青のカテゴリー6
- 1 名前:カネダ 投稿日:2003/10/16(木) 02:26
-
―――――青のカテゴリー―――――
- 2 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/10/16(木) 02:27
- 審判に促されてコートの四人はそれぞれネットへと歩み寄る。
吉澤はまだ惜敗した事実を認めたくなくて、頑なにその場を動こうとしなかったが、
泣き声の希美に、行こう、と声をかけられると意思に反して勝手に足を前に出していた。
後悔。全力を出し切っていてなお、その感情が心を支配する。
吉澤は歩きながら心中で、結局、何も出来なかったんだな、と自分自身に対してポツリと言ってみた。
すると、涙が零れた。ポロポロと、バカみたいに止まらない。
吉澤が人前で泣くなんて事は、それこそT高校の面々にとってはあり得ない事で。
安倍や紺野や松浦なんかは一敗した結果からくる感情よりも、
吉澤が涙を流しているという異例の事態に心を奪われていた。
あの吉澤が、人目を憚らず、声を上げて泣いているのだ。俄には信じられない。
しかし、梨華や矢口や中澤にはその理由が痛いほどわかっていた。
吉澤がこの一戦に懸けていた思いってのは、この中の、いや、世界中の誰よりも
強いモノだったのに相違ない。
梨華はコートの中の二人を正視出来なくて、顔を俯かせ、ただ歯を食いしばっていた。
現実は優しくない。と言うよりも、現実はあくまで平等なのだ。
吉澤がどれだけ強い気持ちで懇願したとしても全く意に介さない。
ただ、ひたすら強者に微笑む。そんなのは当然の事だ。
それなのに、梨華にはどうしてもそれが不公平に思えてしまう。
- 3 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/10/16(木) 02:28
- 矢口はその吉澤の背中を相変らずの無表情でジッと見つめていた。
同情しているのか、哀れんでいるのか、その視線には強い意志が込められているのは
わかるのだが、それがいったいどういった類いの感情なのかはわからなかった。
矢口はただ、吉澤という一点を凝視している。
「のの、ごめんな。あん時は、ウチが悪かった。」
ネットを境界線に両校の四人が集い、健闘を讃え合う。
加護は明らかに疲弊しきっている様子で、希美とネット越しに握手を交わすなり
そんな事を言った。―――あの時。希美には心当たりがある。
市井と矢口の試合を観て、そうして加護は市井の背中を追いかけたのだ。
喧嘩別れしたのはいい気がしなかったが、そのおかげで吹っ切れた面もあるのは確かだった。
それに、加護が悪いんだとしたら、自分が正しかったのだろうか、そうじゃない。
「ののだって、何にもわかってなかったんだ。」
矢口の表面しか知らないで、一丁前に矢口に憧れた。
絶対的に正しいと思っていた。矢口は、誰からも尊敬されて、それで華麗に舞っていて。
皆が皆、矢口を目指したのだ。矢口のような選手になりたい。
人に、まるで魔法をかけるような、矢口のようなテニスがしたい。それは正しいはずった。
正しい。希美は思った。そんなのは、意味の無い言葉だ。
- 4 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/10/16(木) 02:28
- 「市井さんは」
「矢口さんは」
二人の声が、重なった。
「・・・この試合が終わったら、ゆっくり会わへん?」
加護は希美に会ったら絶対に言おうと思っていた事を口にした。
それは希美も同じ様に考えていた事だった。
二人には言葉を交わす時間が必要で、空白だったお互いの時間を
埋めるとかそんな大層な事じゃなく、ただ、一緒にいるだけの時間が必要だった。
「・・・うん。」
「ウチは、K学に行ってやっぱりよかった。それだけは絶対や。」
「ののも、それは同じだよ。」
二人は上手いように、視線を合わせられない。
何やらギクシャクしたやりとりが、わかっているのに克服できない。
少し前なら、誰よりも滑らかに言葉を紡ぎあっていた。
「のの、強くなったなぁ。」
ぎこちない笑顔を作って、加護がそんな事を言ってきた。
何言ってるんだ。希美は軽く憤った。
「あいぼん、のの達に勝ってんじゃんか。」
- 5 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/10/16(木) 02:29
- そこで、希美は堪えきれなくなってポロポロと涙を流した。
勝者が敗者に掛ける労わりの言葉なんてのは、例外なく相手には届かない。
希美は強くなった、が、それ以上に、加護は強くなっている。
勝者には、敗者は何一つ敵わない。
「・・・また、やろう。あれや。これで並んだやん。今日ウチが勝って、
50勝50敗。次で、決着や。だから、それまで、また腕磨いとけや。」
加護が宥めるようにそう言うと、希美は腕で目を擦りながら頷いた。大きく三度、頷いた。
次に希美とまた対戦するとして、その時は果たして今日と同じように勝てるのだろうか、と
そんな事を考えながら加護は最後に、
「市井さん、すっごい優しくて、いい人やから。」
そう言って、隣で涙を流して俯いていた吉澤の前へ進んだ。
同じ様に、高橋が吉澤と握手し終わって、希美の前に来た。
高橋は吉澤に、また試合をしよう、と言って手を差し伸べた。
しかし、吉澤はそれに答えないでただ手を差し出しただけだった。
あと一歩の所で負けたのだから、それは本当に悔しいんだろう、と
高橋は吉澤の涙の理由をわかっているつもりだった。
自分も同じような経験は何度かあったからだ。
事情を知らない高橋が、吉澤の気持ちを推し量るなんて、到底不可能な事だった。
そして今、吉澤は加護の前で涙を流している。
- 6 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/10/16(木) 02:30
- 「吉澤さん、ホンマ、ウチが思ってた通り、めっちゃ強かった。」
「・・・」
「・・・また、テニスしようや。」
「・・・」
結局、吉澤は加護に対しても何一つ言葉を発さないで、踵を返した。
加護は一瞬だけ何だかとても悪い事をしたような心持ちになったが、
勝負の世界には勝者と敗者しかいなくて、それで吉澤は力が及ばなくて
負けたんだから自分は何も気にする事はないのだと考え直した。
そう自分に言い聞かせたら、接戦で勝った時にしか味わえない、
言葉では表現する事も出来ない喜悦と気持ちよさに体全体が包まれた。
この最高の感覚を味わえるから、テニスはやめられない。
加護は、吉澤とは反対の方に向き直ると、顔全体に満面の笑みを宿して、
ベンチでピースサインをこちらに向けていた真希の元へと、
ガス欠の体に無理を言わせて駆け出した。
「手、大丈夫?」
試合が終わって、改めて顔を合わして、そして希美はまず、高橋の指を気遣った。
昨日の敵は今日の友とはよく言ったもので、
今の二人にはお互いを敵視する理由などはまるで無い。
二人とも、その表情は弛みきっている。希美の方は涙の所為で目が真っ赤に腫れていたのだが。
そして、そんな敗者である希美に心配されて、高橋は思い出したように自分の
右掌を眼前に近づけてみる。
自分ですら見るのが躊躇われるほど、無気味に晴れた物体が薬指の位置にいた。
改めてまじまじと見てみると、本気で気色悪い。
自分の指なのに、高橋は大袈裟に顔を顰めて気味悪がる。
- 7 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/10/16(木) 02:30
- 「大丈夫・・・じゃ、ないみたい。」
「・・・いつからなの?」
「第一セット終わった時にはもう、痛かったかな。」
「何でそれなのに・・・」
「私、やっぱり辻さんには負けたくなかったから。」
「・・・それだけ?」
「うん。」
高橋は痛々しい指なんて全く気にしていないように、飄々と言ってみせる。
泣き顔の希美は、そんな高橋のドコカぶっ飛んだ感覚に思わず苦笑した。
なるほど、加護が高橋と楽しくペアを組んでいるのが時間を超えて伝わってくる。
加護の相方にはこの高橋のように、頭のネジが数本ぶっ飛んでいないと務まらない。
それは、希美が誰よりもよく知っていた。
「あいぼん、宜しくね。」
「・・・うん。」
希美は目をごしごしと乱暴に擦ると、あーあ、と言って口をへの字に曲げ、
そうして自陣のベンチへと帰って行く。加護の新しい相方が、高橋でよかったと思った。
――――――――
- 8 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/10/16(木) 02:31
- 飯田はベンチ前のスペースで淡々と体を一通り解すと、
ラケットを二度素振りして、よし、とよく通る快活な声を出した。
その後、ベンチの隅でずっと立ったまま観戦している石黒に対して頭をペコリと下げると、
いよいよコートへ向かおうと第一歩を踏み出す。
威風堂々としているその背中の大きさから、K学の面々は誰もが飯田の勝利を信じて疑わない。
その理由は至極簡単だった。飯田は、これまでの選手とはレベルが一つ違っている。
話は変わるが、石黒は対戦相手への対策は決まって試合前日に、選手一人一人に教示する。
試合直前になって檄を飛ばすとか、相手の調子を見て対策を変えるなどと
いった事は絶対にしなかった。試合当日の石黒はそれこそ寡言で、威厳に満ち溢れている。
揺ぎ無いその石黒の不動の態度が、選手たちの精神的支柱になっているのは言うまでも無い。
飯田にとって、この日の相手にはその前日の教示すら不要だった。
これまで対戦した数々の強豪と謳われる連中の中でも、屈指の強敵だ。
安倍なつみ。石黒には、とある天才の再来だといつか告げられた。
かつて一度対戦した事があったが、その当時の安倍からはまだ素人の域を脱しきれてない、
言うなれば、まだ未完成という印象を受けた。
テニスをまともに始めて一年か、二年。そんなところだ。
それでも安倍は、そんな素人のレベルで、誰も持ち得ない革命的な大砲を持っていた。
まだ半熟だったから苦もなく勝利出来たが、果たして安倍は一年間でどれほど
その大砲に磨きをかけてきたのだろうか、飯田はそんな不安を胸に抱きながらも、
これまでこなしてきた試合と同様、安倍との一戦を特別視するような事は考えなかった。
感情の起伏を抑える事が、試合をスムーズに進行できる一つの
要素だと、飯田は矢口から学び得ていた。
- 9 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/10/16(木) 02:32
- 飯田は淡々と、普段と変わらない様子で柔軟メニューを消化していく。
頭の中では安倍との試合展開が希望的観測ではあるが、出来上がっていた。
そこで、ふと、ある単語が引っ掛かった。
―――天才。
石黒に、ある天才の再来と言わせるほどに評価された安倍。
これまでの人生を通じて、自分は一度もそう謳われた事なんてなかったな、と
コートで軽くストレッチをしながら飯田は不意に思った。
実績は誰もが感嘆するほど残してきている。
家の居間にある厳かな棚には、トロフィーやメダルや賞状といった類いの物が数え切れないほど
飾られていた。疑う余地の無い、テニスの申し子。強さは誰からも賞賛される。
安倍に嫉妬しているという訳ではなく、ちょっとした疑問だった。
これまで幼少の頃から結果を残してきたのに、
誰一人として自分の事を、世辞でさえも、天才と呼んだ人間はいなかった。
そんな事を飯田が考えていた時、ベンチからよく通った声が届いた。
「飯田さん、頑張って下さいね!」
- 10 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/10/16(木) 02:32
- 飯田の背中に真希が声をかけると、倣ったように加護と高橋も大きな声を出した。
こういう俗っぽい、単純な声援を貰うのが飯田には妙に新鮮に感じられた。
いつ以来だろうか、少なくともこの学校に来てからは貰った記憶が無い。
(ゴトーは不思議だなあ)
真希がやってきて、間違いなくこの部は変わった。いや、その途中なのかもしれない。
変化の最中だとするならば、飯田はその変化に立ち会えている事に感謝した。
真希に導かれる事で、この部は絶対的に良い方向へ飛躍できるはずだ。
何故なら現に、真希の声を聞くだけでこんなにも心地が良い。
「おう。ゴトーの予言、的中させてくるよ。」
振り返って、飯田はらしくない大声を出した。
すると、ベンチにぼんやりと座り込んでいた保田は、飯田の声を聞くや否や思わずその目を瞠った。
普段、飯田という強者は、コートに足を一歩踏み入れた瞬間から誰の声にも耳を貸さなくなる。
外界からの雑音を一切遮断して自分の世界に浸り、独自の空気を創造し、
そうして他を圧倒する静謐なテニスを構築する為の準備を整える。
保田は飯田という、この部の絶対的な存在に対してそんな分析をしていた。
そんな飯田が、笑って真希の声に応えた。
真希は、飯田は絶対に勝つ、と第一試合が始まる前の空き時間に言った。
飯田にはその言葉がどういう訳か、心の深淵にまで染み渡っていた。
誰かに期待されてテニスをするのなんて別段、珍しい事でもないのに、
どういう訳か、その真希の言葉は今まで浴びてきたそれらとは別物の
ように、飯田の心に響いていた。
- 11 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/10/16(木) 02:33
- 飯田が本格的に体を動かし始めると、その背中をジッと見ていた石黒が突然、
抑揚の無い声で高橋を呼び出した。
心当たりがあるようで無かった高橋は小首を傾げつつ、小さな声で返事をすると席を立つ。
加護と真希は顔を見合わせて、お互いに怪訝な表情を作った。
これまでほとんど口を開かなかった石黒が、直々に高橋を名指ししたのだ。
いい予感はしない。
その予感はやっぱり的中して、数分経った時、ベンチの隅から石黒の怒鳴り声が響いた。
何事かと、K学の面々は石黒の方向へ顔を向ける。
感情をここまで露にした石黒を真希は知らない。
「もし、これから先に響いたらどうするつもりだ?」
「・・・」
「どうして言わなかった?」
「・・・続けたかったからです。」
「いいか、もう絶対にこんな事は許さない。お前がまだテニスを続けたいなら、
絶対に怪我の類いは隠すな。」
石黒の強い声色に、シンとベンチは静まり返る。
そう言えば、と、真希は思い出した。
合宿で戸田が腕を怪我した時、石黒はらしくないほどにその感情を表に出し、
それは見事な手際で処置を施したのだった。
(なんだかんだで、結構いい人なんじゃん)
- 12 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/10/16(木) 02:34
- 昔、あるつまらない事故の所為で、一人の天才がその可能性を
無残にも摘み取られてしまったという事実を真希は知らない。
中澤が事故によって選手生命を断たれて以来、石黒は怪我の類いの事象には殊に鋭敏になっていた。
五体満足ならば、それだけでラケットは振れる。
勿論、石黒はそんな綺麗事じみたことを選手たちに説いた事は無い。
高橋はそれからまだ石黒に説教されているようだったが、
最後に頭を深く下げると、悄然とした表情で元の席に戻ってきた。
幸い、高橋の指はアイシングと応急処置だけで、腫れと痛みが引き、
骨や靭帯には何も異常はないようだった。
「私、バカだったのかもしれない。」
「まあ、それは否定できないなぁ・・・」
高橋のバカさ加減は真希もよく知るところである。
「そっちのバカじゃなくってさ、何というか、もっと自分を大切にしよう、と思った。」
「んんー、どうしても勝ちたかったんでしょ?」
「それはそうだけどさ、これからの先の事考えたらやっぱり・・・」
「難しいよね。気持ちとか結果とか怪我とか。テニスするのも、大変だ。」
「・・・でも、やっぱりあの試合は、どんな事があっても勝ちたかったな。」
「じゃあ、いいんじゃないかな。気持ちってさ、そう思ったら止まんないじゃん。」
- 13 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/10/16(木) 02:34
- 真希は市井の事を思った。
どうしても、矢口に勝ちたかったと市井はいつか言った。
ただ、その気持ちがどんなに強くても、叶わない事の方が絶対的に
多いんだろうな、と、コートで子供のように泣いていた吉澤を見て、思った。
一々この世界って言うのは複雑でメンドクサイ。
真希はどうにもムシャクシャして、高橋と逆隣に座っていた加護の横腹を突付いて憂さ晴らしする。
「きゃはは、何すんねんいきなり!」
「あいぼん、肥えたなあ・・・三倍くらい?」
「しばくぞ・・・」
「飯田さん、勝つよね?」
「当たり前やん。」
――――――――
- 14 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/10/16(木) 02:35
- 子供のように泣きながらベンチに戻ってきた吉澤を、
T高校の面々は最初、どうしていいのかわからなかった。
余りにも意外な展開なはずなのに、梨華や希美はその様子を怪訝に思っていないようで、
吉澤の気持ちを察しつつ、言葉をかけることが出来ないでいるようだった。
それが、松浦には全くもって気に入らない。
松浦は吉澤の隣で消沈していた梨華をこっそりと呼び出すと、
吉澤の視界に入らないベンチ裏へと半ば強引に連れ込んだ。
「吉澤さん、どうしちゃったんですか?」
その問い掛けに、梨華は一瞬、口を滑らしそうになったが、すぐに堪えた。
「よっすぃは、熱い人だから・・・」
それでも、三馬鹿トリオの筆頭である梨華に上手い口実が浮かぶはずもない。
「・・・ふざけないで下さい。」
「あやちゃん。ゴメン。言えないんだ。よっすぃに言われてるから・・・」
ピクッと片方の眉根を吊り上げて松浦は口を尖らせた。絶対的に納得がいかない。
どうしても気になる。いや、梨華や希美が知っていて自分が知らないという事実が
何やら悔しかった。悔しいと言うか、何と言うか。
仲間外れにされた疎外感などといった類いでもなく、憤慨なんかでもなかった。
この意味不明な感情を、松浦は今まで経験した事が無かった。
- 15 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/10/16(木) 02:35
- 「何なんですか?教えてくださいよ。吉澤さん、明らかに異常ですよ。
あれだけ善戦したんだから、何もあそこまで落ち込む必要なんてないじゃないですか。
絶対ワケアリです。奴隷には知る権利があるんですよ!」
松浦は自分の顔面を梨華の顔に、あと数センチでくっつくという所まで接近させて吠えた。
逃げ腰になりながら、梨華は言われて初めて、そんなのがあるのか、と思った。
それならば、と、さすがのバカ筆頭でもそう易々とは口を割らない。
「ごめんやっぱり言えない。」
「・・・私だけのけ者なんですか?」
「そんなんじゃなくて・・・でも、これだけは言えるよ。まだ終わってないから。」
「何ですかそれ?ヒントですか?暗号?アナグラム?なぞなぞ?」
「安倍さんが勝って、矢口さんが勝てば・・・」
「はい?」
「あ・・・何でもない。じゃあ、私、ちょっとトイレに・・・」
「石川さん、それはあり得ないですよ。」
ネチネチとしつこい松浦を何とか適当に言い包めて、梨華が吉澤に声を掛けに戻ろうとした時、
ベンチで項垂れている吉澤の前に、安倍が立っているのが目に入った。
その二人のやりとりを他の部員は真剣な表情で見守っている。
慰めているのか、安倍は一所懸命に吉澤に声を掛けているようだった。
梨華は足を速めて現場へと急ぐ。
- 16 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/10/16(木) 02:35
- 「吉澤、自分一人で何か抱えてるみたいだけどさ、それはあんまりいくないよ。」
すぐ傍まで行くと、辺りの喧噪を縫って安倍のそんな言葉が耳に入ってきた。
安倍独特の、のほほんとした口調に、吉澤は聞く耳持たないといった風に席についたまま
頭を下げて項垂れている。吉澤の涙は漸く止まって、今は少々荒い呼吸をしているが
落ち着いているようだった。それでもその頭を垂れ下げた姿勢から、吉澤の落胆の度合いが
異常だという事は明白だった。安倍はうーん、と頭を可愛らしく傾げて、
子供のように悩んだ仕種をした後、うん、と自分自身に対して一つ、頷いた。
「つまり、なっちが何を言いたいかっていうとね。」
「・・・」
「吉澤、ほら、顔上げて。」
安倍は吉澤の俯いていた頭を優しく両手で包んだ。
優しいその仕種に、ピクっと、吉澤は微動して動揺を見せる。
そうすると吉澤も、部長であり、テニスを始めるきっかけをくれた安倍に対しては
素直になろうと思ったのか、その涙でクタクタになった情け無い顔を漸く上げた。
吉澤の瞳は兎のように真っ赤で、それを見て安倍は太陽のような笑みを満面に湛えた。
矢口は二人のやりとりを横から、ジッと無表情で見ている。
「先輩には、甘えなきゃダメだって。吉澤が一生懸命やった分、
なっちが取り返してきてあげるからさ。」
- 17 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/10/16(木) 02:36
- その声色には、嘘偽りなどは全く無い。安倍は至って本気で、
それでいて当たり前のように吉澤に言った。
安倍が醸し出す優しい雰囲気に、傍で見守っていた
梨華、希美、紺野は何時の間にやら心を奪われていた。
遅れてやってきた松浦は何事かと首を傾げた。
みんなが一様に、安倍の方を見て恍惚しているようだった。
「団体戦に参加できるまで部員達が辞めないで続けてくれて、なっちはすっごい嬉しかったんだ。
テニス部がこんなに楽しい部になるなんてなっち考えもしなかったもん。
だからさ、かわいい後輩達に恩返ししなきゃね。
団体戦ってさ、みんなで勝つもんなんだよ。だから吉澤もさ、みんなに甘えなきゃ。」
「・・・でも・・・」
涙声になりながら何か言いかけた吉澤を制して安倍は続ける。
「いいから。吉澤の強い気持ち、なっちには伝わったからさ。勝ちたいんっしょ?
だった次の試合で勝てばいいんだよ。なっちが勝って矢口が勝てばさ、また次があるんだから。
何も自分一人で抱えなくて、いいんだよ。」
「・・・」
「返事は?」
「・・・はい。」
「よーし。いい子だね。」
- 18 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/10/16(木) 02:37
- 安倍はニッコリと笑った。
「・・・安倍さん、頑張って、下さい。」
安倍の目をその真っ赤な瞳で見据えて、吉澤は必死に言う。
「勝つって、信じてますから。」
「おうさ。なっちは負けないよ。」
太陽が安倍の背中にあって、吉澤の位置からは安倍の四肢が影になって見える。
その天辺だった。
安倍のすぐ頭上、そこに、僅かに太陽の切れ間が望める。
吉澤は零れる光線の眩しさから思わず、目を窄めた。
そして、もう一度しっかり目を開けると、安倍の体は完全に太陽を隠していた。
だが一瞬、吉澤は確かに見たのだ。安倍の頭上に、天使の輪が輝いていたのを。
―――――――
- 19 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/10/16(木) 02:37
- 握手をして、トスを上げた。
そしてサーブ権を得たのは安倍だった。
よし、と安倍はネット越しの飯田に向かって笑顔でガッツポーズを作って見せるが、
飯田の表情はピクリともしない。
(やっぱり覚えてないんだろうなあ・・・)
少し残念そうに安倍は肩を落としてみたが、より一層飯田に勝ちたいという気持ちが強くなった。
安倍にとって、飯田はとても特別な存在だ。
例の「とっておき」を身に付けてから、試合でコテンパンにやられたのは矢口を除いては
飯田しかいない。
テニスの世界の厳しさ、広さを安倍に知らしめたのは、他でもない飯田だった。
安倍にとっての一つのゴールは、飯田を負かして自分自身の成長を確かめる事だ。
この一年間、究極的に言えば、安倍は飯田を負かす事だけを考えてラケットを振ってきた。
だからこそ、この一戦に懸ける安倍の意気込みはハンパじゃない。
その飯田は安倍に勝った次の試合、準決勝で、矢口にストレートで負けた。
上には上がいる。その事をはっきりと思い知ったのはその時だった。
矢口は余りにも強すぎた。一生勝てない。そう、思ってしまった。
絶対的な存在に遭遇してしまうと、人間は一切をその存在に委ねてしまう嫌いがある。
飯田は矢口という絶対的な存在に、テニスで世界一を目指すという夢をあっさりと譲ってしまった。
- 20 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/10/16(木) 02:38
- ただ、安倍の事は勿論覚えている。
と言うよりも、安倍は自分の立場に対して意識が薄すぎる。
球に命を吹き込むその突飛なスタイル、並みの選手が相対してもテニスの形にすらならない。
そんな安倍を、飯田クラスのテニスに携わる者なら知らないという方がおかしい。
去年、安倍から大差のストレート勝ちを収めたとはいえ、飯田は安倍が打つ生命を
帯びたような打球には驚きよりもまず、憧憬の念を抱いた。
個人が持つ圧倒的な個性。
その恵まれた個性を天は安倍に与え、飯田には与えなかった。
というのも、飯田はこれといって特徴のある選手ではなかった。
個々の能力は満遍なく優れているのだが、これだけは誰にも負けない、という、
絶対的に誇示できる、いわば拠り所が飯田にはなかった。
幾ら圧倒的な勝ちを収めても、飯田の試合は印象に残らない。
その余りにも律儀なテニスは飯田自身の完璧な強さを表現してはいるのだが、
見る側の魅力としては乏しかった。飯田は強い。それだけだった。
だが、石黒にとってはそれだけでよかった。勝つ為のテニスをして勝つ。
石黒が理想とした、勝利への最短距離を進むテニスは寸分の狂い無く、飯田が具現化して見せた。
飯田はK学そのものだと言っても過言じゃない。
そして当の飯田本人も、言われるがままに石黒が教えるテニスをこれまで信頼してきた。
- 21 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/10/16(木) 02:38
- バックラインまで引き下がると、飯田はスッと目を閉じて空を仰いだ。
いつもと何も変わらない。
強いて違いを求めるとすれば、今日は目の中の闇が強い太陽の照射によって
赤く輝いているという事くらいだ。
何時の間にか忘れてしまった心地よい緊張感は、何時の日からか
敗北するかもしれない、という危惧へと変化してしまった。
勝つ為のテニス、負けない為のテニスを身に付けた事で、飯田はテニスを
するにあたって、根本的な何かを忘れてしまったのかもしれない。
―――それでも。
それでも、と、飯田は思うのだ。
勝っても得られなくなってしまった喜びを、今日は感じる事がきっと出来るだろうと、
赤く光り輝く闇の世界の新鮮さに、それでも、根拠も無く思うのだった。
――
- 22 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/10/16(木) 02:39
- 二人が対角線上の位置に着き、審判の声が響いて、第三試合が幕を開ける。
試合開始の声を聞くや否や、安倍の心臓はドクドクと早鐘を打ち始めた。
もともと、こういう人の注目が集まる場所に立つと緊張するタチなのだ。
ただ、今は吉澤の強い気持ちを意識していたからいつもよりも幾分か平静を維持出来ていた。
そして、何よりも胸を忙しなくさせている要因は相手があの飯田だからに相違ない。
全力を出しきって、そして勝つ。
挑戦者としても心構えが安倍には出来上がっていた。
日が心持ち西に傾き始め、世界はほんのりと朱色を帯びようとしている。
それでも夏の日差しは健在で、気温もピークを過ぎたものの
まだまだ酷暑は続いていた。
辺りは蝉の鳴き声もパッタリと止み、
嫌に静まり返っていて不気味なくらい、シンとしている。
観客、ベンチ共に、固唾を飲み込んで安倍のファーストサーブを待ち望んでいた。
どんな球を打つのか、その興味は計り知れない。
静寂の中、注意は安倍一点に注がれている。
まずは小手調べ、なんて事はしない。
安倍は全力で、サーブを打とうと思った。
と言っても、安倍の場合は全力で打球に『命を宿す』という意味だ。
誰も真似できない。中澤が退いた今、この芸当を実践できるのはこの世に安倍しかしない。
唯一無二の技術を存分に駆使する為、安倍は真剣な表情を作り、フワっとトスを上げた。
そうして一見、何の変哲も無い一振りから、命が生まれる。
- 23 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/10/16(木) 02:39
- 着地する前の、筋を描く状態からして既に揺れている。
遅いが、それでも一般高校生並のフラットサーブの速度は出ている。
飯田は腰を据えて、その大きな瞳をより一層見開き、打球の軌道を見定めた。
飯田の動体視力は異常、と断言してもいいほど優れている。
一年からK学のレギュラーを勝ち取り、それを最後まで保持してきた。
入れ替え戦も二桁経験している。全部、勝った。そう、全部勝ったのだ。
でなければ今、飯田はこの場所に立っている事はない。
その実力は紛れも無くホンモノだ。
だが安倍のサーブ。
飯田にとっては初体験の代物だった。
去年の安倍には無かったテクニックだ。
着地すると、軌道は変化せず、そのまま地面を這うようにして跳ねない。
飯田が目測をつけてラケットを降った時には、すでにその打球は
ラケットの先端をスルリとかわして後ろへ抜けていた。
バウンドしてからずっと低空飛行を続けていく安倍のサーブは、物理的に異常、という他なかった。
15=0。
まずは、安倍のエースで試合が始まる。
- 24 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/10/16(木) 02:41
- 辺りは一瞬の静寂から刹那、騒然、とした。
飯田の空振り、そして安倍の奇妙なサーブの軌道。
どちらも、観客、その他にとっては初めてお目にかかるモノだ。
安倍はエースを決めた後、ニッコリ、とは笑わなかった。
ただ口端をツイっと少し上げて、確かに手応えを得た、そんな微笑を湛えた。
そんな安倍の微笑を知ってか知らずか、飯田は何事も無かったように
すでにレシーブの構えに入っている。
緊張した空気。この試合には、何やらこれまでになかった緊張感が孕んでいる。
続いて、安倍は強烈な回転をかけたスライスサーブを打った。
打球はバウンドすると、ほぼ真横に飛ぶ。
どういう打ち方をすればこんな芸当が出来るのか飯田には知ったこっちゃない。
ただ、返して、点を取るだけだ。
コートの外に完全に追いやられながら、飯田はその異常な動体視力でリターンに成功した。
そうなると、安倍の表情はいよいよ引き締まった。
サーブをマトモに返されたのは、公式戦ではやはり飯田しかいない。
鈍臭い走り方で前に詰めると、飯田が辛うじて返したレシーブに思い切りのいい
フォアのストロークを打つ。それでも視線を相手コートに向ければ、
飯田は既にコートに復帰しており、その高い体躯をどっしりと構えている。
そして安倍はストロークにまた奇妙な回転をかけていた。
打球は飯田の目の前で落ちると、クニャリと曲がって高く跳ねる。
ふざけているが、飯田は至極マジメな顔でその打球の軌道を追う。
そして、捉えた。だが、ミートは出来なかった。ラケットの先での返球は死に球となる。
その緩い死に球が届く間に、そそくさとネットについていた安倍はスマッシュの構えを作った。
それを見た飯田は軽やかに身を翻し、大きく後ろへ下がる。
飯田には高校生が打つ、並のスマッシュなどは通用しない。
- 25 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/10/16(木) 02:41
- 安倍が放った強烈なスマッシュに、飯田はバックハンドで当てようと手を伸ばした。
飯田の読みは完璧で、打球の軌道と寸分の狂いの無い位置にラケットの面は向けられている。
普通ならば、簡単にスマッシュを捌く飯田のテクニックが披露される場面だった。
が、スマッシュもまた同様に、地面に触れるとクルンっと踊ってドコカへ行ってしまった。
飯田の二度目の空振り。それは滑稽ですらあった。ポイント、30=0。
安倍は間違いなくこの一年で相当な力をつけてきた。
(強いなあ・・・)
心中で感心したように呟くと、
飯田はガットに挟んでいた細い指をキュっと締めて歪みを修正する。
そして鋭い視線で安倍の方を一瞥した。
安倍はただでさえ自分にはない唯一無二の武器を持っていて、
そしてそれをここまでより『複雑』なものに仕上げてきた。
目に見える成長というやつだ。本人もきっと自覚してる。
このまま通用しないのであれば、自分の成長は去年の時点で止まった、という事になるのだろう。
矢口に負けた日から飯田は毎日、そんな事を考えて過ごしてきた。
限界。自分はすでに限界に達しているのではないか。
これ以上いくら切磋琢磨しても、技術が向上する事はないのではないか。
そんな事を考えるたびに、想像を絶する不安に苛まれた。
自分の居場所が無くなってしまうのではないか。
自分は何のために、テニスをしてきたのだろうか。
そもそも同じ世代に矢口がいながら、テニスを向上させる意味はあるのだろうか。
(考えるな)
- 26 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/10/16(木) 02:42
- 飯田は思わず膨らんでしまった、負の感情をすぐに一切リセットする。
そんな自問は試合が終わった後存分にすればいい。感情の乱れは勝敗に響く。
今は、自分がやってきた事をひたすら信じるだけだ。
独特のリズムで安倍はゆっくりとサーブの体制に入る。
何をするにも一所懸命な感があって、安倍の一つ一つの動作はどこかぎこちない。
不器用なんだろうな、飯田はレシーブの構えを作りつつそんな事を思う。
が、すぐに気持ちを引き締めた。
その一見、手を貸したくなるような安倍の母性本能を擽る仕種から、
普通では到底ありえないような打球が生まれるのだ。
綺麗な薔薇にはトゲがあると言うが、安倍にはまさに『トゲ』があった。
安倍が次に打ったサーブ。
バウンドするまではトップスピンのそれだった。
だが、地面に着くと痙攣するようにブレてネットの方に跳ねた。
逃げるサーブ。まるで漫画だ。飯田は必死で追った。
持ち前の長い脚を一歩大きく前に突き出し、掬い上げるようにしてレシーブを決める。
こんなサーブを辛くもではあるが、返す飯田もまたふざけてる。
ゲームは展開する。
まだ捉えきれてない飯田のリターンに、安倍は容赦の無い回転をかけたストロークで応戦した。
安倍がラケットを振る度に一々思考をめぐらせなければいけない。
この面倒臭い試合に勝つには、テクニックよりもまずは忍耐が必要だ。
グニャリと曲がる打球、飯田はをそれを齷齪しながらもしっかりと返す。
- 27 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/10/16(木) 02:43
- さすが飯田だ。
と、ベンチに泰然と腰かけている中澤は飯田のテクニックに感心しつつ、戦況を見守っている。
安倍は中澤が三年間手塩にかけて育てた、いわば我が子のような存在だ。
安倍と出会い、そして安倍がラケットを一振りした瞬間に、中澤は確信した。
自分と同じ才能を持つ者。
或いは、自分以上に球の軌道を操れる逸材に成り得る者、と。
この巡り会いを、中澤は運命だと思った。
退く事を余儀なくされ、テニスの道を断念した矢先に出会った一人の少女は
中澤と出会うまでは笑顔だけが唯一の取柄だった。
後継者、という表現は相応しくない。
中澤は安倍の事を本当の生き写しだと思っていた。
この三年間、自分が与えれる範囲の技術は全て安倍に与えたつもりだ。
そんな安倍のテニスに、飯田はしっかりと対応している。
そして同じ様に、石黒も飯田に同じような思いを抱いていた。
石黒は飯田のテニスを初めて見た瞬間、確信した。
ずっと頭の中で描いていたテニススタイルの理想形、それを飯田ならば実践できるに違いない、と。
飯田には目立った個性はないかもしれない。
しかし、それは言い換えれば目立った粗もないという事だ。
どんな攻撃にも対応でき、そしてどんな攻撃も成し得る。
それは、立派な才能だと石黒は思っている。
飯田の安定感は抜群で、テコを踏んでも揺るぎ無いモノだ。
安倍が幾らその突飛なスタイル、中澤のテニスを以てしても、飯田を崩す事は容易じゃない。
テニスとはバランスがものを言うスポーツだ。
卓越した一つの能力を持つよりも、優秀な個々の能力を分け隔てなく所有している者に
勝利の女神は微笑む。石黒は指導者という外野に回ってから、その信念を歪めず通してきた。
- 28 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/10/16(木) 02:43
- 試合は、進んでいる。
中澤と石黒、双方が目指したスタイルでの代理戦と言っても間違いではない、この一戦。
有利に展開させているのは安倍だった。
第一ゲームは飯田が思った事をさせてもらえないまま、安倍のゲームポイントまできている。
(落ち着いて落ち着いて)
安倍は自分にそう言い聞かせながらトスを上げた。
そして、ラケットにミートさせる際、思い切り肘を捻る。
本当に一瞬の動作だ。一見、何の変哲も無い一振りに映る。
しかし、飯田にはその異常な肘の捻りの動作が瞭然と見えていた。
あのように無理な運動をさせていて、どうして腕は平気なのだろうか。
普通一般の人間が理解しうる事柄じゃない。
打球は飯田の目の前、絶好の位置に落ちると、コートの外には逃げず、
逆の内側へと翻った。フォアハンドでレシーブを打とうと構えていた飯田の裏をかき、
完全にタイミングを外したエースとなる。
第一ゲーム、安倍がラブで取る。この結果には安倍も思わず満面の笑みを浮べた。
一方、飯田の様子は何も変わらない。
狼狽しているのは飯田本人ではなく、K学のベンチの面々だった。
飯田がラブで一ゲームを取られた事実を、俄には信じられない。
- 29 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/10/16(木) 02:43
- 「さすが安倍さん。化けもんや。あの人。」
消沈したような声色で、加護はボソリと漏らした。
が、隣の真希は全くと言っていいほど余裕綽々としている。
「凄いねえ。ボールが生き物みたいだ。ボールは友達なんだよ。きっと。」
「キャプ翼ネタなんて知らんけど、飯田さん大丈夫かなぁ・・・」
「何ボケてんだあいぼん。飯田さんの方がもっとスゲーじゃん。」
そう言い切る真希を横目で加護は窺うが、すぐに大きな溜息をついて不安そうに眉根を下げた。
主将である飯田がおされているのは、テニス部それ自体を否定されているように感じてしまう。
(飯田さんがんばって・・・)
そう願いつつ、加護はもう一度真希の表情を窺う。
どこか眠たげなその表情には不安の色は微塵も感じられない。
第二ゲーム、代わって飯田のサーヴィス。
安倍の最初のサーブを待ち望んだ時と同じ様に、観客、両校ベンチとも静まり返っている。
シン、とした空間。それこそ飯田のテニスが一番映える場なのかもしれない。
飯田圭織という人物には、どこか神々しい雰囲気がある。
トントンと軽く球をコートにバウンドさせ、
それからトスを上げる動作に移るのはよく目にする光景だ。
しかし、飯田がそれを同じ様にすると、全く新鮮な印象を見る者に抱かせる。
静かなのだ。飯田のテニスは至って静謐さに満ちている。
両足を揃え、爪先を立てるだけの踏み込みでサーブを打つ。
その独特のフォームから、鋭角的に突き刺さるフラットサーブは脅威だ。
- 30 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/10/16(木) 02:44
- これまでの誰よりも速いそのサーブに、安倍はお手本のようなフォームのレシーブを合わせる。
飯田のサーブを今日はじめて受けて、それで尚きっちりとリターンを決めた。
安倍の実力はやはり、他の選手を一回り圧倒している。
しかし、さすがに回転をかけるまでは技術が追いつかなかった。それが致命傷となる。
飯田は安倍の丁寧なレシーブに、もはや感嘆する意外に無いほど綺麗な逆クロスを打ち込んだ。
息もつかせぬ早い攻撃。
鈍臭い安倍はラケットに当てるのが精一杯だった。
そして、その時やっと安倍は飯田の強さを思い出した。
甘い打球をほんの一瞬のミスからでも送ってしまえば、次の瞬間には決められている。
どんな些細な機会も見逃さない強かさこそが、飯田圭織の本質だと安倍は考えていた。
(落ち着いて落ち着いて)
そう心で唱えながら、飯田の方をこっそり見てみる。
飯田が持つその大きな瞳はどこまでも澄み渡っていて、
まるで、自分の全てを見透かされているようだ、と安倍は思った。
飯田のサーヴィスは単純明快でかつ、理に叶っている。
持ち前の身長から放つ鋭角的なフラットサーブをコースに決める。
それだけだったが、それが一番受け手には厄介で厳しい。
安倍もリターンを決めるのが精一杯といったところで、次に打たれるストロークは
悉く安倍の裏を突く、鋭いものだった。
展開させたのは一度だけで、何とか真横に跳ねるストロークで一矢報いたが、それまでだった。
第二ゲームを飯田が取る。
シーソーゲームになりそうな予感が誰の脳裡にも浮かび上がった。
お互いのサーヴィスゲームをきっちりと取り合う。
そして、第一セットを制するのはその取り合いから一歩抜きに出た方だ。
そう、誰もが思った。
- 31 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/10/16(木) 02:44
- 第三ゲーム、安倍のサーヴィス。
ゲームカウントが一=一となって安倍は落ち着いたようだった。
各種動作のぎこちなさが多少なりとも消え、躍動感のあるサーブを打つ。
打球にかける回転も、第一ゲームよりも心持ち、切れているように感じる。
相変らず縦とか横とか、はたまた後ろとかに飛ぶ奇妙なソレに、飯田は必死になって対応した。
一度タイミングを外されるとそれで最後。
打球が跳ねる一瞬を、それこそ一瞬で見極めなければいけない。
飯田は目を見開いて、叩く。
レシーブの精度は第一ゲームに比べて若干だが高くなっている。
飯田は慣れ始めていた。そして、思い出してもいた。
安倍の球は生き物のように動き回るが、返しきれないほどじゃない。
安倍にとって、サーブは一番強烈な大砲だった。
一番容易に回転がかけれる。返されたとなれば言い訳は利かない。
だから、安倍は飯田にサーブを返されるのがわかっていたとはいえ、悔しかった。
一つリターンを決められる度に、まるで全否定されているような気分になる。
しかし、幾らサーブを返されるといっても、飯田の力をほぼ完全に封じることは変わりない。
飯田は未だ、精度は高くなりつつあるとはいえ、安倍の球を完全にミートしきれていない。
リターンはフワリと浮かび、その後は安倍の思うがままだった。
安倍のサーヴィスゲームでは、飯田はまだ光明を見出せずにいる。
しかし、それは時間の問題だとベンチの石黒は思った。
飯田は着実に、安倍の咽喉元へと手を掛けつつある。
あの回転を完全に見切るのはそう遠い次元の話じゃない。
飯田とはそういう選手だ。律儀な攻め方をして、そして相手を静かに飲み込む。
- 32 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/10/16(木) 02:45
- 第三ゲームを安倍が楽に取って、ゲームポイントは二=一となる。
依然として、飯田の表情は変わらない。
余裕があるのか、時折空を見上げては数秒ジッとどこか一点を見つめたりしている。
スラリと細長い体からはまだ一滴も汗が浮かんでいない。
純白のテニスウェアはK学それ自身を表現しているかのように、神々しいまでに白い。
第四ゲーム、飯田のサーヴィス。
フウっと、飯田は息を吐いてサーブの体制に入る。
いつもと何も変わらない。
バックラインに平行になるように両足の爪先を揃えると、それをピンと立てた。
そして綺麗なラインを描きつつ、振り下ろす。
飯田のファーストサーブ成功率はK学の中でも随一だ。隙が無い。
完成された人間の美というものが飯田からは滲み出ていた。
強烈なサーブはセンターラインすぐ傍に落ちて、そのまま安倍の足を釘付けにした。
当たり前のようにエースを決める。0=15。
そして、また飯田は同じ様にトスを上げる。
次のサーブはサーヴィスコートやや真ん中の甘いコースに入った。
安倍はバックハンドでレシーブを決めると、二歩前に詰める。
回転のかかってないソレに飯田は思い切り振り抜いたフォアのストロークを
安倍のフォアサイドに送る。絶妙な場所だった。
足元に落ちた打球は小さいバウンドをして、安倍の自由な攻撃を防ぐ。
- 33 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/10/16(木) 02:46
- が、安倍が苦し紛れに打ったフォアハンドのボレーは飯田の度肝を抜いた。
球が停止したまま不規則に揺れ、こちらに近寄ってくる。
安倍はガットに球を当てた瞬間、回転を完全に殺していたのだ。
無重力のなか、ふわりと漂うように揺れているそれはバウンドすると、無軌道に跳ねる。
もはや成す術が無い。
飯田が犯した三度目の空振り。そこから俄に試合は安倍のペースになり始める。
ポイント15=15。それでも飯田の表情に変化は無い。
飯田はフラットサーブを打ち続けた。安倍を揺さぶろうとは一切しない。
これは安倍に限った事ではなく、相手の気持ちの動揺を誘うような攻めを飯田は好まなかった。
あくまで純粋なテクニックで勝つ。そういう律儀な態度が
飯田に苦戦を強いる要因になるのだが、そんな事を今の飯田は知る由も無い。
冷静な姿勢は必ずしもプラスにはならないという事を、飯田は安倍から知る事になる。
コースをついてくる飯田のフラットサーブに、安倍は無謀にも回転をかけようと試みた。
高速のサーブに対し、ミートさせるほんの一瞬で手首を捻る。
これは数え切れないほどバカみたいに練習してきた事柄だ。
矢口という最高の人物が安倍の技術向上に大いに貢献してくれた。
飯田は、まさか安倍のレシーブに回転はかかっていないだろうと無意識の内に結論付けていた。
自分の渾身のフラットサーブに小細工をしかける余裕なんてある訳がない。
それは飯田の自惚れではなくて、普通、誰でも思う事だ。
- 34 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/10/16(木) 02:46
- 緩く返ってきた安倍のレシーブに飯田はクロスを合わせようと踏み込んだが、
何故か捉え損ねる。何故だ、と一瞬だけ疑問符を浮べたが心当たりは一つしかない。
―――回転。
フラットサーブに対するレシーブにさえ、安倍は命を宿す事が出来るのだ。
30=15。
このリターンエースは飯田の油断ではあるのだが、しかしこれから先、
飯田は安倍のレシーブにも気を使わなければいけなくなった。
(やれやれ)
一々疲れる試合だな、と再三思いながらも、飯田の表情に変化は無い。
矢口の陰に隠れていたが、安倍という人物の強さはハンパじゃない。
たった一つの才能だけを武器に、常勝K学の親玉のテニスを封じようとしている。
たった一つ、それだけでいいのだ、と安倍を育て上げた中澤はそう思っている。
人間には誰しも一つ以上の個性があって、それを大きく育て上げれば
必ず期待以上の働きを見せてくれるものだ。T高校においての教訓はそういうものだった。
バカの一つ覚え、中澤の好きな言葉だ。安倍と、そして梨華にはまさにその教えを説いてきた。
飯田は相も変らずフラットサーブをコースに決める。
あくまで攻め方に変化をつけようとしない。いや、つける必要などなかった。
そうやってこれまで勝ち抜いてきたのだ。自分のテニスを信じて、結果を得てきた。
- 35 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/10/16(木) 02:47
- しかし、一度成功例を作ってしまったら安倍は止まらない。
(1回出来たんだから)
挑戦者として全てを出し切ろうと決意している安倍のチャレンジ精神は功を奏した。
もう一度、飯田のサーブに対して回転をかけようと試みる。
それは簡単な事じゃなかった。
もし、ミートする瞬間にタイミングがずれようものなら
打球は見当違いのところへ飛んでいってしまうだろう。
こんな半ば、博打じみた事をこの大事な一戦で実行する安倍の大胆さは、紛れも無く、
部員達から貰った勇気が安倍の背中を押してくれているからだった。
回転がかかっているレシーブ。安倍がかける回転は例外なく、『一捻り』が加えられている。
だから飯田はわかっていても若干捉え損ねてしまう。
そしてその若干、が命取り。
甘い打球を送ってしまったら最後、次の瞬間に球は命を宿す事になる。
それもわかっているから、飯田はバウンドする一点をバカみたいに凝視した。
どこへ跳ねるのか、バウンドする瞬間に見極めなければまた空振りを晒してしまう。
しかし、今日の安倍は冴えすぎていた。
その原因は目標としていた飯田が相手だからかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
頭の回転も体同様に鈍いはずの安倍が、今日は覚醒している。
- 36 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/10/16(木) 02:47
- 飯田は無様にも四度目の空振りを晒してしまった。
何故だろう、と飯田はまた疑問符を浮べる。その答えは簡単だった。
安倍は飯田の予想に反し、ストロークに一切回転をかけていなかった。
とどのつまり、極平凡な一打を送ったのだ。飯田の思考を逆手に取った攻め。
真直ぐの軌道を描いた打球は飯田のラケットの横をすり抜け、すんなりと後方へ抜ける。
40=15。
まるで安倍の掌の上で踊っているようだな、と飯田は一瞬考えた。
それでもその表情には全く変化が無い。
(今のうちだけだよ)
飯田がそう思うのには、根拠がない訳でなかった。
序盤からこれほど手の内を公開してくれている。それは長い目で見れば、絶対にプラスになる。
飯田はこの試合を臨むに当たり、安倍の特性も踏まえて、後半勝負を決め込んでいた。
結局、安倍に傾いた流れはそのまま飯田の空振りによって拍車をかける事になり、
第四ゲーム、安倍にブレイクを許す結果になった。
ゲームカウント三=一。
まだまだ大きな波乱が起こりそうな予感はあるが、それでもこの時点で
試合を有利に進めているのは安倍だった。
(三ゲーム取れた)
去年、飯田と戦った時は一試合を通じて三ゲームしか取る事が出来なかった。
だが、その一戦があったからこそ安倍はここまで成長したのだ。
飯田には感謝しなくてはいけない。飯田がいたからこそ、テニスに対して
執念とも言える向上心を持つことが出来た。
- 37 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/10/16(木) 02:48
- 第五ゲーム、安倍のサーヴィス。
安倍の胸は高鳴りだした。
あと一ゲーム取れば、それは自分の成長の証となる。
まずは最初のハードルを飛び越える為、安倍は意気込んだ。
トスを上げると、思い切り降りぬく。ミートさせる瞬間に肘と手首を捻った。
この一打も、この一年間で作り上げたものだ。
飯田は構える。持ち前の大きな瞳はしっかりとサーブの軌道を捉えていた。
類い稀なる動体視力のおかげで安倍のサーブに辛くもついていく事が出来る。
しかし、今度の安倍のサーブはまたふざけていた。
打球は着地するとコートを擦るようにしてクルリと回り、それからポンと高く跳ね上がった。
意表を完璧に突かれた飯田は思わず体を逸らしてしまう。
が、飯田はそんな状態からでも、ラケットを振って見せた。
そこまではさすがなのだが、腰を上げた体制から打つレシーブは
体重が乗っていない所為で軽く、しかも完全には捉えきれていないソレは、
高く浮かび上がった死に球となってしまった。
サーブを打つと同時にネットに詰めていた安倍は飯田に考える間も与えないまま
スマッシュを打ち込む。飯田は成す術もなかった。15=0。
- 38 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/10/16(木) 02:48
- ポイントを取っても安倍は一々喜んだりせず、間が空くのを嫌って、
ポケットから球を出すと、すぐさまサーヴィスの体制に入った。
飯田に考える時間を与えないようにしようと、鈍臭い安倍なりに考えた一つの作戦だ。
次のサーブ、安倍が打ったのはこの試合、最初に打ったそれだった。
打球はコートに着地すると、ふざけているように跳ねない。
これは安倍がこの一年で培ったテクニックの中で、最も誇れるモノだと言っていい。
完成させるまでに相当な時間がかかった。安倍はさも簡単そうに打球を操っているが
その裏での努力は想像を絶するものだ。
自信の一打。飯田は五度目の空振り―――を、晒さない。
端っこ、まさにラケットの先端だが飯田は打球を掠めた。
辛うじて触れた球は力なくネットに突き刺さって、そのまま力なくコロコロと転がる。
ポイント30=0。
当てられた。
安倍はポイントを奪った喜びよりも、その紛れも無い事実で頭が一杯になった。
死ぬほど頑張って習得したのに、なるほど、飯田はもう攻略し始めている。
- 39 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/10/16(木) 02:49
- ハア、と溜息をついて、安倍は下を見た。
(強いなあ・・・)
が、すぐに気を取り直してサーブの体制に入る。
ショックを受けるほど自分は大した人間じゃない。
自惚れるな、奢るな、昂ぶるな。
飯田は一筋縄じゃいかないぞ、わかったらさっさと全力でぶつかれ。
荒っぽい言葉を自分に言い聞かせて、安倍はトスを上げる。
そしてミートさせる際、思い切りラケットを内側へ捻った。
速い打球、この速度でなお不可解なバウンドをしたらそれこそ返すのは
至難の業となるが、飯田は当てた。しかも、これまでで一番綺麗なリターンになった。
安倍は覚悟していたように、その返球に強いストロークを打つ。
ドライブの回転を極端にかけたものだ。
奇妙な軌道を描いて、打球は縦に落ちる。が、それさえも飯田は返す。
このゲーム、初めてマトモな展開を見せた。
テニスの形になったのはこの時が初めてだった。
飯田が辛うじて打ったボレー。安倍は容赦なく強打する。
ほら、返せるものなら返してみろ。
そんな、力を誇示するような一打だ。回転はスライスを極端にかけたもの。
打球は落ちるとほぼ真横に飛ぶ。それも、相当な速度だった。
それでも飯田は当てた。壊れたロボットのようにギクシャクとした動きで辛うじて食らいつく。
安倍は苦笑した。どうして返せるんだろう。真横に跳ねたのに。
自分の打った打球に自信があるとかじゃなく、あの角度の打球を返すのは普通の人間じゃ出来ない。
とどのつまり、飯田は普通じゃないのだ。
- 40 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/10/16(木) 02:49
- しかし、その返ってきた打球は宙をフワフワと漂っていた。
ここまで展開させた飯田を誉めるべきだろう。安倍はスマッシュを決める。
40=0。
安倍の独壇場と化してきたこの試合。K学のベンチは暗い。真希を除いて。
「安倍さんすっげえなぁ。飯田さんからまたラブゲーム取りそうだよ。」
「そんな他人事みたいに・・・飯田さんやで?あの飯田さんやで?ハア・・・」
「あいぼん、さっきからなんか落ち込んでるみたいだけど、
飯田さん、まだまだ様子見してるだけじゃんか。」
「・・・マジで?」
「たぶん。」
「なんやねん・・・」
真希の予想は半分当たりで、半分外れだった。
飯田は自分のサーヴィスゲームではすべからく本気でゲームを取りにいっていたが、
安倍のサーヴィスゲームの場合は様子見、という感覚の方が強かった。
が、今さっきは違った。安倍のサーブを返し、展開した場面ではポイントを
取りに行った。飯田が行った始めての仕掛けと言っていい。
この時点で安倍の回転を攻略できるとは思っていなかったが、手応えはあった。
後半、悉く安倍の打球を返し、そして安倍の自信もろとも挫く。
飯田の描いている青写真は安倍の笑顔を奪い去るものだ。
ただ、どんな場合であっても想定が整然と実現するなんて事は稀有なのも事実だ。
- 41 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/10/16(木) 02:50
- そして安倍が打った次のサーブは、飯田のタイミングを完全に外す一打となった。
センターライン傍に落ちると、飯田の目測は外され、内を抉るようにこちら側に飛んでくる。
飯田はスライスの回転を予想していた。勿論、極端なスライスだ。だが、逆方向に跳ねた。
何とかラケットに当ててみるものの、打球は安倍のコートへは届かなかった。
第五ゲーム、安倍がラブで奪う。
この時点で、安倍は去年、飯田から三ゲームしか取れなかったという屈辱を晴らした事になる。
だが、目標はあくまで飯田に勝つ事だ。
喜びを抑えこみ、改めてこの試合に対して強い思いを抱いた。
そして、飯田はラブでゲームを奪われて尚、平然としている。
この試合、勝てると思った。安倍はなるほど、確かに大きく成長しているが
それは試合前に予想していたモノとさほど大差は無い。
問題は、自分自身だ。
果たして自分は安倍を凌駕できるほどの実力を持っているのだろうか。
が、そんな事は無駄な思考だと思って飯田はすぐに中止する。
すでに試合を始めているのに、自分自身の事を信じないでどうする。
安倍には勝てる。それ以外に、何があるというのだ。
ゲームカウントは四=一と、三ゲーム差がつく意外な展開になった。
ただ、飯田はまだその実力の半分も出していない。それを自分でわかってるから、
まだまだ余裕をもって試合に臨む事が出来ている。
安倍は飯田の本当の力に触れていない。
しかし、それは飯田も同じだった。
この時点で既に、安倍はその手の内を大方は曝け出したと飯田は思っていた。
その大きな誤解がこの先、混沌の展開を呈す事になるのだが、
そんなのは両者ともに、今は知るはずも無い事だった。
- 42 名前:カネダ 投稿日:2003/10/16(木) 02:54
- 更新しました。
誠に勝手な事なんですが、この頃本業やらなんやらでちょっと
忙しい生活になってしまいまして、更新ペースがどうも月一で
更新できたらいい位に、落ちると思います。すいません・・・
それでも絶対に完結してみせますので、
見捨てずに読んでくれたら本当に嬉しいです。
- 43 名前:カネダ 投稿日:2003/10/16(木) 02:59
- 貼り忘れ・・・前スレです。
http://m-seek.net/cgi-bin/test/read.cgi/sky/1048449780/
過去のスレは全部「空」の倉庫にあります。
これからもよろしくお願いします。
- 44 名前:リエット 投稿日:2003/10/17(金) 23:58
- 新スレおめでとうございます!
いよいよ第三戦目ですね。
全ての試合に様々な因縁があってすごく面白いです。
この試合もものすごい接戦になるんでしょうか…。
- 45 名前:まる 投稿日:2003/10/18(土) 14:45
- 新スレですね。おめでとうございます。もうこの団体戦の折り返し地点に来てしまいましたね。長かったような短かったようなそんな気持ちです。これからのドラマも期待しています。
- 46 名前:名無し読者 投稿日:2003/10/22(水) 21:06
- 今更なんですけど矢口って安倍のこと、「なっち」って呼ぶんですね
- 47 名前:カネダ 投稿日:2003/11/12(水) 01:35
- レス有難う御座います。
本当に励みになります。
>>44リエット様
また新スレ立ててしまいました・・・もうアホ丸出しです。
因縁は何とか盛り上げる為に長いことかけて頑張ってつけてきました(w
また最近私情が忙しくなり、更新が遅くなって申し訳ない限りです。
この試合も力の限り盛り上げるので読んでやってください。
>>45まる様。
ありがとうございます。これが正真正銘最後のスレになると思います。
書いてる自分としては長くなりすぎちゃって申し訳ない気持ちでいっぱいです。
こんな長くなっても読み続けてくれた人には感謝してもしきれないくらいです。
期待に添えれるかわかりませんが、これからも読んでくれたら嬉しいです。
>>46名無し読者様。
そうですね。矢口が入部した当時安倍がそう呼ぶように強制したっていうか
無理やり頼み込んだ感じでそういう事になったんですけど、そのエピソードは
長くなりすぎてボツにしてしまいました・・・鋭いです。
それでは続きです。
- 48 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/11/12(水) 01:36
- 俄に風が強く吹いて、飯田はトスを上げる手を止めた。
三ゲーム差をつけられ、劣勢を強いられているが、飯田には何の懸念も無いようだった。
空は雲一つ無く晴れ渡っているのに、風は夏特有の湿った空気を裂くようにして暫く続く。
風が止むまで、ポンポンとコートに球をバウンドさせつつ、飯田は心を静める。
ふと前を見ると、矢口が無表情のまま、試合の展開を眺めているのが窺えた。
座っていても体躯の小柄さが判然とわかり、おとぎ話に出てくる妖精のように美しい金髪を
携えているその風体は、まるで時の流れを否定しているかのように、去年のそれと一切変わらない。
醸し出す雰囲気は王者がこれ見よがしに誇示するような昂ぶったものなんかではない。
気配すら感じさせない存在感の無さは、目に見えぬ衣を纏っているようで、儚くすらある。
感情を覆い隠した端整な顔からは、本当の人形のように心が読めない。
矢口真里と出会わなければ、自分はきっと今でも大きな希望を胸に抱いていたに違いない。
そんな事を飯田は思わずにはいられなかった。
- 49 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/11/12(水) 01:37
- 万人がそうであるように、夢の終わりというのは突然訪れるものだ。
何かの契機があって、絶望を知る。何も自分が特別なわけじゃない。
夢を叶える事が出来るのは選ばれた人間だけで、
この世界中の、ほんの一握りだけしかその資格を持っていない。
自分にはその資格が無かっただけで、それは極当たり前の事なのだ。
だから悲嘆にくれる謂われもない。
それなのに、どうして自分はテニスを続けているのだろうか。
他に目指したい道が無かった、そんなのはただの言い訳だ。
里田のように一切を捨てて、別の道を模索していたら、新しい夢を見る事が出来たのかもしれない。
喜びを求める訳でもなく、楽しさを求める訳でもない。
それなのに、何故理由もなく、テニスを続けているのか。
と、何時の間にやら物思いに耽っていた飯田はハッとして顔を上げた。
一つ考え事をするとズルズルと空想を膨らませ、そのまま意識を飛ばしてしまう癖が飯田にはある。
いそいそと飯田はサーブの体制に入った。風はすでにピタリと止んでいる。
気を取り直し、ゆっくりとトスを上げると、
これまでと寸分の狂いも無い綺麗なフォームのサーブを打った。
(テニスをする理由・・・か)
そんな事をラケットを振ると同時に考えてみる。もはや答えを求める必要のない自問だ。
すると、真希の言葉が前振りも無く、頭の中で鮮明に蘇った。
―――飯田さんは勝ちますよ。
(後藤)
それならば、と、飯田は真剣に決意してみた。今日は、真希の為にテニスをしてみよう。
- 50 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/11/12(水) 01:37
- 流れに乗っている安倍は飯田のサーブを苦もなく返してみせる。
しかし、回転はかけなかった。いや、かけれなかったと言うべきか。
それでも慎重に深い場所へレシーブを送って、飯田の速攻を防ぐ。
足を止められつつも飯田は丁寧なフォームでストロークを打つ。
飯田が打つストロークはバランスがよく、それでいて鋭角だった。
安倍に回転をかける余裕をむざむざ与えない。
それから二度ストロークで打ち合って、そこで安倍は仕掛けた。
力やテクニック、はたまた身体能力では飯田に一切敵わない。『普通』のラリーを
こなすには器が違う。安倍は飯田からの強い打球に対して思い切り肘を捻った。
が、捉え損なう。高く跳ねた飯田のストロークにタイミングを上手く合わせられない。
0=15。強い。安倍は額の汗を拭いつつ、改めて飯田の強さを実感する。
ポイントを取っても飯井の表情はピクリとも変化しない。
すぐに次のサーブの体制に入ると、しなやかな動作、静かなフォームでサーブを打つ。
そこまではこれまでと何ら変わらない。
それから飯田はネットダッシュし、安倍に対してネットプレーを仕掛けた。
徐々にだが、飯田はテニスに変化をつけ始めた。
- 51 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/11/12(水) 01:38
- 飯田が前に迫ってくる―――それだけで安倍は天地がひっくり返ったように狼狽する。
意識しすぎている所為だろうが、とにもかくにも安倍の驚き様は異常だった。
そんな冷静さを失った状態のまま、危なっかしいフォームでレシーブを決めると、
リズムの悪いステップを踏んで飯田の返球に備える。
ネットダッシュをしている飯田は安倍のレシーブに対して走りながらのボレーを打った。
弾道は低く、多分に切れを帯びたソレは安倍のタイミングを外し、回転をかける余裕を無くす。
それでも、安倍はバックハンドのボレーを体制を崩しながらも何とか、飯田のバックサイドに送った。
が、その頃すでにネットに到着していた飯田は、ライジング気味のクロスを簡単に打ち込んできた。
足の遅い安倍ではラケットを精一杯伸ばしても全く届かない。
打球は瞬く間にコートをワンバウンドすると後方へ鋭く抜けた。0=30。
安倍の脚云々を抜きにしても、飯田のライジングショットは得点率が著しく高い。
背の高い体躯から放たれる角度のついた打球は、
それだけでも相手の反撃を封じるのに十分な破壊力がある。
諦めも時には肝心だ。
飯田と戦った平均的な選手は、飯田がラケットを空に掲げた時点で戦意を喪失するのが常だった。
その飯田のライジングをいとも簡単に返した化け物もいる、矢口だ。
話が横にそれた。
こんな強烈な一打を見せ付けられても安倍はへこたれない。
(落ち着いて落ち着いて)
そう自分に言い聞かせる。四ゲームを取り、流れが自分に向いているのは確かなのだ。
腰をじっくり据えて、飯田の一挙手一投足に注意を払う。
自分のテニスは通用する。だから、全力を出すだけだ。
- 52 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/11/12(水) 01:39
- 飯田は相変らず、コースを突いたフラットサーブを打ち続ける。
左足を大きく踏み込み、そしてバックハンドでレシーブを決めると安倍はセンターに寄った。
レシーブの球速は緩いが、僅かに回転をかけている。
それを飯田はいとも簡単に見極めて、強烈なストロークを深い場所へと送った。
しかし、さすがの安倍は、勘の良さも相まって、飯田が打ち込んでくる場所を予想していた。
爪先を外に向け、肩を内に入れつつ、肘を捻り、そして手首をスナップさせる。完全に捉えた。
命を帯びた打球。飯田はラケットに当てるものの、ネットに引っ掛けてしまう。
15=30。レベルの高い攻防、ゲームは淡々と展開する。
ふう、と安倍は一つポイントを奪う事の難渋さに悩まされた。
飯田の本領がいよいよ露になってきたような気がする。
(そうだ。そうだよ)
本来の飯田はそう易々と自分のテニスを思ったようにやらせてくれるような優しい相手じゃない。
これまでで最高のテニス。自分が出来る最大限のテニス。
それを実践しなければ絶対、飯田には勝てないだろう。
安倍は覚悟を新たに、飯田のサーブに備えた。
飯田は次のサーブを打った際にもネットダッシュを試みた。
二回目なので安倍は先ほどのように焦ったりはせず、慎重に飯田の出方を見る。
飯田が前に迫ってくるのに対し、安倍は後ろへ下がりつつ、コースに決めさせないように、
難しい場所へ打球を送る事に努めた。
しかし、そうすると回転をかけるのが厳しくなる。
飯田の打球は一々切れていて、迂闊に仕掛けようものなら打球は死に球になってしまう。
かといって、ラリーになれば不利は自明だった。
どうするか。そんな葛藤している間に、飯田の強いストロークに力負けを晒してしまった。
15=40。
飯田は思考を巡らす余裕すら与えてくれない。
- 53 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/11/12(水) 01:39
- そしてこのゲームは結局、飯田のサーヴィスエースでピリオドを打つ事になった。
飯田は強烈なフラットサーブをセンターライン上に乗せ、
安倍の脚をその場に固定させてしまった。
完璧な一打。
一試合中に数度、飯田はこのような神業に近い仕事をやってのける。
相手にとってはどうする事も出来ず、たまったもんじゃない。
それでも、勝つためにはそれすら攻略しなければいけない。
ゲームカウント四=二。まだ安倍のリードは揺るがない。
第七ゲーム。
ここがこのセットの大事な分岐点になるだろうと安倍は予想する。
もし、飯田にブレイクを許す事になったならば、そのまま飯田の勢いに飲まれてしまって
ずるずると行ってしまうかもしれない。
しかし、逆のこのゲームを取ったならば大きな余裕が出来て試合を楽に進める事が出来るだろう。
飯田もそれはわかっているはずだ。
大事なゲーム。お互いに、絶対に取らなければいけないゲームだ。
安倍は殊に意識を集中して、サーブの体制に入った。
どんな回転をかけるか、はたまた回転を殺すか。
様々な選択肢の中から安倍が選んだのは、意表を付いた、ただのフラットサーブだった。
(いけ!)
極普通のサーブ。それは大きな賭けでもあった。
飯田相手にこんな大胆な攻めを行える精神が今の安倍にはある。
そして、普段ならば容易に返球できるだろうそのサーブを、飯田は捉え損ねた。
僅かにガットの中心からズレた場所に球を当てる。
- 54 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/11/12(水) 01:39
- しまった、と飯田は思った。
安倍は絶対にサーブの時には回転をかけてくるに違いない。
そういう先入観が飯田には出来上がっていた。
是が非でも欲しい、最初のポイントを取りに来るこの場面で、
素直じゃないボールを打ってくるのは普通に考えて、当然の事だ。
その思い込みが、何の変哲も無く振り抜いた安倍のサーブへの対応を鈍らせた。
この一年で、安倍はどうやら心理戦すらも達者になったようだ。
飯田は歯を食いしばる。が、すぐに平静を取り戻した。
緩く返ってきた飯田のレシーブに安倍はフォアのクロスを合わせる。
ミートさせる瞬間、強烈なドライブをかけた。それはもう、常軌を逸したような。
打球は大きく縦に曲がり、バウンドすると飯田の顔の高さまで跳ね上がった。
飯田はなんとかラケットに当ててみるが、もはやボールは軌道を見失っている。
15=0。よし、と安倍は笑顔を見せてガッツポーズを小さく掲げた。
(童顔のくせに抜かりないなあ・・・)
なんて事を飯田はぼんやり思う。
そして、そんな事を考える余裕が飯田にはまだまだ見受けられた。
- 55 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/11/12(水) 01:40
- 次に安倍が打ってくるのは絶対に奇妙な回転をかけたそれに違いない。
そう推測すると、飯田は双眸をこれでもか、と言わんばかりに
目一杯見開いて安倍のサーブに注意を向ける。
その飯田の異様さはなんとも言えぬほど人間離れしていて、目っていうのは
こんなにでかく見開くものなのか、と感心してまったのは、バカ筆頭の梨華だった。
安倍は意識を集中しつつ、思考を巡らし、次に打つサーブの球種を選択する。
とにもかくにも、二人の並外れた集中力が生み出した、緊迫した空気がコートを支配している。
安倍はサーブをミートさせる瞬間、思い切り肘を捻った。
強烈なスライスの回転の中に、落ちる縦回転を加える。
その打球の軌道、飯田の場所からはただのトップスピンサーブに見えた。
だが、そんな単純なサーブのはずが無いと飯田は踏んでいる。
思った通り、縦にストンと落ちたその打球は着地すると、コートの外に逃げていくように跳ねた。
大きな目をクルリと操り、飯田はその奇妙な軌道を見極め、大きく開脚してから
強烈な一振りを繰り出す。
飯田が安倍の『とっておき』を完璧に捉えたのはこれが最初だった。
ラケットの真ん中に球が吸い込まれると、低い弾道を描いて安倍の元へと帰っていく。
- 56 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/11/12(水) 01:40
- 安倍は動けなかった。
タイミングを外された所為もあったが、それ以上に動揺が大きかった。
15=15。
第一セット、七ゲーム目にして飯田は安倍のサーブを完璧に捉えた。
元来それほど強い精神力を持っているわけでもない安倍は、動揺の色を隠す事が出来ない。
ザワザワと、コートの外から低音のどよめきが起こる。
やっぱり飯田はそんじゃそこらの選手とは訳が違う。
そう、誰もが改めて確信した瞬間だった。
点を取られた後、あからさまに放心していた安倍はハッと意識を取り戻し、
ははは、と気のない愛想笑いを浮べて、次のサーブの動作に入る。
が、ポケットから新しいボールを出そうと思っても、なかなか手に収まってくれない。
疲れている訳でもないのに呼吸のペースが早くなり、不用意な汗が滴る。
傍から見ていても、安倍の仕種にはこれまでのような余裕を感じられない。
そんな不安定な状態になっている安倍を料理する事など飯田には容易いはずだった。
何か単純な仕掛け、例えば先と同じ様にネットプレーをするだけでも
安倍は簡単にポイントを落とすだろう。ちょっとした心理戦でもいい。
それなのに、飯田はそれをしなかった。
- 57 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/11/12(水) 01:41
- 安倍が次に打ったサーブは強烈な回転をかけているものの、どうにも意志が欠けていて、弱い。
飯田は意識を集中させ、打球を捉えると、やはり完璧なリターンを決める。
強いその打球に、安倍は綺麗なフォームのストロークを合わせるが、コースが甘い。
回転も僅かに掛かっているのだが、飯田は既に慣れて始めていて、試合開始直後のように
一々頭を使わなくても感覚で捉えれるようにまでなっていた。
安倍の立ち位置を考慮し、センターラインに目掛けて強いストロークを打つ。
(決まる)
と、飯田は思ったが、安倍は食らいついた。
がむしゃらに返球する安倍のその様は、当初、飯田を手に取るように捌いていた
モノからは想像も出来ないほど滑稽に映る。
一方、飯田の精神状態は試合が始まってからそれほど大きな変化を見せていない。
その安定した試合運びはK学ならではのモノなのだが、飯田はまさにお手本のように
沈着に試合をこなしている。
安倍が何とか返してきたその球に飯田はクロスを合わせた。
が、奇妙な回転を僅かに帯びていたその打球に、飯田は若干だがタイミングを外されてしまう。
それでも、ガットに擦りつけるようにして強引にクロスへ打球を運んだ。
この強かさこそが、飯田本来の持ち味でもある。
- 58 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/11/12(水) 01:41
- 安倍は、鈍臭い脚を駆使してどうにかしてそのクロスに喰らい付く。
これほど必死な安倍を見るのは両チーム含め、誰もが初めてだった。
このゲームの重要さは誰が見ても明白で、取るか落とすかで明暗が分かれると
言っても過言ではなかった。
だから当たり前のように安倍は必死だった。
頭が半分パニックになっている安倍は、それでもこのゲームを何とか奪おうと躍起になる。
サーブを返された。この先、飯田に自分のテニスを完全に攻略されてしまうかもしれない。
しかし、どうしてもこの試合には勝たなくてはいけないのだ。
まだまだ団体戦を続けたい。このメンバーで一緒に勝ち上がりたい。
部長として、先輩として、一体これまで自分は何を示してきたのだろうか。
これは自分だけの戦いじゃない。だからこそ、負けられない。
その思いが安倍を突き動かした。
安倍が食らい付いて返したバックハンドのボレーは回転が死んでいて、
ゆっくりと一直線に飯田の元へ返される。甘い球。万事休すだと誰もが思った。
しかし、安倍は諦めなかった。神経を研ぎ澄まし、必死で次の攻撃に備える。
―――とどめ。
飯田はその緩やかな打球がバウンドするのを待ち、安倍がいるバックコートの左隅とは
正反対、右隅を狙って強烈なクロスを打とうとした。
が、バウンドしたボールは回転がかかっていないにもかかわらず、自分の手首の方へ
抉るようにして食い込んできた。
(なんで!?)
と思ったのは飯田だけじゃなかった。
打った張本人の安倍もどうして球の軌道が変化したのかわからない。
こういう偶然の生んだ産物が試合の流れを大きく変える事は珍しくなかった。
意表を付かれた飯田はそれでも肘をたたみ、コンパクトなストロークを打って返球してみせる。
しかし、クロスへ目掛けたはずの打球はその中途半端な振りの所為でストレートに飛んだ。
- 59 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/11/12(水) 01:42
- そこには、安倍が待ち構えていた。
どうして回転が掛かってないのに曲がったんだろう、と
飯田がその原因を考える間もなく、安倍はもうラケットを振ろうとしている。
大きく右手を引き、腰で反動をつけ、安倍は強烈なストロークを打った。
反射的に飯田は腰を落とし、体制を前傾にして、つま先を申し訳ない程度に上げた。
そしてバウンドした場所を確かめると、尋常ではない動体視力でラケットを出した。
まさか返せないだろう、という位置でも飯田の大きな体躯は不可能を可能にする。
が、安倍が命を吹き込んだその球は、飯田の予想とは裏腹に、縦にも横にも跳ねず、ただ沈んだ。
(下・・・!?)
既に振り出しているラケット。今更その振りを止める事は出来ない。
飯田は何とか膝を曲げ、ラケットをコートに平行になるようにして振ろうとしたが、
もはや手遅れだった。
ボールはガット底の方に当たり、打球はネットへと吸い込まれた。
30=15。
飯田は奪えるはずだったポイントをむざむざと安倍に献上してしまった。
そして、このポイントは安倍に自信を取り戻させるきっかけにもなった。
流れというのは一つのプレーでコロリと変わったりする気分屋だ。
科学的には何の根拠もないこの気分屋の所為で勝敗に影響が出るのだからたまったもんじゃない。
もっとも、それはお互いの選手の実力が拮抗している場合だけの話だ。
そして、飯田は取れるはずのポイントを落とした。
律儀で定石すぎる攻め。安倍の不安定だった精神状態に付け込めば簡単にポイントを取れていた。
- 60 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/11/12(水) 01:42
- 安倍は、このポイントを取れた事で立ち直った。吹っ切れたと言ってもいい。
すぐにサーブの体制には入らず、余裕が出来たのだろう、軽く屈伸をし、その後大きく深呼吸して、
それから丁寧にトスを上げた。
その動作には迷いが無い。自然、打つサーブにも切れが帯びる。
フラットサーブのスピードで、コートに着地するとグニャリと捻れるように曲がった。
飯田は泡を食ったように、一瞬だけその双眸をギョッと見開いた。が、すぐに冷静になって
ボールの行方を見定める。飯田の並外れた動体視力。ボールに翻弄されかけるが、
何とかリターンに成功する。が、その打球に力が無いと見るや、安倍はネットにダッシュしつつ
ボレーを合わせた。強烈なバックスピンをかけていて、飯田が拾おうにも、ボールは
安倍の元へ帰ろうとし、飯田から逃げようとする。
飯田も同じ様に、ダッシュして前に詰めつつ、ボレーを打った。
と言っても、ラケットの先、ギリギリのところで触れたロブ気味で力の無いボレーだった。
浅い放物線を描いたそれは、安倍の頭を越えなかった。
スマッシュ、を安倍は打たなかった。冷静に飯田の位置を把握し、
飯田の足元を目掛けて強烈なパッシングを打った。こうする方が確実にポイントを奪える。
下手に力んだスマッシュを狙えばミスショットを晒すかもしれない。
そう思った安倍の賢明な判断だった。
飯田は成す術なく、その場で立ち止まったまま安倍を強い眼差しで見つめた。
打球はすでに後ろへ抜けていて、安倍のゲームポイントになっている。
安倍も、飯田を見つめ返した。二人は数秒、そうやって視線を交換し、そして
何も無かったように、お互いがバックラインに戻る為に踵を返した。
- 61 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/11/12(水) 01:42
- 第七ゲーム、40=15となって、いよいよ飯田は焦燥を感じ始めた。
と言っても、それほど大した動揺ではない。
第一セットを取られたとしても、安倍の実力は予想の範囲内のモノだ。
つまるところ、安倍は勝てない相手ではないし、負ける要素のない相手だ。
ただ、このように思い通りにならないテニスをしたのは久しぶりだった。
手応えは十二分にある。
それにこれまでの二試合、T高校の選手は実力以上のテニスをやっていた。
安倍も、或いは例外でなくまだまだ未知数の可能性を秘めているのかもしれない。
油断だけはしてはいけない、と飯田は思った。
ゲームポイントまで辿り着いた安倍はすぐにサーブの体制には入らず、
フウっと息をゆっくり吐いてから、気持ちを落ち着かせる為に空を仰いだ。
試合という緊張した空間から、ほんの僅かでも意識を逸らしてくれる場所は頭上しかない。
そこには不純物の一切ない、少し色を濃くした青色が全てを支配している。
安倍はほんのちょっとの間、意識を空に委ねた。
(広い)
そうやって無我で空を見ていると、何もかも吸い込まれてしまいそうになるくらい、世界というのは
だだっ広くて、自分なんかはそこらに転がってる石ころと同じようにちっぽけな存在なんだと
いつも思い知らされる。それでも、その広い世界の中に、可能性というのは満ち溢れているのだ。
この試合に勝てば、これまで見えていたものよりも、何かもっと大きな可能性を
見出せるのかもしれない。そんな根拠のない希望を安倍は空に求めた。
これまで目標だった飯田に勝てば、もっと広い世界が見える――――
- 62 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/11/12(水) 01:43
- 安倍が打ったサーブ、軌道はこれといって変化はしなかった。
トップスピンのように大きく弧を描いただけで、そのまま真直ぐ飯田の元に向かう。
が、バウンドするとブルブルと振動して、飯田のレシーブ精度を著しく落とした。
何も空振りさせるだけが芸じゃない。
こうやって相手のショットの精度を鈍らせるだけで、十分にゲームを優位に運ぶ事が出来る。
若干、勢いを失った飯田のレシーブに安倍は渾身のストロークで応戦した。
思い切り肘を捻り、手首を回転させる。
そうする事によって、恐ろしいほどに切れを帯びた打球が飯田の元に届けられる。
ここまで完璧なショットを安倍にさせた時点で、相手はある種、反省しなければいけない。
飯田はその打球の軌道を見極めると、自信を持ってラケットを振り抜こうとする。
安倍のストロークは強い打球ではあったが、
バウンドは素直で、ドコカへいったりはせずに、申し訳ない程度、外へ逃げただけだった。
これまで安倍が放ってきた奇妙な球に比べればどうという事はない。
完璧に捉えた――――はずだった。
なのに、打球は相手コートへは届けられず、力なくネットに吸い込まれてしまう。
何故だろう、と飯田が自分のラケットのガットをまじまじと確かめても、その答えは出てこない。
それもそのはずだった。何も深い意味がある訳じゃない。
答えは簡単で、ただ単純に安倍のストロークが切れすぎていた、の一点だった。
異常に切れた回転を帯びている打球というのは、打った人間が安倍だから、とかに関らず
普通に返球するのがとても困難な業になる。
本人が捉えたつもりであっても、中心が僅かに外れただけでボールというのは
思った場所へは飛んでくれない。飯田は差し込まれた。詰まった打球は力を失って
ネットを越えずに失速してしまった。ただそれだけだった。
- 63 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/11/12(水) 01:43
- 第七ゲームを安倍が取った事によって、このセットをどちらが取るかは瞭然になった。
ゲームカウント五=二。
このポイントになってからでは双方の実力に大きな差があるか、
もしくは、アクシデントの類いが発生しない限り逆転は極めて難しい。
テニスというのは限り無く番狂わせが少ないスポーツだ。
一つ一つポイントを積み重ねて、漸く勝利と言う栄冠を手にする。
そういう意味で、紳士的な競技であるのは間違いない。
「安倍さん、やっぱりすごい・・・」
安倍の堂々とした戦いっぷりに思わず見惚れてしまっていた梨華はウットリとした声を出した。
梨華は胸の前で手を組み、ボールの往来を目で一心に追っている。
これまでの試合とは一風変わったレベルの高い攻防戦。
まさに見学、とはこういう試合を見る事なのだ、とバカ筆頭の梨華は確信する。
「そりゃそうですよ。私をオールラブで負かした人ですから。」
何時の間にか隣に座っていた松浦が梨華の独り言に合の手を出した。
松浦が言ってるように安倍はかつて、松浦をコテンパンにのしている。
その日以来、松浦は安倍を尊敬、それ以上の眼差しで見るようになったのだ。
(ちょっと待てよ・・・)
そう言えば、と、ふと松浦は引っ掛かるモノを感じた。
そう言えば、あの試合でオールラブゲームなんてあり得ない事をやられたから
奴隷という位置付けをされたのだ。
あの日、一ポイントでも取る事が出来ていたら、今頃・・・
そう考えると、松浦はどうにも複雑な気分になった。
(安倍さんがそもそもの原因だったんだよね・・・
いやいや、一ポイントも取れなかった私が悪いんだ!)
- 64 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/11/12(水) 01:43
- 「どうしたのあやちゃん?考えごと?」
バカ面で空を見上げていた松浦に梨華は怪訝そうに訊ねる。
「・・・ハ、ああ、なんでもないです。なんでもないです。」
「安倍さんって、やっぱり特別だよね。あんなショット打てる人なんて
きっと世界に安倍さんしかいないよ。K学の、あの飯田さん相手に
優位に試合進めるなんて、私からしたら本当に考えられない・・・」
「飯田圭織か・・・中学の時は憧れだったな・・・」
「そうだったの?」
「はい。すらっとしたプロポーションに、あの美貌。どんな大会でも飯田さんの
名前はベストエイト常連だったし、誰でもそりゃ憧れますよ。」
松浦はそう言って、飯田の方をしみじみと見る。
「安倍さんは確か、テニス始めたの、高校からだよね?」
「らしいですね。信じられない。たった三年であの飯田さんに対して有利に試合進めてる。」
「才能って凄いなあ・・・」
なんて事を呟きつつ、梨華は一心で試合の行方を窺っている。
(そう言えば、安倍さんでも矢口さんには敵わないんだよね・・・)
安倍のセンスを目の前で見せ付けられながら、安倍以上の才能を
持っている矢口が同じ高校にいる事を考えてみると、自分なんかがこんな所にいて
本当にいいのだろうか、と、そんな自虐的な事を梨華はどうしても考えてしまう。
(何で私が五番手なんだろう・・・)
- 65 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/11/12(水) 01:44
- ふと、梨華は反対側の端に座って試合を観戦している矢口の方を見てみた。
つい三ヶ月前の入学式、そう、確か雨が降っていた。
雨の中で舞う妖精。初めて矢口に会った時の印象はそんな感じだった。今は大分違う。
人の出会いというのは、例えどんな形であれ、絶対に意味があるものだと梨華は思っている。
この世界に何億、何千億もの生物がいるとして、人間として生まれ、そして
この日本で生まれ、そして同じテニス部でテニスをする確率なんて、果たしてどれくらいの
ものなのだろうか、梨華には想像もつかない。ただ、間違いなくこうして自分達は出会ったのだ。
矢口に対して、テニスでは何も貢献出来ないのかもしれない。でも、きっと笑顔を取り戻す
手助けくらいは出来るはずだ。
想像を絶するほどのバカである梨華は、矢口に対して何故かそんな使命感を抱いていた。
(矢口さんは私が絶対・・・)
その矢口は、安倍の勇姿を無表情ながら、強い眼差しで見つめている。
一体、何を思っているのだろうか。
これまでの試合を見てきて、矢口は一体どんな気持ちを胸に抱いているのだろうか。
吉澤の涙は矢口にとって、どのような意味を帯びたのだろうか。
そんな事を梨華が考えていた時、セットポイントになっていた安倍のスマッシュが決まった。
「安倍さんキターーーー!」
決まった瞬間、隣の松浦がバカ甲高い声を上げた。
続けて色々と沈思していた梨華もその事を一旦忘れ、安倍に大きな声をかける。
ベンチの奥の方で、隠れるようにして試合を観戦していた吉澤も口元を嬉しそうに上げて、
大きなガッツポーズを作っていた。
少し前は腫れ上がっていた目も今は大分元に戻り、本来の吉澤らしい雰囲気が戻りつつある。
希美と紺野も安倍の堂々たる戦いぶりに腹の底から声を出して、讃えていた。
- 66 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/11/12(水) 01:44
- ドッと四方から沸き起こる喚声と拍手。
安倍は決めた後、まずは胸をホッと撫で下ろした。
よっぽど緊張していたのか、それから卵が孵るように、ゆっくりと笑顔を浮かべた。
傍から見た感覚では、安倍が第一セットを終始優位に進め、そして見事に飯田を手玉に取った。
飯田は安倍の『取っておき』を捉えきれず、終盤の二ゲームはジュースに縺れ込んで
飯田の順応の度合いが目立ったが、それでも結果的に安倍は終始、飯田を封じた。
そのような展開だった。
しかし、飯田はそうは思っていない。同様に、安倍もそうは思っていなかった。
飯田は安倍に圧倒されたとは微塵も感じていなかったし、
安倍もどうにか第一セットはキープ出来た、という余裕の無い感想しか持っていなかった。
気持ちの面から言えば、余裕があるのは飯田の方だ。
第一セット、結果は六=三。ゲームカウントが五=二となってからの第七ゲーム後、
それぞれサーヴィスゲームを取り合ってこのポイントに落ち着く試合は多々ある。
飯田はさっさとベンチに座ると、大して流れてもいない汗を拭い、平然とラケットのグリップを拭う。
何の不安もなかった。
後半は安倍の奇異なショットの数々にも体が慣れ始めてくれた。
第二セットは間違いなく取れる。
その確信は理屈なんかじゃなくて、幾多の試合を経験している勘から来るモノなのだろう。
- 67 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/11/12(水) 01:44
- ベンチでゆっくりと体を休めながら、飯田は相手ベンチに嬉々として
座っている安倍の方を窺ってみた。
嘘も、偽りも、虚飾も、一切ない。本当に、心から楽しそうに笑っている。
もし、次のセットを自分が取ったら安倍はあの笑顔をきっと忘れるに相違ない。
そして、自分がこの試合に勝ったならば、安倍のように笑う事が出来るのだろうか。
極たまに、飯田は自分が自分では無く、意思のない人形になるような錯覚に陥る事がある。
それはこんな感じだ。
試合を行っている最中、思いがけず意識が実体から抜け出し、
ラケットを振っている自分を後ろから眺める形になる。世間で言う幽体離脱とか
言うやつだろうか、しかしそれでも自分の体はちゃんとテニスをしている。
ポイントを事務的に奪って、そして当たり前のように勝つ自分自身の背中は
まるで命令に忠実で意志の無い、ロボットのようだった。
勝っても笑わない。そして、喜びもしない。
何が楽しくてラケットを振るのか、いや、楽しいとか、楽しくないとか、そういう問題
じゃないのだ。ただ、勝たなければいけない。そう、問題は勝つかどうか、それ一点だ。
そう結論付けた瞬間、意識は体と同化して、その錯覚は終わる。
- 68 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/11/12(水) 01:45
- 試合をする事に意味があるとすれば、それは勝利、それ以外にはない。
勝利する事により、伴って起こる感情には何の意味も無い。と、今までは思っていた。
例えばどんな些細な事でもいい。
仲間が喜んでくれるから試合をする。
勝つと嬉しいから試合をする。何でもいい。
そうやって理由を一つでも持って試合に臨めば、あんな錯覚に陥る事なんて無かったはずだ。
それをいつしか、忘れてしまった。
いつだろう。こんなにテニスを無機質に感じるようになったのは。
―――矢口
そんな事を考えていた時。
「飯田さん惜しかったですねえ。後少しで第一セット取れましたよ。」
声で、我に帰った。
一々飯田は物思いに耽る癖がある。最近は特に悲観的な類いの考え事ばかりだった。
顔を上げてみると、そこには声の主の真希がいる。
「惜しい?」
疑問に思った。
第一セット、三ゲーム差をつけれた。それの何が惜しいのだろうか。
「はい。惜しかったです。第七ゲーム、取れてたら飯田さんが今頃第一セット取ってましたよ。」
「・・・何でそんな事わかんの?」
「ええ・・・と、わかるもんはわかるんです。」
- 69 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/11/12(水) 01:45
- 真希は必死でその理由を述べようと少ない頭をフル回転させてみるが、
結局いい言葉が浮かばない。
真希の洞察力というか観察眼というか、とにかくテニスに対する目の鋭さは
常軌を逸したものがある。とは言っても、本人はただ感じているだけで
その事を整然と説明したりは出来ない。ただ、そう思った。それが常に真理になる。
「何だよそれ。」
そう言って、飯田はクスクスと笑った。
真希の根拠の無い激励なのだろう、と飯田はそう解釈した。
それがとても優しく感じられて飯田の心は幾分にも安らいだ。
そうだ。試合の時でも、真希は笑い方を教えてくれる。
「何て言えばいいかわかんないんですけど、わかるんですよ。
だから、この試合飯田さんが勝つっていうのも、わかります。」
「本当に私、勝てるかな?一セット取られたしなぁ・・・久しぶりに先手取られたよ。」
「安倍さんにちょーすげー底力みたいなのが無い限り、勝てますよ。」
「ハハハ。じゃあさあ、勝ったらさ、私のこと少しは誉めてやってよ。」
「もちろんですよ。私も勝ちますから、その時は誉めてくださいね。」
真希は照れ臭そうに笑う。
おかしな会話だな、と、飯田も苦笑するようにして頬を綻ばす。
- 70 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/11/12(水) 01:46
- 「約束だよ。」
「はい。この試合、勝ちましょう。市井ちゃんを辞めさせる訳にはいかないし。」
「紗耶香?」
「ああ・・・ええとですね。市井ちゃん、もし一回でも試合に負けたらテニス辞めるとか
バカな事言ってるんですよ。その考えを何とか変えさせたいんですよね。
その為には、みんなで勝たないとダメだと思うんですよ。団体戦は、みんなで勝つものだし。」
「紗沙香、そんな事言ってるんだ・・・」
パチパチと、瞬きを頻繁にするのも飯田の癖だった。
「言ってますね。どうしようもない頑固者だから、何言ってもきかないんですよ。」
そう言って真希は肩を竦めて市井の方に視線を遣った。
それにベンチの隅に座っていた市井は気付いたようで口で、なんだよ、と真希に意図を求めてきた。
そんなふてぶてしい市井にあっかんべーをすると、真希は飯田に視線を戻す。
「そういう訳で、頑張って下さい。」
「どういう訳だよ。」
ははは、と笑って、飯田はそれから、うん、と意気込んだ。
- 71 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/11/12(水) 01:46
- 「勝つよ。勝って、紗耶香につなげる。この試合、皆で勝とう。」
「私も頑張ります。みんなで頑張って優勝とかしてみたいですねえ。」
「優勝かぁ。もし出来たらそん時はパーティーだな。」
「場所ならいい所知ってますよ。」
「へえ。どこ?」
「愛ちゃんち。」
「高橋かー。よし。じゃあ高橋の家でみんなで騒ぐか。」
「・・・みんなはマズイかも・・・」
そんな会話が交わされてる事など露知らない加護と高橋が
真希に倣って飯田に声をかけにきた。
「い、飯田さん。全然負けてないっス!これからっス!」
「が、頑張って下さい!」
緊張しまくりの二人の頼みは真希だったのだが、
真希は二人が来るや否やお役ゴメンだ、と言う風にさり気なくスッとベンチに戻ってしまった。
二人は一瞬、やべー、といった表情を浮べた後、緊張からこれでもかと言わんばかりに直立した。
今、目の前にいるのは、同じ高校ではあっても二人にとっては雲の上の存在でもある飯田だ。
そんな二人のカチコチになってる姿を見て飯田は、ははは、と声を出して笑う。
- 72 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/11/12(水) 01:46
- 「もっと楽にしなよ。」
「そ、そういうわけにはいかんです!」
「その通りです!」
まるでどっかの軍隊のようなやりとり。いや、軍隊コントのようなやりとり。
飯田はそれを面白がった。二人は血走った目を空に向けていて、アホの子みたいな表情をしている。
「この試合勝って、そんでもって優勝したら高橋の家だね。」
「そうです!わ、私の家です!・・・は?」
「そうです!愛ちゃんの家です!」
訳がわかってないくせに二人とも勢いを貫く。
ははは、と飯田は笑って二人の頭を撫でた。
なにやらギクシャクとした激励だったが、それでも今年の新入りは可愛げがある。
この部も、大分雰囲気が変わった。全ては真希が持ち込んだ風なのだろうか。
そうだとしたら、本当に真希には感謝しなくちゃいけない。
こんなに優しい気持ちに慣れたのはとても久しぶりだった。
心がとても軽くなって、何やら飯田は誘われるように空を見上げてみる。
雲一つ無い青空は、まるで自分の今の心境を反映したように、
泣きたくなるくらいに澄んでいた。
―――――――
- 73 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/11/12(水) 01:47
- 安倍はゆっくりと破顔した後、その場から逃げるようにしてベンチへと戻った。
まさかあの飯田から先手を取れるとは思っても見なかった、というのは言いすぎだが、
果たしてこの出来すぎた結果にどうしてもその喜悦を隠す事が出来ない。
真剣な顔を作ろうと努めても、笑顔がすぐに浮かんできてしまう。
漸く気持ちが落ち着いたところで、改めて思った。
飯田はやはり半端じゃなく、強い。
去年よりも打球が重くなっているし、テニスの奥行きも格段に増している。
じゃあ、どうして第一セット取れたのだろうか。
原因の一つとしてはやっぱり仲間が後ろにいるからというのは大きい。
これまでの熱戦、そして吉澤の涙は元来、心理面が弱かった安倍に勇気を与えた。
誰かの為に試合をすると本来以上の力が出せる。その事に、安倍は今頃気付いたようだった。
そんな事を考えていた折、
「安倍さん凄いですよ!!相手はあの飯田さんですよ!!一セット取るだけでも凄いです!」
安倍ヲタでもある松浦が早速声をかけにやって来た。
興奮を隠し切れない様子で、やけに声がでかく、うざったらしくすらある
松浦の言葉はそれでも素直に嬉しかった。
- 74 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/11/12(水) 01:47
- 「いやー、まだ勝った訳じゃないよ。これからこれから。」
「この調子ならいけますよ!安倍さんはやっぱり私の憧れです!」
「いやー、でも、本当余裕ないよ。なっち、いっぱいいっぱいだったからね・・・」
「そうは見えなかったですけ・・・イタ!!」
松浦の襟首をグイっと後ろに引っ張り、新たに安倍の正面に来たのは吉澤だった。
松浦は、なにすんですか、と頬を膨らましながらも吉澤らしい横柄さが戻った事が嬉しくもあった。
(アホだからすぐ立ち直っちゃうんだ)
「安倍さんはやっぱりすごいです。あたしが思ってたよりも、ずっと。」
「まーだ決まった訳じゃないよ。勝負はこれからこれから。
でも、ホント仲間がいるって心強いよ。やっぱり団体戦っていいなー。」
「頑張って下さい。あたし、死ぬ気で応援するんで。」
「ははは、死んじゃダメだよ。」
無邪気に笑いながらも、安倍の心中には余裕なんてさらさらなかった。
第一セット、序盤はともかく中盤、終盤は飯田のテニスに飲まれかけた。
この一年で磨きをかけた自分の『とっておきの』を、飯田はもう苦にしていない。
これから先、ショットだけに頼ってばかりじゃ勝てない事は明白だ。
そうは思っても、そのショット以外で飯田に勝っている部分が自分にあるとも思えなかった。
安倍は後輩たちに笑顔を振り撒きながらも、頭の中は飯田対策で必死だった。
考えている間に梨華やら希美やら紺野がやってきて辺りは一層騒がしくなる。
その間、矢口はベンチに一人で座っていた。いつもの事だ、と安倍は特に気にもしなかった。
- 75 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/11/12(水) 01:47
- 少し一人になりたいと思った安倍は、後輩たちを優しい言葉で引き下げる。
こうやって、頑張れ、と部員に励ましてもらうのは、テニスをやり始めて初体験の事だった。
矢口とは二年間一緒にいるが、未だに試合中、声をかけてもらった事がない。
矢口が抱えている闇があるとして、自分は何一つ力になってやる事が出来なかった。
それどころか、テニス部が酷い扱いをされていた時、何も解決策を見出す事が出来なかった。
矢口が変わりつつあるのは、そしてテニス部の状況が変わったのは全て後輩たちの功績だ。
自分は何もしていないし、出来なかった。笑顔は何の役にも立たなかった。
安倍は俯いて、精神を統一するように目を閉じる。
そして、中澤から試合前にかけられた言葉を思い起こした。
(一年どもにお前のテニス見せたれ。お前はな、人を引っ張るようなタイプの人間じゃないけど、
ちゃんとあいつらはお前を慕ってる。カッコイイところ見せてやれ。飯田やからって、気負うなよ)
後輩たちに何か、示せるモノがあるとしたら、それはテニスしかない。
この試合に勝って、少しでも後輩たちに可能性を、希望を示したい。
安倍は目を開き、決意をする。この試合、なんとしても勝つ――――。
- 76 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/11/12(水) 01:48
- 時間も数分経ち、審判が時計を確認して、飯田と安倍を召集しようとした時、
コートの外が突然、どよめいた。
何事かと審判が辺りを窺ってみると、立ち上がろうとしていた安倍の前に、
一人の、小柄な少女の姿が見受けられた。―――矢口だ。
矢口が、自分から他人に関る場面なんぞは観客も、そしてK学の部員達も知らない。
そんな二人のやりとりを、誰もが注視せずにはいられなかった。
この異様な空気を感じ取り、審判は矢口が引き下がるまで、召集をかけるのを延ばそうと思った。
「矢口さんが、安倍さんに声かけてる。」
K学のベンチの真ん中で、ポカーンとした表情の加護がそう呟いた。
「何かおかしいの?」
加護の隣に座っていた真希は不可解そうな表情で加護に訊ねた。
同じチームの部員が試合を行ってる部員を激励する。
真希にとっては何も不思議ではない光景だった。
「矢口さんが、自分から誰かに声かけるなんてあり得へん事や・・・」
「へー矢口さんって付き合い悪いらしいもんねー。」
- 77 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/11/12(水) 01:49
- と、気だるい声を出しつつ、真希はベンチの隅にいる市井の方に目をやる。
市井は、これまでに無いようなくらいに、呆然とした表情で二人のやりとりを見ていた。
矢口に対する概念が一瞬で崩れたような、そんな表情を部員達は一様に浮べている。
(矢口さんって何者なんだよ・・・)
とにもかくにも、矢口が自らの意思でこうやって仲間を労うのは、真希を除く、
この場にいる全ての人間にとって珍事だった。
「なっち、いい感じだよ。この調子で頑張って。」
「・・・矢口?」
きょとんとした表情、呆気に取られた安倍は何を言っていいのかわからない。
今、目の前にいるのは本当にあの矢口なのか、それすら安倍にはわかりかねた。
「何て言ったらわかんないんだけどさ、この試合には、勝ちたいんだ。
なっちにも勝って欲しい。」
矢口の声はとても平板だ。
本気でそう思っているのか、傍から見たら揶揄しているように感じるかもしれない。
安倍は目を真ん丸くして数秒その言葉を吟味した後、思い出したように言葉を出した。
「あっ、あったりまえっしょ!・・・ははは、矢口が応援してくれた。」
忙しい口調でそう言った後、安倍は嬉しくて泣きそうになった。
仲間から励ましてもらう事なんて当たり前すぎて、人は笑うかもしれない。
それでも、安倍はそれが嬉しくてたまらなかった。
この一体感、この何とも言えない胸の中に沸き起こる、熱い感情。
テニスをやっていて、この人生を生きていてこれほど嬉しかった事を安倍は知らない。
- 78 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2003/11/12(水) 01:49
- 「・・・なっち?」
「嬉しいなぁ。」
「泣いてるの?」
「泣いてないよ。笑ってんの。」
安倍はニッコリと笑いながら、涙を一筋だけ零した。
悲しい時以外にも涙は出るものなんだと、安倍は今、初めて知った。
「じゃあ、時間だから。」
「うん。絶対、勝つよ。みんなの為にね。」
「・・・うん。」
無表情のまま、矢口は頷いて踵を返した。
トコトコと、ベンチに戻っていく矢口の背中を安倍は味わうように見つめる。
すると、不安だったこれから先のゲーム展開やら、無力だった自分に感じていた
罪悪感やらが一切払拭されたように、心の中がスッと晴れ渡るような感覚を覚えた。
何だ、とても簡単な事じゃないか。
試合は一人でするもんなんかじゃないのだ。
こうして後ろから支えてもらって、漸くコートに立つ資格を得るものなのだ。
安倍はふと、誘われるように空を見上げてみた。
今感じている心地の良い感覚は、一切の曇りが無い、
この無限に広がる大空のように清々しかった。
――――
- 79 名前:カネダ 投稿日:2003/11/12(水) 01:49
- 更新しました。
- 80 名前:名無しくん 投稿日:2003/11/12(水) 21:37
- 更新乙です!お待ちしておりました!!!!!!
何回も読み返してしまいました!
あー実写化されないかなあ・・ってなわけで、次回の更新
お待ちしております。おもしろすぎ!
- 81 名前:名無し読者 投稿日:2003/11/12(水) 22:05
- 更新乙〜
胸がドキドキしちゃいましたよ!
- 82 名前:名無し娘。 投稿日:2003/11/12(水) 22:58
- マジ最高です!!!
これからも自分のペースで頑張ってくださいね。
私はいつまででも待ちますしね。
焦らず頑張って下さい。楽しみにしてます。ではでは
- 83 名前:まる 投稿日:2003/11/13(木) 01:43
- もう最高です!!矢口が少しずつ変わって行く様が何ともたまりません。私もいつまでも待ちつづけますので自分ペースで作り上げてください。
- 84 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/01(月) 06:33
- ワクワク
- 85 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/22(月) 15:48
- 保全
- 86 名前:カネダ 投稿日:2003/12/25(木) 01:52
- 自己保全。
レス有難う御座います。本当に励みになります。
保全、ありがとうございました。
更新遅れてすいません・・・地道に書いています。
死んでも完結させますので、気長に待って下さると嬉しいです。
本業の方が最近特に忙しくなってきまして、近いうちに1回は更新できそうなんですが
それからまたしばらく更新が出来なくなると思います。
本当に申し訳ないんですが、更新ペースの回復できる見込みがつくまでは
このスレを落とそうと思います。自分の都合で中途半端な状態で止めてしまって
申し訳ないです。改めてお詫びします。レス返しは次の更新時にしたいと
思いますので、どうか今後とも宜しくお願いします。
- 87 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/25(木) 23:46
- 作者さんの生存確認ができれば
いくらでも待ちますです、はい。
- 88 名前:名無しくん 投稿日:2003/12/27(土) 00:22
- いつまでも待ちます!
- 89 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/27(土) 18:32
- 報告あるだけで安心します。いつまででも待ってます。
- 90 名前:名無しだお 投稿日:2003/12/28(日) 10:34
- ほじぇん
- 91 名前:名無し犬 投稿日:2003/12/29(月) 17:14
- 安心した。ホントに。
- 92 名前:名無しくん 投稿日:2003/12/30(火) 18:54
- hozen
- 93 名前:名無しくん 投稿日:2004/01/01(木) 07:35
- 保全
- 94 名前:桃ノ木権三郎 投稿日:2004/01/03(土) 22:26
- 保全。sage
- 95 名前:桃ノ木権三郎 投稿日:2004/01/03(土) 22:33
- いけねえ、間違えた!!
さらに保全
- 96 名前:名無し読者 投稿日:2004/01/03(土) 23:46
- ochi
- 97 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/01/08(木) 23:49
- ho
- 98 名前:名無し読者 投稿日:2004/01/16(金) 11:54
- 「エースをねらえ」よりこっちの方がおもろいでつ。がんばってくらさい。
- 99 名前:名無しくん 投稿日:2004/01/18(日) 05:25
- hozen 待ってますよー!!!
- 100 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/01/21(水) 22:58
- 保全!!!!
ドキドキ
- 101 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/01/22(木) 21:46
- hozen
- 102 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/01/24(土) 22:28
- ドッキドキ保全
- 103 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/03(火) 01:29
- hozen sage
- 104 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/03(火) 09:03
- ↑期待させないでよ!ageないで!思わずキターって言っちゃったじゃん…
- 105 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/03(火) 09:46
- ochi
- 106 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/03(火) 18:50
- 保全
- 107 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/03(火) 23:33
- >読者による保全レスは意味がなくなりました。
過度の保全レスは荒らしとみなすこともあります。
ということで、保全はもう必要なくなったのです。
- 108 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/08(日) 00:20
- 自治厨
- 109 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/11(水) 23:11
- ドキドキ
- 110 名前:名無し飼育さん 投稿日:2004/02/12(木) 23:01
- 保
- 111 名前:カネダ 投稿日:2004/02/13(金) 23:24
- 保全有難う御座います。
ようやく書く時間が出来そうです。
>>80名無しくん様。
有難う御座います。
一人でも面白いと言ってくれる人がいれば書いててよかったとホント思います。
更新期待してくれてたのにこんなに遅くなって申し訳ありませんでした。
>>81名無し読者様。
ドキドキ申し訳ありません(w
第三試合は、これからもなるべく緊張感あるように書ければいいなと思ってます。
>>82名無し娘。様。
嬉しいお言葉有難う御座います。
更新ペースの方はとにかく早くしたいな、と思ってます。
リアルの娘。さん達に五馬身差くらい突き放された感覚ですので・・・
>>83まる様。
有難う御座います。できる限り元のペースに戻せればと思ってます。
矢口の変化についてはもっと上手く書ければなぁ、とちょっと自分の下手糞さに
鬱になったりしてたのでそう言ってくれると本当に嬉しいです。
>>84名無し読者様。
本当に遅くなってしまいました・・・
>>85名無し読者様。
保全有難う御座います。
>>87-110様。
保全有難う御座います。こんなスレを見捨てないでくれて本当に嬉しいです・・・
本当に遅くなって申し訳ありませんでした。
これからは徐々に時間の余裕が出来そうなので、元のペースに戻せるよう励みます。
それでは続きです。
- 112 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/13(金) 23:26
- コートに戻ってきた飯田の表情は、第一セットの時とは考えられないくらいにスッキリしていた。
飯田にとって久しぶりの苦戦、しかも第一セット取られた後なのに、
この清々しい表情はなんだ、と観客達は飯田の様子を見て、安心するというよりは気味悪がった。
コートに入れば自分の世界に浸って、周りの雑音など一切無視するはずの飯田が、
今は自陣のベンチに向かって、笑顔で応援に応えたりしている。
そんな飯田の変化に対し、中澤と石黒は異なった見解を持っていた。
飯田の持ち味である、静謐としたテニス。
それが崩れてしまうのではないかと、顧問である石黒は懸念する。
その端緒、後藤真希。石黒が発掘した天才は、ただテニスの才能があるだけではなかった。
石黒にとってそれだけが誤算だった。
真希は戦力になるが、それ以上にこれほどの影響力を持っているとは思ってもみなかった。
あの飯田でさえ、真希という劇薬には簡単に反応してしまうのだ。
- 113 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/13(金) 23:26
- 一方の中澤も飯田の変化に対し、石黒とは違う理由でいい印象を持たなかった。
あの顔は、『純粋』にテニスを楽しもうとしている顔だ。
飯田も昔はあのような顔をしてテニスをやっていたのを中澤はよく覚えている。
そして、飯田が変わったのはK学ベンチで隣の加護とぺチャぺチャ話をしている
あの栗色の髪の一年が飯田に声をかけてからだ。
いつか石黒が言っていた、天才を手に入れた、という発言。
その理由が、漠然とだがわかった気がした。
本物の天才というのは自分の器の中だけで納まりきるものじゃない。
知らず知らずのうちに周りを魅了し、そして導いていく存在になるものだ。
中澤は真希を一瞥してから、続いて安倍の方を見た。
飯田と同様に安倍も、いや、相変らず安倍は満面に喜色を湛えてコートに戻ってきた。
第一セットを取って余裕が出たのだろう、傍から見た印象はそうだろうが、違う。
今の安倍の笑顔の裏には強い闘争心と使命感が満ち溢れていた。
そこに迷いはない。
部員達の為、そして初めて応援してくれた矢口の為に何としてでも
安倍はこの試合に勝ちたかった。
笑顔の奥にある安倍の決意は、想像する事さえ難しいほどに強い。
気張りすぎもせず、いい緊張感を持って安倍はこれからに臨もうとしていた。
- 114 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/13(金) 23:27
- 第二セット、第一ゲーム。飯田のサーヴィスから始まる。
相変らず酷暑は続いていて、コートから微かな湯気と熱の歪みが見えた。
まるで鉄板の上でテニスをするようだったが、二人はそんな事を一切気にしていない。
瞬きを数度してから深呼吸し、それから飯田はボールに手をかけ、サーブの体制に入った。
するとまたコートに緊張感が戻ってきた。
この二人は、先にも述べたが、これまでの選手とはレベルが一つ違っているのだ。
レベルの高い試合に立ち会った時だけ体験できる、
呼吸するのも忘れるほどの緊張感が辺りを支配する。
飯田はファーストサーブを打つのを渋った。
コートの感覚を確かめているのか、ポンポンと球を何度もバウンドさせる。
安倍にとってはその動作でさえいじらしかったのだが、飯田はそれから
ある一点を見つめて数秒沈黙した。
その沈黙に合わせて見ている者も息を呑み、辺りはシン、と水を打ったように静まり返る。
飯田はこの沈黙を楽しんでいるのか、なかなかトスを上げない。
時間にして数秒なのに、それがやたらと長く感じる。
安倍はこの沈黙の中で自分の心臓が高鳴っている音を聞いた。
やがて、飯田は空高くトスを上げた。安倍はやっと腰を落とす。
- 115 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/13(金) 23:27
- そして振り下ろされた高速の一打。活き活きとした綺麗なフォームだった。
乾いた音が弾けたと思ったら、すでにバウンドしていた。
切れが異常に鋭く、鋭角に突き刺さったはずのその打球は、バウンドしても高く跳ねずに
低い弾道で後ろへ抜けようとする。だが、安倍は反応した。
右足の爪先を外に開き、フォアのレシーブで返球して見せるが、手が痺れた。
つまり、中心を捉え損ねた。
ゆっくりと飯田のコートへ戻っていく安倍のレシーブは逆回転が幾分かかっていて、
コートに沈むとほぼ垂直に、縦に跳ねた。飯田の目の前でポーンと高く跳ね上がる。
完全な死に球だった。
飯田はボールの落下に合わせて思い切りラケットを振る。
そして寸分狂わないコート隅のライン上に、ピンポイントでストロークを決めた。
0=15。これを見て石黒は先ほど心配した事は杞憂だと確信する。
安倍は気持ちを切り替えて次のサーブに備える。
なんてことはない、こんな場面も幾度はあると覚悟していた。
取れる時にしっかりポイントを取ればいいのだ。
ただ、第二セット初っ端からこれほど鮮やかに決めらるのは気分のいいものじゃない。
チラリと飯田の顔を窺ってみれば、薄っすらとだが微笑んでいた。
安倍は、なんだか飯田に奇妙な親近感を抱いた。
- 116 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/13(金) 23:28
- 飯田は次のサーブを打つ際にもさっきと同じように渋った。
わざわざ五回も球をバウンドさせ、それからトスを上げる前に、数秒沈黙する。
この際生まれる沈黙が、安倍にとっては堪らなく居心地が悪い。
自分の心臓の音や、呼吸のように掠れた小さな音がどこからか聞こえてくる。
―――気が散る。
やっと飯田がトスを上げた時、安倍はほんの僅かだが集中力を欠いていた。
それが致命傷となって、まさかのサーヴィスエースを決められる。
センターラインすぐ横を抉った打球は、安倍の足を釘付けにした。
0=30。ミスだった。
油断してたわけじゃないが、何となく飯田のペースに飲まれかけている。
安倍は大きく息を吐いて気持ちを引き締めた。
肩を大きく揺らし、軽いステップを踏む。
そして無意識に顔だけを振り返って自陣のベンチを見た。
その時ほんの一瞬だったのだが、梨華と目があった。すると不思議と力が湧いた。
- 117 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/13(金) 23:28
- 次に飯田はわざわざ安倍と目を合わせてからサーブの体制に入った。
その表情には余裕と言うよりは、子供相手に、ほら、かかっておいで、と腕試しを
やらせてあげる大人の優しさが垣間見えた。
安倍は笑顔で応える。
その笑顔の返事を貰ってから飯田はトスを上げた。
リズム。
体でリズムを刻んでいるわけじゃない。
飯田は表情に変化をつけるようにはなったが、テニスの質は全く変わっていなかった。
それなのに、どうしてこのような躍動感を飯田から感じるのか、安倍にはわからなかった。
飯田のサーブを安倍は渾身のレシーブで返し第二セット、初めてまともに展開する。
飯田はフォアのストロークを打ち続け、対する安倍はバックのストロークでそれに対抗した。
二人とも仕掛けることが出来ないのか、それとも根競べでもしているのか、
ラリーを続けるだけで一向に打ち方に変化をつけない。
カコ、カコっと、小気味良く乾いた音が響き続ける。
- 118 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/13(金) 23:29
- 緊迫した打ち合い。
先に仕掛けたほうがミスを犯す。
このラリーには何かそんな暗黙のルールがあるようにさえ感じた。
そして大方が予想したように、回転をかけようと手首を思い切りスナップさせて
打った安倍のストロークがネットに捕まってしまった。
0=40。
飯田は腰の辺りで拳を作り、喜んだ。
飯田が嬉しそうに瞬きを繰り返す度に、安倍は飯田がとても近い存在になった気がした。
第一ゲーム、ラブゲームが続く。
トン、トン、トン、トン、トン、トン。
執拗に、入念に、飯田は球をバウンドさせる。
安倍はその間、体を揺すって意識を集中する事に努めた。
やがて、ピタっと止まり、飯田はそれからまた数秒沈黙する。
―――はぁ、はぁ・・・
- 119 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/13(金) 23:29
- 自分の呼吸なのか、それとも客席から聞こえてくるのか、
まるで幻聴のような呼吸音が安倍の耳に届く。
その呼吸が止まったと思ったら、今度は急に全く世界から音が無くなる。
飯田の魔術に魅了されているのかもしれない、と安倍は本気で考えそうになったが、
飯田からの強烈なサーブはあくまでも現実感を帯びていて重く、
そんな馬鹿げた考えはすぐに捨てざるをえなかった。
第一セットとは比べ物にならないほど、飯田の打球は意志を持ったように強かった。
安倍は深い場所へレシーブを送った。
また先ほどのようにラリーが続く展開になると思われたが、
今度は呆気なく飯田がネットに引っ掛けた。
15=40。
これに安倍は拍子抜けした。飯田らしからぬ凡ミスだった。
飯田は舌をチョロっと出してそのミスを恥じるような仕種をした。
その余裕の仕種が、不用意だった安倍の心に不可思議な不安をもたらす。
安倍は、あくまで勝ちたいという強い意志を持っていて、
精神面はいつになく安定していると言えた。
それなのに、まるで人間臭くなった飯田の所為でどこか調子を狂わされてしまう。
- 120 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/13(金) 23:29
- 丁寧に、丁寧に飯田はサーブを作り上げる。まるで一つ一つの動作にマニュアルがあって、
それを全部クリアしなければサーブを打てないんじゃないか、
そこまで思わせるゆっくりした動きだった。
さすがにここまで同じ事をされると人は慣れるもので、
安倍は飯田のサーブ動作を冷静に見つめながら、グッと腰を落として、
どの方向にサーブがきても対応できるよう、リズムを作っていた。
飯田が打ってきたのはトップスピンサーブだった。それも大きく角度のついた、
サーヴィスラインいっぱいの上等のモノ。安倍は高く跳ねたそれに対し背伸びをして
打ちやすい高さに調整し、深いレシーブを打った。それからネットに向けて二歩、前進する。
飯田はその場で留まって安倍を揺さぶろうとストロークに角度を付けてきた。
その所為で切れが若干甘くなった打球に、安倍はガットに一瞬だけボールを擦り付け、
強烈な回転を帯びさせたボレーを打った。打球は飯田の目の前でバウンドすると、
グニャリと奇妙な弧を描く。安倍のとっておきだ。まるでボールが生きているようだった。
しかし、それを見た飯田は口元を緩めて、目を輝かせた。
- 121 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/13(金) 23:30
- ヤバイ。
こういうのはコートにいる人間だけが味わえる感覚だ。
安倍は殺気にも似た、飯田からの最後通告を受け取ったような錯覚に襲われた。
歯を食いしばって、返球に構える。おそらく強烈なのが来る。こういうのは勘でわかるのだ。
ラケットにボールが吸い込まれる寸前、飯田と目が合う。安倍は逸らさなかった。
一瞬の間に安倍はたくさん飯田と意思を交換した。
科学的な根拠の無い、一種の超自然的なコンタクト。
『もう通用しないよそのふざけた打球。私は、勝つんだ。負けないよ。負けられないんだ・・・』
飯田は完璧に安倍の打球を打ち返した。
それも、バックラインぎりぎりのクロスに落とした。
安倍は足が棒になったように立ち止まり、鮮やかに決まった打球の軌道を目の前で見せ付けられた。
ゲームカウント0=1。
飯田はにっこりと頬を緩ませ、自陣の真希に向けてガッツポーズした。
加護とか高橋なんぞは、ここぞとばかりにでかい声を出して飯田に声援を送った。
別に飯田が一ゲームを取るなんて、なんてことはないのに、と隣の真希は苦笑しながら
飯田にピースサインをした。
そんなK学のやりとりを安倍は全くの無感情で見つめていた。
- 122 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/13(金) 23:30
- 第一ゲームをほぼ成す術も無く奪われてしまったが、安倍の心境には何の変化も無かった。
飯田クラスの選手になれば、自分の時間、言い換えれば流れに乗って、どうしようもなく
調子が上がる時間帯というのを持っているものなのだ。
そう、今だけだ。
安倍は第一ゲームをさっぱりと忘れて、次のゲームに気持ちを切り替えた。
第一セットは取れたんだから、敵わないはずは無いのだ。
そう言い聞かせて、胸に手をやった。次は、自分のサーブだ。
安倍もゲーム後、自陣に向けて笑顔で、大丈夫、大丈夫、と声を出さずに
口の動きでジェスチャーした。
それを見て安堵したのか、ベンチのメンバーはみな一層大きな声で安倍に声援を送った。
希美はでかい声を出しすぎた所為で声が裏返ってしまい、
まるでガチョウの鳴き声みたいな声援を送った。
それが面白くて、ははは、と安倍は笑う。
そう、仲間がいるのだ。何よりも力になる、掛け替えの無い仲間達がいる。
不安になる必要などないのだ。
- 123 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/13(金) 23:31
- 二人はコートチェンジの際、すれ違った。
飯田と距離が近くなって、安倍は意図的にジリジリと肌を照らす太陽を、目を窄めて一瞥した。
その間に飯田は横を通り過ぎるだろうと思ったのだが、
どういう訳か飯田は安倍のすぐ目の前で足を止めていた。
安倍は怪訝そうに首を傾げて飯田を見る。
薄っすら顔をてからせていた飯田は、安倍と目が合うとにっこり微笑んだ。
飯田ってこんな社交的な人だったんだ、と安倍はイメージのギャップに戸惑った。
「暑いね。」
どうでもいい事を説得力溢れる声色で呟く。
『そういうこと』ができる飯田が羨ましかった。
一種のカリスマ性というやつなのだろうか。何気ない一言に不思議な色気がある。
なんだこの無邪気さは、と安倍は思った。
「うん。暑いね。」
このまま無視するのも感じが悪いし、安倍は汗を拭いながら生返事をする。
「楽しいね。」
飯田は安倍から視線を外すと、遠くを見てそう言った。
安倍にはその意図がさっぱりつかめない。
ただ思ったのは、飯田は『何か』を悟ったんだと思った。
この試合に対して自分に対して、飯田は圧倒的に優位に立てる『何か』を悟ったのだ。
- 124 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/13(金) 23:31
- 第二ゲーム、安倍のサーヴィス。
安倍は自身の今の心境に驚いていた。
一ゲームを取られただけで動揺していたこれまでの自分が、今はまるで落ち着いている。
これが支えてもらっている者の強さなのだろうか。
テニスというのはつまるところ、格闘技とさほど変わりない暴力的なスポーツだと安倍は思っていた。
どんな結果になっても誰の所為にも出来ないし、どんなに訴えても誰も手を貸してくれない。
一対一、個人と個人、たった二人の舞台、世界。その中で、雌雄を決する。
それなのに、今はすぐ隣に誰かがいて、共に戦ってくれているような気がしていた。
(勝ちたい)
ただ、単純に勝ちたかった。
相手が飯田だとか、そういうのはもうどうでもよくなった。
チームに一勝をもたらしたい。
今の安倍にはその思いだけしかなかった。
- 125 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/13(金) 23:32
- 安倍はトスを上げると無心で振り抜いた。
肘に角度を付け、手首にスナップをかけ、切れのいい回転をかける。
しかし飯田がそれを簡単に返してくるのはわかっていた。
コートチェンジの時に見せた飯田のあの表情。
安倍はステップを踏み、ハードコートに靴底が擦れる音を聞いて、気持ちを落ち着かせた。
これからは持久戦になる。この試合、サーヴィスエースは二度と決めれないだろう。
安倍が思った通り、飯田は大きな目を見開いて、しっかりとレシーブを決めてきた。
奇妙な球の動きを、何かきっかけがあったのか、飯田は完全にみきっていた。
ためを作り、一気に振り抜く。腰の回転を上手く乗せていて、打球は強烈だった。
ラリーになる。打ち合っていると安倍が次第に押され始める。
飯田に対して安倍が唯一勝っているのは、あの『とっておき』だけだ。
それを攻略されてしまって、安倍には何が残るのだろうか。
ゲーム展開は一方的になりつつあった。
一年間、何も回転の技術だけに傾注して練習してきたわけじゃない。
コンスタントに満遍なく全ての能力を向上させたはずだ。
練習を怠るようなこともしなかった。中澤の言う事には全て従ってきた。
そう、全ては飯田へのリベンジの為だった。つい先ほどまでは。
- 126 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/13(金) 23:32
- ただ安倍が一年間必死に努力したように、飯田も同じようにK学で絞られてきたのだ。
飯田は自覚していなかったが、テニスの技術は着実に成長していた。
目に見えるような大きな進歩じゃない。毎日の努力がじっくりと飯田の血肉となってきた。
努力の意義とは本来そういうものなのだ。
飯田は自分の才能に絶望しながら努力を怠らなかった。
だからこうやって安倍の打球を返す事ができる。
もちろん、安倍は飯田に点を取られても気持ちは折れなかった。
しかしそれは傍から見ていて痛々しく映る。
どれだけ必死にラケットを振っても、飯田は赤子の手を捻るように簡単に打ち返してくるのだ。
試合に集中し、何とかして飯田を攻略しようと安倍は試行錯誤していた。
どんな種類の回転をかけても飯田は簡単に返してくる。
- 127 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/13(金) 23:32
- 安倍のテニスがこんなに力なく映ったのをT高校の部員たちは知らない。
松浦なんぞは知らないうちに眉を八の字に曲げて言葉を失っていた。
それに気付いた吉澤が松浦の頭を叩き、バカ、と叱咤する。
すると松浦は目が覚めたようにすぐに気持ちを切り替え、よく通る大きな声援を送った。
―――声。
梨華と希美もそれに倣って声を出した。
外から見ている人間ができることは声をかけることだけだ。
それが試合をしている選手には唯一のよるべになる。
安倍にはしっかりとその声援が届いていた。だからこそ絶望しない。
その一方で、紺野と中澤はなにやら二人で話をしていた。
二人とも表情がいやに冷静で、この一方的な展開を目の当たりにしても
全く動揺していないようであった。
- 128 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/13(金) 23:33
- ゲームはテンポ良く進む。
どうも飯田は安倍の回転に対し、完璧な『コツ』を掴んだようだった。
ふとしたきっかけで口笛を鳴らせたように、飯田はもう返球に失敗しなくなった。
(動く、体が動くよ後藤)
第二セットに入ってから、どうにも嘘みたいに体がよく反応してくれた。
テニスが楽しい。
そう単純に思える事はなんて素晴らしいのだろうか。
飯田はそんなことを考えながらラケットを振った。
ただ感じたようにラケットを振った。
暑くて忌々しかった太陽に感謝した。
緑色のコートを見るだけで胸が弾む。
そして真希や加護や高橋を見ていると自然と頬を綻ばせてしまう。
―――この感じはなんだろう!
市井。そうだ、市井にもこの気持ちを味わって欲しい。飯田は市井の事を思った。
- 129 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/13(金) 23:33
- 飯田は点を取った時には喜び、アウトしてしまった時には顔を顰め、
そしてゲームを取った時には拳を空に掲げた。
静かで透き通るようなテニスをしていたこれまでの飯田が嘘のようだった。
額から滴る汗を拭う事も忘れ、飯田は夢中でラケットを振っていた。
安倍からのストローク、奇妙に曲がるその軌道が見えた。
(勝てる)
飯田が本当にそう確信した瞬間だった。
ミスショットから安倍に二度、スマッシュを打たれた。それさえも飯田は返した。
少し心が浮かれすぎた所為でミスが目立ちはじめていたが、ゲームを落とすような事はしなかった。
安倍の『命を帯びた打球』を物珍しそうに見ていた観客も今ではすっかり興味を失ってしまっていた。
或いは、観客は安倍の球に翻弄される飯田に興味があったのかもしれない。
とにかく飯田にいいようにやられている今の安倍に、観客は関心を寄せなかった。
これが飯田の実力であって、やはり飯田と安倍には決して埋まる事の無い差があるのだろうか。
それでも安倍は絶望したようなそぶりを一切見せなかった。
それどころか、安倍の双眸はこれまで以上に凛と強い輝きを帯びるようになった。
安倍は諦めていない。活路を見出そうと必死だった。
- 130 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/13(金) 23:34
- 第二セット、第四ゲームを終えてゲームカウント一=三。
安倍が取れた一ゲームは、飯田がダブルフォールトを二回犯してしまい、
さらに簡単なフォアのストロークをネットに引っ掛けるという、言ってみれば
飯田が勝手に自滅したゲームだった。
このセットになって、安倍はまだ一度もまともにポイントを奪っていない。
「飯田さん、ちょっと勢い乗ってきてますね。」
第五ゲームが始まる直前、紺野は持参のノートに目を落としながら平板な声を出した。
隣の中澤は、そやな、と興味のなさそうな相槌を打つ。
ベンチは日陰になっていて、足元に時折冷たい風が吹き込んできていた。
それがくすぐったくて中澤は脚を何度も組み替えた。
「でも、飯田さんミスが目立ってきてます。一セットにはなかった変化です。」
「飯田、なんか面白そうやなぁ。」
間延びした声でそう言う中澤は何だか嬉しそうだった。
紺野は首を傾げる。
- 131 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/13(金) 23:34
- 「一体何があったんでしょうね。」
「さあな。ただ第一セット終わったあと話し掛けてきた栗毛の一年が関係してるのは間違いない。」
「ああ、後藤さんですね。」
ノートから目を上げて紺野は反対側のベンチに座っている真希を見た。
第五ゲームが始まって、真希は試合に注意を向けながら、
隣にいる高橋と何か楽しそうに会話している。
紺野は、K学の面々の中では、どうしても真希は一人だけ浮いている印象を持った。
というよりも、どこにも属さない人間。そんな感じがした。孤独が好きという訳じゃなく。
「あいつの試合見て見たいなぁ。どんなテニスするんやろ。」
「さあ・・・それより安倍さん大丈夫でしょうか。」
「しらん。大丈夫ちゃう?」
「ちゃうって言われても・・・」
「安倍なら心配いらんよ。あいつはあんな顔してるけど、テニスの実力は本物や。」
「そうですよね。」
「それにあいつも何かしらんけど、ええ面するようになったやんけ。」
- 132 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/13(金) 23:34
- いつもニコニコしている印象だった安倍の表情は、点を取られるに連れて引き締まってきている。
それは中澤が言うように、文字通り「いい顔」だった。
安倍に対しては、テニスが上手い、優しい、いつでも笑顔とか、とにかくどこか
ほわほわした感じが特徴だったのに、今の安倍は凛々しくて力強い人間そのものに見える。
何か策があるのか、それとも他に理由があるのか、紺野にはわかりかねたのだが、
こんな顔もできる安倍に対してより一層の好感と信頼感が湧いたのは間違いなかった。
そして、飯田の印象も第一セットに比べて大きく変わった。
いや、人が変わったと言っても過言ではないほどの変わりようだった。
「飯田さん、結構粗くなってませんか?」
「ははは。飯田はちょっと悪乗りしてるな。」
第一セットでは一度もミスをしなかったローボレーを、
飯田は第二セットになって実に四回もミスしていた。
そう言えば、と紺野は思った。
飯田のミスは決まって、サーブかボレーショットだった。
サーブに定評のある飯田がこのセットになってかなりフォールトを晒している。
- 133 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/13(金) 23:35
- 「飯田さん、勢いに乗ってるからフォームやコントロールに微妙な誤差が出てるのでしょうか。」
「まあ、しゃあないやろうな。その代わり、ストロークの切れは恐ろしく鋭くなってる。」
ボレーの精度が著しく落ちた代わりに、
飯田のストロークは見ていて恐々とするぐらいに切れと威力を帯びるようになっていた。
高校生レベルじゃない。
爆音を響かせてやってくる打球は受け手からはぐにゃぐにゃに歪んで見える。
それに安倍はいいようにやられていた。
ボールに命を宿せるあの安倍なつみが、飯田の鬼のような打球に対しては赤子のように無力だった。
もはや安倍には成す術が無いように見えた。
ゲームは飯田の一方的な展開が続いていた。
一方的にミスをして、一方的にゲームを取る。
―――コートの中には飯田しかいないんじゃないだろうか?
そんな錯覚を抱かせる試合展開だ。
第六ゲームが終わって、ゲームカウント一=五。
第一セットとはまるで対照的な内容だった。
- 134 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/13(金) 23:35
- 「ほら、やっぱり飯田さん余裕じゃんか。」
試合をぼーっと見ていた真希は高橋に対して余裕たっぷりにそう言った。
二人は第二セットが始まる前から今後の試合展開がどうなるかについて、
いろいろと語り合っていたのだった。
高橋の予想では、第二セットは六=四で飯田が何とか取り返すというものだったが、
一方の真希は、第二セットは飯田の一方的な展開になると予想していた。それがドンピシャリ。
ううう、とちょっと哀愁漂う唸り声を出して、高橋は自分の予想が外れたのを嘆いていた。
「何でごっちんはこうなる事わかったの?」
「飯田さんってさー、顔とかには出さないけど、自分のテニスに自信なさそうだったんだよねー。」
「えええーーあの飯田さんがぁ?」
大袈裟に驚くリアクションをした高橋に真希は、ははは、と声を出して笑った。
その隣の加護は、きもいぞ、と冷静なツッコミを入れていた。
- 135 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/13(金) 23:35
- 「もともとこの部にいる人たちってさ、よくわかんないけど自分を隠しながら
テニスやってる感じがしてたんだよね。一所懸命やるのがダサいとか思ってたのかな。
飯田さんもそんな感じだったけど、今はすごく楽しそうでのびのびしてるよ。
本人には言えないけどさー、今の飯田さんってかわいいよ。」
クスクスと真希は笑う。
「自分を隠してるかぁ。大きな声じゃ言えないけど、保田さんとかまさにそんな感じだよね。
保田さんってさ、家とかじゃすごい姿勢低かったりしてね。お母様ぁ〜とか言ってそう。」
高橋は保田に聞こえないようにして陰口をたたく。
「おいおい・・・哀ちゃん毒吐きすぎやろ。ちくっちゃうぞ。」
「ちょっと!冗談だって!それに哀じゃなくて愛だっつーの!」
「何ごちゃごちゃ言ってんねん一人で・・・」
「でもごっちんの言う通り、今の飯田さんはすごい楽しそうだよね。」
「安倍さん。」
「え?」
ボーっと試合を見ていたはずの真希が真剣な顔を作って、ポツリ、呟いた。
- 136 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/13(金) 23:36
- 「飯田さん、やばいかも。」
「なんやねん急に・・・」
ふとしたきっかけ、というのは本当に恐ろしいものだ。
飯田がふとしたきっかけで安倍の回転を攻略したように、何かの拍子で口笛が鳴らせたように、
名前も知らない異性に一目惚れしてしまうように、知恵の輪が解けたように、
そんな脈絡のない、偶然の産物の所為で恐ろしい武器を手に入れてしまう事が稀にある。
「実戦って言うのはなぁ、こなせばこなすだけ得る物があるもんや。」
中澤は試合を見ながら、前振りもなくそんな事を紺野に言った。
「はぁ。」
「それも、相手が強ければ強いほど自分に返ってくる物は大きい。」
「それは何となくわかります。」
「お前らもそのうち嫌でも気付かされるよ。
どうやら安倍は飯田のおかげでまた一つ強くなった。感謝せんとな。」
「あの、何のことですか?」
中澤が言った曖昧な言葉に紺野は首を傾げた。
そしてその直後、もう一度視線をコートに戻した時、何故か安倍には笑顔が戻っていた。
- 137 名前:カネダ 投稿日:2004/02/13(金) 23:39
- 更新しました。
ペースが完全に回復できる見込みがつくまではochi更新しようと思ってます。
最後にもう一度、こんなに長期間放置してご迷惑をおかけしました・・・
- 138 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/13(金) 23:48
- おかえりなさい〜〜!!!
迷惑なんて誰も思っていませんので、
カネダさんのペースで頑張ってください。
次回も楽しみに待ってます。
- 139 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/14(土) 00:12
- お待ちしておりました。
迷惑なんて言わないでください。どんなペースだろうが
カネダさんのペースでがんばってください。
言葉では表せないくらい大好きな小説です。
次回もドキドキしつつ楽しみにお待ちしております。
- 140 名前:まる 投稿日:2004/02/14(土) 15:04
- いや〜ずっとこの日が来るのを待っておりました。見るのをやめようと思ったときもあったのですが。今回の更新を見て、やっぱり自分はカネダさんの小説は大好きなのを改めて実感しました。これからもずっと待ちつづけますので、自分のペースで更新して下さい。
- 141 名前:名無し犬 投稿日:2004/02/15(日) 18:49
- おかえりなさい。
待ってたかいがありました。
- 142 名前:カネダ 投稿日:2004/02/19(木) 23:30
- レス有難う御座います。
本当に励みになります。
>>138名無飼育さん様。
ただいま帰りました。
という呑気な返事が出来たらいいんですが、とにかく遅くなりすぎました。
ペースの方は自分の課題でもあったので、自分自身に失望している限りです。
優しいお言葉ありがとうございます。こんな作品でも読んでくれるなら幸いです。
>>139名無飼育さん様。
ありがとうございます。
大好きと言ってくれる方がいるのに、ホント申し訳ないです・・
これからは時間が取れる日が多くなると思うので、暇があればガンガン書こうと
思ってる所存です。優しいお言葉感謝です。これからも読んでくれれば嬉しいです。
>>140まる様。
見るのやめようと思うのは当然ですね・・・何せ3ヶ月ほど放置してしまいました。
それでも気長に待ってくれたことに、本当に感謝しています。
これからはなるべく更新ペースを初期に戻せるよう努めますのでどうか読んでやって下さい。
>>141名無し犬様。
ただいまです・・・なんて返事は失礼ですね。
自分は有言実行できないドアホ作者ですが、完結させるという約束は絶対に守ります。
どうしようもない作品ですが、これからも読んでくれれば本当に嬉しいです。
それでは続きです。
- 143 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/19(木) 23:31
- 第七ゲーム。
安倍がソレを手に入れたのはポイントが0=30となってから
がむしゃらにラケットを振った時だった。
これは紛れもない僥倖であって、意図的なものじゃない。
飯田の独壇場だった第二セット、どれだけ劣勢になっても安倍は諦めなかった。
だからこそ安倍は見出した。
希望を持つ人間には全て明るい未来が待っているというわけじゃないが、
絶望してしまった人間には暗い未来しかない、というのは相違ない。
そして、安倍は希望を捨てなかった。
飯田からの強烈なストロークだった。
躍動感溢れるフォームから弾き出された打球はまるで、弾丸のように高速だった。
切れがあって重く、触れるだけで手が痺れる。
安倍はそんな飯田の打球をこれまでは辛うじて打ち返していた。
そう、辛うじて。
力の無い安倍の返球を飯田が容赦なく叩いてポイントを奪う。
そんな展開がずるずると続いていた時だった。
- 144 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/19(木) 23:32
- 安倍が振ったラケットは飯田のストロークを捉え損ねた。
コートのほんの小さな窪みに落ち、僅かにイレギュラーバウンドした所為で
軌道が数センチ、変わったのだ。
安倍はガットの中心から二センチ下の部分で打ち返す。
捉え損なった為に逆回転がかかった。
打球はロブショットのように力なく浮かび、ふらふらと相手コートに戻っていった。
完全な死に球で、もう少し緩い孤を描いていたならスマッシュを打たれていただろう。
しかし、安倍の球は飯田の頭上高く越えると、サーヴィスライン付近で急激に減速した。
その時見せた飯田の顔を、安倍は、ほんの一瞬だったのだが、しっかりと目に焼きつけた。
―――あの不快なモノを見るようなつまらない表情。
安倍は瞬間的に悟った。飯田が作り上げていた流れ、テンポのいい試合展開。
その中にあって、ロブショットのようにリズムが狂わされる返球は異物以外の何者でもないのだ。
(・・・いける)
- 145 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/19(木) 23:32
- ネットにつめていた飯田は、打球を追ってバックコートの位置まで戻る。
その間、ゆっくりと時間が流れた。飯田は三回ほど意識して大きく呼吸する。
バウンドするのを確認して、思い切り振りぬいた。それが思いがけずネットに引っ掛かる。
野球で言う、チェンジアップに三振してしまうのと同じ感覚だ。
不意の一打で飯田はリズムを狂わされた。
一度狂ってしまったリズムというのは、元に戻すのが大変難しい。
ある意味で飯田は我に帰ってしまった。
そしてこの偶然の一打が、この試合を飯田の一人舞台から引き下ろす引き金となった。
第七ゲーム。ポイント15=30。
この時、飯田はまだ何も悟ってはいなかった。
安倍にとってこの一打がどんな意味を持っていたのかも、
飯田自身がこの一打によって体内のリズムを狂わされてしまったことも、
そしてこの先に、息もつかせぬ死闘が待っている事も。
―――
- 146 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/19(木) 23:32
- 第二セットは結局、ゲームカウント一=六で飯田が安倍を圧倒した。
安倍の回転が完全に攻略されてしまった今、T高校の人間以外、誰もが飯田の勝利を確信していた。
この試合、今までの飯田からでは想像もつかない力強いテニスが展開されている。
それはある意味で、さなぎから蝶になったような、画期的な変化だった。
これまでの飯田、そして今の飯田、どちらが『本当』の飯田かはわからなかったが、
ともかく、安倍を圧倒しているのは今現在の飯田圭織であった。
そんな中で真希だけはこの先の第三セットに危機感を覚えていた。
第一セットの時のような冷静な飯田の精神状態なら、
安倍が見出した新しい『武器』なんて全く恐るるに足らない。
しかし、今の飯田の強さは勢いに頼っている部分が多かった。
勢いに乗った人間には両極端の怖さがある。
一つは、そのまま突っ走って相手に付け入る隙を与えないまま圧倒してしまう強さ。
そしてもう一つは、どこかで急ブレーキをかけられ、
自分を見失ってしまったままゲームを落としてしまう脆さだ。
第二セットが終わると、真希はすぐに飯田の元へ駆け寄った。
- 147 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/19(木) 23:33
- 一方で、安倍は確かな手応えを感じていた。
もともと回転に頼りすぎていたのだ。
自分にはそれしかないと心のどこかで結論付けていたから、
新しい戦法を見出すまでに時間がかかってしまった。
今なら冷静に判断できる。
自分がどこまでいけるかも、飯田という強者に勝つ可能性がまだ残っているということも。
ベンチに腰掛けると、安倍は呼吸を整えてスポーツ飲料を少しだけ口に含み、
ゆっくりと喉に流した。スーッと、命を吹き込まれたような充足感を覚える。
その後ベンチにかけてあったタオルで顔全体を拭い、精神を落ち着かせた。
ふと見上げた空は少しだけ色が濃くなっていて、
それがやたらと鮮やかだった事に謂われもなく感動する。
不安も恐れもない。ある種、安倍は達観したような心境になっていた。
今なら、飯田に全てをぶつける事が出来る。
去年と比べて嘘みたいに落ち着いているのだ。
去年の自分ならば飯田に回転を攻略された時点でゲームを半ば諦めていただろう。
この変化・・・成長というものだろうか。
三年になり、部長になってもまだ未熟な自分を悟って、安倍は何だか恥ずかしくなった。
やがて、表情を若干曇らせた部員たちがやってきた。
第二セットのやられっぷりに、不安になったのだろう。
安倍は笑顔で迎えた。そしてみんなにはこう伝えるつもりだった。
絶対に負けないから、安心してほしい―――
強い精神力を維持するには、仲間の笑顔は欠かせないのだ。
- 148 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/19(木) 23:33
- 「飯田さん。落ち着いてくださいね。絶対勝てますから。」
飯田の元へ駆け寄った真希は、前振りもなく直截飯田に用件を伝えた。
そんな真希の少し焦った口調に、飯田は怪訝そうに首を傾げる。
いつもの真希らしくない。
「ん?全然焦ってないよ。落ち着いてる落ち着いてる。
今ね、すごくテニスが楽しいと思えてるんだ。それって本当に気持ちいいことだよ。
ゴトーはいつもこんな気分でテニスやってるんだろうなーって思った。
任しといてよ。絶対勝つからさ。」
飯田は意図的に軽い口調でそう言う。
すると真希は下唇を軽く噛んで、一瞬だけ下を向いた。飯田はその小さな仕種を見逃さない。
「それはそうなんですけど・・・飯田さん気をつけて下さいね。
安倍さん、何か掴んだみたいなんです。何て言ったらわかんないんですけど、
こう、閃きというか、とにかく落ち着いてください。すいません、訳わかんないこと
言っちゃって・・・」
飯田は真希の言葉を聞いてから瞬きをパチパチと四回した。
それから唇の端を少しだけ上げて微笑んだ。
- 149 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/19(木) 23:34
- 「わかった。なるべく気持ちを落ち着けてテニスするよ。
ゴトーがそう思うんなら、きっと本当なんだと思う。それでさ、
この試合に勝ったらね、何かわかると思うんだ。テニスをやって来た意味っていうのかな、
そういうのがね、わかると思うの。だから絶対に負けないよ。」
そう飯田が強い語調で言ったのを聞くと、真希は大きく頷いて踵を返した。
しかし、心のどこかで飯田は何も気付いていないんじゃないか、と思った。
―――今の心境に対する盲目的信頼。
そういう類いのモノが飯田を覆っているような気がするのだ。
自分自身の心理状態を細かく分析できる人間なんてそういないと思うが、
飯田が陥っているのはもっと奥深いところ、言うなれば潜在意識に対して盲目になっている気がする。
ゲームを圧倒した手応えを得て、昂揚した気分のまま次のセットに臨めば
飯田はきっと墓穴を掘ってしまう。真希は漠然とだがそう思った。
- 150 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/19(木) 23:34
- 勝敗が決まる第三セット。
二人がコートに戻ってきた時、梨華はベンチの端で相変らずの無表情だった矢口に、
意を決して話し掛けた。
矢口はベンチの隅に座ってジッとコートを見ていた。
まるで矢口の周りだけ何か特殊な空間があるかのように、
その隔絶された空間の中で、静かに、ジッとコートを見ていた。
梨華はその空間、矢口の世界、に決然と踏み込んだ。
余談だが、K学のベンチでも同じように自分の空間、世界を持っている人間がいる。
市井だった。その隣には真希がいた。
「あの・・・ちょっといいですか?」
声に反応した矢口は横に立っている梨華を見上げるだけで、数秒黙っていた。
その間に漂う固い空気、それが息苦しくて梨華は思いがけず唾を飲み込む。
すると喉が、コクっと高い音をたてた。
「何?」
と、矢口は言ってからコートに視線を戻す。
素っ気無い態度には慣れっこになっていた梨華だが、
それでもやはり少しだけ気持ちが萎縮してしまう。
- 151 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/19(木) 23:34
- 「矢口さんは、この試合、どう見てるのかなぁ、と思って・・・」
「どう見てるって、何?」
「矢口さんだったら、飯田さんに対して有効な攻め方を知ってるんじゃないかな、と
思ったんです。安倍さんのショットは飯田さん苦にしなくなったみたいですし。」
一々言葉づかいが慎重になって、ぎこちない説明になった。
何時になったら矢口と気兼ねなく話せる日が来るのだろうか、
そんな事を梨華は気にしてしまう。
「とりあえず、座ったら?」
梨華は所在無さげに視線を伏せながら、もじもじと矢口の隣に立っていた。
日焼けプラス、持ち前の地黒の所為で真っ黒な肌を晒しているのに、
もじもじとか弱い女の子みたいなそぶりをする。
それがかなり気持ち悪い。相手が吉澤なら間違いなく、キショイ、と一蹴されるだろう。
矢口の言葉を聞いて、梨華は大きな声で、はい、と返事をした。
ブリッコがするように、ちょこんと膝をたたんで腰掛ける。
しかし座ってはみたものの、矢口はコートばかりを見つめていて梨華の事など
まるで眼中に無いようだった。
(やっぱり話し掛けなきゃよかった・・・)
と、梨華が後悔しかけた時、
- 152 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/19(木) 23:35
- 「石川はなっちの事ほとんど知らないと思うけど、心配要らないと思う。」
矢口は前を向きながらそう言った。
相変らず、感情のこもっていない平板な声だった。
「あ・・・そうなんですか?」
それでも矢口が質問に答えてくれるなんて珍しいから梨華の胸は弾む。
「やっぱり、安倍さんすごい人ですもんね。」
「なっち自身、気付いてないと思うけど、飯田先輩よりもセンスはあるよ。」
「でも・・・第二セットは飯田さんのセットでしたよね?」
梨華が不安そうな声色でそう言うと、矢口は顎を上げて鼻を小さく鳴らした。
その仕種が、気の所為かもしれないが、梨華にはとても俗っぽく映った。
表情の変化も無いし、口調も相変らずの平べったいものだったが、それでも
少し前に感じていた矢口のイメージとは大きく変わったような気がする。
そもそも、今のように矢口が自分から言葉を紡いでいる事自体が大きな変化だった。
- 153 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/19(木) 23:35
- 「なっちはまだ全力出し切ってないと思うよ。私は何度もなっちと打ち合ってるけど、
本来のなっちはあんなもんじゃないよ。」
「矢口さん・・・安倍さんの事、信じてるんですね。」
何だか梨華はとても嬉しくなった。
矢口にはちゃんと感情がある。当たり前の事だが、人間としての資格があるのだ。
「信じてるのかな?」
「え?」
「私にはわからない。ただ、なっちは勝つと思うよ。」
「そう思う事が、信じるって事だと思います。」
「・・・」
試合が始まった。
審判の声と共に梨華もコートに目を向ける。
そしてその頃には矢口の空間、世界は居心地の悪い場所では無くなっていた。
梨華は自然体のまま、矢口の隣で安倍を応援し始めた。
- 154 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/19(木) 23:36
- 第三セット、安倍からのサーヴィスで始まる。
勝敗が決まるこのセット、サーヴィスゲームをキープするのは必須条件だ。
安倍も重々その事を承知している。
普段の安倍ならば、その重圧の為に自分のテニスを見失うはめになる所だったが、
今の安倍は至極落ち着いていた。
軽く二回球をバウンドさせてからトスを上げる。
軽快だった。
これまで以上に躍動感溢れるフォームでラケットを振り下ろす。
回転は切れが良すぎるほどのスライスだった。
安倍は、完全に捨てた。
ボールに命を宿せると謳われた安倍は、その特技を完全に捨てて第三セットに臨もうと決意したのだ。
打球はバウンドすると、角度をつけて外に逃げていく。
回転のエキスパートである安倍にとっては、強烈なスライス回転を打つ事など容易い。
飯田はレシーブを決めるが、コートの外に追い出されてしまった。
それを見計らって、安倍はストレートを打つ。
が、飯田はすぐに体制を立て直すと、腕を目一杯伸ばして返球に成功する。
当てただけで力の無い打球だったが、ネットを越えると直後には落下していた。
結果的にドロップショットのような形になり、安倍はすぐにネットダッシュした。
- 155 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/19(木) 23:36
- 読みが冴えていて、安倍は飯田からの返球を余裕を持ってクロスに打ち返した。
しかし、バックラインのセンター付近に立っていた飯田は鋭敏すぎるほどの反応を見せた。
安倍がラケットを振るや否や、すぐに落下点を予測して駆け出す。
そして走ったまま、強烈なバックのストロークを決めてきた。
今の飯田には、第六感に似たナニカが味方をしている。
ネットについていた安倍は飯田のストロークに対して慎重にボレーを決める。
飯田を揺さぶってやろうと思った。
今度は逆側のクロスへとボールを落とす。
しかしそれも飯田は拾った。
またバックハンドのストロークを打ち返してくる。
軌道はストレートだった。今度は安倍が走った。ボレーを決める。
第一ゲームの最初のポイント。
それを取るか取られるかでは、気持ちの面で大分違ってくる。
それに、安倍にとってはサーヴィスゲームだった。落とすわけにはいかない。
ネットプレーをどちらかと言えば苦手としている安倍だったが、回転を攻略されたい以上、
飯田に対して悪い手ではないと思った。
ネットについてさえいれば、飯田の強烈なストロークも返球するのに苦労はしない。
勿論、いい部分ばかりがあるという訳じゃないが。
- 156 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/19(木) 23:36
- 何度か打ち合った後、飯田が仕掛けた。
簡単なフェイントだ。
大きく外へ打つと見せかけるだけで、軌道はそのまま安倍へと帰っていくストローク。
その微妙な足の開き具合の変化に、安倍は過敏に反応してしまった。
僅かにタイミングを狂わされる。
そして、その僅かが命取りになるのだ。
これまでその『僅か』のやりとりでポイントを奪っては失ってきた。
死に球になった打球に飯田が打ったのはロブショットだった。
フワリと綺麗な放物線を描き、打球はバックコートの中間に落ちる。
安倍は完全に後ろを向いて打球を追った。
そしてくるりと振り返り、高く跳ねた球に対して、安定したフォームでストロークを打った。
飯田が望んでいたのはまさにこれだった。
バックライン付近からの、ストロークのラリー。
第二セットで飯田は圧倒的に打ち合いを制してきた。
そしてこれからも、のはずだった。
―――押してだめなら引いてみろ。
- 157 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/19(木) 23:36
- 安倍は飯田とまともに打ち合うのを止めた。
どれほど力強くラケットを振っても飯田の身体能力には勝てないのだ。
きっかけは第二セットの第七ゲーム。
打ち損じがロブ気味に浮いた。その時に飯田が見せた表情が決定的となった。
飯田は勢いを削がれる攻撃に異常なほどの不快感を露にする―――
安倍は飯田の強烈なストロークに対し、器用にラケットを振ってドロップショットを打った。
それは一つの賭けだった。
飯田の打球は異常に切れがあって重く、上手く打球の勢いを殺せるか、
実際的にはかなり困難だったのだ。
(決まれ・・・!)
究極的に、安倍は祈るしかない。
打球がガットに触れる瞬間、勢いを殺すようにラケットを操作する。
あとは、決まるのを祈るしかない。
そして安倍が打ったショットはしっかり相手コートに戻ると、ネット際でストンと落ちた。
希望は形となった。
- 158 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/19(木) 23:37
- 飯田は舌打ちをすると、全力でネットダッシュする。
飯田の中で流れいていた時間が強制的に止められた。
もっと、こう、流れるようなテニスがしたいのに!
心の声を反映して、飯田の表情はひどくつまらなさそうになる。
その顔を見て、安倍は口端だけを上げて微笑んだ。飯田には気付かれないように、ひっそりと。
テニスは奥が深いスポーツだ。それを改めて実感した瞬間だった。
とは言うものの、飯田圭織という選手は伊達じゃない。
安倍が完璧に決めたと思ったドロップショットを拾い上げて見せた。
ラケットで掬うようにして相手コートに落とす。
しかし、それも安倍は読んでいた。一筋縄でいかないから飯田なんだ!
クロスへ打つと見せかけて安倍が打ったのはロブショットだった。
緩い返球だったので、回転を完璧にかける事が出来た。
それが安倍なつみという選手の強さだ。寸分狂わぬ回転をかける事が出来るのだ。
- 159 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/19(木) 23:37
- 安倍の計算では、打球はバックライン上に落ちる。自信があった。
それ以上超えてアウトにはならないし、それよりも手前に落ちる事も無い。
絶対に、バックライン上に落ちる―――
ネットにつめたと思ったら、今度はロブショットで強制的にバックさせられる。
飯田は狂わされていた。勢いに乗ったテニスが、完全に狂った。
ふわりと浮かんだ打球を飯田は追いかけなかった。
追いかけずに、安倍の顔を大きな目で凝視した。―――確信に満ちた表情。
侮っていた訳じゃない。ただ、テニスが楽しいのだ。
そして、これほどテニスが楽しいと思えたのは、
相手が安倍なつみという強者だったからに相違ないのだ。
第一ゲーム、ポイント15=0。
これから始まる死闘の幕開けだった。
- 160 名前:カネダ 投稿日:2004/02/19(木) 23:38
- 少ないですが、切りのいい所まで更新しました。
- 161 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/20(金) 00:43
- うわあああああぁぁ!!!
更新来てた!!!
うれしいよお
もう、興奮がとまりません?
なっちの反撃待ってました!毎度のことながら、カネダさんの
文章には引き込まれてしまいます。夜中、ふと目が覚め、チェックした
ところ、更新キター!!!!この感激!本当にありがとうございます。
なに書いてるか訳わかんなくて申し訳ありません。
とにかく面白い!なっちガンバレー!ってことで次回更新お待ちしております。
- 162 名前:YONE 投稿日:2004/02/20(金) 04:34
- 更新お疲れさまです。
作者様のペースで頑張って下さい。
- 163 名前:桃ノ木権三郎 投稿日:2004/02/20(金) 23:52
- 来た―――っっ!!
がんばってください!!
すっごく楽しみです!!
- 164 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/21(土) 00:53
- ochi
- 165 名前:まる 投稿日:2004/02/22(日) 11:38
- すっごぉ〜〜〜〜い!!
全然先が見えないこの展開にハラハラドキドキです。
- 166 名前:カネダ 投稿日:2004/02/29(日) 19:11
- レス有難う御座います。
本当に励みになります。感謝。
>>161名無飼育さん様。
ハイテンションのレスありがとうございます(w
夜中にわざわざ読んでくれるとは・・・
これからもなるべく精進して書くつもりですので、どうか読んでやって下さい。
>>162YONE様。
そうですね、完全に書く余裕が出来るまでは自分のペースで書こうかと思ってます。
自分としても早い更新が一番望ましいんですが・・・
気を使っていただいてありがとうございます。
>>163桃ノ木権三郎様。
がんばります!
期待に応えられるかわかりませんが、精一杯書きますので読んでやって下さい。
>>164名無飼育さん様。
わざわざすいません・・・
>>165まる様。
先が読めないように、ごまかしごまかし書いてます。
それでも自分ではそうなってるか全然わかんないですから、そう言って
くれると嬉しいです。これからもハラハラドキドキしてもらえるようがんがります。
それでは続きです。
- 167 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/29(日) 19:12
- 予感が確信に変わった時、安倍は本当の意味での自信を手に入れる事が出来た。
脳内に描いていた青写真が理想のモノから現実の物へと移る。
よし、と、心の中で大きく叫んだ。
不安など何も無くて今、安倍の中にあるのは挑戦者としての心構えだけだった。
そういう境地を開拓した人間は強い。
一挙手一投足に純粋さと活力が見受けられるようになり、
相手にとっては精神的に嫌な印象を与えられる事になる。
飯田は冷静になった。
真希に言われたからじゃない。
安倍によって強制的に気持ちが冷却させられてしまったのだ。
ふう、と安倍に気付かれないように息をついた。
なかなか思い通りにはいかない。しかしだからこそ、楽しいと思える。
まだ体の中はテニスに対する純粋な喜びで溢れていた。
ふと勝ちたい、という欲求が強くなった。
それはきっと相手が矢口でもなくて、他の誰でもなくて、安倍だからだろうな、と飯田は思った。
第三セットはまだ始まったばかりだが、最初に安倍が得たポイントは二人にとって
大きな意味を持ったようだった。
二人はそうやって幾度か化学変化をし合いながら、お互いが信じた勝利の二文字に向かって突き進む。
- 168 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/29(日) 19:12
- 安倍は次に、先ほどと同じスライスサーブを打った。
回転に切れがあって、打球はやはり先ほどと同じように外へ逃げていく。
しかし一度見たものには、それが例えほんの微々たるものであっても、免疫がつくものだ。
飯田は右足を強く踏ん張って、深いレシーブを返した。
その直後サーヴィスラインの位置まで前進した。
様子見、というわけじゃないが慎重にテニスをしようと思った。
飯田のレシーブを丁寧なフォームのフォアハンドで返すと、
安倍はその場に留まってステップを刻みだした。
第一ゲーム、絶対に取らなければいけない大事なゲームだ。
万が一でも落とそうものならば、絶望に等しい重荷を背負う事になる。
話が少し逸れるが、安倍がネットプレーを苦手としている理由の一つに、
心理戦が弱い、という致命的なものがある。
鈍臭い安倍の思考では、相手の深い心理を読むことがどうしても出来ないのだ。
例えば今、飯田はサーヴィスラインの位置まで前進してきた。
さて、これから飯田はどういう組み立てをしてゲームを進めてくるのだろうか?
先ほどのお返しと言わんばかりにネットについてくるのだろうか、それとも
死に球を誘ってスマッシュチャンスを狙っているのだろうか、はたまた
ドロップショット、ロブショットを警戒しているのだろうか。
そういった色々な可能性に対して安倍は酷く鈍感だった。
- 169 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/29(日) 19:12
- テニスやその他のスポーツでもそうだが、
一対一の種目になると、どうしても心理戦は重要視されてくる。
ただ強い、だけで勝利できるのは圧倒的に実力差がついている場合だけだ。
そして安倍と飯田の実力差は、飯田の方がやや上をいっていると言っても
敵わないほどじゃなかった。
安倍は否応なしに心理戦を強いられる。
しかし、先天的に苦手なものはどうしたってすぐには克服出来ない。
だから安倍は自分の考えを捨てようと思った。ただ、流れに身を任せる事にしたのだ。
不慣れな事をしてどじを踏むくらいならば、最初から放棄してやる。
―――自分の感じたように、無心で挑む。
矢口との練習試合や、打ち合いでは決まって無心で挑んでいたのを安倍は思い出したのだ。
矢口が言う安倍のセンスとは、何も運動センスやテニスのテクニックという
部分だけじゃなくて、そのような感覚的な部分の事も含まれていたのだろう。
飯田に対して安倍は特殊な回転と思考という、二つの重大要素を捨てた。
この一種の博打じみた大胆さが、飯田をこの先苦しめる事になる。
- 170 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/29(日) 19:13
- 飯田は安倍のストロークに対して、思い切りのいいバックハンドを合わせた。
ラケットを振ると、体が軽くなったような錯覚を受ける。
飯田の中に根付いている躍動感はまだ健在だった。
いくら頭の中を冷静沈着に努めようとしても、体は正直だ。
安倍が打ち返してきた弱い打球は低く跳ねた。
膝をたたんで、飯田はローボレーを打つ。
それがネットにかかった。
中澤が茶化して言った「悪乗り」の状態は、飯田の中でまだ依然として続いているようだ。
繊細な力加減を要するショットのコントロールが乱れていた。
それも、本人にその自覚が無いから余計にタチが悪い。
飯田は本気で、安倍が何か仕掛けたのではないか、という怪訝そうな表情を浮べた。
ポイント30−0。
この時点で、このゲームは安倍が取ったな、と市井は思った。
- 171 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/29(日) 19:13
- 「二転、三転、わかんないもんだな。」
腕を組みながら、少しはにかんだ表情で市井はそう言った。
隣に座っていた真希は、そうだねぇ、とやる気の無さそうな相槌を打つ。
しかし目は真剣だった。
「ねえねえ、ぶっちゃけ市井ちゃんはどっちが勝つと思う?」
「んーと、圭織。」
「激しく同意。」
「そうなんだけどさぁ、わかんないよな。」
「安倍さん、底力あるもん。」
「安倍さんだけじゃなく、T高校のメンバー全員、そういう計り知れない可能性に
溢れてる気がするんだよな。いや、もともと人ってみんなそうなのかもしれない。
それを発揮できるか、できないかが問題なんだと思うんだな。」
「また説教くさいこと言い出したよこの人。」
ププっと真希は笑った。市井はムッとする。
- 172 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/29(日) 19:14
- 「お前なぁ、人がせっかく真面目に話してんのに・・・」
「いいよいいよ続けて。私は市井ちゃんの話好きだもん。」
「だからなんて言うんだろうな・・・テニスって奥が深いよ。
一試合の中にいろいろな可能性や、運や、流れが潜んでる。
すごく人間的な競技って言うか、そんな感じだな。最初は安倍さん、
次に圭織が優勢になって、今はまた安倍さんのペースになろうとしてる。
面白いスポーツだよ本当に。」
クスっと真希は笑った。市井は怪訝そうに首を傾げる。
「市井ちゃん、テニスが好きなんだなあ。本気で楽しそうだよ。」
「そうだな。好きだよ。」
「じゃあさ、辞める必要ないんじゃない?」
「好きだからこそ。」
と、市井は真面目な表情を作って言った。
- 173 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/29(日) 19:14
- 「好きだからこそ、この世界から手を引きたいんだよ。
こんなに面白いスポーツを私は汚したのさ。その意志を変えるつもりはないよ。
私は私なりに結論出したんだ。私はもう、選手としては終わってるんだよ。
これからは才能溢れる後輩を外から応援する。外野に回ろうと思ってるんだ。」
「わかんないなぁ。」
と、真希はさもわからなさそうな表情で言った。
「わかんないよ。市井ちゃんってまだ17歳でさ、これからが本当に自分のこと
わかってくるって年齢で、どうして好きなこと辞めなきゃいけないの?
間違いとか失敗とかはさ、今するから意味があるんじゃないのかな?
子供の時にいろんな失敗や間違いを経験してさ、今後しないようにすればいいだけじゃないの?」
諭すように真希はそう言う。
市井は空を見上げた。それから何か思案するように目を細めた。
「そうだな。普通はそう考えるんだろうけど、私は私のことをよくわかってるんだよ。
いや、わかり過ぎてるって言っていい。おかしな力が私にはあるのさ。他人の心が
手に取るようにわかるんだ。それはどんな場合でもだ。だから部の連中が
私に対してどんな感情を抱いているかもわかる。もちろん、自分自身のことも
嫌なくらいにわかるんだ。」
市井はそう言うと重い溜息をついた。
それはもう、まるで実体があるかのような、重くて曇った溜息だった。
- 174 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/29(日) 19:15
- 余談だが市井が1年の時からレギュラーになり、
早々にエースとなった理由は、文字通り、異常なほど心理戦が強かったからだった。
石黒がそれに気付いたのは市井が入学し、保田との練習試合をやらせてから、約一ヶ月後だった。
例えばゲームがジュースになった時、市井は絶対にそのゲームを取った。『絶対』にだ。
緊迫した心理戦が展開される、ぎりぎりの勝負で市井は絶対に負けなかったのだ。
最初はただ、度胸がすわっているだけだと石黒は思っていたが、違った。
市井は相手の心理が読めるのだ。それはもう超自然的な能力だった。
人の心を手に取る事ができる。市井が死神と呼ばれる所以はそこからだ。
相手の心の中に入り込み、それを壊す。すると試合などするまでもなく相手が勝手に壊れてしまう。
真希が入部した当時に、市井から受けた畏怖に似た最悪な感覚も、市井が真希の
ココロに直接触れたからだ。
安倍とは本当に対称的な位置に市井はいる。
頭の鈍い安倍とは違い、市井は頭が切れすぎるから、幼少の頃から誰にもなつかれなかった。
或いは、周りの人間は本能的に市井を恐れたのかもしれない。
人と人との信頼や友情や恋愛は、心の底からわかりあう事が出来ないから成り立っている。
少なくとも市井はそう思っていた。
心の中にある、本当の感情を他人に知られる事がないから、笑顔を見せる事が出来るのだ。
- 175 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/29(日) 19:15
- それを市井はわかってしまう。もちろん、具体的という訳じゃない。
漠然として曖昧な形をしているものでも、その意図はわかるのだ。
市井の近くにいると、心を見透かされているような気持ちになる。
それが不快で、人は誰も市井を心の底から慕わなかった。
しかし真希だけは違った。真希だけは日が経つにつれて、心の底から市井を慕うようになった。
市井も本当のところ、どうして真希がこれほど自分を慕ってくれるのかがわからなかった。
真希の純粋さは汚れている部分がなく、ひどく綺麗ごとのように聞こえる発言でも
それは紛れもない本音なのだ。そんなある意味、天然記念物級の正直者が、
どうして人を壊し、信頼を無くし、誰からも嫌われている自分を慕うのか、
市井には理解できなかった。
そして、市井はこれまで出会った人間の中で矢口の心だけは読めなかった。
市井が触れた矢口の心はただのツルツルの球体みたいなものだった。
それには何の感情も描かれていない。
去年の今頃、市井は闇雲に、その球体を壊そうとしたのだった。
- 176 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/29(日) 19:15
- 「わかるわかるって言うけどさ、何がわかるって言うの?
自分にはテニスの才能が無いとか、そんな事だったらくだらないよ。
可能性とかさ、そういうのはわからないから生まれるモノじゃないの?
市井ちゃんはただ、挑戦するのに逃げてるだけのような気がする。
これまで天才とか、成功した、って言われてきた人はさ、自分には才能がある、
自分は成功できるんだ、とか確信してたのかな?私はそうは思わない。
そういうのはガムシャラに努力してさ、それでほとぼりが冷めた頃に気付くものなんだよ。
もしかしたら死ぬまでわからないのかもしれないし。
市井ちゃんはまだハナタレのガキなの。だから答えなんかわかるはずないんだよ。」
真希は市井の顔を熱心に見つめ、語調を荒くしてそう言った。
どうして真希はこうも必死に自分のことを考えてくれるのだろうか、ふとそんな事を市井は思う。
お人好しも、ここまで来ると感心してしまうほどだ。
「お前は私のことなんて考えなくていいんだよ。私のことなんて気にする暇が
あるんなら素振りでもしてろ。」
市井は真希の視線が痛くて、コートに目を逸らした。
- 177 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/29(日) 19:16
- 「頑固な奴だなあ・・・」
「どうも、それだけが取柄みたいだし。」
「じゃあさ、市井ちゃんがテニス辞めるんなら私も辞めるよ。」
市井は思わず顔を真希の方に向けて、瞠目した。
たまにケロッと、とんでもない事を言ってのけるからタチが悪い。
「だからな、お前には才能があるんだって。お前は私には無いものを持ってるんだ。
未来があるんだよ。間違っても辞めるなんて言うな。」
「私は市井ちゃんの何だって言うの?そんなの私の勝手じゃん。」
「お前は私の後輩だ。先輩の言うことは絶対。」
「市井ちゃんが辞めたら先輩でもなんでもなくなるじゃん。」
「いや、そうだけど・・・」
「私はね、あいぼんや愛ちゃんや市井ちゃんや飯田さんや保田さんや・・・藤本や、みんなと
一緒にテニスをするのが好きなの。一人でも欠けたらきっとやる気も無くなるよ。
少しくらいね、そういうこと考えてみたら?市井ちゃんは自分で勝手に答え出してるけどさ、
少なくとも市井ちゃんが辞めたらすごく寂しいと思う人間がいるんだってこと、考えてよ。」
- 178 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/29(日) 19:16
- 真希は頬を膨らまして、コートに視線を戻した。
ゲームは進んでいて、第一ゲームを市井の予想通り安倍が取り、
第二ゲームを飯田がジュースになりながらも辛うじて取り、
第三ゲームを安倍がキープし、第四ゲームを飯田が何とか取るという、
拮抗した展開が続いていた。
ゲームの内容から言えば安倍がやや優勢だったが、飯田はそれでも引き離される事無く
しっかりと安倍を射程圏内に捉えていた。
「・・・とにかく、辞めるなんて言うな。」
「・・・知らない。」
「ああ、もう、何でこうなるかなぁ・・・」
クシャっと髪の毛を片手で掴んで市井は溜息をついた。
真希は釈然としないまま立ち上がり、奥の方に座っていた藤本の隣に勢いよく腰掛けた。
機嫌が悪そうに眉根を寄せては、腕と脚を組んで下唇を噛む。
そんな真希に藤本は皮肉っぽい微笑を見せた。
- 179 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/29(日) 19:17
- 「何か口論してたみたいだけど、どこから見てもあなたの方が悪そうだったわ。」
「うるせえ。」
「でも、市井さんがあんな風に自然体でいるところなんて、私見たことないかも。」
「ただの頑固親父だよ。」
「それは自分に対して言ってんの?」
「ああー、どうしてウチのテニス部はこんなのばっかりなんだ・・・」
「まあまあ、ボンタンアメ食べない?」
「ねえオマエさぁ、私を怒らそうとしてるでしょ?」
「そんな無意味なことするわけないじゃない。」
アホみたい、という呆れた表情をして藤本は肩を竦めた。
それが本気で真希の憤りを煽る。
「ああーーー・・・」
「何か機嫌悪いみたいだけど、静かに試合見たら?」
藤本は視線を試合に戻して、平らな声でそう言った。
- 180 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/29(日) 19:17
- 「あ?」
「この試合、本当に勉強になるわよ。見学っていう言葉知らないの?」
「見てるっつーのに。」
「安倍さん、私が思ってたより相当腕上げてる。」
「飯田さんには敵わないよ。」
「『今』の安倍さんならわからない。T高校って面白い学校だと思う。本当に。」
「確かに、全員火事場のクソ力みたいなの持ってる気がするね。」
「何それ?」
「筋肉マンって漫画知らない?」
「頭悪そうな題名・・・」
「・・・」
ゲームカウントが二=二となって、ゲームの折り返し地点とも言える第五ゲームに差し掛かる。
安倍としては出来すぎといってもいい内容だった。
勝敗の分岐点となる第七ゲームまでに引き離されなければ、
願ったり叶ったりだと安倍は思っていた。
第七ゲーム以降の展開は、こんな事を言ってはなんだが、運に身を任せるしかない。
しかし、この試合くらい勝たしてくれてもいいじゃないか、と安倍は飯田を一瞥する。
- 181 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/29(日) 19:17
- 第四ゲームを終えて、漸く飯田のテニスに精細さが戻ってきた。
本人が無意識のうちに飯田のテニスは変化を繰り返している。
そして何よりも飯田が驚いたのは、安倍の攻撃のパターンが読めなくなった事だ。
テニスに単純さが無くなったというか、姑息になったというか、とにかく
こんな如才無い一面が安倍にあるとは思っても見なかった。
イヤラシイ奴だな、と飯田は安倍を一瞥する。その時、ちょうど目が合った。
強い視線だった。
これまでの安倍のイメージからは想像もつかないほど、勝ちに対しての貪欲さが垣間見えた。
どうやら簡単には勝たせてくれないらしい、と飯田は心の中で苦笑してみた。
安倍はトップスピンとスライス回転を上手く使い分けて、サーブを打ち込んでいた。
交互に打ち分けたり、三回連続でトップスピンを打って飯田を煽ってみたり、
とにかくイヤラシイ攻め方を続けている。
第五ゲームの最初のサーヴィスで、安倍はトップスピンサーブをセンターライン
すぐ傍に落とした。
打球は高く跳ねて、飯田はバックハンドのレシーブを決める。
- 182 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/29(日) 19:17
- ゲームが展開しても、飯田のストロークには以前のような力強さが無くなっていた。
打球というのは不思議なもので、本人の気性や意志が乗り移るものなのだ。
飯田は慎重になっていた。
思い切りの良さで安倍を圧倒していたのに、今ではすっかりその影を潜めている。
安倍は飯田の打球に脅威を感じなくなっていた。そうなると不思議と負ける気がしなくなる。
ただ、強欲にならないように意識した。
ここで一気に畳み込もうとすると、きっと足元を掬われてしまう。
あの飯田がこのまま萎縮して終わるとは到底思えない。
安倍の直感はそう安倍に警告した。
第五ゲームを安倍は難なく取る事が出来た。
第三セットから顕著に使い始めた、ロブショットとドロップショットの心理的圧力が
飯田を苦しめていたのだ。
それらを警戒するが故に、飯田はどうしても思い切った攻撃が出来なくなってしまう。
- 183 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/29(日) 19:18
- これでゲームカウントが三=二となった。
そろそろ逆転しなくてはずるずると行ってしまうかもしれない。
飯田はあれこれと考え始めた。
既存の安倍なつみはもういない。
今、目の前にいるのは安倍なつみという殻を抜け出した、計り知れない力を持つ、何者かなのだ。
その得体の知れない人間を攻略するには、果たしてどうすればいいのか。
―――答えはきっと経験が教えてくれるだろう、と飯田は思った。
安倍なんかよりもキャリアでは何十倍も上回っている。
最終的な寄る辺はそこしかない。
太陽が徐々に傾いてきて、陰が若干濃くなっている。
まだ夕方というには早い時間だが、それでも辺りの雰囲気はどこか落ち着いてきて
それが飯田の心を随分と楽なものにさせた。
そして、気がつけば風が完全に無くなっていた。
安倍が打ってくるロブショットやドロップショットの、
異常なまでの正確さはその為だろうな、と飯田はぼんやり考える。
つまり、安倍は運を味方につけているのだ―――それがどうした。
天運が安倍に傾いているとして、それが一体何なのだろう。
神やそんな類いのモノが存在するとして、そいつらが敵に回るんであれば
安倍もろとも打ち破ってやる。飯田の闘争心は不遇をしてなお燃え上がったようだ。
- 184 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/29(日) 19:18
- 安倍は何も考えなかった。
空を見ても、それが綺麗という以外の感想を求めない。
仲間の声援を受けても、それが背中を押してくれているという以外の感想を求めない。
―――勝負事は最終的に冷静だった人間が勝つものだ。
そんな事を何かの専門家の誰かが言っていたような気がするが、
果たしてそれが本当かなんてわかるわけがない。
少なくとも今の安倍の心境は冷静などというモノではなかった。
ただ、無心を努める。思考を排除する。自分の中を流動する感覚に身を任せる。
それは安倍にとってとても有効な手段だったが、少し悲しい選択でもあった。
何故なら、安倍は笑顔を見せなくなったからだ。
「安倍さん・・・」
梨華は漠然とした不安を感じていた。
第三セットになって、安倍がまた優勢になったにもかかわらず、どこか胸の中が忙しないのだ。
安倍から笑顔が消えてしまった。いや、ただ試合に集中しているから笑顔などを
振りまいている余裕が無くなってしまっただけかもしれない。
そんな都合のいい解釈をしてみても、梨華には悪い予感がして仕方がなかった。
- 185 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/29(日) 19:19
- 梨華はふと隣の矢口の顔を横目で窺ってみる。
少しでもいいから、この悪い予感を解消してもらえる一言が欲しかったのだが、
相変らず矢口は試合を凝視していて、梨華などは眼中に無いようだった。
胸の前で手を組み、ひたすら安倍の勝利を願う。梨華にはそうするしかなかった。
すると、
「なっち、笑わなくなったね。」
矢口が試合を見ながら、ポツリと漏らした。
それを聞いた梨華は、まるで別世界から声を聞いたような不思議な表情を浮べる。
それから矢口の方に顔を向けた。
「安倍さんって、やっぱり笑顔が一番似合いますよね。」
「さあね。そうかもしれない。」
「私、今すごく不安なんです。安倍さんは飯田さんよりも今は優勢に立ってて、
すごいなぁって思うんですけど、何かすごく寂しい気持ちがするんです。」
「寂しい?」
矢口はその単語に酷く違和を感じたのか、試合が始まって初めて視線を梨華の方に向けた。
- 186 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/29(日) 19:19
- 「・・・はい。安倍さん、テニスを楽しんでないんじゃないかな、って、思うんです。」
「勝つことを考えてるだけだよ。」
「でも、安倍さんはやっぱり笑顔じゃないと、ダメなんです。」
意味不明な梨華の発言に、矢口は無表情のまま視線をコートに戻す。
どうして自分はこんな風にしか言葉に出来ないんだろう、と梨華は悲しくなった。
もっと頭のいい人なら、きちんと自分の思った事を伝えられるに違いない。
そう自分自身に失望してみるのだが、バカ筆頭だから仕方ないか、
と納得してしまうアホな反面もあった。
「なっちはこの試合に勝ちたいだけだよ。笑う余裕がないだけ。」
矢口が以前と比べて、あり得ないほど饒舌になっている事に梨華は気付かない。
「そうじゃないんです。安倍さんはもっと喜怒哀楽をいっぱい表現する人です。
嬉しい時はいっぱい喜んで、悲しい時はいっぱい悲しむ人だと思うんです。
今の安倍さんは、安倍さんじゃないような気がするんです。」
「そうだとして、それとテニスに何の関係があるのかわからない。」
「矢口さんは、ポイントを取ったら、ゲームを取ったら、試合に勝ったら嬉しくないですか?」
「嬉しいという感情がわからない。」
- 187 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/29(日) 19:20
- ―――感情の記憶。
矢口はとうの昔に忘れてしまった。
全ての感情はテニスをするに至って、全くの無意味である。
そう教えられたのが何時ごろだったのかさえ、矢口には思い出せなかった。
幼少の頃、そう。幼少の頃だった。それだけ。
矢口が笑った事があるのも、幼少の頃。
泣いた事があるのも、怒った事があるのも、喜んだ事があるのも、幼少の頃。
それ以来、矢口の感情は真っ白に真っ黒に。一切変化する事がない単色になってしまった。
しかし、例外がある。
矢口は思い出していた。
去年の今頃、市井によって全ての感情が一瞬、蘇ったのだ。
それはやがて恐怖というマイナスの感情に纏められ、矢口は暫く自分自身との
葛藤に苦しむ事になった。結局出した答えは、記述するまでも無く、感情の排除だったのだが。
それでも市井によって感情が蘇ったのは紛れも無い事実だった。
そんな風に改めて過去を振り返ってみると、矢口は胸に何らかのわだかまりがあるのを感じた。
梨華がかつてテニスを辞めると言った時にも感じた、靄ががかった煩悶のような感覚。
- 188 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/02/29(日) 19:20
-
「それって、悲しいことですよ。」
梨華が思わず言った言葉に、矢口の心臓は高鳴った。
それは、或いは何らかの意味を持った警鐘だったのかもしれない。
何かが矢口の中で芽生えようとしている。その鍵を握っているのは―――
「だって、笑顔が似合う人から笑顔が無くなったら、悲しいじゃないですか。」
梨華は瞳を潤ませて矢口にそう言った。
なんだかひどく泣きたくなったのだ。
矢口はそんな梨華の顔をちらっと一瞥すると、すぐコートに視線を戻した。
しかし、始まった動悸は収まる所を知らない。
この胸の高鳴りは一体何なのだろうか、と矢口は疑問に思った。
とても簡単な事を梨華は知っている。
そして、矢口はとても簡単な事がわからない―――
- 189 名前:カネダ 投稿日:2004/02/29(日) 19:21
- 更新しました。
次の更新で、第三試合終わらせる予定です。
- 190 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/01(月) 12:24
- 更新キター なっちはこの後どうなるんでしょうか! ハラハラしどおしです。次回更新お待ちしております!カネダさんのペースで頑張ってください!もう、たまりません!ハイテンションどころか、頭どうにかなっちゃいそうです。
- 191 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/05(金) 16:43
- 保
- 192 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/19(金) 07:07
- もうすぐ春ですねー。
作者さんもまた新たな年度に向けて準備中?
更新待ってますよ〜。
- 193 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/29(月) 00:02
- 保全
- 194 名前:カネダ 投稿日:2004/03/31(水) 20:44
- レス有難う御座います。
本当に励みになります。
>>190名無飼育さん様。
ハイテンション有難う御座います(w
また更新遅くなってしまいました・・・なかなか決着がつかなかったもので・・・
ようやく第三試合終われそうです。これからもどうか読んでやってください。
>>192名無飼育さん様。
本業の方もようやっと落ち着きそうです。
もう春になっちゃいましたね・・・作中では三ヶ月しか経ってないのに・・・
これからも頑張りますのでよろしくお願いします。
>>191、193名無飼育さん様。
保全すいません・・・
なんとか更新ペースは早くしたいです・・・
それでは続きです。
- 195 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 20:45
- ここで少し余談を挟む。
と言うのも、テニスを一試合こなすにはべらぼうな体力が必要だという事だ。
それもフルセットでこのような拮抗した展開が続くと、如実に疲労が現れるのは当然だった。
それに加えて、真夏の霞むようなコートで今、二人は打ち合っている。
ダブルスとは違い、シングルスの試合はこなすだけで一苦労だった。
二人とも止め処なく汗が滴り落ち、間断なく届く蝉の声が余計に暑さを煽った。
体力、精神力、技術を満遍なく備え、そして何よりも貪欲でなくては勝てない。
テニスというのは極めて過酷なスポーツなのだ。
そろそろ試合も終盤に差し掛かる頃になり、二人の動きからは多少なりとも
疲労の兆しが見えるはずだった。
ペースが一定という訳でもなく、二人のテニススタイルは変化しながらゲームは進んできた。
そういうペース配分を無視した試合は、スタンダードな試合の倍の疲れを伴うものだ。
- 196 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 20:46
- それが不思議な事に、二人は疲れを見せるどころか、呼吸も荒れることが無く、
それどころか動作の一つ一つがこれまでよりも目に見えて向上していた。
もはや科学では説明のつかない事象だったが、あくまでそれは事実だった。
意地なのか執念なのか、果たしてどういった根拠がそこにあるのか知らないが、
とにかく二人のテニスはこれまで以上に高い質を見せ始めている。
第六ゲームを終えて、三=二と安倍がリードしてからの、飯田のサーヴィス。
飯田の気持ちは漸く落ち着きを取り戻したようで、従来通りのテニススタイルが戻りつつあった。
果たしてそれが良かったのか、悪かったのか―――飯田には正直判断がつかなかった。
テニスに対して溢れるほどの喜びを感じていた、ついさっきまでの自分がまるで嘘のように感じる。
かつてのように、テニスに対して何の意味も見出せない、といった無気力さは
もう無いのだが、心持ちはある一定のピークに達して冷めてしまっていた。
しかし、そのおかげと言っては何だが、飯田は試合を客観的に遠くから見れるようになった。
なるほど、こうやって冷静に試合展開を分析してみると、自分があり得ないほどの
馬鹿げたミスをしでかしてきたのに、容易に勘付くことが出来る。
ある種の興奮状態に陥っていると、そんな簡単な事すら気付かないものなのだ。
これまでの試合経過に対し、まるで他人のテニスを一通り見たような感想を飯田は抱いた。
- 197 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 20:46
- 何はともあれ、リードされている。
安倍なつみのテニススタイルは面白いほどに変化した。
馬鹿げた打球を操る従来のスタイルから、オーソドックスなテニスをやり始めた。
攻撃のパターンはなにやら姑息で強かになった。
そう言えば、安倍は笑わなくなったな、と飯田はその時気付いた。
試合中にへらへらしている人間など気味が悪いものだが、安倍が笑顔を見せないと言うのは
どうにも釈然としない。疲れたのだろうか、それとも演じているのだろうか。
しかしよく考えてみると、それが一体何だと言うんだろう。
安倍のテニスが変化したところで、安倍本人の能力そのものが変わるわけではないのだ。
飯田は、何かとても簡単なカラクリを解いたような気分になった。
たとえ外側を精巧に取り繕った所で、人間が本質的に変われるはずがない。
そんな事にすら少し前の自分は気付かなかった―――
フワっと高くトスを上げ、両足をバックラインに平行になるように踏ん張る。
それから跳躍しないで腕だけでラケットを振り下ろした。
その動作には神々しいまでの完璧な流れが出来上がっている。
飯田のサーヴィスとは本来そのように、静かに流れるようなものなのだ。
その成功率は9割を超す。それが、戻ってきた。
―――さて、どうやって勝とうか。
鮮やかなフラットサーブを決めると、飯田は首を軽く捻って、安倍のレシーブを待った。
- 198 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 20:46
- 安倍は飯田のサーブをフォアハンドで返すと、そのままネットダッシュした。
理由は無い。体が勝手にそうしろと命令したのだ。
第三セット、安倍はそうやって飯田をリードしてきた。
そしてこれからも、のはずだった。
安倍の行動を冷静に目の端で捉えると、飯田はスピンのかかった切れのいいストロークを打った。
前進した勢いで、まだバランスが取れていなかった安倍は、体制の悪いボレーで返球する。
まるで素人のやり方だな、と、飯田は心中で苦笑した。
安倍なつみとは『こんなもんだったのか』と思った。
飯田は安倍からのボレーをストレートに返した。
飛びつくような恰好で安倍はその打球に食らいつく。
安倍の体制が崩れたのを見計らうと、飯田は無駄の無い動作で体を外に開いた。
それから狙いすましたように、安倍の裏をついたパッシングを決める。
もはや完全にしてやられた形だった。0=15。
ポイントを奪っても飯田はこれまでのように、嬉々とした動作を見せなかった。
(勝ってから。それからでいい)
試合はもう残り僅かだ。
- 199 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 20:47
- 安倍は額の汗を左手のリストバンドで拭うと、無表情でバックラインまで戻り、腰を落とした。
それがやたらと事務的に映って、試合を見ている梨華はやっぱり悲しくなった。
そして安倍自身も不可思議な、この表現が正しいのかわからないが、感覚をこうむっていた。
このように意図的に無心を努めていると、本当に自分というものがわからなくなる気がする。
まるで本来ある自分がどこか、亜空間のような場所へ隔離されているような感じだった。
それでも、今はこの戦い方が一番有効であるのは間違いない。
安倍は自分に言い聞かせて無心を努める。
飯田は次にフラットサーブをセンターラインに乗せて、あっさりサーヴィスエースを決めた。
決まった直後、辺りに一瞬の静寂が生まれる。
何が起こったのか、刹那的に見ているもの全員の脳裏が空っぽになったのだ。
それから拍手が起こった。
飯田がサーヴィスエースを決めたのは、第三セットになって初めてのことだった。
飯田は完全に自分を取り戻している。ベンチにいる真希は試合を見ながら、クスっと微笑んだ。
いつも通りの飯田ならば絶対に安倍に負ける事はない。真希はそう確信しているのだ。
隣に座っている藤本は、そんな真希の微笑を訝しそうに横目で見ていた。
ポイント0=30。
- 200 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 20:47
- ふう、と大きく息を吐いて飯田はトスを上げる。
体の線がピンと張っていて、少しもフォームにずれが無かった。
また強烈なサーブが来る。
安倍の直感はそう安倍に伝えたが、飯田が打ってきたのは安倍の予想に反して、
角度の付いたトップスピンだった。
溜めを作って、安倍は思い切りレシーブを打つ。
すると今度は飯田がネットに詰めてきた。
これは明らかに安倍に対する意趣返しで、飯田は少しムキになっていた。
安倍に対して何か不快な感情を抱いたわけではなく、異常にミスを犯していた自分に対して、
飯田はムキになっていたのだ。
(あーダサいよなぁ・・・)
安倍は飯田からのボレーを拾い上げるようにして、空に上げた。
ロブショット、第三セットになってからの安倍の常套手段だ。
それを読んでいた飯田はダッシュを止めて、すぐに後ろへ下がった。
太陽を背に乗せたボールはどこか日食を連想させる。
安倍の事だから、場所はバックラインから数ミリと違わない所に落とすはずだった。
飯田は目一杯に後退してから、安倍の位置を確認した。
バックコートの中央。
どこに打っても対処できるようにしているのだろうが、甘い。
- 201 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 20:47
- 飯田は落下してきたボールのバウンドを待つと、
思い切りラケットを振りぬく動作をして、ミートさせる瞬間、力を抜いた。
ハッっとして安倍はダッシュするが、安倍の鈍足では飯田からのドロップショットを
拾うことは出来なかった。
ポイント0=40。
続けざまに飯田はサーヴィスエースを決めて、安倍の足をその場に釘付けにした。
ラブゲーム。ゲームカウント三=三。
俄に、流れが変わった―――
第七ゲーム、安倍のサーヴィス。
ここが、一番大事なゲームだ。
テニスにおいての第七ゲームというのは、勝敗の一番わかりやすい分岐点といっていい。
絶対に取らなければいけない。拮抗している展開なら尚更だった。
それは飯田もよくわかっているだろう。
一つポツンと現れた羊雲が太陽にかかって、申し訳程度辺りが暗くなった。
その微かな環境の変化に安倍は敏感に反応した。
サーヴィスの動作に入る前、急に時間の流れを思い出したように、
安倍は自分の体の各部位に調子を問い掛けてみる。
呼吸は、平気だった。スタミナは十分残っている。どこか体に異常はないだろうか。
無い。大丈夫。飯田は敵わない存在じゃない。勝てる、勝てるのだ。
- 202 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 20:48
- 無心。
安倍はトスを上げた。
打ったサーブはスライス回転を逆にかけた特殊なもの。
バウンドすると、コートの内側に抉るように入ってくる。
これまで一度しか打たなかった。飯田は慣れていないはずだ。
最初のポイントさえ奪えれば、後はどうにかなる。そんな根拠の無い盲信。
無心。
飯田は一瞬だけそのサーブに惑わされた。
普通のスライス回転だと思い込んで、左足の爪先がコートの外に向いてしまった。
しかし、飯田はあくまで冷静沈着に対応した。
回転系のサーブはどうしても到達するのに時間がかかる。
安倍ほど切れのいい回転を持ってしても、飯田には余裕があった。
敏速に体制を立て直し、腰の入れたバックハンドのレシーブを決める。
飯田の動体視力、反射神経は並の人間を遥かに凌駕しているのだ。
決めると同時にネットダッシュする。
安倍を徹底的に揺さぶってやろうと思った。根拠は、無い。
- 203 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 20:48
- 安倍は飯田からのレシーブを、思い切り降りぬいた渾身のストロークで返した。
飯田の足を止める。そう企んだのだが、一枚も二枚も飯田は上手だった。
安倍からの返球の勢いを利用して、飯田は切れのいいボレーを打ち込む。
そしてその頃にはもう飯田はネットについていた。
さあ、どうする。お得意のロブショットを打ってくるだろうか、それともラリーを
要求してくるだろうか。飯田はその大きな瞳を見開いて、安倍の動向を見逃さない。
飯田のバックサイドを狙って、安倍はストロークを打った。
それからサーヴィスラインの位置まで前進する。
そうすれば飯田はきっと、クロスにボレーを決めてくるに違いない。
安倍の直感は安倍にそう囁いた。
―――下らない。
見え透いた仕掛けだった。飯田はほとんど愛想が尽きたような冷めた表情を作った。
それから安倍の返球をノーバウンドのまま思い切り打ち返す。
打球は強烈な勢いを帯びて安倍の足元を抜けた。
クロスへと予想していた安倍は、ほとんど逆を付かれたような形になって打球を見送った。
ポイント0=15。
何か歯車が狂ってきている。
その理由を安倍は飯田に求めた。
顔を上げて飯田の方を窺ってみると、偶然飯田とばったり目が合った。
丁度いい。どうして急にポイントが取れなくなったのか、飯田本人に訊いてみることにしよう。
- 204 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 20:48
- 突然、縋るような表情をこちらに向けてきた安倍に、
飯田は一瞬、何が起こったのかわからなくなって、思いがけず審判の方を窺ってみた。
しかし、審判を始めとして、どこを見ても誰も安倍の異変に気付いていないようだった。
異変?飯田にふと疑問符が浮かぶ。違う、あれはただ単に、弱者が物乞いをする時の仕種だ。
誰にも気付かれないように、安倍は自分にだけわかるように、何かを訴えているのだ。
―――幻滅、失望。
飯田がまず思いついたのは、その二単語だった。
安倍には失望した。
これまでにないほどの好敵手だと思っていた安倍が、今はただのていたらくに映る。
飯田は安倍に冷笑を返した。
氷よりも冷たい、心からの軽侮を表現している視線だった。
視線を送ると飯田はすぐに踵を返してバックラインに戻った。
その背中を見て安倍は、本当に馬鹿げている、ある事実を悟った。
(ああ、そうか。対戦相手である飯田さんが答えをくれるわけないよね・・・)
安倍は自分がおかしくなっている事に気付かない。
- 205 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 20:49
- サーブの体制に入った時、表情を無くしている安倍に変化があった。
なにやら目の焦点が合わなくなっている。
表情の無い顔に、ポツンと無作為に取り付けられたような空虚な瞳。
無心。
取り違えているのだ、安倍は。
矢口と打ち合いをしていた時の安倍は別段、無心を努めていた訳じゃない。
ただ、テニスをしている事に無我夢中になっていて、思考する余地が無くなっていただけだ。
いわば全力でテニスに没頭していた状態だった。
これまで飯田をリード出来たのは、冷静さを失っていた飯田の粗雑なテニスに
安倍の努めた無心のテニスが有効に働いたからだ。
もはや冷静さを取り戻した飯田には通用しない。
無心。
空っぽの頭で安倍はトスを上げた。
鈍感な自分は下手なことを考えても、すぐに見破られてしまう。
トスした球が風に揺られ、若干フォームが崩れた。考えるな。
崩れたままのフォームで安倍はラケットを振り下ろした。
当然のように打球は大きくアウトする。フォールト。
安倍は気にも留めないで、すぐにポケットからボールを取り出す。
- 206 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 20:49
- 「安倍さん落ち着いて!」
声の主は吉澤だった。安倍は気にも留めない。
すぐにトスを上げた。
このゲームは何よりも大事だ。絶対に取らなければいけない。
そしてこの試合に勝つんだ。
今度はネットの真ん中に吸い込まれた。ダブルフォールト。ポイント0=30。
無心。
「安倍さんこれからですから!」
声の主は希美だった。安倍は気にも留めない。
すぐにトスを上げた。
声援は力だ。活力だ。背中を押してくれる追い風だ!
応援してくれる仲間がいるからこそ、自分という存在は意味を持てるのだ!
アウト。フォールト。
「なっち。」
- 207 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 20:49
- 声の主は・・・誰だ?
当惑した安倍は、そそくさとサーブの体制に入ろうとしていた手を止めた。
聞き覚えのある声だが、何故だか思い出せない。
どこから聞こえてきたのだろうか、安倍は突然、キョロキョロと左右に目線を配る。
「笑顔です。安倍さん、笑顔を忘れないで下さい!」
声の主は梨華だった。安倍は気にも留めない。
それよりも先ほど聞こえた声が気になった。
どこだ。声の主はどこにいるんだ―――
「なっち、どうして笑わなくなったの?」
「安倍さん!テニスを楽しんでください!」
二つの声が重なった。
思いがけず安倍が声の方向に視線を向けると、そこには矢口と梨華が並んで座っている。
そしてようやっと安倍は思い出した。そうだ。
自分に対して、『なっち』なんて呼び方をする人間はこの世に一人しかいない。
- 208 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 20:50
- 「矢口。」
安倍はポツリと小さな声で漏らした。
どうして矢口が声をくれるのだ?その不可解な事実に安倍は当惑してしまう。
その時に、思い出したようにトスを上げた。サーブに時間をかけ過ぎてはいけない。
リズムを忘れると試合はグダグダになってしまう。
安倍の頭の中は真っ白だった。いろいろな事が絡まり、色は白に。
ダブルフォールト。ポイント0=40。どうしたって決まらない。
そしてもう一度矢口の方を見た。
本当に、矢口が声をかけてくれたのだろうか。
安倍は首を傾げて矢口に意見を求めた。
すると隣の梨華がまた、大声でこう言った。
「テニスを楽しんでください。」
テニスを楽しむとは一体なんだろう。
そう考えた時に、先ほど矢口が言った言葉が蘇った。
『どうして笑わなくなったの?』
自分は笑っていなかったのだろうか。いや、矢口がそう言うのだから間違いない。
- 209 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 20:50
- 「安倍さん、私たちの声、聞こえてないんじゃないでしょうか?」
ぼうっとした顔をこちらに向けている安倍に対して、梨華は矢口だけに聞こえるようにそう言った。
明らかに安倍の様子はおかしかった。焦点の合わない瞳をこちらに向けて、
なにやら呆然としている。何かの抜け殻みたいだった。意志が、圧倒的に欠如している。
矢口はそんな安倍の顔をジッと鋭い目で見つめた。
そして、
「笑顔が似合う人間から、笑顔が無くなったら、面白くない。」
平板な声でそう言う。
「安倍さん、笑ってください!」
梨華はまた叫んだ。
無心――でテニスをしても何も面白くない。
テニスとは、楽しむものだろう。勝つという目的はその延長に過ぎない。
忘れていた。何故テニスをやっていたのかを。
- 210 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 20:50
- 安倍は声に応えるように、二人に向けて笑顔を見せた。
それはいつもみたいな太陽のような笑顔ではなくて、不器用だが確実に意味のある笑顔だった。
するとこれまで靄がかっていた色々な事が一気に払拭されたみたいに、安倍の心は軽くなった。
我に帰った、と言っていい。目の焦点が戻り、そこには意志が宿る。
それから一度、二人に向かって大きく頷いた。その後に他の部員にも目配せして微笑を見せる。
やはり、どうしてもこの試合には勝ちたいと安倍は再度思った。しかし、条件が出来た。
この試合を思い切り楽しむ事だ。
そうして飯田と安倍はほぼ原点に帰ったような恰好になった。
試合開始当初に抱いていたモチベーションに、完全に戻ったという訳ではない。
お互いがテニスに対する意味を見つけて、新しいスタートラインに立ったのだ。
気持ちを落ち着かせて、安倍はじっくりとサーブのフォームを作る。
つい先ほどまでの急かされているような、落ち着きのない雰囲気が霧散していた。
おや、と飯田は思った。何やら安倍の様子がまた変化した。
ころころと全く、気分屋なのか何なのか。
- 211 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 20:51
- どうやらもう一山超えないと勝たせてはくれないらしい。
そう思うと飯田の胸は高鳴った。何だろうこの感覚は、緊張感、力のやりとり、勝負。
ワクワクする。堪えきれなくなって、飯田は口角を上げた。楽しませて欲しい。
そうだ、安倍とのテニスは楽しいのだ。
安倍は思い切りのいいフラットサーブを打った。
それは先ほどまでの自分自身を断ち切る意味で打った、払拭の一打。
飯田はそれをラケットに当てた刹那、驚嘆した。
安倍がこれほど力強いサーブを打てるとは思ってもみなかったからだ。
一体安倍に何が起こったのか知る由も無いが、こうでなくては面白くない。
強い打球―――だが、返せないほどじゃない。飯田はレシーブを決めると、その場に留まった。
じっくりいこうと思った。もうゲームポイントは握っているのだ。
飯田のレシーブを安倍はフォアのストロークで返した。
そして、飯田と同じようにその場に留まる。
打ち合ってみたくなった。飯田と、打ち合いがしたくなった。
- 212 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 20:51
- その意図を飯田は汲み取ったようで、飯田は安倍に対してクスっと微笑して見せた。
売られた喧嘩は買うしかない。
それにストロークの打ち合いでは負ける気がしない。
でも、何だろうこの期待感は。
楽に勝てるに越したことは無いのに、そう望んでいない自分がいる。
飯田は不思議だった。安倍に何かを期待しているのだ。
二人の打ち合いは長く続いた。
小気味のいい、カコっという乾いた音がコートに木霊し続ける。
小細工無しの、ただの根競べだった。
両校の主将同士が馬鹿みたいにラケットを振り合っている。
それがやたらに無邪気だった。馬鹿らしい。
しかし、観ているうちに、誰もがその光景に心を奪われてしまった。
茫然と口をポカンと開けて、見惚れるように見入る。
テニスに限ったことじゃないが、そういう拮抗した力比べを見せ付けられると、
応援に見境が無くなってしまうものだ。
それも、二人とも時折微笑を挟んでいた。
ニヤニヤと汗を流しながら、ラケットを思い切り振りぬく。
- 213 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 20:51
- さすがにお互いの動きが何回目かのラリーで鈍くなった。
こんな局面でスタミナをロスするのは、本当に馬鹿げているのだ。
なのに誰も疑問に思わない。二人とも楽しそうだった。そして実際に楽しんでいる。
これは貴重な時間だった。そう、誰にとっても純粋で、貴重な時間だった。
しかし、始まりがあれば必ず終わりが来る。
もう数え切れないほど打ち合った後、安倍のストロークがネットにかかってしまった。
やはり飯田の方に打ち合いでは分がある。
最初からわかっていたのに、安倍は妙に清々しい気持ちになっていた。
いつかのドラえもんでやっていた、ジャイアンと隣町の番長がケンカをした直後、
お互いを認め合って和解した理由がやっと安倍にはわかった。
なるほど、こうやって馬鹿みたいに力比べをするのは面白いものだ。
結果的に二回連続ラブゲームで飯田に取られたが、後悔は無い。
ゲームカウント三=四。とうとう逆転されてしまった。
しかし何の事はない、これから取ればいいのだ。
安倍には何の懸念も無かった。
- 214 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 20:51
- 飯田は右腕を思い切り伸ばして、先ほどの打ち合いの緊張を解いていた。
間接のあちこちがポキポキと鳴って、腕にだいぶ緊張が溜まっていたのがわかる。
暑い、と思った。
俯くと鼻頭と顎先に蓄積されていた汗がポタポタとコートに落ちて、
濃緑色の染みを次々に作る。それがどういう訳か心地いい。
サーヴィスに入る前に、飯田は顔が空と平行になるほど深く空を仰いだ。
その空の青さは言葉にならないほど、心に訴えかけてくるほど、鮮やかで。
自分は幸せなんだな、と飯田はその時に確信した。同時にわがままだったんだと。
これまで流した汗や涙や、味わった絶望には確実に意味があって、今この瞬間のために
大きな糧となって自分の中で根付いている。
そういうのは本来一生気付かないモノなんだろうが、飯田は空の青さに答えを見つけてしまった。
自分は幸せだったのだ。生まれてきて、テニスをやってきて、本当によかった。
飯田はフウっと大きく息を吐いて、トスを上げた。
凛としている飯田のフォームにはこれまで以上に精悍さが見受けられる。
そして、迷いも無く思い切り振りぬいた。
世の中は平等じゃない。才能は望んでも手に入らない。いずれ妥協しなければ生きていけない。
そんな下らない事を飯田は全部忘れた。今この瞬間を楽しまない人間は、バカだ。
- 215 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 20:52
- 安倍は強烈な飯田のサーブを両手持ちのバックハンドで返した。
もともと安倍は両手打ちも、片手打ちもこなせる選手だったのだが、両手持ちでは
回転がかけ難いという理由で最近は使わなくなっていた。しかし、今になって使ってみたくなった。
選択肢は無限に溢れているような気がした。
飯田は安倍のレシーブを返すとセンターラインの方に寄って、腰を落とした。
どうやらそこに居座るつもりらしい。
安倍は飯田からのストロークを思い切り振りぬいて、左サイドに落とした。
しかし飯田もすぐに反応してそれを拾う。次に安倍は右サイドに打ち込んだ。
すると腕を目一杯伸ばして、飯田はストレートにボレーを打った。
そこで一旦立ち止まり、中央によりながらネットに三歩、詰めた。
次に安倍は思い切り腕を捻って、通用しなくなった『とっておき』を打ってみた。
打球は飯田の目の前でバウンドすると、ぐにゃりと不細工な孤を描いて、飯田を翻弄しようとする。
しかし、やはり飯田には通用しなかった。
しっかりと球の中心を叩いて、飯田は安倍がいないバックコートの左サイドに打球を打ち込んだ。
やっぱりダメか、と安倍は苦笑してからその打球を追いかける。
- 216 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 20:52
- 一ポイントを取るのに二人は苦労し始めた。
何故か拾えないと直感した打球が拾えてしまうのだ。
おかしいな、と首を捻りながら二人はラケットを振る。
遥か向こうにやってきたボールなのに、手を伸ばせば届いているのだ。
楽しかった。テニスを極めたような気分になった。
二人とも無我夢中になって、ボールを追いかけ、ラケットを振った。
時間が止まっているような不思議な感じがした。辺りの風景が静止しているように映るのだ。
いや、実際時間が止まるとこういう感覚なんだろうな、と二人は思った。
ポイントはいつの間にやら重なっていた。30=30。並んでいる。
飯田のサーブは神がかったように、切れを増していた。
空間を切り裂くような飯田のフラットサーブ。それを安倍は当たり前のように返球している。
観客は二人に圧倒されていた。そして、両校の選手達は全員、二人のテニスの前に
テニスの無限大の可能性を見せ付けられていた。
テニスとはここまでいけるものなのか、
そんな憧憬にも似た感覚を受けて誰もが胸を高鳴らせていた。
- 217 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 20:52
- それはもちろん、矢口や市井も例外ではなかった。
梨華がチラと窺ってみた矢口の双眸は強い諦観の色を帯びていたし、
真希が窺ってみた市井は、何やらクスクスと呆れたような微笑を絶えず漏らしていた。
第八ゲームはジュースになった。
ジュースにもつれ込んだ直後、やれやれ、と安倍が一瞬気を緩めたのを
見逃さなかった飯田がサーヴィスエースを決める。文字通り、一瞬の隙だった。
ずるいな、と安倍が飯田に、今のあり?というお茶らけた表情を見せると飯田は笑いながら頷いた。
アドバンテージを事も無げに飯田が取って、安倍はいよいよ集中した。
ブスッとした膨れ面を飯田に向けてから、ワザとらしく顔の表情を引き締める。
まるで友人同士のやりとりのようだった。ずっと昔から知り合いだったような、そんな感覚。
次に飯田が打ったのは、これまでフラットサーブ一辺倒だった単調さを払拭する為か、
切れのいいスライスサーブだった。切れはいいが、安倍にとってはどうということは無い。
丁寧に深いレシーブを決めると安倍はネットダッシュした。勝負をかけたのだ。
ここでもし、飯田にゲームを取られてしまうと、それは疑いようがなく、敗北を意味する。
負けたくない。安倍は無我夢中で飯田の一挙手一投足に注意を払う。
- 218 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 20:53
- 前進してきた安倍を認めると、飯田は強烈なストロークをストレートに打ち込んだ。
すぐに反応した安倍がその打球にバックハンドのボレーを合わせると、飯田も前進して
その打球を捌いた。二人の距離はネットを挟んで、等間隔。完全に心理戦が物を言う
場面だった。どうする、飯田は怜悧な思考を働かせて次の次の展開をコンマ何秒かで推測する。
一方の安倍はひたすら必死だった。
考えなどはない、ただポイントを奪う事しか頭になかった。
打ち込んできた飯田のボレーを安倍は飯田のフォアサイドに打ち返した。
ノーバウンドのその打球に、飯田はわかりきっていたかのような反応を見せて、ラケットを出す。
返球は若干、浮いた。まずい、と飯田は思った。
安倍はラケットを地面と平行の高さに上げ、さらにそこから申し訳程度ラケットに角度をつけた。
振りぬかれたら完全に抜かれる。飯田は目を見開いて腰を落とし、安倍と呼吸を合わせた。
やがてラケットは安倍の腰の後ろ30センチの場所まで引かれた。
この位置からあそこまで溜めを作られては、返す術がない。
- 219 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 20:53
- しかし飯田はその打球すら返すつもりでいた。
忽然、一回戦での藤本を思い出したのだ。
藤本は松浦からのスマッシュを何度も打ち返して見せた。
自分にそれが出来ない訳がない。
そんな藤本の姿が警醒となって、飯田は諦める事をしなかった。
やがて安倍はラケットを振りぬく。球速は高速。方向は飯田のバックサイドだった。
絶対に決まると安倍は確信していた。この距離からあの打球は返せない、に決まっている。
それなのに、飯田は当たり前のように反応してラケットを当てた。
安倍は思わず、あ、と素っ頓狂な声を上げてしまった。
飯田とは化け物か、と思った。しかし実際的に、飯田の返球は単なる偶然の産物だった。
諦めなければこういう偶然だって、起こり得るものだ。
飯田は単位のでかい賭けに勝ったような気持ちになった。
これでゲームを突き放せる。
そんな安堵の気持ちは一瞬で消え去る事になるのだが。
- 220 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 20:54
- 飯田がラケットに球を当てた矢先に、安倍は振り返って、打球の軌道を追っていた。
まさか、間に合うはずがない。
そう思いながらも飯田はその場から後退して、安倍の反撃に備えた。
(嘘でしょ・・・)
冷や汗が体中から滲み出す。
怖かった。安倍の背中を見ている飯田を包容したのは、紛れも無く恐怖という感情だった。
ひたすら安倍は走った。
打ったストロークの球速と同じ速度で、飯田のボレーは安倍の後ろを抜けていく。
バウンドした場所はバックコートの手前だった。
安倍は体制を崩しながらもラケットを目一杯伸ばす。
(届け!)
心の中でそう叫んだ。
すると実際に手が伸びたような気がした。
ガットの端に、安倍はボールを当てた。
届いた。
- 221 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 20:54
- まさか、と飯田は気を引き締めた。
怖かった。もし、コートの中に返球してくるようなら、絶対に返せない。
そんな情けない気持ちが飯田の心の中を染めた。
何故か怖いのだ。安倍という人間の底知れなさ、限界を知らない可能性を持っている気がする。
いや、安倍だけじゃない。T高校の選手には全員そういう超自然的な可能性に溢れている。
なるほど、本物の恐怖とは、そういう心理的な圧迫感から来るものなのか。
飯田は妙に釈然とした気分になった。そして安倍の当てた打球の行方を見守った。
こっちにくるな!そんな情けない嘆願しか飯田には出来なかった。
幸いにも打球は明後日の方角に飛んでいった。
飯田は思わずほっと胸を撫で下ろす。
試合を通して、今ほど緊張した瞬間はなかった。
安倍が鈍足だったのが功を奏したのだが、しかし、間に合っただけでも予想を越えていた。
ちくしょー勝ちたいな、と飯田は思った。
ポイントを奪ったにも関らず、どういう訳か悔しいのだ。
ゲームカウント三=五。飯田がリーチをかけた。
これで安倍にとっては絶望的な状況になってしまった。
ここからは一つも落とせないどころか、飯田から二度以上ブレイクしなければいけない。
それでも安倍には何の懸念もなかった。心拍数が上がる事もない。それは不思議な感覚だった。
負ける気がしない。いや、そういう危機感がまるでない。
安倍は大袈裟に首をくるりと回し、自陣のコートに笑顔を見せる。
それは安倍特有の光り輝いたソレそのものだった。
- 222 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 20:54
- 第九ゲーム、安倍のサーヴィス。
安倍は落ち着いていた。
窮地に立たされている、吉澤には勝つと約束してしまった。
そして何よりも勝って後輩達に示したかった。
誰だって、年下の連中には見栄を張りたいものだ。
だから、勝ってやる。勝ちたい理由は多々あるが、そんなものは後からでいい。
アドレナリンの作用だろうか、全くと言っていいほど安倍には疲労感がなかった。
体が動く。これも日々の練習の賜物なのだろう。中澤には感謝してもしきれないくらいだ。
何よりも、テニスという一つの表現の手段を自分に与えてくれた。
それまでの自分に何か人に誇示できるものがあっただろうか、いや無い。
一つでもこうやって、自分を表現できる事物があるのはすばらしい事だ。
生きているという事は、何かを表現するという意味なのだから―――
そんな思考に耽っていると、不意に安倍は泣きそうになった。
何かと感傷的な性質だったが、こんなに前振りも無く、
しかもこんな場面で涙腺が緩むと変に誤解されてしまいそうだった。
大丈夫、何も恐れてなんかいない。感謝したくて仕方が無いのだ。
安倍は心中で仲間達にそう伝え、そして自分に言い聞かせた。
トスを上げる。綺麗な弧を描いたトップスピンサーブを打った。
打球には意志が宿る。安倍のサーブには勝利への希望が宿っていた。
- 223 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 20:55
- 飯田の顔の位置から、ガクンと急激にサーブは落ちた。
一瞬視界から完全に消えたが、飯田はほぼ無意識にそれを打ち返す。
その時、不意に真希の言葉が蘇った。―――飯田さんは絶対勝てる。
(勝てる―――)
そう心中で呟いた刹那、飯田は安倍に返されたストロークを捉え損ねてしまった。
打球にスライス回転がかかっていたのだが、それを飯田はわかっていた。
わかっていたのに、捉えきれなかった。
異常なまでに切れを帯びた打球に、飯田はただ単純に、対応しきれなかったのだ。
(なに・・・今の?)
フワリと力なく帰って来た死に球に、安倍はスマッシュを容易に決める。
ポイント15=0。安倍にはある手応えがあった。
ごく簡単に表現すると、何かしらのコツを掴んだ。
それが何なのか、はっきりと安倍にはわからない。
自分の右掌をジッと見つめてみるが、指に少しの痺れがあるだけでそこに答えは書いていない。
まるで新しい自分を見つけたような、デジャブ体験に似ている感覚だった。
- 224 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 20:55
- 茫然と自分の掌を見つめていた安倍は、ハッと我に帰ってトスを上げる。
そして今度はスライスサーブを打った。やはりこれまでと何かが違う。打った感触が変わった。
これまでよりも一際切れのいいスライス回転だった。
飯田は翻弄されかけるが、何とか食らいついて相手コートにレシーブを落とす。
しかしほとんど死に球に近い、弱い打球だった。
安倍は迷いなく前進してくると、それをクロスに打ち返す。
すると飯田は全速で左サイドに走った。
間に合うか、間に合わないか、ギリギリの所だったが、
飯田は何とかストレートにストロークを決める。
しかし、そこには安倍が待っていた。
あっ、と飯田がその姿を認めた時にはもう手遅れだった。
打球は誰もいないコートに叩き込まれる。
ポイント30=0。
不意に、敗北の二文字が飯田の脳裏をよぎった。
トントンと二度、コートにバウンドさせてから安倍はトスをふわっと上げる。
負ける気がしない。
ゲームはリードされているのに、気持ちにどうしてこんなに余裕があるのかわからなかった。
打ったサーブはトップスピン。
先程よりも大きな弧を描いて、サーヴィスラインギリギリに落ちた。
- 225 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 20:56
- 飯田はただ神経を集中させて、安倍のサーブを凝視した。
バウンドの高さの見極め、なんてものは感覚が全てモノを言う。
これまでこなしてきた全ての練習は、
そういう感覚をものにする為であると言っても過言ではない。
安倍のサーブがバウンドした。すると瞬く間に高く跳ね上がった。
ほぼ直角に落ちたサーブはスーパーボールのように、気付けば飯田の胸元まで来ていた。
背伸びをして飯田が打ち返したレシーブは、やはり死に球のようになって
ゆっくりと相手コートへと舞い戻って行く。―――捉えきれない。
安倍の能力が急に進化したのか、飯田の反応が鈍くなったのか、
それは実際の所、誰にもわからなかった。
安倍は確かな手応えを得ていたはずだったのだが、一日経った後もこの状態を
維持している自信が無かったし、飯田は安倍が進化したと思っていたが、
冷静に考えてみれば、急に疲弊を覚えただけだったのかもしれない、とも思っていた。
ともかく、今心理的に優位にいたのは安倍だった。
飯田が打ち上げた球は、フワフワと浮かんで力なくアウトしてしまった。
綺麗な形ではなかったが、安倍は飯田からエースを奪った。
40=0。可能性。
ただ単純に諦めなかっただけで、光明は差してくる。
- 226 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 20:56
- 飯田はこのゲームを捨てることにした。
このゲームだけは安倍に譲る。しかし、一ポイントだけは取る。
頭を完全にそう切り替えたのだ。
ラブゲームだけは絶対に許さない。そう自分に言い聞かせた。
どんな形でもいい、一ポイントだけは奪い取る。
飯田は集中した。
これだけ混戦になっても集中力が切れないのは、相手が安倍だからに他ならない。
そして安倍が打ってきたのはスライスサーブだった。
飯田は呼吸を止めて目を見開いた、そして辛うじてガットの中心にボールを捉えた。
ゲームが展開してからも、安倍のラケット捌きは冴え渡っていた。
飯田のレシーブに、スライス回転を加えたストロークを打ち込む。
打球はバウンドすると大きな角度をつけて横に逃げていく。
しかし、さすがに飯田も素晴らしい反応を見せた。
恵まれた体格のおかげで、どれだけ打球が逃げていっても、手を伸ばせば届いている。
激闘だった。安倍が巧みにラケットを操作しても、飯田は必死に食らい付いて返球する。
まるで予定調和されているかのような、打ち合いだった。
二人ともコートの中を縦横しながらもミスをしない。時が経つのを忘れて人は試合に見入る。
- 227 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 20:57
- スマッシュチャンスが飯田に訪れた。
体制を崩して打った安倍のバックボレーが、緩い弧を描いて浮かび上がってしまったのだ。
しまった、と安倍はバツの悪そうな顔をする。
飯田はここぞと言わんばかりに目を輝かせ、ボールの位置を確認すると、ラケットを高く掲げた。
それからピンと背筋を伸ばして、体を撓らせた。
飯田はこれでポイントを奪ったと思った。そして安倍は負ける気がしなかった。
―――カコ。
小気味のいい音が響いた。
強烈な打球がサーヴィスライン上に叩き込まれる。
安倍は死に球を打ち上げた時点からすでに後退していて、飯田のスマッシュに構えていた。
飯田は急ぎすぎた。もっと打球に角度をつければ安倍の足では追いつけなかったのに、
点を取りたいという焦燥から安倍の真正面に打球を送ってしまった。
とは言うものの、完璧に捉えた強烈なスマッシュ。
安倍といえども返球は至難の業だった。
それでも、今の安倍は何かの境地に達しているらしい。
安倍は飯田のスマッシュに、バックハンドのボレーを合わせた。
すでにポイントを取ったと確信していた飯田は反応が遅れた。
一瞬の油断が命取りとなる。この試合は最初からそういう場面が多かった。
ラブゲームで、安倍が第九ゲームを制した。
- 228 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 20:57
- ポイントを奪われた瞬間、飯田は本気で悔しそうに、あぁ!、と
コートに向かって叫ぶと空を仰いだ。
それからぐしゃぐしゃと頭を掻き乱す。
シン、とコートが一瞬静まり返った。蝉さえその鳴き声を止めた。
その場にいる者全員、飯田がそんな粗暴で下品な行動をするなんて想像していなかったからだ。
全員ポカーンと口を開けて飯田を見ていた。呆気にとられる。
その中に例外が一人いた。真希だけがゲラゲラとベンチの中で笑い転げていた。
『静謐』なテニスをするのが飯田だかなんだか知らないが、真希にとっては
人間らしい飯田がおかしくて仕方が無かった。
「ははは、人間なんてさあ、みんな大して変わんないよね。」
真希は笑いすぎた所為で、目に涙を浮べながら隣の藤本にそう言う。
「飯田さんちょーかわいいー。ははは。」
「・・・呑気でいいわね。あなたって。」
「お前も呑気になった方が男にもてると思うけどなー。ねえ?ミキティ?」
「何よその呼び方・・・」
「今ふっと思いついた。今からお前はミキティー。」
「ゴマ・」
「ゴマキ言うな。」
「反応早!」
- 229 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 20:57
- 二人のアホ丸出しなやりとりは置いとくとして、
安倍はこの局面になって飯田からラブゲームを奪った。
第九ゲームを終えて、ゲームカウント四=五。
予想もしてない展開だった。飯田の方に、完全に流れは傾いていたはずだったからだ。
これから果たして安倍がゲームをもう一度巻き返すのだろうか。
誰もがそういう期待を胸に抱く。
そして飯田本人は安直なスマッシュを打った事に対して、
悔やみきれないほどの、悔悟の念を抱いていた。
流れが完全に安倍に傾いた。悔しい。
飯田がこんなに悔しがった事など、人生を通じても数えるほどしか無かった。
勝ちたい、勝ちたくてしょうがない。安倍なつみに、勝ちたい。
飯田は安倍に嫉妬した。
この羨望と憧憬と恐怖と憎しみが混じった感情は、嫉妬に他ならない。
(落ち着け、次で決めればいいだけなんだから)
そう。安倍がラブゲームで第九ゲームを取ったところで、
飯田がすでにリーチをかけている事には何の変わりもないのだ。
そして、次は飯田のサーヴィスゲームだった。
- 230 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 20:58
- 遠くの空の色が群青色になっていて、夕方の気配が仄かに醸し出される。
急に蝉の鳴き声が小さくなった気がした。
昆虫や動物は、人間なんかよりもよっぽど環境の変化に敏感なのだ。
しかし気温はなかなか下がってくれなかった。
この時刻になっても、気温は30度を裕に超えている。
コートでの体感温度はさらに3度以上高いものだ。
安倍と飯田、共に汗だけは止まらなかった。
それ以外は呼吸が大きく荒れることも、動作が目に見えて衰えることも無く、
二人のコンディションは、大詰めの場面を迎えても最高の状態を保っていた。
そして二人とも、初めて貰った玩具を弄るように、テニスが楽しかった。
第十ゲーム。飯田のサーヴィス。
妙にすっきりした気持ちで、飯田はサーブの動作に入った。
動作に入りつつ、安倍に勝った時の事を考えた。
それはきっとある種の枷から解放されたような、最高の気分になるに違いない。
高いトスを上げた。
ピンと反った飯田の体の線は、芸術作品のように美しい。
ラケットを振り下ろした。フラットサーブ。サーヴィスには自信がある。
サーブを制する者はテニスを制す。
この場面でサーヴィスゲームが巡ってきたのは、天運と呼ぶに値する。
- 231 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 20:59
- 強烈な飯田のサーブはサーヴィスライン上に乗ると、低く跳ねた。
難しい打球だったが、今の安倍はその見極めさえ容易だった。
レシーブを決めると横歩きで、中央に寄る。
体にリズムを刻んでいた。大きな上下動をして、リズム、テンポを自分の体に植え付ける。
それはこれまでの安倍からは、考えられない戦い方だった。
この試合を通じて、安倍は莫大なほど戦法の奥行きを膨らませている。
飯田は二歩前進した場所から、フォアのストロークで安倍を迎え撃った。
その場に腰を落として、持久戦に持ち込もうと思った。
現時点で安倍に勝っている分野は、ラリー、そして足を使った攻撃の二つ。
なるべく単純な打ち合いが望ましいと飯田は考えた。
安倍は飯田からの強烈なストロークを、スライス回転をかけたバックハンドで返した。
やはり、打った手応えが妙だった。
まるで直に素手でボールを弄っているように、気味の悪いくらい、判然とした感触がする。
安倍の打球は絶妙なコースに落ちた。
バックコートの左隅、飯田にとって一番難しい場所だった。
それも強烈なスライス回転がかかっていて、返球はなおさら難儀になる。
それでも飯田は表情一つ変えずに、打球を追った。
忍耐力。それには自信があった。
どれだけ安倍に揺さぶられようが、我慢をして打球を返していれば必ずチャンスはやってくる。
- 232 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 20:59
- 飯田は走りながら、バックハンドのストロークを打った。
深い場所へ打ち込むよう、しっかりと振りぬく。
安倍に小細工をさせないように、僅かだが、角度もつけた。
打ち返すと、すぐに体制を立て直す。
しかし顔を上げてみると、ネットに安倍がついていた。
予想外だったので、思わず飯田は瞠目したがすぐに気持ちを落ち着けた。
冷静な心さえ持っているなら、どんな局面だって乗り越えられる。
そう教えてくれたのは石黒だった。
果たして、飯田は冷静だった。飯田の周りは静かだが、温度の高い覇気が漲っている。
安倍は飯田のストロークをフォアのボレーで返す。
なるべく勢いを殺して、センターラインの手前に落とした。
飯田は斜め前にダッシュして華麗なラケット捌きを見せる。
掬うような形で拾った打球は、安倍の頭の上を越えて、バックコートに落ちた。
振り返って、安倍は後ろに走った。十分余裕のある距離だ。
ボールがバウンドした時には、安倍はすでにストロークの動作に入っていた。
今度は強烈なドライブをかけたストロークを打った。
- 233 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 21:00
- 回転の切れが凄まじい。
飯田はおっつけて、踏ん張った。回転を見極める。
その時だった。
――努力。
何故かその二文字が頭にふと、浮かんだ。
練習に不服を唱えず、言われるがままにこなしてきた
これまでの自分はピエロだったのだろうか?
違う。
努力の結晶は、実績だ。
この常勝校、K学の主将を務める事が出来たのは、努力が実を結んだからだ。
飯田にはバックボーンがある。それは努力という名の血肉だ。
安倍からの打球を、飯田は逆クロスに打った。
思い切り振りぬいた打球は、安倍のバックサイドに落ちる。
完璧だった。これほど精度の高いストロークは、プロでもなかなか打てるモノじゃない。
そして、並の選手なら返せる訳が無かった。
しかし安倍は、どうも高校生レベルの選手ではないようだ。
- 234 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 21:00
- 完璧だった飯田の逆クロスを、安倍は両手打ちのバックハンドのボレーで返した。
安倍にあれほどまでの反射神経が備わっているはずが無かったのだが、
それでも現に安倍は返球して見せた。
――才能。
なるほど、安倍のテニスは才能で成り立っているらしい。
努力でK学の主将になれても、才能だけは努力しても手に入らない。
ああ、そうか。と飯田は思った。
どうして安倍に嫉妬を覚えたのかが、判然とした形になった。
安倍は自分が持っていないモノをたくさん持ってるからだ。
安倍のボレーには逆回転がかかっていた。
飯田はそれを見極める事が出来なかった。
回転速度が高速すぎた所為で、飯田には無回転に映ったのだ。
打球はバウンドすると、ネットの方にするっと逃げる。
そのズレを修正する事が飯田には出来なかった。ラケットの先に僅かに当てた
ボールは相手コートに届くことなく失速する。
ポイント15=0。
- 235 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 21:00
- 思わず顰め面をした飯田が顔を上げると、安倍と目が合った。
飯田の視線に気付いた安倍は、キョトンとした顔を飯田に作って見せてから、
次にはニッコリと燦々とした笑顔を作った。太陽。
この場面で、そんなに無垢な笑顔を向けてくるなんて、一体何を考えているのか。
取り敢えず、笑うしかないじゃないか、と飯田も安倍に微笑み返した。
人を引き付ける魅力が安倍にはある。そこらへんは真希に似ているな、と飯田は思った。
トントントン。
三回テンポよく球をバウンドさせてから、飯田は空を見上げた。
そしてその中空に向かってトスを高らかに上げる。
(あ・・・)
すると前振りもなく突然、飯田の目の前が真っ白になった。
ボールは最高到達点に達した時に、一瞬だけ空中で静止するのだが、
その一瞬の間に、走馬灯のように自分の人生が脳裏に浮かんできたのだ。
- 236 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 21:01
- 幼少の頃からテニスをやってきた。
物心がついた頃には、数々のジュニアの大会で入賞の常連となっていた。
ねぇ、笑って。
表彰台の上に立つと、必ずそう要求される。
飯田は笑顔を作るのが下手糞だった。なのに作らなくては誰も満足しない。
将来を嘱望される選手は、周りの目も気にしなくてはいけないのだ。
そして偽りの笑顔と共に堆積されてきた、トロフィーやメダルの数々。
それらが飯田のアイデンティティを形成してきた。
そう、自分の人生はテニスと共にある―――そんなカッコつけた持論は今日でおしまい。
トロフィーやメダルの輝きは時間が経つと共に色褪せる。
色褪せた功績をいつまでも誇示し続ける人間なんて、ただの恥さらしだ。
時間は世界が存在する限り、永遠に流れ続ける。
過去や未来は空想、想像と同じ。全ては違う世界の話だ。
今。
飯田は自分に限界があるとして、それは今この瞬間だと確信していた。
これまでやってきた練習やら努力やらは、今この試合に勝つためだ。
そう思い込むと、テニスが二倍も三倍も楽しくなる。
テニスとは、楽しいものだ。
だから、今日からテニスは人生とかそんな大仰なモノじゃなくて、
ただ単純に、好きというカテゴリー入れる事にする。
- 237 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 21:01
- 飯田が思い切り振りぬいたフラットサーブは、今日一番の速度を弾き出した。
もはや高校生レベルを遥かに凌駕した、異常とも言えるサーブだった。
それなのに、安倍はいとも簡単にリターンに成功する。
これだから面白いんだよ、と飯田はクスッと微笑してから安倍のレシーブを打ち返した。
そして、そのままその場に留まる。持久戦。セオリー通りのテニスをするのが
本来の飯田のスタイルだ。
安倍はレシーブをすると、脇目も振らずネットに詰めた。
これまでネットプレーは鈍い頭を懸念してほとんどこなさなかったし、
中澤にも極力避けるように注意されていた。
『お前は回転だけで上までいける選手や』
その言葉に甘えすぎていたのだ。選択肢は無限大にあるのに、
一つの事に固執するのは悲しいじゃないか。
- 238 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 21:01
- 「紺野、人間ってのは面白いな。何かを止めろって言われると余計にやりたくなる。
安倍はいい子ちゃんやから、ウチの言う事に反抗なんかした事なかったんや。
今の安倍見てると、あいつも普通の子供やったんやなぁ、と思うよ。
うちが教えた事なんて全部忘れてるみたいや。自分のテニス見つけたんやな。」
中澤は安倍の試合を感慨深げに見守っていた。
そして若さの中に漲っている可能性に、ただ単純に感動していた。
結局のところ、大人が子供にやってやれる事は、模範的な生き方を教えるのではなく、
道標を示すのでもなくて、ただ、見失いがちな可能性の存在を知らせてやるだけなのかもしれない。
中澤は安倍を始め、部員達からそんな教訓を授かった気がした。
(若いってええな・・・)
しみじみとそう思う。
そして、教師という職はやっぱり自分の天職なんだと中澤は思った。
「私もいつか、自分のテニス、って呼べるようなスタイル見つけたいです。」
隣に座っていた紺野は安倍の姿に見入りながら、そんな事を呟いた。
それが運の尽きだとも知らずに。
- 239 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 21:02
- 「見つけれるよ。お前次第やけどな。ウチは喜んで協力してやる。
その代わり死ぬの覚悟してもらうぞ。生半可な練習じゃ庭球道は極められん。」
「・・・あの、やっぱり自分のテニスいらないかも・・・」
「もう手遅れやな。この大会終わったらまずはお前から
ビシビシとトラウマになるくらいしごいたるわ。」
「・・・」
ネットに詰めた安倍は、飯田からのストロークを危なげないフォームで返球し続けていた。
そして何度目かのラリーの後、飯田が前進しながらクロスにボレーを打った。
絶妙な角度に飛んだその打球を、安倍は横っ飛びのボレーで返球しようとする。
届くか、届かないか。考えるまでもなく飯田にはわかっていた。今の安倍ならば絶対に返してくる。
そして予想通り安倍はラケットに当ててきた。ただ当てるのが精一杯だったのだが、
偶然角度がついた。飛んだ場所はサイドラインの丁度真上。
飯田は全速力で追ったが届かなかった。ポイント30=0。
楽しいな、と飯田と安倍は同時に思った。
運は実力の内とはよく言ったもので、安倍は今、運を味方につけているようだった。
安倍が『負ける気がしない』と心からそう思うのは、天運を感じているからなのかもしれない。
しかし、だ。
人間とはそんな単純には出来ていない。
飯田が培ってきたテニスのイロハは、安倍の想像を遥かに凌駕しているのだ。
- 240 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 21:02
- 飯田が打ったフラットサーブを、安倍はバックハンドで返した。
その後すぐに横走りでセンターラインに寄る。
そんな安倍の動きをしっかり確認しながら、飯田は強烈なストロークを安倍のバックサイドに打った。
飯田も安倍もフォームが安定していた。
お互いが放つ打球は、球速が衰える事もなく、綺麗な直線や弧を描き続けていた。
単調に見える打ち合いだったが、細かいテクニックの応酬が成されている。
その細かいやりとりの中、圧迫感を受けた安倍が仕掛けた。
やはり飯田のストロークは鋭い上に、重い。
飯田のストロークに対して、安倍は精度の高いドロップショットを合わせた。
しかし。
それを飯田は完全に読んでいた。
安倍の癖、という訳じゃないが、フルセットでここまで打ち合っていると直感でわかるのだ。
飯田は全速力で詰めると、ネット際に緩く落ちた球を思い切り叩いた。
打球は高速でサイドに抜けていく。ポイント30=15。
決まった時飯田は、フウ、と一つ息を吐いた。ポイント一つ取るのが酷く難しい。
しかし、忍耐だ。自分のスタイルを曲げずに、地道にテニスをすれば絶対に勝てるはずだ。
飯田はこのゲームで試合を決めようと思っている。
- 241 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 21:02
- ゆったりとした動作からトスを上げ、体を撓らせつつ振り下ろす。
このゲームはどんな事があろうがフラットサーブで押す、と飯田は決意していた。
(決まれ!)
と、念じる。
すると、センターラインぎりぎりにサーブは落ちた。
飯田は完全にエースを決めたと思った。
そんな飯田が完璧だと思ったサーブすら、安倍は反応して見せる。
体が自然と動いた。フルセットでここまで打ち合うと、飯田同様、安倍も直感でわかるのだ。
ほぼ反射的にバックハンドでレシーブを返した。
が、浮いた。当てるだけのレシーブは大きな放物線を描いて、相手コートに戻る。
思わず下唇を噛んで悔しがった安倍を確認してから、
飯田は冷静にスマッシュを決めた。30=30。
サーヴィスゲーム。
この好条件の中で決めなければ、安倍に勝てる気がしなかった。
あと二度、ポイントを奪えば勝てる。
そう思うと勝利の二文字が急に現実感を帯びて、飯田は若干だが緊張してきた。
一ポイントを争う緊張感が心地いい。
これまでの努力は、今、勝つ為に。
- 242 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 21:02
- 飯田のサーブは打つたびに、その球威が増しているようだった。
しかし、際どいコースをつかなければ安倍も容易に返球してくる。
ゲームが展開しても、飯田はジッと堪えるようにして、その場から動かない。
深い場所、深い場所にボールを集める。
一方の安倍は、ラケットを振るたびに、コートの中を移動していた。
双眸を凛と輝かせて、飯田の動向を窺いながら、切れのいい回転をかけた打球を送り込む。
お互いにとって、一ポイントが途轍もなく遠かった。
コートには緊張感が漲っていた。
誰もが食い入るように試合展開を見つめている。
ラリーがあるたびに、首を回して打球の行方を追う。
言葉を失って、ただ見つめる。
何度も記述しているが、安倍は飯田に負ける気がしなかった。
打ち合っているお互いの表情を比べてみても、安倍は時折微笑を挟んで余裕を感じさせる。
飯田の方は、緊張しているのか、集中しているのか、顔が若干強張っていた。
その二人の差異を念頭に入れて試合を見ていると、本当にどちらが勝つか予測がつかない。
- 243 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 21:03
- そしてこの場面になって、安倍のフォームに少し変化があった。
きちんとした形を作らずにラケットを振り始めたのだ。
ストロークを打つ際に模範通りの動作をせずに、腕力を重視して振るようになっていた。
勿論、荒くなっているという訳じゃない。
それはある種、安倍の完成形といえるスタイルだった。
安倍がそうやってラケットを振ると、全く違和感が無いのだ。
そして、安倍が左コートに走りながら打ち返したフォアハンドが、見事飯田の裏をついた。
予想はしていたのにタイミングを外されてしまったのだ。40=30。
飯田の心拍数が上がりだした。
どんな事があっても、飯田はこのゲームで決めようと思っている。
飯田は胸に手を当てて、鼓動の高鳴りを直に聞いた。
こんなに緊張したのはいつ以来だろうか、もはや思い出せないほど昔の事だった。
喉が渇く。
安倍は相変らず余裕の表情をしている、いや、極自然体でこの局面をこなしていた。
メンタル面には自信があったはずなのに、バカみたいに緊張している自分がいる。
- 244 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 21:03
- 飯田は慎重にトスを上げた。
(落ち着け)
そう念じて打ったサーブはフォールトした。思わず舌打ちが出る。
セカンドサーブは、球種を変えるべきだろうか。
ゲームを展開させる事が出来れば、ポイントが取れるチャンスは必ず来る。
しかしもし、ダブルフォールトしてしまったらこのゲームを安倍に取られてしまう。
タイブレークにまで縺れると、勝てる気がしなかった。それは何となく勘でわかった。
飯田は葛藤した。妥協すべきか、否か。
ミスでゲームを取られると、流れは完全に安倍に移るだろう。
どうする。
一度深呼吸して、間を置く。
そして、気を落ち着けようと金網の外に目を移した時、見慣れたある人物が目に入った。
(・・・里田?)
テニス部を退部した里田が、人目のつかない、遠い場所から試合を観戦していたのだった。
応援してくれているのだろうか。大抵の場合、辞めた部員はテニス部を恨むものだと聞いている。
- 245 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 21:03
- チラチラと他の観客の影になって、里田の顔が隠れた。
目を細めて見てみないと、きちんとした輪郭にならない。
それでも確かにその場所にいるのは、ついこの前まで共に一軍で汗を流した里田舞だった。
「飯田さん、決めちゃっていいですよ。」
自陣の方から真希の声が聞こえた。
妥協してテニスを辞めざるをえなかった、里田がこの試合を見ている。
そうやって辞めていく部員がいるのは、K学の中では全然珍しい事じゃなかった。
それなのに、今、里田の存在を確認しただけで、不思議な使命感が芽生えた。
自分一人でテニスをやっている訳じゃない。
当たり前のことなのに、今はとても実感が湧いて飯田の心に突き刺さる。
飯田は高らかにトスを上げた。
そして、流れるような動作から、思い切りのいいフラットサーブを打った。
(情けないテニスを晒すくらいなら負けた方がいい)
強烈な打球は、安倍の正面に届く。
安倍は足を踏ん張ると、フォアハンドで返球しようとした、が僅かにガットの中心を逸れた。
それだけで、完全にレシーブは拉がれる。圧された球はネットに掛かると力なくコートに転がった。
第十ゲームはジュースに縺れ込んだ。
- 246 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 21:04
- 飯田はすぐに里田の方に顔を向けた。
しかし、そこにはもう里田の姿は見えなかった。
もしかしてあれは幻影だったのだろうか、そんな事を考えてみたが、
何にせよ里田に助けられたのには相違なかった。
自分の為だけじゃない。とにかく、この試合には勝つ。
飯田はもう、数え切れないほどそう願った。
そして、安倍も飯田同様、ただひたすら勝つ事だけを信じていた。
根拠があるわけじゃないが、負ける気がしない。
心理面が弱かったはずなのに、今の安倍の心境には余裕が溢れていた。
楽しいテニスを貫徹する。
飯田という好敵手に巡り合えて、本当によかった。
この局面になっても安倍には変化が無かった。
緊張感、使命感を覚えながら、飯田は思い切りサーブを打ち込む。
強烈だった。しかし安倍は事も無げにリターンする。
ゲームが展開がすると、ハイレベルな攻防が繰り広げられる。
飯田の強烈なストロークをいなすように安倍はボレーを打つ。
ひたすらオーソドックスに粘り強く、飯田は攻めた。
安倍は、あの手この手を使ってコートを駆け回った。
開始当初からは考えられない安倍のスタイルは、今の方がずっと様になっている。
- 247 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 21:04
- ほどよい緊張は選手の能力を向上させる。
よく陸上や水泳などの競技で、本番にこそ自己新記録を出す選手は多い。
それはプレッシャーをいい方向に転換させているからだ。
今の飯田の状態がそれだった。
飯田の集中力は緊張感を伴って、更に研ぎ澄まされていた。
打球の一つ一つが丁寧で、鋭い。
一方の安倍は余裕を持ってラケットを振っている所為か、打球やフォームに伸びがあった。
伸び伸びとテニスをやっている。
対戦相手にとって一番嫌なタイプは、純粋に自分のテニスを何の迷いも無く実践するタイプだ。
今の安倍がそれだった。
まるで対蹠的な二人だ。
そんな二人がこうやってぶつかると、面白いほどに拮抗した接戦になる。
本当に一瞬の躊躇や油断が、勝敗を分ける展開。
- 248 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 21:04
- 打ち合いが続いた。
しかし、そうなると安倍が押されだす。
かと言って、勝負を焦ると飯田の思うつぼになる。
するするとコートを移動して、安倍はストロークを止めて、ボレーを打ち込んだ。
打つと同時にネットに詰める。それを見計らった飯田がロブを上げた。
堅実な攻め方だった、が安倍も読んでいる。
すぐに後退して、今度はクロスにストロークを叩きこんだ。
順回転をかけて球速を増す。が、飯田は容易に追いついて返してくる。
その返してきた打球。勢いがあるが、場所が浅かった。
―――ここしかない。
安倍は勝負をかけて、思い切りラケットを引いた。
読まれていたら、ポイントはきっと奪われるだろう。
しかし、恐れる事など何も無い。自分のテニスを信じるだけだ。
安倍が打ったのは逆クロスだった。
今、バックコートの左隅にいる飯田の方を狙って安倍はラケットを振りぬく。
飯田が揺さぶられるのを懸念して、中央に寄る動作をしてくれれば、裏を付ける。
そう安倍は判断したのだ。
(決まれ!)
安倍は心中で叫んだ。
- 249 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 21:05
- しかし、飯田は安倍の仕掛けを読んでいた。
と言うよりも、飯田も自分の予測に賭けたのだ。
安倍なら仕掛けてくるだろう、そう思った飯田の予想が的中した。
ボールをひきつけて、飯田はクロスに打つ。
深い角度に突き刺さったソレを、安倍は拾うことが出来なかった。
飯田にアドバンテージがついた。大詰め。マッチポイントを飯田がついに握った。
一気に両サイドからの声援が大きくなった。
飯田さん、安倍さん――――――
飯田は交錯する声援を掻き分けるようにして、トスを上げた。
決める。
迷いも無く振りぬいた。
サーヴィスラインぎりぎりを狙ったフラットサーブは見事にライン上でバウンドする。
飯田はエースを決めるつもりだった。
―――テニスはサーブで決まる。
そう謳われる所以は、サーブならば反撃の余地を与えずにポイントを奪う事が出来るし、
強いサーブを打てる者は、相手のテニスを封じる事が出来るからだ。
- 250 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 21:05
- 強烈な飯田のサーブは抜けるかに思われた。
が、安倍はほぼ無意識にソレを打ち返していた。
絶対に勝てる。そう信じてラケットを振る。
レシーブを決めると安倍はネットダッシュした。焦ったからじゃない。
この場面になっても安倍には余裕があった。
その余裕の気持ちが、この場面でも安倍に自由なテニスをさせた。
飯田は安倍がネットダッシュしたのを認めると、緩いボレーを打って自分もネットに詰めた。
勝負に出たのだ。
これは安倍も全く予想だにしない展開だった。二人が近距離で向き合う恰好になる。
安倍はストロークを、角度を付けて打った、しかし飯田は異常なまでの反応速度でそれを拾う。
そこからはボレーの打ち合いになった。
ノーバウンドのボレーを交換し合う。
お互い打つ位置を徐々にずらして、コートの中は忙しなくなった。
世の中で大成するのはどんな人だと思う?
前振りも無く、飯田は目の前にいる安倍に、目でそう問い掛けた。
- 251 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 21:05
- 勇気と信念を持つ人。
安倍はそう答えた。
ボレーの交換が続いた。
二人とも予定調和されているかのように、鮮やかにポンポンとラケットに球を当てる。
違うよ。
飯田は安倍の答えを否定した。
それでも、安倍には余裕があった。負ける気がしなかった。
絶対に勝てると信じてテニスをやっていた。
盲信しているわけじゃない。飯田には『勝てる』と思ったからだ。
じゃあどんな人?
安倍は飯田の足元を狙ってパッシングを打った。
抜ければまたジュースに縺れ込む、が、飯田はニヤっと口端を上げた。
臆病者だよ。
- 252 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 21:06
- 飯田は怖かった。
このゲームで決めなければ安倍には勝てないと思っていた。
そのある種の強迫観念が、飯田のテニスを一際質の高いモノに向上させていた。
飯田は臆病だった。怖かった。だからどうすれば負けないかを知っているのだ。
飯田がポン、と空に打ち上げたロブショット。
安倍はすぐに振り返って、それを追う。さすがに息が荒れた。
それでも全速力でボールを追う。
間に合ってくれ、と思うが、ボールは眼前でバウンドしてしまった。
(いける!)
ギリギリのところで安倍は追いついた。
縦に跳ねた球がコートに沈む前に、ストロークの動作に入っていた。
ほっとした。まだ終わらせない。
しかし次の瞬間、安倍の頭の中は真っ白になった。
「あ・・・」
- 253 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 21:06
- 打ち返した時に気付いた。
この『ギリギリ』の状態から打ち返した場合、コースは限定される。
飯田がネットについていた。その正面に安倍の返球は届けられる。
「いけ!」
飯田が叫んだ。打ったコースはサーヴィスコートの隅だった。
安倍はひたすら駆けたが、無駄だった。
鋭角に突き刺さった飯田のストロークは、
無人のコートに勢いよくバウンドすると、そのまま後ろに抜けた。
その瞬間、飯田は目を閉じて空を仰いだ。
「やったぁ!!!!」
それから咆哮を上げた。
こんなに爽快な気分になったのは、生まれてこの方初めてだった。
色々な柵からの解放感、達成感、そして喜悦が飯田を包み込む。
高らかに掲げたガッツポーズは、太陽の逆光を受けて飯田からは黒く見える。
腕を下ろすと、安倍の方に顔を向けた。
勝者が敗者にかける言葉は無い。しかし、飯田には安倍が敗者に映らなかった。
- 254 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/03/31(水) 21:07
- 片目を瞑って、悔しそうに下唇を噛みながら、微笑している安倍がコートの中央にいる。
その姿を見て、やっぱり自分は安倍に嫉妬しているな、と飯田は思った。
安倍を纏っている独特の雰囲気は、飯田には無い、朗らかで優しいモノだった。
もし現実に天使なんかがいるとしたら、きっとああいう雰囲気を纏っているに違いない。
何だか安心してしまう。拍子抜けた飯田が安倍に微笑み返そうとした、時だった。
(ああ、バカだ、私・・・)
一瞬だけ、安倍が見せた絶望の表情を飯田は見逃さなかった。
すぐに安倍は笑顔を作る。しかし飯田は見てしまった。
負けて悔しくないはずが無い。辛くないわけが無い。現実は甘くない。
安倍は必死で隠しているのだ。
よく笑う人間ほど、より悲しみを実感できると言う。
飯田が今見ている安倍の笑顔は、世界中の何よりも痛ましかった。
―――――――――
- 255 名前:カネダ 投稿日:2004/03/31(水) 21:09
- 更新しました。
ちょっと更新量多すぎました・・・
二回に分けて更新するべきでした_| ̄|○
- 256 名前:カネダ 投稿日:2004/03/31(水) 21:10
- 決着ついたので、一応念のためスレ流し
- 257 名前:カネダ 投稿日:2004/03/31(水) 21:10
- 流し
- 258 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/31(水) 21:31
- すばらしい試合でした。なっち‥カオリ‥
二人ともお疲れ様でした。
- 259 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/31(水) 21:50
- 更新お疲れ様でした。
- 260 名前:名無し 投稿日:2004/04/01(木) 03:16
- さすがに試合描写が長いなあ
作者さんはこの調子で全試合フルセットでやるつもりなんだろうか
- 261 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/01(木) 21:26
- あああああ・・・更新乙です!!!
なっちがなっちが・・・・
ネタバレになっちゃうので感想は・・
感情移入しすぎて、訳わかんなくなっちゃいました。
試合中の描写がすごすぎて・・・前のめりで読んでます。
本当に本当に期待して次回も待ってます!
- 262 名前:桃ノ木権三郎 投稿日:2004/04/02(金) 23:55
- ・・・すっごくハラハラドキドキしました。
手に汗握るとはこのことですね。 ふう
- 263 名前:名無し読者。。。 投稿日:2004/04/11(日) 23:34
- すごいの一言だよね
- 264 名前:辻っ子のお豆さん 投稿日:2004/04/13(火) 22:17
- はじめまして。
大分前から読み始めていたのですが、ようやくここまで追いつきました。
どの試合もそれぞれの譲れない気持ちが濃〜く描写されていて鳥肌ものですね。
そんな中たまに混じっている小ネタが大好きです。今回は「反応早!」で笑いました。
残り2試合、激しく期待してます。頑張ってください!
- 265 名前:カネダ 投稿日:2004/04/16(金) 22:45
- レス有難う御座います。
本当に励みになります。
>>258名無飼育さん様。
ありがとうざいます。
安倍と飯田の試合は、安倍卒業を知ってから勝敗を決めたんですが、
やっぱり卒業に花を添えるべきだったかな、と最近思ったりもしてます。
次は辻加護が卒業しちゃうみたいですね・・・
>>259名無飼育さん様。
更新確かにちょっと疲れました(w
長くなったのを申し訳なく思ってます。
>>260名無し様。
確かにバカ長いですね。
どうも自分はどんなのでも長くする悪癖があるみたいです_| ̄|○
でも伏線は張り終えたつもりですので、第四試合は出来ればサクサク書きたいと思ってます。
>>261
あああ・・・ありがとうございます。(と真似してみる(w)
試合描写は自分でわかるくらい、悔いが無いようにしつこく書いてます。
この話が終わると、きっともう二度とスポーツの試合を書くことはないので・・・
でもほどほどにしとかないと、自分の首を締める事になるので、気をつけます(w
>>262桃ノ木権三郎様。
ハラハラドッキドキしてくれてありがとうございます。
自分では全然そういう感覚がわからないので、そう言ってくれるとすごく嬉しいです。
次の試合も手に汗握る試合に・・・なればいいのですが・・・
>>263名無し読者。。。様
すごい、とは誉め言葉と捉えて宜しいんでしょうか・・・
それともすごい長いとか、すごいつまんないとか・・・_| ̄|○
ここは素直に喜んでおきます。(w レスありがとうございます。
>>264辻っ子のお豆さん様。
はじめまして。
辻っ子のお豆さんは、あの羊の辻っ子のお豆さんで合ってるんですよね・・・
読み専時代から大好きな作者さんです・・・レスありがとうございます。
何だかこんな長い話読んで下さって申し訳ありません・゚・(つД`)・゚・
これからも精進して書きますので、どうか最後まで読んで下されば嬉しいです。
それでは続きです。
- 266 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/04/16(金) 22:46
- 試合後のコートには二人の激闘を讃える拍手が暫し続いたが、
それが止むとえも言われぬ、どこか湿っぽい寂寥感に包まれた。
いつからか吹いていた風が止む。シンと静まり返ったコートで、改めて考えた。
飯田が勝つのは不思議な事じゃない。
それでもどういう訳か、安倍が負けたという実感が誰にも湧かないのだ。
コートの外の所々で、どよめきの様な喧噪が生まれては消えていく。
この試合にはまだ続きがあるような気がしてならなかった。
しかし紛れも無く決着はついている。飯田が勝って、安倍が負けたのだ。
そんな事は誰でもわかっていた。しかし、と思ってしまうのだ。
何かを求めるように空を見上げた後、安倍はネットに向かって歩みだした。
その顔には、真夏の太陽のような笑みが浮かんでいる。
飯田にはその笑顔が余りにも屈託無いものに見えて、逆に辛かった。
どうして敗者が笑えるのだろうか。あれは偽りの笑顔だ。故に、泣き顔よりも痛々しい。
飯田は視線を伏せながら、ネットへと歩み始めた。
安倍になんと声を掛けるべきか、いや、敗者に掛ける言葉など存在しない事を
飯田は経験上、嫌と言うほど熟知している。
- 267 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/04/16(金) 22:47
- やがて二人はネット1枚を隔てて向き合った。
試合後、お互いの健闘を讃えるために、ネット越しに軽い握手を交わすのがマナー
だったのだが、安倍は軽い握手ではなく、力強く飯田の手を握り締めた。
手に痺れを覚え、ハッとした飯田は思わず伏せていた視線を上げ、安倍の顔を見つめる。
汗の所為で光沢を帯びている安倍の顔は、瑞々しくて気持ちがよかった。
「飯田さん、なっちのこと覚えてた?」
敗者である安倍の第一声は、そんなバカみたいな事柄だった。
一瞬、その質問の意味が理解できなかった飯田は、視線を上に泳がして考える。
「・・・それって、私が安倍さんと去年対戦した時のこと?」
「あー、覚えててくれたんだ。うれしいなぁ。」
ニコニコと安倍は笑って、首を揺らした。
「忘れるわけないじゃん。あんなすっげー回転持ってるの安倍さんだけだよ。」
そう言うと飯田は不覚にも笑ってしまった。
敗者に掛ける言葉とか、そんな大儀なことを考えていたのがバカらしく思えた。
飯田の微笑みを見て、安倍の笑顔は一段と輝いたようだった。
- 268 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/04/16(金) 22:47
- 「てっきり、絶対覚えてもらってないと思ってた。飯田さんすごい人だからさ。」
安倍なつみと言えば、この界隈広とも言えど、その特異なプレイスタイルで、
ある程度テニスを齧っている者ならば誰でも知っている名選手だ。
しかし、本人にはその自覚が全く無いらしい。その声色に驕りや皮肉は無かった。
「てか、正直言うとさ、この試合、負けるかもしれないと思ってたんだ。
安倍さん、自分の実力わかってなさすぎだよ。ふつーに強豪だって。」
「でもやっぱり、飯田さんには敵わなかったな。」
そう言ってから、安倍は飯田の手を放した。
その声がどこか寂しげだったので、飯田は無意識に苦笑した。
「今日は、ね。次やったらどうなるかわかんないよ。」
「また試合したいよね。飯田さんと打ち合うと楽しいもん。
飯田さんにはテニスの楽しさ教えてもらった気がした。」
「あ、それ私もだよ。ありがとう。そう、それが言いたかったんだ。」
「こちらこそ。」
- 269 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/04/16(金) 22:48
- 何だかおかしなやりとりだった。
言葉を交わしたのは今が始めてなのに、どういう訳か昔からの知り合いのような
気がしてならないのだ。
或いは、安倍とは遠い昔、どこかで実際に会っていたのかも知れない。
「あ、最後に一ついい?」
安倍は時間を気にするように、焦った口調でそう訊ねた。
こんな風にコート内で話をするのはそれほど見ない光景だった。
「うん?」
安倍の顔がいやに真剣だったので、飯田は大きな目をパッチリ開いて首を傾げた。
真面目な顔をすると双眸に光が堪って、それがやたらと人を惹きつける。
安倍が人に愛される存在であるのは疑いようがなかった。現に、自分は見惚れてしまっている。
飯田は試合中に感じた自分の了見に自信を持った。
- 270 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/04/16(金) 22:49
- 「飯田さんって、これからもずっとテニスやっていこうと思ってる?」
予想もしていなかった問いかけだった。
実のところ、飯田は高校限りで、真剣にテニスに取り組むのはやめようと思っていた。
理由は色々あるが、とりわけ矢口の存在が大きかった。
自分よりも年下で尚且つ、才能に恵まれているテニスの申し子のような存在。
そんな天才が自分と同じ世代にいる事で、テニスには限界があると飯田は知っていたのだ。
しかし、安倍と試合をしてみて、何だかそんな悲嘆が今は嘘のように感じる。
「そうだね・・・うん。当分辞めるつもりはないかな。てかずっとやってたいよ。」
言葉を選ぶように視線を動かして、やがて安倍と目を合わせて飯田はそう言う。
それから思い出したように笑った。とても自然に笑顔が出た。
「よかったぁ。何かちょっと気になったから。」
安倍は試合中に、飯田が纏っていた厭世的な匂いを察していたらしい。
「やれるだけはやってみようと思うねー。」
「なっちも、飯田さんに勝つまでは辞めらんないなぁ。」
二人は八月にあるシングルスの大会の一回戦で、運命的に再戦する事になる。
その結果を今述べるような野暮な事はしないが、その試合後、二人は更にテニス
に対する思いを深めるようになるのだった。
未来は気まぐれで、いつだって唐突だ。だから人生は楽しいのだろう。
- 271 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/04/16(金) 22:49
- 再戦を誓い合うと、二人は回れ右をして、仲間の所へ戻っていく。
清々とした飯田の表情は、部員達の心を晴れやかなものにした。
繰り広げられた熱戦は、誰の胸にも何らかの意味をもって、明日への活力となった。
ベンチの隅にいる市井にさえ、これまで持っていた
価値観を揺るがすくらいの、大きな印象を与えた。
市井は今、矢口に勝ちたいと思っている。
飯田はまず、石黒のもとに行って、ペコリと頭を下げた。
こんな不可解な行動を飯田は今までしたことが無かった。
団体戦でもどんな試合でも、飯田はK学に帰るまでは石黒に指示を仰ぐような事をしないのだ。
石黒は眉を微動させて垂れた飯田の頭を眺める。
果たして、それにはどんな意味が込められているのか。
これほどの接戦になった事に対する侘びなのか、これまで石黒に学んだ事を
貫徹しなかった反省なのか、それとも石黒が教授するテニスに対する決別の挨拶なのか―――
石黒は飯田の表情から答えを読み取ろうとしたが、わからなかった。
「よく勝った。」
それだけ言った。
それだけしか言葉にならなかった、のも事実だ。
飯田は石黒が目を逸らしたのを見計らって、ありがとうございます、と言った。
石黒はそのまま何も言わなかった。
―――
- 272 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/04/16(金) 22:50
- 安倍は笑顔でベンチに戻ってきた。
部員達は何と言葉をかけていいかわからなかったのが、取り敢えず、
その笑みを見てホッとした。さすが安倍、というべきか。
本当に偽りの無い笑顔がそこにあった。
強靭な精神力を持っているから笑えるんだ、なんて事を試合に見入っていた希美は考えた。
安倍はそのままベンチの奥まで進んで腰を降ろす。
そして軽い声で、負けちゃった、と下を向いて言った。
松浦はその声を聞いて、少しだけ残念そうに眉根を八の字に開いたが、
すぐに駆け寄って、お疲れさま、と一言労おうとした。
が、それは言葉になる前に胸のうちに留められた。
泣き出したのだ。
意表を付かれた松浦はその場で静止してしまった。
今さっきまでニコニコと笑っていた安倍が、突然堰を切ったように泣き出した。
観客やK学サイドからは死角になっていたので、
その事実を知っているのはT高校の部員達と中澤だけだった。
- 273 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/04/16(金) 22:50
- 悔しい気持ちが爆発した。
笑顔は一変して、わんわんと癇癪を起こした子供のように泣く。
希美や紺野なんかは貰い泣きしてしまって、どうしようもなかった。
松浦も悲痛そうな表情をして、安倍の姿を直視できない様子だった。
吉澤はやりきれないように、地面に視線を落として言葉を探していた。
どうしてこうも運命は残酷なのだろうか、と誰もが思ってしまう。
何故なら、安倍は飯田に勝つ能力が十二分にあったからだ。もう一度試合したら・・・
しかし時間は戻らない。
見かねた梨華が安倍の蹲っていた背中に手をかけた。
直前、前方にいる矢口の方に視線を向けた。矢口は安倍の姿を無表情に見ていた。
それでも、その瞳には滾るような強い意志が満ちている。
梨華は、人間がこんな瞳を宿す感情を一つだけ知っていた。怒りだ。
矢口は勝てる力があるのに負けた安倍に怒りを覚えているのだろうか、
それとも、こんな運命を用意した超然的なナニカに対して憤っているのだろうか。
何にせよ、矢口が何かしらの感情を宿しているのは間違いなかった。
それから梨華はしゃがんで、安倍の顔を覗くように体を寄せる。
滞った空気に、梨華のアニメ声はよく通った。
- 274 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/04/16(金) 22:50
- 「安倍さん、そんな、泣かないで下さい・・・」
仮にも安倍はテニス部唯一の三年であり、主将でもある。
主将がこんな風に後輩の前で泣きじゃくる姿は、
チームの士気を大いに低下させる。そんな事は言うまでもなかった。
「まだ、終わってないじゃないですか。」
事実、試合は今、一勝二敗になっただけで、次に矢口が勝てばイーブンとなるのだ。
安倍が泣いているのはつまり、敗北の裏にある何らかの事情の所為だろう。
飯田圭織と安倍の因縁を梨華は知らない。
それだけじゃなく、安倍は責任を感じていたのだ。
吉澤に勝つと約束していたのに、それを破ってしまった。
自分を追い込んで尚、負けてしまったのだ。
今安倍が感じているのは、自分に対する失望と、ただの無力感だった。
結局、梨華も泣きじゃくる安倍を前に、言葉に窮してしまった。
隣にしゃがんで背中を擦り、やり場の無い視線を無機質なコンクリートの地面に向ける。
こんな場面で、何と言えば安倍は、そしてベンチの中は明るくなるのだろうか。
考えたところで梨華には何も浮かばなかった。
安倍の泣き声だけが重苦しいベンチ内に響き渡る。
そんな鬱屈した状況を打開したのは、
- 275 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/04/16(金) 22:51
- 「なっち、いい加減うるさいよ。」
梨華が後ろを振り返ると、そこにはラケットを持った矢口が立っていた。
空気が一瞬で凍り、誰もが矢口に視線を向けた。安倍は呼吸を忘れたように声を止める。
例えばこういう危機的状況になった場合、カリスマと呼ばれる存在は一言で
事態を収集する事が出来る。もともと口数が少ない人間の言葉は、普段、明るいムードを
放っている人間のそれよりも格段に力があり、心に直接伝わる。
「吉澤。」
矢口は吉澤を名指しすると、横目で見た。
相変らずの無表情だったのだが声には張りが合って、吉澤はビクっと、体を震わせた。
「はい?」
首を傾げて、吉澤は矢口の言葉を待つ。
「まだ、このメンバーで続けたい?テニス。」
「・・・それは、もちろんです。」
吉澤は決然とした表情で答えた。
- 276 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/04/16(金) 22:52
- 「石川は?」
続いて矢口はしゃがんでいた梨華を見下ろして、言った。
「私も、よっすぃと同じ気持ちです。」
「辻、紺野、松浦。お前らは?」
そうやって、矢口は全員の意見を求めた。
矢口が自発的に言葉を発する事さえ珍しいのに、今はメンバーの上に立って、
この状況を収拾しようとしている。
ベンチの端にいた中澤は自分の目を疑った。
こういった子供間で起こる問題に対して、
中澤はなるべく介入しないように努めてきた。
だから今もベンチの端で無関心を装っていたのだが、
矢口の変化を見て、不用意に目を瞠ってしまう。
皆の心が一つになる、なんて事象は他人の脳を覗く事が出来るようにならない限り、
あり得ない。それでも今、部員達は限り無く同一の想いを抱いて、矢口の質問に答えていた。
このメンバーで先に進みたい。理由は楽しいからでも、メンバー全員が好きだからでも、
吉澤を手放したくないから、でもいい。
全員に目配せした後、矢口は無表情でゆっくり頷いた。
- 277 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/04/16(金) 22:52
-
「私は勝つ。みんなの為にね。だからなっちは泣かないで。」
矢口がそう言うと、ベンチの中は耳鳴りがするほどの静寂に包まれた。
聖母とか呼ばれる神話上の存在は、きっとこんな風にさらっと
絶望的な空気を払拭する事が出来たのだろう。
誰もが矢口の言葉に、まるで神様のお告げでも聞くようにして耳を傾けていた。
その言葉は一種の真実味を帯びて、部員全員の心に刻まれる。
「矢口さん、私、応援しますから。」
梨華は立ち上がって、矢口の顔を熱心に見つめた。
こうやって二人立ち並ぶと、やはり矢口は背が低いと改めて実感させられる。
それでも、その存在は巨人のそれよりも遥かに大きい。
矢口の心の中には、靄がかってはいるが、確かに遠い昔に失った、
太陽の光が蘇っていた。父親に、感情は捨てろと言われた。
何時の間にか失っていた喜怒哀楽を、矢口はずっと心の奥に秘めていたのかもしれなかった。
希美の涙、吉澤の涙、そして安倍の涙は、大きな礫となって、
矢口の心中の隅にあった、『感情』にぶつかった。
いよいよ、矢口は答えを見つけようとしている。
テニスをやる意味、そして仲間達と共に汗を流す意味を。
「初めてかもしれない。私は、勝ちたい。」
―――――
- 278 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/04/16(金) 22:53
- 飯田は部員達の声、一つ一つに答えると、
最後に、ベンチの隅にいる市井のもとへゆっくりと向かった。
屈伸運動をし、腕のストレッチをしている手を止めて、市井はキョトンとした
表情を作る。まるで、飯田がやってくるのがさも意外、といった風な仰々しさだった。
しかし、すぐに微笑を作った。
「圭織、いい試合だったよ。やっぱすごいわ。」
「紗耶香・・・何て言ったらいいか、うまい言葉が見つからないんだけど、
テニスって、楽しいよ。」
真剣な表情をして飯田はそう言った。すると、市井はクックと笑って俯いた。
それが揶揄されたものだと思って、飯田はムスっとした表情を作る。
「ちょっと、笑うところじゃないよ。」
「テニスが、楽しい、か。圭織はやっとテニスが好きって気付いたんだね。」
「・・・うん。」
「私は―――」
- 279 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/04/16(金) 22:54
- 市井は顔を上げた。相変らず、顔には微笑を宿している。
「テニスを愛してるよ。」
まるで心臓を鋭い矢で射抜かれたかのように、飯田は言葉を失った。
もしかしたら、このK学という環境の中で、市井ほどテニスを溺愛している人間は
いないのかもしれない。飯田はそう思った。
「テニスが好きで好きでしょうがない。でも、神様は私に才能をくれなかった。」
「それは・・・」
「でも、神様は思わぬ落し物をくれたんだ。」
「落し物?」
市井はベンチの中に真希がいないことを確認した。
この頃、真希は藤本に誘われて、ベンチの裏にあるトイレへと向かっていたのだった。
どうも藤本には駄菓子を偏愛しているだけでなく、連れション癖まであるらしい。
あくまで真剣に誘ってくる藤本に、真希は身の毛のよだつほどの恐怖を覚えた。
結局、加護と高橋も同伴と言うことで話がついたのだが・・・
それにしても藤本っていう人間はわからない。
- 280 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/04/16(金) 22:54
- 「後藤だよ。あいつがいるから私はもう、悔いなくこの界隈から手を引ける。」
「ちょっと、何言ってんの?」
「人間はね、分を弁えないととんでもない過ちを犯す事だってあるんだ。」
―――死神。飯田は市井が去年見せた、狂ったような試合の数々を思い出した。
「適当にテニスを続けることは出来ない。トップを目指せないなら私は手を引く。
でも、今まではどうしても諦め切れなかったんだ。」
「紗耶香には、これからがあるじゃない。」
「無いよ。私は限界を知ってる。私が死ぬほど努力しても矢口を超えることは出来ない。」
そう言うと、市井は目を細めて向かい側にいる矢口に目を向けた。
「私だって、それは同じだよ。でも―――」
「圭織には圭織の考え方がある。私にも譲れない想いがあるんだ。
私はやっぱり、この界隈にいるべき人間じゃない。」
- 281 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/04/16(金) 22:54
- 飯田は矢口と出会った頃の自分の姿を、市井に重ねていた。
秀才と呼ばれる優秀な人間はひどく損をする生き物だ。
K学のメンバーはほとんどが、その秀才という人材で構成されている。
努力をすれば、ある程度までの高みに上れる。
しかし、本当に天性の才能を持って生まれた人間に出会ってしまうと、
凡才には一生理解する事の出来ない、想像を絶する絶望を覚えてしまうのだ。
市井は限り無く天才に近い秀才だった。
「・・・」
「でも、私は後藤に出会えた。」
「・・・ゴトー?」
「私の、希望だよ。こんなこと直接顔見て言えないけど、あいつに全部委ねたいと思ってる。
底知れないテニスの才能があって、率直で正直で、知らず知らず人望を集める。
圭織は感じた事ない?あいつの周りはいつだって日が当たってるんだ。」
それは飯田もつい最近になって気付いた事だった。
「確かに、ゴトーの周りはあったかいね。」
こんな詩人じみた表現は飯田ならではだろう。
そう思うと、市井は笑わずにいられなかった。
- 282 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/04/16(金) 22:55
- 「そう。あったかいんだよ。だから私はもういい。後藤に、私の夢を叶えてもらいたい。
あいつならいずれ、矢口に勝つさ。その上だって狙える。」
そう言った所で、審判から召集がかかった。
市井は、さて、と覚悟したような声を出すと、壁に立てていたラケットを握る。
その時に、真希達がトイレから戻ってきた。
「圭織、ありがとう。この試合が終わったら、きっともう・・・・お別れだ。」
飯田の横を通り過ぎる際、市井は飯田の肩に手をやって、そう呟く。
その声色には決然とした響きがあった。市井の決心はテコでも揺るがない。
飯田は確信してしまった。
「・・・紗耶香、がんばって。私には、それくらいしか言えない。」
「ははっ、それだけで十分だって。」
二人は視線を合わさずに前と後ろを向いて、言葉を交わした。
それから、市井は歩き出す。飯田はその場で立ち止まって俯いていた。
- 283 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/04/16(金) 22:55
- さっさとコートに出向こうとする市井を真希が呼び止めた。
「ん?なんだよ?」
「これ、付けてる?」
真希は自分の右手に輝いている、不思議な光彩を放つブレスレットを指差した。
「ああ、リストバンドの下にちゃんと、ね。」
「よかった。てっきり忘れてんのかと思った。」
「そういう所はちゃんとしてたりするんだよね、私。」
「ははは、何言ってんだよ。」
ケラケラと真希は笑った。
市井は何がおかしいのかわからない、といった怪訝な表情をした。
「何か変?」
「別にー。」
そう言って、真希はニヤニヤと笑う。
「じゃあ、行ってくるよ。応援しろよお前。」
「あったりまえじゃん。」
市井は真希に笑顔を見せて、コートの扉に手をかける。
- 284 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/04/16(金) 22:56
- 「あ、そうだ!」
その背中に慌ただしく、真希はもう一度声をかけた。
市井は振り返って、首を傾げる。
「前言ったこと、忘れてないよね?」
前言ったこと、はて、と市井は視線を上に向けて、考える。
「世界中の人全部が市井ちゃんの敵になったって、私はずっと味方だから―――」
「・・・バカ。」
市井は素っ気無くそう言うと、さっさとコートの中に入った。
早く真希に背を向けたかった。どうにも目頭が熱い。
すぐに、込み上げてきた涙をリストバンドで乱暴に拭った。
試合前に泣くとは、自分もいよいよ賞味期限が切れたな。何て事を市井は考える。
そして市井は神様に感謝した。そんなものは存在しないかもしれなかったが、
市井は真希と巡り合う事が出来た全ての運命、人生、人間に感謝をした。
――――
- 285 名前:カネダ 投稿日:2004/04/16(金) 22:58
- 更新しました。
前回の反省を生かして少なめに・・・
実は書く時間がなかなかとれないだけです。すいません_| ̄|○
- 286 名前:まる 投稿日:2004/04/17(土) 11:29
- おひさしぶりッス!!なっちの試合はホントに納得の行く感動的な試合でした。そして、いよいよ矢口と市井の試合が始まるんですね。どんどん変わっていく矢口さんに注目ですね。すんごく楽しみにしてます。
- 287 名前:桃ノ木権三郎 投稿日:2004/04/18(日) 09:25
- はああっっ・・・
もうなんか、試合始まってないのにアドレナリンが・・・
わくわくしながら次を待ってます!!
- 288 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/18(日) 16:55
- なんかなっちが悲惨・・・救いがまったくない・・
- 289 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/21(水) 15:07
- 努力と秀才の集まりK学園は、天才に勝てないのでしょうか。
人生って挫折だらけ、どうしても市井を応援してしまう自分が居ます。
- 290 名前:辻っ子のお豆さん 投稿日:2004/04/27(火) 22:14
- >読み専時代から大好きな作者さんです
うわ、自分が大好きな作者さんから言われると本当に嬉しいです。
もちろん最後まで読ませていただきます。
- 291 名前:rina 投稿日:2004/05/04(火) 18:51
- 今日、知りました!
1から全部読ませていただきました!!
すごい好きです!こうゆう物語&作風!
何気に後藤さんと藤本さんのコンビがツボです!
会話のやり取りの一つ一つがツボ・・・w
あと、後藤さん加護さん高橋さんの仲良しトリオも好きです!
続きがめちゃめちゃ楽しみです!!
- 292 名前:カネダ 投稿日:2004/05/22(土) 01:29
- レス有難う御座います。
本当に励みになります。
>>286まる様。
矢口の変化を書くのもこの話を長く書いてきた一つの理由ですね。
というか長くなりすぎました・・・楽しみにしていただいてるのに、
更新の方も遅くなってしまって申し訳ない限りです。
>>287桃ノ木権三郎様。
わくわくして頂いてるのに、遅くなってすいません。
どうも本業の方が以前にも増して忙しくなってしまいました・・・
死んでも完結させるつもりなので、どうかまた読んでやって下さい。
>>288名無飼育さん様。
ですね・・・安倍に関してはホントに申し訳ないとしか言えないです・・・
吉澤と安倍を書く際、非難の雨霰を覚悟してた部分もありましたから。
勝敗をつけるって一番残酷なことかもしれないですね。
>>289名無飼育さん。
現実の厳しさや才能、挫折もこの話のテーマの一つでした。
リアルの娘。さん達を見てこんな救いのない部分を書いたのは自分の
捻くれてる性格のせいですね・・・でも、希望もテーマの一つです。
>>290辻っこのお豆さん様。
もともと羊の読み専だったので(w
読んでくれて本当に有難う御座います。
死んでも完結させますので、どうかまったり付き合って頂けたら嬉しいです。
>>291rina様。
1からですか・・・新規の読者さんなんて正直、この先は一人もいないと
思ってました。こんなアホ長い話を読んでくれて感謝です。
ネタを書いて、話を重くならないようにするのにも気をつけてきましたので
そう言ってくれると嬉しいです(w
それでは続きです。
- 293 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/05/22(土) 01:30
- 時刻はそろそろ夕刻に指しかかろうとしている。
太陽は予定通りに西の空へと移動しつつあった。
陽の色は徐々に濃くなって気温は下がり、この時期ならば冷たい風が吹く時間帯だった。
それなのに、気温は一向に下がる気配を見せない。それどころか湿度が更に上昇して
居心地は昼よりも余計に悪くなっていた。コートからの輻射熱が蒸気を作り、
包み込むように肌につき纏う。そんな環境で、どうやら第四試合は行われるようだった。
――
矢口がコートに入ってくると、観客達は待ってましたと言わんばかりにざわつき始めた。
小さな体躯、形のいい顔の各部位。無表情で感情を悟らせない。
普通ならば芳しいイメージを抱かない金に染め上げた髪さえも、
矢口がすると極自然に映るから不思議だった。
矢口はゆっくりとコートの中央へ向かって歩く。その一歩一歩にすら観客は恍惚した。
―――妖精。
確かにその形容はこれほどないくらい、矢口に相応しい。
俗人では想像の中でしか触れる事が出来ない、神聖かつ超自然的なモノ。
それが今まで矢口が築き上げてきたテニススタイルであり、イメージだった。
人の心を奪うテニスを矢口は実践するのだ。
- 294 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/05/22(土) 01:30
- 例えるなら、一般的にアイドルと呼ばれている偶像に扱いが似ているのかもしれない。
ブラウン管の中で微笑むだけで人の心を魅了する。
裏にある事情や、私生活などを一切匂わせないから、完璧な人物に映ってしまう。
そんな欠点が無いように見える人間ほど実は努力家で、悲しい背景を持っているものなのだ。
そしてもう一つ例えるなら、ただ一方的に愛される人形だ。
反抗も拒絶もしない代わりに、微笑んだり心を開いたりもしない。
それでも語りかけると声を聞いてくれるような気がするから、知らず知らず
独占しているような錯覚に陥る。が、実際は誰のものでもないし、誰のものにもならない。
だからこそ愛されるアイドル、人形の場所に矢口は位置付けている。
誰も矢口の人生を知らない。
テニスを強いられ、人生の選択肢や感情までを排除された矢口の人生を知らない。
相手に魔法をかけるテニス、妖精、天才、色々な言葉で囃し立てられても
矢口は表情一つ変えず、感想を漏らなさなかった。
それがまた、見ている人間には堪らないほど魅力的に映ってしまう。悪循環。
- 295 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/05/22(土) 01:30
- 市井がコートにやってくる。
矢口の時とは違った質の喧噪がコートの外から生まれる。
それはやがて言葉になって意味を成し、罵声になり、市井を中傷する刃物へと進化する。
しかしそれもやがて沈静化してくる。
市井が矢口に近づくにつれて、異常なまでの緊迫感がコートに生まれた。
二人がこうやって対峙するのは約一年ぶりだ。
距離が迫ると風が横殴りに吹き、二人の髪の毛は同じ方向になびいた。
また去年と同じ事を繰り返してしまうのだろうか――――
誰もが言葉を忘れ、関心はそこに集まる。
矢口は無表情で市井の顔を見続ける。
変わってないな、と市井は薄笑いを浮べて、手を差し伸べた。
しかし、矢口の方はなかなか手を伸ばそうとしない。
お互いがネット越しに対峙したままで、市井の手は所在なさげにネットの上に影を作っていた。
やがて市井は覚悟を決めるように、すうっと息を吸った。
「今更何言ったって、許してもらおうとは思ってない。憎まれるのは慣れてるんだ。」
「・・・」
- 296 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/05/22(土) 01:31
- 市井は相変らず頬を緩めているが、目は真剣だった。
そのどこか決然とした語調からは、命を懸けて戦場へ向かう兵士を連想させた。
矢口は、市井と視線を交わしたまま、依然として無言のままだった。
「こんな事、私が言えた義理じゃない。でも、言わなきゃ私はきっと、一生後悔し続ける。
許してもらおうなんて思ってないんだ。ただ、聞いて欲しい。・・・悪かった。
・・・私は最低だったんだ。自分がバカだったってことに、あの頃は気付かなかった。」
訥々と言葉を選びながら市井は、矢口の目を見つめて、謝罪をした。
市井の灰色の瞳、ソレは人の心を破壊しえる死神の瞳だ。
矢口は覗き込む。まるで去年味わった恐怖をもう一度、思い出したがっているかのように。
「悪かった?」
と、やがて矢口は平板な声色で聞き返した。
「許してもらおうとは、思ってない。」
「何で謝る必要があるの?私は、そんな事された覚えない。」
「え?」
「むしろ感謝したいとすら思ってる。前は負けたけど今日は勝つ。私は、勝ちたいんだ。」
凛と見つめてきた矢口に、市井は顔に出さず狼狽する。
感謝?勝ちたい?そんなフレーズが矢口の口から出てくるなんて有り得なかった。
一体この一年の間に何が矢口に起こったのだろうか、市井の中でそんな疑問が浮かぶ。
- 297 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/05/22(土) 01:31
- 「矢口・・・」
市井が何か口に出そうとしたところを遮って、矢口は市井の手持ち無沙汰に
なっていた手を握り返した。俄にコートの外がざわつきだす。
市井は意表をつかれた所為で目を見開いた。
力強かった。思わず汗ばんでしまうほど、矢口は市井の手を強く握った。
感情的だった。矢口の行動がどういう訳か、一つ一つ感情的に市井には映った。
「・・・矢口、変わったね。」
「そうかもしれない。」
それからは口を噤んで、二人とも無言になった。
無言のまま、二人は視線を合わせ続けた。矢口の勝ちたいという意志に溢れた瞳。
市井の終焉を思わせる、どこか冷たくて孤独な瞳。
二人の双眸は全く違う色を帯びて、対峙し合っていた。
トスを上げて、サーブ権を得たのは市井だった。
結果が出ると矢口はくるりと踵を返して、バックラインまで退く。
市井は矢口の背中を訝しそうに数秒見つめて、やがて踵を返した。
切迫した緊張感が漂うコート。
去年の矢口の崩壊を直に見ている安倍や飯田や保田。そして顧問である石黒、中澤。
彼女達はそれこそ勝敗よりも、昨年の悪夢の再現を恐れていた。
市井には矢口を殺す才能があるのだ。
- 298 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/05/22(土) 01:31
- そしてここに、誰もが見落としている一つの事象がある。
去年、それまで感情を一切表に出さなかった矢口が、咆哮を上げて壊れた。
―――悲劇。それは間違いない。
しかし、見方を変えれば、それはずっと影を潜めていた矢口の感情の喚起に相違ないのだ。
今、矢口がこんな風に凛と瞳を輝かせている端緒は、紛れも無く市井の狂気なのである。
その皮肉めいた事実に気付いているのは、今のところ、矢口一人だけだった。
(勝ちたい・・・)
試合が始まる。
お互いがバックラインまで退いた後、
コキコキと首を鳴らして、市井はこれまで熱戦が行われてきたコートを感慨深げに眺めた。
試合開始の声を聞くまでの少しの間、市井はそうやって藤本保田、加護高橋、
そして飯田のテニスを細部まで思い起こした。
改めて考えてみると、よくもまぁこんな強豪校のレギュラーに
自分がなれたものだと、市井は自嘲気味にククっと微かに笑った。
―――それは生来のものだった。
- 299 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/05/22(土) 01:32
- 市井紗耶香という人物の心には無尽蔵な理想と、際限ない劣等感が同居している。
満足、という言葉を市井は知らないのだ。この場所、この地点はまだ見据えている
桃源郷への上り坂に過ぎない。そのくせ、ちょっとした挫折で自身を呪うほど落ち込む。
或いは努力とは、自分を誤魔化すための、単なる逃避の手段の一つなのかもしれない。
頑張ればそれだけ見返りがくると盲目的に信じて、毎日ラケットを振り続ける。
やがて、ふとした拍子に自分が上達している手応えに気付く。その時に思い知る歓喜!
市井はそうやって、上へ、上へと目指し続けた。矢口と出会う前までは。
「さあて、全力、悔いは残さない。」
審判から、試合開始の声が掛かる。
コートにはこれまでの熱戦で生じたに違いない、厳粛な空気が漂っている気がした。
そう、このテニスコートという場所は、果たして神聖な場所なのだ。
それを汚してしまった。市井は、過去を顧みる。
自分自身への戒めのため、そして自分の所為で影響を受けた全ての人間のために。
赤みを帯びてきた空をチラっと一瞥した後、
市井はガッ、ガッ、とバックライン付近をシューズの爪先でなじった。
その時、喧噪の合間を縫ってやってきた、いやに透徹された一言を聞く。
「アンタにテニスをやる資格は無い。」
- 300 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/05/22(土) 01:32
- 女の声だった。
サーブの体制に入る前に、市井は声の方向へ視線を向けてみる。
しかし、この試合の直前になって急に増え出した観客の中からその人物を
割り出す事は到底不可能な業だった。それでも市井にはだいたいその人物が
誰かということくらい、容易に想像がついた。
(被害者、か)
市井は去年のシングルスの大会で6名、矢口と当たる前に精神を犯している。
そのうちの一人だと思ったのだ。
「資格がない。」
そう、ぼそっと呟いてから、市井は高らかにトスを上げた。
せめてもし、償えるとしたら。
それは正々堂々と全力でテニスをする事じゃないのだろうか。
市井はラケットを思い切り振りぬいた。
バウンドを殺した一流のフラットサーブが矢口の元へ送られる。
直後、市井は腰を落として、レシーブに構えた。リズムを刻んで、眼光を強める。
こうやって公式戦をするのも約一年ぶりだった。二回戦では不本意な不戦勝で
市井はテニスをしていない。体が軽かった。最善の状態。市井はもしかしたら、と考えた。
しかし。
- 301 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/05/22(土) 01:33
- 「え?」
と、声を漏らした時にはすでに、矢口のリターンエースが決まっていた。
弾道が見えない。市井は振り向きもせず、矢口の方を見た。
そこには、鋭い視線でこちらを見ている小さな妖精がいる。
余りにも鮮やかな一打に、市井は思わず苦笑を漏らしてしまった。
「やってらんないね。」
コートの外から大きな歓声が生まれた。
市井を前にしても今まで通りのテニスをする、矢口の復活を心から喜んだのだった。
ベンチで腕を組んでいた中澤もほっと安堵の溜息をついた。
中澤や石黒はこのまま何事も無く試合が進んでくれればいいと、それだけを願っていた。
ポイント15=0。市井はすぐにサーブの体制に入った。
矢口は無表情でサーブに構える。ステップは刻まない。
体を呼吸と共に僅かに揺らして、相手の一挙手一投足を見極めるのが矢口の特徴だった。
シューズの裏が鉄板の上に立っているように熱い。
何故かふと、矢口はそんな事を感じた。声が聞こえる。
この場所からは中身の無い声援がよく届いたものだった。
「妖精。ピクシー。天才。」
「矢口!矢口!矢口!」
しかし、今は少し違っていた。心から自分の勝利を望む声が混じっている。
- 302 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/05/22(土) 01:33
- 「矢口さんがんがって!」
「ののにとっては神!」
「この調子で頑張って下さい!」
―――笑うな、真里。
足の裏から伝わった熱は、やがて違ったニュアンスで矢口の体を包み始めた。
体が、熱い。
胸の内に潜む滾るナニカを意識しながら、矢口は市井の一連の動作を見極める。
市井のサーブフォームはさすがとしか言えないほど完璧な流れを作っていた。
これまで対戦してきた相手とは勝手が違う。
ある種の貫禄すら漂わせる存在感のある流れだ。
矢口は身構える。だが、それでもやはり市井には脅威を感じなかった。
いや、何も、感じなかった。サーブがやってくる。強烈なフラットサーブだ。見える。
腰を捻り、足で溜めを作る。市井のサーブ後の動作を見る、少し前のめりになった姿勢。
それを頭に入れ、一瞬でタイミングを計る。市井が右足に自重を乗せた。
見極めた矢口は市井のバックサイドにレシーブを打った。一瞬の呼吸。
また、市井はタイミングを外される。
二回連続のリターンエース。それは偶然ではなく、圧倒的な力の証明に他ならない。
30=0。ポイントを取っても矢口は無表情を崩さない。
観客は、矢口のテニスに酔いしれつつあった。
- 303 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/05/22(土) 01:33
- 「すげえ・・・」
思わずそう漏らしてしまったのは、ベンチで誰よりも市井を応援していた真希だった。
矢口のすごさを噂には聞いていたし、先日試合を観戦したばかりだったのに、今日の矢口には
前の時には感じられなかった、どこか昂然としたオーラのようなものが垣間見えるのだ。
「そら凄いに決まってるわ。あの矢口さんやもん。」
加護は真一文字に口を結んで、複雑な表情で試合を観戦していた。
勝って欲しいのは紛れも無く市井の方なのだが、矢口のテニスはどうにも
説明のつかない魅力に溢れている。
「さすがの市井ちゃんでもヤバイかもなぁ・・・」
「ごっちん、ヤバイってレベルじゃないで・・・」
「市井さんじゃ、矢口さんには絶対勝てないわよ。」
真希と加護が不安げに話をしていると、後ろの席でジッと試合を見ていた
藤本が身を乗り出して口を挟んできた。連れションを付き合わされた加護は
お化けでも見たような恐怖の表情をしたあと、作り笑いをした。
「ふ、藤本さんはそう思うんや。」
「当たり前じゃない。実力が違いすぎる。矢口さんは、悔しいけど完璧なプレイヤーよ。」
「わかんないじゃん。そんなもん。」
- 304 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/05/22(土) 01:34
- 藤本の方には振り返らず、試合を見ながら真希は頬を膨らませた。
以前、市井と話をした事がある。人間である限り『絶対』なんてものは存在しない。
確かに市井はそう言ったのだ。だから、どんなに実力差があろうとも真希は
市井の勝利を信じ続けた。
「人間だったら、何があるかわかんないし。」
「ねえ、あなたさ、矢口さんがどんな愛称でこの界隈に君臨してるか知ってる?」
「はあ?」
「妖精、よ。」
つまり藤本は、矢口は人間ではないと言いたいのだろう。
そう解釈した真希は、あはは、と空笑いをした。
「舐めんなよ。市井ちゃんだって、死神じゃん。」
「ごっちん・・・それちょっと違うで・・・何か違うで・・・」
「確かに、そうね。」
「納得するんかい!」
加護のツッコミがさく裂するくらい、一見明るい雰囲気のベンチだったが、
実際の所は物憂い空気で満たされている。飯田は毅然とした態度を作ってはいたが、
時折見せる絶望的な表情は市井の敗北を暗示していたし、高橋なんて
矢口のテニスに見惚れてしまって、会話に加わろうとすらしなかった。
- 305 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/05/22(土) 01:34
- 真希はちぇっと舌打ちすると、市井ちゃん頑張れ、とでかい声を出した。
その時に、タイミングよく矢口のパッシングが決まった。
市井は成す術なく、第一ゲームを落としてしまった。
「あー・・・圧倒的じゃないか・・・」
「だから言ってるでしょ。市井さんじゃ絶対勝てないって。」
「まだ始まったばっかりだろ!お前は一々うるさい。チームメイトならちっとは応援しろ。」
もはや誰も矢口の完全復活を疑わなかった。
妖精がコートに戻ってきた。
市井への憤慨を一旦忘れ、矢口の復活を祝う、嬉々とした声でコートの外は騒々しい。
矢口はラブゲームで第一ゲームを取っても少しも表情を変えなかった。
その無表情から感情を読み取ろうと、市井は諦観するように矢口の顔色を窺う。
時間が止まるという現象は実際に有り得るのだろうか。
市井がまず思ったのはそんな事だった。
矢口の容姿はふざけているくらい、去年から変化が無かったからだ。
いや、それは中学時代からかもしれない。
もしかすると出会う以前から矢口はこんな感じだったのだろうか。
髪の色こそ違えど、矢口の表情や仕種には全く変化が無い。
成長。
- 306 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/05/22(土) 01:34
- おやっと、市井は首を傾げた。
矢口は変化をしていない。
それは言い換えれば全く成長していないという事なんじゃないのだろうか。
いや、そもそも矢口は―――
目を凝らすと、ある一つの事実がやたらに現実感を伴って、
市井の中ではっきりとした形になってきた。
まさか、と市井は思った。
相手の心理を手で直に触れるように見透かせる市井だからこそ気付いた事柄だった。
矢口が無表情でいるのは、別にすかしているわけではない。
気取っているわけでも、見下しているわけでもなかった。
ただ単に矢口には、人間ならば誰もが備え持っている、
喜怒哀楽の感情が欠如しているだけなんじゃないのだろうか。
間違いない。市井はそう思った。もともと矢口は仮面なんてつけていなかったのだ。
去年の市井にはそんな風に、客観的に矢口を見る心理的な余裕がなかった。
(完璧な人間なんて、或いは存在しないのかもしれない)
それでも今年の矢口は、去年とは若干、勝手が違っていた。
コートチェンジで矢口と擦れ違った際、市井は言った。
「熱い球打つようになったね。」
「・・・」
- 307 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/05/22(土) 01:35
- 矢口は無表情のままチラッと視線だけをやって、その言葉を聞き流した。
それからバックラインまで下がり、市井がレシーブの構えに入るのを待った。
市井はゆっくりと腰を落とすと、こちらに鋭い視線を向けてきた。灰色の瞳。
目が合った瞬間、矢口は世界が暗転するような錯覚に陥った。
また去年と同じように、たった一つ、恐怖という感情で全てが包まれてしまうのかと思われた。
しかし瞬きを一度すると、すぐに元の世界が戻ってきた。
歓声が耳に入ってくる。空が仄かに赤い。
矢口の心拍数は少しだけ上がっていた。市井は相変らず強い視線をこちらに向けていた。
サーブの体制に入ろうとした時、矢口は気付いた。
ラケットを握っている右手が湿っている。そんなのは別段、おかしなことでもない。
しかし何か、喉に引っ掛かるような不快な感じがして止まないのだ。
矢口はラケットを左手に持ち替えて、腰の位置にある右手を開いた。
そこに視線を落とし、数秒見つめる。
今日までずっと忘れていた何かがそこにあるような気がする。
掌に浮かぶ汗の感触は、ずっと昔に置き忘れてきた、例えば思い出。
トスを上げた。
ふわりと柔らかく浮かんだボールは垂直に落ちてくる。
矢口のサーブ。それは芸術と呼ぶに相応しい完成度を誇っていた。
これまで公式戦で矢口がサーブミスをしたのは一度。去年、市井と対戦した時だけだ。
ラケットを振り下ろす。
飯田でさえ、高橋でさえ、言葉を失うほど綺麗な直線を描いた打球は、
サーヴィスライン上に乗って、市井の足を止めた。
サーヴィスエース。市井はテニスをさせてもらえない。
15=0。
- 308 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/05/22(土) 01:35
- エースが決まると、コートの外から怒涛のような歓声が轟く。
矢口は対戦相手に魔法をかける。
あまりにも完璧すぎるテニスを前にすると、相手はまず、勝ちたいという欲を失う。
圧倒的な力の差を見せつけられると、人は諦めてしまうのだ。
赤子が大人には絶対に歯向かえないように、矢口は一人、この界隈の頂上に立っていた。
「これからだっつーの。」
市井は歓声が響く中、小さな声でそう呟いた。
なんだか真希の口調がうつってしまったようだった。
去年の今頃までずっと矢口に対して秘めていた、嫉妬や羨望や憧憬といった
感情が今はまるでない。どうしてだろう、と市井はふと考えてみた。
もちろん、テニスを完全に辞める決意をしていたのも一つの要因だろうが、
もっと大きな理由があるような気がする。
矢口がトスを上げた。
サーブをライン上に狙って乗せれるなんて人間技じゃない。
それなのに、矢口はいとも簡単にライン上に決めてくる。
30=0。
絶対に勝てない。それは誰にだってわかる感覚だ。超能力でも何でもない。
例えば、腕相撲は手を組んだ時点で勝敗がわかると言う。それと同じ。
市井はこれだけ打ち合っただけで、矢口には絶対に勝てないと悟ってしまった。
- 309 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/05/22(土) 01:35
- そんな最低の事実を市井が悟っていた時、無表情のまま、
矢口は次のサーブの体制に入っていた。
市井は思い出したように腰を落とす。諦めはしない。絶対に勝てないゲーム。
果たして、この試合に市井は何を刻むのだろうか。市井の表情も依然として変化がない。
矢口のサーブが初めて正面に来た。しかし強烈。
矢口のフラットサーブは飯田のモノとも、高橋のモノとも質が違った。
力強くない代わりに、切れが異常に鋭かった。弓矢のように、突き刺さるように飛んでくる。
少しでもガットの中心を逸れると、打球は明後日の方向に飛んでいってしまうだろう。
しかし、市井は俊敏な動作で腕をたたみ、コンパクトなレシーブを打った。巧い。
K学の中でも、市井ほどラケットを巧みに扱う人間はいないのだ。
ゲームが展開すると、市井は脇目も振らずレシーブダッシュした。
得意分野であるネットプレーから活路を見出す。それは無駄な抵抗かもしれない。
しかしやるだけの価値は十分あるはずだ。市井は猛然と懸命にネットにつめた。
その形相は、冷めた態度をとって、冷笑を絶えず浮べていた当時の市井からは
考えられないほど、熱い。
- 310 名前:最終話、青のカテゴリー 投稿日:2004/05/22(土) 01:36
- あくまで矢口は冷静だった。
市井のレシーブは深い位置に決まり、矢口はストロークのコースを限定された。
そこには当たり前だが市井がいる。バックサイド。矢口は市井のバックサイドに向かって、
それもスライス回転をかけて送り込んだ。切れがよく、空中でもボールは緩い孤を描く。
市井はそれにボレーを合わせて、ぴったりとネットについた。
心理戦。ここから見るテニスコートはまるで己の手中。
しかし、矢口の心理は全く読めない。
無表情、それだけじゃない。矢口は仮面をつけているわけじゃないのだ。
本当に、そこには気持ちがない。空っぽの人間、妖精、笑わせる。
矢口のパッシングショットが市井の足元を抜いた。
完璧な一打だった。市井がクロスへ打った打球を、
矢口は水の流れのようにスムーズな体重移動でさばいた。
40=0。続けて矢口はサーヴィスエースを決めた。
第二ゲームも矢口はラブゲームで取った。その表情は相変らず無。
市井はククっと苦笑して、鼻頭を人差し指で擦った。バカにしていやがる。
心。
冥土の土産と言っては少々、クサイ。
しかし、市井は勝利とは別の目標をこの試合に見出した。
―――――
- 311 名前:カネダ 投稿日:2004/05/22(土) 01:45
- 更新しました。
一ヶ月も空いたのに量少なくて申し訳ないです・・・
余談ですが、リハビリのつもりで3月くらいに書いた短編をフリースレに上げました。
http://m-seek.net/cgi-bin/test/read.cgi/blue/1059546339/844-852
とにかく更新ペースが遅くてすいません。_| ̄|○
何とか軌道に乗れるように精進します。
- 312 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/22(土) 08:28
- ほ
- 313 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/22(土) 15:36
- この二人が対戦中、そして対戦後にどう変化していくのか凄く楽しみです。
- 314 名前:犬好き 投稿日:2004/05/22(土) 15:58
- いよいよ楽しみにしていた市井と矢口の対決が始まって嬉しいです。
劣等感や能力差について、私も考えることが多いので、
作者さんの2人の描写をとても楽しんでいます。
- 315 名前:桃ノ木 権三郎 投稿日:2004/05/22(土) 20:57
- きたっ!!
少しずつでも、全然しあわせです!!
ありがとうございます!!
- 316 名前:甲乙 投稿日:2004/06/11(金) 16:58
- 待ってまーす
- 317 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/28(月) 21:50
- wakuwaku
- 318 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/06(火) 07:48
- また〜り
- 319 名前:名無し飼育さん 投稿日:2004/07/28(水) 09:50
- またーり待機中
- 320 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/06(金) 21:47
- もしもここで放置とかだったら娘。小説歴代1位の大衝撃だな
- 321 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/07(土) 18:22
- 待ってます
- 322 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/07(土) 23:50
- 放置なら日本各地で暴動が起きるね
- 323 名前:カネダ 投稿日:2004/08/11(水) 01:26
- 作者です。
3ヶ月近く放置してしまって、本当に申し訳ない限りです・・・
今年の4月から生活環境が変わってしまい、どうにも書く時間が取れないまま
月日が経ってしまいました。完結は必ずさせるつもりです。ストーリーの構想が
今の娘。さん達と照らし合わせ、自分のイメージと大幅にかけ離れてしまい、
なかなかモチベーションが上がらず筆が進まないんですが、自分の納得のいく
作品に仕上げたいと思っていますので、どうか気長に待って頂ければ幸いです。
言い訳じみたことを述べてしまい、見苦しい限りです。
改めて、申し訳ありません・・・次の更新はまだ未定なのですが、
完結は必ずさせます。
- 324 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/11(水) 08:49
- いやいや。その言葉を聞けただけで嬉しいですよ。
首をキリンのようにしてお待ちしています。
- 325 名前:桃ノ木権三郎 投稿日:2004/08/11(水) 23:32
- ええ、もう、待ちますとも!!
- 326 名前:しゅ 投稿日:2004/08/15(日) 14:09
- よかたー
- 327 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/04(土) 00:14
- 粘る
- 328 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/11(土) 20:36
- まつわー
- 329 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/23(木) 03:11
- 待っちょるがやー
- 330 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/23(木) 03:16
- おち
- 331 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/09(土) 20:52
- ひたすら待つ
- 332 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/10(日) 22:40
- おいどんも待つ
- 333 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/11(月) 02:18
- 待ちよるが
- 334 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/18(月) 00:31
- 四か月…
- 335 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/22(金) 15:23
- >>334
>>323の発言を見てひたすら待つべし
- 336 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/31(日) 03:02
- ハロウィン保全でも…
- 337 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/04(木) 00:25
- Too fast to die
- 338 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/21(日) 20:26
- 信じることを辞めてしまえば楽になるって分かってるのに
保全
- 339 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/01(水) 17:55
- まだねばる
- 340 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2004/12/12(日) 22:16
- がんばるよ
- 341 名前:591 投稿日:2004/12/19(日) 23:21
- >>323の言葉を信じてまつ
- 342 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2004/12/24(金) 00:02
- イブ保全
- 343 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/25(土) 23:14
- クリ保全
- 344 名前:591 投稿日:2004/12/27(月) 23:05
- リス保全
- 345 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/30(木) 20:04
- 晦日保全
- 346 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/03(月) 20:34
- おめでとう保全
- 347 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/04(火) 05:03
- あけおめです。
のんさんギターつづけてたんですね〜。
のんとぼんの中もすっかり落ち着いたようで。。。
いしよしよりも長い付き合いのカップルのようですね。
- 348 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/04(火) 05:10
- すいません誤爆です
- 349 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/06(木) 23:51
- ベースかw
- 350 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/15(土) 03:15
- 頼む!帰ってきてくれ!
保
- 351 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/24(月) 01:29
- もう無理なんでしょうか?
- 352 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/30(日) 02:24
- まってるよw
- 353 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/01(火) 02:47
- 待ってるさw
- 354 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/06(日) 22:45
- そろそろ……ね。
- 355 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/06(日) 23:37
- 勿体ぶってんじゃねーよ作者、大物気取りか?さっさと落ちちまえ
- 356 名前:名無し飼育さん 投稿日:2005/02/07(月) 12:09
- 余計なこといわずにマターリ待つしかないよ!
とにかく待ってますよ!
- 357 名前:カネダ 投稿日:2005/02/15(火) 02:34
- 作者です。
>>読者様へ
どうしても時間が取れなくて書く余裕がないまま、今日まで保全もせずに
放置していてすいません。完結させる意志は変わりなくあるので、待っていて
下さいとしか言葉がありません・・・本当に申し訳ないです。
未だに纏まって書く時間は取れないままなんですが、必ず完結させます。
>>顎さん
申し訳ないですが、もうしばらくスレを残して下さったら幸いです。
- 358 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/16(水) 01:02
- やっと作者さんの言葉が聞けてうれしい限りです。
まだ続きが書けないのなら続きが書けるまでいくらでも待ちます。
ただ、書く意思があるということをたまにで良いですからここに
伝えに来ていただきたいです。
待っている身としてはあまりに長期間作者さんの言葉が聞けないと
「放置か?」と不安になりますので。
この話は間違いなく名作です。作者さん、無理せず頑張って下さい!
- 359 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/16(水) 01:51
- あー 作者さんの声が聞けてホッとした。
完結してもらえるのなら、いくらでも待ちます!
それだけの価値のある作品だと思っています。
なので、358さんがおっしゃるように、
書く意思を示してもらえたら安心だなあ、と。
これほどの作品で、モチベーションを保ち続けるのは
本当に大変なことだと思います。
決して追い立てたりするツモリはないので、
作者さんのペースで書いていってもらえたら、と。
大方の読者はそう思ってるんじゃないかなあー。
(勝手な想像ですが…。)
少なくとも私は一読者としてそう思っていますので…、
頑張ってくださいね!
- 360 名前:名無し飼育さん 投稿日:2005/02/17(木) 00:09
- 安心しましたよ。たまにでいいんでこういった形で書きこんでくれたらありがたいです
とにかく待つしかないんで、マターリお待ちしております。
- 361 名前:桃ノ木 投稿日:2005/02/17(木) 22:04
- よかったあ・・・
いままで待っててよかったです。
そしてこれからも待ちます!
- 362 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/09(水) 06:37
- がんがれ!
- 363 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/22(火) 13:00
- 待ってるよ!!!!!!!!
- 364 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/03/22(火) 17:34
- ま、作者の人生が終わる前に書ければいいがな
- 365 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/13(水) 03:06
- 保全
- 366 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/24(日) 03:32
- 保全
- 367 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/24(日) 11:08
- 気長にお待ちしております。
>>366他
http://m-seek.net/cgi-bin/test/read.cgi/imp/1048246085/50n
読者による保全は整理回避の用件になりません
- 368 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/05/02(月) 00:34
- 続きがまだ出来てなくても、
作者さんのコメントだけでも無理かな〜?
- 369 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/05/08(日) 12:50
- GWも更新なしか…
忙しいんだな
- 370 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/05/13(金) 13:50
- 頼む!!そろそろ俺に栄養補給を!!
- 371 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/05/15(日) 01:47
- 月に一回程度は生存報告してほしい・・・・
- 372 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/06/14(火) 17:56
- もうちょいかな?
- 373 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/15(金) 23:42
- あらすじを忘れかけてる俺がいる
- 374 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/16(土) 01:12
- ↑俳句?
- 375 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/16(土) 08:46
- 生存報告する時間ぐらいあるだろうよ
それもできないぐらいならそろそろ放棄宣言したら?
- 376 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/31(日) 23:59
- なんでもいいから・・・頼むよ作者さん
生存報告くらいは・・・・
- 377 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/02(火) 06:33
- 社会人だったら、生存報告もできないぐらい忙しい時期もあるものです
(会社からってわけにもいかないでしょ)
私も、月に1度ぐらいしか帰宅できなかった時期もあります
みなさん、理解してあげてください
- 378 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/02(火) 08:16
- 大好きな作品ですから信じて待ってますよ!
- 379 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/11(木) 20:17
- 当初の
- 380 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/16(火) 18:17
- スレの危機なんで生存報告おねがいします
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