かおなち聖誕祭

1 名前:lou 投稿日:2003年07月29日(火)00時38分28秒
 なんだ、やっぱり夢だったんだ…
  傑作だからなっちに話してみようっと、フフフ
                      
               ノノハミ
               川 ‘〜⊂ゝノ⌒ヽ、
            ( ̄c'入  ノノ⌒"  )
          (⌒⌒⌒⌒⌒⌒~\ノ⌒⌒)


概要は>>2
2 名前:lou 投稿日:2003年07月29日(火)00時38分54秒
>>1のAAがキショイのは重々承知。

十日後に迫った飯田圭織聖誕祭、
十一日後に迫ったかおなちの日、
十二日後に迫った安倍なつみ聖誕祭を祝うスレです。
色々ありまして正直胸中複雑ですが、どんな作品でも大歓迎。
オリメンに格別の思い入れのある方、お手すきの方、
どしどしとご参加いただければ幸いでございます。
誕生日に関係なくても構いません。
出来ればかおなちでお願いします。
3 名前:最悪 投稿日:2003年07月29日(火)00時39分40秒
そもそも今日は朝から嫌な予感はあったのだ。
パンをトースターに放り込んでから、
ジャムもバターもない事に気づいて泣く泣くそのまま食べたし、
テレビが流している占いも凶だった。
洗濯機には間違えて入浴剤を入れそうになるし、
干し物を始めた途端、真っ暗だった空は泣き出した。
慌てて取り込んだ私だって泣きそうだった。
おいおい今日は泣き日か、とよくわからないことを思いながら仕事場に来てみたらこれだ。

「安倍なつみ、今月一杯を持って地球へ異動」

ふざけてるのかと思うほど気の抜ける手書きの文字はしかし、
この場においては神の声とも同義だ。
二人だけ残されていた私となっちだったのに、ついに来る時が来てしまったらしい。
私はめまいを覚えながら、ステーションへと入った。
4 名前:最悪 投稿日:2003年07月29日(火)00時40分01秒
なっちは既に来ていて、自分の席でドリンクを飲んでいた。
入ってきた私に気付くと、ストローを咥えたまま右手を上げて見せる。
私も右手を上げて見せ、早速切り出した。

「地球だってね」
「うん」
「出世コースおめでとう」
「冗談」
「独りで任せられるって認められたんだから」
「どーだか」

気のないやり取りだ。
今更地球へ行って仕事をしてもなんになるでもないことくらい知っている。
5 名前:最悪 投稿日:2003年07月29日(火)00時40分49秒
「いつ云われたのよ、アタシ全然知らなかったよ」
「昨日。
 通信で呼ばれてさ、何かなと思ったら、地球やなー、だって」
「何それ」
「びっくりしたよ、意味わかんなかった」
「は?ほんとに地球やなーって云われただけ?」
「そだよ、信じられる?」

呆れてものも云えなくなった私だったが、どうにか首だけは振って見せた。

「なんかさ、カオリは怒るかもしれないけど、すごい今更って気がする」
「あー、いや、わかるね。
 なっちは怒るかもしれないけど、あんまり羨ましくない」
「でしょ」
「ね」
「地球へ行くための労力だけで死ぬかもしれない」
「無事に着けるよう祈りを捧げてあげるよ」

私が合掌すると、ほんとに祈るのかよ、となっちは笑った。

「でも、なっちが地球行っちゃったらカオリ独りか」
「大丈夫?」
「いやー、何かの労力で死ぬかもしれない」
「何だそれ。
 じゃあ、祈っといてあげるよ」

なむなむ。
そう云ったなっちの頭を小突いて、私も笑った。
6 名前:最悪 投稿日:2003年07月29日(火)00時41分25秒
「しかしまぁあれだ、頑張りなよ」
「んー、そりゃあねぇ、頑張るよぉ」
「あと半月か、すぐだね」
「そうだね」

そこで少し会話が途切れた。
口火を切ったのは、なっちの方だった。

「…あー、なんかこうシーンとすんね。
 そっかー、カオリとわかれることないと思ってたもんなー」
「そうだよねー。
 二人ともこのままここで死ぬもんだと思ってたよ」
「ねぇ、どうせもう一年もすれば死ぬだろうに」
「なっちは地球行くからさ、時間の流れが違うじゃん」
「でも、そう長くないのは変わらないよ」
「それはそうかもね」

「…あーどうしよ、なんかヤな感じだよー、危ないよー」
「あははは、もうね、カオリもヤバイ」
「あーもう、ホントヤダ…」
「あはは…」

おいおい。
やっぱり今日は泣き日じゃないかよ。
最悪だ。
7 名前:最悪 投稿日:2003年07月29日(火)00時42分04秒
「…あー、とにかく、頑張りなよ、遠くから応援してるから」
「おーう、頑張るべさ」

差し出されたなっちの手を取る。
手を繋いだら、またふわりと涙が溢れてきた。
あと半月、どれくらい手を繋ぐことがあるのか。

「とりあえず、あと半月頑張るべ」
「そだね」
「最後の日は、豪華なものでも食べよう」
「なっちのおごりだね」
「おおーう…」

二人して、涙を拭って笑った。
独りになったら仕事も増えて、きっと大変だろう。
でもとりあえず、なっちといる間は、独りのことなど考えないでいようと思った。
8 名前:lou 投稿日:2003年07月29日(火)00時42分37秒
おしまい
9 名前:lou 投稿日:2003年07月29日(火)00時47分11秒
こんな作品でも構いません。
はけ口にしてやってください。
10 名前:lou 投稿日:2003年07月29日(火)00時47分47秒
それでは改めまして、よろしくお願いいたします。
11 名前:あなたがくれたもの。私がもらったもの 投稿日:2003年08月01日(金)01時17分36秒

「で、辞めるって本当なの?」

もう何度目の質問だろうか。
昨日から、いろんな人に聞かれている。
なつみはおかしくて笑いを少し漏らした。

「ちょっと、私は真剣に言ってるのよ?
いくらなっちでもさ、それは無いと思うなー」

自分の横に座っている女性は言った。
その言葉は余計になつみの笑いを誘った。
隣の女性は少しむっとした表情をした。
それにすぐ気づいたようで、ごめんごめんと左手を立てて謝り、なつみは口を開いた。


12 名前:あなたがくれたもの。私がもらったもの 投稿日:2003年08月01日(金)01時18分49秒
「だってさ、私が圭ちゃんの卒業聞いたときと、同じやりとりなんだもん」
「そーだっけ?覚えてないよ、そんなこと…」

そこで会話が止まる。
カウンターの奥から聞こえる音楽が、周りの声と混じって耳に入っていく。
何て曲だったっけ?
英単語がいっぱい並べられるその歌は、どこか懐かしいメロディーだった。

黄色いカクテルを一口飲む。
甘酸っぱい味と共に、アルコールの独特な苦味がした。

「辞めるって言うのは本当だよ」

コップを置き、なつみは言った。
圭は「そっか」と短く言ってごくごくとお酒を口に運んだ。
13 名前:あなたがくれたもの。私がもらったもの 投稿日:2003年08月01日(金)01時19分20秒
「ごめんなさい、マスター、お代わりもらえる?」

結局コップ半分くらい残っていたお酒を一気に飲んでしまっていた。

「ちょっと、飲みすぎじゃない?」
「大丈夫だって。なっちと違ってお酒強いんだから」

圭はなつみにウインクして言った。
彼女の言っていることは事実なんだから、それ以上言い返すことは出来なかった。
代わりに自分のコップに口を運んだ。

14 名前:あなたがくれたもの。私がもらったもの 投稿日:2003年08月01日(金)01時19分53秒

「あのさ、圭織は最近どう?」

丁度ほろ酔い気分になっていた時、圭から不意に出された圭織という言葉に、なつみは一気に酔いが飛んだ。

「どうって?別に普段どおりじゃないの?」
「そっか…でもあの子、あんたの卒業一番寂しがってんじゃないの?」

ドキッとした。
まるで圭はそれを全て知っているかのようだった。

なつみは諦めたかのように、昨日の出来事を話し始めた。
15 名前:あなたがくれたもの。私がもらったもの 投稿日:2003年08月01日(金)01時21分16秒
―――

「何で私にだけ言ってくれなかったのさ?」

コンサート終了後、圭織はなつみの元に詰め寄ってきた。
無理も無い。
彼女以外のメンバーは全員、前日のうちに彼女の卒業を聞いていたのだから。
コンサート中に聞いたのは圭織だけだった。

混乱する頭をそのままにコンサートを終えた圭織は、着替えることもせずなつみの元へ来たのだ。

「あ、ごめん。忘れてた」

表情を崩さず、汗を拭きながら答えた。
宿題を忘れたとでも言うかのような、あっさりとした言い方だった。

「ちょっと、忘れてたとかそーゆー問題じゃないでしょ?」

圭織が怒るのも当然だった。
16 名前:あなたがくれたもの。私がもらったもの 投稿日:2003年08月01日(金)01時21分48秒
「どーしてさ、今まで一緒にがんばってきたじゃん。
そりゃーあんたは私のこと好きでも無いかもしれないけどさ。
こんな大事なこと、本当なら私に一番最初に言ってくれるべきでしょ?」

更にまくし立てる圭織。
なつみは何も答えなかった。
圭織とも視線を合わさず、じっとうつむいていた。

圭織に言うのを忘れてたわけじゃない。
圭織が言うとおり一番最初に言おうとしてた。
でも、圭織を前にすると言えなかった。
今までずっと一緒に過ごしてきた一番の親友。
大好きな人。とても大切な人。
そう思ってるからこそ、なつみは自分のやることが裏切りのように思えて言葉がでなかった。

「何よ…なっちのばか…」

そういい残して圭織は踵を返して走っていったのだった。

―――
17 名前:あなたがくれたもの。私がもらったもの 投稿日:2003年08月01日(金)01時22分45秒
「そっか」

なつみの告白を聞いた圭はコップを揺らした。
カランという氷のぶつかる音がした。

「私、ずっと圭織に頼っていた気がするんだ……
圭織が後ろにいたからさ、私は安心して前に出れたんだと思うんだ」

なつみはそこでコップに残っているカクテルを一気に飲み干した。
不思議と何も味はしなかった。
18 名前:あなたがくれたもの。私がもらったもの 投稿日:2003年08月01日(金)01時23分15秒
「圭織がリーダーになってからモーニングのこと、いろいろやってくれた。
ほんとはね、私がモーニング娘。のマザーシップなんて言われてるけど、それは圭織だと思うんだ。
それでさ、その圭織がいてくれるから、私はモーニング娘。を卒業することが出来るんだと思うの」

そこまで言ってなつみは大きく息を吐いた。

「そうだね…がんばれ、なっち」
「うん。今日はありがとね、また誘ってよ」

立ち上がり、財布に手をやるなつみを圭は制した。

「今日は奢るよ。なっちのお祝いだ」

圭は手を振ってなつみが出て行くのを見守った。
19 名前:あなたがくれたもの。私がもらったもの 投稿日:2003年08月01日(金)01時24分34秒
そして、なつみの姿が消えたことを確認して圭は口を開いた。

「そーゆーことだってさ」

カウンターを向いたまま言った。

「……なっち……バカなんだから」

少し遅れて後ろの方ですすり泣く声がした。
圭に背中を向けて泣いているのは圭織。
席を立ち、圭の横へ、さっきまでなつみが座っていた席へと移動した。

「おし、あんたも今日は奢ってあげる。ねえマスター、この子にお酒頂戴」

圭は慰めようと圭織の肩に手を回して言った。
程なく、青い色のカクテルが届けられた。
20 名前:あなたがくれたもの。私がもらったもの 投稿日:2003年08月01日(金)01時25分07秒
「ほら、なっちとこれからのモーニング娘。、そして私の明るい未来に」
「最後のは余計じゃない?」
「いいのよ、ほら」

「乾杯!」

コップのぶつかる音と、鼻をすする音が店内に響いた。


21 名前:あなたがくれたもの。私がもらったもの 投稿日:2003年08月01日(金)01時25分51秒
 
 おしまい
22 名前:2番手 投稿日:2003年08月01日(金)01時27分43秒
駄文、大変失礼しました。
読んでくださった方ありがとうございます。
23 名前:2番手 投稿日:2003年08月01日(金)01時28分14秒
24 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月01日(金)02時37分22秒
泣けた
25 名前:星と太陽 投稿日:2003年08月01日(金)03時04分11秒
見上げている星がきらめいて、圭織の顔はまるで、お姫様のように可憐で綺麗だった。
わたしが圭織に話しかけても、星ばかりに気を取られていて、しっかり応対してくれない。
圭織は、ずーっと星を見つめている。まるで、わたしのことなんて気付いていないみたい。

星は輝く。

しかたないから、わたしも星を見上げることにした。
圭織の横顔を見ていると、心がとても落ち着いて心地よかったけれど、
圭織が見ている視線の先の、一番星が、あんまり綺麗に輝いているから、
わたしも、しかたなくそれを見上げることにした。

「ねえ、圭織、どうして星を見つめるの?」
「何でだろうね」
「ねえ、圭織、どうして圭織は私の卒業を祝ってくれないの?」
「何でだろうね」

圭織は星を見つめている。
わたしも同じ星を見つめている。
圭織は時々、クスッと微笑したり、瞳を潤ませたり、その表情はまるで万華鏡のよう。
わたしも同じように、表情を豊かにしてみたけれど、全然うまく変わらない。
26 名前:星と太陽 投稿日:2003年08月01日(金)03時04分56秒
星は輝く。

「どうして星って光るんだろう?」
「何でだろう。でも」
「でも?」
「星が光らないと、とっても悲しいと思う」

圭織の言うことは不思議だったから、わたしはあははって笑うだけ。
そうすると、圭織もクスッと微笑を浮かべて、パチパチと二度まばたきをした。
さんさんと輝く太陽みたいだと、圭織はむかし、わたしの笑顔をそう言った。

「圭織はあのお星様みたいに、綺麗だよ」
「なっち」

星は輝く。

「卒業おめでとう」

圭織はやっと視線をわたしに向けた。

「ありがとう」

わたしは太陽みたく、笑って見せた。
圭織は、太陽はあったかくて、優しくないと悲しい、と言った。
そうだね、とわたしは優しく笑って涙を流した。
27 名前:  投稿日:2003年08月01日(金)03時05分27秒
28 名前:  投稿日:2003年08月01日(金)03時05分57秒
29 名前:  投稿日:2003年08月01日(金)03時06分29秒
30 名前:最終バス儀式 投稿日:2003年08月01日(金)21時36分53秒
‘Whose was it?’
‘His who is goe.’
‘Who shall have it?’
‘He who will come.’
‘Where was the sun?’
‘Over the oak.’
‘Where ws the shadow?’
‘Under the elm.’
‘How wa it stepped?’
‘North by ten and by ten, east by five and y five, south by two and by two, west by one and by one, and so under.’
‘What shall we give for it?’
‘All that is ours.’
‘Why should we giv it?’
‘For the sake of the trust.’
31 名前:最終バスと儀式 投稿日:2003年08月01日(金)21時37分41秒
 そいつは誰の物だ?
 逝っちゃった奴のだ
 そいつは誰の物であるべきなんだ?
 これから来る奴のだ
 太陽はどこに?
 樫の木の上
 影はどこに?
 楡の木の下
 どのくらい歩けばいいんだ?
 北に十歩、さらに十歩、東に五歩、さらに五歩、南に二歩、さらに二歩、西に一歩、さらに一歩、それでその下に
 そいつのために何やりゃいいんだ?
 私たちの持ってる物全部
 なんで?
 信義のために
32 名前:最終バスと儀式 投稿日:2003年08月01日(金)21時38分25秒
「何これ?」
「あたし宛に届いたメール。下のはあたしが訳したやつ」
「誰から?」
「さあ?」
 誰とも知らない人間からやってきたという、妙なものをカオリから見せられた。私に相談した理由というのは、「矢口ならこういうメール貰い慣れてるんでしょ?」というのだからあきれてしまった。
「よくわかんないけどさ、宝物のありかが書いてあるみたいだね」
 ある地点からどこそこへ何歩、とたどっていくと、最後の地点に何かが埋まっているというわけだ。
「でも、どこ?」
「さあ? カオリこそ心あたりあるんじゃない?」
 カオリは顎に手を当て、やがて首を振った。ほら、樫とか楡とか書いてあるじゃん、カオリさ、この二つの木があるところ知らない?
 この木がなんのことかわからないと言うので、図鑑で調べて見せてみた。ああ、見たことある、というので、その場所へカオリと一緒に向かった。
33 名前:最終バスと儀式 投稿日:2003年08月01日(金)21時39分10秒
 そこはカオリが昔住んでいたマンションが見える公園だった。芝生が広がるその一角に樫の木が一つ、何十メートルか離れて楡の木があった。
「どうするわけ?」
 カオリがまるで他人事のように話しかけた。私はむっとしたが、ここはこらえることにした。
「まずどの地点から歩いていけばいいのか、それを探さなきゃ」
 太陽が樫の木の上に。影は楡の木の下に。これは、太陽が樫の木のてっぺんにくるということだろう。ちょうどそのとき、楡の木の陰がのびているその先が出発点となる。
「でもさ、季節によってのびる影の長さとか違うんじゃない?」
 カオリが得意そうに言った。私をやりこめて喜んでいる。
「昨日、その変なメールが届いたんでしょ? それなら今の時期に決まってんじゃん」
34 名前:最終バスと儀式 投稿日:2003年08月01日(金)21時40分06秒
 梅雨時ではあったが、今日は運良く太陽が出ていた。太陽が西のほうに落ちようとしている。太陽と樫の木が一直線に見えるような位置にカオリを立たせ、私は楡の木の陰の先に立った。少しずつ私は移動していく。
「太陽が樫の木にかかったよ!」
 カオリの声で私は歩みを止めた。公園の敷地の真ん中だった。
「本当にそこ?」
 カオリが意地悪な眼を私に向けた。それを無視して、歩き始めた。北に十歩、さらに十歩、東に五歩、さらに五歩、南に二歩、さらに二歩……。
「ねえねえ、なんでさあ、『北に二十歩』って書かなかったんだろうね」
 うるさい。
 こんなことして遊んでいていいのか。秋にはさくら組とおとめ組に分かれてしまう。そして年明けには。
35 名前:最終バスと儀式 投稿日:2003年08月01日(金)21時41分08秒
「それにさあ、北へ行って、東へ行って、南へ行って、西に行って、なんてまわりくどいことしないでさ、『北へ十六歩、東へ八歩』でいいんじゃない?」
 やかましい。
 何のために私はこんなことをやっているのか。それは信義のため。
「はい」
 その地点に達した私に、カオリはスコップを手渡した。カオリのほうが体もでかい。なのに私がひいひい言いながら地面を掘り続けた。なぜかと言うと、私なりにカオリを気づかっていたのかもしれない。
「早くしないと、公園の管理人さんが来ちゃうよ」
 私はスコップの先をカオリに向けて思い切り振った。カオリはひょいとよけた。
 思いのほか地面は柔らかい。本当に宝物が埋まってるのかもしれない。で、やはりというか、手ごたえがあった。コツンコツンとスコップが音を鳴らす。
「矢口がんばれ」
 それでも手伝おうという気はないらしい。もうあきらめている。土まみれの、大きな布袋が現れた。
36 名前:最終バスと儀式 投稿日:2003年08月01日(金)21時41分58秒
「きゃっ、本当に出てきたー」
 カオリは私を突き飛ばすと、嬉々として袋を穴からひっぱりあげた。憤然として立ち上がり、服についた土をはらった。穴の中に突き落としてやろうとスコップをつかむと、袋の中をのぞきこんでいたカオリがかん高い悲鳴をあげた。
「どした?」
 いきなりカオリが抱きついてきた。それを払いのけてくすんだ色の布袋の口を広げた。勢いあまって中味が飛び出した。
「おっとっと」
 地面に落ちそうになるところを素早くキャッチした。ガイコツが私に微笑んだ。
37 名前:最終バスと儀式 投稿日:2003年08月01日(金)21時43分23秒
 私たちは全てを放り出した。警察とか誰かに知らせるとか、そんなことは頭に浮かばなかった。そのままカオリと分かれて、タクシーに飛び乗って家に帰った。
 真っ先に風呂場に飛び込んだ。洗っても洗っても、あの感触が忘れられない。肉がところどころついていた。
 体にバスタオルを巻いて、缶ビールを一気に喉の奥に流し込んだ。TVをつけた。白骨死体が見つかったというニュースはなかった。
「なんなんだよ」
 バッグの中から携帯電話が鳴った。取り出すと、メモがいっしょにでてきた。あのメールだった。携帯のほうは、カオリからだった。無視した。
38 名前:最終バスと儀式 投稿日:2003年08月01日(金)21時44分20秒
 髪を乾かしながら、ぼんやりとメモを眺める。思い当たることがあって、辞書を開いた。
 
 go vi. went; gone 行く, 進む; 過ぎ去る; 去る; 死ぬ; すたれる; だめになる; (火が)消える; 処分〔廃止〕される; …と(書いて)ある; (の状態)になる〔である〕
 
 go, went, gone。中学の英語の授業で習ったおぼえがある。「His who is goe.」とあるが、ここは gone でなければならない。n が抜けてる。七行目の「Where ws the shadow?」。was の a がない。十行目の「east by five and y five」。y というのはきっと by だ。b がない。十三行目、「Why should we giv it?」では、give の e がない。
 そう、コリン・デクスターのアレだ。
 抜けている文字をつなげる。nabe。N安倍。安倍なつみだ。
39 名前:最終バスと儀式 投稿日:2003年08月01日(金)21時45分29秒
 わかったこと。メールは二つの事実を指し示した。死体のありかと、死体の名前だ。そして不可解なカオリの行動。つまり、カオリがナッチを殺して、公園に埋めたということだ。
 ではなぜ、変な暗号文にして、私にそれを見つけさせようとしたのか? 後悔したカオリは、私に自分を告発したのだ。妙に回りくどいやり方だが、それがカオリらしさなんだろう。
 などと、落ち着いている場合じゃない。カオリがナッチを殺した! 動機は? いつ? どこで? どうやって?
 携帯が鳴った。カオリからだった。どうするべきだ。その人のために何をあげればいいのか。持っているもの全てを。何のために。信義のために。
40 名前:最終バスと儀式 投稿日:2003年08月01日(金)21時47分06秒
 
「あら、またメール来てる」
 
Hello, Mr. or Miss.
Truly sorry, I sent an e-mail to you by mistake yesterday.
Throw away that e-mail, please.
 
  R. Musgrave (a member of National Association of Business Economists)
 
「また変なの……矢口に相談しよ」
 
 
(了)
41 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月01日(金)21時48分11秒
42 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月01日(金)21時48分48秒
43 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月01日(金)21時49分42秒
44 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月01日(金)23時58分01秒
45 名前:さくら咲き、おとめ散る。 投稿日:2003年08月02日(土)01時10分52秒
飯田と安倍は大学の構内に並ぶ桜並木をゆっくりと歩いていた。

「……卒業おめでとう」

言葉とは裏腹に飯田が不満そうに呟くと安倍は苦笑いを浮かべた。

「全然祝ってくれてるようには見えないんだけど?」
「……当たり前じゃん。こっちは留年なんだから」
「バイトばっかして単位落とす圭織が悪いんだよ」
「だってさー、圭織はなっちみたいに実家からの仕送りだけじゃ
 生活していけないんだもん。神様って不公平だよー」
「っていうか、無駄使いばかりするからそうなるんだよ」
「…………でも不公平だ」

飯田は苦し紛れに呟いた。
文句を言っても仕方がないのだがどうしても愚痴りたい心境だった。

「でもさー、わざわざ卒業間際に籍入れる事なかったのに。
 卒業して落ち着いてからでも良かったんでない?」
「えー、だってなっちは早く結婚したかったんだもん」
「……あー、そうですか」

留年した飯田とは違って安倍は無事卒業する事が出来た上に数ヶ月前に結婚までしている。
北海道生まれで大学まで同じ道を進んで来た二人にとって初めての分岐点。
それが今だった。
46 名前:さくら咲き、おとめ散る。 投稿日:2003年08月02日(土)01時12分05秒
「でももう少しだけ学生でいたかったなー。楽しかったしさー」
「この贅沢者。こっちの身にもなってみろってーの。
 あーあ、圭織も早くなっちみたいになりたいなぁ」
「まずは卒業しないとね」
「ちぇ……」

飯田は足元に転がっていた小さな小石を蹴飛ばしながら口を尖らせる。
しかし安倍の幸せそうな笑みを見ていると膨れっ面をしている自分がますます
惨めに思えて、飯田は深々とため息をついた。

「じゃあ、そろそろ行くよ」

門の前まで辿りついて安倍は飯田に向かってにっこりと微笑んだ。
最後まで愚痴っている場合ではない、と思い、ようやく飯田も笑みを浮かべた。

「幸せになるんだぞ」
「うん。圭織も早く幸せになってね」

二人は心からお互いの幸せを願い、しっかりと握手を交わした。
安倍は笑みを浮かべたまま、くるりと飯田に背を向けて歩き出した。
そしてどんどん小さくなっていくその背中をぼんやりと眺めていた飯田の口から
最後の愚痴が出た。

「あーあ。留年と結婚じゃ、エライ違いだよ。全くさー」

姿が見えなくなるまで安倍を見送ってから飯田は踵を返して留年仲間の元へと
戻って行った。
47 名前:さくら咲き、おとめ散る。 投稿日:2003年08月02日(土)01時13分12秒
48 名前:さくら咲き、おとめ散る。 投稿日:2003年08月02日(土)01時13分47秒
49 名前:さくら咲き、おとめ散る。 投稿日:2003年08月02日(土)01時14分22秒
50 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月02日(土)02時19分19秒
これ好き。
51 名前:ドリーム・ドリーム 投稿日:2003年08月02日(土)07時22分56秒
最近心理学に凝っている圭ちゃんが言っていた言葉。シンクロニシティ。
この世の中の物はすべて見えないところでつながっている、ということらしい。
わたしとカオリの誕生日がたった二日違いのこと。そして同じ病院で生まれたこと。
さらに一緒にモーニング娘。に入ったこと。
あり得ない偶然だよねと思っていたこと全てが
シンクロニシティで説明できると教えてくれた。
世界は全てつながっている。だから私たちも何かでつながっている。


だけど、つながりが見えたのはそこまでだった。
カオリとわたしはぜんぜん違った。
大と小。大人と子供。カオリは背が高い美人で、わたしは小柄な童顔だ。
カオリはかわいい方が「おいしい」ってことを知っていたから、わたしを羨んでいた。
わたしもカオリを妬んだ。カオリはとっても綺麗だった。
勝ち負けで言ったら負けじゃないかなと思わされてしまう。
その思いには損得がなかったから、私の方がまっすぐ立っていられたんだと思う。
損得に悩むと心が疲れてしまうから、昔のカオリは情緒不安定だったのだろう。
52 名前:ドリーム・ドリーム 投稿日:2003年08月02日(土)07時23分28秒
まだわたし達が幼かった頃、カオリはカメラの前でも顔を歪ませて泣くことがあった。
その場にいるわたしは、ひたすらに笑った。
バラエティ番組の仕事が多かった。
泣き顔のカオリを笑ってみせれば、お茶の間の向こうにも笑顔だけが届く。
そう信じて笑い続けて何年も過ごしてきたら、私の笑顔がモーニング娘。の顔になって、カオリはグループのリーダーになっていた。

一生懸命に走り続けて、いくつものゴールを抜けてきて、
今はふっと気が抜けがちになる時期になった。
そんな時は、真っ先にカオリを探している。
顔を歪めた色っぽい笑い方をみると、自分がどこまできたのかを実感できた。
私のほんの二日前を長い足を闊歩するカオリから受ける頼もしさは、
そのまま自信に返ることができる。

知らない間に繋げられたシンクロシティ、見えない絆だったけど、
わたし達はそれをCDリリースとアイコンタクトの仲間達に変えることができた。
向こう側とこちら側から歩いてきてここで出会い、
一緒なって見えない物を見える形にしてきた反対側にいるわたし。
カオリのことをそう考えるのは、けっこう楽しい。
53 名前:ドリーム・ドリーム 投稿日:2003年08月02日(土)07時24分12秒
54 名前:ドリーム・ドリーム 投稿日:2003年08月02日(土)07時24分57秒
55 名前:ドリーム・ドリーム 投稿日:2003年08月02日(土)07時25分38秒
まあきらと愉快な仲間達
56 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月02日(土)14時12分16秒
巧い
57 名前:最低 投稿日:2003年08月03日(日)04時51分08秒
真暗なバックステージで、カオリが言った。

「あたし、辞めようと思うんだ」

福ちゃんも、彩っぺも、紗耶香も、裕ちゃんも、あたしを置いて行っちゃった。
ごっちんもいなくなって、圭ちゃんもいなくて。
その上、カオリまでいなくなったらあたしはどうしたらいいの?

そんなの、悲し過ぎるよ。
そんなの、寂し過ぎる。

だから、あたしは言った。

「卒業させて下さい」

レコーディングスタジオにいたスタッフの人達が、驚いたように一斉にあたしの方を見た。
つんくさんは、口の端を少し上げて、小さな笑みを漏らした。

「…そうか」

今までお疲れさん、て軽い言葉を掛けられて、あっけなく、あたしの卒業は決まった。

そして――
58 名前:最低 投稿日:2003年08月03日(日)04時51分51秒

「なんと、満を持してめでたく、2004年の新春ハロープロジェクトコンサートツアー一杯で
 安倍なつみがモーニング娘。を卒業する事が決まりました」

騒然とする場内に向かうために歩き出そうとしたら、カオリの声がした。

「…どうして…」

あんな泣きそうな顔してるのを見るの、久しぶりな気がした。

けど、きっとあたしは一生言わない。

カオリのいなくなったモーニング娘。で頑張れる自信なんてなかったから、カオリがいなくなる前に
あたしが辞めてしまおうって思った事は。
きっと、一生言わない。

おしまい
59 名前:羽根をもがれた天使 投稿日:2003年08月03日(日)04時52分30秒
緩やかに時の流れる天上界にて、二人の天使が何やら話をしている。

「ねぇ、人間界に戻るって?」
「うん…」
「けど、もうずっとこっちにいるって言ってなかったっけ?」

長身の天使が小ぶりな天使を問い詰めているようだ。

「うん…そーなんだけどね。
 ほら、この前、マキちゃんが還ったっしょ?」
「あぁ、うん」
「それ見送ってたらさ、あたしも還りたくなっちゃったんだよね…」

伏し目がちに呟く。
申し訳なさそうに。
60 名前:羽根をもがれた天使 投稿日:2003年08月03日(日)04時53分08秒
「…行かないでって…言ったら…?」
「…それは言いっこなしだよ、そんなの…」
「…もう、二度と会えなくなるんだね…」
「…。
 ねぇ、カオ」
「…」
「もし、もしさ、戻る気になったらさ…、また、会おうね。
 きっと、会えると思うから…。
 そーゆー運命な気がしてるの。
 カオとは…」
「…分かんないよ…。
 だって、二人とも、お互いの事もここでの事も自分の事も忘れちゃうんだよ?
 人間界に還るって、そーゆー事じゃん…」
「うん…けど…また、会いたい。カオに」
61 名前:羽根をもがれた天使 投稿日:2003年08月03日(日)04時53分57秒
それから数日後。
小柄な天使が人間界へと旅立つ時がやって来た。

「じゃあ…行くね…」

小さな手を差し出す。

「…ナツ」

その手をきつく握り締める。

「…ん?」

瞳を合わせる。

「あたしも行く」
62 名前:羽根をもがれた天使 投稿日:2003年08月03日(日)04時54分48秒
†††

そして、1981年夏。

もうすぐ二人の運命が、繋がる。
63 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月03日(日)04時55分53秒
川 ‘〜‘)||
64 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月03日(日)04時56分25秒
65 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月03日(日)04時57分12秒
天使
66 名前:偶然にも最悪なオリメン 投稿日:2003年08月05日(火)03時15分54秒
ドンドンドン。
ダンスレッスンでくたくたに疲れた一日の終わり。
ホテルで休んでいたあたしを訪ねる人があった。

「れーいな。れーいなっちゃん!」
「飯田さん?」
「飯田さんなんてイヤ。カオリンて呼んで」
「いや、あの、キモいんで…」

飯田さんは白い肌をほんのりと赤く染め、口はいつになく饒舌になっていた。
あたし、田中れいなにとって、リーダーのこんな姿を見るのは初めてのことだ。

「酔ってるんですか?」
「れいなちゃん、時間ある?」
「酔ってるんですね?」
「ちょっと来てくんない?」


ホテルの地下駐車場。
周囲の大衆車を圧倒するように、一台のベンツが鎮座していた。
見たことがある。事務所の偉い人が乗り回してるやつだ。

「飯田さん、免許持ってたんですね」
「いやあ、全然」
「もういいです」

あたしはウィンドウからクルマの中を覗き込んだ。
儲けてるだけあって、内装は豪華なものだった。
シックな木目調のダッシュボード。
なにやら高級そうな革張りのシート。
後部座席に横たわっている安倍さん。
67 名前:偶然にも最悪なオリメン 投稿日:2003年08月05日(火)03時17分23秒
「安倍さん!?」
「だってしょうがないじゃない。なっち、卒業するっていうんだもん」
「ちょっと待ってくださいよ。
 まさかコレ、死んでるんじゃないですよね!?」
「はあ? んなわけないじゃん。
 潰れてるだけだよ」
「ていうか普通に運転席座ってますけど、
 飯田さん、呑んでるんですよね?」
「ハイれいなちゃん、コレ持って」

そういって飯田さんが手渡してきたのは全国版のロードマップ。

「圭織、カーナビとかよくわかんなくてさ」
「どっか行くんですか?」

飯田さんはにっこり笑って、ちょいちょいと助手席を指差した。

「北海道」


県道だか国道だか、とにかく車線のいっぱいある太い道路。
メルセデスベンツは暗闇をヘッドライトで照らしつつ、快調に走っている。
なんでも『高速道路だとアシがつくからダメ』らしい。
とりあえず逆らわない方がよさそうだ。
68 名前:偶然にも最悪なオリメン 投稿日:2003年08月05日(火)03時18分09秒
「なっちがさあ、卒業するんだよ」
「知ってますよ」
「だからね、圭織、なっちがいなくなっちゃう前に、
 なっちを北海道に連れてくの。
 目が覚めたら北海道って、なっち、びっくりするじゃない?」
「えーと、じゃあ、室蘭ですか」
「エ? いや、稚内とか滝川とかで」
「イヤガラセじゃないですか」

最悪だ、この人。

「なんであたしなんですか? ナビ役」

まさか別の田中麗奈と間違えたわけじゃあるまいな。

「だってホラ、こないだ新刊出たじゃない?
 安部定事件で田中さん、なっちのことネタにしてたし」

まさか、そっちの田中さんと間違えてるとは思わなかった。

「カオ・なち、2人きりい、みたいな」
「あの、度々聞きますけど、安倍さん生きてますよね?」
「生きてるよ」
「殺すつもりじゃないですよね?」
「全然生きてるってば」

ダメだ、この人。

「心中とか、するつもりじゃないですよね?」
「アハハ、まさか」

よかった。

「同意得てないから、むーりしーんじゅうー」

最悪だ、この人。
69 名前:偶然にも最悪なオリメン 投稿日:2003年08月05日(火)03時19分01秒
「あれ、れいなちゃん? なんでここに?」
「飯田さん、ホント大丈夫ですか?」
「えっと、ホラ、アレだよ。
 オリメンから新メンへ、うーんと、世代交代、みたいな?」
「ソレ絶対今考えてるじゃないですか。後付けじゃないですか」
「カオ・レナ、2人きりい」
「いや、マジでキモいんで…」

メルセデスは快調に走り続けている。
事故っちゃえばいいのに。


景色からコンクリートのビル郡が消える。
ウィンドウから見えるのは、一面の田んぼと野原。
夜は白々と明け始めていた。

「いま、どの辺?」
「さっき新潟に入ったとこです」
「じゃーもうこの辺でいいや。降りよ」
「エ? ちょっと、北海道は?」
「いーのいーの。
 ホラ、圭織って初志貫徹しないタイプだから」
「最悪じゃないですか」
「なんだとお。
 圭織が初志貫徹してたら、今頃ロックボーカリストになってるんだぞ。
 シャンソンなんか歌ってないんだぞ」
「ハイハイ」
70 名前:偶然にも最悪なオリメン 投稿日:2003年08月05日(火)03時19分48秒
「いーじゃん新潟で。確か、新潟出身のメンバーもいたよね?」
「小川さん…?」
「じゃ、小川麻琴卒業記念てことで」
「ちょっと、あのソレ、マジでシャレんなってないんですけど!?」
「田中もさあ、なんで九州出身なのに佐賀出身じゃないの?」
「無理いわないでくださいよ」


いい気なもんで、飯田さんは野原にしゃがみこんで
トランクから出したクーラーボックスに入ってた缶ビールをあおっている。

「ただのドライブじゃないですか、これじゃ」

後部座席から出された安倍さんは、飯田さんの横で相変わらず眠り続けている。

「なっちがさあ、卒業するんだよね」
「知ってますって」
「圭織となっちはさ、デビューからずっと一緒だったんだよ」
「知ってますよ」
「ホントはね、一緒だったんだよね」
「ハイ?」
「卒業」
「ヤなことぶっちゃけないでくださいよ」
71 名前:偶然にも最悪なオリメン 投稿日:2003年08月05日(火)03時22分18秒
「でも、結局なっち1人が卒業することになっちゃった」
「まあ、飯田さんリーダーですし…」
「いやあ、オサヴリオ売れなくってさあー。
 いま1人立ちさせたらフツーに路頭に迷うっていわれて」
「お願いですから、ヤなことぶっちゃけないでくださいよ」

でも、お圭さんとのデュエットだってお世辞にも売れたとはいえない。
『22歳の私』が、そんなに売れると踏んだんだろうか。
取らぬ狸の皮算用。
あたし加入したばっかなのに、なんでこんなこと考えなくちゃならないんだろ。

「いーい、天気だよねー」
「未明です。朝露とか降りてます」
「田中さあ、なっちゃんさあ」
「なっちゃん呼ばわりやめて下さい」
「アオカンしようぜっ」
「無理いわないで下さい」
「じゃーいいよ。なっちとするもんね」

そんなこといいながら、
飯田さんは眠ったままの安倍さんの胸をぽふぽふ叩き始める。
72 名前:偶然にも最悪なオリメン 投稿日:2003年08月05日(火)03時24分12秒
「田中、れいなちゃん、写メール持っとると?」
「付け焼刃の九州弁やめて下さい」
「今からなっちとベロチューするからさ、撮って撮って」
「あの、寝てるひとにそういうことは…」
「じゃあさじゃあさ、田中、圭織とベロチューしようぜ。
 そんでその写真、朝日新聞に売ろうぜ!」
「いや、あの、せめてアサヒ芸能に…」

どうしたもんだろう。この、もうすぐ22歳になるリーダー殿は。
壊れてるんだろうか?
気持ちはわかるけど、
こういうことは矢口さんとか保田さん相手にして欲しい。


「うん? んん?」

缶ビールを半ダースほど空にした飯田さんが
高いびきを上げるのとほぼ入れ替わりに、安倍さんが目を覚ました。
とりあえず生きてることがわかって、ひと安心。

「うわっ、なにコレ? ていうか、ここドコ?」

安倍さんは飯田さんにひっかけられたビールで全身びしょ濡れだ。
すぐに横で寝てる飯田さんに気付き、容赦なく蹴りを入れ始める。
73 名前:偶然にも最悪なオリメン 投稿日:2003年08月05日(火)03時24分56秒
「圭織の仕業だべな!? マジ最悪だよ、コイツ」
「あの、飯田さん、安倍さんを北海道に連れてきたかったみたいで…」
「どうせ稚内とか網走とかに捨ててくるつもりだったんだべ!?
 田中、れいな! 写メール持っとるべ!?
 圭織のパンチラ写真撮って週刊文春に売ってやるべ!」

マジ最悪だ。このオリメン2人。


ひとしきり毒づくと、安倍さんは野原にどっかりと座り、
缶ビールをあおりはじめた。

「あの…、そろそろ…」

今日は午前9時からダンスフォーメーションについての打ち合わせがある。
現在午前6時。
絶望的に間に合わない。

「いーべいーべ。責任は圭織に取ってもらうべさ。
 認知も養育費も、ぜーんぶ圭織持ちだべさー」

ダメだ。安倍さんもダメだ。
なんとしてでも事務所と連絡を取らなくちゃならない。
でも、あたしの携帯電話は安倍さんの手の中だ。
おまけにオリメン2人のイヤな画像を山ほどメモリに入れられてる。
74 名前:偶然にも最悪なオリメン 投稿日:2003年08月05日(火)03時25分40秒
「ふう…」

あたしの携帯電話を飯田さんのスカートの中に突っ込んで
パシャパシャやりながら、安倍さんがため息をついた。
なんでもいいから、まず携帯電話を返して欲しい。

「偶然、なんだよね」
「ケータイ返してくださいよ」
「圭織となっち、全然違うタイプだもんね。
 もしあのとき、同じオーディション受けて、落ちてなかったら
 一生会わずに済んだんだろうね」
「あの、結構似た者同士ですよ?」
「なっちは童顔の天使。
 圭織は長身の年増女神ヘラ」

聞いちゃいない。しかもちょっと毒吐いてる。

「偶然、落ちこぼれユニット結成させられて、
 偶然、売れて、
 偶然、脱退加入繰り返すグループで、
 偶然、分割することになって、
 偶然、なっちが卒業することになった。
 全部、寺田の意志って名の偶然なんべな」
「ソレ、偶然なんですか?」
「偶然、だべさ。
 偶然じゃなきゃ、やってられないべ。
 こんなヤツと腐れ縁なんて」
そういって飯田さんのほっぺをぎゅうとつねる安倍さんの顔は、
笑ってるようで、泣いてるようで、
やっぱ、最悪だった。
75 名前:偶然にも最悪なオリメン 投稿日:2003年08月05日(火)03時26分16秒
「田中、さあ」
「ハイ」
「よろしく頼むね」
「まー、ハイ」
「カントリー娘。のこと」
「あの、ちょっと、ソレどういうことですか!?
 こっち向いてくださいよ、安倍さん!」


結局、あたしたちは仕事に1日穴をあけた。
飲酒運転とかスピード違反とか無免許運転とかで
すっかり軽犯罪者になったあたしたちに、
事務所のひとはちょっと困った顔をして
『もうするんじゃないよ』
といったっきりだった。
76 名前:偶然にも最悪なオリメン 投稿日:2003年08月05日(火)03時27分24秒
そして、以前と変わらない芸能活動の毎日が再開された。
飯田さんは今日も後輩に厳しい激を飛ばしているし、
安倍さんは安倍さんで、ソロと本体の仕事で飛び回っている。
でも、以前とは確実になにか違う。
年明けのコンサート後、安倍さんは間違いなくいなくなる。
そして、偶然が起きない限り、もう出会うこともない。
考えてみれば、ハロプロコンサートとかで普通に会うような気がするけど。
多分、2人にいわせれば、それもまた偶然なんだろう。
あの日、あたしが偶然2人のクルマに乗り合わせたように。
77 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月05日(火)03時27分57秒
川゜皿゜)||
78 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月05日(火)03時28分45秒
ガ
79 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月05日(火)03時29分15秒
80 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月05日(火)05時46分08秒
>>66-76
良すぎ。 ・゚・(つД`)・゚・。
81 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月05日(火)10時59分45秒
おもしろかったよ
82 名前:誘い 投稿日:2003年08月05日(火)23時05分41秒
安倍なつみと飯田圭織は争っていた。
二人の前には粗末なドアがあった。ドアには「↑」と描かれた紙が貼り付けてあった。

「絶対出口だって! 間違いないから!」

顔を赤くして安倍が喚いた。

「だからおかしいって言ってるじゃん。何でこんな所に都合良く扉があるのさ」

飯田はそう言ってペチペチと壁を叩いた。

「それに、中に扉が有る井戸なんて聞いた事ないよ」
83 名前:誘い 投稿日:2003年08月05日(火)23時06分27秒
二人は井戸の底に立っていた。二人のずっと上に円い空が見えた。

「じゃあ何? ずっとここに居るってわけ? なっちもう我慢できないよ!」

安倍は閉所恐怖症だった。安倍が誤って古井戸に落下し、飯田が助けに降りてから二時間が経つ。
その間二人は、扉について同じ議論を繰り返していた。

「下手に動くのは良くないよ。素直に助けを待った方がいいと思う」

「はぁ? 何が素直によ。大体圭織がろくに考えもせずに降りてきちゃったからいけないんでしょ?
ロープの一本も持ってないのに、誰か呼んでこようとか思わなかったわけ? とにかく、なっちは行くよ!」
84 名前:誘い 投稿日:2003年08月05日(火)23時07分14秒
自分の失敗に関しては、飯田は責任を感じていた。
とうとう安倍の頑固さに折れた飯田は、黙って従うことにした。

安倍がノブを回した。扉の向うには、上へと続く階段が闇の中に延びていた。

「ほらやっぱり出口だ!」

安倍が駆けだし、飯田もそれに続いた。二人は猛烈な勢いで駆け上がった。弾丸の様に走った。
階段は途中で消えていた。急には止まれなかった。
85 名前:誘い 投稿日:2003年08月05日(火)23時08分00秒
安倍なつみと飯田圭織は茫然としていた。

「ちょっと上まで来過ぎたかも……」

「そうだね……」

二人の前には大きな裁判所が有った。
86 名前:誘い 投稿日:2003年08月05日(火)23時10分05秒
おしまい
87 名前:誘い 投稿日:2003年08月05日(火)23時11分06秒
88 名前:誘い 投稿日:2003年08月05日(火)23時11分48秒
89 名前:誘い 投稿日:2003年08月05日(火)23時12分21秒
90 名前:誘い 投稿日:2003年08月05日(火)23時12分58秒
骨体
91 名前:スローストーリー 投稿日:2003年08月06日(水)00時29分29秒
ゆっくり彼女は呟いた。
私の顔も見ないで呟いた。



92 名前:スローストーリー 投稿日:2003年08月06日(水)00時30分56秒
驚いた。
「カオリの家に行きたい」
この言葉をなっちの口から聞いたのは何時以来だろう?
それすら思い出せないくらい過去の事だった。もしかしたら今の今まで無かったのかも知れない。それはないか。
なっちは頑固で我侭な子だと思っていた。心が錆付いて人の痛みに鈍い子なんだと。だから私はあまり好きじゃなかった。圭ちゃんが私となっちの手を握らせた時は、純粋に今までの事は帳消しにしてゼロからやっていけると思った。新しいモーニング娘。がなっちとカオリの手の中から生まれた感じ。わかる?
でもダメ。やっぱり私はなっちが苦手。何でも好き勝手やっちゃうし、カオリの言う事全然聞いてくれないし、ちっちゃい子達を直ぐ甘やかすんだもん。カオリが折角、心を鬼にして怒ってるのに。
でも錆付いていたのはなっちじゃなくて私の方だった。

93 名前:スローストーリー 投稿日:2003年08月06日(水)00時32分50秒

帰りの仕度をしている時だった。お疲れとでも一言言ってさっさと楽屋を去ろうとしていたその時、
「カオリの家に行きたい」
なっちはなっちで自分の顔を鏡で見ながらそう言った。
私はそれを聞き逃した振りをした。この部屋には私となっち以外に誰もいないのはわかっていた。
だからこそ、その言葉に現実味が無くて受け止める事が出来なかった。
「カオリの家に行きたいなー」
2度も言った。さっきよりもゆっくり、私の顔を見ないでその言葉を言った。
私はどうして良いのわからずに暫らくなっちをじっと眺めていた。なっちはまだ自分の顔を手鏡で見ていた。
怖かった。なっちはたまにとても恐い事をする。それはカオリが全く理解できない事。
それもなっちが苦手な原因の一つ。
「別にいーんじゃない」
他人事みたいに言ってみる。まだこれが現実だと認めたくないみたい。
「そ、じゃあ行こう」
なっちは手鏡を仕舞って颯爽と楽屋を出た。
私は楽屋に一人茫然と立ち尽くしていた。世界中のみんなに取り残された気分。化粧台の鏡をみたら驚くほど大きく眼を見開いた私がいた。これじゃあ、また後輩に恐いって言われちゃう。気を付けないと。

94 名前:スローストーリー 投稿日:2003年08月06日(水)00時34分01秒



タクシーから見た夜の星は怯えてた。



95 名前:スローストーリー 投稿日:2003年08月06日(水)00時37分55秒
なっちの目はさっきから忙しなく私の部屋中に向けられていた。
あまり良い気分じゃない。こういう所にも気が利かないんだもん、なっちは。
「カオリー、なっち喉渇いちゃったよー」なっちは勝手にソファーに腰を下ろしてそう言った。
どうしよう。すんごくお説教したい。なっちが良い子になるために怒ってあげたい。でもどうせなっちは真面目に聞いてくれないんだ。いつもそう。私がお説教すると、くすくす笑うの。他の子を怒っている時も笑ってる。本当に頭に来るんだけど、カオリはリーダーだからそういうのも我慢しなければいけない。
96 名前:スローストーリー 投稿日:2003年08月06日(水)00時38分48秒
「水でいい?」
「えー、みずぅー?」
「じゃあ紅茶」
「うーん……いいよ」
97 名前:スローストーリー 投稿日:2003年08月06日(水)00時39分41秒
私は紅茶を入れている最中思った。なっちは1人で生きて行けるのだろうか。掃除は?洗濯は?お料理は?
絶対できっこない。なっちは何時まで経っても子供なんだもん。出来るわけ無いよ。
私が今ここで死んじゃったらどうするんだろう?もし、なっち以外のみんなが死んじゃったらどうするんだろう?宇宙で一人きりになったらどうするんだろう?私は想像してみた。でも宇宙で一人きりになったらカオリでも恐いや。
「カオリー、紅茶まだー?」
なっちの声に慌てて見たティーカップは、もう少しで泣き出しそうだった。
98 名前:スローストーリー 投稿日:2003年08月06日(水)00時40分21秒



カーテンの隙間から見えた夜の星は怒っていた。



99 名前:スローストーリー 投稿日:2003年08月06日(水)00時41分29秒
「カオリー、ラーメン食べたくない?」
なっちの紅茶が丁度空になった時、彼女はまた我侭を言った。
たぶん、今TVでやっているこの番組を見てラーメンを食べたいと思ったのだろう。
紅茶を飲んでいる間、私達は一言も話さなかった。ただずっとこのくだらない番組を二人で眺めていた。時間はゆーっくりと進んでいた。
でも今度の我侭は私は素直に聞いてあげる事にした。私のお腹も「カオリー、お腹減ったよー」ってさっきから鳴き続けている。
「サッポロラーメンでいい?」
「何?カオリの手作り?わぁー食べたい!」
少し嬉しかったけど、顔には出さない様にしてキッチンに向かった。
「カオリ、ラーメン得意なの?そんな嬉しそうな顔しちゃって!」
やっぱり気の利かない子だ。
100 名前:スローストーリー 投稿日:2003年08月06日(水)00時42分18秒



星が縁取られたお椀からは、なぜかすごく懐かしい匂いがした。



101 名前:スローストーリー 投稿日:2003年08月06日(水)00時43分50秒
「カオリー、寂しいよー」
ゆっくり彼女は呟いた。
私の顔も見ないで呟いた。
今度はカオリのお椀からラーメンが無くなった時、なっちは抑揚無く呟いた。ソファーにうつ伏せになって呟いた。
「カオリー、帰りたくないよー、寂しいよー」
「嘘つき」
言葉が出た。カオリの心が素直に言った。
こんな時、私は何時でもなっちの言葉が恐かった。いや昔は全然恐くなかった。何時からか恐くなっていたんだ。そして今それに気付いた。恐くなくなった日、恐くなかった日を思い出した。
「えへ」
なっちは笑ってる。だからカオリも笑ってる。
102 名前:スローストーリー 投稿日:2003年08月06日(水)00時44分36秒



なっちを見送るために家を出た。二人で見上げた空は星達がゆっくり何かを呟きあっていた。



103 名前:スローストーリー 投稿日:2003年08月06日(水)00時46分10秒
次の日、つんくさんからなっちの卒業を教えてもらった。
みんな泣いていた。
矢口も石川もよっすぃーさえも。ののもあいぼんも高橋も紺野も小川も新垣も。藤本だって亀井だって道重だって田中だって。

私となっちだけが泣いていなかった。私となっちだけが。

私はその日、なっちと一言も話す事が出来なかった。
私はその日、なぜか電車で家へと帰った。
104 名前:スローストーリー 投稿日:2003年08月06日(水)00時47分14秒

電車に揺られながら今日の事がゆっくり思い出される。


105 名前:スローストーリー 投稿日:2003年08月06日(水)00時48分16秒
なっちがいなくなった後、みんなが同じ様な事を私に言った。

飯田さんが怒っているのはみんなのためだって何時も安倍さんは言っていました。
安倍さんはいつも飯田さんを褒めていました。
安倍さんは1番飯田さんを信頼していました。

そんな類の事を順番に言われた。
みんな私に気を使ったのだろうか?初期メンバーで独りきりになる私に気を使ったのだろうか?
そんなの聞きたくなかった。嘘でも真実でも聞きたくなかった。
みんな死んじゃえって本気で思った。
世界中の何もかもが嫌いで憎くて、なっちの顔が頭から離れなかった。
なっちがずっと笑ってる。
なっちがずっと我侭を言っている。
ゆっくり、私の顔も見ないで呟いている。
寂しいよーって言っている。
106 名前:スローストーリー 投稿日:2003年08月06日(水)00時50分11秒



電車から見えた星は、一つだけ。ぼやけて良くわからなかった。



107 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月06日(水)00時51分06秒
108 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月06日(水)00時52分02秒
109 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月06日(水)00時52分52秒
110 名前:Wo 投稿日:2003年08月06日(水)01時09分32秒
俺の目の前もぼやけてます
111 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月06日(水)05時56分16秒
こんな時間に読んじまった
泣けてきた
112 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月06日(水)11時45分31秒
泣いた…
113 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月06日(水)22時57分59秒
目から汗が・・・
114 名前:雨のち晴れ 投稿日:2003年08月07日(木)20時59分07秒
「カオリはさー。」
「んー?」
カオリは鏡に向かって髪の毛をといていて、なっちの話に気を許したように
軽く聞き返す。
思えば、少し前ではありえない光景で、そのことを実感するたびに圭ちゃ
んのおかげだねぇ、なんて思ったり思わなかったり…。
「いつから知ってたの?」
「何を?」
髪をとかしてた手を止めて、大きい目をクルリとこっちに向けてカオリが聞く。
数ミリの間違いさえもないような整った顔立ち、この顔で真正面から話しか
けられて逃げられる人なんているんだろうか。
綺麗じゃないココロとかそういうの一切受け付けようとしない目。
自分の汚いとこなんて気づかないで、そのままずぅーっと真っ直ぐに突き進
んで行きそうな、そんな目。なっちとは反対だ。
115 名前:雨のち晴れ 投稿日:2003年08月07日(木)21時00分15秒
「…なっちが、卒業すること」
なっちがそういうと、カオリは戸惑った様子もなく、さっきまでの輝きを少し曇らせて
悲しそうに目を伏せる。
「だから、なっちと仲直りしようとしたんだね」
最初はこの話をしようとしたときは、怒るつもりなんてなかった。
なんとなく、なっちの卒業が近いことをカオリは気づいてたって圭ちゃんから
聞いたとき、カオリのその気持ちをありがたいと思ったし、うれしいとも思った。
116 名前:雨のち晴れ 投稿日:2003年08月07日(木)21時01分03秒

でも、話した途端、自分で気づいてなかった感情がふつふつと浮き上がってくる。

「いつも、カオリはそうだよね、自分が正しいと思ってる。
なっちの苦労や苦しさとか、全部認めないで、運が良かったって思ってるんだ。
今回もそう。なっちとはもうお別れだから最後になっちにいい思いさせなきゃと
か思ったんでしょ?二人のためでも娘。のことでもなんでもない。カオリはただ
自分が傷つきたくないだけ。」
117 名前:雨のち晴れ 投稿日:2003年08月07日(木)21時01分53秒
違う。違う。違う。
マシンガンのようにとまることの無い口からでる酷い言葉。
なっちの頭の中で違うという焦りの言葉だけが反復して、止めよう、謝ろう
とする意思とは反対に、体はいうこと聞かずに勝手に動いて楽屋からでていく。
ドアをあけて、外に出て、どこへでもなく歩きだす自分の後ろから、
パタンという静かに楽屋のドアが閉まる音が後ろから聞こえた。
118 名前:雨のち晴れ 投稿日:2003年08月07日(木)21時02分23秒
どこに流れていくかもわからない雲を見上げる、この雲はなっちの知らない
世界とか、手に届くことも無い場所に流れていっちゃうんだろう。
楽屋に帰ることもできずに、ただ足の向くままに屋上へと上っていた。
外は昼だというのに薄暗くて、全体を灰色の雲が覆いかぶさっていて、雨で
も降り出しそうに重かった。
119 名前:雨のち晴れ 投稿日:2003年08月07日(木)21時03分13秒

 不安 プレッシャー。
正体がはっきりとしない大きくて押しつぶされそうな不安、恐かった。
いつだったか、同じような恐さを体験したことがある。
 …でも、あの時は一人じゃなかった。
ポツンと、手のひらに水が落ちた。
自分の涙だと思ったそれは、重さに耐えられなくなった雨で、次々になっちの
身体にポツポツと降ってくる。
顔を上にあげて、精一杯雨を受けて、
なっちの目から零れ落ちる涙も一緒に混じらせる。
120 名前:雨のち晴れ 投稿日:2003年08月07日(木)21時03分56秒

「なーにやってんのー!?」
屋上の入り口から、カオリの不機嫌そうな声が聞こえてきて、
どうしようもない安堵感に力が抜けた。
「雨がねぇ、一緒に泣いてくれてんだよ」
そうやって笑うなっちに、カオリはあきれた顔して、こっちに歩いてくる。
「カオリ、濡れるよ?」
「昔はさぁ」
カオリはなっちの心配を無視して隣に座る。
「うん」
「みんなで良く泣いてたよね」
そういって、カオリは整った、1ミリの間違いもないような綺麗な顔をくしゃくしゃ
にして悲しそうに笑った。
121 名前:雨のち晴れ 投稿日:2003年08月07日(木)21時06分25秒
おわり。
122 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月08日(金)14時42分36秒
誕生日おめでとう。
いつも一歩先を歩いてるあなたを追い越してしまうまで後数ヶ月。
その数ヶ月間は迷子にならないように道しるべとして先を歩いていてください。

かおりへ
                         なつみより
123 名前:8月9日 投稿日:2003年08月09日(土)01時25分24秒
「ねえ圭織、もし1年のうちに1日だけなくなるとしたらいつがいい?」

「うーん……いつだろ?急に言われてもなー」

「私は今日。8月9日をなくしたいんだ」

「どうして?」

「そしたらさ、8日の夜に圭織といてさ、おめでとうって言えるし、
12時回ると10日になって私がおめでとうって言ってもらえるじゃん」

「……バカ……いつも一緒にいるよ」

「そっか……」

「それにさ、私は9日は特別な日だから、無くしたくないの」

「どうして?」

「それはね、なっちのお姉さんになれる一日だからよ……」

「……圭織こそバカだよ」
124 名前:8月9日 投稿日:2003年08月09日(土)01時26分12秒
おしまい
125 名前:名無しオイラ 投稿日:2003年08月09日(土)08時08分08秒
8月9日、イイ!!
126 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月09日(土)11時30分19秒
オイラも参加。

黒くて長い話なんで、ご注意を。
127 名前:此花咲耶姫 投稿日:2003年08月09日(土)11時32分11秒
天つ神である天照大御神は葦原の中つ国を治めようと孫の迩迩芸命(ニニギノミコト)を遣わした。
迩迩芸命は高千穂の峰に降臨し、その地の大山津見神(オオヤマツミノカミ)の娘の此花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)を見初め結婚を申し出る。此花咲耶姫は二人姉妹で姉の名は石長姫(イワナガヒメ)といった。
此花咲耶姫は桜の化身とも言われるほど美しい女性であったが、姉の石長姫は顔が醜かった。
大山津見神は妹と一緒に姉も迩迩芸命に嫁がせるが、迩迩芸命は姉の石長姫の醜さに一日で帰してしまう。
実は此花咲耶姫は桜のように咲く繁栄の象徴であり、石長姫は永遠の命の象徴であった。石長姫を邪険にしてしまったために、迩迩芸命の子孫である人間の寿命は儚く短い物となったという。
128 名前:此花咲耶姫 投稿日:2003年08月09日(土)11時33分09秒
□ ■ □ ■

「安倍なつみの娘。からの卒業が決定しました。おめでとう。イェーイ。」
コンサート会場の前に設置された大画面のスクリーンの中でつんくさんが不自然にはしゃぎながら、なっちの卒業を発表しているのを見て、わたしは冷たい笑いが込み上げてくるのを押さえられなかった。

つんくさんのいきなりの発表を聞いた会場の中のファンが「うおぉ」とも「いやぁ」ともつかない獣じみた悲鳴を上げている。コンサートホールの温度が、さっきより数度は上昇したみたいだ。
なんだか、頭がクラクラしてきた。
酸欠状態なのかな。
この日の出来事は少なからず、わたしが計画したことなのに、いざ目の前に見せられると映画の中の物語みたいに現実感を失って思える。

なっちが独りで挨拶する。
舞台照明の下で照らされた、横顔のなっちの頬がこけている。
激しく痩せちゃったな。なっち。
それはそうだろう。
これからは、娘。の大きな後ろ盾を無くして、芸能界の荒波の中に自分一人で漕ぎ出さなくてはならないのだ。
「娘。の顔」とか「マザーシップ」なんて持ち上げられて、いい気になっていたツケがこれから一気に来るはずだ。
129 名前:此花咲耶姫 投稿日:2003年08月09日(土)11時34分34秒
舞台袖でわたしはなっちの姿を見ながら、初めて会った日の事を思い出していた。
ASAYANの『ロックボーカリストオーディション』の最終候補に私達二人は残っていた。
当時はお互いにまだ15歳だった。
同郷の気安さや同い年という事もあって、すぐに打ち解けて話すようになったし、オーディションが進み、東京に出てこなくてはいけなくなると、行き帰りの飛行機も一緒に隣り合わせの席で利用したりもした。
でも、いくらもしない内にわたしにはなっちの自己中心的な性格の欠点が見えてきた。彼女は無意識なのかも知れないが、自分の周りの人間に序列を付けていた。なっちの人間評価の基準は「自分より上か。下か。」だ。

なっちが自分より下と判断した人間には、まるで自分がお姫様であるかの様に振る舞った。もちろん、あからさまに態度に示す訳ではないが、下の人間に対する時のなっちはまるで「慈悲を掛けてあげている。」と言わんばかりの、ある意味嫌らしい親切心に満ちていた。
130 名前:此花咲耶姫 投稿日:2003年08月09日(土)11時36分22秒
そして、自分より上と判断した人間に対してはとても冷淡に振る舞った。
一種の嫉妬心の裏返しなのだろう。無関心を装い、あなたなんて、気にも掛けていませんという態度を貫き通した。
いずれの態度も、なっちの中にある肥大した自尊心やナルティスチックな自己愛のコインの裏表にしか過ぎなかった。

わたしはなっちに「下」と判断されたみたいだ。
そのお陰で無視されることは無かった。
それが喜ぶべき事なのかは分からないが。

なっちの笑顔は天使の笑顔だ。
無垢で明るくて人を包み込む笑顔だ。
それは認めざる得ないだろう。

わたし達二人の関係の歯車が微妙に狂いだしたのはなっちが『自己愛の強い無垢な天使』だった所為だと、今となっては断言できる。
古今東西、そういう女の子の出会ってしまった人間は破滅するのが定石だ。
ナボコフの『ロリータ』のように。
谷崎の『痴人の愛』のように

『ロックボーカリストオーディション』は平家みちよさんがグランプリを取って、一応の幕となった。しかし、誰の目にも真の優勝者は別にいるのが明らかだった。
131 名前:此花咲耶姫 投稿日:2003年08月09日(土)11時37分37秒
その真の優勝者は『ロックボーカリスト』とは言えないかも知れない。
しかし、アイドルとして、男の子の心を奪うカリスマとしての才能は天与の輝きを持っていた。なっちが、このオーディションに参加したことでオーディションの意味すら変質していた。
思えば、この時点から既に平家さんの悲劇は始まっていたのだったろうか。

不合格が決まり、東京から一緒に帰った飛行機から千歳空港で別れる時に、なっちはわたしに
「ねえ、圭織。何かあったら隠さずにお互いに教え合おうね。」
と無邪気に言った。

「うん。また連絡するよ。」
わたしは、こう返事したものの、ある種の確信があった。
なっちは絶対に再び東京に呼ばれる。・・・そして、デビューだ。

わたしは?
わたしはどうなんだろうか?
今まで、二回もASAYANのオーディションに落ちている。今回で三回目だ。
以前の二回は『たまたま波長が合わなかっただけだ。次はきっと大丈夫。』と自己暗示をかけて来れた。

でも、なっちという存在を目の前にすると、そんな自信もまるで波に洗われる砂のお城みたいにサラサラと、その形が崩れていく。ゆっくりと確実に。
132 名前:此花咲耶姫 投稿日:2003年08月09日(土)11時39分25秒
一週間もしないうちに自分の予感が正しいことを知った。
なっちから弾んだ声で電話がかかってきた。
「あのね。なっちね。東京の事務所から、来週に何も聞かずに来てくれないかという電話がさっきあったのね。これは、きっと又なんかのチャンスがあるということだよね。」
なっちのピンク色に紅潮した頬が電話線を通して見えるほど、興奮した様子だった。
まったく、なっちはお姫様だよね。
自分のことしか話さない。それでも、思いついたかのように
「あっ・・・。圭織には何か連絡あった?」
と声を潜めて訊いてきた。

「んんん。特に何も無かった・・・」
これは嘘だ。
東京の事務所からの同じ電話がついさっきあった。
「全然、気にしないで。なっちの事を圭織も応援しているから。頑張って。」
努めて冷静を装い、なっちを騙す。

指定された場所に行くと、一人の小柄な女の子が先に来て椅子に座っていた。
確か、まだ13歳の福田明日香って子だ。東京出身の歌が抜群に上手かった子。
次々と人が入ってくる。
石黒さん。中澤さん。
そんな様子をハンディーのテレビカメラを持った、ASAYAN スタッフが逐一撮していた。
133 名前:此花咲耶姫 投稿日:2003年08月09日(土)11時41分26秒
最後に少し遅れてなっちが部屋に入ってきた。
おかっぱ頭に帽子もかぶらず、長いスカートとたすき掛けにしたバックが実際の年齢より数歳若く見せていた。
もうすでに、部屋には多くの人がいたことにビックリしたみたいで、きょとんとした表情をして部屋の中を見回す。
わたしの姿を見つけて少し驚いたみたいだった。

わたしは手招きし、自分の隣りに座るように促して
「なっちの電話の直後ぐらいに、わたしにも呼び出しがかかったんだ。なっちには改めて連絡しなかったけど、ゴメンね。」
そんな、見え透いた言い訳をなっちは信じたみたいだった。

つんくさんから説明があった。
要約すれば、オーディション落選組の中澤石黒飯田安倍福田の5人でユニットを組む。
一曲だけレコーディングしインディーズデビューする。
もし、その曲が手売りで5万枚うれたら本格デビュー出来る。
ということだった。

しかし、どう考えてもこのユニットはなっちのためだけに作られたユニットということは否定できないように思えた。
20代半ばの元OL、鼻ピアスしたRock'n姉ちゃん、ちびっこくて丸々とした女子中学生、そしてわたしだ。明らかになっちだけが、この中で浮いていた。
134 名前:此花咲耶姫 投稿日:2003年08月09日(土)11時43分08秒
なっちは紛れもないアイドルとしての素質と原石の輝きを持っている。
わたしが望んでも持ち得ないものを、生まれたときから持っている。

わたしは、なっちの踏み台になるのは嫌だ。
なっちが芸能界に飛び出していくための補助ロケットエンジンの役割を押しつけられるのは、真っ平御免だった。

とは言うものの、いま自分の目の前にあるこのチャンスを棒に振るのも勿体ない話だと思った。わたしの赤ん坊の頃からの希望である『歌手になる。』という夢の実現が、すぐそこにぶら下がっていた。

もし、なっちがわたし達のユニットに参加するならば、きっとなっちは表の顔になってくれるだろう。
一般大衆は、アイドルの内面がどうかなんて大して見ないものだ。
一般大衆は常に英雄の出現を望み、そして、繰り返される単純で耳に心地よいプロパガンダと強く痺れるような刺激を求めているとヒットラーも言っているじゃないか。

なっちはピッタリな大衆好みの『英雄』だ。
笑顔と耳に心地よい歌声。
それさえあればよい。

こうして、わたしはある思惑を胸になっちと手を組むことにした。
135 名前:此花咲耶姫 投稿日:2003年08月09日(土)11時45分55秒
インディーズデビュー曲の『愛の種』のレコーディングは辛くないと言えば嘘になるが、どうにかこうにか曲も出来て、全国5カ所の手売りツアーに出た。
思えば、わたし達は運が良かったのかも知れない。
レコーディングの様子は逐一、ASAYANで放送されて、わたし達が泣いたり笑ったりする姿が毎週のようにファンに届けられたし、敏腕マネージャーの和田さんの売り出し作戦はツボを外さなかった。
時代も味方してくれたと思う。ファンの中に、そろそろ本格的な歌姫だけじゃなくて、70年代80年代風のべたな土臭いアイドルも欲しいという潜在的な欲求があったことも事実だ。
そうした波に乗って『モーニング娘。』はメジャーデビューを果たした。
136 名前:此花咲耶姫 投稿日:2003年08月09日(土)11時47分53秒
この頃、わたしとなっちは同じマンションで共同生活していた。
わたしはなっちを徹底的に甘やかした。
例えば、こうだ。
「いいよ。なっちは疲れているだろうから皿洗い当番代わるよ。」
「部屋の掃除しておいたから。」
「なっちは、ぶっちゃけモーニングのエースだから何かと大変でしょう。」
「疲れているときは、思い切って休養することも大切だよ。ボイトレを一日ぐらい休んだって大丈夫だって。」
なっちはわたしの心の底にある企みにも気付かないようで、自尊心とお姫様着心を肥大化させていき、段々とスポイルされたいった。
 
モーニング娘。の歴史は一種のシンデレラストーリーであり、冴えない平凡な女の子たちがトップアイドルに上り詰めていくプロセスを、日本全国の人にテレビを通して見せるという試みだった。そして、そのストーリーの主役はなっちだ。
常に歌のセンターボーカルを任され、歌番組ではコメントをいつも求められ、映画『モーニングコップ』では主役を務めた。


137 名前:此花咲耶姫 投稿日:2003年08月09日(土)11時49分13秒
事務所やレコード関係のスタッフは、なっちを娘。のエースとして扱い、有形無形の形でプレッシャーをかけてきた。
なっちのスポイルされて、肥大化した自己愛に満ちた精神には、期待されること現実の自分のギャップに耐えきれなかったみたいだ。
しかし、なっちの精神的な危機とは裏腹に、モーニング娘。は確実に上へ上へと上昇し始めた。
最近ではアーティスト総勢50人にも及び、代々木体育館を満員にするハロープロジェクトも、平家さんと娘。8人だけで発足して渋谷公会堂で初コンサートも開いた。デビュー一年目にして紅白初出場すら決めて見せた。

そして常になっちが、その中心にいて天使の笑顔を見せていた。

『モーニングコップ』を撮る、少し前あたりからだろうか、なっちは拒食症に陥った。
夜中の事だ。
なっちの部屋の扉がこっそり開く。

トイレに行き、ドアを静かに閉める。
そして、指を喉の奥に差し込み、胃の中の物を無理矢理吐く苦しげな呻き声がする。
毎晩のように。
138 名前:此花咲耶姫 投稿日:2003年08月09日(土)11時51分06秒
拒食症は自己認識の歪みに由来する、明白な精神疾患である。
本当の自分は別の所にあるという意識が、全く肥満体ではなくてむしろ痩せていたとしても、自分は肥りすぎだという歪んだ自己認識となり過度のダイエットに向かわすのだ。
なっちの場合もそうだった。期待される自分と現実の自分との差が、まるで教科書に書いてあるかのように拒食症になっちを陥れていった。
『モーニングコップ』のサントラCDやビデオパッケージのなっちは骨と皮のガリガリに痩せて、まるで鶏ガラみたいだ。
皮膚も水分を失って、しなびたリンゴみたいに細かいしわが寄っていた。

でも、わたしは言い続ける。
「そのままのなっちでいいんだよ。」と。
「なっちは自分を変える必要なんて無いんだよ。」と。

わたしは常になっちにとっての『奪うことのない慈悲に満ちた聖母』の役割を演じ続けた。
世間的には、わたしとなっちは仲が悪いと思われているようだが、最後の最後まで、なっちにとって『叱ることのない慈母』はわたしだけだった。

言うまでも無いことだが、人が正しい方向に育つためには慈母と厳父の両方が必要だ。
なっちには片方の存在が欠けていた。
139 名前:此花咲耶姫 投稿日:2003年08月09日(土)11時54分05秒
デビューして1年半、明日香が抜けた辺りからモーニング娘。の人気に陰りができてきた。CDを出してもチャートが伸びず、じり貧な状態が続いた。
たぶん、この頃には水面下ではモーニング娘。を切り捨てて、なっちをソロデビューさせようという計画が進んでいたと思う。

早く言えば、モーニング娘。本体は、なっちの人気上昇のための補助ロケットとしての役割は終わったということだ。

なっちソロデビューのテストとして、実質的にはなっちソロの『ふるさと』が発売された。
しかし、事務所のそんな思惑を知ってか知らずか、ASAYANの番組内で同じASAYAN出身の鈴木あみちゃんとなっちソロの『ふるさと』がライバル直接売り上げ勝負みたいな形で面白半分に取り上げられた。
結果は、『ふるさと』惨敗だった。

なっちは『ふるさと』のレコーディング前後には、拒食症から過食症へと病状が悪化してきていた。
140 名前:此花咲耶姫 投稿日:2003年08月09日(土)11時58分57秒
あまりに極端な絶食を続けると、脳内の食欲中枢に変調をきたし、一度食べ始めると食欲の抑制が利かずに延々と食べ続けることがある。もちろん、食べた後は身も引き裂かれるような罪悪感とともに、胃の中が空っぽになるまで吐き続けるという行動が待っている。
下剤などの薬物を常用することもある。

なっちの場合もそうだった。
コンビニ弁当5個、カップラーメン5杯、菓子パン10個、プリン10個、ポテチなどのお菓子類10袋を1.5リッターのコカコーラで流し込むみたいな食生活を毎食毎食続けていた。一日の摂取カロリーが2万とか3万とかの世界だ。

いくら食べてすぐに吐くといっても、なっちの体重は徐々に徐々に増え始めた。

それに追い打ちを掛けるかのように、なっちのソロデビューの話は一時凍結され、モーニング娘。にテコ入れするために後藤が新規加入してきた。

そして、奇跡が起きた。
後藤を中心に据えたラブマがミリオンヒットしたのだ。
モーニングは再び息を吹き返した。
141 名前:此花咲耶姫 投稿日:2003年08月09日(土)12時25分05秒
それどころか、いまや単なるASAYAN一番組のローカルアイドルではなく、日本を代表すると言っても過言ではない、スーパーアイドルのポジションにいた。
次の『恋のダンスサイト』やプッチの『ちょこっとLOVE』が相次いでミリオンを記録する。正にモーニング娘。の黄金期が来ていた。
この時期はまだ、なっちにもソロデビューする目はあったと思う。

なっちが一人だけで、ニューヨークにボイストレーニングの為に武者修行に出たり、ダンスマンさんに曲が注文されたりはしていた。
が、結局のところ何一つとして実を結ぶことは無かった。

なっちは太りすぎていたし、声が荒れてしまった。
タバコやお酒もなっちはやっていた。
全てはなっちの自己管理に対する認識の甘さから来ているのは明白だった。
なっちはスポイルされ過ぎたのだ。

もし、モーニング娘。の黄金期に合わせてなっちがソロになっていたら、どうだったろうか?
後藤みたいにスーパースターとして記憶されていただろうか?
それとも、明日香みたいに伝説の歌姫としてきおくされていただろうか?
起きなかったことを想像しても始まらない。
Browing in the wind
全ては風に吹かれた中にある。
142 名前:此花咲耶姫 投稿日:2003年08月09日(土)12時27分18秒
なっちは映画『ピンチランナー』で主役を張ったが、誰が見ても太り過ぎた、不摂生な体をフィルムに焼き付けただけだった。
あまつさえ、その映画で知り合った、当時はほとんど無名な役者の家に泊まりに行き、朝帰りする所を写真週刊誌に撮られるというスキャンダルも起こす始末だ。

四期で新しく入って来た子の顔を見て、事務所はなっちに見切りを付けたことを確信した。
美人顔で、15歳というアイドルとして今が旬の石川と吉澤は即戦力として採用されたのだろうし、未だ顔が固まっていない12歳の辻加護は数年のスパンで育てていこうという長期計画なのだろう。
いずれにしろ、今やモーニング娘。は、なっちの個人ユニットではなく、女性アイドルを育てていくための母胎として機能し始めていた。
そこになっちのいる場所は段々なくなっていった。

とは言うものの、なっちは相変わらず新曲が出る度にセンターポジションの近い位置にいたし、ドラマやキャスターの仕事などソロの活動を与えられていた。
143 名前:此花咲耶姫 投稿日:2003年08月09日(土)12時32分30秒
だが、なっちのいる位置には微妙な違和感がつきまとった。
プッチ、タンポポ、ミニモニとユニットが増え、カントリー娘。に石川梨華(モーニング娘。)などの外部のユニットとの交流が進んでも、なっちはずっと娘。本体に閉じこめられていたし、後藤と圭ちゃんの卒業に伴うハロプロ全体の大変革でもなっちの立ち位置は微塵も変化すること無かった。

『敬して遠ざける』
一言でいうとそういうことなんだろう。
神棚に祭り上げて一応は敬うが、現実は『お飾り』ということだ。

これには少し説明が必要だろう。
うちの事務所の他とは違った特殊なやり方だけれども、将来を嘱望されているメンバーは必ずユニットのリーダー的なポジションを与えて、人間関係の調整術や一つの目標に向かってメンバーを掌握して方向付けてやるといった組織経営の帝王学を勉強させられる。
144 名前:此花咲耶姫 投稿日:2003年08月09日(土)12時34分08秒
初代娘。リーダーの裕ちゃん。プッチの圭ちゃん。ミニモニの矢口。二代目リーダーとタンポポを任されたわたしも苦労しながら組織を運営する術をこの身に覚えさせてきた。最近では管理課やタンポポを任されている石川や一応はプッチのリーダーのよっすぃーやハッピー7の実質的なリーダーだったあいぼんもそうだ。
なっちだけが、上のメンバーの中でそういう経験を積ませてもらっていない。
つまり事務所としてはなっちに『言われた仕事だけをしていれば良いんだ。』という無言の意思表示なんだと思う。

なっちは娘。メンバーの中でも微妙に孤立していた。
理由はこれだ、と明確には出来ない。
悪気は無いのだろうけど無神経な発言が多いとか、組織を任されたことがないので、いつまでもお姫様体質で相談相手にはなりにくいとか、様々なことが複合した結果なのだろう。
オフの日になっちと買い物に行ったり、映画を見たりというメンバーは皆無だった。
特に五期が入り、ののとあいぼんと五期で一つのグループが出来て、圭ちゃんを中心とした矢口、石川、よっしぃーといったグループが出来と、なっちの居場所はますます無くなっていった
145 名前:此花咲耶姫 投稿日:2003年08月09日(土)12時36分33秒
それが誰の目にも分かるように顕在化したのはハロモニの企画の『モーむ素部屋』だ。なっちの周りには誰も寄りつかず、なっちが発言しても誰も拾わない。まるで、なっちがその場にいないように誰もが振る舞っていた。

もう、なっちの卒業は時間の問題だと思われた。

□ ■ □ ■

わたしの『オサブリオ』でのソロデビューが決まった時に、なっちはつんくさんに直接に訴えに行ったらしい。
「わたしも、ソロでやらせて下さい」と。

そしてなっちに与えられた『ソロ』の仕事は「安倍なつみとお圭さん」だった。
誰が見ても捨て仕事としか思えないユニットだった。
CD売り上げも惨憺たる物だった。
なっちの名前の威力が地に堕ちたことが、もう如何なる理由を付けても否定し切れなくなっていた。

なっちがいなくてもモーニング娘。は、やっていける。

いかなる組織であっても『父殺し』は起きる。
創業者は常に、いつかは石もて追われる存在なのだ。

□ ■ □ ■
146 名前:此花咲耶姫 投稿日:2003年08月09日(土)12時39分17秒
なっちがスポットライトに照らされて挨拶する横顔を見ながら、昔を思い出していた。
なっちを甘やかしてスポイルしたのは、確かに自分だ。
でも、なっちは決して自分を変えようとしなかった。
お姫様で自己愛の強い自分の心を変えようとしなかった。

自業自得だよ。
たった一枚のソロシングルを花道に娘。を卒業しようとしている、なっち。

なっちは此花咲耶姫。
一時の華やかな花を咲かせて散る運命。
わたしは石長姫。
永遠の命の象徴。

卒業後のなっちは一年二年はチヤホヤされるだろう。しかし、その性格が災いして次第に世間から忘れられていくだろう。スキャンダルにまみれて、ヌード写真集すら出すかも知れない。

わたしは大丈夫。
裕ちゃんを補佐するハロプロのサブリーダーとしての地位が約束されているから。
岩のように永遠の命が約束されているから。

さようなら。
此花咲耶姫。
147 名前:此花咲耶姫 投稿日:2003年08月09日(土)12時40分38秒
おわり。
148 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月09日(土)22時26分27秒
リアル過ぎて怖いねこれ…
149 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月10日(日)00時08分15秒
なっち誕生日おめでとう
150 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月10日(日)01時43分47秒
・8月9日
良すぎ。1レスでここまで書けるのが凄い。天才。
・此花咲耶姫
出来過ぎ。飯田さんはここまで考えていないだろうけど、
見る人の視点によってはこんな形に映るんだーと思って面白かった。
それにしても出来過ぎ。
151 名前:ノイズ 投稿日:2003年08月15日(金)02時47分10秒
 安倍なつみが学校に来なくなったのは、2学期の半ばだった。

 委員会に来ない。
 体育の授業にいない。
 教室にいない。
 どこにもいない。

 彼女のクラスの出席簿をめくって、先々週末、中間試験の直後から1日も出席がしていないことを、飯田圭織は日直のときに知った。

「なぁや、飯田。アンタのクラスの出席簿はこっちやで」
152 名前:ノイズ 投稿日:2003年08月15日(金)02時47分44秒
 呆然と出席簿を眺めていた飯田の背後から、白衣がぬっと伸びてきて出席簿を奪い、別の出席簿を渡す。明るい色の、飯田の目線よりも低い位置に髪。細い肩。化学教師の中澤裕子だった。
「裕ちゃん先生・・・なっ、安倍さん、どっか悪いんですか?」
 つかみかからんばかりの勢いで、飯田は中澤に詰め寄った。中澤は視線を落として髪を乱暴にかきまわした。
「あー・・・、安倍なぁ・・・身体はどこも悪くないんちゃう?」
「悪くないって、じゃあなんで」
「んなん、ウチに聞くなや」
「だって気になるじゃないですか」
「つーか、あんたら、仲良かったっけ?」
「仲は・・・仲は別に、良くないですけど」
 飯田は視線を落とした。始業直前の予鈴が鳴る。
 中澤はホッとしたように飯田の肩を軽く叩いた。

「ほら授業や。さっさとし」
153 名前:ノイズ 投稿日:2003年08月15日(金)02時51分52秒
誤爆だと思って見逃してください
154 名前:無題 投稿日:2003年08月15日(金)03時05分47秒
「お話ししてあげる」
圭織が言った。私たちはタクシーに乗っていた。
「お願い」
あと1分もあれば到着するはずだった。
「昔々、あるところに、二人の」
圭織がつまった。私は促した。
「誰?」
交差点を過ぎる間に圭織は考えた。
「圭織となっちが」
私は頷いた。
「どうしたの?」
信号でタクシーが止まった。
「ええと、喧嘩をしました」
青になり、タクシーが動いた。
「どうして?」
私は訊いた。並木道を猛スピードで通り過ぎた。
155 名前:無題 投稿日:2003年08月15日(金)03時06分34秒
「ええとええと、なっちが勝手に」
圭織は財布を出しながらいった。
「勝手になによ?」
テレビ局の影が、路地の隙間から一瞬だけ見えた。
「勝手に、やめるとかいうから」
急ブレーキで車体が揺れた。
「……それで?」
傾いた車内で肩がぶつかった。
「ええと、でも二人は仲直りして握手しました。おしまい」
薄暗い路地を抜けて、大通りへ入った。
「えー、なによそれ」
私は苦笑しながら、メーターをのぞいた。
「ほらもう到着するから、このお話はお終い」
圭織はそういいながらシートベルトを外した。
「で、タイトルはなに?」
私もシートベルトを外しながら訊いた。
「タイトルは……」
運転手が声をかけた。私は圭織に任せて、先に降りた。
156 名前:無題 投稿日:2003年08月15日(金)03時07分06秒
オワリ

157 名前:アヴァロン 投稿日:2003年08月19日(火)19時44分29秒
「いっかいしかしないからね。」
ちょっと照れたように、なっち。
水道の蛇口を思い切りひねりどばどばど流れ出す水に
右手をつける。水がはねまくるはねまくる。
「うわうわうわ。」
これはカオリです。
顔をおおいながらおおげさに叫んじゃいました、とほほ。
なっちと言えばこの状況で目なんか閉じて何やらぶつぶつ。
「みて。」
見ましたよ、言われたとおりにその手を。
言ったとおりでした。水はなっちの手にふれたと同時に
消えていき、さっきまであんなはねてたのが嘘のよう。
ちょっとだけ涼しくなって小さな虹まで出来ましたけど?
158 名前:アヴァロン 投稿日:2003年08月19日(火)19時45分16秒
「こんなことできるなんてしらなかったぁ。」
まだもぽかんとだらしない顔でカオリは言っちゃいました。
なぜでしょう。あのなっちの顔が神々しくすら見えます。
「だってだれにもいってないもん。」
ちょっとだけさびしそうに、なっち。おや?
「みずをきりにできたからってどうだってかんじだし。」
そう言いながら蛇口を閉めようとするなっちの手を、カオリ
ってばぎゅっとつかみます。
「でもさでもさゆめがあるじゃん。すごいってこれ。」
159 名前:アヴァロン 投稿日:2003年08月19日(火)19時48分19秒
「ゆめねぇ。」
ふふっと笑いをたてるなっちになぜかカオリはむかむか。
「でもなんできゅうにこんなことはなしてくれたの?」
それはそれとして聞いとかなければ。
「にじが。」
「にじが?」
「にじがすきだっていってたから。」
「だれが?」
なっちは残った左手で指さしました、カオリを。礼儀としては
いまいちですが、カオリはちょっとどきどきしたんだ、実は。
「ここくらいしかにじなんてみれないからね。」
つぶやくなっちに、うなづくカオリ。
「そうだね。」
ずっとなっちの右手をつかんだままでした。
なっちが嫌がらなかったのでそのままでいたりなんかしてさ。
えへへ。
160 名前:名無しさん 投稿日:2003年08月19日(火)19時49分08秒
カオリってばさっき分かっちゃったんだ。これが夢だってさ。
だったらさ楽しまなきゃもったいないでしょう?
言わないよ。魔法が溶けたら困りますし、困られます。
「ねっ、なっち。」
なっちの手を口にひきよせぱくり。カオリは虹を飲みこんだのさ。
161 名前:アヴァロン 投稿日:2003年08月19日(火)19時50分14秒
これでカオリのおはなしはおしまい。またさ、どこかでね。
162 名前:コーヒーと蜂蜜 投稿日:2003年08月29日(金)01時29分41秒
「絵のモデルに?」

相手の言った言葉をオウム返しにして、我ながら頭のてっぺんから漏れたような
甲高い声に驚いた。
午後の図書室にはあまり人気がなかった。私は放課後にいつもここへ直行し、
騒々しい部活動の喚声がこだまする中で、予備校が始まる時間まで、昔の本を
しらみつぶしに読んでいた。

「そう、前からずっと頼みたかったんだけど、なんとなく……言い出せなくてさ。
ほら、圭織となっちってあんまり話すほうじゃないじゃん」

同じクラスにいながら、ほとんど話したことのない人にいきなりこんな話を
持ちかけられて、いったいどう返すべきなのか、私には咄嗟に思いつかなかった。

それ以前に、条件反射で頭に血が上ってしまっていた。そう長くない人生の中で
培われてしまった自動的反応。まったくイヤになる。

「悪いけど、私“ブランド”たちの見せ物にされるなんてまっぴらだから」

163 名前:コーヒーと蜂蜜 投稿日:2003年08月29日(金)01時30分28秒
私の言葉を聞いてから、一瞬きょとんとした表情を浮かべて、すぐに不快感と
戸惑いと……憐憫が混じったような、複雑な表情を浮かべる。もっとも彼女に
してみれば、ただいつものように顔をしかめただけなのかもしれないけど。

“ブランド”なんてもう一昔前の本や雑誌にしか出てこない言葉を使われても、
確かに困惑するしかないだろう。でも、私の家族は日常的に使っている言葉
ではあるのだから、無意識に私の口から漏れてしまっても仕方がない。

「そ、そんなんじゃないよ。そんな、見せ物なんて」
慌てて取りなすように言葉を継ぐ。が、そのときには私はとっくに荷物を
纏めて、出ていく準備が万端になってしまっていた。

164 名前:コーヒーと蜂蜜 投稿日:2003年08月29日(金)01時31分03秒
「悪いけど、他あたってくれるかな」

切り口上で告げると振り向きもせずに扉をくぐる。彼女は追ってこなかった。
ああ、明日どんな顔して教室に入ればいいだろう、と考え、それからすぐに、
今までと同じようにほとんど話すことなんてないんだろうから気に病むことなんて
ないな、と思い直した。いつもより早い時刻に、まだ大勢がいる構内を早足で
潜り抜け、やたらと大仰な校門をくぐる頃に、彼女の名字が飯田だということを
思い出していた。出席の時、私の次に呼ばれる名前だ。皆はカオリ、カオリと
読んでいる。飯田圭織。出席番号は2番。

165 名前:コーヒーと蜂蜜 投稿日:2003年08月29日(金)01時31分54秒

 ◇


飯田圭織は“ブランド”だ。いや、私のクラスは私以外全員“ブランド”で、
彼らが特殊な人間だったのはとっくの昔、私がうまれる前の時代のことだ。
今では私たちの方が“無印”と呼ばれる側になった。もちろん面と向かって
そんなことを言ったりはしない。口惜しいことに、情操面でも“ブランド”は
大変優れているのだ。私たちが彼女たちを蔑称していたのとは違う。だから
なおさら、私たちは謂われのない劣等感で、歪むことになる。

千人近くいる全校生徒の中で、“無印”なのは私を含めて十名ほどだと聞いたことが
ある。そんなことはもちろん公式に発表されたりはしないが、私たちが“ブランド”の
中に混じっていれば、イヤでも分かってしまうだろう。

はじめはその十人と友達になりたい、なんて思ったりもしたけど、すぐにそれは
意味のない考えだと悟った。私たちは、なによりも“無印”であることが不幸な
ことであるとして、憎むべき対象として育ってきて、必死になってそれを跳ね返す
ために途方もない努力をして、この高校へ通っているのだ。そんな中で、誰が
忌むべき“無印”連中とつるみたがるだろう。

166 名前:コーヒーと蜂蜜 投稿日:2003年08月29日(金)01時32分33秒
“ブランド”を見てうらやましいと思わないことは一度もなかった。誰を見ても
同じように背が高く、手足が長くスマートで、顔立ちも美しかった。
すでに少数派となってしまった“無印”たちや、旧世代の生き残りは眉を顰めて
「没個性」と罵ったりもしたが、幼い頃から“ブランド”たちに囲まれて育った
私にしてみれば、旧弊な倫理観に囚われて私のDNAに手を入れてくれなかった
両親を憎むしかなかった。私の周りで“ブランド”の占める割合は育つに連れて
増していき、高校生となった今ではついに私は一人になってしまった。

それは望んだことのはずだった。そのために、私は周囲で落ちこぼれていく
“無印”たちを後目に、黙々と努力してきた。しかし、その結果手に入れたのは
耐え難い孤独でしかなかった。

167 名前:コーヒーと蜂蜜 投稿日:2003年08月29日(金)01時33分12秒
壁を作っているのは、私の方でしかないことは、さすがに自覚している。それでも、
幼い頃から植え付けられた“ブランド”に対する、憧れと拒絶がない交ぜになった
感情はどうしようもない。それに、私がいくら努力して彼らと並ぼうとした
ところで、彼らの方は絶対に私たちを受け入れるはずはない、永遠に見下される
対象でしかない、と頑なに心の中で信じ切っていた。


168 名前:コーヒーと蜂蜜 投稿日:2003年08月29日(金)01時33分45秒

 ◇


予備校が始まるまでまだかなり時間が余ってしまった。とにかく落ち着ける
場所に行きたかった私は、大通りから少し離れた場所にある喫茶店へと入って
行った。常連と言うほどでもなかったが、心を落ち着けたいときには、私はいつも
ここで、砂糖もクリームも入れないコーヒーを飲む。

「あ、なっちじゃん」
古めかしい鈴の鳴る音に混じって、店の奥から耳慣れた声が聞こえる。店内には
一組の男女の客しかいなかった。声の主は深緑のエプロンをつけ、モップを
引きずりながら私に向かって手を振っていた。

「あれ、仕事中?」
「うん、急にシフト変わっちゃって」

169 名前:コーヒーと蜂蜜 投稿日:2003年08月29日(金)01時34分23秒
そういう彼女、矢口真里も私と同じ“無印”だ。私以上に小柄な体型と、地味めな
顔立ちからは一目瞭然だった。小学校からの付き合いであり、お互いに環境が
変わってしまった今でも心置きなく話せる数少ない友人だった。
私とは異なり屈託のない性格の矢口だったが、大部分の“無印”たちがそうで
あるように特化されたカリキュラムには追いつくことが出来ず、高校には進まずに
この喫茶店でアルバイトをしている。

「この時間ってお客さん少ないんだね」
カウンターから店内を見回しながら、小声で呟いた。普段私の顔を出す時間帯でも
それほど繁盛しているという印象はなかったが、ここまでは閑散としていない。
「まーね、しょうがないよ。うちの店長頑固だからさ」
矢口はそういいながら、不慣れな手つきでカチャカチャと年季の入った
サイフォンをいじり始めた。
「このご時世さ、“ブランド”を店から閉め出しちゃって、商売なりたつわけ
ないじゃんね。まあそうでもなければおいらだって雇ってもらえなかった
だろうけどさ」

170 名前:コーヒーと蜂蜜 投稿日:2003年08月29日(金)01時35分06秒
あくまで明るい口調で喋り続ける矢口をぼんやりと見つめていた私だが、ふと
気付いて声をかけた。
「あれ、コーヒー矢口がいれるの?」
「ん? なんかまずい?」
上目遣いで聞き返してくる矢口に、
「いや、でも……」
「ちょうどさっき店長出ちゃったんだよね。それになっちなら失敗しても
大丈夫そうだからちょっと試されてよ」
「なによそれ」
口を尖らせながら、私は苦笑した。

「で、なっちは今日なにかあったの?」
相変わらず誰も入ってこない店内で、退屈そうにカウンターに凭れかかっていた
矢口が唐突にそんなことを言った。
「なにかってなに?」
微妙にいつもの味ではないコーヒーを啜りながら、私は目を瞬かせた。

「やー、なんかなっちの顔見てたらそんな気がしただけ」
「ああ、それ、気のせい」
早口で言いながら目を伏せる。矢口はプッと吹き出すと、
「分かりやすっ」
「うるさいなあ」

別に隠すほどの出来事でもない。私はついさっき図書室であったやりとりのことを
話した。と言っても、クラスでの私のことなどは話すことはしなかったが。

171 名前:コーヒーと蜂蜜 投稿日:2003年08月29日(金)01時35分40秒
「絵のモデルねえ、いいじゃん、やってあげれば」
ほとんど何も考えずに、矢口はそう言った。
「やだよ。そんなの、うちらのことが変だから面白がってるだけに決まってる」
「よく知らないけどさ、その圭織って人は、そんな人なの?」
「それは……」
圭織がそういう人間ではないことは、ほとんど交流のない私でもなんとなく
知っていた。品行方正な人間の多い“ブランド”の中にあっても、圭織が
人一倍正義感が強く、曲がったことの嫌いな人間であることは有名だった。

「ならいいじゃん。なんならおいらが代わりにモデルに立候補しようか?」
おどけた口調で言いながら、大昔のピンナップでしか見ないような古臭い
セクシーポーズを取ってみせる。私は肩を竦めると、

「一応、推薦はしておくよ」
「ていうかさ、マジな話していい」
突然声のトーンを変えて身を乗り出してくる矢口に、私は慌てて身を引いた。
「えっ」
「その人、多分なっちに話しかけたかっただけじゃないかな。別に、その口実に
なればなんでもよかったんだよ」
矢口の言葉に、私は目を伏せると、
「そんなわけないじゃん」
「なっちだってさ、学校で浮いてるんだろ? どうせ」

172 名前:コーヒーと蜂蜜 投稿日:2003年08月29日(金)01時36分17秒
一番聞きたくなかった言葉に、思わず表情が強張った。
「どういう意味よそれ」
「当たり前だろ、“ブランド”の中にうちらが混じってて目立たないわけないんだし」
「バカじゃないの……もし、もしそうだとしたら、そんな同情なんて最悪だよ。
一番嫌だ、そんなの」
「ほらほら、そうやって突っ張ってるから、周りだって遠慮するんじゃんか」

矢口はどうにも面白がっているようにしか私には見えなかった。それが生来の
性格だと分かっていても、だ。
「なっちはなっちなんだから……、周りがどう思おうと関係ないよ。下らない」
強い口調で言うと乱暴にカウンターの椅子を蹴って立ち上がった。

「じゃ、コーヒーごちそうさま」
「えっ、おいらの奢りかよ!」

矢口の声を聞き流しながら、私は古めかしい木の扉を開いた。背中越しに、
「あんまり無理するなよ!」という声が聞こえたが、振り向かなかった。


173 名前:コーヒーと蜂蜜 投稿日:2003年08月29日(金)01時36分56秒

 ◇


TVの中に映っているのは“ブランド”ばかりで、私にはその違いがほとんど
分からない。みな同じように背が高く、スタイルがよく、美しかった。もちろん
そうでない“無印”の人たちも出ていたが、彼らはほとんどがその身体的特徴を
自虐的なネタにして笑いを取っているだけだった。

なぜか私には、“ブランド”たちがみな圭織に見えるような気がした。なにを
意識してるんだろう、と、私は嘆息すると、目を閉じて瞼の上から指で押さえた。
光の波紋が赤い視界の中に拡がっていく中で、私はもし自分が“ブランド”として
生まれてきたらどうなっただろう、と思い描いた。昔からなんども繰り返して
いる、意味のない妄想だった。

174 名前:コーヒーと蜂蜜 投稿日:2003年08月29日(金)01時37分35秒
まだ幼い頃、“ブランド”たちが今ほど中心的な存在にはなっていない頃に、私は
彼らの誕生を追ったドキュメンタリーを見たことがある。ちょうど彼らのブームが
爆発的に拡がり始めた頃で、旧世代に属する人々は、慌ててその傾向を批判する
ようなメディアを多く作り始めた。しかし、そのほとんどは現実の魅力的な
デザインに大して全くと言っていいほど無力だったのだが。

私が見たのもそのような批判番組の一つだったのだろう。B級のSF映画のような
恣意的な映像と演出は、私の記憶の中に鮮烈に残された。それに加えて、両親から
飽きるほどに聞かされた“ブランド”たちへの批判もあり、私の中に植え付けられた
否定的なイメージは、今更変えることの出来ないほどに根付いてしまっていた。

無機質で機械的なBGMと、蜂の巣のように並べられた試験官。それが私の
“ブランド”たちに持っているイメージだった。働き蜂のように、優性にデザイン
された彼らは、ただ組織や社会のためだけに優れた働きをするのだ。そして、それが
出来る人間たちが、要するに「勝ち組」なのだった。

175 名前:コーヒーと蜂蜜 投稿日:2003年08月29日(金)01時38分10秒
つけっぱなしになっているTVから目を逸らすと、大昔に書かれた本のページに
視線を落とす。私に出来るのは、こうして牧歌的な世界に逃避することぐらいしか
残されていないのだった。同じような環境で育てられたはずの妹が、なんの屈託もなく
TVを見て笑っていられるのが、不思議でしょうがない。

今流行っているらしい歌が耳に入ってきて、私は意識せずに口ずさんでしまって
から、また嫌な気分になった。歌は好きでも、歌ってる人間は嫌いだった。
「高校は楽しいか?」

不意にそんな声が聞こえ、私は狼狽えた表情で本から顔を上げた。ソファーに
座って新聞を広げていた父が、ダイニングで本を読んでいる私の方を見つめている。

先刻からずっと話しかけていたのに、私の方が耳をシャットダウンしていたようだ。

176 名前:コーヒーと蜂蜜 投稿日:2003年08月29日(金)01時39分11秒
「……うん、なんで?」
なんだって今更そんなことを訊いてくるのか、理解できない。
「そうか……それならいいんだが」

しばし口ごもった後、意を決したように父は口を開く。母はすでに成り行きを
知っているのか、知らんぷりをして食器を洗っている。妹はハナから関心もない
様子で、TVに夢中になっている。
「実はな、父さん今の会社をやめて、独立しようと思ってな」

その言葉の意味することが、咄嗟には分からず、私はいつも無関心な出来事にする
ような条件反射で、気のない返事を口にしてしまっていた。
「うん、いいんじゃないかな」

「北海道に帰るんだって、お姉ちゃん、高校やめないといけないね」
妹がTVから目を逸らさずに呟いた。
「へっ?」
思わぬところからの思わぬ声に、手から文庫本が滑り落ちたのにも気付かなかった。

「いや、卒業まではなんとか、待ってやってもいいんだけどな。……なつみも、
なんというか、“ブランド”たちとすごすのも辛いんじゃないかと思って」
177 名前:コーヒーと蜂蜜 投稿日:2003年08月29日(金)01時39分48秒
妹に先を越されて、当惑気味に目を泳がせながら父が言う。
私は家族たちの様子を見て、ようやく今の状況を理解できた。なるほど、確かに
この話題なら、私が一番の厄介事なのだろう。だから最後の最後まで取っておかれた
わけだ。ラスボスなっち。

そりゃそうだろうな、と他人事のように私は思った。不利な状況に囲まれながら、
今の高校へ滑り込むために私がどれだけの犠牲を払ったのか、なによりも私自身が
一番よく知っている。
そして、それと同じくらい、私が“ブランド”を毛嫌いしているかということも
周りはよく知っているはずだった。

「ああ、……じゃあなっちのために会社辞めてくれるって、そう言いたいわけ」
どうせ期待されているんだろうから、あえて刺々しい口調で言ってみる。しかし、
一方的な決定に対しての怒りの感情のようなものは、自分でも不思議なほどに
沸き起こってくることはなかった。

178 名前:コーヒーと蜂蜜 投稿日:2003年08月29日(金)01時40分25秒
なにやら言い訳がましいことを喋り続けている父の声は耳を素通りしていった。
高校生活を振り返ってみる。二年半、楽しいと思える出来事は一つもなかった。
と言うよりも、私自身がそんな甘えを拒絶していただけかもしれない。
あと半年の
辛抱で、高校は卒業できるだろう。ではその先に何がある? 後進の“ブランド”たち
にどんどん居場所を奪われていく父のことは、毎夜の愚痴で大体想像すること
は出来たが、私はすでに奪われる場所すら与えられないかもしれない。

平凡な……というよりも一段劣っている私たちが、なにか変えることが出来るなんて
本気で信じていたのがバカげたことなのかもしれない。気付いていたとしてもずっと
否定し続けていたそんなことが、いくつかの出来事をきっかけにして急に浮かび
あがってきたようだった。

179 名前:コーヒーと蜂蜜 投稿日:2003年08月29日(金)01時41分09秒

「ごめん、もう寝る」
断続的に続いている父の言葉を遮るように、私は立ち上がった。妹は相変わらず、
我関せずといった表情でTVに釘付けになっている。

「卒業のこととか、別に心配してくれなくてもいいから」
蜂の群だ、私は言いながら高校で見た光景をそう回想していた。私たちには
毒針がなくて、力がなければ生き残れないし、仲間に入ることさえ出来ない。
生まれ持ってない針を手に入れることなんて、結局無理だったんだ。


180 名前:コーヒーと蜂蜜 投稿日:2003年08月29日(金)01時41分53秒

 ◇


「突然のお知らせになりますが、飯田圭織さんが今月をもって転向することが
決まりました。アメリカに留学するということです」

翌日、早朝からいきなりそんなことを告げられて驚いた。
最後列の左隅からは、圭織の表情はよく分からなかった。ただ、晴れやかな笑顔を
浮かべていると言うことだけは分かった。

「ずっと前から本格的に絵の勉強をしたいと思っていて。予定は早くなっちゃった
けど、待ってられるような性格じゃないから」

冗談めかしていうのに、クラス全体が笑いに包まれる。私はいつものように、
そんな空気からは一人だけ外れて、複雑な表情で夢を語る圭織を見つめていた。


181 名前:コーヒーと蜂蜜 投稿日:2003年08月29日(金)01時42分37秒
その日の放課後、いつものように図書室で本を読んでいると、昨日と同じように
圭織がやってきた。私は別段意識することもなく、彼女が話しかけてくれるまで
ページから顔を上げようとはしなかった。

「昨日はゴメンね。急にあんなこと頼んじゃって」
すこし眉を傾けてそういう圭織に、悪意のようなものは一切感じなかった。

「気にしてないから。……でも、今日も急だったよね」
どんな心境の変化だろう、今日は圭織とゆっくり話してもいいような気分に
なっていた。彼女の方がそれに気付いているかどうかは分からないけど。

「うん。まあ、圭織の中ではずっと決めてたことだから、発表する時って
なんでも急なもんでしょ?」
笑顔でいう圭織の言葉に、私は昨晩のことを思い出さずにはいられない。

182 名前:コーヒーと蜂蜜 投稿日:2003年08月29日(金)01時43分29秒
「そうだね」
そういうと、私は顔を上げて圭織の目を見返した。“ブランド”特有の派手で
自己主張の強い目鼻立ち。

ふと、私も急になにかを言って驚かせてやりたいという衝動に駆られた。しかし、
私がここを離れるのはまだ先のことだろう。

「えっと、昨日言ってた絵のモデル、やってもいいよ」
考える前に、口を突いて出て来てしまった言葉。私が呟くのと、圭織の顔に
満面の笑顔が浮かぶのはほぼ同時だった。

183 名前:コーヒーと蜂蜜 投稿日:2003年08月29日(金)01時44分20秒
……

そんなわけで、私たちは喫茶店の奥の席で、向かい合っている。
圭織が店内に姿を現すと、数人の“無印”の客たちはあからさまに不快そうな表情をした。
“ブランド”嫌いの店長も苦虫を噛みつぶしたような表情をしていたが、数少ない
常連の私の連れということで、見逃してもらえたようだった。

カップを磨きながら、矢口は興味津々と言った様子でチラチラと視線を送って
来ている。私は妙な詮索を受ける前に、コーヒーを二つだけ注文して、奥の席へ
進んでいってしまった。

周囲からの視線や聞こえよがしの会話も、圭織は全く気に留めていないよう
だった。私には、じっとしている必要はなくただいつものようにしてくれていれば
いい、とだけ言って、あとは黙々とスケッチブックに鉛筆を走らせていた。

184 名前:コーヒーと蜂蜜 投稿日:2003年08月29日(金)01時44分59秒
鉛と画用紙の触れ合う涼しげな音が、ただ淡々と静かな店内に響いていた。
私はいつものようにコーヒーを啜りながら、圭織が私のことを描いていく様子を
見つめていた。
なんで私はこんなことをしてるんだろう……と考えようと思ったが、どうせ理由なんて
ないことは分かっていたのでやめた。ただ、私とは違うやり方ではあっても、
決まり切ったレールから外れようとしている圭織にシンパシーを感じただけかも
しれない。といっても、そんなのは所詮“無印”の側からの一方的な思いでしか
ないことも、私は理解していたが。

「ちょっと訊いてもいい?」
空になったコーヒーカップの底に目を落としながら、私は言った。
「いいよ」
手を休めることなく圭織は返す。
「なんで……高校やめてまで、絵の勉強を?」

185 名前:コーヒーと蜂蜜 投稿日:2003年08月29日(金)01時45分46秒
私の質問に、圭織は迷うことなく言った。
「ずっと絵が好きだったから」
「へー……」
自信を持ってそういいきれる圭織は、私の持っている“ブランド”のイメージとは
異なっていた。

「私も訊いていい?」
上目遣いでスケッチブックと私に視線を上下させながら、圭織が言う。
「え? ……いいけど」
「これ、なに?」
圭織はそういうと、とっくに冷め切っているコーヒーを持ち上げた。

「ん? コーヒー、知らないの?」
「知らない。これ、コーヒーって言うんだ……」

目を瞬かせながら、まじまじと琥珀色の液体を見つめる。その様子がどこか
滑稽で、私は笑ってしまった。
「ここのコーヒーね、すごく好きなんだ」

186 名前:コーヒーと蜂蜜 投稿日:2003年08月29日(金)01時46分22秒
圭織は恐る恐る、カップを口に付けて一口だけコーヒーを含んだ。
が、すぐに眉を顰めると、ひどい表情でカップをソーサーに戻した。
「うわっ、私ダメかもしれない、これ……」
「そ、そうかな……」
あんまり辛そうな表情に、私は不安げな表情で圭織の顔を覗き込んだ。

「あ、大丈夫大丈夫……」
水を飲みながら圭織は手を振る。カウンターの方から、矢口がしかめっ面で
なにかをジェスチャーしているのが目に入ってきた。

「今度は、ハチミツでも入れて飲んでみるよ」
私に気を遣ってか、圭織はそんなことを言って微笑んだ。


187 名前:コーヒーと蜂蜜 投稿日:2003年08月29日(金)01時47分02秒

 ◇


「“ブランド”はコーヒー呑めないんだよ」
呆れたように矢口が言うのに、私は驚いた。
「そうなの?」
「なに、知らなかったの? まあなっちは普通の店には行かないから分からないか」

確かにその通りだった。家族で行くにしても、大概は“無印”御用達の店ばかりだった。
「だからここはうちらしか来ないんだ」
「や、そういうわけじゃないんだけど、まあほとんど滅びちゃってるからね、
来たってよっぽど好奇心が強い人じゃないと頼まないよ」
「へえ……全然知らなかった」

188 名前:コーヒーと蜂蜜 投稿日:2003年08月29日(金)01時47分34秒
なんとなくバカにされたような気分になり、私は口を尖らせながら圭織の描いた
デッサンに視線を移した。
「独特だねー、やっぱ」
横から覗き込んだ矢口が言う。私は頷くと、
「私だって分かるけど、私じゃないみたい。なんだか不思議な気分」

誰もが同じ世界を見ているわけじゃない。当たり前のことだ。取るに足りない
“無印”の私だって、圭織が見るのと私が見るのとではこれだけ違う。

私はいくら努力しても“ブランド”にはなれないけど、彼らは私が味わっている
コーヒーの味はどうやっても分からない。ハチミツを入れて飲むしかない。
ただそれだけのこと。


189 名前:コーヒーと蜂蜜 投稿日:2003年08月29日(金)01時48分11秒

 ◇


そしてまたいつもの日常が戻ってきた。私はやはりクラスでは独りで、放課後には
日が落ちるまで本を読んで過ごした。圭織も、ことさら気を遣って話しかけて
くるようなことはなかった。

予定通り、圭織は絵の勉強のためにアメリカへ旅立っていった。それから少し
経ってから、私も家族と一緒に北海道へと引っ越して行った。

田舎には、まだまだ“無印”ばかりがくらしている場所はある。けれど、私は
以前ほどには、お互いの違いを気にすることはなくなっていた。

時折、私は圭織が描いてくれたデッサンを見ながらコーヒーを飲む。独特の
筆致で描かれた自画像は、見えないものを見ようとする必要はないと、私に
言ってくれているように感じられることがある。

それでも、いつかはなにかが見えてくることがあるのかもしれない。私にはまだ
当分先のことなんだろうけど、焦ることはない。

それを待つために、コーヒーが発明されたんだろうから。
190 名前:コーヒーと蜂蜜 投稿日:2003年08月29日(金)01時49分00秒

 終わり



Converted by dat2html.pl 0.1