友達の背中
- 1 名前:初風 投稿日:2003/09/21(日) 00:31
- 紺野主役で、大体5期メンや石川などが出て来ます。
(その他メンはちょこちょこと)
中編小説で青春物です。よろしくお願いします。
- 2 名前: 投稿日:2003/09/21(日) 00:33
-
家族がいて、友達がいて、憧れの先輩がいて、本当に普通の毎日で、でも私はそれで満足で
そう言うごく当たり前の生活が、これからもずっと続くんだと思ってた。
- 3 名前: 投稿日:2003/09/21(日) 00:34
-
『友達の背中』
- 4 名前: 投稿日:2003/09/21(日) 00:38
-
空が大分、地上に近くなって見える。
堂々と浮かぶ入道雲は、後もう少しで手に届きそうだった。
履き古してぺしゃんこになった上履きがコンクリートを蹴る。紺のプリーツスカートがふ
わりと翻り、黒いロングヘヤーが風にさらりとなびく。
掲示板に張られた“廊下は走らない”とデカデカと書かれた標語をあっさりと無視して、
高橋愛は軽やかに長い廊下を疾走する。
図書室は3階の職員室のすぐ隣にあった。彼女は迷う事無く図書室の扉を勢い良く開け放つ。
同時に、バタンッと言う大きな物音が室内中に響き渡り、何人かが怪訝そうな顔で愛
を見やる。
が、当の本人は特に意に介する様子も無く、特徴的な大きな瞳をきょろきょろとさせ目的
の人物を捜す。
目的の人物は、先程の音に驚いた様子ですぐに奥の方から現れた。
「あさ美!」
場の空気の読めない愛は、口に人差し指を当てる紺野あさ美の動作の意味を知ってか
知らずか、堂々と駆け寄りその手を取った。
「ちょっと愛ちゃん、静かに」
言い終えない内に腕を引っ張られ、そのまま図書室から駆けだしていた。
- 5 名前: 投稿日:2003/09/21(日) 00:41
- 階段を2段飛ばしで駆け下りる。途中の踊り場の辺りであさ美が「何処行くの」
と訪ねたが、愛は「いいから来て」と言うだけで何も教えてくれなかった。
先刻、愛が無視した掲示板を突破すると、グラウンドへ出た。
そして愛に促されるまま、近くの水道場に身を潜める。
弾む呼吸を押さえながら愛が口を開く。
「正門の方見てみ」
汗で
前髪が額に張り付いている。
あさ美は火照った頬に手を当てながら、愛の指さす方角へ視線を移した。
何やら数名程の女子生徒が、一人の女性を囲んで会話をしているのが見える。
その女性の顔は、ぼやっとした蜃気楼に歪んでよく見えなかった。
あさ美はさほど興味が無かったので、それがどうしたの?と正直に感想を述べる。
「あさ美アホやねぇ」
強い日差しに眩しそうに目を細めた愛が、さも呆れたような口調で。
- 6 名前: 投稿日:2003/09/21(日) 00:41
- 「石川先輩が帰ってきたんよ」
青々とした木々から喧しいくらいに響く蝉達の鳴き声が、一瞬止んだように静まりかえる気がした。
その日は梅雨明け宣言がされたすぐ後の事で、もうすぐ本格的な夏が来ようとしていた。
- 7 名前: 投稿日:2003/09/21(日) 00:43
-
劣等生
- 8 名前:劣等生 投稿日:2003/09/21(日) 00:45
-
地球温暖化のせいなのか近頃異常気象が続き、去年の冬より大分気温が高い気がした。
桜の花は3月の半ばに満開になった。そして春休みが過ぎたら、校庭の周りをぐるり
と囲む桜の樹は、緑と薄ピンクの混ざった気味の悪い色合いになっていた。
なので、あさ美は今年の新入生が酷く不憫でしかたがなかった。
学年が一つ変わっただけで、あさ美自体に特に変化は無い。変わったと言えば先輩に
なる事や、小川麻琴の髪色がオレンジになった事だった。
今年で誕生日がくれば17歳になる。昔は17歳と言う年齢は何か特別なような気がして
憧れた物だが、今では結局何も変わらないのだろうと考えている。
やがて桜はすべて散り、すぐに深緑の葉が生い茂り始め、何もかもが早いと感じた。
- 9 名前:劣等生 投稿日:2003/09/21(日) 00:46
- あさ美には読解不能な英単語を、英語の保田が淡々と黒板に書き続けている。
正直、なかなか勉強は出来る方だったが、英語に関してはあまり自信が無い。
同じような生徒達の背中が規則的に並んでいて、皆ノートに目を落として、カリカリと言
うシャーペンの音を絶え間なく発している。それらを聞く度に溜息を漏らさずにはいられ
ない。あさ美のノートはまだ真っ白だ。この時間は本当に憂鬱で、シャーペンを動かす気
にもなれないのだ。
前の席に座る愛も必死にノートを書いているようだ。髪の毛が、窓に切り取られたような
朝の日差しに、きらりと光っていて、緩い風と共にうっすらとしたシャンプーの香りも、
あさ美の鼻孔をくすぐった。
(良い香り。何のシャンプー使ってるんだろ。後で訊こう)
そんな事を考えているとだんだん瞼が重くなって来て、うつらうつらとして来る。
丁度、陽当たりが良く、今の時期は暑くも無く、寒くも無いので非常に昼寝にはぴったり
の季節なのかもしれない。
薄いクリーム色のカーテンが、ふわりと波を作る。
- 10 名前:劣等生 投稿日:2003/09/21(日) 00:48
- その時だ。
「紺野さん、今は授業中よ。あくびは止めなさい。特にあなたは英語が苦手なんだから
ちゃんと話くらい聞きなさい」
教室中に広がっていたシャーペンの音が一瞬止まって、またカリカリといいはじめた。
いつの間にか保田はあさ美の隣に立っていた。言葉のニュアンスから相当苛立っている様
子だが、1年の時から保田には少々目をつけられていたので、あさ美は「またか」と、言
った感じだった。
「すみません」
保田は黙って頷くとさっそうと教壇に戻る。スティック状の指し棒をポケットから取り出
し、問題の部分を指しながら「それではQDを」と言いつつ名簿を一瞥して。
「高橋さん」
「はい」
相変わらず芯の通った声をしていると思った。グラウンドからせっせと後片づけをしてい
る先輩達の姿が見える。そろそろこの時間も終わりか。
- 11 名前:劣等生 投稿日:2003/09/21(日) 00:49
- 愛は黒板の前まで来たものの、チョークを握ったままでなかなか書こうとしない。
後ろの席の子達が何やらこそこそと話ている。内容までは聞こえなかったが。
「分かりません」
愛の言葉に保田は特に表情を変えずに、席に戻りなさい、とだけ言った。
風であさ美の教科書がぱらぱらと捲れる。席に戻る愛と一瞬目が合った気がした。
- 12 名前: 投稿日:2003/09/21(日) 00:50
-
- 13 名前:劣等生 投稿日:2003/09/21(日) 00:51
- 「自転車を買ってもらった」
そんな事を新垣理沙が自慢げに話していたのは昼休みの事である。
長い髪の毛を二つに縛った、とても高校生とは思えない可愛らしいおチビさんで、先輩達
からは時々「お豆」と呼ばれている。理沙は割とうっかりとした性格で、よく自転車のチ
ェーンをかけないで置き去りにしてしまう事があり、よく盗まれていた。
この県立朝光高等学校は、山と一面の麦畑に囲まれたド田舎に建っている。3年前はまだ
木造建だったくらいだ。
理沙の家はどちらかと言うと海沿いの方にあり、歩いて行くと1時間以上はかかるので、
自転車は必需品なのだ。
麻琴の家はさらに遠くて電車を乗り継ぎ、その後バスに乗ってここまで通っていて、あさ
美と愛は比較的に近所なので、歩いて30分程で着く。
グラウンドからサッカーをする少年達の掛け声と、円になってバレーをする少女達の笑い
声が飛び交っている。
その様子を教室の窓辺から4人並んで眺めていた。
- 14 名前:劣等生 投稿日:2003/09/21(日) 00:52
- 「昨日の水曜劇場みたぁ?」
麻琴がのほほんとした笑みを浮かべながら、グラウンドから視線を外し皆の方に向けた。
オレンジ色の髪が光りに反射して眩しいのか、一瞬あさ美は目を閉じる。
「みたみたぁ貞子やろ」
愛が思い出したように声を震えさせた。
「あたし最後までみれなかったぁ、マジ怖いじゃんラスト」
「わたしもー」
理沙やあさ美も続いて乗る。
「テレビから出てくる所でしょ?あり得ないよねぇ」
「ビデオ撮った?」
理沙の質問に麻琴はげぇっと言って。
「撮らないよ。呪われそ」
「へぇ結構まこっちゃん恐がりなんだぁ」
あさ美が肘で麻琴の腕を突いた。
「あさ美と理沙だってあれじゃん?最後までみなかったんでしょ?」
「エンドロールはみた」
「意味ないじゃん!」
- 15 名前:劣等生 投稿日:2003/09/21(日) 00:54
- 理沙の言葉につっこむ麻琴を見て愛が手を叩いて笑う。
「あ、そういえばあたしとうとう当てたよ。お茶犬のクーラーボックス」
理沙がいきなり目をぱちくりしながら切り出す。
「うそぉ!すごいじゃん。今度見せてぇ」
「いいよ。今度家に来てよ。超かわいいよ」
「ええなぁ、何で理沙ばっかりいつも当てるん?この前のミスドのマグカップも
当てたやろ」
「あたしは日頃の行いが良いからなの。オレンジ色の髪したまこっちゃんとは大違い」
「はぁ?髪色関係ないじゃん! 」
「あっはははは」
「あ!あさ美まで笑ってるぅ! 」
麻琴はさらにふくれっ面になる。
- 16 名前:劣等生 投稿日:2003/09/21(日) 01:00
- すると突然後ろの扉が音を立てて開いた。
そこにいたのは麻琴の所属するバレー部の先輩だった。
「小川ぁ、今からミーティングするから部室集まって」
「え?はい!・・・あ、みんなあたしちょっと行ってくるね」
「うん、いってっらしゃい」
「らっしゃい」
「がんばれやぁ」
皆、口々に麻琴にエールを送っておいた。
麻琴はあさ美達に手を振ると小走りで教室を出てく。
麻琴の背中を見送りながら、あさ美はあの髪色でよく先輩にどつかれない物だと、心の中
で関心している。
「ところでまこっちゃんって何で呼ばれたん?」
「ん?多分新入生勧誘作戦じゃない?」
「あー、そういえば着ぐるみ着るかもって言ってた!」
「なんやそれ?気合い入ってんなぁ」
まるで人ごとのような愛にあさ美が。
「愛ちゃんの合唱部どうするの?」
「うぅん。ポスターくらいかなぁ、あんま考えとらん」
「えー、もっとなんかやりなよぉ。コントとか」
理沙の間抜けな言葉に愛はがっくりと肩を落とす。
- 17 名前:劣等生 投稿日:2003/09/21(日) 01:01
- 「ウチ、合唱部やから」
「でもインパクトって大事だよ?」
「あさ美までぇ、ええよええよ。5・6人入ればいいから」
「合唱部多いもんね」
一人の少年がゴールを決めたとたん、グラウンドから歓声と溜息が同時に聞こえてきた。
山から吹き下ろしてきた青嵐が、辺りの砂埃を消し去って行く。
「うんまぁ・・・てかあさ美も理沙もいい加減なんかやったらぁ?」
「えー、絶対無理。続かないもん」
理沙は眉にシワをよせ、漫画のようなコミカルな表情で頬を膨らます。
「わたしはやりたい事とかまだ無いし」
「おいおい・・・ウチら青春まっただ中じゃん。もっと何かやってみようよ」
「うぅん。考えとく」
「んじゃ、あたしも」
「うわぁ適当ー!」
と言って愛は苦笑する。
太陽のプリズムと、草木の香りが、3人の笑い声と共に教室中に溶け込んで行った。
- 18 名前: 投稿日:2003/09/21(日) 01:03
-
あいとまこと
- 19 名前:あいとまこと 投稿日:2003/09/21(日) 01:05
-
職員室の窓から西日が差し込み、全体的に薄い茜色に染まっていた。遠くの方に青々とし
た山が見える。マグカップには注がれたばかりのコーヒーが湯気を漂わせていて、その周
りは書類やら教科書やらで雑然としていた。あさ美は相変わらず飯田は掃除嫌いだな、と
つくづく思った。
やがて、数枚のプリントを片手に飯田が資料室から戻って来た。
「はいこれ」
そう言って飯田から渡された物は、『図書委員会日程表』と書かれたプリントだった。
「何ですか?」
あさ美がくりくりとした目をしばたたいて小首を傾げる。
その様子に飯田が口元を緩めて。
「最近、図書カードに登録しないまま勝手に本を持ち出して、最悪、返さないって言うのが増えてるのよ。紺野なら分かるでしょ?それで急遽委員会を開いて話し会いをする事になったんだけど」
「へぇ」
「で、委員長の3年ってあんま委員会来ないんでしょ?どっちかって言うとほとんど紺野に任せっきりみたいじゃん?多分、あの馬鹿委員長にこんな話したって当日サボられたら
意味無いじゃん。だから紺野に委員長の代わりをやってもらいたいのよ」
「はぁ」
- 20 名前:あいとまこと 投稿日:2003/09/21(日) 01:08
- 相変わらず外見と話術のギャップに面食らう。どちらかって言うとモデルタイプのスタ
イルで上品な大人の魅力を放っている飯田だが、言葉使いはまるで同世代の女の子だった。
「大体何で石川もあんな奴に委員長引き継がせたんだか。あの子ホント人を見る目無いや」
「石川先輩も3年が一人しかいなかったから仕方なかったって言ってましたけど」
「いくら何でもあれは酷すぎでしょ。まぁそれは良いとしてやってくれるわよね?」
飯田は最後の方のフレーズにやや凄みを効かせ、大きな瞳でぎょろりとあさ美を見つめる。
こんな事をされたら誰だってやらなければならないと思うだろう。あさ美は半分脅迫だ、と
思いながら渋々頷いた。
「紺野ならやってくれると思った」
飯田は悪戯っぽい笑みを浮かべてあさ美の額を小突く真似をする。
白々しいとあさ美は心の中で悪態をついてやった。
貰ったプリントを片手に、「失礼しました」と頭を軽く下げ職員室を出た。
丁度、入ろうとしていた保田とばったり鉢合わせしてしまったが、保田はあさ美を一瞥
しただけで特に何も言わなかった。
あさ美は内心どきりとしたけど、すぐに胸を撫で下ろした。
- 21 名前:あいとまこと 投稿日:2003/09/21(日) 01:10
- 鞄を肩に掛け、急ぎ足で階段を下りる。
ほとんどの生徒が下校してしまったようだ。なので校内は静まりかえっていて、グラウン
ドから聞こえるバットの鉄の音が、やけに遠くから聞こえてくるようだった。
玄関では愛が待っていた。
夕焼け空に浮かぶシルエットがやけに儚げで、福井弁なまりでいつものおちゃらけたキャ
ラが何処かへ行ってしまったようにあさ美には思えた。後ろの気配に気づいたのか愛がこ
ちらを振り返った。
「あさ美、遅いわ。なしてそんな所でぼっとつっ立っとるん?」
大きな目がさらに大きくなる。日没の陽が景色だけで無く、愛の顔も染めていた。
一瞬、見知らぬ違う人間かと思った。
「ごめん、ぼーっとしてた」
あさ美が言うと愛がにやりと笑って。
「もしやウチに見とれてたん?」
「え?」
愛の見透かすような笑みにあさ美の心臓が跳ね飛んだ。
「なんてあるわけ無いよなぁ」
が、すぐに元の愛に戻り、返って拍子抜けしてしまった。
「ははは」
- 22 名前:あいとまこと 投稿日:2003/09/21(日) 01:14
-
校門を出てからも、二人は下らない会話を続けていた。
理沙が実験室で試験管を3つも割り、レポートを30枚書かされた事や、数学の安倍がス
カートのファスナー全開で授業に出た事など、在り来たりな内容でも二人は大笑いしている。
狭い道路の脇に寝ころぶ、人相の悪い太った猫が、側を通る二人を睨み付けていた。
「ねぇーそれおっかしー!」
「やろ?それもよりによって男子に見つかってん!安倍先生顔真っ赤やった」
「えぇー、わたしぜんっぜん気づかなかったぁ」
あさ美がさも残念そうに唇をへの字に曲げる。茜雲に向かって何羽かのカラスが飛んで行く。
愛が白い歯をにっと出して。
「あさ美のイビキちゃんと聴いとったで」
「え?寝てたっけわたし」
きょとんとした顔であさ美は自分で自分を指さす。
「無意識にやっとたのかい?それはやばいでぇ。最近あさ美気ぃ抜けとるよ」
今度は愛が眉をひそめる。本当にころころと表情が変わる娘だとあさ美は思う。
「うぅん、なんか2年になると急にね」
「まぁ気持ちも分からなくはないんよ。中だるみって奴やろ?」
「うんそれそれ」
- 23 名前:あいとまこと 投稿日:2003/09/21(日) 01:15
- 前方からママチャリにまたがったおばさんがあさ美の横を、ベルを鳴らしながら通って
行く。道路を左右に挟むように生い茂っている麦畑が上風にざわめく。麦はまだ青くて
色づいてはいない。
それらを遠い瞳で見つめていたあさ美はふと思い出した。
「ねぇ愛ちゃん」
「うん?」
「今日の英語の時、あれワザと間違えたでしょ」
「なんで?」
あさ美の脳裏に、どの授業でも必死にノートを写している高橋の後ろ姿が浮かぶ。
「わたしの事、庇ってくれたのかなって思っただけだよ」
「あはは、そんな顔せんでもぉ、あれはホント分からんかったんよ」
「そっか」
麦と一緒に、風になびく愛の長い髪の毛が妙に眩しかった。
あさ美と愛の鞄にぶら下がっているお揃いのキーホルダーが揺れる。
- 24 名前: 投稿日:2003/09/21(日) 01:16
-
- 25 名前:あいとまこと 投稿日:2003/09/21(日) 01:18
- 途中の道で愛と分かれると、丁度帰宅途中だった妹のさゆみに会ったので一緒に帰った。
「ただいま」
「・・・いまぁ」
玄関には父の靴があった。珍しく早く帰っていたようだ。
居間の方から祖父と祖母の声がする。
二人はさっさと二階に上がると、それぞれの部屋に入って行った。
あさ美は鞄をベットへ放り投げると、窓を開ける。新緑の香りが一斉に蒸し蒸しとする部
屋を吹き抜けて行く。五月とはいえ大分気温が高いと感じた。
あさ美は制服の上着をハンガーに掛けると、ダンスからいつものTシャツとハーフパンツ
を出してそれらを着た。
今日は無性に漫画が読みたかった。以前買い集めたスラムダンクを全巻引っ張り出して
むさぶるように読み始めた。外から漏れる子供達の笑い声も、ぽつぽつと星が現れ始めた空
にも、あさ美は全く気が付かなかった。
途中で、英和を借りにきたさゆみも一緒になって読んでいた。ラストの敬遠の仲だった桜木
と流川が手を叩き合うシーンに二人共心動かされ、瞳を潤ませた。
- 26 名前:あいとまこと 投稿日:2003/09/21(日) 01:18
-
しばらくして買い物から帰って来た母が、二階に上がって来て夕食の手伝いをするように
と言いに来たので、二人して渋々と下へ降りて行った。
- 27 名前:あいとまこと 投稿日:2003/09/21(日) 01:19
- 夕食時に母が。
「あさ美、いい加減になさい。今月の誕生日で17歳でしょ。いい年頃の娘さんになるん
だから少しはご飯控えなさい」
と、おかわりと茶碗を差し出すあさ美に、呆れたような表情で軽い説教をする。
「さゆみ、いい加減になさい。もう中学2年生でしょ。育ち盛りなんだから残さず食べ
なさい」
と、夕食が始まって早々と席を立とうとするさゆみに、呆れたような表情で軽い説教をする。
あさ美は不公平だと頬を膨らました。
でも最近お腹の周りの肉が気になっているのは本当で、結局母の言う通りにしておかわりを
我慢した。その横でふて腐れた顔のさゆみが、嫌いなピーマンの肉詰めを箸で突いていた。
- 28 名前:あいとまこと 投稿日:2003/09/21(日) 01:20
- その後、あさ美は風呂に入って髪を乾かすと、居間に集まっていた家族とテレビを観た。
やたら歯の出ている司会者が、新人の芸人の頭を叩いている。母と父が手を叩いて笑って
いる。さゆみがつまらなそうにあくびをしていた。
次にやっている今人気のドラマでは、男と女が唇を重ねてベットに入っていた。
父も母も祖母も祖父もさゆみも普通に観ていたが、あさ美だけは気まずさが残り、結局自
室に戻る事にした。何であんなシーンを子供と普通に観れるのだろうかと、親に少しだけ
不信感を抱いた。
机の上に転がっているケータイを開く。
二件メールが来ていた。愛と麻琴だ。そういえば「あいとまこと」って言う言葉を何処か
で聞いた気がする。そんな事を猛然と考えながらメールを読んでいた。
二人と何時間もメールをしている内に、夜は更けて行った。
- 29 名前: 投稿日:2003/09/21(日) 01:21
-
- 30 名前: 投稿日:2003/09/21(日) 01:21
-
くせっけ
- 31 名前:くせっけ 投稿日:2003/09/21(日) 01:22
- 「梅雨だね」
そう言って、鏡の前で不服そうに自分の髪の毛をいじり出したのは麻琴。
もともと癖の強い髪質で、湿気の多い時期に入るとなかなか言う事を効かなくなるのだ。
案の定、麻琴がそうつぶやいた次の日に梅雨入り宣言がなされた。
まるで湿度計である。
- 32 名前:くせっけ 投稿日:2003/09/21(日) 01:24
- 一通りの少ない場所にあるファミレスは、あさ美達の他に、サラリーマンかおばさん達
しかいなくて、午後の時間帯の割りには少なかった。と言っても田舎町なのでこんな物だ。
「あたしバイトするかも」
オレンジジュースをすすりながら、先程買ってきたバイト雑誌に視線を落としたまま、理
沙が唐突に言う。するとすぐに麻琴が鼻で笑う。
「あー、今まこっちゃん鼻で笑ったぁ、感じ悪ぅ」
「だぁって、部活も面倒くさがってやらない理沙にバイト?無理っしょ」
「バイトかぁウチも考えとったけど、部活と両立は厳しいで」
頬杖をついた愛が、ちらりと理沙のバイト雑誌に視線を移す。
あさ美は熱々のハンバーグ定食に舌鼓を打つのに忙しそうで、あまり聞いていないようだ。
そんなあさ美の様子に気づいた愛が小さく溜息をつく。
「ええなぁ、あさ美はのんきで。てかあさ美も早くやりたい事見つけた方がええよ」
「いっかいきーりーのせいしゅん〜」
麻琴がふざけたような歌声で歌い始めた。テーブルの上のかぼちゃスープはもうすでにな
無くなっている。
- 33 名前:くせっけ 投稿日:2003/09/21(日) 01:27
- 「ホントこの時代は一回きりなのよねぇ」
理沙がしみじみと言った感じで遠くを見る。時々外見に似合わない事を言うな、と愛はひ
そかに思った。店内のクーラーの風が、インテリアの観葉植物の葉を揺らす。
「ここクーラー効き過ぎじゃない」
あさ美は先程の愛の言葉を聞かなかった振りをして、両腕を寒そうにさすった。
「そう?外に出ればムシムシするから今の内風当たっとこうよ」
麻琴はあごで窓の方を指す。
分厚い雲が空一面を覆っていて、ステンレスガラスに雨水が流れ落ちる。
そんな天気とは不釣り合いなくらい明るいBGMが店内のスピーカーから聞こえて来る。
人気ロックバンドの曲だ。
「いやぁ降ってますなぁ」
愛が関心気に言いながら、食べかけのクロワッサンを頬張る。
「ホントこの時期一番嫌い」
麻琴がまた髪の毛をいじり出す。よくよく見ると、髪の根本が黒くなっているが、
麻琴がそこまで気にする程、おかしな髪型でも無いとあさ美は思う。
「今のところ結構まとまってると思うよ。そんな気にする事無いって」
「あさ美はくっせけじゃないからそんな事言えるんだよぉ、マジ悩んでるんだからぁ
いいなぁ3人共、さらさらじゃん」
口をへの字にた曲げた麻琴は、あさ美の髪の毛を触る。自分とは比べ物にならない程つや
つやとした感触にジェラシーを覚える。
- 34 名前:くせっけ 投稿日:2003/09/21(日) 01:29
- 「でもまこっちゃんの髪ってブリーチで痛んだだけじゃないの?」
あさ美の鋭い見解に、ますます麻琴の顔が泣きそうに歪む。
「あぁん、あさ美いつからそんな意地悪になったのぉ、もうっ石川先輩に言ってやるぅ!」
「ちょっと石川先輩とか関係ないじゃん」
「あ、あさ美ちゃんムキになってる」
理沙がここぞとばかり軽薄な口調であさ美に畳みかける。
「でも東京かぁ、羨ましいのぉ」
「2・3ヶ月の短期だって言ってたけど、すごいね」
愛が羨ましそうに溜息をつく様を見て、あさ美もうんうんと嬉しそうに話しを合わせる。
その様子を麻琴と理沙は意地悪な笑みを浮かべて見ている。
「ウチは海外にすら言った事ないで」
「はぁい!あたしはハワイに行った事あるもん」
理沙が自慢気に手を挙げる。が、麻琴はシカトを決め込み。
「愛、その話止めた方が良いよ。理沙が調子乗る」
- 35 名前:くせっけ 投稿日:2003/09/21(日) 01:30
- 「了解」
「えー、何でよぉ話たいじゃん」
「理沙ちゃんのハワイ自慢もう何回も聞いたよ」
旅行や海外の話になると口癖のようにハワイの話題を繰り返す理沙に、さすがのあさ美も
参っていた。
デミグラスソースで汚れた口元を、テーブルの端に置いてあったナプキンでふき取る。
暇そうにあくびをかます店員が、数分前に席を立ったサラリーマンの食器を片づけている。
「そろそろ出る?」
あさ美が訪ねると、麻琴がすかさず。
「えー、外さっきよりすごくなってんじゃん。もうちょっといようよぉ」
ステンレスガラスの窓は滝のように流れる水で、外の景色がまったく分からないくらい歪
んで見えた。
麻琴はメニューを開くと、もう一回かぼちゃスープ頼もうかなと呟く。
愛は麻琴のメニューを除き込んで、麻琴の耳元で太るよ?などと言って茶化していて、理
沙は雑誌と睨めっこをしながら何か悩んでいる様子だ。時計は門限を指そうとしていたが、
そんな3人を見ている内に、あさ美も、まぁ少しなら良いか。と言う気分になった。
- 36 名前: 投稿日:2003/09/21(日) 01:30
-
- 37 名前: 投稿日:2003/09/21(日) 01:34
-
新しい日常
- 38 名前:新しい日常 投稿日:2003/09/21(日) 01:36
- やがて梅雨は明けた。その変わり例年の気温を遙かに増す暑さがあさ美達を襲う。
気象庁によると今年は梅雨の明けが割と早く、水不足も予想された。
扉を開けたとたん、埃と澱んだ空気にむせ返った。そろそろ掃除が必要だと思った。
棚の横にある小さな小窓から漏れる外の光が、埃の存在を教えてくれる。段ボールを片手
に抱え、扉の横のスイッチを押す。蛍光灯がぱちぱちと音を立ててついた。
あさ美は、『新刊』と、がさつなマジック文字が書かれている段ボールをテーブルの上ま
で運ぶと、本やらプリントやらで埋もれていたカッターを探しだし、ガムテープが施され
ている場所に、一気に刃を突き刺して勢いよくそれを引いた。
段ボールの中身は、際ほど学校宛に届いた真新しい本が敷き詰められていた。それらを取
り出すと、自分の後ろにあるパソコンのマウスに手を置き、一冊一冊、本の題名をチェックする。
- 39 名前:新しい日常 投稿日:2003/09/21(日) 01:37
- すると丁度飯田が職員室から戻って来た。
椅子に腰掛けてパソコンをいじっているあさ美の後ろ姿を見て、飯田が目を見開く。
「紺野。そんな事までやってくれてたんだ」
「あ、はい」
声の主は分かっていたので、ディスプレイから目を離さずに返答する。
「へぇ・・・委員長は何やってんだか。こんな事まで押しつけてんのね」
「はぁ、でも気にしてないです」
淡々と言葉を発するあさ美に、関心の溜息を漏らす飯田。持つべき物は有能な生徒だなと
思った。
「よし、紺野。後はあたしがやっとくから、本棚の掃除して終わって良いよ」
「良いんですか?」
「勿論」
「じゃあお言葉に甘えます」
そう言ってあさ美は席を立った。
出ていったあさ美の背中を見送りながら飯田は、さ、やりますか。と独り言を漏らし、先
程まであさ美の座っていた席に着き、マウスを握る。
- 40 名前:新しい日常 投稿日:2003/09/21(日) 01:38
- 冷房の効いた図書室内は肌寒く、万年冷え性なあさ美は両腕をさすりながら、本の整理を
していた。
放課後でもまだ帰らずに図書室にいる生徒達は、皆優等生そうな外見で、真剣
な表情で難しそうな本を捲っている。
受付の隅に置いてあったハタキで、棚に整然と並ぶ
本を軽く叩く。あさ美は見掛けは真面目そうな大人しい子と見られるが、そう言うイメー
ジは本人にとっては単なる重みでしかならなかった。一年の時、HRを使って委員会決め
をしていた時。あさ美が図書委員に立候補した時も、クラス全員が、やっぱりとか似合っ
ている、とか納得した空気だった。
しかし、あさ美は特に本が好きで手を挙げた分けでは
無かった。ただ、全員何かしら委員会に入らなくてはならないと言う条件下で、一番簡単
そうで、面倒なリスクを背負わないと思ったからだ。確かに与えられた仕事は完璧にやり
こなせると言う器用さはあるが、実際、あさ美は他人が思ってる程、真面目な勤勉家では
無いのは確かだ。
- 41 名前:新しい日常 投稿日:2003/09/21(日) 01:40
- その時、鋭い音が耳を付いた。誰かが乱暴に扉を開けたのだ。図書室にはあるまじき音で
ある。誰だろう、非常識な人だと思い、あさ美はちょっとした好奇心からその場を離れた。
が、その非常識な人物はあさ美のよく知る人物であった。愛だ。
走って来たのか顔が真っ赤で息を弾ませている。あさ美はつい気軽に声をかけようとしてし
まったが、眼鏡をかけたいかにも優等生な少年が苛立った様子で愛を睨んでいる事に気づき
、口をつぐんだ。
ふと、愛があさ美を見つけた。あさ美は慌てて人差し指を唇に当て、黙らせようとしたが
「あさ美!」
無駄な試みのようだった。
愛は嬉しそうに白い歯を見せると、ばたばたとあさ美の方へ走って来た。
「ちょっと愛ちゃん、静かに」
- 42 名前:新しい日常 投稿日:2003/09/21(日) 01:41
- 慌ててそう言ったので少し声が裏返ってしまった。しかし、それに気づいた時には、もう
愛に手を引っ張られ走り出していた。
階段を豪快に2段飛ばしで駆け下りる。あさ美はとろそうに見えるが案外運動神経が良い
ので普通に着いて行く事が出来た。途中の階段の踊り場辺りで、何度も「何処行くの」
と訪ねたが、「いいから来て」と言うだけで何も教えてくれなかった。
そうとう急いでいるようで、それからあさ美が何か言っても返答が無かった。
校舎を出たとたん、一気に強い日差しがあさ美の目を直撃した。
眩しくて目をつむると、また愛に勢いよく引っ張られ水道場に身を潜めた。
いきなり走ったせいでいつもより呼吸が荒く、背中に汗が流れ落ちていくのを感じた。
- 43 名前:新しい日常 投稿日:2003/09/21(日) 01:42
- 弾む呼吸を押さえながら愛が口を開く。
「正門の方見てみ」
汗で前髪が額に張り付いている。
あさ美は火照った頬に手を当てながら、愛の指さす方角へ視線を移した。
何やら数名程の女子生徒が、一人の女性を囲んで会話をしているのが見える。
その女性の顔は、ぼやっとした蜃気楼に歪んでよく見えなかった。
あさ美はさほど興味が無かったので、それがどうしたの?と正直に感想を述べる。
「あさ美アホやねぇ」
強い日差しに眩しそうに目を細めた愛が、さも呆れたような口調で。
「石川先輩が帰ってきたんよ」
- 44 名前:新しい日常 投稿日:2003/09/21(日) 01:42
- 「え?」
愛の言葉に、もう一度正門の方へ視線を向ける。
女子生徒に囲まれて、懐かしいあの優しい笑みで一人一人を見つめている。
髪の毛は少し茶色に染まっていた。
「石川先輩やろ?」
愛は食い入るように見つめるあさ美の顔をのぞき込み、確認する。
あさ美は黙って頷いた後、愛の方にゆっくり顔を向けて。
「石川先輩だぁ」
と、万弁の笑みを浮かべた。
蝉の鳴き声がより一層高まる。愛も力強く頷いた。
- 45 名前: 投稿日:2003/09/21(日) 01:42
-
- 46 名前:初風 投稿日:2003/09/21(日) 01:45
- なんかあんまり話進んで無くて申し訳無いんですが、更新終了。
誤字脱字すみません。
- 47 名前:名無し読者 投稿日:2003/09/21(日) 11:27
- 面白いよ〜。あと、ガキさんは里沙と書いてあげて!
サブタイトルがついてるのがひとつの中編になるんですか? 全体でひとつの
中編? とにかく続きが気になります。更新期待。
- 48 名前: 投稿日:2003/09/21(日) 15:24
-
- 49 名前: 投稿日:2003/09/21(日) 15:25
- 「石川なら図書室にいるわよ」
次の日の事。午後の授業をすべて終えたあさ美達は、飯田に石川の事を尋ねに行った。
飯田の話を聞いた後、あさ美は軽い足取りで図書室に向かう。その後ろには愛。
窓から斜めに差す夏の日差しが、廊下全体の温度を上げる。こうして歩いているだけ
でも二人の額にはうっすらと汗が滲み出ていた。
この日は学期末試験が近いせいか、いつより生徒の人数が多かった。あさ美は目だけ
で石川を探すが見あたらない。しかしここまで来れば心辺りがあった。貸し出しのカ
ウンターを通り過ぎると、室内の隅に小さな扉がある。準備室だ。
「いつもこんな所に石川さんおんの?」
声を潜める愛に、あさ美は黙って頷く。扉を開けると、古いせいでギシギシと木のきしむ
音がした。
「あら紺野に高橋じゃない」
- 50 名前: 投稿日:2003/09/21(日) 15:27
- 音に気づいた石川がこちらを振り向く。いつもは薄暗くてカビ臭い準備室が、何故か明る
くて草いきれの香りがした。石川の手にはホウキとちり取り、足下にはバケツが置いてあ
った。あれ程散らかっていたテーブルの上はすっきりしていて、黒ずんでいたパソコンは
真っ白だった。
「石川先輩、何してるんですか?」
予想外の事態にあさ美は目をまん丸くして訪ねる。
「汚かったからね。掃除してたの」
澄んだ切れ長の目が優しく笑った。何年も遇えなかった分けでは無いが、あさ美にはもの
すごく懐かしく感じた。
「あさ美あかんよ。先輩に掃除させて」
愛があさ美の肩をぽんと叩く。
「え?すいません、わたしも何か手伝いますね」
「いいよぉ、気ぃ使わないで。私、もうこの学校の生徒じゃないし」
石川は困ったように笑ってそう言ったが、あさ美や愛は聞かずに、結局石川からホウキを
取ってしまい、強引に手伝う事にした。
- 51 名前: 投稿日:2003/09/21(日) 15:29
- 「石川先輩、東京はどうやったんですか?」
愛が雑巾を絞りながら訪ねる。あさ美はファイルの整理をしながら耳だけそちらに傾けた。
石川はうぅんとしばらく唸って。
「なぁんか疲れちゃったな。東京って人多いから、私はあんま好きじゃない。空気もここ
より悪いしね」
「渋谷とか行ったんですか」
今度はあさ美だ。東京と言えば渋谷と言うイメージがあるらしい。
「あはは、一回行ったけどそこまで面白くなかったな。そうそうハチ公って意外と
小さいんだよ」
「へぇ、先輩もう東京へは?」
「当分ここにいるよ。いろいろ片づけたら料理の専門学校行こうと思ってるんだけど」
「大変ですね、ウチてっきり石川先輩大学行くのかと・・・」
愛はそう言った後、口をつぐんだ。あさ美が石川の顔色を伺う。石川は横に首を振っ
て、それから柔らかく笑う。
「本当は早く働きたかったから。大学に行くつもりは全く無かったよ?家の事とかい
ろいろあったからまだ無職だけど」
そう言い終えると眉を八の字にして情けない表情を作った。あさ美も愛も何も言えな
かった。そんな二人の様子に気づいた石川は慌てて話しを変えようと思い。
- 52 名前: 投稿日:2003/09/21(日) 15:31
- 「紺野、委員会の方はどう?」
「今の所はなんとか」
「そぉ、飯田先生から話聞いたよ。ごめんね、三年はあの子しかいなかったから」
「いえ。結構充実してますし、わたし結構暇だから」
「そうなんですよ、あさ美ったらまだ部活にも何にも入ってなくって」
「そうなの?あらー、今の内に何かやっとかないと後々後悔するよ」
「はぁ、でもやりた事とかあんまり無いんです。今は」
「そっかぁ、でも分かるよ。もう17歳だっけ?」
「はい、誕生日来ました」
「そのくらいに年齢になるといろいろ複雑でしょ、悩み事とか」
「いやぁどうなんでしょ」
「あさ美はあんまなさそうやね」
「何よぉ。愛ちゃんも悩みなんか無いでしょう?」
「ウチだっていろいろあるわ、まぁあさ美には分からんよ」
二人のやりとりに石川は楽しそうに目を細める。
あさ美はそういえばあんまり悩みとか無いな、と改めて思った。愛と話していても愛が
あさ美達に悩みを吐く事も無かったと、そんな事も思い出し、ふいに隣で笑う愛を見た。
顔をくしゃっとさせて白い歯を出している。猿に似ていた。
- 53 名前: 投稿日:2003/09/21(日) 15:32
- 「あるわけ無いか」
「うん?あさ美なんか言ったかぁ?」
「あ、いや何でもない」
「あははどうしたの?紺野」
「いえ、何でも」
「おかしなあさ美」
窓の外は変わらぬ青空が広がっていて、呑気にちぎれ雲が浮かんでいた。
あさ美は石川の瞳に自分が映っている事を思うと、心がほくほくと温かく
なって行くのを感じた。
- 54 名前: 投稿日:2003/09/21(日) 15:34
- 「ただいまぁ」
いつもより自分の声が弾んでいるのに気づいていた。いつもなら苦痛である暑さも、この
日は苦では無かった。今日ならさゆみに憎たらしい事を言われても怒らないだろうとも思
った。
居間から母のやる気の無い「おかえり」が聞こえて来る。
あさ美は2階に上がると、いつものように鞄を放り投げて、窓を開ける。乾いた風を肌に
感じながら、外を眺める。あさ美の部屋の方角からは山は見えないが、ずっと遠くの方に
海が見える。去年、石川や愛達と行った記憶が鮮やかに蘇る。
今年の夏はどうなるだろう。
上機嫌なあさ美は、制服の上着を掛け、部屋着に着替えた。
お気に入りのアルバムを流しながら、椅子に腰掛けて机の奥を探る。
あった。卒業式に撮った一枚の写真。あさ美の宝物。
真ん中で微笑む石川。その横に愛や里沙。一番端っこの自分と麻琴。
美人で何でもテキパキとこなす石川に憧れていた。
あさ美はそんな事を思い出しながら、棚に置いてある水色の縁の鏡に目をやる。
外見までは無理か。
- 55 名前: 投稿日:2003/09/21(日) 15:35
- すると、扉のノックする音が耳に入る。返事をする前に、扉は勝ってに開かれた。
さゆみだった。
「おねぇちゃん、お母さんがおやつだって」
あさ美はもう一度鏡に目をやる。
「いらないって言っておいて」
「え!?」
「何よ」
「ううん、言っとく」
さゆみはあさ美を気味悪げに見ると、出ていった。
あさ美はダイエットを決意したのだ。写真をもう一度机に入れると、大きく伸びをした。
「紺野、完璧ですっ」
がたん。
あまり後ろに反り過ぎたせいで、椅子事後ろに倒れてしまった。
まだ詰めが甘いな、と我ながら思い苦笑した。
居間では、さゆみが先程の事を母に告げると、母はすすっていたお茶を吹き出した。
- 56 名前: 投稿日:2003/09/21(日) 15:36
-
それから数日後、学期末テストが行われた。
暑さは日に日に増し、皆、とてもじゃないがテストに集中出来る事無く。
その度に、里沙や麻琴は職員室に冷房があって教室に無いのは不公平だと嘆いていた。
ちなみに二人のテストの結果は悲惨な物であり、担任の中澤に、冷房のせいにすな、と
厳しい関西弁で怒鳴られていた。逆にあさ美は、夏休みがいよいよ始まるんだ、と期待
に胸を躍らせている。
そんな夏休みがもうすぐやって来る―――――――。
- 57 名前: 投稿日:2003/09/21(日) 15:36
-
- 58 名前:初風 投稿日:2003/09/21(日) 15:45
- >47 名無し読者さん
レスありがとうございます。全体で中編になると思います。
これからもちょくちょくと読んで頂ければ幸いですw
中途半端な更新ですみません。後、名前欄にサブタイトル入れるのを止める
事にしました。
- 59 名前:リエット 投稿日:2003/09/22(月) 09:40
- 一気に読みました。すごくいい雰囲気です!
特に冒頭のシーンと重なるところはドキドキしました。
これからも頑張ってください。
- 60 名前: 投稿日:2003/09/22(月) 15:48
-
- 61 名前: 投稿日:2003/09/22(月) 15:48
-
あさ美の夏休み
- 62 名前: 投稿日:2003/09/22(月) 15:50
-
「夏休みの宿題一緒にやらん?石川先輩が見てくれるって」
電話越しにあっけらかんとした福井弁が聞こえる。
夏休みが始まって数日後の事だ。長期旅行の里沙、部活でハードスケジュールの麻琴と愛。
何も無いあさ美は早くも退屈していた。かと言って石川を誘う勇気も無い。
そんな矢先の事で、部活が午前中に終わると言う愛の誘いに乗らない分けが無かった。
何よりもラッキーな事に石川付きで。
「うん行く行く」
自然と声の調子が上がる。
「おう、じゃあ明日平気?」
「うん暇だもん」
「そう、なら丁度ええの、ウチの家に集合な。石川先輩も後で来ると思うで」
「うん、でもどうやって石川先輩に頼んだの?すごいね」
「え?電話だけど」
「電話?そうなんだ」
「ま、ええやん。あさ美なんの宿題やる?石川先輩、数学とか得意そうだよね」
「んー、どうだろ。理科系は苦手だって聞いたけど」
「んじゃ、理科以外の持って来てや」
「ははは、そだね。それじゃ明日」
「うん明日・・・あ、10時にな」
「うんOK」
「んじゃまたな」
「ばいばい」
- 63 名前: 投稿日:2003/09/22(月) 15:52
- そんな電話があり、あさ美は次の日いつもより早く起きた。
歯を磨こうと下へ降りると、寝ぼけたさゆみが廊下で寝ていた。居間で祖父がゴルフクラ
ブを磨いていた。新聞配達の青年の声がした。ちょっと早く起きただけでこんなに世界が
違うんだと、新たな発見に口を緩めた。
母がまだ起きて無かったので、冷蔵庫の卵を自分で焼き、牛乳と一緒に流し込んだ。
服も着替えて髪を整えている頃、廊下がバタバタと騒がしくなった。さゆみが起きたよう
だ。鞄に数学の教科書とドリル、社会のノートを詰めると肩に掛ける。
もう一度だけ自分の顔を鏡で見ると、部屋を後にした。
「行ってきまぁす」
階段を駆け下りて居間にいる家族にそう言葉を投げると、早足で玄関へ。
起きてきたばかりのさゆみは、「休みなのに起きるの速ぁい」と目を真ん丸くしていた。
あさ美は家の前に置いてある自転車にまたがると、ペダルを踏む。ガシャンとチェーンの
音を響かせて、いざ、出発。
- 64 名前: 投稿日:2003/09/22(月) 15:53
- 地上を焼き付けるように広がる太陽光線を一身に浴びて、あさ美はペダルをこいで行く。
頭上には深くて青い色をした空、雲は一つも無い。
海から吹いて来る潮風に髪なびかせながら、細い坂道を降りて行く。
やがて蝉の鳴き声に包まれた、垣根の民家通りを通り抜け、かぼちゃ畑に差し掛かる。
その畑道の角っこに位置する、昔ながらの切妻作りの屋根の一軒家が愛の自宅だ。
洗濯物がひらひらと風に煽られている。
家の横に自転車を止めると、インターホンを押す。
「・・・れ?」
押しても押してもインターホンは、カスッと言う間抜けな音を鳴らす。
「それ壊れてるよ」
あさ美がインターホンと格闘していると、背後から聞き覚えのある声がする。
振り返ると、ふんわりとした笑みを零す石川が立っていた。
「石川先輩、おはようございます」
突然の事にあさ美は声をひっくり返す。
「そんなに驚かないでよ、怖い人みたいじゃない」
と、石川は肩を竦めた。
- 65 名前: 投稿日:2003/09/22(月) 15:54
- 改めて見ると、もともと健康的で血色の良かった筈の肌色が、何だか今日
は冴えないと思った。
外の騒ぎに気づいたのか、2階の窓からひょっこりと顔を出した愛が。
「石川先輩にあさ美やんかぁ!はよ、上がって上がってぇ!」
と手間抜きして叫んだ。
2階に上がるとすでに愛が二人にお茶を用意していた。
小さなテーブルの上には国語のノートが置いてある。
「遠慮せずに座って下さいよ」
愛は端に置いてあったクッションを石川に渡す。
「ありがとね」
「あーいー、わたしにはぁ?」
「はいはいあさ美もな」
と、ベットに転がっている布団をあさ美にパス。
「ありがと」
窓際のモスグリーンのカーテンがふわりと舞、風鈴の涼しげな音色が室内の温度を
下げてくれる。
- 66 名前: 投稿日:2003/09/22(月) 15:55
- 氷の入ったガラスコップに、麦茶を注ぎ入れると二人の前へ置いて行く愛。
さっそくあさ美はそのお茶を頂くと、乾ききった喉と、上がっていた体温が同時に引いて
行き、体全体に染み渡って行くような感覚を覚える。
「おいしい」
石川がハンカチを首元に当てながら呟く。
「暑いですから、冷たいのが余計おいしく思えるんですよ」
と、愛は照れたように頭をかいた。
「そんな事ない、高橋のお茶おいしいよ」
石川が相変わらず優しく目を細める。あさ美はその笑い方はどうやれば出来るんだろうと
頭をひねった。愛はますます照れている。
「いやぁそうですかぁ?」
「愛ちゃんのお母さんはもともと喫茶店とかやってたんでしょ?」
「うんまぁ、コーヒーとかお茶の入れ方は結構勉強させられてんけど」
「へぇ」
石川は納得したように頷くと、もう一度お茶を口に含む。
カランと氷の音がする。水滴がコップを伝って線を作っている。
- 67 名前: 投稿日:2003/09/22(月) 15:57
- 「二人とも、おかわりやったら言って下さい。あ、あさ美はお茶は良いけどお菓子控えた
方がええで」
「どう言う意味よ、愛ちゃん」
「ん?そのまんまの意味やけど」
「ひっどーい!」
意地悪そうに笑う愛に、あさ美は頬をぷっくりと膨らませる。
石川が楽しそうに笑った。
「まぁまぁ、でも紺野は去年より大分やせたよね」
「ホントですかぁ?」
あさ美の瞳がパァッと明るくなる。最近、おやつを我慢していたかいがあった。
「うん、たったの2・3ヶ月で二人共随分きれいになった」
そういってふふっと笑う石川に、二人は顔を見合わせて、そうかぁ?と言い合った。
その後も、3人は何の脈略も無い会話を続けていたが、さすがに宿題をしに来てるのだか
らと言う事でノートを開く事にした。
- 68 名前: 投稿日:2003/09/22(月) 15:58
- あさ美は苦手の英語を、石川や愛に無理やりやらされる事になり、少々げんなりした。
石川の教え方は教師並みにうまく、それには愛もあさ美も面食らったようで、家の事情も
あってしかたなかったとは言え、大学に行かないのはもったいないと心の中で呟いた。
東京に行ったのは、多分、料理の専門学校を探していたのかもしれないと、あさ美は思う。
そうすると、石川はもう少ししたらまた東京へ行ってしまうのかもしれない。そう考える
とふいに寂しさが込み上げた。
やあれだけ猛威を振るっていた太陽も、大分大人しくなって来た頃。
玄関先で、靴を履くあさ美と石川を見送るように愛が。
「また来てや」
と、にんまり笑顔で二人に手を振る。
「うん、私も教えに行くから」
石川が二人に視線を配りながら言う。
「それじゃあね、愛ちゃん」
「またなあさ美。さよなら石川先輩」
「うん、ばいばい」
- 69 名前: 投稿日:2003/09/22(月) 16:00
-
色の薄くなった空、東側が少し赤く染まって見える。
日中より遥かに涼しくなり、風も穏かに感じた。
自転車のハンドルを握りながら歩くあさ美の隣を、遠い目で山の方に視線を向けている石川。
学校でならいくらでも二人になった事があったが、外では初めてだった為、あさ美は何を話
していいか分からずに、目をきょろきょろとさせている。
「紺野、相変わらずね」
石川はそんなあさ美の様子に気づいていたようだ。
「え・・・と」
気づかれていた事を恥ずかしく思い、また口をぱくぱくとさせた。
「その癖を変わってない」
「あ、いや」
「あはは、でも安心したよ」
「安心ですか?」
「そう、もしかして紺野が不良になってたらどうしようって、ずっと思ってたんだから」
ずっと思ってた。東京に行っても忘れてなかったんだ。あさ美はそう思うと嬉しくなり、
自然と目を細めた。
- 70 名前: 投稿日:2003/09/22(月) 16:01
- 「不良にはならないと思いますよ」
「そうだけどさぁ、金髪になった紺野とかいろいろ想像したよ」
「えー、似合って無かったですよねぇ?」
「うん、全く」
木々が風にざわめき、二人の前髪を揺らす。
坂の上から見下ろす町は小さくておもちゃみたいだな、とあさ美は思った。
「東京は寂しかった。この町にずっといたい」
ふいに石川の声のトーンが少し落ちた気がした。ずっと笑顔だった横顔が、寂しそうに感
じたのは見間違いじゃなかった。
「い・・・いて下さいよ。ずっと」
在り来たりな言葉だ。言った後そう思った。
あさ美の言葉に、石川はゆっくり首を横に振った。
「いずれは離れなきゃ」
「・・・石川先輩、前に料理の専門学校行きたいって言ってましたよね」
「ん?」
- 71 名前: 投稿日:2003/09/22(月) 16:02
- 「やっぱ、その、東京の方の」
あさ美が言いかけると、石川が、ああと言い。
「紺野は頭良いのね。東京に行くのは母さんのお見舞いに行くからだって言ったじゃない?
でもね、家を出てく前から身体の具合悪かったの。病気に気づくのが遅すぎてね、退院延
びそうなの。だからわたしが東京に行って母さんの面倒を見ようかなって思ってるの」
「・・・・・」
その後、二人とも無言のまま歩いた。あさ美はもう会話の内容を考える事は無い。
途中の石垣の通りを過ぎた所で、石川と別れた。
一人の帰り道。どうして自分は気の利いた事の一つや二つも言えないんだろうと心の中で
嘆いた。こんな時、愛だったら何て言うんだろう。
あさ美は呆然と地面に視線を落としていた。
「あーあ・・・」
一台の乗用車が排気ガスと共に横を通り過ぎて行く。
そんなあさ美のため息交じりの声は、車の通る音と共に消えて行った。
- 72 名前: 投稿日:2003/09/22(月) 16:02
-
- 73 名前:初風 投稿日:2003/09/22(月) 16:05
- >59 リエットさん
レスありがとうございます。頑張りますんで
これからもよろしくお願いします。
- 74 名前:ヒトシズク 投稿日:2003/09/22(月) 22:36
- 面白いですね〜初めて見つけて、最初から最後までいっきに読んでしまいました。
石川さんの寂しさなどがすごく分かる様でいいですね。
あと、淡々とした文章も好きなので頑張ってください。
- 75 名前:名無し読者 投稿日:2003/09/22(月) 23:54
- えーと、一応突っ込んでおきますが半角でsageしないと下がらないと思われ
- 76 名前:ヒトシズク 投稿日:2003/09/24(水) 22:22
- >>75 名無し読者さん
失礼しました。
- 77 名前: 投稿日:2003/09/25(木) 17:37
-
- 78 名前: 投稿日:2003/09/25(木) 17:37
-
さゆみの友達
- 79 名前: 投稿日:2003/09/25(木) 17:39
-
さゆみの友達が紺野家へ泊まりに来たのは、次の日の夕方頃である。
「田中れいなです」
「亀井絵里って言います」
あさ美よりほんの少し背の小さな少女達は、おろおろとしているあさ美をじっと見つめて
いる。あさ美がおろおろとする理由は、突然、さゆみの友人が来たからで無く、その目が
怖いのだ。
さゆみとタイプが全く逆の二人で、とてもじゃないが、教室でこの二人と仲良く話すさゆ
みなんて想像出来ない。
「あ、どうぞ、二人共入って」
そんな事を思っても、一応さゆみの友人である事に間違い無いので、玄関に立たせたまま
も悪いと思い、中へ入れてやる事にした。
「おじゃまします」
「失礼します」
二人共ばらばらの事を言いながら入って行く。あさ美は変な子だなぁとぼんやりと思いな
がら2階へ通した。
あさ美は2階が気になりながらも、居間のソファに腰掛けてテレビを観ていた。
バラエティ番組が終わると、退屈なニュースが始まったので、チャンネルを変えるも
他に面白そうな番組が無い。
- 80 名前: 投稿日:2003/09/25(木) 17:40
- そう思っているとタイミング良く居間の扉が開く。
さゆみが入って来た。その後ろに先程やって来た田中れいなと亀井絵里もいる。
心の中でうわぁと苦虫を噛み潰したような顔をして叫んだ。あさ美は、田中や亀井みたい
な感じの子とは気が合わないと思っているし、苦手タイプだ。
なのであまりそちらを見ないように、ひたすら目線をテレビへ。
が、神経だけは確実に向こうへ行っていた。
さゆみが台所にいる母に向かって、信じられない事を言った。
「泊めてもいい?」
え!?あさ美は一瞬そちらへ振り返りそうになった。
「何よ」
母は苛立った様子で、台所から出て来た。
「友達」
さゆみが二人を指さす。
「こんにちわ、田中れいなです」
「おじゃましてます。亀井絵里って言います」
二人は頭を下げる。母は。
「いいわよ」
- 81 名前: 投稿日:2003/09/25(木) 17:41
- 得に反対するわけでも無く、理由も聞かずにあっさりと即答した。
「うん、じゃあ夕飯二人の分もお願い」
「丁度余ってたから良い機会だわ。二人共ゆっくりしてってね」
「ありがとうございます」
「ありがとうございます」
礼儀の正しい子ね、と満足そうに母は台所へ戻って行った。
あさ美は一部始終を聞いて、呆然としていた。
普通親なら反対するか、せめて理由くらい訊くだろう、とそんな言葉があさ美の頭をぐる
ぐると巡っていた。
しかもあの二人と夕飯を食べるんだと思うと嫌な気がした。
仕方ないので今日だけだ。と自分に言い聞かせて我慢する事にした。
- 82 名前: 投稿日:2003/09/25(木) 17:42
- 「れいなちゃん、絵里ちゃん。ご飯のお味どうかな?」
母がいつもよりトーンの高い声で二人に尋ねる。
「はぁ美味しいです」
「美味しいです」
と、当たり前だが普通に答えた。意外と大人しい子達だった。
当のあさ美はなるべく目を合わさないように茶碗にだけ視線を注いでいる。
「二人共、荷物も持たないで泊まりに来るなんて、きっと何か事情があると思うから訊か
ないけど、一応親に電話しておくけど大丈夫かな」
すると、れいなが絵里の顔を除き込む。絵里は黙って頷く。
「そう、じゃあ後で電話しとくから」
れいなや絵里は得に会話らしい事を一つもしなかった。さゆみが無口なのはいつも同じだ
が、この日の夕食はいつもより静けさが漂っていた。母もそれ以上話さなかった。
あさ美はこの重い空気から逃れたくなって、その日はおかわりをやめてすぐに席を立った。
その後、お風呂に入ろうと廊下を歩いていたら、れいなとばったり鉢合わせしてしまった。
お互い特に何も話さなかったし、あさ美もなるべく見ないように軽く頭を下げた。
れいなもそれに答えたが、あさ美は何だか睨まれているよう気がして居心地が悪かった。
- 83 名前: 投稿日:2003/09/25(木) 17:43
- あさ美は早々と自室に閉じこもった。観たいテレビがあったが下には降りたくなかった。
年下にここまでビビる自分を反面情けなく思う。
ケータイをチェックすると、メールが来ていた。ディスプレイには珍しい人物の名前が。
『里沙ちゃん』
里沙は普段あまりメールをくれない人だ。単に面倒くさいと言う理由だが。
開けて見ると案の定、旅行先の自慢話だった。
あさ美は、昨日の事と言い、今日のさゆみの友達と言い、珍しい里沙からのメールと
言い、立て続けにいろいろ起こるな、と深い溜息をついた。
メールをやっとの思いで返信し終えると、あさ美は布団に入り、スタンドを消した。
まだ時間的に早かったが、早く明日になってほしかった。
- 84 名前: 投稿日:2003/09/25(木) 17:44
- 悪運は重なる。
次に目を覚ましたのは時計の針が2時を指した頃だ。勿論午前。
あれ程早く寝た事は無かったせいで、すっかり目が冴えてきってしまっている。
喉の渇きを覚えたあさ美は、身を起こすと布団から這い出た。 さすがにあの二人も寝て
しまっているだろうと思い自室を出る。
真夜中の廊下は蒸し暑く、不気味な静けさを放っていた。さゆみの部屋が静かなのを確
認すると階段を降りて行く。
すると、誰かの話声が聞こえて来るではないか。あさ美は心で、まさか、と思いゆっくり
と声の方へ近寄り聞き耳を立てて見た。
「何度言っても私帰らないよ」
その声は震えていて、どうやら泣いているようだった。
あさ美は声の主を見ようとさらに近づいた。居間のソファの側に二つの影。
「あんた最低だよ・・・いつだって私の見方って顔して、ホントはどうだって
いいんでしょ?」
仲間割れ?あさ美は一瞬そう思ったが、どうも一人で言っているようにしか思えない。
目を凝らしてよくよく見ると、しゃがみ込んだれいなの背中、その前に絵里。
- 85 名前: 投稿日:2003/09/25(木) 17:45
- 「もう顔も見たくない、家にも帰らない」
しゃくり上げて話しているのは絵里だった。れいなが背中をさすっているのが分かる。
「もう切る」
絵里の手に握られているのはケータイだった。
誰かと話していたようだ。あさ美は見てはいけない物を見てしまった気がして、そのまま引き返そう思い、階段を上がろうとした。が、足の指が階段の先に当たりそのまま前のめりに倒れそうになった。「危っ」と、小さな叫び声を上げて、反射的に手をつく事が出来た。脂汗が背中を伝わる。危機一髪と言う四字熟語はこの時に使う。
あさ美が胸を撫で下ろしたのも束の間。先程の事が脳裏を掠め、「しまった」と心の中で雄叫び声を上げた。恐る恐る後ろを振り返ると。
口をぽかんと開けたれいなと絵里が立っていた。
あさ美は笑うしか無いと思い、愛想笑いを浮かべたまま頭を軽く下げた。
- 86 名前: 投稿日:2003/09/25(木) 17:47
- 深夜二時半。居間には明かりがついている。ソファには三つの背中が並んでいて、
煎餅を咀嚼する音が響き渡っている。
「電話の相手は絵里ちゃんのお母さんなの?」
あさ美の言葉にゆっくり頷く絵里。するとれいなが。
「絵里の母さん再婚するけん、でも婚姻届出す直前までその事絵里に黙っとったけん。
そやから絵里は怒っとる」
関西弁でも無く、福井弁でも無いれいなの妙な方言にあさ美は耳を疑ったが、真剣に聞く
フリをした。
「て言う事はお母さんと喧嘩して家を出て来たの。て事はれいなちゃんは?」
「れいなは付き添いやけん。関係なかね」
「そう、なんだ。でもねいつまでも家出なんて出来ないよ?いつかは帰らなきゃ」
「分かってます。でも今日だけはお母さんの顔、見たくないんです」
そう言って絵里は目を伏せた。
あさ美はそんな絵里を可哀想で仕方なくなった。でもどうすればいい。
「うぅん、じゃあさ。お母さんに頼んでおくから夏休みの間だけこの家にいても良いよ。
わたしのお母さん、結構考え方めちゃめちゃだからOKしてくれると思う」
- 87 名前: 投稿日:2003/09/25(木) 17:49
- 我ながらグットアイディアかもしれない、あさ美は心の中で自画自賛した。
絵里は一瞬嬉しそうな顔をしたが、すぐに首を振った。
「それは良いんです。れいなやさゆやこの家の人達まで巻き込んで迷惑とかすっごいかか
ってると思うし、明日には帰ります。ただちょっとお母さんを困らせたかっただけかもし
れない」
「そんな」
と言い、あさ美は口をつぐんだ。ろくな事を言えないのに口出しするのは間違っている。
「あさ美さんは意外と良い人やったけんね」
「へぇ?」
れいなが突然あさ美の顔をじっと見ながら、そんな事を言い出したので、つい間抜けな
声を出してしまった。
そして「意外と」と言う余計なワードが気にかかる。
「最初れいな達の事見て嫌ぁ〜な顔しとったけん」
「うん私も思った」
しまった。顔に出ていたのか。あさ美はどうして良いか分からずに目をきょろきょろ
とさせた。
- 88 名前: 投稿日:2003/09/25(木) 17:50
- 「でも勘違いやったわ、あさ美さんれいなと似ちょるけん」
「はぁ?」
「れいなも初対面の人に顔が怖いって言われると。あさ美さんも同じやけん。暗い顔しよ
ってたけど、実はれいな達の事歓迎しとったのやろ?」
「えーっと、うん。わたしもよく言われるかも」
あさ美はそう言いながら頬をぽりぽりとかいた。
「やっぱり。あさ美さんが親身になって相談に乗ってくれるなんて私思わなかったもん」
「うん、さゆと違って頼りになるけんね」
「うぅん、どうかなぁ」
あさ美はたどたどしく返すと、良心が痛んだ。
「二人共もう寝た方が良いんじゃない?3時過ぎてるし」
「あ、そやねちょっと眠くなって来たけん」
「そうですね、今日はありがとうござました」
絵里はぺこりとあさ美に向かって頭を下げる。
あさ美はそんな絵里の顔をまともに見れない。
「お休みなさい」
二人にそう言い残して、自室に戻ってみたものの、なんだか胸がざわついて眠れなかった。
- 89 名前: 投稿日:2003/09/25(木) 17:52
-
次にあさ美が目を覚ましたのは午後の2時だった。結局明け方の5時頃になりウトウトして来たと思ったら寝てしまったようで、今頃になって起きたのだ。
正確には起こされたのだが。
まどろみの中から聞き覚えのあるメロディーが流れて来た。
あさ美はやっとの思いで身体を起こすと、音の主をぼやけた視界の中で探す。
着メロだ。あさ美の思考がそう言うと、机の上に手を伸ばしケータイを掴んだ。
「・・・もしもし?」
絞り出すように声を出すと、いきなり耳をつくようなテンションの高い声があさ美の頭に
がんがん響いた。
「おっはよー!あさ美ちゃん!誰だと思う?」
あさ美は頭をさすると、その声の主に気づいた。
「里沙ちゃん?」
「そぉう!相変わらずあったまいーねー!」
「いや、頭の良いとか言う問題じゃないから、で、どうしたの?」
「もぉう、しらばっくれてぇ」
「別にそう言う分けじゃ」
「昨日メール見たでしょう?」
- 90 名前: 投稿日:2003/09/25(木) 17:52
- 「メール?」
あさ美は視線を斜め右にずらすと、昨日の事を思い出そうと過去の記憶を探った。
「あ」
ふと頭にれいなと絵里の顔が過ぎった。
「ごめん里沙ちゃん電話後でかけ直すから!」
「え?ちょ、ちょっと」
里沙の呼び止める声を聞かなかったふりをして、ケータイを切った。
あさ美は軽く髪をとかすとばたばたと自室から出ていき、隣のさゆみの部屋に向かう。
- 91 名前: 投稿日:2003/09/25(木) 17:53
- 「さゆみ?さゆみ?」
そう言って扉を叩くと、「なぁに?」と気怠そうに扉から顔だけ出した。
「ねぇさゆみの友達は?」
「へ?もう帰ったよ?」
「嘘ぉ」
「嘘ぉって。わたし起こしたのにおねぇちゃん起きないから」
「えー、いつ?」
「うん?確か11時頃に、絵里の母さん迎えに来て、二人共・・・あ、そうだ」
さゆみは何か思いついた様子で、扉かた顔を引っ込めた。
部屋から何やらごそごそと音がする。あさ美は顔を顰める。
するとまたさゆみが顔を出して。
「これ」
そう言ってあさ美にメモらしき物を手渡した。
さっそくそれを開くと。
『先に帰ってごめんなさい。昨日は嬉しかったです。
絵里
あさ美さんの事誤解してすまんかったけん。おじゃましました。
れいな』
- 92 名前: 投稿日:2003/09/25(木) 17:54
- そんなにお礼される程格好いい事言って無いのに。しかも誤解してたのわたしの方なのに。
そう思い返すと、後悔の念が激しくあさ美を襲った。
「さゆみ」
「ん?」
「―――二人に、また来てねって伝えといて」
「うん」
さゆみが嬉しそうに目を細めた。
- 93 名前: 投稿日:2003/09/25(木) 17:54
-
- 94 名前: 投稿日:2003/09/25(木) 17:55
- しばらく、何も無い毎日が続いた。
8月に入ると、愛と麻琴の休日が重なった事から久しぶりに4人でカラオケに行った。
麻琴と愛のマイクの奪い合いには、あさ美も里沙も笑った。どっちも似たような性格
なのだ。
石川とは都合が合わずあれ以来逢ってはいない。
あさ美は夏休みは好きだが、こう長すぎると何をやって良いか分からなくなる。
かと言って自分からやりたい事をわざわざ探す程、今の退屈な時間が嫌いでは無い。
どうせ、こう言う時代もすぐに過ぎてしまうのだから、大人になれば暇な時間なん
て無いと、父が口癖のように言っていたので、それを真に受けたのだ。
- 95 名前: 投稿日:2003/09/25(木) 17:56
-
結局今年の夏も何も無いまま終わって行くんだ。
でも出来れば明日も明後日も、来年も再来年も10年後も、こうやって過ごせれば良いと思った。
- 96 名前: 投稿日:2003/09/25(木) 17:56
-
- 97 名前: 投稿日:2003/09/25(木) 17:56
-
ノートを忘れて
- 98 名前: 投稿日:2003/09/25(木) 17:57
- 「夏休みなんだから外に出なさい」
最近の母の口癖だ。
「宿題残ってるから行けない」
それが最近のあさ美の言い訳。
あさ美のボケッとした気の抜けた表情に、母は深いため息をつく。
「大体、年頃の娘が、休みの日に家でテレビみながらお菓子ばっか食べて無いわよ。まっ
たく情けないわね」
そうぶつくさと言いながら、さゆみが今朝食べ散らかしたであろう煎餅のカスを素早く
拭き去る。あさ美はさもかったるそうに頭をかくとよろよろと居間を出た。
自室の隣はやゆみの部屋だが、今日は友達のれいなの家に行ってしまったので、廊下
はやけに静かだった。みしみしと言う廊下を歩いて、自室に入って行く。
- 99 名前: 投稿日:2003/09/25(木) 18:08
- タンスから適当にTシャツとジーンズ生地のスカートを引っ張り出す。
半分開いた窓から吹き抜ける乾いた風に、机の上に飾っている観葉植物の葉がゆらゆらと
揺れた。
8月の後半。まだまだ夏であり気温もそれなり。夏休みも終盤に近づいていると思うとや
はり切なかった。
あさ美は残りの宿題でも片づけてしまおうと、鞄を引っ張り出す。
何からやろうか。一応理科の自由課題も終わったし、英語は苦手な物から片づけてしまお
うと必死にやって終わった。後は数学ドリルと社会科のノートまとめだけだった。
そんな事を思いながら鞄を探る。数学のドリル。社会のノート・・・・。
「あれ?」
つい声を上げる。鞄の中を開いて確認するが無い。
何処かへ出したかな。そう思って身の回りを確かめ、机の上や引き出しを探ったが見つか
らない。まさか落っことしたのか、と思いベットの下も確認し、さらに机と壁の隙間まで
除いて見た。
すると、何かがキラリと光った。
- 100 名前: 投稿日:2003/09/25(木) 18:09
- 「あ、あったぁ」
そう叫んで見つけた物は、先日無くしたと思っていたお気に入りのブレスレットだった。
喜びに浸ろうと、ブレスレットを腕に付けようとした時、あさ美ははっとして本来の目
的を思い出した。
違う。わたしが探しているのはノート。そう自分に言い聞かせブレスレットを引き出し
にしまう。もう無くさないように。
その時だ、あさ美の脳裏に夏休みの初め頃の様子が浮かぶ。石川に逢った日。愛の家で
宿題をやった時だ。もしかして愛の家に置いてったのかもしれない。
すっかり夏休みの怠け癖がついてしまった身体をほぐしながら、あさ美は家を出た。
そう言えば愛の家に行くのは久しぶりかもしれない。最近は愛の方も部活が忙しくなっ
てきていて、なかなか会えなかった。あさ美は自転車にまたがると、ペダルを踏んだ。
空にはうっすらとした雲がかかっていて、蝉の鳴き声が大分少なくり秋の兆しを感じ
られる。
- 101 名前: 投稿日:2003/09/25(木) 18:10
- 細い小道を通り、木々のアーチをくぐると垣根の家々が瞳に映る。
目印であるかぼちゃ畑を通ると、愛の家が見えて来た。
今日は洗濯物を干していない。
あさ美は自転車を止めると、インターホンに近づいて止まる。
壊れてたんだっけ。すると何気なく押そうとしていた手を引っ込めた。
家の2階に視線を上げると、モスグリーンのカーテンがふわりと内側に波を作っていた。
ふと、あさ美は思った。もしかすると愛は今日も部活だったかもしれないと。
でもせっかくここまで来たのに。あさ美は家族の人がいるかもしれないとわずかな期待に
賭け、扉をノックして見た。
「・・・・」
反応は無い。試しにドアノブをに手を掛けてそれを回して見た。
- 102 名前: 投稿日:2003/09/25(木) 18:11
- 「開いてる」
不用心だな、と思いながらもあさ美はそれを引いた。
家の中は真っ暗で静寂に包まれていた。とてもじゃないけど人がいるようには思え無か
った。勝手に入る分けにはいかないと思い、引き返そうとすると。
玄関に真新しい女性向けのサンダルが置いてあるのが視界に入る。よくよく見ると、靴
箱には愛がいつも履いている靴もちゃんとあった。
なんだいるのか、とあさ美は。
「愛ちゃーん、いるの?」
一応声をかけてみたが返事は無い。
「入るよぉ?」
そう言って自分も靴を脱ぎ、中へ足を踏み入れた。
入ってすぐの廊下を通ると、和風の居間がある。向こう側に縁側があり、仏壇には線
香が炊かれていて細い煙が昇っては消えて行く。
廊下はきちんと掃除が施してあるのか、つるつるとした足触りがする。
- 103 名前: 投稿日:2003/09/25(木) 18:13
- さらに歩いて行くと、愛の自室へつながる階段を見つけた。
あさ美はその急な階段を昇ろうと思い、手すりに手を掛けた。すると、上の方から微か
にカタン、と言う音が聞こえた。
「愛?」
なんだやっぱりいるんじゃないか。と、そう思ったとたん、何故か自分の脳の何処かが
「行くな」と命令したようで、足が重くなった。
何故。
あさ美は思う。勝ってに入った事なら謝れば良い。愛とは仲が良いんだから。
そう自分に言い聞かせたが、何かもっと違うような気がした。
あさ美は頭を横に振ると、意を決して一段一段階段を昇り始める。
その間、自分の鼓動が早くなっている事に気づいた。何か自分の身体がおかしい、そう
思わずには入られない。
あさ美はとうとう階段を昇りきった。
2階の廊下の端に、「入る時はノックしてや」と書かれているプレートのかかった扉が
ある。その扉がうっすらと開いている。あさ美は音を立てずにその扉に近づいた。
- 104 名前: 投稿日:2003/09/25(木) 18:14
- 「ん・・・うん・・・」
あさ美はその声がなんの事か一瞬分からなかった。あさ美はさらに足を進め、訝しげな表
情で、扉の隙間に視線を持って行く。モスグリーンのカーテンがひらひらと舞っている。
「・・・ぁん」
あさ美は弾む鼓動を押さえながら隙間に顔を近づける。嫌な予感が頭を過ぎった。
ぎしぎしと言う木のきしむ音。あさ美は眉をひそめる。
強く握られた手と手。茶髪がかった長い髪の毛が風に揺れる。
「・・・い、しかわ先輩」
うっとりとした瞳で、黒髪の少女がそう呟いた。
あさ美は目を見開く。
シーツにくるまった二体の身体。
健康的な肌色の腕が、黒髪の少女の身体を抱きすくめていた。
そして見覚えのある二人の顔がゆっくり重なって行く――。
- 105 名前: 投稿日:2003/09/25(木) 18:14
- 心臓をえぐられるような衝撃が胸を襲ったかと思うと、次に腹の辺りから込み上げて来る
物に気づき、あさ美は手で口を覆う。十分パニクっている筈だと自分でも分かっていたの
に、脳みその冷静な一部があさ美の足に、音を立てずにゆっくり歩けと命令した。
どうやってあの家を出たのか、自分ではもう覚えていなかった。
額から流れ落ちる汗は、拭っても拭っても止まらない。
自転車に乗る力はもう無く、気が付いたらただハンドルを握って歩いていた。
相変わらずのんびりとした雰囲気が町全体を覆っていて、遠くの方に広がる海は
薄日にきらきらと輝きを放っている。
- 106 名前: 投稿日:2003/09/25(木) 18:15
- 背後で車のクラクションが鳴った気がしたが、あさ美は特に反応を示さずそのまま歩く。
小型トラックがわざわざあさ美を除けるように通り過ぎて行った。
あさ美はその様子を一瞥すると、何気なく前方に視線を移した。
ざわつく声と共に、ずっと遠くの方で見たことのある紺のジャージ姿の集団が歩いている。
バレー部だった。今日は早目に終わったのだろうか。楽しそうに小突き合いながら帰宅
していた。
その集団の中に麻琴もいるのが、あさ美の虚ろな瞳に映る。
今日だけは誰にもこの顔を見てほしくないと思い、つい顔を伏せる。
とたんに、アスファルトに黒いシミを作った。手で顔をぬぐう。
すすり泣くような虫の鳴き声に、もう夏も終わりだと感じていた。
- 107 名前: 投稿日:2003/09/25(木) 18:16
-
- 108 名前:初風 投稿日:2003/09/25(木) 18:30
- >74 :ヒトシズクさん
レス有難うございます。
石川のキャラはちょっと個人的に難しかったです。
>75 :名無し読者さん
ご指摘有難うございます。
うまくsageられました。
更新終了です。こんな展開にしてしまいましたが、もしかしたら勘が鋭い方などは
「あさ美の夏休み」辺りで気づいてしまってたかもしれないですね(汗
- 109 名前:名無し読者 投稿日:2003/09/26(金) 17:11
- チャミラブ〜!
ひそかに好きなのでちょっと嬉しかったり(w
- 110 名前:Y 投稿日:2003/09/26(金) 17:32
- こういう文章の書き方好きです。
いしたかが気になります。
頑張って下さい!
- 111 名前:ヒトシズク 投稿日:2003/09/26(金) 22:19
- すごい展開に頭がついていきません(笑。
すっごい先が気になる感じで・・・
続き楽しみにしてます〜
- 112 名前:リエット 投稿日:2003/09/26(金) 23:04
- 石川さんと高橋さんに何かありそうだなとは思っていましたが、
まさかこういう展開になるとは…。
続きが物凄く気になります!
- 113 名前:名無し読者 投稿日:2003/09/27(土) 03:23
- 文章も上手いし、抑えたトーンがいいですね
- 114 名前:名無し読者 投稿日:2003/09/28(日) 23:18
- 半信半疑で読んでいたらビンゴでした
淡々としてるのに全然つまらなくて、次は次は期待してる自分がいます
見つけてよかった
- 115 名前:名無し読者 投稿日:2003/09/30(火) 04:00
- >>114
?
- 116 名前: 投稿日:2003/10/13(月) 19:53
-
炎上
- 117 名前:名無し読者 投稿日:2003/10/13(月) 19:53
-
クリーニングに出しておいた制服に身を包むと、鞄に荷物を詰めて、さっさと部屋を後にした。
居間で朝のワイドショーを見ながらおかずを突いているさゆみに、母が「行儀が悪い」と
注意していた頃、玄関の扉が閉まる音がした。
「あら、あさ美もう行ったのかしら」
「えーおねぇちゃん朝食食べてなぁい」
さゆみが唇をへの字に曲げる。
母があさ美の分の朝食を、テーブルに並べようとしていた矢先の事だった。
「まぁ、お年頃かしら」
母は自分でそう言っておいてにやりと笑った。
- 118 名前: 投稿日:2003/10/13(月) 19:55
- 不規則に立っている小さな家々の周りを、すっかり色づいた黄金色の麦が風にそよい
でいる。もうすぐで収穫かもしれない。
クリーニング後の制服はぱりぱりとしていて、何だか肌がむずがゆかった。
あさ美は細い道路をのったりとした速度で歩いていく。途中で、道を掃除していたお
ばぁさんに頭を下げられたので、一応自分も軽く会釈する。
麦畑が大分遠くなり、やがて見えなくなる頃、前方にはあさ美と同じ制服を身に纏っ
た生徒達がぽつぽつと後ろ姿を現した。
その時、ふいに背中を誰かに叩かれた。勿論あさ美はその犯人を分かっていたが。
「あーさー美」
そう言って犯人はあさ美の顔を除き込んだ。
「まこっちゃん」
久しぶりに見る麻琴の髪色は、落ち着いた茶髪になっている。
「あーれぇ?リアクション薄っ」
「だって分かるもん」
「だよねぇ、てかあさ美久しぶりじゃない?」
「そ?」
「そぉだよ。カラオケ行ったっきり全然合ってない」
「そうだね、まこっちゃん元気してた?」
- 119 名前: 投稿日:2003/10/13(月) 19:57
- 「元気だよー、一目瞭然じゃん」
そう言って両腕の力瘤をあさ美に自慢する。
「夏休みほとんど部活だったんでしょ」
「まぁね、先輩にしごかれまくったわ」
「そっか、・・・そういえば髪の毛また染めた?」
「おうよ、オレンジはやりすぎだった」
「今気づいたの?」
「あぁんあさ美ヒッドイ」
「冗談だよ」
と、口元をふっと緩めた。
そんなあさ美に麻琴は目をまん丸くして。
「あさ美やっと笑ったね」
「ん?」
「なんか今日元気無いよ?」
「そ?まだ眠いのかな」
「なぁんだそんな事、今日始業式だけっしょ、すぐに帰れるからそれまで我慢だね」
「そだね」
- 120 名前: 投稿日:2003/10/13(月) 19:59
-
あさ美と麻琴が学校に着いた時には、体育館にはもう生徒達が大分集まっていた。
勝手に体育倉庫からバスケボールを取り出し、ゴールを決めている者達や、立ち話をして
いるグループ、端で寝ころんでいる者などさまざまな光景があさ美の瞳に映る。
「さすがにまだ愛も里沙も来てないね」
視線を左右に動かしながら麻琴がぽつりと言った。
「うん」
「あの二人、遅いもんね」
二人は壁を背もたれ代わりにしばらく他愛の無い会話を続けていた。
その内にそくぞくと生徒達が集まって行く。
その一団の中に里沙や愛の姿があった。それを見つけると麻琴はさっそく二人に向かって
大きく手を振った。
「おはようっ」
それに気づいた里沙と愛も大きく手を振り替えした。
あさ美は無表情にそんな二人を見ていた。
- 121 名前: 投稿日:2003/10/13(月) 20:01
-
舞台の上で、校長が自分よりもやや高いスタンドマイクに、悪戦苦闘しながら話している
のを見て、自然と生徒達から笑い声が沸き起こる。若い教師が見かねてスタンドマイクを
直しに来る。
その後、今後の授業方針や生活態度についての話しがされ、バレー部や吹奏楽の表彰がな
された。
そう言った感じで、始業式は割りとあっさり終わったのだ。
そして、吹奏楽部の演奏にのって、生徒達が体育館を後にする。
あさ美は教室に帰ると、さっそく鞄を取り出し帰りの支度を始めた。
後から追って来るように麻琴、愛、里沙も教室に入って来る。
「もぉう、あさ美ったら早いわ」
息を弾ませた愛がそう言うと、麻琴も頷いた。
「あごめん、気づかなかった」
あさ美は鞄の方へ視線を向けたままそう答えた。愛はそんなあさ美に目を丸くしながら
そうなんだ、と呟く。
「あ、そういえばあさ美に渡さなきゃいかんものあったわ」
愛は思い出したように自分の席へ小走りする。あさ美はぴくりと小さく肩を弾ませる。
嫌な予感がした。
- 122 名前: 投稿日:2003/10/13(月) 20:02
- 「はいこれ、忘れてったやろ」
愛が差し出す一冊の薄いノートには、マジックペンで『社会』と書かれてあった。
腹の辺りがもやもやとした感覚に襲われる。
吐きそう。
あさ美は目を左右にきょろきょろと動かすと、ありがと。とか細い声で返し、受け取った。
あさ美は鞄にそれを入れると、麻琴と里沙の方へ顔を向ける。
「私今日急いでるから先に帰るね」
「あ、うん」
「えー、あさ美ちゃんもう帰るの?旅行の話とか里沙の冒険記について語ろうと思ったのに」
「あはは、また今度聞かせてね。それじゃあね」
あさ美は無理矢理な笑みを作ると教室を後にした。
里沙はつまんないのと口を尖らせ、麻琴は静かに愛の顔色を伺った。
愛は無表情にあさ美の出ていった扉を見つめていた。
- 123 名前: 投稿日:2003/10/13(月) 20:03
-
- 124 名前: 投稿日:2003/10/13(月) 20:05
- 「漢和貸して」
あさ美が帰宅して部屋に入ったのを見計らったかのように、タイミングよく扉が開いた。
振り返れば、さゆみが顔だけ出してこちらを見ていた。すでに部屋着に着替えている。
ん、と短い返事を返すと、机の上に転がっていた漢和辞典を拾いさゆみに渡した。
「ありがと」
扉が閉まる。
勉強に対してあまり積極的で無いさゆみにしては珍しいと思い、思わず小首を傾げた。
早く着替えてしまおうと、シャツの第二ボタンに手を掛けた時、背後でまた扉が開く音が
したので、思わず手を止めた。
「何?」
またさゆみだ。あさ美は顔を顰めると無愛想な声でそう言った。
当のさゆみも何故かあさ美を訝しげな表情で見ている。
大分見つめ合った頃。
「おねぇちゃん、痩せた?」
やっと口を開いたさゆみがそんな事を言った。
- 125 名前: 投稿日:2003/10/13(月) 20:06
- 「え」
確かに、プリーツのホックが夏休み前より閉まりやすいし、幾らか余裕がある。
「最近ご飯食べて無いでしょ。お母さんが、あさ美もお年頃ねって言ってたよ」
さゆみは言い終えたかと思うと、にやりと笑みを作り扉を閉めた。
当のあさ美はさゆみが出ていった扉を見つめながら大きく溜息をついた。
これで何回目だろう。
そんな事を心の中でぼやきつつ、タンスからいつものTシャツとハーフパンツを取り出した。
着替え終えると、しばらく何もする気がしないので、取りあえず何も考えないで寝ようと思った。
あさ美はベットに倒れ込むように、仰向けに寝転がる。
とたん、まるで身体中がベットに吸い込まれるような感覚がした。
明け放った窓から、透明の張りつめるような風が吹き込んで来る。
肌でその風を感じながら、どうどん重くなる瞼に従い、そのままあさ美の意識は
遠のいて行った。
- 126 名前: 投稿日:2003/10/13(月) 20:07
- 空は真っ黒だった。真ん中に大き過ぎるくらい視界目一杯広がる銀色の月。
艶やかな緑の原っぱに、白いワンピースを着た少女が、ぽつんと腰掛けていた。
先程から少女の背中に向かって声を投げかけようとしているのに、思うように声が出な
かったので、そのまま様子をみる事にした。 当たりを見回してみると、一面の緑の草と
黒い空が広がっているだけで何も無い。乾いた風に大きく草原がざわめいた。
その瞬間、はっとして振り返ると、いつの間にか少女は立ち上がっていた。
だが、やはりこちらに背を向けたままで。
少女の方へ歩み寄ろうとするが、何故か少女との距離が縮まらない。
むしろ歩いているのかさえ分からない。
やがて少女はゆっくり月の方へ向かって歩き出した。それを確認すると、なんとなく、少
女がそちらの方角へ向かってはいけないような気がして、なんとかして引き留めようと思
った。
だが、声も出ず、前にも進めない。
焦る気持ちとは裏腹にどんどん少女の後ろ姿が遠くなる。
いかないで。絞り出すように出た声は、とんでもなく力無いか細い物だった。
- 127 名前: 投稿日:2003/10/13(月) 20:09
- もう駄目か。そう思って項垂れるように腰を落とす。だが、少女は立ち止まった。
相変わらず吹き荒れる風が、ごぉごぉと音を立てる中、少女がこちらを振り向こうとした。
横顔が―――。
次にあさ美の瞳に映ったのは、紺色のカーテンと、ぽつぽつと染みのある暗い天井だった。
あまりにも暗いのでまだ夢の中にいるのでは、と、思って慌てて起きあがった。
すでに日の落ちた空には、幾つもの星がきらりと光っている。
あさ美はそれを確認すると、ホッと胸を撫で下ろした。だが、その胸の奥が何故かずきり
と痛んだ。すでに夢の内容は忘れてしまったが、恐怖感と言うより寂しさを感じていた。
まだ微妙にかったるさの残る身体を解しながら、あさ美は喉が渇いたので部屋を出ていった。
居間では父がソファに寝転がっていた。祖父と祖母が茶をすすっている。キッチンから
母の包丁で何かを切っているような音が聞こえて来る。さゆみはいなかったが、先程ま
での寂しさや重たい物がすっと消えて行くのを感じて、自然と肩の力が抜けて行った。
嫌な夢を観たな。そう思いながらキッチンの方へ向かう。
- 128 名前: 投稿日:2003/10/13(月) 20:11
- 冷蔵庫から、麦茶の入ったボトルを取り出して、愛用のコップに注いで一気に流し込んだ。
それを横目で見ていた母が。
「あさ美、あんた最近食欲無いみたいだけど、どっか悪いの?」
まな板に視線を落としながらそう訊いてきた。
「別に」
「そ、麻婆豆腐作るけど、今日はちゃんと食べなさいね」
本当はあまり食欲は無かったが、今はあまり一人になりたくなかったので頷いた。
それから部屋にも戻りたいとは思わず、ソファに腰掛けて父達としばらくテレビを見る。
淡々とした無機質なアナウンサーの声が、妙に心地よく感じた。
何十分かしてさゆみが降りてきた時、母が「出来たよ」と声をかけた。
結局夕食の場では、テーブルに並べられた麻婆にはまったく箸を付けられず、
祖父に「飯だけでも食いね」と言われたので、渋々御飯だけ無理矢理口に運び、すぐに
席を立った。
さすがに母も父も、さゆみですら心配し始め、早く寝るようにと促された。
- 129 名前: 投稿日:2003/10/13(月) 20:11
-
- 130 名前: 投稿日:2003/10/13(月) 20:12
-
真夜中に、あさ美はこっそり部屋を抜け出し裏庭に向かう。
寝静まった町は、星々の光に照らされて、張りつめたような静寂を辺りにもたらしていた。
あさ美はハーフパンツのポケットから、予め両親の寝室から持って来た父のライターを取
り出し、今朝愛から渡されたノートを燃やした。
じわじわと焦げ目が広がり、やがてそれはぱちぱちと音を立て始めた。
その場にしゃがみ込むと、ゆらゆらと揺れる炎を見つめながら、あさ美はすべて忘れてし
まいたいと心から願った。
あの日の事と、今日見た夢。自分を悲しそうに見つめた愛の顔も、全部全部、燃えて消え
て行くノートと一緒に。
- 131 名前: 投稿日:2003/10/13(月) 20:13
-
- 132 名前: 投稿日:2003/10/13(月) 20:14
-
嘆き
- 133 名前: 投稿日:2003/10/13(月) 20:16
-
次にあさ美が石川に逢ったのは、それから4日後の事だった。
その日は朝から秋時雨が降りしきり、生暖かいような、肌寒いようなはっきりしない気温
だった。
昼休みの図書室内は行き場のない生徒達で溢れていて、あさ美はいつもより忙しかった。
こういう日に限って自分が担当なんてついて無いな、と胸の内で舌打ちした。
あさ美が本棚の整理をしていると、ふいに後ろから声を掛けられた。
特徴的な高い声に、つい肩をびくんと反応させてしまう。
「ごめんね。驚かせちゃった?」
石川は目をぱちくりとさせながら、あさ美の顔を覗き込んだ。
「そんな事無いです」
そう言って小さく笑顔を見せると、石川も瞼を細めた。
「久しぶり」
「どうも」
あさ美は上目遣いで石川を見やると軽く頭を下げた。
久しぶりに見る石川は、さらに日焼けしたようだった。
茶髪のストレートだった髪は、うっすらとパーマをかけているようで、ふんわりと
していた。
- 134 名前: 投稿日:2003/10/13(月) 20:17
- 「夏休み以来じゃない、全然連絡無いんだもん」
涼しげな優しい瞳は変わらない。あさ美は思った。
「そうですか、石川先輩こそどうしてたんですか」
「バイトを見つけたの。当分ここにいるから、やっぱ人間働かないとね」
「今日はどうして」
「嫌ぁね、紺野にあいに来たんでしょ。全然あってなかったからさ」
「はぁ」
「なんか元気ないね、まさか休み呆け?」
と、石川は自分で言っておきながら少し含み笑いを浮かべる。
「多分、それです」
「そっか、あそういえば、この前商店街で高橋と偶然あったんだけど」
「偶然?」
「うん、なんか「あさ美が最近メール返してくれない」って悲しそうだったよ。
なんかあった?」
「最近携帯の調子悪くて、メール返せないんです」
「なんだそうなの、高橋にその事言ってあげな?すっごく落ち込んでたよ」
「――はい」
- 135 名前: 投稿日:2003/10/13(月) 20:18
- あさ美は床に視線を落とし、かみ殺すようにやっと返す。
石川はそんなあさ美をじっと見つめながら。
「なんか・・・痩せた?紺野ったらまた可愛くなったみたい」
「可愛くなんか、ないです」
「もぉう、こういう時は頷いてたらいいの。せっかくに褒められたんだから」
石川はふふっと静かに笑うと、あさ美の頭に手を置いた。
あさ美はその手を片手で払いのけると。
「忙しいので失礼します」
足下に積んであった本を拾い、きょとんとしている石川に背を向け、それからその場を離れた。
『図書室は騒がず、マナーを守って利用しましょう』そんな言葉が馬鹿馬鹿しく思える程、
生徒達の高らかな笑い声が響き渡っている。
あさ美はその様子を横目で一瞥すると、準備室に入って行った。
- 136 名前: 投稿日:2003/10/13(月) 20:19
- 白衣を身に纏った、頭がうっすらと禿始めた理科教師の佐久間が、せっせと黒板に向か
ってチョークを走らせている。
頬杖をつき、仏頂面であくびをかます里沙は、ふと窓側に視線だけ移した。
窓には幾つもの水の流れる後があり、向こうの山には濃い霧がかかっているのが分かる。
なかなか止まない雨につい小さく舌打ちをしてしまう。
佐久間は大体必要な事を黒板に書くと、生徒達の方へ向き直り、指し棒で問題を指しな
がら解説をする。
どう考えても生徒達のほとんどが机に突っ伏していたり、小声で話し込んでいたり、数
学の教科書を出してせっせとノートを書いていたりして自分の授業を聞いていないのは
一目瞭然だったが、特に意に介する事無く淡々と教科書を読んでいる。
- 137 名前: 投稿日:2003/10/13(月) 20:21
- あさ美は、何故この状況に耐えられるのだろうか、と佐久間をぼんやりと見ながらそんな
事を考えていた。
愛の方から相変わらずシャーペンを走らせる、さらさらと言う音が耳に入る。
あさ美は自らのノートに視線を落とすと、書きかけだった太陽系の図にペンを加える。
雨の音と、ひそひそと聞こえる話し声、まばらなペンの音が混ざり合い、奇妙な感覚に
陥りそうになった。
「この部分を、七瀬君、読んでくれないか」
佐久間に名前を呼ばれた少年は、怠そうに立ち上がると、隣の生徒に何ページか尋ねる。
そして少年は投げやりな口調で教科書を読み始めた。
その時だ、急に愛から発せられていたシャーペンの音が止まった。
あさ美が視線だけで愛の背中を見る。
愛はゆっくり立ち上がると、教壇に立つ佐久間の元へ歩み寄り、何かをささやいている。
早口だったのと、声を潜めていた為何を言っているのか分からなかった。
佐久間が少し眉を潜めて頷くと、愛はそのまま教室を出ていった。
あさ美は少し気になったが、すぐに黒板に顔を向ける。
麻琴が半分口をぽっかりと開けて、愛の出ていった扉を見つめていた。
気のせいか雨の音が徐々に強まっている気がした。
- 138 名前: 投稿日:2003/10/13(月) 20:22
-
チャイムと共に生徒達が一斉に席を立った。あさ美は鞄を出すと、数学の教科書だけ鞄
に詰め込んだ。
「あさ美」
突然声を掛けられ、顔を上げると、いつの間にか麻琴が立っている。
「ん」
気の無い返事をすると、また机の上に視線を戻した。
麻琴は一回躊躇したように視線を泳がせるが、おずおずとした感じで口を開く。
「なんか愛、さっき教室出てったじゃん。なんか聞いた?」
「ううん、何も」
「そう、多分あの調子じゃ保健室だと思うんだけど」
「そだね」
「帰りのHR終わったら、保健室寄ってかない」
その言葉に、鞄のチャックを閉めようとしていたあさ美の手が止まる。
少しの間があってからあさ美はゆっくり麻琴の方へ振り返り。
- 139 名前: 投稿日:2003/10/13(月) 20:23
- 「と。ごめん。今日留守番頼まれてるんだ。だからちょっと行けない」
「あマジ?じゃあ愛と里沙に言っておくね」
微妙に麻琴の声が上擦った。
「ん、そうして」
相変わらずあさ美は無機質な声でそう言う。
麻琴はどうして良いのか分からないようで、少しばかりぽかんと口を開けたままあさ美
を見つめた。そしてごくりと唾を飲み込むと。
「あさ美、愛となんかあった?」
「どうして」
「なんつぅかさ、最近愛の事避けてない?」
「そ?そういうつもり無いけど」
先程と声の調子を変えずにそう言ったあさ美を見ると、すぐに視線を地面に落として。
「・・・そっか、じゃあ行くね」
呟くようにそう言ってからあさ美の元を離れた。
- 140 名前: 投稿日:2003/10/13(月) 20:24
-
その後、中澤が教室に入って来た。
おしゃべりに花を咲かせていた生徒達が慌てて席に着く。
まだ黒板には太陽系の図や、太陽エネルギーについての説明が書かれたままで、中澤が
「学級委員黒板消してやー」と声を上げる。
それから明日の授業の確認や、秋の学園祭についての話をした。
途中、何人かの生徒がにやけた顔で、中澤に「男出来たんですかー?」と訪ねると、中澤
が「うっさいわ!」と声を荒げ、教室中を沸かした一幕もあった。
「それじゃまた明日な。学級委員号令ー」
中澤の合図に学級委員が号令をかける。
「さようなら」
- 141 名前: 投稿日:2003/10/13(月) 20:27
-
あさ美は鞄を肩に掛けると、里沙と何か言いた気な麻琴に軽く手を振っておき、
教室を後にした。
やや早足に下へ降りて行くあさ美。速すぎたのか、玄関には生徒の姿は無かった。
わたしが一番か。
あさ美は靴を履き替えると、傘入れに指しておいた、買ったばかりのお気に入りの傘を抜
き、開く。
その瞬間に雨の傘を弾く音が響く。雨の日独特の饐えた臭いがあさ美の鼻孔をつく。
分厚い雲から降りしきる単調な雨の音色を聞きながら、あさ美はぐしゃぐしゃになってし
まった校庭に足を踏み入れる。
静けさの漂う辺りは、あさ美にやり場の無い虚しさを感じさせた。
校庭の真ん中にはすでに大きな水たまりが出来ているのを見て、家に帰ったら靴の中びし
ょびしょだろうな。自然と溜息が漏れる。
そう思っていた時、正門の前で青い傘が揺れるのを、視界が捕らえた。
誰かを待っているようでその傘は動く気配が無い。制服を見る限り女生徒だ。
あさ美は不振に思って目を細めてじっと見た。
- 142 名前: 投稿日:2003/10/13(月) 20:29
-
だが、その青い傘には心辺りがあり、まさかと小さく呟いた。
傘と薄い霧のせいで顔は見えなかったが、あさ美はその人物とはまだ合いたくなかった。
そう感じて一回歩く速度を落としかけたが、どうせ正門をくぐらなければならないので、
意を決したように速度を上げて行く。
視線を泥水の流れる地面に落とし、そのままその人物の前を通り過ぎようとした。
「あ、さ美っ!」
しかし、腕を強く引っ張られた事により、仕方なく歩みを止めた。本当は声をかけられて
も無視して行くつもりだったのに。
青い傘を差した愛が、神妙な表情であさ美の顔を覗き込んだ。
あさ美が顔をそむける。
「何」
素っ気なく言ったつもりだったが、その声には怒りのような重みまで混ざってしまってい
て、さすがにあさ美も自分で言っておいて後悔した。
案の定、愛の表情がさらに曇る。
- 143 名前: 投稿日:2003/10/13(月) 20:30
- 「何って・・・最近、どうしたの。ウチなんかあさ美に酷い事したんか?」
「別に、離して」
あさ美は愛の顔を見ずに、掴んでいる手を振りほどく。
「何度もメールとか電話とかしたんやで、でもあさ美全然返してくれへんし」
「携帯の調子、悪かったから」
「ほんまか?」
「なんで」
「・・・まこっちゃんとか里沙とかメールしてたって言っとった」
「わざわざそんな事訊く為に、仮病まで使って待ち伏せしてたの?」
相変わらず視線は目の前の桜の樹に向けたまま、冷たい口調で畳みかける。
「ちが・・・あさ美酷いわ。話かけても素っ気ないし、ウチ何かしたんなら謝るで」
最後の方のフレーズが弱々しく小声になって行く。
桜の葉が、雨の滴に打たれて揺れる。
「別に謝ってもらう必要なんて無いよ」
「じゃあ、なんでウチの事避けるの」
「避けて無いよ」
- 144 名前: 投稿日:2003/10/13(月) 20:31
- 「嘘や」
愛の声が微かに震えている。あさ美はそれに気づいていたが。
「わたし急いでるから」
と、冷たく言い放ち、愛の前を通り過ぎた。
「あ、あさ美!どうしてや!?おかしいであさ美!そんなんじゃちっとも分からんよ!」
ついに愛が声を上げた。するとあさ美が立ち止まる。
校舎から生徒達の笑い声が聞こえて来た。そろそろこちらへやって来るようだ。
「おかしい?」
ふっと鼻で笑うと、あさ美は初めて愛の顔を見た。すでに目は赤くなっていた。
「おかしいのは愛ちゃんと、石川先輩じゃない?」
「え」
傘を叩く雨音がいっそう激しくなる。
二人の長い髪の毛が冷たい風になびく。
「女同士で・・・おかしいのは愛ちゃん達でしょ!?」
あさ美の叫びに愛の顔色が徐々に赤みを失う。
- 145 名前: 投稿日:2003/10/13(月) 20:32
- 「早く保健室に戻った方が良いよ。まこっちゃんと里沙ちゃんが帰りに寄るって言ってたから」
焦点の合わない目をしている愛を残し、あさ美は地面を踏んだ。
二度と、愛の方へは振り返らずに、ただ遠い所へ視線を投げたまま麦畑の方へ向かって歩みを進めた。
雨は当分やみそうに無い。
呆然と立ちすくむ愛の横を、不思議そうに首を傾げながら下級生達が横切って行く。
- 146 名前: 投稿日:2003/10/13(月) 20:32
-
- 147 名前:初風 投稿日:2003/10/13(月) 20:43
- >名無し読者さん
チャミラブ、とうとう書いてしまいました。
お気に召してくれて幸いですw
>Yさん
まだ未熟な文ですが、これから試行錯誤レベル上げたいです。
勿論ガンバリマス!
>ヒトシズクさん
実はこう言う展開にする事に最初悩みました。
でも書いて良かった(安心
- 148 名前:初風 投稿日:2003/10/13(月) 20:51
- >リエットさん
なるべく頻繁に更新出来るように頑張ります。
・・・今回はちょっと遅れましたが(汗
>名無し読者さん
そこまで丁寧に褒めてくれるなんて(嬉
誤字脱字スミマセン。
>名無し読者さん
つまらない、では無く「詰まらない」と言う意味に取って
よろしいのでしょうか?w
て、調子に乗りすぎですね(汗、未熟者ですが頑張ります。
- 149 名前:リエット 投稿日:2003/10/14(火) 23:28
- 更新お疲れ様です!
久しぶりに読めて嬉しかったです。
高橋さんはこれからどうするんでしょう……。
相変わらず先が気になります。
- 150 名前:ヒトシズク 投稿日:2003/10/15(水) 22:22
- 大量更新おつかれさまです。
紺ちゃんと高橋さんがこれからどうするか、楽しみです。
あと、そこにどう小川さんと新垣さんが関わってくるか、も気になりますね〜
どんどん先が読みたくなる作品で、毎回更新される度に異常に喜んでる自分が。
では、次回の更新まったりとお待ちしております♪
- 151 名前: 投稿日:2003/10/22(水) 19:12
-
- 152 名前: 投稿日:2003/10/22(水) 19:13
-
わたしの裏切り
- 153 名前: 投稿日:2003/10/22(水) 19:14
- 「母さん、ご飯まだ?」
パジャマ姿で、髪の毛には少し癖がついてしまっている。
あさ美は頭をぽりぽりと掻きながら、のそのそと降りて来るなり、無愛想にそう言った。
母はあさ美の顔を、目をまん丸くして見やるが、ちょっと待ってと言って台所に戻って
行った。さゆみがすでにみそ汁をすすっている。
あさ美はさゆみの隣の席に腰掛けると、軽く溜息をついた。
さゆみは茶碗を口から外すと「おはよ」と聞こえるか聞こえないかの声で言う。
あさ美はその挨拶に頷くだけで特に声を発さなかった。
しばらくして母が食パンと牛乳を持って来た。
「ちょっと母さん」
出されたメニューを見て、あさ美が不機嫌そうに母を呼び止める。
「何よ」
「これ何」
「あんたの朝食じゃない」
母はきょとんとした様子でそう言う。
あさ美はさゆみの食べている物と、自分の目の前にある物を見比べる。
- 154 名前: 投稿日:2003/10/22(水) 19:16
-
「明らかにさゆみとメニュー違うじゃん」
「当たり前じゃない。どうせ朝食食べないと思って用意して無いんだから」
「作ればいいじゃん」
「馬鹿ね。今更作ったって学校間に合わなくなるでしょ。ちゃんとした物が食べたいなら
毎朝、きちんと時間通りにここに来なさい」
母は言い終えるとまた台所に引っ込んで行った。
あさ美は軽く舌打ちすると、何も塗られていない食パンに齧り付いた。
「おねぇちゃん懐かしいんだけど」
「はぁ?」
思わず素っ頓狂な声を上げるあさ美に対して、さゆみが構わず続ける。
「なんか食べてる所が」
「食べてる所って、まるで私が一年中食べるだけで過ごして来たみたいじゃない」
「違うの?」
こいつ・・・・そう内心で思ったが否定は出来なかった。
- 155 名前: 投稿日:2003/10/22(水) 19:24
-
久しぶりに朝食を食べた為に、いつもより遅く家を出てしまった。
早い足取りで、学校付近の尾根道を通る。前を見ても後ろを振り返っても、あさ美以外
誰一人歩いていなかった。焦る気持ちとは裏腹に、尾根道は歩き憎かった為、動きが鈍く
なる。前にここで走って、つまずいて泥だらけになった事があった。
まだ1年生の時で、新しい制服が真っ黒になってしまったと言う苦い思い出から、未だに
ここを走る事が出来ないでいた。そんな記憶に、あさ美の眉間に皺がよる。
が、遠くから今一番聞きたく無いチャイムの音が、あさ美の耳に届く。
今日は諦めよう。そう思った。
尾根道を抜けたとたん、あさ美は堰を切ったように走り出した。
正門を閉めようとしていた安倍が、遠くの方からあさ美が走ってこちらに向かっている
事に気づいた。
安倍は大きくあさ美に向かって手を振る。
「紺野ー!急いで!」
- 156 名前: 投稿日:2003/10/22(水) 19:28
- 全速力で閉まり掛けていた正門をくぐると、安倍の近くで足を止めた。
弾む息を押さえながらあさ美は安倍に「ありがとうございます」とか細い声で言う。
安倍は目を細めると。
「ありがとうございます。じゃなくて、お早うございます。でしょ紺野」
「あ、はい・・・お早うございます」
「おはよう紺野。さ、早く教室行きな」
満足そうに微笑むとあさ美に教室に行くように促す。
あさ美は頭を下げると、また走って行った。
張りつめたような空気が廊下中を漂っていた。何処の教室も扉が閉まっていて、中から
教師が生徒の名前を呼ぶ声が聞こえる。
もう出席を取っているようだ。今日は遅刻決定か。
無遅刻無欠席とまでは言わないが、少なくとも遅刻はした事無かったな、とあさ美は苦笑した。
あさ美の教室は3階の一番端だった。だが、今日はそこだけ妙に他の教室と雰囲気が違
った。扉は開いていて、ざわざわとしたクラスメイト達の妙なざわめきが聞こえて来る。
あさ美は訝しげに顔を顰めると、足早に教室に入って行った。
- 157 名前: 投稿日:2003/10/22(水) 19:37
- 教室に中澤の姿が無い。生徒達は妙に一カ所に集まって何やら話込んでいる様子。
離れた所に麻琴と里沙がいた。
それを確認すると、おろおろとしている二人に近づいた。
「ねぇ」
二人の後ろ姿に声をかけると、一瞬肩をぴくりと震わせてこちらに顔を向けた。
「何かあったの?」
里沙は動揺を隠せない様子で、目を左右に動かしている。
その横に立つ麻琴が一瞬戸惑った表情を見せて、静かに口を開く。
「愛の机に」
「机?」
そう言われて見ると、生徒達は自分と愛の座っている席を囲むように集まっていた。
麻琴はそれ以上自分の口からは言えないと言った感じで、首を横に振ってあさ美の手を引
いた。人混みをかき分け、たどり着くと。
愛の机に、赤いマジックで「私はレズです」と書かれていた。
あさ美の視界がそれを認めると、背筋がぞくりとした。
- 158 名前: 投稿日:2003/10/22(水) 19:39
- 「これ、どういう事?」
掠れた声でそう言った。すると、近くにいた少女が。
「隣のクラスの男子が見たんだって、榎田公園で高橋さんが女の人とキスしてるの」
「それも深夜!」
もう一人の生徒が興奮したように声を上げる。
「それ本当だったの?ネタかと思った」
「ねぇ随分前にそんな噂聞いたよねぇ」
「つぅかこれ書いたの誰だよ」
「えーお前じゃねぇの?」
「馬鹿、違げぇよ」
「でも高橋さんこれ見て青ざめてたよねー!」
「あのリアクションはやばいんじゃない?」
生徒達は口々にそう言い始め、やがてクラスのお調子者二人が愛の物真似をしながら、抱
き合い、「私男より女が好きなのー」と叫び始める。
生徒達がどっと笑い声を発する。
- 159 名前: 投稿日:2003/10/22(水) 19:41
- あさ美はしばらく呆然とその落書きを見つめた。
「愛ね、なんか教室飛び出しちゃって」
麻琴が弱々しくそう呟いた。
あさ美の額にうっすらと汗が滲み出る。生徒達の声が次第に大きくなって行った。
しばらくして中澤が戻って来ると、嘘のように騒ぎは収まった。
この日の一限目は社会だったが、急遽HRが開かれ、中澤が「今日は一応高橋は家に帰し
といた。だから明日学校来たらみんな普通に接するように。変な騒ぎ起こしたら許さな
いで」と凄みを効かせた。
だが、あさ美の後ろに座る、クラスのリーダー格の少女が、あいつ明日学校来れんの?と
鼻で笑っているのを、あさ美は聞いていた。
お調子者な男子達もクスクスと笑っている。
ふと、目の前の愛の席に視線を移すと、赤い字で書かれた「わたしはレズです」と言う文
字が痛々しいくらいに目に突き刺さった。
机の下で握られた拳に熱を感じる。
昼休みにその落書きを麻琴と里沙が消した。あさ美はもうどうしたら良いのか分からなく
て、ずっと廊下をうろうろとしていた。
- 160 名前: 投稿日:2003/10/22(水) 19:42
-
悪夢は次の日に起こった。
- 161 名前: 投稿日:2003/10/22(水) 19:43
- あさ美は朝食を無理矢理口に突っ込むように食べた為、胃の調子が悪かった。
痛む腹を押さえながら教室に入って行くと、入ってすぐに麻琴がおはようと言ったので
おはようと、返しておいた。机に鞄を置く。前の席は空席だった。
あさ美はゆっくり腰掛けると、一限目の用意をしようと、机から教科書を出そうと思った。
すると、後ろから「今日は調理実習だよ」。
聞き覚えはあるがあまり話さない女子があさ美の背中に声をかけた。一応その声の方に振り
返って見ると、彼女はあさ美の顔を見てにっこり微笑んだ。不気味だな、と感じつつそうい
えば何も持って来なかったなとも思った。
教室は奇妙な緊張感が漂い、いつもと様子が違った。でも生徒のほとんどがいつもと同じよ
うに眠っていたり、ふざけていたり、話し込んでいたりと、特に変化は無かったが。
それでもいつもと何か違う気がした。
黒板の上の時計に視線をやると、まだ時間的に余裕がある。
あさ美は読みかけだった文庫を取り出すと、紐がはさんであるページを開いた。
- 162 名前: 投稿日:2003/10/22(水) 19:44
- その直後、肩を誰かに叩かれたのでそちらを振り向いた。
今度は別の女子で、その少女はクラスのリーダー格の子だった。あさ美は内心ぎょっとし
たが冷静を装い、何?と普通に首を傾げた。
「紺野さんさぁ。今日調子実習だったじゃん?エプロンとか持って来た?」
「あ・・・今日忘れちゃって」
あさ美の言葉に少女は何故か嬉しそうに目を開く。
「まじ?あたしもだよー。良かったぁあたし一人かと思ったぁ」
「田島さんも忘れたの?」
「嫌だぁ、田島さんじゃなくて泉でいいよぉ、あ、あたしもあさ美って呼んで良いよね?」
「え、あ、うん」
「ははっ決まりね。なんてたって同士じゃん?」
「うん」
にっこりと笑う田島に対し、あさ美は愛想笑いを浮かべる。
その時、教室中の温度が一気に冷めたかのように、静まりかえる。
- 163 名前: 投稿日:2003/10/22(水) 19:47
- 田島もそれに気づいたのか、あさ美から視線を外す。あさ美も田島の視線を追う。
「マジかよ」
誰かが言った。
みんなの視線の先には、愛がいつもと変わらない様子で、教室に入って行く姿があった。
愛はあさ美の前の席に鞄を置いた。机にはまだうっすらと文字が残っているが、特に意
に介したようでも無い。
田島はしばらく愛を見てから、気を取り直したようにあさ美の方に顔を向けて。
「それじゃあ調科室でね」
と、笑みを浮かべてあさ美の元から去っていった。
あさ美は文庫本を読む振りをして愛の背中を盗み見た。以前となんら変わりのない背筋の
通った背中。凛とした雰囲気。
すぐ隣の方で、男子のグループがこそこそとこちらに視線を向けながら話ている。
あさ美は何も起こりませんように、と密かに願った。何か今日はいつもと違うと察知して
から、猛然としていたが、不気味な恐怖感があさ美を襲っていた。
- 164 名前: 投稿日:2003/10/22(水) 19:48
-
小太りで中年の女性講師がくしゃっとした笑みを浮かべて生徒達に料理手順を説明して
いる。周りの生徒達はエプロンと三角巾を身に纏い、手元の食器をいじって遊んでいた。
あさ美は黒板に書かれている事を淡々とメモしている。
今日のメニューは月見うどんだ。うどんを練る所から始めるらしいが、そんな物市販で
出来ている麺を使えば良いのに、と心の中で悪態をついた。
やがて講師がすべての説明を終える。
「では皆さん、先生は資料を取りに行って来ますので、自由に班を作って待っていて
下さい」
穏やかな口調で言うと、講師は室内を後にした。
- 165 名前: 投稿日:2003/10/22(水) 19:50
- そのとたんに生徒達は騒ぎだし、誰にしよう、などこっちのグループに行こう、料理苦手、
など、思い思い相談を始めた。しばらくしてジャンケンをする声が聞こえてきて、眼鏡をかけた少年
数人が集まり、髪を金に染め上げた少女達が席に着き、カップル同士が手を繋ぎ、どんど
んグループは決まって行った。
あさ美はしばらく麻琴達と距離を置いていたので、比較的に大人し目の子のグループに混ぜて
貰おうと思い、席を立った。すると視界の端で、田島が麻琴と里沙に話かけているのが目に映る。
あれ?心の中でそう呟く。すると、訴えるような目つきで里沙がこちらに視線を投げかけて来た。
麻琴は俯いている。
すると、愛の顔が脳裏に浮かび、はっとして愛の方に視線だけ持って行った。
静かに席に座り、教科書に視線を落としている愛。
まるでタイミングを計ったかのように、室内中のざわめきが徐々に消えて行く。
気が付けば、愛とあさ美に対立するように、生徒達がこちらを睨んでいた。
田島が生徒達をかき分けて、あさ美の前にやって来た。
- 166 名前: 投稿日:2003/10/22(水) 19:53
- 「ねぇあさ美、あたしらのグループに入らない?」
「え?」
先程の教室での親しげな笑みでは無く、何か悪意が込められているような、そんな不気味な
笑みを浮かべている。
「ほら、麻琴と里沙もあたしらとやりたいって言ってるからさ」
あさ美は、田島のグループの中で、罰が悪そうに俯く麻琴と里沙を見つけた。
横目で愛を見るが、愛は淡々とページを捲っているだけでこちらを見ようともしない。
答えに困り、口をぱくぱくとさせているあさ美。
刺すような視線があさ美と愛を取り巻く。
もじもじとしているあさ美に対して、田島のグループの一人が。
「もしかすっと、紺野って高橋さんと出来てたりしてー!」
と、ヤジを飛ばした瞬間に、他の生徒達が「まじかよー!」と笑い始める。
あさ美は慌てて首を左右に振り、「違う!違う!」と叫んだ。
それを聞いた田島がにやりと唇を緩ませ。
「じゃあ決まりね」
と低い声でそう言った。あさ美の額から汗が流れ、それは自分の上履きの上に落ちた。
- 167 名前: 投稿日:2003/10/22(水) 19:54
- 愛は相変わらず、気にした様子は無い。田島がそれに苛立ったように、「おい!このヘン
タイ女シカトこいてやがる!」と叫ぶ。
それを合図に堰を切ったように後から「キモイ」「レズ女」「学校くんな」と口々にヤジ
を飛ばし始めた。
麻琴が弱々しい声で「もう、やめなよ・・・」呟いた。
すると、その声が聞こえたのか、田島は「今日から高橋庇った奴、レズ決定ね!」
と言ったので、麻琴はまた引っ込んでしまった。
男子の一人が手を叩きながら「ヘーンタイ!ヘーンタイ!」と変態コールを始めると、生徒達
もそれに合わせて手を叩き、やがてその声は大きくなって行く。
青ざめた顔色のあさ美はその様子を呆然と見つめていた。愛は少しも表情を変えずに、その場
にずっと座ったままだった。
やがて騒ぎに気づいた講師がやって来て、「みんな静かにしてちょうだい」と泣きそうな声を上げた。
結局中澤と教頭が止めに入り、騒ぎはひとまず落ち着き、いつも通りに授業を始めた。
愛は講師と一緒に授業をし、その間も田島達はあさ美に愛の陰口を言い続けた。
- 168 名前: 投稿日:2003/10/22(水) 19:55
- その時になって、正門の前で待っていた愛に「おかしいのは愛ちゃん達でしょ」と言い放
った記憶が、何度も頭の中を駆け巡り、胃の辺りがまた痛くなって来た。
その日、あさ美は学校のトイレで何度も吐いた。
- 169 名前: 投稿日:2003/10/22(水) 19:55
-
- 170 名前: 投稿日:2003/10/22(水) 20:14
- >リエットさん
登場人物達がこれからどうなるか・・・
まだまだ秘密ですが、楽しみにして頂けたら嬉しいっす。
>ヒトシズクさん
小川と新垣・・・どうなんでしょうね。
まったりと言う言葉、すごく嬉しいっす。
やっと物語の中半が終わりました。思ったより長くなってしまった・・・。
これから後半やラストに向けて頑張っていきまっしょい!
って感じです。
- 171 名前:リエット 投稿日:2003/10/23(木) 01:52
- 更新お疲れ様です!
ものすごく思わせぶりな引きですね…。
このあと四人(+一人)がどうなってしまうのか気になります…。
- 172 名前:ヒトシズク 投稿日:2003/10/23(木) 22:23
- うわぁぁぁーと思わず画面に頭をぶつけてしまいました。。。(汗
どうなっちゃうんでしょうか?微妙な雰囲気に言葉も出せませんが・・・
まったりと次の更新をお待ちしております〜♪
頑張ってくださいませ〜
- 173 名前:名無し読者 投稿日:2003/11/20(木) 02:59
- がんばれー!
待ってます!
- 174 名前:初風 投稿日:2003/11/27(木) 13:13
- う〜ん・・・更新もう少し待って頂けると有り難いです。
元々考えてあったストーリーがあまりよろしく無いので
改めて練り直し最中です。
本当に申し訳ないです。
- 175 名前:名無し読者 投稿日:2003/11/29(土) 05:26
- はい、待ってます。
- 176 名前:初風 投稿日:2003/12/02(火) 19:19
- 一端落ちときます。
- 177 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/27(土) 04:10
- 待ってます
- 178 名前:初風 投稿日:2003/12/29(月) 23:25
-
- 179 名前:初風 投稿日:2003/12/29(月) 23:26
-
スパイスが目にしみる
- 180 名前:初風 投稿日:2003/12/29(月) 23:28
-
授業中、あさ美の肩を誰かが叩いた。
後ろの席に座るいかにも気の弱そうな少女だった。
ノートを書く手を止めると、あさ美は「何?」と声を潜めて訪ねる。
黒板に淡々と英文を書いている保田は、まだ気づいていない。
少女は困ったように眉を八の字にしながらあさ美に四つ折りの紙を渡す。
あさ美は訝しげに思いながらもその紙を開く。
そこに書かれていたのは、可愛らしい色ぺんで。
『レズ女。学校来るな』
の文字の下に猿の似顔絵が描かれていた。
- 181 名前:初風 投稿日:2003/12/29(月) 23:29
- あさ美の眉間に皺がよる。このような手紙が回って来るのはもう何度目かの事。
あさ美は避難の視線を後ろの少女に向ける。
が、少女はあさ美が見ているのにもかかわらず、一行に目を合わせようとはしない。
苛立って来たのであさ美は少女に。
「もう私に回さないで」と小声で言ってみた。その言葉に少女がやっと怯えたような目で
視線を合わせ、首を左右に振り拒否した。
あさ美にもその気持ちは分かる。この手紙を回さなくては田島を裏切る事になるのだから。
少女よりさらに後ろの席には田島が座っている。先程から愉快そうにあさ美と少女のやり
とりを見ていた。あさ美がこちらに気づき、訴えるような表情で首を左右に振る。
案の定、田島はにやにやと嫌な笑みを浮かべて、顎だけで合図をする。
『その手紙を高橋に渡せ』と。
あの調理実習の一件以来、愛に対する“イジメ”は日増しに酷くなっていた。
- 182 名前:初風 投稿日:2003/12/29(月) 23:30
- 愛にわざと聞こえる位の声で、陰口を叩くのはもはや当たり前で、それだけで無く、机は
廊下に出されたり、挙げ句の果てには持ち物全部に「キモイ」「女好き」などと落書きさ
れてしまっていた。
もはやあさ美だけで無く、最初は気を遣って愛に話しかけていた麻琴や理紗でさえ愛を避
け始めている。
しかし、それでも愛は学校へ来た。が、愛はあさ美にも、麻琴や里沙にも声を掛ける事は
無かった。
あさ美は再び田島の方に向き直り、必死で首を左右に振る。
すると田島のにやにや笑いが消え、威嚇するような鋭い表情に変わる。
田島はペンケースから黒マジックを取り出すと、自分のノートに何やら書き殴るように
ペンを走らせた。書き終えて、ノートを大きく広げあさ美に見せる。
保田は教科書を開き問題の解説をしている。
- 183 名前:初風 投稿日:2003/12/29(月) 23:31
- 『渡さなきゃ、次はおまえ』
あさ美の視界がそのおぞましい文字を認めると、背筋に寒気を感じた。
田島が口元を緩める。
あさ美は正面を向き直ると、まじまじと愛の背中を見つめた。
背筋のすらりと延びた、きちんとした姿勢。前にバレーを習っていたと言っていた。
相変わらず真面目に机に向かいシャーペンを走らせている。
ごくりと唾を飲み込むと愛の肩に手を伸ばす。
その時、保田の視線があさ美を捕らえる。
「何やってるの紺野さん」
反射的に肩を弾ませ、保田を見やる。クラス中から聞こえるシャーペンの音が一瞬にして
止まったかと思うと、一気に生徒達の視線があさ美に刺さる。
怖い顔をした保田が、ヒールのこつこつと言う音を響かせ、あさ美の席へ歩みよる。
「今は授業中よ。手紙なんて回して遊ばないの」
そう言い放ち、挙動不審のあさ美の手から手紙を抜き取った。
- 184 名前:初風 投稿日:2003/12/29(月) 23:32
- 「あ」
田島が小さく声を発する。
保田は4つ折り状のそれを開くと、すぐに鋭い目つきで真っ青になっているあさ美を睨む。
教室中が張りつめた空気に覆われ、生徒達は保田とあさ美を視線だけで交互に見つめた。
一方のあさ美は保田の恐ろしい顔に身動きが取れなくなっていた。後ろの席の少女は罰の
悪そうな顔で俯いている。
叩かれる。ふいにそう思い、瞼を閉じた。
が、すぐに保田のヒールの音がして、その音はどんどん遠ざかって行く。
不振に思って閉じた瞼をうっすらと開いた時、自分より後ろの方で。
ぱんっ。
乾いた音が響く。
生徒達の視線はすでにあさ美から離れており、一気に後ろの席に注がれていた。
初めて愛がゆっくりと振り返る。
「ってーな。何すんだよ、暴力反対」
田島が右頬を押さえながら保田を睨む。
- 185 名前:初風 投稿日:2003/12/29(月) 23:32
- 「田島さん、いい加減になさい」
保田は冷たい目で田島を見下ろしながら静かに言っただけだった。
その後、呆然とする生徒を余所に、何事も無かったかのように、田島に颯爽と背を向けて教壇に戻った。
あさ美の額から一筋の汗が流れ落ちる。
「それでは授業再開します、問いBの英文を佐野さん、読んで下さい」
後ろの方で微かなざわめきと、すすり泣くような声が聞こえて来た。
- 186 名前:初風 投稿日:2003/12/29(月) 23:33
-
飯田はあらかた教材を片づけると一端職員室に戻る事にした。
職員室は午後の柔らかい陽気照らされて、ぼんやりとした空間を作っていた。
室内ではもう安倍が自分の授業を終えて、のんびりと珈琲をすすっている。
いや、確かに状況からすればそう見えるが、内心では困惑していた。
安倍が出入り口で呆けっと突っ立っている飯田を見つけて珈琲を勧める。
飯田も特に断る理由が無かったので頷いてみた。
「かおり、圭ちゃんの事だけど」
「ああ」
「何、もう知ってるの?」
「さっき廊下で生徒達が騒いでた」
「そう」
安倍は視線をカップに落とした。ぼやけた湯気がほわりと漂う。
「裕ちゃんと話してるみたい」
安倍のやたらか細い声に、飯田は苦笑する。
- 187 名前:初風 投稿日:2003/12/29(月) 23:34
- 「何なっちが落ち込んでんの?たかがビンタじゃん」
「でもさぁ今の時代、小突いたくらいで暴力って言うよ。圭ちゃん学校辞めさせられたら・・・」
飯田がくすっと鼻を鳴らす。
「あれは田島が悪いから、圭ちゃんはよくやったと思うよ」
「ん、そうだけど」
項垂れている安倍をよそに、飯田は視線だけで辺りを見回す。
「ね、ミルクどこ?」
「へ?あーなっち持ってた」
安倍は思いついたように、自分のデスクに手を伸ばし、ポーションを飯田に手渡した。
「さんきゅ」
香ばしいブラックに、細く白い液体がくるくると円を描く。
飯田はしばらくそれに見入っている。
後ろで安倍が、砂糖もいる?と小首を傾げた。
- 188 名前:初風 投稿日:2003/12/29(月) 23:34
-
- 189 名前:初風 投稿日:2003/12/29(月) 23:35
-
チャイムが鳴ったと同時に、あさ美は逃げるように教室から出ていった。
ようやく最後の授業が終わった。
教室で田島が何やら怒声を上げていたので、なるべく早く学校から去りたかった。
校庭へ出ると、周辺を囲むようにして生い茂る大樹の葉が、薄く紅葉し始めているのが
視界いっぱいに広がった。
あさ美はくすんと鼻を鳴らすと、そんな紅葉をぼんやりと見つめながら地面を踏んだ。
ふと、制服ポケットが震えた。ケータイに着信が入っている。ディスプレイを除くと
母からだった。
『母さん、今日友達とカラオケ行くから遅くなるね。だから夕飯の買い物して来てくれる?
好きな物買っていいから』
良い歳して友達とカラオケかよ。
ケータイをポケットにしまうと、何故か口元が綻んだ。
さっきまでの緊張感が急に軽くなって行くように感じた。
- 190 名前:初風 投稿日:2003/12/29(月) 23:36
-
いつもと反対の方向へ歩き出す。
この小道を抜ければ、やがて民家通りへ入る。そこから昭代幼稚園の角を曲がって、坂を
降りれば小さな商店街だ。そこにスーパーがある。
学校から自転車で行けば10分そこらで着くだろう。
歩きなら約20分。あさ美はたまにはのんびり歩くのも良いかと思い、歩く速度は変え
なかった。
「あれぇ?紺野あさ美さん?」
丁度昭代幼稚園の前を通った頃。急に後ろから呼び止められた。
振り返ると、妙に目の鋭い、いかにも今風と言った感じの少女が立っていた。
あさ美は一瞬ぎょっとした。彼女の来ている黒いトレーナーには、白いリアルな骸骨がこ
ちらを睨んでいたからだ。
- 191 名前:初風 投稿日:2003/12/29(月) 23:37
- 「あさ美さん?」
あさ美が我に返ると、彼女はきょとんとした顔でこちらを見つめていた。
「あ――、れいなちゃん?」
「久しぶりです。一瞬忘れられたかと思った」
そう言って悪戯っぽくにひひと笑った。
「そんな事無いって、れいなちゃんこんな所でどうしたの?」
「夕飯の買い出しに」
「もしかして商店街?」
「そうです。あさ美さんも?」
「うん、そう言う所かな」
- 192 名前:初風 投稿日:2003/12/29(月) 23:38
- 店内は時間的な物もあるのか、数える程しか客はおらず、割りと空いていた。
スーパーは町の周辺ではここくらいなので、いつも混雑していた。
大した品物は売られていないが。
「何買うんですか」
結局あさ美について来たれいなは、チュッパチャップス口に加えながらカートを押している。
「んー好きな物買って良いって言われたんだけど」
「お金いくら持ってるんですか」
「約・・・3500?」
「ほうほう」
れいなは視線を上へ持っていくと何か考えている様子だった。
「無難にカレーにでもしようかな」
あさ美がぽつりと呟く。いざ、好きな物と言われても困る。
- 193 名前:初風 投稿日:2003/12/29(月) 23:39
- 「あのですね、最近の牛肉はBSE(狂牛病)とか流行ってますし、無農薬とか書かれて
る癖に、実はたっぷり農薬付けの野菜だったりとか、世の中信用出来ませんよ」
「へぇ」
先程から、パックに入っている肉や野菜を目の前に、これでもかと言う程れいなはしゃべ
り続けた。
「牛肉よりなるべく鶏肉の方が今の所は安全ですよ」
そう言ってカゴに鶏肉100gパックを入れた。今夜はチキンカレーか。
「なんかれいなちゃんって意外と詳しいね。失礼かもしれないけど、結構無頓着かと
思ったもん」
あさ美の言葉にれいなは苦笑したような顔をして。
「よく言われます」
と、困ったように笑った。
- 194 名前:初風 投稿日:2003/12/29(月) 23:40
- 「結構家事とかしてるんだ」
「ああ、ウチは親が両方とも帰り遅いけんね。弟の面倒もみなきゃいけん」
あさ美は心の中で、おや?と耳を疑った。そういえば前に家に来た時もこんな話方だった。
れいなもそれに気づいたようで、頭をぽりぽりとかく。
「あーあさ美さん、すんませんねぇ、最近直し始めたんですけど、気を抜くと出ちゃいますね」
「れいなちゃんって何処の人?」
「福岡です」
「あ、そうなんだ」
ふいに愛の顔が頭に浮かんだ。
「あさ美さん、次何買います?」
「ルーかな」
「カレールーなら缶詰コーナーの前にありますよ」
「れいなちゃんは何も買わないの?」
「まずはあさ美さんが先でしょう、正直、あさ美さんってスーパーとかあんま来ないでしょう」
「・・・まぁね」
- 195 名前:初風 投稿日:2003/12/29(月) 23:41
- 缶詰コーナーの近くで、あさ美は菓子コーナーに目を奪われてしまったが、れいなに笑わ
れそうなので、無関心を装った。
「そういえば絵里ちゃんはどうしてる?」
なんとなく思い出したので訊いてみた。
れいなはしゃがみ込んで、カレールーに見入っていたが、すぐに顔を上げた。
「元気ですよ。そりゃあもう」
「そっか」
れいながにんまりと白い歯を見せた。
「ところであさ美さん、個人的に好きなのは熟カレーか、ジャワカレーなんですけど」
「ウチはバーモントかな」
「え・・・バーモントって甘くないですか」
「りんごとはつみつでしょ」
「うげぇ」
思い切りれいなが苦虫を噛み潰すような顔になる。
- 196 名前:初風 投稿日:2003/12/29(月) 23:42
- 「じゃ今日はジャワカレーにしてみようかな」
あさ美がやや困惑気味に、れいなからジャワカレーを受け取る。
れいなが満足気に鼻を鳴らした。
その後、あさ美は気に入りの瓶詰めヨーグルトと、朝食用のライ麦パンをカゴに入れた。
れいなは鰤3匹と大根、豆腐。切らしていると言う味噌と牛乳をカゴに入れた。
会計を済ますと、二人は足を揃えて自動ドアをくぐった。
- 197 名前:初風 投稿日:2003/12/29(月) 23:43
- 「なんだか付き合ってもらっちゃってごめんね」
店の外でれいなと向き合い、あさ美は照れ笑いのような物を浮かべた。
「いいえ、この後まだ買い物があるんで、ここでさよならです」
「そうなんだ・・・じゃあ行くね。ホントありがと、ばいばい」
「さよな・・・あ、あさ美さん」
「ん?」
「今日の夜から明日にかけて雨降るらしいんですよ。だから明日は傘が必需品ですよ。
それじゃ気を付けて帰って下さいね。さよなら」
そう言って自信の笑みを浮かべて、れいなはあさ美に背を向け、歩いて行った。
その背中は堂々としていて、年下なのに随分格好良く見えた。
今朝の保田を思い出す。
しばらくそんなれいなの後ろ姿を見送っていたあさ美だが、ふと空に視線を上げてみる。
透き通った秋空が視界に広がる。
「ホントに降るのかな」
電線に泊まっていた雀が、きょろきょろと小首を動かし、それから素早く飛び立って行った。
- 198 名前:初風 投稿日:2003/12/29(月) 23:43
-
- 199 名前:初風 投稿日:2003/12/29(月) 23:44
- 「さゆ、夕飯の支度するから手伝って」
ソファの上で寝そべっているさゆみを起こすと、あさ美は野菜の準備に取りかかった。
包丁を使うのは久しぶりだった。
目を擦りながら、さゆみがのそのそとキッチンへ入って来た。
「おねぇちゃん、母さんは?」
「カラオケ」
「カラオケぇ?」
さゆみは目をまん丸くすると、くすっと笑った。
「さゆ、鍋お願い。後ジャガイモ洗って」
「何作るの?」
「カレー」
「ふぅん」
さゆみは気のない返事をしながら、鍋を洗ってコンロに置くと、ビニール袋に入っていた
ジャガイモを取り出した。その時、一緒にルーの箱も出してしまい、目を見張った。
「おねぇちゃんバーモント違う」
あさ美はにんじんに包丁を入れながら、横目だけでさゆみを見る。
- 200 名前:初風 投稿日:2003/12/29(月) 23:46
- 「れいなちゃんに進められたから、買って来ちゃった」
「れいな?」
「途中で偶然会って」
「そうなんだ、なんて言ってた?」
さゆみがジャガイモを袋から取り出す。
「んと、バーモントは甘いって」
「それから?」
さくさくと音を立ててにんじんが切れて行く。
さゆみはたわしで小気味よい音を立ててジャガイモを磨く。
「福岡弁を直してるみたい」
「うそぉ、わたし達としゃべってる時、まんま福岡弁だけどぉ」
「後はねぇ、狂牛病の恐れがあるから、鶏肉の方が安全。絵里ちゃんは元気してる。
無農薬と言う文字に騙されるなって。後は、今日の夜から明日まで雨降るって言ってたっけ」
指折り数えながら、れいなとの会話をなるべく思い出だしながら言ってみた。
順不同ではあったが。
- 201 名前:初風 投稿日:2003/12/29(月) 23:47
- 「絵里かぁ」
「絵里ちゃんあれからどうしてる?」
あさ美は先程れいなにした質問と同じ物をさゆみに投げかけた。
「もう家出はしないって。お父さんになる人と会ったらしいけど、あんま話してくれない」
毎日商店街で夕飯のおかずを買い、炊事洗濯をこなしているれいなの姿や、母親がいきな
り見知らぬ男を連れて来て、父親になると言われて困惑する絵里の顔が、ありありと脳裏に浮かぶ。
「なんか、絵里ちゃんもれいなちゃんも大変ね」
「ウチが平凡過ぎるんじゃない」
あっさりとさゆみにつっこまれたので、あさ美は口を尖らせた。
切った野菜を鍋で炒める。その上から水を加え、コンソメの素を入れた。
それらをヘラでかき回している頃。突然さゆみが口を開いた。
「絵里はね、可愛いからよく嫉妬されるのね。本当はさゆの方が可愛いんだけど」
「はい?」
- 202 名前:初風 投稿日:2003/12/29(月) 23:48
-
突然そんな事を言うので、鍋から視線を離した。さゆみはジャワカレーの箱を取り出していた。
「クラスの子からある事ない事噂されたりするの」
あさ美の胸が僅かにズキリと痛む。
さゆは構わずにルーを半分に割って、片方を鍋に放り込んだ。
「そんな時、いっつもれいなが怒るのね、その子達に」
「ああ」
分かる気がする。あさ美は心の中で言う。
「私はそれをぼーっと見てる」
「・・・・」
姉妹だ。さゆみと私はやっぱり本質的な所は似てるんだ。
「私は怖くて出来ないの、絵里もれいなもそれ分かってるみたいだから、特に何も言われ
ないんだけど、なんか二人に除け者にされた気分」
「なんで?」
さゆみはあさ美の質問を聞いていなかったようで、そのまま続ける。
鍋に入ったルーが溶けて、次第にカレー独特の香辛料などの匂いがキッチンに立ち込める。
- 203 名前:初風 投稿日:2003/12/29(月) 23:49
- 「わたしもさすがに絵里達に申し訳ないなーって思って、謝ったんだけど。れいなは、絵
里の悪口言ってた奴にガツンを言うのがあたしの役目だって言ったの」
「役目・・・」
「だからさゆは絵里の事を慰めれば良いって言ったの。さゆにはそういう役で十分って」
さゆみはそこまで言うと、呆けっと口を開いているあさ美の手からヘラを取り上げると、
鍋の中をかき混ぜた。ジャワカレーはバーモントよりも刺激的な香りを放っている。
役目・・・。
英語の授業。注意されて凹んでいた自分。その後、保田の問いに間違えた愛。
机の上の落書きを消した麻琴と里沙。絵里を守るれいな。絵里の慰め役のさゆみ。
私は?
ふと、棚から皿を出そうと奮闘しているさゆみに視線を投げた。
高い所に置いてあるので、さゆみはぐっと背伸びしながら皿を取り出す。そのとたん、皿
の隣に置いてあった布巾がはらりと地面に落ちた。
もの凄いゆっくりとした動作だったが、さゆみは皿を片手に、膝からしゃがみながらソレ
を拾った。妙にその背中が大人っぽく見えた。
- 204 名前:初風 投稿日:2003/12/29(月) 23:50
- 大人っぽい背中。凛としたあの背中。颯爽とした背中。堂々とした背中。
私の背中は?
あさ美は視界が少し曇って来たので、慌てて服の袖で目頭を擦った。
キッチンの袖口から祖母が顔だけ出して「良い匂いだねぇ、カレーかい?」と誇らしげ
に言った。
さゆみが満足そうに「今度のはルーが違うんだよ」鍋に視線をやったまま目を細めた。
「いつもより辛そうだね。なんか・・・スパイスが目に染みる」
あさ美はまだ袖で目を擦っていた。
止めどなく溢れる物は、スパイスだけのせいでは無い事に、あさ美は気づいていた。
- 205 名前:初風 投稿日:2003/12/29(月) 23:51
-
「あ、ご飯炊いてない!」
さゆみが素っ頓狂な声を上げた。
- 206 名前:初風 投稿日:2003/12/29(月) 23:52
-
更新終了。遅れてしまったので久々にageてしまいました。
メル欄・・・HN入れっぱなしだった(鬱
本当にすみません。
- 207 名前:初風 投稿日:2003/12/30(火) 00:02
- >リエットさん
遅れてすみません。
作者ながら四人(+一人)の幸せを願ってます。
>ヒトシズクさん
マターリし過ぎてすみません。
待ってくれていたら幸い。
>名無し読者さん
はい、頑張ります。
応援ありがとうございます。
>名無し読者さん
もしや↑同一人物の方でしたらすいません。
やっとの更新です。
>名無し読者さん
保全?有り難いです。
久々の更新でしたが、会話文ばかり目立っていて
今回も駄文でした。(改めてスイマセン)来年もよろしくお願いします。
- 208 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/30(火) 11:56
- 更新お疲れさまです。
待ってました、待ちかねました。書いてくれてありがとう。
暗い上にも暗い展開なのに、不思議な読みやすさがありますね。
書き方がじっくり丁寧だからだと思いますが、引き込まれます。
これからも期待しております。
- 209 名前:名無しくん 投稿日:2003/12/30(火) 19:01
- お待ちしておりました。
更新お疲れ様です。
気になって仕方なかったのでほっとしています!
これからの展開が非常に気になります。
次回更新お待ちしております。がんばってください
- 210 名前:ヒトシズク 投稿日:2003/12/30(火) 20:14
- 更新お疲れ様です。
マッタリとお待ちしておりましたよ♪もちろん、です。
うわぁぁぁ・・・と意味もなく言いながら作者さんの世界観に浸っておりました。
これから何かが起こるかな?などと勝手に想像しています(汗。
では、更新マッタリーとお待ちしております。
来年もどうぞよろしくお願いします〜♪
- 211 名前:名無しレンジャー 投稿日:2004/01/03(土) 19:07
- 更新お疲れさまです。待ってましたよー!
自分はですね、娘小説の中でも今までとはマッタク違った味を出している
作品だなーと思います、作者サンの独特の個性というもんが溢れている感じがして
そういう点では単純に興味がそそりますね。すごく好きです。
そしてこれは、ずっしりとしたモノを考えさせられますね。続きが気になります。
これからも作者サンのペースでマッタリと更新してください。
- 212 名前:初風 投稿日:2004/01/08(木) 17:41
-
- 213 名前: 投稿日:2004/01/08(木) 17:42
-
突然の訪問
- 214 名前: 投稿日:2004/01/08(木) 17:44
-
田中の言っていた事は当たっていた。
夕飯を終えて、皿洗いをしている時に気づいた。
キッチンの小窓に無数の水滴がついている。蛇口の水を止めて耳をすませると、外の雨音
がよく聞こえた。
明日は雨か。あさ美は小さく溜息をつくと、洗い終えた皿を棚に積んだ。
キッチンから出ると、居間のソファで母以外の家族が集結していた。
いつもの定位置で、テレビを観ていたり、新聞を読んでいたり、思い思いの事をしている。
あさ美もさゆみと祖父の間に座った。
「雨が降ってるみたいだねぇ」
ゆったりとした口調で祖父が言った。
雨音は大分強くなっているようで、その単調な音は部屋の中まで聞こえて来る。
「あややだぁ」
さゆみが声のトーンを上げ、テレビに食いついた。
テレビでは、派手なドレスを着たアイドルが歌っている。
さゆみの好きなアイドルだ。
- 215 名前: 投稿日:2004/01/08(木) 17:45
- 「母さん遅いな」
父が苛立ったように、部屋の隅の時計を見やる。
時計は八時三十分を回ったばかりだ。
あさ美は、母の事だから友人と話込んでいて時間を忘れているのだろうと思った。
あややの歌声と父の新聞を捲る音と、雨の地面を叩く音が微妙に混ざり合い、家中に返っ
て奇妙な静けさを漂わしている。
この家の人間は、母以外無口な者ばかりだったと、改めて母の存在の大きさに気づく。
しばらくして、あややの出番が終わると、見慣れないインディーズバンドがブラウン管に
映し出された。さゆみは一気に興味を無くしたようで、テーブルの上の煎餅をぱくついた。
一方、あさ美は喉の渇きを覚え、茶を入れて来ようと、席を立った。
人数分の茶を入れている時。
まだキッチンでの会話が耳に響いていた。
役目ってなんだろう。
- 216 名前: 投稿日:2004/01/08(木) 17:46
- 脳裏に田中のやけに小ざっぱりした笑みが過ぎる。
さゆみにしては良い事を言ったのかもしれない。
トレーに入れ立ての茶を乗せて、皆の元へ戻る。
その時だ。
玄関からチャイムが鳴る。
「母さんか?」
父が顔を上げる。
あさ美は足早にトレーをテーブルに置くと「私行くね」と言って小走りに居間を出た。
チャイムはもう一回鳴った。
「はぁい」
こんな時間に誰だろう。母がチャイムを鳴らす筈は無い。
不振に思いながらも、あさ美は扉の鍵を開け、ドアノブを回す。
扉を開けた瞬間、冷たい風が吹き抜け、その冷たさに眉を潜める。
さらに開けると、そこにはずぶ濡れの愛が立っていた。
あさ美の表情が凍る。
- 217 名前: 投稿日:2004/01/08(木) 17:48
- 「愛?」
「あ・・・さ美」
愛はそう呟くと、その場にへたり込んでしまった。
「あさ美・・・石川先輩が」
愛の大きな目がこちらを見上げた。
雨の音がより一層激しくなる。
「とにかく入って」
あさ美は愛の肩を抱くと、2階へ促した。
愛の服は洗濯機に回されている。
風呂場から余ったタオルを二三枚取り出し、出口で待っていたさゆみから入れ立ての茶の
乗ったトレーを受け取ると、自室で待っている愛の元へ急いだ。
ただならぬ雰囲気に、父も母の事など忘れて「大丈夫なのか?」としきりにあさ美に訪ね
て来たが、適当にあしらっておいた。
- 218 名前: 投稿日:2004/01/08(木) 17:49
- 自室の隅で、愛が膝を抱えて顔を埋めていた。
あさ美のジャージはぴったりと愛の身体に合っている。
「愛ちゃん、これで頭拭いて」
そう言って先程取り出したタオルを愛の頭に掛けてやり、茶の乗ったトレーも愛の側に置
いた。
愛から小声で「ありがと」と返って来た。
やっと顔を上げた愛の目元は真っ赤に腫れていて、瞳も充血している。
あさ美は何もかもやり終えると、今度はどうしたら良いか分からなくなった。
愛が話を切り出すのを待つだけなのだが、どうしても居心地が悪かった。
当の愛はあさ美から貰ったタオルで頭を拭きながら、何処か焦点の合わない視線で何かを
見つめている。
室内の窓が風で揺れる。外は土砂降りらしい。
重苦しい沈黙が二人の間を包んでいた。
あさ美はせわしなく視線を泳がせていると、ふいに愛と目があってしまった。
とっさに視線を外す。
- 219 名前: 投稿日:2004/01/08(木) 17:53
- 「うち」
愛の唇が動く。
「うちの親が石川先輩の事怒っとる」
一度そらしてしまった視線を、もう一度愛に戻す。
愛は目を伏せて、また泣き出しそうなか細い声を発した。
「学校から帰って来たら、母さんがいきなりうちの事ぶったんよ。驚いてどうして?って
訊いたら気持ちの悪い娘だねって怒鳴られた」
あさ美がごくりと唾を飲む。
窓の揺れが激しくなり、ガタガタと大きな音を立てる。
「それから何度も叩かれて、この恥さらしってすっごい言われたん」
叩かれての所で、思わず視線が愛の頬や首筋の所へ行く。
生々しい痣が残っているのを見て、あさ美は息を殺した。
「そこで母さんがなんで怒っとるか分かったんよ。もうこれしか無いなぁって。やっぱり
その後に母さんが、一生石川先輩には逢わさんって言ったん」
そこまで言うと、愛の瞳からまた涙が溢れ出た。
あさ美はどうしたら良いか分からず、口をぱくぱくとさせた。
「母さんは、今日、明日にも石川先輩と話つけるって」
「そんな・・・」
「クラスの誰かが母さんに言ったらしい。うちと先輩の事・・・。」
- 220 名前: 投稿日:2004/01/08(木) 17:55
- 田島の顔があさ美の脳裏に浮かんだ。きっとそうだ。
「そもそも石川先輩の事好きにならなきゃ良かったんや。そうすれば石川先輩が町を追い
出されずに済むのに」
石川先輩が町を追い出される。
あさ美は頭に殴られたような衝撃を感じる。
石川先輩がいなくなる。
「全部、うちが悪い。うちが悪いんよ・・・ごめんね、あさ美」
「・・・へ?」
あさ美がやっと掠れたような声で返す。
「うち、あさ美の気持ち知ってて、石川先輩に告白したんよ。でもうちも好きやった。
石川先輩が好きやった」
「・・・・」
「ごめん・・・ごめんね。母さんに石川先輩の事言われて、家出ていったけど、何処に
も行く宛が無くて、気づいたらあさ美の家に来てた・・・っ!」
愛は言葉を詰まらせる。突然あさ美に抱きつかれたからだ。
- 221 名前: 投稿日:2004/01/08(木) 17:58
- 「あ、さ美?」
あさ美はただ首を横に振った。
「・・・謝らないで」
震える愛の肩を抱きすくめてると、あさ美は確信した。
「私の石川先輩への好きは、愛の好きとは違うの。憧れだから、私のは・・・ごめんね」
「なんでぇ?なんであさ美が謝んの?」
「だってぇ、だって私愛ちゃんに酷い事いっぱい言ったじゃん・・・」
「うちが悪いもん、仕方ないんよぉ」
「私が悪いんだよぉ、田島さんにも逆らえなかったし」
「そんなの・・・気にして無いよぉ、だから謝らんといてぇ」
二人は一回顔を見合わせると、鼻をすすり、またひしと抱き合い、声を荒げて泣き出した。
そして何度も「私の方が悪い」を繰り返し言い合っていた。
あさ美は、自分の役目に気づいた。
絵里にとってのれいながそうであるように。
部屋の扉越しに、聞き耳を立てていたさゆみが、二人のやり取りにくすりと笑みを零した。
- 222 名前: 投稿日:2004/01/08(木) 17:59
- この夜。愛は久々にあさ美の家に泊まった。
帰って来た母は、事情を聞くなり早速愛の家に連絡を入れておいたらしい。
あさ美は隣で規則的な呼吸を立てて眠っている愛の顔を見つめている。
明日どうすれば良いのか分からなかったが、取りあえず教室に入っても、田島に何か言わ
れても、愛と一緒にいようと思った。
- 223 名前: 投稿日:2004/01/08(木) 18:01
-
田中の予想は惜しくも外れた。外は生憎の曇り空だが、昨日の土砂降りはすっかり引いている。
早朝の6時に、制服に身を包んだあさ美と、洗濯された私服の愛が家を出た。
わざわざこのような時間に家を出たのには分けがある。
あさ美は起きがけに、愛にこのまま自分の部屋にいるように進めた。
が、愛は首を縦に振らなかった。
科学のレポートを提出しなければならないので、学校は休めないと言う。
取りあえず、制服を取りに愛の家に一端戻る事に決まったのだ。
「愛ちゃん、お母さんになんて言うつもり」
「平気やで。ウチの母さん昼頃まで寝てるからの」
「そっか・・・でももし愛ちゃんの母さんが起きてたら私から一応挨拶しておくね」
「うん」
愛の家が近くなるにつれて、塩の薫りが鼻孔をつく。
遠くから僅かに聞こえる波の音が、あさ美には懐かしく思えた。
あれ以来愛の家へ向かうのは久しぶりだ。
自分の家が山に近ければ、愛の家はその反対で海が近い。
今になってその事を思い出した。
- 224 名前: 投稿日:2004/01/08(木) 18:01
- 垣根通りを抜け、出荷の終わった寂しい南瓜畑を通る。
古い木造で出来た家から薄い湯気が立ち上っては、曇り空に溶けて消えた。
「ちょっとここで待っててくれる?」
玄関の前まで来た所で、愛がそう言った。
「大丈夫?」
「ん。平気や、すぐ戻ってくるで」
曖昧に頷くと、愛は弱々しい笑みを浮かべ、鍵を開けた。
扉を開けた瞬間、樹の独特の薫りが、一気に広がった。
愛は靴を脱ぎ、用心深げに足を踏み入れた。
昨日の母との喧嘩が脳裏に浮かぶ。
この場所に母が待ちかまえていて、帰宅した愛をいきなり平手打ちした。
初めて叩かれた。愛はそう思ったとたん、涙が溢れて来て、何すんの?と返すのが精一杯
だった。
- 225 名前: 投稿日:2004/01/08(木) 18:06
- 廊下を通るとすぐに和室が見えて来る。前まで祖母が使っていたが、もう線香を炊くとき
以外は誰も入らなくなった。
「愛?」
突然呼ばれた。身体がびくんと反応する。
「母さん、なんで起きとんの?」
居間の方から母が廊下へ出てきた。
くたびれたパジャマで、いつも綺麗にとかしてある筈の茶髪のロングヘヤーには、艶が
無く所々うねっていた。
年齢は若い方だったが、昨日より幾分老けて見える。
「当たり前やないの。いきなり出ていって帰ってこんから・・・紺野さん家でお世話にな
ってたみたいやけどな。でも心配でちっとも寝れんかったわ」
愛は鼻笑うと、母を睨みつけた。
「何を今さら、そんな事言う為に起きとったんか」
すると、母の疲れた顔がカッと赤みを帯びて。
「やから心配でって言ったやないの!」
「うるさいなぁ。制服取りに帰って来たんやでの。話は後にしてくれんか」
- 226 名前: 投稿日:2004/01/08(木) 18:07
- 「そんなん分かっとる。母さんも疲れたわ。この事は帰ってからゆっくり話そうやの」
母はまだ何か言っていたが、愛は適当に頷くと階段を上がって行った。
母はそんな愛の背中をしばらく見つめてから、おもむろに頭をかいて、また居間に戻る。
テーブルにはビールの空き缶が4・5缶転がっていた。
何度目かの溜息をつくと、飲みかけの缶に手を伸ばした。
- 227 名前: 投稿日:2004/01/08(木) 18:08
-
愛は自室に帰ると、あさ美の顔を思い出し、急いでハンガーに掛かっている制服を引っ張り
出した。ふと、机の上に置いてあった写真立てに目が行った。
去年海で花火をやった時の物だった。一番右端っこにはにかんだあさ美と隣の里沙は大き
くピース。一番左は目をつむってしまっている麻琴。隣に自分。真ん中に石川が笑っている。
「愛ちゃんの火、貸してくれる?」
七色に輝く線香花火。まだ火のついていない花火を片手に石川が自分に話かけて来た。
あの時からだった。
愛は遠くを見るような瞳で、窓越しに観える海を眺めた。
愛が戻って来たのはそれから10分してからだった。
玄関前で待っていたあさ美が目を細めた。
「愛ちゃん」
「ごめん、遅くなった」
「全然・・・お母さんは?」
「起きてた」
- 228 名前: 投稿日:2004/01/08(木) 18:09
- 「え?」
「平気や。帰ってから話すって」
「うん」
「あさ美これからどうする?ウチもうちょっと時間潰してから学校行くけど。あさ美はそ
の間に学校行きな」
「うん行こう」
あさ美は愛に手を差し出した。愛は一瞬分けが分からずに目をぱちくりと瞬いた。
「あさ美?」
「行こうよ。ちょっと早いけど」
「でもウチと一緒やといけんよ」
愛が上擦り加減の声で、首を横に振る。
「なんで?平気だよ。一緒に行こう」
同様する愛の手を取り、あさ美は柔らかく笑った。
「ええの?」
「うん」
愛は目頭が熱くなって行くのを堪えて、 大きく頷き、あさ美の手を握り返した。
- 229 名前: 投稿日:2004/01/08(木) 18:10
-
雲の隙間から漏れる陽に照らされた海は、煌めきを一層強くした。
視界いっぱいに広がるその光景に、朝の海はこんなに美しい物だったのかと、あさ美は
改めて思い、眩しさに目を細める。海は静かにざわめいた。
- 230 名前:名無しくん 投稿日:2004/01/08(木) 18:18
- 更新お疲れです!
そろそろ佳境ですかね。
期待しつつ更新お待ちしております。
- 231 名前:初風 投稿日:2004/01/08(木) 18:35
- 明けましておめでとうございます。今年中には完結したい所ですね。
>名無し読者さん
待たせてすみません。そして待っていて下さってありがとう。
引き込まれるだなんて自分には勿体無い言葉です。
今年も宜しくお願いします。
>名無しくんさん
気に止めて頂いたんですね。ありがとう。
なるべく更新ペースを上げたい所です。
今年も宜しくお願いします。
>ヒトシズクさん
マッタリありがとうございます。
ちょっと遅れ過ぎてしまいましたが(汗
勿論今年も宜しくお願いします。
>名無しレンジャーさん
いやー沢山のお褒めの言葉に感激しています。
勿体ない限り。ありがとうございます。
そして今年も宜しくお願いします。
- 232 名前:初風 投稿日:2004/01/08(木) 18:36
- >名無しくんさん
さっそくレス有り難うございます。
佳境、そう言う所ですね。一気に完結まで頑張りす。
- 233 名前:名無しーく 投稿日:2004/01/08(木) 18:54
- 淡々としていながらも、人をひきつける力のある・・・
ずっとあなたの書く文章に憧れてました。
感想書き込む勇気がなかったのですが、ついに我慢できなくなってレスつけてしまいました。
あんまりうまいことはいえませんが・・・尊敬し、期待してます。
頑張ってください!
- 234 名前:名無しレンジャー 投稿日:2004/01/08(木) 21:45
- 更新本当にお疲れさまです。
毎日見に行ってたかいがありました。とにかく、すばらしい。
これはもう心に強く残る作品だと感じています。
今後のこの2人がとても気になります。。。
- 235 名前:ヒトシズク 投稿日:2004/01/09(金) 22:32
- 更新お疲れ様デス。
あぁ。もう、嬉しくてため息ばっかついてます(ぇ
2人の行動が何か普通で、そこがまた何か引き付けるようで・・・
今度の更新またーりとお待ちしております♪
では〜
- 236 名前:名無し読者 投稿日:2004/01/31(土) 21:32
- 作者さんへ、今後の展開が楽しみです
更新、頑張って下さい。
- 237 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/01/31(土) 21:47
- ↑ 誰だよ!ageた奴は!頼むからやめてくれ!ageるくらいなら書き込みするな!
- 238 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/01/31(土) 22:21
- >>237気持ちは分かるが、とりあえずもちつけ
- 239 名前:初風 投稿日:2004/02/06(金) 14:23
-
- 240 名前: 投稿日:2004/02/06(金) 14:24
-
お手てつないで
- 241 名前: 投稿日:2004/02/06(金) 14:26
-
秋の曇り空を「秋陰」と書いてしゅういんと言うらしい。今日の天気はまさにそうだった。
二人の歩く道路沿い。すぐ横には、とうに収穫の終わってしまった麦畑だった土地が、侘び
しげに初風に吹き煽られていた。
繋ぐ手と手にはいつもより熱を感じる。あさ美は横を歩く愛を盗み見た。
緊張しているのか、頬がいつもより赤みを帯びていて、いくらか綺麗に見えた。
登校するにはまだ時間があったので、途中の尾根道で落ち葉を踏みながら時間を潰した。
二人はしばらく無言だったが、それは決して居心地の悪い物では無かった。
少なくともあさ美はそう思っている。
やがて遠くの方で生徒達の歓声が聞こえて来た。それを合図に二人は落ち葉を踏むのを止めた。
「行こうか」
愛の言葉に、あさ美はゆっくり頷いた。手は繋いだままだった。
- 242 名前: 投稿日:2004/02/06(金) 14:28
- 校門には安倍が立っている。
手を繋ぐ愛とあさ美を見て、一瞬目を丸くしたが、すぐに人なつっこい笑顔を浮かべた。
「おはよう」
「おはようございます」
道行く生徒達が二人を見て何やらこそこそと話始めた。
校舎が近くなるにつれてあさ美の鼓動が早まって来た。
愛はそれに気づいたのか、何度か「大丈夫か」と心配そうに訪ねるが、あさ美は無理矢理笑みを作っては頷いた。
廊下はひんやりと冷たい。各教室からは漏れる生徒達のざわめきが、なんだかとても忌々しく思える。
自分達の教室との距離が縮まって行く内に、愛の握る手が突然緩くなって行くのを感じた。
しかし、あさ美は愛の手が放れぬ内にぎゅっ強く握り、自分の方へ引き寄せた。
「ホントにええの?今の内に離れた方がええよ」
「どうして?」
「・・・」
あさ美は一回瞼を閉じて、大きく息を吸い、ゆっくり吐いた。
もう教室は目の前ある。あさ美はやけに明るい声で。
「入ろう」
- 243 名前: 投稿日:2004/02/06(金) 14:29
-
教室の扉が開いた時。
自分の席で頭を伏せていた麻琴は、何気なく顔を上げる。
里沙は提出期限の過ぎたノートを今更になって書き始めたので、まだ気づいていなかった
が、あっと言う間に教室中の喧噪が止んだので、不振に思いノートから視線を外した。
全員の視線が一点に集中している。
唖然とする麻琴の瞳には、あさ美に引っ張られるようにして歩く愛と、愛の手を引きなが
らさっそうと歩くあさ美の姿だった。
二人はすぐに席についた。
- 244 名前: 投稿日:2004/02/06(金) 14:32
- 鞄を置くと、あさ美が机の中から英語の教科書を取りだした。
「愛ちゃん、ちょっと良い?」
「・・・うん」
そう言ってあさ美は教科書を開き、戸惑い気味の愛に問題を指さした。
「問Dの長文なんだけど、これって現在完了じゃん。イマイチこの意味が分からないん
だけど」
「んと、「ちょうど〜した所です」って言うのが大凡の意味なん。ってかこれ中学で習
った所やで、あさ美教科書事貸してみ」
「うん」
愛はシャープペンで教科書に何やら記しを付けている。
「動詞が過去分詞になんるんよ。教科書の最後の附録ページに大体過去分詞が載ってる
からそれを参考にしいよ」
「ん、じゃあ次のtooseeの付く文は?」
淡々と会話を続ける二人に、しばらく生徒達は釘付けになっていた。
普通の音量で話しているつもりだったが、二人以外誰一人口を開かないので、会話は皆に
聞こえていた。
- 245 名前: 投稿日:2004/02/06(金) 14:34
- 麻琴と里沙は信じられないような表情で顔を見合わせた。その後に罰が悪そうに視線を落
とす。
しばらく誰も言葉を発さなかったが、その沈黙を一番に破ったのがあの人だった。
「へぇ、噂の相手って紺野さんだったんだ」
田島が鼻を大きく鳴らしながら二人の横に立った。
そして皆の方へ向き直り大きな声で威勢を張る。
「みんな、こいつらマジで出来てるっぽいよ。超きもい」
田島が両腕を組、愛とあさ美を見下すような目つきで睨み付けた。
だが、田島の思惑とは裏腹に、教室中が何処か余所余所しげにざわめくだけだった。
田島は顔を大げさに顰めると。
「はぁ?みんなテンション低くない?もっと盛り上がらなきゃ」
しかし、田島の取り巻き達は後ろの方で困ったような顔つきでもじもじとしている。
男子のお調子者グループも戸惑ったように視線を右往左往させるだけだった。
- 246 名前: 投稿日:2004/02/06(金) 14:36
- 一方のいつも堂々としていた愛でさえも、少々顔を強ばらせ始めたが、あさ美は以前
と教科書に視線を落としている。
田島が大きく舌打ちをする。
「何?あんた達今更良い子になる気?最初あんだけ騒いでた癖に」
「・・・そんな事言われても、ねぇ?」
誰かがぽつりと言った。その言葉に残りの生徒達が渋々と頷く。
「は?あんたら何?あたしだけ悪者にする気かよ」
田島の顔から余裕が消えた。このままでは不味い。
教室中が何とも言えない奇妙な空気に変わる。
「・・・おい、おまえらふざけんなよ!裏切んのか!」
田島が叫ぶ。
「ちょっと待ってよ田島さん」
一人の少女が席を立った。あさ美の後ろの席に座る子だ。
「確かに高橋さんの事で最初はみんな騒いだけど、田島さんのしてた事にはもうついて
行けないよ」
あさ美が意外そうな表情で顔を上げた。後ろの席の少女と言えば・・・。
- 247 名前: 投稿日:2004/02/06(金) 14:38
- 「は?何てめぇが正義の味方ぶってんの?根っ子の癖に」
根っ子とは少女のあだ名らしい。
田島が根っ子と呼ばれた少女の胸ぐらを掴みかけた。が、根っ子は直も田島の目を真っ直
ぐ見つめながら続ける。
「田島さんはやり過ぎだよ。授業中にあんな手紙回すのもううんざり」
「黙れ」
「黙らない。もうやめて」
「あたしが誰だか分かって言ってんの?あん?よくビビらないね」
「田島さんが怖がってるんじゃないの?」
「死ねっ」
田島が根っ子の胸ぐらを掴んだまま、壁にその身体を押しつけた。
鈍い音がした。
その音であさ美がやっと我に返った。
「やめてよっ」
いきなり声を上げたので、その声は最後の方でひっくり返ってしまった。
「きもいんだよ、レズ女!」
- 248 名前: 投稿日:2004/02/06(金) 14:39
- 田島があさ美に目を向けると、その手であさ美の身体を突き飛ばした。
あさ美は自分の椅子に身体を激突させ、派手な音を響かせた。
すると、愛がすぐに田島の喉元を掴み、田島と共にそのまま倒れ込んだ。
女子生徒達の黄色い声が挙がる。
「何すんだよっ」
田島が苦しそうな声を発して、愛の髪の毛を掴んだ。
そのまま二人は何度も床を転がる。
麻琴と里沙がおろおろとしながら、倒れていたあさ美を起こしてやった。
男子の一人が「女子の取っ組み合いなんて初めてみるよ」と、ひ弱そうに呟く。
椅子や机の鉄パイプがぶつかり合う、ガラガラと言う金属音が鳴り響き、綺麗に列を作っ
ていた筈の座席が雑然となり始めた。その度に女子の悲鳴を挙げる。
二人は直も転がり、側にいた生徒達が身を引いて行く。
「離せよ!ふざけんな!」
田島のその叫び声は涙声にも聞こえた。
- 249 名前: 投稿日:2004/02/06(金) 14:40
- その時だ。
「あんた達!何しとんのやぁっ!」
扉口で、鬼のような形相をした中澤が立っていた。
その一声に、ひっと短い悲鳴を上げた愛と田島が同時に中澤の方へ顔を向けた。
田島の腹に上乗りになっている愛は、田島に頬を抓られるような形で止まっていた。
その綺麗な黒髪は乱れに乱れ、顔も真っ赤に染まっている。
麻琴に肩を抱かれているあさ美は、ぽかんと口を開けて今一状況を把握出来ていないようだ。
中澤は乱雑としてしまっている教室中を見渡すと、大きく溜息をついた。
「取りあえず片づけや」
- 250 名前: 投稿日:2004/02/06(金) 14:40
-
- 251 名前: 投稿日:2004/02/06(金) 14:43
- 放課後。愛と田島は職員室に呼ばれ、しばらく事情説明をした。
結局反省文30枚提出と言う形で事は済んだ。
職員室から出る時、愛と田島は互いに目を合わせずに、反対方向へ分かれて行く。
愛が職員室から戻る頃。あさ美は教室の窓辺で空を仰いでいた。
緩い風に吹かれながら、既に紅葉している真っ赤な山にしばらく目を預けている。
教室の扉が開く音がした。
「愛?」
振り返ると、そこには愛の姿では無く、根っ子の姿だった。
「えと・・・」
あさ美は物室に目を泳がせた。
「紺野さん、今日、格好良かったよ」
「へ?」
思わず間抜けな声を上げたが、根っ子が構わずに続ける。
「みんな紺野さんがまさか田島さんの敵に回るような事するなんて思って無かったから。
あの時みんな紺野さんの方に気持ちが動いたんだと思うよ」
あさ美はしばらくきょとんとしていたが、すぐに柔らかく笑った。
- 252 名前: 投稿日:2004/02/06(金) 14:46
- 「辻さんこそ、今日すっごい格好良かった」
「ありがと」
辻が初めて笑顔を見せた。八重歯の目立つ可愛らしい顔だ。あさ美はこの子とちゃんと
会話するのは初めてかもしれないと思い、苦笑した。
「それじゃあね」
辻は手を軽く振ると、教室から出ていった。
あれだけ騒然としていた教室は、今では静寂を保ち、朝の騒動が嘘のようで何だか無性に
おかしかった。
でも不思議と昨日まであったもやもやはすでに無くなっている。
愛の机に指先だけ触れると、自然と口元が緩む。
この席に座る愛の後ろ姿をずっと見ていた。
ぴんと延ばした背中が妙に格好良く、自分も憧れた。
後ろの辻は、自分の背中を見て何と思っているのだろうか。
- 253 名前: 投稿日:2004/02/06(金) 14:47
- 「あさ美遅れてすまんよ」
愛が息を切らして教室に入って来た。
「遅い、どうだった中澤先生」
「めちゃ怖かったで。反省文30枚やて」
愛の情けない顔にあさ美が手を叩いて笑う。
「笑い事やないわ」
愛は口を尖らせると、鞄を肩に掛けた。
「帰ろうか」
二人は同時に教室から出ると、窓に切り取られた夕日が廊下を照らしていた。
既に厚い雲は引いている。
「明日は晴れそうやの」
愛が目を細めながら窓の外に視線を送る。
他の生徒達はもう下校しているのか、廊下は静まりかえっていて、二つの足音しか聞こえない。
校舎を出た所で、二人の目の前に二つの影が現れた。
すま無そうに頭を垂れた麻琴と里沙だった。
「まこっちゃん、里沙ちゃん」
あさ美と愛が瞼を瞬いて二人をみやる。
- 254 名前: 投稿日:2004/02/06(金) 14:48
- 「ごめんなさい」
麻琴と里沙が同時に頭を下げた。
しばらく唖然としていた二人だったが、愛がぷっと吹き出したので、あさ美もつい口を緩
める。
「何も悪い事なんてしてへんやん」
「でも」
愛の明るい声に、麻琴が戸惑ったようにもじもじとした。
そんな麻琴を見たのは、髪の毛がオレンジだった時に不良っぽい先輩に睨まれた時以来だ。
なのでそれがまたおかしい。
「もう、ええんよ」
呟くように言った愛が、天を仰ぐ。
何処か夏の名残を残していた空は、もう手に届きそうに無いくらい遠い。
時折感じる肌寒い空気に、後は冬の訪れを待つのみと思えた。
道路脇で、キキョウの葉が揺れている。
その横のコンクリートに、手を繋いだ4つの影が映っていた。
- 255 名前: 投稿日:2004/02/06(金) 14:48
-
- 256 名前: 投稿日:2004/02/06(金) 14:49
-
告白
- 257 名前: 投稿日:2004/02/06(金) 14:49
-
やがて空はますます透き通り、澄んだ水色に変わった。
山の紅葉はすでに落ち、裸の木々が北風に揺れ、すべてシンプルな焦げ茶色に変わった。
ダッフルコートに身を包んだ女性が、冬の海から吹き荒れる浦風に身体を縮めながら長い坂道を歩いていた。
潰れた空き缶がからからと音を立てて転がる。
- 258 名前: 投稿日:2004/02/06(金) 14:51
-
あさ美は飯田に頼まれた荷物を、やっとの事で図書室まで運んだ。
やけに重い段ボール箱には、「1月の新刊」と雑なマジック文字で書かれている。
この日、図書室には誰もいなかった。
終了式が終わって、この学校に残っている哀れな生徒はあさ美しかいないであろう。
この肌寒い空気の中、あさ美は早く帰りたい気持ちを抑え、準備室へ入って行った。
テーブルに荒々しく箱を置くと、なかなかの手際で、その箱を開ける。
図書委員はあさ美の他に3名いるが、よくよく考えてみれば自分しか仕事をしていない気
がする。
箱の中はぎっしりと本が詰まっていた。
大体冬休みにわざわざ学校へ来て本など読みに来るのか。
心の中でもっともなつっこみを入れる。
あさ美は部屋の隅にあるヒーターに電源を入れると、作業を再開した。
- 259 名前: 投稿日:2004/02/06(金) 14:52
- 一つ一つの本に今度はラベルを貼って行く。
あまり細かい作業は得意では無いが、この委員になってから大分慣れて来たようだ。
最近ではラベルを貼りながら別の事も考えられるようになった。
あれから田島のイジメはすっかり無くなっている。
ただやはり愛とあさ美とたまに顔を合わせると、もの凄い形相で睨み付けて来る事はある。
でももうそんな事は気にしなくなっていた。
ある程度のぎこちなさはあるが、なんとか他の生徒達とも前のように挨拶をすれば返って
来るようになったし。
あらかた張り終えると、何個かに分けて本棚の方へ持っていく。
あさ美は中年のおばさんのように「よっこらしょ」と掛け声をかけて積んだ本を持ち上げた。
準備室を出て、右側の壁のスイッチを、顎で本を押さえながら片手で押す。
- 260 名前: 投稿日:2004/02/06(金) 14:53
- 薄暗い室内がぱちっと言う音と共に明るくなった。
すると、あさ美の視界に、茶のダッフルコートを見に纏った女性が立っているのが見えた。
「石川先輩」
「あ紺野」
「来てたんですね」
「うん、話がしたくてね」
石川の声が心なしか掠れているのに気づいた。
大分疲れているのか、寒さに耐えられないだけなのか。
石川に手伝ってもらい、すべての本を棚に詰めた。
大分見栄えが良くなっている。
本の整理をしている時に、石川が何度も紺野の気持ち分かる。と、しみじみと頷いていた。
1月の寒い時期に、自分だけ学校に残されて作業をする苦しみを石川は十分理解しているようだ。
- 261 名前: 投稿日:2004/02/06(金) 14:55
- 「先輩あの」
仕事が終わり室内のベンチに腰を掛けた。
あさ美が隣に座る石川に、おずおずと話かける。
「この前訪ねて来てくれた時、すごい失礼な事してすみませんでした」
「失礼?」
石川が小首を傾げる。
「手を振り払ってしまって」
「気にしてないって・・・でもちょっとびっくりしたけど」
「すみません」
今度は頭を深く下げた。石川は苦笑気味。
「良いって、紺野ったら謝るの癖になっちゃうよ。もうなってるけど」
「はぁ」
困り顔のあさ美から視線を外すと、 ふっと短い溜息をついた。
「高橋との事知ってた?」
「え?」
どきりとして石川の顔を見る。
石川は真っ直ぐと何処かを眺めていて、あさ美の方は見ずに続けた。
「ごめんね黙ってて、でも、なかなか簡単には言えないじゃない。私も自分の事良く分か
らなかったもん。・・・気持ち悪いって思うでしょ」
あさ美は少し考えるように視線を持ち上げると、小さく首を横に振った。
「ありがとね、紺野」
- 262 名前: 投稿日:2004/02/06(金) 14:58
- そう言って小さく笑った。しかし、あさ美は何もかも見透かされたようで肩をすぼめた。
「高橋をね、最初見た時から何だか気になってたのよ。背中がね、私より年下の筈なのに
ずっと大人の背中してるの、凛としてて何も恐れて無いような」
石川の声が懐かしい響きをもった物に変わった。ずっと遠くを見ているような眼差しに
ふっとあさ美は寂しくなった。
「その時からずっと気になってて、チャンスがあったら話てみたかったの」
ああ、そのチャンスを自分が作ったんだな、とあさ美は思う。
「まさか紺野の友達だなんて思わなかったけど」
「私も。そう思いますね」
「なぁにそれ」
石川が涼しげな笑みを零した。電気のぱちぱちと言う音が聞こえる。
蛍光灯の一つが点滅していた。
それを合図に、あさ美が口を開く。
「石川先輩の事好きでした」
「え?」
とたんに石川から笑みが消え、真顔に変わる。
- 263 名前: 投稿日:2004/02/06(金) 15:03
- それを見て、あさ美は悲しそうに笑って。
「愛ちゃんの好きとは違います。私のは憧れですよ」
憧れ、石川が呟く。
「石川先輩みたいにずっとなりたくて、ダイエットしたり、仕草の真似したり、図書委
員の仕事頑張ったりとか」
「紺野・・・私は紺野に憧れてもらえるような人じゃないよ」
石川は悲しそうな瞳であさ美を見つめた。
「私は石川先輩の真っ直ぐでいつも一生懸命な所に憧れたんです。そりゃちょっと頼りな
いな、とは思ってましたけど」
「はっきり言うわねぇ」
「すいません」
「憧れてたのは私の方よ」
「へ?」
突然の事にあさ美が間抜けな声を出す。
しかし、そんなあさ美に構わず石川は続ける。
「真っ直ぐで一生懸命なのは紺野の方じゃない・・・私は紺野の真似をしていたのかもしれ
ない」
「え・・・」
- 264 名前: 投稿日:2004/02/06(金) 15:04
- なんと言ったら良いのか分からず、おろおろと視線を泳がす。
石川は何処か上の空のような口調だ。
「高橋を頼むわね」
「・・・・」
「今日ここに来たのはね、さよならを言いに来たのよ」
一瞬間があって、あさ美が溜息をついた。
「・・・なんとなくそんな気がしました。でも、何故ですか。愛ちゃんの母さんですか」
「知ってるの?」
「やっぱりそうなんですね」
「も、ある」
「も?」
「もともと東京にはいつか戻らなくちゃ行けないって前に言ったじゃない。母さんの
面倒も見なきゃ」
「そう、ですよね」
あさ美が目を伏せる。
室内の窓からみえる、凍て雲の張り付いた空に、3羽のカラスが飛んでいた。
カラスは寒さを感じるのであろうか。猛然とそんな事を思った。
- 265 名前: 投稿日:2004/02/06(金) 15:06
- 「ねぇ、紺野。この事高橋には言わないでくれない」
あさ美は無言で石川の横顔を見つめる。綺麗な形をしている。
「もう高橋に心配かけたく無いのよ・・・」
あさ美はじっと石川を見つめる。
石川はしばらく目線をあさ美から外していて、一瞬だけこちらを見た。
すぐに罰が悪そうに目を伏せる。
「・・・て自分勝手だね。多分これ以上高橋の顔を見ていたら、東京へ行けなくなる。だ
から黙ってこの町から出て行こうと思うの」
「先輩――」
「お願い。最後の、お願いね」
あさ美は戸惑い気味に頷く。すると、石川の顔が綻び、ありがとうと言った。
「先輩、何故私なんかにこんな大切な話を?」
- 266 名前: 投稿日:2004/02/06(金) 15:07
- 「紺野・・・この町にいる友達は、紺野だけよ」
そう言って立ち上がる。あさ美もつられて腰を上げた。
「いつ行くんですか」
「近い内に電話する」
「はい」
石川はそこまで言い終えると、あさ美の方へ向き直った。
「それじゃあ、今日は一応報告だけだから」
と、やけにさっぱりと言うと、白い歯を見せる。
「もう行くね」
あさ美は慌てて頭を下げる。石川は大きく手を振ると、そのまま背を向け、あさ美の前か
ら去った。
残されたあさ美は呆然と、石川の出ていった扉を見つめている。
石川の背中が、いつもより小さく見えた気がした。
- 267 名前: 投稿日:2004/02/06(金) 15:07
-
- 268 名前:初風 投稿日:2004/02/06(金) 15:21
- スレの状態を見て急いで更新してしまいました。
一気に更新・・・とか出来そうに無い事を言ってすみません。
>名無しーくさん
憧れるだなんて・・・勿体ない言葉です。
レスいつでも歓迎です。
>名無しレンジャーさん
毎日見に来てくれていたのですか。
ありがとう・・・そして遅めの更新ですいません。
>ヒトシズクさん
嬉しくてため息は自分の方です。
こんな作品にお褒めの言葉を貰えるなんて嬉し過ぎる限り。
>名無し読者さん
遅くて申し訳ないです(涙
更新・・・勿論頑張ります。
>名無し飼育さん
お待たせしてしまったんですね。ご注意ありがとう。
でもあまり怒らないで下さいね。
>名無し飼育さん
仲裁ありがとう。貴方が言ってくれなかったら
荒れていたかもしれません。迷惑かけました。
- 269 名前:名無しーく 投稿日:2004/02/06(金) 16:17
- 何を書けばいいのか、また、何を書けば喜んでもらえるのか。
何度考えてもよく分からないんですが、これだけはずっと言いたかった。
この作品がすきです。
あなたの書く文章がすきです。
更新お疲れ様でした。これからも頑張ってください。
- 270 名前:ヒトシズク 投稿日:2004/02/06(金) 22:49
- 言葉が無い、ですね。あ、もちろんいい方の意味で(笑。
こう言葉を挟んではいけないような雰囲気なのに優しくて、和やかな感じがします
上手くは言えませんが、いいですね。
では、次回の更新楽しみにしています。
作者さんのペースで更新していただければ、それだけで嬉しいので(^^;
- 271 名前:名無しレンジャー 投稿日:2004/02/07(土) 16:57
- 更新お疲れ様です。
文章の流れがすごく上手で、いつも「おぉ!だからこうやったんか〜」
みたいなフムフム感を味わってます。
今後も期待してマターリと待ってます。
- 272 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 01:37
-
- 273 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 01:39
-
嵐のすぎた日
- 274 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 01:41
- 外はすっかり白銀の世界だった。と言えば聞こえは良い。
1月になったとたん、急に降り出した雪は積もりに積もった。無邪気な子供達はさっそく
外へ出ると薄着のまま庭に積もった雪の絨毯へダイブする。
一方のあさ美にはそんな気力など無い。歳を重ねれば重ねるほど雪と言う存在が忌々しく
思える。
寒いのはてんで苦手なのだ。
厚手のジャケットを着込むと、長いマフラーをぐるぐるに巻き、スコップ片手に賢明に家
の前の雪をかき集めた。
「さゆ、サボらないでちゃんとやってよ」
隣のさゆみは楽しそうに雪を丸めている。
渋い表情のあさ美に向かって、さゆみがのほほんとした声で。
「雪だるま作る」
「作らない。さっさとスコップ持って」
「はぁい」
と、返事だけはするものの一行に作業はやめなかった。
あさ美は心の中で舌打ちすると、スコップの握る力を強め、また一掻きする。
遠くの方で父が。
「スコップもう一本持ってきてくれー」
- 275 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 01:42
-
結局雪かきはあさ美と父と祖父の3人でやった。
玄関前の雪は大分減り、家の前の道路もアスファルトがくっきり姿を現した。
さゆみはなかなか立派な雪だるまを完成させた。
目の代わりに付けた石ころが左右共変な位置についていたが、何となく困った時の麻琴に
似ている気がして、あさ美はくすっと笑った。
タイミングよく玄関の扉が開く。
母が「お汁粉出来たよ」と顔だけ出してそう言った。
- 276 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/29(日) 01:43
-
冷たかった指先が、部屋に入るなり熱を取り戻しぴりぴりと痛んだ。
居間のテーブルにはすでに5人分の汁粉の器が置いてあり、真ん中に昨日のお節の残りと
思われる物が置いてあった。
祖母がいそいそと茶碗を並べながら、戸口で突っ立っているあさ美とさゆみの方を見て。
「早く手を洗ってらっしゃい」と言う。
二人が手を洗って着替えて来るまでに、すべての準備は整っていた。
父が遅れて居間に入って来た。そしてあさ美とさゆみに届いたばかりの年賀状を渡した。
「あーまこっちゃん可愛い」
届いた年賀状を手に取り歓声をあげる。
割と律儀な愛や里沙は、1月1日にきっちりと年賀状を送って来た。
麻琴が最後だった。
「わたしも来てる」
と言ってさゆみが何枚かの年賀葉書をあさ美に見せた。
その中に亀井の名前はあったが、田中のは見つからなかった。
「れいなちゃんの無いねぇ」
- 277 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/29(日) 01:45
- 「良いの。れいなはぎりぎりに送って来る人なの」
さゆみは毎年そうだと思っているので、あまり気にしていないようだ。
あらかた年賀状を確認すると、あさ美達関心はすぐにテーブルの上の物に代わった。
お椀の中の汁粉をすすりながら、正月特番を観る。
ブラウン管にはお笑い芸人とアイドルが映っていて、何やらクイズをやって盛り上
がっていた。
「この子可愛い」
さゆみが餅をくわえたまま、はっきりしない物言いで画面を指さした。
晴れ着姿のそのアイドルはどことなくさゆみに似ている気がして、思わず笑いそうに
なった。
「なんとなくさゆに似てる娘じゃねぇ」
祖母がゆったりと笑う。
- 278 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/29(日) 01:47
- 「ほんとに?」
さゆみの目が輝く。
「うん私も思った」
あさ美も頷いた。
「やっぱり・・・さゆって可愛いのかな」
「・・・うぅん」
思わず言葉が詰まる。この子はおだてると調子に乗るタイプだと、今更思い出した。
「なぁに、言ってよ」
さゆみがぷっくりと頬を膨らました。
画面の中のアイドルも同じ表情をした。
「言わない」
「ひっどーい」
「ほらほら二人ともさっさとお汁粉食べちゃいな。冷めたら不味いよ。二人ともあたしに
似て可愛いんだから」
母がふんと鼻で笑ってそう言う。
「それって絶望的じゃん」
- 279 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 01:48
-
さゆみがぼそりと言った。あさ美も心の中で思った。
残りの汁を飲み干すと、お節の残りを適当につついた。
やがてその番組が終わると、今度はお笑い芸人のコントバトルのような物が始まった。
さゆみと父が馬鹿笑いする中。あさ美には何が面白いのかさっぱり分からない。
母が食器洗いをすると言うのでテレビから離れ、そっちを手伝う事にした。
しばらくして、食器を洗い終え棚に戻そうとしていると。
玄関口からアラーム音が聞こえた。
母がエプロンで手を拭きながら「はぁい」と返事をした。
あさ美は残りの皿を拭こうと布巾を手に取る。
「あら久しぶりじゃない」
母の声が台所の方にも聞こえた。
「入って頂戴」
誰か来るようだ。
あさ美は茶の用意をするべきが少し悩んだ。
- 280 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 01:49
- 「こんにちわぁ」
声の方へ振り返ると、戸口で見知ってはいるが、久しぶりな二人組が立っていた。
さゆみが目をまん丸くして。
「あれー?どうしたのぉ」
あさ美もさゆみの声を合図に台所から出る。
れいなと絵里がぺこりとあさ美に頭を下げた。
「こんにちわ」
絵里は何故か大きな風呂敷包みを大事そうに抱えていた。
「今日は一応お正月の挨拶に来たんです」
絵里が母に向かってそう言った。
- 281 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 01:51
- あさ美は二人分の茶をトレーに乗せ、居間でさゆみと話しているれいなと絵里の前へ
置いた。
「ありがとうございます」
二人はあさ美に軽く頭を下げた。
「あ、つまらない物なんですけど」
絵里が先程から大切そうに抱いていた風呂敷包みをテーブルの上へ置く。
「それなぁに」
さゆみが小首を傾げる。
「お萩」
絵里の変わりにれいなが口を開く。
「絵里。和菓子屋の娘になるん」
と、続けた。
「へぇ和菓子屋ねぇ。わざわざありがとね絵里ちゃん。じゃあお皿に入れて早速みんな
で食べようね」
母は風呂敷包みを手に取り、台所へ向かった。
- 282 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 01:52
-
「じゃあこれって」
あさ美がそう言いかけて。
「あ、父が作ったんです。あさ美さんによろしくって言ってましたぁ」
絵里がへらっと笑いながら言う。
あさ美は目をまん丸くし。
「義理父さん?」
「はい、お父さんです」
満足そうに目を細める絵里を見て。
「そっかぁ」
あさ美の口元がふっと緩んだ。
「あそうそう」
田中が何やら思い出したように鞄から葉書を取り出し、さゆみに手渡した。
「年賀状忘れとったけん。持ってきた」
「普通これって送るもんだよ」
さすがのさゆみもあきれ顔だ。
- 283 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 01:54
- そうこうしている内に母が萩を皿に乗せやって来る。
「うまそうじゃないか」
父が読んでいた新聞を畳む。
「良い香りね」
母がそう言いながらテーブルに皿をおいた。
丁度人数分に8個置かれている。
「頂まぁす」
さゆみが早速手を伸ばす。
それにつられてれいな。次に父。母。祖父。祖母。
あさ美は一回絵里と顔を合わせると、自分も萩に手を伸ばした。
口の中で溶ける粒あんは甘すぎず、なかなかさっぱりとした味わいだった。
皆口々に絵里に向かって「おいしい」と言葉をかけると、その度に独特の猫目を細めた。
萩も無くなり、しばらく他愛の無い会話を続ける。
その後れいなと絵里がさゆみの部屋へ行き、戻って来た頃には4時を過ぎていた。
- 284 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 01:55
-
「わたし達もう帰りますけん。失礼しましたぁ」
れいなが居間の戸口で、そう言った。
母が台所から顔だけ出して。
「ちょっと二人とも待っててくれる」
と言った。
れいなと絵里が不思議そうに顔を見合わせた。
すると、母はすぐに風呂敷包みを2つ抱きかかえて出てきた。
「母さん、それ何?」
あさ美が目を丸くする。
「黄粉餅よ。さっきお汁粉に入れた餅のあまりで作ったの。二人とも持って帰ってお家の
人と一緒に食べなさいね」
「ありがとうございます」
戸惑ったように頭を下げ、母から風呂敷包みを受け取る二人。
「絵里ちゃんのお父さんのようにはうまく出来なかったから、味の保証は無いわね。
本格的な和菓子屋さんには叶わないもの」
と、言って母は苦笑いした。
- 285 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 01:57
- 「そんな事無いです。ホントにありがとうございます」
絵里が再度頭を下げる。
ふと、あさ美はさゆみがいない事に気づいた。
「あれさゆみは?何してんのかな、あの子。ちょっと呼んでくるね」
あさ美がそう言ってその場を立とうとすると、れいながそれを止めた。
「あ、さゆなら寝てるみたいです」
「へ?」
「人がしゃべっとる途中にいきなり寝よるんです」
「あのバカ・・・」
母が呆れたような声を出した。
「それじゃあ失礼します」
玄関で二人は声を揃えると、扉を開けた。
強い冷風が部屋の中へ入る。
「雪道に気を付けるのよ」
母が心配そうに言うと、れいなが「平気です」と答えた。
「じゃあね」
あさ美も手を振る。
玄関の扉が惜しむかのようにゆっくりと閉まった。
あさ美はさゆみの他にもう二人妹が出来たような気がしていて少し寂しさを感じた。
居間へ帰ると、祖父が「静かになってしまったねぇ」としみじみと呟いた。
- 286 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 01:59
-
それから数日が過ぎた。
冬休みもいよいよ終わりに差し掛かっていた。
あさ美は早朝に、カーディガンを一枚羽織っただけのパジャマ姿で外へ出る。
朝焼けは眩しく、降り積もる雪は陽の光を浴びてきらきらと光っている。
あさ美は一瞬塗しさを感じて目を細めた。
寒さで縮こまる身体をさすりながら、家の前の郵便受けを確かめる。
すると、葉書が一枚だけ届いていた。
あさ美はその葉書を取ると、それは石川からの年賀状だった。
どきりとして裏を確かめる。
しかし、それはごく平凡な「あけましておめでとう」の文字だけで、当たり障りの無い物
であり、以前、図書室で言っていたような事は書かれていなかった。
石川には何度も自分から連絡しようかどうしようか悩んだが、結局ケータイのアドレスを
眺めるだけで一度も実行出来ずにいた。
- 287 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 01:59
-
- 288 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 02:01
-
また、いつか逢える
- 289 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 02:02
-
朝。あさ美の元にメールが届いていた。
送り主は愛で、風邪で熱が下がらないので学校を休む。と言う内容だった。
愛にしては風邪なんて珍しい。そんな事を思い、あさ美はすばやく返事を返す。
最近、愛から来るメールを見る度、罪悪感に押しつぶされそうになる。
- 290 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 02:04
- 「おはよう」
洗面所で歯を磨くさゆみに鏡越しで挨拶する。
「おはよ」
さゆみが気怠気な声色で返す。
あさ美が歯ブラシを口にくわえた瞬間。母の声が聞こえた。
「あさ美。あんた学期末テストいつなのよ」
「にひゅうはんほ」
二週間後。
歯ブラシをくわえたままなので、やたら滑舌の悪い言葉を放つ。
「英語の方はどうなの」
何故こんな時にいきなり学期末の話をするのだ、と思ったが面倒なので口には出さな
かった。
「なんれ」
「なんでって。あんた英語ダメじゃないの。今年で受験生でしょ。苦手は克服しないと」
「うるはいなぁ」
「この前のテストだって悲惨だったじゃない。家庭教師つける?」
母の苛立った声と一緒に、包丁で野菜を切る音も聞こえる。
「ぜっはいイヤ」
- 291 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 02:04
- 「じゃあ頑張って勉強しなね。このままだと本当に受験大変よ。後で泣いたって母さん
知らないからね」
「わはってる」
「まったくいつも口だけなんだから・・・」
母はまだ言いたらないのかぶつぶつと言っている。
あさ美はそれを遠くから聞き、げんなりとした表情をする。
さゆみが鏡越しにそんなあさ美を見つめながら、にやりと笑った。
食事を簡単に済ませると、あさ美はゆっくりとした足取りで家を出た。
さゆみはほんの10分くらい前に家を出ていた。
紺のダッフルコートと青のチェック柄のマフラーを見に纏っているが、完全に寒さを
防いでいる分けでは無かった。
吐く息は白い霧となって空へ舞い上がって消える。
そろそろ春が恋しくなって来るような気分で、永遠と続くような県道を歩いていく。
- 292 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 02:06
- 学校へたどり着くと、ぎりぎりでHR前に教室へ入る事が出来た。
一番前の席に座る里沙があさ美に気づいた。
「あれーあさ美ちゃん遅いね、今日」
「なんかやる気しなくて」
「冬ってやる気失せるよね。寒いし・・・そういえば愛ちゃんも見あたらないんだけど。
いつも早いのに」
「ああ、今日風邪で休みなんだって。メールで言ってた」
あさ美の言葉に里沙の太めの眉がぴくりと動く。
「うそー。珍しいね、愛ちゃんが」
「ね。わたしもびっくりだもん」
すると、会話をする二人に気づいた麻琴もやって来た。
「おはよ。あさ美」
「あ、おはよ」
すると、すぐに里沙が。
「今日愛ちゃん風邪なんだってー。珍しいよね」
「マジ?」
「うんマジ。ね、あさ美ちゃん」
「うん。メール来た」
- 293 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 02:07
- と言ってあさ美はポケットから携帯を取り出すと、今朝来たメールを二人に見せた。
『ごめん、カゼひどくて学校いけんわ。二人にもよろしく』
絵文字も使わず、平仮名ばかりの内容はメールを打つのもつらかったように見える。
麻琴がきょとんとした顔で。
「あらー愛にしては珍しい」
「ほんとだね」
里沙も続く。
あさ美はだんだん風邪で休んだくらいで、「珍しい」を連呼されてしまう愛に少しばか
り同情した。自分も言ったが。
やがて中澤が来て、いつものHRが始まった。が、あさ美は前の席が空席である事に少
なからず落ち着かない気分を抱いた。
- 294 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 02:21
-
やがて2限目の授業を終えたあさ美達は、美術室から教室に戻る。
「てかさぁ、今日の飯田先生ウケたよねー」
麻琴がまだ笑い足りない様子で腹を抱える。
「朝っぱらからあれはキツイよね。下だけパジャマなんだもん」
里沙もこれ見よがしに大きな声で言う。
あさ美もくすくすと笑う。
「飯田先生元からボケてる所あるから」
「てかあのボケは本格的なお笑いだよ。吉本だよ」
麻琴の目はもう涙が溜まっている。
あさ美は何気なく前方に顔を向けた。
遠くの方で中澤と田島が向き合って何やら話しているのが見えた。
職員室の前だ。
あさ美の表情が変わる。そのとたんに麻琴と里沙があさ美の視線に気づき前方に自分
の視線を向けた。
- 295 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 02:23
- 中澤の顔が険しいのは遠くからでも分かった。田島は背を向けていたのでどんな
表情かは分からない。
あさ美はなんとなくその横を通りたく無かった。
3人からあっと言う間に笑いが消え、仏頂面の里沙がぽつりと言った。
「田島さん英語出てないよね」
あさ美が思わず里沙を見る。
「そりゃあ・・・ね」
麻琴が困ったような声で言うが、続ける。
「職員室でも大分話題だったみたいよ」
あさ美が前方を見る。
中澤達を遠巻きに見ているのはあさ美達だけで無く、他の生徒達もちらちらと興味
本位の視線を送っている。
一歩歩く度に田島の背中が徐々に大きくなっていく。一回歩く速度を落としたくな
ったが、3人はそのままうつむき加減で田島の横を通り過ぎた。
生徒達の喧噪越しに、中澤の「ほんとあんたいい加減にしいや」と言うキツイ関西弁
が聞こえただけだった。
- 296 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 02:25
-
あらから掃除が終わると、他の生徒達はちらほらとホウキやちり取りなどの掃除具を片
づけ始めた。まだ廊下でホウキ片手に騒ぐ男子達もいた。
里沙は理科室掃除でまだ戻って来ておらず、教室にはおしゃべりに花を咲かせる女子と、
暇そうに窓の外を眺めるあさ美と麻琴しかいなかった。
「眠いね」
麻琴がゆっくり欠伸をする。
「寒いと、頭に血が昇らなくなるから眠いんだって」
あさ美がやや苦笑気味に言う。
「じゃあ春は?」
「うぅん。暖かいから?」
「じゃあ一年中眠い気する」
「ほんとだ」
あさ美がくすりと笑う。
麻琴はぽりぽりと頭をかく。後ろの方で女子グループが高らかな笑い声をあげた。
あさ美がふと気になって教室の時計に目をやった。
- 297 名前:初風 投稿日:2004/02/29(日) 02:29
- すみません。体力の限界にきたので一休み。
一端落ちます。少し眠ったらまた更新します。
ちなみに完結予定。
- 298 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 08:44
-
- 299 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/29(日) 08:45
- 「里沙ちゃん遅いねぇ」
「ああ、里沙の事だからのんびり掃除してるでしょ。後何分かしたら迎えに行けば言
いじゃん」
「そうだね」
「てかそれよりさぁ最近あたし太ったぁ?二の腕とか太股とかヤバいんだけど」
いきなり神妙な顔になり、あさ美に訪ねる。あさ美はおろおろとした感じで。
「え、でもまこっちゃんまだ平気じゃない。あたしもお腹辺り気になる」
「でもあさ美・・・スタイル何気良くない?だって足とか」
「ちょっとぉやめてよね」
あさ美が照れくさそうに麻琴の肩を軽く叩く。
「良いじゃん、自分だけ可愛くなりよって」
そう言って麻琴があさ美の脇腹をくすぐる。
「やだぁっこれでもくらえっ」
あさ美もやり返し、二人でしばらくじゃれていた。
- 300 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 08:46
- その時、制服のポケットが振動するのを感じた。
「ちょっと待って、携帯鳴ってるみたい」
あさ美はさっそく携帯を取り出してみると、驚いて携帯を落としそうになった。
「どしたのあさ美」
「ううん」
ディスプレイには『石川』と言う文字が表示されていた。
あさ美は不振顔の麻琴に「ごめん、待ってて」と言うと、震える携帯を片手に廊下へ出た。
- 301 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 08:48
- 廊下へ出ると男子達がまだ遊んでいた。
通話ボタンを押すと、やや声を潜めた。
「もしもし」
受話器から聞き慣れた声が聞こえる。
「紺野?」
「はい紺野です」
「石川です・・・あの、あたし今駅にいるんだけど」
「駅?」
どきりとした。
「うん。私東京へ行くから」
「今からですかっ?」
あさ美は驚きで声をあげてしまう。
「うん、ごめんね」
「そんな・・・なんでもっと早く言ってくれないんですか。先輩いつも突然過ぎます・・・っ!
突然東京に行くって言っていなくなっちゃって、やっと戻って来たと思ったら、
また突然東京へ行っちゃうんですもんっ。酷いですよっ」
- 302 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 08:49
- あさ美はやや早口にそうまくし立てた。自分でもここまで感情を出した事は無かったので
驚いていた。電話越しの石川も同じだった。
「こ・・・紺野」
廊下にいた生徒達も一斉にあさ美に注目した。
あさ美は一回深呼吸をすると落ち着いた声で。
「すいません・・・つい」
「ううん良いの、いいのよ。確かにいつも突然ね。ごめんね」
「いえ、そんな謝らないでください」
「紺野にはお世話になったから、最後の挨拶ね」
「最後だなんて言わないで下さいよ。ホントに・・・置いてかれる方の身にもなって下さい」
脳裏に愛の無邪気な笑顔が過ぎる。
「ほんとごめん」
「愛ちゃんには言ってません」
「ありがとう」
「愛ちゃんもホントに大変ですね」
「うん、大変だね。私って最悪かな」
- 303 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 08:50
- 「・・・・極悪ですよ」
「あはは、だよね」
笑ってはいる物の先程から石川の声がやや掠れている。あさ美は目の奥が熱くなって来た
のを感じた。
携帯から田舎特有の安っぽいベルの音が聞こえた。
「あの、もう行っちゃうんですか」
慌ててあさ美は訪ねる。
「ううん、この電車じゃない」
「あ、そうですか。今駅ですよね。私これから走って――」
「紺野、お願いだから来ないでくれる」
石川があさ美の言葉を遮る。
「え?」
「あ、違うの・・・今紺野の顔みたら、私きっと行けなくなる。決心が鈍ると思うの。
だからお願いね、一人で行かせてくれるかな」
「はい」
「ありがとう、紺野には感謝してもしきれないくらい」
「そんな事ないです」
- 304 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 08:51
- 「もうすぐ電車来ると思うから、もう切るね」
「はい・・・あ先輩」
「うん?」
「また、逢えますよね」
一瞬間があって。
「うん、逢える。またいつか逢えるよ」
最後の方をしっかりとした口調でそう言った。
あさ美は口元を緩めると。
「はい」
「それじゃあ・・・またね」
「また・・・」
あさ美の言葉を最後に通話は切れた。
- 305 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 08:54
-
頭がぐらぐらとするのを抑え、愛は坂道を一気に駆け上がった。
見慣れた商店街に入る。
八百屋の前で談笑するおばさん達は、パジャマような姿で顔を真っ赤にして走る愛を見て
驚いたように目を見開いた。
先輩のばかやろう。あさ美との通話を終えて携帯を切った瞬間に出た言葉だった。
何回もその言葉を心の中で繰り返す。
それしか言葉が浮かばない。
最初石川に逢ったのは、あさ美が図書委員になってから。
あさ美の仕事が遅くなる時は、愛が終わるまで待っていた。
その時にあさ美に紹介された。それから気になって気になって仕方がなかった。
- 306 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 08:55
- 先輩が好きかもしれない。
一昨年の海での花火大会が終わった後、二人きりなった時に思わずそう零した。
先輩は、私も好きかもしれないと言った。
それはまるで映画のコマのように、鮮やかに愛の脳裏に浮かび上がって来た。
突然、衝撃を感じた。
角から曲がって来た見知らぬ中年の男にぶつかってしまった。
「・・・すみませんっ」
あぶねぇなっ。男性はそう吐き捨てたが、愛はそのまま走り出す。
不振そうな目つきでこちらを見てくる人々をちっとも意に介した様子で無く、長い商店街
を駆け抜けて行った。
お願い、間に合って――。
- 307 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 08:55
-
- 308 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 08:56
- 「ごめん、本屋さん寄っても良い?」
帰り道、横に並ぶ麻琴と里沙にそう訪ねた。
すぐ側には書店の看板が見える。
「良いよ」
3人はそのまま書店へ入って行く。
麻琴と里沙は早速漫画コーナーへ寄ろうとしたが、あさ美が急に早足に逆方向へ歩き
出したので、勢いに負け、あさ美の後について行った。
あさ美の歩みが止まったのは、参考書コーナーだった。
「あ、もうそんな時期だもんね」
麻琴が納得したように頷いた。
「げぇ嫌な事思い出させないでよ」
「里沙、あんた少しは勉強しなって」
あさ美は二人を見て口元を緩めると、もう一度本棚へ視線を戻した。
あさ美にはどうしても手に入れなければならない物がある。
それはあまり欲しくは無いのだが。
- 309 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 08:57
- 視界に英語Tや高校英語などの文字が映る。
あさ美は軽く溜息を着くとそれらを取り出す。
麻琴と里沙が顔を見合わせる。麻琴が。
「あさ美・・・マジで?」
「うん」
あさ美の表情が暗い。
「すごぉいあさ美ちゃんやる気じゃん」
里沙が大げさに声をあげる。
「今朝、親に言われちゃって。英語を重点的にって」
「うわぁ・・・あさ美がんばれぇ。何かあったら愛に聞きな」
麻琴が言う。
「うん愛ちゃんに聞いておく」
「じゃあ私にも聞いて」
里沙が目をぱちくりとしながらあさ美を見つめる。
- 310 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 08:57
- 一瞬間があって。
「里沙ちゃんはやめておく」
「なんでよぉ」
里沙がぷっくりと頬を膨らませた。それを麻琴がからかう。
あさ美は参考書を片手にレジに向かった。
レジのバーコードのピッと言う電子音が聞こえた時。
ふとあさ美は、本当に連絡して良かったのかと、今更思った。
- 311 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 09:00
-
石川は冷える腕をさすりながら、ボストンバック片手にプラットフォームに一人佇んでいた。
雨よけも無い空が丸見えのプラットフォーム。駅の看板はとうに白いペンキが剥げていて、
ベンチも同じ状態だ。しばらく石ころを蹴ったり、天を仰ぎながら息を吐いて白い靄を観
察したり、周辺をふらふらと歩いたり、自分でも落ち着いていない事に苦笑した。
一つしかない改札に老人の駅員が立っていて、大きな欠伸を一つした。
寂れたベンチに腰掛けると、ブーツの紐を直す。
やがて何もする事がなくなった石川は、凍ったように張り付いた分厚い雲をしばらく
観察する事にした。
何の意味も無いが。
- 312 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 09:01
- 愛にはっきりと好きとは言った事が無かった。愛もそうだった。
夜の海岸で、愛が「先輩を好きかもしれない」と言った日から、隠れて逢う事が多く
なった。
夏が過ぎて、樹に茂っていた緑色の葉が紅葉し始めた頃。
最初の口づけをした。
秋が深くなって行くと、2度目の口づけをした。
しかし冬になって東京行きを告げたら、始めて喧嘩になった。
久しぶりに戻って来た時に、また喧嘩になった。
でも次の日に仲直りした。
石川は目を細めた。
遠くの方で、裸の山々がそびえ立つように立ち並ぶのが見え、曇り空も先程からなんら変
わり様は無い。
途方も無く時間が長く感じらる。
- 313 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 09:02
- 石川は冷え切った両手に息を吐きかけた。
やがて遠くの方から安っぽいベルの音が聞こえて来た。それを合図に石川はボスト
ンバックを持つ。
列車は緩やかなカーブをしながらこちらへやって来る。
腰を上げると、ホームの一番後ろの方へ歩き出した。
こつこつとブーツのかかとが空しく鳴る。
列車はスピードを徐々に落とし、ブレーキの音を響かせながら風を切る。
とたんに石川の髪の毛を揺らす。
やがて列車は機械的な音をたてて石川の前で止まった。
扉が開き、ボストンバックを持ち上げると一回後ろを振り返ってみた。
見慣れた改札口がそこにある。
駅員が2度目の欠伸をした。
- 314 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 09:11
- 石川はそれらを見届けて、意を決して車内に乗り込んだ。
車内は思いの外乗客がいた。座席はほとんど埋まっていたので、石川はその場にバックを下
した。暖房が効いているようで少しホッとする。
そして石川が何気なくホームへ視線をやった時だ。改札口から弾かれたように人影が現
れる。
一瞬何だか分からずに目懲らす。
それが愛である事に気づくのにそう時間はかからない。石川は目を見開き一瞬身を乗り出
しそうになったが、発車のベルと共に閉まる扉に遮られた。
走り出しそうな列車に気づき、愛が今にも泣き出しそうな顔つきで石川を捜す。
窓越しに見る愛はほぼパジャマ姿で、自慢だった髪の毛はくしゃくしゃで、
顔も火がついたように赤みがかっていた。
とたんに石川の胸がきゅっと閉まっていくような感覚を憶える。
愛は石川の乗っている車両に気づかずに全く反対の方角へ走り出す。
- 315 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 09:17
- 石川の表情が凍る。
愛はきょろきょろと辺りを見回しながら走って行く。
石川はどうしたら良いのか分からずに、顔だけでその様子を伺う。
やがて列車はガタンと言う音と共に動き出した。
「石川せんぱぁいっ!」
掠れた声を張り上げる。
すると、車内にいた乗客が愛を見つけてざわめいた。
愛の潰れたような悲鳴はホーム中に響き渡る。
「石川せんぱぁいっ!石川せんぱぁぁいっ!」
老人の駅員が何事かと駆けつけて来た。
石川はつられるように一番後ろの車両から愛の姿を追い始めた。
乗客は通路を小走りする石川とホームで泣き叫ぶ愛を交互に不振そうな顔つきで
見つめる。
「石川せんぱぁぁいっっ!」
駅員が愛を取り押さえなだめようとするも、それを振り切った。
列車はそんな愛達をすぐに追い越して行く。
「愛っ!」
石川が等々声を上げた。
しかし、愛にはもう届いていなかった。
「石川せんぱぁぁいっ!・・・いしかわせんぱぁぁぁいっ!」
そのまま列車はどんどん加速して行く。
- 316 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 09:21
- その場に倒れ込んだ愛の姿が、徐々に徐々に遠のいて行き、やがてどんどん流れて行く景
色と一緒に視界から消えて行った。
石川は呆然としたように歩みを止める。もう乗客の視線など構わなかった。
脳裏に愛の横顔が浮かぶ。
シャンプーの香りと、唇の感触。
華奢な肩。
呼ぶ声。
もう見えなくなった駅の方を窓越しに見つめると、力無く微笑む。
「ありがと」
騒ぎに駅前では、周辺にいた野次馬達が集まり始めている。
困っている駅員に押さえられながらも、その呼び声は直も止まる事は無かった。
―――うん、逢える。またいつか逢えるよ。
- 317 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 09:22
-
- 318 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 09:22
-
愛ちゃんが海に行こうと言った
- 319 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 09:23
- 黒板には「英語・テストの答え合わせ」と書かれてある。
保田はいつもの澄まし顔を崩さずに早速「それではテストを返します」と淡々とした口調
で言う。
男子の一番から名前が呼ばれる。
とたんにあさ美の鼓動が早まる。
前の席に座る愛が後ろを振り返る。
「あさ美。あんたなら出来るで、自分を信じれ」
まだ掠れの残る声でそう言った。あれから愛は一週間丸々学校を休んだ。
あさ美は怖くて何も聞けなかったが、学校へ復活して来た愛は何事も無かったかのような
雰囲気だった。
「でも・・・私」
一方のあさ美はここ何日も英語と言う一つの科目とずっと戦って来た。
母はテスト当日まで学校へ行く以外は一歩も外へ出してくれなかったのだ。
遠くの席から里沙や麻琴もあさ美に向かって「がんばれ」と口の動きだけで言う。
- 320 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 09:24
- 保田が「麻生さん」。
とうとう女子の1番の名前を呼んだ。
あさ美は立ち上がる準備をする。
「井上さん」
「今田さん」
「江野さん」
あさ美がごくりと唾を飲む。
手に汗をかいているのを感じる。
たかがテストごときで、ここまで緊張したのは始めてかもしれない。
「木下さん」
「木村さん」
愛があさ美を見る。
「紺野さん」
「・・・・はい」
思いの外低い声で返事をした。
あさ美は席を立つと恐る恐る保田の元へ近づく。
- 321 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 09:25
- 保田はあさ美をじろりと、あの迫力のある視線を投げて来た。
あさ美は軽く頭を下げると、差し出された答案を手に取った。
「・・・紺野さんにしては上的じゃない」
「え?」
あさ美が思いがけない言葉に間抜けな声を上げる。保田をそれを無視して続ける。
「佐野さん」
あさ美は自分の答案をゆっくりと開いてみた。
点数を確認すると、顔を上げる。
すぐに愛と目が合う。
あさ美は震える手で愛に答案を素早く渡した。
「ええの?」
頷く。
愛があさ美の答案を開く。
すると、愛が元から大きな目を見開く。
「あさ美っ・・・あんたやれば出来るやん!麻琴っ!里沙っ!大変やで!英語だけは30
点以下やったあさ美が67点も取りよったで」
- 322 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 09:26
- 「ち、ちょっと愛・・・声大きいよ」
あさ美が興奮する愛の背中を軽く叩く。
「そこの二人!うるさいわよ!」
保田が鋭い声を上げた。
教室中がその一言で一気に沸く。
二人は肩を窄める。
保田は「全く調子に乗って。」とぶつぶつ言いながら続けた。
「鈴田さん」
「世羅さん」
「田島さん」
「・・・・はい」
「辻さん」
「はい」
- 323 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 09:49
-
チャイムが鳴り、中澤の終了の挨拶が終わったとたん、あさ美の元へ麻琴と里沙がにやにやとしながらやって来た。
もう理由は分かっている。授業が終わる度にその繰り返しだったからだ。
「あさ美、あんたも完璧な優等生になっちゃうねぇ」
麻琴がしみじみと言う。
「別にならないよ。67点だし」
すると里沙が。
「何いってんのよ。英語以外は全部高得点だったじゃん。これで英語のテストも完璧攻略しちゃえば良い学校行けるんじゃないの?」
「もう、里沙ちゃんまで」
あさ美がふくれっ面になる。本当は満更でも無いのだが。
やがて黒板を消し終えた愛が戻ってくる。
「またやってんのかい、3人共」
愛の言葉にあさ美が首を振って。
「だってまこっちゃんと里沙ちゃんがしつこいんだもん」
「えー褒めてんじゃん」
- 324 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 09:51
- 麻琴が白々しい雰囲気で言う。
「嘘だぁ。遊んでるんじゃん」
「バレたぁ?」
麻琴が舌をぺろりと出す。
愛と里沙がそんなやり取りに声を上げて笑う。
あさ美が「愛ちゃんまで笑って」とぶつぶつ言いながら鞄を肩に掛けた。
「でも本当に良かったじゃん。これでしばらく安心じゃない?だって、すっと保田に目ぇ
つけられてたんじゃん」
麻琴が改めてそう言うと、里沙も頷いた。
「まぁね。そう言えば二人とも帰りの支度しちゃいなよ」
「あ、そっか」
麻琴と里沙はあさ美をからかう事ですっかり頭が一杯だったので、まだ鞄を持って来
てはいなかった。
二人があさ美達の席から離れようとすると。
愛が机の中から教科書を何冊か取り出しながら、いきなり言った。
「これから海行かん?」
- 325 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 09:51
- 「へ?」
突然の提案に3人が声を揃えた。
「ほら、最近行ってへんかったでの。あさ美の努力も祝いたいやん」
- 326 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 09:52
- 潮の香りがすぐ側まで漂っていた。
深く響く波音に耳を任せながら、4人は海岸へ降りる。
麻琴と里沙はこの寒いさなか、すでに靴とソックスを脱いで片手に持っていた。
傾き加減の日差しに輝きを放つ海に目を細めながら砂浜を歩く。
「冬の海ってロマンチックぅ」
里沙が目をうっとりとさせながら呟く。
「よし里沙いくべ!」
麻琴が体育会系のノリで海岸に向かって走ると、里沙も「何で雰囲気壊すのよ」と文句を
言いながら走り出した。
あさ美と愛は少し離れた場所にある古い丸太の上に腰掛けた。
「二人とも寒いのに元気やね」
「ね、靴脱いじゃってるし」
麻琴と里沙はそのまま競争を始めたようで、全速力で波打ち際を走る。
愛はその様子を遠い目で見ている。
潮風に二人の長い髪がなびく。
- 327 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 09:53
- 「それにしても良かったやん。テスト」
「うん、これで親にも外出させてもらえる」
「あはは、あれは監禁やね」
「うん、監禁だ。でもおかげであれだけ取れたもん。一応感謝かな」
「でも今日ので安心したらあかんよ。まだまだ勉強やね」
「うわぁ・・・げんなりする」
二人は顔を見合わせてくすくすと笑う。
波は緩やかに寄せては引いてを繰り返す。
愛がふっと口を緩める。
「海久しぶりやねぇ」
「うん、本当に懐かしい」
「海近いのにちっとも来んかったなぁ」
「そういうもんじゃない。近いといつでも来れるって思っちゃう」
「人間の心理って奴やね」
「ん、そうなのかな」
肌寒い風に身を震わせ、余計身体を縮める。
だが、不思議とここを離れたいとは思わなかった。
- 328 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 09:55
- 「石川先輩ともここに来たな」
波が心地よい音を響かせる。
「うん」
愛があさ美の顔を除き込む。
「ずっと話たかったんよ、あさ美」
「愛ちゃん」
愛はあさ美から視線を外し、一呼吸置いた。
「石川先輩とは一昨年の夏頃からだったんよ。」
「うん」
「黙っててごめんな」
「ううん、気にしてない」
「ありがと・・・ウチ、あさ美に紹介されて以来、ずっと石川先輩の事気になっててな」
「うん」
「なんか石川先輩は人を引きつける物があるんかなぁ。ただ、頼りない感じしたのに、
仕事とかテキパキこなすもんやから、その内目が離せんようになっていって。それか
ら一ヶ月もしない内に・・・好きになった事に気づいたんよ」
「うん」
- 329 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 10:00
- 「最初は憧れだと思ったけど、どんどん誤魔化せなくなって行くん。それから、何度も
自分の事が嫌になってなぁ。気持ち悪かったんよ自分の気持ちが。でもその頃にはもう
止まらんかった」
あさ美が目を伏せ、乾燥した唇をなめる。愛の瞳が心なしかか潤む。
「夏になって、5人でこの海で花火大会やった時に、思わず言ってしまったんよ。好き
かもしれないですって」
「かもしれない?」
「うぅん、ハッキリ言いそうになって途中で止めたんよ。やっぱり変だと思ったから・・・
でも石川先輩も私もかもって言ってくれて、なんか分からん間にそんな風になってた」
「そっか」
波の音や風の音が聞こえる筈なのに、何故かその場に無音のような静寂を感じた。
そして静かな声音で。
「でも、石川先輩の事好きになったのは後悔はしてへんよ。良い思い出になったと思っと
る。ただ・・・ウチに黙って東京行ってしまった時はちょっと恨んだけどな」
「それ、黙っててごめんね。私が早く言ってれば良かったのかも」
「ううん、気にしてへん・・・・」
「・・・・・」
二人は何となくおかしくなり、同時に吹き出した。
愛が手を叩いて笑う。
- 330 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 10:02
- 「あはは、なんか変だったね今の」
「そうやな。ホントうちらって変やな」
「変人同時じゃない」
「いや、向こうでまだはしゃいどる麻琴と里沙も十分変や」
そう言って向こうを指さす。
里沙が等々つまづいて転んでしまう。麻琴が手を叩いて爆笑している様子。
愛が「何やってるんやよ」とくすくす笑う。
あさ美はふと思った。
「愛は今も先輩の事、好き?」
愛は真っ直ぐと海を見つめる。なびく髪の毛を抑え、ゆったりと微笑んだ。
「好きやよ」
小さいが、凛とした口調でそう言った。
あさ美が目を細める。
この時の愛の横顔は、前見た横顔よりもっと綺麗に見えた。
- 331 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 10:03
- 「おぉーい!二人とも来ないのぉーっ!」
遠くの方で、麻琴が二人に向かって叫ぶ。
愛があさ美に視線を送る。
「どうする?行く?」
「うぅん、行こう」
あさ美が頷くと、愛が立ち上がり。
「おしっ今行くでぇーっ!覚悟しろやぁー!」
あさ美も腰を上げて。
「里沙ちゃん待っててねぇーっ!」
「うわぁっ来るよっー!」
里沙が悲鳴を上げる。
それを合図に、あさ美と愛が思い切り砂浜を蹴り、走り出す。
陽は傾き始め、空は茜色に染まりかけている。
海はまるで硝子細工のようにきらきらと輝き、穏やかな潮風と一緒に、はしゃぐ4人を包
んでいった。
- 332 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 10:04
-
「友達の背中」おわり
- 333 名前:初風 投稿日:2004/02/29(日) 10:11
- 終わりです。
皆さん、こんな未熟でつまらない小説にお付き合い頂いてありがとうございます。
>名無しーくさん
どんな事を書いて頂いても嬉しいです。
自分も読者の方達が大好きでございます(笑)
>ヒトシズクさん
自分も上手い事は書けませんが、十分な褒め言葉です。
自分のペースでと言って頂けると気が落ち着きます。
>名無しレンジャーさん
文章の事を言って頂けるとなんか照れますね。
期待ありがとうございます。
- 334 名前:初風 投稿日:2004/02/29(日) 10:12
- ここで言い訳と反省。
この話には辻も登場していましたが、あんな中途半端な登場のさせ方ですいません。
実は主要人物にしようと思ってたんですが、思いの外高橋の存在が大きくなってしまい、
結局友情出演的な形になってしまったんです。
当初、紺野の初恋と友情みたいな感じにしたかったんですが、書いていく内に高橋が
どんどん際だってきちゃいまして、一体誰が主役だったんだか・・・。
ラストも全く違いました。
(前半と辻褄があってるか心配)
初の中編物(?)と言うか、ここまで長い作品を連載した事が無くてちょっとキツイなと思っ
ていたんですが楽しかったです。
いろいろつっこみ所のある物でしたが、皆さんには重ね重ね感謝です。
次もこのスレに短編なんかをちょこちょこ更新して、このスレを終わらせる予定です。
- 335 名前:初風 投稿日:2004/02/29(日) 10:17
- >いろいろつっこみ所のある物
ある物→小説
- 336 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/29(日) 10:43
- 完結お疲れさまです。
たいへん楽しませていただきました。
爽やかで、でも泥臭くて、そんな彼女達の世界に、本当に引込まれました。
これからも頑張ってください。
- 337 名前:名無しーく 投稿日:2004/02/29(日) 13:49
- お疲れ様です。
完結おめでとうございます。
とても綺麗で爽やかでもどかしくて、でもどこか切ないお話でした。
熱に浮かされたような気持ちになりました。
何度読んでもため息が出てしまうほど描写が綺麗。
素晴らしい作品をありがとうございました。
短編も期待しています。
- 338 名前:ヒトシズク 投稿日:2004/02/29(日) 15:56
- 完結おめでとうございます。
そして長い間お疲れ様でした。
あぁ。もう、ホント何と言えばいいのか分からないんですよ。
美しいとか、友達との関係が〜とか色々浮かぶんですがどれも違うようで。。。
この作品と出会えたこと、そして完結まで読ませていただいたこと。
もうそれだけで十分です。ありがとうございました。本当に。
この作品を読んで少し自分の考えや見方が変わったと思います。
友達関係の美しさなどを改めて教えていただいて、もう感謝で一杯です。
上手くは言えませんが、よかったことは確かです。そして心に残りました。
今までありがとうございました。
そして、これからも頑張ってください。
- 339 名前:名無しレンジャー 投稿日:2004/02/29(日) 16:03
- 完結お疲れさまです。
どことなく切ない感じがしました。なんか映画化しそうな内容w。
短編も期待しております。
- 340 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/29(日) 21:21
- 完結ご苦労様です。
知らず知らずのうちに、のめり込んでるというか、作者様の文章
に引き込まれていました。今回のラストもなんというか表現できないような
もどかしさ、爽快感、様々な感情が揺り起こされてきた感じで読ませていた
だきました。なんか表現がおかしいですが・・・とにかく、スレが建ったとき
から読ませてもらってますが、本当に毎回ハラハラしながら更新を待ってました。
終わってしまうのは寂しいですが、短編もあるとのことですので、期待して
お待ちしております。
- 341 名前:名無し読者 投稿日:2004/03/01(月) 01:28
- 完結おつかれさまです。
何の気もなしに読みはじめたのですが、すっかりひきずりこまれてしまいました。
シンプルな言葉が淀みなく丁寧に積み重ねられていて、いろんな光景が目に見えるようで。
読む人を掴んで離さない不思議な把握力というか説得力のある作品ですね。
作者様の「想い」がしっかりとこめられているからなのかなとふと思いました。
素敵な作品でした。短編もたのしみにしています。
- 342 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/01(月) 10:54
- 完結お疲れ様でした。
私は多くを語れません。
ただ、この小説が好きでした。
素敵なお話をありがとうございました。
- 343 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/18(木) 13:11
-
- 344 名前: 投稿日:2004/03/18(木) 13:13
-
『夕暮れの絵描き人』
- 345 名前: 投稿日:2004/03/18(木) 13:15
-
これはもう遡る事8年前のお話になりますか。
丁度8年前の今頃、日本を震撼させたある「人攫い(ひとさらい)事件」がございました。
それはとある大物映画俳優の娘が忽然と姿を消した事が始まりでした。目撃者が多数存在
し、中年の男と白いワゴン車に乗ったのを見たとの事でした。
ちなみに、それはあくまでも人攫いであり、誘拐ではありません。何故なら犯人は連絡お
ろか、身代金ですら要求して来なかったのですから。そんな大事件の影響か、日本ではこ
れ同様の「人攫い」事件が多発。
そんな空前の人攫いブームに、ほとんどの小学校が集団下校を取る体制になり、各学校、
住宅、施設には最先端セキュリティが導入。子供達は自由に外に出る事さえも危うくなっ
て参りました。
それはわたくしが住む町も例外ではありませんでした。
わたくしの当時通っていた中学校でも、登校時の朝の放送、昼の放送、放課後の放送でも
耳にタコができるくらい何度も人攫いへの注意事項がなされました。
- 346 名前: 投稿日:2004/03/18(木) 13:19
- いえ、わたくしが今からお話する事は「人攫い」のお話なんかではありません。ほとんど
無関係と言って良いでしょう。
そんなある日の事でした。町に不穏な噂が流れたのです。
町の中心部に位置する商店街の端には、なかなか立派な公園が御座います。
名前は正式にあるのでしょうが、大きな噴水がある為、皆「噴水公園」と勝手に名付けて
呼んでおります。
最近夕暮れ時になると、その噴水公園に「見慣れない女」が現れると言うのです。
その女はいつも全身黒尽くめで、髪の長い長身で、いつも公園の一番端のベンチに座りス
ケッチブックに何やら必死に描き込んでいるのです。
そして陽が完全に落ちきると、いつの間にか消えていなくなっていると言うのです。
何処からどう見ても不振な女に町中の人間が警戒心を強めました。
何しろ小さな町ですから、噂はあっと言う間に広まります。
それから町の住人は夕暮れ時になると、噴水公園には立ち寄らなくなりました。
- 347 名前: 投稿日:2004/03/18(木) 13:21
- さて、ここからが本題なんです。
わたくしの当時の友人で、とても好奇心旺盛で、正に元気だけが取り柄のような少女がい
たのです。その少女の名は辻さんと申します。プライバシーの為、名前は伏せておきます。
ある朝、HR前の騒然とする教室で辻さんがわたくしともう一人の友人、加護さんにある
提案をいたしました。
「今日噴水公園行かない?」
そんな辻さんに、加護さんが顔を露骨に顰めます。
「えー、それマジで言ってんのぉ?あの噂ホントだったらヤバいよ、なぁガキさん」
加護さんが力一杯にわたくしの華奢な肩を叩きます。
「それにお母さんに怒られるよ」
加護さんとわたくしのダブル批判に、辻さんが頬を膨らませ。
「そんなの行ってみなきゃ分かんないじゃん。ねー行こうよぉ、行こ?」
辻さんが小学生のような駄々をこねます。こうなってしまうともう止められないのです。
「仕方ないなぁ・・・今日だけだよ」
加護さんがそう言ったらわたくしも頷かずにはいられませんでした。
- 348 名前: 投稿日:2004/03/18(木) 13:25
- 学校が終了の時刻を告げると、わたくし達一行はすぐに校舎を飛び出しました。
別にそんなに急ぐ事も無いですが、何しろ辻さんがやや興奮気味でして、こちらが何度も
呼び止めても聞かないものですから、結局全速力で噴水公園へ向かう羽目になったのです。
噴水公園にはまだ人がちらほらと歩いているのが伺えます。
公園の大時計に目をやると、まだ3時です。
日が暮れるのはもう少し後のようですね。
「こんな早く来たって、噂の女の人って夕方頃でしょ?まだ来ないよ」
わたくしの当然な意見に加護さんも頷きます。
「精々4時半って所じゃん。それまでここにいるのぉ?」
「もちろん」
辻さんは平然とそう言います。
わたくし達は公園の隅にあるベンチの側までやって参りました。
丁度トイレの隣の茂みに隠れます。
「わざわざこんな所じゃなくても・・・・・」
加護さんが弱々しく言いました。
- 349 名前: 投稿日:2004/03/18(木) 13:26
- それから幾らか経った模様です。
わたくし達は茂みに隠れてもう1時間半。加護さんが先刻言いました、4時半です。
西の空が茜色に染まり、風が涼しくなって参りました。
先に気づいたのは無論、わたくしです。周辺の様子が先程からおかしいのです。
「ねぇなんか人いなくない?」
わたくしの問いに辻さんと加護さんが反応します。
「本当だ」
辻さんが呟きます。
夕方頃とは言え、まだ4時半。普通ならまだ子供達が遊んでいてもおかしくない時刻。
散歩中の老人の姿もすっかり消えてしまいました。恐ろしいくらいの静寂が訪れます。
何故か嫌な予感がして参りました。
「なんかヤバイな」
加護さんの声も震えています。
心無しか、言いだしっぺの辻さんも目が泳ぎ始めました。
その時です。
わたくしの視界に見慣れない、いや、確実に周辺の景色と浮いた存在の人物が現れました。
それに辻さん加護さんも気づいたようで、一瞬にして黙り込みます。
女性のようです。あの「噂の女」でしょうか。
黒髪のロングヘヤー。黒のロングのワンピース。かかとの高い黒いブーツ。右手に抱えてい
るのはスケッチブックでしょうか。
- 350 名前: 投稿日:2004/03/18(木) 13:32
- 「あれだ・・・・」
辻さんの力の抜けた呟きが耳に入ります。その響きには後悔の念も込められているようです。
でももう遅いのです。
その噂の女はこちらに気づく事無く、颯爽と例のベンチに向かい、腰を下ろします。
わたくし達は身体を強ばらせたまま、その場から動けなくなってしまいました。
動いて音を立ててしまえば、あの女に連れていかれる。
今考えれば笑ってしまうような想像をしてしまい、女がいなくなるのを待つ事にしました。
女はスケッチブックを開くと、ペンケースから鉛筆を取り出し早速何やら描き始めました。
わたくし達はお互い顔を見合わせ合います。
全く噂と同じで返って拍子抜けです。
それから何事も無く時間は過ぎて行き、やがて陽は完全に落ち、辺りは暗くなって行きました。
女はペンケースに鉛筆をしまい、スケッチブックを閉じます。
そして腰を上げると、また颯爽と来た道を帰って行きました。
わたくし達はしばらくその場で呆然としてしまいました。
辻さんが。
「なんか・・・・」
と、言えば加護さんも。
「ね」
「・・・・・うん」
最後にわたくしが頷き、よく分からない会話が成立しました。
- 351 名前: 投稿日:2004/03/18(木) 13:33
- 結局、その女はただ絵を描きに来ただけだったのでしょうか。
わたくし達は少々失望しましたが、妙な安堵感もありました。
その日は3人肩を並べて夜道を急いで帰りました。
いつもより帰りが遅くなってしまい、お母様には随分叱られたのを憶えております。
そんな次の日の朝です。HR前の騒然とする教室で、またもや辻さんがわたくしと加護さ
んにこんな提案をいたしました。
「今日はあの人が本当に人攫いかどうか確かめに行かない?」
わたくしと加護さんは顔を見合わせます。
「今日は止めとこうよ」
「うん」
勿論です。
「えー行こうよぉ」
また始まりそうですが、今日はこっちも引く分けには行きません。
加護さんが。
「今日は無理。あたし昨日お母さんに叱られたし」
「うん私も」
どうやら加護さんの家も、わたくしの家と同様だったようですね。
「じゃあ良いもん、わたし一人で行くもん」
そう言って頬を膨らませました。
「ごめんね、行けなくて」
- 352 名前: 投稿日:2004/03/18(木) 13:38
- 一応謝って起きましたが、辻さんは「ふんっ」と言って自分の席へ戻って行きました。
加護さんが深い溜息をつきます。
「一度言ったら聞かないもんなぁ」
「うん・・・・」
実はこの時、わたくしが公園行きを断ったのにはもう一つ理由があったのです。
それは何となくですが「嫌な予感」と言う物を感じておりまして、後から加護さんからお
話を聞きましたが、加護さんも全く同様の心境を感じていたそうです。
こうして学校の終了と共に辻さんは校舎を出られました。
ここからは辻さんから聞いたお話です。
辻さんは昨日と同様に、あの茂みに隠れて噂の女の登場を待っていました。
やがて西日が差す頃。やはり噂の女は現れました。昨日と服装が微妙に違いました。
黒ずくめなのは相変わらずでしたが、その日はパンツルックだったのと、折り畳みの三角
チェアのような物を抱えていたそうです。
女はベンチに腰掛けずに、その折り畳みの椅子をベンチから1メートル程離れた所に置き
ます。そして女はスケッチブックをベンチに置くと、なんと辻さんの隠れている茂みの方
向へ歩き出したのです。
- 353 名前: 投稿日:2004/03/18(木) 13:39
- その時辻さんは心臓が飛び出る程驚愕したようです。
あの女が自分の側へやって来る。当然この時「人攫い」の文字が辻さんの脳裏に浮かんだ
事でしょう。
女は見る見る内に辻さんのすぐ目の前へ立ち止まりました。
恐る恐る辻さんは顔を上げます。
女は大きな瞳で辻さんをしっかり見据えていたのです。
辻さんはこの時叫びそうになったそうです。
しかし、女は素早く辻さんの口元に自らの人差し指を添えたそうです。
そして小声で「モデルになってくれない」と言ったのです。
辻さんはその女に言われるがままに腰を上げます。
そしてそのベンチの前の小さな椅子に座らされました。
女はにっこり笑うと、辻さんに「ちょっとそこに座ってくれるだけで良いから」
と言いました。
辻さんはゆっくり頷きます。女はそれを確認すると、素早い手つきで筆を動かしました。
そして西日が完全に落ち、ベンチの隣に立っている街灯の明かりが点った頃。
女が筆を置きました。そして呆然とする辻さんに、絵の描かれたスケッチブックを破りそ
れを渡しました。
- 354 名前: 投稿日:2004/03/18(木) 13:40
- 「今日はモデルがいたから調子が出たわ」とにっこり笑ったそうです。
帰りがけに女はこうも言いました。「昨日、お友達と私の事を見てたでしょう」
辻さんはどきりとしました。すべてバレていたのです。
女は「私はカオリ、あなたは?」そう訪ねたそうです。
辻さんは怖ず怖ずと自分の名前を、そのカオリと言う人に教えました。
女は「さよなら、のんちゃん」と言ってその場から去って行きました。
辻さんはしばらくそこから動けなかったそうです。
それまでのお話を、辻さんはお弁当の時間にもの凄い早口で話してくれました。
そして描いて貰った絵をわたくし達に見せてくれました。
その絵は椅子にちょこんと座ってびくびくとした目をこちらに向けた、正に辻さんでした。
タッチも優しい感じで、なかなか雰囲気のある絵柄です。
そうです。この日から辻さんの様子が変わってしまったのです。
- 355 名前: 投稿日:2004/03/18(木) 13:43
- 「今日もカオリさんの所に行くんだ」
それは鼻歌のような口調でした。
次の日も、それからまた次の日も辻さんはカオリさんの元へ通いました。
その度、わたくし達に描いて貰った絵を見せてくれました。
その絵は最初に描いて貰っていた、ビクビク怯えた辻さんでは無く、とても楽しそうな辻
さんでした。
しかし、カオリさんも毎日公園に来る分でも無いようで、逢えなかった次の日は、もの凄
い落ち込みようでした。
加護さんもカオリさんに興味を持ち始めたのか、一回辻さんに自分もカオリさんに会いた
いと言いましたら、辻さんは「だめだよ。カオリさんとは秘密の友達なの」と訳の分から
ない事を言って断りました。
段々、会話の内容もカオリさん一色になり始めます。
わたくし達もどんどんカオリさんに興味が沸いて来たので、一回辻さんの後をつけて公園
へ行ってみた事もありました。
すると、やはりカオリさんは現れ、辻さんの絵を描いていました。
しかし、その様子は何処か奇妙で親密な感じがしてしまい、わたくし達はそのまま辻さん
には話しかけられずに帰りました。
- 356 名前: 投稿日:2004/03/18(木) 13:48
-
辻さんが変わったのはそれだけではありません。
最初加護さんとお揃いのお団子にしていた髪型を下ろし始め、無縁だった筈のダイエット
も始めたのです。
それには加護さんもかなりのショックを受けていた模様です。
そんなある日の事です。
いつもより一団とご機嫌な辻さんが、放課後、わたくし達にこんな事を言いました。
「今日カオリさんの家に行くの」
「え」
わたくしと加護さんは同時に声を上げます。
「一杯絵を見せてもらうの。それからカオリさんは私を本格的に描いてみたいんだって」
『本格的』妙にその響きが嫌らしく感じたのはわたくしだけでしょうか。
すると加護さんが。
「ね、もう止めた方が良くない?」
「なんで」
辻さんの声のトーンが一気に下がります。
「だってホラ・・・・・危なくない?いくら女の人でも」
「そうだよ、それは不味いよ」
「もしかして二人共、まだカオリさんを人攫いだって思ってるの」
- 357 名前: 投稿日:2004/03/18(木) 13:50
- こんな辻さん見たことがありませんでした。
鋭い目つきでわたくし達を直視します。そもそも人攫いかどうか確かめようとしたのは辻
さんなんですけどね。
加護さんが上擦った声で。
「いや・・・・そうじゃないけど」
「もし本当にカオリさんが人攫いなら、もうとっくにわたしの事攫ってる筈じゃん。でも
わたしは今ここにいるじゃない。二人共いい加減な事言わないでよ」
そう言い残して辻さんは去って行きました。
わたくしと加護さんには、もう、どうする術もありません。
何故なら、辻さんはそのカオリさんに恋をしているようだからです。
あの腕白で天真爛漫だった辻さんの瞳は、もうしおらしい恋する乙女の物です。
それはまだ恋と言う物に無知だったわたくしや加護さんでさえ、感づいてしまう程でしたから。
- 358 名前: 投稿日:2004/03/18(木) 13:51
- それから数日が経ちました。
辻さんが学校へ来なくなりました。
一瞬あの健康が取り柄の辻さんが休むなんておかしい、もしやカオリさんに攫われたのか
と思いましたが、それは違うようです。
それと同時期にカオリさんの噂をまた聞いたのです。
町役場の人がカオリさんに退去願いを出したのです。
ある町の住民が、例の噂の女が、制服の女の子を連れ回していると、町役場と町の警察に通報し
たのが切っ掛けだったそうです。
多分、制服の女の子とは辻さんの事でしょう。
そしてすぐにその制服の女の子である辻さんの身元も判明し、親御さんに連絡も入ったそうです。
わたくしの予想ですと、辻さんは相当カオリさんに入れ込んでいた様子ですし、多分ショ
ックで学校に行けなくなったのでは無いかと思います。
- 359 名前: 投稿日:2004/03/18(木) 13:55
- しかし、そんなわたくしの心配を余所に、何日かすると辻さんはいつも通りに
学校へ登校されました。
教室へ入ってくる辻さんを見つけるやいなや、加護さんは早速辻さんの所へ。
「大丈夫?」
加護さんが怖ず怖ずと訪ねます。
「何が?」
こちらが拍子抜けする程、辻さんはけろりとしていました。
「何がって・・・・カオリさん」
わたくしが不覚にも口を滑らせてしまい、カオリさんの名前を出してしまうと、加護さん
が横で「このバカ」と言いました。
「ああ、町を出ていったんでしょ。仕方ないよね」
辻さんはあっさりと言い除けると、自分の席へ向かって行きました。
わたくしには、それがどうしても自分に言い聞かせているように思えて仕方ありませんで
した。心無しか顔色も優れないようです。
そんな出来事から何週間か経過しました。
最初に気が付いたのは、無論わたくしと加護さんです。
辻さんが日増しに痩せて衰えているように思えるのです。
いつも辻さんと共に過ごしてきたわたくし達が感づかない筈はありません。
ある日加護さんが。
「ねぇ、最近ちゃんと食べてる?痩せすぎなんじゃないの?」
と訪ねますと。
- 360 名前: 投稿日:2004/03/18(木) 13:57
- 「この頃ダイエット始めたの」
と言って曖昧に笑うのでした。
しかし、辻さんは益々痩せて行くばかり。
最早ダイエットと言う言い訳など通用出来ないくらいにまで、その激やせぶりは悪化
してゆくばかりで、わたくし達にはそれを止める術などございません。
ただ、見守るばかりです。
そして等々、朝のHRで担任の先生が、辻さんの長期入院を知らせました。
わたくしと加護さんは、早速担任の先生の元へ向かい、辻さんの入院している病院の
在処を尋ねました。しかし、先生から返って来た言葉は「今は面会謝絶状態なんだ。
俺もまだ辻には会えてないんだよ」と言う呆気ない物でした。
わたくし達は呆然としつつ職員室を後にしました。
「ねぇガキさん。あたしら何にも出来ないね」
「うん・・・・」
このような内容の会話を、辻さんがいない間何回も行いました。
- 361 名前: 投稿日:2004/03/18(木) 13:57
-
- 362 名前: 投稿日:2004/03/18(木) 13:59
- そして時はすぐに流れて行きました。
辻さんが入院してしまった事に大分慣れてしまった頃です。
その日は、学力検査が近かった為、わたくしは深夜になっても机に向かっておりました。
微睡みを堪えながらわたくしは必死にペンを走らせます。
ふと、欠伸をした瞬間です。
遠くの方から電話のアラームの鳴る音が聞こえてくるでは無いですか。
わたくしはムッとしながら時計に視線を送りますと、もう夜中の2時半です。
お父様とお母様が起きてしまわれないようと、わたくしは部屋を急いで後にします。
電話はリビングのソファの隣にあります。
わたくしは急いで受話器を取ります。
「もしもし新垣でございます」
今思えばなんて無防備だったのでしょう。普通このような深夜にお構いなく電話をかけて
来るなんて非常識です。もっと警戒すべきでしょう。
しかし、そんな事を考えている暇などわたくしにはございませんでした。
なんとその電話の主は辻さんのお母様でいらっしゃいました。
その電話の内容にわたくしは愕然としてしまいました。
辻さんが病院からいなくなったのです。
- 363 名前: 投稿日:2004/03/18(木) 14:04
- そのお話は勿論猛スピードで町中に知れ渡る程の大事件です。
日本中に人攫い事件が多発しているとはいえ、まさかこのような小さな町でも実際起こる
なんて考えてはいなかったのです。一応警戒はしていましたが、皆何処か半信半疑だった
のでしょう。
警察官が町中を探査しても、結局辻さんは見つからず、それからも辻さんが帰って来る事
はありませんでした。
後から、カオリさんが夜中に辻さんの入院する病院へやって来て、辻さんを攫ったんだと
、そしてカオリさんが辻さんを食べたんだと言う噂が何処からともなく流れてきました。
しかし、人攫いが割とポピュラーな事件だった為、地元以外のメディアが報道する事無く
、辻さんの事件やカオリさんの事もすぐに忘れ去られて行きました。
一方辻さんの両親は今現在も駅前で、署名運動をしていますが、もうあまり相手にされて
いません。
わたくしも加護さんも最初は手伝っていたんですけどね。
大分、わたくし達の中の辻さんが薄らいで行き始めたのを切っ掛けに、それぞれの道を選び
、進む事にしたのです。
- 364 名前: 投稿日:2004/03/18(木) 14:06
- このお話はまだ終わりません。
ある日曜日。書斎でお父様と知人の方がお話をされているのを偶然聞いてしまったのです。
それは、最近芸術界を騒がす、異才の新人画家がいるとの事でした。一見、芸術に興味の無
い人間からすれば何の取り留めも無い気もいたしますが、何となく「画家」と言う所でぴん
と来たのです。その新人画家はいきなりの処女作で、とんでも無い賞を取ったとか取らない
とか。そんな台風の如く現れたその画家の描く絵、描く絵が賞を総なめ。
しかし、その異才画家の姿を間近で見た人間はごく限られた僅か。
正しくミステリアスな存在に芸術界の注目の的だそうです。
そしてわたくしが直も興味をそそられたのは、その画家の名を「KAORI」と言うらしいからです。
わたくしは居ても経ってもいられず、書斎の中へ入り「そのKAORIと言う人の事について詳しく
教えて下さい」と、つい・・・・・・。
その知人の方はとても親切な方で、わたくしの我が儘な申し出を快く聞いて下さいました。その
知人の方は、大手美術館を経営してらっしゃる現役の社長さんでいらっしゃいました。偶然と言
うのは凄い物ですねえ。
- 365 名前: 投稿日:2004/03/18(木) 14:07
- なんと社長さんは、「KAORI」の超貴重品である未公開肖像画の写真を持っていると言う
のです。
さすがに原画は手元には無いそうですが「KAORI」の知人と言う方がその肖像画を撮影し
たと言うので、特別にその一枚を頂いたそうなのです。
次の休日。わたくしは早速その社長さんの経営する美術館へ足を運びました。
どんどんわたくしの想像が膨らんで参ります。もしかすると・・・。
その場所は地下室に御座いました。
写真だけとは言え、「KAORI」の未公開の肖像画と言うだけあって厳重な警備と元、保管
されているようです。
「これです」
社長さんは、やや緊張した面もちで金庫のダイアルを回し、扉を開けました。
中には金メッキの小箱が置いてあり、さらにそのダイアルを回しフタを開けました。
硝子の額縁に入れられた一枚の写真が入っています。
社長は白い手袋を両手にはめると、額縁を取り出しわたくしとお父様に見せて下さいました。
- 366 名前: 投稿日:2004/03/18(木) 14:09
- その写真はわたくしの予想を遙かに裏切り、それと同時に新しい確信が生まれました。
写真の中の肖像画は、茜色に染まる空の下、スケッチブックを開き、こちらを優しい眼差
しで見つめる髪の長い美しい女性が描かれているのです。それは正しくあの日のカオリさんです。
とても滑らかな優しいタッチでした。
わたくしは懐かしい感情と、嬉しさのあまりに目頭が熱くなって行くのを感じました。
さらに社長さんはおっしゃいました。
「この絵の名前は二つあるんですよ。一つは“夕暮れの絵描き人”でも、知人の話による
とその絵の裏に“愛しい人との日々”と走り書きされているそうなんです」
わたくしは等々込み上げる物を堪えきれませんでした。
帰ってから加護さんにもその事を告げますと、わたくし同様しゃくり上げてしまわれました。
- 367 名前: 投稿日:2004/03/18(木) 14:10
- 一方で、「KAORI」さんに関する説は沢山ございました。
その説によれば「KAORIは存在しない説」「KAORIは病で亡くなった説」「最初のKAORIは死に、今はKAORI
の2代目が描いている説」「KAORIは二人いて共同で描いている説」
謎の有名人によくある説ですが、それには列記とした理由があるらしいのです。
どうやら、出品される数々の絵のタッチや、色遣いが微妙に違うと言う事から来ているのです。
本当の所はどうなんでしょうかね。
この事を辻さんの親御さんや警察の方に黙っているのは重罪でしょうか。
しかし、わたくしはどうもお話する気にはなれません。
それにわたくしは「KAORI」と言う人物にこれからも素晴らしい作品を描いて頂きたいですしね。
ただそれ一心で御座います。
- 368 名前: 投稿日:2004/03/18(木) 14:11
- 随分長くお話してしまいましたね。
わたくしが「KAORI」に関して知っている事はこれくらいです。
他人のプライベートを模索するのはあまり好ましい事ではございませんが、ご参考になり
ましたでしょうか。
もしかすると「KAORI」はわたくしのお話した方々とは無関係かもしれませんし。
大分辺りが暗くなって参りました。わたくしはこれから寄る所がございますので、これに
て失礼・・・・、あ、くれぐれもこのお話は警察関係にはご内密に。
それでは、また会う日まで。
- 369 名前: 投稿日:2004/03/18(木) 14:12
-
END
- 370 名前:初風 投稿日:2004/03/18(木) 14:24
- >名無し飼育さん
最後までありがとうございました。
青春とかって本当に短い日々ですよね。
>名無しーくさん
最後までありがとうございました。
褒められ過ぎて何かくすぐったいですね(笑
>ヒトシズクさん
最後までありがとうございました。
そして毎回勿体ないようなくらいの感想を頂き、とても嬉しい。
- 371 名前:初風 投稿日:2004/03/18(木) 14:33
- >名無しレンジャーさん
最後までありがとうございました。
確かに映画を意識した部分はありました(照
>名無し飼育さん
最後までありがとうございました。
作者様だなんて(驚 スレが建った時から読んでくれて
いたんですね。本当にありがとう。
>名無し読者さん
最後までありがとうございました。
またまた作者様だなんて(照 短編の方にも沢山力を入れたいです。
>名無し飼育さん
最後までありがとうございました。
そして素敵な感想をありがとう。
- 372 名前:初風 投稿日:2004/03/18(木) 14:40
- 読者様の感想にとても感激しました。
再度、ありがとうございました。
この「夕暮れの絵描き人」は本当は短編企画に出そうと思ってやめた作品です。
相変わらずつっこみ所満載な話です。
それではもう一個。次は藤本です。
- 373 名前: 投稿日:2004/03/18(木) 14:41
-
- 374 名前: 投稿日:2004/03/18(木) 14:42
-
『レモネードは甘酸っぱい』
- 375 名前: 投稿日:2004/03/18(木) 14:43
-
ここだけの話。あたしは梨華ちゃんとは特別仲のよい関係ではない。
そりゃあ、映画でダブル主演とか言われたり、同じ乙女組にも入ったし、年齢も近いから
仕事ではよく組まされたりするんだけど、楽屋で二人でしゃべった事って意外と無い。
メールもごくたまにだし、内容も事務的なもんだったり、他愛なかったり。
なのに何故か、あたしの前の席に梨華ちゃんが座っている。
そして頼んだばかりのレモネードが梨華ちゃんの前に置かれている。
あたしの前にはアイスコーヒー。
ハロモニ収録の後。いきなり誘われたのだ。
断る理由が無かったので、あたしは頷いた。
- 376 名前: 投稿日:2004/03/18(木) 14:46
- 「雨ひどくなってるね」
梨華ちゃんが窓硝子の向こうに視線をおくる。
雨が降っていた。収録が終わったとたん、いきなり降り出したんだ。
「ね。ここ出る前にやめばいいのにね」
あたしはアイスコーヒーのカップにミルクを垂らす。
白い糸のような物が、コップの中の氷を縫うように広がる。
梨華ちゃんと初めて会ったのは、言うまでもなく、娘。のオーディションだ。
もちろんあたしは落選だったんだけど。その頃は今では言いようの無い自信があった。
もともと当時はオーディションブームであり、あたしも気軽に受けたようなもんだったん
だけど、書類審査に通った時に妙な自信がついてしまったんだ。
その頃。あたしはもしかしたら他人を見下していたのかもしれない。
梨華ちゃんを見た時。可愛いと思ったと同時に、なんとなく敵ではないと思った。
よっすぃーは綺麗でモデルのようで、一際目立っていたから、梨華ちゃんの存在はかすん
で見えていた。
- 377 名前: 投稿日:2004/03/18(木) 14:47
- 客は少なかった。
だから見つかる心配は無かったので、二人とも被っていた帽子を外して、隣の空席に鞄と
一緒に置いておいた。
梨華ちゃんが頬杖をつく。
ストローでレモネードをかき混ぜている。氷がからんと音を鳴らす。
あたしは何となく。
「梨華ちゃんてすっぱい物好きだっけ」
「んー、特に。なんとなくレモンて喉によさそうじゃない」
「ああ、そういえば。風邪とかね」
「あたし喉弱いから。今度また新曲くるでしょ」
「いや、梨華ちゃんの場合、喉のせいじゃ・・・・・」
つい、本音を言いそうになったので言葉を飲んだ。
梨華ちゃんはまだ気づいてない。
「ん?」
「なんでもない」
オーディションの時もそうだった。
あたしはたまたま梨華ちゃんの歌声を聞いてしまった時。
なんて酷いんだろう、と。
かわいそう。あの娘、今回は落選するだろう。とも思った。
- 378 名前: 投稿日:2004/03/18(木) 14:48
- でも違った。
あたしはアイスコーヒーのストローに口をつける。
冷たい。苦いけど香ばしいような味が口いっぱいに広がった。
あたしは珈琲は好きじゃない。
でもそろそろ大人にならないと。砂糖なんかいれられない。
「みきてぃさあ」
「うん」
「今度もんじゃ行こうよ。のんがね、行きたいって」
「あたしも?」
「うん。下北にあるんだって。最近出来たらしくて東京ウォーカーに載ってた」
「へえ」
「ね。行こうよ」
「ン、いいよ」
いつからだろう。
梨華ちゃんが、こんな風にあたしに話かけてくれるようになったのは。
結局、最終オーディションの切符は、あたしの物で無く、梨華ちゃんの物になった。
あたしは信じられなかった。
歌も、外見も自信があった。
- 379 名前: 投稿日:2004/03/18(木) 14:49
- そりゃよっすぃーに比べたら劣っていた事は分かってた。
辻加護も、何だかんだ言って「年齢が若い」と言う話題性で受かるだろうと。
当時のあたしでさえ、何となく分かっていた事。
でも梨華ちゃんだけは納得がいかなかった。
結果を会場で聞いた。
途方にくれながら会場を後にした時。
ちょうど会場のロビーで、自販機の近くにいる梨華ちゃんと鉢合わせした。
梨華ちゃんはあたしに気づくと、怯えたような瞳で見つめた。
この頃の梨華ちゃんは、きっとあたしを苦手としていたんだと思う。
あたしは悔しさと恥ずかしさから、梨華ちゃんを思い切り睨み付け、鼻で笑ってやったのだ。
すると、さらに怯えたようで、顔を俯かせた。
あたしはその横を何事も無かったように通り過ぎた。
- 380 名前: 投稿日:2004/03/18(木) 14:51
- 店内のBGMが変わった。
なんかのクラシックのようだ。
通りに、傘を差して談笑しながら歩くOLや、反対に傘を忘れてしまったサラリーマンが
、鞄を傘代わりに小走りしていた。
梨華ちゃんが大きな溜息をつく。
「なんかね。乙女って花が無いよね。桜に比べて」
「何ソレ。自分が言う事?」
「花っていうか、雰囲気的に向こうって明るいなって」
「それリーダーも言ってたね。なんか乙女って大人しいのが集まったってね」
「のんも、あいぼんといないと大人しいしね」
今思えば、随分おろかだったと思う。
浅はかで、醜くて、最低だったと。
落選して数日経って。
今の事務所から連絡があった。
それでレッスンに通う事になって、1年ちょっと経ってからデビューが決まった。
恥ずかしいから親以外の人間には言わなかった。
- 381 名前: 投稿日:2004/03/18(木) 14:52
- そのまま東京に上京して、マネージャーに事務所へ連れられた。
そこで梨華ちゃんやよっすぃー、辻加護に再会したんだ。
辻加護やよっすぃーはあたしを見ても、ぴんと来ないような顔をしていたので、多分憶え
て無いようだった。
でも、梨華ちゃんはやっぱり違った。
あたしを不安そうな目つきで、じいっと見ていた。
あたしは後ろめたさから、なるべく梨華ちゃんから視線を外した。
「初めまして、藤本美貴です。北海道出身です」
完璧なスマイルだったと思う。
飯田さんと安倍さんが「北海道」に反応して、すぐにあたしの側へ寄ってきた。
「良かったあ。北海道増えたね。ハロプロ」
そんな事を言っていた気がする。
みんなが口々に「よろしくね」と、あたしの側へ寄ってきた。
よっすぃーと辻加護はその時になって要約思い出したらしい。
「久しぶりー!」
と、あたしの肩を軽く叩いた。
よっすぃーが。
「梨華ちゃん。美貴ちゃんだって。ほら、ウチらのオーディション時の」
- 382 名前: 投稿日:2004/03/18(木) 14:53
- 遠巻きに見ていた梨華ちゃんが、よっすぃーの言葉にびくりと反応した。
でもすぐに。
「ホントだあ。よろしくね」
そう言って強ばっていた顔が、すぐに笑顔になった。
あたしも笑顔を作った。
「よろしくね」
梨華ちゃんの笑顔が作られた物だと言う事に気づいていた。
だからこそ負けたくなかった。
この子はもう、アイドルなんだ。あの時の梨華ちゃんとは違うんだ、と。
風が薄い硝子窓を揺らす。
雨の音が店内にまでうっすらと響く。
「みきてぃ」
「何」
「みきてぃってコーヒー嫌いなんじゃないの」
一瞬どきりとした。コーヒーから視線を上げる。
「なんで」
梨華ちゃんはふっと笑う。
「コーヒー飲んでる時のみきてぃって、眉間にしわが寄るの」
「そう、かな」
- 383 名前: 投稿日:2004/03/18(木) 14:55
- 梨華ちゃんは変な所で感が良い。
ファッションと言い、歌唱力と言い。
自分に関する事はめちゃくちゃ鈍感なくせに。
「もしかして図星だった?」
梨華ちゃんが目を細める。
あたしはシカトしておいた。
その後からは、モー娘。メンバーとはハロコン以外では会わなかったし、ハロコンでも梨
華ちゃんと一緒に話す事は、特に無かった。
お互い避けていたんでは無い。それは、一緒になる機会が無かったのと、その頃にはあの
一件の事など頭に無かった。
ただ、日々の仕事や馴れない一人暮らしなどで周りの事に頭が回らなかっただけ。
すべてが新しい事だらけで、あたしは言われた通りに行動する術しか無かったんだ。
- 384 名前: 投稿日:2004/03/18(木) 14:56
- 「あ、小川に借りたCDまだ返してないや」
梨華ちゃんがぽつりと言った。
あたしも思い出した。
「あたし飯田さんからまだDVD貸したまんまだ」
「わたしも飯田さんに漫画貸してたかも」
梨華ちゃんが笑う。
「飯田さんに物貸すとあんま戻ってこないよね」
「うんうん」
いらっしゃいませ。と向こうから店員の声が聞こえる。
そろそろ客が増え始めた。
梨華ちゃんと3度目の再会は、やはりアレだ。
あたしのモーニング娘。編入だ。
ショックだった。どうやら、つんくのせいじゃないらしい。
つんくいわく、事務所の独断で決めた事らしいのだ。
何もかもがバカバカしい。
あれだけ苦労してデビューまでこぎつけたのに。
仕事にも大分慣れ、紅白出場も決定し、何もかもがこれからだった。
そう、これからだったんだ。
- 385 名前: 投稿日:2004/03/18(木) 15:00
- その知らせから数日。夜に亜弥ちゃんから電話があった。
あのあややが他人を心配するんだ、とちょっと意外に思った。
それからあっさりと編入し、あたしは6期と一緒に同じレッスンをするハメになった。
あたしの編入を、娘。のみんなはあまり歓迎する空気では無かった。
飯田さんや5期メンは比較的に好意的だったけど。他のメンバーからは動揺している様子が、ひしひし伝わって来て、正直、最初はやりずらかった。
それからすぐにあの映画の話が来た。
ほぼ編入と同時期だったと思う。
事務所の人にいきなり呼ばれて会議室に促された。
先に梨華ちゃんが来ていて、あたしに気づくと。
「美貴ちゃんも呼ばれてたんだ」
と、笑った。
その時に気づいた。もう梨華ちゃんはあたしに怯えた目を見せなかった。
笑顔も自然に見えた。
正直、ぐさりと来た。もう、梨華ちゃんはあたしに敵意は感じてない。
自信に溢れたような、そんな眼差しを感じた。
- 386 名前: 投稿日:2004/03/18(木) 15:02
-
梨華ちゃんは、あたしの知らない間にすっかり変わっていたんだ。
梨華ちゃんと二人、他愛の無い会話を続けた。
ふと、雨はいつの間にかやんでいた。
「雨やんだね」
あたしが言う。
「うん、そろそろ行く?」
梨華ちゃんが言う。
テーブルの前に置かれたレモネードは、溶けかかった氷だけが残っていた。
「そうしよっか」
あたし達は、ほぼ同時に腰を上げた。
結局、何故梨華ちゃんがあたしを誘ったかは分からなかった。
でも、自分が思ったより、梨華ちゃんは大人なんだ。
もうあの時の、今にも泣き出しそうな梨華ちゃんは見る影も無くなった。
あたし達は会計を済ますと、店を出た。
- 387 名前: 投稿日:2004/03/18(木) 15:03
-
次の日はオフだった。
あたしは風邪をひいた。
空はむかつくくらい青くて、絶好の外出日和で。
パジャマ姿のまま、あたしはぼおっとテレビをみていた。
時計の針は12時をさしていたけど、食欲はない。
朝から、メールをしていた。
地元の数少ない友人と、梨華ちゃん。
友人から「久しぶり、元気してる?」と来て、梨華ちゃんから「昨日は楽しかった。美貴
ちゃんは元気?」と来た。
あたしは二人に「風邪ひいた」と返しておいた。
しばらくして、友人から「大丈夫?仕事大変そうだもんね」と。
梨華ちゃんからはそれっきりだった。
- 388 名前: 投稿日:2004/03/18(木) 15:03
- あたしはくしゃみを2回すると、鼻をかんだ。
熱は38度あった。
昨日、雨風にあったのがいけなかったのか。
窓の外の羊雲が、呑気に浮いていた。
テレビ画面には、相変わらず退屈なニュースばかり延々と繰り返されている。
政治家のスキャンダルとか、異常気象の問題性だとか、万引き増加だとか。
あたしは欠伸をすると、また布団を頭から被った。
そんな時。玄関からチャイムが鳴った。
1回だけ。
あたしはむっとしながら身体を起こす。
新聞の勧誘なんかは来た事が無かった。
あたしはのそのそと起きあがる。
- 389 名前: 投稿日:2004/03/18(木) 15:04
- 「どなたですか」
扉を前に、掠れた声を出した。
「美貴ちゃん」
扉の向こうから聞こえたのは、昨日会ったばかりの梨華ちゃんの声だった。
「何してんの」
あたしは驚いて扉を開けた。
梨華ちゃんはあたしを布団で寝ているように促すと、有無を聞かずにキッチンへ立った。
「もしかして、あたしの為にわざわざ遠くから」
あたしの問いに梨華ちゃんが。
「丁度近くにいたのよ。だから来てみたの」
そう言ってくすくす笑う。
嘘だあ。メールが来なくなってから2時間半は経ったいる。
キッチンから何かを切る音が聞こえる。
- 390 名前: 投稿日:2004/03/18(木) 15:05
- あたしは天井を見つめた。
しばらくすると、いい匂いがして来た。
キッチンに視線を送ると、鍋に火をかける梨華ちゃんの後ろ姿がぼんやりと見える。
梨華ちゃんは、卵雑炊と、レモネードを作った。
「風邪ひいたからってちゃんと食べないと治んないから」
と、お母さんみたいな事を言った。
「・・・・・おいしい」
「でしょー?最初は結構バカにされたんだけど、消臭剤のにおいがするとか。最近かなり
上達したと思うんだよねー」
「うん、ホントにおいしい」
梨華ちゃんの料理を食べたのは、これが初めてだった。
なかなか口には合ったけど、ごっちんのには叶わないかな、と思う。
梨華ちゃんはおかわりもあるから、と言って目を細める。
最後に暖かいレモネードを飲んだ。
甘酸っぱい。
でも、からからだった喉にすっと染みこんでいく。
- 391 名前: 投稿日:2004/03/18(木) 15:06
- それから漢方薬を飲まされた。
ルルはあまり効かないと言って、自分の鞄からそれを出したのだ。
なんで漢方薬なんてもってるんだろう。
どうして梨華ちゃんは、たいして仲の良くないあたしの家へ、わざわざ来てくれたんだろう。
「もったいないね。今日はこんなに晴れてるのに」
窓の外を遠い目で見つめる梨華ちゃん。
向こうのマンションの、洗濯物が揺れている。
横顔がきれいだと思った。
ふいに、昔の自分を恥じた。
「ね、梨華ちゃん」
「うん」
「この前はごめんね」
「えー、何のこと」
「まあ、いろいろね」
- 392 名前: 投稿日:2004/03/18(木) 15:08
- あたしはまたくしゃみをする。
梨華ちゃんは笑いながら、もう寝ちゃいなよ、と。
「うん」
本当にありがとう。
布団に入ると、あたしはそのまま瞼を閉じた。
薄い眠りの中。食器を片づける音が聞こえる。
本当に遠くの方から。
そして、帰りがけにあたしの唇に暖かい感触を感じた。
レモネードの甘酸っぱい香りもした。
- 393 名前: 投稿日:2004/03/18(木) 15:09
-
しばらくして、扉の閉まる音がする。
あたしはそのまま深い眠りについた。
- 394 名前: 投稿日:2004/03/18(木) 15:10
-
end
- 395 名前:初風 投稿日:2004/03/18(木) 15:11
- 二作連発してしまいました。
やはり一人称は苦手です(笑
- 396 名前:名無し飼育さん 投稿日:2004/03/20(土) 11:53
- 短編待ってました。
また本編と違った感じがいいですね。
以前どこかで書かれていたりしたんですか?
もし良かったら以前の作品を教えてくれたら嬉しいんですけど。
- 397 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/22(月) 18:01
- 短編、二つともよかったです。
質が高いですね。
- 398 名前:名無しさん 投稿日:2004/03/22(月) 19:10
- 気長に待ってます。
- 399 名前:紫苑 投稿日:2004/03/26(金) 09:29
- 道重versionも書いてください
- 400 名前:紫苑 投稿日:2004/03/26(金) 15:59
- 339です。
友達の背中の道重versionも書いてください
- 401 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/27(土) 00:04
- 自分もレモネードを飲んでいるようでした。
短編よかったです。
- 402 名前:名無しレンジャー 投稿日:2004/04/28(水) 17:15
- 短編とてもよかったです。
とてもリアルで、文章もシュールでかっこいい。
会話が想像できます。とてもいい作品ありがとうございました!
- 403 名前:初風 投稿日:2004/06/04(金) 00:14
- 返答遅れてすいません。
>396さん
なるべく本編と違った方が良いかな、と(笑
短編は書いてました。
>397さん
質ですか、どうもありがとうございます(照
>398さん
長い間返答出来ずスミマセン(汗
>399
>400さん
緑板で、道重主役の新作を更新しています。
生憎、友達の背中の道重versionでは無いんですが、
雰囲気は引き継いでいます。
>401さん
実はレモネードは好きな飲み物の中の一つだったりします(笑
>402さん
今回は一人称にしてみましたが、あまり自信が無かったので、その
お言葉はとても嬉しいです。
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