Lost Childhood

1 名前: 投稿日:2003年07月05日(土)18時45分31秒
あやみきアンリアルです。

他には吉澤中心に色々展開される予定。
あくまで予定。
2 名前: 投稿日:2003年07月05日(土)18時46分05秒
 
3 名前: 投稿日:2003年07月05日(土)18時46分41秒
時刻はそろそろ午後11時。
隣家から聞こえていた叫び声が止んだ事に気付いて、
美貴はかけていたCDを止めた。

コンコン、と窓をノックする音。普通なら驚くところだが、
美貴は慣れているので表情を変えないまま立ち上がる。
カーテンを開けると、パジャマ姿の亜弥がいた。

「この子はもう……」
独り言ち、三日月錠を上げる。待ち構えていた亜弥が窓を勢いよく開けた。
「みきた〜ん、今日、一緒に寝てもいい?」
「いいけどさ。また恐い映画でも見てたの?」
「うん……」
二つ年下の、お隣さんで幼馴染のこの少女。
ホラー映画が苦手なくせに、何故か月曜日の夜はそういうDVDを借りて
部屋で挑戦する習慣があった。
そして、毎回チャレンジに失敗しては、各々の家の間にある
1メートルほどの幅を飛び越えて、美貴の部屋へやってくる。
4 名前: 投稿日:2003年07月05日(土)18時47分17秒
小さい頃から仲が良かったから、一緒に眠ったりお風呂に入ったりは
当たり前のようにしていた。しかし、こんな風に毎週毎週
亜弥がやってくるようになったのは、今年の4月から。

美貴が亜弥のいる高校を卒業して、大学生になったその日から、
月曜深夜の訪問は始まった。

彼女の行動は、理由が判りやす過ぎて怒る気にもならない。
一応の言い訳にホラー映画を見るあたりも、可愛いと言えば可愛い。
『単純』と『可愛い』はニアイコールなんだと思う。
5 名前: 投稿日:2003年07月05日(土)18時48分15秒
「もういい加減やめれば? いっつもワーキャー言いながら
見てさあ、結局最後まで見れた事ないじゃん」
うるさいんだよ、結構。そう続けると、亜弥は両手を握り締めて
胸の前に持ってきた。
典型的な、女の子らしい怒り方。

「でもでも、今日は半分くらい見れたんだよ!」

勢い込んで言うのに、美貴は意地悪い笑みを浮かべた。

「じゃ、そろそろ美貴の部屋に来なくてもよくなるかもね」
「えっ、や、それはどうだろ……」

途端に急ブレーキをかけた亜弥に、美貴は作り笑いを吹き飛ばされた。
「あはは!」お腹を抱えて笑い転げると、亜弥は拗ねたように
頬を膨らませて、美貴に聞こえないよう「馬鹿」と呟いた。
6 名前: 投稿日:2003年07月05日(土)18時49分01秒
寂しがっていると思わせたら、美貴が困ってしまうからと、
言い訳を用意して甘えてくる亜弥と。
その言い訳が一つしかない事に少し困りながら甘えさせる美貴と。
血の繋がりはないが、それは仲のいい姉妹のようで。
仲のいい姉妹のようだと、二人とも思っていた。

「ま、別に亜弥ちゃんならいつ来ても大歓迎だけどね」
「ホントに?」
「うん」

「にひひ。」嬉しそうに笑んで、亜弥が美貴に抱きつく。
美貴はその頭をポンポンと軽く叩いて、同じように
「にひひ。」と笑った。
7 名前: 投稿日:2003年07月05日(土)18時49分44秒
「もう寝る?」
「んー、うん」
「じゃ、ちょっと待ってて」

亜弥がベッドに腰掛けてから、美貴は部屋の隅に置いてある
アロマポットへ手を延ばす。
オイルを3滴ほど入れてから電源を入れ、亜弥の方へ振り返った。

「最近のって、火使わなくていいから楽だよねえ」
仄かに香り始めたポットを眺めながら、美貴がニコニコと笑う。
亜弥はベッドに寝転がりながら、軽く眉を寄せていた。
背中を向けている美貴は気付かない。
「それ、いつ買ったの?」

先週、亜弥が来た時にはなかったアロマポット。
美貴は問いかけに含まれた僅かな固さには気付かず、
気安い口調で答えた。

「一昨日、先輩にショップ連れてってもらって。
今度一緒に行こっか? 可愛い小物とかいっぱいあったよ」
「……ふぅん」
「連れてってくれたの、飯田先輩って言ってね。
背ぇ高くてかっこいいんだ。髪とかサラサラでさ、
シャンプーのCMとか似合いそうな感じ」

香りが部屋に行き渡るよう、ミニサイズの扇風機を回す。
亜弥が眠そうに目を細める。
8 名前: 投稿日:2003年07月05日(土)18時50分42秒
「大学の先輩と買い物行ったんだ?」

そこでようやく、美貴は自分の失態に気付く。
中学へ上がった時も、高校へ進学した時も犯した失敗。
学習能力ないなあ。心の中で反省する。

彼女は自分に懐いていて。
亜弥は自分が入り込めない領域を話題に出されると
少し不機嫌になる。

普通に友人はいるから、物凄く執着されているわけでも
束縛されているわけでもない。
それは、大好きなお姉ちゃんを他の人に取られてしまうのが
悔しいという、子供の心理。
9 名前: 投稿日:2003年07月05日(土)18時51分52秒
「んー、まーねー。それより、今日なんの映画見たの?」
苦しすぎる話題の転換。自分でも判っているが、
こういう事をスマートに出来るほど、美貴も大人ではなかった。

「キョンシーのやつ。もうすっごい恐かった!」
それでも亜弥は嬉しそうに声を弾ませる。

「ウソ! キョンシー面白いじゃん!」
「やだやだやだ! 恐かったよ、こんなで!」

起き上がった亜弥が映画のキャラクターを真似て、
腕を真っ直ぐに延ばして美貴に迫る。
恐さを演出したいのだろうが、顔が笑っているから何の効果もない。

「こんな風に、ガブッて!」
美貴に抱きつき、その首筋に噛み付く真似をする。
「きゃー!」美貴も付き合って、逃げる真似をする。
亜弥が無表情で近づいてくる。それが美貴のツボにはまって、
ベッドに倒れこんで爆笑してしまった。

「みきたん! 笑ってちゃ駄目でしょ! ちゃんと恐がってよ!」
「む、無理……っ。あはっ、だって亜弥ちゃん、オカシ……」
痛みすら覚えてきた腹部を両手で抱え込み、ブンブンと首を振る。
もともと笑い上戸なので、一度ハマるとなかなか抜け出せない。
10 名前: 投稿日:2003年07月05日(土)18時52分48秒
こうなったら、もう何をしても無駄だという事は判っている。
きっと箸を転がしたら一晩中笑ってるだろう。
亜弥もキョンシーごっこを諦めて、ベッドに潜りこんだ。
未だ震えの引かない美貴の肩を無理矢理押さえつけ、そのまま抱きつく。

「ホントに恐かったんだってば」
「うん、それは判るんだけど……ぷっ」
「まだ笑うーっ」

そういう亜弥の顔も、美貴につられたのか笑みが浮かんでいる。

ベッドはシングルサイズだが、それでも小柄な二人には十分な幅がある。
なのに亜弥はいつもピッタリくっついて眠る。
亜弥の髪から香るシャンプーと、部屋をふわふわと舞うオレンジの香り。
混じり合った二つの香りはひどく心地良くて、美貴は目を閉じると
すぐに眠りへ落ちた。
11 名前: 投稿日:2003年07月05日(土)18時53分28秒


12 名前: 投稿日:2003年07月05日(土)18時54分06秒



13 名前: 投稿日:2003年07月05日(土)18時55分43秒
初回終了。
ストックがあるんで、あと10回くらいはサクサク更新できるかと。

マナー部万歳。
14 名前:犬好き 投稿日:2003年07月05日(土)20時26分02秒
やったー。
あやみき、どんどん増えて欲しい。
リアルにもネタを事欠かないし、
キャラもビジュアルも最高。

とりあえず続きを期待。
15 名前: 投稿日:2003年07月06日(日)18時45分00秒


16 名前: 投稿日:2003年07月06日(日)18時45分34秒
「みきたーん。みきたんみきたんみきたーん。朝ですよー」
のしっと腰の辺りにかかる重みと、至近距離から聞こえてくる声で
美貴は目を覚ました。
「……あたしは猫か?」
寝起き特有の不機嫌さが美貴の顔に浮かぶ。
しかし亜弥はそんなもの意に介さず、人懐こい笑顔で唇を突き出してきた。

「みきたんにおはようのちゅう」
「しません」
亜弥の顔を手のひらで押し返し、そのままの勢いで乗っかっている体を押しのける。
ころんと簡単に転がった亜弥が美貴の横で丸くなった。
「みきたん、ひどい……」
シクシクと泣き真似をする亜弥はとりあえず無視して、起き上がって
ボンヤリする頭を一つ振る。

時刻は午前6時29分。火曜日は午前中の授業がないから、本当ならあと4時間は
惰眠を貪っていられるのだが、毎度こんな具合で亜弥に起こされている。

亜弥の通う高校は、ここから自転車で15分程度のところにある。
なのになぜ、こんな早起きをしなければならないのか。
17 名前: 投稿日:2003年07月06日(日)18時46分45秒
「今日は耳出そうかなあ。それとも編みこみとかしようかなあ。
みきたん、どっちがいい?」
「……どっちでもいいよ」

それはひとえに、亜弥の準備が長いから。
美貴はそれに無理矢理付き合わされて、こんな時間に起きる事になる。
他の日は家を出る15分前まで寝ているから、リズムが狂う事この上ない。

「どっちも可愛いのは判ってるから、みきたんの今日の気分教えてよ」

どっちでも可愛いと言った覚えはない。

しかし、彼女のナルシストぶりはいっそ清々しくて、朝からこんな台詞を聞いても
嫌な気分にはならない。
それは、ある種才能なのかもしれなかった。
18 名前: 投稿日:2003年07月06日(日)18時47分24秒
昔は「どの角度が一番可愛いか」とよく聞かれていたが、面倒臭くて
「どんなでも亜弥ちゃんは可愛いよ」と答え続けていたらそれを信じ込まれてしまった。

いや、確かにそう思っている事も本当なのだが。

亜弥は可愛い。美少女と言っても全く差し支えない。
人当たりもいいし、両親が礼儀にうるさいのでその辺も問題ない。
勉強はあまり得意じゃないが、それがまた可愛さをかもし出している。

完璧でないからこそ引き立つ可愛らしさを彼女は持っていた。
事実、高校時代はクラスメイトに「紹介してほしい」と頼まれた事も一度や二度ではない。
――――これだから女子校は。

思い出して、小さく溜息をついた。
更に、亜弥との仲を勘繰られて妙な噂を立てられた事まで思い出して、美貴は
さっきより大きな嘆息を漏らした。
19 名前: 投稿日:2003年07月06日(日)18時48分05秒
「みきたん? どしたの?」
いつの間にか、亜弥の顔が至近距離に迫っていた。
「なんでもないなんでもない」
適当に手を振って誤魔化し、亜弥の頭を撫でる。
「えへへ」亜弥が嬉しそうに微笑んだ。

「ねーねー、どうしたらいい?」
「んー……じゃあ、三つ編みで」
深く考えずに言ってから、しまったと思う。

「わかったっ。じゃあちょっと待ってて」
言うなり、亜弥は部屋の窓を開けて外へ飛び出した。
自分の部屋に戻っていく亜弥の後ろ姿を見ながら、美貴は「やっちゃった」と呟いた。

まず鞄が飛び込んできて、次に朝食を食べ終え、制服に着替えた亜弥が入ってくる。
ぱんつ見えるよーと言おうとしたが、そこは女子高生のたしなみ、ちゃんと
スカートの下にスパッツを穿いていた。
20 名前: 投稿日:2003年07月06日(日)18時48分51秒
亜弥は「はい」とばかりに美貴へ背を向けて座って、手にしたハンドミラー越しに
視線を送ってきた。

「髪やって?」
「……ん」

肩に届くくらいの亜弥の髪。それを一房手に取り、指に絡めて編みこんでいく。
睡眠時間は刻々と削られていたが、自分が言い出した事なので逆らったりはできない。
ここで「自分でやりなよ」と言えない辺り、甘いなあと自分でも思う。

左右に1本づつの三つ編みを作り、ゴムの部分に細めのリボンをつけてやる。

「はい、完成〜」
最後に亜弥の頭をポンと叩いて任務完了。
「ありがとー」
ミラーで何度も確認して、亜弥が満足そうに笑った。

「ねえねえ、可愛い?」
「可愛い可愛い」
「あたしの事好き?」
「好きだよー」
「あたしの事好き?」
「好きだよ」
「みきたん、あたしの事好きでしょ!」
「好きだってば!」

答えを確信している問いに、コンマ数秒で返される答え。
小さい頃からの恒例行事のようなやり取り。
締めに亜弥が美貴に抱きついて、二人の朝は終わる。
21 名前: 投稿日:2003年07月06日(日)18時50分01秒
「はー。今日もみきたんとの愛を確かめ合ったところで、そろそろ学校行こうかな」
「ん。行ってらっしゃーい」

ベランダではなく部屋のドアから出て行く亜弥を見送り、美貴はもう一度布団の中へ
戻った。
パタパタと階段を下りる音が微かに聞こえて、それが子守唄のように美貴を眠りへ誘う。
22 名前: 投稿日:2003年07月06日(日)18時51分38秒



23 名前: 投稿日:2003年07月06日(日)18時52分17秒



24 名前: 投稿日:2003年07月06日(日)18時53分12秒
2回目終了。
朝のひとコマでした。

次は来週末かと思います。気まぐれでその前に更新するかもしれませんが。
25 名前: 投稿日:2003年07月06日(日)18時54分46秒
>>14
・犬好きさん
早速のレス、ありがとうございます。
増えてほしいですよね、あやみき!(力説)
とりあえず放棄だけはしないので、ゆっくりお付き合い頂ければ
幸いです。
26 名前:犬好き 投稿日:2003年07月08日(火)21時19分03秒
しかし、思うんだけど、
美少女二人、仲が良すぎてちょっとありえないよなあ。
見てるほうも今のらぶらぶ状態が満足すぎて、
先が怖いかもしれない。

でもまあ、盛り上げていきたいところ。
27 名前: 投稿日:2003年07月10日(木)20時56分12秒



28 名前: 投稿日:2003年07月10日(木)20時57分29秒
    *****


「松浦〜。おはよぉ〜!」

自転車をこいでいたら、後ろから妙に間延びした声が聞こえてきた。
振り返ると、3年生の吉澤ひとみが全力でペダルを踏んで亜弥に追いつこうとしている。
風になびく金髪。しかもメッシュまで入っている。
完全に校則違反なのだが、女子高生のパワーはすごい。

教師に注意された時、ひとみ自身はへらへら笑って誤魔化そうとしていたのだが、
彼女を取り巻く数名の生徒が、鋭い視線で教師を睨み据えて退散させていた。
ひとみの髪色が変わってからひと月くらいになるが、今はもう誰も何も言わない。

「吉澤さん、おはようございます〜」
少し速度を落とし、ひとみが追いつくのを待って、挨拶を返す。
ひとみは肩で息をしながら、シニカルに微笑んだ。

「うぅん、今日も可愛いよ松浦。いっそ今すぐ食べちゃいたいくらいさ!」
わざと声を低くし、ぐいっと顔を近づけて囁く。
その直後にバランスを崩し、「ぅひゃあぁぁ〜!」と情けない声を上げながら
フラフラと路上を蛇行した。
「あわわ、吉澤さん、危ない!」
車道に飛び出しかけたひとみの自転車は危ういところで体勢を立て直し、
また亜弥の元へ戻ってきた。
29 名前: 投稿日:2003年07月10日(木)20時58分21秒
「ふぅ、ビビった。もうちょっとで短い人生を終えるとこだった……」
「変な事するからですよ」
「変? 変だって!? 何を言うんだい松浦。
僕の君に対する熱い情熱が変だって言うのかい!?」

ひとみの顔が天を仰ぎ、雨乞いのように両手を広げる。
「だから危ないですって!」
「わわ!」
またしても揺らぎかけた自転車を慌てて押さえ、ひとみは照れ隠しに凛々しく笑った。

「まいったなあ、どうも松浦といると冷静でいられなくなってしまう」
「もういいですよ、それ。大体、吉澤さん色んな人に同じ事言ってるじゃないですか」
亜弥が呆れたように言うと、ひとみはそれまでの気障ったらしい仕草と表情をやめ、
飄々とした、ちょっと子供っぽい笑顔を浮かべる。
「だってみんな可愛いじゃん。可愛い子を褒めるのは吉澤ひとみの義務なんだよ?」
「可愛いって言ってもらえるのは嬉しいですけど、もっとこう、真剣に言われた方が
嬉しいです」
「……そう?」

亜弥の言葉に、ひとみは少しだけ苦笑を浮かべた。
30 名前: 投稿日:2003年07月10日(木)20時59分09秒
亜弥は力強く頷く。
「みきたんとか、めっちゃ真剣ですよ。
真剣にあたしの事可愛いって言ってくれますもん」
「藤本先輩?」

美貴とひとみは同じバレー部に所属していて、亜弥との仲もよく知っていた。

試合の時も、みんなが部を応援しているのに、一人美貴だけに
声援を送っていたり、試合後、汗だくになって座り込んでいる美貴に
抱きついて耳元で喚いたり。

美貴は迷惑がっているように見えたが、きっとあれは
照れ隠しだったんだろうな、とひとみは勝手に納得する。

「可愛い」と言ってる時もなんだか適当そうだったが、
それもきっと照れ隠しだったんだろう。
31 名前: 投稿日:2003年07月10日(木)20時59分39秒
「藤本先輩も可愛いよね。足長くてスタイル良くてさぁ」
「やっぱり誰でもいいんじゃないですかー。
ま、確かにみきたん可愛いですけど」

笑いながら、自慢するように言う亜弥を、ひとみは優しく見つめる。
その視線に羨望が込められている事に、亜弥は気付かない。

「よっすぃ〜、おぁよぉ〜」

後方からかかった声に、ひとみは一瞬だけ振り向いて、それから矢庭に
焦ったような表情を浮かべた。

「わ、辻だ。そーれ逃げろ」

彼女が学校内で唯一苦手とする少女が追いかけてきた事に気付き、ひとみは緩めていた
自転車の速度を唐突に上げる。

「じゃ、松浦。ガッコでね〜」
「はぁい」
「よっすぃ〜!! 待ってよぉ〜!」
32 名前: 投稿日:2003年07月10日(木)21時00分13秒
亜弥の横を、小さな折り畳み自転車に乗った少女が通り過ぎる。
幼さが多分に残るその面差しは、慕っている兄に置いてきぼりを食らって必死に
追いかける、小さな女の子を思わせた。

弾丸ランナーばりに他の自転車を追い抜く二人を眺めながら、亜弥は小さく
首をかしげた。

「辻ちゃんも可愛いと思うんだけどな?」

なぜか辻がバレー部に入った直後から、ひとみは彼女を避け続けている。
亜弥の所属するテニス部は、壁打ちの練習に体育館の外を使っていて、
たまに中を覗くと今のように辻が追いかけ、ひとみが逃げている光景を見る事ができた。
最初は辻の事が嫌いなのかと思ったが、親しい友人しか使わない
「よっすぃ」という愛称を辻が真似て使っても怒らないし、監督に怒られている辻を
庇っているのを目撃した事もある。
なんだかんだいって無視をしたり邪険にする事はないから、嫌ってるわけでは
ないのだと思うが、ひとみはとにかく逃げる。何があっても逃げる。

そういう時、亜弥は決まって首をかしげるのだった。

「んー、まいっか!」
亜弥の自転車は軽快に走る。
33 名前: 投稿日:2003年07月10日(木)21時00分52秒



34 名前: 投稿日:2003年07月10日(木)21時01分22秒
自転車置き場に寄って、乗ってきた自転車を留める。
校舎に向かって歩いていると、見知った背中を見つけた。

「あさ美ちゃん、おっは」
ポンと、クラスメイトである紺野あさ美の肩を叩く。
振り返ったあさ美はちょっとビックリしたように目を大きくして、
亜弥の姿を認めてから「おっは」と小さな声で応えた。

「現国の宿題、やってきた?」
「うん、一応」
「あたし最後の方ぜんっぜん分かんなくて、真っ白けなんだよね。
あさ美ちゃんは全部できた?」
「う、うん。よかったら、見せてあげようか?」

あさ美の言葉に、亜弥はキョトンとして、それから手を大きく横に振った。

「いいよいいよ。出来なかったのはあたしが授業ちゃんと受けなかったからだもん。
あさ美ちゃんが自分でやったの写したら、ズルした事になるじゃん」
「……うん」
35 名前: 投稿日:2003年07月10日(木)21時02分06秒
ふわりとあさ美が笑う。
彼女の、馬鹿がつくほど正直なところが羨ましくなる。
それは先ほどひとみが覚えたのと同じ、好感と重なる羨望。

「でも、藤本先輩に教えてもらってもよかったんじゃない?
お隣なんだよね」
「ああっ、そっか!」

本気で思いつかなかったらしく、愕然とした表情で叫ぶ亜弥に、
あさ美は小さく噴出した。
こういうところも、可愛くていいなと思う。
それと同時に、ほんの少しだけ可哀想だなと思う。

まっすぐ過ぎるその存在に耐えられない人間がいる事を、あさ美は知っている。
36 名前: 投稿日:2003年07月10日(木)21時02分38秒



37 名前: 投稿日:2003年07月10日(木)21時03分15秒



38 名前: 投稿日:2003年07月10日(木)21時04分36秒
3回目終了。
ちょっとだけ不穏な空気が流れました。
吉はどんどんアホの子になっていきます(苦笑)
39 名前: 投稿日:2003年07月10日(木)21時06分37秒
>>26
・犬好きさん
そうですね、既に妄想を越えた現実が展開されてるんで、
この先どうなるかってのは予想がつかなくて恐いです(苦笑)
ともあれ、今を生きようかと(笑)
40 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月10日(木)21時28分59秒
この小説であやみき好きになりそう!
よっすぃーのキャラが大好きです。おもろいわぁ〜〜。
41 名前:堰。 投稿日:2003年07月12日(土)00時05分49秒
松浦さんの天真爛漫とか。
藤本さんのさりげに苦労性っぽいトコとか。
好きです。はじめに告白なんかしてすいません(笑)。
ノリの良い吉澤さんやら、その他学校関係者に期待して。
がんばってください。いや、マジで。
42 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月12日(土)09時32分42秒
主人公以外の視点が挿入されるところが新鮮でおもしろく感じました。娘。小説では珍しい。
三人称ならではですね。はしゃぎすぎてなくて客観的な文章もとても好きです。
しかもあやみき。意外と増えないこの組み合わせ、期待大です。
松浦の造形にもすごく好感と共感を覚えます。
43 名前: 投稿日:2003年07月12日(土)23時42分24秒



44 名前: 投稿日:2003年07月12日(土)23時42分59秒
     ******


目覚まし時計がけたたましく叫んでいる。
『ミキタン、アサダヨ! キョウモズバットイキマショー!』

数時間前まで一緒にいた少女の、エフェクトがかかった声。
18歳の誕生日に亜弥からもらったプレゼントの時計は、
ご丁寧に最初から亜弥自身のモーニングメッセージが録音されていた。

恥ずかしいのであまり使いたくないが、使わないと亜弥が怒るので、
ここ数ヶ月間は毎日彼女の声で起きている。
生の声だろうが機械音声だろうが、とにかくこの声に反応して起きるように
なってしまった自分が少し悲しい。
45 名前: 投稿日:2003年07月12日(土)23時43分41秒
時計のてっぺんを力任せに叩いて止め、重い瞼を精一杯開けて時間を確認する。
11時30分。移動を含めても余裕で講義に間に合う。

「……ごはん」

本能のままに呟き、布団から這い出した。

美貴の両親は共働きなので、こういう昼まで美貴が家にいる日は
昼食を用意しておいてくれる。
パジャマのまま1階へ降り、テーブルの上にある昼食を口に運ぶ。
軽めの食事はすぐに終わって、美貴は洗顔と歯磨きと着替えを15分で済ませて、
あとはバッグを引っつかんで家を出た。

大学までのバスに乗りながら、軽く手櫛を入れる。
右側が跳ねているのに気付いたが、特に直そうともせず、そのまま窓に頭を預けた。
46 名前: 投稿日:2003年07月12日(土)23時44分23秒



バスを降りてから、身体が覚えているルートを半ば無意識に辿って、
最初の授業が行われる教室へ入る。

バッグからルーズリーフと筆記用具を取り出したところで、肝心の教科書を
忘れた事に気付いた。いつもは前日のうちにバッグへ放り込んでおくのだが、
昨日は準備の前に亜弥が来て、そのまま寝てしまったから忘れていた。

「……まいっか」
必要なら隣の人にでも見せてもらえばいい。
というか、あまり真面目に授業を受けないので、多分必要になる事はない。

「ようよう姉ちゃん、ここ空いてんのかい?」

ガラの悪そうな口調と、それに似つかわしくない高い声。
視線を声のした方に向けると、顔馴染みがサングラスの奥から目を覗かせて
ヤンキーの真似をしていた。
47 名前: 投稿日:2003年07月12日(土)23時45分05秒
美貴が喉の奥で笑声をこぼす。

「梨華ちん、全然恐くないからそれ」
むしろ笑える。昨日の亜弥くらい笑える。

梨華は「えー」と不満そうに声を漏らし、美貴の隣に腰を落ち着けた。
「いい線いってたと思うんだけどな」
「てか、その声でそういうのは、最初から無理があると思う」

アニメ声というのか。キャピキャピした女の子らしい声。
美貴も別に低いわけではないが、それでも梨華には敵わない。

梨華はピンク色が好きで、ビーズのアクセサリーが好きで、ケーキが好きな、
おそらく男性諸氏が抱いている『女の子』の幻想そのままのキャラクター。
さっきのヤンキーだって、梨華がやるから笑えるのであって、同じ事を美貴がしたら
引かれるか泣かれるかだろう。
48 名前: 投稿日:2003年07月12日(土)23時45分41秒
性格が女の子らしいと、声まで可愛らしくなるのだろうか。
そういえば、亜弥も可愛い声をしている。

対して自分はといえば、酒のツマミ系が好きだったり、
何は無くとも焼肉だったり、しかもレバ刺とかホルモンが好物だったり。

これでいいのか18歳女子大生。

講師がまだ来ていない事を確認して、美貴が梨華に話しかける。
「梨華ちん、あたし、女としてどう?」
「へ? どうしたのいきなり」
「や、ちょっとね。自分の存在に疑問を持ってみたりして」
49 名前: 投稿日:2003年07月12日(土)23時46分14秒
外したサングラスを胸元に引っ掛けながら、梨華は口の中で小さく唸った。
「可愛い方だと思うけど?」
「えーでも、美貴けっこう親父だよ」
褒められたのに、反射的に反論してしまう。
梨華は美貴のそんな天邪鬼な面を知っているから、あまり無理に自分の意見を
通そうとはしない。

「そうだね、なんかいつも干物みたいなの食べてるもんね」
「トバです」
「トバですか」

美貴があまりに真剣な口調で訂正するので、梨華も思わず姿勢を正して言い直す。
「いつもトバ食べてるもんね」
「……別に2回言わなくてもいいんだけど」

本鈴が鳴り、時を同じくして講師が教室に入ってくる。
二人は話すのをやめて前に向き直った。
50 名前: 投稿日:2003年07月12日(土)23時46分47秒



51 名前: 投稿日:2003年07月12日(土)23時47分17秒



52 名前: 投稿日:2003年07月12日(土)23時48分26秒
4回目終了。
同級生、里田さんとどっちにするか迷ったんですが。
53 名前: 投稿日:2003年07月12日(土)23時55分33秒
>>40
・名無しさん
この小説でってのは望外の褒め言葉です。ありがとうございます。
吉、当初の予定よりかなりアホの子ですが、生暖かく見守ってください(苦笑)

>>41
・堰。さん
いやん、告白されちゃった。キャ。
松浦さんの純粋性は、一応この話の軸なので、そこに注目していただけて
嬉しいです。藤本さんのヘタレ具合も(笑)
頑張ります。いやマジで。

>>42
・名無しさん
視点がコロコロ変わるので、読みにくいかと思ってましたが、
好意的に受け取っていただけたようで感激です(笑)
松浦さんはあえて暗の部分をすっぱり取り払ってみました。
期待に沿えるよう、頑張ります。
54 名前: 投稿日:2003年07月13日(日)23時08分26秒



55 名前: 投稿日:2003年07月13日(日)23時08分57秒
    ******


昼休み。亜弥はあさ美と一緒に屋上で昼食を取っていた。

「亜弥ちゃん、その唐揚げおいしそうだね……」
「いっこ食べる?」
「え、別にそんなつもりじゃ!
……あ、じゃあ、ひとつだけ……」
「にゃはは」

遠慮しいしい亜弥の弁当箱から唐揚げをつまむあさ美。亜弥が朗らかに笑う。
見かけによらず、食べる事に異様な執着のある彼女の、そういう正直な部分が
好きだった。

唐揚げを噛み締めながら、あさ美が幸せそうな顔をする。
「あー、また太っちゃうなー」
「あさ美ちゃん、そんな顔で言っても悩んでるように聞こえないよ?」
「悩んでるよー。亜弥ちゃんはいいな、腰とか脚とか、すっごい細くて」
「そりゃあ、努力してますから」

また、にゃはは、と笑う。
亜弥の自分大好きぶりは甘えでもなんでもなく、自分が好きな自分でいるために
努力を惜しまない。
56 名前: 投稿日:2003年07月13日(日)23時09分29秒
部活でも走りこみや腹筋などの基礎練習を誰よりも熱心にしているし、
寝る前のストレッチも欠かさない。
それを知っているから、あさ美は「うん」と頷くだけにした。
彼女が褒めてほしいのはその努力の成果であって、努力そのものではない。

「でもさ」
彼女のそういうところを見つけるたびに、あさ美は悲しくなる。

「……あの子達、まだやってるの?」
「うーん、みたいだねー」

なんでもないように亜弥は笑った。

「もう、やめればいいのに」
「うーん、どうなんだろうねー」

亜弥は意味のない返事をする。

「でも、負けないよ」
空になった弁当をしまって、亜弥が立ち上がる。

「あの子達が何したって、あたしは負けないから」
「……うんっ」

あさ美はほっとしたように息をつき、それから昼休みが
終わりに近い事に気付いて、慌てて弁当をかきこみ始めた。
57 名前: 投稿日:2003年07月13日(日)23時10分48秒
あさ美が食べ終えるまで待つつもりで、亜弥は背中をフェンスに
預けて上を見上げる。
と、視界の端に何かが映った。

屋上の入り口の上。四角いそこに、何かが乗っている。
目を凝らすと、どうやら人が寝転がっているらしいという事は判った。
亜弥は両手をメガホン代わりにして、かの人へ声を掛けてみる。

「もしもーし、もうすぐお昼休み終わっちゃいますよー」
「……んん?」

もごもごとした声が聞こえて、それから人影が起き上がる。
「おー、紺野と松浦だ。おっす」
昼寝から覚めたひとみが、顔を二人に向けて手を振ってきた。
亜弥はにこやかに手を振り返したが、あさ美は何故か強い視線でひとみを射抜く。
それを受けて、ひとみが軽く肩を竦めた。

吉澤ひとみという少女は、そういう種類のマイペース人間だった。
58 名前: 投稿日:2003年07月13日(日)23時12分09秒
「あはは。ウチ、相変わらず紺野に嫌われてんなあ」
ひとみは眉を下げ、困ったように頬をかいた。
以前は普通に接してくれたのだが、最近はどういうわけか喧嘩でも売るような目で
睨んでくるようになった。

ひとみとしては全く訳が判らず、色々尋ねてみたが理由を話そうとしてくれない。
今はもう諦めて、ただ自分だけは以前と同じように接していようと決めて、
実際その通りにしている。
吉澤ひとみという少女は、そういう種類のマイペース人間だった。

「あー、腹減った。紺野、ちょっと頂戴」
「嫌です」
「速攻かよ! まあいいや。後でコンビニいこ……」

ひとみがズリズリと降りてきて、んーっと大きく伸びをした。

「松浦と紺野も、なんか食べたいものとかある? 先輩が奢ってやるよん」
「でも、もう5限始まっちゃいますよ?」
「んー、じゃあ、放課後とか部活の時にでも持ってってあげるよ」
59 名前: 投稿日:2003年07月13日(日)23時12分47秒
やっと弁当を空にしたあさ美が、二人を牽制するように大きな動作で立ち上がる。
「亜弥ちゃん、もう行こうよ。遅れちゃう」

「あ……、うん」
亜弥の返事を待たずに歩き出したあさ美の後を慌てて追う。
ドアのところで一度振り返り、ひとみにペコリと頭を下げてから屋上を後にした。

残されてぽつんと佇むひとみは、がっくりと肩を落として盛大な溜息をついた。

「ウチ、紺野になんかしたかなあ……」
60 名前: 投稿日:2003年07月13日(日)23時13分19秒




「あさ美ちゃん、あさ美ちゃん!」

足早に教室へ向かうあさ美の肩を捕まえ、亜弥は半ば強引に足を止めさせた。

「ああいうの、よくないって思う!」
「だって!」

珍しく強い口調で言い返したあさ美の、両手がギュッと握られている。

「吉澤さんのせいで亜弥ちゃん、シンパの子達にヤな事されてるじゃない!」

あさ美は感情のままに叫んでから、ハッとしたように周囲を見回す。
幸い、5時限目が近い事もあって、屋上に近いこの廊下に人影は無かった。

「う……ん。でも、それって吉澤さんのせいじゃないよ」

ひとみはある種、亜弥を特別扱いしている。
声を掛ける回数も多いし、放課後2年生の教室に来て、遊びに誘ったりもしてくれる。
バレー部の休憩時間、わざわざテニス部が練習しているコートに来て、差し入れを
くれる事もある。
61 名前: 投稿日:2003年07月13日(日)23時14分04秒
けれどそれは、特別な感情から来るものではなくて。

ひとみは美貴に懐いていたから。
お互いあまり女の子女の子していなくてサバサバした性格だったから、
ウマが合ったらしく部活中はよく一緒に練習をしていた。
美貴の教えの賜物か、元々の才能が開花したのか、ひとみは今、バレー部の
部長をしている。

その部長就任の日。入れ替わりに3年生が部を引退する日。
美貴が何の気なしに言ったのだ。

『よしこ、亜弥ちゃんの面倒みてあげてよ。
うちとテニス部って場所近いし。
亜弥ちゃん、美貴がいないと寂しがっちゃうからね』

冗談交じりの頼み事を、ひとみは今でも律儀に守っている。

美貴は可愛い幼馴染を気の置けない後輩に預けただけで、ひとみは親しい先輩の
頼みを聞き入れ、可愛い後輩を預かっているだけなのに。

それに納得できない少女達が、ひとみに気付かれないよう亜弥に対して様々な
嫌がらせをしていた。
身体の傷は目立つから、表面からは判らない、内側を傷つけるような方法をとって。
62 名前: 投稿日:2003年07月13日(日)23時14分47秒
「まあ、あたしも最初、失敗しちゃったしねぇ」

初めは可愛いものだったのだ。
部活に行く途中、人気のない場所へ連れて行かれて、「吉澤さんに近づくな」とか
言われたくらいで。

やはり、あそこで「でも、吉澤さんがあたしのとこに来るんだよ?」と
正直に答えてしまったのが、火に油を注いでしまったのだろう。

「その内飽きるんじゃない?」
「でも……もう半年になるよ。藤本先輩が卒業してからずっと……」
「うーん」

美貴がいる間は、こういった事はなかった。
さすがに1年生。3年生がいる前では下手に手出しは出来ない。

「あ、藤本先輩に相談したら……」
「ダメだよ。みきたん、心配しちゃうもん。
それに、これはあたしの問題だしね」

のらくらと歩きながら話していたら、いつの間にか予鈴が鳴っていた。
「わわ、まずーい!」次の授業は現国。宿題の後半をやってないうえに
遅刻までしたら、堅物教師に何を言われるか判ったものではない。

「あさ美ちゃん、ダッシュ!」
「え? あ、亜弥ちゃん待ってぇ〜」
今度はあさ美が駆け出した亜弥を追いかける番だった。
63 名前: 投稿日:2003年07月13日(日)23時15分21秒


64 名前: 投稿日:2003年07月13日(日)23時15分53秒



65 名前: 投稿日:2003年07月13日(日)23時17分49秒
5回目終了。
57レス目の最後の1行は純然たるミスです(ガックシ)
無視してください……。

66 名前: 投稿日:2003年07月16日(水)00時34分07秒


67 名前: 投稿日:2003年07月16日(水)00時34分48秒


異変に気付いたのは授業を全て消化し、部活のためにジャージへ着替えようと
バッグを開けた時だった。

「あれ……?」

ジャージを取り出してからゴソゴソとバッグを漁るが、あるはずの物がない。
プリクラ手帳。いつもバッグの定位置に入ってるはずのそれが、ない。

「忘れてきたのかな……。でもちゃんと確認したはずだけど」

部活が始まる時間は刻一刻と迫っている。
あとでちゃんと探そう、とバッグを閉じたところで、後ろから笑い声が聞こえてきた。

「松浦さん、どうしたの? 探し物?」

揶揄するような口調。亜弥が声のする方に向き直る。
ニヤニヤ笑う、同じ部の少女が二人。
知り合いである。よく話をする。けれど、決して仲良くはない。
68 名前: 投稿日:2003年07月16日(水)00時35分46秒
「んー、ちょっとね」

なんでもないように答える。
肺と肺の間に、黒っぽい塊が出来る。
ダメだ。自分を制する。七たび尋ねて人を疑え、彼女達を疑うのはまだ早い。
例え彼女達が、ひとみのファンで亜弥を快く思っていないと知っていても。

「ダメだよー、大事なもんなら金庫にでもしまっておかないと」
「ついでに金庫番でもしてれば? 学校なんか来ないでさあ」

グルグルと塊が暴れ始める。ダメ、ダメ。

「ううん、別に。そんな大事ってほどでもないし」

塊が溶け出して、全身を侵食し始める。
嘘だ。大事じゃないわけがない。これはただの強がり。

だって。だってあれには。
美貴と一緒に撮ったプリクラが何枚も。
それに、あの手帳は美貴が。

「あ、もう部活始まっちゃうねぇ」

わざとらしく手首の時計を見やり、少女が言う。

「早く着替えないと遅れちゃうよ?」
「うん、判ってる。大丈夫」

「先行ってるね」と少女は更衣室のドアを開け、コートへ向かった。
そのドアが閉じきる直前。
69 名前: 投稿日:2003年07月16日(水)00時36分44秒
「用務員のおじさん、はやいとこ焼却炉に火ぃ入れてくれないかなぁ」

その言葉が終わる前に亜弥は駆け出していた。
ドアの前でたむろしていた少女たちの嫌らしい笑みが目に止まったが、
それに構っている暇はなかった。
70 名前: 投稿日:2003年07月16日(水)00時38分04秒




焼却炉に着くと、今まさに用務員が火をつけようと、焼却炉の蓋を開けている
ところだった。
「待って!!」
声の限りに叫び、驚いて動きを止めた用務員を押しのけ、焼却炉の投入口に
頭を突っ込む。

「こ、こらこら! 危ないよそんな事しちゃあ!」

用務員は驚愕に目を見開いて亜弥をとめようとしたが、亜弥は制止に耳を貸さず、
詰め込まれたゴミの中から手帳を探し続けた。

「何か探してるなら、一回出してあげるから。ほらもう、やめな」

用務員が優しく声を掛け、ようやく亜弥は煤で汚れた焼却炉から顔を出した。
亜弥の顔も煤に汚れていて、用務員は手拭いでそれを拭いてやる。

「なに探してるんだい?」
「あの、手帳なんです。ピンクの……」
「ピンクの手帳ねぇ」
用務員が掻き出したゴミを散らばして探してくれるが、それらしいものは
見当たらない。亜弥も目を皿のようにして手帳を探す。

「……ちょっと見つからないなあ。
おじさんが探しといてあげるから、顔洗ってきなさい。
こんな汚れちゃって、可愛い顔が台無しだ」
71 名前: 投稿日:2003年07月16日(水)00時38分38秒
泣きそうになっている亜弥を和ませようとしたのか、用務員は気安い口調で
言いながら笑った。
亜弥も礼儀で笑って、用務員に頭を下げた。

グラウンドの水道で顔を洗ってから、更衣室に戻ってジャージに着替える。
コートに行くと、もう練習は始まっていて、みんなストレッチをしていた。

「すみません、遅れました」
部長に頭を下げる。亜弥は普段真面目に部活をしているから、部長はそれほど
怒る事もなく、ストレッチを始めるよう言った。

「松浦さーん、どうしたの?」
「まさか焼却炉なんか行ってないよねぇ?」

先ほどの少女達が声をかけてくる。
それを無視してストレッチを始めようとしたが、少女の一人が手に持っている物を
見つけて亜弥の顔色が変わった。

「それ……っ」
「ああ、ロッカーの下に落ちてたの。誰かの落し物かと思って、今みんなに
聞いてたんだけど」
「誰も知らないって言うんだよねー。てゆーか、今時こんなガキくさい手帳なんか
使わないよね普通」
「ホント、だっさいよねー。ピンクとかってキショっ」
「ボロボロだしねー。この辺、もうハゲてきてんじゃん」
72 名前: 投稿日:2003年07月16日(水)00時39分20秒


黒い塊が。
ピンクの手帳。猫のキャラクターが右隅に描かれている。
グルグルと渦巻いて。
亜弥の好きな色。
溶け出して、全身にいきわたって。
美貴の好きなキャラクター。
真っ黒な感情が。
亜弥の高校入学祝いに、美貴がプレゼントした。
爆発する。


73 名前: 投稿日:2003年07月16日(水)00時40分08秒
「返して!」

掴みかからんばかりの勢いで少女に詰め寄り、手帳を奪い返そうとする。
少女は手を高く上げ、心底面白そうに笑った。
小柄な亜弥より数センチ身長の高い少女の手は、亜弥が背伸びしても
飛び跳ねても届かない。

「なーに、松浦さんのなの? こんなガキっぽいの使ってんだ」
「いいから返してよ!」
「えー。どうしよっかな〜」

テニス部の部員は、何が起きたのか判らなくてオロオロしている。
突然の事に頭がついていかなくて、止める事すら思いつかない。

「それはっ、みきたんの……っ」
「はあ? 『みきたん』? 誰それ。てゆーかマジキショイ」
「あっはは! みきたんだってみきたん!」

部員の間からも、悪気のない小さな笑声が洩れる。
笑っているのは大概が1年生などの美貴を知らない部員たちで、それ以外の面々は
少し面白くなさそうな顔をしていた。

たとえ悪気がなくても、亜弥と美貴の人柄を知っている者にとって、
その光景は到底笑えないものだった。
74 名前: 投稿日:2003年07月16日(水)00時41分51秒
「ちょっと、あんた達いい加減に……」
「おーっす松浦! 約束通り先輩が奢ってあげるぞ!」

さすがに見過ごせなくて止めようとしたテニス部長の声にかぶさるように、
快活な呼び声がコート内に響いた。

「あ、吉澤先輩……」
亜弥をからかっていた少女達が慌てて姿勢を正す。
その隙をついて、亜弥は少女が持っていた手帳を奪い返した。

ひとみはコンビニの袋を振り回しながら歩いてきて、
その異様な雰囲気に眉をしかめると、亜弥へ一直線に近づいた。
亜弥が大事そうに抱きしめている手帳。以前見せてもらった事がある。
遠目から見えた光景。知らない少女がそれを高く掲げていた。
なんとなく察しがついて、ひとみは不機嫌そうに息を吐き、うなじの辺りを
乱暴に掻いた。

「なに、喧嘩?」

問われて、亜弥は努めてなんでもない風に笑った。

「違いますよー。ちょっと、あの、ちょっと……」

本当に心を許している人物の登場に安心してしまったのか、
不意に亜弥の目尻から涙が零れる。
ひとみはちょっと驚きながら、俯いてしまった亜弥の肩を優しく抱いた。
75 名前: 投稿日:2003年07月16日(水)00時42分43秒
「松浦? どうした?」
「なんでもないです。ほんと、なんでも……」
「泣いてるじゃん」

ひとみの視線が、亜弥たちを取り囲むテニス部員に向いて、それから彼女達の
注目を一身に浴びている二人の少女に移る。
少女達はバツの悪そうな表情で、ひとみの強い視線から逃げた。

「……お前ら、松浦になにしたの?」
「別に、なにもしてないです……」
「じゃあなんで、松浦泣いてんの! なんでみんなお前ら見てんの!!」

腹の底から吐き出された怒声に、少女達の身体が震える。
「……ごめんなさい」涙目でそう訴えたが、ひとみの怒りは治まりそうになかった。
苛々したように舌打ちをして、これ見よがしな溜息をつく。
身体を屈めて亜弥の顔を見やると、ひとみの迫力に驚いたのか涙はもう止まっていたが、
それでも平静にはなれていないようだった。

ひとみの手が亜弥の頭を撫でる。それから恐がらせないように微笑んで、宥めるように
優しく声をかけた。

「松浦、今日はもう帰ろう。ウチも一緒に帰るから。いいよね?」
最後の言葉はテニス部長に向けられたものだった。
部長は細く息をついて、小さく頷いた。
76 名前: 投稿日:2003年07月16日(水)00時43分20秒




77 名前: 投稿日:2003年07月16日(水)00時43分55秒
「なあなあ。ホントに大丈夫?」
「大丈夫ですってば。いきなり吉澤さんが来るから、ちょっと驚いちゃっただけですよ」

亜弥の家の近く。自転車を押しながら、ひとみが心配そうに後輩の顔を覗き込む。

「でもあいつら、なんなの? 松浦が可愛いからイジメてんの?」
「イジメじゃないですって」

ひとみは、彼女達が自分のシンパだとは知らない。
顔は何度かあわせているはずだが、自分をそこまで好いている人間がいる事を
知らないうえに、本当に好きな人しか覚えないから、顔を見ても判らないのだ。

誰も彼も、同じように接し、同じように甘い冗談を囁き、同じように優しくするから。
それはある種、誰も見ていないのと同じ事だった。
事実、彼女は特に親しい友人以外、名前を呼ぶ事がない。
逆に言えば、親しい友人へ声を掛ける時、必ず名前を呼ぶ。
「キミに話しかけていますよ」という意思表示を必ずするのが、彼女の癖だった。
それは、自分対相手のコミュニケーションを取りたいという意思の表れ。

だから、ひとみが名前を呼ぶ人物は例外なく彼女のシンパの羨望の的で、
それは容易く嫉妬に変わる。
78 名前: 投稿日:2003年07月16日(水)00時44分52秒
あさ美は亜弥といるから名前を覚えられ、何より彼女自身がひとみを避けているから、
それほど注目はされない。
辻は逆に、ひとみが彼女を避けているから、被害に合う事はない。

あと何人かひとみと親しい人物がいるが、みんな3年生なので無理に逆らおう
とする者はいない。

ひとみに気に入られて、仲がよくて、可愛い優等生。
本当なら何一つ責められる謂れのない事で、亜弥は彼女達の黒い塊をぶつけられていた。
「ふぅー」頑なささえ見える亜弥の態度に、ひとみが呆れたような表情を浮かべる。

「ま、今度からああいう事されたらウチに言いなよ。
松浦をイジメる奴は、女だからって容赦しないから」
「えと……」

ここで何もかもぶちまけたらどうなるだろう。亜弥は浮かんだ思いを即座に打ち消す。
きっと、どうにもならないから。彼女が自分の前からいなくなるだけで。
ひとみのせいじゃないから、何も言わなくていい。
この大好きな先輩を失ってしまうのなら、何も言えなくていい。
だから亜弥は、意識的に冗談ぽい口調で答える。
79 名前: 投稿日:2003年07月16日(水)00時45分43秒
「そんな事言われたら、余計何も言えないですー」
「あ、そっか」
「そうですよー。あ、じゃあここで。送ってくれてありがとうございます」
「うん。藤本先輩によろしく言っといて」
「はーい」

「あ、そうだそうだ」
ひとみがコンビニの袋からジュースを取り出して、亜弥に渡す。

「もうぬるくなっちゃったけど」
「えへへ。ありがとうございます」

ひとみと手を振り合って別れ、亜弥は自宅の中に自転車を引き入れる。
玄関を開ける前に自分で頬を叩いて気合を入れ、ハンドミラーで顔を確認した。
ちょっと目が腫れているが、それほど目立たない。よし大丈夫。
飛び切りの笑顔を作って、玄関のドアを開けた。

「ただいまー!」
80 名前: 投稿日:2003年07月16日(水)00時46分23秒



81 名前: 投稿日:2003年07月16日(水)00時46分49秒



82 名前: 投稿日:2003年07月16日(水)00時48分30秒
6回目終了。
吉を出すと長くなるー。これが噂の吉澤マジック?(爆)
次回は久し振りにあやみきが絡みます。
83 名前:ヒトシズク 投稿日:2003年07月16日(水)17時29分59秒
密かに、読んでおりました^^
いや〜、各それぞれが、妙な雰囲気を持っていて、面白い!
微妙な、よしあや(?)もいいですねぇ〜
では、次回の更新楽しみにしております♪
頑張って下さいね〜
84 名前: 投稿日:2003年07月17日(木)21時44分52秒



85 名前: 投稿日:2003年07月17日(木)21時45分48秒
    ******



「ただいまーっと」
大学の講義を終えた美貴が家に入ると、そこには誰もいなかった。

両親も上の兄弟も、まだ仕事から帰っていないらしい。
夕食時までには帰ってくるはずなので、美貴はそのまま階段を上って自分の
部屋へ向かった。

「あ、みきたんお帰り」
「亜弥ちゃん?」

部屋に入るなり聞こえてきた声。声だけじゃなく、本人がクッションに座って
テレビを見ていた。

「どうしたの、今日は早いねえ」
いつもなら部活でもう少し遅くなるのに。
それに、美貴の家の合鍵を持っているとはいえ、礼儀を弁えている亜弥が
自分のいない時に部屋へ入るのも珍しい。
86 名前: 投稿日:2003年07月17日(木)21時46分38秒
「部活なかったの?」
「んー」
「んー、てなに。んーて」

いつものように軽口を叩くが、亜弥はそれに乗ってこない。
「亜弥ちゃん?」隣に座って顔を窺おうとしたら、いきなり抱きつかれた。バランスを
崩しそうになるのを必死に堪え、床についた手で自分と亜弥を支える。

「みきたん」
「ん?」
「みきたん」
「なに?」
「……みきたーん」
「だからなにって」

ウザイよ、と続けようとして、今日の亜弥はいつもと違うことを思い出してやめた。
87 名前: 投稿日:2003年07月17日(木)21時47分30秒
亜弥は美貴の背中に腕を回したまま、「えへへ」と小さく笑った。

「ただ呼んでみたかっただけ」
「いっつも呼んでるじゃん」
「そうだけど」

亜弥の腕に力がこもって、美貴はさらに引き寄せられる。
それに逆らわないまま身を寄せて、美貴は亜弥のほつれた三つ編みを指先でいじった。
しばらくそうしていて、美貴の背中が痛くなってきた頃、亜弥が微かに息をついた。

「みきたん、あのね?」
「うん?」
「……みきたん、て呼ばれるの、嫌?」
「え?」

唐突な質問に面食らった美貴が、亜弥から少しだけ身体を離す。
それを阻もうと、亜弥は力いっぱい美貴を抱きしめる。
88 名前: 投稿日:2003年07月17日(木)21時48分43秒
「嫌……って。ずっとそう呼ばれてるから、嫌とかそういう事考えた事ないよ」
「で、でもさ。もうみきたん18歳だしさ、あたしも17だし。
なんかこう、子供っぽいなーとか思わない?」
「んー、別に」
「でもでも、美貴ちゃん、とか美貴、とかミキスケ、とか。
なんか他の呼び方したほうがいいとか思わない?」
「えー」

小さい頃、「美貴ちゃん」と言えなくて「みきたん」になってて。
「ちゃん」の発音が出来るようになってからも、なぜかそれは直らなかった。

物心ついた頃からそう呼ばれていて、他の呼ばれ方なんてされたらむしろ気持ちが悪い。
89 名前: 投稿日:2003年07月17日(木)21時50分06秒
「てか、ミキスケってなによ?」
「ちょっとお殿様っぽく。いたじゃん、なんかそういう名前の人」
「吉良上野介の事? あれは悪い殿様だよ」

史実はちょっと違うらしいが、亜弥は多分ドラマか何かで知ったはずなので、
そちらを採用する。
だってミキスケってなんか嫌だし。

「とーにかく。いいよ別に、今更変えなくても」
「うー。うん」

亜弥が離れて、美貴は初めて亜弥の顔を見る。

「じゃ、これからもみきたんだね」
「うん。……て、亜弥ちゃん?」
「ん?」

じっと見られて亜弥がキョトンとする。美貴はなんだか真剣な表情で、亜弥の
こめかみ辺りに手を当てる。
前髪が触れ合うくらい近づき、固い口調で尋ねる。
90 名前: 投稿日:2003年07月17日(木)21時50分53秒
じっと見られて亜弥がキョトンとする。美貴はなんだか真剣な表情で、亜弥の
こめかみ辺りに手を当てる。
前髪が触れ合うくらい近づき、固い口調で尋ねる。

「亜弥ちゃん、もしかして泣いてた?」
「えっ、な、泣いてないよ!」

正直者過ぎるのも考えものだ。咄嗟に背けた顔を無理矢理戻され、亜弥は腫れた瞼を
美貴にじっくり見られる事になる。
美貴の親指が、亜弥の瞼をそっと撫でる。亜弥は反射的に目を閉じた。

「目、あっついよ」
「き、今日、熱かったからのぼせたのかも……」
「赤いし」
「トマトジュース飲んだからかな……」
「んなわけないでしょ」

散らばったヒントをかき集めて、呼び方の事を誰かに言われたのかと思い当たる。
きっと、あまり親しくない人なんだろう。
少なくとも、自分たちの周りにいた人達は、そんなからかい方をする
タイプじゃなかった。
91 名前: 投稿日:2003年07月17日(木)21時51分39秒
問い詰めるのをやめて、ゆっくりと亜弥の瞼を撫でる。
優しさに触れて気が緩んだのか、亜弥の睫に水滴が溜まり始める。
美貴はそれを静かに見ていた。
92 名前: 投稿日:2003年07月17日(木)21時52分39秒


テレビの音が邪魔だと思ったので、美貴はリモコンで電源を切った。
感情が高ぶって、亜弥の頬に朱が差す。
可愛いな、と思った。
亜弥の瞳から一筋涙が零れる。
目尻から頬に流れる水滴。
93 名前: 投稿日:2003年07月17日(木)21時53分26秒


引き寄せられるように、唇で触れた。

94 名前: 投稿日:2003年07月17日(木)21時54分11秒
「? みきたん?」
「はあ!?」

ズザッ!と飛び退って、美貴は素っ頓狂な声を上げた。
亜弥はきょとんとした表情を浮かべながら、美貴の唇が触れた箇所を手のひらで
撫でている。
どうも、何が起きたか判っていないようだった。

何が起きたか判らないのは美貴も同じで、ドクドクと脈打つ胸に手を当てて、
自分がした事を反芻した。

――――え、ええとええと。今美貴なにした?

ちょっと待ってよ、と口の中だけで呟く。
違う、今のは違う。
何がどう違って、正解はなんなのかサッパリ判らなかったが、とにかく否定を続ける。

「みきたん、どうしたの?」
「わわ!」

顔を近づけられて、美貴は思わず壁際へ避難する。
亜弥は突然美貴の態度が変わった事に戸惑って、気弱に眉を下げた。
95 名前: 投稿日:2003年07月17日(木)21時55分32秒
「みきたん……?」
「ごご、ごめん、なんでもない!」
「じゃあ、なんで逃げるの?」
「え、えと、なんでだろう〜なんでだろう〜」

苦し紛れにお笑い芸人の真似をしてみたが、効果はなかった。
「みきたん!」おちゃらけたのはむしろ逆効果だったようだ。戸惑いが怒りに
転化して、亜弥は声を荒げる。
グイグイと至近距離に詰め寄られて、美貴は思わず固く目をつぶった。

――――落ち着け、落ち着け!
……ダメだ落ち着けない!
96 名前: 投稿日:2003年07月17日(木)21時56分11秒
自分でも何がなんだか判っていないのに、説明なんて出来るはずがない。
それでも、亜弥は納得するまで許してくれそうにない。
首筋に暖かい感触。亜弥の吐息が鼻先に触れている。あわわ、とますます動揺して
美貴は咄嗟に叫んだ。

「――――亜弥ちゃんがかわいいから!」
「へ?」

吐き出された言葉は理性で濾過されていない、感情のままのものだった。

「なんかいつもより亜弥ちゃんが可愛く見えて、それでなんか落ち着かなく
なっちゃったの!」

ああ、これじゃまるで告白みたいじゃないか。
いや違うぞ。これは断じてそんなものではなく。
でもそう取られたらどうしよう。

……どうしようって、どういう意味のどうしよう?
97 名前: 投稿日:2003年07月17日(木)21時56分55秒
「なーんだ、そっかぁ」
美貴の焦りと葛藤とは裏腹に、亜弥の反応は晴れの日みたいにカラリとしていた。

「あたし可愛いもんねー。そりゃみきたんもドキドキしちゃうさぁ」
「あの……亜弥ちゃん?」

自分で言いますか。ああ、自分で言う子でしたね。
口にしかけた言葉は、外に出る前に自分から突っ込まれて、喉の奥へ逆戻りした。

「そういえば、あたしあんまみきたんの前で泣いた事ないもんね。
いつもと違う魅力に気付いた感じ?」
「……そういう事にしとく」

本当にそういう事なのかもしれない、と気付きかけてはいたが、
美貴は敢えてそれを無視した。

亜弥は、小さい頃からの仲良しで、妹のような存在。
そう、思うことにした。
98 名前: 投稿日:2003年07月17日(木)21時57分27秒



99 名前: 投稿日:2003年07月17日(木)21時58分10秒



100 名前: 投稿日:2003年07月17日(木)22時00分12秒
7回目終了。

藤本さんに変化が訪れました。
吉良上野介は歴史上は賢君と謳われてるらしいです。
うろ覚えなんでアレですが(苦笑)
101 名前: 投稿日:2003年07月17日(木)22時02分32秒
>>83
・ヒトシズクさん
レスありがとうございます。こちらも密かに拝読してました(笑)
更新頑張りますので、今後ともご贔屓に(^^
102 名前:ヒトシズク 投稿日:2003年07月17日(木)22時38分47秒
うわぁぁーーー!!!
何かいつもと違うあやたんに私も動揺&ドキドキしてしまいました^^
その情景が目に浮かぶようで・・・
では、次回も更新楽しみにしております♪
頑張ってください!

P・S 駄文を読んで頂いてたんですか^^ありがとうございます☆
    今度、読んでいただいたときにはレス書いていただけると嬉しいです♪
103 名前:堰。 投稿日:2003年07月17日(木)23時53分27秒
前の更新分でレスしようと思ったのですが、
思い切り先に走ってしまわれました(笑)。
えぇと。痛い部分がキチっと痛く、
目に痛くなるような状況描写とかが好きなんです。
<相変わらず告白ですが(笑)。
今回の思わず動転する藤本さん、好きです。
あぁ。こういう罪もあるのだと納得(笑<無垢なあやや
104 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月18日(金)14時05分56秒
今日初めて読みましたが、サイコーですね!!
こんなすばらしいあやみきがあったなんて…
即お気に入り追加です。(W
動転する藤本さん、俺も大好きです!!
普段は割と堂々としてるのに、 松浦さんの前だとたじたじだったりして。

続きに期待してます!!
105 名前:犬好き 投稿日:2003年07月18日(金)20時23分24秒
俄然、どんどん面白くなってきました!。応援のかいがあった!。
わ〜い!!。
106 名前:∬´◇`∬<ダメダモン… 投稿日:∬´◇`∬<ダメダモン…
∬´◇`∬<ダメダモン…
107 名前:∬´◇`∬<ダメダモン… 投稿日:∬´◇`∬<ダメダモン…
∬´◇`∬<ダメダモン…
108 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月19日(土)02時56分46秒
ほんとうに読みやすい文体でいいですね。
登場人物たちもみんな自然だし。
ここまでの、特に恋愛感情が描かれるわけでもない学校の日常とか、
すごく好きです。そういう作品、ほとんど見かけないので。
もちろん「あやみき」ラブラブも大期待ではありますが。
やっぱ藤本さんはマヌケがよく似合うなあ。

>>107 削除依頼おすすめでっす。(余計なお世話で申し訳ない)
109 名前:時雨 投稿日:2003年07月19日(土)04時02分06秒
貴重なあやみき、大事に読ませていただいてます。
硬めな印象を受けますが読みやすい文章ですね。
『幼馴染みの二人』という設定が、個人的にですけど好きなので(w
今後の展開に期待してます!
更新、無理せず頑張って下さい。
110 名前: 投稿日:2003年07月19日(土)19時14分42秒



111 名前: 投稿日:2003年07月19日(土)19時15分19秒
    ******


ベッドの中で、美貴はスヤスヤと眠っていた。
『みきたん、みきたんてば』
『ん〜?』
肩を揺すられて、美貴は瞼をこじ開ける。
『あれ、亜弥ちゃん……今日って火曜日だっけ……』
昨日も亜弥と一緒に眠った気がしたが、勘違いだろうか。

亜弥はまっすぐに美貴を見詰めて、ふわりと微笑んだ。
妙に色っぽいな、と思う。
『ねえみきたん。あたしの事、どう思ってるの?』
『どうって……可愛いよ、妹みたいな感じ』
『嘘だ。ちゃんとホントの事言ってよ』
亜弥が喋るたびに、オレンジの芳香が美貴の鼻をくすぐった。

『ホントだよ。ホントにホント』
『誤魔化さないで。ズバッと言っちゃってよ』

亜弥の瞳が潤んでいる。そこに映る、揺らぐ自分の顔。

『……ヤダよ。言わない』
『なんで? みきたんのケチ』
『ケチとか言うなーっ』

亜弥が悲しそうに表情をゆがめる。あ、泣きそう。そう思ったら、
腕が自然に亜弥の首に回っていた。

『ズバッと言わなきゃダメ?』
『ダメ』
『あはは。……でも、美貴テレ屋だからさ』

言葉じゃ言えないかも。そう呟いて、亜弥の顔を引き寄せた。
112 名前: 投稿日:2003年07月19日(土)19時15分56秒




「どわあぁぁ〜!!」
上掛けを跳ね飛ばして飛び起きる。グリン!と首を回し、横に亜弥がいない事を
確かめて、ほっと胸を撫で下ろした。

「な、なんちゅー夢を……」
シャレにならない。あのまま眠っていたら、どんな展開が待っていたか
知れたものじゃない。いや、判りきっているような気もする。
動悸の治まらない胸と、混乱の治まらない頭。乱れた髪が悲壮さを醸し出している。
そこに鳴り響く、機械音声。

『ミキタン、アサダヨ! キョウモズバットイキマショー!』

「こいつのせいか!」
半ば八つ当たりで目覚まし時計を叩き、深い溜息を吐き出す。
「はぁ〜……」
両手で顔を覆う。その頬が熱を持っている事に気付く。
それはきっと、寝起きだからじゃない。

「ありえないよ、実際」
小さい頃からずっと一緒にいて、今でも一緒にお風呂入ったり
一つのベッドで眠ったりしていて。
今まで一度も、こんな風になった事なんてないのに。
113 名前: 投稿日:2003年07月19日(土)19時16分46秒
「でも……」
思い出して、更に紅くなる。
「泣いてる亜弥ちゃん、可愛かった……」
小さい頃から天真爛漫で、太陽を背負ってるような明るさで。
今まで一度も、あんな風に色っぽい彼女を見た事がなかったから。

「どうすんのよ、実際……」
彼女はずっと幼馴染で、「好きだ」と何度も言い合ってるけど、
それはあくまで兄弟愛みたいなもので。

なにより、彼女は女の子で。

「なにこれ、女子校マジック? あーもう、あんなのマジな子なんていないと思ってたのに」
確かに美貴が高校生の頃、そういう話は聞こえていた。
それでも、あんなのは閉じた空間のお祭りみたいなもので、みんな卒業したら
熱は冷めてしまうのだと思っていた。

なのに自分ときたら、卒業してから気付くなんて馬鹿みたいな状況になっている。

「あー、そういえば昔、亜弥ちゃんのファンに嫌がらせされたな……」

亜弥は年上受けが良くて、美貴を通じて知り合った上級生によく可愛がられていた。
その中で美貴に妙な対抗意識を燃やしてる子が何人かいて、ちょっかいを
掛けられた事があったのだ。
114 名前: 投稿日:2003年07月19日(土)19時17分30秒
バレー部の練習の時に使うシューズの紐を固結びにされたり、
体育の時に脱ぎ捨ててあったブラウスのボタンを全部留められていたり、
下足箱に入れておいた靴の裏に両面テープが貼られていたり。

「……よくよく思い出すと、結構間抜けだなあ……」
しかし固結びにされた紐は解くのが大変だったし、
ブラウスのボタンを外すのに時間がかかって昼寝ができなかったし、
テープの粘着物が残った靴は、歩くたびにペタペタ鳴って気持ち悪かった。

「……女子校の神秘」
いい思い出ではないのに、なんだか懐かしくなる。
無理矢理に亜弥への気持ちを意識しないようにしているのだ、という事には
気付かないフリをした。

動揺して独り言が多くなっている事にも、気付かないフリをした。
115 名前: 投稿日:2003年07月19日(土)19時18分22秒
    ******



失敗した、と思う。
泣いていた事に気付いた途端、美貴はとても優しくなった。
普段から優しいが、そういうのとは違う優しさ。
あんな風に優しくされると、嬉しい反面、心苦しくなる。

今朝は美貴の部屋には寄らず、真っ直ぐ家を出た。
昨日の様子だと、まだ心配されてそうだったから。

――――てゆーか昨日、みきたん変だったなあ。

亜弥が可愛いからと、狼狽しながら距離を置いた美貴。
そんな昔から判りきってる事であそこまで動揺するとは。
今更ながら、自分の魅力が空恐ろしくなる。

――――顔真っ赤にしちゃって。かーわいかったなぁ〜。
116 名前: 投稿日:2003年07月19日(土)19時19分15秒
んふふ。思い出し笑いが堪えきれなくて、唇の端からこぼれ出す。
昨日の嫌な事が、美貴で全部帳消しになったような感じ。
亜弥は自分の、そういう単純なところが嫌いじゃない。
というか、大好きである。
だからこそ今まで、あの子達の下らない悪戯をやり過ごせてきたのだ。

――――みきたんはあたしの事大好きだもんな〜。あたしって愛されてる。

今まさに美貴は、その『好き』の種類が変わった事に気付いて
悶々としているのだが、亜弥はそんな事知らない。

机に乗せた腕に顎を預けて笑っていると、脇腹に何かが当たる感触がした。
「んん?」目をやるとあさ美が人差し指で亜弥をつついている。

「どしたの?」
「あの、役決め。亜弥ちゃん主役やりたいって言ってたでしょ? でもさ……」
「え、あ!」
117 名前: 投稿日:2003年07月19日(土)19時19分53秒
今日は1時限目をホームルームにあてて、1ヵ月後に行われる文化祭の出し物について
話し合っている。
亜弥のクラスは『源氏物語』の劇を行う事が先日決まっており、それぞれの役を
誰がやるか決めるのが今回の主な議題。
あさ美に言われて思い出した亜弥は、即座に立ち上がって手を上げた。

「はい!! 松浦やりたいです!」

その瞬間、小さなどよめきが起こった。
――――ん?
なんだろうと思って周りを見渡すと、微妙な表情をしているあさ美と目が合った。
まさか、まだ主役決めじゃなかったのか?と黒板を見たが、他の役は全て
名前が埋まっている。
どうしてみんな、ポカンとしているのだろうと首を傾げると、あさ美が困ったように
亜弥の制服を引っ張った。

「最後まで聞いてよぉ。光源氏役のとこ、見てみて」
「光源氏?」
118 名前: 投稿日:2003年07月19日(土)19時20分30秒
あさ美の言葉に従って黒板を見る。そこには担任教師の読みにくい字で、
生徒の名前が書いてある。

『光源氏 吉澤ひとみ(特別出演)』と。
119 名前: 投稿日:2003年07月19日(土)19時21分07秒
「だから、やめとこうって言おうとしてたのに……」
今日の亜弥はなんだかご機嫌で、いつにも増して人の話を聞いていない。
クラスの吉澤シンパの子達が、ひとみ自身の許可を得た事を武器にして
強引に話を進めてしまったのも見ていなかったのだろう。

ここでヒロイン役なんてやったら、またシンパの反感を買ってしまう。
あさ美はそう思って止めようとしたのだが、逆に悪い方向へ導いてしまったような
気がする。

しかし亜弥は全く気にした様子もなく、感心したように呟いた。
「吉澤さんなんだ。かっこいいだろうねぇ〜」
「あ、亜弥ちゃんっ」
「なに?」
「……なんでもない」
きっと亜弥には何を言っても効果はない。
120 名前: 投稿日:2003年07月19日(土)19時21分56秒
あさ美は一縷の望みを託して、クラスメイトを見回した。
誰か立候補してくれたら、まだなんとかなるかもしれないと思っての事だった。
しかし、亜弥の迫力に気圧されたのか、他の生徒はみんな押し黙ったまま。
シンパの子達も、お互いを牽制し合って手を上げる事が出来ないでいる。

いっそ自分が立候補してしまうか、と考えたが、大勢の観客の前で演技が出来るほどの
度胸は無いし、既に脚本を担当する事が決まっているし。

何より、亜弥との友情にヒビを入れたくない。

「他いないかー? じゃ、紫の上は松浦で決まりなー」
年若い教師の無情な言葉と共に、黒板には亜弥の名前が書き込まれた。
121 名前: 投稿日:2003年07月19日(土)19時22分31秒



122 名前: 投稿日:2003年07月19日(土)19時23分06秒



123 名前: 投稿日:2003年07月19日(土)19時24分36秒
8回目終了。
苦悩する藤本さんと能天気な松浦さん。
そして不憫な目覚まし時計でした(爆)
124 名前: 投稿日:2003年07月19日(土)19時37分45秒
皆様レスありがとうございます。
たくさんついてて素で驚いてます(爆)

>>102
・ヒトシズクさん
ドキドキしてもらえましたか?(^^)いぇい!
松浦さん、すでに復活してますが(苦笑)
展開遅めですが、更新速度は遅くならないよう頑張ります(笑)

>>103
・堰。さん
先走ってしまいました。マラソンで「一緒にゴールしようね」と言いつつ
さっさとおいてっちゃうタイプです(爆)
痛い描写は苦手なんですが、そう言ってもらえると嬉しいです。
えーと、じゃあオタモダチから……(そっと手を差し出す)
あ、ミスはお気になさらず。

>>104
・名無しさん
あわわ、そこまで褒めていただいて恐縮です。
松浦さんの前でだけヘタレな藤本さんが好きなので、この先そんな感じで(笑)

>>105
・犬好きさん
はい、100レス使ってようやく導入部が終わりました(笑)
頑張ります!

125 名前: 投稿日:2003年07月19日(土)19時38分27秒
>>108
・名無しさん
恋愛以外の部分て、何気に書いてて楽しいんですよね(笑)
おかげで吉の出番が多くなってます(笑)
あやみきラブラブは……ど、どうなるんでしょうか(爆)

>>109
・時雨さん
幼馴染み、好きですか? ツボポイント一緒ですか?(笑)
読みやすいと言っていただけて嬉しいです。
硬いですけど(笑)地の文て崩せないんですよね……。
これからも頑張ります(^^
126 名前: 投稿日:2003年07月19日(土)19時40分01秒
えいと。
分類板に紹介して頂いた方、ありがとうございました。
密かに目標だったのでかなり嬉しかったです(笑)
127 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月19日(土)20時18分39秒
更新お疲れさまです。

>「こいつのせいか!」
…見事に映像が浮かびました。目覚し時計相手に。絶対やりそう。笑った。
しかしこの劇だとやっぱ吉澤はこの役ですか。青少年保護育成条例に引っかからないことを祈るばかりです。ヒロインというと、松浦さんは見事に育てられちゃう役なのだろうか。
それにしてもほんと松藤両者のマヌケぶりはいいっすね。もうこの路線でも充分楽しいっす。

あと、分類板で紹介させていただきました。
連載開始当初からすごくいい感じだと思っていたんですが「なにぶん始まったばかりの作品だし100レスくらいいってからにしよう」などと思っていたら、あれよあれよと言う間に……すげー。ストックがあるとのことですが、作者さんのハイペースぶりには驚くばかりです。

次回も楽しみにお待ちします。

128 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月20日(日)01時43分40秒
自らの気持ちに悩みだした藤本さん、サイコーです!!(w
次へ次へ期待がどんどん…(ry
またーりお待ちしております。
129 名前:名無し読者 投稿日:2003年07月20日(日)02時51分58秒
あああ
続きが気になってしょうがない
藤本さんの初々しさが良いですな
130 名前:ヒトシズク 投稿日:2003年07月20日(日)12時40分11秒
藤本さん、可愛ええ・・・(爆
思わず一言、呟いてしまいました(笑。
あやや、どうなってしまうんでしょうか?
展開がかなーり気になります!

では、次回の更新も楽しみにしております♪
がんばってください、応援しております!!!
131 名前: 投稿日:2003年07月22日(火)19時17分41秒



132 名前: 投稿日:2003年07月22日(火)19時18分24秒




「やあ、僕の紫の上。今宵は月明かりと共にアナタの元へと馳せ参じようか」
3時限目が終わった休み時間。紫の上が亜弥だと聞きつけたひとみが
当然のように教室へ入ってきた。

「松浦と一緒だって聞いて、俄然やる気出てきたよ」
「あはは。まーそういうわけなんで、よろしくお願いします」
「こちらこそ。楽しみだなあ、ウチの魅力にメロメロになるお姉さん達……」
くっくっく。わざと悪そうに笑うひとみに、亜弥が無邪気な笑みを見せる。
「じゃ、あたしはお兄さん達をメロメロにするという事で」
「いいねえ。ウチら何気に最強?」

ひとみもノリノリである。
133 名前: 投稿日:2003年07月22日(火)19時19分09秒
シンパに何をされても、亜弥のひとみに対する態度は変わらない。
クラスメイトはそれを知っているから、羨ましそうに見る事はあっても
先日の子達のような嫌がらせをする事はない。
だから、こうしてひとみが教室に来て話をする時間が、亜弥は本当に楽しかった。

ひとみは手持ち無沙汰なのか、亜弥のペンケースからシャーペンを抜き取り、
指先でクルクルと回しはじめた。
「そういえば、藤本先輩って来るの?」
「特に話してないですけど、来ると思いますよ。てゆうか来させます」

折角の晴れ舞台、是非とも美貴に見てほしい。
それで絶賛してくれたら最高。
ただ褒めるだけじゃなく、感動して泣いてくれたら言う事なし。

亜弥のそんな言葉に、ひとみは軽く笑った。
134 名前: 投稿日:2003年07月22日(火)19時19分54秒
「松浦らしいね」
他の人が聞いたら呆れそうな望みを、ひとみは当たり前のように受け入れる。
「だって、やっぱり楽しんでもらいたいじゃないですか。やるからには」
「そりゃそうさ。やるよ吉澤は」
「松浦だってやります」

やけに気合の入った口調で言い合い、視線を合わせてニヤリと笑う。
それはなんだか、とても画になった。

「ののもやる!」
「おわ!? つつ、辻!? いつの間に……」
135 名前: 投稿日:2003年07月22日(火)19時20分40秒
下から轟いた叫びに、ひとみが大きくのけぞった。
スナック菓子の袋を握り締めながら、辻希美がひとみを見上げている。
ひとみは引きつった笑いを浮かべながら、そーっと希美から距離を置いた。

「ののもお姫さまやる!」
「い、いやいや。辻は1年生だから、2年生の劇には出られないんだよ?」
「よっすぃだって3年生じゃん!」
「うっ!」

鋭い指摘にひとみの顔が歪む。
どうしたものか、と悩んでる間も、ひとみの身体は次第に後ろへ下がっていく。

「う、ウチは特別なんだよ」
「じゃあ、ののも特別になる!」
「そういう問題じゃなくてぇ〜。……ああ! あんなところに8段アイスが!」
「え!」

ひとみがデタラメに指差すと、希美は律儀にそちらへ顔を向けた。
136 名前: 投稿日:2003年07月22日(火)19時21分10秒
正論で突破しようとした自分が馬鹿だったのだ。
理屈も何もなくたって、彼女には食べ物の話題で意識を逸らせるのが一番だと
知っていたのに。
137 名前: 投稿日:2003年07月22日(火)19時21分50秒
「松浦、これ返す」
持っていたままのシャーペンを亜弥に投げて寄越し、ひとみは一目散に逃げ出した。

「アイスどこ? ……あ〜! よっすぃがいない〜!」
ひとみが教室を去ってたっぷり10秒経ってから、希美がようやく気付く。
「よっすぃ〜!」呆然とするギャラリーには目もくれず、希美はひとみの姿を探して
走り去って行った。

「……あの二人、面白いね」
あさ美がポツリと呟いた。
「うん。けどさ、なんで吉澤さん、辻ちゃんの事避けるんだろ」
「さあ……。でも、辻ちゃんの方はホント吉澤さん好きだよね」
「そうなの?」
亜弥の問いに、あさ美が一瞬表情をなくす。
138 名前: 投稿日:2003年07月22日(火)19時22分23秒
――――そうなの?って。見れば判るじゃん……。
さっきのひとみのようにシャーペンを回しながら、あさ美は口を開いた。

「1年生が2年生の教室に来るって、結構勇気いるでしょ。それでも吉澤さんが
いるからって理由で来たわけだから、それはもうかなり好きなんじゃないかと」
「でもあたし、去年3年生の教室によく行ってたよ?」
「それって藤本先輩がいたからでしょ?」
「うん」

ダメだ、判ってない。
亜弥が美貴と一緒にいるのは当たり前で、それが例え3年生の教室だろうが
自分の教室だろうが関係ないのだろう。
139 名前: 投稿日:2003年07月22日(火)19時23分10秒
「えーと、片思いと両思いの違いっていうか……」
「んん? あさ美ちゃんの言ってる意味がよく判んない」
「だから、亜弥ちゃん達と違って辻ちゃんと吉澤さんは付き合ってないわけで、
つまりそれほど親しくはなってないから、上級生の教室に来るのは抵抗が
あるじゃないかと思うんだけど」

それなのに希美は、ところ構わずひとみを追いかけている。
その根性と図太さを褒め称えたいとあさ美は思っていたのだが。

「ちょっと待った」
亜弥の手があさ美の口に当たる。口を塞がれたあさ美は、続けようとしていた
言葉を飲み込んだ。
140 名前: 投稿日:2003年07月22日(火)19時24分20秒
「亜弥ちゃん達と違って? 辻ちゃんと吉澤さんは付き合ってない?」
あさ美の台詞に疑問符をつけて繰り返す。あさ美は無言のままうんうんと頷く。

「という事は、あさ美ちゃんはあたしとみきたんが付き合ってる、と言いたいの?」
ようやく手が外れる。自由になった口で、あさ美は「うん」と声に出して頷いた。
「え、なんでそういう事になんの?」
「違うの? じゃあ亜弥ちゃんの片思い?」
「そうじゃなくて」

亜弥の表情がにわかに真剣みを帯びる。ずい、とあさ美に詰め寄り、亜弥は訝しげな
口調で囁いた。

「……女の子同士だよ?」
141 名前: 投稿日:2003年07月22日(火)19時25分12秒
本気で理解できない、という風に眉を顰めている亜弥に、あさ美はあんぐりと口を開けた。
だって。だってここは女子校で。二人はあんなにベタベタしてて。
それに、去年の今頃、そういう話はそこかしこから聞こえてきていて。確かに亜弥は否定
していたが、それは単に照れているだけだと思っていた。

亜弥と知り合って早1年と6ヶ月。あさ美は初めて知る真実に呆然とした。
142 名前: 投稿日:2003年07月22日(火)19時25分42秒


143 名前: 投稿日:2003年07月22日(火)19時26分24秒


144 名前: 投稿日:2003年07月22日(火)19時27分26秒
9回目終了。

自分で書いといてなんですが、ラストの松浦さんの台詞はリアリティない(爆)
アンリアルだからいいのか?
145 名前: 投稿日:2003年07月22日(火)19時35分32秒
>>127
・名無しさん
分類板について、再度ありがとうございました。
「こいつのせいか!」は初めて藤本さんが自分で動いてくれたシーンだったりします(笑)

>>128
・名無しさん
藤本さんはこれからしばらく悩み続けるっぽいです(苦笑)
本人はけっこうウジウジ考えないタイプっぽいんですけどね(^^;

>>129
・名無し読者さん
初々しいですよね。書いててなんでこんなウブなんだろうとか、自分でも思います(爆)

>>130
・ヒトシズクさん
美貴ヲタですから!<可愛い
松浦さんはどうなってしまうんでしょうねえ……(遠い目)
今はまだ平和ですが。ふふり。
146 名前:読者 投稿日:2003年07月22日(火)19時47分59秒
ここまでの仲の良さを見せ付けておきながら、
付き合うことに関しては全否定とは…っ!?
少しずつ恋愛感情に向かっていっている藤本さんが可愛いです(w
147 名前:ヒトシズク 投稿日:2003年07月22日(火)22時46分15秒
おぉ?!
最後のあややの一言につい、呟いてしまいました。。。
あややの考えてること分かるときと分からないときが・・・(爆
あややとみきてぃ、どうなるのか今後楽しみです♪
148 名前:堰。 投稿日:2003年07月22日(火)22時46分51秒
口をあけたままの紺野さんと、
まったく同じ反応をしてしまいました。
円さんの腕を信じて、大人しく着座してます(笑
続きの皿が出るまで待てない…(微苦笑
149 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月22日(火)23時10分11秒
みきあやでこういうパターン初めてですね
いやー面白い!
つーか昨日初めて読んだら今日の朝、みきあやの夢見ました
いやー目覚めかなりよかったですw
一気に終わりまで読みたいから、終わるまで我慢しようかと思うぐらい面白い!
続き期待してます
150 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月23日(水)19時31分52秒
いやー、松浦の一言、自分的に快哉を上げたい気持です。
「よくぞ言ってくれた!!」というか。ありがとう作者さん。こんな作品こそ待ってました!
予定調和一掃で、これまでよりもなおのこと物語が引き締まる感じですな。
辻と吉澤のお話にも大注目でっす。
151 名前:時雨 投稿日:2003年07月24日(木)01時26分45秒
ほおお!松浦さん、そうきますか!
いいですねえドキドキしてきました。これからに大期待です。
辻と吉澤…。私の気になるところです。
更新頑張って下さい。
152 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月24日(木)10時44分31秒
最後の言葉、逆にリアルですよ。
実生活ではそういう事が多いでしょうから。
同性を好きになる事を当たり前に描いている作品が
多い中すごく新鮮でリアリティ溢れているので
今後の展開が気になって眠れないです。
153 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月24日(木)19時43分11秒
>>152さんの言う通り、小説としてリアルであり、
それでいて自覚なしかい!とつっこんでしまうこの台詞。
やってくれましたね、松浦さん。(w
どう転がっていくのか…本当に楽しみです。
続きに期待。
154 名前: 投稿日:2003年07月24日(木)23時52分12秒



155 名前: 投稿日:2003年07月24日(木)23時52分54秒
    ******



今日は梨華が場所取りをしてくれていた。
「美貴ー! こっちこっちー!」
大声で呼ばれて、梨華の周りにいる学生が一斉にこちらを振り返った。
美貴は羞恥に顔を赤らめる。
「り、梨華ちん。恥ずかしい事しないでよ」
急いで梨華の元へ行き、押し殺した声で抗議するが、梨華はどうして
美貴が怒っているのか判らないようで、キョトンとした目を美貴に向けた。

「だって、こんなに人がいるとこで見つけられなかったら困ると思って」
「そしたら空いてるとこに座るよ。呼びたいなら携帯にかけてきたら良かったじゃん」
「あ、そうだね」

ぽむ。可愛らしく手を打つ友人に、美貴はがくりと肩を落とした。
156 名前: 投稿日:2003年07月24日(木)23時53分46秒
「よっすぃの節約癖がうつったのかも」
こんな近くにいるのに、携帯にかけたら電話代勿体無いもんね。そう梨華が言うのに、
美貴はお、と眉を上げる。節約がどうのではなく、知っている名前が出てきたので。

「そっか、従姉妹だっけ」
「よっすぃ? うん。最近、あの子妙に可愛いんだよねえ。……恋かな」
「え! 梨華ちん、よしこの事好きなの!?」
「は?」

思いがけない美貴の発言に、梨華の整った顔が一瞬崩れる。

「なんであたしがあんなハナタレ小僧に恋しなきゃいけないのよ。
そうじゃなくて、よっすぃに好きな人が出来たんじゃないかって言ってるの」
「あ、そういうこと……」

今度は自分の勘違いに顔が赤くなる。いかんいかん、自分がそういう状態だからって
なんでもそういう方向に考えるのはよくない。
157 名前: 投稿日:2003年07月24日(木)23時54分47秒

それにしても、ハナタレ小僧。ファンクラブみたいな集団すらいる人間に対して、
随分な言いようだ。
本人がいないから言えるのか、本人が聞いても怒らないと判っているから言うのか。
考えるまでもなく後者である。ひとみの前で言ったら、お調子者の彼女はきっと
ハナタレ小僧の真似をし始めるだろう。

そういえば気障男みたいなのも、シンパの子に「かっこいい」ともてはやされてから
事あるごとにやるようになったんだ、とかどうでもいい事を考えていた美貴は、
不意に耳へ入って来た梨華の言葉に硬直した。

「大体、いくらボーイッシュだっていっても、よっすぃ女の子だし」
158 名前: 投稿日:2003年07月24日(木)23時55分37秒
そうだ。普通そうだ。普通、そんな方向に思考は向かわない。
梨華だって、美貴の反応は冗談だと思っている。美貴と違って彼女は共学高校の出身だし。

「だ、だよねえ! 当たり前じゃんそんなの!」
取り繕うように笑ってみるが、胸に訪れた空虚と裏返った声は無視できない。

梨華はわずかに眉を寄せて、美貴の顔を覗きこんだ。
「美貴?」
ほら、誤魔化せてない。大学に入ってからの仲だから、梨華との付き合いはまだ半年も
ないが、そんな浅い付き合いでも悟られてしまうくらい、今の美貴は変だった。

「あは……」笑いは力なく途切れ、美貴は馬鹿みたいに開いていた口を閉じてうな垂れた。
「あのさ……」
「うん?」
「軽蔑されるかもしんないんだけどさ……」
「しないよ」

「まだ何も言ってないじゃん」
美貴が小さく苦笑した。
梨華は笑わなかった。
159 名前: 投稿日:2003年07月24日(木)23時56分35秒
迷いを取り払うように息をついてから、美貴がポツリと呟く。
「……女の子、好きになったって聞いたら、どう思う?」

梨華の、形の良い鼻梁にしわが寄る。嫌悪というよりは単に疑問を持っただけのようだった。
「好きって、恋愛感情って意味で?」
「うん……」

梨華は少しの間無言でいて、その間ルーズリーフの端を折ったり伸ばしたりしていた。
ルーズリーフがの折り目がクタクタになって、折った後に立ち上がらなくなっても
梨華の手は止まらなかった。

「……あたしにはわかんない。そういうの、経験した事ないし」
「だよね。変、だよねこんなの……」
「変とは言ってないけど」

ルーズリーフはついに千切れ、梨華はその切れ端の角で美貴の腕をつついた。
「軽蔑なんかしない、って言ってるじゃん。わかんないって言ってるだけ」
「同じ事だよ……」
「違うよ。美貴、サトイモ好きな人の事、軽蔑する?」

サトイモ? 美貴が顔を上げる。
サトイモといえば、芋のくせにヌルヌルして、掴みにくくて、なんかカビくさい、
美貴の嫌いな食べ物である。
しかし、だからといってサトイモ好きに悪印象を持った事はない。
160 名前: 投稿日:2003年07月24日(木)23時57分25秒
「そんな事ないけど……」
美貴の答えに、梨華は「ほら」と得意げに笑った。

「自分がサトイモのおいしさ判んなくても、サトイモ好きな人の事嫌いになったり
しないでしょ? そういう事なのよ」

「あはは。なにそれ」
美貴がまた苦笑した。
梨華も笑った。

「そんなに難しく考えなくてもいいんじゃない? 辛かったら、話聞くくらいできるしさ」
「うん。ありがと」
「で」
「ん?」

梨華がずいっと身を乗り出してくる。その顔が興味津々な風なので、美貴の腰が
ちょっと引ける。

「それってよっすぃの事?」
「違う!」

こっちこそ、なんでハナタレ小僧に恋しなきゃいけないんだ。
161 名前: 投稿日:2003年07月24日(木)23時58分03秒



162 名前: 投稿日:2003年07月24日(木)23時58分47秒
女の子の恋話好きは尋常ではない。朝は梨華の追求が本格化する前に講義が
始まったので逃げられたが、案の定、昼休みに掴まってしまった。

「ねえねえ、どんな子? カッコいい系?」
「……さあね」
「いいじゃん、教えなさいよ」
「ヤダよ」

勢いで言ってしまったものの、こう根掘り葉掘り聞かれると、
恥ずかしい事この上ない。
母親の作ってくれた弁当を事務的に食べながら、美貴は梨華の猛攻を
必死にかわしていた。

「誰にも言わないから」
当たり前だ、言いふらされたら困る。
そんな甘言には惑わされず、とにかく美貴は逃げの一手を打つ。
163 名前: 投稿日:2003年07月24日(木)23時59分36秒
「年下? 年上?」
「知らない」
年下ですよ。ピチピチの17歳ですよ。
「家とか近いの?」
「どうだろ?」
近い近い。なんせお隣でベランダからうちの部屋に入れちゃうくらいだし。
「今はどんな関係なの? 仲いいの?」
仲良しですよ。週一ペースで一緒のベッドに寝ちゃってるよ。

心の中の独白に照れる。美貴の顔が赤くなったのに気付いて、梨華は更に興味を
そそられたらしい。「なに思い出してんのー」なんてからかいと共に、美貴の腕を
つついてニヤニヤ笑う。

「ねえねえ、美貴ってば。ちょっとくらい教えてもいいじゃん〜」
「教えません」

「……教えてくれないと、よっすぃに心当たりないか聞いちゃうよ?」
「ちょっ、ちょっとちょっと! それってズルくない?」
思わず箸を止めて梨華に噛み付いた。ひとみに聞かれたら、可能性の一つとして
絶対に亜弥の名前が出てしまう。
164 名前: 投稿日:2003年07月25日(金)00時00分27秒
しかし、慌てたのが悪かったようで。
「ふぅん。よっすぃの知ってる子なんだ? じゃあバレー部の子か、よっすぃの友達かな?」
「………………」
ダメだ、もう逃げられない。

はぁ〜と深い溜息をつき、美貴は食事を中断した。こんな心境で食べ続けるのは
結構苦痛だ。

「……写真、見る?」
「見る見る!」
弁当をしまったバッグから手帳を取り出し、ページをパラパラめくる。
亜弥と一緒に映っているプリクラは、探すまでもなく全部のページに貼られていた。
こんなに撮ってたんだな、と今更ながらに感心する。

大判の一枚を指で示し、意識して素っ気無い口調で「この子」と梨華に教える。梨華は
手帳に鼻をぶつけそうなくらい近づいて、プリクラに見入った。
「最近のプリクラって綺麗に撮れるんだね〜」
「注目するとこ違うし」

美貴のツッコミはスルーされた。
165 名前: 投稿日:2003年07月25日(金)00時01分08秒
プクリラをしげしげと眺めながら、梨華は口笛と嘆息の中間くらいの息を吐く。

「可愛いじゃん。ま、あたしには負けるけど」
「や、亜弥ちゃんの方が可愛いから」
真面目に言ったのだが、梨華は「はいはい」と呆れたように言っただけで取り合わない。
「亜弥ちゃんて言うの?」
「……うん」
「いくつ?」
「高二。よしこの後輩だよ」

それから美貴は、さっき逃げ続けていた質問を繰り返され、結局全部喋る事に
なってしまった。
こんな事なら最初から話しておけばよかったと思う。
バッグの中には食べかけの弁当。中断した食事を再開するには時間が足りない。
亜弥のプロフィールから美貴の気持ちの遷移まであらかた聞き終えた梨華は、
しばらく頭の中で情報を整理していたようだが、何かに思い当たったのか
不意に小さく声を洩らした。

「亜弥ちゃんてあの子だ。よっすぃが怒ってた子」
「え?」

梨華の呟きに、美貴の右眉が上がる。
166 名前: 投稿日:2003年07月25日(金)00時02分10秒
ひとみが怒る事は滅多にない。基本的に甘いのだ。彼女の堪忍袋の緒を切らせるのは
並大抵の事では出来ない。
何より、亜弥はひとみのお気に入りである。ひとみは『お気に入り』には更に甘くなる。
一体何をしたんだ、と美貴が気色ばむと、梨華は慌てたように両手を左右に振った。

「違うの。あの、亜弥ちゃんが学校の子にイジメられて、それでよっすぃが怒ってて。
昨日の夜とか結構機嫌悪かったから……」

「イジメ……?」
美貴の顔から表情が消える。梨華は自分が口を滑らせた事に気付く。
背中に冷たいものが走るのを感じながら、梨華は意味もなく手を振り続けた。
なにせ目の前の友人、無表情でいるとかなり恐い顔立ちをしているのだ。

「い、イジメっていうか、そんな大した事じゃないらしいんだけどね。
よっすぃも何があったか詳しい事は知らないみたいで、あの、だから……」
167 名前: 投稿日:2003年07月25日(金)00時03分00秒
梨華の弁明は美貴の耳に入っていない。

昨日。自分の事で頭がいっぱいでよく考えていなかったが、亜弥が何か嫌な思いを
した事は判っていた。最初はそれを心配して、それで、彼女が泣いて。
美貴に触れられて安心するまで、張り詰めていた何かを抱えていたのは判ってたのに。

せり上がってくるのは、激しい自己嫌悪。

「あたし、なにやってんだろ」
「美貴?」

亜弥はいつも天真爛漫で、太陽を背負っているみたいに明るくて。
それが全てなわけはないのに。
ちゃんと気遣ってあげればよかった。気にはしていたが、彼女がどれくらい
悩んでいたかなんて考えていなかった。
今日は部屋に来なかった。きっと、あまり心配をかけたくなかったんだろう。
168 名前: 投稿日:2003年07月25日(金)00時03分36秒
「帰る」
「え、ちょっと」

いきなり立ち上がった美貴の手を掴み、梨華が止める。

「今帰ったって、亜弥ちゃんいないんじゃないの?」
「判ってるよそんな事。判ってるけど」

どうせ、こんな状態で授業を受けたって何も身につかない。
それだったら、亜弥が帰って来るまで家で待ってた方がマシというものだ。
美貴の消沈した様子に、梨華は引き止めるのを諦めて、一緒に立ち上がった。

「梨華ちん、明日ノート写させてね」
「じゃ、お昼奢ってね」
「いいよ」

淡く微笑んで、美貴が頷いた。
169 名前: 投稿日:2003年07月25日(金)00時04分10秒





170 名前: 投稿日:2003年07月25日(金)00時09分18秒
>>146
・読者さん
わーい、また藤本さん可愛いって言ってもらえた♪(笑)
全否定というか、ハナから頭にない感じですね、今の松浦さんは。

>>147
・ヒトシズクさん
分かりにくいですか?(^^;
多分、これから更に分からなく……ゲフンゲフン。

>>148
・堰。さん
ええと、なるべく前の皿が冷めないうちに次をお出ししてくつもりですが……。
待てないですか? どうしましょう(笑)

>>149
・名無しさん
みきあやの夢ですか。それはかなり本気で羨ましい(笑)
171 名前: 投稿日:2003年07月25日(金)00時16分11秒
>>150
・名無しさん
予定調和を崩さないと、多分あと20行くらいで終われます(笑)
あ、辻と吉澤に反応が!(嬉

>>151
・時雨さん
こうきました!(笑)
わーい、また辻と吉澤に反応が(更嬉

>>152
・名無しさん
いや、ヲタ内でカテゴライズされた松浦さんとかなり違うので、
書いてるときに結構な違和感がありまして(苦笑)

>>153
・名無しさん
あ、なるほど。小説としてのリアリティですか。(納得
自覚は全くないですね(笑)というか、自覚するものすらあるかどうか(笑)
172 名前: 投稿日:2003年07月25日(金)00時18分28秒
10回目終了。

石川さん、理解はありませんが受け入れる容量はあったようです。
てゆーか従姉妹だったんだ……。<忘れてるし。
173 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月25日(金)00時54分14秒
更新お疲れさまです。
うーん、いいやつだなあ、石川さん。まるで石川さんに対する柴田さんのような役どころじゃないか。
これからどうする?! マジモード藤本さん。

で…ええ、吉澤と辻については、それはもう、出始めからずーっと引っ張られております。
前々から「吉×辻」でもあっちで紹介したくてしたくて…いえなんでもないっす。
174 名前:名無し読者 投稿日:2003年07月25日(金)02時19分37秒
正直今まであやみきってちゃんと読んだコトなかったんです。
なのに何故か何の気なしに昨日ココを読み始めてしまったら…すんごい面白い!
もーホント、更新楽しみです。
175 名前:雷斗 投稿日:2003年07月25日(金)03時51分04秒
キ…(-_-)キ(_- )キ!(-  )キッ!(   )キタ(  ゚)キタ!( ゚∀)キタ!!( ゚∀゚ )キタ━!
                    ↑
初めまして。そしてすみません。いきなりこんなのやっちゃって。w
この小説かんなり面白いのでROM専門だったんですけど、レスしちゃいました。w
マジであやみき最高!そして紺野さん最高!吉澤さん素敵!w
(○^〜^)<うちは最高じゃないのかYO!

勝手ですが期待しまくってます。w次回更新楽しみに待ってます。
176 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月25日(金)09時52分42秒
更新されてる!嬉しいです、まめに更新していただくと(感涙)
あやみきイイ・・・
にしても恋に気づいたみきてぃと何も気づかないあやや。
あ〜気になる!!
よしおさんに捕られないでね美貴!!!
177 名前:ヒトシズク 投稿日:2003年07月25日(金)21時57分50秒
あ〜もう、ホント円さんの小説にははまりますね〜
もう、虜です(笑。
ミキティ、知っちゃいましたねぇ〜・・・これからどうなるんでしょ?
続きが待てませんっ!!!(笑。
てか、石川さんと吉澤さん、従姉妹だったんですねぇ〜・・・

では、次のお皿が出てくるまでおあずけ状態で、しかも空腹でお待ちしています!
更新頑張ってください♪
178 名前: 投稿日:2003年07月26日(土)21時32分48秒



179 名前: 投稿日:2003年07月26日(土)21時33分22秒
    *******



昨日あれだけの騒ぎを起こしたせいか、例の少女達は部活に出なかった。
このままずっと来なかったり辞めてしまったら可哀想だな、と
ひとみにあの子達を許すよう頼んだら、さすがのひとみも呆れていた。
それでも、明日話すように言ってくれたから、ひとみも大概甘いと思う。
180 名前: 投稿日:2003年07月26日(土)21時34分10秒



部活を終えて帰宅し、自分の部屋で着替えを済ませたところで
外から自分を呼ぶ声が聞こえた。

「亜弥ちゃん、帰った?」
閉め切っていたカーテンを開けると、美貴がベランダの柵に凭れかかって
亜弥が現れるのを待っていた。
「みきたん?」
「ちょっとこっち来て」

美貴が柵にかけていた手を上げ、ちょいちょいと手招きする。亜弥はその手に従って
ベランダを飛び越え、美貴の部屋に入る。
181 名前: 投稿日:2003年07月26日(土)21時35分08秒
美貴はなんだか表情を引き締めていて、まるで子供を叱る母親のようだった。
「ちょっと、ここ座って」
自分の手前を手で叩いて示す仕草も母親じみている。それが少しおかしくて、
亜弥がクスリと笑った。美貴は笑わない。亜弥の笑みもすぐに引っ込む。

「……みきたん、怒ってるの?」
とりあえず美貴の言うとおり腰を下ろし、恐る恐る尋ねる。
彼女は笑っていないだけでキツめの表情になる。それは見慣れているから
恐いとは思わないが、それでも硬い態度になんとなく不安になった。

「怒ってるよ。めちゃくちゃ怒ってるよ」

美貴の低い声に不安が膨らむ。何かしただろうか? 毎週毎週部屋におしかけるのが
ウザイとか? 大声で歌うのがうるさいとか? 美貴の嫌いな食べ物を無理矢理
食べさせるのが我慢できなくなったとか? それとも、美貴が福引で当てたタコヤキ器を

勝手に私物化した事を怒っているのだろうか。

心当たりがありすぎて判らない。
182 名前: 投稿日:2003年07月26日(土)21時36分12秒
しかし、美貴が出した話題はそのどれでもなかった。

「美貴はね、自分に怒ってんの」
「え?」
「亜弥ちゃん、ガッコの子に嫌な事されてんだって?」
「あ……」

それか、と心の中で納得する。やっぱり昨日甘えたのは失敗だった。

「だ、誰に聞いたの? 吉澤さん?」
「違うけど、誰でもいいよ。ホントなの?」
「う……」

亜弥の指先が、肩に落ちた髪をいじり始める。
視線は下に向いていて、言いにくそうに口をモゴモゴさせている。
183 名前: 投稿日:2003年07月26日(土)21時36分52秒
「亜弥ちゃん」
「……そんな大げさな事じゃないんだよ? 昨日はちょっと、キツかったけど……」

ホントなんだ。美貴の胸がチクリと痛む。

「なんで言ってくれないの? そりゃ、美貴じゃ頼りにならないかもしれないけどさ、
なんか力になれるかもしれないじゃん。今までだってそゆ事あったんでしょ?
なのに美貴、全然知らなくてさ、亜弥ちゃんに辛い思いさせて。自分に腹が立つよ」
「だって……」
「だって、なに」

あくまで強気の姿勢を崩さない美貴を、怯えたように上目遣いで見やって、
亜弥は重い口を開く。

「みきたんに迷惑かけたくなかったんだもん……」

ズガン!と打ち抜かれた気分だった。

そんな可愛らしい上目遣いで見つめて、そんな可愛い事を言ってくれるわけですか。
クラクラする。腰が砕けそうだ。思わず床に両手をついて耐えた。
184 名前: 投稿日:2003年07月26日(土)21時38分01秒
「みきたん? 大丈夫?」
具合でも悪いのかと、亜弥が美貴ににじり寄ってその肩を撫でる。たったそれだけ
なのに、亜弥はただ自分を心配してくれているだけなのに、殊更大きく、心臓が脈打つ。
「大丈夫、なんでもない。それより亜弥ちゃん!」
「は、はいっ」

不審がられない程度の力で亜弥の手を振り払い、美貴はさり気なく一歩下がる。

「これからは、なんかあったらちゃんと美貴に言う事。いい?」
「でも……」
「いいから。何も言わないで一人で悩まれてたら、そっちの方が辛いよ」
「わかった……」

渋々ながら頷く亜弥。けれどその顔には微かな喜色が浮かんでいる。美貴がこうして
自分の事を大事にしてくれるのは、なんだかんだいっても正直嬉しい。

「よし」美貴はようやく笑って、亜弥の髪を指で梳くように撫でる。
亜弥が気持ちよさそうに目を閉じた。
ひとみや部長にもよく頭を撫でられるが、美貴の手が一番好き。
185 名前: 投稿日:2003年07月26日(土)21時39分00秒
そんな風に亜弥が幸せを感じているのとは対照的に、美貴は困っていた。

――――あ、亜弥ちゃん、ちょっとそれ、可愛すぎる……。

今の亜弥は、あまりにも無防備すぎる。いや、警戒されても悲しいが。
手を離すタイミングが掴めない。以前はどうしていただろう?と思っても、
もう思い出せない。たった二日前まで何の疑問も無くしていた行動なのに
いざ頭で考えるようになってしまうと何も判らない。
亜弥はまだ目を閉じている。どうしたらいいか判らない。

けれど、感情のままに動いちゃいけない事だけは、判っていた。

「は、はい、もう終わり!」
早口で告げて、亜弥を撫でていた手を下ろす。
亜弥に言ったのか、自分に言ったのか。その判断はつかなかった。

亜弥はグルーミングをしてもらった子猫のように笑んだまま、甘い吐息を洩らした。
それが更に美貴を誘惑するが、勿論当人にそんなつもりはない。
186 名前: 投稿日:2003年07月26日(土)21時39分59秒
「あたし、ホントみきたんに愛されてるなー」
「へぇぇ!?」
頭のてっぺんから出たような声に、亜弥がん?と美貴を見つめる。

「みきたん、あたしの事好きでしょ?」
「う、うん」
「あたしの事好きでしょ?」
「うん、うん」

ちゃんと答えてるのに、何故か亜弥はどんどん表情を険しくしていく。

「みきたん、好きって言ってよ」
「え、あの」

それはちょっと厳しいものが。

無理矢理浮かべた笑みが引きつっているのが判る。
今のあたしに、それを言えと?
抗議は勿論外に出る事はなくて、だから亜弥には通じない。
187 名前: 投稿日:2003年07月26日(土)21時40分52秒
「みーきーたーんっ」
邪気が無いのが余計凶悪だ。美貴は意味もなく辺りを見回す。
部屋には二人きり。希望としては、そろそろ家族の誰かに呼んでもらいたい。
夕食はまだだろうか。姉が貸していたCDを返しに来てくれるのでもいい。

しかし、いくら待ってもその気配はない。

「みきたん、なんで言ってくれないのー!」
ダメだ。いい加減言わないと亜弥が本気で怒ってしまう。

「すっ……」
188 名前: 投稿日:2003年07月26日(土)21時41分44秒
覚悟を決めて息を吸い込んだところで、意外なところから救いの手が差し伸べられた。

部屋に響き渡る音楽。軽い音のそれは美貴の携帯電話から流れていた。

「あ、メールだメール」
そそくさと亜弥から離れ、テーブルの上に置いていた携帯を手にとる。メールの
送り主はひとみで、来月行われる文化祭のお誘いだった。

「そっか、来月文化祭なんだー」
ちょっと棒読みになってしまったが、この際そんな事に構ってられない。

「よしこ、亜弥ちゃんのクラスの劇に出るんだねー。亜弥ちゃんはなにやるの?」
「紫の上だよ。主役だよ主役」
すごいでしょ、という風に胸を張る亜弥。またしても心臓を打ち抜かれながら、
美貴は努めて平静を装いながら「すごいすごい」と褒める。

紫の上というと、『源氏物語』か。古典の授業でしか読んだ事はないが、
十二単とか着るのだろうか。それは見たい。
189 名前: 投稿日:2003年07月26日(土)21時42分39秒
「みきたん、見に来るでしょ?」
「うん、そうだね。面白そうだし」

ひとみの光源氏と亜弥の紫の上。それはさぞかし画になるだろう。

――――ん?

画になるのはなんとなく嫌だ。第一アレだ。源氏物語といえば、光源氏と紫の上の
恋物語なわけで、当然ラブシーンみたいなものもあるはずだ。

――――ちょっと、行きたくないかも……。

そう思っても後の祭り。すでに「行く」と言ってしまっている。前言撤回したら亜弥が
拗ねるのは目に見えているし、なにより理由を聞かれたら物凄く困る。
かくして、美貴は複雑な心境のまま、1ヵ月後を待つ事になった。
190 名前: 投稿日:2003年07月26日(土)21時43分19秒



191 名前: 投稿日:2003年07月26日(土)21時44分46秒
11回目終了。

マジモードだった藤本さんはアホモードに(苦笑)
いつになったら浮かれモードになってくれるのか。
192 名前: 投稿日:2003年07月26日(土)21時52分44秒
>>173
・名無しさん
しまった、柴ちゃんという手があったか!(爆)
よしののは……そろそろ進むかもしれません。後退するかもしれません(笑)

>>174
・名無し読者さん
ありがとうございます。
あやみき楽しいですよ。素晴らしい作品がたくさんあるので、
是非是非読んでみてください(^^

>>175
・雷斗さん
>キ…(-_-)キ(_- )キ!(- )キッ!( )キタ( ゚)キタ!( ゚∀)キタ!!( ゚∀゚ )キタ━!
ウケました(笑)
川o・-・)ノ<完璧です。

>>176
・名無しさん
マメに更新できる私はイコール暇人という(ry
よしおにとられることはないと思われます(笑)

>>177
・ヒトシズクさん
次の皿、お持ちしましたっ。
ささ、どうぞ(笑)
193 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月26日(土)22時29分32秒
みきあや小説が増えてとても嬉しいです
毎回更新楽しみにしてます
ところで円さんの他の作品があれば教えて欲しいな、と
みきあやも好きなんですが、円さんの文章も好きなんで
194 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月26日(土)22時48分25秒
邪気が無いってのが一番協力ですね。(w
たじたじなみきたん萌えです!!
195 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月27日(日)01時26分24秒
藤本のアホモード最高!
ニヤニヤしながら読んでますた(w
早くくっつけばいいなぁーw
196 名前:ヒトシズク 投稿日:2003年07月27日(日)12時08分38秒
ミキティまじで可愛すぎる〜〜〜〜〜!!!!
あややにたじたじなミキティ、頭に思い浮かべるだけでニヤニヤしてしまう(w
1ヵ月後、どうなってしまうのか?楽しみにしてます。
では、円さんのネコになった気分で次の食事の皿をお待ちしています♪
197 名前:雷斗 投稿日:2003年07月27日(日)14時11分35秒
良い。
良いものは良い。w
円さん、いい仕事してますねぇ〜。いや、ほんと。
この小説の全てに惚れました。ヒトシズクさんじゃないけど、お待ちしています。
198 名前:犬好き 投稿日:2003年07月27日(日)18時35分43秒
それにしても、藤本かわいい。
松浦も目に浮かぶよう。くぅ〜。

初レスが自分だったことがとても誇らしい。
199 名前:赤鼻の家政婦 投稿日:2003年07月27日(日)23時20分22秒
いやもう、なんと言いますか、感服です。
好きな相手にはへタレってのが個人的にツボなんで、
松浦さんに強く出られない藤本さんが可愛すぎて可愛すぎて、
続きを読むのが楽しくてたまらないです。
期待してます。
200 名前: 投稿日:2003年07月30日(水)21時24分25秒



201 名前: 投稿日:2003年07月30日(水)21時25分07秒
    ******



吉澤ひとみは戸惑っていた。

先週の木曜日、亜弥に言われたとおり嫌がらせをしていた少女達とキッチリ
話をつけたのはいいのだが、それが何やら『特別』に思えたようで。

「吉澤先輩、今度カラオケ行きましょうよ」
「あ、ずるい。あたしもー!」
「いや……」

右と左に一人ずつ。腕をガッチリと掴まれ、おまけにしな垂れかかってくるものだから
歩きにくい事この上ない。それでもひとみは振りほどいたり出来ない。
それがますます彼女達を増長させる。
202 名前: 投稿日:2003年07月30日(水)21時25分57秒
亜弥への攻撃はやめたようだが、今度はひとみ本人に絡んでくるようになった。
他のシンパは内心面白くないながら、ここまで積極的に迫っていると怖気づくらしく、
ひとみから次第に距離を置くようになった。
それから今日までの5日間、ひとみは甘い囁きをその辺の少女に洩らす事も、亜弥の
教室へ遊びに行く事も出来ず、少々ストレスが溜まり始めていた。

今週から文化祭の準備のため、放課後は全ての部活動が休みになっている。
おかげで廊下にも教室にも準備に奔走する生徒で溢れ、学内の賑わいは相当なものだった。
その騒がしさが、余計にひとみの神経をささくれ立たせる。

何よりリズムが狂うのは、ここ半年近く毎日顔を見ていた少女と会っていない事。
203 名前: 投稿日:2003年07月30日(水)21時26分43秒
なんというか、待っている自分がいる。今にもどこかから幼い呼び声が聞こえて
きそうな気がする。

――――来たら来たで、逃げちゃうんだけどさ。

自分の行動パターンなんて判りきっている。それでも廊下を曲がるたび、教室のドアが
開くたび、トイレの前を通るたびに、何かを期待する自分がいる。

期待は何度か裏切られ、そして。

「あ……」

ひとみの口から思わず声が洩れる。足が止まる。迷うように唇が一度開いて閉じる。
クラスメイトと話しながら歩いている希美は、ひとみには気付かない。

「吉澤せんぱーい? どうしたんですかぁ?」
ぼんやりしているひとみを訝しんで、腕を掴んでいる少女が殊更大きな声で話しかけた。
204 名前: 投稿日:2003年07月30日(水)21時27分28秒
その声に希美が振り返り、ひとみの姿を見つける。一瞬だけ、ひとみと目が合って、
次の瞬間希美は走り出していた。クラスメイトは何が起きたか判らないまま、
希美を追いかけていく。

その様子をじっと見詰めていたひとみの口から、小さく苦々しい呟きが洩れた。

「……んだよそれ……」

逆じゃん。今まではこっちがどこにいたって駆け寄って来たくせに。
逃げてたのは、こっちの方なのに。
胃の辺りがムカムカする。顔の筋肉が強張っていくのが判った。

「ごめん、ちょっと離れて」
「よしざ……」

少女達の腕を乱暴に振り解いて、ひとみはさっさと歩き出した。その顔には、シンパの
彼女達ですら恐怖を覚えるような、静かで重厚な怒り。
205 名前: 投稿日:2003年07月30日(水)21時28分09秒




206 名前: 投稿日:2003年07月30日(水)21時28分57秒
ばふっと背中にのしかかられて、机に頬杖をついていた亜弥の身体が潰れた。
「うわわ。吉澤さん?」
「……まつぅらぁ〜」
亜弥の隣の席で文化祭用の脚本を書いていたあさ美も、何事かとシャーペンを
走らせていた手を止める。

「よ、吉澤さん? どうしたんですか?」
「まつうら〜」
「名前呼んでるだけじゃ判りませんよぅ」

亜弥のクラスでやる劇の衣装は演劇部から借りる事になっている。舞台作りもまだ
材料が届いていないため手つかず。今は小物をちょこちょこと作っている程度。
練習するにもあさ美の脚本がまだ出来上がっていない。

というわけで時間が余っていたので、亜弥はひとみを屋上に連れ出した。
207 名前: 投稿日:2003年07月30日(水)21時29分55秒


屋上の隅に並んで座り、ひとみは膝を抱えたままポツポツと話し始めた。
「なんかさあ、変なんだよ」
「吉澤さんはいつも変ですよ?」
「茶化すなよ、こっちが珍しく真剣に話してんだから」

手持ち無沙汰に自身の髪をいじる。その様子がなんだか切なげで、亜弥はひとみの
顔を覗き込む。ひとみは目を合わせようとしなかった。

「……辻がさ、ウチの事避けてるみたいなんだよね」
「辻ちゃん?」
「うん。……なんか、ペース狂うっていうかさ……」
「でも、よかったんじゃないですか? 吉澤さん、辻ちゃんから逃げてたし」
「違うよ! や、違わないけど……そうなんだけど……違うんだよ」

否定、肯定肯定、否定。結局どっちなのか、亜弥には判断がつかなかった。
208 名前: 投稿日:2003年07月30日(水)21時30分48秒
「……ウチ、辻に告白されたんだ」
「は?」

予想していなかった台詞に、亜弥の目が丸くなる。

「告白、ですか?」
「うん。辻がバレー部来てすぐ、付き合ってくださいって」

付き合ってください。ストレートである。『好きです』と言われた方がまだ逃げる余地が
あるだろう。

「……でも、吉澤さんも辻ちゃんも女の子ですよね?」
「うん」
「……ええと。それってオカシクないですか?」

亜弥はまだ理解できない。そういえば、あさ美に似たような話を聞いた事があるような
気もする。しかし判らない。女の子は男の子と付き合うものではないのか。どうして
女の子に告白なんかするのか。
209 名前: 投稿日:2003年07月30日(水)21時31分27秒
「そういう事もあるんだよ。
……男だろうが女だろうが、人だもん。好きになる事も、あるんだよ」
「……はあ」

未だ納得できないものの、亜弥はとりあえず、そういうものだと思っておく事にする。
自分だって、女の子の自分が大好きだし。美貴も女の子だけど大好きだ。

それとは根本的に『好き』の意味合いが違う事は判っていたが。

「それで、断っても辻ちゃんが諦めないから逃げてるんですか?」

優しいひとみは、「つきまとうな」とかそういう事は言えない。だからひたすら逃げて
いるのだろうかと、そう思って聞いたのだが、ひとみは首を横に振った。

「断ってない」
「……保留中?」
「そうなるね」
「じゃあ、キッパリ断ったらいいんじゃ」
「それが出来たら苦労しない」
210 名前: 投稿日:2003年07月30日(水)21時32分07秒
さっきから、ひとみの態度はぶっきらぼうだ。人選ミスをした事に気付いたらしい。
実は耳年増でこういう事に詳しそうなあさ美の方がよかったのかもしれないが、彼女は
未だにひとみへ敵意を向けている。ひとみのクラスメイトはみんな、文化祭の喫茶店
準備に大忙しで、とても相談なんてしてる暇がない。

ひとみが深い深い溜息をついた。
「だから、ウチも辻の事好きなんだって」
「……はあ。って、ええ!?」

うっかり聞き流しそうになった亜弥は、一度頭の中で反芻してから驚いた。

「最初は別に、そんなんじゃなかったんだけどさ。なんか、ずっと追っかけられてる
うちに可愛いな〜とか思って、なんか、顔見ないと落ち着かないっていうか……。
そんで、辻が他の子と楽しそうにしてるの見たりすると、この辺ムカムカするし」

ひとみが胸辺りのシャツを掴み、かき混ぜるように手を動かす。
211 名前: 投稿日:2003年07月30日(水)21時32分48秒
「じゃ、なんで今も逃げるんですか?」
「……恥ずかしいから」
「恥ずかしい?」
「ちゃんと目ぇ見て話せないんだよ。なんか、テレちゃって」

そこでひとみは亜弥に向き合い、真面目な顔で「笑うなよ」と前置きしてから、

「告白とか、初めてなんだ」
顔を真っ赤にしながら言った。

なのに亜弥は、おばさんみたいに手を振りながら笑う。
「ウッソだあ」
「なっ、失礼な事言うなよ、人が勇気出して打ち明けてんだから!」
「だってアレだけモテモテな吉澤さんがですよ? 今まで一回もお付き合いとか
した事ないって言われても、全然説得力ないです」
「ホントなんだよっ。近寄ってくる子はいっぱいいるけど、みんなウチを囲んで
自分らで盛り上がってるだけで、全然、そういう、付き合うとかなかったんだって!」

ひとみが身を乗り出して懸命に訴えるものだから、
亜弥は思わず迫ってくる両肩を手で抑えた。
212 名前: 投稿日:2003年07月30日(水)21時33分40秒
「落ち着いてくださいよぉ。判りました、信じますから」
「ホントだな?」
「ホントホント」

ひとみの身体から力が抜け、亜弥から離れてフェンスに頭を預ける。
亜弥も乱れたスカートを手で押さえながら座りなおす。

「でも、どうするんですか? これから」
「……わかんないけど。卒業までずっと避けるわけにはいかないし」
「うーん、まあ、頑張ってくださいね」
「うん」

ひとみが口の端を上げる。けれど、眉は下がっていた。それはかなり情けない
苦笑だったが、ひとみ自身は気付いていないし亜弥も何も言わなかった。
213 名前: 投稿日:2003年07月30日(水)21時34分19秒
情けなく笑った後、ひとみは細く息をついた。そこに重苦しさはなくて、
ずっと背負っていた物をようやく下ろせたという、安堵の吐息だった。

「ウチも、松浦みたいに好きな人にちゃんと好きって言えるタイプなら良かった
のになー。藤本先輩は幸せ者だー」

おどけたように肩を竦めながら言ったのだが、亜弥は少し不機嫌そうになった。

「吉澤さんまでそういう事言う! あたしとみきたんはそんなんじゃないです!」
「え?」

今度はひとみが驚く番だった。「松浦?」戸惑いがちに肩へ手を置こうとすると、
亜弥に身体ごとそれを避けられる。

「みんなして変な風に見てっ。みきたんはもっとこう……違うんですっ」
214 名前: 投稿日:2003年07月30日(水)21時35分31秒
自分でもどう言ったらいいのか判らなくて、子供みたいな言い方になってしまう。
ひとみは困り顔で頭をかいて、亜弥の背中を所在なく見つめる。
喉の奥で一度唸り、ちょっとだけ亜弥に近づいた。

「ごめん松浦、冗談だよ。イッツァジョーク!」

真面目に謝ろうとしたのだが、生来の性格のせいで余計な一言をつけてしまった。
「ふざけないで下さい!」亜弥の一喝が飛んで、ひとみはショボンと頭を垂れる。

「なんか……ヤなんです。そういうの、ヤなんです」
「ごめん……」

今度は真剣に謝る。頭を撫でようと手を延ばしても、亜弥は避けなかった。

「そろそろ戻ろっか」亜弥の手を取って立ち上がらせ、そのまま出口へ向かう。
215 名前: 投稿日:2003年07月30日(水)21時36分04秒
「サンキューな、話聞いてくれて」
「はい……。でも、ホントにみきたんは違うんですよ?」
「判ったってば」

亜弥はちょっとだけ頬を膨らませていて、まるで、母親のために料理をしようと包丁を
取り出したら、それを見つけた親に理由も聞かれぬまま叱られた子供のようだった。

理不尽な大人に反抗しているような表情で、黙ってひとみに手を引かれながら歩いていた。
自分は悪くないと思いながら、それでも心のどこかで「もしかしたら」と思っている、
そんな顔で。
216 名前: 投稿日:2003年07月30日(水)21時36分42秒



そしてひとみは、問題が何も解決していない事に気付かないまま、亜弥の手を引いていた。

217 名前: 投稿日:2003年07月30日(水)21時37分19秒


218 名前: 投稿日:2003年07月30日(水)21時38分45秒
12回目終了。

進んだんだか下がったんだか(苦笑)
とりあえず、変化とも言えない予兆だけが訪れました。
219 名前: 投稿日:2003年07月30日(水)21時42分36秒
>>193
・名無しさん
あぁう。すみません、ぶっちゃけseek初挑戦です。
というか、娘。小説書くのも2年ぶりくらいだったり……(苦笑)

>>194
・名無しさん
無邪気はある種の罪ですから(笑)
みきたんはいつまでたじたじなのか……(遠い目

>>195
・名無しさん
いつくっつくんでしょうねー(^^;
というか、くっつくんでしょうかねー(爆)

220 名前: 投稿日:2003年07月30日(水)21時49分53秒
>>196
・ヒトシズクさん
ええ!? 子猫ちゃんゲット?(殴
どっちかというと飼われる方が好(蹴

>>197
・雷斗さん
いやいやいや(照 ありがとうございます。
全てということは、誤字脱字も改行ミスも見逃してもらえ(殴

>>198
・犬好きさん
目に浮かんでくれると嬉しいです。
いちいち一人二役で身体の位置とか確認した苦労が報われます(笑)

>>199
・赤鼻の家政婦さん
あわわわわ(驚 ひゃー! あああありがとうございます。
ファンです(告白)こちらこそ楽しんで読ませて頂いてます。
あ、HNの読みは「えん」です。<そういや「まどか」とも読めるな、と
今気付いた(爆)
221 名前:ヒトシズク 投稿日:2003年07月30日(水)22時37分52秒
きゃーーーーー!!!!(爆
めちゃ良いよ!良い!!!!
空腹で待っていたかいがありました♪
吉澤さんの大告白にビックリ!!!
では、次のお皿を楽しみに今日から断食ということで・・・(笑。
更新、頑張ってください♪
222 名前:時雨 投稿日:2003年07月31日(木)05時34分44秒
ああ吉澤と辻はやっぱりそうですか。素晴らしいです。
辻がなぜ吉澤を避けるのか。どうしちゃったんでしょうねえ。
素直になれない吉澤なんて私の大好物ですよ(笑)
しかしまったくもって良い展開です。
ここの小説の更新が、一番の楽しみです。更新頑張って下さい。
223 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月01日(金)01時46分52秒
更新お疲れさまです。
「もっとこう……違うんですっ」な関係というのはとても大切。
純粋でいい子な松浦さんの描写がとても好きです。
吉澤と辻の関係も、なんか妙でいいですね。こっちも期待してます。
224 名前: 投稿日:2003年08月02日(土)20時09分09秒



225 名前: 投稿日:2003年08月02日(土)20時09分46秒


    ******


藤本美貴は困っていた。
226 名前: 投稿日:2003年08月02日(土)20時10分23秒
――――月曜日だ。

月曜日といえば、亜弥の訪問がある日である。

――――どうしよう。

レポートのためにガラステーブルへノートと教科書を広げてから、まだ1文字たりとて
書けていない。手はシャーペンを握ったまま動かず、視線は真っ白なノートに向けられて
いるものの、その実なにも見ていない。

今の美貴に、一晩亜弥と二人きりという状況は厳しすぎた。
逃げたい。どこかに行ってしまいたい。

実のところ、言い訳があるにはあった。
ひどくつまらなくて、本当なら何の効力もない言い訳が。

「みきたーん」
「わわっ」
227 名前: 投稿日:2003年08月02日(土)20時11分33秒
別に恥ずかしいものがあるわけでもないのに、美貴は慌てて教科書とノートを
しまいはじめる。
シャーペンの芯を押し込んだところでハッと我に帰って手を止め、
ドアに凭れかかっている亜弥に顔を向けた。
いつの間に入ってきたのだろう? 今晩の事に集中しすぎて本人が近づいて来た事に
気付かなかった。

「ちょ、亜弥ちゃん、ノックくらいしてよ」
「なんで? 今までそんな事で怒ったりしなかったじゃん」
「そうだけど、ほら美貴だって年頃なワケでさあ」
「なに、ラブレターでも書いてたとか?」
「ちちち、違うよ」

といいつつ、チラッとノートをめくって確認する。無意識に亜弥の名前とか書いてない
かと不安になったのだ。
それを目ざとく見つけて、亜弥がノートを覗き込む。

「あーやしーぃ。見せなさい、ほれほれ」
「あやしくないし。なんにもないよ、もう」

ほら、と証拠のようにノートをパラパラとめくってみせる。さっき確認した限りでは、
まずい事は書いてなかった。
228 名前: 投稿日:2003年08月02日(土)20時12分34秒
何やら難しい事が書いてあるのを見て、亜弥はすぐに興味を失くしたようだった。
ぺたんと美貴の隣に座り込み、テーブルに顎を乗せる。

「なーんかねぇ」
「うん?」
「みんな桃色なのよ」
「は?」

意味がつかめずに当惑する美貴の、シャーペンを持っている手を亜弥が取る。美貴は少し
ドキリとするが、自然さを装うためにそれを拒まない。
亜弥が美貴の手を操り、シャーペンを離させて人差し指を伸ばす。そのまま、立てた指で
テーブルをトン、トンと拍を置いて叩き、それに言葉を被せた。
229 名前: 投稿日:2003年08月02日(土)20時13分25秒
「あさ美ちゃんも」
トン。

「吉澤さんも」
トン。

「辻ちゃんも」
トン。そこで亜弥の手が止まる。操られた美貴の指はテーブルにくっついたまま。

「恋の桃色光線を発射しちゃってるわけなんですよ」
「発射しちゃってるんですか」

テーブルに頬をつけて亜弥と視線を合わせる。自分の意思で指を動かして、亜弥の
頬をつついた。

「で、お子様の亜弥ちゃんは、仲間外れにされて寂しいんだ?」
「違いますぅ」
「違いませぇん」
230 名前: 投稿日:2003年08月02日(土)20時14分07秒
亜弥の口真似をしてからかうと、亜弥は「いーっだ」と歯を見せて、死角から美貴の
脇腹をくすぐった。
「あははっ!」美貴は咄嗟に身をよじって逃げようとするが、亜弥はしつこくくすぐり
続ける。

「ほれほれ、どーだっ」
「あはっ、ごめん、降参!」
「よし」

床を転げながら白旗を揚げると亜弥はようやく美貴を解放した。笑いすぎて身体に
力が入らなくて、美貴は寝転がったまま目尻に浮かんだ涙を指の背で拭った。

「亜弥ちゃんずるい。美貴がくすぐったがりなの知ってるくせに」
「知ってるからしたんですぅ」

ふふん。亜弥が得意げに笑う。
美貴がくしゃっとした苦笑を浮かべながら、前髪をかき上げる。いつだって彼女には
敵わないし、いつだって彼女には勝とうともしない自分がいる。
231 名前: 投稿日:2003年08月02日(土)20時14分43秒
「で? 寂しいんじゃないならなんなの?」
「そう! それよ」
「どれよ?」
「自分が桃色なのはいいの。
でもそれを周りにまで広げるのはどうかと思うわけ、松浦は!」

美貴の頭のすぐ横をバシバシ叩く。当たるわけがないと思っていても、ちょっと恐い。
不慮の事故が起こる前に上体を起こして、美貴は『聞き』の姿勢に入った。

「あたしとみきたんて仲いいじゃん? 去年もあったけど、それだけでみんな、すぐに
そういう方に決め付けて勝手な事言って。すごいヤなの」
「……えーと。そういう方って、そういう……?」
「うん」

美貴の唇から乾いた笑いが洩れる。亜弥はそれを、呆れているのだと判断する。
232 名前: 投稿日:2003年08月02日(土)20時15分44秒
亜弥と美貴が仲いいのは、つまりそういう関係だからだと周りは思ってて。
当然のようにそれを前提にして話をしてくると。
そして亜弥は、それが嫌だと。

――――それって。それって……。

『なんでこんなのと恋人に見られなきゃいけないんだ』って事ですか? お嬢さん。
美貴は絶望的な気分になる。

美貴が何も返せないでいると、亜弥がずいと身を乗り出して覗き込んできた。

「うちら、もっとキヨラカな間柄だもんね?」
みきたんだって嫌でしょ? そう瞳が告げている。
233 名前: 投稿日:2003年08月02日(土)20時16分30秒
「……あぁ」

覗き込まれた瞳を逸らさないまま、美貴が亜弥の髪に指を潜り込ませる。
梳くように撫で、亜弥の意識がそちらに移ったところで視線を床に落とした。

――――違う。

理解する。浮かんでいた思いが氷解し、溶けたそれが首筋に冷たく走る。

つまり彼女は、『恋愛』そのものにちょっとした恐怖と嫌悪を持っているのだ。
思春期にありがちな事ではある。興味はあるが恐い。だから否定する。
恋愛をするうえで、当然訪れるであろうその先の展開が恥ずかしくて、無意識の
うちに「そんなものに興味ありません」という態度を取っている。

処女性は、彼女が追い続ける偶像の象徴。
234 名前: 投稿日:2003年08月02日(土)20時17分21秒
恋愛だけなら多少経験している美貴は、自分に求められているものと実際の違いに
言葉を詰まらせる。

亜弥は結局、「可愛い」も「好き」も同一線上のものとして受け止めていたのだ。

じゃあ、彼女にそうじゃない「好き」を伝えたら?
そこに待っているものを想像して、美貴はくっと唇を噛む。

――――判った。

「そりゃそうだよ」
覚悟を決めても口に出来たのは一言だけだった。

「だよねえ?」
亜弥は無邪気に笑う。

美貴も笑った。

誤魔化しきれずに引きつる、自分の子供加減が少し嫌になった。
そして、身勝手な都合で彼女を傷つけようとしている自分が、とても嫌だった。
235 名前: 投稿日:2003年08月02日(土)20時18分10秒
「……亜弥ちゃん、あのさ」
「ん?」
「うちの大学、来週から試験あるんだ。だから、ちょっと、勉強に集中したくて」

ガキ。最悪。
亜弥から目を逸らしたまま、美貴は心の中で自分に毒づく。

「大学のテストってそんな難しいの?」
寂しそうな声音。美貴は顔を上げられない。
「うん、後期入って初めての試験だし、落とすとヤバいから……」

直接的な言葉は何一つ無いのに、亜弥は美貴が何を言いたいのかちゃんと判っていた。
亜弥がチラリとテーブルを見やる。教科書とノート。
236 名前: 投稿日:2003年08月02日(土)20時18分46秒
「そっか。じゃあ、しばらく来るの、やめるね」
「ごめん……。でも別に、絶対来るなってわけじゃなくて、暇なときとかさ、
遊びに来ても全然いいし」
「うん」
「土日とか、あ、この前言ってたショップに……」

おべんちゃらはどんどん尻すぼみになって、最後は吐息と区別がつかなくなって消えた。
なにやってんだろう、と思う。
来るなと言ったくせに、舌の根も乾かぬうちに来てもいいと言ったり、遊びに行こうと
言ってみたり。突き放した直後に繋ぎ止めようとする矛盾。
それは、拗ねて一人で歩き出した子供が、母親の方を振り返って追いかけてくるのを確認
するようなものだと、自分でも判っていた。

亜弥の手のひらが、そっと美貴の髪に触れる。そのまま指先を滑らせて、頬に落ちた
髪を掬う。笑わせようという意図なのか、つまんだ髪の毛で美貴の鼻をくすぐった。
237 名前: 投稿日:2003年08月02日(土)20時19分24秒
「みきたんの邪魔したくないし。気分転換したくなったら呼んで?」

美貴が笑わないので、亜弥は手を離した。
返事を待たずに、「じゃね」と美貴の耳元に唇を寄せて囁く。
ドアの閉まる音とともに、美貴は深く嘆息する。

「なに……やってんだろ」

亜弥の存在は邪魔なんかじゃない。むしろ、前よりもっと側にいてほしい。
邪魔なのは、自分の気持ち。

最後に亜弥を感じた左耳にそっと触れる。
そこにはもう、吐息も言葉も感触も温もりもなくて、ただただ、後悔だけが残っていた。
238 名前: 投稿日:2003年08月02日(土)20時20分10秒



239 名前: 投稿日:2003年08月02日(土)20時20分52秒
寂しい悲しい痛い辛い。どれも違うようでどれも正解のような、複雑な感情。

初めて美貴に拒絶された。完全なそれではないにしても、自分以外のモノを優先された。
高校生の亜弥には大学の事情なんて判らない。だから、彼女の言葉を信じるしかない。
黒い塊が、また生まれる。けれどそれは純粋な黒ではなくて。
あえて挙げるなら赤。血の赤。それは時間が経つにつれて凝り固まり、明度を下げ、
乾いて、どす黒く変色する。

ひとみが好きなのは希美。
あさ美が好きなのは食べ物。
優先順位の一番上。

ひとみが希美を大事に想っているように、あさ美が食べ物の事になると目の色が変わる
ように、美貴は自分を一番にしてくれていたのに、それが崩れた。
240 名前: 投稿日:2003年08月02日(土)20時21分44秒
どうしてだろう? 何もかも捨てる必要なんてない。沢山ある中で、自分を一番上に
置いてくれるだけでよかったのに。一番最初に触れてくれるだけでよかったのに。
試験がそんなに大切なんだろうか? 亜弥にとって、試験は頭が痛くなるだけの、いつも
より早く帰るための通過儀礼でしかなくて、それは子供がお手伝いをしたらお小遣いを
もらえるような、それだけのモノなのに。

美貴の存在が裏打ちしてくれていた、圧倒的な自信は儚くも壊れ、心の不安定は身体の不調を招いた。
自室に戻った亜弥は、激しい胸の痛みに襲われて動けなくなった。

「来てもいい」とか、そんな言葉は何の慰めにもならない。もう自分からは動けない。
いつだって、何をしたって、彼女が受け止めてくれると思っていたから。
だから、いつだって好きなように甘えていたのに。
241 名前: 投稿日:2003年08月02日(土)20時22分33秒
塊が胸をギュウギュウと圧迫して、呼吸を許してくれない。
苦しかったが、不思議と涙は出なかった。
乾いた塊が潤いを求めて身体中の水分を奪い取ったなんて、そんな詩的すぎる考えは
浮かばなかった。

ただ、泣かなかった。泣けなかった。それだけのことだった。
怒っているのかもしれない、とは思った。

なんだかとても疲れてしまって、亜弥はベッドに潜り込んだ。
なんだかとても疲れてしまって、考えるのが億劫だった。

目の前が真っ白になる。

赤に白を足したら桃色だ。意識を手放す直前、そんな下らない独白がこめかみを掠った。
242 名前: 投稿日:2003年08月02日(土)20時23分14秒





243 名前: 投稿日:2003年08月02日(土)20時25分34秒
13回目終了。

藤本さんがいきなり腹をくくってしまいました。
ちょっとこの先、シリアスモードになります。

244 名前: 投稿日:2003年08月02日(土)20時28分59秒
>>221
・ヒトシズクさん
告白……いや、そうなんですけど(笑)
本人に言わなきゃどうしようもないだろみたいな(苦笑)

>>222
・時雨さん
やっぱりこうでした。
なぜ避けるのかは……もうちょっと先にならないと出てきません(苦笑)
ものすごく単純な理由なんですけども。

>>223
・名無しさん
大切ですね。特に松浦さんは大切にしています。
だからこそ、この先が大変なわけですが。いや、自分で書いててなんですが、
難しいですねこういうのは(苦笑)
245 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月02日(土)21時07分21秒
藤本さん切ないなぁ…
246 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月02日(土)21時56分55秒
あやや気付けよ
最近楽しみにしてる小説ベスト3です
あやみき最高です!
次の更新、期待してるっす
247 名前:堰。 投稿日:2003年08月02日(土)22時06分23秒
破片の組み合わせ、
モザイク、
楽しみにしております。
<シンプルに攻めてみたり(笑)。
248 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月02日(土)23時52分43秒
ああ…いや、本当に難しいところですね。こういう展開は。
作者さん、もしくは藤本さん、絶妙にバランスとって綱渡りしてるなあ、という印象で今回は読みました。
これからどうなるのか、どうなっちゃうのか。「大切な関係」の描き方が丁寧でいいですね。
作者さんのバランス感覚とお話の巧さに目が離せないです。
249 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月03日(日)14時59分07秒
更新されてるー!!!
最後の表現、すごく好きです。なんて素晴らしい・・・
そしてせつない。

大事なものは失くして気づく。松浦さんよ、はよ気づけ。
あ〜もう待ちきれないです、一体どうなってしまうのやら。
250 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月03日(日)15時23分10秒
>>249
気持はわかるけどageレスはやめて…
251 名前:ななしのよっすぃ〜 投稿日:2003年08月03日(日)18時55分24秒
円さま
はじめまして。ななしのよっすぃ〜と申します。
一気に読ませていただきました。LIKEとLOVEの違いというか、あやゃが鈍いのか。微妙に違う二人の温度にドキドキします。
これからの展開にも期待です。続きも楽しみに待ってます!!

PS:娘。小説の保存をさせていただいているのですが、こちらの作品も保存させていただいてよろしいでしょうか?
   http://kuni0416.hp.infoseek.co.jp/text/index.html
   こんな感じで保存しています。
   是非、保存させていただければと思います。よろしくお願いいたします。
252 名前:ヒトシズク 投稿日:2003年08月03日(日)23時59分04秒
あぁぁぁぁぁ・・・・
ミキティの切なさやあややの訳のわからない気持ちなどがぐっと伝わってくる様です
ミキティにもあややにも素直になって欲しいのですが、そうならないでと思う私(苦笑
あややとミキティの微妙な関係が何か心を揺さぶりますね・・・

では、次回の更新楽しみにしています^^
頑張ってください♪
253 名前:名無し読者 投稿日:2003年08月04日(月)00時07分23秒
今日気付いて、元から最後まで読みますた。
亜弥美貴のカプリンク最高です。なんだか怪しいあの2人は、私を萌えるゴミ?にしてしまいます。
作者さんの力量を見ました。小泉風に言うなら「感動した」です。
頑張って更新してください。期待していますね!
254 名前: 投稿日:2003年08月06日(水)19時14分51秒



255 名前: 投稿日:2003年08月06日(水)19時15分30秒
    *******



「どうしたんデスかまっつぅらサァ〜ン! 元気ナイですねぇ〜」

ひとみの今日のキャラクターは、変な外人のようだ。
いつもなら軽口を叩くところだが、亜弥は微かに笑みを浮かべただけで何も言わなかった。
ひとみはちょっと肩を竦めて、すぐに外人キャラをやめた。

「マジで元気ないじゃん。どうした?」
「んー、なんででしょうねぇ……」

はは、と力なく笑う。久し振りに会った可愛い後輩の憔悴しきった表情に、ひとみは
眉を顰める。
256 名前: 投稿日:2003年08月06日(水)19時16分15秒
美貴が勉強のためと言って亜弥を避けるようになってから10日。そろそろ文化祭の準備も
本格化してくる。
今日は週の頭に完成した脚本を元にして、初めての練習を行う日だった。

練習に使う小体育館は、亜弥のクラスが占領している。劇をするクラスは全部あわせても
3クラスに留まり、あとは模擬店やライブパフォーマンスなど、屋外での作業が多い。
おかげで小体育館は1クラス1時間、自由に使うことができる。

ひとみは自分のクラスの準備を途中で切り上げてこちらに来ていた。
力仕事をあらかた任されてしまったのでそれなりに疲れていたが、表面にその気配は
出していない。
あまりそういう部分を見せたがらない性分だし、なによりシンパに邪魔される事なく
亜弥と話せるのが嬉しかった。

なのに、当の亜弥の様子を見にきたらこれだ。
257 名前: 投稿日:2003年08月06日(水)19時17分13秒
ブリックパックのカフェオレをストローで吸いながら、ひとみは壁に凭れて
三角座りをしている亜弥の前に腰を下ろした。
立てた膝に両腕をかけるという、見ようによっては素行不良な生徒にも見える姿勢だが、
他の生徒は舞台の準備に忙しくて誰も見ていない。

くっと亜弥の顎に手をかけ、強引に上向かせる。

「……またあいつらになんかされた?」
「違いますよ。……なんていうか、エネルギー切れ、みたいな」
「なんのエネルギーだよ」

ひとみは意味が判らなくて、困ったように眉尻を下げた。
答えようとしない亜弥の頭をひとみが優しく撫でる。「エヘヘ」亜弥は軽く笑った。

優しい先輩の手。心地良い温もり。
でもそれは、今の亜弥がほしいものじゃない。
258 名前: 投稿日:2003年08月06日(水)19時17分52秒
顔を上げ、翳りを隠し切れない声音で呟く。

「……初めてなんです」
「ん?」
「こんなに、みきたんに会わないの」
「会ってないの?」
「今、大学のテスト期間だから。勉強したいって」
「へえ?」

ひとみの右眉が微かに上がる。
259 名前: 投稿日:2003年08月06日(水)19時18分23秒
彼女自身、その事は知っていた。従姉である梨華がぼやいていたのを聞いたのだ。
けれど、梨華はそれほど切羽詰っているようには見えなかった。ちょくちょく電話が
かかってくるし、買い物の戦利品をひとみに見せてきた事もあった。

梨華と美貴の学力に大きな差があるとは思えない。それなのに、一方はいつもどおり
遊んでいて、一方はいつも一緒にいた人間と距離を置いてまで勉強するという。

亜弥を撫でる手を止めないまま、ひとみが思案げに目を伏せた。
260 名前: 投稿日:2003年08月06日(水)19時19分02秒



261 名前: 投稿日:2003年08月06日(水)19時19分36秒
    ******


梨華の携帯が震えた。
ワゴンの中の洋服を漁っていた手を下ろし、バッグから携帯電話を取り出す。
相手を確認して通話ボタンを親指で押し込む。
「もしもし?」
『あ、梨華ちゃん? あのさ、藤本先輩一緒いる?』

人気のない店の階段付近へ移動しながら、梨華が答える。

「ううん、今日は美貴、テスト終わったらすぐ帰ったよ。もう家にいるんじゃない?」
『そ。サンキュー梨華ちゃん愛してるっ』
「いやぁん。あたしも愛してるっ」
『キショッ』

情け無用の言葉を最後に、電話は簡単に切れた。
「ちょっと、ひどくない?」なんかフォローを入れてくれてもいいじゃないか、と
思っても、手の内にある携帯から慈悲の手が差し伸べられる事はない。
262 名前: 投稿日:2003年08月06日(水)19時20分16秒



263 名前: 投稿日:2003年08月06日(水)19時21分12秒
    ******


「こんばんはー」
姉に呼ばれて1階に下りたら、懐かしい顔が待ち受けていた。

「よしこじゃーん。どうしたの久し振りー」
「お久し振りでーす。藤本先輩、相変わらず可愛いっすね」
「そんなの知ってるしぃ」

軽口を叩きあいながら美貴がひとみの真向かいに座る。

「なに、お悩み相談?」
「そんな感じです」

くすん、とひとみが笑った。
二人っきりになれませんか? ひとみの要望を受けて、美貴は自分の部屋へ案内する。
264 名前: 投稿日:2003年08月06日(水)19時22分06秒
美貴が卒業する前、ひとみは何度かこの部屋に来たことがある。
あまり女の子していない、それでも殺風景ではないこの部屋。
いつだってここには二人の気配がした。
美貴はもちろんのこと、亜弥の気配がそこかしこに漂っていた。それだけ、彼女達が
密に繋がっていたという証。

それが薄まっていると感じたが、それはひとみの心境によるものかもしれなかった。

「で、なんの相談?」

テーブルの前に座り込んだ美貴が、側に置いてあったクッションを抱えながら尋ねる。
それ、手が寂しがってるんですか? 口に出したらあまりに皮肉かと思ったので、
ひとみは曖昧に笑いながら腰を下ろす。

「相談しに来たんじゃなくて、相談されに来たんですよ」
265 名前: 投稿日:2003年08月06日(水)19時22分49秒
「は? どういう」

美貴の姉が、二人分のジュースとお菓子を持ってきてくれた。そこで中断した台詞を
姉がいなくなってから続けて口にする。

「意味?」

ひとみがチョコレートを一つ手に取り、包みを開く。
コロンと出てきた黒い塊を口の中に放り込んで、舌の上で溶かす。
黒い塊が全部溶けてなくなってから、ひとみはゆっくりと息を吐いた。
266 名前: 投稿日:2003年08月06日(水)19時23分29秒
「ウチね」
「うん」
「……松浦が好きなんです」

美貴の顔色が変わる。瞬時に血液が首から上に集まるのが判った。
ひとみはその様子をじっと見て、それからまた吐息を洩らした。

「そんで、藤本先輩も好きなんです」

ココアクッキーを一枚つまんで噛りつく。焦げ茶色のそれが口の中でほろほろと解けて、
甘いにおいと味が広がる。

「あ、あは。なにそれ二股?」

美貴はせめてもの抵抗に軽い口調で呟く。
「違いますよ」ひとみは芯の強い視線を美貴に向けて、溜息をついた。
267 名前: 投稿日:2003年08月06日(水)19時24分11秒
「二人が仲良くしてんの見るのが一番好きって意味です」
だから、今の状態が気に入らないって事です。

射るような視線を美貴はかろうじてかわす。

「別に、喧嘩とかしてないけど」
「なら、なんで松浦の事避けるんですか? 大学のテストってそんな大変なんですか?
梨華ちゃんなんか毎日遊びまくってますよ。松浦ほっぽってまでやらなきゃいけない
ことなんですか? 試験勉強って」

「……よしこには判んないよ」

「わかんないですよ。全然わかんない。藤本先輩、松浦が平気だなんて思ってない
でしょ? 藤本先輩だって平気じゃないでしょ? なんでそんな、子供みたいな
事してんですか」

早口でまくしたてられて、美貴の心拍数が上がる。
彼女はきっと気付いている。
それでも、不安がっている事なんて絶対に表には出せない。
268 名前: 投稿日:2003年08月06日(水)19時24分51秒
美貴はクッションを離して自由になった腕を胸の前で組んだ。
ひとみが一度腰を浮かせ、少しだけ美貴に近い位置に座りなおした。

「……イエスかノーだけで答えてください。松浦のこと、嫌いになったんですか?」
「ノーだよ。当たり前じゃん」
「じゃあ、好きですか?」

ひとみから視線を外したまま、美貴は口をつぐむ。
意地っ張りな横顔を、ひとみは静かに見据える。
269 名前: 投稿日:2003年08月06日(水)19時25分34秒

ねえ、藤本先輩。同じなんですよ。
今の藤本先輩とウチは同じなんです。だから判るんです。
あなたがなんでそうなっちゃったのかは判んないけど、そういう事なんでしょ?
今の関係を崩したくないんでしょ? なくすのが恐くて、だから逃げてるんでしょ?

でも、藤本先輩。

自分の事棚に上げるけど、ウチはそんなの許さない。
松浦を傷つける人間は、例え女の子でも、藤本先輩でも容赦しない。
270 名前: 投稿日:2003年08月06日(水)19時26分15秒

「ねえ、藤本先輩」
「……よしこには関係ない。
美貴が亜弥ちゃんを好きでも嫌いでも、どっちだっていいじゃん」

「よくないですよ。ウチ、松浦も藤本先輩も好きなんですって」

「だからなに? よしこのために自分の都合無視して亜弥ちゃんと仲良くすれば
満足すんの? それってすごいワガママじゃない?」
「そうですよ」

「……っ、ばっかじゃないの!?」
「バカですよ。知らないんですか?」

何を言っても柳に風だった。どうやっても優位には立てない。
それは、負けず嫌いの美貴には耐えられなかった。
271 名前: 投稿日:2003年08月06日(水)19時27分21秒
「――――っ、い、いい加減にしてよ! よしこには関係ない誰にも関係ない誰にも
迷惑かけてない誰の言う事も聞きたくない!!」
「藤本先輩!」

ひとみが立ち上がり、自身を守るように組まれていた美貴の両腕を掴み上げる。

「いい加減にしてほしいのはこっちの方ですよ!
松浦の事が好きなんでしょ!? 抱きしめたいんでしょ!? キスしたいんでしょ!?
それの何が悪いんですか! それの何がいけないんですか! それの何が――――」

強く息を吐き出し、ひとみが美貴を見据える。

「間違ってるっていうんですか」

押し殺した声。美貴は本能的な恐怖を覚える。全身から力が抜ける。
ひとみが腕を掴んでいるおかげで、かろうじて倒れこまずに済んだ。
腕を掴まれたまま、美貴が息をつく。それはひどく弱々しくて、濡れていた。
272 名前: 投稿日:2003年08月06日(水)19時28分12秒
「――――たとえ、悪くなくても、いけなくなくても、間違ってなくても。
…………亜弥ちゃんは、それを望んでないんだよ」

自分に求められているのは、性を感じさせない『幼馴染み』という役割。
性を持たない子供のまま、側にいる事が、彼女の望み。
肌を見ても、触れても、好きだと言っても。
彼女に何も求めないことを、亜弥は求めている。

今までは確かにそうだった。肌を見ても、触れても、好きだと言っても、
そこに性はなかった。
男性も女性も中性もない、無性の子供だった。
273 名前: 投稿日:2003年08月06日(水)19時28分59秒
ひとみが憐れむような目で美貴を見る。

「でも……、藤本先輩はもう、違うんでしょう?」

美貴は答えない。

ひとみがそっと、掴んでいた手を離した。
美貴の両手首には、赤い手形がくっきりとついていた。

それから、二人とも口を閉ざして、しばしの沈黙。

積み上げられていたコップの中の氷が、溶け崩れてカランと涼しげな音を立てた。
274 名前: 投稿日:2003年08月06日(水)19時29分34秒
ひとみは一度瞼を下ろす。それが上がった時にはいつもの優しい彼女に戻っていた。
「……文化祭、観に来てくださいね。ウチも松浦も頑張りますから」

これ以上追い詰めても意味がない。ひとみは席を立つ。

「よしこ」
「なんですか?」
「……亜弥ちゃんを支えてあげて」

俯いたまま放たれた言葉に、くっとひとみの眉が上がる。
彼女は中途半端に自覚している。自分自身の重要性。

唇だけで笑みを形作って、ひとみは答える。

「嫌ですよ」
275 名前: 投稿日:2003年08月06日(水)19時30分15秒



276 名前: 投稿日:2003年08月06日(水)19時32分01秒
14回目終了。

吉が切れました(苦笑)
しかしこれでスイッチが一つ入った事も確かです。
277 名前: 投稿日:2003年08月06日(水)19時41分26秒
>>245
・名無しさん
切ないっすねぇ……。
誰だ、藤本さんをこんな目に遭わせた奴は。<お前だ。

>>246
・名無しさん
今の段階で気付くのは無理でしょうね。
良くも悪くも、松浦さんはみきたんを疑う事を知らないので(苦笑)

>>247
・堰。さん
組み合わせて出来上がるものは、実はトリックアートかもしれません。
……すみません、今適当に考えました(殴

>>248
・名無しさん
綱渡り、オウまさに!
右に寄ったり左に行きかけたり、恐くて立ち止まっちゃったりしてます(笑)

>>249
・名無しさん
やあ、ありがとうございます(照
前回ラストは、ちょっとした兆しでもあるのですが。

278 名前: 投稿日:2003年08月06日(水)19時42分08秒
>>250
あ、わざわざありがとうございます。
はっきり書いてなかった私が悪いんですね(苦笑)
というわけで、レスはsageでお願いしますー。

>>251
うぅん、どっちもLOVEである事に変わりはないんです。
ただその種類が違うというか(苦笑)
保存に関しては全然構いません。いやー、なんか照れるなぁ(笑)

>>252
・ヒトシズクさん
あやみきに限らず、登場人物全員が素直になってくれたら
あっさり終われるんですが(笑)

>>253
・名無しさん
萌えるゴミっていいなあ(笑)
私はそろそろ萌やされてハイになりそうです(爆)
279 名前:ななしのよっすぃ〜 投稿日:2003年08月06日(水)20時14分51秒
円さま
更新お疲れさまです。また、保存の件ありがとうございます。
さっそく、保存ささていただきます。

よっすぃ〜、ミキティより強い!!
近くにいたいから嫌われることをしたくない。でも、自分の気持ちには素直になって欲しいです。
がんばれ!藤本さん!!

では、次回更新も楽しみに待ってます!
280 名前:堰。 投稿日:2003年08月06日(水)22時04分50秒
いやー!よすぃこかっこいいー(笑
メロキューですよ。こんちきしょう。
個として「正しい」と思うことと、多数に迫害されることと。
いい。騙し絵でもいいから完成まで見届けます(笑)。
がんばって。ありきたりだけれど。
281 名前:ヒトシズク 投稿日:2003年08月06日(水)22時21分33秒
よしこ、ついにキレ&動き出しましたねぇ〜^^
いやはや、みきあやが今後どうなるか楽しみっす♪
いつもは見られない弱弱しいみきたんが可愛い^^
では、次回の更新楽しみにしております!
がんばってください♪
282 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月06日(水)22時32分15秒
あ、吉澤と石川、従姉妹同士でしたね。思い出した。

それはそうと。見事な二人、ですね。
真っ直ぐで素直な吉澤は、それはいい。清々しい。
でも、いろいろ考えて悩む藤本さんの重い決心も、絶対に大事。
両方をきちんと書いてくれる作者さんの姿勢がとても貴重。
応援してます。
283 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月06日(水)23時47分08秒
藤本さんがんがれっ!!
そして松浦さん…気付いてあげて……。(涙
人の事全く言えないよっすぃーが素敵です。(w
284 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月07日(木)03時44分21秒
はぅ
285 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2003年08月07日(木)09時11分49秒
(・∀・)イイヨイイヨー
おもしろいですね〜
密かにみきよしも好きです
ミキティ素直になって欲しいですね
286 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月07日(木)20時01分01秒
>284,285
だからレスはsageでと作者さんが…
287 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月07日(木)21時53分19秒
なんというか、こうだ!とわかっていても
すぐに行動に移せないのが人間なわけで
だから悩むわけで。ミキティを責める事は出来ないなぁ
が、苦悩から脱出して欲しい
松浦さん、お願いですから気付いて下さい
288 名前: 投稿日:2003年08月08日(金)23時19分18秒


289 名前: 投稿日:2003年08月08日(金)23時19分55秒
    ******


「ふぅん。よっすぃにそんな事言われたんだ」
「……うん」

試験を全て終え、学生は蜘蛛の子を散らすように帰っていた。
他に誰もいないガランとした学食内で、美貴は深い嘆息を洩らす。

美貴が気持ちを吐露した相手は、今のところ梨華しかいない。
ひとみは確信しているが、はっきりと言ったわけじゃない。第一、ひとみに関する愚痴を
本人に言えるわけがない。
だから、梨華に縋るしかなかった。
誰かに縋るのは癪だったが、仕方がない。耐えられない。
それに、梨華は本当に誰にも、ひとみにすら話していないらしいから、弱音を吐いても
大丈夫なような気がした。
290 名前: 投稿日:2003年08月08日(金)23時20分36秒
隣に座っている梨華の手にあるオレンジジュースが、ストローで吸い上げられて
その嵩を急激に減らした。

「昔はもうちょっとクールだったんだけどなぁ。いつの間に熱血キャラになったんだろ」
「知らないよ……」
「で? 美貴はどうしたいの」

美貴はフォークで皿に乗ったミルフィーユをつついている。それはもう、グズグズに
崩れて枯れ落ち葉のようになっていた。

「……亜弥ちゃんが、今の関係壊したくないと思ってるなら、そうしたい」

避けているのは自分を抑えられないからだ。会えば、まさにひとみが言ったとおりの事を
したくなってしまうから。
自分が、良くも悪くも感情を表に出しやすいタイプだという自覚はある。
だったら、隠し通せるようになるまで会わないでいるしかない。

梨華が「呆れた」と息をついた。
291 名前: 投稿日:2003年08月08日(金)23時21分30秒
「そうしたい、って。そうしたいわけじゃないじゃん」
「優先順位の問題」

ミルフィーユを見つめたままボソボソと応える。梨華がもう一度溜息をついた。
「亜弥ちゃん亜弥ちゃん亜弥ちゃん。それでいいの? 美貴は」

呆れを通り越して苛立ちすら見せ始めた友人に、美貴は淡く笑って言った。
「そういう形なんだよ。それがあたし達にとって、一番自然だった」

別に、何でもかんでも彼女の言うことを聞いていたわけでもない。
ただ、美貴は与えたいと思っていたし、亜弥は求めていた。そういう符号の一致があった。
それは美貴にとって苦痛ではなかった。それだけの話だった。

「あのね美貴。そうやって、いつまでオママゴトに付き合ってるつもり?」
「亜弥ちゃんが飽きるまで」
「即答しないでよ……」

梨華には理解できない。彼女の恋も、彼女たちの形も。
292 名前: 投稿日:2003年08月08日(金)23時22分22秒
梨華はジュースを飲み干すと、美貴の髪を指でつまんだ。
「……なんなら、合コンでもする?」
「は?」
「イケメン君見つけてさ、彼氏作ったら変わるかもしんないよ?」

梨華は真面目に言ったのだが、美貴はそれを一笑に付した。
「ごめん、それ無理」
今も昔も、亜弥が優先順位の一番上にいる事に変わりはない。
きっと他の誰と付き合っても、それは変わらない。

「別に彼氏とか作らなくても、離れようと思えば離れられるよ。
でも、ダメなんだ。これだけは、あたしの我がままだから」
「……やっぱ判んない」
「うん。きっとそれが普通なんだよ」

ミルフィーユはもう、生地とクリームの区別がつかなくなっていた。
美貴はそれをまとめてフォークですくって、口に含む。
293 名前: 投稿日:2003年08月08日(金)23時23分27秒
「でも、亜弥ちゃんだって美貴に会いたがってるんでしょ?」
「……多分」

ひとみが来たということは、亜弥が何かを言ったか、亜弥の様子が普通じゃなかったか。
そうでなければ気付かれるはずがない。

自惚れているかもしれないが、勘のいいひとみが気付くくらいの影響はあると思った。

だからひとみには、亜弥を支えてほしかった。卒業する時のように、自分の代わりを
してほしかった。
彼女が断ったのは牽制。
自分で何とかしろという言外の意思を読み取れないほど、美貴は鈍くない。
それでも、何とも出来ないから、ひとみを頼ったのに。

苦いものがこみ上げてきて、美貴はフォークを皿に置いた。

遠くを見つめる美貴に声をかけあぐねていた梨華は、フォークを置いた時の
小さな音を合図に口を開いた。

「ちょっとくらい会ってあげれば? 我慢は身体に良くないよ?」
「……はは」

苦笑のような疲れた笑みを溢し、美貴は胡乱な眼差しを梨華に向ける。
294 名前: 投稿日:2003年08月08日(金)23時24分15秒
苦笑のような疲れた笑みを溢し、美貴は胡乱な眼差しを梨華に向ける。
「どっちかっていうと、ココロに良くない感じ」
「え?」
「――――気、狂いそう」

あまりにもあっさりした口調で言われ、梨華は一瞬意味を掴みかねて表情を失う。

「今あの子に会ったら、何するか判んない」
「み……」
「冗談だよ」

ピン、と梨華の額を指で弾いて、美貴は笑った。
手のひらに浮いた冷たい汗をそっと服の裾で拭いながら、梨華が口元を微かに上げる。
295 名前: 投稿日:2003年08月08日(金)23時24分51秒
「やだ、マジ顔だからちょっと焦っちゃったじゃない」
「梨華ちんいっつも美貴の顔恐いって言ってんじゃん」

ひどいよねー。明るく言って、今度は傍目に判るほどオーバーに顔をしかめて見せる。
「やだぁ。恐い恐い」
「ははっ。……まあ、文化祭見に行くって約束してるから。
別に一生会わないわけじゃないよ。よしことも仲直りしなきゃいけないし」
「うん。それはホントにお願い」

美貴から話を聞く前、いつもの調子で電話をしたらかなり機嫌が悪くて恐かった。
両手を合わせて拝みこんでくる梨華に苦笑しながら、美貴が小さく頷く。

ひとみの気持ちだって判るのだ。彼女は本当に亜弥と美貴を大事にしてくれているから。
ただ、美貴にとってはひとみより亜弥の方が大事だった。だから衝突した。
怒ってはいないし、傷ついてもいなかった。

それでも、彼女の言葉は重くのしかかっていた。
296 名前: 投稿日:2003年08月08日(金)23時25分32秒
「……ホントにさ」
「ん?」
「悪くも、いけなくも、間違ってもなかったらよかったのにね」
「悪くていけなくて間違ってると思ってるの?」
「――――多分ね」

自分が男だったら。自分が彼女に恋をしなければ。恋に恋する子供のままだったら。
そうしたら、きっとこんな風にはならなかった。もっと単純で、簡単で、ストレートな
答えがとっくに出ているはずだった。

梨華は決まり悪そうに居住まいを正して、美貴に聞こえないくらい小さな溜息をこぼした。

「でも、あたしは美貴みたいに本気で人を好きになった事、ないと思う。
それは……すごいと思うよ」
「……そっか」
297 名前: 投稿日:2003年08月08日(金)23時26分04秒
本気だから始末が悪い。
恋心を差し引いたところで、彼女以上の存在を見出せないのが辛い。
依存しているのは彼女の方だと思っていた。

美貴が何も言わないので、梨華は何となく思いついたことを口にする。

「もし、さ」
「ん?」
「もし、亜弥ちゃんも美貴の事好きだったら、どうする?」

言われて、美貴はキョトンと目を丸くした。

「……考えたことない」
「あるかもしれないじゃん。すごい仲良かったんでしょ? おはようのちゅうとか
迫られてたんでしょ?」
「した事はないけどね」

確かに彼女は、抱きついてくるついでのようにキスを迫る事があった。
美貴はいつも、亜弥が飽きるまでそれから逃げた。
ただ、それが彼女の気持ちだとは思えなかった。

「ないよ。亜弥ちゃんは冗談でしかそういうの出来ない子だから」
存外に繊細で、ノリがいいくせに小心者なのだ。
きっと美貴が逃げなければ自分から引いて行くだろう。
それに、本気だったら多分、あんな事は出来ない。そういうタイプだ。

頬へのキスくらいならあるが、それだって小さな子供が家族にするものと大差ない。
298 名前: 投稿日:2003年08月08日(金)23時27分03秒
「そっかー」梨華もあまり本気で言ったわけではないらしく、さして残念でもなさそうな
口調で呟いた。

「それなら問題解決するかと思ったんだけど」
「そんな都合よくいかないよ」

なんだか気が抜けてしまって、美貴は眉を下げて笑った。

梨華が携帯電話の時計表示で時刻を確認する。彼女はこれから別の友人と買い物に
行くそうで、その待ち合わせ時間まで暇つぶしをしていた。
美貴はそれに付き合っていただけなので、梨華に合わせて帰るつもりだった。
「そろそろ?」
「ん。今出ればちょうどかな」

コップとケーキ皿をトレイに載せると梨華は立ち上がった。

「まあ、二人とも納得できる形が見つかるといいね」
「うん」

ミルフィーユは半分以上残っている。それはもう原型なんてどこにもなくて、
たとえフォークでまとめて固めても、元のミルフィーユには戻らなかった。
299 名前: 投稿日:2003年08月08日(金)23時27分35秒


300 名前: 投稿日:2003年08月08日(金)23時29分04秒
15回目終了。

短いですが、インターミッション的な回なので……。
伏線がないとは言いませんが(笑)

9日より帰省のため、1週間ほど更新が止まります。
次回は18日以降に。
301 名前: 投稿日:2003年08月08日(金)23時35分19秒
>>279
・ななしのよっすぃ〜さん
すいません、前回名前が抜けてました(汗
作中でも出てますが、素直になれないのは優先順位の問題です(笑)
何気にロマンチストです、この藤本さん。

>>280
・堰。さん
やはり吉澤推しとしては、一度くらいカッケーよしこを出しておかねばと(笑)
ありきたりでも一番嬉しい言葉です。頑張ります。

>>281
・ヒトシズクさん
たじたじから弱々へ。……あれ、みきたんいいとこ無し(殴
みきあやはですね、何もかもがどんどんちぐはぐになっていきます(笑)

>>282
・名無しさん
そうなんです、従姉妹同士なんです。私も忘れてました(爆)
よしこと藤本さん、個人的にはどちらも正しいとは言えません。
逆に言うとどちらも正しいと思ってます。その辺をうまく書ければと。
302 名前: 投稿日:2003年08月08日(金)23時42分51秒
>>283
・名無しさん
藤本さんが今のままだと、松浦さんは多分一生気付かないですね(笑)
よしこは人の事言えないですねー。それを痛感する出来事が
起きたり起きなかったり。

>>284
・名無しさん
ageられ(略
原稿用紙10万枚に及ぶ、心の感想ありがとうございます(爆)

>>285
・名無しさん
みきよしはいいですね。ヴィジュアルだけで転げます(笑)

>>286
・名無しさん
ああっ、またしてもありがとうございます。
って、前回の方と同じ方かは判りませんが(苦笑)

>>287
・名無しさん
人間て難しいですよねぇ。
松浦さんは……さて、どうなるんでしょうか。
気付く以前に出番がないですが(爆)
303 名前: 投稿日:2003年08月09日(土)00時52分08秒
18日以降なら、更新止まるの最低10日間ですね……。
何言ってんだ自分(苦笑)
304 名前:ヒトシズク 投稿日:2003年08月09日(土)14時23分48秒
おぉぉぉ〜
今回はみきたんのお悩み編という感じですかね?(笑。
さて、これからどうなるやら、と期待しております♪
では、次回の更新まったりとお待ちしています〜
305 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月10日(日)04時05分46秒
更新お疲れさまです。
>291での、石川さんの問いに即答した藤本さん、本当にかっこいい。覚悟決めてますね。
>294でぽつりと漏れた本音があるだけに…重い。(凄みのある本音、この場面はゾクっとしました)
不器用で頑なということかも知れないけど、それが誠実さってもんなのでしょう。
ますます目が離せません。
306 名前:ななしのよっすぃ〜 投稿日:2003年08月11日(月)13時01分50秒
円さま、更新お疲れさまです。
ままごとのような関係に『亜弥ちゃんが飽きるまで』自分の気持ちを隠して付き合うことを即答で答える藤本さん、男です。(笑)
よっすぃ〜の前でのヘタレ具合が嘘のようです。
ただの片想いよりもつらい状態の藤本さん。がんばれ!と応援です。
では、次回更新も楽しみに待ってます!!
307 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月13日(水)02時25分24秒
美貴たん熱いな
次回も楽しみにしてます
308 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月14日(木)02時35分21秒
藤本さん、男前です。
こういう決意ってなんか好きです。
関係ないですが、「こいのうた」を思い出しました。
続き、楽しみにまってます。
309 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月15日(金)00時55分33秒
            マテマテー       コッチダヨー
        ∋oノハヽヘ     〃ノノハヾヽ
         从*‘ 。‘ )     从*VvV)
  (○)    (  つ つ     (   つつ
  ヽ|〃    し (⌒)  o   し (⌒)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
                  アッ
      コテン!            ノノハヾヽ
          O))   ヒャッ  Σ(VvV;从
(○)    ミ⊂⌒ヾoノハヽヘ   ( つ つ
ヽ|〃   o   し つ;‘ 。‘ )   (⌒ (⌒)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
           エーン     ヨシヨシ
           ∋oノハヽヘノノハヾヽ
           ・゚・从∩。∩(VvV*从
(○)        。 /   ##ノ⊂⊂  )
ヽ|〃   o      ((⌒) (⌒) (_(_)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


310 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月15日(金)02時31分34秒
きっとこの恋は口に出すことも無く
伝わることも無く
叶うことも無くて
終わることもないでしょう
、、、か、、本当だ
せ切ない
311 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月15日(金)11時36分39秒
でもそんなあなただからこそ
輝いてみえるのだから
きっと今のあたしには あなた以上はいないでしょう

うっ、うっ…(涙
312 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月16日(土)22時55分34秒
欲を言えばキリがないので
望みは言わないけれど
きっと今のあたしには あなた以上はいないでしょう

…あぁ…勘弁してくれ…
313 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月17日(日)01時08分41秒
教えてください神様
あの人は何を見てる?
何を考え 誰を愛し
誰のために傷付くの?

…せつねーなぁ
314 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月17日(日)10時39分07秒
をい、ネタスレにはしないように。ちょっとはしゃぎ過ぎ。
315 名前: 投稿日:2003年08月17日(日)11時26分59秒



316 名前: 投稿日:2003年08月17日(日)11時27分48秒
    ******


カラオケは苦手だった。歌えないわけではないが、あまり得意ではなかったし、
こういう場所で自分が求められている曲は、自分が歌いたいと思う曲じゃないことが
ほとんどだったから。

ひとみを連れてきた子達は、キャーキャー言いながら最新のヒット曲を熱唱している。
おざなりを通り越してなおざりになりかけている手拍子をしながら、ひとみはそれを
聴いていた。
劇的に上手いわけでもないが、聞くに堪えないほど下手なわけでもない。
その点に関しては、梨華と来た時よりマシだった。

彼女たちの機嫌を損ねないように調子を合わせているものの、その実、ひとみは
何も考えていなかった。

考えるべき事が多すぎて、何も考えられない。
317 名前: 投稿日:2003年08月17日(日)11時29分17秒
「吉澤先輩、次、入れました?」
「え? あ、ああ。ごめんちょっと待って」

歌い終えて、ひとみの隣に座ってきた少女が、少し不機嫌そうに眉を顰めている。
ひとみは曲が終わってからも手拍子を続けていた事に気付いて、取り繕うように笑った。
「それじゃあ、次は君のために歌おうかな」

声を潜め、至近距離で囁く。少女は顔を赤らめて、恥ずかしそうに俯く。

ひとみは彼女達を許していない。手入れを全くしてなくてキューティクルの剥れまくった
ボロボロの髪の毛一本分ほども許していない。
亜弥を傷つけた事はこの先なにがあろうが許せない。亜弥自身が許してくれと言ったから
許したフリをしているだけで、内心にはひどく冷たいものを抱えている。

それでも、こうしてカラオケに付き合ってやったり、いつもの調子で機嫌を取ったりする。

ひとみはそうしなければならなかったし、それはもう自分で諦めていた。
318 名前: 投稿日:2003年08月17日(日)11時30分08秒
入力用のリモコンを手に取り、適当に男性ボーカルのラブソングを選んで番号を押す。

「え〜、皆様、本日は吉澤のためにお集まりいただき、
まことに、まことにありがとうございます」

前奏部分の間を持たせるために、マイクを使って何かのショーを真似た口上を述べる。

キャー、と歓声が上がって、二人が拍手をした。

冷え冷えとしたものが、その温度を更に下げていった。

本当は、家でよく聴いているのは女性ボーカルの音楽が多かったし、その方が好きだった。
テレビで聞きかじった程度の曲より、何度もCDをかけて一緒に鼻歌を歌っていた曲を
歌いたかった。

梨華と行った時はお互いに順番なんて気にせず、自分の好きな曲を入れていた。
そして、お互いに相手の曲なんてロクに聴かず、音程が外れようが歌詞を間違えようが、
気にせず好き勝手に歌っていた。
その点に関しては、梨華といる方が数段楽しかった。
319 名前: 投稿日:2003年08月17日(日)11時30分55秒
前奏が終わり、歌部分が流れ始める。
自分のキーより少し低いせいで歌いにくいそれを、ひとみは歌い始めた。

途中、ふざけて迫ってみたり、肩を抱いてみたりする。

彼女達がそれを望んでいるのが判っていたから。

「ありやっしたー!」
歌が終わったところで、殊更大きく叫ぶ。

「吉澤先輩、カッコいぃ〜……」
「おう! あったりまえだろぉ」

だって、そういう自分を見せているんだから。
君達は、そういう『吉澤ひとみ』が見たいんだろ?

喉の奥の独白は、少しだけひとみ自身を動揺させる。
そんな皮肉、今まで言った事なんてないのに。
320 名前: 投稿日:2003年08月17日(日)11時31分29秒
「ちょっとごめん、吉澤トイレタイム」
「はーい」
「早く戻ってきて下さいねー」

呑気な少女達の声とは裏腹に、何かに急きたてられるようにひとみが席を立つ。
その様子に、少女達は小さく首をかしげた。

「吉澤先輩、ずっと我慢してたのかなぁ」
「てゆーかさ、どっちに入るんだろうね」
「えーなに、男子と女子? 何考えてんのよアンタ」

呆れたように友人に言われて、言いだしっぺの少女は「冗談だって」と頬を膨らませた。
321 名前: 投稿日:2003年08月17日(日)11時32分15秒



「……だっさ」
トイレを済ませ、パウダールームの椅子に座って鏡の中を覗く。
ニッと笑ってみる。いつもの顔だ。明るく朗らか、優しくて楽しい、吉澤ひとみの顔。

ふっと表情を消す。いつもの顔だ。心配性で生真面目で、気が弱くてその割に
言いたい事をズバズバ言う、吉澤ひとみの顔。

亜弥や美貴、梨華と、あと数人の友人達にしか見せない顔。

「……人の事、言えるかっての」
他人に合わせて自分を隠す機会は、ひとみの方が多い。
けれど許せなかった。亜弥が純粋でありたいと思ってる事は知っている。
それを守りたいという美貴の気持ちも判る。

でもそれは、ただの理想論だ。

ひとみはそれを判っていたが、美貴はそれを判っていなかった。

美貴がしている事には先がない。
今のまま、そのまま永遠に続いて行くはずがない。

人は成長するし、いつまでも子供のままではいられない。
それを穢れと言うなら、そんなものクソくらえだ。
322 名前: 投稿日:2003年08月17日(日)11時32分58秒
「吉澤も、クソくらえだ」

失望されたくなくて、本当の自分を見せるのが恐くて逃げている自分。
鏡の向こうからそれを苛立たしげに見ている自分。
大人になりきれない自分を、侮蔑している自分。

腕を延ばして、その顔にパンチした。

「あいぼーん、何号室ー?」

開け放たれたドアから、耳慣れた声が聞こえた。

「え……?」

「先行っててー。のの、トイレ行ってるからー」
遠くにいる友人と会話しているらしいその声は、もう疑いようもない。

「つ……」
パウダールームは幅50センチくらいの衝立で間仕切りがされている。
ひとみがそこから身を乗り出した瞬間、トイレに入ってきた希美と視線がぶつかった。

「ええ!?」
「辻!」

とりあえず頭に浮かんだ単語だけ叫んでみる。希美は刹那の間呆気に取られて、次の
瞬間にはまたしても身を翻していた。

「待てって、この!」
323 名前: 投稿日:2003年08月17日(日)11時33分49秒
苛々していた。美貴のことも苛々していたし、一緒に来ている少女たちにも苛ついていた。
だから、半ば八つ当たりのように希美の腕を掴んだ。とにかく、誰かに当たりたかった。その相手として、希美は相応しくて相応しくなかった。

責める理由があるという点では相応しかったし、彼女に乱暴な事をしたくないという
本心からしたら相応しくなかった。

希美は怯えたように身体を引き、俯いたまま悲鳴にも似た叫び声を上げた。

「離してよ! よっすぃの馬鹿!」
「ば、馬鹿だとぉ!? 先輩に向かって生意気言うな!」

美貴に言われた時は肯定したくせに、今度はつっかかる。それだけ今のひとみには
余裕がなかった。

希美は掴まれた腕を力いっぱい引き寄せ、ひとみから逃れようともがく。
存外に強いその力に負けそうになりながら、ひとみは更に叫ぶ。

「どういうつもりだよ! いきなりウチの事避けやがって! 何考えてんだお前!!」
「……っさいな! いいじゃん別に!」
「よくねえよ!」

希美は力が入りすぎているせいか、顔を真っ赤にしながらひとみを睨んだ。
ひとみが条件反射のように目を逸らす。
324 名前: 投稿日:2003年08月17日(日)11時34分33秒
「なんでよくないのさ! よっすぃなんか、ののと遊んでくれないくせに!
他の子とはいっぱい遊ぶくせに!」
「な……っ」

希美の腕を掴んだまま、ひとみがきつく歯を食いしばる。

ああそうだよ。辻と二人きりになんかなれないよ。
カラオケなんかある意味密室じゃんか。そんなとこで二人きりになったらどうなるか、
そんなの自分だって判んないよ。

しょうがないじゃん、好きなんだから。好きだから一緒にいられないんだよ。

「――――っ、よくないもんはよくないんだ!」
思ってる事が全部言えたら苦労しない。やけくそ気味に叫んで、いい加減痺れてきた
手に力を込める。
325 名前: 投稿日:2003年08月17日(日)11時35分15秒
「ののー、トイレ混んでん……あれ?」

なかなか戻ってこないから待ちきれなくなって様子を見に来たのだろう、
希美の友人らしき少女が入り口のドアを開けて入ってきた。

「吉澤先輩……?」
「あ、え」

ひとみがうろたえた声を出す。自分を知っているという事は、彼女も同じ学校の生徒か。
そういえば、前に希美に逃げられた時も一緒にいたような気がする。親友なのかもしれない。

動揺して力の抜けたひとみの手を無理やり振り解き、希美は友人の手を取ってさっさと
歩き出した。
「あいぼん、行こ」
「あ、でも……吉澤先輩、やん?」
「いいから」

友人は彼女の気持ちを知っているのかもしれない。困ったように眉を下げ、
ひとみの事を気にしながらも、強く引っ張られて仕方なく希美に引かれるまま
自分たちの部屋へ向かった。
326 名前: 投稿日:2003年08月17日(日)11時35分45秒
残されたひとみは無言のまま希美を睨んでいた。
後ろ姿にしか睨めない、自分のヘタレぶりに少々呆れながら。

「……だよ」
二人の姿が見えなくなってから、ひとみが小さく呟く。

「好きだよ。辻の事が好きだ。そりゃもう大好きだ。一緒にいるあの子、誰だよ。なんで
あんな仲よさそうなんだよ。おてて繋いで歩いてんじゃねえよ。ウチだってしたいよ
そういう事。くっそぉ羨ましいなさっきの子……」

ブツブツ言っていたら、トイレに来た人に気味悪がられたので、ひとみは
そそくさとその場を離れた。

「……マジ、藤本先輩のコト責めらんないよなぁ」

追いかけて決着をつける事も出来ないくせに。
逃げてるのは自分も一緒なのに。

「ま、それはそれ、これはこれ、と……」

自分を誤魔化すように独り言ちて、ひとみは部屋へ戻った。
327 名前: 投稿日:2003年08月17日(日)11時36分47秒



328 名前: 投稿日:2003年08月17日(日)11時37分29秒
    ******


美貴と会わなくなって2週間が過ぎた。
試験は全て終わったようだったが、なんとなく行きづらくて、亜弥はまだ美貴の
部屋へ足を踏み入れていない。

今日は学校から帰ってきて、それからずっと宿題と格闘している。
文化祭が近くなると午後の授業は全てその準備にまわされるから、相対的に宿題が
多くなる。ほとんどは教科書を追うだけで解けるのだが、たまに難しい応用問題などが
あって、そこは潔く諦めている。
答えの欄が虫食いだらけになっているプリントを机に広げていると、不意にドアの開く
音がした。

「おねーちゃん、ごはんだよ」
「んー。今行く」

夕食に呼びに来た妹へ簡単に応えて、亜弥がシャーペンをしまう。
まだ高校に上がっていない妹は興味があるのか、広げたままのプリントを覗き込んできた。

「おねーちゃん、半分くらいしか出来てないじゃん」
呆れられた。
329 名前: 投稿日:2003年08月17日(日)11時38分28秒
「……あとでやんのっ」

慌ててプリントを引き出しにしまい、妹の背中を押して部屋から追い出す。
じわりと嫌な予感がよぎった。


そして、そうした予感は当たるのが定石である。
ハンバーグをつたない箸使いで切り分けながら、妹はさっそく告げ口をしてくれた。
「ヤバイよあれー。いくらなんでも半分はさー」
「ちょ、ちょっと!」
「お父さん聞いて、おねーちゃんてば宿題半分しかやってないの。大丈夫? 高校って
そんなんでもちゃんと3年生になれんの?」

ハンバーグの付け合せに添えられていた人参を箸で掴み、今まさに食べようとしていた
父親がその手を止める。

そのまま少し困ったような顔をして、亜弥へ顔を向ける。
父親としては、確かに宿題をちゃんとやらない娘に注意しなければならないだろう。
しかし、それでは亜弥のプライドが傷付いてしまう。だからといって怒らなければ
今度は妹が納得しない。

「んん……そうだな」適当に唸っていると、母親が助け舟を出してくれた。
「美貴ちゃんに教えてもらったら? もうテストも終わったんでしょ?」

母親は父親を助けるために、娘を舟から突き落としてくれた。
330 名前: 投稿日:2003年08月17日(日)11時39分35秒
んぐんぐとご飯を噛み締めていた亜弥は、母の言葉に動転して喉に詰まらせる。
軽く咳き込んで、胸の辺りを拳で叩く。
「なにしてんの」妹は最近冷たい。

「あー……うん。そうだねえ……」
「そうそう、おばあちゃんが旅行に行った時、お土産にもらったカステラ。
丁度いいからおすそ分けに持っていってちょうだい」

逃げ道をふさがれた。ギクシャクしているのは亜弥と美貴の間だけで、家族ぐるみでは
昔と変わらず近所付き合いをエンジョイしているのだから、それも仕方ないのかも
しれない。

母親はさっさとカステラを紙袋に入れて、亜弥の座っている椅子の横に置いた。
「ご飯食べたら行ってね」
「……はぁい」

それから箸の進みが遅くなったのは、気が重くなったからだけではないだろう。
331 名前: 投稿日:2003年08月17日(日)11時40分15秒


    ******


「こんばんはー」

インターフォン越しに呼びかけると、すぐに玄関は開いた。

「あー、亜弥ちゃんいらっしゃい」
出てきたのは美貴の姉だった。亜弥はその事に少しホッとする。

「美貴、部屋にいるんだけどな。寝てた?」
「あ、違うんです。うちのおばあちゃんが旅行に行って、お土産にって」

袋を差し出すと、彼女は礼を言いながら受け取って、それを玄関脇の靴箱へ置いた。

「なんか久し振りだね、亜弥ちゃんがこっから入るのって」
乱れた靴を揃えながら言うので、亜弥は慌てて彼女の勘違いを訂正しようとした。
「や、あのー……」
「どうぞ。美貴寝てたら起こしてきてくれる? ご飯まだ食べてないのよ、あの子」

どちらの家族も、二人の仲はよく知っている。亜弥が家に来るというのは、美貴の
部屋に行く事とイコールで繋がっているのだろう。
それは確かにそうだった。でも今回は違うのだ。
332 名前: 投稿日:2003年08月17日(日)11時40分57秒
美貴の姉は勝手に話を進めて、あとは亜弥に構わずリビングへ戻ってしまった。
それもいつもの事だった。いつもなら、亜弥は玄関の鍵をかけて当たり前に階段を
上っていた。

このまま帰ろうか、と思う。しかしそれでは帰りの挨拶をせずに勝手に帰る形になり、
失礼を働く事になってしまう。

小さく溜息をついて、亜弥は家の中に上がり、玄関の鍵を閉めた。


333 名前: 投稿日:2003年08月17日(日)11時41分36秒
ベッドの中で、美貴はスヤスヤと眠っていた。
試験勉強のおかげで疲れが溜まっていたうえに、ここしばらく眠りが浅くて
ちゃんとした睡眠が取れなかったのだ。
『いつでもどこでも寝られる』のが自慢だった美貴にとって、それは苦痛以外の
なにものでもなかった。

試験も終わり、溜まっていた疲れが一気に噴き出したのか、まだ宵の口だというのに
ベッドへ入った途端吸い込まれるように眠りに落ちた。

「……ん。みきたん。ねえ」
軽く揺さぶられる肩。美貴はなんだか懐かしい匂いに誘われて薄く目を開けた。
狭い視界の中に、ちょっとだけ気弱そうに顔を覗き込んでいる亜弥が映る。

「…………ああ。亜弥ちゃんだ」

おかしいな、亜弥ちゃんはもう来ないはずなのに。
そっか、夢かこれ。前にも同じような夢見たし。

――――禁断症状みたいなもんなのかなぁ。

気が狂いそうだから、夢で欲求不満を晴らそうとしているのかもしれない。

可笑しくて、微かに笑った。
334 名前: 投稿日:2003年08月17日(日)11時42分13秒
「みきたん? まだ寝てる?」
「寝てるよ。寝てなきゃ夢なんてみれないじゃん」
腕を延ばして亜弥の首筋に巻きつける。そのまま引き寄せて、白くて綺麗な肩に
顔を埋める。
「み、みきた……」
戸惑ったような亜弥の声。美貴はそれに構わず、埋めたそこに唇を当てた。

夢なんだから、これくらいしてもいいよね?

亜弥の身体が強張る。以前のあやふやな頬へのキスとは違う、しっかりした感触。

理性とは別のところで理解している。
これは、ただの幼馴染にじゃれているんじゃない。

「う……そつきぃ……」
そんなんじゃないって言ったくせに。それを信じていたかったのに。
それでも、どうしてか拒めない。

美貴がふっと顔を上げ、訝しげに口をへの字にする。
嘘? 嘘ってなんだろう。亜弥ちゃんに嘘、ついてたっけ?

あ、思いっきり嘘ついてるよ。そっか、ズバッと言えって事ね。

「だから、美貴テレ屋なんだって」
335 名前: 投稿日:2003年08月17日(日)11時42分52秒
苦笑の浮かんだ唇を静かに亜弥の唇へ寄せる。
今度は絶対起きてやるもんか。美貴の決意は固い。

「――――や………っ」
亜弥は反射的に避けようとしたが、美貴の腕がそれを許してくれない。

「――――――――」

目は閉じれなかった。

亜弥の頭の中に、いくつかの言葉といくつもの感情が渦巻いた。
美貴の身体がずるりと崩れ落ちて、ベッドの中へ戻る。
亜弥はその場に座り込んで、ここではないどこかを見ていた。

規則正しい寝息が聞こえる。

こほ、と、軽い咳のような吐息が洩れた。埃を勢いよく払った時のような、
乾いた息苦しさを感じる。
336 名前: 投稿日:2003年08月17日(日)11時43分34秒
「……みきたん。あたしのこと、好き?」

何も考えないまま問うと、美貴は目を閉じたまま、照れ臭そうに微笑んだ。
答えはない。

ギリギリで止まっていた楔が弾け飛ぶ。

壊れた。

現在過去未来。一瞬で、全て壊れた。
希望も絶望も真実も欺瞞も純粋も不純も安心も不安も――――全部。
美貴に求めていたものが、全部壊れた。

亜弥の中には、もう何もなかった。
何もない中から、何かが生まれようとしていた。
337 名前: 投稿日:2003年08月17日(日)11時44分18秒
亜弥の双眸から涙が溢れる。嬉しいとか悲しいとか楽しいとか怒っているとか、
簡単に表現できる感情は何もないのに、身体が勝手に涙を流した。
喜怒哀楽のどれも浮かんでいないが、身体のどこかが痛かった。
それは胸かもしれないし、頭だったかもしれない。
全身が痺れていて、よく判らなかった。

初潮を迎えた時のように、全身のだるさと訳のわからない痛みが治まらなくて、
ひどく鬱陶しかった。

亜弥は止まらない涙を拭う事もしないまま、幸せそうに眠る美貴の横顔を見つめていた。
「――――みきたん」

亜弥は途中で口を閉ざした。

もう、彼女には聞けない。
338 名前: 投稿日:2003年08月17日(日)11時44分57秒


339 名前: 投稿日:2003年08月17日(日)11時45分30秒
    ******


その日、美貴は機嫌がいいような悪いような、複雑な気分だった。
その気分は朝目覚めてからずっと続いていて、大学から帰って自室でくつろいでいる
今も変わっていない。

昨夜はとんでもない夢を見た。夢は深層心理の映像化だというが、だとしたら
素直すぎる。直接的すぎる。そのまますぎる。もうちょっと捻りを加えられなかったのか。

夢であれ、亜弥とそういう事をしてみるのは気恥ずかしいながら正直嬉しかった。
夢であれ、亜弥にそういう事をしてしまったのは正直気が重かった。

けれど、夢だからその分気は軽くなった。

重くなって、軽くなって、プラスマイナスゼロ。残ったのは喜び。
というわけにもいかない。気分は足し引き算では計算できない。

「てゆーか、中坊じゃないんだからさ……」
夢で好きな子と、なんて。しかもキス止まりというあたり、本当に中学生レベルだ。
340 名前: 投稿日:2003年08月17日(日)11時46分19秒
何の気なしに携帯電話を手に取り、適当にいじる。
物怖じしない性格のせいか、美貴は友人が多い。メールの受信メモリには他愛もない
内容のメールが詰め込まれていて、着信履歴も梨華や大学の友人たちで埋め尽くされていた。

亜弥の名前を探すことはしなかった。

携帯を閉じ、閉め切ったカーテンを見やる。ここしばらく開けられた事のないカーテン。
その向こうに明かりは見えない。亜弥はまだ帰っていないようだった。

「……レポート、やろっかな」
いつもは提出期限ギリギリまで手をつけないが、他にすることもないので
バッグからレポート用紙を取り出す。

部屋にいて暇を持て余すのは久し振りのような気がした。

用紙の一番上に、タイトルと名前を書いたところで、ドアをノックする音が聞こえた。
「はーい」
視線を上げないまま簡単に応える。美貴の部屋をノックするのは、年頃の娘に気を使う
父親だけだから美貴も警戒はしない。

入ってきた父親は、レポートに取り組んでいる美貴へ遠慮がちに声をかけてきた。
341 名前: 投稿日:2003年08月17日(日)11時47分04秒
「勉強中か?」
「んー、別に大丈夫だけど?」
「昨日な、松浦さんからカステラもらったんだ。みんな下で食べてるから、美貴も
よかったら来なさい」
「んー」

父親の言葉に、美貴がシャーペンをしまい込む。レポートは急ぎではないし、
家族が揃ってる中で一人部屋にこもっているのも悪いと思ったのだ。

父親の説明だけでは、昨日、亜弥が来たことなんて判らない。
更には美貴の部屋へ来たなんて想像できない。

だから美貴は、昨日の夢が本当は夢じゃないなんて露ほども思わず、父親と一緒に
リビングへ降りて呑気にカステラを食べた。



342 名前: 投稿日:2003年08月17日(日)11時47分54秒
一家団欒に付き合ってから部屋に戻ると、カーテンの向こう側が明るくなっていた。
帰ってきたんだな、という感想しか持たない。
会いたいという気持ちには自分でブレーキをかけた。

今までなら、亜弥はすぐにこっちへ来て、その日あった事を色々話してくれた。
美貴も面白い事があれば聞かせていたし、大学の様子なども聞かれたら話してやった。
それが当たり前で、お互いの日常を知る事が出来ない日が来るなんて思ってもみなかった。
そうさせたのは自分だから、やはり今の状況に胸が痛む。

「……勉強、勉強っと……」
自分に言い聞かせるように呟いて、美貴は広げたままにしていたレポート用紙に向かった。

途端、脇に置いていた携帯が鳴り響く。一度ならず二度までもレポートを邪魔されて、
美貴は溜息をついてから勉強道具一式をしまった。
気分が乗らないうえにとことん邪魔が入って、やる気がなくなった。
343 名前: 投稿日:2003年08月17日(日)11時48分43秒
着信メロディが鳴り続いている携帯を取り、画面に出ている名前を確認する。

「もしもし」
『美貴ー? 元気?』

かけてきたのは大学の先輩である飯田だった。アロマポットを買ったショップに
連れて行ってくれた彼女は、元々は梨華の知り合いである。

美貴が通っている大学は付属の中学と高校があり、梨華と飯田はその出身だった。
外部入学である美貴のために、梨華が飯田を紹介してくれたのが付き合いの始まりで、
飯田は面倒臭がらずに学内を案内してくれたり、試験のヤマを教えてくれたりした。
大学生活に慣れた今も、ちょくちょく遊びに連れて行ってくれたり、何かと世話を
焼いてくれるいい先輩だった。

「こんばんはー。どうしたんですか?」
『カオね、今ヒマなの』
「はあ……?」
『だから付き合って』
344 名前: 投稿日:2003年08月17日(日)11時49分25秒
話を聞くと、バイトが終わって帰ろうとしたら、電車に乗り遅れてしまったらしい。
次の電車が来るまであと20分ほどあり、その間暇だから美貴に話し相手になれ、という。

そう言われても、いきなり丁度いい話題が見つかるはずもない。
仕方なく美貴は、梨華の服装に関する話や大学の講師に対する愚痴などで間を持たせた。
いい先輩なのだが、こういうところはちょっと勘弁してもらいたい。

しばらくして、ゴウ、と強い風のような音が聞こえた。

『あ、電車来た。じゃーね美貴』
「はい、おやすみなさい……」
妙に疲れた声になってしまったが、
飯田は気にした風もなく「おやすみ」と応えて電話を切った。

単調な音を鳴らしている携帯をパタンと折り、手の中で転がす。
駅は美貴の家からかなり遠い。それでも、こんな風に簡単に、飯田と話が出来る。
それなのに、すぐ近くにいる亜弥には声をかけることすら出来ない。

もう一度携帯を開いて、着信履歴を表示させる。
一番上にはさっきの飯田が。その下には梨華の名前がある。
ボタンを操作して、画面をスクロールさせる。
345 名前: 投稿日:2003年08月17日(日)11時50分07秒
どこまで行っても、亜弥の名前はない。
それを寂しいとは思わなかった。昔から、それが当たり前だったから。

電話をかけるまでもなく、メールを送るまでもなく、二人は繋がっていた。
電波を介さずに話が出来たし、気持ちを文字にする必要もなかった。

携帯に跡を残す必要なんて、二人には無かった。
だから、そんなものに頼るのは嫌だった。

カーテンの向こう。明かりがついたままの部屋を見つめる。
「……ごめん」
インクが紙に落ちた時のような、勢いのない、じわりと滲むような声音。
それに応えるものはない。

美貴はカーテンから目を逸らし、テレビの電源を入れた。

テレビをぼんやりと見ながら、せめて亜弥も寂しがっていてくれたらいいと思う。
そうしたら多分、それが今の唯一の繋がりになるから。
346 名前: 投稿日:2003年08月17日(日)11時52分26秒
16回目終了。

今回はちょっと多めに更新してみました。
シリアス調に進んでますが、藤本さんは結構間抜けです。
そしてよしこはアホです(爆)
347 名前: 投稿日:2003年08月17日(日)11時58分59秒
>>304
藤本さんは持て余しちゃってるんですよね。色々と(笑)

>>305
ぽつりと洩れた本音は、実はたとえ石川さんにだろうが
言っちゃいけない言葉だったのです。言葉には力がありますから。

>>306
いや、やってる事は何気にヘタレですよ?(笑)
本人はいたって真剣ですが。

>>307
熱いですね。静かに熱いです。いつか噴火するんじゃないでしょうか(笑)

>>308
決意……してたはずなんですけどね(苦笑)
あれーみたいな。あれーみたいな。<加護?

>>309
幼少時の二人はきっとこんな感じです(笑)
348 名前: 投稿日:2003年08月17日(日)12時03分21秒
まとめレスすみません。
>>310-313
うわー、ホントにぴったりだ……(驚
しかし今回、ちょっぴり動き出したので、また変わってくるかもしれません。

>>314
えーと、ありがとうございます、でいいのかな?(^^;
349 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月17日(日)13時09分41秒
おお、更新お疲れさまです。フライング大感謝。
吉澤…お前、ほんっっっとに口ばっかだな!! やれやれだぜ!
でもそういうもんですよね。好感が持てました。石○純一的ご機嫌取りモードもナイス。

いやいや、それ以上に。動きましたね。動いてしまいましたね。
しかもこんな形で…。ま、きっかけとはおよそマヌケなものなのかもしれないっすな。
しかしこれからどうなることやら…
350 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月17日(日)13時11分18秒
気付けよ…藤本さん(w
でもそんな間抜けな藤本さんが大好きです。
また少しずつ動きだしましたね。
松浦さんの混乱の後に何を思うか…続きに期待しております。
351 名前:ヒトシズク 投稿日:2003年08月17日(日)13時19分24秒
更新お疲れ様です〜
あ〜これからどうなるんすか?!
やー・・・もう、気になって気になって・・・(ぇ
次回の更新楽しみにしております♪
352 名前:間違った読者でスミマセン 投稿日:2003年08月17日(日)19時14分39秒
ちくしょー、松浦になりてーっ。萌えるっちゅーんじゃ藤本(夢)っ。
353 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月17日(日)19時18分55秒
寝ぼけ絡みシーン
かなり萌えました
354 名前: 投稿日:2003年08月20日(水)20時31分50秒


355 名前: 投稿日:2003年08月20日(水)20時32分20秒
    ******


「ああ。姫、私を覚えておいでですか?」
ジャージ姿のひとみが、亜弥の手を取りながら言う。
亜弥はぼんやりと突っ立ったまま、微動だにしない。

「……松浦、台詞」
ひとみに小声で言われて、亜弥はハッと顔を上げる。
「あ、えーと……」
台本は何度も読んだはずなのに、全く出てこない。この前まで、完璧とはいかないまでも
それなりにこなせていたのに。

結局、周囲の視線が諦めたように散るまで、亜弥は一言も発する事はできなくて、
一度休憩を取る事になった。
356 名前: 投稿日:2003年08月20日(水)20時33分14秒
亜弥ちゃん、具合悪いの?」
あさ美が心配そうに声をかける。亜弥は下唇を噛みながら首を横に振った。
「違うの。ごめん」
「ううん、まだ時間あるから……。あんまり気にしないでね?」
「うん……」

亜弥は基本的に生真面目だ。失敗すると必要以上に自分を責めてしまう。
だから、あさ美は強く言わない。

強く言わないものの、その心中は疑問でいっぱいである。ここ数日、亜弥は
常にぼんやりしていて、なんだかフニャフニャだった。
何かあったのか聞くと顔を真っ赤にしたので、きっと何かあったのだろう。けれど具体的
な事は絶対に話さない。
357 名前: 投稿日:2003年08月20日(水)20時33分55秒
膝を抱えて座り込んでいる亜弥の頭を、ぽふぽふと叩く。なんでか知らないが、この子は
保護欲に駆られるキャラクターなのだ。つい頭を撫でたくなる。
それはあさ美だけではないようで、亜弥はほぼ毎日誰かに撫でられている。

「紺野ー、ちょっと来てー」
他の出演者と台本の読みあわせをしていたひとみが、大声で呼びかける。
最近はシンパの嫌がらせもなくて、あさ美の態度も軟化していた。「はーい!」精一杯
声を張り上げて応え、最後にもう一度亜弥の頭を撫でてからステージに向かった。

あさ美がひとみ達と合流した頃、亜弥も立ち上がって歩き出した。
ただ、方向は逆で、重い扉を押し開けて外に出ていった。
358 名前: 投稿日:2003年08月20日(水)20時34分35秒



359 名前: 投稿日:2003年08月20日(水)20時35分23秒
校内はどこも賑わっていて、亜弥は落ち着ける場所を探して歩き回る。
屋上は美術部が巨大パネルに絵を描いていて、学食はサボリ組がたむろしていた。
教室には裏方部隊がいるし、他も軒並み使用中。

うろうろ歩き続けて、最終的にはテニス部の部室にたどり着いた。
誰もいないのを確認し、ロッカーのある方とは逆の壁際に設置されたベンチへ
腰を下ろす。部室は他の施設と少し離れた場所にあって、ドアを閉めると先ほどまでの
喧騒が嘘のように静かになった。

「……なんで……?」

なんで、台詞を覚えられないんだろう。なんで、ちゃんとできないんだろう。
――――なんで、美貴はキスをしたんだろう。

本当は答えなんて判っていた。
判らないのは、自分の気持ち。
360 名前: 投稿日:2003年08月20日(水)20時36分40秒
嫌じゃなかった。じゃあ嬉しかったかといえば、そういうわけでもなかった。
ただただ驚いて、ただただ戸惑った。
そして、ここ数週間、美貴が自分を避けていた理由が判っただけだった。

一片の疑問も挟む余地なく、手を繋いでいられた時代は終わろうとしていた。
1ミリのズレもなく、お互いの気持ちが重なっていた時期は終わろうとしていた。
一筋の傷もなく、綺麗なままでいられた時間は終わろうとしていた。
1秒の狂いもなく、同じ時間を刻んでいくと思っていたのは錯覚だった。

美貴は合わせようとしてくれていた。
亜弥が一片の疑問も1ミリのズレも一筋の傷も1秒の狂いも望んでいない事を
知っていたから、それを叶えようとしてくれていた。
361 名前: 投稿日:2003年08月20日(水)20時37分37秒
拒絶じゃなかった。

それは甘受。
いつだって美貴は、亜弥のことを一番にしていた。
それは、それだけは変わらなかった。

拒絶していたのは、自分の方。

亜弥は両手を顔の前で合わせて、ゆっくりと開いた。
そこから、何かが逃げていった。
362 名前: 投稿日:2003年08月20日(水)20時38分23秒
「亜弥ちゃん? いる?」
「あ、あさ美ちゃん」

遠慮がちに部室のドアが開いて、そこからあさ美が顔だけ出していた。
あさ美は亜弥の姿を見つけて口元を綻ばせる。

「よかった見つかって。急にいなくなっちゃうから、心配したよ?」
「ごめんごめん。ちょっと……一人になりたかったから」
「うん。今は亜弥ちゃんが出ないとこの練習してるから、もうちょっと
ゆっくりしてても大丈夫だよ」

脚本担当であるあさ美は、実のところ他のメンバーより時間に余裕がある。
あさ美は小体育館に戻ることなく、亜弥の隣に腰掛けた。

「……ねえ、あさ美ちゃん」
「ん?」
363 名前: 投稿日:2003年08月20日(水)20時38分56秒
ぼんやりと壁を眺めたまま、亜弥が呟く。

「前に、あたしとみきたんが付き合ってると思ってたって、言ったよね」
「……うん」
「仲いい子は、みんな付き合わなきゃいけないの? 女の子でも?」

亜弥にそのつもりはないのかもしれないが、あさ美はなんとなく責められているようで
肺の辺りが痛くなる。

「絶対、てわけじゃない、けど。そういうこともあるん、じゃない、かな……」
「どうして?」
「え……?」
「どうしてそんな事があんの?
結婚もできないし、子供も産めないし、第一……非常識だよ」

亜弥の表情からは、何も読み取れなかった。
そういう形に対する嫌悪も、迷いも、不安も。

ただ、忙しなくベンチを鳴らしている指先が、多少の苛立ちを表していた。
364 名前: 投稿日:2003年08月20日(水)20時40分03秒
八つ当たりだった。誤魔化しだった。
『それ』が一番判りやすかったから、引き合いに出しているだけだった。
美貴との関係を壊されたくなくて、他人に土足で踏み込んでほしくないから
考える前にそれを否定してきた。

そして、最もそれを壊してほしくない相手は、美貴だった。
だから彼女が変わったことを認められないでいた。何もかも、昔のままがよかった。

しかし、そんな事あさ美には判らない。

「そうかもしれないけど……。男だって女だって全部、人、だから。
好きになっちゃうことも、あるんじゃないかな……」
「……吉澤さんと同じ事言うんだね」

「え?」
「なんでもない」

亜弥は小さく笑った。やはりそこにも、何も無かった。
365 名前: 投稿日:2003年08月20日(水)20時40分59秒
それきり亜弥は口を閉ざして、ぼんやりと壁を見つめた。
あさ美も言葉を発することができなくて、ぼんやりと亜弥を見つめた。
沈黙がいたたまれなくて、無意味に踵を床に叩きつけていると、亜弥が顔を上げて
あさ美の首筋に鼻を寄せてきた。

「なに?」
「あさ美ちゃん、コロンつけてる?」
「ああ、うん。この前、友達とオソロで買ったんだ。あんまりこういうの慣れてないんだけど」

照れ臭そうに笑いながらあさ美は言った。柑橘系の、甘すぎない爽やかな香り。
大人の真似をしているわけではないそれは、彼女に似合っていた。

「変かな? こういうの初めてだから、どれくらいつければいいか判んなくて」
「ううん。可愛いと思う」

亜弥はそのままあさ美の肩に頬を乗せて、浮き上がる香りに自身を浸した。
366 名前: 投稿日:2003年08月20日(水)20時42分00秒
その香りは美貴の部屋を思い出させる。

何も解決なんてしていない。
それでも、あの部屋へ行きたいと思った。

美貴はきっと、変わらない事を望めばそれを叶えてくれる。
そうするために、あの部屋へ行きたいと思った。



この時、亜弥は気付いていなかった。
自分がもう変わってしまった事に。

美貴に触れたいという、無意識下の欲求に。
367 名前: 投稿日:2003年08月20日(水)20時42分30秒



368 名前: 投稿日:2003年08月20日(水)20時43分22秒
17回目終了。

松浦さん再構築中。ただし本人無自覚(笑)
369 名前: 投稿日:2003年08月20日(水)20時48分47秒
>>349
自分的には大○賢也っぽいと思ってました(笑)<よしこ
かなり間抜けですよね。あーあ、みたいな。

>>350
混乱の後に……こんな事思ってますが(苦笑)
ダメじゃん!

>>351
さてはて、どうなりますやら。実は松浦さんが気付いてもあまり
話が進んでいないという(苦笑)

>>352
個人的には、部屋の隅に蹲ってあの場面を観察してたいです(笑)

>>353
萌えてくださってありがとうございます(^^)
ええもう、萌えシーン少ないもんで……(苦笑)
370 名前:棒。 投稿日:2003年08月20日(水)20時52分35秒
初めてリアルタイムに当たったので、記念カキコです(笑)
動揺する、って言う見慣れない松浦さんに胸キューンです。
今後の成り行きが楽しみです。頑張って下さい。
371 名前:ヒトシズク 投稿日:2003年08月20日(水)21時07分49秒
きゃぁぁぁぁぁー!!!(謎
変わりゆく松浦さんの気持ち。そして本人の無自覚・・・(w
あぁぁ・・・もう続きが楽しみ過ぎます!!!(笑。
動揺する松浦さん・・・かなーり胸キュンものっすねぇ・・・
では、次回の更新楽しみにしてます!
372 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月20日(水)21時11分43秒
変化が訪れたかと思いきや、気付いていない松浦さん萌え。(w
このじれじれ感、さいこーです。
373 名前:堰。 投稿日:2003年08月20日(水)21時55分42秒
円さんの繰り返し好きですよ(微笑)。
いやぁ。松浦さん無自覚ですか。
ただ手のひらから放ってしまったものが、
どうなっていくのかだけが楽しみ。
正座してお待ちしてます(笑)。
374 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月21日(木)00時54分57秒
うひゃぁ
あややが変わりつつあるぅ
再構築っていう言葉に妙に納得
ほんとこの小説おもしろい
大好きです
375 名前:374 投稿日:2003年08月21日(木)00時56分05秒
あげてごめんなさい
興奮しすぎますた
376 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月21日(木)14時13分58秒
松浦さん、ゆっくりでも気付いていければいいなぁ。
藤本さんにはそれを優しく見守って欲しいと思いますが…。
それができなかったからこんな事になってるわけで(w
まぁ何にせよ焦ってもしょうがないですよね。
私も焦らず自分を落ち着かせながら更新をお待ちしております。
377 名前: 投稿日:2003年08月23日(土)03時01分48秒



378 名前: 投稿日:2003年08月23日(土)03時02分20秒
    ******



ガラステーブルにべたりと凭れかかりながら、美貴は深い溜息を吐き出した。

「もう、何日経ったのかな……」
亜弥と顔を合わせなくなってから。20日くらいだろうか。たった20日だ。

「……亜弥ちゃんに会いたいなあ」
あと一週間もすれば、文化祭がある。亜弥はもちろん、ひとみにも再三来いと言われて
いるから、行かないわけにはいかない。
だから、あと一週間待てば、必然的に亜弥に会える。
それまで待とうと思う。その先は……なるようになるだろう。

そう、思っていたのに。
379 名前: 投稿日:2003年08月23日(土)03時02分53秒
「みきたーん。いるー?」
窓の外から声。当たり前で以前のままで何も変わらない、人懐こい声。
美貴は跳ね上がった心臓を右手で無理やり押さえ、「いるよー」と呼び声に応じた。

カラカラと、隣家の窓が開く音。少しの溜めがあって、それから訪れる気配。

コン、とたった一度のノック。美貴はカーテンを両手で開く。
そこに、鞄を持った亜弥がいた。

亜弥は「やっほー」と口の動きだけで言って、窓の外から鍵の部分をつついている。
開けろという意思表示に従って三日月錠を上げると、亜弥が勢いよく窓を開けた。

「みきたん、今ヒマ?」
「まあ……ヒマ、だけど」

遠慮呵責なく部屋に入り込んだ亜弥が、鞄から大量のプリントを取り出して
美貴に示した。

「宿題、手伝って?」

それは、今までと何も変わらない、甘え。
変わってしまった美貴は一瞬だけ迷って、結局その甘えを受け入れる。

「いいけど。亜弥ちゃん、宿題ってのは自分でやってこそ意味があるんだよ? ホントは」
380 名前: 投稿日:2003年08月23日(土)03時03分49秒
「だって判んないんだもん」
「それは亜弥ちゃんがおバカだからです」
「あ〜っ、みきたんひどい」

それは、今までとまるで変わらないじゃれあい。
消えかけた何かを惜しむように、なくしかけた何かを繋ぎとめるように。
これは単なる、懐古主義者の感傷。

「とりあえず、自分で出来るとこはやってみなよ。判んなかったら教えてあげるから」
「うーっ、みきたんの意地悪」
「意地悪じゃありません。亜弥ちゃんのためを思って、美貴は心を鬼にしてんの」

亜弥は渋々といった表情で宿題に取り組みはじめ、美貴はその横で手付かずの
プリントを眺めていた。
ざっと目を通して、問題のレベルを把握する。それほど難解なものはないようだ。
一応、大学生の面目は保てる程度。美貴は心の中で胸を撫で下ろす。

「みきたん、ここ教えて」
「早っ!」
明らかに1問目か2問目である。
381 名前: 投稿日:2003年08月23日(土)03時04分50秒
「亜弥ちゃ〜ん、美貴の言ってることの意味、判ってる?」
「うんうん。でも問題の意味は判んない」
「……しょうがないなぁ」
シャーペンの先で指し示されている問題を見て、辞書をめくる。
文法の説明が載っているページを見つけて亜弥に見せてやると、彼女は不満そうに
頬を膨らませた。
「答え教えて〜」
「だーめ。ほら、単語が違うだけで形は一緒じゃん?」

亜弥はうんうん唸りながらも何とか答案を書き、美貴がそれを確認する。

「合ってる合ってる」
よくできました、とご褒美に頭を撫でてやる。亜弥は嬉しそうに笑う。
382 名前: 投稿日:2003年08月23日(土)03時05分33秒
今まで逃げていたのはなんだったのか、と思ってしまうくらい、
それはあまりにも自然だった。
だからこそ、不自然だった。

次の問題に取り掛かった亜弥はまたもうんうんと唸っているが、手はちっとも動かない。
美貴はそれに気付かないフリをして、亜弥の隣で漫画を読んでいた。

「みきた〜ん、ちょっと休憩しよぉ」
「ダメ。まだ30分も経ってない」
「……みきたん、実はスパルタだ……」
楽をしようとしたバチが当たったのだろうか。心を鬼にした美貴は、ちょっとした
世間話に付き合う程度の、休憩とも呼べない一休みを何度か挟んだだけで
あとは全てプリントに向かわせた。
383 名前: 投稿日:2003年08月23日(土)03時06分46秒



「みきたん」
「ん? どっか判んない?」

シャーペンの走る音がいつの間にか止んでいた。漫画を読むのに夢中になっていた
美貴は、ページの間に指を挟んで本を閉じ、プリントを覗き込む。

しかし亜弥は、頬杖をついてプリントを見つめながら、ポツリと呟いた。

「うちら、このままでいようね」

亜弥の瞳から子供の色は消えていた。
それに気付いて、美貴は息を呑む。

どうしてかは判らなかった。誰かに聞いたのかもしれないし、美貴の態度で
気付いたのかもしれないとも思った。

美貴が目を逸らす。理由を聞いても仕方ないから聞かなかった。

「当たり前じゃん。なに言ってんの」
「にゃはは」

亜弥がそれを望んでいる事は知っていたから、美貴は自然に笑えた。
「変なこと言ってないで、宿題宿題!」
「はーい」
亜弥も自然に笑って、またシャーペンを動かし始めた。
384 名前: 投稿日:2003年08月23日(土)03時07分22秒



385 名前: 投稿日:2003年08月23日(土)03時07分57秒
「――――終わり〜っ」
我が人生に一片の悔いなし、と呟いて、亜弥が机に突っ伏す。
「お疲れ」
美貴もさすがに疲れて、自分の肩を拳で叩いた。

宵の口はとっくに過ぎていて、それどころかそろそろ深夜になろうかという時間。
「くぁ……」亜弥の口から小さな欠伸が洩れる。
「亜弥ちゃん、もう戻って寝なよ。アナタ朝早い人なんだから」
労わるように亜弥の髪を撫でながら言うと、亜弥は眠そうな目を美貴に向けた。
386 名前: 投稿日:2003年08月23日(土)03時08分41秒
帰るのが正解なのは判っていた。
帰らなければ美貴が困るのも判っていた。
眠くて頭がうまく働かない。

包まれたかった。アロマポットから浮き出るオレンジと、彼女の甘い香りに。

睡魔に負けて、亜弥はわざと簡単な問題を間違えた。
387 名前: 投稿日:2003年08月23日(土)03時09分31秒
「……泊まる」
「え……?」
「今日はみきたんと寝る」

ぐずる子供のような口調で言われて、美貴はどうとも答えられない。
美貴が迷っている間に眠気が一気にピークへ達したのか、亜弥は勝手に
ベッドへ潜り込んでしまった。

「……お〜い」
美貴は呆然と膨らんだ上掛けを見る。

おかしい。確かにいつも通りの、以前どおりの雰囲気だった。
けれどそれは、『そこ』は、踏み込んじゃいけないと、亜弥も判っているはずなのに。
388 名前: 投稿日:2003年08月23日(土)03時10分16秒
――――ねえ、亜弥ちゃん。
アナタの事ならなんでも判るなんて言わないけど、それでも亜弥ちゃんが
もう諦めちゃった事は判ったよ。
諦めて、でも名残惜しくてこんな茶番をしたのはわかったよ。
だから美貴は、一緒に今までどおりの雰囲気を造ったのに。
そういう、共同作業だったのに。
389 名前: 投稿日:2003年08月23日(土)03時11分12秒
「どうしよ……」

考えられる選択肢は3つ。一緒に寝る、徹夜する、他の部屋へ避難する。

「……んん〜っ、みきたんっ」
ぐずる子供そのままの口調で呼ばれる。
与えられた選択肢は1つ。それは選ぶ権利がないのと同義。
喉が鳴った。
それは、試合終了を告げるホイッスルに似ていた。
だから気付いた。もう終わってしまったのだと。

なら、この先は……これからは。

「ロスタイムかな……」
アロマポットへオイルを垂らし電源を入れる。いつもと変わらないオレンジの香りに、
少しだけ冷静さを取り戻した。
8割方夢の領域に入り込んでいる亜弥の隣に横たわると、すぐに腕が腰の辺りに廻された。
「おやすみ〜」
「……おやすみ」

ピッタリくっついて眠る亜弥の髪を撫でる。シャンプーの香りが鼻先をくすぐる。

目を閉じる。呼吸が混じる。闇に溶ける。
鼓動は重ならない。

美貴は固く目を閉じて、早い鼓動に亜弥が気づかない事を願った。
390 名前: 投稿日:2003年08月23日(土)03時11分55秒




391 名前: 投稿日:2003年08月23日(土)03時12分32秒
    ******



そろそろ11月に入ろうかというこの時期、日の出は遅い。
薄暗い部屋の中で、亜弥は隣で熟睡している美貴の寝顔を眺めていた。

軽く美貴の頬をつねってみる。美貴は微かに唸って、ふるると首を振った。
亜弥が声を出さずに笑う。起こさないよう、そっと抱きついて、その耳元に唇を寄せる。

「……みきたん大好き」

それは最後の告白。


392 名前: 投稿日:2003年08月23日(土)03時13分34秒


その日から亜弥と美貴の間には距離が出来ていた。
それは以前のような、意識的に避ける事から生まれた距離ではなくて、そうすることが
自然だと思えたから距離を置いた、という意味合いの、距離。
春休みのようなものだった。新年度を始めるまでの、心の準備期間。

そして、文化祭当日。

「光の君がクレープ食べてるよっ!」
豪放な笑い声と共に、美貴が衣装に身を包んだひとみを指差す。

「いいじゃないスか! 吉澤、朝からなにも食べてないんですから!」

包み紙からクレープを引っ張り出して食みながら、ひとみは楽しそうに噛みついた。

文化祭の準備のため、今日はいつもより登校時間が早かった。それをすっかり忘れて
寝坊してしまい、ひとみは朝食を食いっぱぐれていた。
衣装合わせを終え、今ようやくあさ美が買ってきてくれたクレープを食べているところである。
ちなみにここは小体育館のステージ横にある用具室。ひとみは跳び箱の上に座っている。
393 名前: 投稿日:2003年08月23日(土)03時14分06秒
「あはは。でもマジかっこいいよ、よしこ」
「でっしょー? もう女の子達、わーわーきゃーきゃー大変ですよ」
キリッと顔を作り、腰に差した扇子を取り出してポーズを決める。
それは客観的にはかなり格好良かったのだが、美貴は爆笑した。

「いやいや藤本先輩、ここ笑うとこじゃないんで」
キャー、とか、素敵!とか言ってくださいよぅ。困ったように言うひとみの顔を、
美貴の両手が挟み込む。
「きゃー、よしこ素敵ー」
「……眉間にしわ寄せながら言われても」
もちろん、美貴が冗談でやっているのは判っているので、ひとみは機嫌を損ねない。

あの日の事は、お互い口にしない。
胸に秘めたものは違っていたが、二人とも、その話題を出す必要性を感じていなかった。
美貴は、もう終わった事だと判断したから黙っていて。
ひとみはまだ時期じゃないと思ったから口を閉ざしていた。
394 名前: 投稿日:2003年08月23日(土)03時14分42秒
「亜弥ちゃんの着付け、終わりましたー」
はふぅ、と息をつきながら、あさ美がベニヤ板と暗幕で間仕切りされた簡易更衣室から
出てくる。本物の着物ではなく、所々をマジックテープで止める衣装なのだが、
とにかく布の量が多くて着せるのが大変だったのだ。

「お、お姫さまの登場だ」
楽しげに呟く美貴に、ひとみはおや、という顔をする。
なんとなく、余裕があるように見える。美貴の家に行った時には欠片も見えなかった余裕。
ひとみが扇子で口元を隠して、小さく笑った。
「藤本先輩、ひょっとして松浦とうまく行っちゃったりなんかしたりして?」
「え? ううん。なんかねえ、もういいかなって」
「もういいって?」
「……友達なのが、一番いいのかなって思った」

子供のままでいられた幼馴染の時代は終わって。
これからは、対等の友人として付き合っていくのがいい。
と、思うことにした。あの日から。

「……松浦も、そうなんですか?」
「うん」

「ふーん」
ひとみがつまらなそうに相槌を打つ。
395 名前: 投稿日:2003年08月23日(土)03時15分16秒
――――じゃ、ウチはやっぱり藤本先輩を許せないな。
ひとみの目が細まり、そこに淡い光が宿る。
ちょうど亜弥が出てきて、その光に気付いたものはいなかった。

おー、と歓声があがる。亜弥が調子に乗ってその場で一回転した。
「えへへ。どう?どう?」
美貴の前まで行って、その顔を覗き込む。
ニコリ。美貴がひとつ笑った。
「可愛いよ」
「う、うん」

予想していた答え。予想していた表情。
それでも、何かが違う。
亜弥はそれにまだ順応できない。
396 名前: 投稿日:2003年08月23日(土)03時15分50秒
「松浦、可愛いぞ!」
「ひゃぁ!」
いきなり後ろから抱きすくめられて、亜弥が情けない悲鳴を上げた。
ひとみは「可愛い」を連発しながら亜弥の頭を撫で繰り回す。

「藤本先輩、松浦あんまり可愛いんで、さらっちゃっていいですか?」
「あはは。ダメ」
引きつっている。笑っているが、その口元が引きつっている。

相変わらず、素直じゃないわりに正直っすねえ、先輩。
ひとみは胸中で笑う。

「ちぇー。……じゃあ、藤本先輩をさらいます」
「へ?」
「ゲッツ! アーンド逃走」
「わあ!」

ひょいっと美貴の身体を抱え上げ、ひとみはそのまま用具室を飛び出そうとする。
しかし、帯を誰かに掴まれて足が止まった。

「うぐ!」
「吉澤さん、さすがにそれはまずいと思います」
冷静に諌めるその声の主はあさ美だった。中学卒業まで習っていた空手のおかげか、
彼女はおっとりしてるわりに力が強い。

「まずい?」
美貴を下ろしながらひとみが振り返ると、こちらを凝視している亜弥と目が合った。
397 名前: 投稿日:2003年08月23日(土)03時17分01秒
――――あれ、ひょっとしてマジ怒りですか、松浦さん?

判りやすい表情だった。頬を膨らませ、目を潤ませ、じっとこちらを見ている。
ひとみを睨んだまま、亜弥は美貴の手を引っ張って自分の方へ来させた。
美貴はどうするべきか決めあぐねて、亜弥のなすがままになっている。
そのままぎゅっと抱きしめられる。まるで、守られるみたいに。

ひとみはその様子に息を呑み、それから不愉快そうに眉根を寄せた。

――――手ぇ出すなって? そりゃあちょっと……違うんじゃないの? 松浦。
キミも藤本先輩も、そうじゃない方を選んだんだろ?
それなのに、そういう事しちゃうんだ?

「あー……。吉澤、買い物行ってきます」
半ば呆れてしまって、ひとみは両手を頭の高さまであげながら、誰にともなく言った。
「じゃあ、あたしも……」 
あさ美が歩き出したひとみの後をついていく。外に出る直前、あさ美は心配そうに
振り向いたが、何も言わなかった。

残された二人にも、言葉はない。
美貴は、だらんと両腕を下げて立っているだけで。
亜弥は、腕に力を込めて美貴を抱きしめているだけだった。
398 名前: 投稿日:2003年08月23日(土)03時17分37秒



399 名前: 投稿日:2003年08月23日(土)03時18分25秒
「吉澤くん、ちょっと悪役になっちゃおっかなー」

あさ美と並んで歩きながら、ひとみは顎に手を当てて呟いた。

「なんです?」
「んー。ちょっとね、うん。今の状況はやっぱり気に入らないからね」
「はあ……?」
「嘘とか嫌いなんだ。二人が納得してたって、ウチはあんなの嫌だ」
「もしもし? 何言ってるか判んないです……」

当惑するあさ美の頭に手を置いて、ひとみは爽やかに笑った。
そこに他意を見出せるほど、あさ美の観察眼は鋭くない。

「模擬店見に行こっか。食べたいもんがあったら奢ってあげるよ」
「あ、じゃあ、たこ焼きとお好み焼きと2-Bの喫茶店で出してるレアチーズケーキを」
「……紺野、ひょっとして根本的にウチの事嫌い?」
「何言ってるんですか。大好きですよ」
400 名前: 投稿日:2003年08月23日(土)03時18分58秒



401 名前: 投稿日:2003年08月23日(土)03時20分31秒
18回目終了。

言動の矛盾が出始めました。松浦さんたいへーん。
402 名前: 投稿日:2003年08月23日(土)03時28分06秒
>>370
記念カキコありがとうございます(^^)
珍しいんですかね、動揺する松浦さん(笑)

>>371
松浦さんはまだまだ無自覚です。でも着実に育ってはいます。

>>372
思春期の女の子のこういう状態を書くのが好きなんで、
萌えてもらって嬉しいです(笑)

>>373
繰り返しはもう。自分で読み返して「くど!」とか思ってしまうので(苦笑)
好きですか? ありがとうございます。

>>374
松浦さんは今、HDDを入れ替えてOSのインストールをしてる状態です(笑)
だ、大好きだなんて……ありがとうございます(感涙)

>>376
そうですね、ゆっくり気付いてくれればいいんですが。
約一名、それを待てないせっかちさんがいるようで(笑)
403 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月23日(土)04時04分54秒
うわっ
切ない。たまんない
藤本先輩もあややも両方切ない
よしざー先輩いいやつだなー
悪役になっちゃってください
そしてあやみきに真実の愛を
404 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月23日(土)04時15分51秒
美貴たんかわいそー!
この一言に尽きる
405 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月23日(土)04時34分11秒
青春だなぁ…
じれじれ、大好きです。
思春期の女の子特有の美しさも。
なんか高校戻りたくなっちゃいました。(w
406 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月23日(土)08時04分06秒
このままの微妙なところで一生中途半端にいてください!! などと思う今日この頃。
面白いなぁ。作者さんえらい。
407 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月23日(土)10時14分27秒
399のラストで爆笑した私は、本筋を読まないおバカさんですか?
あやや頑張れ
408 名前:ヒトシズク 投稿日:2003年08月23日(土)13時19分42秒
あー・・・めちゃ微妙な関係がまた微笑ましいですねぇ。。。
あやや&みきてぃ、どうするかなぁ?これから。
吉澤さんもいい味出してるし(笑。
では、次回楽しみにしてます〜
409 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2003年08月24日(日)15時15分18秒
煽りまくる吉澤
ホント自分のこと以外は余裕な奴だ
にしても矛盾あややにうろたえ美貴ティ萌え(・∀・)
410 名前: 投稿日:2003年08月24日(日)18時50分04秒



411 名前: 投稿日:2003年08月24日(日)18時50分41秒
    ******


「あ……や、ちゃん」

カラカラに乾いた喉が痛かった。美貴は何度も唾を飲み込む。

亜弥は俯いたままゆっくり美貴から離れて、それから顔を上げた。

「危なかったねー。吉澤さんケダモノだから、あのまんま連れてかれてたら、
みきたん何されてたかわかんないよ?」
「え……」

いつもどおりの無邪気な笑みを浮かべ、今までどおりの明るい声で言って、亜弥が
美貴の髪を優しく撫でた。

美貴はくっと顎を引き、彼女が何を望んでいるか読み取ろうと、その瞳を見つめる。
そこに浮かんでいるものの意味は、美貴には判らなかった。

「亜弥ちゃん……」

彼女は知っている。自分の気持ち。
彼女は拒んでいる。自分の気持ち。
彼女は気付かないフリをしている。自分の気持ち。

彼女は笑っている。
412 名前: 投稿日:2003年08月24日(日)18時51分15秒
「おなかすいてきた。吉澤さんに頼めばよかったかな」

くるっと身体を反転させ、美貴に背を向ける。長いエクステンションがふわりと舞う。

美貴がその背中へ腕を延ばす。届かないまま、腕は静かに元の位置へ下りる。

「もうすぐ本番でしょ」
「だからだよ。途中でおなか鳴ったりしたらヤじゃん」
「どうせ聞こえないって」
「やー。自分で笑っちゃいそうでさぁ」

にゃはは、と笑って、亜弥が振り向いた。
どこを見ているかよく判らない。視線は美貴を捕らえているが、その実、自分を
見ないようにしているような気がした。

それを敢えて咎めず、美貴は言う。

「じゃあ美貴、一番前で見張ってよっかな。聞こえたらチョー爆笑しそうじゃん?」
「えー! ダメじゃんそれじゃ!」

まるで子犬が甘噛みするように、亜弥が美貴の肩を拳で叩いてくる。
「痛い痛い、亜弥ちゃん痛いから」
美貴は苦笑いを浮かべながら、亜弥の腕を掴んだ。

「…………っ」
「あっ、ごめん痛かった?」

亜弥が小さく顔をしかめたのに気付いて、美貴が慌てて手を離す。
それほど強く掴んだつもりはなかったのだが、亜弥は右手で左手を押さえて俯いた。
413 名前: 投稿日:2003年08月24日(日)18時51分57秒
「ごめん、大丈夫?」
亜弥が何も言わないので、美貴はわずかに焦りながら小さく謝る。

「へへ」照れたように笑って、亜弥が軽く頷いた。

「……大丈夫。ちょっと捻っただけ」
「そう?」
「うん」

押さえられた左手はそのままになっている。美貴が様子を見ようとその手に触れると、
亜弥は消え入りそうな声で「平気」と言ってそれを避けた。

「腫れたりしたら大変だよ。ちょっと見せて」
「いいよ。だいじょぶだってば」
「痛くない?」
「全然へーき。ほら」

右手を外して、自由になった手をプラプラ振ってみせる。
美貴は釈然としないものを感じながら、それでも溜息ひとつで諦めた。

「痛くなったら、無理しないでちゃんと誰かに言いなよ?」
「わかってるってばもー」
414 名前: 投稿日:2003年08月24日(日)18時52分38秒
「ただいまー」
「…………いま」

晴れやかな顔のあさ美と、対照的にどんよりと影を落としたひとみが用具室に戻ってきた。
「よしこ? どしたの?」珍しい状態になっているひとみに、ちょっと引き気味に
なりながら美貴が声をかける。

ひとみがゆらりと視線を上げる。
死んだ魚の目をしていた。

「……いやぁ。なんでもないっすよ。ええ、なんでも……。
そうですね、あえて言うなら吉澤はそろそろ引退を考えるべきかもしれないって
事ですかね……」
「いやワケ判んないから」

「亜弥ちゃーん、たこ焼き食べる?」
「あ、食べる食べる!」

のほほんとビニールパックに入ったたこ焼きを楊枝で取り上げながら、あさ美は
呆れたような口調で美貴に話しかけた。

「吉澤さん、そのカッコで外出ちゃったから、女の子たちに囲まれちゃったんですよ。
で、やれ写真撮らせてだの腕組んでだのお姫さま抱っこしてだの騒がれて」
「ああ、よしこがそれ全部聞いちゃったわけね」
「です」
415 名前: 投稿日:2003年08月24日(日)18時53分22秒
頷く仕草の流れでたこ焼きを咥える。出来立てをもらってきたから、たこ焼きはまだ
熱々だった。
はふはふと短く息を吐いて熱気を逃がしながら、あさ美はパックを目の前の亜弥に差し出す。

「うぁい」
「いただきまーす」
たこ焼きを頬張った亜弥が、「ん〜っ」と唸りながら地団太を踏んだ。

「亜弥ちゃん、おいし?」

美貴の問いかけに、亜弥は楊枝を持っていない方の手を上げ、人差し指と親指で丸を作って頷いた。

「松浦、紺野……それはウチの金で買ったものだって事だけは忘れないように……」
死んだ目のまま、ひとみがボソボソと言ってくる。
亜弥は楊枝にたこ焼きを刺してからひとみに向き直り、小さく頭を下げた。

「吉澤さん、ありがとうございます」
丁寧に言って、たこ焼きを口に入れる。
「ん〜、おいしい」
「……残しといてやろうって気はないんだな……」

いいけどさ。拗ねたように呟いて、ひとみがその場に座り込んだ。
416 名前: 投稿日:2003年08月24日(日)18時54分14秒
「無理だって。紺ちゃんがいるんだから」
「……そっすね」
美貴の、慰めなのか止めなのかよく判らない言葉に、ひとみが力なく頷く。

8個入りのたこ焼きの半分が消えたところで、亜弥が美貴に声をかけた。

「みきたんも食べる?」
「ん? んー、いいや。おなかすいてないし」

パタパタと手を振りながら答える。

ガキだなあ、と思う。
別に食べたくなくても付き合ってやるのが普通だろう。
それが出来ない理由は、今はあさ美の手に渡っている楊枝にあるわけで。
417 名前: 投稿日:2003年08月24日(日)18時54分53秒
――――なに考えてんだか。

美貴は自分に呆れながら、それでも表面上は屈託のない笑みを浮かべていた。

結局、そういう事を考えるか考えないかが二人の決定的な違いだった。
美貴にとって、それは決定的ではあるが小さな差異だったし、それはどうにでもなると
思っていた。だから上手くいくと思っていた。

それなのに、妙な焦燥感を覚えていた。

「ふぅん。じゃああさ美ちゃん、二人で全部食べちゃお」
「うん」

亜弥が言うまでもなく、あさ美は当然のようにそうするつもりだったので、手も口も
止めないまま頷いた。

亜弥はさりげなく美貴に背を向けると、親指で唇についたソースを拭った。
唇に当てた指を、そのまま一文字に滑らせる。

妙にホッとしていた。理由は考えないようにした。
418 名前: 投稿日:2003年08月24日(日)18時55分37秒



彼女は気付いている。
彼女は気付かない。

彼女は迷わない。
彼女は迷っている。

彼女は答えを出している。
彼女も答えを出している。

彼女たちは戸惑っている。


答えを出しても時が止まらないことに。
419 名前: 投稿日:2003年08月24日(日)18時56分10秒



420 名前: 投稿日:2003年08月24日(日)18時56分44秒
    ******


観客はほとんど生徒で、父兄などの一般客は全体の3割程度だった。
制服の中にチラホラ見える私服は目立つ。一番前の真ん中だったら尚更だ。
少々居心地の悪さを感じながら、美貴は舞台を見ていた。

割り当てられた時間が45分と短いため、ストーリーはかなり短縮されているようだ。
登場人物も少ない。
とはいえ、美貴もそれほど詳しくないから、あまり違和感は感じなかった。

それにしても、と息をつく。

主役だからとか、出番が多いからとか、それだけの理由では説明できない、
あの二人の存在感。

演技力なんて、素人の高校生なんだからたいした事はない。台詞も立ち居振る舞いも、
どこか野暮ったくて冗長。亜弥なんてどうしても気になるのか、たまにこちらを見て
しまって美貴と目が合ったりしている。
それなのに、あの二人に魅せられる。

綺麗で、格好いい。
それは圧倒的な『魅力』。

時間が経つにつれ、そこここで聞こえていた話し声も止んだ。

画になるとか、そういう言葉で済まされるレベルではなかった。

二人は、様になった。

美貴はそれを見ていた。二人だけを見ていた。
421 名前: 投稿日:2003年08月24日(日)18時57分29秒




――――さて。

観客の注目は上々。ひとみが演技ではない笑みを浮かべる。

紺野、せっかく頑張って書いた脚本、ダメにしてごめんな?
でもたこ焼きとお好み焼きと2-Bで出してるレアチーズケーキとチョコレートケーキと
大学イモまで奢ったんだから、許してよ。

心の中で謝りつつ、ひとみは亜弥の背をそっと抱く。
亜弥は戸惑ったようにひとみを見上げる。台本と違うから困ったのだが、観客には
光源氏の君に触れられて恥らう紫の上にしか映らない。

「よし……」
「……しーっ」
亜弥にしか聞こえない、密やかなお願い。
「松浦があんまり可愛いんで、襲っちゃおうかと思って」
「ちょっ……」
「ほらほら、お客さん見てるから」

ひとみの言葉に、亜弥は半ば無意識に視線を客席へ移す。
最前列の中央でじっとこちらを見ている美貴と、視線が絡んだ。
鋭く、殆ど睨んでいると言ってもいいくらいの強い視線。

亜弥は困惑する。
422 名前: 投稿日:2003年08月24日(日)18時58分17秒
「紫……」
外へ向けた言葉と共に、ひとみは亜弥の顎を人差し指で持ち上げる。
亜弥は逡巡する。まさか、いくらこの人がお調子者でも本当にするわけがない。
だいたい、ここで嫌がったりしたら、舞台が滅茶苦茶になる。

けれど。
美貴が見ている。

たとえフリだけでも、見られたくない。したくない。
美貴のいる前では、そんな事絶対にしたくない。

迷っていると、ひとみが小さく苦笑した。一度亜弥の顎にあてがっていた手を離し、
肩に置かれている亜弥の右手をそっと外させる。
その手を自分の頬に当てさせ、ゆっくりと下ろす。
偽物の長い髪を一房すくい、そこへ唇を当てる。
そのまま、亜弥を見つめて笑う。
その笑みは、ひどく艶かしかった。

笑みを浮かべたまま、チラリと美貴を見やる。
ホントにしちゃおっかな? そういう目で、美貴を見る。
美貴はその視線を真っ向から受け止めた。鋭い、挑戦的な視線がひとみに突き刺さる。
423 名前: 投稿日:2003年08月24日(日)18時59分10秒
はいはい、冗談ですよ。意地の悪い笑みでそれをかわし、ひとみは亜弥へ視線を戻す。

「松浦」
小さく、ひとみが呼びかける。
「お前、今なに考えてた?」
「え……?」
「それが答えなんだよ?」

亜弥の表情が揺らぐ。出会ってから初めて、ひとみを恐いと思った。
彼女は壊そうとしている。美貴のように黙って受け入れるほど、彼女は優しくない。

「や…………」
「意地張んなよ。アタマもキモチも、どうにもなんないとこまで来てるよ、二人とも」

それきり、ひとみは演技に戻った。
人を惹きつけてやまない、魅惑的な笑み。

舞台も、客席も、痛いほどの静寂に包まれていた。
呼吸をするのも憚られるような、身じろぎひとつできないような、圧迫感。
424 名前: 投稿日:2003年08月24日(日)18時59分57秒


カタン。

425 名前: 投稿日:2003年08月24日(日)19時00分53秒
それは小さな音だったが、凝縮した沈黙を破るには十分な物音だった。
皆が音の元に注目する。そこには一人の少女が立っていた。
この学校の生徒であることを表す制服姿。黒髪を頭の上の方で二つのお団子にして
まとめている。幼い造形と大き目の制服で、おそらく1年生だろうと知れる。

周囲の視線を一身に集めている事など委細構わず、少女はそのまま出て行った。



「……あーあ、辻ちゃん怒っちゃいましたよ」
「……まさか観に来てるとは思わなかったんだよ」
舞台上の二人は、表情を一切変えずに話し合う。ただし、ひとみの首筋には
嫌な汗が伝っていた。

「とりあえず、続けましょうか」
「あれ、なんでいきなり冷静になってんの?」
「みきたんも出てっちゃいましたから」
426 名前: 投稿日:2003年08月24日(日)19時01分36秒
ひとみが目の動きだけで客席を見ると、確かに一番目立つ位置にいた美貴の姿はない。
全員の意識が希美に集中した時、それに乗じて抜け出したのだろう。
軽い嘆息をして、ひとみは亜弥に迫るのをやめた。

ふっと微笑み、密着していた身体を離す。
「相変わらず、姫は恥ずかしがり屋のようだ。そこが可愛らしいのだがね」

立ち上がり、舞台の脇に呼びかける。
「惟光。今夜は帰る事にしよう」

舞台袖では、あさ美が急いで台本をめくり、元に戻せそうな場面を探していた。
浮かんでいる表情を見る限り、明らかに怒っている。

――――ヤバ、殴られるかも。

彼女の正拳突きは本当に痛い。
演技を続けながら、ひとみは内心、戦々恐々としていた。
427 名前: 投稿日:2003年08月24日(日)19時02分18秒



428 名前: 投稿日:2003年08月24日(日)19時03分52秒
19回目終了。

よしこが均衡を崩しました。
藤本さんが結構ギリギリです。
429 名前: 投稿日:2003年08月24日(日)19時11分12秒
>>403
悪役ってもこの程度です。でも効果は絶大みたいですふふり。

>>404
かわいそうですよねぇ。誰だ、こんな目に遭わせ(ry
<ネタの使い回しはやめましょう。

>>405
思春期の女の子はいいですよね……( ̄▽ ̄)
自分が高校時代に戻ったら、是非とも紺野さん的立場に(笑)

>>406
わぁい、褒められた(^^)ありがとうございます。
中途半端なまま終わったら、夜道で刺されそうな気がします(笑)

>>407
いやぁ、そこに反応してもらえると書き手としては嬉しいです。

>>408
微妙な関係を書くのが好きなんです(笑)
そろそろ、どっちかが動いちゃうかもしれません。

>>409
ねえ?(苦笑) 人の世話ばっか焼いてる場合じゃないんですが。
しかも自分で墓穴掘ってますよ、ぷぷ。<ひでえ。
430 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月24日(日)19時35分36秒
まったくなんてやつだ、吉澤。他人事には無敵ってことか? そうなのか?!
自分がうまくいかないからって八つ当たり、なのか?!
思う存分正拳突きを叩き込まれることを期待しつつ。
そして二人がこれからどうなるか……いままでで一番、冷や冷やするなあ。
431 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月24日(日)23時54分40秒
最高潮に盛り上がってきましたね。
ああ〜続きが気になり過ぎてどうしていいかわからない。(w
432 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月25日(月)18時06分51秒
続きに期待
433 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月25日(月)21時16分07秒
同じく期待
434 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2003年08月26日(火)05時24分04秒
(0^〜^)よ
  も   っ  と  や   れ w
あやみきにハッパかけてるかわりに辻も怒らせちゃった
ツメの甘い吉澤に(・∀・)ニヤニヤ
435 名前:ヒトシズク 投稿日:2003年08月26日(火)15時55分52秒
そろそろ物語が動き出しそうな予感ですね〜
いやはや、よっすぃ〜と紺ちゃんがいい味出してますね〜
もちろん、亜弥ちゃんとミキティもですけどね(笑
では、次回の更新楽しみに待ってます!
436 名前: 投稿日:2003年08月26日(火)20時13分54秒



437 名前: 投稿日:2003年08月26日(火)20時14分30秒
    ******


気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。
自分自身に対して、吐き気がする。

友人でいる事を決めた亜弥。可愛がっていた後輩のひとみ。
その二人が、芝居で、演技で、触れ合った。

それがなんだっていうのか。

グルグルと駆け巡る黒い塊。それに押し潰されそうな自分。
美貴は何も考えないまま、勝手に足が向かう方へ進んでいた。数ヶ月前まで毎日
通っていた高校だから、何処に何があるかはわかっている。

たどり着いたのは、バレー部の部室。
ノブを回すが鍵がかかっていた。しかし美貴は焦らず、壁下に設けられている換気窓から
手を差し入れて、その上に貼り付けられている鍵を取り出した。
まだあった、と軽く笑う。忘れ物をした部員などが取りに戻れるよう、いつかの時代の
誰かがこっそり作ったスペアキー。それはまだ受け継がれているらしい。
438 名前: 投稿日:2003年08月26日(火)20時15分14秒
スペアキーを使って鍵を開け、滑り込むように中へ入る。
ロッカーの立ち並ぶ部屋の中で、美貴は蹲って身体の中からせり上がってくるものを
必死に抑え込んだ。
明かり取り用の小さな窓から、賑々しい笑い声が聞こえる。
自分が嘲笑されているようで嫌だった。

――――嘘だ。

友達でいいなんて、嘘だ。

ひとみだろうが誰だろうが、亜弥に触れて欲しくない。
自分が触れられない、手に入れられない存在に、気安く触って欲しくない。

ひどく気だるい。今まで見ないフリをしてきたものを眼前に突きつけられて、
より一層焦燥感が増す。

「あーも……サイアク」

穢したくない。嫌われたくない。離れたくない。

本当の意味で触れたい。手に入れたい。離したくない。
439 名前: 投稿日:2003年08月26日(火)20時16分03秒
嫉妬で気が狂いそうになる。
狂いそうになるだけで狂わない。そんな簡単に狂えるほど、人は弱くない。
グルグルと唸る黒い塊。狂う狂うとはやし立てる黒い塊。
それに負けるくらいなら、最初から苦しんでいない。

目立つ場所に座っていたから、二人とも美貴がいなくなった事には気付いただろう。
怒るだろうか。それとも気にしていないだろうか。
どうも、今日の亜弥は何を考えているかよく判らない。
どうしたら、どうなったら彼女が満足するのか、よく判らない。

「……いいや、めんどくさい」
考えるのが面倒臭い。ひとまず戻ろうと決めた。
細く長い息をつき、美貴が立ち上がる。今から戻れば、まだ終演には間に合う。

ドアノブに手をかけたところで、不意にそれが回転する。反射的に手を引っ込めると、
ドアは勝手に開いた。
「わ!」
「え!?」

開けた方も驚いたのだろう、びっくりした目が美貴を凝視している。
そこにいたのは小柄な少女だった。けして背が高くない美貴より、さらに数センチ小さい
440 名前: 投稿日:2003年08月26日(火)20時17分01秒
なんとなく美貴がその場から一歩引いて道を譲ると、少女は「てへてへ」と笑いながら
部室へ入って来た。

「あ……、バレー部の子?」
「そうれす」
「何か取りに来たの?」
「違うのれす。ののは……おやつを食べに来たのれす」

少女の掲げた手を見ると、安っぽい紙袋が握られている。
「お姉さんも食べますか?」邪気のない笑みで言われるものだから、美貴は断れない。

ベンチに座り、美貴は少女が差し出したキャラメルを受け取って口に入れた。

「ののちゃんて言うの?」
「ののは、ホントは辻希美って名前れす」
「辻ちゃんか」

『辻ちゃん』?

どこかで聞いた事があるような気がするが、なんだったか。思い出せない。
『辻』という苗字は珍しくないから、きっとクラスメイトにそんな名前の子がいるか
何かだろう。
441 名前: 投稿日:2003年08月26日(火)20時17分58秒
希美は袋から棒つきの飴を取り出して舐め始める。

「お姉さんはなんて名前れすか?」
「藤本美貴。ここの卒業生だよ」
「藤本さんは、どうしてここにいたんれすか?」
「ん……。美貴バレー部だったからさ、ちょっと懐かしくて」

さすがに本当の事を言うのは憚られて、適当にかわす。
甘くて茶色いキャラメルが、口の中で溶けていく。

「辻ちゃんは一人? 美貴と一緒に見て回ろうか?」
「友達と一緒だったけど、なんだかおなかがモヤモヤして出てきたのれす」
後であいぼんにごめんて言わないと。

ほう、と溜息をつく仕草があどけなくて、美貴は微笑を浮かべる。

「お菓子を食べると元気が出るので、1年A組の駄菓子屋さんでお菓子をたくさん
買ったのれす。でも……食べても元気が出ないのれす」
「友達と喧嘩でもした?」
美貴は優しく声をかける。希美の人柄に当てられたのか、久し振りに穏やかだった。
末っ子だから、お姉さんぶれるのが嬉しいのかもしれない。

希美がふるると首を振る。
442 名前: 投稿日:2003年08月26日(火)20時18分30秒
「……ののは好きな人がいるのれす」
「へえ?」
少し意外だった。子供子供しているから、そういうのはまだ早そうな気がする。
けれど、高校の制服を着ているということは少なくとも15歳にはなっているわけで、
それなら恋のひとつやふたつ、していてもおかしくはない。

「よっすぃはののの事が嫌いだから、こっそり後ろの方で劇を見てたのれす。
けど……見てたらなんだかおなかがグルグルして、それで……」
「あ、桃色!」
「ほえ?」

いきなり意味不明な声を上げられて、希美がキョトンと美貴を見る。
「や、なんでもない……」誤魔化し笑いを浮かべながら、美貴は浮き上がった腰を
ベンチに戻した。

――――そうだ、辻ちゃんて、亜弥ちゃんが言ってた子だ。

思い出してすっきりする。周りがみんな桃色だ、と亜弥がぼやいた時に出た名前。

「辻ちゃん、よしこの事が好きなの?」
「よっすぃを知ってるんれすか?」
「バレー部の後輩だったから。結構仲良かったよ?」

ちょっと今、その友情にヒビが入ってるけど。
443 名前: 投稿日:2003年08月26日(火)20時19分41秒
「よっすぃはみんなに優しいけど、ののには冷たいのれす。
ののはよっすぃに好きになってもらおうと思って頑張ったけど、やっぱり
お姫さまにはなれなかったのれす……。劇でお姫さまをやれたら、よっすぃもののを
好きになってくれるかもしれないって思ったのに……」
「……そっか」

生返事を返す美貴の心中には、純粋な疑問が飛び交っていた。

――――嫌い、ねえ。

少し話しただけで、希美の純朴さや無邪気さ、可愛さは判った。
お姫さまを演じる亜弥に嫉妬しているのに、それを判ってなくてお菓子を食べれば
治ると思っていたり、ちょっと舌足らずだったり。美貴はさっきから「ていうか
『れす』って何よ」とかツッコミたくてしょうがない。

ただそれは、簡単に馬鹿にしたり、嘲ったりできる類の幼さではない。
その奥にある芯の強さとか、意思の確かさだとか。そういうものが、彼女からは
十分に察することが出来る。

はっきり言って、ひとみが気に入るタイプだ。
444 名前: 投稿日:2003年08月26日(火)20時20分26秒
「よしこはホントに辻ちゃんの事が嫌いなのかなあ」
「嫌いれす。ののが近くに行くと顔を真っ赤にして怒るのれす」
「怒鳴ったりされるの?」
「それはないけど……、でも、すぐに遠くへ行ってしまうのれす。
よっすぃは足が速いから、ののは追いつけません」
「顔を真っ赤に、ですか。それで逃げると」

――――いやいや辻ちゃん。それ、思いっきり意識されてんじゃないの?

美貴も大概鈍感な方だが、彼女には敵わない。軽く乾いた笑い声を上げて、美貴は
遠くを見つめた。
そういえば、以前梨華が言っていた。ひとみが最近可愛くなったと。それは恋が理由じゃ
ないかと。
なんだかんだでよしこも女の子だったんだなあ、と感慨深くなる。

「あのね、辻ちゃん」
「でも、もういいのれす」
美貴の言葉を遮るように、はふ、と希美が息を吐く。

「ののはお姫さまになれなかったから。よっすぃの事は好きだけど、もう諦めるのれす」
「いやいやいやいや。諦めなくていいから。大丈夫、自信持って。
お姫さまなんてお芝居の中だけじゃん!」
445 名前: 投稿日:2003年08月26日(火)20時21分36秒
飴を食べ終え、残った棒を所在無げにクルクルと回していた希美の手をがっちり掴み、
美貴は真摯なエールを送る。
「よしこはきっと、辻ちゃんを迎えに来てくれるよ。だって……おっと、これは
美貴が言っちゃダメかな」

んふふん、と含みを持たせた笑いをこぼし、よく判っていない風の希美にウィンクする。
美貴に掴まれた希美の手の中で、飴の無くなった棒が来る来ると回っていた。

「そう……れすか?」
「そうだよ!」
美貴が力強く頷くと、希美は無邪気に笑った。素直に可愛いなあ、と思う。

「なんだか元気が出てきたのれす」
「よかった。お菓子のおかげかな」
「ううん。藤本さんがののに元気をくれたのれす」
「そう言ってもらえると嬉しいよ」

美貴が柔らかく笑った。
446 名前: 投稿日:2003年08月26日(火)20時22分11秒
「ののはもう、お菓子はいらないのれす。藤本さんにあげます」

ぐいっと紙袋を押し付けられて、美貴はわずかに苦笑した。
「ありがと」クシャクシャになった紙袋には、まだ多少の駄菓子が入っているようだ。

「もう、お芝居終わっちゃいましたねえ」
「あ……うん、ちょうど終わったくらいかな」
「よっすぃにお疲れさまを言いに行くのれす! じゃあ藤本さん、ありがとうございました」
「はは。頑張ってねー」

晴れやかな笑顔で去って行く希美を見送って、美貴はベンチに戻った。
447 名前: 投稿日:2003年08月26日(火)20時22分42秒
「……いい子だなぁ」
羨ましかった。彼女はきっと、一度も迷わなかったし一度も間違えなかったし
一度も逃げなかったし一度も恐れなかったんだろう。

迷って逃げて恐れてきた美貴にとって、彼女はとても羨ましい存在だった。
彼女の未来は簡単に予想が出来た。
両面が表のトリックコインのように、いんちきで誤魔化しで卑怯な、けれど誰もそれを
咎められない未来が予想できた。

曖昧で、ぼんやりしていて、輪郭の不確かな自分の未来とは大違いだった。
正常で正当で真っ当で正攻法な、何度も「それでいいのか」と問いかけられる自分の
未来とは大違いだった。

「……間違ってんの、かな」

誰が、というのは浮かばなくて、ただなんとなく、間違ってるのかもしれないと思った。
無理やり当てはめれば、『今』が間違ってるのかもしれない。
今が間違っているから、未来がないのかもしれない。

紙袋の中を覗き、そこにある駄菓子を眺める。

「あ、ココアシガレットだ。懐かしー」
煙草を模した箱から薄茶色の棒菓子を取り出して咥える。そのまま息を吸い込むと、
涼やかなミントの香りが通り抜けた。
448 名前: 投稿日:2003年08月26日(火)20時23分37秒



449 名前: 投稿日:2003年08月26日(火)20時24分40秒
20回目終了。

いきなりののみきが来るなど、誰が予想しえたでありましょう(反語)
450 名前: 投稿日:2003年08月26日(火)20時29分21秒
>>430
実は吉も結構ギリギリです。
ええまあ、そろそろ。

>>431
え、ええと。とりあえずお茶でも飲んで落ち着いてください(苦笑)

>>432-433
ご期待に副えるよう頑張ります。
……あ、プレッシャーで胃が(嘘)

>>434
何気に墓穴掘ってばっかですよね、よしこ(苦笑)

>>435
動き出しそうというか、終わりそうです(笑)
あの人とあの人が動いちゃえば、すぐに終わるので。
451 名前: 投稿日:2003年08月26日(火)20時30分37秒
いかん、自分でネタばらしをしてしまった(苦笑)
452 名前: 投稿日:2003年08月26日(火)20時31分13秒
流しー。
453 名前:つみ 投稿日:2003年08月26日(火)21時07分51秒
辻ちゃんとよっすぃ〜が結ばれれば・・・
その後は・・・
454 名前:ヒトシズク 投稿日:2003年08月26日(火)21時23分44秒
うわぁ・・・・(謎
ミキチティが切ないっすねぇ。。。
よっすぃーとののがこれから動きそうですね〜♪
楽しみです。
では次回の更新楽しみにお待ちしてます!
455 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月27日(水)00時11分00秒
そろそろ自分も限界が近いです。
でもののみきによって少し心が落ち着きました…。
作者さん、ありがとう。
これで穏やかな気持ちで更新を待つ事が出来ます(w
456 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月27日(水)01時28分45秒
俺はもう限界です…。
457 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月27日(水)02時18分55秒
ののみきが来るとは全然想像できませんでした
てへてへの一言で大爆笑してしまいました
誰だ?もしやまつーらさん!?などとテンションがあがりきったところでの
てへてへ
彼女はほんとに癒し系
458 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月28日(木)20時46分53秒
>>457
あのさー…
作者さん自身が>>451で「ネタバレした」っていってわざわざ流してくれたんじゃん。
もうちょっと注意しておくんなまし。
459 名前:457 投稿日:2003年08月29日(金)08時50分05秒
ごめんなさい
460 名前: 投稿日:2003年08月29日(金)21時21分24秒



461 名前: 投稿日:2003年08月29日(金)21時22分06秒
    ******


跳び箱にべったりと覆いかぶさり、ひとみはぐでぐでとした口調で呟いた。
「もうダメだ、完璧誤解された……」
「まあまあ。辻ちゃんの事だから、おなかが空いて何か食べにでも行ったんですよ」

亜弥の慰めはあながち間違いではなかったが、ひとみの言葉も間違ってなかった。

「てゆーか、二人ともさっさと着替えて片付け手伝ってください」
あさ美の静かな声に、二人が声を揃えて「はーい」と応える。
動きに制限のある亜弥が先に着替えるため、更衣室へ入って行く。ひとみは衣装のまま
大道具を運び始めた。

あの後、あさ美の機転とひとみと亜弥のアドリブで舞台は無事終了し、拍手喝采を
受けることが出来た。今は次のクラスのために舞台を片付けているところである。
462 名前: 投稿日:2003年08月29日(金)21時22分48秒
「あのー」
「はい?」
「の……1年の辻、こっちに来てませんか?」

入り口から顔を覗かせているのは、希美と同じような背格好の少女だった。
愛くるしい黒目がちな瞳をあさ美たちに向け、邪魔しないよう中に入らないまま
用具室を見回している。

「辻ちゃん? 来てないけど……」
あさ美が片付けの手を止めて少女に応じる。ひとみも持っていた牛車の車輪部分を
下ろして少女に顔を向けた。

「あの、ウチ、ののと一緒に先輩達の劇見てたんです。でも、ののがいきなりどっか
行っちゃって、そんで探してるんですけど……」
「あ、キミあれだ。いっつも辻と一緒にいる子」
ひとみがピン、と少女を指差す。以前、ひとみと鉢合わせた希美が脱兎のごとく
逃げ出した時に追いかけていた少女。そして、カラオケボックスで顔を合わせた少女。

「知ってるんですか?」
少女はもちろんひとみを知っていた。仲良しの子が金魚の糞みたいに追いかけていた相手。
しかし、ひとみが自分を他の人と区別できているのは意外だった。道を歩いていても
すれ違う人の顔をいちいち覚えないように、彼女は興味ある人間しか覚えない。
463 名前: 投稿日:2003年08月29日(金)21時23分49秒
「いや……まあ。それで、教室とかいなかったの?」
まさか以前嫉妬にかられたから覚えていたとは言えず、ひとみは話を戻す。

「見に行ったけどいなかったです。なんかのの、泣きそうだったから心配で」
「泣き……」
「まあ泣きたくもなりますよねえ。好きで好きでしょうがない人が他の子に迫ってるんだから」

ふうやれやれ、とでも言いたげなあさ美に、ひとみは恨みがましい視線を送る。

「紺野、ホントにウチの事嫌いな」
「好きですってば」
「じゃあ、ちょっと抜けてもいい?」
「ダメです」

あさ美はつれない。
喉の奥で唸って、ひとみは人差し指を立てながら言った。

「……上村屋のゴマ団子と苺大福」
「うーん、どうしよっかな」
「餅入りどら焼きと芋羊羹もつけよう」
「行ってらっしゃ〜い」

ひらひらと手を振るあさ美。
ひとみは駆け出しながら、ちょっと泣きそうだった。
464 名前: 投稿日:2003年08月29日(金)21時24分20秒



465 名前: 投稿日:2003年08月29日(金)21時24分54秒
「わあ!」
「うわ! なに、よしこ」

真っ先に向かった部室には、探している相手ではなく美貴がいた。

「なんで藤本先輩、こんなとこにいるんですか!」
「い、いいじゃん別に! そっちこそ、なんで衣装のまんまこんなとこ来んの!」
「あの、ちょっと人を探してて」
「人?」
「……辻っていって、ここの1年なんですけど」
「辻ちゃんならさっきまでいたよ。小体育館に戻ったはずだけど、会わなかった?」
「はあぁ!?」

しまった入れ違いになった。
ほぞを噛みつつ、ひとみは「ん?」と首を傾げる。

「てか、なんで藤本先輩が辻の事知ってんですか」
「ついさっき仲良くなった。よしこ、辻ちゃんから逃げてんだって?」
からかい口調で言う美貴に、ひとみは少し口を尖らせる。

「……藤本先輩には関係ないです」
「あはは。なんか前、同じような事した気がするね」

ひとみが美貴の家に来た時。立場は逆だが、似たようなシチュエーションがあった。
466 名前: 投稿日:2003年08月29日(金)21時25分43秒
美貴はベンチに座ったまま、居心地悪そうに突っ立っているひとみを見上げる。
その目が、穏やかに細められた。

「あの時のよしこの言葉、そっくり返すよ。
美貴はよしこが好きだし辻ちゃんも好きになった。
だから、二人が仲良くしてくれたらすごく嬉しいな」

美貴の言葉に、ひとみが一瞬きょとんとして、それから顔をくしゃくしゃにして笑う。
「あの時のウチの気持ち、判ってくれました?」
「うん」
「ならいいや」

満足そうに呟いて、ひとみは軽く片手を上げた。

まあ、これだけ美貴を焚き付けておいて、自分はグダグダと逃げ続けるというのは
許される話じゃないだろう。
それに、見てしまったから。あの時の彼女の表情を。

「んじゃま、辻と仲良くなりに行ってきます。先輩の命令は絶対ですから」
しょうがない。心の中で呟く。言い訳だったのかもしれない。
自分を動かすための、言い訳だったかもしれない。。
467 名前: 投稿日:2003年08月29日(金)21時26分29秒
気ぃ弱いんだよ。しょうがないじゃん。
傷つけたから償いたいってだけじゃ、動けないんだ、まだ。

いやに冷静だった。美貴が大義名分を与えてくれたからかもしれない。

「はは、体育会系だ」
緩やかに笑う美貴を前に、ひとみはその表情を不意に変える。
すっと歩み寄り、その眼前へ頬を寄せる。視線は外さない。

「……僕の頼みも聞いてくれたら、とても嬉しいんだけど」
「色仕掛けしても意味ないし」
「つれないなあ」
普通の女の子だったらキャーとか言って失神しますよ。

真面目な顔で言うと、美貴は「ないない」という風に手を振った。
ひとみは苦笑して、美貴から顔を離す。

「ま、そういうとこが好きなんですけど。藤本先輩も松浦も」
「そうなんだ?」
「そうですよ。カッコいい吉澤も、カッコ悪い吉澤も、お調子者の吉澤も、
真面目な吉澤も。全部『ウチ』だって判って態度変えないから好きなんです」
「よしこはよしこでしょ?」

壁に手をついて、ひとみは少し寂しそうな表情をした。
468 名前: 投稿日:2003年08月29日(金)21時27分14秒
「……『そんなの吉澤さんじゃなーい』」
「へ?」
「カッコ悪い吉澤を見た時の反応」
ドッヂボールをしていて、顔面でボールを受けてしまった時の反応。

「『吉澤さんはそんな事しなーい』。早弁見つかった時の反応」
「それはよしこが悪いんじゃない?」

美貴の言葉に、ひとみは拗ねたように唇を尖らせた。

「そりゃともかく。要するに、ウチはアイドルなわけです」
「ああ……それは判る」

カッコよくて、女の子に優しくて、スポーツ万能。
それが、周りの子が求める『吉澤ひとみ』なのだろう。

ひとみはそれに応えてきたし、それは楽しかった。
褒められているのだから悪い気はしないし、本気じゃなくても好かれている実感を
得られて嬉しかった。

それでも、それだけで自分を判断されるのは、少し嫌だった。
469 名前: 投稿日:2003年08月29日(金)21時28分11秒
「なんか、ちゃんと人と向き合うの苦手なんです。嫌な気持ちにさせたらどうしよう
とか、怒らせたり、傷つけちゃったらどうしようって思って。
藤本先輩も松浦も、そういうの、なんか判ってくれるから好きなんです。
けど……辻は、なんか、判んないから」
「ん……?」
「なんで辻がウチの事好きなのか判んないんです。カッコいい吉澤だけ見て好きに
なったのかもしれない。カッコ悪い吉澤見せたら嫌われるかもしれない。
そういう事考えたら、なんか恐くて」

とつとつと話すひとみの顔は、美貴が今まで見た事がないくらい気弱で、彼女の
本質的な繊細さを如実に表していた。

「……ったく」
美貴は膝の上に置いていた紙袋からマシュマロを取り出し、予告なしにひとみの
口へ押し込んだ。

「あぐ」
「シャンとしろ、吉澤! アンタ十分優しくて可愛いんだから、もうちょっと自分に
正直に動いたってバチなんか当たんないし嫌われたりしないよ!」
470 名前: 投稿日:2003年08月29日(金)21時29分32秒
目を白黒させるひとみの口の中で、
ふわふわした真っ白なマシュマロが溶けていく。

「……やっぱ、藤本先輩好きだなあ」
「そんなの判りきってるから、判ってない子にちゃんと言ってあげな」
「うっす」

敬礼の真似をして、ひとみが部室を出て行く。
軍服でも着ていれば格好よかったのだろうが、光源氏でその仕草をするのは
アンバランスで可笑しかった。

「あ、藤本先輩」
もう一度ドアが開き、ひとみが顔を出す。
「ウチもさっきの言葉、そっくり返しますよ。
――――十分優しくて可愛いんだから、もうちょっと素直になってください」

「ふはっ……考えとく」
美貴が少しだけ首を動かす。
頷いた、と判断するには角度が浅かったが、ひとみは顔の右側だけを歪めて笑った。
「嫌だ」と即答しないのなら、それで十分だった。

「松浦に教えますよ、ここにいるって。いいでしょ?」
「……いーよ」

じゃ、と一声残し、今度こそひとみは去って行った。


一人になった美貴は何かを諦めたように天を仰ぐ。
「もう、いいよ」
彼女が何を望んでいるか判らないから。
自分に都合のいい考えをしそうになっているから。

判らないから……訊くしかない。
471 名前: 投稿日:2003年08月29日(金)21時30分16秒



472 名前: 投稿日:2003年08月29日(金)21時31分11秒
21回目終了。

さて、ラス2です。
土日で完結できると思います。
473 名前: 投稿日:2003年08月29日(金)21時36分45秒
>>453
まあ、締めはやはりあの二人です(ニヤリ)
……あれ、くっつくって一言も言ってな(殴

>>454
ようやく一人動きました(^^)
ラストは後藤さんが動きます。<出てません。

>>455
焦らしてるつもりはなかったのですが(^^;
もうちょっとお待ちくださいな。

>>456
ああっ!(焦) も、もうちょっと待ってください。

>>457
書いてる方は全然、ひっかけとかのつもりはなかったんですよね(笑)
言われて初めてそういう読み方も出来るなと気付きました(苦笑)
474 名前:ヒトシズク 投稿日:2003年08月29日(金)22時23分04秒
きゃーーーーー!!!(再度ながら謎。
動き出しましたね!動き出しましたねーーーー!!!!(爆
さて、これからどうなるやら(笑
楽しみで楽しみで夜、眠れないかもしれませんね(ぇ
では次回楽しみにしています♪
475 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月29日(金)23時28分25秒
もうじき完結ですか…
楽しみのような寂しいような…
とにかく次回をただお待ち申し上げております。
476 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月30日(土)09時46分37秒
463の後半で爆笑した私。
だから、本筋はそこじゃないって・・・。
477 名前: 投稿日:2003年08月30日(土)19時25分37秒



478 名前: 投稿日:2003年08月30日(土)19時26分13秒
小体育館へ続く廊下で、後片付けを終えた亜弥達と鉢合わせた。
全力疾走していた身体は急に止まれない。勢い余って先頭を歩いていた亜弥にぶつかり、
ひとみは慌ててその身体を支えた。

「ととっ、悪い松浦。で、辻来なかった?」
「来ましたけど。吉澤さんいないって言ったら、すぐどっか行っちゃいましたよ」
「っだー! どっかのRPGかよ!」

基本的にアクションゲームやレースゲームしかしない亜弥には、ひとみが叫んだ言葉の
意味が判らない。首をかしげながら、ひとみの顔を見上げた。

「どこ行ったか判んないかな?」
「友達と一緒なんで、教室か……辻ちゃんの事だから、なんか食べに行ったのかも」
「そう……とりあえず教室、か。ありがと。――――あ、松浦」
「はい?」
「藤本先輩、バレー部の部室にいたよ」
「そう、ですか」

亜弥が微妙な表情をする。ひとみはその頭に手を置いて、ニッと笑った。
「大丈夫」
優しく言って、希美の教室目指して駆け出す。

「あ、吉澤さん、いい加減着替えた方が〜って、行っちゃった」
「いいんじゃない? 元々目立つ人だし」
「そうだね〜」

亜弥とあさ美の軽い笑い声がシンクロした。
479 名前: 投稿日:2003年08月30日(土)19時26分52秒



480 名前: 投稿日:2003年08月30日(土)19時27分39秒
「辻ぃ! いるかぁ〜!!」
討ち入りを思わせる勢いで乗り込むと、友人とお喋りをしていた希美はビクリと
身体を振るわせた。
髪型が崩れたのか、希美は椅子に座って友人に髪を梳いてもらっていた。少し癖のついた
長い髪が背中に落ちて、サラリと揺れている。

ひとみはドアに凭れかかりながら肩で息をして、ふぅと小さく息をつく。
「あーもー、ようやく会えたよ」
「よっすぃ……」
怯えにも似た色を瞳に浮かべ、希美が唇を噛む。

ひとみはまず、希美と一緒にいる友人に声をかけた。
「ごめん、ちょっと辻と二人で話したい」
「あ、はいはい。それじゃあ、お邪魔虫は退散しま〜す」
「ああ、あいぼぉ〜んっ」
「いいからいいから」

含み笑いを浮かべつつ、友人はあっさり教室を出ていってしまった。取り残された希美は
未練がましく友人の消えたドアを見つめる。
481 名前: 投稿日:2003年08月30日(土)19時28分10秒
ひとみがゆっくりと近づいて、希美が座っている席の隣から椅子を引き出し、そこへ
腰を下ろす。机に肘を乗せて頬杖をつき、少しつまらなそうに唇を結んだ。

「辻、今日は逃げないんだ?」
「……逃げてなんかないもん」
「嘘つけ。ウチのこと見つけるとすぐ逃げちゃってたじゃん」
「そ、そんなのよっすぃだって一緒じゃん」

「うん」ひとみは素直に頷く。
希美の視線は、ずっと机に置かれた文化祭のチラシに注がれている。

「ウチはずっと、辻の事が恐かった」
「え?」
「辻が、ウチのどんな所を好きになってくれたか判んなくて、嫌な部分とか見られたら
辻がウチのこと嫌いになるんじゃないかって恐くて。
……だから辻から逃げてた」

希美の目が、ひとみを捉える。
とっくに捕らわれていたひとみは、その視線に照れ混じりの微笑を浮かべた。

「でも、もう逃げないよ。だから辻に逃げられると困る」
「よっすぃ、のののこと嫌いなんじゃないの?」
「嫌いじゃないよ。嫌いなんて言った事、一回もないじゃん」

希美の告白から、一度だって正面から合う事のなかった二人の視線。
それが、絡む。
482 名前: 投稿日:2003年08月30日(土)19時29分22秒
ひとみの空いている方の手が希美の手を取って、その甲を軽く撫でた。

「辻は、なんでウチのこと好きなの?」

カッコいい吉澤だけを見て、好きになったのかもしれない。
他の子たちと同じように、演じているキャラクターを見て盛り上がってるだけかも
しれない。
それを思うと恐い。

それでも、知りたかった。

「よっすぃね……」
「うん」
「1年生の時、県の新人戦に出たじゃん?」
「出た……けど。なんで知ってんの?」

その時、希美はまだ中二だ。出身中学が違うから、ひとみの事は知らないはず。

「友達のお姉ちゃんが別のガッコの選手で、一緒に応援に行ったの」
「へえ……」
「そんでね、よっすぃのチーム、一回戦で負けちゃったでしょ」
「う、うん」

希美がそこで、「てへ」と小さく笑った。

「他の人、みんな初めてだからってあんまり落ち込んでないのに、
よっすぃだけ泣いてた。ブワー!って、おっきい声で」

ひとみが目を見開く。確かに、そういう事があった。忘れるはずがない、それから
しばらくの間、美貴にからかわれ続けたという忌むべき思い出である。
483 名前: 投稿日:2003年08月30日(土)19時29分59秒
「みみ、見てたのかよっ」
「うん。そんでね、それ見てなんか、可愛いなって思った」
「――――…………はぁ」

ひとみが右手で顔を覆う。
知り合ったのが高校で、告白されたのが4月だったから、てっきり外見だけで
好かれたのだと思っていた。
『カッコ悪い吉澤を見せて嫌われたらどうしよう』なんて、冗談じゃない。
最初に、最大級にカッコ悪いところを見られてるじゃないか。
484 名前: 投稿日:2003年08月30日(土)19時30分39秒
希美は更に続ける。

「入学式の時に、ののが迷ってるとこによっすぃが来てくれたの、覚えてる?」
「え?」

ひとみの眉が段違いに歪む。
正直にいえば、全く覚えていない。新入生に声をかけたり、案内をしてやった事は
一度や二度ではないのだ。

「あー……ごめん。覚えてない」

申し訳ないと思いながら正直に答える。しかし希美はあまり気にした様子もなかった。
その時の事を思い出したのか、照れ臭そうに笑いながら、繋がれた手に軽く力を込める。

「ののは覚えてた。髪伸びてカッコよくなってたけど、すぐによっすぃだって判った。
よっすぃが手ぇ繋いでくれた時にね、すごいドキドキした。
そんで、好きなんだって判った」
「……それだけで?」
「うん」
「……ウチ、女なのに?」

自分の首を絞めるようだが、聞かずにはいられない。
だって、手を繋いだだけで。
希美は朗らかに笑った。迷いのない笑みだった。

「よっすぃが男の人でも、ののはドキドキしたんだよ、きっと」

何一つ迷いのない言葉だった。世間の常識も自分の気持ちも全て理解した上で、
彼女は迷わずにいた。

外見や言葉使いや年齢の関係なしに、彼女は子供を卒業していた。
485 名前: 投稿日:2003年08月30日(土)19時31分35秒
「……うん。辻がウチを好きになるきっかけは判った」
子供を抜けきっていないひとみは、何も言えなくて強引に話をまとめる。

「じゃあなんで、最近逃げてたんだよ」
唇を尖らせながら言うと、希美も同じように口をアヒルにする。

「……ののは。ののだけ優しくされないから、みんなよっすぃの側に行っても
怒んないのに、ののだけ怒るから。そんで、もうヤダって思って、よっすぃに
今より嫌われたくないから、もうよっすぃのとこ行かないって……」

シンパの少女達。側に行くどころか、腕を組んでも拒絶していなかった。
亜弥。ひとみが自分から顔を見に行くくらい仲が良くて、劇で同じ舞台に立っていた。
それと比べた。

ひとみの唇がへの字に曲がる。

「怒ってないし、嫌ってない」

手のひらで、顔をひとつ撫でた。ひどく熱かったが、手のひらの熱なのか顔の熱なのか
よく判らなかった。両方かもしれない。

そろそろ言わなければならない。正直、ものすごく恥ずかしい。
初めてなのだ。初恋とは言わないが、告白なんて初めてする。
486 名前: 投稿日:2003年08月30日(土)19時32分21秒
気障ったらしい仕草も、お調子者のふりもしない。
照れ隠しのために、違う自分になったりしない。
今すぐ逃げてしまいたいが、自分で言ったのだ、逃げないと。

もうこれ以上、彼女を悲しませたくない。
もう、鬼ごっこは終わりにしないといけない。

「ねえ、辻」
「ん……」
「……ウチのお姫さまになってよ」

いやあ。さすがにズバっとは言えないね。
胸中で苦笑しながら、ひとみは続ける。

「演技じゃなくてさ。これからずっと、ウチのお姫さまになってほしい」
顔を真っ赤にしながら、それでも逃げずに言い切る。

希美は俯いたまま、じっとひとみに握られた手を見ていた。彼女の頬も朱に染まっている。

「……いい?」
「ん?」

静かに顔を上げ、希美は探るようにひとみの目を見る。
487 名前: 投稿日:2003年08月30日(土)19時32分54秒
「のので、いい?」

ひとみが静かに目を閉じる。彼女のその視線は強烈過ぎて、まだ受け止められない。
「うん。辻がいいよ」
「……てへ」

嬉しそうな声が耳に届いて、ひとみは胸中で溜息をついた。

――――なにやってたんだろうなぁ、半年も。

喉元過ぎれば熱さを忘れるというが、今のひとみは全くその通りの状態だった。
こんなに簡単だったのに。こんなに容易い事だったのに。

彼女をそんな風に笑わせられるのは、自分だけだと知っていたのに。

「辻」
「ん?」

ひとみが瞼を上げる。希美の顔を真っ直ぐに見つめて、それからひどく穏やかに笑った。

彼女のためなら何でも出来そうな気がする。
こんな風に笑ってくれるなら、どんな事でもしてあげたいと思う。
例え火の中水の中なんて気負わなくても、多分、色々と出来る事はあって。

とりあえず、ここから始めてみようか。
488 名前: 投稿日:2003年08月30日(土)19時33分31秒
ひとみは頬杖をついた手の小指で唇の端に触れてから、静かに告げた。

「好きだよ」

たった4文字の言葉。それでも、どれだけの人間がどれだけの言葉を重ねても敵わない言葉。

強い風が吹いて、口笛のように鳴った。

「……えへへ」

そっと手を外させ、希美が立ち上がる。ひとみは頬杖をやめて、身体を起こした。
「よっすぃ、逃げちゃダメだよ?」
「判った」

ぽふん。柔らかな感触がひとみの上半身に訪れる。
サラサラした髪が首筋に触れて、少しくすぐったい。

ひとみは机の縁に手を掛けて希美を支える。
抱きしめるには、まだちょっと勇気が足りなかった。
その代わりと言うように、希美がひとみの首筋に腕を廻してきゅっと力を込める。

「大好き」

幸せそうに囁かれて、ひとみは更に顔を赤くした。

――――あぁ、死にそう。
桃色の塊が身体中に溢れ、それはひとみをとろけさせる。
崩れまくった顔はかなり格好悪かったが、希美はもちろん嫌いになったりしなかった。
489 名前: 投稿日:2003年08月30日(土)19時34分02秒
「……あ」
「ん?」

とろけていた身体を固め、ひとみが目を開ける。
死にそうになっている場合じゃない。ちゃんと償わなければ。

「あの……さっきの劇。ごめんな? 嫌、だったんだよね?」

顔色を窺うように膝の上の希美を見上げ、ひとみが小さく謝罪する。
芝居とはいえ、理由があったとはいえ。他の子にあんな風に迫ったりして。

あの時の、彼女の顔。
思い出すだけで胸が痛む。

しかし希美は、キョトンとひとみを見つめて。
「なんだっけ?」
「なに」

眉を寄せ、首をかしげている希美に、思わず硬い声が出る。
――――忘れてんのかい!
こっちはひどい罪悪感に苛まれていたというのに。
490 名前: 投稿日:2003年08月30日(土)19時34分40秒
「うっそだよ」
からかうように言って、希美がきゅっとしがみついた。
「覚えてるけど、もう怒ってないよ。だってあれ、お芝居だもん。ののは本物だもん」
「あああ、そ、そう」

いきなり密着されて慌てふためきながら、ひとみはホッと胸を撫で下ろす。
つかえていた物は全て取り除かれた。だから、ひとみは本心以外の全てを取り払った表情で
希美を見つめた。
「んじゃあ……これから、よろしく」
「うん」

ひとみの手が、サラサラした髪をそっと撫でた瞬間。
ドォン!と盛大な音が後ろから聞こえた。
491 名前: 投稿日:2003年08月30日(土)19時35分16秒
「なな、なんだ!?」

驚いて振り向くと、そこには山があった。
山を構成しているのは少女達の群れ。ちょうど、器械体操が崩れた時のように折り重なって
倒れている。

「もう! ええとこやったのに! 邪魔せんといてよみんな!」
一番下になっている少女が叫んだ。希美の友人である、少女。
その台詞から察するに、どうやら覗き見をしていたらしい。

彼女が覗いているところに、クラスメイトや野次馬が集まって押し合いへし合いしている
うちに、ドアが圧力に耐えられなくなって外れてしまったのだ。

普通なら羞恥に慌てるところだが、ひとみはそれに気付く前に割れたガラスに気がついた。
ガラスの破片は倒れている少女達のすぐ側に散らばっている。
ひとみは何も考えないまま希美を離し、入り口へ向かった。
492 名前: 投稿日:2003年08月30日(土)19時35分49秒
「オゥ! スイートハニー達、怪我はないかい? あ、気をつけて、そこガラスがあるから」
一人ずつ手を取って順番に立ち上がらせ、ガラスを踏んでしまわないように誘導し、
最後に残った少女に微笑みかける。

「大丈夫? まったく、危ないコトするなぁ。可愛い顔に傷がついちゃったら
どうするんだい?」
「はあ……あの……」
「おっと、ガラスが落ちてるかもしれないから、僕の手に捕まって」

言い終わるなり少女の腕を掴み、優しく引き起こす。少女は困惑気味に眉を歪め、
それから申し訳なさそうな口調で言った。

「あの……本物のスイートハニーが怒ってるんですけど……」
「え?」

振り向くと、希美がきつく握った拳を震わせている希美と目が合った。
その目は……怒りに燃えている。
ヒクリと、ひとみの口元が引きつった。
493 名前: 投稿日:2003年08月30日(土)19時36分29秒
「あ、あの、辻……」
「よっすぃのバカ! 嫌い!!」

鈍い音がして、ひとみの身体が40度ほど傾いた。
494 名前: 投稿日:2003年08月30日(土)19時37分18秒
「うわ……グーで殴りよった」
立ち上がった少女が、まるで自分が殴られたように顔を歪め、小さく呟く。
希美は人垣をかき分けるように教室を出ると、そのまま全力疾走で去って行ってしまった。

「あたた……って、辻!? ちょ、ごめん!! 
今のはつい癖で……もうしない! もう絶対しないから!!」

慌てて追いかけるひとみの後ろ姿をぼんやり眺めながら、少女が呆れたように息をつく。

「……鬼ごっこの鬼が変わっただけやん」

二人の前途はまだまだ多難のようだった。
495 名前: 投稿日:2003年08月30日(土)19時38分43秒
22回目終了。

ようやっと、一つの決着が……ついた、のか?(苦笑)
496 名前: 投稿日:2003年08月30日(土)19時40分52秒
>>474
寝てください(苦笑)
夜更かしは美容に悪いですから(笑)

>>475
や、ありがとうございます(照
もう少しだけお付き合いください。

>>476
何気にいいコンビなのかもしれません、あの二人(笑)
つーか吉の財布は大丈夫なのかと自分で自分を小一時間(ry
497 名前: 投稿日:2003年08月30日(土)19時41分34秒
さて、次回でラストです。
498 名前: 投稿日:2003年08月30日(土)19時47分02秒
うわあ大ボケ!
>>492
× 振り向くと、希美がきつく握った拳を震わせている希美と目が合った。
○ 振り向くと、きつく握った拳を震わせている希美と目が合った。

です。ああぁ……(悔
読み返しで気付けよ自分……。
499 名前:赤鼻の家政婦 投稿日:2003年08月30日(土)19時53分59秒
可愛い!可愛すぎます!
地団駄踏みました、脳内で、あまりの可愛さに。<ちょっと落ち着け。

>「……鬼ごっこの鬼が変わっただけやん」

この台詞、めっちゃ好きです。

毎回毎回、作者さんの言葉の選び方とか、言い回しとか、読んでてたまらなくなります。
すげぇツボにきて仕方ないです。
他にもっと適切な言葉が見当たらない自分が悔しい!

次回でラストということなので、正座して待つことにします。
500 名前:堰。 投稿日:2003年08月30日(土)20時15分26秒
リズム。運び。心地よさ。たまらないです。
最後の一滴まで飲み干す覚悟で居ますが(笑)。
もう酩酊状態なので、美味しさしか解りません。
ラス1頑張ってください。名残惜しいけど。
501 名前:つみ 投稿日:2003年08月30日(土)21時14分25秒
ののとよっすぃ〜が結ばれてほっとしていましたが
次回がラストですか・・・
最後の作品待ってます!!
502 名前:ヒトシズク 投稿日:2003年08月30日(土)22時19分13秒
くぅわぁぁっぁぁぁぁーーーー!!!!(もはや無視してくださいレベルの謎。
やや・・・・やっと1つ決着がつきましたね〜♪
いやーよしこが意外にウブで・・・(w
はい、次回が最後ということで寝ずに・・・(嘘。
いえ・・・畳の部屋に正座して、背筋を伸ばして待ってます!!!
では〜
503 名前:犬好き 投稿日:2003年08月31日(日)08時48分49秒
ずっと読んでますよ〜。
皆さん、気づいてましたか?。このシーンでは、
のの髪型が、下ろされたバージョンであることに。ポワ〜。
504 名前: 投稿日:2003年08月31日(日)14時32分12秒



505 名前: 投稿日:2003年08月31日(日)14時32分51秒
    ******


あさ美が黒板の白墨受けからチョークをつまみ上げ、それを一気に黒板へ走らせた。
角度が悪かったのか、チョークと黒板は派手で耳障りな音を立てながら擦れ合い、
結果としてあさ美は教室にいる全員の注目を浴びる事となった。

「紺野ぉ、なにやってんの」
「何それ? 丸……?」
「えー、ボール?」
「判った零点だ」
「お月さま?」
「やだ、少女趣味ー」
「うっさいなあ」

描き終えたあさ美は、口々に勝手な事を言うクラスメイト達へ向き直り、カツ、と
チョークを黒板に当てた。

「これ?」

うんうん、とギャラリーが頷く。
あさ美は目を細め、小さく白い歯を覗かせて言った。


「出口」


506 名前: 投稿日:2003年08月31日(日)14時33分28秒
    ******


正直な話、まだ完全に判ったわけではなかった。
17年間培ってきた常識は簡単には消えないし、その先に待ち受けるものは得体が
知れなくて恐かった。

永遠に続くと思っていたカタチはあっさりと壊れて、その欠片をくっつけて
知らないフリをしてみても、やはり壊れたものは壊れたものだった。

あの日、壊れたものの代わりに自分の中に生まれたものを思う。

やはり、正しいとは思えない。
急激に育まれてしまったそれが、絶対に正しいとは絶対に思えない。

右手で左の手首を掴む。

自分に嘘をついているという意識は無かった。
ただ、両手を掴まれた時に感じた熱に、妙な焦燥感を覚えていた。

それは正しいような気がした。



507 名前: 投稿日:2003年08月31日(日)14時33分59秒
    ******


窓の外から聞こえていた喧騒は、もう随分小さくなった。
時計を見ると、あと30分で午後4時になる。文化祭は4時までで、それからは
生徒達の後片付けがあって6時から後夜祭が行われる。

去年の後夜祭では、亜弥と一緒にキャンプファイヤーへ紙風船を放り込んだ。
全長3メートルに及ぶ、巨大な紙風船だった。

炎に照らされた亜弥の横顔に見惚れた事を思い出す。

「……いつから好きだったのかなあ……」
気付いたのはひと月ちょっと前。その時いきなり恋に落ちたのか聞かれたら、
それは違うだろうと思う。
あまりに自然で、あまりに不自然で、自分でも気付かなかっただけなのだ。と思う。

気付かなければ多分、お互いに別々の恋をして、紹介しあったり相談したり、
そういう事が、あっただろう。

そっちの方が楽だったとは思う。一度はそっちにしようと選んだ。
けれどもう、力ずくで修正するには遅すぎた。
途切れてしまったものを無理やりくっつけても、自然な流れにはならない。
508 名前: 投稿日:2003年08月31日(日)14時34分44秒
カチャ、とドアの開く音。どこか遠慮しているように聞こえた。
美貴はそちらに視線だけ向けて、微かに笑った。

「おっそーい」
「だったらみきたんが来てよ」

拗ねた口調で憎まれ口を叩き、亜弥が美貴の頭を小突く。

それから、しばらくの静寂。帰り際なのか、子供の笑い声が聞こえた。
グズグズしている自分を笑っているようで少し可笑しかった。

「なにニヤニヤしてんの」
「なんでもないよ」

隣に座った亜弥がからかうように笑うので、美貴は笑い返した。
美貴の左肩と、亜弥の右肩が触れ合う。

ふと、力が抜けたのが判った。

「……よしこに、もっと素直になれって言われた」
「あはは。みきたん素直じゃないもんね」
「うん」

正面を向いていた顔を左に向ける。亜弥は前を見たまま。
やっぱり綺麗だと思う。
亜弥の横顔を見つめたまま、美貴が囁く。
509 名前: 投稿日:2003年08月31日(日)14時35分28秒
「ねえ、亜弥ちゃん」
「んー?」
「素直になっていい?」
「……んー」

亜弥が唸る。それは抑揚のない、感情の見えない唸り。

「……みきたんはもう18歳で、あたしも17なんだよねえ」
「うん」
「来年は、みきたん19歳になって、あたしは18になるんだねえ」
「そりゃそうだよ」
「再来年はハタチと19歳で、10年後は28歳と27歳」
「ま、そうだね」
「今のままだったら、その頃には二人とも結婚なんかしちゃってさ、子供とかいて」
「……かもね」

亜弥は指折り数えながら言う。
お隣さんの幼馴染のまま、ずっと家族ぐるみの付き合いをエンジョイして。

亜弥の指は全て折り畳まれて、既にグーの形になっている。
それを見つめながら、亜弥はその手をパッと開いた。

本当の答えは自分の中にあった。
ひとみがそれを教えてくれた。
本当に、どうにもならない所まで来ていた。

もういい加減、認めなければならなかった。

「でももう、いいよ」
510 名前: 投稿日:2003年08月31日(日)14時36分06秒
彼女を失いたくなかったし、他の誰かを代わりに出来るとも思えなかった。

触れたかったし、触れて欲しかった。
それが、何度も悩んで書き直した結果の最終解答だった。

答えが正しいかどうかなんて、もうどうでもいい。

それは、ただの本能。
511 名前: 投稿日:2003年08月31日(日)14時36分52秒
「え?」
聞こえなかったのか、意味が判らなかったのか、美貴が眉を顰める。

「そういうの、いらないから。素直になっていいよ」

自然なものが不自然になって、それはもう元通りにはならないから。
自然だった子供の時代は、もう失われたから。子供のまま好きと言えた時代は終わったから。
だから、また新しく作っていく。
ゼロから始まるなら、それはもう不自然じゃない。

「いいの?」
ちょっと驚いて、美貴が思わず聞き返す。
亜弥が完全に納得したはずがなかった。あの時見せた未練は、そう簡単には消えない。

亜弥は苦笑いを浮かべて、美貴の額をつついた。
「じゃあ、ダメ」

「ちょっと、なにそれ」
今度は美貴が苦笑する。

「嫌ならそんな事聞かないの。ホント素直じゃないんだから」
呆れたように息をついて、亜弥の手が素直じゃない口を捻り上げる。

「いひゃひゃひゃ」
「てゆーかこういう時にそんな事言うな、ばかー」
512 名前: 投稿日:2003年08月31日(日)14時37分52秒
一線を越える、という表現はよく使われる。
二人は今、その線上に立っていた。それはちょっと気後れしたら
すぐさま戻ってしまうような、危うい位置だった。

戻っても、そこにあるものはもう失われてしまった。
戻っても、そこにはもう何も無い。戻ったら堕ちてしまう。
妥協と、馴れ合いと、諦めと、後悔に堕ちてしまう。
だったら先に進むしかない。

怖気づいてしまわないように、亜弥の腕が美貴の首に廻される。
触れてしまったら、もう逃げられない。

「――――みきたん、あたしの事好きでしょ」

ちょっと身体を低くして、上目遣いで見つめる。
美貴は軽く嘆息する。どこまでいっても自分を可愛く魅せたがるんだから。
しかも疑問形になっていない。答えを確信した問いはいつもの事だけれど、それは
ゼロリセットされても変わらないらしい。

だから美貴も、判りきっている答えをちゃんと返さなければならない。
513 名前: 投稿日:2003年08月31日(日)14時38分48秒
「……美貴は」

数え切れないくらい言った言葉。
ふとしたきっかけで言えなくなった言葉。
些細な理由で言うべきじゃなくなった言葉。

今、言わなくてはならない言葉。

「亜弥ちゃんの事が好きだよ」

それは初めての告白。
始まりの告白。

亜弥が満足そうに笑った。
514 名前: 投稿日:2003年08月31日(日)14時39分31秒
「あたしも、みきたんの事が好きだよ?」
「なんでそこが疑問形なの」
「ん、判ってないかと思って」

みきたん鈍感だから。意地悪く笑う亜弥の吐息が鼻先にかかる。美貴は笑った。
人の事言えないじゃん、と思ったが、それは言わないでおいた。

「うん、正直、自信なかったんだけどね」
「今は?」
「今もちょっと自信ない」
「……もう」

亜弥は軽く頬を膨らませ、十分至近距離にいる美貴をさらに引き寄せた。

希望も絶望も真実も欺瞞も純粋も不純も安心も不安も、一度全て失って。
それでも、そんなものはまた求めたらいい話だった。彼女がそれを与えてくれる事は
判っている。

求めるだけで、与えないのはフェアじゃない。
そんなものは子供の我がままで、恋とは呼べない。
515 名前: 投稿日:2003年08月31日(日)14時40分56秒
鼻先が触れるほど引き寄せて、亜弥がそっと囁く。

「判らせてあげよっか?」
「そうしてもらえると、嬉しいかな」

コツ、と二人の額がぶつかる。潤んだ亜弥の瞳に、美貴の視線が浮かぶ。

「みきたんに大好きのちゅう」
「……うん」

額をくっつけたまま、美貴が静かに目を閉じる。
亜弥が首の角度を変える。

触れた、と思う間もなく離れる唇。

「……あれ? 短くない?」
「い、いいのっ」

なんとなく拍子抜けしてしまって、美貴はきょとんと亜弥を見つめた。耳まで赤く
なっていて、可愛くて愛しくて抱き締めたくなる。

亜弥は照れているのか、少し怒った風にも見える表情で美貴を見上げる。

「初めて、だからね?」
本当は一度、美貴にされた事があるが、あれは美貴自身が覚えてないからノーカウントだ。
516 名前: 投稿日:2003年08月31日(日)14時41分54秒
「……へへ」
美貴はとろけた顔で笑うと、両手で亜弥の頭を包み込んだ。
「次はもうちょっと長いのがいいなぁ」
「う、うん……それは、ちょっとずつね」
亜弥が視線を逸らす。見られたくないと思っていることが判ったから、
美貴は口元だけで笑んだまま、瞼を下ろした。

ポンポンと花火の上がる音が響いた。4時になって、文化祭が終了した合図の花火。
「……みきたん、もう帰る時間ですよー」
「うん」
「だから、離してほしいなーって」
一応、終了後に出席を取られるので、それまでには教室にいないと早退扱いになってしまう。
去年までここの生徒だったんだからそれくらい知っているだろうに、美貴は亜弥の頭を
抱え込んだまま解放してくれない。

「もうちょっと」
「ダメ」

少し強めに言うと、美貴は渋々手を離した。亜弥は湯気が上がりそうなほど赤く
なっている顔を、手のひらで冷やしながら立ち上がる。
「いこ?」
「うん」
差し出された手を取り、美貴も立ち上がる。
517 名前: 投稿日:2003年08月31日(日)14時42分33秒



518 名前: 投稿日:2003年08月31日(日)14時43分11秒
途中、「おーい」と呼ぶ声が聞こえて、美貴は声の主を探して首を回した。

「ふっじもとせんぱーい! こっちこっち」
上の方から聞こえてくる。見上げると、教室の窓からひとみが顔を出していた。
窓枠に凭れかかり、持ち上げた片手をこっちに向かって振っている。
なぜかその左頬には、大判の湿布が貼られていた。

美貴がピースサインをしてやると、ひとみは一瞬目を見張って、それから
はにかみながら同じようにピースを返した。

それだけで二人とも、全部わかった。
だから今度は、握った拳から親指を突き出してひとみに向ける。さっきのは報告で、
これは「おめでとう」だ。
ひとみは敬礼のように手を額へかざしてから、グッドサインを返した。

「なに通じ合っちゃってんの」
亜弥が笑いながら言った。
519 名前: 投稿日:2003年08月31日(日)14時43分59秒



520 名前: 投稿日:2003年08月31日(日)14時44分35秒
昇降口まで手を繋いで歩く道すがら、不意に美貴が笑った。
「どしたの?」
「ううん、なんでもない」
「なにそれ、気になるなあ」
「なんでもありませーん」

いきなり気付いた。小さい頃から亜弥に甘かった理由。

――――そうすると、美貴はもうずっと前から亜弥ちゃんの事が好きだったんだねぇ。

そういうのもいいか。無邪気に手を引かれていた子供時代も楽しかったから。
あの頃がどうでもよくなったわけじゃない。
ただ、前に進んだだけだ。

人は成長するから。いつまでも子供のままではいられない。

まだ何もかも納得する事は出来ないが、今のカタチだってきっと楽しくなる。

とりあえず、と美貴が繋いでいた手を外した。亜弥が少し不安そうに美貴を見る。
美貴は含み笑いをしながら、外した手をもう一度絡めた。

「手の繋ぎ方を変えてみました」
「…………ん」
文化祭は終了し、生徒は各自の教室へ集まっている。たまに忙しなく駆けていく足音が
聞こえてくるが、見える範囲に人はいない。
だから亜弥はその手を拒まなかった。

重ねられた手のひらは少し熱い。
絡んだ指はピッタリ合わさって、それはひどく自然だった。
521 名前: 投稿日:2003年08月31日(日)14時45分40秒
「ねえ、みきたん」
「ん?」
「……今日、みきたんの部屋行ってもいい?」

「ふはっ」美貴が吹き出す。
「なんで笑うの、なんで笑うの」
「ごめんごめん」

美貴は繋いでいる手を引っ張って亜弥を引き寄せ、その耳元に囁いた。

「亜弥ちゃんならいつ来ても大歓迎だよ?」
「ホントに?」
「うん」

「……にひひ。」甘えるように、美貴の肩に顎を乗せて亜弥が笑う。
「にひひ。」同じように美貴も笑う。

頭を戻してから、亜弥が繋いでいる手をブンと大きく振った。
「やっぱかーえろ」
「え? 後夜祭は?」

突然方向転換されて、美貴がバランスを崩して転びかけた。
慌てて体勢を立て直し、亜弥の後について歩く。

亜弥は一瞬表情を失って、それからムッとしたように眉を寄せた。

「やっぱみきたん、鈍感だ」
「だって、亜弥ちゃん後夜祭楽しみにしてたじゃん」
「……もぉっ」

呆れたように息をつき、さっきの美貴と同じように引き寄せて。
522 名前: 投稿日:2003年08月31日(日)14時46分23秒
「早く帰ってもっかい大好きのちゅうしたいって言ってんの!」

噛み付くような口調で一息に告げると、亜弥はふいっとそっぽを向いてしまった。

「あ……あぁ〜…………はい」
そんな可愛い事を言われたら、美貴には断る義務も権利もない。
腰砕けになりながら、美貴は引かれるままに校門へ向かって歩き出した。

――――2回目はもっと長くしてくれんのかなぁ。

そんな淡い期待を抱きながら。







《The beginning of Girlhood.》
523 名前: 投稿日:2003年08月31日(日)14時48分10秒


524 名前: 投稿日:2003年08月31日(日)14時48分55秒
23回目終了。

以上をもちまして、『Lost Childhood』は完結です。
ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。
525 名前: 投稿日:2003年08月31日(日)14時55分03秒
>>499
では私はお返しに、脳内でコサックダンスを。
鬼ごっこは、捕まった人が次の鬼になるという事で(笑)
言葉遊びは三度の飯より好きなので、ツボって頂けると嬉しいです。

>>500
どんなもんだったでしょうか、最後の一滴。
悪酔いされてないといいんですが(爆)

>>501
前回のレスはちょっとしたボケでした。
ハラハラさせてしまってたらすみませんです(^^;

>>502
うちの吉は純情ですよ! 多分ほっぺにちゅうとかされたら心臓止まります!(爆)
あ、どうぞ足崩してください。麦茶でもどうですか? 砂糖入れます?

>>503
読んでてくださってありがとうございます。
そうなんです、髪下ろしてるんです。ちょっとビジュアル的にも
大人っぽくしたかったので。
526 名前: 投稿日:2003年08月31日(日)15時00分32秒
さて、実はもう一人、子供を脱却させたい子がいるので、後日短編を載せる予定です。
本編にはストーリーの展開とその子の役割上、ちょっと入れられなかったので。
DB風に言うなら「もうちょっとだけ続くんじゃ」(笑)
527 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月31日(日)15時46分11秒
( ´д`) ハァー
528 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2003年08月31日(日)17時52分51秒
すっごくよかったです!
読後感最高!あやみきもよしののも幸せになれてよかった!
>>子供を脱却させたい子
もしかして紺野ですか?
短編楽しみにしています!!
529 名前:つみ 投稿日:2003年08月31日(日)18時29分47秒
えがった!えがった!
あやみきの傑作でしたね!
530 名前:赤鼻の家政婦 投稿日:2003年08月31日(日)20時01分13秒
この、読後に訪れる爽快感がたまらない。
適切な言葉が見つからない自分がホント、情けないのですが、
書き手の立場から、私はこの言葉が何よりも嬉しいので、
おこがましいのですが、この一言に、凝縮させていただきます。

面白かったです。

で、脳内コサックダンス、出張、ありがとうございました(w
531 名前:犬好き 投稿日:2003年08月31日(日)20時57分33秒
んんー。
終わっちゃって寂しいですが・・。
いい作品ありがとうございました!。
532 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月31日(日)21時20分49秒
(いちおうの?)完結おめでとうございます。

DBは「もうちょっとだけ続くんじゃ」の後のほうが長いんですよね。
期待しております(笑)
533 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月31日(日)21時26分32秒
大団円おめでとうございます!!
ぐわーって胸がいい感じに熱くなりました。
紺野カッコええ・・とかも思いつつ。
534 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月31日(日)23時30分37秒
完結おめでとうございます。
よかった…ほんとによかった…。あぁ、あやみきっていいなあ…。
読み終えたあと、素直にそう思えた作品でした。
なんか言いたいことはもっとあるはずなのに、ありきたりな
感想しか出てこない自分が嫌になります。
またありきたりですが、素晴らしい作品をありがとうございます。

ところで、終わったばかりですが早く短編が読みたくてしょうがないです(w
そして次回作もあやみきだったらいいな…なんて期待してみたり…。
535 名前:堰。 投稿日:2003年08月31日(日)23時32分53秒
完結おめでとうございます。そしてお疲れ様でした。
手腕と文字とのリズムに酔ったまま、
けっきょく醒めることなく酔っているような気分がします。
いやいや。悪酔いなんぞ、無縁です。心地よさに唸ってます。
まだ少々続くとのことですが。
ふあぁ。「判らせてあげよっか?」にて撃沈しました。
またその手がみれることを楽しみにしております。
うぃずらぶです(笑)。
536 名前:ぷよ〜る 投稿日:2003年09月01日(月)05時21分42秒
完結お疲れ様でした!!
ここのあやみきにはどっぷりハマらせていただきました。
ホントに素晴らしい作品をありがとうございました。
537 名前:名無しさん 投稿日:2003年09月01日(月)08時35分50秒
おもしろかたー
よかたー両想いになれてー
結局最後まで藤本さんは寝ぼけ絡み事件に気付かなかったな
馬鹿だなぁでもキャワイー
538 名前:ヒトシズク 投稿日:2003年09月01日(月)13時58分15秒
んきゃぁぁぁぁぁぁーーーー!!!(もう慣れて下さいの謎。
か・・完結おめでとうございます(泣。
何か読み終わった後はすっきりと後味さっぱりで・・・(w
本当にこのお話を作者さんにお会いできて嬉しかったです!!!
後日に短編を掲載されるそうで、そちらももちろん楽しみにしています♪
あ、麦茶は氷たっぷりでお願いします〜
539 名前:『マシュマロ』 投稿日:2003年09月03日(水)23時02分50秒


安物のラジカセから流れる音楽が、キャンプファイヤーの周りを舞っている。
あさ美は少し離れた芝生の上に体育座りをして、明々とのぼる炎と、
それを取り囲んで騒ぐ生徒やノリのいい若手教師たちを眺めていた。
折り曲げられた足と胸の間には、薄っぺらい鞄がふたつ。

「おっす」
ぽふ、と頭に手を置かれ、あさ美が手の主を見やる。
「吉澤さん、一人ですか?」
「うん。辻はもう帰ったから」
制服姿のひとみがあさ美の隣に座り込む。「飲む?」持っていた紙コップを差し出され、
あさ美はそれを受け取る。

「あちっ」
入っていたのはミルクティーだった。予想していたより熱くて、あさ美は思わず
顔をしかめる。

「吉澤さんはいいんですか?」
「あー、キャンプファイヤーのとこにずっといたら暑くって。冷たいもの買おうと
思ってたのに間違っちゃったんだ。紺野、全部飲んでいいよ」
「やった。ありがとうございます」
もう秋の終わりが近づいていて、風が少し冷たい。あさ美のいる位置には
キャンプファイヤーの熱も届かないから、ちょっとだけ身体が冷えていた。

甘い紅茶を喉に流し込み、あさ美はほぅ、と息を吐いた。
540 名前:『マシュマロ』 投稿日:2003年09月03日(水)23時03分30秒
後夜祭は午後8時に終了する。しかし、最終が8時というだけで、帰る時間は自由。
希美のように日が落ちきらないうちに帰る生徒もいるし、後夜祭が終わってから
自主的な打ち上げに繰り出す生徒もいる。月曜日は今日の振り替え休日になっているから、
羽目を外す生徒が数名、毎年必ず出てくる。
あさ美はそのどちらでもなく、なんとなく賑やかな輪を眺めて、飽きるか時間がきたら
帰るつもりだった。

去年は亜弥と美貴と一緒に、三人でキャンプファイヤーの前でずっと話をしていた。
今年は一人。

「紺野さあ」
「はい?」
不意に、ひとみが独り言のような口調で話し掛けてくる。
541 名前:『マシュマロ』 投稿日:2003年09月03日(水)23時04分15秒
「紺野、ウチの事好きだろ?」
通りがかった生徒に手を振りつつ、ひとみは言った。
虚をつかれて、あさ美は一瞬言葉が出ない。

「好きじゃん?」
「……まあ、はい」
嘘をついても仕方ないので正直に答える。

嫌った事なんて一度もない。彼女は自分と同じだったから。
大事なものを大事にして、部外者である事を知りながら足を踏み入れて。

同士のようなものだった。あの二人のカタチに惹かれていた同士。

以前許せなかったのは、彼女があまりにもお人好しだったからだ。
自分が原因で亜弥が嫌がらせされているのに、何一つ気付かず亜弥を可愛がっていた。
悪気の欠片もなく興味のない人間へ愛想を振りまいて、知らないうちに亜弥を追い詰めていた。
あさ美はそれが気に入らなかったし、そのせいで亜弥が壊れる事を危惧していた。

今許せているのは、彼女があまりにもお人好しだったからだ。
自分だって問題を抱えているのに、亜弥の事も美貴の事も放っておけなくて、自分から
首を突っ込んで助けようとした。
あさ美はそれが好ましかったし、そのおかげであの二人のカタチはあさ美の目から見て
とても自然になった。
542 名前:『マシュマロ』 投稿日:2003年09月03日(水)23時04分58秒
だから何度聞かれても、あさ美は同じように返すだけだった。

「好きですよ」

ひとみは柔らかく目を細めてあさ美の頭を撫でた。
夜に融けていた真っ黒な髪が、月明かりを反射して煌く。

「ウチも紺野のこと、好きだよ」
「浮気ですか? ダメですよ」
「そうじゃなくて」
紺野だってそうじゃないだろ? 問われて、あさ美はあっさり頷く。
「当たり前じゃないですか」
あまりに真剣な表情で言われて、ひとみは微かにたじろいだ。

「まあ……。色々、ちゃんと謝っておこうと思ってさ」
ミルクティーは全て飲み干され、あさ美は空になった紙コップを折りたたみはじめる。

「なんか……ごめんな? 劇とか結構勝手なことしちゃったしさ。あと、松浦達のことも……」
「いいですよ。劇はなんだかんだで成功したし、みんなラブラブで幸せそうだし」

柔らかい紙コップはどんどん小さくなって、ギュッと力を込めると最後には
四角い塊になった。
折りたたんだコップを胸ポケットに入れる。道すがら、ゴミ箱を見つけて捨てるつもりだ。
543 名前:『マシュマロ』 投稿日:2003年09月03日(水)23時05分55秒
身体を起こした拍子に、鞄がひとつ膝から落ちた。
「それ、松浦の?」
「はい。帰りに届けてあげないと」
さすがに自転車は無理ですけどね。あさ美はちょっと笑いながら言った。彼女も自転車
通学なので、まさか2台同時には乗っていけない。

鞄を抱えなおし、あさ美が遠くを見つめながら呟く。

「いいんですよ?」
「ん?」
「みんなのこと好きだから」
「…………そっか」

ひとみが腕を延ばし、あさ美の身体を捕まえる。
おとなしく腕の中に納まりながら、あさ美はゆっくり目を閉じた。
「辻ちゃんに怒られちゃいますね」
「あとで謝っとく」
「うそばっかり」
あさ美がぷかりと笑った。

「紺野」
「はい?」
「ウチが紺野に色々奢ってあげるのは、
紺野がうまそうに食べてんの見るのが好きだからなんだよ?」
「……知ってますよ」

薄く目を開けて、自分の身体を包んでいる腕を見る。
微かに動いているのは、ひとみがずっと撫でてくれているからだ。
あさ美は微笑して、また目を閉じた。
544 名前:『マシュマロ』 投稿日:2003年09月03日(水)23時06分40秒



    ******

545 名前:『マシュマロ』 投稿日:2003年09月03日(水)23時07分23秒
「亜弥ちゃん」
「んー?」
「亜弥ちゃん」
「ん?」
「……美貴もう、腰痛い」
「ダメ。もっと」

首筋に頬をすり寄せ、甘えた声で言われて、美貴は逆らえない。
美貴は肩から上をベッドに乗せる形で寄りかかりながら、覆い被さるように抱きついて
いる亜弥の背中をやんわり撫でている。
正直、この体勢はかなり辛い。背骨がギシギシ鳴っている。いい加減ちゃんと
起き上がるか、完全に寝転がるかしたい。
けれど、膝の上で安心しきった表情をしている亜弥を見ると、強くは言えない。

――――ああ、惚れた弱みって悲しい。

とほほ、と心で泣いていると、亜弥が少しだけ身体を起こして美貴と視線を合わせた。

「みきたん、ここ1ヶ月であたしと何回会った?」
「は?」

いきなり聞かれて、思わず間の抜けた返事をしてしまう。
546 名前:『マシュマロ』 投稿日:2003年09月03日(水)23時08分21秒
「いいから。何回?」
「え……結構会ってたような……」
「全然! 5回くらいしかないよ!」
「亜弥ちゃんも覚えてないんじゃん」

次の瞬間、口答えするなとばかりに両頬を引っ張られる。
「あうぁぁん」亜弥ちゃん、と呼んだつもりなのだが、出てきた音は全く違っていた。
亜弥は手を離すと、立てた人差し指を美貴の鼻先に突きつけた。

「とにかく、今のあたしの中にはみきたんが足りないわけ。オーケー?」
「……はいはい」
もうどうにでもしてくれ、と心中で溜息をついて、美貴は抗議を諦める。

「よーし」亜弥が正面から美貴を見据える。
ん?と視線で問う。亜弥は照れた風に笑い、美貴の前髪をかき上げると、軽く音を
立てて露わになった額へ口付けた。

「――――あぅ」
喉から変な音が出た。朱を帯びた頬が熱を持って、首に妙な汗をかかせる。
亜弥が艶かしい視線を美貴に絡める。それは、以前は見られなかった姿態。

亜弥はそのまま口元だけで笑って囁いた。
「みきたん補給のちゅう」
「…………」

再度凭れかかって来た身体を受け止め、美貴は小さく溜息をつく。
547 名前:『マシュマロ』 投稿日:2003年09月03日(水)23時09分14秒
「亜弥ちゃん、ずるい」
「ずるくないもん」
「ずるいよ」
「ずるくない」
「ずるい〜っ」
「何がずるいのっ」

亜弥はちょっとムッとして、美貴の両肩をベッドに押し付けながら睨んだ。
その視線を真正面から受けた美貴は、やはりちょっとムッとしていた。

「おでこにするの、ずるい」
「え」
「……大好きのちゅう、してよ」

さっきの色っぽさはどこへやら、ボンと音がしそうな勢いで赤くなって、
亜弥がそそくさと美貴から離れる。

「亜弥ちゃ〜ん。どうしたの? してよ」
亜弥が勝ち誇ったように笑む美貴をキッと睨み、手近にあったクッションを
オーバースローで投げつける。「わ!」美貴は慌てて両手を顔の前に上げ、それを防いだ。
548 名前:『マシュマロ』 投稿日:2003年09月03日(水)23時10分05秒
亜弥は一定距離を保ちながら、床に手をついて吠える。
「か、帰ってすぐしたじゃん!」
子犬みたいだった。それが可愛くて、美貴はますます調子に乗る。

「したけど。もう一回」
ニコニコとした、害意のない美貴の笑顔が憎たらしかった。

「そ、そんなに何回もできません!」
「亜弥ちゃんさっきから噛みまくり」
「だからなに!」
「照れてる亜弥ちゃん、可愛いなって」

亜弥の全身から力が抜ける。いつもは自分から強気で押すのに、逆に押されると
途端に弱くなってしまう。
それは小さい頃から変わらなかった。
「うぅ〜……」やはり子犬のように唸りながら、美貴を上目遣いで見つめる。

「……今日はこれで最後だからね」
「いいよー」

膝で美貴ににじり寄り、ぺたんと腰を下ろす。首に腕を絡めてそっと引き寄せる。
美貴が目を閉じたのを確認して、緩んだ美貴の唇に唇を寄せた。
549 名前:『マシュマロ』 投稿日:2003年09月03日(水)23時11分25秒
「おねえちゃぁーん! 友達来たー!!」

亜弥の部屋のベランダから届いた妹の声に、亜弥が反射的に飛び退る。
唇はまだ重なっていなかった。

亜弥の狼狽も美貴のショックも知らず、妹は呑気に姉を呼ぶ。

「紺野さんが来てるー!!」
「い、今行く!」

というわけで、と出て行こうとする亜弥の腕を美貴が掴む。
亜弥を離さないまま立ち上がり、拗ねたような顔をすると、表情そのままの口調で呟いた。

「……してくんないの?」
「だって、あさ美ちゃん待たせちゃうから」
妹がむくれた時と同じ顔なので、亜弥は思わず美貴の髪を撫でる。
美貴は口をへの字にしたまま溜息をついた。

「美貴も行く」
「え、なんで?」
「……お邪魔虫に文句言わなきゃ」
550 名前:『マシュマロ』 投稿日:2003年09月03日(水)23時12分04秒



551 名前:『マシュマロ』 投稿日:2003年09月03日(水)23時12分51秒
亜弥の家の玄関先で待っていたあさ美は、後ろから人の気配がして振り返った。
振り返った先で、亜弥と美貴が並んで歩いてくるのを見つけ、顔を綻ばせる。
「あー、亜弥ちゃん。藤本先輩も、こんばんは」
「こんばんは」

軽く手を振って、美貴が微笑む。文句はとりあえず、心の中だけで言っておいた。
本気で言ったらあまりにも大人げない。

「どしたの? こんな時間に」
「鞄。亜弥ちゃん、学校に置いてったまま帰っちゃったでしょ」
「あー、そうだ」
教室に戻らないで帰ったから、当然鞄は教室に置き去りにしていた。
鞄を受け取って、亜弥が笑う。

「ありがと」
「ううん。うちと方向一緒だったし。でも自転車は持って来れなかったよ」
「そっかー。じゃあ火曜日は吉澤さんに乗せてってもらおうかな」

何の気なしに言った途端、ひょい、と腰を捕まえられる。お?と思う間もなく
引っ張られて、柔らかい感触が背中に当たった。
捕まえた犯人である美貴は亜弥の肩に顎を乗せ、ちょっと強めの口調で言う。
「ダメ」
「なんでー」
「なんでも。美貴が送ったげるよ」
「ホント?」
「うん」
552 名前:『マシュマロ』 投稿日:2003年09月03日(水)23時13分30秒
「あのー。人前でいちゃつかないでもらえますか?」
あさ美から呆れたように言われて、美貴は慌てて亜弥から手を離した。
「ご、ごめん」
「いいですけど。なんか亜弥ちゃん幸せそうだし」
「えへへ。判る?」
そりゃ判りますとも。あさ美は苦笑みたいに息を洩らして、亜弥の頭を撫でた。
気付かれないように亜弥の隣を見やる。普通に笑っていた。これくらいなら
美貴も妬いたりしないらしい。

――――いいなあ。

羨むでもなく、妬むでもなく、ただ単純に、いいなあと思った。
可愛いアクセサリーを見た時とか、綺麗な景色を見た時とかに感じる、『いいなあ』。
あさ美は穏やかに笑う。

彼女の隣にいるのは、亜弥が一番似合うと思う。

だからあさ美は、ひとみと違って何もしようとしなかった。無理に聞く事も、
何かを言う事もなかった。
美貴には、亜弥が一番似合っていたから。
だから、例え何があっても『そうなる』と信じて疑わなかった。

それが今来ただけで、それを自分が寂しいと感じるのは筋違いだと思った。
553 名前:『マシュマロ』 投稿日:2003年09月03日(水)23時14分19秒
それでもなんとなく泣きたくなって、それを誤魔化すために視線を外した。
気付かれないように息をつき、笑みを浮かべて美貴に向き合う。

「藤本先輩」
「なに?」
「……握手してもらえますか?」

突然の申し出に、美貴は予想通りきょとんとした。

「紺ちゃんの頭の中って読めないよねー」
苦笑混じりに言いながら、それでも美貴は右手を差し出す。

あさ美がその手を取り、きゅっと一度力を込めて、美貴が握り返さないうちに離した。
握り返されたら、それは意味が違ってしまうから。

美貴は戸惑いを誤魔化すように笑い、自由になった手を下ろした。

「もういいの?」
「はい。ありがとうございます」
「なになに? 今の、なんかのおまじない?」
亜弥が横から首を突っ込んでくる。あさ美はにこりと笑った。

「うん。早生まれの人と握手すると、志望校に合格できるんだって」
「あー、あるよね。現役合格した人のシャーペン使うといいとか」
「そうそう」
あさ美の嘘を疑うこともせず、亜弥と美貴は「へー」と感心している。
554 名前:『マシュマロ』 投稿日:2003年09月03日(水)23時15分09秒
「紺ちゃんは進学組なんだ?」
「はい、一応」
「紺ちゃん、頭いいもんね。誰かと違って」
「誰かって誰? ねえ誰?」
「……えと、よしこ、とか」
亜弥に詰め寄られて逃げ腰になる美貴を見て、あさ美が吹き出した。


もう遅いから、と前おいて、あさ美は自分の鞄を持ち直し、ペコリと頭を下げる。
「じゃ、亜弥ちゃんまた火曜日にね」
「うん。じゃーね」
「藤本先輩、お邪魔しました」
「はは……」
バレてましたか。美貴が困ったように笑う。

二人に見送られながら、あさ美は自転車を押し始める。

角を曲がって、二人に見えなくなってから、ハンドルを握っていた右手を胸に当てた。


高校に入学してすぐ、亜弥とは仲良くなった。
必然的に美貴と顔を合わせる機会も多くなり、二人の仲の良さを目にすることも多かった。

いつからか、頭の中で自分と彼女たちの立場を置き換えてみるようになった。
美貴と置き換えることもあったし、亜弥の場合もあった。
羨望も嫉妬もなかった。
ただ、いいなあ、と思った。
555 名前:『マシュマロ』 投稿日:2003年09月03日(水)23時16分17秒
美貴に対する恋でも、亜弥に対する恋でもなかった。
それは二人の形に対する、柔らかくて曖昧な、ふわふわした淡い憧憬。

あさ美はたった今過ぎた曲がり角を振り返り、小さく右手を振った。
「バイバイ、亜弥ちゃん。さようなら、藤本先輩」
寂しいけど、仕方ない。
寂しいけど、ひとみが判ってくれたからちょっとは救われた。

これからも変わることはない。亜弥は大事な友人で、美貴は優しい先輩のまま。
ただ、子供みたいなごっこ遊びをやめる。それだけの事だった。

胸ポケットに入れたままだった紙コップの球を取り出す。
大きく息を吸って、思い切りそれを放り投げた。真円の光を落とす街灯に照らされた
それが、放物線を描きながらどこかへ吸い込まれて消える。

初めてそんな事をした。思いのほか気持ちが良かった。
気分爽快というやつか。大口を開けて、声を出して笑いたい気分だった。
それでも、もう二度とこんな事はしないと決めた。

夜風があさ美の髪をすり抜けて、幾筋かを柔らかく持ち上げる。

あさ美は自転車にまたがると、鼻歌を歌いながら走り出した。






《The thrown Marshmallow has disappeared.》
556 名前:『マシュマロ』 投稿日:2003年09月03日(水)23時17分30秒



557 名前: 投稿日:2003年09月03日(水)23時18分14秒
以上、『マシュマロ』でした。
558 名前: 投稿日:2003年09月03日(水)23時25分02秒
纏めてしまってすみませんが、「LC」(めんどいので略)に関して
レスを下さった皆さん、ありがとうございます。

seek初挑戦ということで、色々とミスが目立つものになってしまいましたが、
自分としては気に入っている話なので好評頂けて嬉しかったです。

語りたい事は色々ありますが、ネタバレになってしまうので簡単に。


この話は松浦さんの誘い受けだったりします。
559 名前: 投稿日:2003年09月03日(水)23時27分42秒
それでは、今度こそ本当に完結です。
お付き合いいただき、ありがとうございました。

いずれ機会を見て再チャレンジしたいと思ってます。
その時は、ミスのないものを(苦笑)
560 名前:名無しさん 投稿日:2003年09月04日(木)00時25分34秒
完結お疲れ様でした。
終わってしまってかなり寂しいですが
近いうちに次回作を引っさげて帰ってきてくれることを信じて
待つことにします。
とにかく大好きな作品でした。凄く面白かったです。

紺野さんもすてきな恋愛ができると良いですね。
561 名前:名無しさん 投稿日:2003年09月04日(木)03時33分24秒
ついに本当の完結ですか…。
まだまだ読みたいと思ってしまうのはわがままですね。
おとなしく新作に期待することにします。
脱稿、おめでとうございます。
素晴らしい作品をありがとうございます。
562 名前:時雨 投稿日:2003年09月05日(金)00時00分41秒
脱稿おめでとうございます。大変楽しませていただきました。
序盤のハラハラ感と最後の甘々っぷりはもう本当に癖になります。
吉辻もほほえましいカップルで読んでて嬉しかったです。
円さんの書かれるあやみき大好きです。
独り言ですが、新作もあやみきでありますよーに(w
563 名前:名無しさん 投稿日:2003年09月05日(金)14時34分07秒
逸脱した文章能力。尊敬しています。
円さんの描くあやみきはマイナスイオン効果あり。
最高でした、お疲れ様でした。
564 名前: 投稿日:2003/09/14(日) 03:03
>>560-563

レスありがとうございます。
seekで書くのもあやみきを書くのも初めてだったので結構緊張してたんですが、
自分が好きなものを好きなように書いて、それを好きだと言ってもらえるのは
とても嬉しいです。

実はあやみきにハマったのが5月末くらいで、それまで全然意識してなかったので
「こんなんあやみきじゃねえ!」とか言われたらどうしようかと思ってました(苦笑)

とりあえず、まだまだ熱は冷めそうにないので、ちょこちょこと書いていけたらなと。
565 名前:『天使の愉悦・人の憂鬱』 投稿日:2003/09/14(日) 03:04
「あたしねえ、天使になるんだ」
唐突に亜弥が言う。美貴は雑誌を読んでいた顔を上げ、ふぅんと気のない返事をした。
亜弥はベッドに寝転がってテレビを見ていて、美貴はそのベッドに背中を預けながら
雑誌を眺めている。亜弥は下向きの頭を左手で抱えて引っ張る。さしたる抵抗も見せずに
美貴は頭を後ろに倒す。後頭部が亜弥の腹部に当たった。

「羽が生えてね、頭の上にわっか乗っけて真っ白い服で」
「亜弥ジェルだね」
「そういうんじゃないよ。ホントの天使」

美貴は大して面白くもなさそうに相槌を打っている。亜弥の身体を包んでいる
ブランケットは純白をしている。
額に手を滑らせ、生え際からかき上げるように美貴の髪を撫でる。
美貴が少し首を傾けて、亜弥と目を合わせた。

「天使は安倍さんだよ」
「安倍さんは人じゃん」
亜弥が喉を鳴らして笑う。美貴は抽象的な意味で言ったのだが、どうも亜弥の方は
そう受け取っていないようだった。
膝の上に乗せていた雑誌を傍らに置き、亜弥が包まっているブランケットの中に潜り込む。
566 名前:『天使の愉悦・人の憂鬱』 投稿日:2003/09/14(日) 03:05
「天使願望ってカッコ悪い」
少し拗ねたような声だった。

天使とか、星とか、そういう『空にあるもの』が綺麗だとは思わない。
それは、誰かがここからいなくなる事を想起させるから。

亜弥は不思議そうな目をして美貴を見る。
「願望じゃないよ。ホントにそうなんの」
「判ったよ。勝手になれば?」
「なにそれぇ」
美貴は微かに苛ついている。馬鹿げた事を言う亜弥に苛ついているのか、嫌な事を
連想してしまった自分に苛ついているのか、判断はしない。

亜弥が美貴の手を取って、自分の腰に廻させた。
「背中、触ってみてよ」
「背中?」
「うん。肩の下の方。骨が出っ張ってるとこ」
言われたとおり、美貴はタンクトップの下に手を潜り込ませて亜弥の背中を辿り、
肩甲骨の辺りを撫でる。
ピクリと、美貴の瞼が震えた。

「羽が生えるんだよ」

面白そうに、亜弥が言った。
567 名前:『天使の愉悦・人の憂鬱』 投稿日:2003/09/14(日) 03:06
左右の肩甲骨の少し内側。そこに、身体の中から押し上げられているような瘤が
二つ存在していた。
美貴の指先が瘤をなぞる。少し強く押して、亜弥の表情を窺う。

「痛くない?」
「全然。感触は判るけど」
「いつから、こんな……」
「先月の頭くらいかな。最初はもっと小さかったけど、どんどんおっきくなってった」
「……病院行こうよ。変な病気とかだったらどうすんの」
「変じゃない病気ってなに?」
的外れな亜弥の返答に、美貴は眉を寄せた。
「腫瘍とかかもしんないじゃん。
ちゃんとお医者さんに診てもらわなきゃ駄目だよ」
真面目に言っているのに、亜弥は笑うだけで首を縦に振らない。

「大丈夫だって」
「なに言って……」
「天使になったら、ずっとみきたんの事見守っててあげる」
美貴の首に腕を巻きつけ、猫のように頬を摺り寄せる。美貴は戸惑いを隠すこともせず、
しかし何を言えばいいかも判らず押し黙った。

「羽が生えたら、みきたんに一番最初に見せてあげるね」
別に、狂った風でもなかった。
568 名前:『天使の愉悦・人の憂鬱』 投稿日:2003/09/14(日) 03:06
美貴はざわめく心を押し隠す。無理やりにでも病院へ連れて行った方がいいだろうか。
それとも、亜弥が言うとおり羽が生えてくるまで待っていた方がいいのか。

――――馬鹿馬鹿しい。

羽なんて生えてくるわけがない。人の身体は羽なんて生やす余地は無い。そんな構造は
持っていない。
鯨の尾ひれは足が退化したものだ。鳥の翼は前肢が進化して翼になった。
人は足が退化しなかったし、前肢は腕へと進化した。
だから、いきなり人の背中に羽が生えるなんてあり得ない。そのための器官がない。

亜弥のこれは、羽なんかじゃない。

「ねえ、やっぱ病院行こって。死ん、じゃったらどうすんの」
ふと出た単語に、思わず声が詰まった。無理やり続けたが、少し声音が弱い。
それに気付いたのか、亜弥は頬を寄せたまま小さく笑った。
「心配性だね、みきたんは」
「普通、こんなんなったら心配するよ」
「ちょっと、そのまんま触っててね」
「え?」
569 名前: 投稿日:2003/09/14(日) 03:07
瘤を覆うように当てていた美貴の手が、不意に抵抗を失う。
「……え?」
背中を撫で回す。盛り上がっている部分は消えて、自然な曲線を描いている。

「すごいっしょ?」得意げに亜弥が言う。

美貴はもう、言葉も出ない。
「ずっと出っ張ってたら困っちゃうよね。衣装で背中開いたのとかあるしさぁ。
みきたんだってお風呂の時とかする時とか、今まで気付かなかったじゃん?
変だと思わなかった?」

「これ……。ホントに……?」
「さっきからそう言ってんのにー」
亜弥は困った様子で笑った。

ただの腫瘍なら。単に細胞が肥大化しただけの塊なら、こんな風に自分の意思で
動かしたりは出来ない。
羽なら。骨組みに羽毛を纏った羽なら。
……動かせる、だろう。

「ちゃんと生えたらすぐに電話するから、絶対来てよ?」
くすくすと、楽しそうに笑う。
亜弥に羽が生えたら。純白の翼が、その背中に生えたら。

それは……とても、綺麗だろうと思った。
570 名前:『天使の愉悦・人の憂鬱』 投稿日:2003/09/14(日) 03:07



571 名前:『天使の愉悦・人の憂鬱』 投稿日:2003/09/14(日) 03:07
亜弥が体調不良のために仕事をキャンセルしたと聞いて、すぐにピンと来た。
最近では羽が身体の中で大きくなりすぎて、隠しても多少の膨らみが出来るくらいに
なっていた。
とはいえ、触らなければわからない程度のものだったから、それを知っているのは
美貴しかいない。

「そろそろ生えるかもね」なんて言っていたのは、つい先週のことだ。

美貴は収録を終えた後、メンバーからの食事の誘いを断って真っ直ぐに帰った。
家に着くなり携帯電話を取り出し、亜弥の携帯へ電話をかける。
亜弥は出ない。いつもなら、身体が空いていればほんの数コールで出るのに。

携帯を閉じ、ポケットにねじ込む。あとは財布と鍵だけを持って家を出た。
大通りに出てタクシーを捕まえ、亜弥の家までの道順を運転手に告げる。初老の運転手が
はいはいと軽く頷いてタクシーを発進させた。
572 名前:『天使の愉悦・人の憂鬱』 投稿日:2003/09/14(日) 03:08
亜弥のマンションに着いて、部屋のドアまで来たがインターフォンは鳴らさない。
キーホルダーに連なっている鍵から一つを選び出し、ノブの鍵穴へと差し込む。
焦っているのか、鍵はなかなか回ってくれなかった。
何度かガチャガチャとやって、ようやく中でバネが跳ね上がる音がする。鍵を抜き取って
ポケットへ戻し、やや乱暴にドアを開けた。

「亜弥ちゃん!」
真っ暗な部屋の空気は凪いでいた。美貴の声でその空気が流れたが、それ以外に動いた
ものはなかった。
明かりをつけ、ぐるりと部屋を見回す。リビングには亜弥の姿はない。
寝室へ続くドアを開ける。差し込む光で中の様子が見て取れた。

ベッドの上に、純白のブランケットが丸まっている。それは蝶のさなぎを思い起こさせた。

触れてはいけないのだと、本能的に悟った。

ドア脇に座り込み、壁に背中を預ける。さなぎは微動だにしない。
カチコチと、壁に掛けられた時計の針が動く音だけが、時間の経過を表現していた。
573 名前:『天使の愉悦・人の憂鬱』 投稿日:2003/09/14(日) 03:08
どれだけの時間が経ったのかは判らない。何時にここへ来たのかもよく判らないし、今が
何時なのかも判らない。

もぞもぞとブランケットのさなぎが動き始める。美貴は息を呑む。
丸まっていたブランケットが、はらはらと解れて、中から亜弥が現れた。
その背中には、綺麗な、翼が。
翼は亜弥の体液で濡れている。それを乾かすためなのか、一度大きく羽ばたいた。
抜け落ちた羽毛がそこここに飛び散って、一枚が美貴の胸元へ張り付いた。

「……ああ、みきたん。来てくれてたんだ」
美貴の姿を見つけた亜弥が、嬉しそうに、微笑んだ。
「亜弥、ちゃん」
「一番に見てもらいたかったんだ。だから嬉しいな」
「亜弥ちゃん」
「やーでもこれ、結構気持ち悪いねぇ。お風呂入ってくんね。上がったら羽乾かして?」
翼は微かに震えている。美貴はそれから目を逸らせない。

何かに飲まれたように動けずにいると、亜弥は微かに苦笑いを浮かべ、美貴の胸元に
落ちた羽を拾い上げた。

「お風呂上がったら、みきたんが乾かしてね?」
「……うん」
「そんで屋上行こ? 飛んでみたいんだ」
「……うん」
それから、美貴は亜弥が戻って来るまでその場を動けなかった。
翼は、濡れてしぼんでいても、ひどく綺麗だった。
574 名前:『天使の愉悦・人の憂鬱』 投稿日:2003/09/14(日) 03:09



575 名前:『天使の愉悦・人の憂鬱』 投稿日:2003/09/14(日) 03:09
ドライヤーで一枚一枚に風を当てていく。翼は亜弥の足元に届くくらい大きくて、
乾かすのに時間がかかった。
住宅街にあるマンションは、既に眠りの気配に包まれている。ドライヤーの音だけが
部屋に響いている。
乾いた羽はふわふわしていて、触れると心地良い。

「……こんなもんかな」
多少の湿り気を残しているが、大方が乾いた辺りで美貴はドライヤーのスイッチを切った。

「あんがと。おー、気持ちいい気持ちいい」
羽を動かし、自分の前に持ってきて触れる。美貴は無邪気に羽の感触を確かめている
亜弥を抱きしめたくなったが、後ろからだと羽を潰してしまう事になるのでやめた。

「屋上行こ。初飛行だよー」
「うん」
寂しくて仕方なかった。
天使は、ここにいなくなる事を想起させるから。
彼女はどこに行きたがってるんだろう。
576 名前:『天使の愉悦・人の憂鬱』 投稿日:2003/09/14(日) 03:09



577 名前:『天使の愉悦・人の憂鬱』 投稿日:2003/09/14(日) 03:09
今年の夏は涼しかった。かえって残暑の方が暑くなると、テレビで誰かが言っていた。
エアコンを切った部屋にいると寝苦しくなるような夜だったが、
外は風が出ていて心地良かった。

亜弥のキャミソールから出ている翼が大きく広がる。
それは、やはり綺麗だった。

「みきたん、ちゃんと見ててね」
「見てるよ」
美貴が苦笑する。それには寂しさが滲んでいた。亜弥はそれに気付かない。
様子を探るように翼が何度か小さく動いて、それからふわりと持ち上がった。

亜弥も少し緊張している。やり方は判っているようだが、どうもふんぎりがつかないらしい。
それを見て、美貴が口を開いた。
578 名前:『天使の愉悦・人の憂鬱』 投稿日:2003/09/14(日) 03:10
「亜弥ちゃん」
「ん?」
「好きだよ?」

それは多分。
今まで亜弥が聞いた中で、一番優しい言い方だった。
「……そっか」
「うん」
それじゃあ飛ぼう。彼女が好きでいてくれるなら大丈夫。

翼が大きく羽ばたく。何度かそれを繰り返す。亜弥の足が、コンクリートの地面を蹴った。
579 名前:『天使の愉悦・人の憂鬱』 投稿日:2003/09/14(日) 03:10
亜弥の姿を追って、美貴の視線が上へと移る。
なるほど、翼は空を飛ぶためにあるのだと、当たり前の事に感動した。
背中に羽の生えた、不自然な姿の亜弥は、空にいるとひどく自然に見えた。

「うわー。みきたん、あたし飛んじゃってるよ」
「判ってるよ。見てんだから」
面白そうに笑って、美貴が上空にいる亜弥に手を振った。

もう、泣きそうだった。暗くて遠いから、亜弥には見えないと思うが、その瞳には涙が
溜まっていた。
彼女はこのまま、どこへ行こうとしてるんだろう。
願わくば、もう一度だけ戻ってきてくれますように。

亜弥は楽しそうに美貴の頭上を旋回している。時折屋上の外側まで飛んで行って、その度に
美貴は落ちてしまわないかと不安になった。

「亜弥ちゃん、あんま派手に飛ぶと誰かに見られるよ」
言ってから、それはもう自分の関われる問題じゃないのだと気付いて悲しくなった。
だって、自分の背中には羽なんて無いのだから。
「んー? そだね」
亜弥は簡単に頷いて、美貴の方へ戻ってくる。美貴の手前、地面から1メートル程度の位置で
ホバリングして、「いぇい」とピースサインをした。
580 名前:『天使の愉悦・人の憂鬱』 投稿日:2003/09/14(日) 03:10
「どーよみきたん。天使になった松浦の感想は」
得意満面な亜弥の表情に、美貴は軽く肩を竦める。
「すごいすごい。よっすぃとか見たら『かっけー!』って喜びそう」
「あのね。あたしはみきたんの感想を聞いてんの」
少し不満げに言われる。美貴は力なく笑う。

綺麗だと思う。可愛いとは昔から思っている。好きだという気持ちは多分、
これからもずっと消えない。

「すごいね。今の亜弥ちゃんなら、どこにだって行けるんだね」
意識的に外した。それでも亜弥は嬉しそうに笑った。

ふわりと地面に降りて、美貴に抱きつく。翼が前に動いて、美貴の身体を包んだ。
「うん。だからみきたんがどこに行ってもすぐに会いに行けるんだ」
「……え?」

美貴の両目が大きくなる。羽が風に舞って、美貴の何も無い背中をくすぐる。
581 名前:『天使の愉悦・人の憂鬱』 投稿日:2003/09/14(日) 03:11
「みきたんが娘。さんに入って、一緒のお仕事とかもあんまりなくなって、
そんで今度は別々にツアー始まるじゃん?
これからどんどんみきたんに会えなくなるんだなーって思ったらすごい寂しくなったんだ。
それからだよ。羽が出てきたの」


羽が生えて、どこにでも行けるようになったら。
そうしたら、いつでも会えるから。

582 名前:『天使の愉悦・人の憂鬱』 投稿日:2003/09/14(日) 03:11
堪えていた涙がとうとう溢れて、亜弥の肩と羽を少し濡らした。
「――――バカ!」
「ええ!? な、なんで怒られなきゃなんないの?」
喜んでくれると思っていたのだろう、亜弥は元々ビックリしたような顔を
更にビックリさせて、あたふたと美貴の身体を抱きしめた。

「……みきたん、なんで泣いてんの?」
「亜弥ちゃんがバカだからだよ! そんなん……羽なんかいらないじゃん!
会いたいって言えば、美貴がどこにだって行くよ! 亜弥ちゃんが美貴に会いたいって
言ってくれたら、何があったって亜弥ちゃんがどこにいたって会いに行くよ!」

だからそんな羽なんていらない。
不安になってしまうような、純白の翼を持った天使なんていらない。

美貴が、泣いたまま亜弥を強く抱きしめる。
「天使なんかならなくたっていい。おんなじ人のまま、美貴と一緒にいようよ」
「みきたん……」
583 名前:『天使の愉悦・人の憂鬱』 投稿日:2003/09/14(日) 03:12
はらはらと、羽が舞い落ちる。それは季節外れの雪のようだった。
一枚残らず羽が落ち、後には不恰好な骨組みが残った。
それも先端からほろほろと崩れ、足元に落ちてから風に飛ばされてどこかへ消えて行った。

そうして、2時間だけの天使は人に戻った。

「はね、無くなっちゃった」
亜弥がちょっとだけ勿体無かったなという顔で呟く。
「いいよ、無くなっても」
美貴は怒ったように呟く。

抜け落ちた羽はまだ、風に舞っている。「雪みたいだね」亜弥が言う。

「みきたん、北海道じゃん? 雪降ってるとこんな感じ?」
手をかざしながら何の気なしに言うと、美貴は馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
それは、泣いてしまった事の照れ隠しだったのかもしれない。

「冗談。こんなもんじゃないよ。もう全然前とか見えないから」
「へー。結構大変そうだね」
「うん。東京の人とかさー、雪降ると『きゃー、ロマンチックー』とか言うじゃん。
とりあえず殴りたくなるね。雪を舐めんな!みたいな」
「あはは。冬の北海道って行った事ないからなー。どんな感じか想像つかないや」

584 名前:『天使の愉悦・人の憂鬱』 投稿日:2003/09/14(日) 03:12
亜弥の手が羽を捕まえようと空に延びる。美貴はそれを掴んでやめさせる。

「いつか、一緒に行こっか? うちのお母さんの手料理ご馳走するよ」
「え、マジ?」
「ん。前に松浦ママの手料理ご馳走してもらったしね。お返しに」

まるでダンスをするように繋ぎあった手に、力がこもる。「約束ね?」亜弥が無邪気に笑う。

「うん。約束。ただ、ホントに冬の北海道って厳しいよ。道路とかツルツルだから
慣れてないとすぐ転ぶし」
「えー、だったらさあ」
そこで亜弥が、悪戯っぽく笑った。
美貴も彼女が何を言おうとしているか判ったので、その言葉が音となって出る前に頷いた。

一緒に、手を繋いで歩こう。





《Happiness is walking the ground.》
585 名前: 投稿日:2003/09/14(日) 03:13
以上、『天使の愉悦・人の憂鬱』でした。
586 名前: 投稿日:2003/09/14(日) 03:15
実はLCと同時進行で考えていた話なので、色々とネタがかぶっております。
587 名前: 投稿日:2003/09/14(日) 03:16
てゆーか、出来上がってるのに何もしないってのは
カプ話としてどうなのかと(爆)
588 名前:名無しさん 投稿日:2003/09/14(日) 06:42
新作発見!
会いたいという気持ちが羽さえも生えさせますか
よっぽど想いが強いのでしょうね。
やっぱり忙しくて会えてないのかなぁ
次も楽しみにしてますね。頑張ってください。
589 名前:赤鼻の家政婦 投稿日:2003/09/14(日) 07:08
新作だー、と喜び勇んで読んだらば、
松浦さんのまっすぐさや藤本さんの切ない不安とで、朝から泣いてしまった。
これから休日出勤なのに(笑)

『手を繋ぐ』ってのは、ある意味、とても幸せな行為ですよね。
やっぱり、作者さんの文章のバランスがすごく好きだなあ。
590 名前:名無しさん 投稿日:2003/09/15(月) 14:48
なんだろう、すごいあったかい気持ちになれた。
そして何故か美貴たんの必死な想いに泣いてしまった。
もう言葉に出来ません。
円さん素晴らしすぎです!!!!!!!感涙
こういう心情だけで書き進む作品て本当にすごいと思います。
もちろん想像力も素晴らしいです。
キスよりも熱いものが流れていますねこの二人には。素敵です。
591 名前:名無しさん 投稿日:2003/09/15(月) 23:53
翼が前に動いて、美貴の身体を包んだ。の部分が大好きです。
あったかいメ〜って感じですw
592 名前:名無しさん 投稿日:2003/09/19(金) 03:52
松浦さんはあまりにも無邪気で、純粋で、自由だ。
でもその純粋さが藤本さんには怖かったんですね。
いつか自分から離れて行ってしまうんじゃないか。
そんな風に考えてしまう気持ち、わかります。
593 名前:堰。 投稿日:2003/09/20(土) 22:39
こ!こんな時間まで気付かなかった……。
_| ̄|○ <嬉しいけど悔しいけど切ない!
なんてことだ。
それにしたって、綺麗だなぁと思います。いつも。
描写。無邪気さ。対の不安。
手のひらにのせるとこぼれおちるような感情。
一句、一文、総括した力。好きです。
これからも、できるならその手を持っていていただけたらと思います。
594 名前: 投稿日:2003/09/23(火) 23:37
>>588-593

レスありがとうございます。

なぜか自分が書くと、どうしても切ない系になってしまいます。
本人達はあんなに楽しそうなのに(苦笑)

こっちは返レスのみですが、青板にて新しくスレを立てました。

http://m-seek.net/cgi-bin/test/read.cgi/blue/1064327128

『天使〜』と同コンセプトで書いたものです。(書いたのは向こうのが先ですが)
よろしければどうぞ。
595 名前:『散歩』 投稿日:2003/09/27(土) 02:57
キィキィとブランコの鎖が鳴っている。靴底を地面につけたまま、軽く身体を揺らして
いるから、それに連動してブランコが揺れて、だから鎖が鳴っていた。
長袖Tシャツの上に羽織ったパーカーのフードには子犬が入っている。メトロノームの
ように正確なリズムを刻んで揺れているのが心地良いのか、犬はぐっすり眠っている。

散歩の締めとしてこの公園に来るのが習慣だった。
こうしてフードに犬を入れて、ブランコを揺らして一休みするのも習慣だった。

「こんにちは」
ブランコが止まる。目深に被った帽子が作る庇の下から声の主を見上げる。
「こんちは」
軽く笑みを浮かべながら応える。それからまたブランコを揺らし始める。
犬はフードの中でぐっすり眠っている。
596 名前:『散歩』 投稿日:2003/09/27(土) 02:57
「先輩、どっか遊びに行きませんか?」
「行きません」

流れを途切れさせる事なく、彼女の誘いを断った。句読点が一つも存在しない、まさに
立て板に水の返答だった。
彼女は両手を拳にして腰にあてがう。怒っているようだが、それはただのポーズだった。

彼女は不満そうに言う。

「なんでですかぁ」
「散歩の途中なんだって」

不自然に膨らんだフードを示す。彼女はそれを覗き込んで、中にいる子犬を見つけると
小さく黄色い声を上げた。叫ばなかったのは起こさないようにという配慮か。

「わんちゃん寝てるんですか?」
「うん。まだちっちゃいから途中で休ませんの」

そうしないと、子犬は途中でぐずってその場を動かなくなる。
最後には抱き上げて家まで歩かなければいけなくなるので、こうして一眠りさせてから
帰途に着くのが恒例になっていた。
597 名前:『散歩』 投稿日:2003/09/27(土) 02:58
「トイプードルですか?」
「うん」
「名前は?」
「アン。男の子なんだけどね」

彼女はこちらの肩に手を置いて、覆い被さるように身を乗り出しながら子犬を見ている。
お互いの耳元に唇があるから、自然小声になっていく。

「ひゃぁ〜、ちっちゃい、可愛いぃ」

彼女はいつもより声のキーが高めだった。首筋に触れる吐息がくすぐったくて、思わず
笑声を溢しながら身体を震わせる。

「あっ、先輩駄目ですよ。わんちゃん起きちゃう」
「だって、くすぐったいんだよ」

肩を押さえつけられて、無理やり震えを止められる。子犬は少しだけ蠢いたが、
それだけで終わった。
598 名前:『散歩』 投稿日:2003/09/27(土) 02:58
彼女は子犬を起こさないよう軽く撫でてから、屈めていた身体を起こしてこちらと
目を合わせてきた。

「先輩」
「ん?」
「キスしていいですか?」
「駄目です」

やはり流れるような返事だった。
599 名前:『散歩』 投稿日:2003/09/27(土) 02:58
振動か二人の話し声が原因だろう。子犬がクフンと鼻から息を吐いて目を開ける。
「あー、起きちゃった」
「いいよ、どうせもうすぐ帰ろうと思ってたし」

彼女がフードから子犬を引き上げる。子犬はいつもと違う手に警戒を見せる。

「んー、よしよし。起きちゃったねぇ。いい子いい子」
抱き上げた子犬を優しく撫でる。子犬が前足を突っ張って身体を伸ばし、彼女へ鼻先を
押し付けた。

「んん〜っにゃははは、可愛いねえお前」

鼻やら顎やら唇やらを舐められて、彼女が幸せそうに笑う。

ブランコを揺らしながら帽子を脱いだ。散らばった髪に軽く手櫛を入れて、ブランコから
立ち上がる。彼女は犬と戯れている。ブランコが揺れている。
手にした帽子を彼女の頭に乗せる。彼女が顔を上げてこちらを向く。
600 名前:『散歩』 投稿日:2003/09/27(土) 02:59

その唇にキスをした。
601 名前:『散歩』 投稿日:2003/09/27(土) 02:59
離れてから彼女の腕に抱かれている子犬を取り上げる。
彼女はポカンとしたまま、小さく首をかしげた。

「先輩、ヤキモチですか?」「違います」

早すぎて流れを止める返答だった。
602 名前:『散歩』 投稿日:2003/09/27(土) 03:00
子犬を地面に下ろして、その首にリードを付ける。子犬は走り出したくてウズウズしている。
ピンと張ったリードを掴みながら、彼女に「じゃあね」と手を振る。

「先輩、どっか遊びに行きませんか?」

彼女の瞳が真っ直ぐにこちらを見つめている。

「……今日は、行きません。」

次の日もこの公園に来てブランコを揺らした。
フードに子犬は入っていない。







《Let's go without Dog.》
603 名前:『散歩』 投稿日:2003/09/27(土) 03:00
以上、『散歩』でした。
604 名前:『散歩』 投稿日:2003/09/27(土) 03:00
酔っ払いつつ、30分ほどで書いてみました。
605 名前:『散歩』 投稿日:2003/09/27(土) 03:01
コンセプトは「不親切」および「娘。じゃなくてもいいじゃん」(爆)
606 名前: 投稿日:2003/09/27(土) 03:04
あらやだ、HN変え忘れてるわ(苦笑)
607 名前:名無し読者 投稿日:2003/09/27(土) 09:22
朝からなんだか得した気分です。
ありがとう。
608 名前:名無しさん 投稿日:2003/09/27(土) 16:02
酔っ払っても書けるのがすごいですね。
うたばんでのあやや&わんこは可愛かったなぁ…。
609 名前: 投稿日:2003/10/07(火) 01:22
>>607-608

レスありがとうございます。
けっこう見つかるもんなんですね……(笑)

なんとなく二人の名前を出さずにあやみきくささを出してみようという
試みだけで書いたものなので、今読むと粗が目立ちますが(苦笑)
ちょっとでも楽しんでいただけたら幸いです。
610 名前:『思い出』 投稿日:2003/10/07(火) 01:23
真夏の夜に、エアコン無しで眠るというのは拷問以外の何物でもないと思う。
何度目か判らない溜息をつき、何十回目か判らない寝返りを打ち、とうとうタオルケットを
跳ね飛ばして起き上がる。

「……熱い!」

暑い、ではなく熱い。夏用である薄手のタオルケットですら、体温と気温で膨大な熱を
帯びて、冗談ではなくこのままでは干からびてしまいそうだった。

ガシガシと汗に濡れた髪をかき回し、首筋に張り付いた幾筋を鬱陶しそうに払いのける。
シャワーでも浴びるかと考えたが、もう既に夜も更けている。マンションの壁は厚いが、
窓が付いているため音はどうやっても外に洩れてしまうだろう。防犯上も悪いが近所迷惑の
面でも悪い間取りをしている。

「あ〜……いや無理。このまま寝るとか絶対無理。あり得ない」

ブツブツ呟きながら、胡乱な目をどこにともなく彷徨わせる。
それからふと思いついた。そうだ、プールに行こう。なんだか旅行会社の
キャッチフレーズに語感が似ているが、そんな事は今問題じゃない。
611 名前:『思い出』 投稿日:2003/10/07(火) 01:23
市民プールは当然の如く閉館している。閉館という言い方が正しいかは判らないが、
室内プールだから閉館でいいような気もする。
だから、問題はそこじゃない。そもそも問題すら存在していない。とにかく市民プールは
使えないということは明白。だったら市民プールに用は無い。

「立った時、確かこのくらいだったから……うん、越えられるな」
中空に手を延ばしつつ、何かを反芻しながら計算する。自慢だが運動神経は悪くない。
いい、と言わずに悪くないという曖昧な言い方をするのは日本人の奥ゆかしさ故だ。
自慢しつつも奥ゆかしさを感じさせるというのはなかなかに高等な技術だった。

「うし。行こう」

そうと決まれば善は急げ。Tシャツにハーフパンツという軽装で、家族を起こさないよう
静かに家を出る。折り畳み自転車は玄関に置いているから出すのは容易い。
612 名前:『思い出』 投稿日:2003/10/07(火) 01:24
軽快に自転車を走らせ、2年と半分を通い続けた学校へ急ぐ。夜の世界は嫌いじゃない。
街灯に突っ込んだ虫がジジジと音を立てて燃えている。風切り音はポケットに入れてある
MDウォークマンから延びるヘッドフォンに邪魔をされて耳には届かない。

校舎の近くにあるプールは、当たり前だが柵が閉められ、鍵がかかっている。
鍵を壊すのはさすがにまずい。とすると、取る道は一つ。乗り越えるのだ。

「よ……っ」
柵の上部に手をかけ、支柱を足がかりにして一気に飛び越える。スタッと見事に着地して
締めのポーズも決まったが、生憎と拍手はもらえない。

「あ?」
拍手はもらえなかったが観客はいた。驚きに目を見開いて、そのままの目でこっちを
凝視している。

「あー……こんばんは」
「こ、こんばんは」

思わず挨拶をすると、向こうも反射的に返してきた。
月光に浮かぶ少女は全身水浸しだった。当然だ、今だってプールに浸かっているんだから。
これで濡れてなかったらその方がホラーだ。
613 名前:『思い出』 投稿日:2003/10/07(火) 01:24
よく見るとこの学校の制服を着ている。学校に制服姿の少女。普通なら何の不思議も
ないが、夜中のプールで見ると違和感ありありだった。しかもずぶ濡れ。
大体、今は夏休みだ。例え補習を受けていたにせよ、こんな時間まで残されはしない。

これはどうしてもそっちの方に意識が向いてしまう。

「……人間?」

一応距離をとったまま聞くと、少女はようやく瞳から緊張を解いて笑った。

「お化けじゃないですよぅ。1年の松浦です。松浦亜弥。見た事ないですか?」
「さあ……1年に知り合いいないし」
「結構有名なんですけど」

小さく肩を竦めながら亜弥が言う。またもや自慢だが、学校内の評判とか人気者とかいう
話には滅法疎い。
自慢になっていないようだが自慢だった。そういう話題に自分の名前が挙がっている事を
知っているから。だから耳に入れないようにしている。
614 名前:『思い出』 投稿日:2003/10/07(火) 01:25
「有名ってなんで? なんかの大会で優勝したとか?」
「いえ、可愛いって」
「……あっそ」
「先輩も有名ですよ」
「ふぅん」
「藤本先輩ですよね?」
「そうだけど」

なるほど、彼女の方は自分を知っているらしい。いったいどんな話題で知ったのやら。
心中で思っただけで尋ねたわけではないのだが、彼女は色々と話してくれた。

「今年のバレンタインにもらったチョコの数が校内一だったとか」
「誕生日プレゼントと一緒くたにされただけだって」
「毎日ラブレターが下駄箱に溢れてるとか」
「溢れるほどもらった事はないね」
「あたしも渡した事ありますよ」
「は?」
「嘘ですけど」

相手をするのが疲れたので、それには構わずプールサイドに座り込んだ。
「入んないんですか? 気持ちいいですよ」亜弥が声を掛けてきたが無視した。
615 名前:『思い出』 投稿日:2003/10/07(火) 01:25
「夜の学校ってなんかワクワクしますよね」
「そう?」
「しません?」

言いながら亜弥は腕を大きく振り上げて、こっちに水飛沫を浴びせてきた。
「わぷっ」不意打ちに思わず両腕でガードするが、あまり意味はなかった。
それから5回ほど連続でバシャバシャとやられて、終いにはバケツで水を被せられた
くらいには濡れてしまった。腕や首筋を伝う水滴は冷たくて気持ちが良かった。

濡れた前髪をかき上げ、立ち上がるそのままの流れでプールに飛び込む。水飛沫が
出来るだけ大きく上がるように、所謂腹打ちの姿勢で飛び込んだから、腹部と両腕が
ビリビリと痺れた。

「いたたたた」
浮き上がって悶えていると、亜弥が人懐こい笑みを浮かべながら言ってきた。
「先輩、結構バカですね」
「うっさい!」

頭から水を浴びせられた亜弥は平気な顔をしている。考えてみれば最初から濡れて
いたんだから、今更水を被ったところで関係ないんだろう。

ホントに頭悪いかも。ちょっとばかり自己嫌悪しながら、身体の力を抜いて水面に
浮かび、四肢を投げ出す。

「あ〜、涼し」
「先輩、なんでこんな時間にこんなとこ来たんです?」
「部屋のエアコン壊れちゃってさぁ。暑苦しくて寝らんなかったから、涼みに来た」
616 名前:『思い出』 投稿日:2003/10/07(火) 01:26
たゆたっていた身体が不意に固定された。亜弥がこちらの胴回りに腕を差し入れ、
海難救助の時みたいに引き寄せている。
俯いた亜弥と天地が逆になった状態で顔を見合わせ、「うん?」と窺うように眉を上げる。

「フラフラされると話しにくいんで」
「ま、いいけど。てゆーかあんたこそなんでこんな時間にこんなとこいんの?
しかも制服のまんまで。家帰ってないわけじゃないんでしょ?」
「んー、なんて言うんですか、思い出作りみたいな」
「……なにそれ?」

水面に浮かんだ月が足元で揺れている。バタ足をするみたいに上下に動かすと、月は
瞬く間に崩れ、波紋が静まると同時にまた復活した。

「あたし、転校するんです」
「ああ……そう」

他に言いようがない。亜弥に支えられたまま、ゆっくり足を動かして月をかき消す。
「今日、先輩と会えて良かった」
「ん?」
「ずっと、カッコいいなって思ってたんです」
彼女は人懐こい笑みのまま、なんでもないように言った。

それに対してはわざと渋い顔をしてみせた。たまに、時々、ちょくちょく、こういう事を
体育館の裏やら人気の無い特別教室やら、果ては自宅マンションの入り口で待ち伏せされて
潤んだ瞳で言われてたりする。今までそれらを全て丁重にお断り申し上げてきた。

だから今回も、丁重にお断りすべく、口を開く。
617 名前:『思い出』 投稿日:2003/10/07(火) 01:27
「悪いけど」
「思い出作りに協力してくださいよぅ」

遮るように拗ねた口調で言われた。
ふぅむ。口の中で唸る。
ここで彼女の気が済むまで、一緒に遊んでやればいいんだろうか。どうせもう会う事も
ない子だし、それくらいなら付き合ってやってもいいかもしれない。

「……ま、今だけなら」
「マジですか? やたっ」

亜弥が手を離す。よっこいせと年寄りじみた掛け声と共に身体を起こし、濡れた髪を
両手で後ろに撫で付ける。さあ優しい先輩がいくらでも遊んであげようじゃないの。

「先輩、結構おデコ広いですね」

「……帰る」「ああっ、ごめんなさいごめんなさい」慌てて取り縋ってきた亜弥に、思わず
笑いが洩れた。
なるほど、間近で見ると確かに可愛い顔をしている。これはさぞかし上級生にモテるだろう。
その中から選んでくれると有難かったんだけどな。軽く息を洩らしながら喉の奥で呟いた。

「で、どうすんの? 競争でもする?」
「んー、とりあえずキスしてください」
「嫌です」

それはまるで水面を走る波紋のように、淀みのない歪みのない、綺麗な返答だった。
618 名前:『思い出』 投稿日:2003/10/07(火) 01:27
「なんでですかぁ」亜弥は不満げに頬を膨らませる。

「協力してくれるって言ったのにぃ」
「いや無理。超無理。何があっても無理。大体、初めて会った子といきなりキスとか
出来る? 無理でしょ普通」

無理を4回並べて彼女の提案を切り捨てる。
亜弥はフグのように頬を膨らませたまま言い返してきた。

「あたしは先輩のこと知ってましたよ」
「こっちは知らなかったもん。判る? 『知り合い』ってのはお互いが相手の事知ってなきゃ
知り合いって言わないわけ。だからあんたとは知り合いじゃない」
「でも、もうあたしの事知ってますよね」

ああ言えばこう言う。奥歯を噛み締めつつ、何か上手い反論はないかと言葉を捜す。

「……とにかく、好きでもない子とそういう事は出来ません」
「じゃあ好きになって下さい」
「嫌です」

またしても雨上がりに浮かんだ虹のように綺麗な返答だった。
619 名前:『思い出』 投稿日:2003/10/07(火) 01:28

「……先輩は、あたしの純情な乙女心を踏みにじるつもりなんですね」

おっと、今度は泣き落としできたか。なんの、そうはさせないぞ。
ぐ、と腹に力を込める。さっき思い切り打ったせいで少し痛い。
「てゆーか明らかにそっちの方が無理言ってるし。いいじゃん、普通に遊ぼうよ」
「普通ってなんですか」
「違和感を感じない事。あんたと遊ぶのは違和感ないけど、キスをするのは違和感
あるわけ。だから普通に遊ぼって言ってんの」

あっさり答えられて、亜弥はきょんと目を丸くした。こっちが言葉に詰まると思って
いたんだろう。重ね重ね自慢だが、『普通』という言葉の定義を問い質されるのには
慣れている。
何故って断ると大抵その質問が飛んでくるからだ。

「……じゃ、いいです」

しゅんと頭を垂れ、大きく肩を落としながら水面に落とすような口調で言ってくる。
よしよし、上手いこと切り抜けた。安堵の吐息を洩らし、落ち込んでいる彼女に近づいて
慰めるようにその頭を撫でる。

「――――なーんて」

頭を撫でていた手を掴まれ、そのまま力任せに引き寄せられる。逃げる隙もあらばこそ、
持ち前の反射神経を発揮する暇もなく、柔らかい感触が唇に訪れていた。

頬を伝う水滴が蒸発しそうなくらい、首から上が熱を持った。

実はこういうのは初体験でしたり。
620 名前:『思い出』 投稿日:2003/10/07(火) 01:28
あ、気持ちいいかも。脳裏をよぎった感想に首を振りたかったが、彼女にがっちり
押さえ込まれているのでそれは叶わなかった。

息が出来なくなるくらい続いたキスは、彼女が腕の力を緩める事で終わりを告げた。

「へへ、やった」
「や、やったじゃないっ! 諦めたんじゃなかったの!?」
「諦めが悪いのがあたしの長所なんです」
「そんな長所いらん」

名人が作った日本刀で居合い抜きをしたみたいに、バッサリと綺麗に切り捨てる。
亜弥はしてやったりという風に笑って、こちらの顔を覗きこんで来た。

「先輩、今のってファーストキスですか?」「違います」

速すぎてキャッチャーが取り損ねたストレートボールのような返答だった。
621 名前:『思い出』 投稿日:2003/10/07(火) 01:29
「ほ、ほら、もういいでしょ。夜遅いんだから帰りなよ」
「んー、そうですねぇ。ちょっと疲れちゃったし、休んでから帰ります。
先輩はもう帰ります?」

一瞬、返事に迷った。本当に夜中なのだ。こんな人気のない場所に、女の子一人に
しておくのはなんだか気が引けた。

「……あんたが帰るまでいてあげるよ」

そう言うと、亜弥は本当に嬉しそうに笑った。

「先輩、クールで取っ付きにくいって話だったけど、結構いい人ですね」
「取っ付きにくいならほっといてほしいんだけど」
「そこがいいって評判ですよ」

じゃあどうしろと言うんだ。思わず溜息が洩れる。

プールサイドに上がって、並んで座り込む。太陽なんて全く出ていないのに、空気は
未だ熱を孕んでいて、濡れて冷えた身体を適度に温めてくれた。

「転校ってどこに行くの?」
「さあ、どこでしょう」
「なにそれ。あ、実は転校するって嘘なんじゃないの?」
「ホントですよ。2学期始まったらすぐ」

折り曲げた膝に顎を乗せて、こちらを向いて言われた台詞は、嘘が含まれているようには
聞こえなかった。
622 名前:『思い出』 投稿日:2003/10/07(火) 01:30
「友達とかと離れんの、寂しいんじゃない?」
「んー、でも、新しい学校でまた友達作りますから」

生憎、転校とか引越しとかの経験がないので、彼女の思いを共有する事は出来ない。
だからその代わりに、彼女の濡れた髪を梳くように撫でることで慰めた。
「先輩優しいですね」柔らかく亜弥が笑った。

「新しい学校で、恋人も作りたいんですよねー」
「すぐできんじゃない? 可愛いし」

何の気なしに言ったら、亜弥はどうしてか驚いたようにこちらへ振り向いた。

「今、なんて言いました?」
「や、だから、すぐ恋人できんじゃないのって」
「その次!」
「は? ……可愛い、から」
「もう一回!」
「……ばーか」

今更照れて、ふいと彼女から顔を逸らす。

亜弥はまだしつこく「もう一回」を繰り返している。絶対言いたくない。

「あ、先輩ひょっとして照れてます?」
「照れてません」
「照れてるじゃないですかぁ。にゃはは、赤くなってる。かわいー」
「……うっさい。あんたの方が可愛いよ」
「あ、言ってくれた」

くそぅ。さり気なく言ったつもりだったのに。
623 名前:『思い出』 投稿日:2003/10/07(火) 01:30
照れ隠しに亜弥の腕を振り解いて、シッシと追い払う真似をする。犬ではない彼女は
そんなものに従わなかった。

追い払うのを諦めて、今度は平和的解決を試みる。何を解決したいのかは自分でも
判らなかったが。

「いい加減帰りなって。途中までなら送るから」
「はーい。じゃあ最後に」

今度はなんだ。さすがに身構える。

「抱いてください」
「はい無理!!」

一目散に逃げ出した。何考えてるんだ最近の若い子は。
追いかけてくる亜弥から全力で逃げるが、いかんせんここは学校プール。
プールサイドを3周ほどしたところで体力が尽き、コンクリートの上に倒れ込んだところで
捕まえられてしまった。

「へへ。つーかまーえた」
亜弥の方も肩で息をしているが、その顔には人懐こい笑みが浮かんでいた。

「……も、絶対無理。さすがにそれは無理」
掴まれているシャツの裾を離させ、両腕で大きくバツ印を作る。
亜弥はさして残念でもなさそうな顔で「そうですね」と言った。
624 名前:『思い出』 投稿日:2003/10/07(火) 01:31
「じゃあ、予約って事で」
「はぁ?」
「いつかまた会えたら、その時にして下さい」

目の前にしゃがみ込み、やはり人懐こい笑顔のまま、亜弥は言った。

いつか、また。そんな時が来るんだろうか。狭い日本とはいえ、学校が変わり、近しい
共通の友人もいなければ、そうそう再会の機会もないだろう。
そう考えて、小さく頷いた。果たされない約束ならいくらしても構わない。

「また会えたらね」
「やたっ。約束ですよ?」
「とか言って明日うちに来るのとか無しね」
「大丈夫ですよ、そんなズルしません」

ホントだな? 目で訴えて、彼女が頷いてから、差し出された小指に自身の小指を絡めた。

「じゃ、帰りましょうか」
「うん。うち近いの?」
「さあ、どうでしょう」
「なにそれ?」

なんとなくデジャヴを覚えつつ、一緒に柵を飛び越える。
彼女が指した家の方向は、こっちの自宅とはまるで正反対だった。

「じゃあ、気をつけてね」
「はい。またいつか」

彼女の言葉に小さく笑った。「さよなら」ではないらしい。
625 名前:『思い出』 投稿日:2003/10/07(火) 01:31
「うん。またいつかね」
「約束、忘れないで下さいね」
「うんうん」
「絶対ですよ?」
「うんうん」
「嘘ついたら針千本飲ましますよ」
「うんうん」
「キスしていいですか?」
「駄目です」

悔しそうな顔をする亜弥に、勝ち誇った笑みを浮かべてやる。そんな古典的な手に
乗ってたまるか。

亜弥が細く息を吐いた。何かを言うつもりなのかと待っていると、彼女はそのまま
手を振った。

「じゃ、しますね」

振り返そうと上げかけていた手が止まる。
そうだった、彼女は諦めが悪いのが長所だった。
二回目ともなると少しは冷静だった。人気がない場所なのも功を奏したかもしれない。

動揺を隠しつつ、渋い顔を作ってみせる。

「……駄目だって言ったでしょうが」
「でも、したかったんです」

人懐こく笑いながら言う亜弥を見て、咎めるのは止めにした。
やっぱりちょっと気持ちよかったし。
626 名前:『思い出』 投稿日:2003/10/07(火) 01:32
亜弥がふにゃふにゃした笑いを浮かべる。
「へへ。先輩、ありがとうございます」
「ん?」
「いい夏の思い出が出来ましたから」
「そりゃ良かった」

今度からは新しい学校で楽しい思い出を作って下さい。きっともう会う事はないから。

口に出さなかったのは、彼女を傷つけると思ったからだ。
多分、きっと。


自転車は軽快に走る。MDウォークマンからは人気歌手の歌声が流れている。
627 名前:『思い出』 投稿日:2003/10/07(火) 01:32



628 名前:『思い出』 投稿日:2003/10/07(火) 01:32
プールに忍び込んだのはあの1日だけで、次の日には電器屋さんがエアコンを
無事修理してくれたので、寝苦しい夜は訪れなかった。

そして長い夏休みが明け、2学期初日となる始業式の今日。
制服に身を包み、欠伸を噛み殺しながら担任の連絡を聞き流して、式が始まるまでの
時間を睡眠に使おうと机に突っ伏したところで、思い直して顔を上げた。

隣の席に座っているクラスメイトは携帯をいじくっている。きっとメールを送っているのだ。

「ねえねえ」
「んー?」

携帯をいじる手を止めないままクラスメイトが応じる。

「1年でさあ、松浦亜弥って子、いる?」
「……松浦……知らない」

一瞬だけ手が止まったが、答えてからはまたボタンを押し始めている。
彼女は結構なゴシップ好きだ。学内の有名人は大抵押さえているはずだから、亜弥が
自己申告どおり有名人なら、当然知っているはず。

「……可愛いから知られてると思うんだけどな」
「は?」
「や、なんでもない」

独り言を聞かれて、慌てて誤魔化す。クラスメイトはすぐに興味を失ったようで、
また携帯に熱中し始めた。
629 名前:『思い出』 投稿日:2003/10/07(火) 01:33
まるで夢を見たような気分だった。本当に会ったのか、そもそも本当に存在している
人物だったのか。やはり人外のものだったんだろうか。
いやそれは勘弁して欲しい。ホラー映画は好きだが、実際に体験するのはまたワケが違う。

「ファーストキスが幽霊と……洒落になんない」

そうは思っても、誰に聞いても松浦亜弥なんて子は知らないと言う。
鬱々とした気分が晴れないまま式のために整列する時間となり、他の生徒と同じように
ダラダラとやる気のない動きで教室を出る。

別に、会えなくたっていいのだ。元々そういうつもりであの日は付き合ったんだし。
本当にここの生徒だとして、もう既にクラスメイトとは別れの挨拶を済ませているかも
しれないし、始業式にも出ないのかもしれない。

そう自分に言い聞かせつつ、目は忙しなく並んでいる生徒達を見回している。
1年生の列を順繰りに眺めてみたが、それらしい姿はなかった。
630 名前:『思い出』 投稿日:2003/10/07(火) 01:33


始業式も滞りなく終わって、半ドンという事で仲のいい友人同士集まって、午後からの
遊びの算段をしていたり、既に予定が埋まっているのか一目散に教室を飛び出したり
している中で、ぼんやりと席についたまま溜息をつく生徒が一名。

「……何者なんだっつーの」
なんだかモヤモヤと霞がかったような気分だった。この学校の制服を着ていた、誰も
知らない少女。

1年生のクラスを見に行ってみようかと思ったが、そこで起きる事態を考慮して諦めた。
既に嫌味にしかならないような自慢だが、とりわけ下級生に人気があるのだ。

「なんだ藤本、まだ残ってたのかー? もう帰っていいんだぞ」

担任の言葉で我に帰ってみれば、もう教室には誰もいなかった。「帰りますよ」一言置くように
言って、椅子を鳴らして立ち上がる。

「あ、先生」
「なんだ?」

そういえば友人たちには聞いていたが、先生には聞いていなかった。
考えてみれば生徒より教師の方がそういった情報はよく入ってくるだろう。

「1年に、松浦亜弥って子いる?」
「松浦? ああ、今日転校……」

あ、やっぱり。幽霊ではなかったが、本当に転校してしまったのだ。
微かに落胆して、それから落胆した事に驚いた。
631 名前:『思い出』 投稿日:2003/10/07(火) 01:34
「してきた生徒だな。確か3組だったぞ」
「は?」

もう一度驚いてみた。

「……先生、もっかい」
「だから、2学期からうちに転校して来た生徒だよ。今日から出てるんじゃなかったか?」
「あんがと」
「お、おう。気をつけて帰れよ」

担任の声は、誰もいない廊下に空しく響き渡った。




632 名前:『思い出』 投稿日:2003/10/07(火) 01:34
図られた。騙された。謀れた。

「あんの……クソガキ!!」

廊下を駆け抜けながら毒づく。

何が思い出作りだ。こっちのちょっと気持ちよかったり寂しかったりしたこの思いは
どうしてくれるんだ。

1年3組の教室には既に誰もいなかった。クルリと踵を返し、真っ直ぐ昇降口へ走る。

校門のところに人影が見えた。おとなしく待ってるとはいい度胸だ。
走りながら大きく息を吸い込み、あらん限りの声で叫んだ。

「松浦亜弥ー!!」
「はい!」
「嬉しそうに返事するなぁ!!」

急ブレーキをかけ、亜弥の目の前で止まる。
633 名前:『思い出』 投稿日:2003/10/07(火) 01:35
「あんたねえ! どういう事よ、これは!!」
「だから、転校したじゃないですか。この学校に」
「うちの制服着て転校するって聞いたら、他の学校に転校するんだと思うでしょうが、普通!」
「そんなに怒鳴って疲れないですか?」
「……ちょっと」

ゼエゼエと息を切らしながら、よく回らない頭を必死に回転させる。

なるほど、考えてみれば彼女は一つも嘘をついていない。
……いやひとつ気になる事が。

「あんた、ここで有名だって言ったよね。可愛いから」
「あ、最後のとこもう一回」
「嫌です」

今日転校してきたのなら、畢竟、誰も知らないのも無理はない。
そして、それなら有名なはずはないのだ。

亜弥は例の人懐こい笑みで、事も無げに言った。

「これから有名になりますから」
「……あっそ」

はいはい頑張ってね。呆れながら言うと、亜弥はこっちの腕を取って、肩に顎を
乗せてきた。
634 名前:『思い出』 投稿日:2003/10/07(火) 01:35
「転校してー、そんで新しい学校で恋人作るんです」
「あーそうですか」
「そうです」

へへ、と笑って、首筋に頬を摺り寄せてくる。
あ、いい匂い。

「可愛い可愛い松浦さんは、転校早々藤本先輩のハートをゲッチュしたのでした。
やーこれ、絶対話題になりますよねぇ」
「ゲッチュされてないし。大体なんで、転校生のくせにそんなうちの学校に詳しいの」
「ゲッチュするんですよ。幼なじみがこのガッコに通ってるんです。
1年の高橋愛ちゃん、知りません? よくカッコいい生徒さんの写真見せてくれてたんです」

律儀に二つの話題両方に答え、亜弥がさらに密着してくる。
柔らかいなあ。って、どこ押し付けてるんですかアナタ。
慌てて亜弥を引き剥がし、赤くなった顔を隠すために後ろを向く。
635 名前:『思い出』 投稿日:2003/10/07(火) 01:36
「あ、先輩照れてる。かわいー」
「うっさい」
「あれ、可愛いって言ってくれないんですか?」
「言いません」

ふーん。まあいいや。あまり気にした様子もない亜弥の声が背中に届く。

「先輩、約束覚えてます?」「覚えてません」

速すぎて受け取れないキラーパスのような返答だった。

「これからずっと、思い出作りに協力してくださいね」
「い……」
「嫌っても言っても協力してもらいます」

途中で奪われて、言葉に詰まる。なにせ彼女は諦めが悪い。

深く嘆息し、ゆっくりと振り返った。
亜弥は人懐こい、可愛い顔で笑っている。
可愛いなあと思いつつ、とりあえず、これ以上ないくらい渋い顔をしてみせた。








《'Are You OK?' 'No,No,No……'》
636 名前: 投稿日:2003/10/07(火) 01:37
以上、『思い出』でした。
637 名前: 投稿日:2003/10/07(火) 01:37
切ない系ばかり書いてたので、もうちょっとお気楽な話にチャレンジしてみようかと。
638 名前: 投稿日:2003/10/07(火) 01:38
そして実は『散歩』の二人の出会い編だったりします。

藤本さんがいつ約束を果たしたのかは、作者も知りません(笑)
639 名前:名無し読者 投稿日:2003/10/07(火) 05:33
うわぁ…やばいツボだぁ…。
円さんの描く二人はどうしてこう…ああ…。
もう、最高です(w
言葉にならないくらい。
640 名前:名無し読者 投稿日:2003/10/07(火) 08:27
ハマってしまいました…。
そうか、『散歩』の続編ですか。どうりで藤本さんの突っ込みが同じなのか分かった(w
やばいやばい。抜け出せないよー。円さんのあやみきワールドは最高です。
641 名前:名無しさん 投稿日:2003/10/07(火) 23:19
そうか、そういうことだったんですか。
何でかなぁと思ってたんですよね。
それにしても円さん、自分のこのありえない頬の緩みは
どうやったら治りますかね?
ほっぺの筋肉が上に上がりっぱなしです。
642 名前:名無し読者 投稿日:2003/10/08(水) 01:48
最高だ
なんて素敵な出会いなんだろう
途中ではたと気付いて頭から読み直しました
そーゆーことかって気付いて嬉しかった
もう一回最初から読みなおそう
643 名前:名無し読者 投稿日:2003/10/08(水) 20:47
なんていうか…すごくいいかんじ。
この二人で他の話も読んでみたいな。
644 名前:名無しさん 投稿日:2003/10/08(水) 23:43
なんだか胸がときめいちゃってます(w
独特の話し方とかテンポとか、すごいツボです。
この二人の雰囲気も好きだなぁ。
645 名前:名無しさん 投稿日:2003/10/11(土) 12:49
本当になんて素敵な物語を書くんでしょうか笑
藤本さんの鋭いツッコミを表現する文章がおもしろい。
てゆーか散歩の出会い編だったとは!
なんとなく藤本さんのキャラが似てると思ってたんですよね。
いやぁ、上手い事しますなぁ、作者様!
もう一度散歩を読み直しちゃおう。
646 名前: 投稿日:2003/10/26(日) 03:57
>>639-645

レスありがとうございます。

うむむ、やはりホノボノとした話の方がいいんでしょうか?(^^;
上手いこと書ければいいんですが、なかなか……苦手なもので(苦笑)

この二人の別エピソードというのは、今はちょっと浮かびません。
まあなんとなく藤本さんが振り回されてんじゃないかなーくらいに思ってますが(笑)
ちなみに藤本さんが何度も使ってる「嫌です」という台詞は、うたばんでの「ヤです!」が
個人的にとてもツボだったことから来たものでした。

余談ですが、夏の夜のプールというのは自分が一番好きなシチュエーションです。
岩井俊二監督の某映画とか大好きです。
647 名前:『S』 投稿日:2003/10/26(日) 03:58
小さな教会の横を通る細い道を抜け、その先に続く階段を上ると見晴らしのいい
高台に出る。街並みを一望できるほど開けてはいないし、眼下に広がるのは高層
マンションなどの高いビル群だけだったから、開放感を味わいたい時は空を見上げる。

今日は日曜日だから教会には何人かの人達が礼拝に来ていた。説教は学校の先生だけで
十分なので、いつも洩れ聞こえる声を耳にしながら、美貴はその脇を通り過ぎていた。

冬生まれなわりに夏が好きだった。うだるような暑さと草いきれと風が木の葉を揺らす
音が好きだった。

だからよくここに来た。小さな頃からの秘密の場所だった。
手入れなど全くされていない草原に寝転がり、ぼんやりと空を見上げる。晴れた空は
青々と広がっている。大きな雲が出ていた。入道雲というやつだ、見ていて気持ちがいい。

「あー、やっぱここだった」

草を踏み分ける音と共に、既に耳馴染んだ声が届く。美貴は視線だけを動かして声の主を
見遣る。寝転がっていた自分の額には汗が浮かんでいるのに、ここまで歩いてきた彼女の
顔は涼しげだった。
蝉の声がジィジィと響く。額に浮かんだ汗が流れる。美貴が一度目を閉じて、開く。
648 名前:『S』 投稿日:2003/10/26(日) 03:58
「亜弥ちゃん、ここには来ないでって言ってたよね?」

咎めるニュアンスは含まれているものの、別に棘があるでもない、普通の口調だった。

亜弥はそれを軽く受け流し、美貴の隣に腰を下ろした。

「だってお姉ちゃん、携帯の電源も切っちゃってるし、お父さんもお母さんも探してるし、
しょうがなかったんだもん」
「小学生じゃないんだから、夕方になったらちゃんと帰るよ」
「三者面談」

美貴の反論を無視する形で、亜弥がポツリと呟く。美貴がふっと息を吐く。

「先生から電話あったみたい。駄目じゃん、ちゃんと言わないと。
進路決めたりとかすんでしょ?」
「んー」
「お姉ちゃん、美容師なりたいとか言ってたじゃん。色々資料とかもらったりさ、
願書出したりとかしなきゃいけないんでしょ? 早くしないと駄目だよ」

ふ。もう一度美貴が息をつく。高校三年生特有のモラトリアムな憂鬱を、二つ年下の
亜弥はまだ理解できない。
649 名前:『S』 投稿日:2003/10/26(日) 03:58
「月曜日、お母さんが行くって」
「……来なくていいよ」
「駄目だよ、決まってんだから」

風が舞って、美貴の前髪を揺らす。亜弥がその額をぺちぺちと叩く。鬱陶しそうに
首を振ってそれを止めさせ、美貴は目を閉じた。

「判った」
「ホントに判ってんの?」
「判ったって」

苦笑混じりに言うと、亜弥は不機嫌そうに眉を顰めたまま美貴から視線を外した。
視軸は眼下に広がる街並みへ固定されている。空を見た方がいいのにと美貴は思う。

階段の下にある教会から、賛美歌が流れている。「諸人挙りて」か「喜びの日よ 光の日よ」
か。少なくとも「聖しこの夜」ではない。それくらいなら旋律を知っている。
亜弥は抱えた膝に顎を乗せて、眼下を眺めている。さわさわと風が鳴っている。

「……お姉ちゃん、寝た?」
「起きてるよ」
「なんだ」
「なんで」

それきり会話は途切れた。
650 名前:『S』 投稿日:2003/10/26(日) 03:59
美貴は薄目を開けて亜弥の姿を盗み見る。汗の一粒たりとて滲んでいない首筋は、
白くて細くて綺麗だった。



彼女が妹になったのは、ほんの1年前からだった。連れ子のある同士の再婚なんて今時
珍しくもないが、やはり当人としてはいきなり家族が増えるなんて大事だった。
16歳になって初めて出会った相手をすぐに妹だと思うことも出来ず、それでもただの
友人として接するには状況に無理がありすぎた。

それは亜弥の方も同じだったようで、そういう、ギクシャクとした関係はしばらく続いた。

均衡を崩したのは彼女の方だった。崩れて均されてなんとなくいい感じに落ち着いたのが
今の状態だった。

一度だけ、彼女に迫られた。
一度だけ、彼女を拒んだ。

それはそれだけの事で、だからどうしたとか、そこから何かが発展したとか、
そういう事はなかった。

ただ、それから亜弥が当てつけのように美貴を「お姉ちゃん」と呼ぶようになり、
そのおかげで今はなんとなく上手い具合に、『家族』みたいな関係を持てるように
なっていた。
651 名前:『S』 投稿日:2003/10/26(日) 04:00


ひたりと、冷たいものが頬に当たる。目を開けると缶ジュースが押し付けられていた。
「忘れてた」
「忘れんなよ」

喉の渇きが思い出された。上体を起こし、差し出された缶を受け取る。
プルトップに爪を引っ掛けて一気に引き上げる。プシュッと気体の抜ける音がした。
口をつけて一気に喉へ流し込んだ。シトラスの香りが鼻を抜ける。

「美容師とかってさ、専門学校とか行くんだよね」
「うん」
「……うん」

相槌に相槌で返されたら、その先にはどうしたって進めない。
美貴は黙ってジュースを飲む。

けふ、と食事を終えた猫のような吐息を洩らし、空を見上げながら美貴が呟く。

「別に、家出るとか考えてないから」
「そっか」
「うん」
「そうだよね、寂しいもんね、折角出来た家族なのにさ、離れたりしたら寂しいよね」

早口に、何故か言い訳のような口調で、照れたように笑いながら亜弥は言った。
美貴が視線を落とす。缶の中で液体が揺れている。指に力を込めると、スチールの缶は
ペコンとへこんだ。
652 名前:『S』 投稿日:2003/10/26(日) 04:00
「家族、ね」
「家族じゃん。お母さんがいて、お父さんがいて、お姉ちゃんがいて、あたしがいて。
どっからどう見ても家族じゃん」
「ふぅん」

本当に? どの角度から見ても、歪な所など何もない家族になっているんだろうか。

16歳になって初めて会った相手を妹と思うことなど出来ず、ただの友人として接するには
近すぎて、近すぎるから触れることが出来ないこの曖昧な家族関係は。

どこにも綻びが存在しない、綺麗な形を、保てているんだろうか。

君の、隠された想いも。
自分の、閉ざされた想いも。




653 名前:『S』 投稿日:2003/10/26(日) 04:00
進路はひとまず保留にした。専門学校の願書受付が始まるのは10月からだから、
それまでには決めておけと担任に言われて美貴は素直に頷いた。

「どう? 美貴ちゃん、決められそう?」
母が問いかけてくる。彼女は亜弥の実母だ。つまり美貴とは血の繋がりはない。

「うん、まあ色々考えてるとこ。パンフとか何個か見て一応目星はつけてるし」

口からでまかせを言った。本当はモラトリアムに逃げて何も決めてなどいない。
それでも母は安堵したように微笑んだ。その胸の内には、やはり色々考えがあるんだろう。
美貴が曖昧に笑う。

家に帰ると、亜弥がリビングで携帯ゲームを手に遊んでいた。
「亜弥ちゃんただいまーっ」
後ろをすり抜けがてら、その頭をぺいっと叩く。
「ったー! なにすんの!」わざとらしく喚いて、亜弥が舌を突き出してきた。
母はそれを微笑ましい光景として眺めている。

亜弥はすぐにゲーム画面へ目を戻した。それなのに、美貴は確かな彼女の意識を感じる。
視線ではない。そんな直接的で直線的で直情的なものは感じない。
月明かりのように、一度別のものへ投射してからこちらに当てられているような、
間接的で曲線的で多情的な意識だった。
654 名前:『S』 投稿日:2003/10/26(日) 04:00
彼女の意識を感じる時、美貴はいつも複雑な心境になった。
年下の女の子に辱められているような、慈しまれているような、温もりに包まれて
いるような、底冷えするくらいの冷徹さに貫かれているような、そういう、相反する
感覚を覚えていた。

崩れて均された足元は、本当はとても脆くて危ういような、そんな気がした。



655 名前:『S』 投稿日:2003/10/26(日) 04:01

656 名前:『S』 投稿日:2003/10/26(日) 04:01
テーブルの上に乱雑に散らばっているパンフレットの中に、県外の学校の物があるのを
見つけた亜弥が唇の端をゆがめる。

「なんで」
「……行くわけじゃないよ。一応全部貰ってきただけ」
「なんで? いらないじゃん。ここ出る気ないんでしょ? 貰ってこなくてもいいじゃん」
「うるさいなぁ。いいからちょっと出てってよ、気が散る」

漫画を持っていた片手を空け、軽く振って部屋から追い出そうとするのを、
亜弥は美貴の隣に座り込むことで抵抗する。微かに眉を寄せ、美貴は視線を逸らす。

「気、散るの?」亜弥の視線は美貴が持っている漫画に落ちている。それでも美貴は彼女の
意識が全身に纏わりついて来るのを鋭敏に感じ取っている。
居心地が悪い。ざわざわと胸元を何かが這っている。逃げなければいけないような気になる。
衝動を抑える。情動をコントロールする。瞬間的な情動は持続性のある気分に変わる。
だから今は、気分が悪い。

「散る」
嘘だ。拡散などしていない。むしろ一点に集中し、全てを飲み込まれそうになるのを
必死に堪えている。
657 名前:『S』 投稿日:2003/10/26(日) 04:01
亜弥はいつまで経っても同じページを開いている漫画を見つめている。

「お姉ちゃんは、あたしといたくないんでしょ?」
「……そんな事ないよ」
「ウソツキ」

それはまるで、鉄の棒を人外の力で無理やり腹に突き刺されたような、鈍くて苦しくて
痛くて恐くなる言葉だった。

亜弥が立ち上がる。ようやく纏わりついていた意識が剥がされる。美貴は思わず息をつく。

パタンとドアが閉まる。人の声が途絶えた部屋に、ジィジィと蝉の声が侵入してくる。
うるさいが、彼女の意識よりはマシだった。
漫画を傍らに放り、テーブルに散らばったパンフレットをまとめる。まとめたそれを
絞るようにグシャリと握り潰して壁に投げつけた。

綺麗になったテーブルに額を押し付ける。呼気が荒い。眉が切なげに歪む。

「……亜弥ちゃん」

それは、ひどく直接的で直線的で直情的な、艶やかで甘い囁きだった。
658 名前:『S』 投稿日:2003/10/26(日) 04:02


659 名前:『S』 投稿日:2003/10/26(日) 04:02
いつの間にかウトウトしていたらしい。明かりを点けていない部屋は真っ暗だ。
誰かが叫んでいる声が耳の後ろをくすぐっている。
それに気付かない振りをして目を閉じると、今度は力任せにドアを閉める音が鼓膜を
乱暴に叩いた。
さすがに起き上がって何事かとリビングへ向かう。リビングでは父親が不機嫌な顔で
煙草をふかしていた。その横には母がオロオロと部屋の中を見回し、美貴の姿を認めて
泣きそうな目をした。

「……どうしたの?」
「なんでもない!」
「……お母さん、何があったの?」

苛々とした仕草で煙草をもみ消している父には構わず、そう母に問うと、真っ赤な目を
した母は涙を堪えながら話し出した。

「亜弥がね……」

ああ、やっぱりそうか。どこか安堵に似た呆れを覚える。
660 名前:『S』 投稿日:2003/10/26(日) 04:02
結局、自分たちのいびつな関係は、両親にまで影響を及ぼしていて、綺麗なように
見えていたこの家は、だから本当は、綻びだらけだったのだ。

多感な時期にいきなり新しい家族を押し付けられて、そういう時期に出逢った美貴を
ただの姉として慕う事も出来ず、それでも与えられたこの形を壊す度胸もないまま。
自分たちが作り上げたいびつな安寧から逃げ出したのは、彼女の方か。

「最近、あの子が何考えてるか判らないの。やっぱり、ホントは再婚に反対だったの
かもしれない」

母の言葉に、美貴は小さく眉を歪める。

そうじゃない。彼女は家族を大切にしたかっただけだ。
ただ、彼女の隠された想いと、自分の閉ざされた想いが、それをいびつな形に変えて
しまっただけで。
いびつなまま転がるのなら、それは激しく揺れ動いてさぞかし気分が悪いだろう。
多分、今の自分が感じているのと同じくらいには。
661 名前:『S』 投稿日:2003/10/26(日) 04:03
「探してくる」
「ほっておけ! どうせすぐに戻ってくる」
「……だとは思うんだけどね」

聞こえないよう小声で呟きながら、美貴はリビングを出た。
一度部屋に戻り、携帯電話を取り上げる。一応亜弥の携帯へかけてみたが、電源が
切られていて通じなかった。
つまりそれは、居所を教えなくてもいい場所に、彼女がいるという事だった。

「恐がりなくせして……」

半袖のシャツにジーンズという軽装で家を出る。探す必要はない。迷う必要もない。
ゴールがどこにあるかなんて、とっくに判っている。



662 名前:『S』 投稿日:2003/10/26(日) 04:03
小さな教会の横を通る細い道を抜け、その先に続く階段を上ると見晴らしのいい
高台に出る。街並みを一望できるほど開けてはいないし、眼下に広がるのは高層
マンションなどの高いビル群だけだったから、開放感を味わいたい時は空を見上げる。

今は、空を見上げても真っ黒で開放感も何もない。雲は出ていないらしく、月がはっきり
見えている。

「こら、ここに来ちゃ駄目だって言ってたじゃん。一応、美貴の秘密の場所なんだから」

からかい混じりに言うと、亜弥は蹲ったまま苛立たしげに小石を投げつけてきた。
目測も何もないそれは、見当違いの方向へ飛んで暗闇に紛れて消えた。

「帰ろうよ。お母さん心配してたよ」
「……お姉ちゃんはあたしがいない方がいいんでしょ?」
「なんで。そんな事思ってない」
「だって」

会話はそこで途切れた。美貴は月明かりを頼りに亜弥へ近づき、ジーンズのポケットに
親指を引っ掛けて背を丸めた。
「どうしたら帰る?」柔らかく、落ちたらどこまでも沈んでいきそうな声で、問いかけた。

亜弥は答えない。蹲って、抱えた膝に額を押しつけ、身じろぎ一つしない。空でも見上げ
たらいいのにと美貴は思う。夏の月夜もいいものだ。
663 名前:『S』 投稿日:2003/10/26(日) 04:04
自分たちのいびつな関係は、あまりにも判りやすくて、だからこそ持て余してしまう
ような不確定さを持っていた。そこから逃げ出したのは彼女であり自分であり、
追いかけたのも彼女であり自分だった。

蹲った彼女の意識が纏わりついてくる。それはもう、溢れそうなくらい自分の中に
うず高く積み上げられている。

もう、いい。心の中で溜息をつく。
辱められているような、慈しまれているような、温もりに包まれているような、
悪寒と取り違えるくらいの冷徹さに斬りつけられているような。

そんな彼女の恋情を隠させている現状を作り上げたのは、自分の閉ざされた劣情だった。

そんな自分の劣情を扇情していたのは、彼女の恋情だった。

隠したのも、閉ざされたのも、それぞれのプライドが理由だった。

だから、もういい。下らないプライドで光が入り込むはずの家にブラインドを
下ろしてしまうのなら、そんなものはいらない。
664 名前:『S』 投稿日:2003/10/26(日) 04:04
「……亜弥ちゃん」

彼女の前に片膝をつき、その髪に触れる。

「顔、見せてよ」

亜弥が静かに顔を上げる。気まずげに伏せられた目に、長い睫が被さっている。
僅かに乱れた髪を直してやりながら、美貴は微笑んだ。

「……内緒だよ?」

彼女がその言葉の意味を理解するより早く、唇を重ねた。

伏せられた目が一度大きく見開いて、それからまた静かに閉じられる。
腕が背中に回される。微かに力がこもる。ジィジィと鳴く蝉と、それに紛れる息遣い。
何度も口付ける。唇を離す一瞬に、ささやかな嬌声が洩れる。

亜弥の肩に凭れかかり、添えるより強く、抱きしめるより弱く彼女の身体を両腕で包む。
お互いに、切なく眉を歪め、乱れた呼気を隠そうともしない。

それは亜弥の胸が詰まるような恋情であり、美貴の息が出来ないくらいの劣情であり、
二人の泣きたくなるような純情だった。
665 名前:『S』 投稿日:2003/10/26(日) 04:05
「初めて逢った時から、ずっと好きだったよ」

16歳になって初めて出会った彼女に抱いた想いは、すぐさま閉ざされて。

「……あたしだって、そうだもん」

15歳で初めて覚えた想いは、溢れて崩れて隠された。

美貴がもう一度唇を重ねる。それはひどく性的であり静的であり清適なキスだった。

「……誰にも言っちゃ駄目だよ?」
「ん……」

隠されて閉ざされた、二人のいびつな恋は。
唇で耳朶に触れる。
これからもきっと、密やかに隠されて。
微かに亜弥が首を竦める。
ただ一点だけを閉ざしたまま。
逃げられないように押さえ込み。
声を殺して慈しみ続ける。
666 名前:『S』 投稿日:2003/10/26(日) 04:05
「や……お姉ちゃ……」
「違うよ。……違う」
「……だって」
「なんで。もう、違うじゃん」

君を好きで、君が好きでいてくれて。

今更、そんな呼び方をするのはずるい、と思う。

美貴が唇を離さないまま、わざと揶揄するような口調で囁く。
「今度お姉ちゃんって呼んだら、やらしい事するよ」

亜弥はへへ、と笑って、小さな声で呼びかけた。
667 名前:『S』 投稿日:2003/10/26(日) 04:05


668 名前:『S』 投稿日:2003/10/26(日) 04:05
携帯でこれから帰ると告げていたからか、両親は揃って玄関先で待ち構えていた。
難しそうな顔をしている父と、対照的に安堵の表情を浮かべている母の様子に、亜弥は
気まずそうに視線を逸らす。

「えーと……ただいま」
仕方がないので、美貴が執り成すような語調で言う。

「どこにいたんだ」
「ファミレスで時間潰してんの見つけて」
「……まさか、変なのと一緒にいたんじゃないだろうな」

美貴の目が眇められる。「父さん」冷たい口調に父は自らの失言に気付く。
誤魔化すように空咳をして、それから背を向けて家の中に入ってしまった父に、美貴は
軽く肩を竦めた。

「大丈夫、別に心配されるような事、なかったから」

安心させるために母へ告げると、「そう」と簡単な返事だけがあった。

「じゃあ、もうご飯にしましょうね。準備できてるから」
「はーい。その前にシャワー浴びていい? 外暑くってさぁ」
669 名前:『S』 投稿日:2003/10/26(日) 04:06
確かに今日は日が暮れても気温がなかなか下がらなくて、歩き回ったのだろう美貴の
額には、大粒の汗がいくつも浮いている。
亜弥もここに戻ってくるまでの間に当てられた熱気のせいか、うっすらと浮かんだ汗で
首筋に髪の毛が張りついていた。

「そうね。じゃあそれまでにご飯温めなおしておくから」
「ありがと。いこ、亜弥ちゃん」

二人の手はずっと繋がれている。母はそれを微笑ましい光景として眺めている。

バスルームの扉の前で、ようやく手を離す。
亜弥が歯を見せて笑いながら美貴を見つめる。

「一緒に入る?」
「馬鹿」

ピン、と人差し指で額を弾かれて、拗ねたように頬を膨らませる。
それでも微かに火照りを持った顔に、照れているのだという事が判って、
また笑みがこぼれた。
670 名前:『S』 投稿日:2003/10/26(日) 04:06
ピン、と人差し指で額を弾かれて、拗ねたように頬を膨らませる。
それでも微かに火照りを持った顔に、照れているのだという事が判って、
また笑みがこぼれた。

亜弥が扉の向こうに消えてから、美貴は自分の部屋に戻るために階段を上り始めた。
その背中にくぐもった声が届く。

「着替えー! 持ってきてー!!」
「はあ? 自分で持ってきなよ」
「もう脱いじゃったもん」
「…………」

深く嘆息して、止まっていた足をまた進める。
「想像しちゃうような事言うなよ……」
僅かに自己嫌悪しながら独り言ちる。
「……尻に敷かれそー」

苦笑しながら階段を上っていく。

上りきる頃、美貴はこの街を出ることをやめにしていた。










《my Sister is Secret Sweetheart.》
671 名前: 投稿日:2003/10/26(日) 04:09
以上、『S』でした。

って、またコピー範囲ミスってるし……(苦)
670レス目の上3行は無視してください。

なんかこういう、ちょっと叙情的で背徳的なシチュエーションが好きですね(笑)
そして、我ながら言葉遊びに囚われすぎてると思いました。
672 名前:名無し読者 投稿日:2003/10/26(日) 05:06
円さんの作品は本当に世界観が確立されていて引き込まれてしまいます。
今回もやっぱり面白かった。
最高です。
673 名前:名無し読者 投稿日:2003/10/26(日) 12:11
何て萌えなシチュエーションなんでせう(;´Д`)
674 名前:名無し読者 投稿日:2003/10/26(日) 12:54
ハァ━━━━;´Д`━━━━ン!!!!!!
萌え過ぎて心臓が痛い…
675 名前:名無し読者 投稿日:2003/10/26(日) 20:14
文が心地良いんですよね。読んでて。
幸せな一時でした。
676 名前:名無し読者 投稿日:2003/10/26(日) 23:50
最高です最高
またこの物語の前後が読みたくなってしまいました
読んでるうちに解らない単語があって二回辞書を引いてしまいました
えへ。私馬鹿だなー
677 名前:名無しさん 投稿日:2003/10/27(月) 00:01
読み終わったあとの感想として、綺麗だ、と思いました。
円さんの文章が作る世界はすごく綺麗です。
溜息が零れました。心が揺さぶられます。
678 名前:名無しさん 投稿日:2003/10/28(火) 12:45
なるほど、Sってそういう事か、そういう事。
題名まで深い意味があるんですねぇ、すごいすごいすごい。
そして何より、どの小説より、美しい。
私はこういう綺麗な世界観が大好きです。
というか、円さんが大好きです。
あやみき万歳。
679 名前:名無し読者 投稿日:2003/10/28(火) 23:09
読者の皆さんの意見にハゲドウです。
最後に出てくる副題(主題?)が好きです。
なんかジーンとくる。
スレ汚スマソ
680 名前: 投稿日:2003/11/01(土) 11:00
>>672-679

レスありがとうございます。

『S』のテーマは「いかに性的なニュアンスをかもし出しつつ綺麗に描くか」だったので、
伝わったようでホッと一安心です(笑)
ちなみにこの話、深読みすると結構エロい展開になってたりするんですが。

最後の英文は、物語の終わりのちょっと先を暗示するものとなってるわけですが、
こうしている理由は「ENDマークをつけたくないから」だったりします。
ある意味、第2章のタイトルだけ出してるみたいな。



681 名前: 投稿日:2003/11/01(土) 11:00
次のお話はよしみきです。
682 名前:『Siren』 投稿日:2003/11/01(土) 11:01
不自然にシワのついたボタンダウンのシャツが、身体の動きに合わせてはためいている。
ステップを踏んでいるような、軽い足取りで廊下を進み、目指す楽屋のドアノブに手を
かける。

「おはよーございまーす! 吉澤、ただいまご出勤でーす!」

メンバーの数を鑑みれば当然な大部屋に、吉澤の元気な挨拶が響く。しかし、それに
答える声はひとつとして無い。全員集合した時に合わせて与えられた楽屋は、今は随分と
殺風景で静かだった。

キョロリ。今日はみんな遅いなと目玉を回す。

「お?」

部屋の隅、メイクの時に使う鏡の前に置かれた椅子に座って突っ伏している後ろ姿を
見つけた。肩に届くくらいの茶色い髪がサイドに落ちている。その一筋とて揺れる素振りを
見せない辺り、どうやら熟睡しているらしい。

吉澤は無意識に頭を掻いて、足音を忍ばせながら手前にあるソファへバッグを置いた。
あれだけ遠慮のない大声に起きなかったのだから足音くらいで起きる事もないと思うが、
なんとなく気分的な問題だった。豪快だとか親父っぽいとかモーニング娘。唯一の男
だとか言われているが、なかなかどうして、その実結構な気遣いの人である。
683 名前:『Siren』 投稿日:2003/11/01(土) 11:01
バッグを置いたソファに腰を落ち着け、手持ち無沙汰なので誰かにメールでも送ろうかと
携帯電話を取り出す。

そこで気付いた。今は集合時間のきっちり1時間前。時間丁度に着くよう家を出たつもりが
1時間早く出てしまったらしい。

とすると、前方2メートルで爆睡している彼女は、一体いつからここにいたんだろう。

「……安倍さん?」

ちょっと声をかけてみる。声を出すまで躊躇があったのは遠慮したわけではなく、
自信がなかったからだ。

返事はない。未だその背中も首筋に落ちる髪の毛も微動だにしない。

「……じゃ、ミキティ?」

どっちにしろ眠っていれば返事のしようもない。吉澤はしばらく待っていたが、反応が
ないので諦めてバッグを漁り出した。

「……あ、なんだよこんな時に」

ちぇ、と小さく舌打ちする。いつもならバッグに適当な本を入れておくのに、こういう
日に限って忘れてきてしまった。飯田あたりがいれば貸してもらえるのだが、やはり
今日に限って望むべくもない。

おそらく他のメンバーは今頃、電車に揺られているか自宅で準備の真っ最中だろう。
そういう時にメールを送ったり電話をかけたりしても、芳しい結果は期待できない。
684 名前:『Siren』 投稿日:2003/11/01(土) 11:01
足を投げ出し、所在無げに前方2メートル先の背中を見つめる。

「安倍さーん? ミキティー? どっちでもいいから吉澤の相手してー」

暇なんだよぅ、と拗ねてみせるが、やはり背中は動かない。

「えーと、松浦亜弥でぇ〜すっ」

メンバー内で何故か流行っている物真似をしてみる。加護師匠直伝だ。実は自信がある。

「……似てないから」

それなのに、ようやくもぞりと動いた背中はつれなく言ってくれた。

「あ、ミキティだったんだ。おはよーおはよー今日は早いね」

鏡越しに見える、不機嫌そうに顰められた眉に気付きながら、話し相手が出来た事が
嬉しくて口調が華やぐ。
藤本は浮き上がった欠伸を噛み殺すと、椅子を回転させて直接吉澤と視線を合わせた。

「昨日あんま寝てないんだって。それなのになんか後ろでうるさくする人いるからさー」
「や、似てるべ? まっつぅらあ」
「似てない」
「そんな、ひどいよみきたんっ」
「気持ち悪い」

寝起きでテンションが低いのか、それとも松浦を茶化されたのが気に入らないのか、
笑いのポケットが多いはずの彼女はニコリともしない。
吉澤は大仰に肩を竦めて両手を頭の高さに上げた。
685 名前:『Siren』 投稿日:2003/11/01(土) 11:01
「バンザーイ。なしよ」

手を上げたまま上半身を右に倒す。「古っ」苦笑じみた笑みで藤本が言う。

「てか、なんでこんな早いの? まだ集合までかなりあるよ」
「時間を間違っちゃったんだねー。ミキティこそ早いじゃんか。なんで?」
「あー、亜弥ちゃんと一緒に出たから……」

語尾が薄く消える。「ほっほー」吉澤が面白そうに笑う。
藤本の眉が微かに上がり、警戒の色を見せる。怒っているのでも不快になっているのでも
なく、それは単なる防御体勢の表れだった。

年下のメンバーに恐いとか気持ち悪いとか言われる、ニヤニヤとした軽薄な笑みを浮かべ、
吉澤はわざとらしく言った。

「ふぅ〜ん、昨日は亜弥ちゃん家に泊まったんだ?」

呼び方は意識的だった。藤本が眉の角度を上げる。

「いいじゃん別に関係ないじゃん」
「関係ないっすよ。そりゃもう全然関係ないね。あややの家に泊まった藤本さんが寝不足
でも、吉澤にはなんの関係もありませぇん」

言外に含まれているからかいに、藤本は瞬時に噛み付く。

「変な事考えないでよ!」
「なにが?」
「や……だから……なんでもないよ、もう!」

どうとも言えなくなった藤本が肩を怒らせて目線を外す。こういう時、大抵負けるのは
挑発に乗った方だ。身に覚えが無いわけでもないという事がないとは言えないし。
686 名前:『Siren』 投稿日:2003/11/01(土) 11:02
吉澤は軽薄な笑みを引っ込め、代わりに穏やかな微笑を浮かべた。

「いやあ、いいんじゃないの? ミキティあんま会えなくなっちゃってるっしょ。
会えた日はちゃんと大事にしてあげれば?」

周知の事実とはいえ、こういう話はあまり大っぴらにした事がない。吉澤の言葉に、
藤本は一瞬きょとんとして、それから照れたのか唇を尖らせながらそっぽを向いた。

「よっすぃに言われなくなって、ちゃんとしてるよ」
「なにを?」
「大事に! いちいちそういうとこに反応しないでくんない?」
「あはは、ミキティからかうと面白くってさあ」

からかわれた方は全く面白くない。目に力を込めて睨みつける。亀井なら縮こまって
隙間に入り込んだまま1時間は出てこなくなりそうな眼光を、吉澤は軽く受け流す。

そういう事するから誤解されるんだよ。内心で苦笑しながら呟く。
伊達にメンバー観察をしているわけでもない。尖って触れると貫かれそうな彼女の表面は、
実際に触れてみると驚くほど柔らかくて心地がいい。
最近では他のメンバーもその辺を判ってきたらしく、彼女に懐いている様子のある子も
何人か見えていた。

藤本に恋愛感情を抱いているわけではないが、ほんの少しだけ、松浦が羨ましかった。
彼女に浸かるというのは、どれだけ気持ちがいいものなんだろう。

「ちょっとだけ、あややになりたい。なんつって」
「は?」
「いやいや、こっちの話」
「なんなのよ」

藤本はしつこく食い下がってくる。前方2メートルにいたはずの彼女は、いつの間にか
椅子のキャスターを転がして1メートルまで近づいていた。
687 名前:『Siren』 投稿日:2003/11/01(土) 11:02
「ラブラブでようござんすねって事」
「な、なに言って……」

吉澤が小さく笑う。

今日、時間を間違えたのは幸運だったかもしれない。
広い部屋に二人きりでいられるというのは、実は結構幸せな状況なのかもしれない。

彼女との関係が恋人でも友人でも。

ある時間、彼女を独り占めに出来るというのは、ひどく心地良くて気分がいいものなの
だと初めて知った。

軽快に明快に爽快に展開されている彼女の空間は、あまりにも境界がはっきりしすぎて
いて、教戒を受ける必要も了解を得る必要も韜晦する必要もない。

だから、踏み込む必要はない。

それこそが恋人である彼女と、友人である自分の絶対的な相違であり、恋人である彼女と
友人である自分の共通した総意だった。
そしてそれは、彼女たちに対する紛れもない好意だった。

だから吉澤は藤本に笑いかける。恋ではなく、好意の表れとして。

バッグを床に下ろし、空いた端に移動して両手を広げ、クイと顎で自身を示す。
688 名前:『Siren』 投稿日:2003/11/01(土) 11:02
「さあミキティ、眠いなら吉澤の膝でお眠り」

ヘイ、カモン。
フレンドリィかつジェントルに誘ってやると、どういうわけか物凄く嫌そうな顔をされた。

「……セクハラされそう」
「なんだよ、いつもはミキティの方から来るくせに」
「だって今誰もいないしさぁ」

広げていた両手を下ろし、心外だといわんばかりに頬を膨らませる。「似合わない」歯に
衣着せぬ藤本の物言いには、時折強烈なダメージを受ける。そんなんだから喧嘩強そう
とか言われるんだよ。関西弁好きなのなんて、松浦が理由のくせに。

「しょうがないなー、じゃあミキティの横で子守唄歌ってやるよ」
「……超いらない」

いらないだけならまだしも、頭に超をつけてきた。
半分冗談、半分悪ふざけでションボリと頭を垂れて見せる。藤本は呆れた瞳で吉澤を一瞥
してから立ち上がった。
「もー、判ったよ」ソファの背凭れに手をつき、ぽふりと吉澤の膝へ頭を乗せる。

「みんな来たらちゃんと起こしてね」
「よしきたオーケィ任せとけ」

目を閉じる前に呟かれた、不安だ、という言葉は聞こえないふりをした。

軽く髪を撫でる。他に誰もいない楽屋の空気は緩やかに流れている。辻加護が騒いでいる
声や、亀井と道重が可愛い対決をしている声や、紺野と小川の食べ物談義の声が混じって
ぶつかり合って飛び交っている喧騒の中にいるのも勿論好きだが、こうして静かに
彼女を独占しているのも悪くない。
689 名前:『Siren』 投稿日:2003/11/01(土) 11:03
どうやら本当に寝不足らしく、藤本の肩は既に規則正しく上下している。
昨日はよっぽど頑張ったんだねえ。吉澤はそれこそセクハラな事を思う。

「……とりあえず寝顔激写」

携帯のカメラで藤本を捕らえる。なかなか可愛く撮れてしまった。
松浦にメールで送ってやろうかと思ったが、なんとなく野暮というか無神経な気がして
やめた。
決定ボタンを押す。保存しますか? いいえ。

くうくうと寝息が聞こえる。それはあまりに気持ちよさげで、こっちも引き寄せられて
眠りに沈んでしまいそうだった。

ふと、何かで読んだのか誰かに聞いたのか定かではないが、歌声で船を引き寄せ、
沈ませてしまう人魚の話を思い出した。
その歌声を聞いた時の心持ちというのはこんな感じなのかもしれない。彼女の歌声は
どちらかというと力強い印象が勝るが、今聞こえてくる呼吸はひどく穏やかで
幼子のようだった。

――――はは、可愛いなぁ。

揺らさないように堪えながら笑う。松浦はこの呼吸に引き寄せられて溺れて沈んだの
だろうかと考えて、我ながらあまりにもクサいなと思った。
690 名前:『Siren』 投稿日:2003/11/01(土) 11:03
しばらくそうして藤本の寝息を聴きながら髪を撫でていた。
30分ほどしてから、後ろでドアの開く音がする。首だけを回して振り向くと、
教育係という呼び方も既に懐かしい金髪の先輩が入ってくるのが見えた。

「お、よっすぃおはよー」
「おはようございます。矢口さん、しーっ」

人差し指を唇に当て、それからその指で自分の膝を指す。
「ん?」矢口が怪訝そうな顔で近づき、後ろからソファを覗き込んで眠っている藤本を
見つけると、おお、という風に口を開けた。

「なに、ずっと寝てんのこいつ」
「30分くらいですよ。ミキティ寝不足みたいで」
「へぇー。んじゃま、とりあえず浮気現場激写」

こんなところに師弟関係の絆が。吉澤は仄かに感動する。
矢口は携帯を覗きこんで二人の姿がフレームに収まる位置を探している。
「よっすぃ、もうちょっと藤本に顔近づけて」中腰になり、手振りで吉澤に指示を出す。

「え、こんな感じですか?」
「そうそう、いいよいいよー。ちょっと藤本の肩に手ぇ置いてみようか」

吉澤が状態を屈め、言われたとおりに手を添える。藤本の呼吸は乱れない。

「手、もうちょっと下。……オッケェ。よっすぃ、そのままね」

一瞬ののち、パシャリと音がして矢口が満足そうに頷く。
「完璧。オイラ将来はカメラマンになろうかな」

携帯の画面を吉澤に見せてくる。確かに完璧だった。吉澤の顔ははっきり写っていて、
藤本の肩に添えられた右手は非常に微妙な位置へ置かれている。これはもう完璧に
疑いようもないくらい誰がどう見ても浮気現場を激写した画像だった。
691 名前:『Siren』 投稿日:2003/11/01(土) 11:03
「さて、あややに送ってやるか」
「は? ちょっと待って下さいよ矢口さん。そんな事したら吉澤怒られるじゃないですか」
「大丈夫だって。こんなわざとらしいの、あややだって本気になんかしないから」

そうかなあ。あの子、収録中だろうがなんだろうが、ミキティが他の子と仲良くしてると
思いっきり不機嫌になるんだけど。

不安を覚えつつ、吉澤は矢口が携帯を操作しているのをまんじりともせず見ている。
出来るなら止めたいのだが、膝には熟睡している藤本。振り落として立ち上がるわけにも
いかない。

「そうしーん」

気楽な掛け声と共に、メールは無事電波に乗って飛んで行った。

その1分後、吉澤の携帯が鳴り響く。

「うわ来た早えよ松浦!!」

わたわたしながら携帯を取り上げ、切ってしまいたい衝動に駆られながらも通話ボタンを
押す。「も、もしもし?」引きつった笑いを口元に浮かべながら電話に出てみる。
692 名前:『Siren』 投稿日:2003/11/01(土) 11:04
『……う〜っ』
「ま、松浦? もしもーし」
『う〜っう〜っう〜っ!』

まるで警報のように唸り続けるだけで、松浦は言葉らしい言葉を発しない。

「えーと、もしかして怒りすぎて言葉が出てこないとかそういう……?」
『う〜〜っ!!』
「ちょっと、違うよあれは矢口さんの悪戯で、全然、変な事とかしてないから」

張本人のくせに蚊帳の外な矢口は、焦りながら弁解している吉澤に声を殺して爆笑して
いる。それを恨みがましく見つめて、吉澤は尚も松浦の誤解とも言えない怒りを解こうと
言葉を重ねた。

「いやホントごめん! てかウチが悪いんじゃなくて、悪いのは矢口さん……」

矢口は「オイラ関係ありません」という風に白々しく口笛なんか吹いている。
携帯からはいつ止むとも知れない唸り声。

結局、目を覚ました藤本が松浦を宥めるまで、吉澤は胃の痛みを感じながらこの不幸としか
言えない試練に耐え続ける羽目になった。

それは無断で彼女を独占した罰だったのかもしれない。

――――それとも、それ以上近づくと沈んでしまうぞという、警告か。
693 名前:『Siren』 投稿日:2003/11/01(土) 11:04


694 名前:『Siren』 投稿日:2003/11/01(土) 11:04
とはいえ、たった一度の警告でおとなしく引き下がるほど、吉澤はヤワではない。

「よっちゃんさ〜ん」
「みーきてぃっ。おはようおはよう」

誰かがいる時なら無防備にじゃれついてくる藤本を、フレンドリィかつジェントルに
受け止める。頭半分下にある、櫛の通っていない髪をぐしぐしと乱暴に撫で、柔らかな
感触を確かめるように軽く抱き寄せた。

少し離れた所で、小川がポカンと口を開けながらこっちを見ている。
呆気に取られているのか何も考えていないのか難しいところだ。彼女は大抵口が開いている。

その様子に笑い出しそうになりながら、吉澤は藤本から手を離さないままからかうように
言った。

「なに、まこっちゃんも吉澤の熱い抱擁が欲しいの?」

その言葉に小川はハッとしたような素振りを見せ、それから慌てて首と手を振った。

「い、いやいいですよ! いりませんよぉ!」
「遠慮するなって。メンバー同士のスキンシップじゃん」
「いやホントにいいです! やめて下さいよ吉澤さん!」

カニ歩きで壁伝いに進み、飯田の背中に隠れた小川に、吉澤は「ぶーぶー」と唇を尖らせる。

「やーい、よっちゃんさんフラレてやんのー」
「いいもーん。ミキティとスキンシップするからいいもーん」

さーみしーくないよぉーとか歌い始める。藤本はそれに爆笑していたが、やがてふと
表情を静かなものに変えた。
695 名前:『Siren』 投稿日:2003/11/01(土) 11:05
小さく唸ってからスルリと吉澤の腕から抜け出し、自分のバッグを引っ張り出す。
吉澤はいきなり手応えのなくなった両腕を自身の頭の上に置いた。素直に下ろすのは、
なんだか躊躇われた。

「ミキティ? なにやってんの?」
「んー、ちょっと」

言いながらバッグにしまわれていた携帯電話を取り出し、藤本は楽屋を出て行った。

さっきの歌が引き金になったらしい。どうも自分の歌声は、引き寄せるどころか
遠ざけてしまうようだ。

――――あーいや、違うか。

記憶にある彼女の歌声に、引き寄せられたのか。

声を潜めて笑う。歌った通り、寂しさは全く感じない。
警報を鳴らされるまでもなく、これ以上近づくつもりはないし、試練に打ち勝って何かを
得たいとも思わない。

ドアの向こうからは何も聞こえない。もっと離れているのか、こっちがうるさすぎるのか。
今日は時間を間違えなかったから、楽屋にはもう全てのメンバーが集まっている。
辻加護が騒ぎ、亀井と道重が可愛い対決をしていて、田中はそんな二人に構わず石川に
くっついている。安倍と飯田と矢口は固まって何か話している。新垣は高橋とトランプで
遊んでいて、飯田の後ろに隠れながら小川と紺野がかぼちゃ談義をしていた。

これで寂しいと思うのなら、それはもう、彼女に沈んでしまったという事だろう。
696 名前:『Siren』 投稿日:2003/11/01(土) 11:05
あの時感じた一瞬の邂逅。そして、一瞬だけ見えた海溝。
それは確かに、とても魅力的だった。歌声に引き寄せられて沈んで眠ってしまうその
気持ちを、理解できるような気がするほどに。

ただ、自分がその中に飛び込みたいとは思わない。

「どっちかっつーと、こっちでしょ」

頬杖をついて、騒いでいる面々を眺める。いるべき場所はここで、ドアの向こうには
居場所なんて存在しない。

ただ。

「よっすぃ、なにカッコつけてんの?」

後方から延ばされた腕が首筋に巻きつき、耳元で笑みを含んだ声がする。
引き寄せる力のないそれは、間近で聞いたところでどうともならない。

「カッコつけじゃねーよ。みんな面白いなーって思って見てただけ」
「ニヤニヤして気持ち悪いんだって。ほらほら、亀井ちゃん恐がってるじゃん」
「えー? 亀井、恐くないよねー?」

いきなり呼ばれた亀井が身体を震わせる。驚いただけだと思いたい。

「はい、恐くないですっ」
「ほら」
「いや今プレッシャーかけてたから。よっちゃんさん無理やり言わせてたから」

ツッコミのつもりなのか、藤本が右腕を上げて吉澤の額を叩く。
吉澤は不満そうに口を曲げて、それからへらっと笑った。

こんな風に彼女がここへ来たのなら、それを拒む理由がない。
697 名前:『Siren』 投稿日:2003/11/01(土) 11:05
楽屋は一人一人の声が聞き取れないほど騒がしくなっている。吉澤はそれを面白いと
思いながら見ている。藤本はそれに付き合ってみんなを見ている。

警報はさっき藤本が止めてくれた。
そもそも、うるさすぎて呼吸は聞こえない。
全ての声は混じり合って、その一つとして判別がつかない。
それはある種、静寂の中にいるのと同じだった。

「……ミキティさあ」
「うん?」
「うちらといて楽しい?」

みんなを眺めながら落とされた問いに、藤本がきょんと目を丸くする。

「なに、いきなり」

とりあえず笑っとけみたいな苦笑と共に、そんな言葉で繋ぐ。
吉澤は意味のはっきりした苦笑いを浮かべて小さく首を振った。

「ソロでやってたのにいきなり加入とか決まってさ。そんであんま会えないじゃん、今。
……まあなんつーか、うちはミキティと遊んでると面白いんだけどさ、そっちは
どうなのよとかちょっと思ったわけ」

馴染みやすい彼女は、馴染みやすいから読み取れない。

突然、こんな大所帯の中に放り込まれて。
たまに会えた時は寝不足になるくらい、吉澤の歌で記憶が引き起こされてしまうくらい
大事な彼女との時間を奪われて。

判らなかった。初めからグループの中に入って、些細なきっかけで思い起こすほど
思い焦がれる相手もいない自分には。

「ふはっ」美貴が小さく笑う。
698 名前:『Siren』 投稿日:2003/11/01(土) 11:06
「そりゃ最初は驚いたけど。楽しいよ、よっすぃ面白いし、まこっちゃんも紺ちゃんも
いい子だし、みんな好きだって」
「けど、やっぱさあ。……松浦と会いたいんじゃないの?」
「や、確かに美貴、亜弥ちゃん……好きだけどさ。でもそれとこれとは別じゃん?」

そういうものなんだろうか。少なくとも、向こうはそこまで割り切れていないように
見えるが。あの警報を聞いた吉澤はそんな風に思う。

「よっすぃって、何気にナイーブだよね。そのうち禿げるよ」
「うっせーよ」

肩に乗っている頭を裏拳で叩く。「にひひっ」藤本は悪戯っぽい笑みを浮かべながら、
お返しとばかりに吉澤のこめかみへ拳を当てた。

「美貴は亜弥ちゃん好きだけど、よっすぃ達のこともかなり好きなんだよ」
「なんだよ惚れんなよミキティ」
「惚れてないっつーの」

ふざけた口調に、吉澤が片目を眇めて笑う。
699 名前:『Siren』 投稿日:2003/11/01(土) 11:06
そういうものなんだろう。

こうして、呼吸の聞こえない安全な場所で、別に独占するでもなく引き寄せられる事も
なく同じ時間を過ごせるというのは、実は結構幸せな状況なのかもしれない。

沈まないまま、ユラユラとたゆたっているのも、それはそれでとても心地良い。

だから、もう松浦を羨ましいとは思わなかった。
だから、もう警報は鳴らないし、人魚の歌は聴こえても意味がないし、試練を与えられる
機会もないだろうと思った。

「そんな事言って、よっすぃ、さては美貴に惚れてるね?」
「惚れてないっつーの」

さっきの藤本を真似て言い返し、吉澤は小さく苦笑した。









《Friendship doesn't sink in a siren's song. Because it's a protected silence.》
700 名前: 投稿日:2003/11/01(土) 11:08
以上、『Siren』でした。

えーと、タイトルは3通りの読み方があるんですが、どう読むか本人も決めてません(爆)

つか、なんか微妙な話だなあ……。この二人はもっとこう、すっきりさっぱり後味爽やかな
関係というイメージがあるんですが。
701 名前:名無し読者 投稿日:2003/11/01(土) 16:46
♪ありがとうございま〜す!(ペシペシ)
「18ヶ月」のスレでみきよしリクエストした者ですが、こんなに早く書いて下さるとは感激です。
でも、みきたんのベースはあやみきなんですねぇ。ぁゃゃの「う〜っ」が怖っ…
702 名前:いの 投稿日:2003/11/02(日) 01:16
『S』も『Siren』もまとめて読みました。
更新されてたのに今頃気づくなんて遅っ(涙)
円さんの文章すごくキレイで好きです。
よくこんなにボキャブラリーがあるな、と毎回感心。
青板の方も楽しみにしてますよー。
703 名前:名無しさん 投稿日:2003/11/02(日) 16:17
私も最後の副題みたいなもの大好きです。
あと同じ響きの全く違った意味合いの言葉を使うじゃないですか。
すごいなぁって。
あやみきあってのよしみきって異様に萌えるんですね笑。
Sはもう一度深く読んでみようと思います。
704 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2003/11/02(日) 20:30
ずっとROMってた者ですが、すごく良かったです!
みきよしもおもしろいですね!
あやみきのほうもがんばってください!
705 名前: 投稿日:2003/11/07(金) 00:12
>>701-704

レスありがとうございます。

うう、よかった、みんな優しかった(笑)
あやみき話のスレでよしみき載せちゃうのってどうなのよとか思ってたんで。
個人的に、よしみきはあやみき前提ですね。
もちろん、CPとしてのよしみきを否定するわけじゃなくて。
<読む分にはノンポリですんで。

同音異義語と脚韻は自分の基本仕様です。
そんな、すごくなんかないっすよーハッハッハ(同音異義語辞典を後ろ手に隠しつつ)
706 名前: 投稿日:2003/11/07(金) 00:13
おまけ4割蛇足6割って感じな、『LC』後日談。



707 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/07(金) 00:13
    ******
    
    
「はあぁ〜」
「………………」
「はぁ〜……」
「よしこ、ウザイ」

ウンザリしたように言い捨てると、ひとみは恨めしそうな視線を向けてきた。

ひとみはコタツテーブルに覆いかぶさるように背中を丸めている。
その背をますます丸めて、卓上に突っ伏した。

「藤本先輩はいいっすよね。会おうと思えば毎日会えんだから」
「うん。いいでしょ」
「……嫌味っすよ」
「判ってるよ」

美貴も同じように卓へ顎を乗せ、ひとみの視線を真正面から受け止める。
「なんなのキミ。わざわざ愚痴るために美貴ん家来たの?」

部屋に入った途端コタツに潜り込まれ、そのままろくな会話もないまま30分ほど時間を
持て余す事になった美貴は、ちょっと不機嫌だった。

「はふ……」ひとみは溜息をつくと、コタツに凭れたまま小さく首を振った。
「どうやったら辻に会えるんですかねぇ……」
「いやいやいやいや。誘えばいいじゃん、電話でもメールでもしてさぁ」

文化祭からひと月半ほど経って、ひとみの高校も美貴が通う大学も冬休みに突入している。
ひとみの言葉どおり、美貴は毎日亜弥と会っていた。呼ばなくても来るのだ、仕方ない。

来なかったら呼ぶんだけど。

ひとみは恨みがましい目のまま、唇をへの字にした。
708 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/07(金) 00:14
「なんて言って誘ったらいいんですか」
「遊びに行こうとか、家来なよー、とか」
「いいい、家なんてとんでもない! まだ2ヶ月経ってないんですよ!」
「はあ?」

いきなり起き上がるものだから、卓が激しく揺れる。
おかげで美貴は顎をしたたかにぶつけて、顔をしかめながら手のひらでさすった。
ジワジワと痛む顎に手を当てたまま、美貴も起き上がって、揶揄するように笑った。

「……よしこ。何考えてんの? やらしー」
「なな、何がやらしいんですか!」

ひとみが赤ペンキをぶちまけられたみたいに全身を赤くしながら叫ぶ。

「そりゃあ、辻は顔可愛いし声も可愛いし性格も可愛いから、ウチの親だって絶対
気に入ると思いますけど! でもだからってそんな早すぎる!」
「……おーい」

ひとみの思考は、からかいの意図から10歩くらい先を行っていた。
美貴はがっくりと脱力して、卓に額を押し付ける。

「誰がご両親に紹介しろっつってんの……」
「あれ、違うんですか? じゃあなんです?」
「……なんでもない、うん」

率直に聞かれると、さすがに照れる。
腹筋の力だけで身体を起こすと、美貴は呆れた眼差しをひとみに向けた。

「じゃあ、どっか遊びに誘えば? カラオケでも遊園地でも何でもいいから」
「カラオケ……ですか」
「なに?」

渋い顔をするひとみを、美貴はキョトンと見つめる。
709 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/07(金) 00:14
そういえば、そろそろ丸2年の付き合いになるが、ひとみとカラオケに行った事がない。

他の友人や、亜弥とはよく行っていた。なのに、ひとみだけはその中に入っていない。

「よしこ、ひょっとして」
「音痴じゃないですよ。
ただちょっと、高音が出なくて息が続かなくてリズムが取れないだけです」

微妙なラインだった。

「梨華ちゃんよりは上手いっすよ」
「……あんまり判断の基準になんないなあ」

二人とも言いたい放題だった。

「辻は、ああ見えて結構上手いんですよ」
「へえ? 聴いた事あんの?」
「休み時間とか、加護とよく物真似して遊んでるんで」

加護というのは希美の親友である1年生だ。
顔の造形自体はそれほど似てはいないのだが、背格好が同じくらいで、髪型を
揃えている事が多いので、たまに双子か姉妹に間違われる。

「その加護がまた、歌上手くて」
「ふぅん。一回聴いてみたいなあ」
「……ウチがいない時ならいくらでも」

ひとみが卓上の盆に手を延ばし、煎餅を一枚取り上げる。
派手な音を立てながら噛み砕くと、合わせて淹れられたほうじ茶をズズッとすすった。
美貴は頬杖をついて、もうひとつの案を口にする。
710 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/07(金) 00:14
「遊園地は? ジェットコースター苦手? お化け屋敷ダメ?」
「大丈夫ですけど」
「じゃあそれでいいじゃん」
「……いや、なんか照れ臭くて」
「…………あ、そう」

段々、相談に乗るのが嫌になって来た。

「だったら……」
「みきたーん」

ノックと共に、聞き慣れた声が美貴の耳に届いた。
「はーい」
とりあえず返事をして、ドアへ近寄る。
ドアを開ける前に亜弥が部屋に入ってきて、タックルにも似た勢いで美貴へ飛びついた。

「えへへー。ただいまぁ」
「おかえり」

亜弥はひとみが来る前に母親と買い物へ行っていたのだが、自分の家には帰らず
まっすぐ美貴の部屋へ来たらしい。
触れ合った頬が少し冷たくて、美貴は撫でるように手のひらを当てる。

「寒かったでしょ? こっちおいで」
「うん」
頷いたくせに、亜弥はべったりと美貴に張り付いて離れようとしない。
美貴も無理に離そうとしない。

「松浦ー、おかえりー」
待ちきれなくなったひとみが声をかけると、亜弥はん?と顔を上げた。

「あー、吉澤さんだー。ただいまです」
にへ、と笑って、また美貴の肩に顔を埋める。
711 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/07(金) 00:15
「おいおいおいおい。……藤本先輩!」
「なんで美貴に怒んの!」
「こういう時は『きゃあ! なんで吉澤さんがいるんですか、恥ずかしー!』とか
言って離れるもんでしょ、普通!」

声色どころかシナまで作って熱演したのに、美貴は一瞥しただけで取り合わなかった。

――――このバカップル……!

本気で泣きたくなる。

「よしこがうるさいから、そろそろやめよっか」
「だねえ。吉澤さん、そんなに怒ると血管切れちゃいますよ?」
「……誰のせいだ、誰の」

ひとみは怒涛のような後悔に襲われていた。
本当は、あさ美に相談するつもりだったのだ。なのにあさ美は、ほぼ毎日冬期講習を
受けるために出かけていて捕まらず、次善策として美貴の家に来たのだが、いっそ
来ない方がよかったかもしれない。

ようやくコタツに収まってくれた二人を涙目で睨むと、美貴が苦笑した。
「ごめんてば。ちょっとからかっただけじゃん」
「……嘘だ。絶対いっつもあんな感じなんだ……」
「そうなんですけどねー」
「ちょ、ちょっと亜弥ちゃん」

そろそろ羞恥心が復活したのか、美貴が微かに赤くなりながら亜弥を止める。
「ん?」
「…………」
可愛らしく見つめられて、何も言えなくなる。

「……すいません、泣いていいですか?」
「……ごめん」

片手で火照る顔を覆って、美貴はひとみに対して小さく謝った。
ここまでくると、さすがに自分が情けない。
712 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/07(金) 00:15
二人が黙り込んでしまってつまらないのか、亜弥が美貴の服の裾をちょいちょいと
引っ張ってきた。

「で、なんで吉澤さんがここにいるの?」
「あー……ちょっとご相談にね」
ひとみが今までの事をかいつまんで説明する。
一通り話し終える頃には、亜弥の目は少女漫画並みに輝いていた。

「よ・し・ざ・わ・さん」
「な、なに? てゆーかウチに色目使うなよ」
「んふふー」

亜弥は正直で素直だ。考えている事がすぐ顔に出る。
物心ついた頃からの付き合いである。美貴には彼女がこういう笑い方をする時が
どういう時なのか、よく判っている。
悪戯を思いついた時の、小さい子供そのままの表情。

つまりは、何かを企んでいる時だ。

そして、予想に違わず亜弥は言ってくれた。

「ダブルデートとか、どうですか?」

「はあ?」
「おお!」

純粋に驚く美貴の声と、純粋に喜ぶひとみの声が重なった。
「そっか! 松浦と藤本先輩がいてくれたら、ウチもかなり気が楽になるし!
辻も藤本先輩の事気に入ってるから、きっと喜んでくれますよ!」

がしっと亜弥の手を握り、それを力任せに振る。

「ありがとう松浦!」

「いやー、そんなに喜んでもらえるなんて、照れちゃうなあ」
「まま、待った待った。なに勝手に決めてんの」
さりげなく亜弥を引き寄せ、ひとみの手を外させながら美貴が言う。
713 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/07(金) 00:15
後輩とダブルデート。考えただけで気が遠くなる。

「……みきたん、ヤなの?」
「え?」
いつの間にか、亜弥の表情には影が差していた。
腰に廻された美貴の両手を包み、拗ねたように俯く。

「あたしとデートすんの、ヤなんだ……」
「ちち、違うよ!」
そこに余計なものがついてくるのが嫌なわけで。

亜弥は美貴の言葉を聞かず、俯いたまま続けた。

「考えてみたら、うちらちゃんとしたデートってした事ないよね。
そっか、みきたんはあたしと外に出たくないんだ。そういうことか……」
「ちょっと、違うってば。亜弥ちゃ〜ん、怒んないでよぉ」

確かに、ちょっとした買い物とか以外は二人きりで出かけた事はない。
しかしそれは、家が隣同士で会いたいと思えばいつでも会えるからで、無理に
予定を決めて出かける必要がなかったからだ。

グス、と鼻を啜る音が聞こえて、美貴は更に焦る。
「ええ? 亜弥ちゃん? え、マジで泣いてんの? え?」
確認しようとしても、亜弥は俯いて腕で目の辺りを押さえている。
それを外すことは出来なくて、美貴はただオロオロするばかりだった。

「ちょ、判った、判ったから。ダブルデートでも何でもするから、泣き止んでよ……」

どうにも出来なくて、美貴はとうとう折れる。
その瞬間。
714 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/07(金) 00:16
「はい決定ー! で、いつにします? 吉澤さん、辻ちゃんの都合とかちゃんと
聞いといて下さいね。ちなみにあたしはいつでもオッケーですから」
「……は?」

勢いよく顔を上げた亜弥の顔は喜色満面だった。もちろん、涙の跡などどこにもない。

美貴の口元が引きつった。

「こ、こいつ……っ」
「じゃあ決定って事でいいっすね! そうだな、辻に聞かないと判んないけど、
とりあえず来週の土曜とかどうですか? 藤本先輩、なんか予定入ってます?」

こういう事は勢いが肝心である。怒るタイミングさえ外させてしまえば、あとはどうと
でもなる。
それを心得ているひとみは、殊更元気のいい声を出した。亜弥ほどではないが、彼女も
美貴の扱いには慣れている。

美貴は軽く息を吸い込んだ。タイミングは少しずれたが、大丈夫、まだ取り返せる。

「あんたら……」
「みきたん」
文句を言おうとした途端、亜弥にきゅ、と抱きつかれ、上目遣いで見つめられる。

――――ふふん、甘いよ亜弥ちゃん。
今まで何回それで誤魔化されてきたと思ってんの。いい加減慣れたっつーの。

美貴が心の中で勝ち誇る。
715 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/07(金) 00:16
「……しょうがないなあ」
しかし、口をついて出たのは降伏を意味するそんな言葉だった。
身体は正直だ。

「えへへー。みきたん大好き」
「っとに調子いいんだから……」
それでもその言葉と、嬉しそうな笑顔に絆されてしまう。美貴は苦笑しながら、亜弥の
頭を撫でた。

――――やっぱりバカップルじゃんかよ。

当然の権利として、ひとみは呆れていた。
716 名前: 投稿日:2003/11/07(金) 00:18
微妙に長いので今日はここまで。
つっても4,5回で終わりますが。

……やっぱり蛇足な気がするなあ。うーんうーん(悩)

ついでに言うと、一応、藤本さんがお化け屋敷駄目だとか、よしはホラー物苦手だとか
知ってますんで(苦笑)
し、仕方なかったんやぁ! 書き始めた頃はそんな情報出てなかったんやぁ!
717 名前:名無し読者 投稿日:2003/11/07(金) 18:56
わーい久々に見たら更新されてる
遊園地・・ダブルデート・・

(〃▽〃)
718 名前:名無し読者 投稿日:2003/11/07(金) 19:08
うっわぁ…なんかほんとすっげぇ得した気分。
気付けて良かった。
719 名前:名無し読者 投稿日:2003/11/07(金) 21:40
まつーらさんに甘い藤本さんに萌え
720 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/08(土) 00:22
    ******


現地集合ということで、美貴と亜弥は一緒に出発して目的地である遊園地へ向かった。
混雑を防ぐためか、入り口の前にはかなり広いスペースが設けられている。
もう到着しているというひとみと携帯電話で話しながら、二人の姿を探す。

さほど時間もかからず、周囲の視線をものともせずに大きく手を振っている小さな人影を
見つけて、亜弥は足を速めた。手を繋いでいる美貴も自然早足になる。

「藤本さぁ〜ん! 亜弥ちゃぁ〜ん! こっちー!!」

希美は長い髪を耳の下で二つに縛っていて、手を振るたびにそれが一緒になって跳ねた。
濃い紺色のコートの下は、淡いオレンジのトレーナーとカーゴパンツ。
隣にいるひとみは長袖のTシャツの上に青系統の何色かでラインが入ったジャケットを
羽織り、いい具合に色の抜けたストレートジーンズを穿いている。
いつもは邪魔だからと一つにまとめている髪が、今日はそのまま下ろされていた。

ひとみは目深にかぶったキャップのつばを上げ、美貴達に一礼する。

「どーも。てゆーか、10分遅刻ですよー」
「亜弥ちゃんが時間かかりすぎなんだよ」

少しだけ息を切らせながら美貴がぼやいた。出発1時間前に起きて、どうしてギリギリ
まで準備に費やされてしまうのか、美貴には到底理解できない。

「違う、みきたんが構わなすぎなの。だって、聞いて! みきたん髪梳かさないで
行こうとするんだよ!」

自分のせいにされて拗ねているのか、本当に怒っているのか、亜弥はひとみたちへ
不満をぶちまけた。

結局、美貴は寝癖を直しただけの簡単なセットで、服装もいつもと変わらぬセーターに
ジーンズ。その上からこげ茶色のダッフルコートを着込んでいる。
寒がりなので、首にはミルク色のマフラー。

「服とかも全然、全然気ぃ使わないし!」
「だって、どうせコートで見えなくなるじゃん」
「そういう問題じゃな〜い!」
721 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/08(土) 00:23
そう言う亜弥はといえば、サイドの髪を後ろへ流し、頭頂部の両脇で結んで、他は素直に
下ろしているという髪型。もちろん美貴がセットした。
上着は美貴とお揃いのダッフルコートで、ただし色は少し淡い。カフェオレの色に似ていた。
そのコートで隠れて見えない下には、白のタートルネックシャツに薄桃のシャツを重ね、色味がきつくない赤のスカートを穿いている。

「てゆーか亜弥ちゃん、見てるだけで寒い。脚出てるよ、脚」
「もぉ。みきたんは女の子のオシャレに対する意気込みを判ってないよ」
寒かろうが見えなかろうが、可愛い格好のためなら何でもできるらしい。

「いや、美貴も女なんだけどね……」
小さな反論は、小さすぎて誰にも聞こえなかった。

「藤本さん、亜弥ちゃん、こんにちは!」
ぴょこ、と一歩進み出て、希美が満面の笑みを浮かべる。

「こんにちは。辻ちゃん久し振りー」
「久し振りなのれす。あの時はありがとうございました」

両手を合わせながら笑い合う。希美と会うのは文化祭以来だが、まだまだ幼いながら、
あの時よりちょっとだけ大人っぽくなった気がする。

一瞬の隙をついて、亜弥が横から入ってきた。「おっとと」ひとみが咄嗟に腕を差し出し、
よろけた美貴の身体を支える。

ひとみの腕の中で、美貴は苦々しく呟いた。
「……亜弥ちゃん、最近生意気だ……」
「苦労してますねぇ、先輩……」

そんな会話がなされている事など露知らず、亜弥と希美は呑気に手を合わせている。

「辻ちゃん、今日は一緒に遊ぼうねぇ」
「うん! よっすぃと亜弥ちゃんと藤本さんと一緒に遊ぶんだもんねー?」
「ね〜え?」
「ね〜え?」

止めないといつまでも「ね〜え?」が続きそうだったので、美貴とひとみは無言のまま
それぞれの恋人を引き寄せた。
722 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/08(土) 00:23
「んーじゃ、行きますか」
ひとみがクイッと立てた親指で入り口を示し、それからポケットを探って入場チケットを
取り出す。
「あ、払うよ。いくら?」
「いーっすよ。……付き合ってくれたお礼って事で」

後半部分は希美に聞こえないよう、美貴の耳元に顔を寄せて囁く。美貴はひとみの
胸を軽く叩くことでそれに応えた。
彼女の誠意を断ってまで、割り勘に拘るのは返って失礼だと思った。だから美貴は黙って
チケットを受け取る。

ひとみが笑みを浮かべて頷いた。

「よっしゃ行くべー」
「行くべー」

オー、と腕を振り上げ、ひとみと希美が並んで歩き出す。それは、恋人同士というより
仲のいい兄弟のように見えて、美貴は二人に聞かれないよう吐息だけで笑った。

後をついて歩き出そうとしたら、亜弥にコートの裾を掴まれた。
「ん?」
「……みきたん、さっき吉澤さんにぎゅってされてた」

ぷくっと頬を膨らませ、俯きながら言う。
美貴は虚をつかれて立ち止まる。

「あ、さっきの? あれは亜弥ちゃんが押すからじゃん」
「そんな強く押さなかったもん」
「寒くて身体がうまく動かなかったんだよぉ」

事実だ。今日は風が強くて天気予報で言われていた気温よりずっと寒く感じる。
身体がかじかんで、歩くのさえ億劫になる。

しかし、亜弥にはそれも言い訳にしか聞こえなかった。
723 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/08(土) 00:23
「あたしもぎゅってする」
「は? 待ったちょっと待ったはいストップ」

美貴は少し焦ったような顔で、抱きつこうと腕を延ばしてきた亜弥の肩を押し返す。
「人目があるから。人目があるから。人目があるから!」

亜弥が力を入れるたびに止めて、埒が明かないのでしまいには強引に手を掴んで歩き出した。
ひとみたちは入り口の手前で二人を待っている。そちらに軽く手を振りつつ、
美貴は溜息をついた。

「もう、ホントやめて」
「なんで!」
「恥ずかしいから」
「だって、吉澤さんは……っ」

亜弥の言葉の途中で、美貴が唇を亜弥の耳元に持っていった。
「よしこと亜弥ちゃんじゃ、美貴の気持ちが違う」

囁いて、それから周りに気付かれないように一瞬だけ唇を耳朶に当てる。
「ほら、よしこ達待ってるよ」

行こ、と手を引かれ、呆気に取られていた亜弥は慌てて歩き出した。
もちろん、その顔には笑みが浮かんでいる。
724 名前:名無し読者 投稿日:2003/11/08(土) 00:23
あれですよね、お菓子本体よりも楽しみなおまけみたいな。
ん?あれ?いや、本編よりいいとかそういうことじゃなくて。

………あやみきバンザイ!!(誤魔化してなんかいませんよ)
725 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/08(土) 00:24


    ******
    

「…………ありえない」
2時間後、美貴はぐったりとベンチに腰掛けながら呟いていた。
「年ですかねえ…………」
その横で、ひとみも伸びていた。

5種類ほど絶叫マシンを梯子され、二人は体力の限界を感じていた。
残り二人は今、また別の絶叫マシンを楽しんでいる。後ろに並んでいたひとみが
こっそり手を引いて抜け出させてくれなければ、美貴は倒れていたかもしれない。

「年とか言わないでよ。美貴一番上なんだから」
「大丈夫っすよ。藤本先輩とウチ、2ヶ月くらいしか違わないですから」

2月生まれと4月生まれ。早生まれの美貴は確かにひとみより1学年上だが、年齢的には
ほとんど違わない。
それでも敬語を使うのは、彼女の生真面目さと体育会系の上下関係が作用しているせいだ。

美貴は足を投げ出すと、ベンチの背凭れに首を乗せて溜息をついた。

「戻ってきた」

出口から出てきた二人が、キョロキョロと辺りを見回している。
ちゃんと目に付きやすいところで休んでいたし、ひとみが被っていたキャップを
手に取って振るとすぐに見つけてくれた。
「あー!」とでも言ってそうな表情で亜弥が指を差し、こちらを目指して走ってくる。
元気だなあ、と少し羨ましくなった。

「みきたん、吉澤さん! なんで勝手にいなくなるんですか!」
「そうだよよっすぃ!」

合流した途端に噛み付かれて、美貴とひとみが軽く苦笑した。
726 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/08(土) 00:24
「ごめんごめん。ちょっと疲れちゃってさ」
「てゆーか絶叫系オンリーとかありえないから。もうちょっと違うのもやろうよ」

素直に謝るひとみと、とりあえず文句をつける美貴。
二人の性格の違いがよく出ていた。

亜弥と希美が顔を見合わせて、同時に溜息をつく。

「二人とも年寄りだねー」
「おばあちゃんだ」
「失礼な事言うな」

ひとみが立ち上がり、手を延ばして希美のこめかみをグリグリと拳で攻撃する。
自分で言うのはいいが、他人に言われると腹が立つらしい。
「うぁーん! ごめんなさいーっ」
本気で痛いのか、希美が逃げようと暴れた。まだ体力は残っているらしい。

その隙に亜弥はちゃっかり美貴の隣へ腰を下ろし、バッグにしまっていた遊園地の
パンフレットを引っ張り出す。

「あと回ってないのは……」
「ここは?」

ここから程近い、洋館のような絵を美貴が指で指し示す。
亜弥は微かに唇を尖らせて、「却下」と呟いた。

「なんで?」
「……みきたん、わかってて言ってるでしょ?」
「なにが?」

満面の笑みで尋ねるその様子は、明らかに判りながらとぼけている。
じゃれていたひとみ達も、なんだなんだとパンレットを覗き込んできた。
727 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/08(土) 00:24
「よしこ、ここ行きたくない?」
「え?……ほほぅ」
「行きたいよねー?」
「行きたいっすねー」

美貴が示したのは、どこからどう見てもホラー系アトラクションだった。
「ダメ!」
「ダメ!」

亜弥と希美がユニゾンで叫ぶ。二人とも、ホラー物は大の苦手だった。
そして、美貴とひとみはそれを知っている。
ひとみが笑いながら美貴の肩に手を置き、その耳元で何かを囁いた。

美貴がくっと笑う。

「そうだね。よしこ、二人で行こっか」
「ね。辻と松浦はここで待っててよ。なんなら他のとこ行っててもいいし」

こう言えば、ヤキモチを妬いた亜弥がムキになって「行く」と言い出すだろうと
踏んでの悪戯だった。これだけ彼女達に付き合ったのだ、一回くらいこっちの意見も
聞いてほしい。
案の定、亜弥は見る間に不機嫌になっていた。しかしまだ口はつぐんだまま。

「藤本先輩、恐かったらウチにしがみついてもいいっすよ」
「あはは。キャーとか言って飛びついちゃう?」

内心、二人ともそんな事になったら気持ち悪いと本気で思いつつ、亜弥たちを煽るために
そんなやり取りをする。
728 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/08(土) 00:25
「――――ダメっ!!」

我慢できなくなった亜弥が叫んだ。『ガウ!』とか吠えそうな表情でひとみを睨み、
美貴の身体に腕を廻して抱きしめる。

「吉澤さんはみきたんに触っちゃダメ!」
「ののは?」
「うーん、辻ちゃんは特別におっけー」
「わーいっ」

希美のおかげで、話の方向が見事なまでにずれた。

一人だけ外されてちょっと拗ねながら、ひとみがポンポンと亜弥の頭を叩く。

「はいはい、藤本先輩に触ってほしくないなら、松浦も一緒に行こうね」
「……うぅ〜っ」

美貴にしがみ付いたまま亜弥が唸る。「亜弥ちゃん、ちょっと」美貴は軽く肩を竦めて、
亜弥の手を引きながらひとみ達から離れた。

小声なら声が聞こえない程度の距離を置き、柔らかく亜弥の頬を撫でる。

「なに?」
「あのさ、一応美貴達って付き添いなわけじゃん? あの子達はいつでも会えるわけじゃ
ないし、よしこは来年卒業だから、学校でも会えなくなるし。
ちょっとくらい、二人っきりにさせてあげようよ」

ひとみは卒業後、隣県のスポーツ系専門学校へ進学する事が決まっている。
分野的に体力勝負のようなところがあるし、通学に時間がかかるから、4月からひとみは
学校にほど近い寮で生活する事になる。
電車で2時間程度の距離とはいえ、今までより会いにくくなるのは確かだった。

今更ながらに亜弥は気付く。自分達のように、会いたい時に会えるというのは
結構幸せな事だと。
予定を立てて、待ち合わせをして、時間がきたらまた別れて。
そういう必要が無いというのは、とても贅沢なものなのだと。
729 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/08(土) 00:25
「んー……うん。そだね」
「ね? それに、ほら……美貴も亜弥ちゃんと二人っきりになりたいなーなんてねーははっ」

言ってる途中で照れが入って、後半は冗談のような口調になり、更には誤魔化すような
笑いまで出てきた。
しかし、亜弥は笑わなくて、代わりに淡く頬を染めた。

「……うん」

美貴は自分の言った台詞に動揺していて、亜弥の様子には気付かない。

「じゃ、行く?」
「うん」

亜弥がしっかりと頷いたのを確認して、またひとみ達のもとへ戻る。
「おっけー出た」親指と人差し指で丸を作って言うと、ひとみがくつくつと面白そうに
笑った。

「なにがおかしいの」
「や、なんでもないです。松浦の扱い上手いなと思って」
「……なに言ってんだか」

17年も一緒にいれば、扱いも上手くなる。
ひとみにそう言ったら、彼女はまた笑った。

「判ってないなあ」
「なにが?」
「松浦も変わってきたって事ですよ」
「はぁ?」
「うかうかしてると、追い越されちゃいますよ?」

ニヤニヤと笑いながら、ひとみは美貴の肩を一度だけ叩いた。
なんだかそれは、「頑張れよ」と言っている風だった。

美貴は訳が判らなくて小さく首を傾げる。ひとみはもう美貴には構わず、背を向けて
所在無げに佇んでいる希美のもとへ行ってしまった。
730 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/08(土) 00:25
「さー辻、お化け屋敷に入るぞぉ〜!!」
「ほ、ホントに? ホントにみんな行っちゃうの?」
「うん、マジで」
「デジマ」
「マジデジマ」

節をつけて言いながら、息の合った動きを加える。なんだかんだでいいコンビだった。

「いいじゃん、恐かったら目ぇつぶってていいから」
「そしたら前見えないじゃん」

ぶすっと膨れて言うのに、ひとみは僅かに口篭った。

「いや……だから、ほら。う、ウチに捕まってれば……」

言い終わる前に自分で耐え切れなくなって、被っていた帽子のつばを思い切り下げて
顔を隠す。隠しきれない耳が、真っ赤になっていた。

その様子を見ていた亜弥が、ぽつりと呟いた。

「……純だね」
「……北の国から並みに純だね」
「でもみきたんも人の事言えないからね」
「え?」
「なんでもない」

キョトンと目を丸くする美貴に笑いかけ、手を取って歩き出す。
「吉澤さん、辻ちゃん。早く行こうよー。時間なくなっちゃうよ」
ぐずっていた希美も、恐いのより一人だけ置いていかれる方が嫌だったのか、渋々といった
面持ちでひとみと並んで歩き出した。
731 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/08(土) 00:26


続く。
732 名前: 投稿日:2003/11/08(土) 00:26
>>717-719

レスありがとございます。

書いてる本人、遊園地でデートなんぞした事ありません。
なぜって絶叫マシン苦手でホラー物駄目で高所恐怖症だから!(爆)



_| ̄|○ <アトラクション全滅……。



藤本さんは松浦さんを甘やかしてナンボです。
733 名前: 投稿日:2003/11/08(土) 00:41
>>724

レスありがとうございます。

なるほど、うまい!
とか言うと自分の首を絞めることになりそうなので、心の中に留めておきます。
<留めてません。

あやみきバンザーイ!
734 名前:いの 投稿日:2003/11/08(土) 02:34
続編ハッケーン!
もう良すぎです。気づけてよかった。
(´▽`)<しあわせ…
735 名前:名無しさん 投稿日:2003/11/08(土) 13:19
更新されてるー!
続きですか、あ〜癒される。
幸せなみんなに癒される。
736 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/09(日) 00:57
    ******


「いぃーやぁー!!」
「あああ亜弥ちゃん、大丈夫だから、作り物だから」
「うわ、落ち武者かっけー!」
「ちょっとよしこ、掴んじゃ駄目だって!」
「うわぁ〜ん! 恐いよー!!」
「あわわ、辻ちゃん泣かないの。いい子いい子」
「お岩さんかっけー!」
「よしこー!!」

二人っきりになるどころの話ではなく。
こっちの予想以上に恐がる亜弥と希美を宥め、予定外にはしゃぐひとみを押さえつけ。
出口から顔を出す頃には、美貴の体力は底をついていた。

「うぅ……なんでこんな事に……」
「みきたん、大丈夫?」

心配そうに覗き込んでくる亜弥に無理やり浮かべた笑みを向け、美貴が小さく頷く。

「大丈夫……だけど、ちょっと休みたい、かな」
「あー、そっすね。そろそろご飯食いに行きましょうか」

ひとみが携帯電話の時刻表示を見やりながら言う。その左腕には未だ恐怖の余韻が
抜け切らない希美がへばり付いている。
それを宥めるように頭を撫で、ひとみは少しだけ屈んで声をかけた。
737 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/09(日) 00:58
「ほら、辻。パフェ奢ってやるからご飯行こ」
「パフェ?」
「うん」
「行く! ご飯食べる!」

ひょいとひとみから離れ、希美が先陣を切って歩き出す。

「よっすぃ、早くー! パフェ!!」
「……あれ? ひょっとしてウチ、パフェに負けた……?」

気付かなくてもいい事に気付いてしまったひとみは、ほんの少しだけ肩を落としながら
ブンブンと手を振っている希美のもとへ歩き出した。

そのひとみから数歩遅れた距離を連れ立って歩いていく途中、美貴が隣にいる亜弥へ
話しかける。

「亜弥ちゃんは大丈夫だった? てゆーかマジ恐がってたけど」
「……恐かったよ」
「前、あんだけホラー映画観てたんだから、ちょっとくらい慣れてもいいんじゃない?」
「慣れないよあんなの! 観たくて観てたんじゃないし、大体あれは……」
「ん?」

唇を尖らせたまま言葉を切った亜弥に、美貴が首を傾げる。
亜弥は視線を下に向けて尖ったままの唇から拗ねた口調で呟いた。

「……みきたんに会うための口実だったんだもん」
738 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/09(日) 00:59
だから、内容なんてロクに覚えていない。それは単なるプロセスであって、結果は
関係ない。

美貴は棒でも飲み込んだような表情で亜弥から目を逸らした。
赤くなった顔を誤魔化すようにマフラーを引き上げて、それで口元を隠す。

――――ヤバい。大好きのちゅうしたい。

唇を見られたら欲求を読まれそうで、美貴は更にマフラーを上げた。

「みきたん」
「え? な、なに?」
「うち帰ったら、しようね」
「……え?」

亜弥はへへ、と笑って、美貴のマフラーに指を引っ掛けて下ろさせると、現れた唇に
人差し指の背を軽く当てた。
隠した甲斐なく読まれていた事に気付いた美貴の顔が、トマトよろしく赤くなった。

「なな、なんで判ったの?」
「みきたん判りやすいんだもん」

その表情はなんだか、いつもより大人びて見えて。
美貴は一瞬言葉に詰まる。

自分の中にある欲求が、育ってしまうような気がした。
739 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/09(日) 00:59


740 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/09(日) 00:59
美貴は黙々とデザートのオレンジシャーベットを食べている。視線はシャーベットの
入った皿に固定されている。
亜弥はじっと美貴の横顔を見ている。その手にはチーズケーキが刺さったフォークが
握られている。

「みきたん、あーん」
フォークを差し出しながら亜弥が言う。
「ヤです」
視線を全く動かさないまま美貴が答える。

「なんでぇ」
「出来るわけないでしょうが、そんな恥ずかしい事」
「何言ってんの、吉澤さん達見てよ」

フォークを回転させ、向かい側に座っている二人を示す。
美貴が顔を上げる。視界に二人の姿が入り込む。

「辻、ほれ」
「んぁーん」

ぱくり。ひとみが差し出したスプーンを咥え、希美が幸せそうな顔をする。

「うまい?」
「うまーい」
「じゃあ次こっちな」
「あぐあぐ。んまぁーい!」
「あっはっは。面白いなぁ、辻は」

面白がっているひとみは、どんどん希美にパフェを食べさせて行く。そのスピードは段々
早くなっていくが、希美はそれに負けることなくパフェを嚥下していった。
741 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/09(日) 01:00
亜弥は対抗意識でも燃やしているのか、そんな二人を指差しながら強い口調で言う。

「ほら、あんなにラブラブで!!」
「……亜弥ちゃん、あれは餌付けって言うんだよ」

呆れ声で言い返し、美貴は亜弥が持っていたフォークをひょいと奪った。
「はい、あーん」
「あーん?」

反射的に開いた口へフォークを突っ込む。
亜弥は釈然としない面持ちでチーズケーキを咀嚼した。

「……なんか違う」
「いいじゃん、ラブラブじゃん」

テーブルに頬杖をつき、フォークで切り分けたケーキをもう一度亜弥の口元に運ぶ。
もう亜弥の顔には、さっきのような大人びた気配は欠片もなくなっていて、
美貴はその事に少しホッとしていた。
「あーん」
「……あーん」
亜弥にケーキを食べさせながら、亜弥から視線を外さないまま、美貴が口を開く。

「ね、よしこ」
「なんですか?」
742 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/09(日) 01:00
「辻ちゃんとキスとかした?」
「はあぁ!?」

どこから出たのかと思わせるような裏返りまくった声で、ひとみが叫ぶ。
素っ頓狂な声に驚いた店員が、オーダー用のPOS端末をそっと腰に戻し、別のテーブルへと
足を進めたのが視界の隅に映った。
希美はキョトンと美貴を見つめている。亜弥はフォークを咥えたまま、唐突な台詞に
目を丸くしていた。

美貴は亜弥の口からフォークを引き抜いて、今度は自分でケーキを食べ始める。
あ、間接キスだ。亜弥はぼんやりと思う。

「してないとは思うんだけどね」
「あ、当たり前じゃないですか! まだ2ヶ月も経ってないし、第一、辻はまだ16ですよ」
「別に16歳ってそんな早くもないと思うけど」

「ねえ?」美貴が希美に問いかける。

「うん、ののは別にしてもいいよ」

あっさりと頷いてくれた。だよねえ。美貴は心の中で呟く。
「子供だね、よしこ」
「な、なんなんですか、いきなり」
「いやぁ、美貴もまだ子供だなって思ってさあ」
743 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/09(日) 01:01
美貴は混乱していた。短時間で亜弥の色々な表情を見てしまって混乱していた。
自分の中の欲求が、育ってしまいそうで。
それを受け止めるだけの器が、まだ自分にも亜弥にも用意されていないから。
器から溢れた欲求は多分、彼女を傷つけてしまうから。

ひとみはコップに半分ほど残っていたコカ・コーラを一息に飲み干して、額に浮かんだ
汗を手のひらで拭った。

「や、もう、なんていうか……」
「うん、よしこはなんか、それでいいような気もするんだけどね」
「いいんですか」
「うん」

多分意味が判っていないひとみに、柔らかく微笑みかける。
希美はきっと、器が用意できているから。

「出よっか?」

外はもう暗くなりかけている。あまり遅くまで高校生を連れまわすのは良くない。
744 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/09(日) 01:01


最後の締めに4人で観覧車に乗った。普通なら二人ずつで乗るだろうに、ひとみが
それを頑なに拒んだのだ。
まあ、あんな話題を出されて意識するなと言う方が無理かもしれないが。

「おー、たっけぇ〜」
「もうちょっとでてっぺんだねぇ」

希美が身を乗り出し、べたりと窓に張り付く。その後ろから窓に手をついたひとみが下を
覗き込んだ。ライトアップされたアトラクションが目に楽しい。

反対側では亜弥が街並みを眺めている。「うあー、すごいね、綺麗だね」無邪気に喜ぶ
亜弥に、美貴は静かに笑う。

くん、とコートの裾を引っ張り、顔をこちらに向けた亜弥の唇を、一瞬だけ奪った。

「…………」

亜弥は瞬時に赤く染まった顔を冷やすように、額を窓に押し付ける。熱で、窓が少しだけ
曇った。
ひとみ達は、反対側ではしゃいでいて気付いていない。

帰ってからって言ったのに。消え入りそうな声で呟く。「ごめん」特に反省していない声で
美貴が答える。

「我慢できなかった」
「……もぉ」
745 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/09(日) 01:02
嫌がっているんじゃない事は判っている。少し怒ったように、少し照れたように、
それ以上に嬉しそうにはにかむ横顔を、美貴は静かに見ている。
脳の中枢を氷が覆っているようだった。思考が麻痺している。

痺れた頭で、4人で乗ってよかった、とだけ思った。

「のん、そっちも見るぅー」

呑気な言葉と共に、希美がぐいぐいと二人の間に割って入ってきた。すぽん。亜弥の
胸元から這い出てきた頭が美貴の顎を掠める。
当人に邪魔をするつもりはないんだろうから、美貴は苦笑しただけで場所を譲った。

「にゃはは、吉澤さん仲間外れだー」
「なんだよみんなして。いいよいいよ、ウチは独り寂しく下見てやる」
「拗ねないで下さいよぅ。松浦がそっち行ってあげますから」

あれ。美貴が小さく首を傾げる。
なんとなく、避けられたような気がする。

まあしょうがないか。今のはちょっと、誤魔化しきれなかったから。

ひとみの隣に移動した亜弥をそのままに、備え付けられている座席へ腰を下ろす。
横を見れば無邪気に眼下の景色を眺めている希美がいる。亜弥の熱で曇った窓は、
もうとっくに元通りになっていた。
746 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/09(日) 01:02
窓に手をつきながら、ひとみが微かに笑う。

「松浦、困ってんの?」
「なにがですか?」
「別に? ま、いいけど」

何かを含んだ物言いに、亜弥は僅かに眉を下げる。さっきのを見られていたわけでも
ないんだろうが、彼女は勘がいいから。

「……困ってますよ」
「あ、やっぱり?」
「だってみきたん、めちゃくちゃストレートなんですもん」

ああいうのは、困る。
多分、今でもこっちの方が半歩くらい後ろを歩いていて、彼女はそれに合わせて歩調を
緩めてくれているんだけど。
最近は、時折待ちきれなくなったように無理やり手を引いて並ばせようとして、直後
思い直して気まずそうに手を離す事があった。

嫌なわけじゃない。ただ、もう少し子供でいたいような、以前の関係を完全に消して
しまいたくないような、そういう、躊躇があった。
747 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/09(日) 01:03
勘のいいひとみは、その辺を判っていて、だから希美が向こうに行った時も止めなかった
んだろう。
その証拠に、今の彼女の顔はいつもより優しい。

「しょうがないんじゃない? 松浦可愛いから、そういうことも思っちゃうって」
「それはそうなんですけど」
「……義理でいいから否定しろよ」

呆れ混じりに呟く。「だってホントですから」亜弥は悪びれた様子もなく言い返す。

「ま……、どうか判んないしね、実際」
「え?」
「ひょっとしたら松浦の方が大人に近いのかもよ」
「ええ? あたし、そんな老けてます?」
「ちげーよ」

的を大きく外れた切り返しに、ひとみはくしゃりと顔を崩して笑った。

「吉澤さんは?」
「へ?」
「そういうこと、思わないんですか?」

無邪気に狡猾に、ただ思考の赴くままに投げかけられた問い。
ひとみが微かに視線を揺らす。被っている帽子のつばを直すふりをして顔を隠し、その
一瞬で眩んだ視界を元に戻した。
748 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/09(日) 01:03
「思わない」
「嘘」
「……ことも、ない」

そこはそれ、やっぱりトシゴロですから。
そう表情で言うのに、亜弥はやんわりと笑った。それは当たり前だと思う。それを
当たり前だと、思えるようになったのは最近だった。だから今、困っている。

気配を殺して後ろを窺う。希美と並んで景色を見ていた美貴が振り返る。なんで気付く
かな、と心の中で溜息をついたが、とりあえず顔では笑っておいた。

気付いて振り返るのは彼女の幼さだったし、誤魔化し笑いに軽く眉を寄せるのは彼女の
成熟の表れだったし、唇の動きだけで囁いた言葉に照れ笑いを浮かべるのは、相変わらずな
彼女の鈍さだった。

その様子を横目で盗み見ていたひとみが、小さく嘆息する。

「……松浦も苦労してるねえ」

しみじみと呟かれた言葉の意味は、よく判らなかった。
749 名前: 投稿日:2003/11/09(日) 01:03


続く。
750 名前: 投稿日:2003/11/09(日) 01:05
>>734-735

レスありがとうございます。

どうも、出来上がるとバカップル道一直線になってしまうらしく(苦笑)
でも4人とも、なんだかんだ色々考えてます。
751 名前:名無し読者 投稿日:2003/11/09(日) 02:14
ハァ━━━━━━ ;´Д` ━━━━━━ン!!!!!

(・∀・)イイ!!本当にいいですよ!!
やっぱ円さんの小説大好きです!
752 名前:名無し読者 投稿日:2003/11/09(日) 03:24
幸せすぎる…。
ここのところのあやみき不足が嘘のようだ。
この甘酸っぱさと言うか、透明感とじれったさが堪りません。
ほんと、最高ですよ、まじで。
753 名前:名無し読者 投稿日:2003/11/09(日) 03:46
案外辻ちゃんが一番大人なのかも、と思いました。
これくらいの年ってほんとに難しいですよね。
子供のような、大人のような……続き、楽しみに待ってます。
754 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/09(日) 23:58


観覧車を降りてから、ベンチに並んで座って一休みする。日はとっぷりと暮れている。
もうそろそろ、帰らないとまずい時間だった。

「寒い〜寒い〜」
「そんな格好してりゃ寒いよ普通」

身体を温めようという意図なのか、じたじたと暴れる亜弥へ呆れたように言って、
美貴が人差し指で希美を示す。

「見なよ、辻ちゃんなんか全然元気だよ」

希美はこの寒空にも負けず、ひとみに自作らしい歌を聴かせてやっていた。迫力のある
声が耳に心地良いが、歌詞は彼女のクラスの担任教師を茶化したもので、あまり感心
できるものではなかった。

二人のやり取りを聞き止めたひとみが、ニヤリと意地悪く笑って、隣にいる希美の頭を
叩いた。

「子供は体温高いっすからね」
「誰が子供だぁー!」

馬鹿にすんな!と立ち上がった希美の後方回し蹴りが、ひとみの肩に炸裂する。
「いってー!」本気で痛かったのか、ひとみは蹴られた部分を押さえながら悶えた。

「おおっ、辻ちゃんすごい」
「あさ美ちゃんに教えてもらったのれす!」

亜弥と美貴の拍手を受け、希美が得意げに胸を張る。

「く、くそう紺野め、余計なワザ仕込みやがって……」

今までは腕が届かないラリアートとか、一歩下がれば簡単に避けられるフライングボディ
アタックとか、可愛いものだったのに。
涙目で愚痴を吐き、勝ち誇る希美を見上げる。
755 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/09(日) 23:58
「ふっふっふ、のんはもう以前ののんではねぃのれす」
「てゆーか明らかに恋人同士がする事じゃないよね」
「まあ、こういうのの方がよしこ達らしいけどね」

思わずこの二人が甘い雰囲気の中で見詰め合う構図なんかを想像してしまい、美貴が
喉で笑い出す。ひとみはそれを恨みがましく見据えて、それから盛大に溜息をついた。
吐く息が白い。アトラクションのライトに照らされたそれは、冷気に晒されて一瞬で
かき消えた。

肩をさすっていた手を下ろし、一度帽子をかぶり直す。ベンチから少し離れた所に
設置されている時計台を見遣って時間を確認し、美貴に向き直った。

「そろそろ帰りますか。もうすぐ閉園だし」
「うん。よしこ達、方向一緒?」
「辻とは駅までおんなじですね」
「じゃ、みんなで駅まで行こうか」

美貴が立ち上がる。寒いのか、亜弥がその背中にへばり付く。「甘えないの」美貴は困った
ように笑いながらも、そっと腰に廻された亜弥の手を取った。

いいなあ、そういうの似合って。ひとみは羨望と共にそれを眺めていた。
チラリと希美を盗み見る。何故か獲物を狙う獣のような目をしている。
視線の先にあるのは、ここのマスコットキャラクターの着ぐるみ。

ひとみは溜息をついて、希美の襟首を引っ掴んだ。


756 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/09(日) 23:58


    ******
    

ステップ、ステップ、ターン。ステップ、ステップ、ターン。

天下の往来で人目も気にせず、軽快に身体を揺らしながら進むひとみに、美貴は呆れた
ような、しかし楽しそうな笑みを浮かべている。

これで似合わなかったら失笑の的なのだが、様になっているから何とも言えない。

「みきたんみきたん」
「ん?」

いつの間にか歩調を遅らせていたのだろう、気付けばひとみ達とは距離ができている。
美貴の意思ではない。とすると、隣を歩いていた彼女の企みか。

亜弥はどういうわけか眉根を寄せて不機嫌そうな風だった。心当たりのない美貴は、
きょとんとした目で彼女を捉える。

「なに?」
「みきたんが言ったんじゃん、うちら付き添いだって」

最後は二人っきりにさせたげようよ。亜弥に言われて、そういえばそういう話だったと
思い出した。
軽く頷いてから足を止める。ひとみと希美は全く気付かず、ステップを踏みながら
人込みに紛れていく。

「いえーい」
「いえーい」

天下の往来でハイタッチするほど人目を気にしない性格でもないので、胸元の辺りで
軽く手を合わせる。

「じゃ、美貴達も帰ろっか」

合わせた手をそのまま繋いで、美貴は止めていた足を進め始めた。
757 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/09(日) 23:58


758 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/09(日) 23:59
「……あれ? 藤本先輩と松浦は?」

もう少しで駅に着く、という所でようやく気づき、ひとみが辺りを見回す。
「あれ? いないね」希美もそれに倣って首を回すが、それらしい姿は見当たらない。

キャップを取り、指先で回しながら、ひとみは風に晒された髪をかき上げた。
はぐれてしまったのなら仕方ない。こっちが見つからなければ勝手に帰るだろう。

それに、考えようによってはこの方が好都合だった。

キャップで口元を隠しながら再度辺りに視線を配る。幸い、あまり人気がない。

「辻、あのさ……」
「なに?」

見上げてくる希美は軽く笑んでいる。その笑みは無邪気で、幼くて、あどけない。
それなのに、まるで妖艶な美女に見つめられているような気になる。
油断すると手玉に取られてしまいそうだった。そんな事はあり得ないのに。

あーとかうーとか唸り声を上げ、一度拳を強く握って気合を入れた。

「お? やんのかよっすぃ」

握り拳を勘違いした希美がファイティングポーズを取る。「違うって」折角入れた気合が
全部抜けてしまって、ひとみはへらりと苦笑する。
759 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/09(日) 23:59
だから、意識するなという方が無理な話なのだ。
あの二人の巻き添えを食らった形だが、それも仕方ない。協力してくれたお礼だと
思っておくことにする。

「……さっき、ご飯食ってる時、言ったじゃん」
「なにが?」
「だから……キ、キ、キキキキー」
「サル?」
「ウッキー。ってだから違うんだよっ」

どれだけ緊張していても乗ってしまう自分が悲しかった。

希美は無邪気に笑っている。歯噛みしつつ、もう一度気合を入れなおした。

「し、してもいいってさぁ」
「なにを?」
「いや、その……アレ」
「キス?」
「ま、まあそういう事だ!」

何故か腕組みをして威張りながら頷く。ここまで来たらもう、後には引けない。多分。
希美は一瞬呆気に取られたような表情をして、次の刹那にてへ、と笑い、その先の数秒は
ひとみを殴ってきた。ただ、全然痛くなかった。

「する?」
「え、いいの?」

そんなあっさり。なんというかこう、もうちょっと恥らってみたりとか、そういうのが
あってもいいんじゃないか?
ひとみの葛藤を知ってか知らずか、希美は含みのない笑みを浮かべながら頷いた。
760 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/09(日) 23:59
「だって、あいぼんとかともよくやってんもん」
「なにぃ!?」

――――かっ、加護ぉ〜!!

瞬く間に黒い塊が全身を駆け巡る。仲がいいのは知っていたが、まさかそんな事まで
しているとは思わなかった。
発散させるために、手近にあった電信柱を思い切り殴りつける。手が痛かったが、
それ以上に心が痛かった。

そのまま電信柱に抱きつき、ひとみは肩を震わせる。

「辻の初めての相手はウチだと思ってたのに……」

初めてどころか、彼女の言い方から推測するに、2回目3回目、ひょっとしたらそれ以上
奪われているようだ。
こんな事なら告白された時にOKしておくんだった。今更そんな事を思っても遅いが。
「やっぱサルじゃんかよー」何も気付いていない希美が楽しそうに言いながらジャケットの
裾を引っ張ってくる。

「よっすぃ、しないの?」
「……なんつーかな、またの機会にという事で……」

こんな打ちひしがれている時にしても、きっと嬉しくはないだろう。
自分も、彼女も。
とりあえず、冬休みが明けたら加護を殴っておこうと思った。
761 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/10(月) 00:00
希美は少しつまらなそうに唇を尖らせて、ひとみの背中を拳で叩いた。
「ん?」電信柱に押し付けていた額を離して視線を希美に合わせると、見上げてくる
拗ねた双眸が微かに揺れた。

「……好きな人とは、した事ない」
「え……」

それは希美の恋であり故意であり乞いだった。
ひとみはそれに請われて飲まれて問われて息が詰まる。

かかっていたブレーキが外れ始める。壊してしまえ。誰かが叫ぶ。壊すな落ち着け。
別の誰かが叫ぶ。
本当に、呼吸を忘れていた。苦しくなって我に帰る。

ブレーキは、外れなかったし壊れなかった。

「いや……、やっぱ、もうちょっと待って」

情けないと、自分でも思う。
力のない笑みで固まっていた肩を解し、希美の頭をひとつ撫でる。
釈然としない面持ちのまま、希美は小さく頷いた。

――――あーあ、カッコ悪ぃー。

夜空を見上げながら胸中で独り言ちる。なんでもっとスマートに出来ないんだろう。
フリだけなら、何度も他の子にした事があるのに。
それでも、もう誤魔化したり別の誰かになったりしないと決めたから、どうしようもない。
762 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/10(月) 00:00
ぷかりと溜息をつく。どこかの歌のように、それは少しだけ残ってすぐに消えた。
溜息をつくと幸せが逃げると、教えてくれたのは梨華だったか。多分彼女も誰かに
聞いたんだろう。その事を口にするようになってから、彼女はやけにポジティブになり、
溜息をつかなくなった。

「よっすぃ」
「あ? ああ、どした?」

そうだ、折角可愛い彼女と一緒にいるのに、キショイ従姉妹の事なんて思い出してる場合
じゃない。
梨華が聞いたら確実に怒るだろう失礼千万な事を思いつつ、ひとみは取り繕うように
希美へ笑いかける。

「ちょっと、ハァーッてやってみて」
「え? こう?」

さっきの溜息の要領で、白く浮かぶように息を吐く。

白く残った僅かな時間をついて、希美がそれに顔を突っ込んだ。

かき消えた息と共に、もう一度、ひとみの呼吸が止まった。

「へへー。よっすぃの息とちゅう」

別段照れた様子もなく、希美は嬉しそうに笑って言った。
763 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/10(月) 00:01
ひとみが手のひらで顔を覆う。触らなくたって、火照っているのは判った。雪が降って
いたら、一瞬で融けて蒸発して湯気になりそうだ。
自分の肩と同じくらいの位置にある希美の頭を空いた手で抱え込む。
子供は体温が高いから、滑らかに流れる髪を通じてぬくもりが伝わってくる。
それとも、自身の体温が彼女に伝わっているんだろうか。よく判らない。
きゅっと服の裾を握ってくる手に愛しさを感じながら、ひとみが眉根を寄せながら囁く。

「可愛いんだよ、お前」
「まあねっ」

自信ありげに返された言葉に、ひとみが困ったように苦笑する。

「なんか、松浦に影響されてない?」

文化祭以来、この二人は妙に仲がいい。亜弥といつも一緒にいるあさ美からは色々と
空手の技を仕込まれているようだし、これから彼女を御していくのは大変なような気がした。
まあ、大変だけど、ゆっくり大人になろうかな。苦笑したまま心の中で呟く。

軽く髪を撫でてから、屈めていた身体を起こす。その直後、ひとみの服を掴んでいた手が、
咎めるように叩いてきた。

「よっすぃの意気地なし」
「ほっとけ」
「待ってるけど、卒業するまでにはちゃんとしろよ」

つーか命令かよ。ひとみが困ったように笑う。
なんとなく、二人の全てを物語っているような台詞だった。
764 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/10(月) 00:01
「……ガンバリマス」

苦笑したまま、ただその中に多少の愛しさを込めてから、ひとみが頷く。
油断すると手玉に取られそうな希美の笑みが深くなった。
本当は、もうとっくにその笑みはひとみを捕らえていて、ひとみ自身もそれを判っている。
それでも両手を上げて降伏しないのは、子供の意地だろうか。
完成した器に飛び込めないのは、何でも自分の力でやりたがる子供のプライド故か。

それならそれはそれでいい。プライドを捨てるのかプライドを保ったまま進むのかは
判らないが、結局は全て自分次第という事だ。

――――負けてたまるか。

どんな事でも自分に勝つのが一番難しい。
躓いてしまえば、挫けてしまえば、甘えてしまえばそこで終わる。

「頑張るから」
それは複雑なようで実はひどく簡単な決意表明だった。
「うん、頑張れよっすぃ」
判っているのかいないのか、希美はキシシッと笑いながらエールを送った。

765 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/10(月) 00:01
一度離れ、それから手を繋ぎあって歩き出す。

「二酸化炭素を吐き出してー」
「あの子が呼吸をしているよー」

懐かしい歌を歌いながら、駅までの僅かな道のりを笑い合いながら歩いていく。

それは恋人同士というより、仲の良い兄弟のように見えたが、時々希美の顔を盗み見る
ひとみの表情だけがそれを否定していた。

――――見てろよ、そりゃもう強烈に熱烈な息出来ないくらいのすげえヤツしてやるから。

いつか、必ず。

出来るかどうかはともかく、思うだけなら簡単だった。
766 名前: 投稿日:2003/11/10(月) 00:02


次回ラスト。
767 名前: 投稿日:2003/11/10(月) 00:03
>>751-753

レスありがとうございます。

ここまでは結構、普通に幸せなんですが。
実は藤本さん、心中穏やかじゃありません(笑)

あ、この話で一番大人(に近い)のは辻です。
物語の初めから、子供を抜け出ている子なので。
768 名前:堰。 投稿日:2003/11/10(月) 00:14
更新直後に読むのは初めてかも(苦笑)。
あぁ。これだよ。これなんですよ!
リズムとバランスと、ロジックだらけなのに、
素直に照れる、素直に笑える、素直に向き合える個々の位置とか。
好きですよ。ラスト頑張ってください(^_^)
769 名前:名無し読者 投稿日:2003/11/10(月) 17:02
どうしても、もどかしいなぁ…と思ってしまいますね。
でもこの子達を見てると、少しだけ羨ましくも思えます。
年とったなぁ。
770 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/11(火) 01:06


    ******
    

パジャマ姿の美貴がコタツに入って背中を丸めている。
テレビをつけているわけでもなく、CDをかけているわけでもない部屋はシンとしている。
卓に乗せた顎が揺れて、そのままころんと倒れた。

「……しくった」

あれは。観覧車の中でした、あれは。
誤魔化しようがない。あれはもう違ってしまっていた。

「違うんだよー。美貴はちゃんと待ってるつもりでこぉ〜っ」

一人吠えつつ、手のひらで卓を叩いた。言い訳したところで誰も聞いていない。

狂った時間はそう簡単には直らない。まだ、同じ時間を刻んではいない。
「だいたい、ズルイんだよ」頭を抱え込んだ姿勢で呟く。

一度壁を壊したことで視野が広がってしまった。二人を覆う、光と闇の概念すらなかった
世界を飛び出して、そうする事で彼女の姿に陰影が出来た。
光が差し込む度に、影が浮き立つ度に、角度を変える度に、まるで違う人間のように
新しいものが見えてきた。

その全てを見たいと、その全てが欲しいと思いながら、同時にそれを止める術を知りたい
と願った。

そんなものは、誰も教えてくれない。
771 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/11(火) 01:07
「なに暴れてんの?」
「うわ!」

いつの間にか美貴と揃いのパジャマを着た亜弥が、部屋のドアに凭れかかって呆れた
ようにこちらを見ていた。
湯上りで仄かに朱を帯びた頬に、美貴は驚いたのとは違う理由で焦燥感を覚える。

「だからね亜弥ちゃん、ちゃんとノックを……」
「したもん。みきたんが聞いてなかっただけでしょ?」

亜弥は不条理に叱られた子供の表情を浮かべ、美貴の隣にぺたりと腰を下ろした。
タオルで拭かれただけの髪は上げられ、形の良い額が露わになっている。上目遣いで
見つめてくる瞳が妙に艶っぽいと思うのは、こちらの心境如何によるものか。

僅かに乱れた呼吸を誤魔化すように、美貴は亜弥の首にかけられたフェイスタオルを
手に取って、亜弥の頭に被せた。「まだ濡れてる?」「うん」タオルで顔を隠したから、
亜弥が嘘に気付いたかどうかは判らない。
髪を拭いてやりながら、何度か小さな溜息をついて呼吸を戻す。溜まっていた呼気を全て
吐き出してしまえば、正常に戻るような気がした。

開襟の胸元から覗く素肌に、視線を逸らした。

タオルを首にかけ直し、それを離さないまま引き寄せる。
逆らわずに近づいてくるその表情に、ぞくりとした。

唇が重なる。一瞬触れるだけの、大好きのちゅうだった。

「……亜弥ちゃん、今日は自分ちで寝なよ」
「やだ」
「なんで」
「なんで?」
772 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/11(火) 01:07
君のことが好きだからだよ。
大事で大切で大好きだから、傷つけたくないんだよ。

恋のテレパシーなんてものが存在しなくてよかった。
美貴は無言で背を向ける。一呼吸の後、その背中に柔らかくて温かい感触が訪れた。

背中に張り付いている亜弥を無視して、リモコンでCDの電源を入れる。
流れ出したのは美貴が好きな女性歌手の最新曲。亜弥は拗ねたような顔でリモコンを
奪い取り、それを停止させた。美貴は更にそれを取り返そうとしたが、亜弥がリモコンを
ベッドまで放り投げてしまったので、微かに唸っただけで諦めた。

亜弥が抱きついているその首筋に頬を寄せる。

「こら、こっち向け」
「やだよ」
「なんで」
「なんで?」
773 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/11(火) 01:08
君のことが好きだからだよ。
大事で大切で大好きだから。

「あたしの事、ちゃんと見てよ。今はあたしだけ見ててよ」

恋のテレパシーなんてものは存在しないから、亜弥は口に出してはっきりと告げる。
一呼吸の後、美貴が小さく息を呑むのが聞こえた。

「判ったから離れて」
「なんで」
「胸当たってんの」

気がつけば、冷え性なはずの彼女の耳は、一目で判るくらい赤くなっている。
今更じゃんと思いつつ、亜弥は言われたとおりに離れてやった。

亜弥が離れただけでは足りないのか、美貴は更にコタツの端へと移動して、ようやく
首をこちらに向けた。

「……泊まんの?」
「うん」
「……亜弥ちゃんの鈍ちん」
「どっちが」

気付かないわけがない。自分がどれだけ嘘をつくのが下手か、ひょっとして彼女は
判ってないんだろうか?
何を思っていても、何を望んでいても、きっと自分から言う事はないんだろう。

あの時みたいに。亜弥が、望まなかった時みたいに。
774 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/11(火) 01:08
美貴はまだ迷っているし、亜弥はまだ納得しきれていない。
だからだろうか。通じ合えたように見える二人は、まだ完全に同じ時間を刻んでは
いなくて、だから美貴は、言えないんだろうか。
壊れた形の欠片を、亜弥がまだ大事に取っている事を知っているから。

「みきたん、あたしの事好きでしょ?」
「ん、好きだよ」
「じゃあ、あたしと一緒にいたくない?」
「……いたいよ」

側にいたい。
ただ、これ以上近づくと、痛い。

「じゃあいいじゃん。一緒にいようよ」

彼女がいれば他に何もいらないなんて思わない。
ただ、彼女がいなければ他の何もかもがつまらない。

それは二人の不変の気持ちであり、二人の普遍の認識であり、二人が作る不偏の世界だった。

だから、いくら美貴が足掻いたところで、変えられるはずもないものだった。

「……判ったよ」
「最初っからそう言えばいいのに」

満足そうに頷いて、亜弥が美貴に抱きつく。それを優しく受け止めて、美貴は今日何度目
か判らない溜息をついた。
775 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/11(火) 01:08


アロマポットから浮き出るオレンジと、彼女の髪から香るシャンプーの芳香が混じり合い、
美貴の鼻孔を刺激している。
それは酒精のように美貴を酔わせ、思考を奪い、感覚を麻痺させる。

手探りで亜弥の頬に触れた。そのまま指を滑らせて輪郭を辿り、唇にそっと触れる。
感触で、その唇が笑ったのが知れた。
「起きてんの?」「起きてるよ」笑みを形作ったままの唇から指を離す。それを埋めるように
亜弥が寄り添う。

「みきたん、なんか話してよ」
「なんで?」
「暇なんだもん」
「寝てよ」

懇願にも似た、力のない口調だった。亜弥はそれに気付きながら気付かないフリをする。

「みきたんといるとドキドキして眠れなーい」
「わざとらし……」

いっつもぐーすか寝てんじゃん。呆れた声が耳をくすぐる。亜弥が身を捩じらせて笑う。
揃いのパジャマは暗闇の中で溶け合って境界が曖昧になっている。

美貴は境界を区切るように背を向けて、ずり下がっていた毛布を引き上げた。

「いいからもう、静かにして。美貴寝る」
「えー、話そうよー」
「やだ」
「じゃいいよ。勝手に喋ってるから」

なんの解決にもなっていない。それでもそのうち飽きるだろうと、美貴は構わず目を
閉じて意識を塞いだ。
776 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/11(火) 01:09
「辻ちゃんてね、結構料理とか上手いんだよ。この前クッキーもらったんだけどさ、
ホント売ってんのと同じくらい美味しいの。吉澤さん幸せだよねー。でも最近、吉澤さん
おっきくなってきた気がすんだよね。前に冗談で『食べすぎ注意』ってメール送ったら
本気でヘコまれちゃってちょっと焦った。そういえばみきたんてすごい食べるくせに
太んないじゃん? なんかやってる? 大学って実はものすごいカロリー消費するとか?
てゆーかレバ刺し5人前とかあり得ないから。あさ美ちゃんも食べる子だけど、どっちか
っていうと野菜系だからね。そういえばあさ美ちゃん、ずっとカボチャをイモだと思って
たんだって。ちょっと意外じゃない? 頭いいのにねー。でもそういうとこあるとなんか
可愛いとか思っちゃうよね。あ、でも心配しなくていいよ、あたしが好きなのはみきたん
だから」

「……だあ! うるさい!」

嫌がらせなのか何なのか、本当に喋り捲る亜弥に、我慢しきれず怒鳴りつける。
「へへ、こっち見た」浮かれた笑顔でいるんだろう。よく見えないが声音でそれくらいは
判断がつく。

「いいから寝て。お願いだから寝て」
「どうせ休みなんだから、夜更かししようよー」

お願いだから休ませてほしい。ただでさえ、今日は遊びに出かけて疲れているんだから。
持ち上げていた頭を枕へ戻して、そろそろ何度目だろうと思うのも馬鹿らしくなるくらい
溢している溜息を、もうひとつ落とす。

亜弥は喉を震わせて笑いながら、美貴の首筋に腕を絡めた。自然と美貴に圧し掛かるような
形になって、美貴は無意識に逃げようと身を捩る。
逃すまいという意図なのか、亜弥が腕に力を込めた。

「……みきたんが悪いんだよ」
「なにがよ?」
「意地張ってるから」

耳元で囁かれた声は、妙に艶を帯びていた。
あれから、何度か耳にしていたその声。美貴は焦燥感を覚える。息を呑む。呑みきれない
呼吸が詰まって、思わず小さく咳をする。
777 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/11(火) 01:09
「みきたんはさあ」

耳を塞ぎたい。
大事で大切で大好きだから、折角築いてきたこの形を傷つけるような事はしたくない。
亜弥の腕は肩全体を覆うように美貴の身体を包んでいる。だから、耳を塞げない。
呼気が乱れる。時が狂う。

「あたしと、何をしたいの?」

は、と軽くて重い吐息が洩れた。

問われたら答えなければならない。彼女の問いは、そういう意味を持っていた。
理由もなく、根拠もなく、原因もなく。
ただ、意味だけを持った問いだった。

「…………ぃ」
「なに?」

声が詰まって、呼気も詰まって、焦燥感が押し迫って、彼女との距離を推し量って。

ようやく、美貴は声を出す。
778 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/11(火) 01:09
「キスが、したい」
「いやしてんじゃん何回も」

拍子抜けしたのか、亜弥は「おいおい」という風に美貴の頭を叩いた。
「そうじゃないよ」叩いている手を掴んで引き寄せる。まあ、通じるとは思っていなかった。

圧し掛かっている亜弥を正面から見据える。暗順応した目が、薄闇に溶けた亜弥の姿を
捉え始めている。
結局、新しく踏み出した世界は、安住の地などではないんだろう。
それでもいいと、思えるんだろうか。

「大好きのちゅうじゃなくて、ちゃんとしたキス、しようよ」

暗闇の中で、亜弥は小さく眉を顰めている。
亜弥はまだ判っていない。
どう答えていいか、それ以前に問題の意味が判っていない。

美貴は瞬きひとつ分の時間、亜弥から視軸をずらして、それから両腕で彼女を引き寄せた。

二人の呼吸が止まる。それは深くも激しくもないキスだった。
浅くて緩やかで、熱いキスだった。

まるで虚空にいるように、時が止まる。

ゾクゾクとしたものが背筋を走る。続々と感情の奔流が駆ける。
駆ける奔流に、欠片は、流されてしまっただろうか。
779 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/11(火) 01:10
ゆっくりと唇を離す。止まっていた呼吸が再開され、駆けていた奔流が止まる。

「……判った?」
「う、うん」

何かを逃がすように、美貴が細く長く息をついた。

「待ってようと、思ってたんだって」

君が追いつくまで。隣に並んで、一緒に歩けるようになるまで。

亜弥がぽふりと凭れかかって来る。美貴はそれを柔らかく受け止める。
目を閉じて、サラリと流れる髪を撫でる。まるで生き急ぐように速い鼓動は、どちらの
ものとも判別がつかない。

「ビックリした?」
「んー、まあ、したかな」

返答に笑みが含まれているのに気付いて、美貴が微かに眉を上げる。
亜弥は顔を上げると、美貴の唇に人差し指の背で触れた。

「や、あたしてっきり、みきたんえっちしたいのかと思ってたからさー」
「……は?」
「だって普通そう思うじゃーん。あんな目で見てきたら」

いったいどんな目で見ていたんだろう。思いがけない言葉に、美貴は咄嗟に反応できない。

「言われてからどうするか決めようと思ってたんだけど。なんだ、そっか。みきたんまだ
全然そういう事考えてなかったのか。そっかそっか」

安堵したように笑む亜弥の放つ無邪気な意識に当てられて、美貴は目を眩ませる。
780 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/11(火) 01:10
ひょっとしたら。
本当は、とっくに追いつかれていて、それに気付いていないだけだったんだろうか。
自分が見ていたのは彼女の残像で、本当の彼女は、とっくに隣へ来ていたんだろうか。

ひとみが言っていたのは、そういう意味だったのか。

「それとも、ホントは思ってたりする?」

揶揄に近い口調で囁かれる。
美貴は答えない。

亜弥が微小な溜息をつき、それから優しく微笑した。

「素直じゃないの、変わんないね」
「……余計なお世話だよ」

末っ子は素直じゃないものだと相場は決まっている。そして、それを汲み取って甘やかす
のは、長女の役目だというのも決まっている。

亜弥が「素直になれ」と言うように指先で美貴の唇をなぞり、その耳元に囁く。

「しちゃおっか? めでたくちゃんとしたキスもできた事だし」

唐突に。
突然に、無性に、無情に、麻痺していた思考が指向性を持った。

圧し掛かっている亜弥の身体を捕まえ、抱え込んだまま自身を反転させる。
強い力と強い空気に、ベッドへ押し付けられる形になった亜弥の表情が強張る。

顎を捕まえて半ば無理やりに口付ける。「んん!」戸惑いと怯えと混乱が、重ねた唇から
伝わってきた。
強く肩を押される。それに抗い、美貴は亜弥のパジャマの内側へ手のひらを滑り込ませた。

ビクリと、亜弥の身体が震えた。それは緊張とか期待とか羞恥とかそういうものの全く
ない、単純な恐怖からくる身震いだった。
781 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/11(火) 01:11
「――――やだ! みきたん、やだって!」
「ヤなんじゃん」

一瞬にして、美貴の周りを取り囲んでいた強い空気が消える。心持ち拗ねたような表情を
浮かべて、亜弥の目尻に浮かんだ涙を指先で拭う。
亜弥の混乱は治まっていない。全力疾走した後のように息を切らせたまま見つめてくる
その眼差しには、力も意思も無い。
呆然と見つめてくる亜弥のパジャマの乱れを直してやりながら、美貴は硬い口調で言った。

「心の準備も出来てないのに、そういう事言わないの」

美貴は怒っていた。大事で大切で大好きだから、軽々しく言ってほしくなかった。
勢いだとか、その場の雰囲気だとか、そういうもので決めてほしくなかった。

思わないわけがないのだ。例え、悪くていけなくて間違ってると思っていても。
好きな気持ちは本当で、それは彼女の側にいる理由で、彼女が側にいる理由で、だから、
そういう事を、考えないはずがない。

それでも美貴は、恐がらせないように視軸を外して囁く。

「亜弥ちゃんがホントにしたいと思うまで、美貴はなんにもしないよ」

今度は優しく抱き寄せる。甘えるように背中へ廻された腕は、まだ少しだけ震えていた。

やはり、追いつかれてなどいなかった。ひとみが垣間見たのは、彼女が無理をして
走り出して、ほんの僅かな時間並んだその一瞬だったんだろう。
遅れているからといって、無理に走る必要はない。待つ事を望まれたら待つし、疲れたら
一緒に休んだっていい。

待とうと決めたその気持ちは、彼女に対する猶予であり、時折待ち切れなくなる気持ちは、
自分が抱える憂慮だった。

それでも、一番大事で一番大切で一番大好きだから、力尽くで優位に立つような真似は
しない。
782 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/11(火) 01:11
「……ごめん。みきたんごめん」
「いいよ。美貴も、恐い思いさせてごめんね?」

甘い声に、亜弥はふるふると首を振る。

新しい世界は、暗闇の中を手探りで進むようなもので。
ゼロから始まった世界には、指し示す標しも変化の兆しもなく、だから恐い。
そんな風に足を竦ませる自分を守るように、手を引いてくれたのは彼女だった。

それに息苦しさを感じていたのは事実だった。
だから早く追いつきたくて、今以上に側へ行きたくて、肩を並べて歩きたかった。

触れられる度に覚える焦燥を、煩わしく感じ始めたのはいつからだったか。

「焦んなくていいから。大丈夫」
「うん……」

アロマポットから流れるオレンジと、彼女の髪から香る甘い匂い。
今はまだ、それだけでいい。そこに別の何かを加えるのは時期尚早というものだ。

甘く香る髪をそっと撫でる。二人の鼓動が重なって、それは心地良い協和音となる。

「ほら、もう寝よ。そろそろお化けが出やすい時間だよ」
「そ、そういう事言わないでよっ」
「にひひ」

遊園地での恐怖体験を思い出したのか、亜弥が美貴の胸元に潜り込んで頭から布団を被る。
その様子に喉の奥で笑いながら、美貴は静かに目を閉じた。
ベッドのヘッドレストに置かれた目覚まし時計の針が、正確に時を刻んでいる。
783 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/11(火) 01:11



    ******



784 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/11(火) 01:11
「みきたーん。みきたんみきたんみきたーん。朝ですよー」
「……だから、猫扱いすんなっての」

寝起き特有の不機嫌さが美貴の顔に浮かぶ。
しかし亜弥はそんなもの意に介さず、人懐こい笑顔で唇を突き出してきた。

「みきたんにおはようのちゅう」
「……ん」

軽く首を倒す。頬に亜弥の唇が押し付けられる。美貴の目は眠そうに軽く閉じられている。

「へへ。おはよ」
「はよ。てゆーか早くどいて。苦しい」

思い切り胸を圧迫されているから、うまく呼吸が出来ない。
亜弥の肩を押してどかせると、彼女はころんと簡単に転がって、美貴の隣で身体を丸めた。
その横に手をつき、よしよしと頭を撫でる。亜弥がくすぐったそうに笑った。

「みきたん」
「ん?」
「大好き」

亜弥が撫でている手を取り、その甲へ軽く唇を当てる。
ぞくり。美貴の首筋を熱いものが走った。
785 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/11(火) 01:12
――――……いやちょっと、待てない、かも。

一瞬で膨れ上がった待ちきれない気持ちを、待とうという気持ちが懸命に抑えている。
よく、人の中には天使と悪魔がいるというが、なるほど、あれはこういう時の事を言うのか。

そんな美貴を嘲笑するように、早朝の空は悲しいほどお天気。
美貴が小さくついた溜息は、差し込む光がもたらす熱に溶かされて、誰に見られることも
ないまま人知れず消えた。

新しい世界の中で、亜弥は引いてくれる手に自らを委ねて安心している。
けれど、手を引いている美貴だって、本当はどこに行ったらいいか判らなくて、同じ道を
何度も往復してみたり、当て所もなくウロウロと彷徨っていたりする。

道は二人の前にはなくて、だから立ち止まれば行き止まりになり、息が詰まれば行き詰る。

それでも。

「……亜弥ちゃん」
「ん?」

隣に寝転がっている亜弥の顔を覗きこみ、美貴は幾分照れたような、叱られる前の子供の
ような表情をした。

「ちゃんとしたキス、していい?」

気を遣ったからこういう表情なのかと判って、亜弥が小さく笑う。
彼女はまだ、手を引く力加減が判っていないから。

頷いて、目を閉じた。

呼吸が止まってしまう、それこそが子供の証だという事にも気付かず、二人は唇を重ねる。
786 名前:『Breathless』 投稿日:2003/11/11(火) 01:12


二人が呼吸を止めないままに愛しさを伝えられるようになるのは、もう少し先の話。









《God bless a Girl's place.》
787 名前: 投稿日:2003/11/11(火) 01:12
以上、『Breathless』でした。

そして本作をもちまして、このスレの更新は終了です。
お付き合いいただき、ありがとうございました。
788 名前: 投稿日:2003/11/11(火) 01:15
>>768-769

レスありがとうございます。

ロジック。いい言葉ですね。見も蓋もない言い方をすると、屁理屈こねてグダグダやってる
だけなんですが(爆)
とはいえ、それをいかに真正面から受け止め悩む姿を綺麗に描くかというのが
自分のチャレンジでもあるので、好意的に受け取って頂けると幸いです。

若いっていいですね。おそらく、自分が最もこの子達を羨ましいと感じているのではないかと。
ひねくれた子供でしたんで(苦笑)
789 名前: 投稿日:2003/11/11(火) 01:17
雑談。

自分の基本姿勢として、あやみきは『フィジカル藤本×松浦、メンタル松浦×藤本』と
いうのがあるんですが。
(だから多分、あやみきでもみきあやでも合ってる(笑))

それというのも、自分の藤本さんに対するイメージが「待ちの人」だからではないかと。
なんとなく、藤本さんは待ちであり受身であり柔らかい人、という印象を受けます。
だから『LC』で迎えに行くのは松浦さんであり、『天使〜』で「呼ばれたら行く」のは
藤本さんであり、『S』で(秘密の場所にいる事で)藤本さんを呼びつけるのは
松浦さんなわけです。

じゃあなんでフィジカルは藤松かったら、そりゃ藤本さんが攻め顔だか(殴)冗談です。
藤本さんが本質的な甘えただからです。甘えっ子みきたん大好き。
甘えたがりな攻めというのが、自分のツボポイントのようです。
790 名前: 投稿日:2003/11/11(火) 01:17
とまあ、ここまで語っちゃうくらい、藤本さんと松浦さんが好きです。



……なんで1年前にこの状態になっておかなかったかな。
791 名前: 投稿日:2003/11/11(火) 01:18
最後に締まらないアホ話をしつつ、フェイドアウト。
792 名前:名無し読者 投稿日:2003/11/11(火) 01:51
まだ読みたい、と思うくらいがちょうどいいんでしょうね。
読者が飽きてしまう前に更新を終了させた作者さんはすごいと思います。
言い方は悪いですが、ダラダラやってるとどうしても飽きてしまいますから。
この作品に対してそういう気持ちを抱かなかったのが嬉しいです。

今までありがとうございました。本当の意味での完結、お疲れ様です。
793 名前:名無し読者 投稿日:2003/11/11(火) 02:41
ああ、でもまだ読みたいと思ってしまいます。(w
それぐらいにこの二人は魅力的です。
モラトリアムな感じがたまらない。

もう少し先の話…はもう読者の妄想の中の話ですね。
本当にありがとうございます。
794 名前:名無し読者 投稿日:2003/11/12(水) 03:34
『フィジカル藤本×松浦、メンタル松浦×藤本』に禿同です。
本当に面白かった。
この先も先もと気持ちばかりがどんどん先にいってしまいますが、
このお話はここで終わりなんですね。
少し寂しいですが、青の方に期待してます。
ありがとうございました。
795 名前:名無しさん 投稿日:2003/11/21(金) 12:35
もう、素敵です!としかいえないです。
本編もさることながら、どうしてこのような
素晴らしい短編をいくつもいくつもいくつもいくつも・・・・

素敵です、円さん。
796 名前: 投稿日:2003/11/24(月) 00:33
レスありがとうございます。

>>792
脳内では色々と展開されてるんですが、やはりこれより先を書くのは野暮かなと。
でもBreathlessに関しては、ギリギリまで載せるか迷いました(^^;)
まあ実際やってる事は何も進展してないし、スレ容量的にもいい具合に埋まるし
いいか〜みたいな(爆)
こういう時、対外的にリミットを設定されてると自分でもけじめがつけられていいですね。

>>793
モラトリアム過ぎてたまにちゃぶ台をひっくり返したくなりました、この話(爆)
(ノ ̄□ ̄)ノ~~┻━┻<こんな感じで。
もう少し先の話は、皆様お好きなようにご想像下さい、ということで(^^)
思考の自由は国民の三大権利です。

>>794
何も考えずに書いてから、こういう表記の区別はseekじゃ一般的じゃないのかも……と
焦りました(苦笑) 自分、同人の出なもので。
精神的には藤本さんて受けだと思います。
青の方は……あ、あまり過度に期待されると裏切ってしまうかも……。

>>795
短編は、実のところフリー短編集スレに載せようと思って書いてました。
でもseek改変で容量増えてあらラッキーみたいな(笑)
余ってると使い切りたくなる貧乏性です(爆)

797 名前: 投稿日:2003/11/24(月) 00:33
それでは、最下層で細々とひっそりさりげなく続いていたここも、完全終了とさせて頂きます。
短編を載せることはもうないので、倉庫に行くまでそっとしておいて下さい。

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