続けるのには無理があった。

「どうも、今度から気をつけます」

肩を落とす男をよそに、吉澤は穏やかな表情で煙りをくぐらせている。

何でまた俺が謝るはめになるんだろう

たちまち短くなった煙草からこぼれ落ちる灰を
男は恨めしそうに見つめ返した。
500 名前:19 投稿日:2004/09/28(火) 19:26

「でさー、今日ここに来たのは
けさ見たことを教えてもらおうと思ってね」

煙草を空き缶に押し込んでから吉澤はようやく口を開いた。

「見たことって僕は通報しただけで…」

今すぐにでも出ていってもらいたかった男にとって、
それに答えるのは一番の解決策であったはずだったが、
質問の内容を理解するのと同時に男は力強く首を横にふった。

「警察の人にも言ったし、
吉澤さんにわざわざ話すことなんて何もないっすよ」
「だからー、代わりに聞きにきたんだって。
警察じゃないし君が喋ったなんて向こうにはもれないでしょ?
こう見えても吉澤は秘密を守る人間だからね」

やわらかな口調とは反対に鋭い目が男に向けられていた。
501 名前:19 投稿日:2004/09/28(火) 19:28

「そんなこと言われても…何も知りませんって」

質問の真意をはかりかね、男は慎重に答える。

「話したくても話すことないですから」

相変わらず視線はきつい。
それでも吉澤は曖昧な笑みを浮かべている。
さっきまでの馬鹿らしいやりとりが嘘のように、
息苦しい沈黙が二人の間に影を落としていた。

「好きなの?」
「え?」
「毎朝わざわざお迎えしてるでしょ。アヤカの仕事帰りにさ」

男が言い知れない不安を覚えて咽をごくりとならした時だった。
思ってもみなかった言葉に男が動きを止めると、吉澤はすかさず笑みをこぼした。

「いい女だもんねー、アヤカは」

意味ありげにアクセントをつけ、吉澤はその名前を連呼する。
頭にパッと浮かび上がる女性像に男の心拍数が上がった。
502 名前:19 投稿日:2004/09/28(火) 19:31

もしかして、バレ…てた?

アヤカというのは彼女のことを言っているのだ。
いい名前だなんて感動している場合ではない。
急に自分の顔が熱をもっていくのを感じ、男は顔を伏せる。
吉澤の言葉に動揺しているのは明らかだった。

「今日はアヤカ早かったから会えなくて残念だったんだろうけど」
「ざっ、残念なんかじゃ…俺は仕事でその時間いるだけですから」

ようやく言い返せた言葉も、しどろもどろになっているのが
自分でも分かった。それに男の言葉を信じてないのは吉澤の
にやけた表情にも表れていた。

「向かいのアパートからだとうまい具合にうちのマンション見えるんだよね。
下の道路からは気付かれにくいし、のぞきするには最高だよなぁ」
「だから俺は配達してるだけで見てないっすよ。
たまたま時間帯がかぶってるだけじゃないんですか?」
「ふーん、見てないって保証できんの?」
「保証って…見てないもんは見てないっすよ」
503 名前:19 投稿日:2004/09/28(火) 19:33

それでも男はしらをきる。
しかし吉澤は落胆することはなく、妙に嬉しそうな顔で男を見つめた。

「顔あっかくね?」
「も、もともとです…から」
「自ぐろ…じゃなくて自赤?そんなのあんの?
すげー初耳なんだけど、それってメジャーじゃないよね」
「そそんなことどうでもいいじゃないっすか!
今は見たかどうかって話で…」
「じゃ、見たんだ」
「見てません」
「あ、のぞきだったか」
「のぞきもしてません!」
「ほんとに?」
「ほんとです」
「今日だって鼻の下のばして待ってたんでしょ?」
「今日はしてません…」
「今日は?」
「あ…」

すぐに吉澤の眉がピクリと反応する。

「なんで今日はできなかったのかな?」

男の顔は一瞬にして青ざめた。
504 名前:19 投稿日:2004/09/28(火) 19:36

しまった―
ぽつりとこぼした言葉が背筋に冷たいものを落としていく。
今さら言葉を飲み込むことも、誤魔化すこともできずに
男は固まった。

「まー君の潔白を信じるとして…
今日そこでのぞき見してた変態くんは誰だい?」

すでに自ら生んだ沈黙が全てを肯定してしまっていた。
もう逃げられない。
いまだに優しい吉澤の口調を認めて男はゆっくり顔を上げた。

身体を屈めた吉澤は両手を組み合わせ、正面から男を見据えている。
言葉とは裏腹にその表情はどこか引き締まっていた。

「その変態づらながめたか?」

まっすぐ向けられる吉澤の眼差し
それに導かれるように男はこくりとうなずく。

「あ、あの…ほんとに俺がしゃべったって言いませんか?」

ぼそっと口から出てきた言葉は思いのほか弱々しかった。


――――――――
505 名前:19 投稿日:2004/09/28(火) 19:38

「おれ、犯人とすれ違ったんだ。向かいのアパートあるだろ?
そこの階段で、俺がいつも…」
「のぞきしてっとこ?」
「仕事です」
「あー、仕事だったっけ」

今主導権はこちらにある。
ひとを小馬鹿にしたような顔をきっとにらみ付けると
吉澤は大げさに肩をすくめてみせた。

「俺はそこの住人だと思って挨拶したんだけど、あいつ
俺を無視して軽く腹がたったからよく覚えてますよ」
「おぉ、顔もばっちり?」
「いやーそれがフードかぶってたからはっきりとは見てないっす。
恰好はジョギングって感じでした。だからてっきりあそこの住人だと
思ってたんですけど―」

グレーの上下、こすれるパーカーの音、すれ違う空気。
記憶の底から数珠つなぎに忌々しい映像として浮かび上がってくる。
奥に押し込んだ記憶はまだ鮮明に覚えていた。

「――おれ、刺した瞬間は見てないんだ。なんか声がして
喧嘩でもはじまんのかと思って通りに目を戻した時にはもう、
あんた…じゃなくて、メットかぶったあんたの仲間が転がってて」
506 名前:19 投稿日:2004/09/28(火) 19:44

「そいつが近くに?」
「はい、すぐ横でしゃがんでました。
俺そのとき原チャリが事故ったって勝手に思い込んでたから
そいつに声かけようとしたんすよ。大丈夫か?救急車呼ぼうか?って…」

だんだんと小さくなっていく声、
その日の光景を打ち消すように男は小さく頭を振った。

「でも…よかった。ちょっと迷ったおかげで」
「まよう?」
「あの、無視されたのをまだどっかで根にもってたから
すぐには声かけなかったんすよ。そしたら血が、血のりが
べっとりついたナイフを男が持ってるのが見えて…俺とっさに隠れてました。
次に誰かの声がしてもう一度のぞいた時には男はいなくて、一面まっか…」

そこで男は言葉を切った。

「そっか」

吉澤はじっと一点を見つめたまま頷く。
唇に手をあて何かしら考えこむ姿に、男は口を閉じた。
507 名前:19 投稿日:2004/09/28(火) 19:50

「お前、消されてたぞ」

少しして吉澤の険しい表情が再び男をとらえる。
その意味の重みをふり払うように男は笑って答えた。

「わかってますよ、あんたらの世界の怖さぐらい。
だからマッポにも何も言ってないんすよ」
「むこうに顔われてんだもんな。
うん、お互いしばらく静かにしてような」

吉澤もつられるように表情を崩し、
助かったよ、と礼を述べてから立ち上がった。

「あ、あの!」

裏返った声で、男は無意識のうちに吉澤を呼び止めていた。

「どした?」
「あ、あれです…外国人っす」
「ん?」
「犯人、たぶん大陸のやつですよ」

帰ろうと背を向けていた吉澤はその言葉に勢いよく振り返った。
508 名前:19 投稿日:2004/09/28(火) 19:51

「マジで?」
「いや、確実ってわけじゃないんですけど雰囲気が似てたんで、
なんつーか、同じ職場の仲間に留学生いるからなんとなくなんすけど」
「なんとなく?」
「はい…」

吉澤は腕組みをしたまま天井を見上げる。
お引き取り願うチャンスだったのに、わざわざ引き止める
ような発言をしてしまったことを男はすぐさま後悔していた。

「いや、なんつーか―」
「目か…」

いぶかしげに寄せられる眉、
男の弁解を遮って吉澤が納得したように呟いた。

「目、だな」

宙から戻ってきた吉澤の強い視線に男はただ頷き返す。
何の根拠もない言葉だったが、
それを吉澤が疑っていないのはその目の輝きからも見てとれた。
509 名前:19 投稿日:2004/09/28(火) 19:52

男は仕事柄、多くの人を見ている。

新宿という場所もあっていろんな国の人間と出会うことも少なくない。
現に男が今一番親しくしているのはインド出身の男で、どちらが日本人だか
わからなくなるほど礼儀正しい人物でもあった。

しかしそれほど打ち解けるのはまれな方で、
中にはこっちの常識が通じない相手がいることも男はよく知っていた。

日本であっても日本のやり方に従っては怪我をする場合がたまにあった。
肌や目の色が文化の違いを教えてくれればいいのだが、
同じアジアの人間ではそうもいかない。

洋服の着こなし方や表情、顔だち、目の動き。
はっきりとした確証はなくてもさまざまな経験から
男は高い確率でそれぞれ見分けられると自負していた。
510 名前:19 投稿日:2004/09/28(火) 19:54

「そいつが日本人だって可能性はゼロか?」
「ないっす、それだけは断言できます」
「わかった」

吉澤は言葉少なく答えた。
男以上に彼らと接する機会の多い吉澤のことだ。
その言葉を信じるのは自然なことだったのかもしれない。

「あと、俺の挨拶を無視したのも発音が気になったんだって考えれば
納得いくんすよね。今思えば、迷って口ごもってたような気がしなくもないし
…少し間があったんすよ、あの、俺とすれ違うときに」

自分の思いつくかぎりの言葉をつけ足すと
吉澤は満足そうに笑った。

「んーいいね。きみ最高だよ」

労をねぎらうように男の肩をポンポンと叩く。

「ど、どうもっす」

まだ夢の記憶が残っているのだろうか。
笑顔で応えながらも、男は脇腹のあたりがぞくっと震えるのを感じていた。
511 名前:19 投稿日:2004/09/28(火) 19:58

もう恐くねーよ、普通のチンピラだと思えばいいんだから

吉澤はまだ微笑んでいる。
心の中の焦り悟られないよう男も笑顔に力を込める。

そしてそれが予知能力だったと男が気付いたのは数分後のことだった。

「よし、じゃ行こうか」
「は?」
「お礼にパッと酒でも飲みに行こうぜ」
「えっ、ええ!ちょっと待って下さいよ。
今日の今日ですよ。出歩くのは危険じゃないっすか
それに静かにしてろって行ったのは吉澤さんじゃ…」
「だから静かに飲めばいいんだよ」
「は?何むちゃくちゃ言ってんすか、俺いやですよ」

いつの間にか腕をつかまれていた。
意思とは関係なく男は立たされる。

「勘弁してくださいよー、まじで無理っす」

この細い体のどこにこれ程の力があるのだろう。
動こうとしてもびくともしない。
吉澤の片腕に男は完全に掌握されていた。
512 名前:19 投稿日:2004/09/28(火) 19:59

「おごってやるって言ってんだよ。なんだおめー
もしかして吉澤の酒が飲めねーっつうのか?」
「いや、だからそういうわけじゃなくて…」

それでもなんとか抵抗しようとする。
が、今度は襟元をつかまれていた。

「行くよな?」

タチの悪いチンピラもいるんだった…

吉澤の凄んだ声に男は身体を強ばらせる。
こういうのに遭遇した時の対処法は昔から一つと決まっていた。

「…行きます、行かせていただきます」

素直に従うべし。

男はなすすべもなく、引きずられるように部屋を後にした。


――――――――
513 名前:19 投稿日:2004/09/28(火) 20:03

「はぁー」

明日のことを思うと何度でもため息がつけた。
始まりは突然の来訪者、はた迷惑なチンピラ…
せっかく寝てすごそうとしていた休日も残すところあと数時間となっている。

「はぁーあ」

あのあと何件も連れ回された結果、お腹は向い酒でぱんぱんに膨れ上がり
全身に感じられる疲れも少し寝たぐらいで消えるようなものではなくなっていた。

「つかれた…」

枕元に転がっている目覚まし時計を手に呟く。
力の入らない身体とは別にはっきりと覚醒している脳。
今男につきまとう苦しみは別のところにあった。

外出するだけで迫ってくる苦しみ。

ジャージ姿の男、外国人のグループ、
似たような人間とすれ違うだけで、男の足は止まった。
想像以上のショックが身体に刻み込まれているのを自覚するのに
そう時間はかからなかった。
514 名前:19 投稿日:2004/09/28(火) 20:06

俺どうなっちまったんだろ?

二度と見ることはないと思っていた顔、
それを目にした瞬間、男の心は悲鳴を上げていた。
自分が襲われたわけでもないのに身がすくむ。
よみがえる恐怖に男はとまどうことしかできなかった。

何でこんな思いをしなきゃなんねーんだ
あいつのせいで―

顔を赤くほてらせたその男は自分よりも年下のようだった。
それに今朝の印象ともだいぶ違っていた。
白いシャツに茶色のズボン、
眼鏡の向こうで細められる目に写るのは流行よりも教材といった感じか、
童顔で華奢な体つきは男が昔いじめていた同級生を思いださせる雰囲気さえ
持ち合わせていた。

こんな奴、すぐちびらせるのに…

人を傷つける人間には見えない、むしろ反対側の人間。
それが余計に男の癪にさわった。

惨めな思いは自然と怒りに変わる。

二つ隣の席で泥酔している男がこの後どうなろうと知ったこっちゃない。
罪は償うべきだ。

迷うことなく、男は吉澤に目で知らせた。
515 名前:19 投稿日:2004/09/28(火) 20:08

俺は正しいことをしたんだ、そうだろ?

敷きっぱなしの布団に寝っころがり、
男は何度となく自分に言い聞かせてきた言葉をくり返した。

「俺は関係ねーからな」

明るくなってきた天井が何も言い返してこない代わりに、
窓に開いた穴からカラスの鳴き声が倍になって返ってくる。
厄日だった、と笑い飛ばせる日なんてくるのだろうか。

「そうだっ」

どんどん暗い気分になっていく中、
一筋の光でも見つけたかのように男はがばっと上半身を起こした。
傍らに脱ぎ捨てられたジーパンを引き寄せ、すぐさまポケットをさぐる。

「はぁー」

今までのため息とは180度違っていた。
男の顔からは疲労までもきれいに吹き飛んでいる。
吉澤が犯人検挙のお礼にとくれた布切れを見つめ、男はだらしなく口元をゆるめた。

「Tバックかー…」


――――――――


516 名前:名無しさん 投稿日:2004/09/28(火) 20:18

更新しました。嫁のパンツ…狂犬はやることも一緒?

>>490-495
レスありがとう。
私情ですが色々なことが重なり時間が取れずに、
正直なとこ半ば放棄してました…すみません。

以前に比べると省ペースになりそうですが、気持ち新たに
続きを書いていきますのでおつき合いよろしくお願いします。
小説万歳。
517 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/28(火) 21:18
更新お疲れ様でした。

おーっ!おーっ!おーっ!
続き待っておりました。
いやぁ〜最後の・・・笑わせていただきました。(w
次回更新も楽しみにしています。
がんばってください。
518 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/30(木) 04:10
Tバック━━━━━━;´Д`━━━━━━!!
519 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/21(木) 09:12
ヘイへーイ
520 名前:名無し飼育さん 投稿日:2004/10/21(木) 22:55
↑あげるなバカ
521 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/25(月) 21:27
落します
522 名前:20 投稿日:2004/10/26(火) 23:19

助けて、誰かたすけて

押さえても押さえても首から血がとめどなく溢れてく
信じられない量の血がこの体から逃げ出してく
新品の服がほらもうこんなに赤く汚れちゃってるんだ…



さっきから何度も助けを呼んでるのに
咽はひゅーひゅーと息を漏らすだけで泣き声だって出てこない
早く気付いてよ、痛くて痛くて死にそうなんだ…

そんなまさか…いやだ

嫌だ嫌だこんなとこで死にたくない、僕の将来は明るいはずだ
こんな汚い床の上で終わるわけがないんだ
こんな異国の地で終わらせるわけにはいかないんだ

くそっ、あの女覚えてろよ
綺麗な女だからって容赦しないからな
今度はその白い咽にナイフを突き立ててやる
俺はもうすでに一人手にかけてるんだから――
523 名前:20 投稿日:2004/10/26(火) 23:20


そうだ、僕はすごい仕事をしたんだ
だからもう弱虫だなんて言わないよね、兄ちゃん
強くなったんだ、そう強くなったんだ

くそぅ、でも痛いよ、いたくていたくてどうしょもないんだ
…兄ちゃん助けて

いつのまにか目の前が真っ暗だ
僕に気付かないで電気を消すなんて何て店なんだ
後で文句つけてやる
ん?かすかにドアの音がする
やった、ゆっくり足音がこっちに近付いてくる
そう、ここだよ
ここに僕はいる、ここにいるよ
早く早く血を止めて
524 名前:20 投稿日:2004/10/26(火) 23:22

なのに、何で抱き起こしてくれないの?

来た時と同じペースでドアの向こうに引き返していく
僕が見えないの?
そういえば水道からこぼれる水滴の音も聞こえなくなってる

ここはどこ?
見捨てられた…?

助けを求めて手を伸ばしたのに最後の力をふりしぼったのに
あったかい温もりでなく今ぼくの手には冷たいものが握らされてる
なんで、なんで?こんなものいらない…
あれ?何も握ってない?

ぼくの手はどこ?ぼくの体はどこに?

いやだ死にたくないんだ
嘘だろ、そうだ嘘に決まってる
きっとこれは夢なんだ―

とんでもない悪夢なんだ――

525 名前:20 投稿日:2004/10/26(火) 23:23


地上18階。
くもり一つないガラスに映るのは青い空とビルの頭。
都心のオアシスか贅沢か、大金を積み上げて望める景色が一面に広がっている。

「ヨン様かっこええわー」

それでもその眺めには脇目もふらず、
加護は壁にかけられた大きなディスプレイを食い入るように見つめていた。
右手にリモコン左手にお菓子の袋、真正面に位置するソファに体を沈め
さっきから誰にともなく語りかけている。
階下の喧騒から解放された部屋の中は無惨にもテレビの音で満たされていた。

「あーもうないやん」

テーブルの上に広げられたお菓子の山を見渡して舌打ちする。
リモコンを放り出すと加護は足早にキッチンへと向かった。
526 名前:20 投稿日:2004/10/26(火) 23:25

まだどこからも新品の匂いが漂う室内。
15畳は軽くある石川の部屋には海外のインテリアが綺麗にセッティングされていた。
その部屋の住人のセンスに関係なく新しい事務所の内装は電球から机一つまで
統一されているため、この応接間もこうして例外なく上品にまとまっている。
奥の扉に続くキッチンや寝室にもそれぞれ高価なものが備わっている。

安倍や矢口らが身を置く上層階は事務所としても住まいとしても
高水準な条件を全て満たしていた。

2つ下の階に外部からの上等な客人を迎える専用の応接間がいくつか
あるおかげで、この豪華な応接間がその機能を果たすことは今の所ない。
今後も身内の出入りしかないであろうこの部屋は、石川の机の周りを除いては
現に加護がくつろいでいるようにほとんどダイニングと化していた。

ドアを二つ開けてたどり着いたキッチン、
加護は電気もつけずに冷蔵庫を開けて食器棚からはグラスを取る。
いまだに電気のスイッチを間違える石川とは違って加護はもう使い慣れていた。
冷蔵庫にならんでいる品物も全て加護が食べたいものばかりだった。
527 名前:20 投稿日:2004/10/26(火) 23:27

「はーうまっ」

目移りしながらも、たくさんあるペットボトルの中から一本抜き取って
テレビの音が反響する部屋へと戻る。
立ったまま一口ついていた加護の目は
テレビに向かう前に自然とそれに引き付けられた。

自分の存在を主張するかのように白い壁が太陽の光を反射させている。
細かな部分まで丁寧につくられた立体模型、
少しホコリをかぶったそれが足下の床に直に置かれていた。

「邪魔くさー」

挑戦的なその立ち姿に加護は目を細める。
この模型を囲んで目を輝かせていた石川達の顔を嫌がおうにも思い出した。
自分達の城を手に入れる、その喜びにケチをつけたいわけじゃない。
ただ、なにかが気に入らなくて
当時から加護はどうしてもその喜びの輪に入れなかった。

「昔は主役やったのになぁ」

今でもこのビルを見上げるとき、
みんなとは対照的に加護は一人重苦しいため息をついている。

「お前さんはもう…用済やって」

加護はぼそっと呟き、
今自分が立っているであろう部屋の窓にそっと指を伸ばした。
528 名前:20 投稿日:2004/10/26(火) 23:28

「なにそれ、まだ何もわかってないってこと?」

ガタンと扉が音をたてるのと同時に石川の苛立った声が飛び込んできた。
壁際に立っていた加護の前を素通りして石川は奥へとずんずん歩いていく。
携帯を耳にあてた横顔は厳しく、窓を背にする椅子に少々乱暴に腰を下ろすと
石川は机の上で拳をつくった。

「たぶんじゃなくて、確かな情報が私は欲しいの!」

完璧に自分の存在に気付いていないらしい。
石川は視線を落とし、ムッとしながら机に置かれた紙をめくっている。

「もういいわ」

うんざりしたようなため息をつき、石川は言葉短くさっさと携帯を切る。
電話口での不穏なやりとりに加護は石川に声をかけるタイミングを失っていた。

「あれ、あいぼんいたの?」

つけっぱなしのテレビに気付いた石川が顔を上げる。
どうしていいかわからず息をひそめていた加護は
悪事がバレた子供のように肩をびくっと揺らした。
529 名前:20 投稿日:2004/10/26(火) 23:30

「なんだー全然気付かなかったじゃん、声ぐらいかけてよ」
「えー声かけなくても普通気付くって」
「だってー電話してたんだもん」
「無理ありすぎだから」

口をとがらせ甘えた声でそう言い訳する石川に
あきれた視線を向けつつも、加護は内心ほっとしていた。
テキパキと鋭い声で仕事をこなす石川が加護は少し苦手だった。

「まーいいけど、何かあったの?」
「え?あ、うん、ちょっとね…色々あって」

表情をころころと変え、石川は言葉をにごらせた。
わざわざ聞かなくとも言い争う気配で良くないことが起きたのは
わかっていたが、加護はあえてそれを口にする。
外では一貫して強い人間で通している石川も
加護に対しては分かりやすい反応でいつも答えてくれるからだった。
530 名前:20 投稿日:2004/10/26(火) 23:31

「そう、それでね。今日も帰れないだろうから
ラッキーにごはんあげといてくれる?」

そしていつも核心に触れる話を石川は聞かせてはくれない。
自分に余計な心配をかけたくないのか、それとも自分が頼りないだけなのか。
わかっていてもその度に不安と不満が心の中を錯綜し、
加護はなんとも言えない気分に包まれていた。

「しょうがないな」

だからといって素直にその気持ちをぶつけるような子供っぽい真似はしない。
加護はなるたけ自然な笑顔を見せ、頷いてみせた。

「あいぼんがスペシャルディナー作ってやるかぁ」
「お願いね、あの子私以外だとあいぼんからしか餌食べないんだもん」

石川がふわりと微笑む。
加護はそれだけでもう満足だった。
531 名前:20 投稿日:2004/10/26(火) 23:33

ピピピピ…

再び机の上で石川の携帯が無機質な音を鳴らし、光った。
石川はすぐさま携帯を手にとり視線を落とす。
その表情はすでに仕事モードに切り替わっていた。

「あいぼんテレビの音少し落として」

それだけ言うと石川はグルッと椅子ごと背を向ける。
言われるがままに加護も急いでリモコンに手を伸ばした。

「もしもし、ええ―」

賑やかな音が小さくなる代わりに加護の背後からの声が大きくなる。
やはり何かあったのだ。
相づちをうつ石川の声が曇るのにつられて加護は後ろを振り返った。

どこまでも続く青い空とぎっしり詰まった東京の街並、
高層ビル群を背景に石川は大きな椅子にさっきと変わらず身を預けている。
どこか押し寄せてくるような景色に
加護は今初めて気付いたかのように目を奪われていた。


――――――――
532 名前:20 投稿日:2004/10/26(火) 23:35

「お腹空いちゃったー、あいぼん何か食べもの」

言いかけて石川は言葉を止める。
向き直った部屋の中に肝心の話し相手の姿が見えなくなっていた。

「あれ、もう帰っちゃったのかな」

熱くなった携帯の画面を覗きこむ。
自分でも気付かなかったがもう40分ほど喋っていたようだ。
すぐさま加護の名前をメモリから捜し出すが、
石川は通話ボタンを押さずにそのまま携帯をたたんだ。

「ったく、ちらかしっぱなしなんだから」

重たい腰を上げ、テーブルに近付く。
広げられたお菓子の中から一つを取って口にいれた。
濃厚な甘みに口元が自然とゆるむ。
同じのを2、3個ポケットに入れてから、石川は加護の散らかした後始末に取りかかった。

「ほんと食べすぎだってば…」

ぶつぶつと文句を言いながら空いた袋をゴミ箱に投げ込んでいく。
最後に食べかすを布巾で拭き取っていると、つけっぱなしの
テレビから垂れ流される音に石川は即座に反応した。
533 名前:20 投稿日:2004/10/26(火) 23:38

ぐしゃぐしゃに割られたドアにひびの入ったガラス窓、
次々とカメラが映し出す被害状況を凝視したままリモコンをたぐり寄せ、
石川はしぼられていた音量を上げた。

『――は白昼に起こりました。付近の人が怒声と叫び声、そして銃声と
思われる音を何発も聞いています。通報を受けて警察が駆けつけたときには…』

事が起きてそう時間がたっていないせいか中継で伝えられる
現場は警察官と消防に救急隊員が入り交じり、混乱していた。
警官が規制を呼びかけ人込みを遠ざけようとしている。
青いビニールシートの隙間から見える壊された建物、
そのガラス窓の文字はやはり見覚えのあるものだった。

『細かいことまでわかりませんが、今入ってきた情報によりますと
犠牲者は山竜会の組長の他、事務所にいた構成員数名だと言うこと、
民間人で巻き込まれた方はいないようです。襲われた暴力団員はいずれも
射殺された模様ですが犯人はまだ捕まっておりません。数週間前にも
山竜会の構成員が重症を負う事件が発生しており、今回の事件とも
何らかの関係があると思われます。警察では今後暴力団同志の抗争が…』
534 名前:20 投稿日:2004/10/26(火) 23:40

声を張り上げ、深刻そうな顔でレポーターがこちら側に語りかけてくる。
映像がスタジオに切り替わる前に石川はチャンネルを変えた。

淡々と番組が流れていく中、
横長の画面いっぱいに広がった顔に石川の手が止まった。

『――者は新宿区歌舞伎町2丁目のビルの地下一階にある飲食店の
トイレで何者かに刃物で首を切られ絶命していました。死因は首を
切られたことによる失血死で、付近に刃物がないことから他殺とみて
警察は捜査しています。この被害者は昨年から都内の大学の留学生として…』

事件から外国人留学生の現状へとVTRが変わり、
石川はそこで電源を切った。

カチッと機械が休止する音が耳につくほど部屋の中は一気に静けさに覆われる。
石川はしばらくそのままの体勢で黒い画面を見つめていた。
535 名前:20 投稿日:2004/10/26(火) 23:43

「はぁ…」

一つ息を吐き、石川は疲労を振り払うように軽く頭を振った。
小奇麗な部屋に似つかわしくない黄ばんだ提灯にふと目が止まる。
予想通り矢口達にダサい外せと大合唱された提灯だったが、
石川の必死の説得で難を逃れそこに飾られていた。

少しだけ眠ろうかな。
奥の部屋へ引き上げようと部屋の明かりを一つずつ落としていく。
が、疲れた石川の目にもその異物は引っかかった。

「もー」

ほっとしたようなため息と愛想をつかした声が混じる。
ついさっき捨てたばかりの箱の中身が立体模型の頂上に、
つまりビルの屋上部分に帽子のようにかぶせられていた。

「あいぼんったら」

こっけいな近代建築の姿に石川は小さく笑った。


――――――――


536 名前:名無しさん 投稿日:2004/10/26(火) 23:50


更新しました。あいぼーん

>>517
最後のパンツネタがどうしても書きたくて更新したとか…从 `,_っ´)プッ

>>518
从 `,_っ´) …

>>519
从 `,_っ´)ヨンダ?

>>520
从 `,_っ´)トットット

>>521
从 `,_っ´)オットット
537 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/27(水) 00:23
待ってたよ( ´,_ゝ`)プッ
538 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2004/10/27(水) 22:16
更新お疲れ様です!
待ってました
また続きが気になる終わり方を・・・
次の更新頑張ってください
539 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/01(月) 12:03
最高におもろい
がんばってくれさい
540 名前:21 投稿日:2004/11/24(水) 22:28



消毒液の匂いが充満する部屋。
身体を横たえ、静かに胸を上下させている吉澤からは
普段のおちゃらけた雰囲気は微塵も感じられない。

すやすやと寝息をたてている姿は元々の白さもあって重体患者のようにも見える。
永遠に目を開けることがないのではと思うほど身体からは生気が抜け出ていて、
ただ眠っているだけだとわかっていてもれいなはどこか落ち着かないでいた。

吉澤を保護してるとの一報が病院から入ってきた時にはさすがに心臓が止まった。
自分が逃してしまったせいだ――とれいなは頭を抱え、
大谷の事件から続く病院の呼び出しに飯田はあやうく卒倒しそうになった。

いったいこの人はどれだけ心配をかければ気がすむのだろう。
できることなら今すぐ叩き起こして文句の一つでも言ってやりたいのだが、
こんなにも穏やかな表情をみせる吉澤を起こしてしまうのも気が引けた。

「ふぁーぁ…」

つられて重たくなるまぶたをこすり、頭を振る。
潤んだ目でれいなは吉澤の枕元にぶら下がっている点滴の残りを見つめた。
541 名前:21 投稿日:2004/11/24(水) 22:31

あと数分もすれば終わるだろう。
それから吉澤を起こして飯田のところへ連れて帰ればいい。
慌てる必要はない、今度こそ大丈夫。

前回最後の最後で逃げられているれいなはそう自分に言い聞かせてから立ち上がる。
この部屋唯一の出口を塞ぐように置いたパイプ椅子がぎしっと音をたてた。
足音をしのばせ吉澤が横になっているソファに近付く。
少し考えてから自分より低い位置にある吉澤の顔を覗きこみ、
その寝顔を見つめた。

すき通るような肌と伏せられた長いまつげ、
こうして間近で見るとドキッとさせられるほど綺麗な顔をしている。

黙って大人しくしてればけっこう…
…いや、無理ね

この人にじっとしていろというのは息をするなと言ってるようなもんだ。
左目の周囲を赤紫に変化させたアザとその上に貼られた白いガーゼ、
れいなの発想を真っ向から否定する行動の痕跡に思わず笑みがこぼれた。
542 名前:21 投稿日:2004/11/24(水) 22:34

「……っち」

することもなく、吉澤本人が星ができると
自慢していたほくろをまじまじと数えていた時だった。
息を吹き返すかのように吉澤の唇が動く。
突然のことに、れいなは尻餅をついた格好で後ろに大きくのけぞった。

すぐに吉澤の大きな目がパッと見開かれた。
意識がまだはっきり覚醒していないのか天井を見上げるその表情は虚ろで、
思わず手を差し伸べたくなるほど儚げに映る。
らしくない表情がれいなの脳裏にいつかの記憶をよみがえらせる。
れいながこの顔を見るのは初めてではなかった。

「よ…しざわさん?」

まばたきもせず、動く気配すらない吉澤にそっと呼びかける。
焦点の合っていない瞳だけがぎょろりと動きれいなをとらえた。

やっぱり。
すぐにれいなを通り過ぎた吉澤の視線は狭い空間をさまよう。
それを見て、吉澤が意識のない状態でここへ運ばれて来たことをれいなは悟った。
543 名前:21 投稿日:2004/11/24(水) 22:35

「夏先生のとこですよ」

少し強めに言うと、ようやくれいなの存在に気付いたのか
吉澤は目を丸くしてこっちを見た。
腫れぼったい二つの目は赤く充血している。

「もう少しで点滴終わりますからまだ横になってた方がいいですよ」

変わらぬ口調で吉澤の左腕を指さす。
自分の腕に刺さった針を見とめると吉澤は起こそうとしていた身体を止める。
軽く咳き込んで出てきた吉澤の声は掠れていた。

「あ…うん」

寝ぼけているときはチャンスかも。
自分の言葉に素直に従う吉澤にれいなは思わずにやける。が、吉澤が
不審な目でこっちを見ていることに気付いてすぐに表情を引き締めた。

「あの、えっと…もしかして覚えてないんですか?」
「んーなにがぁ?」
「何がってケガしたこととかここに運ばれてきたときのことですよ」
「うーん、すんげー飲んだからなぁ」

期待できそうにない声を上げて吉澤は首をひねる。
思い出そうとガーゼに手を触れた吉澤の眉がピクッと動いた。
544 名前:21 投稿日:2004/11/24(水) 22:37

「いてっ…顔けっこうひどい?もしかしてだっさい感じになってね?」

ケガの原因よりも見た目のカッコ良さの方が気になるのか
しきりに顔に触れて傷を確かめている。
ほんとに、こん人は。
顔色をころころと変える吉澤にれいなは構わず言った。

「ええ、もう少ししたら確実にパンダになりますね
たぶん、かなりダサいことになりますよ」
「うそぉーん!さいあくー!」

パンダやだー、と大きな声を上げ吉澤は手足をジタバタと動かした。
今ではほとんど見かけなくなった駄々をこねる大きな子供の姿に
れいなの口元がひきつる。

「それだけ元気ならすぐに帰れますね」

突き放すようにそう告げて、れいなは冷たい視線を吉澤に向ける。
それでもいつもの調子が戻ってきた吉澤に内心ほっとしていた。
545 名前:21 投稿日:2004/11/24(水) 22:38

「カエル?」
「ええ、それ終わったらすぐに帰りますよ」

れいなに促され、吉澤の目線が腕からのびるチューブをたどって真上に向く。
一定の間隔でしずくを落とし薄くなっていく点滴のパック、
それと数秒にらみ合うと吉澤はなぜか顔を曇らせた。

「やだ」
「は?なに言って…」
「つーか無理なんだわ、足やっちゃって歩けないからさ」

れいなの言葉を遮る吉澤の声はどこか寂しそうだった。
急に切り替わった表情に喉元まで出かかっていた怒りを慌てて呑み込む。
吉澤は自由に動く右手で太ももの辺りをさすり、顔をしかめた。

「股関節が外れちゃってて動かせないんだよね」
「えっ、そんなに…大丈夫ですか?」
「少し痛いけど安静にしてれば平気だって、あっそうだ悪いんだけどさ」

壁にかけられた黒いコート指差し、吉澤は一転してへらっとした笑いを浮かべる。
神妙な雰囲気はもうなくなっていた。

「ポケットにお金あるから何か飲み物かってきてくれない?
水とかねーでしょココ、すっごい咽かわいてるのに今気付いた」
546 名前:21 投稿日:2004/11/24(水) 22:40

そういえば寝起きざまに咳き込んでた…
もう、何してっと。
気が回らなかった自分にれいな心の中で叱責する。
吉澤はそういうことをあまり気にしないが、若いころから上下関係の
厳しい世界に身を置いていたれいなにとってこういうことは重要だった。

「何がいいですか?」
「えっとねーレモンティーがいい」
「わかりました、すぐ買ってきます」
「よしたけも飲みたいの買ってきなよ、ずっと待ってたんでしょ」
「あ、はい。いただきます」

れいながコートに手をかけた瞬間、背後でザッと音がなる。
人の気配に振り返ると案の定入り口のカーテンが引かれ、
そこでこの部屋の主が仁王立ちしていた。

「へぇーあんた股関節も外れてたんだ」
「あ、夏先生…」

白衣のポケットに両手を突っ込み夏は切れ長の目を細めて言った。
れいなは財布に手を伸ばすことをやめ、夏の行く手を阻んでいるパイプ椅子をどけに走る。
げっ、と吉澤が声を漏らしたのをれいなは聞き逃していなかった。
547 名前:21 投稿日:2004/11/24(水) 22:42

「さくっと私が入れてあげようか?」

長い指をポキポキと鳴らしながら夏が吉澤に近づく。
がばっと上半身を起こした吉澤は目を泳がせ、落ち着きなく首の後ろをしきりに掻いた。

また騙されるところだった。
予想通り慌て始めた吉澤に助け舟を出すつもりは毛頭ない。
夏の背中越しに目配せしてくる吉澤かられいなは視線をそらした。

「けっ、ヤブに任せられるかっつーの」

逃げ道がないことに気付くと追い詰められた吉澤は吐き捨てるように言った。

「ヤブでもそこら辺の奴らより名医よ」
「じゃあ、そこら辺の医者がへぼすぎなんだよ」
「へー、あんた日本の医療制度にまで疑問を投げかてくれんの?
ついでにモグリやんなくてもいいように試験制度の見直し提案してきてよ」

悪態をつく患者に夏は肩をすくめる。
ヤブという部分を否定せず、得意げに答える夏に吉澤は言葉を詰まらせた。

「遠くから患者が来るほど評判のいい医者つかまえて、あんたよくそんな口がきけるわね」

吉澤は何か言いたげに夏をじっと睨みつけることしかできずにいる。
なぜなら夏が言ってることは大げさでもなんでもなく、彼女は本当に名医だったからだ。
548 名前:21 投稿日:2004/11/24(水) 22:44

個人経営とはいえ夏は正式に認められた内科医院の院長で、
医師免許だってきちんと持っている。
今吉澤が休んでいるこの部屋も夏クリニックの一室、
荷物と書類がぎっしりつまった院長室は休憩室も兼ねていた。
それでも夏自身がヤブと認めているのはその仕事が認められた診療範囲から
はみ出しているからであって、腕の方にはかなりの自信と経験を積んでいた。

それに患者は堂々と外科にかけこめない飯田組の連中がほとんどである。
その中でも毎回のようにお世話になっているのは吉澤で、中澤組時代から続いて
いる夏との裏の繋がりに吉澤が文句を言える立場にいないことだけは確かだった。

「…んだよ、チャックのくせに」

ぼそっと吉澤が呟くのを夏は鼻で笑い飛ばす。
必死に頭を巡らせて吉澤からでてきた反撃の言葉はなんてことないものだった。

――ブラックチャック先生

飯田組の中で呼ばれている夏の愛称は、初対面の時にパンツのチャックを
全開にしたまま処置をしていたことから吉澤が名づけたものだった。
吉澤にしては上手いネーミングをしたものだが、有名な漫画の名医を
連想させるそのあだ名は夏には全くダメージを与えていない。

「まぁ、光栄ですわ」

よしたけと呼ばれる度に声を荒げていたれいなは、
夏に終止押されっぱなしの吉澤を珍しそうに眺めていた。
549 名前:21 投稿日:2004/11/24(水) 22:45

「で、どっちの股関節外したの?」

腰に手をあて、夏は吉澤を見下ろした格好で訊く。

「名医ねぇ…」

しかし、吉澤はそれには答えずに毛布から露になった自分の肩をなでた。
タンクトップからのぞく真っ白な肌とは対照的に吉澤の左腕から
肩にかけた部分は青黒く染まっていた。

「――おいらのわんこは泣いてるっつうのに」

その中心で一匹の狼が牙を剥いていた。
吉澤が一匹狼と呼ばれる由来にもなった見事な彫りものだった。
大きく割かれた口には血の匂いがしみついていると聞いたこともある。
膨らまされた噂とはいえ直視できない恐ろしさが確かにそこには漂っていた。

「あんたが痛がって動くからズレたんでしょ」

明るい電気の下でその姿を拝むのは初めてだった。
今にも飛びかかってきそうな狼の片方の鋭い目は潰され、縦に綺麗に傷が走っている。
計算されたかのように刺青の迫力を演出している傷痕、
今では彫りものの一部となったそれを縫合をしたのも夏だった。
550 名前:21 投稿日:2004/11/24(水) 22:46

「麻酔いらないとか言っときながら、この人ピーピー泣いてうるさかったんだから」

ぽんぽんと吉澤の肩を叩いて夏はれいなに笑いかける。
すぐにムっとした表情を浮かべ、吉澤はその手を振り払った。

「ピーピー泣いてなんかねぇよ!」
「あ、ひーひー言ってたんだっけ」
「それも言ってねーだろ!」

興奮した様子で吉澤は声を裏返らせる。
そうだっけ、と恨みがましい視線にも夏は少しもひるまず言葉を返した。

「まーいいけど、そんだけ元気なら私のベッド返してくれる?
もう働きどうしで腰痛いのよ」
「おう、とっとと帰るぞよしたけ!」

夏と目も合わさず、吉澤は点滴針を腕から抜き取って立ち上がる。
すっかり血の気の戻った吉澤と肩を並べ、夏が首をかしげた。
551 名前:21 投稿日:2004/11/24(水) 22:47

「股関節はどこいったの?」
「いま自分で入れた」
「そう、お大事に」

ほつれだした吉澤の言葉にはさみを入れることなく、
夏は吉澤が横になっていたソファに倒れこんだ。

小さい病院でありながら患者が多く診療時間はいつもずれ込むと聞いている。
わずかにある入院用のベッドも満杯なのだろう。
泥酔した吉澤を診てくれた上に自分の仮眠用ソファまで空けてくれた夏に
吉澤だって感謝してないわけではない。だが、疲れた身体を毛布で包む夏を
振り返りもせず、吉澤は荷物の山からジャケットを取ると出て行ってしまった。

素直じゃない吉澤の背中をれいなは何か言いたげに見送る。
黒いコートは壁にかかったままだった。

「あの、ありがとうございました」
「あいよー」

代わりにれいなが頭を下げる。
夏は大きな欠伸をつきながら片手を上げた。


――――――――
552 名前:21 投稿日:2004/11/24(水) 22:52

患者が往来する出入口とは反対側、
通用口とかかれたガラス戸を背にして吉澤が待っていた。
喉元まで閉めたスカジャンに両手をつっこみ、楽しそうに笑っている。

どうやら機嫌はよくなっているらしい。
夏に完敗した状態の吉澤と二人っきりで帰ることだけは避けたかった
れいなの目には、吉澤の前に立つ話し相手の白衣が眩しく映った。

「お疲れさまです、菅井さんもこれから休憩ですか?」
「そうだよ、やっと休めるの」

ほんの数回しか話したことはなかったが、
菅井は愛くるしい笑みでれいなに振り向くと丁寧に答えた。

「この整理が終わってからなんだけどねぇ」

にっこり笑って壁際に積み上げられたダンボールを叩く。
菅井の右手に握られた伝票の束を見つけ、れいなは吉澤と目を合わせた。

「邪魔になりますからそろそろ帰りましょう」
553 名前:21 投稿日:2004/11/24(水) 22:54

「えぇーもお?」
「もうじゃないですよ、こっちは朝から待ってるんですから」
「大丈夫だよ、そんなにないから」

二人の間に菅井が割って入る。
セルフレームの眼鏡から向けられる優しい眼差しにれいなは渋々口をつぐんだ。

「それよりふらつかない?ボール顔面で受けたんでしょう?」

こめかみの当たりを指差して菅井が思い出したように言う。
頷きながら吉澤は自分の則頭部に触れた。

「そう、思いっきりガーンてやられたんだよ。でもさー壁だから動いちゃまずいじゃん?
だから後で倍返しにしてやったんだけどすっごいビリビリした」
「もう、やり返しちゃだめだよぅ」

肘うちの真似をする吉澤の腕をつかんで菅井は首を横に振った。

「無駄にけが人増やさないでぇ」
「だってすっげー痛かったんだもん」
「ちょちょっと待って下さい」

話がまったく呑み込めない。
ボール?かべ?
二人の間で飛び交う話題にれいなは完全に遅れをとっていた。
554 名前:21 投稿日:2004/11/24(水) 22:55

「ボールって何のことですか?」

怪訝そうな顔で尋ねると吉澤は知らないのかといった表情でれいなを見た。

「え?何ってボールだよ、サッカーボール。
それと昨日フットサル大会で吉澤が大活躍したハナシ」
「は?フットサル?」
「ふふふ…しかも、なんとなんと吉澤のゴールで優勝したのです!」
「優勝!?」
「ほんとだよ、助っ人で入ったチームが優勝したんだって」

変わらぬ姿勢で目をしばたいていると、
嘘だと疑っていると思ったのか横から菅井がそう付け加えた。

「ほら、お礼にいっぱい貰ったんだぞ」

吉澤はにひひと笑いながらポケットから何かを取り出す。
そのだらしない表情でそれが下らないもんだということが見なくてもわかった。
吉澤の手元を無視していると反応の薄いれいなから吉澤はそうだ、と視線を菅井を移した。

「お世話になってるから菅ちゃんにもコレあげるよ」
555 名前:21 投稿日:2004/11/24(水) 22:57

「俺は…いいよ」

吉澤が手にしている紙はかなりの厚みを持っていた。
蛍光の黄色が目をつくチケットらしきものだったが、
そこに踊る文字を見て菅井はきっぱりと断る。
菅井の顔の前で黄色い紙を揺らしながら、吉澤はえーっと不満そうな声を上げた。

「これあれば当分の間タダで通えるのにいらないのー?」
「いいのぉ、俺はそういうの好きじゃないから」
「えーじゃあどういうのが好きなのぅ?」
「どういうのって…俺は仕事一筋だからいいのぉ」
「いいのぉー?」

顔を赤らめる菅井を吉澤がからかいだす。
面白がってる吉澤とは対照的に菅井の表情は徐々に強ばっていった。

『俺は飯田組のことがすごく好きなの!』

そう言って目に涙を溜めていた菅井の顔を鮮明に思い出す。
やばかね…
れいなの咽がごくりと鳴る。
以前、れいなはこの真剣な眼差しと正面からぶつかったことがあった。
556 名前:21 投稿日:2004/11/24(水) 22:58

みんなあそこに残った人達がどれだけ苦労して生き抜いてきたか
あなたにはわからないでしょ!
何で飯田組に入ったの?
好きだからでしょ?
俺は飯田組のことがすごく好きなの!
そこでがんばってるみんなには元気でいてもらいたいの!
極道を甘くみないで下さい!


菅井の涙ながらの熱弁に圧倒されたのは、
化膿してしまった傷を手当てしてもらいに来た日のこと。

その頃一人でいっぱいいっぱいになっていたれいなは自由気ままに暮らしている
吉澤をはじめ、飯田組の愚痴をあろうことか菅井の前で漏らしてしまっていた。

『俺は飯田組のことがすごく好きなの!』

夏の助手として働く菅井とその時が初対面だったれいなにとって
その印象と言葉は記憶の淵に強く残っていた。
557 名前:21 投稿日:2004/11/24(水) 22:59

「吉澤さん帰りますよ」
「ふぇ?ちょっ…」

れいなは有無を言わせぬ口調で吉澤をドアの外へと押し出した。
菅井の飯田組に対する愛情を肌で実感するのと同時に、
れいなの中には菅井に対する苦手意識も少し芽生えていたのだ。

今は吉澤よりも菅井の方が断然怖い。

「菅井先生そろそろ失礼します」
「うん、気を付けて帰ってね」
「はい、どうもお世話になりました」

元に戻った菅井の笑顔に見送られ、れいなもそそくさと外へ出る。
中の熱気が嘘のように冷えきった空気が頬をなでた。
558 名前:21 投稿日:2004/11/24(水) 23:00

「さむっ」
「寒いのはお前だよ、せっかく面白いとこだったのに」

すぐ横から声が降ってくる。
が、外壁にもたれかかった吉澤は言葉とは裏腹に笑っていた。

「面白くなんか…ほんとに怒らせてどうすんですか」

ちっとも残念そうな顔をしていない吉澤をれいなはじろりと見上げる。

「いやだってさー、あの人こっちの気ありそうじゃん?」

悪びれた様子もなく吉澤は反対側の頬に手をそえる。
そうだ、この人は火に油をそそぐようなことを言うのが好きだった。
過去の吉澤の発言を思い出し、れいなは小さく頭を振った。

「巨乳を無視するなんて―」

信じられない、と吉澤はチケットを眺めしみじみと呟いている。
大げさにため息ついてれいなは一人先に歩き出した。
559 名前:21 投稿日:2004/11/24(水) 23:02

「それより昨日ずっとサッカーしてたって本当ですか?」

下を向いたまま、れいなは追いついてきた吉澤に声をかける。
隣家と夏クリニックの間の細い路地を吹き抜けていく風に
二人して背中を丸めていた。

「うん、しかもオールでね。だからすっげー筋肉痛なわけよ」
「夜通しでそんな大会あるんですか?」
「夜にしか動かない連中だから…ほらあれだよ。ガンちゃんいただろ?
大久保の看板持ちのおっちゃん。その頼みだから断れなくてさ」

あーあのおっちゃんか。
イエローなんとかという店名と黄色い車のイラストが入った派手な
看板を抱き締めるように支えていた老人、顔は思い出せないが
欠けた歯と変な笑い方だけは覚えていた。

「あ思い出した。サッカーっていってもファウルばっかのやつですよね」
「人聞き悪い言い方すんなよー接触プレーが激しいだけだってば。
それとサッカーじゃなくてフットサルね」

キャバ嬢やらスタッフが店ごとに戦う大会はフットサルとは名ばかりの
格闘技だと辻が言っていたような気もする。頭突きに肘打ち蹴りにパンチ…
何でもありの試合で審判が笛を吹くのはゴールが決まったときだけという。
それを証明するかのように前にも吉澤はアザだらけで帰ってきたことがあった。
560 名前:21 投稿日:2004/11/24(水) 23:04

「ていっても頭から血流して帰ってきてましたよね、仲良く―」

大谷さんと、と言いいかけてれいなは開きかけた口を閉じた。
前を歩いていた吉澤はちょうどクリニックの敷地を出たところで立ち止まる。
住宅地に近いこの一帯は車の通りが少なく、二人の会話がなくなると
街灯が灯り始めた道路は一気に静まり返った。

「騙すつもりじゃなかったんだよ」

れいなの靴音が止まると吉澤がつぶやくように言った。
顔を上げ、目の前に立つ吉澤を見つめる。
病院でのことを言っているのだとすぐにわかった。

「あのあと大変だったんですからね」
「ふはは、あの人頭おかしいからな」

愚痴混じりに男とのやりとりを口にすると吉澤はけらけらと笑い出した。
吉澤の何かに触れそうな気がしてハワイの話を聞いたことだけは言わなかった。

「もう生きてることが伝説の人だし」

道路の真ん中を歩き出した吉澤を避けるようにバイクが駆けていく。
緩やかな坂道を下りながられいなは吉澤の横顔をちらりと覗き見た。
561 名前:21 投稿日:2004/11/24(水) 23:08

「その目の上切ったのもフットサルでですか?」
「うん、そうだけど…何で?」

唐突な質問に吉澤が眉をよせる。
まわりくどい詮索は苦手だった。
吉澤の目を見据え、れいなはずっと尋ねたかったことを口にした。

「知ってますか?けさ山流会の事務所が襲撃されたんです。
吉澤さん、病院でバッジ受け取りましたよね」

そこまで言っても吉澤の瞳の色は変わらなかった。
代わりにれいなの不安を吹き飛ばすかのように笑い声が辺りに響いた。

「吉澤じゃないよ。一人でかちこむほど馬鹿じゃないもん」

そう言って、吉澤はれいなの頭に手を置いた。

「これはゴールポストにヘディングぶちかまして切れちゃっただけ。
よしたけの考えはハズレですからー」

残念!と声を張り上げ、れいなの髪の毛をぐしゃぐしゃに乱す。
あっけにとられているれいなを置いて吉澤はすたすたと再び歩き出した。
562 名前:21 投稿日:2004/11/24(水) 23:10

「そうですよね、いくら吉澤さんでも無理ですよね」

普段は無茶苦茶で人を平気でだます吉澤だったが、
こういうことに関しては真面目で嘘はつかない。
というかつけない。
ぼさぼさになった髪をなでつけながら変な確信にれいなは一人頷いていた。

「そうだよ、吉澤は化けもんじゃなくて普通のレディだから」
「ですよね」

どうでもよさそうに相づちを打つれいなを振り返り、それに、と吉澤は言葉を繋げる。
その口元はにやりと釣り上がっていた。

「ケンカってもんはね、事前の準備が大事なんだよ」

不適な笑みを残して吉澤は前を向く。

準備って…何ね?

れいながその意味をじっくり考えている暇はなかった。
563 名前:21 投稿日:2004/11/24(水) 23:12

「待ってよー!」

直立しているれいなを後ろから叫びに近い声が追いかけてくる。
聞き覚えのある声にれいなはハッと背筋を伸ばす。
今日一緒にここへ来た仲間のことを今思い出していた。

「ちょっとー田中ちゃんわたし置いてかないでよー!」

少し大きめの白衣をはためかせ走ってくる新垣を後方に見つける。
バタバタと近付いてくるその表情はいつになく険しかった。

「忘れてたでしよ?」
「いえ、もう下で車に乗ってるもんだと思ってました」

平静を装って頭に浮かんだ言葉をざっと並べる。
ゼェゼェと肩を上下に揺らす新垣に忘れてましたとは口がさけても言えなかった。
564 名前:21 投稿日:2004/11/24(水) 23:13

「ったく、チャック先生人使い荒いんだよー」
「大丈夫ですか」
「もうへとへと…」

老人のように腰を叩きながら新垣は前を歩く吉澤に視線を送る。
新垣とは対照的に、鼻歌が聞こえてきそうなほど吉澤の足取りは軽かった。

「元気そうだね」
「ええ、かなりうるさいですよ」
「みたいだね。吉澤さーん、大丈夫ですか?」

最後の言葉を吉澤に向けてから小走りに駆け出す。
吉澤の横に並ぶと、れいなと同じように新垣は吉澤の顔を見上げた。

「って、痛そうですね」
「ん?こんなん楽勝だよ。つーかガキさん以外といけるねー」

いいねぇ、と顎に手をあて新垣の白衣姿をしげしげと眺める。
誉められた新垣は嬉しそうに手を合わせているが、
気のせいかれいなには吉澤の顔が妙にいやらしく見えた。
565 名前:21 投稿日:2004/11/24(水) 23:15

「これですか?ずっと受け付けやってただけなんですけどね。
あたしも名医に見えます?」
「見える見える…ってあれ?ガキさん何か変わったと思ったら前髪できてんじゃん!
なに?どうしたの?」
「いやぁー、ちょっとイメチェンしようかと思いまして」

久しぶりに吉澤と言葉を交わす新垣の横顔はほんとに楽しそうで、
少し前にこぼしていた疲れも吹き飛んでいるようだった。
揺れる二人の後ろ姿をを見つめ、れいなも小さく笑みを漏らす。

が、ふと頭をよぎった言葉にその笑みは自然と消えていた。


――ごっちん、て何だろ?


不意に思い出して吉澤の背中を見つめる。


『――ないで…ごっちん』


家の切れ間かられいな目がけて風が吹きつけていく。
うなされていた吉澤の声を聞いたような気がした。


――――――――


566 名前:名無しさん 投稿日:2004/11/24(水) 23:21


更新しました。
菅ちゃんの語尾には気持ちハートマークを(w

>>537
从 `,_っ´) もお待たせしました。
その調子で読んでやって下さい。

>>538
さらに気持ち悪い終わり方に。
いつまで蜃気楼扱いするんだって声が…

>>539
どうもです、ちょうどある方の出番が少ないなと
思ってたところなのでかなりドキリとしました。
567 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/25(木) 22:11
待ってました。
うれしいです。
568 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/26(金) 04:18
更新乙です!
よしガキれいな良い!
ごっちんも出てきそう!
保田組大好き!
血生臭大好き!
569 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/25(土) 20:37
股関節でレモンティーだとか菅ちゃんとか禿ワラタw
更新待ってますよ。
570 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/03(月) 13:06
お元気?
571 名前:名無しさん 投稿日:2005/01/28(金) 21:52
マンパワーでなんとかお元気です
更新はもうちょいお待ちを
572 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/29(土) 06:28
本人ですか
それを聞いて安心しました
まったり待ってます
573 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/06(日) 01:56
いつまでも待ちまっせー
574 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/07(月) 09:15
うむ
575 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/09(水) 23:13
待ってます!!

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