EXTRA
- 1 名前:名無しさん 投稿日:2003/10/27(月) 05:13
- 短めの話をいくつか書かせて頂きます。
何かありましたらよろしくお願いします。
- 2 名前:べっこう飴 投稿日:2003/10/27(月) 05:14
- どこにでも売っているよな、だけどきっとこの先
絶対に忘れないような味がある。
それは小さな頃の小さな胸にしまってあった、
大きな思い出の味だった。
- 3 名前:べっこう飴 投稿日:2003/10/27(月) 05:14
- 繋がれていた右手は、精一杯伸ばしてやっと届く場所にあった。
左手に持ったべっこう飴を、決して噛まずに舐め続けていた。
飴玉だったらすぐに歯で噛み砕いてしまうけど、
出来るだけ長い間それを口に含んだ。
暖かな体温を感じる右手の上に視線を上げると、
短い茶色の髪を、さらりとかき上げながらこっちを
優しく見る笑顔があった。
- 4 名前:べっこう飴 投稿日:2003/10/27(月) 05:15
- 確かその時泣いていた。
同じ保育園の子にいじめられたのが原因だった。
今でも背の低さを事あるごとに指摘される。
高い厚底ブーツを履き、大人びた化粧をし、背伸びする。
早く大人になりたい。ずっとそう思っていた。
正確には、大人になりたいというよりも、
あのお姉さんみたいになりたい、
と思っていただけだった事に最近気づいた。
- 5 名前:べっこう飴 投稿日:2003/10/27(月) 05:17
- 今では背の低さも、自分のキャラクターとして
捉える事が出来るようになった。
あの頃からずっとコンプレックスに感じていたけど、
友達と話していてもそれを笑い話しに
もっていけるようになった。
僅か5年程度しか生きていなかった当時、
その人の容姿や仕草に憧れていた。
髪をかきあげる仕草や、歩き方、笑い方など
ちょっとした事をすぐ真似ていた。それを思い出す度、
かなりのマセガキだったと心の中で苦笑する。
- 6 名前:べっこう飴 投稿日:2003/10/27(月) 05:19
- 少し雲がかった夕暮れの空を真正面に受けながら
閑静な住宅街を抜け、緩やかな坂を登りきった所に、
1つの出店があった。
綺麗に建築された家しかないこのあたりの風景に対して、
全く溶け込んでいない薄汚れた出店。
15年前、私を慰めるためにお姉さんが買ってくれた
べっこう飴が売っていた出店だった。
今の子供達はこの味を知っているのだろうか。
ボリボリとスナック菓子を頬張る保育園児の姿を
思い浮かべながら、店の前に立ち止まった。
「いらっしゃい」
「どーも」
べっこう飴を作っているおばさんは、あの時と同じ人だった。
15年という月日は、自分も20歳になって変わったけれど、
おばさんの顔の皺も深みを増しているような気がした。
ばっちり面影は残っているので、あの時のおばさんだと確信は出来る。
- 7 名前:べっこう飴 投稿日:2003/10/27(月) 05:20
- あれから15年経ったあの人は、今どこで何をしていて、
どんな大人になっているのだろう。
当時15歳ぐらいだったから、今は30前後という事になる。
すでに結婚して、幸せな家庭を気づいているのかもしれない。
ヤンキースタイルの制服姿で止まっている自分の中では、
あの人のウェディングドレス姿は想像できなかった。
「べっこう飴1つください」
「あいよ」
べっこう飴を受け取ると、坂の頂上からオレンジ色のライトを
浴びた町並みを見下ろした。
残暑の残るこの時期に、少し冷えた風が体を触った。
- 8 名前:べっこう飴 投稿日:2003/10/27(月) 05:20
- ◇
- 9 名前:べっこう飴 投稿日:2003/10/27(月) 05:22
- 「うっ・・・うっ・・・」
「くやしかったらここまでのぼってきてみろって」
「うぐっ・・・」
「まぁミニマムヤグチにはむりだろうけどねぇ」
他の子供達はほとんど親が迎えに来て帰っていた。
先生達も建物の中にいた為、日が落ちそうなその
時間帯に外にいたのはふたりだけだった。
ジャングルジムのてっぺんからそう叫ばれたけど、
真理は長方体に設計された鉄の棒に触れる事が出来なかった。
高い所に登る勇気がなかった。
そこはとんでもない高さのように感じた。
- 10 名前:べっこう飴 投稿日:2003/10/27(月) 05:23
- その子はとても運動神経が良くて、かけっこも早かったし
ほかの運動も何でも器用にこなした。
見た目も男の子っぽく、ここに来てあまり
経っていないのにもかかわらず、
ガキ大将のような存在になっていた。
実際、周りの男の子を何度も泣かしていた。
真理は首が痛くなる程の高さの上にいるその子を、
悔しさで涙をためながら、睨む様にして見上げていた。
- 11 名前:べっこう飴 投稿日:2003/10/27(月) 05:24
- 「こらっ!紗耶香!!アンタまた真理ちゃんの事いじめてんのか!!」
「げっ、ゆーちゃん。むかえにくるの、はやくない?」
「アホか!もう4時や!そんな事よりまた真理ちゃんの事泣かして!」
「あ、あたしがなかしたんじゃないって。かってにないてるだけだって。」
「嘘つくな!早く降りてこい!!」
何時の間にかここに、1つ人影が増えていた。怒りをあらわ
にしながら仁王立ちするそのお姉さんの姿を見て、紗耶香は
しぶしぶジャングルジムを降りてきた。
- 12 名前:べっこう飴 投稿日:2003/10/27(月) 05:24
- 般若のような顔をしているお姉さん中澤裕子は、一時的に
こっちにきている紗耶香の姉変わりで面倒を見ていた。
当時受験真っ只中の中学3年だった筈。
「勉強勉強でうっといわー。」
と嘆いていたのを思い出した。僅か五歳の真理には何の事か
理解できなかったが、その時の眉間の皺は印象に残っている。
- 13 名前:べっこう飴 投稿日:2003/10/27(月) 05:25
- 「もう、ゆーちゃんそんなにおこらないでよ」
「ったく。いっつもいっつも意地悪ばっかりして。真理ちゃんに謝り」
「ゆーちゃんはいっつもやぐっちゃんのみかただね」
「アホ!人様泣かしといて、なにゆうてんねん!早く謝り!」
「・・・」
中澤の気迫に圧倒され、すっかり泣き止んでいた真理は、
体を強く揺すられながら謝るように催促されている紗耶香に、
何故か同情した。
- 14 名前:べっこう飴 投稿日:2003/10/27(月) 05:26
- 「ゆーちゃん。あ、あのもういいから・・・」
中澤は誰にでも『裕ちゃん』と呼ばせるようにしていた。
それは真理も例外ではなく。真理は高く見上げる格好になる
中澤のセーラー服の袖を引っ張りながら小さな声で言った。
「あかんあかん。悪い事は悪い。そのへんはちゃんとしとかな」
中澤は紗耶香の腕を取り、真理と対峙させた。
腕を組み、紗耶香の方を睨んでいる。
「ほら」
「・・・ン・・・」
「ん?何や?真理ちゃん聞こえたか?」
真理は紗耶香を上目で少し見てから、小さく首を縦に振った。
いじめられている相手とはいえ、ここまで強く言われる紗耶香に
申し訳ない気分になっていた。
- 15 名前:べっこう飴 投稿日:2003/10/27(月) 05:28
- 「いや、ウチには聞こえへんかった。だからもう一回」
「ゆーちゃんはかんけいないじゃん」
「ええから」
「・・・ゴメン・・・」
「ほんまにアンタは・・・真理ちゃん、ゴメンな」
「ううん」
中澤は乾きつつあった真理の頬を、指で優しく拭った。
紗耶香にいじめられた事なんて、真理の中では
どうでもよくなりつつあった。優しさに溢れた中澤を
見上げて、真理の気持ちはすっかり落ち着いていた。
- 16 名前:べっこう飴 投稿日:2003/10/27(月) 05:28
- 「もうこんな事したらあかんで」
「フン」
「ったく。真理ちゃんとこのお母さん、今日迎えにこられへん日やから一緒に帰ろか」
「うん」
「紗耶香。帰るで」
中澤は左手に真理の手を、右手に紗耶香の手を取り、保育園を出た。
- 17 名前:名無しさん 投稿日:2003/10/27(月) 05:30
- ひとまず、ここまで。
誤字脱字がないといいんですが。
- 18 名前:奈々氏 投稿日:2003/10/27(月) 07:53
- >17
『真里ちゃん』が正解。
- 19 名前:名無しさん 投稿日:2003/10/27(月) 08:35
- 最近ねーさん絡み自体が減ってきているのでほんとに嬉しいです。
続きに期待。
- 20 名前:名無し読者 投稿日:2003/10/27(月) 21:03
- 面白そう、続きに期待。
- 21 名前:べっこう飴 投稿日:2003/10/28(火) 04:39
- ◇
- 22 名前:べっこう飴 投稿日:2003/10/28(火) 04:41
- 3人一列に並んで、アスファルトの道を歩いていた。
夕暮れ時のこの時間帯、ほとんど車が通る事もなかったので、気兼ねなく車道を歩く。
1人歩幅の大きい中澤は、二人の歩くスピードに合わせた。
真里は握られた手を気にしつつ、中澤の右側にいる紗耶香を見た。
ふてくされたような顔をして、反対側を向いている。
真里は紗耶香が何故自分にこういう事をしてくるのか考えた。
何か悪い事をしてしまったか。
それとも単に自分の事が気に入らないのか。
他の子に対してしないような事を自分にはしてくる。
その時の真里には紗耶香の行動が理解出来なかった。
- 23 名前:べっこう飴 投稿日:2003/10/28(火) 04:43
- いくら緩やかな坂道といえど、小さな二人にとってこの傾斜は
ちょっとしたハイキングだった。
坂を登りきった所に、 祭りで見かけるような出店が見えた。
中澤はそこで足をとめた。
「おばちゃん。それ二つちょうだい」
「あいよ。二つね」
中澤は店のおばさんからべっこう飴を受け取ると、真里と紗耶香に渡した。
真里はこの飴の存在を知らなかったので、それを暫く眺めてから口に含んだ。
- 24 名前:べっこう飴 投稿日:2003/10/28(火) 04:45
- 「ゆーちゃん。ありがと」
「ええねんええねん。めっちゃ安いからな」
「おいしいね、コレ」
「そうか?ゆっくり食べや。噛んだらもったいないで」
「そうだね。もったいないね」
「そやそや。人間ケチれる時はケチっとかな」
「ゆーちゃん。それはちがうとおもうよ」
「紗耶香ぁ。いちいちつっかかってくんなやー。うまいやろ?」
「・・・まあまあかな」
「ほんま可愛げのない子供やなぁ」
「フン」
中澤はもう一度二人の小さな手を取り歩き出した。
真里は中澤に言われたとおり、買ってもらった飴を
噛まないように注意しながら舐めていた。
今までに 食べた事のないような甘さがあった。
真里の頬は、完全に乾いていた。
家路に着くまで中澤は、ずっと真里の手を握っていた。
- 25 名前:べっこう飴 投稿日:2003/10/28(火) 04:45
- ◇
- 26 名前:べっこう飴 投稿日:2003/10/28(火) 04:47
- 次の日、保育園の先生から紗耶香が引越しする旨が伝えられた。
この町へ、この保育園へ来てわずか一ヶ月。
その短い間にここのトップへと登りつめ、一目を置かれていた紗耶香が
引っ越すというその突然舞い込んだニュースは、他の園児をおおいに驚かせた。
何よりも急すぎた。
真里はずっと馬鹿にされ続けていた。体が小さい事。
鉄棒が出来ない事。ジャングルジムに登れない事。
その度に泣いていた。嫌いなはずだった。友達だなんて思っていなかった。
『中澤の横にいる暴れん坊』
そんなイメージ。そして暴れるその対象は自分。
そんな思いとは裏腹に、胸は締め付けられるように痛かった。
初めての別れの経験だった。
- 27 名前:べっこう飴 投稿日:2003/10/28(火) 04:49
- 紗耶香のここでの最後の時間が終わり、みんなが帰った後、
紗耶香と真里はグラウンドに二人きりだった。
今日も中澤と一緒に3人で帰る日。そしてそれは最後。
ポケットに手を突っ込んだ紗耶香の後ろを、真里は無言でついていった。
二人はジャングルジムの前で立ち止まった。
「のぼらない?」
「えっ?」
「これ」
「む、むりだよ」
「だいじょーぶ。ゆっくりいけば」
「こ、こわいよ」
「あたしがのぼったところ、ついてくればいいから」
「で、でも・・・」
紗耶香はゆっくりとジャングルジムを登り始めた。
一段一段あがっていく。真里は下からその様子を見ていたが、
やっぱり怖くて手が動かなかった。
真ん中程まで登ったところで、紗耶香が下を見た。
手をぎゅっと握って目をつぶっている真里の姿があった。
- 28 名前:べっこう飴 投稿日:2003/10/28(火) 04:51
- 「ほら、こいよ。チビチビやぐっちゃん」
真里は今まで言われた事のない呼び方をされたのに腹を立てた。
ふと顔をあげると、上から自分を見る紗耶香がいた。
口の端をあげて笑っていた。そして紗耶香は再び登り始めた。
腹の立った真里は、勇気を出してジャングルジムに触れた。
少し錆びたその鉄の棒は、ひんやりと冷たかった。
それに触れた手が震えて、中々上に進めなかった。
登ってみたい、というドキドキワクワク好奇心。
高さへの恐怖心。
- 29 名前:べっこう飴 投稿日:2003/10/28(火) 04:53
- 「ゆっくりでいいから」
すでに登りきっていた紗耶香はそう言った。
真里はゆっくり登り始めた。1段1段 ゆっくり足と手を動かす。
半分まできた時、ふと下を見てしまった。
その高さに怖くなり、ぎゅっと棒を握り、目をつぶった。
「バカ。めをつぶるなって。ゆっくりでいいから」
バ、バカってなんだよ。さやかのほうがとししたのくせして!
ねんしょうぐみのくせして!
真里はバクバクする心臓を抑えながら、もう一度登り始めた。
何とか一番上に辿り着いた時、小さな体の中にあるエネルギーを
全部使ったみたいだった。
真里は恐る恐る紗耶香の隣に腰を下ろした。
- 30 名前:べっこう飴 投稿日:2003/10/28(火) 04:55
- 「なんてことないだろ?」
「う、うん・・・」
なんて事ない、真里は強がった。とても怖かったのに。
紗耶香は目線を前に移した。
「ここからみるのがだいすきなんだ」
「えっ?」
「ほら」
紗耶香が指差した方向は、昨日歩いた坂道だった。
道の両側に街路樹が立ち並んでいた。歩いた時には見えない光景。
その坂の向こう側に、オレンジ色の太陽が沈みかかっていた。
綺麗なその景色を見ていると、高さに対する恐怖心は自然と消えていった。
- 31 名前:べっこう飴 投稿日:2003/10/28(火) 04:56
- 「このとくとうせき、やぐっちゃんにあげる」
「えっ?」
「もうあたしはのぼれないからさ」
「さやか・・・」
「ゆーちゃんがくるまでのじかんの、このばしょがさいこーだから」
「うん。きれいだね」
「のぼってよかったろ?」
「うん」
「ほかの子はしらないところだから、ここは」
「わたしとさやかだけしかしらないんだね」
「そう、ゆーちゃんもしらないんだよ」
「うん」
暫く二人はその景色を眺めていた。
風が坂道に立ち並ぶ街路樹の葉を揺らした。
- 32 名前:べっこう飴 投稿日:2003/10/28(火) 04:57
- 「とおくにいっちゃうんだね」
「かえるってだけだよ」
「ともだちはたくさんいるの?」
「いるよ。こぶんがいっぱいね」
「なんででわたしにここ、おしえてくれたの?」
「やぐっちゃんはあたしの1のこぶんだからね」
「わたし、さやかのこぶんなんだ」
「そう、いちばんのね」
紗耶香は『一番』を強調した。
- 33 名前:べっこう飴 投稿日:2003/10/28(火) 04:59
- 「そっか・・・またこっちにくるの?」
「おやぶんはこぶんのことを、しんぱいするもんだよ。
おやぶんのいうこときいて、よくのぼってこれましたねー」
紗耶香はナデナデといった感じで、真里の頭を撫でた。
「なに、それ。ばかにしてる?」
「どーとられてもいいけど」
「もう!」
紗耶香はふっと笑顔を残し、視線を前に戻した。
真里はその横顔を見た。短く黒い髪が風で流れていた。
ずっとそこからの景色を見ていると、下から中澤の声が聞こえた。
二人並んでいる姿を見て、どこか嬉しそうな声を出した。
- 34 名前:べっこう飴 投稿日:2003/10/28(火) 04:59
- 「おーい。二人で何やってんねんなー」
「あ、ゆーちゃんだ」
「何や、仲良さそうやなー」
「そんなことないってー」
「何が見えんのー?」
「ひみつだよー」
「何でやー?」
「なんでもー」
「ウチも登ってええかー?」
「「ダメ!」」
- 35 名前:べっこう飴 投稿日:2003/10/28(火) 05:00
- ◇
- 36 名前:名無しさん 投稿日:2003/10/28(火) 05:11
- 中途半端な所ですが、量的にきりがいいのでここまでにします。
>18 奈々氏さん
ご指摘どうもありがとうございます。いきなり最悪なミスをしていました。
申し訳ありません。またやってしまわないように、以後気をつけます。
>19 名無しさん
さっそくのレス、ありがとうございます。確かに減ってきていますよね。
そう言って頂けて、こちらも嬉しいです。
>20 名無し読者さん
レスありがとうございます。
- 37 名前:名無しさん 投稿日:2003/10/30(木) 00:29
- 紗耶香は本来の生活の場に戻った。それと同時に、ここに中澤が姿を現すこともなくなった。
紗耶香を迎えに来る必要がなくなったのと、受験勉強で忙しくなったのが重なり、
真里に会う暇もなくなっていった。
小学校の入学式の日、中澤は新しいセーラー服を身にまとい、 真里の前に姿を現した。
紗耶香が戻ったその日以来。真里の目に映るその姿は、茶髪で不良っぽい所は変わっていないのに、
さらに大人っぽく見えた。
- 38 名前:名無しさん 投稿日:2003/10/30(木) 00:30
- 中澤はほとんど中身の入っていないぺったんこの鞄から、
一本のシャープペンシルを取り出した。
「真里ちゃんもこれから一生懸命勉強せなあかんな」
大きなランドセルを背負ったピカピカ一年生の真里に、
1本のシャープペンシルを手渡した。
小学一年生の真里にとってそれは、まっさらに研がれた鉛筆とは違って、
ズシリと重みを感じた。そのシャープペンシルを丁寧にティッシュでくるみ、
筆箱に大切にしまっておいた。
それからお互いの生活が始まり、会う機会はパタリとなくなった。
- 39 名前:べっこう飴 投稿日:2003/10/30(木) 00:31
- 真里の中にはいつも紗耶香と中澤がいた。
小学生になっても、たまにここに来てはジャングルジムを登った。
少しずつ背も伸びて、その高さも感じなくなっていた。
中学生、高校生と人生の階段を登るにつれ、そこに行く事もなくなった。
新しい出会い、様々な別れ、何度も経験した。
高校を卒業した時、この町を出た。ここに帰ってくるのは2年ぶりだった。
15年経った今も、町の風景はほとんど変わっていない。
坂道も、町のにおいも、店のおばさんも、そしてべっこう飴の味も。
あの時もらったシャープペンシルは、きちんと保管していたとはいえ、
10年以上も経っているので、すでにボロボロになっていた。
でもそれを捨てようなんて考えは、一度も頭をよぎらなかった。
- 40 名前:べっこう飴 投稿日:2003/10/30(木) 00:32
- ◇
- 41 名前:べっこう飴 投稿日:2003/10/30(木) 00:33
- 坂の上で立ち止まっていた真里は、ふと思い立ったようにあの保育園へと足を動かした。
すでにべっこう飴は溶けてなくなっていた。 あの時紗耶香と見た坂道を下り始めた。
あの時あんなに時間がかかった坂道も、今ではあっさりと進める。
保育園に着いた時、中には人の気配はなかった。
園児達もみんな帰っていったのだろう。静まり返ったグラウンドを横切り、
ジャングルジムへと向かった。 今でも確かに背は小さい。
150センチぐらいしかないけれども、あの頃とは目線はぜんぜん違う。
- 42 名前:べっこう飴 投稿日:2003/10/30(木) 00:34
- 真里は一歩一歩登り始めた。紗耶香と一緒に登った時の事を思い出していた。
あれから、紗耶香にも中澤にも一度も会っていない。
だけど、ずっと紗耶香は自分の親分だし、中澤は憧れのお姉さんである事に変わりはない。
- 43 名前:べっこう飴 投稿日:2003/10/30(木) 00:36
- 登り終えた真里は腰を下ろし、さっき下ってきた坂道を見た。
あの時と全く変わりない風景がそこにはあった。
「裕ちゃんの事でオイラに嫉妬してたなんて、紗耶香子供だったなー」
「でも、これは紗耶香からのプレゼントだもんね」
「裕ちゃん。オイラは今でもあなたみたいになりたい、って思ってるよ」
「今あなたはどんな風になってますか?」
小さな子供が大好きで、ヤンチャな紗耶香の面倒を見て、
いつも明るくて厳しくて、でもそこには必ず愛情があった。
「今のオイラは、少しでもあなたに近づいていますか?」
あの時の中澤と似た色にした髪の毛をいじってみる。
そういう事じゃないって分かってるけど、少しでも近づきたかった。
- 44 名前:べっこう飴 投稿日:2003/10/30(木) 00:37
- 明日またここを離れたなくてはいけない。
忙しい日々は始まる。束の間の休息。
思い出深いこの場所にまた来れるのはいつになるだろう。
次は今の中澤と同じ、30歳ぐらいになった頃だろうか。
その時、自分は一体何をしているのだろう。
きっと背が伸びる事はないだろうけど、色々なものを胸にしまっておきたい。
あの時感じたように、絶対忘れないって思えるような大切な思い出を。
- 45 名前:べっこう飴 投稿日:2003/10/30(木) 00:38
- ジャングルジムの一番上の鉄の棒に触れる。
そこには10円玉で傷つけられた部分があった。
何年にもわたって雨風にさらされていたので、
ほとんど読み取る事は出来ない。
本人だから分かる、二つのいびつな文字。
『いちー』
『やぐち』
鉄の棒にそう傷つけた。その文字の上を指でなぞる。
真里ははっとして、その二つの文字の少し上を見た。
その傷は二つの傷に比べ、格段に新しいものであるのは明確だった。
- 46 名前:べっこう飴 投稿日:2003/10/30(木) 00:39
- 『ゆーちゃん』
裕ちゃん・・・これ、見つけたんだ。
あの時、確かに紗耶香と約束した。
二人だけの秘密、だって。でも、裕ちゃんだったらいいよね。
あの時、オイラと紗耶香が見てたもの、何か分かったかな?
ゆーちゃん、と書かれたその文字を見つめる。
だから気付かなかった。自分がいるジャングルジムのてっぺんに
登ってきたその姿を。
- 47 名前:べっこう飴 投稿日:2003/10/30(木) 00:41
- 「これやってんな。やっと分かったわ。二人の秘密」
ふいに投げかけられたその言葉に、手を滑らせてそこから落ちそうになった。
慌てて声のする方を見る。
あの頃の面影を思いきり残した、その姿があった。
髪は肩まで伸びていて、目には青いカラーコンタクトが入れられている。
でも、あの優しい笑顔は全く変わっていない。
自分にだけ見せてくれた、紗耶香を嫉妬させたその笑顔。
聞きたい事がたくさんある、もっと言ってほしい事がたくさんある。
- 48 名前:べっこう飴 投稿日:2003/10/30(木) 00:43
- 「すぐ分かったで。あの頃より大きくなったし、可愛くなったな。
パグみたいやん。ぎゅってしたい感じやわ」
頭を優しく撫でられた感触が伝わった。
この人にはなれない。絶対なれない。でも、それでいい。
自分は自分でいいんだ。背伸びする必要なんて何も無い。
自分は矢口真里だから。
話したい事がたくさんあるのに、うまい具合に言葉に出来ない。
何とか言葉を出す。
「・・偶然って、すごいね」
「すごいなー。偶然ついでに、ちゅーでもする?」
「・・・しないよ」
「ケチ」
冷えた風が二人の体をすり抜け、夏の終わりを告げた。
- 49 名前:べっこう飴 投稿日:2003/10/30(木) 00:43
- 〜おわり〜
- 50 名前:名無しさん 投稿日:2003/10/30(木) 00:45
- 1つ目これにて終了です。勢いでいっちゃったので、
おかしな所満載だったらすいません。
- 51 名前:名無しさん 投稿日:2003/10/30(木) 00:46
- 一応、流しておこうかな
- 52 名前:名無しさん 投稿日:2003/10/30(木) 13:03
- 雰囲気がすごく好きでした。
個人個人のその後の説明が少ないのも、
それに一役買ってて、よかったと思います。
- 53 名前:名無しさん 投稿日:2003/11/04(火) 05:06
- 『スリーピン・マッドネス』
- 54 名前:スリーピン・マッドネス 投稿日:2003/11/04(火) 05:07
- ー真っ白な立方体の箱。その中にある長い真っ白なテーブル。
テーブルに沿って、たくさんの椅子が並べられている。
広い空間にポツンと座る一人。
目の前にある水の入ったグラスに手をつける。
手にとったそのグラスを思いきり投げ捨てる。
それは音もなく地面に落ちた。
ビー玉が1つ、目の前に転がっているのが見えた。
何の気なしに、ビー玉をテーブル上に走らせた。
そのビー玉は、真っ直ぐテーブルの端まで転がって落ちた。
すると途端に煙がモクモクとたちこめ、人影が現れた。
何処かで見た事がある。誰?見た事あるような気がする。
もしかして・・・
- 55 名前:スリーピン・マッドネス 投稿日:2003/11/04(火) 05:08
- 確かにそれは自分の姿だった。だが、決定的に違うのは老け具合。
深い皺の刻まれたその顔は、おばあちゃんと呼ばれる権利を得ている。
その老婆、姿形は完全に自分であるその老婆は、嫌な笑い方をしながら
じっとこっちを見ていた。
自分の姿。未来の自分の姿なのか。ありえない。想像もしたくない。
消えて。そう願う。頭を抱え、長い机の上に突っ伏したー
- 56 名前:スリーピン・マッドネス 投稿日:2003/11/04(火) 05:08
- ◇
- 57 名前:スリーピン・マッドネス 投稿日:2003/11/04(火) 05:09
- 「うーん。ん?」
目を覚ますと、そこはいつもの楽屋だった。
収録後、疲れて眠っていたようだ。
小さなテーブルに体を倒して眠っていたせいか、筋がかたまってしまっていた。
畳の上に、飲みかていたお茶のペットボトルが倒れていた。
どうやら眠っている間に、自分で落としてしまったようだ。
「あー、もう最悪や」
豹柄のハンドバッグの中からハンカチを取り出して、濡れた畳を拭いた。
一部分だけ変色している。
- 58 名前:スリーピン・マッドネス 投稿日:2003/11/04(火) 05:11
- 「はぁ・・・」
最近ため息が増えた。年齢から来るものだろうか。
ここで仕事をしていると、若い昔の仲間達と触れ合う。
さらに新しいメンバーも入ってきた。しかも中学生。
以前在籍していたグループも、どんどん若くなっている。
個人の仕事は充実している。でも何故かよく出るため息。
拭いていた手を止め、楽屋に張ってある鏡で自分の顔を見る。
「皺、増えたかもなー」
もう大台に乗ってもうたし。色々考えなあかんよな。
さっき見た夢の影響だろうか、昨日よりも気になる。
「はぁ・・・」
また出るため息。その時、ふいに楽屋のドアが開けられた。
- 59 名前:スリーピン・マッドネス 投稿日:2003/11/04(火) 05:11
- ガチャ
- 60 名前:スリーピン・マッドネス 投稿日:2003/11/04(火) 05:12
- 「どうもー、チャーミー石川でーす!」
「な、なんや!」
「それではいきまーす。音楽、カモーン!」
急に入ってきたかと思えば、石川は手に持っていた
ラジカセを自分で再生した。そこから流れてきたのは
トランスミュージック。
「ヘーイ!デンデンデン!ヘーイ!」
「な、何してんねん、アンタ・・・」
「中澤キャスターもご一緒に!」
「何を?」
一心不乱に踊り続けている石川を見て、中澤はポカーンと
口を開けるしかなかった。楽しそうに踊っているその姿を。
暫くして音楽が止まり、石川は踊るのをやめた。
「どうもぉ、チャーミー石川でしたぁ。グッチャー」
そういい残すと嵐のように去っていき、そのまま放置された。
中澤は開いた口が塞がらなかった。
- 61 名前:スリーピン・マッドネス 投稿日:2003/11/04(火) 05:13
- 「な、何?」
理解に苦しむ彼女の行動。何をしに?何の理由で?
で、何で今トランスチャーミー? 全然タイムリーやないで。
古い古い。いや、もっと以前の問題なんやけど。
ぼーっとしていると、次の来客が。
- 62 名前:スリーピン・マッドネス 投稿日:2003/11/04(火) 05:13
- ガチャ
- 63 名前:スリーピン・マッドネス 投稿日:2003/11/04(火) 05:15
- 「コラ、裕子。父さんはお前をそんな子に育てた覚えは無いぞ」
「「父ちゃん!」」
よっさん。辻。加護。何や今度は。しかも、メイクばっちり決まってるやん。
今日はそれ、無かったやんな・・・
好きなんやけどな。めちゃめちゃ好きなんやけどな。
ごめんな、今何が巻き起こってんのかが、裕ちゃんわからんねん。
どうしてほしい?のってほしい?どんな感じでいったらええの?
そうこうしているうちに、吉澤の眉間に皺がよった。
うー、とうめきながらパワーをためている。
辻と加護はそんな吉澤、いや親父の様子を見つめている。
- 64 名前:スリーピン・マッドネス 投稿日:2003/11/04(火) 05:16
- 「バカヤロー!」
ちゃぶ台をひっくり返す素振りだけ見せた。
「「父ちゃん」」
「お前達。いくぞ」
「「はい!」」
バカヤローという言葉を残し、三人はうさぎ跳びで返っていった。
二つ目の嵐はこうして去っていった。
またしても理解不可能だ。中澤の脳内は混乱を極めた。
マンボウの卵ぐらいの数のクエスチョンマーク。
特に会話が繰り広げられる訳でもなく、一方的。
目が点になり、すでに溢したお茶の事は頭に無かった。
「わ、わからん・・・今日は何・・・?」
そして、第3の刺客。
- 65 名前:スリーピン・マッドネス 投稿日:2003/11/04(火) 05:16
- ガチャ
- 66 名前:スリーピン・マッドネス 投稿日:2003/11/04(火) 05:17
- 「も、もう、なんやねん一体・・」
以前コントでツボにはまってしまった、あのキャラがやって来た。
もう一人はレポーターの格好で。
レポーターの方が、石川が放置していったカセットデッキに
新しいテープを入れ、再生させた。
そこから流れてきたのは、例の有名ドラマの音楽。
「ユキコおばちゃん。こんな所で何やってるんだい?」
「い、いや、ユキコおばちゃんちゃうし」
一応、小声でそう言っておいた。今までの流れからいって
何を突っ込んでも無意味なのは百も承知だ。
- 67 名前:スリーピン・マッドネス 投稿日:2003/11/04(火) 05:18
- 「今日は中澤さんの所へ、オジャマールシェ」
「え?え?」
カメラ回ってないし。マイクないし。
プライベートをおじゃまーされても。
いや、その前にアンタが小川を突っ込まんとあかんのとちゃう?
ええの、ほったらかしで。今アンタしかおらんから。
「どうもありがとうございましたぁ。オジャマルシェ紺野でしたぁ」
え?何もインタビューとかされてないけど?終わりですか、紺野さん?
ほったらかしの小川はどうすんの?ホラホラ、きょとんとしてるで?
何とかしてあげて。寒くないように。毛布をかけてあげて。言葉の毛布を。
風引いてしまうから。今忙しいんやろ?風邪引いてる暇なんてないやろ?
- 68 名前:スリーピン・マッドネス 投稿日:2003/11/04(火) 05:19
- 「行くわよ。ゴロウさん」
「おっ。バス停はあっちかい?蛍」
「いや、私は蛍じゃなくて、オジャマルシェですよ?」
「そうかいそうかい。じゃ、行こうかね。蛍」
「う、うん」
めんどくさくなったな。紺野の奴。いや、そんな事はどうでもええから。
何なんや、このラッシュは。寄せては返すみたいな波は。
寄ってくるだけやけど。もう、分からん。
中澤は苛立ちを隠せずに、頭を掻き毟った。
静けさの中に、ドアをノックする音が聞こえた。
今日初めて聞くノックの音。
- 69 名前:スリーピン・マッドネス 投稿日:2003/11/04(火) 05:20
- トントン
- 70 名前:スリーピン・マッドネス 投稿日:2003/11/04(火) 05:20
- 中澤はまた何かやってくるんじゃないか、と思いぶっきらぼうに答えた。
なんだかどっと疲れたような気がする。
そして次の来客が、全ての答えを導き出してくれた。
「なっち、カオリ、矢口」
「裕ちゃん」
普通の格好の3人が入ってきた。少し申し訳なさそうな顔をしている。
- 71 名前:スリーピン・マッドネス 投稿日:2003/11/04(火) 05:22
- 「何なん?あれは一体?」
「うん、あのね」
「皆思ってたんだ。最近、裕ちゃん元気ないよねって。だからカオリが
裕ちゃんの事、皆で元気づけてあげようって言ったの」
「あんまり裕ちゃんと、仕事場以外で会えないじゃん?だからオイラが
考えたんだ。それぞれ得意なキャラクターで裕ちゃんを喜ばせようって」
「突然だったから吃驚したかもしれないけど、ちょっとは楽しめたっしょ?」
「みんなノリノリだったから、テンションついていけなかった?」
「なっちも執事やればよかったべさ」
「あ、だったらヤグチ、キノコ出来たなぁ。カオリだったら何する?」
「・・・」
悩んでいるのか交信しているのか、判断は難しい。
- 72 名前:スリーピン・マッドネス 投稿日:2003/11/04(火) 05:23
- そうやったんか。やり方はどうあれ。
最近ウチが元気ないからみんなして・・・
中澤は深く頭を垂れた。3人は中澤が怒っているのではないかと思い、
顔を見合わせた。矢口はそっと中澤の膝の上に乗って、下を向いた
中澤の顔を覗き込んだ。
- 73 名前:スリーピン・マッドネス 投稿日:2003/11/04(火) 05:23
- 「元気だせよー。裕子ぉー・・・・・・裕ちゃん?」
中澤は頭を垂らしていたため、髪で顔が見えなかった。
肩は小さく震えていた。
「おい、裕ちゃん。泣くなよ」
「うっさい!泣いてへんわ!泣いてなんかおらんわ!」
「泣いてんじゃんよー」
「うん、泣いてるよね」
「泣いてるっしょ」
すると突然、ドタドタドタと楽屋にたくさんの足音が。
皆いっせいに、この部屋に入ってきた。
- 74 名前:スリーピン・マッドネス 投稿日:2003/11/04(火) 05:25
- 「あー、中澤さん泣いてるよー」
「何で泣いてるのれすか?あいぼん、教えてくらさい」
「のの、自分で考え」
「う、うるさい!みんな出て行って!こんな狭い部屋に
何人入ってんねん!酸素薄いわ!」
「はいはい。ほら、みんな出て行こうねー」
「もっとなかざーさんとお話したいのれす」
「したいしたい!」
「いいから早く出る」
飯田が皆を外へ促す。辻加護は無理問答を続けている。
安倍、矢口、飯田の三人は、顔を見合わせてくすっと笑った。
急に人がいなくなったせいか、中澤の楽屋は耳が痛くなる程静かになった。
中澤は立ち上がり、髪をかき上げた。もう一度鏡を見る。
目は真っ赤になっていたが、数十分前に見たものとは違って見えた。
- 75 名前:スリーピン・マッドネス 投稿日:2003/11/04(火) 05:26
- カオリもリーダーが板についてきたなー。
まさかウチがみんなに励まされるとは思わへんかった。
この子らから結構エネルギーもらうよなー。
楽屋にある唯一の窓から、光が差し込んでいた。
中澤は両頬をポンポンと叩いた。
「おっしゃ!」
豹柄のバッグから手帳を取り出す。まだ今日は終わらない。
いざ次の現場へ。もうあの夢は見ない。そう確信できた。
- 76 名前:スリーピン・マッドネス 投稿日:2003/11/04(火) 05:27
- 〜おわり〜
- 77 名前:名無しさん 投稿日:2003/11/04(火) 05:32
- ハロモニの楽屋にて。
>52 名無しさん
その後は何か設定しようかちょっと迷いました。
非常に嬉しいお言葉です。ありがとうござます。
- 78 名前:名無しさん 投稿日:2003/11/04(火) 05:35
- そういえば今日のハロモニ録画失敗していた・・・
- 79 名前:名無し読者 投稿日:2003/11/04(火) 17:59
- メンバー愛が出てる話ですね。
すごい温かい感じがして好きです。
- 80 名前:名無しさん 投稿日:2003/11/21(金) 11:05
- 次回作を待っています。
- 81 名前:名無しさん 投稿日:2003/11/30(日) 05:55
-
『can go along』
- 82 名前:名無しさん 投稿日:2003/11/30(日) 05:56
- 今日の収録が終わり、休憩所はガヤガヤと騒がしい。
ジュースを飲んだり、お菓子を食べたり、雑談したり。
みな一様にリラックスムード。
その一角に、半径3m程の異質な空間があった。
長椅子に腰掛けた二人が解き放つオーラ。
正確にはそれを出しているのは1人である。
目に見えない球体を作り出している。
もう一人はその円の中に入る事の許された唯一の人物。
- 83 名前:can go along 投稿日:2003/11/30(日) 05:57
- 加護の背中は時折、「誰も近づくな」的なものを放つ。
それが出ている時、辻さえも近づかない。
怒っている訳ではない。
「ちょっとほっといてね」に近い。
どんなに魅力的なお菓子でも釣れない。
小川はその円の中に、強引に引き込まれた。
- 84 名前:can go along 投稿日:2003/11/30(日) 06:00
- 「なぁなぁ。まこっちゃん」
「何ですか?」
「例えばやで。例えばの話として聞いてほしいねん」
「は?」
「今から言う話はた例えやから。そこんとこ、よろしく」
「は、はぁ」
ど頭から言っている意味がよく分からない。
もう少し先を聞いてから、色々考えてみよう。
今暫しお待ちを。
- 85 名前:can 投稿日:2003/11/30(日) 06:00
- 「ここに一本のマッチ棒があります」
「はぁ」
「ここに一本の鉛筆があります」
「へぇ」
「どう見える?」
「ふにゃ?」
ええと?マッチ棒があって鉛筆があって、何だっけ
- 86 名前:can go along 投稿日:2003/11/30(日) 06:01
- 「なぁ。二つ並べた時、どう見えるかなぁ」
「ああ。そういう意味ですか。ええと」
「うんうん」
加護が興味深そうに顔を覗き込んできた。
どんな言葉を期待しているのだろう。
何を言えばいいの?この状況で。
喜ばすような事を言うべきなのか。
が、肝心の「何を言えば喜ぶのか」が分からない。
考えるのも億劫になってきたので、思った事を口にする。
- 87 名前:can go along 投稿日:2003/11/30(日) 06:02
- 「別になんとも思わないんですけど」
「ぐぇ。もうちょっと考えてみて」
「えーっ」
「頼むわー。その・・・バランス的にどう?」
「鉛筆とマッチ棒ですか?」
「そうそう」
加護の表情が再度、興味津々な感じになった。
バランス、バランス、バランス?
- 88 名前:can go along 投稿日:2003/11/30(日) 06:03
- 「アンバランス」
「えっ?何で?」
「だって長さも全然違うし」
「やっぱり・・・そうか。んじゃんじゃ!」
「なんですかぁ。もう」
本質の見えない質問に、少々イライラ気味の小川。
「子犬と馬が並んでたら、どう?」
小川は犬を育てる馬を想像してみた。
「聞かなくてもわかるんじゃないんですか?」
「だよね」
そこで加護は「ふーっ」と大きくため息をついた。
小川カンピュータはショート寸前。
そんな時、加護を呼ぶ声が聞こえた。
- 89 名前:can go along 投稿日:2003/11/30(日) 06:04
- 「なぁ加護ぉ、プロレスごっこしようよー」
いとも簡単にカゴオーラをぶち破って話し掛けてきた。
その声が聞こえた瞬間、ふいに加護の表情が変わった。
いつも通り、黒いジャージ姿。
自然体で何も気にせず、カゴオーラに入ってくる。
無視する。というよりも、その存在に気づいてすらいない。
この人物は、加護を釣り出す唯一の武器といえる。
- 90 名前:can go along 投稿日:2003/11/30(日) 06:06
- 「えー、どうせ加護が技かけられる方なんでしょ?」
「まぁそうだけどさ。新しい技覚えたんだよ。手伝ってよ」
「やだなぁ」
「絶対痛くしないからさ」
やだといいつつ、加護の顔はどこか嬉しそうだ。
頬は仄かに赤い。化粧のせいではない。
小川はコロコロと変わる加護の表情についていけない。
加護とその人物は向こうへと消え去った。
と同時にカゴオーラも消える。
- 91 名前:can go along 投稿日:2003/11/30(日) 06:06
- あにきー、私は無視ですか?
- 92 名前:can go along 投稿日:2003/11/30(日) 06:07
- 嬉しそうにそっとその人物の腕に手を回した加護は、
見上げるように大きな笑顔を見せていた。
取り残された小川は、先程の質問について考えたが、
何も答えは出てこない。
「なんだったんだろうなー」
「わかんないの?まこっちゃん」
「えっ?」
小川が後ろを振り返ると、全て分かっているような顔をしている紺野がいた。
紺野カンピュータは、例のごとく正確に素早く反応する。
- 93 名前:can go along 投稿日:2003/11/30(日) 06:08
- 「ほら、あの二人の並んでる姿、見てみてよ」
「ん?」
小川は見えなくなりそうになる二人の後姿を見た。
見たけど?何?
「何なの?あさ美ちゃん?」
「わかんないの?鈍いなぁ、まこっちゃんは」
「えー、何よ?」
「ホント、何にも分かってくれないんだから」
紺野は少し寂しそうにそういい残して去っていった。
「わかんねー!」
小川は頭を掻き毟った。少し離れた所からその姿を紺野は見た。
- 94 名前:can go along 投稿日:2003/11/30(日) 06:10
- 「マッチ棒と鉛筆の長さって、二人の身長差」
「加護さんも可愛いなぁ」
あの人も相変わらずだなぁ
なーんも知らない所、まこっちゃんとおんなじ
辻が「あさ美ちゃん、これおいしいよ、一緒に食べよ」と、
紺野を誘ってきた。紺野は素直に「はーい」とついていく。
微妙な表情で、ずっと頭を掻き毟っている小川を見ながら。
小川はまだ考えていた。が、ここで新たなる疑問が沸いてきた。
「あさ美ちゃん、私達の話、どこで聞いてたの?」
もう、これ以上問題出さないでよ!
3人それぞれ頭を悩ませる。
若干一名、そんな状況の蚊帳の外。
- 95 名前:can go along 投稿日:2003/11/30(日) 06:10
- 〜おわり〜
- 96 名前:名無しさん 投稿日:2003/11/30(日) 06:13
- can go along→きゃんごーあろん→かんごーら→カゴオーラ
無理矢理この上なく
- 97 名前:名無しさん 投稿日:2003/11/30(日) 06:27
- >79 名無し読者さん
ありがとうございます。非常に嬉しいお言葉です。
>80 名無しさん
ありがとうございます。こんなレスを頂けるとは思いもよらず。
今年中を目標に、後2つ書く予定でいます。
またお付き合いくださる方がいれば、嬉しい限りです。
- 98 名前:名無しさん 投稿日:2003/12/01(月) 16:30
- 待ってました。
コメディタッチの物もすごくいいですね。
だけど、94の、「加護さん〜」を誰が言っているのかが知りたいです。
失礼だったらすみません。
>今年中を目標に、後2つ書く予定でいます。
このスレが後二つで終わっちゃうという意味でしょうか?
そうだとしたら、もっと読みたいです。
- 99 名前:名無しさん 投稿日:2003/12/14(日) 04:19
- 『りんご飴』
- 100 名前:りんご飴 投稿日:2003/12/14(日) 04:20
- 夕暮れ時の川沿いを走るのは日課となっている。
走る体に触れる風はすっかり冷たくなったが、清清しくて気持ちがいい。
その冷たさも慣れてくると、妙な一体感を感じる。
肺に入ってくる空気は、体を浄化してくれるよう。
犬を散歩させているおばさん
会社帰りのサラリーマン
下校途中の中、高生
すれ違うたくさんの顔の中には覚えたのもある。
- 101 名前:りんご飴 投稿日:2003/12/14(日) 04:21
- 学生ではない自分が毎日のように現れるこの姿を、
他人はどう思うのだろう。
ただの暇人か、よく言ってプロのスポーツ選手か。
ジャージ姿で頭にフードを被っていると、もしかしたら
ボクシングの選手にでも見えるかもしれない。
いや、ちょっと待てよ。
- 102 名前:りんご飴 投稿日:2003/12/14(日) 04:22
- 女のボクシングの選手なんているのかな
こんなどうでもいいことを考えるのはやめよう。
自分の世界に入り込み、変な事を考えるのが
すっかりくせになってしまっている。
走って人とすれ違いながらも、思わず笑いがこみ上げてきた。
変な奴だと思われないように、フードを深く被る。
- 103 名前:りんご飴 投稿日:2003/12/14(日) 04:23
- 「いちーちゃん!」
向こう岸のちょうど反対側から、自転車に乗った制服姿が名を呼んだ。
前まで自分も着ていた制服。遠い所からその声は聞こえる。
毎日毎日嬉しそうに私の名を呼ぶ。何度も何度も連呼する。
彼女の世界観では、それは恥じらいもへったくれもない。
私の方も、何度となく繰り返されるこの行為に慣れたとはいえ、
やはり恥ずかしいのは事実。
叫びとも言える後藤の声の方に目をやる人達もいる。
足を止め、この寒さにも関わらず滲み出た額の汗を拭い、
何十メートル先の橋に向かって突っ込んでいくその姿を見た。
- 104 名前:りんご飴 投稿日:2003/12/14(日) 04:24
- いつからこの子にこんな風に呼ばれるようになったんだろう。
ずっと昔のような気がする。ああ、そうか。あの時ぐらいからだよな。
随分長い間、飽きもせず叫んでいるんだ。
橋を渡りきってこっちに向かってくる彼女は、猛スピードで近づいてくる。
おいおい、ちょっと落ち着けって。
お願いだから両手でハンドルを握ってください。
そんな風に手を振らなくても見えてるから。
そんな風に何回も呼ばなくても聞こえてるから。
- 105 名前:りんご飴 投稿日:2003/12/14(日) 04:25
- 『どっからでもどこにいても、いちーちゃんは分かるんだから』
いつかそんな風に言われたのを思い出した。
おそらく私の姿が豆粒ぐらいの大きさにしか見えていないぐらいの
距離から、手を振り続けているんだろう。
そんな所から私の姿を発見する。
この川沿いを利用している人間の中で、真っ黒いジャージを
身にまとっているのは目立つんだろうか。
ずっと私の後ろにいた彼女の目に映っていたのは背中。
- 106 名前:りんご飴 投稿日:2003/12/14(日) 04:25
- ー私の背中の後ろにいたー
- 107 名前:りんご飴 投稿日:2003/12/14(日) 04:26
- 迫りくる後藤の姿はぐんぐん大きくなり、はっきりと確認できる
所まできた。が、それに反比例するように、頭の中にいる
後藤真希は徐々に小さくなり、その輪郭もぼやけてきた。
頭の中の風景は、タイムスリップしていた。
小さくなった自分の後ろには、泣きながら背中に張り付いて
私の袖を持つ女の子がいる。
後ろを振り返って彼女を見ようにも、ぎゅっと掴むその手を
強引に解く事は出来なかった。
- 108 名前:りんご飴 投稿日:2003/12/14(日) 04:28
- 後藤は小さい頃、泣き虫だった。
そのの涙を止める役割だったのは自分だった。
別に誰かに頼まれていた訳じゃない。
自然とそうするようになっていた。
それまでの経験が生きていたんだと思う。
自分がされたような事を、彼女に対してしていただけ。
- 109 名前:りんご飴 投稿日:2003/12/14(日) 04:33
- 私に人の暖かさというものを教えてくれたのはその人だった。
その暖かさと同じぐらい厳しさも持ち合わせていたけど、
それに対してむかついたりした事は、ただの一度もなかった。
寧ろ嬉しかった。自分に構ってくれたのが嬉しかった。
一緒に過ごした時間はたった一ヶ月という決して長くない中に、
他とは比べ物にならないぐらい濃いものがある。
私にたくさんの事を教えてくれた時間だった。
その人の影響もあってか、私は年齢の割に少し冷めたような
子供だったような気がする。わざとそっけなくしたりだとか。
- 110 名前:りんご飴 投稿日:2003/12/14(日) 04:33
- そしてもう一人いた。
いつもその人の後ろにいたんだ。私の後ろにもいた。
その人の後ろにいた事に、私は嫉妬した。
初めて独占欲というものが生まれた。
この子も泣き虫だった。
年上の泣き虫な女の子だった。
ある日私の背中にいるのは、その子から後藤真希へと変わった。
- 111 名前:りんご飴 投稿日:2003/12/14(日) 04:34
- 最後の最後に、私は素直になれた。
大切にしていたものを、あの子にあげる事ができた。
それは物ではなかったから、時が流れて
なくなっているのかもしれない。
それ以来、私自身はそこにはいっていない。
でも、はっきりとした記憶でそれは残っている。
もしあの子の中にもまだあったら嬉しいな、なんて。
そうすれば、私の事も忘れてないんじゃないかって。
その別れの時、私は少し大人になったような気がした。
3人並んで手を繋ぎ、坂道を歩いている光景が浮かんだ。
- 112 名前:りんご飴 投稿日:2003/12/14(日) 04:35
- 「いちーちゃん!ただいま!」
いつしか後藤が目の前にいた。
寒さで顔が赤くなっている。
手袋をはめた手を、「はぁ」と息を吐いている。
満面の笑みが広がっているその姿を見て現実に引き戻され、
思わずもう一度吹き出した。
- 113 名前:名無しさん 投稿日:2003/12/14(日) 04:41
- もう少し続きます
>98 名無しさん
レスありがとうございます。
上と同じく紺野さんでした。わかりにくくなってしまい、
申し訳ありません。失礼だなんてとんでもないです。
分かれてたら違う人のセリフだって、思いますもんね。
諸事情により、予定していた2つが見事に消えてしまいましたが、
いける限りいくつもりでいます。今後ともよろしくお願いします。
- 114 名前:りんご飴 投稿日:2003/12/22(月) 02:34
- 土手の脇に自転車を止め、そこから飛び降りて鞄の中から缶を
二つ取り出した。
1つはホットのミルクティ、1つはコールドのスポーツ飲料。
「あちちち」「つめてー」二つ同時に感想を述べている。
器用な奴だな。
「はい、いちーちゃんはこっちね」
「どもども。いつも悪いねぇ」
「何それ。おじさんくさーい」
「おじさんはないだろ。おじさんは」
「あはっ」
- 115 名前:りんご飴 投稿日:2003/12/22(月) 02:36
- プシュッと蓋を開けて、2人は土手に座り込んだ。
かいていた汗はまだ引かず、冷たいものを体に通すとすっとする。
喉も渇いていたので、半分程一気に飲み干した。
急激に体温が下がり、体がびっくりしているみたい。
横を見ると、両手でミルクティを持った後藤が、
「あったかーい」と言いながら体を温めている。
そんなに寒いならスカートの丈を上げなさい、と
母親のような、担任のような台詞を投げかけたくなる。
どうせ、「それとこれとは別問題なの!」と返されるのがオチだ。
「短い方が可愛いの!」と押し切られる。
最近の女子高生は、と心に思ってもほとんど年は変わらない。
- 116 名前:りんご飴 投稿日:2003/12/22(月) 02:37
- 改めて見ると、随分でかくなったなぁなんて思う。
背なんかとっくに抜かれているし、力なんて敵う訳もない。
ルールのあるスポーツなら頭を使って勝てるかもしれないけど、
普通に力比べなんかしたら、おそらく手も足も出ない。
ずっと知っている筈なのに、今目の前にいる姿は少し遠い。
- 117 名前:りんご飴 投稿日:2003/12/22(月) 02:37
- ◇
- 118 名前:りんご飴 投稿日:2003/12/22(月) 02:38
- 「こないだよっすぃがね。すごかったんだから。
バレーの試合があって、ばんばんスパイク決めちゃうの。
最後の試合だから絶対負けらんねー!とか言ってて。
周りもキャーキャー騒いでるし、ごとーも負けらんねーって
思って一生懸命応援して」
よっすぃ?バレーボール?
私は知らない。「よっすぃ」と「バレーボール」は繋がらない。
何で後藤はそんなに嬉しそうに話すのか。
私は何にも知らないんだ。
- 119 名前:りんご飴 投稿日:2003/12/22(月) 02:39
- 「よっすぃの大活躍でその試合は勝ったんだよ!
試合に出てた人も見てた人も皆大騒ぎ。
相手はいっつも県で1位とか2位とかなんだって。
ごとーも隣にいた全然知らない女の子とやったー!って
喜んじゃった、あはっ。バレーのルールなーんにも
知らないんだけど。素敵だったなぁ、よっすぃ」
だから、私は知らない。
- 120 名前:りんご飴 投稿日:2003/12/22(月) 02:40
- 私の知らない所で後藤は動いている。
先生にこっぴどく叱られて凹んでるかもしれない。
テストで赤点とって、もっかい凹んでるかもしれない。
彼氏なんかできてたりして、慰めてもらってたりするかもしれない。
全てを私に話してくれている訳じゃないかもしれない。
もしかして、何にもしらないんじゃないか、ってさえ思う。
この話を聞いた時、静かに地団駄を踏んだ。
- 121 名前:りんご飴 投稿日:2003/12/22(月) 02:41
- 私の知らない所で、後藤真希は成長していっている。
ふと思った。あの時と似ているんじゃないかって。
むしょうに腹が立ち、許せなくて、意味なくイライラして。
邪魔しないでくれ、って被害者意識丸出しな感じで。
- 122 名前:りんご飴 投稿日:2003/12/22(月) 02:42
- いつも矢口真里の味方になる「ゆーちゃん」
ゆーちゃんの手は私のものだって思ってた。
ゆーちゃんから来る愛情は、全て私のものだって思ってた。
何もかも独占したかったんだ。
ゆーちゃんはみんなに優しかった、厳しかった。
私は後藤を独り占めしたいと思っている?
その口から楽しそうに他の名前が出ると、いい気はしない。
ゆーちゃんの向こう側にいる矢口真里に対して、
私はどんな風に思っていた?
少なくともその時は、その手を離してほしかった。
ついついふてくされたような態度をとっていた。
- 123 名前:りんご飴 投稿日:2003/12/22(月) 02:43
- そん状況に似ているのかな。
見えない所で動かれると、何だか少し。
後藤は目に見えて成長し、私はと言うと。
実の所、何にも成長してないんじゃないか。
何にも変わってないんじゃないか。
変わったように思い込んでいただけなんじゃないか。
- 124 名前:りんご飴 投稿日:2003/12/22(月) 02:43
- ◇
- 125 名前:りんご飴 投稿日:2003/12/22(月) 02:45
- 「どうかしたの、いちーちゃん?」
また心がどっかに飛んでいた。
怪訝そうな顔で後藤が覗き込んできた。
今日は何かおかしい。
「いや、何でもないよ」
「ふーん。今日のいちーちゃん、何か変」
「んな事ないって。いつもと一緒だって」
「それじゃあいちーちゃんはいっつも変なんだ」
「何だよそれ」
「変だ、変だー」
「人を変人扱いすんなよ」
「あはっ」
「テンション高いなー」
「だって、いちーちゃんと一緒にいるんだもーん」
- 126 名前:りんご飴 投稿日:2003/12/22(月) 02:47
- ニヒヒと笑って、ミルクティに口をつけた。
やっぱりつかみ切れない、この性格。
それは昔から変わっていない、私の知る後藤。
そんな一面を見るのはやはり嬉しい。
後藤には見せないように、ばれないように、と。
残っていたジュースを飲み干した。
自分達の後ろを度々人が通り過ぎる。
後藤の奥で沈み始めた夕日が、汚れた川に反射していた。
それは、あの頃を完全にフラッシュバックさせるものだった。
- 127 名前:S 投稿日:2004/01/02(金) 00:36
- 市井がボクサーなんて、めずらしい設定ですね。
いちごまは大好きです。続きが楽しみです。
- 128 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/04(水) 17:28
- 終わったら一気に読もうと考えて、
『りんご飴』、読まずに待っています。
- 129 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/09(月) 01:25
- ◆
- 130 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/09(月) 01:26
- 5歳の時両親が離婚し、私は母親に引き取られた。
今にして思えば、あっという間の離婚劇。
いつもは行かないような小洒落たレストランで外食をした。
半袖短パンで、毎日のように膝を擦り傷をつくっていた私は、
着飾った窮屈な格好をさせられた。
慣れない服装に体は違和感を感じ、思いっきりすっ転んだ。
どっちにしろ、膝に生傷は絶えない。
- 131 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/09(月) 01:28
- その日の両親は常に笑っていたように思う。
ほとんど見れないような二人の姿に、ただただ嬉しさだけが
募っていった。 素直に喜んでいた。
家族が揃う最初で最後の食事。
「ほら、紗耶香こぼさないの」
「母さんの言う通りだぞ、紗耶香」
「残さずに食べるのよ」
「野菜も食べないと駄目だぞ」
次の日、母親は知らない人の所へ私を預ける。
その理由は、未だに知らない。
大人の都合、エゴイズム。
- 132 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/09(月) 01:28
- ーーー
- 133 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/09(月) 01:29
- ガタンゴトンと電車に揺られながら、窓の外の景色を眺めた。
足の届かない座席にちょこんと座り、前には窓際に肘をついて
虚ろに外を見つめ続ける母親がいる。
「おかーさん、いまからどこにいくの?」
「紗耶香の知らない所よ」
「なにしにいくの?」
「紗耶香・・・あのね」
母は言葉を止めた。
お茶と一緒にそれ以上の言葉を飲み込んだ。
母の表情を見て、何も突っ込んでいけなかった。
- 134 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/09(月) 01:30
- 窓の外に向けた母親の目線を追うと、心なしか山々が
増えてきているような気がする。
結構遠くまで来たように思う。
座り心地の悪い椅子にもたれかかっていると、いつの間にか
ウトウトし始めていた。
ー
どれくらいの時間寝ていたのかは分からないけど、
目を覚ました時、前にいたはずの母親は隣に座っていた。
- 135 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/09(月) 01:30
- ーーー
- 136 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/09(月) 01:32
- 駅に着くと前に住んでいた所よりも静かで、町全体が落ち着いた雰囲気だった。
母親に手を引かれ歩いていると徐々に家が増え始め、綺麗な住宅街に入っていった。
その途中、母親は何も発さなかった。
そろそろ疲れてきたなぁ、と思っていたちょうどその時に母親は足を止めた。
表札を見ると、『中澤』と書いてあった。
見覚えも聞き覚えも無い苗字。
母親がインターホンを押すと、中から「はーい」と声が聞こえ、
1人の女の人が出てきた。
セーラー服を着ているので、中学生か高校生というのは分かった。
茶色のその髪に、少しビビった。
そんな人を見た事は無かったので、とても同じ日本人だとは思えなかった。
その女の人は全ての事情を分かっているような表情をしていた。
- 137 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/09(月) 01:33
- 「この人が中澤裕子ちゃん。紗耶香の面倒を見てもらう事になったから」
「よろしく。紗耶香ちゃん」
「おかーさんは?」
「・・・」
母親は何も説明しないまま、赤の他人に我が娘を預けた。
大人だけの都合。
が、時として理不尽な大人の都合はいいように転がる時がある。
それが私の場合。
- 138 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/09(月) 01:34
- ゆーちゃんに会った事。
最後に見た母親の姿は、嗚咽を堪えながら去ってゆく後姿。
救われた気がした。
ただ捨てるんじゃないんだって思えたから。
泣かなかった。
今日一日で、出会いと別れを経験する。
- 139 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/09(月) 01:35
- 「何歳?」
「よんさいです」
「うーん・・・」
「なんですか?」
「多分やけど、将来的に」
「?」
「かなりイケメンになりそうな予感がする」
「・・・おんなのこです」
- 140 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/09(月) 01:36
- 裕子はそんな言葉を無視して屈んで目線を下げ、紗耶香の顔を凝視した。
この距離になって初めて気づいた。
目が青かった。
これが不良というもの?という疑問を抱きつつも、
怖さというものは全く感じなかった。
細く白くしなやかな指が、紗耶香の髪を流すようにといた。
冗談ぽく、とは取りずらい表情。
一体何考えてるんだ、この人は。
- 141 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/09(月) 01:37
- 「ほら、イケメンやん。その素質がある」
「おんなです。よんさいです。よろしくおねがいします」
「・・・生意気やな。最近の子供はみんなこんなんなんか」
「ふつうです」
「ぐっ、この口か、生意気な事をゆーてんのは」
「うぎっ」
「子供は子供らしく」
中澤は紗耶香の口の両端を手で引っ張った。
そんな意地悪な事をしながらも、中澤からこぼれた笑顔は
とても綺麗だった。
全く厭らしいものがなくて魅力的だった。
そんなやり取りから、すぐに打ち解けたのは言うまでもない。
次の日からさっそく、『ゆーちゃん』と呼ぶようになっていた。
お母さん代わりと言っては若すぎる人との生活が始まった。
- 142 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/09(月) 01:50
- 明けまし過ぎておめでとうございます。
&訂正>130 5歳→4歳
>127 Sさん
ありがとうございます。
ほんの少しでも楽しんでもらえたら、嬉しい限りです。
>128 名無飼育さん
ありがとうございます。必ず終わらせます(キッパリ)。
- 143 名前:作者 投稿日:2004/02/09(月) 01:52
- ありゃ、名前が変わった。上も作者です。
- 144 名前:S 投稿日:2004/02/10(火) 14:39
- 更新おつかれさまでした。
つづき、楽しみにしてます〜☆
- 145 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/18(水) 01:47
- 「こら!紗耶香!はよ起き!」
「・・えっ?だれ?」
「何ねぼけてんねん!アンタ今日から行くんやろ?」
「あ、そっか」
「ウチも学校あんねんから。早く支度し」
「へーい」
「返事はハイやろ!」
「ふぁーい」
「ハイや、ハイ!」
「ゆーちゃん、あさからテンションたかすぎ」
ここから保育園までの距離は結構遠く、緩やかで長い坂を登り、
さらに 同じぐらいの長さを下らなくてはならない。
朝の通りだから、たくさんの人でごったがえしているのかといえばそうでもない。
人がまばらなぐらいの時間に出なくてはいけないのは、中澤の都合によるもの。
紗耶香を送ってからもう一度坂を往復して、元の場所に戻ってから学校へ向かっていた。
普通の距離の倍。必然的に朝出る時間は早くなる。
- 146 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/18(水) 01:48
- 眠い目を擦りながら長々と続く坂道を二人で歩いていると、目の前にワイワイと
騒いでいる1組の親子が見えた。
同じ服を着ているので、その子供の方は同じ所の園児だと分かる。
中澤はその親子連れの方に向かって声をかけた。
「おはようございます」
「あら、裕子ちゃんおはよう」
「ゆーちゃん、おはよ」
「真里ちゃん、今日もかわいいなー」
「あら?裕子ちゃんその子は?まさか裕子ちゃんの・・・?」
「違いますよ。色々あって預かってる子なんです、ほら、自己紹介し」
- 147 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/18(水) 01:49
- 私よりもゆーちゃんの事、詳しいんだこの子。何かむかついた。
「・・・」
「紗耶香。自分でちゃんとゆわな」
「・・・いちーさやかです」
「わたしやぐちまり。よろしくね」
屈託の無い笑顔で出してきた手を、握る気にはなれなかった。
「いこうよゆーちゃん」
「コラ、ちょい待ち!」
強引に中澤の手を引いて、紗耶香は歩き出した。
矢口親子の姿が遥か後ろに見えなくなったのを確認して、
中澤は紗耶香を叱り飛ばした。
- 148 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/18(水) 01:49
- ーーー
- 149 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/18(水) 01:50
- そこにいるたくさんの園児達とはあまり遊んだりはしなかった。
接点があまりなかった、といえばそれまで。
それが別に嫌ではなかったし、寧ろありがたかった。
1人で時間を使うのは苦手ではなかったから。
夕日が落ちるのを見ながら、のんびりとジャングルジムの上で迎えが来るのを
待つのは、自分にとって退屈な事じゃない。
ふと下を見ると、もじもじとしながら俯き加減の真里の姿が見える時があった。
「なにやってんの?こっちくれば?」
怖がりでこんな高さにも登れないんだ、って知っていて言ってみた。
ブンブンと頭を左右に振って、尚ももじもじし続けてる。
「あっそ」
何しにきてんだろうと思ったら、そうか、今日は一緒に帰る日なんだって分かった。
周りを見渡すと、他に人は誰もいない。
体に触れる風はまだぬるい。
- 150 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/18(水) 01:51
- この年上の少女と帰る機会は何度もあった。
その都度、3人で並んで帰る事になる。
自分に話し掛けてくれてもいいのに、いっつも逆の方向ばっかり向いてる。
なんでやぐっちゃんとばっかりしゃべってんだよ
こっちむいてもくれないじゃん
思い切り左手に力を込め、その手に爪を立てた。
「いたっ!何すんねん!アホ!」
思い切り怒られた。何か怒られてばっか。
- 151 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/18(水) 01:52
- 怒られたりたまーにほめられたり、その度一喜一憂し、
そのアメと鞭教育にまんまとはめられていた。
「自分でちゃんと起き!」
「自分で出したもんは自分でかたづけ!」
「ほら、ダラダラしない!」
「残さず食べ!」
「これ紗耶香が書いたん?めっちゃうまいやん」
- 152 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/18(水) 01:53
- 5分の1ぐらいの確率で現れるアメを待っている私。
アメが来ても、勿論ポーカーフェイス。
「まぁね」
「なんやねん。その薄いリアクションは」
心の中ではガッツポーズ。
- 153 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/18(水) 01:53
- ーーー
- 154 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/18(水) 01:54
- 徐々にここでの生活に慣れ、色んな子の名前も覚え始めた。
といってもみんなでワイワイ騒ぐって感じじゃないけど。
ある日、5人の男の子の集団が紗耶香の周りを囲んで、
ヘラヘラ笑いながら罵声を浴びせた。
「おまえ、ほんとにおんななのかよ」
なんだコイツらは。握り拳に力を込めグーパンチ一発。相手の男の子はノックアウト。
ヘラヘラ顔は一転して崩れ、鼻血と鼻水と涙を顔いっぱいに垂らしながら先生に訴えていた。
他の男の子達もそれでビビって逃げていった。
殴られた子も、最初に自分がつっかけていった事なんて言うはずもなく。
細かい事情を知らない先生達は私を諭す。
- 155 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/18(水) 01:55
- 「紗耶香ちゃん、女の子が暴力をふるうなんてもっての他よ」
そんなの関係ないし、言い訳するのも面倒だし。
憮然とした態度を取っていると、先生達もやれやれといった感じ。
その後、その子の親に謝りに行く事になる。
保護者と一緒に。
- 156 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/18(水) 01:56
- 「本当に申し訳ありませんでした」
中澤は深々と頭を下げた。
その帰り道、私はまた怒られるんじゃないかってビクビクしてた。
あの子の親に怒られる事よりも、そっちの方が気がかりで。
家に着くまでずっと無言だった中澤は、玄関の前で立ち止まり口を開いた。
- 157 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/18(水) 01:57
- 「もっとでっかい人間にならな」
予想外の言葉に紗耶香は面食らった。
「確かに暴力はあかん。でもな、自分を傷つけられて黙ってる必要も無い。
一発ぐらいバシコーンかましたってもええとウチは思う。世の中弱肉
強食やからな。ほんまの事言うと、そんな奴の事なんか無視出来るよな人間に
なってほしいけどな。しょーもない奴のせいで自分が損するのもしゃくやし。
あの子殴って紗耶香が得した事なんてあったか?」
- 158 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/18(水) 01:58
- 「うーん、ちょっとすっきりはしたよ」
言ってからはっとして、ヤバイという表情をした。
「・・・なるほど。そういう考え方はあるか」
「え?」
とにかく今日は怒られないみたい。
この人の信念というか考え方というか、よく分からない部分がある。
嘘はつけない人なんだなーって。
そんな所にすこしずつ惹かれていっていたのかもしれない。
会った事無い、見た事無い人種っていうのかな。
- 159 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/18(水) 01:59
- 家に入った中澤はいつも通り夕食の支度をした。
ほんの少しだけ豪勢な感じにして。
紗耶香もすっかり手伝う事が習慣になり、エプロン姿の中澤の隣で右往左往していた。
「でも、人殴るんはもう止めてな」
ご飯を食べ終わってから中澤は呟いた。
「アンタの手にも傷がつくやろ。こんなんもう勘弁やで、ほんまに」
中澤はそっと紗耶香の手を包み込んだ。
この一件の後、園児達がちょっかいをかけてくる事はなくなった。
何故ならその男の子はいじめっ子だったから。
困った事があった時、紗耶香に相談する子達も出始めた。
- 160 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/18(水) 01:59
- ーーー
- 161 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/18(水) 02:01
- 中澤との共同生活が始まってちょうど一ヶ月が過ぎた。
その日の朝、静かな家中に突然電話が鳴り響いた。
「・・・はい。・・・分かりました。明日・・・ですね」
ゆっくりと受話器を置いた中澤は、テーブルで朝食を食べている
紗耶香の前に腰を下ろした。
きょとんとした顔で紗耶香は「どうかしたの?」と尋ねた。
「明日来るって。親戚の人が」
「だれの?」
「アンタのに決まってるやろ」
「ん?どういうこと?」
「アンタを引き取りに」
- 162 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/18(水) 02:01
- 紗耶香は思わず箸を落とした。
その落ちた箸を中澤は椅子から降りて拾い、紗耶香に手渡した。
その事を伝えた中澤の表情は、何を表していたんだろう。
「最後の送り迎えや!張り切って行くで!」
それは誰に言っているんだろう。
頭は真っ白け。
- 163 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/18(水) 02:02
- 何かを残したかった。
自分がここにいたんだっていう証みたいなもの。
もしもここにまた来る事があったなら、目印になるようなもの。
このへんでそれにふさわしい場所っていったら。
- 164 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/18(水) 02:04
- 「このとくとうせき、やぐっちゃんにあげる」
「えっ?」
「もうあたしはのぼれないからさ」
「さやか・・・」
「ゆーちゃんがくるまでのじかんの、このばしょがさいこーだから」
「うん。きれいだね」
「のぼってよかったろ?」
「うん」
「ほかの子はしらないところだから、ここは」
「わたしとさやかだけしかしらないんだね」
「そう、ゆーちゃんもしらないんだよ」
「うん」
自分だけじゃなくて他の人とそこを共有する事で思い出を二つにする。
仲直りまで出来るおまけつき。飛ぶ鳥後を濁さず。
- 165 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/18(水) 02:04
- ーーー
- 166 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/18(水) 02:05
- 保育園での最後の日を終え家に着き、TVを見ながら笑い合っていた。
最後の晩御飯というのを意識してか、以前紗耶香が「おでんが好き」と言っていたのを
覚えていたのか、中澤は昼から用意をしていた。
仮病を使って学校を休んで。
それ以外は今までと何ら変わりない食卓風景。
鍋の中から色々取り出して紗耶香の皿に入れた。
紗耶香が「もうお腹いっぱい」と言っても、中澤は過剰なまでに紗耶香の皿に
おでんの具を入れ続けた。
「紗耶香、はよ風呂入って、ねー」
「まだはやいじゃん」
「ええから。風呂入って寝なさい」
- 167 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/18(水) 02:06
- もっとたくさんはなしたいよ
もっとゆーちゃんのことみてたいよ
そんな怖い顔しないでよ
- 168 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/18(水) 02:06
- お風呂から上がってくるとリビングに中澤はもういなかった。
紗耶香も自分のベッドのある部屋に向かった。
真っ黒な天井を見上げると、今まで気付かなかった白い染みのようなものを見つけた。
寝付けなくて何度も何度も寝返りを打った。
いてもたってもいられなくなった。
枕を手に持ってベッドを抜け出し、隣の部屋のドアを開けた。
頭もとにある電気スタンドの淡い光が、一つの人影を映し出している。
- 169 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/18(水) 02:07
- 「ゆーちゃん・・・おきてる?」
「ん?どしたん?」
「あ、あのさ」
「なんやー、一緒に寝たいってか」
「う、うん・・・」
「いつになく素直やな。ええよ、こっち来てはよ入り」
紗耶香は枕を片手に持って、中澤のベッドに潜り込んだ。
既に中澤が眠ろうとしていたので、中は暖かかった。
「そういえば一緒に寝るの、初めてやなー」
「うん」
「明日早いんやから、もうねなあかんで」
「うん」
中澤は紗耶香に背を向け、眠り始めた。
その背中をじっと見つめると、胸がぎゅっと軋んだ。
目をつぶっても、全然眠れない。
- 170 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/18(水) 02:08
- 「・・ゆーちゃん。なんかおはなししてよ」
小さな声でそう呼んでみたが、スースーという寝息が聞こえるだけ。
すっとその背中に触れてみた。
「ゆーちゃん?」
もう一度、ほんの少しだけ声を大きくして呼んでみた。
少しビクンとしたように思えたが、それ以上の反応は無かった。
反対の手を痛む胸に手を当てて、紗耶香は目を閉じた。
- 171 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/18(水) 02:09
- 小さな心に何時の間にか持っていた、色々混ざり合って出来たものは、
それと気づく前に終わっていた。
ジャージ越しには伝わらなかったメッセージ。
深い眠りについた紗耶香の、その背中に触れていた手の力は強くなり、ぎゅっと握り締めていた。
朝起きた時に中澤の背中の部分は、紗耶香の汗で変色していた。
居心地の良かったこの土地とも、今日でおさらば。
- 172 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/18(水) 02:10
- 「ありがとう」って言う事は出来た。
他にも色々言いたい事はあったんだろうけど、どうやって言葉にしていいのか分からなかった。
どんな形のものが心にあったのかが分からなかったのだから。
「いつでもおいで。おおきなった姿見せに来てや」
ちょっとは寂しいって思ってくれてるのかな
子供心にいつでもいけると思ってた。私は親戚の家に引き取られる。
大人の都合に振り回されるのはこれで2回目。
それから一度もその土地に足を踏み入れていない。
朝方の風は肌寒さを感じさせ、夏が過ぎ秋を迎える。
と同時に小さな初恋は、始まる前に終わった。
- 173 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/18(水) 02:11
- ◆
- 174 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/18(水) 02:12
-
- 175 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/18(水) 02:12
-
- 176 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/18(水) 02:15
- >144 Sさん
ありがとうございます。
またお暇な時にお付き合いくだされば嬉しいです。
- 177 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/29(日) 03:58
- ◆◆
- 178 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/29(日) 03:59
- ーーー
新しい所で生活するなんてどうってことない。
すぐに慣れるんだから。
大切な記憶も、新しいものが入ってきて頭の片隅の追いやられていく。
それは無意識的なものだからきっとしょうがないことなんだ。
でも無くす事ではないから。
親戚のおじさんとおばさんはいい人だった。
本当の親のように優しくしてくれる。
何も不自由する事はなかった。
ただ、私を怒らない。怒鳴ったり絶対にしない人達。
ーーー
- 179 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/29(日) 04:00
- 学校の帰り、雑草を手に持ってそれを振り回しながら一人でのんびり歩いていた。
日の沈みかかった川の方に目をやると、そこに異様な光景が飛び込んできた。
赤いランドセルを背負った小さな女の子が、川の方へと歩き出していた。
ジャブジャブとどんどん川の深い方へと歩いていき、その姿はすでに半分ぐらい
水に埋まっていた。
止まろうとする気配は全く無い。
確認できる姿はどんどん小さくなっていく。
「何やってんだ、あの子・・・」
紗耶香は手提げ鞄を放り出して土手を猛ダッシュで駆け下りた。
走りながら上着を脱ぎ捨てTシャツ一枚になり、川原を走った。
鋭利な雑草が何度か足を切ったけど、そんなのは気にならなかった。
川辺まで来た時には、すでに少女の肩までつかっていた。
- 180 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/29(日) 04:01
- 「おい!」
呼びかけても何も反応はなかった。
紗耶香は急いで川の中に飛び込んだ。
それほど流れは速くないけれど、水の下はゴリゴリとした岩でいっぱいで歩きづらく、
少女との距離はなかなか縮まらない。手を必死にかいで、重い足を動かした。
つかんだ!
そう思った瞬間、少女の体が完全に目の前から消えた。
周りを見回しても全くいない。
咄嗟に思い浮かんだ。と同時にザブンと川の中に潜り込んだ。
- 181 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/29(日) 04:02
- 潜って初めて気がついた。
必死になっていてちゃんと見ていなかったから分からなかったし、
遠くから見てる分にはまさかここまでとは思っていなかった。
その川はとても汚くて、とてもじゃないけど目なんか開けてられない。
ずっとここに浸かっていたら病気になるんじゃないかってぐらい。
紗耶香は死に物狂いで、祈りながら水の中を手で探った。
流されてたらもう終わり。
頼むよ神様!
「!?」
手に棒のようなものが触れた。
思い切りそれを掴み、水上へ引き上げた。
「ぶはっ!ゴホッゴホッ!」
掴んだもののその先を見ると、目を閉じたままぐったりとした少女が映った。
ヤバイと思って、急いで川岸まで引きずりあげた。
岸に上がった時はクタクタで、パワーはこれっぽちも残っていなかった。
- 182 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/29(日) 04:03
- 少女を横たわらせると、ヘナヘナと座り込んだ。
これで終わっちゃいけないと思い、少女の顔を覗くと顔面蒼白で、
息をしていないようだった。
ぱっと周りを見渡しても人は一人もいない。
土手を駆け上って電話探して救急車呼んで。
そんな時間は無さそうだ。
紗耶香は少女の顔を凝視した。
人形みたいだ。
こういう時はどうすべきなのか。
何かのTV番組かなんかで見た事ある。
覚えている事をみようみまねでやるしかない。
紗耶香は少女の顎を上げ鼻をつまみ、少女の肺に酸素を送り込んだ。
- 183 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/29(日) 04:04
- 正確にやり方があっているのか分からない。
スーハースーハーと酸素を少女に送り続けた。
何度も何度も続けていると、運が良かったのか少女はむせ返るようにして水を吐いた。
その行為を何度も何度も繰り返していると、ゆっくりと少女は目を開けた。
「よかったー。まじでやべぇとおもったよ。わかる?」
微かに頷いてくれた。
ひとまずは安心していいんだろう。
ほっと胸をなでおろすと、体中から力が抜けた。
- 184 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/29(日) 04:05
- 「なにやってたんだよ、あんなところで」
「・・・はんかちが。まきのはんかち」
「ハンカチ?」
「たいせつなはんかち、ながれちゃった」
「おまえ、およげないんだろ?」
その悲しそうな少女の顔を見て、何とかしてやりたいと思ったけど。
多分もうずっと向こうまで流れてるだろうから。
「ちょっとまってろ、きゅうきゅうしゃよんでくるから」
ずぶ濡れで重い体を何とか起こして、紗耶香は立ち上がった。
途中投げ捨てた上着を拾い、もう一度少女の所へ戻った。
それで少女の体をくるんだ。
- 185 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/29(日) 04:06
- 「おまえ、なまえは?」
「・・・ごとうまき。おねえちゃんは?」
「いちーさやか」
「いちー・・・ちゃん・・・?」
「ははっ。それいいな。ちょっとまってろよな」
「・・いかないで」
「そういうわけにはいかないから。な」
幸い命に別状は無かった。
応急処置が良かったからだ、と言われた。
合ってるかどうかも分からずやった人工呼吸。
- 186 名前:りんご飴 投稿日:2004/02/29(日) 04:07
- 救急車が来ると、一体どこにいたんだろうってぐらいの数の野次馬が集まってきた。
何でいてほしい時にいないんだよ、と心の中で悪態をついた。
少女が救急車の中に無事運ばれるのを確認してから、投げ捨ててあった手提げ鞄を
拾って土手を歩いて家路に向かった。
クシュンと大きく1つくしゃみが出た。
もうすぐ冬じゃん、夢中になってて忘れてたよ、寒い寒い。
濡れた髪を触ると、指の間に水草が何本か挟まった。
きたねー川。
もう一度大きなくしゃみをした。
それから1週間、布団の中での生活を強いられた。
市井紗耶香 小学3年生。
後藤真希 小学1年生。
秋の出来事。
- 187 名前:S 投稿日:2004/03/12(金) 17:48
- 更新おつかれさまでした☆
つづき楽しみです。待ってますね☆
- 188 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/13(木) 21:59
- 続き読みたいな〜と思いを込めて保全します
- 189 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/06(火) 03:55
- 上のものと全く関係ないもので恐縮ですが、久しぶりに更新します。
数日遅れの中澤生誕記念もので、Wのお二人からの贈り物です。
- 190 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/06(火) 03:56
- 『ヘンシンリベンジャー』
- 191 名前:ヘンシンリベンジャー 投稿日:2004/07/06(火) 03:57
- 以前はそれこそ嵐のようだった。
大きな声で叫びながら走り回る二つの影があると、近くに雷が落ちたような怒声が響き渡っていた。
きゃっきゃと逃げ惑う村娘達と、眉を吊り上げながら追いかける鬼。
その構図は、それこそ毎日のように見られた。
二人は鬼をからかう楽しさを覚えてしまっていた。
それが無くなったのは、単純に一緒に過ごす時間が激減したからである。
二人は少しずつ、そして確実に大人へと変わっていっているのも要因として大きい。
二人も鬼と同じ立場にもうすぐなる。
- 192 名前:ヘンシンリベンジャー 投稿日:2004/07/06(火) 03:58
- 二人は考えた。
明日は鬼の31歳の誕生日。プレゼントを贈ろう、と。
私達二人ももう大人だから、ここでふざけるのは止めて真面目に贈り物を考えよう、と。
二人はこれまで使ったことの無いぐらい頭を悩ませ、何を渡せば喜んでもらえるか考えた。
「「そうだ!」」
同時に同じ物を思いついた。
さすが私達二人は息がぴったり。
色んな番組に出るたびに似ているだの、区別がつかないだの言われて腹が立つ時もあったが、
これほどまでに息の合う関係に、誇りを持つようにさえなっていた。
相手を一番よく分かっているのは自分なんだ、と。
これならきっと鬼も喜ぶ、そう確信した二人は一緒にそれを買いにいった。
早く明日になあれ。
- 193 名前:ヘンシンリベンジャー 投稿日:2004/07/06(火) 03:59
- ◆
その日、中澤裕子は朝から憂鬱だった。
「三十路、三十路」と三十路ではない段階から言われ続け、昨年ついに迎えた三十路。
そして今日、そこから一年経ってしまった。
学生時代のように手放しでは喜べなくなってしまった誕生日。
時は止まる事無く流れている。
「もう31やで、早すぎるわ・・・」
この一年はあっという間に過ぎていったような気がする。
昔の友人がこの一年で数人、そして同じ業界の友人も結婚してしまった(一番意外だった人)。
なんだかんだ言っても、取り残されている事実がある。
気にしていないようにしていても、本音をついついもらしてしまう。
- 194 名前:ヘンシンリベンジャー 投稿日:2004/07/06(火) 04:01
- 運の悪い事に、今日元メンバー達とは会わない。
収録日は明日である。誰に祝ってもらおうか。
そして誰もいなくなっていた。
「さ、て」
携帯のメモリーを調べてみる。
自分の誕生日の日にわざわざ電話して呼び出すのが、何だか申し訳ない。
「何で今日が収録じゃないねん」
携帯をベッドの下に投げ捨てた。今日はオフ。
何ともまぁ良い巡り合わせで。
「不貞寝するしかないやん。ありえへんわ」
せっかく朝起きたのに、もう一度ベッドに潜り込んだ。
これまでにないぐらい、切ない誕生日の朝だった。
- 195 名前:ヘンシンリベンジャー 投稿日:2004/07/06(火) 04:02
- ピン・・・ドン・・・ポン・・・ドン・・・
一日中寝て過ごすという、これまでにない誕生日の事をすっかり忘れてベッドの中にいたが、
意識の向こう側で何かの音が鳴り響いていた。
もそもそとベッドから抜け出すともう太陽は落ち、外は真っ暗だった。
さんざん寝たはずなのにまだ眠い。
寝すぎて一周回ってさらに眠い。
睡眠は程々が一番。
「うっさいなぁ。ピザなんか頼んでへんちゅうねん」
ピンポンというインターホンを鳴らす音と、ドアを乱暴に叩くドンドンという音が混ざり合い、
耳障りでしょうがない。
しかも一向に治まる気配は無く、その音はさらに激しさを増し、ループする。
だるい体でハイハイしながら玄関へ向かった。
- 196 名前:ヘンシンリベンジャー 投稿日:2004/07/06(火) 04:03
- 「中澤さーん」
「31さーい」
「おかーさーん」
「元リーダぁー」
玄関に近づくと、騒がしい音と同時に叫び声が聞こえた。
どうやら自分を呼んでいるようだ。
一瞬にして頭は冴え、チェーンロックを下ろしてドアを開けた。
「「あ、出てきた出てきたー。どうもー、ダブルユーでぇーす」」
「うん、知ってる」
さすがすごいハモリや。
アンタら抜群の相性やわ。
二人でデビューは絶対売れるわ。
元リーダーが太鼓判押したろ。
- 197 名前:ヘンシンリベンジャー 投稿日:2004/07/06(火) 04:05
- 「加護、辻。どないしたん?ってーか、何でここ分かったん?」
ここに住んでいる事は、メンバーでさえ誰も知らない筈だ。
同じ格好をした満面の笑みの二人。
「「今日中澤さんの誕生日じゃないですか。プレゼント贈らなきゃなって思って。
ここの住所は事務所に行って調べてきました」」
「わざわざここまで・・・か?」
この子らの事や、何か企んでるに違いない。
警戒しながら、二人の表情を読み取ろうとする。
ま、何考えてんのか全然わからんねんけどね
- 198 名前:ヘンシンリベンジャー 投稿日:2004/07/06(火) 04:05
- 「「誕生日プレゼントだから、その日に渡さないと意味ないじゃないですか。
だから持ってきたんですよ。中澤さんへのプレゼントを」」
お見事。長文まで息ぴったり。素晴らしいわ。
特に打ち合わせてる訳やないのが、また素晴らしい。
「「はい!受け取ってください!」」
「あ、ありがと。ごめんなわざわざ」
「「じゃ!!」」
紙袋を1つ置いていき、仲良くてを繋いでその場を去る二人の後姿は、
一卵性双生児以外のなにものでもなかった。
- 199 名前:ヘンシンリベンジャー 投稿日:2004/07/06(火) 04:06
- 家の中に入り、紙袋の中身を確認すると、1枚のTシャツが入っていた。
それを広げて手に取ると、何だか違和感を感じた。
「これって・・・マジでプレゼントか?」
こんな事を言うのは癪だが、あまりにも子供っぽ過ぎる。
もっと言ってしまえば、若かりし青春時代でも着たことがないようなもの。
が、このまま何事も無く過ぎていってしまいそうだった誕生日に、
こういったハプニングは嬉しい。
「酒でも飲みにいこかな」
少し気分が晴れ、外に出たくなった。
酒を飲めるメンバーを集めて、みんなでドンチャン騒ぎしよう。
もしかしたら誰か何かくれるかもしれんし。
急いで携帯電話を鳴らす。
しかし、全員仕事中で誰も電話に出る事は無かった。
何ともまぁ良い巡り合わせで。
スッピン、ジャージで酒屋で向かった。
- 200 名前:ヘンシンリベンジャー 投稿日:2004/07/06(火) 04:07
- ◆◆
誕生日から一日たった朝。今日は朝から収録である。
昨日二人からもらった、Tシャツを手に取る。
今日これを着ていくと、あの子達は喜んでくれるだろうか。
「でもなぁ、やっぱ・・・子供っぽ過ぎるんよなぁ」
鏡の前で合わせてみると、それは誰が見てもきっとそう思いそうな姿。
が、せっかく二人で買いに行ってくれた上に、オフ返上で持ってきてくれた代物。
着ていかない訳にはいかない。
「ええか、二人が喜んでくれたらそれで。よう見たら結構可愛いし」
そういう風に思考を変えると、心はウキウキしてきた。昨日とは大違い。
人を喜ばせる事が出来るのは、何て幸せなんだ。
少し恥ずかしいながらも、中澤はそのシャツに袖を通し、部屋を出た。
- 201 名前:ヘンシンリベンジャー 投稿日:2004/07/06(火) 04:09
- 道路が混んでいた為、現場には少し遅れて着いた。
急いでスタジオに向かうと、プレゼントを欲しい人物がこっちを見ている。
「ゆーちゃん、おはよー。ってあれ?それどっかで・・」
「おはよー矢口。今日も可愛いなぁ。実はな、昨日な・・・」
矢口は何か言いたそうだったがその瞬間、絶妙のハーモニーの乱入者が登場。
「「中澤さーん。おはよーございまーす!あれ、今日の中澤さん・・・」」
お、気付いた?アンタらにもらったヤツ、着て来たで。
どうやねんどうやねん、感想は。
モデルポーズで、二人にアピってみる。
- 202 名前:ヘンシンリベンジャー 投稿日:2004/07/06(火) 04:09
- 「「そのTシャツ・・・」」
間までぴったり合ってるやん。
さすがはツートップ。
ちょっと恥ずかしいけど、着て来たで
どうやのどうやの、感想は?
加護、辻は少しだらしなくポカンと口が開いている。
そして二人顔を合わせ、ニターっとにやけた顔で、中澤の方に顔を上げた。
- 203 名前:ヘンシンリベンジャー 投稿日:2004/07/06(火) 04:10
- 「「中澤さん。それ・・・・・若作りしすぎだっちゅーのー」」
わかづ?何て?何て何て?
「「自分の年の事考えなきゃー。30過ぎてこれは無いよねーぇ」」
「ああ!!??何やとーぉ!!」
アンタらがくれたんやんけ!
似合うからってくれたシャツやんけ!
百歩譲って他の子らに言われるんはまだわかるけどな!
アンタらがそれをゆうな!!
- 204 名前:ヘンシンリベンジャー 投稿日:2004/07/06(火) 04:11
- ドッカン
数年に渡り、そのエネルギーは蓄積されていた。
発散させるその対象を見つけ、一気に落雷。
久しぶりに雷が落ちる。
避雷針は無い。
久しぶりに見る中澤の眉間の皺を、苦笑交じりに見る人達。
初めて見る鬼の形相に、ひたすら恐怖し怯え、抱き合いながら震える人達。
同じコーナーをやっていく上で、せっかくいい感じになってきたのに、
新しい悩みを抱える事になった人達。
暫く続く鬼と村娘達との追いかけっこを、それぞれの想いで見守っている。
- 205 名前:ヘンシンリベンジャー 投稿日:2004/07/06(火) 04:13
- 二つの背中を追いながら中澤は思った。
まだまだやってけるな、と。
この子らが二十歳になろうが、自分が35、40になろうがいつまでも。
たまには違う子達を追っかけてやろうか、と。
今やるべき事はこの子らを捕まえる事で。
捕まえたら久しぶりにセクハラ行為でもしてやろうか。
「ま、何にしてもありがとな」
「「なになにーっ!?聞こえないよー、おかーさーん!」
「こんなでっかい子供産んだ覚えないわ!」
久しぶりにじゃれ合う、という二人からのプレゼント。
3人が着ているシャツに、色違いでクマのイラストがプリントされていた。
〜おわり〜
- 206 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/06(火) 04:19
- >>187 Sさん >>188 名無し飼育さん
レスありがとうございます。
また関係ないものをはさむかもしれませんが、出来るだけ早くこちらの方を
書こうと思っております。
- 207 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/27(月) 03:05
- 『ピアノガール』
- 208 名前:ピアノガール 投稿日:2004/09/27(月) 03:06
- 「ごめん、よしこ。遅くなっちゃって」
「いいよいいよ。私も今来た所だから」
「そう?まいちんだけ置いてきて、後ですごい怒られそうじゃない?」
「そうだよねぇ。まぁ、たまにはいいんじゃない?後で報告でもすれば」
「なおさら怒られそうな気がするんだけど。何よしこを独り占めしてんの!って」
「細かい事は気にしない。また今度三人で行けばいい訳だし」
「そうだね。んじゃ、いこっか」
アヤカは自然と吉澤の腕に手を回した。
二人は何度も行った事のあるファミレスへと向かった。
三人でつるむようになってからそれ程時間は経っていないにも関わらず、
何度もそのファミレスへ行ったりし、それぞれの繋がりは確実に増している。
- 209 名前:ピアノガール 投稿日:2004/09/27(月) 03:07
- ふと周りを二人同時に見渡した。
真っ赤に映えた西の空が、にわかに黒くなり始めていた。
他のメンバーが吉澤を目にしたのは、これが最後だと証言する。
新聞記事になる2週間前の事である。
最後に会ったのはこの時に一緒に食事をしたアヤカ。
ある一人のメンバーを除いて。
- 210 名前:ピアノガール 投稿日:2004/09/27(月) 03:08
- 今日誘ったのはアヤカの方だった。
それには理由があった。
それは、親友のまいにも言っていない、自分の中にある真実が限界を迎えたからだった。
今ある三人の関係性は最高の状態だと言い切れると思う。
二人ともが大好きで、これからもずっと一緒にいられるような関係でいたいとも思っている。
が、まいと吉澤への真実は、実際は違っていた。
いつそれに気付いたかというよりも、最初から違っていた。
ただ単純にそれを認めず、嘘で塗り固めていただけだった。
最初から吉澤は特別だった。
- 211 名前:ピアノガール 投稿日:2004/09/27(月) 03:09
- 「ほら、またミートつけてる」
アヤカは吉澤の口の横についたミートスパゲティのミートを取り、自分の口に放り込んだ。
吉澤はここに来ると必ずこれを頼み、そして必ずミートを口の端につける。
他人事ながら、白い服なんて物を着ている時にはハラハラしっぱなしになる。
普段とても落ち着いていてとても年下には思わないのに、どこか危なっかしいところもある。
自称世話好きとしては、たまに見せるそのどうしようもなさにドキドキしている。
「ん?あぁ、ありがと」
「よっちゃんってさあ、意外と手がかかるよね」
「すんませんねぇ」
「そんでリアクションは親父だし」
- 212 名前:ピアノガール 投稿日:2004/09/27(月) 03:11
- 傍から見れば甘い瞬間のような場面が訪れたとしても、この人はそ知らぬ顔。
何事も無かったかのように食事を続けている。
まいちんがいたら二人で色々サプライズを考える事が出来るけど、
こうして二人だけになるとなかなかいいアイディアは浮かばない。
こういう時にこそ、ビッグなサプライズを出したいのに。
だけど今日は、超ビッグなサプライズを考えてある。
考えたというよりも、一大決心といった方がはやそう。
ほんの些細な事で揺らいでしまいそうなそのサプライズを出したら、
もしかしたら今ある最高に大切なものを失う可能性がある。
それが恐くて今までしまっていた。
何でそれを今日出そうかと思ったかというと、朝見た全てのTV占いが良かったからだ。
きっかけなんてそんなものなのかもしれない。
食事が終わったら何処か夜景の綺麗な所にでも行って、そこで。
色んなシュミレーションを頭に描いていたせいか、
自分の皿のものがほとんど減っていない事に気付いた。
- 213 名前:ピアノガール 投稿日:2004/09/27(月) 03:12
- 「よっちゃん」
吉澤の方は、3分の2ほど減っていた。
一応この後何かあるか聞いておきたかった。
どこかで『ごめん、これから用事があるんだ』と言って欲しい気持ちもあった。
「ん、何?」
「あ、あの今日この後さ・・・」
話している途中で吉澤の携帯電話が鳴った。
「あ、ごめん」
吉澤は携帯でその名前を確かめると、その場に立った。
「ごめん、ちょっと待ってて。すぐ戻ってくるから。話は後で聞くよ」
「う、うん」
携帯を耳に当てながら小走りで出て行く吉澤の背中を見ると、大きなため息が出た。
その電話の主に対しては、複雑な気持ちだった。
「今の間にちゃんとまとめておこ」
頭の中で言葉をまとめながら、全く減っていない食事を続けた。
- 214 名前:ピアノガール 投稿日:2004/09/27(月) 03:13
- 「アヤカ、ごめん」
「どうしたの?」
2分程経って吉澤は戻ってきた。
少し暗い顔をしている。
「用事が出来ちゃった。この埋め合わせはまた今度するからさ」
吉澤は1000円札を財布から出してテーブルの上に置いた。
「え?ちょ、ちょっと待って」
「ほんとにゴメン。後でメールするから、それじゃ」
吉澤は颯爽とその場から去った。
あまりにスピーディーで唐突な展開に、ただその後姿を見送る事しか出来なかった。
- 215 名前:ピアノガール 投稿日:2004/09/27(月) 03:14
- あれから5日経った。
吉澤からはメールも電話もない。
今日は生放送の番組があり、30分前からテレビの前にかじり付いていた。
相当忙しくて連絡できなかったのか、こっちから電話しても一向に出ない
その姿を一目見て早く安心したかった。
が、その姿を見る事が出来なかった。
番組放送内では「体調不良」による欠席という事だった。
その番組が終了後、事務所の人から連絡がきた。
調べた所、最後に吉澤に会ったのが自分だという事だった。
その日二人で一緒に食事に行ったのを話した。
勿論、その時に話そうと思っていた事を喋ったりなんかしていない。
- 216 名前:ピアノガール 投稿日:2004/09/27(月) 03:15
- あれからずっと胸騒ぎがしていた。
どこか抜けているような所はあるけれど、わざと人を心配させるような人じゃない事は分かっている。
きっと何かあったんだ、あの電話の後に。
あの電話がキーになるとピンときていたから、この事は誰にも話さなかった。
すぐに家を飛び出し、吉澤を探しに出かけた。
あてといえば、3人で遊びにいったような場所しかないけれど、じっとなんかしていられない。
自分の気持ちを整理し、全てを伝えようと思っていたあの夜。
たった1つの電話でぶち壊された。
自分にとっては悪魔のような電話だった。
アヤカもその日から姿を消した。
- 217 名前:ピアノガール 投稿日:2004/09/27(月) 03:16
- ◆
『モーニング娘。の吉澤ひとみさん、生放送番組を欠席。長期離脱、あるいは脱退も?』
ある新聞の一面に載った、この言葉。とある生放送歌番組を一度休んだだけで、
ここまで書かれてしまうのは、まだまだ人気はある、という裏づけになるのであろうか。
「ほんま、好き勝手書いてくれんな」
事務所でこの新聞を目にしたつんくは、大きくため息をつき、くわえていた煙草を乱暴に揉み消した。
なまじっか外れていないマスコミ記事に、先読みされた事からいらいらし、
その気分を一掃出来ないままつんくは自分の部屋を出て、同じ事務所内の会議室へと向かった。
- 218 名前:ピアノガール 投稿日:2004/09/27(月) 03:16
- つんくが会議室のドアを開けると、そこにはあらかじめ呼び出しておいた3人が椅子に座っていた。
3人とも、つんくが入ってきたと同時に立ち上がり、深く挨拶をした。
めんどくさがったつんくは、軽く手を挙げてそれを挨拶代わりにし、3人を座るように促した。
そして、その対面に腰をおろす。
「忙しい所、悪いな。3人に色々話したい事があってな」
きっと吉澤の事である、という事は3人はすぐに分かった。
つんくは胸のポケットから煙草を取り出し、火をつけた。
大きく煙を吸い込み、一気に吐き出す。それと同時に言葉を続けた。
- 219 名前:ピアノガール 投稿日:2004/09/27(月) 03:17
- 「吉澤の事なんやけどな。何の知らせもなしに番組休みよった。親御さんにも全く連絡無いそうや。
警察にも届け出したらしい」
「・・・」
「でも、まだ何の手がかりもないそうや」
「そうですか」
飯田が落胆した様子で呟く。
「スケジュールも大変や。そんな事はみんなが一番良く分かってると思う」
3人は、つんくの意図している事が全くわからない。
何が言いたいのだろうか。
- 220 名前:ピアノガール 投稿日:2004/09/27(月) 03:18
- 「で、あいつのここ最近の態度を考えたら、あんまやる気があるようには俺には映らん。
だからいっその事、卒業って形を取ろうとおもてんねんや」
「えっ!!」
あまりにも突然の言葉に声をあげたのは、リーダーの飯田だった。
「そ、そんないきなり!」
「まぁ、いきなりっていやいきなりやけど、理由付けなんて何とでもなる。
学業に専念、って所が無難かな」
「ほ、本気で言ってるんですか?」
「俺はいつでもマジや。俺も慈善事業でやってる訳やない。
リーマンやったらもうとっくに首飛んでるわ。それと一緒。
おらん奴の事なんか、いつまでもかまってられへん。
あいつが家出しようが誰かに誘拐されようがそんな事に興味は無い。
金を稼ぐかどうか、俺にとって大切なんはそれだけや」
「そ、そんな・・・」
「マスコミもあれこれゆうかも分からんけど、その辺はこっちに任せとけ。
何とかするわ。とりあえず他のメンバーには言うなよ」
そこまで言い終えると、つんくは灰皿にではなく床に煙草を落とし、足で火を揉み消した。
- 221 名前:ピアノガール 投稿日:2004/09/27(月) 03:19
- 「矢口、何かきづかへんかったか?」
そこに本当に興味があるのか、無機質なトーンで問う。
「い、いえ。何も・・・」
「そうか」
「なぁ」
そして、つんくはもう一人呼び出したメンバーに声をかけた。
「あいつと一番仲良かったんはお前やと思ってるんやけど、どうや?」
「は、はい。仲は良かったですけど・・・」
「何も知らんか・・・まぁ、みんないつも一緒におるからプライベートな所まで
入りたくないんかもしれんしな」
- 222 名前:ピアノガール 投稿日:2004/09/27(月) 03:19
- そういうとつんくは立ち上がり、「そういう事やから」と言い残して部屋を後にした。
残された三人は突然の通達にまともな思考能力が働かず、頭の中は混乱を極めた。
最後に付け加えられた言葉。
「あ、これは相談やなくて報告やから。」
この言葉が頭を反芻する。
「ね、ねぇ。カオリ。どうしよう?」
「う、うん」
「うん、て何よ!カオリ、リーダーでしょ!?何とかしてよ!」
興奮していた矢口は、つい大きな声で怒鳴ってしまった。
何も出来ない自分の苛立ちを、他人にぶつけた。
飯田は頭を垂れ、言葉を発せずにいた。目には少し涙が溜まっている。
- 223 名前:ピアノガール 投稿日:2004/09/27(月) 03:20
- 「ご、ごめん。いらついちゃって。カオリに当たってもどうにもならないのに」
「ううん。いいの。カオリ、頼りないリーダーだから」
「そんな事ないって。とにかく、よっすぃを探そ」
「どうやって?」
「・・・」
皆目検討もつかない吉澤の失踪に、二人はどうしていいのか分からなかった。
とっかかりさえも見つからない。
茫然自失としている二人を見つめる、もう一人のメンバー。
彼女も悲しい顔をしていた。が、心の中では違っていた。
ドラマや映画で磨いた演技力を惜しみなく発揮した。
そうだ、こういう時に役に立つんだね
- 224 名前:ピアノガール 投稿日:2004/09/27(月) 03:21
- 「とにかく、なっちや裕ちゃんに相談してみよ?」
「うん」
矢口の提案に、飯田は頷いた。自分ではどうにも出来ない。
もしかしたら、中澤なら何かいいアドバイスをくれるかもしれない。
本体を抜けた後も、リーダーとして何をすべきか、迷った時には常に相談をもち掛け、
いつも解決してくれていた。
そんな中澤に、自分のふがいなさを嘆くと同時に、微かな期待を抱いていた。
「いこっか」
矢口の言葉に、飯田が立ち上がる。
そして、もう一人のメンバーもその後に続いた。
先に会議室を出て行った二人の背中を確認して、ここで初めて彼女は本当の感情を出した。
- 225 名前:ピアノガール 投稿日:2004/09/27(月) 03:21
- 「ぷっ。バカばっかり」
そう呟くと、彼女は込上げてくる笑いを押し殺した。
肩を震わせ、お腹を押える彼女。早く出て行かないと何か思われるかもしれない、
そう思った彼女は改めて顔を作り直し、ドアを開け二人を追いかけた。
会議室に置かれた熱いお茶が注がれていた湯飲みは、一つだけ飲み干されていた。
- 226 名前:ピアノガール 投稿日:2004/09/27(月) 03:23
- ◆◆
都内を離れた郊外に家を買った。条件はただ一つ。
地下室がある、という事だけ。
今まで仕事で貯めたお金もあるし、両親も特に反対しなかった。
条件はたった一つだったので、予想以上に早く見つける事が出来た。
仕事場へ行くには不便ではあるけれども、そんな事は気にならない。
目的を達成する為ならば。
他のメンバーに知られる要素も少ない。
ここまで遠い所に来たいとも思われない。
最も他のメンバーに何て言われようとも、家に入れるつもりはないのだけれども。
何故なら、そこは二人だけの空間だから。
誰にも邪魔されたくないし、邪魔させない。
- 227 名前:ピアノガール 投稿日:2004/09/27(月) 03:24
- 何時間もかけて電車とバスを乗り継ぎ、家に帰る。
家に帰る為だけに家を出る。
バスを降りると、四方八方から虫の鳴き声が聞こえる。
お帰り、と言われてるような錯覚に陥りそうになりつつも、
無視して家路へのたった一つの獣道に入る。
常時持つようにしている懐中電灯のスイッチを押す。
真っ暗で鬱蒼とした森の中を歩くのにも少しずつ慣れてきた。
奥へ進むにつれ大きくなっていく虫の鳴き声は、初めはかなり怖かった。
早く帰って顔が見たい。
それだけを考え、狭くて暗い獣道を歩く足を速める。
そして何時の間にかダッシュしている。
転んで膝をすりむいて、血が流れてもどうでもよかった。
早く帰らなきゃ、今心にあるものはこれだけである。
メキメキと小枝を踏み、走り続ける。
- 228 名前:ピアノガール 投稿日:2004/09/27(月) 03:24
- 七転び八起き。
まさにこの言葉の通り、転んだり立ち上がったりしながら30分程走り続け、漸く家に着いた。
汗だくになりながらふと腕時計を見ると、もうすぐ曜日が変わろうとしていた。
ぱっとみは、この薄汚れた洋館はちょっとしたお化け屋敷。
知らない人がここを見たらきっと入る気にはならない雰囲気。
汗でしわくちゃになった、スカートのポケットから鍵を取り出してドアを開ける。
「ただいまー」
真っ暗な空間に、その声は反響する。他の人の声は何も返ってこない。
そのせいもあってか、家に入ると外との温度差を感じる。
電気をつける事もなく、真っ先に向かう所はキッチン。
帰ってくる時にコンビニで買ってきたお弁当。
そして、彼女の大好きなベーグルも忘れずに。
レンジでチンして、それを地下室に運ぶ。
帰ってする事はまずそれ。
いや、他にやる事はない。彼女に食事を運び、お話をする。
暖めた弁当とペットボトルの水を持って、地下室へと向かう。
- 229 名前:ピアノガール 投稿日:2004/09/27(月) 03:25
- ガッチャン
頑丈な地下室の鍵を開け、階段を下りる。
唯一の窓から淡い月の光が差し込んでいる。
古い家のせいもあってか、少しかび臭い。
階段を降りきると、そこにはたくさんのダンボールが乱雑に積まれてある。
そして、壁際に1つ、鉄格子のついた檻がある。
その中に、1人の少女が膝に顔をうずめていた。
他に中にあるものといえば、毛布が一枚あるだけだった。
石川は檻の鍵を開けて、食事を吉澤の前に置いた。
- 230 名前:ピアノガール 投稿日:2004/09/27(月) 03:26
- 「よっすぃ。ちょっと遅くなってごめんね。今日3本撮りだったんだ。あり得ないよねぇ。
疲れちゃった。はい、ご飯持ってきたから。ちゃんと食べてね」
そう言っても、彼女は顔をあげなかった。
彼女の横には、今朝置いてあったトーストが置きっぱなしになっていた。
朝は半熟だったゆで卵も、すでに硬くなっていた。
「朝も食べなかったの?お腹空いたでしょ?食べて?」
2度目の言葉に彼女は反応した。
ゆっくりと顔を上げたその表情は、何も感情を持たない人間のようだった。
「・・・いらない・・・」
「何で?ベーグルも買ってきたよ。ね、食べて」
「いらない、ってば!」
そういうと、彼女は弁当とベーグルの入った袋を払いのけた。
そして、また顔を膝に埋めた。
- 231 名前:ピアノガール 投稿日:2004/09/27(月) 03:27
- 「いつまで私をここに入れておくの?」
「いつまで、って。いつまでも」
「何で・・・?」
「だって、こうでもしないと、よっすぃを独り占め出来ないんだもん」
石川はさも平然とこう言った。
顔をあげた吉澤の目に、月夜に照らされて不気味に映る石川の笑顔があった。
「私の人生はどうなるの?」
「私がいればそれでいいでしょ?ずっと傍にいるよ?」
「モーニングはどうなってるの?」
「そりゃぁ、よっすぃがいなくなって大騒ぎだよ。でも、私が誤魔化してるから全然大丈夫だよ」
「・・・そういう事じゃ・・・」
「最近、ずっとアヤカさんとかと仲がいいみたいじゃない?」
「・・・うん」
「そんな事で私から逃げられると思ったの?」
「逃げるって、そんな・・・」
石川の頭の中はどうなっているのだろうか?
吉澤には分からなかった。
分かりたくなかったと言った方がいいのかもしれない。
毎夜毎夜繰り返される、分かりきった話のエンディング。
- 232 名前:ピアノガール 投稿日:2004/09/27(月) 03:28
- 「ねぇ。せっかく二人きりなんだから、楽しいお話しよ。えっとね、今日ね・・・」
コロコロと表情を変え、石川の一方的な話が始まる。
一人で喋り、一人で笑う。時にメンバーの話題も出しつつ。
吉澤はただ呆然と聞いているだけ。何も耳に残らない。
「じゃ、お休み。ご飯置いていくからちゃんと食べるんだよ?」
満足した石川はこの重苦しい空気の地下室から出て行った。
吉澤は石川の背中を見送って、運び込まれた弁当に一瞥をくれた。
もしかしたら力ずくでやれば、石川が食事を運ぶ為にこの鍵を開けた瞬間を狙えば、
ここを出られるのかもしれない。
力なら負けない自信はある。でも、ここに入ってもう2週間。
ろくな食事もとっていない為、頬もこけてきた。
- 233 名前:ピアノガール 投稿日:2004/09/27(月) 03:29
- 運び込まれた遅すぎる夕食のベーグルに手を伸ばし、1つ手に取った。
あんなに大好きだったベーグルも、今見るとただの塊のようにしか見えない。
ゆっくりとそれを口に含む。
「あれ?こんな味だったっけか?」
吉澤はベーグルをかみ締めた。
だけど、何年も食べ続けているはずのその味の記憶を引き出してくれない。
何度も何度も味わってみる。思い出せない。
「みんなどうしてるかな・・・心配させてるよね。ごめんね。
でも、どうしたらいいのか分からない・・・」
一人ぼっちの鉄格子の中で、真っ白な月を眺めながら、そう呟いた。
そして、吉澤の中にある思いがあった。
何でここにいるの?
石川のすねから流れ出ていた血は、吉澤の目には止まらなかった。
- 234 名前:ピアノガール 投稿日:2004/09/27(月) 03:31
- ◆◆◆
ゆっくりと目を開けると、薄暗い天井が見えた。
体はだるさを訴え、激しい虚脱感を感じる。
喉がカラカラだ。水が欲しい。
視線と天井の間に、ぼんやりとした見覚えのある顔が出てきた。
「やっと起きた。はぁ、心配したんだからね」
「まいちん」
自分の思っていた事を先読みされたのか、まいちんは私の体をそっと起こしてくれ、
水差しで水を飲ませてくれた。
砂漠に落としたように私はその水を一気に飲み干した。
ゴホゴホとむせると、まいちんは優しく背中をさすってくれた。
- 235 名前:ピアノガール 投稿日:2004/09/27(月) 03:32
- 大丈夫?3日も眠り続けてたんだよ」
「え?そんなに?」
曖昧な記憶を手繰り寄せた。
吉澤を探し始めてから1週間、ほとんど飲まず食わず、そして眠らずの状態で歩き回っていた。
吉澤の実家とその周辺、二人で、もしくは3人で旅行に行った場所。
思い当たる所は全て回った。
役に立ちそうな情報を手に入れる事が出来ずに探す所が無くなり、
朦朧とした意識の仲で東京に帰ろうとしていた。
ここまでは何とか記憶がある。
「東京駅のまん前で倒れたたんだよ。通りかかった人が病院に連絡してくれて、
今に至るって訳。ほんと、もう起きないのかと思ったよ」
その説明を聞いてはっとした。
- 236 名前:ピアノガール 投稿日:2004/09/27(月) 03:32
- 「まいちん!よしこは!?」
まいちんは黙って首を横に振った。
目を覚ました時以上に頭がクラクラした。
「まいちん、私・・私・・・」
堪えていたものが一気に噴出した。
顔を覆って目を抑えても、自分で止める事は出来なかった。
「アヤカ、よしこに言いたい事があるんだよね」
「えっ?」
「あたし達、もう何年の付き合いだと思ってんの?」
「まいちん」
「ちゃんとよしこに伝えようよ、ね?」
「うん」
体をベッドから下ろし両足で立ってみると、少し足がガタガタと震え頭がクラクラした。
- 237 名前:ピアノガール 投稿日:2004/09/27(月) 03:34
- ぐぅー
「アヤカ、お腹空いてるの?呑気なもんだねぇ」
「だって三日も何も食べずに寝てたんだよ」
「とりあえず何か食べに行こう」
「うん」
真夜中の病室を抜け出し、外へ出た。
まずはご飯を食べれる所を探して、それから人探し。
ファミレスだったら24時間やっているだろうし。
必ず見つける。
私の気持ちを知ってまいちんに何て思われるか、それを考えると
相談も出来なかったけど、今は二人。二人だと心強い。
見逃している所もあるかもしれない。
「行くよ、アヤカ」
2人は夜の闇に消えた。
1人、二人と消え、こうして3人目が消えた。
それから数日後、テレビのニュースでハロープロジェクトのメンバー3人の解雇が発表された。
- 238 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/27(月) 03:35
- 〜終わり〜
- 239 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/29(水) 00:39
- ぬぉぉぉぉ〜〜〜〜っ!?
意味がよくわかりません。・゚・(つД`)・゚・。
でもその後が気になる・・・・
- 240 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/07(火) 03:04
-
『This Moment』
- 241 名前:This Moment 投稿日:2004/12/07(火) 03:06
- 4年という歳月は確かに長い。
だけど、目的がはっきりしていた分しんどさとかはなかった。
ただそれを継続出来るかどうかの不安はあった。
私が変わったのは高校2年生の時だった。
どっちかと言えば冷静に人を観察する方だし、二人で話をしていても自分を
第3者の立場に置いてあまり踏み込まないようにしていた。
もしかすると、自分の核の部分に触れられるのが少し恐いのかもしれない。
全てを傍観するような人間だったのに、無意識のうちに変わっていた。
特にこれといったきっかけがある訳でもないのに。
機会があればその姿を目に追い、何度も話し掛けていた。
まぁまぁ成績が良かった事、ビジュアル的な事(恐らく眼鏡をかけていたというだけ)
からクラスの委員長に選ばれ、他の生徒達より雑務を頼まれる。
そういう些細なきっかけを利用し、その担任の先生と触れ合う機会を得ていた。
役得というやつだ。
- 242 名前:This Moment 投稿日:2004/12/07(火) 03:07
- 「めぐちゃん、ごめん」
「何が?」
ある日、友人の柴ちゃんに屋上に呼び出された。
何度も何度も頭を下げて謝っている。
その度に揺れるポニーテールのループする上下運動を見ていると、少し頭がぼんやりしてきた。
「実は組織票なんだ」
「は?」
うさんくさいおじさん達が出てきそうな言葉。
「その・・・めぐちゃんならめんどくさい委員長もうまくやってくれるだろうって誰かが・・・」
「え?そうなの?」
「ごめん!ほんとにごめん!」
- 243 名前:This Moment 投稿日:2004/12/07(火) 03:09
- いや、寧ろ感謝している。
その事によって私は変わったのだから。
しかも自分でもわかるぐらいいい方向に。
だから感謝こそすれ、謝られる筋合いは実はこれっぽっちも無い訳で。
何度も頭を下げる友人を見ていると、何故だかこっちが悪い事をしているようにも思えた。
「ありがとう」
柴ちゃんの肩をぽんと叩いた。柴ちゃんはきょとんとした顔をしていたけど説明するのも面倒だったので、
それだけ言って屋上から去った。
- 244 名前:This Moment 投稿日:2004/12/07(火) 03:10
- その日の放課後、委員長である私は担任の先生に呼び止められ、仕事を与えられた。
修学旅行のしおりを作成するために残され、その作業は先生と二人でやる事になった。
他の子達はあの独特の言い回し、少しきつく聞こえる関西弁に怖がっている所もあった。
私自身もそう感じていた。だけど、実際その言葉の中に悪意が無い事に気付いた。
決して人を傷つけるような言葉は言わなかったから。
すっかり寒くなった教室、二人でせっせとしおりを作り続けていた。
たまに口を開くと先生は、こんな時間まで残してしまって申し訳ないとか、終わったら
ちゃんと家まで送り届けるからとか、ずっと謝っていた。
「いえいえ、全然大丈夫ですよ」
私は心の中で、密かにガッツポーズをしていた。
- 245 名前:This Moment 投稿日:2004/12/07(火) 03:11
-
◆◆◆
- 246 名前:This Moment 投稿日:2004/12/07(火) 03:13
- 高校生になって3回目の夏、いよいよ受験というものと対峙しなくてはならない時になっていた。
まだ自分から勉強をしようという姿勢にはなっていない。
そんな状況の中、自分の力でこじ開けようという積極性は持ち合せてはいない。
どこかで偶然の産物を期待している。が、そんなメルヘンな世界はそうそうない。
この頃から具体的な目標が出来始めた。
『まずは先生と同じ土俵に立とう』
それから受験勉強への意識が変わった。
はっきりとした目標があると、それに向かって努力できる。
ひたすら机に向かった。色々な誘惑を全てシャットダウンした。
TVも見ない。音楽も聴かない。教科書と参考書だけを見る、シャーペンを走らせる。
『先生に認めてもらえるような、ちゃんと自分を見てもらえるような教師になりたい』
- 247 名前:This Moment 投稿日:2004/12/07(火) 03:14
- 日本の大学は、入りにくいが出やすいと聞いた事がある。
今までに無い程の努力をし、国公立の教育学部に合格した。
自分の番号を見た時は確かに嬉しかったし感動もしたけれど、いつもの第3者の自分が出てきて
それを冷静に見ていた。これからが大変なんだよと言われた気がした。
卒業式の間、感慨深いものは特に無かった。それはやはり先の事を意識していたからだと思う。
周りの子達は時折鼻をすすって泣いている。友人のあ柴ちゃんも例外ではなかった。
この時気付いた事だけど、彼女は何に対しても正直だと思った。
悲しいと思ったから今泣いている。
あの時もそうだ。私を騙したのが嫌だったからわざわざ謝りにきてくれた。
ナチュラルに色々なものを吸収し、それを感情で表現している。私には出来ない事だ。
式が終わったら一緒に写真を撮ろう。携帯のカメラじゃなくてデジカメで。
- 248 名前:This Moment 投稿日:2004/12/07(火) 03:15
- 「めぐちゃん、こっちこっち」
柴ちゃんを含めた4人で、校門の前で写真を撮る事にした。
よく一緒にいたグループ4人組で。
柴ちゃんは料理の専門学校。マサオは地元の私立大学。ボスは・・・ダンサーになるんだって。
「はいちーず」
写真はまた後日送ってもらう事にした。
「めぐちゃん、今からカラオケでもいこうよ」
「ごめん、先行ってて。ちょっと寄る所があるからさ」
「絶対きなさいよねー」
- 249 名前:This Moment 投稿日:2004/12/07(火) 03:16
- 私は職員室に向かってダッシュした。
3年になってからは先生の姿はほとんど見ないようにしていた。
偶然目にする事はあっても、直視する事は出来なかった。そうならないように努力もしていた。
自分が一人前になるまでは見る事も話す事も駄目なような気がして。
でも、どうしても今日は会って一言言っておきたかった。今日だけは許されるだろうと
自分だけが納得できる理由づけをしておいた。
すっかり人気もなくなってきた廊下を走り抜け、職員室の前で立ち止まった。
ゼエゼエと切れる息を整えるために、深く深呼吸する。
「あ」
そういえば、これから何をするのか全く考えていなかった。
一体私は先生に何を言いたいんだろう。何をして欲しいんだろう。結局何も浮かばない。
- 250 名前:This Moment 投稿日:2004/12/07(火) 03:18
- 「ま、たまには」
理性や計算を捨てて、思った通りに行動するのもいいかもしれない。
ゆっくりと職員室の扉を開けた。
中は閑散としていて、先生達も卒業生達と何処かへ行ったようだった。
ただ一人、となりのクラスの担任だけが、ポツンと自分の机に座って何かを書いているようだった。
この先生だけ生徒から人気が無いのか、なんてくだらない予想を立てる。
その先生は静寂を破ったドアの音に驚いて、ビクッとしてからこっちを見た。
「ん?何か用か?」
私は一応中を見渡して、目的の人がいない事を確認してから聞いた。
「あの、中澤先生は?」
「んー、ここにはいないな。どっかにいるんじゃないか?」
当たり前だろう。そんな事を聞いているんじゃないんだ。使えない人だ。
「そうですか。ありがとうございました」
とりあえず礼を言ってドアを閉めた。心当たりはない。
そういえば、職員室に座っているイメージもあまり無い。
先生はいつもどこで何をしていたんだろう。
他の生徒達とどこか遊びに行ってしまったかもしれない。
私が言うと客観的じゃないかもしれないけど、中澤先生は男女問わず結構人気あるから。
- 251 名前:This Moment 投稿日:2004/12/07(火) 03:20
- ふと思い出した。一緒に修学旅行のしおりを作っていた時、あの後仕事が終わって
先生にコーヒーをご馳走になった。確かあの時も謝ってたな、ずっとスマンスマンって言ってた。
「屋上」
根拠としては薄いし、学校にいる可能性もたいしてない。
だけど今はそこしか思いつかない。
屋上に向かって走った。今日はずっと走ってる気がする。
息が切れて鼓動が早くなっているのか、もっと他の理由なのか。
そろそろ何を言おうかまとめとかないと。こういうのは得意なはずだ。
勢いあまって思い切り屋上のドアを開けてしまった。
「中澤先生・・・」
屋上は春の光を浴び、微かに花の匂いがした。
ここは都会のど真ん中。周りは高層ビルばかり立ち並んでいる。
奥の方に見える自然の海は、ここから見る分には綺麗に光っているが、明らかにここからの景色に溶け込んではいない。
- 252 名前:This Moment 投稿日:2004/12/07(火) 03:21
- 『こっから見えるもんて、四角いのばっかりやろ。何となくかっこええ思て好きなんや』
コーヒー片手に呟いていた先生の横顔にドキリとしていた。
まともに先生を見たのはあれが最後になっていた。
手すりにもたれかかってそのとき先生の視線の先にあったものを見てみた。
そのよさもかっこよさも正直よく分からない。
「先生との口実のために教師目指してます、って言ったら怒られるかな」
何だか今になってやっと、卒業するんだって自覚してきた。
カラオケの約束忘れてたから、柴ちゃんからお叱りの電話を頂いた。
「すぐ行くから」って言っておいた。
明日から一人暮らしの準備しよう。
- 253 名前:This Moment 投稿日:2004/12/07(火) 03:21
-
◆◆◆
- 254 名前:This Moment 投稿日:2004/12/07(火) 03:22
- 4年という歳月は確かに長い。
大学ではひたすら勉強していた。
1度決めた事は絶対に途中で止めない、ましてやめる理由も無い。
二十歳過ぎたら視力は悪くならないってどっかで聞いた事があったけど、この間に2回も眼鏡を変えた。
すっかりパソコンのお世話になっていたからだと思う。
赤い縁の眼鏡もすっかり板についてきた。
どんなに度が進んでも、今は牛乳ビンの蓋みたいなレンズにはならない。
柴ちゃんとはたまに会っていた。
マサオは普通に女子大生やっていて、ボスは・・・色々な所を転々としながらダンスの勉強をしているらしい。
「まぁ、野性的だからどこでも生きていけるよね」
そんな事をぽろっと漏らすと、柴ちゃんは大爆笑をしていた。
- 255 名前:This Moment 投稿日:2004/12/07(火) 03:23
- 4年間全く気持ちが変わらずいれたのは、はっきり言って奇跡に近いのかもしれない。
それは卒業式の日に会えなかったのがよかったのかもって思ってる。
あんなんじゃ終われない。
何も伝えてないまま終わらせるなんて、私の性分に会わない。
必ず教員免許を取ってあの学校に帰る、という目的を果たす。
マサオのような普通の女子大生がするような事を全て絶った。
はなからそっちのベクトルには興味は無かったけど。
単位を落とすなんて事はしなかったし、学年でずっとトップクラスを維持してきた。
そうやってきた事は無駄じゃなかった。
希望していた学校への就職を決めれたのは、我ながら当然だと自負している。
- 256 名前:This Moment 投稿日:2004/12/07(火) 03:24
- 大学と高校、同時に卒業したような気分だった。
多分あの時、きっちり卒業してなかったんだと思う。
ちゃんと卒業してたんならここまでやってこれなかっただろうし。
もしあの時先生に会っていて、何かを伝えていたとしたら、おそらく今の自分はない。
だからあの屋上で会えなかったのは運命だったんだと思う。
そういうのを全部乗り切ってきたから、やっとここまでこぎりつけて新米教師としてあの学校に訪れた時、
先生がいない事なんて考えた事もない。
いなかったとしても、どこまでいっても探してやる、それぐらいの気持ちはあった。
- 257 名前:This Moment 投稿日:2004/12/07(火) 03:25
- 「めぐちゃん、卒業おめでとう」
「ありがと、柴ちゃん。わざわざこんな所まで来てもらっちゃって悪いねぇ」
「いえいえどういたしまして。それにしても、めぐちゃんさぁ」
「何?」
「すっごい晴れ晴れとした顔してるよね。憑き物が全部落ちたみたいな」
「そう?まぁ大学も無事卒業できたし、新しい生活が待ってるしね」
「私達の高校に行くんだよね。イメージ通りだよなぁ。めぐちゃんが先生ってさ」
「えっへん。たまには遊びに来てよね」
今回の卒業式の写真は、柴ちゃんとのツーショットになった。
マサオは忙しくて来れなかったという連絡をもらった。
ボスは行方不明だった。
- 258 名前:This Moment 投稿日:2004/12/07(火) 03:26
- 私はまた地元へ戻る事になった。
4年という歳月を費やして漸く権利を得た気がする。
堂々と中澤先生と向き合う権利を。
物凄く遠回りかもしれないけど、自分で納得してやってきた事だから後悔なんてしない。
その後どんな風になっても構わない。勿論、理想はあるけども。
一人暮らししていたものを全て引き払って実家に戻る時、これまでにない充実感に溢れていた。
次見る桜は、懐かしい場所で。
- 259 名前:This Moment 投稿日:2004/12/07(火) 03:26
-
◆◆◆
- 260 名前:This Moment 投稿日:2004/12/07(火) 03:27
- 高校生と呼ぶにはまだ幼さが残る新入生達と一緒に、新鮮な気持ちで懐かしい校門をくぐった。
働くにあたって何度か訪れた事はあったけど、とても清清しい気分だ。
その何回かの訪問では、中澤先生の姿を見る事は出来なかった。
見慣れた校舎を歩いていると、ついつい学生の教室のある階へ上がろうとしていた。
職員室は一階だ。何人かの生徒に、不思議な顔をされた。
もう一度気合を入れなおし、職員室へ向かった。
ゆっくりと職員室のドアを開けると、中の先生方が皆一斉にこっちを見た。
急激に緊張感が増した。中に誰がいるか確認するなんて余裕は無くなってしまった。
かなりの数の先生方が揃っていた。
- 261 名前:This Moment 投稿日:2004/12/07(火) 03:28
- 「あ、村田先生、おはようございます」
「お、おはようございます!すいません!遅れました!」
先生と呼ばれるのに、違和感を感じる。
あまりに数が揃っているので、かなり早く来たつもりだったが遅刻してしまったのかと思った。
「はっはっは!全然遅れてませんよ。うちの先生達は皆来るのが早いだけです」
そうだったのかぁ。
落ち着いて今会話していた人を見ると、校長先生だった。
恰幅が良くていかにもって感じの、私が高校生の時から変わっていない人だ。
校長先生は私に教室へ入るように促した。
「今日から赴任される事になった村田めぐみ先生です。じゃぁ、自己紹介してくれる?」
「あ、はい。村田めぐみです。これからよろしくお願いします」
単純明快な自己紹介をすると、パチパチという拍手が鳴った。
- 262 名前:This Moment 投稿日:2004/12/07(火) 03:30
- 「いやー、若い女の先生はいいですなぁ」
「そういうセクハラ発言はいただけませんよ」
さっそくセクハラ発言をしてきた奴は、私の卒業式の時にここで一人ポツンといた体育教師だ。
あいも変わらずいけ好かない奴だ、だから生徒に人気がないんだろ。
校長先生が鋭い目つきでけん制してくれたのは救いだった。
すぐに肩をすくめた所を見ると、権力には弱い奴だと分かる。
このやりとりで幾分落ち着きを取り戻し、職員室全体を見渡すと全員が立ち上がってこっちを見ている。
ただ一人、自分の机に向かったまま手を叩いている、かなり場違いな真っ赤なスーツ人以外は。
一通りの挨拶や説明が終わって、校長先生に私の席を促された。
「あそこの机を使ってください」
その指差された机は、真っ赤なスーツの人の隣だった。
「はい、分かりました」
「何か分からなかったら中澤先生にでも聞いて下さい」
「ありがとうございます」
- 263 名前:This Moment 投稿日:2004/12/07(火) 03:32
- はっきりと校長先生は『中澤先生』と言った。
高鳴る胸を抑えて、ゆっくりと自分の机の方に向かった。
徐々にその真っ赤なスーツに近づいている。
あの時、探しても見つける事の出来なかったその姿が今目の前にある。
眼鏡のレンズが少し汚れている事に今さら気付いた。
ちゃんと磨いてきたつもりだったのに。もう足は止められない。
赤いスーツ姿の横まで辿り着いた。
大きな山でも登りきったような気分だ。
一度深呼吸をして言葉を捜した。
「あ、あの・・・」
うまく言葉に出来ない。今日初めてこっちを見てくれた。そして何年かぶりに。
中澤先生は相変わらずのブルーの瞳で、私の言葉を待ってくれている。
その姿はあの時のまま、いやそれ以上に綺麗だった。
「む、村田めぐみです、よろしくお願いします」
それを言うのが精一杯だった。
中澤先生はにっこり微笑んで、私の肩をポンと叩いた。
さぁ、これからだ。自分の事も、そして中澤先生との事も。
- 264 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/07(火) 03:33
-
〜終わり〜
- 265 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/07(火) 03:37
- >>239さん
書いた本人も意味が分かりません・゚・(つД`)・゚・
書く方の技量の問題です、ごめんなさい・゚・(つД`)・゚・
今回も意味不明なヨカム・・・
- 266 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/08(水) 00:47
- シンプルで丁寧な文章が積み重ねられていて、村田さんの気持ちの変化や
成長がしっかり伝わってきました。とても楽しく読めました。
次の話も楽しみにしています。
- 267 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/08(水) 01:00
- ぬぉぉぉぉぉ〜〜〜!!!
これもまたここで終わるのかぁ〜!!!<(T◇T)>
この続きをぉぉぉぉぉ!!!!
読みたぁ〜〜〜〜〜〜〜〜い!!!。・゚・(つД`)・゚・。
- 268 名前:_ 投稿日:2005/01/17(月) 05:35
-
『AT or MT』
- 269 名前:AT or MT 投稿日:2005/01/17(月) 05:36
- ただアクセルを踏んでいたら進んでいく、AT車はあまり好まない。
好きな音楽を流したり歌を歌ったり、周りの風景を見たり。
そんな暇つぶしの仕方はあるけど、長時間運転になるとあまりにも退屈だ。
だからMT車を買う事にしている。
京都に住んでいた頃は道が広くて、運転中の退屈さを顕著に感じていたが、こうして東京に
出てきてからは道が混んでいるし、いちいちギアを変えるのは面倒さを感じる時もある。
それでも長年の癖はなかなか抜けないもので、アクセルを踏む度に加速していくAT車を
運転するのはすっかり恐くなった。
こっちに来てから意識し始めた事がある。
それは車庫入れする時に必ず、隣の座席の後ろに手を回す事。
よく若い子が聞かれる「あなたが恋人に色気を感じる時は?」といった質問に
「車をバックで車庫入れする時」なんてのを目にする。
元仲間達は皆年下で、どうしてもかっこつけたくなる。
だからバックする時にはいつもそうするようになってしまった。
- 270 名前:AT or MT 投稿日:2005/01/17(月) 05:38
- 『ドライブに連れてって』
淡白な中にわがままさが溢れるメールが届いた。
普段は人に気をよく回す子なのに、こういう時には他の今の若い子に相違なくわがままなお嬢。
もう12時を過ぎ、日付は変わっている。
つい一時間前に帰ってきたばかりで、まだ仕事の後の一杯のビールも飲んでいない。
ずっと仕事だったから体はクタクタ。
いつもこんな風にしか言ってこないけど、思うことは1つ。
「まだ飲まんでよかったー。捕まってン十万とられたらシャレにならんし」
いつも12時を過ぎるまで飲むのを我慢するようになったのは、こういうメールが届き始めてからだ。
最初に知り合ったのはまだ中学生、今はもう来年成人式を迎える年になっている。
大人になったなぁと思うけど、自分から見ればまだまだ子供。
そういう所が微妙にくすぐられたりする。
- 271 名前:AT or MT 投稿日:2005/01/17(月) 05:40
- 『すぐそっち行くから待っといて』
自分だけ気持ちが高ぶっているのはしゃくだから、敢えて淡白に切り返す。
ついさっきまではしゃいでいても、いつでもどこでもすぐに眠ってしまうような特技を持っている子だ。
急がなくては。脱ぎ捨ててあったコートをもう一度来て、外に出た。
ドアを開けると一面の星空、何てことはこんな所ではあり得ない。
ただただ、吐く息が白く見えるだけ。
マンションの地下の駐車場まで行き、車にエンジンをかけた。
新車で買ってまだ2年ぐらいなのに、こんなに寒いとエンジンのかかりが悪くなる。
一度見てもらって文句の一つでも言ってやろうかと思ってはいるけど、なかなかそんな時間は取れない。
「くそっ」
何度も何度もキーを回し、ようやくブルルンとエンジンがかかった。後ろからモクモクと煙が噴出す。
他の人には絶対このエンジンはかけれないだろうと思う。冬にこの車を盗まれる事はまずない。
変な自慢しか出来ないような車でも、ずっと乗っていると愛情も沸いてくる。
「ヤバイ、急がなほんまにあの子寝てまうわ」
左手でギアを入れ駐車場を出た。目的地まで約30分。
- 272 名前:AT or MT 投稿日:2005/01/17(月) 05:43
- こんな時間だから道は全く混んでおらず、予定通り一軒の家の前についた。
2階の電気だけがついている。
いくらこの家族が放任主義であったとしても、さすがにインターホンで呼び出す時間帯ではない。
電話で呼び出してもいいけど、一応メールで連絡することにする。
『今着いたで。起きてる?』
メールを送って、シートを少し倒し背伸びをする。
そういえば晩御飯を食べるのを忘れていた。
ビール飲みながら何かつまもうと思っていたけど、飲む時間帯を遅くしてからたまにこういう事をやってしまう。
「ゆーちゃん。お腹がすいた時に食べて、眠たい時に眠ればいいんだよ」
いつしかそんな事を言われたような気がする。それは君が若いから言える台詞だよ、と言いたかった。
ここまで来ると食べたものが全部贅肉となって、食っちゃ寝なんかしたら次の日の朝ムカムカしてしょうが
ないんだよ、と言いたかった。
それでなくても、最近丸くなってきたなんて言われているのに。しかも、性格ではなく見た目が。
思い出したら腹が立ってきた。今日はもう絶対何も食わん!
- 273 名前:AT or MT 投稿日:2005/01/17(月) 05:45
- メールはまだ返ってこない。もしかしたら寝てしまったか。あの子は電気をつけたまま寝れる子やから。
一応センターに問い合わせてみる。何もなし。もう少し待ってみよう。
うるさくて近所迷惑になってはいけないから、エンジンを止める。
一気に車内の温度は下がり、静寂に包まれた。そのためか、頭が冷静に働き始めた。
たった一つのメールで小躍りし、わざわざここまで来る自分ってどうなんだろう、と。
こんなにくそ寒いのに、携帯を握り締めて返信されないメールを待っている自分ってどうなんだろう、と。
一回り近く違う女の子にこうも簡単に振り回されている自分ってどうなんだろう、と。
いたいけな少女の夜遊びに怒るどころか、参加までしてしまっている自分ってどうなんだろう、と。
「ふっ」
何だか笑える。昔からそうだ。気付けばいつも相手に振り回されている。
そんな自分に自己嫌悪に陥ったりもするけど、体に染み付いたものは消えるものではない。
「もっと落ちつかなあかんよなぁ」
- 274 名前:AT or MT 投稿日:2005/01/17(月) 05:46
- その時手に持っていた携帯が震え、メールを受信した。
『今下に行く』
またしても淡白な内容。一つ目ののメールが送られてきてから一時間近く経っている。
おそらく転寝してしまっていただろうけど、そんな事は詮索しない。
こうして『行く』と言ってくれた訳だから、それでいい。携帯を後ろに投げ、シートを起こした。
家の電気が完全に消え、真っ暗闇から一つの人影が出てきた。
外は相当寒い。両手で体をさすりながら小走りでこっちにやってくる。
止めていたエンジンをかけ助手席のロックを外し、彼女が入ってくるのを待った。
- 275 名前:AT or MT 投稿日:2005/01/17(月) 05:48
- 「ううう、寒いよゆーちゃん」
「ごっちゃん。ちゃんと厚着してでてこなあかんやろ。それに髪もまだ濡れてるし。ちゃんと拭いてこな」
「だってお風呂に入ってて出てきたらメールが来てたんだもん」
「だからってなぁ。せめて頭は拭いてこな。風邪引くやろ」
「もう。お母さんみたいなこと言わないでよ」
「お母さんみたいなもんやん」
後ろの座席からハンドタオルを取り車の暖房を入れ、半渇きの後藤の髪を拭く。
「違うよ」という否定の言葉が欲しかったが、後藤は黙ってされるがままになっていた。
そういえばこのハンドタオルは、一度トイレにいった後使ったものだ。背に腹は変えられない。
風邪を引かれるより数段まし。だけど正直に言ったら半殺しにでもされかれない。
「はい、おしまい」
「もう、髪ぐしゃぐしゃになっちゃったじゃん」
「出て来た時からぐしゃぐしゃやった」
「まぁそうなんだけど・・・ありがと」
「どういたしまして。んじゃいくか」
「うん」
すっかりあったまったエンジン。周りを見ると、真っ白なエンジンの煙が噴出している。
最大にしてあった暖房を少し下げ、愛車を発進させた。
- 276 名前:AT or MT 投稿日:2005/01/17(月) 05:49
- ◆◆◆
- 277 名前:AT or MT 投稿日:2005/01/17(月) 05:50
- 「かっこいいよねー。それ」
以前後藤に言われた言葉。彼女は右手でその物真似をした。ガチャガチャとギアをシフトする動作。
そんな事は思いもしていなかった。ただ暇つぶしのためにMT車にしていただけなのに。
好奇心旺盛な後藤の眼差しが左手に注がれている。むずかゆくて掻きたくなった。
「もっとガチャガチャやってー」
楽しいオモチャを見るようなキラキラする視線を送られても、そういつもやるもんじゃない。
「そんないつもいつもするもんじゃないから」
「ええー、じゃあもういい!」
感情の起伏の激しい子やなぁ。クールとか言われがちやけど、全然そんな事ない。
それは自分に心を許してくれてるから見せてくれる一面なんやなぁ、と都合のいいように解釈。
口をへの字に曲げたり頬を膨らませたりして、怒りを前面に押し出す所を見るのは結構楽しい。
発進の時と停止の時は、必ずその視線を感じるようになり、その視線を横目でばれないように見るのが
お決まりのパターンとなった。
- 278 名前:AT or MT 投稿日:2005/01/17(月) 05:50
- ◆◆◆
- 279 名前:AT or MT 投稿日:2005/01/17(月) 05:52
- 車中では基本的に話しを聞く、受身のスタイルを取っている。
仕事やプライベートの楽しい事やつらい事を聞く。彼女はそういうのを話したがっている。
やっぱり不満や愚痴が多くなる。中学生の頃からずっとこういう世界でやっている訳だから、
ストレスもいっぱい溜まっている。そのうっぷんをいい方向に吐き出させてやるのが自分の仕事。
彼女から求められているものだと解釈している。大袈裟に言えばカウンセリングに近い。
「でさー、まっつーがさ・・・・よっすぃがね・・・梨華ちゃんが・・・」
「もうアイツやだ!会いたくないよ!」
等等。自分は多少長く生きている分経験がある。その経験を生かしてその内容に同意し、時には否定し。
そうやってうまく流しながら話を聞くようにしている。
いつも行き先は決めない。ただ思うがままにドライブする。
彼女にとっては車の中で色々と話す事が目的だから。
今日はいつもと趣向を変え、高速道路に飛び乗った。少し飛ばしたい気分だ。
このドライブに自分の意志を取り入れたのは初めてかもしれない。
夜の高速をグングンぶっ飛ばす。京都にいた頃はよくやってたなぁなんて事を思い出しながら。
お喋りが止まったな、と思って後藤の方を見てみると、ちょこんと身を乗り出すようにして外の景色を眺めている。
表情までは見えないが、「うわー」とか言ってテンションが上がっているようだ。
喜んでもらえてるみたいで、ほっとした。
- 280 名前:AT or MT 投稿日:2005/01/17(月) 05:54
- さすがにこんな時間に車はほとんど通らない。今聞こえてくる音は、自分が運転する車のエンジン音と
ぶち当たってくる風の音。今日はとても風が強い。すごい音がビュンビュンぶつかって来る。
隣を見ると、話し疲れたのかはしゃぎ疲れたのか随分と黙ったまま外の景色を眺めている。
そんな時はこっちから特に話は振らない。あくまで受身のスタイルを貫く。
車内の会話が途切れたまま、20分ほど過ぎていた。
「ゆーちゃんはさぁ、彼氏作らないの?」
静まった中、外を見たままそう問いかけられた。
今まで自分の事に触れられたことがなかったのに、急にそんな事を聞かれて戸惑った。
「つくらんというか、出来へんねん」
「何で?あたしからみたらゆーちゃんは綺麗だしたまに恐いけど優しいし、そんなのおかしいと思うんだけどさ」
「ありがとう」
「結婚したいって、いつも言ってるじゃん。あれ嘘なの?」
「いやー、結婚はしたいよ。ずっと意識してるよ」
「じゃあ、まず相手見つけなきゃ」
「そうやね」
「何か彼氏作らない理由でもあるの?」
「いやー、そういうタイミングがないっちゅうかなんちゅうか・・・」
「そうなんだ」
ここで会話が途切れるまで、後藤はずっと外を見たままだった。
今までこんな事を聞かれた事は無かった。彼女の真意は何だろうか。
別に無くてこの黙りこくっていた空間に耐え切れなくなって暇つぶしに切り出しただけなのか。
後藤の横顔はとてもクールで、どこか寂しそうに見えた。
「ここで降りようよ、ゆーちゃん」
名前も知らない出口の標識があった。こんな遠くまでは来た事が無い。カーナビを見ても何も分からない。
「分かった」
全く知らない出口を降りることにした。
- 281 名前:AT or MT 投稿日:2005/01/17(月) 05:56
- 高速を降りると、周りは一気に田舎になった。降りた所から一面田んぼばかりで、明かりがほとんど無い。
高速から少し離れていくと道はどんどん狭くなっていき、一車線しかない道を走らせる。
当然のように他に車は無く、ただこの愛車だけが走っている。
明かりがほとんどないしほかに車も通っていないので、ライトをハイビームにする。
かなり先まで見渡しても、一面何も作られていない田んぼばかり。
「何もなさそうやで。戻る?」
「この辺で降りようよ」
「ここでか?」
「うん」
車のエンジンを止め外に出て、真っ白い息を吐き出した。
目の前にある水溜りが凍っている。そういえば高速を降りてから途端に車の制御が悪くなっていた。
それは地面が凍りかけていたからなんだと分かった。
車が全くいないからといってスピードを出しすぎていたら、かなり危険だった。
本当に何も無い所だ。コンビニどころか家さえも見当たらない。
ここら一面に敷き詰められている田んぼは、一体誰の所有なんだろうと思う。
目を凝らして見てみると、田んぼに生えている雑草に霜が降りている。
軽く踏んでみると、ギュッと音がした。
助手席から降りてきた後藤は、家から出てきたとき同様、両手で体をさすっている。
こんな時、「寒いだろ」とか言いながら自分が着ているコートでもかけてあげればいいのかもしれない。
だけど、彼女は私にそんな事は求めてはいないと思う。きっと、そういう事ではないのだ。
体を震わせている後藤の横に立った。断続的に出ている後藤の吐く白い息が、どこか綺麗だ。
- 282 名前:AT or MT 投稿日:2005/01/17(月) 05:58
- 「ムチャクチャ寒いな」
「そうだね」
「ほんま何も無い所やなぁ。どこなんやろ」
二人とも体をさすり、なんて事のない風景を見ながらなんて事のない話。
それに対する後藤の返事は無く、暫く無言が続いた。
だんだん暗闇に目が慣れてきて、ぼんやりながら後藤の表情が見え始めた。
「さっきの話の続きなんだけど・・・」
「ん?何や?」
分からない振りをした。おそらくあれなんだろう、と見当はつく。
彼氏がどうのこうのといった話。そんなに興味がある事なんだろうか。
結構長い付き合いの中で、今まで全く聞いてこなかったような内容。
何故今それを聞いてくるんだろう。正直、この子にはそういう話をしたくない。
それはきっと自分が。
- 283 名前:AT or MT 投稿日:2005/01/17(月) 05:59
- 「あたしも車の免許とろうかな」
話題が変わった。後藤は手持ち無沙汰のような感じで足元の草を蹴っている。
色々聞きたそうだけど、聞いちゃ悪いのかなと葛藤しているようだった。
聞かれたら答えづらいけど心の中をぶちまけたい、自分の心も後藤と同じように葛藤している。
「何でまたそんな事思うん」
「だって、自分でこういう所とか色んな所に行きたいじゃん」
「私のじゃあかんの?」
何でそんな事いうねん、自分。
「駄目って事はないけどさ。いっつもゆーちゃんに頼んでばっかじゃ悪いしさ」
「そんなん全然思ってないって」
「でも、やっぱ自分の車欲しいし」
「運転すんのは結構危ないで」
「ゆーちゃんだってやってるじゃん」
「ま、そうなんやけどな」
ポケットに突っ込んでいるにも関わらず、手がかじかんできた。
また暫く沈黙が続いた。寒さで頭の中が麻痺してきているようだ。
どのぐらい沈黙の時間があったのだろう。10秒ぐらいか。5分ぐらい経っているような気もする。
- 284 名前:AT or MT 投稿日:2005/01/17(月) 06:00
- 「んじゃその助手席、予約するわ」
ふいに言ってしまった。我ながらくさいセリフだなと思った。何必死になってんねんやろ。
目の前の後藤が、大きく息を吸い込んで背伸びした。
「分かった」
小さい声だけど、確かにそう聞こえた。予約は入ったと。キャンセルされなかったって事でいいんかな。
「かえろか」
「うん」
「これ、寒すぎひん?」
「うん、あり得ないね」
「あ、鼻出てきた」
「汚いよ」
「汚いな」
帰りの車中、会話は全く無かった。
中澤のギアを変える左手のその下に、後藤の右手が敷かれていた。
かなり車中は寒かったが、中澤は暖房を入れなかった。
数ヶ月後、後藤は仕事の合間を縫って自動車学校に通い、見事一発で車の免許を取った。
最初に買った車は、中古の国産のMT車だった。
- 285 名前:_ 投稿日:2005/01/17(月) 06:01
-
〜おわり〜
- 286 名前:_ 投稿日:2005/01/17(月) 06:10
- >>266さん
そんな事をいって頂いて、大変恐縮です。ありがとうございます。
またお暇な時に覗いて頂けたら嬉しいです。
>>267さん
毎度毎度変な所で終わっていてごめんなさい・゚・(つД`)・゚・
やっぱり書き手の技量の問題でそこまでしか・゚・(つД`)・゚・
- 287 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/18(火) 22:21
- 今回の話もよかったです。
中澤さんの何とも言えない心持ちのようなものが、
MT車のギアチェンジとか、メールのやりとりとか、真夜中の田んぼとか、
「頭の中が麻痺」しそうな寒さとかを通じて伝わってきました。
最後に2人が心を通い合わせるところも好きです。
次の話も楽しみにしています。
- 288 名前:_ 投稿日:2005/07/18(月) 22:55
-
「2番目のタフガキ」
- 289 名前:2番目のタフガキ 投稿日:2005/07/18(月) 22:57
- 最近体を鍛えている。腹筋は勿論、腕立て背筋にも力を入れている。
毎朝のランニングも欠かさず行っている。きっかけは特に無いんだけど、
いつ何を言われてもすぐさま対応出来るような状態にしておくことは大切だと思う。
今、体の変化をよく感じる。
背も伸びるし、あんまり思いたくないけど全体的に体も大きくなってる。
それに食欲も以前と比べて格段に増えている。
「豆」からの脱皮もそう遠くないと勝手に思っている。
体だけではない。精神的にももっと大きく、強くならなくてはいけないと思っている。
また新しい子が入ってきて、自分が一番年下だった時はもうとっくに終わってる。
えらそうな事は言えないけど、あたしだってもう何年もここにいる訳だし、教えれる事はたくさんある。
そう、精神的に強くならなくてはならないのだ。ただ体を鍛えているだけでは駄目なんだ。
最近の食欲を考えると、それをサボるのも絶対駄目。食べる量を減らすことなんて出来ないんだから。
体は常に動かしてなくちゃならない。それでなくても食べたものが全部身になってる感覚があるんだから。
だけど、精神修行っていっても、何をすればいいんだろう。まさかお寺に行って座禅を組むわけにもいかないし。
- 290 名前:2番目のタフガキ 投稿日:2005/07/18(月) 22:58
- 体の鍛え具合だったらすぐ分かるんだけどなぁ。
自分で触ってみれば違いを感じるし、自信が無ければ誰かに聞けばいいし。
腕にぐっと力を入れ、力こぶを作る。
「ねぇねぇ、まこっちゃん。ちょっと触ってみて」
「ん、何を?」
「これこれ」
「おおー!」
「ね?すごいでしょ!?毎日腕立てやってんだから」
「ぷにゅぷにゅ。気持ちいいー」
「嘘!?すごい硬くない?」
「いや、全く」
「んもう、いいよ!まこっちゃんに聞いたあたしが馬鹿だったよ」
「何よそれ。聞かれたから答えて、触れって言われたから触ったのに、何で怒られるの?」
まこっちゃんに聞いたのはあたしのミスだったかもしれない。だってまこっちゃん、たまにアホだもん。ていうかアホだもん。
今日はきっとアホの日だったのよ、間違いない。だって確実に筋力上がってるもん。
ちゃんと分かってくれる人に聞かなきゃ。
- 291 名前:2番目のタフガキ 投稿日:2005/07/18(月) 22:59
- 「あいちゃん、ちょっといい?」
「何?どしたん?」
「これ触ってみて」
「何で里沙ちゃんのお腹さわらんといかんの」
「いいからいいからね、ほらどう?」
「おおー!」
「ね?すごいでしょ!?毎日腹筋やってんだから」
「ぷにゅぷにゅ。気持ちいいー」
「嘘!?すごい硬くない?」
「いや、全く」
「んもう、いいよ!あいちゃんに聞いたあたしが馬鹿だったよ」
「何よそれ。聞かれたから答えて、触れって言われたから触ったのに、何で怒られるの?」
あいちゃんに聞いたのはあたしのミスだったかもしれない。だってあいちゃん、たまにトんでるもん。
ていうかいつもトんでるもん。
今日はきっとトんでるのよ、間違いない。だって確実に筋力上がってるもん。
もう誰に聞いても一緒。でも、今大事なのはそういう事じゃないの。
第一、効果なんてそんなすぐに出てくるようなものでもないし。
- 292 名前:2番目のタフガキ 投稿日:2005/07/18(月) 23:01
- 大体精神力を鍛えるっていったって、どうしたらいいか分かんない。
野菜が食べられない子供が、分からないように混ぜて食べるのとは違う。
苦手なものを食べる時、お母さんどうしてくれてたっけなぁ?
苦手なもの?
そうだ、苦手なものを克服すればいいんだ。そうすれば自然と精神力も強くなる。
得意なものを伸ばしていくのも大切だけど、苦手なものから逃げるのは嫌。
あたしが強くなれば、大好きなモーニング娘のためにもきっといい。いいに違いない。
だけど、そこまで苦手なものってあるかなぁ。今すぐにでも克服しなくちゃいけないようなもの。
何とかしたいと思ってるようなもの。こういうのって、意外に見つからないものだなぁ。
胡坐を組んで深呼吸をし、目を閉じてみる。真っ暗な目の前にチカチカと光る丸い物体が瞬いている。
やっぱスタイルって大事だなって思う。だって、いい案が浮かんできそうだから。
いい「苦手なもの」が浮かんできそうだから。
人差し指に軽く唾をつけ、眉毛に塗ってみる。自慢の眉毛に塗ってみる。
そうそう、こうやって眉毛に唾をつけると、人に騙される事がなくなるの。
あたしはすぐに人の言うことしんじちゃうから、こうやってないとすぐに騙されて馬鹿にされる。
違うっつーの!眉毛じゃなくて頭だっつーの!
何かのアニメでやってたように、頭に唾つけて目を閉じればポクポクって音がしてチーンっていうの!
あぁ、こんな所人に見られたら変態だって思われちゃう。口に出してないよね。心で一人でジタバタしてるだけだよね。
変なことは思われたくないの。まこっちゃんみたいな扱いはあたしには無理、やってけないから。
それじゃやってみるから。見てて見てて。見られたくないんだけどね。
さんはい、ポクポクポクポク・・・・・・・・チーン!
あっさり浮かんだ。
里沙は娘に入ってからの数年の記憶を手繰り寄せた。
- 293 名前:2番目のタフガキ 投稿日:2005/07/18(月) 23:02
- 風景A
「お願い梨華ちゃん、ちょっとだけ」
「駄目です、今日はよっすぃと用事があるって言ってるじゃないですか」
「五分だけ付き合ってやぁ」
「中澤さんのお酒の相手すると次の日疲れるんですよ。それにここは仕事場ですよ。早く帰ればいいじゃないですか」
「だってさー、帰ったって誰もおらんし。一人で飲むより二人で飲んだ方が楽しいやん」
「ハナちゃんがいるじゃないですか」
「おるけどそれとこれとは話が別や」
「と・に・か・く。私は帰ります」
「何やねん!私がどれだけアンタの世話したと思ってんねん!ちょっとぐらい付き合ってくれたってええやんか!」
「中澤さんのお世話になった覚えはありません。それにそんなに怒鳴られる覚えもありません」
「あぁごめんなさい。今のは違うんです、間違えました。そこのキュートなお嬢さん」
「さようなら」
「ちょっと待ってーや」
「あ、よっすぃ。いこっか」
「いいの?中澤さん泣いてるみたいだけど」
「いいのいいの」
「お前らー!」
(所要時間 6分 石川の楽屋前)
- 294 名前:2番目のタフガキ 投稿日:2005/07/18(月) 23:02
- 風景B
「紺ちゃーん、ええもんあげる」
「何ですか、いいものって」
「はい、これ」
「いいんですか、こんなもの頂いて」
「ええのええの。紺ちゃんはええ子やからなぁ」
「ありがとうございます」
「その変わりっちゃなんやけどな」
「何ですか?何でも言ってください、私なんかに出来ることなら」
「そうか?ほんま紺ちゃんはええ子やなぁ。完璧な子やなぁ」
「完璧じゃないです」
「んじゃ、ちょっとついてきてくれる?」
「はい」
紺野はただただ従順に中澤の後に続いた。紺野は気がつかなかった。
ついていった先は、誰も利用していない部屋であるという事。
さらにそこはもう何年も使われていない開かずの間であるという事。
何故かそこの部屋の鍵を持っているのは中澤だけであるという事実を。
真後ろにいてその様子を見ながら会話を一部始終聞いていた里沙。
二人に気づかれる事は無かった。
数時間後から、紺野から生気が無くなっていた。いつもにも増して虚ろな目でぼんやりとしていた。
まるで大切な何かを失ったかのように。
(所要時間 4分 真後ろ3メートル)
- 295 名前:2番目のタフガキ 投稿日:2005/07/18(月) 23:03
- 風景C
「中澤さぁーん」
「パス」
「何ですかそれぇ。待ってくださいよー、まだ何も言ってないじゃないですかぁ」
(所要時間8秒 収録現場までの廊下)
- 296 名前:2番目のタフガキ 投稿日:2005/07/18(月) 23:04
- 風景D
「亀井ー!」
「え?な、何ですか?え、絵里何も悪い事なんてしてません。夜ベッドで人の悪口なんて言いません。
寝る前にチョコレートなんて食べません。本当に何もしてませんから許してくださいー」
「は?何言うてんねん、あほか。亀ちゃんに折り入ってお願いがあってな」
「そ、そっちの方が怖いですよ。絵里が中澤さんのお願いなんて叶えれる訳無いじゃないですか」
「そんなたいそうな事やないって。五分ぐらいで済む話やから」
「ええっ・・・無理です」
何が何か分からず、すっかり怯えきってしまっている亀井。いらつく中澤。
「ええから黙ってゆう事聞け!分かったんか分かってないんか、どっちや!」
「はい・・・分かりました」
「分かったらそれでええねん。ちょっとストレスを解消したいだけやねん」
「ストレス・・・ですか」
「この年になるとなぁ、色々とある訳ですよ。ちょっとぐらい協力してや、な?」
「はぁ・・・」
亀井は「自分のストレス発散のために人を使うなっつーの、絵里は暇人じゃないんだからね」という言葉を二度と
出てこないように体の奥底まで飲み込んだ。
- 297 名前:2番目のタフガキ 投稿日:2005/07/18(月) 23:06
- 「で、絵里は何をすればいいんですか?」
「うん、とりあえずこれに着替えてきて」
「こ、これは・・・」
中澤は満面の笑みで見たことのある衣装を手渡した。最近何度か袖を通した衣装だった。
確かにお気に入りでこれを着るといつも以上に可愛くなれる気がするからテンションは上がるんだけど、
理由も無く今やれって言われても。そうだ、理由は?
もう仕事も終わってジャージ姿ですっかりリラックスムードの絵里の気分を削ぐ程の理由は?
「何でそれを今着るんですか?」
「だって可愛いやん。それにエロいし」
「エロい・・・って何ですか?」
「グダグダ言うとらんとさっさと着替えてこい!お前に意見する権利は何一つないんじゃ!」
「そ、そんな・・・」
無茶苦茶な、奥底へ飲み込む二つ目の言葉。絵里は半ベソをかきながらトイレへ駆け込んだ。
- 298 名前:2番目のタフガキ 投稿日:2005/07/18(月) 23:07
- 「おお、やっぱええなぁそれ」
「・・・」
「やっぱ私はエリックよりもエリーゼ派やな、うんうん」
「あのう・・・」
「とりあえず後ろ向いて」
「は?」
「は?やない。後ろ向けゆうてんねん」
「はぁ」
何で絵里がこんな目にあわなくちゃいけないんだろう。最近悪いことなんて全くしていないのに。
今日は朝が早くてTVの占い見れなかったけど、きっと今日はやぎ座は12位だったんだ。
きっと今日はお気に入りで着てきたこのジャージのグレイがアンラッキーカラーだったんだ。
あー、もう最低最悪。さゆはさっさと帰っちゃうし。終わったら買い物に行こうねって言ってたのに。
さゆと二人でお買い物なんて久しぶりだったからすごい楽しみにしてたのに、ムキー!
で絵里は今何してるの?ん?何か下半身がスースーする。へっくしょい、さゆが絵里のこと噂してんのかなぁ、えへ。
ちょっと待ってよ・・・
「ええわー、ええわー」
亀井が恐る恐る振り返ると、そこには32歳の大人の女性とは思えぬ、目じりが垂れ鼻の下が伸びきっているただのおっさんとしか
思えない中澤裕子がいた。この人は悪魔か幻か、はたまた女性の皮を被った神か。
中澤ははらりとスカートをめくり、満面の笑みで目の前の光景を見ていた。
「な、何やってんですか中澤さん!」
「ちょっとスカートの中、見せてもらってるだけやん」
「ただのど変態じゃないですか!止めてください」
「いや」
「止めてください!」
「そんなに抵抗するんやったら、こんなこともしてまうぞ!」
「うぎゃー!」
里沙はそっとドアを閉めた。
(所要時間17分 自分の楽屋のドアの隙間)
- 299 名前:2番目のタフガキ 投稿日:2005/07/18(月) 23:08
- 里沙の頭の中で、いくつかの断片が1つに繋がった。自分にはこれまで極力避けてきた道があった。
それは通りづらく、通ったとしても突っ切る自身の無い道であった。
年齢的なものもある(倍違う)、あたしが大好きなモーニング娘を作ってきた人で、さらにそのリーダーだった人。
まこっちゃんもあいちゃんもあさ美ちゃんも、色々な事を言われながらも今では普通に話したりしてる。
でも、まだあたしは出来ていない。あの「ノリ」を自分に置き換えても、何かリアクションが出来るとも思えないし。
後からまこっちゃんとかに聞いたら、「えー、だってすごい楽しいよ、中澤さんといると」なんて言ってたし。
あさ美ちゃん、亀井ちゃんとも明らかに接する態度に違いがあるのに。
それでも同じラインに立って、ぶつかっていくまこっちゃんはすごいと思う。
何も考えてないアホって言葉で片付けられない。
何もきっかけが無かったら、きっとこのまま中澤さんとはうまく話せないまま終わっちゃうかもしれない。
でも、これは上の人とうまく話すための社会勉強で精神修行だと思えば、何とかなるかもしれない。
たくさんの人と触れ合って、自分を大きくしなくちゃ。今のままじゃ小春ちゃんにも何も言えやしない。
- 300 名前:2番目のタフガキ 投稿日:2005/07/18(月) 23:09
- 「あ」
これは偶然か必然か。ここはスタジオのあるビルの一階ロビーであるから、起こらないとも言えない。
念じてみれば結構願いなんてものは叶うのかもしれない。
実際、その出会いを願っていたかどうかは微妙なラインではあるのだが。
見つけてしまった。そのソファーに座る後姿はとりわけ巨大な山のように見えた。
これを乗り越えたならば、きっと1回りも2回りも大きくなっているはず。
一大決心をし、徐々にその背中に近づく。
その漠然としていた後姿がはっきりとしてくるにつれ、小さくも大きい背中がカタカタと震えているのが分かった。
そして右手には・・・茶色のビンが。よく見ると左手にも同様に茶色のビンがある。
「あの、中澤さん・・・」
本当は止めておこうかと思っていた。この人がお酒を飲んでいる所は何度も見たことがある。
その都度被害者は生まれていた。
「おー、誰かと思ったらガキさんやんか、珍しいなぁ。とりあえずこっちおいで」
里沙は中澤の横に恐る恐る座った。
中澤の表情を見ると目は真っ赤に充血していて、何かに飢えている動物のようにも見えた。
- 301 名前:2番目のタフガキ 投稿日:2005/07/18(月) 23:10
- 誰もおらんから寂しかってん。酌してくれい」
「は、はぁ」
お酌をするって意味は知ってるけど、コップが無い場合はどうすればいいのかなぁ。
ほら、あたしが何もしなくても一人でビンをラッパ飲みしてるじゃないですか。左右のビン変わりばんこに。
あ、それにもう空のビンが4本もある。今お昼前の11時なんだけどなぁ。後2時間もすれば収録始まっちゃうんだけどなぁ。
それにこんなにベロベロな状態、お父さんでも見た事がないよ。
でも、お化粧とか髪の毛のセットとかはきっちりしてる。こういう所は同じ芸能人として見習わなくちゃいけない。
とはいえこんな状況、新垣里沙辞書には載ってないからどうしたらいいのか分かんない。豆知識なんて言ってる場合じゃない。
「いやぁ、カワイ子ちゃんが傍にいてくれるとやっぱ違うなぁ」
何だか目の焦点も合ってないしあんまり呂律も回ってないし、せっかく頑張ってお話しようと思ってきたけど、
そんな状況でもないみたいだからもう帰ろうかな。
「あ、あのすいません。あたしはこれで失礼します」
「ちょい待て」
それまでご機嫌な顔をしていた中澤の表情が一気に曇った。曇りを省略して雨模様、落雷注意。
眉の間に渓谷ができ、口がとんがった。
- 302 名前:2番目のタフガキ 投稿日:2005/07/18(月) 23:11
- 「来たばっかやんけ。もうちょっとゆっくりしていかんかい」
あのー、ここはビルでして、中澤さんのお家では決してない訳でして。
それにもうお昼が近づいてきているからかな。さっきから人の通りがガンガン増えてきている気がします。
人の視線というものは全く関係ないんでしょうか。その・・・体裁のようなもの。
まだアイドルや、ってよくおっしゃってるじゃないですか。
今日の目標は失敗という思いとこんなので引き下がれないという思いで葛藤している里沙を見て、中澤はその距離をぎゅっと縮め方に手を回した。
「どうしたんや、急に黙ったりして」
「いや、その・・・」
苦手なものを克服しようと言う意識は薄れ、一秒でもこの場を去りたいという今の気持ち。
どうしたらいいか分からないという戸惑いも伴い、里沙は俯いたまま動けなかった。
この固定された状態をどうにかしてほどいて逃げたい、それが里沙の気持ちだった。
だが、中澤の受け取り方は違っていた。彼女の思考は酒も手伝い、プラス思考へと。
- 303 名前:2番目のタフガキ 投稿日:2005/07/18(月) 23:11
- 「そうか、そういう事な」
「は?」
中澤は分かった、うんうんと頷いた。里沙はその真意が分からず、ポケっと首をかしげた。
中澤はより里沙の体をぐいと引き寄せた。
「ちょ、ちょっと、中澤さん」
抵抗するが勝てない。顔が一瞬近づいた。お酒くしゃいです。
肩の辺りがもぞもぞする、と思ったらそれはだんだんと下がってきた。
ん?と自慢の眉毛を逆ハの字にする。「それ」は首とお腹の間ぐらいで止まった。
「それ」は上半身の左と右をモゾモゾ行き来していた。ぱっと前を見ると、ニヤついた中澤の表情が見えた。
- 304 名前:2番目のタフガキ 投稿日:2005/07/18(月) 23:12
- 嘘!?
里沙は今の状況を理解してしまった。あの人達と同じ運命を自分も辿ってしまったのだと。
「んわーーー!!!」
里沙には全く免疫が無かった。
「あれ?おい、どうしたんや?」
「な、中澤さん、何やってんですか!?里沙ちゃん!大丈夫?ぺしぺし。気失ってる・・・中澤さん!」
たまたま通りかかった小川は、その光景を見て驚いた。
「い、いや、小川さん、私ちゃうで。ここで倒れとったからこんな所で放置もできんし、介抱してあげなあかんなおもて」
「その手にあるビールは!?」
「これも私のちゃうねん・・・」
「何で里沙ちゃんにこんな事やってんですか・・・?」
「いや、だって赤い顔して俯いて黙ってるからてっきりそういう事なんかな、みたいな・・・」
「野獣」
「新鮮なリアクションが欲しくてつい・・・」
「猛獣」
「ごめんなしゃい、調子に乗りました・・・」
「ど変態」
「『ど』はつけんとって・・・」
まだ無理だった。
救急車のサイレンが鳴り響いた。
- 305 名前:_ 投稿日:2005/07/18(月) 23:13
-
〜終わり〜
- 306 名前:_ 投稿日:2005/07/18(月) 23:18
- >287さん 細かい感想まで頂いて嬉しすぎます。本当にありがとうございます。
また機会がありましたらやろうと思っておりますので、その時はまたよろしくお願いします。
という訳で、一ヶ月遅れ、(・e・)主役の変則的中澤生誕記念ものでした。
- 307 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/07/23(土) 18:30
- ガキさんの語り口や、セクハラの域を超えた「ど変態」中澤さんがおかしくて……。
他のメンバーの、中澤さんへの態度も面白かったです。
タイトルはアンダーワールドから、でしょうか?
- 308 名前:_ 投稿日:2005/08/15(月) 00:44
-
『オールドタイマー』
(*元ネタ有)
- 309 名前:オールドタイマー 投稿日:2005/08/15(月) 00:45
- こんなアルバイトをしようと決心したのは、暑い時期に涼しい所でのんびりとお金を稼げると思ったからだ。
思いのほかアルバイト代もいいし、たまたま広告を見て「これはいける」って思った。
今や貴重となっている文化に触れるのも悪くない。
私は面倒臭がりやだから普通なら真夏の炎天下、家から出るなんて考えられない。
今までの16年間、お金に苦労したことは無い。
今時の女子高生だからといってポンポン色んなものを買ったりもあまりしない方だと思う。
裕福な方だとは思うけども。
「東京のど真ん中にこんなに広くて、たくさん樹があるなんて」
そこに初めて訪れたのは夏休みに入ってすぐ、7月の終わりだった。
朝からセミが大声でわめき散らしていた。
いつもいるような高層ビルやたくさんの車が行き来する所では聞けない夏の音。
夏休みは昔からクーラーのある家から出ないことを決め込んでいた私にとって、それは初めて生で聞く声だった。
- 310 名前:オールドタイマー 投稿日:2005/08/15(月) 00:47
- うちの家族が東京に出て来る前は福岡に住んでたって言ってたっけ。
私はそこにはまだ行った事がない。生まれも育ちも東京。
教科書でしか見た事ないようなものがまだ実際にあるらしい。
東京のオイル色の水とは違って、そのまま飲める水。売っているのとも根本的に違う。
私達は飲むために水を買うことはなくて、主に体を洗うために使ったりする。簡単にいえばお風呂。
でも、福岡では井戸ってやつから水をくみ上げてそれを飲む所もあるんだって。
東京の水の色をいつも見てるから、あんなもの飲もうとも思わない。コーラと間違えるぐらいだし。
私はおばあちゃん子ですごい可愛がってもらってるし、私もおばあちゃんが大好きだ。
ついでにおばあちゃんの友達とも仲良くなって、いつもおこずかいもらってる。
お母さんはいつもおばあちゃんとその友達に「私の娘を甘やかさないでください!」って怒ってる。
おばあちゃんといえば田舎に住んでいて、畑仕事なんかをしていて、っていうイメージがあるんだけど、
うちのおばあちゃんは全然そんなんじゃない。私なんかよりも活動的にすごい町の中を歩き回る。
もう60を過ぎてるのに、お母さんやお父さんよりも元気。
毎日のように携帯電話でその友達を呼び出して街に繰りだしてる。
私はそんなおばあちゃん達が大好きだ。
初めてのバイトに関しても、お母さんはすごい反対した。
「そんな事しなくてもやっていけるでしょ?まだお金が欲しいの?」
なんて素っ頓狂な事を言ってた。おばあちゃんは大賛成。
「若いうちから色んな事を学びなさい」って言ってくれた。おばあちゃんの友達も賛成してくれた。
- 311 名前:オールドタイマー 投稿日:2005/08/15(月) 00:48
- 初めてその高校に訪れた時に案内してくれたのは、面接で会った校長先生だった。
校長先生ももうおばあちゃんで、貫禄のある女性だった。うちのおばあちゃんよりはちょっと上かな、って思った。
「ここです」
私にとっての初めての職場は、都会のど真ん中にぽつんとある、緑の残る静かで趣のある建物だった。
「うわぁ、アンティークってよりはアナクロって感じ」
「入って。ここがあなたの仕事場よ」
私の仕事は返却された本の整理だった。山積みになったたくさんの本を元の場所に戻す、それだけの仕事。
「田中さん。紹介するわ、この人はあなたと一緒に働くことになる・・・・」
あまりの本の多さに圧倒されて、紹介された人の名前を聞きそびれた。
ついつい「うわー」と言葉をもらしてしまったみたい。
その「先輩」はクスクスと微笑んだ。
「いやー」と言いながら頭をポリポリと掻いた。
今更聞き逃した名前を聞き直すことなんて出来る訳もなく、しょうがないからその人の顔をじっくりと見た。
その人もお年を召した女性だった。私は本当におばあちゃんに縁があるみたい。
高校にバイトに来たはずなのに、会う人みんなおばあちゃん。全然嫌って訳じゃないんだけどね。
寧ろやりやすいかもしれない。付き合い方には慣れてるから。
それにしても、この「先輩」はどこかで見た事があるような気がする。
どこか遠い所で会った事があるような気がする。
おばあちゃんにもなると、みんなおんなじように見えちゃったりするのかなぁ。
そういえば校長先生も見た事あるような気がするし。
しかも校長先生、面接の時私のこと知ってるような話し振りだったなぁ。
私の考え違いかなぁ。
「仕事の事はこの人に聞けば何でも分かるから」
「はい」
「よろしくね、可愛いお嬢ちゃん」
「あ、はい!こちらこそよろしくお願いします」
結局名前は聞けずじまい。あれ、校長先生の名前は?
忘れた。
- 312 名前:オールドタイマー 投稿日:2005/08/15(月) 00:50
- たくさんある本の整理は思っていた以上に大変だ。
普段運動なんか全くしない私にとっては、数冊の本を持ってうろうろするだけでヒイヒイ言ってしまう。
この暑い中、外でクラブ活動で汗を流してる人なんて信じられない。
だからクーラーの効いている部屋の中の仕事を選んだのに、それでもつらい。
「ひゃぁ。やっぱり喫茶店にしておけば良かったかなぁ」
「はは。分からない事があったら何でも私に聞いてね」
「あ、はい。でも、こんな難しい洋書、ここの生徒は読むんですか?私なんかさっぱり・・・」
今整理しているのはドイツ文学の本だった。整理番号を見ると棚の上の方だったので、脚立に登り本を入れる。
「ここはね。図書室じゃないんですよ、田中さん」
「え、そうなんですか?」
「ええ。ここは蔵書なのよ。先代の校長が本が大好きな人でね。だからここには生徒なんか来ないのよ」
「そうですか。それにしてもすごい量の本ですね・・・」
本棚の上の方に、数枚の立派な写真が並べられていた。みんな恰幅のいいおじいさん達。
おそらく彼らが歴代の校長先生ということなんだろう。先代の、って言ってたからおそらく一番右端の人がこれらの本の持ち主。
なるほど、確かに本が好きそうな顔をしている。あくまでインスピレーションだけど。
脚立の上から「先輩」を見ると、仕事の手を止め、その先代の校長先生らしき写真を見つめていた。
表情までは見えないけど、じっと見つめているという感じ。
それ以上は話しかけれる雰囲気じゃなかった。
- 313 名前:オールドタイマー 投稿日:2005/08/15(月) 00:51
- 「どうです?お仕事ははかどってますか?」
ギィと古臭い音と共に校長先生が入ってきた。
「あ、校長先生。若い人が来てくれて助かってますよ」
「いやいや、まだ全然慣れなくて・・・」
「そりゃまだ初日ですもの。徐々に慣れてってくれればいいわ」
「ありがとうございます」
「意外に力仕事で戸惑ってるんじゃない?」
その通り。本がまさかこんなに重いなんて。ましてや普段運動をしない私にとっては信じられない重さで。
「はい。少し戸惑ってます」
「ふふ。正直な子ね。やっぱりそっくりだわ」
「は?」
「いえいえ。こちらの話よ」
校長先生はしわしわの顔をくしゃと崩して微笑んだ。一体何の話なんだろうと思ったけど、さっぱり分からなかった。
そのやりとりを無視して黙々と作業をしていた「先輩」も、一瞬微笑んだように見えた。
だけど私と目が合った瞬間、また真剣な表情に戻り、作業に戻った。
校長先生はつかつかと「先輩」に近づき、窓の外を見ながら話しかけた。
「田中さんには悪いけど、ちょっとお茶でもしませんか」
「はぁ。でも田中さん一人にやらせるには・・・」
「私にはお構いなく。全然大丈夫ですので」
「悪いわね。田中さんも疲れたら休んでいいから」
「はい。分かりました」
「先輩」は持っていた本を机の上に置き、校長先生の後を追った。
二人は図書室の奥にある二人がけのテーブルに腰をかけ、校長先生がお茶を入れた。
校長先生は自分が入れたお茶をおいしそうにすすっていた。
「先輩」の方はというと、カップには手をつけずに窓の外を眺めていた。
校長先生はその風景が当たり前だと言う感じで、相変わらずお茶をすすっていた。
窓の外はセミが大きな声で鳴き続けている。
- 314 名前:オールドタイマー 投稿日:2005/08/15(月) 00:52
- 本の整理が終わり、校長先生の言葉に甘えて私も少し休憩しようと思い、外に出た。
一瞬で汗が噴出しそうなほど暑いけど、薄い上着を着て来て本当に正解だったと思う。
あっという間に真っ黒になりそうなぐらい太陽が照りつける。
ポケットの中からハンカチを取り出し、構内を歩き回ってみる。
暑くてたまらないから、自動販売機を探そう。
だだっぴろい校庭を横切り、体育館の横に自動販売機があるのを発見した。
グラウンドからは野球部の叫び声が聞こえ、体育館からは剣道部の竹刀の触れ合う音が聞こえる。
皆上を目指して大きな声を出し、走り回り、一生懸命になってる。これが青春を示す音なんだな、私には無い青春の音だ。
自動販売機でお茶を買い、ベンチに腰掛ける。
隣のベンチには女子高生が一人、暑い暑いと文句を言いながらだらっとしている。
「暑いねぇ」
私はその女子高生に話しかけた。
「めちゃ暑いよねぇ。何もやる気しないし」
「あなたは何部?」
「サッカー部のマネージャー。暑くてたってらんなくて。あなたは?制服でも体操服でもないって事は外部の子?」
「そう。あっこの図書室でバイトやってんの」
「へー、そうなんだ。誰も人いないでしょ?」
「うん。校長先生とおばあちゃんがもう一人いるだけ」
そういえばまだ名前聞いてなかったな。早くきっかけ見つけて聞かなきゃ。
- 315 名前:オールドタイマー 投稿日:2005/08/15(月) 00:53
- 「うちの校長先生ね、結構すごい人なんだよ」
「え、どういうこと?」
「昔女流作家だったんだって。かなり有名らしいよ。私は本なんて無縁だから知らないんだけどね」
「へぇ、そうなんだ」
「『星霜』って小説、知ってる?」
私も本は読まない。だけどこの小説は知ってた。おばあちゃんがしきりにすすめてきたから。
確か内容は良くあるような若い二人の恋物語。だけどこれは悲恋に終わる。最後に二人は心中しちゃうやつ。
こういうエンディングはあんまり好きくない。もっと楽しい話じゃないと。
おばあちゃんにそう感想を話したら、「あなたはまだ子供だからね」と言われてちょっとむかっとした。
確か作者を知ってるっておばあちゃん、言ってたっけ。
って事は校長先生とおばあちゃんは知り合いって事?
「でね、この校長。もっとびっくりする過去があるの。あのね・・・」
「ちょっと待って!」
はっとしてふと腕時計を見ると、仕事場を抜けてから30分も経っていた。
まだクビにはなりたくなかったから猛ダッシュで図書室に戻った。
こんなに汗だくになったのは久しぶりだ。
あの女子高生は何を言おうとしてたんだろう。
- 316 名前:オールドタイマー 投稿日:2005/08/15(月) 00:54
- ◆
毎日のようにこうやって二人でお茶を飲んでいる。
目の前の人は一度たりともこっちを見ない、見ようともしない。
だけどもそこに不満なんてものはこれっぽっちもない。これは懺悔だから。
十年前にこの人がここに来たのは心臓が飛び出るほど驚いた。そしてそこには縁を感じた。
それは亡くなった主人に対してさえもなかったものだった。
十年もの間、こうして毎日お茶を一緒に飲んでいる。
それでこれまでの空白が埋まるなんて思わない。今の現状で十分に満足している。
こうして目の前にこの人がいるだけで。
もう決心はついた。十年は長いようであり、短くもある。
約束を果たす時がきたと思う。あの時裏切ってしまった約束を果たす時が。
もうお茶はいらない。お腹がタプタプする。今の年齢にはこたえる。
「ごちそうさま」
いつもこの言葉だけは言ってくれる。そして仕事場へ戻るその後姿を見る。
十年も続けてるこの光景。さぁ、一歩を踏み出そう。
◆
- 317 名前:オールドタイマー 投稿日:2005/08/15(月) 00:55
- 「おはようございまーす」
何とか無事1週間は乗り切った。
結局初日に30分も職場を離れてしまっていた事に関しては、何のお咎めもなかった。
戻ってみると校長先生の姿はなく、「先輩」はただ笑っていただけだった。
重たい本にも少しずつ慣れ、腕を見ると少し筋肉が。今までいかにさぼってたかってのが良く分かる。
「まだ来てないみたい」
私は私の仕事をする。積み上げられた本を、国別に分けて整理していく。
「ヴェルヌかウェルズはないのかな」
あまり本は読まないけど、SFだけは結構好き。今となっては当たり前のような事を、予言のように小説として昔の人は書いてる。
この人達が今の時代を見たらどう思うんだろうって考えると楽しい。
「これは・・・フランス文学か。参ったなぁ。本の海だよこりゃぁ」
脚立に乗って棚の上段に本を入れる。上から周りを見渡すと、校長先生の姿が見えた。確かあの辺は、日本文学が置いてあるあたり。
「何してるんだろ」
校長先生は一冊の本をじっと読んでいるようだった。一冊の本というよりも1つのページを眺めている感じだ。
ペラペラとページをめくる雰囲気はない。声をかけれる雰囲気でもなく、その光景をただ見つめるしかなかった。
数分後、パタリと本を閉じ、校長先生は去っていった。何をしていたかは分からない。
- 318 名前:オールドタイマー 投稿日:2005/08/15(月) 00:57
- 「おはよう」
そうこうしているいちに、「先輩」が来た。
「あ、おはようございます」
「ごめんなさいね、遅れちゃって」
「いえいえ」
こういったのんびりとした空気は、私に合ってるのかもしれない。
だからこそ1週間経ってうまくやっていけてる。
仕事をせかされたりノルマを課せられたりすると、途端にやる気をなくしそう。
このバイトは、本当にあたりだと思う。
「すいません、これはどこですか?」
「あ、それはあっちの方ね」
このおばあちゃん「先輩」は何でも聞ける人だからすごいやり易いし。
何を聞いてもニコニコして優しく答えてくれる。
アメリカの小説を持って整理して、次はイギリスのSF小説。
イギリスがどこかまた分からなくなっちゃったからまた「先輩」に聞こうと思ったら、そこには「先輩」はもういなかった。
「あれ、どこいっちゃったんだろ」
両手に本をたくさん抱えたままでその辺をうろうろすると、少し離れたところに「先輩」はいた。
そこは先ほど校長先生が立ち止まっていた、日本文学が分別されている辺りだった。
その「先輩」もある本を手に取り、読むというよりは1つのページをじっと見つめているようだった。
数分後、「先輩」はパタンと本を閉じ、静かにその場を去っていった。
校長先生と「先輩」、二人が見ていたあたりが気になり、脚立から降りて日本文学が分類されている所を調べた。
- 319 名前:オールドタイマー 投稿日:2005/08/15(月) 00:58
- 「ん?」
一冊だけ、ピョコンと飛び出してある本があることに気づいた。
その本を棚から取り出し、表紙を見てみる。
「これ、『星霜』の初版じゃないの。古本屋行ったら高く売れるんだろうな」
適当にペラペラとめくっていると、とあるページが目を引いた。そこには花の絵が書かれた栞が挟まっていた。
「ん?何だろう、この赤丸。8月14日の所に丸がしてある。8月14日といえば丁度1週間後、来週の日曜日か」
その時は特に気にならず、そのまま本を戻した。
もしもこの時にストーリーをきっちりと思い出していたら、違う結末があったのかもしれない。
結果的には、私なんかがどうこう出来るようなものではなかった。
- 320 名前:オールドタイマー 投稿日:2005/08/15(月) 01:00
- 次の日曜日、つまり8月14日を迎えても、その時の事を私はすっかり忘れてしまっていた。
聞きそびれてしまっていた「先輩」の名前も、もういいやって思い始めていた。
完全に慣れきってしまっていた私は、静かでのんびりとしたその空間を楽しむようになっていた。
あまり興味の無い本にも手を出し、「先輩」や校長先生がいない所でこっそり読むようになっていた。
二人はそんな私の様子を知っていたらしいけど、黙って見過ごしていてくれた。
若い私が本に興味を持ってくれた事が嬉しかったのかもしれない。
カチャ
「あっ」
「田中さん、ご苦労様。お茶にしませんか?」
校長先生がいつもと同じ時間にやって来て、お茶に誘ってくれた。
「先輩」は相変わらず黙々と作業をしていたけど、その手を止めて先にテーブルの方へ向かった。
校長先生はいつもと変わらないやわらかい笑顔を見せてくれたけど、いつもよりほんの少しだけ違って見えた。
少し化粧をしているようだった。化粧をする校長先生を見るのはは初めてだった。
「ありがとうございます。だけど、私は外の空気を吸ってる方がいいので」
「そう?」
校長先生はお茶のセットが乗った盆を手に、テーブルの方へ向かっていった。
「先輩」は窓の外を見つめていた。
休憩時間のお茶は、断るようにしている。
何だか分からないけど、それは二人だけの時間のような気がして、私が入ると邪魔になるような気がして。
きっと校長先生は否定するんだろうけど、ちょっと入りづらい。あまり二人に会話は無いようだし。
外に出て自動販売機まで行き、遅れ過ぎないように図書室の近くで休憩を取る。これはあの時から反省して行っている事だ。
そういえば、あのサッカー部のマネージャーは真面目に行ってるだろうか。かなりひ弱そうに見えたからちゃんと行ってないっぽい。
目の前に大きな木が見える所で腰を下ろす。目を閉じると、耳障りなセミの声が際立って聞こえる。
微かに吹く風が、目の前の木々の葉を揺らす。
暑苦しいのは変わらないのに、このまま寝てしまいそうだ。
- 321 名前:オールドタイマー 投稿日:2005/08/15(月) 01:02
- 「今日は8月14日ですね」
頭の上から校長先生の声が聞こえた。そうか、ここはあのテーブルのある窓の下だったんだ。
何か盗み聞きしてるようで嫌だけど、聞こえてくるものはしょうがないよね。この二人には色々と謎が多いし。
「まだ許してもらえないかしら」
校長先生の言葉が続く。一体何の事だろう。許すとか許さないとか。
「先輩」の声は聞こえない。ずっと黙っているみたいだ。
「あの頃は若かったわ。自分というものを押さえ切れなかった。特にあなたに会ってからは。何に対してもずっと消極的だった私は、
あなたに会って変われたの。歌を歌う事、ダンスを踊る事、そして恋愛も。何をやっても楽しかった。」
「そしてあなたは結婚した」
やはり二人は昔からの知り合いだったのか。
- 322 名前:オールドタイマー 投稿日:2005/08/15(月) 01:03
- 「あなたは娘が解散してから、フットサルのチームから声が掛かった。あなたはそれから全日本のメンバーにもなった。
すごい楽しそうにやっていたのを私はずっとTVで見てた。あれからの私は自分を見失ってた。あなたにも声をかけれなくなった」
「そんな時、あなたはあのご主人と結婚された」
「精神的に参っていたせいかしら。主人は優しい言葉を色々かけてくれた。本当に優しかった。だからそのまま結婚を受け入れたの」
へぇ、二人にそんな過去があったんだ。分からないもんだなぁ、人間の関係って。
「先輩」もものすごい有名人って事?
「私に黙って、主人が『星霜』を本にしてしまった時は、本当に驚いたわ。『星霜』はあなたに頂いた原稿だって言ったの。そして、あなたの事も」
「・・・」
えっ!じゃぁ『星霜』を書いたのは「先輩」って事!?
「主人は私を許してくれた。でも、あなたの名前は出せないって言った。
学校の体裁、そしてあなたの名前が売れていたというのが、気に入らなかったんでしょうね」
「すごい昔の話・・・」
「先輩」はお茶をすすった。
「実は私、医者に言われたの。もって後半年。癌だって」
「癌!?」
半年!校長先生の命が後半年だって!?
- 323 名前:オールドタイマー 投稿日:2005/08/15(月) 01:05
- 「あなたはここに来て十年。一度もあの頃のように、私に心を開いてはくれなかった」
「・・・私は、十年間ずっと君の傍にいたよ。君が戻ってくるのを待ってた。君を忘れた事は一度も無かった。
だからここに来たんだ。十年もの間、ここで君を見てたんだ」
「本当に?ありがとう、よっすぃ」
「ははは、よっすぃ・・・人にそう呼ばれるの、何十年振りかな。本当に君を待ってたよ、梨華ちゃん」
「もう、よして、梨華ちゃんなんて年じゃないんだから」
よっすぃ、梨華ちゃん。どっかで聞いた事がある。
そうか!あの二人、おばあちゃんと昔・・・だから校長先生もよっすぃ「先輩」も私の事知ってたんだ。
おばあちゃんが安心してこのバイトをすすめてきたのは、こういう事だったんだ。
知り合いの所だから、私みたいな世間知らずでも安心して預けれるって思ったんだ。
おばあちゃん、言ってた。青春時代にやってたアイドルグループの中で、本当に仲のいい人達がいたって。
校長先生と「先輩」もその中の二人なんだ。
おばあちゃんにもいたって言ってた。
私の名前を決める時、そのすごい仲の良かった人に相談したって。で、二人の名前を合わせてつけたって。
ママは勝手なことしないでください、って怒ったっていうのも聞いた。
「梨華ちゃん、あの時の約束、覚えてる?」
「勿論覚えてるわ。あなたが言ってくれた、『一緒に生きていこう』って言葉」
- 324 名前:オールドタイマー 投稿日:2005/08/15(月) 01:05
- オールド・タイマー
運命って、こういう事をいうのかなぁ。
でっかい木にもたれかかって、ふうと息を吐いた。何だかすごい優しい気持ちに今なってる。
木から伝わる熱が、心地良く体を通り抜ける。
「あれ、待てよ。確か8月14日って・・・!」
急いで頭の中の記憶を手繰り寄せる。確か、確か・・・
「8月14日は、『星霜』の主人公の二人が心中する日だ!」
ばっと立ち上がり、窓から中を見ていつものようにテーブルでお茶をしているはずの二人の姿を確かめる。
「校長先生!よっすぃ先輩!」
ー
ーー
ーーー
ーーーー
ーーーーー
- 325 名前:オールドタイマー 投稿日:2005/08/15(月) 01:07
- 学校から家までの道のりはそんなには遠くは無いけれど、いつもバスに乗っていた。
歩くエネルギーを持っていない、日に焼けるのが嫌、クーラーが効いてないと生きていけない。理由はそんな所。
バスから見ていた風景は、ここら辺りでは珍しい静かで田舎なものから、徐々に私がいつも生きている世界、2055年現在のものに変わる。
バスで帰るのを止め、今歩きながら見ている風景は、いつもとは違う。
もし私がもう少し『星霜』を早く思い出していたら、結果は変わっただろうか。
私があの二人の名前を呼んだ時、二人が飲んだカップの横には薬方紙があった。
『星霜』の主人公達は、最後に立ち寄った旅館で二人で毒を飲んだ。
私が叫んで窓の中を見た時、すでに二人はテーブルに突っ伏していた。互いの両方の手は、しっかりと握られていた。
あの時の約束を果たそうって言ってた。だからこれから二人は一緒に・・・
私が二人に出来る事なんて、これっぽちもない。ただ、二人の邪魔をしないだけ。きっとそれだけ。
だから、救急車も警察も呼ばなかった。出来るだけ長い間、二人の時間を作ってあげたかった。
歩いて帰っているのを、少し後悔している。バスだったらあっという間だから、歩いても大丈夫だろうと思ったのが間違いだ。
これからは少しづつ運動しようと思う。クラブ活動をしようとは思わないけど。
家まで3分の1ぐらいの所まで来た時、ポケットに入れてた携帯電話が震えた。
相手を見ると、おばあちゃんだった。
- 326 名前:オールドタイマー 投稿日:2005/08/15(月) 01:08
- 「もしもし、れいなおばあちゃん?」
「絵里奈、やっと出たね。早く帰っておいで、今日はアンタの誕生日なんだから。ちゃんと覚えていたと?」
あ、そうか。今日は誕生日か、すっかり忘れてた。おばあちゃんには悪いけど、さすがに誕生日を祝ってもらう気分にはなれないや。
「うん、今帰ってるから。あ、そういえばおばあちゃんが何で反対しなかったか、今日分かったよ」
「ん、何の事?」
「ううん、何でもない」
「ちゃんと二人には挨拶してきたと?あの二人はなにせおばあちゃんの・・・」
「分かってるよ、ちゃんとしてきたから」
「絵里も来てるから。アンタを祝いたいってうるさいから、早く帰ってきなさい」
「はい」
携帯の電話を切った。私の名前の生みの親でもある絵里おばあちゃんも来るって言ってた。
でも、今日はやっぱり。
帰るまでここはまだ3分の1。景色はまだ2055年に戻ってはいない。
今日は何時になってもいい。歩いて帰ろう。
多分、暫くバイトはしない。そんな予感がする。
- 327 名前:_ 投稿日:2005/08/15(月) 01:08
-
〜終わり〜
- 328 名前:_ 投稿日:2005/08/15(月) 01:14
- >>307さん ありがとうございます。あまりに久しぶりに書いたので、どうなっているのか自分でもよく分かりませんが
そう言って頂けて嬉しいです。タイトルはアンダーワールドから拝借しました。「タフじゃないガキさん」ってだけなんですけどね。
もしかすると分かりにくいかと思い前作の補足なんですが、風景Cの相手は小川さんです。
- 329 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/12/12(月) 03:26
- 突然失礼します。いま、2005年の飼育を振り返っての投票イベント
「2005飼育小説大賞」が企画されています。よろしければ一度、
案内板の飼育大賞準備スレをご覧になっていただければと思います。
お邪魔してすみませんでした。ありがとうございます。
- 330 名前:_ 投稿日:2005/12/23(金) 23:15
-
『SILENT NIGHT 』
- 331 名前:SILENT NIGHT 投稿日:2005/12/23(金) 23:16
- ー今年、ママからもらうクリスマスプレゼントは二者択一ー
他の四季を愚弄するほどに、冬を愛するようになった。
春・夏・秋の必要性は全く感じない。あまりにも不要だ。
せっかく暑さ、寒さ、その変わり目を感じる事が出来る日本に住んでいるのに、何と贅沢な意見なんだ。
一応はそう思う。けれども、やっぱり他の季節は不要だ。
モコモコのジャンパーを羽織り、モコモコの帽子を被り、通年で寒さを保つ北極や南極で暮らすのが理想。
妥協して、アラスカあたりでもいい。北海道ぐらいじゃ妥協出来ない。夏は不要な温度まで上がる。
息を吐けば濛々と煙は出続け、息を吸えば肺の辺りに痛みを感じる、そのぐらいの寒さが理想。他は不要。
もし仮にモコモコの国に言ったらば、皆こう思う事は分かっている。
「何てキュートな女の子がやってきたんだ」
と。
- 332 名前:SILENT NIGHT 投稿日:2005/12/23(金) 23:18
- ああ、分かり過ぎる結論だ。今更論ずる事でもなく、分かりきった事実。
だけど、言われると嬉しい。分かっている事だけど、人の口からはっきりとそう言われると喜んじゃう。
そういう事を言わない人だと分かったとしたら、「大丈夫。分かってる。可愛いって言いたいけど言えないんだよね」と認識する。
ああ、なんて罪な女なの私って。とは思わない。
何ていうか、罪とか罰とかそういう次元を超えた可愛さを持ってるの、私。
ウサギと天使を足して2で割ったら、さゆが出来るの。ううん、違う。
この世の可愛いものを全て足したものがさゆなの、割るのはいらない。
こんなにも可愛いから、クリスマスプレゼントは毎年山ほど貰うの。だって、さゆは誰からも愛されるし誰よりも愛されるから。
でも、今年はママから1つプレゼントを貰えたらいいの。
最近高いものをねだってないから、今年は結構大きく言える権利を持ってる。
今欲しいものが二つあるんだなぁ、どっちにしようかなぁ。両方!って手もあるけど、いくらさゆが可愛いからってそこまでは。
ママの反応を見て決めるしかないかなぁ、迷っちゃうよ!
- 333 名前:SILENT NIGHT 投稿日:2005/12/23(金) 23:20
- 学校が終わり、家族と夕食を終えたさゆみは自分の部屋に戻った。
ついているものをわざわざ消そうなんて事は思わないが、暖房がついている部屋に長時間いるのは少し苦痛に感じるようになった。
だから、自分の部屋にいる時は暖房はつけない。去年買ってもらったホットカーペットも、一昨年買ってもらった電気ストーブも。
隙間風がびゅうびゅう入ってくるって訳じゃないけど、隙間が全くないという事もあり得ないから、部屋の温度は10℃もきっとない。
それが普通だし、それが適温。いつしかそう感じるようになった。
「あーあ、プレゼント、どっちにしよっかなぁ」
自分の勉強机にどかっと座り、数日後に迫ったクリスマスの事を考えた。
これ程までにクリスマスというものを真剣に考えた事はない。
しかもクリスマスをどのように過ごすかではなく、どっちのクリスマスプレゼントを貰うか、究極の二者択一で悩んでいる。
前者に対しては、もう決まっている事だからというのもある。
- 334 名前:SILENT NIGHT 投稿日:2005/12/23(金) 23:21
- 椅子のスプリングがギシギシと軋む音がするほど、さゆみは仰け反った。
天井の4角のうちの1つが目に入った。目に入ったというより、意識的に目に入れた。
それは家族のみんなもよく部屋に来る友達も知らない、さゆみにしか知りえない歪だった。
さゆみはおもむろに立ち上がり、ベッドの上に立った。
ベッドの横にあるタンスの引き戸を階段状に全て開けた。寒いという理由で中から衣服を取り出す為ではなく。
タンスを利用した階段と壁を器用に使い、さゆみは部屋の上部へと移動した。
いくら常に可愛くいたくて体重に気を使っているといっても、タンスは人を乗せる事を考慮して設計されていない。
さゆみはギチギチと鳴るタンスに苛立ちながらも、天井に手が届くところまで登り切った。
板と板の微かな歪は、ここまで来るとはっきりと見える。ここまで来ないと見えないとも言える。
知っている人間だから、遠くからでも歪をそれと認識出来る。
「んー」
さゆみはタンスの一番上に屈む格好で乗り、角の板を持ち上げそのまま部屋の裏側へスライドさせた。
「さすがにちょっと寒いかも」
- 335 名前:SILENT NIGHT 投稿日:2005/12/23(金) 23:24
- 天井裏にひょっこりと顔を出し、中を見渡した。
この家の底の面積そのままの広さが、この天井裏にはある。ざっと30畳ぐらいか。
だだっぴろいこのスペースには何もない。たった1つを除いて。
このスペースのど真ん中に、pピンク色の箱がある。
天井裏にある西側の窓から差し込む月光が、丁度そのピンク色の箱を照らし出している。
外の冷たい風のせいで、窓がカタカタと震えている。
冬という季節故か、差し込む月の光はキラキラと光っているように見える。
「ぴょん、ぴょん」
さゆみは下から顔を出した状態のまま、手振りつきでウサギの物真似をした。
勿論、誰が聞いている訳でもない。その声は静寂に包まれた天井裏に反響し、そして消えていった。
「どっちがいいかな」
誰に言う訳でも、何に向かって言う訳でもなく、さゆみは無機質に呟いた。
が、それは客観的に見た場合。さゆみにとっては、その言葉はただの呟きではなかった。
きっちりと対象に目を向け、その対象にむかって放った言葉だ。
「にひ、やっぱさゆが決めるー」
ある種、世界は自分を中心に回っている。レッツ、ポジティブシンキング。
自称、誰からも愛される笑顔を残し、さゆみは頭を引っ込め、元の位置に板をスライドさせた。
板と板の間には、以前と同じ歪がある。
スペースのど真ん中に、ピンク色の箱がある。
- 336 名前:SILENT NIGHT 投稿日:2005/12/23(金) 23:26
- ◆
2年前の冬、さゆみは大きなピンクの箱を買った。
その年の秋に、ウィンドウショッピングをしていた時に目をつけた、ブランドもののモコモコした高いコートを買おうと
貯めていたお金を全てつぎ込んだ。
その箱を買うにあたり、さゆみは様々なオーダーメイドをした。
自分の理想とする箱を作ってもらえるお店を探すのも一苦労だった。
色やサイズは勿論の事、内装まで拘った。
「パパが釣りにいく時に使う、クーラーボックスのような感じにして下さい」
さゆみは業者に希望を告げた。
「こんなに大きなクーラーボックスは初めてだよ」
白髪の混じったおじいさんは単純に驚き、けれども理由は聞かずにさゆみの希望を叶えた。
さゆみは2種類のステッカーも買った。合計で100枚は越えようかというほど、大量に買った。
「可愛いぃー。さゆのセンスって最高なのー」
大量のステッカーを満遍なくピンク色の箱に散りばめ、さゆみは満足そうに微笑んだ。
◆
- 337 名前:SILENT NIGHT 投稿日:2005/12/23(金) 23:27
- クリスマスイブ。さゆみは二者択一を決断していた。
「ママー、ケーキー!」
「さゆ、ドタドタ走らないの。そんな子にはサンタさんは来ないわよ」
「ママがいるじゃん。もう今年のは決めてるの。ママに選択権はないの」
「もう、いつもは夢みたいなこと言ってるのにこんな時は・・・」
「ママ、今年はね・・・あ、その前にケーキちょーだい」
「もう、忙しい子ね」
ダイニングテーブルに寄りかかってピョンピョン飛び跳ねるわが娘の姿を見て、さゆみの母親は深くため息をついた。
早くパパ、帰ってきてくれないかしら。運悪く今日という日に北海道へ出張へ行った父親の不在を嘆いた。
さゆみの母親は冷蔵庫からケーキの箱を取り出した。
箱を開けると、中から二人分としては相当な大きさのチョコレートケーキが見えた。
それまで白い生クリームのたっぷりと乗ったクリスマスケーキを望んでいたのに(1週間前から騒ぎ出していた)、
ここ2年は何故かチョコレートケーキを望むようになった。
ただ嗜好が変わっただけだろうと、さゆみの母親は意に介さなかった。
- 338 名前:SILENT NIGHT 投稿日:2005/12/23(金) 23:28
- 「じゃぁ、切るわよ」
「はーい。あ、とりあえずママの分だけ切って」
「何、それ?」
「貸して」
さゆみは母から包丁を取り、特大のチョコレートケーキを5分の1ほど切り取った。
それを皿の上に乗せ、残りは箱にしまった。
少しいびつな形に切り取られた5分の1が、バランスを失って皿の上で倒れた。
「残りはさゆのもんー」
「ちょっとさゆみ、どうするの?どこいくの?」
「それは内緒、えへ。あ、そうだ。ママ、プレゼントだけどね。さゆ決めたから」
慣れてはいるはずだけど、あまりにも急展開過ぎる娘の行動についていくのがやっとだ。
「何?とんでもないもの頼むんじゃないでしょうね。パパにも相談しないといけないんだから」
「うーん。そんなとんでもないもんじゃないよ。愛するさゆのためなんだから。さゆ、実は欲しいものが二つあったんだ。
でも、決めた。あのね・・・が欲しいの」
- 339 名前:SILENT NIGHT 投稿日:2005/12/23(金) 23:30
- さゆみはその「モノ」を伝える時、母にそっと耳打ちした。恋人が愛の言葉を伝えるように、そっと。
母はその「モノ」に釈然としなかった。何故そんな「モノ」を欲しがるのか、理解不能だった。
毎年のように、可愛い服、可愛いアクセサリーをねだられるものと思っていた。
1つだけ分かることは、「ソレ」は確かに高いものであると分かる。
「何でそんなものが欲しいのか、ちゃんと説明しなさい」
母は怪訝そうに説明を求めた。今現在、家にある「ソレ」では納得がいかないのだろうか。
そもそも、「ソレ」を使う機会が多いのは母である自分であって、さゆみはそれほどの使用頻度はないはずだ。
「んー、簡単に言うと・・・さゆの愛のため?じゃ、明日一緒に買いにいこーねー。ぴょん」
さゆみは器用にチョコレートケーキの入った箱を持ちながら、手振りでウサギの耳のアクションをつけ部屋を出た。
そんな意味不明な娘の行動にほんの少し不安を抱きながらも、とりあえず頭に思う事は1つだ。
「結構高そうねぇ。パパ、何て言うかしら」
- 340 名前:SILENT NIGHT 投稿日:2005/12/23(金) 23:31
- さゆみは部屋に戻り、先日登った天井の角を見上げた。
先ほどまでの母親とのやりとりで見せていた馬鹿っぽい表情は、完全に消えている。
きりっと引き締まった表情というよりは、無感情な状態に近い。
相変わらず暖房の効いていない部屋は、実際なら身が縮こまるぐらいの温度だが、さゆみはその寒さを全く感じていない。
それは限界を超えたから寒さを感じ取っていないのではなく、すっかり寒いという概念が無くなってしまっているからだ。
「さゆは一番じゃないの」
誰に言う訳でもなく、まして自分に言い聞かせるでもなく、ただそのように口を動かしただけかのように、さゆみは呟いた。
大きく手を伸ばしてケーキの入った箱を先にタンスの上に乗せ、先日登ったようにして自分もタンスの上に屈んで乗る。
相変わらず見える板と板の間の歪は完全に無視し、さゆみは板をスライドさせた。
ケーキの入った箱を天井裏に運び、腕の筋力と壁をうまく利用しながら、さゆみは天井裏に這い登った。
外した板はそのままにし、ケーキを手に取り天井裏の中央部に向かって歩く。
外の風は止んだのか、窓を叩く音は消え去っていた。
- 341 名前:SILENT NIGHT 投稿日:2005/12/23(金) 23:33
- 「あ、雪」
家全体に吹き付けていた風の代わりに、外はしとしとと雪が降っていた。今年最初の雪。
月の明かりは今はほとんどない、無光の世界。
さゆみはずんずんと部屋の中心に近づいてゆく。
中心にあるピンク色の箱の前に来る頃には、さゆみの表情は一変していた。
自称、誰からも愛される、誰よりも愛される笑顔になっている。
さゆみはその大きなピンク色の箱の前でひざまずいた。
「ハッピーメリークリスマス。イヴだけど」
さゆみはピンク色の箱の蓋を開けた。
蓋にはウサギと亀のステッカーが多数、隙間なくびっちりと張られていた。
- 342 名前:SILENT NIGHT 投稿日:2005/12/23(金) 23:35
- 「ハッピーメリークリスマス、絵里」
ピンク色の箱の中には、小柄で少し茶色がかったショートカットの少女が、一糸纏わぬ姿でいた。
その少女は胸の前で手を組み、無表情に目を瞑ったまま、身動きひとつしない。
さゆみは徐に着ている衣服を脱ぎ捨て、その少女の眠る箱の中に入った。
全く暖房のない天井裏で裸になるなんて行動は、どう考えても尋常ではない。
中に入ったさゆみは、身動きしない少女に抱きつくように肌を合わせた。
少女の組まれた手を解き、自分の体を抱きここむように移動させる。
箱の中にいた少女の顔には血の通った色はしない。さゆみが寄せた肌に、暖かさは感じない。
だけど、さゆみだけが感じ取れるものがあった。
「絵里、メリクリ。ふふっ、韻を踏んだ訳じゃないよ。今年も、絵里が大好きなチョコレートケーキ、持ってきたから。後で一緒に食べようね」
さゆみは絵里と呼んだ少女に抱きついたまま、箱の周りを見渡した。
釣ったお魚さんが入っているような、無機質なただのクーラーボックス。
「絵里。今年のプレゼント、何貰う事にしたか、聞いてくれる?多分、さゆ天才なの」
さゆみは少女の首筋に、ぐりぐりと頭を押し付けた。
- 343 名前:SILENT NIGHT 投稿日:2005/12/23(金) 23:37
- 「迷ったの。よくTVで流れてるじゃん。寒い地方に住んでる人達が着てるような、体も頭もモコモコに包んでくれるジャンパーみたいなの。
ほんとはあれがほしかったの。あれもらって、どっか・・・アラスカとかで暮らそうと思ったの。そこだったら、絵里をこんな所に
押し込めなくてすむじゃない?だから、そこでずっと可愛い、唯一さゆよりも可愛い絵里とずっと暮らそうと思ったの。でも、それって
現実的じゃないから止めたの」
さゆみは少女の顔を、数センチの距離の所で見つめた。見つめ続けた。
少女の体からは、温度は伝わってこない。何も伝わってこない。さゆみ以外には。
「でっかい冷蔵庫を貰う事にしたの。それをここに置いてたらね、いつでも絵里に会えるじゃない?毎年冬になるまで、こんな箱の中に
入れられて、しかも土の中に埋められたまんまじゃ、絵里も息苦しいと思って。冬になったら庭の穴を掘り返すさゆも大変だし。
ふふ、さゆ、やっぱ天才」
さゆみは再び、少女に体を預けた。完全に密着するように、強く全体重を預けた。
重い、そんな言葉を言われる可能性はゼロであるが、例え言われたとしても問題ない。
- 344 名前:SILENT NIGHT 投稿日:2005/12/23(金) 23:39
- 「これは、さゆの愛の重さだよ、絵里」
温度なんて不要だ。さゆが欲しいのは1つなの。
「ずっとさゆよりも可愛い、一番可愛い絵里でいて」
さゆみは、右手で少女の腹部にそっと触れた。
真っ白な体と対称的に、その部分の皮膚がドス黒く変色している。
だけどそれは皮膚が変色しているのではなく、別の要素によってそうなったものだった。
少女の体に残る生々しい傷跡、もう流れる事はない白い体にこびりついた血液。
「さゆの足跡」
さゆみは少女に体を預けたまま、静かにそっと目を閉じた。
外は変わらず、しとしと雪が落ち続けている。
さゆみの部屋に掛けてある鳩時計の鳩が、12回出たり引っ込んだりした。
天井裏には、その時計の音は聞こえてこない。無音の世界は、耳が痛い。
「メリークリスマス」
- 345 名前:_ 投稿日:2005/12/23(金) 23:41
-
〜おわり〜
- 346 名前:_ 投稿日:2005/12/23(金) 23:41
-
从*・ 。.・从 >フライングなの
- 347 名前:_ 投稿日:2006/06/26(月) 00:18
-
『飴色の空』
- 348 名前:_ 投稿日:2006/06/26(月) 00:19
- ここに勤めてから何年になるだろうか。
高校を卒業してからになるから、かれこれ・・・15年になる。
それはあっという間に過ぎ去った15年だった。
ずっとここで働いている自分は、他の街を知らない。生まれ、育ち、今までの生活。この街が自分の全てだ。
小さな子供を預かる仕事ではたくさんの、それこそ数え切れない程の子供達をここから送り出した。
その中にはこの街を出て、時折手紙という今の時代ではクラシックな方法で連絡をくれた子もいる。
勿論、その後の人生を全く知らない子もいる。ほとんどが後者だ。
保育園での仕事は、小さな子供達の小さな背中を送り出すだけだ。
子供達の扱いは、昔から多少の自信があった(見た目だけだと理解されにくいのだが)。
何故か10歳ぐらい違う子達が、周りを囲った。
お菓子を買ってあげて一緒に歩いたり、はたまた喧嘩する二人をなだめたり。
- 349 名前:飴色の空 投稿日:2006/06/26(月) 00:20
- 「あいつら、喧嘩ばっかりしよんねんもんなー」
もうここに残る園児達はいない。外に出ると、梅雨時期には珍しく綺麗な夕日が映えていた。
ザクザクと何の気なしに歩いていると、ふと昔の記憶が蘇った。
自分が中学生か高校生の頃か、やたら絡んで来る親戚の女の子がいた。
恐ろしい程に生意気で、ショートカットが良く似合う女の子だった。
「私より先に嫁にいったけども」
偶然にその情報を耳にしたのは、彼女が結婚してから2年後の事だ。
確かにぷっつりと交流は無くなっていたけど、本人の口から出なく偶然の産物でしかも他人の口から聞いたのは、少しショックだった。
その事実をタイムリーに知っていたのは、二人の両親だけだったらしいから、しょうがないと言えばしょうがない事ではあるが。
「お幸せに」
その知らせを聞いて、ふと呟いた言葉だった。
彼女に会いに行った時、すでにお腹は大きくなっていた。
「裕ちゃん、久しぶり。会いにきてくれてありがとう。本当に嬉しいよ」
彼女は本当に幸せオーラをこれでもかという程発散させ、笑顔で迎えてくれた。
こっちまで幸せな気分になった。
先に行きやがってという気持ちは、多少あったが。
- 350 名前:飴色の空 投稿日:2006/06/26(月) 00:21
- 狭い敷地内、ここのど真ん中にあるジャングルジムまであっという間に辿り着ける。
わざとゆっくりと歩きながら、ポケットにしまってあった携帯を取り出す。
今日は朝から何度も同じ人にメールを送っているが、一向にリアクションが無い。
あまりに腹が立って、電話もかけたが、同じようにリアクションは無し。
もう少し若かりし日の自分であれば、ふてくされてみたりしたものだが、そういった駆け引きめいたものも面倒臭いと感じてしまう。
色々考えながら行動していた過去を振り返ると、よくもまぁそんな生き方が出来たなと思う。
30を過ぎたあたりから、思った事を全て言っておかないと気がすまなくなってきた。
これはある種の開き直りだが、その事によって楽に生きられるようになったし、逆に考える力は劣化したと思う。
気に入らなければ文句を言うし、連絡が取りたいのに取れなければ取れるまでしつこく追い回す。
「あの子はほんま・・・今日に限ってでーへんなんて」
学生である彼女が、この時間帯に電話に出れないとは到底思えない。
苛立ちを隠さず、ポケットに携帯をしまいこんだ。
- 351 名前:飴色の空 投稿日:2006/06/26(月) 00:22
- 目の前に来ていたジャングルジムに触れる。
毎日のように繰り返される、陣地争いのような光景。
子供にとってはここは相当な高さだろうが、ここを登ろうとする子達に恐怖心は無い。
落ちやしないかとハラハラする自分の気持ちも理解して欲しい、きっとその想いは届く事は無い。
彼らにとって先生のそんな言葉は、あってないようなものだろう。
ここの園児達にとってはちょっとした山のようだろうが、自分にとっては目線よりも下。
登らずともてっぺんを見る事が出来る。
制服であるエプロンを脱いで、ジャングルジムに掛ける。
その部分は今のままでも見えるが、そのジャングルジムのてっぺんまで登って確認した。
『いちー』
『やぐち』
もうほとんど見えないが、ギリギリでその単語を確認出来る。
これは彼女達二人が最後に仲直りをした証。自分の事ではないにしろ、どこか嬉しかった。
彼女達の記憶にはとうの昔に消え去っているだろうが、自分にとってはこのジャングルジム毎思い出になっている。
ジャングルジムのてっぺんに腰掛けながら、その横にあるもう1つの文字に触れる。
- 352 名前:飴色の空 投稿日:2006/06/26(月) 00:23
- 『ゆーちゃん』
ここで働く事になって間もなくして見つけた2つの文字。
何となくこの二つに加わりたくて自分で彫ってみた名前。
真横に掘り込むのは申し訳ない気がして、少し外して名前を金属の棒で彫った。
もし二人が追加されたこの文字を見たら、この行為を許してくれるだろうか。
二人の間に土足で割り込んだような行為をして、彼女達は怒るだろうか。
そんな事を考えるのはくだらない事なのかもしれない。
なぜなら、きっとこの追加された文字を彼女達は見る事はないだろうから。
丁度一年前、偶然が起こるまではそう思っていた。
ポケットの携帯は、まだ鳴らない。
- 353 名前:飴色の空 投稿日:2006/06/26(月) 00:24
- 去年の4月中旬のある日、わざわざ彼女は私に会いに来てくれた。
偶然では無かった。彼女の意思でここまで、彼女の生まれ育ったこの街に帰って来た。
そして、私に会いに来てくれた。大きくなった(変わらず体は小さかったが)その姿を見せてくれた。
でも、やっぱり偶然だった。彼女は私がここで働いている事を知らなかった。
そらそうだ。彼女との交流は長らく途絶えたままだったのだから。
「偶然ってすごいね」
彼女の口から漏れた一言はきっと本音だっただろう。
私がこの街にい続けているとも限らない。
この保育園に来るなんて、働いても無い限り来る確率なんて天文学的な数字だ。
逆に言うと、その時の二人の接点はこのジャングルジムにしかなかったと言える。
だから彼女はここにすがったのだ。
彼女のその疲労した表情を見ると、一目瞭然だった。
愛くるしく成長した姿を見て、私は問答無用で目を細めた。
- 354 名前:飴色の空 投稿日:2006/06/26(月) 00:24
- そういえば彼女はあの文字を見ただろうか。
恥ずかしくてどこかむず痒くてそんな事聞けやしない。
消しゴムで消せるんだったらすぐさま消したいぐらいの気分だった。
彼女はぴょんと飛び降りるようにジャングルジムを降りた。
私もゆっくりとここ降り、その後をついて歩いた。
ギャルっぽい今風の格好をしたその後姿を見つめた。明らかに何か言いたげだった。
「どないしたん」
「矢口・・・結婚するんだ」
彼女は振り向かず、伝えたい事を伝えに来た。
「裕ちゃんにはどうしても伝えたくて」
「そうかいな。わざわざありがとな。相手、ええ人なん?」
「まぁね。まずまずの所で手を打ったよ」
「ほうなんかいな。おめでと」
「うん。ありがと」
- 355 名前:飴色の空 投稿日:2006/06/26(月) 00:25
- 彼女は今、神奈川で暮らしているという。
私にその知らせを持って、何時間もかけてこの街に戻って来てくれた。
確かにその知らせを持ってきてくれたのは嬉しかったが、それ以上にやはりその成長を見せてくれたのが何よりのプレゼントだった。
「幸せになりや」
「分かった。裕ちゃんもね」
「私はまだ先やな。また私より先にいきよってからに」
「え?何の事?」
「こっちの話や」
彼女は紗耶香の事を知らなかった。
「これ、渡しにきたんだ」
「ん?」
彼女から1枚の葉書を受け取った。披露宴の招待状だった。
綺麗な花嫁姿だった。相手もなかなかよさげな人物だった。
その披露宴で会ってから彼女とは会っていない。
勿論、ブーケはゲット出来なかった。
- 356 名前:飴色の空 投稿日:2006/06/26(月) 00:26
- すっかり日が落ちた。
もう諦めざるを得ないのか。本日もう何度目だろうか、携帯をチェックする。
何かリアクションがあったらすぐに分かるのに、やはり自分の目で確認しないと納得がいかない。
やはりメールも着信も無い。
もしかして忘れてしまっているのではないか、そんな不安さえ感じる。
確かに住んでいる所は随分離れているため会えないのは分かっているが、離れた所で時間を共有したい。
今日の事を知っていた同僚が色々と誘ってくれたが、全て断った。
あまりプライベートな話をしていなかったので、ここぞとばかりに詮索する友人もいたが、煙に巻いた。
時計を見た。すでに7時前だった。
空は飴色に染まっていた。せっかく梅雨時期に珍しい天気だったというのに、心は曇り空。
いや、雨模様。
仕事の合間を縫い、仕事が終わった後もひたすら連絡を取ろうとし続けてきたが、さすがに根気がなくなってきた。
最後のチャンスとばかり、携帯を鳴らす。
何度もコールするが、やはり出ない。出ないというのがあの子の結論だろうか。
もしかすると今日一日ずっと寝続けているという疑惑も浮上する。
この予想はいいのか悪いのか。
無視されている訳ではないという一方、あの子にとっては今日はそういうものであるとも取れる。
- 357 名前:飴色の空 投稿日:2006/06/26(月) 00:27
- やはり出ない。
こんな事なら同僚と飲みにいけばよかったと後悔する。
今日だけは女王のような気分が味わえるし、飲み代も全てみんなが払ってくれるし。
「しくったなぁ」
呼び出しを止め、同僚の名前をディスプレイに出す。
「もしもし、圭織?今どこで何してるん?おー、そこにおんのかいな。皆もおんの?やっぱ私も行くわー。うん。じゃあ後で」
さすがに今日は一人ぼっちでは過ごせない。
さっき断った同僚に連絡を取り、今から行くように伝えた。
まだ歓迎ムードは漂っているという。ギリギリセーフ。滑り込みセーフ。
「よっしゃ。行くか」
気持ちを切り替えて、ジャングルジムを勢いよく飛び降りる。
掛けていたエプロンを取り、早足で保育園の方に向かった。
「ちゃっちゃと着替えよ」
早足はいつしか駆け足に変わっていた。
もう息が切れそうだ。いくら毎日子供を相手に走り回っているからといって、年齢から来る衰えを隠せるものじゃない。
「しんど・・・」
丁度保育園の中に入ろうとした時、入り口の門の所で騒がしい音がした。
- 358 名前:飴色の空 投稿日:2006/06/26(月) 00:28
- 「セーフッ!」
目を見開いた。物凄い勢いでここに駆け込んできたのだ。
「ごっちゃん!」
「裕ちゃん。あはっ、会えた会えた。あたしってすげー」
「何でここに・・・?」
「何でって、今日裕ちゃんの誕生日じゃん」
「いや、まぁそうなんやけど。ってか携帯も全然通じひんし。電話もできへんと思って・・・」
「でも、ここにいるぜぃ」
「おお、おるなぁ」
どうやってここに来たんだろう。
彼女の住む東京からここまでは、新幹線で来ても何時間もかかる。
それに今日来てくれるとは一言も聞いていない。
「え、何でここに・・・?」
「何でって、ハッピーバースディを言いに来たに決まってんじゃん。ハッピーバースディ!ダブルスリーおめでとう!」
満面の笑みで彼女はそう言ってくれた。
そんな笑顔で言われると、皮肉も全く感じない。心から祝ってくれていると感じる。
実際この目で彼女の笑顔を見るのは何ヶ月ぶりだろうか。
- 359 名前:飴色の空 投稿日:2006/06/26(月) 00:28
- 「あ、ありがと。でもダブルスリーって何やねん」
確かにこの子に関しては、細かい事を考えてはいけない。それは理解している。
「携帯は?全然繋がらへんかったで?」
「うん、家にあるよ」
「全然携帯してへんやん!」
「あはっ。まぁね」
「褒めてへんし!」
やはり彼女は自分の理解を超える。
彼女はもう体力を回復しているようで、肩で息をしていたのも止まっていた。これが若さか。
「でも、どうやってここにきたん?」
「んー、勘かな」
「勘だけかいな」
「基本的には。後、裕ちゃんよく話してくれたよね、この辺の事。それにあたしも一応ジモティだし」
「相変わらずすごいな」
「あはっ、また褒められちった」
- 360 名前:飴色の空 投稿日:2006/06/26(月) 00:29
- 彼女も15までここに住んでいた(その頃に全く面識は無かったが)。
初めて会ったのはこの街にあるとある居酒屋だった。
そこの店長と彼女が元々知り合いで、たまたまこの街に来た時にその居酒屋へ寄り、無理矢理働かされたという。
その時自分はこの店で同僚が見捨てる程飲んだくれていて、その店員に声を掛けていた、と。
ひと目で何かを気に入ってしまい、やたらと話しかけたりベタベタと体に触れたり。
挙句の果てに電話番号とメールアドレスを執拗に聞いたり。
どこぞの親父がお水の女性を口説いてるのとなんら変わりは無い。平たく言えば、ナンパの様なものだ。
次の日にはさっそくメールを送っていた。
彼女はすでに東京に帰っていた。そこから奇妙な交流が続いている。
彼女がよく話していた、小さい頃の思い出で『紗耶香』という名前が度々出ていた。
何でも子供の時、すごく特別な存在だったという。
それが自分の知る紗耶香だと知るのはもう少し先。
世界って狭い。
- 361 名前:飴色の空 投稿日:2006/06/26(月) 00:30
- 「わざわざきてもーた」
「下手な関西弁使いなや」
「すんまへんなぁ。下手で」
彼女と目が合い、笑いあった。
「何かあわへん間にえらい胸でかなったんとちゃうか」
「やっぱそういう所は鋭いよね、裕ちゃんって」
「で、何カップから何カップになったんや。裕ちゃんにゆうてみ」
「まだその話し引っ張るんかーい!」
「やっぱ、関西弁下手やな」
「だって東京人だもーん」
最高のプレゼントをどうもありがとさん。
「やばっ!圭織にまたいかへんって言わなあかん!」
- 362 名前:_ 投稿日:2006/06/26(月) 00:31
-
〜終わり〜
- 363 名前:_ 投稿日:2006/06/26(月) 00:34
- 過去作で中途半端なのがあって申し訳ないのですが、以上でこのスレは終了とさせて頂きます。
長い間ありがとうございました。
- 364 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/27(火) 02:37
- 私の大好きなシリーズの新しい話、まさか続きが読めるとはビックリですー!
この飴のシリーズ(っていって良いのか分かりませんが)の穏やかに静かに流れる世界観が大好きで繰り返し読ませて戴いてました。
作者さまの描かれる全ての作品の、ゆうちゃんのちょっと切ない感じの雰囲気が、私を捉えて離してくれませんでした!
とてもステキな作品たちをありがとうございました。終わられるのは残念ですが、またお目にかかれる日を楽しみにしています。
Converted by dat2html.pl v0.2