fall down
- 1 名前:堰。 投稿日:2003年07月19日(土)02時04分34秒
- 当方、森板で「CRAZY」というよしやぐ短編を書いてました。
めずらしくもtsunagi、
どちらかと言えば安倍さんメイン。
未来系アンリアルです。血も流れるかもしれません。
ゆーったり更新していきますので、よろしくお願いします。
- 2 名前:-序文- 投稿日:2003年07月19日(土)02時07分18秒
- 第三次世界大戦による生物兵器および核の使用で、
世界は壊滅的なダメージを受けた。
単純に破壊されつくすことを待つ世界と、
その愚直なまでに連鎖する戦いに呆れた神は、
聖典での予言どおりに人類への審判を下す。
- 3 名前:-序文- 投稿日:2003年07月19日(土)02時09分59秒
- 使わされた御遣いたちの横暴と嗜虐は残酷の極みを尽くし、
危急に喘ぐ人々を残さず失意に突き落とした。
あらゆる生命の50分の一という数になり、暴虐はなりを潜めた。
その後に残されたのは壊れた文明と、汚れきった苛烈な環境の横たわる大地。
かろうじて生き延びた人々は、
その世界で生き延びるための術を編み出すために必死になった。
人は他の動物ほど、自らの身体で対応することができないからである。
- 4 名前:-序文- 投稿日:2003年07月19日(土)02時10分49秒
第二世界の始まりであった。
- 5 名前:-序文- 投稿日:2003年07月19日(土)02時14分41秒
- その始まりから一世紀を数えようという頃。
世界は上流階級の暮らす居住区と、下層民の暮らすスラムとに別れていた。
この話は下層のスラムに住まう、
一人の捕縛師にまつわる、不可思議な出会いの物語である。
welcome to the lost world!!
- 6 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月19日(土)02時22分10秒
- 7 名前:-序文- 投稿日:2003年07月19日(土)02時24分14秒
-
黄色い砂の粒子が、死んでしまったはずの巨大な大陸から漂ってきている。
黄砂と呼ばれる現象だ。
接点になる西の要所などでは、視界がさえぎられることもあると言う。
すべてが死んでしまった大地の上。
経過した時間。
新しい命の芽生えた世界。
循環する世界の中とは言え、
どちらかと言えば死に近い場所に位置している砂地を行く、ひとつの足跡。
素足のそれは、この世界を知るものならば自殺行為だと笑うだろう。
- 8 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月19日(土)02時25分58秒
- 誰一人として、居住区外で一夜を明かすことはできない。
できるとしても、かなりの手錬だけで、
普通ならば即刻の死が待ち受けている。
環境的にも。
対外的にも。
世界――ここは、そういう世界だ。
- 9 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月19日(土)02時27分27秒
- その死地において、ありえないほどの軽装。
白い貫頭衣のようなワンピースに、コートのような外套。
簡素とは言えなくもない白の素材で統一された外套は、
繊細な光を帯びて幾分神々しく見える。
フードのついたそれのせいで、表情をうかがい知ることはできない。
静かに、静かに足跡の持ち主は、死した大地を歩む。
- 10 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月19日(土)02時31分03秒
昔。
この場所は享楽をほしいままにする都が存在していた。
大国の端くれであった、堕落の首都。
巨大な観覧車。
何万人もの人々が行きかう、巨大な市場が点在する都。
遠くに見えるいまや朽ち果てた鉄塔には毎夜明かりがともり、
その頂に近い展望台では、束の間の愛を囁きあう声がさざめいた。
手前に見えるのは、糸が途中で切れたような巨大な橋。
足元には、かつて汚泥でまみれていた海の成れの果て。
- 11 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月19日(土)02時34分09秒
そっと、しゃがみこむ。
コートの白が砂の色にまみれても、足跡の持ち主は気にも留めない様子。
指先で砂に触れ、一つまみを取り上げた。
乾いていた塊が、指先でパラリと崩れ去る。
そうっと、有害物質だらけになってしまった風の流れが、外套のフードを持ち上げた。
赤みを帯びた短めの髪が、陽光に揺らめく。
はらりと役目を放棄するフードを、
これ以上の邪魔にならないよう、そっと手で押さえて軽く息をつく。
細められた瞳は黒曜の艶と深みを持ち、
どことない哀れみと慈しみを纏いつつ世界を見渡している。
- 12 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月19日(土)02時35分49秒
汚れてしまった世界。
穢れてしまった世界。
貪贅なる欲望と退化の末路。
- 13 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月19日(土)02時36分34秒
主よ、父よ、どうしてあなたは、かような世界を創り給えたのか。
どうして、このような末路に向かう者を野放しにされていたのか。
巨大な力の塊から生れ落ちる前、ずっと抱いていた疑問。
巨大な力の一片として、心根に抱え込んでいた疑問符。
- 14 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月19日(土)02時37分57秒
- 遥か遠く、暗くよどんだ空気に侵された空に、
下界を見下ろすように浮かぶ居住区が見える。
力で成り上がった者。
人を貶めた者。
純粋に羨望を集め、崇め奉られる者。
死んでしまった世界のうちで、栄華を極める者たちの住まう場所。
そうして、そのよどんだ空気の下には、
その栄華に触れられぬ人々が日々の暮らしに喘いでいる。
貧窮に瀕していない者も居る。
故に、一概には言えないが。
- 15 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月19日(土)02時38分41秒
- この世界は変わっていない。
傷つけあう様を見せる以前と、なんら変わりが無い。
死してなお、変化を持てずに腐っていく果実のようだ。
その実には種が無い。
無駄に養分を蓄えた果肉のごとく、色を変え、腐化していく。
実るものなど、何も無い。
- 16 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月19日(土)02時40分23秒
世界を見遣りながらの吐息は切なげに風に乗り、
はるか遠くへ運ばれて消える。
見た目だけならば「少女のような」足跡の主は、
そうっと左向きに進路を変えた。
世界を、現実をその目にするために――。
- 17 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月19日(土)02時41分53秒
- 18 名前:堰。 投稿日:2003年07月19日(土)02時44分30秒
- 出だしなので多めにやってみました。
なんか久々すぎて、黒星スタートした気分なんですが。
もうこんな時間に更新するのはやめようと、
硬く心に誓ったしだいです。ハイ。
長々と行きますので、以後よろしくお願いします。
- 19 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月20日(日)09時43分57秒
- 20 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月20日(日)09時44分53秒
花が咲いていた。
本当に、忽然と咲いている花だった。
熱砂の死地と、微かに生命の躍動を取り戻しつつある荒れた森。
その境。
それまで見る機会のなかった薄赤い花びらが、鮮やかに目に飛び込むのは必然。
まだ死んでいない星。
まだ、生きている世界。
その足掻きを体現している花は、凛として強く、誇らしげに咲いていた。
- 21 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月20日(日)09時47分04秒
触れることで何かが得られるだろうか。
そう思い、花に指を触れようと近寄った瞬間、ガチっと足元で何かが鳴った。
身体という仮の器が、途轍もない感覚を訴える。
痛みと称されるものを伴って、器と神経を苛む。
声にならない叫びをあげて、身体をたじろがせた。
初めての「痛み」という概念に、驚き、飛び退ろうとするがそれは叶わなかった。
なぜなら、まるで大地に隠れていたかのように、鉄の顎がその細く白い脚を捕らえていたから。
- 22 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月20日(日)09時50分00秒
- 短い鎖がヂャリンと鳴り、その拘束力を暴力的に叫んでいる。
「少女」は状況を把握すべく、じっと脚を見つめた。
動くたびにその顎が刃を食い込ませ、痛みが増し、傷が深くなる。
器から赤い液体が流れている。
どうやらこの痛みに比例するらしい。
この衝撃がこの物体に与えられているものだと言う事は明らかで。
脚を咬む物体をはずすことができれば、自由になれるはずだ。
- 23 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月20日(日)09時51分44秒
- 白い外套を砂で汚し、身に纏った衣装を血で汚し。
しゃがみこみ必死に手を伸ばし、どうにか鉄の顎を外そうと試みる。
しかし、あいにく肉体的な力はまったくと言っていいほど無い。
指先を傷つけ、爪を傷つけもなお、その鉄でできた顎は自分の脚を離さない。
いったい何が起きたと言うのだろう。
それが「罠」だと知らない「彼女」は、痛みに明滅する視界を凝らしながら、必死にもがき続ける。
時間がただただ無駄に過ぎていった。
- 24 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月20日(日)09時52分19秒
- 25 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月20日(日)22時58分23秒
血が固まりはじめ、指先の傷が麻痺し始めたころ。
彼女は自分の周囲が暗くなっているのに気づいた。
第一世界ならば目にすることもなかった異形が蠢きだす、魔の時が始まろうとしている。
夜毎、夜毎。
人よりも早く環境の変化に追いついた獣たちが、牙を剥きその狂乱を示そうというのだ。
技術無く迷い出る者は、例外なく息絶える。
途方にくれながら周囲を見渡し。
それから自らの手元に視線を落として彼女は愕然とした。
- 26 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月20日(日)22時59分55秒
- 指先にしようとした花が、萎れようとしているのに目を奪われる。
花の根元には、自らの流した血でつくられた血痕が残っていたのだ。
自分のせいかと思う。
花が生きていくには「水」が要る。
無用の物を与えてしまえば、枯れてしまうのは理だ。
花が枯れてしまうのは、自らのせいだろうか。
そう思うと、この足枷が外れぬことよりも、「花の末路」が切なくて仕方が無い。
ここに近づかなければ、脚を噛まれることもなかった。
自らが傷つかなければ、この花が枯れることもなかったのだ。
しかし、この花の強さは抗いがたい魅力となって、彼女の心と感覚を揺り動かした。
- 27 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月20日(日)23時02分09秒
- 誘惑に伴う罪かと、微かに息をつく。
自らの脚で行くのだと心に浮かべた報いだろうか。
恐ろしいことに――慣れ始めた痛みをおして、そっと花へと指先を近づける。
夕闇の暗さに色を失う花。
胸にきゅっと押し上げてくるような痛みを感じて、くんと視界を細める。
これは罪悪感というものだ。
通常、人が些細な罪に対して覚えるような、そんな感情――。
近づいてしまってごめんなさい。
そんなことを気持ちに浮かべると、霞む視界のままに花びらを指先に撫でた。
花は何も答えない。
それでもどこか誇らしげに。
自らの運命を悟りながら朽ち果てていく道を選ぶようだった。
- 28 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月20日(日)23時03分10秒
+ + + +
- 29 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月20日(日)23時04分10秒
ザリ。
と、厚い靴底が乾いた砂を食む。
その靴底に押さえ込まれることを拒むように、細かな粒子の砂煙が空気に飛び散るのを気にもとめない。
今は夜。
通常の概念を持つ人間ならば、外出などという考えは持たない、夜半の刻。
月は細く削いだように、夜の闇に刃を突き立てている。
青白い光。
漆黒のロングコートは外気からの影響を遮断するための鎧と同意。
機能性とデザインを追及したそれは、微かな月光にきらめいて、しとりと濡れているかのようだ。
- 30 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月20日(日)23時06分24秒
- 一歩、また一歩と歩みを進める。
キュィン。
と軽い音を立て、網膜の動きに反応したゴーグルのレンズの倍率が上がった。
見える世界にはただただ砂地が広がるばかりで、素の五感で感じられる物は無に等しい。
珍しく風は無く、音は砂に吸収されて死地にふさわしい静寂を頂いている。
ゴーグルは、今は滅びてしまった国の軍部のバラックを、馴染みの武器屋に弄くらせた代物。
性能は通常に出回るものの倍以上を行く。
ただでさえ絶対数の少ない第一世界の品物、そうそう並ばれても困るくらいの性能なのだが。
実際はどうなのか?
と言えないほど、その職人の腕は確かで疑うべくも無く素晴らしい。
- 31 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月20日(日)23時08分10秒
- 話が逸れたが、月光の下にあって死地には何者の気配も無い。
生物反応ととれば、すぐさま飛びついてくるような魔性の行きかう時刻だと言うのに。
何故だ――?
頭部を守るために巻いた布、それを抑えるゴーグル。
視線をめぐらせるのにも答えは出ない。
致し方ない。
軽くかぶりをふって、漆黒の外套が再び脚を進めた。
- 32 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月20日(日)23時09分14秒
- 33 名前:堰。 投稿日:2003年07月20日(日)23時12分49秒
- 時間が分かれましたが更新。
しばらく固有名詞が出てこないという、微妙な展開ですが。
空気だけでも伝わるといいなぁと。
- 34 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月22日(火)13時38分25秒
- この世界感、とても好きです。
しかもtsunagiなっちメインとは珍しい。
続き、すっげぇ期待してゆったり待ってます(w
- 35 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月22日(火)22時48分57秒
- 36 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月22日(火)22時51分59秒
歩みを進めるたびに、微かな土埃が舞い上がる。
ザリザリと音を立てる靴底は、踵まで砂とお友達になりたそうだ。
が、必死にそれを許さずに歩いた。
微かに隆起していく砂地を行く。
これを越えたら目の前に広がるのは海。
泳ぐことのできなかった、薄汚れた海の遺体が横たわってる。
- 37 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月22日(火)22時53分41秒
一応の用心として、コートの胸元へ忍ばせた鋼鉄へと手を伸ばす。
アナログと呼ばれる「第一世界の遺物」を好んで使うのには訳がある。
環境に合わせ進化しすぎた異形は、最新技術に対しての耐性が異常に高いのだ。
電撃や圧縮した波動などには強いくせに、関節に銃弾を打ち込むだけで退散するモノも居る。
今まで生きてきた経験に裏打ちされた事実。
上層界に住んでいるやつらには、大抵解るべくもない事実。
ふっと、小ばかにするように鋭く息を吐き出すのと同時に、その脚は緩やかな丘陵の頂にたどり着いた。
- 38 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月22日(火)22時55分39秒
- 見渡す限りの闇の深遠へ、ゴーグルのレンズが反応し、めまぐるしく倍率を変えている。
空気が澄んでいるのだろう。
珍しいことに遥かには横浜スラムにそびえ立つ、第一世界の遺物が見える。
ランドマークタワーと呼ばれていたそれも、今は先端をうしなって朽ち果てて居る。
倍率を最大にして、ようやく頂が見える程度なのだが。
いつもこの場所に立つと不思議な圧迫感を感じる。
あまりに無機的で、あまりに無駄の無い世界だからだろう。
と、そう思っているのだが自分でも真意はわからない。
きっと、生まれる前の審判の記憶を、畏怖を、人間の遺伝子が刻み込んでしまっている証拠。
感傷に浸っている場合じゃない。
- 39 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月22日(火)22時56分57秒
こんな時間にこんな場所へやってきた理由を思い出し、思いをはせる自らを引き寄せると視線をゆっくりと下げる。
ふと、一点で視線がとまった。
それは止まるべくして止まる場所だったのだが。
正直「あり得ないこと」だったので押し黙るほか無かった。
- 40 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月22日(火)22時58分04秒
-
ぞくりと、背筋に走るのは「寒気」なのか「予感」なのかも解らない衝撃だった。
半分は頭のうちで理解できない「事実」を、ぼんやりと見つめているだけだ。
ありえないと最初から高を括っていたのに、リアリティが呆然を伴って嘲笑う。
はた、と現実を思い返し、慌ててその場を見つめる。
人型の、獲物だと?
その「人型の獲物」という事実からして、世の中では有り得ない話なのに。
- 41 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月22日(火)22時58分58秒
- 知っての通り、この世界には生身の人間だけが対応しきれて居ないのだ。
どうにか、状況を和らげて茶を濁しているだけで、旧文明の名残が無ければ
――それに縋らなければ生きていけない。
生命力や活動能力など、荒廃した土地に順応した獣の足元にも及ばない。
だからこそ、人は武器を携えて荒野に挑むのだ。
自らの身体を守る繊維の鎧に身を包み、いつ訪れるとも知れない死を背中に負って。
- 42 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月22日(火)22時59分55秒
「有り得ない…」
二度目には口にだしてつぶやいて、その幻のような現実の真意を確かめるべく視線を凝らす。
30キロ程度離れた場所まで判別できるゴーグルなのだから、物質的に見間違うはずもないのだが。
- 43 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月22日(火)23時05分08秒
- 44 名前:堰。 投稿日:2003年07月22日(火)23時07分48秒
- >>34 名無しさん
レスありがとうございます。嬉しい限りです。
安倍さんのお話が少ないんだなぁ…と思ってはじめた今回。
自分のいつもの世界より、かなり硬質で楽しんで書いてます。
細々と長く、完結させるコトを目標に頑張ってまいります。
よろしくお付き合いいただけたらと思います。
- 45 名前:名無しさん 投稿日:2003年07月22日(火)23時53分53秒
- スケールのデカそうな話ですね
続きが楽しみです
- 46 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月25日(金)21時18分22秒
- 47 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月25日(金)21時19分36秒
作動するのにイチイチ音を立てるのは難点だな、改良させよう。
そうキュィと、ごく小さな作動音を立てて、ゴーグルはその視界の色彩を変えた。
サーモグラフの色は通常のそれと変わらない。
どちらかと言えば外気にあてられているのか、体表温度が幾分下がっているだけのようだ。
しっかりと、脚に黒い影が映るということ。
それが、有り得ないはずの現実が本当に起こっているのだと思い知らせている。
- 48 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月25日(金)21時20分42秒
- 体表温度だけでは窺い知れない真実に舌打ちすると、再び視界を変える。
これが最大の改良点であり、第二世界で一番伸びた開発分野だと思われる。
「霊質量」の画面に切り替わった。
審判時に捕らえられた天使やその遺体を取り扱うことで計測可能になった、「本質的な魂」の力だ。
そうして、映し出された事実に再び顎を外しそうになる。
カウントと映像が、有り得ない数値を導きだしているのである。
通常人間のそれは傑出していても15程度の質量しか持たない。
なんらかの恨みを持つ物体でも、高くて50程度。
数値換算と色味。
幾度も見たことの無い「例外」に、思わず息を呑む。
- 49 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月25日(金)21時21分35秒
- 「やぁ、有り得ないだろぉ…」
それでも信じきれない事実に軽く頬を打って、肩で息を吐く。
思い当たるのは、法外な値段で取引される生き物。
そこで問われる絶対条件は、「損傷の少なさ」と「平常の保存度」。
事実か?本当に現実なのか?
頭では信じきれないながらも、身体が事務的に「仕事」をこなすべく動いている。
手のひらはコートのツールポケットから、「霊質量」の拘束に使う拘束具を探り当てて。
チャキっとくゆらせるように片手で遊ぶと、ペースを取り戻したらしく脚を再び進め始めた。
- 50 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月25日(金)21時23分28秒
- 上りよりも緩やかに下っていく砂の丘。
近づいていくのにようやく気配に気づいたのか、ゴーグルの中で獲物は視線を上げた。
攻撃的な気配は無い。
どこか伺うような目をしてこちらを見つめている。
距離は少しずつ近くなり、いよいよ世界に現実味が増していく。
そうして、砂山の頂で抱いていた予感が本当だと思い知らされる、一つの現実を目の当たりにしたのである。
それは「理」を捻じ曲げる、個体の持つ「質」の力。
夜の闇には閉ざしていることしかできない筈の一輪の赤い花。
それが、無防備な手の中で、朝露に濡れるかのように咲き誇っていた。
手折られて、なおも――。
- 51 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月25日(金)21時24分18秒
+ + + + +
- 52 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月25日(金)21時25分21秒
ザリ。と、砂地を誰かが歩いてくる音がした。
静寂の中にあって、その音は深さを持って四十万に漂い消えていく。
身体の中枢がビクりとして、それが驚きからくる生理反応だと知った。
弓なりに削がれた月夜には、凛とした光を放つ透明な黒い宝石のようだ。
有り得ない物質のように、立ち姿は流麗でどこか堂々としている。
まるで、この死地の王のようだと思う。
その威厳はどこか恐ろしさを感覚から呼び起こし、激しい警鐘を打たせる。
- 53 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月25日(金)21時25分57秒
- ――害する者だ。
害スル者ダ。
同種の物が感じた危機を、目の当たりにして背筋が凍る。
触れられてはいけない。
それでもそれが適わないことは、火を見るよりも明らかな形で、自らの脚をガッチリと食んで。
立ち上がることすらままならない長さの鎖が、ジャラリと乾いた残酷な音を立てる。
- 54 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月25日(金)21時27分18秒
- 「おい」
不可思議な形の面――後からそれがゴーグルだと知るのだが、今は知る由もない――
と、外気から表情を守るための布地。
聞こえる声は布越しゆえにくぐもっているが、確かに女のものだ。
芯と棘とを併せ持つ、耳に柔らかな不可思議な音色をしている。
色をつけるなら、きっと今この夜と同じような色だ。
世界を畏怖れのある夜の闇で包むような、そんな声。
そろそろと顔を上げる。
闇夜に慣れた目には、濃淡のうちに物質をはかることは容易で、姿の概要はすぐに見てとれた。
- 55 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月25日(金)21時28分45秒
- 「聞こえるか?」
意味は解る。
彼女の声が聞こえているかという問いだ。
偽る必要は無いので、こくりとうなずく。
「答えることは?」
同じ言語で答えることだろうかと考えて、首をかしげる。
それはできない。
言語など必要ない種ならば解することも伝えることもできるが、人とでは魂に差がありすぎる。
それに、伝えるためには一つ条件が整わなければならない。
今この場において、それが整っているとはとうてい思えなかった。
- 56 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月25日(金)21時29分51秒
- 「自分、人や…ないなぁ?」
その躊躇を回答と取ったのか、言葉で不意に真を突かれ、肩先が揺れた。
本質にかけて嘘をつくことはできない。
それ以上を悟られたくなくて、慌てて視線を落とす。
白い布地に染み付いた黒い血痕が、目の前の黒い装束の女から与えられた病のように毒々しい。
- 57 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月25日(金)21時31分12秒
ザワと、不意に強すぎぬ風が通り過ぎる。
ほんの短い間なら、人間だって防具なしでも外界で活動できることくらい知っている。
ゴーグルと面覆いを、ぐっとグローブをつけた手が引き下げた。
首筋に下がったゴーグルが月明かりを反射させ、青銀の光を投げるのに呆然とそれを見上げる。
強すぎる瞳は青。
その肌は白磁の白さを映えさせたかのように透明で、頭に巻かれた布地から幾筋かの金髪が零れる。
目じりは微かに下がっており、穏やかな印象を与えそうなものだが、眉の強さと結ばれた口元に厳しさが漂っていた。
強い女だと、そう、直感する。
- 58 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月25日(金)21時31分57秒
- 「手を出せ。こっちの声は聞こえてるやろ?」
声とその言葉の内容にゾワリと背筋に慄きが迸り、怯えが全身を支配する。
逃れなければいけない。
慌てて脚を動かすと、眼前のことに存在を忘れていた罠が、強烈な痛みで開放を拒んだ。
全身で暴れだそうとする目の前の「捕獲対象」に、女は「あほか」と侮蔑を含んだ声を投げる。
冷たい。冷たい、夜色の声。
- 59 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月25日(金)21時32分45秒
- 「あんた、罠が外れないから逃げられへんのやろ?」
捕捉のために伸ばされる手へ、自らの拒絶をぶつける。
しかし物理的な力を持たない彼女の一撃は、手錬の女には届きもしない。
簡単に腕を捻りあげられて、腕を縛られた。
手首からすべての力が抜かれていく感覚がして、いきなり目の前が霞む。
「霊質の中和作用のある手錠。キーはあたしの頭の中にしかない」
――観念しなや、天使さん。
どこか勝ち誇るように聞こえる声は、どこか艶やかな毒のようだった。
- 60 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月25日(金)21時33分23秒
- 61 名前:堰。 投稿日:2003年07月25日(金)21時36分22秒
- >45 名無しさん
レスありがとうございます。
スケールだけなら一人前です(笑)。
それでも人間のやりとりを書くのが好きなので、
懸命に追っていくつもりです。ごひいきに(笑)。
- 62 名前:きゃる 投稿日:2003年07月26日(土)00時51分13秒
- TSUNAGI発見。
すごく世界観巧くて一気に引き込まれました。
これからも楽しませてもらいますね。
- 63 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月26日(土)22時10分37秒
+ + + + +
- 64 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月26日(土)22時12分13秒
トントントントン。
小気味のいい包丁捌きの音がして、眠気の泥沼から腕を引き上げられる。
喉から搾り出すような唸りをあげて、サイドテーブルに置いてある時計を手に取った。
7時40分。
要約すると、早すぎである。
一度目が覚めたら二度寝の利かない体なので、もうここで眠ることはできない。
昨日何時だったと思ってる?
枕元に時計をたたきつけ、ガシガシと金色の頭をかきあげておもむろに上体を起こす。
と、タバコの紙包みを乱暴に掴み取る。
一本を弾き出して口にすると、鈍い銀色のオイルライターを取り上げた。
蓋を親指一つの動作で持ち上げて、華麗に火を点す。
- 65 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月26日(土)22時13分29秒
- 独特のオイル臭と紫煙が、起きぬけの鼻腔を通り抜けて無理やりの覚醒を連れてくる。
ギリギリまで吐き出すのを我慢した煙を、それこそあてつけのように全て吐き出した。
まるで怒りと煙を摩り替えているようだ。
半分を灰にした時点でアッシュトレイで火をねじ消す。
そのくらいになれば頭もはっきりしてくる。
その時点で8時15分。
いよいよベッドから抜け出すと、大判のシャツだけを羽織り、二・三個ボタンを留めるとキッチンへ脚を向けた。
- 66 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月26日(土)22時15分19秒
「うら矢口、人の部屋で何してん」
ゴイン。と鼻先あたりにある頭をどつくと、「おはようの前にそれかよ!」という抗議が耳を貫いた。
「じゃぁ目覚めのちゅーくらい遣せォラ!」
と強引に腕に閉じ込める。
それには「いやーだー!つーか冗談抜かせ!」という叫びとともに、リズムを刻んでいた包丁が首筋を掠めた。
もちろん冗談の交換なのだが、少々デンジャラスな光景である。
ひとしきり冗談を交わして。
すでに万端で煎れてあったコーヒーをカップにもらうと、部屋の持ち主は壁に寄りかかった。
朝の雑談は数少ない安堵の時間なのだ。
- 67 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月26日(土)22時16分06秒
- 「ほら、今日遅番だったしさ。店で出す肉も余ったし、じゃぁいっそ帰りに寄って食事くらい作っていこうかなぁって」
そう思ったのさ!いやぁ、常連思いだねぇ矢口ってば!
そう可愛い顔と可愛い声で、自画自賛を繰り返す少女に苦笑する。
「そっか。ありがとな」
ふわりと微笑むその表情に、矢口と言う少女もふわりと微笑み返した。
- 68 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月26日(土)22時19分21秒
- 矢口は、渋谷スラムにあるまだ上級なバーで働いている看板娘で。
父親の仕事を大変よく手伝っている。
通常一人で移動すれば狙われやすいはずのこの街でも、彼女の愛され具合は屈指のもの。
逆に手をだそうものなら、集団で守ってもらえるようなマスコット的アイドルなのだ。
父親からの信頼もあってか、彼女はよくこの部屋に来る。
ふらりと訪れたり、泊まって帰ったり。
今日のように食事だけ作りに寄ったりと、まちまちではあるのだが。
それに、矢口専用の承認コードを設定しているので、セキュリティ上の問題は無い。
女はその屈託のなさをいたく気に入っていたし。
女そのものの懐の芯には触れないまでも、非常に心地よい相手だった。
- 69 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月26日(土)22時20分40秒
- 「やっぱ裕ちゃん笑ったほうが美人に見えるよ」
――仕事の話してるときの、怖い顔も美人で好きだけどねー。
冗談の応酬の中に含まれる微かな本意に、裕ちゃんと呼ばれた女は目を細めた。
「おだてても無駄やって。自分、ただ食事を作りに来たってわけやないやろ?」
コーヒーを飲み干して、見透かすように声を投げる。
あれ?ばれました?とばかりに眉が上がるのに、「このガキ」と眉をしかめてみせる。
その後矢口の口から零れてきたのは、ある程度予想のついていた言葉。
- 70 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月26日(土)22時22分29秒
昨日、人型のを捕獲したらしいじゃない。どんなのか見せてよ――。
- 71 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月26日(土)22時24分08秒
- 72 名前:堰。 投稿日:2003年07月26日(土)22時27分20秒
- >62 きゃるさん
レスありがとうございます。
えぇっと、メール欄のに関しては、
「読んでてくださいvv」としか言えません(笑)。
深く読むと穴ぼこだらけの世界ですので、
(想像の余地あると言えばそれも妙なのですが:苦笑)
どうぞ受け取られるままに見つめていただけたらと思います。
書いていて矢口さんが非常に可愛いです。
- 73 名前:読んでる人@ヤグヲタ 投稿日:2003年07月28日(月)13時07分59秒
- うわぁ〜、凄く面白そう!!
今後の展開も激しく期待しています!!
- 74 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月30日(水)22時18分47秒
- 75 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月30日(水)22時20分18秒
- 狭すぎるわけではないのだが、スラムの噂は千里を駆ける。
ことさらアナログのバイクで移動する裕子のこと。
背中に一人負ぶっていたという異様さはすぐに広まったようだ。
「人型」という言葉で、対象は制限され、珍しさは跳ね上がる。
獣の異形である人型。
樹木などの突然変異の人型。
人間を食らった何者かの人型。
そうして、審判後に下界と交わるようになった天使という人型。
最後の品種は珍しさだけに終わらない、話題も呼ぶものだ。
- 76 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月30日(水)22時21分59秒
――まだ血液の鑑定終わってないからなぁ。
と渋るのに、「じゃぁ先月のツケ払って」と脅迫めいた声が聞こえた。
うぐ。
食事にありつきながらの会話に、食べ物を詰まらせそうになり慌てて水で押し流す。
「待て、先月はちゃんと払いきってるはず…」
ほうほうのていで呟くのに、返事は大上段。
「今月の頭に掛かる、ボトル分が入ってませんのよ中澤さん」
キープ分かよ。
そういうコトは先に言えと思いながら、裕子は仕方が無く髪をかきあげた。
「解った。帰りがけに払うから持ってってください」
「りょうかーい。で?見せてくれるの?くれないの?」
「このガキが」と奥歯を噛むにも、悪びれる人間には慣れている矢口のこと。
そしらぬ顔で返事待ちである。
- 77 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月30日(水)22時23分09秒
と、その時オンライン上の着信音が鳴った。
特定の相手に設定してある音だったので「誰?」と呼びかけて着信を受ける。
リビングとキッチンを隔てている厚めのガラスに、一瞬にして映像が映し出された。
特殊液晶の大画面モニターになっていて、スピーカーは部屋の中に四つ。
古い映画を見るのにうってつけだが、そんなことは今は全く関連性が無い。
――おはよう姐さん。珍しく早起きで。
裕子と似通うところのある、芯を感じる声。
それでも、質はこちらの方が張りがあるように思える。
それはきっとこの相手の中に満ちている、知識という名前の理知の差だろう。
- 78 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月30日(水)22時24分22秒
「あ、先生おはよう」
通信の声とに反応した矢口が呼びかけるのに「あぁ、おはよう真里ちゃん」とモニターの中の美人は微笑んだ。
フチ無しのメガネに、アナログ衣装の代表のような白衣を纏った才女。
名前を平家みちよと言う。
スラムの医者であり、生物学者でもある。
裕子の捕獲する生物で売りさばけないものは、彼女の研究対象として引き取られていく。
そして金をもらわぬ代わりに、傷や病を無償で癒してもらっている。
ギブアンドテイクと言うヤツ。
昨日の帰りがけ、捕獲した人型の血液を採取し検査にかけさせていたのだ。
この時間に連絡が来るということは、彼女はきっと徹夜だったのだろう。
- 79 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月30日(水)22時25分06秒
「あぁ、矢口に起こされた。せっかくいい気分やったのに」
ブツクサと文句を垂れながら言うのに、「朝食用意してやっただろぉ!」とまた抗議が聞こえた。
その遣り取りを苦笑交じりに見つめながらも、「昨日の件でなんですけど」と彼女は静かに切り出した。
ジャマ?と矢口が首を傾げるが、「かまわない」と短く返して同席を許可する。
――姐さんの言ってた通り、彼女は天使です。長時間の外気接触にも影響は受けてません。
ただ、おかしな部分が一つあって…。
そうつぶやきながら書類に目を落とし細部を確認すると、難しそうに眉を寄せてから彼女は告げた。
- 80 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月30日(水)22時26分39秒
――霊質量が100から500の間で定まらないんです。
うん?
矢口が難しい話に眉を寄せると
「例はかけ離れるけど、感情や調子にムラがある感じと思えば簡単」と補足をつけてくれた。
あ、そうなの?とかなり見当違いな解釈を植えつけられても、矢口には完全には理解できない。
――霊質の定まらない場合、実例として天使でも売り物にしにくいじゃないですか。
裕子は「まぁな…」と問題視しない風に相槌を打って、残っていたハムを口に放り込んだ。
- 81 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月30日(水)22時27分17秒
+ + + + +
- 82 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月30日(水)22時29分22秒
「それ」の入れてある部屋は裕子の持つビルの中でも、一番頑丈に改築してある部屋だった。
持ちビルと言ってもスラムの地上三階建て。
旧世界の素材で作られた、概観ならば暗くて狭そうなビルなのだが。
住み手のセンスもあってか、中は完全に最適化されている。
一階が事務所と応接室、さらにガレージを兼ねており、非社交的な裕子にとって精一杯の外界との接点になっていた。
ガレージにはバイクが三台。
一台は上のツテから闇でおろしてもらった、最新鋭の機種ディアブロ。
そして今や絶滅危惧種のアナログ。
ZZR、そうして小さめのCBR。
三階には自室としてだだっぴろい部屋が取られていて。
寝室はパーテーションで仕切った隅にバスユニットなどで設えられた凹みにはまっている。
- 83 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月30日(水)22時30分34秒
二階に「そのため」の部屋を設け、裕子はその時々で対応していた。
時に水で満たしてみたり、捕捉する物によって環境を変えられるようにしてあるのだ。
昨日は人型というために柔らかな毛布を――意味合いが理解できるかは謎としても、何枚か与えて眠らせた。
今日はどうなっているかわからない。
朝起きてからこれまで、確認を取っていないし。
これで、「舌を噛む」という選択肢を持っていた場合。
もう舌を噛んで死んでいるだろうが。
- 84 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月30日(水)22時31分58秒
「ねぇ、本当に見せてくれるの?」
いまさらの声を投げる矢口の頭をポスポスとたたいて、階段のドアの前へ立つ。
さすがに裕子のいでたちは、細身のパンツとシャツに変わっている。
いくら家の中とは言え、ずっとシャツ一枚って訳にもいかないだろう。
そうして肩に掛かっているのは、アナログのリボルバーとナイフ用のホルスターという仰々しい品物だった。
「見たい言ぅたんは矢口やろ?」
扉横のパネルをあけると、四角い枠の中に指先を当て、レンズを覗き込む。
――汝が主の声を聞け。道を開けよ。
堂々と唱えるのと同時に、網膜と指紋と声紋という三重の承認をもって、重たい扉が開いた。
矢口が仕事場に入るのは初めてで、今までの興味もあいまって心拍数を異様に上げている。
体温の高さと拍動の速さが気持ちの逸りをあらわしており、隠し切れない波動を感じてしまう裕子は苦笑する。
人間や獣の気配は単純で隠し切れないものばかり。
「さぁ、どうぞ」
そう簡単に背中を押してやると、その小さな身体が恐る恐る前へと進んだ。
- 85 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月30日(水)22時33分20秒
- 86 名前:堰。 投稿日:2003年07月30日(水)22時34分35秒
更新しました。
以後更新アゲをしていきますが、基本はサゲということで。
よろしくお願いします。
- 87 名前:堰。 投稿日:2003年07月30日(水)22時39分01秒
- >73 ヤグヲタさん
矢口さんお口に合うか微妙なんですが(笑)。
やぐちさんはこれからも出てまいりますので、どうぞよしなに。
あぁ。ラブハロさえ買わなければ、私の人生もぉ少し違ったのに(苦笑)。
- 88 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月31日(木)22時14分36秒
- 89 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月31日(木)22時16分14秒
- 「なんか不思議な部屋だねぇ」
わざわざ外光を取り入れるつくりにしているために、部屋の中は他の場所よりも幾分暗い。
と、表面の光彩の違いでで一部が透明な何かでさえぎられていることに初めて気づいた。
どうにかぶつかる前に手でよけて激突を防ぐと、矢口は裕子を振り返る。
「そんなに目を凝らないでも、明かりくらいつける」
落としてある明かりをボリューム一つで明るくすると、部屋の中がしっかり見えてきた。
まるで檻のようだ。
明るく清潔な牢屋という、ただそれだけのハコ。
裕子の仕事は頭の中で理解しているつもりだったが、思わず口元を固めてしまう。
- 90 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月31日(木)22時18分42秒
- 職業に対しての躊躇は見てみぬふり。
裕子は明るくした部屋の隅を見やった。
「右の隅に固まってる」
――どうやら自決する知識も無いみたいやな。
そう簡単に言い放つのを耳にしながら、言われた通りの右の隅へと視線を移動させた。
ゾクっとする。
ある程度の余裕のある長さではあるが、手錠で腕を拘束された「人型」が、毛布の中で横たわりこちらを伺っている。
人のそれと全く代わりの無い肌も、どこか透明さがあり不思議な儚さが漂っている。
そうして何よりも印象に残る、怖いくらいの深みを持つ黒石玉のような瞳。
息を呑むその瞬間、いきなり視界がさえぎられた。
「はいそこまで。魅入られると、頭の中をいじくられてしまう」
――昔からの迷信ですけど、こういうのにはなれてないでしょ?
驚く間も無くそう告げられて、矢口は裕子の腕にしがみついた。
- 91 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月31日(木)22時20分17秒
- 「おい。生きてるな?」
――気分はどうや?っても、答えられないらしいけど。
どこか感情もなくつぶやく目は、どこか「物質」を見る目をしている。
これでもかけとき?
と言われて与えられたオーバルの特殊グラスを目に、矢口は壁に背を預けてその動向を見つめている。
霊質の作用を抑えることができるらしい。
それにしても。どう見ても、人間と代わりが無いのに。
毛布のなかからモソモソと起きだす姿は、正直可愛い女の子のそれと大差無い。
何も事情を知らない人間が見たら「虐待虐待」って煩そうな絵だ。
だけど、彼女は天使だと言う。
人間みたいに見えるけど、人間と魂の質量が明らかに違う存在なのだそうだ。
- 92 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月31日(木)22時21分36秒
数値として書き表されるようになったこの時代でも、この子みたいに増減するコトは殆どないらしい。
まぁ、平家先生が言っていたことだから、イマイチ理解しきれてないけどさ。
それはそれ。
どこか居心地悪いのは、裕ちゃんの空気がいつもと違って見るからかもしれない。
まるで、上の人間が下の人間を見下すように、今の目は無機質で味気ない。
彼女にとって、捕らえてきた物は「売りだす物」という存在でしかなくて。
等号して「キャッシュ」に変換されているのだから。
- 93 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月31日(木)22時23分10秒
あ。ちょっとだけ矢口が喋らせてもらうけど。
いいかな。
いいよね。別にね。
世界に矢口が語っちゃいけない決まりごとがあるわけじゃないもんね。
- 94 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月31日(木)22時24分56秒
- 裕ちゃんは腕利きの「捕縛師」なの。
環境の変化にあわせて変化した生き物を捕まえたり。
生け捕りが無理なら、死体を確保して売りさばくのが仕事。
先生みたいな生物学者や、珍しい物好きの上流階級たちが相手の、体一個の「腕利き」商売。
チーム組んでる人たちも居るみたいだけど、裕ちゃんは孤高の捕縛師。
自分の仕事を完璧にこなす部分に関しては、憧れるんだよねぇ。
そう言えば、天使の「相場」ってものすごく高いって聞くからなぁ。
その昔、天使を一人捕まえたブローカーが、その一度だけで一生を呑んで暮らしたっていうのを聞いたこともある。
事実かどうかは知らないけれど。
天使は生物学者にも上流階級にも人気がある、希少価値の高い種族なんだって。
かたや生態を知るために、かたや観賞用に。
どっちもどっちだと思うけどって、言ったら怒られるかなぁ、やっぱ。
集めてる人ってのにも、それなりの理由あるもんね。
- 95 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月31日(木)22時27分30秒
- 矢口は自らの髪の毛をもてあそびつつ、声と内容ならば認知しているらしい「天使」へ、そっと視線を移した。
天使は腕の手錠を見てから、困ったように首をかしげ、支配を感じているのか裕ちゃんに目をむけてくる。
その視線上で怖いくらいに濃淡の無い微笑を浮かべ、傲然と声を紡いだ。
とても無機的に。動作的に。
さすがにちょっと怖いかも。
ピリピリしてる。
こんなの初めて見る。
「希望に添えずに残念やけど、生憎うちにはその手錠しか無いんでね。
買い手が見つかるまで、あんたにはそれ着けておとなしくしといてもらう」
売られた先で何をしようとされようと、こっちは知ったこっちゃないけどな。
- 96 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月31日(木)22時29分42秒
耳にする言葉に、確かに対象の表情が曇る。
言葉とか意味解るんだ。
そう思った途端、目の前の映像がようやく現実に追いついてきた。
あぁ、なんか可哀想になってきた。
きゅっとこぶしを握ると、「なぁ、矢口…勘違いせんほうがいいよ」と冷ややかな音声が聞こえた。
感覚的にさといのは、日ごろの生活のうえでのことなんだろう。
「今世界がこうなっているのは、天使の来襲があったからや。
本質は誰にもわからへん。大人しく見えている、目の前の、コレもな」
吐くように言い放って、視線を険しくする。
- 97 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月31日(木)22時31分27秒
- 言いたいこととかは、解ってるけどさぁ。
この天使の個体が当時生まれてたかなんて解らないじゃないの。
そうとは思うが、とうてい口にはできない。
今の空気には触らないほうが賢明だと解るから、仕方なく口を結ぶ。
どこか切ない痛みを抱え込むように。
天使は毛布を手繰り寄せると自らの膝にかけてそれを包み込んだ。
そうして壁に頭を預けて、何か言いたそうに少しだけうっすらとした表情を保った後。
諦めるようにソレを消した。
- 98 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年07月31日(木)22時32分41秒
- 99 名前:読んでる人@ヤグヲタ 投稿日:2003年08月01日(金)11時05分52秒
- うぅ〜、この先、天使はどーなってしまうんだろう・・・
続きにドキドキ。
>矢口さんお口に合うか微妙なんですが(笑)。
大丈夫です!!(今のところw)
- 100 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月02日(土)20時15分08秒
- 今日初めて読みました。
すごい引き込まれる話で、続きが楽しみです。
- 101 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月02日(土)22時28分27秒
- 102 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月02日(土)22時30分50秒
- 電脳世界上には階級制限は無い。
いや、ある程度の制限は敷かれている。
格個で防衛線を張っているからこそ、制限が無いだけの話なのだが。
矢口をZZRで送り届けたあと、帰宅した裕子はリビングのソファーへ腰をおろした。
「匿名でリンクして、天使待ちのバイヤー一覧出して」
まるで誰かに呼びかけるように言うと、買い置きの小さな瓶ビールからタブを取り払う。
ガスの抜ける軽い音が部屋に消えるのと、朝の通信と同じ場所に無数の「買い手」一覧が導き出されたのは同時。
相変わらずの処理能力に満足を得ると、一口を口に含む。
広がるのは麦酒のあっさりとした苦味。
ちらつきを抑えた画面で、導きだされた情報に視線をなげた。
- 103 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月02日(土)22時32分21秒
- 天使は特定の生息地域があるわけでもないので、こうしてネット上で売買のきっかけをつかむ。
やはり目の肥えたバイヤーから、どれでもいい!と喚いている者まで人間も多種多様。
用途が多岐にわたることから考えると、それも仕方がないだろう。
正直「コイツにだけは売る気ないわ!」って感じの人間も居るので、まずチェックから外す。
少しばかり人数も減るが、それでもまだ膨大な量だ。
しかし、霊質の質量などもこだわる輩が居るので、全てが客とは言えない。
買い手の実績なども気に掛かる。
時折は防御された世界を潜り抜けて、相手先のデータベースまで覗きに行くこともあるのだが。
ふと、気になる語句を見つけてそこで目線をとめた。
- 104 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月02日(土)22時33分04秒
買取実績数65体?天使専門で――?
- 105 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月02日(土)22時34分52秒
どういう趣味をしているのだろう。
と言うか、どれだけ金を積んでいるのだろう。
思わず天文学的な数値を導き出し、眩暈を覚える。
一体を買い取るのに、下層民では一生働いても無理な額が積まれる。
じっとその画面に見入ると、表示された登録名が驚愕をつれてきた。
見慣れた文字。
いや、旧世界、日本と呼ばれた地に住むものなら、全てがおぼえる名。
「KINGって…TSSPなんか?」
驚きのあまりに、思わず声にだしてつぶやいてしまった。
- 106 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月02日(土)22時36分25秒
第一世界日本と呼ばれた国で、唯一残された大都市。
現物の名残は全てスラムが引き継いでいるのだが。
さておき、経済や学識的な技術など。
かつての世界で先端にあったものは、全て上流階層が引き継いでいるのだ。
旧池袋の空に浮かぶ巨大な都市、東京。
半分以上は埼玉にかかってるけど、まぁ東京。
荒川は倍以上の幅で流れているが、そんな旧世界の地理などもう役にも立たない。
その街の安全管理を受け持っているのが、
Tokyo social security police
頭文字をとって「TSSP」と呼ばれる筆頭セキュリティ会社である。
- 107 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月02日(土)22時44分02秒
政府などによる自治機能を持たない東京。
その中で警邏活動であったり、生活の安全を保つ仕事は警備会社が独自に働いていた。
中でも膨大な力を持つのが、「TSSP」である。
仕事は多岐にわたる。
通常の警備、暴動の制圧、果ては秘密裏の処理までも。
各上層生活者の代表会議などの警備もこの会社が行うことがある。
組織は盤上遊戯のチェスになぞらえており。
警備員程度のポーン(歩兵)から数多くの駒を取り揃えている。
それでもポーンでクラス分別をしている位で。
ナイトやビショップなど本当の上級役職は駒の通りの人数なのだそうだ。
- 108 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月02日(土)22時46分09秒
そんな会社に対して、下層民である裕子が良い印象を抱いているわけがない。
一般論からしてそうだ。
できることなら関わることなく生きていきたい。
裕子にしたら幸い今まで関わらずに生きてこれたので、こらからもなるべく関わりたくない…。
そういう、一筋縄ではいかない会社なのだった。
そうしてキングと言えば、王の駒。
警備会社のトップということになる。
最高峰SPの総裁と言うのなら、買取の実績が天使だけで65体というのも嘘にはできない。
巨万の富。
そんな言葉で片付けることが不可能なほど、その周りでは金脈が渦を巻いているのだから。
- 109 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月02日(土)22時49分01秒
小さな呟きに反応したシステムが、メイン横のサブ画面にデータを導き出していた。
もちろん、普通の登録者データと違って顔の画像などは明かされていない。
詳細なデータも無いが、予想したとおりに「TSSP総裁」の文字が書き連ねられている。
名を騙るなど嘘を書こうものなら、忠実なナイト―暗殺者―がその対象を抹殺してしまうだろう。
その名こそが力。
その名こそが、実体。
傷つけることすら許されない、雲上の神のごとくに。
――マ ジ で す か。
思わず驚嘆しながら、ソファーに背中を沈み込ませた。
ゆっくりと、飲みかけの瓶を手にしたまま、膝に肘をつく。
ビールが思うよりも複雑な味になって、飲みきれなかったのは久々のことだった。
- 110 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月02日(土)22時50分12秒
+ + + + + +
- 111 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月02日(土)22時52分15秒
捕獲から四日目。
静かに、静かに雨が降り注ぐ朝。
いつものように状況を確認するために、裕子は階下へと脚を運んだ。
手には――不要と思われるのだが一応の――食料を携えて、いつもの扉を開けた。
明かりをそっと強くする。
と、まったくかげりのない姿のまま、天使は膝をぺたりとつけて座していた。
毛布を足元に。
どこか無機的に。
「もう起きてたんか」
何もないこの檻の中で?
皮肉を込めて呼びかけると、ゆっくりと目に光がともる。
いつもより何か真剣さを帯びたような視線で見つめてくる。
その硬質の視線は宵闇の静寂をつめたように、じぃっとただ見つめてくるのだった。
- 112 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月02日(土)22時53分10秒
- 「なん。なんか言いたいことでもあるんか?」
みつめる目線の中で、ゆっくりと透明な壁を取り払う。
それは圧縮空気の層とで作られたものなのだが、空気の圧縮と屈折で光彩を持つ壁になるのだ。
「逃げる気があるなら、今からでも逃げられる」
ほら。扉も閉じてないしな――。
そう言葉を投げても、相手は何も返さない。
ただただ、裕子の姿を見つめるまま微動だにしない。
- 113 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月02日(土)22時55分02秒
「食えるか?」
そうトレイを床に差し出すと、相手は単なる軟禁か監禁に置かれている囚人のよう。
何事かとじっとそれを見つめるのに、「食い方知らんのか」ときゅっと眉を段違いにする。
「獣のほうがよっぽど楽やんな。なまじ人型なんて扱いにくい。
なんでこんな天使ばっか集めてるヤツがおんねやろ」
悪態をつきながらも、膝をついて視線を近くしてやり。
「こうする」とパンをちぎって自らの口へ放り込む。
ゆっくりと咀嚼して、飲み込んだ。
じっと一挙手一投足を見つめている相手に、行動の真意はどうあれ、方法が伝わればいいのだが。
天使の扱いなんか専門知識ばかりで、簡易的でもかまわない話など、どこにも落ちていなかったのだ。
- 114 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月02日(土)23時00分29秒
それでも「リバース」と呼ばれる先祖がえりも人間と変わらない食事を摂れるようなので、試しに出してみる。
蛇足ながら、リバースの補足をさせていただく。
審判後。
嗜虐の内に人に対して暴虐を働いた天使と、その間に生まれた子供も多くあった。
その血統を持つものなどの中で、稀に天使の能力を持って生まれる子供がでてきたのだ。
要約すれば先祖がえりなのだが、学会などではそれを「リバース」と呼んでいる。
上流社会の中にはリバースが幅を利かせている場所もあるという。
人を凌駕する能力。
結局は、支配者の血というところだろうか――。
- 115 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月02日(土)23時02分08秒
「まぁ、食べるんやったら食べればいい」
放り投げるように声を与えると、天使は視線を下げた。
じ。
床に置かれた食事に目を向けて、どうしたものかという空気を醸す天使。
どうやら「逃げる」という選択肢も無いようで。
本当に天使なんか?お前。
と、心底疑わしい視線を投げた。
鈍くさいんか単純なんか、疑いが無いのかわからんなぁ。
それとも、お前だけ個が退化してるんか?
心の内にそう思っても、答えなどがくるわけもない。
「昼過ぎにでも片付けにくる」
呆れたようにそう告げて、体を起こすとさっさと檻を閉じ、部屋を出た。
- 116 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月02日(土)23時04分19秒
今日はアポイントメントがある。
常用している情報ソースから見つけたらしいのだが、一人の少女が天使を見せてほしいと言ってきたのだ。
やはりソーシャリティ――上の世界の人間らしく、対面のためにとキャッシュがいきなり振り込まれていた。
「ふざけるな」と一言つけてキャッシュは送り返したのだが、そのプライドを潔さととったらしく、益々の興味を持ったらしい。
数値が変動するというのが欠点だと書き記していたのだが。
――出来損ないでもいいんです。天使がどんななのか見てみたいんです。
と。どこか子供のお願いめいた書き筋をしてくる。
やることは上流の大人並みに薄汚れているのに、言うことが子供なのでギャップに負けてしまった。
午後一時。
事務所にお見えになるらしい。
け。金持ちのガキにやるようなネタは仕込まんわ。
と、端から思っている裕子が、すでに平穏から足を踏み外しているなど、その時の誰にもわからない話なのだった。
- 117 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月02日(土)23時05分27秒
+ + + + + +
- 118 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月02日(土)23時07分28秒
ようこそ――。
「どうぞ、こちらの席にでもおかけください」
そう、大人の落ち着きを持ったビジネス用の顔で、裕子はソファーに座っていた。
時間にして13時20分。
いきなり遅刻なのは、交渉を心得ているのかどうか。
まぁ別段気にすることでもないだろう。
相手が子供なので、こちらが礼儀を取る必要は無い。
そう。相手がソーシャリティだとしてもだ。
部屋の内装はシンプルでありながら印象が強い。
なぜなら、北欧の椅子など第一世界で人気があったものを、ポイントにうまく使っているのである。
ある程度の実績と、その信頼。
裕子はその点において数多くの賞賛を得ているプロ。
仕事後の報酬は、下層の捕縛師の中では群を抜いているのだ。
物を選ぶ目も、悪いわけじゃない。
それは仕事においても代わりが無いが。
- 119 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月02日(土)23時08分22秒
「突然の申し出を快く受けていただいて、ありがとうございます。光栄です」
キャッシュの一件さえなければ「良い子」の礼儀正しい姿で、その少女は現れた。
どちらかと言えば下層の子供が着るような、こざっぱりしたボーイッシュな服装。
そのあまやかな光彩を持つ栗色の髪は、後ろで一つに束ねられている。
一目の印象であれば、芯のある少年と称してしまっても「失礼に値しない」凛々しさがある。
それでも一見の柔和に思える眦の穏やかさが、キツさを持たせない。
少女が着座し、頭をさげた。
- 120 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月02日(土)23時08分56秒
- 121 名前:堰。 投稿日:2003年08月02日(土)23時14分23秒
- 途中アゲちゃったので、サゲつつ報告(苦笑)。
>>99 ヤグヲタさん
あぁ。口に合うなら何よりでした。
最近どこに行っても写真集ネタで嬉しい限りですが<音楽番組
泣いちゃう矢口さんも、いずれ書きたいなぁと思います…(笑)
気が遠くなるくらい先だと思いますが。
>>100 名無しさん
引き込まれると言っていただけると幸いです。
ハリボテにならないように、頑張りたいと思います。
あ。穴ぼこを見つけても、そこは見ないフリで(苦笑)。
- 122 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月06日(水)23時11分40秒
- 123 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月06日(水)23時16分47秒
「わたしは後藤真希と言います。後ろに居るのは私個人のSPです」
もしよろしければ、気にしないでお話していただきたいのですが――。
高すぎず、低すぎない。
耳に軽く聞こえる、心地よい音声をしている。
丁寧に話せるところを見る限り、上流でも知識階級の家柄だろう。
とたん、一人のSPが軽く頭を下げた。
見た目だけならば少女と年齢も変らないのだが、どうやら一筋縄ではいかないらしい。
その証拠に礼をとる姿は「教育された者」の動作として洗練されている。
SPの内でも高位の能力を持つのだと察せられた。
普通ならば礼は取れたとしても、微妙なズレや空気の違いが硬さになって現れるのだが。
- 124 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月06日(水)23時21分25秒
これだけのクラスの警備員を雇うためには、けっこうの額がかかるはずだ。
天使に興味があるっつーこった、やっぱかなりの金持ちお嬢さんか…。
逡巡を億尾にもださずに、
SP自体もかなりの美少女で、正直気にするなと言われても困るのだが。
もう仕方が無い。
「けっこうですよ。何か飲み物でも入れましょうか」
大人の営業スマイルでSPの同席を承諾する。
そうして、二人は雑談としか思えない話でお互いの探りあいをはじめるのだった。
- 125 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月06日(水)23時25分56秒
- 126 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月06日(水)23時26分29秒
ぴくり。
まるで小動物が大きな耳で音を拾うように、肩先を揺らす。
とっくに片付いてしまった皿を透明な壁のそばへ置いて、くるくると毛布に埋もれてういたのだが。
捕らえられてから何も無いので、安心しきっていたのかもしれない。
売られると聞いていても、その先で何があるかわからないと言われていても。
実際に起こらないことを思い苦しめるほど、彼女は脆弱にできていないのだ。
瞑目し、耳と感覚を澄まそうとしても、手首の環が相変わらずの邪魔をする。
ただ解るのは、階下に何か強烈な「意思」を持った存在があるということだけだ。
懐かしさと紙一重の、厳格で、あいまいな空寒さが彼女を包む。
背筋が悪い感覚で一杯になり、手で鷲掴みにされているようだ。
- 127 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月06日(水)23時29分15秒
なんなのだろう。
なんらかの動物で耳がついていたなら、ぺたりと寝ているだろう。
そんな萎縮感。
感覚を押さえつけられてまで、こんなに背筋が寒い。
自分を隔離したあの人物は平気なのだろうか。
何も感じていないのだろうか。
「鈍くさい」とか「個体の退化」とか言う前に、目の前の危機を思い知るべきなのに。
息が詰まる。
どうして人間と言うのは、自分より能力値の低い者に尊大なのだろう。
首をかしげても、不安はきえたりしない。
仕方無しに、がばっと毛布をかぶる。
こうして包まって、目を瞑っていたら危機は過ぎ去るだろうか。
それにしてもだるい。
この腕輪さえなければ、きっとこのだるさも取れるのに。
ふっと細く息を吐き出す。
目を瞑るから。
気配も閉ざすから。
どうか次に目が覚めたときには、その危機が過ぎ去っていればいい。
そう思いながら、天使は目をつむる。
今まで意識もしなかった背中の羽は、押さえ込まれたまま。
微かな軋みを伴って、背筋の鈍い痛みへと変わっていた。
- 128 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月06日(水)23時30分10秒
- 129 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月06日(水)23時33分10秒
- 一度も見たことが無いんです――。
そう、熱っぽい口調で語る目の前の少女に、他意はないように見える。
濃く煎れたコーヒーを舌に、そっと飲み下す。
「で、目にするためだけに?こんな下層まで降りてきたと」
怪訝ではあるが芯から疑うには失礼に思える。
そういう口調と表情をまったく動かさず、真希という少女は「はい」とうなずく。
「生物学者でも目指してるわけ?」
――それなら志願すればソーシャルコミュニティの学識の人々が、諸手を上げて教えたがるでしょうに。
そう、ほんの少しの嘲笑を隠して微笑むと、現実を知るのか彼女は軽くうつむいた。
- 130 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月06日(水)23時34分16秒
- 「カレッジの教授に親のツテで頼んだことはあるんですけど、受け入れてもらえませんでした」
寂しそうに言った後、真希は苦笑する。
「残念ながら『我々の築き上げた学問の深遠は、一端たりとも外界に零れてはいけない』のだそうです」
微笑みに隠れた苦笑をかみ殺すことができないのは、子供だからか?
それでも彼女は知っている。
自らの住んでいる世界が、異様にゆがんでいる様を。
口座の一件を帳消しにするほど、目の前の少女は曇りが無い。
しかし。
本当に、ただ、見たい、だけなのだろうか――。
この少女の中にある「空気」はなんだ?
にじみ出る、気配はなんだ。
- 131 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月06日(水)23時41分03秒
上層の少女とは言え、これだけ堂々と立ち振る舞う子供は見たことがない。
軽く息を飲んだその時だった。
「お嬢様。そろそろお時間が……」
きっかり一時間。
まるで時計で測っていたかのように、SPが断ち切るようにつぶやいた。
――あぁ、残念。
そうつぶやいて、少女は額に手を当てた。
「なんか策にはめられた感じがするなぁ」
仕方無さそうに笑うその様は、本当に年相応の少女。
「お帰りですか?」
そうタイムリミットが迫ったらしい少女に、微笑みながら問いかける。
皮肉を飛び越える余裕で「はい。残念ですけど」と微笑んだ。
- 132 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月06日(水)23時42分41秒
- 一目。
その言葉と素直さに押されたのか、
「もしよかったら、階段の前で待っていてください」と裕子は立ち上がった。
え?
と少女の表情が驚くのに「一目で、よろしいのでしょう?」と初めて口元をあげる。
部屋への進入方法は知らせない。もちろん。
裕子は上階へ急ぐと、承認を執り行いドアを開けた。
- 133 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月06日(水)23時46分20秒
天使……。
人と変わりの無い姿。
どこか怯えた様子で毛布に包まり、じっとこちらを見つめている。
怯える必要など無いのに。
こくりと息を飲み下す。
そんなに怯えて、私になにを見ている?
それとも、「本当の自分」でも見ているの?
声には出さないが、怯えた視線は変わらない。
商品に対しての説明は、至極初歩的なものだけで。
学識だけなら詰め込まれている少女の耳には、単なる音楽のようだった。
きちりと礼を述べ、下層を後にする。
深く深くに沸き立つ、欲と義務と。
誰にも知らせない、思いがゆっくりと頭を持ち上げる。
少女はそれが表になる前に、穏やかな顔で場所を辞した。
おかげで、ブローカーには何を悟らせることもなかったが。
- 134 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月06日(水)23時47分47秒
帰りの車中。
少女は軽くため息をついた。
「どうするつもり?てっきり奪って帰ってくるんだと思ったのに」
そう問いかけるのは運転席で待っていたSPらしき少女だ。
呼びかけがあまりに近しいために、親友のようにしか思えない。
うぅん。と、気まぐれであいまいな微笑みを湛えて、後部座席の窓に指をはせる。
後部座席で隣に座っているのは、裕子の部屋に同席したSPの少女だ。
- 135 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月06日(水)23時54分09秒
どこかその腹をさぐるように視線を投げるのに、真希は微苦笑いをこぼした。
「ちょっと、考えるところがあるんだよ。後藤でもさ」
そうしてコツリと窓に頭を寄せて。
少女は見てきたばかりの天使のことを思い出す。
霊質が変動するのを出来損ないと読んでいたが、それは見当違いだ。
幾つかの出来事の予兆として、時折観測されている個体と近いだろう。
それはどうあれ、霊質量を押さえ込んでるせいで、翼も出せない状態にしてある。
あのまま圧力をかけ続けていたら、外したときには反発が強すぎて大変になるのに。
学識なのかそう思い返しながら、少女はバックミラーごしの視線に可笑しそうに応えた。
「あの個体、後藤のこと見て萎縮してたよ。参ったな」
ちょっと、そそられちゃったな――。
そういう少女の表情はさっきまでの幼さを一掃した、大人びた策者のそれだった。
ステアリングを握る少女は、呆れたように軽く肩を竦めた。
- 136 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月09日(土)00時44分44秒
- 話が動き出したような。
引き込まれます。
- 137 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月25日(月)23時00分52秒
- 138 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月25日(月)23時03分13秒
- 異様な緊張感を持った会談の夜のこと。
こんばんわぁ。
と、さえない音声を投げながら、平家みちよが部屋を訪れた。
バッグに目一杯の資料を詰めているのを見る限り、
きっとどこかの情報交換会(学会なのだが裕子はそう呼ぶ)でも出てきたのだろう。
「どうですか?天使さんは」
そうこともなげに言葉を放り投げるので、肩を軽く竦めた。
「昼に物好きなお嬢さんがきてな、そのほかの接触はどこからもないなぁ」
ふぅん。
ぬるい相槌をうちながら、みちよはリビングに荷物を投げ出した。
とはいえ、精密機器も一緒にしてあるので、投げ出す程度は高が知れているけれど。
「そういう意味だけでもいいけど。体調の方を気にしてあげなさいって、そういう話」
じゃなかったら、学会なんか出てきませんよ。
こんな下層の人間の分際で。
不機嫌そうに自らの体をもソファーに沈めるから、裕子はその珍しさに軽く苦笑した。
- 139 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月25日(月)23時05分06秒
- 「なん。みっちゃん、天使のためだけに集会出たんかい」
「集会でも交換会でもなく、学会って何回言ったら覚えてくれるんですか」
まったく。と毒づくなど、よほどのことだろう。
彼女の人当たりのよさと物腰のやわらかさは、人を引き寄せてやまない魅力。
それさえも投げ出すのだから、不機嫌は極まりないのだろう。
「まぁまぁ。これでも飲みなさい」
機嫌のナナメの時は、これくらいでいいんです。
と、いつもみちよから言われているはずの台詞を口に上らせながら、裕子はアルコールを手渡した。
旧世界から残った北米の会社の、白ベースに赤い飾り、紺色の文字の缶。
見慣れすぎて飽き飽きするくらいのアレだ。
- 140 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月25日(月)23時06分43秒
- 「ずいぶん軽いヤツじゃないですか」
両手で子供のようにアルコールを受け取りながら、疲労に下がりきった肩を軽くほぐして。
プシっとガスの抜ける音をたてて、プルタブが持ち上げられる。
「せやかてみっちゃん、あんまりよぉ飲まへんやん」
まぁね、そうですけどねぇ。と不承不承にうなずきながら、生物学者はその缶に口をつけた。
相変わらずの軽い飲み口にも眉を一度寄せて、それから思い出したように行動をとめて。
「や。じゃぁ、ちゃんとお話してからいただきます」
うんうん。それがいい。
しっかりと自らの位置を心得ている生物学者は、気持ちを切り替えるためか後ろ髪をゆるく束ねた。
とはいえ、申し訳程度にしかまとまらないその長さが、愛らしささえ漂わせることを彼女は知らない。
生真面目な表情に切り替えながら、彼女はゆっくりと口を開いた。
- 141 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月25日(月)23時08分20秒
- 「えぇと。正直、天使ってのは範疇外の生き物だったんですけどね。
一応姐さんのために出てきました。学会」
そう報告の口調を混じらせながら、どこか困惑や怒りの色を隠せないのに首をかしげる。
「なん。何があって、そういう顔をしてるわけ?」
裕子が思わず問うてしまうのも無理はない。
「やぁ、知識層の階級分けされたんですよ。こうね、まぁ自分の学識が中の上だったからまだいいんですけど」
――あからさまな侮辱じゃないですか。それって。
と、不満そうに、下がってくるサイドパーツをかきあげる。
それでも自らの理知と知識に分別を忘れない彼女は、まったく知識の無い捕縛師へとその欠片を与え始めた。
- 142 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月25日(月)23時09分24秒
簡潔に述べればこういう話だった。
完全拘束が長すぎると、拘束を解除したときの反動が大きいこと。
食事に関してはリバースと同じようにすることもできるが、体外的な霊質の摂取だけでも生きることができること。
ただし、上記の場合、霊質の拘束条件は人間と変わらないかそれ以上の能力を必要とすること。
言語を必要としないこと。
ただし、学習することによって言語を使用するまでになること。
等々。
- 143 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月25日(月)23時10分46秒
「じゃぁ何か?拘束しすぎると、体に変調をきたすと」
裕子の声に、「そういうことです」とコクリとうなずき。
仕事を終えたとばかりにみちよは缶をあおり始める。
――はずさなあかんのかぁ?
と、唸るように裕子はこぼす。
「調整された新しい拘束具は上層じゃないと手に入らないらしいんで、ほしいなら武器屋さんに頼むしかないかと…」
「天使なんざそんなに数を捕まえられるもんじゃないからなぁ。さっさと売っ払えば、高い投資しないで済むけどなぁ」
まぁ、そうですけど。
と、裕子の声に返すまま、みちよは缶をかなりの速さで空にし始める。
武器屋、ねぇ。
あまり好かないのに、よく口にできたものだ。
感心しながら、裕子は軽く腕組みすると唸りをあげた。
- 144 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月25日(月)23時12分06秒
+ + + + + + + +
- 145 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月25日(月)23時12分59秒
――それで、わざわざこっちに連絡よこして?あたしから出向けって言うの?
面倒くさいと思っているのがアリアリと解る音声にも、仕方ないわねという苦笑が混じっている。
女というには若さを持った、それでも少女と言ってしまうには柔らかい声音。
その声だけが「特殊」だとする者も居るくらいだが、知ったこっちゃない。
「悪いなぁとは思うけど。こっちから行くだけの余裕が無いんで、どうしても」
そう画面の向こうに頭を下げると、「解ったよ。そんなに頼み込まれたら仕方ない」などと微笑ってくれた。
- 146 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月25日(月)23時13分43秒
霊質を制御する手錠。
その比較的新しい型番のものを、「その道のプロ」にお願いすることにしたのだ。
――なんだったら、行動制御の範囲を広げることもできるけど?
今のウチにあるので良かったら、値段の10%で改良請け負うよ。
そう。今通信で相手にしているのは、裕子のゴーグルを改良した武器屋だった。
- 147 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月25日(月)23時15分22秒
彼女は惚れ込んだ相手としか仕事をしない。
奇跡的に接触できたとしても、ムリ難問をふっかけられて、敷居もまたげず終わるだけ。
その腕の確かさ目当てに、仕事を頼みたい輩が下界にはわんさと居ると言うのにだ。
裕子がそんな彼女と接触できたのは、本当に偶然、飲み屋で隣に居合わせたというだけであった。
そんな些細な接触が、稀代の武器屋とこうして対等以上に話し合えるまでになっていた。
出会ってから五年ほどたつが、彼女の外見はまったく変わらない。
巷の流言では、「彼女はリバースだ」と言う説もある。
確かに、昔は「上層」で暮らしていたらしい。
それでも真相は確かめたことがない。
だって、彼女は、彼女だと裕子は思っている。
そう、思えるほどの、仕事のうえで心底惚れ込める相手だった。
- 148 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月25日(月)23時16分12秒
「あー。じゃぁゴーグルの静動化も一緒に頼みたいなぁ」
そのとって付け加えたような言葉に、彼女は渋面を隠さない。
「それはクレームってことだよね?」
と、口を濁すのに、「せやんねぇ」と余裕の笑みを貼り付ける。
「ハイハイ。そういうとこじゃ勝てないってわけだ」
諦めるように声を投げて、
「じゃぁ拘束具の調整して、あと二時間以内にはそっちに邪魔するよ」
――ゴーグルの調整はそっちで直にやるから。
と、彼女は通信を切った。
- 149 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月25日(月)23時17分38秒
- 結局。天使の手錠を換えることにした。
投資をせざるを得ないと思ったのは、どうしてもの原因があってのことだ。
圧迫しすぎた霊質が、背中などに軋みを与えている兆候が見られた。
要は見えない翼を、押さえ込んでしまっているというのだ。
目に、見えないモノは、信じがたい。
ありふれた人間の懐疑心に眉を顰めるのにも、医術師は耳を貸さなかった。
失うか、失わないか。
ここで改善するかしないかで、状況は変わっていくと言う。
病気と一緒です。と、医者よりも親友の顔で言われて無下にはできない。
確かに。
今までの個体より、売却に時間がかかっている。
個体に掛かる疲労は、今までのそれより大きいだろう。
肉による能力は、天使などは非常に低い。
その個体はと言えば、ふれようとすると非常に痛がるので、触診もできない有様。
平家女史が極度に抑えた鎮痛剤を投与して、どうにか収まったように眠ったけれど。
これ以上のムリは、「個体」を損ねることになるとようやく腹を括って。
- 150 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月25日(月)23時18分46秒
――二度も三度も天使なんか捕らえられんちゅぅに!
と、奥歯を噛んでも「痛くない投資」だと諭されたのだ。
痛くない投資。
と、いうことは、その後還元されるモノが莫大だと暗に示している。
……。
その幾度となく繰り返してきた言葉を飲み込むのに、一つ息を吸ってからコクリとうなずいた。
- 151 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月25日(月)23時20分10秒
「つーか、みっちゃーん。そろそろ起きな、あんたの嫌いな武器屋がくんでー」
ガッバ。
と、のんきな声に呼応して、せわしい動きで仮眠をとっていた上掛けが跳ね上がった。
平家みちよ。なによりも、武器は嫌い。な、人間である。
火薬の匂いや刃物の調整で出る金属粉などの匂いも、鼻に障ると言って聞かない。
そのくせ注射とか薬とか平気なくせに。
とは、風邪ひきを診察してもらった武器屋の談だが。
理知などを吹き払ったみちよは、わたわたと起きだして「姐さんひどいわー」と苦々しく吐き出し。
ほうほうのていで、必死に裕子のもとから逃げ帰っていったのだった。
- 152 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月25日(月)23時21分09秒
- 153 名前:堰。 投稿日:2003年08月25日(月)23時28分15秒
- >>136 名無しさん
や。うご…うごぉくの?か?
と、自分で判断がつきません。
なんだか登場人物をしっかり出すだけに終始して、
そこから掘っていくつもりなので。
呆れるような長さになる可能性もありますが、
どうぞお付き合いいただけたらと思います。
- 154 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月26日(火)22時46分00秒
- 155 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月26日(火)22時47分24秒
二時間にも満たずに、彼女は裕子の部屋へ現れた。
蛇足ながら、みちよが帰路について30分も経たないうちだ。
初めてというわけでもないのだが、彼女は部屋の中をくるりと見渡して、軽く息をつく。
どこか猫科を思わせるのは、その印象を決めるような大きな瞳があるからか。
何時も警戒心を忘れない佇まいも、身のこなしに影響を与えているような気がする。
彼女がどうして武器屋なのか、裕子は知らない。
だけれど、その腕や確実な仕入れなどが、信頼に足りることだけは確かだ。
- 156 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月26日(火)22時49分30秒
アナログを好んで使うという部分で共通しているらしいお互い。
最初に出会った夜に武器談義で明かしてしまったくらいで。
――へぇ、こんな重たいのを調整しながら使ってるんだ。
と、懐から取り出した銃に感心して、至極柔らかに微笑んでいたのをおぼえている。
後から、彼女がその界隈…いや、下層で有名な武器屋だと知って思わず昏倒しそうになったくらいだ。
人の手で創られたものは、人の手の中でのみ真価を発揮する。
そういう論を持っているところも、似ていたのかもしれない。
いつの間にか懇意にしてもらうようになり、今は多少のわがままも聞いてくれるようになった。
- 157 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月26日(火)22時52分12秒
「やー、参っちゃったよ。しつこいオヤジが居てさぁ、追い返すのに時間掛かっちゃって」
そう何の気無しに紡いで、荷物をリビングのテーブルの上に置いた。
小さな工具箱と、20センチほどの箱。
箱に関しては厳重な封がとかれており、彼女が開封したのだとすぐに解った。
「こっちが今作業してるから忙しいってのに、聞く耳持たないんだもん」
まったく。
そう呆れる様子を隠さずに、彼女は苦笑まじりに肩を竦める。
どこか攻撃的にも見える静寂の姿勢が一掃され、見た目よりもあどけなさを残しているのだと感づかせる。
どうやって追い返した?
そう暗に表情だけで問いかけると、
「腕力だけが強くても役に立たないのにね」と物騒な答えが返ってきたのだけれど。
- 158 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月26日(火)22時54分08秒
腕輪のレクチャーをしながらも、彼女は手元を休めない。
二本の腕輪。
手錠タイプではないその拘束具は、実のところ最新鋭のものらしい。
裕子はそれを手の中に、こんな進んでいたのか…と最新技術をためつすがめつしている。
カチャカチャと、ゴーグルのグラスや押さえになっている部分を彼女は分解していく。
いつ見てもその手際の鮮やかなのに、横目で感心するけれど。
「人間と同じ程度の質量は保てるようにできるし、ギリギリ人の耐えられる高位まで上げることもできるのね」
そう言いながら、ゴーグル内のチップをピンセットで取り外す。
――あ、これサービスしとくから。
と、思い出したようにつぶやきつつ、彼女は新しいチップを懐の柔らかな樹脂ケースから取り出した。
指先ほどもないそれを、再び細いピンセットでつまむと同じ位置にセットする。
グラス部分につながる位置の接触を合わせて、ズレをなくすとゆっくりと仮留める。
- 159 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月26日(火)22時55分22秒
「一応行動制御は最大値に設定してるから、自分で外せないくらいにしかしてないよ。
両腕は平気で振り回せるくらい大きい範囲だから、相手の対処には気をつけて」
そっと仮留めしたグラスを持ち上げると、メガネを外して自らの顔にあてた。
カフになっている部分に、軽く手を当て、視界を温度、霊質と入れ替えて具合を見る。
「接触等不具合無しと」
そう満足げに確認すると、彼女は先ほどまでと同じ位置にゴーグルを置いた。
再びメガネをかけ、作業を再開する。
チュイン、と急速に回転する音を立てて、極小さなビスが留められていく。
- 160 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月26日(火)22時56分33秒
電動式の簡易ドライバーが、鮮やかに扱われるのに視線を向けて。
「相変わらず綺麗やなぁ」
と、惚れ惚れとつぶやく。
「おだてても値引きしないよ。ここまでサービスしてんだから」
――出張でしょ、内蔵チップの無償交換にー、調整費なんか格安の10%だし。
純粋な感嘆にここまでの言葉を返すのは、彼女がそういう「真心」に慣れていないせいだろうか。
どこか照れたように口元を曖昧に結ぶので、思わず裕子も口元をあげた。
「はいはい。感謝してますって」
くすりと笑うと、「あーもぉ」と照れに負けた声が聞こえた。
- 161 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月26日(火)22時57分54秒
+ + + + + + +
- 162 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月26日(火)23時00分00秒
「あれぇ、なんだ圭ちゃん来てたんだ」
まさに、勝手知ったるなんとやら。
腕に食材をつめたバッグを持って、真里が裕子の自室に乗り込んできた。
武器屋に対してなれなれしいのは、店で働き始めたころから彼女が常連という事実のせいだ。
親が圭ちゃんと呼ぶのに倣って、そのまま呼ぶようになってしまった。
「あぁ?もうそんな時間なんか?」
「そうだよー。もう夜明けなんだけど、今日は雲が厚いみたい」
裕子はデジタル表記されている液晶の時計に目をやり、時間の経過の速さに肩を竦めた。
- 163 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月26日(火)23時02分29秒
「久しぶりだね矢口」
にこやかに笑う手には、裕子が最近手に入れた短身の拳銃があって。
「最近呑みにきてくれないもんねー」
分解され調整されているのだとわかる状況に、真里は常連に宣伝を言いながらも目を輝かせた。
バタバタとテーブルに近づくのに、武器屋は苦笑する。
黒い鋼鉄の塊。
グリップは象牙という、高級品だった。
とは言え、裕子の使っているものよりは遥かに軽いのだけれど。
「もしかしてー?もしかして、もしかして!それ、くれるの?!」
まるで子犬がおもちゃに飛びついてるようだ。
目を細めながら、裕子は軽く頷いた。
矢口とよく話すようになってから、一番最初に強請られたのは「アナログの銃」だった。
物騒だからようやらん。と断り続けていたのだが、彼女の自制心と心でならちゃんと扱ってくれるはずだ。
護身用でもかまわない。
アナログは、そこにあるだけで空気が変わるから。
- 164 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月26日(火)23時05分57秒
「あぁ。いっつも勝手に世話焼いてもらってるしなぁ」
そのはしゃぎように微苦笑しながら、裕子はゆっくりと立ち上がるとキッチンへ向かった。
勝手ってのはなんだよぅ!と抗議も聞こえるが、可愛いものだ。
冷蔵庫から柑橘の果汁を取り出すと、グラスになみなみ注いで舞い戻る。
矢口は武器屋の扱いを見ながら、手入れを軽くレクチャーされていた。
「護身用ならオヤジさんが電銃くれたでしょうに。なんでいまさらアナログなん?」
前々から不思議に思っていたので、素直に疑問をぶつけると、矢口はどこかしら懐かしむように目を細めた。
「んー。まぁ、憧れかなぁ」
――昔一度だけ持たせてもらった事があるんだけど、それから、ね。
へぇ、持ったことがあるだなんて初耳だ。
どことなく子供の憧れと、別の憧憬を持っているようで裕子も目を細める。
勧められた果汁を口に含んで一息をつくと、真里は気合を入れなおしてキッチンへ向かう。
「そうだ、圭ちゃんも食べていくよね?」
そう問われて、武器屋…保田圭はかるく「あー、食材が足りるんだったら」と微笑んだ。
- 165 名前:堕ちる翼 投稿日:2003年08月26日(火)23時07分06秒
- 166 名前:堰。 投稿日:2003年08月26日(火)23時08分58秒
- 更新しました。
地味ーにでも進んでますよ。
ってことで更新age。
- 167 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月27日(水)22時55分59秒
- とっても面白いです。
圭ちゃんの役割に納得。読んでみれば確かにぴったりですね。
いいなぁ。
- 168 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/09/16(火) 23:27
-
- 169 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/09/16(火) 23:28
-
「で、結局天使さんは調子わるいんだ」
今日は朝からオムレツだ。
真里がおやじさんの特性野菜のソースを一緒に持ってきてくれたので、そのまま店の味で食べられる。
ものすごい豪華に思えるが、たまにはいいだろう。
ぱくつきながら真里が言うのに、圭も興味があるのか裕子に視線を向ける。
説明は義務だろう。
裕子は前髪をかきあげて、フォークをかるく指でもてあそんだ。
「あぁ、まぁ、保存状態にもよるやん?ああいうのの値段ちゅーのは」
それは周知の事実なので、二人はこくりとうなずいた。
- 170 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/09/16(火) 23:29
- 「で、天使は本来翼の出し入れ自由らしいのな。それを抑圧するのは良くないって言うんです」
かくかくしかじか。
きっちりと理由を述べると、ある程度の知識があるのか圭は軽くうなずく。
「ちゃんと交換するのに、古いやつと一緒に新しいのつけないとダメだよ?
それから古いやつ外さないと、霊質まともにぶつけられるからね」
――それで発狂した学者は何人も居るんだから。
あぁ、せやんねぇ。
頭の中にあっても、口にしなければ形にはならない。
ちゃんと頭へ状況を思い浮かべて、裕子は納得する。
「ちゃんと覚えておきます」
と神妙に軽く頭を垂れた。
- 171 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/09/16(火) 23:30
-
「そう言えばさ、裕ちゃん。食事のことわかった?」
と、ものすごい好奇心に満ちた視線をするのに、裕子は矢口だけに視線をうつす。
「たいがいのものは食べられるらしい」
――犬猫みたいに、タマネギがだめとか無いみたいよ。
あ、そうなんだ。
どことなく嬉しそうな顔のこと。
きっと、なにを食べさせようか楽しみで仕方が無いんだろう。
「あまり妙なもの与えるなよ?買取人には白紙の状態でわたさなあかん」
釘を刺すのには良い子の顔で、矢口はしっかりとうなずくだけだった。
- 172 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/09/16(火) 23:32
-
そうして食後。
酸雨の注意報が出たために、武器屋は慌てて家路についていた。
幌の無いジープに乗っているほうが悪いと微笑われても、「好きだからいいんだよ!」と肩を怒らせて笑っていたか。
あの雲の張り具合だと、注意報は間を置かずに警報に変わるだろう。
仕方なし。
帰るのにも、酸雨に濡れるよりは遅くなったほうがマシだ。
非番なのもあって、居座ることを決めた真里は、天使のためだけに食事を拵えた。
なんでも食べれるって言うけど、味はちゃんとわかるのかなぁ。
こんなことだったら、果物も持ってくるんだったよぉ。
そう、空っぽに近い冷蔵庫の前で頭を抱えて座り込んだ。
- 173 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/09/16(火) 23:33
-
+ + + + + +
- 174 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/09/16(火) 23:35
-
それから30分。
「ほら。取り替えるぞ」
裕子が天使の細い腕をとって、強引に腕輪をつけている。
元々力が弱いのはあるが、抵抗しようにも力が入らないらしい。
調子の悪いのが見え透いている、どこか熱っぽい顔からよくわかる。
見た目に明らかな疲労を浮かべているのに、二度目の矢口は軽く眉を下げた。
やっぱりどうしても、可愛い女の子にしか見えないもの。
きゅぅっと絞るような喉の音をたてて、天使はおびえるような目をして。
また「抑え込まれる」のだと解るのか、弱い力で裕子の肩を幾度か叩いてみせる。
参ったなぁと思っていたら、いつのまにか交換は終わっていた。
腕輪を見ながら、数値の安定を示すグリーンの小さなランプに、ほっとした息をついていのが解った。
これで、書面と例題どおりに行けば、天使の体調は安定するはずだ。
数値は人間並みに押さえ込まれている。
大丈夫。
きっと。
- 175 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/09/16(火) 23:37
-
「ほら矢口、食事取らせるんやったら下に置いてやらんと」
あ?あぁ、そっか。
思わず考えにふけっていた真里に、裕子は一瞬呆れた顔をする。
「つーか、相変わらず逃げようともしないなぁお前」
その意味合いがわかるのかどうか、きょんと裕子の顔を見上げる天使は、さっきより幾分楽そうだ。
「ほら、いつもよりたぶんマシな食事だからな。安心して食べな」
自嘲気味に軽く笑うと、矢口がトレイを置くのを見つめる。
天使はといえば、矢口の顔をじっと見やって、それからいつもと毛色の違う食事にじっと視線を落とした。
「シリアルもわかんないかなぁ。まぁ、こうして食べるんだけど」
無糖シリアルの上にヨーグルトをかけて、スプーンで一口分掬ってやる。
一緒に乗っているのは、細かく刻んだ保存用のドライフルーツと、どうにか見つけた無事な果物。
これを食べるのか。
と、ちょっとばかり見やってから、天使はおずおずとそれを口にした。
- 176 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/09/16(火) 23:39
-
シャリシャリとシリアルの咀嚼される軽い音が零れる。
こくりと飲み下すのを見て、ようやく二人はほっとした顔をした。
「ちゃんと食べてくれそうだ」
にこりと笑う矢口に、瞳を瞬かせる天使。
まるで、生き物としての壁が無ければ、子供同士が友達を求めて話しかけてる絵に見えるだろう。
裕子は少しばかり息苦しくなって、シャツのボタンを二つほど外した。
そうしてバツの悪さにいたたまれなくなり、息を吐き出す。
「あまり実害なさそうだし、上に行って来るけど食事見ててもらっていいか?」
へ?へ?天使と二人きり?
……。あまり見つめたりしてると、実害あるんじゃなかったのかよう。
とは思うが、好奇心にも勝てない。
「いいよ。矢口にまかせて」
そういつもより自信を多めに見積もると、裕子は「申し訳ない」と苦笑交じりに逃げていった。
- 177 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/09/16(火) 23:42
-
天使はシャリシャリとシリアルを食し続けている。
が、スプーンの使い方がイマイチなので、少々飛ばしたりどうしたりと大変だ。
要は子供握りなんだな。
矢口は子供をみるように微笑んで、スプーンを止めさせた。
「こう持つんだよ」と握りを変えてやると、どこか納得したように天使が…。
軽く微笑んだ。
え?
今までにない表情の変化。
まるでそこには花が咲いたような、そんな空気のほころび。
状況をとらえきれない矢口の目の前で、ふわりと世界が舞った気がした。
- 178 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/09/16(火) 23:43
-
――ありがとう。道理で食べにくい。
どこか不思議なやわらかさと、芯のような低さを持ち合わせた、メゾの声。
え?えぇ?!うヱェ――――――!?
思わず声も出ないまま、天使の表情を凝視する。
どこか悪戯なアーモンドの瞳。
きょんとした目には純粋な力が満ちており、確かに、人とは違う魅力と思える部分が多く感じられる。
――少し力を解放してくれたから、やっと。
本当に疲れた。
と軽く肩を竦める姿は、人間と代わりが無い。
けど、しゃべっているその口は寸分も動かない。
「ど……、どど、どうして?」
矢口の声に天使は軽く吐息をつくと、幾分情け無さそうに眉を下げてみせた。
- 179 名前:堰。 投稿日:2003/09/16(火) 23:47
- >>167 名無しさん
圭ちゃんの役割。
穏やかそうに見えますが、沢山の隠し球があります。
必死に書き上げることを目標としてますが、追いつきますかどうか。
よろしくお付き合いください。
と、言うわけで久々の更新でした。ふんがくく。
- 180 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/10/02(木) 00:08
-
- 181 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/10/02(木) 00:13
-
――アナタと通じたのは、私を知ろうとしてくれたから。
そう確かに蓄積されている疲労と、遣る瀬の無い笑顔を浮かべて天使はつぶやく。
呆然と見ていることしかできない矢口に対して、天使は軽く噛み砕いて、物事を示してくれた。
知ろうとする気持ちは、興味という媒体が生まれた証。
その媒体を通して、天使は人に語りかけることができるのだそうだ。
裏を返せば、興味という媒体が無ければ語りかけることすらできない。
端的に言えば、信仰の無い者に感じる力が無いのと近いと言う。
道理、彼女を「商品としてでしか取り扱えない」裕子は、天使というモノへの「興味が薄い」ために、媒体が生まれないと言う。
話しかけることもできない。
分かり合うこともないというわけだ。
- 182 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/10/02(木) 00:17
-
そ、そっか。そうなんだ。そうだったんだ…。
ようやく納得する真里に、天使はほっとしたような顔で言う。
――天使の証。見てみたい?
初めて「普通」に接触できた人間だからだろうか、彼女は穏やかな表情で問うた。
羽根。
翼。
人間には有り得ない器官。
こくりと息を飲み下すと、興味から視線が外せなくなる。
まるで、初めて誰かの愛に触れるように。
その沈黙と凝視を「是」と取ったのか、軽い息をついて天使は笑った。
- 183 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/10/02(木) 00:19
-
――いつもより美味しい食事のお礼。と言えば、正解かな。
と、「本当にかわいらしい人間の少女」のような笑みを浮かべて、彼女はスプーンをトレイに置いた。
そろそろと毛布を体からはがして、例のワンピース姿になる。
ふわり。
そう、一気に空気が変わった気がした。
極端に「あたたかい」と感じる、ぬくもりのようなものが小さな牢屋に満ちていく。
楽園の花の香。
勇気を呼び覚ます歌。
遥か世界の原初から、導き出されてきた人間の「力」の、さし指になってきたその実体。
あぁ。と、思う。
これは、人間がじかに触れてはいけないモノだ。
しかし、もうこの近さでは逃れることなどできない。
確かに。
このぬくもりに触れてしまうと、人は自分の小ささを感じずにはいられないだろう。
なんて、なんて大きな――。
- 184 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/10/02(木) 00:20
-
ふわりふわり。
雪が降るように、小さな羽毛の先端が零れ落ちる。
天使の体を包むには、あまりに大きな二枚の羽根。
さわ。と、その翼がゆるやかに一度はばたきをうった。
空気の流れに包まれて、真里はその光景をただただ呆然と見詰めることしか出来ない。
――さ。もう手品はお終い。
などと、まるで騙したかのような言い口で、再び天使はスプーンを手に取った。
今度はもう間違えては持たない。
なれてきたのか、流麗な動作で、口に運ぶのも確実だ。
ぱちくりと目を瞬かせる真里は、数瞬遅れて現実へ戻ってきた。
周りをかるく見渡しても、羽毛の産毛やダウンなどは落ちていない。
「手品…?ゆめ……?」
まるで現実も痛みすらもなくしてしまうような数瞬前の記憶に、愕然としながら視線は動かせない。
ただ目の前には、天使がシリアルを頬張る姿だけが存在している。
- 185 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/10/02(木) 00:22
-
黙々と、黙々と。
なんで黙ってしまったのか、不可思議に眉を寄せた瞬間。
カツカツと上階から階段を下ってくる足音が聞こえたのだった。
天使というのは感覚も優れているらしい。
裕子が戻ってくるの解ったんだ。
そう感心する。
「別段なにも無かったみたいやんな」
そう穏やかに微笑むのに、真里は必死になって一つうなずくと、片付いた器などをそろそろと片付けた。
こぼしてしまったものも拭きとって、ダストボックスに放る。
「そうだ。調子はどうなんだ?羽根くらい出せるのか?」
すいと腰を低くすると、天使はこくりとうなずいた。
――出せますよ、驚くくらいにも、納得するくらいにもね。
そう、裕子に対して毒づいているのに、思わず面を食らいそうになる。
本当に目の前の裕子には聞こえていないらしいし。
そうこうしないうちに。
ふわり。
そう、さっきの微力にも満たない空気が流れて、背中にちまりとした羽根が現れた。
- 186 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/10/02(木) 00:29
-
まるで先ほどの夢幻とかけはなれた、体より小さな小鳥のようなそれに裕子も真里も呆然とする。
思っていたよりか弱いと感じたのだろう感覚が、ありありと見て取れる。
「まぁ、程度はあるんやろうなぁ」
得心してしまっているらしい裕子の心には、本当に天使の言葉は響いていないらしい。
「これで調子が良くなってくれるなら、まぁいいことなんでしょう」
顔色はいいほうやんな――。
と、値段を考えて無理やり納得しているのに、真里はかるく口元を押さえた。
笑いたいけど我慢ガマン。
ばれちゃいけない。
ばらしちゃいけない。
心の奥底から思う、責任のように真里は思う。
きっと裕子が気付けば懐柔されたとか言われるだろうけど。
ひどい目にはあわせたくない。
短い時間でもそう思う。
- 187 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/10/02(木) 00:30
-
笑いをこらえきった矢口に、ひとしきりの点検を終えた裕子が振り返った。
「さ。矢口、あんた少し寝なさいよ。仕事後なのに一睡もしとらんやろ」
「それなら裕ちゃんだってちゃんと寝なよ。肌に悪いよ」
そうだ。お互いに徹夜だったんじゃん。
表情を見やって、お互いに肩を竦める。
「したら、矢口ベッド使い?裕ちゃんソファーでいいから」
そう部屋の出口に向かうのに、今日の観察が終わることを知る。
急かされるほど気にかけるのも、裕子に訝しがられてしまう。
仕方なく倣うように進んで部屋のドアをくぐる前に、矢口は一度だけ振り返った。
――またね。やぐちさん。
いつものような無表情さとはかけ離れた優しい声音で、天使は静かに視線を細めた。
- 188 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/10/02(木) 00:31
-
- 189 名前:名無し読者 投稿日:2003/10/13(月) 00:44
- 面白い作品ですね。これからの展開にも期待してます。
- 190 名前:名無し読者 投稿日:2003/10/31(金) 12:42
- やべえ、まじおもろい。
- 191 名前:堰。 投稿日:2003/10/31(金) 23:13
- 生存報告とも言う言い訳。
もうそろそろ一ヶ月になるのですが、
ちょっと書き込むタイミングを逃し続けています。
月の頭から個人的に(精神的にも肉体的にも)短い旅へ出るので、
それが終わって…、7日までには一度更新できるかと思われます。
189 名無しさん
190 名無しさん
どうもありがとうございます。
面白いといい続けていただけるように、
抜かりなく取りこぼし無くと、
慎重になりすぎてるのかもしれません。
もう少々お待ち下さい。
今後ともよろしくお願いいたします。平に平に。
- 192 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/08(土) 22:33
-
- 193 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/08(土) 22:35
-
濡れるような夜のしじま。
矢口の様子がおかしいと感じ始めたのは、自室で一服してから階下へ戻ったあとのこと。
妙にそわそわしているのが表になっているのを、いぶかしむことなく見つめていたのだけれど。
何が切ないって、「気づいていないことに安心している矢口」が居て、そのことが自分を軽く苦しめる。
いつものように振舞う少女が、「隠し立て」をしなければいけないと感じている。
その空気が痛かった。
自分が、どう反応するのか解らないから。
だから、どこか心配してあんな風なのだろう。
きっと、激昂するとでも思ってるんだ。
や。あながち間違えではないので、どうしようもないが。
- 194 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/08(土) 22:38
-
矢口は眠っている。
自分のベッドの中で、無防備に、子供のように。
今日も彼女は時間になれば出て行って、いつもの顔で店に立つのだろう。
確かめるか?
そう、ソファーに仰向けになったまま、天井をみやりながら思う。
でも、何を?
くっと口元を引き締めるのに、髪をかきあげる。
砂漠色の髪。
指の隙間を流れ落ちる様が、その表情を否応なしに飾り立てることを彼女は知らない。
うっすらと零れる息には、憂いの色がついている。
――眠ったままでもしゃぁないか。
そうっと、狩をするときのような…仕事用にまで気配を落とした。
- 195 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/08(土) 22:44
-
別段どこかの部隊に所属したわけでもないのだが、裕子のセンスというのは下層では別格のようだった。
スゥと凪ぐ空気は、彼女の気配だけを世界から分断していく。
ゆっくりと物音をたてずに体を起こすと、ちゃちゃっと携帯端末を取り上げて階下へ向かう。
音は立たない。
部屋の中にある気配は、揺るがない。
まるで裕子だけを失ってしまったように、凪いだままになっている。
二階の入り口を解除し、そっと体を滑り込ませたあと、裕子は内側からそれを閉じた。
悪いけど出かけるわ。気をつけて帰り――?
そう、偽装通信をして、携帯端末の電源を落とす。
電波の届かない場所に居ると思えば、素直に諦めてくれるだろう。
矢口には悪いが、今だけは騙されてほしいと思う。
傷をつけるとか、どうとか言う問題じゃなくて。
理解はしてもらえないだろう。
獲物は、獲物でしかない。
たまたま、今回人の形をしているだけなのだ。
だから、情が湧きやすいだけなのだと――。
重ねて思うのに、自身に暗示をかけていることを思考からおいやった。
- 196 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/08(土) 22:48
-
外はいつのまにか雨は上がっていたが、雲の暑さは相変わらず。
分厚い雲を通した光は、灰の色を帯びた鈍さを窓辺に差し込む。
障壁を取り除き、ゆっくりと足を進めるのに、視線だけが持ち上がった。
ゆらり。
あの夜のような、黒曜石の瞳が裕子の姿を映している。
血塗られた脚。
咲き誇る、手折られた花。
見下げた自分。
見上げた…天使。
「お前…何をした?」
矢口が何かを隠すような理由があるとすれば、目の前の天使に関することだけのはず。
じっと、何かを言いたそうに唇を曖昧にするが、天使からそれ以上の思惟はなにも見えない。
伝わらない。
静かな呼気だけが部屋にあって、その不自然なまでの静寂が痛い。
- 197 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/08(土) 22:51
-
「何をした?」と言われれば、別段何もしていない。
ただ自分が本当に天使であるという証拠を、「矢口」と呼ばれた少女に見せただけにすぎない。
天使は思うままに、ゆっくりと首を横に振った。
ただ、本当にそれだけだ。
しかし。目の前の相手に伝える術はない。
相手が自分を「物質」としてみているのが、ありありとわかる。
いつものような明かりのない、暗い部屋の中。
まるで、あの夜のようだ。
相変わらず「裕ちゃん」と呼ばれる彼女の空気は硬質で、いかなる隙も感じさせない。
見上げる視線の中で、彼女はやはり、空間の王のようである。
人のうちにも、このような顔をする者が居るのだなぁと、すぅっと表情は引き締まる。
自分のここに降りてきた命題は、なるほど、深くそして果ての無いように思えてくる。
人を知ることの一端だけでは、ダメなのだろう。
だからこそ、こうして……。
こうして……自分は……。
思考をめぐらせる天使の視線のうちで、裕子の表情は苛立たしげに変調していく。
- 198 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/08(土) 22:55
-
「答えることができないのに、矢口の態度は変化するのか?
お前が何かしたから調子が狂ったんだろ?」
なにを、どうした。
問われてもあなたには「応えられない」と言うのに――。
遣りようの無い疑問と答えに、天使は軽く口元を曲げる。
「何をしたと、聞いてるんだ」
ギリ。っと、相手の奥歯がかみ締められた。
それに付随して硬くなる頬は、表情をきゅっと引き締めてこわばらせる。
確かに暴発しそうだと思う。
ならば、意思の伝達手段としての選択肢をあげるほかない。
見せる――?
先刻の、あの力の具現を?
信じることもしない、この女に見せてしまって大丈夫だろうか。
天使が惑うのも無理は無い。
恐れを持たない者が畏れに直面した場合、行動は二分化される。
無力にとらわれ絶望する者、恐慌から腕を振るう者。
見極めはつかない。
どちらであれ、天使は次の行動を起こす術を持っていないのだ。
腕輪の効力がどこまでを抑えているのかもわからない。
- 199 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/08(土) 22:57
-
目の前の女が、どちらに属するのかもわからない。
もしかすると、どちらにも属さないかもしれない。
すっと、黒曜石の視線を凝らす。
いつも胸元に用意している黒い仰々しい物体は見当たらない。
今何もできない天使の体には、物理攻撃でさえも致命傷だから。
二極化される反応がどちらであるにしろ、覚悟は必要なのかもしれない。
天使は唇を軽く湿して。
未だ寸分も視線を逸らすこともなく凝視している、砂漠色の捕縛師を見上げた。
- 200 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/08(土) 23:02
-
次の瞬間。
裕子が目の当たりにしたのは、信じられない光景だった。
確かに。
百年前の旧世界の人間は、目に見える物質に囲まれて生きていたのだ。
この不可思議を目の当たりにして飲み込める者は少なかっただろう。
仮にこれを奇跡と呼ぶなら、そう信じることはできるはずだ。
ゆっくりと、今まで自ら立ち上がることをしなかった天使が足を立たせる。
と、途端、ふわりと空気が舞ったように思えた。
その周囲に何かの粒子があるのなら。
例えれば、その粒子が立ち上がることを歓迎するように踊るのだ。
それこそが祝福。
それこそが誉。
濃密なあたたかさ。
その心地よさ――。
こくりと捕縛師の喉が鳴る。
- 201 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/08(土) 23:05
-
神などいらない。
そう、裕子はずっと思ってきた。
ただただ、人の生きている世界に干渉する手など、不必要だと感じていた。
ささやかな努力すらも打ち砕き、人の希望をねじ伏せる。
神はそういう存在でしかないと。
そう心の奥底に刻みつけていたのに。
しかし。
目の前の、コレはなんだ――――?
裕子の両腕を伸ばしてもなお余る、純白の翼。
ただ天を行く鳥ならば実用性に欠けるほどのそれは、完璧なバランスで人型をした体に添えられている。
ゆるやかな羽ばたきを持つ、穢れの無い白。
まるで、何者の侵入をも拒むような、極北の雪原を思わせる煌きの白。
そうして、知る。
先ほどの、小さな翼が「嘘」だったコトを。
もっともっと、強大な力が、その体の中に眠っていることを。
- 202 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/08(土) 23:08
-
白いダウンがはらはらと。
まるで雪のように舞い落ちては、足元で音もたてず消えていく。
裕子はギチリと奥歯を噛み鳴らし、眉を曲げた。
冒涜だと、そう感じた。
力量を測らせないという自己保身だと、たしかに心の内では理解しているのに。
その「嘘」が人間への冒涜に感じられた。
天使と言う生き物は、嘘や騙しがきかないはずなのに。
神の使徒だと言うのなら、なおさらのはずなのに――!
人々が、治せない病に悩んでいる世界で。
人々が、毎日。自らの行方さえ知れずに迷っている世界で。
吐息さえも、重くアスファルトに突き刺さる日々で。
コレと同じ生き物は、世界のどこかに存在していて。
このヨドンダ世界を。
這い蹲る者をせせら笑っているのだ。
これ以上の何かが、世界を笑っているのだ。
- 203 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/08(土) 23:11
-
吐き気がする。
あまりの怒りに神経が昂り始める。
眩暈のように血がまわり、耳の奥にィインと不可思議な音が鳴り響く。
今までに幾度か覚えたことのある、無責任な怒りの音。
神経が全て、その一点へ集中していく音。
脳裏では解っている。
怒りをぶつけるべき対象は、コレではないのだと。
しかし。
目の前のコレは、怒りをぶつけるべき対象に、連なったものなのだ。
発火点に達した感情は、一斉に全ての器官へと全力の運動を許可する。
この綺麗な生き物を、穢したなら。
このヨドンダ世界の色に染めてしまったら。
それで満足するだろうか――。
こくりと息を飲む瞬間、血中に回った思考がこの上ない嫌悪感を呼び覚ました。
- 204 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/08(土) 23:16
-
ふと、自分の中で怖気のたつような選択肢が浮かんだのだ。
背筋が凍る。
一番。自らが一番、侮辱し忌み嫌う人間と同じ選択肢を思いついたことに、吐き気があがってくる。
しかし。
その選択肢があながち間違えでもないように思えて、脳の奥で唸る音がその音量を上げた。
単純に考える。
自分が死んだ後の世界なら怖くない。
生きている間に加えられる加虐ならば、たかが知れている。
度が過ぎたなら、死ぬだけだ。
加える側なら、殺すだけだ。
怖くない。
こわくなんてない。
畏れるものなんかない。
「バカにしやがって」
そう喉の奥から声を搾り出して、腕を伸ばす。
バカにしやがって――。
天使の細い首は、裕子の手にもたやすく収まるほど華奢。
- 205 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/08(土) 23:19
-
怯える目を隠さない目の前の生き物が、じっとこちらを凝視している。
確かに、瞳は怯えている。
だけど、視線は逸らされない。
黒曜石の艶。
深い、深い夜の色。
知らずの内に、人の弱さを暴くような眼。
その色におぼれそうになって、弱くかぶりを振る。
「天使のくせに、人を騙しやがって…」
ギリ。と、指先がこわばる。
細い喉。
オカシナ話、締め付ける指先には頚動脈の拍動が触れる。
器官がまるで人間と同じみたいじゃないか。
これじゃまるで、人殺しみたいじゃないか――。
「何が遣いだ。何が、何が……」
あえぐように息を吸い込み、唸るように声を紡ぎだす。
- 206 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/08(土) 23:22
-
呼吸が追いつかなくなったのか、くっと天使の口元がこわばる。
その光景を思考の奥でぼんやりと見ながら、壁に放りやった。
血流の激しさに体と思考が分断されている気さえする。
背中の突き当たる音をたて、そのままズルズルと小さな体がくず折れた。
バカバカしい!
衝撃程度で消える翼が、人間に畏怖をもたらすという事実も!
こんな生き物のために、全てが無くなったという史実も!
全てがバカバカしい。
空しいだけじゃないか。
そんなの。そんなの。
くず折れた体を、足から床に引き倒す。
指先が熱い。
髪を掴み、床に押し付ける。
指先が痛い。
「抵抗くらいしてみせろ!」
怒鳴りつける声が、部屋の中に霞んで消えていく。
あからさまな「暴力」という形。
そんなふうに何かに腕を振るうだなんて、一生ないことだと思っていた――。
- 207 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/08(土) 23:45
-
鳴る喉の高い音。
抵抗の腕すらも弱すぎて、なんだか暗い笑いが零れてくる。
この程度のものに、人間は屈し続けている。
もともと腕力のない存在。
ねじ伏せるのに怖いのは、霊的な力だけ。
肩を打つ手を強引にねじ上げて、頭の上にとめる。
ハァ。という呼気の深さ。
引き倒したままの脚に沿う、スカートの裾の乱れ。
行為がどこに向かうのかは、理解しているようだった。
ぷつ。っと、触れた指先に痛みがはしった気がする。
まるで小さな動物が弱弱しい声をあげるように、鳴らされている喉。
その音声にたぶらかされているのか、痛みすらわからずに指先をすすめる。
さわり。と動く手に、ちいさな痛み。
なんだ?
なんなんだ?
そう思う脳裏に、微かな映像が混じった。
――…ちゃ…ん。
混じった映像を脳が認識するまえに、嘘だと即却下する。
こんなのは嘘だ。幻だ。
だって、あれは、もう……。
一瞬の隙をついて、声は裕子を包み始める。
まるで指先が触れるたびに、真綿にうずもれていくようだと。
そう思った。
- 208 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/08(土) 23:48
-
どうして、こんな哀しい目をしているのだろう。
泣きそうな顔で、怒声を吐き出している姿は、目に不思議だった。
失礼がわかって加えるならば、滑稽と評して相違ない姿だと感じた。
人間の深い部分から現れる、言葉の奔流。
解せないモノへの疑問。
自らの行動への嘲笑。
触れたならすぐに破れてあふれ出しそうな、気持ちの渦。
彼女がとる行動が、人間が時折でも支配を誇示するために行う邪道だとわかっていて。
それでも力で抵抗などできない自分も、解っていた。
だから。
なるようにしか、ならないのだと覚悟を決めていたのだけれど。
しかし。
その手が途中で止まったことに、訝しさをおぼえて顔を上げた。
腕も何もかもが停止しているのを感じて、たくし上げられた衣服をパタパタとなおして。
そうして、自らの本質が、直接相手に触れていたのだとようやく悟った。
- 209 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/08(土) 23:52
-
人の手でつくられた「腕環」は確かに体に障るものだが、本質には作用しないのだ。
抑えるものは霊質とその特殊性。
もとより備わった本質を抑える術までは持たないようだ。
技術という、うぬぼれの証拠だろう。
天使には「名」など無い。
しかし、便宜上の通り名であったりをお互いにつけることもある。
その場合、名は力を体している。
力は、名へと冠される。
彼女は、人の核心を呼ばわる声、そのもの。
同じ大きな力の中に存在していたほかのモノは、この力のことをこう呼んだ。
「汝が罪を呼ばわる者」
心の奥底に蓄積された罪を独白せざるを得ないような。
そんな気持ちにさせる純潔がそれに満ちているという表れ。
その名の通り。
攻撃性を含んだ一指一指が触れるたびに。
目の前の女の中から告悔を痛みを引きずり出していたのだ。
- 210 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/08(土) 23:55
-
なんて皮肉な結果だろう。
そう、思わず視線を哀しげに細める。
自らの重ねてきた罪の重さに、人間は壊れていく。
何か、自らの内に重ねているものが多ければ多いほど、人は壊れやすくなっていく。
この女も例外ではないだろう。
まるで神経が切れたように力をなくしている、その髪に触れる。
そこから伝わる思惟は、迷子の子供のそれ。
奪われていったもの。
無くしてしまったもの。
沢山の後悔や、息苦しさが満ちている。
闇夜の王のような、この人間も、単純に人間なのだ。
ぴくり。と、指先が動いたのを感じて、視線を落とした。
「…ってに、いじ……るな」
苦悶に満ちた声が、喉から絞り出された。
息は浅く、呼吸のリズムはどこか狂っている。
――勝手にいじったわけではないのに。
そう思いながら、意識を失ったわけではなかった女の髪に手を添える。
「勝手やん…」
どこか虚ろに口にのぼらせるのに、彼女が違う層を漂っているのだと感じた。
きっと。今、彼女は夢の中に居ると感じているだろう。
でなかったら、会話になどならずに自分をなじっているはずだから。
――本当に皮肉。こうでもしないと、通じなかったのだから。
すっと吐息をつきながら、全てのコトに及ばなかった加暴力者を撫でた。
つくづく、この天使は慈悲の生き物のようだった。
- 211 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/08(土) 23:58
-
「な…ん」
違う層を漂いながらも、女の口に上る疑問符。
――触れることで、否が応でも私を知ることに繋がったのでしょう。
呆れるようにつぶやいて、天使はくず折れる女の体を翼で包み込む。
――対等に扱う興味が無ければ、意思が通じないのだから。
「…れで、…か」
けんな――。
うわごとのように呟いて、ぱたりと指先が落ちる。
最後の最後に、ふざけんな。
とは、なんだかこの女らしいなぁと思う。
どうやら、この個体は完全に壊れそうも無い。
どこまでタフにできているのだろう。
思わず尊敬しそうになる。
次に目が覚めたときには、言葉はちゃんと伝わるだろうか。
下敷きになっている脚を動かさず、そっと壁に背を預けた。
- 212 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/08(土) 23:58
-
- 213 名前:堰。 投稿日:2003/11/09(日) 00:01
- お待たせしました。レッツゴー大量更新でした。
次回の更新は少しばかりトリッキーな時間軸になりますが、
そんな難しいもんでもないのでゆったりご覧ください。
たーぶん、あまりお待たせすることはないと思いますので。
でわでわ。コンゴトモヨロシク。
- 214 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/12(水) 22:57
-
+ + + + + +
- 215 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/12(水) 22:58
-
弾丸が貫いたその痕に、周囲に潜んでいた吸血虫が一斉に地面から這い出した。
生きるために打ち抜いた獣の体へ、その数多くの脚が向かい、キチャキチャと羽を鳴らす。
返り血が無かったのが幸いだろう。
もしこれで返り血を浴びていたなら、こちらにも凶虫は襲い掛かってきたはずだから。
横浜から、渋谷。
障害物や遮蔽物のない、だだっぴろい荒野と砂漠。
そうして、理解不能な活動力を取りもどした、罠のような樹林。
その荒廃した世界で、裕子は死に物狂いでバイクを走らせていた。
- 216 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/12(水) 22:59
- 裕子のバイクに積まれた荷物は、亜種の蛇が持つ毒への血清。
横浜に今も上層とつながりを絶っていない病院が一軒。
そこにあった血清が、この荷物を待つ者の命綱だった。
待っているのは依頼主とかではない。
自ら、この荷物を取りに走り、届けに戻っているのだ。
自分の、希望のために。
同じ職において、敬愛できる年下の少女のために――。
- 217 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/12(水) 23:00
-
失いたくない。
――ずっと、ずっとそう思ってた。
- 218 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/12(水) 23:02
-
「邪魔しやがって」
チ。っと豪快に舌打ちをしながら、クラッチとアクセルを操る。
こんなことなら、上に顔の利く人間から、ディアブロでも買っておくんだった。
ギアをあげ比較的舗装の聞いた「文明の名残」をたどってはいるが、所々分断された荒地が高速の進行をさえぎる。
ザンと段差に跳ね上がるバイクを制御し、着地前にギアを操る。
ぐっと地を食むタイヤに、奥歯をかみ締めて耐えてみせるとそのまま突き進んだ。
旧世界の頃はわざわざこういう荒野を行くレースもあったらしい。
が、今は物好きでもそんなコトはしない。
残りの目算で通常20分かかるところを、いかにショートカットするかが腕の見せ所。
それをしてみせなければ、もう、危うい。
- 219 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/12(水) 23:04
-
待っててな――。
「裕ちゃん必ず帰るからな」
この手で、その命を守る。
必ず。
かならず。
その声は宣誓だった。
その言葉は希望だった。
その感情は――――
- 220 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/12(水) 23:06
-
――勝手に…いじるな……。
ポツリ。と、唇から零れていく言葉。
触れていくたびに熱いと思った指先が、すぐさま針を突き刺すような痛みに変わっていった。
心は、記憶を忠実に呼び覚まして、痛みを全身に奔らせた。
じゃなきゃ、あんな声が聞こえるはずがない。
どこまでバカにすりゃぁ気が済むんだか。
と、思わず心の内で毒づく。
――人の痛みを、普通の顔で取り出しやがって。
そう、かつての自分の姿を上から見下ろしながら、切なさに目を細める。
- 221 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/12(水) 23:08
-
もう10年以上も昔の話だ。
自分はまだ単なる運び屋で、その確実さから名を上げ始めた頃だった。
若いのに。
女なのに。
えらいねぇ。
感心するよ。
生きていくのに男も女もないと思うが、人々の口から賞賛を引き出すのは快感に等しかった。
だけど。
この記憶の件で、運び屋は辞めた。
そう。大事な人を、自分の手で殺してしまったから。
- 222 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/12(水) 23:09
-
結果なら一言だけ。
間に合わなかった。
いや。時間的には完全なる余裕がそこにはあったはずだ。
だけど。
それも空しく終わってしまった。
少女の体が、もたなかった――。
- 223 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/12(水) 23:13
-
戻ったときに待っていたのは、みちよと、その父親代わりだった医術師の紳士。
そして。
肌の色を失った、遺体だった。
激しく血を吐いたらしいが、口元もきちりと拭われていて。
見た目には横たわる人形のようだった。
美しい、穏やかな眠りのようだった……。
だけど。すがり付いてもどうしても、目は覚めない。
「どうやら今日倒れるまで、回数を起こしていた発作を隠していたらしいんだ」
――進行性の肺の病をね。抱えていたよ。ここに影があるだろう。
そうフィルムを指し示しながら、医術師はかぶりを横に振った。
医師は目の前の遺体になってしまった少女とは初対面で、たんなる患者としてそれを見ているようだった。
「今回の生物毒は引き金にすぎなかったんだよ」
――キミはよく走った。キミが悔いることは何も無い…。
その声が自分の嗚咽の奥で微かな韻律を保つのを、まるで音楽のように聞いた。
- 224 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/12(水) 23:17
-
こうして。
裕子は、同業者だった最愛の友人を失った。
今ならば医術師の言葉も理解できる。
ただただ、その後悔が、自分の中の罪として扉の奥底に仕舞われていた。
そうして、二度と自分で掘り返すようなこともないと思っていた。
封じていたのだ。
心の奥底へ。
自分でも触れられないような、闇の奥へ。
腐臭を放とうとも、感づかないほどの場所へ。
- 225 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/12(水) 23:19
- 勝手やんか。
これが勝手じゃなかったら、一体なんだと言うのだ。
夢の中のようだ。
実際に、そうなのかもしれない。
だけど、自分は怒りに任せて天使を暴こうとしていた。
それは事実だ。
だからかどうか、指先はあんなにも痛んだ。
二重の罪の意識が自分を覆い尽くす。
――本当に皮肉。こうでもしないと、通じなかったのだから。
そう、触覚は撫でられてるのを薄っすらと感じた。
驚愕にも開ききらない視界は、コンクリの壁を見つめている。
もしかして、今のこの声は触れていたモノの意図だろうか。
そうなのだろうか。
どうして…どうして?
- 226 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/12(水) 23:22
-
なんでこんな…声が聞こえる?
頭の中に疑問符はうずまく。
――触れることで、否が応でも私を知ることに繋がったのでしょう。
鮮明に浮かび上がるのは呆れている声。
あぁ、そうらしい。本当に、受け答えがなされているではないか。
ふわりと、責めることのない言葉の代わりに、あたたかな空気が裕子を包み込む。
――対等に扱う興味が無ければ、意思が通じないのだから。
あぁ…それでか。
今までこちらからの声しか伝えられなかったのは。
天使の声が音だけで、意味を成さなかったのは……。
純粋に興味ありまくりの矢口が、コンタクト取りやすかったってことなんか。
なんてことだ。
つくづくバカにしやがって……。
「ふざけんな…」
そう思わず呟いたら、神経の糸が切れてしまった。
- 227 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/12(水) 23:23
-
+ + + + + +
- 228 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/12(水) 23:25
- 情けない。
視界を取り戻した瞬間、感じたことはそれだった。
制御したと思っていた「売り物」に、絡めとられてしまったようなものじゃないか。
無機質な牢の中。
そっと頭をもたげると、髪に手の感触を感じた。
意識が堕ちる前の感覚が、嘘でなかったコトを思い知らされる。
本当に、自分は……。
記憶を遡ったらしい。
だって、こんなにも胸が痛い。
無意識に伝っただろう、涙の感触もある。
- 229 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/12(水) 23:27
-
「なんで、あんな記憶を引きずり出すか…」
それが天使の仕事なんか――?
ゆるゆると手を動かし、髪に添えられている天使の指を捕らえる。
ぴくり。と、微かな反応があって、相手が声を聞いているのだと安心した。
安心している自分が居て、また、情けなくなった。
- 230 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/12(水) 23:28
-
「本当にな、大事やってん」
吐き出された声はとても細く、自分でも笑いたくなるほど情けない。
ずっと。心の奥に巣食っている、後悔。
自分の行動が決定打じゃないと解っていても、失ったという事実が自分を責め立てる。
だから。
無機質だと思っていたかった。
全てにドライに接することによって、無機物だと思っていたかった。
自分を、騙し続けてきた。
生体売買は、そんな自分にとってはうってつけの仕事だったのだ。
まさに天職。
何物にも慈悲をかけるコトなく、捕らえ、屠り、売りさばいてきたのに。
そうすることで、自分が冷たい生き物だと満足してきたのに…。
- 231 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/12(水) 23:33
-
――私の、本質なんです。
そう、どこかためらうように声が告げる。
本質?そう目を開けて、そっと上を見上げる。
どこか心配そうに覗き込む天使は、何かを告げるべきかと情け無さそうに微笑んだ。
――私たち天使は、全てが神の力の一部なんです。
夜が明ける。
人に呼びかける。
気づかせる。
罪を嘆かせる。
風の吹く。
全て、神の力ですが、その力、一つ一つが天使そのもの――。
そう告げるのにも、さすがに「信じていない人間」には解りにくい。
「イマイチ解らんけど、あれか。
天使っていうのは、神の力の具現ってことか」
――とても近い考えです。
下級の天使ほど、一つの力だけに突出します。
裏を返せば、一つのことしかできない。ということですが。
ふぅと息を吐き出しながら、天使はどこか慈しむように目を細めた。
あれだけのコトを重ねても、この視線。
性質が悪いことこの上ない…。
ぼんやりと思う。
- 232 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/12(水) 23:35
- しかし裕子の視線も気にならぬのか、天使は続けた。
――人間の手。だと思えば解りやすいでしょうか。
人間の手はそれぞれ器用さが異なりますが、父上は全能であらせられる。
その手の器用さこそが、私たちだと。
どうにかして噛み砕いて伝えようとする天使に、裕子は眉を大仰に顰めた。
「あかん。小難しくてムカツク」
どーでもいい。
と吐き出して、指先を取る手に力を込めた。
「だけど。まぁ、謝る」
最低なコト、しようとしてた――。
一瞬どうしたのかわからないというように、きょとんと目を瞬かせると、天使は薄っすらと微笑んだ。
まるで何事もなかったかのような、穏やかで美しい笑み。
憎たらしいほど、すがしく聖い。
- 233 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/12(水) 23:39
-
――はい。人は誤る生き物だと知っていますから。
あまりに寛大すぎて少々的がずれる返答をしながら、天使は視線を細める。
あー。言う相手を間違えたかもしれん。
思わず目の前が暗くなるのを感じながら、裕子はゆっくりと体を起こした。
情けないことに、どうやら、ずっと膝枕だったらしい。
脚、痺れんのかなぁ。
とも思うけれど、きっと仮初の体なんだろう。
結局、霊質がモノを言う生き物なのだから、器について、多少のことは気にしないのかもしれない。
諦めるように息を吐いて、裕子はぶっきらぼうに声を吐き出した。
「あー。まぁ、じゃぁ聞くけど。あんたの力って、何なん?」
――天使ってのはそれぞれが一つの力、ってことでしょ?
- 234 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/12(水) 23:42
- そう問いかけると、真正面から見合っていた視線が軽くはずされた。
裕子が最初に問いかけたのは、天使の仕事内容。
天使から返された答えは、彼女の本質そのもの。
ならば。それは……。
――人の中の、後悔や罪を神の前に引き出す力。気づきと、告悔。
他の力は、私のことを「汝が罪を呼ばわる者」と呼びました。
どこか寂しそうに微笑むのを、不思議に見つめた。
「そんな、長ったらしい名前…」
――名前イコール、力ですので。便宜上呼ぶ者が居る程度です。
親切に答えてくれる天使に肩を竦める。
と、裕子はどこかやりきれない息を、腹の底から吐き出したのだった。
- 235 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/12(水) 23:43
-
- 236 名前:堰。 投稿日:2003/11/12(水) 23:44
- 更新しだめ(笑)。
たまにはいいかと…。
- 237 名前:名無し読者 投稿日:2003/11/12(水) 23:51
- 裕子さんと天使の関係がどうなっていくのか楽しみです。
- 238 名前:名無し読者 投稿日:2003/11/13(木) 00:36
- 興味深々。毎回更新楽しみにしてます。
- 239 名前:jinro 投稿日:2003/11/13(木) 18:01
- 久しぶりにきたら大量更新…嬉すィ。
面白いなあ。ホント。
- 240 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/28(金) 22:45
-
+ + + + +
- 241 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/28(金) 22:49
- うぅむ。
矢口は一人店の中で悩んでいた。
出かけてくるってメールが入ったきり、裕子からの連絡は無い。
しかも通信端末の電源は切れっぱなし。
小さな休憩のたびに連絡を入れようと試みるのだが。
うんともすんとも言いやしない。
逆もまた然り。
届かない。
これで何かに巻き込まれてたらと思うと、この上ない心労が押し寄せる。
いつ凡ミスをするかも判らない、微妙な疲労感を一枚分まとっているようだ。
人が心配してるのも知らないで!
そう心配と困惑と微かな怒りが入り混じる感情を抱えた瞬間。
「悪いね。ハーパー、ロックでもう一杯もらえる?」
表情まで読むことのない酔客が声をかけた。
- 242 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/28(金) 22:52
-
こじんまりした店のホールを移動しながらの考え事は、当然ながら至難の業。
それがムリだと判った時点で、致し方なく仕事に集中することにしたのだけれど。
「はぁい」と可愛げある音声で厚めに作られたグラスを取り上げる。
と、カウンターに新しい琥珀の液体を注ぎに戻った。
今声を掛けた男は常連で、告げた名のアルコールをよく好む。
なにしろ、物心ついたころから店を手伝っている矢口のこと。
彼女こそ、彼にとってベストの状態で最高の一杯を出すバーテンなのだ。
- 243 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/28(金) 22:58
- 氷は、人工的にではあるが、純度の高いようにつくられた高水準の質量で設定されたもの。
それをアイスピックでカツカツと削り、手際よく球体を作り出す。
いつも。その真剣な表情を見るにつけ、裕子はいやに大人を強調する笑みを見せていた。
ふっと思い返して、心配の抜け切らない自分を内心微笑う。
コツ。と、削り上げた氷がグラスの底に触れた。
コプコプと液体の注がれる音。
それが、旧世界のアナログで構成された音楽にほどけて消える。
すべてが電子音で再現されている、厚みの無い音楽とは質も音色も違う。
物質的にはやわらかな黒い円盤の中に、事細かに刻み込まれた記録が奏でる音。
記憶とか記録とかと同じ意味合いを持つ「レコード」という名前を持っている昔の機械。
ジャンルにすればジャズ。
今も音楽自体は残っている。
が、こんな味のある音をだすプレイヤーはもうどこにも居ない。
- 244 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/28(金) 23:00
- 自らこしらえた一杯をトレイに、注文を受けた席へ舞い戻った。
「おまちどぉさま」
木の床に響く靴底の音さえも、この店の空気にほどけて。
それを追い越すように。
甘く可愛らしい音声が、特別の質感を持って空間に漂う。
「いやぁ。相変わらず手際のいい」
――どこでウイスキー頼んでも、この氷の融け具合にならないんだよ。
謝辞を述べつつ一杯を受け取る手は、ゴツっとした岩のように強く、そして優しい。
一口。
口をつけて、男は愉快そうに口を持ち上げる。
「やぁ。やっぱりこの一杯が一番いい」
かかか。と酔客が上機嫌に笑うものだから。
「ほめてもらってもタダにはならないよ?」と矢口もするりと微笑い抜けた。
酔客の声を漂うようにすり抜けるその様は、この底辺においてやはり女神のように愛らしい。
- 245 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/28(金) 23:02
-
「そういや。この前あれに会ったよ」
うん?酔客が幾分遠い目をして言うのに、首を傾げる。
彼らの思い出話は、だいたい自分には縁遠いものだのだが。
残念ながら、今回はそうもいかなかった。
矢口の記憶を揺るがす、言葉が紡がれたから。
「あれだ。昔この近所にリバースの少女が居ただろう」
――金髪の、優しい顔した。名前は忘れちまったけど。
顔は覚えててな、お互いに。
とくん。
思わず視線を向けたまま動けなくなるのに、男はぷかりと笑う。
「どっかのSPの上役に昇格したらしい。俺たちには縁遠い人間になっちまったなぁ」
――それでも、お前さんのコト聞いてきたよ。相変わらずのあの顔と声だ。
オレも昔に戻ったみたいだったけどな。
どこか含むように吐息を抜いて、男はしみじみとグラスを傾ける。
「そっか……。ありがと、教えてくれて」
矢口はトレイを両腕で抱きしめると、ムリに微笑みながらカウンターに脚を向けた。
- 246 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/28(金) 23:04
- 燕尾服のようにわざと長くあつらえてあるベストの内側。
腰にすえつけたホルスターに、鎮座するアナログの拳銃。
手に入れたばかりのそれを、手放せない理由。
一瞬、眩暈のように思い出す。
夏の日差し。
大きな穴を穿つ空き缶。
ぶれる腕を支える大きな手。
薬莢から漂う、むせるような火薬の匂い。
普段の、とけるほど優しい顔。
横目にしか見えなかった、野獣の視線。
浅くなりかける息を吐き出してカウンターにトレイを戻すと、静かに両手をついた。
- 247 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/28(金) 23:08
- 振り仰ぐ照明は、あの頃と変わらない。
変わったのは、自分の年齢。
体と心と。
幼かっただけの、自分はもうどこにも居ないよ。
仲のいい人もできたよ。
あの頃とは違うよ。
違うけど――。
振り切るように目を閉じ、かるく頭を振る。
そうして思う。
店が終わったら、やっぱり裕ちゃんとこに戻ってみよう。
そして、しばらく待とう。
変わらない表情を見せてもらえれば、今の情けないほどの感傷から這い出せるはずだ。
日ごろ太陽とまで例えられる少女は、自分からあふれ出した静かなかげりのなかに目を伏せた。
- 248 名前:堕ちる翼 投稿日:2003/11/28(金) 23:08
-
- 249 名前:堰。 投稿日:2003/11/28(金) 23:16
- ミニ更新。と、いうことで。
眠い。眠いよおかぁさん。
でも起きてないといけない用事が…。
>>237さん
この話だけでは、きっとあまり進まないかもしれません。
どうなっていくのかは…私もまだわからな…<殴
>>238さん
ありがとうございます。毎回のドキドキとまではいきませんが。
頑張って精進してまいります。よろしくです。
>>239 jinroさん
ありがとうございますm(__)m
平素殺伐とした世界ばかり書いておりますので、
その殺伐さ加減を楽しんでいただけたらと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。平伏の次第です。
今後レスはナンバーでつけさせていただこうと思います。
この話。どこまで行くやら不明ですが、
流浪の民のごとく行き着く場所まで行って見たいと。
そう思います。一緒に行ってくれる方募集中です(笑)。
- 250 名前:名無し読者 投稿日:2003/11/30(日) 02:44
- 更新お疲れ様です。
一緒にどこまでも着いていきます〜。
いいですか?
- 251 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/02(火) 00:01
- 裕子さん大丈夫ですか?
矢口さんの裕子さんに対する心配は、恋からくるものなのか?友情からくるものなのか?
気になるところであります(w
- 252 名前:名も無き読者 投稿日:2003/12/02(火) 17:32
- すごい引き込まれますね…
次回も期待して待っております(w
- 253 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/01/10(土) 01:45
- 更新待ってますYO
- 254 名前:堕ちる翼 投稿日:2004/01/18(日) 21:56
-
+ + + + +
- 255 名前:堕ちる翼 投稿日:2004/01/18(日) 21:59
-
裕子のビルの前にたどり着いたのは、夜の明けきらない午前五時のこと。
一昨日からの雨があがり。
今は少し湿った肌寒さが四十万に漂っている。
肩にいつもの大きな荷物を背負って、矢口は静かに息を吐いた。
金属のパネルに指紋を当て、そのパネルを開き。
中に埋め込まれたテンキーを使い、承認コードを叩き込んでみせた。
と、開いたカメラで網膜のスキャンを受ける。
ここで瞬きをしてはいけない。
慎重と緊張で背筋がむずがゆくなる。
どうして、一回のエラーで一時間近くリトライできなくなるのだ。
ひゅいと軽く線を引くような音とともに、スキャンが終わる。
緊張が解けるが、そこでへなへなはできない。
無事にスキャンが終わり、承認を得た証があらわれた。
ガシュという錠の外れる音を耳に、矢口は急ぎ早にビルの中に逃げ込んだ。
- 256 名前:堕ちる翼 投稿日:2004/01/18(日) 22:02
-
すぐにオフィス。
そして、階段。
階下に明かりの無いことが、微妙な不安を揺り起こす。
また。
誰にも話したことなんか無いけど、また――。
矢口に何も言わずに、居なくなってしまう。
急にそんな思いが湧いて、怖さに息を飲み下した。
だけど、こんな場所で怖がっていても仕方が無い。
自分を大人に見せる厚底のサンダルも、今はすこしもどかしい。
入ることのできない二階を通り抜け。
三階へ脚を進めると、無用心にもドアは開いていた。
矢口が帰るときには、一応締めて帰った。
それはぜったいだ。
覚えているし、忘れたりなんかしない。
安堵が心に湧き出して、ふっと軽く眉が下がる。
それでも用心深くリビングへと踏み入った。
視線の先に、持ち出されていたはずの携帯端末が置かれていて。
今度こそ、本当に安心してしまって体の力が少し抜けた。
- 257 名前:堕ちる翼 投稿日:2004/01/18(日) 22:06
-
でも。
はた!と思いなおし、胸元で拳を握る。
ちゃんと、最後まで確かめなければいけない。
捕縛師は体一個の仕事。
そして、その職業柄。
傷を負って帰宅し、そのまま目覚めない人間もまま居るのだ。
たとえ、そこに横たわっているのが遺体であったとしても。だ。
確かめなければ、いけない。
怖い。正直、怖い。
最悪のケースでなくても、大怪我だって怖い。
気丈さと、気軽に思える甘えの狭間で、ここまで揺れる。
ソファーベッドの上に荷物を置き。
そぉっと、矢口はパーテーションで仕切られた寝室を覗き込んだ。
- 258 名前:堕ちる翼 投稿日:2004/01/18(日) 22:09
-
綺麗な金色の髪。
眠っている、その体の流れにそった上掛けの流麗な線。
安心するほど、間違えの無い個体がそこにある。
微かに動く肩は、呼気を紡ぐ胸の律動。
規則正しいそれに、ほっと、胸をなでおろして。
と。
そこまでは、まったく違和感の無い流れで見つめられた。
じっと、そこに付随するものを見つめる。
覗きこむその穏やかな横顔。
静かに髪に指を添えるその絵。
ぺたりと膝すわりでシーツに腰を下ろしている、その白磁の脚。
優しい顔なのは、まぁ、その本質のせいだとわかるから問い詰めはしない。
それでも、どこか異様に気恥ずかしく感じる。
その眼前の絵の実体は、どういうわけか?
人間を犬猫の哀願動物のように優しくなでる様。
それは、この前の夢幻をイヤでも思い起こさせる。
- 259 名前:堕ちる翼 投稿日:2004/01/18(日) 22:10
-
天使は何事も感じさせない静をもって、ただ、その場に平穏をかぶせていて。
- 260 名前:堕ちる翼 投稿日:2004/01/18(日) 22:13
- ぴく。
っと、気配が揺らいだ。
どうやら、こちらに気付いたらしい。
まるで、どこかから拾ってきた猫が、飼い主の同居人に気付くような。
そんな空気の揺らぎに、お互いが目を見張る。
が、見合った視線は他意や感覚がまったく含まれておらず。
当然のように、思わず一人前にのめりそうになってしまった。
確かに。
そう。確かにね!
こうなったらいいなぁ。
とは、思ってはいたが。
「えーっと……」
言うに言葉を捜せずに、矢口はじーっとその顔を見やる。
実際そうなって、それでもこういう絵で存在されると…。
ねぇ。
ちょっと困惑してしまう。
- 261 名前:堕ちる翼 投稿日:2004/01/18(日) 22:15
- それでも。
ぺこり。と、頭を下げられて。
更に困ったように微笑まれると、それはそれで納得してしまいそうだ。
そうなると。
自分の今までの心配やその他沢山は、どこにぶつければいいのだろう。
いいのだろったらいいのだろう。
夜通し働きながら、ケガしてないかな〜とかね。
何か危険に巻き込まれたんじゃないかしら〜とかネ!
心配って糸を巻くようにね!
オオキクナルモノネ――!
フツと、思い切り、沸点まで気持ちが持ち上がった。
- 262 名前:堕ちる翼 投稿日:2004/01/18(日) 22:18
-
すぅーと空気を吸い込んで。
一瞬だけ溜めると、矢口は一気に堰を切り開いた。
「裕子のあほー!いったいどれだけ心配したと思ってるんだああぁっ!」
その空気を切り裂くほどの怒声。
なんと、それは、イッパツで裕子の目を覚ますという所業を成し遂げ。
大声を出すと解ったのか、天使は耳をきっちりと塞いでいたのだが。
小一時間ほどの舌戦の後。
お互いに最初の論点を忘れてその場に突っ伏すという。
なんとまぁ、子供以下の行動を見せるのだった。
- 263 名前:堕ちる翼 投稿日:2004/01/18(日) 22:18
-
+ + + + +
- 264 名前:堕ちる翼 投稿日:2004/01/18(日) 22:19
-
時間は夜の闇へと遡る。
捕縛師は自らに前例の無い事態に身を晒していた。
- 265 名前:堕ちる翼 投稿日:2004/01/18(日) 22:22
-
捕獲対象と、意思が通い合ってしまった。
これまで、一度も無かったことだ。
ずっと、これからも、捕獲物は売り物としてしか見ない。
そう心に堅く決めていたというのに。
自らと見た目のかわらない「人型」。
意思の疎通ができる人型。
思わず。
遣る瀬なさから髪をかきむしるのに、きょんとした視線がこちらを伺っていて。
裕子は深く息を吐いて、天使を見やる。
確かに、生体売買を生業にはしている。
が、「人身売買」には携わっていないつもりだ。
そして沢山の選択肢の可能性を思い、一つを口から打ち出した。
- 266 名前:堕ちる翼 投稿日:2004/01/18(日) 22:26
-
「なぁ。一つ聞くけど、なんで地上に降りてきたん?」
堅固な牢の中。
まだ出ることもせずに天使に向かい合う。
ゆるく組まれたあぐらに手をついて、まるで鷹揚な大型犬のような風情で。
この汚れた世界で、何かを傷つけながら生きていて。
大型犬も何もありはしないのだが…。
――人の暮らしを、知ることが目的です。
ぽつん。
ちょっと言いにくそうに口元に手をあてて、天使は紡いだ。
人がどのような暮らしをして、どのような思いを持っているのか。
帰還後にすべての報告をすること。
調査の期日は決まっていないらしい…。
人の暮らしを知ること。
この、世知辛い世の中で?
天使と判れば捕らえられ。
運が悪ければ、自分がしてきたよりも、もっと悪い状態に陥る。
そんな世界で?
一瞬目の前が暗くなる。
心底、呆れると言うか――。
「本気かいな。正直、無謀としか言いよう無いなぁ」
あんたドンくさいし。もっと適任なのが居ったんちゃうん?
そう眉を曲げると、
――今はモノを知らないだけで。知っていけば…。
などと、ちょっと必死な面持ちで反論してきた。
- 267 名前:堕ちる翼 投稿日:2004/01/18(日) 22:28
-
なんだ。
ずいぶん、ちゃんと感情の出る生き物なのだな。
と思う。
新鮮な驚きに一瞬目を丸める。
それからどこか煮えきらない、憮然とも取れる表情で裕子は言った。
「あんな。天使ってのは、あたしもそう思ってたから言うけど…。
人間の敵やったやんか」
微かなかげりを持って、お互いの視線は曇る。
――はい。それは知ってます。
我々はあまりに理不尽に、人を殺しすぎました。
その声に、ふっと切るような息を細く吐き出し、裕子は視線を強めた。
「古臭い考えの人間はな?まだ、天使を怨んでる人間が多いのが現実なん」
こくり。
裕子の言うことを、きっちりと理解しているのだろう。
天使が迷うことなく頷のを見て、重要なポイントを指すように指先を立てた。
- 268 名前:堕ちる翼 投稿日:2004/01/18(日) 22:31
-
「一度だけ、虐殺した天使の遺骸を晒してたヤツが居てな。
非難されすぎて、自分で首吊りしたんやけど」
普通に出歩いてたら、あんたもすぐ晒しモノになる――。
そういう自分の喉が渇いているのに、裕子はくちびるを湿らせた。
きっと、天から降りてきたものだから、還ることは怖くないだろう。
だけど。
そこに及ぶ恐怖などを覚えさせるには、存在自体があまりに綺麗で切ない。
随分ほだされたようだが、裕子は自らを笑うだけに留めた。
「それにな。そのドンくささじゃなぁ。
生きていくのに必要な知識の基本を、集める前に死んでしまうわ」
言い切った裕子の前で、天使は言葉を失って。
それから少しばかり、子供のように頬が膨れた。
どうやら「万能の主の力」と言うのは伊達ではなさそうだ。
彼女の語彙は豊富だ。
- 269 名前:堕ちる翼 投稿日:2004/01/18(日) 22:35
-
そんな微笑ましい様子を目にしながらも、裕子は倣うことができない。
告悔のせいなのか、後悔のせいなのか。
自分の傷に触れられたからか。
人にない力を、思い知らされたせいだからか。
わからない。
だけど、この存在は不思議だ。
この存在は綺麗だ。
「せやから…」
続けようとする声が、情けないことに震える。
どこから湧いたか判らないような親切心に、本当に頭をかかえた。
指先から髪の毛が零れ落ちるのも、気にとめられない。
一瞬。
呼吸音さえも届きそうな、一瞬。
躊躇いと、戸惑いと。
最初の音は、綯われて零れた。
「もし…。
世界の一部でも見て回りたいってなら、ウチで普通に生活すればいい」
あんたの好きな矢口も食事作りに来るし。時々、客人も来るけどな――。
寝る場所はどうにかなるだろう。
そう最後は豪快に言い切って。
それから、意地悪した子供が謝罪したかのように。
裕子はぷいっと顔をそむけた。
- 270 名前:堕ちる翼 投稿日:2004/01/18(日) 22:36
-
危ない目にあわせた。
痛みも刻んだ。
赤い鮮血が流れても、それを見ぬふりで扱った。
そうして、忘れてしまいたかったコトを掘り返された。
仕返しのように。
自分の罪とあざ笑うように。
- 271 名前:堕ちる翼 投稿日:2004/01/18(日) 22:38
-
だけど、この生き物の芯には、まったく穢れが無い。
自分のやってきたことから考えたら、本当にお笑い草だけれど。
コンナコトデ、ジブンノ汚レガオチルワケジャナイケド。
そう、思うけれど。
でも。
そう、心のどこかで決めてしまったのだ。
愛玩動物でも拾うよりも、もっと、なにか、芯で感じてしまったのだ。
「あんたのコトは、売らないから」
外したままの視線。
ぶっきらぼうな声。
微かにつながる精神の糸。
裕子を見つめる天使の意識から、やわらかな謝辞と微笑の気配が満ちた。
- 272 名前:堕ちる翼 投稿日:2004/01/18(日) 22:41
-
あれから三階へ連れてきて、どこででも眠れとか言った気がする。
ソファーもあるし。
やたらなものには触るなとだけ、注意を与えて。
きょろきょろとした小動物のような動向や仕草も。
溜まりすぎた疲労感は拭えなかった。
裕子がのろのろとベッドに入ってしまったのを見やって。
天使はかるく首を傾げた。
眠るのだなぁ。
そう、思わず視線を細めた。
人の営みについてなにかしらの喜びや優しさを見出す目。
それが、泥のような眠りに落ちていく体を、そっと見つめていた――。
- 273 名前:堕ちる翼 投稿日:2004/01/18(日) 22:43
-
+ + + + +
- 274 名前:堕ちる翼 投稿日:2004/01/18(日) 22:44
-
掻い摘まれた事の次第に。
軽く天を仰いだ後、矢口は、「まぁ、よかったじゃん」と無理に微苦笑った。
- 275 名前:堕ちる翼 投稿日:2004/01/18(日) 22:46
-
「で、今はこうなりましたよーと?」
微妙な膨れ面を見せながら。
矢口は手際のよい包丁捌きやフライパン捌きを見せていた。
その横で天使が、じーっと作業を見つめている。
オイラに見とれてたら火傷するぜぇ。
などとのたまう矢口に裕子が苦笑する。
と、――そこのヘタレさんには笑えないから。などと、まぜっかえされ。
ケンカごしになる両者の間に、天使が割ってはいる。
というオカシナ絵が展開された後である。
- 276 名前:堕ちる翼 投稿日:2004/01/18(日) 22:53
-
「まぁ。一度掲載したヤツを取り消しすれば、どうにかなるでしょうし」
そう。
「売ります」として掲載した天使の情報。
それを、矢口が調理に勤しんでいる間に削除した。
名前が売れている捕縛師ではあるが、取り下げられた情報は追わないのが暗黙のルール。
これで、この後コンタクトを取ってくるような人間も居ないはずだ。
「なぁ矢口。これからいつでも、コイツが居るから」
――あんな顔せんでもいいから。
ぽそ。と付け加えられた言葉に、思わずフライパンの指先を滑らせる。
コンロにガショっとあたり。
さらに人差し指に熱を感じて。
「どわっち!」と慄くのに、天使はかるく身を引く。
「なんだよ。裕ちゃん分かってたの?」
――矢口が慌てて隠したコトを。
「じゃなきゃ、自殺行為なんかするか」
(本当は後からの推測だったのだが、大人だから隠すらしい)
危うく天使の本質に両腕突っ込んで、そのまま死ぬかと思ったわ。ったく。
毒づく声にも棘が無い。
さすがにそこを笑うことはできないけれど。
- 277 名前:堕ちる翼 投稿日:2004/01/18(日) 22:56
-
天使が傷ついた様子が見えないのに、矢口は軽く微笑って。
それから、出来上がったパスタを大皿に盛り付けた。
家庭のキッチンで三人分を作るのは、けっこう楽しい。
日ごろ自分だけであったり、父親と二人分程度しか、家では作らないから。
三人も居れば、四人前作っても平気で平らげられるし。
相変わらず様子を見つめている天使に気付いて、「こう持つの」と熱い器をちゃんと持ってみせる。
熱くないところを探してひとまず持ち上げ、腕で支える店用のスタイル。
「こうすると、何枚ももてるからね」
――矢口のリーチじゃあんまり変わらないんだけどさ。
冗談まじりにリビングへ運び出す矢口の動作は、至極流麗で。
慣れと熟練を感じる。
神が創りたもうた、人の動作。
それは、やはり、面白く、そして美しいものの一つだ。
天使は感じる。
ふぅん。と納得するような顔を見せて、野菜の乗った皿を持ち上げた。
さすがにあのように器用には運べない。
と、自ら気付いているので両手で一枚。
あまり重くはないだろうが、天使にはひとまずの何もかもが珍しい。
- 278 名前:堕ちる翼 投稿日:2004/01/18(日) 23:00
-
「えーっと、一枚でいいからね。手伝ってくれると嬉しいな」
すでに大皿と取り皿を運び終えた矢口が、残りのものを取りに戻ってきた。
フォーク。取り分けるトング。そして、香辛料。
かける人はパルメザン。
「っしゃ!食べようぜぇ」
そう取り分けて天使の前に差し出す。
道具やモノの動き方にも視線は注がれている。
「裕ちゃんは自分で取ってよ?」
冷たくあしらわれる裕子は、子供二人の相手をするように。
ふわりと微笑いながら、更に戻されたトングを持ち上げた。
つーか、相変わらずあたしは保護者かい。
と、思いながら、つい先日自分の胸に詰まった痛みが、微かに和らぐのを感じた。
本当に仲の良い、少女二人のやりとりに見えて。
情けなさとテレ隠しに、軽く髪をかきあげるのだった。
- 279 名前:堕ちる翼 投稿日:2004/01/18(日) 23:03
-
「つーかさぁ。ずっと『天使さん』のままじゃ、外にも連れ出せないよねぇ」
まくまく。パスタ、野菜をそれぞれバランスよく頬張りながら、矢口は呟いた。
「そう。呼び方決めんと、ちょっと難があるんやけど」
――なんとなく、な、候補はあるんよ。
「え?ポチとかハナとかだめなのよ?」
矢口の声に思わずむせると、裕子はダンと机を叩いた。
「誰が犬扱いしてんだよ。ったく。天使に聞け天使に」
そう投げやりに言うのに、矢口の視線は天使へ向かった。
名前。
と、言うからには、欲されているのは、昨夜彼女に告げた通り名だろう。
じっと見つめられてしまった天使は軽い困惑をおぼえて。
そして答えるべき言葉を見つけた。
――えぇ。一応「汝が罪を呼ばわる者」とは呼ばれていたけれど。
「うあ!なが!」
お約束のリアクションを取るのに、裕子は軽く口元を上げた。
- 280 名前:堕ちる翼 投稿日:2004/01/18(日) 23:06
-
「な?長すぎるんです。そのまま呼ぶには」
そう告げる声を聞きつつ、思う天使はといえば。
やはり、人の尺度では長すぎる呼称なのだなぁ…と納得するだけで。
面白そうに口に出されても、それはさすがに怒ったりできない。
なにより。
バカにされたりという空気は、微塵もない。
それは、肌で感じる気配だけで十分測れることだ。
「んー。でもさぁ、裕ちゃんの言ったこと、なんとなく解るよ」
キラリ。と、聡い視線がフォークの先を掠める。
「わるもの」さんでも違うし。
どこで切ってもおかしい名前なのにって思ってるんだよね――?
さすがに、矢口の頭の回転は速い。
満足げに頷いて、一口酸味のあるドレッシングで和えた野菜を頬張る。
「言うてみ?多分、あたしと同じこと考えてるはずだから」
その声にこくりと盛大に頷くと。
矢口は失礼に当たらない程度に、友人同士のような仕草でひとさし指を向けた。
- 281 名前:堕ちる翼 投稿日:2004/01/18(日) 23:11
- 「なっちだね」
ながつみをよばわる。
どこを取っても可笑しくなる名前なら、少しいじっても問題ないでしょ?
だから、君の名前は、なつみ。
それなら、最初の四字から取ってるし、あまりおかしくないし――。
なにより、なんか可愛くない?
どこか宝物のような大事なものを説明するように言うものだから。
天使はおもわず視線を丸くする。
それは単純な驚きと、何か湧いてくるような優しさを感じるから。
「だからっていきなり愛称かい」
「いいじゃん。裕ちゃんもそういう名前、考えてたはずだし」
どこかしたり顔で微笑む矢口に、「確かにな」、と裕子は頷いた。
ものすごい、納得した微笑み。
天使はなんだか胸の内に温かさを感じて、「人の多面」を強くおぼえた。
人間は、一面ではなくて。
怒りや憎しみと並列で、優しさや慈しみを持ち合わせている不可思議な生き物なのだ。
- 282 名前:堕ちる翼 投稿日:2004/01/18(日) 23:14
-
「じゃぁ、今日からキミはなつみちゃんだ」
どっか偉そうに胸を張る矢口に、思わず天使は微笑んだ。
こくり。と頷いて。
便宜上とは言え「名前」を手に入れた天使が矢口の手をとった。
ありがとう。ありがとう。
何重にも聞こえる、その謝辞。
「でもって、なっちね。矢口はなっちって呼ぶけどね」
もう速攻もっと仲良くなりたい矢口さんは、きゃいきゃいと天使に絡んでいる。
その手短で可愛らしい言葉の響きに、くすぐったそうに天使は肩を竦めた。
(いや、こちらも一応「なつみ」と称することになるが)
「あとは、長い時間でも過ごしていけば、言葉も口から出るようになるでしょうし」
そしたら。自由に外出れるだろ。
納得しがてら、矢口はうんうん頷く。
- 283 名前:堕ちる翼 投稿日:2004/01/18(日) 23:16
-
つるり。と最後の一本をすすって、満足げに裕子が息をついた。
「あー。ごちそうさんでした」
――やっぱ、つくれる人間がつくると違うなぁ。
そう皿を下げようと立ち上がるのに、「や。待った」と矢口が声をあげた。
「そうじゃなくってさ。せっかくだから、二人で片付けるよ」
人の暮らしに触れたいってなら、こういうことも目新しいはずだしね。
まるで後輩か何かを得て、俄然張り切る二年生みたいな言い口だ。
しかも。中学生というよりも、小学校の二年生のような張り切り具合である。
そう視線を感じるなつみは、どうにかパスタを食し終えると、きょとんとした表情で話を噛み砕いた。
――じゃぁ、手伝います。
こくりと頷くのに、矢口も満足そうに微笑んだ。
- 284 名前:堕ちる翼 投稿日:2004/01/18(日) 23:18
-
キッチンからはどこかはしゃぐ声が聞こえて、まるで真昼の喧騒のように幸せな気持ちになる。
誰かが居て。
くすぐったくて。
世界にそのざわめきが満ちていた頃のように、どこか懐かしさに溢れている。
これから、どれだけこの時間が重なるのかはわからない。
だけど。
目の前に落ちてきた翼が、また羽ばたいて行くその日まで。
せめて。
その時までは。
罪科憂い。
それを持たない者は居ないのだけれど。
裕子は軽く髪をかきあげると、至極細い息を吐き出した。
fall down No.1 堕ちる翼 end
- 285 名前:堰。 投稿日:2004/01/18(日) 23:32
- 久々に更新しました。
>>250
本当にどこまで続くかわかりません(笑)。
着いてこられる覚悟なら、長期戦覚悟でよろしくお願いします。平に。
>>251
えぇと。矢口さんの感情論は、先になりますがちょこちょこと。
最後までには必ず<ヲイ
>>252
ありがとうございます。細かく掘られると穴だらけです。
どうか遠目で、腕組んでご鑑賞ください(笑)。
>>253
更新遅くなりましたが、声をかけてくださってありがとうございます。
えぇっと。な、なっち天使…です(謎笑)。てへ。
到底25日あわせには間に合いませんが、確実に進めて参ります。
えぇと。実はここまでで、第一話の扱いであります。
これから、多数の短編やら枝道を用意して、次の本題へ入る予定です。
一冊の本を作るように丁寧にやっていきます。
次回は近日中に更新しますので、少々お待ちください。
でわでわ。
- 286 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/01/19(月) 03:26
- 更新キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
待ってましたYO!!
なんだか三人(?)の会話が暖かい感じでイイっす。
名前が決まった時はニヤついてしまいましたYO
- 287 名前:たくさんの独り言。 投稿日:2004/01/21(水) 23:19
-
ぽつり。
- 288 名前:たくさんの独り言。 投稿日:2004/01/21(水) 23:21
-
世界を崩そうとしたのは天使なんでしょ?
沢山の汚れがあったから、いっそ無にしてしまおうと、
そう思って、全てを焼き払おうとしたのでしょう?
なら、どうして。
どうして、それは止んだんだろうね。
どうして、世界の上は綺麗にならなかったのだろうね。
もう。人間はかつての約束なんか、覚えていないのに。
- 289 名前:たくさんの独り言。 投稿日:2004/01/21(水) 23:23
-
永遠なんて、どこにもないのです。
人間にも。
ましてや、
神様にも。
永遠なんて……。
- 290 名前:日常。 投稿日:2004/01/21(水) 23:23
-
例えば、こういう一日。
- 291 名前:日常。 投稿日:2004/01/21(水) 23:27
- 天使の観察日記だな。
保育園の保育士にでもなったかのような錯覚に、思わず頭を抱える。
少しくらいは普通に、接せられるようになったかとは、思っている。
どちらかと言えば、存在自体に甘いような気もする。
自分の弱みを見ているからか、天使もどこか…。
いや、甘いというよりは、なにか含んだものの見方をするような気がする。
本質の高尚さと、現実の愛らしさというのは、凶器。
という、ある一コマ。
- 292 名前:日常。 投稿日:2004/01/21(水) 23:31
- ズタバタジタバタ!
通り過ぎていく音と、回ってくる音。
くるくるくるくる。
ラウンドアンドラウンド。
「定期健診なんだから逃げないでー!」
と、採血用に空の試験管と針を取りしたみちよから。
なつみはイヤイヤと頭を振りながら逃げ回っている。
そんな遣り取りを背中に、書類などのデータを打ち込んでいると、悲痛な声が聞こえた。
もちろん、まだなつみは言葉というより音声を紡げないので、学者の声である。
「ちょ!姐さんも一緒に住んでるんやったら、なんか協力してくださいよ!」
――ああもう!調子悪くなったら困るの姐さんでしょうに!
逃げ回るというのが自由意志かどうかは不明だが。
自由を持って暮らすようになった天使に、みちよは大仰にうなだれてみせた。
- 293 名前:日常。 投稿日:2004/01/21(水) 23:34
- 「あぁ、コラ。あんまり困らせない」
――ほんの少しで終わるから。
裕子の背後をすり抜けようとした腰を抱きとらえる。
と、腕を一本きゅいっと軽く捻った。
腰と背中をホールドされてしまったなつみは、その的確な制動にとらわれて身動きができない。
うわーん。
と、目に薄っすらと涙を浮かべているが、本当に採血だけなのでガマンさせることにする。
――だってぇ!痛いじゃないですか!何回も!いつも、今日で終わりだからって騙すのに!
ぷんすかと怒る音声が脳内に直接流れ込むのに、「まぁまぁ」と笑いながら諭す。
そう。その実、毎回の遣り取りである。
注射の痛みに逃げる天使。
追う医者。
それを苦笑まじりに宥める捕縛師。
「下手に病気になったりしたくないやろ?
前みたいに、熱持ったりするのもキツイだろうし」
「そうです。早めに対応できるコトにもつながるんですから」
医師は苦笑気味に口元をあげながら、自信たっぷりに言い切った。
- 294 名前:日常。 投稿日:2004/01/21(水) 23:36
-
諭しながら。
素早く腕にバンドを巻き、消毒綿をすべらせる。
戦々恐々とした面持ちで腕を見つめている。
そんなものだから、裕子は呆れる思いで肩から力を抜いた。
「針が入るのなんか見てるから怖いってのに。
ほら、こっちでも向いときなさい――」
そう膝に座らせると、軽く肩先に頭を導いてやる。
こつんとあたる額と体が、消えない怖さにこわばっているのが解って。
思わず捕縛師は微苦笑した。
- 295 名前:日常。 投稿日:2004/01/21(水) 23:38
-
腕はテーブルの上。
手早く針と器具を突く。
なつみの腕は細すぎるわけではないし、血管の位置はすぐに知れた。
試験管の中に赤い血液が流れ込んでいく。
「ほぉら。暴れないと痛くないでしょぉ?」
そう、針とサンプルを満たした試験管が腕から離れていく。
そっと消毒綿をあてがい、そこに刺激のすくないテープでおさえをすると、みちよは満足げに微笑んだ。
血液保存用の保冷バッグに入れて、蓋を閉じる。
これで5時間近い時間は鮮血の状態で保てるので、昔のように急がなくても大丈夫。
血流をおさえるバンドのマジックテープが外れる。
その音とともに、なつみはきょとんとした顔で裕子を見上げた。
- 296 名前:日常。 投稿日:2004/01/21(水) 23:40
- ――痛くない。
うわぁ。
と感激しそうになっているなつみに笑いながら、裕子は嘘八百を吹き込む。
「みっちゃんはヤブやけど注射は上手なんやって」
「そうそう。って誰がヤブですか!失礼な!」
ノリツッコミ笑いをしながら。
新しい注射器を取り出そうとするのに、それこそ裕子は大仰に慌てる。
「ジョーク!冗談ですって平家さん!」
きょんとした瞳でそれを見ていたなつみが、ふっくらと微笑んだ。
「そこ!笑うところじゃないから!」
と指をさしてまでつっこまれて、なつみはびっくりしたまま固まる。
「あー。大丈夫大丈夫、怒ってるわけじゃないから」
苦笑交じりに頭をなでる裕子には、
「甘やかしすぎちゃいます?」と、ちょっとばかり不平不満を訴える声。
「なんたって、物事のやりとりを知らん子供に怒ってるようなもんやろ?」
――冷静に考えてやらんと、パンクしてしまう。
なぁ。
- 297 名前:日常。 投稿日:2004/01/21(水) 23:41
-
と、気付けば抱きっぱなしだった腰を、ようやく解き放つ。
なつみはちょんと床に立ち上がって。
やっぱり苦手らしい白衣の前からそそくさと逃げ出した。
やわらかなソファーセットの上に腰を下ろして。
頬杖をつくさまなどは、まるでふてた犬か猫のようだ。
「みっちゃんもそんな顔しない。ほら、なんか飲んで一息入れよ」
うぬ。と視線を固めていたみちよに、裕子は至極やわらかに微笑む。
姐さんに言われれば仕方がないか。
肩をかるく竦めると、みちよは口元を上げた。
- 298 名前:日常。 投稿日:2004/01/21(水) 23:42
-
- 299 名前:堰。 投稿日:2004/01/21(水) 23:46
- >>286
喜んでいただけて何よりです。
幸せ加減を喜んでいただけて嬉しいのですが、
いちおう、一番最初の注意書き、覚えててくださいね?
いつまで幸せかは保証しかねますので(苦笑)。
と。言うわけで更新でした。
日常的なお話。時間軸の違う話。違う視点の話。
これから入り乱れていきます。
なるべく時間軸がずれる場合は、注意書きもするつもりです。
しばらく枝道ばっかりだYO!。・゚・(ノД`)・゚・。
- 300 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/01/22(木) 13:56
- 前の方に出てきたあの人達が激しく気になりますYO。
でも今はマターリを楽しみたいNA
- 301 名前:姫神 投稿日:2004/01/30(金) 23:00
-
とある、回想。
- 302 名前:姫神 投稿日:2004/01/30(金) 23:02
-
だだ広い部屋だった。
無機であり硬質の壁でつくられた、無で作られた箱にようだった。
暗闇に支配された部屋のなかに、一筋の光が差し込む。
四角く切り取られたのぞき窓。
そこから、切り裂くように注がれた光。
幾人かの人間がその窓から部屋を覗き込んでいる。
が、逆光になっており、箱の中から部屋を窺い知ることはできない。
微かな空気のよどみだけが箱の中に存在し。
そのよどみが、差し込む光を、さても実在する天使の梯子のように見せている。
- 303 名前:姫神 投稿日:2004/01/30(金) 23:03
- これから展開される出来事を思えば、それも無理ないことかもしれない。
ただ。
ただ確実に言えることは。
その梯子は途轍もなく細くもろく、遠い存在だということ。
梯子は外の世界へ続いている。
踏み外せば、そこに待っているのは奈落だ。
二度と戻ることができない、死出の道がはてなく続く…。
- 304 名前:姫神 投稿日:2004/01/30(金) 23:08
- ん!うん!と、わざとらしい咳払いが、スピーカーから溢れた。
みなさん。おはようございます。
昨晩は、よく眠られましたでしょうか――。
そう穏やかな、快活とも思える口調で告げる、少女の音声。
即座に、闇の中から罵声が返された。
「眠れたかだと!あぁもちろんさ!
今日が処刑だなんて聞いてなかったからなぁ」
「ふざけやがって!
特級犯罪者はまだまだ居るだろうに、なんでオレなんだ!」
ギチギチと全身をこわばらせているのは、東京都市での犯罪者たち。
今回は、男ばかり7人。
罪状は強盗致死、ネクロフォビアの連続殺人者等など。
全て、人の命に関わる犯罪に関わった人間であった。
どちらかといえば被害者や市民に手ひどい仕打ちをしつづけていた。
という、凶悪タイプの犯人ばかりである。
厳しい検問をくぐりぬけたり、組織の裏などをかいて。
下層から上へ上がってきた、犯罪者なども居る。
これから行われる出来事は、普段、直接の死を取引に使う組織のなかで、とても特別で。
どのくらい特別かといえば…。
耳を疑うほどの、破格の待遇である。
なぜならば。
「ほんの少し」の確率ででも、生き残る可能性が与えられるのだから。
- 305 名前:姫神 投稿日:2004/01/30(金) 23:10
- 「まぁ、そう怒らないで一つ聞いてくださいよ」
と、まるで遊びの提案のように少女のアナウンスは続ける。
バチンという音とともに、男たちの周囲が明るくなった。
と。
見れば彼らが犯罪に用いていた凶器、ないし得意とされている武器などが置かれているではないか。
「な……何をしようってんだ」
微かな不安にかられた男が、こくりと息を飲む。
「っこ、ここで殺しあえって言うんじゃねえだろうな」
そう一瞬の言葉に視線を血走らせる青年が居るのに、一瞬で男たちが総毛立つ。
ありえない選択肢ではない。
そこに居る誰もが、そう思った。
- 306 名前:姫神 投稿日:2004/01/30(金) 23:12
-
この組織は狂っている。
独房などでひたすら孤独を味わった彼らには、そのことがよくよく解っていた。
経済会の重鎮からなる暫定政府。
そこから、委託を受けての警察業務を行っている警備会社。
いまや全権を握ろうかという勢い。
おかしくない、わけがない。
「いぃえぇ。まぁ、殺し合いは、あながち間違ってませんけどね」
――相手はお互いじゃありません。
そうどこか面白そうに言い放って、声は言葉をくゆらせる。
異様な緊張感を得た空間に、明かりがともったのはその瞬間だった。
- 307 名前:姫神 投稿日:2004/01/30(金) 23:14
-
バチン。
ふたたびどこかからか操られた光が、今度は部屋全体を満たした。
いきなりの光の奔流に目を細める男たち。
彼らは、必死に視界を取り戻そうとうめく。
「……、まさか」
一人の男が箱に開いている穴に気付いた。
それは遠めに見て、四角い形をしており。
明らかに空間の出口だとわかるものであった。
出口。
外界。
焦がれるほどに待ちわびた、その場所。
瞬くほどの間を持って、少女の声は愉快そうに紡いだ。
「ゲームをしましょう。
殺すか生き残るか、簡単な話なのでルールなどはありません」
賭けるものはみなさんの命。
こちらは、幹部候補生の命を代価として支払います。
「一人でもあの出口にたどり着けたなら、みなさんの処刑はそこで中止です」
――そして、その時点で生きている、全員の放免を約束します。
- 308 名前:姫神 投稿日:2004/01/30(金) 23:15
- ざわり。と、色めき立つのは否めない。
それもそうだろう。
ずっと独房で鬱屈とした状態に押さえ込まれていたのだ。
外に出れるだけでも恩。
自由となれば、今度は巧くやっていけるはず。
そう、誰もが一瞬思い描いた。
しかし。相手はこのセキュリティ会社の幹部候補。
分は、わからない。
「一斉に処刑人に取り掛かってもけっこうです。
それぞれ勝手に出口を目指されてもけっこうです」
まぁ、できると思ってはいませんがね――。
そう人の悪い微笑をまんまとスピーカーで通し、少女は軽く咳払いをした。
「なんだと!まだ相手も出してないのにそういうコトを」
「そうだ。バカにしやがって…」
奇妙な連帯感をもって息巻く集団に向かい、強烈な印象を与える相手が現れるまで。
さして時間はかからなかった。
- 309 名前:姫神 投稿日:2004/01/30(金) 23:17
-
- 310 名前:姫神 投稿日:2004/01/30(金) 23:18
-
カツコツ。
と、出口の奥から靴底の床を叩く音が聞こえてくる。
明かりの中に浮かび上がる影と形は、思うよりも細く華奢。
「……それこそバカにしてるぜ」
そう一人の男が昔使っていた物と、同型の銃器を取り上げた。
「部屋に入ってからって確約はねえよなぁ!」
怒号を放ちながら、ワンハンドで狙いをつける。
電銃の光がフラッシュのようにひかり、光線が突き抜けた。
圧縮された電気の銃弾は過たず直線を一掃していく。
が、その光が影に届くことは無かった。
どういう原理か解らない。
もしかしたら避けたのかもしれないし。
単純に射程になかっただけかもしれない。
- 311 名前:姫神 投稿日:2004/01/30(金) 23:19
- 悠然と、足音は響き続ける。
そして、影は大きくなっていく。
カツン。
明かりにふれた位置で靴音がとまり、その姿形が確定する。
あきらかに少女のようなそれ。
顔には表情の色のない、一枚の仮面をつけた…人形のような仕官が立っている。
見れば電銃での衝撃で、焼け焦げた跡が衣服に残っているではないか。
仕官服の腕に、胸に。
近場でのアナログの銃撃よりも、よほどの威力を持っているはずの電銃でこの状態。
いったいどういうコトなのか。
狙い撃った男は愕然としながら、グリップを握る手を戦慄かせた。
- 312 名前:姫神 投稿日:2004/01/30(金) 23:20
-
「気の早い方も居るようなので、始めましょうか」
ベルを鳴らしますから、それで初めてくださいね。
そう相変わらずの楽しげな音声が、残酷な時間の始まりを告げる。
ザ!っと男たちは一斉に自らの獲物に手を向け、手のひらにそれを収める。
硬質の糸。
銃。
刃物。
さまざまな凶器を己の手に、一瞬を越える。
ジリリリリリリリ――。
アナログの代表のようなベル音が、切迫した唸り声を上げると同時に。
重罪の犯罪者たちは出口に向かって走り出した。
- 313 名前:姫神 投稿日:2004/01/30(金) 23:22
-
- 314 名前:堰。 投稿日:2004/01/30(金) 23:27
- とある人物の回想です。
また固有名詞なしですが(笑)。
更新はあまり待たせませんので、待て次号!です。
>>300
マターリとしたかったのですが、
ちょっとばかし暗いところを掻き出してみました。
それこそ、隅をひっかくようにして。
気になる方というと、どなたでしょう(微笑)。
それでも三人くらいしか、固有名詞は出てないし。
白衣の方は出てきましたし(笑)。
前のほう?はてはて…はてはてふふーん<殴
- 315 名前:姫神 投稿日:2004/01/31(土) 23:01
-
+ + + + + +
- 316 名前:姫神 投稿日:2004/01/31(土) 23:05
- ――あきらかにシャープさが足りないんだな。
と。
練武を含むトレーニング施設で、「無粋な声」をかけられたのが最初。
年末年始の幾分余裕のある状態で、周囲には人が居らず。
状況だけを言えば、警備に借り出された者も居れば、休暇を取っているものも居る。
自身は後者に当たった。
測定を繰り返して能力値が少しばかり平均を下回って。
下級ばかりでは給与査定にも響くし、昇進にも差し障る。
正直、上へのし上がるというような目標はもてないほど平凡な個。
そのために、まぁ、少しくらいはと、必死になって自主トレーニングを積んでいる。
その最中だった。
- 317 名前:姫神 投稿日:2004/01/31(土) 23:07
- パシン。
と低く構えていたはずの脚を軽く払われて、思わず膝をついてしまう。
確かに武においての成績は下位だった。
だけれど、至極あっさりと払われてしまった自分にも腹が立った。
もちろん、有無を言わさず払った相手にも立腹したが。
「な!なにをするんですか!」
と抗議をしたものの、相手は冷ややかな視線を崩すことがない。
揺らがない視線のまま、「構えなおせ」とだけ告げた。
有無を言わせない空気。
どうしようもない力。
その重さに逆らうことができずに、不承不承に静かに構えを正す。
「重心はただ重くすればいいってワケじゃないんだよ」
――後ろ足の位置が良くない。
まるでモノ扱いされるようで頭にくるが。
今度も、モノを扱うように、後ろ脚の位置を正される。
- 318 名前:姫神 投稿日:2004/01/31(土) 23:10
- と、相手はゆっくりと前へ歩み、静かに腕を一本出した。
何をするのだろうと思い行動を伺っていると、
「その状態で、前払いから逆脚の正段蹴り」
などという言葉が聞こえて。
しかも、払いの前にあたる位置から、強引な突きがひとつ繰り出された。
思う間もなく反射的に払いのけ。
言われるままか操られるままか、正段に蹴りを繰り出す。
と、自身のものより数段重い、「払い」が脚を痛打する。
完全に軸をぶらされて、あらぬ方向に脚をついてしまった。
途端。
ブンという唸るような音をたてて、裏拳が胸元を抜くように突き出された。
寸止めだと言うのに、頬に感じられる拳圧。
あきらかに上級者の拳だった。
抜くための制動は完璧で。
拳を出すための前フリだとかは、揺らぎがないために悟ることすらできない。
反応できない自分に愕然としている、その耳に、容赦ない言葉は続く。
- 319 名前:姫神 投稿日:2004/01/31(土) 23:12
- 「それじゃぁ一撃くらって死ぬしかない」
などと、どこか面白いものでも見るような顔で言うものだから。
「だから、こうやって訓練してるんじゃないですか!」
そう思わず怒鳴って返してしまった。
初対面なのに、明らかに上級者なのに。
努力を揶揄されたような悔しさや、それを見ていただろう事実への気恥ずかしさ。
沢山の気持ちがない交ぜになった、羞恥からの声だった。
「それでもさ。下手なヤツが自主トレなんかしたってたかが知れてるんだよ」
相手はそうニヤリと微笑って、それから大仰に肩を竦める。
完全にバカにされたのだとわかって、さらに声を張り上げた。
「努力してる人間に対して、そんな言い方ないんじゃないですか!?」
自分だって解ってるんです!こう、伸びないのも…悔しいけど――!
思わず目頭が熱くなる。
頑張ってるのに、こんな言われ方はあんまりだ。
頬が熱い。涙が出そうになって、頬をかたくする。
- 320 名前:姫神 投稿日:2004/01/31(土) 23:16
- ギャン!と吼えたのに。
目の前の相手は、いやらしいとすら思える上級者の笑いをすっと納めた。
あまりに空気が変わってしまうのに、思わず目を瞬かせる。
と。
たまっていた涙が一斉に眦から溢れ始めた。
あれ?あれれ?と思って甲で拭うが、もう遅い。
今日は最低だ。
と内心毒づいた瞬間、相手の頬が少しばかり緩んだ。
まるで冷たい影の中に、陽光の差し込むさまに似ていて。
冬場の陽だまりに出会ったような、そんな気分がした。
なにかを懐かしむような、なにかを取り戻したいと思っているような。
一瞬だけど、場が揺らいで、憧憬めいたものが入り込んだ。
そんな、気がした。
あくまで、警備官の主観だけれど。
- 321 名前:姫神 投稿日:2004/01/31(土) 23:19
- しかし、思ったこと全てが無駄というわけでもないようで。
「そう。努力してる。それが珍しくて、いいなって。そう思いながら見てた」
――あたしもまぁ、その口だったからさ。
その言葉に思わず顔をあげる。
と、相手はようやく冷たさだけの表情を納めて、嘘のように微笑んだ。
「ここで鉢合わせするようだったら、見てあげるよ。
だから、あんたは、毎日基礎体力作りでもしてればいい」
――あたしの出す難しくない要求に、こたえられる程度にね。
それだけ溢すように言うと、静かに入ってきたはずのドアと反対方向。
すなわち、奥へ向かった。
その方向は、幹部職員のための生活棟にも続く通路側。
「あの!私、警備官の石川と言います!」
そう咄嗟に敬礼する。
なのに、相手は歩むままに手をふらふら振って、そのまま扉のむこうに消えてしまった。
こちらのことなど、決して振り返らずに。
- 322 名前:姫神 投稿日:2004/01/31(土) 23:23
- ふたたびトレーニングルームに静寂が戻ると、狐にでもつままれたような気持ちになって。
思わず体中から力が抜けてしまった。
へたりと両膝からおちるのにも、耐えられようがない。
はじめの高圧的にも思える、嫌な空気。
そうして、ふわりと笑った瞬間の子供じみた空気。
だけど。
信じたくなるけれど。
幹部だったらきっと気まぐれだろう。
一介の警備官たちに直接指導してくれるわけがない。
きっと酔っ払いかなんかなんだ。
思って、思わず肩を落とす。
そうして、肩を落としてしまった自分に驚いた。
…、あんな高圧的な始まり方だったのに。
視線だけで上官の去っていったドアを見やる。
だけど、もちろん、そのドアはかたく閉ざされて何も言わないでいた。
- 323 名前:姫神 投稿日:2004/01/31(土) 23:24
-
この出会いで全てが変わるなんて、思いもしなかった――。
- 324 名前:姫神 投稿日:2004/01/31(土) 23:26
-
- 325 名前:姫神 投稿日:2004/01/31(土) 23:27
- 翌週のこと。
正月ボケを直そうと大勢の人間がジムに集っていた。
大柄な護衛官の青年は、ベンチプレスで汗を流している。
かと言えば、続きになっているスタジオで、見たことのある護衛官が組み手を興じていた。
訓練中、一緒だったことが何度かある。
入社時期も同期の…、それでも、きっと自分よりは地位が上だろう少女。
リバースかな、だったら年齢わからないけど。
全般の能力が高くなければ、護衛官にはなれない。
一撃必殺の能力さえあればいい警備官とは違う。
まぁ、少しばかり差があるというのなら、筆記はこちらの方が上だ。
ほんの、そう、ほんの少しばかり。
- 326 名前:姫神 投稿日:2004/01/31(土) 23:30
- 視線の奥で、実戦的練習は繰り広げられている。
柔和にも見える護衛官の視線に、切れるような光が生まれ。
組み手の相手の顎、それこそ、ヘッドギアへ重たい一撃が叩き込まれる。
吸い込まれるような一撃。
今まで格闘の訓練も受けたし、見ることもした。
が、これだけ美しく見えたのは初めてだ。
ぐらりと傾ぐ頭が、ふっと視界から消える。
きっと膝から崩れ落ちて、今頃床の上だ。
なんて的確さと破壊力。
自分にはあんな力もない…。
ダメだ。また考え込んで落ち込んでしまう!
そうして、自らのパ!っとしないことを暗く思っていた彼女は。
ゆっくりと視線をめぐらせ。
そう、めぐらせたとき。
- 327 名前:姫神 投稿日:2004/01/31(土) 23:32
- 本当に、来た――。
本当に自分の訓練中にやってきた、先週の「あきらかに上官と解る相手」を見つけたのだ。
そ!それだって、きっと通りがかっただけに決まってる。
そうだ!きっとそうだ!
でなければ、自分になど会うこともないようなスキルを持った人間なんだ。
係わり合いにはならないほうがいい。
そう思い、さささっと視線を伏せる。
が、相手の気配はズンズンと近づいてくる。
- 328 名前:姫神 投稿日:2004/01/31(土) 23:35
- 細めの眼鏡、どうやっても運動はできないような、パンツスーツという姿。
気配だけでもわかるその存在。
きっと隠す必要がないからなのだろうけれど、それにしたって鷹揚な空気。
そう思い、どこまで進んだかしら?過ぎたころかしら?と視線をあげたら…。
目の前から不信そうな顔で、「なによ」と声を放り投げられた。
「な、ななな、なんでもありません!」
と、思わずどもり散らしてしまった。
立ち止まってやがった!
目の前に居るとは思いもしなかったせいで、動揺も隠せない。
それを目にし、くっと、面白そうに口元が上がる。
面白そうに見えるというのも、意外で思わず場が固まる。
初対面という感覚が拭い去られ、自身の目が慣れたからなのか解らないが、相手の表情は穏やかだ。
- 329 名前:姫神 投稿日:2004/01/31(土) 23:37
- 「で。体、ちゃんと作ってるんでしょうね?」
真正面に立ち、静かな声で問われて戸惑う。
それは、基本的な運動はしてるけど。
それだけで能力が上がるとは思えない。
すぐさまの返答が無いのに、無言で女は腕を伸ばした。
何をされるのかと肩を竦めるのに、呆れるような息が聞こえ。
肩に触れ、二の腕に触れ、トンと拳で腹を押され。
よろめいて一歩を後ずさるのに彼女は肩を竦めた。
「まぁ、悪くないんじゃない?
一週間で腹筋のはりがよくなってる。
肩のコンディションも悪くないみたいだし」
――あともう一週間待つ。
後、一週間?
返答によどむ警備官を横目に、彼女は再び歩き出す。
「そしたら、こないだ言ったように始めるから」
じゃ。
と、まるで事も無げに手の甲を振り。
上官は前に去っていった方向へ再び消えていく。
ほ…本気だったんだ。
思わず呆然と見送るのに。
周囲が怪訝な視線を向けるのにも、全く気付けないままでいた。
- 330 名前:姫神 投稿日:2004/01/31(土) 23:38
-
- 331 名前:堰。 投稿日:2004/01/31(土) 23:42
- 更新でした。
こう、時間軸のずれた話。
さらにその回想なので、ややこしいかもしれませんが。
私はよくやりますよ<青木さやか風
この話の段はもう少し続きます。
会話の相手はダレだ!?とか、解ったぜ!と思っても、
心の中のメモにひっそり書いておいてくださいね。
当たっても、何も出ませんよー(微笑)?
- 332 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/01(日) 02:08
- マッタリも好きだけど、緊張感のあるのも好きですYO
なんかちょこちょこ気になる人が居たり居なかったり。
もちろんメール欄の人もですがね。
- 333 名前:名も無き読者 投稿日:2004/02/06(金) 09:19
- おぉっ!更新されてるやん!(←遅過ぎ)
いやぁ、面白いですw
会話の相手…わかったような気も。。。
次も楽しみにしております!
- 334 名前:姫神 投稿日:2004/02/08(日) 22:24
-
沢山。
本当に沢山のことを学んだ。
急所の効率のいい狙い方。
痛みを増させる方法。
その逆もまた然り。
内緒で、自分の余暇に、彼女の仕事についていったこともある。
まさに、必殺の仕事を目に焼き付けてきた。
だけど、もう、彼女は――ここに居ない。
- 335 名前:姫神 投稿日:2004/02/08(日) 22:24
-
+ + + + + +
- 336 名前:姫神 投稿日:2004/02/08(日) 22:26
- 自分に全てを刻み込んだ、彼女はもう、ここに居ない――。
思い出を仕舞うように、すいと、視線を上げる。
すでに一人の男の腕が、刃物を振りかざしては眼前に迫っていた。
だけど、遅い。
彼女に比較するのも失礼なほど、生ぬるい速度でそれは迫ってくる。
体を半歩、右に、すり足する分をずらす。
刃の軌跡の見極めなら、もう、ついていた。
手刀の一撃で刃物を落とし、その振り切られた腕を肘ごととらえ。
勢いを殺すことなく相手を振り、位置を変える。
さっきから、自分を撃ち抜こうとしている他の人間が居ることを、察知しての行動。
盾にされることを悟った男の、悲痛な叫びが部屋にこだました。
- 337 名前:姫神 投稿日:2004/02/08(日) 22:29
- 命乞い。
「今更…」と思いつつ、冷静に状況をはかる。
銃を構える男は、恐慌とまではいかないが、恐怖にとらわれて筋肉が萎縮している。
至近距離だからこそ当たるだろうが、的を得てはいない。
そんな銃撃、怖くない。
パシュンという軽い音とともに放たれた、電銃の発光は三発。
小型電銃の充電による装填数は8〜10が限度。
残りの銃弾は、あっても3発程度になる。
それに、この組織で満タンに充電してやるほど、人のいいヤツなんか居ないだろう。
仕官は背中が焼け焦げ絶命した遺骸を、小さなモーションで射撃した男へ蹴り飛ばした。
左の足刀が死体を飛ばす。
その足が床に着くかの状態で、自らのアナログを抜き放つ。
踊るような、流麗な動作で。
- 338 名前:姫神 投稿日:2004/02/08(日) 22:33
- オートマティックの、代表格。
つや消しを施したブローニング。
――扱うならアナログの方がいい。
陶然と囁いた甘い声。
今も、鮮明に思い出せる。
視線。指。声。癖。
笑顔だけは、涙で霞んでぼやけてしまうけど。
――武器にだって、使いようでは、血が通うもんだからね。
まるでクロームのように硬い低音と、紙一重の、絹のような中音。
初めて硬質のグリップを包むのに、怯えた手つきを覆った手。
レクチャーのたびに、首筋にかかる吐息。
気だるい背中を包んだ、その体。
残っているのはなんだろう。
残っているのは、なに?
アナタノ中ノ、ワタシはドコ――?
- 339 名前:姫神 投稿日:2004/02/08(日) 22:36
-
ガォンという重たい響きをたてて火薬が弾き、薬莢が落下する。
筋肉の硬直か、でたらめな方向に一発、光線が帯をはいた。
弾丸が慄く男の眉間をとらえ、脳を貫いて頭蓋のうちにとどまり。
絶命のうめきすらあげることなく。
視線を見開いたまま、電銃の男は前のめりに転がった
崩れ落ちる体の痙攣を見ることも無く、すでに仕官の体は翻っている。
- 340 名前:姫神 投稿日:2004/02/08(日) 22:38
- 腰元には刃渡り30センチほどの大振りなナイフ。
片刃のそれは、太古であればショートソードと言われそうなほどのつくりをしていて。
狙いを定めようとして、慌てふためいている男の懐に飛び込むと。
それを気合もなく抜き放ち…。
一閃する。
喉が横向きにぱくりと口をあけ、鮮血が飛び散った。
喉笛から頚動脈までを一思いに掻き切られ、肺からの空気がピュイと絶命の笛を鳴らす。
返り血も浴びぬような速度で幹部候補生は飛び退り。
逆手にした刃を持つ拳で拳銃を持つ肘を固定すると、一人を射殺した。
手持ちだった得手の硬糸がだらりと床に落ち、男の血の上で跳ねた。
- 341 名前:姫神 投稿日:2004/02/08(日) 22:39
-
- 342 名前:姫神 投稿日:2004/02/08(日) 22:48
- 時計を、片手にする。
ふむ。
と、静かな息をついて、口元を持ち上げて。
確かに。
視線のうちで繰り広げられる光景は、満足できると確信した。
面接においても、過去の証言においても、「個体の関連性」は明らかで。
それならば、選択肢の一つに置いて良いと思っていた。
表立った評価のない士官ではあったが、どうして、場に置けば、この姿。
よく、彼女を育てたはずの人間は、できる仕官や上位数名を鬼神だと言っていたが。
踊る様は姫神――か。
くつ。と、喉を鳴らす。
ロマンティストめ。
揶揄と、親愛の綯われた笑み。
前任の警備官が殉職し、空席ができていたのは事実。
そこに据えようとしての試験。
目にかけている少女が居ると、そう言っていたのは本当だったのか。
今はもう、会わない相手を思い出して、口元をゆがめる。
- 343 名前:姫神 投稿日:2004/02/08(日) 22:52
- なんという、置き土産。
なんという、出来だ。
行動の的確さ、やり口、まるで――。
陶然とする人物が思うよりも早く、しずかに隣の気配が動いた。
「前騎士のコピーみたい。
あの人ほど、機械的でも凶器的でもない」
すっと、アナウンス用のコンパネに手をつき、現職の騎士がつぶやく。
王のそばにあって、御身を守るのは騎士の務め。
現実というゲームの駒だとしても、ビジネスライクでも、役割は変わらない。
「コピー…だけど、使えないわけじゃない」
――どれだけ体に刻まれてるんだろう。
陶然と、性質悪く無邪気にも言い放って、騎士は微笑する。
視線の先にあるのは、鮮血の赤い海と、転がる、色のない腕や脚。
自分の知っている騎士は、こんなものじゃ、なかったけれど。
その視線を解せないもう一人の騎士は、ただただ、眼下のやり口を冷たく見つめているのみだった。
- 344 名前:姫神 投稿日:2004/02/08(日) 22:54
-
- 345 名前:姫神 投稿日:2004/02/08(日) 22:56
- 最後。
部屋の隅に追い詰められた男が、ひどく怯えて頭を抱えている。
目の前に広がる惨状を見れば無理もない。
「オーケー。候補生、それで終わりにしよう」
そう、本当に遊びのような声が、楽しそうに響いて、部屋に染み渡る。
ひどく空気は歪む。
怯える男の波動と、その享楽は同じ場所にあって、相容れない。
「イエス。マスター」
機械的に答えて、どちらが綺麗に終わるだろうと考える。
そうして。
恐慌に腕を振り回す男の動作を見切り。
腰を落とし、横凪ぎにナイフを振り払う。
骨の間に巧く入り込む刃を進ませ。
ギっとした筋肉と骨格の抵抗を、角度と速度と力とで乗り切る。
グパっと傷口は切り開かれ、迸るのは鮮血の赤。
幾分の褐色を持ち合わせる、肌に降り注ぐ。
ゴト……。
と。
落ちた首の、見開いた目と口が歪むのを、つま先で転がし。
刃から血糊を振り払い、傍観者が揃っているはずのブースを見上げた。
- 346 名前:姫神 投稿日:2004/02/08(日) 22:58
- 「ゲームは終了」
――素晴らしいね。かすり傷もついてない。
そう、面白い余興を見ていたかのように、最初からの声が紡ぐ。
綺麗だった床は朱に染まり、転がる死体は綺麗に七つ揃っている。
頭数は欠けていない。
まぁ、パーツのバラバラ加減はどうあれ。
ぅん!とわざとらしい咳払いをしてから、アナウンスが彼女を招く。
「ようこそ、あたらしい幹部――ビショップ、石川梨華」
――こちらに出迎えの用意がある。上ってきなさい。
バシュンというエアジャッキの動く音がして、一枚の壁と思われていた場所に扉が現れる。
エレベータ。
たった一人が乗れればいいような、小さなエレベータの扉…。
今、この場で屠った男たちが望んでいた、天国への梯子――。
- 347 名前:姫神 投稿日:2004/02/08(日) 22:59
- 仕官服の焼け付きに指をはわせ、一度首もとを検める。
内側に来ていた、電気系防御の素材でできたハイネックのシャツは傷一つない。
卑怯だと言われようが、それは許された防備。
衝撃も鍛えた体にはさほど響かなかった。
きっと、汗を流すその鏡で、いくつかの小さな痣を見止めるだけだろう。
肩で一つ、大きく息をついて再び襟をとめる。
たどり着く。
やっと、幹部という、同じ場所へ。
もう居ない、あなたの居た場所へ――。
幾分乾いた血糊を指でかき剥がしながら。
新任のビショップは上階へ向かった。
- 348 名前:姫神 投稿日:2004/02/08(日) 23:01
- 待っていたのは面接官だとばかり思っていた総裁。
そして、以下の幹部。
思ったとおり、護衛官の椅子には同期の彼女が座って…。
その見た目の華やかさに一瞬目を疑ったけれど。
証として渡された、幹部用の部屋の承認鍵。
総裁の小さな声が、悪戯に呟いた声に、胸を貫かれた。
「前の騎士が使ってた部屋だから」
真っ直ぐな、視線。
その澄んだ瞳の中に眠る、強烈な欲望。
人ならざる何かを持っていると、瞬時に畏敬を覚える。
そして、関係性を熟知したうえで、自らを呼び寄せたのだと解った。
それならば、とことんやってやろうと。
そう、彼女はその時、自らに誓ったのだ。
もう、軽く片手を越える、何年も前の話だけれど…。
- 349 名前:姫神 投稿日:2004/02/08(日) 23:02
-
- 350 名前:姫神 投稿日:2004/02/08(日) 23:04
- いつか、この手で傷つけてみたい。
そう。
心の片隅で思い始めて。
叶わない夢想だと思いながら、日々を過ごしている。
今はもう、時間の流れすらわからない。
「梨華ちゃん?」
――石川警備官長?
と、普段のように声をかけられ、一瞬たじろぐ。
「考えが深すぎるよ」
そう呆れたように笑みを上らせながら。
同じ地位、幹部に座するもう一人の「容姿上の少女」が笑った。
彼女もリバースだが、どこか少年ぽさを思わせる快活さを持っている。
護衛官の、あの子よりは、ずいぶんと少女らしいけれど。
芯の問題だろう。
少女の外皮と、少年の芯。
「うん。あぁ…、失礼」
制服の制帽を両手でただし、口元をかたく結ぶ。
「もう、大丈夫」
仕事上のハキっとした物言いで紡ぎつつ、視線をめぐらせた。
いつか。
いつか。
傷つけた、その線の上で、死ぬことができたなら。
それこそが、唯一の幸せだと。
本当は答えの出ている気持ちに蓋をして、ビショップは静かに息を吐いた。
姫神:了
- 351 名前:堰。 投稿日:2004/02/08(日) 23:10
- 更新でした。
姫神の段はこれにて終了。
次はちょっとは明るいかしら(苦笑)。
>>332
緊張感、でてますでしょうか。
なんだか畏怖や畏敬のみのような気もしますが。
圧倒的なものを書くのは好きなようです。
気になるあの子。ですか(微笑)?
そうですね。あの子とかあの子とか、初登場です。
名前なんかぜんぜんでてきやしませんが。
>>333
はい。更新してました(笑)。
ちょっと板を撤退しようかとも思ったのは内緒です。うふふ<殴
自由に書いてこその世界と思ってますので、
いつか不自由や暗さに悩まされるかもしれませんが。
書き続けてまいります。以後もよろしゅうに。
- 352 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/09(月) 16:07
- 更新乙です
名前が出て来てない人が多くて若干混乱気味ですYO
今回はガクガク(((゚Д゚)))ブルブルしながら読みましたYO
- 353 名前:たくさんの独り言。 投稿日:2004/02/12(木) 21:59
-
どうして、選んでくれない。
どうして、この手を取ってくれない。
どうして、微笑んでくれない。
こんなに、きみを欲しているのに。
こんなに、世界を、厭っているのに――。
- 354 名前:日常。 投稿日:2004/02/12(木) 21:59
-
とある、一日。
- 355 名前:日常。 投稿日:2004/02/12(木) 22:00
- 参ったなぁ。
と、裕子は紫煙をくゆらせながらその背中をじっと見ている。
呼び方ならば決めたのに。
一向に名前を言う気になれない。
と、言うよりも、言うのが照れくさくて仕方が無い。
「今更」とかなんとか理由をかこつけて。
自分は、一度も彼女につけられた名前を呼べたためしがないのだ。
矢口曰く「裕子のアホ」だそうだが。
そんなん言われなくても解ってるわ。
などと、大人気なく言い返してしまって自分で情けない昼下がりである。
- 356 名前:日常。 投稿日:2004/02/12(木) 22:02
-
人間の生活を、少しずつおぼえ始めている天使。
彼女は今、洗濯物を矢口とたたんでいた。
それでも、複雑な作業はやっぱりできないのか、徹底的にタオルやTシャツに手を伸ばしている。
それくらい自分でやる。
と言ってみても、お手伝い大好き矢口は手を休めはしない。
それならメイドで囲ってやろうか?
と冗談めかすと、思い切り脛につま先を食らうのだけれど。
「やぐち、おこった、ら、ダメでしょ?」
そう、まるで子供が喋るようなものいいで、天使は微笑っていた。
精神を繋いで喋るのより、ものすごくつたなくて、頼りない喋り方をする。
しかし、この天使の学習速度は速いほうなのだそうだ。
試しに知能テストなんかもやってみたらしいのだが。
理知だけでならかなりの数値を持っているらしい。
前例をガンガンとプリントアウトしたり転送してくれる生物学者は、興味深そうに彼女を見ていた。
- 357 名前:日常。 投稿日:2004/02/12(木) 22:02
-
そんな頭がいいようには見えないけどなぁ。
なにものも、個体差があるからしゃぁないやろ。
- 358 名前:日常。 投稿日:2004/02/12(木) 22:04
- 個体差。
その言葉を導き出して、自分に納得が降りてくる。
そうだ!個体差だ。
感情に差異があるのと同じように、親密度に個体差があるのは当たり前で。
そりゃ、捕まえた張本人やないですか?
と、自分で納得してみせる。
距離があって当たり前。
そう胸をなでおろしながら、かつて自分が見せた醜態は頭脳のすみへと追いやった。
心の中では自分は情け無いと思いとおしている。
かわきあがったタオルの塔を抱えあげ。
危なっかしい足取りで天使は立ち上がった。
「なっち、足元気をつけないとダメだよ?こないだ小指打って泣いたばっかりだからね」
ほいっと注意を放り投げて、矢口は苦笑する。
「そうだ…ね。気を、つけます」
相変わらずのたどたどしい言葉遣いに思わず頭を抱えたくなる。
「つけます。じゃなくって、つけるよ。で、いいんだって」
矢口となっちは、対等のお友達、でしょ――?
屈託なく、気兼ねもなく。
純粋に微笑を見せる矢口は、店に出ているよりも数段愛らしい。
天使の、効果なんやな。
認めないにはそれは目に美しすぎて、認めるにはちょっと癪。
- 359 名前:日常。 投稿日:2004/02/12(木) 22:10
- 「うん。わかった。きを、つける」
反芻するように言葉を繋げるのに、矢口は非常に満足したようすで。
ゆっくりと、なつみの頭に手を伸ばした。
綺麗な髪がその小さな手で揺らされる。
と、支えを一つ失った洗濯物がゆっくりと傾いで行く。
これは教えないほうがいいだろう。
ちょっとした悪戯心にまかせて、裕子は二本目の煙草に火をつけた。
すぅ。
オイルの匂いと、フィルター一個を通して体に入り込む煙、その味。
ふい。
っと息を吐き出すのと同時に、悲痛な矢口の声が部屋にひびきわたった。
見事におちた洗濯物に、頭を抱えている。
「うわぁ!っと、なんだよー!せっかく畳んだのに〜」
あわあわ。と慌てる天使は、やっぱり何も考えずにしゃがみこんで。
案の定というのが素晴らしいほどの出来た映像で、抱えあげたタオルを全て床に滑らせた。
「のぉ!なぁっちぃ〜!ダメだよー!」
「ごめんなさい!」
せっかく畳んだのに。
と再三に嘆く矢口に、天使の平身低頭のあやまりかた。
おかしいなぁ。
かわいいなぁ、こいつら。
なんかもう。
- 360 名前:日常。 投稿日:2004/02/12(木) 22:12
- 「ははは。あんたら何やってるん?」
思わず声にして笑ってしまった裕子に、ギ!っと恨めしい視線が投げかけられる。
こういう時の本気は、裕子はちゃんと心得ているつもりで。
このまま矢口を怒らせたら、ろくな食事に一ヶ月近くありつけなくなる。
店に行っても無視される。
注文と違うものがでてくる。
果ては他の客の一杯を全員分おごらされた経験もある。
思わず蒼白になりながら。
裕子は椅子から立ち上がり、つけたばかりのモクを捻り消した。
「まて!うちらでやるから高みで見物してていいよって、そう言ったの矢口やろ!」
「だからって大笑いすることないだろぉ!?」
早く出てきて手伝えよぉ!
「バカにして笑ったわけやないっちゅうに。まったく」
そう文句は言いながら、仕方ナシに裕子は自分のデスクをはなれた。
- 361 名前:日常。 投稿日:2004/02/12(木) 22:14
- 結局最後は三人で畳んで、裕子が仕舞いにいくことになってしまった。
自分の頭の上まで一気に洗濯物を抱えさせられて、思わず渋面してしまうのも無理はない。
「いいよなっち、放っておきなよ」
と、リビングから聞こえる声に横を見ると、いつのまについてきたのか、天使の姿がそばにあった。
まるで、本当に子供のようだ。
体の中の理知と能力は、はるかに高くて、人を簡単に凌駕するというのに。
視線に思いがみちたのか、どこか大人のような顔で天使は眉をさげた。
口元の笑みは微かに保たれるだけだ。
「な……。なんで着いてくるん?」
思わず名前をよびかけて、しかも恥ずかしくて言いよどんで。
そのまま飲み込んでしまうだなんて、あまりに情けなくて壁に手をつきたくなる。
けれど生憎両腕共にふさがっていて。
- 362 名前:日常。 投稿日:2004/02/12(木) 22:15
- そういう気持ちを全部読み取ったのか。
天使はさっきまでの微かな暗さを払拭して、いかにも楽しそうに微笑んだ。
思わず仏頂面になってしまうのに、「そんなにおこらないで」と言葉を投げる。
その様など、本当に子供のようだ。
この前の引け目もあってか、裕子はそんな天使にめっぽう弱くなっていた。
矢口は本当になにがどこまであったのか知らないので、微笑むだけだけど。
どうやら手伝ってくれるらしいので、クローゼットを開けてもらったりとしてもらう。
ふんわかとしたタオルをしまい、自分の衣装をしまいに寝室へと向かった。
その後ろを刷り込み完了の雛鳥のごとく、ほてほてと着いていく天使が居る。
- 363 名前:日常。 投稿日:2004/02/12(木) 22:17
- そんな光景と遣り取りを見ながら。
「だからアホだって言うんだよ裕ちゃん」
もうちょっとでも素直になればいいのにねぇ――。
年上の、非常に曖昧な位置に居る友人の素行。
そして、ゆれる感情を敏感に感じ取れる矢口は。
今日も彼女が呼びかけを言いよどんだことに、軽く微笑んでいたのだった。
- 364 名前:日常。 投稿日:2004/02/12(木) 22:18
-
- 365 名前:堰。 投稿日:2004/02/12(木) 22:23
- 日常。の2を更新しました。
時間軸は正常です。
>>352
ねぎらいの言葉ありがとうございます。
姫神の段は名無しさんが5人ほど出てきましたが、
初登場の子は多くないのです。実は。
そういう部分を綯いで、頑張っていこうと思います。
地道に地道にコツコツと。一番苦手なことなんですけどね。
_| ̄|○
- 366 名前:飢える手 投稿日:2004/02/22(日) 23:12
-
参ったなぁ――。
- 367 名前:飢える手 投稿日:2004/02/22(日) 23:15
- 壁一杯の情報の波。
それにさっと目をとおして、少女は軽く嘆息をつく。
取り下げられちゃったよ。
週に三度ばかり更新される情報から、あたりをつけていたものが消えた。
売買が成立したのなら、売られた旨が記される。
売り切れていないなら、そのまま継続して情報は掲載され続けるのだが。
それは、明らかに、取り下げられたのだとわかった。
何の前触れもなく、売り買いの匂いもなく消えていて。
しかも、この暗黙のルールが厄介。
取り下げられた情報は、追わないのが筋。
不文律である。
- 368 名前:飢える手 投稿日:2004/02/22(日) 23:19
- 参ったなぁ。
少女はもう一度、今度は最初ほど残念でもなさそうに息をついた。
数値変化。
この情報だけでも、その個体にしては特異。
しかも提供されていた間の情報を統合しただけでも、一つの例に突き当たることができた。
一つの事象の目印。
唯一無二の存在である証。
待ち望んでいた、印――。
個体。
- 369 名前:飢える手 投稿日:2004/02/22(日) 23:21
- 手に入れたい。
手に入れて、その先へ進みたい。
自身の中に渦巻いている欲と目標へ。
飢えている心だけが荒く呼吸を繰り返している。
このことは中枢においている人間以外は知らない。
取引先も然り。
そのものを扱うブローカー達もまた、同じ。
単純な収集癖のように見せかけるには、かなりの苦労を要している。
が。
この外見は罪だな。
と、画面に反射してうつる自分の姿に、くっと喉を鳴らした。
外見の尺度にとらわれやすい「人間」のこと、自分を疑うものなど何も無いのだ。
- 370 名前:飢える手 投稿日:2004/02/22(日) 23:23
- カツカツと靴底を鳴らし、執務室のデスクにつく。
ポップアップのモニターには、朝のニュースが文字として羅列されていた。
無機の表情のまま、画面を小うるさいポップスの番組に切り替える。
と、全てを投げるかのように口元をゆがめた。
あまりに綺麗な暗い微笑みは、出来上がりすぎて歪んで見える。
――乱暴するのは好きじゃないんだけどなぁ。
さして嫌悪があるような口ぶりでもなく、なにも悪くないように呟くと。
少女はその外見に不釣合いなほど豪奢なデスクに頬杖をついた。
- 371 名前:飢える手 投稿日:2004/02/22(日) 23:26
- それにしたって、欲をかられる外見をしていた。
通常のコレクター達がアレを見た時点で、欲しがる輩は声をあげるだろう。
こぞって。有り金はたいて。
その手に不釣合いな、無駄な宝を手にするために。
真意も何も解さないものが手に入れても、確かに同じ結果にはなるだろうが。
その程度では許せない。
渡さない。
アレは、自分のものだ。
念願をかなえるために。
連なる理想を、現実にするための――。
かねてからの約束を、確かに、叶えるための。
確実に扱うための知識は、自分しか持たないのだから…。
- 372 名前:飢える手 投稿日:2004/02/22(日) 23:30
- ポゥン。
という旅客機のアナウンス前のような知らせ音。
耳にこびりついて、世界を途切れさせる。
思考を分断されたせいもあるが、神経が尖っているようだ。
このまますぐに対応を許しても、すぐには営業スマイルができそうにない。
画面には幾つかの接触願いが出されており、その中で受けられそうなのに目を向けた。
気分転換にはなるだろう。
たまに、「普通」が取り戻せなければ、自分は自らの仮面をはがしてしまう。
なるべくならば、それは避けたい。
致命的になるようなことだけは――。
一番適当なものを選び、声をかけることにした。
- 373 名前:飢える手 投稿日:2004/02/22(日) 23:33
- 「なに?よっすぃー、何か用?」
そう気軽に応答する。
が、途端に「や、申し訳ありませんが、仕事のことですマスター」。
と、仮面をつけなおさなければいけない用事を言い渡される。
仕方が無い。
きっと表情を引き締める。
仕事とプラベートは分けるべきだ。
一応は、そう心得ている。
部下に徹底できているとは思えないが…。
机に埋め込まれたポップアップのモニターに通信相手の顔が映った。
のだが、これまた妙な疲労感を漂わせていた。
これは……。
だいたい通信の理由は理解できたが、すぐさま救ってやるのは芸がない。
「なに?どこか不備でもあった?」
そう視線を幾分厳しくする。
途端に困った声と下がった眉で、相手は画面に訴えかけてきた。
- 374 名前:飢える手 投稿日:2004/02/22(日) 23:36
- 「や。今ついてる奥さんが、二日ほど延長して欲しいとか言って聞かないんです」
辟易している音声に、思わず噴出してしまう。
日ごろの仕事用の空気と、雲泥の差。
相手を撃つための切れるような視線と空気。
実際。
相手にに容赦ない行動で狩って行く様から考えると、この状態はかなり情け無い。
画面の少女を吉澤ひとみという。
訓練施設では同期だった少女で、見た目秀麗な美少年のようである。
奥様方に大人気なのは、ルックスと甘いやわらかな声。
そして微妙なことに、「お調子者」という、三点が揃っているせいもあった。
堅物の組織の中において、かなりのホスト系なのだ。
その捻れた生真面目さは、普段のお調子もの具合に隠されてしまっているが。
彼女はじつに誠実で優しい。
- 375 名前:飢える手 投稿日:2004/02/22(日) 23:38
- そんな彼女に頼み込まれては、拒絶するのも可哀想だ。
少ない友人でもあるのだし。
「で?私からそれをやんわり拒否して欲しいと」
上司の顔で継いでやると、ぶんぶんと肯定のために頭をたてに振っている。
「もう助けてくださいよ。とうてい自分、奥様は好みじゃないのにぃ」
悲痛な声だこと。
どうにかして、現場を部下に預けて抜けてきたのだろう。
いつ探してこられるか戦々恐々としている。
きっと毎晩近くにいて頂戴とか言われてたんだろうな。
様子が手に取るようにわかったせいで、腹筋が痛くなってくる。
声を出して笑えない状況ならば仕方が無い。
だって。ねぇ。
大笑いなんかできない。
立場上。
- 376 名前:飢える手 投稿日:2004/02/22(日) 23:43
- 「契約は今日の16時までだったよね。
明日と明後日は公休をつけてあって、か。
しかも10日働きづめなんだ。頑張ってるねぇ…」
――いいよ、ちゃんと契約どおりにさせる。
奥様には折角のバカンスなんだから。
旦那様に金遣いの使途がばれるのも問題だろうし。
ちゃんとした手はずでお引取りねがうから。
悪戯な表情を浮かべるのに、画面の向こう側から両手で拝まれた。
「でわ。助けてあげるかわり。
帰着の後、私の私室のほうにくるように」
――たまには二人で飲もうよ。最近話もしてなかったしね。
外見相応の少女の笑顔には、「イエスマスター」との明るい応答があった。
そのまま切れていく通信に軽く肩を竦める。
彼女は立場が変わっても、変わらずに居てくれる友人たちの声に軽く口元を上げた。
目的が解っても――と言ったほうが、正解かもしれない。が。
- 377 名前:飢える手 投稿日:2004/02/22(日) 23:45
-
+ + + + + + +
- 378 名前:飢える手 投稿日:2004/02/22(日) 23:48
- 通信が切れると同時に、依頼主の奥様に電話を入れた。
しっかり部下を救い出してやる。
仕事柄、手元には沢山の情報が集まる。
そのために、相手にとって軽いものから…極悪な。
それはもう、クライアントが命を絶ちたがるような不利なものまで。
豊富なネタが揃っているのだ。
吉澤を指名したのは実のところカムフラージュ。
本来のバカンスの目的は若い執事との不倫。
中途半端な富豪にとって、金の使い道は大事だ。
その金額が大きければ大きいほど、目くらましも利く。
が、見られる穴も大きくなる。
依頼主は、上級層でも「なりあがり」の家系排出で。
どうにか財閥のダンナを捕まえた玉の輿。
金なら困ることもなかろうが、地位を失うのは厳しかろう。
殊更。
自分自身の地位と体裁を守るために、やっきになるソーシャリティのこと。
可愛い部下で、大事な友人を、しっかりこちらに帰してくれることだろう。
いつの時代も、人間は世間体で生きている。
そういうコトなのだ。
- 379 名前:飢える手 投稿日:2004/02/22(日) 23:50
-
さて。
多少の冗談めいた世界に触れたことで、気持ちが軽くなっている。
明るい気持ちになれたところで、さっきの目標へ手をのばすことにしよう。
少女は一瞬の逡巡ののち、通信の回線をとある部屋へ延ばした。
- 380 名前:飢える手 投稿日:2004/02/22(日) 23:53
- 「おはよう。
セットでもどちらか一人でもいいんだけど、頼まれ物してくれない?」
相手の部屋のベッド正面に、据え付けられていたはずの端末。
それが映し出す映像は、シーツにくるまった少女。
と、着替えの真っ最中の部屋の持ち主だった。
表情から漂う微かな高揚と疲労感に、事後の艶やかな色が薫る。
「無粋だなぁいつも。
時間問わず、話があるときには最初に声掛けてって言ってるのに」
肩までもない髪を軽くすいて、着替えを終えた少女は立ち上がった。
ストレートのジーンズに、キャミとノースリーブの重ね着。
ラフな服装が似合うのは自分も同じことだが、先方も男前にうつる。
「それは私信の時でしょ?」
呆れるように付け加えて、邪魔な後ろ髪をまとめた。
「買おうと思ってた品物がね、リストから取り下げられちゃったんだなぁ」
おかしいんだよねぇ。
前触れも何も無くてさぁ。
……どうしてだろうね――。
なにか楽しいことの計画を練るような。
楽しみな映画の話をするような口ぶりで、彼女は自分の髪をピンでとめる。
- 381 名前:飢える手 投稿日:2004/02/22(日) 23:55
- 「仕事?」
モニターの範疇から消えた少女のかわりに。
ベッドの中でまどろんでいた少女が身を乗り出す。
綺麗な白磁の肌、その黒髪の流れるコントラスト。
アーモンドの瞳には、悪戯な光が見え隠れしている。
「そうだねぇ。なんで取り下げられたのか調べてほしいから…。
まずは、ピーピングかな」
――最終的な判断は後から付け加えるとして。
通常の業務も、数を減らしてこなしてもらうけどね。
告げる言葉をすべて耳にする前に、彼女はベッドの中で腕を伸ばした。
「なーんだ。つまらないなぁ、それは」
ぽんと放り投げられた声に、くっと喉を鳴らす。
彼女たちには、覗きだなんて最下級の仕事でしかない。
あえてそれを望む自分の考えをも、汲んでくれるだろうことは確かだけど。
- 382 名前:飢える手 投稿日:2004/02/22(日) 23:58
- 「じゃぁ、報酬しだいってことで。
考えなくもないけどねぇ」
期待にみちた音声に、思わず笑みがこぼれる。
彼女は全てを知っている。
自分の欲――定められた使命、そして、本懐を。
黒髪の美少女。
無邪気さと可愛さだけにとどまらない。
凶悪な…それこそ、漆黒に染まった天使のような――。
視界から消えた少女よりもキャリアが長いくせに、擦れた部分を感じさせない。
ここは極上の褒美を差し出すべきであろう。
なにせ予想が当たれば、世界の先行きは短くなるのだから。
たとい悦楽に染まったところで、これ以上の、罪も罰も重くはなるまい。
- 383 名前:飢える手 投稿日:2004/02/23(月) 00:01
- 「バカンス一週間でどぉ?
二人セットで取ってもいいよ。資金つきで――」
「「のったぁ!」」
視界から消えたはずの少女の顔が、急にカットインしてくるのに微笑む。
こうなれば話は早い。
「まずは、観察だけね。周囲に危害は加えないように」
ふわりとした微笑に、切れるような低音。
まるで幾つかの色が重なってできあがっているように、多面が浮かび上がる。
しかし、彼女達がそれに臆するようなことはない。
それが本質の一部だと知っているから。
「イエス、マスター」
「違えることなく遂行します」
相変わらずベッドの中という体たらくを見せていたが、黒髪の彼女は任務を違えない。
なによりも。
怖いくらいに引き合っている二人は、是が非でもお互いが生き残って完遂する
そのせいか、二人が通った後には、人の形も残らないらしい。
実際、現場に下りたことがないので解らないけど。
掃除屋、死神。
引き継がれる沢山の異名を持っていても、二人の表情はまったく変わらない。
時折、飼っているこちらが怖くなるくらいだけれど。
ギブアンドテイク。
忠誠ではない、ビジネスライクな主従に肩を竦める。
- 384 名前:飢える手 投稿日:2004/02/23(月) 00:07
- 通信が終わって軽く息を吐く。
黒髪の少女を推挙した人間を思い浮かべ、ビショップを育てた者を思い浮かべる。
同じ人物ではあるが、今は親交も薄い。
完全になくなったわけでもないけど。
ねぇ、あの子を今の位置に据えてもらってて良かったよ。
そう穏やかに表情をしまいこみながら。
「王」の異名を持つ少女――後藤真希は、静かにモニターを机へと押し戻した。
飢える手 :了
- 385 名前:堰。 投稿日:2004/02/23(月) 00:11
- 飢える手(かつえる手)を更新しました。
姫神の護衛官はあの子で、アナウンスはあの方でした(笑)。
もう後戻りできません。
主に私が。
頑張っていきますので。
えぇ。よろしくお願いします。
- 386 名前:日常。 投稿日:2004/03/26(金) 23:11
- なん。
一枚の銀盤を持って訪れた武器屋は、なんだか悪戯を思いついた子供のように笑っている。
様子を見ていればそれが「楽しみ」に値するというのはわかる。
が。
彼女がめったにそういう顔をしない。
ということを、裕子は理解しているつもりだった。
――コイツも天使にほだされてるのか。
そう、思わず目の前が暗くなる。
ふわぁんと旋回する幻さえ襲う。
「語学学習ソフト。……しかも幼年版かい」
キランと光るそれ、きらりと光る眼鏡。
目の前の武器屋には申し訳ないが、ちょっとマニアの空気を漂わせているように思えて肩がこわばった。
「あんな?圭…ぼぉ、こういうのは」
言いよどむのもムリはない。
なんか怖いじゃん。
- 387 名前:日常。 投稿日:2004/03/26(金) 23:14
- 「はぁーい、相変わらずお店には来てくれないのね保田さーん」
――真里は寂しいわぁ〜ん。
呆れ気味に抗議を重ねようとした裕子の声にかぶせるように。
甘えた声を出しながら、矢口がキッチンから出てきた。
手には矢口がいつのまにか店から持ってきたトレイ。
その上にはグラスに冷えた紅茶と、コーヒー。
そして、牛乳とお湯で溶かしたココアが一個ずつ。
「残念だけど矢口にそういう声で甘えられても可愛い止まりだから」
「それ以上でも怖いよぉ!」
――つーか、飲みに来てよ。父さんも顔見たいって言ってたし。
圭の言葉に弾むように笑いながら、矢口は的確に切り返す。
あ。コレなっちにあげてね。
そう手渡されたディスクを見やって、矢口も思わず声を出して笑いだした。
いっや、なにコレ!
と笑いながらためつすがめつしている。
- 388 名前:日常。 投稿日:2004/03/26(金) 23:15
- 「そんなに笑うトコ?ねぇ」
などと圭がぼやいても、
「そら笑うしかないでしょ。あんなお土産」という言葉があるだけで。
否定は何もない。
気付けば裕子の前にコーヒー、圭の前に紅茶。
「なぁ矢口、これで裕ちゃんがココア欲しいって言ったらどうなる?」
一瞬の興味本位で口にした言葉にも、矢口は微笑いながら重ねる。
「無駄無駄。
いつもより甘くしてあるからね。裕ちゃんじゃ飲めないよ」
そう告げながらグラスを片手にあげて、ソファーにちょんと座っている天使にそれを手渡す。
ありがとう矢口。
にっこりと微笑む様に、これまた満面の笑みを返す矢口が居て。
「これは毎日和むわね…」
と圭が苦笑した。
「あぁ、もう力なんかはいらへん」
くたくたになる真似をしながら、机に突っ伏す仕草をとる。
裕子の音声が冗談になっていないのに、圭の喉は思わず笑みを紡いだ。
- 389 名前:日常。 投稿日:2004/03/26(金) 23:16
- 「微妙に勘が鈍ってるんちゃう?って思うなぁ」
いい加減仕事せんと、体もなまってきてるし――。
「そうだろうね。良かったら今度同行させてよ」
裕ちゃんの立ち振る舞いが大好きなんだ…。
臆面もなく言い放たれて、今度こそ赤面しそうになってしまう。
この女。
クセのある視線を持ち奥底の見えないわりに、言うことだけは超ド級ストレートだからたまらない。
「あ?なんか誤解させたら謝るけど」
幾重の意味にも取れると遅まきながらに気付いた圭が、一瞬慌てるように手を振った。
「やぁ。誤解なんかせぇへんよ。
武器の扱いやろ?わかってる」
がっかりはさせないと思うけど、正直自信は無いなぁ。
少しばかりの苦笑を表情にのぼらせる裕子の髪が、はらりと流れ落ちる。
てらいのない信頼が心地よすぎて、思わず笑みをのぼらせる。
その瞬間――。
- 390 名前:日常。 投稿日:2004/03/26(金) 23:17
-
「良い子のみんな元気かなー?!」
- 391 名前:日常。 投稿日:2004/03/26(金) 23:19
- 訪れた緊張感の無さに、思わずテーブルサイドの大人は突っ伏した。
「うはははははは!何これ!やっばくない!?」
いつの間にか矢口がロムを装填したらしい。
裕子の誇る大画面液晶と素敵サラウンドで、幼年向け語学学習講座が始まっていた。
発音や言葉遣いが微妙なだけで意味だけなら解る天使は、矢口の隣で愕然としており。
音声認識を使用したプログラムを遊び始めた矢口に、どう笑っていいのか解らない顔をむけている。
「……」
もしかして、否、もしかしなくても失敗ですか私。
そうした情け無い表情で、武器屋が自らを指差すのに。
「……」
もしかしなくても、けっこう選択ミスだと思います。
と、裕子はこっくりと頷き返す。
延々と続く子供向けの口調に、気付けばヒットポイントを削ぎ取られていく大人たちだった。
- 392 名前:日常。 投稿日:2004/03/26(金) 23:20
-
「あ!アメンボ!
い!いくら!
う!瓜売り!
え!エリマキトカゲ!
お!おかもちー!」
調子に乗って辞書登録になさそうな言葉を連ねている矢口に、
「つーかうっさいわボケぇ!」
という激昂の声が飛んだのは言うまでも無い。
- 393 名前:日常。 投稿日:2004/03/26(金) 23:22
-
そんなコトもありつつ……。
- 394 名前:日常。 投稿日:2004/03/26(金) 23:23
-
こんな日も訪れたりします。
- 395 名前:日常。 投稿日:2004/03/26(金) 23:25
-
ケーキを作りにきたよ。
と、ニコニコしながら矢口真里が入ってきた。
久しぶりに裕子が外へ出て行ってしまい。
家には天使だけが置き去りにされていたのだけれど。
「上から帰ってきた人が居るんだけど、その人がね」
そう笑いながら差し出したのは、目にも鮮やかな苺のパック。
お店の常連さんが持ってきてくれたという果実は、色彩に欠ける下界の中で目を奪う。
ふっと、『この場所に来るきっかけも、こんな鮮烈な赤をしていたなぁ。』と、なつみは思い出す。
ここに来る途中で、一瞬の風の強さに手放してしまった花。
もう、どの大地にも根付くことはないだろうけど。
「なっちはケーキは…作るのは見たことないよね?」
食べたことはあるけれど、作るのなんか見たことない。
好奇心に目を輝かせて、なつみはこくこくと頷いた。
「つくれるの?やぐち…」
「おぅ!まっかせとけぃ!矢口は器用だぜ」
ドン!と胸を叩き。
その勢いでむせこむという器用さも見せながら、真里は勝手知ったるキッチンへ脚を向けた。
- 396 名前:日常。 投稿日:2004/03/26(金) 23:27
- 矢口の荷物が重そうなので、半分を担いでなつみもキッチンへ向かう。
二人で居れば満杯になってしまう、小さなキッチン。
裕子自身は何もしないけど、何故か道具は全てそろっていた。
理由は、真里も知らないらしいし、裕子は口にしようともしない。
だから、触れないのが一番なんだと、そう感じていた。
それを人は、暗黙の了解と言う。
だから。だから?
矢口はそのキッチンが好きだった。
自分を、受け入れてくれるような感じがしたから。
「そうだ。なっち、苺一粒たべてごらんよ?
ドライじゃない青果って、あんまり降りてこないからね」
貴重なのよん――?
一際おおきな一粒をパックから取り出して、水で軽く洗う。
小さな子供の拳くらいあるだろうその苺を、なつみは軽く視線まで持ち上げた。
- 397 名前:日常。 投稿日:2004/03/26(金) 23:29
- 「こういうの、どう言うんだっけ。きれい?」
発音も発声も、しっかりとした「言語」だ。
はじめのころの、音のような声帯の振動とは異なる、声だ。
「お。あってるあってる。完璧」
うんうんと頷き返しながら、真里はなつみの頭を撫でた。
「きっと美味しくてほっぺた落ちちゃうよ?」
「そういう言い方するんだね」
比喩表現に納得する天使にむかい、「いーから食べてみなって!」と先を促す。
大きな赤い実。
あー!と大きく口をあけて、半分をかじりとる。
途端にじみでてくる果汁の多さ。
酸味と甘味。
そして、独特の芳香。
鼻腔をぬけてまで香るのに、なつみはジタジタと暴れだした。
よほど美味しかったのだろう。
- 398 名前:日常。 投稿日:2004/03/26(金) 23:32
- 「すごいでしょぉ?ねー、美味しいのは本当に美味しいんだ」
自慢げに言う真里の笑顔は、とても嬉しそうに見える。
なんでだろう。
人の手によるものだからかしら。
それとも、他になにかあるのかしら。
だけど。
本当に、美味しい。
人の口に頬張られている果実。
果実の栽培も、食料を得る力も。
御手による保護から追い出された子供たちが得た、生きていくための術の一つ。
「ほんとだ。ほおが落ちそう」
それを知ってしまう自分も、少しずつ堕ちているのだろうか。
天使は心の底に小さな思いを抱く。
誰にも、何者にも悟らせない、疑問のような感覚。
疑いを抱くことすら、罪だろうか……。
- 399 名前:日常。 投稿日:2004/03/26(金) 23:35
- 「うっしゃ!腕によりをかけて、なっちにご馳走しちゃうぞ〜!」
天使の疑問も知ることはなく。
気合とともに、矢口は作業にとりかかった。
卵や小麦粉、ちょっとしたエッセンス、クリーム用の生クリーム。
裕子の部屋に無いものを最初から知っている、真里のなせる業と言った方がいいだろう。
持参品で全てがまかなわれている。
「せまいけど、じゃまじゃない?」
――じゃまじゃなかったら、さいごまで見てたいな。
願うようななつみの声に、
「居てくれないとオイラが寂しいよ」と笑いながら、真里は粉を量ってふるい始める。
かたまりがあっては焼き上がりにも支障が出る。
「ケーキのできるのって、面白いんだよぉ?」
得意満面。
彼女は微笑みながら、なつみに作業工程の一部始終をみせることにした。
- 400 名前:日常。 投稿日:2004/03/26(金) 23:36
-
+ + + + + +
- 401 名前:日常。 投稿日:2004/03/26(金) 23:38
- できあがったのは苺のショートケーキ。
大きめにカットして、ぱくつきながら、二人はお茶を飲んでいる。
優雅な…日の光はわからないけれど、昼下がりの時間。
しっかりと立てられた生クリームには程よい甘味がある。
幾分硬めに焼かれたスポンジとの相性も抜群。
や。スポンジはちょっとばかり、失敗したから硬いだんだけどね――?
とは真里の談である。
面白い。確かに。
天使は思った。
粉と、卵白、卵黄、そういう沢山のもので、こういうふっくらしたものができるだなんて。
にわかに信じられない。
クリームを塗るためにカットした部分を先にもらったが、口の中でふわりと広がる香りに、目を細めすぎたというのに。
なんでこんなのができるんだろうねぇ。
と首を傾げるのには、
「どういう原理か知らないけどね。ま、美味しいからいいじゃ〜ん」と笑う。
部屋を漂う空気は、甘ったるさに溢れていて。
これで裕子が帰ってきたら、顔を顰めそうだなぁ…となつみは思った。
- 402 名前:日常。 投稿日:2004/03/26(金) 23:39
-
- 403 名前:日常。 投稿日:2004/03/26(金) 23:41
- 「だー。なに?この甘ったるい匂い!」
――矢口やろ?ケーキでも焼いた?
文句のわりに怒ってない顔で、裕子が戻ってきた。
確かに眉を顰めてはいるが、どこか嬉しそうだ。
「おー。お帰り裕ちゃん!たまにはどうよ?おいしいよ?」
「お帰りなさい」
矢継ぎ早にまくしたてる真里の声に、裕子は苦笑する。
「たまには、な。あたしも少しもらうわ」
先に着替えてくる。と継ぎつつ、漆黒の外套を脱ぎ去る。
シャツの肩。細い線。
どこにあんな激しい力があるのか、わからないほどの、柔軟な獰猛さ。
人の個体ほど、不思議なものはない。
上から見ていても、そう、思っていたけど。
彼女に会って、その思いは増した気がする。
- 404 名前:日常。 投稿日:2004/03/26(金) 23:42
- 「なっち?」
不思議そうな声に、慌てて首をめぐらせる。
目で追っていただけだと思ったのに、後ろを振り向いていたらしい。
「ちゃんと帰ってきて良かったね?」
真里の声に、コクリと頷いて。
天使はどうして安心したのかわからないというように、自分で頬を軽く撫ぜた。
単純に、安心しただけ。
そう。思う。
だって、人の手に負える仕事ではないと、時折入る依頼者の連絡は言うから。
だから、キミに頼むのだと。
まるで、獣を見るような目つきで…彼女を見るから。
- 405 名前:日常。 投稿日:2004/03/26(金) 23:45
- 「おー。
久々に見ると、美味しそうなんだよなぁ。こういうの」
それでも小さく切ってくれたらいいからな。でかくすんなよ――?。
牽制されて、真里は根性悪く舌打ちを見せる。
案定、ナイフはかなりの大きさの位置で固定されていて、いまやケーキに落ちるだけという状態だった。
「裕ちゃんはあんまり甘いもの好きじゃないんだ」
そう解説つけながら、真里は最初の位置から半分ほど体積を減らした場所にナイフを落とす。
白いクリームにもぐっていく、ナイフがケーキを切り分ける。
油断も隙もありゃしねぇ。と、毒づく声が聞こえたけれど。
コーヒーカップに隠れたその表情は、やっぱり怒ってなどいなくて。
口角が、かすかに上がっていた。
- 406 名前:日常。 投稿日:2004/03/26(金) 23:48
- 穏やかな午後だ。
ふと、こういう時間が幸せだと思う午後。
こんな時間が続けばいいと、思う瞬間。
天使は軽く視線を開いて、それから口元を持ち上げる。
人の営みが愛しいのは。
人が営みを愛しいと思うのは。
きっと、こういう瞬間があるからなんだろう。
少しだけ解った気がする。
優しい気持ち。
きっと、どんな人にも隠れている、まんまるな気持ち。
自分の中には、作られていないのだろう、人の中にある気持ち。
嬉しくて。ちょっと、きもちいい。
「おかわりしてもいい?」
そう小首を笑顔で傾げたなつみに、真里は快活に頷く。
「おー!どんどん食いねぇ!
裕ちゃんどうせ食べないからね〜ぇ?」
失礼なやっちゃなぁ。
と、小言を吐く捕縛師の声は、真里の声に一瞬でかき消されて消えた。
- 407 名前:日常。 投稿日:2004/03/26(金) 23:49
-
- 408 名前:堰。 投稿日:2004/03/26(金) 23:51
- 地味ーに、じみーに、続けて参ります。
諦めません書くまでは。
と、言うことで、日常2話分の更新でした。
天使(なっち)は可愛いねぇ……。
- 409 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/28(日) 00:58
- 楽しみに読ませてもらってマス。
天使はかわいい。裕子も矢口もやっすもかわいい。
HPにはいけなくなっちゃったから、淋しいですがココで読めてよかった。
- 410 名前:名も無き読者 投稿日:2004/03/28(日) 09:52
- 更新お疲れサマです。
いいですなぁ〜、ほのぼのって感じで・・・。
地味だろうがなんだろうがついて行くので頑張って下さい。
- 411 名前:夜半の月 投稿日:2004/04/24(土) 19:08
-
- 412 名前:夜半の月 投稿日:2004/04/24(土) 19:11
- 風、強いなぁ――。
見上げる天上には、おぼろげながら太陽の輪郭が見止められる。
幾分雲の薄い真昼。
いつもの漆黒の外套が、風をはらんでおおきく膨らむ。
幾筋かはらりと舞い上がる髪の毛も、躍動を大きく見せてなびいた。
- 413 名前:夜半の月 投稿日:2004/04/24(土) 19:13
- 裕子の背後には、仕方なしに動かしたディアブロが停められている。
ぬめるような真黒の巨躯は、まさに地の煉獄から這い出た魔のごとく。
風すらも従わせるように走るマシンは、いま、一時の休息をむさぼっている。
そのかたわらには、カーキ一色の塗装が施されたジープが一台。
ざんと飛び降りるようにして砂埃をたてる靴底。
主は前々からの約束を果たされようとついてきた武器屋だ。
そして後部座席には、ちょんとした動作で座り込む天使がいる。
視界は深いフードで守られているせいか、制動がいつも以上におぼつかない。
圭の手に支えられた天使は、おそるおそると地面に降り立った。
ちょんとした足の着地に、乾いた地面が埃をたてる。
一塵の埃は、前を行く女の強いと感じた風にさらわれ、居場所をなくした。
まるで、天使に散らされた人の子のように…。
- 414 名前:夜半の月 投稿日:2004/04/24(土) 19:13
-
- 415 名前:夜半の月 投稿日:2004/04/24(土) 19:17
- ――どこへ?
と微かに傾げられた表情。
「仕事です」とそっけなく返したのは今日の朝だ。
いつもの寝起きの悪さを棚にあげるように、スマートに支度する裕子へと天使が声を掛けたのが最初。
「外」を知ることを命題とされた彼女に向かい、「来るか?」とこれまた素っ気なく問いかけた。
その時には、迎えの武器屋は完全に支度が終わっており、階下にスタンバっていて。
あとは裕子の準備と天使の返事待ちだったのだ。
「連れて行けばいいじゃない?
それが彼女の宿題なんでしょ?」
と言われていたのは、圭の助言。
天使の命題を理解した彼女は、どこか積極的に対応してくれた。
通報したりすれば金にはなるはずなのだが。
それをしないのは、やはり彼女の優しさなのだろう。
- 416 名前:夜半の月 投稿日:2004/04/24(土) 19:22
- そんな考えを知ってか知らずか…。
いや、見抜きはしても深さはわからないだろう。
裕子の仕事を完全に理解しているはずなのに。
なつみは至極興味深そうな顔をしてから、「はい」としっかりと頷いたのだ。
そんなに興味深そうな顔をせんでも。
と、思ってしまうのも無理はない。
彼女を捕らえたときと、同じことを繰り返すだけなのだから。
捕獲対象を見つけ、持ち帰る。
普段から、その繰り返し。
しかも嬉しいことに、今回は「捕獲でなくても構わない」という許可も出ている。
だから、撃ち抜いて殺してしまってもかまわない。
その分攻撃できるという点では、今回は楽な仕事だ。
天使の身柄は武器屋が保障してくれると言うし。
願っても無い好条件だらけ。
連れて行くのにこれほどの好機もない。
- 417 名前:夜半の月 投稿日:2004/04/24(土) 19:25
- それでも。
殺生するというコトは、正直、人の手ですべきことではないでしょう!?
そう諭されることは見え透いている。
が、コレは裕子の仕事であり、生きていくための術だ。
そうして金を得て、今の暮らしを支えている。
「どうしようもないコト」は沢山ある。
月日が流れていくのも。
傷がつけば痛いのも。
痛みを抱えているのも。
もっともっと、沢山のどうしようもないコトも――。
その「どうしようもないコト」を上から見ていることしかしない、「天使」という生き物に理解できるかどうかは謎だが。
人の世界を見る。
そのために遣わされたというのが嘘でないのなら、目にさせなければいけないだろう。
腕を、体を。
返り血でぬらして立ち尽くす、姿形を。
- 418 名前:夜半の月 投稿日:2004/04/24(土) 19:26
-
- 419 名前:夜半の月 投稿日:2004/04/24(土) 19:28
- 正直。
足手まといなんやけどなぁ。
気まぐれにでも考えででも、連れてきてしまったのだから仕方が無い。
それに、まぁ。武器屋が守ってくれる。
確証のないコトをアテにするのは無責任にもとれるが、それだけ信頼しているのだ。
「ほら、置いてくぞ」
放り投げるように言って、足を進める。
この辺の生物で無機物に反応するものは無い。
だから、バイクも車も心配いらない。
存在を無視するように前進しはじめた裕子に驚いて、なつみはぱたぱたと走ってくる。
途中迎え入れるように肩に触れた圭に、天使はいつもより緊張した面持ちで微笑んだ。
口元の硬さを思えば、しかりと何かを感じ取っていたのかもしれない。
存在を超える者なのだから、仕方が無いのだけど。
- 420 名前:夜半の月 投稿日:2004/04/24(土) 19:31
-
胸元にはリボルバーとブローバックの二丁。
そうして、めったに手にしない武器をひとつ。
腰にはアナログ以下と揶揄される、日本刀が一振り。
銘の無い刀。
特別な意匠もない、無銘の刀である。
本当ならば幅の広いボウイーナイフ――多少茎の強い草なども一刀に伏せる――
などがあれば一番楽なのだが、あいにく刃物の持ち合わせがない。
面倒だがどうしようもない。
脚で切り開いて行くほかあるまい。
研ぎ澄まされた感覚の沸点を紛らわすように、疲弊を装う息をつく。
- 421 名前:夜半の月 投稿日:2004/04/24(土) 19:33
- アナログないしそれ以下の武器というのは、一撃必殺の望める最上の獲物だ。
という考えを、裕子はずっと持論として抱えている。
前々から示している通り、進化しすぎた対象は、最高水準には耐えうるが、最低基準に弱かったりする。
あとはもう。
自分の腕と、経験いかん。
今日も生き残れるかどうかは、自分の能力だけにかかっている。
武器屋は優しいけれど、無用な手出しはしないはず。
ミスは一つで命取り。
いつもの、ことだ。
自分が事切れた場合。
遺体を確保して、埋葬してくれるくらいには、優しいだろう。
それで、最上級の扱いだとお互いに解っている節がある。
やはり酔狂だ。
- 422 名前:夜半の月 投稿日:2004/04/24(土) 19:37
- いよいよ樹林の中へという位置に立って、裕子は後ろを振り返った。
まるでオリエンテーリングの案内人のようだ。
しかも天使も行儀よく、きちんと止まる。
「これからこの中入る。人間世界ほどじゃないけど、魔窟」
――気を抜いた一瞬で、いくらでも死ねる。
天使は大人しく言葉を飲み込んで、口元をきゅっと結んでいる。
しんがりを取ってくれる圭の視線は当然のように険しい。
初めて彼女の「厳しさ」の「本質」に触れた気がして、裕子の感覚は研ぎ澄まされていく。
相乗効果だろう。
一歩。
踏み入れた瞬間。
踏みしだかれた草から、その匂いが染み出して鼻につく。
途端。
ざ。っと、一斉に周囲がざわめいた。
- 423 名前:夜半の月 投稿日:2004/04/24(土) 19:39
- 人の来る場所ではない――。
疾く去れ――。
獣たちの咆哮が前方面270度分からサラウンドでザンと降り注ぐ。
もちろん言語としては解せ無い。
しかし、その攻撃的なうねりを思えば、この意訳は間違えでは無いだろう。
これがこの樹林の意思なのだ。
生きているもの、植わっている木々、草の一本までの。
そこにおいて自分たちは異端のほか何モノでもない。
裕子はわかっていた状況に息を細く吐き出すと、すっと中指で自らの腰をさぐった。
自らの命を繋ぐ、愛用の銃に触れるために。
算段を、一段でも多く見積もるために。
- 424 名前:夜半の月 投稿日:2004/04/24(土) 19:42
- 装填されている銃弾は二つの銃に全部で14発。
カートリッジが腰のホルダーに据えてある。
オートマチック用に3本。
リボルバーに2つ。
後はバイクに戻るまで、どうしようもない。
弾がきれれば刀で切り崩していくだけだが、そんなにガシガシ切れるほど体力バカではないのだ。
肉弾戦は避けたいなぁ。
と思いつつ、ゆっくりと歩を進めていく。
草の鳴る一歩一歩が緊張を呼び覚ます。
いつのまにか首筋に汗が一筋流れ落ちていた。
- 425 名前:夜半の月 投稿日:2004/04/24(土) 19:43
-
- 426 名前:夜半の月 投稿日:2004/04/24(土) 19:57
-
今回の捕獲対象物。
ヒイロハヤテオオカミ。
大陸原種の大型オオカミの亜種である。
光源によって、毛皮が鮮やかな緋色に見えることからこの名前がついている。
非常に勇敢だが、この手の犬科のわりに個体間の同族意識が低い。
巨大な群れを作ることが少ないため、猟の的になりやすい。
のだが、その戦闘力と攻撃的行動の高さは並外れており、返り討ちになる狩猟者も多い。
繁殖期から子供の養育期は家族単位(ファミリー)で移動することが確認されている。
つがいで居る場合の結束力は、他の種に比べて非常に高いと言う。
- 427 名前:夜半の月 投稿日:2004/04/24(土) 19:58
- さて。
確かにこの周辺で数回の目撃例にある。
けれど、今もその個体がいるかどうかは解らない。
大陸に行けばその絶対数はかなりのものだ。
が、海が乾き、陸続きとなった今でさえ渡ってくる個体は少ない。
希少価値は確かに高い。
報酬もかなり積み上げられている。
仕事だ。
何度も重ねるが、これが仕事なのだ。
生い茂る木々や草花にも微かな跡をもとめて、狩猟者は縦横に視線をはしらせる。
捜索に時間がかかるのは仕方がないこと。
深く入りすぎれば、歩行困難などころか、意図しないものに出会って命を落とすことになる。
数例しかない情報をかき集め、そこから推測した場所へ直接脚を進めていくことにした。
- 428 名前:夜半の月 投稿日:2004/04/24(土) 19:59
-
- 429 名前:夜半の月 投稿日:2004/04/24(土) 20:01
- 今回の依頼主は「上」の著名な生物学者。
すでに論文などでかなりの名をあげており、壮年ながらカレッジでの学部長の座を射止めている。
今回初めて接触したのだが、少々いけ好かない。
最初、裕子の顔を見た瞬間の、色好きそうな視線は忘れられそうに無い。
思うより慣れなれしい口調で、クライアントの話は続いた。
そして、あろうことか。
彼は依頼の相談の最後にこう言ったのだ。
「貴女のような美しい方に頼んでしまって申し訳ない。
やはり他の捕縛師にすれば良かったかな?」と。
回線の上で。
まだ通信も切らぬ間にだ。
失礼にも程がある。
- 430 名前:夜半の月 投稿日:2004/04/24(土) 20:03
- それは、自分が捕獲目標を捕らえきれないだろう疑念と。
裕子自身の器がそれほどなら、違う職業もあるだろうに。
という皮肉を重ね合わせたものに他ならなかった。
解らないと、思っていたのだろう。
火は簡単に着いた。
生きたままの捕縛でなくてもいいのなら、依頼の遂行は容易だ。
「心配は無用です、ミスター。
できるだけ、状態の良いものを差し出せると思います」
温かみのない声と笑みで、裕子は反応しきれない男が映った画面を切り替えたのだった。
思い出すだけで腹も立つが、それだけでお終いにしておく。
これからは、冷静さが頼みの綱なのだから。
- 431 名前:夜半の月 投稿日:2004/04/24(土) 20:05
- ぴくり。
ついと眉があがる。
どこかで警戒する音声を放つモノがあった。
それを総動員した感覚がとらえたのだ。
ウォルルル――。
警戒する声はイヌ科の、それ。
どちらかといえば周辺に聞かせるような、そんな音。
ビンゴか?
と、眉をひそめるが、一瞬では判断はつきかねる。
繁殖期にあたらないはずの今、群れだと言うなら違う可能性もある。
姿勢を正し、すっと腰を落とす。
腕は自然にオートマに伸びて、呼吸は極限まで静けさに潜められた。
- 432 名前:夜半の月 投稿日:2004/04/24(土) 20:06
- 存在をかき消して、気配を同調させる。
「悪いけど、これから先は口出しさせへん。天使にも、あんたにも」
――あたしの、生きていくための術やから。
放るように言葉を投げて、天使の存在を背後に追いやった。
圭は「こっちに」と潜めた声でつぶやき、招くと、天使をかたわらに据えた。
本当に、守ってもらえるらしい。
その状況に安堵をおぼえながら。
捕縛師は、すぃと息を飲み、一瞬に備えた。
- 433 名前:夜半の月 投稿日:2004/04/24(土) 20:07
- カサ。
と、何物かがうごめいた。
ガサガサ。
その距離感が詰まってくるのが、音、気配で感じ取れる。
相手が人であれば、故意に気配は消されてしまう。
それこそ、自然の中において不自然なほどに。
だからこそわかる。
近づいてくる存在が獣であること。
小ざかしいマネもできないほど、全身全霊で生きているケダモノであること。
そして、領域を侵した自分に、相応の怒りと攻撃の意思を持っていることを。
- 434 名前:夜半の月 投稿日:2004/04/24(土) 20:11
- 来い――。
こくり。そう飲み込んだ息が、喉もとで鳴る。
緊張感が焦燥感を追い越す。
例えようの無い高揚感が包んでいくのを感じる。
獣相手の仕事士。
だけど、いまこの周辺の中で、一番獣じみているのは自分かもしれない。
無機物で居たいと思っていたのは本当だけれど、なんてことない。
無理な話だったのだ。
今更思い知る。
屠るための無機物的な感情と交錯するように。
呼応するように、興奮を覚える精神が紙一重にあるじゃないか。
ばかばかしい。
一番「生き物くさい」のは何を隠そう自分自身で。
その気配に、相手は怯えているのかもしれない。
証拠。
威嚇の声は間断をゆるさず、三層にまで増えている。
来い…。
見えてるなら…。
狙いが…、オマエたちだって解ってるなら…。
指先がグリップに触れる。
体がゆったりとリズムをとるようにゆらいで、そこから静かに凪いだ。
- 435 名前:夜半の月 投稿日:2004/04/24(土) 20:13
-
- 436 名前:夜半の月 投稿日:2004/04/24(土) 20:13
- いい化け物だこと……。
そう、思わず口元があがるのを抑える。
静かに構え、その背に気配を立ち上らせている姿は、まるで鬼神のようだ。
昔から、強さを測る語句として、使ってしまう。
目の前の彼女は、血塗られた腕を持つ者の、特有の気配と空気に支配されている。
あんな美しい鬼神だなど、間違っても相手にしたくはない。
まぁ。あの器を壊してしまうのが忍びない程度で、自分との実力格差は考えるまでも無いが。
それでも。人間には万が一という言葉があって、全てが完璧なものなどないのだ。
いかに重装備をしようと、穴を突かれてしまえばそれでお終い。
自分も命を落としかねない。
それだけの力ならば、彼女は持っていると理解している。
- 437 名前:夜半の月 投稿日:2004/04/24(土) 20:15
- 天使に思考を悟らせないために必要なのは、感情の凪ぎと二層の思考。
人でないというのなら、別段難しいことではない。
自分は「生活圏内噂でのどおりの生き物」であって、それ以外の何物でもないのだから。
そうして今、冷たい銃器のグリップに触れているだろう、白い指先を思って軽く息をつく。
自分もある意味狂気だ。
そして化け物だ。
自らの性質を隠して、静かに暮らしている。
けれど。
腕。
能力。
寸分も衰えてなどいない。
界隈のならず者になど、劣ることはない。
彼女のフォローだけなら、ぬかることは有り得ない。
圭は片手で天使を制したまま、自らの腰に手を当てた。
- 438 名前:夜半の月 投稿日:2004/04/24(土) 20:17
- ホルスターの留め具ははずされており、いつでも抜ける状態にしてある。
これから引き起こされるであろう劇的瞬間の中で。
裕子が何かを取り落とすようなことはないだろうが。
万が一なら、一撃に屠る用意はしておかないといけない。
この場で裕子を失うことは、天使にとってよくないだろうし。
サテ、ドウナルコトヤラ――。
かさりと動いた草葉の一点に視線をやり、圭はその間にある細い背中を陶然と見つめなおした。
- 439 名前:夜半の月 投稿日:2004/04/24(土) 20:17
-
- 440 名前:堰。 投稿日:2004/04/24(土) 20:26
- お待ちどお様でした。久々に更新です。
珍しくイッキUPではございません。
その分読みやすいかと思われます(苦笑)。
>>409
え?HP?
そうですねぇ。最近は減り易いんですよ、歳ですかね?
ヒットポイントじゃないんですか?
じゃぁなんでしょう…。
ヒュー○ッド○ッカートですか?<hp
お察しください。
頑張って続けていきますので。
>>410
地味というか、スパン長すぎですよね…<切腹
呆れられてるとは思うのですが、必死にあがいてます。
ちゃんと書き上げる心意気はありますので、
たまーにでも覗いてくださればと思います。
コンゴトモヨロシク。お願いいたします。平に。
- 441 名前:名も無き読者 投稿日:2004/04/25(日) 11:41
- 更新お疲れ様です。
サテ、ドウナルコトヤラ――。
まさにそんな感じですねw
続きもマターリ待ってます。
- 442 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/25(日) 21:27
- なるほどね(謎)
あと、この緊迫感にゾクゾクしちゃいます。
- 443 名前:夜半の月 投稿日:2004/05/02(日) 20:42
-
- 444 名前:夜半の月 投稿日:2004/05/02(日) 20:44
-
一発目の銃声は威嚇。
自らが害する者であるという、あからさまな挑発を放つ。
空にむかい、乾いた音をたてる火薬に、空間は打ち震える。
刹那。
堪えていたのだろう、巨躯の影が躍り出た。
目標は大きいが、距離が近すぎる。
どれだけ咄嗟に反応できるか、ある意味賭けのような感さえある。
視線をやれば肩越し、反応できない位置でも、至近距離でもない。
躍りかかる獣の急所と思しき場所へ、間合いを計るためにも銃口を向ける。
戦いに必要なのは距離だ。
自分に有利な、間合い。
それを制した者が、よりよい結果を享受する権利を得る。
- 445 名前:夜半の月 投稿日:2004/05/02(日) 20:47
- ガォン――。
ガォン。
立て続けに二発、角度を変えて銃弾を放った。
薬莢からの火薬のはぜた匂いが、草いきれの中に異質に漂う。
ギャィン!と悲痛な声を発しながら、落下する個体一つ。
悲鳴を上げたが、しっかりとした着地音をたてた個体が一つ。
掠っただけか。
と奥歯を噛みながら、一番近い距離のものを感覚一つで察知する。
仕留め損なったものの他にも、攻撃的な思惟を顕に飛び掛ってくる。
波状攻撃を狙ったのだろう、タイミングがずれている。
獣たちの知恵だったはずのソレも、「あだと穴」に見えて舌で唇を湿らせた。
反応さえできれば、こちらの領域だ。
- 446 名前:夜半の月 投稿日:2004/05/02(日) 20:50
- まだ、撃てる。
痛みに相手の行動が鈍った今、ここで間をあけてはいけない。
多少の痛み。
人間同士あれば、その一瞬でいくらでも体勢を立て直せる。
獣だってそうだ。
彼らの行動は全て、生きることに直結しているのだから。
食らい、眠り、動き、それを繰り返し。
本能で自らを生きながらえさせる彼らの、闘争能力を侮ってはいけない。
間髪、入れるわけにもいかない。
オートマティックの銃口を振りぬくように向けて、一撃。
傷を負いながらも裕子の喉元に食いつこうと開かれた「あぎと」へ、銃弾が吸い込まれていく。
鉛の弾は口蓋を貫き、脳髄へ深く入り込む。
攻撃的に見開かれた目が、ギラリとした光を投げたまま動きを止めた。
- 447 名前:夜半の月 投稿日:2004/05/02(日) 20:50
- 絶命しながらも、跳びかかる勢いを失わない体を、靴底で蹴やる。
かなりの重さをしているものだから、地面で弾みもしない。
しかし。
目の前に落ちた屍骸を視界の端に、捕縛師のくちびるはゆるりと持ち上がる。
緋色の、毛並み。
きっと、この場所へ適応するために、独自のコミュニティでも持ったのだろうと推測する。
ヒイロハヤテオオカミ。
それに、間違いはない。
その、雌のようであった。
体のつくりが少々小ぶりで、毛がすこしばかり柔らかいのが特徴になる。
それでも大型犬と言われる現存するモノより、幾分体躯が「でかい」。
- 448 名前:夜半の月 投稿日:2004/05/02(日) 20:52
-
体勢を立て直して飛び掛ってきた軽症の個体へ、いよいよ腰の刃を抜き放った。
銃火器の領域ではない。
見る間にその牙と、大きな前足が襲い掛かってくるのだ。
内心舌打ちをしながら、一瞬を天秤にかける。
銃をホルスターに戻す余裕もない。
上体を、半身で返し、勢いをつけるだけで精一杯。
致し方なし。
横凪ぎに払われた乱刃の、毛皮に食い込む様を視線がとらえる。
食い込む刃。
激痛に絞るような叫びをあげて、大柄な個体が勢いをなくした。
これ以上は両腕でなければ、引き抜くことも難しい。
左手で刃を食い込ませたまま、右手で必死に銃を戻し。
右脚をザスンと深く、開き、腰を据え、唸る。
――うらぁ!
古代の剣豪が見たら泣きそうな、乱暴な気合の入れ方。
そのままに刃を解放すると、頭蓋へと一撃を振り下ろす。
すでに喉を浅く切られた獣は、鳴き声をあげることすらなく。
一刀の衝撃に眉間を割られ、血泡をふきながら絶命した。
- 449 名前:夜半の月 投稿日:2004/05/02(日) 20:54
-
きゅ。っと、肩にすがりつく個体を感じて、圭はそちらへと視線を向ける。
目の前で血が流れていくだけでも、衝撃は大きいだろう。
視線はかろうじて惨状を繰り広げる前方へ向けられている。
が、怯えているのは確か。
だけど、「大丈夫」とは言ってはやらない。
本当に、眼前の彼女が言うとおりの役割なら、この天使は知るべきなのだ。
人の残虐性も、人の情けなさも。
でなければ、……。
――――。
思おうとした思考と懸案を抑制して、縋られている腕を持ち上げた。
指先に触れる髪をさらりと撫でて、指の平で三度ほど優しくたたいてやる。
こくり。
気丈にも頷く感触があって、案外この天使は強いのかもしれないと思った。
- 450 名前:夜半の月 投稿日:2004/05/02(日) 20:55
- ――ただ、否定するだけだと思ったんですね。
おかげで、思考を二枚看板にするのを忘れてしまったようだ。
どことなく泣きそうな精神の声を耳に、思わず口元をゆがめた。
巧く笑って見えただろうかと、柄にもなく不安になったけど。
「参ったな。お見通しだね」
苦笑まじりにつぶやくが、悪い気はしない。
天使は、そういう生き物だ。
何もかもを悟り、百までは口にしない。
なぜ知っているのか?と問われたら、縁だと笑うほかないけど。
それにしても鮮やか。
目の前の修羅の手際は、思うよりも鮮やかで好ましい。
思い描いていたよりも美しいのに、背が痺れる。
浅ましいと呆れるのだろうな。
感情を苦笑にさらして、じっと堪えている天使へ声を紡いだ。
- 451 名前:夜半の月 投稿日:2004/05/02(日) 20:57
- 「こうして、彼女は生きる糧を得ている。
朝の香ばしいトーストも、夜のシャワーも、陽気なお酒も――君が着ているソレも。
人の殆ど…例えば極一部の上層部の人間でもないかぎり、こうして、何かの代価で生きてる」
――終わっていってしまう、終わりのある人生のためだけに。だよ?
視界の端で繰り広げられる光景を見やり、告げた瞬間、肩がぴくりとゆれた。
白い、害質反射繊維でつくられた外套と、倣うように作られたワンピース。
デザインはご丁寧にも、裕子のものに近くなっている。
裕子の着ているのは、害質吸着分解繊維で、対極の素材なのだけど、まぁ、用途は似たようなものだ。
うっすらと息を吐いてから、圭はもう一度、なつみの肩を包みこむ。
- 452 名前:夜半の月 投稿日:2004/05/02(日) 20:59
- 「ねぇ、なっち。
なんで、人はがむしゃらなんだろうね。
今だって、少しだって気を抜いたら彼女は死ぬんだよ――?
人間が満足したまま死ねることなんか、無いに等しいのに。
この一瞬のためだけに、刀を振るってる」
見る空間に呆れるように目を細めながら。
それでも優しく問う、武器屋の視線はやわらかい。
まるで、天使の思考にあるだけで認知できない事象の、全て何もかもを知っているように優しい。
彼女の中には、答えがあるのだろうか。
生きている人間として、答えを持って生きているのだろうか。
「祈っていれば神様が何かをしてくれると思ってた、昔の人間よりも。
今生きている人間のほうがね。
少しばかりガムシャラで、泥くさくて優しいとは…。
まぁ、私が思ってるだけだろうけどさ」
ふとした、微笑みの気配を感じる。
- 453 名前:夜半の月 投稿日:2004/05/02(日) 21:00
- だけど、なつみにはどうしても笑えなかった。
目の前を見れば、それは当然。
草の緑深かった、黒いブーツの足元が、生ぬるい血色に染まっている。
ふ。っと吐いた息が、鋼鉄のような重さをもって、墜落するような幻想。
怖い。
人の生きていく真摯さと、その実直さと、やるせなさとが重い。
畏怖、畏敬の重み。
指先に血がまわらない。
なんていう、宿題なんだろう。
なつみは初めて、自分の体に乗せられた意義や意味を思い知る。
細い肩に、魂だけだった存在に、課せられた「見聞」の使命。
見る。
という簡単な動詞は、見入る、見つめる、と変化していく。
見つめながら。
怖い。と、初めて思う。
純粋に人を慈しむだけの気持ちと、隣り合わせの恐怖。
あたたかな日常と背中を合わせて、どうしてこんなコトがあるのだろう。
乗せられた課題の重さに、視線がゆがむ。
逸らしたい!
そう拳を握った瞬間、撃つように感情に届く声があった。
- 454 名前:夜半の月 投稿日:2004/05/02(日) 21:01
-
――逸らすなよ!
ゴツ。という、聞こえない音。
見えない鉄槌。
弾かれるように持ち直した視線。
その、直線上。
立ちすくむ姿が一つ。
血の雨に打たれ、漆黒の外套は暗い紅色にくすんでいる。
肩で息をするその背中。
なつみの視線は、そこに釘付けになった。
「そらすな…」
獣の血を滴らせる切っ先を、ぐんと振りぬき露を払う。
何か、自分の中の何かさえも切り捨てるように。
まだ、肩は息で弾んでいる。
- 455 名前:夜半の月 投稿日:2004/05/02(日) 21:03
- 転がっている、残骸。
結局、出現した個体は四匹。
一匹は負傷しながらも最奥へと逃げていった。
なので、転がっているのは三つの屍骸となる。
うち二頭がオスで、あとはメスだった。
見た目なら、一つの家族のようだった。
もしかしたら、奇跡的に生まれた、コミュニティだったのかもしれない。
オスの成長度合いが同じものがある。
普段なら、同じ時期に生まれたオスは反目しあって、同じ群れになど居られないのだ。
裕子は共生隊のうち、先鋒を切り崩したのだろう。
考える力のない群れならば、際限なく襲ってきたに違いない。
周囲で伺っていた彼らの仲間は、きっと、悟ったのだ。
この銃火器を持つ生き物に逆らうのは、賢明ではないと。
聞こえていたはずの威嚇音は、いつの間にかなりを潜めていた。
いつだって。
人間よりも、獣のほうが柔軟で潔く生きる。
死を死と受け止め、受け取った生を怠けるようなことは、絶対にしない。
「そらすなよ…」
絞るように声を放ち、振り返った裕子の頬に、返り血が一筋流れていた。
まるで、泣いてるようだった。
- 456 名前:夜半の月 投稿日:2004/05/02(日) 21:04
-
天使はその姿を事象として受け止めた。
それだけで割り切れない感覚が胸を揺さぶるのを、じっとじっと耐えていた。
木々に覆われた深い昼。
空は、街にも森にも等しく、暗く…淀んでいる。
- 457 名前:夜半の月 投稿日:2004/05/02(日) 21:04
-
- 458 名前:夜半の月 投稿日:2004/05/02(日) 21:05
-
遺骸を引きずり、ジープに積んでいたコンテナに放り込み。
仲介の運び屋に連絡をとり、受け渡してから帰着することにした。
直接、捕獲物を依頼主へ届けることもある。
今回は依頼主の指定した運送屋に、獲物ごと言伝ることになっている。
下界の人間は、簡単に上界へ行くことができない。
だから、上界の搬送屋が、依頼主の手で配されていることが多い。
落ち合ったのは渋谷スラムから西に走った、用賀料金所という場所の跡地だ。
上界への出入り口になっている巨大なインターチェンジがあり、その先に上層世界の門がある。
だいたいこの施設周辺は、荷物の受け渡しの場所として栄えている。
日が沈むまでは、まるでバザールだ。
用心棒を買って出ている人間も居る。
何人かは裕子と接点のあった者も混じっていた。
- 459 名前:夜半の月 投稿日:2004/05/02(日) 21:08
- コンテナ一個をジープの荷台に、極力の徐行で走らせる。
乾いた土埃の舞うこの場所では、誰も、汚れた空間から自分を守るための服を着込んでる。
記憶媒体にだけのこる、砂漠のオアシスのよう。
どこか沈んだ瞳で、だけど抜け目ない面持ちで、千載一遇の何かを得るために目を光らせてる。
その只中を行きながら、裕子は誰にも気付かれない程度の息を吐いた。
いつだって、この段階になって思う。
視線は奇異と畏怖で綯われており、そこに尊敬という言葉はない。
ただ今回は、一緒に名前の知れている武器屋が居たせいで、侮蔑がないだけだ――。
血だらけの外套。
緊張とに疲弊した表情。
そこに裕子の、寡黙な時の美しさ。
非現実めいた姿が運び屋の感情に恐怖の輪をかけるのは、たやすいことだった。
- 460 名前:夜半の月 投稿日:2004/05/02(日) 21:08
- 「これが依頼の書類一式。
麻布台カレッジの変異生物学部長への搬送で間違いないね?」
裕子の凛としたたたずまいに、中てられるように青年が居住まいを正した。
これは恐怖衝動によるものだろう。
仕事中の清潔感というものではない。
「間違いないです。
それと、これを教授から預かってきました。
一時金だそうです。あとは質次第で報酬を上げると」
どうやら搬送屋と一緒に、教授の下の研究生が居たようだった。
白衣を着た青年が、コンテナを確かめて、それでも一瞬絶句していたのを見逃さない。
内心舌打ちをする。
質次第とは一言も漏らさなかったくせに。
それが解っていたのなら、最初からあんな暴力的な方法も取らなかっただろう。
歯の隙間から怒りを薄く噴出し、裕子は青年の手からカードを奪い取った。
- 461 名前:夜半の月 投稿日:2004/05/02(日) 21:09
- それでも「仕事」だ。
クライアントは、クライアントなのだ。
支払いがあるだけでも、恩の字だと思わなければなるまい。
先日の、振る舞いのわりに。の話だ。
「わかりました。ありがたく頂戴します」
切れるように言い放つと、彼女はくるりと一団へ背を向けた。
「学部長によろしくお伝えください」
振り返り、これ以上ありえないという美麗な笑みを見せつけて、彼女は帰途についた。
ギャップほど、人の心を掴む特殊能力もないだろう。
置き去りにされた青年二人は、ぽやんとしたまま。
一行の背中が消えるまで、呆然と立ち尽くしていたのだった。
- 462 名前:夜半の月 投稿日:2004/05/02(日) 21:09
-
- 463 名前:夜半の月 投稿日:2004/05/02(日) 21:21
- 今年のGWは余裕があるので更新しました。
えらいえらい、一週間くらいしか経ってないぞ!
<そんなのえばれませんから!ドジでノロマな亀切り!
>>441
こうなりました。
ちょっと早めに更新してみましたが、いかがでしょうか。
今のところ、どうやらライフワーク。
…大袈裟だ!JA○Oがくるぞ<もう名前違うんでしたよね…
>>442
そうなんです(謎)。
まだしばらく、出番待ちなんですが気長にお付き合いください。
や、本当にしばらく大人しいので…。
いきなり出てくるかもしれませんけどね<をい
緊張感のわりに、引きが弱いか?とも反省中。
が、がが、頑張ります。
- 464 名前:名も無き読者 投稿日:2004/05/04(火) 10:23
- 更新お疲れ様です。
おーぅ、こうなりましたか。。。w
今後彼女が何を見て何を思うのか・・・。
楽しみにしてます。
- 465 名前:夜半の月 投稿日:2004/06/13(日) 23:33
-
- 466 名前:夜半の月 投稿日:2004/06/13(日) 23:35
-
「お疲れ様」
そう言って、出迎える。
専属シェフのような清々しさで声を放つ矢口は、一人食事をあつらえていた。
階段をあがってくる靴音は、一つとして減っていない。
コンロの火を止め、顔を覗かせる矢口の眉が、怪訝にひそめられる。
あたたかな湯気のたつキッチンに、それはあからさまな異質として出来上がる。
天使が、なにも言わない。
毎度のことなら、「ただいま矢口」って言うはずなんだけどなぁ。
覗き込んですぐさま感じる、重さのある空気。
そこから幾瞬かの間があって。
なつみが少なからず「ショック」を受けているのだと理解したようだ。
一瞬口をひらきかけ、そして噤む。
- 467 名前:夜半の月 投稿日:2004/06/13(日) 23:37
- それが、凄惨とも言えるだろう、現場を目の当たりにしたからかは解らない。
多分。
その理由は大半を占めるだろうけど、なつみじゃないから矢口には解らない。
無理もない。と、矢口は口元をひき結ぶ。
後から上がってきた裕子の体から、一瞬の畏敬を呼び覚ますような死臭がしたから。
血のにおい。
生肉店などで嗅ぐような臭気じゃなくて、もっと乾いた感じがする。
しかも、本当に鼻につくような感じじゃない。
立ち姿からにおう、空気のようなものなのだけれど。
解っているのに、気が重くなるのはなぜだろう。
裕ちゃんに、失礼だとわかってるのに。
- 468 名前:夜半の月 投稿日:2004/06/13(日) 23:39
- 「先に風呂浴びてくるわ」
矢口の一瞬のいいよどみに対して、まるで予期していたことのように微笑んだ。
解っている。
自分が人間離れしていることは、わかっている。
銃火器専門の人間も居るが、自分はそれよりも体力勝負の刀剣類も用いる。
トラップも使うが、結局は自分の体一個の商売。
常人が立ち向かうことすらできない異形を、捕らえ屠り、流通に乗せる。
捕縛師はどうしたって、常人からは異端視されるのだ。
対象をねじ伏せる分、捕縛師は獲物と同等か、それ以上のバケモノだと言われて久しい。
ブローキング専門の男が、自らの相棒を影で悪く言っていたのを聞きとがめたことだってある。
久々に湧いたやるせなさに、何か噛んだような息を薄く吐いた。
これ以上は無駄に沈むだけだ。
時間を逆算して矢口に申し付けていた、「お風呂入れておいて」に、裕子は甘えることにした。
- 469 名前:夜半の月 投稿日:2004/06/13(日) 23:41
- 「手洗って、ちゃんとうがいもせんと」
そう苦笑のまま台所へ天使をけしかけ、早々に一人身になる。
外套はしっかりと、事務所の奥に設けた部屋で脱いできた。
それだって、自分の体からは血のにおいがする。
死を全身で付きまとわせて、普通の生を綯う空間へ戻ってくる。
どうなのだろう。
人として。
本当に、生死をはかるべきではないのだろうけど。
生きてきたのだ。
金を得てきたのだ。
いまさら、曲げられるわけもない。
ゆっくりとパーテーションの奥へ消えていく背中。
誰も、話しかける者は居なかった。
- 470 名前:夜半の月 投稿日:2004/06/13(日) 23:45
-
- 471 名前:夜半の月 投稿日:2004/06/13(日) 23:45
- 入れ違い。
カツン。と頑丈なブーツの底で音をたてて、圭が部屋の中へやってきた。
なんとも言えない空気が満ちるのに、裕子の様子が戻っていないことに気付く。
重たさだけじゃない。
単純に突き進んでいる者からしか感じられない、迷いそのものの気配。
間違っているわけでもないのに。
選択肢を違えてるわけでもないのに。
浮かび上がる疑問に耐え切れずに、腕立て伏せを試みる自らの腕を潰してしまう。
今の捕縛師を表現するなら、この例えが一番正しかろう。
ふむ。
こめかみを親指でカシカシとかきながら、優しい匂いをたてるキッチンへ近づく。
少なくとも、あの空気に中てられて居るだろう彼女達が気になる。
- 472 名前:夜半の月 投稿日:2004/06/13(日) 23:47
- 「矢口?だいじょうぶ?」
ひょいと覗きこむと、今まさにフライパンで魚と格闘する矢口の姿があり。
「んー。だいじょうぶ。
多分裕ちゃんのが大変だと思うけど」
と、苦笑を混ぜた声が返された。
後姿で声しかわからない。
でも。
きっと、気まずい顔をしているのだろう。
きっと、少し悩みを抱えたような、考える顔をしているのだろう。
矢口は優しいから、すぐ顔に出る。
いい子。と、心の中で褒める。
いつまでも、口で伝えるようなことはないだろうけど。
「なっちは?」
遣り取りに関係性を見出していなかったのだろう。
なつみは五枚重ねた皿を持ったまま立ち止まった。
- 473 名前:夜半の月 投稿日:2004/06/13(日) 23:48
- 「だいじょーぶ」
――血が流れたりはショックだったけど、ゆうちゃんのが何か考えてると思う。
大変模範的な、気丈な答えだこと。
そう思うのと同時に、思わず苦笑する。
二人にまでそう思われているとは、彼女もなんだか愛らしいというか、気の毒と言うか。
愛されているのだと思い、そう思わせる二人に感心する。
かく言う自分も、彼女が愛らしいと思うのには変わりがない。
「二人ともさ、今日の感じで、裕ちゃん嫌いになったりする?」
天使がキッチンの調理台に皿を置いたのを確認してから、玩具でも放る気軽さで声を投げる。
途端。
飛び込むような速度で、反射的に二人が振り返った。
- 474 名前:夜半の月 投稿日:2004/06/13(日) 23:51
- 「今更っ!」「ぜんぜん!」
答え方は違うけど、それはもう可愛らしい、子供のような答えで。
しかも立て続けに、速射砲のように、声は圭の体にむかって撃ち付けられた。
「そりゃぁさ。
仕事に対しては怖いとか思っちゃうけど、それは裕子の能力だしさ。
それで嫌いになるって言ったら。
今までのセクハラの分損害賠償だって、大声あげて言ってやるって感じだし!
そんなこと言ってたら、もういくら時間あっても足りないジャン?!」
「だってそんな事できらいになるなら、さいしょにつかまった時点できらいだし。
実は弱かったり、だけど本当は強かったりするし。
そういう部分を見てるだけで、なんかたくさん考えたりするし……って矢口、魚!」
あわわあわわ。
懸命に裕子を庇う二人の声は、魚の焼き加減でうやむやになったけれど。
これだけ思っていてもらえるのなら、裕子はだいじょうぶだろう。
彼女が、この声を聞くだけの耳を持つのなら。だけど。
感情の温かみと目の前の展開に頬をほころばせていると。
「変な質問するからだよぉ」と恨めしそうな声が聞こえて。
「もうちょっとで魚が焼け焦げる」という小言をもらっても…。
圭は幸せそうに口元を上げたままだった。
- 475 名前:夜半の月 投稿日:2004/06/13(日) 23:52
-
- 476 名前:夜半の月 投稿日:2004/06/13(日) 23:53
- シャワーの栓をあけ、先に浴室を適温にすることを選ぶ。
衣服全てをとりはらい、振り返る様に、視界をよぎった鏡を見つめた。
乾いた血のしぶきが一つ。
こめかみに、鈍い怨嗟を残している。
愕然とする。
その怨嗟の赤に負けない、自分の冷静な表情に。
その怨嗟を飾りにさえする、自らの立ち姿に。
喉を通る息すらも細くなり、微かな糸に縋るように喘いで。
ギ。っと、その爪で血痕をかきはがす。
単純な、賛辞が欲しいわけじゃなくて。
純粋な忘却だけを望んでいた。
ただただ、あの瞬間を忘れるために。
自分が、救えなかった、あの微笑を忘れるためだけに――!
忘却と引き換えに、バケモノに近づいていく。
自業自得か?
そういうものか?
洗面台の冷たい淵に手をつき、自らの視線に凝視されながら思考を滞らせる。
- 477 名前:夜半の月 投稿日:2004/06/13(日) 23:55
- カツカツ。
と、不意に洗面所のドアが鳴った。
「考え込むのはほどほどにした方がいいよ」
まるでしたり顔をした声が聞こえ。
その声を投げているはずの相手が、自分をたたき起こそうとしているのを感じた。
彼女のどこに、そういう力があるのかは解らない。
本当に、噂どおりの人間ならば、彼女は自分が足元にも及ばない能力の持ち主なのだろう。
救われてる。
何気ない時、何気ない言葉、何気ないことで。
矢口にも。
どんなに大人の皮を被っていても。
どんなにしっかりと脚を立たせていても。
自らでその基を挫くいてしまうが、この世に生きている人間だ。
思い知らされる。
自分の不甲斐なさも、頼りなさも。
周りの、その温もりも。
「今日はちょっと…あかん」
――泣いてくる。
自嘲気味に扉一枚越しだけに聞こえるように微笑って、けぶる浴室へ脚をむけた。
いつもよりタイルの冷たさが足に凍みたのは、気のせいじゃないだろう。
- 478 名前:夜半の月 投稿日:2004/06/13(日) 23:56
-
+ + + + + + + + +
- 479 名前:夜半の月 投稿日:2004/06/13(日) 23:58
- 結局。
入浴の後、矢口の手料理で時間は過ぎていった。
夜からのシフトになっていた矢口を追い出して、それを送ると言った友人を見送って。
気付けばまだ夜早い、22時も過ぎた程度の時間であった。
さっきまで、芯に暗さのタネを抱えたままであっても、楽しい時間を過ごしていたのだが。
部屋の主と天使だけになった今では、この部屋はあまりに大きい。
リビングと続きになっているベッドで、天使は背中を丸めている。
このまま、ソファーで眠ってもいい。
裕子はそう思いながら、体に追い討ちをするかのように、新しい麦酒の缶のタブを開けた。
パシュ…というガスの抜ける音でさえも、深く重く、響く。
- 480 名前:夜半の月 投稿日:2004/06/14(月) 00:00
- おかしい。
ナゼ、今更こんな「空虚」に見舞われているのだろう。
無機物になれた。
そう、思い込んでいた自分を客観的に見てしまったかだろうか。
それとも、いよいよどこかオカシクなってきたのだろうか。
自分の中に罪が湧いたような。
今まで持ち上げていた罪が降り注いだような。
無理もない。
今まで認める気もなかった物事を、一編に背負い込んでいるのだ。
一人の気丈さや心だけでは、重く耐え切れない時もあるかもしれない。
- 481 名前:夜半の月 投稿日:2004/06/14(月) 00:02
- ずっと今まで、自分の過去から逃げるように走ってきた。
無機物を装って、冷たさを抱え込んで、自分の芯まで冷やして。
たった、一つの記憶を忘れるために、走り続けてきた。
缶をもてあそぶ指が、水滴でツイと滑る。
くっと指先を強くして、落下を防ぎながら、軽く唇を噛んだ。
忘れるために――?
思いついて、即座に首を横に振る。
や、本当は気付いてる。
思い知っていた。
自分が無機物になれないと同じように、記憶を本当に追いやることなどできないこと。
それくらい……。
- 482 名前:夜半の月 投稿日:2004/06/14(月) 00:03
-
なぁ…、憎んでないか?
最後に間に合わなかった私を、恨んでないか?
自分の死を追うことすらできなかったことを、侮蔑の目で見たりはしないか?
なぁ…、もう自分が答えることもできないのに、縋るように思い続けてる自分を笑ってくれるか?
最後の声すら聞けなかった自分には、何も知る術はない――。
- 483 名前:夜半の月 投稿日:2004/06/14(月) 00:04
- 不意に、前々からふさぎ込んでいた心に、穴が開く。
蜘蛛が捕食のために細い糸を噴くように、心の中から中身があふれ出す。
それは黒い念質の糸のようになって、自分自身を縛り上げるのだ。
不意に眩暈がするように、打ち消すかのように頭を振る。
自分はなんだ?
どうしたんだ?
逃げるように、あてつけるように缶を呷る。
炭酸の気泡と、酒気のかすかな苦味。
こんなに味を悪く感じるのは何時以来だろう。
カツ。
乾いた音をたてる缶の底を、テーブルにたたきつけて、我にかえる。
- 484 名前:夜半の月 投稿日:2004/06/14(月) 00:05
-
天使は眠っているのだ。
- 485 名前:夜半の月 投稿日:2004/06/14(月) 00:05
- 起こしただろうか。
そろりと視線を横に向けて、思わずうろたえた。
パーテーションの手前、静かに視線を向けてくる天使の姿は清潔。
存在の底にある慈悲を垂れ流すのではなく、人の慈しみのような、静かな面差しをして。
そのまま、ゆっくりと近寄ってくる。
足音すらしない。
一歩ずつの歩みの真意がつかめずに、ただただ、姿をとらえていることしかできない。
傍らまで歩み寄ってきたのを、ぼんやりと見上げる。
- 486 名前:夜半の月 投稿日:2004/06/14(月) 00:08
- 天使はなにも言わない。
裕子は真意がわからない。
言葉というツールが成立してから。
また、「理解できない」なんて思いもしなかった。
なんて馴れ合いだろう。
それは「言葉で通じることかできるという状態」が、普通になってしまった現実。
今更、気付いて呆然とする。
通じたことは最近なのに。
通じなかった頃を、忘れてしまっているかのような、自分自身に。
冷めた感覚が思うのに、そんなことは問題じゃないと理解している「感情」がある。
「どうし……?」
ようやく絞るように、ひねり出した音声が、くぐもるように消えた。
姿勢が前にかすかに倒される。
引き寄せられたような気もした。
額にあるのは、やわらかなぬくもりと。
髪を寄せ、あやすように包むのは細い腕と。
事象として、一つずつが刻まれていく。
そうして、視界の色が白一色になって。
包まれていると理解するまでかかった時間は、5秒を越えたのだけれど。
- 487 名前:夜半の月 投稿日:2004/06/14(月) 00:10
-
- 488 名前:堰。 投稿日:2004/06/14(月) 00:20
- >464
早めに!と言いながらこんなにお待たせしてしまいました。
それこそ切腹!という感じですが、
まだ三行半はもらわずに済みますでしょうか?(苦笑
書いてて楽しいです。まさに趣味の世界。
こんな作者で申し訳ないです。本当に。
少しずつ先が見えてきました。
が、それもおおまかなので、どうやってもまだ時間が必要。
やばい、そろそろ一周年になってしまう。あわあわ。
えーっと、いつか終わりますから…。きっと。
- 489 名前:名も無き読者 投稿日:2004/06/14(月) 17:41
- 更新お疲れサマです。
なんのなんの、これくらいの待ちはなんともないデスよ。
忍耐には(待つだけなら)自信がありますからw
先が見えてきてますます先が楽しみです。
続きもマターリお待ちしております。
- 490 名前:夜半の月 投稿日:2004/07/27(火) 22:49
-
- 491 名前:夜半の月 投稿日:2004/07/27(火) 22:51
- 呼気だけがそこにある。
お互いの呼吸音だけで、場は均衡を保っているようだった。
たじろぐように揺れた肩を、包み込む小さな体。
一対一の個としての存在が、そこにあるだけ。
ポツ。
ポツポツ。
ソファーの上に、水滴が落ちて爆ぜる。
所在無い捕縛師の手の甲に水滴が落ちて。
初めて、その温度で涙だと理解することができた。
どうして、泣く――?
涙を視界の内に、視線を必死に持ち上げる。
と、確かに涙を頬に伝わせる、なつみの姿がそこにある。
本質を抑えきれないのか、制御以上の力が働いているのかは解らない。
手の甲に、肩に、降り積もる純白の幻。
涙とともに舞い落ちては、融けて消える幻想。
細い体に不釣合いな、大きな翼が場を包み込んでいた。
- 492 名前:夜半の月 投稿日:2004/07/27(火) 22:54
- 「かなしい」
――こんなに強い思いを抱いて、なぜ人は出口のない場所に苦しんでるの?
その言葉を、オマエが言うのか?
思わず眉を下げて、仰ぎ見る。
「かなしい子供は、ゆうちゃんだけじゃなくて…。
たくさん…、ものすごく沢山いるけど。
あがいて、あがいて、とべないのに。
苦しみの水からも上がれないのに。
どうして人間は、果てしない未来や空を見てるの?」
語彙の不足にもどかしさを覚えたのか。
口元をゆがめると、天使は裕子の頭を再度引き寄せた。
非力な腕が必死にかき集ようとにするのに、裕子の指先は行き場を失う。
酸素が足りないかのように。
細く息を繰り返すなつみは、まるで最後の言葉を紡ぐように呼気を計った。
- 493 名前:夜半の月 投稿日:2004/07/27(火) 22:55
-
「言葉が…足りないの…」
ようやく。
繋ぎとめるように呟かれた言葉が、胸に刺さる。
「どんな英ちをつむいでも、伝えるための言葉が見つからないの」
人間のだれもがそうだとは思わない。
けど、生きていくのは辛くて、苦しくて、でも時どきやさしいんだね――。
- 494 名前:夜半の月 投稿日:2004/07/27(火) 22:56
-
難しい語彙を伝えるためならば、思考だけで話せばすぐなのに。
それなのに、言語で伝えようとするのはナゼ?
じっと涙を享受するような体勢で、呆然とその表情を見上げる。
ただただ、泣いている人間…いや、人型の顔など。
じっと、ただ見つめたことなどなかった。
早くに亡くなった母親は、泣くときは背中しか見せない人だったし。
「あの子」は、笑いながらしか、泣く場面を見せなかったから。
自分の涙は、とっくに忘れてしまったと…そう思っているから。
だからかどうか…。
目の前の線を伝って零れ落ちる涙は、不思議と、澄んで、綺麗だと思った。
- 495 名前:夜半の月 投稿日:2004/07/27(火) 22:58
- 人魚の涙に特効があると言ったのは、一体いくらほど昔の人間だったろう。
今、海は殆どが干上がって、人々の空想の中でさえも、人魚など居ない。
ならば、天使の涙は何をもたらすのだろう。
今、神をも敵と見なす人類が見る、天使の涙になにがあるだろう。
触れたあたたかさが変化をもたらすのなら、それは人間の繋がりだって同じだ。
ならばどうして、神は物事を別けたのだ。
裁く者と、裁かれる者と。
虐げるものと、虐げられるものとを――。
言葉は大地の上で歪曲させられた。
小難しい勉強をこなした一握りの人間が、ようやく他民族と理解できるくらいで。
太古の時、天空を目指した人間の試みを挫き、その悪が広まることのないよう言葉を別けた。
神の座を落とすことを、共謀したりせぬように。
- 496 名前:夜半の月 投稿日:2004/07/27(火) 23:01
- 「ゆうちゃんは、じぶんのことが、きらい?」
天使は自分=相手だとは思わないだろうから、この場合は裕子自身を指しているのだろう。
自分のことが、嫌い?
自らの理解しやすいかたちに変換して、初めてしっかりと受け止める。
ただ、投げられた言葉が大きすぎて、受け止めるつもりで押し潰されそうになってしまう。
ぼんやりと、その顔を見上げることしかできなくなる。
「もし…ゆうちゃんが、自分のことを嫌いでも。
その…、なっちは、きっともう、ゆうちゃんを嫌いになれないよ?」
ドク。
心臓の、たった一度の拍動が、体ごと大きく揺らす。
「まよったり、なやんだりしてるゆうちゃんの、気持ちは他の誰のものでもないの。
同じような気持ちで、沢山の人がなやんでる。
み使いだったら、沢山の人をみちびいてあげるのが仕事なのに…。
でも、目の前にいるゆうちゃんが苦しんでるのは、やっぱり見たくないの」
- 497 名前:夜半の月 投稿日:2004/07/27(火) 23:03
- ――人間のエゴまで解るようになってしまったら、いよいよ失格かな。
不意に理知を満たした言葉が流れ込むのを、自嘲だと思った。
天使の目は穏やかに、裕子を見つめて離れない。
でも、その頬は涙で濡れている。
微笑のようにも見えた。
だけど、その波長はどこか淋しげだ。
感覚から流れ込む言葉は、なによりも雄弁に感情を波にして届けてくる。
気付きは、すぐそばに添えられていた。
言語として懸命にあらわそうとした、その「思い」が一気に打ち寄せる。
皮膚のかすかな繋がりで、これだけの語彙を行き来させる天使が、言語で伝えようとしたもの。
それは他でもない「思い」そのものなのだ。
心の発する、声なき声。
心配も切なさも、慈しみも、なにもかも。
「届けようとする思い」が彼女を「言葉」にはしらせたのだ。
裕子が理解しやすいであろう、「言語」という道具に――。
- 498 名前:夜半の月 投稿日:2004/07/27(火) 23:06
- 苦しい。
息が詰まる。
本当は、こんな自分が嫌いかどうか、認識することもなく走ってきた。
だから。
好きか、嫌いかなんて解らない。
考えたことも無い。
だけど、こんな風に沁みこむのは何故だろう。
嫌いになれない。
どこかで何かを、信じていたい。
他人を?自分を?なにを?なにかを?
きっと?
自分自身も、そうだから――?
「自分、ほんまにアホやんな」
天使の体を両腕を使って引き剥がすと、裕子はかくりとその頭を落とした。
「あんなアナクロの罠に捕まって。
一時でも、何一つ自由にならなくて。
傷つけられて。
そうした人間に言う言葉やないやろ?なぁ?」
ヒドイ人間。
自活のために他を屠ることを生業にし。
今日も、他の命をないがしろにして生きた。
生きるための行動というより、行動に生まれた高揚感に初めて自らを省みた。
絞られる視界。
血塗られていく体。
天使よ。
それを見ても?それを慄きとともにとらえても――、君はまだ?
- 499 名前:夜半の月 投稿日:2004/07/27(火) 23:07
- 見上げたままの視線は、いつのまにかしっかりと捕らえられている。
正面から。
迷いを映す鏡のように、迷いを正す答えのように。
「でも、こうして近よったら、わかってきたら、やさしいゆうちゃんだよ?
だからきっと、なっちはゆうちゃんの事、嫌いになんかなれない。
だって、ゆうちゃんは、一人で自分をせ負っていられる人だから――」
そう言われ、ふっと、息をつく。
自分を背負っていられる。か。
考えたことなどなかった。
人間が生きていくうえで、当たり前のことだろうと高を括っていたからだ。
そう、自分が嫌いかどうかも、考えたことなどなかった。
日々逃げるために生きてきたから。
- 500 名前:夜半の月 投稿日:2004/07/27(火) 23:08
- そうして、気付くことすらなかった考えを、心のそばにそえてきた言葉を受け止めて。
膝を抱えていた18の少女が裕子の体の中で目を覚ます。
あの日から。
じっと座り込んでいた心の重さが、ほんの少しだけ…軽くなった気がした。
ゆっくりと立ち上がって、今の自分の中へと帰ってくるイメージ。
後悔はいつまでも消えない。
あの日のことは、一生忘れない。
なのに、忘れようとして、迷ったり、間違ったりしてきたけれど。
いまこの場所に居る裕子は、どうしようもなく、自分自身なのだから。
誰かの言葉で、自分の中の何かが覆される時がきても。
そのまま沈むことは無いだろう。
- 501 名前:夜半の月 投稿日:2004/07/27(火) 23:09
- 情けなさと気恥ずかしさにそっと俯いてから。
裕子は再び天使と視線をあわせた。
「汝が罪を呼ばわる…とは、よく言ったもんだと思うけども。
神様ってのも、捨てたもんじゃないのかもしれないな……」
諦めるように言葉を放つものだから、真意がつかめずになつみは首を傾げた。
仕方が無い。
天使は神の力の一つ。
神を全肯定することは、それこそ当たり前のことなのだから。
どう返せばいいのか判断できないまま、なつみは言葉を捜している。
さっきよりも、ちょっとばかり切羽詰った感じで。
そのあどけなさと、本性が保っているだろうギャップに苦笑しながら告げる。
「あんたみたいなのが居ると思ったら、すこし、ほっとする」
- 502 名前:夜半の月 投稿日:2004/07/27(火) 23:11
- かろうじて持ち上がっただろう口角に、ようやく理解を得た天使は静かな微笑で応えた。
――さっき、神が言葉を別けたのは何故だ?と考えたけども。
すいと潮の満ちるような自然さで、微笑の表情が美しさを帯びる。
コイツ、ずるいやっちゃなぁ。
と、思うのにも、防ぎようが無い。
感情と言葉を二層で感じ取れる天使の能力は、裕子には超えられない。
越え方なんか解らない。
――言葉がなくても、思いは通じるからです。
「大事なのは、心、たった一つ。
人間の持つ、思い、その力。
ゆうちゃんの、心しだいなんだから……」
トン。
裕子の胸骨あたりに、天使の指先がとまる。
慈しむ、本質の瞳。
まるで、本当に心ごと射られたように、指し示されたように姿勢は正された。
- 503 名前:夜半の月 投稿日:2004/07/27(火) 23:12
-
心の、問題。
その単純明快な真理に気付くことすらできない、気付こうともしない。
言葉という容易な理解に負け。
お互いに近づく努力さえしない。
そんな人間が、途方に暮れて、活路を見出せなかっただけ。
- 504 名前:夜半の月 投稿日:2004/07/27(火) 23:13
- 同じ言語を用いる人間でさえもそうだったのだ。
言葉を使うことに疲れ。
自分を伝えることに詰まり。
少しずつ何かを失っていった。
ムリもない。
どこか本質を得たような気になって途方に暮れる裕子から、
――でも、言葉が持ってる意味や力も、わかったような気がする。
悪戯な、子供のような微笑を浮かべ、天使はそっと指先を離した。
「解ったようなことを…」
照れくささを払拭できない裕子は、気まずくも笑いながら髪をかきあげる。
その顔をわざわざ覗き込みながら、天使は無垢にたずねた。
- 505 名前:夜半の月 投稿日:2004/07/27(火) 23:14
- ――こういう気持ちも、嬉しい…で合っているの?
通じたこと。
気持ちが届くこと。
それは、嬉しいで表現できることなのか。
裕子はまだ知らない。
「知るかそんなこと」
天使が純粋に嬉しそうな笑みを浮かべるのに。
捕縛師は満更でもなさそうに、肩へと軽く拳をあてるのだった。
- 506 名前:夜半の月 投稿日:2004/07/27(火) 23:15
-
- 507 名前:夜半の月 ++後日談++ 投稿日:2004/07/27(火) 23:17
-
「なーんかさぁ、裕ちゃん、最近よく笑うよね」
矢口の声はどこか楽しそうに、裕子の耳に届いた。
咥えタバコで銃の手入れをしていた裕子は、軽く唇で火先を跳ね上げる。
と、面白く無さそうに眉を曲げた。
「そっかぁ?そんな笑ってるか?」
わざとらしい渋面を見せるものだから、「だー、裕子可愛くないなぁ」と矢口は笑った。
なんかさぁ――。
含むように笑み、コーヒーカップを手入れのテーブルにそっと置く。
邪魔にならない位置がわかるのは、永年の勘か、それとも自分が銃器の手入れをするようになったからか。
「ズバって言うけど、もっと引きずるのかと思ったよ」
このあいだのこと…。
少しばかり申し訳無さそうに言われて、裕子はドライバー片手に頬をかく。
- 508 名前:夜半の月 ++後日談++ 投稿日:2004/07/27(火) 23:19
-
このあいだのこと。
その意味することくらい、すぐに解る。
天使を連れて森へ入った時のこと。
命を蹂躙することに、大きな虚空を得た時のこと。
その日、確かに自分の中に大きな影が落ちていた。
他に、理由はないだろう。
思い返して、なお情けないのは仕方が無い。
「まぁ、どうにか」
くす。
苦笑ぎみに口元をあげ、裕子は作業を続ける。
グリップのネジを締め上げ、片手にすると、静かに前方へ構えた。
そのまま弾奏をギャリと指で軽くまわす。
その滑らかなのを確認するとテーブルへ戻した。
不具合なし。と。
肩からかるく力を抜き、カップを取り上げて口に運んだ。
相変わらず香りの高いコーヒーを煎れる。
店に居るというのはこういうコトなのだろう。
心の内で感心するが、口には出してやらん。
ここが裕子の可愛くない、しかし愛しいところなのだが。
- 509 名前:夜半の月 ++後日談++ 投稿日:2004/07/27(火) 23:22
- 一口のコーヒーが、気持ちのスイッチを切り替える。
裕子の思考はすでに、整理の域に入っていた。
どうやら、思うより、単純な生き物だったようだ。
人間が。と、言うよりも、自分自身が。
自らが思うより、他人の言葉の形容が勝るときもある。
今回は確かに、その通りだった。
相手は天使で、人ではなかったけれど。
しかも、一度じゃない。
これで、二度目だ。
抱えている痛みを引きずり出して、太陽の下にさらしてしまう。
その凄烈な明かりの下に、ドロのようにくすんだ感情は乾き、壊れ、風に消えてしまう。
や。形を無くすだけだ。
記憶も、その時の感情も、心の中にちゃんとある。
だけど、痛烈な痛みではなくなる。
人が、これを忘却と言うのを、ようやく思い出す程度の気付きだったが。
- 510 名前:夜半の月 ++後日談++ 投稿日:2004/07/27(火) 23:23
- 天使の言動に深く侵食されている気もする。
誰かに侵食されるという事実は、普段なら気を害することでもある。
その不機嫌が本当に憎むほどのことかと言われれば、そうも言えない。
人じゃないから。
だろうか。
単純に思いを届けることを考え、そのために言葉で伝えようとする。
それは言葉で物事を伝え、気持ちを二の次に考える人間には、考えきれない逆転の発想。
覆されていく。
常識も、冷徹だった自らも。
思い出も記憶も捨てずに、少しずつ歩きだした自分を待っているのは何だろう?
- 511 名前:夜半の月 ++後日談++ 投稿日:2004/07/27(火) 23:24
- 「ゆうちゃん?」
不意に覗き込まれて、思わずのけぞった。
今の考えで目の前の天使に読まれていたなら、それはそれで失礼だろうし。
恥ずかしくもなるし。
それにしたって!
「オマエなぁ!もうちょっと気配見せて近づけ!」
驚きついでに怒鳴ってしまって、天使が目を丸くして固まる。
その硬直を目ざとく見つけた矢口の口が、速攻天使のフォローへまわった。
まったく、よいコンビネーションだ。
「それはひどい言い草だなぁ、なっちはちゃんと普通に近づいてたよ。
裕ちゃんが考え込んでただけじゃん」
「そうじゃん!」
くっわぁ!こいつら容赦ねぇ!
- 512 名前:夜半の月 ++後日談++ 投稿日:2004/07/27(火) 23:25
- 思わず顎を上げてのけぞってから、
「驚いたもんは驚いたっつーの!」と大上段で言い放った。
えっと、聞くだけ聞いたら情けないことこの上ない言葉だが。
「なんだよ!百戦錬磨とか言ってるくせにヘタレー!
普段の顔をクライアントが見たら、何て噂が立つかかわかんないね!」
「ゆうちゃんのへたれー!」
続いて口撃してくる小動物二匹に、思わず激昂する。
がー!このガキャァ!
立ち上がろうとバンと机を叩き、腰を上げた瞬間、椅子が引っかかって倒れた。
ガシャン。
怒ろうと、そう思っていた感情に、一瞬の凪ぎが生まれてしまう。
カラカラと椅子につけられたキャスターの回る音。
水をさされたかたちで、静寂をもった空間。
妙な空気っていうのは、こういう場のことを言うのだろう。
- 513 名前:夜半の月 ++後日談++ 投稿日:2004/07/27(火) 23:26
- 止まったまま、浮かんでくるのは仕方なさ。
しょーもなさ。
ぷ。
と噴出してしまえば、後は芋弦式に笑うだけ。
- 514 名前:夜半の月 ++後日談++ 投稿日:2004/07/27(火) 23:26
-
「ほらぁ、やっぱ笑ってんじゃン」
うひゃひゃひゃ。
まるで空気ごとひっかけるような笑みを浮かべて、矢口が裕子を指差している。
耳に飛び込んだのは、自分の声。
大笑いしてる、裕子自身の声。
あぁ、そうか。
こんな風に、声を上げて笑ったこと…なかったな。
言われてみて、ようやく解る。
あの時から、ずっと、こんな笑い方はしてなかった。
なぁ、どっかで見てるか?
それとも、天使の支配以来、人の魂は容赦なく集められてるのか?
声をあげてまで、笑うようになってしまった。
こんな自分を見たならば、やはり君も笑うだろうか?
裕子の気持ちの機微も知らずに、矢口は手を叩いて笑っている。
- 515 名前:夜半の月 ++後日談++ 投稿日:2004/07/27(火) 23:28
- 「そりゃー、みんなが言うようなクールな見た目も捨てがたいけどさ。
こういう風に笑ってる裕子、きっとみんな好きになるよ」
矢口め。
臆面もなく言い放つのに、戸惑いは溢れて消えない。
影のある自分しか見ていなかったくせに。
そうして平気で笑ってみせるところに。
何を知っても変わらないという、単純で難しい対応をこなしている矢口を悟る。
大事なものが増えていく。
大切なものが増えていく。
欲張りたくなるほどの、穏やかな時間。
その、幸福を……。
- 516 名前:夜半の月 ++後日談++ 投稿日:2004/07/27(火) 23:28
- 「なぁ、今度一緒に出かけてくれないか?
矢口と…天使――あんたと……。
圭坊も呼ぶよ。
あんたたちに…、あわせたい人が居る」
俯き加減につぶやいて、裕子はカップの中身を空にした。
ごまかしのきかない気持ち。
自分を変えていく気持ち。
「えぇと…わかった」「ん」
確かに、一瞬驚くような視線の動きはあった。
だけど、それを「表」にするようなことはない。
即座に「珍しさが呼び起こす喜び」をまとい、愛らしい姿の二人は顔を見合わせて笑ったのだ。
- 517 名前:夜半の月 ++後日談++ 投稿日:2004/07/27(火) 23:30
- 軽い相槌を打って、矢口は裕子の手からカップを受け取る。
自分の気持ちの整理のためだけ。
それくらいは解ってる。
でも、今の彼女達ならば、きっとその行いすら笑って見逃してくれるだろうから。
少しくらい、甘えていい。
って、こういうコトなんだろう――?
微かに「甘え方」を間違っているのは、生来の流れのせいなのだろう。
それに気付けない裕子の手を。
確かに引っ張っているのは矢口であり、なつみなのだ。
キッチンに消える二つの背中を見やりながら、裕子はその髪をかきあげた。
新しい煙草に火をつけ、静かに吸い込む。
金の髪の流れ落ちるのに隠れる表情は、至極穏やかな女性のそれだった。
夜半の月 :了
- 518 名前:夜半の月 投稿日:2004/07/27(火) 23:31
-
- 519 名前:堰。 投稿日:2004/07/27(火) 23:36
- えぇと、やっとこ終えました。
これで、夜半の月はおしまいです。
あと……、数えるのやめよう。怖い。自分で。
大事なモノは増えていきます。
気付けば腕で持ちきれない、心でも持ちきれないくらいに。
取捨選択をする人も居るでしょう。
どんなに辛くても、抱きしめ続けてる人も居るでしょう。
裕ちゃんがどういう人か、これからです。
>489
これで見通しついてんのかボゲェ!
とか言われてしまいそうです…が、の、脳内では…
o(●゚ー゚●)=○)゚O゚).。・<あうち!
書き手のどなた様も、きっと同じでしょう。
脳内では完結してるのに!と(笑)。
もう書きたいシーンに繋げていくのが大変です。
突発更新ではありますが、今後ともよろしくお願いします。
平に平に。
次は……、ちょっとどれを載せるか悩み中。うぬぬ。
待て次号!と、言うことで!<脱兎
- 520 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/28(水) 10:29
- 更新お疲れ様です
裕ちゃん、、、少しづつ変化が
マターリ待ってますね
- 521 名前:電話。 投稿日:2004/07/29(木) 00:22
-
- 522 名前:電話。 投稿日:2004/07/29(木) 00:24
-
で、出やしねぇ――。
思わず受話器を手にしたまま、呆然と事務机に突っ伏す。
朝礼の時間は過ぎたのに、まだ上司の姿が見えない。
仕方が無いから連絡をとろうとしているのに、つながりやしない。
こういうときのヤリダマにあがるのは、上司の愛するアナログ。
――旧世界の道具たちなのだ。
「そういうアナログ機械を使っているあたり、問題ありだと思うんだけど」
とは、補佐官である斉藤瞳のツッコミであった。
しかし、今机に突っ伏している人間も補佐官なのである。
- 523 名前:電話。 投稿日:2004/07/29(木) 00:25
-
どうしようもない!
と、アナログを愛して止まない上司を怨んでいて。
頭を抱えている。
見慣れてしまうほど、毎日繰り返されている光景である。
「ていうかね。待って。
だいたい上官がね!こういうモノを好んでいるあたりが問題なんじゃないの!?」
と決まって、堰を切って訴えはじめる。
「まぁまぁ。仕方ないじゃない。
ウチの上司はこの会社でも指折りの変わり者なんだから」
そういうふうに文句を受け止めて、補佐官である瞳が肩をすくめた瞬間だった。
- 524 名前:電話。 投稿日:2004/07/29(木) 00:27
-
「だーれが変わり者なんだって?」
と、パシュンというエアの抜ける音と同時に重たい扉が開いた。
部下の肩先が固まるのを無視して、「変わり者」と呼ばれた人間が入室する。
入ってきたのは彼女たちの上官である、総務…経理及び監査の責任者。
階位にすれば総帥のすぐ下にあたる、クイーンの称号を持っている人物だ。
名前を、村田めぐみという。
見た目の理知という点においては一部の隙も無く。
その回転や機転の速さなどは屈指のものを持っている。
だけど、実際表に出て誰かを屠るようなこともなく。
タダ静かに、この地下にあるセンタールームで、財務と内部監査を取り仕切っている。
- 525 名前:電話。 投稿日:2004/07/29(木) 00:28
-
部下の数は二人だけ。
なぜならば理由は簡単。
数が多いと身動きが取れないから。
各所に会計部員がおかれており、そのデータを集計するのに人数は要らないし。
なにより、内部監査を大勢でやるというのもばかげた話だ。
さて、その彼女。
実力は底知れないと噂されているものの、誰一人としてその事実を目にしたことは無い。
噂では前総裁の秘書だったというネタも、ちらほらと囁かれているくらいで。
まぁ、リバースだったら長命。
外面も変わりにくいから、あながち嘘とも言えないという――。
そういう女性である。
- 526 名前:電話。 投稿日:2004/07/29(木) 00:30
-
「それに、これは携帯電話と言ってね。
一応完全なるアナログじゃないんだけどね」
そう縁のある眼鏡を指先で押し上げながら、上官であるめぐみは自席に収まった。
……。
問題になっているのは、彼女の持っている携帯端末の電話ではなく。
この部屋にある電話が黒電話ってところにあると思うのだが…。
いくら回線を改良されているとはいえ、ジコジコとダイヤルしていては遣る瀬ないことこの上ない。
と、思ってみても誰も何も言えやしない。
不承不承に顔を見合わせてから、部下にあたる二人は「「おはようございます」」としっかりと礼をとった。
「うん。おはよう」
と軽くそれを受け止め、手にしていた手のひらほどの通信端末をチャカチャカと開いたり閉じたりしている。
「これが生まれなければ、今の通信の発達はありえなかったのだよ?キミたち」
「出たよ博士面…」
思わずつぶやくのに、「そう文句言わないの斉藤くん」と女王が指をさした。
- 527 名前:電話。 投稿日:2004/07/29(木) 00:31
-
「で。朝からなにか連絡事項があるんじゃないの?」
と、とっくに朝の幹部伝達で承知しているはずのことを、部下に問いただした。
「えぇっと、はい。
総帥から、貯蓄の中からある程度の引き出し願いが出てますね」
「額にしたら…、またあの趣味だと思うんですけど」
帳簿をみやりながら、首をかしげ。
瞳ともう一人の補佐官は唸ってしまう。
無理も無い。
多くの武器を一括で仕入れるならまだしも、私用でこの額。
長い休暇を宣言するわけでもない。
となると、総帥の金銭の使い道というのは限られてくる。
理由は一つしかない。
- 528 名前:電話。 投稿日:2004/07/29(木) 00:32
-
――天使のコレクション。
だいたいの部下は、それが総帥の酔狂な趣味だという認識を持っている。
が、その趣味の実も、総帥の実体自体も、中枢の幹部である人間しか知らない。
ポーンの筆頭である補佐官程度では、実体を知る由もない。
だからこそ。
思わず助けを請うように、上官を見つめてしまうのだ。
- 529 名前:電話。 投稿日:2004/07/29(木) 00:34
-
思考は幾重にも広がる。
可能性なら無限にある。
「んー。最近声が無いから安心してたんだけど」
臙脂色の万年筆をとりあげて。
手持ち無沙汰にいじくりながら、めぐみはふむと息をつく。
かつ。
キャップをかけたままの万年筆が、カツカツと机を叩いた。
リズムは不規則で、一抹の不安をもたらす。
「安心…て、どういうことなんでしょう」
思わず問い返す言葉を追えば、そこには怪訝そうな顔をした補佐官が居て。
「や。今のは気にするところじゃないから。
忘れてくれたまえ、マサオくん」
「いーや、気になりすぎます!そう言われると逆に!」
そう言いながらあからさまにため息をついためぐみに、マサオと呼ばれた女性は思い切りつっこんだ。
- 530 名前:電話。 投稿日:2004/07/29(木) 00:35
- こくこくと頷く瞳をいなすように。
「緑茶がいいなぁ」と指図しながら上司は軽い唸りをあげる。
眼鏡をはずしてピントを合わせるふりをしながら、軽くマサオをねめつけた。
ちょっと機嫌に障ったのかしら?
と、一瞬ひるんだところには、含むような微笑があって。
からかわれているのだと解った補佐官は、思わず肩をうなだれさせる。
「まぁ、総帥は小さな頃から変わったところがあってねぇ」
どこを省くべきか、計算しているような口調だった。
それが解らないわけでもないが、指摘できるような立場でもない。
小さな頃から知ってるんだぁ。
とも思ってしまうが、それもツッコミどころじゃない。
「訓練施設にも送られてるから。
もしかしたら、きみたちも会ってないわけじゃないと思うんだけど…」
くんと指先で万年筆をまわす。
- 531 名前:電話。 投稿日:2004/07/29(木) 00:37
- 「まぁその、簡単に言うとね、天使に対して固執してるんだなぁ」
――単純な趣味じゃなくてね。……、ちょっと。
そう含むように呟いたタイミングで差し出されたカップを片手に、一言を言いよどむと。
「あぶない。
って言ったら簡単…かしらねぇ」
ぽつんと言い放って緑茶を一口する。
「あ。…あぶ……な い?」
「まぁ。私が居ないときに、軽々しく予算としてとおさないようにして」
――どうせあの人は自分のポケットマネーで買えるんだから。
そう切るように言って、めぐみは静かにデスクに目をおとした。
総裁の手持ちと同じタイプの、埋め込まれたモニターを立ち上げ、未処理のものやデータに目を通している。
- 532 名前:電話。 投稿日:2004/07/29(木) 00:38
- は。はぁ――。
どう返していいのやら解らないし。
どこに焦点をあわせていいのかも、わからない始末。
な。なにが危ないんだろう――。
思わず頭を抱え続ける「補佐官マサオ」に対して、
「それより、帳簿のデータ一個足りなくない?」とめぐみは指をさした。
その声に弾かれるように、補佐官はガタンと音を立てて椅子から立ち上がった。
「あ!すいません!
朝一で引き出してこようと思ってたのに、すっかり忘れてました!」
「ハーイ、取りにいってこーい」
そう顔も見ることなく言われて、部下はあわあわと部屋を出て行く。
体よく放り出されたけれど、自分のミスだ。
仕方がない。
- 533 名前:電話。 投稿日:2004/07/29(木) 00:39
- バシュゥという制御された重厚な扉が閉じるのを背中に感じながら、マサオくんこと大谷雅恵はかるく渋面した。
眉間にしっかりとシワを刻み、首を傾げる。
細い通路が続いて、この階への降り口になるホールまでずっと続いている。
上司は厳しすぎるということはないが、あまりに飄々としていて時々わからない。
いや。
信頼をしていないわけではない。
ただ単純に、何を心得ているのかだけが不思議なのだ。
これから5階分を専用エレベータであがって、ようやく地上一階。
そこからビルの15階までオフィス用のでさらに上がらなければいけない。
まったく。
なんでこんなへんぴな場所にスカウトされてしまったのだろう。
わしわしと頭をかきあげながら、彼女はエレベータホールで軽くため息をこぼしたのだった。
- 534 名前:side TSSP 投稿日:2004/07/29(木) 00:45
-
ちょっと続きます。
- 535 名前:SPの優雅な午後 投稿日:2004/07/29(木) 00:48
-
少しばかりさかのぼるけれども、
過去ではないお話。
例えば、昨日食べた何かを思い出す程度の。
そんな巻き戻し方を、してみる、時間軸。
- 536 名前:SPの優雅な午後 投稿日:2004/07/29(木) 00:51
- ツ。っという軽い音を立て、音声だけの通信が切れた。
――30分ほど前にこちらを出られましたが。
本当ですか?まだ戻られないのですか?
困惑した声を投げていた医務局の人間の言葉を思い返して、軽く肩を竦める。
大き目のソファー。
それに転がったまま目にできる、目線の高さのサイドテーブル。
目の前には「お見舞い」という軽々しい名前の。
大役を背負って運ばれてきた、皿に盛られた果物の数々が揺れる。
見た目にみずみずしく麗しいそれに、一瞬目を奪われた。
宛名には親愛なる騎士へ。と記されている。
大好きな、大好きな。
同じ地位に上ってきた処刑人。
どこかつまらなそうに簡単に物事を運ぶのに、自分にだけは笑ってくれる大好きな人。
確かに。自分の方が場数を踏んでいるはずなのに。
こんなに全てが安らぐ「個体」に出会うのは初めてだから。
うんと。
そっと目を瞑って、「個体」が不貞腐れたように腕を見ていたのを思い出す。
- 537 名前:SPの優雅な午後 投稿日:2004/07/29(木) 00:54
- 小物の放った一撃に静脈の上を傷つけられて。
幾分濃いめの色をした血が腕を流れた。
獲物のくせに抵抗するなんて。
思い出すだけでも腹がたつ。
帰り際にブツクサ言っていたので、帰りの運転は自分が代わったけど。
いつもより嗜虐心が強く出て、見るも無惨な形にしてしまったじゃないか。
そう思い返しながらも、「ま、いっか」と笑っていた。
完全なる消去もできないわけではないけれど。
それでは、思い知らすことなどできない。
我々の仕事は、対象を守ることを信条とする下級兵士とは違う。
刃向かう者へ、無力を思い知らすための鉄槌なのだ。
今日も、その仕事を完遂したのだ。
褒められこそすれ、穢れる理由はどこにもない。
- 538 名前:SPの優雅な午後 投稿日:2004/07/29(木) 00:56
- 表情を思い出しながら、頬が緩むのを止められない。
仕方なしにそっと瞼をもちあげて、再び原色の果実を目にする。
「戻ってこないのが悪い」
時間ばかりすすむ時計。
帰ってこない、恋人。
戻ってこない、相棒。
不貞腐れるように指先を伸ばしたら、果実の生気が爪の先でリンとゆれた。
食べたら怒るかな。
自分に送られてきたものだからって、怒ったりするかな。
そう思いながらも、不貞腐れたアテツケと誘惑に勝つことはできない。
フルーツなんか、久々に食べる。
種の無い果肉の大きな葡萄を一粒、そっともいで皮ごと口に入れる。
プツっと歯で切れる果皮から、口を苦くしそうな甘さと、香りが口いっぱいに広がった。
- 539 名前:SPの優雅な午後 投稿日:2004/07/29(木) 00:58
- 「あれ?なに。いいの食べてるじゃん」
と、一仕事終えて医局へ出向き、皮膚再生の活性化を終えた相棒が戻ってきた。
ラフな部屋着。
ハーフパンツとTシャツ姿で、タオルで頭を乾かしながらの登場である。
すっかりシャワーまで浴びているのに、表向きに不快を示してみせる。
そんなんだったら早く帰ってきてくれたらいいのに!
思わず膨れそうになる頬をどうにかなだめて、もう一つの果実をもぐ。
相手も小さな葡萄を房ごととって、そっと唇にむける。
歯で器用にもいで、食すのに、彼女はこの果物の出所などは気になっていないようだった。
- 540 名前:SPの優雅な午後 投稿日:2004/07/29(木) 00:59
- 「たんへのお見舞いだって」
――ごっちんから。
「あたしのかい」
と、少し驚いたように目を見開いて、「どろぼーじゃん」と軽い口調で微笑う。
あ。怒らない。
きょんと見上げるのを「怒らないとか思ってるんでしょ」なんて図星にするから、こくりと思わず頷いた。
「怒ったりしないよ。
待たせてたこっちが悪いんだから」
ふ。っと視線を細めるのに、思わず胸が高鳴る。
なんで、こんな相手に出会ってしまったのだろう。
心底、思し召しという名前の運命と、そのさし指を恨めしく思う。
「それにしたってさぁ、シャワー浴びるんだったら戻ってきてからだっていいじゃん」
うん?
その不貞腐れたように零れた言葉を受け止めて、たんと呼ばれた彼女は首をかしげる。
省略しすぎの固有名詞。
その他にも美貴ちゃん。美貴たん。などなど、甘い声で呼ばれることに変わりはないのだが――。
逡巡を見せた後、なにか思い当たったように口元を上げた。
- 541 名前:SPの優雅な午後 投稿日:2004/07/29(木) 01:01
- 「なに?もしかして、待ちくたびれた?」
「もしかしなくても、待ってたの。くたびれた」
そう畳み掛けるように白状してしまって。
なんだ、手の内を見せる必要はないのに。と、思わず狼狽する。
「そっかぁ。じゃぁなに?」
シャワー浴びてないの?
そうどこかオヤジくさい物言いをしながら、横たわる首筋へ鼻を摺り寄せた。
……。
「なんだ。ちゃんと石鹸の匂いするじゃん」
ちぇー。
っと、本当にオヤジくさい物言いをしてから、彼女…藤本美貴は少女の横たわる足元、その床に腰を下ろした。
「たんが遅すぎるからです。
なに?ソファー、座らないの?」
「ん。座りません。
ここでも届くから」
ふわりと口元をあげて、甘い果実を食す作業を続けるようだ。
ちょっとつまらない。
あいた指先で髪の毛をいじりはじめると、くすぐったそうに肩がゆれた。
- 542 名前:SPの優雅な午後 投稿日:2004/07/29(木) 01:02
- 「そういえばさぁ、なんでピーピングするのか聞いてないよねぇ」
時間を決めて、ある程度の観察だけをしていればいいという、勅命の仕事。
触れてはいけない。
気付かれてはいけない。
合間に通常の業務をこなしながらというスケジュールだが、別段問題にならないほど楽な仕事だ。
美貴は軽く首を傾げながら、仰ぐように相手に声を投げた。
「何か思うことろでもあるんでしょ?
ごっちん……は、そういう人だよ」
――絶対に誰にも言わない、何かを持ってる。時々怖くなるくらいにね。
剣呑な光を眼に、問われた少女はソファーで仰向けになる。
ふん。
軽く納得するように鼻を鳴らして、美貴が体を返した。
「どうせ、自分はまだ新参者だけどね」
何も解っちゃいないしね。言われるままに動くだけだけどさ――。
そう幾分不貞腐れるように言い放って、少女の眠る腹部のあたりに頭をあずける。
微かに水分を含む髪に、細い指先がとおされて撫で梳いた。
- 543 名前:SPの優雅な午後 投稿日:2004/07/29(木) 01:04
-
美貴は異例の速さで昇格を果たしたが、半年前までは一介のポーンだった少女だ。
それでも容赦ない正確無比な射撃能力と、任務の達成率は入社当初より新人の群を抜いていた。
総帥である真希と、直接の護衛官であった彼女の前で。
暴漢を屠ったことから現役職に抜擢されたのだが。
いかんせん、おぼえることがありすぎて眩暈を覚えそうな毎日だった。
思い出すだけでも吐き気がしてくる。
下に居るときには書類だなんだというのは、無縁の存在だったのに。
去来しているだろう感覚がわかるのか、指先の優しさが増している。
んー?と視線を持ち上げるのに、待っているのは優しい瞳。
「だけど、誰よりあたしのことわかってくれるよ?」
仕事の面で慰めにならないだろうこの言葉も。
彼女の口から零れるのならば意味は違ってくる――。
- 544 名前:SPの優雅な午後 投稿日:2004/07/29(木) 01:06
- 丁寧に仕事の内容を教え、そして心までくだいてくれた彼女。
いつしか、誰よりも大事な存在になっていた。
いくら先輩面で米をとがされようと、いきなり抱き枕にされようと。
それくらいお安い御用と思えるようになったのは…。
きっと誰よりも共有できる感覚が多いからだろう。
通じ合っている。
そう思えたことが、美貴を高速的に壊していった。
そして、目の前で繰り広げられる彼女の仕事の美しさも、盲進に拍車をかけた。
恋だと自覚してから、堕ちて行くのは楽だった。
半身だと気付いてから、走り出すのも早かった。
- 545 名前:SPの優雅な午後 投稿日:2004/07/29(木) 01:07
-
目の前に待っていたのは、愉悦に満ちた時間と、破壊と消去の世界。
だけど。
二人でだったら、何も怖くない。
世界が壊れてしまうことも。
体が無くなってしまうことも。
むしろ、そのほうがいいかもしれない――だって……。
じゃなかったら、直属の状況などに耐えられやしない。
- 546 名前:SPの優雅な午後 投稿日:2004/07/29(木) 01:09
- 「そういう亜弥ちゃんだって、あたしのこと、解ってくれるでしょ?」
そう、髪を梳く指先をつかまえる。
膝をたたせ、ゆっくりと表情を近づける。
微かに重なった唇が、なにかをこらえるように綺麗な笑みをかたどった。
「葡萄の味がする」
「そっちだって同じ味するじゃん」
同じ味がする。
同じ個体にはなれない。
だったら、極限までとけてしまいたい。
そう、思わない――?
「ねぇ。いいよね?」
静かに上体をかぶせて、逃げ場をなくすと微笑む。
綺麗な髪をながれるままにさせ。
微かに表情の角度をかえると、少女――亜弥は美貴を迎え入れた。
- 547 名前:SPの優雅な午後 投稿日:2004/07/29(木) 01:10
-
- 548 名前:堰。 投稿日:2004/07/29(木) 01:17
- と、いうわけで。
ちょっと離れていたTSSPサイド、お送りしました。
固有名詞を少しずつ増やしています。
紙にでも書きながらご覧ください(笑)。
>520
マターリする暇のない更新も、
たまにはよろしいかと…。
いい加減殴られそうですが。
人物整理をする余裕もないかもしれませんが、
少しずつですので。小出しですので。
台風の雨が音を立てております。
大事ありませんように。
でわこの辺で。
- 549 名前:think of me 投稿日:2004/07/30(金) 08:38
-
- 550 名前:think of me 投稿日:2004/07/30(金) 08:40
- 久しぶり。
と、バーのスツールに腰をおろし、武器屋は軽く手をあげた。
カウンターの中の少女…矢口は、一度あからさまに嫌な顔をして。
それから、気だるそうに。
「はぁい、いらっしゃいませー」
と、気の無い対応をしてみせる。
気心が知れていればこそ、できるお遊びだ。
いつもより人数の少ないバー。
カウンターには、圭一人だけ。
「お客様、今日はとびきりの一杯がありますので、ひとまず私にお任せください」
まずはナッツを出して場を持たせると。
バーテンやらも兼ねられる彼女は、カウンターの内側を素早く動いた。
用意するものは幾つも無い。
すぐに作業は始まった。
- 551 名前:think of me 投稿日:2004/07/30(金) 08:42
-
ラム、ライムジュース。
そして砂糖をシェイカーに放り、蓋を閉じるとリズムよく振り上げる。
シェイカーが軽やかに八の字を描き、砂糖が軽く溶けた頃動きは緩やかに止まった。
脚の長いグラスにすいと注ぎいれると、武器屋から見えないように細工をしてから差し出した。
白い絹のようなやわらかな光彩が、光を屈折させる。
そのグラスの縁を飾るように……、うん?
「へー、ダイキリねぇー。
ってキュウリ飾るやつがドコに居んのよ、このおバカ!」
「ここに居まーす!」
敬礼しながらしっかり舌まで覗かせている矢口に、カウンター越しに平手のツッコミを入れる。
ベシィ!といい音をたててから、圭はキュウリだけを取り上げた。
「嫌なもの」は先に食ってしまえ、ということなのだろうが。
- 552 名前:think of me 投稿日:2004/07/30(金) 08:44
- 「はい!ちゃんと漬物でぇっす!抜かりはありませぇん」
そう口に含んだ瞬間に言われてしまっては、ツッコム機会もあったもんじゃない。
辟易した表情を隠すことも無く、圭はボリボリとそのキュウリの漬物を咀嚼した。
絵のオカシさならば逸品だった。
矢口は突っ込まれた痛みも程ほどに、口元を抑えて爆笑を堪えている。
しょっぱさと酸っぱさの絶妙な味付けは、場に不釣合いなのが申し訳ないほど美味い。
しかし。
ライムジュースを使ったカクテルに、漬物……。
それをアテツケでも食らうのだから、見上げた根性である。
ムリヤリ淡色野菜を飲み込んで、更に塩っぽいナッツで口を直すことにしたようだ。
「ていうか、普通のバーテンだったら蜂の巣にしてもいいね」
「やーだー。圭ちゃん怖いよちょっと」
剣呑な光を目に冗談めかしてから、圭は静かにグラスに口をつけた。
- 553 名前:think of me 投稿日:2004/07/30(金) 08:46
-
もちろん、漬物の飾られていた場所は避けている。
「ん…前にもらった時より美味しくなった」
程よい柑橘の風味が口に広がり、それをラムの芳醇な甘さが追い越していく。
「あったりまえじゃん。矢口だって毎日、仕事してんだよ、仕事。
それこそ、圭ちゃんが久々すぎるんだよ」
屈託なく微笑みを浮かべながら、矢口は常連用のハーパーロックを今日もこしらえ始めた。
カツカツ、シャリ…という小気味よい氷の研磨音に目を伏せ、武器屋は甘い酒気を存分に味わう。
「大人になるんだね、矢口も」
思わず、年寄りめいた言葉が口に出て、苦笑する。
一瞬。
口元を結び、言葉を静かに受け止め、全ての音を止め。
しかし次の瞬間には、何事もなかったかのように、氷を削る矢口が居た。
- 554 名前:think of me 投稿日:2004/07/30(金) 08:49
-
「やだなぁ。圭ちゃんが変わらないだけだよ」
――変わらないでいてくれるの、ちょっと嬉しかったりすんだけどさ。
へへ。
はにかむように笑んで。
矢口は一瞬の感傷と、本心の笑顔を摩り替えてしまった。
「冗談言って通じるようになった頃にはさ、矢口も少し大人になったんだなぁって…。
自分でちょっと思ってたよ」
コレ、もらった時もね…。
最後の一句を声を潜めて告げると、指先だけを腰に向けた。
矢口の意図を解して、圭は思う。
そういえばそうだ。
矢口の腰元には、象牙のグリップをした、意匠の細かな小型のリボルバーが隠されている。
アンティークと言ってしまうには惜しいほど、まだまだ使えるものだった。
こうしてショーケースから息を吹き返しているのは、武器屋としては嬉しいことだけれど…。
- 555 名前:think of me 投稿日:2004/07/30(金) 08:51
-
「矢口…後でちょっと聞いてもいいかな?」
なんでアナログなんか欲しがったんだろう。
前々から思っていた疑問を解くチャンスかもしれない。
裕子には悪いが、ここは武器屋の特権。
静かな視線に意を解したのか。
「じゃぁ、あがりまで待っててよ」
と、矢口は幾分疲れたように笑いながら、重いボトルのキャップを開けた。
まだ仕事のあがりまで、二時間はたっぷりある。
ゆっくりと待っているのも悪くない。
「了解。お待ちしてます」
圭は肩を軽く竦め、一人の客として店の風景に融けた。
- 556 名前:think of me 投稿日:2004/07/30(金) 08:51
-
- 557 名前:think of me 投稿日:2004/07/30(金) 08:53
-
全ての客が引いて、街路が曇天の空の下に輪郭を現す頃。
ようやく矢口が私服になってカウンターから出てきた。
「上へどうぞ?」
と事務所兼仮眠室にもなっている上階へ案内される。
圭は木材をふんだんに使った、この古い建物が好きだった。
天使による破壊を越えて、よく残ってくれたものだ。
煙草の煙にいぶされたのか、磨きぬかれただけなのか。
穏やかな時代の流れすら持っているような、木のツヤとそのぬくもり。
先端の建築だけに包まれた世界にはもう無い、落ち着きと優しさが「ここ」にはある。
厚い木のドアの向こうに足を踏み入れると、店よりは簡素だが洒落た内装の事務所になっていた。
奥には簡易式のキッチンやシャワー室が完備されてある。
据付のソファーセットは大きく、簡易ベッドにはぴったりの大きさをしていた。
何度かお世話になったことがあるのは、秘中の秘だ。
- 558 名前:think of me 投稿日:2004/07/30(金) 08:54
-
「どこでも座って。
今日はお父さんが家に帰るって言ってたから」
そう言われて、「じゃぁ遠慮なく」と肩を竦めた。
待っている間にはあまり飲まずに居たので、まだ酔いにも体にも余裕がある。
いまだ流通の多い赤いラベルのウイスキー瓶をとりあげて、冷凍庫の氷をさっさと漁る。
「つーか、遠慮ないなぁ」
戻ってきた先から苦笑する矢口に、「オヤジさんとの付き合いのが長いんだよ」と苦笑返しを見舞った。
「そういえばそうだよねぇ」
不思議な感覚に胸をなでながら、矢口も同じように冷蔵庫を覗き込む。
「お。ちゃんと残ってた」
と言いながら、開封から浅い、柑橘の果汁を取り出した。
「ちょっと待ってて、下からルジェカシス取ってくる」
カシスリキュールを果汁で割るつもりなのだろう。
思いついたように言うのに、「飲むんだ、珍しいね」などと笑いかけたら。
「んー。飲まないと話せない」
などと、いつもより切なげな笑みが返ってきたのだった。
- 559 名前:think of me 投稿日:2004/07/30(金) 08:55
-
- 560 名前:think of me 投稿日:2004/07/30(金) 08:57
-
――好きな人が居たんだ…。
どこか歌うように、すべる言葉の色。
そこには艶があり、色があり。
圭はゆるやかに融けた氷と酒気を、ゆっくりと口内に迎えた。
人の思い出話は、モノにもよるが、上質の音楽に似ている。
上質の音楽は、人の思い出話にも似る…と評した方がいいだろうか。
矢口の幾分高い声は、軽やかさと痛みを普通に並行して存在させた。
思いがそうさせるのか、それは、わからない。
「過去形じゃないな。きっと多分、今も好き」
ソファーに向かいあいながら、お互いにだらけた空気で座っている。
「小さい時…って言っても身長だけじゃなくて、年齢のほうね?
近所にリバースの人が居たの」
背が高くて、金に近い髪で…少し長めで。
一瞬近寄りがたい空気をにじませるのに、微笑んだ瞬間には誰より優しくなった。
目を瞑るだけでいくらでも思い出せる。
刻むように、必死で沢山のことを覚えたから。
- 561 名前:think of me 投稿日:2004/07/30(金) 08:59
-
「圭ちゃんが来る前に、もう居なくなっちゃったんだけどさ。
射撃とかうまくて、お店とか町とかになにかあると、必ず助けてくれた」
思い出す優しい手。
怖がって泣き出した真里の頬に、そっと指をあてて涙を止めてくれた。
必要ならば抱きしめて、あやして。
気付けばその膝で眠っていたこともあった。
無償で用心棒すら勤めてくれる、その人物への、父親の信頼も厚かった。
まるで、今の圭のような心強さで、確かに「その人物」はここに居た。
「その人が一度だけね、銃を撃たせてくれたの。
もうその時には、矢口はその人に憧れてて…背中から支えてもらったんだけど。
どうしようもないくらい、すごくドキドキしたの。
今でもね、すごくしっかり覚えてる。
記憶えてるの……」
- 562 名前:think of me 投稿日:2004/07/30(金) 08:59
-
- 563 名前:think of me 投稿日:2004/07/30(金) 09:00
-
夏のやけるような空気の中。
珍しく風があって、雲が切れた日だった。
いつもなら路地に遊ぶ子供に、日の光など届かないのだが。
その日はなぜか、太陽の光はその影を強くあぶりだしていた。
今でも、そう、しっかりと記憶している。
斬るような日差しのなかで、それは一瞬と永遠を重ねあわせるように時間を紡いだ。
微かな動作、その熱すら、眩暈を起こすほどの距離感。
小さい手には余ってしまう銃のグリップを、子供の手ごとしっかり包み込む。
「大丈夫、心配ないよ。
ちゃんと後ろに居て、支えてるから」
かがみこまれて、髪の毛ごしに声を吹き込まれる。
- 564 名前:think of me 投稿日:2004/07/30(金) 09:02
-
子供の心ですら、融けるほどのやさしい声。
「銃口にある照準を、そう、中心に見る。
肘と手首をしっかりと…そう、そして足はもう少し開いて。
定まったら、……線の上に缶が見えるね。あれが的だ。
あの缶を、恐ろしい敵だと思う。
お父さんを…マリィを、傷つける相手だ。解るね?」
まるで催眠誘導のようだと思った。
諭すように紡がれて、少しずつ視界のなかに幻が生まれてくる。
缶は左右に伸びて、ゆうらりと立ち上る陽炎の中で人型になる。
確かに子供の目に恐ろしい敵に映って、幻影だとわかるのに恐怖が生まれる。
撃たなければ、いけない。
危機があれば、撃たなければいけない。
子供でも。女でも。
今は、そういう世界なのだ。
- 565 名前:think of me 投稿日:2004/07/30(金) 09:03
-
「ちゃんと、君には撃てる。
守りたいと思うものがあるなら、引き金は引けるものだから」
こくり。
やわらかな音声に包まれて、確かに頷く。
「いいよ。引き金、引いてごらん?
衝撃ならば、逃がしてあげるから」
――怖がらないで。
ぐ。っと、指先に力を込める。
カチ。
トリガーが引かれた瞬間、ガチンという音を追い越す火薬の爆裂音。
ドグォン!
肘の関節を潰すような衝撃を覚えるはずなのに、紙一重のやわらかさがそれをそらす。
ただ、ただ一瞬のフォローで衝撃がそらされていた。
- 566 名前:think of me 投稿日:2004/07/30(金) 09:04
-
「ね。大丈夫でしょ?」
呆然と見上げる。
そらされてもなお、手の中にある衝撃。
見上げた空の高さ。
小さな体を守るように、上から覗き込んでくる視線。
不意に天蓋で覆われ、横たわっているかのような距離感が生まれて、眩暈がする。
その時、確かに名前を呼ぼうとした。
確かに、指を伸ばそうと思った。
それは、子供の中に生まれた、確かな感情だったから――。
「さ。これ以上外に居るのは良くないよ。
戻って、マスターに冷たいものでももらおう?」
いつのまにか解かれた手が、髪の毛に落ちていた。
- 567 名前:think of me 投稿日:2004/07/30(金) 09:05
-
静かに。
アイスブルーにも見えるような冷たい虹彩がのぞき、一瞬本質に触れたような気になった。
感情と本質とで、瞳の色さえ変えているように見える。
――見つめる人間の感情がそうさせるという、統計も今では出ているけれど。
リバースだと言われていても。
確かに見た目の年齢を重ねないにしても。
子供の気持ちとして、それは非現実だったのだ。
けど。一瞬で、思い知る。
憧れと、それを隔てる支配者の本質。
確かに子供を包み込んだ、恋愛と、畏敬の念。
- 568 名前:think of me 投稿日:2004/07/30(金) 09:06
-
諭すように優しく髪をたたき。
風はめずらしく優しい吹き方をして、一瞬空気のよどみを払った――。
覗き込んだまま…、額に口付けられた。
たった一度の。
親愛の。
憧れの……。
見えたのは苦笑か、微笑か、どんなに時間が経った今もわからない。
- 569 名前:think of me 投稿日:2004/07/30(金) 09:06
-
- 570 名前:think of me 投稿日:2004/07/30(金) 09:07
-
「それからね、ずっと電銃で照準合わせながら一人で撃ってた。
だから、圭ちゃんや裕ちゃんが思うより、射撃は下手じゃないと思うよ」
グラスの中身を空にして、まるで昔話のように微笑んで見せる。
女の顔をしていると、武器屋は静かにグラスで口元を隠した。
それでなければ、失礼に見えるほど、笑みが浮かんで仕方がなかった。
彼女の、可愛さであり。
彼女が愛される所以、そのものだと思えたから。
「矢口…思ったよりロマンティストだね」
「うるさいよ」
素直な感想を述べてしまった圭に向かい、ルジェカシスの酒瓶を逆手に持つ美少女バーテン。
しかも瞬時に肩口まで振り上げるものだから、正直尋常でない。
「すいません!ごめんなさい、言い過ぎました!」
しかりと頭を下げる武器屋に、
「こっちもジョークだけどねぇ」とジョークにならない笑みを浮かべる真里であった。
- 571 名前:think of me 投稿日:2004/07/30(金) 09:09
-
「端的に言えば初恋で、それを引きずってるだけなんだけどさ!」
ゴト。
っと瓶をテーブルに置き、今は胸元にあったホルダーを静かに外した。
圭が居るのなら、多少危険が迫っても大丈夫だと、そう思っているのだろう。
取り外し、ホルスターから取り上げる、短身のリボルバー。
手入れがよくなされているのは、あわい光の中でよく見て取れる。
愛情を、銃に込める。
それはきっと、矢口なりの心の保ち方なのだろう。
恋している相手への、気持ちの手向けかたなのだ。
- 572 名前:think of me 投稿日:2004/07/30(金) 09:12
-
「これ、もらえるって解ったときに、すごく嬉しかったのはね。
回転式じゃない。これ。
裕ちゃんがコレを…って言ってくれたんでしょ?」
――理由、裕ちゃんにさえも言ってないんだ。本当は。
指先で黒い短身に触れる、その視線は至極やわらかで。
「何も聞かないで、それでも贈ってくれたこと?」
「…ん。それも、あるんだけどさ。
裕ちゃんの、そういう位置に、居られるようになったんだなって。
裕ちゃんて、最初はもう、どうしようもなかったじゃん。
感情は見せないし、触れようとするとスルリと逃げちゃってたし」
――酔っ払って、武器屋さんとグデグデになってたし。
- 573 名前:think of me 投稿日:2004/07/30(金) 09:13
- 最後は余計だろ。
そう思いながらも、確信犯だと解っているから何も言わない。
「最近さ、本当に…裕子見てて嬉しくなるんだ」
えへへ。
声にして笑いながら、視線は静かに圭を見据える。
わかるでしょ?と、声にせずとも感じる問い。
「うん。わかる。
矢口のいいたいことも、だいたいわかる」
そう。
裕子に近しい人間の、誰もが気付いているだろう事実。
- 574 名前:think of me 投稿日:2004/07/30(金) 09:14
-
天使のせいだろう。
だけど、彼女は確実に、人間味を帯びて、綺麗になっている。
人間の魅力を増している。
戸惑いながら。
気付かれないと思っているのか、泣き腫らした目を誤魔化すことすらできずに。
一歩ずつ、前へ、進んでいるのだ。
そして、その光景を思い出す人の目は、優しさで湛えられる。
彼女を好ましいと、心から感じるからこそ。
この事実を、彼女――裕子は決して、自分で知ることはないだろう。
自分だけが気付いていなかった。
そう、気付く瞬間。
どんな顔をするのかが、見ものだけれど。
- 575 名前:think of me 投稿日:2004/07/30(金) 09:15
- ぽん。と、切り替えるように手を打つ。
矢口の目は少しばかり伏せられて、さっきまでの思い出の中に引き戻されたようだ。
「正直に言うとね。
自分も…裕ちゃんのおかげで、昔より辛くなくなったの」
――何も言わないで、居なくなったあの人のこと。少しだけど、考えすぎないで済むから。
ゆがめるように口元を持ち上げた、その顔はひどく痛々しい。
圭は思う。
泣きそうな声で言うのはやめなよ。
泣きそうに笑うのもやめなよ。
泣くのなら……。
そう、口に出来ない言葉を懸命に奥歯でかみ締めながら、武器屋は手を伸ばした。
「矢口はさ、一人でちゃんと考えて、沢山のものを堪えてきたんだね」
――泣くのなら、声を出して泣いていいんだよ?
理由なんかどうでもいいから。
泣きたいように、泣いていいんだよ。
- 576 名前:think of me 投稿日:2004/07/30(金) 09:16
- こういう時。
この絹のような艶を持つ声は、人の心に直接響く。
やわらかく、感情に添うように。
矢口の目から、静かに涙がこぼれ始めて。
「今はさ、あたししか居ないから。泣きたいように泣けばいいよ」
こくり。
沢山のものを洗い流して、もう一度顔を上げるのを、ここで待ってるから。
こくり。
幾度かの頷きに促されるように、涙はとうとうと零れ落ちる。
武器屋は一瞬だけ、引き寄せられるように過去を引き出した。
どうしようもない弱気な泣き虫。
とても、とても綺麗な……。
あんたのせい(?)で、ヒドイ対人不器用も治ったのかもしれない。
苦笑を感情の中だけでねじ伏せて、矢口一人に心ごと向き直る。
夜通し仕事をしていたバーテンが泣き疲れて、眠りに落ちるまで。
時間はそんなに、いらないだろう――――。
- 577 名前:think of me 投稿日:2004/07/30(金) 09:16
-
- 578 名前:堰。 投稿日:2004/07/30(金) 09:34
- think of me お届けしました。
普段の彼女がかかえている思い。
を描いていくのは楽しかったです。
大元はもちろん、「彼女に似合うカクテルを」ネタですが、
マンガみたいだよな。あの遣り取り。
バーテンは洒落がわかる人に限る(笑)。
またすこしご無沙汰するかもしれません。
皆様健勝にお過ごしください。でわでわ。
- 579 名前:名も無き読者 投稿日:2004/07/31(土) 13:16
- 更新お疲れサマです。
確かにマンガみたいですよね。。。w
自分はまだバーに行ける年齢に達してないので
それだけに興味深いんですが・・・。
続きもマターリとお待ちしてまつ。
- 580 名前:名無し読者。 投稿日:2004/08/23(月) 06:57
- 今日一気に読ませてもらいました。
圭ちゃんがかっこいいっす。過去も気になる…
作者様、これからも頑張ってください。楽しみにまっています。
- 581 名前:日常。 投稿日:2004/08/24(火) 19:33
-
- 582 名前:日常。 投稿日:2004/08/24(火) 19:34
-
カシャン。
と、乾いた音がして台所で悲鳴があがる。
最初は矢口の見よう見まねだった作業。
それも今は、食後の後片付け程度であればこなすようになっていたのだが。
「大丈夫か?!」
慌てて顔を覗かせると、指先を赤く染めた天使が佇んでいる。
痛みになれないせいか、小さく肩を震わせて。
どうしよう?と、おどおどとした視線を向けてくる。
「あぁあぁ、今は気にせんと、こっちきなさい」
シンクの中で割れたのだろう。
食器の破片の散乱は見当たらない。
二次被害が無さそうなのがせめてもの救いだと思った。
- 583 名前:日常。 投稿日:2004/08/24(火) 19:35
-
安全が確認できた床を足早に近寄って、傷口を見る。
光るクリスタルの破片も、白い陶磁器の破片も見当たらない。
滴り落ちそうな血を見て、どうするか悩む余裕もなく。
「ちょっと関節のとこ指で押さえて」
そう命令しながら天使の手を取る。
そう、後から気付けばものすごいことを、咄嗟とは言えしてしまったものだと。
裕子はしばし頭を抱えることになるのだが…。
傷口のある人差し指をくちびるで咥える。
と、きゅっとしごいて血を舐めとり、シンクへ吐き出した。
- 584 名前:日常。 投稿日:2004/08/24(火) 19:37
-
「心臓よりも高めにな、で、上を向かせて…椅子に座って」
テキパキテキパキ。
口をゆすぐ余裕もないまま、血の味が残っても気に留めない。
ケンカで口を切ったなら、この程度の味じゃすまないしな。
そう思いつつ、傷を改める。
縫うほどの深さも、幅もしていない。
きっと毛細血管の集まっている場所を切ったおかげで、ジンジンするだけだろう。
「人間の体はこの程度じゃ壊れませんよ」
ポン。
頭を一つなでて。
救急箱から消毒薬のアンプルと、ガーゼなどを手早く取り出す。
自分が自らの傷をやるのと変わりない。
そりゃ、みっちゃんがやれば早く、更に的確なのは解る。
が、呼んだりするような時間があるなら、やってしまったほうが早い。
全部終わってからでも、細菌の注意事項は聞けるだろうから――。
- 585 名前:日常。 投稿日:2004/08/24(火) 19:38
-
精製水で洗い流すのに悲鳴があがる。
「いッたぁい!
しみる、しみるよ!ゆうちゃん!」
大の天使?がジタジタするのに、「この程度じゃ死なんわボケ!」と一喝して。
シュンと大人しくなるものの、まるで子供のようだ。
脚だけがジタジタ暴れている。
しかし、懸命に痛みを堪えようとしはじめたのに、内心、苦笑を禁じえない。
まるっきり子供の反応と変わらないじゃないか。
アンプルの先を親指一つで折取って、傷口に添えた。
瞬間ビクっと肩が跳ね上がるが、ガマンは懸命にも続く。
見上げたものだ。
消毒液で傷口を洗い流し、ガーゼ付きのフィルムに再生促進薬と抗生剤を塗りこむと指に巻きつけて。
「ほらお終い!こんなんいまどき、子供でも泣かへんよ」
幾分誇張しながら、乱暴に髪の毛をなでてやった。
- 586 名前:日常。 投稿日:2004/08/24(火) 19:41
-
「でも、あんたのわりに頑張ったな」
そう唐突に褒められて、天使は思わず目を丸くした。
そのとたん、ガマンしていたのだろうか、痛みだけに気をとられて忘れていたのだろうか。
ポロポロと涙が溢れ出した。
それこそ比喩ではないが、珠のような大粒の涙。
ひーん。と幼児の泣くようなので、思わずうろたえてしまう。
「だー!この程度で泣くなこら!」
孤高の捕縛師とは言え、矢口と天使と子供の涙には弱いのだ。
仕方ない。
矢口が前に置いて帰った、甘いミルク味のソフトキャンディーを取り出して。
ひょいと、泣いてる天使の口に放り込んだ。
少々乱暴かもしれないが、「泣いてる子供」を黙らせるにはいい方法だろう。
意図も考えも読み取れる天使は不服ながらも、そのキャンディーの甘さに緊張を解く。
もごもごもごもご。
口を膨らませて、天使は渋々黙りこんだ。
テーブルには花柄の包み紙だけが残って、不服さを誤魔化すようにハラリと揺れた。
- 587 名前:日常。 投稿日:2004/08/24(火) 19:43
-
「後はまぁ、ばい菌が入ったりせぇへんように、みっちゃんに相談してみるから」
シンクを片付けながら、裕子は遠めに声を投げる。
いつの間にか血の味が遠くなって、なくなってしまったのに気付いた。
きっと、唾液と一緒に…………。
うん?
一瞬のよぎりが、脳内で引っかかり、動きが止まる。
――天使の血は人間と別物ですからね。
傷口から滲入したりしたら…、何が起こっても保障しませんよ?
天使を捕獲した当初、傷の手当てのレクチャーを受けた時に言われた、医師の言葉を思い出す。
至極真剣な表情をした医師は、脅すように言ってきたのだけれども。
く、口に……したんですよねぇ、自分。
や、でも、なんだ、一緒に生活してて…その…。
一体どう、別物なんだろう。
何かありえないことでも起こるのだろうか…。
シンクの縁に手をついて、思わずうなだれる裕子に、動揺が隠せるような器用さは無く。
それこそ全身からどんよりとした空気を漂わせ。
彼女はたった一人の心当たりに連絡をした。
珍しく。
ヘルプミー。
と。
- 588 名前:日常。 投稿日:2004/08/24(火) 19:44
-
- 589 名前:日常。 投稿日:2004/08/24(火) 19:45
-
「でー?毎回私を呼び出すと」
――往診以外で何回寄ってると思ってるんですか?姐さん。
他にも患者さんが居ないわけじゃないんですよ?
と、多少辛らつにも聞こえる言葉を投げながら。
医術師平家みちよは、自らのデータを保存してる端末を取り出した。
カルテなども手の内の端末に収められる今、書物はもう姿も形もない。
あらゆる情報は、使用者の望むとおりの形で集められている。
呼び出された医師は、出されたコーヒーを口にしてから、端末を手早く作動させた。
幾度かの電子音のあと、ふむ、と顎さきに指を止め、呟いた。
- 590 名前:日常。 投稿日:2004/08/24(火) 19:48
-
「その…唐突な話になりますけど、遥かに人魚の肉の伝説とか、あったって言うやないですか」
それを食らえば、永遠の命が与えられるって…。
おぅ。それくらいならまぁ、御伽噺やらなんやらの世界やな。
と、裕子は腕組みしながら思う。
「天使の血も、似たようなもんです。
ただ、不老不死も、永遠の命もありえませんけど。
有害だとされているのは、摂取しすぎた場合、霊質にあてられて発狂したりするからで。
乱用などを抑えるための、啓発にすぎないんですがね――?」
へぇ。初めて聞く。
裕子ですらも初耳の事実に、医師は静かに指先を向けた。
それはそうだろう。
医師会でもきっと、秘中の秘にしていたはず。
ただでさえ人間の敵。
ただでさえ、神の遣いなのだ。
堕落した人間とは言え、これ以上の罪は好ましくないと。
そう思う、まっとうな者も居るはずだ。
- 591 名前:日常。 投稿日:2004/08/24(火) 19:51
-
なるべく解りやすくいきますよ?
と、前置きをしてから、みちよはゆっくりと口を開いた。
「一番に影響を受けるのは、人間の頼りない部分である霊質です。
一般的には知的感覚が鋭くなったり。
稀にですが、ESPなんかに近い能力が芽生える人間も出る。
身体的には、身体の再生速度が速くなったり、反射力が上がる例もあります。
どっかの学者がスッポンと比べて総スカン食らってましたけど。
似たようって言えば、似たようなのかもしれません。
比べる相手に失礼すぎますけども。
そのかわりというか、当然な話ですけど…。
摂取する血に頼りすぎると、内側から体が侵食される。
人間が触れることも耐え切れない霊質を、そのまま内側に取り込むわけですから。
当てられた時と同じようになる。
――さっきも言ったとおり、発狂したり、……霊質を抑え切れなくて体が吹き飛んだり……。
研究していた学者が盲進して、例の通りになることもシバシバあります」
年に数例か、そういう死者が出るんだそうです、天使研究ってのは。
- 592 名前:日常。 投稿日:2004/08/24(火) 19:56
-
口元を覆い隠すみちよの表情は、研究者達への呆れで満ちている。
それなのに、裕子に関してと言ったら…。
「まぁ姐さんは事故程度ですし、大事ないでしょう」などと、まぁ暢気なものだ。
それでも、裕子へ平静を保てない。
ぞ。っと、背筋が寒くなる。
知らないとはいえ、まぁ、無事でよかったと思えるくらいなのだが。
天使、なのだ。と、今更思う。
あんまり普通の顔ですごしているものだから、忘れてしまいそうになる。
それは思いがけない存在の融和。
日常に溶け込んだ、異質が浮き彫りになる瞬間。
「まぁほら、啜るとか飲むとかいう常軌を逸した行動じゃないんですから!
大丈夫大丈夫。ね?!」
そう必死になってフォローするみちよの声も、幾分遠く感じる。
ふむ…。
多少のショックを隠せない裕子に、みちよは苦笑混じりに声を放った。
- 593 名前:日常。 投稿日:2004/08/24(火) 19:58
-
「でも、何より許せないのは、作用を解明してしまっている学者達なんですがねぇ」
と、みちよは柄になく乱暴に髪をかきあげた。
「あたしも、彼女にほだされてるのかもしれません」
自嘲気味に紡がれた微笑のさきに、抗生物質を与えられて眠ってしまった天使の姿がある。
「解明のおかげで、天使を滋養強壮剤なんかと間違えてるバカも居るくらいなんで。
そういう事例を見ると、あぁ、彼女てのは縁なんでしょうねぇってね」
カツカツ。不満げに机を爪で鳴らしてから、おどけるように肩をすくめた。
学問として、生き物を解明するための探究心を持っている。
職として、その探究心を生きるための知恵に変える。
生きることと、死ぬことを、じっと見つめている彼女は、天使をどう思っているのだろう。
きっと、これから先も、耳にすることはないだろうけど。
ふと思い、感じて、そして苦笑する。
自らの背負うものを見せないように、彼女もきっと、ソレは見せないんだろう。
- 594 名前:日常。 投稿日:2004/08/24(火) 20:00
-
心遣いにふいに胸が熱くなる。
それは優しさを感じる証拠。
「っしゃ、そういや前に、明日非番やって言ってたからなぁ。
今日は逃がさんからな!飲めよ?!」
ニヤリ。
空気の重さを払拭するように笑って、裕子はザンと立ち上がった。
一瞬痛恨の失敗をしたような顔をみせたが、みちよの表情はすぐに平穏と苦笑をまとう。
それは仕方なさという建て前にかくれた、親愛の感情だと悟れるほど。
「たしかに、最近お供してませんでしたからねぇ。
いいでしょ、付き合いましょ」
机を一個たたいて、裕子の準備に付き合うべく立ち上がる。
矢口の作っていった料理がまだ残っているし、アルコールならば多種多様。
女二人という毎度の酒盛りは、夜明けまで続いたのだった。
- 595 名前:日常。 投稿日:2004/08/24(火) 20:01
-
追記。
天使が目覚めたときには、部屋中アルコール臭でどうしようもなかったとか。
後からやってきた武器屋が、呆れながらも二人を介抱したが、その日は使い物にならなかったとか。
大嫌いな武器屋に送ってもらうことになった医者の顔は、ありえないほどの顰めっ面だったらしいとか。
真偽のほどは、当時者以外は、誰も知らないのだった。
ちゃんちゃん。
- 596 名前:日常。 投稿日:2004/08/24(火) 20:01
-
- 597 名前:堰。 投稿日:2004/08/24(火) 20:11
- 短いんですが「日常。」の更新でした。
やー、天使ってすごいですね。<他人事のようだ
こういうことがあれば、争奪戦も起きるのでしょう。
もちろん。「正常の用途」で扱われている個体があれば、話も別ですが。
まだ、まだ欠片が足りない。
どれだけ作れば埋まっていくのだ…あうぅ。
>>579
バーは、いいですよ。とはいえ、一軒しか行った事ありませんけど。
沢山並んでいる酒瓶を見るだけで、なんかわくわくします。
幾分落ちた照明と、異国の見知らぬ場所で作られた酒気と。
そういう所に上質の音があれば、それこそ至福、でしょう。
というか、口説く場所になるのは本当だと思います(苦笑)。
>>580
お、お疲れ様です<平伏
一気ですか?行も詰って、文字も詰って読みにくかろうコレを…。
ありがとうございます。
楽しみにしていただけると、その言葉だけを信じて。
自分の好きなように紡いでいきたいと思います<ヲイ
その点では武器屋さんは…オイシイとだけ(微笑)。
ではまた、次の更新でお会いしましょう。
- 598 名前:名無し飼育。 投稿日:2004/08/24(火) 23:59
- おもしろい!!
本当この一言につきます。
やぐなっちゅーも気になりますが、それよりも、師弟がこれからどうからんでいくのかが、ものすごく気になります。
これからどういう展開になるのか、楽しみにまっています。
- 599 名前:名も無き読者 投稿日:2004/08/27(金) 10:21
- 更新お疲れ様です。
いやホント、天使ってすごい・・・カワイイ。(ヲイ
欠片が形になるのも楽しみですが、
それ以上に欠片一つ一つの内容もちゃいこーデスw
では続きもマターリ待ってます。
- 600 名前:日常。 投稿日:2004/08/29(日) 22:06
-
- 601 名前:日常。 投稿日:2004/08/29(日) 22:09
-
「なにか検査でも、試してみたほうがいいんじゃないの?」
反射速度が上がるとか言われてるなら――。
血液検査とか、射撃だとか、方法なら沢山あるでしょうに。
そうアルコールを入れつつ、指折り数えて圭が笑った。
不満を装うものの、平静は保てない。
揺れる瞳を隠せもせずに連戦練磨の捕縛師は、視線を憂鬱に伏せている。
ちなみ、部屋の中になつみは居ない。
矢口と一緒に出かけていて不在だ。
ものすごくご近所まで、お遣い。
近すぎるくらいだから大丈夫だろうと、二人で外に出してみた。
足りない食材があるとかで、矢口が連れ出していったのだ。
昼から酒盛りとはまたどうしようもないのだが、たまに暇になった武器屋が手土産アリで来たのだ。
仕方が無い。
と、表向きに仕方が無さを装ってみる。
- 602 名前:日常。 投稿日:2004/08/29(日) 22:11
- さて。
数日前の夕刻のことを思い出していただきたい。
天使の血を口にしてしまったため、ちょっとばかり不安になっている中澤裕子。
怪我の傷から吸い上げた程度なのだが、不安なものは不安なわけで。
確かに、なにか変調があるわけでも、なつみが害を及ぼしているというわけでもない。
ただ、安心が欲しい。
人間の、よくある自己保身欲が働いているようだった。
「プラスに作用してればめっけもんだと思おうよ」
少しばかり揶揄するように笑われて、裕子は不満げに鼻を鳴らす。
そういう問題じゃなくてなぁ。
と、髪をかきあげても、武器屋には通じない。
そりゃそうだ。
巷に流れている噂が本当なら、彼女はリバース。
天使の血を、持っている――はず。
自分が口にして慌てるのとは、わけが違う。
参考意見は聞きだせるだろうか。
- 603 名前:日常。 投稿日:2004/08/29(日) 22:13
-
「なぁ、一個聞いていい?」
机に頬杖をつき、下から覗かれるように問われては…。
確かに器の綺麗な裕子のこと、圭は拒めそうに無い。
「あのねぇ。一個聞いていい?って言うのは、聞くからねって決定済みなのと同義語。
一個しか聞かないからいいよねって、そういう意味でしょ?で、なに?」
くっと眉を寄せて、仕方無さそうに笑いつつ。
圭は二杯目のラムコークをつくりあげる。
その手馴れた動作は、余裕というものを見せていて。
そこから、質問を続けていいのだと、裕子はようやくわかる。
アルコールのせいで鈍いのか、彼女だから丸め込まれているのかは解らない。
どちらかと言えば後者だろうけど。
じゃぁ、遠慮なく。
そう思いながら、幾分姿勢を正した。
- 604 名前:日常。 投稿日:2004/08/29(日) 22:16
-
「天使の血…って、やっぱり人間と違うもんなんかな?」
――上の階層って、天使の血を引く人間が多いって言うやん。
カロン。
グラスに氷を積み上げるその動作が、一瞬止まる。
それは嫌悪を思わせる停止ではなくて、それが裕子の直感には救いに映った。
「やぁ、経験豊富な武器屋さんなら、接触あるんかなぁって思って」
誤魔化すように継いだ言葉は、少しばかり薄っぺらく感じて。
裕子自身空寒い嘘のようだった。
けど、そこにもあからさまな嫌悪は感じない。
裕子が噂を知らないわけじゃない。
圭だって、裕子が全くの無知じゃないことくらい、解っているだろう。
じっと、グラスにつみあがった氷を見て。
――きっと何かしら考えていたのだろう。
思考が切れたのかラムとコーラを合わせた。
ふむ。
軽くグラスの中身をステアして一口を飲み込むと。
一息ついた武器屋は、グラスを持つ指先を一つ、捕縛師に向けた。
- 605 名前:日常。 投稿日:2004/08/29(日) 22:18
-
「確かに、お医者さんが言ったとおりの覚醒はあるみたいだね。
霊質の濃さや個人によって、覚醒部位は異なるようだけど。
それとリバースの得意分野の伸びも、あまり変わらない」
これは、断言。
「上層の教育は勉強にしろ何にしろ、一つに秀でた天使の血と…。
汎用に成長できるという、人間の血の特質を最大限に引き出そうとする。
殊更、某警備会社とかは訓練中で怖いくらい伸びるって言うし」
これは、伝聞?
「それは某警備会社?あの?」
固有名詞を出さなくても、その意図する名詞くらい解る。
「ん。指折りの上位幹部が居るんだけど、その辺は全員と言っていいほどリバース。
遺伝子的に天使の能力を持ってるって言うよ」
――反応速度の異常な速さであったり、主に戦闘能力を伸ばしてるらしいけど。
使い慣れた辞書のページをめくるように、するりと言葉が零れ落ちてくる。
その潤滑から察するに「知っている」人間の、ちゃんとした知識なのだ。きっと。
ふぅむ。
やっぱり、目の前の武器屋は、普通の武器屋じゃないのだな。
空になった缶を一つ放り、近場にすえていた缶ビールを一つ取り上げる。
パシュっというガスの抜ける音。
一口目を迎え入れて、裕子は口元をかるく結んだ。
- 606 名前:日常。 投稿日:2004/08/29(日) 22:20
-
武器屋の手はハイペースの二杯目を空けて、グラスを置く。
軽い吐息。
裕子の考えていることも、わかる。
確かに。
上層の話を知って居るだろうと思って、問いかけてみて。
自分はその話題について、ある程度予想どおりの返答しているだろう。
掛け値なしで話をしてくれる、友人として裕子を好ましく感じている。
だからこそ、問われることは意外でもなく。
だからこそ、少し切なくなるのだ。
噂なら、広まっていることくらい、知っていて…。
苦笑まじりに肩を竦めて、真っ直ぐに彼女をみつめた。
こういうことを聞くのは、ルール違反だとわかっていても。
聞いてみたくなってしまったのは、甘えている証拠だろうか。
求めている言葉は、戻ってくるだろうか。
微かにくちびるをしめらせると、つきつける。
「じゃぁ、こっちも聞かせてもらうけど…。
話を聞きながら詮索したり、裏を読み取ろうとするのはなんで?」
職業柄、情報も聡くないといけないし、仕方ないって言えばそうなんだろうけどさ…。
瞬間、場は氷で固める奇跡でも起こしたかのように、音をなくした。
- 607 名前:日常。 投稿日:2004/08/29(日) 22:23
-
恥ずかしさもなく直線で見つめられるのは初めてかもしれない。
いつもどこか、高揚した空気があったのは本当だし。
視線の強さに、真剣さと秤を感じる。
読まれていたのだ。
問うている、その心の機微を。
伝聞であること、断言であること。
無意識の内に相手を詮索していたことに、気付いて深く恥じた。
しかし、その恥ずかしさや後悔は、相手には見えないもの。
伝えなければ逃してしまうほどの、小さくて大きな掛け違え。
正さなければ、壊してしまうかもしれない、関係。
「や……。その、ゴメン。
癖というか…たぶん、刷り込み…やけど」
そういうつもりじゃなくても、そういう風にしか取れないだろう。
タイミングを間違えたのかもしれない。
これではどんな言葉で弁解しても、見苦しくて情けないだけだ。
苦く口を尖らせて、眉を顰めて。
思い切り難しい顔をしてから、裕子はパン!と両手を拝むように合わせた。
- 608 名前:日常。 投稿日:2004/08/29(日) 22:32
-
いきなりの平伏にぎょっとするが、どうやら裕子は感じ取っていないらしい。
「噂なら、自分だって知ってるわ。
リバースで上層から降りてきて、ツテで武器を卸しもらってるんだとか。
でも、自分がそれを知ったのって言えば…あんたと何度か飲んだ後で…。
あんなグテングテンに酔っ払って絡んでくるあんたが、天使の血を引いてるだとか関係なかった。
単純に武器マニアでおかしな姉ちゃんで、確かに見た目とっつきにくいかもしれんけど。
でもな?」
勢い込んで告げる裕子に、圭の驚いた表情は見えない。
きっと、告げることに精一杯で、見えないのかもしれない。
見えているけど、見えていない。
伝えたいことに精一杯で、今目の前の相手すら見えない。
でも、その声には誠実も優しさも、ちゃんと含まれている。
実のところ容赦ない言葉も含まれているのに、その遠慮の無さは信頼の証だとわかる。
裕子は目の前の相手が、心の底で、どれだけ嬉しがっているのか解らない。
人悪くも、圭はナイショで思っていた。
口元が緩むのを、とめられない。
きっと、今の顔は他の誰にも見せられない。
昔の自分を知っている、誰にも……。
真摯な言葉をむけられるのが、こんなに心地よいことだとは思わなかった。
「あたしが知ってる保田圭ってのは、目の前に居るあんただけやし。
そいつは…ものすごい…」
すっと、視線がかみ合う。
「ぶっきらぼうで、そのくせ照れ屋で、真摯な…いい女だから」
- 609 名前:日常。 投稿日:2004/08/29(日) 22:34
-
視界の中で圭が口元を引き結んだ。
なんでだろう。
こういう真剣な時だけ、しっかり言葉を受け取りやがる。
いつもの褒め言葉なら、照れて俯いたりしてしまうのに。
余裕で三杯目のラムコーク(ラム多め)を飲み始めた武器屋は、いつもより鷹揚に微笑んだ。
「参ったな、プロポーズかぁ。裕ちゃん大胆だなぁ」
「ってなぁ、調子乗るなよ酔っ払い」
軽口。
解っていて、たたく口。
あぁ、救われる。
ようやくお互いの表情に笑みが戻る。
どうやら嫌われないで済みそうだ。
そう思い、裕子はようやく自分が本当に変わり始めていることに気付く。
何かを失うことを怖く思うのは、初めてだから。
焦って取り繕うことも、昔は無かった。
ただ、この関係を大事に思う。
失って後悔したりはあったけど…それも死別で。
離れていく人間とはもう離れていくだけだと、そう思っていたはずなのだが。
どうやら、違ってきたらしい。
- 610 名前:日常。 投稿日:2004/08/29(日) 22:38
-
「まぁ、そう思ってくれるならいいんだ。
噂は事実だし、そう公言するのは…裕ちゃんが初めてだからね」
ニヤリ。
なんでもないことのように肯定して、圭は見事に笑んだ。
「ほんと、面倒くさくてイヤだった。
リバースって下じゃ疎まれてるし。
実力本意の武器屋で居ることで、その辺の質問は全部ねじ伏せてきたんだけど…」
裕ちゃんが多言するわけないって、解ってるしね。
「それに…あたしが知ってる中澤裕子もあんま変わらないよね。
人間離れした仕事してるくせにさぁ。
酒場で棘を着こんで誰も寄せ付けなかった割に、気が合えば無意識に人懐っこくて。
そのくせ自分ひとりで生きてる感満載の、できる女だったからね。
今のやわらかさが嘘みたいで、それも好きだよ」
……。
鉄槌?
幾分かバカにされた気分を丸呑みしながら、泣きたい気持ちで机に突っ伏す。
こんな歪んだ愛情いらん。と言ってみたいが、悪い気がしないのが最悪だ。
- 611 名前:日常。 投稿日:2004/08/29(日) 22:39
-
「人懐っこいんは圭坊と気があったからや。
誤解招くような言い方されると心外です…」
ゴン。と、拳をテーブルに置くのに「アハハ」と声をあげて笑われた。
ちきしょう。
酔ってるせいかいつもよりズルイぞ、武器屋。
っと、その時。
不意に、買い物に出た二人が「そろそろ帰ってきた」と感じた。
そう思い、階段の方を見やる。
しかし、実際の帰宅の気配はない。
おかしいなぁ。と、首を傾げたとき。
数瞬間があいて、そこからチャイムが鳴った。
来客を映す壁面液晶のポップアップには、見事に二人の顔。
覗きこむようにして映っているので、愛らしいことこの上ない。
- 612 名前:日常。 投稿日:2004/08/29(日) 22:40
-
「ただいまぁ〜」
「ただいま!」
バシュ。というエアの抜ける音。
開錠の音とともに、矢口となつみが戻ってきたようだ。
階段をあがってくる、軽やかな足音。
「おぉ、お帰り」
「おかえりなさい、矢口つまみ〜」
普通に出迎える裕子と、キザな酔っ払いの差はここで出た。
「保田さぁん?矢口の名前はツマミじゃなくて真里ですよッ!
つーか、いきなりツマミとか言うなよなぁ。
店じゃないんだからさぁ、少しは休ませろってんだ」
そう呆れる口調を隠さないのに、圭は機嫌よく笑っている。
呆れている矢口だって、一休みしてから行動するのは本当はイヤなのだ。
苦笑を浮かべながら、キッチンへ直行してしまう。
がさごそがさごそ。
プロの仕事はプロに任せるのが一番。
- 613 名前:日常。 投稿日:2004/08/29(日) 22:44
-
と、腕を掴んで。
裕子はまだ脚を進めていなかったなつみを呼び止めた。
まるで、子供を見る父親のような感じ。
子供は知らないところでなにをしているのだろう…と、そんなところか。
「外は楽しかったか?」
「ん…うん。今日はオマケにリンゴもらっちゃった」
――マーケットのオジサン、二人で行くとぜったいおまけくれるの。
ポケットつきワンピースのポケットは、丸く一つ膨れている。
ごそごそごそごそ。
なつみの手が取り出したのは、まだ熟しきらない、青さと鮮やかな赤みの同居したリンゴ。
珍しい。
裕子はその愛らしいのに微笑みながら、頭を軽く撫でてやる。
「後でいっしょに食べよ。
じゃ、なっちは矢口のこと手伝ってくるね?」
学習の成果か、括舌よく喋るようになった天使はリンゴを持ってキッチンへ行ってしまった。
その奥から矢口の指示語がバンバン飛び出して。
どうやらなつみもそれに対応できるようになってきたらしい。
いきなり部屋の中が騒がしくなる。
- 614 名前:日常。 投稿日:2004/08/29(日) 22:46
-
状況に微笑んで。
それから、さっきまでの時間経過を思い出し。
んぅ?と、捕縛師は思わず首を傾げた。
「どうした?」
そう、光景を好ましく見ていた武器屋が問うのに、――まさかぁ…と髪をかきあげる。
なんで、私は、彼女達が帰ってくることに気付いたのだ?
チャイムは鳴る前だったし、そうなると家の前に来た瞬間くらいのタイミング。
漠然と、だけど確かに「帰ってきた」と、思ったのだ。
本当だ。
それでも、全ての時間間隔で行動をはかるなら、実際は至近距離まで戻ってきたくらいの時間で。
血の気がひくってこういうコト。
と、全身で受け入れるほかない、衝撃。
すぅっと息を飲んで、ついでに一口ビールも飲んで、それから真正面に真剣に向き直った。
- 615 名前:日常。 投稿日:2004/08/29(日) 22:48
-
「あんな?
圭坊さぁ、…矢口たちが帰ってくるのって、感づいたりした?」
おそるおそると問いかけるのに、意図を解したのか圭は考え込む。
「や…べつに、全然気を張ってなかったから、チャイム鳴るまで気付かなかったけど…。
まさか、その前から感づいたとか?」
指をさされて、否定もできなくて固まってしまう。
へぇ、ほぉ。と、面白そうな顔をされても、笑えない。
み、認めたくない。
ただの勘?それとも、感覚?
なんのせい?どうして?
そこまで感覚鋭くなかったぞ?
鋭くなる原因があるとするなら一つだけだ。それが、解っているから否定したくなる。
「気、気のせいだと…思いたい…です」
そうだ。これが単発ならば現実なんかじゃないんだ!そうだ!
これから続くわけがない。
捕縛師の苦悩の日々はまだまだ続きそうだ。
- 616 名前:日常。 投稿日:2004/08/29(日) 22:51
-
- 617 名前:堰。 投稿日:2004/08/29(日) 23:03
- 日常。でした。
さぁ、どうなる?って感じですね。
あと、何故かしら武器屋2割り増し(苦笑)。
元々かっこいい人の予定でしたが、輪をかけている。
でも作者の好み爆進中なので何も言わないで、お願いモーニング。
>>598
えっと、ありがとうございます。
面白いと言っていただけるのは幸せです。
ただ一つだけお願いを。
作者、なけなしの知恵を絞って伏線らしき策謀を貼っております。
勘付いたところもおありでしょうが、どうぞ、
種明かしがくるまではそっと心にしまっていただけたらと思います。
よろしくお願いいたします。
>>599
クリスタルガラス。ってのが、今現在もありますので、それです(笑)。
み、未来の匂いもしないけど…。
もっと物質が高度になっててもいい?
えっと、えっと…ほら!下層民だから!(殴
四つあってカオスを倒すたびに光が戻ったり、ああいうもんでもないので、
純粋にガラスの欠片は見当たらないと読み直してください。
天使ツアー始まりましたね。
武器屋さんと捕縛師さんと天使の漫才。私も実物見てこようと思います。
でわ。また次の機会に。ごきげんよう(笑)。
- 618 名前:名無し飼育。 投稿日:2004/08/30(月) 04:06
- 登場人物がみんな、ものすごく、カッコイイですね。この先の展開も非常に気になります。
- 619 名前:名無し読者。 投稿日:2004/08/30(月) 12:56
- 更新お疲れさまです。
武器屋はこれからも何割でも増していってください。
某所をROMっていてこの作品を知り、完全にハマりました。
次回も楽しみにしています。
- 620 名前:名も無き読者 投稿日:2004/08/30(月) 13:47
- 更新お疲れ様です。
カッケーよ武器屋。。。w
天使ツアー、誰か自分に行けるだけの金と勇気と情熱を下さい。
自分の分も楽しんで来て下さい。
続きも楽しみにしてます。
- 621 名前:Calling 投稿日:2004/09/10(金) 20:26
-
- 622 名前:Calling 投稿日:2004/09/10(金) 20:29
- 「で、この前頼まれてた弾薬と、新しいナイフね」
――強化麻酔のアンプル仕込んでるやつがカートリッジ二つ個で8万…。
ナイフは知り合いからだから3枚でまけておこう。
饒舌に値段を叩きつけるのに、ため息が出る。
相変わらず相場高いなぁ。
ワシワシワシワシ。
仏頂面で髪の毛をかきあげながら、捕縛師は手持ちのキャッシュを漁る。
だいたい、下層でのやりとりは今も現金を用いるのだ。
コインや紙幣。
それこそ旧世界のやりとりだと、上層民は笑うのだが。
物質の数に限りがある世界に、星の数ほどのゼロは必要ないのだ。
高価なものも無い下層だが、生きていくための物資のやりとりは、水面下で頻繁に行われている。
そういう時には、大きな金銭も動く。
今、この場のように。
しかも、今の場合最初から値引きの提示がある。
これ以上の譲歩はしてもらえないだろうな。
再び吐息が零れた。
財布から出て行く現金のように、簡単な零れ方だ。
- 623 名前:Calling 投稿日:2004/09/10(金) 20:31
- 毎度顔なじみの武器屋との接触。
だけども、単純に友人の顔ができる時と、そうで無いときと分かれる。
今日は、珍しいことに後者。
商売人と客してのやりとりを見せていた。
まぁどうせ、取引が終わってしまえば、普通の顔に戻るのだが。
「なん?これで8万てことは…通常の?」
「約二割引きってとこですよ、奥さん」
煙草一本を荒く咥えて、ニヤリと口元を上げる武器屋が一人。
応接室のソファーに座り、現金を鮮やかに数え上げている。
「確かに11」枚と指先でひらり。
キリがいいから10枚でとは言ってくれないんだな。とは思うが。
そうか、二割も引いてるのか。
「あらやだ、やっすいわ〜!って誰が奥さんッ」
ノリツッコミをくれながら、裕子は新しいナイフを取り上げた。
- 624 名前:Calling 投稿日:2004/09/10(金) 20:33
- 丁寧に革装丁のカバーがついている。
スルリと鞘から抜ける感覚に、柄を取った手が歓んだのが解った。
トクっ。
確かに、脈打つ指先の拍動。
それすらも感じ取る、期待、そして…手ごたえ。
新しい力として、武器を全身が受け入れる、この瞬間がたまらない。
「どっちかって言うとデザインナイフやんな…。
また、マニアウケしそうな綺麗さだこと」
「んー。裕ちゃんだったら喜ぶだろうと思ってね。
意匠のいいのを、ちょっと無理言って用意してもらったよ」
したり顔の武器屋が言うことったらない。
そりゃぁ、持つなら強力なのも綺麗なのにも越したことはない。
それだって、使い方一つで粉微塵に吹き飛ぶことだってある。
だからこそ精一杯の愛を注いでいくのだが。
それこそ「武器バカ」呼ばわりされる所以なのかもしれない。
女で二人も揃っているのだから、どうしようもないコトだ。
- 625 名前:Calling 投稿日:2004/09/10(金) 20:35
- 鋼の黒地を意匠細かに削り残した、両刃の幅広いナイフ。
蛍光灯の白い光の下でさえも、その冴えた輝きは翳らない。
まるで三角形の板のようにも見えるが、その縁は紛れも無い、殺傷力を持った刃。
くるり。
逆手に持ち替えて、裕子は自らの腕との距離を測る。
「リーチもまぁ、格闘ならこんなもんやろ」
――最後の切り札にするには丁度いい。
くるり。
再び順手に持ち替えて、軽く手首でふりつける。
「それだと直接喉とか、関節狙ったほうがやりやすいだろうね。
腰元あたりに忍ばせるか、いっそ腕にホルダーで据付って手もあるだろうけど」
――腕だとさすがに制動に制限出るかもしれないな。
んー。
ホルダーとのバランスを考えては、腰にあてたりどうしたりと、裕子は思案する。
その逡巡の仕草はあまりに真剣。
そういうことろが好ましいのだろうと武器屋は裕子を分析していた。
- 626 名前:Calling 投稿日:2004/09/10(金) 20:39
- ふ。と思いついて。少しばかり考える。
圭は友人の顔に戻ると問いかけた。
「そういえば裕ちゃんさぁ、最重量の装備って、いままでどんなよ?」
いつも身体一つの軽量装備。
彼女が必要以上の重装備をしているのを見たことが無い。
捕縛師はかすかに眉を寄せ、髪をかきあげる。
遠い記憶は忘れてしまうからなぁ。
と、無駄口を叩くのは忘れずに。
ツッコミを食らう前に、しっかり記憶を引きずり出した。
「んー?一番重かったって言ったら、7年前くらいのアレかぁ?
ショットガンに特殊弾薬カートリッジやろ?
腰と脇に各一丁ずつ短銃、腰の後ろにホルダーつけて刀かな。
まぁ、外套あるから不恰好にはならんけど、あれはちょっと重かった。
数が必要やったし、仕方なし、ディアブロ動かして。
そのサイドポケットに一丁ずつ、更にショットガンとマシンガン」
言われたままに想像してみる。
大型すぎるバイクにーぃ、銃火器のロングバレル三つ?
そこに刀と、外套で見えないとは言え、短銃四つ?
確かにスタイリッシュではないな。
いつものスマートさとはかけ離れている。
「……それは重いっつぅか、微妙だなぁ」
苦笑したくなるのを隠さないで、圭はくしゃりと笑った。
さして気になるようでもないらしく、裕子は思い出しながら口元を持ち上げる。
「でもこう、破壊しまくりで気分よかったけど?
あたしにしちゃぁ珍しく、退治の依頼だったんよ」
へぇ。初耳だ。
すでにフィルターを残すのみだった煙草を揉み消し。
用意されていたミネラルウォーターを口に。
圭は続きをワクワクしながら待ち望んでいる。
眩暈すら覚えそうなのをガマンしながら、捕縛師は記憶を巻き戻す。
- 627 名前:Calling 投稿日:2004/09/10(金) 20:42
- 「あの時はクレイドラゴン相手やったし。
正直帰ってくるまで生きた心地しぃひんかった」
不意に子供のような顔に戻ってしまった武器屋に、苦笑しながら裕子は告げた。
「ク…クレイドラゴ……ン?マジで?」
思わず武器屋が絶句する。
ドラゴンと言っても、ファンタジーに出てくるような、火炎を吐いたりするようなモノではない。
どちらかと言うと、蜥蜴の超巨大版という感じの生き物だ。
土色をしているから、クレイドラゴン――土竜と言うらしい。
なんて安直。
ただし、ただし。
見た目の平凡さや、単純に蜥蜴の巨大版と考えてかかるとすぐに食われてしまう。
なにより、跳躍力や移動スピードが半端じゃない。
尻尾の破壊力も半端無い。
殺した!と思ったが尻尾を切り離しただけで、油断した狩人が尻尾に当たって即死という事例もある。
亜種には毒持ちであったり、脚が六本あるものが居たり。
全長5メートルになるヤツが居たりする。
まさにバケモノなのだ。
たいがいは樹林に居るものだが、時折物資搬送のコンテナに紛れて幼体が都市に紛れ込むことがある。
それが廃墟などで巨大に成長し、人を食ったり害を及ぼしたりすると言う。
幾度か相手にしたことはあるが、あまり得意でない部類。
圭は視線だけで天井を仰いだ。
- 628 名前:Calling 投稿日:2004/09/10(金) 20:44
- 裕子が依頼を受けた時は、スラムの廃墟を含む一区画がそれに蝕まれていた。
標的は一匹の成長体、その長さは約3メートル。
被害はペットや幼児・児童数名が捕食されて消失。
反芻された骨格の内、四つの遺伝子が不明の幼児児童と一致した。
その事態を重く見た周辺住民が発案し、腕利きとされた捕縛師や狩人が、何組か寄せ集められた。
もちろん、急増の人員にチームワークなど有りやしない。
あろうことか、当時すで有名になりかけていた裕子を貶めようとし。
他人の策略で土竜と一対一に追い込まれてしまったのだ。
正直な話をすると、誰もが裕子の死亡を疑わない状況だった。
同業者はせせら笑い、「新参者が出すぎたマネしたからさ」と顎をしゃくる。
確かに、新参者ではあったが、開業して三年ほど経っていたし。
三年生き残っていられれば、中級者の勘があるとされる職業。
一匹狼で三年も生きている裕子には、経験という裏打ちが備わっていたし。
何より「徒党を組んでしか生きていけない人間には追いつけない、自分という自信」を持っていた。
- 629 名前:Calling 投稿日:2004/09/10(金) 20:48
- とうぜん。
危機的状況に追い込まれても、彼女は冷静さを失わなかった。
心底腹は立てども、常軌を踏み外すようなバカはしなかった。
通常弾薬、発光弾と麻酔弾を用い、壁を撃ち竜を撃ち、巧みに位置を操る。
ビルに残っていた鉄筋を打ち落とし、その一撃で尻尾を叩き落した。
それで武器は一つ減る。
武器を失っても追いかけてくる相手に向かい、若い捕縛師は上級の腕をこれでもかと見せ付けた。
本体をひきつけながら、皮膚の柔らかい腹部への銃撃を怠らず、計算ずくで逃げる。
元々ビルだった建物のロビー部分に行き着くと、マシンガンで足止め。
廃墟の天井を打ち抜き、胴体に巨大なコンクリートの塊を落とし、貫き。
苦しげに開いた頤から、数十発の銃弾を捻りこみ。
見事、その動きを停止させてしまったのだった。
用意した銃火器の半分も使わずに終わらせてしまった彼女を見て、他の連中は一目散に逃げ出したと言う。
鮮やかな退治劇は、今でも現場の周辺へ行けば語り草だそうだ。
- 630 名前:Calling 投稿日:2004/09/10(金) 20:50
- 指物。圭でもチーム戦でなければ分数のかかる嫌な仕事になるだろう、面倒な相手。
それを、知り合っていたとは言え、当時の彼女が退治してしまったと言うのは……。
「裕ちゃん、悪いけど今ものすごい感心してるよ。
全然違うとこから聞いたことあるもん、その話」
うわぁ。
なんかすごい話聞いたかも。
心底驚嘆したような顔で、圭はその大きな瞳をキラキラ輝かせている。
「それだってかなりしんどかったですよ?あたしだって!
下手に動けば後ろから撃たれそうだったし。
そこまでして消したいかオマエら!って感じだったし。
そりゃぁ腹も立つでしょう。
生き残ってやると思うってもんでしょう?ねぇねぇ」
――つーか、どさくさ紛れに、周りを囲んでた人間に向けて、土竜仕向けたり発砲したりしたしね!
うわぁ、根性わりぃ。
と、両手を叩いて笑う圭に、
「生きてるから笑えるけど、マジでしんどかったんだって!」と怒りをぶり返した。
- 631 名前:Calling 投稿日:2004/09/10(金) 20:51
- 「まぁ、その後はしばらく平穏無事やったみたいですし?
被害の報告とかも受けてないし、良かったかなぁって思うけど」
――なにより報酬独り占めやったからね!あれは美味しかった。
屍骸も学者に売っ払ってガッポリやったもん。
冗談めかして言うものの、表情は優しい。
裕子はちゃんと知っているのだ。
戦えない人間も居ることくらい、解っている。
別段仕事だし、金を積まれれば動くけども。
戦わない人間ではなくて、戦えない人間のために。
安全を確保してやるくらいは造作ない。
無駄に、死ぬ人間を減らすだけ、のこと。
ポリシーでもなんでもない、単なる、ついで。
表情からありありと解るついで加減に、圭は苦笑した。
「そういう感覚持ってるのも、悪くないと思うのかもしんないな。
…あんた、見てるとさ」
――何かを守るための、武器の扱い方を知ってる。
ニヤリ。
男前に口元を持ち上げて、武器屋は手近にあった煙草へ手を伸ばした。
- 632 名前:Calling 投稿日:2004/09/10(金) 20:54
- 「あー、貰う。一本とって」
乞われて、一本を取り上げると差し出す。
自らも一本を取り出し、口で軽く咥えた。
カーゴパンツのポケットから、チタンブルーのオイルライターを取り出す。
と、小さなテーブルを挟んで火を点した。
一つの火で、二人が火をつけるというのも、絵的にはいいものだが。
カチン、と、ライターの蓋が閉じて。
スゥ。
と、最初の紫煙が吐き出された。
「なーんかみみっちい感じすんなぁ」
眉をきゅっと顰めてから、圭は子供のように苦笑をこぼした。
まるで、ガキの遊びみたいなもんだ。
「えぇやんかそれくらい。
ガスだってそんな減らんやろ」
イシシ。裕子の楽しげな笑いに、触発される。
すっかり大人の気配が抜けた二人は、相変わらずの世間話で盛り上がり始めた。
上の階は少しくらい放っておいて大丈夫だろう。
裕子はすっかり気を抜いて、圭との話しに没頭するようだった。
この後に待っている偶然の嵐を、このときの二人は予測していなかった。
ちょっとばかり、天使の涙を誘うことも知らずに――。
- 633 名前:Calling 投稿日:2004/09/10(金) 20:55
-
+ + + + + + +
- 634 名前:Calling 投稿日:2004/09/10(金) 20:56
-
丁度、圭と裕子が弾薬の取引をしているころ。
上の階ではこんなことが行われている最中でした。
- 635 名前:Calling 投稿日:2004/09/10(金) 20:57
- 「はい。これが先週の血中数値ですねー。
人間が生きていくための成分が、こっからここまでーで、正常。
で。霊質の密度とかも、異常ナシ。
異常な霊質の変動も見当たらないし…」
トントン。
走り書きを机でただして、みちよは静かに微笑む。
「まぁ、なつみさんは健康の塊ってとこですか」
――よく食べよく眠り、よく動き、そして笑う。これが一番いいのかな。
最初の頃は狂ったように逃げ回ったなつみも、今になっては採血程度で暴れることはない。
結果も自分で聴けるようになって、今や問診は一人でも平気なくらいだ。
しばらく席外すから。
と言い放って、裕子が階下に下りていった後。
新しい血液を採取してから、医術師による説明が与えられている。
今、まさにその最中である。
- 636 名前:Calling 投稿日:2004/09/10(金) 20:59
- 「そうなのかなぁ?」
天使が首を傾げるのに、
「医学が発達する前から言われてるんです。
何より笑うことは心にいい」
穏やかな笑顔で医者は頷く。
「泣くことでも心が晴れる。
人間はそうして自分をリセットすることがあるけれど。
天使はどうなってんでしょうね」
――きっと神様が守ってるとか言うのかな?
うーん。
かるく伺うような視線を向けられて、なつみは口元をゆるく結んだ。
思慮というものを浮かべる瞬間、目の前の天使は「日ごろの可愛さ」を隠してしまう。
まとうのは例えようのない艶。
それは理知という名前のベール。
一緒に居るはずの裕子が感じてないのは、きっと一緒に居すぎて麻痺しているから。
案外のん気なもんっつぅか、一番ほだされてるのかもしれないけど。
苦笑を抑えつつ、答えを探して四苦八苦している天使をみつめる。
興味本位ではない、優しい視線。
それが解るから、天使の思考にも掛かる時間に遠慮は無い。
- 637 名前:Calling 投稿日:2004/09/10(金) 21:00
- 不意に眉をよせ。
くちびるを尖らせて。
理知も艶もほっぽり出すくらいの勢いで、彼女は子供のように頭を抱えて。
それから決意したように顔をあげると、大人が子供に答えるように気まずい苦笑を浮かべた。
「本当は、知らないのかもしれない。
考えることとか、なやむこととか」
声は歌うようだけれど、中身は少々衝撃的だった。
- 638 名前:Calling 投稿日:2004/09/10(金) 21:02
- 不意に導き出された答えは、医師を驚かせるにはじゅうぶんだった。
日ごろの鋭さや涼しさを払拭するほど丸くした医師の目に、いつもより理知的な天使の顔が映る。
言葉という道具が、彼女の本質を追いかけている証拠かもしれない。
全てを知る力の一部でありながら、子供のように表現方法が無かっただけで。
言葉というものを頭脳の中から取り出して喋るのに、さして無理がないようだし。
これはまた、興味深く、ありがたい兆候だなぁ。
と、みちよの中に常駐している「学者魂」が軽く頭をもたげた。
「感じることしか、できないのかもしれない。
……感じ取ることと、返すことしか……」
それは無駄な罪を抱えないように?
それは無為な慈悲を与えぬように?
神の意思に、叛かぬように――?
そこまでを本質の「さとさ」を持ってして思い、天使は首を横に振る。
- 639 名前:Calling 投稿日:2004/09/10(金) 21:03
- 「悪いことを、考えたりできないように、考えられないのかもしれない。
考えるとか、なやむとか、知らないだけかもしれないけど。
だからきっと、みんなのことが好きになれるんだと思う。
なやんだり…苦しんだりしてる、人間が好きになれるんだと思うの」
――矢口も、裕ちゃんも、圭ちゃんも。
注射はやっぱり嫌いだけど、みっちゃん先生も。
他意を持たない言葉。
それこそが天使の素直さなんだろう。
そして、それをむけられる自分のことを、案外悪くないと思うあたりが。
言葉をむけられて、学術への向上心をやんわりと宥められるのだから。
姐さんのことだけを笑うこともできないな。
と、医術師も微笑む。
「注射は嫌いなままで?
なんですか、最近は平気〜とか笑ってたのに」
小さな揶揄に頬を膨らませ、「あんなの好きにはなれません!」とオーバーアクションを取る。
なつみの両手は子供のように振れると、抗議をするようにトンと机を叩いたのだった。
- 640 名前:Calling 投稿日:2004/09/10(金) 21:04
-
- 641 名前:堰。 投稿日:2004/09/10(金) 21:18
- 日常の延長。Callingの半分、お届けしました。
>>618
か、かっこいいですか?
ドラマとして書いているので、脚色バリバリです(苦笑)。
こんなコトしたらカッコイイかな?
こんなだったらシビレルかなぁ?と思いながら書いてますので。
今後とも御ひいきに。
>>619 裕子誕生日ゲトー!ですね(微笑)
割り増し。割り増し割り増し。
いっそ深夜料金でもはじめようかしら。<冗談です
上記のように理想を連ねているだけかもしれませんが。
今後ともよろしくお願いします。
>>620
天使ツアー、一回目に行ってきました(笑)。
いやぁ、なんかもうイイ!たまらなかったです。
おかげで武器屋さんの印象が更に良くなった罠。
そして裕子さん綺麗でした。大変。煽りもかっこいい(萌)。
天使は……、いくら愛を注いでも足りないです(苦笑)。
あんな生き物他に無いよ…なっち。
金と勇気と情熱。追い越すだけの愛があるなら、ぜひ一度どうぞ。
近いうちに更新いたします。でわ。
- 642 名前:名無し読者。 投稿日:2004/09/12(日) 02:38
- なにやら、意味深な言葉が…
次の展開に期待!!
- 643 名前:Calling 投稿日:2004/09/12(日) 22:01
-
- 644 名前:Calling 投稿日:2004/09/12(日) 22:02
-
ふと、天使の視線が一点で止まっているのを見る。
なんか嫌な予感するなぁ。
何か企んでいるのがわかりやすい、半月型に細められた瞳。
な、何か聞くのかな?
という動揺をそのままに、首を傾げると、なつみは更に口元を持ち上げる。
「そういえば、先生って圭ちゃん好きじゃないよね?」
ガックシ。
この期に及んで、その質問ですか。
何かを知ることに対して、最大の労力を使うのは子供の姿そのもの。
誤魔化すことは、できないか。
情けなさを打ち出した笑みを見せて、医師は軽く髪をかきあげる。
「あー、武器屋が嫌いっていうより…その、武器が嫌いって言うのかな」
――うちの両親と、育ててくれた義父さんがね…。
そこまで言って、ようやく天使の表情が曇る。
知りたがることの罪や罪悪感を、おぼえていくのだろうか。
知りすぎることの罰を、これから知っていくだろうか。
なんとなく、それは、彼女にはふさわしくないな。
医師はそう思いながら、静かに続きを紡ぎ始めた。
- 645 名前:Calling 投稿日:2004/09/12(日) 22:04
-
本当の両親の記憶っていうのは、みちよには無い。
気付いた時には、養父が居て、自分ひとりだった。
記憶と呼べるもので最初に植えつけられたのは、彼の無精ひげのかたさ。
ジョリジョリと頬を摺り寄せられては、そのかたさに泣きながら抵抗したものだ。
みちよが小さい頃から、彼は特別扱いをしない人だった。
大人と同じように扱い、対等に目線を下げて話しては、みちよが理解を示すと嬉しそうに彼女を褒めた。
だから、いつも…。
残酷だとは思うが、両親の最後を聞きながら育ったのだ。
平家みちよと、言う人は。
そこで貫くべき姿勢を作ったのだ。
彼女という、医術師は。
- 646 名前:Calling 投稿日:2004/09/12(日) 22:05
-
「わかるかい?私は君のお父さんじゃない。
お父さんやお母さんは、もう、生きていないのだよ。
かつて医療支援へ行ったスラムで、物資ごと狙われて撃たれてしまった。
簡単に言うけれど、どうしようもなく、愚かな理由だよ。
物資を売れば金になる。
食料があれば、腹の足しになる。
賊が使いこなせるような道具は、殆ど無かったのにね。
全てが持ち去られてしまった。
襲撃の後には、支援部隊と支援を受けようとしていた人民の遺骸が残った。
誰も、何も言えないくらいの惨状だったよ…。
そして、亡骸が帰ってきて、私の元には君が残った。
君を預けられて居た私は、私の責任で君を預けられ続けることにしたんだ。
だけど、誤解はしないでほしい。
預けられたからという理由で、君を大事にしているわけじゃない。
君が笑ってくれれば私も楽しい。
君が知識を得て得意げにするのは、とても好ましい」
――君が生きていてくれるのが、本当に嬉しいんだ。
- 647 名前:Calling 投稿日:2004/09/12(日) 22:06
-
彼は包み隠さずに、普通のことのように話した。
みちよに、親が居ないこと。
「彼が、お父さんじゃない」ことを。
彼女は額面どおりに言葉を受け入れ、親が居ないのだと思って育った。
だから、おとうさんと言えばそれは「養父」のことだったし。
家族といえば、それも「養父」のことだった。
周囲にもそういう子供は沢山居たし、珍しくもなかったから。
- 648 名前:Calling 投稿日:2004/09/12(日) 22:08
-
今も、時折思い出すことがある。
彼の部屋にあった、古い写真立てのこと。
子供の時分から、少々ませて居たとは思う。
両親は居なかったし、読書や空想は世界を補うのにじゅうぶんだった。
勉強と医術師の笑顔が彼女の情緒を巧く綯い、中庸は保たれていたから。
そんな彼女の楽しみが、養父の部屋に忍び込んで見る写真だった。
彼の若い頃の写真が挟んであったのを、とても優しい気持ちで見たものだ。
そこには自分によく似たところのある男女が写っており、非情に幸福せそうな顔をして居たし。
彼に似ている少年が、大樹に身をあずけるような穏やかな顔で、彼に寄り添って居る。
「父さん」、て、呼ぶ声が聞こえるような、幸せな顔。
穏やかな、完成された世界を、きっちり切り取った写真。
絵の中に、自分の姿は無い。
自分が写真に存在しないという事実だけが、子供の心を少しばかり締め付けた。
こんな写真の世界に居られたら、きっと、それだけで幸せになれるだろうに。
と。
- 649 名前:Calling 投稿日:2004/09/12(日) 22:09
-
きっと、写真に写る男女が、みちよ自身の両親だったのだろう。
安易に推測できるほど、二人は自分に似ていた。
雰囲気とか、眦の涼しげなパーツとか。
ちょっとした表情のつきかただとか。
四人の人間関係は、綺麗に写真の中で収まっている。
男と、その息子。
そして、男の友人夫婦――。
義父さんは何も言わなかった。
言及すれば、きっと少年について思い出さなければならなかっただろうし。
そうするのは、傷の中に手をいれて引き裂くのと同じように痛んだだろうから。
聴かないで、良かったんだろうと、大人になった今では思っているし。
どこかで必ず、関係は繋がっていたのだろうと感じられたから。
結局、確かめる術もないままに、「義父さん」も居なくなってしまったけれど。
- 650 名前:Calling 投稿日:2004/09/12(日) 22:12
-
穏やかで清しい少女時代を過ぎるころ。
医師のツテで、下層民でありながらカレッジの教授から生物学、医学の個人授業を受けはじめた。
それまでの読書や日ごろの知識欲の深さ。
そしてなによりも養父の下勉強していたせいだろうか。
彼女の才能の開花は素早く、そして咲く花は大輪。
みちよは若くして彼の片腕になった。
正直、若すぎる才能は、上層からも声がかかるほどだった。
が、彼女はそれを全て蹴ったのだ。
全ては、養父の姿勢を受け継ぐために。
町の中で、全身全霊を傾けるために――。
- 651 名前:Calling 投稿日:2004/09/12(日) 22:13
-
叩き込まれたことは数えられない。
技術だけじゃない。
心の持ち方や、傾け方もあった。
常に真摯であること。
術中に迷いを持たないこと。
そのための知識をじゅうぶんに、貪欲に得る姿勢を忘れぬこと。
そして、自分が万能でないことを、常に忘れないこと。
不器用な生き方しかできなかろうと、たった一言の感謝で世界が塗りかえられる。
そんな奇跡のような瞬間を感じられればこそ、自分は生きていけるのだと。
力が追いつけなかった瞬間、救えなかった命の数を思えばこそ。
自分は生きていくための重荷を負うのだと。
- 652 名前:Calling 投稿日:2004/09/12(日) 22:14
-
指先にぬくもりがともる。
天使の指先が、医師の手の甲に落ちて留まっていた。
く。っと、口元が重くなる。
こんな逡巡さえも、天使の双眸は読み取ってしまうだろう。
友人であり…他者に憧れられるまでの強さを持つ、裕子でさえも知らないこと。
汝が罪を呼ばわる者――。
苦笑まじりに裕子が告げた、彼女の正体を示す名前。
心や魂の内に眠る罪を引きずり出し、告悔をさせるための力。
指先の熱一つで、恐れを解いてしまう無意識…。
黒曜石のツヤを持つ、果てない瞳の深さよ。
その罪を洗い出した先に、待つものは一体何なのでしょう?
ムリヤリ、みちよは口角を引き上げる。
- 653 名前:Calling 投稿日:2004/09/12(日) 22:15
-
自分の手で、養父をすくえなかったこと。
それだけが、唯一の自分の傷。
結末が解っていても…救う道があるのではないか。
そう、救急治療室の中で慟哭した瞬間。
解ってた。
救う手立てが、無いことくらい。
眉間から綺麗に入り込んだ弾丸を、取り出すことができないことも。
取り出せたところで、生きていけないことも…………。
バイタルの全てが下がり、目に見える数値が線になり。
何もかもが、停止する。
蘇生方の、全てをつくしてもなお、戻らない…、何も、かも。
瞬間の空しさは、誰にも、救うことなどできない――。
- 654 名前:Calling 投稿日:2004/09/12(日) 22:16
- いつまでも消えない、深い深い苦しみのシミ。
時間を塗りこめても、褪せることのない記憶…。
溺れてしまう。
また、自分の涙の中に、溺れてしまう――苦しい、たすけて…。
これが…天使の……ちか――――
脚をつかまれ、奈落に引き落とされるような感覚がみちよの芯を乱す。
体から、全ての精神が剥離するかのように…。
ハァと浅く息をつき、指先の熱に心ごと縋る。
- 655 名前:Calling 投稿日:2004/09/12(日) 22:17
- ゴメンなさい。
力が足りなくて、ごめんなさい。
解ってる。
あなたが、あなたがそばに居たのなら。
「こればかりは無理だったよ」と口元を上げることも。
肩をしっかりと包んで、泣き止むまで諭してくれるだろうことも。
だけど、自分が赦せないのです。
あなたの眉間に銃弾が撃ち込まれた時、身代わりになれなかった自分が。
自分が回診に出ていれば、あなたの代わりになれたのに…。
後から、後から溢れてくるのは何だろう。
後悔だけでもない。
痛みだけでもない。
空しくて。
苦しくて。
どうしようもない。
人の心にしまっているには、大きくなりすぎたガス状の闇。
これを突きつけられた人間が正気で居られるなら、それはよほどの強さを持っているのだろう。
呑まれそうになる。
これを、包みこみ、解き、赦すのが天使なら……それは……なんて…。
- 656 名前:Calling 投稿日:2004/09/12(日) 22:17
-
- 657 名前:Calling 投稿日:2004/09/12(日) 22:19
-
「…、なん……まさか、……あんたまで」
気付けば裕子がぎょっとした表情でテーブルを見つめている。
下の階に用事があると言って、席を外していたのだが。
深く落ちている間に、音もなく階段を上ってきたらしかった。
頬を落ちる涙をぬぐうことすらできずに、テーブルの表面を見つめているみちよ。
静かにテーブルに落ちた手に、自らを重ねる天使。
あまりの絵の綺麗さと、その場に起きているだろう、出来事を察することができるのに。
裕子はバツ悪そうに髪をかきあげ、息をふきだした。
「その…」
「なんで武器屋が好きじゃないのか、聴かれただけです」
慌てて口を開こうとしたなつみを、追い越すように、苦笑交じりの声が裕子に届く。
本当に用意されていた議題を飛び越えてしまった脳に、今更の話は空々しい。
だけど、本当はそこから始まったのだ。
武器屋というより、武器が嫌い。
嫌いな訳。理由。
そして……至らなかった自分を縛る、記憶と言う名の荊の枷。
「両手放しで武器を愛してるような人間に、解らない話をしてただけです…」
捕捉するように継いだ言葉に、今度は裕子が軽く眉を寄せた。
- 658 名前:Calling 投稿日:2004/09/12(日) 22:20
- 口元は水でも含んだように、不確かに結ばれている。
裕子も、武器を造形で語れるタイプの人間だと知っている。
その彼女をみちよが性格的に受け入れられたのは、「救えなかった痛み」を知っているからだ。
同じ慟哭を知っているからだ。
同族の癒着だと言われても、かまわない。
あの苦しみを、彼女は体の中に飼って居るのだ。
時折暴れては、自分を食い散らかす記憶の獣を。
ただ、あの痛みを知っているから、好ましいのだと思う。
器の美しさだけじゃなく、ただ、ただ…。
「や、姐さんの話をしてるわけじゃ…」
そう言いかけて、言葉が止まる。
捕縛師が纏っていた表情の理由が、ようやく知れた。
「そういうのはさ、武器の扱い方を知らない人間が言う台詞だって…。
何回も言ってると思うんだけどなぁ」
砂漠色の髪が流れる肩先から覗くように、武器屋の顰め面が見えたから。
それはそう。
先ほどまで、階下で「守るための武器を扱える人間」の話をしていたのに。
傷つけるだけの印象しかもてない人間の苦言を聞いては、気分も悪くなろう。
タイミングとしては最悪だった。
- 659 名前:Calling 投稿日:2004/09/12(日) 22:21
-
天使はうろたえた。
目の前に居た人の気持、後悔、痛みを確かに見つめていただけだったのに。
この事態に、自分はどうしたらいいのかわからない。
悪いことを、してしまったように思う。
重たい沈黙の幕を下ろしてしまった場に、小さく肩が震える。
聴かなければ良かった?
と、後悔したところで遅い。
「あの…!」
取り繕うように言ってみても、視線だけが注がれて、場の流れは変わらない。
呼気だけ。
空間を静かに揺らしては、無駄に秒数を重ねていく。
- 660 名前:Calling 投稿日:2004/09/12(日) 22:22
-
ふぅ。
呆れたと言うよりも、諦めに近い吐息が聞こえて。
そちらを振り返るのは、誰も、変わらないタイミングだった。
圭の視線はいつもより冷ややかで、そのくせ量るような静寂を持っている。
静かな視線を医師に向け、彼女はゆっくりと歩み寄った。
「別段、武器屋が嫌いなわけじゃないですよ。
武器を取り扱う人間が嫌いなだけです。
無為に、命をもてあそぶような…」
冷ややかな視線を隠そうともせずに。
みちよは彼女らしくない侮蔑の笑みを投げる。
静かに。
ただ静かに対峙して、その笑みを受け取るだけ受け取って。
ゆるりと開かれた唇から、静かに絹の声がつぶやいた。
それは紛れもなく、堰を切る斧の刃。
「自分だけが、命を大事にしてるような物言いは愚かだね」
カ!っと、医師の頬に朱がはしる。
こわばる口元を誤魔化すこともできない激情に、医師はテーブルを叩きつけた。
- 661 名前:Calling 投稿日:2004/09/12(日) 22:25
- 「あんたに何が解るって言うんです!」
ドン!と殴りつけるような声を、初めて聴いたと、裕子でさえも思った。
下手な怪我人を叱るより、よほど大きな怒声。
凪いだ水鏡のような心持を見せていたみちよからは、考えられないほどの激しさ。
それがいま、あふれ出している。
「たった一個の鉛の弾で、何万と積み重ねられた時間が無駄になる!
これから得られるはずだった、歓びも眩しさも、何ももてなくなる!
抵抗できないまま、見開かれた目が閉じることもない!
閉じることもできない顎を、持ち主を失った脚の破片を…」
「肉片を拾い集めて、繋げられるなら繋げたい…。
そう、思ったことくらいあるよ」
思いごと吐き捨てるように言葉を遮ると、武器屋はテーブルに手をついた。
「それができないことくらい、ちゃんと解る年齢だったけどね…」
静かな言葉。
重たい気配。
言葉尻を奪われ、激怒の柄をなくした、奔流の槍はそこで折れた。
行き先をなくした雑言は、胸の中で妙に大人しくなる。
- 662 名前:Calling 投稿日:2004/09/12(日) 22:26
- スゥと、静けさを纏う空気に喉が鳴る。
激情の奔流は、思いがけず新たな堰に止められた。
まるで、用意されていたもののように、声の行く先を失う。
医術師は微動だにできず、覗き込まれるままにその瞳に押し込められてしまった。
その様子に言葉を紡ぐ機会をえて、武器屋は静かに付け加えはじめる。
子供に諭すように。
「無駄な死を増やさないための力も、世の中にはあるんだよ。
それは…比べるのも癪だけど、あんたの持ってる力と一緒なんだ。きっと。
傷ついた人間を癒し再び笑顔にさせる、その医療技術ってのも…。
力の一つだと、あたしは思ってる。
そっちだって、こんな武器屋と一緒にされたくないだろうけどね。
でもさ、傷をつけられて、傷を癒すためだって理由で、同じ傷を人につけるヤツも居る。
そんな人間だって居る中で…。
武器すら手にせず、あんたはしっかりやってんだろ?
医者で居ることで、無力な人々を守る盾、被害を防ぐ力になってやってんだろ?」
――なら、それでいいじゃん。あんたの汗は、あんたが一番よく知ってるはずだ。
- 663 名前:Calling 投稿日:2004/09/12(日) 22:29
- ……。
みちよは思わず思考を止める。
なん…、この人、単純に医者が嫌いって…毛嫌いしてるんちゃうん?
不意に湧いた疑問の嵐に、テーブルの上にあった手がこわばった。
医師の無言の表情に、「理由がすごく知りたい」と書いてある。
医者が嫌いな理由。
罵らない理由……。
日ごろ涼やかな美人というのは、動揺を隠せない場合は非常にわかりやすい。
知っている誰かを思い出させて、少しだけ感傷に襲われそうになる。
昔の話を、しないといけないから?
そうかも、しれない。
苦笑が零れるのを止められない。
「あたしが医者を嫌いなのは、そんな大層な理由じゃないんだ。
昔居た職場で、データとか好き勝手取られたり、気に食わなかったし。
威張り癖のある医者しか見なかったからさ」
――あんたみたいに、真剣勝負で医者してるヤツなんか見たことなかったよ。
く。っと、あざ笑う圭の喉が鳴る。
- 664 名前:Calling 投稿日:2004/09/12(日) 22:32
-
残念だけど、本当のことだ。
上層は、それは酷かった。
金だけが目当てで、生死すら操ろうとする上層の医者を沢山見てきた。
まだ生きられる人間に…依頼で手術ミスを起こす。
不必要な情報は揉み消す。
はいつくばってでも生きる人間から、否応ナシに財をむしりとる。
でも、目の前に居るヤツは違う。
それくらい、わかってる。
車で、彼女の職場の前を通れば、誰だって理解できるだろう。
子供の笑顔、年配の女性の浮かべる安堵。
信頼の厚さを物語る、確かな光景。
明日の命も揺らぐようなこの町に、無くてはならない存在になっている。
その眩しさを彼女は持っている。
無自覚の内に。
それは、「愛されている」と、いうこと。
彼女が何を抱えて武器を嫌っているかは知らない。
けど、失った何かと肩を並べるわけではないだろうけど。
彼女を知る人は、彼女を愛している。
それに本当に気付いたら、彼女は強くなるだろうか。
きっと……、今以上に…。
でもまぁ、教えてやるような筋合いでもなし。
圭は含むように笑んで、自らを指さした。
- 665 名前:Calling 投稿日:2004/09/12(日) 22:35
- 「別にさ、嫌いでいいと思うよ。
あたしのコトくらい、毛嫌いしたところで生きていくのに支障もないだろうし。
でも、その嫌いな理由を…。
親しい人に隠してまで押し通すって言うのは、やめときな?
――あと、不用意に傷つく人間がでないように努力してる。
そういう武器使いも居るってことも、覚えておくといい。
すぐそばに居る、捕縛師みたいにね…。
友人として、彼女が誤解されるのは許しがたいんだよ」
ポン。と、医師の無抵抗な頭を一つ撫でて、武器屋はすいと身体を翻した。
「ッの!圭ちゃ…」
ガタリと椅子を鳴らして立ち上がったなつみに、武器屋は軽く肩を竦める。
「なっちは何も言わないでいい。
世界と人間を知ることが、天使の仕事なんでしょ?」
――何もかもが巧く噛み合う世界も無いってね。
背中越しに投げられた声に、なつみは息を飲み、言葉を失う。
確かに。それは、そうかもしれないけど。
でも!
胸元で握った拳の中に、自分の気持ちが入っているようだ。
痛い。胸が、ギュッとする。
チャっと後ろ手を振りながら、圭は階下へ続く階段へ脚を向けてしまった。
- 666 名前:Calling 投稿日:2004/09/12(日) 22:39
- 「また今度出直すわ」
すれ違いざまの声に「あ、…あぁ」と曖昧に相槌をうつ。
裕子は難しさを打ち出した息を吐き出す。
誰かをつなぎにして仲が保てる関係もある。
けど、さすがに間に入れない。
参ったな。
どうフォローすればいいのか解らない。
取り繕うのも、慌てるのも違う。
階下でセキュリティがとけ、扉が閉まり、エンジンの起動する鈍い音が響く。
遠ざかるエンジン音のあとに、残るものは気まずさだけ。
不意に気配が揺らいで、場が崩れた。
天使がくちびるをかみ締めて眉を寄せている。
「ゴ……ごめんなさ…い」
絞るように紡がれた音声は、急に訪れた非常事態に困惑していた。
- 667 名前:Calling 投稿日:2004/09/12(日) 22:39
-
好ましい人同士が、すれ違ってしまう。
それはなんだか、とても淋しくて悲しいことのように見える。
人間がその場面に出会っても、そうなのだろうか。
原因の一端を担っているのは、自分なのだ。
それが解るからこそ、天使は沈み込む。
これが、小さな頃から育っているのなら、関係の打開策もあったかもしれない。
だけど。彼女は天使で。
周りに居た人間は、最初から大人で。
玩具を取り合って泣いてしまうような、子供ではなかったのだ。
- 668 名前:Calling 投稿日:2004/09/12(日) 22:41
- 「なぁ、謝るっていうのも解るけどな。
そりゃ、済まない気持ちになって、どうしたらいいのか解らなくて。
謝るほかないのも解るけどな?」
裕子は深い息を吐いて、長い前髪をかきあげる。
青い双眸は、初めての出会いよりよほどやわらかく、優しい。
「自分が謝ることは、あかんやろ。天使」
眠る罪を呼び起こし、光の下に晒しては、告悔と贖いを求むる者。
人の行いを見つめるために、世界へ放たれた唯一の個体。
人間の生活に触れて、少しばかり人間に近い部分も増えたけれど。
だけど。
「それでも、あんたは天使で、それはどうしたって変わりない。
あたしやって…時々間違えそうになるけどな。
あんまり近くなりすぎて、特別なモノだって感覚なくなりそうになるけど…」
- 669 名前:Calling 投稿日:2004/09/12(日) 22:42
- ふぅ。
息をつき、一拍置いて、紡ぐ。
「無意識にでも、罪を引きずり出すなら、謝るのは失礼だろ?やっぱ。
重たいかもしれんし、苦しいかもしれんよ?
人間だって、同じことをするのはすごく疲れるし、正直しんどい。
でも…、あんたはそれを受け止めるべきやと思う。
――噛み砕くことも、謝ることも必要ない。
ただ、気持ちごと受け止めてやるべきやないかと、…そう、思う」
すん。天使のしゃくるのと、医師のしゃくるのは殆ど同時で。
裕子は妙な空気になってしまった部屋の中で、どうしたものかと二人を見つめた。
先に、変化を見せたのは医師。
すん。としゃくりあげるのに、たまらず苦笑が満ちたのが、最初の変化だった。
- 670 名前:Calling 投稿日:2004/09/12(日) 22:43
- 「なんで笑う」
「姐さん、優しくなったなぁって…そう、思って」
――昔やったらそんなん知るか!でお終いだったでしょ?
すいと自らの頬を伝った涙を拭い、みちよは髪をかきあげる。
気まずさ。
息苦しさ。
静かに全てを抱え込んで、前に居る天使をみつめる。
「天使のことを、知っているつもりで、本質を知らなかったのは自分かもしれません。
けっこう否応なしに作用するんですね、コレ」
裕子に向けての声に、捕縛師は思わず苦笑する。
「思ったより強引で、ショックおっきいやろ?」
なぁ〜、容赦ないのよコレが…。可愛い顔してねぇ――。
経験した人間にしかわからなかろう、無意識下の出来事。
今なら、裕子の言っていたことも全て解る。
裕子から与えられた言葉を噛み砕いている天使は、恥ずかしさに頬を染めているのだけれど。
- 671 名前:Calling 投稿日:2004/09/12(日) 22:45
- すぅと紡がれた息が消えて、天使の指先に今度は医師の指先が触れる。
きょん。と、薄っすら濡れた瞳が医師をとらえた。
熱が、お互いの指先に留まる。
生まれるのは、安堵。
個体である人間だけが持つ、不確かな希望。
「姐さん、あの人……なんで怒鳴らなかったんでしょう」
く。と、搾り出されたのは苦笑。
気付けば、失礼の度を越していたのは自分のほうなのに。
一方的にぶつけるだけぶつけて、気付けば一度包まれて、いなされていた。
子供がむずがるように。
どうしようもないことを、直視できなかったのは、きっと、自分の弱さ――。
きっと、彼女はそれに気付いていたはず。
- 672 名前:Calling 投稿日:2004/09/12(日) 22:46
- 「同じように怒鳴られたなら、きっと自分は納得したんだと思います。
だけど。
不躾な好奇心すら、見て見ぬフリをして答えてくれる。
相手は包むことを知っていて、受け止めることも知っていて。
自分はぶつけることしか、知らなくて……」
――情けなくて、仕方が無いです。
細められた視線の奥に、やるせなさが鈍く映る。
みちよ本人より、彼女の位置をしっかり把握していた武器屋を。
憎んでも仕方が無いと、諭された自分を。
今までと同じように、彼女を嫌っていることはできないだろう。
そう思い、苦笑する。
細めた瞳から、再び涙が零れ落ちる。
泣いて、泣いて泣いて。
心の荷物の体積は変わらないけど、少しだけ軽くなった気がするのは……。
気持ちが変わったからじゃない。
一人で持っていたものが、言葉になって。
少しだけ、他の人に渡ったからかもしれない。
- 673 名前:Calling 投稿日:2004/09/12(日) 22:47
- 「でもまぁ、あっちは…その、経験値高いんやろうし。
自分の仕事を、しっかり誇れる人だと、そう思ってるから。
だから、多少のコトじゃ揺るがないんちゃうん?」
――そのうちでいいから、怒鳴ったことくらいは謝っとき?な?
こくり。
しっかりと頷くのを見て、裕子はようやく空気の拘束から解かれた気がした。
「なんか飲むか。
さすがにちょっと、厳しい。気分的に」
別段フォローも入れる必要なかろうし。
それでヘソを曲げてしまうような彼女でもないだろう。
どうして、理由を告げた時の医師へのリスペクトは、視線だけでしっかり理解できた。
最初からそれを伝えないあたりは、大人げないけど、自分にはなにも言えない。
圭の行動に肩を竦める裕子が遠ざかって、医師は何かを許したように小さく笑った。
- 674 名前:Calling 投稿日:2004/09/12(日) 22:49
- 「言葉を聴いて。
責めることなく受け止める力や、包める強さは眩しすぎて見えにくい。
でも、天使がそういう生き物なら、どこかに居るはずの神も、そういうモノなのでしょうね」
――少しだけど、信仰やそういうものも、理解できるような気がする。
ポロリ。と、黒曜石の瞳から涙が零れ落ちる。
一つ、二つ。
ゆっくりと、それは一筋の流れになって、テーブルをぬらしていく。
不安げにゆれていた天使の瞳から、涙が溢れる。
「前よりも、少しだけ、あなたのこと、好きになりました。
情けないことに、武器屋さんも…。
解ってたんです。
きっと、八つ当たりやって、自分で気付いてた」
――手、ありがとう。ずるいほど優しいから、嫌な気分もしなかった。
ぽん。髪の毛にうずめられる手が、三度ほど頭を撫でる。
- 675 名前:Calling 投稿日:2004/09/12(日) 22:50
- 指先から感じる思惟は安堵。
満ちるのは、温かさ。
天使だから、特別だから、特別だけど。
それを感じさせなくなっていた事実。
当たり前のように優しい毎日に、不意に波立った嵐。
ぶつけること。
受け止めること。
人間がこんな赦しを持っていると、恥ずかしながら知らなかった真実。
知るために、遣わされる。
今まで「当たり前のように受け入れ、赦してきた自分」に生まれた、新鮮で息苦しいこと。
知っていくことの重み。
無邪気に知りたがることの、罪…。
その与えられた使命の重要性を、改めて思い知った、下級天使なのだった。
人間関係という名前の、突然の嵐に巻き込まれた、天使のある日の話――。
- 676 名前:Calling 投稿日:2004/09/12(日) 22:51
-
- 677 名前:堰。 投稿日:2004/09/12(日) 23:01
- Calling、残りをいっぺんに更新しました。
いつもより重たいですね。
スーパーヘビー級です。
時間と目の健康に余裕を持ってお楽しみください(苦笑)。
考えて考えていたら、こんなコトになってしまいました。
これから、少しずつでも歩み寄っていくでしょうか。
なんか素直じゃなさそうで、それも楽しみなんですが(笑)。
<自分で書いててなんて言い草(苦笑)
つ、つーか…や、間違えたつぅか、今正しい単語を思い出したが。
でもまぁ……。・゚・(ノД`)・゚・。
>>642
意味深な単語。今までにも沢山あります。
どこでどう繋ぐか、予定とかもありますけどね(笑)。
今のところ、出しっぱなしです!<威張るな!
あと。案内板で推挙してくださって、ありがとうございます。
なんかドキドキしますね。
ああいう風にタイトル出ると(笑)。
これからもマイペースに、自分の好きなように書いて参りますので。
それで楽しいと言っていただけたなら、それ以上の幸せもありません。
キャストとしての彼女たちと、ヅラヅラ長い物語(苦笑)を、
今後ともよろしくお願いいたします。
でわでわ。次はちょっと未定。
またそのうちお会いしましょう。
- 678 名前:名も無き読者 投稿日:2004/09/15(水) 18:40
- あ、短期間に2回も・・・。
更新お疲れ様です。
通りで一言一句カッコイイと思ったw
歩み寄り、どうなっていくのか、、、
続きも楽しみにしてます。
- 679 名前:名無し読者 投稿日:2004/09/18(土) 03:41
- 案内板から来て一気に読みました。
おもしろい!
キャラクターそれぞれが個性的でカッコイイですね。
続き楽しみにしてます。
- 680 名前:日常。 投稿日:2004/09/22(水) 11:01
-
- 681 名前:日常。 投稿日:2004/09/22(水) 11:03
- ふかり。
と、布団が動く感覚があって、ぼんやりと目を開ける。
ごそごそ。
天使がぱたりと横になり、背中をこちらに向けて丸まっていく。
よく考えたら、変な感じすんなぁ。
眠気に霞む視界を頭脳に、裕子は静かに瞼を持ち上げた。
捕獲して一緒に暮らし始めた当初。
天使を単純に、生き物の範疇として考えていた気がする。
人間の言葉を解する、不可思議な生き物。
本当の特徴も、中身も知らないで。
犬が増える程度の感覚だったような記憶もある。
だってよ?丸まって眠る様とか、見てみろよ。
なんか犬っつぅか猫っつぅか、ウサギみたいっつぅか。
なんだ?小さな動物みたいな感じがずっとしてた。
中身はなんや、やたら強くて芯のある獣みたいだったけれど。
それが少しずつ人語を放つようになり。
普通に会話ができるようになって。
今、こうして横たわっている。
この現実をどう受け止めよう。
- 682 名前:日常。 投稿日:2004/09/22(水) 11:04
- うぅん。
なんだかもう人間だろオマエ。
などとツッコミたくなるような声を出しながら、天使はころりと寝返りをうつ。
こちらを向いた表情の、無垢は子供より素直に見えて。
人間一人の罪を洗い出すモノだなんて、正直思えない。
こんなに毎日一緒に居るのに。
あんなに、痛みを引き出されたのに。
だけど。
みちよの件があって、思い知らされた気がした。
引きずり出すだけ、だと言うこと。
引きずり出し、ただその感覚を受け止めて見つめる。
それだけだから、この生き物は、天使で居られるのだ。
人を気付きへ導き、その先へ促す者。
後の始末は他の力に任せればいい。
そういう、無責任でどうしようもない、清潔で真摯な、生き物。
それが、自らの傍らに居て眠りについている。
- 683 名前:日常。 投稿日:2004/09/22(水) 11:06
- いろいろ難しいな。
そう思っていたら、やっぱり瞼はしっかり下りてきた。
ベッドとか分けるべきかなぁ、さすがに。とか、妙に考える。
いい加減自我をしっかり持っているし、子供よりも弁が立つようになってきたし。
うつら。
寝返りを打った天使の手が、かすかに近づく。
うつら。
なん……やけにあったかいなぁ。
すいと指先をのばして、彼女のそれに触れる。
ほわん。とした温度は、……いつもより微かに高めか?
なんだか指先から熱が伝染ったように、ぽわーんとあったかい。
自分が眠いからだろうとは思うが、そんな感覚も初めてだ。
眠いせいだろうな。
降りた瞼を強引にこじあけて、目を開けると。
同じように目を覚ましたのか、幾分驚いた顔でコチラを見ているじゃないか。
あぁ、失敗。
眠りは少しばかり、遠くへ去った気がした。
そうなったら人間はすぐさま眠れない。
仕方ないか。
気だるく髪をかきあげて、口元を持ち上げた。
- 684 名前:日常。 投稿日:2004/09/22(水) 11:08
-
「あぁ、悪い。起こしたか?」
ふるり。
問いかけられて、首を一つ横に振る。
布団との摩擦音は、夜の静寂にあって穏やかな安堵を連れてくる。
傍らに温度のあること。
昔に失くしてしまったモノ。
記憶も作られる前、誰かの腕の中で眠れた安堵に近いのかもしれない。
はぁ。
と、人間の疲労時に吐き出すのと変わりないため息をこぼし、天使は頬を布団に埋めた。
ちらり。
布団から黒曜石の瞳が裕子を見て、逃げるように逸らされる。
「ちょっと……、熱っぽい」
一杯なやんだら、疲れちゃったのかも――。
苦笑まじりに囁かれた言葉に、裕子は驚きを隠さない。
「…って、知恵熱かい」
考えすぎて熱が出るなんて。
ぷ。っと噴出すのに、「笑ったー!」なんて声と、掌が布団に落ちてくる。
ボフ!っと肩先を叩かれて、
「天使が知恵熱なんてありえんやろ!だってなぁ!」と笑いを堪えきれなくなった。
英知持つ生き物。
神の力の一部と言っておきながら、それで知恵熱ってどないやねん。
いくら噛み殺してみても、溢れてくる笑みを止められない。
- 685 名前:日常。 投稿日:2004/09/22(水) 11:09
- 「もう!裕ちゃんなんか知らないよ!」
くるん。
身体を反転させて、なつみは裕子が着ていたはずの上掛けごと丸まってしまった。
待て。ちょっと待て。
確かに空調はいいかもしれん。
しかし、なにも掛けないで眠ったら、お腹壊したりするんだぞ?
子供というか、何と言うか。
「おいコラ、天使。明日も熱が下がらなかったら、みっちゃん呼ぶからな?」
ぴく。っと上掛けから覗く髪が、肩ごと揺れて戸惑っている。
「だ、だだ。大丈夫だってば!きっと朝には平気だよ」
本当に、子供の言葉。
背中越しに投げてくるけど、気持ちがしっかりコッチ向きなのが分かる。
愛らしい。って、きっと、こういうこと。
- 686 名前:日常。 投稿日:2004/09/22(水) 11:11
- まったく。と、苦笑しつつ。
「そっか」
放り投げられた言葉をしっかり受け止めて、そろりと腕をのばす。
触れるのは、やわらかすぎない髪の感触。
するりと指先にほどける、実体の、そのもの。
人間のような熱量。
「最近はイロイロあったからな」
人間でも疲れるような展開やったし、疲れたんだろ?ほんとに――。
ぽすぽす。と、あやすように掌で髪を撫で、微笑いながら告げる。
見えなくても、感じるくらいするんだろうよ、天使だし。
でもな、肝心なとこ、ちゃんと解らなくちゃダメなんよ?
本当に笑うだけなら、バカにもするし、蔑むことも人間は平気でする。
難しいかもしれんけど、その差異には深い溝があって…。
そこまで思ったときに、申し訳程度に布団から顔が覗いた。
「裕ちゃんの手はあったかいから、ちゃんと分かるよ」
なんだか本当に、草葉で気配をうかがうウサギのようだ。
しかし、飼い犬になんとか。
放たれた言葉が思ったより容赦ないのに、裕子は一瞬口元を強張らせた。
- 687 名前:日常。 投稿日:2004/09/22(水) 11:12
- 「最初の時は、あんなに冷たくて怖かったのに、今はぜんぜんちがうもん」
蒸しかえすのは、天使からのせめてもの抵抗だろう。
可愛くないやっちゃなぁ。矢口の悪影響だ。そうに決まってる――!
脳内でジョークにしながら、指先でツイと天使の頭を一つ「ど突く」。
「あー。矢口に言っちゃお」
頭の中身を読むという行為を軽く笑い飛ばしながら、天使は言い放つ。
そして、不機嫌な段が違う眉に笑いながら、天使はようやく上掛けを手放して裕子に掛けた。
ボフっと天幕の柱が折れたように、上掛けが捕縛師の身体を包み込む。
「うがー。待て、生ぬるぅいッ!」
天使の温度をしっかり蓄えて、上掛けは生ぬるいことこの上ない。
こんなの着てられるかよ!
慌てて跳ね上げるのに、天使はとても楽しそう。
ケタケタ笑いながら、天使は枕代わりに与えられたクッションを抱え込んだ。
- 688 名前:日常。 投稿日:2004/09/22(水) 11:13
- 「おまえなぁ〜」
思わず声を荒げそうだった裕子の目の前に、ボスっとクッションが着弾。
微かなほこりをたてるのに、本気で怒るぞオマエ!と思いかけた瞬間。
「本当の温度じゃなくて、心の温度が全然ちがうのわかるもん」
見えたのは、にこり。とした、綺麗な微笑。
「にくんだり、おこったり。
楽しかったり、やさしかったり。
そういう気持ちをかくしたりしない、裕ちゃんはとてもきれいな人」
――温度のある正しい生き物だと、そう思う。
んふ。と表記して間違いの無さそうな笑みを溢し、天使はクッションを引き寄せる。
ゆ、油断…した。
そう思い、顔を覆う。
この恥ずかしい言葉を事も無げに言い放つあたりが、天使である証拠の一つのようにも思える。
や、一応一端を担っているとは思う。
ちゃんと、「天使がその程度の生き物でない」ことくらい、裕子は分かっているが。
そうとでも思わなければ……。
恥ずかしくてやってられない!
や。今更?こないだも泣かれたしなぁ。なぁ。
- 689 名前:日常。 投稿日:2004/09/22(水) 11:15
- えぇい!と思い腕をツイと引く。
「きゃッ」
随分人間らしい悲鳴が出せるようになった天使が、背中から裕子の腕に転がり込んできた。
相変わらずの存在が不確かに思える非力さ。
現実の存在感と裏腹なのに、混乱しそうになる。
さすがにもう、慣れ始めたけれど。
「いいから早く寝ろ!」
肩を問答無用でくるんで、乱暴にあやした。
ぶっきらぼうな、可愛い、愛情表現。
髪の毛をくしゃくしゃにされて、天使は子供のように肩を竦めた。
「もー!らんぼうだなぁッ」
そう文句を投げるのも、音声は楽しそうだ。
こてんとクッションに頭を乗せて、呼吸を整える気配がする。
すぅ。すぅ。
規則正しく。
その穏やかな制動が、眠気を呼び覚ます。
きっと、このまま眠ってしまうだろう。
- 690 名前:日常。 投稿日:2004/09/22(水) 11:17
- 「裕ちゃん、いつか…どっか行くの?」
うん?
眠たさの中で思いついて放つ声。
背中越しに問いかけられて、あぁ…あのコトかと思い当たる。
矢口と天使と、あと武器屋と。
連れて行きたい場所があると、告げた時のことか。
「あぁ、そのうち。必ずな」
ん…。
やや気負ったように強めの返事だったが、気に留めなかったのか軽く返してきた。
ふっと、眠気が目に見えて漂ったように見えて。
あぁ、眠るのか。
そう思うのに、ようやく瞼が下りてくる。
裕子の覚めた眠気も、舞い戻ってきたようだった。
ゆるやかに、全身を眠りが支配していく。
微かな熱が体の中で循環しているような、妙な気配がする。
が、眠さのせいで気にすることもなく。
ゆっくりと体の重心が落ちていくのに、裕子は逆らうことが無かった。
相変わらず天使の気配は薄くなる。
日ごろ見守り気付かれない者だけあるなぁ。
妙な感心を寄せたら、そこでこちらの体の充電池も切れた。
- 691 名前:日常。 投稿日:2004/09/22(水) 11:17
-
- 692 名前:日常。 投稿日:2004/09/22(水) 11:19
-
「裕子ー、おーい、起きろ〜」
部屋の中に異質の音声。
まどろみに目をこじ開け、世界を目視する。
なんだ?すでにけっこう明るいな。
や、確かに空は雲で覆われているので、明るさの限度は知れているが。
おあ?朝か?
身体を起こそうと試みるが、なんだか体が重たい。
お?おおぉ?
指先を動かして、ようやく身体に電源が入った気もする。
起動音さえしそうな、全身にエネルギーがまわっていく錯覚。
「すっかり朝っていうか、珍しく昼近いよ?」
なに!?
矢口の声に慌てて飛び起きると、時計はすでに10時を回っているじゃぁないか。
「おはよう、裕ちゃん」
目の前には天使の笑顔。
おはようさーん。って、……をい。
思わずセルフツッコミ。
- 693 名前:日常。 投稿日:2004/09/22(水) 11:20
- 「お前、熱…は?」
そろりと手をあげて額に当てても、まったく違和感はない。
ぽやんとした感じもしない。
うん。コイツまさか、人に伝染して楽になったんじゃないだろうな。
そう思ってはみたが、自分自身の身体に、目覚めの時のような重たさが無いのに気付いて。
寝すぎた錯覚?と首を傾げた。
そっか、寝すぎりゃ逆に疲れたりもするわな。
納得がいった裕子はようやく体の線を伸ばす。
のびやかに。
流麗に。
大きいシャツからのぞく、胸部にも足元にも無駄は無い。
「本当に知恵熱か」
――まぁ良かったな。酷くならなくて。
くしゃりと笑い、頭を一つ撫でてやる。
と、天使はくすぐったそうに肩を竦めた。
ん。と目を細めた瞬間。
零れ落ちてきたのは、「ありがとう」という、小さな呟き。
- 694 名前:日常。 投稿日:2004/09/22(水) 11:22
- 「ん?」
微かにしか聞き取れなかったそれは、言葉としての確信を持つにはあまりに不確か。
「先戻ってるね?」
「ん、あぁ…」
そう何事も無かったかのように言われては、問い返すこともできない。
心に不躾に触れるような感覚じゃない。
それこそ、人間のナイショの思考を覗くような。
今の感触はなんだろう。
まさか、今の天使の謝辞は本人すら気付いていない気持ちの機微だろうか。
まさかぁ。
頬に掛かる髪を額からかきあげて、眉をひそめる。
気にするほどでもあるまい。よ。そうよ。
ムリヤリにねじ伏せて、裕子は遅くなった目覚めに首を鳴らした。
微かでも空腹を訴える身体に苦笑しながら、捕縛師はベッドから降り立つ。
目覚めの一服を点さずに済むほど、今日は体が軽い。
こんなにしっかり疲れが取れるなら、もう少し早く起きておけばよかった。
仕事の一つもこなせたろうに。
自分自身へ呆れつつ、彼女はいつもどおりの風景に融けていった。
- 695 名前:日常。 投稿日:2004/09/22(水) 11:22
-
- 696 名前:堰。 投稿日:2004/09/22(水) 11:40
- 日常。 更新しました。
まぁ、色気も素っ気もねぇ(苦笑)。
重ねられていく時間のもたらすものはなんでしょう。
どこへ向かうつもりなんでしょう。
つぅか天使、本当に何を知り、なにをしに来たんだ?君は。
と、作者ながらに小一時間(ry
いやいや。
これでも、少しずつ網を狭めてるんです。これでもね。
>>678
歩み寄りは、かなりなされているのだと思います(笑)。
やはり武器屋さんは大人なのでしょうね。
いつも、モノを書くときはドラマ扱いなんです。
昔からそう、かな。シーン萌えが先に来る人なので。
だから実物にはできなさそうなアクションが多用さ(殴
じ、自主規制につきこれで。
>>679
いらっしゃいませ、ようこそ。
づらーづらーと続いていきます。
どこで折り返すのかも分からないんですが(殴
今後ともよろしくお願いいたします。
なるべく、カッケー!って言って頂けるよに、がんばります。
でわ。また次回お会いしましょう。
サヨナラサヨナラサヨナラ(笑)。
- 697 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/24(金) 22:02
- 日常・・・いいですね。
こういう何気ない雰囲気が好きです。
- 698 名前:来訪者 投稿日:2004/09/26(日) 19:26
-
- 699 名前:来訪者 投稿日:2004/09/26(日) 19:27
-
眠りにつくのは気まぐれ。
作業に没頭して、二日三日休まないこともしばしば。
そんな無茶ができるのも、自分の中に天使の血が流れているからだろう。
しっかり、彼女は事実を把握し、認めている。
昨日と今日半日ぶっ通し。
依頼を受けたライフルのオーバーホールをしていた。
射程距離と命中精度の向上というが、そこまでの腕をしていない持ち主の依頼。
これで成果が上がらないのなら、これ以上は無駄だと教えてやるべきだろう。
あまり面白い仕事じゃなかったな。
わし、っと自らの髪をかきあげて息をつく。
纏わりつくよな眠気の正体は、そんな退屈さにも理由があるようだった。
- 700 名前:来訪者 投稿日:2004/09/26(日) 19:28
- くわぁふ。
かみ殺すあくびも、奥歯にはさまって妙な感じ。
作業に集中しすぎたために身体に疲労が蓄積されているらしい。
コキっと首を鳴らして、背筋を伸ばせるだけ伸ばす。
圭は久々に、疲れらしい「疲れ」を身体に感じていた。
昔は三日くらい平気だったのになぁ。
苦笑混じりに部屋の明かりを落とし、寝酒にするために琥珀の液体を選ぶ。
手よりも少しばかり幅のある、薄い形の瓶。
ページュっぽいラベルは、もうかなり古いものだ。
鼻歌まじりに寝室に向かう、その脚がぴたりと止まった。
- 701 名前:来訪者 投稿日:2004/09/26(日) 19:30
- こんな時間に……。
圭はあからさまに眉をひそめる。
夜の帳が下りて久しい、今は深夜27時。
ドアの向こう側で気配がする。
旧住所で示すなら、新宿は歌舞伎町。
渋谷スラムから程近く。
一部は接点を持とうかという至近距離にある下層居住地。
新宿スラム。
少々毛色に違いがあるとしたら、旧世界の名残を「存在感までも残している」その濃さだろう。
昼夜かまうことなく、街路には娼婦や男娼が立ち並び。
享楽目当てに訪れる上層者の、高級な車や護衛が待ちぼうけ。
看板こそ掲げないものの、薬物を取り扱う商人も多い。
手に入らないモノがない。
とも言われる、非合法取引が横行する迷宮――宝の山だ。
相応の腕があれば、迷宮で死ぬこともない。
- 702 名前:来訪者 投稿日:2004/09/26(日) 19:35
- かつて魔窟と言われた歓楽街に居を構えたのは…。
その魔窟が自分の住処に合っていると思ったからだ。
自分の中に魔物を飼っていることを、自覚している人間だけが集った場所。
旧世界、日本の首都、東京の不夜城。
遠い遠い、昔の栄華だけれど。
今は形をボロボロにしている西武新宿線の高架の近くに、この店はある。
いくつもの店の前を抜け、突き当たりにあるために、殆どの人間はここまでたどり着けない。
他の店で捕まるか、体ごと消えてしまうかどちらか。
- 703 名前:来訪者 投稿日:2004/09/26(日) 19:37
- ふむ。
武器屋は不機嫌に口をゆがめ、手にしたボトルから一口を迎え入れる。
確かに。
日ごろは夜通し営業しているので、来る客もいるだろう。
それでも、電気は全てと等しいほど落としているのに。
これであんまり好かない客だったら、一撃で屠ってしまいそうだ。
眠気と疲労で危険思考になっているのも隠さずに、ドアの向こうの気配を探った。
うん?と、潜めた眉を上げる。
ボトルを店のカウンターに置き、はずしていたナイフを取り上げる。
そうして、「何も頼んでないはずなんだけどな」と眉間を親指で押さえ。
それから、諦めるようにドアに近づいた。
得物は腰にナイフのみ。
それでも、いきなり銃で撃たれるようなことはなかろう。
- 704 名前:来訪者 投稿日:2004/09/26(日) 19:37
- コツコツ。
と、ドアをノックする音が聞こえる。
分厚い防弾の材質を挟み込んだ、木製のドア。
一般で流通しているショットガンくらいなら、びくともしない。
ノブに手をかけ、イラツキを隠さずに声を通す。
「悪いけど今日は店じまいだよ。
それでもって言うなら、超過料金込みであけるけど?」
一方通行のインターフォン。
悪態をついても、彼方の気配は消えることが無い。
帰りもしないか。
諦めて、ゆっくりとドアを開けた。
- 705 名前:来訪者 投稿日:2004/09/26(日) 19:38
- キ。と、開いた数ミリのドアの隙間から、気配がしみこむ。
知っている気配だ。
殺意は感じない。
だからこそ、安心もするが。
油断は、できな――!?
ガ!っと隙間から手が伸びる。
扉を開けて体がねじ込まれてくる。
ホラやっぱり。
とは思った。
挨拶代わりなのは解っているが、相変わらずすぎて苦笑も出ない。
しかも。接近戦なんてご無沙汰だ。
こちらの分は少々悪いように思えるが、ナマってるわけじゃないからな。
いつもどおりで平気だろう。
無音のゴングが鳴り渡るのに、問答無用の一撃は繰り出された。
- 706 名前:来訪者 投稿日:2004/09/26(日) 19:41
-
掴みかかろうと伸ばされた左手を、右の肘で軌道ごとそらす。
逸らすために当てた右肘を軸に使い、相手の顔面へ向けて裏拳を最小の動きで抜き放つ。
しかし、それは当たらない。
相手もさるもの、横から突き出された右掌底に、綺麗に拳を外向きに逸らされた。
次の一手はもう始まっている。
内に溜め込んだ気迫を最大限に爆発させながら、「正」でない拳をすいと沈める。
掌底を繰り出すためにがら空きになった相手の右腹部を狙い、左サイドやや下方からフックを一つ。
流れとして一撃を予測していたのか、相手は撃ちおろすように左の拳を向けてきた。
迎撃タイミングは、相手の計っているだろう距離そのもの。
ヤバイ。当たるな。
そう思い、思考するのは刹那。
このまま当てれば、確実にこちらの頭部を殴りつけられるだろう。
はぐらかした方が得策か――。
思考が無意識のうちに全身の制動を操る。
これこそは本能。
身体と直結する、上級者の感覚。
- 707 名前:来訪者 投稿日:2004/09/26(日) 19:44
- 仕方ナシ、踏み込みの足を軸に踏みとどまる。
と、残っていた膝を一気に引き上げた。
拳を出そうと前方に持っていた重心を、後ろ足を振り抜くためにかける。
キュっと、部屋用にしたスポーツサンダルが床を食み鳴らす。
殴打の予定位置まで踏み込まなかった圭に騙されて。
相手はまんまと拳を振り下ろした。
チ!と舌打つ音が耳を掠める。
あぁ、こういう瞬間がきもちいい。
腐るほど知っている相手なら、なおさらに。
小さな回転を身体に加えて最大限に使うのが、体の小さい人間が生きる術。
打ち下ろした左拳。
その腕のラインをあざ笑うかのように、圭の右膝が腹部に飛び込む。
ぐっと折れる体。
そこに容赦をするような圭じゃない。
知っている相手であればこそ。
冗談と思えないほど打ち込んでも、笑って赦してくれるでしょうよ。
悪魔か何かでも飼っているように。
涼やかに微笑いながら、右腕を突き伸ばす。
鈍ってるから多少のコトしかできなかろうが。
- 708 名前:来訪者 投稿日:2004/09/26(日) 19:45
-
- 709 名前:来訪者 投稿日:2004/09/26(日) 19:47
- 左顎。
右肩。
右の拳で軽く連打。
それだって、威力にしたら半端ない。
訓練用の銃でもむけられたように、痛みが爆ぜる。
食らった相手は顎先へのヒットで一瞬の視界を奪われる。
と、「あっ」と言う間もなく乱打を食らってしまった。
後退しようにも後ろは頑丈な玄関ドア。
もしかしてハナから奇襲失敗?
とは思ったが、もう逃げようも無い。
三発目は左から腹部へ、当てるだけの一撃。
受け流そうにも、一発の速度が早すぎる。
肘で迎えようにも、当たった後に腕をそらしたって無意味。
そりゃもう無意味。
いくら軽く当ててくるだけとは言え、早さがあればそれなりに重さも増える。
ジャブ。のくせに、グローブの無い拳は痛いことこの上ない。
前向きに倒れるのを阻止するために、必死に脚を半歩ずらす。
――手加減してるあたり最悪ッ!
打撃を受けるほうから見れば、圭のこの上なく楽しそうな笑顔。
うっかり気絶しそうだ。
- 710 名前:来訪者 投稿日:2004/09/26(日) 19:48
- しかし、ウカウカ気絶できない事態が迫っていた。
四発目……って、顔面かよ!
迫る拳突へ思わず青ざめながら、軌道を読みとる。
捻りは無い。
角度はしっかりと左頬に向かっている。
眼前に迫った拳を、紙一重で避けた、瞬間。
フッ――――!
と突き抜ける感覚が左の耳元を過ぎ、視界が一気に持ち上がった。
襟首を掴まれたと実感したのは、喉が急に締め上げられて呼吸が制限されたから。
なんだぁ、狙いは打ち倒すことよりも拘束か。
軽々一枚上を行かれて、笑みすらこぼれそうだ。
眩暈しそう。
不意打ちだから、もうすこし巧くやれるかと思ったら。
相変わらずの完敗加減に、心底の呆れとため息が心を満たす。
これ以上の抵抗は考えないほうがいいかなぁ。
フードそ覗き込まれるまで、待ってたほうがいいか。
く。っと、制限された呼吸から息を飲み下した。
- 711 名前:来訪者 投稿日:2004/09/26(日) 19:48
-
- 712 名前:来訪者 投稿日:2004/09/26(日) 19:50
- 襟首を右手で掴んで入り口のドアに叩きつける。
と、肘で喉を押さえ込み拘束してみせた。
相手の左手が軽い抵抗を試みるが、右腕は圭の手にとらわれており。
人為であらぬ方向を向こうとしている。
そのまま肩を越されたら、平気でゴキっという鈍い音がするだろう。
これ以上のコトを試みても無理…と、相手が悟ったようだった。
ぐぅ。と喉が鳴る。
こくりと息を飲み下す、その微かな動きさえ感じられる距離。
目深にしたフードから覗く視線を捕らえて、「いい加減にしたら?」と穏やかに諭す。
瞬間。
今までの緊張感が嘘のように、まるで空間を捻るような簡単さで世界が解けた。
アーモンドの瞳は穏やかに細められ、引き結んだ口元はゆるりと笑みを浮かべる。
ジャケットのフードをはらりと退ける。
と、そこに現れたのはどこか鷹揚な空気を感じさせる女性だった。
圭よりも、多少若く見えるが、あまり変わらないのかもしれない。
肩より少しある髪を後ろでゆるく束ねている。
- 713 名前:来訪者 投稿日:2004/09/26(日) 19:51
- 「あー。やっぱ強いわ。
さっきの蹴りさぁ、あそこまで踏み込んで留まれるなんて思わないじゃない?
それに、あれだけ軽く当ててるのに、重たいのもすごいよねぇ」
――さっすが、惚れさせるだけあるよねぇ。素敵〜ぃ、圭ちゃん。
うっとり、というよりも、カラリとした空気。
一瞬の変貌に、思わず頭を抱えたくなる。
「相変わらずバカなコト言ってんじゃないよ。
つーか、何も頼んで無いよね?あたし」
そう。今来た相手こそ、武器屋の上層の得物を取り扱う人間。
幾人か取引相手は居るが、一番融通が利き、大口の仕事も請け負ってくる。
そんな役割、兼…、
「んー。頼まれてはいないけどね。
ちょっとその耳に挟んでほしいコトがあって来たの。
あと、ちょっと渡すものがあって…」
情報屋。
- 714 名前:来訪者 投稿日:2004/09/26(日) 19:52
- 「情報の件は、単純に友人として?
元、同僚として?
武器の運び屋として?」
すいと視線を鋭くする圭に、彼女は表情を窺わせない笑顔で答えた。
「そうだな…。
元、同僚…として、かな」
ふむ。
そういう言葉を吐くってことは、本当に重要な話なんだろう。
彼女は滅多に、昔の職場の話をしなかったし。
するとしても、友人として聴けるくらいの愚痴でしかなかった。
だから。
昔気に掛けた人間のことは、聞かないで済んでいたし。
圭は「忘れる…と思って忘れられている」けど。
寝ようと思ったんだけどなぁ。
わしわし、髪の毛をかきあげてくるりと踵を返す。
- 715 名前:来訪者 投稿日:2004/09/26(日) 19:53
- 「話あんなら、こんなトコじゃできないでしょ?
奥で聞く」
――何飲む?
先を行く背中に、ふにゃりと微笑むと、圭の元同僚は脚を前へ踏み出した。
「ここにあるアーリーでいい」
カウンターからひょいと取り上げて、あきっぱなしの瓶から一口。
「絢香、あんた行儀わる…」
「蓋が開いてるってことは、圭ちゃんがこうして飲んだんでしょ?
自分を棚に上げての説教は聴けないなぁ」
保田圭の元同僚、木村絢香はニヤリと笑うと、今更のように微笑んだ。
「そういえば。同僚としては久しぶりね、圭ちゃん」
――あと、女の子の顔を殴るのはやめた方がいいと思うなぁ。
付け足すように零れた言葉に、「その年齢で、誰が、女の子」と切り返す。
彼女もまた天使の血を引く、特殊な女性であった。
- 716 名前:来訪者 投稿日:2004/09/26(日) 19:54
-
- 717 名前:堰。 投稿日:2004/09/26(日) 20:07
- 更新です。
歌舞○町の女王(苦笑)。もとい、来訪者です。
武器屋さんの前に現れた人物は、なにを告げる気なのか。
当社比較三割増しでお送りします(謎微笑)。
>>697
日常は非常にほのぼのしてますね。
なるべく優しさを引き出していけたらいいなぁと、
漠然と考えてながら綴っています。
結末までのピースを作りながら、
こんなに楽しいのは久々です。
ではまた近い内に。
……、更新できたらいいなぁ。
- 718 名前:名無し。 投稿日:2004/09/28(火) 05:18
- 更新乙です。
徐々に、いろいろな人物の線が、つながってきそうな気配が…
次の更新が、待ち遠しいです。
- 719 名前:名も無き読者 投稿日:2004/09/30(木) 18:26
- 更新お疲れ様です。
・・・ってまた出遅れてるぅ。。。_| ̄|○
しかし「日常」の緩やかな空気もイイですが、圭ちゃん、、、w
いやそりゃ惚れもしますわ♪
流石な描写に心躍らされつつ続きも楽しみにしてます。
- 720 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/02(土) 17:47
- 文章を読んでるだけなのに、ここまで情景が思い浮かべられるのは驚きです
圭ちゃん格好良いよ圭ちゃん、登場したのが絢香っていうのもまた絶妙な配役で続きが楽しみです
- 721 名前:来訪者 投稿日:2004/10/05(火) 05:28
-
- 722 名前:来訪者 投稿日:2004/10/05(火) 05:30
-
絢香のくちびるから零れた言葉に、思い切り耳を疑った。
お互い応接セットに向かい、サシで飲んでいるのだが。
話の内容か、どうやら酒気で酔える状態ではないようだ。
ペースは異例の遅さだし。
飲み込んでみても、水でも飲み下すかのように味気ない。
なにか、雰囲気や予感がそうさせたのだろうか。
だとしたら随分と良い感度の「嫌なコトセンサー」が、体内に搭載されているようだ。
単純に敵の気配を察するよりも、よほど感度がよく、そして厄介この上ない。
圭は思わず髪をかきあげるままに、テーブルに肘をついてうなだれた。
一度、段取りをつけて考えたいのに、妙に単語が回る。
そう。
それほどまでに、来訪者の持参した情報はとんでもなかったのだ。
これを寝耳に水という。
誤用のしようもない、典型例。
- 723 名前:来訪者 投稿日:2004/10/05(火) 05:31
- えっと、えぇっと?
ブンシャカブンシャカ♪パラパラパラパラ…。
なんだか妙なリズム取りで、単語がくるくる回ってくれる。
あの、巨大な会社を?
分社化ぁッ――――?!
予想もしなかった言葉。
思い切り顔面パンチ食らったような顔で、圭はのろりと視線だけを持ち上げる。
心の内でシミュレートしていたのか、絢香は面白くないことをもう一度繰り返した。
それこそ、博打打ちのような凪ぎの表情で。
「だから、分社化するんだって。うちの会社。
総務と、あたしと…。
あともう一人の子が新会社の幹部扱いで、そっちに異動になっちゃうの」
――旧世代と、あまり深入りしてない人間の切り離しみたいよ?
ピク。と、その言葉に眉が上がる。
- 724 名前:来訪者 投稿日:2004/10/05(火) 05:32
- 旧世代。
深入りしてない……。
単語の意図するところを得て、眉を吊り上げる。
「まだ諦めてないの?あのバカ」
呆れた。というか、非現実が過ぎる。
もう、諦めてくれればよかったのに。
そうしたら、もう一回くらい上にあがっていって、戻ってやってもいいのに。
「今の社を名前だけの扱いにして、ごく一部の幹部を残して、全員新しい社屋に移すみたい。
異動の通告も全体にいきわたったし。
周到にも社屋は用意済み。
実質の業務は、全部あたしなんかで被るわけだけど。
たぶん、きっと保険なんだろうね……」
用意していたかのような説明に圭は思わず頭を抱えた。
- 725 名前:来訪者 投稿日:2004/10/05(火) 05:35
- 保険ねぇ。
その言葉の、なんと安易で薄っぺらいこと。
眩暈すら覚えるのに、思うままに反論する。
「保険なんか掛ける必要ないでしょ?
巧く行くはずも、あんなもの見つかるはずもないんだから…」
しかし、絢香に言って届く相手じゃないことくらい、解っていて。
ちくしょう、酔いがまわらない。
嫌な単語ばかり耳にするせいか、腹の奥でグラグラなにかが煮える感じがする。
「ん…。そうなんだけどね」
仕方なしという風に微笑む絢香は、樽の風味がついているウイスキーに手を伸ばす。
カァっと熱くなる酒気の濃さに、ゆるく目を閉じ。
目の前の同僚は、「どうしようもないのよ――」と首を振った。
- 726 名前:来訪者 投稿日:2004/10/05(火) 05:38
- ぽん。
空気がよどんでしまったのを振り払うように、絢香が一つ手を打った。
「でーまぁ、伝えないといけないのは今のネタで。
今日はね、何を渡しに来たかっていうと。
制限弾薬をね。
弾薬管理が厳しくなるだろうから、今のうちに少し流しておこうと思って」
――総務けっこう厳しいじゃん。そういうの。
くす。と、口元に手をあてて微笑う。
その言葉に思い出す、あの何を考えてるかわかりにくい総務課の女王様。
今も見た目だけなら変わらないだろう。
「あぁ、そういうことか。
じゃぁあの辺なんかも流れてこなくなるわけね」
問われて絢香は頷いた。
あの辺。
といわれるのは、使用禁止が国際規定で定められている弾薬や武器のことだ。
もちろん核なども含まれるが、少々予想されるものとは毛色が違うだろう。
- 727 名前:来訪者 投稿日:2004/10/05(火) 05:41
- 対天使戦のために開発された弾薬や武器が、今も廃棄されずに残っている。
廃棄されないのは仕方が無い。
いつまた危機が訪れるか知れない世の中。
人間の防衛本能と、そのための備えなのだから。
代表格は極小さな範囲…例えば10センチに満たない程度の球状に、次元を歪曲させる次元弾だろう。
頭部に向かって当てれば、その部分を異次元に文字通り「ぶっ飛ばす」ことができる。
高位天使は多少のダメージではすぐに復元してしまうから、直接頭を吹き飛ばすわけだ。
頭を吹き飛ばせない時は死ぬわけじゃないが、動きが鈍ることにはなる。
その上で捕獲したりすれば、人間にも手がでるようになった。
それは指をくわえて暴虐を見ているしかなかった人類へは、画期的な進歩だった。
弾薬が作られたことで、形成の逆転とまでは行かなかった。
が、人類が滅びゆくのを押しとどめるには役立ったかもしれない。
まぁ、この荒野で生きていかなければいけない現実を思えば…。
どれだけの人間が感謝しているかは謎だったが。
- 728 名前:来訪者 投稿日:2004/10/05(火) 05:42
- さて。
開発されたのは銃弾。
取り扱いに易く、持ち運びがよかったせいだろうか。
天使への最終汎用兵器として、高価ながらもそれは広がった。
審判後。
その危険な弾薬を人間相手に使って、甚大な被害を出す事件が増えたため。
上層部のトップクラスである人間の会議が、その使用制限と厳罰を定めたのだ。
せっかく残った人間を、今更減らすコトもないだろうと言うとこらしい。
人間にさして価値もないだろうに。
とも思っているが、親しい人間に価値を見出せないほどでもないので。
圭は何も知らないフリをして、条約を守り続けている。
表向き――。
- 729 名前:来訪者 投稿日:2004/10/05(火) 05:43
-
+ + + + + + + +
- 730 名前:来訪者 投稿日:2004/10/05(火) 05:45
- 「次元弾のカートリッジ、これが二つね。
どうせ使ってないのが、まだ1ダースくらいあるでしょ?
あとー、強化麻酔仕込みと、筋弛緩…、霊質中和の32口径用と」
……。
どうやって仕舞っていたのか聴いてみたいほど、絢香は次々と弾薬を取り出した。
テーブルの半分を占拠した包みやカートリッジに、思わず眉間を押さえる。
呆れた顔を隠さない圭に、「いやぁ、重たかった」と苦笑するあたり。
彼女の「食えなさ加減」は理解していただけると思う。
「これで帳簿誤魔化せると思ってんの?」
ならびに並んだ弾薬の総数を考えれば、帳簿一つで誤魔化せる量じゃない。
「ん。大丈夫でしょ。
総務課だってかなりの隠し資産を持ってるし、ギブアンドテイク」
――新しい会社になったら、そうそう巧く脅せそうもないしね。
……、脅迫しあいかよ。
思わず「笑顔のままの冷たい遣り取り」を想像して、背筋が凍りそうになる。
- 731 名前:来訪者 投稿日:2004/10/05(火) 05:47
- あーこわ、おーこわ。
身震いしながら武器全般を見やって、試算をはじき出す。
あー。参るな。正直、多すぎる。
アナログ用特殊弾薬はけっこう高くつく。
「えっと、正直今回仕入れきついくらいなんだけど?」
「んー。予想外の多さだろうからねぇ、でもまけられない」
平気で突っぱねる絢香に、圭は天を仰いだ。
「じゃぁ持って帰って?って言うのも、難しいんだろうねぇ」
「そうねぇ、ボディーチェックの子が交替してるはずだから、また何かあげなきゃね」
上から降りてくるのに、賄賂上等、そして常道ってことなのね。
含んだ言葉に小さく舌打。
仕方ねぇなぁ――。
「わかったよ、250で手を打とう」
突っぱねるように言うのは、きっとそれで妥協だコンチキショウということなのだろう。
- 732 名前:来訪者 投稿日:2004/10/05(火) 05:48
- あら。即決。
絢香は驚くように手をあわせて、そこからしばし逡巡した。
最初なら230くらいで交渉開始かと思っていたのだから、仕方が無い。
下手に出られたからって、威張って相手できる人じゃないのだ。
絢香にとっての、保田圭という人は。
「や。じゃぁ、230でいい」
――久々に顔も見せてもらったしね。
わざわざ付け加えて、ふわりと微笑む。
可愛くねぇなぁ。
口の中でつぶやけば、「圭ちゃんのが可愛いよ?」とマジ返事。
「やっぱり変わってるっつぅか、バカでしょあんた」
そう?と可愛げのある視線で首を傾げると、彼女は不意に表情をひそめた。
- 733 名前:来訪者 投稿日:2004/10/05(火) 05:51
- 内情の冷たさ。
並列される穏やかさ。
誰だってそうだ。
殊更、幹部であればあるほど、一人の持つ二面性の、背反率も高く愚かしい。
木村絢香も、例外ではないのだ。
そして、本当ならば…保田圭も。
「バカっていうか、嫌な優越感に浸ってるだけだけど?」
――彼女の知らない貴女と、今、こうして話してるわけだし。
ぴくり。
動く眉を隠すことも出来ずに、圭は軽く身を乗り出す。
誤魔化すもできない思いを、心に持っている証拠。
「その話、場合によっては怒るよ?」
気配ごと殺気立たせる姿に、絢香の表情はこの上なくやわらかくなる。
至福の笑顔。
自分しか見れない圭を見ている、優越感。
彼女のもてない、この、時間。
そう思うだけで、今の自分の立場に満足するのだから嫌味なもんだ。
絢香自分でそう思っているが、彼女はそれを億尾にもださない。
- 734 名前:来訪者 投稿日:2004/10/05(火) 06:01
- 「ねぇ、一度くらい聞かせてよ?
どうして、彼女のこと一緒に連れて降りなかったの?」
殺気などものともせず、話題を突き進める。
無視。という行動が出来るのも、絢香の特権なのだ。
同じ位置にいたことがある人間だけが放てる、不躾で無粋な言葉たち。
嫌な話を聞くなぁ。
絢香のしれっとした態度に表情を渋めて、圭は自らの髪をかきあげる。
指先から零れ落ちる髪、紡がれるため息。
「誤解してくれてたから、だから置いて来たんだよ」
――あたしが、指導的役割や、興味だけで一緒に居ると…アイツが思い込んでたから。
コッチノカンガエナンカ、ミツメテクレナカッタカラ……。
確かに。
それは恋の熱情にうかされた、一点しか見えない関係だったのかもしれない。
少なくとも、アイツには……。
今にして思えば、お互い「ぶつけることしかできない」、不器用な関係だった。
- 735 名前:来訪者 投稿日:2004/10/05(火) 06:01
-
本当に欲しいものは、自分が重ねた罪の罰か手に入らなかった。
組織を出て、下へ降りることを視野へ入れていたから。
どんなに愛情を注いでも、どこかは素っ気無く振舞ってた。
どこか大人しい彼女は、その線から踏み込むことをしなかったし、それが二人の距離だった。
いつも、二人の距離はガラス一枚を隔てたような隣り合わせ。
素肌の手触りは切なさの板に阻まれて、触れるだけで痛みが伴った。
穏やかな時間の中でさえ、彼女はどこか怯えていたのだ。
奔放な笑顔と紙一重の感覚の危うさが、愛しさを増させることに気付かずに。
不安を押し出して……。
なにより、捨て去るフリをするのは簡単だった。
何も形跡を残さずに消えてしまえば、それでよかったから。
自分だけが全ての罪をかぶってしまえば、それでいいと思っていたし。
あの時は彼女がどんな思いをするかなんて、考えもできなかった。
思い出すだけで胸が痛くなる。
今も、この腕の中には沢山の残骸が残ってる……。
- 736 名前:来訪者 投稿日:2004/10/05(火) 06:02
- ぬくもり。
線をたどる指先。
笑顔。
甘える声。
だからこうやって練習してるんじゃないですか!
保田さん、今度の非番いつですか?
怪我したってほんとですか?!
お腹すきません?
この前の警備訓練の…。
やすださん…。
……ださん。
怯える肩。
包み込んで。
レクチャーのたびに微かな反応があって、好かれてるんだと実感した。
縋る手の必死な感触。
まわされる腕、その一瞬の艶。
忘れようと思って、忘れられたためしがない。
全ての欠片が、今も突き刺さって抜けない。
- 737 名前:来訪者 投稿日:2004/10/05(火) 06:03
- かみ締める唇にはなんの味もない。
あるとすれば後悔。
感傷。
想いの、残骸。
恋のヌケガラ。
「なんだ、まだ好きなんじゃない現役で」
「悪いか」
あらあらって顔をする絢香に向かい、速答で答えて、瞳をねめつける。
「付け入るような隙は無いのね〜。なんかジェラシー」
わざと大げさな台詞回しをするのに、面白そうな笑顔で圭は口元を引きつらせた。
- 738 名前:来訪者 投稿日:2004/10/05(火) 06:04
- 「今更貴様に何を抱くと言うのだ、なにをッッ」
――食事やら仕事やら散々一緒にやっておいて、今更なににトキメクっつうんだ!
ハァァァアァァァァ!
全身から呆れと怒りのオーラを立ち上らせ。
思わず身を乗り出してこめかみに拳を当てる。
ギー!っと歯軋りさえ聞こえそうな形相。
容赦なく力を込められてグリグリやられて。
絢香は「やー!ほんっとゴメ!ごめんなさいって圭ちゃん!」と悶えた。
じゅうぶんに頭を締め付けて、圭はようやく拳を離す。
絢香の目には涙が浮かんでいる。
あぁ、これで幹部なんだからどうしようもないっていうか。
ふぅ。と息をつき、圭はグラスに新しい液体を注ぎ込んだ。
や。まぁ、同期で同職だった気楽さだろうが。
- 739 名前:来訪者 投稿日:2004/10/05(火) 06:05
- やり場の無い息をグラスの琥珀に溶かして、心から思い出を取り出す。
制服姿見たかったなぁ。
幹部クラスになったら、そりゃ凛々しい姿だっただろうに。
でも、もう、見ることもない。
生きていく場所も違う。
友人だって居る。
笑って、生きていける。
きっと、これからだって――。
「アイツを警備官長に推挙したのは自分だし。
追えないように組織に縛り付けたのは、紛れもないこの手だから。
まぁ、あんたが騎士役職降りたって言ってたし、ならいいかとも思ったしね」
懺悔なんかしない。
怨まれてもいいことをしてから、降りてきたんだから。
そして、思う。
痛みでも彼女の中に形として残るなら、それでいい――。
酔狂で、愚かな愛情。
今でも、この胸に、ちゃんとある。
- 740 名前:来訪者 投稿日:2004/10/05(火) 06:06
- 「あれから誰からも何の便りもないし。
もうそろそろ組織の話はいいでしょ?忘れてよ」
不機嫌を被って言い放つと、満たしたグラスを一編に呷り乾す。
絢香はそのつれなさに、最後のトドメを刺すように苦笑した。
それこそ絢かに。
薫るような笑顔で。
「てゆーかさ、黒騎士の居なくなった騎士ポジションなんかつまらないし。
ダラダラ仕事したっていいかなぁって、思っちゃったんだよね。
燃え尽き症候群ていうの?あってる?」
「知るかそんなこと」
臆面も無く褒め称えようとする絢香に、渋面を惜しまず見せて、圭は呟いた。
「もう、いいじゃん。十年以上も前の話なんか…」
- 741 名前:来訪者 投稿日:2004/10/05(火) 06:07
-
- 742 名前:来訪者 投稿日:2004/10/05(火) 06:07
- あぁ、やだな。
急に酔いが回った気がする。
「あんたが妙な話持ってくるから…」
ふるり。と頭を一つ振るのに、うぁんと眩暈がする。
脳が芯から溶け出して、形を成していないようだ。
こんな…程度で酔ってるんだ?
自分に問いかけても答えなんかなくて。
「昔だったらそのまま押し倒すんだけどなぁ」
などと洒落にならないコトを言いながら、絢香が圭を覗き込んでくる。
だけど、その視線にはなんの色も無い。
欲望めいたものは、何一つ。
だから安心して、その顔を見上げる。
介抱なら、情けないほどの回数を受けてきた。
いまさら、気を揉むようなこともないだろう。
- 743 名前:来訪者 投稿日:2004/10/05(火) 06:10
- まるで無防備に表情を見上げられて、絢香は苦笑を抑えることができない。
友人として髪を撫でてやり、腕へ自らの肩を挿しいれると静かに圭の脚を立たせた。
ずしりと重く感じるのは、預けていいと思えるからこその力の無さ。
悲しいほど、無自覚に重ねられている信頼。
「ベッドくらいまでは運んであげる。
あーと、あたし明日非番だから眠ってくよ?ソファーで」
肩を貸し、寝室に向かう。
「うん。ゴメン…毛布は……」
律儀に説明しようとする圭に、「いいよ。漁ればどっかにあるでしょ?」と微笑んで。
ベッドに着くと、不安定に腰を下ろす。
日ごろの鬼のような強さと、時折のギャップがたまらない人気なのに気付いてない。
その辺が、保田圭という人の「酷さ」だと知っている。
部屋用のスポーツサンダルを脱ぎ、ころりと横になった圭をみつめて。
絢香は一つ息をついた。
秒数をまたずに、きっと彼女は眠りの世界に落ちていくだろう。
- 744 名前:来訪者 投稿日:2004/10/05(火) 06:12
- ――例のアレ見つからないと思えばこそ、確かに気楽に考えられるでしょうけど。
仮に、見つかってしまったら?準備が進んでいるとしたら?
それを、問いただすようなことはできない。
問うてはいけないことなのだ。
保田圭という人に対しての、せめてもの思いやり。
自分に対して、同情でも優しくしてくれた、無自覚で純粋で残酷な彼女への。
……せめてもの愛情。
そして、反抗。
「あたしもキミも、なんでこんな人に惚れちゃったんだろうねぇ」
――梨華ちゃん。
貴女は本当に愛されていたけど、その全てを理解できずに。
私は彼女を愛しているけど、全てのものを赦されずに。
本当に振り回されてるのは誰だろう。
思ってみても、答えなんか出ない。
- 745 名前:来訪者 投稿日:2004/10/05(火) 06:14
- 皮肉だわぁ。
暗い笑みを浮かべ、絢香はソファーへと舞い戻る。
途中。
あたりをつけていた場所から、薄い毛布を引っ張り出してるあたり。
圭という人物の行動を、熟知しているのだとよくわかる。
目の前には裸で置かれた弾薬や銃火器。
一撃加えるだけで済むのなら、今この場で終わってしまうのに。
それだけは、一生できないと解っているから。
キミならためらいもなく、銃口を向けられるのかな。
アーリーの瓶の残りを直に呷りながら、ソファーへ横になる。
だらしなく持ち上げられた脚を、肘掛に置きながら。
引き金を引けるかは、別としてね――。
皮肉の種に笑顔を浮かべて、彼女も眠りについた。
- 746 名前:来訪者 投稿日:2004/10/05(火) 06:14
-
- 747 名前:堰。 投稿日:2004/10/05(火) 06:31
- ね…眠い(自爆
諸事情で眠りが浅かったために、こんな時間更新。
来訪者 の残りを一気にお届けしました。
ある意味大人の世界です(微笑)。
大人の事情ってヤツですかねぇ。
そしてウチのロクデナシがとうとう本領発揮。
すべて某お昼の番組のせいか?と小一時間(ry
>>718
線、つながりました。
もうちょっと引っ張る気では居たのですが、
このラインはいいかなぁと。
まだまだ繋げる糸が沢山あるので、絡まないよう必死です。
>>719
毎度お疲れ様です。
時間がある時でいいんですよ?ね?読むのに文は逃げませんから(笑)。
自分の書く保田圭という人は、だいたいカッコよすぎらしいです(苦笑)。
>>720
というか、動きをそのまま書き出すだけなので…(自爆)。
配役は全て趣味です。もう呆れるくらいには、丸出しです。
これからも楽しんでいただけるよう精進して参ります。
さて。次回更新は少々時間があくと思います。
いきなり涼しさを通り越して寒くなってる感もありますが、
みなさま身体に気をつけてお過ごしください。
またお会いしましょう。
- 748 名前:名無し。 投稿日:2004/10/07(木) 02:24
- 無意識・天然美少女ハンターな武器屋さんが、相変わらず良いですね〜
いろいろな線が、どのように繋がっていくのか、楽しみにしながら次の更新を待っています!!
- 749 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/13(水) 13:25
- かっこいい!の一言です。
次の更新楽しみにしています!
- 750 名前:名も無き読者 投稿日:2004/10/17(日) 11:15
- 更新お疲れサマです。
大人の世界、素敵ですw
気になる組織についても少しづつ。。。
続きも楽しみにしてます。
- 751 名前:名無しさん。 投稿日:2004/11/05(金) 02:54
-
更新待ってまふ〜
- 752 名前:未だ、てのひら。 投稿日:2004/11/12(金) 10:18
-
- 753 名前:未だ、てのひら。 投稿日:2004/11/12(金) 10:20
-
ど、どど!どういうここここここ、ここ、こここここ――――ッ。
「ニワトリ?」
「そうそう、コケー!って違いますよッ!」
バン!と総務の机を叩き、大谷雅恵は上役に向かって顔をつきつけた。
珍しく血相を変える配下の様子に、眼鏡を押し上げ、村田めぐみは眉を持ち上げてみせた。
常ならば、上役に向かって突っかかるのはタブー視されているのだが…。
「直属の上司」が気に入らなければ首が飛んで当然だ。
と、他の部署は胃を痛めている。
「直属の上司のさらに上役」が気に入っている人間に限り、特例もありうる。
が、あくまで特例。
そのタブーすらも放り出して上司に面をつきつけるのだから、そりゃもう大騒ぎ。
「慌てている大谷補佐官のために、もう一度言ってあげようか」
芝居らしい仕草をとりつつ、斉藤瞳を見やる。
二人を視野に入れて、総務の長である彼女はゆっくりと呟いた。
- 754 名前:未だ、てのひら。 投稿日:2004/11/12(金) 10:21
- 「我々総務課三人全員、来月頭に分社化される、新しい会社に異動になります。
つべこべ言わずに着いてくるように」
先ほどと、放たれた言葉は一緒。
しかし…言葉をかみ締めれば締めるほど、大きな問題が空から降ってくる。
だって。
「総務課全員異動って、この会社…ていうか、このビルどうなるんですか?」
「廃ビルっていうか、現総裁の居住地に決定済み。
総裁は新しい会社へ経営および業務体制を移し、それを私に与え、面倒なことを全部押し付けて。
自らは莫大な資産を持って、好き勝手生きるからってさぁ〜ん♪」
小バカにした物言いで両手を持ち上げる総務に、部下二人は顔を見合わせる。
……、総務は何気に怒っていらっしゃるようだ。
- 755 名前:未だ、てのひら。 投稿日:2004/11/12(金) 10:22
- 「て…いうことは?
村田総務が…新しい会社の社長ってコトですか?」
恐る恐ると問いかける瞳の音声に、ギ!っと顔を持ち上げて女王は唸った。
「今までの流れで、それ以外に、どう読み取ると言うのだね!」
ハンケチでも引き千切らんばかりの勢いに、密室内の部下は思わずのけぞる。
だって、こんな「静かにも荒れてる女王様」初めて見るんだもの。
「でも、えっと、……総務課三人異動にしたって、実務からは遠ざかってるし」
そう。
部下は二人とも、女王のスカウトで、実務のセクションから摘み上げられた人物だ。
毎日の訓練をかかさないだろう、当時の同期に比べたら、実力の差がありすぎるだろうし。
今更警備や警護の実務に戻れ!といわれても、巧くは動けないだろう。
- 756 名前:未だ、てのひら。 投稿日:2004/11/12(金) 10:23
- くるくる回る部下の表情に、総務の女王はうなだれる。
なんだってコイツらは要らん回転を見せてくれるのか。
ペチリと額に手をくれてやって、思考の回転をとどめてやる。
なんと優しい上司なのだろう。
自画自賛。
「誰も実務に戻れとは言ってません」
――警備官と護衛官の上位幹部を、一名ずつ新社にもらえることになってる。
本当に会社として作動するだけの能力を切り離し、新しく編成するらしい。
しかも全て決定済みで、後から総務に事後承諾だったようで。
そ、そりゃぁ怒るよな、普通。
口にはせずとも、同時に感じてしまう総務課平の補佐官なのだった。
- 757 名前:未だ、てのひら。 投稿日:2004/11/12(金) 10:25
- 「で、今日二名とも顔を見せてくれることになってるんだけど……」
すいと時間を気にしながら、総務は眉を持ち上げた。
アナログの機械時計が寸分狂わずに時を刻み続けている。
約束の時刻まではあと二分とない。
目上の人間に対してなら、少し早めに来て部屋の前で待機するくらいの礼儀も欲しいものだが。
まぁ…目の前に居る二人より、上の人間だから仕方が無いのかもしれない。
「え?誰ですか?ポーン筆頭の方ですか?」
一体どんな方がいらっしゃるのかしら。新しい会社…。
実務に戻らずに済むと知っただけで目がキラキラしている瞳を横目に、雅恵は首を傾げた。
瞬間。
ポゥンと機内アナウンスのような知らせの音が鳴り、部下二人の視線が扉に釘付けになった。
総務が腕時計を見れば、秒針も全て丁度の時刻を指し示している。
なるほどね。
作業の正確さと、その見た目に反した度量が定評と言うのは、噂だけでも無いか。
実務を見学したことはないが、書類帳面だけで解ることもある。
総会の席で幾度か会って、その時の印象で引き抜いたけども。
間違いは無さそうだ。
- 758 名前:未だ、てのひら。 投稿日:2004/11/12(金) 10:26
- 「どなたかな?」
デスクから立ち上げたポップアップ画面に向かい、静かに声を投げかける。
「誰ですか?私のデスクにこんな封筒を置いて逃げたのは」
――この時代、自筆で書かれた手紙、ピンクの封筒に赤いハートのシール!
ひらり。
まるでカミソリ刃でも振付けるかのように、一陣のピンクの線が空を切る。
チャ!っとモニターに向けられたのは、まごうことなき「ラブレター」。
な、外見をした封書。
「それでもちゃんと読んでくれたから、ここまで来てくれたんでしょう?」
口元には日ごろよりも穏やかな笑み。
食えないと解っているからこそ、彼女の浮かべる真の笑みには誰もが惑うものなのだが…。
「随分熱烈なラブレターでしたからね。
行かないとストーキングでもされそうだったんで。
こうして参上しましたよ、総務」
平気で言い放つ若い声は、年上の冗談をするりと抜けて笑っているようだ。
- 759 名前:未だ、てのひら。 投稿日:2004/11/12(金) 10:27
- 思わず会話の面白さに笑えなくなってしまい、部下二人は青ざめた。
だってよ?確かにそれくらい――ストーキング?は平気でしそうだけども。
そだって、それをわざわざ口外できるなんて!
いったいどんな大物が、新しく配属になるっていうのよ?
っちゅーか、ピンクの封筒に赤いハートのシールってどうなのよ!
「入りたまえ」
バシュと独特の空気音が響き、扉が開く。
「失礼します。
偉そうな口をしたって、そんなに怖く見えませんよ?」
――総裁の気迫には比べるべくもない。
苦笑混じりに入室した「少女らしい外見」の彼女は、呆れたように封筒をヒラヒラさせた。
- 760 名前:未だ、てのひら。 投稿日:2004/11/12(金) 10:29
- 「お手紙、一度お返しします」
笑いながらピンクの封筒を総務の机に置いて、一歩引き下がる。
そうしてカツっと靴底を鳴らし姿勢を整える。
と、ざっと風すら切り裂くように敬礼を取った。
瞬時に切り替わるその空気。
まるでカードの裏と表のように、「男前」の空気がにじみ出る。
その一瞬の変貌に、総務課平扱いの二人は息を飲んだ。
「警備課、警備官長柴田あゆみ。
総務のラブレターにお応えして、1330、時刻どおり参じました」
ニィ。っと口元を引き上げる姿は、なんだかヤンチャな小僧のような空気も見え。
視線をかち合わせた補佐官は、目の前に現れた相手に驚いた。
幾度か会ったことのある、警備課の上官だったのだ。
見た目、自分たちよりも歳若いのは解る。
さらに付け加えると、式典などには必ず顔をだしていたので、器だけなら拝見していたが。
そんな上級職だったんだぁ…この人、というのが第一印象。
- 761 名前:未だ、てのひら。 投稿日:2004/11/12(金) 10:30
- 「ん。ご苦労」
――姿勢は崩して構わない。
よかったらその辺の椅子でも使いなさい。
そして、さっきまでの不機嫌を一瞬で払拭している、上機嫌の総務も初めて見る。
「では、失礼します」
コロコロ…。
キャスターを転がして、事務用の椅子を引っ張り出すと、柴田あゆみは腰を下ろした。
「あの方は、まだいらしてないんですか?」
「あぁ。彼女は私相手なら遠慮ないからね」
――多少の遅れは致し方ない。
苦笑混じりに答え、総務はピンクの封筒をデスクの上でもてあそぶ。
「コレは、我ながら良い冗談だと思ったのだけどねぇ」
封筒を指さすのに、あゆみは軽く肩を竦める。
目の前の総務とジョークの応酬で慣れているのは、立場上仕方のないコトなのだから。
「うちのデスクが驚いてましたよ。
明らかに上官の装いをしてらっしゃる方が、その封筒を嬉しそうに置いて帰ったって」
怒るよりも呆れていると言った面持ちで、彼女はその部下を思い出している。
- 762 名前:未だ、てのひら。 投稿日:2004/11/12(金) 10:31
- 物騒なものを見るような表情を隠さない部下達の前で、手紙を開けなければいけなかった人間の心持など…。
すっと、眼鏡越しの瞳をみやって、すぅと息を吐く。
きっと、目の前のこの人はいたずら程度の考えなのだろうなぁ――。
総務は前総裁現役時代からの所属だし、隠しているものも多いし、謎だらけ。
幹部になって十年と少しを満たした程度の自分に、比べるのも失礼な話。
それだって性質の悪いジョークを、よくもまぁ重ねられたものだ。
「何かついてる?」
どこか嬉しそうに問われて、不躾にも視線が一定置から動いていなかったことに気付く。
「いえ。リバースでも年齢を感じさせない方だなぁと、ちょっと感心してただけです」
「あら、そぉ?」
きゃ。と両頬に手をあてて、乙女ぶるのには、さすがに三人が呆れた顔を見せた。
明らかに砕けている空気。
同列に居る人間だからだろうか。
それでも、微妙な尊敬も感じられるのだから、やはり総務はタダの人ではないのだろう。
だけどよぉ…、尊敬はできるのか――?
お互い似たようなことを思っていたのだろう。
斉藤瞳、大谷雅恵の補佐官二人は顰めっ面の視線を合わせてから、肩をうなだれさせた。
- 763 名前:未だ、てのひら。 投稿日:2004/11/12(金) 10:32
-
- 764 名前:未だ、てのひら。 投稿日:2004/11/12(金) 10:33
-
数分話し込んでいただろうか。
まるで何かしらの気配を感じた猫のように、警備官長と総務の視線が扉の向こうへ突きつけられる。
リバースではあるが能力的に劣る二人は、一瞬首を傾げて、それに倣った。
斉藤女史と大谷女史の名誉のために付け加えるが、彼女たちの能力は低いわけではない。
これでもスカウトされるまでは、ポーン筆頭及びそれに追従するクラスだったのだし、格闘も射撃もできる。
それでも追いつけない「能力を上役が持っている」だけなのだ。
「来たねぇ」
ニヤリ。と、総務の口元が持ち上がった。
しかも、どこか含んだような表情に、部下の背筋はパーシャル冷蔵庫状態。
その心――?
凍るまでは行かないが、じゅうぶん冷たい。
薄ら寒い…、と。
い、一体何が来たと言うのだろう?
- 765 名前:未だ、てのひら。 投稿日:2004/11/12(金) 10:34
- 「これは大画面で見ようか」
日ごろ活用することのない壁面液晶のスイッチを入れると、モニター画面へと切り替える。
長い直線廊下のむこうから、一人の制服姿の女性が歩いてくるではないか。
ちなみ、制服と作業着は分かれている。
制服は通常の警官の制服などを思い浮かべていただければ良い。
ツーピースの、深いカーキ。
女子に与えられた権限は、唯一、パンツとスカートを選べるくらいだろうか。
ちなみ、作業服は各割り当てごとに違うが、上官の作業服は基本的に詰襟である。蛇足ながら。
制服――パンツスタイルに、靴は支給されている半長靴ではなく、打撃部分の強度を上げた格闘仕様のシューズ。
手にはなにやら、白い紙切れのようなモノを持っていた。
- 766 名前:未だ、てのひら。 投稿日:2004/11/12(金) 10:35
- 近づくにつれて、その紙の大きさや、状態がわかってくる。
三つ折程度にたたまれた、ひょろ長い和紙のようだ。
「…あの、総務。
ジョークだと思って居たかったんですが、本当に、アノ形で渡したんですか?」
「もちろん。君にあげるのがラブレターなら、彼女にならアレしかないでしょ?」
恐る恐ると問いかけた警備官長の肩が、軽く竦みあがる。
「だーいじょぶ、だいじょぶ。
洒落のわかる人だよ、彼女はね」
んっふっふ。
幾分作ったような微笑みを浮かべて、総務は机の下に手を入れた。
そんな応戦体勢に入ってまで、洒落のわかる人とはよく言ったものだ。
瞬間、柴田あゆみは椅子のキャスターをフル活用して、扉から離れた。
ついでに、状況を飲み込めずに居た二人の首根っこを掴んで――!
ヌゴ!っと腑抜けた声を喉から搾り出して、総務の部下二名は床に引き倒される。
後頭部を打たなかっただけ幸いというか。
訓練された反射神経バンザイと言ったところだろう。
- 767 名前:未だ、てのひら。 投稿日:2004/11/12(金) 10:36
- 村田めぐみの視界の中、モニター一杯に掌が映し出され、世界が暗転する。
――ルーク、王に仕える双璧の使徒が許す。開け!
声紋と指紋照合だけで扉が開く、幹部専用の緊急コード。
王である総裁の部屋や幹部の私室以外であれば、問答無用で開く仕組みになっている。
挨拶もナシにねぇ。
相変わらず面白い。
そう思うのは罪だろうか。
バシュ。というエアジャッキの音。
差し込む光はモーションすら悟らせない。
暴発する殺気は、恐ろしいくらいに平坦で。
慣れている人間というのは、どうしようもない。と、内心惚れ惚れする。
しかし。
こういう時に使う銃はつや消しじゃないと、光を反射して行動を察知させるとわかっているはずなのだがなぁ。
思わず笑みたくなるのを抑えながら、椅子から横に飛ぼうとした瞬間だった。
からかいを含んだような声音が、耳に届く。
- 768 名前:未だ、てのひら。 投稿日:2004/11/12(金) 10:38
- 「相変わらずの趣味ですね、総務。
わざわざ手裏剣ですか?しかもダブルブレード?
振りぬくのに、手首返しすぎて自分の腕切らないでくださいよ?」
お見通しだもんね!へっへ〜んだ。
という笑い満面なのがイヤでも解る音声に、総務は指先にしていた武器を放物線に放り投げた。
ステンレス合板の金属は、確かに、天地両方が、前後互い違いの刃物状になっている。
カキィン。
澄んだ色の金属音を響かせて、手裏剣は床に落下。
投げたほうの表情と言えば、まぁなんだか面白く無さそうだ。
「護身用にと言って勧めてくれたのはキミでしょうに」
跳ばないで済んだ椅子の上で、総務は苦味を潰してムリヤリの笑顔を浮かべた。
キャスターで移動したままの椅子は、彼女を乗せたままくるくると数回転してみせてくれる。
ぴったり。
つま先一つで止まってから、カラカラカラカラと音を立てて再び机の位置へ舞い戻った。
- 769 名前:未だ、てのひら。 投稿日:2004/11/12(金) 10:40
- 瞬間、逆光に鈍い光を放っていた銃口は、床を向いている。
「当時はまだ素直だったんですよ、素直。
誰かさんと一緒で、純粋だったんです」
ヒラヒラ〜と指先を振りながら、挨拶もナシに銃を向けた女は、手にしていた得物を腰に戻した。
攻撃姿勢が解けた途端に、体の芯まで脱力するような「陽」が漂いはじめる。
そこが、今やってきた女の良いところでもあり。
総務と競って「食えない人間」を地で体現しているのだと、部下達は言う。
すい。とかがんで手裏剣を拾い上げると、空中へ放り投げる。
クルクルと回転するその軸を確実に指で捕らえると、総務のデスクへ黒刃を返還した。
鋭い刃のこと。
失敗すればもちろん、指の股の深くなるだけなのだが、取りこぼしは無い。
呆然と見やる補佐官の前、総務に向かってチャっと音を立てて敬礼の形を取る。
一見鷹揚に見えるその外見とは裏腹、キィンとした「凛」が姿勢一つで舞い戻った。
きっと、この緊張感そのものの方が、目の前の人の本体なのだろう。
そうだといいんだけどなぁ――。
期待せずに居られないのは、きっと尋常じゃない上役ばっかりだからなんだけど……。
- 770 名前:未だ、てのひら。 投稿日:2004/11/12(金) 10:43
- しかし。
補佐官二人の淡い期待は、ものの見事な打ち砕かれ方をしたのだった。
「こんにちわ。
と、言うか『たのも〜!』で、合ってる?
これ貰ったら、そういう挨拶でいいんだよね?
えっと、1340。
護衛官長木村絢香、総務の呼集に応じ参じました」
――遅刻は、これからの活躍で許してくださいってことで。
満面の笑みを湛えた古参幹部のやりとりに、補佐二人は涙を流さんばかりに首を横に振っていた。
もう、やだよう。
常人離れしすぎてる。
ヤダヤダこんな職場。
普通のデスクワークに戻りたい。
けど、きっともう戻れない。
解っているけど認めたくない現実が、真っ白い和紙のに描かれた冗談が破壊してくれる。
ズイ!と総務に突き出された和紙の文。
それには、ものの見事な達筆で、こう書かれていたのだった。
きっと二人の間で通じる、ギリギリラインのジョークなのだろう。
果たし状、と。
別に何を果たすでもないんだけども……。
- 771 名前:未だ、てのひら。 投稿日:2004/11/12(金) 10:46
-
- 772 名前:堰。 投稿日:2004/11/12(金) 10:56
- 大変お待たせいたしました。
未だ、てのひら。
前段をお送りしました。
こんな古参幹部ばっか……il||li _| ̄|○ il||li
あんたら本当に強いんかい!と小一時間ほど(ry
>>748
無意識天然とはよく言ったものですが。
きっと自身に含むところが無いのでしょう。
優しくするつもりで優しいわけでもなく、行動の結果優しいとか。
そういうとこに惚れると振り回されるんだろうな……(苦笑)と、
あくまで個人解釈ですが思います。ハイ。
>>749
すいません。お時間戴きました^_^;
かっこ良さ、続いてくれるといいのだけども…。
>>750
そんな気になる組織です(笑)。
組織としてはガチっとしてても、中に居る人はそうでもないよと。
まぁ、そりゃお約束なんですが。
次回は…あぁ!言えない!(殴
>>751
おまちどぉさまでした、更新です。
ごゆっくりどうぞ(笑)。
でわ、また。
- 773 名前:名も無き読者 投稿日:2004/11/12(金) 18:01
- 更新お疲れサマです。
どうやらかなり素敵な組織のご様子で♪
まぁとりあえず自分の上司には(ry
あっちとこっちが絡むとどんな化学反応が見れるんでしょうか・・・?
なんかエライことになりそーですね、続きも楽しみにしてます。
- 774 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/13(土) 17:00
- 更新お疲れ様ですー。
さすが一癖も二癖もある方々がいる組織・・・。
一筋縄ではいかなさそうですね。
続き楽しみにしています。
- 775 名前:未だ、てのひら。 投稿日:2004/11/25(木) 22:05
-
- 776 名前:未だ、てのひら。 投稿日:2004/11/25(木) 22:06
-
――じゃぁ、大事なお話を始めましょうか。
カツカツ。
机をの天板を爪で叩き、総務は居住まいを正した。
椅子を上官二人に差し向けて、瞳と雅恵の二人は基本中の基本動作で姿勢を正す。
わざわざ全ての回線を切断し、この部屋だけを孤立させる意義にも首を傾げる。
が。
きっと、「そうしなければならない」のだろうことは理解していた。
ビルの裏の監視役である、センタールームの回線を断つなど、普通なら考えられない。
それだけ、大事な話なのだ。
日ごろ見受けられない緊張感を持つ補佐官にも、無理はない。
空気が重さを得たのを見計らい、総務はおもむろに問いかけた。
- 777 名前:未だ、てのひら。 投稿日:2004/11/25(木) 22:07
- 「キミタチに問う。
我々が目指すべき、理想はなんだね?」
シィンと水を打つ室内。
理想…と単純に問いかけられて、返すべきは何だろう。
若者達が言いよどむ中、素早く思考のページを捲ったのは彼女。
「社訓の理念を貫き通すのであれば…。
戦える自らを誇り、戦えぬ人を守ることができる事実を幸せに思える、そういう警備をすることです」
模範的な回答を得て、総務は大変満足そうな笑みを浮かべる。
回答を投げたのは、誰の予想をも裏切った、木村護衛官その人だった。
「素晴らしい!さすが私と並んで、最古参」
「ありがとう!一言多いけどね」
パチパチと賞賛の拍手を打つめぐみを、ふふんと笑いながら絢香が追いかける。
- 778 名前:未だ、てのひら。 投稿日:2004/11/25(木) 22:08
- なんか妙な空気だ。
お互いに視線を合わせて、苦笑している。
どこか懐かしむような、なぜだか、淋しそうな笑顔。
不意に湧き出した空気に目を瞬かせたのは、二人の補佐官には幸い、警備官長も同じであった。
思わず。三人は視線を通わせる。
今にも泣き出しそうな顔を一瞬で押し隠し、総務は肩を大きく竦めた。
何事も無かったかのように。
感傷など、ありえないと言う様に。
「木村君が言ったのはね、我々のマスターだった前総裁がいつも口にしていた言葉なんだ。
そして、この会社の社訓でもある」
――この会社がここまで大きくなったのは、その姿勢があったからなんだが……。
「この数年でその姿勢が大きく崩れ始めているわけよ」
ふぅ。
じゃぁお前が最初から説明しろよ!
と言いたくなるくらいの絶妙なタイミングで、絢香が後を継いだ。
- 779 名前:未だ、てのひら。 投稿日:2004/11/25(木) 22:09
- 「大元、この会社の前身は、天使来襲の後、自衛手段を取るために集められた傭兵集団でした〜」
「へぇ、そうなんですか?」
思わず、明日使えるようにも思える、普通は使えない無駄知識に相槌を打つ。
ていうか、社員諸君であれば、就職時に会社の創設に関わる会社概要も読むんじゃないのか?
そう思いたくもなるが、まぁ言及はしないがいいだろう。
「その荒くれさんたちをしっかり統制して、一警備会社に仕立てたのが今の総裁の曽祖父にあたる方」
――それからの活動や信頼を得ていった過程は、言わずとも、会社の大きさで理解してもらえると思うけど。
コクリコクリ。
しっかり頷く三人に、絢香は視線をめぐらせる。
- 780 名前:未だ、てのひら。 投稿日:2004/11/25(木) 22:10
- 「気付けば天使の来襲なんざぁ殆ど無くてね。
逆に人間が、天使を貶めるような世界になってきたわけですが。
その小ズルイ人間から人間を守るってのも、私なんかの仕事なんですよ。
そりゃ、通常の警備会社の営業内容として正しいのだから、わかってもらえるね?」
ハイ。と、これまた三人の頭が頷く。
「ただ、柴田くんの場合は、ちょいと幹部中枢で麻痺したところがあるかもしれないけど。
染まってない。という判断で、私が引き抜きました。
これは今度説明するから、それまで待って」
急に話を振られて、きょとんと首を傾げる。
が、聡さのある警備官長はどこか合点がいったようだった。
「失礼、話が逸れた」
苦笑混じりに蹲踞を切って、話の筋を再び絢香に譲り渡す。
- 781 名前:未だ、てのひら。 投稿日:2004/11/25(木) 22:10
- 実はこの二人仲いいのか?
と部下は思うが、そこは黙っていることにした。
下手にせっついてタンコブを作るのは、誰も本意じゃないのだ。
「で、会社も大きくなって、資本も収益も増えて。
仕事は順風満帆、理想に向かってまっしぐら。
前総裁には奥さんができて!
一粒ダネの愛らしいお嬢様が生まれるわけですよ。
いいねぇ、悪いことなんか一つもないや!って。
それくらいに幸せそうな顔をしてたんだけども…」
言いよどむのは仕方が無い。
本当に、事実に気付いた人間は何も言えなくなったのだし。
事実を受け入れなければいけなかった前総裁は、自らの手で娘を殺めることだけを考え始めていた。
愛娘は普通に振舞い、誰の目から見ても可愛く成長してくれた。
あの頃は誰もが彼女のことを、少しばかり優秀で聡明な頭脳を持ち合わせているだけ…だと思っていたのに。
- 782 名前:未だ、てのひら。 投稿日:2004/11/25(木) 22:11
- 「一番の予想外だったのは…生まれてきた子供が……」
言葉尻を掬い上げて、めぐみが口を開いたその時だった。
不意に暴発する気配を感じて身が竦む。
リバースはある程度の霊質ならば持ちこたえる能力がある。
自身に天使の血が分かたれているのだから、当然と言えば当然だが。
このプレッシャーはどうしたことか。
それは人間にほんの少しでも残された、動物的な本能が引き出す畏怖。
畏敬。
あるいは、審判を下され、魂に楔を打たれた罪人の末裔である、人間だから感じることか――?
固まったまま動けなくなる体に、めぐみは焦燥感をつのらせる。
自分自身のようなランクの人間が、気配に怖気を覚えるなど、理由は考えるまでもない。
- 783 名前:未だ、てのひら。 投稿日:2004/11/25(木) 22:12
-
「こんにちわ。集まってるんでしょ?」
特別な感情などないような声。
しかし、個人にむけられた思惟は氷の槍のように、脳を貫く。
余計なお話は、今ココでしない方が身のためだと思うけど――?
切るような低めの音声が綴るのは、紛れも無い。
彼の人の、モノ。
- 784 名前:未だ、てのひら。 投稿日:2004/11/25(木) 22:13
- スピーカーに対しても、回線は全て遮断してあるはずだ。
ドク。
心臓を鷲掴みにされたように、体がこわばる。
確かに、今聞こえた音声は総裁のモノ。
しかし…。
こんな階層にまで脚を運ぶなんて、今まで無かっただろう?
――その不意打ちはずるいな、マスター。
舌打ちしたくてもできないほど、口の中が乾いていく。
今の状態で声を通すためには、直に部屋のモニター前で話しかける必要がある。
ただ一つ、状況が考えられるコトで合致するのなら、「総裁が部屋の前に立っている」ということ。
たらり。と、こめかみに汗が伝うのを感じる。
鳴らずに居られない奥歯にも、震えずに過ごせない体にも罪は無い。
だって彼女は――。
- 785 名前:未だ、てのひら。 投稿日:2004/11/25(木) 22:14
- 「回線全部切られちゃったから、何をお話してるのかと思ってさ。
こんなとこまで来ちゃったよ」
安穏とした音声。
しかし、感情に蔦のように絡みつく、その裏の思考が全てを凍らせる。
――まだここが私の城だと言うことを、忘れてもらっちゃ困るんだけど。村田総務。
一人、急速に表情を止めたのに、周囲は気付けない。
スピーカーの中から聞こえる声は、あくまでやわらかい。
子供らしいと言えば子供らしい音声の色に、不釣合いなほどの裏腹さ。
久々に「本質」に触れた気になって、総務は自らを笑うことしかできなくなる。
- 786 名前:未だ、てのひら。 投稿日:2004/11/25(木) 22:15
- なるほどね。
確かに、この場所ならば彼女の城。
迂闊と言えば、それだけ。
ほかに形容する言葉は無い。
全権委任というのは、委譲する人間から「許される」コトだ。
無視してくれるわけでも、見逃してもらえるわけでもない。
気に障れば、わかりきっていたはずの結末を迎えるだけか。
こくり。息だけをどうにか飲み下すが、末端まで巧く動いてくれない。
まだ。
まだ、掌……。
と、いうことか。
- 787 名前:未だ、てのひら。 投稿日:2004/11/25(木) 22:16
- 「開けるよ?」
そう問いかけながらも、強制的に扉を開ける。
幹部用の承認コードも必要ない。
全て、この社屋の全ては、彼女のためにあると言っても過言ではない。
有無を言わせない、強引で凶悪なほどの威圧感を放つ存在。
バシュゥ。エアの抜ける音が、絶望的な音色を奏でる。
唯一の存在として認められるべき、姿形をした人物。
総裁、後藤真希…。
カツンと靴底の音を一つたてて、彼女は地下室に脚を踏み入れた。
「総務課の二人とは、はじめましてかな?」
――新しい社屋に移る子たちだよね?
じっと見つめる総務の視線の中で、総裁はふわりと微笑んで見せた。
- 788 名前:未だ、てのひら。 投稿日:2004/11/25(木) 22:16
- 外に出かける時の少女じみた印象とは、まぁ、よくもここまで違えたものだ。
見れば黒のハイネックのノースリーブ。
これは防刃の特殊繊維。
それに同じく黒いロングコート――胸部などには防弾の素材が仕込んである――を重ねている。
機能的、かつデザイン重視で配されたポケットやホルダーには、今は何も無い。
きっとコートの内側に、幾つか武器でも隠し持って居るのだろう。
よく携帯しているのは、ショートソード張りの長めのナイフ。
彼女の反射速度であれば、並みの襲撃者なら斬れて当然。
コートの中には、鍛えられた無駄のない肉体が収まっている。
下手な職員よりもよほど強いのだから、無理も無い。
どちらにせよ、彼女から発せられる威圧感に、誰もが動けずに居る。
ひれ伏す。
その言葉を使うなら、今しか無いと言うほどに――。
- 789 名前:未だ、てのひら。 投稿日:2004/11/25(木) 22:17
- 「で、総務、いったい何が予想外なの?」
外見相応の愛らしさで首を傾げるのに、総務は拳を固く握り締めた。
回線を切った程度じゃダメだったか。
奥歯をかみ締めるのにも、言葉が巧く出てこない。
饒舌なのも、のらくらと身を躱すのも得意なはずなのに、彼女の前には強引にねじ伏せられてしまう。
このまま全員消されるか?
失敗したか。
そう息を飲んで、返還された刃に再び指をかけた時、ゆるりとした動作で護衛官が立ち上がった。
「いやぁ、総裁があんまり可愛いから全員言葉が出ないんですよ。
ほら、みんな固まっちゃってる」
ニヤリ。
と、まるでどうでもないコトのように微笑む、絢香が救いの手を差し伸べる。
途端。急にあたたかみを得た「王」の表情が、ふにゃりと緩んだ。
- 790 名前:未だ、てのひら。 投稿日:2004/11/25(木) 22:18
- 「相変わらず口が巧いねぇ、絢香さんは。
実物殆ど見られたことないもんねぇ、そういやぁね」
いやはやテレる〜♪とでも言いたそうに総裁は髪をかきあげた。
正直、ここまで外見相応にされると、怖さのほうが先に立つ。
人を見た目に偽ることを、苦にしないその存在…。
「ねえ〜。こうしてみてると、いつまでも可愛いお嬢様なのにねぇ」
――ホラ、君達もボーッとしてないで、ちゃんと挨拶しなさい。総裁だよ。
急に促された総務課の二名は、慌てて最敬礼を取る。
めったに取らない形式のために、一瞬腕の使いを逆に間違えてしまったのは内緒だ。
すいと視線をめぐらせて、後藤真希は満足そうに微笑む。
そう。まだ、大人しくしていればいい。
細めた視線の奥に、総務の姿を映してから、悠然と口を開いた。
- 791 名前:未だ、てのひら。 投稿日:2004/11/25(木) 22:18
- 「ん。新しい会社になったら、よろしく頼むね。
ごとーは楽しく、隠居生活でもさせてもらうからさ」
だからまだ、変な話はしない方がいいよ――――?
最後の一文、視線だけで釘を刺し、くるりと踵を返す。
「あれ?総裁、用事はこれだけ?」
わざとらしく投げかけた護衛官の声に振り返ると、総裁は口元を少しばかり引き上げた。
「そう。これだけ。
新しい会社のミーティングでしょ?
檄くらいは入れに来ないとイケナイかなぁって、思ってたんだよ。
面倒かけるけど、よろしく頼むね、村田総務?」
最後の一言までも、感情を貫き壁面に縫い付けるよう。
「全て解っていながら、泳ぐことを許している」のだ。
と、総裁は悠然と振った掌で印象付けたのだった。
- 792 名前:未だ、てのひら。 投稿日:2004/11/25(木) 22:18
-
- 793 名前:未だ、てのひら。 投稿日:2004/11/25(木) 22:19
- 再び扉が閉まるまでの数瞬が、永遠の長さに感じられた。
首が繋がっているかどうか、確かめるのも億劫になるような、生きているかどうかの不確かさ。
恐怖がそこに満ちていく。
キツネより性質がわりぃ…。
悪魔に何かを摘ままれたような気になって、部屋の中は一気に重力を増したようだった。
絢香は糸が切れた人形のように床に座り込み、めぐみは机に伏して深い呼気を求めている。
何も出来ずに見送る程度だった警備官は、何が起きたのか理解したくないと言うように、唇を噛んで。
今まで、直接「気迫」を感じる立場に無かったのだろう。
仕方が無い。
ただ、場の重さは理解できても、体が「幸いにして」順応しなかった補佐官二人が、呆然と扉を見詰めていた。
外界からやってきた人間に世界を遮断されて、誰も何も言えない。
遠ざかっていく足音。
穏やかにも見えるはずの微笑みが、魂を削って行ったかのような疲労感。
降り積もった空気の重さに、全員がうなだれている。
- 794 名前:未だ、てのひら。 投稿日:2004/11/25(木) 22:20
- しばらくして呼吸が追いついたのか、総務がようやく顔をあげた。
「えぇっと、フォローサンキューでした」
「いぃえぇ。首が繋がってて良かったねー、あたしたち」
絢香が冗談めかして応える声も、音声はまったく笑っていない。
その真剣さが解るからこそ、年若いあゆみは声を発せられずに居る。
そして、威圧感だけなら感じられた部下二人には、ようやく恐ろしさが追いついてきたようで。
椅子が一客、盛大な音を立てて転がった。
体重を預けた椅子のキャスターが、斜めになって横倒しになったようだ。
「大丈夫かい?」
視線だけでも優しく投げかけると、部下は二人ともぺたりと床に膝をつけていた。
どこか血の気の引いたくちびるは、薄く開かれて戦慄いている。
ふるふると首を横に振るのも、ショックに打ち勝てるほど丈夫じゃなさそうだ。
- 795 名前:未だ、てのひら。 投稿日:2004/11/25(木) 22:21
- 「大丈夫じゃ、ないみたいね」
ふ。っと、苦笑が絢香の口元から零れ落ちた。
元々豪胆な人物ではあるが、いやはや、復帰が早い。
それでも、実際立ち上がれないようだが。
「しっかし、久々に感じたけど恐ろしい空気だわ」
「……認めたくないけど、認めざるを得ないね」
ようやく指先に神経がまわったか、長い前髪をかきあげてめぐみが上体を起こした。
「まー早い話が、簡単に言うと、理想を追いかけますよ!ロマンティストですからね!
ってお話をしたかったわけですよ」
回線を無理やり復旧させられたら、誰が何を「盗聴いて」いるかわからなくなる。
無理やり本題を曲げて告げてみても、自分の下に居てくれる人間たちには通じなかったようだ。
…………無理やりっつぅか、ビミョーだなぁ。
悪い冗談としてしっかり受け止めてもらった言葉が、ぱらぱらと床に剥がれ落ちていく。
強引に空気を押し戻そうとして、総務は空気の重さでつぶれた。
ぐうの音も出ないらしいが、虫の息ではない。
まるでネタが不発だった芸人みたいな顔をしながら、パタンと机に掌を落とした。
- 796 名前:未だ、てのひら。 投稿日:2004/11/25(木) 22:22
- 「えぇっと、これ以上のコトはお話できそうにないんで、今日は解散。
わざわざ済まなかったね、ほんとに」
悪夢を吐き出すように唸る総務に聞こえたのは、いささか情けない返事。
「や。もう少し居る…っていうか、腰抜けちゃったよ」
護衛官長の情けない笑みに、苦笑を含んで警備官が賛同する。
その様子を見やるのに、数瞬考える。
これで、耐性はつくだろうが…危急の事態に対して、瞬発力が増したとは言いがたいかもなぁ。
仕方が無いのは、解っている。
あの気迫に「人」は勝つことも、活を得ることも難しい。
それだけの、濃密な気配を彼女は持っていたのだ。
「えぇっと……、補佐…は使い物にならんか」
――仕方がないねぇ。
普段より数段優しい視線で部下を見やると、総務が体全体を使って立ち上がった。
- 797 名前:未だ、てのひら。 投稿日:2004/11/25(木) 22:23
- なんだ、動けるんじゃない――。
意外そうに見上げる護衛官に、ふるりと頭を振る。
冗談じゃない。という、無言の会話。
成り立つ理由は、付き合いの長さだけのようだが。
「まぁ。ご覧の通りの方なのでね、新社屋に移動したらお話しましょう。
とりあえず。お茶飲んだら、各部署に帰る様に…」
カチャンと、補佐の使い慣れた場から茶器の音が重なる。
あわわ。上司にお茶なんか煎れさせたらイケナイよ!
と思いながらも、補佐官たちの足腰は使い物にならなくて。
「今回ばかりは甘えなさい?」
そう苦笑混じりに護衛官が微笑むのに、薄いため息しか零れてくれない。
- 798 名前:未だ、てのひら。 投稿日:2004/11/25(木) 22:24
- 「すまないね。
ここの設備じゃ、この程度しか煎れられない」
チャ…と音を立てるカップには、夕焼けの色をした紅茶が注がれていた。
力無くこちらを見上げ、そろりと手をのばし、掌大のカップを受け取る補佐官に総務は微笑む。
「感覚が追いついたら、泣いてもかまわない」
――よく耐えた。
その声に同じく一口を飲み下した、補佐官が動作を止めた。
カップの底を覗き込んで、微動だにしない。
「今日の総務は…甘すぎます…」
――自分が煎れるより美味しいよ…。
俯き加減に見える口元は、どこか歪んだ笑みを湛えていて。
「自分が飲むにはストレートのほうが好ましいけどねぇ。
疲れたときとか、安心したいときには、甘いもんが欲しくなるもんさ」
――人間ね。
ふぅ。と息をつき、たまの優しさを曖昧に包み込む。
と、残りのカップを「新しい部下二人」へと手渡した。
- 799 名前:未だ、てのひら。 投稿日:2004/11/25(木) 22:25
- 背後で堪えるようなすすり泣きが聞こえたけれど、それは無視することにする。
意図ならば、汲むだろう。
それでなければ、今まで手元に置いていた意味はない。
「飴と鞭」
ぽそりと囁く声に、悪戯に肩を竦める。
通常よりも艶を感じるのは、危機に瀕した瞬間に押さえ込んだ闘気が、今更にじみ出ているせいだろう。
ジョーク一個でねじ伏せた気迫は、単純に発散しにくい。
絢香の声はどこか八つ当たりにも似た色をしていた。
「そんなカタイ声で言うと、漢字みたいで生々しいよ。
カタカナで言ってくれたまえ。
アメとムチ…ってね」
しらじらしい動作でカップを受け取った護衛官は、薄っすらと視線を伏せて紅茶を啜った。
予想よりも甘さを持っている液体が、舌の上から安堵をつれてくる。
胃の腑の奥へと落ちていく、その温度が確かに優しい。
「少しは、元気でそうです」
無理に口元を持ち上げた警備官の健気さに、ようやく総務も表情を解く。
「これから、君たちにはたんと世話になるつもりで居るからね。
それだけ覚えていてくれたらいいや」
苦笑混じりに溢した声に、声はなくとも誰もが手を上げていた。
解かれた緊張と、奇妙な連帯感を背負って。
確かにこの時、彼女たちは指先まで礼を尽くしていた。
- 800 名前:未だ、てのひら。 投稿日:2004/11/25(木) 22:26
-
新しい会社が巧く行くかなんて、誰も予想はついていないのだけれども。
そして、何で分社化されたのかなんて、理解できても口外できなかったのだけども。
その日は、確実に近づいている――。
- 801 名前:未だ、てのひら。 投稿日:2004/11/25(木) 22:26
-
- 802 名前:堰。 投稿日:2004/11/25(木) 22:39
- お、お待たせしました。
未だ、てのひら。の残りUPです。
>>773
毎度。総務は上司にしたくないSPNo.1かもしれません。
紙一重の冗談はいつも笑えない(苦笑)ものばかり。大変!
でも、「食えない人」を書くのは好きなのです。
読むのも好きですよ。見るのも好き。
あ。安倍さんは可愛かったです(笑)。天使。
時々、この世のものと思えなくなる…。生身の人間なんだけどなぁ。
>>774
一筋縄。…縒るための糸が多すぎて、なんか色味が不明になって…(殴
いいなぁ、一筋縄。なってくれないかなぁ。>コラ
沢山の糸、意図がはみ出します。
殊更総裁ったらお茶目すぎて大変です。うふふあはは。
前段をUPしてから、ここまで書き直したのは初めてでした。
無理ない程度に、大幅修正。
あと、今年の更新、あともう二度できたらいいな。と。
そういう年末進行でございます。
願わくばもう一度、お会いできますことを。
ど、努力します…。
そして晴れて新スレ行きたいなぁ(苦笑)。
- 803 名前:名も無き読者 投稿日:2004/11/29(月) 19:20
- 更新お疲れ様です。
感想・・・ひぇ〜。。。ってな具合です。(汗
またとんでもねー人が増えた、、、アハハ
でも嵐が通り過ぎた後のやり取りは心和らぐナイス雰囲気でした♪
いよいよ新スレの気配ですか、追い続けますよ?w
でわ続きも楽しみにしてます。
- 804 名前:AS TIME GOES BY 投稿日:2004/12/11(土) 20:44
-
- 805 名前:AS TIME GOES BY 投稿日:2004/12/11(土) 20:45
-
強くなりきれない風。
ただただ静かに、肩を抱きすくめるよう、背中から吹いてくる。
外套の黒をけぶらせるのは、水分をなくした大地から立ち上がる、埃の幕。
世界を遮断する力すら持っていると錯覚させる、その分厚い斜幕を振りほどく。
肩の幅で保たれた脚は、どこか不確か。
細身のパンツに、革と同じく黒色の金属板で打撃部を強化されたブーツ。
久々に見る、闇夜の王のごとき、いでたち。
まるでライフルでも担ぐようにされているのは、片手では支えられないほど大きな花束。
遺伝子操作で生まれた青い薔薇が、花束の片隅に一輪異彩を放って眠っていた。
デルフィニュームの薄青をかき消すような、瑠璃の青。
人造の毒気に満ちた青を、グローブの指先がそろりと抜き取った。
黒い外套の胸元に薔薇を、静かに差し入れる。
まるで、その場においての異端を一身に背負うように。
立ちすくむままに、視界を一定にとどめて。
ゴーグルを外し、首にだらりと下ろす。
一連の動作を行った左手は、急速に力を失って、たらんと下方に落ちた。
- 806 名前:AS TIME GOES BY 投稿日:2004/12/11(土) 20:47
- 横顔を彩る長い睫毛が伏せられ、ゆるりと首が角度を得る。
動きから感じる静かな気配が、場へと零れ始めた。
紡がれる空気を見つめながら、同行者達はただただ、その姿をとらえている。
視界の中で小さくなっていく背中に、眉尻を下げながら。
手向けられるのは黙祷。
死者の冥福を祈るための動作にも、繊細な指先は祈りの形を取らない。
神は今、天使の所在によって少しだけ近くなったけれど、彼女を奪ったものだから。
地を這う子供の願いなど、聞き入れない傲慢なモノだから。
ただ、気持ちを手向けるべき対象へ、届けばいい。
だから、心の中で、一向に年を経る気配を見せない、君を思い出す。
- 807 名前:AS TIME GOES BY 投稿日:2004/12/11(土) 20:48
- 相変わらずの顔で、こっちを見ているのはズルイなぁ。
ずっと、あんただけ変わらないで、私は年老いていくのに。
ほら、こんなに見た目が「女」になってしまって。
今あんたと並んでしまったら犯罪やん、もう。
伝えたいことなら、山ほどある。
小さくて些細で、君なら笑ってしまうようなものばかりかもしれない。
口には決して出せないけれど、この呟き程度なら聞いてくれるよな…?
その想いには微かに、くしゃりと表情を笑ませた彼女が「仕方ないなぁ」と呟いた気がした。
- 808 名前:AS TIME GOES BY 投稿日:2004/12/11(土) 20:48
-
- 809 名前:AS TIME GOES BY 投稿日:2004/12/11(土) 20:49
-
誰かへの思慕や気配を感じ取ったのか、天使は静かに瞳を閉じる。
背中からゆらりと立ち上るのは、愛情に似た親愛を、寝かせて寝かせすぎた貴腐の醸造心。
味わうには予想がつきすぎて。
捧げるには癖がありすぎる。
誰かと分け合うには、尊さを纏わない。
自分にしか合わない嗜好をしているそれは、人個体の中でしか「活きない」から。
しかしそこに、祈りに似た気持ちがあるのなら、その「想い」は届くべきだ。
そういう想いを抱いている人間が居るという事実が、神の元へ届いてしかるべき。
誰にも気付けぬように裕子の気配を掬い上げ、かすかに空へ投げる。
動作無く。
造作ないことのように。
人間の心の機微を事象として捉えることがあるから、「純粋に天使は性質が悪い」。
要らぬことを、平気でしてくれる。
天使の本質が人間に理解できないのと同じように、きっと、天使にも人間の本質は理解できないのかもしれない。
例えばそこに、努力や妥協が添えられていたとしても。
それでもこの、外見よりもよほどあどけない天使が、口から告げた言葉で表すなら。
心に左右される――のだろう。
- 810 名前:AS TIME GOES BY 投稿日:2004/12/11(土) 20:50
- 天使に慈悲意外の「装備」があるんかい!と言われたらそこは悩みどころだが、「なつみ」は違う。
いや。違うと、思いたい。
誰かと微笑むことを、同じ食卓で喋ることを。
憤りや苦しみに流す涙を、「知って」ているし、「視」ているのだから。
天使は人のするように、表情を伏せる。
背中に背負った翼を見せずに。
ただ、自分自身に人のありようを見せてくれている、彼女と同じ形式をとるために。
死者のために想いを捧げることなど、人にしかできないことだけども。
神妙に気配を整えることが、場に適うのなら。
日ごろの快活さをしずかに仕舞いこんで、彼女は祈る。
見知らぬ、誰かのために。
自らの拠り所である父親が、「彼女の思いを受け取る誰か」を安寧に導いてくれるように――。
- 811 名前:AS TIME GOES BY 投稿日:2004/12/11(土) 20:50
-
- 812 名前:AS TIME GOES BY 投稿日:2004/12/11(土) 20:51
-
誰よりも早く黙祷の気配に気付いて、倣ったのは矢口だった。
気象環境に晒された墓碑からは、すでに名前や日付が褪せようとしている。
しかし、この時代、こうして墓碑がある、ということ自体が珍しい。
身寄りのない者たちの遺骸は、まるでスクラップのように一定置に集められ、そこに埋められているのだ。
強烈な酸雨が降れば、それは地に沁み込んで埋められた彼らを溶かしてしまう。
埋まっているはずの骨が、生きていた証も、今や長くは残らない。
はるか昔はそうじゃなかったんだって、平家先生が言ってたっけ。
酸雨はもっともっと弱くて、人が濡れても害なんかあんまり無くて。
野山が丸裸になる場所があったって、誰も気に留めなかったんだって。
気楽でいいよなぁ。
防害生地で固めた、鎧に等しいコートを着込まなくても、平気で歩けたって言うし。
濡れてもすぐさま火傷を負ったり、そういうとこまで行ってないってことだもんね。
強酸雨の警報なんか出たら、もう誰も外には出れない現在だってのに。
雨って言ったら、強すぎる雨が降る程度の警報しかなかったらしいよ。うらやましい。
あっと、なんだっけ。
そっか、お墓の話か。
墓碑が壊れずに残るよりも、直接の子孫の愛情が冷めるのが早いなんて、そんな時代があったんだって。
立派な墓石が立ち並んだ場所でも、まるで死地のようだって。
なんか文献だって言ってたな。
なんだったかな。
思い出せずに、真里はそこで思考を閉じる。
- 813 名前:AS TIME GOES BY 投稿日:2004/12/11(土) 20:52
- ゆるりと視界を再び開いても、まだ、裕子は頭を垂れたまま。
微かに、肩先で読み取れる没っした年と享年の数字に、静かに胸を痛ませる。
今の矢口よりも、もっと若い年齢で死んだんだ。
そして、その人は、昔の裕子にとって、ものすごい影響を持っていた……。
それだけは解る。
でなければ、中澤裕子は、こんなに静かに誰かに「黙祷として、思いを捧げたり」はしないだろうから。
目の前に佇んでいる女性の、隠してきたものの大きさを知って口元を正した。
ただ、強い人なんかドコにも居ない。
解りきっていたはずのことなのに、彼女にそれを感じたことはなかった。
なんでだろ。
なんか泣けてくる。
いつも見ているはずの背中が、なぜかとても小さく…細く思えて。
相手に対して知っていい部分て、きっと各個で決まってるはずで。
行動や親愛という関係を別つまでの「満杯」まで、と、決まっているはずなのに。
それでも、同行者を三人並べてこの場所に来たのは、「見て欲しい」からなんでしょ?
何かを感じて欲しいんじゃなくて。
一緒の場所に居て、見ていてくれるだけでいい。
事柄を見止めてほしい。
それはなんて弱弱しく、些細な願いだろう。
彼女の中の「期待」は、きっと墓石の布団をかけて眠っている、「その人で終わってしまった」のだ。
- 814 名前:AS TIME GOES BY 投稿日:2004/12/11(土) 20:53
- あぁ。
どうしよう。
涙が、止まらなくなってしまう。
声は出ない。
ただただ、視界だけがぼやけていく。
彼女の中に、再び期待が生まれればいい。
彼女の中に、新しい希望が芽生えればいい。
願ってみるけれど、この気持ちはどこへ行く?
神様は世界を救ってくれないのに。
ねぇ、なっち。
君なら、この気持ちをそのまま届けられるかな?
神様の一番近いところへ、届けられるのかな。
――裕子が、もっともっと幸せになれたって、どこにも罰は無いと思うのにな。
世界に神様が居るとか、天使が居るとか…天使は信じるしかないんだけどさ。
祈れば幸せになれるなんて、自分も思っちゃ居ないけど。
- 815 名前:AS TIME GOES BY 投稿日:2004/12/11(土) 20:53
- こうして誰かのために都合よく祈る人間ばかりだったから、だから愛想つかせちゃったのかな。
それでも、祈らないで居られないんだよ。
きっと、願ったりしないで居られないんだ。
たった一切れのパンで空腹を満たした奇跡の人――居たんでしょ?
他人の沢山の罪を負った人、聞こえる?
ねぇ、願うことも罪なのかな。
望むことも、許されないのかな。
もし、万が一でもその願いがかなったなら、それは「奇跡」なのかなぁ。
ぐぅっと握られた拳が、ふいに力を無くす。
ぱた…ぱた。と、涙の粒が乾いた土を打つ。
ほんの少しの水分は、乾ききった大地の渇望に飲み込まれて、すぐさま形を無くすのに。
――人間の望んでいるものは、これっぽっちも与えられない。
すいと項垂れた矢口の口元は、ただ静かに歪んだ笑みを浮かべるだけだった。
- 816 名前:AS TIME GOES BY 投稿日:2004/12/11(土) 20:54
-
- 817 名前:AS TIME GOES BY 投稿日:2004/12/11(土) 20:54
-
いつ、死ねるだろう。
ずっと、そればかりを考えていた。
あんたをこの場所に埋めた後、半年近く、それしか考えてなかった。
食べずに居たら死ねるかなぁとか、ストックにした再生促進剤を飲み干したらイカレルかなぁとか…。
眠る夜の闇のむこうから、首を絞める手を待ち望んでいたり。
体だけが生きている。そんな日常。
あの日も、そういう毎日と変わらなかったんだ。
安物の銃を体に巻いていたのは、配達屋からの名残。
手にした凶器で自らを守れなかったときに、待ち受けているのは死の頤。
それに食われてしまうなら、それもイイかと、あの時はそう思ったんだ。
ふらふらと、街と樹林の境まで歩いてった。
きっと、見てたんだろうな。
今にして思えば、あんたはきっと、こんな私のことも見ていたんだろう。
どんな顔してみてたんだろうな。
あぐらでもかきながら、必死で呼び止めたりとかしてたんかな。
私には何も聞こえなかったけどな。
- 818 名前:AS TIME GOES BY 投稿日:2004/12/11(土) 20:55
- 飛び出してきたのは、何だったっけな。
もう覚えてない。
ただ、巨大な四本足の獣。
目の前に顎が開かれて、巨大な牙が見えた瞬間に、胸の中に巨大な「穴」が穿たれた気がした。
巨躯の脚がかるく土煙をたてて、一歩を踏み。
興奮に喉を鳴らしながら、少しずつ体勢を低くしていく。
噛み付かれたら、死ぬなぁ。
何も無くなる。
痛みを感じて、激痛を越えたら――自分は消えてなくなる。
その牙が肉を食んで、ヤスリのような舌が骨から血肉をそぎ落とすんだ。
あぁ、そんな音も聞こえるのかな?
喉笛噛み千切られてお終いなんかな。
なんかヒューヒュー言うんだろうな。
でも、過度の痛みは気絶を覚ますからなぁ。
沢山の予感や余計な考えがよぎる中で、穴の奥から粘質の溶岩のようなものが噴出した。
死んで、無になった後、どうなる?
ただ奪うために存在する神の座の周りを、フラフラと漂うだけのものになる?
まさか、そんなバカバカしい。
違うだろう?恐れているんだろう?
何を?
神の座の前に引き出されることを?
違う。
チガウチガウチガウ違うちがうチガウ違う――――!
こわ……ッ。
- 819 名前:AS TIME GOES BY 投稿日:2004/12/11(土) 20:56
- 本当の、一瞬の反射は、抜け殻だった体を「生きる」方へと動かしていた。
ただ、死ぬことが怖い、それだけの条件反射。
恐怖への、抗い。
ただ、それだけのコトで。
顎へ。
眼球へ。
眉間へ。
「アアアアアア―――――――――――――――――――アアアアッ!」
獣じみた咆哮。
唸りを搾り出す体。
細い体の、どこに、そんな声をあげさせる器官が備えられていたのか、今でも解らない。
獣の声だと思っていたものは、どんなに考えても自らの雄たけびだった。
- 820 名前:AS TIME GOES BY 投稿日:2004/12/11(土) 20:56
- 鉛弾が火薬の爆ぜる音とともに吸い込まれていく。
パン!パパン!
ありえない火薬の匂いが、世界に充満する。
顎から頭蓋を貫通した銃弾は、脳の中に鉛を残して止まる。
それだけで、本当なら、じゅうぶんだったのだけど。
白い獣は指さきが白く力を失うまで、弾を装填し引き金を絞り続けた。
ガキン!
ガキッ。
ガキンガキンガキンガキ――――。
至近距離から小さい範囲に数発の銃弾を食らって、欠けた頭蓋から脳漿が零れている。
ダラリと落ちた舌には、ピアスでも開けるのかと皮肉りたいほどの弾痕。
牙は欠け、誇るべきはずの獣の毛皮は、まさに蜂の巣状に穴だらけ。
人為的な残酷さに彩られ、四足の獣はとっくに絶命していた。
- 821 名前:AS TIME GOES BY 投稿日:2004/12/11(土) 20:57
- 死ねない。
死ぬことが怖い。
怖い…こわ……。
絶対的な距離が、飛び越えられない溝ができたことを痛感する。
小さな箱に入る程度になってしまった、君を最果ての場所へ眠らせた時より。
その距離は絶対的な絶望を持って、目の前に舞い降りた。
溢れてくるのは涙。
あんなに泣いて、泣いて、泣き腫らして重たくなった瞼の下から、果てたはずの涙が再び落ちる。
追って逝けるのだとばかり思っていた。
大事なものをなくしたら、探しに行ける自由があると思っていた。
でも、体はそれを許してくれなかった。
なんで?
世界に執着する必要も、無いだろう?
なんで?どうして?
銃を手にしたまま、死地にうずくまる。
指先に薬莢。
一つ、ツンとあたったそれを、かきむしるように握り締める。
動きたくない。
動かなかったら死ねるだろ?血の匂いに誘われるヤツは沢山居る。
早く動けよ。
動かなかったら死んじまうんだぜ?たった今助かったのを無駄にするのかよ。
矛盾する選択肢に、苛立ち、奥歯を噛む。
- 822 名前:AS TIME GOES BY 投稿日:2004/12/11(土) 20:59
-
――ねぇ裕ちゃん、あたしたち運がいいのかねぇ。
けっこう危ない橋渡ってるワリに、まぁよく生きてるよ。
得意げに振り返るままに、ふわりと揺れる髪。
今さっき撃ち殺した獣より、数段貴い空気の、人型の獣みたいな……。
このままさぁ、イケルとこまで行ってみるのも、案外悪くないかもね。
どっちが遠くまで行けるか、競争してみよっか?
くしゃりと微笑む表情。
眉間に皺が寄っても、鼻先に皺がよっても、無邪気に笑うことをやめなかったあんたを。
赤く乾いた砂地の上で。
奥歯を噛み砕くような憤りの中で。
あの時、確かに、私は、思い出して居たんだ。
- 823 名前:AS TIME GOES BY 投稿日:2004/12/11(土) 20:59
- 全身埃と血だらけで帰り着いた部屋は、死を望む空気で満ちていた。
それを猛然と振り払い、机に置かれていたアルコールの瓶をなぎ払った。
乾いた音をたてて破壊される瓶。
だけど、目を覚ました「渇望」を抑える術を裕子は知らない。
それこそ殺人鬼のような姿で帰宅する路上。
そこで奇異の目に晒されても、誰かに声を掛けられるはずもなかった。
当然。
鏡の奥に居た自分は、今までより数段狂気的で、鋭利な視線をしていたのだから。
そうして、自分自身を恐ろしいと思うのと同時に、途轍もなく好ましいと感じた。
生きている。
そう、強く強く、実感した。
割れたガラスの破片が、てのひらを傷つけていても。
その痛みすら、愛しいほどに。
結果。
死に抗う腕を振るい続け、経験という名前の知恵が着いてしまって。
今の今まで、死ぬことはなかったけれども――。
- 824 名前:AS TIME GOES BY 投稿日:2004/12/11(土) 21:00
-
- 825 名前:AS TIME GOES BY 投稿日:2004/12/11(土) 21:01
- 自嘲気味に口元をゆがめて、中澤裕子は顔を上げた。
無造作に布で纏め上げた髪は、幾筋かが撫でる風にもてあそばれて。
どこか神妙な面持ちを飾るのも、彼女は気に留めない。
そうっと、肩に担いでいた花束を両手にする。
カサりとした物音に、同行者の視線が持ち上がった。
静々と墓前に手向けられた花束に、土埃が群がる。
乾きを覚えぬものを許さぬ、死に果てた地の使者。
――わざわざ、ここに来ないと話しかけられない、私のことを許してください。
く。微笑みも、巧くかたちにならない。
全く、情けなさは変わらんなぁ。
頬に落ちる髪を耳にかけ、外套の内ポケットから小さな瓶を取り出した。
矢口持参してもらった、銘柄指定のウイスキーだ。
- 826 名前:AS TIME GOES BY 投稿日:2004/12/11(土) 21:02
- きっと、大人になったあんたなら、平気で飲めるやろ。
決め付けたのに、笑うだろうか。
笑ってくれないと困るな。
心の底で思いながら、キリキリと蓋を捻りあげる。
溢れかえるのは、濃密な酒気。
すいと一口を飲み込み、恋人と戯れるような動作で瓶を横に返した。
高価なはずの切花の上に、墓碑からの酒気が跳ね返る。
まるで、本当に、戯れのくすぐったさに身をよじるように。
「ったく、やめてよ。くすぐったいなぁ」
ぺち。っと、額を叩かれたときのコトを思い出して、苦笑を重ねる。
しかし、次の瞬間には、ゆっくりと、振り切るように立ち上がり。
凛と居住まいを正すと、裕子は表情を引き締めた。
- 827 名前:AS TIME GOES BY 投稿日:2004/12/11(土) 21:03
- ――大事なあんたの記憶を、ほんの少しだけ、小さくして心に仕舞うことにしたよ。
重さも質量も変わらない、この大事な記憶を、少しだけ小さくして。
そして、新しい気持ちを、今度は少しずつ手に入れていくコトにするよ。
そう、決めた…。
君一人だけを抱きしめているのに、この腕は石のように硬くて、使い物にならない。
いざとなったら、自らの気持ちや心すら守れない。
ずっと、ずっと解っていた。
この腕をつかって、新しい場所の扉を開けなければいけない日が来ることも。
そのために、この気持ちを、自分の中にしっかりと仕舞っておくための「区切り」が必要だったんだ。
みんな、知らず知らずのうちに迎えているはずの区切りを、形として機会取らなければいけなかった弱い自分。
物理的には強いかもしれない。
一人の仕事場で、砂を噛み砕いてでも這い上がってきた自分は、戦闘能力は強いかもしれない。
でもなぁ、やっぱ心ごと強くなれないな。
一人で居るのは楽だったけど、それでもバレてる部分は沢山あって。
こんな自分を、君と同じような視線で見つめてくれる人たちに、出会えたから。
――変わっていく自分を、受け入れる覚悟が、できたから。
変化を恐れていたわけじゃない。
誰だって、そう心の中で自分自身の強さを揮うけど。
変化と常に寄り添っている忘却や、過去という括り一つになっていく事実を、受け入れることができなくて。
それは、結局。
変わっていくことを恐れているのと、大差ないんだと――ようやく気付いた。
- 828 名前:AS TIME GOES BY 投稿日:2004/12/11(土) 21:03
- 普通の感情の変化が訪れる。
その平凡さこそが、かなぐり捨ててしまった世界で。
君が居なくなったときから、拒絶していたはずのモノで。
なのに、気付いたら…日ごろの平穏は身の回りにあった。
頬を手の甲で拭う。
砂粒の茶色に汚れても構えないほどの、ただただ流れる涙は何時ぶりだろう。
笑うことも、涙を流すことも忘れていた。
強さを賞賛され疾走してきただけの、戦士の体に残されていた、自我の帰依。
空っぽだった体に、心が、魂が戻ってくる感覚。
「バカだなぁ。結局ぜんぜん変わってないのに、気付いてないんだから」
聞こえてくる声に、視線をあげる。
- 829 名前:AS TIME GOES BY 投稿日:2004/12/11(土) 21:04
- 同じ目線と、その笑顔。
あぁ、私はブーツだからなぁ。って?
なんだ?またアイツのせいか?
なぁ、天使。
またお前、なにか仕掛けたのか?
思わず後ろを振り返ると、本当にキョトンとした顔で見返されて。
どうやら天使は、今の裕子の事態に気付いていないようだ。
矢口も眉を怪訝そうに顰めている。
えぇ?!天使のくせに目の前の見えてないのん?
マジですか!
って、自分の墓石に座り込んでって、や、自分のやし失礼じゃぁ無いだろうが。
大人になると、そんな表情するようになるん?
あれ?なん……?
風にたなびく髪を気だるげにかきあげ、石黒彩は静かに口元を持ち上げた。
実体無く、おぼろげな輪郭ではあったけれども。
- 830 名前:AS TIME GOES BY 投稿日:2004/12/11(土) 21:05
- なんだよ。そんな…、面白いものを見るように笑うなよ。
まるっきり、こっちが子供みたいじゃないか。
憮然とした顔をしたくても、涙が邪魔してうまくいかない。
おやつをやせ我慢してる子供みたいに、嬉しささえも面に出せない。
「裕ちゃんは変わってないよ。何も。
どっか情け無さそうに笑うのも、どっか臆病なのも。
自分を楽にしてあげるのに、あたしの許可なんか要らないって、それには気付いてるはずなのにね」
――律儀だなぁって思うけど、嬉しかったよ。とっても、ね。
ザァ――。
吹き抜ける風が、茎の弱い花から、花弁を巻き上げる。
赤…、煌く白。
なんて、キレイな彩りだろう。
彼女に、こんなにも、似合う。
「伝えたかった言葉なら沢山あるけどさ。
裕ちゃんが果てまで走りきって、こっちに来ることになったら…これでも飲みながら話そう?」
楽しそうに持ち上げる小瓶は、さっき手向けたウイスキーと同じ。
- 831 名前:AS TIME GOES BY 投稿日:2004/12/11(土) 21:05
- 「それまでの途中放棄は、あたしが許さないからね」
ニヤ。
あぁ、解りきったように笑いやがって。
ムカツクなぁ――。
すげぇムカツク。
あぁ、ムカツクよ。
だって……、微笑い返すほか無いじゃないか。
「どうせそんな、長くは待たないと思うんだ。
裕ちゃんは気にせず先へ行けばいいし、自分は待ってればいいだけなんだから」
いってらっしゃい?貴女を待っている時間は、まだ続いている――。
割り切ってしまうには、早いと思っていたのだけど。
もう、そんな問題はとっくに通り過ぎてしまっていたのだな。
涙が苦笑に飲み込まれ、苦笑は少しずつ、笑みになり変わる。
――あぁ。せやんな。あんたが最後に待ってるなら、それも悪くない。
ちょっと、行ってくらぁ。
ニ。
口元を持ち上げて、軽く敬礼する。
笑いながら交わしていた、昔の挨拶の、そのままに。
おぼろげな輪郭が敬礼を返すのに、裕子の肩はザンと風を切った。
- 832 名前:AS TIME GOES BY 投稿日:2004/12/11(土) 21:06
- 体を包み巻き付いていた外套が、バサリと翻る。
小さかった背中が人間の生気を得るように、大きく翻る様は羽ばたく鳥のようだ。
漆黒の。
雄々しい――。
「待たせたな」
矢口となつみに向かい、敬礼を取った手を軽く持ち上げる。
その手を取る、矢口の泣き笑いを。
静かに微笑んだ天使の表情を。
迎え入れられるということを、実感する。
「一緒に、帰ろう」
そう。一緒に、日常の世界へ帰ろう。
笑ったり泣いたり、怒ったり歓んだりを繰り返す、時間の流れへと。
「おぅ。つーか、裕子の顔ボッロボロ」
小さな迷いは沢山ある。
「うるせぇ」
だけど、これから少しずつ、沢山のものを手に入れていくんだ。
捨てたり。
拾ったり。
見直したり。
修繕したり。
積み重ねて、崩れても、繰り返して。
愚かにも、何かを目指しながら…。
また、出会う時には笑って会えるだろ?
単純に、再会を喜ぶように。
それまで…。
だから、手を振るだけでお終いにしとくけど。な。
- 833 名前:AS TIME GOES BY 投稿日:2004/12/11(土) 21:06
-
- 834 名前:AS TIME GOES BY 投稿日:2004/12/11(土) 21:07
- はた。
天使の脚は運びを止める。
気配を感じて振り返る視線の奥には、墓碑があって。
首を、傾げる。
誰かが座っている。
その輪郭に気付いて、視線をこらす。
長い、髪の女の人。や、少女?
きっと……と、思い当たって目をこらす。
裕子の目の前に現れたのは、彼女なのだろう。
不意に苦笑をむけられて、天使は戸惑う。
彼女の存在に気付かなかったことも、ちょっと自分で衝撃だったけど、この際は言及すまい。
なつみには天上の迎えを呼ぶ力はない。
呼んだら最後、自分も一緒に戻らなければならない気がする。
ただ導くための手立てならもって居るけども。
きっと、目の前の彼女はそれを望んで居ないのだろう。
- 835 名前:AS TIME GOES BY 投稿日:2004/12/11(土) 21:07
- ただ、安心できたのは、その想いが闇や負に染まっていないこと。
周囲に漂っている残留思念は、ただただ憎悪に朽ち果てているものも多いのに。
彼女はただただ、美しいたたずまいで自らの墓碑に腰を下ろしている。
漆黒の外套を、見つめながら。
――いつまで、座っているのですか?
思うままに問いかけて、じっと見つめる瞳の奥、彼女は小さく首を横に振る。
彼女が果てる時かもしれないし。
それより前かもしれません。
自らを嘲るように微笑いながら、彼女は一指し指を軽く差し出した。
一つ、聴いていただいてもいいでしょうか――?
天使は思惟を感じて、肩先をも向き直らせた。
彼女の言葉は、歌うように砂塵を抜けてくる。
- 836 名前:AS TIME GOES BY 投稿日:2004/12/11(土) 21:08
- 人間は罪を抱え込んで、静かに寝かせてしまう。
沈めてしまう。
見えない場所に隠して、忘れたフリをしようとしますね。
時折臭う記憶のかげに怯えて、暗闇に頭を抱えて悶える。
だけど、誰かの声にも耳を貸せず、誰かの言葉にも応えられずに暗闇に膝を抱えるだけで。
一瞬、心に落ちてきた言葉を受け入れるかどうか、決めるのは自分自身なのに気付かないフリで。
でも、素直に言葉が心でほどけた瞬間、人は目を覚まして歩き出す力を持つ。
その受け入れた瞬間を、きっと、許しって言うんでしょう。
言葉を与えてくれた人間を、特別に感じたり、神のように慕ったり。
その後の行動は人それぞれだけども。
だけど結局、許すのは、己の心なのですね。
言葉を与えられ、その言葉を受け入れ、自らの重荷を下ろす。
気付き、改め、許す。
それはきっと、罪を犯したと思っている、個人にしかできない…。
強引に気付きを与えてしまう、貴女にはわからないかもしれないけども。
彼女の目の前に居た私は、きっと、彼女の一番欲しかった言葉を投げたのだろうと思います。
そして彼女は、自ら築いた罪の意識の殻を、ようやくこじ開けた……。
こう言うのも変だけど、なんかやっと、少しゆっくりできそうです。
今まで気が気じゃなくて、全然眠ってなかった気がするので。
- 837 名前:AS TIME GOES BY 投稿日:2004/12/11(土) 21:08
- なんて…優しい微笑みを浮かべるんだろう。
ぐっと、胸が痛む。
淋しげと言うには日差しのように穏やかで、優しいと言いきるには、それは切なげで。
あなたが、彼女と出会ってくれて良かった――。
静かな音声。
無意識にでも貴女の霊質の場があって、彼女に血が混ざり、初めて、ようやく近づくことが出来たのだから。
貴女にはきっと、またどこかで会うのでしょうね――。
すい。と、手を振る。
まるで、親しい友人にするように、しばしの別れの挨拶程度に。
そうかも、しれない。
なつみはどこからか湧き上がる微笑を堪えきれずに、口元を持ち上げた。
「おい!なーにを立ち止まってるんだお前は」
裕子が背後から呼ぶ声がする。
まだ、「名前」で呼ばないんだよねぇ…裕ちゃんは。
天使が軽く肩を竦めるのに、彼女は腹を抱えて笑い始めた。
まったくね。仕方が無い人だよね。
ほんとにね。でも、優しい人だね。
ふふふ。と微笑みあって、気配が解ける。
いつか、またね。
そうして彼女は、深く、深く礼を尽くすと輪郭を消してしまった。
- 838 名前:AS TIME GOES BY 投稿日:2004/12/11(土) 21:09
- 「キレイな人だね」
追いつきざまに手を握って、耳打ちする。
反対側の手は相変わらず矢口の手の中。
裕子の表情は一瞬自慢げになったけれども、ハタと思いついたように色を変えた。
「やっぱりお前の仕業かッ」
ゴイン。と軽く頭をド突かれて、軽く横に体が振れる。
「ひっどいなぁ!違うよ!なっち気付いてなかったんだってば!」
さっき振り返って、ようやく見えただけなのにッッ!
ぷぅっと頬を膨らませる様子なんか、いやもう子供みたいだが。
「あぁ!?嘘つけよ。あんたが気付かんわけないやろ」
その幼さに食って掛かるなんて、捕縛師…あんたオトナゲ無さすぎだ。
ギャイギャイ言いはじめた二人を、矢口が背中から突き飛ばす。
「つーか頭越しに話すのヤメロ!」
もっともなツッコミから大騒ぎを始める三人の、墓地に似合わないことったらない。
- 839 名前:AS TIME GOES BY 投稿日:2004/12/11(土) 21:10
-
――おぉおぉ、随分と吹っ切ったみたいじゃないの。
三本目の煙草を靴底で消しながら、圭は苦笑する。
親友であれ、大事な人間の墓地を訪ねることは、自分にはできないから。
自分の弱さを、裕子は越えてしまったことになる。
参ったな。追い抜かれたな。
軽く頭をかきながら、手を上げる。
視線の中で、裕子が、矢口が、なつみが手を振り返すのに微笑む。
第一声は「おかえり」が妥当だろう。
思うよりも好ましい相手になっていると、いうことか。
距離が詰る一瞬。
「おう。お帰り裕ちゃん」
軽く向けた拳を打ち返すように、左の拳をあわせて。
「あぁ。ただいま…」
はにかむように、裕子は微笑った。
すいと振り返る、視線の奥に墓碑と花束。
何年かに一度だけ、奇跡のように緑一色になるこの墓地を、裕子は好んでいた。
また、そのうち来るよ。
弱音だけでもない、カッコつけだけでもない。
君に素直に語れる毎日が過ごせた時に、必ず。
心に誓う。
- 840 名前:AS TIME GOES BY 投稿日:2004/12/11(土) 21:11
-
誰にでも等しく内包された、弱さの重みを、少しだけ覆した捕縛師のとある一日。
- 841 名前:AS TIME GOES BY 投稿日:2004/12/11(土) 21:11
-
- 842 名前:堰。 投稿日:2004/12/11(土) 21:22
- AS TIME GOES BY でした。
実はあともちっと続きます。
オマケ書くのは楽しいですね。オマケ。
同じく銀板に新しくスレッド立てましたので、この続きは新スレで。
>>803
毎度。えぇ、っと…。怖い人です。
あのカッコよさと美しさの中に秘めたモノ。
そういう紙一重を匂わせる人が大好きなのです。
SSAでの中澤さんのオトナゲ無さにトキメキながら、
るんたた執筆しておりました。
事件は現場で起きてるんだ!というアノ台詞は、
あながち間違いではないようです(笑)。
たまには思い切って現場系もイカガですか?
- 843 名前:堰。 投稿日:2004/12/11(土) 21:30
-
ありがとう一冊目。
- 844 名前:堰。 投稿日:2004/12/11(土) 23:29
- 間が悪いのは承知の上。
次スレ貼るの忘れてました。アハハハ…。
il||li _| ̄|○ il||li
http://m-seek.net/cgi-bin/test/read.cgi/silver/1102767451/
fall down #2 です。
- 845 名前:星に願いを。 投稿日:2004/12/23(木) 09:39
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- 846 名前:星に願いを。 投稿日:2004/12/23(木) 09:40
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「今日、何の日だか知ってる?」
こくり。と、琥珀を呑みくだしながら、子供の顔で尋ねる。
「神様が最初に、世界を諦めた日…じゃん?」
答えがあまりに飛躍しているのに、眉をしかめて、子供の顔の彼女は体を乗り出した。
「そういう夢の無い言葉を希望したわけじゃないよ。いちーちゃんッ」
たしなめられて、にひゃひゃと顔をゆるめると、呼ばれた女は手を上げる。
子供をからかうようなコトを言って、ゴメン。と。
「クリスマス…だね。
神の道を説き。
沢山の人の罪や愚かさを背負った聖者の生まれた日…」
先に応えた女の前に、鷹揚な着座姿勢で酒気を呷る女が居る。
絹のような、まるで訪れる夜の帳、睡魔のような心地よい声。
部屋の中にはあと二人。
- 847 名前:星に願いを。 投稿日:2004/12/23(木) 09:40
- 「結末なんか知らないで、生まれてきたんだよね。
途中では気付いたはずだけども」
ホヤホヤとした陽気さを纏った女。
その言葉を受けるのは、常にシニカルな空気を漂わせる女性。
「なにせ、王の中の王ですから」
――生まれる時には大歓迎だったのに、実体の無い国の王として後ろ指。
カチャン。チャリン。
酒気や食器の音。
今日のディナーは一緒に食べて欲しい。
子供のワガママ。
それはなんで?と言う話になって、この展開なのだが。
まぁ、夢も希望もありやしない。
「まぁまぁ、総務もそういう言い方しない。
せめてこう…ねぇ」
オブラートに包むとかしてくれたらいいのに。
視線が訴えても、はぐらかすばかり。
「真希ちゃん、さすがにここに居る人間は神に縋れない。
自分なんぞは、ほんと、神様が居るなら鉄槌食らって潰れる人間。
だから、本当ならクリスマスのディナーなんかご法度なんですよ?」
眼鏡の奥から視線を投げかけつつ、上司の息女に微笑みかける。
- 848 名前:星に願いを。 投稿日:2004/12/23(木) 09:40
- 「ん…。知ってるけど、いっつも一人でご飯だし。
クリスマスプレゼントだってお金で買えるものばかりだったし。
だったら、みんな非番だったから、一緒にご飯食べたいなぁって思って」
――お金じゃないのよ。解るでしょ?
いきなりしみじみとした口調で溢すのに、周囲は微苦笑むほかなくなってしまう。
真希ちゃん。と呼ばれた子供の、精神成熟の成長度合いは驚くほど早い。
あっという間に、みなを追い越してしまうだろう。
学識も、下手をしたら戦闘能力も。
そして、その器が覆い隠しているモノが、体、心、頭脳全てにおいて合致した時には…。
自分達ではもう、手に負えなくなってしまう。
それは、この場に居る女達、全員が抱いている思考。
だから。
まだ、子供の内に……。
まだ、子供の内は……。
- 849 名前:星に願いを。 投稿日:2004/12/23(木) 09:41
- 子供は気配全てを敏感に感じ取り、そして放つ。
きゅ。っとコップを握り締め、子供の顔をした彼女は視線を落とした。
「でもさ…時々思うんだよねぇ。
あたしが子羊だったら…、もっとみんな大事にしてくれたのかなぁ…とか」
ゴブッ。
あぁなんてこと!せっかくのゴディバミルクをあんた!
吹き出して慌ててるのは、「いちーちゃん」。
「って、お前はそんなしおらしいタマじゃないだろ?」
うはー。牛乳臭くなっちゃうよ。
慌てて布巾でふき取ろうにも、クリーニングは免れないようだ。
色味がまだ残りそうにないのが、着ていた色の救いだろう。
「まーまー。そう暗い話ばっかしてないで。
大丈夫。みんな、真希ちゃんのコト、好きですよ?」
にっこり。と、陽を漂わせる女が微笑む。
じゃなかったら…、もうとっくに全て終わってるんだから――。
ハモルように想い、視線を細め。
大人は心に湧いたものを、飲み込む。
美味しいディナーの前に、美味しくない自分の気持ちを。
強引に。
- 850 名前:星に願いを。 投稿日:2004/12/23(木) 09:41
- 「じゃぁ、後藤真希、14歳のクリスマスに乾杯しましょ」
そう、総務が微笑み。
起立したそれぞれのグラスが、軽く寄せられて。
「かんぱーい」
五つのグラスが鳴る。
中身に統制がないのは、まぁ、ほら、仕方が無い。
テーブルには心はやる彩。
チキンに、テリーヌ。
ドライトマトをのせたピンチョスの愛らしさ。
ケーキもちゃっかり用意されている。
せめて。この一瞬だけは、どうかこのまま…。
祈りに似た気持ち。
でも、背徳者達の言葉など、届きはしないだろう。
せめて哀れと思うなら、一瞬の平穏を、この場に…どうか。
- 851 名前:星に願いを。 投稿日:2004/12/23(木) 09:41
- あぁ。単純に好きだと思って居られたら、それでも良かったのに。
子供は知っていた。
この愛しさの内に、目的が解けてくれたらいいのに…と、大人が思っていることを。
だからこそ、目を細める。
でも、自分自身がこの世界に現れた時から、もう歯車は動いているのだ。
止めることは出来ない。
やめることも、できない。
せめて、この時間だけは…ちゃんと愛しさに包まれているから。
美味しそうに食事をする、子供の姿で居るよ。
それが、みんなへの、プレゼント。
メリークリスマス。
全ての嘘がいつか、どこかで許されますように。
悲しい言葉が、報われますように…。
今はもう、遠い、昔のお話――。
- 852 名前:星に願いを。 投稿日:2004/12/23(木) 09:42
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- 853 名前:堰。 投稿日:2004/12/23(木) 09:43
- 短編、星に願いを。でした。
メリークリスマス。
そして今度こそ、一冊目終了。
- 854 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/23(木) 12:49
- 古参勢ぞろいですね。
一見温かい風景だからこそ、一層切ないっす。
後藤さんに泣かされてしましました。
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