娘たちの挽歌・後編
- 1 名前:名無し読者 投稿日:2003/10/25(土) 20:49
- 容量が残り少なくなったので、こちらに続きを書きます。
前編
http://m-seek.net/cgi-bin/test/read.cgi/purple/1061651136/l50
- 2 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/10/25(土) 20:54
- 《菅公復活》
菅公復活をもくろむ彩は、大宰府で肉体を提供する男を確保していた。
健康で精力絶倫という条件を満たしたのは、遊び人の『しゅう』という男だ。
充代の『死人還りの法』で霊を降臨させるのだが、菅公ほど大物になると、
まずは眠りから起こし、納得させなくてはいけないので、一朝一夕には終わらない。
半月以上を費やしても、まだ半分くらいしか降臨させられなかった。
「彩さま、長門国府に敵が集結したそうにございます」
彩の寝室へ、圭は娘たちの状況を報告にきた。
こんな状態でも、彩は余裕の表情を見せている。
彩は「分った」というと、配下の2人を呼んだ。
間もなく現れた2人の女は恵と瞳という。
彩にとっては、有紀や圭に次ぐ部下だった。
「出かけねばならん。充代と交代して、菅公を復活させよ」
死人還りの法も、ここまでくれば2人に任せられる。
2人は充代ほどではなかったが、こうした力を使えるのだ。
菅公を復活させるという大任をまかされ、
2人は驚いて顔を見合わせた。
「早急に充代と引継ぎをしろ」
彩は2人に指示をだすと、慌しく動きはじめた。
圭に出発の準備をさせ、大宰府の警備体制を確認する。
それから、奥の間にいる『しゅう』の状態を見にいった。
- 3 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/10/25(土) 20:55
- 大宰府の奥の間では、充代と数人の巫女たちが、
秘法中の秘法である死人還りの法を継続していた。
彩は『しゅう』がどこまで菅公になったのか確認するため、
寝かされている寝台を覗きこんでみる。
すると『しゅう』は彩を好色な目で見た。
「そろそろ抱かせてもらうぞ」
好色な『しゅう』は彩を抱きたがっている。
しかし、まだ完全体ではないので、
彩と交われば魔物の力で焼け死んでしまうだろう。
完全に菅公となって、初めて彩を抱くことができる。
そのことは念をおしていたのだが『しゅう』は、
自分の精力を持て余していたのだった。
「そんなに私を抱きたいか? 今抱いたりすれば確実に死ぬぞ」
彩は『しゅう』の気をさぐってみるが、まだ菅公のものではない。
あと数日もすれば、かなり菅公の気を感じられるようになるだろう。
彩は自分を求められても、けっして悪い気はしなかった。
そんなところに、まだ女としての心があったと感じ、
彩は充代を見ながら苦笑してしまった。
「もうじき、6人。いや、7人の娘たちがくる。まだ、それでガマンしろ」
彩は恵と瞳を残し、充代と2人で奥の間をあとにする。
大宰府の外に待たせてあった巨大な馬に彩が飛び乗ると、
充代も葦毛馬に乗って、どこかへと去っていった。
- 4 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/10/25(土) 20:56
- 大宰府を預かる山崎鎮守府将軍は、すでに魔物に乗りうつられていた。
宋(中国)の侵略に備えた大宰府には、通常でも1000人からの兵がいる。
その兵の大半に、魔物を乗りうつさせていたのだった。
「もっと警備を厳重にしろ。敵がやってくるのだぞ」
山崎は200人の兵に大宰府を護衛させ、前哨点に数十人づつ配置した。
相手が源頼光だとすれば、これだけの警戒体勢でも破られる可能性がある。
それほど源頼光は、朝廷と敵対する者に恐れられていたのだった。
何しろ、兵法をすべて習得しているうえに、戦闘ではだれも敵わないのである。
少ない兵力で数倍もいる敵を、次々に討ち滅ぼしていった英雄だ。
「源頼光だったら、こんな警戒体勢は平気で突破されるな」
山崎は源頼光の力量を熟知していた。
そこで、一騎当千の屈強な兵には魔物、
娘たちには兵を当てる作戦を思いつく。
そして、山崎は朝廷側の到着に合わせ、
付近の魔物や魑魅魍魎を集結させるつもりだ。
「将軍、兵どもが不安になっておりまする」
魔物に乗りうつられていない兵たちが、ただならぬ気配に動揺していた。
彼らは菅公の復活や、朝廷側の軍勢が攻めてくることすら知らない。
魔物を乗りうつさせることも、このところ頭打ちになっている。
なぜなら、彼らは善人であり、魔物が入りこむ余地がなかったのだ。
魔物は人間の邪悪な心に巣くい、その者を支配してゆくのである。
死んでいった寺田や有紀、亜依にしても、心の隙間や弱い部分に、
魔物が入りこんだと考えてよいだろう。
- 5 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/10/25(土) 20:56
- 「外へ集合させえ。菅公の復活を促してくれるわ」
山崎は兵たちを大宰府の庭に集合させた。
これから詳しい説明があると思っていた兵たちは、
誰もがおっとり刀で庭に集まってくる。
全員が集まったところで、山崎は天を仰ぎ、
白刃を抜いて雷雲を集結させていった。
「これは! どういうことじゃ! 」
兵たちは晴天だった空に暗雲がたちこめると、恐ろしくなって騒ぎだした。
次の瞬間、天を裂くようなカミナリがおこり、数人の兵を直撃する。
即死した兵の無念が、火の玉となって奥の間へと飛んでゆく。
次々と落雷がおこり、兵たちは阿鼻叫喚の中で憤死していった。
「我は道真なり。なにゆえ引き戻すのじゃ」
大地をゆるがす地響きとともに、大宰府に恐ろしい声が鳴り響いた。
菅公の無念は怨霊となり、平安京にまで災いをもたらしたのである。
その菅公が目をさましたのだから、あたりの妖気はすさまじいものになった。
「おお、菅公よ。ついに目覚められたか! 」
覚醒した菅公の意識は、あらかじめ用意された『しゅう』へと入ってゆく。
だが、まだ不安定な状態であり、完全に『しゅう』と同化させるためには、
まだ多くの時間をかけるか、より多くの無念を提供する必要があった。
やはり、菅公ほど大物になると、復活したときの力は恐るべきものだが、
意識を完全に安定させるには、数百、数千人分の苦労が必要なのだろう。
「た―――たすけてくれー! 」
生き残った兵たちは、大宰府から逃げだそうとするが、
山崎の額から放出される念にあたり、次々に死んでいった。
その無念が菅公の活力となり、死体には魔物が入りこんでくる。
大宰府には暗雲がたちこめ、すさまじい邪気に覆われていた。
- 6 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/10/25(土) 20:57
- 奥の間では菅公復活が着々と進んでいた。
死人の意識を安定させるには、肉体的な刺激が必要になってくる。
ようするに、意識だけだったものに、感覚を覚醒させてゆくのだ。
そのためには、性的な興奮を提供してやるのがよかった。
「そろそろだね」
「もう、いいんじゃないかな」
恵はとなりにいた巫女の髪をつかみ、
『しゅう』のところへ引きずっていった。
髪をつかまれた巫女は痛みに顔をしかめながら、
恵の手にしがみついている。
まだ、あどけなさの残る巫女だったが、
菅公復活のための生贄にされるのだった。
「菅公よ。まずはご賞味あれ」
恵は大の字になって横たわる『しゅう』に巫女を放り投げた。
それから恵は元の場所へと戻り、印を切って念を送り続ける。
提供された巫女は逃げだそうとしたが、裾をつかまれて転んでしまう。
菅公が降臨した『しゅう』は、巫女を引き寄せて抱きしめた。
「キャアァァァァァァァァァァァー! 」
悲鳴をあげて暴れる巫女を、菅公は押さえつけて脱がせてゆく。
まだ女と呼ぶには早い、未熟な肢体が露わとなる。
そして、その小さな胸のふくらみを蹂躙しつつ、
菅公は自分の着物を脱いでいった。
- 7 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/10/25(土) 20:57
- 「まだ若すぎるな。次からは16歳以上を提供せよ」
そう言いつつも、菅公は巫女を犯しはじめた。
菅公はうなり声をあげ、泣き叫ぶ巫女を蹂躙してゆく。
目の前で少女の巫女が犯されているというのに、
恵と瞳は集中して菅公に気を送りつづける。
ほかの巫女たちは、その惨劇に動くこともできず、
青くなって震えていた。
「おおっ! 」
菅公が絶頂に達すると、怨霊の凶暴さを発揮する。
ようやく成長が終わったばかりの巫女を、
胸から縦に引き裂いてしまったのだ。
血の臭いが充満し、恵と瞳は思わず口を押さえた。
「女ども、もっと気を送るのじゃ! 」
菅公は2人の気を吸い、着実に復活をしていたが、
今はまだ、人間でいう赤ん坊の状態である。
一日の大部分を眠ってすごすような状態で、
完全な復活までは、まだ時間が必要だった。
「死体をかたづけよ」
恵に命じられ、震えていた巫女たちが、
八つ裂きになった哀れな少女を連れてゆく。
生前は賢い菅公だったが、今は怨霊となり、
殺戮の鬼と化していたのだった。
- 8 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/10/25(土) 20:58
- 《娘たちの秘密》
長門の国府に到着した娘たちは、入浴して食事をとった。
貴子から大宰府の様子について、簡単な説明があったものの、
紗耶香には、どうしても納得できないことがある。
それは、なぜこの娘たちが選ばれたのかということだ。
以前、それを聞いても、貴子は「まだ言えない」と言ったのである。
そのことがどうしても気になり、紗耶香は貴子たちの部屋へ行った。
「これは紗耶香さま、何かご用でしょうか」
裕子と貴子には、りんねが護衛として同行していた。
知識人・呪術師として、りんねは誰からも信頼されている。
美海のように攻撃的な術を使えるわけでもなかったが、
あの有紀ですら、おとなしくなってしまうくらいの説得力。
そして何よりも、人間としての魅力が大きかった。
「貴子さまに伺いたいことがあって」
「どうぞ」
りんねは笑顔で紗耶香を部屋に入れた。
笑顔でいても、りんねにはまったく隙がない。
りんねは紗耶香を2人の前に座らせると、
貴子の少し横に座って向きなおった。
紗耶香であれば安心だが、それは何かあったとき、
ちょうど2人の身代わりになれる位置だった。
- 9 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/10/25(土) 20:59
- 「聞きたいことは、何で選ばれたかやろ? 」
さすがに山童の血をひくだけあって、貴子は紗耶香の考えることが分っていた。
ここまで思っていることを透視されるのは、少し迷惑なことではあったのだが。
しかし、話す手間が省けたので、紗耶香はうなずいただけで貴子をみつめた。
「そやね。そろそろ話してもええんちゃうかな」
裕子がうなずくと、貴子は背後にあった荷物袋から、
何やら変色した古い書類を取りだした。
そして、それを紗耶香に渡したのである。
それが何であるか、紗耶香には分らなかった。
「署名を見や」
「―――太安万侶! これは―――『古事記』の一部ですか? 」
『古事記』は和銅5年(712)に、太安万侶が元明天皇に撰上したものだ。
300年も前のものが残っているとは、さすがに式部省だけある。
『古事記』は稗田阿礼が天武天皇に指示され、太安万侶らに編纂させたものだ。
生真面目な太安万侶は、あらゆる情報を入手し、裏づけをとっていたのである。
その編纂資料が、この書類なのだった。
「そのとおりや。これまで、ないとされてた『古事記』の編纂資料やね」
太安万侶は『日本書紀』の編纂にも従事しており、
一部では『古事記』よりも詳細な記述がされている。
つまり、太安万侶は『古事記』で書けなかったことを、
後の『日本書紀』で書こうとしたのだ。
- 10 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/10/25(土) 20:59
- 「これは『古事記』の編纂資料の一部や」
貴子は編纂資料の説明をはじめた。
この資料は太安万侶が東国の者に聞き取りを行ったもので、
倭建之命(やまとたけるのみこと)について書かれている。
それには、驚愕の事実が書き記されていたのだった。
「そんな! ―――倭建之命が女性だったなんて! 」
太安万侶が書いた古い編纂資料によると、
倭建之命が若い女だと記されていた。
博学な紗耶香が驚くのもムリはない。
この資料には、東国の老人たちによって、
語り継がれた倭建之命の特徴が記されている。
それによると、以下のとおりだった。
『身の丈5尺3寸から4寸(約159〜162センチ)也。
魚顔にて豪腕比類なし。身の丈ほどの大太刀を扱う。
戦武勲類稀なりて軍神とも囁けり。けれども多眠癖なり』
倭建之命が女性であったことを、太安万侶は正直に書きたかった。
しかし、本来の『古事記』作成の目的というのは、
当時、多民族国家だった日本を、武力や狡猾な策略で、
侵略していった天皇家を正当化するものであり、
稀代の英雄が女であることは、稗田阿礼が許さなかったのである。
そこで太安万侶は、女装する倭建之命を書きこんでいた。
熊襲建を討つとき、倭建之命は女中に扮して潜入したのである。
いくら倭建之命が若いとはいえ、女性に混じれば違和感があるだろう。
熊襲建にしても、女装の男を見破ることくらいはできたにちがいない。
- 11 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/10/25(土) 21:00
- 「これが事実だったとしたら、平安京は大さわぎになりますよ」
この編纂資料では、倭建之命が女性だったという可能性を示唆するだけだ。
しかし、倭建之命は誰もが悲運の皇子という固定概念があるため、
それだけで、当時としてみれば、老若男女に衝撃となるだろう。
「そやな。倭建之命が女だったなんて、誰も思わんやんか」
紗耶香も姫さまであるから『古事記』や『日本書紀』くらいは読んだことがある。
天武天皇の思惑である天皇家の『神格化』は、日本神話というかたちで浸透した。
今や老若男女、神話の英雄である倭建之命を知らない者などいない。
「しかし、この特徴は、どこかで―――」
紗耶香は編纂資料に書かれている倭建之命の特徴に似た者が、
ごく身近にいるような気がしてならなかった。
それと同時に、どこか懐かしいような感覚に襲われる。
それはまるで、久しぶりに幼なじみと会ったような感覚だ。
「うちも気になってな。貴子に呪占させてみたんや。そしたら」
「6人の娘の中に、倭建之命の生まれかわりがおる」
貴子は確信を持っていた。それだけ呪占に自信があるのだろう。
だが、貴子の力をもってしても、6人までは絞りこめたが、
誰であるのかまでは、どうしても分らなかったのである。
紗耶香・真希・ひとみ・梨華・圭織・真里という6人の中に、
倭建之命の生まれかわりがいるのいうのだ。
- 12 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/10/25(土) 21:00
- 「この特徴は真希! 」
身長や魚顔、大太刀を扱うことなどを考えると、
倭建之命の容姿は真希に酷似していた。
貴子は6人の娘の中にいると言ったが、
紗耶香は真希こそ倭建之命の生まれかわりだと確信した。
「晴明の娘を救出する旅に、あんたと真希を選抜したんも、貴子の呪占の結果からや」
裕子と貴子は、選ばれた紗耶香と真希に、
なつみと麻美を救出させるだけではなかった。
その旅の途中で、ほかの4人を見つけさせることこそ、
2人に課せられていた、ほんとうの理由だったのである。
ここにきて、ほんとうの理由を知った紗耶香は、
脳内が混乱してしまい、整理するのに一苦労だった。
「続きを読んでみや」
貴子に促され、紗耶香は『古事記』編纂資料太安万侶文書を読み続ける。
小さな部屋に4人もいれば、いくら秋の夜とはいえ寒さを感じない。
部屋の隅の行灯の裏では、わずかに花の匂いをつけたナタネ油が、
なんとか文字を読むだけの明るさを提供するために燃やされている。
そして、3枚目の書類を読みはじめ、紗耶香は再び驚きの声をあげた。
「や―――倭建之命が須佐男之命(すさのおのみこと)の生まれかわり! 」
太安万侶文書には、倭建之命こそ須佐男之命の化身であると書いてある。
須佐男之命は天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟であり、
源頼光や坂上田村麻呂以上の、圧倒的な強さを持つ神として有名だ。
ヤマタノオロチを退治した英雄ではあったが、同時に須佐男之命は、
高天原をメチャクチャにした破壊の神だったのである。
- 13 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/10/25(土) 21:01
- 「そうや。時代が倭建之命、つまり須佐男之命を必要としたんやな」
老獪な裕子の言うことが正しければ、
この時代も須佐男之命を必要としていることになる。
その前に、なぜ当時、破壊の神を必要としたのだろう。
破壊の目的は何だったのか、そのことさえ分れば、
この時代に須佐男之命が出現する理由が見えてくるのだ。
「なぜ、必要としたんですか? 」
「複数国家が単一国家になるための、破壊をしなければいけない時代だったんや」
倭建之命の時代、破竹の勢いの大和朝廷に敵対する国家も少なくなかった。
そんな国家を侵略するため、大和朝廷は稲作という『正義』を掲げた。
狩猟から稲作への移行は、生活習慣を変え、伝統と文化を破壊してゆく。
須佐男之命の存在意義は、そういったところにあったのである。
ならば、この時期に須佐男之命が出現する理由は、破壊すべきものがあるのだ。
「では、この世に現れた意味は? 」
「試練。やろな」
破壊の神の出現は、けっして宿命づけられたものではなく、
平安京に都を移してから、これまでに幾度も訪れていたのである。
それが平将門の乱であり、藤原純友の乱なのだ。
後年、源頼朝や足利尊氏、織田信長、明治天皇など、
破壊の神が宿った人物は、時代が輩出していたのである。
そして20世紀、破壊の神は核爆弾となって日本を襲ったのだ。
- 14 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/10/25(土) 21:01
- 「秩序や政権を守るために、人が死ぬんですよ。それが試練なんですか! 」
紗耶香が感情的になると、りんねは瞬きもしないで身構えた。
紗耶香であれば、2人に危害を加えたりはしないだろうが、
万が一を考えて、りんねは防御体勢を整えていたのである。
これで紗耶香が興奮し、貴子につかみかかったりすれば、
りんねはけっして手加減などしないだろう。
「人の命なんて、時代は考えてくれへんわ」
貴子は『時代』が最優先していると言った。
それがどういう意味であるか、紗耶香には分っている。
でも、紗耶香はどうしても認めたくない。
「うちだってそうや。もしかすると、明日にも死ぬかもしれへん」
それを『さだめ』というのは簡単だが、
人はこの瞬間にも呼吸をし、生きているのだ。
その者の人格を無視して時代が葬り去るというのは、
いくら温厚な紗耶香でもガマンできないことである。
だったら、いったい何のために生まれてきたのか。
死ぬために生を受けたのであれば、そんなに悲しいものはない。
「私は嫌です! 私の人生は私のものだ! 」
誰もが紗耶香と同じ意見だろう。
しかし、人間は逆らいきれない宿命を背負っている。
すでに、時代に選ばれてしまった娘たちには、
その人生を語ることすら否定されていたのだ。
- 15 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/10/25(土) 21:02
- 「甘えんなや! 」
これまで、いつも冷静だった貴子が怒鳴った。
小さな体でも、この迫力は、ダテに歳をとっていない。
貴子に一喝された紗耶香は、コブシを握りしめた。
頬を伝う涙に、口惜しさや悲しみが増幅されてゆく。
「いや―――そんなの嫌だよ」
裕子と貴子は、破壊の神を使って、朝廷を守ろうとしている。
破壊の神であれば、彩の野望など、ひとたまりもないだろう。
いくら菅公が怨霊と化したとしても、須佐男命に勝てるわけがない。
しかし、破壊の神は、天皇家が作りだした不完全な兵器である。
扱い方をまちがえれば、日本全体を破壊しつくしてしまう。
「続きを読んでみいや。倭建之命についての記述があるで」
裕子は荷物袋の中から山陽道名物の吉備ダンゴを取りだし、
4人の前に置いて、ひとつだけ手づかみで自分の口に入れた。
貴子も自分の分を取ると、りんねが紗耶香に勧める。
紗耶香も吉備ダンゴを手にとり、ひと口で食べてしまった。
「おいしい」
ほのかに甘いものが、昂ぶった気持ちを鎮めてゆく。
次第に落ちついてくる紗耶香の気を感じたのか、
りんねも嬉しそうに吉備ダンゴを口に入れた。
吉備ダンゴは桃太郎が犬・猿・キジに与えたものだと言われている。
だが、倭建之命の熊襲征伐こそが、桃太郎伝説の発祥だった。
- 16 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/10/25(土) 21:03
- 「狛犬・猿楽・雉―――これは桃太郎じゃないですか」
とにかく几帳面な太安万侶が調査した編纂資料には、
倭建之命が3人の従者をつれていたことが記されている。
従者の名前に犬・猿・雉がついたとなれば、
日本人なら誰でも桃太郎くらいの連想はできるだろう。
さらに読んでゆくと、紗耶香は信じられない記述を発見したのだった。
「熊襲を皆殺し―――これが倭建之命なんですか? 」
紗耶香は熊襲が九州地方の部族であるとは知っていたが、
倭建之命に熊襲建が討たれたあと、大和に『同化』したものと思っていた。
しかし、この編纂資料には、熊襲を皆殺しにしたと書かれているのだ。
その記述には、熊襲に従っていた隼人などの部族もろとも、
根絶やしにしたとの記述もみることができる。
倭建之命は、ここで破壊の神となったのだ。
「倭建之命は『覚醒』したんやな」
裕子は倭建之命の『覚醒』について、調べたことを説明した。
激しい悲しみが、破壊の神である須佐男命を呼び起こすのである。
悲しみは復讐へと変貌し、やがて殺戮が行われるのだ。
『覚醒』と同時に軍神のような強さを得て、いくら少人数であっても、
大軍を全滅させてしまうような力を発揮するらしい。
「破壊の神は3度覚醒し、3度目に完全体となる」
裕子は伊勢大社の古文書から、このことを知ったのである。
だが、いくら調べても、当時、倭建之命が完全体になった記述がない。
倭建之命の最期を考えれば、不完全体のまま死んだのではないか。
裕子は倭建之命が、最後の『覚醒』をする前に死んだと判断した。
- 17 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/10/25(土) 21:03
- 「なぜ、完全体になる前に死んだんでしょうね」
時代が破壊の神を要求するのであれば、倭建之命は完全体になるはずである。
何かの人為的な原因によって、いきなり時代が破壊の神を不要と判断した。
そう解釈するのが、もっとも自然なことであるにちがいない。
「時代は大和を中心に動いとった。大和の敵が滅んだんやろな」
太安万侶の編纂資料には、出羽胆沢で安倍氏の祖先が死んだことが書いてある。
これは、なつみの先祖にあたる者で、最後の鍵を握っていた人物なのだろう。
紗耶香は編纂資料を読んでゆくと、ひとりの人物が気になってしかたなかった。
それは、いつも倭建之命に寄り添い、その死まで見届けた人物。猿楽だった。
「この『猿楽』という人が、妙に気になりますね」
裕子が調べたところによると、狛犬は出雲一国を支配し、
雉は相模の山間部に、その勢力を拡大させたらしい。
つまり、童話にでてくる『吉備ダンゴ』とは、
領地を与えるということだったのではないか。
ところが、3人の中では猿楽だけは領地をもらわず、
最後まで倭建之命につき従っていた。
「その猿楽は、ほんまに謎が多いんや。男か女かも分らへんし」
裕子は猿楽に興味があったらしく、詳しく調べていた。
禁裏や伊勢大社、出雲大社の古文書まで取り寄せ、
個人的にも長いこと研究していたようである。
そんな努力の甲斐もなく、猿楽に関しては不明な点ばかりだった。
- 18 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/10/25(土) 21:04
- 「もしかすると、猿楽の生まれかわりも、娘の中におるかもしれへんで」
貴子は話の中で冗談半分で言ったのだが、紗耶香は運命的な言葉に感じてしまう。
もしかしたら、自分こそが猿楽の生まれかわりではないかと思ったのである。
猿楽は倭建之命を愛していたからこそ、領地にこだわらなかったのではないか。
狛犬と雉は領地を得て、朝廷に謀叛を起こし、滅ぼされたと書かれていた。
真希が倭建之命だったとしたら、猿楽が紗耶香であっても不思議ではない。
「倭建之命は猿楽の子供を産んだわけじゃありませんよね。
そう考えると、猿楽が女性だった可能性は高いんじゃないでしょうか」
猿楽が倭建之命につき従った理由は、単に愛情だけとは思えない。
もっと大きな意味があって、猿楽は倭建之命の近くを離れなかった。
それが何であるかまでは、紗耶香には分らなかった。
「そやな。倭建之命が女やったら、近くにおれるんは同性やしな」
どうしても血統が支配した当時とすれば、
むやみに男を近づけることができない。
病気で倒れた倭建之命が最期まで愛したのは、
『猿楽』という女性であるのはまちがいないだろう。
「貴子さま。『猿楽』の存在意義は、何だったんでしょうか」
「そんなことが分ってたら、姐さんよりいばってるわ」
そう言うと、貴子は声をあげて笑った。
貴子の力をもってしても『猿楽』のことは何も分らない。
紗耶香の関心は『猿楽』という女性のことになってしまった。
- 19 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/10/25(土) 21:04
- 「―――そうや。大宰府に行けば、何か分かるかもしれへんで」
裕子は思いだしたように言った。
行灯の炎が揺れ、一瞬だけ暗い世界が訪れる。
りんねが敏感に反応したが、それは空気の流れではなく、
ナタネ油の不純物によるものだった。
「大宰府―――ですか? 」
「菅公も生前は、倭建之命の研究をしとったそうやしな」
大宰府に左遷された菅公は、暇をもてあまし、
倭建之命の研究に没頭していたらしい。
名をはせた秀才の菅公のことであるから、
研究論文などが残っている可能性もある。
おそらく大宰府では激戦になるだろうが、
『猿楽』の正体をつきとめる意味でも、
紗耶香は勝たねばならなかった。
「もう遅くなりましたので、紗耶香さまもお休みなされませ」
りんねは敬語を使っていたが、それは実質的な命令だった。
この曇天では舟を出せるかどうか分らないが、明日は関門海峡近くまで移動する。
場合によっては、一気に海峡を渡って戦闘となることも予想された。
そうなれば、今のうちに睡眠をとっておかねばならない。
紗耶香はりんねの命令に従うことにした。
- 20 名前:名無し弟 投稿日:2003/10/25(土) 21:09
- 来週末には更新したいと思います。
自分でも、こんなに長くなるとは思っていませんでした。
ふたつもスレをたててしまい、もうしわけないです。
- 21 名前:七市 投稿日:2003/10/28(火) 00:36
- 頭を整理するために、最初から読み直しました。
長くなったのは自分的に楽しみが先延ばしになって嬉しいです(w
更新がんばってください。
- 22 名前:名無し弟 投稿日:2003/10/31(金) 21:02
- >>七市さん
ありがとうございます。
楽しんでいただければ、こんなにうれしいことはありません。
これからも、よろしくおねがいします。
- 23 名前:名無し弟 投稿日:2003/10/31(金) 21:03
- 《勝負》
翌日、一行は下関まで移動し、海を渡る準備にとりかかった。
紗耶香と裕子は海岸まで出て、秋の関門海峡をながめている。
小雨まじりで風が強いせいか、関門海峡は舟を出せる状態ではない。
時おり、背丈以上の波が押しよせ、岩場に激突して砕けちっていた。
「裕子さま、これでは渡れませんね」
紗耶香の結んだ髪が風に吹かれ、まるで生き物のように動いている。
その横では頭巾を被った裕子が、強風に目を細めながらうなずいていた。
おだやかな日であれば、泳いで渡れるくらい、関門海峡は狭いものである。
しかし、これだけ海が荒れていれば、どんな手段でも渡海は不可能だった。
「こうしてる間にも、菅公は確実に復活しとるわ」
いつもは上品な着物姿であるのに、旅に出ると、裕子は一転して袴姿になる。
その細身で女らしい体には、十二単でも袴でも、じつによく似合っていた。
女性ながら式部大輔という高い身分は、裕子が初めてだと言われている。
しかも、弱冠30歳にして、式部官僚の最高位となったのだ。
「こちらは、この間に骨休めができる。モノは考えようでは? 」
「ふっ、そやな」
裕子は紗耶香の前向きな性格を評価していた。
けっして暗くならず、ものごとを楽観的に考えている。
それでいて、要点は押さえているので、安心して見ていられた。
- 24 名前:名無し弟 投稿日:2003/10/31(金) 21:03
- 「ほかの連中の様子はどうや? 」
「くつろいでいます」
真希はあいかわらず寝てばかりいたし、ひとみと梨華は門司の街を飲み歩いている。
真里となつみは、どこからか情報を仕入れては、2人で食べ歩きに挑戦していた。
圭織と希美は工芸品の見物をし、地元の人と触れ合って楽しそうにしている。
そんな娘たちと好対照なのが貴子で、休む間もなく、菅公の気をさぐっていた。
「渡海したら門司に本陣を置くで」
裕子は門司に本陣を置き、そこから大宰府攻撃の総指揮をとるらしい。
源頼光以下200人の精鋭部隊に、長門や安芸の義勇兵300人が加わっている。
大宰府の兵だけを相手にするのであれば、けっして問題のない兵力だった。
だが、問題は呪術を使う連中であり、それには娘たちが当たるしかない。
なつみという助っ人がいるため、それも問題はなかった。
「菅公さえ潰せば、何とかなるそうですね」
「風が強すぎるわ。宿へ戻らへんか? 」
そう言うが早いか、裕子は寒そうに身を縮めながら、
宿所である近所の寺へと向かっていった。
このくらいの寒さでは、若い紗耶香などは平気である。
こういったところに、年齢差がでていると苦笑する紗耶香だった。
- 25 名前:名無し弟 投稿日:2003/10/31(金) 21:04
- 一方、宿所の御坊では、貴子が数人の祈祷師と大宰府の気をさぐっていた。
貴子ほどの力があれば、かんたんな結界など、すぐに通過することができる。
ところが、大宰府はもとより、彩や充代の気まで消えてしまったのだ。
貴子は護摩を焚き、四方に祈祷師を配置して、力を増幅させていた。
「充代が結界を張っとるわ」
貴子はため息をつきながら、お手上げといった顔をする。
充代は貴子に勝るとも劣らない力を持っていた。
いや、充代の方が、こうした力においては上と言ってよいだろう。
その充代が結界を張ったのなら、侵入することは不可能だった。
(大宰府におるんやろな)
彩と充代が大宰府にいるのなら問題はないが、
九州全体を手中におさめてしまうと、かなり厄介なことになる。
一騎当千の源頼光軍がついているとはいえ、
充代は熊襲タケルや藤原純友を復活させるかもしれない。
そうなったが最後、九州は朝廷でも鎮圧できない国になってしまうだろう。
(もし、移動したとしたら―――)
結界を張るということ自体が、動きを察知されないための手段だ。
念を入れてくべる札が燃えるのを見ながら、貴子は考えをめぐらせる。
祈祷師たちの呪文が室内に反響し、異次元空間のような雰囲気が感じられた。
それは、あたかも涅槃であるかのような、喜怒哀楽を忘れた世界である。
換気のために開けられた窓からは、肺の中にカビの胞子を植えつけるような、
よどみ湿った空気が流れこんでいた。
- 26 名前:名無し弟 投稿日:2003/10/31(金) 21:05
- 「ひとりやないで! 」
貴子は彩と充代の気を追うことをあきらめ、ほかの者の気を探すことにした。
大宰府から少しづつ輪をひろげ、殺気などを探ってゆくのである。
すると、長門の国内に、源頼光に対しての殺気を感じたのだった。
最初は山賊の類かと思っていたが、それは邪悪な殺気とはちがっている。
その殺気は導かれるように、この寺に向かってきていた。
「誰かおるけ? 」
貴子が声をかけると、窓から希美が顔をのぞかせた。
わずかに首をかしげる仕草は、純真無垢な少女のそれである。
そんな希美と目が合った貴子は、ニッコリと微笑みながら、
軽く手招きをしてみた。
「何れすか? 」
希美は何も疑わないで、貴子のところへやってくる。
今日は風が強いため、外に行けずにブラブラしていたのだ。
暇だったので、御坊の外で池の鯉を見ていたのである。
そんな希美だったので、貴子に呼ばれたことが嬉しかった。
「源頼光に警戒するように伝えてや。それと、娘たちを集めるんや」
「はーい」
希美は自分が頼りにされたことが嬉しくて、
笑顔になって御坊を飛びだしていった。
そんな希美を見て、貴子まで何だか嬉しくなってしまった。
- 27 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/10/31(金) 21:06
- 貴子が察知した殺気は、圭から発せられるものだった。
圭は中国拳法を習得した格闘家であり、国士無双の源頼光と、
真剣勝負をしたいと思っていたのである。
彼女にとって彩の計画などは二義的なものであり、
強い相手と闘うことこそが生きがいなのだった。
「こちらに源頼光さまがいらっしゃると聞いたのですが」
圭の姿は、誰が見ても旅の若者である。
男にしては華奢であるため、寺の警備兵も、
男装の令嬢であることを雰囲気で察していた。
圭のとてもていねいな言葉づかいに、
警備兵は身分の高い姫であると思ってしまう。
「はい、こちらにおられますが、誰とも会えないとのことです」
「それは残念ですね。ぜひともお目にかかりたいと思ってましたのに」
圭が困った顔をすると、警備兵は相談をはじめた。
怪しい者には見えなかったし、とても上品な姫のようである。
ここで無下に追い返しては、少しかわいそうに思えた。
「とりあえず、中でお休みなされませ」
警備兵は圭を境内に案内することにした。
ここまで旅してしたのだろうから、疲れていると思ったのである。
こんな海の近くでは、付近に休憩する場所もないので、
せめて足を休める場所を提供してやりたかった。
- 28 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/10/31(金) 21:06
- 「それはありがたいことです」
圭が笑顔を見せると、警備兵も嬉しそうに微笑んだ。
警備兵は圭を連れて、境内へと入ってゆく。
漁村の小さな寺とはいえ、そこは数百人が滞在できるだけの広さがある。
山門から御坊までは、しばらく歩かねばならないほどだった。
「待つべさ」
境内を歩いている圭に声をかけたのは、
庭で真里と蹴鞠のマネゴトをしていたなつみだった。
なつみは圭の押し殺した殺気を読みとっていたのである。
なつみに止められ、警備兵は何ごとかと首をかしげた。
「これはなつみさま。客人でございますれば」
「刺客だべね? 誰を殺そうとしてるんだべか? 」
なつみは蹴鞠を持ったまま、いつでも印をきれる体勢を整えた。
驚いた真里は、なつみの後にかくれて、遠くにいるひとみを呼ぶ。
ひとみは酒をひっかけていたが、闘いに支障があるほどは飲んでいない。
非力ななつみや真里よりも、この場はひとみあたりで対処した方がよさそうだ。
「私は圭といいます。源頼光さまにお会いしたくて」
「会って殺すんだべか? 」
なつみの真剣な顔に警備兵が驚いた。
こんな上品で、ていねいな言葉づかいの姫が、
源頼光を殺しにきた刺客だとは思わなかったからである。
唖然とする警備兵をよそに、なつみは圭に詰め寄った。
- 29 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/10/31(金) 21:07
- 「生死は勝負の成り行きしだい。お手合わせいただきたく、参上した次第でございます」
圭は笑みすら浮かべ、余裕の表情で言った。
警備兵は「たいへんじゃー! 」と言いながら走っていってしまった。
「勝負って―――源頼光さまは、もう60代だべさ」
せめて20年くらい前であれば、圭と勝負もできただろうが、
すでに60代となっては、紗耶香にも勝てない老人だった。
それでも若手育成に精をだし、一騎当千の強者を育てている。
自分の戦闘能力は衰えたが、指揮官として活躍していたのだった。
「ろ――60代! そんなに歳をとられていたか! 」
圭は残念で仕方のないようすだった。
古今東西、最強の武将が60代になっていたとは、
田舎で暮らしていた圭は知らなかったのである。
圭の動揺から、その本心をのぞいてしまったなつみは、
彼女に感じた殺気が薄れてゆくのを感じていた。
「だから、ここは帰ってほしいべ―――」
「待たれよ。圭どのと申されたな」
木の杖をついてきた老人は、どうやら源頼光らしい。
長年の戦生活がひびいたのか、どうやらヒザを痛めているようだ。
多くの修羅場を経験した源頼光は、実際の年齢よりも上に見える。
これでは、真剣勝負をすることなど、不可能であるといってよい。
- 30 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/10/31(金) 21:08
- 「いかにも」
「残念ではあるが、この体では勝負できぬ。
代わりといっては何だが、この娘と勝負する気は? 」
源頼光はひとみをアゴで示しながら言った。
まさか自分のことだとは知らないひとみは、
なつみを守るために、圭の前に立っている。
ひとみは自分が注目されているような気がして、
それとなく源頼光をふり返ってみた。
「え? オレ? 」
源頼光は初めてひとみを見たときから、その腕の強さを感じていた。
何しろ『チーちゃん』にも勝るとも劣らない腕を持っている。
そのひとみであれば、全盛期の源頼光に匹敵するだろう。
源頼光の代理として闘うのは名誉なことではあったが、
海のものとも山のものとも分らない相手と闘うのは、
ひとみには、どうも気がひけたのだった。
「源頼光さまが認められる娘であれば、相手にとって不足なし」
「オイオイ! オレはまだやるなんて言ってねーぞ」
ひとみにしてみれば、いきなり転嫁されたのだから、
心の準備というものができていない。
それに、圭の気がみるみる大きくなり、
ひとみを圧倒してしまったのである。
ひとみとしては、日を改めて勝負をしたかった。
ところが、圭は今ここで勝負したいようだった。
- 31 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/10/31(金) 21:09
- 「じゃかましいわゴルァ! わしの代わりに勝負せえ! 」
「てめー、憶えてろよ。このジジイ」
もはや近衛兵ではないひとみは、源頼光をにらみつけた。
そんなひとみを源頼光は、嬉しそうに笑いながら見ている。
これはいい勝負になると思い、部下たちを呼び寄せた。
いくら圭であろうと、源頼光以下200人は相手にできない。
だからこそ、この真剣勝負はおもしろいと思ったのだ。
「私は上総の土豪の娘で圭ともうします」
「オレは―――吉澤左近が長女、元近衛兵のひとみだ」
たがいに名乗りが終わると、勝負の準備がはじまった。
相手が女性ということで、2人は武器を使わないことにする。
たすきをかけたひとみに対し、圭は袖のない湯帷子に、
ヒザまでのパッチ姿になって体をほぐしてゆく。
ひとみよりも3寸(約9センチ)ほど小柄な圭に対しては、
距離をとって闘うのが効果的だと思われた。
「死にそうになったら、助けてやるべさ」
なつみがいるので、ひとみも安心していられたが、
この圭の気は半端なものではなかった。
風に吹かれた落ち葉が、庭の砂利の上を、
とても乾いた音をたてて動いてゆく。
ひとみは深呼吸をして緊張をほぐしていた。
- 32 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/10/31(金) 21:10
- 「さあ、始めよ! 」
源頼光は酒を飲みながら、この名勝負を観戦するらしい。
どこか和んだ雰囲気が支配するものの、圭は容赦しないようだ。
逆に、圭としても源頼光が推薦した娘と闘うわけだから、
手加減などしようものなら、やられてしまうと思っている。
源頼光の声を合図に、ひとみと圭の死闘が始まった。
「ひとみさま。いきますよ」
そう言った直後、圭の正拳がひとみの顔面に決まる。
圭にしては様子をみるものだったが、ひとみには決定打となっていた。
ひとみは鼻血をふきだし、白目をむいて昏倒してしまったのである。
あまりに短時間で勝負がついてしまったため、圭は唖然としていた。
「ケンカはいけないのれす! 」
いきなり希美が飛びだしてきて、圭の頬を平手でなぐった。
ケンカではなくて勝負なので、圭は困ったように微笑んだ。
希美は泣きそうな顔でひとみを抱き起こし、なつみに治療させる。
なつみが顔をなでると、ひとみは意識を回復して立ち上がった。
「こんなに早く勝負がつくとは―――あれ? 」
圭は自分の視界が歪んでいることに気づいた。
そして、一歩だけ踏みだそうとしたとき、
圭は崩れるように倒れてしまったのである。
驚いたなつみが抱き起こすと、圭は鼻血をだしていた。
- 33 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/10/31(金) 21:10
- 「ののに殴られただけで―――これは! 」
なつみは圭の体を触り、とても重大なことを悟った。
もはや、圭は余命幾許もない体だったのである。
なつみの力では、とりあえず現状の治療をすることしかできなかった。
「こんなところで―――しばらく落ちついてたんだけど」
圭は血の気がなくなった唇をかみしめた。
現代でいう骨髄性白血病に、圭は全身を蝕まれている。
いわゆる血液のガンと言われ、骨髄移植しか助かる道はない。
当時としては、絶対に助からない難病だった。
「奥へ運ぶべさ! 」
慌てたひとみが圭を抱き上げると、
イチョウの木から2人の娘が転がり落ちてきた。
その娘たちは、泣きながら圭に走りよってくる。
そして、圭に抱きついて号泣したのだった。
「さゆみに麗奈だべか? 」
「あっ! てめー、オニギリ返せゴルァ! 」
どうやら2人は、何かと面倒をみてくれた圭を探していたらしい。
てっきり東国へ逃げたと思っていたが、2人はすぐ近くにいた。
娘たちの後をついてゆけば、圭に逢えると思っていたのである。
それにしても、飲まず食わずでイチョウの木に登っているとは、
この2人も見あげた根性だった。
- 34 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/10/31(金) 21:12
- 《圭の生き方》
寺の奥に運ばれた圭は、布団に寝かされ、なつみの治療を受けた。
根本的な治療こそできなかったが、応急処置が功を奏したのか、
立ち上がることすらできなかった圭が、みるみる元気になってゆく。
圭が元気を取りもどし、いちばん喜んだのは、さゆみと麗奈だった。
「おかげで助かりました」
圭は自分を元気にしてくれた、なつみに深く感謝をする。
さゆみと麗奈は圭の手を握って、けっして離そうとしない。
2人が圭を慕い、圭が2人を可愛がっていたことが覗えた。
「大事をとって、今日は泊まってゆくべさ」
圭の体は一時的には回復していたが、
病気が病気だけに、またいつ倒れるか分らない。
この病気は体の自然治癒力が低下してしまうため、
人通りの少ない山道で倒れてしまったりすると、
そのまま死んでしまう危険があった。
「そうもまいりません。私は皆さまの敵なのですよ」
「病人に敵も味方もないっしょ? 」
なつみは病気こそ、誰にでも公平に訪れるものだと知っていた。
人間は恐怖を転嫁するため、何かのせいにしたがるものだが、
どんな聖人君子であろうと極悪人であろうと公平に訪れるもの。
それが、病気や死というものだった。
- 35 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/10/31(金) 21:13
- 「そんな―――私はあなたを殺すかもしれないのですよ」
「圭ちゃんだったべね。あんたはそんな悪い人じゃないっしょ」
なつみの笑顔を見た圭は、心が癒されてゆくのを感じた。
線香臭い寺の一室ではあったが、じつに快適な空間である。
なつみの心を感じ、可愛い2人のぬくもりを感じた圭は、
凍りついていた心が溶けてゆく思いがしていた。
「圭さま、この人たちは、みんな優しい人なんじゃ」
「そうじゃそうじゃ」
さゆみと麗奈は、山賊に追われているのを助けられたことや、
なつみのワガママだが優しい性格を一生懸命に説明した。
そんなことは圭にも分っている。娘たちは、みんな善人だった。
一族の復讐のために鬼となった彩は、けっして善人といえない。
源頼家暗殺を名目に彩のもとを離れ、果敢にも勝負を挑んだのは、
これ以上、悪事をしたくなかったからだろう。
「だったら、彩さまを裏切れるの? 」
「それは―――」
さゆみと麗奈は、意気消沈して下を向いてしまう。
2人にとって彩は、神にも近い存在であり、
けっして逆らうことのできない人物だった。
彩は恐怖であり、憧れであり、希望である。
彩が白といえば、黒いものも白くなってしまう。
2人にとって、彩とはそういう存在だった。
- 36 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/10/31(金) 21:14
- 「私たちは、まちがっているかもしれません。でも、彩さまを裏切ることは―――」
圭も彩が魔物と契り、特殊な力を得たことは知っている。
自分の身を犠牲にしてまで、一族のために立ちあがり、
女としての幸せを捨てた彩を、どうしても裏切ることができない。
だが、圭としても、彩の非情な性格は好きになれなかった。
「そうじゃないわ。話を聞いてくれる? 」
そこへやってきたのは、勝負を遠くから見ていたりんねだった。
りんねは優しそうな顔をしていたが、固い決意に満ちた目をしている。
けっして攻撃的なものではないが、どこか威圧的な雰囲気があった。
さゆみと麗奈は、そんなりんねを、少し怖いと感じていた。
「私は安倍晴明さまの部下で、りんねといいます」
りんねが圭の近くに座ると、全員が強い気を感じた。
その気は、けっしてりんねの持つものではなく、
人間というより、タヌキやキツネのようである。
なつみは直感的に、りんねの背後に貴子がいることを悟った。
「お話とは何でしょうか。りんねさま」
圭は彩の部下ではあったが、粗野で野蛮な性格ではなかった。
やはり、拳法をやっているだけあって、じつに礼儀正しい。
彩は復讐のために圭の拳法を利用しようと思っていた。
しかし、圭は雑用に徹して、けっして拳法を使おうとはしない。
あくまで拳法は身を守るためのもの。そして、至高をめざすもの。
圭にとっての拳法とは、そういったものだった。
- 37 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/10/31(金) 21:15
- 「誰も裏切れとは言っていません。考えてほしいの」
あいかわらず、りんねは有無を言わさない命令口調だった。
彩の志に協力しないからといって、けっして裏切ることにはならない。
己の判断で、信じる道をゆくことこそが、正しい人間なのである。
彩には彩の生き方があるだろう。しかし、圭にも圭の行き方があるはずだ。
圭には彩のように、藤原氏を憎む気持ちなどない。
りんねは圭の心へ、重い一撃を放ったのだった。
「彩どのは寺田を使って、罪もない娘を殺したのよ。
さっき、やけに小さな娘がいたでしょう? 寺田に殺されたのは、その娘の妹なの」
「それじゃ、岩屋の―――」
圭にも真里・絵里姉妹の知識はあった。
最初に寺田に岩屋攻撃という彩の命令を伝えたのは、
ほかならぬ圭だったからである。
妹を殺された真里は、どんな思いでいるのだろう。
それを思うと、圭は胸が痛くなってきた。
「真里は妹を助けられなかったから、ひどく自分を責めてるわ」
彩の目的は真里を殺すことだったはず。
それが、いつの間にか、その身内まで殺すことになってしまった。
罪もない若い娘を殺したことは、圭の正義感を著しく刺激する。
この時代、人の命は安いものだったが、罪なき者を殺すことこそ、
悪逆非道なことであると圭は思っていた。
- 38 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/10/31(金) 21:16
- 「あたしの仲間も有紀と闘って死んだ。自業自得といえばそれまでだけど」
互いに殺し殺されるのは、どこかで止めなければならない。
りんねは圭に対し、そのきっかけを提案していたのである。
彩を説得することは、どう考えても不可能にちがいない。
しかし、自分を見失わない圭であれば、分ってくれると思ったのだ。
「りんねさまの言うことは分りました。私はこの子たちと姿を消します」
圭を味方にすることはできなかったが、少なくとも敵ではなくなった。
ひとみほどの猛者を一撃で倒してしまうのだから、敵にしたら始末が悪い。
圭が大宰府を守っていたとしたら、大きな被害がでていたにちがいない。
りんねは圭の気を調べるまでもなく、本気でそう言ったのを悟った。
「圭さま! 」
さゆみと麗奈は圭に抱きつき、安心したのか泣きだしてしまった。
そこへやってきたのは、山のように積まれたオニギリを持ったひとみである。
さゆみと麗奈は顔色が悪く、ひどく腹をすかせていると思ったからだ。
その後ろからは梨華が、野菜の煮物や漬物を持ってやってきた。
「オニギリの件は忘れてやるからよ。これでも食え」
ドカンと置かれた数十個のオニギリは、ひとみが握ったのかどれも大きかった。
その迫力のあるオニギリを見て、なつみは嬉しそうに手を伸ばす。
それを見たひとみは、壁に貼りついていたヤモリを引きはがし、
なつみの手に握らせたのだった。
「こらっ! このオニギリはこいつらのだよ! テメエはこれでも食ってろ! 」
「何だべ―――ギエェェェェェェェェェェェェェェェェー! 」
なつみはヤモリを握りしめたまま、白目をむいて失神してしまった。
食にいじきたないなつみを黙らすのは、これが最良の方法のようである。
ひとみは「重いな」と言いながら、なつみをかついで部屋を出ていった。
- 39 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/10/31(金) 21:17
- そのころ、ほかの部屋では、真里が手榴弾を作っていた。
その作業を、希美が興味津々で見入っていたのである。
粘土の中に火薬を入れ、それを油紙や和紙で固く巻いてゆく。
とちゅうに小さな石などを巻きこんでゆくのがミソだ。
爆発すると、この小さな石が飛散して、近くにいる者を傷つける。
器用な真里は、かんたんに作ってしまうが、並大抵の作業ではなかった。
「硝石と木炭と硫黄れすか? 」
下関は九州の玄関口だけあって、さまざまなものが手にはいる。
古い民家の縁の下から採れる硝石、阿蘇山から採れる硫黄。
このふたつは、火薬を作るうえでなくてはならないものだった。
木炭と結晶化している硫黄を細かく磨り潰し、それに硝石を混ぜてゆく。
「そう。この配合が難しいんだよね」
黒色火薬を作るのだから、その作業は慎重を要する。
うっかり衝撃を与えようものなら、とたんに爆発してしまう。
よほど大量に作らないかぎり、大惨事にはならないものの、
大ヤケドを負う危険性をはらんでいた。
「ヒモがないのれす」
「ヒモは最後につけるの。そうじゃないと、危ないでしょう? 」
もし、火薬が爆発しても、作成した手榴弾が誘爆しないように、
真里は安全面に神経をつかっていたのである。
まだ粘土が固まっていないうちは、手榴弾も衝撃で爆発したりしない。
横でネコが手榴弾で遊びだしても、真里は放っておいた。
- 40 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/10/31(金) 21:17
- 強風の中、圭織は境内で弓の練習をしていた。
こともあろうか彼女の尻をさわった好色な小僧を、
磔にしてギリギリを狙っていたのである。
横風を計算に入れながら、圭織は小僧の股間を狙った。
「この距離だと1寸半だけ右に行くかな? 」
20間(約36メートル)も離れたところから狙い撃ちされるのだから、
磔になった小僧は生きた心地もしなかった。
恐怖に悲鳴をあげる小僧をよそに、圭織は矢をつがえて引いてゆく。
まかりまちがって、股間を直撃するようなことになれば、
小僧の逸物は完全に破壊されてしまうことだろう。
圭織は息を吐きつつ止め、矢を放ってみた。
「うぎゃァァァァァァァァァァァァァァー! 」
圭織の放った矢は、小僧の股間の真下半寸に命中したが、
貫通したとき、矢羽根が股間を直撃してしまったのである。
飛行を安定させるためにつけられている矢羽根は、
柔らかいものだったが、何しろ圭織の矢は普通ではない。
「あははは―――矢羽根が当たっちゃった? 」
激痛に脂汗を流す小僧を見て、圭織はおかしそうに笑った。
どうやら不気味な笑いではないので、圭織は軽い気持ちなのだろう。
だが、股間に大きな衝撃を受けた小僧にしてみれば、笑いごとではない。
目の前が紫色になるくらいの激痛を受け、七転八倒の苦しみを感じていたのだ。
この耐えがたい痛みは、女には絶対に分ることがないだろう。
- 41 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/10/31(金) 21:18
- 真里の作業を見ていた希美は、どうしても自分でやりたくなってしまった。
そこで、真里が目を離した隙に、調合を始めてしまったのである。
真里はかんたんにやっていたが、希美はあまり器用な方ではない。
硝石と硫黄、木炭を調合したのだが、硫黄の粒が気になってしまう。
「細かくなってないのれす」
希美がすり潰そうとしたとき、真里が気がついた。
慌てて止める真里を振り払い、希美は木の棒で火薬を突く。
そのとたん、調合していた皿から火柱があがり、
調合済みの火薬へと引火したのだった。
「あれ? 」
次の矢をつがえようとした圭織は、地響きを感じて弓をおろした。
その直後、寺の一室の窓をぶち破り、何かが回転しながら飛びだしてくる。
圭織は反射的に、自分へ向かってくるそれを抱きとめてみた。
圭織が何かと思って見ると、それは完全に目を回した真里だった。
「何? 何があったワケ? 」
驚いた圭織は真里を小脇に抱え、窓から部屋の中を覗いてみた。
すると、部屋の中は完全に破壊され、煤だらけになった希美が座っている。
希美は圭織と目が合うと、困ったように笑いながら昏倒してしまった。
- 42 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/10/31(金) 21:19
- 体の具合がよくなり、食事を摂った圭たちは、寺を出ることにした。
できれば大宰府の情報を聞きたかったが、圭はけっして喋ろうとしない。
やはり、敵ではないが味方でもない。圭はそのあたりの分別がしっかりしていた。
「もう少し休んだ方がいいべさ」
布団を片づける圭に、なつみは心配そうな顔を向ける。
自分の命を悟り、病気と向き合う圭に、なつみは心を動かされてしまう。
ようやく風が収まり、曇天の空にも薄日がさしてきた。
旅に出るには良い状態になったが、圭の体は一時的に回復したにすぎない。
「のんびりと丹後国府に行きます。絵里ちゃんの菩提を弔いたいですから」
そこへ話を聞いた裕子がやってくる。
圭を味方にすることはできなかったが、
りんねから礼儀正しい好人物であると報告を受けていた。
圭は中立を守り、去る決心をしたと聞き、
裕子は彼女の旅に協力したくなったのである。
裕子は自筆の書簡を圭に渡した。
「これを見せれば、どこの国府・国分寺でも泊まれるわ」
式部大輔である裕子の『お墨つき』は、国司がひれ伏すほどの力を持っていた。
下級貴族の姫さまである紗耶香ですら、国府では手厚い歓迎を受けるのである。
治外法権を約束された国分寺では、その効力にも限度があったものの、
式部省の高級官僚が身元を保証するのだから、確実に泊まることができた。
- 43 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/10/31(金) 21:20
- 「ありがとうございます」
圭にとって、こういったものを受けとるのは不本意だったが、
さゆみと麗奈のことを考えると、意地を張るわけにもいかない。
圭は裕子の厚意をありがたく受けることにした。
「国分寺に泊まれるくらいやから、どこの寺社でも使えるやろ」
当時は寺よりも神社(お宮)が普及していたので、
そこに泊まれるというのはありがたかった。
この季節、もう野宿するのはきつくなっている。
どんなに質素な建物でも、屋根さえあれば天国だった。
「では、これにて失礼いたします。さゆみ、道案内を」
長門出身のさゆみは、このあたりの地理に詳しい。
娘たちに見送られながら、圭たちは寺をあとにした。
西に傾いた太陽が顔をだし、あたりは秋の夕方色に染まってゆく。
小さくなってゆく圭の背中を見つめながら、なつみはぽつっと呟いた。
「死の病を見つめながら生きているんだべね」
圭が背負っているものは、誰よりも重い自分自身の『死』だったのである。
なつみといっしょにいれば、少なくとも死ぬことはないだろう。
それでも、さゆみや麗奈のめんどうをみて、いっしょに生きてゆくことにした。
若いさゆみと麗奈は、圭の死を乗り越えて、大人へと成長してゆくにちがいない。
そんな3人の後姿を、なつみはいつまでも見送っていた。
- 44 名前:名無し弟 投稿日:2003/10/31(金) 21:22
- 今回はここまでです。
また、更新は来週末になると思います。
あまり多く更新できなくてすいません。
- 45 名前:名無し読者 投稿日:2003/11/05(水) 03:25
- 初カキコします。某探偵の事件簿から知りました。
時代背景などいろいろなことが詳しく書かれてて読みやすいです。
おもしろくて先が楽しみです。がんばってください。
- 46 名前:名無し弟 投稿日:2003/11/09(日) 15:29
- >>45
ありがとうございます。
こうしたレスをもらえると、ほんとうにうれしいです。
また、少しでもうしわけないのですが、更新します。
- 47 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/09(日) 15:30
- 《いざ、九州へ》
翌日、強風がおさまったので、何とか舟を出せることになった。
まだ、夜が明けきらないうちから渡海の準備がはじまり、
下関の小さな港町は、兵士やら船頭やらで熱気をおびている。
まずは源頼光以下200名が舟に乗りこむのだが、
あまりにも騒がしいので、娘たちは目を覚ましてしまった。
「よいかー! 上陸したら、弓矢に注意するのだぞー! 」
源頼光の声が響くと、兵士たちは槍を突き上げて鬨の声をあげた。
門司から大宰府までは3日の距離だったが、注意するにこしたことはない。
相手は魔物を操る強敵であるため、少しの油断が命とりになってしまう。
源頼光は長年培った勘で、兵たちに注意を促したのだった。
「魔物の矢など、叩き折ってくれるわ! 」
「おう! 威勢がよいのう」
源頼光は豪気な若者を見て、思わず目を細めた。
あと20歳も若ければ、先陣をきって突撃しただろう。
しかし、無敵を誇る源頼光も、いささか歳をとりすぎた。
「左馬権頭さまは安心してくだされ! 」
誰もが渡辺綱や坂田金時といった猛者に負けない腕を持っている。
相手が菅公だろうが、いやがおうにも士気が盛りあがってしまう。
頼もしい若者ばかりであるため、あたりはお祭りさわぎになっていた。
- 48 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/09(日) 15:31
- 「盛り上がってるべさ」
「目がさめちゃったわぁ」
なつみと梨華が寺から船着場を見ていると、
ほかの娘たちもゾロゾロと起きだしてくる。
娘たちは明るくなってから渡海する予定になっていたのだが、
これだけ盛りあがってしまうと、寝ていることはできなかった。
「裕子さま、船着場に朝餉の用意がしてあるのれす」
希美は裕子と貴子といっしょに渡海する予定だ。
早起きの希美は、港町の女たちといっしょに、朝餉の用意をしていたのである。
娘たちは寺から船着場まで移動し、兵を見送りながら朝餉にした。
このころになって、ようやく朝日が顔を出しはじめていた。
「アジの焼き魚にヒジキの煮物。トコブシの酒蒸し、シジミの味噌汁だべさ」
ほかにもダイコン葉のお浸しに、青海苔、漬物といった豪勢な朝餉である。
これだけ品数が多いと、なつみは嬉しくなってしまい、食欲が増進した。
起きぬけであるというのに、なつみは4杯もおかわりをしたのだった。
「貴子さま、大宰府の気は? 」
紗耶香は気になっていたことを聞いてみた。
大宰府では菅公が着実に復活しているのだ。
いくら結界が張られてあるとはいえ、
そろそろ気配を感じてもよさそうである。
しかし、貴子は味噌汁を飲みながら首を振った。
- 49 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/09(日) 15:31
- 「充代が結界を張っとるで、まったく処置なしやね」
波の音を聞きながらの朝餉は、この上ないぜいたくのようだ。
寒い中で温かいものを食べるので、いやがおうにも食欲がでる。
まだ箸を使うのがヘタな希美は、圭織にアジの身をほぐしてもらった。
希美はそれを茶碗に入れ、白米といっしょにして、おいしそうに食べる。
希美と圭織は、仲の良い姉妹というより、親子に近い関係だった。
「それも食べちゃうのぉ? 」
とにかく大喰らいのなつみに横に座られた梨華は、
おいしそうな魚貝類を根こそぎ取られてしまう。
娘たちの朝餉にしては驚くほどの量だったが、
男の3人分は食べるなつみに足りる量ではない。
そんな胃袋魔人にとなりへ座られた梨華にとっては、
まったく災難としか言いようがなかった。
「梨華ちゃんは尼さんだから、魚肉はダメっしょ? ダメっしょ? 」
なつみは強引な理屈で、梨華からおかずを奪おうとしている。
これまで、国府などでは、カツオだしの煮物などを食べていたので、
もう梨華に禁忌などといったものは存在しなかった。
それを知りながらなつみは、あまり怒らない梨華にたかったのである。
「強引なんだからぁ」
朝なので、あまり食欲のない梨華は、ダイコン葉や青海苔、
漬物と白湯で、茶碗一杯だけの朝餉としたのである。
それでもなつみは、これまでの旅で体を動かせていたせいか、
ここにきて、少しはほっそりとしてきていた。
- 50 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/09(日) 15:32
- 「舟がもどってきたら、第2陣の出発やで」
裕子は食後の白湯を飲みながら、瘴気がうごめく門司を見つめた。
先発の源頼光隊を運んだ舟がもどってくると、娘たちのほかに、
長門国府の兵100人も、いっしょに渡海することになっている。
こちらは田舎の兵隊なので、あまり強くはなさそうだった。
それでも、100人からの兵隊が護衛していると思うと、絶対的な安心感があった。
「ここへ置いてくれへんか? 」
早々に朝餉を終えた貴子は、人足たちに荷物を運ばせていた。
裕子が娘たちといっしょにいるので、貴子にはりんねがついている。
荷物を港まで運んできた牛と視線があった真里は、
どうも怖くて、なつみに抱きついてしまった。
「あははは―――牛が怖いんだべか? 」
「だって、何考えてるか分んないんだもん」
牛が考えることといったら、食べることとハエを追うことくらいだろう。
草食獣の中では、もっとも燃費のわるい生き物が牛である。
牛を輪切りにすると、胴体のほとんどが胃というくらいだ。
「だったら、しゃべらせればいいべさ」
なつみは嫌がる真里の手をひいて牛に近寄ると、
頭をなでながら呪文を唱えてみた。
メスの牛であるため、そうかんたんには暴れないだろう。
すると、牛は真里の顔を見ながら話をはじめた。
- 51 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/09(日) 15:33
- 「ちっちゃくてかわいい女の子だねえ。牛は嫌いなの? 」
「牛がしゃべったァァァァァァァァァー! 」
真里は驚いて腰をぬかしてしまう。
どんな人でも、牛に話しかけられれば驚くにちがいない。
なつみの呪法は、不可能を可能にしてしまう。
ただし、圭の病気の根本的治療こそできなかったが。
「あははは―――怖がることはないっしょ? 」
なつみは腰をぬかすほど驚く真里が、おもしろくてしかたない。
驚いて腰をぬかしながら震える真里を気づかう牛は、
「あらあら、だいじょうぶ? 」と言いながら、
彼女の肩をくわえて立ちあがらせた。
「牛がしゃべるなんて―――こ―――怖いよー! 」
なつみに抱きついて怯える真里に、牛は思わず笑い声をあげた。
しゃべる牛も怖いが、笑う牛はもっと怖いものである。
真里は怖くてしかたなく、すでにベソをかいていた。
笑顔がかわいらしい真里は、ベソをかく顔もかわいかった。
「牛が怖いの? 牝牛はみんな優しいよ」
牛はおびえる真里の顔をペロリとなめた。
脱兎のごとく逃げだす真里を見ながら、
牛となつみは平和な会話を楽しんでいる。
そんななつみを見て、梨華は首をかしげた。
- 52 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/09(日) 15:33
- 「よっすぃー、なつみさまが牛と話してるぅ」
牛と談笑するなつみには、あまり違和感というものがない。
ごく自然な風景の一部になってしまっていたが、
人間と牛が会話しているのだから、常識からすると、
それこそ不自然以外の何ものでもなかった。
「同じ偶蹄目だから、話が通じるんじゃねーの? 」
ひとみの言葉に、なつみの額へ青筋が浮き出る。
笑顔から怒りの表情へ変ってゆくと、
牝牛も怯えながら数歩ほど後退していった。
「聞こえたべさァァァァァァァァァー! 」
なつみは牛糞を投げつけた。
反射神経のいいひとみはよけたが、
油断していた梨華は、顔面で受けてしまう。
その場にいた誰もが言葉を失った。
「キャアァァァァァァァァァァァー! 」
梨華の絶叫が下関に響きわたった。
- 53 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/09(日) 15:34
- 泣きながら海水で顔を洗う梨華の横で、紗耶香は多くの荷物をながめていた。
式部省の高級官僚が旅をすると、これほど多くのものが必要なのだろうか。
200人もの兵を連れているので、やはり食糧が多かったのだが、
紗耶香は多くの荷物の中で、菊の紋章が入った漆塗りの大きな箱を見つけた。
「これは天皇家の―――貴子さま、この長持ちは? 」
「三種の神器のひとつ。草薙の剣や」
現在の草薙の剣は鎌倉時代に作られた模造品であり、
本物は安徳天皇といっしょに壇ノ浦で沈んでしまった。
本物の草薙の剣には、怪しい妖気が満ちあふれており、
天皇家では結界を張って安置していたのである。
この草薙の剣はとても重く、どんな力自慢でも、
けっして自由に扱えるシロモノではなかった。
あまりにも重いため、貴子たちは、この剣を、
長持ちに入れて数人がかりで運搬していたのだった。
「そんな大切なものを何のために? 」
「この剣を扱えるんは、須佐男命と倭建之命だけや」
この草薙の剣を地面に突き立てれば、
あたり一面を不毛の大地にしてしまうという。
破壊の神が使うにふさわしい剣こそが、
この妖気の漂う草薙の剣だった。
どんな力自慢でも扱えないとなると、
この剣を扱える者こそが倭建之命なのだろう。
どのようなものであるか見てみたかったが、
紗耶香は剣の放つ妖気を感じ、怖気づいてしまった。
- 54 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/09(日) 15:35
- 「やはり、この中に倭建之命の生まれかわりがいるんですね? 」
「だから持ってきたんや」
やはり、菅公を斃すには、破壊の神の力が必要なのだろう。
真希が破壊の神に覚醒したとき、自分はどうすればいいのか。
紗耶香は『猿楽』のことを考えていた。
「いちーちゃん、舟がきたよ」
気がつくと、門司に兵を送った舟が、次々に帰ってきていた。
すでに門司は、源頼光以下200人の兵で占領されているだろう。
娘たち後発部隊は、源頼光たちが門司を去ったと同時に上陸する。
門司から西進して丸3日。そこに大宰府があった。
「う―――うち、泳げへんのやけど」
ここにきて怖気づいたのが、泳ぎを知らない裕子だった。
関門海峡は狭いが、水深数十間の深い海である。
海であるから重いものを持ったり、鎧でも着ていないかぎり、
けっして沈んでしまうようなことにはならない。
事実、壇ノ浦の戦いで海に身を投げた平家の者は、
重い鎧を幾重にも重ね着していたという。
「海に落ちたら、なっちが助けてやるべさ」
意外なことに、こう見えてもなつみは泳ぎが得意だ。
幼いころから賀茂川で泳いでいたため、
琵琶湖での遠泳大会で優勝したこともあった。
- 55 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/09(日) 15:35
- 「そんだけ脂肪があれば、イヤでも浮くだろーがよ」
ひとみの毒舌に、なつみはふたたび額に青筋をたてる。
気にしていることだけあって、ひとみの指摘は癪にさわった。
好きで太ったワケではない。これは呪いなのだ。
となつみは勝手に解釈していた。
「痛い思いをしないと分らないようだべねえ」
「ちょ―――ちょっとぉ、ケンカはやめようよぉ」
梨華が仲裁に入るものの、一触即発の空気が流れていた。
これで誰かが金切り声をあげれば、それがきっかけになり、
なつみは印をきるだろうし、ひとみはコブシを突きだすだろう。
波が押しよせる桟橋の上で、なつみとひとみのにらみあいが続く。
「やめてよ。なっち! 」
真里がなつみに抱きついて、ひとみからひき離そうとする。
しかし、非力な真里では、重量級のなつみを動かすことができない。
見かねた真希が、2人の間に入って怒鳴った。
「こんなことをしてる場合じゃないでしょう! 」
真希の声は2人にとって、絶好のきっかけとなった。
なつみは真里を、ひとみは梨華をはじき飛ばし、
ほぼ同時に技をくりだしていた。
「くらえ! このブタァァァァァァァァァー! 」
「鬼呪法印! 」
「うぎゃァァァァァァァァァァァァー! 」
それは、まるで悪夢のようだった。
- 56 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/09(日) 15:36
- シケが去ったとはいえ関門海峡のうねりは、
小さな舟を木の葉のようにもんでいた。
そんな舟の上で、真希は紗耶香に抱かれている。
ひとみの鉄拳を右頬、なつみの攻撃印を左頬に受けた。
「いちーちゃん、痛いよー」
「―――」
真希は紗耶香に甘え、わざと痛がってみせる。
すでに、なつみが治療していたので、痛みなど感じていない。
それでも真希は、紗耶香に抱きつく大義名分を得て、
べったりと体を寄せていたのだった。
「も―――もうしわけないべ―――さ―――うげげえー! 」
「す―――すまねえ―――な―――うえええええー! 」
なつみとひとみは、完全な船酔いになってしまった。
これだけ揺れるのだから、舟に慣れてない2人の三半規管は、
その機能を停止して、副交感神経が―――うげっ!
「グェログェログェロゲェェェェェェェー! 」
娘たちの中で元気なのは、『チーちゃん』に乗っていた真里くらいだ。
真里は舟の舳先に立ち、腕を組んで門司の港を見つめている。
潮風が彼女の髪をなびかせ、上空ではウミネコが鳴いていた。
数を増したウミネコは、娘たちの撒き餌に集まってきた魚が目的らしい。
- 57 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/09(日) 15:37
- 「紗耶香、すごい瘴気だね」
「―――」
勘のいい真里は、大宰府から発せられる瘴気を感じている。
それには眉間の奥が膨張するような、はげしい嫌悪感があった。
娘たちが吐いているのも、この瘴気の影響があるのかもしれない。
それを感じたのか、ほかの舟では貴子が結界を張っていた。
「何百人。いや、何千人の怨念が集まってるみたい」
「―――」
はげしい瘴気の中心には、稀代の怨霊・菅原道真がいるのだ。
平将門は首塚に怨念を封じこまれてしまったが、
菅公は平安京まで来て、恨みを晴らしたのである。
そんな強い怨霊を、はたして娘たちが退治できるのか。
たしかに、魔物を瞬時に消してしまうなつみの能力は心強い。
だが、菅公に通用するとは、どうしても思えない真里だった。
「へっ、武者震いがするぜぃ! ―――って何で黙ってるの? 」
真里は押し黙っている紗耶香に聞いてみた。
紗耶香も瘴気を感じ、体調がすぐれないのだろうか。
真希の頭をなでながら、紗耶香は泣きそうな顔で真里を見あげた。
「紗耶香! 」
「ゲロゲロゲー! 」
紗耶香はガマンしきれずに、舟から顔を出して吐きまくった。
彼女が黙っていたのは、必死になって吐き気をこらえていたのである。
紗耶香の撒き餌に群がったボラを、ウミネコが次々に捕らえてゆく。
「あははは―――ニャーニャーうるさいね。うえっ! 」
「か―――圭織さまも船酔いですかぁ? うえっ! 」
「ったく。これじゃ、全員がつわりじゃんかよー」
真里はため息をつきながら、近づいてくる門司の港を見ていた。
- 58 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/09(日) 15:38
- 《海賊娘》
船酔いで関門海峡に撒き餌をした娘たちは、昼すぎに門司へと上陸した。
大宰府方面の空は鉛色に曇り、吐き気がするような、耐えがたい瘴気を放っている。
そのどんよりとした瘴気のせいで、付近の住民たちも体調をくずしており、
先発の源頼光部隊の中でも、勘の強いものが体調をこわして門司に留まっていた。
それは数人の兵士だったが、貴子となつみが治療すると、すぐに元気になった。
「裕子さま、ここへ本陣を置くのですね? 」
紗耶香は裕子と貴子が、ここで総指揮をとると聞いていた。
ところが、2人は作戦を替え、大宰府付近に本陣を置くことにした。
なぜなら、裕子たちは少しでも近くで采配したかったのと、
先陣と離れてしまっては、連絡に不都合が生じるからだ。
「やっぱし、大宰府近くで采配を採るわ」
紗耶香たちにすれば、頼りになる2人が近くにいると、
気分的に安心して闘うことができる。
貴子は船酔いに苦しみながらも、門司の港に結界を張った。
これで、門司の港は安全ということになる。
そうでもしないと、退路を断たれるかもしれないからだ。
「姐さん、豊前の国司は、だれやった? 」
貴子が唐突に質問したため、裕子は理解するのに時間がかかってしまう。
そういえば、門司は豊前のはずれにある港町だった。
豊前国内であるため、港の管理は国司が行うことになっている。
式部大輔の裕子が来たのだから、歓迎式典くらいは行われるはずだ。
しかし、豊前国司はおろか、武装した兵たちは姿が見えなかった。
- 59 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/09(日) 15:39
- 「ええと―――そういえば、姿が見えんね」
源頼光が上陸したのだから、国司が出迎えてもよさそうなものだ。
しかし、あたりには裕子たちを歓迎する雰囲気すらなかったのである。
そこで裕子は、豊前国司を呼びだすために、書簡を書くことにした。
式部省の高級官僚がきたのだから、国司は大慌てで飛んでくるだろう。
「裕子さま、今夜は筑前国境近くまで行きますか? 」
紗耶香が聞くと、裕子は笑いながら首をふった。
急いだところで、疲れるだけなのを裕子は知っている。
それに、ゆっくりと進めば、呼応した勢力が合流するからだ。
その証拠に、源頼光先発隊は、渡海には200人だったのが、
門司を出るころには300人になっていたのである。
老獪な源頼光は、そのあたりを熟知していた。
「ちょっと待て! おめーは誰だ」
ひとみは1人の少女の襟首をつかんでいた。
どうやら地の娘らしいが、どこか高貴な顔をしている。
すると、数人の若者が走ってきて、ひとみを取り囲んだ。
「その手を離さんか! 」
「やめや! 」
貴子が怒鳴ると、ひとみと若者がふり返った。
少女を凝視した貴子は、真剣な顔で近づいてゆく。
護衛のりんねは、貴子の半歩前の横につき、
若者の攻撃に備えて警戒していた。
- 60 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/09(日) 15:40
- 「名前は? 」
「松浦党の亜弥と申します」
松浦党といえば、数世紀後には九州沿岸を牛耳った海賊である。
藤原純友以降、群雄割拠状態だった九州沿岸の水軍(海賊)は、
吸収合併をくりかえし、縄張りを形成しつつあった。
その中で松浦党は、けっして大きな集団とはいえなかったが、
平和的ですべて話し合いで解決する方法を採用する集団だった。
「おお、松浦党の娘やな。ちょっと待ちや」
貴子は使役夫に陣幕を用意させ、即席の休憩所を造らせた。
そして、裕子と貴子、りんね、紗耶香が亜弥を迎えたのである。
亜弥は裕子たちのように、きれいな着物を着てはいなかったが、
その身ぶりや言葉づかいには、貴族的な振る舞いがみられた。
「それで? 用件を聞こうやないの」
裕子は雑談のあと、本題に入っていった。
当主ではなく、娘を送ってくるところをみると、
松浦党は完全に服従する意思のようである。
つまり、娘を人質にして協力するということだ。
「松浦党は今回の遠征に協力いたします」
予想どおりの内容に、裕子と貴子は顔を見合わせて失笑した。
亜弥は50人の兵を連れており、それは心強い味方になる。
こうして表立っての行軍ではなくとも、次々に協力者がやってきた。
- 61 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/09(日) 15:41
- 陣幕の外では、暇をもてあました娘たちが、剣術の練習をはじめていた。
剣術など知らない真里に、圭織が基礎から教えてゆくと、
その横では真希とひとみが、木刀を使って本番さながらの実戦演習をする。
その激しい打ち合いに、松浦党の若い衆は、息を呑んでしまった。
「うおりゃァァァァァァァァァァー! 」
ひとみの渾身の一撃を、真希は大きな木刀で受けとめる。
いくら木刀であっても、体に受ければ大ケガはまちがいない。
舟の上では胃の内容物を吐ききったひとみだったが、
三半規管が正常に戻れば、ウソのように元気になっている。
腕力抜群の2人であれば、木刀がいくらあっても足りなかった。
「うひゃー、今のは効いたよ」
手がシビレるくらいの一撃を木刀に受けた真希は、
笑いながら手に息を吹きかけ、折れた木刀を放り投げた。
それを拾ってみた松浦党の若い衆は、その重さに驚いてしまう。
大の男でも重い野太刀を使うのだから、真希の木刀はすごい重さだ。
こんなもので殴られたりしたら、まちがいなく死んでしまうだろう。
「真希ちゃんもすげーじゃん。槍じゃねーと勝てねーよ」
元近衛兵のひとみですら、真希の太刀には敵わない。
真里の背よりも長い野太刀を自在に操るのだから、
真希の剣術の腕は、剣豪並と言っても過言ではなかった。
若いころの源頼光や渡辺綱ならいざしらず、
今のところ真希に対抗できそうな武将はいない。
- 62 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/09(日) 15:41
- 「あははは―――休憩しようよ」
2人は汗をふきながら、近くの石に腰をおろした。
真希とひとみの激しい稽古とは対照的に、
圭織と真里の稽古は、かわいいものだった。
小さな体で大きな木刀を振る真里の姿は、
松浦党の若い衆を萌えさせてしまう。
「か―――かわいいなあ」
真里が息をきらせて座りこむと、圭織が頭をなでて木刀を回収する。
もともと飲みこみの早い真里は、少しの稽古でも格段の進歩をしていた。
剣術を少しでも習っておくと、短刀などにも応用できるので、
身を守るうえでも、ぜひ身につけておきたいものだった。
「腕が痛くなっちゃったよー」
「筋肉痛? 揉んであげようか? 」
圭織は筋肉痛のツボを知っていたので、真里の腕を揉もうとした。
すると、いきなり2人の若い衆が走ってきたので、
圭織は反射的に身構えてしまう。
「じ―――自分が揉みます! 」
圭織を突き飛ばし、松浦党の若い衆が真里の腕を揉みはじめた。
真里は驚いて身をかたくしたが、親切な若い衆に、
「あ、ありがとう」と言いながら甘えることにした。
- 63 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/09(日) 15:42
- 「―――真里ばっかし」
圭織はチヤホヤされる真里が、うらやましくてしかたない。
やはり年ごろの娘であるから、若い男にチヤホヤされたかった。
しかし、松浦党の若い衆は、真里に熱い視線を送っている。
そこで圭織は、よせばいいのに、男たちに話しかけてみた。
「ねえねえ、あたし圭織っていうの」
ところが、男たちは圭織には何の興味もしめさない。
何しろ、自分たちよりも3寸(約9センチ)から背が高いので、
まったく恋愛の対象にならないのだった。
同性でも見とれてしまうほど、みごとな体型こそしていたが、
圭織は「きれいな人」で終わってしまうパターンだった。
「ウワァァァァァァァァァーン! 」
圭織が泣きながら走ってゆくと、梨華が心配そうに見ていた。
あの圭織が泣いているのだから、よほどのことがあったのでは?
梨華はそんなことを心配していたのだった。
「圭織さん、すごく傷ついてたみたいですけどぉ―――」
「放っておくべさ。でも、お腹がすいたべねえ」
なつみは塩味のついた干米をかじりながら、昼餉を待っていた。
この卑しいほどの食欲すら、なつみは呪いだと信じている。
ひとみ同様、舟の上で胃の中身を吐ききっていたので、
はげしい空腹感におそわれるなつみだった。
- 64 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/09(日) 15:43
- 「そういえば、朝餉はみんな吐いちまったもんな」
ひとみも真希と体を動かし、空腹を感じていたのだった。
みんな空腹を感じると、なつみのところに集まってくる。
なぜなら、なつみのところには、いつも食べものがあるからだ。
よく、「金まわりがいい」というが、これはほんとうの話で、
金というのは、使われるべき人のところへ集まってくる。
貯めこむことしか考えてない人は、いつまでたっても貧乏なままだ。
それと同じで、食べものも食べるべき人のところへ集まっていた。
「この干米、おいしいじゃん」
真希は断りもなく、なつみの干米を手にとって食べた。
人のいいなつみは、誰が食べても怒ったりしない。
ひとみが近くの井戸から水をくんでくると、
それを飲みながら、ちょっとした会食になった。
「そろそろ、夜になると寒くなってきたから、今晩は鍋物にでもしようじゃねーか」
「鍋物食べたいべさァァァァァァァァァー! 」
晩秋の鍋物は、ことのほかおいしいものである。
この時期だと、当時はどこにでも生えていたマツタケ。
山鳥やカニ、食用菊、ネギなどの食材があった。
醤油の生産が本格化する前なので、調味料には味噌が使われる。
どこか味噌汁に似た味になってしまうのだが、
それはそれで、おいしいものだった。
- 65 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/09(日) 15:44
- 陣幕が風にあおられ、あたかも波のようなうねりを醸しだす。
遠くに潮騒を聴きながら、裕子たちは葛湯を味わっていた。
松浦党が仲間になってくれたので、大宰府包囲軍への支援がやりやすい。
貴子が護摩を焚きに席を立つと、豊前国府から使者がやってきた。
「式部さまのご到着、我らにもわかっておりましたが、
帝からお預かりした国府を守るのが先決と存じ上げ、
まかり出ることが遅れましたこと、平にご容赦くださいませ」
「気にせんでもええ。―――しかし、国府にも、この瘴気が? 」
「はい。北九州地方全体に、瘴気が充満しておりまする」
豊前といえば、九州最大の穀倉地帯であり、
身分の高い武士が国司として赴任していた。
平安京周辺の下級貴族が赴任している国府とちがい、
やはり武士が統治しているだけあって、備えは万全である。
裕子が出兵を要請すると、使者は快諾して戻っていった。
「りんね。北九州の国府へ使者を出すんや」
「はい、それはもう手配済みです」
北九州の国では、源頼光が大宰府を攻撃するというので、
刈りいれを終えた百姓までが、武器を持って集まりつつある。
その数は増えるばかりで、最終的に3000人は集まると思われた。
貴子は巫女などを集めており、武力と両方で大宰府を攻撃するつもりだ。
3日後には大宰府を包囲するので、万全の体制に持ってゆくのなら、
早期に兵を集め、順次派遣する必要があった。
- 66 名前:名無し弟 投稿日:2003/11/09(日) 15:45
- 今回は、これで終わりです。
土曜日か日曜日には更新する予定です。
ひき続き、よろしくお願いします。
- 67 名前:名無し読者 投稿日:2003/11/09(日) 15:50
- 作者さんおつかれさまです。
たまたま覗いたらリアル更新でした(w
ヾ(⌒ ー ⌒)ノ" わーい♪りんねでたー
- 68 名前:名無し読者 投稿日:2003/11/16(日) 22:23
- >>67
ありがとうございます。
すいません! まだ更新分が書ききれてません。
月曜日か火曜日には更新します。ごめんなさい。
- 69 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/18(火) 23:40
- 《娘たちの残してきたもの》
こうして霜月(現在の暦で11月。ただし、当時は太陰暦なので、12月中旬か)
に入ると、娘たちは大宰府を見おろす名もなき山に本陣を設置した。
大宰府は源頼光以下2000の兵が包囲しており、裕子による攻撃の合図を待っている。
日あたりのよい山頂だったが、大宰府から発せられる瘴気に呼応するように、
上空には暗雲がたちこめ、風にのってすえた臭気がやってきていた。
「いちーちゃん、死臭がするね」
「菅公を復活させるために、多くの生贄を捧げたんだろうね」
結界が張られた山頂では、暗雲の中から一筋だけ日光があたっている。
小春日和の柔らかな日差しが、紗耶香と真希に降り注いでいた。
これから娘たちは、命を賭した闘いをしなくてはならない。
しかし、そんな緊迫した状況を、忘れてしまいそうなのどかさだった。
「真希が悲しいときって、どんなとき? 」
紗耶香は裕子と貴子から聞いたことを思いだし、真希に聞いてみた。
倭建之命は悲しみによって、須佐男之命に覚醒したのである。
真希が倭建之命の生まれかわりなら、悲しみによって覚醒するだろう。
今は真希だが、覚醒して倭建之命となり、そして須佐男之命となる。
真希が破壊の神である須佐男之命となれば、菅公に勝つことはできるにちがいない。
だが、破壊の神は、すべてを破壊するのが目的で生まれるものだ。
破壊の神は、この地を焦土と化し、殺戮を行うことになるだろう。
そうなったとき、誰かが破壊の神を制御しなくてはならない。
つまり、誰かが天照大神にならなくてはならないのだった。
- 70 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/18(火) 23:41
- 「悲しいとき? うーん、いちーちゃんに冷たくされたら悲しいと思う」
そう言って腕に抱きつく真希は、ごくふつうの少女だった。
こんなかわいい真希が、ほんとうに破壊の神なのだろうか。
紗耶香は真希の頭をなでながら、貴子の話を思いだしていた。
「ここにおったんか」
2人の横に並んだのは、袴をはいた裕子だった。
これまでの雅な着物姿とちがい、実戦向きの戦支度である。
烏帽子を被った裕子は、男前の若武者にすら見えた。
そんな裕子に、近習の若侍たちは見とれていた。
「裕子さま、そのお姿は―――いよいよですね? 」
勘のいい紗耶香は、裕子が攻撃の命令を出す時期だと悟った。
軍師的役割の貴子が、占いによって戦闘開始日時を算出したのだろう。
当時の戦闘は、偶発的要因によって発生するものではなく、
縁起のよい日時を選んで行われるものだった。
「未明に総攻撃を開始するで、今のうちにみんなを休ませや」
大宰府包囲軍と中の者とは、何度か小競り合いになっただけで、
これまで、戦闘らしい戦闘は行われていなかった。
その間にも、古今東西、最大規模の怨霊と言われる菅原道真は、
大宰府奥の院で着実に復活を続けている。
充代による結界は、貴子の力をもってしても破ることができない。
この結界さえ打ち破れば、貴子の力で復活を一時中断も可能だった。
- 71 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/18(火) 23:42
- 「真希、みんなに睡眠をとるように言って! 」
「はーい」
真希が走ってゆくと、裕子は少しだけ笑顔になりながら、
紗耶香の肩に手を置き、結界がはられた大宰府を見おろした。
大宰府の塀の内部は、瘴気とともに暗雲がたちこめているので、
ここからは、まったく視認することができない。
これだけ怨念が集まっては、もはや貴子やなつみの力でも、
すべてを浄化することなどできないだろう。
「あの子が倭建之命。あんたはそう思っとるんやろ? 」
「ええ、真希以外に考えられません」
いくら平安京で死臭には慣れているとはいえ、
このすえた臭いだけは、けっして好きになれない。
裕子は鼻の下に、匂い袋を押しつけている。
この臭気に集まってきたハエなどは、人間よりも体力がないため、
すぐに瘴気にやられて死んでしまった。
「源頼光と亜弥がくるで、作戦会議をしよやないの」
人間相手なら源頼光だけで退治することも可能だろう。
しかし、相手は最大級の力をもった怨霊・菅公なのである。
どんなにがんばったところで、兵で菅公は斃せなかった。
ここは兵力と霊力を合わせて、勝負をいどむしかなかったのである。
そのためには、互いに打ち合わせをしなければならなかった。
- 72 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/18(火) 23:42
- 娘たちは山頂に設置された急造の小屋の中で横になっていた。
壁によりかかって干し米をかじるなつみには、真里が抱きつき、
太刀にもたれて酒を飲むひとみには、梨華が抱きついている。
圭織の矢、真希の太刀、そしてひとみの槍は、心強い味方だ。
そして、真里の爆弾、なつみの霊力、梨華の足は必要な力。
「圭織、眠ってるんだべか? 」
「眠ってないよ」
こんなときに眠れるものではない。
明日は平安京を脅かした菅公との対決なのだ。
生きて帰れる保障など、どこにもないのである。
いくら5000の兵がいたとしても、全滅してしまうかもしれない。
それほど菅公の力は強いものだった。
「ののを置いてきて正解だったべさ」
希美は下関で、圭織の帰りを待っている。
こんな最前線まで連れてきたとしら、
圭織にとって、それこそ心配でならないだろう。
希美を安全な場所に置いてきたからこそ、
圭織は無心になって闘うことができた。
「そうだね」
急造で作られたため、この小屋は隙間だらけだった。
すべて締めきっていても、差しこむ外の光で、
小屋の中は薄暗いくらいの状態だった。
- 73 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/18(火) 23:42
- 「真里っぺ、あんたが残してきたものは? 」
「弟や妹たちに決まってんじゃん」
真里は岩屋にいた子供たちを、圭織の父に預けている。
平安京で、孤児の救済施設をつくることが、真里の夢だった。
いっしょに夢を果たそうとした絵里は死んでしまったが、
彼女の分までがんばろうと思う真里だった。
真里を見るひとみの顔に、隙間から差しこんだ日光が当たり、
彼女は眩しそうに目を細めて、左手で遮断してみる。
色白のひとみが酒で頬を染める雰囲気は、
けっして悪いものではなかった。
「そうかァ、意外にマジメなんだなァ」
ひとみは真里の持つ信念を尊敬していた。
頑固なところはあるが、目的に沿った忠告などは、
じつに柔軟な姿勢で受けいれることができる。
そんな真里を、ひとみは大人だと思った。
「梨華ちゃんは、何を残してきたんだべか? 」
「あたしは、ともだちを残してきましたぁ」
梨華は尼寺にいたころ、何度もあゆみに救われていた。
あゆみは優等生だったが、いじめられっ子の梨華を、
どういうわけか、とても大切にしてくれたのである。
いじめっ子のあさ美や里沙には逢いたくなかったが、
あゆみにだけは、もう一度逢いたいと思っていた。
- 74 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/18(火) 23:43
- 「ともだちは大切にしないとね」
感情と行動がともなわない変ったクセを持つ圭織は、
自分を理解してくれる仲のいいともだちが少ない。
良家の姫さまである圭織が、この歳になるまで結婚できないのも、
その、いっちゃってる性格が災いしていたのである。
虫も殺せない優しい性格の梨華を、圭織はうらやましく思っていた。
「よっすぃーは何を残してきたのぉ? 」
「オレは―――みんなの無念を残してきた」
風貌がちがう外国人というだけで殺されたミカ。
彼女を救うという約束が果たせなかったひとみは、
いまだにミカの死を引きずっていた。
さらに、恋仇としてケンカした『チーちゃん』も、
その最期がひとみの心に焼きついている。
そして、ひとみに復讐しようとしていたが、
ほんとうはいい子だった亜依。
ひとみはミカを救えなかったこともあり、
どうしても亜依だけは救いたかった。
「よっすぃーは一途だからぁ」
梨華はひとみがロザリオを首にかけているのを知っている。
これはどうやら、ミカの遺品であるにちがいない。
破戒僧ではあったが、仏門の身である梨華といっしょにいるのに、
けっしてロザリオを離そうとしないひとみの一途な心が好きだった。
- 75 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/18(火) 23:44
- 「そういうおめーは、何を残してきたんだァ? 」
「なっちは幸せを残してきたべさ」
女ならだれでも夢みることは、幸せな生活をおくることだ。
強くて優しい旦那さまをみつけ、いつまでも仲睦まじく生きてゆく。
金こそあった方がよかったものの、貧乏でも幸せならよかった。
子供のような発想ではあったが、女ならではの夢だった。
「いいね。なっちは幸せだよ」
真里は恵まれた環境で育ったなつみがうらやましい。
山賊に怯え、生きるために盗賊までしてきた真里。
どこの馬の骨か分らない娘など、だれも嫁にもらってはくれない。
真里は女としての幸せをあきらめ、子供たちの親として生きてゆく。
女の幸せを捨てるのは残念なことではあったが、
彼女には子供を育てるといった目標があった。
「真希、あんたは―――眠ってるんだべか? 」
隙間から差しこむ日光が、真希の体に縞模様をつくっていた。
真希は表情をくずさず、規則正しい寝息をたてている。
どこでも寝る娘であることは、ほかの5人にもわかっていた。
なつみのあきれたような声にも、ほかの娘はあたりまえのような顔をする。
なつみから食欲、真希から睡眠をとったら、何が残るというのだ。
- 76 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/18(火) 23:45
- 「真希らしいじゃん」
真里は真希の顔を覗きこみ、ニッコリと笑った。しかし、真希は眠ってなどいない。
質問されても答えられないのであれば、ここは眠ったフリをするにかぎる。
真希は睡眠を演技しなくてはならず、どうしたらいいのか困っていた。
(どうしよう―――残してきたものなんてないじゃん)
ほかの娘のように、真希は何かを残してきたわけではない。
それを正直に言ってしまったら、この場の雰囲気をこわしてしまう。
そう思った真希は、沈黙を守るためにタヌキ寝入りをするしかなかった。
ほかのどの娘も、残してきたものが崇高にすら感じてしまい、
真希は少しづつ苦しくなっていったのだった。
「さあ、真希も寝てることだし、みんなで寝るべさ」
なつみは空腹をガマンしながら、言いつけ通りに寝ることとなった。
これだけの兵で包囲しているため、娘たちは安心していた。
さらに、貴子といった強力な力を持つ者も、娘たちを守っている。
ここまで安全な場所は、平安京にも存在しないだろう。
「まだ起きてるの? 」
小屋の戸が開き、そこには誰かが立っている。
だが、逆光になって、顔まで見ることができない。
その華奢な輪郭は女だったが、それが誰なのかは、
声を頼りに判断するしかなかった。
- 77 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/18(火) 23:46
- 「いちーちゃん! 」
そばに寝ていた真希が、声を頼りに抱きついた。
しかし、彼女が抱きついたのは紗耶香ではなく、
海賊・松浦党の娘である亜弥だった。
重量級の真希に抱きつかれ、亜弥は驚きの声をあげる。
真希も驚いたのか「わー! 」と声をあげた。
「こっちだよ」
亜弥の後ろにいた紗耶香が、困ったような声をだした。
真希は笑ってごまかしながら、紗耶香に抱きついて甘える。
紗耶香と亜弥は作戦会議が終わったので、
小屋の中で睡眠をとろうとしていたのだった。
「あんた、起きてたんだべか? 」
真希が眠っていなかったことに、なつみたちは驚いていた。
どこでも寝てしまうのが真希だったし、状況に影響されることが少ない。
どんな雰囲気だろうが、すぐに眠ってしまうのが真希だった。
「ねえ、紗耶香。あんたは何を残してきたの? 」
圭織は長い足を放りだし、中央の柱に寄りかかっている。
当時の日本人としては、異常ともいえる足の長さだ。
このクモのように長い足に、真里は何度かつまずいている。
そのたびに抱きしめられる真里は、圭織を不気味に思っていた。
- 78 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/18(火) 23:46
- 「残してきたものなんて、あたしと真希にはないよ」
暗さに目が慣れてきた紗耶香は、真希が寝ていたところに座った。
横に座った真希は、甘えながら紗耶香に体をこすりつける。
そのしぐさは、まるで子猫のようで、梨華はクスリと笑った。
残してきたものがないのであれば、全力で闘うことができる。
しかし、それは必ず生還するという気力まで粉砕してしまうものだった。
この、恵まれた環境にも思える2人の状況は、
表裏一体の危険な状態でもあった。
「ちょっと寝ようぜ。寝不足で暴れるのはつらいからよ」
ほろ酔いかげんのひとみは、荷物袋を枕に大の字となった。
その横に梨華が横になると、紗耶香と真希も寝ることにする。
干し米をかじっていたなつみは、ため息をつきながら、
抱きついている真里の頭をなでていた。
「横で寝てもいいでしょうか」
「うん、気にしないでね」
圭織の横にきたのは亜弥だった。
余ったもの同士、仕方ないことである。
しばらくすると、小屋の中には娘たちの寝息が響いていた。
- 79 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/18(火) 23:47
- 霜月ともなると、陽が傾くと同時に寒さがやってくる。
娘たちは綿の着物などを布団がわりに使っていたが、
体を寄せ合っていないと、どうにも寒くてしかたない。
酔いがさめたこともあって、ひとみは寒さに震えていた。
(寒いな。梨華ちゃんで温まろう)
ひとみは寝息をたてている梨華を抱き寄せた。
梨華は眠っていたが、ひとみに抱き寄せられ、
目がさめてしまい、この状況に顔を赤くする。
目の前に大好きなひとみの唇があり、
梨華は本能的に自分の唇を当てていた。
「ん? 梨華ちゃん」
ひとみは驚いたが、梨華の潤んだ目に、興奮を抑えられなかった。
興奮したひとみは梨華の懐へ手を入れ、その大きな胸を優しく愛撫する。
驚いて身を固くした梨華だったが、大好きなひとみであるから、
仏門の身であることなど忘れ、その愛撫に身をまかせていた。
(でけー! )
ひとみが思わず強く握ると、梨華は「あ」と声をもらす。
その声を阻止するように、ひとみは梨華の唇を吸う。
えもいわれぬ淫靡な空気が、寒い小屋の中に満ちていた。
(脱がされちゃったぁ)
恥ずかしさに泣きそうな梨華を、ひとみは優しく抱き、
体中をすみずみまで愛撫していった。
- 80 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/18(火) 23:47
- その向かいでは、紗耶香の懐に真希が手を入れている。
けっして大きくはない、紗耶香が劣等感を感じる胸ではあるが、
真希は恋しそうに、大好きな彼女の胸を触っていた。
「真希」
どこか幼稚な愛撫に、紗耶香は母性本能をくすぐられる。
先端を刺激されると、女としての体が反応するが、
かわいい真希であるから、ここで拒否しようとは思わない。
それどころか、紗耶香も真希の胸を、着物の上から揉んでいた。
「いちーちゃん」
真希がヨチヨチ歩きのころから、紗耶香は『姉』として接している。
あのころのかわいさを維持しつつ、真希は年ごろになっていた。
まだ少女の硬さこそあったが、真希は着実に成長している。
紗耶香も興奮を抑えられず、真希の下腹部へ手を伸ばしていった。
(これ以上は―――声が出ちゃう)
唇をかみ締めながら、真希は快感をガマンしていた。
体の芯から湧き出るような熱い快感で声が出てしまうのを、
真希は必死になってこらえていたのである。
そんな真希がかわいくて、紗耶香は何度も唇を重ねていた。
- 81 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/18(火) 23:48
- その横では、熟睡するなつみの胸に、寝ぼけた真里が吸いついていた。
母を知らない真里であっても、本能的に母乳を要求するのだろう。
乳児にとっての食糧である母乳は、女性の胸から分泌されることを、
人間は本能的に知っているのだ。
「うーん」
なつみが胸の違和感に寝返りをうったが、真里は吸いついて離れようとしない。
それどころか、離されてはたいへんとばかり、歯をたてたのだからたまらない。
なつみは、はげしい痛みを感じて飛び起きた。
「痛いべさァァァァァァァァー! 」
なつみが自分の胸を見ると、屋根の隙間から差しこんだ月明かりの中、
真里が目を閉じたまま、彼女の乳首に吸いついている。
安眠を妨害されたなつみは、真里を殴ってやろうかと思ったが、
そのかわいらしい姿に、コブシを開いて頭をなでていた。
「苦労したんだもんね。このくらい、いいっしょ」
「ああん! 痛いよぉ。よっすぃー! 」
いきなりの梨華の声に驚いたなつみだったが、
鈍い彼女は自分と同じような状況だと思いこんでいた。
たしかに、梨華の豊満な胸を見れば、
誰もが母親を連想するのは、まちがいないところだろう。
なつみは無心に乳首を吸う真里を抱き、
つかの間の母親気分を味わっていた。
(―――どいつもこいつも)
圭織は周囲の喘ぎ声に、ため息をついて、
かけていた羽織を頭の上にまで引きあげた。
- 82 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/18(火) 23:48
- 《突入》
まだ夜明け前、裕子は本陣から娘たちを派遣した。
暗い夜道を、娘たちは大宰府へと向かってゆく。
誰もがひどく緊張して、何ひとつ言葉を発しない。
この坂道を降りきったところに、平安京を脅かした怨霊、
菅原道真が彼女たちを待ちかまえているのだ。
「左馬権頭さま、いよいよ討ち入りでございます」
紗耶香が告げると、源頼光は大きくうなずいた。
すでに兵の大半を左翼に配置しており、
娘たちは右翼の手薄なところから侵入する。
右翼では娘たちが侵入しやすいように、
渡辺綱と坂田金時が援護することになっていた。
「もうじき夜明けだべさ」
東の空が白みはじめてきたころ、源頼光は総軍に攻撃を命じた。
数百の火矢が大宰府の壁に刺さり、にわかに昼間のような明るさとなる。
中からも応戦が始まるものの、多勢に無勢という状態だった。
「綱さま! これは作戦じゃないでしょうか」
紗耶香は敵方の作戦を読みはじめていた。
娘たちの侵入に備え、敵は兵を温存している。
そのかわり、左翼からの防戦には魔物を投入するのだ。
もし自分だったら、こうした作戦をとるだろう。
紗耶香はそう考えたのだった。
- 83 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/18(火) 23:49
- 「どっちでもいいっしょ? 魔物なんか、なっちが消してやるべさ」
「そうだなァ。行くぜェ! 」
ひとみが斧で塀を叩き壊すと、真希と紗耶香が突入して警戒する。
次に圭織が入って遠くの敵に備え、ひとみ、なつみ、真里と続く。
やはり紗耶香の考えたとおり、大宰府の庭にいた兵たちが、
娘たちに気づき、槍や太刀を片手に走ってきた。
「うわっ! 人間の顔してないよ」
圭織の放った破魔矢が、魔物に乗りうつられた3人の兵を貫いた。
それでも、兵の数は100人以上はいるため、すぐに白兵戦になってしまう。
白兵戦ともなれば、槍のひとみに野太刀の真希が、縦横無尽に暴れまわる。
さらには渡辺綱と坂田金時が加わり、大宰府の兵たちは次々に斃されていった。
「ひるむなァァァァァァァー! 」
気がつくと、左翼には魔物が4体も出現していた。
すさまじい熱線を浴び、官軍の兵たちが焼き殺されてゆく。
それでも果敢に立ちむかってゆくのは、武士としての意地だった。
そんな状況を見たなつみは、素早く印をきって魔物を消し去った。
「魔物を召喚したヤツがいるべさ! 」
「圭織さん、あいつじゃない? 」
真里が指さしたのは、庭の中央で次の魔物を召喚しようとしている瞳だった。
圭織は「フッ」と薄笑いをうかべると、大きな鏑矢をつがえて弓をひいた。
50間(約90メートル)以上はあるので、弓の心配などしていないようだ。
鏑矢の殺傷力は皆無に等しいが、何しろ常識外れの圭織の弓である。
- 84 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/18(火) 23:49
- 「うりゃー! 」
圭織の放った鏑矢は、けたたましい音をたてて飛んでゆき、
たまたま瞳の前を横切った男の頭部に命中してしまった。
ところが、圭織の強弓で射られた鏑矢であるから、
男の頭を破壊し、瞳に大量の血と脳漿を浴びせることができた。
「キャアァァァァァァァァァー! 」
こうなったら、もう魔物を召喚するどころではない。
ひとみは数人の兵に守られ、館に逃げこむのが精一杯だった。
魔物召喚を封じられてしまったので、大宰府側は、
かんたんに官軍に押しきられてしまう。
「紗耶香どの、ここは我らに任せ、奥へ行かれい! 」
渡辺綱に指摘され、紗耶香は大宰府の奥へと入ってゆくことにした。
菅公を斃すことはもちろん、紗耶香は倭建之命の最期を看取った猿楽を、
どうしても知りたかったのである。
そのためには、前進あるのみだった。
「うわァァァァァァァーん! 痛いよー! 」
いきなり悲鳴がし、紗耶香はふり返ってみた。
すると、真里が胸を押さえて、のたうちまわっている。
どうやら、油断していて横から矢で射られたらしい。
急所は外れていたが、矢で乳房を串刺しにされていた。
- 85 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/18(火) 23:50
- 「うわぁ、痛そうだなぁ。あのぅ、だいじょうぶですかぁ? 」
「梨華ちゃん、ながめてないで、矢をぬいてやるべさ」
泣き叫ぶ真里を押さえつけ、梨華は矢をぬいてやる。
すぐになつみが手で押さえ、念を入れると真里は痛みを忘れた。
しかし、大切な胸を串刺しにされた精神的な動揺が大きい。
真里はベソをかきながら、なつみに抱きついた。
「もうだいじょうぶだべ―――思ったより大きいべさ! 」
なつみは真里の胸を握りしめ、自分とくらべて衝撃を受けていた。
自分よりも小柄な真里の方が、はるかに大きな胸をしていたのである。
やはり、女性の象徴である胸の大きさは、当時の女性でも気になるものだ。
「大切なおっぱいが―――だいじょうぶかなー」
真里は心配になって自分で触ってみるが、矢傷はなつみが消し去っていた。
こうした傷を治してしまうところに、なつみは絶対的な信用がある。
真里は笑顔になったが、なつみの表情はみるみる曇っていった。
「なっちより大きいべさァァァァァァァー! 」
なつみの精神的動揺は大きく、その場に立ちつくしてしまった。
そんななつみの手を引いたのが、娘たちの長でもある紗耶香だった。
この先、どうしてもなつみの力が必要になってくるだろう。
菅公と対決するのに、結界を張る必要があったからだ。
- 86 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/18(火) 23:50
- 「うわっ! 」
手を引かれたなつみは、桟敷に倒れそうになり、
返り血を浴びた紗耶香に抱きついた。
偶然、紗耶香の胸をさわってしまったなつみは、
自分の胸とくらべてニッコリする。
「なっちより小さいべさ。うふっ」
「ケンカ売ってんのかゴルァ! 」
なつみは紗耶香に襟首をつかまれ、大宰府の建物へと連れてゆかれた。
びびったなつみは「暴力反対」と言ってみるが、紗耶香に睨まれて沈黙する。
なつみのように、ここまで緊張感のない娘も、ほんとうに珍しい。
いくら魔物が現れたところで、なつみの手にかかれば瞬時に消し去ってしまう。
こういった実力があるからこそ、なつみは遊んでいられたのだった。
「どけゴルァ! 」
先頭のひとみは、意識を操られて襲ってくる巫女たちを、
次から次へと自慢の槍の柄で昏倒させてゆく。
狭い屋内では、短い1間柄の槍を使うしかないが、
近衛府でも敵なしのひとみの槍の腕は天下無双だった。
なつみが手をかざすと、昏倒した巫女たちは我に返り、
悲鳴をあげながら外に飛び出してゆく。
「真希、先頭を交代しよう」
やはり、屋内で槍は使いにくいため、紗耶香と真希が先頭にでた。
ようやく朝日が顔をだし、暗い大宰府の建物内に、わずかな光を提供する。
貴子の努力があってか、上空の暗雲も、少しは薄くなっていた。
- 87 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/18(火) 23:51
- 「いちーちゃん、あれって何だろうね」
20間(約36メートル)もある廊下の向こうから、
得体のしれないものが近づいてくる。
それは足をひきずるような歩き方をしていた。
薄暗い建物の中では、昼間でも遠くは見づらいものだ。
「人みたいだけど―――」
『それ』が接近するにしたがって、異様な臭気がしてきた。
そのすえた臭いは、まちがいなく死臭である。
娘たちが凝視していると、変な歩き方でやってきたのは、
体が腐りかけた死人たちだった。
「ここここ―――怖いよー! 」
真里はなつみに抱きつき、けたたましく震えだした。
死人が墓から出てくるのも、この異常な瘴気のせいだろう。
それを菅公、あるいは力を持った者が、娘たちを襲わせていたのだ。
接近するにしたがって、そのおぞましい容姿が見えてくる。
「操られてるべさ」
なつみは印をきってみるが、まったく効果がない。
そこで圭織が後方から矢を射てみた。
圭織が放った矢は、死人の頭を破壊してしまう。
頭を破壊された死人は、昏倒して動かなくなった。
- 88 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/18(火) 23:51
- 「よっしゃー! 行くぜ! 」
ひとみと真希、紗耶香の3人は、片っぱしから死人の首をはねてゆく。
首をなくした死人たちは、これでようやく、深い眠りにつくことができた。
それにしても、死人をくりだしてくるとは、菅公一派は恐ろしい相手だ。
いくら人的資源が枯渇したところで、死体を使えば戦力になる。
娘たちは本館を掃討すると、奥へと進んでいった。
「この先が奥の院らしいね」
紗耶香はすさまじい瘴気を放つ、大きな建物を睨んでいた。
大宰府を覆うすべての瘴気が、ここから発生している。
貴子による個人的な結界のおかげで、娘たちは安全だったが、
周囲にはおびただしい数の虫や鳥の死体が散乱していた。
「もう少しで菅公が完全に復活したものを! 」
娘たちの前に姿を現したのは、頭から血と脳漿を浴びた瞳だった。
瞳は魔物を召喚するほか、攻撃的な呪文を扱うことができる。
瞳の力を感じたなつみは、先頭に行って対峙することにした。
ひとみや真希、紗耶香では、瞳にやられてしまうだろう。
「ふん、陰陽師か。これでもくらえ! 」
瞳が印をきると、かまいたちが発生し、なつみの頬に小さな傷をつくった。
それを見てブチキレたのが、なつみと仲良しの真里である。
女性の顔を傷つけるなど、言語道断の行為だと思ったのだ。
まして、未婚の娘たちにとって、顔はひとつの財産である。
- 89 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/18(火) 23:52
- 「何てことすんだゴルァ! 」
真里は瞳に手榴弾を投げつけた。
運動神経のいい瞳は、難なくかわしてしまう。
ところが、手榴弾は瞳の後ろの石段に当たって、
彼女の足元まで転がってきたのである。
それに気づかない瞳は、次の攻撃に移ろうとしていた。
「今のは小手調べ――――ぎゃー! 」
足元で手榴弾が爆発し、瞳はボロキレのようになって飛ばされた。
高純度の硝石や硫黄で作られた手榴弾なので、ふつうの人なら即死だろう。
ところが瞳は結界を張っていたおかげで、大ケガですみそうだった。
昏倒している瞳に、なつみは念のために不動明王印をきっておく。
これで瞳は、印を解いてもらうまで、この場から動くことができなかった。
「さあ、行こう! 」
紗耶香が奥の院に向かおうとすると、いきなり雷が落ちてきた。
間一髪、真希が引き戻して、紗耶香は無事だったが、これでは前に進めない。
やはり菅公といえば、平安京に落雷させる怨霊だった。
奥の院までの30間(約54メートル)が、とてつもなく長く感じられる。
「これじゃ進めないね」
「待って! 」
誰もが前進をあきらめかけたとき、決心したように声をあげたのは、
いつもひとみの陰にかくれて、たえずオドオドしている梨華だった。
梨華は自分の意気地なさを克服するのが、この旅での目標である。
いつも逃げてばかりだった自分の性格を、何とかして直したかった。
- 90 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/18(火) 23:52
- 「あたしが囮になる! 」
梨華は自分が囮になり、その間にほかの娘を通すことを提案した。
いくら足に自信のある梨華でも、雷が相手では囮もないだろう。
雷に直撃されたら、即死するのは、ほぼ確実だ。
「そんなことしたら、死んじゃうよ」
真希が梨華の無謀な提案を却下した。
ところが、なつみは懐から札をだして、
何やら怪しげな占いを始めたのである。
梨華を止めたのは、もちろん真希だけではない。
ひとみや真里も、そんな提案を呑むことはできなかった。
「だったらぁ、どうやって通るのぉ? 」
「くそっ、チーちゃんがいればなー」
真里は経験的に、飛行する鳥に雷が落ちないのを知っていた。
絶縁体である大気の中で、たまたま雷の通り道になった場合をのぞき、
飛行する物体めがけて落雷することはないのである。
なぜなら、電気の逃げ道である大地に着いていないからだ。
「うーん、4回までなら、何とかよけられそうだべね」
なつみは梨華に対する落雷の確率を占っていたのだ。
4回までは雷をよけられても、5回目には命中してしまう。
その間にほかの娘たちを渡しきれないと、梨華は感電死するのだ。
- 91 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/18(火) 23:53
- 「ダメだ! そんな危険なこと! 」
ひとみは首を振った。
ミカを失い、そして亜依までも死なせてしまった。
そんなひとみは、ここで梨華を失いたくなかったのである。
ところが、紗耶香は冷静に判断していた。
「こうなったら、梨華ちゃんに賭けるしかないわ」
そう言うと、紗耶香は『斜禰瑠』の髪飾りを梨華の頭に付けた。
紗耶香の意思には盲目的な真希も、空の『婆禁』の荷物袋を梨華に預ける。
どうでもいい圭織が『栗須亭安泥欧流』の腕輪を梨華にわたすと、
囮作戦が決定されたことを意味したのだった。
「運よく生きてたら、なっちが回復させてやるべさ」
落雷しても、まだ息があったのなら、なつみの力で復活することもできる。
それが、せめてもの慰めだったが、梨華の命はほかの娘たちにかかっていた。
真希や紗耶香、真里は足が速いから、これといった問題はなかった。
ところが、問題なのは、見るも無残に太ってしまったなつみである。
なつみが4回までに渡りきることは、ほぼ不可能だった。
「おめーにかかってんだぞ! 」
ひとみはなつみに、必死で走ることを促した。
なつみの足の速さによって、梨華の生死が決まってしまう。
暗雲の中で雷鳴を轟かす空を凝視し、なつみは大きくうなずいた。
- 92 名前:名無し弟 投稿日:2003/11/19(水) 00:05
- 更新が遅れてすいません。
明日は休みなので、続きを書こうと思います。
今週末の3連休で、第4章を終わりにするつもりです。
今後とも、よろしくお願いします。
- 93 名前:名無し読者 投稿日:2003/11/21(金) 03:20
- 作者さんおつかれさまです。
>>更新が遅れてすいません。
お気になさらずに・・・。他の小説に比べて更新量は多くペースも速いと思います。
読む側としては嬉しい限りです。
がんばってください
- 94 名前:名無し弟 投稿日:2003/11/23(日) 10:52
- >>93
ありがとうございます。
あまり急ぐと、雑になっちゃうのが怖いですね。
- 95 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/23(日) 10:54
- 《奥の院へ》
「それじゃぁ、行くわよぉ。みんなぁ、ちゃんと走ってねぇ」
梨華は呼吸を整え、奥の院までの広場での走路を考えた。
彼女の仮想走路でゆくと、4回目の落雷直前に、奥の院に到達できる。
問題はほかの娘、特になつみが、走りきれるかどうかにかかっていた。
頭上の雷雲は、娘たちを感電死さそうと、手ぐすねをひいて待ちかまえている。
「梨華ちゃん、あたしはいちばん速く走りきってみせるよ」
真希は自信を持って言った。
紗耶香や圭織も足には自信がある。
だが、自分はおろか、ほかの娘にも問題視されていたのが、
ほかならぬ、痛いくらいの体型になってしまったなつみだ。
『転がった方が速い』というのは、彼女のためにあるような言葉である。
「足をひっぱるんじゃねーぞ」
「そういう言い方はないっしょ! 太ったのは呪いのせいだべさっ! 」
なつみは頬をふくらませるが、自分でも足をひっぱらないか不安だった。
泳ぎこそ得意ななつみでも、走ることは苦手中の苦手だったからである。
これまで妹の麻美に負けることはなかったが、激太りしてからというもの、
体が重くて足が前にでなくなっていたのだった。
その激太りを呪いのせいだときめつけるなつみは、
かなり自分に都合のいい解釈をしていたのだった。
- 96 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/23(日) 10:55
- 「一番! 梨華ぁ、行きますぅ! 」
梨華はひとみの手をにぎると、一気に走りだした。
雷鳴が轟き、1発目が梨華の真横に落ちてくる。
梨華は想定した走路をゆくので、雷は直撃しなかった。
矢のように走る梨華は、たのもしくすら見えた。
「早く! 走って! 」
紗耶香の号令で、娘たちは奥の院までを全力疾走した。
やはり、足の速い真希が、最初に到着して振り返る。
その真希に飛びこんできたのが、意外に足の速い真里だった。
紗耶香、圭織、ひとみと続いたが、やはりなつみの足は遅い。
本人としては、必死に走っているのだろうが、
真希にとっては歩くよりも、少し速いだけだった。
「なっち! 早く! 」
紗耶香に急かされても、なつみの体では、これが限界のようだ。
こんなに遅いのなら、転がった方が速いと本気で思う真希だった。
「これでも必死なんだべさ! 」
「マジメに走れ! このブタ! 」
ひとみにブタ扱いされ、なつみは激怒しながら走った。
その効果があってか、後半の加速はすばらしい。
こうしてなつみが到着した直後、あと一歩というところで、
梨華に雷が命中してしまう。
- 97 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/23(日) 10:55
- 「梨華ちゃん! 」
凄まじい電気を受けた梨華は、全身から煙を出しながら、
その場に倒れて動かなくなってしまった。
娘たちが急いで引き寄せると、まだ梨華には息がある。
なつみは息をきらせながら、黒こげになった梨華の体をさわった。
「だ―――だいじょうぶだべさ」
梨華が即死しなかったのは、多くの金属を身につけていたからだ。
金属は電気を使って発熱するため、雷はそれだけ弱まったことになる。
それで梨華の命は救われたのだが、彼女は全身に大ヤケドをしていた。
「てめーが本気で走らねーから! 」
「ここはなっちに任せるのよ」
紗耶香になだめられ、ひとみは怒りを抑えて下をむいた。
真希と圭織、真里の3人は、梨華を全裸にしてゆく。
まだ法衣から煙がでているので、脱がせた方が安全である。
全裸になった梨華になつみが手を当ててゆくと、
ひどいヤケドが嘘のように消えてしまった。
「ふう、治療が終了したべさ」
なつみが疲労で座りこむと、ほぼ同時に梨華の意識がもどった。
早い治療だったから、あれほどの重傷も完治させることができた。
これが、あと少しでも遅れていたら、梨華は死んでいただろう。
娘たちは梨華が無事に生還したことを喜ぶと同時に、
なつみを連れてきてよかったと痛感した。
- 98 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/23(日) 10:57
- 「キャアァァァァァァァァァァァー! 何でハダカなのよぅ! 」
意識を失っていた梨華は、自分が脱がされたという記憶がない。
梨華はこの寒空の下、着物を脱がされるということは、
まちがいなく性的暴行を受けることだと思った。
ところが、梨華は自分の一部分に、あるべきものがないのを感じた。
「どどどどど―――どうして毛がないのよぉ! 」
梨華の下腹部にあるはずの柔らかな体毛が、
みごとになくなっているではないか。
そこはまるで幼女のように、つるつるしていた。
ひとみにしてみれば、これはこれでいいのだが、
あるべきものがなくなった梨華は、ベソをかきだしてしまう。
「いやあ、色が黒いんで、気がつかなかったべさ」
なつみは梨華の体毛を再生させることを忘れたのだった。
そういった趣味の人には、たまらないかもしれないが、
この時代、栄養不良による無毛症は、けっして少なくなかった。
やはり、タンパク質の摂取が少ない時代だったからだろう。
「そういった問題? 」
梨華は困ったように、ツルツルになった下腹部をなでている。
余分といえば余分な体毛ではあったが、なくなってしまうと淋しいものだ。
ふしぎなもので、わずかばかりの体毛がなくなっただけで、
どこか寒くてスースーするものである。
梨華は気をとりなおして法衣を着はじめた。
- 99 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/23(日) 10:57
- 「梨華ちゃん、よくやったね」
紗耶香はボサボサの梨華の頭をなでた。
尼寺にいるころは、きれいに剃髪していたのだが、
ここ数ヶ月、梨華は髪を伸ばしていたのである。
どうせ尼であるから、頭を人目にさらすことはない。
「さて、行こうか」
圭織は弓の弦をたしかめ、矢をとって援護の構えをする。
先頭の娘が複数の敵に襲われたとき、少しでも支援するためだ。
圭織にうながされ、梨華はすばやく法衣を身にまとう。
中央にひとみ、左右に紗耶香と真希を置いての布陣だ。
「出てくるべさ」
なつみは敵の気を感じ、ほかの娘たちに注意をうながした。
その直後、10人ほどの兵が、槍を片手に飛びだしてくる。
圭織の放った矢を額に受け、即死する男をよそに、
ほかの兵たちはひとみと紗耶香、真希の3人に襲いかかった。
「どけ! このザコがァァァァァァァァァァァー! 」
魔物に乗りうつられた兵は強いが、槍の名手であるひとみの敵ではない。
紗耶香と真希が2人づつ斃したとき、ひとみは5人目を片づけていた。
剣術は真希に敵わないものの、槍にかけては往年の源頼光の上をゆく。
敵を難なく斃し、ひとみは奥の院へと乱入していった。
- 100 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/23(日) 10:58
- 大宰府の結界が壊れたことで、貴子は3人の大きな気を感じていた。
それが菅公と彩、充代だと思っていたのだが、どうやら違う結果がでてくる。
貴子は陣幕の中で護摩を焚き、気の正体を感じとろうとしていた。
「これは男の気やな」
3人のうち、2人が男だと感じた貴子は、彩と充代の可能性をなくしてしまった。
そうなると、この騒動の発起人である彩は、どこに行ってしまったのだろう。
貴子は大宰府内部をくまなく霊査してみるが、彩と充代の気は感じられない。
充代ほどの使い手であれば、気を消してしまうことも可能だろうが、
あの荒々しい彩の気まで消すとなると、かなりの力を消耗するはずだ。
「菅公の気に呑まれてるんか? 」
日本史上、最大級の怨霊である菅公の気は、あたりの瘴気を集めるほど強いものだ。
いくら彩や充代であっても、近くにいたら、気を呑まれてしまう可能性がある。
気を消すには、結界を張るか無心になるしかないのだが、充代くらいの腕であれば、
彩の気を微弱なものにまで落とすことができるにちがいない。
「おるはずや。必ず」
貴子は集中して、彩と充代の気の霊査を再開した。
瘴気や集まってきた恨みや妬みの怨念などで、
微弱な気を捉えるのは難航をきわめている。
それは、複雑にからみあった糸の束を、
1本1本解いてゆくような作業だった。
- 101 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/23(日) 10:59
- 貴子が霊査する中、裕子は山を降りて大宰府正面にきていた。
源頼光という軍神に加え、総大将がやってきたことにより、
兵たちの士気は、最高潮にたっしている。
特に、今や遅しと待っていた後詰部隊は、
出撃の合図を受けると、すさまじい勢いで攻めこんでいった。
「これで大宰府の兵も終わりですな」
源頼光は勝利を確信していたが、裕子は菅公の恐ろしさを感じていた。
これだけの瘴気を集める菅公であれば、数千の兵など一瞬にして消してしまうだろう。
はたして、あの娘たちだけで、菅公を斃すことができるのだろうか。
「兵の問題やないで。菅公は稀代の怨霊や」
結界の中でも息苦しい瘴気が集まり、上空には雷雲がうずまいている。
それは、いまだに菅公が健在だという証拠だった。
この菅公さえ斃してしまえば、あとは彩と充代をみつければいい。
裕子の頭の中には、そういった方程式ができあがっていた。
「この際、一気に奥の院まで押しよせましょう」
「あかん! そんなことしたら、数千の死体が転がるだけや」
裕子は浮かれる源頼光にクギをさし、腕を組んで考えこんでいた。
どうすれば娘たちを支援できるのか。どうすれば菅公に勝てるのか。
そんな中、大宰府の庭では、敵を全滅させた勝利の雄たけびがする。
裕子は源頼光にうながされ、兵たちのいる場所へと歩いていった。
- 102 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/23(日) 10:59
- 奥の院に飛びこんだ娘たちは、恵と山崎の2人と対峙していた。
この広間の奥に、稀代の怨霊・菅原道真がいるのだろう。
しかし、菅公と闘う前に、この2人を斃さなくてはならないようだ。
合戦でいけば、まずは様子をみるだめに、小競り合いを始める時期である。
ところが、この闘いは儒教思想のカケラもない殺し合いにすぎない。
いきなり山崎がひとみに印をきるが、間一髪、なつみが結界を張る。
ひとみはお返しとばかり、弱そうな恵に、自慢の槍を突きかけてゆく。
「あちょー! 」
恵は反射的に、ひとみの槍を蹴り上げ、拳法の構えをみせた。
こんな細い女が拳法を使うとは、いくらひとみでも思わなかった。
相手が拳法を使うとなると、慎重に闘うことになるだろう。
ところが、反射的に拳法の構えをした恵は、はげしく動揺していた。
(ど、どうしよう。ほんとうは拳法なんか知らないんだけど)
ひとみに突きかかられ、恵はとっさに構えてしまっただけだった。
恵は拳法などはおろか、剣の扱い方もロクに知らないのである。
彼女ができるのは、かんたんな呪法くらいだった。
つまり、ケンカは弱いくせに口だけは達者なヤツである。
「いちーちゃん! 変則の拳法だよ! 」
そのテキトーな構えから、真希は変則拳法だと判断していた。
型に当てはまらない変則拳法は、邪法と恐れられていたのである。
拳法は当時の中国で、人間の生体的な動きを研究し、護身術として発達した。
遣唐使が日本に持ち帰った中に、医術や拳法というものもあったのである。
- 103 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/23(日) 11:00
- (あ、あやまったら、ゆるしてくれるかなあ)
恵はどうやって降伏しようか、必死に考えていた。
殴られたりするのはイヤなので、少しでも条件のいい方法を検索する。
そこで、娘の中では弱そうな真里に目をつけたのだった。
「圭織さん! 」
真希が圭織に弓矢での援護を依頼した。
弓で射られることになれば命にかかわる。
恵はイチかバチか、真里にかかっていった。
「キャアァァァァァァァァァァァー! 」
「ふげっ! ――――がくっ! 」
恵は弾きとび、ケイレンして動かなくなった。
これには、娘たちはおろか、山崎まで唖然としている。
真里がくりだした一撃が、まったく見えなかったからだ。
これが真里の実力だとしたら、ひとみでも勝てないだろう。
山崎は、とんでもない相手と闘うことになったと後悔していた。
「演技だべさ」
なつみは恵が自分でやられたように演技したのを見切っていた。
寝ぼけてなつみの乳首に吸いつく真里に、
誰も見切れないような技を出せるわけがない。
なつみはニヤニヤしながら、恵の横にしゃがみこんだ。
- 104 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/23(日) 11:00
- 「演技、うまいべさ。このこの」
なつみに敏感な脇腹をつっつかれても、
恵はやられたフリをしなくてはならない。
「バレたか」と笑ってみたところで、
ゆるしてくれそうな雰囲気ではなかったからだ。
「うふふふ―――帝釈天印、受けてみるべか? 」
魔物ですら地獄の苦しみを味わうという帝釈天印。
恵はこの強力な印を、人づてに聞いて知っていた。
こんなものを受けたら、生身の人間は即死するだろう。
恵は恐怖のあまり、身を固くして震えだした。
「あははは―――不動明王印でカンベンしてやるべさ」
不動明王印は動けなくするだけの印だったが、
聞いたことのない恵は、きっと痛い印なのだろうと思い、
なつみの気を感じながら意識を失ってしまった。
ここまでおどかされたら、恵が失神するのもムリはない。
「演技―――だったワケ? 」
紗耶香は恵の演技に翻弄された1人だった。
これほど緊迫した展開であるのにもかかわらず、
恵はみごとに外してくれた。
失笑する娘がいてもいい状況だったが、
誰もが顔を引きつらせることしかできない。
- 105 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/23(日) 11:01
- 「演技も演技。こいつは、すごく弱いべさ」
なつみの説明を聞き、いちばん安心したのは山崎だった。
とんでもない相手と闘うことになると、かなり怯えていたからである。
うす暗い室内ではあったが、山崎の安堵の表情を覗うことができた。
「それじゃ、こっちね」
圭織は山崎めがけて矢を放ってみた。
破魔矢は結界を貫いたが、それで勢いが弱まり、
山崎の胸に刺さって止まってしまう。
これがふつうの矢であれば、山崎は痛くもかゆくもないだろう。
しかし、圭織の矢は破魔矢であるから、
魔物に乗りうつられた山崎は、その痛みに悶絶した。
「おのれ! こうなったら―――出でよ! 魔物たち」
山崎は魔物を召喚するが、ことごとくなつみに消されてしまう。
往生際の悪い山崎は、はげしい攻撃呪文を使ってくるが、
なつみの結界に守られた娘たちは、ほとんど無傷だった。
圭織は続けて破魔矢を放ち、山崎は3本の矢を胸に受けていた。
「圭織さん、これでやっちゃおうよ」
真里は手榴弾をさしだした。
圭織はニヤリと笑うと手榴弾を矢に結びつけ、
山崎の心臓めがけて射ってみる。
手榴弾つきの破魔矢は山崎の心臓をとらえ、
命中した直後に爆発をおこした。
- 106 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/23(日) 11:02
- 「すげー! 」
目の前で人間が爆発するのを見たひとみは、
そのすさまじい光景に、思わずうなっている。
山崎の四肢がふきとび、魔物の怨念だけが残った。
その怨念を、なつみは一連の動作の中で浄化してしまう。
これだけ力のある娘であれば、菅公を斃すのも確実と思われた。
「しかし、何だかなあ。山崎って、存在の意味が薄すぎるような」
真希は鎮守府将軍の山崎が、いくら娘たちが強いといっても、
あっけなくやられてしまったことに、どこか違和感を感じていた。
瞳や恵はいざしらず、鎮守府将軍に魔物がのりうつったのだから、
もっと往生際が悪くてもよさそうなものである。
「分らないべか? 山崎の無念は、菅公の糧になってるべさ」
死んでゆく邪悪な念は、すべて菅公の餌となり、その復活を促進しているのだ。
これまで娘たちが斃した者の念も、もちろん、菅公復活に向けて奉仕している。
つまり、娘たちが敵を斃せば斃すほど、菅公は強くなってゆくのだった。
「そんなぁ」
山崎にとっても、最終的な目的は菅公の復活なので、
自分の死がムダにならないことは知っていただろう。
だが、いくら魔物であるとはいえ、死ぬために闘うというのは、
仏門の梨華にとっては、耐えられないことだった。
「ってことは、菅公は着実に強くなってるってか? 」
真里はこの瘴気や怨念を集める菅公を、ひどく怖がっていた。
ひとりの怨念だけで、人を殺せると言われている。
しかし、ここには数千、数万の怨念が集結しているのだ。
菅公がどれほど強大で恐ろしいものか、これだけでも、
真里はじゅうぶんに分っていたのである。
- 107 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/23(日) 11:03
- 「ふう。さて、ここからが本番だべさ」
紗耶香もそうだが、なつみは1人になった菅公の気を感じていた。
その気の強さは、なつみですら圧倒されそうなほどである。
みるみるマジな顔になってゆくなつみに、娘たちは息を呑んだ。
これほどの力を持つなつみが、生死をかけるほどの顔をしている。
史上最強の怨霊は、そうカンタンには斃れてくれそうになかった。
「と―――とにかく、一番槍はオレだァァァァァァァァァー! 」
「結界から出るんじゃないべさァァァァァァァァー! 」
ひとみは自慢の槍を片手に、菅公の気が充満する奥の間へ飛びこんだ。
その瞬間、ひとみは全身が傷だらけになって吹きとばされた。
ひとみは結界の中まで飛ばされ、全身から出血している。
どの傷も深く、このままでは死んでしまうだろう。
「だから言ったっしょ! 」
なつみはひとみの体をなで、傷を治していった。
奥の間からは、すさまじい毒気が吐きだされている。
結界の中にいても、勘の強い真里などは、
立っているのすらつらい状態だった。
「これが菅公なのか? 」
あのひとみが、なつみの手を握って怯えている。
菅公とは、いったいどんな力を持つ怨霊なのか。
紗耶香は真希を抱きしめ、奥の間を凝視していた。
- 108 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/23(日) 11:03
- 「本気じゃないべさ。菅公、いや怨霊は、殺さないで犯す気だべね」
「そんなぁ、みんな強姦されちゃうのぉ? 」
梨華は泣きそうな顔で首をふった。
誰もが戦慄していた。稀代の怨霊の前で。
「この結果の中なら、とりあえずは安全だべさ」
なつみの力では、菅公から娘たちを守るのが限界のようだ。
とにかく、この怨霊を退治しないことにはどうしようもない。
しかし、誰もこんなに強い怨霊だとは思っていなかったので、
どうしたらいいか分らなかった。
「菅公の無念の気が、多くの恨みや妬みの気を集めたんだべさ。
それが、あの怨霊になったんだべよ」
いわゆる菅公と思われる怨霊は、菅原道真本人の霊ではない。
彼の無念の思いが邪悪な気を集め、怨霊と化したのである。
つまり、この怨霊は菅原道真の影と言ってもよかった。
いくら影であっても、この怨霊は恐ろしいほど強力である。
いったい、どうしたら退治することができるのだろうか。
娘たちは、その答えを探すしかなかった。
- 109 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/23(日) 11:04
- 《怨霊の最期》
そんな中、真希は瞳が言ったことを思いだしていた。
たしかに瞳は「もう少しで菅公が完全に復活したものを! 」と言ったのである。
つまり、怨霊は完全体ではなく、まだ復活の途中ということだ。
それがどういった状態だか分らないが、まだ勝算はあるのではないか。
「いちーちゃん、菅公は完全に復活してないんだよね」
「そうだったね。でも、それが? 」
「だったら、攻めるべき点があるんじゃないかな」
真希はいいところに気がついた。
完全体になったとしたら、無敵の怨霊かもしれないが、
まだまだ菅公は不完全な状態なのである。
その不完全な部分を突けば、娘たちにも勝算があるかもしれない。
「そうだべさ! 菅公はまだ、人間でいけば赤ちゃんみたいなものっしょ」
「赤ちゃんっていえばぁ? 」
梨華はかわいらしい赤ちゃんを連想したが、
ここにいるのは、残虐な怨霊にすぎない。
勘の鋭い真里は、何を思ったか圭織の矢に、
自慢の手榴弾を結わえつけていた。
それが何を意味するのか、鈍い圭織には分らなかった。
- 110 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/23(日) 11:04
- 「なっち、菅公が赤ちゃんだとすれば」
「あの奥の間は何だべか? 」
ようやく圭織にも、意味が分ってきた。
奥の間は菅公が復活する条件を満たす場所である。
つまり、胎内を意味していた。
「あははは―――なるほど。子宮だね」
圭織は手榴弾つきの矢をつがえ、奥の間へ狙いをつけた。
まだ復活途上の菅公は、奥の間という子宮の中で、
完全に復活するのを待っていたのである。
菅公に勝つためには、奥の間という子宮から追いださなくてはならない。
「早産―――かな? 」
圭織が放った矢は、奥の間の結界を貫通してゆく。
直後に爆発がおこり、菅公はいたたまれずに姿を現した。
その大きさに、娘たちは動けなくなってしまう。
何しろ、その全長は軽く5間(約9メートル)はあった。
「あれが―――菅公―――」
娘たちが見たのは、どう見ても人間の姿をしていない。
それはまるで、妊娠3ヵ月の胎児のような姿だった。
人間の胎児と決定的にちがうのは、頭に角があることと、
耳まで裂けた口に、鋭いキバが生えていることだろう。
- 111 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/23(日) 11:05
- 「きっと、もともとは人間の体をしてたんだべさ」
どんなに変化しようと、実体があるかぎり、人間の体に寄生しているのだ。
悪霊は人間の体を、極限まで変化させてしまうものである。
俗に言う『鬼』というのも、悪霊が人間の肉体を変化させたものだ。
ようするに、すべて『心』が人の容姿を変化させてしまうのである。
だからこそ、当時の人は鬼を恐れ、忌み嫌っていたのだった。
「この矢を受けてみな! 」
圭織は菅公の眉間に、渾身の破魔矢を浴びせた。
眉間に破魔矢を受けた菅公は、すさまじい絶叫をあげる。
それでも、稀代の怨霊だけあって、致命傷にはなっていない。
憎しみと恨みの念が、娘たちのまわりに満ちあふれていた。
そのため、ただでさえ薄暗い奥の院の中は、
ところどころ、闇の部分が混在している。
「圭織さん、動きを封じるのよ! 」
紗耶香は圭織に、菅公の手足を破魔矢で固定するように言った。
破魔矢で固定された部分は、なつみが念をおくれば、
どんなに暴れても、けっして引きはがすことはできない。
手足が固定されてしまえば、念の力も半減するだろう。
「まっかせなさい」
圭織はまたたく間に、菅公の手足を破魔矢で固定してしまう。
なつみが念をおくると、破魔矢は紫色に光って効力を誇示した。
もはや、菅公はこのまま葬り去られるのかと思えた。
- 112 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/23(日) 11:06
- 「よっしゃー! トドメはオレが―――」
「伏せるべさァァァァァァァァァァァァァァァー! 」
なつみはそう叫ぶと、全員の背後からのしかかった。
重量級のなつみであるから、誰もが潰されるように倒れてしまう。
いきなりのことに、娘たちがモンクを言おうとしたとき、
菅公は口から、すさまじい念の衝撃波をだしたのだった。
「わっ! スゲー! 」
その衝撃波は、娘たちの後方のカベに、
2間(約3.6メートル)もの大きな穴をあけていた。
太い木枠が破壊され、板葺きの屋根がきしんだ。
こんなものに直撃されたら、なつみの結界など、
ひとたまりもなく吹きとばされてしまうだろう。
「真里と紗耶香、手を貸すべさ」
なつみは勘の強い2人に、結界をを張る気の協力を求めた。
2人はなつみの手をにぎり、無心になっていればよい。
補強された結界ではあったが、菅公の怨念は常識はずれである。
その気になれば、娘たちもろとも、消滅させてしまうことも可能だ。
「こんな怨念、初めてだべさ! 」
なつみは菅公自身と、周囲に集まる怨念の強さに驚いていた。
このすさまじい怨念は、平将門や藤原純友の比ではない。
それはまるで、この世の全ての汚い部分が集まったようだった。
- 113 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/23(日) 11:06
- 「人の醜さが表れてるわぁ」
この結界の中にいれば、菅公には娘たちが見えない。
それどころか、若い娘の気配すら感じられないのだ。
ところが、この結界から一歩でも出たりすると、
菅公は容赦なく襲ってくるだろう。
「これで様子をみるしかないべさ」
人間でいえば、子宮から出てしまった胎児なので、
放っておけば自然に弱ってくるだろう。
だが、これだけ瘴気が集まっているのだから、
そうカンタンには弱りそうもない。
「無事か! 」
娘たちよりも、はるかに頑丈な結界に保護されて入ってきたのは、
この戦の総大将である式部大輔の裕子だった。
貴子が遠隔操作で結界を張ったらしいが、
なつみのそれとは、とにかく格がちがっている。
さすがに貴子は、山童の血をひく者だけあった。
「裕子さま! 」
こんな状況では、裕子の顔を見るだけで、どれだけ心強いだろう。
裕子は娘たちが無事なのを見て、胸をなでおろしていた。
何しろ子宮から追いだされて興奮している菅公は、
これまでの数倍も邪気を放っていたのである。
- 114 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/23(日) 11:07
- 「この剣を使いや! 」
裕子は下男たちに、草薙の剣を運ばせていた。
草薙の剣の入った長持ちが娘たちの前に置かれる。
真希は草薙の剣の放つ妖気にためらっていたが、
紗耶香に促され、長持ちのフタをあけてみた。
「うっ! 」
草薙の剣は、長さが4尺(約1.2メートル)ていどの、
ごくありふれた飾り剣の類だった。
しかし、その破壊的な力をもつためか、
ふつうの人間では、持つことができなかったのである。
同時に吐き気がすほど、強力な気のする剣だった。
「真希なら扱えるはずよ」
紗耶香は確信したように言ったが、真希は剣を持とうにも持てない。
柄に手をかけようとしても、手が弾かれてしまうのだった。
それは、どう考えても剣が使い手を選ぶとしか考えられない。
真希はムリをしてつかんでみるが、みごとに弾き飛ばされてしまった。
「この草薙の剣なら、菅公を地獄におくってやれるで」
裕子はこのために、草薙の剣を持ってきたのである。
だが、草薙の剣を使えるのは、天皇家の人間か、
破壊の神である須佐男命の生まれかわりに限られた。
かつて倭建之命は、この草薙の剣を携え、
縦横無尽に暴れまわったのである。
- 115 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/23(日) 11:08
- 「ダメ! あたしじゃムリだよ」
「梨華ちゃん、紗耶香と交代するべさ! 」
紗耶香は梨華と結界の強化の仕事を交代すると、
真希といっしょに、草薙の剣を長持ちから引きずり出した。
どうみても、紗耶香の太刀と同じくらいなのだが、
草薙の剣の重さたるや、すさまじいものだった。
「ゆ―――裕子さま。こ―――これでは、つ―――使えません」
紗耶香と真希は、草薙の剣を抱え、立っているのがやっとである。
破壊の神が使うにふさわしい、霊力をおびた太刀だった。
おそらく、地面に突き立てれば、一瞬にして不毛の大地にしてしまう、
すさまじいまでの力が、この重さをかもしだしているのだろう。
「ええから引きぬいてみや! 」
圭織は菅公が衝撃波を吐くのに備え、弓矢を構えている。
そのため、ひとみが真希に抱きついて、
3人がかりで草薙の剣を引きぬいたのだった。
「わっ! 」
引きぬかれた草薙の剣は、この世のものとは思えない妖しい光を放っている。
そして、その光は剣を動かすたびに、残像のごとく尾を引いていた。
その妖しい霊力のためか、勘の強い真里は、気分が悪くなってしまう。
真希とひとみは、草薙の剣を持ってフラフラしていた。
- 116 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/23(日) 11:09
- 「刃に触ったらあかんで。触っただけで真っ二つや」
かつて倭建之命は、この剣を振りまわしただけで、敵の首を刎ねていったという。
それだけ危険な剣であるから、紗耶香も加わり、3人がかりで剣を支えた。
この草薙の剣が引きぬかれた以上、もはや結界を張る意味などなかった。
何しろ破壊の神が使った剣であるため、どんな邪気も敵うワケがない。
「裕子さま、この剣をどうしろと? 」
「怖がらんでええ。その剣で菅公をしばいたれや」
剣を持った3人は、裕子の命令であるから、仕方なく菅公に近づいていった。
驚いたことに、あたりに充満していた瘴気は、この剣の霊気にあてられ、
浄化あるいは、菅公が衝撃波で開けた大穴から、逃げだしていったのである。
この世のものとは思えない、恐ろしい声で叫ぶ菅公に、ひとみですら震えていた。
「せーの! 」
これだけ重い剣では、叩き斬ることなどできない。
柄を持って、刃先を菅公に落とすのが精一杯だった。
しかし、触っただけで真っ二つになってしまうのだから、
刃を落とされた菅公が無事であるワケがない。
「ひィィィィィィィィィィィィィィー! 」
菅公が真っ二つになり、すさまじい怨念が消滅するのを、
真里はその目で目撃し、恐ろしさのあまり悲鳴をあげた。
菅公がやられてしまうと、復活のために集まっていた瘴気も、
その目的を失い、消滅するか逃げてゆくしかない。
- 117 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/23(日) 11:09
- 「終わったな。みんな、ようやった! 」
「は―――早くしまおうよ。こんな剣」
真希はこの剣が怖くて仕方ない。
腰をぬかした真里と放心状態のなつみをよそに、
圭織と梨華が鞘を持ち、草薙の剣にかぶせてゆく。
その刃が隠れると、例によって重い飾り刀となった。
「貴子、もうええわ。結界を解いてや」
裕子は貴子に念を送り、結界を解いてもらう。
何と、裕子が結界の中にいたのは、菅公から身を守るだけでなく、
草薙の剣の霊力から身を守る意味もあったのである。
この選ばれた娘たちは、草薙の剣の霊力に耐えうる素質があった。
「ご苦労さんやったな」
「貴子さま、菅公の文庫(書斎)は? 」
紗耶香が聞くと、裕子は「行こか」と言って、奥の院の右手へと歩いていった。
- 118 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/23(日) 11:10
- 山の上から大宰府の庭に移された本陣で、
娘たちを休ませるように指示した裕子と紗耶香は、
菅公が生前に使っていた文庫に来ていた。
雷雲や瘴気が去り、あたりには初冬の頼りない日光が降り注いでいる。
その光が障子ごしにさしこみ、文庫の中は明るかった。
「ぎょうさんあるな」
勉強家の菅公らしく、その書物の数は半端ではない。
兵法や政治学、経営学や心理学の本までがズラリと並ぶ。
これだけの図書を漏らさず読破したからこそ、
菅公は学問の神さまとなったのである。
怨霊となって平安京に恐怖をもたらした菅公だったが、
その素顔は勤勉な学者・政治家だったのだ。
その中で、紗耶香は『古事記』と『日本書紀』の写本をみつけた。
「裕子さま、このあたりではないでしょうか」
紗耶香が物色していると、菅公の筆跡の研究資料がでてきた。
その中の一冊に『倭建之命に関する研究』という題名がつけられている。
さらに、『民話と倭建之命の共通点』という研究論文まででてきた。
「この『古事記』は太安万侶の筆跡やで」
「裕子さま! 『古事記』にしては、妙に厚くありませんか? 」
『古事記』は全3巻からなるが、神話の書かれた1巻よりも2巻、
2巻よりも3巻が、やけにぶ厚くなっている。
これは、何か意味があるのだろうと思い、裕子は下男たちに押収を命じた。
- 119 名前:第四章 〜決戦〜 投稿日:2003/11/23(日) 11:11
- 「勝手に持ちだしていいんですか? 」
「あたりまえやろ。うちは式部省の役人やで」
式部省の高級官僚である裕子は、地方に点在している史料を、
無条件で押収する権限を持っていたのである。
これは中央集権体制を強化するうえで、
天皇家を正当化する事業の一環として必要なことだった。
「あんたは『猿楽』に興味があったな」
裕子は文官の1人をつかまえて、夕餉が終わるまでに、
『猿楽』の書かれた部分を写してくるように命じた。
式部大輔である裕子の言うことは、絶対であるため、
文官は青くなって下男たちを集め、作業手順を検討する。
ひとみに『鬼』と言わせた裕子であるから、
遅れたりしたら、きびしいお仕置きが待っているかもしれない。
「源頼光が待っとるし、そろそろええやろ? 」
勝利を得た官軍では、祝いの宴の用意がされていた。
瘴気を恐れて避難していた付近の住民も戻ってきて、
感謝の気持ちで宴に協力しているらしい。
これは、きっと1万人規模の大宴会になるだろう。
大宰府の広い庭には、それだけの人間を収容できる。
ところが紗耶香は何か、腑に落ちないものを感じていた。
- 120 名前:名無し弟 投稿日:2003/11/23(日) 11:15
- これで第4章 〜決戦〜 は終わりです。
続いて最終章の第5章になるのですが、何も書けていないので、
今月中の更新は、ちょっとキビシイと思います。
今年中に終わる予定でしたが、越年してしまうかもしれません。
今後とも、よろしくおねがいします。
- 121 名前:名無し読者 投稿日:2003/11/25(火) 01:29
- 更新おつかれさまです。
管公倒せてよかった♪
市井の予感があまり悪いことになりませんように・・・
- 122 名前:名無し弟 投稿日:2003/12/05(金) 19:56
- >>121
ありがとうございます。
足をケガしたもので、カナーリ不自由です。
- 123 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/05(金) 19:58
- 《緊急事態》
大宰府の庭で行われた宴会には、1万2千人もの人がやってきた。
仮設の舞台が造られ、そこでは神楽や雅楽の演奏が行われた。
圭織と真里は、酒の勢いで『蒲公英』という即興歌を披露する。
これには、集まった老若男女が、コブシを上げて声援をおくった。
「信じあい支えあって希望に変えてゆくわ。たんぽぽのように強く♪ 」
この凸凹コンビの歌は、娘たちの結束を表している。
真里は松浦党の若い衆の熱い視線に応え、
小さい体で大きく手を振っていた。
さらに、興奮した観客に乞われるまま、
なつみは『私的二十二歳』、真希は『手握』という即興歌を披露した。
「なっち! 感動したとよ」
「ありがとうだべさ! 」
「とです。とです」
「だべさ。だべさ」
地元のおじさんが、なつみの歌に感動していた。
地元のおばさんが、真希の歌に喜んでいた。
そして地元の亜弥が『愛涙色』を歌い終えると、
割れんばかりの拍手が大宰府に響きわたった。
- 124 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/05(金) 19:58
- 「これでオレたちの仕事も終わりだなァ」
「そうねぇ。ねえ、よっすぃー。これからどうしようかぁ」
ひとみと梨華は、これから何をするかを考えていた。
ひとみほどの腕があれば、国府や国分寺からの勧誘があるだろう。
さらには、源頼光が官軍へ誘ってくれるかもしれない。
切りこみ隊長として、ひとみは貴重な存在になるはずだ。
「はいはいはい、ちゃんと並んでよ。ってオイ! ちゃんと並べゴルァ! 」
亜弥との握手会が行われ、それを真里が仕切っていた。
誰もが亜弥の手を握れるとあって、長蛇の列を作っている。
真里は整理券を販売し、予想外の収益をあげていた。
彼女にこれだけの商才があるとは、意外なことだった。
「整理券が買えなかった人は、圭織との握手会もあるからねー! 」
真里は勝手に、娘たちを商品として売りだしていた。
酒が入れば、若い娘に興味が行くのは、自然の成りゆきである。
こうした男の心理をつくところに、真里のすごさがあった。
「なっちや真希ちゃんとの握手会はなかと? 」
やはり、なつみと真希は娘たちの顔である。
要望があれば、それにこたえてしまうのが真里の性格だ。
急いで1000枚づつの整理券を作り、販売を始めた。
中には熱心な男もいて、ひとりで10枚も買ってゆく。
ところが、圭織との握手を希望する者は皆無だった。
- 125 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/05(金) 19:59
- 「ねえ、誰も来ないんだけど」
「あははは―――そ、そのうち来るよ」
圭織のところへは、待てど暮らせど、握手しに来る者がいない。
やがて夜も更け、大宰府の庭が閑散となっても、圭織のところへは、
ひとりもやって来なかったのである。
真里が金勘定をしていると、泣き声が聞こえてきた。
「うわァァァァァァァァーん! 」
誰にも握手されず、傷ついた圭織が泣きながら走ってゆく。
真里は圭織にナイショで、整理券を半額にしたのだが、
それでも彼女と握手を希望する者は現れなかった。
真里は急いで後を追ったが、圭織は暗闇の中へ消えていった。
「あははは―――ヤバイなー」
若い男たちに殺到され、有頂天のなつみや真希。
反対に、誰にも相手にされず、傷心の圭織。
真里は両替商が小銭を砂金に替えるところを見ながら、
圭織には色をつけた日当を払おうと思っていた。
「おいオヤジ。小さな袋にしてくれよ」
真里が砂金の袋の大きさを指定すると、全部で9袋にもなった。
亜弥と真希、なつみに1袋づつ渡し、圭織には2袋を渡すつもりである。
残りの4袋はもちろん、ほかならぬ自分の分だった。
- 126 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/05(金) 20:00
- そのころ、紗耶香と裕子は、大宰府内の本陣で、菅公の文書を読んでいた。
文官が大急ぎで写した文書には、菅公が調べた『猿楽』のことが書いてある。
紗耶香はその100枚近い文書を、じっくり読んでいたのだった。
「さすが菅公やな。よくここまで調べたもんや」
裕子は横に置いてあった竹の器に、酒を注いで飲み干した。
あまり酒が好きでない紗耶香と護衛係のりんねは、
地元の住民から献上された山葡萄汁を飲んでいる。
保存がきかなかった当時、山葡萄汁は、もう終わりの季節だった。
「『猿楽』は倭建之命を殺すために存在した? 」
紗耶香は驚きのあまり、手が震えてしまっている。
行灯のまたたきの中でも、彼女の手の震えが裕子には見えた。
倭建之命の生まれかわりが真希だったとしたら、
『猿楽』の生まれかわりも存在するはずである。
破壊の神が必要でなくなったとき、それを葬る力が必要なのだ。
「倭建之命が必要でなくなったとき、すぐに殺せるように『猿楽』は近くにいたんや」
「そんな! 真希が―――真希が殺される! 」
紗耶香はすぐにでも真希が殺されると思い、慌てて立ち上がろうとして、
山葡萄汁をこぼしたばかりか、立ちくらみをおこして倒れてしまう。
彼女の狼狽ぶりは、滑稽なほどだった。
それほど彼女は、真希を愛していたのである。
そんな紗耶香を抱き上げたのは、横に座っていたりんねだった。
- 127 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/05(金) 20:01
- 「紗耶香さま! しっかりなされませ!
まだ真希どのが倭建之命の生まれかわりと、きまったわけではございませぬ! 」
「そやで。それに、まだ時期やないのかもしれんわ」
それもそうだ。真希にはまだ覚醒した気配がない。
それに、真希が倭建之命に覚醒したからといって、
破壊の神になったというわけではないのだ。
破壊の神になって、はじめて『猿楽』が必要となる。
紗耶香はそう思い、ようやく落ちつきをとりもどした。
「それに紗耶香さま。『猿楽』は倭建之命を殺さなかったのです」
倭建之命は病魔に冒され、故郷の目前で死亡したのである。
最期をみとった『猿楽』は、倭建之命を殺そうとしなかった。
その結果が病死ということは、どうみてもまちがいないだろう。
これは、時代が破壊の神を必要としなくなった時期と、
倭建之命が病魔に冒された時期とが、偶然に一致するだけではないのか。
「倭建之命は運がよかったのよ」
「そうでしょうか」
りんねはこぼれた山葡萄汁を、懐から取りだした和紙でふき取っている。
白い和紙が紫色に染まり、それはあたかも紫陽花を連想させる色だった。
りんねがこぼれた山葡萄汁を和紙に吸わせ、それを捨てる動作を、
紗耶香は夢の中のような感覚で見ていた。
- 128 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/05(金) 20:01
- 「倭建之命は御父の景行天皇に捨てられたのですよ」
「それは―――」
景行天皇は、倭建之命が破壊の神の化身であると知り、大和を追いだしたのである。
そして、実子であるにもかかわらず、狡猾な手段で罠にかけていったのだ。
小心者の彼は怯え、敵と組んでまで、倭建之命を亡きものにしようとしたのである。
そのため、倭建之命は、仲間である『雉』と『狛犬』を失ったのだ。
「それでも倭建之命は、運がよかったのでしょうか」
「紗耶香。『倭建之命に関する研究』の注釈を読んでみや」
裕子が指摘する部分には、もっとも大切なことが書かれていた。
それは、倭建之命と『猿楽』との関係についてである。
2人は相思相愛の仲だったが、互いに想いを口にしなかった。
と書かれており、倭建之命は悲しみに暮れながらも、
愛する『猿楽』といっしょに暮らせて幸せだったようである。
「ほら、倭建之命は幸せだったのよ」
「紗耶香さま。運が悪いのと幸せだったのとは、根本的にちがいます」
たとえ運が悪くても、倭建之命は幸せだった。
悲しい思いもしたが、愛する『猿楽』といっしょに、
その短い人生を、心ゆくまで謳歌したのである。
愛する人にみとられ、死んでいった倭建之命は、
とても幸せだったと思われた。
- 129 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/05(金) 20:02
- 「それじゃ、何で『猿楽』は倭建之命を殺さずにすんだの? 」
紗耶香は感情的になっている。
そんな紗耶香を見て、裕子は困ったようにため息をついた。
りんねも紗耶香が激昂するにつれ、少しずつ声が大きくなっていたが、
裕子のため息を背後で感じ、意識して声を小さくしてみる。
「倭建之命は、そうなる運命だったんですよ」
「そやな。倭建之命が発病したんは、大和を追放されたころや」
倭建之命は病気を患っているというのに、大和を追放され、
『猿楽』の庇護を受けて生きていたようである。
そして、十数年後に病気が再発し、最期となったのだ。
倭建之命は九州で60000人、出雲で5000人、
東国で35000人もの殺戮をおこなっている。
約100000人を殺し、破壊の神としての役目を終えたのだ。
「紗耶香さま。倭建之命は、そのときから死ぬことが決まっていたのでは? 」
「だったら『猿楽』の存在意義はどうなるの? 」
『猿楽』が天照大神の役目であるならば、倭建之命が必要でなくなったとき、
すぐにこの世から抹殺してしまっても、別に不思議なことではない。
しかし、『猿楽』は1年以上も、倭建之命を放っておいたのだ。
倭建之命を抹殺するのが存在意義であれば、『猿楽』は時代に叛いたことになる。
- 130 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/05(金) 20:03
- 「こうは考えられないやろか」
裕子は酒を呑みながら、これまで温存していたらしい自説を語ってゆく。
その内容は説得力のあるものであり、紗耶香も納得せざるをえない。
「倭建之命は最終的な覚醒をせんで殺戮を終え、時代的な存在意義を失った。
やから、『猿楽』は倭建之命を殺せんかったんや。
同時に『猿楽』は、倭建之命を愛していたから、最期を看取ろうと思ったんやな」
「―――」
「つまり、倭建之命は、もう誰からも必要とされてなかったんや」
太安万侶は、あまりにも悲しい倭建之命の生涯を、そのまま載せることができなかった。
そこで、神話という形で、史実を歪曲しながらも『日本書紀』に書いていったのである。
菅公が研究していたのは、膨大な文書をつうじて、太安万侶が知った史実の方だった。
倭建之命は実父に追放されたが、最後には故郷へ帰りたいと思っていたのである。
だからこそ、病身でありながら、故郷の大和を目指したのだ。
「そんな―――悲しすぎるわ」
倭建之命伝説は、史実も神話も悲しい話であり、紗耶香は涙ぐんでしまった。
倭建之命を愛した『猿楽』についても、その最期は何も書かれていない。
おそらく、倭建之命を殺すという生まれた目的を果たせなかったので、
大往生というわけにはいかなかっただろう。
『猿楽』は結果的に、時代の意志に逆らってしまったのだ。
- 131 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/05(金) 20:04
- 「裕子さま。雉や狛犬は倭建之命の仲間だったのですよね。
それなら、この2人にも、生まれた目的があったのですか? 」
りんねは疑問に思ったことを聞いてみた。
だが、りんねの話を聞いた裕子は、表情をくもらせてため息をつく。
りんねは質問したことを後悔したが、もうあとの祭りだった。
「ほかにもおるけど、雉と狛犬は、倭建之命が破壊の神になるための、道具だったんやな」
「死ぬために生まれてきたのですか? 破壊の神を覚醒させるために」
紗耶香は悲しそうに、手にもった扇子を握りしめる。
いくら何でも、死ぬために生まれてきたというのは、
彼女は同じ人間として、悲しくてしかたなかった。
「それが―――」
「誰かがきます! 」
裕子が「史実なんや」と言いかけると、りんねが人の気配を察知した。
りんねの表情に、紗耶香は横に置いてあった太刀をとる。
『愚痴』の着物を着ているとはいえ、曲者を迎撃するには問題ない。
槍で突きかかられると苦戦しそうだが、紗耶香は負ける気がしなかった。
- 132 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/05(金) 20:05
- 「姐さん! 彩と充代の居場所が分ったで! 備後や! 」
貴子が慌てて転びながら部屋に入ってきた。
りんねは反射的に身構えたが、入ってきたのが貴子だと分ると、
安心したように微笑んだ。
「備後? そんなところで、何をやっとるんや? 」
「『死人還りの法』で、軍団を形成しとるんや! 」
貴子が彩と充代の念を調べていると、備後で反応があった。
こんなところで軍団を形成するのであれば、
その目的は、京へ攻め上ること以外には考えられない。
『死人還りの法』で復活したものは、人間よりも強いのがふつうだ。
主力は大宰府に来ているので、5000ほどの兵を向かわせれば、
平安京は確実に陥落してしまうだろう。
「やられた! 菅公は囮やったか! 」
裕子はくやしそうに、唇を噛みしめた。
菅公ほどの大物を囮に使うとは、彩の作戦もたいしたものである。
しかし、このままでは、平安京が陥落するのも時間の問題だ。
この時代、平安京が陥落すれば、朝廷の威信は地に落ち、
地方豪族たちが、このときとばかりに暴れだすのは確実である。
そうなったが最後、日本は群雄割拠の時代に入ってしまう。
「姐さん! 早く備後へ行くんや! 」
「待ってください! どういうことなんですか? 」
紗耶香は菅公を斃したことで、自分たちの仕事が終わったと思っていた。
それは、ほかの娘にしても同じことであり、状況が変ったのであれば、
詳しく説明を聞かなくてはならないと思ったのである。
こういったときに、機転のきくりんねは、紗耶香に娘たちを集めるように言った。
「緊急事態です。みんなを集合させてください」
それは、目上の紗耶香に対し、ほとんど命令だった。
状況が状況だけに、紗耶香としても、断るワケにはいかない。
紗耶香は「分ったわ」とだけ言い、外へ出ていった。
大宴会が終わった大宰府に、きびしい寒さがおとずれていた。
- 133 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/05(金) 20:05
- 《彩の涙》
そのころ、彩と充代は備後国に来ていた。
ここは80年ほど前、藤原純友の乱の舞台となった場所であり、
無念の思いで死んでいった者の霊が多く存在している。
彩が村々を襲い、男たちを集めては、充代が死霊を降臨させていた。
「まだ2000人か。急がないと、頭の悪い連中でも気づくころだぞ」
皆殺しにした山寺の中で、充代は『死人還りの法』を駆使している。
本堂の壁や天井にまで飛び散った血が、こんな田舎の寺であっても、
どこか京風の色彩を感じさせており、それは雅に映っていた。
充代は洗脳した巫女や尼などを多く連れていたが、
1日に100人も死霊を復活できればいい方だった。
「あとひと月はかかるわ」
想像以上に時間がかかっているのを、誰よりも充代がイラだっていた。
死者を降臨させるのはいいが、献体に定着させるまでがたいへんなのである。
献体が拒否反応をおこし、死んでしまうこともあった。
とにかく『死人還りの法』は、時間がかかるものだった。
「じょうだんじゃない。早く5000人を復活させるのだ」
彩は急ぐように言うが、いくら充代であっても、これが限界だった。
血なまぐさい本堂の中で、充代が死霊を降臨させるのだったが、
それだけでも、かなりの労力と時間がかかるものである。
薄暗くしてあるのは、作業に集中するためだと思われた。
- 134 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/05(金) 20:06
- 「けど、これ以上はムリやで」
充代が死霊を降臨すると、寒くもないのに、彩に鳥肌が立った。
彩ほどの力があれば、死霊ごときは怖くもなんともない。
しかし、女性としての防衛本能が、危険を察知するのだろう。
今回の死霊は、どうやら藤原純友配下の有力武将らしい。
これまでの死霊とは、その念の強さがちがっていた。
「こいつは大物やで」
充代は嬉しそうに、霊を固定させる男を見定めた。
軟弱な男の場合、これだけ念の強い霊を固定させると、
肉体が耐えられないことが多かったからである。
そんな充代を見ながら、彩は深くため息をついた。
「是非もなし―――か」
緻密な彩であるから、こうした場合の対策は考えてある。
すでに作戦は限られたものになっていたが、
それだけ強力な人材を使うことができた。
瘴気があたりを覆い、それはあたかも霧のようである。
順番を待ちきれない霊が、彩に侵入しようとして、
その力のために、消滅してしまった。
「焦っちゃあかんで。順番やしな」
充代は子供に言いきかせるように、憐れな霊たちを諭した。
それでも早く復活したい霊たちは、暴れながら自分の存在を示している。
彩は「がんばれよ」とだけ言い残すと、血だらけの本堂を出ていった。
- 135 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/05(金) 20:07
- 庭にでた彩は、カユを食べる小柄な女に近づいてゆく。
女は彩に気づくと、軽く会釈しただけでカユを食べつづけた。
そんな失礼な態度であっても、彩はけっして怒ることはない。
「いよいよ、お前の力が必要になった。安芸で連中を阻止してくれ」
「やっと出番ね」
女はカユを一気に食べ終えると、彩の顔を見てニッコリと笑う。
あまり美人とはいえないが、独自の世界を持っている女だった。
彩は女の肩に手をかけると、自分の知りえる情報を伝える。
こんな小柄で力も弱そうな女に、いったい何ができるというのだろう。
「味方に引き入れた山賊がいる。連れて行くんだ」
彩は100人あまりの山賊を味方にしていた。
山賊の頭に魔物を憑依させ、自由自在に操っていたのである。
人里から離れた山寺には、多くの瘴気が集まってきていた。
充代の『死人還りの法』で、何とか復活を希望する連中である。
充代はその中から、使えそうな霊を拾ってゆく。
「あやっぺ、うまく行くといいね」
「ああ、頼んだよ。明日香」
女は彩の縁者で、福田郷の明日香という。
彩とは従姉妹同士ということもあり、ほかの連中とは一線を隔していた。
幼いころからかわいがっていた明日香を、時間稼ぎに使わなくてはならない。
それもこれも、無念の思いで死んでいった先祖たちへの、本懐を遂げるためだった。
- 136 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/05(金) 20:07
- 「彩、こんなところにいたのか」
呼び捨てにするものなど、もう存在しないと思っていた。
ところが、彼女はたしかに『彩』と呼ばれたのである。
一族郎党は、明日香を残して、みんな死に絶えてしまった。
そんな彩を呼び捨てにするのは、敵以外に考えられない。
そう思った彩が身構えながら振りかえると、
そこには懐かしく、そして愛しい顔があった。
「真矢さま! どうしてここに? 」
男は山田真矢(やまだのさねや)といい、
かつて、出雲石黒家に出入りしていた縁者だった。
真矢は太っていたが、彩の初恋の相手であり、
親同士が決めた許婚にもなっていた男である。
真矢は検非違使として京に行っていたが、
その後はまったく音信不通になっていた。
真矢が出雲を離れて5年、彩は魔物と契り、
一族の悲願でもある蘇我氏再興を始めたのである。
もう、二度と逢うことはないと思っていたので、
こんなところで真矢と逢い、彩はひどく驚いた。
「検非違使の役目を終えたのじゃ。出雲に帰って驚いたぞ」
真矢は出雲に帰ってみたものの、石黒家が灰になっていたので、
これは山賊にやられたのではないかと心配していた。
そして、愛する彩を探して、中国地方を旅していたのである。
真矢は「探したぞ」と言いながら、唇を震わせる彩を抱きしめた。
- 137 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/05(金) 20:08
- 「真矢さま―――もう、彩は死んだのです」
「死んだ? 何をバカなことを」
「彩は―――」
彩が話す前に、真矢の唇で口が塞がれた。
軽い眩暈をおこしながら、彩は夢心地である。
最愛の真矢に抱きしめられているのだ。
すべてが、このまま止まってしまえばいい。
彩はそんなことを思っていた。
「きれいになったな。彩」
真矢の胸に頬をあて、彩は女であることを実感していた。
しかし、彩はもう真矢と契れる体ではないのだ。
それを思うと、さすがの彩も涙をこぼしてしまう。
そういった人生もあったという考えを、彩は必死で払拭した。
「しかし、まいったぞ。ここまで来るのに一苦労じゃ」
真矢は出雲から備前に抜け、山陽道を歩いてきたのだ。
山賊と闘いながら備後についたのはいいが、
この寺に入るとき、生気のない兵たちに何度も止められた。
そのたびに「彩の関係者だ」と言い、やっとここまで来たのである。
『死人還りの法』で復活したものは、彩の命令が絶対だ。
彩は「何人たりとも通すな」と命じていたのだが、
関係者と言われては、通すしかなかったのである。
- 138 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/05(金) 20:09
- 「真矢さま。もう彩のことは、お忘れくださいませ」
彩は真矢と逢えたことは嬉しかったが、同時に最大の悲しみを背負っている。
最愛の真矢とは、もう何があっても結ばれることはないのだ。
きつい顔をした彩だったが、今は少女のような泣き顔をしていた。
「どうしたというのだ」
真矢には彩の涙の意味がわからない。
とめどなく流れる彩の涙が意味するものは、
一族のために女を捨て、鬼になったことである。
そんなことを真矢が分るワケがなかった。
「あのころの彩は、もういないのです」
「言っている意味が分らん。誰ぞ良人ができたのか? 」
真矢にしてみれば、彩と逢うためにやってきたのだ。
もし、彩に良人があったとしても、それはそれでしかたない。
検非違使の仕事にうつつを抜かし、彩を放っておいたのだ。
だが、彩の態度は真矢が納得できるものではなかった。
「あんたが望むようにしたるで」
号泣する彩の気を察知した充代が、ついに介入してきた。
充代の力であれば、真矢の記憶から彩を消すことも可能だ。
そして、安全な南九州あたりへ、真矢を誘導することもできる。
もし、彩が望むなら、真矢を魔物に変えることも可能だった。
あたりの瘴気が悲しみを招き、曇天の空から冷たい雨を降らし始めた。
- 139 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/05(金) 20:09
- 「これは気がつきませんで。それがしは、山田真矢と申し―――」
「真矢さまの―――真矢さまの記憶から―――私の―――」
彩は泣きじゃくりながら、懐剣で自分の髪を切った。
そして、その髪を握らせると、真矢を抱きしめて唇を重ねる。
驚いた真矢だったが、充代が背後から印をきると、その場に崩れ落ちた。
「目がさめたら、あんたのことは記憶からのうなっとる」
「真矢さま―――」
彩は泣きながら真矢を抱きしめ、苦しそうな嗚咽をもらしていた。
第三者の立場である充代にとっても、彩の悲しみは痛いほどよくわかる。
一族のためとはいえ、魔物と契った彩は、心身ともに傷ついていた。
暗雲が弱い雨を降らし、彩と真矢をぬらしていった。
「あんたの記憶からも―――」
「よけいなことはするな! 」
興奮した彩の怒声は、充代を震えあがらせる。
彩は涙をぬぐうと、深呼吸をして冷静になろうとしていた。
それほど、真矢への愛情は深いものだったのだろう。
女の幸せを捨て、一族の復興にすべてを捧げた彩。
充代はそんな彩を、心のどこかで尊敬していた。
「いや、怒鳴ってわるかった。―――もうだいじょうぶだ」
ムリに笑顔をつくる彩を見て、充代は感情を抑えられなかった。
充代は「このアホ! 」と言いながら、彩に駆けよって抱きしめたのである。
何かあると悲しい思いをするのは、いつも女と相場がきまっていた。
だからこそ、女というのは精神的に頑丈なのである。
精神的に頑丈だからこそ、女は長生きするのだ。
「あんたまで泣くことはないのに」
彩は気丈を装ったが、その声は震えていた。
- 140 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/05(金) 20:10
- 緊急事態で大宰府から舞い戻った娘たちは、
2日をかけて、すでに安芸の国に入っていた。
安芸は瀬戸内の海産物や四国の特産品が集まる場所であり、
品質が劣化しにくいこの時期は、かなりの賑わいをみせている。
入江を利用した湊には、クジラやサメ、ヒラメなどの買いつけに、
はるばる都からも商人がやってきていた。
「国府はまだ先だし、このあたりで泊まるべさ」
なつみは海産物で食欲を満たそうと思っていたのだが、今回は一刻を争う旅である。
こんなところで遊んでいるわけには行かず、紗耶香は表情を変えずに首をふった。
日の出から日没まで歩いたとしても、備後までは5日近くかかるのだ。
1日に10里(約40キロメートル)は歩かねばならない。
「ヒラメの縁側―――食べたかったのに」
「意地きたねーな! 」
真里につっこまれ、笑ってごまかすなつみをよそに、
紗耶香はついてきてしまった希美のことを考えていた。
今回で闘いは終わるだろうが、相手は未知の怪物の彩である。
菅公のときよりも、はるかに危険な闘いになるだろう。
そんな戦場に、希美を連れてきてよいものだろうか。
「いちーちゃん、心配しなくても平気だって」
真希は紗耶香の考えていることが、手にとるようにわかっていた。
姉妹のように育っただけでなく、誰よりも愛しい相手なのである。
考えていることが分らないようでは、いっしょにいる意味がない。
真希の気持ちが分る紗耶香は、笑顔でうなずくことしかできなかった。
- 141 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/05(金) 20:11
- 「そおですよぉ。圭織さまは援護射撃担当ですからぁ」
緊張感のない梨華の声に、紗耶香はいくらか救われた気持ちになる。
圭織の仕事は弓であるから、希美も近くにいれば安全なはずだ。
梨華と3人で、圭織の手伝いでもしてくれればよかった。
そうすれば、前にはひとみを軸に、真希と紗耶香が壁を作れる。
その間で、なつみが術を操れば、鬼に金棒だった。
「しかし、機動性が悪いもんだなァ」
ひとみは主力の源頼光部隊が、まだ長門でグズグズしているのを嘆いた。
当時の軍勢の移動は、食糧の調達が第一条件となっていたのである。
それが整わないかぎり、移動したくてもできないのが現状だった。
特に冬に移動する場合、食糧確保が不充分だと、死者がでる恐れもある。
疲労と寒さと飢えで、死んでゆく兵も多かったのだ。
「だから、あたしたちが先乗りするのよ」
紗耶香はコトの重大性を熟知している。
それとは裏腹に、ほかの娘たちは誰ひとりとして、
せっぱ詰まった状況だとは思っていなかった。
「貴子さまの話だと、この先にお堂があるらしいね」
真希は今晩の宿泊先が、お堂であると悟った。
この調子で歩いて行けば、お堂に着くのは日没ごろになるだろう。
これで、丸2日も歩きっぱなしで、誰もが疲労をおぼえていた。
いくら若いからといっても、少しは休まないと疲れがとれない。
それは分っていることだった。
- 142 名前:名無し弟 投稿日:2003/12/05(金) 20:12
- 今日のところは、これで終わりにします。
また、来週に更新したいと思いますので、よろしくおねがいします。
- 143 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/12(金) 00:28
- ( T ・ゝT)・・・
( T◇T)・・・
悲しいだすな。悪い人というイメージだけでなくあんなエピソードを書かれると考えますね。
がんばってください
- 144 名前:名無し弟 投稿日:2003/12/13(土) 19:29
- >>143
ありがとうございます。
真矢との遭遇から、彩に変化がおきてきます。
そのあたりで、ちょっと悩んでいるんですが。
- 145 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/13(土) 19:29
- 《ひとみの最期》
長門から安芸に入った娘たちは、小さな社に泊まることにした。
山陽道を来た貴子の話によると、少し入ったところに、
わずか8畳間くらいの、小さなお堂があるのだという。
娘たちが山陽道から裏街道の方へ入ってゆくと、
木々が生い茂った中に、小さなお堂を発見したのだった。
すでに太陽は沈んでしまい、夕焼けの光だけが照明となっている。
そのせいか、娘たちの顔は、赤く染まって見えていた。
「先客がいませんように」
真希がそう言いながら軽く祈り、お堂の扉を開けると、
中には小柄な女が背中を向けて座っていた。
残念そうに舌打ちをしながら、真希は横にいた紗耶香を見つめる。
紗耶香は先客に、宿泊の許可をもらおうかと思ったが、
なつみが彼女の袖を引き、なぜか首を振っていた。
(怪しい気配がするべさ)
なつみは怪しい気配がするので、できればこの場所を避け、
ほかで宿泊すべきだと主張したそうな顔をしている。
ところが、長旅からか希美と真里が疲れて眠そうなので、
紗耶香はなつみを説得し、ここで宿泊をしたかった。
そこで、紗耶香も自分で気を集中し、お堂内を調べてみるが、
この場所にはもちろん、小柄な女にも怪しい感じはしない。
なつみとでは、気の強さこそちがっていたが、これまでに一度も、
紗耶香の勘が外れたことはなかった。
- 146 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/13(土) 19:30
- 「すいませんが、同宿してもよろしいでしょうか」
女が「はい、どうぞ」と言って振りかえると、
その顔にひとみと希美が悲鳴をあげた。
なぜなら、そこに座っていた顔は、
死んだはずのミカだったからである。
目をむき、驚いて腰をぬかす2人を見て、
当のミカはおかしそうに笑った。
「ミカちゃん! 生きてたのれすか? 」
「そそそそそそ―――そんなはずねーよ。オレは埋葬したんだぜ」
たしかにミカは、平安宮の朱雀門前で、近衛兵に刺し殺された。
ところが、ここにいるのは、どう見てもミカ本人である。
ひとみが鬼とまちがえた、欧州系外国人の顔をしていたし、
その優しそうな笑顔、声もミカにまちがいなかった。
「どういったワケか、生きかえったの」
紗耶香は菅公関係で、日本列島の気が乱れたこともあり、
死者が生きかえっても不思議ではないと感じていた。
そのことを説明すると、ひとみや希美は納得したのだが、
なつみだけは強情に、ミカは怪しいと言っていた。
埋葬されたものが地上に這いだしてくるなどありえない。
なぜなら、体の上には大量の土があるからだ。
運よく棺に入っていたとしても、救出される前に酸欠で死亡する。
一度埋葬されたものが生還するなど、ほぼ不可能なことだった。
- 147 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/13(土) 19:31
- 「今度こそ―――今度こそ守ってやるからなァ」
ひとみは感激の涙を流しながらミカを抱きしめ、
素直に生きかえったことを喜んだ。
守ってやることができなかった後悔の念が、
いつもひとみを苦しめていたのである。
ミカは記憶が断片的で、希美は首をかしげたが、
死亡してから生きかえるまで時間があったため、
記憶が途切れて」いるのはしかたないことである。
しかし、なつみはミカを懐疑的な目でみつめ、
いつでも印をきれる体勢でいた。
(なっち、思い過ごしだよ)
真里が小声で話しかけてみたが、なつみは首をふった。
娘たちが、それぞれの空間に荷物を置き、
疲れた足を伸ばして、安眠を得るためのしたくを始める。
真里は「強情なんだから」と言い、あくびをすると、
そのまま、なつみによりかかって眠ってしまった。
「あなたは私が気にいらないようですね」
「ふん、じきに正体を暴いてやるべさ」
なつみはミカをにらみつけ、その一挙一動を監視している。
ミカが何か不自然な行動をとれば、なつみは容赦しないだろう。
すでに暗い堂内で、2人がにらみ合っているのを、誰も気がつかなかった。
そのうち、ミカはなつみの態度を非難するようになった。
- 148 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/13(土) 19:32
- 「生きかえったのですから、怪しい気配くらいはあるでしょう。
でも、そこまで人を怪しむのは、よくないと思います」
すでに、お堂のまわりには、夜の帳がおりている。
ミカの顔も、灯をつけないと見えないほどだった。
だが、これだけなつみを非難しているのだから、
怒った顔になっているのはまちがいないだろう。
戸を閉めていても、寒さが堂内に侵入してきた。
「そうだよ! この偶蹄目がァ! 」
「そういう言い方はないべさァァァァァァァァァァァァァー! 」
人を偶蹄目扱いするひとみに、なつみが激怒した。
ひとみの毒舌は、今始まったことではなかったが、
2人がだまされないように気を張っていたなつみは、
ひとみのひと言で、ついにブチキレてしまったのである。
なつみはひとみの胸倉をつかみ、うなり声をあげていた。
そんななつみとひとみの間に入って止めようとしたのが、
娘たちの筆頭である紗耶香だった。
「なっち、落ちついてよ。ひとみ! なっちに謝りなさい! 」
紗耶香はなつみをなだめ、ひとみを叱った。
きっと圭織であれば、同じこと言っただろう。
そう思った紗耶香だったが、圭織はすでに熟睡していた。
古いお堂だったが、みんなでいれば暖かい。
真里や圭織のほかには、真希も熟睡していた。
- 149 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/13(土) 19:32
- 「ケッ! そうかよ。そういう目でオレを見てたんだな。
ミカちゃん、梨華ちゃん、希美。出て行こうぜ」
ひとみは3人を連れ、お堂を出てゆくことにした。
慌てた紗耶香が止めるが、ひとみは聞く耳を持とうとしない。
この時点でひとみに去られては、平安京が危うくなってしまう。
「ごめんなさい! あたしの言い方が悪かったわ! 」
紗耶香は必死で止めたが、ひとみの意思は固かった。
ひとみは困った顔をする3人を連れ、この寒空の下、
お堂を出ていってしまった。
「ったく! 少し頭を冷やせばいいべさ」
なつみはひとみの頑固さに、もう嫌気がさしていた。
悪いヤツではないと思っていても、ひとみは思いこみがはげしい。
こうと決めたら、誰の言うことも聞かないところがあった。
なつみはそれでよかったが、よくないのは紗耶香である。
娘をまとめる立場だというのに、仲間に溝をつくってしまった。
「あたしは―――ただ―――」
「気にすることはないべよ」
なつみは開けっ放しの扉をしめると、真里の横に寝ころがった。
狭いお堂の中なので、4人が去って、かなり楽になっている。
紗耶香は寝息をたてる真希を抱きしめ、自己嫌悪にひたっていた。
- 150 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/13(土) 19:33
- ひとみたちはミカの案内で、裏街道を歩いていた。
透きとおるような夜空に寒風が吹き、星がまたたいている。
まぶしいくらいの月が顔をだし、暗い夜道を照らしていた。
朝から歩きどおしの希美は、さすがに疲れてしまっている。
そんな希美を、梨華が手を引きながら歩いていた。
「ミカちゃん、山寺はまだなのかよ」
いくらひとみでも、夜に山道を歩くのは疲れてしまう。
それもそのはずだ。もう、お堂からは3里もはなれている。
足には自信のある梨華ですら、かなりの疲労を感じていた。
「見えてきたよ」
ミカは山の中腹にある灯を指さした。
あと半里もあれば、ミカの言う山寺に着きそうである。
尼寺であるというから、暖かい布団があるだろう。
運がよければ、温かい食事をだしてくれるかもしれない。
「急ぐのれす! 」
目的地が見えたところで、希美は俄然元気になった。
希美ががんばるのだから、ひとみも負けてはいられない。
疲労に息をきらしながらも、自然と足が速くなっていった。
「ののったらぁ」
梨華はゲンキンな希美に苦笑しながらも、優しそうに笑った。
こうして、4人は深夜になって、ようやく山寺に着くことができた。
- 151 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/13(土) 19:33
- 山寺に着いた4人は、どうも荒れはてていることに気づく。
こんな寺に尼僧がいるとは、どうしても思えなかった。
それどころか、梨華は妙な胸騒ぎがしていたし、
ひとみにいたっては、周囲の殺気を感じていたのである。
何も知らない希美だけが、首をかしげていた。
「どうやら、囲まれたみてーだな。オイ」
山寺の境内には、いくつかの松明があるだけで、
人の姿はまったく見ることができなかった。
それでも、ひとみは野生的な勘で、敵の殺気を感じている。
ひとみが槍を構えると、ミカは安全な場所まで飛びのいた。
ふり返ったミカの顔は、まったくの別人になっている。
ひとみたちは、まんまと罠にはまってしまったのだった。
「てめー! ミカちゃんに化けてたのか」
ひとみが声を荒げると、隠れていた山賊たちが姿を現した。
その数の多さに、さすがのひとみも息を呑んでしまう。
30人くらいだったら、ひとみでも相手ができるにちがいない。
だが、目の前には100人以上の山賊が群れていたのだ。
「あははは―――あたしは明日香。こんな力が使えるのよ」
そう言うと、明日香は亜依の顔になってみせた。
明日香は自由に顔を変えられる術を使える。
なつみが感じた怪しさは、このことだったのだが、
ここまできては、もう後の祭りだった。
- 152 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/13(土) 19:34
- 「きたねーヤツだ! 」
ひとみは明日香をにらみつけ、吐き捨てるように言った。
松明の灯だけでは、山賊たちの動きを見るだけがやっとである。
これだけ薄暗いと、距離感に誤差がでてしまうので、
槍の繰り出し方に気をつけなければならない。
「あははは―――山賊のみなさん! やっちゃってください! 」
明日香が合図すると、大勢の山賊が3人を囲んだ。
山賊たちはヨダレをたらしながら異様に興奮しており、
どうやら本気でひとみたちを犯す気でいるらしい。
その好色に満ちた目は、おぞましく光っており、
これには梨華と希美が怯え、思わず悲鳴をあげてしまった。
「上等じゃねーか! 相手になってやるぞゴルァ! 」
ひとみは自慢の槍で、山賊たちを相手にするらしい。
ところが、武器を持ったことのない梨華と希美は、
ひとみの背後にかくれることしかできなかった。
ひとりでこれだけ多くの山賊を相手にするとなると、
いくらひとみでも、かなり苦戦しそうな状態だった。
「うりゃァァァァァァァァァァァー! 」
ひとみは槍を振りまわし、山賊たちの中へ飛びこんでいった。
さすがに元近衛兵だけあって、その腕は超一流である。
しかし、多勢に無勢では、ひとみの体力にも限界があるだろう。
それでも、負ければ山賊たちに犯されたあげく殺される運命である。
だから生き残るためには、何が何でも勝たなくてはならなかった。
- 153 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/13(土) 19:35
- 「希美! オレから離れるな! 梨華ちゃん! 紗耶香さんに知らせて! 」
「は―――はい! 」
梨華は山賊たちのスキを見ると、一目散に走りだしていた。
この梨華の足であれば、容易にお堂の紗耶香たちに知らせられる。
意を決した梨華が走ってゆくと、ひとみは山賊相手に暴れまくった。
ひとみは取り囲む山賊たちを、この槍を使って斃してゆく。
それでも疲れがでて、山賊なれど苦戦するようになった。
「キャァァァァァァァァァァァー! 」
希美が数人の山賊につかまり、近くの廃墟へと連れてゆかれる。
山賊たちは、希美を廃墟の中で犯すつもりらしい。
ひとみは希美を奪還しようとするが、大勢の山賊に囲まれ、
そうカンタンには、後を追えない状態になっていた。
「くそっ! 希美! 希美ー! 」
「助けてー! イヤァァァァァァァァァァァァァァー! 」
山賊に抱え上げられて廃墟へつれて行かれる希美が暴れ、
履いていた赤い鼻緒のゾウリがぬげた。
ひとみは大量の返り血を浴び、自身も傷ついている。
それでも、山賊の数は多く、ひとみは懸命に闘っていた。
槍が刺せなくなると、ひとみは太刀をぬいて闘う。
それでも、おびただしい山賊の数は一向に減らず、
さすがのひとみの体力も限界が近づいていた。
- 154 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/13(土) 19:35
- 「山賊のみなさん! ひとり逃げましたよ! 」
明日香は紗耶香に知らせに行く梨華を見つけた。
梨華に気づいた山賊は、飛びだしていって斬りかかる。
梨華は背中と肩を斬られたが、痛みをこらえて走り去っていった。
山賊たちも追いかけるものの、梨華の足には追いつけない。
「明日香さま。追わなくていいんですかい? 」
梨華に逃げられた山賊たちは、追跡するかどうか明日香に聞いてみた。
しかし、明日香はひとみの強さに、退却すべきかどうか悩んでいる。
まさか、ひとみがここまで強いとは思わなかったのだ。
ひとみに襲いかかる山賊たちは、ことごとく首をはねられてゆく。
負ければ犯されるという恐怖から、ひとみも必死なのだろう。
「あの傷じゃ、そう遠くへ行けませんよ。それより、一時退却しましょう」
明日香はとりあえず山賊たちを引きあげさせ、
魔物でも召喚しようかと思っていた。
彼女に魔物召喚の力はなかったが、
充代に頼めば力を持つ巫女を派遣してくれるだろう。
「退却じゃあー! 」
山賊たちは明日香の命令で、しかたなく退却していった。
ひとみの周囲には、おびただしい数の死体が転がり、
彼女は立っているのがやっとの状態だった。
腕や背中などに、ひとみは軽傷を負っている。
出血と疲労のせいか、ひとみは意識が朦朧としていた。
- 155 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/13(土) 19:36
- 「はっ! のの! 」
ひとみは拉致された希美を思いだし、廃墟へと走っていった。
廃墟の中では全裸にされた希美が、挿入される直前だった。
屈強な男たちに両手と両足を押さえられてしまい、
これには力自慢の希美でも抵抗できる状態ではない。
声を枯らして泣き叫ぶ希美の声を楽しみながら、
山賊たちは陵辱を楽しもうとしていた。
「たすけてー! 」
「ははは―――これが世の中ってもんよ」
男が腰を突きだそうとした瞬間、希美は顔面に頭つきされた。
そう思った直後、希美は大量の血を浴びたのである。
目に入った血をぬぐいながら、希美が顔を上げると、
彼女の上に首をなくした男が倒れこんできた。
「ヒャァァァァァァァァァァー! 」
廃墟の出入口には、阿修羅のごとき表情のひとみがいた。
ひとみは希美を犯そうとした男の首をはねたのである。
間一髪、希美を助けることができたひとみは、
驚いて身構えた山賊たちを、憎しみに満ちた目でにらみつけた。
誰よりも正義感の強いひとみであるから、
いたいけな希美を犯そうとした連中を許せるワケがない。
ひとみは血だらけの太刀を振りあげ、山賊たちに斬りかかっていった。
山賊たちも応戦するが、ひとみの相手にはならない。
- 156 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/13(土) 19:37
- 「地獄へ落ちろ! この変態どもが! 」
ひとみは希美を押さえていた男3人を、問答無用に斬り捨てた。
男たちが絶命すると、ひとみは太刀を捨て、懐から手ぬぐいをだす。
『斜禰瑠』の手ぬぐいで返り血をぬぐい、ひとみは壁によりかかった。
疲労は頂点に達しており、無事な希美を見て力がぬけてしまう。
「あははは―――ひん剥かれちまったかァ? 」
「あわわわわわわ―――」
全裸にされたうえ、挿入される直前だった希美は、ひどく混乱していた。
おまけに、首をはねられた男の血をモロに浴びたのだから、
その恐怖から、冷静な判断ができる状態ではない。
希美は近くに落ちていた槍を拾い、こともあろうかひとみに向けた。
「何やってんだァ? オレだよ。そいつをよこせ」
「ヒャァァァァァァァァァァァァー! 」
希美は泣き叫びながら、槍でひとみの腹を突いた。
そして槍を放り投げると、全裸のまま飛びだしていってしまう。
ひとみは全裸のまま飛びだしていった希美を心配していた。
まだ、近くに山賊がいるかもしれないからだ。
「おい、どこ行くんだよ。待てよ。待ってくれよ。あっ」
ひとみはヘソの横に痛みを感じ、手を当てようとして驚いた。
その手には、腹からふきだした血が、ベットリとついていたからである。
ふきだした血は、音をたてて土間に血しぶきをたてた。
- 157 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/13(土) 19:37
- 「な―――なんじゃこりゃァァァァァァァァァー! 」
希美を追いかけようと踏みだした足は、
力がぬけてしまい、ひとみは思わず転んでしまった。
少しでも出血を止めようと、ひとみは腹を押さえたが、
それでも指のすきまから、どんどん血がふきだしてくる。
「い―――いやだ。し―――死にたくねえよ。―――こんなところで」
ひとみは腹を押さえたまま、あお向けに倒れてしまう。
残り少なくなった血液を、少しでも脳に運ぼうとする、
きっと、持って生まれた本能なのだろう。
ひとみは胸に手を当て、ミカの形見であるロザリオを握りしめた。
「まだ―――18だって―――のに―――梨華―――ちゃん―――」
ひとみは穴のあいた天井を見上げる。
そこからは、満天の星空が顔をのぞかせていた。
やがて、その星空がぼやけだし、ひとみの意識は低下していった。
(素直に話を聞いておけばよかったな)
それがひとみの最後の意識となった。
- 158 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/13(土) 19:38
- 《梨華の最期》
裏街道近くの洞穴で野宿していた圭たちは、大勢の足音に目をさました。
こんな夜更けに大勢が移動するなど、常識では考えられないことである。
夜目のきく麗奈が見てくるというので、圭は「気をつけてね」と念をおす。
彩の追手であるとは思えない。彩は追手をだすような女ではないからだ。
それでも、念のために圭が戦闘準備を始めると、偵察を終えた麗奈が帰ってきた。
「圭さま。どうやら、明日香さまが山賊を率いて、移動していたみたいとです」
「明日香が? 」
明日香といえば、彩の一族であり、ほかの部下とは待遇がちがっていた。
表立った行動はしていなかったが、彩・充代に次ぐ最高幹部である。
自分の世界を持った娘であり、圭も何度か話をしたことがあった。
その明日香が動きだしたということは、
いよいよ彩の作戦が、大詰めを迎えたことを意味する。
「山賊の中には、ケガしてるのもいたとですよ」
「何かあったんだね」
圭はゾウリを履き、出発の準備を終えていた。
さゆみと麗奈は、あわてて荷物を持ち、防寒対策の蓑を着こむ。
袴を穿いていない2人は、和紙を体に巻いている。
こうすることによって、体温が逃げるのを防いでいるのだ。
地味な防寒対策ではあるが、なかなかどうして、
かなりの効果をあげていたのだった。
- 159 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/13(土) 19:39
- 圭たちは山賊が来た方へ、とにかく歩いていった。
月明かりが夜道を照らし、足元が危ないということはない。
あたりに人の気配がないか、圭は細心の注意をはらっている。
こうして圭たちが山寺についたのは、夜も明ける寸前だった。
「圭さま! 人が死んでいるちょです! 」
さゆみが震えながら圭に抱きついた。
圭が目をこらすと、あたりには数十人の死体が散乱している。
さながら、ここは戦場のようだった。
圭は片ヒザをつき、死体の傷を調べてみる。
どの死体も、みごとに一撃で斃されていた。
「槍の傷だね。槍といえば―――」
西の空が明るくなってくると、その惨状が姿をあらわす。
これだけ多くの武装した山賊が死んだのであるから、
きっと相手は大人数の軍隊にちがいない。
圭はそう思いながら、2人に死体の処理を指示した。
2人は硬直が始まった死体を、廃墟に運ぶことにする。
そして、廃墟ごと焼いてしまおうという寸法だ。
「麗奈、首がついてないよ」
首がはねられた死体を運ぶとき、さゆみは思わず目をそらした。
麗奈が死体の足を持つと、さゆみの足元に、
体の中に残っていた血がドロリと落ちてくる。
驚いたさゆみはしりもちをつき、泣きそうな声をあげた。
- 160 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/13(土) 19:40
- 「死体だから襲ったりしないよ」
麗奈はさゆみの泣きそうな顔がおもしろかったらしく、
真ん中に寄った目を三日月型にして言った。
少女にしてみれば、大人の男を運ぶのはたいへんだったが、
このまま、カラスの餌になるよりは、弔ってやりたかった。
「よいしょ! さゆみ、奥へ入れるとよ」
「これは! けけけけけ―――圭さまァァァァァァァァァァー! 」
さゆみが驚いたのもムリはない。
虚空を見ながら廃墟の中に倒れていたのは、
圭と勝負したひとみだったからである。
血の海の中で生き絶えているひとみは、
意外な結末に困惑したような表情をしていた。
「まさか! あのひとみさまが! 」
一本気でガラの悪いひとみだったが、圭は彼女の優しさを感じていた。
空腹のさゆみと麗奈のために、オニギリを握ってくれたのである。
そんなひとみが冷たい躯になっているとは、圭は世の中の無情を感じた。
「ひとみさまが闘ったとですね」
麗奈は血まみれのひとみに向かって手を合わした。
これだけの山賊を相手に、よくぞ1人で闘った。
圭は格闘家として、ひとみの勇気と実力を讃える。
こんな惨状の中でも、冬の朝日はきれいに見えた。
- 161 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/13(土) 19:40
- 「あんたたちは死体を片づけなさい」
圭は2人に指示すると、ひとみをかついでいった。
ひとみの服を脱がし、井戸水できれいに洗ってやると、
圭は死に化粧をしてやった。
困惑した死に顔も、どこか安らかな微笑となってゆく。
圭は死に化粧を終えると、持っていた絹布でひとみを包んだ。
「さてと」
ひとみの死体が動物に食い荒らされたりしないように、
圭はここに埋葬してやることにした。
死体運びを終えた2人は、廃墟の中に可燃物を投げこんでいる。
これで火をつければ、死体は骨になるだろう。
「あちょー! 」
圭が蹴ると廃墟の柱が折れた。
彼女が欲しかったのは、太い梁である。
これを墓標にしようというのだ。
柱が1本折れると、傷んでいた建物は、
音をたてて倒れてしまった。
「梁を4尺くらいもらうわね」
梁といっても、太さが3寸くらいなので、
圭はかんたんに蹴り折ってしまった。
圭は梁の表面を懐剣できれいにすると、
筆を取りだして「吉澤ひとみ之墓」を書く。
- 162 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/13(土) 19:41
- 「圭さま。火をつけたちょです」
さゆみは廃墟に火を放ち、多くの死体を火葬にした。
死体を焼く耐えがたい臭いが発生し、3人は風上へ移動する。
廃墟が勢いよく燃えあがると、大量の煙が南東へと流れていった。
死体が焼ける煙といっしょに、あたりの瘴気も浄化されてゆく。
火葬にするということは、この世への未練を断ち切る意味もあった。
「ごくろうさま。ひとみさまのお墓を作ろうね」
圭たちは3人で、ひとみの死体を埋める穴を掘った。
急ぐ旅ではないし、世話になったひとみのためである。
わずか18年の短すぎる生涯を終えたひとみは、
3人の手によって、土にかえってゆく。
この、見晴らしのよい小高い丘の頂が、
ひとみにとって終焉の地となった。
「ひとみさま。安らかに」
圭が手を合わせると、さゆみと麗奈は拍手を打った。
ひとみの墓に玉串を捧げ、土葬は終了となる。
こうして、ひとみの埋葬を終えた圭たちは、
彼女の遺品を持って、紗耶香たちを探すことになった。
- 163 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/13(土) 19:41
- 圭たちが裏街道を歩いていると、脇の笹薮から何かが飛びだしてきた。
クマやイノシシなら危険なので、圭が2人をかばって前に出てみる。
ところが、それは若い娘で、そのまま道に倒れこんでしまった。
「しっかりしなさい! 」
圭は駆けよって、倒れた娘を抱き上げる。
すると、娘は背中にひどいケガをしており、
すでに息も絶え絶えの状態だった。
さゆみと麗奈が傷をみるが、もう手遅れのようである。
2人は圭を見ながら首を振った。
「も―――もう、目が見えないのぉ。お味方ですかぁ? 」
「おまえは! ―――たしか、梨華だったわね」
圭はひとみと闘ったとき、泣きそうな顔で見ていた梨華を覚えていた。
ひとみに続き、尼僧の梨華までが、息を引きとろうとしている。
こんな若い娘が、次々と死んでゆくのは、ほかでもない彩のせいなのだ。
彩を憎んではいけないと思いながらも、圭は口惜しさがこみ上げてくる。
「あははは―――お味方ですねぇ? やられちゃいましたぁ」
「紗耶香さまは? 」
圭は紗耶香までやられたのではと思い、瀕死の梨華を問いただした。
紗耶香までやられたなら、彩の計画は成功してしまうだろう。
圭にとっては、誰が王になろうと知ったことではなかった。
しかし、彩が平安京を滅亡させたら、魔物たちが黙っていない。
このときとばかりに、協力の代償を要求してくるだろう。
- 164 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/13(土) 19:42
- 「無事よぉ。あたしたちがバカだったのぉ」
「紗耶香さまはどこに? 」
「山陽道近くのお堂ですぅ」
圭は梨華を背負うと、梨華の言った方向へ歩きだした。
だが、圭に背負われた梨華は、どんどん弱ってゆく。
これだけ深手を負っていては、あたり前である。
それでころか、死んでいない方がふしぎだった。
「あのぉ、あたし、もうダメみたいなんですけどぉ」
すでに梨華は、出血多量で生死の狭間にいた。
それでも緊張感がないのは、持って生まれたものだろう。
圭やさゆみ、麗奈は「がんばれ」と言うしかなかった。
すっかり変色したススキの葉が、冷たい季節風にあおられ、
カサカサと乾いた音をたてている。
そんな不毛な感覚だけが、圭の耳に残っていた。
「あははは―――小坊主くん。おみやげ、買って帰れなかったわぁ」
梨華の命の炎は、今燃えつきようとしていた。
真冬の淋しげな光線が、梨華の顔を照らしている。
その顔には、誰が見ても分る死相が現れていた。
山童を母に持ったばかりに、不遇の少女時代を送った梨華。
尼寺を飛びだし、紗耶香たちと旅に出たのが最後になるとは。
- 165 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/13(土) 19:43
- 「しっかりしなさい! 」
圭は梨華の呼吸が、しだいに少なくなってゆくのを感じた。
体の機能が低下してくれば、自然と酸素の需要が少なくなる。
特に、人体で最大の酸素消費臓器である脳が機能を低下させれば、
必要となる酸素は、著しく低下するものだった。
「いっぱい血が出ちゃったからなぁ。少しは白くなったかなぁ」
こんなときでも、梨華は地黒を気にしていた。
誰かに死に化粧をしてもらうとき、
白粉と肌の色が合わなかったらどうしよう。
梨華はそんな前向きなことを考えていたのである。
いつも誰かにイジメられ、泣かされ続けた人生だった。
「―――よっすぃー、ご―――めん―――ね―――」
梨華は圭に背負われたまま、息をひきとってしまった。
血の気を失った梨華の顔は、透きとおるような白さになっている。
梨華は死に顔になって、ようやく念願の色白になったのだった。
背負っていた圭は、梨華の鼓動が停止する瞬間を感じていた。
「こんなに若い娘なのに―――残念だわ」
圭は力が抜け、重くなった梨華を背負い、足を休めようとしない。
さゆみと麗奈は、こときれた梨華に、持っていた玉串を捧げていた。
あまり役にたたない2人だったが、どうやら巫女見習いのようである。
数こそ多くはないが、神前葬儀というものも存在していた。
いや、仏教が伝来する以前は、すべて神前葬儀だったのである。
さゆみと麗奈は歩きながら、こときれた梨華に祝詞を奉じていた。
- 166 名前:名無し弟 投稿日:2003/12/13(土) 19:45
- 今日のところは、これで終了します。
また来週には更新する予定です。
よろしくおねがいします。
- 167 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/13(土) 22:25
- ・゚・(つд`)゚・・
意外すぎる展開に、唾を飲み込みながら読んでいました。
- 168 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/14(日) 13:36
- 2人が・゚・(ノД`)・゚・。
- 169 名前:名無し弟 投稿日:2003/12/16(火) 21:25
- 話が大きくなりすぎて、この章でも終わらなくなりました。 _| ̄|○
いつになったら終わるんだろう―――
- 170 名前:名無し弟 投稿日:2003/12/19(金) 19:16
- >>167
>>168
遅くなりましたが、ありがとうございます。
こうなったら、なっち卒業までに何とか終わらせます。
- 171 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/19(金) 19:17
- 《覚醒》
目がさめたら希美がいないので、圭織はひどく心配していた。
紗耶香は3人が戻るのを待つつもりでいたのだが、
ケンカの当事者のなつみは、先に進むことを主張している。
狭いお堂の中では、熱い議論が行われていた。
「出てったもんなんか、アテになるわけないべさ! 」
「そうじゃなくて、あたしは様子をみようって言ってるの! 」
「圭織的には、ののを探したいんだけど」
はげしく意見をぶつけあう3人とは逆に、
真里と真希は、お堂の外で火をおこしていた。
干し米を水でもどすより、湯を使った方がいいに決まってる。
アツアツのオカユにして食べた方が、何倍もおいしいからだ。
「ふーっ! 朝は寒いねーっ! 」
真里は小さな手をこすりながら、種火に木クズを押しあてた。
カンナクズのように、薄くて細い木クズから、和紙に火をつける。
そして、勢いよく燃え上がったところで、細い木をくべてゆく。
最終的には、娘たちの腕くらいの木に火をつけ、
その中に、適当な大きさの石を放りこむのである。
焼けた石を水に落とせば、すぐに熱湯になってしまう。
そろそろ乾燥する季節なので、またたく間に木が燃え上がった。
- 172 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/19(金) 19:17
- 「やっぱし、暖かいね。火にあたるとホッとするな」
真里は暖かい火にあたり、ほんとうにホッとした顔をしている。
それとは対照的に、真希は無表情なまま、魚顔をくずさなかった。
美人ではあるのだが、真希はどことなく魚類系の顔をしている。
それを本人は、まったく気にしていないらしいから驚いたものだ。
「ねえ、魚に似てるって言われない? 」
「うん、たまにね」
真希はごく普通のことであるかのように、
表情をくずさないまま、太い木を火にくべた。
風向きが変り、真希は煙を吸いこんで咳をする。
そこには、まだ18歳の、ほんとうに少女の顔があった。
「オイラってさー、子供みたいかなー」
真里は小柄であるため、どうしても幼く見られてしまう。
もう20歳であるというのに、15歳くらいにしか見られない。
真希のように、大人の女と少女が混在する女性に、
真里は以前から憧れていたのだった。
「いいじゃん。人からどう見られても」
真希は他人の言うことなど、他愛もないことだと思っている。
たしかに、人からどう見られようと、自分を見失わなければよい。
やれ美人だ美少女だともてはやされ、すっかりいい気になってしまい、
地面に足がついていない女は、掃いて捨てるほどいるのだ。
- 173 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/19(金) 19:18
- 「そ、そうだよね」
そのとき、真希は誰かが走ってくる気配を感じた。
このところ、寝ても起きても紗耶香といっしょにいるためか、
真希も人の気を感じることができるようになっている。
真希は手元に置いた野太刀を取ると、一気に引きぬいた。
「わー! 」
真里は自分が叩き斬られると思い、悲鳴をあげて後に倒れる。
そんな真里をよそに、真希は白刃を片手に道路へ飛びだした。
迫る相手が有紀並の刺客だったとしたら、一刻を争う事態である。
腰をぬかした真里は、獲物を見るような目をする真希に聞いた。
「どどどどど―――どうしたっていうのよ! 」
「誰かくるわ。手投弾を用意して! 」
お堂の中の連中には、手榴弾の爆発音が合図になるだろう。
真希は迫ってくる気配に、全神経を集中させていた。
やがて、真里の耳にも足音が聞こえてくる。
すると、真希は野太刀をおろし、ため息をついた。
「何? 誰がきたのよー! 」
真里は怖くてしかたない。
今にも手榴弾を投げそうだったので、
真希は真里に「もう平気」と言った。
- 174 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/19(金) 19:18
- 「うわっ! 魚がおるとよ」
「あれは真希さまちょよ」
真希が視認できる場所までやってくると、
走ってきた麗奈とさゆみは勝手なことを言う。
それを聞いた真希は、勢いよく野太刀をしまい、
麗奈に早足で歩み寄り、胸倉をつかんで大声で怒鳴っていた。
「誰が魚だゴルァ! 」
豪腕の真希に胸倉をつかまれ、麗奈は泣きそうな顔でびびっていた。
どこか、世の中をナメきった顔をしている麗奈だったが、
真希におどかされて、すっかり戦意喪失といった感じである。
真っ青になって震える麗奈を気の毒に思った真里は、
真希の背後から、それとなく仲裁にはいった。
「や、やめようよ。相手はまだ子供だよ」
真里の言葉に耳もかさず、真希は湯気がでるほど怒っている。
真希は普段から、あまり喜怒哀楽を表にださないので、
真里はここまで怒った彼女を見たことがなかった。
「ガキだから、しつけが必要なの! 」
まるで『忠臣蔵』の『松の廊下』のように、
真里は真希を羽交い絞めにして止めようとしていた。
しかし、小柄な真里なので、真希が動くと足が宙にういてしまう。
このままでは、麗奈が殴られてしまうと思ったさゆみも、
必死になって真希を止めようとしていた。
- 175 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/19(金) 19:19
- 「あんたさー、言ってることと、やってることがちがうじゃん! 」
人からどう思われてもいいと言ったのは、ほかならぬ真希だった。
だが、そんなことはすっかり忘れ、魚と言った麗奈に激怒している。
ここまで、言動が一致しない人も珍しかった。
「えっ? ああ、そうだったよね。あははは―――」
真希は笑ってごまかしながら、麗奈の胸倉をはなした。
なつみもいい加減な性格をしていたが、真希はその上をゆく。
真希が怒りをおさめたので、ほかの3人は胸をなでおろした。
そのとき、真希と真里は、人を背負った圭がやってくるのに気づく。
「圭さん? それは―――梨華ちゃん! 」
真希と真里が駆け寄ると、圭は梨華を2人にわたした。
そして、息をきらせながら、道ばたに座りこんだのである。
なつみに応急的な治療を受けたとはいえ、圭の体で、
梨華を背負ってくるというのは、たいへんなことだった。
圭の吐息が白くなり、周囲の寒さをものがたっている。
真希と真里は、梨華が息をしていないことに気づいた。
「り―――梨華ちゃん! な、なっち! なっちー! 」
真里はあわててゾウリのままお堂に駆けこみ、
額に青筋をたてて議論中のなつみを抱き上げた。
そんな真里の様子をみて、ほかの2人は驚いて外に出る。
すると、そこには梨華を抱いて泣き声をあげる真希がいた。
- 176 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/19(金) 19:19
- 「真希! どうしたの! ―――これは! 」
紗耶香は子供のように号泣する真希が抱く、
まったく動かない梨華を見て言葉を失った。
それは、かわいらしい梨華の顔ではあったが、
どう見ても、死者の顔だったからである。
誰もが信じられない。いや、信じたくない。
昨夜まで寝起きをともにしていた梨華が、
冷たい躯になっているなんて。
「そんな―――蘇生するべさ! 蘇生しろ! 梨華ちゃん! 梨華ちゃーん! 」
なつみは狂ったように、梨華の体をこすりはじめる。
どんな重傷者でも、なつみが手を触れると治ってしまう。
しかし、どんなにがんばって意識を集中してみても、
死体だけは生き返らせることができなかった。
「はい」
圭織がお堂の戸板をはずし、それに梨華を横たわらせる。
なつみは何度も何度も梨華の胸をこすってみたが、
彼女の心臓が再び動くことはなかった。
「―――口惜しいべさ」
なつみは自分の力が及ばないことを悔い、地面をコブシでなぐった。
そんななつみを止めようと、真里は泣きながら抱きつく。
梨華が死体で帰ってきたのであれば、いっしょに行ったひとみや希美も、
無事ではすまないと考えてしまうものだ。
- 177 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/19(金) 19:19
- 「ののは―――ののはどうしたの? ねえ! あんたがやったの? 」
圭織は興奮して圭にかみついた。
圭が梨華を殺したのであれば、わざわざ連れてきたりしないだろう。
考えればすぐに分ることだったが、とにかく圭織は興奮していた。
「私は誰も殺していません。この娘を見つけて、ここまで連れてきたんです」
圭の落ちついた声に、圭織も納得したようだ。
あのひとみを一撃で昏倒させる圭だったが、
礼儀正しく、誰彼見境なく殺すような人間ではない。
それに、梨華の傷は刀によって斬られたものだった。
「ののが―――ののがいないの」
「ああ、私を殴った娘ですね? 見かけませんでした」
息を整えた圭は、梨華を保護したときの様子を話しだした。
梨華があゆみや小坊主のことを話したというのだから、
圭の話は全面的に信用してよさそうだった。
「そうだべか。梨華ちゃんは、後悔したんだべね」
「梨華ちゃんってさー、何だかんだ言っても、かわいかったよね」
真里がポツリと言うと、全員が大きくうなずいた。
足だけには自信があった梨華。いつも泣きそうな顔をしていた梨華。
ひとみのことが大好きで、いつもいっしょにいた梨華。
チーちゃんに好かれ、追いかけまわされていた梨華。
- 178 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/19(金) 19:20
- 「早すぎるよ。まだ、18じゃん」
真希はつらそうに、声をつまらせていた。
紗耶香も悲しかったが、ここで泣き崩れるわけにはいかない。
それよりも、行方不明になっている希美とひとみのことが心配だった。
圭であれば何か知っているのではと思い、紗耶香は圭に聞いてみる。
お堂の上空に風がうずまき、寝かされている梨華の髪がゆれた。
「圭さん! ひとみは―――ひとみはどうなったの? 知らない? 」
ひとみのことを質問された圭は、つらそうにため息をつき、
自分たちで埋葬したときのことを思い出していた。
予想外の結果だったらしく、ひとみの死に顔は困惑の表情だった。
それでも死に化粧をすると、わずかに微笑んで見えたのである。
圭は悲しげな顔を空にむけ、結果から話しだした。
「ひとみさまは―――亡くなられました」
「そんな! 」
ひとみが死んだ! あんないいヤツが!
紗耶香はめまいを起こし、その場に座りこんでしまった。
風が落ち葉を運び、紗耶香の体をひっかいている。
それでも、彼女は何も感じず、ただ茫然としていた。
この時点で2人も死者がでてしまったのである。
娘筆頭の紗耶香にとって、2人の死は大きな損失だ。
同時に、寝起きをともにした2人が死んだことで、
紗耶香は悲しくてしかたなかった。
- 179 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/19(金) 19:20
- 「ひとみさまは廃墟の中で―――」
圭はひとみが死んでいた様子を、詳しく説明していった。
その話を聞きながら、圭織はいてもたってもいられなくなる。
梨華とひとみが死んだのであれば、希美が無事である可能性は低い。
それでも、まだ生きているという可能性があるかぎり、
圭織は希美を見捨てることなどできなかったのだ。
「止めてもムダよ。ののを探すからね」
「あっと、待つべさ」
なつみは少しだけ追いかけるが、圭織の足にはかなわない。
ひとみと梨華が死んだ以上、力を分散するのは得策とは言えなかった。
半分になってしまった娘を見て、紗耶香は自分の不甲斐なさを痛感する。
同時に梨華とひとみを失った悲しみが、ふつふつと湧いてきた。
「あたしのせいだ。―――あたしの」
ひとみのことを聞き、真希と真里はふたたび泣きだしてしまう。
それでも、自分のせいにする紗耶香が憐れで、真希は彼女に抱きついた。
いくら娘の筆頭であるからといっても、昨夜の状況ではしかたない。
頑固なひとみを説得するのは、誰でもムリだったにちがいない。
「紗耶香のせいじゃないべさ」
なぜ、もっと優しく言えなかったのだろう。
なつみはひとみを怒らせてしまったことに、
ひどい自己嫌悪を感じていた。
- 180 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/19(金) 19:21
- 「うっ! 」
ドクン、ドクン、ドクン―――
紗耶香の脳が、まるで別の生き物のように鼓動をはじめた。
はげしい違和感と、吐きそうになる嫌悪感。
そして、まったくちがう自分が首をもたげてゆく。
「―――いちーちゃん? 」
紗耶香は髪が茶色くなり逆立ってゆく。
そして、その目は、この上なく冷酷な光を放っていた。
何かが紗耶香の中で目を覚まし、意識の大半を支配するようになった。
「私としたことが―――まさか自分だったとは」
貴子が言った倭建之命の生まれかわりとは、
ほかでもない紗耶香自身だったのである。
紗耶香は最初の覚醒をして、倭建之命に近づいた。
一陣の風が吹きぬけ、紗耶香は冷酷な笑みを浮かべて立ちあがる。
誰もが、その変貌ぶりに驚いていた。
「ふふふ―――殺されたのなら、復讐せねばなるまい」
ひとみと梨華が殺されたのは、ミカに化けた女のせいである。
紗耶香は意見のくいちがうなつみの胸倉をつかむと、
びびりまくる彼女に自分の意思を曲げないことを告げた。
前進を支持するなつみだったが、紗耶香の迫力に押されてしまい、
「わかったべさ」と言うのが精一杯だった。
- 181 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/19(金) 19:22
- 《拾い物》
主力部隊の先鋒が合流したのは、その日の午後だった。
裕子は長門で食糧の調達ができた部隊から、
順次娘たちのあとを追わせていたのである。
先鋒部隊は渡辺綱率いる精鋭500人だった。
「紗耶香どの、明日未明には、坂田金時以下500が到着いたしまする」
渡辺綱は目上の紗耶香にむかい、ていねいに報告をした。
兵たちはお堂のまわりに陣幕を張り、野宿の準備を始めている。
空は晴れていたが、北東の方向に暗雲がたちこめていた。
そこはおそらく、彩たちのいる山寺なのだろう。
「綱、休憩は敵を潰してからだ」
「は? 」
渡辺綱が首をかしげていると、紗耶香は馬に飛び乗り、
白刃を抜いて兵たちに大声で下知する。
その姿は、鬼神が乗りうつったようだった。
「ものども! これより、敵の本拠地へ攻め寄せる! 休憩は後にせい! 」
若い娘の声に、兵たちは鼻で笑いながら振り向いた。
ところが、その鬼神のごとき容姿を見ると、
誰もが言葉を失い、唖然とした顔で紗耶香を見つめる。
やがて、兵たちは異様なまでに士気があがってきた。
- 182 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/19(金) 19:23
- 「や―――やめるべさ! 相手は死人還りの法で復活した悪鬼たちっしょ! 」
たった500の兵では、悪鬼たち2000に勝てるワケがない。
このまま山寺に押し寄せれば、兵たちは全滅してしまうだろう。
それに、山寺に押し寄せたとしても、兵法もろくに知らない紗耶香では、
苦戦してしまったときなど、適切な対処ができるとは思えなかった。
そして、山寺までは少なくとも5里(約20キロメートル)からあるので、
今から行っても、到着するのは夜になってしまうだろう。
「そうだよ。兵なんか動かせるの? 」
真希は紗耶香の変貌に驚いていたが、
こんな無謀な作戦は中止させないといけない。
さらに、この戦の総大将は裕子なのである。
裕子の許可もなく、勝手に戦をしかけていいのだろうか。
「ちょっとー! 梨華ちゃんの葬儀が先でしょうがァァァァァァァァァー! 」
真里が怒鳴ると、紗耶香は彼女をにらみつけた。
その迫力に驚いた真里は、横にいたなつみに抱きつく。
止めてもムダ。なつみは紗耶香の恐ろしい気を感じている。
あの渡辺綱ともあろう武将が、紗耶香の気に呑まれ翻弄していた。
「モンクがあるヤツはいるか? 」
紗耶香がすごむと、誰もが息を呑みながら首を振る。
今の紗耶香であれば、反対意見を言うものを容赦しないだろう。
冬の太陽を反射させた紗耶香の目は、見るものに恐怖をあたえた。
それは、破壊の神の意思を告げる目であるから当然だろう。
- 183 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/19(金) 19:23
- 「ふん、残りたいヤツは残れ」
「紗耶香どの、お待ちくだされ。敵の居場所はご存知でしょうか? 」
渡辺綱は『備後の山寺』としか聞いていない。
この場所から近い備後の山寺ならば、波浪風呂山の朝娘寺が有名だった。
奈良時代の彫刻師・和田薫(わだのかおる)が彫った如来像が本尊である。
この如来像は、世界的にも珍しいうつ伏せ寝の姿勢をしており、
花山天皇が欲しくてたまらなかったものだった。
「ここから5里先に、朝娘寺というのがある。敵はそこにいるのだ」
「朝娘寺! 紗耶香どの、あそこには『うつ伏せ如来像』がありまする。
あの像を傷つけたりしたら一大事。慎重に攻めなくてはなりませぬなあ」
花山天皇は自分のものにできなかったので、国の宝に指定してしまった。
国の宝ともなると、勝手に売買することができないばかりか、
うっかり傷をつけたりすれば、まちがいなく首が飛ぶことになる。
朝娘寺を奪還し、仏像も無傷であれば、朝廷から褒美がもらえるだろう。
「ふん、たかが木を彫っただけのものだろうが」
たしかに、どんな仏教美術であっても、人間が木を彫ったものにすぎない。
たき火に放りこめば燃えてしまうし、シロアリに食い荒らされることもある。
どんなに有名な彫刻師が彫ったものでも、タダ同然の木が原料なのだ。
燃えもすれば腐りもする。だからこそ、仏像は尊ばれるのだった。
- 184 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/19(金) 19:23
- 「されど、あの如来像は―――」
「出撃じゃァァァァァァァァァァー! 」
紗耶香は渡辺綱の話を途中で遮ると、
馬の腹を蹴り、えらい勢いで疾走してゆく。
その後を、弓と槍をかついだ兵たちが追って行った。
乾いた道に土ぼこりがたち、なつみは咳をしながら後を向く。
「ゲホゲホゲホ―――どうしたっていうんだべさ! 」
「いちーちゃん! 待ってよー! 」
真希は近くにつないであった馬に飛び乗ると、
落馬しそうになりながらも、紗耶香を追いかけてゆく。
真希が乗馬をできるとは、誰も知らなかった。
いや、真希は馬に乗ったことなどない。
しかし、持ち前の運動神経の良さで、
初めてでも何とか乗馬をこなしてしまう。
「なつみどのもまいりましょう」
渡辺綱が馬上から手をさしのべる。
なつみの体型では、乗馬などできないと思ったからだ。
その厚意に憤慨したなつみは、綱と同乗を断り、
比較的大人しそうな牝馬に会話ができる術をかける。
そして、ていねいに挨拶しながら背中に乗ってみた。
- 185 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/19(金) 19:24
- 「なっち、初めて乗馬するべさ。悪いけど教えてね」
なつみの素直な言葉に、牝馬はクスクスと笑う。
牛やブタとはちがい、馬は奇蹄目だったが、なつみの笑顔に協力を惜しまない。
牝馬は腰の浮かせ方や、手綱の引き方などの合図を、なつみに教えてゆく。
そして、実際に走ってみて、なつみの乗馬の基礎を教えた。
「ほう、なつみどのが乗馬できるとは」
「バカにするんじゃないべさ! 」
なつみは強気で言ったが、本音は怖くてしかたない。
馬の背というのは、予想以上に揺れるものなのだ。
鞍をつけていないと、とてもではないが乗れるものではない。
なつみに乗馬の基礎を教える牝馬も、乱暴な男に乗られるより、
優しく扱ってくれる若い娘に乗られた方がよかった。
「それでは、それがしは真里どのを」
「ああ、頼むべさ」
「ちょちょちょ―――ちょっと待ってよー! 」
うろたえる真里をよそに、渡辺綱は片手で彼女を抱き上げ、自分の前に座らせた。
初心者、特に子供と2人乗りする場合、何があっても前に座らせるべきである。
真里は子供ではなかったが、体格的には同じようなものだった。
そして、震えながら馬のタテガミにしがみつく真里を見ながら、
渡辺綱は勢いよく馬を走りださせたのである。
- 186 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/19(金) 19:24
- 「わァァァァァァァァァーん! 馬も怖いよー! 」
真里と渡辺綱を乗せた馬が走り去ってゆくと、
なつみは残った数名の兵に向かって梨華のことを頼んだ。
兵たちは嬉しそうに「お任せあれ」と言ったが、
なつみはちゃんとクギをさしておく。
「梨華ちゃんにいたずらするんじゃないべよ」
「いいいい―――いえ、けっしてそのような」
「何かあったら、なっちが許さないからね」
源頼光の家来たちは紳士ばかりであるから、
梨華の死体に悪さをしたりはしないだろう。
しかし、なつみは念には念をいれていたのだ。
いくら死体になってしまったとはいえ、
梨華が若い娘であるのには変らない。
「けっして帯をほどくようなことはいたしませぬ」
「約束だべよ! 」
なつみは兵たちをにらむと、紗耶香の後を追うことにする。
大声で「なっちも行くべさァァァァァァァー! 」と言うと、
「耳もとで大声だすんじゃないわよ! 」と牝馬に叱られた。
「ご、ごめんなさい」
なつみが謝ると、牝馬は手をぬいた走りで進みはじめる。
颯爽と走る姿を想像していたなつみは、少し落胆してしまうが、
何しろ初心者であるため、牝馬を怒らせたら元も子もない。
なつみは寒空の下、媚をうりながら牝馬を走らせていった。
- 187 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/19(金) 19:25
- その少し前、彩はいつものように、近隣の村々から、
『死者還りの法』で媒体となる男を集めていた。
いい仕事があるからと嘘をつき、男たちを山寺に集める。
そんな作業が一段落し、彩は山寺に向かって馬を進めていた。
「うん? 」
彩の視界のかたすみに、少女を押し倒す男の姿が映った。
こんな山道に旅人がいること自体、とても珍しいことである。
さらに、小柄な少女を押し倒すといった光景も、
とても珍しいことだった。
「ハァハァハァ―――痛くないからね」
彩は馬の背の上から、木陰で少女を犯そうとする男を見ていた。
こんないたいけな少女でも、いつかは男を知るのだろう。
そんなことを思いながら、彩は通りすぎようとした。
ところが、彩は少女が虚空を見つめているのに気がついた。
(あの娘は障害があるのか? それとも壊れているのか? )
彩が少女を見ていると、おかしなことに気がついた。
少女は全裸だったが、脱がされたはずの着物がないのだ。
それは、どこかで全裸にされ、ここまで移動したにちがいない。
さらに、少女の上半身には、乾いて変色した血がこびりついている。
彩はどうも少女のことが気になり、馬から飛び降りた。
なぜ、彩がそんな行動をとったのか。
それは彼女自身にも分らなかった。
- 188 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/19(金) 19:25
- 「どけ! 」
彩は挿入直前の男を蹴り、少女の様子を観察してみる。
その表情には喜怒哀楽がなく、完全に壊れているようだ。
彩はしゃがみこむと、少女の頬をつついてみる。
幼く見えるが、どうやら15、6くらいの年齢らしい。
「名前は? 」
「―――のの」
この壊れた娘は、全裸で逃げてきた希美だったのである。
恐怖から錯乱してひとみを刺し、希美は完全に壊れてしまった。
面識がない彩は、何を思ったか希美を小脇にかかえた。
希美に挿入する直前、いきなり怖い顔の女に脇腹を蹴られた男は、
獲物を横取りされてしまい、彩の羽織をつかんで抗議した。
「テメエ! 何の権利があって横取りするんだ! 」
「うるさいな。死んじゃえ」
彩は男の首をつかむと、そのままへし折り、
道の右手にある谷へむかって放り投げた。
そして、男の着ていた着物で希美を巻き、
馬に飛び乗ると、山寺に向かって馬を進める。
別に希美を憐れに思ったわけではない。
彩は自分でも、どうして希美を助けたのか分らなかった。
- 189 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/19(金) 19:26
- 山寺に希美を連れ帰った彩のところへ、
『死人還りの法』で復活した死霊たちが集まってきた。
男の肉体に召喚された死霊たちは、生きている証がほしい。
つまり、女がほしくてしかたなかったのだった。
「彩さま。この娘は? 」
「拾ったのだ」
「オレたちにくだされ! 」
股間をふくらませた男が、希美の尻をなでまわした。
下賜しようものなら、男たちは希美が死ぬまで、
いや、死んでも肉体が残るかぎり犯しつづけるだろう。
生娘である希美が2000人もの相手をできるワケがない。
「じょうだんじゃない。これは私のものだ」
彩は男たちに馬の手綱をわたすと、虚空を見つめる希美を小脇に抱いたまま、
彼女が自分の部屋として使っている小さな伽藍へと消えていった。
下賜を許されなかった男たちは、残念そうに彩の後姿を見送る。
きつい顔だが美人の彩と美少女の希美は、男たちの性欲を著しく刺激した。
「やりてー! 」
中には女が欲しいあまり、充代や巫女たちに襲いかかるものもいたが、
そういった暴走は、彩が絶対に許さなかったのである。
一度、統率系統が乱れてしまうと、とりかえしがつかなくなってしまう。
彩によって八つ裂きにされた男は、すでに十数人に及んでいた。
- 190 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/19(金) 19:26
- 彩が娘を拾ったことは、すぐに明日香の耳にも入ってきた。
あれから明日香は、こっそりと山寺まで偵察に行ったのである。
その山寺で、明日香はひとみの墓を発見した。
誰かが山賊の死体を火葬にし、ひとみの墓をつくったのである。
梨華の生死は不明だったが、あの傷ではきっと死んでいるだろう。
「あやっぺ」
「明日香? 」
希美といっしょに風呂に入っていた彩のところへ、
娘を拾ったと聞いた明日香がやってきた。
明日香が戸を開けると、彩が希美を湯につけていた。
「やっぱりそうだ。その子は希美っていうんだよ」
風呂場の湯気が彩の表情をかくしていたが、
彼女の驚愕の気が明日香にも感じられた。
彩が希美を拾ったというのも、きっと何かの縁なのだろう。
檜風呂の香りと女の体臭が充満する空間の中、
彩の低い声が風呂場に響いた。
「まさか! あの娘たちの仲間だったのか? 」
彩は驚いて希美の気を探ってみるが、やはり完全に壊れていた。
全裸で一晩も走り回ったせいだろう。希美はひどく弱っている。
しかし、湯に入れて体を温めると、全身の血色がよくなってゆく。
希美はひどい低体温症になっていたが、もうだいじょうぶだろう。
- 191 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/19(金) 19:26
- 「仲間っていうより、オマケみたいなものじゃないかな」
明日香はミカに化け、ひとみを暗殺するつもりだった。
ところが、予想に反して梨華がついてきたので、
内心、小躍りして喜んでいたのである。
だが、希美という存在自体を知らなかった明日香は、
彼女をどうするか迷っていたのだった。
「ミカを知っている子なんだろうね。まあいい。この子は私がもらった」
そう言う彩の目が、昔の優しい光を放っている。
彩は希美を性的な対象にしているワケでもない。
とにかく、そばに置いてかわいがりたいのだ。
それは、人形を離さない幼女のような感覚だった。
「どうしたっていうの? 」
たしかに、昔の彩はきついところもあったが、
花鳥風月を愛で、幼い明日香をかわいがる優しさがあった。
しかし、一族のために女を捨ててからというもの、
彩はいつも冷酷な目をもっていたのである。
明日香は優しい彩が大好きだったが、今の彼女には動揺していた。
「何が? 」
彩は希美の頭をなでながら、かたときも目を離さない。
明日香はそれ以上、何も言わずに、その場を立ち去っていった。
- 192 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/19(金) 19:27
- 今回はこれで終わりにします。
また、来週更新しますので、よろしくおねがいします。
- 193 名前:名無し弟 投稿日:2003/12/24(水) 20:51
- と思ったら、このペースでは年内中に、この章すら終わりません。
昨日、少しは書いたので、更新したいと思います。
予定がないよ〜。イブだってのに―――
- 194 名前:名無し弟 投稿日:2003/12/24(水) 20:52
- 《殺戮》
寝る間も惜しんで『死者還りの法』を行う充代とは対照的に、
彩は希美といっしょに、日が暮れると早々に床へついていた。
彩が抱くと希美は本能的に、彼女の胸をさわっている。
きっと赤ん坊の糧である母乳を探しているのだろう。
「あはっ、小さいし、おっぱいは出ないけどね」
彩が優しく言うと、希美は大きな目を彼女に向けた。
夜目のきく彩には、希美の顔がよく見えている。
希美の顔は人形のようにかわいらしく、
彩は彼女の頬に唇を当ててみた。
「―――あ―――った」
希美は彩の乳房をじかにさわり、心なしか嬉しそうな顔をする。
そんな希美の頭を優しくなでていると、彩は殺伐とした自分の心が、
しだいに癒されてゆくのを感じていた。
何かをかわいがり、それで心が癒されてゆくのは人間の心理である。
彩は無意識のうちに、それを実行していたのだった。
「寒くない? 」
彩は布団をかけなおし、希美を胸に抱きしめる。
彼女もふつうの人生を歩んでいたら、もう子供がいる歳だった。
ワンパクな子供に手を焼き、優しい夫といっしょに生活する。
そんなあたり前の人生を、彩は捨ててしまったのだ。
- 195 名前:名無し弟 投稿日:2003/12/24(水) 20:53
- 「寝てる場合やないで! 」
そんななごやかな空気を一瞬にして壊したのは、
『死人還りの法』を行っているはずの充代だった。
せっかく、彩は心が癒されていたというのに、
充代はその雰囲気を平気で壊してしまったのである。
いくら仲間でも、これだけは許せることではなかった。
「きさま! 何のつもりだ! 」
彩が怒って起きあがると、さすがの充代も戦慄をおぼえた。
しかし、怯えていては、緊急事態を伝えることができない。
充代は今にも殴るような勢いの彩に、深刻な事態を伝えた。
「すまんな。敵が攻めてくるんや! 」
彩は充代が言った意味が分らなかった。
なぜなら、敵の主力は長門にいるはずである。
昨日の段階では、まだ食糧調達に手間どっていた。
いくらなんでも3000からの軍勢の食糧調達が、
そうかんたんにできるワケがないだろう。
「何をバカなことを」
彩は気を集中させ、あたりの強い気を探してみる。
すると、とてつもなく大きな気が、えらい速さで接近していた。
いくら『死人還りの法』を行っていた充代でも、
これだけ大きな気であれば、気づかないワケがない。
- 196 名前:名無し弟 投稿日:2003/12/24(水) 20:53
- 「この気は―――まさか! 」
彩は暗い部屋の中で、しのび寄る恐怖と闘っていた。
その強力な気は、あの菅公に勝るとも劣らない。
しかも、娘のひとりの気に酷似しているではないか。
彩は寒い空気が入ってきた暗い部屋の中で、
思わず希美を抱きしめ、とにかく冷静になろうとした。
「とりあえず、2000の兵で応戦しよか? 」
充代は『死人還りの法』で復活した死霊たちで、
この寺を守らせるかどうか聞いてみた。
源頼光の軍勢は一騎当千のつわものぞろいだが、
こちらの死霊は恐ろしい術を使うことができる。
10倍以上の兵力で攻められたら守りきれるかどうか分らないが、
数倍であれば、圧勝できるだけの力は持っていた。
「いや、ここを捨てよう。山賊どもに死守させろ」
彩はすばやく着替えると、希美に暖かい着物を着せる。
そして、全軍に備中への移動を命じたのだった。
- 197 名前:名無し弟 投稿日:2003/12/24(水) 20:54
- 瘴気がうずまく山寺が見える場所に紗耶香が到着したのは、
すでに月が頭上に輝く深夜になっていた。
紗耶香は道が少し広くなったところで馬をまわし、
後続の到着を確認しようとしている。
馬とともに息をきらせながら真希が追いつくと、
紗耶香は嬉しそうに微笑みながら声をかけた。
「おまえが馬に乗れるとはな」
馬というのは、思ったより足が遅いものである。
まして、人間を乗せて走るので、その移動速度はたかが知れていた。
当時の馬というのは、農耕馬が主流だったので、あまり速く走れない。
馬重こそ100貫(約375キログラム)近くあったものの、
背高は4尺(約120センチメートル)くらいしかなかった。
「もう、必死だったよ」
真希が吐く息は、月明かりに白く照らされていた。
馬の汗が湯気となり、一種幻想的な雰囲気がある。
やがて、完全に失神した真里を乗せた渡辺綱の馬が現れ、
その後から苦しそうに息を吐く兵たちが走ってきた。
「まだ200人か。これでもいいが、もう少し待とう」
紗耶香が馬をまわしながら待っていると、
体調が悪いものや足の遅いものが追いついてくる。
彼らの背後で牝馬から声をかけて励ましていたのが、
ほかならぬ、なつみだった。
- 198 名前:名無し弟 投稿日:2003/12/24(水) 20:55
- 「ほれほれ、がんばれ。心臓が停まったら、なっちが助けてやるべさ」
最後尾のなつみがやってくると、450人の兵が勢ぞろいした。
兵たちは息をきらせていたが、その士気は寒空を焦がすほど高い。
紗耶香は兵たちの士気に満足し、かんたんな作戦を説明する。
だが、その作戦を聞いた渡辺綱は、驚いて腰をぬかしそうになった。
「ややややや―――焼き払うですと! とんでもない! 」
紗耶香の作戦は、一斉に火矢を射かけ、寺が燃え上がるのを待ち、
熱さに耐えられなくなって出てきた敵を狙い撃ちするというものだ。
そのためには拡翼の陣形をつくり、敵を中央に寄せなくてはいけない。
運よく、朝娘寺の背後は険しい山であり、両脇には数十間もある谷がある。
敵が出てこれるのは、狭い正面からしかなかった。
「きさまに意見など求めておらん! 」
紗耶香がにらむと、さすがの渡辺綱でも、思わず目を背けてしまう。
それほど、彼女の冷たい目は怖かったのである。
なつみに活を入れられ、正気にもどった真里は、
紗耶香の恐ろしい目に驚き、渡辺綱の後にかくれた。
「この気だと中のものは、せいぜい1000人くらいのものだべね」
彩は周辺の山賊を味方にし、1000人もの兵力を持っていた。
もともと、朝廷に不満がある連中が山賊をしているワケだから、
彩が彼らを懐柔するのに、まったく苦労はしなかったようである。
それでも、疑い深い山賊たちを味方にするというのは、
かなり以前から計画していないと、できるものではなかった。
- 199 名前:名無し弟 投稿日:2003/12/24(水) 20:55
- 「いちーちゃん、倍の兵力だよ。勝てるの? 」
真希は仏像などより、勝負のゆくえの方が心配だった。
もし、ここで手痛い負けを喫したら、後にまで影響がでてくる。
心配する真希をよそに、紗耶香は勝利を確信して笑みをもらす。
この自信がどこから出てくるのか、真希には不思議でならなかった。
「綱、敵もまさか焼きはらうとは思っていないだろう」
「されど、あの仏像は花山天皇が―――」
「ここで負けては、仏像もクソもないだろうが! 」
たしかにそうだった。
ここで負けたり、多数の犠牲を出したりすれば、
敵はそれだけ平安京に攻め上りやすくなるのだ。
そうなってから後悔するよりも、確実に勝つことを考えるのが、
ほかでもない武士のつとめなのである。
「それもそうじゃ。いや、紗耶香どの。感服つかまつった! 」
渡辺綱は紗耶香の考えに、自分の未熟さを痛感していた。
しかし、紗耶香が朝娘寺を焼きはらう大義名分を掲げたのは、
単に殺戮を楽しみたかっただけなのである。
頭上の月が瘴気にともなう雲にかくれると、
あたりには1寸先も見えない漆黒の闇がおとずれた。
そんな闇の中でも、紗耶香の目は恐ろしく輝いている。
それを見た真里は、短く悲鳴をあげてしまった。
- 200 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/24(水) 20:56
- 「月もかくれたことだし、攻撃を始めようではないか」
紗耶香がニヤリと笑うと、渡辺綱が配下の兵に号令をかけた。
弓を持った200人が前面に出て横一列に並ぶと、
松明に火をつけ、そこから火矢に火をうつしてゆく。
山門まで、わずか30間(約54メートル)の距離なので、
境内の山賊が慌てているのが見えた。
「用意はよいか? ―――放てー! 」
紗耶香の号令を合図に、山賊たちの籠もる朝娘寺へ、
おびただしい数の火矢が射ちこまれる。
200本の火矢は、朝娘寺を炎上させるのに充分な数だった。
またたく間に本堂や伽藍、外壁、門までが紅蓮の炎をふきだしてくる。
境内の山賊たちは、必死になって消火作業をするが、それこそ焼け石に水だった。
「あははは―――山賊どもが慌ててる」
紗耶香は境内の山賊が右往左往するのがおもしろいらしく、
指をさしながら笑い声をあげていた。
炎の勢いが強まると、上空を覆っていた瘴気が、
少しづつ浄化されはじめてゆく。
有機質を無機質に変える燃焼は、
この世への未練を断ち切る効果があるようだ。
「うひゃー! まるで山火事だね。これは」
炎の勢いがさらに強まり、およそ30間(約54メートル)
離れた真里にも、その熱さが伝わってきた。
山賊たちは消火をあきらめ、少しでも熱くない場所へと避難する。
まさか、田中義剛の作品がある寺を、何の躊躇もなく、
焼き討ちにするとは、山賊たちも思わなかっただろう。
- 201 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/24(水) 20:56
- 「そろそろ出てくるぞ」
紗耶香は200人の弓隊を前面に押しだした。
30間弱の距離であれば、弓隊の本領発揮ができる。
やがて、門が焼け落ちる前に、熱さに耐えきれなくなった山賊が、
起死回生を狙って飛びだしてきた。
「放て! 」
紗耶香が白刃を振るって合図すると、50人ばかりの山賊に、
じつに200本の矢が向かっていったのである。
討って出た山賊たちは、全員が数本の矢を受けて昏倒し、
誰ひとりとして起き上がるものはいなかった。
「うわァァァァァァァァァァァー! 」
背中に火がつき、イチかバチか飛びでてきた男も、
数十本の矢を受けて昏倒し、そのまま燃えてしまった。
朝娘寺を覆いつくす紅蓮の炎は、20間(約36メートル)
上空にまでおよび、それは天をも焦がす勢いである。
境内の山賊たちは、熱気と酸欠に苦しみながら、
必死に耐えているようだった。
「あははは―――ガマン強いもんだな」
紗耶香が感心しながら見ていると、朝娘寺の外壁が壊され、
着物から煙を出しているものや、ほぼ全裸でヤケドを負った山賊が、
槍や太刀を手に、命を賭して突進してくる。
その数は数百人におよび、大半は弓隊が斃したものの、
いつの間にか白兵戦に移っていた。
- 202 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/24(水) 20:57
- 「あははは―――あははは―――」
紗耶香は楽しみながら、山賊たちを斬り殺してゆく。
やがて太刀が刃こぼれをおこし、思ったように斬れなくなると、
彼女は落ちていた槍を拾いあげ、それで山賊を突き殺していった。
あちこちで血しぶきがあがり、地面は大量の血でぬかるんでしまう。
一騎当千を誇る源頼光軍が、このくらいの山賊に負けるワケがなかった。
「おおっ! 」
すさまじい音をたてて本堂が焼け落ちると、
もはや闘いは終盤にむかっていた。
興奮した紗耶香は嬉しそうに笑いながら、
まだ多くの山賊が残っている境内へと馬を進める。
それを見た真希は、あわてて紗耶香のあとを追った。
「いちーちゃん! 危ないよ! 」
壊された外壁から境内に入った真希は、
逃げ惑う山賊たちを容赦なく突き殺す紗耶香を見て戦慄が走る。
そこは、この世の地獄といってもいい状況だった。
追いつめられ、炎の中に足をふみだし、そのまま燃えてしまう男を見て、
紗耶香は馬上で腹をかかえて大笑いしている。
それは、けっして狂っているのではなく、虐殺を楽しんでいるのだ。
「た、たすけてー! 」
真希に助けを乞い、走ってきた男を、紗耶香は馬から飛び降りながら突いた。
体を貫いた槍は地面に突き刺さり、男は立ったまま、その場に固定されてしまう。
槍を手放した紗耶香は、落ちていた太刀を拾い、手当たりしだいに斬り殺してゆく。
遅れて境内に入ってきた兵たちを見て、山賊たちは武器を捨てて降伏した。
- 203 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/24(水) 20:57
- 「あははは―――真希、ずいぶんやっつけたぞ」
紗耶香は返り血を浴び、すさまじい表情になっていた。
茫然とする真希の横にきた紗耶香は、桟敷にどっかりと腰をおろす。
下火になった炎に照らされ、紗耶香の満足した顔がうかびあがった。
息がきれるまで殺戮を楽しみ、彼女はよほど嬉しかったのだろう。
「紗耶香どの。降伏した山賊は300人あまりですぞ」
渡辺綱が笑顔で報告にくると、紗耶香の顔色が変ってゆく。
天を焦がすほどの火事によって上昇気流が発生し、
暖められた空気と上空の瘴気がもたらした雲とが合わさる。
それによって、上空の雲は雨雲に発達していた。
「誰が降伏を許したのだ」
紗耶香は責めるような目で、渡辺綱をにらみつけた。
渡辺綱はどんな相手であれ、降伏したときこそ、
誠意をもって扱うのが武士道だと思っている。
そのためか、紗耶香が何で怒っているのかが分らない。
ついに上空の雲は低い音で鳴りはじめ、雷雲に発達している。
その雲から落ちてきた雨粒が、紗耶香の頬に命中した。
- 204 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/24(水) 20:58
- 「は? 」
「たわけめ! 皆殺しにするのだ! 」
紗耶香がどなるとともに、はげしい雷が鳴った。
青白く光った稲光が彼女の顔を、より恐ろしく映している。
その顔に戦慄をおぼえた渡辺綱は、腰をぬかさんばかりに驚いていた。
「み―――皆殺しですと! 」
いくら山賊とはいえ、武器を捨てて降伏したというのに、
それを容赦なく殺してしまうというのは、あまりにもかわいそうだ。
恐怖に震える渡辺綱をよそに、紗耶香は意気消沈した山賊たちを、
ひとりずつ火の中に放りこんでは、歓喜の声をあげていた。
「―――いちーちゃん」
紗耶香が行う殺戮を、真希は泣きそうな顔で見ていた。
幼いころからいっしょに育ち、真希の憧れだった紗耶香。
その紗耶香が、狂ったように殺戮を楽しんでいる。
殺人など珍しい時代ではなかったが、これは常軌を逸していた。
「紗耶香どのは、いかがされたのじゃ? 」
猛将・渡辺綱も、紗耶香の変貌ぶりに動揺している。
気さくで優しかった紗耶香の面影は、もはや感じることができない。
いったい、何が彼女を変えてしまったのか、渡辺綱には想像すらつかなかった。
- 205 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/24(水) 20:58
- 《紗耶香の正体》
そのころ、彩たちは裏街道を使い、密かに備中へと逃れていた。
馬の背で揺られながら、希美は彩に抱きついて寝息をたてている。
そんな希美が寒くないか、彩は心配でならなかった。
「寝とるんか?」
巨大な彩の馬の横で、ごく普通の馬に乗った充代が訊いた。
彩は希美を起こさないように、眼だけで「そうだ」と言う。
ようやく東の空が明るくなって来て、裏街道の山道も、
幾らか移動し易くなり始めていた。
「ああ。でも、あの娘は、いったい何者なんだ?」
「それは・・・・・・」
充代程の者であれば、紗耶香が倭建命の生まれ変わりである事くらいは、
容易に見破る事が出来るだろう。
しかし、充代は言葉を濁し、彩に本当の事を話さなかった。
なぜなら、彩は大宰府で菅公文書を読み、倭建命を恐れたからである。
破壊の神である須佐男命の化身である倭建命は、
かつて九州に住む住民を皆殺しにした恐怖の英雄なのだ。
「とにかく、あんな凄い気を持つ娘がいるのだ。何とか阻止しないと」
頭のよい彩であるから、すでに次の作戦は出来上がっているだろう。
上洛途上の抵抗勢力、平安京の守備隊、安倍晴明などの存在を考えれば、
5000の死霊軍を組織すると、何とか勝つ事が出来た。
- 206 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/24(水) 20:59
- 「まあ、何でもええわ。出来るとこまでやろうやないの」
有紀や寺田、圭といった有能な部下を失い、彩は持駒に困っていた。
従姉妹の明日香を阻止線に置けば時間を稼げるだろうが、
あの気を持つ紗耶香が相手では、死んでしまう可能性が高い。
問題は上洛戦の敵ではなく、背後を脅かす強大な気だった。
「絶対に負けられない。この戦だけは」
彩はそう言うと、眠って力の抜けた希美を抱き換えた。
一族再興のために、人生の全てを捧げた彩にとって、
この戦で負ける事は、自身の死を意味している。
魔物と契り、その力を得た彩は、生きても死んでも地獄だった。
「その子やけどな。正気に戻らせてやろか?」
「そんな事が出来るのか?」
充代は「まあな」と言うと馬を寄せ、希美の額に手を当ててみた。
攻撃的な呪文を使う事は出来なかったが、充代には人を癒す力がある。
とりあえず、彼女は希美の記憶を読み取っているのだ。
僅か数秒ほど額に触れただけで、充代は希美の記憶を全て覗いたのである。
充代は何度も頷きながら、希美に向かって印を切った。
「何をしたんだ?」
彩は充代が変な事をしたのではないかと、訝しげに眉を顰めていた。
これほど可愛がっている希美に、何か痛い事をしたのなら、
いくら充代であっても、彩は容赦しないつもりである。
ところが、充代は笑顔になり「これでええ」と言った。
- 207 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/24(水) 21:00
- 「少しだけ記憶を消して、弄っておいたで」
充代は簡単に言うが、これで本当に希美は正気に戻るのだろうか。
男に犯されそうになっても、ただ虚空を見詰めるだけの希美が、
これだけの事で正気に戻るとは、どうしても信じられない彩だった。
「何の記憶を消したんだ?」
充代は希美から消し去った記憶を、詳しく彩に聞かせた。
亜依やミカの記憶、そして娘達の記憶を消したのである。
そして、何よりも廃墟の中で犯されそうになった恐怖の記憶と、
ひとみを刺し殺してしまった記憶を消したのだった。
「あの娘を殺したのか・・・・・・信じられないな」
「大勢の山賊に犯されそうになったんや。身を守りたい一心だったんやろな」
偶発的な事故と言ってもいい、ひとみを刺し殺した事は、
希美が壊れた最大の要因となっていた。
この記憶を消し去る事で、希美はかなり楽になるだろう。
怖い記憶。そして、耐え難い悪事をはたらいた記憶。
これらを消去することで、希美は正気に戻るに違いない。
「日の出だな。冷えてきた」
前方の山から朝日が顔を出すと、あたりが急に白くなって行く。
全ての水分が氷結し、一日の中で最も乾燥した時間である。
道端の枯れ草に霜が降り、地面は硬く凍り付いていた。
馬が闊歩するたび、カツカツと乾いた音を立てている。
鼻や耳など、血の巡り悪いところが冷たくて仕方ない。
- 208 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/24(水) 21:00
- 「こんな可愛い子を、風邪ひかせたらあかんで」
充代が言うと、彩は目尻を下げて微笑み、希美を抱き締めた。
嬉しそうな彩の笑顔は、充代の心も温かくしている。
悲惨な人生を送る彩だったが、希美という愛する者を得て、
彼女の凍っていた心も着実に変って行った。
「ハクション!寒いのれす!」
希美が眼を覚まし、くしゃみをして失笑した。
彩は希美を抱き締め、少しでも暖かいようにしてやる。
苦しいくらいに抱き締められた希美は、
照れ臭そうに彩を見上げた。
「苦しいよ。おかあさん」
いきなり『おかあさん』と呼ばれた彩は、眼を丸くして希美を見た。
十歳も違わないので、いくら何でも『おかあさん』は無いだろう。
すると、希美は舌を出しながらにっこり笑うと、彩に抱き付いて来る。
そんな希美が可愛くて仕方ない彩は、胸に抱きながら頭を撫でてやった。
「うちは『充代ねえちゃん』や」
「・・・・・・こいつ」
彩は充代を睨んだが、すぐに笑顔になった。
- 209 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/24(水) 21:00
- 朝娘寺で虐殺を行った紗耶香は、例のお堂まで引き揚げた。
ここで後続を待ち、彩達が逃げたと思われる備中攻略の準備をするためである。
いくら鬼神が降臨したような紗耶香でも、五百足らずの兵ではどうし様もない。
紗耶香は暴れまくって疲れたのか、お堂の中で毛皮を着て寝てしまった。
「ちょっとー! どうして梨華ちゃんが、きれいに洗われてるんだべさ!」
死体になった梨華は、死に化粧をされ、汚れを洗われていた。
これは誰かが着物を脱がし、身体に付いた汚れを落としたのである。
なつみは絶対に悪さをしないよう釘を刺しておいたのに、
留守役の兵達は、梨華に何かをしたようだ。
「ごごごご・・・・・・誤解でござる!近くに住む村娘が・・・・・・」
「問答無用だべさァァァァァァァァァァァァー!」
なつみは棍棒を振り上げ、慌てて逃げる兵達を追い回した。
お堂の付近には陣幕が張られ、留守役の兵達は苦労したようである。
梨華の帯を解く時間など、恐らく無かったに違いない。
それでもなつみは、自分が納得するまで兵達を追い掛けた。
自分とひとみとの対立が、罪も無い梨華を死なせてしまったのではないか。
なつみはそう思い込んでおり、かなり苦しんでいたのだった。
「なっち、悪戯されてないよ。梨華ちゃん」
真里はきれいな死に化粧された梨華を見て、
これは男の手によるものではないと思っていた。
もしも男が梨華の死体に悪さをしたのなら、
まさか、ここまできれいに死に化粧などしないだろう。
- 210 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/24(水) 21:01
- 「だったらいいけどね」
なつみは兵を追うことをやめ、恐る恐る顔をだした村娘たちに微笑んだ。
さすがに源頼光の家来は紳士である。村娘を呼び、報酬を渡していた。
召集された村娘達も、紳士な兵達に守られ、安心して作業したようである。
優しくされた村娘達は、善意で兵達の食糧を用意していた。
「渡辺綱様、坂田金時様にご注進!裕子様、貴子様におかれましては、
昼過ぎに到着の予定との事!取り急ぎ報告まで!」
母衣武者(大将の伝令係)が早馬で駆け付けると、
馬を乗り換えながら報告し、本隊へと戻って行った。
裕子と貴子は紗耶香の覚醒を悟り、食糧調達を源頼光に任せ、
とりあえず、平李武以下五百とやって来たのである。
総大将が近くまで来ていると知り、兵士達は鬨の声を上げた。
「まりっぺ、おばさん二人が来るべさ。迎えに行こうよ」
なつみが誘うと、徹夜で疲れていた真里も、笑顔で頷いて彼女の腕に抱き付いた。
真里が体重をかけると、なつみはその重さに重心を崩し、倒れそうになってしまう。
見た目には太っていないが、真里は急に重くなったようである。
なつみと違い、それほど大喰らいではない真里なので、俄かに太ったとは思えない。
「重いべさ!太ったんじゃないの?」
「まさか。これだよ」
真里が着物を捲ると、そこには沢山の手榴弾がぶら下がっていた。
彼女は万が一に備え、手榴弾の携行数を増やしていたのである。
そのため、なつみには真里の体重が、いきなり重くなったと感じたのだ。
- 211 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/24(水) 21:02
- 「手投弾だったべか。でも、幾つ持ってるんだべか?ひいふうみい・・・・・・二十個!」
誰よりも小柄な真里であるから、
二十個の手榴弾を『持つ』のでは無く、
ほとんど、それは『着て』いたのだった。
自分の体重の四分の一を占める重さに、
真里は身体を鍛えられると思っている。
常時、手榴弾を携行していれば、
それなりに引き締まった身体になるだろう。
少しでもきれいになっていたいという乙女心だった。
「そういえば、なっちは至近で爆発に遭ったよね」
「あの時は死ぬかと思ったべさ」
真里は手榴弾を紐で吊っていたが、同時に導火線も一本に繋いでいる。
手榴弾を投げる時、力を込めて引けば、そのまま導火線に引火する仕組みだ。
この方法だと、倍の速さで連投が出来るので、戦闘時の効率がよい。
こうした真里の実践的な部分での創意工夫する卓越した能力は、
他の娘では、ちょっと真似出来ないところがあった。
「これでも食べて待ってようよ」
真里は懐から和紙に包んだ食糧を取り出す。
なつみは食べる物と聞き、ワクワクしながら口を開けた。
その大口の中へ、真里は和紙に入っていた食糧を放り込む。
なつみが咀嚼すると、苦味の中に酸っぱさがあり、
美味とまでは行かないが、そこそこ食べられるものだった。
- 212 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/24(水) 21:02
- 「ふーん、ちょっと酸っぱいべさ。これは何?」
「これ。蟻を乾燥させたやつ」
真里はなつみの手の平に、蟻を一つまみだけ置いた。
当時、日本人は昆虫をよく食べていたと思われる。
食生活の上で動物性蛋白質が不足していた当時、
昆虫を食べる事は、人間の本能的なものだったのかもしれない。
ところが、平安京の裕福な家に育ったなつみは、
昆虫などは食べた事すら無かったのだ。
「ギェェェェェェェェェェェェェェェー!」
なつみは乾燥蟻を握り締めたまま、白目を剥いて昏倒してしまった。
- 213 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/24(水) 21:02
- 裕子と貴子が到着すると、これまで楽にしていた兵達も、
まるで人が変ったように、実にキビキビと動くようになった。
やはり、高級官僚の前では、少しでも良い部分を演出し、
それなりの評価をして貰いたいのだろう。
ところが、そういった役人根性の無い真里は、
あくまで『対等』としての姿勢を崩さなかった。
「この陣幕ってやつは、どうも好きになれねーな」
真っ白な生地に、天皇家の紋章が描かれている。
この紋章に虐殺され、蹂躙された部族は測り知れない。
天皇家は武力をもって他の民族を征服して行ったのである。
こうした殺戮の歴史が、この紋章には記憶されていた。
「何や。真里しかおらへんの?」
「ひとみと梨華は死んじゃったし、圭織は別行動。
もう、紗耶香と真希、なっちとオイラの四人しかいない」
長門を出る時には希美を含めて八人いた娘も、
今では半分の四人になってしまっていた。
他の娘にまでは気が回らなかった裕子と貴子は、
ひとみと梨華の死を知って、酷く驚いている。
ひとみのように強い者が死んだのであれば、
娘達を放っておく事など出来なかった。
「それで、紗耶香はどこにおるんや?」
貴子はすぐにでも紗耶香と会い、覚醒の有無を知りたかった。
だが、紗耶香と真希は、お堂の中で眠っている。
そのため、紗耶香と会うのは、今の時点では不可能だった。
- 214 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/24(水) 21:03
- 「真希と一緒に、お堂の中で寝てるよ」
そこへ意識を回復したなつみが、よろよろとやって来る。
爬虫類や昆虫が苦手ななつみは、これまでに何度も失神していた。
ひとみと真里に、二度づつ失神させられている。
ひとみには悪意があったものの、真里とは文化の違いでしか無かった。
「もう虫は嫌だべさ」
「おう、なつみやんか。紗耶香が覚醒したんはほんまか?」
「カクセー?珍しい食べ物だべか?なっち、虫とトカゲは苦手だよ」
頭の悪いなつみに『覚醒』と言ったところで、全く通用する事は無かった。
そんな難しい言葉は、平安京の家に置いて来てしまったのである。
貴子が何と言って理解させたらいいのか迷っていると、
真里がすかさず、安倍に通訳のしたのだった。
「なっち、覚醒だよ。覚醒。本来の姿に戻るって意味だよ」
尼寺で育った真里は、こうした教養を身に付けていた。
反対に裕福な家庭で育ったなつみだったが、
何しろ勉強嫌いであるため、難しい言葉など使った事が無い。
真里に指摘されて苦笑するするしか無いなつみだった。
「ねえ、紗耶香があんなに変るなんてさー、オイラ想像もつかなかったよ」
「そうだべさ!紗耶香はどうしたんだべか?」
裕子と貴子は顔を見合わせ、なつみと真里から話を訊く事にした。
なつみと真里は、梨華とひとみが死んだ事。
希美が行方不明なので、圭織が探しに行った事を詳しく話した。
そして、覚醒した紗耶香が朝娘寺で行った残酷な虐殺。
- 215 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/24(水) 21:03
- 「あれが紗耶香なんやな」
貴子は溜息をつき、りんねが運んで来た白湯を飲む。
『あれが紗耶香』と言われても、なつみと真里には何の事だか判らない。
裕子は紗耶香が倭建之命、つまり須佐男命の生まれ変わりである事を、
この二人に告げるべきかどうかで悩んでいた。
「ねえ、紗耶香の正体って何なの?」
「それは・・・・・・」
臆病な真里に全てを話したら、きっと彼女は動揺して逃げ出すだろう。
白湯の入った湯呑を持ったまま考え込む裕子に、業を煮やしたのがなつみである。
なつみは自分に運ばれて来た湯呑と裕子の湯呑を取り替えた。
「あかん!」
貴子が止めようとしたが、もう手遅れだった。
なつみは裕子の持っていた湯呑から、残留思念を感じ取っていたのである。
見る見るなつみは蒼くなって行き、湯呑を落として腰を抜かしてしまう。
それを見た真里は、驚いてなつみに駆け寄り、抱き合って震えていた。
「あんたには、そういった力があったな」
何が起きたのか判らない裕子に、貴子は全て知られた事を眼で訴えた。
りんねは枯草の上で怯える二人を、抱き上げて床几の上に座らせる。
これほどまでに怯えるなつみなど、いったい誰が知っているだろう。
魔物を瞬時に消滅させる力を持つ彼女だったが、破壊の神の前では、
そんな力など何の役にもたたない事を痛感したのだった。
- 216 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/24(水) 21:04
- 「紗耶香はどうなっちゃうんだべさァァァァァァァァァァー!」
「何?何があったのよー!紗耶香は・・・・・・紗耶香はどうしたの?」
何も知らない真里だけが、未知の恐怖に怯えていた。
これほどなつみが怯えるのだから、きっと凄く怖い事なのだろう。
真里にとっては、そう思う事しか出来なかった。
「あの子が本当に破壊の神の化身なら、また悲しみで覚醒するはずや」
「二度目の覚醒までは、あの子の意識と同化出来るやろな。けど・・・・・・」
「べべべべべべべ・・・・・・べさァァァァァァァァァァァー!」
「破壊の神って?・・・・・・紗耶香は何なのよー!」
貴子が言葉を濁すと、なつみと真里は、いよいよ怖くなってしまう。
三度目の覚醒をした時、紗耶香はいったいどうなってしまうのか。
完全な覚醒を遂げ、破壊の神となった紗耶香を、誰も予想する事が出来なかった。
- 217 名前:名無し弟 投稿日:2003/12/24(水) 21:08
- 今日はこのへんで失礼します。
年内中には、この章を終わらせます。
土曜日には更新できると思います。
よろしくおねがいします。
- 218 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/26(金) 14:55
- おねえさんに手伝ってもらいましたね?続きが楽しみです。
- 219 名前:名無し弟 投稿日:2003/12/27(土) 19:18
- >>218
ありがとうございます。やっぱし、バレましたね。
オレは漢字を知らないからなあ―――
- 220 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/27(土) 19:19
- 《それぞれの昼下がり》
なつみと真里が落ちつくと、貴子は説明を始めた。
臆病な真里を怖がらせないように、貴子は慎重に言葉を選ぶ。
風がなければ暖かいのだが、この季節は冷たい季節風がふく。
陣幕が揺れ、冷たい風が体温をうばっていった。
「紗耶香は、ほんとうの人格を秘めて生まれたんやな」
「ほ、ほんとうの人格? 」
真里は固唾を飲みながら、貴子の話を聞いた。
さすがに30近いだけあって、貴子は話の組みたて方がうまい。
さらには、怯える真里の気を読みながら話をしてゆく。
これをされてしまうと、真里は納得せざるをえない。
「今、紗耶香は寝とるんやろ? 目が覚めたら同化しとるわ」
勘のするどい真里であるから、貴子の話はすぐに分った。
覚醒直後は殺戮鬼となるが、人格が融合して同化すること。
つぎに覚醒したら、倭建之命が覚醒すること。
そして、倭建之命は戦の天才であることなどだ。
「寒くてかなわんな。もっと火を増やしてんか」
裕子が陣幕の外の兵に言うと、
またたく間に4人の周囲にたき火ができた。
さらに天気がいいので、4人には黒っぽい羽織がわたされる。
黒は熱の吸収率がよいので、羽織っているだけで暖かくなった。
- 221 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/27(土) 19:20
- 「だったら、『破壊の神』って何よ」
「聞かないほうがいいべさ」
なつみは真里が怯えるのは確実だと思い、
あえて聞かせないつもりでいた。
ところが、そうやって隠されると、
真里の探究心に火がついてしまう。
「隠さなくてもいいじゃん。聞かせてよ」
「聞かないほうがいいべさ! 」
裕子と貴子が顔を見合わせる中、
なつみはきびしい表情で真里をにらんでいる。
なつみがこれほど真剣な顔になるというのは、
よほどのことが起きないかぎり、ありえなかった。
真里は貴子から話を聞く前に、なつみの顔で怯えている。
いつもニコニコしているなつみなので、
たまにこうした顔をすると、印象が強いのだろう。
りんねが遠巻きに、なつみをなだめようとすると、
その真剣な気に、動けなくなってしまうほどだった。
「どうして聞いちゃいけないのよ! 」
「親心がわかんないんだべかァァァァァァァァァァー! 」
なつみに怒鳴られ、真里は反射的に頭をかかえてうずくまった。
やはり、小さな彼女が小さくなると、とてもかわいらしい。
その証拠に、真里を見ていた裕子は、思わず萌えてしまった。
- 222 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/27(土) 19:20
- 「おお、怖かったか? こっちへおいで。姐さんがなでてやるで」
裕子は涙目になった真里を抱きしめてみた。
憎まれ口をきく真里だが、小さくて元気のいい彼女を、
裕子は以前から気にいっていたのである。
貴子はため息をつきながら、詳しく話すことにした。
「紗耶香の覚醒する人格は、破壊の神なんや」
「つまり、須佐男之命のことだべさ」
「黙っとれや! 」
少しでも真里を怖がらせないようにしていた貴子は、
無責任ななつみの言葉に激怒したのだった。
そのままを伝えてしまっては、真里が怯えてしまうだろう。
ここは少しでも、柔らかく話をしなくてはならない。
貴子は真里の質問を濁し、話を別のことにしてしまった。
「亜弥なんやけど、縄張りがちがうで、長門からは連れてきいへんかった」
「ほんとだ。いねーや」
真里はあたりを見回すが、彼女に萌えた若い衆たちがいない。
女としての幸せをあきらめていた真里だったが、
やはり、若い男にチヤホヤされるのは気分がいいものだ。
その表情には、少しだけ残念そうな色が見えていた。
- 223 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/27(土) 19:21
- 備中の国府にやってきた彩たちは、ここで国司と面会した。
彩はとにかく、賊に追われているというだけを告げ、
その間に明日香が国司の娘を殺し、なりすましている。
出雲石黒家の彩を名乗ると、さすがに名門だけあって、
国司は最大級の歓迎の意を表していた。
「して、石黒家の姫さまが、なぜこのようなところへ? 」
広間に通された彩は、国司と対面して座る。
仮にも帝から一国を預かる身であるから、国司は誰よりも高い場所にいた。
しかし、相手が名門の姫さまともなると、そんなことはしてられない。
国司になれるのは、当時、身分が低かった武士として最高の出世だった。
「賊に攻められ家は焼かれ、頼みの出雲国司は見て見ぬふり」
備中国府は古い建物ではあったが、床などはきれいに磨きあげられている。
まるで、自分の顔が映りそうな床板を見ながら、彩は良家の姫を演じた。
演じたというより、彩は正真正銘、良家の姫なのである。
言葉づかいや立ち振舞いなどは、一朝一夕で会得できるものではない。
「それはそれは」
彩が涙ながらに話すと、単純な国司はもらい泣きを始めてしまう。
これだけ大人数の兵を率いているのだから、賊など退治してしまえばいい。
そう考えるのがふつうなのだが、国司は相手は高貴な姫さまであるから、
よほどのワケがあると、勝手に解釈してしまったのである。
こういった単純な男であれば、魔物を乗りうつさせるまでもなかった。
- 224 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/27(土) 19:21
- 「その賊の名は、何と申されまする? 」
「それが、源頼光さまの名を騙る悪党でして」
「源頼光さまの! 」
源頼光といえば、英雄中の英雄であり、武門の鑑として尊敬されている。
そんな源頼光の名を騙るとはと、一途な国司はカンカンに怒ってしまう。
ここまで単純な男も珍しかったが、とにかく騙されやすい性格のようだ。
頭のいい彩の演技で、竹を割ったような性格の国司は、完全に騙された。
「父上、お客さまでございますか? 」
そこへやってきたのは、国司の姫になりすました明日香である。
これでバレるようなら、彩は国司を殺してしまおうと思っていた。
ところが、国司は明日香を自分の娘と信じてやまない。
目の中に入れても痛くないほどかわいがっているので、
客人の前ではあったが、国司は快く明日香を迎えた。
「このお方は、出雲石黒家の彩さまじゃ。ちゃんとあいさつをするのじゃぞ」
明日香がわざとらしいあいさつをすると、国司は満足そうだったが、
姫の正体を知る彩は、思わず吹き出しそうになってしまう。
その彩を見て、明日香は「オホン」と咳ばらいをしてみた。
明日香も石黒家の縁者であるため、良家の姫の立ち振舞いには慣れている。
だが、あまり器用ではないので、どこかで必ず失敗をした。
気位の高い良家の姫こそ、そういった性格のものが多いので、
明日香は、ほぼ完璧になりすましたと言っていいだろう。
- 225 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/27(土) 19:22
- 「賊に追われ、お屋敷まで焼かれたそうじゃ。おかわいそうに」
「父上。かくなる上は、彩さまにお味方するのが、武門の努めではありませぬか? 」
「よう言うた! さすが、わしの娘じゃ! 」
備中は小さな国ではあったが、武士である国司は、200人もの兵を連れていた。
それというのも、備中・備前・播磨の三ヶ国で、軍事協定を結んでいたのである。
賊に手を焼いたときや、災害などの非常時に、互いに助け合うというものだ。
明日香は、この協定に目をつけていたのだった。
「父上。備前や播磨にも、援軍をおねがいいたしましょう」
「おお、何から何まで。おまえも成長したものだな。わっはっはっは―――」
彩と明日香は、言葉たくみに国司を騙し、備後国境へと兵力を集結させた。
領民に人気がある国司であるから、農民の中にも協力するものがでてくる。
わずか1日で、国境には300もの兵が集まっていた。
その間、彩たちは備中めざして移動を始めたのだった。
- 226 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/27(土) 19:22
- 密閉されたお堂の中は、日差しを浴びて暖かくなっている。
周囲には数百人の兵がいるので、紗耶香と真希は安心していられた。
紗耶香が寝返りをうつと、横で寝ていた真希が動く。
暖かいとはいえ冬であるから、2人は大きな毛皮にくるまっていた。
「ああ、よく寝た」
紗耶香は横にいる真希を抱きしめた。
あまり外の光が入らないので、お堂の中は薄暗い。
それでも、目がさめたばかりなので、暗さに目が慣れていた。
これが、いきなり外から入ってきたものであれば、
ほとんど闇の状態にちがいない。
「い、いちーちゃん」
真希が恐る恐る顔をあげると、そこにはいつもの紗耶香がいた。
暗くて髪の色までは分らないが、少なくとも昨夜のように冷酷な目ではない。
昨夜は降伏した山賊を皆殺しにした紗耶香だったが、
あれはひとみと梨華を亡くし、一時的に狂ってしまったのだ。
真希はそう考えることにして、紗耶香の胸に顔をうずめた。
「昨夜は疲れたからね。あたしは―――」
「もう忘れようよ! いちーちゃん、どうかしてたんだよ」
真希は紗耶香に抱きつき、こみ上げる涙をガマンしていた。
くるまっていた毛皮にすき間ができて、そこから冷たい空気が入ってくる。
その冷気に、紗耶香は思わず身を震わせた。
- 227 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/27(土) 19:23
- 「真希、あたしはようやく分ったの」
「何が? 」
真希は紗耶香に抱きついたまま、心臓の鼓動を聞いていた。
胎児のころ、真希や紗耶香。いや、すべての人が聞いていた母親の心臓の鼓動。
その音は懐かしくもあり、どこか気持ちが癒されてゆく感じがする。
やさしい母親の胎内で、人は大切に育まれてゆくのだ。
「これまでのあたし。昨夜のあたし。どっちも紗耶香なんだよ」
「えっ! 」
紗耶香は自身で覚醒した人格を受けいれたのである。
これをしないかぎり、人は精神を病んでしまう。
真希は胸から顔をあげ、見慣れた紗耶香のつぶらな瞳を見た。
そこには、いつもの紗耶香のやさしい瞳があった。
「きっと、あれがあたしの鬼の心。真希は覚えてる? 」
「何が? 」
「初めて人を斬ったときのこと」
それは、なつみたちを救出しに、平安京を出た日だった。
山賊に襲われた紗耶香と真希は、数人の山賊を斬り殺したのである。
そのとき、紗耶香は異様な感覚に襲われていた。
これまで人を殺したことのない紗耶香だったが、
心のどこかで心地よい興奮を感じていたのである。
そんな背徳的な感覚に、彼女は自分自身が恐ろしくなってしまった。
- 228 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/27(土) 19:24
- 「あのとき、小川でいちーちゃんが―――」
「真希」
紗耶香の唇が、真希の唇と合わさった。
人を殺した興奮は、どこか性的な興奮に近かった。
そのため、紗耶香は真希を求めたのである。
それが同性であろうとなかろうと、あの場では関係がなかった。
「昨夜みたいに怖いいちーちゃん、きらいだよ」
「でも、あたしなんだもん」
紗耶香は困ったように、首をかしげながら言った。
恐ろしい自分を紗耶香は受けいれたのである。
今度は、真希が紗耶香のすべてを受けいれる番だった。
紗耶香の右手は、真希の大きな胸の谷間に滑りこんでいた。
「―――やめて。こ、怖いよ」
真希はこれまでに経験したことがないほど、ひどく怯えていた。
彼女の震えはお堂の中の空気を震わし、それが紗耶香にも伝わってくる。
そんな真希を見て、紗耶香はやさしく微笑んだ。
何も怯えることはない。紗耶香は紗耶香なのだ。
「真希は何も考えなくていいの」
紗耶香は真希を押し倒すと、敏感な胸の先端を刺激する。
真希の吐息がもれ、寒いお堂の中に淫靡な空気が流れた。
- 229 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/27(土) 19:24
- そのころ、圭織は希美を探し、備後国府にきていた。
備後国府は彩に攻められて全滅しており、無数の死体が散乱している。
おそらく、彩への協力を拒否した報復だろう。
国府にいた女たちは、誰もが強姦されて殺されており、
タダでさえ悲惨な現場に輪をかけていた。
「ひどい」
立派だった備後国府は完全に破壊され、
西風に煽られた煙が丘にあたる日光を遮断していた。
あたりには、何の音もしない。
ただ、時おり風に吹かれて新たな酸素を得た炎が、
かつて国府の大黒柱を務めていた木材を燃やす音が聞こえる。
すでに、数日間も燃え続けているらしく、
あたりには炭化した木材や灰が残っているだけだ。
「人は殺されるために生まれてくるの? 」
なまじ知恵がついたため、人は同胞と殺しあうのだ。
発達した知恵が人を病気やケガから守るため、
人は殺しあうことによって、増えすぎないようになっている。
それが、この世においての、人間の宿命だった。
「殺し合いか―――」
誰かが誰かを殺し、たがいに復讐を重ねてゆく。
そんな同道めぐりを、人は飽きもせずに続けている。
人が殺戮の本能をなくしたとき、世界は破滅に向かうだろう。
人というのは、殺し合う動物なのだ。
- 230 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/27(土) 19:25
- 「行かなきゃ」
圭織が立ち去ろうとしたとき、炎の向こうに希美の顔が見えた。
ユラユラと揺れる大気の向こうには、圭織が探している希美がいる。
その顔は無表情で、だまって圭織を見つめていた。
「のの! 」
圭織が走ってゆくと、木材が崩れ落ち、同時に希美も消えてしまった。
希美が心配でたまらず、不眠不休で探し続ける圭織は、
こともあろうか、幻覚を観ていたのである。
圭織は自分でも予想以上に疲れていることを実感した。
「どこにいるの? ―――のんちゃん」
圭織は頭をたれながら、血に染まった丘をあとにした。
- 231 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/27(土) 19:25
- 《食糧確保と梨華の葬儀》
明日香に備中をまかせた彩は、充代と希美を連れ、
主力の死霊兵とともに、備前へと向かっていた。
冷たい西風が吹き荒む中、応急的に作った大きな牛車の中で、
充代は移動の時間も惜しんで『死人還りの法』を行っている。
2000人にもおよぶ行列は、半里(約2キロメートル)も続いていた。
「おかあさん。おなかがすいたのれす」
馬の上で彩に抱きついていた希美は、悲しそうな顔で空腹をうったえた。
育ちざかりの希美は、腹いっぱい食べても、すぐに空腹になってしまう。
そんな希美の背中を、彩は優しく微笑みながらなでている。
寒風に身を硬くしながらも、かわいい希美を抱いている彩は、
心の中から暖かくなっていた。
「もう、おなかがすいたの? 食いしんぼうなんだから」
彩は鞍につけていた袋から、焼きオニギリを取りだした。
ふつうのオニギリだと日持ちもせず、すぐに硬くなってしまう。
しかし、オニギリを焼いて余分な水分を蒸発させてしまうと、
表面はパリパリで、中がしっとりしておいしいのだった。
「わァ、焼きオニギリなのれす」
笑顔で焼きオニギリをほおばる希美を見ながら、
彩は凍った心が氷解してゆくのを感じていた。
希美を守るためなら、喜んで鬼になろうじゃないか。
彩はそんなことを思いながら、希美の頭をなでていた。
- 232 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/27(土) 19:26
- 「彩さま。こんどは播磨の兵ですよ」
つい先刻も、備中へ応援に行く備前兵とすれちがったばかりだった。
備中国司は、彩と明日香の演技に、すっかりだまされていたのである。
知らせを受けている播磨兵は、名家の彩にあいさつをして通ってゆく。
彩が平安京にいたとしたら、きっと中納言くらいの官職が与えられただろう。
石黒家というのは、それほど高貴な家柄だった。
「200はいたな。播磨は手薄だぞ」
彩は播磨に本拠をかまえ、上洛部隊を編成しようと思った。
播磨から摂津を通り、山崎を越えれば、もう平安京である。
彩がニヤリと笑うと、希美も彼女を見上げてニッコリと笑った。
この純真無垢な少女の笑顔を見ていると、彩の近くにいる兵たちも、
どういうわけか、笑顔になってしまうのだった。
「備前に入りまするー! 」
先頭を行く騎馬武者が、大声で知らせてきた。
備前に入れば、播磨までは1日の距離である。
しかし、すでに陽が西へかたむいているので、
今日は備前国府まで行くことができない。
「先頭のものに申しつける! 野営場所を確保しろー! 」
「承知つかまつったー! 」
彩は2000人が泊まれる場所を確保するように命じた。
これだけの大人数が野宿できる場所といえば、河原か雑木林くらいしかない。
国分寺や一宮でも、これだけ大人数を収容することはできないだろう。
- 233 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/27(土) 19:27
- 「止まれー! ここは九条卿・西川の荘だぞ! 」
彩たちを止めたのは、西備前にある荘園の武士たちだった。
荘園制度が発達した当時、比較的、平安京に近い場所には、
公家の名を借りた治外法権の土地が多く存在していたのである。
これは永世口分田に影響をおよぼし、国司の悩みのタネだった。
農民にしてみれば、高い年貢を納めるより、公家の名前を借りた方が、
はるかに安上がりだったのである。
「九条卿? ―――踏みつぶせ」
西川の荘は人口3000くらいの小さな地だったが、
洪積地の肥沃な大地に、広大な農園を持っていた。
彩はここで食糧を調達するのと同時に、
献体となる男たちの確保をしようと思ったのである。
どうせ備前国府には数十人の兵しかいないだろうし、
先に攻撃されたと申し開けば、ウヤムヤで終わるのは確実だ。
なぜなら、荘園が滅びれば、国司が統治するしかないからである。
国司にとっては、名簿にのらない収入ができたことになるので、
ワイロで出世をしていた当時、願ってもない機会だった。
「先鋒500人、敵を降伏させろ。次鋒500人、食糧を調達しろ」
彩から攻撃の指令を受けると、まず、警告にやってきた武士たちを殺した。
そして一気に、治外法権を謳歌する西川の荘へ侵入していった。
人口密度の低い西川の荘の兵力は、多くても100人くらいのものである。
そのくらいの兵力など、彩の軍団にかかっては、ひとたまりもなかった。
女たちは犯されてから殺され、戦力にならない子供や老人も殺された。
- 234 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/27(土) 19:28
- 「おまえは見るんじゃない」
彩は馬の上で希美を抱きしめ、凄惨な殺戮現場を見させないようにした。
この屠殺場を直視できる人間など、そう多くはいないだろう。
それほど、この西川の荘での虐殺は凄惨なものだった。
「彩さま。男どもを300人ばかり捕らえました」
「充代のところへ連れてゆけ」
捕らえられた男たちは、誰もが大切な家族を殺され、
悲しみのあまり、ふつうの精神状態ではなかった。
こうした場合、死人還りの法が効きやすくなるらしい。
充代の籠もる牛車の周囲には、おびただしい瘴気が漂っている。
この瘴気の中から、使えそうな死霊を男たちに植えつけてゆく。
それが『死人還りの法』という術だった。
「食糧を調達しろ」
彩は兵たちに米蔵を破壊させ、大量の食糧を強奪した。
これだけの食糧があれば、半月はもちそうな気配である。
機動力のある馬や、輸送に必需な牛を手にいれ、
彩はとても満足していた。
「さて、備前国司への手みやげができたな」
彩はここで、兵を分割していった。
1000の兵に食糧を持たせ、播磨の国へと向かわせたのである。
そして、自らは1000の兵とともに、備前国府へと向かう。
充代は西川の荘にとどまり、術を駆使して兵を量産していた。
- 235 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/27(土) 19:28
- 翌日になると、梨華の葬儀が行われた。
娘の中では、もっとも女の子らしい梨華だったので、
想いを寄せていた兵たちの、すすり泣く声が聞こえる。
近くの寺から坊主が呼ばれ、梨華のためにお経が唱えられた。
「走る巨乳尼も、躯になってしまったべさ」
「的を得てるけど、梨華ちゃんは走るだけじゃなかったよ」
坊主といっしょに般若心経を唱えていた真里は、
梨華のいいところも記憶に残っている。
母親が恋しいあまり、胸をさわった小坊主に、
梨華はイヤな顔ひとつせず、優しく接していた。
亜依を涅槃で救おうと、彼女の弱さを指摘してやった。
「そうだね。優しかったもん。梨華ちゃん」
となりにいた真希は、梨華を思いだし、涙目になっていた。
その瞳に周囲で焚かれている松明が映り、キラキラと輝いている。
真希の横では、すっかり同化した紗耶香が手を合わせていた。
数珠を握るその手が、心なしか震えているように見える。
娘たちの筆頭として、2人を死なせてしまった責任を感じているのだ。
「紗耶香さま。梨華の遺品でございます」
三方に乗せて梨華の遺品を運んできたのは、
めずらしく悲しそうな顔をしたりんねだった。
その優しそうな顔ににあわず、りんねはきびしい女である。
それは誰より、紗耶香がよく分っていた。
- 236 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/27(土) 19:29
- 「これだけしかないのね」
三方の上には、数珠と経典、お守りに遺髪しかなかった。
紗耶香は梨華の遺髪を少しだけ取ると、和紙に包んで懐に入れる。
尼僧に遺髪があるというのも変な話だが、
梨華は尼寺を飛び出て以来、髪を剃ることはなかった。
梨華は魚肉を喰らう破戒尼僧だったが、
きっと、ふつうの女の子になりたかったのだろう。
山童を母に持ち、差別されつづけた短い一生だった。
「残酷な話やね。姐さん」
「ほんまやな。まだ18だってのに」
凍てつく寒さから解放された昼近くになって、梨華の埋葬がはじまる。
近所から木材が調達され、梨華の墓には屋根がつけられた。
古く破れた笠で、寒さに身を震わせていた梨華への、みんなの気持ちだった。
「歌うべさ」
なつみが野辺送りの歌を歌いだすと、娘たちは嗚咽をもらしながらもつづいた。
やがて、その淋しい歌を、周囲の兵や手伝いの村人までが歌いだしたのである。
梨華に土がかけられてゆくと、ひざまづいて泣きだす若い兵士もいた。
若い娘の死は、悲しみを何倍にもして、遺されたものに襲いかかる。
それが破戒尼僧であっても。だ。
- 237 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/27(土) 19:30
- 「つぎは、ひとみの葬儀だべね」
「すまんが、ひとみは後にしてもらうで」
裕子は毅然としていたが、どこかすまなそうな顔をしている。
にらみつけてモンクを言おうと思った真里だったが、
裕子の複雑な表情に、言葉を飲みこんでしまった。
ひとみと梨華の死は、裕子にとっても衝撃だったのだろう。
「そうだね。早く追撃しないと、2人の死がムダになるわ」
紗耶香は感傷に浸ってるヒマなどないと分っていた。
しかし、真希には、そういった切りかえができていない。
圭にこそ埋葬されたが、冷たい土の中にいるひとみを思い、
真希はとうとう泣きだしてしまった。
「泣くんやない! 誰かが死んでも、彩を止めなあかんのや! 」
貴子も冷静ではいられなかった。
ひとみと梨華が死んだことも悲しかったが、
それ以上に、彼女は大きな運命を背負っている。
そんな貴子の背中を、裕子が優しくなでていた。
「真希、分ったわね? 」
「―――うん」
梨華とひとみ、真希の3人は、同い年ということもあり、とても仲がよかった。
だが、いつの間にか1人になってしまったのだから、それは淋しいことだろう。
紗耶香に抱きついて泣きじゃくる真希を、なつみと真里がなでていた。
- 238 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/27(土) 19:30
- 「それじゃ、準備ができしだい、備後から備中へ行こうじゃない」
紗耶香が進撃を提案すると、梨華の葬儀に参列していた圭たちは、
誰にも告げず、静かに裏街道へ旅立っていった。
そのことに気づいたのはなつみだけであり、
少しだけ圭たちについて見送りをする。
「もう、このへんで」
「待つべさ」
なつみは圭の体をさわりながら、強い念を入れていった。
それは圭ですら、体が熱くなって悲鳴をあげるほどである。
驚いたさゆみと麗奈が、苦痛に顔をゆがめる圭に抱きつくと、
なつみの強力な念の力で弾き飛ばされてしまった。
「な、何をなされます! なつみさま」
「もう少しだけガマンするべさ! 」
圭であれば、なつみなど一撃で沈めることができる。
だが、これは苦しいことではあったものの、けっして害になることではない。
本能的にそれを感じた圭は、なつみに危害を加えることはなかった。
少しすると、なつみは苦しそうな顔をしながら圭から手を離し、
道ばたにドス黒い血の塊を吐きだしたのである。
これには3人が驚き、慌ててなつみを抱き起こした。
- 239 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/27(土) 19:31
- 「心配しなくても、だいじょうぶだべさ」
なつみは圭の患部を治療していたのである。
根本的な治療はできなかったものの、
病巣を縮小させることを思いついたのだった。
「いったい、何を? 」
「患部を小さくしておいたべさ。ごめんね。しっかり治せなくて」
圭は「とんでもない」と首をふった。
なつみの心に触れ、3人は冬だというのに、とても暖かくなった。
この治療は、なつみにとってもつらいことだったが、
梨華を連れてきてくれた圭への、感謝の気持ちだったにちがいない。
「なつみさま。またお会いいたしましょう」
「うん! それまで死ぬんじゃないべよ! 」
3人はなつみに深く礼をすると、裏街道を丹波に向けて歩いていった。
なつみは、3人が見えなくなるまで、手をすり合わせながら見送る。
圭はなつみの仲間ではなかったが、どこか人を引き寄せる魅力があった。
だからこそ、さゆみと麗奈がいっしょにいるのだろうし、
なつみも気になっていたのである。
「また治療してやるべさァァァァァァァァァー! 」
もう3人の姿は見えないというのに、なつみは大声で叫びながら手をふった。
- 240 名前:第5章 〜死出の闘い〜 投稿日:2003/12/27(土) 19:31
- まだ、軍勢は2000しか集まっていない。
渡辺綱・坂田金時・平(碓井)貞光・平(卜部)季武の四天王はいたが、
主力をかかえる源頼光が到着していなかった。
これだけの軍勢で、死人還りの法で蘇った兵を相手にするのは、
いくら何でも勝ち目がなかった。
「あっちゃん。備後・備中のようすを調べてや」
貴子は邪悪な気を探してみるが、あまり備後・備中には感じられなかった。
充代が結界を張っているため、詳しくは分らないが、
彩たちが備後から備中にいる可能性は低いようである。
空腹で腹を鳴らすなつみに、真里が笑った。
「備後と備中に大きな邪気は感じへんな」
「綱! 金時! 貞光! 季武! 出立の用意をせえ! 」
「はっ! 」
総大将の裕子が下知すると、にわかに慌しくなった。
うららかな冬の午後、兵たちは協力して出発の準備にとりかかる。
主力である源頼光への伝令に、母衣武者が馬を走らせてゆく。
陣幕が回収され、協力してくれた付近の農家には、
驚くほど多額の礼金が支払われた。
「えーと、またおねがいするべさ」
なつみは例の牝馬の首をなでた。
出発の準備ができると、裕子と紗耶香、真希が馬に飛び乗る。
逃げまわる真里を裕子が拾いあげ、貴子が牛車に乗りこむと、
渡辺綱を先頭に、備後をへて備中へ向けての進撃がはじまった。
- 241 名前:名無し弟 投稿日:2003/12/27(土) 19:34
- これで、第5章〜死出の闘い〜は終わりです。
来週(来年)からは、第6章〜望郷〜を書きたいと思います。
それでは、よいお年をおむかえください。
来年も、またよろしくおねがいします。
- 242 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/31(水) 02:00
- 作者さん今年もありがとうございました。
来年はクリスマスの予定があることを祈ってます(w
ご姉弟よいお年を
- 243 名前:名無し弟・泥酔中 投稿日:2004/01/03(土) 18:18
- >>242
ありがとうございます。
そして、あけましておめでとうございます。
今年はオレにとって、人生の転換期みたいですね。
夏には叔父さんになるみたいだし、アニキが1人増えます。
そして9月には、晴れて20才になります。
そんなこんなで暮れから正月は忙しかったので、あまり書けていません。
とりあえず、書けたところを更新したいと思います。
- 244 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/03(土) 18:20
- 《義勇兵》
備後へ進んだ紗耶香たちは、国府が全滅したことを知った。
備後国府には100人近い兵がいたものの、彩たちを相手に勝てるワケがない。
すでに備後からは、彩たちの邪悪な気が消えていた。
「国中がメチャメチャだわ」
寒い季節風の中、紗耶香は馬上で横にいた真希に言った。
彩たちは兵をくりだし、国中の村を襲っていたのである。
そして、若い健康な男を拉致し、女たちを兵たちが犯した。
収穫した米を奪い、悪逆非道のかぎりをつくしたのだった。
「あの山寺を本拠地にしたのは、移動しやすい場所ってこともあったみたい」
彩たちが朝娘寺を本拠地にしたのは、難攻不落の要害であったことと、
食糧や男たちの補給などで、国中へ移動しやすい場所ということもあった。
さらに、攻撃されることが分れば、短時間で他国に逃げることもできる。
これほど恵まれた場所であるから、彩は本拠地にしたのだろう。
「紗耶香どの! 一之宮も全滅でござる」
備後一之宮に偵察へ行っていた碓井貞光は、その惨状をくわしく報告した。
抵抗した宮司などは、まっさきに殺されてしまったそうである。
生き残りの証言によると、充代らしき女が巫女の選別を行い、
霊力を持ったものは拉致され、持たないものは兵たちへ下賜されたらしい。
下賜された巫女は数百人に犯され、そのまま死んでしまったそうだ。
- 245 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/03(土) 18:21
- 「裕子さま! ここで義勇兵を募りましょう」
紗耶香は恨みが残る土地で、義勇軍を組織するのが効果的だと知っていた。
正規兵より士気や戦闘力は劣るが、後方支援をさせる分には問題がない。
それに、安全な場所での作業であれば、女子供でもまかせることができた。
「そうやな。綱、金時、貞光、季武。義勇兵を集めてきや」
「真希、金時さまといっしょに行って。なっちは貞光さま。真里は季武さまよ」
紗耶香は武骨な男だけで行くよりも、娘が随伴した方がいいと思った。
その方が村人も警戒しないだろうし、4人の娘には、それぞれ得意分野がある。
なつみは医療、真希は力仕事、紗耶香は弁舌、真里は軽業といったぐあいだ。
それで娘たちが村人に奉仕し、信用のある源頼光四天王が召集をかければ、
より効果的に義勇兵を募ることができるだろう。
「げげー! また馬に乗るの? 」
「真里どの! 御免! 」
卜部季武は真里を抱き上げ、数人の兵を連れて出発した。
真希は坂田金時、なつみは碓井貞光といっしょである。
渡辺綱が出発すると、紗耶香もそのあとについてゆく。
「うわァァァァァァァァァーん! 」
泣き叫ぶ真里を小脇にかかえ、卜部季武は南の漁村へ向かった。
真希と坂田金時は、大工道具をかかえて、北の村へ向かってゆく。
なつみと碓井貞光は、薬を携えて東の村へ向かっていった。
そして、紗耶香と渡辺綱は、付近の村で遊説しにでかけた。
- 246 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/03(土) 18:21
- 「陣幕を張りや」
裕子は小高い丘に本陣をしいた。
守備兵のほかは、近所で薪を拾ったり、
食糧調達の商談を行うことになっている。
源頼光配下の兵は、誰もが正義感の強い紳士だ。
まちがっても、略奪や殺人、強姦などはしない。
もし、そんなことをすれば、四天王がだまっていなかった。
「姐さん。源頼光は食糧調達に時間がかかるみたいやで」
貴子は長門にいる源頼光も気をさぐっていた。
3000人もの移動をさせるだけの食糧が集まらず、
源頼光のイライラした気を感じていたのである。
源頼光が合流すれば、彩の軍団と闘う事も出来るだろう。
しかし、食糧の調達が出来ないのであれば、
兵を動かすことはできなかった。
「そうか。それはしかたないわ。ところで、紗耶香の状況なんやけど」
「紗耶香は確実に覚醒して、同化したんやろな」
裕子も紗耶香の積極的になった変化こそ感じていたものの、
これといって、恐るべき変化が起こったワケではない。
次の覚醒で倭建之命になるというのは、裕子には信じられなかった。
裕子と貴子のまわりに陣幕が張られ、殺伐とした野原が本陣となる。
使役兵たちが警戒する中、上空ではトンビが円を描いていた。
この、のどかな風景のどこに、歴史を破壊する神が存在するというのだろう。
裕子はため息をつきながら、りんねがさしだした白湯を受けとった。
- 247 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/03(土) 18:22
- 四天王と娘たちの義勇兵募集は、予想以上の効果を顕した。
大勢のケガ人がでた村では、なつみが次々に治療してゆく。
彩の馬に踏まれて粉砕骨折し、二度と歩くことができないと思われた少女の足を、
なつみは数秒なでただけで完治させてしまう。
真里は壊された神社の修理を手伝うため、スルスルと屋根へ登ってゆく。
真希は焼けた家を解体する作業に、進んで協力を申し出た。
「多くのものが傷つき、死んでいった。その悲しみは私にもよく分る」
紗耶香は村人を集め、自慢の演説を始めたのだった。
人々の共感を得て扇動するのは、革命家の常套手段である。
この時代においても、それは兵法として浸透していた。
遠くで潮騒を聞きながら、紗耶香は熱弁をふるう。
「悲しみは怒りに変るものだ。今こそ、死者の恨みを晴らそうではないか! 」
紗耶香は人々を、じつにうまく誘導してゆく。
肉親を失った悲しみが、怒りに変るのを、紗耶香は熟知していた。
それで方向性をつけてやれば、人々は優秀な軍隊になる。
覚醒して同化した紗耶香には、扇動家としての能力も備わっていた。
「さあ、武器を持つのだ。恐れることはない。我らには強力な味方がいる」
人々が躊躇するのも、紗耶香は計算していた。
そのために言葉を選び、話す順序を組みたてていたのである。
保守的な人々に効果的なのは、やはり知名度の高い人物だ。
そうした人物が現れれば、もはや疑うことはできなくなる。
「強力な味方」と聞き首をかしげる人々を見て、彼女はニヤリと笑った。
- 248 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/03(土) 18:22
- 「不敗将軍、源頼光さまは、間もなくやってこられる。
それまで、この渡辺綱さまが、おまえたちの大将である! 」
渡辺綱と聞いて、人々は驚きの声をあげた。
羅生門の鬼退治で有名な渡辺綱が目の前にいる。
それだけで、純粋な村人たちは感激してしまった。
村人は異様に興奮し、武器になりそうなものを手にとった。
「復讐するものはつづけー! 」
紗耶香が馬に飛び乗って白刃を振るうと、
「オー! 」という大勢の声が響きわたった。
そして、紗耶香はいくつかの村をまわり、
じつに、1000人もの義勇兵を集めてしまう。
これこそが、覚醒した紗耶香の実力だった。
裕子たちがいる本陣に、全員が帰ってきたのは、
すでに夕方になるころだった。
なつみは500、真里は200、真希は300の義勇兵を集めている。
これに紗耶香の1000が加わり、義勇兵は2000に達していた。
「ぎょうさん集まったな」
裕子は娘たちの実力に驚いていた。
これが武骨な男だけで集めたとしたら、
おそらく半分も集まっていなかっただろう。
現地人が義勇兵として集まったのだから、
もう食糧に困ることはなかった。
- 249 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/03(土) 18:22
- 「明日は備中へ攻めこむで。それまで、英気を養って―――」
「すぐに進撃すべきです」
紗耶香は裕子の言葉をさえぎりながら言った。
これには裕子はおろか、四天王や娘たちも驚いた。
いくら何でも、義勇兵が集まっただけで、
彩たちに勝てるとは思えないからである。
しかし、紗耶香は進撃の決意を変えようとしない。
「夜の移動は危険やないか? 」
「敵もそう思うでしょう。だからこそ、今なのです」
暖をとるのと、照明の意味で焚かれた火が、紗耶香の決意に満ちた目を照らす。
その目は、けっして引かないとの決意を表しており、裕子は説得を断念した。
もう、彩を斃せるのは、この紗耶香しかいないのである。
裕子は貴子に目配せをしながら、紗耶香の意見を受けいれた。
「全軍、出立の準備をせえ! 」
「金時さま! 先陣をおねがいします! 貞光さま! 殿軍をおねがいします! 」
紗耶香は四天王の性格を分析し、効果的な布陣で進撃を指示した。
攻撃が得意な坂田金時は、やはり先陣で敵を破壊するのが適任である。
一方の碓井貞光は、柔軟な攻撃と守備ができるため、殿軍にふさわしい。
四天王各武将が500づつの正規兵を率い、紗耶香が2000の義勇兵を指揮する。
義勇兵の装備は、竹槍などが主力で、これといった防具もなかった。
- 250 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/03(土) 18:23
- 「どこかで、武器と防具を調達しないとね」
紗耶香は確信していた。この義勇軍は、まちがいなく強力な軍隊になる。
正規軍は熟練した武術に頼っていたが、闘う目的は『鎮圧』にすぎないのだ。
一方の義勇軍は武術こそ素人ではあったが、闘う目的が『復讐』なのである。
中にはすべてを失ったものもおり、死に場所をさがしているようだった。
そういったものは、死に対する恐怖がないので、敵にしてみれば恐ろしい存在だ。
「寒くない? 衣類はみんな公平に分けるのよ」
紗耶香は義勇兵たちに、気軽に話しかけていた。
こうした接し方は、身分制度で苦しんでいた人々にとって、
とてもありがたく、そして感動をあたえるものである。
義勇兵の誰もが、紗耶香に忠誠を誓い、生死をともにする決心をした。
日没直後、地平線または水平線近くに現れたのが水星である。
水星が見えるのは、ほんとうに短時間しかなく、
その後は西の空に金星が、少し赤みをおびた色で輝いていた。
官軍と賊軍の闘いは、いたずらに死者を生産するだけだった。
多くの若者が矢に斃れ、槍で体を刺し貫かれてゆく。
一夜明けたこの河原には、おびただしい数の屍が散乱していた。
朝霧が低くたちこめ、聴こえるのは川のせせらぎと風の音だけ。
「のの―――」
圭織は大きな弓をかつぎ、屍の間を歩いていた。
この、天寿をまっとうできなかった男たちにも家族があり、
その帰りを心待ちにしているのだろう。
戦とは殺し合いであり、屍をさらした彼らには『罰』が降った。
そして、生きのびた戦の張本人たちには『罪』が残ったのだろう。
- 251 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/03(土) 18:23
- 「これだけ探してるのに―――」
圭織は立ち止まって、あたりを見わたしてみる。
山は針葉樹を残し、あとの木はすべて枯れてしまっていた。
晩秋までは葉を残していたススキも、幾度かの寒波のせいで、
すっかり腐って落ち葉と同化してしまっている。
朝の寒さで屍が凍りつき、死臭がしないのが救いだった。
「あれは? 」
河川敷の一角で、黒い霧のようなものがうごめいている。
それは魑魅魍魎になりきれなかった瘴気であり、
悪意を持った餓鬼とも呼べる卑しい存在だった。
圭織は自慢の破魔矢を射こんでみる。
すると、瘴気は断末魔の悲鳴をあげ、消滅してしまった。
「何であんなところに? 」
圭織は瘴気が集まっていた場所が気になった。
そして、用心のために破魔矢を握りしめ、ゆっくりと近づいてゆく。
低く充満する霧が、その場所を覆い隠していた。
だが、近づくにつれ、その場所がおぼろげに見えてくる。
それは、数本の矢が刺さった屍のようだった。
「まさか! 」
圭織が走り寄ると、そこに横たわっていたのは、探しつづけていた希美だった。
希美は胸を矢で射られ、苦悶の表情でこときれている。
若い娘の屍なので、邪悪な瘴気が集まってきたのだろう。
ほとんど寝ないで探していた希美は、すでに死んでいたのだった。
- 252 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/03(土) 18:24
- 「いやあ―――のの―――いやァァァァァァァァァー! 」
圭織は冷たくなった希美を抱き上げ、絶望の悲鳴をあげた。
舌足らずで圭織に甘えていた、とてもかわいい希美。
その希美が、すでに死んでいたとは。
「何で早く助けてくれなかったのれすか? 」
「ごめんね。―――ごめんね。助けてあげられなくて―――」
圭織には後悔することしかできない。
そして、悲しみに涙を流すことしかできなかった。
死んでもなお、希美は人形のようにかわいい顔をしている。
圭織はあの、かわいらしい笑顔を、もう一度見たかった。
「あううううう―――はっ! 」
圭織が飛び起きると、そこは古い山小屋だった。
彼女は昨夜、疲れはててこの山小屋にたどりついたのである。
囲炉裏で火を熾し、どうやらそのまま眠ってしまったらしい。
圭織は希美を心配するあまり、悪夢を観ていたのだった。
「夢か―――のの―――」
山小屋の外は、わずかに明るくなっており、朝の到来を告げていた。
もうじき、スズメたちが、けたたましい声をあげることだろう。
そんな清々しい朝のはずが、圭織には悲しい朝に感じてしまった。
すっかり火の消えた囲炉裏を見つめ、彼女は唇をふるわせながら涙をこぼした。
「おねがい―――生きていて! 」
どんな状況であっても、生きてくれてさえいればいい。
そしてまた、希美をこの胸に抱いてみたい。
その一念だけが、疲れはてた圭織を動かせていた。
- 253 名前:名無し弟・泥酔中 投稿日:2004/01/03(土) 18:25
- 少なくてすいません。
今日はこれで失礼します。
また、来週には更新したいと思います。
- 254 名前:名無し読者 投稿日:2004/01/03(土) 22:24
- あけましておめでとうございます。
今度からは名無し叔父ですね。
飯田さんの夢が夢で良かった・・・
( ´D`)( ‘д‘)卒業で娘はどうなるんでしょうにえ
- 255 名前:名無し弟・ギブスとれた(^∀^) 投稿日:2004/01/09(金) 20:43
- >>254
ありがとうございます。
上のアネキの結婚と義姉の出産。激動の2004年になりそうです。
あいかわらずマターリしてるのは、オレと下のアネキくらいですね。
娘の人気は下降するでしょうねえ。
とくに、小学生と中年男のヲタが減りそうですね。
どうせなら、いいらさんと矢口さん、梨華ちゃん、よっすぃーも卒業させて、
新しいユニットで「ザ☆ピ〜ス」の続きをやってほしいなあ。
- 256 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/09(金) 20:52
- 《合戦》
夜間に移動するということは、想像以上に疲れるものだった。
敵の奇襲を避けるため、目印になる松明は禁止していたし、
あれから10里(約40キロメートル)も休まず行軍したのである。
それでも、まだ備中に入ったわけではなかった。
「もうじき夜明けだね。どこかで休憩を―――」
「ご注進! 2里(約8キロメートル)先が国境でござる! 」
真希が紗耶香に休憩を提案しようとしたとき、前方から騎馬がやってくる。
大きな袋を背中につけているので、母衣武者であることが分った。
坂田金時からの母衣武者が、馬を回しながら報告する。
どうやら、目の前の山を越えれば、備後・備中国境のようだ。
「母衣武者どの。金時さまに伝えてください。
国境を監視できる場所に物見を置き、休憩に入るべしと」
「承知いたしましたッ! 」
母衣武者は大声で返事をしながら軽く頭を下げると、
半里(約2キロメートル)先にいる自軍に向かって走り去っていった。
当時、2列縦隊で1000人を行軍させれば、その長さは1キロにおよぶ。
紗耶香たちの前には、渡辺綱隊と卜部季武隊が位置しており、
各隊の間をとっているので、そのくらいの距離になってしまう。
先鋒から殿軍まで、じつに1里(約4キロメートル)の長さとなった。
- 257 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/09(金) 20:52
- 「真希、殿軍の貞光さまに伝えて」
「はい。それじゃ行ってくるね」
真希は『地盤視』の袋を背中につけ、殿軍に向けて走っていった。
すぐ横を馬に乗って疾走していった真希のおかげで、
例の牝馬の背中で熟睡していたなつみは、驚いて落馬してしまう。
腰をしたたか打ったなつみは、顔をしかめて「痛いべさ」と言った。
「あらあら、だいじょうぶ? 」
牝馬はなつみの襟を噛み、立ち上がらせて苦笑する。
背高が4尺足らずの牝馬であるから、なつみも打撲だけですみそうだ。
気をはっていたなつみだったが、馬の背中は暖かいので、
彼女は牝馬に抱きつき、眠ってしまったのである。
人に抱きつかれれば、馬の方も温かくて気持ちがいい。
鎧を着て、ムチなどで手荒にあつかう武骨な男より、
柔らかで軽い娘の方が馬としても楽だった。
「痛かったべさ」
泣きべそをかくなつみの横を、真里を乗せた輿が通っていった。
牛や馬が怖い真里は、裕子が持ってきた輿に乗りたがったのである。
輿や牛車というのは、高貴な女性が乗るものであり、
真里のような身分のものは乗ることができなかった。
だが、裕子は馬に乗っているので、輿に乗るものがいない。
真里くらい小柄な女性であれば、輿に乗ったところで苦にならなかった。
そこで、どうせ運ぶものであるし、裕子は真里に輿を与えたのだった。
- 258 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/09(金) 20:53
- 「うるせーぞゴルァ! 寝られねーだろうが! 」
輿の小さな窓を開け、真里がなつみにモンクを言った。
真里が乗った輿をかつぐのは、使役兵といえど武士である。
裕子や貴子、紗耶香くらいの身分であれば、輿に乗る資格があった。
しかし、真里のような身分では、担ぎ手が黙っていない。
これが平安京であれば、真里など叩きだされてしまうだろう。
ところが、裕子は娘たちを武士より上の地位に指定してしまった。
つまり、貴族である紗耶香と同じ地位としたのである。
だからこそ、四天王の渡辺綱が「真里どの」と敬語を使うのだ。
「なっちが悪いの? もう凹んだべさ」
なつみが牝馬に乗ろうとすると、行軍が止まってしまった。
どうやら紗耶香は、ここで休憩をとるつもりらしい。
戦略的に安全な地形とは言えなかったが、大軍を休ませるには、
少し広くなった街道上しかなかったのである。
どうせすぐに移動するため、裕子は陣幕を張ろうとした兵を止めた。
そして、自ら先頭にたって、馬に運ばせていた薪を配りはじめる。
真冬の野営ともなると、焚火をして暖をとるのはあたりまえで、
それをしないと凍死する危険すらあった。
「物見を両脇に配置せえ! 焚火は許す! 」
朝の寒さに耐えるには、どうしても焚火が必要である。
付近に敵がいなければ、焚火をしてもかまわない。
裕子は貴子と娘たちを集め、少しだけ仮眠をとることにした。
地面に置かれた輿に、なつみが強引に入ってゆく。
- 259 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/09(金) 20:54
- 「狭いんだから、ムリに入ってくるんじゃねーよ」
真里とでは狭かったが、2人でいれば暖かい。
なつみは笑ってごまかしながら、真里と抱きあった。
互いのぬくもりを感じ、体が温まってくると、
2人はまたたく間に寝息をたてはじめる。
何だかんだ言っても、2人は大の仲良しだった。
「貴子さま。ここは風が当たりません」
りんねが貴子に、風の当たらない場所を提供した。
都会で育ったわりに野生児の紗耶香と真希にいたっては、
2人で大きな毛皮にくるまって横になれば、
そのまま眠ってもだいじょうぶである。
誰もが一息つき、睡眠をとろうとしたとき、
坂田金時から母衣武者がやってきた。
「裕子さま、紗耶香さまにご注進!
備中国境におきましては、何ものかが陣をはっておりまする。
その数2000につき、適切な下知をいただきたく参りましたッ! 」
「に、2000もの兵が集まっとる? 備中にそんな経済力なんかあらへんど」
裕子は備中の国力を思いだしていた。
平野部が少なく、それほど人口も多くない。
国司が動員できるのは、せいぜい1000くらいのものだ。
それなのに、2000もの軍勢を動員できるとは、
いくら裕子でも理解することができなかった。
- 260 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/09(金) 20:54
- 「裕子さま。おそらく周辺の応援があるのでしょう」
勘の鋭い紗耶香は、敵の気をさぐっていた。
そこには、えらく士気の高い軍勢と、そうでもない軍勢が存在している。
きっと、正規軍と徴兵軍、さらには、援軍の類が集まっているのだろう。
こうした連合軍には、統率力が欠けているという特徴があった。
「しかし、2000とは恐れいったわな」
ため息をつく裕子の顔は、寒さで紅潮している。
その色白の肌を、焚火が艶かしく映していた。
「姐さん。相手は彩に操られてるかもしれへんで」
貴子は敵の大将の気を探ってみるが、彩に操られているかまでは分らない。
だが、2000もの兵がいるのなら、ここは源頼光の到着を待った方がよさそうだ。
いたずらに合戦でもしようものなら、予想外の損害がでてしまう可能性があった。
慎重になる裕子と貴子とは対照的に、紗耶香は敵を粉砕する気でいる。
それは、覚醒した紗耶香の、本能的な戦闘本能といってよいだろう。
「裕子さま。綱どのの部隊をお貸しください。義勇軍とともに―――」
「アホ! 義勇兵は素人やろ。相手は鎧を着た武士やで」
裕子は紗耶香の申し出を一蹴するが、渡辺綱は不満そうにしている。
なぜなら、渡辺綱は紗耶香の天才的な采配に気づいていたからだ。
朝娘寺を攻撃したとき、紗耶香は勝つために寝姿仏像を犠牲にした。
渡辺綱は紗耶香が、勝つための戦を熟知していると悟ったのである。
彼も武士として生まれた以上、戦には勝つ宿命を背負っていた。
- 261 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/09(金) 20:55
- 「裕子さま。義勇兵は消耗品です。減れば補充するまでのこと」
「―――」
紗耶香のわりきった考え方に、裕子は何も言えなくなってしまった。
たしかに、義勇兵の命などは、正規兵のそれよりも、はるかに安い。
名もなき義勇兵など、戦で死んでも骨を拾うものはいなかった。
紗耶香の冷徹な話に、となりにいた真希は寒さを感じてしまう。
あたりを冷たい風が吹きぬけ、誰もが身震いをした。
「姐さん。止めてもムダなようやで」
「け、けど―――」
困惑する裕子をよそに、紗耶香にとっては貴子に言葉が合図だった。
裕子の返事など待たずに、彼女は馬に飛び乗り、義勇兵に大声で下知する。
疲れていた義勇兵たちだったが、紗耶香の声は天の声に近かった。
貴族の姫さまであると同時に、絶対的な自信をただよわせているので、
義勇兵たちは狂信的に紗耶香を支持してゆくのだろう。
「これより、敵を潰しにまいる! 全員、武器を用意せよ! 」
紗耶香の声に、渡辺綱は慌てて部下を集めた。
この戦闘で主力になるものと自負しているのと同時に、
渡辺綱には紗耶香を守らねばならないという使命がある。
渡辺綱が近くにいれば、それだけで敵はためらってしまう。
全盛期の力こそなかったが、源頼光四天王の威光は、
全国的に轟いていたのだった。
- 262 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/09(金) 20:55
- 「つづけー! 」
紗耶香が白刃をふりあげて号令をだすと、2500の兵がいっせいに動きだした。
甲冑を着こみ、立派な武器を携えた渡辺綱軍とは対照的に、
義勇軍は野良着のままであり、手にする武器も竹槍や鍬などである。
それでも、その士気は渡辺綱軍を呑んでしまうほどだった。
「敵はおまえたちの肉親を殺したものの手先だ! 」
紗耶香は熟睡するなつみと真里が入っている輿の上に飛び移り、
駆け足で進む義勇兵たちに、士気をたかめる演説をはじめた。
怒りの矛先を敵に向け、闘争本能を刺激してゆくのである。
これこそが、紗耶香にとっての最大の作戦だった。
「遠慮はいらん! ひとり残さず血祭りにあげろー! 」
「おー! 」
あまりのさわがしさと、ひどい揺れで、輿の中の2人は目をさました。
どうやら移動しているようだが、この2人には何が何だか分らない。
輿上に誰かがいるように感じた真里は、窓から顔をだして上を見てみる。
すると、そこには白刃を振りあげた紗耶香がおり、松明に照らされて、
見るからに恐ろしい表情となっているではないか。
「こ、怖いよー! 」
真里は窓をしめると、なつみに抱きついて震えだした。
そんな真里を抱きしめながら、なつみは戦闘がはじまる気を感じている。
吐き気がするほどの殺気が、あたりに充満していたからだった。
- 263 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/09(金) 20:56
- 紗耶香軍が国境に達したのは、日の出のころだった。
日光が水分を蒸発させようとするが、寒さのために凍ってしまう。
それが霜というものだった。
国境の河原は石や枯草に霜が降り、その寒さを物語っている。
山鳥が恐ろしい気を感じ、ヘタな飛行で逃げてゆく。
「ふん、寄せ集めだね」
紗耶香は敵の布陣を見て、まったくなっていないと感じた。
数をたよりに拡翼の陣をはるばかりで、後詰めなどが配置されていない。
このていどの陣であれば、かんたんに打ち破ることができるだろう。
紗耶香は渡辺綱と真希を呼び寄せ、敵を粉砕する軍議をはじめた。
「敵は数をたよりに押しよせてくるわ。綱さまは正面で弓を使って」
「川の中の敵を狙い射るのでございますな? これはおもしろい」
渡河するともなれば、移動速度が急激に落ちるので、
そこを弓で狙い射ればよかった。
ほとんど動かない的を射るようなものだから、
弓が苦手なものでも、かなりの効果をあげられる。
紗耶香の作戦は、完璧ともいえるものだった。
「敵が減ったら、弓隊の背後から一気に鋒矢の陣で攻めこむの」
薄い拡翼の陣など、鋒矢の陣での攻撃を受けたら、とたんに破壊されるだろう。
兵法を知らない真希に紗耶香が説明する中、渡辺綱は気分が高揚してきた。
これだけみごとな作戦であれば、まったく負ける気がしなかったからである。
渡辺綱は配下の兵たちを、じつに手際よく布陣させていった。
- 264 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/09(金) 20:56
- 「やあやあやあ! 我こそは平備中守春寛が家臣、江成勘十郎和樹である!
腕におぼえのあるもの、いざ尋常に勝負されい! 」
敵の陣から1騎だけ、イキのいい若い男が飛びだしてきた。
川の中ほどに浅瀬があり、そこで馬をまわし、挑発している。
これに応えて一騎討ちがはじまり、その結果がでると合戦の合図となるのだ。
「真希、腕試ししてきなよ」
「ええっ? 相手は本気だよ」
真希は負けるとは思わなかったが、相手が本気なら手加減できないと思った。
悪い人には見えなかったし、殺してしまうのがかわいそうになったのである。
それでも紗耶香に指示されたのだから、しかたなく馬に乗って川に入ってゆく。
甲冑を着ていない真希を見て、江成は首をかしげてしまった。
しかも、男装こそしているが、どう見ても女ではないか。
「検非違使、後藤家の娘。真希! 受けてたとう! 」
「ちょちょちょ―――ちょっと待ったー! おぬし、女子ではないか」
江成にしてみれば、まさか、こんな少女と闘うわけにもいかない。
真希は苦手な騎馬戦をさけるため、馬を降りてしまう。
江成は困ったように後方の味方を振りかえり、備中国司の指示を待った。
少女を斬り殺すようなことになってしまったら、非難されるかもしれない。
さらに、江成にとって真希は、好みの顔をしていたのだった。
国府軍がざわめき、誰もが意外な状況に困惑している。
真希は馬を自陣にもどし、背負っていた野太刀をぬいた。
- 265 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/09(金) 20:57
- 「騎馬戦は苦手だからさー、馬を降りて勝負しようよ」
「いや、でもね。君は女の子じゃないか。これは男同士の勝負なんだよ」
江成は馬を降り、真希に戻るよう諭した。
浅瀬とはいえ、足が濡れるとしびれるように冷たい。
何とか説得しようとした江成だったが、真希は野太刀を向ける。
こうなれば、勝負しないわけにはいかなかったが、
相手は少女なので、ケガをさせないようにしなくてはならない。
「甘くみると死んじゃうよ」
真希は忠告したのだが、江成には何のことだか分らない。
まさか、真希が男でも勝てないほど強いとは思っていないのだろう。
江成はしかたなく太刀をぬき、ケガをさせないように間合いをとった。
「それじゃ、行くよ。江成くん」
真希にしても、この少年にケガをさせたくない。
さらには、合戦の合図といったものであるから、
相手を殺さなくても、勝負さえつけばよかった。
「逃げるなら今のうちだぞ―――へっ? 」
江成の脇腹に真希のみね打ちが命中した。
彼の体は「く」の字に折り曲がり、少しして激痛がこみあげてくる。
これで勝負がついてしまい、真希は野太刀をしまって自陣に戻ってゆく。
唖然とする国府軍とは対照的に、紗耶香軍は大喜びだった。
- 266 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/09(金) 20:57
- 「あははは―――そんな、バカな」
江成は体を「く」の字に折り曲げたまま、白目をむいて倒れてしまった。
何でも叩き切ってしまう野太刀のみね打ちは、鉄の棒で殴られたのと同じである。
頭でも殴ろうものなら、スイカ割りよろしく、砕け散ってしまうほどだった。
そこで、真希は江成が死なないように、脇腹を狙ってくりだしたのである。
これがみね打ちではなかったら、江成の体は真っ二つになっているところだった。
「え、江成を助けろー! 」
国司の号令が飛ぶと、国府軍が川になだれこんできた。
真希と江成の勝負は合戦の合図であるから、国府軍は渡河しようとしている。
自軍に引きあげる真希と入れ違いに、渡辺綱率いる弓隊が前面に出てきた。
真希が嬉しそうに紗耶香に抱きつくと、義勇兵たちは大歓声で祝福した。
「殺さなかったことで、敵の戦意が落ちてるわ。さすが真希」
紗耶香に頭をなでられ、真希はニッコリと微笑んだ。
- 267 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/09(金) 20:58
- 《圧勝》
渡河しようとする国府軍を、渡辺綱率いる弓隊が狙い射ってゆく。
浅瀬の手前はヒザくらいの深さがあるので、国府軍は走ってきても、
そこまでくると、どうしても動きが鈍くなってしまう。
そこを容赦なく矢が襲い、国府軍の兵は、次々に斃れていった。
川の水が赤く染まり、それが朝日に照らされ、不気味な色に見える。
なつみと真里は輿から顔を出し、合戦のようすをながめていた。
「はじまったべさ。ケガ人を助けないと」
「オイラも手伝うよ」
なつみが輿から飛びだしてゆくと、真里もチョコチョコとついてゆく。
厚着のなつみとちがい、真里は薄着であるから、寒さに凍えてしまう。
あまりの寒さに足の筋肉が硬直し、真里は思わず転んでしまった。
走っていたため、一回転してしまった真里は、尻もちをついて顔をしかめる。
着物についた土や霜を払っていると、誰かが襟くびをつかんで起こしてくれた。
「あらあら、だいじょうぶ? 」
「いてて―――寒いからな。油断して―――」
真里は起こしてくれた人に礼を言おうと思って振りかえったが、
あまりに不自然な状況であるため、そのまま硬直してしまう。
なぜなら、親切に真里を起こしてくれたのは、
なつみが世話になっている牝馬だったからだ。
「ううううう―――馬がしゃべったァァァァァァァァァー! 」
真里は脱兎のごとく、逃げていってしまった。
- 268 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/09(金) 20:59
- 弓隊の活躍で、合戦は紗耶香軍が有利に闘っていた。
敵の士気がさがったとき、彼女は義勇軍を投入したのである。
竹槍で突き進んでくる義勇兵に、武士たちが恐怖をおぼえた。
義勇兵たちは弓に斃れた敵の武器を奪い、またたく間に渡河してしまう。
「よし! 押し出せ! 」
紗耶香は馬に飛び乗り、義勇軍の中で指揮をはじめた。
渡河を終えた紗耶香は、混戦する中へと飛びこんでゆく。
勇猛果敢な紗耶香に負けじと、義勇兵たちも懸命に闘った。
紗耶香の横にいた真希も馬を降り、野太刀を振りまわしている。
真希と渡辺綱の役目は紗耶香を守ることなので、積極的な攻撃はしない。
それでも、紗耶香が敵の中へ斬りこんでゆくと、
真希と渡辺綱も追従して、後方から攻撃されないようにした。
「どうした! 骨のある漢はいないのか! 」
ジリジリと後退する敵に、紗耶香はイラだったように怒鳴った。
相手は娘だと分っていても、紗耶香の腕に敵う男など国府軍にはいない。
このままでは、押し切られてしまうため、国府軍は最後の作戦にでた。
それは、名乗りをあげ、一騎討ちを希望するというものである。
それが当時の戦の決まりで、一騎討ちの間に体勢を立て直すのだ。
「我こそが備中国司、平備中守春寛である。いざ尋常に勝負せえ! 」
武骨な男が紗耶香の前に現れた。
その風貌からして、男は国司にまちがいないだろう。
国司は紫の紐で柄を飾った野太刀を引きぬく。
周囲の国府兵たちが、心配そうに見守っていた。
- 269 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/09(金) 20:59
- 「おう! 市井大蔵卿が娘、紗耶香! 相手にとって不足なし! 」
紗耶香は太刀をぬき、馬を前に押し出してゆく。
またも一騎討ちに若い娘が出てきたことで、
起死回生を狙っていた国府軍は大きく動揺した。
それ以上に、紗耶香が市井家を名乗ったことで、
国府軍は驚いてしまったのである。
血筋のよい上流貴族ではないものの、
市井家を知らない武士などいなかった。
「おのれ! 市井さまを名乗る不届きもの!
市井の姫さまが、こんなところにいるわけがなかろう! 」
純朴な国司は、すっかり彩の術中にはまっていた。
そして、不幸なことに、この国司は紗耶香の顔を知らない。
もし、紗耶香を知っていたなら、この場で何とかなっただろう。
この男は市井家こそ知っていたが、紗耶香を知らなかったばかりに、
この凍てつく河原で最期を迎えたのである。
「いるんだから、しょうがないじゃん」
紗耶香は太刀を浴びせ、国司がそれをかわす。
しかし、この国司とて、覚醒した紗耶香の敵ではない。
彼女の俊敏な動きに、国司はついていけなかった。
『斜禰瑠』の袴姿で、甲冑すら身につけていない紗耶香と、
鎧兜を身にまとった国司とでは、攻撃の速度に倍以上の差がある。
さらに、そんな重い男を乗せている馬にしても、
紗耶香の馬のように俊敏な動きがとれるはずがなかった。
彼女は何度か斬りつけると、国司の防御するクセを見きり、
そこを突いて袈裟懸けに斬ってしまった。
- 270 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/09(金) 21:00
- 「うがっ! 」
紗耶香の一撃をうけた国司は、そのまま落馬してしまい、
義勇兵たちによって、首を切られてしまった。
一騎討ちで敵の総大将を斃したことにより、
義勇兵たちの士気は最高潮にたっしている。
それとは裏腹に、国府軍は戦意を喪失してしまった。
「た、退却じゃあ! 」
総大将が討たれてしまうと、国府軍は退却をはじめた。
困ったのは、援軍に駆けつけた備前、播磨の兵たちである。
自分たちは援軍であるというのに、主力が逃げてしまうからだ。
我さきに逃げる国府軍を見ながら、援軍は戦闘意欲を喪失してしまう。
「紗耶香どの。敵が降伏しておりますぞ」
渡辺綱は、また紗耶香が「降伏を許すな」と言うのではないかと心配した。
しかし、今の彼女には、朝娘寺を攻撃したときのような冷酷さはない。
覚醒した意識は殺戮を愛する冷徹なものだったが、彼女は以前の意識と同化していた。
そのためか、降伏した敵を殺すとは、けっして命じることはなかった。
「綱さま。降伏した連中の武器と防具を、義勇兵に分け与えてください」
この合戦の目的には、武器や防具を手に入れるという意味もあった。
義勇兵たちは強力な武器と防具を手に入れ、さらに士気が上がってゆく。
そうなれば、残された作戦は、追撃しかなかった。
- 271 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/09(金) 21:00
- 紗耶香たちは、備中国府まで追撃の手をゆるめなかった。
殿軍を討ちやぶり、本隊に攻撃を加えるようになると、
敵は組織的な抵抗をやめ、逃げることしか考えなくなる。
紗耶香たちが丘を越え、木々の間から下を見ると、
そこにはいくつかの村に囲まれた国府が見えてきた。
「あれが備中国府ね」
国府へつづく狭い道を、敗残兵たちが転がるように逃げてゆく。
紗耶香の乗った馬が汗をかき、息をきらせているので、少し休憩が必要だった。
人間より速く走れるのが馬だったが、こまめに休まないと乗りつぶしてしまう。
馬の息が白くなり、あたりの寒さを表していた。
「いちーちゃん。降伏したのは、備前や播磨の兵らしいよ」
「援兵を見捨てて逃げるとは、いい根性をしてるね」
国司が死んでしまうと、国府軍は一気に統率力が低下してしまった。
援軍を守るといった義理をはたすことなどせず、わが身かわいさに、
国府まで逃げ戻ってしまったのだから、あきれるばかりである。
国府付近の村では、紗耶香たちの接近を知り、人々が右往左往していた。
「あそこに入られちゃ、手を出せないよ」
真希は要害である国府を見ながら言った。
備中国府も敵の襲撃を考え、城砦化されている。
ここを攻め落とそうと思ったら、少なくとも5000人は必要だ。
しかし、紗耶香は2500足らずの兵しか率いておらず、
力で攻略するには兵の数が少なすぎた。
- 272 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/09(金) 21:01
- 「村を焼きはらおうか」
こうした場合、村を焼きはらい、はだかにしてしまうのが効果的だ。
だが、まさか国府軍が負けるとは思わなかった村人たちは、
誰ひとりとして避難する用意ができていない。
焼きはらうのはワケもなかったが、このままでは村人が全滅するだろう。
「紗耶香どの。ここは街道を封鎖し、村を焼きはらうと脅したほうがよいかと」
百戦錬磨の渡辺綱は、やはり戦のかけひきを知っていた。
こんな状態で意地をはれば、村を焼かれた人々の恨みを買う。
国府軍はイヤでも降伏しなければならないのだった。
国司が死んだ以上、代わりの人質を差しだすのが条件である。
こうした交渉をするのは、渡辺綱となつみが適任だろう。
「綱さま。なつみと講和交渉に行ってもらえますか? 」
「喜んで! 奥方か姫でも連れてきましょう」
紗耶香は丘のはずれに本陣を置き、そこから国府を監視していた。
その間、真希は後方にいるなつみと真里を呼びにゆく。
紗耶香が本陣を置いた場所は、すぐ後方が深い谷になっているところだ。
こうした天然の地形を利用し、奇襲から身を守るのが兵法というものである。
後方から敵に襲われる危険がないため、前方に神経を集中させることができた。
「紗耶香さま! なつみさまと真里さまがまいられました! 」
紗耶香が義勇軍を布陣させ終えたころ、真希が2人を連れてきた。
なつみを背中に乗せ、手をぬいた走りをする例の牝馬に、
真希は「しっかり走らないと馬刺にする」と脅しをかけたらしい。
そのためか、牝馬は矢のような速さで走ったという。
- 273 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/09(金) 21:01
- 「こここここ―――怖かったべさァァァァァァァァァー! 」
疾走する牝馬にしがみついていたなつみは、出迎えた紗耶香の足元に落ちてきた。
死ぬ気で走る馬の背中は、熟練者でも乗っているのがつらいものである。
運悪く落馬すれば、死ぬ可能性が高いため、なつみは必死にしがみついていたのだ。
なつみは恐怖に震えるだけだったが、真希の小脇にかかえられた真里は、
馬自体が怖かったこともあり、白目をむいて気絶していた。
「ごくろうさま。後方の負傷兵の治療は? 」
「ほ、ほとんど終わってる。ダメだったのは意外と少ないべさ」
当時、武器というのは弓矢と槍が一般的だったため、即死するものは少なかった。
大部分の戦死者が、刺し傷や切り傷をうけ、出血多量で死んでしまうのである。
運よく止血できたとしても、その後の衛生状態の悪さから感染症を患ってしまう。
抗体が食菌行動をとると、人体は発熱してしまい、心臓に過度の負担をかけた。
傷がもとで死んでしまうというのは、こういったことに起因することが多かった。
「さっそくで悪いんだけど、綱さまといっしょに、和平交渉に行ってくれない? 」
「ワヘーコーショーって何だべか? 」
故ひとみに偶蹄目と揶揄されたなつみが、むずかしい言葉を知っているワケがない。
こういった場所で「わへいこうしょう」と聞けば、誰もが「和平交渉」と思うはずだ。
ところが、なつみは戦などは素人だし、場の空気をよむことが苦手だったのである。
あたりまえのことを質問され、紗耶香はなつみの無知ぶりに驚き、硬直してしまった。
柔らかな日差しの中に、昨日とはちがった風が吹きぬけてゆく。
それは、東から湿った空気を運んできていた。
- 274 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/09(金) 21:01
- 「なっち、『和平交渉』だよ。戦をやめるかけあいをすること」
ようやく正気にもどった真里が、字引のようなことを言った。
この場合の和平交渉は、攻め手の紗耶香たちが有利であるから、
全面降伏とはいかないまでも、人質をとることはできるだろう。
そうなると、やはり国司一族の中から、近親者を得なくてはならない。
紗耶香たちは話し合った結果、息子・姫・奥方の順で話をし、
これで決まらなければ交渉決裂とすることにした。
「それじゃ、さっそく行ってちょうだい」
この部隊の大将である紗耶香に命じられ、渡辺綱となつみは、
大きな白い旗をかかげながら国府に近づいていった。
東から西へと雲が流れ、地面にはその影が点在している。
九州の南西に低気圧がある証拠で、あと数日したら天気がくずれるだろう。
なつみを守るように歩く渡辺綱を、村人たちは遠巻きに見ていた。
「立派なお侍じゃの。けど、何で娘が? 」
「お侍は渡辺綱さまに似とるけんのう」
和平交渉の使者ともなると、それこそ命がけであった。
相手も和平を望んでいれば、話が難航することはなかったが、
徹底抗戦を決めていたとしたら、おそらく惨殺されるだろう。
それでも渡辺綱は、命に替えてもなつみだけは守ろうと思っていた。
そんな緊張する状況であるにもかかわらず、なつみは理解していない。
自分が注目されていることに喜び、彼女は笑顔で村人に手を振ってみた。
ただ、自分の置かれている立場を理解していないだけだったのだが、
村人たちは豪胆な娘であると噂していた。
- 275 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/09(金) 21:02
- 国府内の大広間で、なつみと渡辺綱が、御台所(奥方)と家老相手に、
今回の戦の最終的な和平交渉の条件を攻防していた。
2人は国司の家臣に囲まれているので、かなりの圧迫感がある。
さすがの渡辺綱も、この雰囲気に呑まれそうになってしまった。
「御嫡子どのがムリとなれば、姫さまを質にされては? 」
渡辺綱が冷や汗をかきながら、一歩だけ条件をゆるめてみた。
国司の家臣の中に渡辺綱の顔を知っているものがいたので、
彩にだまされたことは分っていたが、武士として和平に応じる以上、
意地でも人質をださないという雰囲気が伝わってくる。
中には徹底抗戦を主張する輩までいた。
「綱どの。姫をだせるとお思いか? 」
家老は高飛車な言い方で、渡辺綱の譲歩を踏みにじった。
難航する交渉の中、なつみはタイクツしてしまい、
庭に寝かされてうなっている重傷者の治療をはじめる。
深手を負い、傷口から内臓が飛びだしている重傷者でも、
なつみが手を触れると、たちまち元気になって飛び起きた。
「あははは―――元気になってよかったべさ」
泣いて感謝する重傷者の家族に、なつみは嬉しそうに言った。
すでに死んでしまったものや、虫の息のものは助けられなかったが、
なつみに傷口をさわってもらうと、ウソのように完治してしまう。
この奇跡は、家臣たちを驚かせ、そして気分を和ませていた。
治療のお礼にもらった干柿を食べながら、なつみは得意になっていた。
- 276 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/09(金) 21:02
- 「な―――なつみどの。わしも治療してくださらんか? 」
若い兵士は、こともあろうか、股間を矢で射抜かれていた。
逸物と玉がやられ、このままでは立小便もできなくなるだろう。
ところが、こんななつみでも若い娘にはちがいない。
嫁入り前の娘が、男の逸物をさわることなどできなかった。
「そ、それだけはカンベンしてほしいべさ」
なつみは赤くなりながら拒否するが、男にとっては切実だった。
どうやら、心に決めた娘がいるようで、このままでは破談になるだろう。
それを断れば、人の一生をだいなしにしてしまうかもしれない。
泣いて懇願されたため、なつみは目をとじて治療することにした。
「うわっ! ここここ―――これが殿方の―――」
なつみは緊張のあまり、逸物を握りしめてしまう。
彼女が手をふれた瞬間に完治していた逸物は、
こまったことに、どんどん膨張してしまった。
「お、大きくなるけど―――こここここ、怖いべさァァァァァァァァァー! 」
なつみが逃げだすと、興奮した若い男たちが彼女を追いかける。
その誰もが股間を押さえ「なつみどの。わしも治療してくだされ」と言っていた。
いくら偶蹄目と言われても、男ならなつみの柔らかな手で握ってもらいたい。
逃げまわるなつみと追いかける男たちを見て、国司の家臣たちは大笑いした。
こうなってしまうと、いつまでも意地をはった交渉などする気にならず、
形式的に姫を質にだすということで決着したのだった。
- 277 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/09(金) 21:03
- 「それでは、姫には陣所まできていただこう」
「綱どの。この3名を連れてもよろしいか? 」
国司の姫は、3人の若侍の同行を求めた。
世間知らずの姫らしく、渡辺綱に対等の口をきく。
たった1人では怖いだろうと思い、渡辺綱は同行を許可した。
しかし、なつみは先ほどから、変な気を感じていたのである。
その気は、どうやら姫から発せられるもので、
例のお堂で感じた気と酷似していた。
「あんた、ほんとうに姫さまだべか? 」
「も、もちろんじゃ。無礼であろうが! 」
国司の姫は、顔を変えた明日香である。
彼女は国府軍が負けるとは思っていなかったので、
どうやって逃げるか模索中だった。
質として紗耶香の陣所へ行くことになったため、
逃げるとしたら、この機会を逃すことはできない。
この洗脳した3人は強いので、本陣で暴れれば、
明日香だけが逃げることくらいはできるだろう。
「なつみどの。亡くなった国司どのに瓜二つじゃ」
渡辺綱は明日香の気を感じることができないため、
ニセモノではないかと疑うことはなかった。
雲の切れ間から陽が差しこみ、あたりを照らしている。
湿った東からの風も弱まり、うららかな冬の午後だった。
- 278 名前:名無し弟・ギブスとれた(^∀^) 投稿日:2004/01/09(金) 21:05
- 今回は、これで終わりです。
また、来週には更新したいと思いますので、よろしくおねがいします。
- 279 名前:名無し読者 投稿日:2004/01/10(土) 22:00
- おつかれさまです。
やっぱり(*´ー`*)の性格はのほほんとしてていいですねー。
と思ってたら(0°−°0)が・・・。心配です
9月で20歳ですか〜。わたしは8月だからわたしと同年齢だw
- 280 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/15(木) 21:15
- >>279
ありがとうございます。同い年とは奇遇ですねえ。
8月といえば、飯田さんと安倍さんもそうでしたね。
イヤかもしれませんが、下のアネキも8月生まれですよ。
週末は予定があるので更新します。
- 281 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/15(木) 21:15
- 《真里の最期》
渡辺綱となつみは、国司の姫を人質にして国府を出てきた。
先ほどから、なつみが気になっている姫の怪しげな気は、
国府を出ても衰えることはなく、ずっと持続している。
なつみにもう少しだけ気を読む能力があったとしたら、
この後に発生する悲劇が起きずにすんだだろう。
だが、明日香の頭の方が、なつみよりも少し上だった。
「紗耶香どの。国司の姫君を質に得ましたぞ! 」
得意顔の渡辺綱は、これで備中の組織的な抵抗が終わったと感じた。
渡辺綱であるから信用され、なつみの雰囲気をかえる腕もみごとである。
冬にしては少しまぶしい太陽が、雲の隙間からみんなを照らしていた。
夜通し動いて疲れた義勇兵たちは、暖かな小春日和にうたた寝をはじめる。
紗耶香は裕子に母衣武者を送り、国府に本陣を置く提案をした。
「綱さま、なつみ。ごくろうさま」
「おかえり。なっち」
紗耶香と真希、そして真里の3人は、笑顔で出迎えた。
姫を人質にとるとは、渡辺綱となつみも、たいしたものである。
姫がここにいれば、国府軍が暴れることは考えられなかった。
そうなれば、この鉄壁をほこる国府開城は間近で、
同時に篭城する国府軍の武装解除も時間の問題である。
ほぼ完璧な交渉とあって、誰もが嬉しそうにしていた。
- 282 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/15(木) 21:16
- 「紗耶香。あの姫には注意した方がいいべさ」
笑顔で迎える紗耶香に、なつみは注意を促した。
どうも邪悪な気を姫に感じるからである。
注意するに越したことはないが、相手は世間知らずの姫さまだ。
なつみの思いは取り越し苦労ではないかと紗耶香は思っていた。
「まさか。あんなに小柄な姫が」
姫の高貴な態度は、誰が見ても国司の娘であった。
怪しげな気は、人質にされて不安だからだと思われる。
娘たちと渡辺綱は、姫と3人の従者を床几に座らせた。
紗耶香は姫が目を合わさないことに、どこか不信感をもつ。
さらに、3人の従者の目つきが気になっていた。
「さて、白湯でもいただこうかの」
渡辺綱は見晴らしのよい陣所で床几に座り、
のんびりとした村々のようすをながめていた。
和平交渉がうまくいったため、どこの村でも、
安心して食事のしたくをしている。
のどかな田園風景に、彼自身まで眠くなってきた。
「はーい。ちょっと待っててね」
真希は国司の姫と従者の分まで湯呑を用意し、
鉄ナベで沸かしていた湯を竹の器ですくう。
カゼ気味の義勇兵が「わしにもくだされ」と言うと、
真希は笑顔で別の湯呑に白湯をいれてやった。
- 283 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/15(木) 21:16
- 「はい。どうぞ、綱さま」
真希は湯気が立ちのぼる湯呑を渡辺綱にわたした。
熱い白湯を飲めば、身も心も温まってくる。
橙色がかった真冬の日光は、どこか頼りなかったが、
それでも日なたにいると、暖かさを提供してくれた。
「寒くない? 手荒なことはしないから、安心しててね」
紗耶香がそう言ったとき、姫の扇子が開かれた。
それと同時に、3人の従者は紗耶香に襲いかかったのである。
この扇子が開くという行為が、襲撃のきっかけになっていたのだろう。
紗耶香は後方に倒れ、間一髪、刺されることはなかった。
「何をするか! 戯れにもほどがあるぞ! 」
渡辺綱が応戦にでるが、予想外の強さに翻弄された。
真希も1人に阻止されてしまい、ひっくり返った紗耶香に危険が迫っている。
男は紗耶香の胸めがけ、持っていた懐剣を振り下ろそうとしていた。
いくら紗耶香であっても、これを受けたら死んでしまうだろう。
「死ね! ―――あぐっ! 」
そのとき、どこからか矢が飛来し、男の胸を貫通していった。
これだけの弓の使い手は、そういるものではない。
胸に穴があいた男は、心臓が破壊されて即死してしまう。
この男を殺した矢は、男の胸を貫通したばかりでなく、
30間(約54メートル)離れた谷の向こうの山まで飛んでいった。
- 284 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/15(木) 21:17
- 「すげー! こんな弓矢を使えるのは―――」
真里はこのケタ外れの力を持った矢こそ、
あの圭織が放ったものであると思った。
紗耶香を殺すはずだった男が死んでしまい、
明日香の計画は暗礁に乗り上げてしまう。
真希と渡辺綱は、残った2人の男と闘うが、
これがまた意外なほど強かった。
「卑怯もの! 」
真希は目が据わった男をにらみつけた。
降伏しておいて、いきなり斬りかかるとは、
武士の風上にもおけない卑怯な手段である。
地方武士の憧れでもある検非違使を父に持つ真希は、
こうしただまし討ちが大きらいだった。
真希の念が野太刀に伝わり、その破壊力が増してゆく。
そして、怒りをこめて振り降ろした一撃は、
男の懐剣を叩き折り、頭蓋骨まで真っ二つにした。
「きさまなど、わしの敵ではないわ! 」
真希が振り返ると、渡辺綱も男を斬り斃していた。
剣豪としても名高い渡辺綱は、いくら歳をとっても、
その腕が衰えることはなかったのである。
3人の男を斃し、安堵のため息をつく3人は、
極度の興奮から頬を紅潮させていた。
その3人の頬に、まるで冷却するかのように、
少しだけ湿った冷風が当たっていた。
- 285 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/15(木) 21:18
- 「紗耶香。だいじょうぶだったべか? 」
なつみが紗耶香に駆け寄り、ケガがないかを診る。
紗耶香にケガがないと分ると、みんな胸をなでおろしたのだが、
真希は背後で、とんでもない状況になっているのに気がついた。
彼女が思わず息を呑むと、それに気づいた紗耶香と渡辺綱が振り向く。
そこでみんなが見たものは、信じられない光景だった。
「おっと、動かないでくれますか? 」
何と、丸腰だと思った姫が、真里を羽交い絞めにして、
その細い首に懐剣を突きつけていた。
小柄で非力な真里では、どうしようもない体勢である。
事態は最悪であり、このままでは真里を救うことができない。
明日香としても、まさか、こんな事態になるとは思っていなかった。
選りすぐりの強い男たちが、あっけなくやられてしまったのである。
脱出をしようとしていた明日香は、とっさに真里を拉致したのだった。
「まりっぺを放すべさァァァァァァァァァー! 」
なつみが飛びかかろうとして、真希に押さえこまれてしまう。
ここは強行すると、真里が殺される危険性があった。
紗耶香は太刀をぬき、ジリジリとつめよって行く。
さわぎを聞きつけた兵たちも、何ごとかと集まってきた。
威圧された明日香は、真里を羽交い絞めにしながら、
少しづつ後退してゆくしかない。
本陣の背後にはガケがあり、それ以上奥には行けなかった。
後退するのがムリであると察した明日香は、
困惑した表情を浮かべて真里の後へ隠れてしまう。
- 286 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/15(木) 21:19
- 「逃げられないよ。さあ、まりっぺを放して! 」
真希が野太刀を振りあげると、明日香は真里の喉に懐剣を当てた。
少しづつにじり寄っていたため、明日香はガケっぷちまで追いつめられる。
この下は深い谷になっており、落ちたらケガくらいではすみそうにない。
首に刃物を当てられ、生きた心地もしない真里は、けたたましく怯えていた。
「武器を捨ててくださいな。さもないと、このチビちゃんが死んじゃいますよ」
「誰がチビだゴルァ! 」
真里は無礼な明日香に怒鳴ってみるが、懐剣が喉に当たると、
「あははは―――チビです」と弱気なことを言いだした。
ここは、どうするべきなのか、すべてが紗耶香の判断にかかっている。
紗耶香は何か対策がないか考えてみるが、これといった良案はみつからない。
緊迫した空気が流れ、心臓の鼓動がヤケに耳につく。
明日香の派手な着物の柄が、妙に目についてしまう。
あと、少しだけ近づけば、明日香だけを斬り殺せるかもしれない。
しかし、これ以上は近づくことが不可能だった。
「武器を捨てて降伏してください。この人が死んじゃってもいいんですか? 」
明日香としては結果オーライだった。
真里を盾に、娘たちを降伏させていまい、
そろって彩のもとへ連れて行けそうである。
そうなれば、彩の悲願は成就されるだろう。
ワラをもすがるつもりで真里を拉致したが、
これは思いがけない魚が釣れそうだった。
- 287 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/15(木) 21:19
- 「万事休すか! 」
やはり、真里の命にはかえられない。
紗耶香が太刀を捨てようとしたとき、
正面にいた真希の頭をかすめて矢が飛来した。
その矢は明日香の頬をかすめただけで命中はしない。
紗耶香が驚いて振りかえると、そこには圭織が立っていた。
「はずしたか―――くそっ! 」
「まりっぺに当たったら、どうするんだべさァァァァァァァァァー! 」
興奮したなつみは、圭織に石を投げつけた。
どうしても真里の背後に明日香がいるため、
圭織ほどの名手でも狙撃することができない。
圭織は次の矢をつがえ、明日香の頭を狙っていた。
「なめたマネをしてくれましたね? この人がどうなってもいいんですか? 」
「やっぱり、あのときの娘だべさ! 」
なつみは明日香の正体を悟った。
すると、紗耶香も明日香の気を感じはじめる。
あのお堂で、ミカに化けていた娘と同じ気だった。
ひとみと梨華の仇がいるというのに、
よりによって、真里を拉致されてしまった。
紗耶香はくやしさのあまり、涙がでてきてしまう。
それは、どの娘も同じだった。
- 288 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/15(木) 21:20
- 「よくも―――ひとみと梨華を殺してくれたな」
「あははは―――バレちゃいましたね。そうです。私が変幻自在の明日香です」
そう言うと、明日香は顔をミカやひとみ、梨華に替えてみせた。
ひとみと梨華の無念を、この場で晴らすことはできるのだろうか。
くやし泣きする紗耶香は、気が遠くなるほど明日香を憎んだ。
絶体絶命の状態ではあったが、小春びよりの心地よい日差しは、
誰にでも悲しいくらい公平に降りそそいでいる。
少しだけ風が吹き、紗耶香の髪がゆれた。
「圭織! オイラごと、こいつを射殺してよ! 」
真里には分っていた。
ここで娘たちが拉致されてしまえば、
今後の戦に大きな影響が出てしまう。
彩を退治しなくては、平安京が全滅するのだ。
そうなってからでは遅いのである。
なぜなら、平安京には、真里の弟や妹たちがいるからだ。
「そうか! なっち、用意はいい? 」
真希に目配せされ、なつみは大きくうなずいた。
なつみの治療がきけば、真里ごと明日香を仕留められる。
明日香が死んだあとで、真里を治療すればいいのだ。
もう、こうなったら、その手しか考えられない。
紗耶香となつみも、その作戦に懸けてみようかと思った。
緊迫した空気が漂い、誰もが手に汗を握っている。
なつみは成功したときのことしか考えていなかった。
- 289 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/15(木) 21:21
- 「ダメ! 2人の急所が重なってる! 」
小柄な明日香は、うまく真里の背後に入っていた。
これでは圭織の矢で串刺しにされ、2人とも仲良く死んでしまう。
なつみの腕をもってしても、死者と死相が表れたものは治療できない。
それに、すぐ後がガケになっているため、明日香が転落すれば、
真里まで落ちてしまうかもしれなかった。
「いいの! このままじゃ、オイラも連れて行かれる! 」
このままでは、紗耶香たちは本気で攻撃ができなくなり、
明日香に降伏してしまうだろう。
そう思った真里は、死を覚悟したのだった。
捨て身の真里の言葉に、驚いたのは明日香である。
まさか、自ら死を選ぶとは思いつかなかったからだ。
「よくない! あたしは真里を死なせたたくない! 」
紗耶香は太刀を地面に叩きつけた。
ひとみと梨華を失い、ここで真里までが死んでしまうと思うと、
紗耶香は悲しくてしかたなくなってしまう。
兵を引かせ、捕らえてある恵と瞳との交換も考えた。
だが、そうなると、死霊を復活させる彩の計画が、
より円滑に進んでしまう恐れもあった。
「紗耶香! 平安京が全滅したら、オイラの弟妹たちも死ぬ! 」
真里は今こそが、自分の死ぬときだと思った。
かわいい弟妹を守るため、ここで犠牲になるのだ。
弟妹が助かるなら、真里は喜んで命を捧げられる。
死ぬのは怖いが、真里は決心していた。
- 290 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/15(木) 21:21
- 「ムリだよ! 」
圭織は空に向かって矢を放つと、背丈以上もある弓を地面に叩きつける。
短い間ではあったが、真里との思い出を自ら断ち切るようなことはできない。
圭織はくやしそうに唇を震わせていたが、号泣していたのがなつみである。
なつみは真里がどうなるのか、おおまかな予想がついていたからだ。
「分った! それじゃ、なっち! 弟妹たちをたのんだよ! 」
そう言うと、真里は上着を脱いでしまう。
彼女の体中に、いくつもの手榴弾がつけられたのを見て、
さすがの明日香も、恐怖に悲鳴を上げてしまった。
狼狽する明日香に抱きつき、真里は据わった目で彼女を見つめる。
明日香はひとみと梨華を狡猾な罠にかけ、殺害した張本人なのだ。
「てめーだけは、ぜったいに許さないからな」
そして、真里は一本になっている導火線の紐を手にとった。
たった1個でも、大の男が即死するほどの手榴弾である。
これだけの手榴弾が一斉に爆発したら、付近にいるものは、
まず助からないだろう。
「かかかかか―――考え直してください! 自爆なんて―――」
明日香は真里を説得しようとしたが、まったく聞く耳を持たない。
慌てふためく明日香を見て、真里は悟ったような笑みを浮かべる。
大切なもののために死ねるのは、ある意味、幸せなのかもしれない。
病気で死んだり、うかばれない死に方をする人ばかりなのだから。
真里を盾に脱出するつもりが、明日香はどんでん返しをくらった。
- 291 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/15(木) 21:22
- 「うるせー! この銀杏娘がァァァァァァー! 」
このままではラチがあかない。
明日香は真里の背後から出てこないし、
紗耶香が明日香に屈することは、彩にとって有利となってゆく。
明日香としては、真里の首から懐剣を離すわけにもゆかず、
狼狽するばかりだった。
「紗耶香! あんたに逢えて、よかったよ! 」
そう言い終えると、真里は掴んでいた紐を引き、
明日香といっしょにガケから飛び降りた。
紗耶香の視界がゆがみ、吐き気がするほど気分が悪くなる。
足がもつれ、紗耶香はその場に倒れてしまった。
「まりっぺー! 」
なつみと真希がガケに駆け寄ると、同時に大爆発がおきた。
爆風に吹きとばされ、真希となつみは体中を打撲してしまう。
轟音とともに地面が揺れ、圭織が転んで小さな悲鳴をあげる。
火薬の焼ける臭いがして、黒い煙が谷に充満していた。
「ま―――真里どの! 」
渡辺綱はガケ下を覗きこみ、真里の姿を探してみた。
しかし、そこに真里の姿はなく、飛散した血と肉片しか見えない。
あの大爆発では、牛でも即死してしまうだろう。
小さな真里は、ほぼ消滅してしまったのだ。
- 292 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/15(木) 21:23
- 「いやだ―――いやだよ。―――どうして死んじゃうの? 」
真希は座りこんで泣きだしてしまう。
いつも元気で、チョコチョコ動きまわっていた真里。
牛や馬が怖くて、なつみに甘えていた真里。
そんな真里は、もういないのだ。
大の字に転がったなつみは、茫然として青空をながめている。
真里が死んだなんて、まったく実感がないからだ。
「まりっぺ―――2人でいると暖かいべさ」
真里の壮絶な最期を目撃した圭織は、大きな衝撃を受けていた。
ひとみや梨華につづき、真里までが死んでしまうとは。
圭織は転がっているなつみを抱き起こし、真希の頭をなでた。
そして、ガケっぷちで肩を震わす渡辺綱に、小さな声で言った。
「綱さま。真里の死体の回収をおねがいします」
「そ、そうであった」
渡辺綱にしても、真里の壮絶な最期は衝撃だった。
愛するもののために、自らの命を犠牲にするとは、
これこそが、武士(もののふ)というものだろう。
渡辺綱は忘れかけていた気概を感じていた。
「真里どのの亡骸を回収せい! 不発弾に注意するのだぞ」
渡辺綱傘下の兵や義勇兵の中には、真里に想いを寄せるものもいたので、
そういったものたちが、すすり泣く声が聞こえてきた。
いくら命の値段が安かった時代とはいえ、真里を失った意味は大きい。
兵士たちは悲しみに打ちひしがれながら、谷底へと降りていった。
- 293 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/15(木) 21:23
- 「ま、まりっぺを助けなきゃ! まりっぺー! 」
ガケに駆け寄るなつみを圭織が抱きとめた。
いくらなつみでも、即死した真里を助けることは不可能である。
飛散した肉片を持ち寄っても、生き返らせることはできない。
それは、誰よりもなつみが、いちばんよく分っていた。
「なっち! 真里は死んだの! 死んだんだよ! 」
圭織はなつみに分らせようと、彼女の胸倉をつかんで怒鳴った。
なつみは驚いたように圭織を見ると、全身を震わせてゆく。
涙を目にためながら、なつみは圭織にしがみついた。
冬の低い位置からの日差しが、なつみの顔を直射している。
それでも、まぶしさなど、まったく感じないなつみだった。
「そんな! ―――死んでなんか―――死んでなんか―――」
ようやく、なつみにも真里の死を感じられるようになってきた。
真里を亡くした悲しみが、沸々と湧いてくるようになる。
いつもと同じ橙がかった日差しが、どこか淋しげだった。
- 294 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/15(木) 21:24
- 《倭建之命覚醒》
はげしい吐き気と眩暈を覚えた紗耶香だったが、
どうにか持ち直して床几に座りこんでしまった。
あれだけ壮絶な死に方を見れば、誰でもそうなるだろう。
特に感受性が強い紗耶香は、精神的にまいってしまった。
「うっ! 」
ドクン―――ドクンドクンドクン―――
紗耶香の脳が、別の生きもののように鼓動をはじめた。
ひどい違和感と嫌悪感、そして、はげしい頭痛が彼女を襲う。
視界がゆがみ、土の臭いと煙の臭いが交互に訪れる。
それは、彼女が頭をかかえて転げまわったことを意味していた。
「いちーちゃん! 」
心配した真希が抱きついてくる。
どこか懐かしい柔らかさは、真希の胸だった。
頭痛がおさまってくると、紗耶香は自分の中に、
新しい記憶と感情ができているのに驚いた。
やがて、その意識が彼女を支配してゆく。
「我は倭建之命なり。ここに蘇った」
紗耶香を間近で見た真希は、その肉体的変化に仰天する。
髪は金色になっていたし、瞳も碧眼のようになっていた。
そして、何よりも凍りつくような冷たい目になっていたのである。
- 295 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/15(木) 21:25
- 「や、倭建之命? 」
すっかり覚醒した紗耶香は、真希と唇を合わせ、胸をつかんだ。
こんなところで求められても困ってしまうので、真希は紗耶香の腕をつかむ。
すると、紗耶香は真希を突き飛ばし、白刃を抜いて立ち上がった。
てっきり斬り殺されると思った真希は、慌てて逃げだした。
「遺体の捜索など後にしろ。真里の復讐をする」
紗耶香の放つ雰囲気は、誰も逆らうことができない。
何しろ、紗耶香は覚醒して倭建之命となったのである。
今の彼女に意見できるのは、帝以外にいないだろう。
なつみと圭織は、息を呑んで見守ることしかできない。
「まずは村を焼きはらえ! 皆殺しにするのだ! 」
そう言うが早いか、紗耶香は馬に飛び乗り、丘を駆け降っていった。
その後方を槍を持った数人に義勇兵が走ってゆく。
残った義勇兵たちは、片手に松明を持ち、村へと乱入していった。
出遅れた真希は、なつみが世話になっている牝馬に飛び乗る。
「げげー! 馬刺はカンベンしてね」
「いいから走れゴルァ! 」
真希に怒鳴られ、牝馬は矢のように走りだした。
少しでも手を抜けば、馬刺にされると思っている牝馬は、
またたく間に紗耶香に追いついてしまう。
牝馬が必死ということもあるが、これだけの足を持つ馬も珍しかった。
- 296 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/15(木) 21:25
- 「火を放てー! 」
紗耶香は逃げ惑う村人を斬り殺しながら、義勇兵たちに命じた。
あちこちから火の手があがると、虐殺がはじまったのである。
彼女は後方から、泣きながら逃げてゆく子供の首をはねた。
身重のうえに子供を抱いた女を、紗耶香は串刺しにする。
家を焼かれ、火だるまになって出てきた男が、弓で射られて倒れた。
「いちーちゃん! この人たちに罪はないでしょう! 」
「こいつらも敵と同類だ。自業自得というやつだな」
もはや、紗耶香に理屈は通用しなかった。
今の紗耶香には、殺戮の本能に加え、破壊の神の使命感しかない。
つまり、何が何でも村人を殺すことしか、考えていなかったのだ。
この阿鼻叫喚の地獄絵は、国府にいる連中を震えあがらせた。
「降伏はゆるすな! 女子供であろうと、皆殺しにせよ! 」
義勇兵といえど人の子であるから、
逃げ惑う女子供を殺すのには抵抗があった。
だが、紗耶香の命令は絶対である。
兵たちは泣く泣く、女子供まで殺していった。
「まだ生きてるものはいるか? 丘にもどって陣を組め! 」
約3000人の虐殺を終えた紗耶香は、意気揚々と丘へもどってきた。
紅蓮の炎に包まれる国府城下の村々は、全滅してしまったのである。
丘には困惑した表情の渡辺綱と圭織、そしてなつみの3人がいた。
紗耶香は満足そうに馬から降り、血まみれの太刀をボロキレで拭っていた。
- 297 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/15(木) 21:26
- 「紗耶香! どうして子供を斬れるの? 」
こんな時の紗耶香に意見するのは、とても危険なことだった。
それを感じた真希は、紗耶香を羽交い絞めにしようとしたが、
彼女の口から出た言葉は、とても意外なことだった。
「そりゃ、男に比べて動きは遅いし、向かってこないからな。
いちばん簡単なのが子供。それから女ってとこじゃないかな」
今の紗耶香には、虐殺が背徳的な行為であるという自覚がない。
圭織は無抵抗な子供を殺すことに、良心は痛まないか聞いたのだが、
紗耶香は彼女が、うまく子供を殺せないと思いこんでしまった。
子供は直進的に逃げるから、馬で追いつくのはワケもない。
紗耶香は圭織に、子供殺しの技を伝授していた。
「そういった意味じゃないんだけど」
圭織は話が通じずに困ってしまったが、
紗耶香は非難されたとは思っていなかった。
それが圭織にとって幸運だったのは言うまでもない。
真里を亡くしたために、なつみは悲しみにくれていたが、
彼女とて今の紗耶香に逆らうことなどできなかった。
「これで国府も丸ハダカだな」
紗耶香は紅蓮の炎の先にある、土塀に囲まれた国府を見ていた。
備中国府は敵の攻撃を想定し、小高い場所に築かれていたが、
櫓などが造られておらず、あまり戦略的価値はなかったのである。
すべてを焼きつくす猛火を前に、真希は泣きそうな顔で紗耶香を見ていた。
- 298 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/15(木) 21:26
- 「紗耶香どの。国府の矢は底がついておりましょう」
渡辺綱も真里の仇討ちのために、国府を攻め落としたいようだ。
篭城戦に効果的な武器である弓も、矢が枯れてしまっては使えない。
士気の落ちたわずか数百が籠もるだけの国府など、
倭建之命の戦術にかかればひとたまりもない。
紗耶香は大きくうなずき、作戦の説明をはじめた。
「搦め手(裏口)には綱の部隊と、圭織が行ってくれ」
紗耶香は圭織に500の義勇兵を預け、搦め手を攻撃させるらしい。
攻城戦は経験のない圭織ではあったが、篭城戦の経験があるため、
立場を換えてみれば、おもしろいところに気がつくだろう。
篭城戦で困ったことなどを、攻める側になって突いてみるのだ。
「正面は私が受け持つ」
紗耶香の作戦は、タダでさえ少ない国府勢力を、
前後から攻撃して、さらに分散させることだった。
国府の正面では、200もの兵が守備していたが、
数倍の兵力があれば、攻め落とすことはできるだろう。
「ちょっと待つべさ」
紗耶香が話している最中に、さえぎるように口を挟んだのがなつみである。
まだ、真里を亡くして動揺していたが、紗耶香は勘ちがいをしていた。
そこを指摘してやらないと、彼女は無実の人を殺してしまうことになる。
なつみは訝しげに見る紗耶香へ、泣きはらした目を向けた。
- 299 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/15(木) 21:27
- 「すべては、あの姫に化けた女がやったことだべさ。国府の兵たちに責任はないっしょ」
「甘い! 敵に欺かれたのは、自らの責任であろう! 」
紗耶香はなつみを突き飛ばし、何が何でも国府を攻撃しようとしている。
今の紗耶香にとって、誰の責任であるかなどは、どうでもいい問題だった。
ただ、目の前に国府があるから、攻め落とそうというのである。
真里の仇などということは、彼女にとって二義的なことだった。
「あくまで皆殺しにするんだべね」
「あたりまえだ! 」
今の紗耶香に、慈悲や同情といった感情はない。
ただ、殺戮と破壊の本能にしたがい、行動するのみである。
なつみは悲しそうに下をむき、真里が使っていた懐剣を握りしめた。
村が燃える熱は、娘たちの顔を焦がす勢いになっていた。
「―――いちーちゃん」
「どうした? 怖がらなくていい」
紗耶香は涙目の真希に、あたりまえのように言った。
もう誰も紗耶香を止めることはできない。
他のものにできることは、紗耶香にしたがって、
殺戮と破壊を手伝うことだけだった。
虐殺された死体が燃え、無機質な物体へと変化してゆく。
それはまるで、人間という高度な意識を持つ生命体が、
ただの元素の集合体であると証明しているようだった。
- 300 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/15(木) 21:28
- 「綱! 圭織! 出陣せい! 」
紗耶香の命令には、どうやっても逆らえない。
あのひとみが、紗耶香にだけは逆らわなかった。
それは、ひとみが本能的に、紗耶香の本質を感じていたからだろう。
ひとみは最後に紗耶香に逆らい、結果的に無念の最期をとげた。
「ものども! 搦め手を押さえるのじゃー! 」
渡辺綱が馬に乗り、大声をあげると、休息していた兵たちが慌てて起き上がる。
義勇兵のほうは、人別担当のものが、圭織にしたがう500人を選抜していた。
圭織についてゆくものは、弓を扱えるものと、槍を使いこなせるものたちである。
つまり、紗耶香は圭織に強力なほうの兵を渡してしまったのだ。
なぜなら、本隊のほうが人数は多かったし、何より紗耶香という強力な指導者がいた。
「綱さまにつづくよ! 」
圭織が馬に乗ると、数人の義勇兵が馬廻りについた。
当時の騎馬武者には、轡とりをはじめ、太刀持ち、槍持ち、
弓持ち、兜持ち、旗持ちの使役夫がつき、さらに徒侍が数名と、
家中の中間(ちゅうげん)小者などの足軽がつきしたがう。
その人数は20人ていどだったというのだから、
いかに騎馬武者の身分が高かったかが分るだろう。
「真希、500の兵を連れて右に陣を張れ。なつみは左だ」
紗耶香は国府の兵を、さらに分断して攻撃しようとしていた。
攻城戦では、いかに多面で攻めるかが、勝負につながってゆく。
狭いところでは、少人数でも楽に守れてしまうため、
できるだけ広範囲に攻撃する場所をつくるのだ。
紗耶香が馬に飛び乗ると、備中国府攻撃がはじまった。
- 301 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/15(木) 21:28
- 備中国府と周辺の村が焼ける煙は、移動中の裕子と貴子にも見えた。
そこは大規模な火災となっており、風も弱いことなどから、
黒煙は100間(約180メートル)上空にまでたっしている。
裕子は葦毛馬の背中で、数里離れた場所の阿鼻叫喚を想像していた。
「あっちゃん、ほんまなんか? 真里が死んだって、ほんまなんか? 」
裕子の横で牛車に乗る貴子は、窓から顔をだしている。
山の向こうに立ちのぼる黒煙を見上げ、気を集中していた。
その中で、貴子は真里の死と、紗耶香の覚醒を感じたのである。
娘たちが死んでしまうのは、貴子にとってもつらいことだった。
「残念やけどな」
娘の中での元気印だった真里を、裕子はとても気にいっていた。
真里は生まれてこのかた、恵まれない人生を歩んできたのに、
とても明るくて素直な性格をしていたのである。
少し粗雑なところはあったが、裕子は妹のように感じはじめていた。
そんな矢先に、真里は大切な『家族』を守るため、自ら犠牲になったのである。
式部省の鬼とも言われた裕子が、思わず涙をながしてしまった。
「姐さん! 娘たちは紗耶香を覚醒させるために生まれてきたんや! 」
「そんなことは、わかっとるわ! 」
暖かい日差しの中とはいえ、涙は寒風に吹かれて凍ってしまいそうだった。
石で選ばれた娘たちは、紗耶香を覚醒させるのが目的で生まれてきたのである。
紗耶香は悲しみで覚醒するのだから、仲良くなって死ぬ運命なのだった。
そんな宿命を背負った娘たちが、裕子には不憫でならなかった。
- 302 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/15(木) 21:29
- 「姐さん。雲が流れていきよる」
「―――ほんまやね。雨になるんやろか」
上空では風が吹いているようだった。
それで黒煙が100間以上に達しないのだろう。
裕子は妙に納得して、悲しそうにため息をついた。
そして、腰にぶら下げた瓢箪に入れた酒を、
一気に呷って苦しそうな吐息を漏らしたのだった。
「あっちゃん。充代は―――」
「備前やね」
街道沿いには、紗耶香たちの追撃で死んだ備中国府兵たちの死体があり、
痛々しいその数は、しだいに多くなっていった。
踏みにじられた旗を見て、裕子は戦の無意味さを痛感する。
こんな旗に描かれた家紋のために、どれだけの人が死ぬというのだろう。
そんな中、海が近いせいか、風に運ばれて磯の香りがやってくる。
どこかなつかしい匂いは、殺伐とした空気を、少しは和らげていた。
「充代だけは―――」
「姐さん! ―――充代しだいや」
裕子は「そやな」と言うと、虚しそうに空を見上げる。
深呼吸した彼女の息は、こんな暖かさでも白くなって、
歩みとは逆の方向に少しだけ流れ、潔く消えていった。
- 303 名前:名無し弟 投稿日:2004/01/15(木) 21:30
- 今日はここまでです。
急がないと安倍さんが卒業しちゃいますね。
がんがってみます。
- 304 名前:名無し読者 投稿日:2004/01/17(土) 03:27
- おつかれさまです。
今度は矢口ですか・・・。読んでる途中から目をそむけたくなってしまいました。
覚醒したヽ^∀^ノかっこいいですねー。かなり残虐ですがw
先週気づかなかったんですけど、怪我が治って良かったですね。
わたしもギブスつけてたことがあるんですけど不便でした。
- 305 名前:名無し弟・ギブスとれた!(^∀^) 投稿日:2004/01/18(日) 15:30
- >>304
ありがとうございます。
昼寝をしててハイベッドから転落。ヒザの下にヒビが入りました。
CD13枚を壊したんですが、不思議とモー娘のCDはセーフでした。
鬼姉にムリにヒザを曲げさせられ、悲鳴をあげたのはオレです。
とにかく、急いで更新したいと思います。間に合うかな?
- 306 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/18(日) 15:31
- 《進撃再開》
裕子たちが備中国府跡に到着したのは、あれから2日後のことだった。
数千人の虐殺が行われた場所であるというのに、そんなことは想像できない。
とても静かで、上空にはトンビが数羽、弧を描いて旋回している。
炭化した木材こそ残っていたが、そこは見晴らしのいい野原だった。
今日は曇天であるため、晴天時のような寒さは感じない。
どんよりと曇った空は、どことなく冬独特の鉛色に光って見えた。
戦を終えた紗耶香たちは、誰もが疲れた顔をしており、休息が必要だった。
「真里の遺体を探したのですが、どれがそうだか―――」
再び同化した紗耶香は、すっかり落ちついていた。
壮絶な最期をとげた真里の遺体は、まったく明日香と区別がつかない。
義勇兵が総出で捜索し、ようやく10貫(約37.5キロ)足らずの肉片を集めた。
谷底は川になっているので、残りの部分は流されてしまったのだろう。
しかたないので、真里が着ていた着物だけを、遺体として埋葬することにした。
「交代で真里どのの葬儀の用意をせい! 」
渡辺綱は坂田金時、碓井貞光、卜部季武の部隊と義勇兵たちに、
真里の葬儀の準備を指示すると、その場に座りこんでしまった。
彼は主人である源頼光より、いくらか若いとはいえ、
長時間にわたる戦闘に疲労困憊なのである。
同時に娘のように感じていた真里が死んでしまい、
怒りと悲しみで精神的にまいっていたのだった。
そんな疲れはてた渡辺綱を、ほかの四天王が心配し、
敷布を広げて横になるよう勧めていた。
- 307 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/18(日) 15:32
- 「なつみ。つらいやろな」
悲しそうにしゃがみこむなつみを見て、裕子は思わず声をかける。
なつみと真里が仲がよいのは、裕子も知っていた。
裕子が肩に手を置くと、なつみは耐えられずにしゃくりあげてしまう。
あれほどかわいがっていた真里が死んでしまったのだから、
なつみは裕子以上に悲しんでいるにちがいない。
裕子はそう思うことで、悲しみを克服しようとした。
「とにかく―――みんな、ゆっくり休もうや」
裕子は娘たちに休息をとらせることにした。
本音を言えば、すぐにでも前進し、彩たちを粉砕したい。
だが、今の状況では、行軍すらおぼつかないだろう。
ムリして押しだせば、思わぬ事故につながりかねなかった。
「でも―――」
「安心せえ、紗耶香。明後日にも源頼光が追いつくわ」
貴子はムリに笑顔を作り、結果的にウソをついた。
源頼光軍はいまだに、長門で食糧調達に東奔西走している。
少しでも娘たちを休ませたいがための方便だった。
「それなら、ちょっとだけ」
この悲しみが思い出になるのには、まだ時間がかかるだろう。
しかし、今はゆっくりと休み、心身ともに癒さなくてはならない。
廃材で急造の小屋が造られ、娘たちはその中で泥のように眠った。
まるで胎児のように丸くなり、正体もなく眠ったのだった。
- 308 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/18(日) 15:32
- 翌朝も、この時期としては暖かく、娘たちはスッキリ起きることができた。
冬にしては珍しく、続けて2日も曇天なのは、どうやら前線の影響らしい。
そのため、ここ数日は、はっきりしない天気が続きそうである。
娘たちが霜が降りない朝を見るのは、ほんとうにひさしぶりだった。
「降ってきそうや。その前に、真里の葬儀をしようやないの」
裕子は小屋に入ってくると、4人の娘たちの顔を見る。
4人は悲しみに沈んだ顔こそしていたが、疲れはとれているようだ。
やはり若いだけあって、グッスリと眠れば、一晩で疲れがとれてしまうのだろう。
そんな娘たちを見て、裕子は少しだけうらやましくなった。
彼女も若いころは、どんなに疲れていても、一晩寝ればへいきだった。
だが、最近では一晩だけでは疲れがとれなくなっていたのである。
その証拠に、裕子は目の下のクマを隠す化粧をしていた。
「なっち。いっしょに行こう」
なつみを気遣っていたのは、裕子だけではなかった。
かわいがっていた希美が失踪した圭織も、
真里を亡くしたなつみの気持ちが痛いほどよく分る。
どこかボーッとしている圭織だが、面倒見はよいほうだった。
圭織の心遣いが嬉しかったのか、なつみは笑顔をつくってみる。
しかし、その顔は誰が見ても泣き顔でしかなかった。
「すまんけど、朝餉は後回しやで」
裕子はなつみの頭をなでながら言った。
いくら食い意地のはったなつみでも、こんなときに朝餉など入らない。
裕子はそれを承知で、少しでもなつみを慰めようとしていたのである。
冬にしては温かく、湿った空気が流れこんできた。
- 309 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/18(日) 15:33
- 真里の葬儀を終えた一行が備中国府跡を後にするころになると、
雲はさらに厚くなり、とうとう冷たい雨が降ってきた。
本格的な低気圧の影響ではないので、まるで梅雨のような雨である。
徒歩のものはよかったが、馬上のものは手が痛くなるほど冷えてしまう。
そこで裕子は、なつみといっしょに輿へ乗ることにしたのだった。
「悲しいやろけど、こればかりはな」
「もう、悲しいのは慣れたはずなんだけど―――」
暗い輿の中で、なつみはふたたび泣きだしてしまう。
輿の中からも、枯葉に当たる雨音が聴こえていた。
裕子はなつみを抱きしめ、優しく背中を叩いてやる。
真里の死の意味を、なつみは噛みしめていた。
「誰かと死に別れるんは、ほんまに慣れへんで」
30歳の裕子は、これまで多くの人と死に別れた。
彼女の父も、初恋の相手も、祖父も祖母も死んだ。
若いころ、将来を誓った相手も疫病でこの世を去っている。
比較的、安定した時期ではあったが、疫病が平安京を襲ったのだ。
「なっちが小さいころ仲良しだった子は、みんな死んじゃったべさ」
平安京では疱瘡(天然痘)や赤斑瘡(麻疹)が大流行し、
貴族の中で病に斃れたものも、けっして少なくはない。
藤原道兼などは、関白を継いで7日目に病死するありさまだった。
なつみの幼なじみも、きっと若くして病死したのだろうと裕子は思った。
- 310 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/18(日) 15:33
- 「不憫やね。まだ若いのに」
「―――みんな老衰だべさ」
実妹のようにかわいがっていた真里を亡くし、
なつみの言動がおかしくなっているようだ。
それは裕子にとって、とても不憫に思えることであり、
彼女は唇を震わせながら、なつみを抱きしめた。
「もうええ。何も考えんと、ゆっくり寝や」
「―――うん」
なつみの力があれば、真里の最期を事前に知ることができただろう。
しかし、彼女はあえて、それをしなかったのである。
気がついたときには、真里がかわいくてしかたなくなっていた。
そんな真里の最期など、知りたくもなかったのである。
木製の輿はよくできていて、湿気を吸って膨張し、
雨漏りがしないようになっていた。
「うちも、もう悲しいことはゴメンやね」
「―――」
「この戦が終わったら―――寝とるわ! 」
裕子が気がつくと、なつみは寝息をたてていた。
おそらく、昨夜はうなされ、寝た気がしなかったのだろう。
裕子はあきれていたが、すぐに笑顔になって、
ふたたびなつみの背中を優しく叩いた。
- 311 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/18(日) 15:34
- 2日後、一行は備前国府近くまでやってきていた。
義勇兵たちは次々に集まり、その数は3000人にまで膨らんでいる。
裕子が式部大輔として農民から米を買い、それを兵糧にしていた。
義勇兵に参加すれば、飢えることはなかったため、
人口増加に困っている村の若者は、こぞってやってきたのである。
中には鍛冶屋、砥師までおり、武器の製造や保守まで行えた。
「裕子さま。もうじき備前国府です」
紗耶香が知らせると、裕子は輿から出て馬に乗りかえた。
雨こそやんでいたが、気の晴れない曇天は続いており、
朝よりも昼、昼よりも夜と、少しづつ寒さがもどってきている。
もうじき日暮れとなるので、少しだけ進み、裕子は行軍を止めた。
場所は古寺の境内であり、雨露をしのげる場所がある。
まったくの野原で野営するよりは、天と地ほどの差があった。
「焚火をせえ! 濡れた服は着がえるんや! ええな! 」
備中国府周辺の村々を襲ったとき、義勇兵たちは衣服を奪っていた。
着のみ着のままの状態でやってくる兵が多い中で、
調達できるものは、戦で手に入れるのが最良の方法である。
これでは山賊と何ら変らないが、当時としては一般的なことだった。
「紗耶香、綱。みんなを集めや」
本陣にいくつかの焚火ができると、裕子は軍の首脳を招集した。
この本陣の場所は、かろうじて屋根だけが残る本堂の跡地で、
下は半分以上が土間になってしまっている。
一般の兵たちは、門や宿坊など、屋根が残る場所に身を寄せていた。
- 312 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/18(日) 15:35
- 「金時! 貞光! 季武! 評定(会議)じゃあ! 」
「真希、圭織、なつみ。評定が始まるよ」
四天王と娘たちが集まってくると、
裕子を中心に左に貴子、右にりんねが座った。
そして、りんねの側に渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部季武の順で座る。
左手の貴子の方には、紗耶香、真希、圭織、なつみの順で座った。
この11人が、官軍5000人の頂点に位置していたのである。
「この備前なんやけどな。貴子に総大将をやってもらう」
裕子は有無を言わせない口調で言ったが、全員が驚き、ざわめいてしまった。
なぜなら、貴子は占術が専門であり、兵の動かし方など知らなかったからである。
戦の素人が兵を動かすなど、危険きわまりないことだった。
ひとつまちがえば、5000の兵が全滅してしまうかもしれない。
「裕子さま。それがしを補佐役に―――」
「これは決定事項や! ええな? 」
渡辺綱の意見を一蹴し、裕子は全員をにらみつけた。
ここまで一方的な裕子を、これまで誰も見たことがない。
四天王と娘たちの動揺を表すように、焚火の炎が揺れていた。
裕子は何があっても変更しないといった決意に満ちた顔をしている。
それとは逆に、貴子は今にも泣きそうな顔で、黙って下を向いていた。
この闘いが何を意味するかくらい、貴子にも分っているだろう。
兵たちは本気で敵を憎み、皆殺しにする気でいるのだ。
- 313 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/18(日) 15:35
- 「作戦を言うで! 国府を包囲して降伏を促す! 以上! 」
「裕子さま! 」
こんな戦評定など聞いたこともない。
たまりかねた紗耶香が裕子をにらみつけた。
あらゆる可能性を模索し、最善の方法を決定する。
たとえ、事前に方針が決まっていても、
参加した参謀各位に話をさせるものだった。
ところが、裕子は一方的に話しただけである。
これでは「評定」ではなく「報告」だった。
「意見は聞かへんで! 」
「裕子さまに申しあげる! 義勇兵たちは真里の仇討ちをするつもりです!
その義勇兵たちに、何と言って申し開きをするのですか! 返答ねがいたい! 」
紗耶香に突っこまれ、裕子は困惑してしまった。
すでに倭建之命と同化した紗耶香だけでなく、
義勇兵たちも敵を皆殺しにするつもりである。
今の紗耶香であれば、抑えることも可能だろうが、
主力の義勇兵までは抑えることなどできないだろう。
義勇兵の責任者は紗耶香ではあったが、
彼らは真里の復讐に燃えていた。
「説得してくれへんか? 」
先ほどまでとはうって変わり、裕子は全員に懇願した。
ここまで弱気になった裕子も、見たものはいなかった。
- 314 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/18(日) 15:36
- 「何があるの? 」
勘のいい真希は裕子と貴子の突飛な言動に、
何か重大なことが隠されているように感じた。
しかし、それが何であるかまでは分らない。
四天王と娘たちは返答を待ったが、
裕子と貴子は言葉を濁すだけだった。
「裕子さま。貴子さまの総大将には、何の不満もありません。
でも、それなりの説明があってもいいんじゃないでしょうか」
「そやな。じつは―――」
「姐さん! 」
裕子は何かを説明しようとしたが、貴子に阻止されてしまった。
その後、誰が聞いても、2人は理由を答えようとしない。
娘たちは裕子が仲間だと思うから、何でも話してほしかった。
だが、裕子は下を向いたまま、固く口を閉ざしてしまった。
「―――備前には平充代がいますね。何かあるんでしょうか? 」
「紗耶香。すまんが、何も聞かんでくれへんか? 」
裕子は困ったように、そして頼むように言った。
この状況では、2人は何も話さないだろう。
それはそれで、しかたなかったのかもしれない。
四天王と娘たちは、悶々としながらも、
裕子と貴子の意見を受けいれることにした。
- 315 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/18(日) 15:36
- 《充代の最期》
おだやかな天候に恵まれ、つかの間の晴天が広がる中、
四天王軍と義勇兵たちによる備前国府包囲が始まった。
備前国府は平山城であり、難攻不落とされている。
その国府上空には、雲のような瘴気が集まっており、
国司も魔物に乗りうつられた可能性が高かった。
「われこそは源頼光四天王の1人、碓井貞光と申す! 」
碓井貞光が国府の兵に向かい、名乗りをあげていた。
応答があれば、降伏を勧めるつもりなのだろう。
彼は兜をとり、国府内の兵たちに顔を見せている。
碓井貞光の顔を知るものがいれば、
偽りの名乗りでないことが分るからだった。
「碓井どのが何の用じゃー! 」
ほどなくして、国府内から応答があった。
篭城の構えをしてはいたが、やはり四天王の名前は効果がある。
矢防板の間から、国府の兵士たちが顔をだした。
すかさず、坂田金時が碓井貞光の横まで馬を走らせる。
その大柄で力強い風貌は、平安京でも有名だった。
「同じく! 坂田金時である! 」
こんな田舎に、四天王の1人が来ただけでも大騒ぎなのに、
足柄山の金太郎として名高い坂田金時まで現れたのだから、
国府内には驚きと嬉しさが充満していた。
- 316 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/18(日) 15:37
- 「金時さま! これはどういうことじゃ? 」
すっかり戦支度をした国司は、櫓から身を乗りだして2人を凝視する。
渡辺綱と卜部季武が近づいてくると、国府兵たちの中には手を振るものまでいた。
どうやら、国司は四天王の顔を知っているようで、大手門を開けて飛びだしてくる。
四天王軍は反射的に矢を向けたが、裕子に指摘されて弓をおろした。
「平充代という女がいるであろう。素直に引き渡せ」
「充代どのが何か? 」
どうやら、国司は何も知らなかったようだ。
国司は彩に乞われるまま、充代に国府の一角を貸したのである。
そこで充代が何をしていたのかまでは、誰も知らなかったようだ。
「充代には国家転覆の容疑がかかっておる」
渡辺綱が言うと、国司は驚いて腰をぬかしてしまった。
あの充代にかぎって、まさか国家転覆を企てていたとは。
どこか、達観したような表情をしていたが、
人のいい国司は、そんなことなど考えもしなかった。
「早く連れて来られい! 」
卜部季武に怒鳴られ、国司は転がるように国府へ入ってゆく。
渡辺綱の合図で、娘たちと貴子が馬を進めてくると、
四天王に守られるような形で、国府内へと入っていった。
冬らしくきれいに晴れた空に、頼りない太陽が輝く昼下がりだった。
- 317 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/18(日) 15:38
- 充代の籠もる曲輪の前には、死守する1人の女がいた。
その女は奥州小湊家の娘で、美和という名前である。
小湊家は民族歌の師匠といわれ、彼女もその血をひき継いでいた。
国に幼い子供を残しており、何としてでも生還したいと思っている。
しかし、武装する数人の兵たちを相手にしては、勝ち目はなかった。
「やめや! そこをどくんや。死ぬんやない」
貴子は充代を守るために、傷だらけになって闘う美和に言った。
ところが、美和は曲輪の門の前から、けっして離れようとしない。
しかたなく、真希が野太刀をぬき、美和にかかっていった。
真希の腕であれば、美和を殺すまでもない。
「あがっ! 」
美和はみねうちされ、その場にくずれおちた。
すかさずなつみが駆け寄り、傷の手当てをする。
美和を国府兵に引き渡し、紗耶香と真希は門を蹴破った。
「うわっ! こ、怖いよー! 」
門の中には亡者の霊が満ちあふれていた。
紗耶香と真希の破邪の剣では、対応できないほど強力な霊である。
悪霊たちは復活のジャマをしにきた連中を、容赦なく襲ってきた。
こんなときに頼りになるのが、陰陽師の娘のなつみである。
なつみは悪霊を怖がりもせず、玉串を掲げながら中へ入ってゆく。
そして、祝詞を唱えながら、強い念を振りまいてゆくと、
浮遊していた悪霊たちは、次々に浄化されてしまった。
- 318 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/18(日) 15:38
- 「さすが、なつみやな」
このくらいの霊であれば、貴子が出るまでもなかった。
さすがに菅公ほどの怨霊は二の足を踏んでしまうが、
藤原純友の乱で死んだものの霊など、たかが知れている。
貴子が曲輪に馬を乗り入れると、こんどは人間が走ってきた。
「気いつけや! 死人還りの法で復活した悪霊たちやで! 」
悪霊兵たちは、驚くほどの速さで太刀を浴びせてくる。
真希にしても、一撃を野太刀で受けるのが精一杯だった。
紗耶香の薄刃では、受けたら折れてしまうだろう。
そこで、紗耶香は鞘におさまったままで受けたのだった。
「帝釈天よ。そなたの力の一部を使う! 」
なつみが印を切ると、貴子に斬りかかった男が即死する。
新手が現れると、後方から圭織が弓で支援してゆく。
圭織の破魔矢で射られれば、悪霊兵でも即死してしまった。
だが、四天王は悪霊兵に苦戦し、碓井貞光は負傷してしまう。
真希にしても、悪霊兵の機敏な動きについていけなかった。
「裕子さま! 草薙の剣を! 」
紗耶香が念を送ると、貴子も強い念を送った。
そのおかげで、裕子は危うく頭が破裂するところだった。
狭い場所での闘いであるため、国府の兵は見守ることしかできない。
そんな国府兵たちを押しわけ、かきわけてきたのが、
草薙の剣を持った使役兵たちだった。
- 319 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/18(日) 15:39
- 「紗耶香さま! 草薙の剣でござる! 」
紗耶香は馬から飛び降りると、草薙の剣が入った箱を叩き壊す。
そして、あれほど重かった草薙の剣を軽々とつかむと、
すさまじい強さの悪霊兵たちに向かってゆく。
紗耶香が草薙の剣を引き抜くと、その刃は七色に輝いていた。
「この力は―――」
あまりにも強い気が発せられ、なつみは気分が悪くなってしまう。
これまで、多くの人の血を吸ってきた草薙の剣は、
倭建之命となった紗耶香の手の中で、長い眠りから覚めようとしていた。
この気には貴子も当てられ、馬から降りてしゃがみこんでしまう。
「この悪霊どもが! 」
紗耶香が草薙の剣をくりだすと、その先にいた数人の悪霊兵の首が飛んだ。
その恐るべき力を持った剣に、勇敢な悪霊兵たちが怯えている。
破壊の神が持つにふさわしい草薙の剣は、すべてを破壊するものだった。
悪霊兵たちが逃げだすと、紗耶香は草薙の剣を地面につけて念を送った。
「うおっ! 」
草薙の剣から扇状に、地面にモグラが掘ったような跡がついてゆく。
それは中ほどから加速してゆき、逃げる悪霊兵たちに襲いかかっていった。
すると、悪霊兵たちは苦しみだし、ほどなく体を爆発させてしまう。
須佐男命は、この草薙の剣を地面に突き刺し、不毛の大地にしてしまった。
それほど力のある剣であり、邪神などが敵うものではない。
- 320 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/18(日) 15:40
- 「す、すごい剣だね」
真希は草薙の剣の力を見て、腰をぬかすほど驚いていた。
倭建之命と同化した紗耶香だからこそ扱えるものである。
紗耶香がうれしそうに微笑み、草薙の剣を鞘にしまうと、
気分が悪くなっていた貴子となつみが回復していった。
「―――あとは、充代だけやな」
そう言って貴子が曲輪に入ってゆくと、丸腰の細い女が現れた。
この女こそ、彩に全面協力して国家転覆を企んだ充代である。
誰もが憎しみをもって充代をにらみつけていた。
しかし、充代の表情は、そうした心を解きほぐしてしまう。
そばにいるだけで、彼女は人の心を癒していた。
「久しぶりやな。充代」
どうやら、2人は旧知の仲であるらしい。
そういえば、貴子は充代のことが詳しかった。
この2人の関係について、知っているのは裕子だけである。
四天王と娘たちは、呆気にとられて2人を見ていた。
「何を考えとるんや。このままやと世界が終わるで」
充代は紗耶香を見ながら言った。
次に覚醒すれば、紗耶香は破壊の神となる。
充代は貴子以上に、破壊の神の怖さを感じていた。
破壊の神は、すべてを壊し、殺しつくすのである。
それは貴子にも分っているはずだった。
- 321 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/18(日) 15:40
- 「あんたがこんなことするからやろ。もうええ。終わりにし」
「そうはいかんよ。―――おねえちゃん」
何と、充代は貴子の妹だったのである。
25年ほど前、貴子の父が常陸守になったとき、
現地の娘に産ませたのが充代だった。
そのことを知った貴子は、充代を平安京に呼び、
いっしょに住んでいたこともある。
充代が関東にもどり、音信不通になってから、
貴子は彼女を心配していたのだった。
それが、こんな状態で再会するとは。
「それで意固地になってたんだべね」
なつみがあきれて言うと、真希と圭織が失笑した。
どうやら、娘たちを殺したこととは無関係のようだし、
四天王と娘たちは、充代の降伏を受けいれる気でいる。
ほかならぬ貴子の妹とあっては、闘うことがイヤだった。
「そうなると、あとは彩だけだね」
紗耶香たちが帰ろうとすると、充代の気が変化してゆく。
それを感じたなつみは、とっさに貴子を抱き寄せた。
充代は自らの命をかけて、紗耶香を殺そうとしている。
自分と彩に対抗するため、姉は恐るべきものを覚醒させてしまった。
充代は姉の貴子が覚醒させてしまった破壊の神を、
この場で亡きものにしようと思ったのだった。
- 322 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/18(日) 15:41
- 「やめや! 充代! 」
「おねえちゃん。この子だけは殺さなあかんね」
充代はそう言うと、気の塊を紗耶香に投げつけた。
はげしい衝撃波は、紗耶香を吹き飛ばしてしまう。
曲輪の門に激突した紗耶香は、痛みに顔を歪めていた。
慌てた四天王と娘たちが、充代を押さえようとする。
だが、充代は全員をはじき飛ばしてしまった。
「あんたは生きてたらあかん」
充代は紗耶香に歩み寄ると、懐剣をとりだした。
彼女はなつみのような攻撃的な呪文を使えないので、
こうした物理的な武器に頼るしかなかったのである。
門に背中を強打して身動きのとれない紗耶香は、
きっと充代の一撃をよけられないだろう。
真希は紗耶香を救おうと、何度も充代に飛びかかるが、
強力な結界に阻まれ、弾きとばされてしまった。
「充代ー! 」
貴子が叫んだ瞬間、紗耶香は草薙の剣をくり出していた。
草薙の剣は充代の結界を突き破り、彼女の腹に刺さっていた。
紗耶香が苦しそうに剣を引き抜くと、充代は腹を押さえてヒザをつく。
咳きこむ紗耶香を真希が抱き起こし、なつみが背中を治療した。
そして、すぐに充代に駆け寄ったが、すでに彼女には死相が出ている。
この状態では、なつみがいくら治療したところで、
少しばかりの延命しかできなかった。
- 323 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/18(日) 15:42
- 「急所を突かれてるべさ」
なつみは口惜しそうに地面を叩いた。
貴子は悲鳴をあげながら、桟敷に倒れた充代に抱きつく。
彼女にもなつみと同じ治療する力があったものの、
この充代の傷を治すことはできなかった。
「何で素直に降伏せえへんかったんや」
「あの子は―――殺さなあかん。この世が―――」
充代は苦しそうに息をしながら、最後の話をしていた。
せめて、息だけでも楽にしてやろうと、なつみは充代の胸に術をかける。
すると、充代は息が楽になり、姉の貴子と話ができるようになった。
「死んだらあかん。―――死ぬんじゃない。充代」
貴子は必死に励ますが、充代はどんどん弱っていった。
本気でくり出した一撃ではなかったが、あの草薙の剣で突かれたのである。
充代が結界を張っていなかったら、即死してしまったにちがいない。
貴子の頬をつたう涙が、充代の顔に落ちてきた。
「アホな妹で、ごめんね」
「やっと―――やっと再会できたんやないか」
たったひとりの妹が、今、こときれようとしている。
貴子は姉として、何もしてやれなかった自分を悔い、
充代の手をにぎることしかできなかった。
- 324 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/18(日) 15:42
- 「こ―――こうなることは―――分ってたんや」
偏西風が国府の櫓にあたり、笛のような音がする。
それはあたかも、充代の最期の叫びのように聴こえた。
貴子よりも能力のある充代は、自分の最期を悟っていたのだろう。
そして、娘たちや彩の最期も、感じていたにちがいない。
「いくら一族の復讐やからって―――アホや」
「あやっぺだけは―――裏切れんかった。あうっ! おねえちゃん―――」
充代は血の塊を吐きだすと、そのまま息絶えてしまった。
貴子は「充代ー! 」と叫び、彼女の亡骸を抱きしめる。
結果的に充代を殺してしまった紗耶香は、貴子に対し、
何と言って謝ったらいいか分らなかった。
「貴子さま。充代さまを中に入れてあげましょう」
真希は号泣する貴子を立たせ、充代の亡骸を抱き上げる。
ろくな食べものもとらず、身をけずるように霊力を使っていた充代は、
まるで子供のように軽くなっていた。
「紗耶香。気にするんやないで。あれは不可抗力や」
貴子はこんなときでも、紗耶香の気持ちを案じていた。
それが嬉しい紗耶香は、貴子に抱きつき涙をこぼす。
やりきれない思いの四天王と娘たちに、
冬の太陽は淋しげな光線を送っていた。
- 325 名前:名無し弟・ギブスとれた!(^∀^) 投稿日:2004/01/18(日) 15:46
- 今回はここまでです。
また、書けたら随時更新していきます。
25日には完結したいなあ。
- 326 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/22(木) 20:23
- 《死人還りの法の弱点》
充代が死んだことで、死人還りの法を行うものはいなくなった。
拉致されていた巫女や尼僧は、充代が死ぬと正気にもどり、
これまでのことを素直に話しだしたのである。
裕子が集計したところ、すでに彩のところへは、
およそ4000人ほどの兵を送っているという。
裕子はすぐに四天王と娘たちを集めた。
「貴子の件では、すまんかったな」
どうしても、貴子が充代との関係を口止めしたので、
裕子は四天王と娘たちに話すことができなかった。
貴子が口止めしたのは、充代を救おうとして、
味方に損害がでるのを恐れたからである。
自分はともかく、いつも周囲のことを考えている。
貴子というのは、そうした女だった。
「それよりも、残るは彩だけでございましょう? 」
紗耶香が言うと、四天王と娘たちがうなずいた。
しかし、裕子は表情を曇らせ、ため息をもらす。
国府の大広間でも、息が白くなるほど寒かった。
幾重にも脂肪を着ているなつみは平気だったが、
圭織や裕子は寒そうにしている。
末席では、何も知らなかった国司が、
怯えながら一同の話を聞いていた。
- 327 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/22(木) 20:24
- 「正直なところ、彩の軍勢には勝てへんで」
彩の軍勢は、死人還りの法で復活した悪霊兵たちである。
いくら士気の高い義勇兵や、技を極めた四天王軍でも、
相手が悪霊兵たちでは、勝負など最初から見えていた。
寒さに震える圭織の背中をなつみが触れると、
驚いたことに、体がポカポカしてくるではないか。
「あはっ。暖かくなった」
圭織が笑顔になると、なつみも嬉しそうに微笑んだ。
かわいがっていた真里を亡くし、沈んでいたなつみも、
ようやく立ち直ってきたようである。
ここにきて、食欲も戻ってきたようだった。
「勝負は時の運。こればかりは、闘ってみないと―――」
「アホ! 相手は人間やないんやで」
渡辺綱は裕子に一喝され、言葉をなくしてしまった。
あの真希ですら苦戦する悪霊兵に、義勇兵が勝てるとは思えない。
だが、このままでは彩は4000の兵で平安京に押し寄せるだろう。
たった数百でも悪霊兵が侵入すれば、平安京は地獄と化す。
「裕子さま。ここは、義勇兵を募り、数を頼りに勝負するしかありません」
りんねは現状での戦闘を不可能だと分析していた。
貴子となつみの霊力による支援。圭織の破魔矢による支援。
それに加え、主力の義勇兵の数を増やせば、勝算はあった。
こうなったら、彩の軍団を動かさないように、
近畿地方の兵を摂津に集結させなければならない。
- 328 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/22(木) 20:25
- 「そやな。このままでは平安京が全滅するわ」
「圭織、綱さまと。なつみは金時さま。真希は貞光さま。あたしは季武さまと」
紗耶香は義勇兵を集める準備にとりかかった。
人のよい国司は、周辺の荘園へも協力を要請する。
こうして評定は、義勇兵を集めることで終わったが、
りんねは何を思ったか、捕虜になっている恵のところへ行った。
「恵さま。りんねでございます」
捕虜といっても、恵は身分ある家の娘であるため、
縛られて石牢に入れられるようなことはない。
数人の若い娘が見張り、軟禁される状態だった。
国府の物置ではあったが、恵の部屋はきれいに片づけられている。
大きなものは男たちが、残ったものは女たちが片づけていた。
「これはりんねさま。ようこそいらっしゃいました」
「たまには、お酒でもいかがでしょう」
りんねは1升入りの大きな徳利を持っていた。
これには、きらいじゃない恵は、目を輝かせて喜ぶ。
少しは分け前があると思った恵の監視役の娘は、
国府の台所に肴をもらいに走っていった。
「捕われの身では、不安もございましょう。まずはりんねがお毒見を」
杯に注いだ酒を、りんねは一気に呷って息を吐く。
待ちきれず、りんねの杯を奪うようにして、
恵は注がれた酒を一気に飲み干し「おいしい! 」と言った。
- 329 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/22(木) 20:26
- 日が暮れるころ、恵はへべれけに酔っていた。
この酒には焼酎を入れ、なおかつりんねが念をこめている。
そんな酒を4合から飲んでしまったので、恵は潰れてしまった。
りんねにしても、3合から飲んでいるので、酔ってはいたが、
何とか正気を保つことはできている。
残った酒を、恵の監視役の娘たちが飲んでいた。
「恵さま。不満に思うことは? 」
「もっと歌いたい! 」
痩身の恵は耳まで紅潮させ、アグラをかいていた。
良家の娘が、まさかアグラをかくとは、りんねも驚いている。
しかし、恵はそれほど酔ってしまっていたのだった。
すでに、聞かれたことは何でも答えてしまうような状態である。
りんねは酒に念を入れ、即席の自白剤を作っていたのだ。
「死人還りの法というのは、解くことができるのですか? 」
「あははは―――かけるのはたいへんだけど、解くのはカンタンだよ」
「解き方は? 」
「般若心経でいいの。あれは必然のお経。死人還りは仏法では邪経だから」
死人還りの法は、仏法でこそなかったが、
真理を唱える般若心経によって解かれるという。
死者を復活させるといった背徳的な邪法には、
もっとも効果的なお経であるといえる。
りんねは恵に催眠術をかけると、彼女の部屋を出ていった。
- 330 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/22(木) 20:27
- 翌日、四天王と娘たちは、新たに1000人の義勇兵を集めていた。
これで総勢6000もの大軍となり、彩も無視できない兵力となった。
再び国府の大広間で評定が開かれ、本格的な作戦会議がはじまる。
今日は貴子も顔を出し、官軍の重鎮がすべてそろっていた。
「まだ少ないで。少なくとも倍の兵力がないとな」
「裕子さま。ちょっとよろしいでしょうか」
珍しくりんねが手を上げたので、全員が注目した。
りんねの話は、昨夜、恵から仕入れたことである。
死人還りの法は、般若心経で解くことができるというものだ。
これができれば、悪霊兵などものの数ではない。
しかし、問題は信憑性にあった。
「ちょっと信じられへんな」
「だったら、実験するべさ」
なつみは少人数で播磨まで行き、悪霊兵を捕らえ、
般若心経が効くかどうか実験すればいいと言った。
数人の悪霊兵を捕らえて、般若心経を唱えてみればよい。
全員に効果があれば、この作戦は効果的だと言えるからだ。
逆に、まったく効果がなければ、別の作戦を考えればいい。
「綱と金時。娘たちと協力して、悪霊兵を捕らえて来や」
裕子に命令され、2人の武将は力強く返事をした。
娘たちも危険な任務だとは分っていたが、断るわけには行かない。
寒い板の間の中で、娘たちは熱い闘志をみなぎらせるのだった。
- 331 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/22(木) 20:27
- 渡辺綱と坂田金時、紗耶香と真希、圭織となつみの6人は、
足の速い葦毛馬に乗り、播磨国境近くにまでやってきた。
すでに、冬の西日が6人の背中を照らしていたが、
早急に悪霊兵の検体を捕獲しなくてはならない。
紗耶香は一時的に、殺していた気を発散させてみた。
「これで彩は紗耶香の気を感じたっしょ」
紗耶香の気を感じたなら、彩は物見を出すにちがいない。
その物見を捕獲してしまうというのが、今回の作戦である。
物見が帰って来なければ、そこに紗耶香がいるということで、
きっと彩は全軍を投入してくるだろう。
しかし、そのころには、もう誰もいないという寸法だ。
「相手は悪霊兵だよ。綱さま、金時さま。油断なさらぬように」
紗耶香の注意を聞き、全員に緊張が走る。
今回は合戦ではなく、検体を捕獲するのが最終的な目的だ。
そのため、少人数での作戦となってしまった。
数人の物見であればいいが、30人もの人数だったら、
きっと手も足も出ないことだろう。
陽が傾くと、冷たい風が東へと吹き抜けてゆく。
「うん? 女の匂いがするぞ」
枯葉の中に隠れていた6人は、すぐ近くで声を聞いた。
すでに、悪霊兵の物見は、声が聞こえるほど近くにいたのである。
6人は視界がきく範囲で警戒し、耳を澄まして人数を把握しようとしていた。
真希は枯葉の中で指を折りながら、接近する物見の数を数えている。
足音や気を感じとると、4人である可能性が高かった。
- 332 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/22(木) 20:28
- 「今だ! 」
紗耶香の合図とともに、6人が枯葉から踊り出ると、
仰天した悪霊兵に飛びかかっていった。
驚いて直立する男を、真希はみね打ちで昏倒させる。
なつみが不動明王印で1人を動けなくすると、
紗耶香が鞘のまま、草薙の剣で1人を殴り倒した。
渡辺綱と坂田金時、圭織の3人は、残った1人を押さえつけていた。
「さあ、グズグズしてられないよ」
真希は4人の悪霊兵を縛り上げると、麻袋に入れて馬に結びつける。
悪霊兵が回復しても悪さができないように、しっかりと猿轡をかませ、
印をきれないように、後手で縛り上げていた。
こうなっては、いくら悪霊兵といえど、手も足もでない。
「紗耶香どの。もどりましょう」
渡辺綱が促すと、紗耶香は大きくうなずいた。
4人も拉致できたのだから、首尾は上々である。
6人は葦毛馬に飛び乗り、国府へ向けて去っていった。
あとは、ただススキの枯葉が揺れているだけである。
悪霊兵を拉致したのは、ほんの一瞬のできごとであるため、
彩たちは物見が忽然と消えたと思うだろう。
この6人には、いくら悪霊兵でも敵わなかった。
- 333 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/22(木) 20:29
- 深夜に帰還した紗耶香たちは、裕子と貴子、そしてりんねが見守る中、
国府の地下牢で、悪霊兵たちに尼僧を使って臨床実験を行うことにした。
すると、どの悪霊兵も、尼僧が唱える般若心経を聞くと、
いきなり苦しみだし、最終的には肉体の方が死んでしまう。
これではかわいそうなので、なつみが気を入れると、
死人還りの法の献体になる前の人格てを戻っていった。
「裕子さま。恵の話は信じられますよね」
「そやな。りんね。お手がらやで」
裕子は嬉しそうにりんねの肩を叩いた。
これで彩軍団は、その数が半減したと考えてよい。
合戦で勝負がつかなくとも、背後には近畿の兵がいるので、
彩の勝利の可能性は、限りなく少なくなってしまった。
「今晩はもう寝や。明日の午後から移動しようや」
「明後日の早朝、彩たちと合戦やな」
寒い地下牢から出ると、それぞれの部屋へ帰ってゆく。
今はただ、充分に寝ることが娘たちの仕事だった。
そんな中、なつみは圭織を呼び止めた。
薄暗い廊下で、なつみは泣きそうな顔で圭織を見上げる。
「圭織、弓に気をつけるんだよ」
圭織は「うん」と返事をすると、笑顔でなつみの肩をさわった。
その手を握るなつみは、悲しそうにため息をつくと、
自分の部屋へ引きあげていった。
- 334 名前:shion 投稿日:2004/01/22(木) 21:09
- 前から気になっていて、ここ数日をかけて読みました。
頭の悪い自分には難しい所もありますが、
ギャグを含んで書いてくださってるので、すんなりと読めました。
これからの展開、ドキドキハラハラしながら待ってます。
- 335 名前:名無し弟・うたばんの矢口にもらい泣き(TοT) 投稿日:2004/01/22(木) 23:28
- >>334
ありがとうございます。
もう時間がないので、更新できるときに更新します。
エンディングのイメージはできあがっていますが、
まだ文章にできていません。
25日には―――
- 336 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/22(木) 23:29
- 《最終決戦はじまる》
悪霊兵対策のメドがついた一行は、翌日の午後から移動を開始した。
予定でゆくと、未明には播磨国境に着くことができるだろう。
この合戦にすべてを懸ける裕子は、鎧の上に白装束を着ていた。
これには「死を覚悟して闘う」という意味がこめられており、
兵たちの士気は、否がおうにも盛りあがってしまう。
まずは、坂田金時軍が500。続いて碓井貞光軍が500。
圭織が率いる義勇兵が1000。渡辺綱軍が500。
紗耶香率いる義勇軍本隊が3000。使役兵が500。
備前国府軍が500。付近から召集された僧たち300。
そして、殿軍の卜部季武軍が500という陣容だ。
合計7000余という大軍は、威風堂々と東へ進んでいった。
「彩は国境で迎え討つ気らしいで」
貴子は彩の気をさぐり、合戦場所を予想してゆく。
おそらく、真ん中に川が流れる広い平地が合戦場所になる。
彩の学んだ兵法と、紗耶香の持つ天才的な勘との勝負になるだろう。
この闘いが最後の合戦となるだろう四天王たちは、
馬上でワクワクしてしまった。
「もうしあげます! 先鋒の坂田勢、国境まで2里(約8キロメートル)とのこと」
母衣武者が馬上から報告する。
白馬に乗った裕子は紗耶香を一瞥すると、
背中に西日を浴びながら、大声で休憩を告げた。
- 337 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/22(木) 23:30
- 「これが最後の休憩や! たっぷり夕餉をとり! 」
裕子の一声を聞くと、母衣武者たちが伝令に走り、
使役兵たちが陣幕をはりながら焚火をはじめる。
義勇兵たちは干あがった田に降り、数人ずつ焚火をはじめた。
西の山に陽が落ちてゆくと、珍しく水星が顔をだす。
宵の明星の金星が赤く輝きだすと、あたりに寒さが満ちてきた。
「貴子さま。おねがいがあるの」
半里(約2キロメートル)も先から走ってきた圭織は、
息をきらせながら、貴子の腕をつかんだ。
驚いたりんねが懐剣に手をやると、裕子がその手を押さえる。
圭織は貴子を攻撃しにきたのではない。
「分っとる。希美の居場所やろ? 」
ガマン強い圭織は、これまで希美のことを話さなかった。
しかし、今回の合戦が激戦になるのを承知しているので、
何とかして情報を手に入れたかったのである。
運が悪ければ、この合戦で死ぬかもしれない。
そうなったとき、悔いを残して死にたくなかったのだ。
「うん」
「希美の気は―――」
貴子は希美の弱い気を探り、彩といっしょにいることに気づいた。
だが、はたして圭織に告げるべきなのか、貴子は迷ってしまう。
時代は圭織を死なせ、紗耶香の覚醒を望んでいる。
それをジャマするようなことは、してはならないと思ったのだ。
- 338 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/22(木) 23:31
- 「希美は―――」
「彩といっしょにいるべさ」
貴子と同じことを思っていたなつみは、それを逆手にとった。
時代に逆らえば、圭織を死なせずにすむと思ったのである。
これには貴子が激怒し、なつみを突き飛ばして懐剣をぬいた。
「何を考えとんじゃァァァァァァァー! 」
懐剣を振りあげる貴子を、りんねが羽交い絞めにする。
驚いた圭織が貴子から懐剣をとりあげ、大事にはいたらない。
しかし、貴子はりんねをひきずり、なつみを蹴った。
裕子と真希が貴子を止めにはいり、紗耶香がなつみをかばう。
「貴子さま! どうしたというのです? 」
りんねは泣きながら怒り狂う貴子に聞いた。
貴子にしてみれば、紗耶香を覚醒させるために、
大切な妹の充代を亡くしたと思っている。
そんな充代の死を、なつみが踏みにじったと思ったのだろう。
「場合によっちゃ、ほんまに殺すで! 」
貴子の迫力に、その場の全員が呑まれてしまった。
これほどまでに怒った貴子を、裕子ですら見たことはない。
紗耶香の腕の中で恐怖に怯えるなつみだったが、
自分では圭織を助けたいという信念を持っていた。
- 339 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/22(木) 23:32
- 「み、みっちゃんは時代に逆らったんだべさ。貴子さまのせいじゃない」
貴子は充代の死こそ、自分のせいだと思っていた。
恐ろしい破壊の神を覚醒させている自分のせいだと。
充代は貴子の愚行を清算するために、紗耶香を殺そうとした。
あの時点で、充代が紗耶香を殺せる可能性など、
ほとんど皆無に近かったのにもかかわらず。
「―――充代」
貴子は裕子に抱きつき、号泣をはじめた。
貴子となつみ以外、この2人の会話の意味は分らない。
互いに考えていることが分る力があるからこその会話だった。
貴子の怒りがしずまったので、紗耶香はなつみを隔離する。
圭織は「のの」とつぶやくと、自陣へと戻っていった。
「裕子さま、貴子さま。夕餉にいたしましょう」
りんねは2人を床几に座らせ、焚火で焼いたオニギリを持ってきた。
すでに、あたりには夕闇が降り、焚火の炎が顔を照らしている。
焼オニギリと野菜のごった煮が、今日の夕餉の献立だった。
「あっちゃん。ちょこっと飲もうか? 輿で寝て行けばええ」
裕子は泣きじゃくる貴子の持った椀に、自前のドブロクを注いだ。
- 340 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/22(木) 23:33
- しばらく休憩をしたあと、夜半すぎに全軍が移動を開始した。
余裕をみても、全軍が国境に到着し、布陣する時間はある。
暗い夜道は危険だったことに加え、敵を威圧する意味においても、
裕子は全員に松明を持たせて大兵力を誇示した。
松明の光のヘビがトグロを巻き、国境に布陣してゆく。
対岸の山の中腹には、彩たちの軍が布陣していた。
「左手の丘をとられると、この戦は負けるな」
紗耶香は頭の中で、効果的な布陣を考えはじめていた。
彩の陣形にもよるが、数で圧倒するなら魚麟の陣が好ましい。
雁行などの鶴翼系の陣形であれば、これで粉砕が可能だ。
鋒矢の陣で来れば鶴翼で受け、一気に包囲してしまえばよい。
しかし、左手の丘をとられると、そこから崩されてしまう。
「まずは、あそこの丘を占領しなきゃね」
紗耶香は月明かりに浮かぶ丘を指差した。
灯りこそないが、敵が占拠している可能性が高い。
主力と左右、後詰めは動かせないので、
丘を攻めるのは圭織と坂田金時の部隊となる。
この合戦の前哨戦ともいえる大切な戦いだ。
「あそこの丘を、圭織と金時さまの部隊で占拠して」
紗耶香は予備として、真希に1000の兵をつけて準備させた。
さらに、悪霊兵対策の僧たちを100人ほど同行させる。
本陣の奥では、貴子たちが護摩をたき、彩の気をさぐっていた。
少しでも有利に闘うため、情報を得ようとしていたのだった。
- 341 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/22(木) 23:34
- 「では、圭織どの。まいりましょう」
圭織と坂田金時が勇んで出陣してゆくと、
紗耶香は真希を本隊の左背後に布陣させた。
これで、万が一のときは、圭織たちを支援させられる。
さらに、紗耶香は残った義勇兵2000を500人ずつに分けた。
「前面の3個部隊が主力。なつみは僧たちを指揮して。500の兵をつけるから」
なつみの部隊は2番手の中央に位置する。
左翼には渡辺綱軍、右翼には碓井貞光軍がいた。
そして、後詰めには卜部季武軍が入る。
遊軍の真希部隊は、柔軟に使うことにした。
「さてと。あとは夜が明けるのを待つだけ」
紗耶香はひと通り布陣の指揮をとると、
本陣で床几に腰かけ、夜明けを待った。
彩の兵法が勝つか、紗耶香の天才的頭脳が勝つか、
それは実際にやってみないと分らない。
白装束で軍配を握る裕子は、緊張して落ち着かなかった。
静かに瞑想する紗耶香のジャマをしないように、
裕子は離れた場所で何度も立ったり座ったりしている。
「裕子さま。勝敗はときの運です」
りんねに指摘され、裕子は「そやね」としか言えなかった。
この合戦で負ければ、命を落とすことになるだろう。
死ぬことは怖くないが、合戦の意味の重さが彼女を緊張させるのだった。
- 342 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/22(木) 23:35
- 丘を攻撃する圭織たちは、はげしい抵抗に遭っていた。
丘には1000もの悪霊兵が陣をはっており、地の利もあって、
猛将・坂田金時であっても攻めあぐねている。
圭織は弓隊に、護符をつけた破魔矢を射こませてみるが、
すばやい悪霊兵には、ほとんど効果がなかった。
「まだ暗いし、こっちが不利よね」
圭織と坂田金時は軍を立て直し、ようすをみることにした。
このままでは、いたずらに兵を消耗するだけである。
負傷した兵を後送し、2人は腕を組んで考えはじめた。
夜空に星がまたたき、月明かりが暗い丘を照らしていた。
「圭織さん。苦戦してるみたいじゃん」
そこへ現れたのは、多少のことでは驚かない真希だった。
真希が現れたことで、兵たちの士気があがってゆく。
それは彼女が1000の援軍を連れてきたことだけではない。
圭織が率いる義勇兵や坂田金時の軍の中には、
真希に想いを寄せる連中もいたからである。
そうした連中にしてみれば、憧れの真希がきて、
一気に元気づいたのだった。
「1000からの敵がいるしねえ。何かいい手はない? 」
「悪霊兵はお経に弱いんでしょう? お坊さんたちを先頭にすりゃいいじゃん」
それができれば、とっくにやっている。
まさか闘いを知らない出家者を前面には置けない。
そんなことをすれば、たちまち坊主の死体の山ができるだろう。
さらに坊主たちは、より安全な場所での読経を要求していた。
- 343 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/22(木) 23:35
- 「じょうだんじゃない! 」
圭織の近くにいた、いかにも偉そうな僧が、
真希にくってかかった。
どうやら、聞いた話とちがうらしかったが、
真希は偉そうな僧を突き飛ばしてしまう。
こんな悠長なことを言っている場合ではない。
「ざけんじゃないよ! 先頭に行けゴルァ! 」
真希は悲鳴をあげる僧を先頭に押しだし、自軍で攻撃をはじめた。
義勇兵たちが丘の斜面を攻め上ってゆくと、悪霊兵たちが襲いかかってくる。
悪霊兵たちは目にも止まらぬ速さで、頭上から太刀を浴びせてきた。
「観自在菩薩―――」
僧は泣きながら般若心経を唱える。
すると、太刀を振り下ろそうとした悪霊兵が、
バタバタと倒れてゆくではないか。
これには、ほかの悪霊兵たちが動揺してしまい、
もはや闘うところではなくなった。
「敵が崩れたよ! 圭織さん! 」
真希に促され、圭織たちが丘の側面にまわりこむ。
麓からではあるが、2方向から攻撃された悪霊兵たちは、
丘を支えることがむずかしくなっていた。
こうして、東の空が明るくなるころ、
丘の頂上は真希と圭織によって占拠された。
- 344 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/22(木) 23:36
- 東の山の間から、朝日が顔をのぞかせると、
凍てつく寒さがやってきて、あたりの水分を凍らせた。
両軍の中央に位置する名もない川の水も、
流れがゆるいところには氷が張っている。
それほど寒さがきつい朝だった。
「さて、彩はどうするか」
裕子は焚火を背にし、彩の陣を見つめていた。
川の水の冷たさに耐えかねたのか、水鳥が飛びたってゆく。
水鳥が落下させた水滴が凍り、宝石のように輝いていた。
誰もが息を白くしながら、紗耶香の合図を待っている。
義勇兵たちは、何度も槍を握りなおし、そのときを待っていた。
「今だ! 前進せよ! 」
紗耶香はおもむろに立ち上がると、いきなり号令をかけた。
各部隊が鬨の声をあげ、ゆっくりと前進してゆく。
陣幕の外へ出た紗耶香のところへ、母衣武者が集まってくる。
しかし、紗耶香が見ていたのは、彩の陣形だけだった。
「あれは? まさか、車懸かりの陣? 」
車懸かりの陣とは、後年、川中島の戦いで上杉謙信が用いた陣形で、
本陣を中心として、時計と逆周りに回転しながら攻めこむ陣である。
次々に新手が現れては消えてゆくので、応戦する側が疲労するらしい。
彩はこの車懸かりの陣で、中央突破しようというのだった。
丘を奪われてしまっては、この合戦に勝つことはできない。
そこで彩は、とりあえず出雲まで逃げようと思ったのだった。
- 345 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/22(木) 23:37
- 「あれをやられては―――鶴翼に開かせろ! 」
「御意! 」
母衣武者が馬に飛び乗って疾走してゆくと、
すぐに魚鱗の陣から鶴翼の陣へと変化していった。
結果的に、紗耶香は武田信玄の陣形をとったのである。
けっして車懸かりの陣に効果的な陣形ではなかったが、
紗耶香には彩の思惑が分っていたのだろう。
「紗耶香。鶴翼の陣やと、突破されるかもしれへんで」
裕子は紗耶香の後から、心配になって声をかけてみる。
鶴翼の陣の利点は、敵を包囲してしまう戦術にあった。
ところが、車懸かりの陣は、円運動を行っており、
包囲したところで、突き破られる可能性が高いのである。
だが、紗耶香には彩に勝つ大きな自信があり、
裕子の今にも泣きそうな心配そうな顔を見ると、
ニッコリと笑って見せたのだった。
「ご心配にはおよびません。この戦、勝てますよ」
紗耶香には絶対的な自信があった。
それは、丘に位置する圭織たちを使うのだ。
丘から襲いかかれば、車懸かりの陣は混乱するだろう。
そうなると、後の新手が詰まってしまい、
命でもある回転運動が停止してしまうのだ。
そこを逃さず、完全に包囲してやればいい。
ついに最終決戦の火蓋が切って落とされた。
- 346 名前:名無し弟・うたばんの矢口にもらい泣き(TοT) 投稿日:2004/01/22(木) 23:43
- 今日はここまでです。
また、明日にでも更新できればしたいと思います。
そういえば、shionさんって、アネキのHPに書きこんでくれた人ですよね。
よかったら、また遊びにきてください。アネキも喜ぶと思います。
- 347 名前:名無し読者 投稿日:2004/01/23(金) 03:38
- 川’−’川<こんばんわやよ。昨日のうたばんは感慨深いものやったやよねぇ。
娘の顔が出て行ってこれからどうなるか心配なんやけれどもがんばっていくがし。
それではマジレスしていこうと思うやよ
川’−’川<安倍さん、飯田さんに触ってしまったやよか・・・。
未来を読んで弓に気をつけてと言ったのもわかるやよ。
それにしても( ‐ Δ‐)さんはおもしろいやよねぇ。
キャラがバカ殿さまに出てくる優香さんに似てると思ったがし。
そろそろラストとのこと。作者さん、小説も恋愛もがんばってくださいやよ。
あと、お姉さん。弟さんをあんまりいじめてはいけませんやよ。
川’−’川ノシ<それではそろそろ高橋も寝るやよ。
みなさんおやすみなさいやよー
- 348 名前:名無し弟 投稿日:2004/01/24(土) 13:20
- >>347
ありがとうございます。
AAで( ‐ Δ‐)って誰でしたっけ? 稲葉のあっちゃんですか?
知らなくてすいません。
- 349 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/24(土) 13:21
- 《圭織の最期》
鶴翼の陣になった官軍へ、彩たちの賊軍が襲いかかってきた。
川を渡った悪霊兵たちは、水の冷たさなど気にもとめず、
すばやい動きで、左翼方面へとぶつかってきたのである。
悪霊兵の圧倒的な強さに翻弄される義勇兵たちだったが、
どういったわけか、敵がバタバタと倒れてゆくではないか。
「声が小さいべさァァァァァァァァァー! 」
なつみに怒鳴られ、僧たちは声を張りあげた。
この僧たちの唱える般若心経が、悪霊兵たちへの効果的な武器になっている。
さらには、丘の麓まで降りた圭織たちが、破魔矢による支援をしていた。
その横では、真希以下1000の兵が紗耶香の合図を待っている。
真希たちは紗耶香から合図があったら、敵の本陣に襲いかかるのだ。
「恐れるな! 押しかえすのじゃ! 」
左翼を指揮する渡辺綱は、義勇兵たちを奮いたたせる。
第一波の悪霊兵の数が減ったところで、義勇兵たちは反撃をはじめた。
いくら悪霊兵とはいえ、義勇兵の槍の壁には敵わない。
全身数十ヶ所も刺された悪霊兵が、血まみれになって昏倒してゆく。
「それでよい! お前たちの勇気には、帝もお喜びになるであろう! 」
馬に乗った紗耶香が後方から激励にくると、
義勇兵たちは百万の味方を得たように盛りあがった。
- 350 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/24(土) 13:22
- 予想外の脆さを感じた彩は、馬の上で希美を抱きながら歯ぎしりをしていた。
このままでは、中央突破はおろか、この河原に屍をさらすことになってしまう。
朝日を背に浴びながら、彩はしかたなく後退の指示をだしていた。
「後退しろ! おのれ! 般若心経とはぬかったわ! 」
車懸かりの陣では、これが限界だった。
しかし、博学な彩は、兵法を熟知しており、
陣を立て直す術も心得ている。
まずは、弓隊を前面に置き、敵の襲撃にそなえた。
「鋒矢の陣で、敵の本陣を踏みつぶせ! 」
機動力のある悪霊兵であれば、鶴翼の陣には鋒矢の陣が最適だ。
鋒矢の陣とは矢印のような陣形であり、一ヶ所に戦力を集中させる。
とくに、鶴翼のように薄いものには、突き破る効果があった。
「弓隊は般若心経を黙らせろ」
両軍の間には、数百の死体が転がっている。
この寒さで流れ出た血が凍りつき、きれいな色になっていた。
まだ息がある悪霊兵からは、あざやかな血が噴出している。
その白い吐息が、弱くなって行くのが見てとれた。
「今だ! かかれー! 」
彩は鋒矢の陣の中央に位置すると、
信念をもって全軍に指示をだした。
- 351 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/24(土) 13:22
- 後退した彩たちが陣形を変えるのは分っていたが、
官軍側では母衣武者が負傷したりして、伝達がうまくゆかない。
紗耶香はふたたび魚鱗の陣にもどすつもりでいたのだが、
左翼を中心に、布陣が遅れてしまった。
「来るぞ! 持ちこたえるのじゃー! 」
卜部季武の後詰めが、前面に位置して味方を助けようとする。
ところが、鋒矢の陣に破壊され、吹き飛ばされてしまう。
悪霊兵たちの長い矢は、官軍に突き刺さっていった。
「まずい! 真希に敵の後詰めを攻撃させないと」
紗耶香は鏑矢をとると、真希の軍の方向に飛ばし、
続いて悪霊兵たちの後の方へ飛ばした。
鋒矢の陣では、後詰めを投入する瞬間が大切である。
その時期を誤ったりすれば、勝てる戦も勝てなくなるのだ。
紗耶香は敵の後詰めが動けないようにしなければならなかった。
「待ちや! 」
紗耶香が草薙の剣をぬき、闘いに参加しようとすると、
何を思ったか、背後から裕子が大声で呼び止めた。
「大将が本陣を離れるんやない」
「何をバカなことを。総大将は裕子さまではございませぬか」
紗耶香はニヤリと笑い、混戦の中へと飛びこんでいった。
- 352 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/24(土) 13:23
- 圭織と坂田金時は、敵の右翼から弓による攻撃を行っていた。
50間(約90メートル)から離れているので、牽制ていどだったが、
圭織の豪弓は、屈強な悪霊兵たちを即死させてゆく。
その破壊力たるや、坂田金時ですら驚くほどだった。
「すげー! この距離で貫通したぞ! 」
兵たちは圭織の弓を絶賛し、大喜びで戦況を見守った。
何しろ自分たちの弓では、弧を描いてしか届かない。
だが、圭織は直線で悪霊兵を斃してゆくのだ。
重い鎧を難なく貫通し、悪霊兵たちが昏倒してゆく。
これほど破壊力のある弓を、これまで誰も見たことがなかった。
「圭織どの。そろそろ勝負がつきそうですぞ」
坂田金時は長年の勘から、彩たちの士気が下がっているのを感じていた。
互いに多くの兵を失ってはいたが、官軍の士気はあまり落ちていない。
それは、紗耶香の絶妙な士気を高揚させる激励もあったのだが、
官軍にかんしては、後送された重傷者を、なつみが回復させていたので、
大幅な兵力の低下はなかったことが要因だった。
「そうね。悪霊兵たちは500人くらいになってる」
悲鳴と怒号の中、圭織は弓をかまえながら、
黒くて大きな馬に乗った女を狙っていた。
ところが、その女は1人の少女を抱いているではないか。
圭織の目は、その少女に釘づけとなった。
- 353 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/24(土) 13:24
- 「の―――のんちゃん! 」
そこには、誰よりも大切な希美がいる。
もう、圭織には何も目に入らなかった。
彼女は弓を投げすてると、一直線に希美のところへ走ってゆく。
どれほど心配したか。とにかく、今は希美を抱きしめたい。
しかし、ここは生と死をかけた戦場なのだった。
「圭織どの! まだ危のうござる! 」
坂田金時が怒鳴った瞬間、圭織の肩に矢が突き刺さった。
敵の本陣まで30間(約54メートル)まで接近していたので、
この距離であれば、直射してきても不思議ではない。
痛みのあまり、圭織が立ち止まると、さらに数本の矢が飛来する。
「あぐっ! 」
その矢は圭織の胸に突き刺さっていた。
圭織は胸に刺さった矢を握りしめ、引き抜こうとするが、
あまりに深く刺さっているため、彼女の力ではムリだった。
彼女が咳きこむと、大量の血が吐きだされる。
それを見た坂田金時は、敵の矢をかいくぐって進んできた。
「圭織どのー! 」
坂田金時が配下の兵を連れて駆けつけると、
圭織は矢を握りしめたまま倒れてしまう。
冷たい河原の石の上に倒れた圭織は、
もう、自力では起き上がれないことを悟った。
- 354 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/24(土) 13:24
- 「き、金時さま」
圭織が息をするたび、血が吐きだされる。
片肺がやられ、圭織は呼吸困難になっていた。
抱き起こされた圭織は、血だらけの手で坂田金時の腕をつかむ。
希美を前にして、このまま死んでしまうのは残念でならない。
「のん―――ちゃん―――」
すでに、彩たちの組織的な抵抗は終焉をむかえている。
冷たい躯となった死体が、累々と河原を埋めつくしていた。
朝焼けのまぶしい光を浴びながら、圭織は風の音を聴いている。
痛みよりも呼吸ができない苦しみを感じ、
悲しみよりも、元気そうな希美を見れた喜びがあった。
「ごめん―――ね」
圭織は霞んでゆく視界の中に、希美の不安げな顔を見ていた。
それが彼女にとって、最後の意識となってしまう。
自分の腕の中で首を垂れてしまった圭織に、
坂田金時も男泣きをしながら身を震わせた。
「圭織どのー! 」
坂田金時の虚しい叫びが戦場に響いた。
- 355 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/24(土) 13:25
- 白刃を振りあげ、最終的な指揮をとる紗耶香のところへ、
息をきらせた母衣武者がやってきた。
母衣武者の肩には、矢が突き刺さっており、
とにかく早く駆けつけようと危険な場所を通ったらしい。
「紗耶香さまに申しあげます! 圭織さま、討死! 」
「まさか! 」
奇妙なクセがあるため、あまり理解してもらえなかった圭織。
そんな圭織を理解しようとした紗耶香こそ、数少ない友達の1人だった。
希美をとてもかわいがり、最後まで心配していた優しい圭織。
そんな圭織が、このくらいの戦で討死してしまうとは。
紗耶香が茫然としていると、戸板に乗せられた圭織が運ばれてきた。
「圭織! だから言ったべさ。矢には―――気をつけろって」
なつみは念をこめて矢を引き抜き、傷口をなでてみるが、
すでにこときれた圭織が生還することはなかった。
髪を振り乱した真希も駆けつけ、圭織の亡骸に抱きついて号泣する。
紗耶香はガックリとヒザをつき、虚空を見つめていた。
「残念でござる。―――まだ若いのに」
渡辺綱は苦しそうに呟いた。
うな垂れた四天王が集まると、裕子と貴子もやってくる。
飯田家の姫さまが死んだのだから、無視することはできない。
いくら、それが紗耶香を覚醒させるための人身御供だとしても。
- 356 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/24(土) 13:25
- 「圭織が―――死んじゃったべさ」
なつみは裕子に抱きつき、苦しそうに嗚咽をもらした。
こうなることは予想していたが、やはり仲間が死ぬのは、
いくら裕子といえど、辛くてしかたないものである。
裕子は涙をこぼしながら、息絶えた圭織に話しかけた。
「圭織―――ごくろうさんやったな」
ドクン、ドクン、ドクン―――
「あうっ! 」
紗耶香ははげしい頭痛に襲われた。
頭が割れるように痛み、目の前が紫色になってしまう。
彼女の脳は、まるで独自の意思を持ったように躍動し、
ついに最後の覚醒をはじめたのである。
あまりにはげしい苦しみに、紗耶香七転八倒してしまう。
驚いた真希が彼女を抱き上げると、すでに変貌をとげていた。
「あううううううう―――」
紗耶香の髪は白くなり、瞳は金色に変色した。
そして、唇は血を塗ったように赤くなっている。
その姿は、誰がみても鬼と呼ぶにふさわしかった。
仰天するなつみをよそに、裕子と貴子は腹をくくった。
- 357 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/24(土) 13:26
- 「姐さん。ついに最終段階やね」
「ああ、この世が終わるかもしれん」
最後の覚醒を終えた紗耶香は、恐ろしい咆哮をあげながら、
周りにいるものをにらみつけていた。
その変貌に、猛将ぞろいの四天王でさえ怯えており、
なつみにいたっては、腰をぬかしてしまった。
「やあやあやあ! 我こそは出雲石黒家が筆頭。彩と申す! 」
ついに、彩は一騎討ちを申し出たのである。
ここで総大将を斃し、官軍が混乱する中を逃げようというのだ。
すでに、数人だけ生き残った悪霊兵たちは逃げてしまっており、
大きな黒い馬に乗った彩だけが名乗りをあげていた。
「ふん、ついでに片づけてくるか」
紗耶香は怯える馬に飛び乗ると、全員が唖然として見守る中、
彩の待つところへと向かっていった。
青白く光る紗耶香を見て、彩は目の錯覚かと思う。
恐ろしいまでの力が、彩にも感じられてきた。
「感じたのは、おまえの気だったんだな」
彩は紗耶香が誰なのか知りたかった。
草薙の剣をかまえた紗耶香に、彩は無作法なことを責める。
彩が名乗りをあげたのに対し、紗耶香は誰なのかを告げていない。
- 358 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/24(土) 13:27
- 「私か? 須佐男命と申す」
「何を血迷ったことを。おまえを殺して裕子の首をもらう」
彩は馬の背に希美を残し、飛び降りて野太刀をかまえた。
すると、紗耶香も足場の悪い馬上から飛び降りる。
真剣な顔でにらみつける彩とは対照的に、紗耶香は嬉しそうにしていた。
本気で殺し合いができる喜びと、すべてを破壊する神としての充実感である。
「あれは! の、ののだべさァァァァァァァァー! 」
「のの! こっちへおいで! 」
なつみと真希は希美を呼ぶが、彼女は悲しそうな顔で首を振った。
この場では、希美を救出に行くことなど、どう考えても不可能である。
ヘタに近くを通ろうものなら、2人に斬り殺されてしまうだろう。
屍が散乱する河原で、ついに一騎討ちがはじまった。
「いざ! 勝負じゃ! 」
「あははは―――他愛もない」
紗耶香は彩の一撃を軽くかわし、腹に草薙の剣を突きたてた。
彩ほどのものが、たった一撃で負けてしまったのである。
恐るべき強さを持った破壊の神は、この世に降臨してしまった。
「そんな―――ほんとうに須佐男命だったのか」
彩がヒザをつくと、紗耶香は草薙の剣を引き抜いた。
- 359 名前:名無し弟 投稿日:2004/01/24(土) 13:28
- 夜にでもエンディングを更新したいと思います。
とはいえ、まだ何も書けていません。
安倍さんの卒業までには―――
- 360 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/24(土) 21:52
- 《ふるさと》
一撃で彩に勝った紗耶香は、彩の馬に興味を示した。
中東系の馬は、けっして恐れを知らないという。
こうした馬こそ、破壊の神にふさわしいものである。
紗耶香は茫然として見つめる希美を突き落とし、
馬に飛び乗って自陣へと駆け戻った。
「紗耶香、トドメをささんかい! 」
草薙の剣で刺したとはいえ、相手は彩である。
魔物の結界に守られ、致命傷ではないかもしれない。
貴子は馬を手に入れて嬉しそうな紗耶香に怒鳴った。
「あははは―――あれでは死に体だ」
紗耶香は馬から飛び降りると、恐怖に震える義勇兵たちを見つめる。
彼らびしてみれば、以前までの紗耶香には強さを感じていたのだが、
今の彼女には恐怖しか感じられない。
白髪の鬼と化した紗耶香には、もはや権威など関係なかった。
「よいか! これより摂津に攻め入り、平安京攻略の準備をはじめる! 」
これには、全員が驚愕の声をあげた。
平安京が潰滅すれば、日本という国がなくなるだろう。
誰もが紗耶香に怯え、中には卒倒するものまでいた。
これこそが、破壊の神となった紗耶香なのである。
うす曇りの空は、白髪の鬼を不気味に照らしていた。
- 361 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/24(土) 21:52
- 「なりませぬ! 平安京を攻略するなど! 」
「りんね! やめや! 」
紗耶香につかみかかったりんねを、裕子が必死に抱き寄せる。
その瞬間、紗耶香は一刀のもとにりんねを斬り捨てた。
真希が悲鳴をあげると、なつみが駆け寄って容態をみる。
四天王ですら恐怖に怯え、何もできない状態だった。
「りんねちゃんは仲間っしょ! 」
なつみはりんねの傷をなで、応急処置をほどこす。
その甲斐あって、りんねは意識を回復した。
間一髪、貴子がりんねに結界を張ったのが幸いしたのである。
これで結界がなかったら、りんねは即死していただろう。
「モンクがあるやつはいるか? 」
紗耶香がにらむと、四天王たちは下を向いてしまった。
誰もが怖い。白髪の鬼と化した紗耶香が怖くてならない。
そんな紗耶香に、後方から真希が抱きついて泣きだした。
「いちーちゃん。おねがいだから―――やめてよう」
「うるさい! 」
真希は突き飛ばされたが、何度でも紗耶香に抱きついていった。
それを見るなつみは、ついに涙をながし、泣きだしてしまう。
底冷えがする河原の死体は、何も言わずに横たわるだけだった。
その安らかな死に顔には、世俗のことなど超越した安堵感がある。
生きているからこそ怯え、悩み、傷つくのだ。
- 362 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/24(土) 21:53
- 「紗耶香! なっちは、もう誰も死なせたくないんだべさ! 」
「いちーちゃん! 平安京には、おとうさんやおかあさんもいるんだよ!
まりっぺの妹や弟、それに天子さまだって―――」
「それがどうした! 平安京は火の海になるのだ! 」
紗耶香が地面に草薙の剣を突き刺すと、すさまじい地震がおこった。
紗耶香以外の全員が転んでしまい、あの貴子ですら悲鳴をあげる。
地割れがおき、河原に散乱した死体が落ちてゆく。
数人の義勇兵が落ちそうになり、仲間に助けてもらった。
破壊の神となった紗耶香には、もはや殺戮と破壊をする以外、
何も考えていない状態なのである。
地震がおさまると、紗耶香は全員に向かって下知した。
「まずは、摂津を焦土に―――」
「真希! やめるべさ! 」
「うっ! 」
紗耶香は妙な感触に、自分の脇腹に目をやる。
すると、そこからは血まみれの剣先が飛び出していた。
背後からは、泣きじゃくる娘の声がする。
紗耶香を刺したのは、ほかでもない真希だった。
ここで紗耶香は、ようやく悟ったのである。
真希が『猿楽』であることを。
- 363 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/24(土) 21:54
- 「だ―――だめだよ。―――いちーちゃん」
「あははは―――うははは―――ぬかったわ! 」
真希が野太刀を引き抜くと、紗耶香は崩れるように倒れた。
どうやら急所は外れているようだが、重傷にはちがいない。
野太刀を落とし、血まみれの手を見て、真希は号泣しながらヒザをつく。
貴子は真希を抱きしめ、世界が救われた瞬間を感じていた。
「何で? 傷が治らないべさ! 」
なつみは紗耶香の傷をなでてみるが、まったく変化しなかった。
まさか、自分の力がなくなってしまったのか?
そう思ったなつみは、となりにいたりんねを張り倒す。
鼻血を出して昏倒したりんねの顔をなでると、
問題なく鼻血がなくなり、頬の手形も消えてゆく。
少しすると、りんねは何ごともなかったように立ち上がった。
「なつみ。紗耶香は破壊の神になったんや。あんたの呪術なんか効くかい」
貴子が悟ったように言うと、なつみの反骨精神が首をもたげる。
なつみは「絶対に治すべさァァァァァァァァー! 」と叫びながら、
紗耶香の傷口に指を入れ、自身が失神するほどの念を送った。
すると、そこは眩い光に包まれ、誰もが息を呑んで見守った。
「これが―――限界だ―――べ―――さ―――」
なつみが昏倒すると、紗耶香の意識が回復した。
だが、彼女は以前の黒髪に戻っており、すでに死相が表れていた。
破壊の神は真希という『猿楽』によって滅ぼされたのである。
ここにいるのは、破壊の神を覚醒させる献体となった不幸な娘だった。
- 364 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/24(土) 21:55
- 「ごめんね。いちーちゃん」
「―――真希」
「帰ろう。いちーちゃん」
「―――うん」
真希は紗耶香を背負い、東へと歩き出した。
そんな2人を、誰もが茫然としながら見ている。
ただ1人、力を使い果たして失神したなつみを除いて。
「真希、紗耶香が苦しむだけや。ここで死なせてやり」
裕子が言うと、真希は一瞬だけ立ち止まったが、
そのまま振り返りもせず、東へ向かってゆく。
雲の隙間から差しこんだ陽に照らされ、
真希と紗耶香の髪が輝いていた。
「どこへ行くんやろね。あっちゃん」
「帰る言うたやろ? 姐さん」
裕子は「そうやったな」と言うと、小さくなってゆく2人を見送る。
貴子もそうだが、けっして笑顔にになることはなかった。
裕子と貴子の心の中は、虚しさでいっぱいだったのである。
真希と紗耶香の姿が見えなくなると、ついに空から白いものが落ちてきた。
- 365 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/24(土) 21:55
- 紗耶香との闘いに破れ、瀕死の重傷を負った彩は、
希美を連れ、故郷の出雲をめざしていた。
彩は傷口に気を集中し、何とか出血を止めてはいたが、
この場で効果的な治療をしないかぎり、助かる見込みはないだろう。
それでも彩は、故郷の出雲を目指していた。
「うっ! 」
痛みに足を止めた彩に、希美が抱きついて体を支える。
寒風が2人に吹きつけ、体力を著しく奪ってゆく。
この山道では、体を休める場所もなかった。
「だいじょうぶれすか? 」
悲しそうな希美の顔を見て、彩はムリに笑ってみせた。
そろそろ、自分の体力の限界を感じていた彩は、
希美だけは助けたいという気持ちが強くなっている。
雪が舞う中、3里(約12キロメートル)ほど歩いてきたが、
出雲まで体力がもつかどうか分らなかった。
(ここからなら、希美は戻れる)
「おかあさん。寒くないれすか? 」
希美は自分が首に巻いていた綿布を、彩の首に巻きつけた。
これだけで、かなり寒さが違ってくる。
一族の復興のため、鬼になった彩だったが、
希美と出会い、少しだけ人間らしいときを送ることができた。
- 366 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/24(土) 21:56
- (山の中で私が死んだら、希美も生きてはいられないだろう)
「さあ、歩けますか? がんばるのれす」
(それはだめだ。この子だけは助けないと)
こんなにかわいい希美に、死の冬山越えをさせるわけには行かない。
標高が高くなるにつれ、雪がはげしさを増してくる。
すでに、道には薄っすらと、雪が積もりはじめていた。
「希美。おまえは裕子たちのところへ戻れ」
「えっ? 」
「戻れ! 戻るんだ! 」
彩は希美を突き放した。
希美は自分のいたところへ戻るべきである。
彩はそう考えたのだった。
雪ははげしさを増し、吹雪のようになっている。
あたりは雪で白く染まっていった。
「嫌らよう! ののはおかあさんといっしょにいたい! 」
「私はおまえの母親なんかじゃない! 早く行け! 」
彩は叱りつけるように言った。
彩と希美の頭巾にも、雪が積もりだしている。
早く下山させないと、希美の身が危険だった。
- 367 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/24(土) 21:57
- 「そんなこと、充代ねえちゃんが死んだときから分ってたよう! 」
希美は彩に抱きつき、大粒の涙をこぼした。
充代が死に、希美にかけていた術が解けてしまった。
希美は以前の記憶を得て、密かに苦しんでいたのである。
事態が事態だけに、希美はけっして表情にださなかった。
そんな健気な希美がいじらしく、彩は希美を抱きしめた。
「だったら、どうして? 」
「おかあさんは、ののに優しくしてくれたもん! おかあさんはいい人だもん! 」
絶対に離されまいと、希美は力いっぱい抱きついていた。
そんな2人を、吹雪が容赦なく吹きつける。
裕子たちであれば、希美を快く受けいれるだろうが、
ひとみを殺してしまったという心の傷は、
けっして癒されることはないだろう。
もはや、希美には帰る場所がなかったのである。
勘の鋭い彩は、そのことを悟ったのだった。
「分った。それじゃ、いっしょに行こうね」
彩は着ていたオオカミの毛皮に、希美を押しこんだ。
少し窮屈ではあったが、これでかなり暖かくなる。
ゾウリにわら縄を巻いた2人は、雪を踏みしめながら、
極寒の中国山地へと足を踏み入れていった。
- 368 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/24(土) 21:57
- そのころ、播磨で義勇軍を解散させた裕子のところへ、
ようやく源頼光が3000の兵を率いてやってきた。
どの兵も闘志を漲らせ、まさに一騎当千に相応しい顔をしている。
裕子たちが呆気にとられていると、得意満面の源頼光がやってきた。
「源頼光、ただ今到着! ご安心めされい。敵などこの頼光が―――」
「綱、このイカレジジイに、きちっと説明したってくれや」
裕子は疲れた顔をしながら、輿に入ってしまった。
貴子もあきれ顔で牛車に入ってゆく。
首をかしげる源頼光に、渡辺綱が説明をはじめた。
雪が舞う中、陣幕が回収され、帰京の準備が始まった。
「なんと! それでは、この頼光。ただのマヌケではないか! 」
「そうですなあ! 」
渡辺綱は冷たく言い放すと、馬に乗って行ってしまった。
返す言葉もない源頼光は、坂田金時にすがるような視線を送る。
しかし、坂田金時も、主筋である源頼光に捨て台詞を残す。
「少しお歳をめされすぎましたな」
「そんな言い方ねえだろうがよ! なあ、貞光」
「同意も求められても困りますな」
碓井貞光も、このマヌケな主人に愛想をつかし、
自慢の葦毛馬に乗り、去って行ってしまう。
困った源頼光は、残った卜部季武に助けを求めた。
- 369 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/24(土) 21:58
- 「季武。おぬしはちがうよな。わしだって―――」
「下関のフグはうまかったでござるか? 」
卜部季武は、きつい嫌味を言うと、やはり馬に飛び乗って去っていった。
茫然と立ちつくす源頼光に、冷たい雪まじりの風が吹きつける。
いくら何でも、それは言いすぎだろう。
源頼光は英雄から一転してマヌケになった自分を想像し、
あまりの惨状に泣きたくなってしまった。
「無念! かくなる上は、このシワ腹掻き切って―――」
「ジャマだべさ! 」
例の牝馬に乗ったなつみは、道の中央にいた源頼光を突き飛ばした。
源頼光は「何をするか! 」と怒っていたが、相手がなつみだと分ると、
不幸中の幸いといった顔をして、自分の立場を正当化するような話をはじめる。
だが、なつみは源頼光の話など聞く気にもなれなかった。
「切腹なんてしたら、マヌケを通り越してアフォだべよ」
「そうそう。おじいちゃんもカゼひいちゃうから、早く輿に乗ったほうがいいよ」
「それはそうだが―――う、馬がしゃべったァァァァァァァー! 」
源頼光は不自由な足をものともせず、脱兎のごとく逃げ去っていった。
- 370 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/24(土) 21:59
- 彩は険しい山を前に、体力の限界を感じていた。
この山を越えれば、向こうはもう出雲である。
2日間も歩き通しなので、希美もそろそろ限界だろう。
希美が持っていた干し米も、今朝でなくなってしまった。
「ぐっ! 」
彩は雪の中にヒザをつき、傷口を押さえて唸った。
あたりには高い木もなく、一面の雪原である。
どうやら、彩にとって、ここが死に場所のようだ。
なぜなら、もう彩は歩ける状態ではない。
「おかあさん。痛いれすか? 」
「あははは―――疲れちゃった。ちょっと休もうよ」
彩は希美を抱きしめたまま、雪の中に転がった。
綿布を頭の上にまで持ってゆくと、雪が直撃しない。
2人の体の上には、雪が積もってゆくというのに、
どういうわけか、とても暖かだった。
「あはっ、暖かいね」
「うん」
何という生涯だったのだろう。
一族のために女の幸せを捨てた。
さらには、力を得るために人間すら捨てた。
しかし、彩はけっして後悔などしない。
- 371 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/24(土) 21:59
- 「ののちゃん。ありがとうね」
彩は最後に、希美という愛するものと出会った。
それは逃れられない性に、すべてを犠牲にした彩への、
天からの贈り物だったのかもしれない。
「おかあさん。ののは幸せれしたよ」
希美は彩の胸に顔をうずめ、その鼓動を聞きながら目を閉じた。
彩は希美の母ではない。そんなことは分っている。
だが、今の希美にとって、彩は誰よりも大切な母親なのだ。
今、こうしている瞬間にも、2人の体は雪に埋まってゆく。
「眠くなっちゃったね。寒くない? 」
「あったかいのれす」
2人は幸せをかみしめて抱きあい、まどろんでゆく。
雪はすっかり、2人の体を被い隠してしまう。
大自然の懐で抱かれ、2人は永久の眠りについたのだった。
- 372 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/24(土) 22:00
- 三日三晩歩き通し、真希は摂津の国を抜けようとしていた。
山城に入ると、すぐに山崎という山道にさしかかる。
ここを越えれば、平安京はすぐ目の前だった。
吹雪もおさまり、空には星が瞬いている。
真希は紗耶香を背負い、山崎へとやってきた。
「いちーちゃん。もう山崎だよ。ここを越えれば平安京だからね」
「真希。もうだめみたい。ここで死なせてよ」
紗耶香は弱気なことを言いだす。
なつみが強力な念で治療をしたため、
彼女は少しの間、生きながらえることができた。
しかし、それももう終わりに近づいていた。
「だめ! もう平安京は、すぐそこなんだよ! 」
いくら若いとはいえ、真希の体力も限界だろう。
それに加え、ヒザまである雪の中を進むのだから、
真希はいつ倒れてもおかしくなかった。
それでも真希は、紗耶香を連れて平安京に戻るつもりでいた。
「真希。愛してる」
紗耶香は意識が戻ったかと思うと、また昏睡してしまう。
真希は紗耶香の呼吸を感じながら、雪道を一歩一歩歩いてゆく。
すでに紗耶香の呼吸は弱く、その回数も減ってきている。
それだけ、体が酸素を必要としなくなった証拠であり、
すぐそこまで死がやってきていた。
- 373 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/24(土) 22:01
- 「いちーちゃん。もうじき夜明けだよ。山頂から平安京が見えるからね」
真希は息を切らせながら、急勾配の坂道を登ってゆく。
すでに真希は体力の限界を超えていたが、精神力だけで前に進んでいた。
たまに意識が遠くなり、ふらついてしまうのも、そのせいである。
東の空が明るくなりはじめ、満天の星空が薄れてゆく。
そして、日の出の直前に、真希は山崎の山頂に到達したのだった。
「いちーちゃん。見える? あれが平安京だよ」
山崎の山頂から北東方向に、巨大な平安京が姿を現した。
その平安京が見えるところに紗耶香を降ろし、倒木に寄りかからせる。
もう、紗耶香は、いつこときれてもおかしくない状態だった。
それを感じていたのは、紗耶香だけではなかった。
「あたしの―――生まれ故郷―――」
紗耶香は薄目を開け、雪に被われた平安京を見ていた。
東の山の間から朝日が顔をだすと、
雪に覆われた平安京がキラキラと輝いて見える。
そんな風景を眺めながら、紗耶香はクスッと笑った。
「どうしたの? いちーちゃん」
「真希―――抱いてくれない? 」
紗耶香はすでに、手足すら動かすことができなくなっていた。
真希は「うん」とうなずくと、口づけをしてから紗耶香を抱きしめる。
すると、大きくため息をついてから、紗耶香は小さな声で話をはじめた。
- 374 名前:第6章〜望郷〜 投稿日:2004/01/24(土) 22:02
- 「あたし―――最初は真希が―――破壊の神の生まれ変わりだと―――思ったの」
「もういいよ。忘れようよ」
「みんな―――死んじゃった―――ね。―――あうっ! 」
紗耶香は傷の痛みに悲鳴をあげた。
また、少しではあったが出血しているようだ。
紗耶香の脇腹から流れ出た血が、雪の上に落ちる。
真希は紗耶香から離れ、ふたたび倒木に寄りかかった。
「あたしは―――死ぬために生まれてきたの―――かなあ」
「そんなことはないよ! 死ぬために生まれてくる人なんかいない!
みんな、目的があって生まれてくるんだよ! 死ぬために生まれてくるなんて」
真希はそんなことはないと、必死で否定した。
だが、死んでいった4人の娘たちは、
紗耶香を覚醒させるための存在である。
真希にもそれは分っていたが、どうしても認めたくなかった。
そんな人生など、悲しいだけだったからである。
「いちーちゃん? 」
すでに、紗耶香は何の反応もしなくなっていた。
耐えがたい寒さがやってきて、乾燥した風が吹いてゆく。
その風が、真希と紗耶香の柔らかそうな髪を揺らす。
真希はすっかり力のぬけた紗耶香の手を握り、
宝石のように輝く平安京をみつめていた。
「寝たの? ―――いい夢を観てね」
眼下に広がる平安京には、朝餉のための煙がのぼっていた。
長和2年(1013)は、もうじき終わろうとしている。
娘たちの旅とともに。
――――― 娘たちの挽歌・完 ―――――
- 375 名前:名無し弟・間にあった(^∀^) 投稿日:2004/01/24(土) 22:09
- これで、『娘たちの挽歌』は終わりです。
最後まで読んでいただいて、ほんとうにありがとうございました。
これだけ長いものを書くのは、生まれて初めてなんです。
スマソ! 腹の具合が悪いので、これにて失礼いたします。
- 376 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/01/27(火) 18:08
- 脱稿お疲れ様でした。
親切な文章と知識と更新量にはずっと驚いていた気がします。
最後、急いでたようなので心配していたんですけど、
質がちっとも落ちてなくて安心しました。
それぞれの結末、堪能しました。
次回作も期待しています。
- 377 名前:sage 投稿日:2004/01/28(水) 20:30
- お疲れ様でした。かなり最初の方から読んでおりました。
すごい速さで変化していく展開に更新の都度、
そうきたかー!と唸ってましたw
おもしろかったです、ありがとうございました。
- 378 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/01/28(水) 20:32
- すんません、間違えてあげちゃいました(>_<)
- 379 名前:名無し弟・うれすぃー! (^∀^) 投稿日:2004/01/28(水) 21:39
- >>376
ありがとうございます。
前に書いたものに比べると、ちょっと質が落ちた気がします。
前のが自分でも、できすぎでしたので。
知識なんてありませんよ。
安倍晴明の生没年を知ったのは、途中からだったんです。
だから、苦肉の策で八百比丘尼を使ったりしてごまかしました。
アネキが日本史に詳しいんで、いろいろと教えてもらいました。
- 380 名前:名無し弟・うれすぃー! (^∀^) 投稿日:2004/01/28(水) 21:43
- >>373
ありがとうございます。
じつは、『娘たちの挽歌』には後日談があります。
まだ何も書けていませんが、そのうちうpするつもりです。
あまり長い話にはなりませんが。
- 381 名前:名無し弟・うれすぃー! (^∀^) 投稿日:2004/01/28(水) 21:46
- ↑
うげげー! まちがえました!
>>377
が正解です!
- 382 名前:名無し読者 投稿日:2004/01/29(木) 03:56
- お疲れ様です!
詳しい解説つきで時代背景に詳しくないわたしでも読めました。
後日談楽しみです。
- 383 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/04(水) 22:29
- 右に同じくお疲れ様です。
保田・田中・道重のやりとりも面白かったですヨ。
後日談も頑張って下さいませ。
- 384 名前:名無し弟・うれすぃー! (^∀^) 投稿日:2004/02/11(水) 21:14
- >>382
>>383
ありがとうございます。
何だかんだと忙しくて、書くヒマがありませんでした。
この土日を使って書きますので、月曜日にはうpできると思います。
大したものじゃないので、あまり期待しないでください。
- 385 名前:名無し弟 投稿日:2004/02/15(日) 11:20
- 書きあがったんでうpします。
大した話ではないので、期待しないでください。
- 386 名前:『それから』 投稿日:2004/02/15(日) 11:21
- 庭に植えてある桜の樹を見上げ、法衣すがたの裕子は、
どこかウキウキする春の到来を感じていた。
間もなく開花する桜は、小さなツボミをつけている。
柔らかな風が吹き、裕子の着物を揺らせていた。
「もう春やなあ―――」
あれから3年。裕子は出家し、安真寺の住職になっていた。
式部省の高級官僚だった裕子は、天下り的な感覚で住職になったのだが、
この寺は壮絶な最期をとげた真里が計画していた救済施設。
孤児を救うために、平安京に建立された寺なのである。
おりしも、ここは没落した市井家の跡地だった。
そのため、寝殿造りの屋敷のほか、蔵や池などもある。
とにかく、貴族の屋敷は広いので、本堂や御坊を建てても、
まだ、じゅうぶんに子供たちが遊ぶ場所があった。
「のん気なこと言ってんじゃないべさァァァァァァァァァー! 」
裕子の背後で、山のような洗濯物を干していたのが、
真里からすべてを託されたなつみである。
なつみはかわいがっていた真里の遺志を継ぎ、
安真寺(通称:真里寺)の実質的な経営者になっていた。
朝廷から近江に4000石の領地をもらった真里寺では、
1000人くらいの子供であれば、なんとか養うことができる。
しかし、子供たちの世話をする大人の数が足りず、
なつみたちは大忙しの毎日を送っていたのだ。
- 387 名前:『それから』 投稿日:2004/02/15(日) 11:21
- 「なっちねえちゃん。まだまだあるよ」
なつみの片腕として、寺の雑用をするのは、妹の麻美である。
ほかにも、りんねや圭、さゆみと麗奈まで呼び寄せ、
人手不足の解消の対策をしていたのだが、それでも焼け石に水だった。
何しろ300人近い子供がいるのだから、りんねは一日中洗濯をしていたし、
圭とさゆみ、麗奈の3人は、炊事と掃除で一日が終わってしまう。
早急に保育士を補充しなければ、みんなの体力が続かなかった。
「怒ることないやろ? うちかて忙しいんやで」
「何が忙しいんだべか? お経も読めないくせに、威張るんじゃないべさ! 」
なつみは裕子に、洗濯物を投げつけた。
裕子が式部省の高級官僚だったころは、
まちがってもこんなことはできなかった。
だが、裕子が出家した今、身分など無に等しい。
出家の本来の目的は、仏に近づくことではなく、
ひとりの僧として身分や財産から解脱することである。
それがいつからか、院政の道具になってしまった。
「誰に向かって投げつけとんじゃゴルァ! 」
式部省の鬼と恐れられた裕子であるから、その怒った顔には迫力がある。
しかし、なつみにしてみれば、裕子は単なる居候の域を出ていない。
いくら元式部省の高級官僚だろうが、働かないものはジャマなだけだ。
だったら、人を雇えばいいのだが、なつみは信用できる人間しか選ばない。
あの真里から託されたものであるから、変に利用されるのを警戒していたのだ。
- 388 名前:『それから』 投稿日:2004/02/15(日) 11:22
- 「えりか。届くべか? 」
真里が育てていた子供たちは、この3年の間にめざましく成長し、
今では子供たちの面倒をみるかたわら、なつみたちの手伝いをしている。
それでも、子供の数が数だけに、いろいろな世話をしなくてはならない。
勉強やしつけ、礼儀作法など、生きてゆくために必要な、
最低限の生活習慣を子供たちに教えなければならないのだ。
真里が時には厳しく、そして時には優しく育てた子供たちは、
確実に彼女の遺志を継いでいる。
きっと真里も、草葉のかげで喜んでいることだろう。
「ばあさま。サトイモをむくけん、手伝ってほしいとです」
当時、日本人は米のほかに、いも類やこく類を多く食べていた。
炭水化物の摂取が多い反面、タンパク質の摂取は乏しいものである。
それを少しでも補おうと、積極的に大豆などを食べていたらしい。
炭水化物を多くとれば、それだけ動くことはできるようになるが、
骨や肉を作ることができないため、貧相な体格なのである。
さらに、こういった食事ばかりしていると、老化の原因ともなり、
日本は当時、世界有数の短命国だった。
「誰がばあさまじゃい! 」
口をとがらせた裕子は、ブツブツとモンクを言いながら、
さゆみと麗奈に手を引かれて、圭の待つ厨房へ入ってゆく。
それを見ながら、なつみと麻美は顔を見合わせて微笑んでいた。
いくら真里の遺志とはいえ、義務感だけで、ここまでできるものではない。
なつみや麻美は、何だかんだ言っても、子供が好きだったのだろう。
目が回るような忙しさではあったが、なつみは充実感を得ていた。
- 389 名前:『それから』 投稿日:2004/02/15(日) 11:22
- 「お師匠さま。お許しを! 」
「今日という今日は、絶対に許さないって言っただろうが! 」
なつみが振り向くと、ひとりの背の高い尼僧が、
2人の少女のえり首をつかんで立っていた。
その背後には、ぽっちゃりした美形の娘も立っている。
何が起こったのか分からないなつみは、
麻美と顔を見合わせながらも、その尼僧に聞いてみた。
「あんた、誰だべか? 」
「裕子はいる? 夏門院が来たって伝えてよ」
まゆみ尼は、まったく懲りないあさ美と里沙に、
少しは苦労させようと思い、真里寺に預けに来たのである。
ここの忙しさを味わえば、ふだんの修行は天国に感じるだろう。
背後にいる優等生のあゆみは、この2人の監視役だった。
「な、夏門院まゆみさまだべか! 」
夏門院まゆみは天皇家出身であり、あの裕子でも頭が上がらない。
実質的な全国尼寺の座主といっても過言ではない存在なのである。
そんな偉い尼が来たのであるから、なつみは驚いてしまった。
ところが、身分などは関係ない子供たちは、珍しい客人に興味津々で、
紫色の袈裟を引っ張ったり、法衣の裾をめくったりしている。
大人がこんなことをしたら、まちがいなく首が飛んでしまうのだが、
純真な子供たちがすることなので、まゆみ尼は苦笑するしかなかった。
「この悪ガキ2人の面倒をみてもらおうと思ってね」
夏門院まゆみが身元引受人であれば、これほど信用できる娘たちはいない。
なつみは大喜びで、さっそく2人に洗濯物干しを頼み、まゆみを本堂へ案内した。
- 390 名前:『それから』 投稿日:2004/02/15(日) 11:23
- 平安京の南西に位置する大原野大社には、元式部省官僚の貴子がいた。
貴子は先代の宮司が脳梗塞で倒れると、大抜擢されて赴任したのである。
この地は平安京の裏鬼門にあたり、山陽道から来る邪気の関所でもあった。
紗耶香が終焉を迎えた山崎の北に位置し、山の中腹に社がある。
春霞の原因でもある杉の花粉は、このあたりにも容赦なくやって来ていた。
「ハクション! 鼻水が止まんないよー」
痩身の女は、札に使う和紙を切りながら、なんどもクシャミをしている。
その横にいる胸の大きな女は、なんども目を擦って充血していた。
この時代、花粉症などは発見されておらず、2人は体調不良と自覚している。
そんな2人を心配していたのが、臨時宮司の貴子だった。
「2人とも休んでええで。体は大切にせなあかん」
伊勢神宮や出雲大社のような大神社の宮司ではないが、
元式部省官僚という身分は、武士よりも上の位である。
第一線を引退した源頼光ですら『貴子さま』と呼んだ。
そんな偉い身分の貴子に言われ、2人は笑顔で首を振った。
「だいじょうぶです。具合が悪くなったら休みますので」
この神社も、以前は800石の領地を持っていたが、
合理化の波が押しよせ、今では600石にまで減らされている。
20人からいた巫女も、15人に減らしたが、それでも経営は苦しい。
貴子は摂津の領地分から補填し、何とか運営していたのだった。
- 391 名前:『それから』 投稿日:2004/02/15(日) 11:23
- 「ムリせんでええよ。あんたらは行くとこがないんや。最後まで面倒みたるよ」
痩身の女と胸の大きな女。
2人は大宰府で捕らえられた恵と瞳だった。
あれから貴子は、どういうわけか『力』が落ちてきた。
やはり、時代が貴子の力を必要としなくなったからだろう。
そうなると、何かと不便であるから、貴子は2人を配下につけたのだ。
恵と瞳は、以前の貴子ほどではないが、それなりの力を持っていた。
「ありがとうございます。それにしても、真希さままで行方不明とは」
検非違使の娘である真希は、猿楽として、
覚醒した紗耶香を殺す目的をもって生まれた。
どういった形にせよ、その目的が果たされたのだから、
時代は彼女を必要としなくなったのである。
身分の低い後藤家は、これ以上没落することなどなかったが、
真希は紗耶香の最期を看取った後、行方不明になっていた。
貴子やなつみ、安倍晴明が彼女の気を探したものの、
どういうわけか、まったく見つからなかったのである。
おそらくは、どこかで死んだものと思われた。
「そやな。これも運命ってもんやろ。ところで、気が乱れとるわ」
貴子は力が落ちているとはいっても、気の乱れには敏感だった。
気というものは、天候や戦争などによって、いくらでも乱れる。
それを正常化するのには、放っておいたら何年もかかってしまう。
だからこそ、貴子が平安京の裏鬼門に派遣されたのだ。
力が落ちたとはいえ、乱れた気を正常化させることなど、
貴子にかかっては造作もないことだった。
- 392 名前:『それから』 投稿日:2004/02/15(日) 11:24
- 「まだ許容範囲ですが、正常化しましょうか? 」
恵が言うと瞳も貴子の決断を待った。
この大原野神社では、貴子がすべてである。
貴子の裁量ひとつで、平安京の気が変ってしまう。
そんな大切な場所であるからこそ、摂政の藤原道長は、
もっとも信頼できる貴子を派遣したのだ。
「そやね。急ぐことはあらへんけど、用意ができたらやろか? 」
いくら気が乱れてるからといっても、ここが神社である以上、
それなりの用意をしなくてはならなかった。
2人は「はい」と返事をすると、気の乱れを直す作業の準備にとりかかる。
貴子は見晴らしのよい窓から、眼下に広がる平安京をながめた。
数十万もの人が暮らす平安京では、こうしている瞬間にも、
喜びや怒り、哀しみや楽しみが起きている。
それこそが、人のすむ街というものだった。
「みんな死んでしまったな」
ひとみ、梨華、真里、圭織、紗耶香、そして充代。
有紀、まい、あさみ、美海、亜依、愛、希美そして彩。
どの娘も、まだ早すぎる死を迎えていたのである。
いくら時代が望んだことだとしても、遺されたものはたまらない。
厄年を迎えた貴子は、死んでいった娘たちを思い、ため息をついた。
数百年前から続いた一族の怨念は、破壊の神を覚醒させ、
それと同時に、多くの若い娘を殺したのである。
貴子の後れ毛が春風に揺れ、柔らかな日差しが降りそそいできた。
- 393 名前:『それから』 投稿日:2004/02/15(日) 11:25
- 『それ』は、摂津から山城に向かう山陽道を、妙な音を鳴らして移動していた。
どうやら、何かが軋む音のようだが、『それ』は全身を黒い布で覆っており、
どういったことになっているのか、まったく分らない状態である。
『それ』は人間のようだが、身の丈が4尺(約120センチ)あまりしかない。
しかも、頭の形が人間とはちがうようなので、もしかすると動物かもしれなかった。
だが、『それ』は確実に独自で前進し、何かの目的を持って移動中に見える。
やがて、『それ』は川沿いの土手の上の道にさしかかっていた。
「わーい」
近所に住む3人の子供たちが、『それ』を見つけて後方から走ってきた。
やはり、子供たちの好奇心が、『それ』に向かってしまったのだろう。
どの子供も農民の息子のようで、ツギの当たった着物を着ている。
ワラゾウリを履いているから、それほど貧しい家の子供ではないのだろう。
「あれは何やろね」
「人間ちゃうか? 」
「猿やったりして」
子供たちは『それ』が気になってしかたない。
前を向いているので『それ』は子供たちに気づかなかった。
そのため、道ばたに雑草が生える土手の道を、
無心に平安京へと向かっていたのである。
暖かい春の昼下がりだった。
「猿やないやろ」
「だったら犬か? 」
「確かめようや」
子供たちは手ごろな石を拾うと、『それ』に投げつけた。
後頭部に石が当たった『それ』は、驚いて振り向いてみる。
すると、子供たちが石を投げながら、追いかけてくるではないか。
いくらやんちゃな子供たちとはいえ、石をぶつけられた方はたまらない。
『それ』は身の危険を感じ、慌てて逃げだした。
- 394 名前:『それから』 投稿日:2004/02/15(日) 11:26
- 「わーい! 」
キーコ、キーコ、キーコ、キーコ―――
「わーい! 」
キコキコキコキコキコキコキコ―――
「わーい! 」
キキキキキキキキキキキキキキ―――
乱暴な子供たちから逃げようと、『それ』はえらい勢いで走りはじめた。
子供たちは全速で追いかけたが、やはり子供の足である。
『それ』は命がけで逃げるのだから、子供とは速度がちがう。
みるみる子供たちを引き離し、『それ』は離脱に成功した。
「待てー! 」
子供たちが曲がり道にくると、視界から『それ』は消えてしまう。
背の低い子供たちであるから、道ばたの雑草が視界をさえぎったのである。
ここまでくると、どうしても『それ』の正体を確認したくなってしまう。
子供たちは逃すものかと、『それ』を追いかけていった。
「あァァァァァァァァァァァァァァァー! 」
えらい速度で走っていた『それ』は、曲がり道で蛇行してしまい、
悲鳴をあげながら土手を転がり落ちていってしまう。
それが視界に入らなかった子供たちは、そのまま走り去ってしまった。
暖かな陽が降りそそぐ山陽道には、花の匂いのする風がふいていた。
- 395 名前:『それから』 投稿日:2004/02/15(日) 11:27
- 真里寺は女子供ばかりであるため、夜盗の被害に遭うことを警戒していた。
検非違使たちが定期的な見回りをするほか、とても心強い味方が常駐している。
裕子の顔で左近衛府から派遣してもらった女性近衛兵が2人。
それは、かつてひとみの同僚だった麻琴とアヤカだった。
なつみがいれば夜盗など怖くなかったのだが、万が一を考え、
裕子は藤原道長を通して左近衛府へ申しこんでいたのである。
女性近衛兵となつみがいれば、たとえ野宿してもだいじょうぶだろう。
「夏門院さまが2人つれてきたから、仕事が楽になるっしょ」
なつみはイチゴを食べながら、寝酒を飲む裕子に言った。
仮にも尼僧である裕子は、飲酒などは禁忌である。
しかし、彼女は天下りで出家したのだから、禁忌などどうでもいい。
法衣こそ着ていたが、剃髪などしておらず、昔のままだった。
「少しづつでええから、子供たちにも仕事をさせんとな」
寺の掃除は子供たちの仕事である。
病弱な子や、あまりにも幼い子は別として、
子供たちの中にも、社会秩序が存在していた。
それは民主主義でもなければ、絶対君主制でもない。
みんなが好きだから、何かをしたいのである。
ここには罰則も折檻も説教もなかった。
子供たちは自らの意思で働き、遊び、勉強する。
これこそが、真里の思い描いていた寺だった。
- 396 名前:『それから』 投稿日:2004/02/15(日) 11:28
- 「そうだべねえ。大きい子には、圭ちゃんたちを手伝ってもらうべさ」
厨房が楽になれば、それだけ美味しいものが食べられる。
大きい女の子たちには、食事の作り方を教えるいい機会でもあった。
男の子には薪割りをさせたり、特に裕子は勉強に力をいれている。
この寺から巣立ってゆくには、読み書きができないと話にならない。
仮名と真名を理解する裕子にとって、それは天職のようなものだ。
「そろそろ、雑草が生えてくるころや。明日はみんなで雑草むしりやな」
雑草は捨てるものではなく、牛やニワトリのエサになった。
むしった雑草を農家の持っていけば、お礼に牛乳をくれる。
農家の人も孤児たちと分っているので、あわれに思うのか、
時には季節の野菜や果物までくれることがあった。
そのお礼に、季節になると、子供たちは賀茂川で鮎を捕まえ、
それを農家に持ってゆくのだ。
こうした交流は、不幸な子供たちを健全に育んでゆく。
「そういえば、池のほとりに空いてる土地があるっしょ?
あそこで綿花を栽培したらどうだべか? 」
真里寺は救済施設であると同時に、職業訓練を行わねばならない。
ここから巣立ってゆくには、手に職をつけなくてはいけないからだ。
そうしないと、女は売春婦、男は夜盗になるのが関の山だからである。
いくら善悪の区別を教えても、糧を得る術を知らなければ元も子もない。
こうした施設を理解してもらうには、今も昔もむずかしいものだった。
だが、優秀な技術者などを輩出すれば、人的な需要が集まってくる。
そうなれば、平安京住民との共存の道も見えてくるのだった。
- 397 名前:『それから』 投稿日:2004/02/15(日) 11:28
- 「綿花の栽培はええな。これから綿は、必要なものになるやろ」
当時、綿は貴重なもので、一部の貴族しか手に入らないほどだった。
絹や麻にくらべて温かく、何より肌ざわりがよい。
吸湿性にすぐれ、特に子供の着物としては最適なものだった。
平安京でも綿を織れる職人の絶対数が不足しており、
技術者の需要はうなぎ登りであった。
「織機も買わないといけないべさ。出費が多いね」
なつみは出費の多さに頭をかかえた。
いくら2000石の寺領を下賜されたとはいえ、
織機などは高価なものなので、購入するには負担が大きい。
「そこでやけどな。羅生門の死体が社会問題になっとるやろ? 」
朱雀大通りの南端に位置する羅生門は、
いつの間にか死体捨て場になっていた。
民部省では定期的に死体の撤去を行っていたが、
それでも死体を捨てるものが後をたたない。
平安京に多く存在する寺社は天下り法人であるから、
死者を供養・埋葬するようなことはしていなかった。
「河原で死体を荼毘にふすんや。もちろん有料やで」
裕子は死体処理事業を始めようというのだ。
藤原道長に補助金を請求し、死体を焼くものは薪か米を持ってくる。
足りない薪は子供たちに拾わせればいいので、補助金が儲けとなるのだ。
焼いたあとの骨は、遺族が持ち帰ってもいいし、
郊外に土地を確保して、そこの集団墓地に埋葬してもいい。
5日に一度くらいづつ火葬を実施すれば、事業としてなりたつのだ。
- 398 名前:『それから』 投稿日:2004/02/15(日) 11:29
- 「衛生面から考えても、それは価値があるべさ」
平安京では天然痘とはしかが大流行し、多数の死者をだした。
それもこれも、死者を埋葬しないで捨てることが多かったため、
死体自体が病原菌を培養してしまったのである。
一部の病原菌をのぞき、火葬するのはじつに衛生的なことだった。
「これで子供たちが独立したあとも、支援できる体制がとれればええ」
現段階においては、経営の多角化こそが急務だった。
どこかの倒産寸前の企業のように、経営の多角化と称し、
強制的な社内販売をするのとはワケがちがう。
裕子もなつみも、ぜいたくなどする気がなかった。
彼女たちは利益を貯蓄し、いつかは摂津にも、
こうした寺を建立しようと考えていたのである。
「まりっぺの夢だったべさ。こうした寺を全国につくるのが」
なつみは嬉しそうに、目を細くしながら言った。
真里の遺志は、裕子やなつみにより、より現実的になっている。
彼女たちは自分の命が続くかぎり、全国に普及させたいと思っていた。
まずは平安京周辺から始め、近畿、中国、四国、九州へと輪を広げる。
そして、最終的には東国まで普及させようと思っていた。
「そやな」
裕子も嬉しそうにうなずくと、美味そうに杯の酒を飲み干した。
- 399 名前:『それから』 投稿日:2004/02/15(日) 11:29
- 『それ』は何とか平安京までやってきた。
朱雀大通りを移動する『それ』を見た住民は、
その正体を見届けようとするが、気味が悪く、
被った布をめくるようなことはできなかった。
「あれは人間やろか」
「犬が寄って臭い嗅いでも唸らんで」
「なら人間なんやね」
どうやら『それ』は台車に座り、片手と片足を使って漕いでいるらしい。
『それ』の背が低く見えたのは、そのためだった。
大きな綿雲が流れる下を、『それ』は禁裏方面へ向かっている。
駆けつけた検非違使たちが、『それ』を止めて職務質問しようとした。
すると、人垣の中から初老の男が現れ、検非違使たちの間に入った。
「何者じゃ。それがしは渡辺綱と申す」
「げっ! つつつつ、綱さま? 」
『それ』は渡辺綱を聞き、ひどく狼狽している。
日本語が通じるところをみると、『それ』は人間で、
しかも日本人である可能性が高くなった。
渡辺綱を知るものであれば、その強さは百も承知だろう。
- 400 名前:『それから』 投稿日:2004/02/15(日) 11:30
- 「その布をとって顔を見せい! 」
今にも腰の太刀を抜きそうな渡辺綱の迫力に、
『それ』は怯えて震えだしてしまった。
ここで斬り殺されてしまっては、平安京に来た意味がない。
『それ』はしかたなく、片手で黒い布を脱ぎはじめた。
「検非違使さま。取り囲んでください。見られたくないので」
『それ』の申し出により、検非違使たちが輪になって囲んだ。
『それ』は目隠しを確認すると、意を決して黒布を頭の上までめくる。
渡辺綱は警戒しながら、『それ』をのぞきこんで驚いた。
「そ―――そんな! まさか! 」
渡辺綱は驚きのあまり、眩暈がして検非違使に支えられる。
すべての感情が神経を逆流し、渡辺綱の老体では耐えられなかった。
彼は朱雀大通りの中央に座りこみ、体調がもどるのを待っている。
やがて、少しだけ気分が楽になると、彼は検非違使たちに命じた。
「野次馬を解散させい」
元源頼光四天王の渡辺綱の命令であるから、
検非違使たちは神の声のように盲目的にしたがった。
野次馬たちは検非違使に解散させられ、不満の声をもらす。
暖かな南風が、渡辺綱の白髪を揺らせていた。
- 401 名前:『それから』 投稿日:2004/02/15(日) 11:32
- 草むしりをする真里寺に、渡辺綱がやってきたのは、薄日が差す午後だった。
渡辺綱は第一線を退き、今では悠々自適な隠居生活をおくっている。
なつみや裕子とは苦楽をともにした仲であり、いわば戦友と言ってもいい。
そんな渡辺綱でも、女ばかりの真里寺にいきなり来訪したのだから、
用心棒のアヤカと麻琴は、槍を持って出迎えたのだった。
「これは綱さま。どういったご用件でございましょうや」
「物騒な娘たちじゃな。隠居に槍を向けるとは」
渡辺綱に指摘され、2人はしぶしぶ、向けていた槍をおろした。
大人の男が珍しいので、子供たちは渡辺綱に抱きついたりしている。
隠居して孫がいる渡辺綱は、こうした子供たちがかわいくてしかたない。
渡辺綱は子供を抱き上げ、目じりにシワを寄せて豪快に笑った。
「わっはっはっは。これ、裕子さまとなつみどのをお呼び申せ」
年老いて第一線を退き、隠居したとはいえ、
渡辺綱は源頼光四天王筆頭だった男である。
そんな超有名な猛将から命じられれば、
いくら近衛兵の2人でも返事をするしかない。
2人が裕子となつみを呼びに行くと子供たちは、
渡辺綱といっしょにいた『それ』に興味をもちだした。
とにかくワンパク盛りの子供たちは、
『それ』の被っている黒い布をめくってみる。
ところが、黒布には目のところしか穴が開いていないので、
明かりが差しこまず、中は暗くて見えなかった。
- 402 名前:『それから』 投稿日:2004/02/15(日) 11:33
- 「綱。久しぶりやないけ。けど、今は忙しいんや」
裕子は法衣を脱ぎ、袴姿で草むしりをしていた。
すると、その背後から、なつみがすごい形相で疾走してくる。
その体型を裏切らず、とにかく足の遅いなつみであるから、
疾走といっても、歩くよりいくらか速いくらいだ。
しかし、なつみは地響きをたて、『それ』に抱きついたのである。
裕子は唖然としてなつみを見ていた。
「まりっぺ! 生きてたんだべね? まりっぺェェェェェェェェェェー! 」
なつみはさすがに陰陽師の娘だけあって、
こんな姿でも『それ』の気を感じたのだろう。
涙を浮かべたなつみは、『それ』を抱きしめた。
「な、なっち。あははは―――変んないね。―――逢いたかったよー! 」
何と、『それ』は真里だったのである。
明日香といっしょに爆死したと思われていた真里だったが、
奇跡的に生きていたのだった。
- 403 名前:『それから』 投稿日:2004/02/15(日) 11:34
- あのとき、真里は明日香といっしょに崖から飛び降りた。
ところが、明日香は必死に途中の石にしがみついたのである。
このまま崖下に落下すれば、よくても大ケガはまぬがれない。
だからこそ、彼女は必死でしがみついたのだろう。
そのとき、どういった具合か、真里が着ていた手榴弾の束が、
明日香の帯に引っかかってしまったのである。
そして、真里は手榴弾から離れ、ほぼ全裸といった姿で、
下を流れる川に落下していったのだった。
その結果、明日香は爆死し、真里は浅い川に落ちて大ケガをした。
「ねえちゃん。人が倒れてる」
川に流され、瀕死の重傷を負った真里を助けたのは、
備中の山奥に住む山童の姉弟だった。
真里は右半身を強打しており、右手右足からは骨が飛びだしていたし、
頭蓋骨がパックリと割れ、脳が見えている危険な状態だった。
姉弟は自宅の洞窟に、ほぼ全裸の真里を運び、手厚い看護を始める。
この山童姉弟の看護のおかげで、真里は順調に回復したのだが、
深刻な脳挫傷から左半身がマヒしてしまった。
頭蓋骨は変形してしまい、右目の視力は失ってしまった。
- 404 名前:『それから』 投稿日:2004/02/15(日) 11:34
- 「いやァァァァァァァァァァァァァー! 」
1年後、真里は自分で杖を使い、歩けるようになるまで回復した。
やはり若い娘だけあって、真里は自分の頭のケガが気になっている。
桶に張った氷の裏に黒い布を当て、彼女は自分の顔を写してみたのだ。
すると、彼女の顔の右半分は、グチャグチャにつぶれており、
見るに堪えない状況になっていたのである。
「落ちついて! 真里さん! 」
「こんな顔―――殺して! おねがいだから殺してー! 」
手足が不自由になるのはしかたない。
だが、若い娘である以上、破壊されたに顔だけは耐えられない。
暴れる真里を押さえつけ、姉弟は何度も彼女と話をした。
顔がつぶれただけで、救済施設の夢をあきらめるのか。
もういちど、なつみや裕子、子供たちに逢いたくはないのか。
拾った命を大切にしなくていいのか。
真里の心の傷が癒えるまで、じつに2年もかかった。
- 405 名前:『それから』 投稿日:2004/02/15(日) 11:34
- なつみはその力で、真里であることを悟ったのだが、
子供たちは『匂い』で、彼女を判別したのだった。
きびしく叱られたあと、優しく抱きしめてくれた真里。
そんなときの匂いを、子供たちは覚えていたのである。
誰もが信じられない顔で、不自由な真里の手を握った。
「真里ねえさん! 」
すっかりと成長した子供たちは、真里に抱きついて号泣する。
どんな状態であれ、生きていてくれればそれでいい。
すっかり年老いて涙もろくなった渡辺綱は、感動の再会に涙していた。
「ほんまに―――ほんまに真里なんか? 」
裕子も、あの真里が生きていたとは信じられない。
恥ずかしそうに頭をかくしぐさは、あのころの真里と同じだった。
あの冷静なりんねでさえ、大はしゃぎで真里の生還を喜んだ。
- 406 名前:『それから』 投稿日:2004/02/15(日) 11:35
- 数日後、三分咲きとなった桜を見ながら、なつみは真里の治療を始めた。
これだけの大ケガを治療するには、相応の体力と気が要求されたので、
なつみは数日前から体力を養い、いつもより多くの食事をとっていた。
あまりに醜い顔を子供たちに見せたくないため、治療は本堂で行われた。
「麻美。これだけ重傷なんだよ。力を貸してほしいべさ」
頭蓋骨の変形を矯正することと、脳挫傷で壊死した細胞の復活。
右手右足の骨折で不自由になった部分の再生。
そして、何よりも厄介だったのは、失明した右目だった。
これらを治療するには、なつみ1人の力では不可能である。
負傷してすぐであれば、まだ何とかなったのだろうが、
ここまで時間が経つと、治療がむずかしかった。
「うん、やろうよ。なっちねえちゃん」
なつみは深呼吸すると、気を右手に集中させ、
目をつぶった真里の顔に押し当ててゆく。
焼けるような痛みに、真里は耐えきれずに悲鳴をあげた。
「ガマンするべさ。もう少しだから。麻美! 」
指示された麻美は、なつみの頭に手を置いて気を送った。
こういった回復系の力が苦手な麻美は、なつみに気を送り、
それを回復の力に変換してもらうことしかできない。
麻美は緊張からか、思いきり気を送ってしまった。
- 407 名前:『それから』 投稿日:2004/02/15(日) 11:36
- 「ふげっ! 」
その直後、なつみは鼻血をだし、白目をむいて昏倒してしまった。
麻美の強い気が、なつみの脳を刺激してしまったのである。
驚いた麻美と裕子が、白目をむいたなつみを抱き上げた。
「なっちねえちゃん! しっかりして! 」
「寝とる場合ちゃうやろ! 」
裕子が頬を打つと、なつみは何とか正気を取りもどす。
しかし、麻美の強力な気を受けたなつみは、脳挫傷寸前だったのである。
平衡感覚がなくなり、ひどい眩暈がしていたし、少しばかりの吐き気もあった。
それでもなつみは根性で起き上がり、裕子に抱きついて肩で息をしていた。
「あ、頭に気を入れるアフォが、ど、どこにいるべさ! 」
「あのー、ちょっと痛いんだけどさー」
真里の顔の右側の負傷は、すでに完治していた。
しかし、頭蓋骨の変形と深刻な脳挫傷は、まだ完全に治ってはいない。
これを治療するには、時間をかけるか強力な気が必要だった。
どちらにしろ、これだけの気を送れば、真里が痛をともなうので、
なつみとしては一度に終わらせた方がいいと思っていた。
「ぜいたく言うんじゃないべさァァァァァァァァァー! 」
モンクを言う真里に、なつみは怒鳴りつけた。
これで手足が自由に動くようになると思えば、
このていどの痛みなどガマンできるはずである。
つまり、真里はなつみに甘えていたのだ。
- 408 名前:『それから』 投稿日:2004/02/15(日) 11:37
- 「あははは―――ちょちょっと終わらせちゃってよ」
真里が明るく言うと、さすがにかわいいのか、
なつみも笑顔になってうなずいた。
まだ眩暈のするなつみだったが、真里の申し出であるため、
ここは早く終わらせようと、麻美の手をつかんだ。
「さあ、ここからが本番だべよ」
なつみの治療が始まると、知らせを受けた貴子が入ってきた。
貴子は裕子の横に座り、なつみの治療を見学するらしい。
死んだと思っていた真里が生きていたので、裕子は嬉しそうだ。
そんな裕子の横顔を見ながら、貴子は庭に咲いたサクラを眺める。
「三分咲きやな。姐さん」
「あっちゃん。何で真里は生きてたんやろね」
真里のカン高い悲鳴がとどろく中、裕子は貴子に聞いてみた。
ひとみと梨華、真里、そして圭織の4人が、
紗耶香を覚醒させるために生まれたのなら、
生きていることは時代の意志に逆らうことである。
これほど重傷だった真里が生きていたのは、
むしろ奇跡に近かった。
「紗耶香は3度の覚醒で須佐男命になったんや」
「だから? 」
「4人は必要なかったんやろね」
最初にひとみと梨華が死んでいるので、これは苦しい解釈だったが、
裕子は少し鼻で笑ったあと「そうなんやろな」と言った。
真里が生きていたのは、健闘した娘たちへの、贈り物だったのかもしれない。
こんどは真里が白目をむいて昏倒する番だった。
- 409 名前:『それから』 投稿日:2004/02/15(日) 11:37
- 「はあはあはあはあ―――頭蓋骨の変形と、中味の治療は終わったべさ」
脳が露出するほどの傷だった真里の頭も、きれいに整形されていた。
そして、彼女が死にたいほど傷ついた顔の損傷も、すべて治っている。
ただ、これはなつみの好みなのか、少しだけ幼い顔つきになっていた。
「なっちねえちゃん」
麻美が桶をさしだすと、なつみはその中に血の塊を吐いた。
これだけ重傷な患者を治療すると、なつみの体内に悪い血が入るらしい。
それは、なつみにとってもつらいことだったが、
かわいい真里が元気になるなら、少しも嫌なことではなかった。
「ふう。こんどは手足だべさ」
矢傷などとはちがい、骨の治療には体力をつかう。
それでもなつみは、真里の手足をなで続けた。
ミシミシ音がしながら、真里の変形した手足が治ってゆく。
「あははは―――これで終わり」
真里の治療がすべて終わると、なつみは疲労から失神してしまった。
ここまで一生懸命ななつみを、これまで麻美は見たことがない。
きっと真里は特別な存在なのだろうという気持ちと、
少しばかりの嫉妬心が重なって、麻美は淋しくなってきた。
「麻美。よかったわな。新しいお姉ちゃんができて」
麻美の淋しさに気づいた裕子は、そう言って彼女をなぐさめた。
- 410 名前:『それから』 投稿日:2004/02/15(日) 11:38
- さらに数日後、子供たちが寝静まったあと、
裕子は娘たちを集めて重大発表をしたのである。
これには、さすがのなつみや真里も仰天した。
「出てゆく? 冗談っしょ? 」
「本気や。ここの住職は真里に決まっとるやろ?
その住職が帰ってきたんや。うちは別の寺に行くで」
「ちょっと待ってよー」
七分咲きのサクラが月明かりに照らされ、
いよいよ本格的な春の到来を告げている。
夜桜見物には、まだ少しばかり肌寒かったが、
春の夜の平安京では、ほろ酔いの貴族たちが、
サクラを見物に外出していた。
「これは決めたことや。貴子と2人で摂津にでも行くわ」
裕子は摂津にも、第二の真里寺を建立しようと考えたのである。
彼女の人脈を駆使すれば、それも不可能なことではないだろう。
平安京の真里寺ほど規模は大きくならないだろうが、
裕子は貴子と2人で永住の地を探していたのである。
さらに、今は行方不明になっている真希を招き、
3人で紗耶香の菩提を弔いながら余生を過ごそうと思っていた。
- 411 名前:『それから』 投稿日:2004/02/15(日) 11:38
- 「裕子さまが、それでよいのなら」
りんねは淋しそうにそう言った。
摂津は隣国なので、馬を飛ばせば半日の距離である。
家族同様の裕子が離れてしまうのは淋しかったが、
全国に救済施設を設置するという真里の夢が現実に近づくのだ。
「真里が帰ってきたし、あさ美と里沙、あゆみの助っ人もおるで、うちは何も心配しとらんよ」
そう言う裕子だったが、やはり淋しさはかくせない。
ベソをかいた真里が抱きつくと、なつみも抱きついて号泣した。
- 412 名前:『それから』 投稿日:2004/02/15(日) 11:39
- 翌日、裕子と貴子は、牛車に乗って摂津へと向かった。
妹のように思っていた娘たちと、大勢の子供たちに見送られて。
牛車の中では、さすがに淋しいのか、裕子は目に涙をためていた。
「姐さん。泣いたらあかんで」
「アホ。誰が泣くかい」
山崎にさしかかるころになると、すでに陽は西に傾いていた。
式部省を引退したとはいえ、裕子は元高級官僚である。
数十人の従者たちが、野営の準備にとりかかっていた。
そこの横を、旅の商人が2人で話しをしながら通りすぎてゆく。
「安芸の国府に、すげー娘が雇われたってな」
「ああ、野太刀で何でも叩き切っちまうって話だ」
「美人なのかな? 」
「ちょっと魚顔だけど、かなりの美人だったぞ」
商人たちが去ってゆくと、裕子と貴子は顔を見合わせた。
そして、おかしそうに笑いながら、西日に照らされた平安京を眺め、
祝杯をあげようと準備を始めたのだった。
――――― 『それから』・終 ―――――
- 413 名前:名無し弟 投稿日:2004/02/15(日) 11:40
- 大した話じゃなくてスマソ!
逝ってくる!
- 414 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/15(日) 23:37
- 読んでて、みんなじゃないけど幸せになって良かった・・・良かった・・・と何度も思いました。
つ■ チョコドゾー
- 415 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/16(月) 17:02
- とても読み応えのある小説でした。
最後まで楽しませてくれて作者さん、どうもありがとう。
なんか日本の歴史に興味が沸いてきた…単純だなぁ、自分。
- 416 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/17(火) 04:31
- 弟さんお疲れ様です。2日かけて読破しました。
羊で見ないと思ってたら、飼育で書いてたんですね。
久しぶりに前作を読み直そうと思います
- 417 名前:名無し弟・うれすぃー! (^∀^) 投稿日:2004/02/18(水) 19:22
- >>414
ありがとうございます。
チョコモロタ ■⊂
>>415
ありがとうございます。
自分なりに日本史を研究してみてもいいかも!
この小説の時代考証には難がありますので。
>>416
ありがとうございます。
よろしかったら、こちらのHPまで遊びに来てください。
アネキのHPに居候してますが。
http://www5.tok2.com/home2/nacchitantei/gutei.htm
- 418 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/19(木) 01:54
- 実はそのHPの小説は読み尽くしてたり・・・w
全部おもしろいです!
つ■ バイアグラドゾー
- 419 名前:名無し弟・ハァハァハァ―――(´д`) 投稿日:2004/02/19(木) 18:57
- >>418
ありがとうでつ。
モロタ ■⊂ ケド (^∀^) ツカワナクテモダイジョブ...ゲンキ!♂
- 420 名前:名無読者 投稿日:2004/02/26(木) 01:49
-
| ⊂⊃/ ̄\
| /WWW⊂ ⊃ 艸艸艸
| / ∬´▽`∬\ 艸艸 \艸
| ⊂⊃ \ 艸艸\艸艸/艸
| ⊂⊃ 〜〜〜 \/
| / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
| | ねぇ、まだなの? |
─\___ __________/─
/ ────∨────────────
/ / ∋o/ | | | |ヽ ノハヽヽ∂
/ / 川;`〜`) (´ー`●;)
/ / 〜〜〜〜〜 〜〜〜〜〜
ソウイエバ・・・
- 421 名前:◆9NT64xD6 投稿日:2004/02/28(土) 02:06
- 期待
- 422 名前:名無し弟 (゜Д゜)ガァァァァァァァァァーン! 投稿日:2004/03/02(火) 23:15
- ―――いちーちゃん!
- 423 名前:名無しの権兵衛 投稿日:2004/03/04(木) 03:46
- 数日かけて全部読ませていただきました。
以前『殺戮列島』を読ませていただいたのですが、その作者さんとは知らず
に読み始めました。(読んでいるうちになんとなく気付きはじめましたが…)
『殺戮列島』に比べて今回の作品は娘同士のふれあいのような、明るいエピソード
も多々あったことが話にアクセントをつける上で非常に良かったと思います。(前作
は前作で最高の出来です。)その分、別れのとこは泣けましたね。特に石川の時…
414さんが言うように、みんなではないが幸せになれた人間がいたというとこが
良かったですし、それで何か救われた感もあります。
ここまで読んでいてハマった作品は久しぶりです。ほんとに最高の作品に仕上げた
作者さんに感謝です。余計なことですが、この作者さんは読み手の感情を揺さぶる
作品を創る面が非常に優れていると感じます。またこの手の新作楽しみにしてますので
頑張ってください!
- 424 名前:名無し弟 (´D`)うれしいのれす! 投稿日:2004/03/07(日) 22:01
- 前作から読んでいただいてるとは! ありがとうございます!
4期メン全員を殺しちゃったんで、罵声を浴びせられるものと思ってました。
まだまだです。もっと巧い作者さんばかりですから、一歩でも近づきたいです。
これからも、アフォなアネキともども、かわいがっていただければ幸いです。
- 425 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/24(水) 18:01
- また新作を期待しても良いですかね?
歴史ものがこんなに面白いと思ったのは初めてなんで…
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