さよならエゴイスト
- 1 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月15日(火)22時01分12秒
- リアルものです。
でも内容は余りリアルではありません。
- 2 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月15日(火)22時02分20秒
- 私はただ彼女に負けたくなかった。
自分の事しか考えていなかった。
「私……辞める事になるかもしれない……」
「……え?」
だから彼女が抱えている事情など何も知らなかった。
- 3 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月15日(火)22時03分36秒
* * *
- 4 名前:01−すれ違うココロ。 投稿日:2003年07月15日(火)22時06分33秒
- 悴む手を口元にあて、藤本はふっと息を吐いた。
途端に目の前が真っ白に染まる。
しかし温まったのは一瞬の事であっという間に手は冷気に包まれてしまった。
息を吹きかける前よりも湿気を含んだ分、余計に冷たく感じてしまい
今更ながらに手袋を楽屋に忘れた事を激しく後悔してしまう。
早朝だからといって外をのんびり歩くわけにはいかない。
ファンに見つかると面倒な事になってしまう。
何処に誰がいるのかも判らないのだ。
気をつけておかなければならない。
北海道生まれだというのに寒さに弱い藤本は身を守る為にジャケットのファスナーを
きっちり上まで閉めて歩くスピードを速めた。
今日は正月のハロプロのライブが予定されている。
会場入りしたばかりなのでまだリハーサルは始まっていない。
予定までに時間があると判っていたので息抜きに外へ出て来たのだった。
東京でのライブ最終日ではあるが明日も地方でイベントがある。
そうでなくてもハロプロのライブは一日三回公演というふざけたスケジュールなのだ。
それらを考えると事務所を怨みたくなる。
- 5 名前:01−すれ違うココロ。 投稿日:2003年07月15日(火)22時08分30秒
- 今頃、きっと地元の同級生達はこたつに入ってのんびりと正月を楽しんでいるのだろう。
少しだけ羨ましく思えて大きくため息をつくと、また視界が真っ白になった。
すっかり気が滅入ってしまった藤本は手にしていた財布を空へ向かって軽く放り投げた。
思ったより高くは上がらない。
そして今の自分だからこそ、これだけ財布が重いのだ、と気付く。
学生だった頃の財布は違う意味で重かった。
あの頃は札が入っている事などごくまれで常に大量の小銭しか入っていなかったのだから。
藤本は太陽の眩しい光で目が眩み、一瞬だけ財布の位置を見失った。
「美貴たん。待ってよ〜」
背後から聞き慣れた声が聞こえた。
藤本の事を妙なあだ名で呼ぶ人間は一人しかいない。
結局その声がキッカケで財布を取り損ねてしまい、ボトリという情けない音を
立てて地面に落としてしまった。
無言でそれを見つめる。
何故だか、直ぐに拾う気力がなかった。
先ほどの声の主である松浦は財布を落としてぼんやりしている藤本を横から
不思議そうな顔をして覗き込んでいる。
「美貴たん?どうしたの?」
「……何が?」
「だって、お財布落ちてるよ?拾わないの?」
「あ、うん……」
- 6 名前:01−すれ違うココロ。 投稿日:2003年07月15日(火)22時11分58秒
- 藤本はようやく腰を屈めて地面に落ちている財布を手に取った。
しかし直ぐには立ち上がらない。
深いため息をついているの藤本を見て松浦も隣にしゃがみ込んだ。
道端に座り込んでいる二人は傍から見たら少し変わった存在に見えるだろう。
「元気ないねぇ」
「まーね」
「そんなにモーニングさんに入るのが嫌だったの?」
「…………そうでもないよ」
藤本は自分で気付きながらも本当の気持ちと逆の言葉を口にしていた。
紅白の出番が終わった後、つんくから報告された言葉は三日以上経つというのに
頭から離れない。
消したくても消せない事実でしかないのだから諦めるしかない。
しかしその事ばかり考えてしまう。
捕らわれてしまう。
どうして今更……、と藤本は唇をキツク噛んだ。
落選したものの、娘。の追加オーディションを受けた過去を持つ藤本としては複雑だった。
当時なら大喜びしただろう。
しかし今は素直に喜べない。
それは時間は少しかかったがソロとして無事にデビュー出来たというのが関係している。
- 7 名前:01−すれ違うココロ。 投稿日:2003年07月15日(火)22時14分55秒
- 今後はソロ、グループと二つの活動になるらしいが今更グループとして活動する利点など
何もないと思えた。
いや、娘。で活動すれば今よりもテレビに映る回数が増えるという事を考えたら利点はある。
レギュラー番組を持っている娘。とシングルを出さない限り、唄番組に呼ばれない今の藤本を
比べたら露出度は前者の方が当然多い。
メディアへの露出が増えれば知名度も上がるのだから娘。に入る事はそれほどマイナスではないと
思えない事もない。
しかしそれでも藤本はソロでやっていきたい気持ちの方が大きいのだ。
誰の力も借りずに自分一人の力だけで上を目指したい。
そう思う事は自分の我侭でしかないのだろうか。
どうしてソロで頑張って来た自分が今更グループの一員として仕事をしなければ
ならないのだろう。
そんな事を考えているとどす黒い感情が胸の奥で暴れ出す。
藤本は深いため息をつき、心の中で気持ちを切り替えよう必死で努力していた。
そして隣で顔を覗き込んでいる松浦の顔を無言で見つめた。
黙り込んでいる藤本を見て何があったのだろう、という顔をして首を傾げている。
- 8 名前:01−すれ違うココロ。 投稿日:2003年07月15日(火)22時16分04秒
- 仕事でも一緒になる事が多く、普段から仲がよい松浦は藤本より一つ年下だが
この世界では先輩だ。
その個性や歌唱力などを武器に松浦は娘。とはまた違ったポジションで自分の
地位を確立していた。
いや、今では娘。以上の人気を持っているのかもしれない。
「亜弥ちゃんは可愛いね」
「どうしたの?急に」
頬を抑えて松浦は照れている。
お世辞なども素直に受け入れてしまう松浦の天然さに藤本は頭が下がる思いでいた。
深読みしてしまう自分には出来ない、と思ってしまう。
藤本と松浦はよく比較される。
同じ事務所で似たような売り方で活動して来たのだ。
比較対象がこれほどまでに近くにいると比べられやすくなるのは仕方がないと
藤本も判っている。
実際に初期の頃は松浦の二番煎じだとよく言われていた。
藤本自身も素直に認めたくはなかったが全てを否定する事は出来なかったところがある。
紅白にまで出られるように成長出来たのも松浦という偉大な人間の活躍がなかったら
無理だったのかもしれない。
逆に自分が先にデビューしていたら現在の松浦のポジションまで上り詰めていた
だろうか、という疑問も藤本は持っていた。
正直、悔しい。
- 9 名前:01−すれ違うココロ。 投稿日:2003年07月15日(火)22時19分59秒
- 松浦は藤本にとって嫉妬の対象だった。
普段は仲良く接しているがそれでも妬む気持ちが全くないと言ったら嘘になる。
対抗意識を燃やす事で向上心を持つ事が出来るのだからマイナスの感情だけには
ならないはずなのだが内心穏やかではいられないというのも事実だ。
いつかは彼女に勝ちたい。
ずっとそう思っていたのだ。
しかし藤本は松浦がいる土俵から降ろされてしまった。
真っ向勝負する事など二度と不可能だ。
藤本は自分の心境の変化に気付かれないように気をつけながら松浦に向かって微笑んだ。
近頃、すっかり愛想笑いが癖になっており、誰にも気付かれないくらい完璧に
出来るようになっていた。
藤本が立ち上がると松浦も慌てて立ち上がる。
「なんか、今日の美貴たん、変」
「そう?」
「うん。心ここにあらず、って感じがする」
「きっと疲れてるだけだよ。ずっと忙しかったからさ」
「そっか……。今日は早く寝て疲れを取らないとね」
松浦はニッコリと微笑んで藤本の腕を取った。
その無邪気な笑顔を見ても藤本は心から笑みを返す気にはなれなかったが
いつもの愛想笑いを浮かべる事は出来た。
- 10 名前:01−すれ違うココロ。 投稿日:2003年07月15日(火)22時21分36秒
- 「亜弥ちゃんもコンビニ行くの?」
「うん」
「じゃあ、一緒に行こっか」
藤本は松浦に腕を組まれたまま、歩き出した。
ダウンジャケットにジャージというダサイ姿をしているからという理由だけではなく
すれ違う人達が二人を見てコソコソと何かを話し合っている。
明らかに正体がバレているようだ。
大騒ぎにでもなったら面倒な事になると思い、藤本はポケットに入れていた
サングラスを出して帽子を深く被り直した。
「亜弥ちゃんも見つからないように帽子ちゃんと被りなよ」
「ちゃんと被ってるじゃん」
「もっと深く被れって言ってるんだよ」
藤本はそう言い、松浦が被っている帽子のつばを掴んでグイッと下に向けると
鼻から上が全て隠れてしまい、マヌケな姿になってしまった。
「ちょっと、やめてよ〜」
「あはは、いいじゃん。可愛いよ」
「全然、可愛くないよ!」
膨れっ面になって松浦は帽子を正した。
それを見て藤本はクスクスと笑った。
松浦をからかうのは楽しい。
- 11 名前:01−すれ違うココロ。 投稿日:2003年07月15日(火)22時24分26秒
- 「罰として美貴たんが奢ってよ!」
「わけ判んないなー。何の罰なんだか……」
藤本がブツブツ言いながらコンビニの扉を開けると松浦はタイミングを見計らって
その隙間をするりと通り抜けた。
ドアマンじゃないんだから、と苦笑いしながら藤本も続いて中に入ると直ぐに
松浦の声が聞こえて来た。
藤本に向かって声をかけているわけではない。
かといって独り言を口にしているようでもなさそうだ。
一体誰と話しているのだろう、と藤本がキョロキョロとしていると意外と簡単に
松浦の姿を発見する事が出来た。
入り口手前にある雑誌コーナーで誰かと話している後姿が見える。
しかし相手も帽子を被っているので誰なのかが判別出来ない。
似たような格好をしているのでハロプロの中の誰かだという事が判る程度だ。
藤本に向かって笑顔で松浦が手招きをすると帽子を被っている人間が顔を上げた。
そこでようやく判った。
深く被っていた黒色のキャスケット帽を少しだけ上げて後藤が微笑んでいる。
見ていると気が抜けてしまうような、いつもの笑み。
- 12 名前:01−すれ違うココロ。 投稿日:2003年07月15日(火)22時25分49秒
- 「美貴ちゃんも何か買いに来たの?」
「うーん。本当は息抜きで出て来ただけなんだけどね。
ごっちんは立ち読みしに来たの?」
「んー、暇だから」
藤本が後藤とたわいもない話をしていると途中で横から松浦に肘で突付かれた。
顔を見てみると少しだけムッとしている。
きっと後藤に妬いているのだろう。
松浦の考えている事くらい手にとるように判る。
それでも藤本は松浦を無視して後藤との会話を続けた。
松浦が自分に好意を寄せている事に藤本は気付いていた。
人目のあるところでもベタベタとしてくるし、常に唇を狙ってくる。
ジャレ合いながらの告白なども日常茶飯事だった。
冗談ではなく本気だという事くらい松浦の目を見れば誰にでも判るだろう。
それくらいあからさまだった。
しかしそれを判っていながらも藤本は気付いていない振りをする。
確信犯だった。
藤本が素っ気ない態度を見せているので松浦はイジけてしまい、お菓子売り場へと
歩いて行ってしまった。
店内には他に客がいない。
後藤は小さくなって行く松浦の後姿を見て苦笑いしていた。
- 13 名前:01−すれ違うココロ。 投稿日:2003年07月15日(火)22時26分54秒
- 「ちょっと冷たいんじゃない?まっつーが可哀想だよー」
「いいの、いいの。たまにはね」
「それにしても二人は相変わらず仲いいねぇ」
「普通でしょ」
「そうかなぁー」
藤本と後藤はごまっとうで一緒に活動するようになってから急激に仲良くなった。
ただ、ごまっとうの頃の後藤は前から仲が良かった藤本と松浦に挟まれて
少し困惑している事の方が多かった。
今にして思うと少し申し訳ない気分になってしまう。
しかし後藤がこれが当たり前だと言わんばかりに何も言わないので結局藤本も
何事もなかったかのように接する事しか出来ない。
後藤は手にしていた雑誌をパラパラと捲っている。
色の濃いサングラスの下には眠そうな瞳が見え、窓からの日差しで茶色の髪が
キラキラと輝いて見えた。
綺麗な横顔だなぁ、と思わず、藤本は見とれてしまう。
その視線に気付いたのか、後藤がきょとんとした顔で藤本の顔を見返してきた。
「なんか、今日の美貴ちゃんは変だね」
「それ、さっきも言われた」
「まっつーに?」
「うん。いつも通りなんだけどなぁ」
- 14 名前:01−すれ違うココロ。 投稿日:2003年07月15日(火)22時28分58秒
- 藤本は視線を逸らして読む気などなかったファッション雑誌を手に取り
何でもないように装った。
ただの見栄なのかもしれないがテンションが下がっている事を気付かれたくない。
雑誌をパラパラと捲っていると隣で後藤が小声でポツリと呟く声が聞こえた。
ぼんやりしていたら聞き逃してしまいそうなくらい小さな声。
今確かに後藤はこう言った。
羨ましい、と。
自分と松浦の関係の事を言っているのだろうか。
しかし何が羨ましいというのだろう。
普通の友達でしかないというのに。
そういう意味では後藤の方が友達は多いはずだ。
藤本が戸惑っているのを察したのか、後藤は目を細めて微笑んだ。
「……羨ましいって何が?」
「いやいやー、何て言うか……後藤はずっと娘。だったじゃない?
それまで周りにメンバーがいるって事が当たり前だったんだよね。
卒業したばかりの頃はなんだ、こんなもんかーとかって思ってたんだけど
最近になってようやく本当に一人になっちゃったんだなーって思うようになってさ。
娘。にいた頃と今の違いを思い知っちゃったっていうか……」
- 15 名前:01−すれ違うココロ。 投稿日:2003年07月15日(火)22時30分15秒
- 後藤にしては珍しく饒舌だった。
そして後藤は弱気な事を言わない人だと勝手に思い込んでいた藤本にとっては
少し驚きだった。
「ごっちんでもそういう悩みあるんだ?」
「失礼だなー。人並みに悩んだりするよ」
「いや、一人の方が気楽とかって思ってんのかと」
「そういう時もあるけどね。
皆の事が好きだし、会えなくなるとやっぱり淋しいと思うんだよね」
後藤は言葉の通り、本当に淋しそうにそう言い、手にしていた雑誌をラックに戻した。
その時にジャケットの袖が少し上がり、腕に何かが巻かれてあるのが見えた。
それはリストバンドだった。
藤本は首を捻った。
後藤がそんなものをしているところを初めて見たような気がする。
ミサンガくらいなら目にした事があったが最近はあまり付けていない。
藤本の視線に気付き、後藤は慌ててリストバンドを隠した。
このまま何も触れないのも後味が悪いような気がして藤本は何気ない口調で
尋ねる事にした。
- 16 名前:01−すれ違うココロ。 投稿日:2003年07月15日(火)22時31分26秒
- 「ごっちん、今までそんなのつけてたっけ?」
「……いや、最近だよ。ミュージカルまでに体力つけとこうと思ってね」
「へぇー。仕事熱心だね」
「そりゃ、ソロになって初めての大きな仕事だしね。
まぁ、ドラマもあったけど……」
言葉を濁すようにして答えながら後藤は松浦が消えた方向を気にして見ている。
つられて藤本も振り返ってみると棚より背が低い所為か、松浦の姿は全く見えなかった。
もしかしてこちらから行かない限り、姿を見せずにいるつもりだろうか。
子供っぽい所がある松浦ならやりかねない、と藤本は思った。
「これ以上、まっつーを放置してたら後が怖そうじゃない?」
「……そうだね。ご機嫌取りが大変そうだなぁ」
いつになったら藤本が自分を見つけてくれるのだろう、と思いながら気が変わり
お菓子と睨めっこしている松浦が容易に想像出来て藤本が吹き出していると
後藤は不思議そうな顔をしていた。
笑いを堪えながら藤本は話題を変えた。
「それよりさー、今度一緒に御飯食べに行かない?」
「へ?何でまた、急に」
「別に理由とかはないけど何となく。ダメ?」
「ふーん。よく判らないけど後藤でよければ」
- 17 名前:01−すれ違うココロ。 投稿日:2003年07月15日(火)22時32分50秒
- 後藤はそれだけ言って外へ出て行ってしまった。
本当にただの時間潰しの為に此処へ来ていたようだ。
メンバーと話したいと思っているのなら楽屋にいればいいのに
どうして此処へ来ていたのだろう。
あえて距離を作っていたのかもしれない、とふと藤本は思った。
そういえば気にしていなかったが、今にして思えばここ数日の後藤は急に
姿を消す事が多かったような気がする。
自ら娘。との距離を離そうとしているのだろう。
ソロになった現在と娘。として活動していた今とではメンバーとの関係が
微妙に違うのだ、と自分自身に言い聞かせているのかもしれない。
ガラス越しに小さくなっていく背中を見つめながら自分と後藤は逆の立場に
いるのだという事に藤本は今更ながら気付いた。
娘。として活動しながらソロとしても頑張っていた後藤。
逆に藤本はソロが先で今度から両方の仕事をして行く。
そう思うと後藤は自分の相談相手にはピッタリのような気がした。
彼女なら自分の気持ちを判ってくれるはずだ。
食事に誘ってみて良かった、と藤本はこっそり思った。
- 18 名前:01−すれ違うココロ。 投稿日:2003年07月15日(火)22時34分28秒
- 「美貴たん……」
いつの間にか藤本の後ろにいた松浦の声で我に返った。
不機嫌そうな顔をしているのかと思いきや、少し沈んだ顔をしている。
藤本は珍しいと思った。
「どうしたの?好きなお菓子がなかったとか?」
「……美貴たんって最近ごっちんと仲いいよね」
「そうかな?別に普通じゃない?」
「普通じゃないよー」
松浦は上目使いで藤本を軽く睨んだ。
いつもなら可愛いと思うのだろうが何故だか今日はそういう気分にはならなかった。
藤本は松浦から視線を逸らして口を開いた。
「もう戻るね」
藤本は逃げるようにしてコンビニを出た。
好かれるのは嬉しい事だが過度の愛情などいらない。
自分の気持ちだけは絶対に彼女に渡すものか。
これは欲しいもの――地位や人気など――を全て手に入れてきた松浦に対する
藤本なりの精一杯の抵抗だった。
この世にはどうやっても手に入らないものがあるのだと判らせてやる。
藤本はそう思っていた。
- 19 名前:葵 投稿日:2003年07月16日(水)19時02分15秒
- いいですね〜…。続き楽しみにしてます。
- 20 名前:01−すれ違うココロ。 投稿日:2003年07月16日(水)22時28分00秒
- その後、藤本は松浦よりも後藤と会う回数の方が増えていた。
電話やメールのやり取りも以前とは比べ物にならないくらいで主に藤本の方から
連絡する事が多かった。
今日もハロプロのライブで一緒だった。
普段はソロである後藤と仕事が重なる事など皆無に等しいし、このライブは
色んなメンバーと会う事が出来るので藤本は嬉しかった。
比較的大きな会場で歌う事が出来るというのも楽しい。
控え室でカントリー娘。の里田と談笑をしてから廊下に出るとケータリングの前に
一人ポツンと立ち、忙しなく料理へと手を伸ばしている後藤の姿が見えた。
藤本は口をモゴモゴと動かしている後藤に近づき、話し掛けた。
「また食べてるの?太っちゃうよ?」
「うわー。それは言わないで。気にしてるんだから」
「なら、食べるのやめなよ」
二人で笑いながら話しているといつの間にか背後に松浦が立っていた。
それまで気配を全く感じてなかったので藤本はギョッとした。
- 21 名前:01−すれ違うココロ。 投稿日:2003年07月16日(水)22時30分58秒
- また機嫌が悪くなるのかな、という藤本の予想とは正反対で松浦の顔を見てみると
沈んだ表情をしている。
松浦のこういう表情は珍しく、藤本は虚をつかれた。
ただ、全体を見てみると肩をいからせて何かに耐えているように見える。
不機嫌になり過ぎて暗くなってるのだろうか。
それともトイレを我慢しているのかな、と間の抜けた事を考えながら藤本は
ポリポリと鼻を掻いていた。
こうして後藤と仲良くしている事で松浦の機嫌が悪くなる事など判り切っているのに
気付かない振りをしている藤本が一番たちが悪いのだろう。
しかし自分が悪いと気付いていながらも藤本は松浦に対して全く気を遣う気がなかった。
むしろ、今は後藤に興味が湧いていた。
一度は栄光を掴んだものの、今では不安を抱えている後藤に自分の悩み――新メンバーとして
上手くやっていけるかどうか――という相談をしたら望んでいた回答をスラスラと返してくれる。
ソロとしての先輩である松浦よりも、娘。のメンバーだった後藤の方が今の藤本にとっては
良い相談相手でその存在が有り難かった。
- 22 名前:01−すれ違うココロ。 投稿日:2003年07月16日(水)22時32分15秒
- しかし藤本の心の内など全く気付いていない後藤は松浦の顔色を窺っていた。
普段から無表情が多い為に他人から勘違いされやすい後藤だが彼女なりに
いつも周りに気を遣っている。
ただ、松浦相手だと性格的に少しやり難いところもあるようだ。
「まっつーも何か食べる?」
「……太っちゃうからいらない」
少し体重が増えた事を気にしている後藤に対して今の松浦の言葉は嫌味に
聞こえたのではないだろうか、と藤本はコッソリ心配していた。
冗談めかして言えば気にならないのだろうが松浦の場合は素で言っていたのだ。
牽制する気など全くないのだろうが聞いてる方がたまにハラハラする時がある。
天然で辛辣な事を口にしてしまう藤本も人の事は言えないのだが今は後藤の顔色を
窺っていた。
しかし後藤は「ふーん」と表情を変えずに手にしていた苺を口に入れている。
- 23 名前:01−すれ違うココロ。 投稿日:2003年07月16日(水)22時34分25秒
- 「美味しいのにー」
「あぁ、でも……やっぱり食べようかな」
松浦は憂鬱そうにケータリングに手を伸ばした。
気が進まないのなら無理をして食べる必要などないのに一体どうしたのだろう、と
藤本が思っていると後藤も同じ事を思ったのか、松浦を見て首を捻っていた。
「次、後藤がリハの番だから行くね」
「あ、うん。頑張って」
背を向けたまま手を振ってステージに向かって歩いて行く後藤をぼんやりと
眺めていると藤本は追いかけてリハーサルの様子を見学したい衝動に駆られた。
ステージ上の後藤は格好いいと思う。
歌っている時の表情やダンスなど、色んな面で見とれてしまう。
藤本にとって松浦もそういう意味では一緒だった。
経験の差なのかもしれないが二人を見ているとパフォーマンスなど自分に
足りないものを見せつけられているような気がして激しく焦りを感じてしまう。
更には自分は足りないものが多過ぎるから娘。に入る事になってしまったのだ、と
余計な事まで考えてしまうのだ。
藤本はギュッと硬く拳を握った。
- 24 名前:01−すれ違うココロ。 投稿日:2003年07月16日(水)22時36分20秒
- 今までの藤本はかなり目立つ仕事をさせてもらってきた。
しかし上の人が望んでいた結果が出せているかと訊かれたら即答が出来ない
状態だった。
今はダメでも次こそは、と自信満々で答えたいところだがそれはもう無理だ。
現実を受け入れなくてはならない。
ネガティブになったところで現状は変えられないのだから考えても無駄だと
藤本自身も判っている。
それにソロでの活動も続くはずなのだろうから二人から盗めるものは盗んでやる、と
いうくらいの意気込みでいないと他のメンバーにすら負かされてしまうだろう。
そこらへんの話は後藤から詳しくレクチャーされていた。
娘。は大人数なのだから気を抜いたらあっという間に影が薄くなってしまうのだと。
面倒くさい話だ。
どうしてこんな目に遭わなければならないのだろう、と藤本は唇を噛んだ。
「……美貴たん」
いつまでも立ち尽くしたまま、動こうとしない藤本を見て松浦が不安げな声を出した。
最近、あからさまとまではいかないが素っ気ない態度を取っている藤本に対して
松浦が不満を持たないわけがない。
案の定、松浦はギュッと藤本の身体にしがみついてきた。
「どうしたの?」
「…………」
- 25 名前:01−すれ違うココロ。 投稿日:2003年07月16日(水)22時39分02秒
- 藤本の肩に顔を埋めているので松浦がどういう顔をしているのかが判らない。
長い間その状態で動かないので松浦の肩を取り、顔を覗き込んで表情を確認して
みると涙目になっていたので藤本はとても驚いた。
条件反射的に周りを見渡す。
リハーサルが終わったメンバーは殆ど控え室に戻っているので廊下を行き来して
いるのはスタッフばかりだ。
それでも誰にも気付かれない方がいいだろうと思い、藤本は俯いている松浦の肩を
抱いて控え室からかなり離れた階段の踊り場へ向かった。
歩いている間も松浦は身体を強張らせた状態で黙り込んでいた。
階段の踊り場は人気がないので事情を訊くには丁度よさそうだった。
今にも涙を零しそうになっている松浦を見て藤本は思わず視線を逸らしてしまった。
いつもと様子が違うので対応に困ってしまう。
藤本は気まずそうに顔をしかめてガリガリと頭を掻いた。
何処からか風が吹いており、ひんやりとした空気を感じる。
そして気まずい沈黙が場の温度を更に下げているような気がした。
階段の照明も少し暗く、陰気な空気に包まれているような錯覚に陥る。
- 26 名前:01−すれ違うココロ。 投稿日:2003年07月16日(水)22時39分55秒
- 「……ねぇ、マジでどうしたの?」
「…………」
「黙ってちゃ判らないよ。今日の亜弥ちゃん、ちょっと変だよ」
「…………」
藤本が話し掛けても松浦は踊り場の壁にもたれたまま、身動き一つしなかった。
壁にべったりと両手を押し付けているような体勢を取っている。
まるで自ら壁に張り付いているように見えて藤本には少し奇妙に思えた。
先程よりも更に俯いているので表情は読めない。
しかし松浦はついにポロポロと涙を地面に落とし始めた。
勝気で悔し涙すら見せない松浦が何も言わずに泣いている。
呆気に取られて藤本の口からは何も言葉が出ない。
瞬きを繰り返す事しか出来ず、ただその場に立ち尽くしていた。
そしてしばらくしてその気まずい沈黙を破ったのは松浦の方だった。
「私……辞める事になるかもしれない……」
「……え?」
- 27 名前:01−すれ違うココロ。 投稿日:2003年07月16日(水)22時41分04秒
- >> 葵さん
有難うございます。
- 28 名前:01−すれ違うココロ。 投稿日:2003年07月17日(木)23時28分04秒
- 松浦が口にした言葉は確かに藤本の耳に入って来たはずなのに頭の中で上手く処理
出来なかったのか、意味が判らないまま、右から左へとすんなり外へ出て行ってしまった。
藤本は身動き出来ずに目をパチクリとさせていた。
「……辞めるって何を?」
藤本は松浦が口にした言葉をそのまま繰り返していた。
自分で口にしてみてもやはり意味が判らない。
松浦は先程と同じ体勢で腹話術の人形のように口だけ動かした。
「…………芸能界を」
「……はぁ?」
藤本は条件反射で大げさに驚いてしまった。
松浦が発した言葉を繋げると―芸能界を辞める―となる。
それくらいは上手く働いていない藤本の頭でも判る。
しかし余りにも唐突過ぎて、しかも理由が全く思い当たらないので口をポカンと
開けていた。
「えーと……、美貴を驚かそうと思ってそんな事を言ってるの?
だとしたら、相当たちの悪い冗談だよ」
「…………」
「大体さー、亜弥ちゃんが辞めるわけないじゃん。
こんだけ人気がある状態でそんなの有り得ないしさ」
「…………」
- 29 名前:01−すれ違うココロ。 投稿日:2003年07月17日(木)23時28分53秒
- 藤本が笑い飛ばしていると松浦はクスッと鼻で笑い、俯き加減だった顔を上げた。
そこにはもう涙はなかった。
あどけない笑み。
しかしそれはテレビ用に松浦が練習していたものと一緒で完璧な作り笑顔だった。
藤本に向かってそんな顔で笑った事など一度もなかったはずだ。
いつも自分にだけは素で笑いかけてくれていたのに今は他の人に見せる笑みが
目の前にある。
その事に藤本は動揺していた。
いつでも特別扱いだったのに初めてその他大勢と同じ扱いをされたのだ。
戸惑わないわけがない。
もしかして今の話は冗談じゃなかったのだろうか、と今頃藤本は顔を青くしていた。
芸能界を辞めると言い出した松浦に対して自分は深く考える事なく、笑い飛ばした。
しかしよく考えてみたら今まで松浦の口からそんな言葉など出た事がない。
冗談かどうかは別としても、それなりに何か悩みでも持っているのかもしれない。
今まで自分が気付かなかっただけではないだろうか、と藤本はゴクリと喉を鳴らした。
「もしかして……本気なの?」
「…………」
- 30 名前:01−すれ違うココロ。 投稿日:2003年07月17日(木)23時31分17秒
- 藤本が問い掛けても松浦は黙り込んでいる。
仮面をつけたかのような松浦の偽物の笑顔を眺めつつ、藤本は急に不安になって来た。
今まで松浦にだけは自分の気持ちはあげないと心に誓ってきたが、それは別に嫌いに
なったわけではなく、普通の友人としての付き合いは変わらず続けて行くつもりだったのだ。
少し前に出来た気まずい沈黙とはまた違ったものがその場を包み込んでいた。
松浦は何も気付いていないかもしれない。
藤本だけが気まずいのだ。
どうすればいいのだろう。
笑い飛ばさずに最初から真剣に話を訊くべきだったのではないだろうか。
自分のいい加減な対応が松浦を傷つけてしまったのではないだろうか。
後悔が後から後から湧いてくる。
藤本が俯いて苦悩していると、いつもののんびりした口調で松浦は口を開いた。
「……ちょっとは演技が上手くなったかな?」
「え?」
「だって皆バカにするでしょ〜。私の演技は変だって。
今度ミュージカルもあるし、頑張って勉強してるんだよ」
「…………」
「それに最近、美貴たんってば、ごっちんにばっかり構ってるから
妬けちゃったんだよねぇ」
- 31 名前:01−すれ違うココロ。 投稿日:2003年07月17日(木)23時32分34秒
- 急に態度を変えてケタケタと笑っている松浦を見ていたら自然と藤本の顔は
強張って来た。
人を騙してそんなに楽しいのだろうか。
一瞬でも騙されかけた自分が馬鹿みたいだ。
わなわなと藤本は怒りで身体を震わせていた。
藤本の表情が変わっている事に松浦は気付いたらしく、笑いを止めて今度は
狼狽していた。
コロコロと表情が変わる。
「……美貴たん?」
「見損なった」
「……お、怒らないでよ」
「ちょっとでも心配して損した……。もう亜弥ちゃんなんて知らないよっ!」
藤本は吐き捨てるように呟き、松浦に背を向けて乱暴な足取りで歩き出した。
静かな廊下に藤本の足音だけが響き渡る。
背後から松浦が泣きそうな声で呼びかけてきたが、それでも藤本は振り向かなかった。
しばらくは無視しようと決め込んでいた。
痛い目に遭えばいいのだ。
- 32 名前:01−すれ違うココロ。 投稿日:2003年07月17日(木)23時34分32秒
- 控え室に戻るとそれまで仲間と談笑していた里田が藤本に声をかけようと
してきたのだが直ぐに口をつぐみ、何事もなかったかのように元の輪に戻った。
藤本の表情を見て下手に話し掛けると八つ当たりされると察したらしい。
部屋の隅の壁と向き合って藤本は頭を抱えるようにして座り込み、頭を冷やそうと試みた。
これからライブがあるのだから不機嫌な顔のまま出るわけにもいかない。
瞼を閉じて何も考えないようにしてみても先ほどの松浦の顔がちらつく。
口にしていい冗談とそうでない冗談がある。
松浦が口にした言葉は明らかに後者だ。
恵まれている環境にいる人間が言うべき言葉ではないと思えた。
藤本には嫌味にしか聞こえない。
だから気付かなかったのだ。
松浦が抱えている事情など何も――。
- 33 名前:葵 投稿日:2003年07月18日(金)17時19分39秒
- ううむ…微妙な掛け合いですな…。
- 34 名前:02−風穴の理由。 投稿日:2003年07月19日(土)20時02分51秒
- 大切な何かを失うと心の中にポッカリと穴が開いたような感覚に陥る。
そして時が経つとその穴が塞がる人もいるのだろう。
時間がお薬とはよく言ったものだと思う。
――しかしそうではない人間もいるのだ。
- 35 名前:02−風穴の理由。 投稿日:2003年07月19日(土)20時03分57秒
- * * *
- 36 名前:02−風穴の理由。 投稿日:2003年07月19日(土)20時08分51秒
- ベッドの上でミュージカルの台本をパラパラと捲っていた後藤はため息をついて枕に
顔を埋めた。
錘でも乗っているのではないだろうかと思うくらい重く感じる瞼が勝手に下りてくる。
毎日寝る前に台本を読んで台詞を覚えようと試みるのだが途中で力尽きる事の方が多い。
スタンドを消して代わりに部屋の電気をつけると光の強さに少しだけ目が眩んだ。
ベッドの上に寝転んでいた身体を起こし、重く感じる瞼をゴシゴシと乱暴に擦ってみても
眠気は全く覚めなかった。
ミュージカルの初日が数日後にまで迫っているので今日は途中で寝るわけにはいかない。
未だに台詞が頭に入っていない所があるので早く完璧にしなければならないのだ。
付箋だらけの台本を手に取って真剣に読もうとした瞬間、手元にあった携帯がメールの
着信を知らせた。
見てみると藤本からだった。
夜中だというのに容赦がないな、と後藤は思わず苦笑いしてしまう。
メールを見てみるとわざわざ夜中に送ってくるほどのものではなく、世間話程度の
内容だった。
- 37 名前:02−風穴の理由。 投稿日:2003年07月19日(土)20時10分29秒
- 最近藤本が後藤に構ってくる回数が極端に増えていた。
後藤としても藤本の事が嫌いというわけではないので別に構わないのだが別の意味で
気がかりだった。
自分に構っている分、それまでずっと仲が良かった松浦との時間が減っているのでは
ないだろうか、と余計な心配をしてしまうのだ。
現に面と向かって松浦にボヤかれた事がある。
その時後藤は笑って誤魔化したが松浦は嫉妬深そうなので目をつけられるとやっかいだと
思っていた。
松浦が藤本の事を好きだという事は誰でも知っている。
もちろん後藤も知っていたし、きっと藤本自身も気づいているだろう、と思っていた。
それなのに藤本が気付いていない振りをしているという事は気持ちに応えられないから
なのだろうか。
やはり同性同士というものに戸惑いを感じているのかもしれない。
そんな事を考え、後藤は自嘲気味な笑みを浮かべながら携帯の短縮番号を押して
電話をかけた。
しかし直ぐに留守番電話サービスに繋がってしまった。
夜中だから既に床に就いているのだろう、と思いつつも面白くない。
代わりに違う番号を選ぶと直ぐに繋がった。
- 38 名前:02−風穴の理由。 投稿日:2003年07月19日(土)20時11分34秒
- 「どうしたの?こんな時間に……」
「へへへ……圭織のことだからまだ起きてると思った」
後藤がクスクスと笑いながら言うと飯田も同じように笑っていた。
受話器の向こうでは異国の言葉が流れている。
最近飯田はフランス語の勉強をしているらしいので今もその状態だったのだろう。
「勉強の方はどう?」
「うーん。難しいよ。発音とかが特にね」
「折角のソロアルバムなのに大変な仕事になっちゃったね」
「まーね。でも、歌う事は好きだからどんな形でも有り難いと思わなくちゃ」
飯田は春に念願のソロアルバムを出す予定になっている。
しかし素直には喜べないというのが現状だろう。
後藤は自分なら戸惑うと思った。
それなのに飯田は有り難いと言うのだ。
普段から歌が大好きだと言い続けていた彼女だからこそ、そう思えるのだろう。
全く判らないフランス語などの勉強に睡眠時間を削っているくらいなのだから。
後藤は傍にあった台本を眺めながら飯田に比べたら自分はまだまだ甘いのだろうな、と
頭が下がる思いでいた。
自分なら企画説明をされた段階で匙を投げるはずだ、と思ったからだ。
- 39 名前:02−風穴の理由。 投稿日:2003年07月19日(土)20時12分30秒
- 「でも本当にこんな時間にどうしたの?」
「んー。ミュージカルの台詞を覚えないといけないからさ」
「で、寝そうになったから眠気覚ましにかけてきたってわけ?」
「そうとも言う」
後藤が間髪いれずに答えるとそれでも飯田は「全くもう」と笑っていた。
しかし本当の理由が判っていたらしく、直ぐに飯田は口を開いた。
「どうせ、紗耶香に繋がらなかったんでしょ?」
「……どうして判るの?」
「何となく」
「うーん。圭織には敵わないな」
「何年付き合ってると思ってんのよ」
ケラケラと笑いながら飯田は近くで流れていたフランス語のテープを止めた。
途端に静寂に包まれる。
夜中に一人きりで静かな部屋にいる飯田を想像して人事なのに後藤は少し淋しくなった。
後藤は一人暮らしをした事がないので余計にそう思えるのかもしれない。
しかしそう思わずにはいられなかった。
飼っていた犬も年末の仕事が忙しいので実家に預けて以来、戻って来ないと飯田が言っていたのを
思い出したからだ。
本当の意味で部屋に一人ぼっちでいる飯田。
- 40 名前:02−風穴の理由。 投稿日:2003年07月19日(土)20時14分31秒
- 「最近どう?紗耶香とは会えてるの?」
「いや、こっちが忙しいから……」
「そっか。折角、上手く行ったのにね」
「ほーんと、タイミング悪いよねぇ」
苦笑いしている飯田の声を聞きながら後藤は近くにあるブラインドをスルスルと上げた。
窓の外を見上げると雲が出ていないらしく、月がハッキリ見えた。
後藤と市井が最近になって付き合い始めたという事実を知っているのは飯田だけだ。
娘。を卒業してしまった市井との付き合いが続いているのが飯田だけ、という理由もある
のだが飯田と後藤は娘。のメンバーとして一緒に活動していた頃から実は仲が良かった。
テレビ上ではあまり絡む事がなく、吉澤や石川達と遊びに行く回数が多かったので
誰にも判らないはずだ。
出逢った頃からしばらくは仲間としての付き合いしかなかったのだが、ある事情が
キッカケでより一層付き合いの深さが増したのだった。
市井にすら話していない秘密を後藤は飯田に話していた。
これはただ、偶然知られたからという理由があるからなのだが。
「そういやさー、最近調子はどう?」
「調子って?」
「アレだよ、アレ」
- 41 名前:02−風穴の理由。 投稿日:2003年07月19日(土)20時16分19秒
- 傍に誰もいないはずなのに飯田は小声で呟いている。
それだけこの会話は誰にも聞かれてはならない内容だった。
「んーと、多分大丈夫。明日、新しいリストバンド買いに行こうと思ってるんだよね。
ちょっと重く感じてきたから軽いやつに替えようと思って」
「へぇ……そっか。良かったじゃん。もしかしたら治るのかもよ?」
「だと、いいんだけどね……。
だってさー、リストバンド付け始めてもう半年以上経つんだもん」
「うわー。もうそんなになるんだっけ?」
月日が経つのは早い、と言わんばかりに飯田は驚いている。
後藤も自分で口にしてみてそんなに経つのか、とぼんやり思っていた。
後藤は毎日リストバンドを付けていた。
肌の露出を避ける事が出来ない仕事――ライブ、ドラマや雑誌撮影など――の時は靴の中に
コッソリ隠し入れていたり、見えない場所に付けていたりしている。
今の後藤にとってリストバンドは必要不可欠なもので眠る時にまでつけているのだ。
最初は慣れないものだったが今ではこれが当たり前のようになっていた。
ちなみに足用やウエスト用など色んな種類を揃えている。
- 42 名前:02−風穴の理由。 投稿日:2003年07月19日(土)20時17分37秒
- 「明日かぁ……。圭織も一緒に行こうか?」
「え?」
「前みたいに二人で買えば周りに怪しまれないんじゃないかな、と思って。
売れ線のものじゃないだろうし、普通は女の子が買うものでもないでしょ」
「あー、それは確かに」
身体を鍛えている男性なら不思議に思われないだろうが芸能人の、しかも女性が好き好んで
買うものではないだろう。
飾り程度のものなら有り得る話だが後藤が必要としているものは錘付きのものなのだ。
「どうせ、台本覚えるのも進まないだろうから、それも明日付き合ってあげるよ。仕事ないし」
「本当に!助かる!」
「……調子がいいなぁ」
「お礼としてお菓子作っていくよ!」
「あのね……、そんな時間があったら台詞覚えなよ」
- 43 名前:02−風穴の理由。 投稿日:2003年07月19日(土)20時18分34秒
- 飯田の呆れた声を聞いて後藤はへらっと笑った。
そして後藤達は「おやすみ」と電話を切った。
ベッドに仰向けで寝転がると窓の外にある月がよく見えた。
後藤は天井に向かって手を伸ばし、手首に巻いてあるリストバンドを眺めながら
飯田に心配をかけるのもこれで最後かもしれない、とふと思った。
それほど後藤は飯田に迷惑をかけて来たのだ。
後藤はブラインドを下ろし、部屋の電気を落とした。
布団を頭から被り、キツク瞼を閉じる。
飯田の言う通り、今日は台詞覚えなど出来そうになかった。
そういう心境にはなれなかった。
- 44 名前:02−風穴の理由。 投稿日:2003年07月19日(土)20時22分21秒
- 「おはようー」
「あ、ちょっと痩せたんじゃない?」
「そう?毎日お酢飲んでるからかな。だとしたらラッキー」
二人が待ち合わせしていた場所は事務所の前だった。
平日なので人通りも少ないと思い、此処を選んだのだ。
飯田は相変わらず雑誌のモデルのような見栄えのする姿だった。
ラフな格好が好む後藤はファー付きのジャケットにジーンズという女性らしさのカケラも
ない姿をしている。
雑誌の撮影などではいつも短パンやミニスカートを着る事が多いので普段着は
いつもこんな感じだった。
そして以前、二人で行ったスポーツ洋品店へ出向いた。
店内はガラガラで客は後藤達くらいしかいなかった。
飯田が言ったように後藤一人で此処に来ていたら目立っていたかもしれない。
二人でも十分目立つのだろうが今のところ、店内に入った事すら気付かれていなかった。
店員が寄って来ないうちに選んでしまおう、という流れになり、後藤はリストバンドが
置いてある棚をぼんやりと眺めた。
殆どがただの飾りみたいな物で重さは全く期待出来ないものばかりだ。
- 45 名前:02−風穴の理由。 投稿日:2003年07月19日(土)20時23分38秒
- 後藤が必要としている物は余り置いていない。
半年ほど前に此処で一式購入した時と陳列されている物は何ら変化がないように見える。
「0.5kgでいいかな。今してるやつは1kgだし、衣装もまだ冬物の服ばっかだから」
「最初はそれでもフワフワするって言ってたのにね」
「うん。あれはシャレにならなかったよ」
「早く決めちゃいな。のんびりしてるわけにはいかないんだからさ」
「そうだね。じゃあ、これにしよっかなー」
後藤が鮮やかな青色のリストバンドを手に取ると丁度店員が二人の存在に気付いたらしく
近寄って来た。
一応、後藤と飯田はサングラスや帽子で顔を隠しているので直ぐに正体がバレるような事は
なかった。
話し掛けられる前に商品を差し出すと店員はニッコリと微笑んだ。
「ご購入ですか?」
「はい」
「では、こちらへどうぞ」
レジのある方向を手で指し、愛想のいい店員はスタスタと歩いて行く。
全く怪しまれていない。
後藤と飯田は顔を見合わせてクスリと笑った。
- 46 名前:02−風穴の理由。 投稿日:2003年07月19日(土)20時25分24秒
- 無事に希望の品を手に入れた後藤達はそのままの足で飯田のマンションに向かった。
一人暮らしをしている飯田のマンションへ後藤が行くのは本当に久し振りで中に入ると
飯田は「あ、しまった」と慌てて奥へ入って行った。
どうしたのだろう、と思いながら後藤が首を傾げつつも続いて中に入ると前に来た時と
物の配置は変わっていなかったがリビングに沢山の本やCDが散乱していた。
部屋の片づけが苦手な後藤とは違って綺麗好きである飯田にしては珍しい事だ。
よく見てみるとフランス語の本が床に転がっている。
「もしかして、昨日あれからずっと練習してたの?」
「あー、うん、まぁ……」
言い難そうに口を歪めて飯田は頷いた。
しかし直ぐに苦笑いを浮かべて「片すからソファに座って待ってて」と本を
まとめながら呟いた。
その背中を眺めながら後藤は頭を掻いていた。
よく考えたら飯田も今は忙しい時期だ。
それなのに相手の予定など考えずに自分の事だけを考えて此処へノコノコと
やって来たのだ。
自分は何て気が利かないのだろう、と後藤は申し訳なく思った。
- 47 名前:02−風穴の理由。 投稿日:2003年07月19日(土)20時26分30秒
- 片付けの手伝いをするわけにもいかないので――他人に触られるのは嫌だろうと思い――
後藤は言われた通り、ソファに腰を埋めた。
窓の外を眺めると真っ青な空しか見えない。
建物が高いので周りに建っている建物などは視界に入らない。
後藤は普段ずっと付けているリストバンドに手を伸ばした。
慣れ親しんだ重み。
そういえば、前に藤本がこれを見て不思議そうな顔をしていたなぁ、と思い出し
後藤はクスリと笑った。
体力作り、という言い訳は後藤ではなく、飯田が思いついたものだった。
リストバンドを外すと身体がふっと軽く感じた。
これも慣れ親しんだ感覚だった。
「あ……、本当にマシになったんだね」
片付けが終わった飯田が後藤の姿に気付いて感心したように呟いている。
後藤の身体はソファから少しだけ浮いていた。
本当にフワフワと。
後藤は両手を広げておどけてみせた。
- 48 名前:02−風穴の理由。 投稿日:2003年07月19日(土)20時27分38秒
- 「前は天井につきそうになるくらい浮いちゃってたからねー」
「初めて見た時は腰を抜かしそうだったよ」
「あたしだってビックリしたさ」
今では笑って話せるようになった後藤だが当時は顔面蒼白ものだった。
前触れもなく突然自分の身体が浮いたのだ。
いや、前触れはあったのかもしれない。
浮く前に身体が軽いな、と感じていたのだから。
しかしその程度の前触れでまさか本当に身体が浮いてしまうだなんて誰が予想出来るだろう。
「今にして思えば懐かしい話だよね」
「そうだね。まだあたしも娘。のメンバーだった頃だし」
飯田と微笑みながら後藤はほんの数ヶ月前の事を思い出していた。
- 49 名前:02−風穴の理由。 投稿日:2003年07月19日(土)20時28分52秒
- >> 葵さん
有難うございます。変な話ですみません。
- 50 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月20日(日)16時44分24秒
- 話が予想外の方向に転がってポカーン。面白いっす。続き期待。
- 51 名前:02−風穴の理由。 投稿日:2003年07月21日(月)01時03分02秒
- 後藤の身体が初めて宙に浮いたのは去年の秋頃で既に卒業発表がされていた頃だった。
約一年かけていつ頃卒業するかという話し合いを上の人達としていたくらいなので
ショックなどないと思い込んでいたのが甘かったのだろう。
今にして思えば信頼している保田の卒業も関係していたのかもしれない。
後藤にとって彼女の卒業は予期せぬ出来事だった。
そしてその時がやって来た。
メイクに時間がかかる後藤がテレビ局の控え室に一人残ってマスカラを手にしていると
急にふっと身体中の体温が下がったような感覚に陥った。
先程まで普通に動いていた指も冷たくなり、力を入れる事すら出来なくなってしまい
手にしていたマスカラが乾いた音を立てて床に落ちた。
最初は何が起きているのか、後藤自身にも理解出来ていなかった。
視界がグラグラとしても眩暈でも起こしてるのではないだろうか、と思っていた
くらいなのだ。
卒業が発表されて以来、どんどん痩せ細っていく身体に自分自身でも気付いていたので
貧血でも起こしたのかと思った。
ただ、目の前にある鏡に映っている自分――ふんわりと浮いている姿――を見て
ようやく状況が掴めたのだった。
- 52 名前:02−風穴の理由。 投稿日:2003年07月21日(月)01時06分06秒
- そしてタイミング良く、忘れ物をした飯田が部屋に戻って来て浮いている後藤の姿を
見てしまった。
本当にあの時の飯田は本当に腰を抜かしそうになっていた。
飯田が自分の姿を見て大きな目を更に大きくして口をポカンと開けていた姿を後藤は
今でも覚えている。
後藤はオロオロとうろたえる事しか出来ず、とりあえず飯田の身体にしがみついた。
それでもまだフワフワとして身体は不安定だった。
「…………ご、ごっちん?」
「い、今、あたし……浮いてるよね?」
「……う、うん」
飯田は後藤にしがみつかれている状態のまま、開きっぱなしになっていた扉を後ろ手で
閉めた。
そしてそのまま後藤を膝に乗せて椅子に座った。
間抜けな格好をしているというのに二人共が真剣に顔を見合わせていた。
「一体、どうしたの?」
「判んない……。突然、ふわっと身体が浮いたんだよ」
「空中浮遊が必要なドラマの仕事が来たわけじゃないよね?」
「何それ……」
「いや、宙を舞う技術をものにしたとか……引田天功みたいに。
ドラマとかで必要だから練習してたのかなーと思って。
そういう事じゃないんだ?」
「…………」
- 53 名前:02−風穴の理由。 投稿日:2003年07月21日(月)01時08分53秒
- 驚きながらも飯田は奇妙な思考を発動させていた。
今度は後藤が呆気に取られる番だった。
「……これから収録だってのに、どうしよ」
「あ、そうか……。座りのトークだけなら机にしがみつくとかで何とかなるかも
しれないけどそれ以外はさすがにヤバイよね」
「マジでシャレになんないって。もう時間だってないし……」
泣きべそをかいて後藤が首にしがみつくと飯田は優しく背中を撫でながら
「落ち着け、落ち着け」と念仏のように何度も繰り返した。
その振動が身体に伝わり、それまでずっと混乱して何も考える事も出来なかった
頭の中が徐々にクリアになってきた。
後藤は瞼を閉じて何度も深呼吸を繰り返す。
その間も飯田はずっと背中を撫でていた。
しばらくすると冷え切っていた身体も体温を取り戻し始めた。
「……なんか、重い」
「え?」
「ごっちん、重いよ」
「…………」
- 54 名前:02−風穴の理由。 投稿日:2003年07月21日(月)01時09分53秒
- 後藤は恐る恐る飯田の首に回していた手を離してみた。
先程までふわふわと浮いていた身体は元に戻っている。
「あれ?なんで?」
「……元に戻ってるみたいだね」
「夢……じゃないよね。さっき本当に浮いてたもんね」
一体、何が原因だったのかが判らない。
とりあえず収録時間が迫っているという事で二人は慌てて現場に入った。
後藤は密かに収録中も急に浮いてしまったらどうしようという不安を抱いていたのだが
時折飯田の顔を見てみると心配そうな顔でこちらを見ていたので安心させる為に軽く
頷いてみせた。
結局、その日は二度と後藤の身体が浮く事はなかった。
- 55 名前:02−風穴の理由。 投稿日:2003年07月21日(月)01時11分31秒
- 「もしかして後藤の精神状態と関係してるんじゃない?」
当時まだ呼び方がごちゃ混ぜになっていた飯田が突然そんな事を言い出したので
後藤は目をパチクリとさせていた。
後藤の身体が浮いた翌日に偶然休みが出来たので飯田の家で原因究明をしようと
いう事になったのだ。
そして開口一番飯田が言い出したのが先程の言葉だった。
「精神状態ってのは?」
「だからー、卒業間近で気弱になってる時期でしょ?
色々精神的に不安定になってるんじゃないの?」
「うーん、それはまぁ……」
後藤は否定する事が出来なかった。
まだ実際には卒業までに日があるので実感など出来ていないと思っていたはずなのに
一人きりになったりすると途端に淋しくなる。
今後はこれが当たり前になるのだと気付いたら感慨深くもあったが同時に深い虚無感に
襲われた。
そして後藤の体重は日に日に減っていったのだ。
「あと、あれだね。紗耶香の事」
「…………市井ちゃん?」
前触れもなく、市井の名前が出てきたので後藤の心臓は激しく跳ねた。
- 56 名前:02−風穴の理由。 投稿日:2003年07月21日(月)01時14分04秒
- 後藤と向かい合う形でソファに座っている飯田は全く視線を合わせずにスケッチブックを
抱えて鉛筆を動かしている。
絵を描いていると落ち着くのだと彼女は言うのだが何もこんな時にまでしなくても
いいのではないか、と思ってしまう。
昔から絵は描いていたが画集を出してからは更にスケッチブックに向かう時間が増えたようだ。
しかし今の後藤の心を支配しているものはそれではない。
「どういう意味?どうして市井ちゃんの名前が出て来るの?」
「何言ってんの。後藤が紗耶香の事をずっと想ってる事くらい誰でも判る事じゃん」
「……そうなの?」
「そうだよ。っていうか、バレてるって事を本人が気付いてなかったのかぁ」
飯田は今頃ツボに嵌ったらしく、大笑いしている。
それを見て後藤は呆気に取られていた。
飯田の言う通り、後藤は市井の事がずっと好きだった。
一緒に活動していた時は右も左も判らない後藤に対して市井は時には姉のように世話をしたり
時には親友のようにふざけて馬鹿みたいな事をして接していた。
- 57 名前:02−風穴の理由。 投稿日:2003年07月21日(月)01時15分51秒
- しかし市井は自分の世界を持っている人間だった。
だから一人で卒業を決めて、それを実行してしまったのだ。
残された後藤はしばらく途方に暮れて引き止めたらよかったと何度も後悔した。
一般の世界に戻ってしまった市井と連絡する回数も徐々に減っていったがそれでも
後藤の心の中にはいつでも彼女がいた。
そして市井は約束通り、この世界に戻って来たが後藤達の距離は離れたままだった。
仕事で一緒になるのは殆ど皆無に近く、昔のようにマメに連絡を取ったりする事も
出来ない状態だったのだ。
「紗耶香も今は必死だからね。ゆっくり活動していきたいとか言ってるくせに」
「そうなの?」
「そりゃそうでしょ。どうしても、娘。にいた頃と比べられるだろうからね。
紗耶香の周りの環境は変わっても見てる人はそうは思ってくれないよ」
「…………」
飯田の言葉は的を射たものだった。
そして数ヵ月後の後藤にも言える言葉だった。
娘。を卒業してソロとして活動していく事に戸惑いや不安がないと言ったら嘘になる。
- 58 名前:02−風穴の理由。 投稿日:2003年07月21日(月)01時17分16秒
- ただこの世界に入った時からの夢でもあるのでやりがいがあるとも言えた。
しかし心構えは万全だと思っていたのに今では心もとないものになっている。
そんな事を思っていたらまたあの感覚がやって来た。
寒気がするわけでもないのに身体中の体温が急激に落ちていき、身体の中身が
カラッポの人形のように感じる。
気が付いた時には既に浮いていた。
二度目だというのに飯田は突然の事に目を白黒とさせていた。
「……ちょ、ちょっと、後藤!」
フワフワと上昇していく後藤の身体は天井スレスレの所まで浮いてしまっていた。
為す術もなく、飯田の部屋中をぼんやり眺め、そういえばこの部屋に入ったのは
これが初めてだ、と呑気な事を考えていた。
綺麗に片付けられた部屋にはソファとテーブル、DVDが収められているラックや
大量のCDケースがあり、窓際には最近買ったというイーゼルまで置いてあった。
窓の近くにある棚には画材が沢山置いてある。
リビングの向こうは寝室らしく、今はドアが閉じられて中は窺い知る事が出来ない。
いつまでも後藤が宙を漂っていると我に返った飯田が両手をバタバタとさせて叫んだ。
- 59 名前:02−風穴の理由。 投稿日:2003年07月21日(月)01時18分26秒
- 「ぼんやりしてないで降りてきなよ!」
「……そんな事言われても、どうやって戻ればいいの?」
「早く手を出して。ほら」
「はーい」
後藤は二度目ともなると宙に浮くという現象に慣れてしまっていた。
原因が判らないという事だけが不安だと思う程度だ。
後藤は飯田の手を借りてソファにしがみついた。
飯田はまた浮いてしまわないようにと後藤の肩に腕を回し「うーん」と唸っている。
「今の話でブルーになったんでしょ?」
「……さぁ、どうだろ?」
「それに今の後藤は紗耶香と会えない日々にイライラを募らせてる。
そんで、自分の未来にも不安を抱いている。これが原因としか思えないんだけど……」
「……そんな理由で人が浮くの?」
「他に理由が思いつかないんだもん。っていうか、ちょっとは自分で考えなよ!」
「はいはい」
後藤がどうでも良さそうに頷くと飯田は顔を歪めた。
それを見て後藤は手を合わせて謝ろうと思ったのだが身体を支える為に両手で
ソファをガッチリと掴んでいるのでそれは出来なかった。
代わりに口だけで謝るとようやく飯田の頬は綻んだ。
本気で気分を損ねていたわけではなかったらしい。
- 60 名前:02−風穴の理由。 投稿日:2003年07月21日(月)01時20分17秒
- よく考えたらこれは自分だけの問題で飯田が悩みに悩む必要などないのだ、と
今更ながらに後藤は気付いた。
しかし飯田は真剣に考え込んでいる。
リーダーだからという理由だけでメンバーの一員である自分の悩みを一緒に考えて
くれているわけではなく、飯田は以前からこういう人間なのだと後藤は認識していた。
ただ、不必要に悩むという悪い癖もある。
「……原因究明は後に置いておくとして、問題はこれからの事だね」
「どういう意味?」
「昨日みたいに仕事中にプカプカ浮いたら拙いでしょ。だからその対処法を考えないと」
人が浮くという摩訶不思議な現象を飯田は難なく受け止め、今後の方針について
考える事にしたようだ。
確かに今日は休みで助かったが明日からまた普通に仕事をこなしていかなければ
ならない身。
今のまま放置しておくわけにもいかないだろう。
何らかの対策を練らなければならない。
「こうなったら、しょうがない。錘をつけるしかないよ」
「おもり!?」
「よく言うじゃん。死体に石とかを括り付けて海に沈めるとバレ難いとかって」
「……嫌な例えしないでよ。それにそんなのよく言わない」
- 61 名前:02−風穴の理由。 投稿日:2003年07月21日(月)01時25分28秒
- 何のドラマを見てそのような知識を得たのかは知らないが飯田は自信満々そうに
している。
そして「任しておいて」と言い、一人で部屋を出て行ってしまった。
一人部屋に残された後藤はどうする事も出来ず、そして手が疲れてきた為に
また空中で漂う事になってしまった。
しばらくして戻って来た飯田が手にしていたのがリストバンドだった。
買いに行ってから気付いたらしいのだが、重さをどのくらいのものにしたらいいのか
困ったらしい。
とりあえず、飯田が買って来たものは3kgだった。
そんなに重いものがある事すら後藤は知らなかった。
話を訊いてみると案の定、飯田は店員に怪訝そうな表情で見られたらしい。
後藤は正直余り気が進まなかったのだが試しにつけてみると浮く事は防げたものの
さすがに重く感じる。
しかしこれしか対処法が思いつかない。
後藤は深々とため息をついた。
「重そうだね」
「……かなり重いよ」
「新しいやつ買いに行こうか」
「これの半分くらいで十分だと思うよ」
そして結局また二人で買いに行く事になったのだ。
- 62 名前:02−風穴の理由。 投稿日:2003年07月21日(月)01時29分20秒
- >> 50さん
有難うございます。リアルというよりファンタジーかもですね。
- 63 名前:02−風穴の理由。 投稿日:2003年07月22日(火)01時47分10秒
- 「あの時は馬鹿みたいな事してたね」
飯田も当時の事を思い出していたらしく、大口を開けて笑っている。
当時の二人としては笑い事ではなかったのだが。
「でも結局あの時のリストバンドも活躍したしね。結果オーライじゃないの?」
「もっと酷くなるとは思ってなかったもんね」
あの後、後藤の身体は更に軽くなってしまった。
だから飯田が最初に買って来た3kgもあるリストバンドを利用していた時期も
あったのだ。
それにしても一人分の身体が浮く状態だというのに数kg錘を足した程度でその現象が
収まるというのもおかしい話だ。
しかしそれで収まってしまうのだから納得するしかなかった。
数十kgの錘を日々抱えて歩いて回るという最悪の状況を免れただけでも幸運だったと
思うべきなのかもしれない。
そんな状態ではこの世界ではやっていけないだろう。
仕事もままならない。
後藤は当時の事を思い出して苦笑いを浮かべた。
- 64 名前:02−風穴の理由。 投稿日:2003年07月22日(火)01時49分42秒
- 「結局のところ圭織が思ってた通り、ごっちんの精神的なものが関係してたんだと思うよ」
「そうかもしんないねー。だからといってこの現象がどうして起きてるのかは謎だけど」
「これは永遠の謎だよ。考えたって無駄無駄」
飯田は深く考える事が面倒だ、と言わんばかりに顔をしかめて首を振った。
何にせよ、症状が軽くなってきているのだからこれ以上悩む必要などないのかもしれない。
後藤はそう思う事にした。
「あ、そうだ。台本見せてよ。
今日は台詞覚えるっていうのも此処に来た目的でもあったでしょ」
「そんな事も言ってたねぇー」
「人事みたいに言ってる場合じゃないっしょ。
言うの忘れてたけど圭織達もミュージカル見に行くんだから完璧にしといてよ」
「え?見に来るの?」
「うん。矢口とかすっごく楽しみにしてたよ」
「うわー。プレッシャーだなぁ」
参ったなぁ、と頭を掻きながら後藤は鞄からボロボロになった台本を取り出した。
ある程度は台詞が頭に入っているものの、いつだって自信がない。
- 65 名前:02−風穴の理由。 投稿日:2003年07月22日(火)01時51分56秒
- ドラマの時もそうだった。
初日を迎えるまではこのプレッシャーをずっと抱える事になる。
それでも今までの経験から始まってしまえば本番に強い人間である自分なら何とか
なるはずだ、と後藤は高を括っていた。
飯田は台本を手に取り、パラパラと捲っている。
その顔は真剣そのものだった。
このミュージカルはテンポが命なので台本だけ読んでも面白さが伝わらないと思い
後藤は飯田に尋ねる事にした。
「先に台本読んじゃったら本番見る時に面白さ半減するんじゃない?」
「別にいいよ。圭織はごっちんがどう演じてるかを見に行くんだから」
「……だからプレッシャーかけないでってば」
「文句言う暇があったら早く始めなさい」
年上をきどり、飯田はきりりと頬を引き締める。
それを見て後藤は苦笑いを浮かべて息を軽く吸い込んだ。
- 66 名前:02−風穴の理由。 投稿日:2003年07月22日(火)01時54分16秒
- 数時間が経ち、一通り練習が終わると後藤は疲れ果てていた。
後藤以外の役を飯田が全て読むという形で練習をしていたのでソファの上で二人は
背中合わせで座り、あえて顔を見ずにやっていたのだ。
喋り過ぎた所為でお互いの飲み物が入っているコップは空になっていた。
後藤は目を閉じて自信がない台詞を頭の中で何度も何度も復唱する。
まだ完璧ではない個所もあるが何とかなるだろう。
「これなら何とかいけそうだよ」
「……家族愛っていうのは、やっぱりいいね」
「メンバー愛も一緒だよ。あたしはもう無理だけど」
「何言ってんの。前にも言ったでしょ。いつでも帰って来いって」
以前、卒業するという後藤にテレビ上で飯田がメッセージをくれた時にそういう
励ましをしていた。
その頃、卒業すると一人きりになってしまうとばかり思っていた後藤にそれは
間違いだと気付かせてくれた言葉だった。
- 67 名前:02−風穴の理由。 投稿日:2003年07月22日(火)01時55分25秒
- メンバーと離れても自分の過去は消え失せない。
そして沢山の人達と三年間一緒に過ごした時間は今の自分を支えてくれる。
卒業していった人間を一番多く見送った飯田らしい言葉だと今なら思えるのだ。
後藤はソファに投げ出されていた飯田の手を軽く握った。
久し振りに握った飯田の手は暖かかった。
彼女の手はいつも暖かい。
「今日はアリガトね」
「…………」
「圭織?」
「…………」
首だけを動かして確認してみると先程まで起きていたはずの飯田は船を漕いでいた。
フランス語の勉強の為に殆ど寝ずの状態が続いていたのかもしれない。
睡眠不足だというのに後藤の手伝いをしていたのだ。
頭が下がる思いだった。
しかし体勢を崩すと起こしてしまう恐れがある。
折角眠りについたというのに直ぐに起こしてしまうのは気が引けた。
それにこのような一時を過ごすのも今日が最後だと思い、後藤はずっとそのままの
体勢で飯田の温もりを肌で感じる事にした。
- 68 名前:02−風穴の理由。 投稿日:2003年07月22日(火)01時57分15秒
- 「……今まで有難う」
瞳を閉じて、後藤はふと思った。
ここでの思い出は自分にとって、かけがえのないものだった、と。
そしてもう二度と来る事などないのかもしれない、とも思った。
胸がしくしくと痛む。
今日までずっと飯田は自分の時間を犠牲にしてまで後藤に協力してくれていた。
初めて楽屋で自分の身体に異変が起きた時に見られたのが飯田で良かった、と
後藤は思っている。
仮に他のメンバーが飯田の立場になっていたら一緒に悩んでくれたかどうかも怪しい。
きっと騒ぐだけ騒いでそれで終わりだっただろう。
今ももちろん解決はしていないのだが何にせよ、相手によっては相談するにも
気が引ける。
自分一人だと何も出来ず、今以上に不安を抱いていただろう。
それにいつまで経っても市井に告白出来ない後藤の背中を押したのが飯田だった。
しかし後藤は何も返していない。
それどころか自分だけが幸せになろうとしているのだ。
市井の話題が出ても世間話のように話してくれる事に自分が申し訳なさと共に
戸惑いを感じている事に気付いていただろうか、と思いながら後藤は瞼を閉じて
飯田に身体を預けた。
- 69 名前:02−風穴の理由。 投稿日:2003年07月22日(火)01時58分28秒
- 「……って」
背中に痛みを感じて後藤は顔をしかめた。
すっかり治っていると思っていた傷が今頃疼く。
その痛みを感じながら後藤は居たたまれない気分になった。
そして飯田を起こさないように気をつけながら少しだけ身体をズラした。
一度開いた風穴はなかなか元には戻らない。
フワフワと浮いて行く身体と共に名も知らない何かも宙を舞って離れて
行ってしまったという事に後藤はまだ気付いていなかった。
後藤がその事に気付くのは数ヵ月後の事――。
- 70 名前:03−喧嘩のそば杖。 投稿日:2003年07月22日(火)22時52分30秒
- 今まで欲しいものは全て手に入れて来た。
周りの人が羨ましがるくらいに。
――それでも手に入らないものがあるのだと初めて知った。
- 71 名前:03−喧嘩のそば杖。 投稿日:2003年07月22日(火)22時53分12秒
- * * *
- 72 名前:03−喧嘩のそば杖。 投稿日:2003年07月22日(火)22時57分49秒
- 始まる前はどうなる事かと緊張ばかりしていたミュージカルも松浦は無難にこなした。
松浦自身も自分は本番に強い人間なのだと改めて知ったような気がしていた。
来月に新曲発売が予定されており、徐々にプロモーション活動が増えつつあった。
今日はプロモーションビデオの撮影をしている。
一曲分の映像を作る作業は丸一日かかるのだがこれでも他のアーティストに
比べたら短い方だろう。
編集作業を含めるともっと時間はかかるのだが松浦には関係がない。
パイプ椅子に座って松浦が休憩をしているとマネージャーが眉間にしわを寄せて
近づいてきた。
そして松浦の手にあるお菓子を指差す。
「松浦。ちょっとは間食控えなさい」
「え〜。なんでですか?写真集の撮りももう終わったし、問題ないじゃないですか」
「ダメダメ。最近の松浦は身体つきがゴツくなってるからね。ちょっとは気をつけなさい」
「……は〜い」
松浦は返事をしながら渋々手にしていたお菓子を机に戻し、心の中で
自分の体型が変わり始めているのはお菓子所為だけではないのに、とボヤいた。
- 73 名前:03−喧嘩のそば杖。 投稿日:2003年07月22日(火)22時59分40秒
- アイドルは華奢じゃなければならない、という鉄則みたいなものがあると
判っているものの、身体を鍛える事が趣味になりつつある松浦には止められない。
それに食事の量が増えているというのも事実だった。
しかしこれは意識して増やしていた。
松浦は目を閉じて自分の心を落ち着かせようと試みた。
意識を集中させると周りの雑音も遮断する事が出来る。
暗闇の中に存在しているのはただ一人、自分だけだ。
今まで自分一人の力でここまで頑張って来た。
もちろん家族や仲間、スタッフなどの力があったからという事は判っている。
しかし最後はやはり自分だ。
実力も大事だが、やる気がなければいくら周りに持ち上げられようとも意味がない。
何があっても自分は大丈夫。
乗り切ってみせる。
今までだって何とかやって来たのだ。
一人でも大丈夫。
そうやって自分自身に言い聞かせる。
- 74 名前:03−喧嘩のそば杖。 投稿日:2003年07月22日(火)23時00分31秒
- ここ数週間は特にこのイメージトレーニングを松浦は無意識に増やしていた。
いや、しなければならなかった。
自分を呼ぶ声が聞こえて松浦はパチッと瞼を開いた。
他人が見てもその顔から不安など微塵にも察する事は出来ないはずだ。
完璧な笑顔を作る事など松浦にとっては朝飯前だった。
松浦は立ち上がり、元気よく「お願いしま〜す」と挨拶をした。
- 75 名前:03−喧嘩のそば杖。 投稿日:2003年07月22日(火)23時02分35秒
- 仕事が終わり自分の部屋についた頃には陽も暮れて真っ暗だった。
松浦は部屋の電気をつけようとして手を止め、立ち尽くした。
「……こんなに寒い部屋だったっけ」
ポツリと呟いた言葉は空しく宙に漂い、消えた。
冬なのだから室温が低いのは当たり前だ。
しかし松浦が感じた寒さというのは人のぬくもりの方だった。
この部屋にはそれがない。
一人暮らしが淋しいと思うようになったのはいつ頃だっただろう、と松浦は
ぼんやり思った。
東京に出て来た頃は憧れの都会で暮らせる事になった喜びと家族と離れた切なさを
同時に感じたが仕事で忙しい日々を繰り返している間にそんなものには慣れてしまった。
しかし今は淋しく感じるのだ。
その理由は松浦自身気付いていた。
藤本と疎遠になっているからだ。
少し前までなら藤本がよくこの部屋に遊びに来て、一緒にDVDを見たり、一緒に
風呂に入ったりしていた。
それが今では遠い昔の出来事のように思えてしまう。
- 76 名前:03−喧嘩のそば杖。 投稿日:2003年07月22日(火)23時06分24秒
- ミュージカルが始まる前に些細な喧嘩があった。
いや、些細だと思っていたのは松浦だけだったのかもしれない。
あの日以来、藤本と会話したのは数えるほどしかなく、すれ違ってばかりいる。
むしろ避けられてるような気もしていた。
あの時口にした言葉が彼女を傷つけてしまったのかもしれない、と松浦が気付いたのは
最近になってからだった。
しかし松浦としてもあの時はああ言うしかなかった。
あの場を切り抜ける為の手持ちのカードはあの誤魔化ししかなかったのだ。
鞄から二つ折りの携帯を出して開くと暗闇の中でぼんやりとした小さく淋しい光を
放った。
結果など確認しなくても判りきっているはずなのに履歴を見てため息を漏らす。
スクロールを何度か繰り返さなければ表示されないほど藤本の名前はなかなか
出てこない状態だった。
「美貴たん……」
自分でも判るほど弱々しい声が出た。
いつからこれほどまでに自分は藤本に依存するようになってしまったのだろう、と
松浦は思った。
- 77 名前:03−喧嘩のそば杖。 投稿日:2003年07月22日(火)23時07分57秒
- 出逢ってから一年半以上が経ち、周りにいるどの仲間よりも親しくなった。
親しみの感情が恋愛感情に変わったのはいつ頃だったのか、今ではハッキリと
思い出せない。
それほど自分の想いの変化は松浦にとって自然だった。
松浦は手にしていた携帯を傍にあるテーブルに乱暴に置いた。
開いたままだった携帯のディスプレイの照明はしばらくして消えた。
途端にまた暗闇に包まれる。
小さな光がなくなっただけで身の回りの温度が下がったような気がした。
これから松浦はミュージカルの関係で大阪での仕事が増える。
つまり藤本と会う機会が今以上になくなるという事だ。
会えないと思っただけで胸の奥がしくしくと疼く。
しっかりしないとダメだ、と頭を振っていると背後でカチャリと乾いた音が
聞こえた気がした。
そして光と共に息を飲む声が入ってきた。
- 78 名前:03−喧嘩のそば杖。 投稿日:2003年07月22日(火)23時09分24秒
- 「……び、びっくりした。なんで、真っ暗なの?」
振り返ってみると誰かが玄関に立っている姿が見えたが廊下からの逆光で
顔がよく判らない。
しかし松浦はすぐに気付いた。
「……美貴たん」
「ちゃんと鍵かけなくちゃダメじゃん」
鍵が開いていたので扉を開けたのはいいが部屋が真っ暗なので驚いたようだ。
藤本はブツブツと文句を口にしながら勝手に部屋に上がり込み、電気をつけた。
急に明るくなったので目が眩む。
藤本は手に持っていたコンビニの袋をテーブルの上に無造作に置き、松浦と向き合った。
先程から身動き一つせずに固まっている松浦を見て少しだけ首を傾げている。
「どうしたの?いきなり来たのが迷惑だった?」
「……ち、違うよ!」
「本当かなぁ……。顔が喜んでないし」
「だって、来てくれると思わなかったから……」
「…………」
「美貴たん?」
「あ、ゴメン。まぁ、こっちも忙しかったからね。
でもまた会えなくなっちゃうし……と思ってさ」
- 79 名前:03−喧嘩のそば杖。 投稿日:2003年07月22日(火)23時11分32秒
- お互いのスケジュールは把握出来てる。
藤本が忙しい事も松浦は知っていた。
藤本は松浦から視線を逸らしてコンビニの袋を漁り始めた。
「晩御飯まだだと思って色々買ってきた」と能天気そうな声を出している藤本の
背中を眺めながら松浦は何か腑に落ちないものを感じていた。
連絡を寄越さず、藤本が突然この部屋にやって来た事が少し引っかかるのだ。
今まではそんな事はなかった。
来る前に必ず連絡をしてからやって来るというのが今までの藤本だったのだ。
「ねぇ……、美貴たん」
「んー?なーに?」
声をかけても藤本は振り返らない。
見慣れているはずの背中が見知らぬ人のもののように思える。
それでも構わず松浦は後ろから藤本の身体に抱きついた。
前までならただのスキンシップだったものが今では勇気を出さねば出来ない状態に
なっている事に気付き、松浦は少し哀しくなった。
- 80 名前:03−喧嘩のそば杖。 投稿日:2003年07月22日(火)23時13分08秒
- どういう表情をしているのかを確認する事が怖くて松浦は藤本の首元に顔を埋める。
藤本が何を目的として今日会いに来たのかは判らない。
しかし松浦が今知りたい事は別の事だった。
「どうしたの?」
「……最近、避けてない?」
「……誰が誰を?」
「美貴たんが……私を」
ピクリと一瞬だけ藤本の身体が反応したように感じた。
しかし何も言わない。
ピッタリと重なった身体からお互いの心臓の音が伝わる。
緊張している自分の鼓動が早いのは判り切っていた事だが何故か藤本の鼓動も
同じくらい早い。
その事に松浦は驚き、核心をついてしまったのだ、と気付いた。
藤本は自分を避けている。
- 81 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月23日(水)00時01分02秒
- 更新も早いしすごい続きが楽しみです。もしかしてすでに全稿を準備されている
んですか?
- 82 名前:03−喧嘩のそば杖。 投稿日:2003年07月23日(水)22時56分27秒
- 松浦は口の中がカラカラに渇いているのにも拘らず、何度も唾を飲み込もうとしたが
全く意味がなかった。
そして目を瞑り、震えそうになる自分の身体に言い聞かせる。
耐えろ。今はまだ平常心でいなければならない。
聞こえないように注意をしながら軽く一息をついて、松浦は口を開いた
「どうして、今日来たの?」
「……さっきも言ったじゃん。会えなくなるから顔見せておこうと思って」
「それだけじゃないでしょ?」
「…………」
藤本は何も言わずに松浦の手を取った。
そして無言で身体を抱き締めていた松浦の腕をゆっくりと外して行く。
松浦は自分の顔が強張っているのを感じていたが、どうしても普通に戻せずにいた。
くるりと身体の向きを変え、その顔を見た藤本は深いため息を漏らした。
「折角、今日はいつも通りでいこうって思ってたのになぁ……」
「……どういう意味?」
松浦が訝しげな表情を浮かべると藤本は俯き加減で薄く笑った。
手が届く距離にいるはずなのに遠く感じる、そんな笑みだった。
- 83 名前:03−喧嘩のそば杖。 投稿日:2003年07月23日(水)22時58分11秒
- 「今日はお別れを言いに来たの」
「……え?」
「まぁ、お別れっていうのは言い過ぎなんだけどずっと考えてたんだよね。
やっぱり、ちゃんと言うべき事は言った方がいいかなーと思ってさ」
「何言ってるの?美貴たん、わけ判んないよ……」
「だから。もう此処には来ないって事だよ」
「…………」
藤本の表情は全く変わらない。
ずっと薄い笑みを浮かべているだけだ。
仲良くなってから松浦は色んな表情の藤本を見て来たはずなのだが初めて見る笑みだった。
松浦は直視出来なくなり、顔を歪めて視線を逸らした。
藤本が自分から離れて行く理由は一つしか思い当たらない。
あの時の喧嘩だ。
原因はそれしか思い当たらない。
今頃松浦はあの時の自分に後悔していた。
「……前に言った冗談の所為なの?」
「それもあるけど」
「…………他にもあるの?」
- 84 名前:03−喧嘩のそば杖。 投稿日:2003年07月23日(水)22時59分35秒
- 松浦は目を見張った。
気付かない内に藤本の機嫌を損なう事を他にもしていたのだろうか。
しかし心当たりが全くない。
松浦は自分の身体中の体温がすぅっと下がっていくのを感じた。
しばらく二人は黙り込んでいた。
冷蔵庫のブーンという鈍いモーター音だけが部屋中に響いている。
藤本の視線を感じていたが松浦は目を合わす事が出来なかった。
「美貴はさ、ずっと亜弥ちゃんが羨ましかったんだ」
「……何が?」
「だって、亜弥ちゃんは何でも欲しいものを手に入れてきたでしょ?
人気だったり、環境だったり。でもね、美貴にはそれが手に入らない」
「…………」
「はっきり言って妬ましかった。
美貴が欲しいもの全部亜弥ちゃんが先に手に入れてるんだもん。
でもどうやっても奪えない。美貴はそれがずっと悔しかった。
今まで美貴がそんな風に思ってたって事知らなかったでしょ?」
自嘲気味な笑みを浮かべて藤本は松浦の目を覗き込んで来た。
目を逸らす事が出来ずに松浦はただ、ガタガタと震えていた。
- 85 名前:03−喧嘩のそば杖。 投稿日:2003年07月23日(水)23時03分21秒
- 妬ましかった?自分を?
そんな素振りなど藤本は一度も見せた事がなかったはずだ。
いや、自分が気付かなかっただけだ、と松浦は愕然としていた。
松浦の身体はいう事を効かない状態だったが頭の中も混乱していた。
「美貴が今までどんな気持ちだったか知らないでしょ?
テレビやラジオで亜弥ちゃんとこんなに仲がいいんですーって言う度に胃が痛かった。
逆に亜弥ちゃんが同じ事を言う度に吐き気がしてた。
事務所が美貴と亜弥ちゃんを一緒に売り出そうとしてたのは気付いてたけど
これって全部美貴の為じゃん。
だって、亜弥ちゃんは美貴なんかの力なんて借りなくても売れてるんだから」
藤本が言った通り、松浦は何も気付いていなかった。
メディアで二人の仲の良さを話していたのは松浦としては事務所の命令だけではなく
自分がしたいからしていただけだ。
しかし藤本は全く逆だったのだ、という事実を突きつけられ、驚愕していた。
同じ想いを抱いていると信じて疑わなかったのだ。
- 86 名前:03−喧嘩のそば杖。 投稿日:2003年07月23日(水)23時05分18秒
- それに今まで藤本が自分に対してどう思っているか、などという興味は松浦にはなく
いつも傍にいたいという想いしかなかった。
仲良くしているのだから嫌われていないはずだ、と思い込んでいたのだ。
「無神経だよね、亜弥ちゃんって。他人の気持ちに疎過ぎるよ。
っていうか、知ろうとすらしてないでしょ?」
藤本のこの言葉にさすがの松浦もカチンと来た。
頭に血が上る。
叫びだしたい衝動に駆られ、必死でそれを抑えようとしたがそれは無駄な抵抗に
終わった。
「どうしてそこまで言われなくちゃいけないの?!
美貴たんだって今十分無神経な事ばっかり言ってるよ!」
「そうかもしんない。でも言わないと亜弥ちゃんは判ってくれないからだよ」
「……そ、そんなのっ」
「それに美貴は亜弥ちゃんの気持ちには応えられないから」
反論しようとしても松浦の反応などお見通しだと言わんばかりに藤本は遮ってくる。
それほど冷静だった。
- 87 名前:03−喧嘩のそば杖。 投稿日:2003年07月23日(水)23時11分10秒
- 「気持ちって何よ……」
「だって、亜弥ちゃんは美貴の事が好きなんでしょ?
でも美貴は亜弥ちゃんにそういう感情は持ってないの。いい加減に気付いてよ」
「…………」
松浦は眩暈を起こしかけていた。
晩御飯を食べていないのに胃の中の何かが口に上がってきそうなくらい、気持ちが悪い。
顔色を失っている松浦の顔を見ても藤本が心配そうな表情になる事はなかった。
気遣う言葉も口にする気がないらしい。
目の前にいる人間は誰だろう。
本当に自分がよく知っているあの藤本なのだろうか。
歪む視界の中にいる藤本の顔を見ても松浦は現実を受け入れる事が出来なかった。
受け入れたくなかった。
「どうして……わざわざこんな事を言いに来たの?
黙っていればずっと騙されてたのに……」
ずっと騙していてくれていればよかったのに、と思いながら松浦は唇をキツク噛んだ。
しかし松浦の考えている事などお見通しだったらしく、藤本はにっこりと笑みを浮かべた。
- 88 名前:03−喧嘩のそば杖。 投稿日:2003年07月23日(水)23時13分29秒
- 「亜弥ちゃんには本当の事を知ってもらいたかったから。
それに美貴は今、ごっちんに興味があるんだ」
「…………ごっちんに」
もう掠れた声しか出ない。
息苦しく、気持ちが悪くて松浦は立っているのがやっとだった。
惨めだ。
藤本が出て行った事にも気付いていなかった。
気がついた時には電気が落とされて部屋にいるのは松浦一人になっていた。
部屋を出て行く時に藤本が消して行ったのだ。
今の松浦には明るい場所は似合わないと思ったのだろう。
そんな藤本の些細な嫌がらせにも気付かず、松浦はガクリと崩れ落ちて床に頬をぶつけた。
頬の痛みよりも胸の方が痛い。
自然と涙がボロボロと流れて行く。
松浦は声を出さずに静かに涙だけを流していた。
このまま身体中の水分が涙に変わってしまえば、ずっと涙を流し続ければ
この部屋は水浸しになるだろうか、などとどうでもいい事を松浦はぼんやり思った。
思考回路が麻痺してしまっている。
- 89 名前:03−喧嘩のそば杖。 投稿日:2003年07月23日(水)23時14分41秒
- 目を閉じれば藤本のあの意地の悪そうな、そして哀れんでいるような笑みが
浮かんでしまう。
急に寒さを感じて松浦は自分の身体を抱き締めた。
しかしガタガタと震えが止まらない。
更に力を込めて丸まっても無意味だった。
何処で間違ったのだろう。
あんなに仲良くしてきたはずなのに、何処で歯車が狂ったのだろう。
いや、元から狂っていたのかもしれない。
藤本が変わったのではなく、自分が気付いていなかっただけだ。
今まで支えとしていた気持ちを失ってしまった。
それは松浦にとって、とてつもなく大きなものだった。
胸にポッカリと大きな穴が空いたような喪失感を感じる。
そして松浦は暗闇の中を彷徨った。
- 90 名前:03−喧嘩のそば杖。 投稿日:2003年07月23日(水)23時16分22秒
- いくら気分が最悪でも、仕事を放棄したいと思っていてもそれが出来ないのが芸能人だ。
松浦は重い足取りで事務所の中に入った。
明日から大阪入りする予定になっており、しばらく此処には来れないので
スケジュールの確認をする為に出向いたのだった。
本来松浦のスケジュールはマネージャーが全て管理しているのでわざわざ
確認する必要などない。
だから今日まで自分のスケジュールをチェックした事など一度もなかった。
しかし家で大人しくしていると考えたくないものばかりが頭を過ぎる。
どうにかして気を紛らわせたかった。
昨日泣き過ぎて出来た目の腫れも化粧で隠そうと試行錯誤してみたものの
誤魔化せてはいなかった。
松浦が重いため息をつきながらエレベーターのボタンを押すと扉が直ぐに開いた。
エレベーターが動き出すと一瞬だけ身体が軽く浮くような気持ち悪さを感じ
堪らず松浦は横に付いてある手すりを掴んだ。
目を瞑ってじっと堪える。
しばらくその状態でいると目的の階に着いたらしく、軽い音を立てて扉が
開いたのでゆっくりと瞼を開いた。
- 91 名前:03−喧嘩のそば杖。 投稿日:2003年07月23日(水)23時18分25秒
- エレベーターから出ると誰もいなかった。
どの部屋も閉まっているので廊下は静まり返っている。
馴染んだ廊下を進む。
松浦や他の仲間達がこの建物の中で通る場所は極一部で、この階以外に
どういう人達が働いているのかすら知らなかった。
知る必要がないのだから当たり前なのかもしれない。
ドアを軽くノックしてある部屋に入り込むと松浦に気付いて頭を下げる人がいたり
仕事に集中して全く反応しない人がいたりと、それぞれの反応はバラバラだった。
いつもの事なので気にせず奥へ進むと見慣れた顔が視界に入り、松浦はピタリと足を止めた。
利用者が席を外しているのか、窓際の机に勝手に座り込み、後藤と藤本が談笑している
姿が見える。
後藤は正面にいるので表情が見えるが逆に向かい合っている藤本は背中しか見えない。
しかしそれでも肩を揺らして楽しそうにしている事だけは判る。
藤本を意識しただけで松浦の動悸は激しくなった。
長距離マラソンをした後のように身体中が激しく脈を打ち、大きな疲労を感じる。
昨日の今日なのだ。
直ぐにでも昨日の藤本の冷たい目を思い出せる。
- 92 名前:03−喧嘩のそば杖。 投稿日:2003年07月23日(水)23時19分49秒
- あれほど面と向かって酷い事を言われたというのにそれでもまだ藤本が笑顔で
冗談だったんだよ、と言ってくれるのではないかという期待を松浦は捨てられずには
いられなかった。
昨日あれほど泣いたというのに自分でも諦めが悪いと思う。
それでもまだ藤本への気持ちを簡単に捨てる事は出来なかった。
「あれ?まっつーじゃん」
後藤が棒立ちになっていた松浦に気付き、笑顔で声をかけてきた。
ふと、昨日の藤本の言葉を思い出し、松浦は後藤から目を逸らした。
藤本が立ち去る時に呟いた言葉が「美貴は今、ごっちんの方に興味があるんだ」だったのだ。
心穏やかにいられるわけがない。
むしろ憎しみの感情が湧く。
もちろん松浦は藤本の顔も見る事が出来ず、じっと自分の足元を睨んでいた。
「まっつー、目が腫れてるんじゃない?珍しい」
「……気の所為だよ」
「あれれ。本当だ。昨日泣いたりしたの?」
- 93 名前:03−喧嘩のそば杖。 投稿日:2003年07月23日(水)23時22分03秒
- 明るい口調で話に加わってきた藤本の声を聞いて絶句した松浦は思わず顔を上げた。
昨日の事などなかった事にしようとしているのか、それとも藤本にとっては
何でもない事だったのか松浦には見極める事が困難だった。
それほど藤本の態度や表情はいつもと変わらない。
黙り込んでいる松浦を後藤は気にかけていたが藤本は素知らぬ顔をしている。
しばらく気まずい沈黙が続く。
一人だけ普通の表情をしていた藤本が壁にかかっている時計を見てその沈黙を破った。
「そろそろ行かなくちゃ」
「あ、あたしも」
藤本が立ち上がるとそれに倣って後藤も立ち上がった。
松浦の目には二人がとても仲良く見え、そして自分がないがしろにされている
ようにも見えた。
自分が来たからこの二人は席を立ったのだ。
そうとしか思えなかった。
「じゃあね」と笑顔で手を振りながら去っていく二人に曖昧な笑みを返しながら
松浦は胸の奥が冷たくなっていくのを感じていた。
- 94 名前:03−喧嘩のそば杖。 投稿日:2003年07月23日(水)23時23分06秒
- こんな想いをする為に此処へ来たわけではない。
藤本の事を考えたくなかったから此処へ来たはずだった。
それなのに藤本と後藤が仲良くしている所を目にする羽目になってしまった。
松浦には自分の行動が全て裏目に出ているような気がしてならない。
キツク瞼を閉じ、大きく深呼吸してから松浦は机に手を付いた。
激しく気分が悪い。
天井に取り付けられている暖房が澱んだ空気を吐き出して、より一層気分の悪さに
拍車をかける。
しかしそれでも松浦は二人が座っていた椅子に腰掛けようとは思わなかった。
- 95 名前:03−喧嘩のそば杖。 投稿日:2003年07月23日(水)23時25分28秒
- >> 81さん
有難うございます。
まだ全部は出来ていませんがある程度のストックはあります。
毎日更新は周りに迷惑かもと思いながらビクビクしてやってます…。
- 96 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月24日(木)00時12分54秒
- 毎日更新嬉しい限りです。めちゃめちゃ面白くなってきた〜うひ〜
- 97 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月24日(木)09時53分10秒
- 毎日見てます
おもしろいです
松浦さんかわいそう
- 98 名前:あやみき大好きっ子 投稿日:2003年07月24日(木)10時10分26秒
- こういう感じのあやみきは初めて読みます。
悲しすぎます・・・
- 99 名前:あやみき大好きっ子 投稿日:2003年07月24日(木)17時46分57秒
- ...
- 100 名前:03−喧嘩のそば杖。 投稿日:2003年07月25日(金)00時57分29秒
- 松浦は自分のスケジュールを確認して部屋から出た。
ノロノロと歩き出すと廊下の奥の方から人の声が聞こえてきた。
首を傾げながら足音を立てないように近くへ寄ってみると曲がり角の先にあるのは
自動販売機のコーナーでそこで後藤と飯田がヒソヒソと小声で話し合っている姿が見えた。
「……ごっちんと飯田さん?」
思わず声を出してしまい、松浦は慌てて手で口を塞いだ。
藤本と一緒に出て行ったはずの後藤は直ぐに別れて飯田と合流したのだろう。
二人の傍に藤本の姿は見えない。
どうやら本当に先に立ち去ったようだ。
今日、事務所で仲間と会ったのは飯田で三人目だ。
デビュー前から何度も事務所に来てはいるが集合をかけられたわけでもないのに
これだけの人と会うのは本当に珍しい事だった。
そして二人が一緒にいるところを一度も見た事がない松浦には少し奇妙に思えた。
どうしてこの二人が此処にいるのか、どういう話をしているのか、が全く想像出来ない。
先程まで後藤に怒りを覚えていた松浦だったが二人の会話が気になって耳を澄ましてみた。
微かではあったが何とか会話は聞き取れる。
- 101 名前:03−喧嘩のそば杖。 投稿日:2003年07月25日(金)00時58分57秒
- 「……やっぱり、おかしいよ」
「何が?」
「だって、良くなってるってこの前言ってたのにまた重くしてるじゃん。
矛盾してるよ。もしかしてあれからまた症状が悪くなったんじゃないの?」
「……いや、あの、今ミュージカルしてるじゃん?だから、体力つけないとね……」
「それは圭織が考えた言い訳でしょ。通じると思ってんの?」
「……うぅ」
一方的に飯田が後藤に説教をしているように見える。
後藤は気まずそうに俯き、飯田は困ったような顔をして口を歪めていた。
重い、症状……何かの病気でも患っているのだろうか、と松浦は首を傾げた。
しかし病気にしては深刻さが足りない気がする。
二人の会話はまだ続いていた。
「もしかして紗耶香と何かあったの?付き合いが上手くいってないとか?」
「な、ないない!何もないよ!」
「……怪しいなぁ。何で、そんなに動揺してんの?」
「うっ……。でも本当に何もないし、圭織には……これ以上迷惑かけらんないから」
「何を今更……。今まで通りでいいじゃん。ごっちんと圭織の仲なのにさ」
「……ダメ。もう頼りにはしないって決めたから」
- 102 名前:03−喧嘩のそば杖。 投稿日:2003年07月25日(金)01時00分51秒
- 後藤が思いつめたようにキッパリ言い切ると飯田は絶句していた。
さほど距離が離れていない壁にずっと張り付いていた松浦は二人の会話が進めば
進むほど思考回路が混線していった。
今の会話から想像すると後藤と市井は付き合っているのだろう。
松浦は市井と面識はないが彼女の存在くらいは知っている。
昔、後藤が市井を慕っていたという話も誰かから聞いた事があった。
これは納得が出来る。
そして少しだけ安心した。
藤本がいくら後藤の事を気にかけても無駄だと思ったからだ。
しかし市井と問題なく付き合ってるってわけでもなさそうだな、と松浦は顎に
手を当てて唸る。
飯田の指摘を後藤は狼狽しながら否定していた。
何も問題を抱えていなければそんな反応などしないだろう。
という事は、まだ安心出来ないという事だ。
藤本が今以上に後藤と仲良くなる可能性がないとは言い切れないのだから。
- 103 名前:03−喧嘩のそば杖。 投稿日:2003年07月25日(金)01時03分05秒
- ただ、後藤と飯田の関係が把握出来ない。
飯田の口ぶりだと二人は気を許し合っているように思える。
松浦にはそれが意外だった。
娘。と一緒に仕事をしていた時も二人が仲良さそうにしている所を見た事がない。
仲が良いという話すら聞いた事がなかった。
逆に後藤は苦手とまでは言わないが飯田とはさほど付き合いがないように見えていた。
それに後藤と仲が良いメンバーといえば加護や吉澤達の方がしっくり来る。
もしかしたら誰も知らない所で仲良くしていたのかもしれない、と松浦は納得する事にした。
しかし何故後藤は飯田と距離をおこうとしているのだろう。
その意味が松浦には判らない。
普通の友達ならそんな事をする必要などないはずだ。
事情が判らないので予想すら出来ない。
寝不足で回転の鈍い頭を軽く振りながら松浦がため息をついていると黙り込んでいた
二人がまた会話を再開した。
慌てて松浦はまた耳を澄ませる。
- 104 名前:03−喧嘩のそば杖。 投稿日:2003年07月25日(金)01時04分34秒
- 「……もしかして圭織との事がバレたとか?」
「それはない。絶対にない。そう言うんじゃないんだ……。
圭織にこれ以上甘えるわけにはいかないって事だよ。
あたしはもう娘。のメンバーじゃないし、表ではあんまし仲良くしてなかった
圭織に頼るのは誰だっておかしいと思うでしょ?」
「…………」
「一人で何とか頑張るよ。だから、心配はいらないって。
今までの経験を生かすからさ」
「……うん。ならいいんだけど」
「じゃあ、もう行くね。誰かに見られると困るからこっちの階段使うよ」
後藤は儚い笑みを浮かべて自動販売機の奥にある階段に向かって歩き出した。
残された飯田は深いため息をついてその後姿を見送っている。
「どういう意味……?」
松浦は無意識に小声でボソリと呟いていた。
今の飯田の言い方だと二人はただの友人関係ではないように聞える。
仲が良い事をあえて周りには隠しているという事なのだろうが、それは何故か――。
色々考え込んでいた所為か、松浦は油断していた。
飯田がこちらに向かって歩いて来ているという事に気付いていなかったのだ。
息を飲む音と裏返った声が耳に届いた時には既に遅かった。
- 105 名前:03−喧嘩のそば杖。 投稿日:2003年07月25日(金)01時06分03秒
- 「……ま、松浦!?」
松浦は顔色を変えた。
人の目を気にして後藤は逆の方向にある階段を使ったのだから飯田がこちらに
来るという事など予想出来たはずだ。
しかしそんな事を考える余裕がなかった。
飯田は大きな目を見開いて松浦を見下ろしている。
明らかに立ち聞きしていた事はバレバレだろう。
拙い。非常に拙い。
グルグルと色んな言い訳の言葉が松浦の頭の中で回っていたが何一つ口の外に
吐き出せない。
顔色を変えたまま、冷や汗をダラダラと流していると、ふっと眩暈を起こした。
睡眠不足も問題があったのだろう。
気がついた時には既に松浦の身体は軽くなっていた。
自分でコントロールするには気付くのが遅かった。
「……松浦っ!?」
「…………」
頭の中が真っ白になっている松浦は何も言い返す事が出来ずにいた。
飯田の顔を直視する事も出来ない。
しかし飯田の呟きを聞いて松浦は我が耳を疑った。
- 106 名前:03−喧嘩のそば杖。 投稿日:2003年07月25日(金)01時07分19秒
- 「……まさか、他にも身体が浮いてる人を見るなんて」
恐る恐る飯田の顔を見てみると確かに驚いてはいるのだが立ち聞きを見つけた時よりも
少しだけ驚きが増したという程度だった。
普通の人間なら腰を抜かしそうなものだ。
生身の人間が魔術や何らかの仕掛けを使っているわけでもなく、浮いているのだから。
飯田の反応は少しおかしい、と松浦は徐々に冷静になりながら思った。
それに“他にも”という言葉も気になった。
自分以外にも同じ状態の人間がいるのだろうか。
そう思った瞬間、松浦は頭の中でカチリという何かの音を聞いた気がした。
立ち聞きしていた時に最初に抱いた疑問が今解けたのだ。
言い訳する事を諦めた松浦はゴクリと喉を鳴らしながら口を開いた。
「もしかして……ごっちんも同じなんじゃないですか?」
これはただの勘だった。
二人が会話していた時に出てきた“重い”や“症状”という言葉。
松浦は自分にも当てはまると思ったのだ。
そしてこの飯田の反応。
- 107 名前:03−喧嘩のそば杖。 投稿日:2003年07月25日(金)01時09分17秒
- 松浦の勘が確信へと変わったのは同じく飯田の反応だった。
普段から色白な顔が松浦の問いかけの所為でますます白くなっている。
そして視線を忙しなく動かしていた。
「……と、とりあえず、下に降りて。誰にも見られないうちに」
「はい」
返事をするなり、松浦は目を閉じて大きく深呼吸を繰り返した。
集中して自分自身に言い聞かせる事で、浮き沈みをコントロール出来る。
身体が浮いてしまえば錘に頼る事しか出来ない後藤とはここが違っていた。
目を閉じた状態で松浦は飯田を少し見下ろすくらいまで浮いていた身体をゆっくりと
降ろした。
床に足がついた事を確認して目を開くと困惑している飯田が見えた。
しかし松浦はニッコリと笑みを浮かべた。
飯田を味方につけたらいいのだ、と松浦は思っていた。
自分でコントロールが出来ると言ってもまだ症状が軽いからかもしれない。
何が原因でこんな事になっているのか、松浦には理解が出来ていないのだ。
後藤の相談役になっていた飯田を味方につけたら少しはマシになるかもしれない。
コントロール出来る今でも不安を抱えていたのだ。
自分の身体はどうなっているのだろう、と。
- 108 名前:03−喧嘩のそば杖。 投稿日:2003年07月25日(金)01時11分07秒
- 現に二人は何かを知っているような会話をしていたはずだ。
自分にとって飯田はきっといい相談相手になってくれるだろう、と松浦は思った。
それに後藤との事を訊き出すのも面白い。
話を聞かれていた事くらい飯田も判っているのだから誤魔化す事はしないだろう。
そんな事をしても無駄だ。
後藤の話を訊き出して今後の行動を決めようと松浦は思った。
藤本がどう動こうがそれを全て邪魔すればいい。
後藤の弱みを握ってしまえば、きっと自分の思い通りに動いてくれるだろう。
自分に対して藤本が冗談を言ったのだ、という淡い期待はもう捨てた。
あれほど冷めた目で辛辣な言葉を口にしていたのだ。
演技のはずがない。
あれは藤本の本音だ。
松浦は事実を受け止めなければならない。
他人の気持ちに疎過ぎる、と藤本は言っていた。
確かにそうだ。
他人など興味がなかった。
松浦にとって一番大切なものは自分の気持ちだった。
- 109 名前:03−喧嘩のそば杖。 投稿日:2003年07月25日(金)01時13分07秒
- しかしあそこまで罵られて大人しく引き下がるような人間ではない。
最低の人間のように扱われて黙っていられるわけがないのだ。
それは松浦のプライドが許さない。
藤本が自分に対して恋愛感情を全く抱いていないという事は痛いほど良く判った。
ではどうするか、と考え、松浦はニヤリと笑う。
興味を持っていないのならば興味を持たせたらいい。
執念深い女を敵にしたらどうなるかを藤本に思い知らせてやろうと松浦は腹を括った。
どれほど酷い言葉を浴びせられても松浦の藤本への想いは変わらない。
過去の自分とは今ここで決別した。
甘い考えを捨て、今よりももっと貪欲に生きる。
それはどんな手を使っても、だ。
微笑んでいる松浦を見て相変わらず飯田は戸惑っている。
こんな状況で笑える松浦が理解出来ないらしい。
しかしそれでも構わず松浦は口を開いた。
「お話聞いてもらいたいんですけど、いいですか?」
今まで手に入れられないものは何もなかった。
欲しいもの全てを手に入れてきたのだ。
そしてそれはこれからも変わらない――。
- 110 名前:03−喧嘩のそば杖。 投稿日:2003年07月25日(金)01時14分17秒
- >> 96さん
有難うございます。
今のところこのペースでやっていくつもりではあります。
>> 97さん
有難うございます。
松浦さんメインはとりあえず今回で終わりです。
>> あやみき大好きっ子さん
有難うございます。
えーと、本当にすみません……。
>> 99
?
- 111 名前:名無し読者 投稿日:2003年07月26日(土)00時31分01秒
- 松浦さんに脱帽です。
こんな展開になるとは予測できませんでした。
続きに期待してます。
- 112 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月26日(土)00時47分39秒
- 面白いけど、松浦メインは最後か。残念無念。
タイトルのエゴイストは999%松浦で間違いないんだろうけど、有り得ない1%が
捨てきれない今日この頃です。続き楽しみ〜。
- 113 名前:04−共犯者ノススメ。 投稿日:2003年07月26日(土)01時08分56秒
- どうしても嘘をつかなければならないとしたらどうすればいい。
自分を欺くか、大切な人を欺くか。
選択は二つだけ。
しかし誰だって自分が可愛く思えるもの。
人の為と書いて偽りと読むのだ。
どれほど他人を思いやる人でも結局最後に選ぶのは自分。
- 114 名前:04−共犯者ノススメ。 投稿日:2003年07月26日(土)01時10分12秒
- * * *
- 115 名前:04−共犯者ノススメ。 投稿日:2003年07月26日(土)01時11分37秒
- 飯田はウォークマンを聴きながらぼんやりしていた。
今日は新曲のレコーディングをしている。
メンバーは時間が空いていた者しか集まっていない。
初期の頃は一緒に集まっていたが個々の仕事が増え、全員が揃う事が少なくなってしまった。
この場にいるのは年上グループばかりで、今は黙り込んでウォークマンでメロディーを頭に
叩き込んでいる。
しかし飯田だけが虚空を見つめていた。
少し前まではアルバムのレコーディングをしていたというのにまたレコーディング。
更に飯田は自分のソロアルバムのレコーディングの撮りがまだ残っている。
耳馴染みではない異国の唄は覚えるだけでもかなりの努力が必要だった。
しかし発音だけはどうにもならない。
何度も何度も繰り返して原曲を聴くしかなかった。
睡眠不足が続く日々。
それでも飯田は歌える事への喜びを感じていたがさすがに疲れには勝てない。
飯田が欠伸を噛み殺していると安倍が傍に寄って来た。
「眠そうだねぇ」
「まーね。なっちは新曲覚えた?」
「何とかね。圭織は……まだっぽいね」
「……うん」
- 116 名前:04−共犯者ノススメ。 投稿日:2003年07月26日(土)01時14分37秒
- 肩をすくめている安倍を見て飯田は苦笑いをしながらイヤホンを外した。
安倍が隣に座るのを見届けてから手前のテーブルに置いてあったミネラルウォーターを
手に取りソファにどっかりともたれた。
安倍とはデビューした頃に同居をしていた事もあったのだがその後は少し距離が出来て
いた為に今こうして普通に話せるようになった事が飯田には不思議に思えた。
保田が仲立ちしてくれなかったら今頃同じソファに座っている事もなかったかもしれない。
「やっぱり仲間っていいよね……」
思っていた事を飯田が無意識に口にすると隣で安倍が派手に「はぁ?」と驚いていた。
慌てて飯田は口を押さえる。
しかし安倍が話に乗って来た。
「ちょっとー、圭織も辞めるとか言い出すんじゃないでしょうね?
秋までのスケジュールは決まってるんだからちゃんとしてよ」
「誰が辞めるなんて言ったよ?勝手に変な想像しないでよ」
「なら、いいけどさー」
二人でたわいもない話を続けていると近くにいた矢口と保田が怪訝そうな顔をして
近寄って来た。
同期という事もあって矢口は最近、保田とよく行動を共にしているようだ。
- 117 名前:04−共犯者ノススメ。 投稿日:2003年07月26日(土)01時17分40秒
- その中に何気なく加わっているのが十八歳になり、大人扱いされるようになった
石川だった。
今日はスケジュールが合わなかった為にこの場にはいない。
二人は飯田と安倍を挟むようにしてソファに腰掛けた。
飯田の隣に座った矢口が眉を寄せて口を開く。
「二人共さー、余裕かましてるけどちゃんと覚えたの?」
「なっちは覚えたさ。でも圭織はまだらしいよ」
「まーた、ボーっとしてたんでしょ」
ニヤニヤと笑っている矢口の頭を軽く小突いて飯田は余計な事を言った安倍を睨んだ。
三人は付き合いの長さで飯田が本気で怒っていないと見抜き、大笑いしている。
こうしてこの四人で和やかな会話をするのも久し振りだ、と飯田は思った。
いつもは年下のメンバーと大騒ぎしていてそれも楽しいものだが和やかな会話は
この四人の時にしか出来ない。
しかし数ヵ月後には出来ない事でもあった。
四人共、口にはしないがその事に気付いている。
しかしそれでも飯田は気付いていない振りをしていた。
- 118 名前:04−共犯者ノススメ。 投稿日:2003年07月26日(土)01時21分56秒
- 今までもそうだった。
誰かが卒業をすると言われても飯田は態度を変えた事がない。
しかし卒業をするメンバーに対していつも素直に哀しみの感情をぶつける事が
出来る矢口が飯田には羨ましく思えた。
大人になってしまったからかもしれない。
性格や周りの環境の差かもしれない。
昔の飯田はただがむしゃらに前に進む事だけを考えていた。
しかしいつの頃からか、諦めるという事を覚えてしまった。
どんなに足掻いても逃れられない現実に必死になって無駄な抵抗をする時期は
既に通り過ぎてしまったのだろう。
五年ほどこの世界で活動してきて両手に抱えきれないほどの色んなものを手に
入れてきたつもりだが全てを抱えきれずに大事にしたいものだけが零れ落ちて
しまった気もしていた。
飯田は楽しそうに矢口と話している保田をチラリと盗み見た。
すれ違ってばかりいた飯田と安倍をメンバー誰もが知っていて見て見ぬ振りと
まではいかないが傍観していた。
- 119 名前:04−共犯者ノススメ。 投稿日:2003年07月26日(土)01時23分48秒
- しかし卒業して行く保田にはそれが心残りだったのだろう。
飯田達にこのままではいけない、ちゃんと話し合え、お互いに素直になれ、と
発破をかけたのだ。
一度タイミングを逃すと仲が良かった頃のようにはなかなか戻れず、見れない壁を
お互いに作っていた似たもの同士の飯田達にとって有り難いキッカケを保田が
作ってくれたのだ。
そんな大人で心優しい彼女もいなくなる。
当たり前のように今まで傍にあったものも、いつかは遠く離れてしまう時が来るのだ。
自分の意志ではどうしようもない。
ただ見送るだけしか出来ない事もある。
本当にいつも見送ってばかりだな、と飯田は口を歪めた。
少しでも抵抗していれば何かが変わっていたのだろうか。
飯田が無言で掌を見つめていると何かを感じ取った安倍が優しく肩を叩いた。
- 120 名前:04−共犯者ノススメ。 投稿日:2003年07月26日(土)01時26分54秒
- 窓から湿った空気が入って来る。
もうすぐ雨が降り出しそうな、そんな湿気を感じた。
窓の外は夜が更けて来た事もあって真っ暗で何も見えない。
その闇に吸い込まれそうな錯覚に陥り、飯田は軽く目を閉じて頬を軽く叩いた。
どうしてこれほどまでに気持ちが不安定になっているのだろう、と考え
またため息をつく。
そして床に座り込んだ状態で先程まで見ていたテレビに視線を戻した。
テレビ画面一杯に広がる黄色の花畑。
暗闇に浮かぶ無数の黄色の光。
それは去年の横浜アリーナのライブ映像だった。
第二期タンポポのラストライブという事でファンが会場を黄色のサイリュウムで
埋めてくれた。
あの時の感動は忘れられない。
飯田としても色々あった時期だった。
ここ三年ほど娘。の人気と共に仕事の量が増加し、休みが殆どない日々を過ごして
来たが唄を歌う機会は減っていた。
いや、正確には飯田の唄のパートが減った。
そんな中、タンポポの卒業が決まった。
娘。でのパート数を半ば諦めていた代わりにタンポポの活動に力を入れていたので
その突然の卒業発表には理不尽な仕打ちだ、と飯田は憤りを覚えた。
- 121 名前:04−共犯者ノススメ。 投稿日:2003年07月26日(土)01時28分30秒
- ユニットとしては一番古く、辛い出来事も沢山あったが、それだけ愛着もあったので
一人残る事になり、不安を抱えていた石川に対して表向きには激励の言葉を贈ったが
自分のいないタンポポを見ても最初は素直に応援出来ず、新しくメンバーになった
紺野と新垣に対して娘。のリーダーなのに大人気ない態度も取ってしまった事もある。
のちにその複雑な感情は時間が解決してくれたが今でも少し淋しく思う。
それだけ飯田にとってタンポポは大切だった。
それだけまだ完全な大人にはなりきれていなかった。
しかし今ではこの映像を見ると申し訳なさを感じる。
あのライブは後藤のラストライブでもあった。
プッチモニとしても娘。としても最後だったのに美味しいところを全部横取りして
しまったような罪悪感をこの映像を見る度に感じてしまう。
「ごっちん、ゴメンね……」
弱々しく呟きながら飯田は松浦の話を思い出していた。
- 122 名前:04−共犯者ノススメ。 投稿日:2003年07月26日(土)01時32分11秒
- 松浦の身体が浮く姿を見て飯田は驚いた。
人が宙に浮く事に驚いたのではない。
他にも浮く人間がいるとは思わなかったのだ。
二人は事務所の会議室に場所を移した。
落ち着いて話を訊く為には人気のない目立たない場所が必要だった。
飯田は事務所の人間にしばらく場所を借りると伝えて内側からドアの鍵をかけた。
部屋には会議用の長机が四角の形を作るようにして並べられ、中心部は空間が出来ている。
窓は一面ガラス張りにされており、眩しい陽射しが部屋の中に入ってきていた。
部屋に入る前に事前に購入していたペットボトルのお茶を机の上に置いても松浦は
無反応だった。
飯田は隣で立ち尽くしたままで松浦を見た。
この部屋に入るまでは笑みを浮かべていた松浦だったが今ではポロポロと涙を零している。
先程までは狼狽していた飯田も既に落ち着きを取り戻していたが逆に松浦の態度が
激変していた。
精神が不安定になっているのだろう。
また身体がプカプカと浮いていたので飯田は鞄に入れてあったリストバンドを松浦に
渡した。
- 123 名前:04−共犯者ノススメ。 投稿日:2003年07月26日(土)01時33分39秒
- 松浦が素直にそのリストバンドとつけると浮いていた身体が元に戻った。
それを見て、やはり後藤と同じ症状なのだろう、と飯田は思った。
本当ならばこれは後藤にあげるものだった。
錘の調整が出来るものでデザイン的に表に見せられるものをたまたま買い物中に
見つけたので後藤にプレゼントしようと思い、持ち歩いていたのだが結局渡す
タイミングがなく、松浦の手に渡ってしまったというわけだ。
しかしまだ松浦は椅子に座った状態で泣いている。
ポツポツと音を立てて机の上に涙を落としていた。
松浦の感情の変化に戸惑っていた飯田はテーブルに手をつき、ため息まじりで
口を開いた。
「……いつからこうなっちゃったの?」
「…………」
「圭織以外に知ってる人はいるの?」
「…………」
何を訊いても松浦は机に水溜りを作り続けている。
ヤレヤレと飯田は首を振り、鞄からハンカチを取り出して松浦に手渡した。
- 124 名前:04−共犯者ノススメ。 投稿日:2003年07月26日(土)01時34分58秒
- それにしても、拙い事になった。
後藤との話を立ち聞きされてしまったという事が飯田にはとても困る。
今まで誰にも知られないようにとお互いに気を配っていた。
むしろ後藤よりも飯田の方が注意深くしていたのだ。
それなのにアッサリと松浦に知られてしまった。
後藤の身体の異変については松浦も同じ状態なのでまだいいが、しかし――。
飯田が内心冷や汗をかいていると泣き続けていた松浦が顔を上げずに口だけ開いた。
「……飯田さん」
「何?」
「私ね、美貴たんの事好きなんです」
「……何?突然」
何の脈絡もない突然の告白に飯田は虚を衝かれていた。
急に腕を取られて更に驚く。
その手の意味が飯田には判らない。
不安だから誰かに縋りたいのか、それとも逃げられないように捕まえただけなのか。
松浦が俯いているので表情が読めないのだ。
「身体がこうなった時に美貴たんに相談しようとしたんです……。
でも出来なかった……」
「…………」
「だって変でしょ?急に身体が浮くだなんて。普通の人間じゃ有り得ない。
…きっと話しても馬鹿にされる。信じて貰えるわけがない……」
抑揚がなく棒読みのような口調で松浦はゆっくりと話す。
- 125 名前:04−共犯者ノススメ。 投稿日:2003年07月26日(土)01時37分43秒
- 「……そう思ったら怖くて何も言えなくなっちゃって。
結局大事な事は何も言えなくて途中で冗談だよって誤魔化したんです。
そしたら……」
ふふ、と哀しそうに笑い、松浦は言葉を繋いだ。
「美貴たん、怒っちゃって。それ以来、何も話してないんです。
あ、違うや。この前話したんだ。
そしたら、前から亜弥ちゃんの事が妬ましかったって……。
完璧に嫌われちゃったんだ……」
「…………」
「ごっちんはいいなぁ。飯田さんみたいに信頼出来る人がいて。
しかも、美貴たんと仲良しだし」
飯田はゴクリと喉を鳴らした。
今自分は何の話を聞いているのだろう。
松浦と藤本の関係は傍で見ていて微笑ましいものだったはずなのに一体どういう事
なのだろう。
松浦の話を聞いて飯田は混乱していた。
それに藤本と後藤に何の関係があるというのだろう。
年齢差関係なく、仲間には親しく接するタイプとして二人は似ているが、ただ
それだけだ。
藤本は後藤だけではなく、他のメンバーとも仲良くしている。
- 126 名前:04−共犯者ノススメ。 投稿日:2003年07月26日(土)01時38分53秒
- どうして後藤にだけ嫉妬しているのだろう。
松浦には同じ症状を抱えている後藤が恵まれて見えるという事だろうか。
腕を掴まれた状態で飯田は松浦の隣に腰掛けた。
「あのさ……、えっと、圭織は松浦の力にもなるよ。
こうやって知っちゃったわけだし。ごっちんの時もそうだったんだよ」
「……ごっちんも誰にも知られてないんですよね?」
「うん。知ってるのは圭織だけ」
「市井さんにも知られてないんですか?」
「……さぁ。多分、話してないんじゃないかな。そこらへんの事は知らない」
飯田は言い難そうに返答した。
ずっと松浦が俯いている事に対して有り難いと思ったのはこの時が初めてだった。
今の自分の顔は見られたくない。
鏡で確認しなくても判る。
今の自分は酷く歪んだ表情を浮かべている、と思えたからだ。
後藤と市井は今年に入って付き合い始めた。
後藤は一緒に活動していた頃から市井の事が好きだったのだ。
そして休業中だった頃の市井もずっと後藤の事を気にかけていた。
唯一、市井と連絡を取っていた飯田だけが知っていた。
- 127 名前:04−共犯者ノススメ。 投稿日:2003年07月26日(土)01時41分22秒
- 「飯田さん、ごっちんは隠したいんですよね?」
「……何が?」
松浦の問い掛けの意味が判らず、飯田は俯き加減だった顔を上げた。
そしていつの間にか顔を上げて飯田の顔を見ていた松浦の視線とぶつかった。
涙の跡はあるが、今はもう泣いていない。
口元が少しだけ上がっていた。
不敵な笑み。
松浦らしくない笑みを浮かべている。
それを見て飯田は無言でパチパチと瞬きを繰り返していた。
「……浮く事がバレたらそりゃ困るよ。松浦だってそうでしょう?」
「それはそうですね。でもそっちじゃなくて、もう一個の方です」
「……何が言いたいの?」
「二人の関係を隠してますよね?」
クスクスと笑い声を交えながら松浦はいたずらっ子のような笑みを浮かべている。
それに対して飯田は顔を青くしていた。
松浦が言った“二人”とは後藤と市井の事ではない、と思ったのだ。
「私も今まで噂とかで全く聞いた事なかったから驚きました。
徹底的に隠してるんですよね?」
- 128 名前:04−共犯者ノススメ。 投稿日:2003年07月26日(土)01時42分54秒
- 「……立ち聞きしてたのは知ってる。でも何か聞き間違えてるんじゃない?
圭織はごっちんの身体の浮く病気……って言っていいのか判んないけど
その相談相手だっただけなんだから。そういう意味での付き合いだよ」
飯田は苦し紛れの言い訳を始めた。
しかし松浦は面白そうにニヤニヤと笑っている。
「じゃあ、市井さんに訊いてみようかなぁ〜」
「…………何を?」
「二人の事」
「ダメ!それは絶対にダメ!!」
言った後に飯田は慌てて自分の口を手で押さえた。
それを見て松浦はニヤリと笑う。
「市井さんとごっちんは付き合ってるんですか?って事を訊かれると困るっていう
顔じゃないですね、今のは。やっぱり飯田さんとごっちんは付き合ってたんだ」
しまった、と飯田は顔をしかめた。
よく考えてみたら松浦と市井の接点などない。
もしかしたら会った事すらないのかもしれないのだ。
- 129 名前:04−共犯者ノススメ。 投稿日:2003年07月26日(土)01時49分32秒
- 松浦が口にした“二人”という言葉は市井と後藤でも、飯田と後藤でもどちらにでも
取る事が出来る。
しかしわざと松浦はどちらにでも取れるように言ったのだという事に気付くのが遅かった。
罠だったのだ。
「ごっちんが自分の身体の事を市井さんに教えてないって事は訊かなくても判るんです。
だって、私も美貴たんに言えなかったし。
幾ら付き合ってるって言っても自分の身体が浮くんだよ〜って簡単には言えませんよね。
飯田さんくらいですよ、見ても余り驚かないのは」
「…………」
「私が本当に訊き出したかったのはごっちんの過去だったんです。
飯田さんはそんなに隠したいんですか?ごっちんと付き合ってたって事。
でもバレてごっちんが困るのは判るけどどうして飯田さんが困るんですか?」
ニヤニヤと意地悪そうな笑みを浮かべている松浦に対して飯田は嫌な予感を抱いた。
何かを企んでいるように見えるのだ。
- 130 名前:04−共犯者ノススメ。 投稿日:2003年07月26日(土)01時51分22秒
- 「……一体、何を考えてんの?二人の邪魔したら圭織が許さないよ」
飯田は松浦を睨みつけた。
松浦が何を考えているのかが飯田には判らない。
ただ判るのは今日の松浦は今までの松浦ではないという事だけだった。
後藤と市井の邪魔をする人間は誰であろうと許さない。
やっと後藤が幸せになれたというのに。
飯田が市井に後藤との過去を隠しているのも二人の仲がこじれないようにする為だった。
別に特別な関係だったわけでもないが、知られない方が得策だ。
そんな飯田の想いに気付いたのか、松浦は少し意外そうな顔をして口を開いた。
「もしかして、飯田さんって……」
- 131 名前:04−共犯者ノススメ。 投稿日:2003年07月26日(土)01時52分54秒
- >> 111さん
有難うございます。
この松浦さんのような友達は持ちたくないと思われたら本望です…。
>> 112さん
有難うございます。
しばらくは今の状態ですが、のちにまた松浦さんメインになります。
- 132 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月26日(土)01時53分46秒
- こんなごまっとうが読みたかったのだと今更気付きました。
いや、面白いっす。
- 133 名前:112 投稿日:2003年07月26日(土)10時57分24秒
- 松浦壊れてるな〜。メインじゃないけどメインなのね(^^;
どう転んでもいいから作者さんが書きたいように書いて。
それにしても更新早いな〜。嬉しい。
- 134 名前:04−共犯者ノススメ。 投稿日:2003年07月27日(日)01時04分40秒
- 飯田は松浦との会話を思い出して憂鬱になっていた。
そしていつの間にかテレビが青画面になっている事に気づいた。
小音にしていたので気が付かなかったようだ。
ため息をつきながらテーブルに置いてあったリモコンを手に取り、テレビを消した。
そういえばアンコールの時に告白めいた言葉を口にしたな、と飯田は苦笑いしながら
思い出していた。
今にして思えば恥ずかしい。
出逢った頃は好きなタイプなどと言っていた事もあったが全てふざけて口にしていた
言葉だ。
しかし二度とあんな言葉を口にする事はないだろう。
飯田は疲れたように薄く笑い、鞄から携帯を取り出して後藤にかける。
呼び出し音を聞きながらため息をついた。
自分は何をしているのだろう。
松浦の頼み事に何の意味があるのかは判らない。
むしろ無意味のような気がする。
それに後藤にどうやって説明をすればいいのだろう、と飯田は悩んでいた。
「……もしもーし。圭織ー?」
いつの間にか後藤に繋がっていた。
慌てて飯田は口を開く。
- 135 名前:04−共犯者ノススメ。 投稿日:2003年07月27日(日)01時06分41秒
- 「あ、ゴメンゴメン。今大丈夫?」
「んー、大丈夫だよ。家だし」
「そっか……」
その後の言葉が続かない。
何を言えばいいのだろう。
何から言えばいいのだろう。
テーブルをコツコツと指で鳴らしながら飯田は口元を歪めた。
「何かあったの?圭織から電話してくるのって珍しくない?」
「んーと……」
確かに飯田から連絡するのは珍しい事だった。
後藤の方から電話がかかってくる事が多いのであえてしていなかったというのも
あるがかけないように意識していたというのもある。
距離をおくと後藤から言われた矢先にこうして連絡をとっているという現状にも
さすがに少し気が引けていた。
しかし話さなければならないのだ。
「最近さぁ、美貴と仲いいの?」
「へ?」
「あー、えーと……そういう噂を聞いたからさぁ……」
これでは自分が藤本に嫉妬しているように聞こえてしまう。
格好悪いと飯田は顔をしかめて髪をグシャグシャと掻き乱した。
- 136 名前:04−共犯者ノススメ。 投稿日:2003年07月27日(日)01時12分13秒
- 「別に普通だと思うけど。一緒に御飯食べたり、遊んだりするくらいで他の
メンバーと何も変わんないよ。それがどうしたの?」
「いや、あの……後藤は美貴の事、どう思ってるの?」
「んー?なんか、今日の圭織は変だね。
美貴ちゃんはただの友達に決まってんじゃん。
……あたしは市井ちゃんと付き合ってるんだからさ」
最後だけ少し声のトーンが落ちたような気がした。
気の所為だろうか、と飯田が首を傾げていると後藤が不機嫌そうな声を出した。
「ねぇ……何で、わざわざそんな事訊くの?」
「ゴメン。実は……松浦にバレた」
「何が?」
「ごっちんの身体の事とごっちんは今紗耶香と付き合ってる事。
あと、ごっちんと圭織が付き合ってた事……」
「…………え」
後藤は言葉を失っていた。
立ち聞きされた事は誰かの責任というわけではないはずなのだが何故だか飯田は
申し訳ない気持ちで一杯になった。
その事を伝えると後藤は低い声で唸っていた。
- 137 名前:04−共犯者ノススメ。 投稿日:2003年07月27日(日)01時15分10秒
- 松浦の身体が後藤と同じように浮く状態だという事は伝えなかった。
本人に口止めされたからだ。
言えば市井に二人の過去を打ち明けると脅された。
後藤の身体の秘密と飯田達の過去という手持ちのカードが多い松浦の方が有利だ。
そうでなくても飯田は誰かの弱みにつけ込むという行為が苦手だった。
これではどうする事も出来ない。
八方塞だった。
「もしかして、まっつーに美貴ちゃんとの事を訊けって言われたんじゃない?」
後藤はたまに勘が鋭い。
飯田は否定出来ずに黙り込んでしまった。
その沈黙を肯定と受け取った後藤は深いため息をついている。
「まっつーが美貴ちゃんを好きだって事くらい判ってるつもりだけどさー。
まっつーってちょっと度が過ぎてるんじゃないかなぁ?
こんなんじゃ、美貴ちゃん、誰とも話せなくなっちゃうよ……」
「確かにね……。あの執念は凄いと思うよ……」
「で?美貴ちゃんと仲良くしないように念を押しといてって頼まれたの?」
「……まぁ、似たようなもんかな。
美貴がごっちんの事、気に入ってるって言ってたらしくて松浦は困ってるらしいから」
「…………そんなのこっちに言われてもなぁ」
- 138 名前:04−共犯者ノススメ。 投稿日:2003年07月27日(日)01時17分37秒
- 後藤は困り果てている。
友達としか思っていない藤本に対してどう接しようが他人にとやかく言われたく
ないのだろう。
藤本の気持ちも市井と付き合っている後藤としては対応に困るものがありそうだ。
「とりあえず、あまり近づかないでってさ。
じゃないとごっちんの秘密をバラすよって……」
「……何それ」
後藤は少し不機嫌そうな声を出した。
脅し文句を言われて機嫌が悪くならないわけがない。
しかし逆らうと更に面倒な事になるという事くらい飯田もそして後藤も気付いていた。
松浦なら本当にやりかねない気がするのだ。
「……なんか、腹立つけど言う通りにしておくよ」
「うん。その方がいいと思う」
「話聞いただけで疲れちゃった……。もう寝るよ」
「……ゴメンね」
「圭織が謝る事じゃないでしょ。あたしの問題なんだし……。
っていうか、圭織に迷惑かけないようにするって言ったばっかりなのにこんな事に
なっちゃうなんてね……」
ため息交じりで後藤は「じゃあね」と電話を切った。
- 139 名前:04−共犯者ノススメ。 投稿日:2003年07月27日(日)01時18分58秒
- 携帯から流れてくる電子音をしばらく聴いて飯田は携帯の電源を切り、床に
ゴロリと寝転んだ。
真っ白な天井が見える。
白と言えば、飯田もだが後藤も好きな色だ。
ずっと天井を眺めていると自分に責められ、後藤にも責められているような気分に
なってしまい、飯田は顔を背けた。
飯田には後藤に言えない事がある。
松浦の事ではなく、今までずっと隠していた事が。
知られたら、と想像するだけで目の前が真っ暗になる。
飯田はそれだけの事をしていたのだ。
だからこそ隠し通している。
飯田は硬く目を閉じた。
暗闇の中で自分の規則正しい鼓動音だけを感じる。
疲れが出ていたのか、飯田はそのまま眠りについた。
- 140 名前:04−共犯者ノススメ。 投稿日:2003年07月27日(日)01時20分36秒
- 最初はただの仲間同士でしかなかった飯田と後藤が付き合うようになったのは
やはり後藤の身体がきっかけだった。
飯田が自分の家にメンバーを呼ぶ事は極まれで唯一後藤だけが自分の身体の相談を
する為に通っていた。
卒業を間近に控えていた後藤のリストバンドの重さは日に日に増し、このままでは
拙い、とさすがに飯田も悩んでいた。
「ねぇ、やっぱり隠し通すのは無理じゃないかなぁ……」
飯田の部屋でプカプカと浮きながら後藤は頭の後ろで腕を組んで大きな欠伸をしていた。
浮いてる状態で身体を空中で上下左右に動かせるようになっていたので今ではよく見る
風景だった。
しかし、後藤は松浦のように身体を一時的に元に戻す事は出来ない。
空中に漂う事しか出来ないのだ。
ソファに座っていた飯田はその姿を見上げながら腕組みをして「うーん」と唸っていた。
後藤が言った通り、周りにいる人間を誤魔化す事に限界を感じていた。
リストバンドの錘も一番重いものを使っているのだがそれでも不安になってきている。
しかし世間に公表出来るものでもない。
だからこそ、飯田は悩んでいるのだ。
逆に当事者であるはずの後藤の方があっけらかんとしていた。
- 141 名前:04−共犯者ノススメ。 投稿日:2003年07月27日(日)01時21分54秒
- 「やっぱり不安なの?」
「何がー?」
首だけ飯田に向けて後藤は極めて明るい声を出した。
その表情からは不安が全く読み取れない。
後藤は元々自分の気持ちを内側に押さえ込もうとする癖があるので騙されそうになる。
「あのね……、これはごっちんの悩みでしょ?もうちょっと真面目に考えないと」
「ちゃんと考えてるよー。でもどうしようもないんだもん」
投げやりな口調で後藤は相変わらず空中を彷徨っている。
このままでは埒があかないと思い、飯田は本題に入る事にした。
「そんなに卒業後が不安?」
「…………」
「紗耶香と連絡取ってる?」
「……何さ、急に」
後藤は不機嫌そうに頬を膨らませて身体を飯田の正面に向けた。
言葉にしなくてもそれだけで判った。
不安が蓄積されて症状が悪化しているのだ。
そうとしか考えられない。
- 142 名前:04−共犯者ノススメ。 投稿日:2003年07月27日(日)01時23分38秒
- 食事も受け付けないのか、明らかに量が減り、後藤の体重は誰の目から見ても
激減している。
その事も関係あるのだろうか、という考えが一瞬頭の中に過ぎったがリストバンド
くらいの重さで解消される症状なのだ。
やはり関係ないのだろう、と飯田は思い直した。
これは精神的な問題だとしか思えない。
「ごっちん、降りておいで」
「…………」
後藤は素直に手を伸ばし、飯田にしがみついた。
フワリと後藤の香水が鼻をかすめる。
しばらくそのままの状態でいると徐々に浮力を感じなくなって来た。
後藤も気付き、飯田の首元に回していた手をゆっくりと離すと元に戻っていた。
「……戻った」
「だね」
「抱きついただけなのに何で戻るんだろう……」
「…………」
「圭織?」
一人考え込んでいる飯田を後藤は不思議そうな顔をして覗き込む。
それでも飯田は身動き一つしない。
- 143 名前:04−共犯者ノススメ。 投稿日:2003年07月27日(日)01時26分21秒
- 考え事をすると周りの音が全く耳に入らなくなり、目に映っているはずの物も
見ているようで見えていない状態になるという、ある意味悪い癖が飯田にはある。
長い付き合いである後藤にはそれが直ぐに判ったらしく、大きくため息をついていた。
しばらくして飯田は軽く頷いて、真剣な表情で後藤の肩を取った。
後藤は驚いて瞬きを繰り返している。
「……ど、どうしたの?」
「付き合おう」
「何に?」
「そうじゃなくて……圭織と付き合おう」
「…………へ?」
後藤は放心状態で固まっていた。
そして何を言っているのか全く理解出来ない、という表情を浮かべた。
「圭織はごっちんと一緒なんだよ。ずっと紗耶香の事が好きだったんだ」
「…………え?」
「でもダメだって事くらい判ってる」
「…………」
「だからさ、圭織はごっちんと一緒なの」
「……ちょ、ちょっと待ってよ。
それは判ったけどどうして付き合うっていう話に飛ぶの?」
- 144 名前:04−共犯者ノススメ。 投稿日:2003年07月27日(日)01時31分53秒
- 後藤は頭を抱えている。
それでも一緒に活動している頃から市井と仲が良かった飯田の想いには気付いて
いたらしい。
飯田が考えていたのは自分がフォローすれば後藤の症状がマシになるかもしれない
という事だった。
現にどういう理由かは判らないが何故か飯田が抱き締めただけで後藤は元に戻る。
それに飯田には後藤が同士のように見えていた。
市井に片想いしているという意味での同士。
後藤と違って飯田は市井と連絡を取っていたが所詮報われない恋なのだと気付いていた。
電話で会話をしていても、直接会っていても、急に淋しさに襲われる時がある。
一人で過ごしている時はもっと辛かった。
だからその穴を埋めてくれる存在が欲しいと今までずっと思っていたのだ。
後藤と違って身体に異変が起きるという現象は今のところ飯田には起きていない。
しかしそれが想いの大きさの差だとは考えたくなかった。
「だから……圭織が言いたい事は、傷心者同士励まし合おうって事だよ。
ごっちんの不安の理由を知ってる圭織が傍にいれば少しくらいは役に立つでしょ?
そしたら症状が軽くなるかもしれないよ」
- 145 名前:04−共犯者ノススメ。 投稿日:2003年07月27日(日)01時33分59秒
- 「……うーん。そりゃまぁ、そうなんだけど。……で、具体的に何するわけ?」
「何もしない」
「…………」
「一緒にいるだけでいいんだよ。何とかなるっしょ」
「アバウトだなぁ。まぁいいか。こっちもフォローしてもらえた方が助かるし」
へにゃっと崩れた笑みを浮かべて後藤は飯田の案を受け入れた。
飯田も微笑んで後藤の頭を軽くポンポンと叩く。
別に後藤を市井の代わりにしようと思ったわけではない。
恋愛感情は抜きにして淋しさを紛らわせてくれる存在になってくれればいいと
思っていただけだ。
だから二人の間には何もなかった。
後藤が卒業して一緒に仕事をする機会が減っても飯田の家で会ったりしていたが
それでも二人の間には何もなかった。
市井に恋焦がれていた二人は傷を舐め合うだけの関係で、キスをしたわけでも
身体を重ねたわけでもない、ただの同士だった。
呑気な後藤もさすがにこの関係には疑問を持ったらしく、ある日突然飯田に
質問して来た。
- 146 名前:04−共犯者ノススメ。 投稿日:2003年07月27日(日)01時35分27秒
- 「ねぇ……。あたし達ってこれで付き合ってるって事になるの?」
「うん。コレでも一応。あ、でも安心して。
ごっちんが他に誰かの事を好きになったらその時はちゃんと身を引くから」
「身を引くっていうのも変な感じがするね。
まぁ……その日が来るのかどうかも謎だけどね」
「紗耶香と連絡取ればいいじゃん。何を怖がってんの?」
ソファの上でお互いの背を合わせて話をしていたので黙り込んでいる後藤の表情が
判らず、飯田は首を捻って覗き込んだ。
後藤は口を尖らせて俯いている。
後藤がどうして市井と連絡を取ろうとしないのか、という事は前から飯田が
抱いていた疑問だった。
好きならば声を聞きたいと思わないのだろうか。
好きならば会って話をしたいと思わないのだろうか。
飯田は全て実行していた。
会いたいから会う。話したいから電話する。
これが普通だと思っていた。
しかし後藤はそれをしないのだ。
市井が卒業してから一度も連絡を取っていないらしい。
「……会ってどう話したらいいのか判んないから」
「変に構えないで前みたいに気楽に話せばいいじゃん。
そういえば随分前に番組のゲストで来た時も話さなかったね」
- 147 名前:04−共犯者ノススメ。 投稿日:2003年07月27日(日)01時37分26秒
- 飯田は自分達の番組のゲストとして市井が来た時の事を思い出した。
あの時も後藤は市井と距離をおいていたように記憶している。
市井も市井でメンバーに近づく事なく、同じゲストとして来ていた中澤と行動を
共にしていた。
後で話を聞いてみると久し振りに会うと何を喋ったらいいのか判らなくなった、と
市井は苦笑いしながら語っていた。
そう考えると二人は似た者同士なのかもしれない、と飯田は思った。
「今度、紗耶香に言っておこうか。暇な時に連絡してってさ」
「……今はいいや」
「何で?」
「こんな身体で会えないよ……」
後藤は苦笑いしながらリストバンドをつけた腕を掲げた。
娘。を卒業してからも外す事が出来ないリストバンド。
最近になってようやく少しずつ錘の重さが軽くなり、食欲も元に戻りつつある
ようだがまだ完璧ではない。
今のまま会うのは心もとないのだろう。
「だいぶマシになって来たんだからさ。もう大丈夫だって。治るかもしんないし」
「圭織はそれでいいわけ?一応、恋敵なんだよ?」
「うん。それでも構わないよ」
「…………」
- 148 名前:04−共犯者ノススメ。 投稿日:2003年07月27日(日)01時39分22秒
- 自分は今まで後藤の知らない所で好き勝手な事をしてきた。
実はこうして話しているのも良心が咎める。
後藤に付き合おうと言い出したのも罪滅ぼしみたいなものが含まれており
ある意味自虐的な行為でもあった。
飯田は後藤の手を取った。
後藤の手はいつも冷たい。
「相変わらず冷たい手だね」
「冷え性だからかなぁ。圭織はいつもあったかいよね」
「圭織も冷え性なんだけどなぁ」
「っていうか、どうしていつも手を握ってくるの?」
「いいじゃん。何もない関係のうちらとしては、らしくてさ」
「手を握るだけの関係って事?」
「そーいう事」
飯田は薄く笑って顔を元に戻した。
後藤がどういう表情をしているのかは判らない。
伝わってくるのは触れている背中と手のぬくもりだけだった。
この手が温かさを持つようになったら自分の役目は終わるのだろう、と飯田は
思っていた。
きっと後藤は救われる。
自分とは違って。
- 149 名前:04−共犯者ノススメ。 投稿日:2003年07月27日(日)01時41分30秒
- 後藤との電話の後、フローリングの床の上で寝ていた飯田は大きなクシャミをして
目を覚ました。
手には携帯がある。
ずっと握ったまま、寝ていたらしい。
起き上がると固い床で寝ていた為に背中と首がギシギシと嫌な音を立てた。
「……手を握るだけの関係か」
飯田はポツリと呟き、口を歪めて笑う。
結局最初から最後まで後藤とはその程度の関係だった。
もちろんそれで良かったと思っている。
ただ、自分がしてきた事に意味があったのかどうかという事はよく判らなかった。
後藤の身体はまだ元には戻っていない。
むしろ最近になってまた悪化してきている。
市井と付き合えるようになって大喜びしていた頃には殆ど戻っていたというのに
一体どういう事なのだろう。
しかしそこまでは踏み込めない。
相談役ではあったが二人の間にズカズカと入る事は躊躇われた。
それに後藤にも拒絶されたのだ。
もう頼りにはしない、と。
- 150 名前:04−共犯者ノススメ。 投稿日:2003年07月27日(日)01時42分58秒
- 飯田は深々とため息をつき、慣れた手付きで携帯を操作してある番号にかけた。
すぐに繋がり、相手の声が聞こえて来る。
「もしもし?」
「ゴメン。今大丈夫かな?」
「そりゃ、いいけど、どうしたの?
あたしと違って最近忙しいって言ってなかったっけ?」
「紗耶香だってレコーディング終わったばっかでしょ」
「それからずっと暇だもんー」
からかうような口調で受話器越しでへへへ、と笑っている市井の声を聞いて
飯田も少しだけ笑った。
ライブ活動が落ち着き、歌詞を書く作業に苦悩していた市井だったがどうやら
乗り切ったようだ。
少し気になっていたので飯田はホッとしていた。
「今からそっちに行ってもいいかな?」
「へ?……別にいいけど。どうしたの、珍しい」
最近は余り顔を合わせていなかったので市井は驚いている。
しかも今は深夜だ。
飯田が深夜に電話をして会おうと言い出したのも今日が初めてだった。
後藤と付き合い始めてから市井と会う事を控えていたのだ。
電話も極力しないようにしていた。
市井の方からも連絡は余り入らない。
- 151 名前:04−共犯者ノススメ。 投稿日:2003年07月27日(日)01時44分48秒
- 「聞いてもらいたい事があるんだよね」
「何を?」
「……会ってから話す」
「ふーん。まぁ、いいけど」
とりあえずこれから会いに行くと告げ、飯田が電源を切ろうとボタンに手を
かけるとタイミング良く、音を立てて携帯のバッテリーが切れた。
真っ暗になったディスプレイを眺めてため息をつく。
部屋の中が静寂に包まれてから初めていつの間にか降り始めていた雨に気付いた。
窓が開いているので部屋の中にまで雨が入ってきている。
飯田は窓を閉め、台所から布巾を持って濡れた床を拭きながら窓を叩きつける
ように勢いよく降っている雨にどうして今まで気がつかなかったのだろう、と
疲れた笑みを浮かべた。
気持ちに余裕がない表れかもしれない。
飯田は立ち上がって鞄を手に取り、部屋の電気を消した。
携帯を充電器に差し、ある物を手に取って部屋を出た。
扉を閉める時に見えた暗闇に包まれた部屋が飯田にはまるで自分の心を
表しているように見えた。
- 152 名前:04−共犯者ノススメ。 投稿日:2003年07月27日(日)01時46分18秒
- >> 132さん
有難うございます。
ごまっとう以外にも地味に動くと思います。
>> 112さん
週末なので長めに更新しました。
松浦さんの所為で自分でも何を書いてるのか判らなくなってきました…。
- 153 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月27日(日)02時07分16秒
- 飯田さんがいいヤツで何か嬉しいです。
何気に藤本→後藤ラインがフェイクなのか本気なのか気になってしょうがない今日この頃。
- 154 名前:112 投稿日:2003年07月27日(日)12時38分38秒
- 毎日見るたびに更新されててビックリです。くぅ、明日が待ち遠しい。
- 155 名前:05−空き缶とゴミ箱。 投稿日:2003年07月28日(月)00時35分41秒
- 今まで自分が選んで来た道に後悔が全くないと言ったら嘘になる。
しかしそれを認めてしまったら負けのような気がしてしまう。
だから自分は間違っていないのだと信じ込み、進み続ける。
ブレーキの壊れた自転車に乗って急な坂を降りるように歯止めが利かない。
――そして罪に罪を重ねて自らの手で自分の首を締める。
- 156 名前:05−空き缶とゴミ箱。 投稿日:2003年07月28日(月)00時36分46秒
- * * *
- 157 名前:05−空き缶とゴミ箱。 投稿日:2003年07月28日(月)00時39分19秒
- 三月も半ばになると今まで使っていた冬用のジャケットが必要なくなり
春らしい柔らかな陽射しを感じるようになっていた。
薄着をして市井は街中を歩きながら大きく深呼吸をした。
空気を吸い過ぎた所為か、鼻の奥がツンとして少しだけ涙目になる。
今日はラジオの収録が予定されているのだがまだ時間には早い。
折角天気がいいのだから予定の時間まで外の空気を吸って過ごすのもいいな、と
思い、こうして出て来たのはいいがする事がなく、ただブラブラと歩いている
だけだった。
暇潰しにいつも通る道ではなく、わざと知らない道を選んで歩く。
狭い小道や人通りの少なそうな道は市井にとって見慣れぬ風景であり、最初は
新鮮な気持ちで歩いていたのだが徐々にそれが不安へと変わり、自然と足を止めた。
道に迷ったのではないか、という不安ではなく、自分は何をしているのだろう、と
いう不安。
この不安に捕らわれると一歩も動けなくなる。
市井は瞼を閉じて軽く頭を振り、何事もなかったかのようにまた歩き出した。
- 158 名前:05−空き缶とゴミ箱。 投稿日:2003年07月28日(月)00時40分46秒
- 通りかかった公園をふと見てみると人気が全くない。
市井は迷わず、中に進んだ。
何となく誰もいない所で休憩をしたくなった。
入り口に自動販売機があったので適当にお茶を選んでボタンを押すと派手な
メロディーと共にもう一度ランプが点灯した。
どうやらクジに当たったらしい。
静かな場所なので自分の周りだけが派手な音を立てている事に市井は恥ずかしくなった。
慌てて同じボタンを押す。
ラッキーだと思いたいが一人で二本も飲めない。
持って移動するにも荷物になるので余り嬉しいとは思えなかった。
市井はボロボロに錆びたブランコに腰をかけて周りを軽く見渡す。
寂れた公園というのが第一印象だった。
ブランコにすべりだい、砂場にシーソー、ベンチなど、どれも薄汚れて人を
寄せ付けないものがある。
ゴミ箱もいつから掃除されていないのかは判らないが中の物が溢れ返っていた。
日頃からこの公園は余り利用されていないのだろう。
しかしこういう廃れた場所は嫌いではない。
- 159 名前:05−空き缶とゴミ箱。 投稿日:2003年07月28日(月)00時44分05秒
- キィキィと鳴るブランコを少しだけ揺らしながら市井は携帯でメールを打ち始めた。
先日の飯田の様子が気になっていたのだ。
あの日、深刻そうな顔をして市井の家に来たので何かの相談をされるのかと思って
いたのだがあっという間に帰ってしまった。
会話もさほどしていない。
ただ、気になる事を口にしていた。
やはり訊いておけばよかった、と市井は後悔していた。
あの時は時間が遅い事もあって引き止める事が出来なかったのだ。
市井は送信ボタンを押して空を見上げた。
数日前とは違って吸い込まれそうなくらい雲一つない青空が広がっている。
もう少ししたら桜も満開になるだろう。
そして市井は思い出した。
再デビューしてもうそろそろ一年になるという事を。
そして間もなく娘。を卒業してから約三年ほどの時が経過しそうだという事を。
市井は瞼を閉じて、ブランコを漕いだ。
- 160 名前:05−空き缶とゴミ箱。 投稿日:2003年07月28日(月)00時45分57秒
- 「美貴と松浦には気をつけて」
部屋に招き入れてから開口一番、飯田はこう言った。
疲労の色が濃い顔をして、しかも真剣な口調で言われると思わず身を引いてしまう。
外はかなり雨が降っているらしく、傘も無意味だったのか、飯田の髪はしっとりと
濡れている。
市井は紅茶をテーブルに置いてからタオルを飯田に手渡して首を捻った。
藤本と松浦とは面識がないに等しい。
市井としては気をつけろと言われてもどうしようもないのだ。
それにどういう意味なのだろう。
そもそも、一緒に活動していた時からだが飯田は脈絡がない会話をする事が多い。
市井はため息をついた。
「意味が判んないんだけど?」
「言葉のままだよ」
「あの二人とあたしには接点ないじゃん」
市井はソファに座って紅茶を啜った。
湯気の向こうで眉間にしわを寄せて何かを考え込んでいる飯田の姿が見える。
どう話を展開させるべきかと悩んでいるらしい。
- 161 名前:05−空き缶とゴミ箱。 投稿日:2003年07月28日(月)00時47分14秒
- 久し振りに電話をしてきたかと思いきや、間を空けずにこうして雨の中わざわざ
やって来たのだ。
大事な話があると思っていいはずだろう。
目の前でこうして話し難そうにウジウジと悩み込んでいるくらいなのだから。
聞いてもらいたい事がある、と電話では言っていたはずだが今の話がそうなのだろうか。
しかし全く意味が判らない。
市井が首をしきりに傾げていると重々しく飯田が口を開いた。
「最近調子はどう?」
「まぁまぁかな。あんまし変化ないし」
「……そう。ごっちんとは上手く行ってるんだよね?」
「んー、まぁ、そこそこに」
「……ならいいや」
飯田は一人で納得している。
どうやら話は終わってしまったようだ。
きっと気が変わって話そうとしていた事を心の内に閉じ込めてしまったに違いない。
こうなるとお手上げだ。
たまに飯田は話を振っておきながら勝手に自己完結してしまう事がある。
市井がヤレヤレと首を振っていると飯田は立ち上がった。
出した紅茶を一口も飲まずに帰るつもりらしい。
- 162 名前:05−空き缶とゴミ箱。 投稿日:2003年07月28日(月)00時48分45秒
- 「もう帰るの?」
「うん。明日早いし」
「久し振りに来たっていうのに、それはないんじゃない?
もっとゆっくりしていけばいいじゃん」
「……ごっちんに悪いからね」
飯田は少しだけ淋しそうに笑い、鞄を手に取った。
そしてそのまま部屋を出て行こうとするのを市井は強引に腕を取って止める。
驚いて振り返ろうとする飯田を後ろから抱き締めた。
「……どうしたの?」
「あたしが淋しがり屋って事知ってるよね?」
「それがどうしたの?」
「…………」
市井は無口になって飯田を抱き締めている腕に力を込めた。
夜中になると無性に人恋しくなる。
最近は後藤とも会っていないので殆ど一人で過ごす夜が多い。
後藤の仕事が忙しいという事くらい判っている。
新曲のプロモーションであちこち飛び回っている上に今後はソロライブの
ダンスレッスンまで予定されているのだ。
携帯で毎日連絡は取り合っているものの、何処か物足りない。
- 163 名前:05−空き缶とゴミ箱。 投稿日:2003年07月28日(月)00時50分34秒
- 付き合う前からそれは予想していたが、こうして実感してみると自分が無様に思える。
市井は今ラジオくらいしか仕事がないのだ。
市井が身動きせずに黙り込んでいると飯田は抱き締められている手の上に自分の
手を添えた。
暖かい手の温もりを感じる。
久し振りに他人の温もりに触れる事が出来て市井は安心したが、飯田のその手に
力が込められる事はなかった。
「今日泊まっていけば?」
「ダメだよ」
「何でよー?」
「……紗耶香もさ、もうちょっと大人になりなよ」
飯田はキッパリとそう言い、市井の手を引き剥がした。
振り向いた飯田の顔を見ると微笑を浮かべている。
市井にはその笑みの意味が判らない。
ただ、拒絶された事だけは判る。
これ以上何を言っても無駄だ、と思った市井は首をポリポリと掻きながら話を変えた。
- 164 名前:05−空き缶とゴミ箱。 投稿日:2003年07月28日(月)00時52分20秒
- 「結局圭織は何を言いに来たんだっけ?この雨の中、わざわざ」
「何度も言わせないで。美貴と松浦には気をつけて、って事」
「それが意味判んないんだよなぁー。大体、携帯で説明出来るんじゃないの?
こうして直接話に来たって事はもっと大事な話があるんじゃない?」
「まぁ……、紗耶香がごっちんの事を本当に想ってるのならそれでいいよ」
「何だ、それ」
「いつか判るよ。圭織の言ってる意味がね」
「何のこっちゃ……」
飯田は口元を歪めて笑い、部屋を出て行ってしまった。
今に始まった事ではないが飯田の思考回路は市井には読めない事が多い。
いや、他人に比べたらまだ理解出来る方なのかもしれないが。
「藤本と松浦ねぇ……」
一人きりになった市井はポツリと呟いた。
飯田が後藤の名前を出してきたという事が市井には引っかかる。
藤本と松浦とは全く接点がない自分に関係があるというよりは後藤とあの二人に
何かがあると考えた方が自然だ。
- 165 名前:05−空き缶とゴミ箱。 投稿日:2003年07月28日(月)00時54分08秒
- 確認をする為に飯田の後を追いかけてみたが部屋を出て玄関に向かうと既に姿を
消していた。
扉を開けて廊下に出ても人影すら見えない。
激しい雨音が聞こえるだけだった。
飯田は市井にとってかけがえのない友達だ。
娘。のメンバーとして活動していた頃から性格は全く違うのに一緒に行動を共に
していた。
その関係は市井が卒業してからも変わりがなく、徐々に疎遠になっていった
メンバーとは違い、一緒に食事に行ったりしていた仲だった。
誰よりも市井を知る人間。
何をしても彼女なら許してくれるだろう、という気にさせてくれる。
素直になれるし、信頼もしている。
後藤よりも素の市井を知っているのが飯田だった。
ただ、今日の飯田の様子がいつもと違うように思えて市井は違和感を感じていた。
- 166 名前:05−空き缶とゴミ箱。 投稿日:2003年07月28日(月)00時55分22秒
- 「市井さん?」
市井は誰かに呼びかけられ我に返った。
何処かで聞いた事がある声。
しかし親しい人の声ではない。
揺らしていたブランコを止めて振り返ってみるとそこには藤本の姿があった。
こんな場所でまさか藤本に会うとは思ってもみなかった市井は狐につままれた
ような気分でいた。
藤本も同じ状態だったらしく、意外そうな顔をしている。
「こんなとこで会うとは思いませんでした。あ、美貴の事判ります?」
「うん。そりゃもちろん」
「市井さんと会ったのって数回しかないんで忘れられてるのかと思いました」
「んな、バカな」
市井が屈託なく笑っていると藤本は歩み寄り、隣に腰をかけた。
そして長い足を伸ばし、ギイギイと音を立てながらブランコを漕ぎ始めた。
人の目を気にしているのか、深く帽子を被っている。
ボーイッシュな服装がよく似合っていた。
藤本を見て過去の自分も過剰にそう思われてた時期があったな、と思いつつ
自分よりも身長が低いはずなのにどうしてこんなに手足が長いのだろう、と
市井は藤本の身体を見ながら軽く嫉妬してしまった。
- 167 名前:05−空き缶とゴミ箱。 投稿日:2003年07月28日(月)00時58分03秒
- そういえば、どうしてこんな所に藤本がいたのだろう、と市井は首を傾げた。
表通りではない場所なのだ。
どちらかといえば此処は裏道で偶然出逢うような場所ではない。
近所に住む人間しか利用しないような所で知人に会う確率など極僅かだろう。
藤本は楽しそうに先程よりも勢いをつけてブランコを漕いでいる。
背筋が寒くなるようなブランコの軋む音が耳に付いて市井は顔をしかめた。
「……ねぇ。何で、こんなとこにいたの?」
市井が問い掛けるとようやく藤本は足で強引にブランコを止めた。
乾いた空気に砂埃が舞う。
藤本は手についた錆を払いながら顔だけ市井に向けた。
口元には笑み。
「今月末にまいちゃんの誕生日があるから欲しがってた物を買おうと思って。
そしたら迷っちゃったんですよね。
ここらへんにショップがあるって聞いてたんですけど」
「……まいちゃん」
誰だっけ、という言葉を辛うじて飲み込み、市井が考え込んでいるとそれを
読んでいたのか、藤本は「カントリー娘。の里田まいちゃんです」と付け加えた。
それでようやく市井は納得出来た。
- 168 名前:05−空き缶とゴミ箱。 投稿日:2003年07月28日(月)00時59分25秒
- 同じ事務所の人間でも出入りが激しいので名前など、いちいち覚えていられない。
よほど目立つ存在でもない限り無理だ。
「っていうかさ、敬語なんていいよ。あんまし歳変わんないんだし」
「でも市井さんは一応先輩ですから」
笑顔を浮かべている藤本を見て市井は怯んだ。
市井と藤本の年齢の差は一つ。
しかし年齢よりもキャリアの差の方が大きいような気がするのだ。
芸能界に入ったのは、もちろん市井の方が先だが休業期間が存在している。
市井が再デビューをする一ヶ月前に藤本がデビューをしているので二人の関係は
少し複雑だ。
その事を藤本に説明しても無駄だった。
先輩は先輩。
その考えを変える気など全くないらしく、藤本は一歩も引かない。
市井もどうでもいいや、と苦笑いをした。
「そういえば市井さんってごっちんと付き合ってるんですか?」
「何を急に……」
突然の質問に市井は面食らっていた。
- 169 名前:05−空き缶とゴミ箱。 投稿日:2003年07月28日(月)01時01分14秒
- 藤本の口から後藤の名前が出るというのも何だか妙な感じがしたが、よく考えたら
松浦と三人でユニットを組んでいたのだからそれなりに仲が良かったのかもしれない。
後藤の口から二人の名前が出た事は一度もなかったと記憶しているのでただの予想で
しかないのだがそれにしても何と返していいものか言葉に困る。
市井はずっと手に握っていたお茶の缶に今頃気付き、藤本に差し出した。
「さっき自販で当たったんだ。よかったらどうぞ」
「有難うございます。でも話は逸らさないで下さいね」
「別にそんなつもりじゃないけど」
全てを見抜いていると言わんばかりに藤本は笑みを浮かべたまま、市井から
受け取った缶のプルトップを引いた。
小気味いい音が辺りに響き渡る。
市井もそれに倣って缶を開けた。
少し前に買ったものだがまだ冷たい。
お茶を飲みながら市井は飯田の言葉を思い出していた。
“美貴と松浦には気をつけて”
- 170 名前:05−空き缶とゴミ箱。 投稿日:2003年07月28日(月)01時04分00秒
- いつものように誰に対しても気楽にペラペラと喋るのではなく、今日は用心して
おいた方がいいのかもしれない。
飯田がわざわざ忠告して来るような事なのだから気をつけておいた方がいいのだろう。
両手で缶を包みながら藤本とは目を合わさないように市井は足元に視線を落とした。
こうして二人っきりで話すのは初めてだ。
今まで事務所などではすれ違った事があるが、社交辞令で頭を下げた程度だった。
それでもこうして普通に会話が出来ているという事を考えたら藤本は人見知りを
全くしない性格なのかもしれない。
芯が強くて物怖じしないという印象も受けた。
いつも思っていた事だが藤本の目は何処か冷めているような気がする。
それが市井には自分が置かれた状況などを客観視出来る人間の目のように見えていた。
いつまでも黙り込んでいる市井に焦れたのか、藤本は小さくため息をついた。
「噂で聞いた事があるんです。ごっちんと市井さんは付き合ってるって」
「ふーん。でもどうしてそんな事を訊くの?」
「ごっちんに興味があるんです」
「…………へぇ」
話の流れからして藤本の言葉は予想出来たものだった。
- 171 名前:05−空き缶とゴミ箱。 投稿日:2003年07月28日(月)01時05分10秒
- 少し前に安倍さんを出したら、この状況。
こんな時期にこんな内容。
とりあえず、リアルでもタイムラグがある話なので今後も書いたものは
そのまま投稿します。
そもそも安倍さんはもう出てこ(略
>> 153さん
有難うございます。
みきごまがフェイクかどうか、ご覧下さい。
>> 112さん
今日はさすがに飼育が繋がり難く感じます…。
投稿を諦めようかな、と思ったんですけど。
- 172 名前:153 投稿日:2003年07月28日(月)19時00分10秒
- 変な勘ぐりはせずに読みたいと思ってるんですが、どうもその2人が特に本心を
隠しているように思えてしまいまして。
登場キャラが増えてきて、益々楽しみです。
- 173 名前:05−空き缶とゴミ箱。 投稿日:2003年07月28日(月)23時29分02秒
- 横恋慕でもするつもりだろうか。
それとも、もしかしてこれは宣戦布告だろうか。
後藤は昔からモテる。
一緒に活動していた時からそれは感じていたし、市井が娘。を辞めてから後藤が
年下のメンバーに慕われている事も知っていた。
だから市井はずっと自分の気持ちを伝える事に躊躇していたのだ。
それに今の後藤と過去の後藤は違う。
市井は俯いたまま、苦笑いを浮かべてそのまま口を開いた。
「あたしにそんな事言っても意味なんてないと思うけど」
「だって付き合ってるんでしょう?そこはちゃんと確かめておかなくちゃ」
「付き合っていようがいまいがあたしにそんな事を言うのは無意味だって言ってるんだよ。
後藤が藤本の事をどう思ってるかっていう事の方が大事でしょ?
いくら藤本が後藤の事を好きでも向こうに気持ちが全くなかったら、とかって思わない?
だから一番あたしが関係ないって事」
「……それって余裕って事ですか?美貴なんて相手にならないって思ってませんか?」
- 174 名前:05−空き缶とゴミ箱。 投稿日:2003年07月28日(月)23時30分20秒
- 藤本の声のトーンが下がり、市井が顔を上げるとペコッという乾いた音が聞こえた。
見てみると藤本が手にしていたアルミの缶がへこみ、目にも力が入って口元が
しっかり結ばれていた。
目の奥から怒りの感情が溢れている。
思わず市井は苦笑いを浮かべた。
藤本を怒らせる為に選んで口にした言葉ではないのだ。
「そういうんじゃなくて。選択権は後藤にあるっていう意味だよ。
藤本がいなくても、あたしに飽きたら自然と他に行くでしょ」
「……なんか」
「何?」
「市井さんってごっちんの事を本当に想ってるように見えませんね」
「……心が広いって言って欲しいな」
ぎこちない笑みを浮かべて市井は立ち上がった。
何でもないように見せていたが実は藤本に全て見透かされているような気がして
内心冷や汗をかいていた。
自分でもよく判らないのだ。
後藤の事を本当に好きなのかどうかが。
オマケに今では最初から本当に好きだったのだろうかという疑問まで付いてくる。
かなり間の抜けた疑問だ。
他人の気持ちではなく、自分の気持ちが判らないというのだから。
市井は尻の汚れを払って、藤本に向き直った。
- 175 名前:05−空き缶とゴミ箱。 投稿日:2003年07月28日(月)23時32分35秒
- 「そろそろ仕事だから行くね」
「ごっちんが美貴の事を好きになったら市井さんは引いてくれるんですか?」
「その時が来たらね。全ては後藤次第だよ」
「……そうですか」
藤本は抑揚のない口調で呟き、腕を伸ばして手にしていた缶の飲み口を地面に向けた。
勢いよく、溢れ出す液体。
日光に反射してキラキラと光って見え、地面には水溜りが広がって行く。
液体が足元に跳ねても気にならないようで藤本は無表情のまま、流れ続ける液体を
見つめている。
その目は何処か冷めているように見えた。
市井は藤本を見て完全に言葉を失っていた。
今頃気付いたのだが缶を開けたものの藤本は一度も口をつけなかった。
市井に貰ったものなど飲めない、と言わんばかりに。
しばらくして缶が空になり、藤本は一仕事終えたようにゆっくりと立ち上がった。
並んでみてもやはり市井より藤本の方が若干背が低い。
しかし存在感が大きかった。
市井は圧倒されてしまう。
「美貴にはごっちんがどうして市井さんと付き合っているのかが判りません」
「……あたしだって判んないさ」
- 176 名前:05−空き缶とゴミ箱。 投稿日:2003年07月28日(月)23時35分13秒
- 「なんか、ガッカリしました」
「そっちが勝手に過大評価してただけでしょ」
市井が苦笑いしながら苦し紛れにそう答えると藤本は何も言わずに踵を返した。
一度も振り返らずに遠ざかって行く姿勢のいい背中を眺めながら市井は自分の喉が
カラカラに乾いている事にようやく気付いた。
手にしていたお茶を一気に飲み干していると藤本が少し離れた距離にあった
ゴミ箱に向かって缶を投げ捨てている姿が見えた。
既にゴミで溢れ返っているゴミ箱に缶が収まるわけもなく、カランという虚しい音を
立てて藤本が投げた缶は地面に落ちた。
それでも藤本は気にせず、公園を出て行ってしまった。
「……嫌な年下だな」
ポツリと呟く。
そして、藤本は自分とは違う人間だ、と市井は思っていた。
正反対。
いや、過去の自分には似ているのかもしれない。
無理やり親近感を抱こうとする必要などないのかもしれないが何となくそう思った。
- 177 名前:05−空き缶とゴミ箱。 投稿日:2003年07月28日(月)23時36分40秒
- 市井は藤本が投げた距離よりも遥かに遠くの距離から空き缶を放った。
外れるのを判っていて投げたつもりなのにゴミとゴミの隙間にスッポリと上手く
缶は収まった。
思わず、拍子抜けしてしまう。
絶対に外れると市井は心の中で期待していたのだ。
藤本の缶は入らず、自分の缶は難なく入ってしまった。
何だか今の自分達をよく表している気がする。
ゴミ箱を眺めながら市井は自嘲気味に笑った。
- 178 名前:05−空き缶とゴミ箱。 投稿日:2003年07月28日(月)23時38分59秒
- 市井が娘。を卒業しようと思ったのはやりたい事が他に出来たからというのもあるが
単純にもう疲れ果てていたからだった。
当時の娘。は人気も右上がりで休みも殆ど皆無という状態だったので自分の趣味に
時間を取る事など出来るわけがなく、遊びに行く事も出来なかった。
他のメンバーもストレスを抱えていたはずだ。
それくらい仕事がハードだった。
今にして思えば仕事のピークはその時期ではなかったのだが思い込んだら一直線と
いう性格をしている市井にはその時既に限界を感じていたのだ。
娘。を辞めると何かの電源を落としたように静かな日常が始まった。
地元の友達と色んな所に遊びに行き、仕事をしている時には感じる事が出来なかった
のんびりとした一日の流れを実感する事が出来た。
しかし仕事がない日々というのは最初でこそ新鮮だったがのちに暇を持て余すように
なった。
芸能界に入るまでは当たり前だったはずの日常が何処か物足りないものに変わって
しまっていたのだ。
- 179 名前:05−空き缶とゴミ箱。 投稿日:2003年07月28日(月)23時41分10秒
- ずっと習いたいと思っていた英会話を習いに行った。
しかし続かなかった。
ずっとやりたいと思っていた楽器も買った。
しかし続かなかった。
事務所から連絡が全く来ない状態も続いていた。
初めの頃は遊ぶ事しか頭になかったのでスッカリ忘れていたが徐々に不安に
なって来た。
もしかしてもう二度と芸能界には戻れないのではないだろうか、と。
しかし市井としては待つ事しか出来なかったのだ。
選択権などないのだから。
半年も経てば家から出ない日が増えた。
家の中で漫画を読んだり、テレビを見たりと無駄な時間の使い方をして暮らして
いるとそれまで傍観していた母親も目に余るものがあったようで大喧嘩になった。
それでも市井は生活態度を変える事はなかった。
日々、惰性で生きているような気がしていた。
娘。を何の為に辞めたのかすら思い出せなくなってしまったのだ。
- 180 名前:05−空き缶とゴミ箱。 投稿日:2003年07月28日(月)23時42分14秒
- 茶色に染めたはずの髪は生え際が黒くなり、鏡を見る度にその幅が広がっていった。
マニキュアの塗り過ぎで黄色に変色していた爪もいつの間にか元に戻っていた。
何もしなくても自分は生きているのだとそれらで確認する事が出来た。
確認しなければ人形にでもなってしまったのではないかという錯覚に陥りそうだった。
それでも市井は芸能界に復帰すれば元に戻れると高を括っていた。
卒業する前と何も変わらないと思っていたのだ。
それが間違いだった。
- 181 名前:05−空き缶とゴミ箱。 投稿日:2003年07月28日(月)23時45分38秒
- >> 153さん
えーと、本心ですか。
登場人物全員が素直じゃない気がしますが。
安倍さんの件でおめでとうと思った自分は極悪なのでしょうかね(ニガ
- 182 名前:05−空き缶とゴミ箱。 投稿日:2003年07月30日(水)00時53分04秒
- 「……っ」
暗闇の静かな部屋に吐息だけが漏れている。
掴んでいた二の腕に力を入れると後藤は小さく悲鳴を上げた。
それでも市井は力を入れた手を緩めずに後藤の首筋に吸い付く。
「……見えるとこはヤバイって」
「いいじゃん。直ぐに消えるって」
「……んっ」
それまで向かい合う形で座っていたのだが市井は後藤の言葉を聞かずにそのまま
ベッドの上に押し倒した。
市井の粗い愛撫の所為で後藤は眉間にしわを寄せる。
これはいつもの事だ。
二人がこういう関係になってから市井が優しくした事など一度もない。
何かに取り憑かれているかのように荒々しく後藤を抱く。
行為が終わった頃には全身傷だらけになるというのにそれでも後藤は決して
辞めろとは言わずに必死で耐えている。
市井にはそれがまた面白くない。
自分の思い通りになり過ぎるのも物足りなく感じるのだ。
- 183 名前:05−空き缶とゴミ箱。 投稿日:2003年07月30日(水)00時54分49秒
- むしろ後藤の掌で踊らされているような気分になってしまう。
力は後藤の方が強いというのに余り抵抗しないのだ。
市井は掴んでいた二の腕から徐々に手を移動させてふと手を止めた。
「まだ付けてんの?これ」
市井は自分の目の前に後藤の腕を持ち上げて、巻いてあるリストバンドをじっと見入る。
部屋の電気を消してからそれぞれで服を脱いだので今まで気が付かなかった。
後藤は黙り込んで市井と目を合わせないように顔を少し背けている。
後藤がリストバンドを付けている事は前から市井も知っていた。
毎日両手に付けているのだから気が付かないわけがない。
今までの経験上、付けている理由を後藤に訊いても何も答えようとはせずに
ただ苦笑いを浮かべるだけだと判っていたので普通なら市井もこれ以上は
触れないはずだった。
しかし今日後藤が付けているリストバンドは今まで見たものとは少し違う気がするのだ。
ズシリとかなりの重みを感じる。
- 184 名前:05−空き缶とゴミ箱。 投稿日:2003年07月30日(水)00時56分44秒
- 「重くない?」
「……重くないよ」
「こういう時くらい外しておけば?」
「……市井ちゃんだって今も腰にベルト巻いてるじゃん」
「これは腰痛防止ベルトだもん」
市井の言い訳などどうでも良かったらしく、後藤は上半身を起こして床に脱ぎ
散らかしていた服を集め始めた。
リストバンドに触れた事で機嫌を損ねてしまったようだ。
後藤の方から中断する事など今まで一度もなかったので市井は釈然としない
気分だった。
服を着たままの市井とは違って全裸だった後藤は素早く着替えていた。
市井は一人暮らしをしているが後藤が泊まって行く事は殆どない。
お互いの時間が合えば此処へやって来て数時間後に別れる。
二人は外に出て買い物をしたり、映画を見に行くという当たり前の事をしない。
付き合い始めてまだ数ヶ月しか経っていないという理由もあるのだが
後藤が一緒に外へ出かけようとしないのだ。
だからといって、部屋でずっとベタベタ、イチャイチャとしているわけでもない。
付き合い始めて直ぐにこういう身体の関係になったというのに、何処か普通の
カップルとは違っている不思議な関係。
そんな事を思っていると市井は既視感に襲われ、居心地が悪くなった。
- 185 名前:05−空き缶とゴミ箱。 投稿日:2003年07月30日(水)00時58分01秒
- 後藤の携帯が鳴った。
一瞬でメロディーが止まったのでメールだろう。
市井は立ち上がって部屋の電気をつけた。
今まで暗闇に近かったので少しだけ目が眩む。
Tシャツ姿でいた為か、寒気がして市井は剥き出しの腕を軽く撫でた。
ブルッと身震いをしながら傍に転がっていたトレーナーを慌てて被っていると
隣で携帯を確認していた後藤が「んー」と困惑している声を漏らした。
「また、美貴ちゃんからか。マメだなぁ」
「……藤本?」
「うん。最近、よくメール来るんだよね」
「へぇ……」
慣れた手付きで素早く携帯のボタンを操作している後藤の背中を眺めながら
市井は藤本との会話を思い出していた。
あの様子だと藤本は本気なのだろう。
自分の存在は彼女にとって邪魔なものでしかないのだろうな、と市井は思った。
飯田が藤本と松浦に気をつけろ、と言っていた意味も今では半分理解出来ていたが
残りの半分である松浦の方がよく判らない。
- 186 名前:05−空き缶とゴミ箱。 投稿日:2003年07月30日(水)00時59分51秒
- もしかして藤本と同じように松浦も後藤の事を想っているのだろうか。
殆ど面識のない人間の思考など読めるわけがない。
考えても無駄だ、と市井は直ぐに匙を投げた。
そういえば飯田に送ったメールも結局返事が返って来なかった。
きっと質問に答える気がないのだろう。
期待はしていなかったので落胆はしなかった。
藤本には後藤次第だ、と答えてみたものの、実際のところどうなのだろう、と
市井は考えてみた。
本当に藤本が積極的に後藤にプッシュして来たとしたらその時自分はどう
対応するのだろう。
焦るだろうか。
後藤に思い留まれと必死に説得するのだろうか。
それとも平然としているのだろうか。
いや、自分の事よりも後藤が現在どう思っているのかが気になるところだ。
ベッドに腰掛け、探りを入れるようにして市井は話題を振る事にした。
まだメールを打っている後藤の背中に問い掛ける。
「そういや、藤本と偶然会った」
「美貴ちゃんと?っていうか、市井ちゃんって美貴ちゃんと顔見知りだっけ?」
「ちゃんと喋った事はないけど知ってたよ。後藤の事話してたんだ」
「へ?」
条件反射的に後藤は振り返った。
- 187 名前:05−空き缶とゴミ箱。 投稿日:2003年07月30日(水)01時01分12秒
- 市井の目には後藤の顔から表情が消えてほんの少しだけ緊張しているように見えた。
何か心当たりがあるのだろうか、と考え、もしかしたら既に藤本が後藤に何かを
言っているのかもしれない、と市井は思った。
何となくだが藤本は行動に出るのが早そうだと思ったのだ。
「宣戦布告された」
「……何それ」
「あたしから後藤を奪う気満々みたいだったよ」
「…………」
「後藤はどうすんの?」
「…………」
後藤が黙り込んでしまったので気まずい沈黙が出来てしまう。
顔を見ればどう返答したらいいのだろうかと困っている様がよく判る。
改めて市井は自分が卑怯だと思った。
困るのを判っていて質問しているのだから尚更たちが悪い。
それでも市井は攻め続ける。
- 188 名前:05−空き缶とゴミ箱。 投稿日:2003年07月30日(水)01時03分10秒
- 「藤本がさ、後藤が藤本の事を好きになったら身を引いてくれますか?って
訊いて来たからさー。全部後藤に任せるって答えちゃったんだよね」
「……どういう意味?」
「選択権は後藤にあるって事。
そう言ったら藤本にあたしが後藤の事を本当に好きなようには見えないって
言われちゃった。失礼なヤツだねー、あの子」
「……あたしにもそう見えるよ」
「何が?」
「市井ちゃんがあたしの事を本当に好きなのかどうか、たまに判んなくなる」
後藤は真剣な表情で市井を見つめた。
その視線を逸らさずに市井はぷっと吹き出した。
笑っている状況ではないと判りつつも何故か笑いが止まらなくなり、腹をかかえて
ベッドに横たわっていると後藤は淋しそうな表情をして立ち上がった。
「帰るよ……。明日、ダンスレッスンあるから」
「あー、ソロライブの振り付けがあるんだっけ?」
「うん。沢山覚えなくちゃいけないから」
「そっか。じゃあ、気をつけて帰ってね」
市井は目に浮かんだ涙を拭い、薄く笑いながら立ち上がった。
後藤も似たような笑みを浮かべている。
市井にはその表情が自分に気を遣っているように見えた。
- 189 名前:05−空き缶とゴミ箱。 投稿日:2003年07月30日(水)01時04分19秒
- わざと答えをはぐらかした市井に気付いていながらも知らない振りをしている。
後藤の性格から考えると間違いない、と市井は思った。
後藤を見送って市井は自分の部屋にまた戻った。
暖房をつけているのにも拘らず、一人になると途端に部屋の室温が下がったような
気がした。
今日は少しだけ肌寒いので暖房をかけていたのだが空気が乾燥しており、喉に
違和感を感じる。
市井は暖房の電源を切って、窓を少しだけ開けて換気をする事にした。
窓の外を見てみると後藤の小さな背中が見えた。
市井は慌てて携帯を手に取り、簡単なメールを作って手を止めた。
どうしても送信のボタンが押せない。
“今日はゴメン。仕事頑張って”
ただ、それだけのメールなのになかなか送信が出来ない。
市井は深いため息をついて、そのまま携帯を枕元に放り投げた。
そしてベッドにあったクッションを抱き締めて、そのまま顔を埋める。
今の自分はとんでもなく情けない顔をしているだろう。
それが判っているから顔を隠した。
- 190 名前:05−空き缶とゴミ箱。 投稿日:2003年07月30日(水)01時05分56秒
- 後藤が本当に自分の事を好いているのか判らないと言った言葉も市井は納得していた。
逆の立場なら間違いなく自分も同じ言葉を口にしていると思ったからだ。
藤本に言われた時はさほどショックを受けなかった言葉なのに後藤に同じ事を
言われるとかなり堪えた。
藤本は殆ど付き合いのない人間で逆に後藤は当事者だからだろう。
それに後藤とは仲間としてももちろんそうだが、それなりに付き合ってきて
お互いの性格などを把握している関係でもあるのだ。
その後藤に判らないと言わせてしまう自分が市井は情けなく思えた。
余裕なんてあるわけがない。
いつも自分は崖っぷちだ。
少しでも動くと足元でガラガラと小石が転がり落ちる音が聞こえてくるような
気分を抱えている。
不安定な足場に今の自分はいるのだと市井は気付いていた。
ある時期まで市井は自分の欲望のまま、進んで来た。
周りにどれだけ止められようが失敗を恐れる事なく、後先考えずに自分の
直感だけを信じて進んで来たのだ。
しかし一度躓いてしまうと二度とそれが出来なくなった。
何事にも臆病になってしまったのだ。
- 191 名前:05−空き缶とゴミ箱。 投稿日:2003年07月30日(水)01時07分07秒
- 自分が進むべき道はこれで本当に良いのだろうか、また同じ失敗を繰り返すのでは
ないだろうか、という不安が常に付きまとう。
市井は自信をなくしてしまっていた。
だから後藤との付き合いにも自信がなくなっていた。
虚勢を張って誰にも判らないようにしているつもりだが、見えない所でいつも
市井は不安を抱えている。
何が間違いで何が正しいのか冷静に判断する事が出来ないのだ。
仕事だけではなく、日常的な事から何から全て自分で決める事が出来なくなっていた。
しかし他人にそれを見破られるのが一番怖い。
心のこもっていない言葉、行動、上辺だけの自分。
必死で本当の自分を隠そうと日々格闘している。
自然に見えるように努力している。
何て無駄な行為なのだろう、と判っていながらも、そうする事しか出来ない。
そうしなければ壊れてしまいそうだった。
自分を保っていられないのだ。
「……ダサ」
クッションに顔を埋めていた所為でくぐもった声になった。
虚しい響き。
一人きりになると弱い自分がますます弱って行くような気がして市井はいつでも
誰かを必要としていた。
傍にいてくれる自分の味方を。
- 192 名前:05−空き缶とゴミ箱。 投稿日:2003年07月30日(水)01時08分08秒
- 素の市井を知っているのは飯田だけだ。
いつか後藤にも知られる時が来るのだろうか、と思いながら市井はギュッと
クッションを掴んでいた手に力を込めた。
怖いのだ。
後藤に本当の自分を曝け出す自信がない。
付き合っている相手なのに偽りの自分をわざと見せている。
それは自分にとっていい事なのか、悪い事なのか正直市井にはよく判らない。
判りたくもないから逃げている。
これ以上、何かを失うのは避けたい。
今より最悪な状況になるのが怖い。
今のように不安を抱える日々も辛いが最悪の結果が出てしまうよりは
まだマシだと思えた。
これ以上、転がり落ちてたまるか、ともがき続けている。
でも――。
終着点は一体何処にある?
そこには一体何がある?
自分は何処へ行きたいのだろう――。
市井は抱えていたクッションを思いきり壁に叩きつけた。
- 193 名前:名無し読者 投稿日:2003年07月30日(水)02時03分29秒
- 市井の視点がリアルですね。
最後に、救いはあるんでしょうか…。
- 194 名前:06−ギアチェンジ。 投稿日:2003年07月31日(木)02時30分21秒
- 人間には裏と表がある。
それくらい誰にでも判っているはずだ。
――しかしそれを甘く見過ぎていた。
- 195 名前:06−ギアチェンジ。 投稿日:2003年07月31日(木)02時31分19秒
- * * *
- 196 名前:06−ギアチェンジ。 投稿日:2003年07月31日(木)02時37分50秒
- 桜の木が満開になりつつある頃、藤本は雑誌の撮影をしていた。
屋外での撮影は大好きだった。
狭いスタジオで撮る時のような息苦しさを感じる事もなく、自然と笑みが零れる。
北海道にいた頃に見ていた空とは違っていたがよく晴れた空を見ていると開放的な
気分になれた。
撮影が終わると珍しくカメラマンに褒められたので藤本は機嫌良く、次の仕事に
向かった。
その後はテレビの収録があり、石川、里田、斉藤と共に控え室でメイクをしていた。
同じ番組では後藤も登場するのだが撮影は別なのでこの場にはいない。
藤本としては最初にこの仕事を知った時に大喜びしたのだが一緒に撮影するわけ
ではないと知った途端に物凄く落胆した。
自分でも現金だと思う。
しかし今日は気分がいいのだ。
視線が鋭いと言われる事が多い藤本にとってカメラマンに褒められる事ほど嬉しい
事はない。
大きな鏡の前で藤本が笑顔を作っていると隣でファンデーションを塗っていた
石川が手を止めて顔を覗き込んで来た。
「美貴ちゃん、なんだかご機嫌だね」
「梨華ちゃんだっていつも幸せそうじゃん。悩みなんてなさそうだし」
- 197 名前:06−ギアチェンジ。 投稿日:2003年07月31日(木)02時42分31秒
- 「うわ、嫌味ー?ダイエットしろってマネージャーに言われちゃった私にそんな事言う?」
「あー、うるさい。うるさい。そんなの知らないよ。
大体、梨華ちゃんが悪いんでしょ。美貴みたいに毎日腹筋しなよ」
あしらうようにして藤本が手でシッシッと追い払うと石川はぷくっと頬を
膨らませてまだ文句を言っていた。
それを見て里田と斉藤も笑っている。
映画で一緒に仕事をするようになって石川とは仲が良くなった。
秋からは同じおとめ組という事もあって今よりももっと時間を共有する機会が増える。
気心が知れた人間が出来ると娘。として活動する時の不安も和らぐ。
後藤からもグループ活動は人間関係が一番大切だと聞かされていたのだ。
そこで藤本は思い出した。
自分に対する後藤の様子が少しおかしいのだ。
少し前まではメールの返信を直ぐに返してくれていたのに最近は間が開く事の方が多い。
携帯で本人に通じてもいつもののんびりした口調なのだが忙しいと直ぐに切られたり
留守電になっていたりする。
- 198 名前:06−ギアチェンジ。 投稿日:2003年07月31日(木)02時44分38秒
- 後藤のスケジュールはある程度把握しているつもりだ。
ライブが近いので忙しいのだろうが、ライブが先に予定されているのは藤本の
方だった。
もちろん本数は違うのだが何となく納得が出来ない。
心当たりは余りないはずなのだがもしかして避けられているのだろうか。
いや、市井が余計な事を言ったという可能性があるな、と藤本は思い直した。
あれだけ態度が悪かったら市井もいい気分ではなかったはずだ。
後藤に何か吹き込んでいても不思議ではない。
ちょっと煽り過ぎちゃったかな、と市井と会った時の事を思い出して藤本は
肩をすくめた。
藤本にとって市井は過去の人間でしかない。
数年前に人気がある内に芸能界から姿を消した人間。
しかし復帰した途端、当時の人気は何処へやら、今では転落人生を目の前で
演じてくれている。
自分はああいう人間にはならない、なってたまるものか、と思ってしまう。
市井と対面した時、藤本が直ぐに抱いたのは嫌悪感だった。
あの自信のなさは見ていて不快だ。
後藤は一体市井の何処に惹かれたのだろうか。
それが藤本には理解が出来ない。
直接話をしてみて更にそう思った。
- 199 名前:06−ギアチェンジ。 投稿日:2003年07月31日(木)02時49分40秒
- 「そういやさー。ごっちんにメールしてもあんまし返って来ないんだけど
これって美貴だけ?」
「私は直ぐ返って来るよ?」
「あたしもちゃんと返って来るけど……。
もしかして美貴ちゃん、避けられてるんじゃない?ハミゴだ、ハミゴ」
「……まいちゃん、なんて事言うの」
里田が意地悪そうな顔をして藤本を脅かす。
それに乗って石川や斉藤も悪乗りをして藤本をからかうので収録が始まる頃には
精神的に疲れ果ててしまっていた。
まとめ撮りをする番組なので収録時間もかなりかかり、体力的な疲労も相当な
ものだった。
藤本は服を着替えながら今日これからどうするかを考えていた。
部屋の壁にかかっている時計で確認してみると丁度晩御飯時だった。
今日予定されていた仕事は全て終わった。
後は帰るだけなのだが、一人で家に帰るにしては時間がまだ早く、勿体無い気がする。
少し前までなら松浦の家へ遊びに行って一緒に御飯を作ったり、DVDを見たり
していたのでプライベートな時間の使い方で悩む事など一度もなかったのだ。
自ら松浦を遠ざけてしまったのだから自業自得なのかもしれない。
- 200 名前:06−ギアチェンジ。 投稿日:2003年07月31日(木)02時53分00秒
- こうして距離をおいてみて藤本が初めて気付いた事は松浦と同じくらい仲良くして
いる人間が自分には余りいないという事だった。
妬みの感情を抱いていたものの、松浦とは藤本がデビューする前から普通に親友としての
付き合いをしていたのだから同じレベルの付き合いをしている人間など皆無に等しい。
しかし仕方がないのだ。
少しやり過ぎたかもしれないがあれくらいやらないと自分の言葉を松浦は気にも止めて
くれないだろう、と藤本は思ったのだ。
過剰な好意など必要ない。
普通の友達でいいじゃないか、きっと彼女もそれに気付くはずだ、と藤本は高を括っていた。
里田でも誘って何処かへ食べに行こうか、と藤本が思っていると石川が声をかけて来た。
「あ、そうそう。これからごっちんと会うんだけど美貴ちゃんも来る?」
「え?」
「一緒に御飯食べようって約束してたんだ。
ごっちんももう直ぐ仕事終わる時間だから」
「へぇ……」
藤本は表情を表に出さないように何でもないような顔をして頷いてみせた。
- 201 名前:06−ギアチェンジ。 投稿日:2003年07月31日(木)02時56分31秒
- もし本当に避けられているのならばこの申し出は有り難い。
たまたま居合わせたという状況ならば後藤も逃げられないはずだ。
そこで問いだたすというのも悪くはない。
このままだと前に進めそうもないのだから。
自分の内の感情を見抜かれないように注意をして藤本は呟いた。
「じゃあ、行こうかな」
「よーし。決定。人数が多い方が楽しいもんね。きっとごっちんも喜ぶはずだよ」
石川は嬉しそうにそう言っていたが内心それはどうだろう、と思っていると
隣で話を聞いていた里田が「あたしも行っていい?」と割り込んできた。
石川は調子に乗って斉藤も誘ってみたのだが用があるから、という理由で彼女は
先に部屋を出て行ってしまった。
結局集まった人数は後藤を入れて四人になったようだ。
藤本が自然とニヤける頬を軽く撫でながら廊下に出ると部屋に残された
石川と里田は顔を見合わせて首を傾げていた。
- 202 名前:06−ギアチェンジ。 投稿日:2003年07月31日(木)03時03分46秒
- 「……最近美貴ちゃん、様子が変だよね」
「あ、梨華ちゃんもそう思ってた?
もしかして、ごっちんにハミゴにされた事に傷ついてるのかなぁ」
「ハミゴかどうかは知らないけど確かにおかしいよね。
美貴ちゃん以外は普通にレス来るし」
「って事は、美貴ちゃんがごっちんを怒らせるような事したんじゃない?
本人が気付いてないだけで」
「まいちゃん、何気に酷い事言ってるね……」
里田の本気か冗談かよく判らない話を聞きながら石川も調子に乗って勝手な妄想を
続ける。
「でもさー、亜弥ちゃんと一緒なとこも最近見ない事ない?
前まであんなにベタベタしてたのに。私が知らないだけかな。
まいちゃんは二人が一緒にいるとこ見た?」
「うぅん。全然見ない。喧嘩でもしたのかなぁ?」
「えー、あの二人に限って、それはないんじゃない?」
「喧嘩くらい誰だってするでしょ。
もしかして、美貴ちゃんって誰にでも喧嘩売ってるんじゃない?」
「……まいちゃん、それは笑えないよ」
「ちょっと、ちょっと。冗談なんだからそこは笑ってくれないと困るなぁ」
- 203 名前:06−ギアチェンジ。 投稿日:2003年07月31日(木)03時05分54秒
- 「……でもさ、亜弥ちゃんの場合はよくラジオとか雑誌で遊びに行ったとか
ベタベタしたコメントを今でもしてるじゃない」
「そこまで知らないよ。チェックしてないもん」
里田が顔の前で手をヒラヒラとさせると石川は大げさに腕を組み、「うーん」と
唸り声を上げた。
それまでわざと冗談ばかりを口にしていた里田だが何となく嫌な予感を抱いて
眉間にしわを寄せた。
里田は冗談を入れる事が出来る会話とそうでない会話をきちんと見極める事が出来る。
急に場の空気が変わったのを察していたのだ。
「……梨華ちゃん、何か企んでない?」
「何が?」
石川は素の表情をして首を傾げているつもりらしいのだが里田の目にはそうは
見えなかった。
口元が笑っている。
そもそも演技が下手な石川の嘘など誰にでも簡単に見破る事が出来るのだ。
- 204 名前:06−ギアチェンジ。 投稿日:2003年07月31日(木)03時09分07秒
- 「まぁ、いいけどさ。余り周りに迷惑かけないようにね」
「おねーさんぶるのは止めてよー」
「そんなんじゃなくて。
梨華ちゃんってある意味大きなお世話をしそうなタイプだから……」
里田の言葉が納得出来なかったのか、石川が頬を膨らませていると廊下から
藤本が顔を出した。
いつまで経っても出て来ない石川と里田に痺れを切らしていたのだ。
もちろん、先程までしていた二人の会話は聞こえていなかった。
「何やってんの?二人共……。早く行こうよ」
「あ、ゴメン。ゴメン。梨華ちゃんがモタモタしてるからさー」
「どうして、私の所為になるのよ!」
「どうでもいいから早くしてよ」
藤本にバッサリ切り捨てられて石川と里田は口を閉じた。
それは藤本の機嫌を損ねると手がつけられなくなる事を二人共が十分に
理解しているからだった。
- 205 名前:06−ギアチェンジ。 投稿日:2003年07月31日(木)03時09分45秒
- >> 193さん
視点を戻しました。
とりあえず、重い話なので和む人達を出してみました。
- 206 名前:153 投稿日:2003年07月31日(木)21時03分21秒
- なんだか里田さんが好きになりそうだ(w
キャラにそれぞれ裏と表がある辺り、リアルで面白いです。
やっぱり17,8歳の女の子じゃぁそれなりにブラックな面も持ってるよなぁ…
- 207 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月31日(木)22時22分32秒
- 石川(え)かっけー。わくわく。それなりにみんな黒いので面白いス。
- 208 名前:06−ギアチェンジ。 投稿日:2003年08月01日(金)01時15分28秒
- 石川が後藤と待ち合わせしていたのは街外れにあるイタリアンレストランだった。
小さくはあるが外装からして未成年が利用するような場所ではなく、店内も普段
行くようなファミレスやファーストフードの店などとは違って落ち着きがある
雰囲気に包まれている。
上品なインテリアが却って居心地を悪くしているような印象を受けたが今の藤本に
とっては手持ちの金の方が心配だった。
しかし後藤に会えるのならばいいか、と直ぐに思い直す。
石川曰く、この店は穴場という事で此処に来るまでの道は人通りが少なく、誰にも
バレずに入る事が出来たのだが食事時という事もあってさすがに店内は満席に近い。
食事を楽しんでいる客を見ながら、やはり自分達は場違いなのではないだろうか、と
藤本が不安になっている傍で石川は自分の名を名乗り、三人はウエイターに店の奥へと
案内された。
どうやら顔が利くらしい。
席につくなり、藤本は深いため息を漏らした。
- 209 名前:06−ギアチェンジ。 投稿日:2003年08月01日(金)01時18分42秒
- 里田はこういう店に慣れていないのか、席に着いても周りをキョロキョロと
見渡したりして落ち着きがない。
気持ちは判る、と思いながら横に座っている藤本がメニューを眺めていると
里田が石川に小声で話し掛けていた。
「……綺麗なお店だね。梨華ちゃん、こういうとこによく来るの?」
「うん。保田さんとかとね。あの人って友達多いから行動範囲も広いんだよね」
「なるほどねぇ。でも高いんじゃないの?あたし、そんなにお金持ってないよ」
「大丈夫だってば。見かけと違って安いから」
極めて明るい口調で石川がそう言うと里田は胸を撫で下ろしていた。
確かに石川が言った通り、メニューにある値段を見てみると思ったよりも安い。
藤本も安心しながらずっと気になっていた事を石川に尋ねた。
「ねぇ。ごっちんはいつ来るの?」
「んー、まだ携帯に連絡入らないからなぁ。
仕事が終わったらメールするって言ってたんだけど。
あ、そうだ。メールしようと思ってたんだ」
「ごっちんに?」
「うぅん。違うよ」
- 210 名前:06−ギアチェンジ。 投稿日:2003年08月01日(金)01時20分56秒
- 石川はニッコリと笑って鞄から携帯を取り出し、慣れた手つきでメールを作り始めた。
誰にメールを送っているのかが少し気になったが石川は友達が多いので訊いても
無駄だと思ったし、いちいち、詮索するのも面倒臭い。
その間にウエイターが注文を取りに来たので藤本は適当に注文をしておく事にした。
藤本達にとっては初めて来た店なので少し迷っているとメールを打ちながらも
石川が横から口を挟んだりしていた。
「よーし。オッケー。あ、ごっちん来た」
「え?」
石川が見ていた方向へ慌てて視線をやると俯き加減でウエイターに案内されて
こちらへ近づいて来ている後藤の姿が見えた。
店内が少し薄暗い所為か、自分達と同じように周りの客にバレていない。
しばらく会っていなかった所為か、藤本の目には後藤が以前よりも少し痩せて見える。
顔を上げた後藤が藤本と視線が合うと少しだけ驚いた表情になった。
「ごっちん。連絡くれるって言ってたじゃないー」
「……あぁ、ゴメン。案外早く終わったから別にいいかなーと思って。
っていうか、今日は梨華ちゃんだけじゃなかったっけ?」
- 211 名前:06−ギアチェンジ。 投稿日:2003年08月01日(金)01時22分53秒
- 「言うの忘れてたけど今まで同じ仕事してたから一緒にどう?って誘ったんだ」
「ふーん」
少し戸惑いながら後藤が石川の隣に腰をかけると藤本とは向かい合う形になった。
しかし後藤は隣の石川ばかりを見て、一向に目を合わせようとしない。
それを見てやはり自分は避けられている、と藤本は改めて思った。
里田も様子がおかしいと思ったようで首をほんの少し傾げながら後藤に問い掛けた。
「あたし達がいたら拙かったのかな?
もしかして梨華ちゃんに何か相談したい事があったとか?」
「いやいや、そんなんじゃないんだけど。
何も知らなかったからビックリしただけで……」
後藤は愛想笑いを浮かべて否定している。
その態度、仕草、口調全てに藤本はイライラしていた。
会いたくなかったのなら素直にそう言えばいい。
帰りたいと思ったのなら今直ぐ席を外せばいい。
しかし後藤はそうしないのだ。
場を取り繕うようにしていつもよりも高いテンションで会話を続けている。
藤本が後藤を見つめたまま、いつまでも黙り込んでいる事に気付いたのは隣に
座っている里田だった。
顔を覗き込むようにして不思議そうな顔をしている。
- 212 名前:06−ギアチェンジ。 投稿日:2003年08月01日(金)01時24分25秒
- 「美貴ちゃん?どうしたの?」
「…………」
「そんなにお腹空いてんの?」
「…………そんなんじゃないよ」
「メインは魚じゃなくて肉にしたから、もうしばらくの辛抱だよ」
「…………いや、違うから」
藤本が不機嫌そうに呟くと里田は目の前にいる石川の顔を見た。
石川も何かを感じ取ったようで軽く頷く。
メールの返信が遅いと愚痴っていた藤本の気持ちを理解していた二人は
席を外した方がいいと目で確認し合った。
「あ、ちょっと近くに出ていいかな?
私、よっすぃーの誕生日プレゼント買おうと思ってたの」
「あたしもー。直ぐに戻るから」
石川と共に里田が席を立つとわざとなのか天然なのか見抜けない口調で後藤も
「あたしも行くよ」と続けた。
そこで藤本の堪忍袋の緒が切れた。
思わずギュッと拳を握り、テーブルをガタンと大きな音を立てて殴ると
後藤達だけではなく、周りの客も驚いて視線を集めてしまった。
それでも構わず藤本は無表情で後藤の顔を凝視していた。
- 213 名前:06−ギアチェンジ。 投稿日:2003年08月01日(金)01時27分50秒
- 「……えっと、三人が一気に席外すと拙いし、注文してたものももう直ぐ
来るだろうからごっちんは此処で待っててよ」
里田は宥めるようにそう言い、後藤の返事も聞かないうちにオロオロとしている
石川の腕を取り、逃げるようにして外へ出て行ってしまった。
二人がわざと席を外してくれた事くらい藤本は気付いていた。
だから後藤が逃げようとしていた事に腹が立ったのだ。
後藤は二人が姿を消した入り口の辺りをぼんやりと眺めている。
周りの客も興味を失ったらしく、その場の空気は元に戻っていた。
藤本は鼻をポリポリと掻きながら口を開いた。
「……美貴、ごっちんに何かしたかな?」
「え?」
後藤はようやく藤本の顔を見た。
しかし直ぐに視線を落としてテーブルの上にある自分の爪を撫でる。
綺麗にマニキュアが塗られていた。
「ごっちんが美貴を避けてるって事くらい判ってる。
でもどうして避けられてるのかが判んない。
理由が判んないのにそんな態度取られたら気分悪いよ」
「…………えーっと」
- 214 名前:06−ギアチェンジ。 投稿日:2003年08月01日(金)01時29分22秒
言い難そうにして落ち着きなく、しきりに自分の髪を撫でている後藤を見て
藤本は、らしくない、と思った。
藤本が知っている後藤はうじうじと何かに悩むような人間でなく、おおらかな
性格をしている人間だ。
「ハッキリ言ってよ。ごっちんらしくないじゃん」
「あたしらしい、って何?」
「ごっちんって言いたい事はハッキリ言う人でしょ」
藤本がキッパリそう言い切ると後藤は破顔した。
ついには声を出して腹を抱えながら大笑いし、目に涙を浮かべている。
そんな後藤の変化についていけずに藤本は戸惑っていた。
後藤の笑いのツボが他人と微妙にズレている事くらい認識していたつもりだが
今は真面目な話をしているつもりなのだ。
面白い話題を振ったつもりなどない。
店内は比較的静かなので後藤の笑い声が余計目立って聞こえる。
隣のテーブルの客は先程まで険悪そうだったのに、という呆れた表情を浮かべていた。
- 215 名前:06−ギアチェンジ。 投稿日:2003年08月01日(金)01時32分23秒
- 「な、何でそこまで笑うの?別に可笑しい事言ってないじゃん」
「……あー、面白い。お腹痛くなっちゃったよ」
「ごっちん?」
後藤はまだ笑みを浮かべて涙を拭いながら口を開いた。
「美貴ちゃんはまだあたしの事をちゃんと判ってないね。
だから、そういう事が言えるんだよ」
「どういう意味?」
「じゃあ、訊くけど、あたしがいつも思ってる事を素直に口にしてると
思ってたの?そんなわけないじゃん。
これでもちゃんと言葉は選んでるし、言いたくても言えない言葉はちゃんと
自分の中で抑えてたよ」
「…………」
「まぁ、これは美貴ちゃんだって誰だってそうなんだろうけど。
とりあえず、あたしが言いたいのは美貴ちゃんが思ってるような
素直な人間じゃないって事。っていうか、結構捻くれてる方だし」
後藤はテーブルに片肘を付き、無邪気な笑みを浮かべて藤本の顔を覗き込んでいた。
この店に来たばかりの時とは丸っきり態度が変わっていた。
最初とは違って今は本音を隠さず話そうと割り切ったからだろう。
眉間にしわを寄せて藤本が口を開こうとしたところで注文したものが
テーブルに運び込まれた。
- 216 名前:06−ギアチェンジ。 投稿日:2003年08月01日(金)01時33分31秒
- 後藤は「お腹空いたー」と呑気な声を出して早速フォークを手に取る。
外へ出て行った石川達はまだまだ戻って来そうな気配がない。
後藤は全く気にしていないらしく、料理を口にしては「美味しい」を連発していたが
逆に藤本には料理を味わう余裕がなかった。
話を進めるのなら今のうちにしておくべきだ、と判っていつつも、前菜の
盛り合わせを突付きながら藤本は唇を噛んでいた。
後藤のこの変化は何だろう。
もちろん今日の態度の変化も気になるが自分に対して今までと違うものを感じる。
前まではなかった距離感を感じるのだ。
「美貴ちゃんがあたしにハッキリ言って欲しいみたいだから言うけどさ」
突然後藤が会話を振ってきたので伏せ目がちだった藤本は視線を上げた。
後藤は水の入ったグラスを手に取り、目の前でゆらゆらと揺らしながらその水面を
眺めている。
「市井ちゃんに会ったんだってね」
「うん」
市井の名が出る事くらい判っていたので藤本は心を落ち着かせて頷いた。
ここまではまだ許容範囲だった。
- 217 名前:06−ギアチェンジ。 投稿日:2003年08月01日(金)01時35分27秒
- >> 153さん
いつもレス有難うございます。
無理やり捻じ込んで登場させた里田さんを好んでもらえて嬉しく思っています。
>> 207さん
何もしてないのに格好いいと言われる石川さん、素敵ですね。
メインではない人達がピュアです。
- 218 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月01日(金)01時58分20秒
- 連日の更新、お疲れさまです。
この小説、本当に引き込まれます。
なにもかもが、ちょっとずつズレてる感じで、安心させてもらえないというか。
全く先が読めなくて、目が離せないっす。
「あの設定」のぶっとび具合と、それ以外の部分のリアル感との対照がたまらないし。
自分的には心理描写の乾いた感じが本当に好きですね。
ほんとにこの先が楽しみです。
- 219 名前:153 投稿日:2003年08月01日(金)16時13分33秒
- 里田さん、無理矢理捻じ込ませたキャラだったのか…(ワラ
毎回緊迫する場面と、さり気なく笑える会話などが織り交ざっていて
本当に楽しませてもらってます。
あやみき以上にみきごまの緊張感漂う展開を見守っています。
- 220 名前:06−ギアチェンジ。 投稿日:2003年08月02日(土)02時32分21秒
- 藤本はグラスの水を一口飲み、唇を湿らせた。
東京の水は不味いと思っていたがこの店の水は美味しい。
藤本はフォークで前菜を弄びながら口を開いた。
「美貴にはどうしてごっちんが市井さんの事を好きなのか理解出来ないなぁ。
あの人の何処がいいの?
美貴は先輩っていう目で見ようとしてもあの人は尊敬出来ないよ」
「それは美貴ちゃんが市井ちゃんの事をよく知らないからだよ」
「またそれ?」
藤本は口元を歪めた。
後藤は最初に自分の事がよく判ってない、と言い、次は市井の事を知らないから
と言う。
確かに他の仲が良い人間――娘。などの――と比べたら後藤や市井とは付き合いが
浅いかもしれないがその一言で全てを片付けられていては堪らないし、そんな説明では
納得が出来ない。
藤本は手にしてたフォークを皿に置き、後藤を睨んだ。
しかし後藤は全く表情を変えない。
薄く笑ってグラスをまだ揺らしていた。
「あたし、市井ちゃんがほっとけないんだよね。
こんな事を言うと年下のくせに生意気かもしんないけど」
- 221 名前:06−ギアチェンジ。 投稿日:2003年08月02日(土)02時35分10秒
- 「それって惚れた弱みってやつ?」
「まー、それはいいとして。
美貴ちゃんがあたしに特別な感情を持ってくれてるのは判ってる。
でもあたしはそれには答えられないよ。
むしろ言い方は悪いけど……迷惑かもしんない」
「……迷惑って」
「ゴメン。本当に酷い言い方なんだけど」
「……判ってるなら言葉選んでよ」
「ハッキリ言って欲しいんでしょ?それにまっつーの事もあるし……」
後藤は申し訳なさそうにそう言い、手にしていたグラスをテーブルに戻して
藤本の顔色を窺っていた。
意外と藤本はショックを受けていなかった。
大方予想が出来ていたからかもしれないし、まだそこまで後藤に対して本気に
なっていなかったからかもしれない。
しかし松浦の名前が出て来た事には驚いていた。
「どうして、ここで亜弥ちゃんの名前が出て来るの?」
「んーと、もう全部ぶっちゃけちゃうけどさ。
あたし、まっつーから美貴ちゃんと余り会うなって言われてるのね。
まぁ、これは圭織からの又聞きなんだけど」
「はぁ!?……何それ」
- 222 名前:06−ギアチェンジ。 投稿日:2003年08月02日(土)02時38分16秒
- 「まっつーが美貴ちゃんの事を好きだって事くらい知ってるんでしょ?」
「それはまぁ……。でも美貴はちゃんと断ったし……」
「ふーん。でもまぁ、そういうわけで、あたしは美貴ちゃんを避けてたの。
今は自分の事だけでも色々あるから余計な問題事を抱えてる余裕なんてないんだよね」
内心動揺しながら藤本は水をグイッとグラス半分ほど一気に飲み干した。
後藤は遠慮せずに藤本の気持ちを打ち砕く。
その方がいいと思っているからあえてしているのだろう。
それくらい藤本にも判っていた。
自分も同じ事を松浦にしたのだから。
後藤に振られてようやく藤本はあの時の松浦もこんな気持ちだったのかな、と
思っていた。
それまで振られた側の松浦の気持ちなど全く考えていなかったのだ。
しかしどうして後藤と松浦の話をしなくてはいけないのだろう。
そんな想いを抱えつつ、妙な展開になって来たと喉を鳴らした。
あれから松浦とは仕事で一緒になっても表向きでは今まで通り、変わらない態度を
藤本は取っていた。
初めは松浦も下手な演技で藤本に合わせていたが徐々にそれが演技には見えなく
なっていたのだ。
二人は見事に周りの大人を騙していた。
- 223 名前:06−ギアチェンジ。 投稿日:2003年08月02日(土)02時39分59秒
- 表では仲良くしているが裏では昔のように仲良くする事などなく、ただの仕事仲間の
ような関係になっていた。
だから藤本は安心し切っていたのだ。
松浦はもう自分の事など何とも思っていない。
自分への好意を無くしたのだと思い込んでいた。
だから松浦が裏で何をしているのかなどと予想した事もなかったのだ。
「……ってことは、つまり亜弥ちゃんはまだ美貴の事を諦めてなかったって事?」
「誰の目から見てもそうだろうね」
「…………」
藤本は頭を抱えた。
これでは自分が誰かを好きになる度に邪魔をしてくるという事ではないか。
今回は後藤への想いが浅かったからまだマシだが、今後はどうなるか判らない。
松浦の気が変わるか、自分が松浦の気持ちに応えるか、のどちらかしか道がない
という事になってしまう。
冗談じゃない。
それでは結局松浦の思い通りになってしまう。
そうさせない為にわざわざこちらから松浦との距離を離したというのに。
ほんの少しでも彼女に悪い事をしたと思った自分が間抜けに思えた。
松浦を甘く見過ぎていたという事だろう。
藤本はギュッと唇を噛んだ。
- 224 名前:06−ギアチェンジ。 投稿日:2003年08月02日(土)02時41分57秒
- 「美貴ちゃんも大変だね」
「……まーね」
二人は苦笑いを浮かべた。
そこでタイミングを見計らっていたかのように石川達が戻って来た。
てっきり険悪になっていると思っていた藤本と後藤が意外にも仲良さそうに食事を
進めていたので二人は驚いていた。
自分の気持ちが後藤に届く事はなかったが今まで通り、仲の良い友達として
付き合ってくれるのならそれで構わない、と藤本は思っていた。
いつまでも根に持つタイプではない。
気持ちの切り替えが早い性格をしている藤本だからこそ、そう思っていたのだ。
しかし平常心でいられたのは食事をしている間だけだった。
- 225 名前:06−ギアチェンジ。 投稿日:2003年08月02日(土)02時43分28秒
- 「あれ?」
食事を終えて店から出た途端、後藤が間の抜けた声を出した。
後藤の後ろで鞄に財布を戻していた藤本がその声を聞いて顔を上げると目の前に
見慣れた顔が二つほどあり、ピタリと足を止めた。
店の前にいたのは松浦と飯田だった。
その意外な組み合わせに石川と里田も驚いている。
松浦は仕事でよく見せる完璧な笑顔を浮かべているがその後ろにいる飯田は
気まずそうにして誰とも視線を合わせないように俯いていた。
藤本は先程後藤としていた会話を思い出していた。
知らない所で随分と卑怯な事をしてくれたものだ。
無意識に松浦を見る目に力が入る。
しかし松浦はその視線に気付かない振りをしているのか、明るい口調で石川に
話し掛けていた。
「丁度いいタイミングだったのかな」
「っていうか、亜弥ちゃんと飯田さんが何で此処に?」
「何でってメール貰ったから来たのに」
- 226 名前:06−ギアチェンジ。 投稿日:2003年08月02日(土)02時47分28秒
- 松浦のこの言葉を聞いて藤本と後藤は首を傾げた。
今の言い方だと誰かに呼び出されたという意味にしか聞こえない。
石川と里田を見てみると二人はコソコソと小声で何かを言い合っていた。
「梨華ちゃん……、何かを企んでると思ったらこういう事だったんだね」
「でも私は亜弥ちゃんしか呼んでないんだけど……」
二人の会話が聞こえた藤本がギロリと睨みつけると石川は顔を真っ青にして
里田の後ろに隠れる。
里田は里田で石川と藤本を見比べながら困り果てていた。
後藤は状況が把握出来ないようでしきりに首を捻っている。
石川がわざわざ松浦を呼び出した理由は二人の様子がおかしかったからだろう。
スタッフにはバレないだろうが気心が知れた人間には簡単に見破られていたのだ。
仲違いした二人にキッカケをやろうとしていたのだろう。
普通なら自分達を思ってくれる石川達の気持ちに感謝をしたいところだが
この状況では素直に喜べなかった。
これ以上、松浦と話す事は何もないのだ。
それに今日は松浦への負の感情が大き過ぎる。
話し合いするととんでもない方向へ進む事くらい藤本は自分でも判っていた。
- 227 名前:06−ギアチェンジ。 投稿日:2003年08月02日(土)02時49分58秒
- それにしても飯田が一緒に来るという事は石川達も知らなかったようだが
これは一体どういう事なのだろう。
「ねぇ、何で圭織が亜弥ちゃんといるの?」
後藤が胡散臭い、と言わんばかりの表情で問い掛けた。
それは松浦と飯田以外の人間全員が抱いている疑問だった。
飯田は苦笑いをして肩をすくめている。
「んーと、最近よく街中で偶然会うんだよね。今日もたまたま会ってさ。
して、石川からメールが入ったから一緒に来てって言われてついて来たら
この状態になってたんだけど」
偶然、たまたま、と随分あやふやな言葉が飯田の口から出て来ている。
どうも腑に落ちない。
二人の繋がりがよく見えないのだ。
普段からそれほど仲が良いとは思えない。
松浦の交友関係をある程度理解しているつもりだったがそれは自分が自惚れていた
だけなのだろうか、と藤本は首を捻った。
しかし疑問を抱いたのは藤本だけではなく、後藤も珍しく険しい表情になっていた。
- 228 名前:06−ギアチェンジ。 投稿日:2003年08月02日(土)02時52分11秒
- 「亜弥ちゃん、一体何考えてんの?
美貴ちゃんも迷惑してるんだからほどほどにしてないといつか友達なくすよ?」
いつもなら松浦の事を“まっつー”と砕けたあだ名で呼ぶ後藤が今は呼び方を
変えている事に誰もが気付いていた。
それだけ後藤は怒っているのだ。
しかし松浦は表情を変えない。
「何の事?」
「どうせ圭織に我侭言ってるんでしょ?
圭織は年下には誰にでも優しいから断れないだけなんだよ。
しかも卑怯な事ばっかり言うし」
「卑怯って何の事かなぁ……」
松浦は明らかにとぼけた顔をして虚空を見ている。
藤本は珍しく後藤が怒っている事に驚いていた。
いや、藤本だけではなく、松浦以外の人間が驚いていた。
言葉の内容もそうだが怒りの感情を含んだ口調だったのだ。
「とぼけないでよ。脅しとかして格好悪いと思わないの?
あたし、そういうのが一番腹立つんだよね。それに……」
「ごっちん!」
後藤がまだ何かを言おうとしていたのを飯田が割り込む。
話を途中で止められた事に後藤は文句を言おうとしたが飯田が哀しそうな表情を
しているのを見て怯んでいた。
飯田は力なく首を左右に振っている。
- 229 名前:06−ギアチェンジ。 投稿日:2003年08月02日(土)02時55分15秒
- 気まずい雰囲気になってしまい、六人は無言でその場に立ち尽くしていた。
石川は里田の腕を取り、眉を八の字にしているし、里田も迂闊に口を挟めないと
悟っているようだ。
松浦だけが笑顔の仮面を被っている。
後藤は何を言おうとしていたのだろう、と藤本は考えていた。
“卑怯”な事とは後藤を自分に近づけないようにしてた事しか思い当たらないが
“脅し”の意味が判らない。
それに松浦が飯田に近寄った事に意味があるのだろうか。
藤本に判る事といえば松浦がした何かを後藤と飯田が知っているという事だけだった。
店の前でいつまでも黙り込んでいるわけにもいかない。
人通りが余りない道ではあるがこれでは逆に目立ってしまう。
その事に気付いた里田がわざとらしいくらい明るい口調で
「眠くなったから、もう帰ろうよ」と言い、その場は解散になった。
帰る方向が一緒という事で里田と石川、後藤と飯田、そして藤本と松浦という
三組に分かれる事になった。
帰り際に石川が「変な事になってゴメンね」と謝っていたが藤本は苦笑いしながら
「今度焼肉奢ってくれたら許すよ」と返した。
石川は悪くないのだから元々怒るつもりなどなかった。
- 230 名前:06−ギアチェンジ。 投稿日:2003年08月02日(土)02時59分08秒
- 飯田と共に帰って行く後藤の背中を眺めながら二人はあの後どういう会話を
するのだろう、と藤本は思った。
後藤と飯田は藤本の目にはさほど仲が良いようには見えていなかったのだが意外と
打ち解けている事に驚いていたのだ。
飯田を利用するな、と松浦に憤慨していた後藤の姿が目に焼きついている。
藤本は後藤の意外な一面を見たような気がしていた。
後藤が言った通り、自分はちゃんと判っていなかったのかもしれないな、と
藤本が思っていると隣にいた松浦がポツリと何かを口にした。
「何か言った?」
「……ごっちんって怒ると可愛いね」
「は?」
松浦はニコニコと笑みを浮かべている。
テレビで見せているいつもの笑顔の仮面だ。
また良からぬ事でも考えているのだろうか、と藤本は一抹の不安を抱いた。
後藤にこれ以上迷惑をかけるわけにもいかない。
元はといえば自分が蒔いた種なのだ。
後始末をきちんとしなければならない。
- 231 名前:06−ギアチェンジ。 投稿日:2003年08月02日(土)03時01分07秒
- 「……あのね、美貴はごっちんに振られたんだよ。
だからもうごっちんに変な事しないでね」
「振られた?」
「うん。さっき振られたばっかなの」
「……へぇ。でもそのわりには美貴たん、元気だね」
「前向きなのが取り得だからね。ごっちんの事は諦めたよ」
「ふ〜ん。そっか、美貴たんはごっちんに振られたのかぁ……」
松浦は軽く頷いてボソボソと独り言を口にしながら歩き出した。
帰り道は同じ方向なのだが藤本の足は動かない。
松浦がボソリと呟いた言葉が気になったのだ。
「亜弥ちゃん!」
顔を強張らせながら藤本は松浦の背に声をかけた。
松浦は上半身だけ振り返る。
玩具を与えられて喜んでいる子供のような笑みを浮かべていた。
「さっきの言葉、どういう意味?」
「さっきのって何?」
「……作戦変更って今言ったよね?」
「さぁ?そんな事言ったかなぁ?」
- 232 名前:06−ギアチェンジ。 投稿日:2003年08月02日(土)03時03分59秒
- 松浦はあどけない笑みを浮かべてわざとはぐらかす。
答えを言う気などない、と言っているようなものだ。
藤本がこれ以上の詮索を諦めると松浦はまた背を向けて歩き出した。
その背中を眺めながら藤本は深いため息をついた。
後藤とはもう無関係だという事を強調したはずだがまだ言葉が足りないのでは
ないだろうか、という心配があった。
今の松浦が直ぐに納得してくれるとはとても思えないのだ。
しかし昔のように何でも話し合う仲ではなくなっている以上、松浦の気持ちを
訊き出す事は困難だった。
これ以上、どうしようもない。
松浦の小さな背中を眺めている藤本の心の中はざわめいていた。
- 233 名前:06−ギアチェンジ。 投稿日:2003年08月02日(土)03時05分58秒
- >> 218さん
丁寧なレス有難うございます。
書いている本人が混乱気味なので読んでくれている方々の納得がいく終わり方を
する事が出来るのかと不安だったりします。
とりあえず、石投げないで下さいね……。
>> 153さん
里田さんは自分が好きなので出してみました。
重い話なので常に活躍してもらいたいくらいなんですが。
みきごまは今回更新分で納得してもらえるのでしょうか……。
- 234 名前:153 投稿日:2003年08月02日(土)14時13分56秒
- 何だか一方的に巻き込まれ型の飯田さんが好きだなぁ…
里田さんといい飯田さんといい、自分は「田」がつく人が好みのようです。
- 235 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月02日(土)14時48分52秒
- 藤本主人公のつもりで読むとホラーだなぁ。松浦こえー・・
続き楽しみ♪(更新された端から鬼のような読者でスミマセン)
- 236 名前:218 投稿日:2003年08月02日(土)23時43分07秒
- みんなそれぞれ思惑があって怖いですな。
市井からみた藤本、藤本から見た松浦、などなど。
いや、裏でなに考えてるかわからんというのは、それが普通なのか。
異常なようで普通かも、というリアル感がいいです。
- 237 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月03日(日)00時09分03秒
- なんだかんだ自業自得のようにも思える藤本さん。(w
確かにあんな振り方じゃぁ、
諦めることも綺麗な気持ちでいることもできないですよね。
それでいて、それぞれが徹しきれないあたりとかのリアリティがすごいなと思います。
続きに期待。
- 238 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月03日(日)02時27分30秒
- 更新お疲れ様です。
どろどろの人間関係というか、みんな心に何かを抱えていますねぇ
ミキティを主人公として読むと共感したり憤慨したり同情したりと
大変っす・・・とりあえずまっつーが怖い・・・
- 239 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月03日(日)02時54分55秒
- 俺は密かにそんなあややが大好きです(w
- 240 名前:07−サクラチル。 投稿日:2003年08月03日(日)03時02分12秒
- 知りたい事全て教えてあげると言われたら素直に耳を傾けようと思うだろうか。
それは内容によるのかもしれない。
誰にだって知りたい事と知りたくない事の二種類があるはずだ。
しかし他人の口から真実を告げられる事と自分の口から告げる事。
どちらが相手にショックを与えるか。
――その答えは誰にだって判る。
- 241 名前:07−サクラチル。 投稿日:2003年08月03日(日)03時03分18秒
- * * *
- 242 名前:07−サクラチル。 投稿日:2003年08月03日(日)03時05分34秒
- 「一体、どういう事なの?」
藤本達と別れて後藤が開口一番こう言うと辺りに強い風が吹いて飯田の
フレアスカートがふわりと広がった。
飯田は慌ててスカートを抑え、風が収まってからのんびりした口調でポツリと呟いた。
「夜はまだ少し冷えるね」
前髪をかき上げながら飯田は夜空を見上げていた。
目の下には化粧で隠しきれていない隈がハッキリと見える。
「話逸らさないでよ。どうして亜弥ちゃんと一緒にいたのさ?」
「逸らしたわけじゃないけど」
「どこがよ」と後藤が口を尖らせると飯田は目を細めて微笑んだ。
先程吹いた強風は何処へやら、今は穏やかな乾いた風が吹いており、飯田の長い髪が
風になびいて後藤の鼻先にいい香りが届いた。
いつも柔らかい甘い香りがするな、と後藤がぼんやり思っていると飯田は足を止めた。
数歩先進んでいた後藤も足を止め、振り返って向き合った。
- 243 名前:07−サクラチル。 投稿日:2003年08月03日(日)03時07分40秒
- 「さっきはたまたま会ったって言ったけど実は最近よく松浦から連絡が来るんだよね。
ちょっと相談事があるからって……」
「相談事って?」
「ゴメン……。それは言えないの」
「口止めされてんだ?」
後藤が口元を引き締め、見つめると飯田はその視線から逃れるようにして顔を背けた。
飯田は基本的に余り後藤と目を合わせようとしない。
一緒に活動をしていた時からその状態で二人っきりになった時も同じだった。
他の人間に対しては過剰なくらい目を合わせて話す癖があるというのに後藤とは
真面目な会話をする時くらいしか合わせようとしない。
後藤にはそれが判っているので少し淋しく感じる。
一人だけ異質な存在。
後藤にとってそういう扱いを受けるのはかなり辛い。
良くも悪くも特別扱いをされる事が後藤は昔から一番嫌いだった。
どうして飯田は自分に対してだけ視線を逸らすのだろう。
気が滅入ってきたので後藤は違う事を考える事にした。
- 244 名前:07−サクラチル。 投稿日:2003年08月03日(日)03時09分53秒
- 今は松浦の事が気にかかっていた。
彼女が飯田に何の相談をするというのだろう。
松浦がしたかった事とは藤本と後藤の距離を離す事しか考えられない。
しかし後藤にその気は全くないのだから無駄な心配をする必要などないという事に
そろそろ気付いてもいい頃だろう。
それに店の前で松浦と飯田を見た時、違和感があった。
見慣れない組み合わせというのもあるが、いつものように満面の笑みを浮かべている
松浦を飯田が心配そうな表情で見ていたように後藤の目には映っていた。
松浦のあの笑みを見ていると気味が悪くなる。
藤本はハッキリ断ったと言っていたがあれだけ執着していた松浦がはい、そうですか、と
簡単に引き下がるようには思えないし、藤本への想いが大きい分、振られた時のショックも
大きいはずなのに表情の変化が見られないのが不思議だった。
駅に向かう道へ二人は足を向けたものの酔っ払いの山で埋め尽くされていたので
遠回りになるが人気の少ない道を選ぶ事にした。
それに後藤としてはこのまま飯田と別れるわけにもいかなかった。
まだ訊きたい事は山ほどあるのだ。
石の階段を降りている途中、また突風が吹いた。
「うえっ。砂が口に入った……」
- 245 名前:07−サクラチル。 投稿日:2003年08月03日(日)03時12分00秒
- 後藤は口を拭いながらも階段を降り続けていたが正面から風を受けた飯田は目に
ゴミが入ったらしく、ボロボロと涙を零している。
それを見て目の大きい人は損だなぁ、と余り被害を受けなかった後藤は思った。
「大丈夫?」
「……うん。ちょっと痛いけど」
そう言いながらハンカチを出して目を抑えながら階段を降りようとして飯田は足を
滑らせた。
大きな身体が自分に向かって落ちて来るというのに後藤は無意識に両手を広げていた。
冷静に考えたら飯田の方が身体が大きい上に勢いもついているのだから受け止められる
わけがない。
しかし後藤の頭の中は真っ白だった。
息が詰まるくらいの衝撃が来て一瞬目の前で火花が散ったが予想していたその後の
衝撃がない。
後藤は閉じていた瞼を恐る恐る開けて腕の中に飯田の身体がある事に驚き、二人の
身体が浮いている事にも驚いた。
浮いているといっても二十センチくらいのものだが。
飯田も硬く閉じていた瞼をゆっくりと開けて自分達の身体の変化に驚いている。
そうでもなくても地面に転がり落ちるものだと思っていたのだろう。
顔が青ざめている。
「……重くないの?」
「うん。全く」
「あ、有難う」
- 246 名前:07−サクラチル。 投稿日:2003年08月03日(日)03時14分21秒
- 飯田の身体を抱えて浮いていても重さを感じない。
今ならどんなに重いものでも軽々と持ち上げられそうな気がする。
人目につくと拙いので後藤はゆっくりと飯田の身体を地面に降ろした。
幸運な事に二人の周りには人の姿は見えない。
お互いにふぅ、と息を吐く。
知らず知らずの内に緊張していたらしい。
安堵したのも束の間、後藤は違和感を感じて顔に手を当てた。
いつの間にか手がひんやりと冷え切っている。
しかも後藤の視界の中にある飯田の姿が歪んで見えるのだ。
拙い、と思った瞬間、身体が軽くなった。
「……ちょ、ちょっと!?」
飯田が慌てて後藤の身体を思いきり抱き締める。
後藤は飯田の背に腕を回し、必死でしがみついていた。
「まさか……今日、リストバンドしてないの?」
「……あはは、は。今日は珍しく朝から調子が良かったから持って来てなかった」
- 247 名前:07−サクラチル。 投稿日:2003年08月03日(日)03時16分20秒
- 誤魔化すように後藤が明るい口調で言うと飯田は呆れてガックリと肩を落とした。
今まで散々毎日持ち歩けと言われていたのだ。
後藤もこんな状態では叱られても仕方がないと思ったが飯田はため息をつくだけだった。
「……とりあえず圭織の家の方が此処から近いから移動しよう」
「ゴメン……」
クラクラする頭を後藤は手で抑えながら飯田に肩を抱かれた。
力で上から押さえつけていないとまた足が浮いてしまう。
しばらく飯田と抱き合っていれば普段のように症状は収まるのだろうが公衆の面前で
しかも女同士でずっとこうしているわけにもいかない。
体調を崩した人間のように後藤は飯田に身体を全て預けながら歩き出した。
- 248 名前:07−サクラチル。 投稿日:2003年08月03日(日)03時20分10秒
- 飯田の家に着くと後藤は安堵して心置きなく空中を浮遊していた。
その姿を見て飯田は呆れている。
「半年以上この状態が続いてるんだから、ちょっとは何が起きても大丈夫っていう
用意をしておきなよ」
「んー。それはそうなんだけど今日は梨華ちゃんと食事するだけだと思ってたんだよ。
美貴ちゃんに会うと思ってなかったし、まさか亜弥ちゃんまで来るなんてさ」
何かしらの返答があると思っていたのに部屋は静まり返っている。
怪訝そうに後藤が見下ろしてみると戸棚の引き出しを開けて何かを探している
飯田の背中が見えた。
そして「あった」と独り言を漏らし、後藤に向かって手招きをした。
「何?」
「これ、ごっちんに渡そうと思ってたんだけど、ちょっとしたアクシデントが
あってさ。買い直すのに時間がかかっちゃった」
飯田の手にあるのは変わったデザインのリストバンドだった。
見た目はかなりゴツく、黒の皮製でスリーベルトになっているのだがそのベルトが
錘の役目を果たしている。
ベルトの数を減らす事で重さの調整が出来るというものだ。
- 249 名前:07−サクラチル。 投稿日:2003年08月03日(日)03時25分47秒
- そのリストバンドを両手に巻いてみると直ぐに後藤の身体は元に戻った。
試しに一本外してみると腰が浮きそうになる。
ベルト三本で今の自分には丁度いい感じだった。
これだと服装を合わせたらデザイン的に他人に見られても問題はなさそうだ。
後藤はリストバンドを撫でながら飯田に向かって笑みを零した。
「有難う。これはかなり役に立ちそうだよ」
「それは良かった。ごっちんに似合うだろうなーと思ったからさ」
「でもアクシデントっていうのは何?」
「……いや、買ったのに無くしちゃってね」
飯田は何かの言い訳をしているような口調で呟き、ぎくしゃくした動きでキッチンへと
足を運んだ。
その背中をしばらく眺めてため息をつき、次に近くの本棚に視線を移動させると
見慣れない本が増えている事に後藤は気付いた。
以前までの飯田は余り本を好んで読んでいなかった。
本が並べられている棚には以前まではCDが収められていたが今では傍の専用ラックに
移動されている。
- 250 名前:07−サクラチル。 投稿日:2003年08月03日(日)03時26分58秒
- 部屋の中を注意深く見ていくと微妙に物の配置が変わっていた。
自分がこの部屋に通っていた時との差を感じて後藤は居心地が悪くなってしまった。
そして此処に来てはダメだったのだと思い出した。
これでは何の為に自分から飯田との距離をおこうとしていたのか判らない。
頼らないと誓ったはずなのに口だけになっている現状に後藤が困り果てていると
オレンジジュースをいれたグラスを持って飯田が戻って来た。
テーブルを挟んで二人は向き合う。
「そういやさー。前から気になってたんだけど何で症状が酷くなってんの?
今は紗耶香と上手くやってんじゃないの?」
グラスを口に当てていた飯田は籠もった声を出してほんの少しだけ首を傾げた。
一番避けたかった話題を突然振られて後藤は躊躇った。
- 251 名前:07−サクラチル。 投稿日:2003年08月03日(日)03時29分06秒
- 「今日なんか、圭織の身体を抱えたまま、浮いちゃったんだから。
今までで一番酷い状態になってるんじゃないの?」
真正面から飯田の真剣な視線を受け、後藤は普段わざと逸らしている視線を
こういう時にだけ合わせてくるなんて卑怯だ、と思いながら唇を噛んで俯いた。
視線を逸らされた飯田は眉間にしわを寄せて腕を伸ばし、強引に後藤の手首を掴む。
無理やりにでも訊き出そうとしている雰囲気を後藤は感じた。
ギリギリと力を込められて手を振り解く事が出来ない。
「こうやって錘を重くしないと抑えられないほど症状が悪化してるんだよ?
このベルト三本で1.5kgになるんだから。
ちょっと前に二人で一緒に買いに行った時は0.5kgだったじゃん」
「……ちょっと体調が悪いだけだよ」
「嘘だね。今日は調子がいいってごっちんが言ったんだよ?」
「…………いいから手を離して」
飯田よりも後藤の方が力は強いので無理やり手を振り払うとアッサリ手は解けた。
しかし手元にあったグラスが倒れて後藤の白い長袖のシャツがオレンジに
染まってしまった。
飯田は何かを言いかけたが口を閉じ、戸棚からタオルを取り出して後藤の目の前に
突きつけた。
- 252 名前:07−サクラチル。 投稿日:2003年08月03日(日)03時30分47秒
- 「これでちゃんと拭いて。色が落ちないと困るから洗濯するよ」
「いいよ。このままで」
「ダメダメ。風邪引いたら困るからお風呂入りな」
「いいってば」
頑なに拒否すると飯田はタオルを後藤の頭にかけてバスルームへと姿を消してしまった。
タオルを被ったままの状態で後藤は高鳴る鼓動を抑えようと胸に手を当てた。
あのまま問い詰められていたら危険だった。
何かの拍子にボロが出てしまっていたら、と思うと偶然にもジュースが零れたのは
幸運だったのかもしれない、と思ってしまう。
バスルームから戻って来た飯田はタオルを被ったままでいる後藤を見て呆れていた。
「拭く気がないなら別にいいけどさ。とりあえず服脱いで。洗濯するから」
「……いいってば」
「このまま帰らせるわけないでしょ」
これ以上飯田の機嫌を損ねてしまうとまた色々と尋ねられてしまう恐れがある。
言われた通りにしておいた方が無難だと思い、後藤は仕方なく腰を上げ
上手く話を合わせて都合が悪い会話は全て回避してしまおう、と心に決めた。
- 253 名前:07−サクラチル。 投稿日:2003年08月03日(日)03時32分17秒
- 背中の辺りに飯田の視線を感じながら後藤は脱衣所に入った。
後藤は初めて入った脱衣所を物珍しそうに見渡し、自分の部屋とは違って綺麗に
整理整頓されている事に感心していた。
飯田の部屋は何処も綺麗に片付いている。
きっとこまめに掃除をしているのだろう。
しかしその清潔さが何処となく孤独を連想させる。
後藤は何も考えないでおこう、と頭を力なく左右に振った。
それにジュースで濡れている腹の辺りの生地が肌に張り付いて気持ちが悪い。
早く着替えてしまおう、とシャツを脱いでいると背後から息を呑む声が聞こえた。
ギョッとして慌てて振り返ったが既に遅かったようだ。
「……ごっちん、それ」
着替えの服とバスタオルを手にしたまま、硬直している飯田を見て後藤は諦めた。
見られたからにはもう隠す意味がない。
普段衣装でも隠れている後藤の背中には無数の傷が残っていた。
- 254 名前:07−サクラチル。 投稿日:2003年08月03日(日)03時33分35秒
- >> 153さん
「田」がつく人……ハロプロには沢山いますね。
娘。だと保田さんと田中さんですか。
>> 235さん
更新はまだこのペースで続けられると思います。
ただ、時間が不規則ですけど。
>> 218さん
相手によって態度の変化が出るようにはしてますが今後はどうなるのか自分でも
よく判りません(ニガ
>> 237さん
まさしくその通り、自業自得ですね。でも彼女は天然ですから……。
これから少しややこしくなります。
>> 238さん
あぁ、一人だけを主人公にするという読み方もあるんですね。
穴がありそうでちょっと怖いです(ニガ
>> 239さん
有難うございます(笑
- 255 名前:153 投稿日:2003年08月03日(日)10時42分37秒
- あわわわわ、また大変な展開に!
今回の2人の組み合わせは自分的に唯一ほっとできるペアだったんですが、
それも何だか雲行きが怪しくなってきましたね…
- 256 名前:07−サクラチル。 投稿日:2003年08月04日(月)06時06分53秒
- 「お湯が溜まるまでもうちょっと待ってね」
バスルームから出て来た飯田が声をかけても後藤はテーブルの前で小さく身を
縮めて俯いていた。
心臓の鼓動が耳障りに感じるくらい高鳴り、嫌な汗が背中を伝って行く。
既に誤魔化しが効かない状態なのだから正直に全てを説明する必要がある。
しかし何処から話せばいいのかが判らない。
後藤はため息をついて膝の上に置いてある自分の手を見つめた。
借りた飯田の服は少しサイズが大きく、袖が余っている。
後藤がテーブルの下で拳を硬く握っているとその様子を見ていた飯田は隣の部屋へ
入っていき、何かを手にして戻って来た。
そして後藤に目の前に突きつける。
顔を上げて後藤は目を丸くしてしまった。
「……糸電話?」
「うん。何かの小道具で置いてたらしくて、それをのんちゃんとあいぼんが
見つけてさ。楽屋で大騒ぎしてたから没収したんだよね。
そしたらそのまま持って帰ってきちゃったらしくて」
- 257 名前:07−サクラチル。 投稿日:2003年08月04日(月)06時08分29秒
- 飯田は微笑みながら紙コップを手の中で転がしている。
気まずい雰囲気を緩和しようとしているのが見ていてよく判る。
後藤もぎこちない笑みを作り、もう一個のコップを手に取った。
試しに「あー」とお互いに声を出してみるとビリビリと子供の頃に経験した事がある
懐かしい振動を感じた。
自然と笑みが零れる。
「よし。じゃあ、遠慮なく話して」
言うだけ言って飯田は紙コップを耳に当てている。
その姿を見て後藤は飯田がわざわざ糸電話を出して来た意味を理解した。
少しでも後藤が話しやすいようにと考えた結果がコレだったのだろう。
お互いに目を合わせて話す事が出来ない二人にとっては丁度いいものなのかもしれない。
携帯を使うまでもないのだから。
これなら童心に返って素直に胸の内を語る事が出来るかもしれないが後藤としては
話を始める前に飯田に確認しておくべき事があった。
「んーと、先に質問してもいい?」
「何を?」
「圭織はまだ市井ちゃんの事が好きなの?」
飯田は耳から紙コップを離し、何度も瞬きを繰り返しながら後藤の顔を見つめていた。
つられて後藤も紙コップを口から離すと飯田はぷっと吹き出して笑った。
- 258 名前:07−サクラチル。 投稿日:2003年08月04日(月)06時20分56秒
- 「まだ気にしてたんだ?」
「そりゃするよ。今から話す事も関係してるんだから……」
「判ってると思ってあえて言ってなかったんだけどなぁ。
圭織はもう紗耶香の事は吹っ切ってるよ。
だからごっちんに対して嫉妬する事もないし、二人の恋愛事情を聞いて
ショックを受けたりしないって」
「……じゃあ、何を聞かされても大丈夫っていう自信はあるの?絶対に後悔しない?」
後藤がおどおどしながら尋ねた言葉に飯田はわざわざ紙コップをまた口につけて
笑顔で「もちろん」と答え、そして続けてこう言った。
「ごっちんが圭織に遠慮してるっていうのは判ってたよ。
ライバルかもしれない人間に事情を話すのって躊躇うよね、普通は」
目を細めて微笑んでいる飯田を見て後藤はやはり頭が上がらないと思った。
自分の気持ちを全て見抜かれていたのだ。
後藤が何があっても自分の力だけで解決しようと思っていたのは飯田がまだ
市井の事を好きだとしたら傷つけてしまう、と考えていたからだった。
後藤は手にしていた紙コップをテーブルの上に置いて軽く一息吐き、飯田の顔を
見つめて弱々しい笑みを浮かべながら口を開いた。
- 259 名前:07−サクラチル。 投稿日:2003年08月04日(月)06時24分06秒
- うつ伏せの状態で後藤は顔をしかめてシーツを握り締めた。
背中に痛みが走る。
最初は慣れ親しんだ痛みのように思えたのにその瞬間になると自然と涙が浮かんでくる。
やはり未だに慣れない。
「今日の後藤は匂いが違うね…。使ってるボディーソープ変えたの?
香水の匂いじゃないよね」
この問い掛けに後藤は背中をビクリと震わせた。
しかしうつ伏せの後藤の背中に音を立てて何度もキスを繰り返している市井は
その事に気付いていない。
後藤は助かった、と安堵していた。
飯田の家から直接市井の家に来たので匂いが違っていて当然だった。
あれから飯田に全てを打ち明け、そしてシャワーを借りたのだから。
後藤が身体を起こすと市井が背中から抱きついてきた。
市井はいつものようにTシャツを着ているが微妙に湿っているように感じる。
お互いに肌が汗ばんでいるので不快に感じそうなものだが市井はぎゅっと
抱き締めている腕に力を込めていた。
後藤は自分の腹に回されている市井の手を覆うようにして自分の手を重ねた。
ゆらゆらと身体を揺らされてけだるい疲労感に加えて睡魔がやって来る。
しかし今眠りにつくわけにはいかない。
- 260 名前:07−サクラチル。 投稿日:2003年08月04日(月)06時25分40秒
- 「……市井ちゃん、前から訊こうと思ってたんだけど」
「んー?」
市井が首元に顔を埋めているので耳元でビリビリと振動が来た。
糸電話と似たような振動だな、とぼんやり思い、少しだけ緊張しながら後藤は口を開いた。
「どうして背中を噛むの?」
「理由なんてないさ。ただの癖だよ」
わざとらしく、砕けた口調で市井はそう言い、後藤の首にキスマークをつけようとした。
しかし後藤は身を逸らし、抱き付かれていた腕も強引に解いた。
「明日は雑誌の撮影があるからダメ」
「……ちぇ」
市井は心底残念そうな顔をしてガシガシと頭を掻いた。
後藤の目にはそれらが全て演技じみて見えていた。
いつの頃からか、市井は行為が終わると後藤の背中に噛み付くようになった。
ふざけてやるようなものではない。
市井に噛み付かれた後藤の背中は赤く腫れ上がったり、酷い時には血が流れたりするので
翌日になっても服の繊維が背中に当たるだけで痛みが走る。
それでも今まで後藤はその行為の理由を市井に尋ねた事がなかった。
- 261 名前:07−サクラチル。 投稿日:2003年08月04日(月)06時28分36秒
- ハッキリとした理由は無いが何となく訊いてはいけないような気がしていたのだ。
しかし同じ時期から市井の仕草が後藤の目には全て嘘臭く見え始めた。
全てが薄っぺらく感じる。
会う度に繰り返される行為ですら感情の欠片も入っていないただの暇潰しの行為の
ように思えていた。
今にして思えば告白したのは自分からで市井の口からそれらしい言葉が出た事がない。
市井から好きだと言われた事がないのだ。
これらの事を全て話すと飯田もさすがに絶句していたが市井の行動は矛盾している、と
指摘していた。
痛い思いまでさせて後藤の背中に傷をつけるのはしるしをつけたいから。
自分の傍にいるという確認がしたいから。
しかし直ぐに消えてしまうキスマークでは安心が出来ないから。
それらは全て市井が不安を抱えているからだ。
市井は基本的に不器用なので行動がちぐはぐになっているのではないだろうか、と
飯田は言うのだ。
この飯田の指摘は後藤の考えと一致していた。
しかし昔から市井は自分が抱えている悩み、心配事などを表に出さない。
- 262 名前:07−サクラチル。 投稿日:2003年08月04日(月)06時31分43秒
- 娘。を卒業した時もそうだった。
自分の気持ちを曝け出さないのだ。
だから何を考えているのかが判らないし、その事がまた後藤を不安にさせる。
どうして何も話してくれないのだろう。
自分達は付き合っているのだから何でも話せる関係になりたいのに、そう思っているのは
自分だけなのだろうか、と後藤は考え、人の事が言えない立場だという事に気付く。
飯田との過去を隠している自分も似たようなものだ。
誰にだって隠しておきたいものがある。
その事が判っていたから後藤は市井に何も尋ねられない、と正直に話すと飯田は
哀しそうな顔をした。
その表情を見て後藤は素直に謝ったが飯田は即座に否定していた。
後藤にはそれが少し意外だった。
口では否定していたが飯田はまだ市井に少し気持ちを残しているものだと
思い込んでいたのだ。
しかし飯田が残念だと思ったのは後藤の背中を押した結果がこうなってしまった
事ではなく、市井の変化に気付けなかった後悔みたいなものがあるからだと言う。
- 263 名前:07−サクラチル。 投稿日:2003年08月04日(月)06時36分46秒
- 後藤は自分が抱えていた悩みを飯田に全て打ち明ける事で胸の辺りに重く
圧し掛かっていた何かが少しだけ軽くなったような気がしていた。
迷惑をかけたくないと思っていたのに結局かけてしまった事に対する申し訳なさは
持っているが事情を説明した事で飯田も安心していたように見えたのでやはり話して
良かったと思ったのだ。
そして後藤は更に考える。
市井は何の不安を抱えているのだろうか。
それに飯田には何でも話せるのにどうして自分は市井に何も話せないのだろう。
最初は好きな相手に自分の身体の秘密を口にする事が怖いと思ったのだ。
今もそれは変わらないと思っている。
好きだから相手の心配をしてしまうし、好きだから相手に心配をかけたくない。
相反する感情を後藤は市井に対して持っている。
しかし市井の場合はどうだろう。
後藤に何も言わないのは心配をかけたくないと思っているからとも考えられるし
プライドの問題なのかもしれない。
だが、どうもしっくり来ないのだ。
飯田も市井が何を考えているのか、よく判らないと答えていた。
- 264 名前:07−サクラチル。 投稿日:2003年08月04日(月)06時38分10秒
- 「おーい。寝てんの?」
後藤は市井の声で現実に引き戻された。
「ぼんやりしてた」と言い訳しながら後藤はシーツを頭から被った。
途端に視界が真っ暗になる。
市井といる時に飯田の事を考える事はしてはいけない事だと思った。
それは裏切り行為のように思えたのだ。
ゆっくりとシーツから顔を少し出すといつの間にか立ち上がり、冷蔵庫の扉を
開けて中を覗き込んでいる市井の背中が見えた。
「後藤も何か飲む?」
「……ウーロン茶とかでいいよ」
「オッケー」
市井がベッドに腰掛け、手にしていた缶を一つ後藤の近くに落とすとシーツに
埋もれて缶が沈む。
後藤は沈んだ缶を取り上げようとはせずに、市井の背中をぼんやり眺めていた。
少し遠く感じる背中。
後藤が憂鬱になっている事など気付いていない市井はプルトップを引き
勢いよくウーロン茶を自分の胃に流し込んでから一息ついている。
「あ、そうだ。あたしからも質問していい?」
突然、市井に問い掛けられて後藤は身構えた。
何を訊かれるのだろう、と思いながらドキドキとする心臓を抑えて「何?」と
自然に聞こえるように気をつけながら呟く。
- 265 名前:07−サクラチル。 投稿日:2003年08月04日(月)06時42分22秒
- 「いつまで鍛えてるつもりなの?最近、後藤痩せ過ぎじゃない?」
市井はリストバンドを指差して心配そうな顔をして呟いた。
後藤は顔が強張りそうになり、軽く頬を撫でると掌がじっとりと汗ばんでいる事に
気付いた。
リストバンドの存在について語ろうとしたら必然的に自分の症状についても
語らなければならない。
それに今まで市井は何度も気にかけていたようだが直接質問して来る事は殆ど
なかったのに今日に限ってどうして尋ねて来たのだろう、と後藤は不思議に思った。
「……つけてないと安心出来なくて。癖になっちゃったんだよ」
「ふーん」
市井はそれ以上何も言わなかった。
後藤が正直に答える気がないのだと察したのだろう。
再び、背を向けてウーロン茶を飲んでいた。
これも裏切り行為になるのだろうか、と後藤は罪悪感を抱いていた。
正直に自分の気持ちを話して欲しいと思っているくせに自分が口を閉ざしているのだ。
しかし飯田との事、身体の症状の事を素直に話したら市井は心穏やかではいられないだろう。
- 266 名前:07−サクラチル。 投稿日:2003年08月04日(月)06時44分08秒
- もしかしたら市井も似たようなもので自分の事を思って何も話そうとしないのかもしれない。
やはり気にしないほうがいいのかもしれない、と思う事にした。
後藤は今抱えている問題を避けて市井の背中に向かって呟いた。
「あたし、ちゃんと美貴ちゃんに断ったよ」
「へぇ……。直ぐに引き下がってくれそうだった?」
「うん。サバサバしてるからね、美貴ちゃんって」
「そっか。良かったー。修羅場とかにならなくて。あたし絶対に負けそうだもん」
市井は後藤と目を合わせずにヘラヘラしながら手にしている缶を見つめていた。
嫉妬しているようには見えない。
むしろ興味がなさそうに見える。
「今度映画でも見に行かない?
あー、花見とかもいいなぁ……って、もう花びら散っちゃったのかな」
市井が能天気そうに色々なプランを口にしていると携帯が鳴った。
「こんな時間に誰だろう」と呟きながら市井は携帯を手にしてベランダへ出て行く。
窓を閉められたので話し声は聞こえて来ない。
後藤は助かった、と胸を撫で下ろしていた。
- 267 名前:07−サクラチル。 投稿日:2003年08月04日(月)06時45分19秒
- ただでさえ、今は症状が不安定なのだ。
いつかリストバンドでカバーする事が出来なくなる日が来るかもしれない。
そう思うと一緒に外に出る事が自殺行為のように思えて今まで後藤は市井と
出かける事を拒んでいた。
市井の背中から視線を外して後藤は服を着替える事にした。
噛まれた背中が痛み、顔をしかめる。
後藤は身支度を済まし、市井が戻って来るのをぼんやりと待っていた。
電話が終わってベランダから戻って来た市井の表情が暗いので後藤は首を傾げた。
「あたし、そろそろ帰るけど……、何かあったの?」
「いや、別に……。気をつけて帰って」
市井は後藤とは目を合わせずに視線をキョロキョロと動かしている。
明らかに挙動不審だった。
市井がうろたえている姿など最近は余り見た事が無い。
いつも演技じみて見えるというのに今は珍しく素の表情だ。
気にはなったが後藤はそのまま部屋を出た。
秘密を抱えているカップルなんて他にも沢山いるだろう。
自分達が例外なのではない。
これが普通なのだ。
- 268 名前:07−サクラチル。 投稿日:2003年08月04日(月)06時46分23秒
- お互いのテリトリーには決して立ち入らないという付き合い方が今の自分達には
よく合っている。
過去の二人には有り得なかった事だと判っていつつも後藤はそう思った。
それに何でもかんでも訊き出そうとする行為は元々好きじゃない。
逆に自分がされるとうんざりするからだ。
星空の下で後藤は市井の部屋を見上げた。
いつか市井の方から話す気になってくれるまで待てばいい。
その時はそう思った。
しかしこの日を境に市井からの連絡が途絶えた。
- 269 名前:07−サクラチル。 投稿日:2003年08月04日(月)06時49分10秒
- >> 153さん
雲行きはもくもくです。
平和な人がいませんからね……。
- 270 名前:07−サクラチル。 投稿日:2003年08月04日(月)06時51分10秒
- 今までレス数を稼ぐ為に何もしてませんでしたが
今回からスレ流ししようと思います。
- 271 名前:07−サクラチル。 投稿日:2003年08月04日(月)06時52分48秒
- ↑レス流しの間違い……。
どう頑張ってもスレ二枚必要になると思うので……。
- 272 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月04日(月)14時06分45秒
- やべー、全部読み終わってしまいました。
どんどん出てくる秘密と交錯する想いにハマりました。
スレ2枚になってしまうのかと思うと今からドキドキです。大期待です。
- 273 名前:218 投稿日:2003年08月04日(月)23時13分26秒
- ますますこんがらがってきましたね。
全体を見通してるような人物がいないから、読んでいて息苦しいほどの焦燥感を憶えます。
しかしスレ二枚いきますか…これ以上いったいどんだけややこしくなるというのか…
長いの大好き。ますます期待してます。
- 274 名前:07−サクラチル。 投稿日:2003年08月05日(火)04時06分52秒
- その日は朝からしとしとと小雨が降っていた。
少し前まではあちこちで桜が満開になっていたはずなのにいつの間にか
散ってしまっている。
後藤は葉桜を見上げながら歩いていた。
雨は鬱陶しいが雨の日の匂いは好きだった。
土の匂いも、コンクリートの匂いも。
そういえば結局花見が出来なかったな、と思いながら歩いていると背後から
声をかけられた。
「おはよ〜」
聞き慣れた声だ、と思いながら振り返った後藤は直ぐに目を丸くした。
予想通り、そこには松浦がいたのだがいつもと印象が違う気がしたのだ。
何が違うのだろう、と考えていると松浦の方から口を開いた。
「今日はレッスン?」
「……ダンスレッスンだよ。亜弥ちゃんも?」
「うぅん。私は違うよ」
「なら、どうしてこんなとこにいんの?」
目の前にはダンススタジオが見えている。
レッスンが予定されていないメンバーが此処に来る事など殆どない。
後藤の問いに松浦はニコリと笑みを返した。
- 275 名前:07−サクラチル。 投稿日:2003年08月05日(火)04時08分41秒
- 「ごっちんを待ってたの」
急に寒気がして後藤はパーカーの袖を擦った。
別に気温的に肌寒いわけではなく、何となく嫌な予感を抱いたのだ。
「時間が余りないから」と言って松浦は早足で後藤が今来た道とは逆に歩き始めた。
レッスンに遅刻するわけにはいかない。
本当ならば無視してもいいところだが松浦が自分を待っていた理由に興味があるので
後藤は素直について行く事にした。
そして二人は近くの喫茶店に入った。
平日のオフィス街近くという事で仕事をさぼっているサラリーマンの姿がチラホラと
見えるだけで若者はいない。
そうでなくても後藤と松浦が一緒にいるだけで目立つのだ。
一応、正体がバレないようにと服装などに気を遣っているが所詮気休めにしかならない。
二人は無言で玄関からは死角になる奥の場所を選び、適当に注文をしてウェイトレスを
追い払った。
正面に座っている松浦はテーブルに両手で頬杖をついて鼻唄を歌っている。
自分の唄しか聴かないという彼女らしく、鼻唄ももちろん自分の唄だった。
- 276 名前:07−サクラチル。 投稿日:2003年08月05日(火)04時10分43秒
- 何をしても、どんな仕草をしてもアイドルとして完璧な人間だと後藤は改めて思った。
しかし何かがおかしい。
相変わらず上機嫌で鼻唄を歌いながら松浦は髪をかきあげた。
それを見て後藤は目を見張った。
違和感の正体に気付いたのだ。
注文した品が届いて周りに人がいなくなったのを確認してから後藤はようやく
口を開いた。
「亜弥ちゃんさー、服の好み変わった?」
「え?」
普段の松浦は可愛らしい服装を好むというのに今日は全身モノトーンで少し
ハードな格好をしている。
いや、今にして思えばこの前飯田と一緒に姿を現した時も今日と似たような
服装だった。
あの時は暗闇だったという事で見落としていたのだ。
しかし問題はそこではない。
「春だしね。色んなファッションを楽しみたいし」
「ふーん。で?そのリストバンドも服に合わせて付けてるの?」
「……え?」
松浦の笑顔の仮面が壊れた瞬間だった。
表情を無くしている。
対照的に後藤はニヤリと笑いながらパーカーの袖をまくった。
- 277 名前:07−サクラチル。 投稿日:2003年08月05日(火)04時13分30秒
- 「オソロっていうのも気持ちが悪いね」
「…………」
松浦は絶句していた。
後藤がつけているリストバンドと同じ物が松浦の腕にもある。
飯田は「アクシデントで買い直した」と言っていたはずなので自分よりも先に
松浦に渡していたとしか考えられない。
そして口だけで言っても松浦には通用しないと後藤は思ったのだ。
証拠がない、とシラを切られる恐れがある。
確かに浮いているところをこの目で見たわけではないのでリストバンドを見せる
事で自分達は同じなのだと見せつけた方が言い訳出来ないだろう、と思ったのだ。
案の定、松浦は肩をすくめてため息をついた。
「……どうして同じ物を渡すかなぁ〜。
まさか飯田さんから先に聞かされてたんじゃないよね?」
「何を?」
「私がごっちんと同じ症状って事、本当は聞かされてたんじゃないの?」
「圭織がそんな事するわけないじゃん。
それに亜弥ちゃんは圭織を脅してたんでしょ?」
「この前からしつこいなぁ〜。脅し、脅しって物騒な事言わないでよ」
自分のペースを乱され松浦は不機嫌そうにチョコレートパフェを口に運んでいた。
この様子だとどうやら罪悪感など持ってなさそうだ。
- 278 名前:07−サクラチル。 投稿日:2003年08月05日(火)04時17分46秒
- 後藤は片手で頬杖をついてミックスジュースのストローを弄びながら呆れていた。
普通なら同じ症状を持つ者同士なのだから仲良くしようと思いそうなものだが
どうやら松浦にはその気がないらしい。
表向きには態度を変えなかった後藤だが事実を知り、さすがに少なからず驚いていた。
今まで自分だけの悩みだと思っていたのだ。
しかしこれで飯田が口にしていた松浦の相談事とやらの謎は解けた。
自分と同じできっと事情を知った飯田に頼っていたのだろう、と後藤は思った。
「まぁ、丁度いいかぁ。面白くなってきたし」
「何が面白いの?」
「本題に入るね。今日はお話する為にわざわざこうして来たんだし」
先程まで表情を変えていたはずなのにあっという間に松浦の表情は元に戻り
笑顔になっていた。
甘いものを口にしたから機嫌が直ったというわけではなく、気持ちの切り替えが
早いのだろう。
「最近、市井さんとの仲はどう?」
「……亜弥ちゃんに言う必要なんてないじゃん」
「もしかして連絡ないんだ?あはは。やっぱりねぇ〜」
- 279 名前:07−サクラチル。 投稿日:2003年08月05日(火)04時20分10秒
- クスクスと笑いながら松浦は手にしていたスプーンを後藤の目の前で揺らす。
無意識に後藤の手からストローが離れた。
浮いていたストローがずぶずぶとゆっくりジュースの中に埋もれていく。
「……やっぱりって、どういう意味?」
「私ね、市井さんに話しちゃったんだ」
「…………何を?」
「ごっちんと飯田さんが付き合ってたって事」
今度は後藤が言葉を失い、顔色を無くしていた。
スッカリ形勢が逆転してしまった。
後藤にとって最も知られてはいけない事実が市井に知られてしまっていたのだ。
身体の症状よりも知られたくなかった事が。
そして市井と連絡が取れなくなったのは松浦の所為だったのだ。
後藤の表情に余り変化はなかったがテーブルの上に置いていた両手にギュッと
力を込めた。
「……何考えてんの?」
「ごっちん、美貴たんを振ったんだってね」
「振ったよ。でもそれは亜弥ちゃんが望んでた事でしょ?
それが不満だったからって市井ちゃんにチクるのはおかしくない?」
「チクるだなんて、また嫌な言葉を言うなぁ」
「実際にそうじゃん!」
- 280 名前:07−サクラチル。 投稿日:2003年08月05日(火)04時21分56秒
- 後藤がテーブルを叩くと周りの客が何事だ、とざわめいた。
それでも後藤は構わずに松浦を睨む。
もう我慢が出来なかったのだ。
嫌がらせもここまで来ると許せない。
松浦は周りを気にして被っていた帽子を深く被り直し、スプーンを口にくわえて
おどけて見せる。
後藤が怒っているというのに全く堪えていない様子だった。
「ごっちん、疲れてるんじゃない?だからカリカリしちゃうんだよ。
そういう時って甘いもの摂るといいらしいよ〜」
「ふざけないでよ。一体、何の為にこんな事してんの?」
「面白いから」
松浦の返答を聞いて後藤は立ち上がり、ジュース代をテーブルに置いた。
これ以上、松浦に付き合っていると余計なストレスが溜まりそうだ。
しかし荷物を抱えて出口に向かおうとすると腕を掴まれ、後藤は足を止めた。
見下ろすと口元に笑みを浮かべている松浦の顔が見えた。
- 281 名前:07−サクラチル。 投稿日:2003年08月05日(火)04時23分21秒
- 「飯田さんはまだ何も知らないだろうから連絡した方がいいかもね。
今日は午後から仕事だって言ってたからまだ家にいると思うよ」
後藤は無言で松浦の手を振り解いて睨みつけた。
しかし松浦は何事もなかったかのように再びパフェを食べる事に専念し始めたのを
見て後藤は唇を噛み、そのまま無言で喫茶店を出た。
ポツポツと降る雨を肌に感じたが、それでも後藤は傘を差さずにダンススタジオが
ある方向へ足を向けた。
しかし直ぐに踵を返し、激しい憤りを覚えながら乱暴な足取りで歩く。
この時、後藤の頭の中は真っ白だった。
- 282 名前:07−サクラチル。 投稿日:2003年08月05日(火)04時24分36秒
- >> 272さん
一気に読まれたのでしょうか……。それはまたご苦労様です。
容量的に1スレでは足りないだろうな、という程度の長さになると思います。
多分きっと……。
>> 218さん
これから何とかしてまとめに入るつもりなのですが。
まとまらなかったら申し訳ないとしか言えないわけで……。
全てはデビルの所為です……。
- 283 名前:07−サクラチル。 投稿日:2003年08月05日(火)04時26分00秒
- 今回少なめですみません。
- 284 名前:07−サクラチル。 投稿日:2003年08月05日(火)04時26分36秒
- 次回予告:デビル登場。
- 285 名前:153 投稿日:2003年08月05日(火)17時01分40秒
- デビル登場?更に?(w
と思いつつも、登場人物みんなが個性的なので基本的に楽しみです。
- 286 名前:218 投稿日:2003年08月06日(水)00時52分54秒
- この二人のやりとり…こわい。
一番ひやひやする。
そのうえさらに誰が出てくるってんですか?
ひえー。
- 287 名前:08−闇に浮かぶシャボン玉。 投稿日:2003年08月06日(水)02時31分28秒
- 明るく元気に弾けている唄。
しっとりとして心を落ち着けてくれる唄。
唄には色んな種類がある。
その日の気分で鼻唄も変わる。
――私が歌う唄は孤独の唄。
- 288 名前:08−闇に浮かぶシャボン玉。 投稿日:2003年08月06日(水)02時32分15秒
- * * *
- 289 名前:08−闇に浮かぶシャボン玉。 投稿日:2003年08月06日(水)02時33分33秒
- 後藤が立ち去った後、しばらくその場で雑誌を読みながら時間を潰していた松浦は
時計を見てゆっくり腰を上げた。
会計をする時に店員に正体がバレて「頑張って下さいね」と声をかけられ、完璧な
笑みで答える。
普段から笑顔を心がけてはいるが今日は機嫌がいいので自然に笑みが浮かぶ。
喫茶店を出るとまだ小雨が降っていた。
折り畳みの傘を鞄に入れていたので問題はないのだが店の前には屋根がないので
濡れてしまう。
一度中に戻って傘を取り出そうかと踵を返そうとするとそれまで松浦の頬を
濡らしていた雨がピタリと止まった。
ふと顔をあげてみると青色のビニール傘がある。
一瞬、自分の視界だけが青空に変わったように見えた。
「急に降り出したんだよ」
傘の主、市井はニッコリと笑いながら呟く。
松浦も同じように笑みを返す。
「わざわざ来てもらってスミマセン。今、忙しいでしょう?」
「まー、新曲のプロモーションで今は忙しくなってきてるけど松浦ほどじゃないよ」
「今は私も楽な方ですよ」
- 290 名前:08−闇に浮かぶシャボン玉。 投稿日:2003年08月06日(水)02時34分41秒
- 世間話をしながら二人は歩き出した。
市井にカバーをしてもらいながら松浦は自分の傘を差すと青いビニール傘と
ピンクの傘が仲良く並んだ。
「電話で話した事、信じてくれたんですね?」
「後藤と圭織の事?」
他に話した事などないというのに市井がわざわざとぼけた顔をしているので松浦は
首を捻った。
今日は松浦の方から呼び出したのだが余り面識が無いというのに市井がこうして
素直に姿を現したという事が正直意外だった。
ダメ元で呼び出したのだ。
電話をかけた時もてっきりショックを受けるか、怒り出すか、のどちらかの反応を
見せるのかと思っていたのだが市井は何も言わずに相槌を打つだけだった。
もしかして市井は自分の話を信じてないのだろうか、と不安になる。
しかし呼び出しに応じているのだから全く興味がないわけでもないはずだ、と
松浦は思う事にした。
「私がこうして市井さんを呼び出したのはその証明をする為です」
「証明ねぇ……」
市井は顎を撫でながら、どうでもよさそうに呟いた。
- 291 名前:08−闇に浮かぶシャボン玉。 投稿日:2003年08月06日(水)02時36分14秒
- 二人はそれから電車を乗り継いである場所へ向かっていた。
目的地に近くなるにつれ、それまで無言だった市井の表情が変わっていった。
どうやら松浦が何処へ行こうとしているのか気付いたらしい。
あるマンションの前に立つと市井の方から口を開いた。
「圭織のマンションに何か用があんの?」
「もちろんあるから来たんです」
松浦は微笑みながら答えて「ちょっと待ってて下さい」と言い残し、入り口の側に
ある自動販売機に近寄った。
予定の時間より早く着いてしまったので飲み物があった方がいいだろう、と思い
コインを入れて適当にボタンを押し、缶を二つ手にして市井の元へ戻った。
買ったものを突き出すと市井は申し訳なさそうな顔になった。
「あ、ゴメン。あたし、ココア飲めないんだ」
「そうですか。じゃあ、こっちで」
松浦が代わりにオレンジジュースの缶を渡すと市井は苦笑いをして財布を取り出した。
両手をヒラヒラさせてそれを拒否しても強引に小銭を握らされてしまった。
律儀な性格なのか、それとも借りを作りたくないだけなのか、市井の性格をよく
知らない松浦にはよく判らなかった。
- 292 名前:08−闇に浮かぶシャボン玉。 投稿日:2003年08月06日(水)02時37分30秒
- 雨が降っているので二人はエントランスに入り込み、死角になる場所に座り込んだ。
エントランスは自由に入れるがその先にもう一つ扉がある。
そこは相手に開けてもらうか、鍵を持っていないと開かない。
広い空間は静まり返っている。
松浦はココアを飲みながら横で素知らぬ顔をしてオレンジジュースを飲んでいる
市井を見ていた。
言われた通りの行動をし、説明を全く必要としない。
普通なら文句の一つくらい言いそうなものなのに掴み所が無い人間だ、と
戸惑いながら松浦は携帯で時間を確認した。
「携帯で連絡しないで此処で待ち伏せしてるのに意味はあんの?」
ようやく市井が尋ねて来たので松浦は何となくホッとしていた。
興味を持ってもらわないと困るのだ。
市井に説明をしようと顔を上げた瞬間、松浦の視界に人の姿が入った。
相手はこちらに気付かず、そのまま出口に向かう。
松浦はその人物を指差し、口を開いた。
「あれが証拠です」
松浦が言うまでもなく、市井は入り口のドアに手をかけている後藤の背中を
見つめている。
ドアを開ける時に憔悴しきった横顔がチラリと見えた。
- 293 名前:08−闇に浮かぶシャボン玉。 投稿日:2003年08月06日(水)02時38分44秒
- これで二人が密会していたというのが一目瞭然だろう。
後藤は飯田の部屋から出て来たのだ。
喫茶店で話した後、直接此処に来たのだろう。
いや、松浦が此処へ来るように誘導したのだ。
松浦が市井を連れて来たのも直接この瞬間を見てもらう為だった。
だから後藤と喫茶店で会う前に市井に連絡をしていたのだ。
全て松浦の計算通りに事が進んでいる。
口でどう説明しても信じてもらえなければ意味がない。
だから証拠が必要だった。
飯田の部屋から後藤が出て来る現場を見れば二人の関係を疑うなどという無駄な
事はしないだろう、と松浦は思ったのだ。
これで自分が言った言葉を信じてくれるはずだ、と自信を持って松浦は市井の
顔色を窺い、そして言葉を失った。
その間に後藤は松浦達の視線に気付く事もなく、出て行ってしまった。
きっと、このままダンスレッスンに行くのだろう。
松浦の予想では間違いなく市井の表情が変わっているはずだった。
しかし実際は無表情だった。
まるで他人事のような表情。
予想外の事に松浦が身動き一つ出来ずにいると市井はおもむろに立ち上がった。
そして松浦を見下ろし、目を細めて口元を上げる。
松浦はそれを見て眉を寄せた。
- 294 名前:08−闇に浮かぶシャボン玉。 投稿日:2003年08月06日(水)02時40分34秒
- 「今のが証拠ってわけね」
「……そうです」
ぎくしゃくしながら松浦も立ち上がる。
その様子を見て市井はヤレヤレと首を振った。
「松浦が何考えてんのか知らないけどさ。こんな事して楽しい?」
「……楽しいですよ」
苦し紛れに松浦は答えた。
しかし直ぐに笑顔の仮面を取り戻す。
少しばかり予定外な事が起きたが問題なく事は進んでいる。
不安になる事など何もないはずだ、と自分に言い聞かせた。
「……怒らないんですか?市井さんは何も聞かされてなかったんでしょ?」
松浦の真剣な眼差しを市井は正面から受け止めたが、それは一瞬だった。
ほんの少しだけ俯いてクシャリと笑う。
それでも松浦の目には哀しそうには見えなかった。
むしろ思い出し笑いをしているように見える。
市井はそのままの状態で口を開いた。
「……あたしに怒る権利なんてないもん。
だってさ、後藤と圭織がどういう付き合いをしてようが二人の自由じゃん。
あたしが文句言うのはおかしいでしょ」
「でも市井さんはごっちんと付き合ってるんでしょう?
何とも思わないわけないじゃないですか!」
- 295 名前:08−闇に浮かぶシャボン玉。 投稿日:2003年08月06日(水)02時41分53秒
- 思わず声を荒げてしまい、松浦は慌てて口を塞いだ。
市井相手だと、どうも調子が狂ってしまう。
松浦には市井が言っている言葉の意味が理解出来ない。
いや、今現在付き合っている相手が自分の親友と過去に付き合っていたという事実を
知っても顔色一つ変えない市井が理解出来なかった。
普通なら面白くないと思うはずだ。
しかも二人から隠されていたのだから。
過去の事だからいい、と割り切っているのだろうか。
それとも口では何ともないと言っておきながら内心傷ついていたりするのだろうか。
戸惑っている松浦の心中を察した様子など全く見せずに市井はニッコリと笑った。
「じゃあ、もっと楽しくしてあげよっか?」
「え?」
「しばらく時間頂戴。色々と準備したいからさ」
意味深な事を言うだけ言って市井は入り口に向かって歩き出した。
ただ呆然とその背中を松浦は見送る事しか出来なかった。
- 296 名前:08−闇に浮かぶシャボン玉。 投稿日:2003年08月06日(水)02時51分01秒
- 夜になって仕事が終わり、松浦は真っ直ぐに自分の部屋へ戻っていた。
ここ数ヶ月はずっとこのサイクルを保っている。
それは自分の身体に異変があったから、という理由もあるが藤本と
遊ばなくなったからだ。
松浦は手にしていた荷物をソファに置き、腕に巻いていたリストバンドを外した。
途端にふわりと身体が浮く。
頭を空っぽにしてしまえばどこまででも浮上していってしまうので松浦は意識を
集中して天井と地面の間を浮遊していた。
重力に逆らい、仕事の疲れが溜まっている身体を空中で漂わせていると
不思議なもので疲れが和らいでいくような錯覚に陥る。
そして松浦はそっと瞼を閉じて、思案に暮れていた。
もっと楽しくしてあげる、と市井は言っていたが何を意味しているのだろう。
精神的に追い詰めたはずだったのにあの余裕たっぷりの笑みが気にかかる。
本当なら怒鳴られても仕方がないと思っていたのだ。
それを覚悟していたのに市井がそれらしい反応を返さないので逆に松浦は
拍子抜けしてしまった。
- 297 名前:08−闇に浮かぶシャボン玉。 投稿日:2003年08月06日(水)02時52分23秒
- 飯田との事を知った市井は激怒して後藤に不満を漏らすか、もしくは事実を
問いだたすか、のどちらかをすると松浦は予想していた。
しかしあの様子だとそうはならないだろう。
もしかして自分がしている事は全て無駄なのだろうか。
自分が立てた計画が水の泡になってしまうのだろうか。
松浦が唸っているとインターフォンが鳴った。
ハッと我に返り、松浦は自分の身体を床に戻し、慌ててリストバンドをつけた。
これで身体が浮く事はない。
その間にもピンポン、ピンポンと急かすようにインターフォンが鳴っている。
こんな時間に誰だろう、と思いながら玄関のドアノブを捻ると外からもの凄い力で
ドアが開かれた。
前につんのめりそうになり、松浦が必死で踏ん張っていると頭上から声が聞こえた。
「遅くにゴメンね」
顔を上げてみるとそこには無表情の後藤がいた。
松浦は目を見張る。
後藤に驚いたのではなく、その後ろにいる藤本に驚いたのだ。
藤本は困惑したような顔をしている。
- 298 名前:08−闇に浮かぶシャボン玉。 投稿日:2003年08月06日(水)02時53分46秒
- とりあえず、松浦は二人を部屋の中に通し、お茶を出す為に席を外した。
それまで三人共会話らしい会話は一言もしていない。
部屋の中は不穏な空気に満ちている。
松浦は冷蔵庫から紅茶のペットボトルを取り出してみて初めて自分の手が
震えている事に気付いた。
不意打ちを喰らい、動揺していたのだ。
後藤だけならいつも通りでいられたのだ。
喫茶店での様子から彼女が今日此処に来る予感はしていたのだから。
しかし藤本の登場が予想外だった。
この前、石川に呼び出されて会った時は心構えが出来ていたから大丈夫だったのだ。
しかし今日は違う。
だからドキドキと心臓が高鳴っていた。
自分は変わったのだ、こんな事で動揺する人間でない、と自分に言い聞かせながら
松浦は平常心を取り戻す為に大きく深呼吸を繰り返した。
「こんなものしかないけど」
そう言いながら松浦はテーブルに紅茶のペットボトルを三本置いた。
正方形のテーブルを三人で囲む。
松浦は左側にいる藤本を意識しないように正面にいる後藤だけを見る事にした。
ボトルを手にしてラベルをまじまじと見つめながら後藤が口を開いた。
- 299 名前:08−闇に浮かぶシャボン玉。 投稿日:2003年08月06日(水)02時56分34秒
- 「あー、これって亜弥ちゃんが新しくCMするやつ?」
「うん。貰ったの。まだまだあるから遠慮なく持って帰って」
今まで紅茶を余り好んで飲んでいなかったのでどうも慣れない。
大量に貰ったのはいいが処理に困っていたのだ。
殆どは実家に送ったのだがまだ手元に数本残っている。
「それで?今日はなんでごっちんと美貴たんがうちに来たの?」
「あたし、亜弥ちゃんの家知らないから道を訊いてたら美貴ちゃんも一緒に行くって
言うからさ。で、こうなったってわけ」
松浦は表情には出さなかったが内心驚き、藤本を見た。
先ほどからずっと眉間にしわを寄せて黙り込んでいる。
明らかに不機嫌そうだ。
話し掛けると地雷を踏みそうな気がしてあえて松浦は声をかけない事にした。
「あたしが今日此処に来た理由は亜弥ちゃんが一番よく知ってるでしょ?」
藤本から視線を後藤に移動させると無表情でこちらを見ていた。
冷めた目つき。
怒っているのか、呆れているのか、区別がつかない。
藤本にも言える事だが後藤は怒った表情よりも無表情の方が迫力がある。
それでも松浦は素知らぬ顔を貫いていた。
- 300 名前:08−闇に浮かぶシャボン玉。 投稿日:2003年08月06日(水)02時57分56秒
- >> 153さん
いや、別にこれ以上人が増えるわけではないのですが。
そんな事をしたらこの話は終わりません……。
>> 218さん
デビルが誰なのか、今回の更新で判っていただけたでしょうか。
といっても、どちらなのか……。
- 301 名前:08−闇に浮かぶシャボン玉。 投稿日:2003年08月06日(水)02時58分57秒
-
- 302 名前:08−闇に浮かぶシャボン玉。 投稿日:2003年08月06日(水)02時59分34秒
-
- 303 名前:153 投稿日:2003年08月06日(水)20時02分32秒
- なるほど、こういう展開ですか…いやもう凄い。
この話の中では一方的な力関係というのがないんですね。どう転ぶかまるで分からない。
取り合えず頭の悪いレスばかりですみません;
- 304 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月07日(木)00時16分38秒
- 今日一気読みさせて頂きました。
オモシレー。
『血の味』を思い出しました。
- 305 名前:218 投稿日:2003年08月07日(木)00時54分21秒
- ああ、もうなにがなんだか。
デビルは、自分の印象だと、やっぱりあの人ですね。
でもってこの人がサタンでその人がデーモン。モンスターもいるな…
針のむしろというか。青白い炎が見えるようです。
- 306 名前:08−闇に浮かぶシャボン玉。 投稿日:2003年08月07日(木)03時00分50秒
- 「市井さんにごっちんと飯田さんが付き合ってたって事を話したのは
そんなに拙かったの?」
「判ってて言ってるでしょ?」
「うん。それであの後、飯田さんとどういう話したの?」
「そんなの亜弥ちゃんには関係ないじゃん」
「まぁ、それはそうだけど〜」
松浦はニコニコしながら横目でこっそり藤本の反応を窺っていた。
わざと事情が判り易いように話をしているつもりなのだが藤本は余り表情を
変えていない。
もしかしたら先に後藤から事情を聞かされていたのかもしれない。
何となく松浦はそう思った。
「何の為にあたしに嫌がらせしてんのかを訊く為に今日は来たの。
圭織に訊いても黙り込んじゃってさ。
圭織にしてた相談事ってコレだけじゃないんでしょ?」
後藤はコレと言いながら少し服の袖を上げてリストバンドを覗かせる。
それを見て松浦は少しだけ頬をピクリと動かし、チラリと藤本を見た。
藤本は意味が判らなかったらしく、更に眉間にしわを寄せている。
よく考えたら後藤が藤本にリストバンドの事を話すわけがない。
下手をすれば自分の秘密もバレてしまうのだから。
- 307 名前:08−闇に浮かぶシャボン玉。 投稿日:2003年08月07日(木)03時02分57秒
- 確かに後藤が言う通り、松浦が飯田に相談していた事は自分の身体の症状の事ではない。
飯田に相談していたのは今後の事だった。
どうやって後藤を追い詰めるか。
ただそれだけだった。
もちろん飯田は難色を示した。
それでも松浦は半ば強引に言いくるめたのだった。
「えっとねぇ……、私って今まで何でも手に入れて来たじゃない?
一年そこそこであっという間にトップアイドルになったし。
ドラマも映画もやったし、CMも数が増えた。写真集もいいペースで出してる。
あ、ドームツアーとかはやってみたいかな。
モーニングさんもまだ東京ドームとかでライブしてないよね?」
「……自慢話?」
「だって、これって美貴たんが指摘して来た事だもん」
ニヤリと笑いながら松浦が見ると藤本はギョッとしていた。
しかし黙り込んでいる。
どうやら言い訳をする気もないようだ。
後藤は無言で藤本を見ていたが直ぐに興味を失ったらしく、ペットボトルの栓を
捻っていた。
何でも手に入れてきたから妬ましい、と藤本に言われて他人の目から自分が
そう見えているのだ、という事に改めて松浦は気付いた。
確かに自分は何でも手に入れてきたように見えるのかもしれない。
- 308 名前:08−闇に浮かぶシャボン玉。 投稿日:2003年08月07日(木)03時04分30秒
- しかし決して現状に満足しているわけではないのだ。
「でもね、ここまではごっちんと一緒なの」
「ここまでって?」
後藤は紅茶を飲もうとしていた手を止めた。
後藤と松浦の仕事量は似たようなもので今までやって来た仕事の種類も
かなり重複していた。
それでも松浦が持っていないものを後藤は持っている。
「だって、私シングルで一位になった事ないんだもん。
ごっちんはデビュー曲の時になったでしょ?」
「それはそうだけど今は亜弥ちゃんの方が上じゃん」
後藤が言った通り、現状は松浦の方がCDの売上は勝っているが一位というものは
誰だって欲しいと思うはずだ。
松浦はずっと一位を目指していた。
しかし未だに手に入らない。
それが不満だった。
順位や売上が前回を下回ると物凄くショックを受ける。
それは他の人間にも言える事なのだろうが後藤はというと売上が降下してるというのに
全く気にしていないように見えるのだ。
何とも思わないのだろうか、と松浦はいつも不思議に思っていた。
- 309 名前:08−闇に浮かぶシャボン玉。 投稿日:2003年08月07日(木)03時07分02秒
- 「亜弥ちゃんの方が今は勢いがあるのにまだ不満なの?」
「ごっちんってさ、欲がないよね。
モーニングさんに入った頃からセンターだったわけじゃない?
トップアイドルのセンターって言ったらそりゃスゴイよねぇ。
でも今は徐々にファンが減ってるっていうのに余り焦ってないのが不思議。
私だったら絶対焦るけどごっちんって前からのほほん〜としてるよねぇ」
松浦の言葉は直球で落ち目だと言っているようなものなのに、それでも後藤は
ポーカーフェイスを保ち続けていた。
「亜弥ちゃんは勘違いしてるね。焦っていないように表面上は見えてるだけだよ。
これでも内心複雑なんだから。ファンが減れば仕事の量も減っちゃう。
そうでなくても過去の勢いがなくなってるって事くらい、ちゃんと気付いているよ」
「でもやっぱりそうは見えないけど?」
「それは出さないようにしてるから。じたばたしてどうにかなるんならするよ。
でも意味がないって判ってるからしない。
今のあたしに出来る事は与えられた仕事を精一杯頑張るだけだから」
自分自身に言い聞かせているわけでもなく、後藤は淡々と説明していた。
- 310 名前:08−闇に浮かぶシャボン玉。 投稿日:2003年08月07日(木)03時08分02秒
- 松浦は格の差を見せつけられたような気がしていた。
自分より後藤は大人だ。
これがキャリアの差というものなのだろうか。
それともただの性格の差なのか。
ふと松浦が藤本の方を見てみると同じように表情が曇っていた。
松浦に嫉妬していた藤本には耳が痛い言葉だったのだろう。
「でもごっちんは私が他に欲しいって思ってるものも手に入れてるんだよね」
「何それ?」
「だって飯田さんにも好かれて今は市井さんとも付き合ってるわけでしょ?
私には手に入らないものだもん」
「……つまり、それは美貴ちゃんの事を言ってるの?」
後藤はチラリと藤本の顔を見た。
自分の事を言われている藤本はまだ黙り込んで誰とも目を合わせようとしない。
居心地が悪そうにもぞもぞと身体を動かしている。
松浦はあえて視線を後藤に向けたまま、藤本の顔を見ようとはしなかった。
- 311 名前:08−闇に浮かぶシャボン玉。 投稿日:2003年08月07日(木)03時10分33秒
- 「そうだよ。仕事は順調なの。一位はいつか取るっていう自信があるから。
でも欲しいのに唯一手に入らないものが好きな人の気持ちなの」
「あのさー、そんなのあたしに言ってもしょうがないんじゃない?
本人が此処にいるんだからあたしがいないとこで言ってよ」
後藤がうんざりしながら呟くと松浦は頬杖をついてニッコリと微笑んだ。
まだ藤本の顔は見ない。
「その事は後回しにしたの。
こういうのって、目の上のたんこぶって言うんだっけ?
先に目障りなものを潰す事にしたんだ」
「たんこぶ……。それってあたしの事?」
「そうだよ。ごっちんには自滅してもらうの」
「……正直そこまで亜弥ちゃんに敵視される理由が判んない」
後藤は腕を組んで首を傾げた。
煽る言葉をわざと選んで使っているというのに怒りの感情が湧かないらしい。
唯一、松浦がこの目で後藤が激怒している姿を見たのは飯田を利用するな、と
言われた時と市井に全てを話した、と暴露した時だけだ。
基本的に頭に血が上り難い性格をしているのだろう。
- 312 名前:08−闇に浮かぶシャボン玉。 投稿日:2003年08月07日(木)03時12分17秒
- 「自分が持ってない物を他人が持ってるっていうのが気に入らないだけだよ。
私、欲張りで我侭だし」
「でもあたしじゃなくたって身の回りにカップルなんて山のようにいるじゃん」
「ごっちんは私に近い存在だから余計に意識しちゃうんだ〜」
松浦が無邪気な笑みを浮かべていると後藤はヤレヤレと頭を振った。
こんな事で過剰に意識されても迷惑だ、と顔に書いてある。
「なんか、話してても意味なさそうだから帰る。
とりあえずもう大人しくしててよね」
後藤はそう言い残し、部屋を出て行ってしまった。
松浦は後藤が出て行った玄関を眺めながら心配しなくても、もう何もしないよ、と
心の中で呟いていた。
やるべき事はもうやったのだ。
松浦が後藤にする事はもう何もない。
しかし松浦は少し拍子抜けしていた。
予想ではもっと怒鳴られるかと思っていたのだ。
煽る言葉が足りなかったかな、と少しだけ後悔してしまった。
松浦はため息をつきながら視線を戻した。
取り残されてしまった藤本は固まってしまっている。
膝の上にある自分の手をじっと見つめていた。
藤本の顔を見ながらこれから大変なのだ、と松浦は気を引き締めた。
- 313 名前:08−闇に浮かぶシャボン玉。 投稿日:2003年08月07日(木)03時14分24秒
- 「ごっちんってやっぱり怒った顔が可愛いね」
松浦が楽しそうに呟くとようやく藤本が顔を上げた。
また険しい顔に変わっている。
「亜弥ちゃん……。なんか、人が変わったね……」
「そう?」
「ある程度の事はごっちんから聞いたよ。
って言っても、いっぱい誤魔化されたけどさ」
松浦が後藤に何をしたか、という説明はされたという事だろう。
詳しい事情を話そうとすると後藤にも都合の悪い事が出て来るので表面的な
ものだけだろうが。
「ねぇ……、これって美貴の所為?美貴があんな事言ったからこんな事してんの?」
「美貴たんの所為っていえばそうなのかも」
わざと焦らすように呟き、松浦が人懐っこい顔で笑うと藤本はぐっと言葉に
詰まっていた。
藤本に言われなければ気付かなかった事が沢山あった。
言われたから松浦は自分を変えようと思ったのだ。
そういう意味では藤本が関係していると言える。
「美貴、亜弥ちゃんに言ったよね?ごっちんに変な事しないでねって」
「言ってたねぇ〜」
「……なら、もうやめてよ。
ごっちん、さっきは余り表情に出してなかったけど結構困ってるみたいだよ」
- 314 名前:08−闇に浮かぶシャボン玉。 投稿日:2003年08月07日(木)03時16分45秒
- 「美貴たんはもうごっちんの事好きじゃないんでしょ?なら、別にいいじゃん」
「良くないよ。美貴の所為でごっちんが困ってるのなら尚更……」
「だって、困ってもらわなくちゃ意味ないもん」
「だから!どうしてごっちんに拘るの!?」
苛立ちを抑えられなかったのか、藤本は乱暴にテーブルを叩いた。
倒れはしなかったがペットボトルが少しだけ弾んだ。
松浦はぼんやりとテーブルの上のボトルを眺めながらしっかりした口調で呟いた。
「私ね、ごっちんは強い人だって信じてる」
「はぁ?」
話の前後の繋がりが見えずに藤本は眉を上げて素っ頓狂な声を出した。
後藤は強い。
この言葉は飯田の受け売りだったが松浦もそう思っている。
後藤は強い。
本当は自滅などするような人間ではないと信じている。
しかし松浦の考えている事など判らない藤本は顔をしかめて鼻を掻いていた。
「……美貴には亜弥ちゃんが何考えてんのか判んないよ。
そりゃ、美貴だって亜弥ちゃんに酷い事言ったよ。
でも気持ちが受け取れないっていう意思表示をハッキリしておこうって
思っただけで友達としての付き合いはしていくつもりだった。
でも今はそんな気になれない……」
- 315 名前:08−闇に浮かぶシャボン玉。 投稿日:2003年08月07日(木)03時18分45秒
- 「でもこんな私にしたのは美貴たんだからね?それを忘れないでよ」
苦悩に満ちた顔をして藤本は俯く。
自分のした事を後悔しているようだ。
それはそうだろう。
藤本が松浦を避けなければ後藤は何事もなく日々平和に過ごせたのだから。
藤本は歯を食いしばり自分を責めるように思いきり拳を床に下ろした。
鈍い音が響き、傍に座っている松浦にも床の振動が伝わってきた。
痛みも気にせずに藤本は床に拳をつけた状態で固まっている。
それを見て少しだけ松浦の胸は痛んだ。
「美貴たん、私に無神経だって言ったよね?他人の気持ちに疎過ぎるって」
「……言ったよ。今なんてもっと無神経だよ」
吐き捨てるようにそう言い、藤本は松浦を睨んだ。
しかし直ぐに哀しそうな表情に変わる。
言った後で松浦を悪い方向に変えてしまったのは自分だったという事に気付いたらしい。
「さっき美貴たんは私に人が変わった、って言ってたけど人はそんなに簡単には
変われないよ。だから私はまだ美貴たんの事が好き」
「……」
- 316 名前:08−闇に浮かぶシャボン玉。 投稿日:2003年08月07日(木)03時20分21秒
- 「この気持ちは変えたくないけど私は変わりたいの。
今までの自分じゃない新しい自分になりたい」
松浦がキッパリとそう言うと藤本は目を見張って驚いていた。
いつの間にか緊張していたらしく、喉がカラカラになっていたので松浦は
ペットボトルを掴んだ。
心なしか、少しだけ手が震えている。
藤本に気付かれないよう手にギュッと力を入れて一口飲んだ。
やはり美味しいとは思わなかった。
ふぅ、と一息ついて松浦は藤本の顔を見つめた。
「美貴たんに好かれるような人になりたいの」
「…………」
「今の私じゃダメなんでしょ?」
「判ってるならもうやめなよ。ごっちんにはもう何もしないで」
「それは出来ない」
「なんで……」
「もう遅いから」
藤本はしきりに首を捻り、最後には頭を抱えてしまった。
松浦の言っている言葉の意味が全く理解出来ないようだ。
- 317 名前:08−闇に浮かぶシャボン玉。 投稿日:2003年08月07日(木)03時21分26秒
- 「意味が全く判んない……。でもこれだけはハッキリ言っとく。
今のままじゃ、美貴は亜弥ちゃんの事好きになれないよ」
「うん。それは判ってる。でもね、美貴たんには私の事をもっと知って欲しいんだ」
「そんな無茶苦茶な……」
「私ね、美貴たんの事何も知らなかった。私に嫉妬してるなんてさ。
でもね、美貴たんだって私の事な〜んにも知らないんだよ」
「…………」
「だって美貴たん、私の事知ろうとしてないんだもん。興味持ってないでしょ?
だから無理やりにでも興味を持ってもらうの」
藤本は言葉を失っていた。
表面的な事しか見ていなかったのはお互い様だ。
松浦は藤本本人から直接言われる事で気付いたが藤本はまだ何も気付いていない。
身体の異変の事はもちろんだが今の松浦が何を考えているかなどという事も
知らないのだ。
松浦がしようとしている事の真意。
どうして後藤に執着しているのか。
どうして藤本が嫌がる事をわざとしているのか。
こんな形しか松浦は選べなかったのだ。
しかしまだ藤本には真実が話せない。
- 318 名前:08−闇に浮かぶシャボン玉。 投稿日:2003年08月07日(木)03時22分11秒
- 「こんな状態になったら目を背けたくても気になるでしょ?
私が何を考えてるのかって事が」
松浦は偽りの仮面を被って藤本に微笑んだ。
そして心の中では泣いていた。
- 319 名前:08−闇に浮かぶシャボン玉。 投稿日:2003年08月07日(木)03時23分14秒
- >> 153さん
いえいえ、いつもレス有難うございます。
無愛想なレスばかり返しているような気がしますがこれでも本当に有難いと思っています。
>> 304さん
一気読み、お疲れ様です。
言われて初めて気付きました……。そういえばそうですね……。
>> 218さん
極悪人ばかり出ているような気がしますがそれは気の所為だと思って下さい。
ただ、エゴだらけなだけで……。
- 320 名前:08−闇に浮かぶシャボン玉。 投稿日:2003年08月07日(木)03時24分06秒
- 意味不明、及び、判り難い内容ですみません。
- 321 名前:08−闇に浮かぶシャボン玉。 投稿日:2003年08月07日(木)03時25分13秒
- 全体の半分は過ぎたと思います。
- 322 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月07日(木)03時29分42秒
- はまりました
松浦さん、、、切なすぎる
- 323 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月07日(木)03時30分19秒
- ごめんなさい
上げてしまいました
- 324 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月07日(木)03時45分46秒
- 思わず泣いてしまいました。
松浦さん切ないですね…。
弱さがエゴになってエゴが強さになって。
少しでも救いがあることを祈っています。
- 325 名前:08−闇に浮かぶシャボン玉。 投稿日:2003年08月08日(金)00時57分08秒
- 次の日の夜、松浦は飯田の部屋を訪れた。
お互いの事情を知ってからは何度も来ている。
玄関に現れた飯田の顔には誰の目から見ても疲労感が漂っていてさすがに松浦も
気の毒に思えた。
飯田が着ている薄手の長袖が少し型崩れしているように見える。
服に気を遣う飯田にしては珍しい事だった。
それだけ他の事に気が回らない状態なのだという事を知り、松浦は良心が痛んだ。
飯田も松浦の顔を見て心配そうに呟いた。
「昨日、寝れなかったんじゃない?」
「そうですね。余り寝れなかったです」
正直に松浦は答えた。
飯田ほどではないがくっきりと目の下に隈が出来ているのだ。
雑誌の撮影があったのでマネージャーやメイクの人にも散々文句を言われた。
飯田は困ったような笑みを浮かべ、松浦を部屋の中に通した。
テーブルの上には酒の瓶が数本並んでいる。
先ほどすれ違った時にもアルコール臭がしたのを思い出し、飯田が酒類を余り
家では飲まない事を知っている松浦は肩をすくめた。
- 326 名前:08−闇に浮かぶシャボン玉。 投稿日:2003年08月08日(金)00時58分35秒
- 飲まずにはおられない状況に陥っている飯田の気持ちも判るのだ。
自分よりも心の中に溜め込んでいるものが多いのだから仕方がない、と松浦は
思いながらキッチンに向かった飯田の背中に問い掛けた。
「ごっちん、どうでした?」
「……どうもしてない」
背を向けたまま、飯田は素っ気なく答える。
そして酔い覚ましのコーヒーを手にして戻って来たのはいいが、空になっている
酒瓶が目に入ったらしく、無言でテーブルの下に置いていた。
酒の存在はお互いに気にしないようにしていた。
頬が少し朱に染まっているが意識はハッキリしてるようなのでとりあえず
絡まれたりはしないだろう、と松浦は胸を撫で下ろしていた。
「松浦の思い通りに進んでるよ」
「というと?」
大きな赤いマグカップを両手で包んで、こんなに飲めるかな、と松浦は違う事を
考えていた。
その様子を見ながら飯田は苦笑いをして説明を始めた。
- 327 名前:08−闇に浮かぶシャボン玉。 投稿日:2003年08月08日(金)01時00分33秒
- 松浦と喫茶店で別れてから直ぐ後藤は物凄い剣幕で飯田の部屋にやって来たのだが
状況を説明をしている間に冷静さを取り戻し、最後には松浦への怒りも消え失せて
しまったようだ。
ここらへんが後藤らしいと言える。
しかし市井に連絡がつかなくて困っていたようだ。
携帯にかけても居留守を使っているのか、繋がらない。
飯田も連絡を取ろうとしたがメールすら、同じ状態だったらしい。
それを聞いて松浦は意外だと思った。
表面的には何でもないように装っていた市井が実は腹に一物抱えていたのかも
しれないのだ。
そういえば別れ際に意味深な言葉を言っていたが何か関係があるのだろうか、と
松浦は首を捻った。
「私が携帯にかけたら普通に出ましたけど?」
「圭織とごっちんだけ避けてるみたいだから……」
「あぁ、なるほど。で、ごっちんはこれからどうするとか言ってました?」
「悩んでた。話を聞いて圭織は慰める事しか出来なかったけど。
紗耶香と会っても何を話したらいいのか判んないって言ってたから」
「本当に市井さんの事が好きなら飯田さんとはもう過去の事だって言えば
いいだけなのに。まぁ、それが出来ないからこんな事になってるんだろうけど」
- 328 名前:08−闇に浮かぶシャボン玉。 投稿日:2003年08月08日(金)01時02分09秒
- 松浦はそう言いながら自分のリストバンドを撫でた。
迷いがあるから、不安だから、身体に異変が起きている。
後藤が素直に市井と話が出来る状態ならばこんな状況にはならなかったはずだ。
松浦はそう信じている。
マグカップに息を吹きかけていると飯田が「うーん」と悩ましげな声を出して
唸っていたので松浦は視線だけ上げた。
そして一番迷っている人間はこの人だ、と湯気の向こうにいる飯田の顔を見ながら
思った。
「でもまぁ、後はごっちん次第ですよね。私達はもうする事ないから」
「…………」
「ごっちんは強い人だって飯田さんが言ったんですよ?信じましょうよ」
「……でも」
「まだ納得してないんですか。
大体、私に協力するのを今頃後悔したってもう遅いですよ」
コーヒーを一口飲んで松浦は顔をしかめながらテーブルにマグカップを戻した。
熱過ぎて舌がヒリヒリする。
それにコーヒーは苦手だった。
しかし松浦の表情の変化など気付けないくらい飯田は落ち込んでいた。
- 329 名前:08−闇に浮かぶシャボン玉。 投稿日:2003年08月08日(金)01時03分17秒
- 松浦はため息をつきながら肩をすくめる。
未だに飯田が自分に気を許していないと判ったからだ。
そもそも初めから飯田は松浦に対して協力的ではなかった。
「あのぉ……。ちょっと忠告してもいいですか?」
「え?」
顔を上げた飯田は何を言い出したのだろう、という訝しげな表情になっている。
松浦はいつもの笑顔の仮面を外して真剣な表情で呟いた。
「どうして、飯田さんは自分の気持ちを伝えないんですか?」
松浦の質問に飯田は大きな目を見開いた。
まだ誰も気付いていないが飯田の好きな相手が誰なのか、という事を直ぐに松浦は
見破っていた。
しかし飯田は自分の気持ちを相手に伝える気がないらしい。
それが松浦には理解出来ないのだ。
「ややこしくなるだけだから言わないだけだよ」
飯田は苦笑いしながら答える。
ぎこちなくマグカップを口へと運んでいる様子を眺めながら松浦は深々とため息を
ついた。
そしてマグカップがテーブルに置かれるのを見届けてから口を開いた。
- 330 名前:08−闇に浮かぶシャボン玉。 投稿日:2003年08月08日(金)01時04分34秒
- 「飯田さんは優しい人なんかじゃなくて臆病なだけだと思います」
「どういう意味?」
「だっていつも自分の気持ちを抑えてるでしょう?
誰にもバレないようにって必死で隠してる」
「そんな事ないよ。これでも気が強いからメンバーには結構キツイ事言ってたりするし」
「でもそれは上辺だけの事でしょう?本当の気持ちは隠してる」
松浦が指摘すると飯田は黙り込んでしまった。
テーブルの上に置いてあるマグカップを包み込んで弱々しくため息をついている。
図星だったようだ。
「誰かの為に自分の気持ちを抑えるなんて馬鹿げてます」
「……圭織は大人だから松浦みたいに自分の感情だけで突っ走れないだけだよ。
大人になると多少我慢しなくちゃいけない事が出て来るもんだから」
「大人だからじゃなくて飯田さんは弱虫なんですよ。仕事も恋愛も先手必勝。
何もしなかった人が泣く羽目になるんだから。
私は自分の気持ちを第一に考えて行動します」
「……だから松浦と圭織は違うんだよ」
「それが逃げてるって事です」
松浦がキッパリ言い切ると飯田は更に肩を落とした。
そして自嘲気味に笑う。
本当は他人に言われなくても判っていると言わんばかりに。
- 331 名前:08−闇に浮かぶシャボン玉。 投稿日:2003年08月08日(金)01時05分40秒
- 「でも松浦は勘違いしてるよ。圭織は優しくない。
隠したい事があるから隠してるだけだもん」
「……どういう意味ですか?」
松浦は眉を寄せて尋ねたがその事についての返事が飯田の口から出る事はなかった。
無理やり訊き出すのも気が引けて松浦は口を閉じていた。
多少の脅しをして自分の計画に飯田を巻き込み、お互いの状況を伝え合った。
飯田からは後藤とどういう付き合いをしていたのかを聞いていた。
過去に付き合っていたという事と、今は相談相手になっているという事。
他には特に聞いていない。
というより、飯田が話そうとしなかったのだ。
更に脅せば訊き出せたのかもしれないが松浦はそれをしなかった。
もう必要ないと思ったのだ。
正直既に他人のプライベートな部分を知り過ぎているという気後れがあった。
松浦は自分の事を全て話していた。
藤本に何を言われたのか、という事と自分が何をしようとしているのか、という事を。
そして松浦の計画には自分よりも後藤の事をよく知る人間が必要だった。
必要以上に後藤を傷つけない為に。
部屋の中は静寂に包まれていた。
壁にかけられている時計の針の音とコーヒーを啜る音しか聞こえない。
- 332 名前:08−闇に浮かぶシャボン玉。 投稿日:2003年08月08日(金)01時07分23秒
- 外は強い風が吹いているようで窓がカタカタと鳴っていた。
飯田も寒いのか、自分の腕を軽く撫でている。
それを見て松浦は首を傾げ、口を開こうとしたのだが先に飯田が喋り始めた。
「……圭織思うんだけど、これで全てが上手くいったとしても美貴が松浦の事を
好きになるかどうかは判らないんじゃない?
むしろ下手したら嫌われるんじゃないかな……」
「それでもいいんです。私の事全部知ってもらって嫌われるんなら本望です」
「……間違ってるよ、そんなの」
「自分を偽るのに疲れちゃったんです。
だって、アイドルとして普段から偽物の自分を作ってるんだもん。
そういうのはもう嫌。好きな人には本当の自分を見てもらいたいじゃないですか」
「そりゃそうだけどさ。やり方が間違ってるんじゃないかな……」
飯田は松浦を哀れむような眼差しで見ている。
確かに強引なのかもしれない。
こんな事をしても藤本の気持ちは手に入らないかもしれない。
それでも松浦は後悔していなかった。
何もしないまま、後悔をする方が嫌だった。
- 333 名前:08−闇に浮かぶシャボン玉。 投稿日:2003年08月08日(金)01時08分14秒
- 飯田は座り込んだまま、テーブルの上をぼんやり見ている。
考え事をしているのだろう。
返事を期待せずに「コーヒーご馳走さまでした」と言い、松浦は飯田の部屋を出た。
マンションのエントランスを出て空を見上げると星は全く見えなかった。
来る時には見えていたはずの月も殆ど雲に隠れている。
もしかしたら明日も雨が降るのかもしれない、と思いながら松浦は歩き出した。
- 334 名前:08−闇に浮かぶシャボン玉。 投稿日:2003年08月08日(金)01時09分30秒
- 自分の家に戻った松浦は電気もつけずにベッドにうつ伏せで寝転んだ。
ひんやりとしたシーツの感触を頬に感じる。
しかし直ぐに生暖かくなった。
コントロールが出来ると言っても松浦の症状は重くなっていた。
心労が溜まっている所為かもしれない。
今では気を抜いたら直ぐに身体が浮くようになってしまっていた。
松浦は濡れた頬を拭って起き上がり、傍の棚に飾りとして置いてあった
シャボン玉の容器を手に取った。
ピンクの容器で口を開けるとストロベリーの香りがする。
拭き口は熊の形をしていて可愛いものだ。
藤本と一緒に買い物に出かけた時にお揃いで購入した物だが買った日くらいしか
利用した事がない。
- 335 名前:08−闇に浮かぶシャボン玉。 投稿日:2003年08月08日(金)01時10分43秒
- 窓の外に向かってシャボン玉を飛ばす。
外から入ってくるぼんやりした弱い街灯の光に照らされてシャボン玉が少しだけ
光って見えた。
暗闇に浮かぶ小さなシャボン玉は夜光虫のように見える。
しかし直ぐに壊れて姿を消す。
松浦は自分の唄を口ずさみながら何度も何度も拭き口に息を吹き続ける。
沢山飛ばしていると天高く飛んでいくシャボン玉の数々に目を奪われた。
自分の身体も鏡で見たら同じように見えるのかもしれない、と思っていると
シャボン玉が暗闇に溶けてしまった。
「私はどこですか…」
松浦の歌声も暗闇に溶けた。
- 336 名前:08−闇に浮かぶシャボン玉。 投稿日:2003年08月08日(金)01時12分00秒
- >> 323さん
更新したばかりで一番上に来ていたはずなので大丈夫だと思います。
松浦さんメインはこれで終わりです。
>> 324さん
松浦さんも自業自得のような気がしますが。
彼女の所為でこんなにややこしい事になっているわけで……。
- 337 名前:08−闇に浮かぶシャボン玉。 投稿日:2003年08月08日(金)01時12分33秒
-
- 338 名前:08−闇に浮かぶシャボン玉。 投稿日:2003年08月08日(金)01時13分52秒
-
- 339 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月08日(金)01時27分22秒
- おりょー?ここにきてまっつーの心境が少し違う?
なんだかますます目が離せないです。
毎日の更新お疲れ様です。
- 340 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月08日(金)03時14分26秒
- 毎日読んでます
松浦さんしっかりしてくれ!
弱気になるな!攻めろ!
- 341 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月08日(金)22時59分24秒
- いや、ここにきて松浦が結構・・・藤本が気になる〜
- 342 名前:218 投稿日:2003年08月08日(金)23時39分42秒
- 今回は、これまでに比べかなり内面描写に踏み込んだ展開だな、と読みました。
それでいてベタつかずニュートラルな視点が、すごいです。なんでこんな文体で書けるんだろう。
松浦がせつないが。
でも飯田の、大人としての決意こそが、より一層胸に迫るなあ。これもエゴなんだろうか。
- 343 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月09日(土)00時34分29秒
- ぐわわわわっ!
なんつーか、それぞれが事情を抱えてて、なんともかんとも
複雑なようで実は単純
人間っていろいろ考えるからダメだね
マジ面白いですわ、毎日楽しみにして読んでます
- 344 名前:09−雨のち雨のち雨。 投稿日:2003年08月09日(土)03時27分22秒
- 雨はいつまでも降り続ける。
誰にも止める事は出来ない。
――出来る事といえばただ雨が止むのを待つ事だけ。
- 345 名前:09−雨のち雨のち雨。 投稿日:2003年08月09日(土)03時28分20秒
- * * *
- 346 名前:09−雨のち雨のち雨。 投稿日:2003年08月09日(土)03時29分44秒
- ここのところ、飯田は憂鬱だった。
その所為か、雑誌の撮影をしていても笑顔がぎくしゃくして強張ったものになる。
しまった、と思った瞬間にシャッターが連続で切られていたという事が度々あった。
肩を落としながら控え室へ戻ると中はいつものように騒がしく、自分だけが違う
空間にいるような落差を感じてしまった。
自分の周りだけ温度が下がっているように感じるのだ。
リーダーになる前は歳の差があってもメンバー達と仲良くしていたが今では自分から
距離を置くようにしている。
それは日頃から飯田がメンバー全員と平等に接しなくてはいけないと思っている
からなのだが正直少し淋しかった。
「なんか、元気ないね?」
声をかけられ顔を上げるとそこには能天気そうな顔をした吉澤がいた。
テーブルに頬杖をついて飯田の顔を覗き込んでいる。
飯田は愛想笑いを浮かべて軽く首を振った。
- 347 名前:09−雨のち雨のち雨。 投稿日:2003年08月09日(土)03時33分39秒
- 「別に普通だよ。今日は天気が悪いから憂鬱なだけ」
「暗い!暗過ぎるよ!」
吉澤がわざと大げさに怒鳴ったので周りのメンバーの視線を集めてしまった。
どうしたんだろう、という表情で見つめられ、飯田は慌てて「何でもない」と
誤魔化した。
そして顔をしかめて吉澤に小声で文句を言う。
「よっすぃー、大きな声出さないでよ……。本当に何でもないんだから」
「でも最近本当に変だもん。
梨華ちゃんとかも最近変だ変だって言ってるくらいだし」
「……そんなに変かな」
「元々変だけど」
「……よっすぃーに言われたくないなぁ」
飯田がふざけて言うと吉澤はムッとして「本気で心配しているのに」とぼやいた。
そして顔を近づけて飯田の耳元に囁く。
「悩み事とかあったらマジで相談のるから」
吉澤はそう言って席を離れた。
どうやら飯田が何も語ろうとしないので諦めたようだ。
加護に何かを話し掛けながら遠ざかって行く吉澤の背中をぼんやりと眺めて
飯田はヤレヤレと重く感じる頭を振った。
そして自分の頬を軽くピシャリと叩いて気持ちを切り替え、服を着替える事にした。
- 348 名前:09−雨のち雨のち雨。 投稿日:2003年08月09日(土)03時35分35秒
- 他のメンバーはもう殆ど着替え終わっているというのに飯田一人だけ衣装のままだった。
悩んでいる事を顔に出さないようにしようと思っていたのに自然と出ていたらしい。
日頃からぼんやりする事が多いが他人の目からすると様子が違って見えていたのだろう。
とりあえず今日の仕事は終わったので明日から気をつけよう、と飯田が思っていると
保田が傍に寄って来た。
「今日暇?」
「んー、スケジュールは空いてるよ」
「ならさ、ちょっと付き合ってよ」
ニコリと笑って保田はまた離れて行ってしまった。
保田の方から飯田に話し掛けてくるのは珍しい事だった。
仲が悪いわけではないが特別良いわけでもない。
何か相談事でもあるのだろうか、と飯田は首を傾げ、直ぐに首を振った。
違う。きっと自分の事だろう、と飯田は思った。
卒業を間近に控えている身なので色々と悩みを抱える時期なのだろうが保田は
昔から自分の悩みを容易く表に出すような性格をしていない。
逆に相手が口にしなくてもメンバーの悩みを察して心配する。
先ほどの吉澤みたいなものだ。
しかし保田相手だと下手な誤魔化しは効かない。
参ったなぁ、と飯田は頭を掻きながら口を歪めて自嘲気味に笑った。
- 349 名前:09−雨のち雨のち雨。 投稿日:2003年08月09日(土)03時38分17秒
- 「いやー、仕事の後の一杯は美味いねぇー」
「……圭ちゃん、オッサンくさいよ」
水のようにビールをガブガブと飲んでいる保田を横目に飯田は深いため息をついた。
仕事が終わってから何も言わず、素直に保田の後をついて行くと最初から行く所を
決めていたらしく、このバーに辿りついたのだった。
店内は照明が最小に絞られ、カウンターやテーブルの所々にランプが置かれており
客もそこそこ入っているのに比較的静かで落ち着いた雰囲気を醸し出している。
少し前の飯田なら場違いだっただろう。
いつの間にか誰にも咎められる事もなく、こういう場所に入れるようになっていた。
それだけ歳を重ねたのだ。
「今日、圭織を此処に招待したのは他でもない」
「招待って事は奢ってくれんの?」
「却下」
頬を膨らませながらも飯田は世間話で時間を稼ぐ事にした。
直ぐに本題に入る気にはどうしてもなれない。
飯田は片肘をついて顔を覗き込むようにして保田に問い掛けた。
「ライブも後残り僅かってとこまで消化したけど気分的にはどういうもん?」
- 350 名前:09−雨のち雨のち雨。 投稿日:2003年08月09日(土)03時40分48秒
- 「んーと、別にまだ何ともないなぁ。最後にならないと実感出来ないのかも。
確かに涙とか出るんだけどさ。何で泣いてるんだろうって思っちゃうんだよね」
「ごっちん達と同じような事言うね」
「圭織だってその時が来たらそう思うって」
保田はニヤニヤと笑い、バックの中からシガレットケースを取り出した。
ライターに火をつけ、盛大に煙を吐く。
紫の煙が不思議な形を作りながら天井に昇っていくのを無言で眺めていると煙の形が
後藤の浮いている姿と被って見えて飯田は複雑な気分になってしまった。
元に戻る日が来るのだろうか、と思いながら自分の腕を撫でていると保田がわざと
煙草の煙を顔に向けて吹きつけてきた。
「げほっ。……な、何すんのさ」
「こうでもしないとずっとぼんやりしてるでしょ」
顔を歪めて手で煙を追い払う飯田の姿がよほど可笑しく見えたらしく、保田は
ケラケラと笑っている。
早くも酔ってしまったわけではなく、ただからかいたかっただけのようだ。
憮然とした顔で飯田は保田を睨みつける。
「アーティストなのに煙草吸うのは喉に良くないんじゃない?」
「うちらアイドルじゃなかった?」
- 351 名前:09−雨のち雨のち雨。 投稿日:2003年08月09日(土)03時41分55秒
- 「アイドルならもっとダメでしょ!」
「吸ってみる?」
「……圭ちゃん、煙草なんてやめなよ。
全然美味しくないし、服とか髪にも匂いつくしさぁ」
「こういう場所に来れば私が吸ってなくても匂いなんてつくじゃん」
素知らぬ顔をして保田は煙草をふかしている。
そしてゴホンとわざとらしい空咳をしてから真剣な表情で口を開いた。
「っていうか、こんなどうでもいい話をする為に此処に来たんじゃないんだよ」
「……何の話がしたいの?」
「最近様子がおかしいからどうしたのかなーと思ってさ」
やっぱり、という言葉を飲み込んで飯田は「別にー」と平静を装う。
しかし思っていた通りの事を気にしていたのか、と内心冷や汗をかいていた。
保田が仲介役になってくれたお蔭で仲違いしていた安倍との関係も修復出来たのだが
今回の件は事情が事情なだけに誰にも話せない。
「圭織となっちはソロを目指してたんだよね?」
「何、いきなり……」
- 352 名前:09−雨のち雨のち雨。 投稿日:2003年08月09日(土)03時42分53秒
- 「いや、私や矢口とかはさ、追加メンバーとして入ったじゃない?
でも最初のオーディションってソロになりたい人の集まりだったわけでしょ。
それが今じゃ大人数になってさ。正直どう思ってるのか訊いてみたかったんだよね」
「うーん……、なっちはどう思ってるのか知らないけど。
圭織の場合、最初は戸惑ったけど今は別に何とも思ってないしなぁ。
それにパートが少なくて立ち位置が後ろでも慣れたってお互い言ってるじゃん」
「それはそうなんだけど」
「逆に楽しいって思うし」
「あー、圭織は新メンバーが入る度に成長を見るのが楽しいっていつも言ってたっけ。
なんだかお母さんみたいだね」
「オバチャンに言われたくないなぁ」
飯田が茶化すと保田は乱暴な手付きで短くなった煙草を灰皿に押し付け、一瞬だけ
睨んできた。
目に力があるのでそれだけでも怖い。
飯田が視線を逸らすと保田はヤレヤレと首を振った。
そして頬杖をつき、遠くを見るように目を細める。
「私も娘。に入って良かったって思ってるよ。
団体活動の良い所も悪い所も経験出来たから」
「悪い所って?」
- 353 名前:09−雨のち雨のち雨。 投稿日:2003年08月09日(土)03時45分12秒
- 「例えば……、グループだと言い訳が効くでしょ。
売上が落ちても私がメインの曲じゃないから関係ないんだって思えたりする。
それが良い事だなんて思ってないけど気持ち的に逃げ口が出来ちゃう。
でもソロだと責任は全部自分にかかって言い訳が出来なくなる」
「…………」
「別にそれが怖いとかっていうんじゃないよ。
だって売れたら直接手ごたえが実感出来るし、ソロになって初めて自分の力が
よく判ると思う。全部自分一人に跳ね返ってくるからね。
圭織もユニット活動した事あるからある程度判るでしょ?
今度アルバムも出るんだし」
「……うん。まぁ、そうだね」
普段は自分の事を余り語らない保田が珍しく饒舌になっている。
今日だけは腹を割って話す気になっているようだが正直飯田は戸惑っていた。
飯田はわざと保田と視線を合わせないようにテーブルの上にある小さなランプを
見つめた。
電気式のランプだと思っていたがどうやらアルコールランプに似たようなもので
小さな炎が揺らめいている。
小さな灯火。
今自分が抱えている不安が目の前で表現されているような錯覚に陥る。
飯田はその炎からも目を逸らし、冷静さを取り戻そうと試みた。
- 354 名前:09−雨のち雨のち雨。 投稿日:2003年08月09日(土)03時47分04秒
- 「結局プラスマイナスゼロなんだよね。ま、要は気持ちの問題なんだろうけど。
それが判っただけでもこの五年間は無駄じゃなかったなーって思うんだよね。
一人になったらどれだけ大変かって事が先に判ったから良かったと思う」
「ソロになるのって不安とかないの?」
「そりゃ怖いよ。CD出しても売れなかったらどうしようとか、女優としての
仕事が来るかどうかとか沢山不安はあるもん。
でも悩んでても仕方ないからさ。前に進まなくちゃ意味ないでしょ?」
「……圭ちゃんは強いね」
「そんなんじゃないよ。昨日には思い出しかないけど明日には希望がある。
そう思う事にしただけだよ」
「昨日は思い出、明日は希望……かぁ」
「まぁ、思い出っていうか経験かな。
自分にとって良い事も悪い事も全部経験になるから。
とりあえず今後もゴーイングマイウェイを貫こうと思ってさ」
保田の話を聞いていると飯田は自然に後藤達の事を思い出してしまった。
ソロとして頑張っている人間。
松浦や藤本はソロの仕事しかした事がない人間だが後藤や市井はグループの仕事から
始めたのだ。
同じ状況になったとしても考え方は全く違うのかもしれない。
- 355 名前:09−雨のち雨のち雨。 投稿日:2003年08月09日(土)03時48分24秒
- 飯田も自分の場合はどうなのだろう、と考えてみようとしてみたが上手く頭が
働かなかった。
その時になってみないと判らないものなのかもしれない。
ビールを飲んでいる保田に倣って飯田もワインクーラーが入っている自分のグラスを
手にした。
目の前にかざすとテーブルの上にあるランプのぼんやりとした光で二層になっている
のがよく見える。
上はワインの色なのか、透明に近い赤で下は不透明のオレンジ。
他の店で頼むものは一色だったのにな、と思いながら飯田がいつまでもそのグラスを
眺めていると保田が不思議そうな顔をしていた。
「混ぜないの?っていうか、ペース遅過ぎだよ。
今日はガンガン飲む気で来てんのに」
「……あぁ、うん」
その声で我に返った飯田はストローで適当に混ぜてグラスを口に運んだ。
味は先ほどまでの見かけとは違い、想像していたものと余り変わりがない。
中身は一緒で一色のものは混ぜた状態で出されていたのか、と飯田は納得していた。
「なんか、このカクテルって人と一緒だと思わない?」
「……は?意味が判んない」
- 356 名前:09−雨のち雨のち雨。 投稿日:2003年08月09日(土)03時51分23秒
- 突拍子もない呟きに保田は唖然としている。
飯田は慌てて弁明する事にした。
「えっと、誰でも二面性ってあると思うんだよね。本音と建前ってやつ?
して、これもさっきまで二色だったでしょ?
人に例えたら赤い所が建前でオレンジが本音。
でも混ぜちゃえば一つの色になる。それが人って事」
「うーん……。悪いけどますます意味が判んない」
頭を抱えている保田を見て飯田は苦笑いしていた。
説明下手で判りやすく言う事が出来ない自分にはもう慣れてしまっているので
苛つく事なく、ゆっくりと説明をする事にした。
「他の店で見たやつはオレンジ一色だったんだよね。でも味は一緒だった」
「そりゃ原料っていうか中身は一緒なんだから当たり前じゃないの?」
「一色で出された場合はそれが当たり前だって思ってたんだよ。
でも名前を知らされないでこのグラスを最初に見たら違う飲み物だって
思うかもしれないじゃない?」
「…………」
- 357 名前:09−雨のち雨のち雨。 投稿日:2003年08月09日(土)03時54分03秒
- 「して、飲んでみて初めて同じものだって事に気付く。人も一緒じゃない?
外見やその人が口にする言葉だけを信じちゃう。
本当は全く違う事を思ってるかもしんないのに気付けない。
人によって印象とか違って見えててもその人は一人しかいないし、どれも本当なの」
「……判るようでやっぱり圭織の説明はわけ判んないね。
つまり人は見かけだけじゃ判らない。でもどれも本物だって言いたいわけ?」
「なんか、微妙に違うような気がするけど……。まぁ、そんな感じ」
「そういうのってしょうがないんじゃない?
芸能人だからっていうのはもちろんあるし、普通の人でも誰だって裏と表はあるでしょ」
首をすくめて保田はため息をつく。
自分は何を言っているのだろう、と飯田は我に返った。
こんな話をして何の意味があるというのだろう。
これでは見破られないようにと注意をするどころか、自分から心配して下さいと
催促しているようなものだ。
強い人間ではない自分に嫌気が差す。
ため息をついて飯田はグラスを煽った。
- 358 名前:09−雨のち雨のち雨。 投稿日:2003年08月09日(土)03時55分45秒
- ピスタチオを手で弄んでいる保田を見て、そういえば何も食べていない、という事に
飯田が気付くと胃も思い出したかのように反応して音を立てた。
保田が飲んでいるグラスもそろそろ空きそうなので丁度いい。
近くに置いてあったメニューをパラパラと捲っていると隣で保田がピスタチオの殻を
皿にカチンと落とした。
その音は酷く物哀しく聴こえた。
「圭織はさ、まだ娘。のメンバーなわけじゃない?」
前振りも何もなく、突然保田が話題を振ってきたので飯田はメニューを手にしたまま
きょとんとしていた。
質問の意味がよく判らず、首を傾げながら口を開く。
「何言ってんの。圭ちゃんだってまだそうじゃん」
「今は、ね。でも私と違って圭織はまだまだ続くわけでしょ?
リーダーになってメンバーとの距離をわざと離してるってのは判ってるけど
悩んでる時とかはもっと周りに頼ってもいいんじゃないかなぁ。
グループの特権だよ、これって」
「…………」
「だからといって悩みが解決出来るかどうかは謎だけど。まぁ気持ちの問題かな。
一人じゃないんだぞっていう気持ちがね」
- 359 名前:09−雨のち雨のち雨。 投稿日:2003年08月09日(土)03時59分12秒
- 保田は笑ってビールが入っているグラスを空にした。
そのままグラスを振ってマスターにおかわりを要求している。
飯田は保田の横顔を眺めながらキリキリと痛む胸を片手で押さえていた。
どれだけ距離を離そうとしても隙間を見つけ出して容易く近寄って来る。
そんな自分にはないものを持っている保田が少し羨ましく思え、そして自分の傍から
いなくなってしまう事がどれだけ痛手になるか、という事を改めて思い知ったような
気がしていた。
「じゃあ、圭ちゃんに一つ質問したいんだけど……」
「何?」
新しくなったグラスを片手に保田はホッと安心したような表情に変わる。
ようやく飯田が自分の話をしてくれると思ったのだろう。
期待の眼差しに変わっていた。
飯田も少しだけ保田を頼ろうという気分になっていた。
そうでなくても、いつだって正しい道しるべを欲している。
出口のない迷路の中で彷徨っているような日々からいい加減抜け出したい、と
飯田は願っていた。
「自分が大切にしてる人に嘘つかなくちゃいけないって事になったら
圭ちゃんはどうする?」
「……ん?どういう事?」
- 360 名前:09−雨のち雨のち雨。 投稿日:2003年08月09日(土)04時01分42秒
- 「んーと、例えばねぇ……、圭ちゃんは卒業の事を発表間際まで誰にも話さなかった。
そんな時に何も知らない石川から来年も一緒に頑張りましょうねって言われたら
何て答える?」
保田はビールを一口飲み、苦虫を噛み潰したような顔になった。
身に覚えがある質問だったからなのか、それともただビールが苦かったのか。
しかしそれは今の飯田にとってはどうでもいい事だった。
表情を変えないまま、保田が「頑張ろうねって返す」と答えたので飯田も
苦笑いを浮かべた。
「つまりね、圭織も似たような状態になってるんだよ。
もちろん娘。を辞めたりするわけじゃなくてプライベートの方でね」
「なるほどねぇ……。
それで圭織は相手に本心が言えなくて裏切ってるような気分になってるわけだ?」
「……うん。圭織なりに彼女の為になる道を選んだつもりなんだけどね……。
でも本当にそれでよかったのかどうかは……、自信がないんだけど。
まだ結果が出てないから」
「全部正直に話すっていう選択はないの?」
「それは無理かな……」
- 361 名前:09−雨のち雨のち雨。 投稿日:2003年08月09日(土)04時03分25秒
- 腕を組んで唸っている保田を見て飯田は不安になっていた。
やはり言うべきではなかったのかもしれないという後悔まで出て来る。
「私からのアドバイスは圭織が強くなる事だね」
「え?」
「私の場合で言えばだなぁ……。
卒業の事を皆に隠してたけど、発表されたらそれなりに色々言われるっていう
覚悟は最初からしてた。それは私以外の卒業してった人も同じだと思うけど。
隠し事する時って自分自身を保つ強い意志っていうのが一番必要なんだと思うんだよね」
「…………」
「だから圭織も本当に良かれと思ってやってるんなら自分自身を見失っちゃダメだよ。
それだけのリスクは覚悟してなくちゃ。
結果はどうあれ、全てを受け止める気でいないとね」
そして保田は真剣な顔で飯田の顔を見つめ、キッパリと言い切った。
「それが出来ないのなら正直に白状する事だよ。
相手にしてみたら圭織がやってる事はただの自己満足にしか受け取れないかも
しれないんだし」
- 362 名前:09−雨のち雨のち雨。 投稿日:2003年08月09日(土)04時05分37秒
- >> 339さん
松浦さん、二重人格みたいになってますね……。
相手によって態度も違いますけど。
>> 340さん
感情の起伏が激しい松浦さん。
ちょっと錯乱気味です。
>> 341さん
今回更新分で藤本さんは出てきませんでしたが、もうそろそろ出てきます。
>> 218さん
今まで描写については余り気にせず書いているのですが。
まとめに入らないといけないので無意識に変化していくかもしれません。
>> 343さん
素直じゃない人達の話なので、こんなにもややこしくなっているのですが。
しばらくはダラダラ進みます。
- 363 名前:09−雨のち雨のち雨。 投稿日:2003年08月09日(土)04時06分36秒
- ボケボケコンビという事で無駄に長く意味不明な二人の会話……。
- 364 名前:09−雨のち雨のち雨。 投稿日:2003年08月09日(土)04時07分51秒
- 今回は長めに更新しました。
飯田さんの誕生日の内に上げたかったんですけど無理でした……。
- 365 名前:名無し読者 投稿日:2003年08月10日(日)02時51分29秒
- それぞれにキャラ掴んでてすごいですね。
ブラックな面もしっくりきてて(マジであんな状態なのはイヤですけど(w
続き楽しみです。
- 366 名前:218 投稿日:2003年08月10日(日)03時11分36秒
- 今回の二人の会話、よかったです。
この物語で数少ない、安心して見られるシーンで。
いいこと言うなあ、二人とも。
嵐の前の静けさだったら怖いけど…
- 367 名前:09−雨のち雨のち雨。 投稿日:2003年08月10日(日)03時55分58秒
- 四月はぐずついた天気が多い。
今日もしとしとと雨が降っている。
午前中の仕事を終えて飯田は寄り道もせずに自分の家に戻り、絵を描いていた。
一人で過ごす時間は心を弱くする。
それは自分と向き合う時間が増えてしまうからで、それを誤魔化す為に飯田は
頭の中を真っ白にして絵を描く。
誰かに見せる為の絵ばかりを描いているわけではないのだから満足のいくものに
ならなくてもいい。
何も考えないで出来る作業が必要だっただけだった。
しばらくしてテーブルの上に置いてあった携帯の音で飯田は我に返った。
そして電話に出て面食らっていた。
相手は藤本だった。
「どうしたの?珍しい……」
「今から会ってもらえませんか?」
「……」
藤本が直接電話をかけてくる事など今までになかった事だったが何が目的で
会おうとしているかは容易く予想出来た。
きっと松浦の事だろう。
この前、藤本にある程度の事は話したと松浦から直接報告を受けている。
詳しい話を自分からも訊き出そうと思ったのだろう、と飯田は察した。
丁度いい機会なのかもしれない。
- 368 名前:09−雨のち雨のち雨。 投稿日:2003年08月10日(日)03時58分00秒
- 黙り込んでいる飯田を不審に思ったのか、電話口で藤本が何度も名前を呼びかけている。
飯田はとりあえず場所を指定してから電話を切った。
出かける用意をして部屋を出るとじっとりとした湿った空気を感じた。
マンションの玄関に出て空を見上げるとどんよりとした厚い雲と雨の線が見える。
飯田は大きく深呼吸してから手にある傘を広げた。
歩き出すと傘に跳ねる雨のバラバラという派手な音が耳につく。
雨が苦手な飯田は憂鬱になりながら「うーん」と唸っていると、ふいに保田に
言われた言葉を思い出した。
“自分自身を見失っちゃダメだよ。それだけのリスクは覚悟してなくちゃ。
結果はどうあれ、全てを受け止める気でいないとね”
保田の言う事はよく判る。
しかし今も心が揺れているという事はそれだけまだ迷いがあるという事なのだろう。
結局流れに任せるしかない。
自分には選択肢がもうないのだから。
これは罰だ。
今まで人の為という名の誤魔化しで勝手な事ばかりしてきた自分への罰だ。
保田の言う通り、全てを受け入れる義務がある。
飯田は固く目を瞑った。
雨と一緒に涙も落ちればいい、と思ったが瞼を開いた飯田の目には涙がなかった
- 369 名前:09−雨のち雨のち雨。 投稿日:2003年08月10日(日)04時01分02秒
- 雨脚が強くなってきた。
傘を叩きつけるような雨に耐えながら飯田は藤本と約束していたファミレスの中に
入った。
まだ昼を少し過ぎただけだというのに店内はガラガラで逆に人の姿を見つける方が
一苦労するような閉鎖的な店だった。
店員に座れる席を尋ねていると丁度藤本が姿を現したので飯田は大きな目を更に
見開いた。
藤本の顔色は悪く、いつもの覇気がない。
不機嫌そうな顔をして此処へやって来ると予想していたので飯田は驚いていた。
窓際の席に向かい合って座り、飯田がメニューを見ている間も藤本は黙り込んだままで
俯いている。
まるで借りて来た猫のように大人しい。
ウエイトレスが近くに来たので飯田が自分の注文を言うと催促するまでもなく
藤本は誰とも目を合わせずにコーラを頼んだ。
飯田は水を口に含みながら真正面にいる藤本の様子を窺っていた。
二人が座っているテーブルはまるで葬式帰りに立ち寄った客のような重い空気が
漂っている。
ウエイトレスが注文した物をテーブルに運んで来てからもしばらく沈黙が続いていた。
松浦の事を訊く為に呼び出しておきながら藤本が何も喋ろうとしないのでさすがに
飯田もイライラしていた。
- 370 名前:09−雨のち雨のち雨。 投稿日:2003年08月10日(日)04時02分15秒
- 近頃、不眠症で悩まされている身なので出来る事なら手短に話をして欲しい。
ライブも始まっているので疲れがピークに達しているというのもある。
目の前にあるパスタをフォークに巻きつけながら自然と深いため息が出た。
そもそも藤本が松浦を邪険にした事が発端でその影響が周りに出たとも言えるのだ。
少しくらいは罪の意識に苛まれても仕方がないのではないか、という突き放した
考えを徐々に飯田は持つようになってしまった。
「美貴……、話があるなら早く言ってね。圭織、これ食べたら帰るよ?」
「…………」
「聞いてる?」
「……亜弥ちゃんは一体何を考えてるんですか?飯田さんは何か知ってるんでしょ?」
ずっと俯いていた顔を上げて真剣な表情で藤本は飯田の顔を凝視していた。
飯田は視線を逸らして手にしていたフォークを戻し、冷めてしまうと不味くなるのは
どの料理にも言えた事だがパスタを頼んだのは失敗だったと今頃後悔した。
「美貴は松浦の事嫌いなの?」
「……別に嫌いじゃないけど何考えてんのかサッパリ判んないから」
「でも最初に突き放したのは美貴の方でしょ?」
「……別にそんなつもりじゃ」
- 371 名前:09−雨のち雨のち雨。 投稿日:2003年08月10日(日)04時05分52秒
- 表面に上ってパチパチと弾ける泡を瞬きもせずに見つめている藤本を見て飯田は
途方に暮れてしまった。
後悔するくらいなら言わなければいいだけの話なのがそれは他人だから言える事
なのかもしれない。
藤本は普段から口がキツイところがある。
しかも本人が気付いていない時があるのだから手に負えない。
夏からは一緒に活動していく事になり、今までよりももっと身近な存在になるという
事を考えたら早く指摘しておいた方が良さそうだ、と飯田は心から思った。
「圭織もさ、娘。で活動する事になってからメンバーに色々キツク当たった時とかあったよ。
もしかしたら今も気付いてないだけで嫌な想いさせてるのかもしんないけどさ。
でも一応なるべく傷つけないようにって注意してる。美貴はそういうのしてる?」
「……してるつもりだけど」
「でもね、一人の時って注意力散漫になんない?
圭織の場合は娘。に入ってグループで行動する事を知ってからなるべく周りを
見ようって心がけるようになったから」
「結局何が言いたいの?」
- 372 名前:09−雨のち雨のち雨。 投稿日:2003年08月10日(日)04時08分45秒
- 自分の質問した答えを一向に話そうとしない飯田に苛ついたのか、藤本はコーラを
煽り、乱暴な手つきでテーブルにコップを置いた。
それでも飯田は視線を逸らさずに真剣な表情で藤本と向き合っていた。
「美貴が松浦に何を言ったのかっていうのは全部聞いたよ。圭織がその場にいたわけじゃないし
話を聞いただけなのにお節介で説教するっていうのもどうかと思うけど。
自分の気持ちを正直に伝えるのは別にいいけどさ、少し思いやりに欠けてたんじゃない?」
「…………」
「美貴の場合、言葉を選ぶって事を知った方がいいと思う」
飯田がきっぱりと言い切ると藤本の目が一瞬だけ泳いだ。
言われた事に腹を立てているのか、松浦に言った言葉を後悔しているのか
どちらかは判らないが唇を噛んで悔しそうな顔をしている。
「亜弥ちゃんの場合ははっきり言わないと判ってくれないし。
だからあの時はキツイ事を言った。
でも別に嫌いだからってわけじゃなくて、他の人みたいに少し離れた距離で
付き合っていこうって思ってたから。
亜弥ちゃんも最初は落ち込むだろうけど直ぐに吹っ切ってくれるって思ってたのに……」
- 373 名前:09−雨のち雨のち雨。 投稿日:2003年08月10日(日)04時10分34秒
- 「結局美貴は松浦と普通の友達関係でいたかっただけなんだね」
藤本がうな垂れたのを見て飯田はため息をついた。
藤本の気持ちも判らなくはないがしかしもう遅い。
状況はもう取り返しがつかないところまで来ているのだ。
「言葉の威力って判る?」
「はぁ?」
飯田の問い掛けに藤本は素っ頓狂な声を出した。
そしてまた意味が判らない事を言い出した、という表情をしている。
それでも構わず飯田はポツリと呟いた。
「美貴って腹黒いよね」
「……何それ」
「冗談だよ、冗談」
「…………」
藤本はムッとして飯田を睨みつけた。
それを見て飯田は苦笑いを浮かべる。
今のタイミングで言うには、たちの悪い冗談だと判っていたが仕方がないのだ。
他にいい例が思いつかなかったのだから。
「ほらね。今みたいに圭織にとっては何でもない冗談や言葉だったとしても
相手にしてみりゃ、凄く傷つく言葉だったりするんだよ。
そういうのって考えた事ある?
松浦は滅茶苦茶傷ついたんだよ。美貴の想像なんかよりも遥かにね」
「…………」
- 374 名前:09−雨のち雨のち雨。 投稿日:2003年08月10日(日)04時12分35秒
- 「美貴は松浦の事を全部判ってるつもりでいたんだろうけど何も判ってない」
「……それはこの前亜弥ちゃんにも言われた」
「ふーん。直接言ったのかぁ。
でもね、松浦を助ける事が出来るのは美貴だけだと思うんだ」
「助ける?」
訝しげな顔をして藤本は繰り返した。
意味が判らないと顔に書いてある。
松浦が何を考えているのかもよく判らないというのにいきなり助ける事が出来ると
言われても困るだけだろう。
真実を告げる事は出来ないが飯田はもっとはっきりと言う事にした。
「確かに圭織は松浦の協力者みたいなものだと思う。でもただの相談相手だよ」
「協力って何の……?」
「松浦は誰にも言えない深刻な悩みを持ってるんだよ。
最初は美貴に相談しようと思ってたらしいけどやっぱり出来なかったって言ってた」
「…………」
藤本はパッと目を見開いた。
しかし飯田はこれ以上の事が言えなかった。
手首を撫でながら視線を逸らして窓の外を眺めるとまだ雨は降り続いており
アスファルトに激しく弾けているのが見えた。
- 375 名前:09−雨のち雨のち雨。 投稿日:2003年08月10日(日)04時13分43秒
- >> 365さん
現実ではもっと能天気であって欲しいですけど。
夏なのに4月の話を書いているというのも妙な感じがします。
>> 218さん
そう言って頂けると嬉しいです。
説教中にツッコミ入れたかったのですが話が進まなくなるので止めました。
- 376 名前:09−雨のち雨のち雨。 投稿日:2003年08月10日(日)04時14分58秒
- 時間的に意識が朦朧としてきたので一度切ります。
途中見難い個所があると思いますけど見逃して下さい……。
- 377 名前:09−雨のち雨のち雨。 投稿日:2003年08月10日(日)04時16分00秒
-
- 378 名前:名無し読者 投稿日:2003年08月10日(日)09時49分00秒
- 連日の深夜更新お疲れ様です。
最後までこのいいテンションのままで読みたいので、
無理に毎日更新して体調を崩さないで下さいね。
ご自愛下さい。
- 379 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月10日(日)23時27分21秒
- 藤本っちゃんのこのあとの行動が気になる。。。ていうかエゴイストって誰?!みたいな〜
- 380 名前:218 投稿日:2003年08月11日(月)01時34分31秒
- 飯田さん、動くんですね。
なんか全員が全員、キーパーソンだなあ。するとデビルはどう動くんだろう…
相変わらず、緊迫した状況でも些事に気が向いてしまう描写がリアルでいいですね。
>370での「パスタは失敗だった」の場面、凄く好きです。
- 381 名前:09−雨のち雨のち雨。 投稿日:2003年08月11日(月)02時43分03秒
- 昼過ぎだというのに空が暗く、時計で確認していなければもう陽が暮れてしまったと
勘違いしてしまいそうな天気だった。
黙り込んでしまった飯田を見てこれ以上何も教えてくれないと悟った藤本は口元に
手を当てて一人でブツブツと呟きながらしきりに首を捻っていた。
「このまま放っておくわけにもいかないけど……。でも美貴に何が出来るんだろう。
亜弥ちゃん、今までの自分じゃない新しい自分になりたいって言ってたけど
それも意味判んないし……」
「松浦がそんな事言ってたの?」
「うん。美貴に好かれるような人になりたいからって。
ごっちんを虐めててどうしてそんな風に思うんだか……」
藤本は困惑しきっている。
しかし飯田にとっては意外な話だった。
そこまで松浦が藤本に自分の事を曝け出していると思っていなかったのだ。
ある程度の話はしたと聞いてはいたが何をどう説明したのかは詳しく聞いていない。
表面的な事――後藤に対する嫌がらせについてだけ――を話していたのだと思っていた。
故意か無意識かは判らないがきっと松浦は藤本に助けを求めたのだろう。
そう考えると自分に出来る事といえば藤本の背中を押す事だけだ、と飯田は思った。
- 382 名前:09−雨のち雨のち雨。 投稿日:2003年08月11日(月)02時48分27秒
- 「松浦は別にごっちんの事が嫌いで嫌がらせみたいな事をしてたんじゃないよ」
「じゃあ、何の為に?」
「二人には共通の悩みがあるの。
ごっちんの場合はその悩みの元から逃げようとしてる。
それが判ってるから松浦はわざと煽ってその悩みと対峙させようとしてるんだよ」
「……?」
「ちゃんとした意味は判らなくてもいいけど、でもこれだけは判って。
松浦はごっちんの為にわざと嫌われる役をやってるんだよ」
「…………それは本当の話?」
「うん。本当だよ」
この場に松浦がいたら勝手に話すな、と激怒されそうな気もしたが飯田は
後悔していなかった。
松浦の事を思うと彼女の計画を一部でも明らかにする事は躊躇いがあり
今まで避けていた。
しかし藤本が先ほど口にした話から考えると無意識に松浦自身も種明かしている
ようなものなのだ。
それにこのまま藤本に勘違いさせたままでいると案外簡単に進めるものも
そうでなくなるかもしれない、という危惧の念を飯田は抱いていた。
既に十分松浦は遠回りをしている。
- 383 名前:09−雨のち雨のち雨。 投稿日:2003年08月11日(月)02時54分03秒
- 藤本は未だに信じられないといった表情を浮かべていた。
今まで松浦が自分のやりたい放題な事をしていると思っていたからだろう。
まさか他人の為に動いているとは想像も出来なかったに違いない。
緊張している所為か、喉の渇きを感じて飯田はグラスの水を飲み干した。
「ただ、まだ問題があるんだよね。
これが本当にごっちんにとっていい結果が出るかどうかが判らないから……」
「ちょ、ちょっと待って。じゃあ悪い結果が出たらどうするの?!」
「……だからその時に松浦を救えるのは藤本しかいないんだよ。
きっと自分がした事を後悔するはずだし。
意識的にしたのか、無意識なのかは判んないけど松浦は美貴にSOSを
出してたんだから」
「…………」
「さっきの言葉の威力って意味を考えてみて?
松浦を一番傷つける事が出来るのは美貴だし、その逆も美貴だけって事なんだよ」
藤本は落ち着きなく鼻を掻いたり、コーラを飲んだりして困惑していた。
本当に計画が失敗したとしても松浦は意地を張ってショックを受けた表情や
泣き言を表に出したりしないだろう。
- 384 名前:09−雨のち雨のち雨。 投稿日:2003年08月11日(月)02時55分32秒
- プライドが高いので間違いなくそうするはずだ、と飯田は思っていた。
しかし案外もろい所もある。
そう思うとやはり藤本の力が必要不可欠だった。
飯田にとって松浦も心配だったが他にももっと辛い事がある。
その時が来たら後藤はどうなるのだろう、という事だ。
同じ事を思ったらしく、藤本は心配そうな顔をして口を開いた。
「ごっちんは……、どうするんですか?」
「……ごっちんなら何があっても乗り越えてくれるって信じてるから」
「それ、亜弥ちゃんも同じような事言ってた……。ごっちんは強い人だって。
亜弥ちゃんもだけど、どうして飯田さんがごっちんの為にそこまでするのか
よく判んない……」
眉を寄せて藤本は首を傾げた。
事情をよく知らない人間の目には飯田の後藤に対する過剰な気遣いが奇妙に
見えるかもしれない。
飯田は目を伏せて自分の腕を眺めながらポツリと呟いた。
「……それは仲間だからだよ」
- 385 名前:09−雨のち雨のち雨。 投稿日:2003年08月11日(月)02時57分35秒
- 長い間二人は黙り込んでいた。
テーブルの上にあるパスタもすっかり冷め切り、コーラの弾ける泡の数も
少なくなっている。
そんな時、飯田の携帯が鳴った。
飯田はディスプレイに表示されている文字を見て一瞬見間違えたのかと思った。
何度か瞬きを繰り返して改めて見直しても間違いない。
ずっと連絡が取れなかったはずの市井の名前がそこにはある。
緊張しながら通話ボタンを押すと上機嫌な市井の声が聞こえて来た。
「……どうしたの?電話しても繋がらなかったのに」
「まぁ、ちょっと事情があってね」
「……紗耶香に避けられてると思ってた」
「へへへ。こっちも色々忙しいんだよー」
楽しそうな声を出している市井に違和感があった。
飯田の表情を見て何かを察したのか、藤本が眉を寄せて小声で尋ねて来た。
「市井さんからですか?」
「……うん」
「それにしては飯田さん、様子が変だけど……」
「そんな事ないよ」
- 386 名前:09−雨のち雨のち雨。 投稿日:2003年08月11日(月)02時59分17秒
- 苦笑いしながら否定していると電話口の市井が「おーい」と呼びかけてきたので
飯田は会話が聞こえないようにと携帯の口を塞いでいた手を慌てて外した。
「傍に誰かいるの?」
「あー、うん。目の前に美貴がいるの」
「へぇ……。まぁ、丁度いいか。
これから藤本と一緒に圭織んちに戻ってよ。あたしも行くから」
「え?!ちょっと、どういう意味?」
飯田の声に驚いた藤本が胸を抑えながら「心臓に悪い」とボヤいていると
携帯が一方的に切れた。
携帯を持っている手をダラリと下ろし、飯田は呆然としていた。
市井は一体何を考えているのだろう。
思考が全く読めない。
市井から連絡が来たという事にも驚きだが藤本を呼ぶ理由が判らない。
何の用があるというのだろう。
それに呼びつけるのならどうして自分の家に呼ばないのだろうか。
困惑顔で飯田が市井に言われた事をそのまま伝えると藤本は目を見開いて驚いていた。
「どうして、美貴まで?」
「さぁ……」
- 387 名前:09−雨のち雨のち雨。 投稿日:2003年08月11日(月)03時00分55秒
- 二人は市井に言われた通り、ファミレスを出て飯田の家に行く事にした。
少し前まで土砂降りだった雨が今では小雨に変わっている。
それでもまだ傘が必要だったのでそれぞれで傘を差し、電車に乗っている時も
歩いている時も二人は一度も口を開く事なく、黙り込んでいた。
その間、飯田はずっと市井の言葉の意図を見出そうと考え込んでいたのだが
いくら考えても判らない。
自分を呼び出したのは後藤との関係について訊きたいと思ったからかもしれないが
藤本は無関係だ。
マンションに着いたがまだ市井の姿は見えない。
飯田は部屋の鍵を開けながら後ろで傘の水を切っている藤本に問い掛けた。
「美貴って紗耶香と喋った事ある?」
「世間話程度なら。……あ」
途中で何かを思い出したらしく、藤本は口をぽかんと開けた。
しかし直ぐに「関係あるのかな」と首を傾げる。
「少し前にごっちんを奪ってやろうかと思って宣戦布告したんだけど……」
「直接そんな事したの?」
- 388 名前:09−雨のち雨のち雨。 投稿日:2003年08月11日(月)03時09分43秒
- 「うん。でもそれっきり会ってないんだけど。
どうせ無理だって事くらい判ってたし。
それにごっちんにはアッサリ振られちゃったから関係ないと思うんだけど……」
「……ちょっとよく判んないね」
二人はしきりに首を傾げながら部屋の中に入った。
落ち着ける場所が欲しいと思っている飯田は普段からメンバーですら余り自分の
部屋に呼ばないようにしているのだが今日は仕方がないと諦めた。
初めて来た藤本は興味深そうに部屋の中を物色している。
キッチンからその姿を眺めつつ、飯田がコーヒーをいれているとピンポーンと
呼び鈴が鳴った。
市井が来たのだろう、と思い、藤本に頼むと面倒臭そうな顔をしてインターフォンを
手にした。
そして少し顔を強張らせながら入り口へと歩いて行った。
市井に後藤との関係をどう説明すればいいのだろう、と飯田は悩んでいた。
過去の事だからと言っても、どうして隠していたのか、と訊かれるに違いない。
どのような言い訳をしても隠されていた側である市井が腹を立てるのは当たり前の事で
何とかして許してもらおう、などという自分に都合の良い甘い考えは捨てるべきだろう。
- 389 名前:09−雨のち雨のち雨。 投稿日:2003年08月11日(月)03時11分36秒
- しかし飯田は簡単に割り切れない。
市井は親友だ。
今まで培ってきた関係を全て断ち切る勇気などない。
この考えも自分に都合の良い考えだった。
やはり諦めるしかないのだろうか。
飯田は硬く瞼を閉じ、こめかみに人差し指をあてて軽く揉んだ。
ため息と共にポツリと独り言が出た。
「圭ちゃんの言う通り、それなりのリスクを覚悟しておくべきだったんだよね……」
しばらくすると玄関からガチャリと重い音が聞えた。
藤本は無言なのか、声が聞こえて来ない。
挨拶くらいすればいいのに、と飯田は呆れていた。
そして人の気配を察し、その方向へと視線を動かして息を呑んだ。
部屋に入って来たのは後藤と松浦だった。
二人共、気まずそうな顔をしている。
後から来た藤本も戸惑っていた。
「どうして二人が?」と尋ねると後藤は横にいる松浦をチラリと見て言い難そうに
口を開いた。
「……市井ちゃんに呼ばれたんだけど」
「松浦も?」
「……そうらしいよ。
たまたま此処に来る途中で会ったんだけど亜弥ちゃんも呼ばれたって」
- 390 名前:09−雨のち雨のち雨。 投稿日:2003年08月11日(月)03時15分24秒
- 後藤は答えながら松浦の様子を窺っていた。
その視線に気付かないのか、松浦は叱られた子供のように俯き、顔を上げようとしない。
このメンバーが揃うと都合の悪い事でもあるのだろうか、と飯田は首を捻った。
お互いにライブツアーが始まっているので松浦とは久し振りに顔を合わす事になるのだが
前回この部屋で話をしていた時はそれまでと様子は変わっていなかったはずだ。
説教めいたものをされたくらいなのだから。
しかしあの時とは正反対で今日は別人にでもなったかのように沈んでいる。
声をかけようと思ったが後藤の目の前でそうするのも躊躇われた。
それでもやはり気になる。
飯田がじっと見ていると松浦は俯いたままでボソリと呟いた。
「…………嫌な予感がするんです」
その言葉が聞えたのは飯田だけで藤本と後藤は気まずそうにソファに腰をかけていた。
松浦もため息をつきながら後藤の横に座ろうとしたがそこには鞄があり、躊躇っている。
少し間をおいて仕方なく、空いている藤本の隣に腰を下ろした。
その様子を眺めながら飯田は顔を強張らせていた。
- 391 名前:09−雨のち雨のち雨。 投稿日:2003年08月11日(月)03時17分07秒
- 松浦が口にするまでもなく、飯田も嫌な予感を抱いていた。
このメンバーを集めた市井の意図が判らないなりにこれから何か良からぬ事が
起こるのではないか、という不安がある。
しかしどうする事も出来ない。
飯田が人数分のコーヒーをいれている間も部屋の中は静まり返っていた。
少し前までなら藤本と松浦が楽しそうに話していたのだろうが今は状況が違う。
二人の視線が交わる事などなかった。
後藤も市井に呼び出された事に不安を抱えているのか、膝の上に置いてある手を
眺めて時折ため息をついている。
いや、後藤だけではない。
この部屋にいる全ての人間が不安を抱えていた。
何故自分が此処に呼ばれたのか、その正確な答えを持つ者はいない。
テーブルにあるコーヒーがスッカリ冷め切った頃、飯田にとって悪夢の始まりを
知らせる呼び鈴が鳴った。
- 392 名前:09−雨のち雨のち雨。 投稿日:2003年08月11日(月)03時19分29秒
- >> 378さん
気遣って頂いてすみません。いいテンションですか……。
もちろん、期待に答えたいとは思っているのですが体調良くても裏切りそうです(ニガ
>> 379さん
藤本さん、人気ですね。この話はいちごまより、あやみきが人気なのですかね。
彼女が一番蚊帳の外状態のような気もしますけど……。
>> 218さん
細かいところを見てますね。有難うございます。
事情通の飯田さんが少しでも動いてくれないと終わらないわけで……。
- 393 名前:09−雨のち雨のち雨。 投稿日:2003年08月11日(月)03時20分30秒
- 次回更新分から予想通り、新スレになります。
- 394 名前:09−雨のち雨のち雨。 投稿日:2003年08月11日(月)03時21分14秒
- 途中で切れなくてよかった……。
- 395 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月11日(月)14時40分18秒
- 市井こわっ!!
- 396 名前:名無し読者 投稿日:2003年08月12日(火)01時35分45秒
- 新スレも同じ板でやるんでしょうか?
いよいよ山場のようで、続きをそわそわしながらお待ちしてます。
- 397 名前:09−雨のち雨のち雨。 投稿日:2003年08月13日(水)01時44分43秒
- >> 395さん
市井さん、まだ何もしてませんけど……。
とりあえず、胡散臭いですね(ニガ
>> 396さん
空いているようなので同じ緑にしました。
山場、頑張りたいと思います。
- 398 名前:09−雨のち雨のち雨。 投稿日:2003年08月13日(水)01時45分29秒
- http://m-seek.net/cgi-bin/read.cgi/green/1060704358/
↑新スレはこちら。
このスレは邪魔なので落とします。
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