式と証明

1 名前: 投稿日:2003/11/09(日) 18:25
マイナーCPです。

まずは、1本短めのを。
7日のラジオネタです。

2 名前: 投稿日:2003/11/09(日) 18:26
プチッ

ラジカセの電源を落として、何気なく時計を見る。
今は午前0時ぴったり。
すごく、すごーく懐かしい声を聞き終えたところ。
今まで音楽やおしゃべりが流れていた部屋に、ちょっとだけ静寂が落ちる。

目を閉じると、さっきまでの声が聞こえてくるような気がする。
ホントに懐かしい声だった。
ずっとずっと、リアルタイムで聞いていた声。
最近はテレビで見ることくらいしかできなくなっていた声。

「は〜」
ひざを抱えて頭をつける。

こういうときはさびしくなっちゃうから、ダメだなぁ。
コツコツと額を膝にぶつける。
なんだか、ひどく落ち着かない。
3 名前: 投稿日:2003/11/09(日) 18:27
と、その静寂を破るように、傍らにおいていた携帯が鳴って、すぐ切れた。
メールの相手は……ごっちん。

『風邪? もう治った?』
メールを見て、思わず笑ってしまった。
なんていうか、ごっちんらしい淡白なメール。
それでも、どっちかっていうとめんどくさがりなごっちんが、
こうしてメールをしてきてくれたのは嬉しかった。

『うん、大丈夫だよ。ごっちんも気をつけてね』
私も簡単な返事を返す。
たぶん、ごっちんからはもうメールはこない。
私から1回返事があれば、それで納得するだろうから。

4 名前: 投稿日:2003/11/09(日) 18:28
ぼんやりしていると、続けてまたメールが入った。
今度の相手は……美貴たん。

『オールナイト聞いたけど、風邪? ムリしちゃダメだよ。』
こっちも淡白なメール。
もしかしたら、仕事中なのかもしれない、なんて考えてみたり。
でもやっぱり、心配されてるっていうのは嬉しい。

『だーいじょうぶ! もう治ったもん。美貴たんも気をつけてね』
送信。

ごっちんに書いたメールと大差ないなぁと思う。
でもなぁ、これといって今は書くこともないしなぁ。
そんなことを思ってたらまたメール。また美貴たん。

『美貴は元気だよ。元気になったなら、よかった。
明日早いから、今日はもう寝るね。おやすみ!』
仕事中ではなかったみたい。
久しぶりのメールだったから、ホントならもうちょっと話がしたかったんだけど、
しょうがない。

『うん、お仕事がんばってね! おやすみ』
送信。
5 名前: 投稿日:2003/11/09(日) 18:28
携帯を閉じて、ぽいっと放り投げる。
ベッドにごろんと横になって、天井を見上げる。
また、静寂が戻ってくる。

あ〜あ、さびしいなぁ。
放り投げた携帯を手にとって、何も表示されていないサブディスプレイを見つめる。

もしかしたら、と思ってた。
ううん、今でも思ってる。
ラジオが終わってから、まだ30分もたってない。
きっと、まだ局にいる。
反省会とかしてるのかもしれない。
もしかしたら、そのままスタッフさんや保田さんと打ち上げとか行っちゃってるのかもしれない。
美貴たんみたいに明日早くて、家に直行してるのかもしれない。

6 名前: 投稿日:2003/11/09(日) 18:28
それでも。

やっぱり期待してる。
1通でいいから、メールが届くかもしれないって。
ほんの少しでも、心配してくれるかもしれないって。

「あ〜も〜」
また携帯を放り投げて、枕に顔をうずめる。

気になるなら、自分からメールすればいいのに。
『ラジオ聞きましたよ〜』って、雑談っぽくすれば、何もおかしなことはないのに。
それ以前に、メールを気軽に送れない仲でもないのに。

なんで、送れないんだろう。

7 名前: 投稿日:2003/11/09(日) 18:29
そんなこと、わざわざ考えなくたってわかってる。

−−返事がこないのがこわいんだ。

どうでもいいことなら平気。
その日あったこととか、怒ったこととか、些細な用件−−私には些細ってわけでもないけど−−
なら、返事がこなくたって大丈夫。

でも、こういうとき。

どうしても返事がほしいときは、メールを送れない。
返事がこないこと、心配してもらえないこと、気にしてももらえないこと。
そのどれもがこわい。
自分が思ってるような反応をしてくれないかもしれない−−。
それがこわい。
8 名前: 投稿日:2003/11/09(日) 18:29
「も〜!」
バフバフと枕を殴りつける。

こんなわがまま、小学生以下だよ。
自分の思ったようにしてほしいとか、思ったことを言ってほしいとか、
そんなこと、してくれなくて当然なのに。

それなのに、期待してる。
期待してるのにこわがってる。
こわがってるのに、求めてる。
大人なんだからわかってよって、そんな都合のいいことを思ってる。

私はガシガシと頭をかいた。
ひとりでいるとどうしてもこんなことを考えてしまいがちで、そんな自分がイヤで、
そんな自分をわかってくれないのもイヤで、ホント堂々巡り。

「もう寝ようっと」
こういうときは寝るのに限る。
私はベッドにもぐりこんで、目を閉じた。
9 名前: 投稿日:2003/11/09(日) 18:29
すいません、いきなり訂正です。

7日じゃなくて、10月31日のラジオです。
10 名前: 投稿日:2003/11/09(日) 18:32
ああ、タイトル入れ忘れた…_| ̄|○

タイトルは<confirmation>です。

11 名前:confirmation 投稿日:2003/11/09(日) 19:34
  ……ーン

「…んー?」
なんか、音がしたような気がするけど。
でも、こんな時間だしなぁ。

時計を見ると、ちょうど1時を回ろうとしているところ。
ほんの1時間しか寝ていない割には、すっきりと目がさめた。
音はそれきり聞こえない。
やっぱり、気のせいだ。

ふと、傍らに放り出したままの携帯を覗き込む。
着信も着メールもない。

ちょっと、いやかなりさびしかった。

ベッドの中で伸びをして、喉が渇いたので何か飲もうとベッドを出る。
冷蔵庫の前まで行ったそのとき、玄関のインターホンが鳴った。
12 名前:confirmation 投稿日:2003/11/09(日) 19:35
 ピンポーン

−−さっきのは気のせいじゃなかったんだ。
でも、こんな時間に?
とりあえず、おそるおそる玄関へと近づく。

 ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン

いきなり、インターホンを連打された。

「うわわわわ」
ちょ、ちょっと待ってって。
いくらなんでもこの時間にその鳴らし方は心臓に悪いッス。
そんな私の心の声を無視して、続けてインターホンは鳴らされる。

 ピポピポピポピポピポピポピン……ポーン。

ガクッ。
そんな冗談みたいな鳴らし方はやめてください。
どなたか知りませんが、今出ますってば〜。
サンダルを突っかけて、いよいよのぞこうと、両手をドアにつけた瞬間。

 ドン!

今度はドアが叩かれた。しかも、ものすごい力で。
13 名前:confirmation 投稿日:2003/11/09(日) 19:35

 ドンドンドンドンドンドンドンドンドン……ドガッ!

私の対応を完全に無視して、ドアは深夜に似つかわしくない音をたてる。
いや、それいくらなんでも叩きすぎです。っていうか、殴りすぎです。
しかも、最後だけものすごく鈍い音がしたのは気のせいですか?

気のせいじゃないですよね。
蹴りました?
蹴りましたよね?
蹴ったでしょう?
深夜なんだから、近所迷惑だってば。

蹴ったからって納得したわけじゃないんだろうけど、表からの音は急にやんだ。
今度という今度こそ、のぞき穴をのぞく。

そこに見えるのは−−タワシ?
赤茶色い物体がのぞき穴の下いっぱいを埋め尽くしていた。
いやいやいや、そんなことはありますまい。
もう一度しっかりのぞくと、それはどうやら人の頭だとわかった。
ドアにおでこをくっつけていて、だからこんなふうにしか見えないんだ。

「え、えっと…」
開けていいかどうか困っていると、ひょっこりその頭が動いて、顔が見えた。
「え…」
私は反射的にチェーンをはずして鍵とドアを開けていた。

14 名前:confirmation 投稿日:2003/11/09(日) 19:36
「中澤さん」

その声も聞こえていないようで、私の顔を見るや、中澤さんはドカドカと部屋の中に入ってきた。
その迫力に押されて、私は徐々に後ずさる。

整った顔立ちがゆがんでいるように見えるのは気のせいだろうか。
ギッとにらみつけるその目がこわい。
いくら、こわいものなしと言われてる私でも、さすがにこわい。

怒りとか憎しみとか、そんなわかりやすい感情じゃなくて、
いろんな感情がいくつも混ざり合っているように見える。
何されるかわからない、そんなこわさ。

目をそらすこともできないまま、迫り来る中澤さんから逃れようと後ずさっていると、
ドンッと背中に衝撃を感じた。

−−追い詰められた。

とっさに左右を見やると、バンっとものすごい音をさせて、両手を頭のわきにつけられた。

−−逃げ場がなくなった。

イヤな汗が背中をつーっと伝っていくのを感じた。

「あ…」
言葉が声にならない。
と、ぐんぐんと顔が近づいてくる。
私は反射的に目を閉じた。
こわいです、こわいです〜。
いったい何するんですか〜。
何されるのかわからなかったけど、そのくらい中澤さんの顔は−−こわかった。
15 名前:confirmation 投稿日:2003/11/09(日) 19:36

コツン

ほんの少しの間を置いて、おでこに軽く何かがぶつかった。

どうやら、乱暴をされる気配はない。
いや、別に暴力振るわれたことがあるわけじゃないけど。
だって、今日の中澤さんはなんでもしでかしそうでこわかったから。

とりあえず、気づかれないようにそーっと目を開ける。
そこには、超ドアップの中澤さんの顔。

−−やっぱり、キレイだなぁ。
そんなことを思う。
きちんと整えられた眉も、意志の強さを前面に押し出している眼差しも、
ルージュのひかれた唇も、すべてが大人の雰囲気を漂わせているような気がする。

ふと、中澤さんと目が合った。
キュッと目が細められていく。
そこで、自分のおかれている状況に気づいた。
え〜っと、今中澤さんのおでこと私のおでこがぴたっとくっついているわけで。
つまり、これは……。
いわゆる「おでこで体温計」っていうやつですか?
急に恥ずかしくなって、カーッと体温が上がっていくのがわかる。

16 名前:confirmation 投稿日:2003/11/09(日) 19:36
それにしても……。
中澤さんはいったい何がしたいんだろう。

上目遣いで中澤さんを見ると、中澤さんはおでこを離して、私をきつい目つきで見つめた。

「えっと…」
「熱とか、ないんか?」
「はい?」
急に問い掛けられて、思わず間の抜けた声を出してしまった。

「熱」
ツンと人差し指でおでこをつつかれる。

−−つめが当たって、ちょっと痛い。

「え、だ、大丈夫です」
おでこを軽くさすりながらそう答えると、中澤さんはほっと息をついた。
きつい目つきが徐々にいつもの優しいものに変わる。

「具合、悪くないんか?」
「はい、元気ですよ?」
そうか、とつぶやいてから、中澤さんは私の前を離れて、床に腰をおろした。
私もそれを追いかけて、中澤さんの目の前に座る。

17 名前:confirmation 投稿日:2003/11/09(日) 19:37
「どうかしたんですか?」
ギロリとにらまれて、思わずキュッと首がすくまる。

別に苦手意識をもってるわけではないのに、
こういうときだけは、ちょっと距離をとりたくなる。
元々、あんまりこんな顔をされたことがないからかもしれない。

そういえば、あんまり中澤さんに怒られた記憶はない。
だから、こんな顔をされるのはきっと苦手なんだろう。

「どうしたもこうしたも…」
声音があがっていくのに自分でも気づいたのだろう。
中澤さんはそこまで言って、一度深呼吸をした。
それから、上着を脱いで、傍らに放り出されていたカバンの上に投げる。

「コメント、鼻声やったやん」
「あ」
そうだった。
あれだけ寝る前にはぐじぐじと考えていたのに、あの勢いに押されて忘れていた。

だってだって、まさかこうしてきてくれるなんて思ってなかったし。
言われるとなんだか途端に嬉しくなって、顔がにやにやと笑いだす。

18 名前:confirmation 投稿日:2003/11/09(日) 19:37
「もう、ここまでくるのめっちゃ疲れたっちゅーねん」
私の笑顔が気に食わなかったらしく、中澤さんは私のほほを両手でつまんで、ぐにーっと広げた。

「いらい、いらいれす」
ビヨーンと勢いをつけて離される。

「うう〜」
「まったく、骨折り損や」
ゴツとこぶしで頭を叩かれる。

きてくれたのは嬉しいけど、こう痛手を負わされるのはたまらない。
そもそも、なんでこの深夜に(たぶん)タクシーを飛ばしてきてくれたんだろう?
普段ならメールか電話ですませるところなのに。

「中澤さん」
「んー?」
「なんで、ここにきたんですか?」
「はぁ!?」
うおっ、こわっ。
中澤さんはめちゃくちゃ納得のいかないといった顔でひとしきり私をながめた後、
がっくりと肩を落とした。

19 名前:confirmation 投稿日:2003/11/09(日) 19:56
「あんたなぁ」
「はい?」
「電話、全然つながらんかったやんか! もう、何回かけても『お客様のおかけになった
電話番号は…』言われて。さすがになんかあったんかなぁって心配になるやんか! 
倒れてたりしたらどうしようかとか思うやんか! それなのに、その言い草はなんやねん!」

はいい?
目が点になる、っていうのは、きっとこういうことだ。

私は目の前で怒りを沸騰させている中澤さんをあっけに取られて見つめていた。

だって。
ごっちんからも美貴たんからもメールは届いたし。
アンテナだって3本ちゃんと立ってるし。
留守番電話センターにも何も入ってないし。
それなのに、この人は何を言っているんだろう?

20 名前:confirmation 投稿日:2003/11/09(日) 19:56
「あ〜、もう、心配して損したわ」
「つながらないはず、ないと思うんですけど」
「実際つながらんかったっちゅーねん!」
口で言っても信じてもらえそうになかったので、私はベッドの上に転がしておいた
携帯を取ってきた。

「メールは届いたし、誰からも着信なんてなかったんですよ? ほら」
着信履歴と、美貴たんとごっちんからもらったメールを見せる。
中澤さんは最初こそけんか売りそうな顔をしていたが、すぐに今度は不思議そうな顔になった。

「おかしいなぁ」
「もっかい、かけてみてくださいよ」
「んー」
中澤さんがカバンから携帯を取り出して、ボタンを操作する。
でも、私の携帯は一向に鳴る気配を見せない。

「……ほら」
差し出された携帯に耳を当てると、確かに『お客様のおかけになった電話番号は…』という
アナウンスが流れていた。

「おっかしいですねぇ。じゃあ、今度は私からかけてみます」
電話帳から中澤さんの名前を呼び出してボタンを押す。
しばらくの間があって、コール音が鳴り、中澤さんが手にした携帯の着信音が鳴った。

「おっかしい……あ」
何に気づいたのか、中澤さんはあわてたように着信を切り、携帯を閉じてさっさと
カバンにしまってしまった。

「……中澤さん?」
「あー、いや。今のは忘れてくれへんか? まぁ、誰にでも間違いはあるっちゅーことで」

意味がわからない。

21 名前:confirmation 投稿日:2003/11/09(日) 19:56
「イヤです。教えてください」
「あー、まあええやんか。な?」
「イ・ヤ・で・す!」
さっきまでの勢いはどこへやら、目の前の中澤さんは空気の抜けた風船みたいに
ふにゃふにゃとした存在になってしまっていた。ふーっと吹けばどこかへ飛んで
行っちゃいそうな気もする。

「許してぇや」
「あのですねぇ」
ここまで隠されると、逆に気になる。
私は立ち上がってビシっと中澤さんを指差した。

「夜中に叩き起こされて、しかも近所迷惑になるほどインターホンならされたり
ドア叩かれたり、あげくの果てに蹴られたりして、それでどーして納得しろって
言うんですか!」
「う、それはそうやけど……」
「私には聞く権利があります!」
私の迫力に気おされたのか、自分の非を認めざるを得ないと思ったのか、
中澤さんはしぶしぶといった感じで、しまった携帯を取り出して、
軽くボタン操作をしてから私に印籠のように差し出して見せた。

22 名前:confirmation 投稿日:2003/11/09(日) 19:57
「発信履歴、見てみぃ」

そうですか。
そんなに自分で言うのはイヤですか。
私は言われたとおりに画面をにらみつけるように見つめた。

確かに、そこには『松浦』の文字。
それじゃあ、なんで私の携帯はならなかったんだろう?

顔を上げて中澤さんを見る。
私と目が合うと、ばつが悪そうに顔をしかめて見せた。
やっぱり、この画面に何か秘密があるんだ。

もう一度、じーっとその画面を見つめる。
表示されているのは、今日の日付と電話をくれた時間。
それに、私の名前と電話番号…。

23 名前:confirmation 投稿日:2003/11/09(日) 19:57
って、あれ?

違和感を感じてもう一度発信履歴をながめる。

これって……。

「昔の番号じゃないですか」
「うぅ〜」
そこに表示されていたのは、私が昔使っていた携帯の番号。
どうやら、中澤さんはずーっと昔の番号にかけていたようだ。
そりゃ、つながるはずもない。

「つまり」
私は中澤さんをじーっと見つめる。
「中澤さんは、昔の番号に間違ってかけていたことにも気づかずに、
つながらないって勝手に怒ってここまできて、寝てた私を叩き起こして、
近所迷惑まで引き起こしたってことですか?」

「……面目ない」
しょぼーんとうなだれる中澤さん。

24 名前:confirmation 投稿日:2003/11/09(日) 19:58
その姿は、なんだかとっても可愛くて、思わず抱きしめたくなる。
確かに、すっごい勘違いをして、あげくの果てに起こされたりおどされたり(?)
したわけだけど、それは全部私を心配してしてくれたことなわけで。
そう考えたら、嬉しくないわけがない。
だって、メールよりも電話よりも、一番近くにきてくれてるんだから。
仕事終わったばかりで疲れてるだろうに、ここまできてくれたんだから。

私は膝を折って、中澤さんと目線を合わせた。
「ありがとうございます」
中澤さんはきょとんとして私を見る。
「心配、してくれて」
ほっとしたように息をついて、中澤さんは笑顔を見せた。
「でも、私を叩き起こしたのは許せません」
ひゅっと笑顔を引っ込める。
見ているとなかなか楽しい。

「罰として、今日は泊まっていってください」
一瞬、え、という顔をして、それから中澤さんは苦笑した。
「わかりました」
「よろしい」
中澤さんの顔が、いつもの、お姉さんの顔に戻っていく。
やっと、いつものペースに戻ってきたみたいだった。
私も思わず笑顔になるのを止められなかった。

25 名前:confirmation 投稿日:2003/11/09(日) 19:58
「明日は? って、もう今日か」
「お昼からです。中澤さんは?」
「アタシもや」
「じゃあ、ちょっとゆっくりできますね」
「そうやな」
お昼までっていう時間はそんなに長くないけれど、それでも一緒にいられるだけで
私は嬉しかった。

M黙を卒業しちゃって、中澤さんに会えることもすごく少なくなって。
仕事のスケジュールが合わなくて、なかなか一緒にいられなくて。
だから、こんな時間も私には大切で。
私はポスンっと中澤さんに抱きついた。

「ん、なんや?」
ポンポンと私の頭を軽く叩く。
「確認です」
「確認?」
「ここにいるんだなぁって」
叩いていた手が、そっと髪をすきはじめた。
その手のぬくもりが気持ちよくて、私は目を閉じる。

26 名前:confirmation 投稿日:2003/11/09(日) 19:58
中澤さんは何も言わない。
こういうときに、ちょっとくらい気のきいたセリフを言ってほしいなと思ったりもするけど、
それがムリなのもわかってる。

ムリでも言ってほしいのが乙女心ってものなんですけどねぇ、
なんて心の中でつぶやいてみたり。
でもまぁ、今はとりあえずいいや。

27 名前:confirmation 投稿日:2003/11/09(日) 19:58
あ、そうだ。

「そういえば、中澤さん」
「ん?」
「なんで、昔の番号消してないんですか? 新しい番号だってちゃんと教えたのに」
ピクッと過敏な反応を見せたのは気のせい?
中澤さんは私の髪をすいていた手を離した。

「ちょっと、シャワー借りるわ」
「中澤さん!」
やっぱり、あの過敏な反応は気のせいじゃなかった。
いくらなんでも、ごまかすのが下手すぎます。

「もう寝とき。そのまま寝たら風邪ぶり返すで」
「中澤さんってば!」
私が投げつけたクッションをよけて、中澤さんはバスルームへと消えていった。

28 名前:confirmation 投稿日:2003/11/09(日) 19:59
まったくもう……都合が悪くなるとすぐ逃げるんだから。
プーっと膨れてみせるけど、口の端からは笑みがこぼれていく。

そういうところも、好きなんだけどね。
とりあえず、今日のところは、家まできてくれたってことで
これ以上は追求しないことにしましょう。

でも、絶対突き止めてみせますから、覚悟してくださいね。
手をピストルの形にして、バスルームのドアに向ける。
「バン!」
ぜーったい、逃がさないんだから。

29 名前: 投稿日:2003/11/09(日) 20:00

あ、ENDマーク入れるの、忘れてました…。

以上で<confirmation>は終了です。

30 名前:名無し読者 投稿日:2003/11/09(日) 20:53
おもしろそうなの発見です☆
あやゆう?って初めて見たんですけど
これ見てなんか好きになりそうです。
最後に松浦さんが『手をピストルの形にして』
ってとこが松浦さんが本当にしてそうでカワイかったです!
これからも楽しみに読ませていただきます!
がんばってくださいね☆
31 名前:名無し読者 投稿日:2003/11/09(日) 23:47
あやゆうとは珍しいCPですね。
二人の掛け合いがM黙みたいな感じで面白かったです。
32 名前:confirmation SIDE YUKO 投稿日:2003/11/15(土) 20:41
アタシはバスルームに入って、ほっと息をついた。

それにしても……。
鏡に映る自分の顔を見て、それから軽くほほを両手で叩く。
ちょっと、今日は自分を見失いすぎた。

33 名前:confirmation SIDE YUKO 投稿日:2003/11/15(土) 20:42
ラジオでコメントを聞いてから、あの風邪気味な声を聞いてから、ずーっとずーっと
あの子のことが頭から離れんようになってしまった。
M黙を卒業してから、定期的に会うこともなくなって。
ごっちんみたいにハロモニ。のコントで絡むこともないから、
ホンットに会わへんようになってしまって。
日頃のやりとりはメールくらいになってしまった。

けど、アタシはあんまりメール得意やないから、あの子の5に対して1くらいしか
返してやれなくて。
それを後悔するくらいなら、もうちょっとマメに会えばいいと思うんやけど……。
どうも、あの子を前にするとお姉さんなアタシがちらちらと姿を見せるように
なってしまうんやなぁ。
こっちから「会いたい」っちゅーんも、なんかなぁ。

ヘンな見栄がジャマするんや。
あの子があのくらいねちっこい性格やなかったら、アタシたちはとっくの昔に
別れてしまってるような気がする。
その点ではあの子に感謝すべきなんやろうけど。

いやいやいや!
このまんまやと、ホントに愛想つかされて別れられる可能性もあるっちゅーか。
もしかしたら、ふたりの関係を疑問に思っとるかもしれんなぁ。

あ〜、あかんあかん!
考え始めたらキリなくなってきた。

34 名前:confirmation SIDE YUKO 投稿日:2003/11/15(土) 20:43
「とりあえず、シャワー浴びて今日はもう寝よ」
明日のことは明日考えよ。
ひとりで考えてたってラチがあかんわ。

アタシはさっき松浦から返されたままになっていた携帯をそっと開いた。
ボタンを操作して、電話帳を引っ張り出す。

『松浦』の名前は2件。
1件は今使っている電話の番号。
もう1件はアタシが今日延々かけ続けていた昔の電話番号。

『なんで、昔の番号消してないんですか?』
松浦の言葉がよみがえる。

消そうとしたわ。
まぎらわしいし、もう使えへんのやから、消そうと思ったわ。
でも……消せんかった。

『なんで』って、そんなこと面と向かって言えるかい!





「付き合い始めた頃の、思い出の番号やから……なんて」





ぐわ〜っ!
言ってて恥ずかしくなってきたわ!

これをアタシがあの子に言う?
そんな日がくるはずあれへんっちゅーねん!

35 名前:confirmation SIDE YUKO 投稿日:2003/11/15(土) 20:43
異常に熱くなったほほのほてりをさまそうと、蛇口をひねって水を出す。
バシャバシャと顔を洗うと、ほんの少しだけ冷静になっていく気がする。

アタシはふーっと大きく息を吐いてから、松浦がいる部屋へと続くドアを
振り返った。

けどまぁ。

右手で拳を作り、コツンとドアにぶつける。

言わしてみ?
あんたやったらできるかもしれへんで?
期待してるで。

なんたって。
あんたはアタシの一番大切な子、なんやからな。




                          END
36 名前: 投稿日:2003/11/15(土) 20:54
ちょっとだけ追加更新。

>>30
レス、ありがとうございます!
おもしろそうと言っていただけてうれしいです。

CP名すらアヤシイふたりですが(w

>>31
レス、ありがとうございます。

あのふたりの掛け合いは絶妙だったな〜と今さら思ったり。

不定期の更新になりそうですが、
がんばって書きたいと思っておりますです。


次回はちょっと長めに挑戦予定。
予定…。
37 名前:名無し読者 投稿日:2003/11/16(日) 20:20
M黙の二人が大好きだったので本当にこの作品の登場が嬉しいです。
ここの二人、松浦さんは素直で変なアクがないし、裕ちゃんは大人だけど可愛げがあって。
よいですよいです。
これからも期待しております。
38 名前: 投稿日:2003/11/22(土) 23:49


 『式と証明』


39 名前:『センセイの深遠』 投稿日:2003/11/22(土) 23:51


好きになるのに理由はいらない
けど、好きでい続けるには理由がいる――



40 名前:『センセイの深遠』 投稿日:2003/11/22(土) 23:52
アタシはただぼんやりと、目の前で人様んちの犬とはしゃぐ女の子を見つめていた。
時々振り返っては、アタシの姿を確認してふにゃっと笑う。
とても嬉しそうな笑顔。
その顔に向かって軽く手を振り、アタシは彼女に気づかれないようにため息をついた。

そんなに嬉しいんやろか。
そんな疑問が頭をよぎる。
いったいなにが、と思いかけて、ふと気づく。

嬉しいのは当たり前か。

「恋人」と一緒にいられて、嬉しくないはずない。
それも、やや遠距離恋愛気味の恋人と久々に会えたんだから、嬉しいに決まってる。

そんなことも、わからんようになったんか、アタシは。
思わず苦笑して、空を見上げた。
41 名前:『センセイの深遠』 投稿日:2003/11/22(土) 23:52
キレイに晴れ渡った空は、冬の終わりを告げていた。これからは日々暖かくなっていく。
コートを脱げるようになるのに、そう時間はかからないだろう。

だけど……。

雲に向かって、ふーっと息を吹きかける。動くわけも壊れるわけもない。
ただ、なんとなく。

だけど……なんやろ?

急速に頭の中が冷えていく気がした。
アタシの理性が、考えるのをやめるように警告している。

アタシはその警告に従おうと、目を閉じた。
体温が下がっていく。
頭の中のもやもやとしたものが、どこかに霧散していく。

忘れられるわけじゃない。
でも、たぶん、アタシは今その「何か」を考えたくはないんだろう。
だったら無理に考える必要はないと思う。

だって、今のアタシには、不安も悩みもないんだから。
42 名前:『センセイの深遠』 投稿日:2003/11/22(土) 23:53
「せーんせ!」
ひょっこりと、下から覗き込むようにして見上げられていた。
いつのまにそんなに近くにきていたのか、全然気づかなかった。

アタシよりほんの少し小さな背丈。
くりくりとした大きな瞳。
キレイに切りそろえられた髪。

この子が、アタシの「恋人」――松浦亜弥。
さっきまでの笑顔を消して、不満そうな顔でアタシを見つめている。

43 名前:『センセイの深遠』 投稿日:2003/11/22(土) 23:53
「また、考え事ですか?」
そう言って、松浦はアタシの口からタバコを取り上げた。
「タバコは体に悪いですよ」

考え事をするときに、ついついタバコに手が伸びるのはアタシのクセ。散々禁煙をするように
言われてるけど、完全に無意識なので、改善される様子はない。
まぁ、本人にも改善する気持ちはないからあたりまえだけど。

松浦はじーっとアタシの目を見つめて、それからひとつため息をついた。
「一緒のときくらい、私のこと、ちゃんと見てくださいよ」
「さっきまで人様んちのわんこに夢中だった子の言うセリフとは思えんな」
「ちゃんとセンセイのことだって見てましたよぅ」
「はいはい」

松浦は目をぱちぱちとさせて、それからぷーっとほほをふくらませた。
「センセイは、ほんっとに私のこと見てくれないじゃないですか」
ぷしゅうとほほをへこませて、今度は口をとがらせる。

44 名前:『センセイの深遠』 投稿日:2003/11/22(土) 23:54
「メールだって、1週間に1回くらいしか返してくれないし」
アタシの目の前に右手をぱーにして差し出し、親指を曲げる。
「電話したって出てくれないし」
人差し指を折る。
「全然会ってくれないし」
中指を折る。
「それから……」

アタシは、松浦の手に自分の手を覆い被せて、指折り数えるのをやめさせた。
自分のせいとはいえ、そういちいち言われるのはいい気分じゃない。

「メールは苦手なんや。まだ送り方わからん」
「電話くらい出てくれたっていいじゃないですか」
「それはタイミングが悪いだけやん。アタシだって別に避けてるわけと違うんやから」
「ホントですかぁ?」
めちゃめちゃ疑われてるし。

45 名前:『センセイの深遠』 投稿日:2003/11/22(土) 23:55
「私といて、楽しいですか?」

――あぁ。
途端に罪悪感に見舞われる。
この子に、こんな顔をさせてしまう自分が、ひどく醜いもののように思える。
だけど、アタシはそれを表には出さず、松浦の頭に手を置いて、くしゃくしゃと髪をなでた。

「楽しいよ」
この言葉に嘘はない。
たとえ、それが松浦に伝わっていなかったとしても。
46 名前:『センセイの深遠』 投稿日:2003/11/22(土) 23:56
松浦はアタシの返事を聞いて、ほほをほんの少し赤く染めた。さっきまでの真剣な表情は
どこへやら、何やらふにゃふにゃとした笑みを浮かべる。

へへー、と意味不明な笑い声を漏らしてから、松浦はアタシの腕にキュッとしがみついてきた。
「コラ、重い」
「ええっ!? 重たいですか?」
アタシの言葉に過度の反応を示して、パッと飛びすさる。ぺたぺたと自分の体に触ったり、
ほほを引っ張ったりして、「太ったかなぁ」とつぶやく。そんな姿が可愛くて、アタシは
笑った。

「ところで」
アタシから声をかけると、むにっとほほを引っ張ったままの顔で、松浦はアタシを見る。
なんというか、ラスカルみたいな顔だった。
それはそれで可愛かったけど、そのままにさせておくのもどうかと思って、アタシは彼女に
近づいて、その手をほほから離させた。
「なんか、話があるんやろ?」
まださっきの「重い」発言を気にしているようで、ほほをさわさわとさわりながら、小さく
でも嬉しそうに松浦はうなずずいた。

47 名前:『センセイの深遠』 投稿日:2003/11/22(土) 23:57
今日は「嬉しい知らせがある」とか言って呼び出されたのだ。
それが、アタシにとってというよりは、松浦にとって嬉しい知らせなのはわかっていた。
だけど、どうやらそれはアタシにも関係があることのようだったし、何よりここ3か月
くらい全然会っていなかったので、その罪滅ぼしも兼ねて、久々に丸1日松浦に付き合う
ことにしたのだ。

「もったいぶらんと、教えてぇや」
「ん〜」
松浦はいたずらっぽい色を瞳に揺らして、アタシを見た。
「やっぱりやめときます」
「はぁ?」
「私のこと、ほったらかしたバツです」
あのなぁ……。
「自業自得、ですよね?」
にっこりと松浦が笑う。

あかん。
こうなったら、松浦はもう何を言っても聞きはしない。しかも、非はこっちにあるから、
いかんともしがたい。
「……しゃーないなぁ」
気が付けばアタシはまたタバコを取り出していたようで、思いっきり不満顔をした松浦に
口にくわえるより先に取り上げられていた。
「ちゃんと私のこと、見てくださいってば」
今度はタバコを箱ごと取り上げられた。

48 名前:『センセイの深遠』 投稿日:2003/11/22(土) 23:57
むう……。
自分でも眉を寄せているのがわかった。さぞやコワイ顔になってることだろう。それを見て、
松浦の表情が曇る。

「……センセイ、怒った?」
おびえたような上目遣いでアタシをそっとうかがい見る。
一回り以上も年上のアタシをつかまえて、平気でタメ張るようなことをするくせに、
ちょっとアタシが不機嫌そうな態度になると、こうして不安げな顔をする。カンが
いいのか悪いのか、よくわからない子だ。

アタシはさっきくしゃくしゃにした松浦の髪に手を差し入れて、手櫛でそっと整えた。
さらさらとした感触が気持ちいい。
「なんか、おいしいもんでも食べに行こか」
「……センセイ」
歩き出そうとして、引き止められた。振り返ると、松浦がアタシの服の裾をしっかりと
握り締めていた。
アタシを見つめるその顔は、まるで叱られた子犬みたいだった。

49 名前:『センセイの深遠』 投稿日:2003/11/22(土) 23:57
「怒ってへんよ」
ふうっと息を吐いて、もう一度松浦の頭を、今度は軽くなでた。手を左右に動かすと、
ふにゃふにゃと松浦が声をあげる。
手を離すと、松浦はぱっと顔を上げて、笑顔になった。
「ですよね〜。自業自得ですもんね〜」

立ち直りの早い子だ。
アタシは苦笑しながら、しぶしぶうなずいて見せた。それを見て満足そうに、松浦はまた
アタシの腕にしがみついてくる。
「何が食べたい?」
「ん〜、ごはん!」
「いや、それ種類やないし」
「ん〜……、センセイのオススメのお店でいいです」
「はいはい。そんなら行こか」
アタシを腕に松浦をしがみつかせたまま歩き出した。

50 名前:『センセイの深遠』 投稿日:2003/11/22(土) 23:58
「あ」
思い出したように、松浦が声をあげた。
「もちろん、センセイのおごりですよね?」

――小悪魔。

アタシはあえて松浦の顔を見なかった。
空は、イヤになるくらい澄み渡っていた。

51 名前: 投稿日:2003/11/23(日) 00:02
更新終了。

今回は長めで行きます。
微妙なやりとりを描ければいいなあと思いつつ…。


>>37
レス、ありがとうございます。
気に入っていただけてうれしいです!

大人な裕ちゃんを書くのはなかなか大変なのですが(w
がんばります。


52 名前:名無し読者 投稿日:2003/11/23(日) 17:18
このスレ見てて、最近あやゆうにハマってます。
ころころ表情を変えるあややがイイ!!
53 名前: 投稿日:2003/11/24(月) 22:31
コピペミス発見…。

>>44>>45の間に


「そもそも人と会って話すこと自体、苦手なんやから。知っとるやろ?」
知ってますけど、と言ってから、松浦はむうと唸り声を上げた。
こぶしをあごに当ててひとしきり考え込むようなポーズを取る。
「センセイ?」
「ん?」
アタシを見上げてきたその顔は、さっきよりも幾分真剣味を増しているように見えた。
ちょっと潤んだ瞳に、アタシの姿が映っている。


が入ります。m(_ _)m


>>52
レス、ありがとうございます。

なんとなく松浦さんは表情豊かな印象が強いんですよね〜。
基本的には元気な松浦さん! という感じなんですが。

54 名前:『コアクマの策略』 投稿日:2003/11/24(月) 23:19
スー……ハー……

亜弥は、保健室を目の前に深呼吸をした。

やっと、やっと会えるんだ。
どんな顔をするんだろう。
どんな声をかけてくれるだろう。

このときを、1か月待った。
普通に話したら、「そうか」とさらっと流されそうだったから、
こうして、一番驚くタイミングを待っていたのだ。

さぁ、行こう。

もう一度大きく息を吸い込んで、ほんの少し開いていた扉に手をかけようとする。

――と、中から人の声が聞こえてきた。
それも、よく聞きなれた声が。

55 名前:『コアクマの策略』 投稿日:2003/11/24(月) 23:20
「……ええ加減、出てかんかい!」
それも、平和な声とは言いがたかった。
保健室から聞こえるには、ちょっと物騒な声。

「えー、いいじゃん。減るものじゃなし」
「そーだ、そーだぁ」
それを追いかけて聞こえてきたのは、なんだかやる気のなさそうな声。
それもふたつ。

「入学式早々から保健室に入り浸るのはやめぇ! 叩き出すで!」
「うわ、暴力教師だ」
「暴力はんたーい」
「あんたらなぁ……」

一拍の間。

イヤな予感がして、亜弥は扉から5歩離れた。

56 名前:『コアクマの策略』 投稿日:2003/11/24(月) 23:21


「出てけー!」


ビリビリと空気が震えた。
ガシャンと何かの音がした。
その音を追いかけて、「うわー」「きゃー」という本気とも思えない悲鳴と共に、
保健室からふたつの人影が飛び出してきた。

「うわっと」
「おっとっと」
危うく亜弥とぶつかりそうになって、一瞬止まる。
それから何を思ったのか、一瞬だけふたりは顔を見合わせてうなずいたように見えた。

と、亜弥はふわりと自分の身体が浮くのを感じた。
「え?」
わきの下に違和感を感じて左右を見ると、飛び出してきたふたりがそこに腕を通し、
しっかりと亜弥の体を持ち上げていた。
「え?」
ふたりと亜弥の視線が絡み合う。
ふたりはニヤリと笑うと、
「略奪−!」
「おー!」
というヘンな合言葉を放って、そのまま亜弥を保健室の前から連れ去っていった。
57 名前:『コアクマの策略』 投稿日:2003/11/24(月) 23:21


58 名前:『コアクマの策略』 投稿日:2003/11/24(月) 23:24
亜弥は目の前で息を切らしているふたりを、キツネにつままれたように見下ろすことしか
できずにいた。

あのあと。
保健室前から有無を言わさず連れ去られた亜弥は、学校の屋上とおぼしきところに
連れてこられていた。
後ろ向きに引っ張っていかれたので、何回階段を上がったのか、どのくらい保健室から
距離が離れてしまったのかもわからない。
そもそも学校の構造にはまだあまりくわしくないのだ。
――今日、入学したばかりなのだから。

「あの〜」
とりあえずこの状況をなんとかしないと、と思って、亜弥は膝を折り、べったりと地面に
へたり込んでいるふたりと視線の高さを合わせる。
セミロングの少女が顔を上げた。
美人、というのとはちょっと雰囲気の違う、でも整った顔立ちの子だ。
なんというか、黙っていられるとちょっと声をかけにくそうな雰囲気の子。

その少女は亜弥と目が合うと、にへらと笑った。
とっつきにくそうだった相貌が崩れ、途端に子供っぽい雰囲気へと変わる。

――あ。

なんだか頭をなでたくなってしまった。

59 名前:『コアクマの策略』 投稿日:2003/11/24(月) 23:24
「ごめんね〜……。びっくりしたよね?」
「はい、まぁ……」
また、にへらと笑う。

「そりゃ、びっくりしないわけないっしょ?」
もうひとりの少女が髪をかきあげた。
前髪で隠れていた顔が見える。

亜弥はその顔を見て、目をぱちくりとさせた。
こちらは明らかに美人。
肩で切りそろえられた髪、ちょっとつり目気味の瞳。
クールビューティというのは、こういうタイプの人を言うのかもしれない。
それだけで、引きつけられる何かを持った人だった。
ただ、普通の人ならたぶん、話し掛けようと考えもしないだろう。
口元こそ笑ってはいたものの、彼女は亜弥を、その瞳で値踏みでもするかのように
にらみつけていたのだから。

ただ、それは普通の人なら、の話。
亜弥は――自分が普通でないと思っているわけではないが――、ほんの一瞬だけ動きを
止めてから、にっこりと笑って見せた。
にらみつけられるような目つきは、慣れている。
本気でにらんでこそはこないが、亜弥の愛しい人は、そういう目つきをよくする人だから。

その反応が意外だったらしく、彼女は口元から笑みを消した。
目を細め、瞳にきつい光が宿る。

60 名前:『コアクマの策略』 投稿日:2003/11/24(月) 23:25
「ミキティ、初対面の子をにらんじゃダメだって」
「元からこういう目つきなんですぅ」

その場の雰囲気を変えたのは、セミロングの子だった。
拳を作ると、クールビューティの二の腕あたりをぺしっと叩く。
それで、クールビューティの表情ががらりと変わる。

警戒心を解いていないのは変わっていないようだが、
口元に笑みを浮かべ、瞳からも挑むような色が消えている。
なんとなくそれが嬉しくて、亜弥も笑う。
慣れているとはいえ、にらまれていい気のする人間はいないのだから。

それにしても、ミキティというのは彼女のニックネームだろうか。
見た目とはちょっと違って、ずいぶんかわいらしい呼び方だ。
それが似合っているから不思議でもある。

61 名前:『コアクマの策略』 投稿日:2003/11/24(月) 23:25
「あの〜」
「ん?」
なんとか話が通じそうな雰囲気になったので、亜弥は声をかけた。
返事をしてくれたのはセミロングの方だ。
「私、なんでここに連れてこられたんでしょうか?」
セミロングの人は、ん〜と悩んだそぶりを見せてから、たった一言「勢い?」
とだけ言った。
しかも、なぜか疑問形。
「それって、別に私じゃなくてもいいってことですよね」
「うん、まあ。タイミングよくあそこにいたし」
「私、帰ってもいいですか?」
「ダメ」

――即答された。

「なんでですか?」
「ん〜? 自己紹介もまだだし?」

――だから、何で疑問形?

そんなことを思いこそしたが、あえて口には出さなかった。
聞いたところでしょうがないことだし、とりあえず、今は早くこの場を去りたかった。

62 名前:『コアクマの策略』 投稿日:2003/11/24(月) 23:26
「今日入学してきました、松浦亜弥です」
折り目正しく挨拶をして、ぺこりと頭を下げる。
セミロングとクールビューティはそんな亜弥を見つめてから、やっと腰をあげた。

「まっつーかぁ」
「亜弥ちゃん、ね」

ふたりはほぼ同時にそう言った。
セミロングは亜弥に2歩歩み寄ると、ポンポンとその頭を叩いた。
「2年の後藤真希だよ。よろしく」
「後藤、先輩」
後藤真希と名乗った少女は、またにへらと笑う。
それを見届けてから、亜弥はクールビューティに視線を移した。

なぜだろう?
彼女はものすごーく不機嫌な顔になっている。
さっきまで笑っていたのに、くるくるとよく表情の変わる人だ。
「ミキティ、自己紹介」
「わかってるよ」
真希につつかれて、しぶしぶといった感じで亜弥を見る。
「藤本美貴」
「藤本、先輩」
そう言うと、美貴は憮然とし、真希は弾かれたように笑い出した。
ひとりだけ状況がわからずにおいていかれた亜弥は、さすがになにがなんだかわからずに
不安になって美貴と真希の顔を見比べる。

63 名前:『コアクマの策略』 投稿日:2003/11/24(月) 23:26
何かおかしなことを言っただろうか。
自己紹介をしてから言った言葉はたったの二言。
「後藤、先輩」と「藤本、先輩」のふたつだけ。
これのどこにおかしなことがあるっていうんだろうか。

「いやー、まっつー最高!」
バシバシと真希が亜弥の腕を叩く。
あまりにも遠慮なく叩くので顔をしかめながら美貴を見ると、
憮然とした表情が、なんだか苦々しそうに翳っていくのがわかった。

亜弥は美貴の横顔を見つめながら、もう一度おかしなところを考えてみた。
「後藤、先輩」のときは問題がなかった。
「藤本、先輩」で場の空気が変わった。
――ということは。
「藤本」か「先輩」のどちらかに問題があるということなわけで。
でも、名前を聞き間違えた覚えはないし。
つまり、それは「先輩」というのに問題がある、ということで。

そこから導き出される結論はただひとつ――。
64 名前:『コアクマの策略』 投稿日:2003/11/24(月) 23:27


「藤本美貴」は「先輩」ではない、ということ。

65 名前: 投稿日:2003/11/24(月) 23:28
更新終了。

新キャラ登場。
しばし、松浦さん視点が続きます。
66 名前:名無し読者 投稿日:2003/11/25(火) 00:46
なんだかにぎやかになりそうですね。
あっちにもこっちにも転がっていきそうでとても楽しみです。
67 名前:名無し読者 投稿日:2003/11/25(火) 20:00
ごっちんミキティとあややどんな感じに絡んでくのか楽しみです。
「嬉しい知らせがある」が何かだんだん分かってきたw
68 名前:『コアクマの策略』 投稿日:2003/11/30(日) 00:57
――でも、どう見ても新入生には見えないんだけど。

こちらを見ようとはしない美貴をじーっと見つめていると、ひとしきり笑い終えたらしい
真希が、涙をぬぐいながら亜弥の肩をポンポンと叩いた。
それを合図にしたかのように、美貴が亜弥を見る。
美貴は口を軽く結んでから、カリカリと頭をかいた。

「どーせばれるから今言うけど」
しぶしぶといった口調で、美貴は言う。
「美貴、1年だから」
「はぃ?」

――それはつまりどういうことですか?
普通に考えたら、それはなんというか留年ということでしょうか。
1年生は2回目とかそういうことなんでしょうか。
何か学校とトラブルでも起こしたとか、そんなことでしょうか。
いや、それはそれで納得できる理由でもあったりなかったり……?
69 名前:『コアクマの策略』 投稿日:2003/11/30(日) 00:59
美貴が聞いたら間違いなく怒るであろう想像をいくつも並べ立てて、亜弥はびっくりの目
のままで美貴を見つめた。
実は、新入生かもしれないという予想は、ひとかけらほども頭をよぎらなかった。

美貴はそんな亜弥の表情を見つめて、それからキュッと目を細めてから、何を思ったのか
口の端を上げてニヤリと笑った。

「イヤー実はさ、美貴、学年だけだとホントは亜弥ちゃんと2コ違うんだよね」
「え?」

――ということは、2年留年してるってことですか?
それはそれは……いったい何をやらかしたんでしょう?
1年生は3回目ということなんでしょうか?
もしかして、中学でも留年してたりとかしてたりとか……?

ますます失礼な想像をしている亜弥をよそに、美貴はニヤニヤ笑いを消さないまま続ける。


70 名前:『コアクマの策略』 投稿日:2003/11/30(日) 01:00
「実はさ、美貴、体弱かったんだよね〜、子供の頃。で、小学校のときみんなより1年遅く入学してるんだよね。
それから、中学時代にちょーっと留学とかしちゃってさ。それで日本では2年遅れてるんだよね〜」
「はぁ……」

なるほど、それなら理屈は通る。
クールな雰囲気も、大人っぽいと思えばわからなくもない。
美貴はなかなかの優等生ということか。

「へえ、藤本、先輩ってすごいんですね」
なんと呼んでいいのかわからず、「先輩」付けが続く。
と、美貴がくっと下を向き、真希がまた火がついたように笑い出した。
そんな真希に誘われるように、美貴も笑い出す。

「え? え? え?」
いったい今度は何をおかしなことを言ったと言うのだろうか。
わけもわからずふたりを見つめる亜弥に、美貴が一瞥をくれた。
「うわー、亜弥ちゃん素直だねぇ。美貴の言うこと、全部信じてるよ」
その声音には、明らかな侮蔑があった。


71 名前:『コアクマの策略』 投稿日:2003/11/30(日) 01:01
その声で、亜弥はすべてを察した。

つまり。
つまり、今、美貴の言ったことは全部ウソだということか。
腹立たしいやら、恥ずかしいやらで、体の温度が上がっていくのがわかる。

なぜ。
いったいなぜ。
こんなところにつれてこられたあげく、ここまで馬鹿にされなければならないのか。
目の前で勝ち誇ったように笑う美貴も。
その隣で、笑い転げている真希も。
ほんの数秒で、亜弥にとって目障りな存在へと変わっていた。

めったに火のつかないはずの、亜弥の怒りの導火線に、美貴たちは見事なまでに火をつけた。
ただし、美貴たちがそれとは気づかぬ勢いで。


72 名前:『コアクマの策略』 投稿日:2003/11/30(日) 01:03
周囲から音が消えた気がした。

――いち。

亜弥はすーっと息を吸い込んだ。

――にぃ。

ゆっくりと、美貴たちからは目をそらさずにまぶたを下ろす。

――さん。

ふーっとさっき吸い込んだ息のすべてを吐き出す。
そして、閉じたときと同じスピードで、まぶたを上げる。

目の前の美貴と真希は、そんな亜弥を怪訝そうな顔で見ていた。
笑いはいつの間にかやんでいて、風が木々を揺らす音だけが静かに聞こえてくる。

そして……亜弥はにっこりと笑った。

73 名前:『コアクマの策略』 投稿日:2003/11/30(日) 01:04
怪訝そうな顔のふたりは、顔を見合わせてそれからまた亜弥に視線を戻す。

その顔を見てから、ふっと、亜弥は息を吐いた。
そして、一瞬にしてその笑顔を消し、ギッとふたりをにらみつけた。
あまりにも予想外の行動だったのか、ふたりが一瞬ひるんだように見えた。
その隙を亜弥は見逃さなかった。



「大っ嫌い!」



ただ一言だけ言い捨てて、亜弥はふたりに背を向け、その場から走り去った。

74 名前:『コアクマの策略』 投稿日:2003/11/30(日) 01:04

75 名前:『コアクマの策略』 投稿日:2003/11/30(日) 01:05
何が、悲しいのか悔しいのかわからない。
ただ、のどが締めつけられる。
胸の中心から、言い知れないものに押さえつけられているような気がする。
目の端から熱いものがあふれて、抑えようとしても止まらない。


『どうしても言い返したくなったら、10秒で終わらせな』


愛しい人の声が、頭の中でこだまする。
それは、いつだったか、友達とケンカをしたとき。
それを相談したときのこと。
ケンカなんてするもんやない、と前置きをして、ゆっくりと話してくれた。
76 名前:『コアクマの策略』 投稿日:2003/11/30(日) 01:06
――10秒?
『1で息を吸う。2で目を閉じる。3で息を吐く。んで、目を開ける』
――それで?
『にっこり笑う』
――笑う?
『そんなときに笑われたら、誰でもひるむやんか。そしたら……』
――そしたら?
『ぶちまけるんや、たった一言だけ。自分の一番上にある気持ちを』
――……一言だけじゃあ、負けちゃうじゃないですか。
『あんなぁ』

穏やかだった横顔がほんの少し歪む。



『覚えとき。言葉は簡単に人を傷つけるねんで』



優しい手が、そっと亜弥の頭をなでる。
77 名前:『コアクマの策略』 投稿日:2003/11/30(日) 01:07
『相手を1傷つけたら、あんたは10傷つくんや』
――そんなことないですよ、悪いのは向こうなんですから。
『それでも、や。たとえ嫌いな相手やったとしても、10傷つけたらあんたは100傷つく。
100傷つけたら、1000傷つく。勝つことなんてあれへん』
――そんなことないですよぉ。

ポンポンと、なでていた手が頭を叩く。

『まぁ、心の片隅にでも置いとき。いずれ、わかるやろ』

わからんほうがええんやけどな、と歪んだ笑顔のままで言うその人を、亜弥はぼんやりと
見つめていた。
そんな日が本当にくるなんて、そのときは思いもせずに――。
78 名前:『コアクマの策略』 投稿日:2003/11/30(日) 01:13
更新終了です。

>>66
ふたりはいろいろと活躍する予定でございます。
果たしてどこに転がるやら。

がんばれ、みんな(w

>>67
できるだけ絡ませられればな〜と考えております。
もひとりとの絡みもうまく書ければいいんですが。
79 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/04(木) 00:37
うーむ、どんな展開になるのか、楽しくなるのかつらくなるのか、
まったく先が読めない。先が読みたいです。
それにしても松浦さん、怖いくらいに見事だと思ったら、彼女のおかげだったのね。
80 名前:『コアクマの策略』 投稿日:2003/12/07(日) 13:33
あの言葉は本当だった。

自分が悪いことをしたとは思ってないけれど。
美貴のことを好きなわけでもないけれど。
たった、たった一言しか言ってないけれど。

『大っ嫌い』

その言葉が、トゲのように刺さって、亜弥の胸をチクチクと痛ませる。

刺さったトゲは泣いても叫んでも取れない気がして。
悲しくて、苦しくて、切なくて。
とても――さびしかった。

「……せんせぇ……」

会いたかった。
ただ、顔が見たかった。
81 名前:『コアクマの策略』 投稿日:2003/12/07(日) 13:34
「うぉーい、そこのギャル〜、迷子か?」
と、あまりにも緊張感のない声が、廊下の静寂を破って聞こえた。
亜弥は弾かれるように顔を上げた。

聞き間違えるはずもない。
今、一番会いたかった人の、声。

涙の向こうにその人の姿を確認する。
グレーのシックなスーツ姿。
教師にしてはちょっと派手すぎる茶色の髪。
遠くからでも間違えようはなかった。
「……せんせぇ」

その声を聞きつけたのか、その顔を認識したのか、その人物――中澤裕子は、
3歩進んで足を止めた。

「松浦……」
その顔に、驚きの色が浮かぶ。
それが、何に対する驚きなのかわからない。
それを確認する間もなく、亜弥の視界はすぐに涙の幕に覆われてしまった。
82 名前:『コアクマの策略』 投稿日:2003/12/07(日) 13:34
息がうまくできない。
吸い込んだ空気が胸につかえているみたいで、吐き出せない。
ヒューヒューというイヤな音が耳の奥から聞こえてくる。

「うくっ……」
ギュウとシャツの胸元を握り締めて、亜弥は必死で息をしようとした。
でも、それに逆らうように出てくるのは嗚咽ばかり。

パタパタと、サンダルが廊下を叩く音がした。
あせっている風でもなく、ごく普通のゆっくりとした歩き方。
「……どした?」
名前を呼ばれたときよりもうんと近くで、いつもより高い優しい声が響く。
83 名前:『コアクマの策略』 投稿日:2003/12/07(日) 13:35
ふわ、と風が廊下を吹き抜けた。
その風に連れられて、亜弥の元に甘い香りが届く。
それは――。

亜弥が今年のバレンタインに、かなり背伸びをして裕子にプレゼントした香水の香り。
その香りが、ギリギリのところでとどまっていた亜弥の涙を一気にあふれさせた。

「うっ……うっ……せんせぇ……」
ふわりと、さらに香りが近づく。
そっと、冷たい手がほほに触れる。
「どした?」
もう一度繰り返されたその声を合図にして、亜弥は目の前にいるであろう裕子に
思いっきり抱きついていた。

裕子の体は一瞬硬直したような気がしたが、それも本当に一瞬のことだった。すぐに
その手がポンポンと背中を優しく叩いてくれる。
亜弥はしばしそのぬくもりと、規則的な鼓動に身をまかせた――。
84 名前:『コアクマの策略』 投稿日:2003/12/07(日) 13:35


85 名前:『コアクマの策略』 投稿日:2003/12/07(日) 13:36
「落ち着いた?」
目の前に紅茶が置かれた。
亜弥はカップを両手で包んで、そっと持ち上げる。
じんわりとした温かさが体に染み込んでくるような気がする。

紅茶に一口だけ口をつけて、それからゆっくりと顔を上げる。
視線の先には、優しく微笑む裕子の姿。

その笑顔を確認してから、亜弥は裕子にわかるようにうなずいて見せた。

息苦しさも悲しさもさびしさも、もう遠い出来事のような気がする。
あれだけ心をかき乱されたことが嘘のように、今、亜弥のいる場所は優しい空気で
あふれていた。
86 名前:『コアクマの策略』 投稿日:2003/12/07(日) 13:36
「……で、何があったん?」
「あ――」
喉まで言葉が出かかって、そこで止まった。

言ってもいいのだろうか。
仮にも裕子は教師で、美貴たちは生徒だ。
これは、告げ口をするということにはならないのだろうか。

連れ去られる前の保健室でのやりとりからすると、裕子とあのふたりは割と仲がよさそうだ。
仲のいい子の悪口を言われて、いい気分がするとは思えないし、
何より、そんなことを軽々しく口にするような子だとは思われたくなかった。

やっぱり、ここは言わないほうがいい気がする。
別に暴力ふるわれたり、お金を巻き上げられたわけでもないし、ちょっとからかわれただけ
と思えば、我慢できなくもない。
今後、近づかなければいいだけだ。
87 名前:『コアクマの策略』 投稿日:2003/12/07(日) 13:37
くるくると頭の中だけで自分の考えを整理して、もう一度裕子を見る。
と、裕子は片方だけ眉を上げて、それからゆっくりと口を開いた。

「アタシには言えんことなん?」

――うわ。
ずるいです、その言葉。

そんな風に言われたら。
そんな切なげな声で言われたら。
言わないわけにはいかなくなるじゃないですか。

その言葉ひとつで、亜弥の決意はもろくも崩れ去った。
結局この人には隠し事なんてできないんだと、思い知らされただけだった。
88 名前:『コアクマの策略』 投稿日:2003/12/07(日) 13:37
ふうっと大きく息を吐いてから、カップをソーサーに戻して、ソファに身を沈める。
視界が傾いて、天井を見上げる形になる。

そういえば、裕子の部屋にきたのはこれが初めてだ。
あんまりにもバタバタとつれてこられたので、その感動に浸るのも忘れていた。

身を起こして、くるりと頭を左右に振る。
そこは、思った以上に殺風景だった。

フローリングの床に、白い壁。
茶色や黒の暗めの色でまとめられた家具。
自分の部屋を思い出して、その激しいギャップにひとり驚いてしまう。
それほど家具の数が少ないとは思わなかったけれど、ひどく落ち着いた部屋だった。
89 名前:『コアクマの策略』 投稿日:2003/12/07(日) 13:37
「松浦」
ちょっと強い声で呼ばれ、亜弥は顔を正面に戻す。
裕子の表情は、さっきよりも幾分きつくなっていた。
「話、まだ終わってないんやけど」
「あ、ごめんなさい……」
「で?」

その一言を合図に、亜弥は今日あった出来事を残らず裕子に告げた。
真希と美貴に会ったこと。
美貴に言われたこと。

そして――。
90 名前:『コアクマの策略』 投稿日:2003/12/07(日) 13:38
「松浦?」
気がつけば、手を伸ばせば届く距離まで裕子が近づいていた。
その顔は、厳しくもきつくもなく、どこか悲しそうだ。
と、その手がそっと亜弥のほほに伸びてくる。
少し冷たい指に触れられて、亜弥は自分が泣いていることに気づいた。

「あ、あれ?」
あわてて涙をぬぐおうとして、その手をつかまれた。
そっと、ハンカチが差し出され、やさしく目じりを押さえられる。
そのハンカチを自分の手で押さえると、裕子は手を離して、優しく頭をなでてきた。

「つらい思い、したんやな」
優しい、ひどく優しく低い声が響く。
亜弥はハンカチをギュウと握り締めて、ふるふると首を振る。
91 名前:『コアクマの策略』 投稿日:2003/12/07(日) 13:38
これはバツだから。
裕子の言葉を信じなかった自分へのバツだから。
そのつらさも痛さも受け止めなきゃいけない。

ふと、裕子の言葉が思い出された。

『相手を1傷つけたら、あんたは10傷つくんや』

自分が傷ついているのかはよくわからない。
でも、美貴たちに言った言葉で、胸が痛んでいるのは本当だ。
ということは、美貴たちも自分のほんの何分の1かでも傷ついているのだろうか。

亜弥は顔を上げて裕子を見た。
その動きに気づいてか、優しい瞳が亜弥を見つめる。
92 名前:『コアクマの策略』 投稿日:2003/12/07(日) 13:39
「センセイ……藤本、さんたちも、こんな思いしてるのかな?」
泣き止んだのを確認したからか、裕子はなでている手を離して、亜弥の隣、ほんの
少し腕が触れる位置に移動してくる。

そうやなぁ、と言いながら、裕子は自分の前髪をさらさらともてあそぶ。
視線をまっすぐ前に向けたまま、口元だけで笑う。

「そうかもしれんし、そうやないかもしれん」
裕子の口から出た言葉は、ひどく曖昧だった。
「あのコらのことは、アタシもよくわからんねん」
教師失格やな、と裕子は苦笑いを浮かべた。
言葉ほど深刻な様子には見えなかったが、なんだかちょっとさびしそうで、
亜弥は裕子の手を握った。
裕子は何か言いたげに口を開きかけたが、言葉を発することはなく、ふっと
笑ってその手を握り返してきた。
93 名前:『コアクマの策略』 投稿日:2003/12/07(日) 13:39
「センセイ?」
「ん?」
「藤本、さんが1年生って、ホントですか?」
「藤本から聞いたん?」
亜弥がうなずくと、裕子はあいているほうの手で、また自分の前髪をさらさらといじる。
「ホントや」
「なんでですか?」
その言葉に、裕子は視線を亜弥に向けてきた。
その表情は、いつもの優しいものとは違い、どこか厳しい。センセイの顔だ。

「それは、アタシからは言えん」
「なんで?」
「ま……後藤や藤本がどういう人間かを決めるんはアタシやないからな」
94 名前:『コアクマの策略』 投稿日:2003/12/07(日) 13:39
どういう意味なのかわからずに、亜弥は首をかしげて裕子を見返す。
「あのコらのことは自分で見極め」
突き放したような言い方。
それでも、冷たい言い方だとは思わなかった。

つまり、ヘンな先入観を持つなと言いたいんだ。
真実かどうかもわからない噂話を嫌う人だから。
ちゃんと自分の目で見て、自分であのふたりがどういう人間かをわかれと言いたいんだ。

――でも、あんまり付き合いたくないんですけど。

そんなことも思ったが、あえて今は言わなかった。
95 名前:『コアクマの策略』 投稿日:2003/12/07(日) 13:40
「そういえば……」
ふと思い出したように裕子が言った。
「アンタ、なんであそこにおったん?」

ガクッ。
そういえば、ドタバタしすぎてすっかり忘れていた。
このときを1か月待っていたというのに。
完全にタイミングを逃してしまった。

うー、と唸り声を上げて、亜弥は裕子をにらみつける。
お、と裕子が体を引く。
「これ見て、わかりませんか?」
亜弥は立ち上がり、その場でくるりと一回りして見せた。
しかし、裕子の反応は芳しくなく、うーん? と首を傾げて見せるだけ。
96 名前:『コアクマの策略』 投稿日:2003/12/07(日) 13:40
鈍い人だというのはわかっていたが、ここまで反応が薄いと悲しくなる。
亜弥は大げさにがっくりと肩を落として、裕子の隣にもう一度座った。
そんな亜弥の様子を目で追いつつ、裕子はまだ首を傾げている。

時々、この人が大人なのか子供なのかわからなくなることがある。
気が回るのか鈍感なのか、ホントにわからない。
気づいてくれてもいいと思うんだけどなぁ……。

一向に気づく気配のない裕子に、亜弥はため息をついた。
「センセイ、今日は何の日ですか?」
「え? ……と、何?」
「学校行事」
「今日……今日は、入学し……き、って、あ!」
途端に気づいたのか、亜弥の制服を指差して、それから顔を見る。
その顔は、めずらしくめいっぱい驚いていた。

まぁ、当初の目的は達成できたからいいか。
少なくとも、驚いてはくれたみたいだし。
97 名前:『コアクマの策略』 投稿日:2003/12/07(日) 13:41
「もしかして、うちに入学してきたん?」
「もしかしなくても、そうですぅ」
ほえ〜、とヘンな声をあげながら、裕子は視線を亜弥の頭から足まで何度も往復させる。
「何で制服見てわかんないんですか」
ぶーっとぶーたれて見せる。
「い、いや、入学してから時間がたつとみんな着崩しはじめるやん? きちんと制服
着てる子少ないから、うちの制服やって気づかんかっただけやん」

ギロッとにらみつけると、裕子はうつむいた。
「ごめん」
ぺこりと頭を下げる。
「も、いいです」
「ごめんて」
ふーっと息を吐く。
ま、しょうがないか。
98 名前:『コアクマの策略』 投稿日:2003/12/07(日) 13:41
「ものすっごいがんばったんですけどねぇ」
「そうやろな。アンタの成績やと、かなり厳しかったやろな」
そうなのだ。
実は、裕子の勤める学校は結構な進学校。
2年生までの亜弥の成績では、とても合格はムリだった学校だ。
それをがんばらせたのは、もちろん裕子と一緒にいたいがためなのだが……。

「なんでそこまでして?」
全然裕子には伝わっていなかった。
本日二度目のがっくりをして、亜弥はぺしっと裕子の腕をひっぱたいた。
「痛っ! 何すんねん!」
「どーしてわかってくれないんですかねぇ、この切ないオトメゴコロ」
「はぁ?」
「も、いいです。帰ります」
亜弥はカバンを手に立ち上がった。

「駅まで送ろか?」
「結構です!」
裕子のことを振り返ることなく、亜弥はそのまま玄関へと向かう。
裕子が追いかけてくる様子もなかったので、ますます怒りを増したまま、ドアを開け、
思いっきり乱暴に閉めてやった。
99 名前:『コアクマの策略』 投稿日:2003/12/07(日) 13:42
冷たいドアにもたれかかって、亜弥は息を吐いた。

言い損ねてしまった「嬉しい知らせ」。
それは、裕子の勤める高校へ入学できたこと――これからは、今までよりもずっとずっと
一緒にいられる時間が増えるということ。

そりゃ、教師と生徒だから、学校内でいちゃいちゃしまくるっていうのは無理かもしれない。
でも、3か月全然会えないとか、電話してもすれちがっちゃうとか、そういうことは減るはず。
共通の話題もできるだろうし、今までよりずっとずっと楽しくなるんじゃないか。

合格が決まってからというもの、嬉しくて嬉しくてそんなことを毎日考えていた。

でも、裕子にとってそれは、どうでもいいことなのかもしれない。
そばにいたっていなくたって、そんなことはどっちでもいいのかもしれない。
100 名前:『コアクマの策略』 投稿日:2003/12/07(日) 13:42
一緒にいられることを告げたら喜んでくれるかもしれない。
そう思っていた時間がすごくもったいないもののように思えてきて。
その時間をすごくムダなものにされたような気がして。

悲しさやさびしさ以上に、亜弥は裕子の無神経さにムカついていた。

怒っても仕方ないのはわかっている。
自分と裕子は違う人間だから、考え方が一致するなんてありえないこともわかっている。
だけど、ほんのひとかけらでもいいから、わかってほしかったのに。

亜弥はぶつけようのない思いを、ガツンと一発こぶしに込めて、裕子の部屋のドアを思いっきり
叩くと、そのまま足早にそこを後にした。
101 名前:『コアクマの策略』 投稿日:2003/12/07(日) 13:43



102 名前:『コアクマの策略』 投稿日:2003/12/07(日) 13:43
裕子のマンションから駅までは、歩いてほんの5分ほど。
迷うこともない距離だ。

「ふんだ! センセイのアホ!」
「誰がアホやねん」
歩き出そうとして、上から声が降ってきた。
見上げると、窓から裕子が顔を出していた。
「挨拶くらい、して帰るもんやで」
ぶーっとふてくされた顔のまま、亜弥は裕子をにらみつける。

「センセイ、さようなら!」
にらみつけられても裕子はひるむことなく、ニヤニヤとした笑いを浮かべている。
「はい、さよなら」
ひらひらと手を振る裕子の余裕が、亜弥の怒りをますます増やす。
むう、とふくれたまま、亜弥は視線を裕子からはずして歩き出した。
103 名前:『コアクマの策略』 投稿日:2003/12/07(日) 13:44
「松浦」
3歩歩いたところで、呼び止められた。
顔なんて上げてやるもんかと思っていたのに、
「こっち、見てぇな」
お願いされると、断われない。
亜弥はその声に引き寄せられるように顔を上げた。

そこにはさっきのニヤニヤ笑いを消し、穏やかな笑顔を見せる裕子がいる。
「松浦、手ェ出して?」
「え?」
わけもわからず、亜弥は言われたとおり手を出した。
「落としなや」
「え?」

と、裕子は一瞬部屋の中に体を引っ込めて、それから姿を現したかと思うと、ポイッと
何かを放り投げた。
「わ、わわわ」
あわてて両手を差し出し、何とか落とさずにそれを受け取る。
それは、茶色く細長い箱だった。
裕子を見上げると、「開けてみ?」とにっこり笑う。
そっと、それを開けてみると、中から出てきたのは、金色のブレスレットタイプの
腕時計だった。
もう一度裕子を見上げる。
「入学祝いや」
亜弥は腕時計と裕子の顔を、2度繰り返し見比べた。
104 名前:『コアクマの策略』 投稿日:2003/12/07(日) 13:44
――覚えててくれた。
覚えててくれたんだ。

裕子の学校を受けることをヒミツにしておきたくて、亜弥はもうずっと前から受験の話題を
避けていた。
どう思ったのかわからないが、裕子からあえてそれを聞いてくることもなかった。
合格がわかってからは、もし結果がどうだったと聞かれたらどうしようと考えていたが、
それを聞かれることもなかった。
だから――もしかしたら、自分が受験生であることも忘れられているのかも、なんて不安も
よぎったけれど。

忘れてなんか、いなかったんだ。

それがうれしくて、亜弥は腕時計の入った箱をギュッと胸元で握り締めた。
「ありがとうございます。大切にします」
裕子を見上げると、照れくさそうに1回うなずいた。
「気をつけて帰りな」
「はい!」
さっきまでの怒りはどこへやら、亜弥の顔には満面の笑みが浮かんでいた。
105 名前:『コアクマの策略』 投稿日:2003/12/07(日) 13:44
軽くお辞儀をしてから、歩き出そうとして、また、呼び止められた。
もう一度顔を上げると、裕子はまた元の穏やかな笑顔に戻っている。
「入学、おめでとう」

――あぁ。
やっぱり好きだ。

どんなにふてくされても、どんなに怒っても、あの笑顔にはかなわない。
ふてくされた顔はいつの間にか笑顔に変わり、気がつけば手まで振っていた。

――かなわないんだよなぁ。

胸にほんわかとした温かさを感じながら、亜弥はスキップしかねない勢いで、
駅までの道を歩いていった。
106 名前: 投稿日:2003/12/07(日) 13:49
更新しました。

久々に登場させられました。
ほっと一安心(w


>>79
ありがとうございます。がんばって先も書いていきます。

話の展開が遅くて申し訳ない。
もうちょっとすると、転がり始めますので、
気長に待ってていただけるとありがたいです。

どっち方面に転がるのかは……まだ不明(w
107 名前:ハルカ 投稿日:2003/12/07(日) 15:39
初めまして。ずっと読んでました。
なんか良いですね。すっごい好きです。
これからも読み続けますので、頑張ってください!
108 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/07(日) 19:17
藤本さん後藤さんともう一波乱起こりそうな気がしますw
姐さんの一言一言に一喜一憂するあややが可愛い
109 名前:『揺れるコアクマ』 投稿日:2003/12/13(土) 23:34
入学2日目。

初日は、真希や美貴、それに裕子にまで振り回されたけれど、今日からは至極穏やかに、
新しい友達もできて、勉強で悩んじゃったりして、裕子のとこに入り浸ったりして、
ごく平凡な高校生活が送れる――はずだったのに。

亜弥が望んだ「平凡」は、その日の朝に、あっさりと打ち崩された。
110 名前:『揺れるコアクマ』 投稿日:2003/12/13(土) 23:34
「まっつー、いる?」
ざわざわとしていた教室が、一気に静まり返る。
導かれるように声のしたほうを見ると、ブレザーのポケットに手を突っ込んだ真希が立っていた。
こうして見ると、そのやや気崩した制服の着方さえ、様になっているから不思議。
真希はくるりと教室を見回して、亜弥と目が合うと、ほんの少しだけバツの悪そうな顔をした。

一気にクラス中の視線が真希から亜弥へと移る。

――うぁ。

同じクラスとはいえ、ほとんどがまだ顔と名前が一致しない程度の仲だ。
そんな人たちに好奇心いっぱいの目で見られるのは、正直気分がよくない。
しかも、その中にはいや〜な感じのする視線が混じっている。
敏感とはいえない亜弥でも、そのくらいはわかった。

明らかな敵意――。
亜弥はその視線を振り払うように、あわてて真希の元へと駆け寄った。
早くこの場から真希を連れ去りたかった。
たぶん、その敵意の原因は、自分ではなく真希にあるのだろうから。
111 名前:『揺れるコアクマ』 投稿日:2003/12/13(土) 23:35
「何か用ですか?」
クラスの人たちの視線を避けるために、階段まで真希を連れて行ってから、亜弥は聞いた。
「ちょっと話があるんだけど、放課後とか時間、空いてる?」
「話なら、今ここで聞きます」
できるだけ関わりたくない。
その思いが、亜弥を強気にさせた。
下からにらみつけるような目つきのまま、真希の出方をうかがう。

そんな亜弥の様子を見てか、真希は軽く肩をすくめた。
「そんな身構えないでよ」
真希がにへらと笑っても、亜弥は態度を変えない。
真希はしょうがないなというように、頭をカリカリとかいた。
112 名前:『揺れるコアクマ』 投稿日:2003/12/13(土) 23:35
「裕ちゃんのことなんだけど」
「裕ちゃん?」
それが誰のことなのか、思い当たるフシがなくて、亜弥は首をかしげた。
真希は「あぁ」とひとりで勝手に納得してから、
「中澤先生のことなんだけど」
と言い直した。

その名前を聞いた途端、自分でも表情が変わっていくのがわかる。
そんな亜弥を見て、真希はまたにへらと笑う。
「放課後、空いてる?」
――真希の申し出を断る理由は、もう存在していなかった。
113 名前:『揺れるコアクマ』 投稿日:2003/12/13(土) 23:35



114 名前:『揺れるコアクマ』 投稿日:2003/12/13(土) 23:36
教室へ戻った亜弥を迎えたのは、出て行くときと同じ、クラスメイトの好奇心いっぱいの視線と、
ほんの少しの敵意の視線。
まっすぐ席へ向かおうとすると、途端に人の波に囲まれた。

「ねえねえ、後藤先輩とどういう関係?」
「後藤先輩と知り合いなの? 紹介してよ!」

エトセトラ、エトセトラ……。

話を聞くまで亜弥は知らなかったが、真希はこの学校のアイドル、みたいなものなのだ。
教師に媚を売らない態度。
ちょっと近寄りがたい見た目。
学年トップクラスの成績。
クールで大人びた雰囲気が、ここらへんの中学生にも人気なのだと言う。
ホントかウソかは知らないが、真希目当てで入学する子もいるとかいないとか。

そんな真希だから、声をかけられた亜弥をよく思わない人もいるわけで。

「ちょっとかわいいと思って」とか
「調子に乗ってんじゃねーよ」とか
そんな声も聞こえてきた。
これが、さっきの敵意の真相だ。
115 名前:『揺れるコアクマ』 投稿日:2003/12/13(土) 23:36
けれど、今の亜弥にとってそんなことはどうでもいいことだった。
今の亜弥の頭の中を占めているのは、

どうして、真希は裕子のことを「裕ちゃん」と呼ぶのか。

ということだけだった。

確かに、入学式のときの保健室での会話を聞いていると、真希と美貴、それに裕子は
教師と生徒というよりは、もっとフランクな関係のようだ。

けれど。
それにしても、「裕ちゃん」はいくらなんでもフランク過ぎないだろうか。
あのふたりはいったい裕子とどういう関係なのか。

一度気になりだしたら止まらない。
周りの声はもう耳に入らなくなっていた。
116 名前:『揺れるコアクマ』 投稿日:2003/12/13(土) 23:37
と、いきなりバンと大きな音がして、亜弥の思考は一気に教室へと引き戻された。
音のしたほうを見ると、ちょうど亜弥の前の席の子が机に両手をついて立ち上がったところだった。

――あ、あの子。

昨日はいなかった。
入学式が終わった後、教室にきたときからすでに亜弥の前は空席だった。
昨日はそのままその席には誰も座ることなく終わった。
だから、今日が初めて顔を合わせるわけだけど……。
朝きたときから机にうつぶせて寝ていたので、挨拶もできずじまいだったのだ。

「あのさぁ、うっさいんだよね」
静かな、低い声。
荒らげた口調ではないのに、有無を言わせない声。
教室が、またシンと静まり返る。
「ギャーギャー騒ぎたいんだったら、外行ってくんない?」
117 名前:『揺れるコアクマ』 投稿日:2003/12/13(土) 23:37
そう言って振り返ったその人の顔を見て、亜弥は目を丸くした。
「あ」
思わず声が漏れる。
また、教室内の視線が一気に亜弥に集まる。
「何」
亜弥はあわてて手で口をふさいで、首をふるふると横に振った。

――神様、あんまりです。

思わず、天を仰ぎそうになった。
ガタンとことさら大きな音を立てて座り、また机にうつぶせてしまった彼女は――間違いなく、
藤本美貴、だったのだから。
118 名前:『揺れるコアクマ』 投稿日:2003/12/13(土) 23:38



119 名前:『揺れるコアクマ』 投稿日:2003/12/13(土) 23:38
放課後。

真希に言われたとおり、亜弥は屋上にやってきた。
ちょっと重たい鉄のドアを開けると、手すりに両腕を、その上にあごを乗せている真希の横顔が
目に入ってきた。
その横顔は、昨日一番最初に見たときと同じ、人を寄せつけない表情に近い。
こうして見ると、美貴とはタイプこそ違えど、真希も美人なんだなぁと、場違いなことを思う。

ガシャンというドアの閉まる音に気づいたのか、真希は首から上だけを動かして、
亜弥のほうを見る。
亜弥の姿を確認すると、ほんの少し、口の端を上げて笑い、くるりと向きを変えて手すりに寄りかかる。

「まっつーって結構きっついよねぇ。かわいい顔に似合わず」
「ありがとうございます」
「……ほめてないよ?」
「ほめられてるとは思ってません」
硬い言葉で言い返すと、真希はあはっと笑った。
亜弥の強固な防御姿勢もまったく気にしていない様子だ。
「ミキティ、ショックだったみたいだよ?」
「そうは見えませんでしたけど」
120 名前:『揺れるコアクマ』 投稿日:2003/12/13(土) 23:38
今日一日、美貴はずーっと机にうつぶせたままだった。
休み時間と昼休みはふらりとどこかへ出かけてしまうが、授業中はずっと。
途中、去年からの美貴を知っているであろう教師に嫌味を言われたり、指されたりもしていたが、
嫌味は聞き流すし、指された質問はきちんと答えていた。
そんな美貴を見ながら、頭は悪くないんだなぁとは思ったが、それ以上つっこもうとも思わなかった。
変に関わって、これ以上平凡な高校生活を乱されるのはゴメンだ。

「面と向かって『大嫌い』なんて言われたことなかったみたいだから、結構へこんでたんだけどなぁ」
「気のせいじゃないですか? それより、私も聞きたいこと、あるんですけど」

真希はふうんという風に亜弥の顔を見る。
それからもう一度笑って、「昨日はごめんね」と言った。

「別に、あやまられるようなこと、されてませんから」
「あんなに怒るなんて思わなかった」
121 名前:『揺れるコアクマ』 投稿日:2003/12/13(土) 23:39
怒って当然でしょう、と言いかけて、亜弥は言葉を止めた。
今、自分がここにいるのは、気になることがあるから。
その謎を解きたいだけだ。
だから、これ以上必要のないことを話す意味はない。
本題だけを話して、それから帰ればいい。
必要以上に長い時間、ここにいたいとは思わなかった。

自分で思っている以上に亜弥は昨日の出来事に対して怒っていた。

「なんで、中澤センセイのこと、『裕ちゃん』って呼ぶんですか?」

真希の言葉に反応することはせずに、亜弥は真希に問いかけた。
笑顔を消して、真希はカシカシと頭をかいた。
それからちらりと亜弥の顔を見て、カツンと手すりを一回叩く。
「それは……あたしの質問に答えてくれたら、教える」

――めんどくさいなぁ。

そう思ったが、ムダなことはしたくないのだ。
亜弥は素直にそれに従うべく、小さくうなずいた。
122 名前:『揺れるコアクマ』 投稿日:2003/12/13(土) 23:39
「んじゃ聞くけど」
真希の視線が、まっすぐに亜弥を見つめる。
へらへらと笑っていたさっきまでとは全然違った真剣な雰囲気だ。
亜弥は、真希の言葉を黙って待った。
「裕ちゃんと、どういう関係?」
「は?」
何を聞かれたのか、即座には理解できなかった。
「だから、裕ちゃんと――中澤先生とどういう関係かって聞いてるんだけど」
「どういうって……?」
「だからー、いろいろあるじゃん。幼なじみとか、きょうだいとか」
絶対ありえない例を出して言う真希。
その表情は硬く、そこから意図を読み取ることはできない。

まさか、そんなことを聞かれるとは思っていなかったので、亜弥は言葉に詰まった。
もちろん、ふたりは間違いなく「恋人同士」。
でも、それを正面切って人に言ったことはなかった。
聞かれたこともなかった。
123 名前:『揺れるコアクマ』 投稿日:2003/12/13(土) 23:40
街中を歩いていても、腕を組んでいても、恋人と思われたことは一度もないはずだ。
誰かに確認したことがあるわけじゃないけれど、今時腕組んで歩く女の子同士なんて
珍しくもないし、そんな子たちにいちいち「どういう関係ですか?」なんて聞いて
まわる人がいるとも思えない。
それに、亜弥と裕子は、恋人かもと思われるほど頻繁に会ってもいなかった。

女の子同士の恋愛が、一般的に「普通」じゃないことは亜弥にもわかっている。
けれど、そのことに引け目や負い目を感じたことはなかった。
達観してるつもりはないけれど、好きになっちゃったんだからしょうがない。
裕子が受け入れてくれるなら、それでいい。
それだけでいい。
それだけでいいんだけど……。

こうして聞かれたときは、どうやって答えたらいいんだろう?
124 名前:『揺れるコアクマ』 投稿日:2003/12/13(土) 23:40
もちろん、亜弥の気持ちとしては、「恋人です!」と即答したいところ。
でも、カンタンにはいかない。
すべての人が受け入れてくれるはずもないし、もし軽々しく口にして裕子に迷惑が
かかったら困る。
当人以外の人間にとっては、ふたりは恋人である以前に、教師と生徒だから。

ひとしきり頭をめぐらせていると、真希と目が合った。
「――センセイと教え子、です」
口からするりと言葉が出た。

そうだ。
この言葉に、ひとかけらのウソも混じってない。
ただ、本当のことを言っていない、それだけのこと。
125 名前:『揺れるコアクマ』 投稿日:2003/12/13(土) 23:40
真希は硬い表情のまま、軽く眉をしかめた。
「裕ちゃん、今年初めて先生になったはずだけど」
「教育実習で、うちの学校に来てたんですよ。もう……1年半くらい前かな」
「ふぅん」
納得したとは思えない声で、真希がうなずく。
「そんなに気になるなら、センセイに確認してください」
そう言うと、真希は笑った。それなのに、何かがっかりしてるような、そんな顔に見える。

「でも、なんでそんなこと聞くんですか?」
「んー? 昨日さ、見たんだ」
真希はうっとうしそうに髪をかきあげる。
「何をですか?」
「ん、まっつーが裕ちゃんと一緒に帰るとこ」

――見られてたのか。
まぁ、あれだけ堂々と帰っていて、気づかれないはずもないか。

「だからそうなのかと思ったんだけど、そっか違うのか」
「違う……って何が、ですか?」
126 名前:『揺れるコアクマ』 投稿日:2003/12/13(土) 23:41
すっと、真希が目を細めた。
ただそれだけの行動なのに、亜弥は思わず身を引いていた。
そんなに近くにいるわけじゃない。
手を伸ばして届く距離じゃない。
それなのに……ふっと真希が迫ってくるような気がしたのだ。
そんな亜弥を見て、真希はまた笑う。

「まっつーは裕ちゃんの『トクベツ』じゃないのか」

ひどくうれしそうで、同じくらい悲しそうに聞こえるのはなぜだろう。
真希の表情はさっきと変わらず、笑顔のままだ。

「裕ちゃん、基本的にみんなに優しいんだけど、みんなに優しいからさ、誰か特定の
子と一緒に帰るとか、そういうことしないんだよね」
真希は一瞬足元を見て、それから亜弥に視線を戻す。
「だから、まっつーと一緒にいるの見て、もしかしたらと思ったんだけど」
またにへらと笑う。けれど、目は笑っていない。
口元だけの、乾いた笑い。
「そっか、違うのか」
127 名前:『揺れるコアクマ』 投稿日:2003/12/13(土) 23:42
「話って、それだけですか?」
硬く凍りついた空気を壊したくて、亜弥は思わず言葉を口にしていた。
真希は亜弥の言葉にうなずく。
ふっと緊張感が解ける。
と、同時に疑問がわきあがってくる。

いったい、この人は自分と裕子を何だと思っていたのか。
なんだったらよくて、なんだったらマズイのか。

いろいろ腑に落ちないところもあったけれど、とりあえずそれはどうでもいい。
気になるのは、なぜ真希がそこまで裕子にこだわるのかということ。
質問には答えたんだから、こっちの質問にも答えてもらわなくちゃ。

亜弥はぼんやりと自分を見つめている真希の瞳を、しっかりと正面から見つめ直した。
「私の質問にも答えてもらえますよね」
真希がんー? と首をかしげる。
「なんだっけ?」
128 名前:『揺れるコアクマ』 投稿日:2003/12/13(土) 23:43
がっくし。
この人は、もしかして聞く気がそもそもないんじゃないだろうか。
はーっとため息をついて、もう一度真希の顔をまっすぐに、少しにらみつけるように
見つめる。
「後藤先輩と中澤センセイは、どういう関係なんですか?」
「最初聞いたときの質問と違うじゃん」
「って、聞いてるんじゃないですか!」
あはっと、悪気のない笑顔で真希が笑う。
それから、また足元に視線を落とし、カタンと音を立てて、手すりにもたれかかる。
そして、何を思ったのか、そのままずるずると地面に座り込んでしまった。

「先輩!」
真希はひざを曲げ、その上に両手を乗せて、軽く指を絡ませる。
そして、手と手の間からのぞき見るように亜弥を見る。
そこには、もうさっきまでの笑顔はひとかけらも残っていなかった。


「――コイビト」


その言葉が真希の口から滑り落ちたのと、真希の目つきが変わったのは、
ほとんど同時だった。

血液が逆流した気がした。
129 名前:『揺れるコアクマ』 投稿日:2003/12/13(土) 23:53
更新しました。

動いた人が約1名。
でも……また登場してないし(w
ごめんなさいぃ。


>>107
好きですか……。
言われなれてないので、照れます(w
ありがとうございます。

>>108
一波乱……ですむかなぁ(w
まだまだふたりはこれから動く、かな?


なんとなく松浦さん翻弄されるイメージがあって。
手玉に取ろうとして逆になっちゃってるのが好き(爆)
130 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/14(日) 02:14
おお?これは???
すげー気になる展開。
何がおこるんだろう?
続き期待して待ってます。
131 名前:名無し読者。 投稿日:2003/12/15(月) 02:22
予想外な意外な展開〜。
中澤さんモテモテ??
オモシロイです。
132 名前:『揺れるコアクマ』 投稿日:2003/12/22(月) 00:45
最初の1秒は怒り。
それからあとは、恐怖。

それが、亜弥の血液を逆流させた。

まっすぐに自分を見つめる真希の目に、ぞくりと悪寒が走る。

亜弥と真希の距離は相変わらず。
真希が立ち上がってダッシュしてきたとしても、つかまる前に亜弥は屋上から逃げられる
であろう距離。

それなのに、その距離を越えて、亜弥は真希の瞳に完全に捕らえられてしまった。
133 名前:『揺れるコアクマ』 投稿日:2003/12/22(月) 00:46
なんだろう。
なんだろう。

なんだかわからないけど、心臓がうるさいくらいに鼓動を打つ。
首の後ろが、重く痛む。
じわじわと、追い詰められる予感。
体のすべてが、目の前の人物はキケンだと訴えかけてくる。
このままここにいてはダメだと騒ぎ立てる。

ここは屋上で、上を向けば青空が広がっているのに。
まるで出口のない透明の箱に閉じ込められているみたいだった。

すうっと真希がさらに目を細める。
キュッと、空気が音を立てて締まったような気がした。

思わず後ずさって、ドンと鉄の扉に背中がぶつかる。
134 名前:『揺れるコアクマ』 投稿日:2003/12/22(月) 00:46
亜弥は息を詰めた。
この状況がよく理解できない。
視覚は遠くにいる真希をちゃんと認識しているのに、感覚はそれを認めようとしない。
手の届く距離に真希がいて、のどもとにナイフを突きつけられているような気分――。

ダメだ。
ここにいてはダメだ。
逃げろ。
ここから逃げろ。

亜弥の本能が遠くで警鐘を鳴らす。
あの瞳は、真希の瞳は、人を傷つけることをなんとも思わない瞳だ。
このままここにいたら、傷つけられる。
何の根拠もないのに、そんなことを思った。
135 名前:『揺れるコアクマ』 投稿日:2003/12/22(月) 00:46
目を閉じろ。
遮断しろ。
すべてをかき消せ。

警鐘は時間を追うごとに何度も何度も違う言葉で亜弥をまくし立てる。

そうだ、逃げてしまえ。
この場から消えてしまえ。

そう思って、足に力を入れた瞬間、シャラ……と、今まで聞こえなかった音が聞こえてきた。

この音は――。

――……!
136 名前:『揺れるコアクマ』 投稿日:2003/12/22(月) 00:47
その音に背中を押されるように、亜弥は一歩前へと足を踏み出していた。
目を開いたまま、ただまっすぐに真希を見つめて、のどもとに突きつけられたナイフの
ような真希の視線を、ぐいと押し返す。

と、真希の表情が揺れた。

瞳が大きく見開かれ、口元が半開きになる。

一気に屋上の空気がやわらかなものに変わる。
閉ざされていた箱の口が開け放たれたような気分になる。
吹いてくる風が、亜弥の体から熱をさらっていく。

亜弥は真希の瞳を相変わらず見つめたまま、ふーっと息を吐いた。
途端に体の力が抜けていく。
137 名前:『揺れるコアクマ』 投稿日:2003/12/22(月) 00:47
「まっつー」
真希が立ち上がって、亜弥に近づく。
もう、身構えるだけの余裕は亜弥にはなかった。

うつろな瞳で真希を見ると、真希はにへらと笑ってくれた。
それから、ポンポンと頭を叩く。
さっきまでの、ピリピリとした気配はみじんも感じられなかった。

「すごいね」
そう言って、またにへらと笑う。
「はは……はぁ〜」
さらに大きく息を吐いて、亜弥はその場にへたり込んだ。
なんだか、足だけが自分のものではないような気がした。

「ま、まっつー?」
追いかけるように、真希が視線を合わせてくる。
その表情は、心配そのものだ。
「だいじょぶ?」
「はは、はい、まぁ」
138 名前:『揺れるコアクマ』 投稿日:2003/12/22(月) 00:48
はーと長く息を吐いて、亜弥は乱れた髪をかきあげた。
シャラ……と、また音がする。

音の出所に目をやると、そこには昨日裕子からもらった腕時計があった。
ブレスレットタイプでちょっと手首よりもゆるめだから、腕を動かすとシャラシャラと
音がするのだ。

――やっぱり、センセイが助けてくれるんだ。

あそこで逃げたからといって、取って食われたりはしないだろうと今は思う。
それでも今の真希の態度を見ると、逃げないという選択は間違っていなかったようだった。
真希は今までのどんなときよりも、やわらかい笑顔を向けてくれている。

――センセイ、ありがと……。

心の中で感謝をしようとして、さっきまでの出来事を思い出した。

真希の雰囲気にのまれて忘れていたが、真希は裕子を「コイビト」だと言った。
その真偽を確かめるのを忘れていた。
139 名前:『揺れるコアクマ』 投稿日:2003/12/22(月) 00:48
「あの!」
亜弥は目の前の真希の腕にしがみついた。
「え、え、何?」
「ホントなんですか?」
「え、何が?」
「センセイ……中澤センセイと、その、『コイビト』って」
それを聞いて、真希は微妙な笑みを浮かべた。

「……だったら?」
「え?」
「コイビトだったらどうする?」

その言葉は、亜弥から冷静な判断力を奪った。
力をなくしてくたくたになっていた亜弥の中に、みるみるうちに力がみなぎる。
亜弥はすっくと立ち上がると、真希のほうを一度も振り返らずに、そのまま屋上から走り去った。

真希が呆然と、「これじゃあ、昨日とおんなじじゃん」とぼやいたことも気づかずに――。
140 名前: 投稿日:2003/12/22(月) 00:58
ちょっとだけ更新しました。

なにやら暴利に忙しくてなかなか進みませぬ…。

>>130
レス、ありがとうございます。
何かが起こったような、起こらなかったようなビミョウな展開ですんません。


>>131
モテモテなねーさんもいいッスねw

ごっちんの行動の謎は、次回には…ちょっとくらいは明かされる、かも(ヲイ



今年中にあと1回は更新したいなぁと思っております。
できるかなぁ、できるといいなぁ(泣)
141 名前:『揺れるコアクマ』 投稿日:2003/12/24(水) 01:41
「センセイ!」
保健室の扉を開けるなり、亜弥は大声で怒鳴りつけた。
「え、は、はい! 何?」
驚いたように亜弥の顔を見る裕子に、亜弥はつかつかと歩み寄る。
イスに座っている裕子の白衣の襟をガシッとつかんで、グイッと上からにらみつける。

「ま、松浦?」
「センセイ、後藤先輩とどういう関係ですか」
「ど、どういう……って」
突然の亜弥の暴走についていけず、裕子は目を白黒させて亜弥を見つめる。
「言えないんですか!?」

つかんでいた襟をぐっと手前に引き寄せる。
裕子の体の重みと亜弥が強く握り締めているせいで、白衣がピンと張ってしまう。
「や、え、い……」
ヒュウと、裕子が息を呑む音が聞こえた。


「イトコやけど」
142 名前:『揺れるコアクマ』 投稿日:2003/12/24(水) 01:41
――は?

亜弥の疑問は声にはならなかった。
教え子とか、友達とか、そんな言葉が出てきたら、めちゃくちゃ追求するつもりでいた。
けれど、裕子の口から出た言葉は、亜弥の想像とはかけ離れすぎていた。

イトコって、イトコって……あの、イトコですよねぇ。

手から力が抜けて、襟から手が離れる。
裕子は軽く襟を整えてから、そのままの体勢で亜弥の顔を覗き込む。

「松浦〜?」
ひらひらと裕子の手が目の前で振られていても、亜弥は目をぱちくりさせたまま、動かなかった。
動けなかった。

「裕ちゃ〜ん? まっつーきてる〜?」
遅れて追いかけるように現れたのは、コトの張本人、真希。
扉のほうを見て真希の姿を確認すると、裕子は大きくため息をついて見せた。
「真希……」
ピクリと亜弥の肩が動く。
「アンタ、このコに何吹きこんだん?」
143 名前:『揺れるコアクマ』 投稿日:2003/12/24(水) 01:42
「センセイ!」
「うわ、は、はい!?」
いきなり覚醒した亜弥に、裕子がのけぞる。
「なんで?」
「な、何が」
「なんで、後藤先輩のこと、名前で呼ぶんですか? 昨日は『後藤』って苗字だったじゃないですか」
「あ、いや、えっと」
「センセイ!」

一触即発の雰囲気――。

怒っているのは亜弥だけで、裕子は一方的に怒鳴られているだけなのだが、そんな空気だった。
ピリピリとした空気が保健室の中を埋め尽くす。

それを打ち破ったのは、もうひとりの存在――真希だった。
144 名前:『揺れるコアクマ』 投稿日:2003/12/24(水) 01:42
「ぷっ……」
緊張感のない声を皮切りにして、凍った空気の中に、楽しそうな笑い声が響く。
裕子も、そして怒り狂っていた亜弥も、真希のほうへと顔を向ける。
空いているベッドに座っていた真希は、本当に楽しそうに笑っていた。
亜弥と裕子が見ているのに気づくと、何とか笑いをとめた。
「それは、ごとーが教えてあげるよ」
そう言いながら、目じりの涙をぬぐう。

亜弥は裕子の前を離れ、真希のそばへと近づいた。
真希はベッドの上に座りなおして、亜弥を見上げた。
その瞳は、今までに見せたどれとも違っていた。
子供がいたずらを考えるときの、そんな瞳に似ている気がした。
145 名前:『揺れるコアクマ』 投稿日:2003/12/24(水) 01:43
「――」
真希が口を開きかけた瞬間、亜弥の目の前を黒い物体が風を切って飛んでいった。
バシッと大きな音が響く。
音のしたほうを見ると、憮然とした表情の真希の足元に、ノートが一冊転がっていた。
「裕ちゃん、アブナイよ」
「うっさい」

どうやら、裕子が真希に向かって投げたようだ。
それにしても、ノートを投げるなんて、ずいぶん乱暴だ。
なんだか、めったに見られない裕子を見た気がして、亜弥は目をぱちくりさせる。
それから、そっと裕子をのぞき見ると、こちらも憮然とした表情をしている。

裕子は立ち上がって落ちたノートを拾うと、それで真希の頭をペシンと叩く。
「アンタは黙っとき」
「えー、せっかく親切に説明してあげようと思ったのに」
「何が親切やねん。アンタが引っかきまわしとるんやんか」
「違うよー。イキチガイってヤツだよ」
「わざと行き違わせとるんと違うんか」
「そんなことないって」
「ええから。アンタが言うとこじれるわ」
「ぶー」
146 名前:『揺れるコアクマ』 投稿日:2003/12/24(水) 01:43
真希の主張を抑え込んで、裕子が口を開く。
裕子の説明はひどくカンタンだった。

特別扱いしているように聞こえるから、やめてくれと言われた。
学校から。

亜弥は、ぽかんと口を開く。
あまりにも、答えが当然すぎて。

確かに、ひとりだけ名前で呼んでいたら特別扱いしていると思われるだろう。
言われてみれば、あっさりと納得できる理由なのに、冷静ではなかった亜弥の頭では、
その想像にさえたどり着くことができなかった。
そもそも、ふたりの関係がイトコだというところにたどり着いていないのだから、
想像できなくても無理はないのだが。
147 名前:『揺れるコアクマ』 投稿日:2003/12/24(水) 01:44
「それに、このコのファンからヘンな恨みも買いたくないしな」
「裕ちゃんにケンカ売るようなおめでたいコがいるとは思えないけど」
「うっさい」
また、ペシッと裕子が真希の頭を叩く。
も〜、と不満そうに言って、真希はベッドから立ち上がった。

「ゴカイは解けたみたいだね〜。んじゃ、ごとーは帰るよ」
「アンタ、何しにきたん」
「んぁ、まっつーすごい勢いで走ってったから、裕ちゃん殴られたりしてないかなと思って」
「ちょい待ち」
出て行こうとする真希の首根っこを裕子は引っつかもうとしてかわされた。
「んじゃね〜」
「ま……後藤!」
気づいたときには遅かった。
裕子の言葉を無視して、真希は風のように保健室を去ってしまった。
148 名前:『揺れるコアクマ』 投稿日:2003/12/24(水) 01:44
保健室に残されたのは、亜弥と裕子のふたりだけ。
ぼんやりと放心したままの亜弥に、裕子もどうしたらいいのかわからないようだったが、
あきらめたように今まで真希のいた位置、ベッドの上に座る。
亜弥を見上げると、そっとその手を取った。
冷たさが伝わってきて、少しずつ亜弥の気持ちも落ち着いていく。

「あのコに何言われたん」
優しい声が響く。
「恋人だって……」
「ん?」
「センセイと後藤先輩が……恋人だって……」
「は?」

あっけにとられたように言い、それから裕子ははじかれたように笑った。
顔を上げて裕子を見ると、バンバンと机を叩いて大笑いをぶちかましている。
「いや、それ、ありえへんし」
149 名前:『揺れるコアクマ』 投稿日:2003/12/24(水) 01:45
「でも、でも!」
必死な顔になっていたのだろう。
裕子は笑いをすっと消して、それから神妙な顔になった。

何の予感がしたのか。
亜弥は自分の体から熱が引いていくのを感じた。

まるでスローモーションのように、裕子の口がゆっくりと開いた。



「松浦、アタシのこと、信じてないん?」


150 名前:『揺れるコアクマ』 投稿日:2003/12/24(水) 01:45
心臓を握りつぶされたと思った。

息が止まった。

本当に本当に、その一瞬。

その一瞬、自分の命がこの世から消えた気がした。
151 名前:『揺れるコアクマ』 投稿日:2003/12/24(水) 01:45
愛情を図ったことはある。

裕子は大人で。
自分は子供で。
そこにすでに差を感じていて。
自分から「好き」と言うだけじゃ安心できなくて。
飽きるほど「好き」と言ってほしくて。
そう言ってくれれば、安心できる気がしたから。
実際、安心できたから。

けれど。
152 名前:『揺れるコアクマ』 投稿日:2003/12/24(水) 01:46
愛情を図られたことはなかった。

裕子は大人で。
自分は子供で。
だから、裕子から何かを確認してくることはなくて。
メールや電話を頻繁にしてくることもなくて。
それは大人の余裕なのかと思っていたんだけど。
時々、本当に自分が好きなのかと疑ったりもしたんだけれど。

それは自分を信じていたからなのか。

だとしたら、自分はなんて――なんて愚かなんだろう。
153 名前:『揺れるコアクマ』 投稿日:2003/12/24(水) 01:47
「松浦、もう帰り。ここ閉めるし」
裕子の声が遠くで聞こえる。
亜弥は小さくお辞儀をすると、保健室から離れた。

様子が変わったことに裕子が気づかないはずはない。
けれど、裕子は呼び止めてはくれなかった。

呼び止めてほしいと考える自分さえ、なんだかひどく醜いものに思えて、
亜弥は重い足取りのまま、学校を後にした。
154 名前: 投稿日:2003/12/24(水) 01:52
更新しました。

なんだか修羅場直前みたいになってきちゃいました。
イブまったく関係なし!w

でも、今年中に更新できてよかった。ほっ。

155 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/24(水) 23:52
更新だ〜!!(w
待ってました。
156 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/26(金) 02:12
中澤さんと松浦さん、色々問題が絶えませんねw
後藤さんが動き出しましたが、もう一人の藤本さんも
そろそろ動き出すんでしょうか‥‥‥
157 名前:『センセイの後悔』 投稿日:2003/12/28(日) 22:28



アタシはずるい――。


158 名前:『センセイの後悔』 投稿日:2003/12/28(日) 22:29
保健室のカギをかけながら、アタシは大きくため息をついた。
それで心が軽くなるわけやない。
どっちかっていうと、吐いた空気の分だけ重くなっていくだけで、全然意味はない。
けど、そうせずにはいられんかった。


『アタシのこと、信じてないん?』


自分の言った言葉が頭の中でこだまする。
後悔が押し寄せてくる。
159 名前:『センセイの後悔』 投稿日:2003/12/28(日) 22:29
あの言葉が松浦を傷つけることはわかっとった。
人が人を100%信じ切ることができないことも、よく知っとる。
それなのに、アタシはあの子にあれを言うた。

素直な松浦のこと。
アタシにとやかく言うよりも先に、事実アタシを信じ切れていない自分を責めてしまうやろう。

それを知ってて。
それがわかってて。

アタシはそれをあの子に言うた。
160 名前:『センセイの後悔』 投稿日:2003/12/28(日) 22:30
言葉はいくらでもあった。
松浦を納得させられる言葉を、アタシはいくらでも言えたはずや。
けど、それすらしなかった。

ただ傷つけて、傷つけて、傷つけただけ。
161 名前:『センセイの後悔』 投稿日:2003/12/28(日) 22:30



アタシはずるい――。


162 名前:『センセイの後悔』 投稿日:2003/12/28(日) 22:31
傷つけたかったわけやない。
後悔させたいわけやない。
けどそれ以上に、あのときのアタシはあの子に愛情を表現したくなかった。

あの話の流れで行けば、たぶん、あの子はアタシに問うてくる。

自分を本当に好きなのかと。
自分たちは本当に恋人同士なのかと。

そうやと答えることはカンタン。
手を握ることも、抱きしめることも、キスすることも、アタシはカンタンにできる。
そうすれば、少なくともその瞬間だけでも、松浦は納得してくれるやろう。

けど、それをしたくなかった。
163 名前:『センセイの後悔』 投稿日:2003/12/28(日) 22:31
なんで……?
なんでなのか、それが自分でもわからん。

キライになったわけやない。
そんなはずはない。

あの子のことは大切に思っとる。
あの子のことを考えてないわけやない。

なのに。
アタシは……。
164 名前:『センセイの後悔』 投稿日:2003/12/28(日) 22:31
ふーっともう一度息を吐く。

また、いつかのように頭の中が冷えていく。
考えるのをやめろと、アタシの中のアタシが叫ぶ。

やめて……いいんやろか。

コツンと、扉に頭をつける。

考えるのをやめるのは、逃げることと違うんやろか。
アタシのしてることは……したいことは、いったいなんやろ?
165 名前:『センセイの後悔』 投稿日:2003/12/28(日) 22:33
「せんせー?」
目を閉じようとして、声をかけられた。
振り返るとそこには、ブレザーのポケットに手を突っ込んだままの、藤本の姿。

アタシの姿を確認してか、にぱっと笑う。
それは、いつものクールで怖いと言われる藤本の顔とは全然違う。
年相応の、オンナのコの顔。

たぶん、こんな藤本の顔を見たことがあるんは、アタシか真希くらいやろう。
初めて真希が連れてきたのは、いつやったろ。
まだここに勤めることが決まる前やったはずや。
そもそも、センセイっちゅーのが嫌いなのか、あの頃の藤本はえらくぶーたれてたし、
めっちゃ攻撃的やった。
けど、気がついたら、いつの間にかアタシにはなついてくれるようになっていた。

その理由が何かは知らん。
まぁ、いつまでもぶーたれられてるよりはマシやし、別にわざわざ言わせる必要もなかったし。
オトモダチ気分が抜けへんのは、たまーに考えものやったりもするけど。

それを言うたら、真希なんか比にならへんしなぁ。
166 名前:『センセイの後悔』 投稿日:2003/12/28(日) 22:34
「どしたんですか? 具合でも悪いとか?」
どうでもいいことを考えていたら、藤本がまた声をかけてきた。
とりあえず、ほんの少し笑って見せる。

「いや。それより、藤本こそこんなとこでどうしたん?」
「いや〜」
バツが悪そうに笑ってみせる藤本に、何でここにいるのかはすぐにわかってしまった。
「また呼び出されたんか」
「はは、ご名答」
保健室と進路指導室は階こそ違っとるけど、同じ棟にある。
おそらくは、そこでお説教をくらった帰り道なんやろう。

「マジメに授業受けぇとは言わんけど、せめて受けてるフリくらいはせぇ」
ペシッと頭を叩いてやると、藤本はほんの少し顔をしかめてそれから笑う。
「はぁい」
藤本の素直な返事が響く。
ほかの先生にもそれくらい素直やったら、目ぇつけられることもないやろに。

そんなことも思ったけど、言わんかった。
藤本には藤本の思うところがあって当然や。
このコは、不良ぶっては見せてるけど、ホントはいいコやから。
アタシまでが追い詰めるようなマネはしたくなかった。
167 名前:『センセイの後悔』 投稿日:2003/12/28(日) 22:36
肩をすくめていると、藤本に顔をのぞき込まれた。
「せんせ、やっぱ調子悪そう」
「そうか?」
藤本の顔が真剣味を増す。
こういう顔は、普通の子が見たらおびえるやろなぁという顔。
昨日、松浦もこんな顔をされたんやろか。

「なんか、あったんですか?」
「なんも」
「なんかあったんなら、いつでも相談に乗りますよ。美貴、年とってませんから」
「年だけやったらアタシのほうが上や」
「あー、それもそうですねぇ。でも、美貴、頼りになると思いますよ」
「はいはい、そんときはお世話になります」

やれやれ……。
藤本にまで言われるようじゃ、アタシも相当ダメなんやろう。
真希に言わせるとアタシは「相当わかりにくい」人間らしいから。
168 名前:『センセイの後悔』 投稿日:2003/12/28(日) 22:36
「ホント、ムリしないでくださいよね」
ほんの少し、藤本の顔に心配の色が浮かぶ。
こういう顔をさせると、どうも居心地が悪くなる。
普段、このコのこういう顔を見慣れてないせいかも知らんけど、真希に心配されるのは
平気なんやけどなぁ。

「わかったわかった」
ポンポンと頭を叩いてやると、藤本はちょっとふてくされたような、それでいて
照れくさそうな顔をする。
「ほんなら、また明日な」
「は〜い」
ピシッと敬礼にも似たポーズをして、藤本は去っていった。
169 名前:『センセイの後悔』 投稿日:2003/12/28(日) 22:37
考えるタイミングを、完璧にぶち壊してくれた。

けど……今のアタシにはそれでいいのかもしれん。
もう一度考えようとしないのなら、それはその必要がないということ。
少なくとも、今のアタシには。

しゃーないな。

アタシはコツンと扉を叩いて、その場を後にした。
170 名前: 投稿日:2003/12/28(日) 22:45
更新しました。

>>155
おおっ、待っててくださる方がいらっしゃるんですね〜w
ありがとうございます。
地味に更新していきますので、気長にお待ちくださるとうれしいです。

>>156
問題山積みです。
問題があるからふたりの関係は成り立って(ウソです
もうひとりの彼女もちらほら動き始める気配あり。
どうなることやらw


年内にもう1回くらい更新したいなーと思ってはおりますが、
ダメだったときのためにご挨拶を(ヲイ

読んでくださっている皆様、ありがとうございます。
今後とも、どぞよろしくです。

皆様、よいお年を!
171 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/30(火) 00:04
中澤さんかっこいいですね。
大人でかっこいいだけに、松浦さんとは「想い」に微妙な温度差がある感じ。そこもいい。
さらに藤本・後藤の両名が引っかきまわしてくれそうで、やあ、楽しみです。

では、いまのうちによいお年を。これからも期待しております。
172 名前:『策士・ゴトー』 投稿日:2004/01/02(金) 14:44
裕子との一件があってから、亜弥の足は自然と保健室から遠ざかっていた。
普通に考えたら、そうしょっちゅう保健室に行くこともあるはずがなく、
万事健康な亜弥は、意識しなければそちらに行けるはずもない。

――あれからどのくらいたったんだろう。

毎日会えないなんて、高校に入学するまでは当たり前のことだったのに。
会えるはずなのに会えないっていうのが、こんなにつらいとは思わなかった。

でも、今裕子に会ったとしても、何を話したらいいのかわからない。
真希とのことを疑ったのは本当だから。
信じられなかったのは本当だから。
もう本当に、どうしたらいいのかわからなかった。
173 名前:『策士・ゴトー』 投稿日:2004/01/02(金) 14:45
「……あのさぁ」
突然声をかけられて、亜弥は顔を上げた。
目の前には、こちらを振り返ってみている美貴の姿。
「ウザイんだけど」
冷たい視線を向けてくる美貴。
でも、そんな視線も今はどうでもよかった。

「朝からため息、何回目よ?」
その言葉に、言葉を返す気にもならない。
「てか、この間からずーっとため息ばっかじゃん」
「……この間って、いつから」
ぼそっとつぶやく。
聞こえてないならそれでもよかった。
「1週間?」

――1週間、1週間かぁ。
ってことは、センセイに会わなくなってから1週間ってことかぁ。
174 名前:『策士・ゴトー』 投稿日:2004/01/02(金) 14:46
裕子からはこの1週間何の反応もなかった。
メールも電話も、もちろん学校で会うこともない。

このまま、ホントに会えなくなったらどうしよう。
こんなに近くにいるのに、自然消滅なんてあり得るんだろうか。
やばい。
ホントにやばい。
そうなる前になんとかしないと。
でも、どうしたらいいんだろう……。

「はぁ〜」
突っ伏したままため息をついたら、ベシッと頭を殴られた。
「いった〜い!」
顔を上げると、そこにはますます不機嫌そうな美貴の顔。
「ウザイって言ってんじゃん」
「もー、ほっといてよー」
「そこからいなくなってくれたら、ほっとくよ」
美貴の言葉に、亜弥はもう一度盛大なため息をついて、席から立ち上がった。
「……ホント、ほっといてよ」
亜弥は捨てゼリフを吐いて、それから教室を出て行った。
まだ、2時間目が終わったばかりだというのに。
175 名前:『策士・ゴトー』 投稿日:2004/01/02(金) 14:46


176 名前:『策士・ゴトー』 投稿日:2004/01/02(金) 14:47
屋上のドアを開けたら、先客がいた。
ドアを開ける音が聞こえたからだろう、振り返って亜弥を見ている。
それは、さっき別れたばかりのはずの美貴だった。

「何でいるの」
この上なく不機嫌な声で、亜弥は聞いた。
「美貴がどこにいようと、美貴の勝手」
「そりゃそうだけど……」

本当ならこの場を離れたかった。
けれど、ほかに行くところが思いつかなくて、亜弥は後ろ手にドアを閉め、
できるだけ美貴から遠く離れたところに座った。

美貴はただぼんやりと手すりに寄りかかって、空を見上げていた。
何も楽しいものなんてないはずなのに、その表情は教室にいるよりもずっと穏やかだった。

「ねぇ」
何を思ったのか、亜弥は美貴に声をかけていた。
話なんてしたくない相手だけど、それでも誰かを求めていたのかもしれない。
裕子の手を離してしまったら、ひどく自分が不安定だったから、手近にある何かをつかみたかった
だけなのかもしれないけど。
幸い、美貴は亜弥の言葉を無視せずに、亜弥を振り返ってくれた。
177 名前:『策士・ゴトー』 投稿日:2004/01/02(金) 14:48
「仲直りって、どうしたらいいの?」
「は?」
美貴は一瞬小馬鹿にしたような表情を浮かべたが、亜弥が真剣なのを汲み取ったのか、
すぐにマジメな顔になる。
「何、ケンカ?」
「ケンカっていうか……行き違い?」
「意味わかんない」

亜弥は、適度にかいつまんで、状況を説明した。
もちろん、相手が裕子であることはヒミツ。
相手に疑いを持ってしまったこと。
そして、言われた言葉――。

美貴は最初こそめんどくさそうにしていたが、それでも時々軽くうなずきながら亜弥の話を聞いていた。
そして、すべてを聞き終えて――「バッカじゃないの」とだけ言った。

「ば、バカって!」
「あやまればいいじゃん。一言」
「でも、でもさ……」
「いいんだって、それで。そしたら、たぶん許してくれるよ。ってか、ホントに怒ってるのかどうかも
わかんないし」
美貴の言葉に、亜弥は首を傾げる。
「その相手の人がマトモなら、自分が言ってることおかしいってわかってるはずだよ。100%信じる
なんてできないもん、人間。ただ、ホントは信じられないってことを言わないだけだよ」
推測でも予測でもない、完全な言い切り。
まるで、そのことを悟りきっている口調だった。
178 名前:『策士・ゴトー』 投稿日:2004/01/02(金) 14:48
美貴は亜弥の様子をうかがうようにして、それからニヤリと笑った。
「もし、マジで信じてないのかって怒るようなヤツなら、美貴ならソッコー別れるけどね」

美貴の言葉が頭の中でくるくると回る。
美貴の言ったことは本当だろうか。
……本当なのかもしれない。

結局何も変わっていないのだが、美貴に話したことでほんの少しだけだけど亜弥の心は軽くなった。

「わかった。言ってみる」
「そうして。ウザイから」
「あの……ありがと」
言うと、美貴は一瞬驚いた顔をした。
二三度瞬きをして、それから、めんどくさそうにしっしと手を振った。
亜弥はそんな美貴の態度に苦笑いをして、そのまま保健室へと向かっていった。
179 名前:『策士・ゴトー』 投稿日:2004/01/02(金) 14:49


180 名前:『策士・ゴトー』 投稿日:2004/01/02(金) 14:49
こういうのをタイミングが悪いといわずして、なんと言うんだろう。
おとといから3日間、裕子は出張に出ているというのだ。
せっかく力を入れてやってきたのに、見事に空振り。
このまままた悶々としなくてはならないのかと思うと、憂鬱になる。

保健室の前で盛大にため息をついていると、
「あれ、まっつーじゃん」
と聞きなれた声がした。
というか、そんな風に呼ぶのは真希しかいないから、声が変わっていてもわかる。

振り返ると、予想通り真希が立っていた。
いったい何をしにきたのか知らないが、そんなことはどうでもいい。
真希の姿を見たら、裕子とトラブった日のことを思い出して、ますます憂鬱になる。
181 名前:『策士・ゴトー』 投稿日:2004/01/02(金) 14:50
「ちょうどよかった。ごとー、まっつーに話があったんだよね」
「……なんですかぁ」
「……まっつーさぁ、外は春でさわやかな季節なんだよ。もちょっとさわやかにできない?
新入生のクセに」
「松浦は今人生のどん底にいるんです。ムリな相談はしないでください」
亜弥の投げやりな言葉に、真希はむうと口を結んで、ペシッとその頭を叩いた。
「痛いですよぅ」
「まっつーさ、今日の放課後から明日にかけてあいてる?」
「はい? また因縁ですか?」
またペシッと頭を叩かれる。
「違うって。ちょっと泊まりで遊ばないかな〜と思って」
「はぁ……」
「人数に入れとくから、今日の8時に駅で待ち合わせ。OK?」
「ふぁい」

なんだかもうどうでもよくて、亜弥はますます投げやりに返事をした。
この際もうどうでもいい。
この鬱屈した空気を取っ払ってくれるのなら、真希とでも遊んでやろうと思った。
182 名前:『策士・ゴトー』 投稿日:2004/01/02(金) 14:50


183 名前:『策士・ゴトー』 投稿日:2004/01/02(金) 14:51
「で、なんでここにいるわけ?」
待ち合わせ場所に現れたのは、真希ではなく美貴だった。
制服姿ではなく、ジーンズにパーカーのカジュアルスタイル。
美少女のクセに、かなりボーイッシュな格好だった。
「それはこっちのセリフ」
かくいう亜弥も遊ぶ気満々だったので、ジーンズにシャツ、カーディガンという
ラフなスタイルなのだが。

「美貴はごっちんに呼ばれたんだけど」
「ごっちんって……後藤先輩のこと?」
美貴は軽くうなずく。
「私も後藤先輩に呼ばれたんだけどなぁ。ここで8時に待ち合わせって」
その言葉に、美貴は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「8時に駅で待ち合わせ相手がいるから連れてこいって言われたんだけど……
アンタのことだったんだ」
「って、藤本さん、どこ行くか知ってるの?」
「地図もらった」
ヘラリと手に持っていた紙を美貴が亜弥に渡す。
それを見て、亜弥は一度首を傾げ、それから大きく目を見開いた。

「ここって……」
「何、知ってんの?」
「あ、いや〜、もしかしたら勘違いかもしれないし。とにかく行ってみよ」
「んー」
微妙に納得していない様子だったが、ここで押し問答していてもしょうがないと思ったのだろう。
美貴は素直に亜弥にしたがって歩き出した。
184 名前:『策士・ゴトー』 投稿日:2004/01/02(金) 14:51
「やっぱり……」
亜弥は、地図の目的地となっていたマンションを見上げてつぶやいた。
「やっぱりって……知ってるとこ?」
「ここ、中澤センセイの家だ」

亜弥が見上げているのは、間違いなく入学式の日にやってきた、裕子の家だった。
隣で美貴も呆然としたようにマンションを見上げている。
「アンタ、先生と知り合いなの?」
「あー、教育実習でうちの中学にきてたことがあるんだけど」
「それで家まで知ってるわけ?」
ひどく、突っかかる口調で美貴が聞いてきた。
なんだろう?
どこかいつもの美貴とは違う。
そんな気がして、亜弥は美貴を仰ぎ見た。

美貴はいつもの仏頂面で、亜弥を見ている。
そこにどんな真意が隠されているのか、亜弥にはわからない。
ただ、不機嫌だというのがわかるだけだ。
「年賀状のやり取りくらい、するもん。マンションの名前くらい、覚えてるもん」
これも、ウソじゃない。
わざとすねたように言ってみせると、美貴は「はいはい」と目をそらした。
どうやら、ギリギリごまかせたようだ。
185 名前:『策士・ゴトー』 投稿日:2004/01/02(金) 14:53
「でもさ、何で美貴たち先生の家に呼ばれてるわけ?」
「そんなの後藤先輩に聞いてよ」
「それもそうか」
言うなり美貴はずかずかとマンションの中に入っていった。
インターホンを押すと、聞こえてきたのは真希の声。
『あがっていいよ〜』

まるで自分の家のように言う真希に、亜弥と美貴は顔を見合わせた。
いったい真希が何をしたいのか、まったく予想がつかない。
とにかく上がってみるしかないと、オートロックの自動ドアを抜けて、
ふたりは部屋の前まで上がる。

ピンポーン……

チャイムを鳴らすと、中でどたどたと重苦しい音がして、それからドアが開いた。
「いらっしゃ〜い」
中から出てきたのは……なぜか少しほほを朱に染めた真希。
とろんとした瞳で、ふたりを交互に見やる。

「おー、待ってたよ〜。あがってあがって」
亜弥と美貴は真希にうながされるまま、部屋の中へと入る。
この間連れてこられたときと、何も変わっていない。相変わらずひどく落ち着いた部屋だ。
そして、その部屋のほぼ中央、ソファの向こう側に裕子はいた。
「裕ちゃん、ふたりがきたよ〜」
真希の呼びかけに、裕子がくるりと振り返る。
その顔は……すっかり出来上がっちゃってる人の顔だった。
186 名前:『策士・ゴトー』 投稿日:2004/01/02(金) 14:54
赤ら顔に潤んだ瞳。
焦点が合ってるのか合ってないのかわからない視線を亜弥たちに向ける。
一度、先に入っていった美貴に視線を向けた後、後から入ってきた亜弥を見る。
亜弥は思わず1歩後ずさってしまった。

だって、声を聞くのも顔を見るのも1週間ぶり。
しかも、最後の別れ方がアレだ。
いったい、どんな顔をすればいいんだろう。
怒ってないだろうか、嫌われてはいないだろうか。
そんな悪い想像だけがぐるぐると頭を回る。

しかし、裕子は二度瞬きをしただけで、亜弥と目が合うと、ふにゃりと笑った。
それは、亜弥の心配を吹き飛ばしてしまうほど、いつもの笑顔とは違っていた。

――うわ、カワイイ……。

こんな顔をするところを、亜弥は見たことがなかった。
亜弥の前での裕子は、いつも大人で落ち着いていて、穏やかに笑う人だった。

こんな風にも笑うんだ……。

亜弥はそんなことに感心していた。
187 名前:『策士・ゴトー』 投稿日:2004/01/02(金) 14:55
「ぼーっと突っ立ってないで、とりあえず座んなよ」
家主のような口調で真希が言う。
「あ、うん」

と、裕子が右側に動いた。
それからまた亜弥を振り返って、ポンポンと今まで自分がいたあたりを手で叩く。
ここに座れ、ということなのだろう。
満面の笑みでそうされては逆らうこともできず、亜弥は素直にそこに座った。

「まつーらー」
まっすぐ顔が見られなくて、じっとうつむいていると声をかけられた。
反射的に顔を上げて、声のしたほうを見てしまう。
すると、裕子は目が合った瞬間、がばっと全体重を亜弥にかけてきた。
「え? え? え?」
危うく押し倒されそうになって、ギリギリ手で自分と裕子の体重を支える。
188 名前:『策士・ゴトー』 投稿日:2004/01/02(金) 14:55
「まつーらやー」
香水の香りと、お酒のんにおいがミックスされて、なんだか微妙な香りをかもし出している。
くらくらしてくるのは、香りにむせてるせいだろうか。
裕子は満足そうに亜弥に抱きついたまま、ギュウッと腕に力を入れてきた。
「せ、センセイ、痛いってば!」
無理やり引き剥がそうとすると、裕子はふてくされたようにほほをふくらませた。
そんな子供っぽい姿を見たこともない。
「まつーら、つめたい」
すねて背中を向けてしまう。

いやいやいや。
もうどうしろって言うんですか。
それはそれでかわいいけど、やっぱ人前はまずいでしょ。

実際、美貴は不振そうな目を向けてきている。
真希は面白そうに表情を緩ませているだけだったけれど。
189 名前:『策士・ゴトー』 投稿日:2004/01/02(金) 14:56
「と、ところで。私たち、どうしてここに呼ばれたんですか?」
とりあえず、美貴の興味を別のところにずらしたくて、亜弥は真希に聞いた。
美貴もそれはそうだという風に、真希の顔を見る。
「ん? まっつーの入学おめでとうパーティーをやろうと思ったんだけど。
それなら裕ちゃんちが最適かな〜と思って」
何がどう最適なのかさっぱりわからない。
それは美貴も同じなようだった。

「それでどうして美貴が呼ばれなきゃならないわけ?」
不満そうに言う。
亜弥の入学パーティーなのだとしたら、美貴が呼ばれるのは確かにおかしいわけで。
そもそも美貴は亜弥のことをあまりよく思っていないようだから、納得もいかないだろう。

「いいじゃん、人は多いほうが楽しいし。ミキティも復活できるかなぁと思ったんだけど」
「復活って何?」
「へこんでたじゃん。まっつーに『大嫌い』って言われてさ」
「別にへこんでないし」
ポンポンと真希が美貴の肩を叩く。
「まーいーじゃん。パーティーは人数多いほうが楽しいよ」
「全然よくないし」
「いーじゃん、飲みなって」
「美貴未成年だって! ごっちんもそうでしょ」
「いいじゃん、かたいこと言いっこなし」
「そういう問題じゃないって。もう帰るよ」
「待ちなってば!」
190 名前:『策士・ゴトー』 投稿日:2004/01/02(金) 14:56
ふたりが言い合っていたら、すねたままだった裕子がガバッと立ち上がった。
つかつかと美貴のそばに歩み寄り、その肩に手をかけると立ち上がりかけた美貴を
地面へと押し戻す。
そして、自分もぺたんと座って視線を合わせる。
「なんや藤本、アタシの酒が飲めんっちゅーんかい」
うわ、絡み酒だ。
「未成年に酒飲ませていいんですか、教師のクセに」
「あんたやったら、ハタチに見えるから大丈夫やって」
何が大丈夫なのかわからないが、バンバンと叩かれて美貴は明らかに不満そうだ。
いくらいまだに高校1年生とはいえ、2つも年上に見られていい気はしないのだろう。

「ったく……」
何か吹っ切れたのか、あきらめたのか、
「飲みますよ、飲めばいいんでしょ!」
美貴は傍らに置いてあったなんだかよくわからない缶を手にして、グイッと一気に飲み干す。
「ふ、藤本さん!」
「おー、いい飲みっぷりやなー。よっしゃ! ご褒美にゆーちゃんがちゅーしたるわ!」
191 名前:『策士・ゴトー』 投稿日:2004/01/02(金) 14:57
――はい?

裕子は勢い込んで美貴に抱きつこうとしていた。

え、そういうの、私の目の前でしちゃうんですか?

突然の出来事にとめることもできずにいると、
「い・り・ま・せ・ん!」
美貴はあっさりと裕子の頭に空手チョップを食らわせた。
「いたー」
「あんまりしつっこいと殴りますよ」
「もう殴っとるやんかー」
ぶーっとぶーたれて、それから裕子はぐるんと顔を亜弥のほうへと向けた。
それから、にんまりと笑う。
「ほらー、まつーらも飲めー」
ぺたぺたと美貴のところから這ってきた裕子の手にはしっかりとビールの缶。
192 名前:『策士・ゴトー』 投稿日:2004/01/02(金) 14:57
いくらまだ開けてないとはいえ、それ、いい感じにプシュッてなると思うんですけど。
そんなことにはおかまいなしで、裕子はその缶を亜弥に押しつける。
「うわ、センセイ! さすがに私はハタチには見えませんって!」
そういうと、裕子はんーと亜弥を眺めてから、「まつーら、つめたい」と言って、
またすねてしまう。

いや、ホントにもう、どうしろって言うんですか。
あーもう!

「ふじもとー、もっと飲めー」
「望むところです!」

攻撃相手を亜弥から美貴に変え、裕子はまたしても絡み酒。

亜弥は呆然と、裕子と美貴、それを笑顔で傍観している真希を見つめていた。
ただ、見つめることしかできなかった……。
193 名前: 投稿日:2004/01/02(金) 15:07
あけましておめでとうございます。
年明け更新になっちゃいましたw

>>171
かっちょいいですか、ありがとうございます。
でも、今回はふにゃふにゃですがw
4人それぞれ勝手に動きはじめちゃって大変です(殴
期待裏切らないようにがんばります。

今年もちみちみ更新していきますんで、どぞよろしくです。
194 名前:名無し読者 投稿日:2004/01/03(土) 00:28
姐さんおもしれーw
ミキティ男前ですね、後藤さんの策略が
どんな結果を生むのか楽しみです。
195 名前:『策士・ゴトー』 投稿日:2004/01/04(日) 15:35
ふと、目が覚めた。
部屋には電気が煌々とついていたが、ひどく静かだった。
座ったまま寝ていたみたいで、首が痛む。
ヘンな重みを体に感じて、首を横に向けると、裕子がしっかりと抱きついたまま眠っていた。
その顔がとても幸せそうに見えて、それは自分の欲目かもしれないけれど、それがなんだか
うれしくて、亜弥は笑ってしまった。

きょろきょろと視線を動かすと、テレビの前で真希が座ったまま、そこから少し離れた
カーペットの上で美貴が、すうすうと寝息を立てている。

さすがに、このままじゃ風邪ひいちゃうよね。
亜弥は抱きついている裕子を軽く揺さぶった。

この程度じゃ起きないかもしれないと思ったが、裕子はうーんとうなりながら薄目を開けた。
「センセイ、毛布とか布団とかありますか?」
「……そっちのクローゼットとか……?」
こしこしと目をこすりながら、なぜか疑問形で告げ、またむにゃむにゃと眠りに落ちる。
亜弥はそっと裕子を自分の体から離すと、裕子が言った部屋のドアを開けた。
196 名前:『策士・ゴトー』 投稿日:2004/01/04(日) 15:35
そこは、リビング以上に落ち着いた部屋だった。

あるのはベッドと小さな机。その上に大きな鏡と化粧品の数々が並んでいる。
亜弥は手探りでクローゼットを開けると、そこから毛布と布団を取り出した。
といっても、お客さん用の布団は見たところ1組だけ。
とりあえず、毛布を抱えて美貴の上にかけ、布団は真希にそっとかぶせた。

それから……どうしよう?
ベッドの布団を引っぺがしてもよかったのだが、それはなんだか気が引けた。
断ろうにも、裕子はすっかり夢の中。

――しょうがないな。

亜弥はため息をついて、それから裕子のそばへと戻る。
亜弥に引き剥がされた裕子は、ソファにもたれかかるようにして眠っていた。
ちょっと息苦しそうだ。
197 名前:『策士・ゴトー』 投稿日:2004/01/04(日) 15:36
亜弥は裕子の隣に座り、それからソファにもたれかかったままだった裕子の体を
できるだけそっと傾けて、その頭を自分のひざの上に落とす。
それから、カーディガンを脱いで、裕子の体にかけた。

真上から裕子の横顔を見下ろす形になって、亜弥はそっとそのほほに手を伸ばした。
人差し指でつつくと、ちょっと顔をしかめたが、またすぐにもとの穏やかな寝顔に戻る。

そっと、裕子の髪に触れる。
裕子が自分によくやるように、さらさらと手ですいてみる。
それから、ほほをなでるようにそっと、そっと触れる。
198 名前:『策士・ゴトー』 投稿日:2004/01/04(日) 15:36
たった1週間会わなかっただけなのに。

なんで、こんなにも恋しいんだろう。

こうして寝顔を見ていられるだけで。

なんで、こんなにうれしいんだろう。
199 名前:『策士・ゴトー』 投稿日:2004/01/04(日) 15:36
胸がキューっと締め付けられて、亜弥は大きく息を吐いた。

恋しくて、愛しくて、切なくて。
200 名前:『策士・ゴトー』 投稿日:2004/01/04(日) 15:37



気がついたときには、亜弥は裕子のほほにキスを落としていた。


201 名前:『策士・ゴトー』 投稿日:2004/01/04(日) 15:37

カタッと音がして、亜弥はあわてて顔を上げた。
美貴は布団にくるまったまま、くーくーと眠っている。
そして真希は……目を開けてこちらを見ていた。

それは確かに覚醒している人間の目で、さっきまでのとろんとした目ではない。
明らかに、今、亜弥がしていたことを理解している目。

「み、み、みみみみみ」
「ふぁ?」
「そらしど……ってそうじゃなくって!」
真希がしーと人差し指を口に当てる。
裕子がひざの上でうにゃうにゃとうめく。
けれどそれだけで、またすーすーと規則的な寝息を立てる。
「み、見てました?」
そーっと真希を見ると、真希はふわりと笑った。
それは、どこか裕子が見せる、人を包み込むような微笑みに似ていた。
「見てた、んですよね?」
わかっているのに、もう一度確認してしまう。
真希は笑顔のまま、小さくうなずいた。
202 名前:『策士・ゴトー』 投稿日:2004/01/04(日) 15:38
どうしよう、どうしよう。

亜弥の頭の中をめぐるのは、このあと何を言ったらいいのかだけだった。
いまさら言い逃れをしようとか、ごまかそうとか、そんなことは考えなかった。
ただ、自分だけならともかく、裕子に迷惑がかかるのだけは避けたかった。

「やっぱりね」
真希のつぶやきが聞こえてきて、亜弥は思考を中断した。
真希は、笑顔の端にほんの少しの寂しさを引っ掛けて、亜弥を見ていた。
「やっぱり……って?」
「まっつーは、裕ちゃんの『トクベツ』なんだ」

この言葉を聞いたのは、二度目。
その『トクベツ』にこめられた意味がわからなくて、亜弥は首を傾げる。
「そうだよね?」
真希に問われて、亜弥はますます首を傾げてしまった。

その意味はよくわからないけれど、それを決めるのは自分ではなくて裕子だ。
自分にとって裕子は特別な存在だけど、裕子にとってそうかどうかはわからない。
なのになぜ、真希は自分にそれを聞くんだろう。
203 名前:『策士・ゴトー』 投稿日:2004/01/04(日) 15:38
「わ、わかんないです。それは、センセイに聞いてください」
亜弥が言うと、真希はんーと軽くうなってから、
「まっつーは、裕ちゃんのこと、好きだよね?」
と問いを変えてきた。
真希の真意はまだわからなかったけれど、それなら答えられる。
亜弥は自信を持って、深くうなずいた。
「まっつーにとって、裕ちゃんは『トクベツ』だよね?」
もう一度、うなずく。

真希は満足したように、自分でもうなずいて見せた。
「じゃあ、まっつーは裕ちゃんの『トクベツ』なんだよ」

全然意味がわからない。
そんな亜弥の様子に気づいたのか気づかないのか、真希はひとりごとのように
「実はさ」と語り始めた。
「それを知りたくて、今日ここに呼んだんだ」
「え?」
真希はほんの少し、バツが悪そうに微笑む。
「裕ちゃんを酔っ払わせたのも、それが知りたかったから」
204 名前:『策士・ゴトー』 投稿日:2004/01/04(日) 15:38
真希はぽつぽつと語る。
日ごろから完璧に自分の本心を隠す裕子でも、酔えば本音が出やすくなること。
だから、酔ったところに亜弥を呼べば、本心が出るんじゃないかと思っていたこと。
そして、実際にその目論見が間違いではなかったこと。

「間違いじゃなかったって?」
裕子がすねまくっていたせいで、寝るまでほとんど亜弥とはからんでいない。
確かに、ついさっき自分は裕子にキスをしたけれど、それでわかることと言えば、
自分が裕子を好きだと言うことくらいだと思う。
それでなんで、自分が裕子にとって『トクベツ』だとわかるんだろう。

なんだかヘンに緊張してきて、亜弥は手の届くところにあったウーロン茶に手を伸ばした。
205 名前:『策士・ゴトー』 投稿日:2004/01/04(日) 15:39
「まっつーさ、裕ちゃんとキスしたことある?」

ブーッ!

突然の質問に、亜弥は思いっきりウーロン茶を吹き出してしまった。
ほんの一口口をつけただけなので、たいした被害は出ずにすんだが、こんなマンガみたいな
コトを自分がするとは思わなかった。
あわてて口の周りをぬぐう。

「ある?」
真希はそんな亜弥の行動にも全然動じていない様子で、にっこりと笑う。
亜弥はぶるぶるとめいっぱい首を振った。
顔があっつくなっているのがわかる。
もしかしたら、耳まで真っ赤かもしれない。
206 名前:『策士・ゴトー』 投稿日:2004/01/04(日) 15:39
「付き合いはじめて、どのくらい?」
「えっと……1年くらい」
「へー、ほー」
「なんですか」
「1年でまだキスしたことないんだ」
どんどん体の温度が上がっていく気がする。
このままほっといたら、体温計をぶっちぎっちゃうかもしれない。
「いいいい、いけませんか?」
「べっつにー。ただ、裕ちゃん、ホントにまっつーのこと好きなんだなぁと思って」
「へ?」

何もかもわかっていたという口調に、手をほほに当てながら亜弥は顔を上げた。
「裕ちゃんさ、さっき見ててわかったと思うんだけど、キス魔なんだぁ。けどさ、ホントに
好きな子にはなかなかできないらしいんだよねー」
ふにゃりと真希が笑う。
「酔っ払ってるときはホント誰彼かまわずしちゃうのに、まっつーには全然迫る気配が
ないから。だから、まっつーはほかの子とは違うんだなって」
真希の口調が、やわらかくなる。
「『トクベツ』なんだなって」
207 名前:『策士・ゴトー』 投稿日:2004/01/04(日) 15:39
――ホントに好き。

その言葉は、裕子の口から言われたわけでもないのに、亜弥の心を静かに打った。
ひざの上で眠り続ける裕子を見下ろして、そのほほにそっと触れる。

嬉しかった。
怒ってなかったことが。
嫌われてなかったことが。
何より、好きでいてくれるんだってことが。
ただ、嬉しかった。
208 名前:『策士・ゴトー』 投稿日:2004/01/04(日) 15:40
けれど……。
「私が『トクベツ』だと、何か問題とか?」
真希が何度も『トクベツ』と連呼するのが気になって、我に返って亜弥は聞いた。
真希はふるふると首を振る。
「そんなことないよ」
「じゃあなんで、そんなに気にするんですか? センセイのこと」

イトコだから。

それだけでは言い表せない何かを真希は持っているような気がして、亜弥は聞いた。
でも、真希はそれに答えようとはしなかった。
ただ、苦笑いをして「それはヒミツ」と言っただけだった。

問い詰めようかとも思ったが、真希がちょっと苦しそうに見えたので、それ以上問いかけるのをやめた。
と、うーんとうなり声を上げて、美貴がごろんと寝返りを打った。
209 名前:『策士・ゴトー』 投稿日:2004/01/04(日) 15:40
思わず、びくっとするのを亜弥はとめられなかった。
今までの話を聞かれてなかったかと、そーっとうかがい見てしまう。
美貴は規則的な寝息を立てていて、起きた様子はかけらもなかった。

ほっと息をついて、亜弥は真希を見た。
そうだ。
大事なことを言い忘れていた。
210 名前:『策士・ゴトー』 投稿日:2004/01/04(日) 15:40
「あの……」
おずおずと切り出すと、真希はん? と首を傾げた。
「このことなんですけど」
「どのこと?」
亜弥は、一度深呼吸をした。
どきどきと心臓がはねるのを止められない。
やっぱり、こういうことを言うのは、勇気がいる。

膝枕のまままだ寝ている裕子の横顔を見て、くっと力を入れる。
逃げるわけには、いかないんだ。
211 名前:『策士・ゴトー』 投稿日:2004/01/04(日) 15:41
「私と、センセイが、その、付き合ってるってこと」
「うん」
あっさりと真希はうなずいた。
その静かさが逆に亜弥に不安を呼び起こさせた。

「その、気持ち悪いとかヘンだとか、そう思っちゃうのはしょうがないと思うんです。でも、でも、
センセイが、私と付き合ってるってことで、学校でなんかこう、ヘンな感じになっちゃったりするのは
イヤなんです。だから、だから……内緒にしててほしいんです」
追いかけてくる不安から逃れるように、早口でまくし立てる。
「調子いいこと言ってるかもしれないけど、それならなんでこの学校に入学してきたんだって思われる
かもしれないけど、でも、でも……」
「まっつー」
少し強い声で呼ばれ、亜弥はびくっと肩を震わせた。
顔を上げるとそこには、真希の笑顔。
「心配しなくてもへーきだよ。別に気持ち悪いとか思わないし」
にへらと、また無邪気な笑みを見せる。
「それに、ごとー、裕ちゃんもまっつーも好きだから」
212 名前:『策士・ゴトー』 投稿日:2004/01/04(日) 15:41
「だからだいじょぶだよ」
そう言われて、亜弥の緊張の糸が切れた。
亜弥の瞳からは、涙がぽろりとこぼれていた。

裕子が受け入れてくれればそれでいいと思っていたけれど、こうしてほかの誰かに
受け入れてもらえることが、こんなにうれしいなんて思わなかった。
それが、それだけがうれしくて、亜弥はぽろぽろと涙をこぼしていた。
213 名前:『策士・ゴトー』 投稿日:2004/01/04(日) 15:42
「ん……んぁ?」
パタパタと涙のいくつかが裕子のほほにこぼれ落ちる。
それは、夢の世界の扉を叩いてしまったようで、裕子が夢の中から帰ってきてしまった。
目をこすりながら、今の状況を確認するように頭を左右に振る。
「んー?」
あわてて涙をぬぐおうとして、ばっちり目が合ってしまった。
亜弥の様子がおかしいことに気づいたのか、裕子はあわてて起き上がり、そろそろと
顔をのぞき込んでくる。
「ま、つうら?」
その顔は、必要以上にきょとんとしているように見えた。
「どした? なんか悲しいことでもあったんか? 誰かにいじめられたんか?」
オロオロと早口にまくし立てて、それからそっと亜弥のほほに手を伸ばす。

悲しいことなら山ほどあった。
裕子となんだかはっきりしない別れ方をしてしまったこと。
裕子を信じ切れていなかった自分を知ってしまったこと。
1週間ずっと会えなかったこと。
そのどれもが、亜弥の心を締め付けるには十分すぎる力を持っていた。

でも、今はさっきの真希の言葉がうれしかった。
今こうして心配してくれている裕子の心がうれしかった。
214 名前:『策士・ゴトー』 投稿日:2004/01/04(日) 15:42
裕子の冷たい手をほほに感じながら、亜弥はふるふると首を振る。

それから、うまくできたかはわからないけれど、笑って見せた。
それを見てほっとしたのか、裕子が親指でそっと涙をぬぐってくれた。
「センセイ?」
「ん?」
「ごめん、なさい」
「ん」
涙をぬぐっていた手を止めて、裕子はそっと亜弥の頭をなでる。
裕子は自分が何についてあやまったのか、わかっているんだろうか。
でも、わかってなくてもいいや。
軽い重みを頭に感じながら、亜弥はそっと微笑んだ。
215 名前:『策士・ゴトー』 投稿日:2004/01/04(日) 15:42



216 名前:『策士・ゴトー』 投稿日:2004/01/04(日) 15:43
それからの時間は、今までのことがウソのように、穏やかに流れていった。
亜弥は保健室に入り浸るようになり、裕子はさらに手のかかる人間が増えて、
怒鳴り散らす回数が増えた。
真希と亜弥はヒミツをわかちあっているせいか、とても距離が近くなり、
休みの日には一緒に遊びに出かけたりもするようになった。
美貴はといえば、相変わらず亜弥とは少しばかり距離を置いているようだったが、
それでも以前ほどつんけんしたところはなくなって、時には3人でバカを言って
笑いあえるくらいにはなった。
真希と一緒という限定さえあれば、休みの日に3人で出かけることだってあった。

真希と知り合いというせいか、はたまた美貴と対等に話ができるからなのか、
亜弥はクラスにもなじんで、ごくごく普通の、平穏な高校生活を満喫していた。
217 名前:『策士・ゴトー』 投稿日:2004/01/04(日) 15:43
とても、とても楽しかった。
真希や美貴と一緒にいることも、クラスメイトといることも。
もちろん、裕子といることも。
毎日がひどく穏やかで、落ち着いていて、何の波風も立っていなかった。
その先には雲ひとつない空が広がっていて、順風満帆そのものだった。
まっすぐ前を向いて、まっすぐ前に進んでいる、そんな気分だった。
218 名前:『策士・ゴトー』 投稿日:2004/01/04(日) 15:43
だから、亜弥は気づかなかった。

背後から、静かに嵐が近づいていることに――。
219 名前: 投稿日:2004/01/04(日) 15:48
更新しました。

年末年始はもうちょっと更新するつもりでいたのに…。
これからちょっとお話の展開を早くしたいなぁと思っとります。
更新速度は…不明ですがw
最低週1更新でがんばりたいかなと。

>>194
レス、ありがとうございます。

酔っ払うとかわいくなっちゃう人は大好きなんですw

で、策略の結果は、こんなんになりました。
たいした結果じゃなかったかも…(殴
220 名前:名無し読者 投稿日:2004/01/04(日) 15:54
どうなっちゃうんだ〜〜!?
いやぁ…もう、なんだか…。
続きが気になってどきどきしっぱなしです。
221 名前:名無し読者 投稿日:2004/01/04(日) 15:58
酔った裕ちゃんむちゃくちゃかわいかったー。
後藤さんはいいやつだし松浦さん健気だし。
このまま幸せにしてあげてくださいよ、なんて
思いつつ波乱の展開を楽しみにしたり。
週一更新目標というのはきついと思いますが、
作者さんのペースで頑張ってください。
222 名前:名無し読者 投稿日:2004/01/05(月) 14:36
姐さんとごっちんの間にも、何か深い関係がありそうですね。
どんな問題が起こるのか‥‥嵐に期待w
223 名前:『マツウラの行方』 投稿日:2004/01/11(日) 01:04



「別れよ」



桜が散って、街が緑に包まれ、すっかり梅雨入りを果たしたある日。
それは、あまりにも突然訪れた。

「おはよ」と同じトーンで言われた言葉に、亜弥は最初何を言われたのか、
理解できなかった。

二度瞬きをして、それから声の主を見やる。
その、いつもと変わらないはずの顔がいつもと違って見えたのは、その言葉のせいだろうか。
本当に、ほんの少しだけ、どこかに翳りが見えるような気がする。

「……センセイ?」

そっと、空気が壊れてしまわないように、そっと呼びかける。
その呼びかけに答えるように亜弥を見る裕子の表情は、いつもと変わらぬ穏やかなもの。
それなのに、まるで、初めて会った人みたいに、知らない人みたいに見えた。
224 名前:『マツウラの行方』 投稿日:2004/01/11(日) 01:05
「……なんで?」
「そうしたいからや」

切り捨てるでもなく、突き放すでもなく、淡々とした口調。
見慣れたはずの白衣が、自分と裕子を隔てている壁に見えてくる。

「センセイ!」

いったい、いったい何があったというんだろう。
確かに、ここ何週間かはテストがあったり学校行事があったりして、保健室にくる回数も
多くはなかった。
けれど、全然きていなかったわけではないし、きている間も変わった様子は見えなかったのに。
そもそも、こなかったくらいで怒りはしないだろうに。
225 名前:『マツウラの行方』 投稿日:2004/01/11(日) 01:06
「私、何かした? 何かセンセイ怒らせるようなことした?」
裕子は小さく首を横に振る。
「じゃあ、じゃあ何で!?」
亜弥は裕子ににじりよった。
白衣の袖をつかんで、裕子の瞳をのぞきこむ。
けれど、裕子は答えてはくれない。
静かな、凪いだ海のように静か過ぎる瞳で亜弥を見つめるだけ。

「なんかしたならあやまるから! ヤなとこあるなら直すから!」
「そういうことやない」
「センセイ!」

しっかりと袖をつかんでいた手に、冷たい手が触れる。
裕子は静かに、亜弥の手を袖から離させた。
「センセイ……」
すがるものをなくして、亜弥は両手をギュッと握り締めた。
「もう、ここには来なや」
くるりと背中を向けられてしまう。
226 名前:『マツウラの行方』 投稿日:2004/01/11(日) 01:07
白い――白い背中。
それは、亜弥のすべてを拒絶しているように思えた。
それでも、亜弥はその背中にしがみついた。

握り締めた白衣にしわができる。
カタカタと握っている手が震えている。

「ヤダ、絶対ヤダ!」

ありえない、こんなのありえない。
何か理由があるはずだ。
こんなに唐突に、何の脈絡もなく、こんなことを言う人じゃないはずだ。

「センセイ……私のこと、キライになったの……?」
その問いに、裕子からの答えはない。
うなずくことも首を振ることもせず、ただ静かに立っているだけ。
227 名前:『マツウラの行方』 投稿日:2004/01/11(日) 01:07
「ヤダよ! 理由、教えてよ!」
「アタシがそうしたいからや。理由なんてあらへん」
「ウソ、絶対ウソだ!」

理由がないはずがない。
この人は、そんなことを理由もなくする人じゃない。
たった1年しか付き合っていないとはいっても、そのくらいのことはわかる。

「ヤダヤダヤダ!」
ぐいぐいと白衣を引っ張り続ける。

「松浦!」
突然、きつい口調で声が響いた。
亜弥の肩がビクッとはねる。
ふうっと裕子が息を吐くのが聞こえた。
228 名前:『マツウラの行方』 投稿日:2004/01/11(日) 01:08
ヤダ、ヤダ、ヤダ。
聞きたくない、聞きたくない――お願いだから言わないで。

そんな亜弥の願いを、誰も叶えてくれはしなかった。



「さよならや」



たった5文字の言葉で、亜弥のかすかな望みは絶たれてしまった。
229 名前:『マツウラの行方』 投稿日:2004/01/11(日) 01:09


230 名前:『マツウラの行方』 投稿日:2004/01/11(日) 01:09
『センセイ?』

『ん?』

優しい声。
たった一言でも、声だけでそれが誰かわかる。

『好きです』

震える声でそう告げた。

『……アタシも好きよ、生徒はみんなかわいいし』

優しい声だった。
でも、優しすぎる声だった。
だから、茶化されたのかと思った。

『そうじゃなくて!』

『……そうじゃなくて?』

どこか試すようなうかがうような口調。

『好きなんです、センセイのこと。私と、恋人として付き合ってください』
231 名前:『マツウラの行方』 投稿日:2004/01/11(日) 01:09
本当に短い言葉だったけれど、それが偽りのない本心だった。
どう思われるかわからない。
どんな反応をしてくるのか怖かった。
でも、たとえ、どんなふうに思われても、黙ったまま別れるのはイヤだった。
だから、自分の中にあるありったけの勇気を振り絞ってそう告げた。

けれど、返ってきたのは予想していたどの言葉とも違っていた。

『……松浦さんは、アタシの何を知ってるの?』

『え?』

淡々とした口調で言われて。
問い返してももう同じ言葉は返してくれなかった。
232 名前:『マツウラの行方』 投稿日:2004/01/11(日) 01:10
『……わかった。じゃあ、教育実習が終わって、アタシを見つけることができたら、
考えてみる』

『ホントですか?』

『見つけられたら、ね』

意味がわからなかった。
だけど、それで未来が開けるのなら、安いものだと思った。

『わっかりました! 絶対見つけてみせます!』

『がんばってね』
233 名前:『マツウラの行方』 投稿日:2004/01/11(日) 01:11


234 名前:『マツウラの行方』 投稿日:2004/01/11(日) 01:12


ピン……ポーン……


チャイムの鳴る音で目が覚めた。
とても懐かしい夢を見ていた。
思い出すと、ほろ苦さと恥ずかしさと、切なさがいっぺんに押し寄せてくる。
亜弥はそれを振り払おうと頭を振った。

頭と首の後ろが重く鈍く痛む。
体全体がまだ熱を持っているのがわかる。

今日は、何日だっけ。
今は何時だろう。

ごろんとあおむけになると、窓の外から光が差し込んでいるのが見えた。
ということは、まだ朝か昼間だ。
235 名前:『マツウラの行方』 投稿日:2004/01/11(日) 01:12
家の中はとても静かだった。

今日は平日だから。
両親はふたりとも仕事に出かけていて留守だった。

裕子にさよならを言われて。
泣いて、泣いて、ただ泣いて。
もう、一生分の涙を流したんじゃないかというくらい泣いて。
亜弥はその日の夜から高熱を出した。
それが3日続いて。
さすがにその頃は親も仕事を休んでついていてくれたのだけれど。
4日目を過ぎて、ちょっと熱がある、くらいに落ち着いてきたので、仕事に行くように頼んだ。
もう子供じゃないから、このくらいの熱ならひとりでも大丈夫だと。

だから、今亜弥は家にひとりだった。
236 名前:『マツウラの行方』 投稿日:2004/01/11(日) 01:13


ピン……ポーン……


またチャイムが鳴る。

こんな時間にやってくるなんて、勧誘か何かに決まっている。
そう思って布団をかぶりなおそうと思ったら、携帯が鳴った。
着信は、見たことのない番号。
首を傾げながらも、ぼんやりとした頭で電話を取る。
237 名前:『マツウラの行方』 投稿日:2004/01/11(日) 01:13
「もしもし……」
「ねぇ」
いきなり、ぶっきらぼうな声が耳に飛び込んできた。
「え、だ、誰?」
「いるなら、出てくんない?」
「は?」
「表にいるんだけど」

どこかで聞いたことのある声。
だけど、頭がうまく回らない。
「聞こえてる?」
「あ、うん」
「じゃあ、開けてよ。美貴、早く帰りたいんだけど」

美貴……美貴って言った?
ってことは、藤本さん?

「あ、うん」
238 名前:『マツウラの行方』 投稿日:2004/01/11(日) 01:14
亜弥はもう一度電話にうなずいて、パジャマの上からカーディガンをはおると、
階段を下りていった。

ドアを開けると、そこには憮然とした表情の美貴が立っていた。
なぜか、その格好はパーカーにジーンズ。
いつか裕子の家に行ったときと同じような格好だ。

「あ、れ? 学校は?」
「今日土曜日」
ちょっと小馬鹿にしたように言われたけど、不思議と腹は立たなかった。
「何か、用事?」
「プリント。届けろって言われたから」
そう言って、持っていたリュックの中から1枚のプリントを取り出して亜弥に渡す。
「あ、ありがとう」
受け取ろうとして、美貴の手に触れる。
亜弥はビクッとして思わず手を引いていた。
美貴が怪訝そうな顔で亜弥の顔を見つめる。

「あの、あがって……?」
おずおずと言うと、美貴は一瞬だけ眉を寄せた。
けれど、それ以上何も言わずに、亜弥に促されるままに亜弥の部屋に上がっていった。
239 名前:『マツウラの行方』 投稿日:2004/01/11(日) 01:14
「いいよ、寝てて」
「でも、お茶とか」
「いいって。すぐ帰るし」

亜弥をベッドに入れると、美貴はぺたんと床に座った。
しかも、あぐら。
かなり男らしい。
しみじみ、美少女のクセに、と思ってしまう。

「具合、どうよ」
「あ、うん。熱はだいぶ下がったから。来週には行けると、思うよ」
「ふぅん」
あまり興味もなさそうに、美貴がうなずく。
それから、さらに興味のなさそうな口調で、「なんかあったの」と言った。
240 名前:『マツウラの行方』 投稿日:2004/01/11(日) 01:15
あまりにも唐突過ぎて、何のことだかわからなかった。
ん? と首を傾げて見せると、美貴は居心地悪そうに右手でパーカーの左袖を引っ張った。
「なんか、元気ないじゃん」
「病人だもん」
「そうじゃなくてさ」
亜弥とは視線を合わせずに、美貴はぐいぐいとパーカーの袖を引っ張り続ける。
このまま引っ張ってたら、今に右の倍くらいになっちゃうんじゃないか。
そんな強さで。

「もしかしてさ」
美貴が言いづらそうに口ごもる。
こんな美貴を見たのは、初めてだった。
いつも、どんなときも、ズバズバと自分の思ったことを言ってくる美貴だから。
時々、結構傷ついたりもしたけれど、それは美貴の裏表のない正直さの表れで。
慣れてしまえばそれは心地いいものだったから。
だから、こんな美貴は正直不思議な感じがした。

「仲直り、できてない?」

パキッと亜弥の中で何かがひび割れる音がした。
241 名前:『マツウラの行方』 投稿日:2004/01/11(日) 01:15
美貴にその話をしたのは、確か4月だ。
かれこれ2か月以上も前の話。
そのことを、美貴はまだ覚えているというのか。
それを心配してくれているというのか。

ぽろりと、亜弥の目じりから涙が一粒こぼれ落ちた。
それに気づいた途端、涙が幾筋も流れ落ちていく。

――まだ、泣けるんだ。

見られたくなくて。
亜弥はひざを抱えて、そこに顔をうずめる。
胸が締めつけられて、息がうまくできなくなる。
くっと息を詰めるようにして、亜弥は声を押し殺した。

美貴が息を呑む音が聞こえた。
「マジ? そいつ、ホントにヤなやつだね」
抑えた声で美貴がうめく。
亜弥はぶるぶると首を振った。
「違うの、違うの!」
「違うって?」
「そうじゃなくて……一度、仲直りはしたんだよ? したんだけど、なんか、
嫌われちゃったみたいで」
へへと自嘲的な笑いがこぼれる。
「別れようって言われちゃった」
「はぁ?」
242 名前:『マツウラの行方』 投稿日:2004/01/11(日) 01:16
亜弥はぽつぽつと、美貴の顔を見ないままに話しはじめていた。
誰かに聞いてほしかった。
苦しいんだって、悲しいんだってことをわかってほしかった。
ひとりで抱え込むには、亜弥はまだ幼かったから。

「はー、マジ最悪じゃん。わけわかんない、ソイツ。絶対ろくでもないやつだって。
別れて正解だよ」

だから、言ってしまったのだ。

「そんなことないよ!」

隠し続けていた、その、一言を。

「センセイはそんな人じゃないよ!」
243 名前:『マツウラの行方』 投稿日:2004/01/11(日) 01:16
「……センセイ?」
いぶかしげな声を聞いて、亜弥は顔を上げた。
美貴は眉間にしわを寄せたまま、亜弥をにらむように見ている。

しまった。

そこで初めて、亜弥は自分の失言に気がついた。
けれど、もう取り返しがつかない。
自分の動揺を美貴は見極めているはずだ。
ごまかしはもうきかない。

「センセイって……中澤先生のこと?」
うなずくことも、うそをつくことも、亜弥にはできなかった。
それはつまり、イエスと答えたことと同じだった。
美貴はますます眉間のしわを深くする。

そこにあるのは、嫌悪ではなかった。
けれど、真希のように受け入れてくれる人間の顔でもない。
だとしたら、彼女の表情はいったいなんだろう?
亜弥には美貴の気持ちが読めなかった。
244 名前:『マツウラの行方』 投稿日:2004/01/11(日) 01:16
「マジ? アンタ、中澤先生と付き合ってんの?」
亜弥は視線をそらすこともできず、動くこともできずに美貴を見ていた。
「うわ〜、マジ? 美貴の周りにもそういう人いたんだ。うわ、マジ、キモイ」

さらりと、美貴は亜弥をその言葉を口にした。
亜弥を、間違いなく傷つける言葉を。
わざとなのか、無意識なのかはどうでもよかった。
ただ、それは確かに自分を傷つける言葉のはずなのに、それがわかっているのに、
亜弥の心には悲しみも痛みも浮かんではこない。

「マジ? ホントに? 女同士なのに、ありえないでしょ、それ」
そんな亜弥に気づいているのかいないのか、美貴は早口にまくしたてる。
「信じらんない。そりゃ、別れられて当然じゃん?」
亜弥は美貴の言葉を遠くで聞いていた。
全身に浴びせかけられる非難の言葉。

けれど、それは確かに自分を傷つけるのに充分な言葉なのに、そこには明らかな嫌悪も悪意も
感じられなくて。
いったい、美貴が何をしたいのか、それさえもわからなかった。
245 名前:『マツウラの行方』 投稿日:2004/01/11(日) 01:17
「先生も本気じゃなかったんじゃん? だってさ、あの先生がアンタに本気になるとは思えないし」
美貴は不愉快そうな表情を浮かべたまま続ける。
「だって、おかしいでしょ。女同士だよ? そんな恋愛なんてはっきり言って超キモイよ。
うわ〜、なんか鳥肌立ってきちゃったよ」

ギャンギャンとまくしたてる美貴を、亜弥はぼんやりと見つめていた。
まるで、目の前で起きていることじゃなくて、テレビの向こう側の出来事のよう。

何の感情も浮かばなくて。
ただ、美貴の声がうるさかった。

怒鳴りつけたかった。
耳をふさぎたかった。
でも、できなかった。
246 名前:『マツウラの行方』 投稿日:2004/01/11(日) 01:18
真希が受け入れてくれたからといって、美貴が受け入れてくれるわけじゃない。
そんなのはわかっていた。
わかっていたから、隠していた。

けれど。
やっぱり面と向かって言われると、信じたくない。
美貴のことは、相変わらずまだ苦手だけれど。
それでも、友達だから。
一方的かもしれないけど、友達だと思っていたから。
そして何より。
美貴が亜弥にぶつけてくる感情の意味がわからなくて。

目の前で繰り広げられている光景が、作り物のように見えて仕方がない。

「ねぇ、聞いてんの!?」
強い口調で言われて、亜弥の焦点が美貴に定まる。
美貴は、ますます不愉快そうな顔をしていた。
「もー、マジキモイからさ、今度から美貴に話しかけないでよね」
言うなり立ち上がって、美貴は部屋を出て行く。
「バイバイ」

ダンダンと階段を降りていく音がする。
ドアが開く音、閉まる音。

そのどれもを、亜弥は遠くで聞いていた。
247 名前:『マツウラの行方』 投稿日:2004/01/11(日) 01:18
部屋の中が静寂で満たされる。
と、背中を冷たい何かになであげられた気がした。

ずっと遠くで聞いていた美貴の言葉が、亜弥の心をじわじわと侵食する。
心臓が一気に重たくなった。

真希が受け入れてくれたことの喜び。
そのときと同じ重さ、いや、それ以上の重さの負の感情が亜弥を覆い尽くそうとする。

ぐるぐると、世界が回る。
体の熱が一気にあがって、そして冷めていく。
カタカタと体が震えだす。
カチカチと歯の根が合わなくなる。

亜弥は自分の体を強く抱いた。
ひざを抱えて、もう一度頭をつける。
248 名前:『マツウラの行方』 投稿日:2004/01/11(日) 01:19
いろいろな感情が混ざり合って一気に亜弥を襲う。
その感情を消化できなくて、今自分が悲しいのか苦しいのか怖いのか、全然わからなかった。
ただ、言い様のない不安だけが心をじくじくと痛ませる。
不思議と涙は出なかった。

ふわっと体が浮き上がる感じがした。
目を閉じたままのはずなのに、視界が白く染まる。

――ねぇ、神様。

亜弥はその白い世界の向こう、いるはずもない誰かに向かって声をかけた。
249 名前:『マツウラの行方』 投稿日:2004/01/11(日) 01:19
私のしたことは、いけないことですか?

もしもそうだというのなら。

この胸の痛みが、悲しみが、苦しみが、その罰だというのなら。

その罰は全部私が受けるから。

だから。

――だから、センセイだけは、幸せにしてください。



250 名前: 投稿日:2004/01/11(日) 01:32
更新しました。

やっと坂道を転がり始めた感じです。
今までほとんど傍観者だった4人目の彼女も暴走(殴…ではなくて
動き出したんじゃないかなぁと。


レス、ありがとうございます。

>>220
こうなっちゃいましたw
もっともっとどきどきさせる展開が待ってる…かも?


>>221
シアワセへの道は遠そうですね…なんて他人事のように言ってみたりw
ええ、4人にとってはメーワクでしょうがw


>>222
期待にはこたえられたでしょうか?
ふたりの関係は…ヒ・ミ・ツw
251 名前: 投稿日:2004/01/11(日) 01:36

書き忘れ。

分類板に紹介してくださった方、ありがとうございます。
すごくうれしいです!

かなりマイナーCPだからどうなのかな〜と思ってたので
喜びもひとしおです。

作者がこのふたりが大好きなので、きっと需要がなくても
書いてると思いますがw
レスがあるとやっぱりうれしいですから、
読んでくださってる方には感謝感謝です。

それでは、今後ともよろしくです。
252 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/01/11(日) 16:55
うわー、いったい何があったんですか?
なんか大変なことになってますね。楽しみだー。
253 名前:『マツウラの行方』 投稿日:2004/01/12(月) 23:12
『センセイ!』

街の雑踏の中、亜弥はその人の背中を追いかけていた。

間違いない、間違いない、間違いない。
あれは、センセイだ。

『センセイ!』

つまずいて転びそうになったり、人にぶつかったり。
背丈のあまり大きくない亜弥には、たどり着くまでの道のりは果てしなく遠く思えた。

だけど今、見失うわけにはいかない。
亜弥は必死でその背中を追う。

『センセイ!』

必死に叫んでも振り返るのは関係のない人ばかり。
その人は、ペースを崩すことなくゆるやかな足取りで亜弥のはるか前方を歩く。
254 名前:『マツウラの行方』 投稿日:2004/01/12(月) 23:13
とにかく走った。
体育の時間でもマラソン大会でもこんなにがんばらないというくらいがんばった。
途中、ヒューヒューとのどがなって、足がガクガクしてきたけれど、
それでも走るのはやめなかった。

そして、信号待ちの彼女を捕まえた。

ヒシとその服の袖を握り締めて、ぐいっと顔を上げる。

そこにあったのは、限りなく金色に近い茶髪と、ブルーの瞳。
学校にいたときの裕子の面影は、ひとかけらもなかった。
だけど、それは間違いなく裕子だった。
道の反対側からとはいえ、一瞬見えたあの強いまなざし。
あれは、一度見たら忘れられるものじゃない。

『な、な、な、なんやねん』

声を聞いて、亜弥は目をぱちくりさせた。
そのイントネーションは、学校時代に聞いていたものとはまったく違っていた。
優等生のような標準語と違う、どこかクセのある言葉。
亜弥の生まれ故郷、関西の言葉だ。
255 名前:『マツウラの行方』 投稿日:2004/01/12(月) 23:13
ぜーぜーと息を切らしながら、亜弥はにっこりと笑った。
イントネーションにはちょっと驚いたけれど、久しぶりに会えたことがうれしくて、
笑顔になるのをとめられない。

裕子はしばし、突然の来訪者に驚いていた様子だったが、まじまじとその顔を見て、
それから、「あぁ」と納得したようにうなずいた。
『アンタ、松浦さんか』
『はい! 松浦さんです!』
覚えていてくれたことが、嬉しかった。
『なんや、久しぶりやなぁ』
『はい! 久しぶりです!』
『えっらい元気やなぁ。なんかいいことでもあったん?』

亜弥は大きくうなずいた。
『はい! センセイを見つけられました!』
亜弥の言葉に、裕子は軽く首を傾げた。
『センセイ……もしかして、覚えてない?』
『ん、あ、いや。覚えてる、覚えてるって。ちょっとな、久しぶりに会ったんで混乱しとるんや。
ちょっと待ってな』
『絶対、覚えてない』
『覚えてるって。ほら、あの、あれやろ?』
256 名前:『マツウラの行方』 投稿日:2004/01/12(月) 23:17
むむむむと、ひとしきり考えてから、裕子はポンと手を打った。
『あー、あの、なんや。付き合うてくれってやつやろ?』
『今思い出しました?』
『んな人聞きの悪い』

裕子は不満そうだったけど、とりあえず思い出してくれたからそれでいい。
亜弥は裕子の袖をつかんだまま、裕子をじっと見つめる。
『早速考えてください!』
『いや、あの、ちょっと急すぎんか?』
『もう半年も探したんですよ? 十分長いです!』

うむむむむと、裕子はますます難しい顔でうなり始める。
『センセイ? もしかして、コイビトができたとか?』
『いや、そういうことはないねん、残念ながら……って何言わせるねん! まぁ、
そういうことはないんやけど、あのな』
裕子はマジメな顔になって、亜弥を見る。
『あのなぁ、アタシ、大学4年生やんか。で、もういい年やろ?』
『いい年って、いくつなんですか?』
『……27』
『ええっ!』
『何に驚いてんねん』
ぎろりとにらまれて、亜弥は思わず身を引いた。
257 名前:『マツウラの行方』 投稿日:2004/01/12(月) 23:17
『え、あの、普通にハタチとかそのぐらいかと思ったから……』
途端に裕子の表情がほころんで、ポンポンと亜弥の頭を叩く。
『松浦さんはええコやなぁ。アタシな、まぁ、いろいろあって、学生さんやり直してんねん。
で、さすがにこの年やし、留年とかしたくないやんか』
裕子は亜弥の頭を叩き続けながら、子供に諭すように話す。
『で、今な、卒論とか追い込みの時期なんや。約束守れんのは申し訳ないと思うんやけど、
もうちょっと待ってくれへん?』

あぁ、びっくりした。
もう恋人がいるからダメですって言われたらどうしようかと思った。
すぐに返事をもらえないのはつらいけど、きっとあまり悪いほうには進まないと思う。

そう確信した亜弥は、わざとらしく『しょうがないですね』とため息をついた。
『でもセンセイ、逃げません?』
『うわ、人聞き悪いわ。ほんなら、携帯の番号交換しとこ。メアドも教えたるわ』
『そんなのすぐ変えられるじゃないですか』
『なんや、アタシ信用ないなぁ。それやったら……』
裕子は言うなり、自分がしていた小さなクロスのペンダントをはずして亜弥の首にかけた。
『アタシの一番のお気に入りやねん。それ、アンタに預けとくから。今度会うたときに返してや』
亜弥は首から下がるクロスを見つめて、それから裕子に顔を向ける。
『わかりました!』
ますますテンションの上がる亜弥に、裕子は苦笑いをする。
258 名前:『マツウラの行方』 投稿日:2004/01/12(月) 23:18
『しっかし、よくアタシのこと見つけられたなぁ。ガッコにいたころとは、髪型も髪の色も
しゃべり方やって違っとるのに』
『わかりますよ!』
亜弥はピシッと胸を張った。



『愛がありますから』



259 名前:『マツウラの行方』 投稿日:2004/01/12(月) 23:18



260 名前:『マツウラの行方』 投稿日:2004/01/12(月) 23:18
光を感じた気がして、亜弥はゆっくりと目を開けた。
そこに広がるのは、少しオレンジ色がかった世界。
もう日が傾きはじめているんだろう。

覚醒しきっていない意識で、ぼんやりと視界を探る。
かすかな消毒薬のにおい。
白すぎる天井。
さわり心地のまったく違うベッド。

ここは、どこだろう?

「目、覚めた?」
声をかけられて、そちらを向くとそこには真希が立っていた。
心配そうに顔をのぞきこまれる。
261 名前:『マツウラの行方』 投稿日:2004/01/12(月) 23:19
「後藤先輩……なんで、ここ、どこ?」
頭がうまく回転しない。
言葉がうまく出てこない。
「ここは、病院だよ」
「病院……?」

じゃあ、さっきまでの出来事はなんだったんだろう。
美貴のあの言葉の数々は夢だったとでも言うんだろうか。

「まっつー倒れてたから、ごとー救急車呼んじゃったよ」
「後藤先輩、家に、きてたんですか?」
「あー、うん」
真希は、ほんの少しバツが悪そうに頭をかいた。
「実はさ、ミキティにまっつーのケータイ教えたの、ごとーなんだ。お見舞いに行くって
言うから、それならごとーも一緒に行こうと思ったんだけど、ひとりで行っちゃった
みたいでさぁ。まっつーんちまできてみたのはいいんだけど、ピンポン押しても反応ないし、
玄関のカギ開けっ放しだし、心配で中入っちゃったんだ。そしたら、まっつー部屋で倒れててさ、
びっくりしたよ」
真希にしては珍しく、饒舌にしゃべる。
もしかしたら、何があったのか気づいているのかもしれない。

やっぱり、美貴との出来事は夢じゃなかったんだ。
262 名前:『マツウラの行方』 投稿日:2004/01/12(月) 23:19
「後藤先輩、藤本さんに会ったんですか?」
だいぶ意識がはっきりしてきた。
真希の細かい表情もわかるようになってきた。
「ううん、会ってないよ」
真希がじっと亜弥の目を見る。
それは、真剣でいて、どこか深刻な色合いをしていた。
「何があったの?」

「何かあったと思うんですか?」
亜弥は決して強気で言ったわけではない。
真希のことを責めるつもりもなかったし、そもそも責めるいわれがない。
それなのに、真希は今まで見た中で一番傷ついた顔をした。
少し目を細め、ギュッと唇をかみしめる。
263 名前:『マツウラの行方』 投稿日:2004/01/12(月) 23:20
「ごとー、あんまり頭いいほうじゃないけどさ」
――学年トップの成績じゃないですか。
そんなことを思ったけれど、今は言わなかった。
「ミキティがきてたのに、玄関のドア開けっ放しなんて、おかしいじゃん。しかも、
家にはまっつーしかいなかったし。おかしいと思うほうが普通でしょ?」

それもそうか。
けれど、なぜか今は素直に話す気分にはなれなかった。
「ねぇ、なんかあったなら、話してよ。ごとーでも力になれるかもしれないし」
「なんもないですよ。藤本さんと私の仲が悪いのなんて、今にはじまったことじゃない
じゃないですか」
「ウソだよ!」
「なんでウソだって決めつけるんですか!」
声を荒らげた真希につられるように、亜弥も真希を怒鳴りつけていた。
そんな亜弥に、真希は一瞬驚いた様子だったが、ふっと表情をいつもの
少し大人びたものに戻す。
「だってさ」
ぽつりと真希が言った。
「まっつー、泣いてるじゃん」
264 名前:『マツウラの行方』 投稿日:2004/01/12(月) 23:20
亜弥は反射的に右手をほほに当てていた。
そこは、ひどく乾いていて、カサカサと音を立てそうなくらいだった。
涙の跡なんて、一筋もついていなかった。

それなのに。

真希は自分が泣いているという。

その言葉に。

亜弥の目から、涙がこぼれ落ちる。

一度堰を切ってしまえば、とめようとしてもとまるものじゃない。
亜弥の目からはとめどもなく涙が流れ落ち、白いシーツにしみを作る。
265 名前:『マツウラの行方』 投稿日:2004/01/12(月) 23:21

裕子にさよならを言われて泣いて。

美貴に優しくされて泣いて。

でも、美貴にあれだけのことを言われても泣けなくて。

もうきっと泣けないんだろうと思っていたのに。

なんで、まだ、泣けるんだろう。

もしかしたら、涙っていうのは相手に応じて量が決まっているのかもしれないなんて、
そんなことを思った。
266 名前:『マツウラの行方』 投稿日:2004/01/12(月) 23:21
「ねぇ、何があったの?」
亜弥はふるふると首を振る。
真希の優しさはうれしかった。
自分はここにいてもいいんだと言われている気がした。
でも、真希に美貴とのことを言いたくなかった。
あのことを自分で口にしてしまったら、何かが壊れてしまいそうで。

「……裕ちゃんと、何かあった?」
唐突に、真希は質問を変えてきた。
あまりにも唐突過ぎて、取り繕うこともできずに亜弥は顔を上げてしまった。
真希の強い視線が降り注ぐ。
「……なんで?」
「ここんとこ、裕ちゃんの様子がおかしいから」
「おかしい……って?」
聞くと、真希はうーんとうなり始めた。

「たぶん、ほかの人は気づいてないと思うし、どうやって説明したらいいかわかんない。
でも、ごとーはおかしいと思ってるし、間違いないって自信もある」
たぶん、間違いはないんだろう。
裕子のことを一番わかっている真希だから。
真希にしかわからない微妙な差があるのだろう。
267 名前:『マツウラの行方』 投稿日:2004/01/12(月) 23:22
「何か、あったんでしょ?」

言いたい。
言いたくない。

話したい。
話したくない。

わかってほしい。
教えたくない。

相反するふたつの感情が、くるくると体の中を駆け巡る。
268 名前:『マツウラの行方』 投稿日:2004/01/12(月) 23:22
と、目の前が影になった。
顔を上げると、いつの間にか真希が目の前まできていた。
その瞳はとても静かで、いつかの屋上での出来事を思い出させる。

――怒られるかなぁ。

視線をそらすこともせずに、なんとなくそんなことを考える。
静かな瞳で亜弥を見つめていた真希は、突然亜弥のほほに手を伸ばしてきた。
少し冷たい感覚が伝わってくる。

まさかそんなことをされるとは思っていなかったので、亜弥は呆然と真希を見上げた。
真希はそんな亜弥を見てふわりと笑う。

イトコだとはいうけれど、裕子と真希は全然似ていない。
年も違えば、性格も正反対に近い。
けれど、こんなときの笑顔は、奇妙なほどに似ていて。
その冷たい手すら、似ているような気がしてきて。
止まっていた亜弥の涙が流れ出す。
269 名前:『マツウラの行方』 投稿日:2004/01/12(月) 23:23
「うくっ……」
亜弥は反射的に真希の服の袖を握り締めていた。
ギュッとその腕にすがりつく。
「ずるい、よぉ……」

その腕は真希のものだとわかっているのに。
その温もりも真希のものだとわかっているのに。
裕子とダブってしまう。

「なんで……!」
より強く腕を握り締めて、その胸に頭をぶつける。
「なんで、理由、教えて、く……ないの。ただ、言うだけ、な、て、ひど……。
キラ、イなった、ら、言って……いいの、にぃ」
ドンドンと頭をぶつける。
真希は何も言わないし、何もしない。
ただ黙って、亜弥をすがりつかせているだけだ。
「や、だ……。さよな……な、て、やだ、よぉ。そばに、いた、い。ずっと、
ずっと、そば、にいた、い、よぉ……」

ガシッと肩をつかまれて、亜弥はビックリして顔を上げた。
目の前にある真希の表情は、その行動とは裏腹にまぎれもないビックリ顔。
その顔を見て、亜弥の涙がすーっとひいていく。
270 名前:『マツウラの行方』 投稿日:2004/01/12(月) 23:23
「せ、先輩?」
「待って。ちょっと待って」
右手は亜弥の肩をつかんだまま、左手で自分の額を押さえる。
「裕ちゃんと、別れたの?」
心臓がキュッと縮み上がった気がした。
パジャマの胸元をギュッと握り締めて、小さくうなずく。
「……裕ちゃんがさよなら、言ったの?」
もう一度うなずく。
「まっつーが言ったんじゃなくて?」
さらにもう一度。

真希は手の位置を額から口元へとずらした。
ギュッと眉間にしわを寄せて、何かを考えている風。
と、急に視線を亜弥に向け、つかんでいた肩を離す。
「ごめん、今日は帰る」
切羽詰ったような口調に聞こえたのは、気のせいだろうか。
そんな真希の行動にあわせたかのように、病室の入り口から亜弥の母親が入ってきた。
「お大事に」
それだけを亜弥に告げて、母親にぺこりとお辞儀をすると、真希は風のように去っていって
しまった。
271 名前:『マツウラの行方』 投稿日:2004/01/12(月) 23:30
更新しました。
もしかしたら、最短期間更新かもw

転がった途端止まった感もありますが……。
というか、メインふたりが見事に絡んでない(泣
その辺、期待してる方がいたらすんません。

>>252
レス、ありがとうございます。
何があったのか、知っているのは彼女のみw
その彼女の話はもちょっと先になります。
じりじりお待ちくだされ……すんません。
272 名前:名無し読者 投稿日:2004/01/13(火) 00:19
姐さんに何かあったのかな?
今からしばしの間ごまゆう風味がありそうな予感〜。
ちょっと期待〜(w
メインの4人全部好きなメンバーでたまりません。
273 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/01/13(火) 00:31
うーん なかなかすごい展開ですねハラハラしどおしです。
274 名前:名無し読者 投稿日:2004/01/13(火) 18:18
姐さんの真意、ごっちんの行動‥‥
藤本さんと松浦さんの関係もどうなるのか、色々問題ありそうで面白そうです。
本編がシリアスなだけにあややと姐さんの過去、ほのぼのしてて良かったですw
275 名前:『ゴトー疾走』 投稿日:2004/01/18(日) 00:40
真希は携帯を片手に街を走っていた。
そのまま携帯を開くと、アドレス帳から番号を呼び出して、コールボタンを押す。

『……はい?』
コール3回で相手は出た。
どこかけだるそうな、やる気のなさそうな声。
「裕ちゃん、今どこ!?」
怒鳴りつけてから、自分の失態に気づいた。

裕子との付き合いは長い。
裕子のことなら誰よりも知っているつもりだし、わかる自信もある。
ということは。
裕子も自分を知っていて、わかるってことじゃないか。

こんな風に怒鳴りつけてしまったら、何かあったと言っているようなものだ。

『今忙しいんや、後にして』
案の定、不機嫌そうな声で裕子は言うと、真希の反応も待たずに電話を切ってしまった。
足は止めないまま、リダイヤルをする。

コール音はする。
けれど、留守電にもならないし、裕子が出る気配もなかった。

仕方なく携帯を閉じてポケットにしまう。
そして、さらに走るスピードを上げた。
目指す先はもちろん、裕子の家。
276 名前:『ゴトー疾走』 投稿日:2004/01/18(日) 00:41
しかし、裕子の家はもぬけの殻だった。
オートロックの番号は知ってるし、合鍵だって持っている。
そりゃ、逃げて当然か。
あわただしく出かけていったと思われる、片付いていない部屋の中をぐるりと見回して、
そう思う。

「はー」
わざとらしく大きく息をついて、ソファに体を沈める。

正直、意外だった。
亜弥が裕子を振る可能性は、付き合ってると聞いたときから考えていた。
けれど、裕子が亜弥を振る可能性は、ひとかけらも考えていなかった。

自分が傷つくこと以上に、人を傷つけることを嫌う人だから。
そして、人を傷つけたら、自分が傷つくことを知っている人だから。

もちろん、何かイヤなとことか、キライなとこができる可能性だってある。
だけど、こんな短期間で、しかも、直前まで仲が悪くなった感じもしなかったから。
裕子が亜弥を振るとは思えなかったのだけど。

裕子の様子がおかしいことに気づいて。
間違いなく亜弥と何かあったんだろうと思って。
裕子に聞いたところで話してくれるはずもないから、亜弥に会いに行ったら
あんなことになっていて。
思いつくままにここにきてしまったけれど。

いったい、裕子に会ってどうするつもりだったんだろう。
277 名前:『ゴトー疾走』 投稿日:2004/01/18(日) 00:42
亜弥が裕子を振ったのなら、することはあった。
――亜弥に対しては。

理由を聞いたかもしれないし、理由次第ではひっぱたいていたかもしれない。
もしかしたら、ヨリを戻すために何かしたかもしれない。
裕子を深く深く傷つけることをしたのなら、どんな理由があっても亜弥を許さなかっただろう。
許さないといっても、どうしたかは、今の自分にはわからないけれど。

間違いなく、裕子を傷つけた以上に、亜弥を傷つける。
それが、裕子を傷つけたことへの報いだ。

意味ないよね、と思わず苦笑いがこぼれる。
278 名前:『ゴトー疾走』 投稿日:2004/01/18(日) 00:42
ずっとずっと昔から、裕子を傷つけた相手は許さなかった。許せなかった。
裕子が傷ついた以上に相手を傷つけたら、裕子を救えると思っていた。
だけど、そんなことはないことも、もうわかっていた。
そんなことをしたって、裕子の傷を癒すことはできない。
裕子の悲しみを消すことはできないと。

でも、それでも、ほんのひとかけらでも裕子の笑顔の糧になれるなら。
それでいいんだと思ってたから。
今でもそう思ってるから。

――それは、子供の安っぽい騎士道精神でしかないのだけれど。

それでも、それでいいから。
だから、ごとーは動くんだ。

でも、この状況は予想外で。
裕ちゃんが人を傷つけたところを見たのは、初めてかもしれなくて。
落ち着いてみると、ホントにどうする気だったのかわからなくて。
また、大きく息をつく。
279 名前:『ゴトー疾走』 投稿日:2004/01/18(日) 00:43
「もー、裕ちゃん、どこ行ったんだよー!」
「……うっさいわ、ここにおる」
突然背後から声をかけられた。
振り返るとそこには、スウェット姿で頭にバスタオルをかぶった裕子の姿。

「裕ちゃん……いたんだ」
「忙しいから後にしてって言うたやん」
「お風呂?」
「せや。アンタが電話かけてきたとき、ちょーど服脱ぎ終わったとこやったんや。
せやから後にしてって言うたのに」
「まだ昼間なのに……」
「アタシがいつ風呂入ろうとアタシの勝手やろ」

カシカシと頭をタオルで拭きながら、裕子はキッチンへと向かう。
「アンタもなんか飲むか?」
カシャンと何かが音を立てる。
「んー、いいや」
真希は目を閉じて、裕子の行動を耳で追った。
コトン、と小さな音が聞こえてくる。
裕子が髪を拭いているであろう、布のこすれるような音がする。
裕子の足音がする。
それから、少し息を吐く音が聞こえた。
280 名前:『ゴトー疾走』 投稿日:2004/01/18(日) 00:44
「なんかあったんか? 急に電話なんて」
「あー、うん」

迷いもなくここにきたのに、おかしいとは思うんだけど。
ここにいるとは思わなかったから。
もう逃げ出していると思っていたから。
うまく言葉が出てこなかった。

たぶん、裕子はどうして自分がここにきたのかに気づいている。
質問攻めにされるのもわかっているはずなのに。
どうして、逃げなかったんだろう。

ポスンとソファが揺れて、真希は目を開けた。
視界の端に、裕子の姿が入ってくる。
その横顔は怖いくらい穏やかだった。

今までなら。
誰かに傷つけられたなら。
裕子は極力自分を遠ざけようとした。
ほかの人の前では普通に振る舞っていても、自分の前では普通ではなかった。
黙り込んで、落ち込んで、目もあわせようとはせずに、距離を置こうとする。

それがどういう理由からなのか、直接本人の口から聞いたことはないけれど。
今日の裕子はそんな気配を微塵も見せない。

傷ついていないはずがないのに。
自分には会いたくないはずなのに。
281 名前:『ゴトー疾走』 投稿日:2004/01/18(日) 00:46
「聞いたんや?」
不意に言われて、真希は裕子を見た。
「え……何を?」
「松浦とのこと」
「……うん。ホント、なんだよね?」

かぶっていたタオルを首にかけて、裕子は小さくうなずいた。

「もし、ごとーが別れた理由を知りたいって言ったら、教えてくれる?」
「知りたいんやったらな」
さらりと言われて、胸が締めつけられた。

どうして、どうして、どうして。
そんな穏やかな顔で、そんな苦しいことを言うんだろう。

今までなら。
どんなに話を聞こうとしても、自分から口を開こうとはしなかったのに。
なんでそんな風に、まだ自分を傷つけようとするんだろう。

亜弥を傷つけたのだから、自分はもっと傷つくべきだとでも思っているんだろうか。

普通であるはずがないのに。
普通でいられるはずがないのに。
普通でいようとする裕子の姿が、声が、仕草が、真希の心を締めつける。

苦しくて苦しくて。
はーっと胸の中にたまっていた空気を一気に吐き出す。
282 名前:『ゴトー疾走』 投稿日:2004/01/18(日) 00:47
「アタシなぁ……」
「言わないで!」
思わず、強い口調で言っていた。
裕子はビックリした顔をして、それからほんの少しだけ笑った。
「言わなくていいよ、裕ちゃんとまっつーの問題だもん」
できるだけ、明るい口調で言った。

もちろん、ウソだ。
知りたくないわけがない。
だけど、裕子は話をすることで、裕子自身を傷つけようとしている。
そんな気がしたから、話を聞きたくなかった。

たとえ、それが裕子の望みだったとしても。
裕子を傷つける手助けは、できない。

そっか、と小さくつぶやいて、裕子はソファから立ち上がった。
そのまま、寝室への扉をくぐる。

それを追いかけるように、真希も静かに寝室へと向かう。
扉の向こうには、化粧台に向かっている裕子の姿。

首にかけていたタオルはいつの間にか取り払われて、ベッドの上に投げ出されていた。
283 名前:『ゴトー疾走』 投稿日:2004/01/18(日) 00:48
その背中を見た途端、一気に心がざわめきだす。

いつもと同じはずなのに。
裕子はいつもどおりに振る舞っているのに。

部屋の中で裕子だけがとてつもなく小さく、か細くて、そのまま消えてしまいそうに見えた。

こらえられなくなって、思わず駆け寄ると、裕子を背後から抱きすくめる。

「なんやぁ? 今日の真希は甘えんぼさんやな」
裕子は驚いた色も見せず、ポンポンと真希の頭を叩く。
ギュッと強く抱きしめると、その手も止まった。
「ちょ、真希?」
少しあわてたような声が聞こえる。
でも、顔を裕子の肩につけたまま、真希は顔をあげなかった。
あげられなかった。
284 名前:『ゴトー疾走』 投稿日:2004/01/18(日) 00:49
裕子はまだ傷ついている。
傷つき続けている。
傷口から血を流し続けている。

それなのに、まっすぐ立って、前を見つめている。
倒れても泣いても投げ出してもいいのに、それをしようとはしない。

だったら、自分は何もできやしない。

これから先、裕子がどうするのかはわからないけれど。
どんな理由で今のこの状況を選んだのかわからないけれど。
裕子が後ろを向いてそこに崩れ落ちてしまわない限り、自分は手を差し伸べられない。

今まで気づかなかったけれど。
ただ必死になって裕子にまとわりついていたけれど。

それが――裕子と自分との距離。
285 名前:『ゴトー疾走』 投稿日:2004/01/18(日) 00:49
「……裕ちゃん」
「なんや?」
「どこにも行かないでね。……ひとりで、どっかに行っちゃわないでね」

ふっと息のもれる音がした。
そっと、頭に何かが触れた。
ゆっくりと、その優しい感覚が頭の上で動く。

「ごとーは、ずっとずっと見てるから。裕ちゃんのこと見てるから」
「……ん」
「黙っていなくなっちゃわないでね」
「ん」
「約束だよ」
「わかった、約束や」

優しく自分をなでてくれていた手で、ポンポンと軽く叩かれる。
それを合図に、真希は顔をあげた。
鏡越しに目があって、思わず照れ笑い。
腕をほどくと、裕子はくるりと向きを変えて、真希を見上げてきた。
286 名前:『ゴトー疾走』 投稿日:2004/01/18(日) 00:50
「あんま心配、させないでよね」
そう言うと裕子は曖昧な笑みを浮かべた。
それから、ふと何かを思い出したように笑顔を消す。

「そういやさっき、藤本のこと見かけたで?」
「さっき?」
「家帰ってくる途中でな。なんかめちゃくちゃ必死になって走っとったけど、
なんかあったん?」

たぶん、亜弥とのことがあった直後だろう。
何があったのかははっきりとはわからないけれど、何かはあったはずだ。

ミキティはどうしているんだろう。
ほっといたら、ひとりで勝手に自己完結しちゃうタイプだから。
わけのわからない結論でも出してるかもしれない。

突然、手を握られて、真希は我に返った。
「行ってあげたら?」
うーんと考え込む。
287 名前:『ゴトー疾走』 投稿日:2004/01/18(日) 00:50
正直なところ。
自分にとって一番大切なのは裕子で。
ほかの何を捨てても守りたいと思うのも裕子だから。
今、裕子のそばを離れたくはなかった。

「けど……」
「アタシは大丈夫やから」
優しい声で言われても、すぐには決断できない。
今は裕子のそばにいたかった。

「あのコ、今ひとりやろ、たぶん。アンタがそばにおったほうがいいと思うんや。
今、あのコのそばにいてやれるんは、アンタだけや」
「でも……」
「真希」
強い声で呼ばれて、裕子が視線を絡ませてくる。
「アタシは大丈夫や。真希はアタシのこと、ずっと見ててくれるんやろ? せやから、
大丈夫なんや」
握られていた手に、ほんの少し力がこもる。
裕子が静かな微笑を浮かべる。

「行ってあげて」
288 名前:『ゴトー疾走』 投稿日:2004/01/18(日) 00:51


289 名前:『ゴトー疾走』 投稿日:2004/01/18(日) 00:52
真希は、またしても街を走っていた。
美貴の行き場所はどこだかわからないけれど、裕子は海のほうに走っていったと言っていた。
だから、とりあえずの行き先は海。

連絡を取ろうかとも思ったけれど、逃げられても困るので、携帯はポケットにしまったまま。
ただ、まっすぐに目的地に向かって走る。

――裕ちゃん、ずるいよ。

走りながら、裕子の言葉を思い出す。

『行ってあげて』

命令違反は得意技だ。
裕子から強い命令口調で言われたのなら、従ったりはしない。
それに気づいているとは思えないのだけれど。
真希は裕子から、優しい口調でお願いされると断れない。
だから結局、さっきの言葉にも従った。

――裕ちゃん、ずるい。
290 名前:『ゴトー疾走』 投稿日:2004/01/18(日) 00:52
だけど。
そう思いながらも、心は軽かった。

美貴は、裕子最優先の真希にとって、大切だと思える数少ない友達だったから。
ひとりで泣かせたり苦しませたりはしたくなかったから。
裕子が背中を押してくれたのはありがたかった。

子供の頃のように、ずっとずっと裕子のそばにいることが叶わないのは知っている。
これからは、こんな風に裕子以外の誰かを優先してもいいんだろうと思うし、
そうなっていくだろうと思う。
裕子以外にも、大切にしたい人ができてきているから。

――だけど、もう少しだけ。

真希は、少しオレンジ色になりかけた空を見つめて、まっすぐに走り続けた。

――もう少しだけ、裕ちゃんのそばに、いさせてね?
291 名前: 投稿日:2004/01/18(日) 01:04
更新しました。

初ごっちんメインです。
ほんのちょぴっとだけですが、ねーさんとごっちんのつながり
みたいなものが出せればなぁと思ったのですが。

レス、ありがとうございます。

>>272
こんな風味になりましたw
いかがなもんでしょう?

同士ですね!w<4人全部好き
うれしいです。

>>273
今回はハラハラは抑え目ではないかと思います。
安心してお読みくださいw

ますますハラハラだったら、ごめんなさいw

>>274
まだまだハッキリしないことばっかりで(爆
最大の問題が片付くにはもちょっとかかるかもしれません。

ほのぼのしていただけてよかったですw
292 名前:『フジモトの憂鬱』 投稿日:2004/01/18(日) 22:25

言った。

言った。

言ってしまった。

美貴は目的もなく猛然と走っていた。
汗が背中を伝う。
胸が圧迫される。

それでも、走るのをやめられなかった。

あんなこと、言うつもりじゃなかった。

亜弥の、呆然とした顔がまぶたから離れない。

泣いてくれればよかったのに。
責めてくれればよかったのに。
そうしたら、言葉をとめられたのに。
293 名前:『フジモトの憂鬱』 投稿日:2004/01/18(日) 22:26
海辺近くの公園まで来て、美貴はやっと足を止めた。
体を折って短く呼吸をし、頭を小さく振る。
そうすることで、すべてを振り払おうとするかのように。

体を伸ばして、天を仰ぎ、大きく息を吸う。
どうしたって、過去は元には戻らない。
言ってしまった言葉を、なかったことにはできない。

息を整えたところで、美貴は空いていたベンチに腰を下ろした。
体からすべての力を抜いて背もたれに背中を預け、目を閉じる。

ぐるぐると、頭の中を回る言葉。
消えてくれない、亜弥の顔。
そして、浮かんでは消える、裕子の顔――。

どうしてこんなことになっちゃったんだろう。
294 名前:『フジモトの憂鬱』 投稿日:2004/01/18(日) 22:26
入学式の日に初めて見たときから、美貴は本能的に亜弥を苦手だと認識していた。
あのまっすぐすぎる瞳は、間違いなく美貴をイライラさせるものだ。
素直で無邪気、でもずけずけと人の心に土足で入り込んでくるタイプ。
そして、それがどれだけ人を傷つけ、惑わせ、いらつかせるのか、それに気づかない。

だから、美貴は最初から亜弥とは距離を置いていた。
距離を置いて、つけこませるすきさえ作らなければ、付き合えないわけじゃない。
亜弥は真希とも裕子ともうまくやっているようだったし、自分ひとりのわがままで人間関係を
ぶち壊すほど、美貴も子供ではなかったから。

今思えば、それが間違いだったのかもしれない。
いっそ、最初から付き合わずに突き放していればよかったのかもしれない。
それで人間関係に問題が出るなら、自分が真希や裕子とも距離を置けばよかったのに。
そうしたら、こんなことにはならずにすんだかもしれないのに。

美貴は自分の甘さを悔やんだ。
295 名前:『フジモトの憂鬱』 投稿日:2004/01/18(日) 22:26
やっぱりひとりでいるべきだったんだ。
誰とも付き合わずに、適当に馴れ合いながらすごしていけばよかったんだ。
そして、卒業したらそれきり忘れ去られるような、そんな存在でいればよかったんだ。
そうすることは、平気なはずだったのに。
ひとりでいるのなんて、慣れてるはずだったのに。

いつからこんな、弱い人間になっちゃったんだろう。

296 名前:『フジモトの憂鬱』 投稿日:2004/01/18(日) 22:27
「ミキティ」
不意に名前を呼ばれて、美貴は肩越しに後ろを振り返った。
そこには、オレンジ色の光を真っ向から浴びながら、ほんの少しだけ微笑む真希の姿。
走ってきたのだろう、少しだけ肩が上下している。
「探しちゃったよ」
はーとことさら大きく息を吐いて、真希は美貴の隣に腰を下ろした。

「まっつーに会ったよ」
まるで独り言のように、真希は言った。
「まっつー、家で倒れてた」
「え?」
顔をあわせないようにしてたのに、反射的に真希の顔を見てしまう。
真希は口元に笑みを浮かべたまま、静かに美貴を見ていた。
その瞳で何かを探り当てようとしているようで、居心地が悪くて美貴は目をそらす。
「ホントだよ。ごとー、救急車呼んじゃったよ」
「そう」
「うん。ちょっと熱が高いから今日は病院に泊まりかもって言ってたけど」

間があく。

いったい、真希は自分に何を言いたいんだろう。
297 名前:『フジモトの憂鬱』 投稿日:2004/01/18(日) 22:27
真希と出会ってから1年以上たつけれど、美貴はいまだに真希の性格をつかみかねていた。
亜弥のようにまっすぐすぎるわけでも、自分のように屈折しすぎているわけでもない。
普通の女の子のように見えて、そうでもない。
何も知らないフリをして何でも知っているのか。
何でも知っているように見せかけて実は何も知らないのか。
大人のようで子供のような。
子供のようで大人のような。
真逆の顔を見え隠れさせる。
どれが本物の真希なのか、美貴はいまだにわからなかった。

それでも一緒にいてラクだと思うのは、どこかに自分と似ているところがあるのだろうとは
感じていたけれど。
298 名前:『フジモトの憂鬱』 投稿日:2004/01/18(日) 22:28
「まっつーと何があったのか知らないけど」
このままだと話が進まないと思ったのか、真希は静かに口を開いた。
「ミキティがそう思うなら、しょーがないよ」
何も知らないはずなのに、何もかもを知っているような口調で真希は言う。
「うん、しょーがないと思う」
美貴にではなく、自分に言い聞かせるように。

いつもなら気にならないのに、今日の美貴にはそれが癇に障った。
「へぇ。美貴が亜弥ちゃんをめちゃくちゃ傷つけるようなこと言っても、美貴がそう思ってる
なら別にいいんだ、ごっちんは」
あからさまにケンカを売るような口調。
でも、真希はそれに乗ってこようとはしなかった。

「それは違うよ」
淡々と、いつも以上に淡々と真希は言う。
「ミキティが本当の本当に本気で、たった1%の迷いもなくそう思うなら、それはしょーがない
と思う。でも、それとまっつーを傷つけていいかどうかってことは別の問題だよ」
今まで前を向いていた視線が、急に美貴を捕らえる。
その視線のあまりの強さに、美貴は自分の足元へと視線をそらした。
「思ってることと言っていいことは別だよ、ミキティ」
299 名前:『フジモトの憂鬱』 投稿日:2004/01/18(日) 22:28
それは正論だった。
そんなことはわかっている。
わかっている。

「わかってるよね?」
子供を諭すような真希の声に、美貴は思わずうなずいていた。
認めたくなかった事実。
亜弥を傷つけたという現実。
でも、認めなくちゃいけないコト。

真希が何を思ってそうしたのかは知らないけれど、とにかく美貴はスタートラインに
引っ張り出された。
その位置から、これからどうするのか考えなければならないんだ。

「それから言っとくけど、ミキティがひとりに戻ろうとしてもムリだよ? ごとーは絶対
ミキティをひとりになんてしないからさ」
「何の話?」
とぼけてみたけれど、ムダだった。
美貴の微妙な表情から何を感じ取ったのか、真希は包み込むような笑顔を浮かべるだけ。
それから小さく、「だから、あきらめて?」とだけ言った。
300 名前:『フジモトの憂鬱』 投稿日:2004/01/18(日) 22:29
それが、ほんの少しだけ美貴の心の扉を開いた。
放り出したい、ひとりに戻りたいなんて思っていても、一度手に入れてしまったぬくもりは、
そう簡単に手放せないことを美貴はよく知っていた。
だから、スタートラインに引っ張り出されたことは、自分の醜さを突きつけられるみたいで
イヤだったけど、反面真希に感謝もしていた。
この位置に立てなければ、たぶん、美貴は今持っているすべてを放り出さなければ
ならなかったから。

「ごっちんはさ、亜弥ちゃんと中澤先生が付き合ってるって知ってた?」
「……うん、まぁね」
「いつから?」
「前から薄々気づいてたけど、裕ちゃん見てたらすぐわかるし」

そうだった。
こと、裕子に関しての真希のレーダーは、異常とも思えるほどよく働く。
裕子に変化があれば気づかないわけはない。

「それ聞いたとき、どう思った?」
「うーん、別に。裕ちゃんが幸せそうだから、それでいいかなって」

美貴は思わず首を傾げてしまった。
自分の反応が正しいのかどうかはわからないけれど、真希の反応もどうなんだろう?
301 名前:『フジモトの憂鬱』 投稿日:2004/01/18(日) 22:29
「ごっちんって、先生のこと好きだよね」
「……うん、好きだよ」
視線を前に戻して、真希は笑う。
その笑顔が、少しさびしそうに見えたのは気のせいだろうか。
「ものすごく好きだよね」
「うん、ものすごく好きだよ」
「亜弥ちゃんに、嫉妬とかしなかった?」
「うん? なんで?」
当然のように、真希は首を傾げた。
その反応が、美貴には理解できなかった。

「ものすごく好き」な人が、ほかの子と付き合っていて、しかもそれを目の前で見せ付けられて、
それでなんでなんとも思わないんだろう。

「ごっちんにとって、先生は恋愛対象にはならないの?」
その言葉で、真希の笑顔が静かに終わりを告げた。
一瞬きょとんとしたかと思ったら、足をベンチの上に上げて、ひざを抱える。
「うーん、よくわかんないな」
口調は今までの軽いものと変わらない。
それなのに、そこにいる真希はさっきまでの真希とは別人のようだった。
302 名前:『フジモトの憂鬱』 投稿日:2004/01/18(日) 22:29
「ごとーにとって、裕ちゃんは『絶対』だからさ」
表情だけががらりと変わる。
そこにある何かを射抜くように、真希は前方を見つめて、微動だにしない。
「裕ちゃんには幸せでいてほしいんだ」
真希の瞳がナイフに変わる。
「だから、裕ちゃんから笑顔を奪うやつがいたら――」


「絶対、許さない」


空気までも切り裂けるんじゃないか。
「ただ、それだけだよ」
傍らで変わっていく真希を見ながら、美貴はそんなことを思っていた。
303 名前:『フジモトの憂鬱』 投稿日:2004/01/18(日) 22:30
「ミキティはさ」
声をかけられて、美貴は我に返った。
そこにいる真希が見せるのは、いつものふにゃんとした笑顔。
ナイフのようだった真希は、近寄りがたくもあったけれど、それ以上にキレイだと思った。
だから、見惚れていて真希がいつもどおりに戻ったのにも全然気づかなかった。
「裕ちゃんのことは、好きだよね?」

「好きって言うか……一緒にいてラク」
真希の求めている答えとは違っていただろうけれど、真希は笑顔で答えてくれた。
「じゃあさ、まっつーのこと、キライなの?」

それは、核心を突く問いだった。

確かに亜弥の性格は、美貴の得意とするタイプではない。
けれど、好きかキライかと言われたら、その答えがわからない。

いや、わかっている。認めたくないだけだ。
本当に心からキライだったなら、「大嫌い」と言われたことをいつまでも気にしたりはしない。
「大嫌い」と言われた相手と、付き合ったりしない。
304 名前:『フジモトの憂鬱』 投稿日:2004/01/18(日) 22:30
「キライ……じゃあないと、思う」
どう言葉にしたらいいかわからなくて、美貴は丁寧に言葉を選んだ。
「キライじゃないけど」

美貴は真希と同じようにひざを抱えて、そこに顔をうずめた。

ギューっと目を閉じて、それから気づく。

あぁ、そうか。
美貴は亜弥ちゃんのことがキライじゃないけど。





亜弥ちゃんが、ジャマなんだ。



305 名前:『フジモトの憂鬱』 投稿日:2004/01/18(日) 22:31

『後藤真希だよ、よろしく』


『今日からキミはミキティに決定!』


『コワくなんかないよ。ミキティ、美人さんじゃん』


『おー、元気そうじゃん。よかったよかった』


『来年からはごとー先輩と呼ばせてあげよう』
306 名前:『フジモトの憂鬱』 投稿日:2004/01/18(日) 22:31

『アタシは中澤裕子。将来は不良教師になる予定や。ちなみに今は不良大学生な』


『アンタ、ワルぶるのやめぇや。似合わへんで』


『アタシにとってのアンタがどんな子かを決めるんはアタシや。アンタやない』


『おー、藤本。元気やったかぁ?』


『そっか。そんなら、来年もまたよろしくな』
307 名前:『フジモトの憂鬱』 投稿日:2004/01/18(日) 22:32
くるくると頭の中を回る言葉。
浮かんでは消える、真希と裕子の顔。

自分はこんなに物覚えがよかったのかと、
こんなにも過去にこだわる人間だったのかと
そんなことを思う。
308 名前:『フジモトの憂鬱』 投稿日:2004/01/18(日) 22:32
美貴にとって、裕子と真希といる時間はかけがえのないものだった。
ふたりとなら身構える必要もなかったし、素のままでいられた。

元々の顔が「コワイ」と言われて。
1歳年上だって言うだけで、根も葉もないウワサを広められて。

人と付き合うのは元々得意じゃなかったし、女の子同士のベタベタした関係も
苦手だった美貴は、あえてそれを訂正しようとも思わなかった。
みんなが作り上げた「藤本美貴」はニセモノだけど、それを否定するためにおちゃらけたり
ふざけてみせたところで、それも美貴にとってはニセモノにしかなりえなかったから。
どっちにしてもニセモノなら、自分がめんどくさくないほうがいい。
ただ、それだけのことだった。

けれど、真希と裕子は違っていた。
真希はごく当たり前のように近づいてきて、気がついたらいつもそばにいた。
美貴の様子がいつもと違っていても、無理にその理由を聞き出そうとはしなかった。
そのくせ、自分の意見はいつでも押し通したがった。
でもその意見は、子供のわがままみたいなものばかりだったから、押し付けがましくは感じなかった。

手の届く距離にいても、美貴が手を伸ばさない限り触れてこようとはしなかった。
カンが鋭いのか、美貴が言葉にしなくても、手を伸ばさなくても、救いを求めていることを
あっさりと理解して、手をとってくれることもあった。

だから、真希といるのはラクだった。
309 名前:『フジモトの憂鬱』 投稿日:2004/01/18(日) 22:32
裕子は美貴にとって、唯一居心地のいい大人だった。
たぶん、両親よりもそばにいて落ち着ける存在。

金色の髪に青い瞳。
キレイな顔立ちに関西弁。

第一印象からものすごく記憶に残る人だった。

美貴に対するスタンスは真希によく似ていた。
真希と同じように、美貴が手を伸ばさない限り触れてこようとはしなかった。
ただ、真希と違っていたのは。
裕子は決して手をとりはしなかった。
ただ、手の触れる位置まできて、そこに座っていてくれるだけ。
そういう意味では真希よりも遠い存在だったのだけれど、必要以上に言葉を語らないことが、
美貴にとってはありがたかった。

大人の人から何かを言われると、全部お説教に聞こえてしまいそうだったから。

高校に入る時点で1年人より遅れていた自分を。
高校に入ってから、さらに1年遅れてしまった自分を。
拾い上げるでも投げ捨てるでもなく、ただ見ていてくれる人。
屈折しすぎている自分を見せても、ただ笑っていてくれる人。

その距離が、美貴に安心を与えてくれた。
310 名前:『フジモトの憂鬱』 投稿日:2004/01/18(日) 22:33
3人の関係は、絶妙なバランスで成り立っていたのだ。

そこに亜弥が入ってきたことで、そのバランスが崩れてしまった。

安らげた相手と安らげた場所を、美貴は両方いっぺんに奪われてしまった。

そのことが、憎らしかったのかもしれない。

亜弥さえいなくなれば、元通りになれると思った。
元通りの気楽な関係になれると思った。

だから、亜弥のことがジャマだったんだ。

じゃあ、今。
亜弥と裕子が別れた今。
自分と亜弥の関係が壊れた今。

本当に、元に戻れるんだろうか。

「子供の独占欲……だったのかなぁ」
ぽつりとひざにうずめるように美貴はつぶやいてから、顔を上げた。
311 名前:『フジモトの憂鬱』 投稿日:2004/01/18(日) 22:33
オレンジ色の光は、海の彼方へと消えようとしていた。
黒と紺と藍と青と水色と白とオレンジの空が、頭の上に広がっている。
ぽつぽつと街灯がつき始めていた。

「もう帰る」
言うなり、美貴は立ち上がった。
「ん」
「ごっちん」
ベンチから降りて、真希を振り返った。
街灯の光を真上から受けている真希の顔は、ぼんやりとしかうかがえない。
「しばらくひとりにして」
「うん」
真希の返事を確認して、美貴はそのまま別れの挨拶も告げずに走り出した。

自分の意思でひとりになることを告げておけば、真希は下手にちょっかいをだしてはこない。
どのくらいかかるかわからないけれど、今はひとりで考える時間がほしかった。
真希がそばにいたら、すがってしまいそうだったから、それは避けたかった。

罪の重さか。
後悔の念か。
これからどうするのか。

考えることがどれかはわからない。

ただ今だけは、ひとりになりたかった。
312 名前: 投稿日:2004/01/18(日) 22:39
更新しました。

ラストへの道筋はできあがりました。
更新速度もあげられるかと。

今日のハロモニ。
ロマンティック……モードなミキティに思わずw
そんな裏表のないとこが好き(爆
313 名前:名無し読者 投稿日:2004/01/19(月) 01:38
裕子と真希の絆の深さがよく分かりました〜。
裕子は何故・・・亜弥に別れを告げたのか・・・気になって(w
すごくワクワクしながら先を楽しみにしてます。
314 名前:名無し読者 投稿日:2004/01/20(火) 22:59
ごっちんは姐さんを護るナイトみたいで、いい感じの二人です。
藤本さんはどんな答えを導き出すのか楽しみです。
315 名前:『フジモトの行先』 投稿日:2004/01/23(金) 00:26

気がつけば、夏休みになっていた。

亜弥と盛大なトラブルを起こして以来、美貴は保健室には行かなかったし、
真希とも行動を別にしていた。
ある意味、何もない、平穏な学園生活を送っていた。

亜弥は、あのあとさらに3日間休んで、それから学校に出てくるようになった。
クラスメイトと笑ったり、他愛もない話をしたり、特に変わったそぶりは見せなかった。
元々、美貴とは対等に話せるとはいっても、率先して話しかけてきたわけではなかったし、
確かに以前ほどは話さなくなっていたけれど、誰もそれを不思議には思っていないようだった。

1学期中は席替えをしないという担任のポリシーのせいで、美貴はいつも亜弥の存在を背中に
感じていなければならなかった。
だからといって、何かをするわけでもなく、ごくごく普通に振る舞う亜弥をちらりと
盗み見するだけだった。
そんなことをしているうちに、1学期は終わっていた。
316 名前:『フジモトの行先』 投稿日:2004/01/23(金) 00:27

――夏休みっていったって、することないんだよねぇ。

梅雨もめでたく明けて、夏の太陽が嫌がらせみたいに照りつける中、美貴はぼんやりと
散歩に興じていた。

夏休みの宿題なんていっても、それはほとんど名目上のもので、休み明けのテストで
悪い点さえ取らなければ、とやかく言われるようなものでもない。
すでに1年生2回目の美貴には、おおよそテストの傾向はわかっていたから、
わざわざ勉強しようという気も起きなかった。

だからといって、夏休み早々から一緒に遊びに出かける友達がいるかといえば、
真希と連絡を取り合ってない今、そんな相手もいない。

――美貴、ホント友達いないよなぁ。

別にさびしくはないけれど、人間として欠陥があるみたいで、思わず苦笑する。
本当なら家でだらだらしていたいのだけれど、そうすると親に怒られる。
しょうがないから、ひとりで出かけることにしたのだ。
317 名前:『フジモトの行先』 投稿日:2004/01/23(金) 00:27
ひとりにしてと真希に言ってから、早1か月。
何かを考えたのかといえば、結局何も考えてはいなかった。考えられなかった。

亜弥に対する自分のスタンスがわからない。
キライじゃないのはわかったけれど、じゃあ果たして好きなのか。
子供の独占欲で、裕子を取られたような気がしたのが気に入らないだけなのか。
自分の気持ちがはっきりしない。
だから、誰に対しても行動を起こせずにいた。
318 名前:『フジモトの行先』 投稿日:2004/01/23(金) 00:28
ぼんやりだらだら歩いていたら、海辺の公園までやってきていた。
夕方を過ぎれば夏でもいいデートコースになる場所だったが、さすがに太陽が燦燦と照りつける中、
愛を語るバカップルはいないらしい。
子供づれの家族が数人いるだけだ。

「あち〜」
よく考えれば、こんな暑いところじゃなくて、図書館とかに行けばよかった。
だけど、今から方向転換して、また太陽の下を歩くのもめんどくさい。
美貴は仕方なくぐっと伸びをして、とりあえず木陰になっているベンチを探した。
と、目的のものを見つけるより先に、別のものが目に飛び込んできた。

バカみたいに照りつける太陽の真下、何のさえぎるものもないベンチに座る、人。
その髪が、太陽に照らされてきらきらと輝いている。
この暑いのに物好きな人だなぁと思いながら歩いていくと、その横顔が目に入る。
319 名前:『フジモトの行先』 投稿日:2004/01/23(金) 00:29
「あれ」
その横顔は――裕子のものだった。

口元に手を当てたままの姿が気になって近づくと、どうやらタバコをくわえているようで。
さらに近づいていくと、ながーく伸びていた灰がぽとりとその下にあった右手の上に
落ちるのが見えた。

――熱っ。

美貴が顔をしかめたのに、裕子は何の反応もしなかった。
ただ、ぼんやりと海を見つめているだけ。

「先生!」
思わず叫んでいた。
けれど、反応はない。
「中澤先生ってば!」
もう一度呼ぶと、弾かれたように裕子が体を起こした。
「先生! タバコ、タバコ!」
きょろきょろと周囲を見回して、その声の主を見つけるよりも先に、自分の状況を理解したようで、
裕子はあわてて右手の甲の灰を振り落とした。

しかし、時すでに遅し。
タバコの灰はしっかり裕子の右手に赤い痕を残していた。
320 名前:『フジモトの行先』 投稿日:2004/01/23(金) 00:29



321 名前:『フジモトの行先』 投稿日:2004/01/23(金) 00:29
「だいじょぶですかぁ?」
水で濡らしてきたハンカチを渡すと、裕子はバツが悪そうに笑って、それをそっと右手に当てた。
「この年になって根性焼きもないやろなぁ」
「なんか、経験あるみたいですね」
「なっ……ないわ、失礼な。これでも学生さん時代は品行方正やったんやで」
「不良大学生だって自己紹介したじゃないですか」
「うっ、よく覚えとんな」

言葉に詰まった裕子を見て、美貴は笑った。
なんだか、久しぶりに素直に笑ったような気がした。

「しっかし、久しぶりやなぁ。元気やったか?」
「まぁ、ぼちぼちです。先生は?」
「んー? まぁ、元気なんとちゃうか?」
「美貴に聞かないでくださいよ」

裕子はあははと笑って、そのままの笑顔で美貴を見る。

この人は、ホントに大人なんだなって、そんなことを思う。

何を考えてるのかわからないけれど、何も考えてないわけじゃないはず。
それなのに、たぶん、美貴が知らないと思っているからだろうけど、いつものペースを1ミリも
崩さずに、美貴と接しようとする。
保健室に顔を出さなくなったことにも、まったく触れてこない。
322 名前:『フジモトの行先』 投稿日:2004/01/23(金) 00:30
「中澤さん」
懐かしい呼び方で、美貴は裕子を呼んだ。
裕子が先生になってからは、あえて使わないようにしていた呼び名。

どうしたかったわけでも、どうにかできると思っていたわけでもない。
ただ、少しでもいいから裕子との距離を縮めたくて、教師と生徒という枠組みを取り払いたかった。

裕子は笑顔を崩さずに、美貴を見つめる。
「タバコ、吸うんですね」
「ん〜。考え事するときのクセらしいねん」
「何考えてたんですか?」
「ん、まぁ、いろいろ」

「コイビトのこととか?」

言ってしまってから、しまったと思った。

カマをかけようと思ったわけではない。
ただ、亜弥とのことを知りたいと思っていたのは事実。
その好奇心が先にたって、ぽろりと口から言葉がこぼれ落ちてしまった。

裕子は笑顔のまま軽く首を傾げる。
たぶん、見抜かれている。
ここからどう出るかは裕子次第。

美貴は息を詰めて、裕子の言葉を待った。
323 名前:『フジモトの行先』 投稿日:2004/01/23(金) 00:30
「なんか、知っとる口ぶりやな」
ふわりと空気が動いた。
裕子の笑顔は変わらない。
美貴は小さくうなずいた。
「どこまで知っとるん?」
「……別れたってとこまで」
そっか、とぽつりと声が聞こえる。
「で、藤本は何が知りたいん?」
「え?」
「なんか、聞きたいことあるんやろ? そういう顔してるで」
「えっと……」

聞きたいことなんてあっただろうか。
聞いてほしいことならいくらでもあった気がするけど。

「亜弥ちゃんのどこが好きなんですか?」
324 名前:『フジモトの行先』 投稿日:2004/01/23(金) 00:31
あわてすぎて、うかつなことを聞いてしまった。
案の定、裕子はふはっと声だけで笑った。
「別れた相手のどこが好きかって聞くんもめずらしいなぁ」
裕子は立ち上がって、うーんと伸びをした。
その背中を、美貴はまっすぐに見つめる。

「なぁ、藤本。場所変えへん? ここあっつくてかなわんわ」
「あ、はい」
去って行く裕子の背中を追いかけるように立ち上がると、突然裕子の体がぐらりと左に傾いた。
「中澤さん!?」
あわてて駆け寄る。
裕子がギリギリふんばったので倒れずにはすんだ。
美貴は、そんなふらふらしている裕子の体を支えて、ゆっくりと木陰になっている芝生の上に座らせた。
その体は、美貴が思っていたよりもずっとずっと軽かった。
325 名前:『フジモトの行先』 投稿日:2004/01/23(金) 00:31
さっき裕子に貸していたハンカチをもう一度濡らしてくると、美貴は裕子に声をかけた。
「大丈夫ですか?」
「んー、ちょっと太陽の光浴びすぎたみたいやなぁ」
養護教諭のクセに、なんだか適当なことを言う。
今の今まで気づかなかったけれど、どう見ても日射病とかではなく、それ以前の問題だ。

メイクで隠してはいるけれど、顔は青白い。
肌にも張りがない。
極端なダイエットに挑戦してるか、病み上がりの人みたいだった。

――もしかしたら。これも、亜弥と別れたからなのだろうか。
だとしたら、やっぱりよくわからない。

亜弥を振ったのは裕子なのに。
どうして、裕子がこんなに弱っているのか。
326 名前:『フジモトの行先』 投稿日:2004/01/23(金) 00:31
「中澤さん、横になってください」
「んん?」
「いいから!」
ちょっと強い口調で言って、美貴は強引に裕子を横にならせた。自分も芝生に座ってひざを折り、
その上に裕子の頭を乗せる。
「おー、ひざまくらかぁ。なんや、ラッキー?」
軽口を叩くその目元に、いきなりハンカチを乗せる。
「うわっ、冷たいわ!」
ギャーギャー文句を言いながらも、裕子はハンカチをどけようとも、起き上がろうともしなかった。
それだけ、ダメージが大きいということなのだろう。
いまさらながら、全然気づかなかった自分に美貴は反省した。

太陽の強すぎるこの時間、外出している人も少ない。
外なのに、隔離された空間にいるような気がした。
327 名前:『フジモトの行先』 投稿日:2004/01/23(金) 00:32
「中澤さん」
静かになってしまった裕子にそっと声をかける。
「……ん」
「美貴じゃ、亜弥ちゃんの代わりになれませんか」
「ムリや」
ひとかけらの迷いもなく、いともあっさりと言われて、美貴は苦笑した。
「第一、アンタ、アタシのことそういう対象として見てへんやん。違うか?」
「……そうですね」

そのとおりだった。
裕子といると居心地がよくてラクだし、裕子に対して尊敬だか憧れだかの感情も抱いてはいるけれど、
それは、恋じゃない。
328 名前:『フジモトの行先』 投稿日:2004/01/23(金) 00:32





「それにな」





それはもしかしたら、誰かに聞かせる言葉ではなかったのかもしれない。
優しくて、もろい言葉。





「松浦の場所に入れるんは、松浦だけや。ほかの誰も、入れへん」





そして、中澤裕子そのものの心を、裕子は告げた。
329 名前: 投稿日:2004/01/23(金) 00:42
更新しました。

ラストまであと2〜3回…の予定です。
あくまで予定ですが(苦笑

>>313
レス、ありがとうございます。

そんなふうに感じていただけてありがたいです。
すごくではなく、
なんとなくワクワクくらいのほうがいいかもw

>>314
レス、ありがとうございます。

ごっちんの立ち位置はおっしゃるとおりナイトなんですよ〜。
かっこよくなりすぎて困(ry

ミキティはどうするのか……どうするんだ?(殴
330 名前:『フジモトの行先』 投稿日:2004/01/23(金) 23:39
つかまえた。
裕子の本心を、つかまえた。
ほんの一部かもしれないけれど、確かにそれは裕子のむき出しの心だった。
それはもしかしたら、真希でさえも見たことがないかもしれない。

「なんだ」
だから、普段ならそんな義務感で動いたりなんてしないのに。
美貴は、裕子の心を揺り動かそうと、積極的に動いた。
「中澤さん、亜弥ちゃんのこと、好きなんじゃないですか、すっごく」
裕子の心をあおるように言うと、ふはっと裕子がまた笑う。
「キライやなんて言ったおぼえ、あれへんけど?」

ハンカチに手を置いたまま、裕子が息を吐く。
「アタシは、アンタのほうが松浦のこと、キライなのかと思っとったけど?」
「あれ、ばれてましたか」
「ウソつけ」
ペチッとハンカチが放り投げられて、美貴のほほに当たる。
美貴はあわててそれに手を伸ばして、下に落ちないように支えた。
ひんやりとした感触が、気持ちよかった。
331 名前:『フジモトの行先』 投稿日:2004/01/23(金) 23:40
真下から見上げてくる裕子は、いつになくマジメな顔をしていた。
黙ってるとキレイな人なんだけど、日頃のおちゃらけてるか怒ってる顔をのほうを
見慣れているせいで、こういう顔をされるとなぜか緊張してしまう。
「アンタが松浦のこと、苦手なのは知っとるけど。けど、キライとは違うやろ」

ええ、そうです。
そのとおりです。
気づいたのは、ついこの間だったけど。

「アンタ、あのコのこと、好きなんと違うん? あ、恋愛感情とかそういう意味ではなしでな」

いや、ちょっと待ってください。
それは一足飛びに飛びすぎです。
キライじゃないイコール好きなら、話は簡単なんだけど、そんなに簡単なら、
美貴、こんなに悩んでないんですけど。

「んー、どうなのかわかんないです」
「ふーん」
その話題で引っ張ろうとは思っていなかったらしく、裕子はあっさりと追求の手を緩めた。
ホッとしていたら、手にしていたハンカチを取り上げられた。
332 名前:『フジモトの行先』 投稿日:2004/01/23(金) 23:40
裕子はそれを自分の目に当てなおして、それから突然、「あのコと、なんかあったん?」
と聞いてきた。
ビクリと美貴の肩が跳ねる。
いつの間にか、立場が逆になっていた。
まずい、このままじゃ、裕子はまた心を閉ざしてしまうかもしれない。

でも、ここからもう一度あの言葉を引き出せるんだろうか。
駆け引きは、正直得意じゃない。

「なんで、そう思うんですか」
「カン」
あっさりと言ってのける。
たぶん、そのカンの裏には裕子なりの論理があるんだろうけど、本人にはそれを言うつもりは
ないようだ。

どうしたらいいのか考えをめぐらせて、美貴はふーっと息を吐く。
しょうがない。
こうなったら、代価を差し出そう。
そして、中澤さんにも同じものを返してもらおう。
人は何かの犠牲なしに何も得ることはできない――ってのは、何で見たんだっけ。
等価交換の法則ってやつだ。

自分の差し出すものが裕子にとってどのくらいの価値を持つのかわからない。
でも、それを差し出すことで、自分の気持ちが少しは安定する。
隠していることがなくなれば、強気で出て行けるはずだ。
333 名前:『フジモトの行先』 投稿日:2004/01/23(金) 23:40
「美貴、亜弥ちゃんのことめちゃくちゃ傷つけちゃいました」
キュッと体の真ん中に力を入れて、美貴はできるだけ平静を装いながら話しはじめた。
自分から傷をえぐるのは、怖かったけれど。
裕子に自分の言った言葉を伝えるのは、苦しかったけれど。
たとえ、裕子に嫌われたとしても、ふたりをなんとかしたかった。

だって、裕子は本当に本心から、亜弥と別れたわけじゃないと思うから。
その証拠に、こんなにも苦しそうじゃないか。
自分の体が傷ついてしまっていることにも気づかないほど。

それは、美貴の自分勝手な想像に過ぎないかもしれないけれど。
まだ赤く痕が残ったままの裕子の手の甲を見つめながら、美貴はそう思っていた。


334 名前:『フジモトの行先』 投稿日:2004/01/23(金) 23:41
「そっか」
美貴の告白を聞き終えて、裕子が言ったのはただ一言。
それからほんの少し間を置いて、裕子は口元を緩ませた。
「後悔してるん?」
「そう……ですね。本気で、そう、思ってたわけじゃないから」

本当に本気で裕子と亜弥の関係を「キモイ」と思うなら、今ここに自分がいるわけがない。
裕子に自分の言ったことを告げることを、苦しく思うこともなかったはず。

「で、アタシに何させたいん?」
「……亜弥ちゃんに教えてあげてください」
「何をや」
「別れた理由、です」

ふはっと、今日何度目になるかわからない声だけの笑いを裕子はした。
それからハンカチをはずして、両手を美貴のほほに伸ばしてくる。
触れたその手は冷たくて、気持ちよかった。
真下から見上げてくるその瞳は、とても優しい色をしていた。
335 名前:『フジモトの行先』 投稿日:2004/01/23(金) 23:41
「仲直りしてください、やあらへんねんな」
「中澤さんが本当の本当に本気で、その理由で亜弥ちゃんと別れたいっていうなら、
美貴にはとめられないですから」
それだけ言って、それ以上のことは言わなかった。
仲直りしてほしくないわけじゃない。
どっちかというと、そっちが裕子に「させたい」ことだ。
だけど、それは自分に言えることじゃない。

「アンタ、ホントええコやな」
「え?」
さらりと言われて、美貴はぽかんと口を開けた。
「アタシに別れた理由を言えっちゅーんは、松浦を助けたいからやろ?」
「いや、そんな……」
336 名前:『フジモトの行先』 投稿日:2004/01/23(金) 23:42

違う違う違う。
そうじゃない。
ただ、自分が救われたいだけだ。

言ってしまった言葉はもう元には戻らないけれど。
もし、裕子が別れた理由を亜弥に告げることで、亜弥がほんの少しでも救われるなら、
一歩でも前に進めるようになるのなら、そう自分の手で促すことができたなら、
あの言葉を言ってしまった罪が、ほんの少しでも軽くなるんじゃないかと思ったからだ。

美貴は、そんな、キレイな人間じゃない。
337 名前:『フジモトの行先』 投稿日:2004/01/23(金) 23:42
「後悔する気持ちはわかる。後悔したり自分を責めたりするのが悪いとは言わん。けどな、
責めすぎたらあかんよ。アンタは自分で思っとるほど、悪い人間やない。っちゅーか、
ええコなんやって。人よりだいぶ人との付き合い方がヘタクソで、自分の気持ちに
素直すぎるところがあるけど、ええコなんやから。アタシの言葉を信じなさい」

優しい優しい言葉。
美貴は自分のほほに当たる裕子の手を、そっとそっと自分の手で覆った。

「藤本」

呼ばれて、美貴は裕子を見つめ直す。
その瞳は、言葉と同じくらい優しくて、居心地が悪くなるほどやわらかだった。

「アタシはアンタのこと、好きやで」

ここまで裕子に近づいたのも、裕子から近づかれたのも初めてだった。
そして、これがたぶん最後になるだろう。
裕子の隣にいるのは自分じゃなくて、自分の隣にいるのも裕子じゃない。
ただ、その代わりに、裕子と自分は離れない距離で付き合っていけるんだ。
338 名前:『フジモトの行先』 投稿日:2004/01/23(金) 23:42

だったら、せめて、このときは。
これが最初で最後なら。
しっかりと、自分のできることをやろう。

「それは、亜弥ちゃんに言ってあげてください」
裕子が苦笑する。
「美貴も、中澤さんのこと、好きですよ」

ふーっと大きく息を吐く。ゆっくりと天を仰ぐ。

「それから、亜弥ちゃんのことも好き、みたいです」

認めてしまえ、その事実を。
339 名前:『フジモトの行先』 投稿日:2004/01/23(金) 23:43
亜弥をジャマに思っていたのも事実。
苦手だと思っていたのも事実。
元の、真希と裕子と自分の3人だけの関係に戻れればいいと思ったことも事実。

だけど、亜弥のことが気にかかっていたのも事実で。
亜弥を傷つけたことを後悔してるのも事実で。
もう一度、真希と裕子と亜弥と自分の4人の関係に戻りたいと思うのも、事実。

そして今。
こうして、裕子を見て。
裕子の心に触れて。
これから先、裕子の隣にいるのが、亜弥であればいいと思うのは。
裕子の笑顔の隣には、亜弥のあのひまわりのような笑顔があればいいと思うのは。

中澤さんを好きなのと同じように。
亜弥ちゃんを好きだからじゃないか。

素直に、そう、思った。
340 名前:『フジモトの行先』 投稿日:2004/01/23(金) 23:43
よっこいしょ、という掛け声とともに裕子は起き上がった。
「起きて大丈夫ですか?」
「んー。藤本のやらかい太もものおかげでだいぶラクになったわ」
にやにやと笑う。

この、セクハラ教師。

ペシッと肩口を叩いてやると、裕子は顔をしかめた。
「ったぁー。先生はもっと敬うもんやで」
「そういう態度を取ってくれたら、いくらでも敬いますよ」
立ち上がって、うーんと伸びをする。

「結局、どうするんですか?」
その背中に、美貴は問いかけた。
裕子はくるりと振り返って、いきなり美貴の頭に手を伸ばすとわしわしと撫で回す。
「どうするかなぁ」
「え?」
「アンタの覚悟、受け取ってしもたし」
ぽつりつぶやくと、ぐわしぐわしとさらに強い力で髪をぐしゃぐしゃにする。
美貴はもう、自分がどんな髪型をしているのかわからなかった。
341 名前:『フジモトの行先』 投稿日:2004/01/23(金) 23:44
「ほんならな」
「……はい」
ひらひらと手を振りながら、裕子はゆっくりとした足取りで美貴から離れていく。

話したいことはもっとたくさんある気がしたけど。
ここから先は、もう自分の出る幕じゃない。
美貴は天を仰いでふーっと息をついた。

ぐるぐると頭の中で渦巻くものはあるけれど、心は見上げている空と同じように晴れ渡っていた。



342 名前: 投稿日:2004/01/23(金) 23:48
更新しました。

ミキティの結論はこんな感じで。
なんだかメインをほったらかして、
ねーさんあちこち手を出しすぎって気もしますが(汗

次の更新では出ます。
きっと、出ます。
343 名前:名無し読者 投稿日:2004/01/24(土) 00:50
藤本さんいい人〜。
次は中澤さんが頑張る番みたいですね〜(w
344 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/01/24(土) 07:47
人はやり直せるし、前に進める
いい話だしいい人たちだなあ
345 名前:『マツウラの決断』 投稿日:2004/01/25(日) 15:33

――どうしよう。

待ち合わせの時間からは、すでに30分以上経っていた。
それなのに、亜弥は待ち合わせ場所が見える位置に立ったまま、
ずっとそこから動けずにいた。

だって。
そこにいるのは本当ならば真希のはずで。
なのに、今目に見えるところにいるその人は絶対に真希ではなかったから。

金色の髪を風になびかせながらそこに座っている人は。
亜弥の位置からでは後ろ姿しかわからないけれど。
裕子に違いなかった。

ハカラレタ、と思った。
裕子と真希がキョウボウしたんだ、と思った。
と同時に、ハカラレルの「ハカル」ってどういう漢字だっけ、とも思った。
歴史とかでよく使われる「ボウリャク」の「ボウ」っていう字のはずで、
「キョウボウ」の「ボウ」も同じ字のはずだと思ったけど、そもそも
「ボウリャク」がどんな字なのか思い出せなかった。
346 名前:『マツウラの決断』 投稿日:2004/01/25(日) 15:34

――どうしよう。

今なら帰っても気づかれない。
裕子は正面を、海を見たままずっと動かない。
太陽がしっかり照りつける昼下がりに、この海辺の公園は間違いなく暑いのだが、
木陰は案外涼しくて、穴場なのだ。
その中でも、一番風通しがよくて見晴らしのいい場所に、裕子は座っていた。

なんでセンセイがここにいるんだろう。
どうして、後藤先輩にウソまでつかせて、約束をさせたんだろう。

ほんの少し、期待が胸をよぎる。
アレはウソだったって言ってくれるんじゃないか。
前のように笑って名前を呼んでくれるんじゃないか。

だけど、それ以上に悲観的な考えが頭をよぎる。
何か、他愛もない用件で呼び出されただけで。
家とか保健室に忘れ物をしてたとか。
前にあげたプレゼントを持っているのがイヤで返しにきただけとか。

浮かれて会ってもロクなことがない。
だから、一歩を踏み出せなかった。
347 名前:『マツウラの決断』 投稿日:2004/01/25(日) 15:35



348 名前:『マツウラの決断』 投稿日:2004/01/25(日) 15:35
あれからどのくらいたったんだろう。
時計を見ると、約束の時間からもう2時間過ぎているところだった。
それなのに、裕子はずっと最初の位置から動かずに。
ヒマつぶしの道具を出すわけでもなくて。
ただ、ずっと座って海を眺め続けている。

もしかしたら、誰かを待っているわけじゃなくて。
ただ、たまたま休みの日を使ってきているだけなんだろうか。
もしかしたら、自分が真希との約束の時間を、場所を、日にちを間違えていて、
そんな偶然が重なってしまっただけなんだろうか。
ありえないことを、考えてみたりする。
349 名前:『マツウラの決断』 投稿日:2004/01/25(日) 15:36

――ねぇ、センセイ? 誰を待ってるんですか?
いつまで、そこにいるつもりなんですか?

心の中で声をかける。

『そうやなぁ』
聞こえるはずもないのに、裕子の声が聞こえた。
『ずっと、かもしれへんな。アタシの、気が済むまで』

――気が済むまでって、いつまで?
『いつまででもや。そらもう、1日でも2日でも、1週間だって待てるかも知れへんで?』
――センセイ、いつからそんなに気が長くなったんですか?
『さぁなぁ。いつからやろなぁ。アンタが知らんところで、アタシやって成長してるねんで?』
――センセイ、私、聞きたいことがあるんです。センセイに。
『アタシは――』
350 名前:『マツウラの決断』 投稿日:2004/01/25(日) 15:36
一歩踏み出せば、歩いていくのは簡単だった。
ボールが坂を転がるように、亜弥の足は裕子へと向かう。
ゆっくり歩いて裕子の隣に立ったとき。
「ありがとぉな」
裕子の優しい声が聞こえた。

それには答えずに、亜弥は裕子の隣に、裕子と同じ格好で座った。
視線は正面を向けたまま、裕子のほうには向けずに。

「きてくれてありがとな」
「いつまでここにいるつもりだったんですか?」
「そうやなぁ」
あの言葉は、想像だったはずなのに。
裕子の口は、それと同じ言葉を紡ぐ。
「ずっと、かもしれへんな。アタシの、気が済むまで」

「気が済むまでって、いつまで?」
けれど、続けて紡がれる言葉は、やっぱり想像とは違っていた。
「アンタがくるまでやったよ、さっきまでは」
「さっきまでって?」
「もう、待つ必要あらへんし。アンタがきてくれたから」
そこで初めて、亜弥は裕子を見た。
裕子は相変わらず正面に視線を投げたままで、口元に軽く笑みを浮かべていた。
351 名前:『マツウラの決断』 投稿日:2004/01/25(日) 15:37
「真希のこと、怒らんどいてやってな? アタシがムリに頼んだんやから」
その言葉には小さくうなずく。
それから、亜弥はもう一度、視線を裕子からはずした。

久しぶりのその横顔。
手を伸ばせば届く距離。
優しい言葉。
このまま見つめ続けていたら、どうにかなってしまいそうだった。

「こなかったら、どうするつもりだったんですか?」
「アンタはきたんやから、もう考える必要、ないんと違うか」
視界の端っこで、空気が動く。
裕子がふわりと笑った気がした。

亜弥はひざを曲げ、両腕で抱え込むように抱くと、そこにあごを乗せた。
こうすると、完全に裕子が視界から消える。
でも、裕子の視線を感じない。
きっと、まだ海を見ているんだ。
352 名前:『マツウラの決断』 投稿日:2004/01/25(日) 15:39

どうしよう、どうしよう。

こうして来てみたはいいけれど、裕子は話をはじめる気配がない。
といって、自分から何かを聞きたくもない。
わざわざ自分からドツボにはまりにいくおめでたい人間でもないし。

夏休みのはずなのに、やけに静かだった。
聞こえてくるのは、遠くで笑う子供の声とせみの声、それに風の音と波の音だけ。

亜弥は目を閉じて、その空間に身を任せてみた。
どうしようっていったって、もうここまできちゃったんだからどうしようもない。
とりあえず、今、自分がしたいことをしよう。
そう思った矢先――。
353 名前:『マツウラの決断』 投稿日:2004/01/25(日) 15:42










「好きやで」









354 名前:『マツウラの決断』 投稿日:2004/01/25(日) 15:44
背中から声が飛んできて、弾かれるように後ろを振り返った。
亜弥の目に飛び込んできたのは、ただ、穏やかに笑う裕子の姿。

そこで初めて、目があった。

「センセ……」
「アンタが好きや」

その言葉は、今まで言われたどんな「好き」よりも優しくて、あったかくて、
そして切なかった。
裕子は確かに間違いなく笑顔なのに、今にも崩れ落ちてしまいそうに見えたから。

亜弥はひざで立ち上がると、裕子の元へと近づいた。
裕子のひざの上に自分の両手を乗せ、そのまま上半身を預ける。
裕子は視線を上げて、そんな亜弥を変わらぬ笑顔で見つめている。

「じゃあ、なんで!? なんで別れるなんて言うの!? 私だって、ずっとずっと、別れようって
言われてからもずーっとずーっと今でもセンセイのこと好きで好きで……好きなのにぃ」

涙がこぼれ落ちるのをとめられなかった。
言いたいことはもっとたくさんあるのに。
聞きたいことだって、もっともっとあるのに。
言葉が出ない。
355 名前:『マツウラの決断』 投稿日:2004/01/25(日) 15:44
顔を裕子のひざにつけるようにして泣きじゃくっていると、ふわりと頭の上に何かが乗った。
確認しなくてもわかる。裕子の手。
優しく優しく、壊れ物を扱うみたいにそっと亜弥の頭をなでる。
もう何度となくされたことなのに、その久しぶりの感覚が、うれしくて、やっぱり切なかった。

「松浦は、アタシの何が好きなん?」
言われて顔を上げる。
裕子の笑顔は変わらないけれど、どこか苦々しげな色を帯びているようにも見えた。
亜弥は答えに詰まった。

裕子と付き合うようになって、亜弥は裕子のクセをほんのひとかけらだけれど、
見抜いていた。

裕子は、言葉を選びたがる。
無意識ではないと思う。
意識的に、言葉を選ぶ。
その、他人にしてみたら些末としか言いようのない微妙なニュアンスの差を、裕子は求めたがる。

だから、言葉に詰まった。
356 名前:『マツウラの決断』 投稿日:2004/01/25(日) 15:44
「どこが」好きかと聞かれれば、ためらうこともなくいくらでも答えを言える。

キレイな顔立ちも好きだし、怒った顔も笑った顔も好きだ。
自分を包み込んでくれる包容力のあるところも好きだし、些細なことで怒鳴り散らしちゃう
子供っぽいところも好きだ。
凛とした雰囲気も好きだし、そのくせさびしがりやなところも大好きだ。
名前を呼んでくれる声が好き。
「好き」だって言ってくれる声が好き。
抱きしめてくれるその腕が好きで、頭をなでてくれる少し冷たい手も好きだ。

だけど、裕子は問うた。
「何が」好きなのかと。

その答えは、「どこが」好きかという答えと限りなく近いところにあるのに、
永遠に交わらないくらい遠いところにある気がして。
亜弥には答えが見つけられなかった。
357 名前:『マツウラの決断』 投稿日:2004/01/25(日) 15:45
「アタシはな」
言葉に窮していると、裕子はそっと亜弥の手に自分の手を重ねてきた。
やっぱり、今日も冷たい手だ。
「ずーっと不安なんや」

ぽつりと、雨の始まりのようにこぼれ落ちたその言葉は、裕子の涙だ。
裕子の笑顔は変わらないのに、なぜだかそんなことを思った。

「アンタとアタシには、なんの、たったひとつの、ひとかけらの、共通点もないから」
「共通、点……?」
「アンタとアタシは違いすぎる。年も違うし立場も違う。好きなもんも嫌いなもんも、
読む本も聴く音楽も全部違う」
すーっと、裕子の笑顔が引いていく。
それに自分でも気づいたのか、裕子は顔を伏せて、額をひざの上に乗せてしまう。
「そんだけ違っとるのに、どうしてうまくやってけると思う?」
ふっと、息が漏れた。

「アンタがうちのガッコに入学してきて、おんなじ年頃の子と一緒におるとこ見て、気づいたんや。
アンタも、共通の話題が多い子と一緒におったほうが楽しいんやろなぁって」
「そんなこと……!」
亜弥の言葉を待たずに、ふるふると裕子が首を振る。
「ちゃう、ちゃうな。アンタの問題やないな。アンタのせいにしたらあかんな。アタシな、アタシ、
アンタのこと好きやけど、真希や藤本と一緒におるほうが、ラクなんや」
358 名前:『マツウラの決断』 投稿日:2004/01/25(日) 15:46
ガツンと殴られたような気がした。
津波のように、心の中から感情があふれ出す。
気がつけば、とまっていはずの涙がまた溢れ出していた。
「ちょ……松浦?」
ぐるぐるぐるぐる。
頭の中でいろんなものが回り出す。

裕子の言葉。
裕子の声。
忘れていたはずの、美貴の言葉と美貴の顔。

ヤバイ。

貧血を起こしたみたいに、頭がくらくらとふらつき始める。
目の前にあるはずの裕子の顔がぐにゃりとゆがむ。
「松浦!?」
視界が白く染まる。
そして、瞬時にその景色も黒く塗りつぶされてしまった。
359 名前:『マツウラの決断』 投稿日:2004/01/25(日) 15:47



360 名前: 投稿日:2004/01/25(日) 15:51
更新しました。

ちょっと長いので、ここで一区切り。
中途半端でごめんなさい。

いよいよ、ふたりの直接対決です(違
果たして軍配はどちらに…w
361 名前: 投稿日:2004/01/25(日) 15:56

レス、ありがとうございます。

>>343
極悪非道とか思われなくてよかったですw

ねーさん、勝負どころではありますが、
どっちかというと、がんばらされてるような…(汗

>>344
お、お褒めいただきまして光栄ですw
ストレートな褒め言葉には弱いので、
PCの前であわてふためいていますw



ラストまであとたぶん2〜3回ですので
(以前より増えてるのは気にしないでください)
お付き合いいただけるとうれしいです。
362 名前:『マツウラの決断』 投稿日:2004/01/25(日) 23:00
冷たい感覚が、視界を覆う。
ふと、目が覚めた。
目を開けると、そこはやっぱり暗くって。
亜弥は体を起こそうと、両腕に力を入れた。

「あ、あかんよ、まだ起きたら」
優しい声と、裏腹な力の強さで肩を押し戻される。
亜弥はひんやりとした感覚を、背中に感じた。
そっと、視界を覆っていた何かが取り払われて、一気に光が降り注ぐ。
まぶしくて目を細めたら、ふっと黒い影に覆われた。
「……センセイ」
「だいじょぶか?」
のぞきこんでくるのは心配そうな顔の裕子。

――そうか、また倒れちゃったんだ。
363 名前:『マツウラの決断』 投稿日:2004/01/25(日) 23:01
「貧血持ちやったっけ?」
ふるふると首を振って答える。
「そうやったよなぁ。万事健康やって言うてたもんなぁ」
こくりとうなずいて、亜弥はやっと自分の状態に気づいた。
視線の先に太陽があって、背中には地面がある。
でも、頭は何かやわらかいものの上に乗っていて、その先には裕子がいる。
ということは……。
「あ」
「ん?」

その事実に気づいて、亜弥は顔が熱くなっていくのを感じた。
つまりはこれは、ひざまくらじゃぁないですか。
「や、な、なんでもないですぅ」
ばたばたと手を動かそうとして、それも両手で止められてしまう。
「安静にしときって」

どうにも動けなくなって、亜弥は裕子をもう一度見上げた。
その表情はとても穏やかだった。

穏やかで、静かで、幸せで。

――どうせなら、今、死にたいなぁ。
364 名前:『マツウラの決断』 投稿日:2004/01/25(日) 23:02
「はぁ?」
「え、あ、え?」
「死にたいとか言わんかった?」
「や、あの、えっと……はい」
気づかないうちに言葉にしてしまっていたんだろう。
裕子が怪訝そうな顔で見下ろしている。
「死ぬとか簡単に口にしたらあかんよ」
ペシンと軽く額を叩かれる。
「だってぇ……」

このままじゃ、この先のことがわかっちゃうから。
結局、ここに来る前と状況は何も変わっていなくて。
今日別れるときが、ホントにホントの最後になっちゃいそうな気がしたから。

それならいっそ、幸せなままで死ねたらいいな、なんてことを思う。

「まだまだ人生楽しいことがいっぱい待っとんねんで? そりゃ、つらいことや大変なことも
あるやろけど」
「センセイと一緒にいるのが一番楽しいんですけど?」
そう言ってやると、裕子は少し顔をゆがめて顔をそむけてしまった。

裕子の体が少し揺れて、太陽の光がまっすぐにこぼれ落ちてくる。
まぶしくて手を顔の前にかざしたとき、シャラ……と裕子のくれた腕時計が揺れた。

それが、亜弥のスイッチになった。
365 名前:『マツウラの決断』 投稿日:2004/01/25(日) 23:03
裕子は真希や美貴といるほうがラクだという。
それが別れた理由になるというのなら、いったいなんで自分と付き合おうと思ったのか。
ふつふつと疑問と怒りが湧き起こる。

「センセイは……」
ひざまくらされたままの姿勢で、亜弥は裕子に呼びかけた。
こっちを向いてくれる気配がないので、自分の顔のちょうど右側に置かれた手をギュッと
握ってやる。
裕子がゆるゆるとした動作で自分を見たのを確認してから、亜弥は言葉を続けた。
「ラクな恋がしたいの?」
突然の質問に、裕子の瞳が揺れる。
「そんなのムリだって、知ってるくせに」
思わず口調がきつくなる。
人間が人間を100%信じることができないのは、100%わかりあうことができないからだ。
完全にわかりあうことができないなら、完全にラクができる恋だってありえない。

「私と付き合うのをOKしたのは、ラクな恋ができそうだって思ったから?」
裕子の視線がそれかかるのを、亜弥は手を握ることで阻止した。
答えが出る前に逃げるのだけは許さない。
「そんなのありえないよね? だって、私、女の子だよ? 男の子と付き合うよりいろいろ
大変だって、わかってたはずですよね?」
裕子は黙ったまま、何も言わない。
「センセイ」
呼びかけて、体を起こす。
手は握ったまま、正面から裕子を見つめる。
「答えてください」
366 名前:『マツウラの決断』 投稿日:2004/01/25(日) 23:03
無言の裕子の手を、亜弥はますます強く握る。
「答えて」
「……一目ぼれ、やったんや」
「え?」
あきらめたように、ぽつりと裕子がつぶやく。
「しゃーないやんか! 初めて会うたとき、なんかよくわからんけど、抱きしめたいなぁって
思ってしまったんやから! けど、教育実習限りのお付き合いやし? 女の子やし? 元々
かわいいもんは大好きやったから、その延長線上やろうと思っとったんや。それなのに、アンタが
告白なんてしてくるから……」
ギロリと裕子が亜弥をにらむ。
にらまれるのは逆恨みじゃないのかなぁなんて思いながら、亜弥は裕子から視線をそらせずにいた。
「けど、実習んときのアタシはアタシであってアタシやない。髪も染めとったし、言葉も標準語
しゃべらされとったし。ホンモノのアタシやないアタシに惚れてもらったってうれしないし、
それやったらちょーっといたずらしたろーと思ったんや」

それでか……。
それで、見つけてみろって言ったんだ。
何もかもが変わった自分を見つけてみろって、わけわかんないけど挑戦状だったんだ。

「したら、ホントに見つけるし……。ラクな恋? そらしたいわ! 相手が自分のことわかってくれて、
いちいち説明とか弁解とかせんでもよくて、ケンカもせんでええ相手がおるんやったら、そーいう人と
付き合いたいわ! 悪いか!」
完全に逆ギレ状態。
さすがに、その態度には亜弥の堪忍袋の緒もブチッと音を立てて切れた。
けれど。
危うく飛び出しそうになった言葉をとめたのは、いつだったか言っていた真希の言葉。
367 名前:『マツウラの決断』 投稿日:2004/01/25(日) 23:04
『まっつーに、とっときの秘伝を伝授しよう』
『秘伝?』

『裕ちゃんとケンカしたとき、どうすればいいか』
『ケンカなんてしませんよぅ』

『するする、絶対する。いつかするから』
『力説されるとムカつくんですけど』

『ケンカくらいしといたほうがいいよぉ?』
『しないほうがいいと思いますけど?』

『したほうがいいんだって。意外なとこ、見えてくると思うよ。特に裕ちゃんは見てて面白い』
『そんなにいっぱいケンカしてるんですか?』

『だって、子供の頃からの付き合いだよ? まぁ、ホントに子供だったのはごとーだけだけど。
そんな子供と本気でケンカする裕ちゃんもどうかと思うよねぇ?』
『はぁ……』

『あ、それでね、秘伝なんだけど。裕ちゃんはね、ケンカになるとマジギレするからさぁ、
ついつい売り言葉に買い言葉でものすごい口ゲンカ状態になっちゃうんだよね』
『それは、後藤先輩の場合ですよね』

『……とにかく。裕ちゃんとケンカになったら、まず落ち着くこと。冷静に冷静に、目を見てゆっくり
話すこと。そしたら裕ちゃんも落ち着いてくれるからさ』
368 名前:『マツウラの決断』 投稿日:2004/01/25(日) 23:04
裕子の目を見たまま、静かに深呼吸をする。
裕子は肩で息をしながら、黙ってしまった亜弥を怪訝そうに見ている。

落ち着いて見てみると、裕子の様子がいつもと少し違っていることに気づく。
メイクがいつもより濃い。
そして、メイクで隠し切れない目の下のクマ。
ほほに見慣れぬ影が見えるのは、気のせいじゃない。

亜弥は無意識のうちに、裕子のほほに手を伸ばしていた。
ビクッと裕子が身を引こうとするのを、手を引いて止める。
そして、その影の部分をなでるように触れた。

「センセイ……やせた?」
「……そんなことない」
「やせたよ」
ほほを包み込むように、手のひらを当てる。
「なんか……病気とかじゃ、ないよね?」

言ってしまってから、嫌な予感が胸によぎる。
369 名前:『マツウラの決断』 投稿日:2004/01/25(日) 23:05
実は不治の病とかにかかったりしていて。
もう長くないから、別れようとか。
ドラマとかでよく見るシーン。

かすかに指先が震えるのをとめられなかった。
それに気づいたのか、裕子は亜弥の手の中で小さく頭を振った。
「万事健康や」
「ウソだ」
健康な人間が、こんなふうになるものか。
「センセイ、ごはんちゃんと食べてる? 夜ちゃんと寝てる?」
問いかけると、裕子は言葉に詰まった。

どうやら、健康というのは本当のよう。
ただ、健康的な生活を送っているというのとは違うということのようだ。
370 名前:『マツウラの決断』 投稿日:2004/01/25(日) 23:05
安堵のため息をつきながら、亜弥は裕子に強い視線を送る。
「どうして、センセイがこんなふうになってるの? 落ち込むのは私のほうだよ?」
もしかしたら、自分のせいじゃないかもしれないけど。
聞いたって教えてくれはしないだろうから。
勝手にそう思うことにしたんだけど。
裕子は返事をしてくれず、そのまま黙り込む。
それは、イエスと言っているのと同じことだ。

こんな状況だけど。
いろいろ文句を言いたいことはたくさんあったけど。
自分だって散々傷ついて落ち込んで大変だったけど。
それでも――うれしかった。
こんなふうになるまで、自分のことを考えてくれているんだって。
そう思うだけで、嬉しかった。
371 名前:『マツウラの決断』 投稿日:2004/01/25(日) 23:05
――だったらなんで別れたいなんて言ったんだろう。
好きだって言ってくれてるのに。
最初の疑問に立ち返る。

いろいろ説明をしてはくれたけど。
そのどれも、亜弥を納得させるのには足りなかった。

「なんで別れたいって思ったの?」
回りくどく聞いててもわからない。
亜弥は裕子の目を見つめたまま、単刀直入に聞いた。
手がほほに添えられたままだから、裕子は目をそらすことができない。
瞳が落ち着きなく揺れている。

自分だって今でも好きだから。
もう一度、その手をとって、並んで歩きたかったから。
はっきりさせなきゃいけない。
この人の、本当の気持ちを。
372 名前:『マツウラの決断』 投稿日:2004/01/25(日) 23:07
「センセイ」
少し強い口調で呼ぶ。
と、裕子が揺れていた瞳を正面に据える。
ぐっと、口を強く結んで、それから突然頭を倒す。
するりと亜弥の手をすり抜けて、裕子の額が亜弥の肩口に当たる。

「センセイ?」
「好きってだけやったら、ダメなんや」
「はい?」
いたずらが見つかった子供のように、ぽつぽつと裕子は語り始める。

「アンタ、アタシといて楽しい?」
「はい、楽しいですよ?」
「何の共通の話題がなくても?」
「一緒にいられれば、それだけで」
「それも、最初のうちだけや。いつか、一緒にいるだけで楽しいなんて時間は過ぎ去るんや。
そんとき、何ひとつわかちあえるもんがなかったら、それでも楽しいんやろか?」
373 名前:『マツウラの決断』 投稿日:2004/01/25(日) 23:07
そんなこと、考えたこともなかった。
それは、大人と子供の考え方の差なのかもしれない。

そのときが楽しければそれがイチバンの自分。
その先を見据えて考え込んでしまった裕子。

恋の仕方も、違うんだろうと思った。

「好きになるのに理由はいらへんと思うよ。けど、好きでい続けるのには、理由がいるんや。
『あなたが好きだから』だけで、ずっと恋はしていけへんよ」

そうなのかもしれない。
そんなに長い時間をかけた恋をしたことがないから、亜弥にはぼんやりとしか理解できない。
だけど。
だけど、だからといって、あきらめる気なんてもちろんない。

だって。
私はまだセンセイのことが好きで。
センセイも私を好きでいてくれる。

それに。
――ちょっと自意識過剰かなぁとは思うけど。
遠い未来まで私といたいと思ってくれてる。
こんなふうに、深く悩んでしまうほど。
374 名前:『マツウラの決断』 投稿日:2004/01/25(日) 23:08
「その理由がはっきりせんかったら、アタシはきっと、ずっとこんなふうに不安になる。
そのたびに、アンタを傷つけてしまう。アタシはアンタを傷つけたくない。悲しませたくない。
傷つけ続けたら、いつか、アンタはアタシから離れていく。それやったら……最初から
なくしといたほうが、マシや」

――小学生ですか、アナタは。

思わず口をついて出そうになった言葉。

裕子が告げた別れの理由は、あまりにも子供っぽすぎて、あきれ返るほどのもの。
だけど、その言葉は言えなかった。
肩から、手から、裕子が震えているのが伝わってくる。
この人は、本気でそう思っているんだ。

ふと何に気づいたのか、裕子がまた頭を小さく振った。

「ちゃう、ちゃうな。アタシが傷つきたくないだけや。アタシはただ、自分が安全な
場所におりたいだけなんや。アンタを傷つけたくないなんて詭弁や。アタシは、アタシは……」
「センセイ!」
それ以上の言葉を聞きたくなくて、亜弥は裕子の頭を抱いた。
ひゅっと息を飲む音がして、裕子が黙り込む。
375 名前:『マツウラの決断』 投稿日:2004/01/25(日) 23:08
どうして。
どうしてこの人は、そこまで自分を追い詰めようとするんだろう。
人を傷つけたら、自分はその倍傷つかなきゃいけないと思っているみたいだ。

人と人とが付き合っていくのに、ケンカや誤解を100%避けていくなんてできないことは
亜弥でも知っている。
つまりそれは、人と付き合っていくのに相手を傷つけないでいく方法が100%ないのと
同じことで。

だったら、ひとりでいればいいのかもしれないけれど。
裕子は、人がひとりでは生きていけないことを知っている。
そして、人と関わらない、ということができない人だ。
正義感が強くて、面倒見がいい。
頼られれば、それに必ず応えようとする。

そんな人が、これから先、どれだけ傷ついていくというのか。
その傷も、痛みも、全部ひとりで抱え込もうというのか。

とてつもなく難しいテストを出されたみたいで、亜弥はギュッと目を閉じた。

答えなんて、出せっこない。
だけど、だけど――。
376 名前:『マツウラの決断』 投稿日:2004/01/25(日) 23:09
「ねぇ、センセイ」
亜弥は握っていた手を離して、裕子の指に自分の指を絡めた。

自分がそばにいることで、裕子は傷つくかもしれない。
でも、そばにいなくたって、きっと傷つき続けていく。
だったら。
傷つくことを避けることができないのなら。

――だったら、私は、そばにいる。
そばにいて、その傷をほんの少しでも早く癒せるようになりたい。

このまま別れてしまったら、きっといつか壊れてしまう。
私も――センセイも。

「私とじゃ、ラクな恋はできないかもしれないけど」
冷たかった裕子の手は、亜弥の体温で少しずつ温かくなってきていた。
「一生懸命な恋、しようよ」
377 名前: 投稿日:2004/01/25(日) 23:11
更新しました。

ちょっと調子が良かったので、
1日2回更新なんてことをしてみたりw

問題の原因は、わかったんではないかなぁと。
ありきたりですが。
378 名前: 投稿日:2004/01/25(日) 23:12

だらだらと引っ張るのもなんなので、
近日中にラストまで更新したいと思っとります。

あと少しのお付き合い、よろしくお願いします。
379 名前:『マツウラの決断』 投稿日:2004/01/26(月) 22:54
「一生懸命……?」
裕子が顔を上げて、首を傾げる。
「センセイのこと、もっと知りたい。100%わかるなんてムリかもしれないけど、わかるための
努力をしたい。不安なことがあるなら、言葉にして話し合って、ふたりで考えていきたい。
傷ついちゃったなら、その傷が早く治るように、一生懸命になりたい。センセイを、ひとりで
苦しませたくなんて、ないよ」
「松浦……」
泣きそうになるのをこらえて、一度ふーっと息を吐く。

「ねぇ、センセイ」
キュッと絡めている指に力を入れた。
「さっきさ、共通点ないって言ったよね」
亜弥の真意が読めなくて、うなずきながら裕子はまた首を傾げる。
「でもね、共通点、あるんだよ」
ますます首を傾げる裕子に、亜弥はにっこりと笑って見せた。
「センセイ、私のこと、好き?」
380 名前:『マツウラの決断』 投稿日:2004/01/26(月) 22:56
はうっと声にならない声を上げて、裕子がのけぞる。
散々さっきまで好きだって言ってくれたのに、直接聞かれると恥ずかしいらしい。
「センセイ?」
「……す、好きやけど」
「私ね」
裕子の顔は真っ赤になっていた。
かわいいなぁなんて思いながら、亜弥はますます絡めている指に力を入れる。
「私のことが大好きなんですよ」
「へ?」
「松浦亜弥は松浦亜弥が大好きなんです。ほら、これって共通点でしょ?」
裕子は目をぱちくりさせて自分を見つめている。

「センセイは松浦亜弥が好き。私も松浦亜弥が好き。立派な共通点じゃないですか」

その言葉に、裕子がぽかんと口を開ける。
それから、亜弥に目をやり、目をぱちくりとさせる。
そして、突然弾かれたように笑い出した。
絡めた指は離さずに、また亜弥の肩に額をつけてしまう。

くっくっと声にならない声で、背中を震わせながらひとしきり裕子は笑い続けた。
381 名前:『マツウラの決断』 投稿日:2004/01/26(月) 23:03
ひとしきり笑った後、裕子は亜弥に視線を戻した。
その瞳には、さっきまでの不安定さはない。
いつもの、大人の、穏やかな裕子のもの。

「知らんかったなぁ。アンタ、そんなに自分大好きっ子やったんや」
「……いいじゃないですかぁ、別に。センセイ、笑いすぎ」
ぷーっとふてくされて見せると、裕子は「ごめん」と言って笑顔を見せた。

やっとあがってきてくれた。
根拠はないけど、そんな気がした。

ふたりで歩いていける道の、そのスタートライン。

「ね、センセイ。この共通点は、どんな共通点より絶対強いですって。松浦が保証します」
そこから一歩歩き出したくて、亜弥は笑う。
「そうやなぁ……」
つられたように笑ってから、裕子は天を仰ぎ見る。
それにつられて、亜弥も空を見上げた。
382 名前:『マツウラの決断』 投稿日:2004/01/26(月) 23:04
「アタシ、めちゃめちゃやきもち焼きやで?」
「うん」
「それに、すっごいわがままやし」
「うん」
「独占欲強いし」
「うん」
「ヘタレやし」
「うん」
「……そこ、うなずくとことちゃう」
「自分で言ったんじゃないですかぁ!」

はふーと聞こえる音で、裕子が息を吐く。
「今回みたいに不安になることも、あると思う。そのたんびにアンタを泣かせるかも知れへん」
「……もう泣かないもん」
「あのコらと話しとるほうがラクなことも、きっとこれからもあると思う」
「……うん」
383 名前:『マツウラの決断』 投稿日:2004/01/26(月) 23:05
「けど」
突然、腕をグイッと引っ張られた。
「え…!?」
気がつけば、そこは裕子の腕の中で。
やわらかい腕と裕子の香り。
懐かしくて、うれしくて、亜弥は目を閉じた。





「アンタを抱きしめとるときが、イチバン、幸せや」





ギュッと背中に回された腕に力が込められる。
亜弥は体の全部から力を抜いて、裕子にすべてを預ける。
384 名前:『マツウラの決断』 投稿日:2004/01/26(月) 23:05
「松浦」
「はい」
「松浦」
「……はい」
「松浦」
「はい?」

あんまり何度も呼ぶので、顔を見ようと目を開けたら、ますますギュッと抱きしめられた。
「センセイ?」
「アタシ、松浦のこと、好きや」
「はい」
「すっごい好きや」
「はい」
「やから……」
385 名前:『マツウラの決断』 投稿日:2004/01/26(月) 23:06







「……アタシと、付き合うて、ください」






386 名前:『マツウラの決断』 投稿日:2004/01/26(月) 23:06







「ヤダ」







387 名前:『マツウラの決断』 投稿日:2004/01/26(月) 23:07

「えええええぇぇぇぇぇええぇぇ〜〜〜〜〜〜〜!?」
抱きしめられていた腕が肩にかかって、ベリッと引き剥がされる。
この上ない驚きの声を上げた裕子の顔に浮かぶのは、驚愕と落胆、それにあきらめ。

わっかりやすっ。

危うくにやけそうになるのを押しとどめて、うつむいた顔に一言。

「……顔見て言ってくんなきゃ、ヤダ」

パッと顔が上がる。
安堵の息をつきながら、みるみる裕子の顔が赤く染まる。
見たことのない新鮮な反応に、思わず笑みがこぼれる。

「顔見て?」
こくりとうなずく。
「言うん?」
もう一度うなずく。
388 名前:『マツウラの決断』 投稿日:2004/01/26(月) 23:09
はーっと、ことさら重たそうなため息が聞こえてきた。

いっつもいっつも主導権を裕子に握られていた亜弥としては、いちいち反応が新鮮で、
楽しくてうれしかった。

――ね、センセイ。

こんなふうに、私たち、まだまだ知らないこといっぱいあるんだよ?
それを知ってくだけでも楽しいよ。
ラクに恋してくのはムリかもしれないけど。
いつだって、どんなときだって、そばにいるから。
だから、一緒の位置からスタートしようよ。
手、つないで、ゆっくり歩いていこうよ。





一生懸命、恋、しようよ。





389 名前:『マツウラの決断』 投稿日:2004/01/26(月) 23:10







「松浦亜弥さん」






390 名前:『マツウラの決断』 投稿日:2004/01/26(月) 23:10







「アタシと、付き合うてください」






391 名前: 投稿日:2004/01/26(月) 23:12
更新しました。


一応一区切りなので、一度ここで切ります。
次でラストです。

今晩…というか朝までには更新します。
392 名前:名無し読者 投稿日:2004/01/26(月) 23:28
楽しみにしてます。
393 名前:名無し読者 投稿日:2004/01/27(火) 00:57
二人のやりとりに笑いましたw
ラスト、楽しみにしています。
394 名前:『センセイの解答』 投稿日:2004/01/27(火) 01:55

「……裕ちゃんらしいってゆーか」
半分感心、半分あきれた口調で真希は言う。
自分でも、今回の騒動の発端がガキっぽいことはわかっとったから。
アタシはそれに苦笑いを返すことしかできんかった。
「うん、裕ちゃんらしい」
うんうんと、必要以上に真希はうなずいてみせる。
嫌がらせなのかと思ったけど、そうではないらしい。
最初はあきれとったようやったけど、今は素直にその事実をかみくだいてる感じや。

「そんなに連呼せんでええ」
それでも、そう何度も言われると、ありがたくはない。
アタシらしい=ガキっぽいっちゅー意味みたいに聞こえてくる。
395 名前:『センセイの解答』 投稿日:2004/01/27(火) 01:56
「でもなんか、ちょっと安心した」
アタシの不満を聞きとめたのか、真希もやっと違う言葉になった。
そこにあったのは、確かに安堵の色で。
アタシは真希をまっすぐ見つめる。
「安心?」
「ちゃんと、まっつーに話せたみたいだからさ」

確かに、今までのアタシやったら、こんなこと絶対口に出さんかった。
真希に対してさえも、ストレートに言うたことはない。
弱みを見せるのはイヤやったから。
弱さを口にしてしまったら、アタシが崩れ落ちそうな気がしたから。

アタシが抱えてた、小さな、そして一番大きな不安。
それを口にできただけでも、アタシは一歩前進できたと思う。
396 名前:『センセイの解答』 投稿日:2004/01/27(火) 01:56
「それに、ちゃんとまっつーのこと好きみたいだし」
ふにゃりと笑うその顔に、アタシは目を細めた。

このコはずっと昔からそうやったけど。
奇妙なほどにアタシとの距離をわかってて。
必要以上に手を突っ込もうとはしない。

それで、傷つけたこともめっちゃあるんやろうと思うけど。
今回も、もしかしたらそうかもしれんけど。

このコのおかげで、アタシはどれだけ救われたんやろ。

「そういや、藤本最近見かけんけど、どうしてるか知らん? あのコら仲直りしたんかなぁ」
なんとなく、ほんの少し気恥ずかしくなって、アタシは話題をそらした。
そう言うと、真希は少し驚いたような顔をして見せた。
397 名前:『センセイの解答』 投稿日:2004/01/27(火) 01:57
「まっつーから聞いてないの?」
「何を」
「大変だったんだよ? まっつーとミキティ、取っ組み合いのケンカになっちゃって。
ミキティ、全治3週間」
「マジか?」
「あはは、もちろんウソ。ミキティ、今実家に帰ってるんだって。夏休み終わる頃には戻ってくる
んじゃない?」
「脅かしなや」
ほーっと胸をなでおろす。
元はといえば、アタシのせいや。
矛先がこっちにむけられてもかなわんしな。

「でも、取っ組み合いにはならなかったけど、まっつーから強烈な右ストレートが飛んだらしいよ」
「ひっぱたいたんか」
「ん〜、ごとーも現場にいたわけじゃないからわかんない。でも、それで仲直りはしてるみたいだから
いいんじゃん?」
――よかないと思うけどなぁ。
本人たちが納得してるんやったら、口出すとこやないのかもしれんけどなぁ。
398 名前:『センセイの解答』 投稿日:2004/01/27(火) 01:57
「で、ふたりの仲は万事安泰?」
横道にそれた話を戻して、少し不機嫌そうな声で真希が聞いてくる。
話そらしたんが納得いかんのやろか。
まぁ、騒動が解決したことを一番最後に知ったのは、不満らしいけど。
「一番振り回されたのはごとーなのに」ってぶつぶつ言うとったしなぁ。
この際、気づかんフリしよう。

「安泰……っちゅーのとは、ちゃうなぁ」
「なんで? 元のサヤにおさまったんでしょ?」
真希の言い方にはちょっとばかりトゲがあったけど、ここも気づかんフリをした。
「や、そうなんやけどな。あの日以来、あのコ、変わってしまってん。変わったっちゅーのとは
ちょっとちゃうか。本性が出た、とでも言えばいいんかなぁ」
399 名前:『センセイの解答』 投稿日:2004/01/27(火) 01:58
そうなんや。
アタシの告白に、あのコは笑顔で応じてくれたけど、その日以来、あのコの態度は
ガラッと変わった。
なんちゅーか、とにかく押せ押せなんや。
今までは気づかんかったけど、アタシに対してものすごくストレートに感情を表現するようになった。
120%笑顔やったところが、80%くらいに減ったちゅーとこやろか。
そんなにケンカしたりするわけやないけど、怒ったりすねたりふてくされたり、
そういうのをホントに素直に出してくるようになった。

おまけに、ちょっとしたことで嫉妬心をメラメラと燃やしてくる。
真希や藤本としゃべっとるのは許せるけど、ほかの女の子と長い時間しゃべっとると不満らしい。
登校日のときなんて、大変やったなぁ。
アタシも独占欲は強いほうやと思っとったけど、このコもかなりなもんやったんや。
おかげでこっちもなだめたりするのに必死や。
400 名前:『センセイの解答』 投稿日:2004/01/27(火) 01:58
「けど、好きなんでしょ?」
「まぁな」
はふーと息をついて、それから残っていたアイスティーを飲み干す。

「それにしても、恋愛って、こんなにめんどくさいもんやったかなぁ」
「めんどくさい?」
独り言のつもりやったけど、しっかりはっきり口に出して言っとったらしい。
真希は耳ざとくそれを聞きとめて、聞き返してきた。
ヤバイかな、とは思ったけど、まぁ、真希のことや。
あのコに告げ口するようなマネはせんやろうと思って、ここは素直に言ってしまうことにした。

「んー。数学みたいにシャキッと答え、出ぇへんもんかなぁと思ってな」
「方程式みたいに?」
「そうそう。あるやん? xとyに何入れたらいくつになるとか」
「うん」
「xがあのコで、yがアタシで、イコール幸せって目に見えてわかればええのに」
401 名前:『センセイの解答』 投稿日:2004/01/27(火) 02:00
ブッと吹く音がして真希を見ると、どうやら飲んでた紅茶にむせたらしくごほごほと咳き込んでいる。
「どしたぁ?」
「……何それ、新しいのろけ?」
ハンカチで口元をぬぐいながら、涙目で真希がにらむ。
「はぁ?」
「私たちは一緒にいられて幸せですって言ってるようにしか聞こえない」
「そうかぁ?」
「そうだよ」

「けど、それやったら不安とかもなくなると思わん?」
真希は傍らに置いてあった水をぐーっと一息で飲み干した。
「よくわかんないけど、それじゃつまんない気がする」
「ラクでええやん」
その言葉をとがめるように、真希がにらみつけてくる。
「あんまりラクしたがるようなばっか言ってると、ホントにまっつーにキラわれるよ?」
「んー、それは困る」
ストローで、カラカラと氷をもてあそぶ。

「でもさ、裕ちゃん、やっぱり幸せそうだよね」
半分あきれた色をにじませたまま、真希が静かに微笑んだ。
「ん、そうかぁ?」
「うん。幸せそうって言うか、楽しそう」
「んー、確かに、まぁ」
402 名前:『センセイの解答』 投稿日:2004/01/27(火) 02:01
真希の目は正しい。
確かに、いろいろめんどくさいことも増えたけど。
その、めんどくさいことを見つめたり話し合ったり時にはケンカしたりして、
乗り越えたりしてくのも悪いもんやない。
いつも、めんどくさいことから逃げてばっかいたから、新鮮に感じるんかもしれん。
あのコは、そこから逃がしたりしてくれへんから。
ヤな自分も見つめないかんし、それはそれで大変っちゃあ大変なんやけど。

誰も――自分さえも知らん自分を見つけるってのは、なかなか悪くない作業やし。
そんなこんなでバタバタしとるから、不安も影を潜めがちで。
最近は、アタシの態度を読み取ることがうまくなってきたあのコが、アタシの不安を
先回りして受け止めてくれるから。

相変わらずめんどくさいことは苦手やけど。
こんな恋愛も結構楽しいかもって思いはじめとる。
403 名前:『センセイの解答』 投稿日:2004/01/27(火) 02:02
「それにさ、裕ちゃん」
「ん?」
「たとえば、恋愛が方程式みたいにいくとしても、裕ちゃんはラクできないと思うよ?」
「何でや?」
にやっと真希はいたずらっぽい笑顔を浮かべた。





「だって裕ちゃん、数学苦手じゃん」





――そうやった。
アタシ、理数系めっちゃ苦手やったんや。
先生になれたことを、周りがこぞって奇跡やって言うくらい。
それやったら、たとえラクな恋がこの世に存在したとして、アタシにはムリってことか。
404 名前:『センセイの解答』 投稿日:2004/01/27(火) 02:02
「んじゃ、そろそろ行くわ」
やれやれと頭をかいて、アタシは千円札を机に置いて席を立った。
「んぁ、まっつーによろしく」
真希はふにゃりと笑ったまま、小さく手を振っていた。

アタシはそんな真希の頭に手を置いて。
軽くなでてやる。
子猫がそうするみたいに、気持ちよさそうに真希が目を閉じたスキをついて。

そっと、そのほっぺにキスしてやった。
405 名前:『センセイの解答』 投稿日:2004/01/27(火) 02:02
「……裕ちゃん?」
驚いたように目を丸くする真希に、アタシは笑顔を返す。
「亜弥にはナイショやで?」
そう言うと、真希はまた笑顔になった。
「あんまりのんびりしてると、誰かにとられちゃうかもよ。まっつーのファーストキス」
「……そういうこと大声で言いなや」
「ごとーがとっちゃうかもよ?」
「アホ」

なでていた手で、真希の頭を軽く叩く。
「ありがとうな」
真希の笑顔が静かに崩れる。
ほんの少し、泣きそうな顔。

アンタがアタシを守ってくれとったんはずっとずっと知っとったよ。

ありがとうな。
ホントに。
406 名前:『センセイの解答』 投稿日:2004/01/27(火) 02:03
真希は右手を自分のほっぺにあてて、一度固く目を閉じた。
それから元のふにゃりとした笑顔に戻って、目を開ける。
「ほんじゃな」
目があったことを確認してから、アタシはもう一度真希の頭を軽く叩いた。

「んー。今度、どっか遊びに連れてってよね」
「アタシがか?」
「まっつーと、ミキティと、4人で。もちろん、裕ちゃんのおごり」
「なんでやねん」
「元はといえば裕ちゃんのせいでしょ。そのくらいしてもらってもバチあたんない」
にっこり微笑む真希には叶わん。
どーせ、うやむやにしようとしたら、うだうだと言われるに違いないんや。

「わーったわ。今度な」
「よろしく〜」
407 名前:『センセイの解答』 投稿日:2004/01/27(火) 02:03


408 名前:『センセイの解答』 投稿日:2004/01/27(火) 02:04
待ち合わせ場所に近づくと、遠くでぴょんぴょんと跳ねてるコの姿が目に飛び込んできた。

しっかし、この距離でよくアタシのこと見極められるなぁ。
何でって聞いたら、愛がありますからとか答えるんやろなぁ。
はずかし。
あ? それはアタシも一緒か。
この距離であのコやってわかるんやから。
まぁ、あんなことするコは、ほかにおらへんやろうけど。

アタシはその子に向けて、小さく手を振った。
パタパタと小さな体を目いっぱい使ってアタシのほうへ駆けてくる。
409 名前:『センセイの解答』 投稿日:2004/01/27(火) 02:04


『一生懸命な恋、しようよ』


あのとき、アンタが言うてくれた言葉は。
曖昧で不確定で、何の強さもないけれど。
アンタが差し出す根拠のない自信と混ざり合って。
それは確かにアタシの中に溶けていった。

それが、アタシの中でどう育っていくのかはわからん。
けど。
アンタが、アンタ自身が幸せになるために。
そして、アタシと幸せになれるように一生懸命になるんやったら。
アタシは、アンタが望むように。
そして、アタシが望むように。
アタシの不安を消すために一生懸命になったるわ。
410 名前:『センセイの解答』 投稿日:2004/01/27(火) 02:04



――せやから、ふたりでしていこか。



一生懸命な恋、とことんまで。



411 名前:『センセイの解答』 投稿日:2004/01/27(火) 02:05





「遅いよ! ……ゆうちゃん!」




412 名前:『センセイの解答』 投稿日:2004/01/27(火) 02:07

   END
413 名前: 投稿日:2004/01/27(火) 02:11
更新しました。

そして、完結しました。できました。

読んでくださった方、レスをくださった方、本当にありがとうございました。
414 名前: 投稿日:2004/01/27(火) 02:15

自らの中でも「超ド級マイナーCP」だと思っているふたりだったのでw
読んでくださる方がいるのかなぁなどと思っていたりもしましたが、
無事にラストまでたどりつけて、よかったなぁと。

ラストのほうバタバタ更新になってしまったのにちと反省しております。
どうも、できあがったものを手の中に持っているのがダメなタイプだと判明しましたw
415 名前: 投稿日:2004/01/27(火) 02:22

レス、ありがとうございます。

>>392
こんな感じでラストになりました。
ちょっとでも楽しんでいただけたなら幸いです。


>>393
調子に乗るとかけあい漫才みたいになっちゃうんです。
不思議ですw
でも、どっちがツッコミなのやら…。

ラストはいかがでしょうか。ドキドキです。


多少番外編というかサイドストーリー的なものも考え中です。
いずれは載せていければと思っとります。
416 名前:名無し読者 投稿日:2004/01/27(火) 07:53
「超ド級マイナーCP」wだろうがあやゆゆ大好きです
ごまっとうもごなっとうも好きですしね

サイドストーリーも楽しみにしていますよ!
417 名前:名無し 投稿日:2004/01/27(火) 18:01
ずっと読んでましたよ(^o^)/
たしかにマイナーCPですけど、この作品を読んで結構イイ組み合わせだと思いました!
良ければ、また書いて下さい(^-^)
418 名前:名無し読者 投稿日:2004/01/27(火) 20:48
完結お疲れ様でした。
最後、姐さんの呼び方がセンセイ→ゆうちゃんに変わってたのに萌えw
お騒がせな2人ですが幸せそうでよかったです、番外編も楽しみにしてます。
419 名前:『必要条件、十分条件』 投稿日:2004/02/01(日) 14:47

「はぁ〜」
『ちょっと、亜弥ちゃん?』
思わずこぼれたため息に、電話から聞こえてきたのは不満の声。
「なに〜?」
なんだか口を開くのもめんどくさくて、私の口から出たのはちょっと間抜けな声。
『ため息なんかつくなら、切るよ』
明らかに不満度をアップさせた声が電話口から響いてくる。

「ダメ〜」
私は相変わらず声に力を入れないまま、だら〜っと告げる。
『あのねぇ……』
はーっとため息をついたらしい音が聞こえてくる。
420 名前:『必要条件、十分条件』 投稿日:2004/02/01(日) 14:48
『電話かけてきたのはそっちでしょうが。で、いきなりため息って失礼じゃない?
なんか面白い話題のひとつも提供してよ』
ほんの少し、声のトーンが低くなる。
だけどそれには気づかないフリをして、そのまま話を続ける。
「そんなのあったら電話なんてかけてないよぉ」
『切る』
次の瞬間、ブチッという音がして、不満そうな声はプープーという間抜けな機械音に変わった。
「ちょ、ちょっと!」
あわてて声をかけたけど、時すでに遅し。

――みきたん、決断早すぎ。

すぐにリダイヤルすると、幸いコール2回でみきたんは出てくれた。
421 名前:『必要条件、十分条件』 投稿日:2004/02/01(日) 14:48
『……今度ため息ついたら、着拒否するよ』
怒ってるだろうなぁとは思ったけど、いくらなんでもやりすぎでしょ。
あ、でも、切る前に「切る」って言ってるから、みきたんにしては親切なのかも。
「しないしない、もうしないから」
『ならいいけど』
あんまり信用してない声が聞こえる。
まぁ、私が悪いんだけどさ。

『で、何ため息ついてるわけ。せっかく休みなんだから、美貴に電話なんかしてないで
デートでもなんでもすればいいのに』
「そ〜なんだけどさ〜」
私は見てもいないテレビのチャンネルをリモコンでビシバシと変える。
それにも飽きて、電源を切ると、シンと部屋が静まり返る。
みきたんの声が、すぐ近くでしゃべってるみたいに聞こえてくる。
422 名前:『必要条件、十分条件』 投稿日:2004/02/01(日) 14:49
『何、ケンカでもしたの?』
「そ〜じゃないんだけどさ〜」
『ならなんで』
みきたんの声が、さっき以上に重い色に変わっていく。
本気で怒られるかな。
そう思って、一度深呼吸。

「みきたんはさぁ」
『何』
「押せ押せの人?」
『はぁ?』

ちょっといろいろはしょりすぎたかな。
みきたんはあからさまに「このコはおかしくなったんじゃないか」くらいの声を出した。
何気に、失礼だよね、みきたん。
私だってそんなに鈍いわけじゃないんだから、気づくときは気づくんだよ。
423 名前:『必要条件、十分条件』 投稿日:2004/02/01(日) 14:49
「その、えっと、なんかこう……押せーって感じ?」
『意味わかんない』
憮然としたみきたんの口調。
だけど、なんとなくどこかに不安そうな色が混じってる。

やっぱりおかしな子だと思われてるのかなぁ。

『あのさ、会わない? これから』
そんなことを思っていたら、いきなりみきたんからの提案がすっ飛んできた。
「え?」
『ラチ明かないし。電話代だってバカにならないでしょ? 電話してるヒマがあるなら、
外で会おうよ』
「でも、電話代かかるの私だよ?」
あぁ、心配してくれてるんだ。
それに気づいて、なんとなく口元が緩む。

『美貴の携帯にも電池っていうものがあるんです。電池代まではもってくれないでしょ?』
「わかった。じゃあ、30分後に駅でいい?」
『りょーかい。遅れたらオゴリね』
「はぁーい」
424 名前:『必要条件、十分条件』 投稿日:2004/02/01(日) 14:50
身支度をしながらみきたんの言葉を思い出す。
みきたんは、人を心配してるとき、さっきみたいに自分にデメリットがあるんだって
ポーズをとるけれど。
基本的に、優しい。

いろいろトラブルを乗り越えてきたからわかることかもしれないけれど。
みきたんは、優しい人。
そして、優しさをうまく表現できない人。
だから、相手が汲み取ってあげなきゃいけないんだけど……。
私はどうも、それがうまくできない。
センセイやごっちん先輩みたいにできればいいんだけど、やっぱりそれはなかなかムリなんだよねぇ。

「よし」
手早く支度を終えると、私は家の外に出た。
約束破ると本気でおごらされるから。
しかも、人のお金だと思って、ものすごいおごらせ方をするから。
約束の時間には1分たりとも遅れちゃいけない。

私は少し足を速めて、駅へと向かった。
425 名前:『必要条件、十分条件』 投稿日:2004/02/01(日) 14:50



426 名前:『必要条件、十分条件』 投稿日:2004/02/01(日) 14:51
「で、何が押せ押せ?」
高校生のお小遣いで入れるところなんてたかが知れてる。
私とみきたんは、ファーストフード店の2階で向かい合って座っていた。
私の前にはアイスティー、みきたんはアイスコーヒー?
なんだかわかんないけど。
ストローに口をつけたままの、あまり行儀のよろしくない姿勢で聞いてくる。
「ん〜」
曖昧な返事を返すと、みきたんはひゅっと表情を消した。

うあ、こわい。

ある意味すごくわかりやすいんだけど、みきたんは怒りを表現すると無になる人。
表情を完璧に消しちゃう。
それはにらまれるよりこわい。

だけど、慣れちゃえばそれはどってことなくて。
日頃ほにゃほにゃ〜んとしてるごっちん先輩を怒らすほうがよっぽど怖いから。
私は知らん顔をする。
427 名前:『必要条件、十分条件』 投稿日:2004/02/01(日) 14:51
「……今日はデートじゃないんだ。先生だって休みでしょ」
直球じゃダメだと思ったのか、みきたんは話を変えてきた。
「あー、うん」
やっぱり、わかるんだよなぁ。
あっさりと、悩みの種を引き当てる。
なんとなくバツが悪くって、私はガシガシともう氷だけになってしまった中身を
ストローでつついた。

「別れ話の相談なら、美貴にはしないほうがいいと思うよ? 美貴、基本的に
先生の味方だからさ」
にやりと笑う。
「そんなんじゃないけど……ひどいなぁ。みきたんは私の味方はしてくれないんだ」

ふっと、会話が途切れてみきたんを見ると、なんだかくすぐったそうな顔をしていた。
「どしたの?」
「あのさ……その呼び方、やっぱやめない?」
「なんで」
みきたんは落ち着きなく、頭の後ろをカシカシとかく。
「……ハズカシイ」

ボワンと音がしそうなくらいの勢いで、みきたんが顔を赤くする。
それからうつむくと、私がしたのと同じように、ストローでカップの中をガシガシつつく。
そんなみきたんを見ながら、思わず笑顔になるのをとめられなかった。
428 名前:『必要条件、十分条件』 投稿日:2004/02/01(日) 14:52
私がみきたんをみきたんと呼ぶようになったのは、始業式の日だった。

――みきたんと仲直りをしたのは、夏休みの真っ只中。
いきなりみきたんからメールが来た。

『どうしても今日中に話したいことがあるから、学校の屋上で1時に待ってる』

学校の屋上だったのは、誰もいないところで話したかったからだって言ってた。
今日中に話したいっていうのは、次の日から家族で実家に帰るからだったんだけど。

正直、すごく悩んだ。
やっぱり、あのときのことはちょっとまだこわかったから。
だけど、ふと思い浮かんだのは、みきたんの微妙な表情。
悪意も嫌悪もなかった、あの表情で。

その理由がわかるかもと思って、待ち合わせの場所に向かうことにした。
429 名前:『必要条件、十分条件』 投稿日:2004/02/01(日) 14:52
時間より5分遅れて扉を開けた。
一番最初に飛び込んできたのは、まっすぐにこっちを見ているみきたんの瞳。
目があった、と思った瞬間、ガバッとみきたんはコンクリートの床に座り込んで、
ベタッと頭をつけた。

『ちょ……!?』
『ごめん!』
うつぶせてるのに私の耳にもハッキリと聞こえる声で、みきたんは言った。
『ごめんなさい!』

意外だった。
なんていうか、みきたんってあんまり大声出したりするタイプじゃないように見えたから。
怒るときも静かに怒るっていうか、そんな感じがしたから。
だから、正直ビックリした。
430 名前:『必要条件、十分条件』 投稿日:2004/02/01(日) 14:53
『ふ、藤本さん?』
思わず駆け寄って、みきたんのそばに座り込む。
『ひどいこと言ってごめん。ホント、ごめん』
『ねぇ』
顔が見えないのが不安で、思わずみきたんの腕に手を伸ばす。
『顔、あげてよぉ』

泣きそうな声になってるのが、自分でもわかった。
すっごい緊張してきたから、突然こんな態度とられても、どうしたらいいのかわからなくて。
腕をつかんでゆさゆさと揺さぶる。

私の様子がおかしくなったのに気づいたのか、みきたんはゆっくり顔を上げてくれた。
その顔に浮かぶのは、訝しげな表情。
だけど、それも一瞬で、すぐに不安げな表情になる。
431 名前:『必要条件、十分条件』 投稿日:2004/02/01(日) 14:53
『なんで、亜弥ちゃんがそんな顔するの』
『だって、だってぇ……』

気合をそがれたのか、みきたんはふーっと息をついて、ぺたんとあぐらで座る。
それから、手を伸ばして、頭をなでてくれた。
よしよし、よしよしって、子供をあやすみたいに。

その手はすごくあったかくて。
緊張してた気持ちもうんとほぐれてきて。
涙が、溢れ出す。

『えぇっ! なんで泣くの!?』
『……藤本、さん』
『何』
『……の、せいじゃんかー!!』

思わず右手が出ていた。
432 名前:『必要条件、十分条件』 投稿日:2004/02/01(日) 14:54

パチン!

という小さいんだか大きいんだかわからない音がして、私は目を見張った。
涙もあっさり止まってくれて、目の前のみきたんは左のほっぺたを私に差し出すようにして、
顔をそむけていた。

『……った』
ほんのりと染まる、そのほっぺ。
じんわりと痛む、自分の手。

それでやっと、自分のしたことがわかった。
433 名前:『必要条件、十分条件』 投稿日:2004/02/01(日) 14:55
『あ、ご、ごめん……』
手を出そうとして、それをとめられた。
『いいよ、悪いの、美貴だし』
軽く赤くなったところを手でさするようにしながら、にかっと笑う。

『それで気が少しでも晴れるなら、何発でも叩いていいよ』
『そんなこと……』
みきたんはふるふると首を振った。
『そんなんで許されるわけじゃないこと、美貴はしたから』

みきたんは私から視線をはずさない。
『いいよ、もぅ、いいよぉ』
『よくないよ。許してくんなくても、美貴はちゃんと謝らないと』
『許すよ、許すからぁ』
『そんな簡単に許しちゃダメだよ』

ヘラリと笑うみきたんの目には力がない。
なんていうか、すごく苦しそう。
434 名前:『必要条件、十分条件』 投稿日:2004/02/01(日) 14:55
『正直、今でも自分の気持ち、よくわかんないんだけど』
そう前置きしてみきたんは話してくれた。

私をジャマに思っていたこと。
苦手だと思っていたこと。
ごっちん先輩とセンセイととみきたんの3人だけの関係に戻れればいいと思ったこと。

だけど、私のことを気にかけてくれていたこと。
私にあんなことを言ったことを後悔したこと。
もう一度、4人の関係に戻りたいと思ったこと。

その優しい言葉に、また涙があふれそうになってくる。
それに気づいたのか、みきたんはあわあわとあわてふためく。

『あぁ、もう、泣かないでよ』
また、よしよしと頭をなでてくる。
それから、ふうっと息をついた。
435 名前:『必要条件、十分条件』 投稿日:2004/02/01(日) 14:56
『ホントに、ホントにごめんね』
言うなり、また頭をガバッと下げる。
『ぅん……わかった、わかったから』

みきたんの言葉に傷つかなかったわけじゃないけど。
みきたんだって、私に言った言葉で傷ついたんだって。
それがわかったら、もう何も言えなかった。

『また、友達になってくれるかな』
『また、じゃないよぉ』
ぐしぐしと手で涙をぬぐいながら、私はみきたんを見た。
みきたんは不思議そうに首を傾げている。
『ずっと、友達だったじゃん。今でも、友達だよ』

にこっとみきたんが笑ってくれた。
それで、やっと私も笑えた。
436 名前:『必要条件、十分条件』 投稿日:2004/02/01(日) 14:56
『あ、そうだ』
気持ちが落ち着いて、余裕ができてきて、私はひとつの提案をみきたんにしたんだ。
『藤本さん、じゃ落ち着かないから、名前で呼んでもいい?』
『あ、え、うん、いいけど』
『でも、普通の呼び方じゃつまんないよね?』
『や、普通の呼び方でいいけど』
『ごっちん先輩はミキティって呼んでるじゃん。私もなんかそーゆー呼び方がしたい』
『ごっちん先輩って……』

あきれたようにつぶやくみきたんは、この際無視することにした。
だって、先輩はそれでいいって言ってくれてるし。
ちょっと苦笑いまじりだったような気もするけど、この際それも無視する。
437 名前:『必要条件、十分条件』 投稿日:2004/02/01(日) 14:57
『んー、んー』
『いいって、普通の呼び方で』
『……んー、考えとく。なんかいいやつ』
『あーはいはい、わかったよ、もうまかせるから』

そのときは呼び方なんて決まったなかった。
それから、3日だか1週間だかいろいろ考えて、呼び方は決まったんだけど。
始業式まで会う機会がなかったから、結局呼べなくて。

だから、教室で会ったその瞬間、呼んじゃったんだよねぇ。
『みきたん!』って。

みきたんは、一瞬驚いて、それから苦笑いして、顔を赤くした。
ちょっと子供っぽいかなぁとは思ったんだけど、呼びやすいしかわいいし。
変えるつもりなんて、全然ない。
438 名前:『必要条件、十分条件』 投稿日:2004/02/01(日) 14:58
「やだよ、絶対やめない」
呼び始めてから散々みきたんにお願いされてるけど、私は頑としてその申し出は
受け付けなかった。
みきたんは予想通りというように、肩をすくめた。
「はいはい」
それから、ストローを抜いて、その先っちょで私のほっぺをつつく。
「冷たいよ」
「さっさとしゃべってラクになんなって。何があったわけ」

話したら、ラクになるかなぁ。
ぐじぐじ考えてるのは元々性にあわないし、このままじゃますますデートの機会を
減らしちゃうかもしれないから。
私は思い切って顔を上げた。

「みきたん、笑わないで聞いてよ?」
「うん」
「あのね、今、ストライキ中なの」
「ストライキ? なんの」
みきたんは軽く首をかしげた。
「センセイに連絡すること」
439 名前:『必要条件、十分条件』 投稿日:2004/02/01(日) 14:59
私の言葉が意外だったのか、みきたんはぽかんとした表情をしていた。
それから、さっき私がしてたのと同じように、カップの中の氷をストローで
ガシガシとつつく。

「えーと、わかりやすく説明してもらえるかな」
「んーとね、つまりね、センセイとふたりで会うときって、いっつも予定立てるの
私なんだ。それだけじゃなくてさ、電話するときもメールするときも、センセイって
自分から行動してくれないのね。私が電話したから出る、メールしたから返事するって
そんな感じ」
「んー」
「前にも言ったことあるんだよ? いっつも松浦からばっかり連絡してるじゃないですかって。
たまにはセンセイからも連絡してください、デートに誘ってくださいって」
「うん」
軽くうなずいて、みきたんは頬杖をつく。

「でも、結局そういうこと全然してくれなくて。なんかムカつくから、ストライキ」
ふーっとみきたんが息をつく。
「だって、なんか一方的な関係って感じがするんだもん。くやしいんだもん」
「それで、『押せ押せ』につながるわけだ」
「んー」
440 名前:『必要条件、十分条件』 投稿日:2004/02/01(日) 14:59
私は机に突っ伏した。
「あ〜あ」
「さみしいんだ」
ポンポンと頭を叩かれる。
「さみしいよ、さみしいに決まってるじゃん」
「でも、先生は絶対亜弥ちゃんのこと好きでしょ」
「そんなのわかってるけどさ〜」
ベシッと頭をはたかれた。
「痛いよ、みきたん」
顔を上げると、苦々しげな表情をしたみきたんと目があった。

「のろけ話はよそでしてください」
「そんなつもりじゃないけど……」
「けどなにさ」
「なんかさぁ、好きってことと一緒にいたいってことは別なのかなぁって思っちゃったりして」
「はぁ……」
「私は、好きだから一緒にたいんだけど、センセイは好きだけど一緒にはいなくてもいいのかなって」
はーっとまたみきたんのため息が聞こえる。
441 名前:『必要条件、十分条件』 投稿日:2004/02/01(日) 15:00
「そんなの本人に直接聞けばいいじゃん。美貴に言ったって答えなんか出ないよ」
「聞けないよぉ。もしそうだって言われたら、立ち直れなくなるもん」
みきたんがめんどくさそうにガシガシと頭をかく。
「亜弥ちゃんって、思ってたよりマイナス志向だよね、先生のこと絡むと特に」
「私も知らなかった。もー、ホント大変」
「とりあえず、カラオケでも行く? 気晴らしにはなるんじゃない?」
「んーそだね」
立ち上がると、またみきたんに頭をなでられた。
背丈はおんなじくらいだから、見た目どう見えるのかわかんないけど、
普段あんまり優しいとこを表に出さないから、なんとなくうれしくて。

私はみきたんとそのままカラオケに向かうことにした。
442 名前: 投稿日:2004/02/01(日) 15:05
サイドストーリー更新しました。
でも、途中までですが。

本編の後日談になっております。

相変わらずメインふたりが絡みませんが…。
次回更新分では絡みます。
ええ、絡みますともw
443 名前: 投稿日:2004/02/01(日) 15:10
レス、ありがとうございます。

>>416
この4人は、直接絡んでるところはあまり見なくなってしまいましたが、
なぜか動かしやすくて書いてて楽しかったです。
勝手に動いちゃう人もいましたけどw

今後も超ド級でいきたいと思いますw
機会がありましたら、どぞよろしく。

>>417
イイ組み合わせと言っていただけてうれしいです。

スレ容量もまだあるので、短編なども書いていければと
思っております。
どぞよろしくです。

>>418
お騒がせしてすいませんw
呼び名が変わるって言うのは、親しさのポイントかなぁなんて
思ってまして。
萌えていただけてよかったですw
444 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/03(火) 02:31
うお。なんとなくツボ。
あやみき派だけど、こういうのもいいなと。
445 名前:名無し読者 投稿日:2004/02/03(火) 23:09
あややの思惑通り、
積極的な中澤さんが見れるのか楽しみです。
最初と違い、あややと藤本さん仲良くなってくれてよかったw
446 名前:名無し読者 投稿日:2004/02/08(日) 19:28
続きが気になって・・・(w
447 名前:『必要条件、十分条件』 投稿日:2004/02/08(日) 23:53

「――うぉーい、松浦、おるかー?」

昼休み。
お昼ごはんを食べようと、みきたんの後ろの席の子と場所を変わってもらって、
――席替えで私は窓際、みきたんは教室の真ん中あたりになっていた――
手を洗いに行ったみきたんを待っていると、ドアの向こうからのんびりした
声と一緒に、センセイの白衣が入ってきた。
もちろん、白衣の中身であるセンセイも一緒だったけど。

私の姿を見つけたのか、まっすぐに私の席までやってくる。
「センセイ?」
センセイはにこーっと笑って私を見下ろす。
だけど、その笑顔は、いつもの、ホンモノの笑顔じゃない。

外面だけの笑顔って感じ。
こわっ。

「ちょっときて。話、あんねん」
笑顔を崩さないまま、私の返事なんてまったく聞かずに、ぐいっと手首を握る。
「ちょ、あの、みきたん……」
立ち上がりながらそう言ったら、途端に表情が一変した。
「いいから!」
448 名前:『必要条件、十分条件』 投稿日:2004/02/08(日) 23:53
大声で言われて、ビクッと心臓が跳ねる。
クラス中はシンと静まり返ってしまって、みんなコトの成り行きを見守っているよう。
見守ってるっていうか、嵐が過ぎ去るのを待ってるっていうか……。
まぁ、こういう状況のセンセイに口を出せる人なんて、ここにはいない。
口を出せるはずの人は、戻ってくる気配もない。

仕方なく引きずられるまま教室を出たところで、ふっと視線を感じて振り返った。
そこには、なにやら微妙な笑顔のみきたんが立っていた。
私が見てることに気づくと、ひらひらと手を振る。

――してやられた。

なんかわかんないけど、みきたんはここにセンセイが来ることを知ってたんだ。
もしかしたら、みきたんから仕向けたのかもしれない。
「ドア……」
ホーと言おうとして、ごちんと頭を殴られた。
「黙ってついてきぃ」
「ぅぁう」

センセイ、何気にひどいです。
449 名前:『必要条件、十分条件』 投稿日:2004/02/08(日) 23:54



450 名前:『必要条件、十分条件』 投稿日:2004/02/08(日) 23:54
んで、連れてこられた場所は、予想通りの屋上。
それも、いつもごっちん先輩やみきたんと来るところとは逆側にある、特別棟の屋上。
私たちがよく集まるところは生徒の出入りは自由なんだけど、こっち側は基本的に不可。
だから、上がるのは初めてだった。

ドアを目の前にして、センセイはやっと手を離してくれた。
白衣のポケットからカギを取り出して、手馴れた様子でドアを開ける。
それから、スタスタと給水タンクの裏側まで行ってしまう。
あわててついていくと、いきなりひょいっと手が伸びてきて、気がついたら、
やわらかい感触に包まれていた。
451 名前:『必要条件、十分条件』 投稿日:2004/02/08(日) 23:55
「セ、センセイ……?」
目の前にあるのは、確かにセンセイの肩口で。
白衣の襟がしっかり見える。
背中に回された温もりで、自分が抱きしめられていることを知る。
「ちゃう」
耳のすぐそばで声が聞こえる。
「ふたりのときは名前で呼べ言うたんはアンタやん」
「あぅ……ゆ、ゆうちゃん」

確かに、どたばたが解決してから、コイビトっぽく名前で呼び合いたいとは言ったけど、
言い出した私がまだこの呼び方になれない。
かなり長く「センセイ」って呼んできちゃったからなぁ。
今でも学校では「センセイ」って呼んでるし……呼ばざるをえないというか。
それでも、なんとか慣れようと、日々努力はしてるんだけど。

「なんや」
とりあえず落ち着きたくて、センセイ――ゆうちゃんにも落ち着いてほしくて、
両手をゆうちゃんの背中にそっと添える。
452 名前:『必要条件、十分条件』 投稿日:2004/02/08(日) 23:56
「あの……」
おずおずと言って、それから肩口に顔をうずめる。
落ち着きたいのは山々なんだけど、新学期が始まってからというもの何かと忙しくて、
こうやって抱きしめられたのも久しぶりで。
呼び出された用件よりも、もうちょっとこうしていたいなぁなんて思ってしまう。
「どした?」
「……も、ちょっと」
頭の位置を動かして、首元に額をつける。
目を閉じて、添えてた手に力を入れる。

「しゃーないなぁ」
息をつく音がして、片手が頭をなでる。
ゆっくりゆっくりやわらかい感触に、自然と緊張もほぐれてくる。
453 名前:『必要条件、十分条件』 投稿日:2004/02/08(日) 23:56
それから何分ぐらいしたのか、とりあえず昼休みの時間も限られているので、
私はしぶしぶ顔を上げた。
ゆうちゃんは私と目が合うと、優しい笑みを口元に浮かべる。

「それで、どうしたんですか?」
私とゆうちゃんは、コンクリートの地面に座った。
「ん? あぁ、その、なんや。藤本からな」

――やっぱりみきたん絡みだったか。
去り際に見た、微妙な笑顔を思い出す。
きっとあれは、策略後の笑顔。
覚えておこう。

「なんか、アンタが思いつめてるって聞いてな」

――アバウトすぎる。
だけどたぶん、曖昧に言ったほうが、ゆうちゃんは心配してくれる。
それを知ってるから、みきたんはそう言ったんだろう。
454 名前:『必要条件、十分条件』 投稿日:2004/02/08(日) 23:57
「けどなんや、割と元気そうで安心した」
ほっとしたように言うその口調が、ちょっと気に入らなかった。

確かに、体は元気だけど。
気持ちは全然元気じゃないのに。
どうしてわかってくれないのかなぁ。

絶対足りないんだもん。
私が元気でいるのには、足りなすぎるんだもん。
センセイが。
455 名前:『必要条件、十分条件』 投稿日:2004/02/08(日) 23:57
「元気なんかじゃないよ」
ぽつりと言葉を落として、立ち上がる。
ゆうちゃんに背を向けると、そのまま屋上の手すりにもたれかかる。
「元気なんかじゃ、ない」

昼休みって言ったって、小学校みたいに校庭で遊ぶ人なんていない。
みんなたぶんお昼を食べてるだろうから、屋上はやけに静かでさみしかった。

背後でゆうちゃんが動く気配がしたと思ったら、不意に腕が伸びてきた。
振り返るよりも先に、そのまま抱きすくめられる。
肩に重みを感じて、少しだけ頭を動かすと、ゆうちゃんの髪がほっぺに触れた。
「ごめん」
「なんであやまるの」
そっと、ゆうちゃんの腕に触れる。
456 名前:『必要条件、十分条件』 投稿日:2004/02/08(日) 23:58
「ごめん、わかってんねん。アンタが何望んでるか。けどな、できへんねん」
「なんで」
「アタシ、電話とか苦手やんか。かけても出てくんなかったらどうしよーとか、
予定入ってたらどうしよーとか、そんなことばっかり考えてしまうんや」
ギュッと抱きしめる腕に力が入る。
「考えすぎだよ」
「わかっとる、わかっとるけど、そんなことになったら、めっちゃブルーに
なんのわかってるから」
ふーっと息を吐く音が聞こえる。
「好きやなかったら、こんなん考えんでもええんやろけど」

そりゃ、好きじゃなかったら付き合ってないし、電話やメールのやり取りだって
する必要ないじゃん。当たり前じゃん。

「……好きすぎるんも考えもんやなぁ」

――ずるいなぁ。ゆうちゃん、ホントずるい。

その一言で口元が緩むのをとめられない。
もう、「好き」って言われるだけで、悩んでたことも許せちゃう気がしてくる。
……みきたんが聞いたら、きっと怒るだろうけど。
457 名前:『必要条件、十分条件』 投稿日:2004/02/08(日) 23:58
でもなぁ。
このまんまじゃ、結局何も変わってないってことじゃん。
ちょっとでもいいから、前進しないと全然意味がない。
だから、私はふてくされたフリをすることにした。

「きっとさ、ゆうちゃんは私のこと、そんなに好きじゃないんだよ。
一緒にいたくないんだ」
ぼそっと低い声でつぶやいてみる。
「そんなことないって」
ほんの少しあわてたようなゆうちゃんの声が聞こえる。
「好きだったら、私のお願いだって、聞いてくれるはずじゃん」
「……そうかもしれんけど」
「できないんでしょ? 自分がブルーにならないことのが大切?」
「……っ」

ゆうちゃんが黙ってしまう。

言えば言うほど、それが本当のことのような気がしてきて、どんどん気持ちが重くなる。
なんだか、言ってるうちに悲しくなってきて、目を閉じる。
じわじわと胸の奥が熱くなってくる。
458 名前:『必要条件、十分条件』 投稿日:2004/02/08(日) 23:59
「亜弥」
呼ばれたかと思ったら、肩に手をかけられてぐるりと向きを変えさせられた。
全身にものすごい緊張が走って、目を開けられない。

――怒られる。

そう思った瞬間、そっとまぶたに何かが触れた。
すっとなでられる感触に、思わず目を開ける。

そこにあったのは、ゆうちゃんの、見たこともないほど真剣な顔。

「キライに、ならんどいてな?」
「え?」
459 名前:『必要条件、十分条件』 投稿日:2004/02/08(日) 23:59
一瞬だった――。

唇に、冷たくて、やわらかい何かが触れる。
反射的に身を引こうとして、後頭部を押さえられる。

息が止まる。
心臓が早鐘を打つ。
まるで、壊そうとしているみたいに、早く、強く。
体中の血が、一気に蒸発しそうになる。

ただ、熱い。

唇に触れているそれは、ひどく冷たいのに。

このまま溶けてしまいそうだった。
460 名前:『必要条件、十分条件』 投稿日:2004/02/09(月) 00:00
時が止まったような気がした。
けれどたぶん、それはほんの1、2分の出来事で。
息が詰まるその前に、後頭部を押さえていた手の力が緩んで、ゆうちゃんが
離れる。

「好きや」

また抱きしめられる。
私は半分ぼーっとした頭で、自分の唇に触れた。

――キ、キ、キス、だよ、ねぇ?

なんだか頭がごちゃごちゃしてきてよくわからない。
体がとにかく熱くって、手すりの硬さを背中に感じながら、ゆうちゃんの
白衣にしがみつく。
461 名前:『必要条件、十分条件』 投稿日:2004/02/09(月) 00:01
「亜弥?」
「ご、ごめ……」
キスされたって思ったら、体に力が入らなくなってきた。
足がガクガクしてきて、思わずゆうちゃんに全体重を預けて目を閉じる。
「と……」
一瞬あわてたふうだったゆうちゃんだけど、私をしっかりと抱きとめる。
それからもぞもぞと動いていたかと思うと、ストンと重力にしたがって
体が下に落ちる。
目を開けるとそこには、地べたに座り込んでるゆうちゃんの足が見えた。

「バクバクいってるやん、自分」
「い、言わないで……よぉ」
「あぁ、ごめん」
ふっと笑って、ゆうちゃんは子供をなだめるみたいにポンポンと背中を叩く。
そのリズムが心地よくて、私はまた目を閉じた。
462 名前:『必要条件、十分条件』 投稿日:2004/02/09(月) 00:01
「なぁ、キライにならんどいてな?」
――あぁもう、どうしてこんなに自信がないんだろう、この人は。
私をこんなにドキドキさせられるのも。
同じくらい不安にさせられるのも、アナタだけなのに。

「キライになんて、ならないよ。そんな、キ、キ、キス、されたくらいで」
また顔が熱くなる。
ゆうちゃんにばれないように、顔をゆうちゃんの胸に強く押しつける。
――ていうか、うれしいし。
「ん?」
「なんでもなぁい!」

ドキドキドキ……

その早すぎる鼓動は、自分のものだと思ってたけど。
もうひとつ、同じくらいの速さで聞こえる音に気づいて、私は顔を上げた。
463 名前:『必要条件、十分条件』 投稿日:2004/02/09(月) 00:02
「センセイ」
「裕ちゃんや」
律儀に訂正してくる。
「ゆうちゃん」
「ん?」
「もしかして……ドキドキ、してる?」
平然とした顔をしていたゆうちゃんは、私の言葉に一気に顔を染めた。

「ゆうちゃん?」
「……そんなこと、聞きなや」
ゆうちゃんは私の頭を抑えると、自分の胸に押し付けた。
顔は見えなくなったけど、ドキドキがさっきよりも大きく聞こえる。

「ゆうちゃんでも、ドキドキするんだね」
つぶやくと、ゆうちゃんが肩をすくめたのがわかった。
「……好きな相手とやったら、するやろ」
声は憮然としてるけど、ドキドキはおさまってない。

なんとなく、どんな顔をしてるのかわかってしまって、それがおかしくて、
顔はゆうちゃんの胸にうずめたまま、私は笑った。
464 名前:『必要条件、十分条件』 投稿日:2004/02/09(月) 00:02
「ちゃんと、好きやから」
静かに聞こえてくるその言葉に、コクリとうなずく。
「うまく、伝えられんで、ごめんな」
ふるふると首を振る。

「ゆうちゃん」
「なんや」
「もっと、自信、もとうよ」
「ん?」
「私が好きになった人だよ? 絶対間違いなんてあるわけないもん」
ふはっとゆうちゃんが笑う。
「相変わらず、たいした自信やなぁ」
頭を押さえていた手で、さっきと同じように優しくなでてくれる。

「わかった、がんばってみるわ」
「そぅ、して」
ほんの少し、元気になってくれたみたいで、ホッと一息。
ホントにホントに、この人を元気づけるのは一苦労。
だけど、笑ってくれると嬉しいから。
結局がんばっちゃうんだよねぇ。
465 名前:『必要条件、十分条件』 投稿日:2004/02/09(月) 00:03

  キーン……コーン……

やたら近くでチャイムのなる音が聞こえた。
ビクッとして体を起こすと、頭の上にスピーカーがあるのが見えた。

「お昼、食べ損ねてしもたな」
「んー、何とか耐える」
「すまんな」
ゆうちゃんのあとについて、屋上の扉へと向かう。
と、ポケットの中に手を突っ込んでいたゆうちゃんが、何かに気づいたように足を止めた。
それから、くるりと振り返って、「手ぇ出して」と自分のこぶしを突き出してきた。

言われたとおりに手を出すと、そこにコロリと落とされたのは、小さなキャンディーの包み。
「これで何とかがんばってや」
「……ありがとうございます」
466 名前:『必要条件、十分条件』 投稿日:2004/02/09(月) 00:03
校舎の中に戻ると、ゆうちゃんが扉にカギをかける。
私はゆうちゃんのあとを追うようにして、ゆっくりと階段を降りた。

「あぁ、それから」
もうすぐ教室へ続く廊下に出る、その最後の1段でゆうちゃんは足を止めた。
「一緒にいたくないなんて、思ってへんで?」

言うなり、ポイッと何かを放り投げる。
「え……?」
白い紙で包まれたその何かは私の手をすり抜けて、鈍い音とともに、私のいる階段より
3段下へと転がった。
あわてて走っていって拾い上げてみると、見た目どおり軽い。
「それが証拠。ほんじゃな、しっかり勉強せぇよ」
467 名前:『必要条件、十分条件』 投稿日:2004/02/09(月) 00:04
ゆうちゃんはひらひらと手を振りながら、私のことなんて振り返りもせずに歩いていく。
その背中を見送って、手のひらに残された、小さな紙包みを開いてみた。
そこから現れたのは、銀色のカギとなんだかわからない数字が羅列された紙。

証拠って言われても、これ、どこのカギ?
これ、何の番号?
まさか、屋上へのカギとか金庫の番号とかじゃないよね?

うーんとうなりながら、教室の方へと足を向けると、「お」という声が聞こえた。
顔を上げるとそこには……ごっちん先輩。
468 名前:『必要条件、十分条件』 投稿日:2004/02/09(月) 00:04
「おー、まっつー、奇遇だねぇ」
「先輩、もう授業始まってるんじゃないんですか?」
「んー、教科書置いてきちゃってさ。取りにきた」
手の中にある、化学の教科書をひらひらと振る。
「まっつーこそ、こんなとこで何してんの?」
「いや、あの、ちょっと……」
もごもごと口ごもっていると、先輩は何かに気づいたように、私の手元をのぞきこんできた。

「な、なんですかぁ」
「そのカギ、どしたの?」
手の中にある、小さいカギを指差す。
「センセイからもらったんですけど」
「へぇ〜」
ふんふんと、なんだか面白おかしそうな笑顔でうなずく先輩。
どうやらこのカギがどこのカギだか知ってる様子。
だけど、素直に聞いたところで教えてくれないだろうな。
469 名前:『必要条件、十分条件』 投稿日:2004/02/09(月) 00:05
「そのカギ、どこのカギだか知ってる?」
「知らない、ですけど」
「知りたい?」
「そりゃ、もちろん。でも、教えてくれないんですよね?」

にへらと先輩は笑う。
「そんなひどいことしないよぉ。あのね、このカギはね……」
ひょいと、私の肩に手を置いて、先輩は身を乗り出してきた。
それから私の耳元に口を寄せると、本当に小さい声でささやいた。

「裕ちゃんの部屋のカギだよ」
470 名前:『必要条件、十分条件』 投稿日:2004/02/09(月) 00:05
ビックリして先輩の顔を振り返ると、にかっと笑顔を見せた。
「てことは、この番号は……」
「オートロックの番号だねぇ」
先輩の笑顔がにやにや笑顔に変わる。

「いつでもおいで〜ってことだ。まっつー、愛されてるねぇ」
ポンポンと私の肩を叩くと、先輩は私をほったらかしてどこかへ行ってしまった。

私はひとり、そこに取り残されたまま、手の中のカギと紙を見つめた。

『それが証拠』
471 名前:『必要条件、十分条件』 投稿日:2004/02/09(月) 00:07
――センセイ、これは、毎日でも一緒にいたいってことだと思っていいんですか?
何も言わないんだから、松浦の好きに取りますよ?

じゃあ、行ってみよう。
今度のお休みには、センセイ――ゆうちゃんの家に。

そんで1日、一緒にいよう。
飽きるほど、一緒にいようね。

覚悟しといてね、ゆうちゃん。




            END
472 名前: 投稿日:2004/02/09(月) 00:12
更新&完結でございます。

本編で絡みが少なかったので、
なんとか絡ませたかったんですが…。
やっぱり微妙に少ないような(汗

とりあえず目指すところはキスでしたw
うまくいったかどうかは…どうでしょう(爆
473 名前: 投稿日:2004/02/09(月) 00:16
レス、ありがとうございます。

>>444
ツボに入っていただけてうれしいですw
あややとミキティは、ラブラブじゃなくても書いてて楽しいです。

>>445
ちょっとは積極的になってるんでしょうか?
相変わらずヘタレてる気もしますがw

ホント、仲良くなってくれてよかったですw

>>446
続き、いかがでしたでしょうか。
お気に召していただけると幸いです。



また、ふたりのお話ができたら書いていきたいと思っております。
今度はもっと絡ませるぞーw
474 名前:名無し読者 投稿日:2004/02/09(月) 00:47
是非続編を〜(w
せっかく裕ちゃん家の鍵をGETしたわけですし(w
ヘタレな裕ちゃんいいですね(w
475 名前:名無し読者 投稿日:2004/02/11(水) 13:52
めずらしいCPだけどすごく惹かれました。
又書いて下さい。
気が向いたらごまゆうもお願いします。
476 名前:『空間のベクトル』 投稿日:2004/02/15(日) 01:05

「センセー……」
カラカラと、ドアが乾いた音を立てる。
だけど、部屋の中はシンと静まり返っていて、人のいる気配はない。

後ろ手にドアを閉めて、部屋の中へと足を進める。
真っ白で陽を遮る力さえないカーテンは、それでもしっかりと窓を覆っていて、
外の様子はうかがえない。

ここだけが、世界から隔離されてる――
477 名前:『空間のベクトル』 投稿日:2004/02/15(日) 01:06

「センセー……?」
もう一度声をかけてみる。
それに反応する音は、何ひとつしてこない。

ふーっと息をつくと、その長さと同じだけの音がした。

誰の熱も空気も感じない空間で、体が足元から冷たくなっていくのを感じた。
ゾクッと背中を冷たい何かが駆け上がる。

ギュッと両手で自分の両腕を握り締めながら、とりあえずベッドのそばへ近づいた。
窓にかかっているのと同じような、薄くて白いカーテンに手をかける。
きしむ体を制しながら静かに引くと、シャ、という耳障りな音が降ってきた。

飛び込んできたのは、何もかもが白い空間。
白いベッドと、白い布団。
白い枕に、白い壁。

そして――白い服。
478 名前:『空間のベクトル』 投稿日:2004/02/15(日) 01:07

「センセ……」

だけど、それは抜け殻で。
放り出されたその形は、人ではありはしなくて。
重い足を引きずりながら、そっと主のいない鎧に近づく。

そっとそっと、その鎧に手を伸ばす。
薄くて、軽くて、固くて、やわらかくて、冷たかった。
もう、その主のぬくもりを0.1度も残していない。
479 名前:『空間のベクトル』 投稿日:2004/02/15(日) 01:08
力が抜けた。
そのままベッドに腰を落とす。
もう、一歩も動きたくなかった。

ごろんとベッドに横になると、キシッと小さな音がした。
けれど、聞こえたのはそれきりで、またシンと静まり返る。

目を閉じると、少しだけ楽になる気がした。
肩の力を抜いて、全体重をベッドに預ける。
また、背中を冷たい何かが駆けていく。

無意識のうちに、手元にあった白い服を抱き寄せていた。

何の役にも立ちはしないのに。
ぬくもりも与えてくれないのに。
ギュッとかき抱いて、顔をうずめる。
480 名前:『空間のベクトル』 投稿日:2004/02/15(日) 01:08

「……ぁ」
思わず、声が漏れた。

もうこの服の主がここから消えて、どのくらいたったのかわからない。
だけど、その服には、微かにその人がいた証拠が残っていた。

――ゆぅちゃ……

優しい香り。
甘い香り。

その香りに身を任せるように、目を閉じて息を吐く。
ベッドに預けていたはずの体重が、一気に軽くなる。

そして、意識が遠くに消えた――
481 名前:『空間のベクトル』 投稿日:2004/02/15(日) 01:08

 ◇ ◇ ◇
482 名前:『空間のベクトル』 投稿日:2004/02/15(日) 01:09

「ん〜……」
カラカラと、ドアが乾いた音を立てる。
部屋の中はシンと静まり返っていて、出かけたときと何も変わっていない。

静かにドアを閉めて、室内へと足を進める。
無意味なほど白いカーテンは相変わらず外光を遮断することもできず、
目にはあまりよくないと思われる白い光を放っている。

――いい加減、このカーテンも変えたほうがいいんと違うんかなぁ

そんなことを考えてみたりもするけれど、じゃあ、どんな柄がいいのかと
言われたら、それを思いつかない。遮光カーテンなんてひこうものなら、
自分が爆睡する危険性が上がるだけだ。
483 名前:『空間のベクトル』 投稿日:2004/02/15(日) 01:10
席に戻って、イスに座って、初めて違和感に気づく。
出かける前に見た風景と、今見ている風景に、明らかな差異がある。

それは――

立ち上がって、ゆっくりとベッドに近づく。
もしかしたら寝ているかもしれないから、起こさないようにそっと。

開けっ放しになっていたベッド周りのカーテンに手をかけて、そっと中を
のぞき込む。
484 名前:『空間のベクトル』 投稿日:2004/02/15(日) 01:11

「……ありゃ」
思わず、声が漏れた。

小さな女の子が、制服のまま、掛け布団もかけずにベッドの上で丸まっている。
少し苦しそうに顔をゆがめているのも気になったが、それ以上に彼女の腕の中に
収まっているものが目についた。

くしゃくしゃになって、ほとんど原型が見えないけれど、それは確かに、
よく見慣れた自分の戦闘服。

ギュッと抱きしめて、顔をうずめているその姿に、思わず息が漏れる。

足音を立てないようにそっと近づいて、ベッドの脇に用意されていたイスに
腰を落とす。
485 名前:『空間のベクトル』 投稿日:2004/02/15(日) 01:11
前髪に軽く触れて、額に手を伸ばす。
少し、熱い気がした。
それから、ほほに手を伸ばす。
こちらも、少し熱い。

「……ん」
小さな唸り声を上げて、それでも目は覚まさなかった。
抱きしめている腕に少し力が入ったのか、腕の中の頼りない布キレが形を変える。

――アホ、やなぁ

思わず苦笑い。
486 名前:『空間のベクトル』 投稿日:2004/02/15(日) 01:12
それは、ただの抜け殻で。

そんなもの抱きしめたって。
名前を呼んでくれはしない。
抱きしめてもくれない。
笑ってもくれないし、怒ってもくれない。
何も、してくれるはずもないのに。

大切そうにかき抱く姿が、あまりにも愛おしい。

立ち上がると、そっと髪をなでる。
さらりと髪をかき分けて、そのこめかみに唇で触れる。
そこもやはり、少し熱かった。

――ホント、かなわんな、アンタには
487 名前:『空間のベクトル』 投稿日:2004/02/15(日) 01:12

 ◇ ◇ ◇
488 名前: 投稿日:2004/02/15(日) 01:14
短編ですが、更新してみました。

ちょっと甘めの雰囲気でいこうかと。
489 名前: 投稿日:2004/02/15(日) 01:21

レス、ありがとうございます。

>>474
かっこよく書きたいんですが、なぜかヘタレにw
そんなふにゃふにゃしたとこも好きなんですが。

ねーさんのおうち編ですか……ちょっと考えてみます。
思いついたら書いてみます。
思いつかなかったら……ごめんなさい(爆


>>475
ありがとうございます、嬉しいです。
機会があれば、違った設定でまた書きたいなと思っております。

ごまゆうですか。
この設定だと悲恋になっちゃうんですが(汗
別設定のがいいですかねぇ。
こちらもちょっと考えてみます。
490 名前:名無し読者 投稿日:2004/02/15(日) 13:25
微妙にせつない甘さが好きです。
元M録CPバンザイ〜!!!
491 名前:名無し読者 投稿日:2004/02/16(月) 01:35
服を抱きしめて眠るあややが可愛い。
切ないような甘いような、曖昧な感じがイイですね。
492 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/16(月) 20:18
いいですね…。
本編終盤での、海辺で静かに語り合う二人の情景が大好きだったんですが、あのシーンに通じる不思議な広がりと暖かさを感じました。この空気、いいなあ。これからも楽しみにしています。
493 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/19(木) 15:59
ごまみきには、ならないのかな・・・
494 名前:名無し読者 投稿日:2004/02/22(日) 15:50
手が空いたらあやゆうの続編書いて下さい。
意外と好きでした。
495 名前:『空間のベクトル』 投稿日:2004/02/22(日) 17:04
目を開けると、そこは白い空間だった。

ひんやりとした空気が額に広がっている。

意識を落とす前よりは体は軽くなった気はしたけれど、無性に熱い。
しめたままだったネクタイに手を添えて緩める。
息を小さく吐くと、少しだけ楽になった。
496 名前:『空間のベクトル』 投稿日:2004/02/22(日) 17:04
ふと、人の呼吸を感じて、頭を動かす。
と、飛び込んできたのは、白っぽいサンダル。
見慣れたそのものを見間違えるはずもなく、その先を追いかけるとそこには
愛しい人の姿。
いつもの白い姿ではなくて、ダークブラウンの落ち着いたスーツ姿。

イスに腰掛けて足を組んだ姿勢。
そのひざには、この位置からではわからないが、何か本が乗っている。
けれど、開かれたページはめくられることはなく、ただそのまま止まっているだけ。
見れば、持ち主はその本に手を添えたまま、うなだれている。
497 名前:『空間のベクトル』 投稿日:2004/02/22(日) 17:04

きれいだな

いつも見せてくれる穏やかな笑みも、怒ったときに見せるキツイまなざしも、
落ち込んだときに見せる弱気な顔も、どれも好きだけれど。

感情のすべてを取り払い、何もかもから解放されたようなその無防備さ。
それを見られるのは自分にだけ許された特権。
だから、この瞬間は格別で。

まぶたに焼きつけたくて、凝視する。
498 名前:『空間のベクトル』 投稿日:2004/02/22(日) 17:05

「……ん?」
そんな視線に気づいたのか、小さな声と共に、裕子は頭を上げてしまった。

ほんの少しもったいないという思いもあったが、自分を見つめたその優しくて
温かいまなざしに触れて、あっというまにその気持ちも散り散りになる。

「目、さめたか?」
イスから立ち上がると、自分の額に手を伸ばしてくる。
それからペリペリと何か、冷たかった何かをはがす。

それが何かを確認するより先に、そっと手が伸びてきて額に触れる。
ひんやりとした感覚に、思わず目を閉じる。
499 名前:『空間のベクトル』 投稿日:2004/02/22(日) 17:08

「まだちょっとあっついな」
手が離れるのにあわせて、目を開ける。
困ったように微笑む彼女と目があう。
「いつからおったん?」
「……お昼休み、から」
のどがカラカラで、うまく声が出ない。
それに気づいたのか、ちょっと待ってなと言うなり、部屋を出て行ってしまった。
熱でも測っとき、と体温計を置いていくのも忘れずに。

言われたとおりに、体温計を脇に挟む。
また静まり返ってしまった部屋に、少しだけ心が冷たくなる。

けれど、それもそんなに長い時間ではなく、裕子はすぐに戻ってきた。
それにあわせたように、ピピッと短い電子音が聞こえた。
「ん」
手を出されて、体温計を渡す。
「……7度8分か。ちょっと高いな」
苦々しい声が聞こえてきた。
「風邪やろうと思うけど。明日病院行ってき?」
こくりとうなずく。
500 名前:『空間のベクトル』 投稿日:2004/02/22(日) 17:08

「起きれるか?」
優しい声に、小さくうなずいて体を起こす。
手がいやに汗ばんでいたけれど、その理由を確認する気にもならない。

キシッと音がしたと思ったら、そっと背中に何かを感じた。
ゆるゆると頭を動かすと、白いシャツが目に飛び込んでくる。

右腕に何かが触れる。
それが何かを確認もせずに、体から力を抜く。
ポフッと小さな音がして、左半身にぬくもりが広がる。

「甘えんなって」
ポフポフと腕を叩きながらも、引き剥がそうとはしない。
それが心地よくて目を閉じかけた瞬間、ヒヤリと頬に冷気がへばりつく。
501 名前:『空間のベクトル』 投稿日:2004/02/22(日) 17:09

「ほら、これ飲み」
差し出されたのは、学校の自販機で売っている冷たいお茶。
いつの間にやったのか、プルタブはすでに開けられている。
落とさないように両手で缶を包むと、一気に半分くらいまでのどに流し込む。

そして……

「……ぐっ」

むせた。

「……そんなにあわてて飲まんでも、なくなりゃせんて」
あきれたような声が聞こえたと思ったら、軽く背中をさすられた。
「大丈夫か?」
こくりとうなずく。
502 名前:『空間のベクトル』 投稿日:2004/02/22(日) 17:10

「……今、何時?」
「5時、やなぁ」

授業はとっくに終わっている時間。
つまり、もう帰れる時間のはずだ。

「帰ってよかったのに」
そんなことできるはずがないのはわかっているのに、思わず言葉がこぼれた。
「具合悪い子、ほっといて帰れるかい」
開いているほうの手で、コツンと頭を叩かれる。

「それに……アンタ、離してくれへんやかったやんか」
意味がわからなくて、首を傾げた。
503 名前:『空間のベクトル』 投稿日:2004/02/22(日) 17:10
目が覚めたとき、座っていたイスは少し離れたところにあった。
手を伸ばしても届かない距離だ。

それに気づいたのか、裕子は小さく笑って前方に指を向けた。
その指先を追いかけると、そこにあったのは見慣れた白衣。

ぼんやりした頭をフル回転させて、その意味を把握しようとする。

ここにきて
ゆうちゃんはいなくて
ベッドに座って
白衣があって……

「あ」

思い出した。
504 名前:『空間のベクトル』 投稿日:2004/02/22(日) 17:10
放り出されたままの白衣に手を伸ばして引き寄せる。
自分で見ても驚くほど、しっかりとしわが残っていた。

「抜け殻そんなに大事そうにされとったら、本体が帰るわけにはいかんやろ」
「……ごめんなさぃ」

ふはっと笑いが漏れて、ぐいっと頭を引き寄せられた。
そして、ふっと裕子の頭が動いて、冷たくてやわらかいものがこめかみに触れる。

一気に体温があがる。
それが熱のせいなのか、キスのせいなのかわからない。
ただ恥ずかしくて、残っていたお茶を一気に流し込む。

そして……

「……ぐっ」

またむせた。
505 名前:『空間のベクトル』 投稿日:2004/02/22(日) 17:11

「あぁもう。いい加減慣れてぇや」
「む、む、ムリだよぉ。ゆうちゃんだって、ドキドキしてるくせに」
「まぁ、そうやけど」

ドキドキしてるのにあっさりと言ってのけるので、不安になって顔を上げた。
小首を傾げながら自分を見ている裕子と目があう。

「あんま慣れてくれんと、なんか、しにくいやん」
さらりと言うその言葉にイヤな予感がした。
離れようと思ったけれど、がっしりつかまれて離してもらえない。
ひょいっと頭が動いて、顔をのぞきこまれる。
そっと頬に手が触れて、親指が唇をなぞる。
506 名前:『空間のベクトル』 投稿日:2004/02/22(日) 17:11

「そんなら慣れるまで、しよっか?」

思わず口を両手で覆っていた。
持っていたお茶の缶が手から滑り落ちて、カランと軽い音を立てて床に転がる。

ふはっと笑い声がして、頭をなでられた。
「そんなに露骨に避けんどいてや。ちょーっと傷つくわ」
裕子は手を離すと、ベッドから立ち上がって缶を拾う。
「帰ろ。送ってくから」

まだ体はきしむけど、眠ったことで少しは良くなったらしい。
なんとかベッドから立ち上がる。
ふらふらするけど、歩けないほどではない。
507 名前:『空間のベクトル』 投稿日:2004/02/22(日) 17:11

「あ、それ取って」
手元にあったくしゃくしゃの白衣をもう一度手にする。
ゆっくり歩いて裕子に近づくと、重い腕を上げてそれを差し出した。

「ありがと」
白い手が伸びてくる。
その白さに気を取られていたら、いきなり手首をつかまれた。
あわてて顔を上げると、間近に迫る裕子の顔――

逃げる間もなく、唇に冷たくてやわらかい……裕子の唇が触れていた。
508 名前:『空間のベクトル』 投稿日:2004/02/22(日) 17:12

「油断大敵」
にやりと笑われる。
バクバク言いかけた心臓を、何とか抑え込む。
「……ひきょうもの」
「卑怯で結構。ほら、行くで」

しょっちゅう弱々になるのに、どうして時々こう強引になるんだろう。
どうして時々こう自信満々になるんだろう。
ホント、よくわかんない。

歩き出そうとして、裕子の手を背中に感じた。
そっと、支えるように後ろを歩いてくれる。

まっすぐに、自分に向いてくる思いを感じる。

間違えようもない、優しくて強い、思い。
だからこそ、脆い思いを。
509 名前:『空間のベクトル』 投稿日:2004/02/22(日) 17:12
助手席に乗せられて、車は静かにスタートする。
誰が届けてくれたのか、後部座席には自分のカバンが置いてあった。

「大丈夫か?」
こくりとうなずく。
「寝とってええよ」
「……うん」
そっと横顔を盗み見ると、やっぱりきれいだった。

「ゆぅちゃん?」
「ん?」
「……好きだよ」

一瞬間があいて、そっと頭をなでられる。
その手が心地よくて、目を閉じた。

「アタシも好きやって」

わかってる、わかってるよ。

意識が遠のく。
車が動いているからなのか、背中から落ちていく気がする。
510 名前:『空間のベクトル』 投稿日:2004/02/22(日) 17:12
この静かな空間の中は、あたたかく優しい思いで満たされている。

けれど、ひらかれた世界に出てしまえば、それは本当に小さなもので。
時に、雑踏や雑音にまぎれて消えてしまいそうになるのだけれど。

ちゃんと見つけられる。
だって、まっすぐに向かってきているから。
迷うことなく、ここに届いているから。

だから、その優しくて脆い思いをしっかりと抱きしめよう。
壊れてしまわないように、そっとずっと。

今日も明日もあさっても。

ずっと、いつまでも。
511 名前: 投稿日:2004/02/22(日) 17:17
更新しました。

『空間のベクトル』は以上で終了です。

シチュエーション先行で、ちょっと弱気なあややとちょっと強気なねーさんを
書いてみたつもりです。

作者的にはかっこいいねーさんが書けたと思っておりますが…。
512 名前: 投稿日:2004/02/22(日) 17:24
レス、ありがとうございます。

>>490
お気に召していただけてうれしいです。
どうしても甘々オンリーにならないのは、作者の性格のせいかもしれませんがw

>>491
そのシーンが一番最初に思いついたシーンだったので、
気に入っていただけてうれしいです。

>>492
本編でのあのシーンはかなり時間がかかってるので、ほめていただけて光栄です。
これからもがんばります。

>>493
ご、ごまみきっすか…。
うーん、ふたりの絆みたいなものはいつか出したいとは思ってたんですが、
CPにはならないかなぁ。すみません。

>>494
なんか、前回中途半端な書き方してしまって…。
まだまだ容量もあるので、ガンガン書いていくつもりです。
いや、もちろん、ネタが思いつけばですがw
513 名前:ハルカ 投稿日:2004/02/24(火) 21:19
初めてレスさせていただきます。

中藤、初めて読みました。すっごい好きです!
『空間のベクトル』もすごいツボでした。
また、暇があればこれの逆バージョンもよんでみたいです。
弱い中澤さんがすごい好きなので、気が向けば書いてみて欲しいです。

影ながら応援させていただきます。頑張ってください。
514 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/27(金) 01:34
また素敵だ・・
幸せすぎるせつなさというんでしょうか。
ここの松浦さんのいい子さ純粋さはたまらないですね。
強がり裕ちゃんのかっこよさ可愛らしさ。
これからも幸せでありますように。
515 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 00:30
レス、ありがとうございます。

>>513
えーと、ねーさんのお相手は松浦さん、なんですが(汗
今頃になって今回は名前を一度も書いていないことが判明_| ̄|○

弱いねーさんは、自分も大好きですので、
そちらのバージョンにも挑戦したいです…いずれ(爆

>>514
たまらなくなっていただきありがとうございますw
どうもこのふたりだとキャピキャピルンルン(死語)にはならず…。
変わらずいてほしいなと、書いてて思ってみたり(爆
516 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 00:34

今回からしばし、ごっちんメインのお話になります。

痛くはならない予定ですが、切な系になるかと。
よろしかったらお付き合いください。
517 名前:『絶対値』 投稿日:2004/02/29(日) 00:35

「後藤先輩!」

朝。
大あくびをかましながら、昇降口でクツを履き替えていたら、
いきなり呼び止められた。
振り返るとそこには……見たこともない子。
先輩と呼ぶところを見ると、1年生なんだろう。

「あの……これ、もらってください」
おずおずと差し出されたのは、きれいにラッピングされた箱。

――またか。

目の前の女の子には悪いけど、そう思ってしまった。
学校に来るまでで何人にこうして渡されたんだろう。
数えてはいないけど、カバンはすっかり重くなっていて、
ちょっと肩にめり込んで痛いくらいだ。
518 名前:『絶対値』 投稿日:2004/02/29(日) 00:36
目の前の女の子は、少し頬を赤くしている。
緊張しているのか恥ずかしいのか。
とにかく、かなりの勇気を振り絞ってるのには間違いない。

――だけどさ。

「お返しとかできないけど、それでもいい?」
くれた子全員に言った言葉をもう一度繰り返す。
彼女は小さくうなずいた。
がっかりしてる様子も見せないところを見ると、たぶん、最初からそのつもり
だったんだろう。

そういえば、今までくれた子たちはみんなこんな感じだった気がする。

軽くうなずいてから、手を差し出して、その箱を受け取る。
「ありがとうございます」
「……ありがと」
彼女はぺこりと頭を下げて、そのまま振り返らずに立ち去っていった。
さばさばしてるのかなんなのか、よくわからない。
そもそも、最初から期待なんかしてないのかもしれない。
ちょっと、世間の流れから乗り遅れたくないだけなんだろう。
519 名前:『絶対値』 投稿日:2004/02/29(日) 00:36
カバンの中にむりやりそいつをつめ込んで、歩き出そうとする。
「なんや、もてもてやな」
そこで声をかけられた。
振り返った先にいるのはもちろん、裕子。
微妙な笑顔を浮かべている。

「見てたんだ」
「見えたんや」
さらりと微妙な言葉でちょっとした皮肉をかわされる。
「ええのか? あんま冷たくしとったら嫌われるで?」
「いいよ、別に。あの子たちだって、本気でごとーのこと好きなわけじゃないもん」
ずり落ちかけたカバンを肩にかけなおす。
ふーん、と興味のなさそうな相槌が聞こえる。

「裕ちゃんはちゃんと返すの? もらったんでしょ?」
「そのつもりやったんやけど、ちょっと、亜弥……松浦がな」
520 名前:『絶対値』 投稿日:2004/02/29(日) 00:37
裕子はいまだに亜弥のことを、学校内では名字で呼ぶ。
自分とふたりきりのときでも、だ。
それがケジメだと裕子は言うけれど、マジメすぎるその姿が時々おかしくて笑ってしまう。

「まっつーがどうかしたの?」
笑うのはとりあえず胸の中におさめて、聞いてみる。
だいたい想像はつくのだけれど。

「口きいてくれへんねん」
「なんかやったんでしょ」
「松浦からチョコもらうより先に、ほかの子からもらったんが気にくわんらしくてな。
ホント、困ったもんやわ」

カシカシとバツが悪そうに頬をかく。
まぁ、亜弥はかなりのヤキモチ焼きだから、そうなることも予想はできたんだろうけど。
それを回避し損ねるところが、裕子らしい。
521 名前:『絶対値』 投稿日:2004/02/29(日) 00:37

「これで全員にお返しとかしたら、なんかこう、大変なことになりそうやん」
「まぁねぇ」
「他人事みたいに言うし」
「他人事だから」
その言葉に、裕子は顔をしかめた。

「まぁ、そんなに落ち込まないでよ。裕ちゃんは笑ってないとコワイんだから」
「一言よけいや」
コツンと頭を叩かれる。
「元気出しなって。これあげるからさ」
ごそごそと荷物でいっぱいになってしまったカバンをあさる。
底のほうから、袋を取り出して裕子の前に差し出した。
522 名前:『絶対値』 投稿日:2004/02/29(日) 00:37

「なんや、これ?」
「何って……チョコに決まってるじゃん。バレンタインなんだから」
「あぁ……ありがと」
裕子は少し首を傾げながらそれを受け取った。
「お返しはいらないよ。まっつーに恨まれたくないから」
「……あぁ、うん」
「何その反応。せっかくごとーがあげたのに、うれしくないの?」
「や、そんなことないけど」

裕子の視線が袋から自分へと移ってくる。
「アンタ、こういうのキライやなかったっけ?」
「ん〜、たまにはね。ちょっと変わったことしてみたくなって」
「はぁ」
「ミキティにもまっつーにも用意してみた」
「そうですか」

裕子の視線は、袋と自分とを行き来している。
「そんなにやだったらあげないよ」
あんまり渋っているので、袋に手を伸ばしかけたら、体ごとそれを隠された。
「いやや。こんなめずらしいもん返さんわ」
「めずらしいものって……」
思わず笑ってしまう。
523 名前:『絶対値』 投稿日:2004/02/29(日) 00:38

 キーンコーン…

そのとき、予鈴が廊下に鳴り響いた。

「んじゃ、ごとーは行くから」
教室に向かおうと回れ右をして、足を止めた。
くるりと首だけで裕子を振り返る。
「あ、それからさ」
声をかけると、保健室のほうへ向かおうとしていた裕子も足を止めて真希を見た。
「来週の日曜、あけといてね? 4人で出かけるから」
「……決定事項なんや?」
「そだよ」
「……わかったわ。時間とか場所とか、決まったら知らせて」
「んぁ」

去り行く裕子の背中を見つめながら、ふっと息をつく。
524 名前:『絶対値』 投稿日:2004/02/29(日) 00:38
最近の裕子を取り巻くオーラは、とてもやわらかくなった。
だいぶ前からそれは感じていたけれど、今思えば裕子が変わったのは亜弥と
付き合い始めた頃からだった。
それまでも人を極端に拒絶する人ではなかったけれど、どこかしら、最後の
一歩を踏み込ませないところがあった。
それが、なんというか、こう、そばにいる人を安心させるやわらかい空気を
放つようになった。
頼れるおねーさん、という雰囲気が顕著に出てくるようになった。

だから、バレンタインのチョコも結構な数をもらったし、まだもらうだろう。
つい、何日か前に、ぼやくように亜弥が言っていた。
きっとセンセイも、いっぱいチョコもらうよね、と。
525 名前:『絶対値』 投稿日:2004/02/29(日) 00:38
恋人であることをおおっぴらにできない以上、それはしょうがない。
教師にとって、生徒から人気があるということは、決して悪いことではない。
それをわかっていても、やっぱり内心穏やかではないんだろう。

あんなふうに、オーラをやわらかくしたのは、亜弥の力なのに。
気づかないというのは、時々めんどくさいものだなぁと思う。
でもまぁ。

軽くため息をつく。

あれはあれで、幸せの証拠だから、いいのかもしれないけど。
526 名前:『絶対値』 投稿日:2004/02/29(日) 00:39

 ◇ ◇ ◇
527 名前:『絶対値』 投稿日:2004/02/29(日) 00:39

「……ヒドイと思いませんか!?」

――前言撤回。
528 名前:『絶対値』 投稿日:2004/02/29(日) 00:39
今は昼休み。
場所はいつもの屋上――に続く階段の踊り場。
さすがに冬場の屋上は寒いから。
ここでも十分寒いんだけど、そうだからこそ人気はない。
人に言えない話をするにはもってこいだ。

目の前にいるのは、憤然としている亜弥。
めずらしく顔を真っ赤にして怒っている。
しっかりと、自分と隣にいる美貴の制服の袖を握り締めながら。
529 名前:『絶対値』 投稿日:2004/02/29(日) 00:39
そもそも、教室までやってきたときからおかしいとは思ってた。
本当なら逃げるべきところだったし、普段だったら逃げたと思う。
けれど、教室をのぞいた亜弥の傍らには、がっしりと亜弥に腕をとられた美貴の姿があった。
この上なく情けない顔をして、目だけで助けを乞う。
さすがにそんな顔を見せられたら、ひとりで逃げ出すわけにもいかなくて、
付き合うことにしたのだ、亜弥のグチに。

幸せの証拠だからいいとは思ったけど。
こうやって迷惑かけられるのはたまらない。

いい加減気づこうよ。
裕ちゃんをそんな風にしたのは、自分なんだってことに。
といって、教えてあげる気もないんだけど。
いじわるだからさ、ごとー。
530 名前:『絶対値』 投稿日:2004/02/29(日) 00:40

「けどさ、亜弥ちゃんのチョコだってもらってくれたんでしょ?」
真希はぼーっとしながら亜弥のグチを聞いていたが、美貴はそれがイヤになったんだろう、
亜弥のスキをついて口を挟んだ。
しかし、それも焼け石に水。
「そんなの当たり前じゃん!」
一刀両断されてしまっていた。

そりゃそうだ。
恋人からのチョコを断ってほかの子からのチョコをもらう人なんてこの世にはたぶんいない。
もしいたとしたら、それはもう恋人じゃない。

「あのさ、まっつー。とりあえず手、離してくんない? 逃げないから」
531 名前:『絶対値』 投稿日:2004/02/29(日) 00:40
逃げ出されそうになることをしているという意識はあるのだ。
だから、亜弥はこうして自分たちを拘束しようとする。
この学校の中で裕子とのことを知っているのは、自分と美貴だけだし、
ぶちまけるところがほしかったんだろう。

冷静な口調で言ったからか、亜弥は突然シュンとなって手を離した。
「まぁ、なんていうか、裕ちゃんらしいよね、そういうとこ」
亜弥がきょとんとした顔をする。
「裕ちゃんってさ、結構人の気持ち考えられないとこあるし。自己中だし。わがままだし、
根に持つタイプだし……」
「そ、そんなことないもん!」
叫んでから、亜弥はあわてて口を押さえる。

そんな姿を見て、真希は笑みを浮かべた。

好きなのに。
好きだけど。
好きだから。

どうしようもない感情を抑えることができない。
そんなところが微笑ましい。
532 名前:『絶対値』 投稿日:2004/02/29(日) 00:40

「許してあげなよ。落ち込んでたよ、口きいてもらえないって」
「いつ、言ってたんですか」
「朝。昇降口で会った」

亜弥は少し考え込むように、首を傾げる。
「来週には遊びに行くんだしさ。ね?」
多少の不満は残るようだが、亜弥は小さくうなずいた。
ほっと、隣で美貴が息をつく。
「……ごめんなさい」
あやまる亜弥の頭を軽くなでてやる。

素直だなぁ。

そんなことを思う。
自分が持っていないもの。
それを亜弥は持っている。
自分をひきつけて、美貴の心を溶かした、その素直さに、裕子は惹かれたのだろうか。
533 名前:『絶対値』 投稿日:2004/02/29(日) 00:40

「美貴には謝罪、なしですか」
ぶーたれた口調で美貴がぼやく。
亜弥はあわてて美貴のほうを見た。
ぺこぺこと頭を下げてあやまっている。

さて、カタもついたしそろそろ帰ろうか。
そんなことを考えていたら、パタとちょっと間抜けな音がした。
音のしたほうに目をやると、そこには白衣を着た裕子の姿。

「おぅ、やっぱりここにおったんか」
「……ゆ、センセイ」
パタパタとサンダルを鳴らしながら階段を上がって亜弥に近づく。
そして、ポスンと亜弥の頭に手を置いた。
「ごめんな、アンタの気持ちも考えんと」
前置きなしで、裕子は言った。
その言葉に、亜弥は頭を押さえられたままでふるふると首を振る。

さんざんグチを聞かされた身としては、あっさり許しちゃうのは微妙に納得がいかなかったが、
ここで突っ込んでこれ以上騒ぎを広げられても迷惑なので、黙っていることにした。
534 名前:『絶対値』 投稿日:2004/02/29(日) 00:41
裕子は身をかがめて、亜弥と目線を合わせる。
「許してくれるん?」
「……ぅん」
「そっか。ありがとな」
亜弥は裕子の手をとって、キュッと握る。
照れくさそうに裕子が微笑む。

なんとなく、真希はその光景を見つめた。

何ひとつ、共通するものなんてないのに、フラッシュバックする記憶。

もう、遥か記憶の彼方。
まだ、自分が本当に幼かった頃のこと。

目の前がゆがみかけて、そっと目を閉じる。
535 名前:『絶対値』 投稿日:2004/02/29(日) 00:41

「ごっちん?」
「んぁ?」
少しめんどくさそうな色の混じる、美貴の声。
目を開けると、裕子と亜弥は完全にふたりだけの世界を作ろうとしていた。
「美貴たち、帰ったほうがいいんじゃない?」
「ん、そうだね」
立ち上がって、スカートをパンパンとはたく。
それから、裕子の肩を叩いた。

ハッと気づいたように、裕子が顔を上げる。
「裕ちゃん、ごとーたちもう帰るよ? 授業始まるし」
「あぁ、うん」
裕子も立ち上がって、それに引っ張られるように亜弥も立つ。
536 名前:『絶対値』 投稿日:2004/02/29(日) 00:41

「そんじゃね。あ、来週の日曜は9時に駅集合でよろしく」
「え、それいつ決まったの?」
聞いてきたのは美貴。
「今。なんか不都合ある?」
「や、ないけど」
「松浦もオッケーです」

「裕ちゃんは?」
「……わかったわ」
低血圧で朝早起きするのが苦手な裕子は明らかに不満そうだったけれど、
亜弥がオッケー出してるのに文句を言えなかったんだろう。
しぶしぶうなずいた。
「そんじゃ、そーゆーことで」

裕子とは階段を降りたところで、美貴と亜弥とは1年生の教室に行く途中で別れる。
537 名前:『絶対値』 投稿日:2004/02/29(日) 00:42
真希はふるりと頭を振った。
正直、授業を受けたい気分じゃない。
さっきの、フラッシュバックした記憶が、頭から離れない。

それでも、授業をサボったら気持ちを持て余しそうな気がして。
授業でも受けていれば、少しは気も紛れるかもしれないと、足を教室へと向ける。

「いい加減、しなくっちゃな……裕ちゃん離れ」

誰に言うでもなく、ぽつりとつぶやいた。
538 名前:『絶対値』 投稿日:2004/02/29(日) 00:42

 ◇ ◇ ◇
539 名前:『絶対値』 投稿日:2004/02/29(日) 00:44

本日はここまでです。
自分でもどうなるか先が読めず…w

ストックは多少あるので、しばらくはそれなりのペースで
更新していけると思います。
540 名前: 投稿日:2004/02/29(日) 00:44

名前変え忘れました_| ̄|○
541 名前:名無し読者 投稿日:2004/02/29(日) 10:57
裕ちゃん離れ・・・ごまゆうキター〜!!!
切ないごっちん。可愛い〜。
姐さんはごっちんの微妙な心理に気がつく事ができるのか?(w
先が早く読みたくてたまりません。(w
542 名前:名無し読者 投稿日:2004/03/01(月) 01:33
後藤はせつないな。大人への一歩階段をのぼるって感じですね。
543 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/01(月) 03:06
ヘンテコないい四人組、健在ですね。
後藤さんと中澤さん、どんなだったのかどうなるのか楽しみ
2月の空気も感じられて爽やかです
544 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/07(日) 15:49
真希が裕子と初めて会ったのは、6歳のとき。

真希自身ははっきり自分の年齢を覚えていたわけではなかったけれど、
裕子の姿はよく覚えていた。
18歳にしてはひどく投げやりな雰囲気で、18歳だと言っていた。
だったら、自分は6歳だった。それだけのこと。

真希の育った環境は、その頃すでに少しばかり複雑だった。

裕子と出会ったとき、真希は本当の両親とは暮らしていなかった。
父親は3歳のときに亡くなったと聞いた。
そして母親は……。
父親が亡くなったのをきっかけに、暴力を振るうようになった。
それに気がついたのが、死んだ父親の姉夫婦だった。
真希を母親から保護し、守ってくれた。

それが、今の両親だ。
545 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/07(日) 15:49
両親にはすでに子供がいたけれど、わけ隔てなく真希を育ててくれた。
怒ってもくれたし、ほめてもくれた。
幼心にとても感謝していた。
本当の両親のように思ってもいた。

けれど、言えないこともあった。
どうしても、負い目を感じていることを。
自分がいらない子なんだと、疎まれるような子なんだという気持ちが、頭から離れなかった。

だから、絶対的に両親に甘えられなかった。
これだけよくしてくれるのに、そんなふうにしか思えないことがさらに負い目になった。
そしてその負い目は、真希を口数の少ない、感情表現の乏しい子にしていた。

そんなとき、出会ったのが裕子だった。
546 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/07(日) 15:50

 ◇ ◇ ◇
547 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/07(日) 15:50

『真希ちゃーん』
階下から呼ばれて、真希は1階へと降りていった。
リビングをのぞくと、そこには両親と姉と、ひとりの女の人が立っていた。
見たことのない人。
ジーンズに白いダウンジャケットといういでたち。
片足に体重をかけて立つその姿勢は、ちょっと不良っぽい。
口元に笑みは浮かべていたものの、目深に被った帽子の下からのぞく瞳は、けだるそうに見えた。

『このお姉ちゃんは、裕子ちゃん。今日から1か月うちに泊まることになったから、よろしくね』
母親が優しくゆっくりと教えてくれる。

裕子は母親の一番上の姉の子供。
つまり、真希とはイトコ同士なんだと説明された。
どうして1か月も家にいるのかは、説明はされたがよくわからなかった。
ただ、なんだか大学がどうとかこうとか言っていて。
そのためには、うちが都合がいいらしいということだけはわかった。
548 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/07(日) 15:51
真希が顔を上げると、「裕子ちゃん」は苦笑いを浮かべていた。
『あの、アタシ、ちゃんって歳やないんですけど』
多少不満げに訴えてはいたけれど、子供に呼びにくいからと、そのまま通されてしまった。

『こっちは妹の真希ちゃん。ほら、ごあいさつして』
背中を押されて、一歩前に進み出る。
ぺこりと小さくお辞儀をして「裕子ちゃん」を見上げる。
『ごとーまきです』
へえ、と裕子は感心したような、どこかバカにしたような声を上げた。
『よろしくな』
笑っていても、自分を見下ろしてくるその瞳は決して笑っていない。
ただただ、めんどくさそうに揺れているだけ。

両親も姉も、そのことには気づいていないようだった。
うっすらと浮かべられた笑みは、どこか人懐こくも見える。
元々がきれいな顔立ちをしているから、微笑まれるとそれにだまされるのかもしれない。
549 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/07(日) 15:51
ささっと、母親の足元に隠れる。
『あら、恥ずかしがってるの? 真希ちゃんは照れ屋さんだから』
あははと、笑いが起こる。
彼女も笑っている。
だけど、それもウソだ。

背中を駆け上がる戦慄を感じて、真希は母親の服をギュッと握り締めた。

彼女の瞳は、傷をえぐる。
その、表情と裏腹な眼差しは――あれは、自分を切り捨てた母親と同じ眼だ。
本心を隠して、表面だけで人と接しようとする。
そんな、人間の目だ。

最悪の第一印象だったから、真希は誰かと一緒でなければ、裕子のそばに寄ろうとは
しなかった。
裕子もそんなことは気にしていないのか、話しかけてこようとはしなかった。
何より、話すことなど自分たちの間にはなかったから。

あの日までは――。
550 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/07(日) 15:51

 ◇ ◇ ◇
551 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/07(日) 15:52
それはたぶん、裕子が家にやってきて、1週間くらいたってからのことだったと思う。
昼間、昼寝をしすぎたせいで、真希は夜寝られなくなっていた。
隣に並んで寝ている姉は、すーすーと規則的な寝息を立てて、とっくの昔に夢の世界に
旅立ってしまっている。
今が何時かはわからないけれど、とにかく静かだった。

 コトン

そんな静かな空間に、小さな音が響いた。

いろいろな出来事を経験してきたせいか、真希は歳よりもやたら大人びた子供だった。
サンタさんなんかいない。
幽霊なんて信じない。
奇妙なほどのリアリスト。
この年頃の子なら怖がるであろう暗闇も、モノともしない。
怖がるどころか、この音が何かを確認しようと、そろそろと寝床を抜け出した。
音を立てないように、そっと部屋のドアを開けた。

忍び足で廊下に出ると、真っ暗な中、ぼんやりとした光がこぼれだしているところがあった。
自分たちの部屋の隣。
そこは、裕子が間借りしている部屋だった。
552 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/07(日) 15:52

――もしかしたら、なにかわるいことをしているのかもしれない。

裕子に心を許していない真希が、一番最初に考えたのがそれだった。
忍び足のまま、ゆっくりゆっくりと明かりの漏れているところへと近づく。
そして、そーっとすき間から部屋の中をのぞきこむと……。

『こら』

いきなり背後から声をかけられた。

『ひっ……』
『あ』

悲鳴が口からこぼれそうになった瞬間、冷たい手が口をふさぐ。

『静かにしぃ。みんな起きてしまうやんか』

そう言われても、震えは急に止まるもんじゃない。
それに気づいたのか、声の主は背後から真希の口をふさいだまま、ドアを開けて部屋の中へと
真希を連れ込む。

そして、しっかりドアを閉めてから、やっと手を離してくれた。
553 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/07(日) 15:52

『ぷはっ……』
『なんや、そんなに強くおさえたおぼえないで?』

部屋の中は煌々と明かりが照っていて、それだけでも真希には十分安心を与えてくれた。
ずっと、ガランとして何もなかったその部屋には、今は小さな机と片隅にたたまれた
布団が置かれていた。

呼吸を整えて、ゆっくり振り返る。
そこには、ドアをふさぐように仁王立ちしている裕子の姿。

『のぞき見はいい趣味とは言えんなぁ』

あやまることもせず、震えそうになるのを抑えてキッと裕子をにらみ上げる。
そうでもしないと、恐怖に負けてしまいそうだった。
裕子はそんな真希を、最初に見たときと同じ、めんどくさそうな瞳のままで見つめ、
めんどくさそうに頭をかいた。

『悪いことしたら、ごめんなさいや』
ガシッと真希の頭に手を伸ばし、ぐいっと下に押し付けようとする。
抗おうとしたけれど、力で叶うはずもなく、真希はお辞儀する形になる。
554 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/07(日) 15:53

『ごめんなさいは?』
『……ごめんなさい』

きつい口調が飛んできて、反射的に真希の口からは言葉がこぼれていた。
それを聞くと、裕子はあっさりと手を離してくれた。

必死に逆らおうとしていたので、反動で後ろに反り返りそうになる。
何とか踏ん張ってそれをこらえると、自分の脇を通り抜けて行った裕子を振り返る。

裕子は畳まれたままの布団に座って、壁に背中をつけていた。
うつろな瞳を真希に向けて、口を開く。

『もう寝なさい』

ぽつりと、静かな空間に言葉がこぼれる。
裕子は壁にもたれたまま、もう目を閉じていた。
勉強をするわけでもなく、といって、布団に横になるわけでもない。
555 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/07(日) 15:53
そのまま帰ればよかったのに。
なぜか、裕子から目が離せなくなっていた。
相変わらず、裕子の本心は見えないのに。
その表情も、眼差しも、見せかけだけのものでしかないとわかっているのに。

その言葉の端々に感じる、かみ合わない感覚。

なにかがちがう。
なにがちがう?

視線を感じたのか、裕子がまぶたを上げた。
うつろな瞳はけだるそうな色に変わり、見ているとも見ていないともつかない眼差しで
自分を見つめてくる。

『何?』
『あ、あの……ゆーこちゃんは……』
何を言ったらいいかわからなかったが、何か言わなきゃいけないような気がして、
真希は口を開いた。
『あぁ、やめてぇや、その呼び方』

ピシリと言われて、身を縮める。
556 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/07(日) 15:54

『え、えっと……ゆーこさんは……』
『ちょお待って』

カシカシとめんどくさそうに裕子は頭をかく。
その表情は、今までに見たものとは少し違っていた。
片方の眉だけを上げた、微妙な顔。

『それもなんか、なぁ』
ぶつぶつと口の中だけで何かをつぶやいている。
『せや、裕ちゃんでええわ』
と思ったら、急にそんなことを言ってきた。

『ゆ、ゆーちゃん……?』
まぁ、いいにくくはない。
ゆーこちゃんよりは、このひとにあってるきがする。

そう思ったので、その提案は素直に飲むことにした。
557 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/07(日) 15:54

『ゆーちゃん』
『ん。で、何?』
『えっと……』
言いたいことがあったわけじゃない。
だから、うまく言葉が出なくて。
『ゆーちゃんは、ねないの?』
思いっきり、気になっていることを素直に言ってしまった。
『は?』
『……おふとん、たたんだままだよ』

言ってしまったらしょうがない。
その辺の切り替えは真希は早かった。
とりあえず、そのことを聞いてしまうことにした。
……ほかに、話題も思いつかなかったから。

『……んー、寝るよ。アンタが出てったら』

その言葉はウソだと思った。
根拠はない。
ただのカンだ。
558 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/07(日) 15:54

『ウソ』
言わなきゃいいのに、また思わず素直に言ってしまっていた。
裕子の眉間にギュッときついしわが寄る。

『……なんでそう思う』
『わ、わかんないけど……』

ギューッと眉間にしわを寄せたまま、裕子は真希を見つめ続ける。
視線をそらそうとしても、体が動かない。

百科事典で見た「ヘビがカエルににらまれる」っていうのは、きっとこういう
ことなんだろうと、そんなことを考えてしまっていた。

『真希……やったっけ』
無意識に、体がビクッと跳ねた。

心臓が一気に鼓動のスピードを上げる。
体中にものすごい緊張が走る。
足がガクガクしてくる。
559 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/07(日) 15:55

『真希?』
そんな真希の様子に気づいたのか、裕子の声音が変わった。
けれど、真希にはその裕子の姿も、よく見えなくなっていた。

目の前が白く染まる。
まるで、霧がかかったかのように。
遠くで何かがこだまして聞こえてくる。
それが何かはわからない。

ただ、自分を包む空気が、怖かった。

『真希!』

ピシリ

頭の奥のほうで、何かが割れる音がした。
560 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/07(日) 15:55

『やだああぁぁぁぁぁ……あぁぁ……!』

誰かの悲鳴が聞こえる。
悲しそうな声。

なかないで。
なかないでよ。
ねぇ、ごとーまでかなしくなっちゃうからさ。
なかないでよ、ねぇ。
なかないで、よぉ……。

……………
…………
………
……
561 名前: 投稿日:2004/03/07(日) 15:59

更新しました。

いつもの更新ペースと変わらず…_| ̄|○
もう少し、過去話で進みます。
562 名前: 投稿日:2004/03/07(日) 16:04
レス、ありがとうございます。

>>541
きましたーw
現在のふたりはちょっと先になっちゃいますが、
お付き合いいただければ、と思います。

>>542
せつなさ感じていただけてうれしいです。
うまくこれからもその切ない空気を出していきたいなと。

>>543
相変わらず騒動の絶えない4人ですがw
ごっちんとねーさんがどうだったのか、ちょっとだけ書いてみましたが。
いかがでしょう?
563 名前:名無し読者 投稿日:2004/03/08(月) 01:50
待ってました(w
過去編ってか出会い編ですね。
よく考えれば12歳の年の差・・・干支ひと回り・・・。
そんなに離れてるのに、精神面で支えられる裕ちゃんって。へたれバンザイ〜!!!(w
564 名前:名無し読者。 投稿日:2004/03/09(火) 02:00
先が気になる〜。
ごまゆーって何か好きです。
565 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/11(木) 01:30
目が覚めたら、そこは見慣れた部屋だった。
見慣れた天井。
見慣れた机。
見慣れたカーテン。

そして、見慣れぬ人。

『ゆーちゃん……』
いつもより少しだけ表情をゆがめて自分を見下ろしているのが見えた。
茶色い髪がいつもより茶色く見えるのは、外から入ってくる光のせいだろうか。
呼び声には答えずに、そっと手を伸ばしてくる。
軽く、前髪を揺らすように、頭に触れる。

裕子は何か言いたげに口を開きかけたが、その口から言葉はこぼれなかった。
触れていただけだった手が、ゆっくりと頭を撫でる。

『ゆーちゃん……?』
ゆっくりと体を起こす。
何があったのかよく覚えていないけれど、体の具合は悪くない。
だるくもないし、頭痛もしない。熱くもないし、寒くもない。

裕子の手は頭を離れ、今は裕子の体の前でもう片方の手と組まれている。
そして、裕子はその手を見つめるようにうつむいていた。
566 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/11(木) 01:31

『ゆーちゃん』
『真希』
不意に顔が上がって、その強い眼差しに射すくめられる。
ビクリとまた体が跳ねる。
心臓が一気に鼓動のスピードを上げる。

おもいだした。
おもいだした。
いったいなにがあったのか。

『や……』
のどから何かがこぼれ落ちそうになった瞬間。
体があたたかいものに包まれていた。
トクトクと聞こえる、静かな音。
ほんの少し漂ってくる、甘い香り。
規則的に叩かれる背中。

目を閉じてされるがままになっていると、それだけで気持ちが落ち着いてくる。
567 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/11(木) 01:31

『大丈夫か?』
耳をつけているところが、小さく震えた。
それで、自分は抱きしめられているんだとわかった。
ここは裕子の腕の中なのだ。
その声に答えるように、小さくうなずく。
裕子がふーっと息を吐く音が聞こえた。

『話は聞いた』
抱きしめられたまま、顔を見上げることはせず、真希は裕子の胸に顔をうずめた。

真希は元々賢い子だったうえに、いろいろなことがあったせいで、この頃すでに
ひどく大人びた子になっていた。
自分がどんな境遇にあったのかも理解していたし、自分だけが本当の家族ではないことも
わかっていた。
けれど、その事実をきちんと理解していることを表に出したことはなかった。
もしそうしてしまったら、両親や姉を悲しませることになりそうだったから。
だから、いつもほんの少し歳よりも子供びて見せようとしていた。

何も知らないフリをしていれば、みんなが幸せになれると思っていた。
自分も幸せでいられると思っていた。
568 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/11(木) 01:31
だから、裕子に対してもそうしようとした。

『はなしってなに?』

けれど、裕子はそうさせてはくれなかった。

『真希』
名前を呼ばれて、ビクリと体が跳ねる。
それに気づいた裕子の手が、少し力を増す。
体全体を伝わってくる温もりが、真希の気持ちを落ち着かせてくれた。

『アンタは、自分の名前、キライなん?』

んぁ、そうか。
ぜんぶしってるんだ。
きいちゃったんだ。

裕子の胸に顔をうずめたまま、真希は6歳児らしからぬため息をついていた。
569 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/11(木) 01:32
真希は自分の名前を呼び捨てにされることを、何よりも恐れていた。
それは、あの人が自分を殴りつける合図だったから。
「真希ちゃん」と呼ばれているときはよかった。
けれど、「真希」と呼ぶときは、間違いなく自分を傷つけていく合図だったから。
そう呼ばれることを拒絶した。

だから、真希は自分を「ごとー」と呼ぶのだ。
あの頃の記憶をなくしたくて。
自分はこの家の子なんだと信じたくて。
その事実を、自分で確認したくて。

それだけ、昔の自分を忘れたいのに。
それでも、この名前だけは捨てられなかった。
いっそ、この名前をキライだったらどんなによかっただろうかと思う。
だけど、この名前は、優しかった父親がつけてくれたものだから。
父親との微かな思い出は今でも真希の中に残っているから。
あたたかさとやさしさに包まれていた世界は、今も記憶の中にあるから。
この名前は捨てられなかった。
570 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/11(木) 01:33

『どうなん?』
裕子の問いかけに、真希はふるふると首を振った。
『きらいじゃない、よ』

きらいじゃないけど、と真希は静かに言葉を紡いだ。
『やっぱりちょっと』

まだこわいな。

その言葉は口から出たのだろうか。

真希の記憶にはなかった。
ただ、泣いていた。
涙が止まらなかった。
涙が止まらなくて、裕子にしがみついて泣いていた。

『……ぉ……か……さ』

そんな真希を、裕子は何も言わずに抱いてくれていた。
泣き止むまで、ずっと。
優しく、優しく背中を撫でながら。
571 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/11(木) 01:33
どのくらいそうしていたのか。
気がつけば眠っていたようで、真希はふと目を覚ました。
部屋の中は真っ暗で、カーテンのひかれていない窓から、街灯の明かりが入り込んできていた。

動こうとして、動けなかった。
背中にも胸にも、圧迫感がある。
そーっと頭を動かすと、かっくりとうなだれている裕子の横顔が目に飛び込んできた。
眠っているのか、目は閉じられたまま、すーすーと規則的な息が聞こえる。

裕子が眠っているところを見たのは初めてだった。
うつろだったりけだるそうだったりする瞳は今はまぶたの奥に閉じ込められて、
いつもよりもうんと幼く見える。
そして、優しく、か細くも見えた。
572 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/11(木) 01:33

『……ゆーちゃん?』
小さな声で呼びかけると、ピクッと頭が動いて、まぶたが開いた。
まだ寝ぼけているのか、焦点の合わない瞳で、裕子は真希を見る。
それから、もう一度まぶたを閉じて、いきなりパチッと開く。
その奥に見えたのは……いつもと変わらぬけだるそうな色。

ゆっくりと真希を拘束していた手を離す。
『ごめん、苦しかったやろ』
そう言って、そっと頭を撫でられた。
真希はふるふると首を振った。

裕子のなんら変わりのないはずの眼差しが、ひどく居心地が悪い。
胸の奥がむずむずする。

なにかがちがう。
なにがちがう?
573 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/11(木) 01:34

『真希』
ぽつりとつぶやかれて、真希はまた肩を揺らした。
裕子がそっと手を伸ばして、真希の手を握る。
決してあたたかいとは言えない手だったが、それでもぬくもりは伝わってきた。

『真希って、ええ名前やなぁ』
『へ……?』
突然言われて、驚いて裕子を見やる。
裕子は完全に開いていないまぶたの奥の瞳をぼんやりと真希に向けている。

もしかしたら、本当に寝ぼけているだけなのかもしれなかった。
それでも、裕子はいつもとはだいぶ違うやわらかい口調で続ける。

『アタシは好きやで』

あっさりと、言われたことのない言葉を言われた。
574 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/11(木) 01:34

 いいこだね

こんな言葉は、何度も聞いた。
それは嬉しかったけれど、真希にとっては当たり前のことだった。
嫌われないように、捨てられないように、必死になってきたから。

両親も姉も、そんなことをしなくても自分を愛してくれている。
それはわかっていたけれど。
この生活を、家族を、大切に思っているけれど。

こんな風に正面切って、何の飾りもなしに「好き」だと言われたのは初めてで。
それは、自分そのものに向けられたものではないかもしれないけれど、それでも、
ただ素直に嬉しかった。

 カチャン

遠くで音が聞こえた。
575 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/11(木) 01:34

『おかーさんのお帰りやな』
握っていた手が離される。
急に、手が冷たくなる。

裕子は静かに立ち上がって、部屋のドアを開けた。
廊下から、光が部屋の中に差し込んでくる。
『ゆーちゃん』
真希の声に、裕子はゆっくりと振り返った。
光が背中から差してきて、表情はほとんど見えない。



『負けんなや』



裕子はどんな顔をしていたんだろう。
だけど、その顔を確認するよりも早く、裕子は部屋を出て行ってしまい、
入れ代わるように母親が入ってきた。

――ゆーちゃん……。

母親の声を聞きながら、裕子の背中に思いをはせる。
あのときの声は。
その声音は。
真希が違和感を覚えるほど、優しく、強く、悲しく響いてきた。
576 名前: 投稿日:2004/03/11(木) 01:42
ちょっとだけ更新。
まだまだ過去は続きます…。

レス、ありがとうございます。

>>563
待たせましたw
ねーさんは、年齢差をもろともせずに支えられてますねぇ。
何しろ、ヘタレですからw

>>564
こんな感じになってます。
同年代のハロプロメンバーはみんな「中澤さん」って呼ぶところ、
ごっちんだけが「裕ちゃん」って呼べるとこがいいんですよねぇw
577 名前:名無し読者 投稿日:2004/03/11(木) 01:54
なんだか、せつないけど温かいお話で好きです。
578 名前:名無し読者 投稿日:2004/03/12(金) 00:48
ごまゆーっていいですね。
後藤が「裕ちゃん」って呼ぶ事が好きなのかも(w
579 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/12(金) 22:33
幼いのにいろいろ背負った後藤さんがいたいけでもう…。
過去の書き込まれることでこの世界により一層厚みを感じています。
こうだから今の二人の絆があるんですね。続きを楽しみにしています。
580 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/14(日) 20:33
それから。

裕子への苦手意識は真希の中からは消えた。
優しくて強くて悲しいあの声が、心の中から消えなくなった。

あのひとはほんとうはいいひとなんだ。

根拠のない確証だけが心を埋め尽くす。

もっともっと裕子のことが知りたくて。
もっともっと裕子と話したくて。
ことあるごとにその機会を狙ったのだけれど。
どうにもならなかった。

裕子は勉強が忙しいのか、ほとんど部屋の外にいるところを見たことがなかった。
たまに見かけても、その瞳は以前と同じようにけだるそうな色を浮かべているだけで。
それに、けだるそうなのは瞳の色だけではなくなっていて。
なんだか、いちいち動くのもめんどくさそうだったので、真希からは話しかけることができなかった。
581 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/14(日) 20:33
そして、あっという間に3週間。

夜ごはんを食べている真っ最中に、母親から裕子が明日帰ることを聞かされた。

聞いた瞬間、茶碗と箸を放り出して、真希は裕子の部屋へと駆け上がっていた。
ドアを開け放つと、壁にもたれて目を閉じている裕子の姿が飛び込んできた。
音に気づいたんだろう、ゆるゆるとまぶたが開く。

『なんや、うっさいなぁ』
『ゆーちゃん、ゆーちゃ……!』

動こうとはせず、裕子はそのままの姿勢でじっと真希を見る。
真希は裕子に駆け寄ると、その腕にしがみついた。

『あ、あした……』
『あぁ、聞いたんや。ん、明日帰るよ』
『あ、う、えっと、えっと……』

勢いだけできてしまって、何をしたいのか自分でわからない。
1か月だけってことはわかってたから、引き止める気があったわけじゃない。
なのに、ならなんで……。
582 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/14(日) 20:34
『落ち着きって』
ポンポンと頭を軽く叩いて、それからひょいっと手を伸ばしてくる。
何がしたいのかと思ったら、ほっぺたを人差し指で触られた。
『アンタ、ごはんの真っ最中やったやろ。行儀悪いで』
その指に白いごはん粒がついているのが見えた。
裕子は小さく笑うと、ぱくっとそれを口にくわえる。

『ご、ごめんなさい』
『あやまるんはアタシにやなくて、おかーさんにやろ。ごはん、ちゃんと食べてき』
うなずくけれど、その手を離せなくて。
それを見た裕子が苦笑いを浮かべた。

『逃げたりせんから。ここにおるから』
ギュッと裕子の手を握り締めて、それから意を決して裕子を見上げる。
『ゆーちゃん……』
『なんや』
『きょう、ゆーちゃんと、ねたらだめかなぁ?』
『はぁ?』
『……だめ?』
裕子はギュッと眉間にしわを寄せて真希を見下ろしていた。
それから少し息を吐いて、また小さく笑った。

『ちゃーんとごはん食べて、お風呂入って歯磨きしてくるんやで?』
その優しい声に、真希は手を離した。
『あぁ、それから、枕も持っておいで』
小さくうなずいて、パタパタと階段を降りる。
583 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/14(日) 20:35
食卓に戻ったら、母親から雷を落とされた。
ごめんなさいとあやまって、ごはんを食べ、急いでお風呂に入って、パジャマに着替える。
丁寧に歯磨きをして、言われたとおりに枕を持って、裕子の部屋を訪れた。
今度は軽くノックをする。

『開いてるで』
部屋の中から声が聞こえてきて、真希はそっとドアを開けた。
裕子はさっきと同じ場所、同じ姿勢で、そこから真希を見ていた。
ただ違うのは、たたまれたままだった布団が敷かれていること。
『いらっしゃい』
笑顔で招き入れられて、真希はそっと裕子のそばへと寄る。

『ゆーちゃん?』
『ほら、湯冷めする前に、入り』
ふわっと掛け布団をめくられる。
真希は素直にそこに入りつつ、めくっていた裕子の手を握った。
『ゆーちゃんもねようよ』
『んー……』
『ゆーちゃん』
少し強く言うと、裕子は小さく息を吐いて、隣に入ってきた。
584 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/14(日) 20:36
すごく近くに裕子の顔がある。
それは、あの日、抱きしめられていたあのとき以来。
片手を曲げてそこに自分の頭を乗せた姿勢から、裕子のけだるげな瞳が降り注ぐ。

『ゆーちゃん』
『なんやねん。さっきからゆーちゃんゆーちゃんって。アタシはここにおるって言うたやろ』
『だってぇ……』

――あしたからはゆーちゃんってよんでもへんじしてくれないじゃん。

それは言葉にできなかった。
言わなくたって本当になることはわかっていたけれど。
言ってしまうと、それがすごく早くきてしまいそうな気がしたから。

許しを乞わずに目の前の裕子の体にキュウッと抱きつく。
裕子は一瞬驚いたのか言葉をとめたが、嫌がるふうでもなく、そのまま抱きつかせてくれた。

『アンタ、あったかいなぁ』
ふっと、裕子が背中に手を回してきた。
『いい湯たんぽになりそうや』
『ごとー、ゆたんぽじゃないもん』
はは、と乾いた笑い声が頭の上で聞こえる。
『アンタ抱きしめとったら、いい夢見られそうや』
585 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/14(日) 20:36
そんなことを言われて、真希はむぅっと頬をふくらませた。
しかし、あることに気づいて、ぷしゅうと頬から息を出す。

そして、ほんの少し体を離して、裕子の顔を見上げた。

『ゆーちゃんは、なんでねないの?』
『んー?』
ほんの少し、裕子の声音が変わる。
少しだけ、重たくてだるそうになる。

機嫌が悪いのかと思ったら、そうではなかった。
どうやら、眠たくなっているらしい。
あくびをかみ殺している姿が見えた。

『ゆーちゃん?』
『……不眠症って、アンタに言ってもわからんやろなぁ』
『ふみんしょう?』
『んー、上手に寝られへん人のことや。ほら、昼寝したら夜寝られなくなったりするやろ?』
『うん』
『昼寝もしてへんのに、夜寝られへんねん。そんな感じの人のことや』
『ゆーちゃんもなの?』
『んー、まぁな。アタシはちょっとずつしか寝られへんねん。すぐ目覚めてしまうんや』
『……だいじょうぶなの?』
586 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/14(日) 20:37
心配そうな声音が届いたのか、裕子が頭を撫でてきた。
『まだ生きとるし。大丈夫やろ』

たぶん、それは冗談で言ったんだと思う。
だけど、その言葉に真希の心は揺れた。

『しんじゃったり、するの』
『ん?』
『やだよ』
『何が』
『しんじゃったらやだよ』
『は?』
『やだやだやだ! ゆーちゃんしんじゃやだ!』
『や、ちょ、ちょお待ってや』

いきなりバタバタと暴れだした真希に驚いたのか、裕子は真希の両手を握ってそれをとめた。
ひょいっと顔をのぞきこんでくる。

『なんやねん、いったい』
『ゆーちゃん、まけんなってゆったじゃん。ゆーちゃんだってまけたらやだよ』
587 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/14(日) 20:37
意味を成しているような成していないような言葉。
けれど、裕子はそれで意味を察したのだろう。
あぁ、と小さくつぶやいて真希の手を離し、そっと抱きしめた。

『ごめんごめん。大丈夫やって』
『ほんと?』
『ほんとや』
『まけないってやくそくしてくれる?』
『ん、約束する』

その言葉に安心して、真希は裕子の胸に顔をうずめた。

裕子は真希が眠るまで、そっとそっと髪を撫でていてくれた。
そのぬくもりが心地よくて、真希はそのまま裕子にしがみついた手を離さなかった。

次の日の朝、母親が起こしにきたときも、真希は裕子にしがみついたままだった。
あんまりにもべったりだったので、少し不満そうだった。
裕子ちゃんにはあっさりなつくのねぇ、という言葉に、裕子が微妙な顔をしたのを覚えている。
588 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/14(日) 20:37
別れはひどくあっさりしていた。
朝、真希と姉は学校へ行かなくてはならなくて。
裕子とは家を出る時間がずれていた。
本当なら裕子が出かけるまで一緒にいたかったけれど、そんなわがままは許されるわけもなく。
真希はしぶしぶ姉と一緒に家を出た。

行ってきます、と家を出るとき、裕子は両親と一緒に玄関先から見送ってくれた。
相変わらずのけだるそうな眼差しに、ほんの少し、やわらかい光を宿して。

その日以来、裕子と連絡を取り合うことはなかったけれど、裕子の一言で、真希は
ほんの少しずつではあったが変わりつつあった。

裕子との約束を守ろう。
何があっても、負けないように強くなろう。
そう思うようになった。
相変わらず口数は少なくて、あまり人と関わろうとしないところも変わりはなかったので、
他人からはまったく気づかれない程度の変わり方でしかなかったが。

そして、裕子はといえば。
元々めんどくさがりの裕子のこと。
年賀状も届きはしなかったし、家に遊びに来ることもなかった。
ましてや、当時は携帯電話なんて持ってなかったから、簡単に連絡を取ることもできなくて。

真希が次に裕子に会ったのは、それから2年も経ってからだった――。
589 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/14(日) 20:38

 ◇ ◇ ◇
590 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/14(日) 20:41

「裕ちゃーん」
ガラッと保健室のドアを開けたら、誰もいなかった。
「裕ちゃん?」
「んー、おるよ」
奥までのぞこうとしたら、返事があった。
ベッドのさらに奥、ちょうどグランドの見えるあたりの窓際に、裕子は腕組みして立っていた。
「何してんの?」
聞かなくてもわかったが、一応聞いてみた。
「ん、松浦がな」

やっぱり。

グランドのほうを見つめる裕子の眼差しは、この上なくやさしくてあったかい。
今、裕子にこんな顔をさせられるのは、真希の知る限りひとりしかいない。

「ちょうど授業らしいんやけど、ここの前通るから見といてくれーってうるさくて」
目的は果たしたのだろう、カーテンを引くと、自分の机のほうへと戻ってくる。
「で、アンタはどうしたん?」
「んぁ。ちょっとベッド借りようと思って」
「授業は」
「自習」
「自習っちゅーんは、保健室で寝ることとは違うやろ」
「いいんだよ、睡眠学習するから」
「なんのこっちゃ」
591 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/14(日) 20:42
結局、ちゃんとした許可は取らなかったが、勝手にベッド周りのカーテンを開けると、
ベッドに近づいて腰を下ろす。
裕子は机に向かうと、なにやらうつむいて書き物をはじめてしまった。
その姿をじっと見ていると、視線に気づいたのか、裕子が顔を上げてきた。
怪訝そうな瞳が自分を映しこもうとする。

「寝るんやなかったんかい」
「寝るけどさ」
真希は髪を自分の手で軽くすいた。

「裕ちゃんさ」
「なんや」
「裕ちゃんって、なんで保健室の先生になろうと思ったの?」
裕子の手が止まる。
「進路相談は、担任のセンセイとせぇや」
「……そーゆーんじゃなくて、素朴な疑問ってヤツだよ」

裕子はんーと、考えるように腕を組んだ。

「なんでやったかなぁ。期待するほど高尚な理由はなかった気がするで?」
「んぁ。先生の中でも保健の先生選んだ理由とかないのかなと思って」
「んー、保健室ってベッドあるやん」
にやっと笑う裕子。
「裕ちゃん。ごとーはマジメに聞いてるんだけど」
592 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/14(日) 20:42
少し強い口調で言うと、裕子はにやにや笑いを消すように、頬に手を当てた。
すっと、表情が変わる。
「それを、アンタが、アタシに聞くんか」
目を細めて、少しだけ緊張した面持ちになる。
「知っとるクセに」

その顔を見て、真希はカシカシと頭をかいた。
直接、その口から聞いたことはないけれど、薄々理由はわかっていた。
それじゃ、なんでそれを今さら聞こうと思ったのか。

こんな顔を、させたかったからじゃない。

「ごめん」
あやまると、ふっと空気が緩んだ気がした。
裕子の顔にはさっきまでの表情はなく、いつもの穏やかな笑顔に戻っている。
「どうしたんや、めずらしいな」
真希は居心地が悪くなって、もう一度頭をカシカシとかく。
「夢、見たんだ」
「夢?」
「裕ちゃんと、初めて会ったときの」

裕子の表情が、ほんの少しゆがんだ。
それは初めて裕子と別れたとき。
真希の母親に「裕子ちゃんにはあっさりなつくのねぇ」と言われたときに見せた、
微妙な表情に似ていた。
593 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/14(日) 20:44

「覚えてる?」
裕子は微妙な表情を曖昧な笑みに変えた。
「……ほんの、ちょっとだけな」

……あぁ。

後悔の念に襲われる。
この話をすれば、裕子がどう反応するかなんてわかりきっていること。
それなのに、なんでこんなことを言っているんだろう。
どうも、自分が不安定だ。
言わなくてもいいことばかり、言いすぎてる。
あの夢が、懐かしすぎたせいだろうか。

「――」
口を開きかけたところで、部屋にピロピロと間抜けな音が鳴り響いた。
「はい?」
裕子が机の上にあった受話器を握る。
「あぁ、はい。わかりました」
カチャンと、軽い音がして、受話器が置かれる。
それから、裕子はイスから立ち上がった。
594 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/14(日) 20:44

「呼び出し。ちょっと出てくるけど、ひとりで平気か?」
「へーきだよ。病気じゃないんだから」
「偉そうに言うこととちゃうやん。とりあえず、おとなしく寝とき」
「んぁ」
「ホントの病人がきたら、譲るんやで」
「わかってる」

裕子は苦笑いを浮かべながら、白衣を翻して部屋から出て行った。
カラカラピシャンと、ドアの音。
部屋に静寂が訪れる。

真希はベッドにあお向けになった。
特に具合が悪いわけでも、調子が悪いわけでもない。
強いて言えば、気分が悪い。
気持ちが悪いのではなく、裕子にあんな顔をさせた自分が気に入らない。
眠ってしまえば忘れられるだろうか。
逆に、また夢を見るかもしれない。

だけど、うだうだ考えてるよりはマシかもしれない。
だから、真希は目を閉じた。
そして、体から力を抜いた。
595 名前: 投稿日:2004/03/14(日) 20:54
更新しました。
まだ過去モード…もう、しばし。

レス、ありがとうございます。

>>577
ありがとうございます。
切な系になっちゃうんですが、それだけにはならないようにがんばります。

>>578
「裕ちゃん」って呼ぶのが好きだといいですねぇw
このふたりも書いてて楽しいです。
もちろん、メインふたりも楽しいんですが(浮気者・爆)

>>579
ちっちゃいごっちんはこれからまだがんばりますw
本編では描ききれなかったふたりの絆をきっちり描けたらいいなぁと。
596 名前:名無し読者 投稿日:2004/03/17(水) 23:26
過去編なにげに好きです。
不眠症の原因は何なのか・・・どうやって良くなったのか・・・気になるな〜(w
597 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/19(金) 20:33
深いし熱いなあ、この二人の間は。
後藤の幼い心理が凄く胸に迫ってきましたよ。
本編での「裕ちゃんは絶対だから」って言葉の重さが分かってきました。
598 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/21(日) 00:28
それは、本当にある日突然訪れた。

朝、なぜかこの日は寝坊した。
気がつけば、隣に寝ているはずの姉はいなくて、あわてて階段を駆け下りる。
『おかーさん!』

リビングの入り口から声をかけると、いつもはこの時間エプロン姿の母親が、
見たこともない服を着ているのが見えた。
なんだか、先生みたいな服だった。

くるりと母親が振り返る。
いつもは見せたことのない、真剣で深刻な眼差しに、思わず立ちすくむ。
599 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/21(日) 00:29

『おかーさん……』
『真希ちゃん』
声音までもが真剣で深刻だ。
それだけで、指先が震えてくるのがわかった。
抑え込みたくて、ギュッと手を握り締める。

『ごはん、食べなさい』
『で、でも、ちこくしちゃう……』
『今日は学校お休みしていいから』
『……でも』
母親はゆっくりと真希に近づくと、そっと頭をなでた。
『今日はお母さんと一緒にきて? ね?』
うっすらと笑みを浮かべる。

言いたいことはよくわからなかった。
どうして姉も父親も一緒に行かないのに、自分だけが行かなくてはならないのか。
ただ、母親は真剣で深刻でありながら、とても悲しそうな顔をしていたので。
うなずくことしかできなかった。
600 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/21(日) 00:29

 ◇ ◇ ◇
601 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/21(日) 00:29
いつもと違う、ほんの少しおめかしした格好。
連れてこられた場所は、大きな病院だった。

入口で、母親と似た人にあいさつをする。
母親ではない誰かにも似ている。
誰だろう。
懸命に考えては見たけれど、思い出せない。
思い出すよりも先に、真希は母親に手をとられて、病院の奥の奥、なにやら立て札を
立てられた通路を通って、かなり奥まで連れてこられていた。

入口や待合室とは違って、そのあたりはほとんど人気がなかった。
シンと静まり返る空間に、息が詰まる。
消毒薬のにおいが鼻につく。

イヤな記憶がよみがえって、真希は母親の服をつかんだ。
それに気づいたのか、母親は真希の手を握ってくれた。
降りそそぐやさしい眼差しに、少しだけ心が落ち着く。

母親に似た人は、軽くドアをノックした。
中から返事はなかったが、ノブを回して部屋の中に入ってしまう。
真希は手を引かれたまま、同じように部屋の中へと連れて行かれた。
602 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/21(日) 00:30
部屋の中は、奇妙さを感じるほど白かった。
白い天井に白い壁。
白いカーテンに白い布団。
なんだかわからない、透明な袋と透明なチューブ。
そのチューブはベッドの上へと続いている。
そして――。
そのチューブの先にいる人の姿を見て、真希は息を呑んだ。

手から力が抜ける。
カタカタと、体が震え始める。
わけもわからずに、目の端から涙がこぼれ落ちてくる。
けれど、その人は、自分のことなど目にも入っていないようで。
ただ、うつろな視線を宙に向けていた。

そこにいた人は。
頬がこけ、瞳からは光も何も消えてしまっていて。
パジャマの下からのぞく両腕は、真っ白な包帯で包み込まれていて。
真希が出会った頃の面影は、限りなく奥底にしまわれてしまっていたけれど。

『――っ、ゆーちゃ……』

それは間違いなく――裕子だった。
603 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/21(日) 00:30
こぼれ落ちるような言葉が聞こえたのだろうか。
ふっと、裕子の頭が動いた。
焦点の合わない瞳が、ぼんやりと自分のほうに向いてくる。
危うく後ずさりしそうになって、なんとか踏みとどまった。
ギュッと唇を噛み締めて、裕子にまっすぐな視線を返す。

不意に、その瞳の焦点が合っていくところを真希は見た。
瞳の奥に、静かな光が宿る。
表情のなかった顔が、呆然としたものに変わっていく。
その姿に、確かに以前の裕子を見たその瞬間、何を思ったのか裕子はチューブを
引きちぎって、ベッドから這い出そうとした。
母親と母親に似たその人があわてて裕子に近づくが、両腕をぶんぶんと振って、
裕子はそれを阻止する。
そして、ドスンという鈍い音を立ててベッドから転げ落ちた。

『ゆーちゃん!』
あわてて駆け寄ると、裕子は突然ものすごい力で真希の腕を握った。
それから、確認するように真希の顔を両手で挟んでじっと見つめる。
『……まきぃ』
ふにゃりと、その表情が崩れた。
あの頃には見たこともなかった笑顔。
ずっと見たいと思っていたけれど、それはとても悲しい笑顔だった。
604 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/21(日) 00:30
じわりと、裕子の腕の包帯の一部が赤く染まるのが見えた。
あわてて裕子に視線を戻しても、裕子はそんなことを気にしているふうでもない。
『ゆーちゃん。ねぇ、どーしたの?』
真希の問いかけに答えはない。
裕子は悲しい笑顔を浮かべたまま、今度はギュッと真希を抱きしめてきた。
コツンと肩に何かが当たる。
裕子の髪が頬をくすぐる。
『なぁ、アタシ、約束守ってるで? アンタとの約束、忘れてへんで?』
突然のことに、一瞬何を言われているのかわからなかった。
ただ、裕子は「約束」という言葉を繰り返す。

『なぁ、アタシ、守れてるやろ? 約束、破ってへんよな?』
『う、うん……』
小さくうなずいて、真希はやっとその言葉の意味をつかんだ。

2年前、別れる前の日の夜、自分が言ったその言葉。

 まけないってやくそく

それを、裕子は守っていると、破っていないと、忘れていないと繰り返す。
それがいったい、裕子の何になっているのか、真希にはわからない。
ただ、顔を上げてまた自分を見つめてくるその瞳がひどく切なく、か細く見えて。
真希は静かに裕子を抱きしめ返していた。
その肩の細さに、涙がこみ上げてくる。
605 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/21(日) 00:31

『よかったぁ』
ほっと、裕子が息をつく音が聞こえた。
『怒られたらどうしようかと思ったわ』
真希は首をかしげた。
言っている意味がわからない。
裕子にとって、あの約束はそんなに意味があるものなのだろうか。

『アンタには怒られたくないんや。アンタには嫌われたくないんや。ウソツキなんて
思われたくないんや』
たった1回、それも2年も前に会ったきりの自分になぜそこまで固執するのか。
それもわからない。
今、裕子が言っていることのどれひとつとして、真希には理解できなかった。
『アンタ、だけや、もん。ホントに、アタシ……を……わか……て、くれる……』
不意に、裕子の言葉が途絶えた。
自分を抱きしめていた手から力が抜けている。
がくりと首をうなだれて、全体重が体にのしかかってくる。
危うく倒れそうになって、真希は必死で裕子を抱えた。

あわてて大人たちが駆け寄ってくる。
けれど、状況は悪かったわけではない。
裕子はただ、真希にもたれたまま眠ってしまっただけだった。
606 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/21(日) 00:31
大人たちは裕子をベッドに戻し、ナースコールを押す。
看護婦がくるのにあわせるように、真希は母親たちと病室を出た。
そして、病院の外のベンチに連れて行かれた。
そこで初めて、母親に似たその人は、裕子の母親なんだとわかった。

そのときふたりが何を話していたのかは、まったく覚えていない。
というか、難しすぎて全然わからなかった。
ただ、確証もなく理解したのは、今の裕子がひどく傷ついていて不安定なんだということ。
そして、自分を必要としているということ。
自分だけが、裕子を守れるんだということ。

理由はいらない。
もし、必要とされていなかったとしても、きっとそうしただろう。
ただ、そうしたかったから。
裕子を守りたかったから。

だから守ろう。
守っていこう。
守りぬこう。

ゼッタイに、守ってみせる。

絶対に。
607 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/21(日) 00:31
それから。
真希は毎日のように、裕子のお見舞いに行った。
裕子は急速によくなっているふうではなかったが、それでも真希が行くとぼんやりとした表情が
やさしい色に変わり、柔らかな光を瞳に宿すようになった。
会話の最中に泣き出したり怒り出したりしていた不安定さも影を潜めるようになった。
そんな日が静かに続いて。

ある日、また病院に行こうとしたら、病院の入口に見慣れた人が立っているのが見えた。
『ゆーちゃん』
駆け寄ると、裕子は手を伸ばしてわしわしと頭をなでてきた。
服装は、病室にいた頃とは違う、ちゃんとした洋服。
こけていた頬はほとんど元通りになり、表情も穏やかだ。
『たいいんしたの?』
『おかげさまで。まだちょっと様子見やけどな』
なでていた手を離す。
その、裕子の袖から一瞬だけのぞいた白い絆創膏。
その数の多さに一瞬目を奪われた。
608 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/21(日) 00:32
ずっと裕子の両腕を覆っていた包帯は今は取り払われているようだった。
視線に気づいたのか、裕子が苦笑いを浮かべた。
『気になるか』
『ちょっと』
裕子はんーと少しだけ悩んだ素振りを見せた。

けれど、それも一瞬だけで、にかっと笑う。
『これはな、アタシがどんだけダメな人間かの証明、みたいなもんやな』
『ゆーちゃんはダメじゃないよ』
反射的に、そう言っていた。
ひとかけらのウソもついていないから、胸を張って。
ふっと空気が漏れて、また裕子の手が真希の頭に伸びてくる。
わしわしと頭をなでられて、力が抜ける。

『話、聞いてくれるか』
『ゆーちゃん』
『アンタに、聞いてほしいんや』
そう言われては断るわけにもいかなくて。
真希はうなずいた。
609 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/21(日) 00:32
手をつないで。
病院から歩き出しながら。
裕子は静かに語り始めた。

『アタシはな、お母さんを守りたかったんや』

たぶん、そんな言葉で言い尽くせることではないのだろう。
だけど、真希にわかるように、裕子は易しい言葉で語った。

裕子の父親がいわゆるお金と権力を持っている人だったこと。
そして、それ以上に神経質な人だったこと。
母親は父親のことばかりを気にして、それでもしょっちゅう暴力を振るわれていたこと。
そんな中、裕子はとにかく、いい子であろうとしていたこと。

『お父さんが喜ぶようないい子になれたら、アタシらも普通の家族になれるんやないかって
思っとったんや』

実際。
父親の望んだ高校に入り、入ってからも成績がよかった裕子に、父親は喜んだし機嫌もよかった。
母親への暴力もほとんどなくなった。
だから、このままでいればいいんだと思った。
このままでいさえすれば、普通の家族としてやっていけると。
610 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/21(日) 00:32

『けどな、それができへんかったんや』

苦々しい口調は誰に向けられているものかわからない。
ただ、裕子はほんの少し苦しそうに息を吐いた。

『アタシには夢があった。やりたいことがあった。けど、それはお父さんのために
いい子でいたらできへんことやった』

その兆候は真希と出会った頃からあった。
眠ることができない。
いつも体がだるい。
動くことが面倒で、目を開けていることさえつらかったときもある。

それでも。
いい子でいようとして。
いい子でいようとしすぎて。
裕子の心は真っ二つに割れてしまったのだ。
611 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/21(日) 00:32

『そんでな、こんなことするようになってしまったんや』
ひょいっと、袖をまくって腕の絆創膏をあらわにする。
改めてその数の多さに息を呑む。
『こんなこと……って?』
『これな、アタシが自分でつけた傷なんやって』
まるで他人事のように語る裕子が不思議で、真希は首をかしげた。
それに気づいたのか、裕子はまた苦笑いを浮かべる。

『あやふややったな。けどごめんな、アタシ、実はな、よく覚えてへんねん』
『おぼえてない?』
『アンタがお見舞いに来てくれるようになったことは覚えてる。そっから先のこともな。
けど、その前のこと、入院してたこととか、その前のこととか、はっきりわからんのや』
カシカシとバツが悪そうに裕子が頭をかく。
『実を言うと、アンタと初めて会うたときのことも、あやふやなんや』
612 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/21(日) 00:33
その言葉に、真希は少なからずショックを受けた。
たった1か月足らず。
そのうち、まともにしゃべったのはほんの1日にも満たないけれど、それでもあのとき
裕子に会えたことは、真希を変えたのに。
それを、裕子が覚えてないなんて。

気がつけば、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちていた。
裕子があわててしゃがみこむと、顔をのぞきこんでくる。
『あぁ、ごめん、ごめんなぁ』
ふるふると首を振る。

困ったような裕子の声が胸に痛い。
だって、きっと、苦しいのは裕子のほうなのに。
記憶が欠けてしまうほど、つらい思いをしてきたのは裕子なのに。
自分が泣いちゃいけない。
ぐっと歯を食いしばって、真希はぐいぐいと涙を袖口でぬぐった。
613 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/21(日) 00:33

『でもさ、それじゃゆーちゃん、なんでごとーのこと、おぼえてたの? やくそくしたこと
だって、おぼえてたじゃん』

そうだ。
覚えていないのなら、なぜ自分は呼ばれたんだろう。
後から聞いたことだけれど、あの時自分が連れられていったのは、裕子がしきりに
自分の名前を呼ぶからだということだった。

『アタシもよくわかれへんけど……』
ふっと、やわらかい声音が響いてきた。
『アンタと、アタシは似てるって思ったからなんやないかな。その……境遇がな』
目の前の裕子は、とてもやさしい顔をしていた。
これが、裕子の本当の顔。
けだるそうでもめんどくさそうでもない、やさしい顔だ。
『親といざこざがあったんは、アタシの周りにはアンタしかおらんかったから。
アンタなら、わかってくれる、そう思ったんやろな、きっと』
そう、裕子は独り言のようにつぶやいた。

『大人のやることとちゃうよなぁ。アンタはまだ子供やのに』
そんなアンタに頼ろうとするなんて、と自嘲気味に裕子がつぶやいたのを聞きとめて、
真希は裕子の手を強く握った。
『大人とか子どもとかかんけーないよ』
裕子が真希を見つめて首を傾げる。
614 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/21(日) 00:33

ひつようとしてくれてうれしかった。
ごとーでも、だれかのためになれるんだって思えたから。
いらない子じゃないんだって、ゆーちゃんが教えてくれたんだよ。
それに……。

『ゆーちゃんのためなら、ごとー、なんだってできるよ』
真希は裕子に満面の笑顔を向けた。
『だって、ごとー、ゆーちゃんのこと大すきだもん』
その言葉に、裕子も笑顔を返す。
『アタシも真希のこと、大好きやで』
『ちがうの!』
真希の強い言葉に、裕子がびっくりした顔になる。
真希はもう一度にっこりと笑って見せた。
それから、裕子の手を引っ張ってかがませると、耳元にそっと口を寄せた。

ナイショだけどね、と前置きをしてからひそひそ声でささやく。
『おとーさんよりもおかーさんよりも、おねーちゃんよりも』


『              
                 』
615 名前: 投稿日:2004/03/21(日) 00:40
更新しました。
痛くならない、はずたったのに、
なんかいろいろ痛くなってます(苦笑


レス、ありがとうございます。

>>596
好きといっていただけてうれしいです。
子供のごっちんを書くのはなかなか大変ですが、
ちまちました姿を想像しながら書いてみましたw

>>597
深く熱く、マグマがグツグツと(違
実はかなり親密だったんですw
今回の更新で「絶対」っぷりに拍車がかかったかと…。
616 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/21(日) 01:09
ごとーさん健気だよーいい子だよー可愛いよー。
裕ちゃん儚げだよーせつないよー。
……二人の絆が強い、強いぞ。
負けてるっぽいぞ松浦さん。押されてるっぽいぞ松浦さん。頑張れ松浦さん。
617 名前:名無し読者 投稿日:2004/03/21(日) 10:51
なんか二人がせつなくて泣いちゃった
618 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/25(木) 01:07

「……っ!」

視界に入ってきた世界は、ひどく白かった。
その一部の隙もない白さに、速くなりすぎた鼓動がさらに勢いを増す。
目を閉じて額に手を当てて、じっと鼓動に耳を傾ける。
ふーっと息を吐くと、ほんの少しだけ体の熱が取れていく気がした。

何度か深呼吸をして、鼓動がいつものペースを取り戻したことを確認する。
それからゆっくり目を開けて、イヤになるほど白いカーテンに焦点を合わせた。

――ありえないよ、そんなの。

心の中に湧き上がってきた気持ちを、言葉を、感情を、否定してはみるけれど、
それが意味のないことなのは、さっきまでの自分が知っている。
一気に駆け上がっていった鼓動が。
頭の中で繰り返し繰り返しこだまする言葉が。

忘れていたわけじゃないのに。
なんで、今まで思い出さなかったんだろう。

もう一度、大きく深呼吸をする。
そして、ベッドに転がって、天井を見上げた。
619 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/25(木) 01:08
幼かった頃に気づかなかったこと。
ずっと後になって気づいたこと。

真希は裕子に母親を重ねていた。
表情と裏腹な眼差しを見せる母親と、同じような瞳をしていた裕子。
ふたりを同じ位置に置いて見ていた。
もし、裕子に好かれることができたなら、母親に切り捨てられた自分をなかったことに
できるような気がして。
裕子に必要とされることができたなら、自分はいてもいい存在だと思える気がして。

そして実際、裕子は自分を好きになってくれたし、自分を必要としてくれた。
だから、真希にとっての裕子は、より「絶対」の存在になった。
母親と同じ存在に。

――そっか……。

冷静になって、ふと気づく。
その「絶対」という枠組みを、真希は言葉どおり「絶対」にしていたのだ。
620 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/25(木) 01:08
絶対に裕子を裏切らない。
絶対に裕子を傷つけない。
それは、母親ではない人への、母親に対する愛情。
だから、いびつなものになってしまったのだろうか。
本当ならどこかで離れていくはずだったのに、当たり前のように残ってしまった。

何度か自分を襲ったかみ合わない感覚は、それに対する警告だったのかもしれない。
目の前の人は母親ではないと、教えてくれていたのかもしれない。
けれど、自分にとってそれは最も必要ない言葉だったから。
気づかないフリをしたんだ。

忘れていたわけじゃない。
ただ、「絶対」という鉄の壁に覆われて、中心にある自分の思いは見えなくなった。
見る必要がなくなった。

じゃあ、その「絶対」を取り払ったなら。
その後に残るのは――。
621 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/25(木) 01:09

――……ありえないよ、ホント。

考える必要なんてない。
どうすればいいかなんてわかりきってることだ。
自分の行動の最優先事項はいつも変わらない。
いつまでも変わらない。

変わりはしない、はず、だったのに。

真希は起き上がると、ぐしゃぐしゃと髪を両手でかき乱した。

それは、約束。
それは、誓い。
誰と交わしたものでもない、この世の誰も知らないもの。
それでも、自分だけは知っている。
それこそが、真希の価値規範であり、行動基準だった。

だから。
たとえ、世の中のすべてがその誓いを破ることを望んでいたとしても。
本人がそれを希望していたとしても。
何があっても、自分だけは、それはしないと、誓っていたのに。
そして、それを実践してきたのに。
622 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/25(木) 01:10



今頃になって、気づいてしまうなんて。





その誓いを、完全に打ち砕く、自分の気持ちに。




623 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/25(木) 01:10

「せんせー」

突然、シンと静まり返っていた部屋に聞きなれた声が響いてきた。
顔を上げると、入口からずかずかと中に入ってくる人の横顔が見えた。

「んだ、いないのか」
文句をつぶやきながら、勝手知ったる感じで、戸棚に向かう。
がさがさと何かしていたかと思うと、あっさりと用事は済んだのか、くるりと
振り返った。
そこで、目があった。

カーテンを閉め忘れていたことを、後悔した。
そして、同じくらいの重さで感謝もした。

「ごっちん、何してんの」

白い湿布薬を巻いたまま、人差し指をまっすぐ伸ばしたちょっと間抜けな体勢で
声をかけてきたのは、美貴だった。
624 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/25(木) 01:10

「睡眠学習中」
「って、起きてんじゃん。何、自習?」
「そんなとこ。ミキティこそ、どうしたの」
「いやー、突き指しちゃってさ」
伸ばしたままの人差し指をひらひらと振る。
「まっつーは、一緒じゃないんだ」
保健室行くって言ったら、ついてきそうだけど。
そう続けると、美貴は苦々しい顔をして見せた。
「危うくついてこられそうになったけどさ。うっとうしいから、強引に置いてきた」

最近は、美貴も亜弥の相手をするのがうまくなったなと思う。
それでも、振り回すパワーは亜弥のほうが断然上だけれど、それでもうまく
付き合えるようになったんじゃないかとは思う。
元々、美貴は団体行動が好きじゃないし、人づき合いもうまくはない。
それが心配の種だったんだけど、亜弥と出会えたことで少しは変わりはじめているようだ。
あの、かなり強引な性格は、美貴にはある意味合っているんだろう。

まぁ、あの裕ちゃんと付き合ってるんだから。
ミキティと付き合うことは、さほど苦にはならないだろうけど。

屈折してる屈折してるというけれど、美貴はそれなりにまっすぐだしわかりやすい。
それに引きかえ、裕子は自分の本心を迷路の中に隠そうとする人だから。
裕子と付き合えれば、大概の人とは付き合っていけるんじゃないかと思う。
625 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/25(木) 01:11
ふっと息を吐いたら、目の前が影になった。
顔を上げるとそこには、少しだけ神妙な顔をした美貴の姿があった。

「どうかした?」
不意に声をかけられて、真希は首を傾げた。
「何が?」
「調子、悪そうな顔してるよ」
「寝起きだからだよ、たぶん」
なんとなくじっと見つめられているのが居心地悪くて、真希は頬に手を当てた。
それから、首を左右に動かす。
パキポキと小さな音が聞こえた。

危うく暴走しそうだった気持ちが、美貴を見たことで落ち着いた。

気づいてしまったら、もう元には戻れない。
だったら、認めなくちゃならない。
その、事実を。
それからどうするかは、これから決めることだけど。
とにかく、逃げることだけはもう、許されないし、できないんだ。
626 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/25(木) 01:11

 キーンコーン……

チャイムが鳴った。

「んじゃ、美貴は行くけど」
「んぁ、ごとーも適当に帰るよ」
ベッドから足をそむけて、美貴は保健室の出入り口へと向かう。
その背中をぼんやりと見送っていたら、美貴が振り返った。

その顔は、さっきと変わらず神妙で。
相変わらずちょっとこわいなぁと思わせる。

「ごっちん」
少しざわめきだした空間に、美貴の声が静かに響く。
「美貴は、必要?」
627 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/25(木) 01:12
その言葉は唐突過ぎて、真希は首を傾げた。
けれど、美貴はその場から動こうとしない。
明らかに、その言葉に対する返事を待っている。

まっすぐに向けられたその瞳は、真摯でやさしくて、切なげで。
真希は目を閉じてその視界を閉ざした。

美貴は何に気づいているというんだろう。
それほど、人のことに敏感とは思えないのに。

くるくると回る、感情の渦。
過去の記憶と、今の気持ち。

それをいったん押しとどめて、また長く息を吐く。
ゆっくりと目を開けて、さっきと変わらぬ姿勢で自分を見つめる美貴と
視線を交わす。
それから、小さく笑って首を振った。
「今は、いい」
628 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/25(木) 01:12
その答えに満足したのか、美貴は小さくうなずくと、「またね」とだけ言い残して
部屋を出て行った。
扉が閉まると、また静寂が戻る。

真希は、コツコツと額をこぶしで叩いた。

どんなに考えたって。
どんなに悩んだって。
たとえ、その先の未来が無数に枝分かれしていたとしても。
今、この瞬間、自分が出せる結論は、ふたつしかない。

そして、そのうちのひとつは、自分を根底から覆す。
すべてを、壊す。

それを選ぶなんてありえない。
昨日までの自分なら、瞬時に判断できたはずだ。
それが今、どうしてできないのか。

……結局、ごとーも、自分がいちばんなんだ。

ふぅっと息をつく。

どうするか。
どうしようか。

気持ちはよりいっそう、ぐるぐると体を駆け巡る。
まるで、真希自身を飲み込もうとしているかのように。
629 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/25(木) 01:13

「……真希?」

名前を呼ばれて顔を上げると、そこには裕子の顔があった。
いつものおちゃらけた表情ではない、どこか真剣な顔。
眉根を寄せて、じっと自分を見つめている。

めずらしいな、と思った。

いまだに学校では亜弥のことを名字で呼び続けるように、裕子は相変わらず
学校にいるときは自分を名前では呼ばなかったから。
そんなに、動揺させるような顔をしていたんだろうか。

「なんや、ホントに具合悪かったんか?」
返事をするより先に、裕子の手が伸びてくる。
ひやりとした感覚に、身を引きそうになって何とか押し留まる。
「熱はないみたいやけど」
「ちょっと寝不足なだけだよ」
「寝不足? アンタが?」
この上なく驚いた口調で、裕子が目を丸くする。

確かに、寝るのは好きだけど。
ごっちんは、空気を吸うのと同じように寝てるよねってミキティにも言われたけど。
そこまで驚かなくても。
630 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/25(木) 01:14
そんな不満が顔に出ていたのか、裕子は苦笑して真希の頭を軽く叩いた。
「……もうちょっと寝てくか?」
「んぁ。さすがに連続はヤバイから、戻るよ」
笑みを浮かべて、ベッドから降りる。
「ベッド、ありがとね」
「真希」

部屋から出ようとして、声をかけられた。
振り返ると、微妙な表情を浮かべた裕子と目が合う。

「ムリはすんなや」
「ん」

ひらひらと手を振って、保健室を後にする。
廊下は少しひんやりした空気が流れていて、すーっと息を吸い込むと、体の中が
一気に冷える気がした。

明日の、あさっての、未来の自分がどんな選択をするとしても。
せめて。
せめて、その場の勢いだけで決めてしまわないように。
暴走にまかせることだけはしないように。

誰にともなく、真希は願った。
今は願うことしか、できなかった。
631 名前: 投稿日:2004/03/25(木) 01:20
更新しました。
久々に現代(?)に戻ってまいりました。
その途端、ちょっと大変なことになったような……(汗


レス、ありがとうございます。

>>616
ふたりの絆はほんとに強いです。書いててびっくりw
そして……。あやや、ホント出番がない_| ̄|○
次回は出ますが……相変わらずマイペースかもw

>>617
な、泣いていただいちゃったんですかw
でも、まだまだ切なくなるかも……です。
632 名前:名無し読者 投稿日:2004/03/28(日) 11:22
もしかして、ごっちんは・・・・
633 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/29(月) 00:41

「うっしゃー! 次はあれ行きましょー!」

日曜日。
真希と裕子と亜弥と美貴は、裕子の車で遊園地までやってきていた。
ここを選んだのは亜弥。
さすがに自分で選んだだけあって、そのはしゃぎようといったらない。
完全に子供に戻っている。

「ちょ、ちょお待ってぇや」

ぐいぐいと亜弥に手を引かれる形で、息も絶え絶えに裕子が続く。
そりゃムリもない。
2時間近く車の運転をさせられて、あげく、さっきから亜弥の選ぶ乗り物といったら、
絶叫マシンばかりなのだから。
バレンタインのときのことがあるから、裕子も亜弥に強くは出れないようで、
振り回されっぱなし。
さすがに、そろそろ見ているほうが気の毒になってくる。
634 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/29(月) 00:42

「まっつー」
笑顔を炸裂させている子どもの彼女に声をかける。
ほっといたらぴょんぴょんと跳ね回りそうだった足をしっかりと地につけて、
亜弥が視線を送ってきた。
「ちょっと休憩しようよ。裕ちゃん、さすがにばててるって」
言われて亜弥は裕子の顔を見る。
裕子はそんな亜弥のきょとんとした顔に、苦笑する。
「それに、ちょうどいい時間だし」
目につくところにあった大きな時計は、11時半を少し過ぎたところだった。
「ちょっと早いけど、お昼にしようよ」

亜弥は真希と裕子の顔を見比べて、それからうなずいた。
ほんの少しだけ、バツが悪そうな顔をしていたのは、はしゃぎすぎた自分に
気づいたっていうところだろう。

でもまぁ、コイビトと遊園地ではしゃぐなんて、かわいいじゃん。

なんとなく、そんなことを思う。
思わず微笑んでいたけれど、その微笑には、ため息というそぐわないものまで
ついてきた。
真希自身も気づかないところで。
ただ、美貴だけが、一瞬だけ眉根を寄せて、そんな真希の後ろ姿を見つめていた。
635 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/29(月) 00:42

 ◇ ◇ ◇
636 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/29(月) 00:42

「は〜や〜くぅ〜!」

昼ごはんを食べ終えて、休息をとったのもつかの間。
午後も亜弥ははしゃぎ通しだった。
何がそんなに楽しいんだろうと思って聞いたら、裕子と遊園地に来るのはこれが初めてだそうだ。
これまでどこでデートしてたのかとも思ったが、それは聞かなかった。
たぶん、めんどくさがりの裕子のことだ。
忙しさにかまけて、めったにデートらしいデートなんてしてなかったんだろう。

そんなこんなで、裕子も美貴も真希までも、亜弥に振り回されっぱなしだった。
立て続けに絶叫マシンに乗りすぎて、裕子はともかく、美貴の顔色までも悪くなりはじめている。
もしかしたら、自分もそんな顔色なのかもしれない。

「ん〜じゃ〜ね〜、今度はあれ!」
亜弥が指差すのは、ここにきて一番最初に乗ったジェットコースター。
ごく最近できたばかりで、ほとんど垂直に落ちるっていうのがウリ。
あちこちのテレビやら雑誌やらで紹介されたので、かなりの人気だ。
来てすぐ並んで、それでも1時間半待たされた。
今も、かなり行列している。
これに、また乗ろうというらしい。
637 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/29(月) 00:42

「ごとー、パス」
「えぇ!? なんでですかぁ!?」
「待ってるの疲れるんだもん。ごとー休んでるからさ、みんなで行ってきなよ」
ひらひらと手を振る。
「――」
真希の言葉に光明を見出したのか、美貴が口を開きかけた。
その瞬間、

「アタシもパス」

亜弥の後方から静かな声が響いた。
くるりと亜弥が振り返る。
美貴と真希の視線も声の主に向けられる。

少しばかり疲れの色をにじませた表情で、裕子もひらひらと手を振っていた。
638 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/29(月) 00:43

「えー!」
「『えー!』やあらへんわ! アタシやって疲れたっちゅーねん!」
裕子がキレた。
それでも、よくもったほうだなと思う。
普段なら、たぶんお昼の時点でキレてただろうから。
「ホント、休ませてぇや」
手近のベンチがちょうど開いて、裕子はそこに腰を下ろした。
それからゆっくり顔を上げて、まっすぐ視線を向けた先には……美貴。
美貴が一瞬、身を引きかけたのがわかった。

「藤本が一緒に行ってくれるゆーから、ふたりで行ってきぃ」
にやりと笑う。
「えぇ!? 美貴、そんなこと言った覚え、ないですよ!」
「言わんでもわかるわ」
「横暴です!」

ギロリ

裕子ににらまれて、美貴が今度こそ身を引いた。
639 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/29(月) 00:43

「行け。ミキ人28号」
「ってぇ! ミキ人ってなんですかぁ! しかも、美貴、28番目!?」
かなり動揺しているんだろう、言ってることが支離滅裂になっている。
「じゃあ、みきたんと一緒に行ってくるから、ここにいてね?」
ほんの少し残念そうではあったけれど、それでも相当乗りたいのだろう。
ぎゃーぎゃー騒ぎ立てている美貴を横目に、亜弥は美貴の腕をがっしりとつかむと、
にこやかに言った。
裕子もそれに笑顔を返してうなずく。

「や、ちょっと、美貴の意見は?」
「いーけ」
ガチャコン、と操縦桿を操作するような手つきを裕子は見せた。
それでどうこうなるわけでもないのだが、美貴は明らかに力をなくした。
そして、亜弥に引きずられて、列の最後尾につれられていってしまった。
640 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/29(月) 00:43
それを手を振って見送ると、ふたりの姿が見えなくなったところで、
真希は振り返って裕子を見た。
「なんか飲み物買ってくるよ。何がいい?」
「んー? コーヒーでええわ。あったかいやつな」
「りょーかい」

裕子の分のコーヒーと、自分の分のお茶を買って戻ってきたら、裕子は寒そうに身を縮めて
ベンチの上に座ったままだった。
「はい」
「お、さんきゅ」
コーヒーを受け取ってもすぐにあけることはせず、その細い缶を両手で包み込んで
はーっと息を吐く。
「寒いんだったらさ、どっか入ってようよ。メール入れとけばいいじゃん」

「んー」
真希の言葉を聞いているのかいないのか、裕子は長蛇の列を見つめながら、缶を開けた。
それから、一口だけ口をつける。
「ここで待っとるって約束したしなぁ」
641 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/29(月) 00:44
しみじみ、裕子は変わったなと思う。
以前は自己中というか、よくいえば臨機応変に物事に対応していた。
今ならどこか屋内に入って、時間を見計らって出てくるくらいのことはしただろう。
それが、ここで待っていようとしている。
寒さに震えながらも、亜弥との約束を守るほうを選ぼうとしている。
そのくらい、亜弥のことを大切に思っているということか。

お茶の缶に口をつけて、はふーと息をつく。
その音を聞きつけたのか、くるりと裕子が振り返った。
まっすぐな眼差しに、少し居心地が悪くなる。

と、裕子が携帯を取り出して、なにやらいじり始めた。
それからパタンと音を立てて携帯を閉じると、顔を上げる。
「なら、行こか」
「待ってるんじゃなかったの?」
「メール入れたし。アンタも寒そうやからな」
一度だけ腕時計を見て、裕子はベンチから立ち上がった。
特に真希のほうを見るでもなく、歩いていってしまう。
真希はあわててその背中を追いかけた。
642 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/29(月) 00:44

 ◇ ◇ ◇
643 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/29(月) 00:44
なぜか遊園地にはつきもののゲームセンターをのぞいたり、ちょっとお茶したりして
いるうちに、時間はあっという間に過ぎた。
ピピピと、裕子の携帯電話が鳴る。
「ぼちぼち時間やな。いっとこか?」
「んぁ」

店を出て、裕子の少し後ろを真希は歩く。
髪の根本が少し黒くなっているのが見えた。
そろそろ美容室に行くんだろう。
今度はどんな色にする気だろうか。
一時期、金色を通り越して、黄色だったこともあったっけ。
あのときは、アニメキャラみたいだって散々笑い転げた。
教育実習に行くんだって、黒く染めていたこともあった。
裕子には言わなかったが、似合わないと思った。
でも、今思えば、あれはあれでレアだった。

伸ばしたり短くしたり、裕子の髪はとにかくどこかひとつに落ち着いていたことがない。
きっとこれからも、いろんな色になるし、いろんな髪型になるんだろう。
そう、これからも。
644 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/29(月) 00:45
ピタリと真希は足を止めた。
裕子はそのまま2、3歩足を進め、それからふと気づいたように振り返った。
「真希?」

その眼差しは、今まで見てきた裕子のものとほとんど違いはない。
けれど、明らかに穏やかになりやさしくなり、そして強くなっている。
時々理由もなく揺れていた不安定さはもうひとかけらもその姿を見せない。

それはたぶん、自分だけにわかる違い。
自分にしかわからない、些細な違い。

「どした? 調子悪いんか?」
裕子が近づいてくる。
真希は薄く笑って首を振った。

心配そうな眼差しに居心地が悪くなる。
トクトクと、心臓の音が耳に迫ってくる。
645 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/29(月) 00:45

言ってしまおう。

『せかい―――の―――――――
 ――――――――――――――』

言っちゃいけない。

『―――――――だ―よりも
 ――――――――――――――』

言ってしまえ。

『――――――――――――
 ゆーちゃ―が――――――――』

言っちゃダメだ。

『――――――――――――
 ――――――イチバ―――だよ』
646 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/29(月) 00:45
目の前がちかちかしてきて、真希は目を閉じた。

ざわめきも、裕子の声さえも聞こえない。
トクトクと、心臓の音だけが聞こえてくる。

体を揺さぶられて、すぐに目を開ける。
眼前に迫るのは、心配そうな顔をした裕子。

ふっと、周囲の音が戻ってくる。
ざわざわとした人の声、アトラクションの機械音。
木々を揺らす風の音と、自分の吐息の音。

「大丈夫か?」

そして、裕子の声。
不安げな眼差しに、また薄く笑って見せる。
ゆっくりと返事をしようと口を開いて、そこからこぼれ落ちたのは――。
647 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/29(月) 00:45



「好き」



肩に触れている裕子の手が、一瞬ピクリと動いた。
けれど、それは本当に一瞬で、もう動こうとはしない。

結局。
選ぶのはこれしかなかった。
648 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/29(月) 00:46
自分の気持ちに気づいたとき、選択肢はふたつあると思っていた。
言うか。
言わないか。
そして、それを選ぶことができると思っていた。
だけど、それは最初から不可能なことだったのだ。

選択肢はひとつしかなかったのだから、選択の余地などありはしない。
手に入るとは思っていないけれど。
伝えないなんてありえない。
そうするだけではつらすぎる。
そうするだけでは前に進めない。
離れることさえ、できないから。

裕子を傷つけたくはない。
それは今でも変わっていない。
自分も傷つきたくはない。
それはたぶん当たり前のこと。

言ってしまえば、その先の道がどこに続いていたとしても、裕子は傷つくだろう。
裕子を傷つけたことで、自分も傷ついていくんだろう。
それはわかっていたけれど。
649 名前:『絶対値』 投稿日:2004/03/29(月) 00:46





ゴメンネ、裕ちゃん。





もう、守って、あげられない。



650 名前: 投稿日:2004/03/29(月) 00:48
更新しました。
ついに……ついに、でございます。


レス、ありがとうございます。

>>632
ごっちんは……でした。
予想、当たってましたでしょうか?w
651 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/29(月) 01:26
悲しいよお…
みんな頑張れ!
652 名前:名無し読者 投稿日:2004/03/29(月) 21:34
やっぱりごっちんは・・・・・なんだ。
続きが楽しみです!
653 名前:名無し読者 投稿日:2004/03/29(月) 22:52
とうとう告白キタ〜!!
この頃ごまゆうにはまりっ放しです(w
654 名前:『絶対値』 投稿日:2004/04/04(日) 18:17
ふっと、肩が軽くなった。
見ると、裕子は驚いた表情を見せたまま、瞳を揺らしている。

「裕ちゃんが好き」

その顔に心臓を握り締められた気がしたけれど、一度こぼれてしまえば、後はたやすくて。
壊れた蛇口のように、言葉が落ちる。

「世界中の誰よりも
 裕ちゃんがイチバン好きだよ」

それは、子供の頃と同じ告白。
思いはずっと、閉じ込められてからも何ひとつ変わっていなかった。
茶化されるかと思ったけれど、それはなく、この沈黙の時間が、裕子がちゃんと
受け止めてくれているんだとわからせてくれた。
最初で最後の、本当の告白を。

裕子の口が開きかけた。
と思ったら、すぐに閉じてしまう。
焦点が合ったりずれたり、瞳は落ち着きなく揺れ動いている。

真希はそんな裕子を見つめながら、自分でも気づかないうちに静かに微笑んでいた。
655 名前:『絶対値』 投稿日:2004/04/04(日) 18:17

ねえ、裕ちゃん。
裕ちゃんはやさしい人だけど。
自分が傷つくよりも人を傷つけることを嫌う人だけど。
今は。
今だけは。
やさしくなんてしないで。
無茶言ってるのはわかってるけど。
未練が残らないように。
後悔しないように。
この告白を悲しいだけのものにしないように。

断ち切って。

ただ1本の糸も残さずに。

教えて。

ただ1本もアナタへ通じる道がないことを。
656 名前:『絶対値』 投稿日:2004/04/04(日) 18:18

「アタシは……」
そんな思いが届いたわけでもないだろうが、不意に裕子が口を開いた。
その瞳からはさっきまでの揺れは消えて、静かに凪いでいるように見えた。
「アンタを……選ぶことは、できん。アタシは、もう、亜弥を選んどるし、
亜弥以外を、選ぶつもりも、ない」
雑踏に消えてしまいそうな声。
それでも、揺らぎなく真希の耳には聞こえてきた。

ちくりと胸が痛んだのはウソじゃない。
だけど、その言葉に心が軽くなったのもホントウだ。

そのまっすぐに向けられた瞳に笑いかける。

ありがとう、裕ちゃん。
わかってくれて。
657 名前:『絶対値』 投稿日:2004/04/04(日) 18:18
と、突然、どこからともなく着メロが聞こえてきた。
裕子がポケットの中から携帯を取り出し、耳に当てる。
「……うん、終わったんか。わかった」
おそらく相手は亜弥だろう。
ジェットコースターは思っていたよりも早く終わったらしい。

パタンと携帯を閉じて、裕子が顔を上げる。
その瞳に浮かぶのは、さっき以上に凪いだ色。
あまりの静けさに、胸が痛む。

「待たせると悪いから、行こ」
「……せやな」
それでも、できるだけ明るく言って、真希は裕子と連れ立って歩き出した。
658 名前:『絶対値』 投稿日:2004/04/04(日) 18:19
さっき別れたベンチの前に、亜弥と美貴は立っていた。
亜弥は明らかに満足そうで、美貴は明らかに具合が悪そうだ。
背中を丸めて立っている姿が涙を誘う。

裕子が近づいていくのに気づいたのか、トトトと亜弥が駆け寄ってくる。
「お待たせ」
「寒かった?」
少し心配そうな亜弥の問いかけに、裕子が笑いかける。

「ほとんど外にはおらんかったから、大丈夫やって」
ポスンと亜弥の頭に手を乗せる。
「もういい時間やし、あと1コだけなんか乗ったら帰ろ」
「えー」
「『えー』やないわ。こっからまた2時間かかるんやで?」
「ぶー」
「あんなぁ……運転すんの誰やと思ってんねん。明日も学校あるっちゅーのに」
「むー」
ふてくされる亜弥に、裕子が苦笑する。
「わぁった、わぁった。また今度こような?」
まだ不満さは抜けないようだったけれど、ほんの少し笑みを浮かべて亜弥は
小さくうなずいた。
659 名前:『絶対値』 投稿日:2004/04/04(日) 18:19

「で、何に乗る?」
「あれ!」
最初から決めていたんだろう、亜弥はためらうことなくある方向を指差した。
その先にあったのは、大きな観覧車。
これも、この遊園地の名物だ。
「観覧車かぁ。ん、なら行こか」

「待って」
歩き出そうとした裕子と亜弥の背中に声をかける。
不思議そうな顔をして亜弥が、凪いだ瞳のままで裕子が振り返る。
「ごとー、帰るよ」
「え……先輩、なんか、具合とか悪いんですか?」
表情を一変させて、亜弥が近づいてくる。
キュッと袖口をつかまれて、顔を見上げられる。
「そうじゃないよ」
ポンと軽く頭を叩く。亜弥の手が真希の袖から離れた。

「ごとー、観覧車は好きな人とふたりで乗るって決めてるんだよね」
にっこり微笑むと、亜弥は驚いたのかいつもよりも少し目を丸くした。
「だからさ、ごめん」
660 名前:『絶対値』 投稿日:2004/04/04(日) 18:20
その言葉にウソはない。
深い理由があるわけではないが、なんとなく子供の頃からそう思っていた。
裕子はそういう乙女心関係は疎いほうだけど、亜弥にはわかったようだ。
少し残念そうな顔はしたけれど、すぐに笑顔になった。
「でも、待っててくれたら一緒に帰れますよ?」
「んぁ……」

その心配そうな顔に、また胸がちくりと痛む。
今でも、亜弥をかわいいと思うし、好きだけど。
今だけは、離れていたかった。
誰にも、触れられたくなかった。

「あ、美貴も帰る」
素直な亜弥の言葉をどう断ろうか考えようとしていたら、不意に美貴が
声をかけてきた。
顔は相変わらず青ざめているけれど、声は元気そうだ。
「え、なんで?」
「だって、3人で観覧車なんてムナシイじゃん。ふたりはラブラブだし?
美貴、見せつけられんのはやだよ」
にやっと笑って美貴が言う。
「それに、結構待ちそうだし。待ってる間に帰れちゃうかもよ?」
661 名前:『絶対値』 投稿日:2004/04/04(日) 18:20
美貴の言葉に、亜弥はむーと考える顔をした。
そんな亜弥の様子に気づいたのか、今度は美貴がぽんぽんとその頭を叩く。
「最後くらい、先生とデートっぽいことしてきなよ。ね?」
やさしい声で言われても亜弥は少し迷っていたようで、隣にいる裕子を見た。
裕子も考えていたようだが、小さくうなずいて見せた。
それを見て、亜弥の心も決まったのだろう。
「わかった……じゃあそうする」
やっとうなずいてくれた。

「じゃあね」
「また明日」
「今日は楽しかったです」
「……気をつけてな」

その場で左右に別れる。
歩き出して、なんとなく振り返ると、遠ざかっていくふたりの背中が見えた。
めずらしく、手をつないでいる。
裕子の白くて細い指が、亜弥の指に絡められている。

あれは――。

ギュッと胸元に何かが押し付けられた気がした。
662 名前:『絶対値』 投稿日:2004/04/04(日) 18:21
あれは、裕子が誰かを必要としているシグナル。
つらくて、苦しくて、悲しくて。
そういうとき、裕子は必ず人の手を取る。
そして、そっと指を絡める。
逃げないで、と言うかのように。

あぁ、やっぱり、傷つけてしまった。

わかっていたことなのに。
眼前に突きつけられると、息が止まる。

苦しいのなら。
このことを亜弥に言ってしまってもいい。
元々、隠すつもりなんてない。
ただ、裕子がそれを望まないだろうから、自分から率先して言う気はないだけだ。
裕子がいつまでも傷ついてしまうなら。
自分が差し出せるものは、全部差し出そう。
たとえ、亜弥に嫌われても、恨まれても。
それで、裕子の笑顔を取り戻せるのならかまわない。

調子がいいことを言ってるのはわかっているんだけど。
それでもやっぱり、裕子を守りたかった。
663 名前:『絶対値』 投稿日:2004/04/04(日) 18:22

 ◇ ◇ ◇
664 名前:『絶対値』 投稿日:2004/04/04(日) 18:23
それからしばらく、特に何も起こらない平穏な日々が続いた。
亜弥は元気で、美貴はやる気がなさそうで、裕子は忙しそうだった。
この時期はいろいろ行事とテストが重なるから、自然と保健室への出入りもできなくなって、
テスト前だからなんとなく学校の雰囲気が違ってきていて。
裕子と話をする機会もほとんどなかった。

避けているわけじゃない。
裕子が何を考えているのかはわからないが、真希は裕子を嫌いになったわけでも、
裕子と距離を置こうとしているわけでもない。
ただ、気持ちと行動がうまく結びつかなくて、どうしたらいいかわからなかった。

こんな、自分の居場所を見失っているみたいな日は、イヤになるほど長い気がする。
毎日毎日、学校が終わるまでの時間が苦痛で仕方がない。
といって、休みの日ならいいのかといえば、そうでもないんだけど。

なんとなくため息をつきながら、真希は屋上へと通じるドアを開けた。
ドアをくぐりぬけて手を離すと、ガシャンとことさら大きな音を立ててドアが閉まる。
3月とはいえ、まだまだ寒い日が続いていたから人はいないだろうと思っていたのに、
だだっ広い屋上の隅っこに、ひざを伸ばしてぼんやりと座っている人の姿が見えた。
顔はほんの少し上を向いていて、流れていく雲を見ているようだ。
665 名前:『絶対値』 投稿日:2004/04/04(日) 18:23

「まっつー」
呼びかけると、頭が動いた。
「あ、先輩、こんにちは」
ぺこりと頭を下げてくる。
「ひとり? ミキティは?」
何気なくそう聞くと、亜弥は小さく笑った。
ただ、その笑顔にはどこか困ったような色が混じっていた気がして、それが気になった。

「隣、座ってもいい?」
「どうぞぉ」
亜弥の答えを聞いてから、真希は人ひとり分あけて、亜弥の隣に座った。
さっきまで亜弥がしていたのと同じように、空を見上げる。

「ケンカでもした? ミキティと」
「してないですよ?」
亜弥を見ると、視線はまた空に戻っている。
表情は静かで、いつもの無邪気な顔とは少し違う。
なぜだか、とても大人びて見えた。

何を、考えているんだろう。
666 名前:『絶対値』 投稿日:2004/04/04(日) 18:24

「どうかした? なんか、元気ないみたいだけど」
なんとなく、声をかけていた。
亜弥の顔がゆっくりとまたこちらに戻ってくる。
目が合うと、また小さく笑った。
「元気ですよ?」
「そう?」
あえて疑問を投げかけると、亜弥は口元にだけ笑みを残して顔を伏せた。
「元気ですけど……ちょっといろいろあって」
ふうっと息を吐く音が聞こえた。
「いろいろ考えてたら、頭痛くなってきちゃいました」
知恵熱出ちゃうかもしれないですねぇと、無邪気に笑う。

その「いろいろ」がなんなのかは、あえて聞かなかった。
たぶん、その中には、裕子のことが含まれているだろう。
667 名前:『絶対値』 投稿日:2004/04/04(日) 18:24
自分で確認したわけではないけれど、裕子の様子が変わったことは、
生徒の間でもちょっとしたウワサになっていたので、自然と耳には
入ってきていた。

最近、怒鳴ることがなくなって、穏やかにしゃべるようになったとか。
ぼんやりしていることが多くなったとか。
明らかに尾ひれがついたヘンなウワサも飛び込んできたけれど、
真希はあえて静観を決め込んだ。
それを続けていくうちに、ウワサは静かにやんでいった。

静観を決め込む真希を見て、「裕子と真希がケンカをしたのだろう」
という結論に達してくれたようだ。

それは、望むとおりの結論だった。
ただ、ひとつをのぞいては。

数あるウワサの中、ただひとつ真希が気になったのは、「裕子が倒れた」
というものだった。

もしかして。
もしかして、あの頃の、あの日々がまた戻ってきてしまったのか。
それだけが気になった。
けれど、それが真実だとしても、もう自分は手を出せないから黙って見守るしかない。
それがもどかしかった。
668 名前:『絶対値』 投稿日:2004/04/04(日) 18:25

「先輩?」
不意に声をかけられて我に返ると、きょとんとした顔の亜弥と目があった。
「んぁ、ごめん」
笑いかけると、亜弥も笑顔になった。

「で、その『いろいろ』はなんとかなりそうなの?」
思わず、聞いてしまっていた。
聞くまい聞くまいと思っていたのに。
聞いたところで、どうすることもできないのに。
思わず苦笑いが浮かぶ。

そんな真希の様子には気づかないのか、亜弥は笑顔のままんーとうなった。
それから、ぺたぺたと自分の頬を自分で叩くと、よりいっそうの笑顔で真希を見た。
「なんとかします」
その言葉に、真希は目を見開いた。
「絶対に」
亜弥の笑顔は変わらない。
だけど、そこには固い決意の色が見えた。

「私が、そうしたいから」

ドスンと胸を突かれた気がした。
669 名前:『絶対値』 投稿日:2004/04/04(日) 18:26
根拠なんて何もないだろう。
そうできる自信があるわけでもないだろう。
それはたぶん、自分を奮い立たせるための言葉なんだろうけれど、とてつもなく強く
真希の心に響いてきた。

今、目の前にいる亜弥に、いつか自分にすがって泣いた弱々しさは感じない。
きっと、いろいろ考えて、悩んでいるんだろう。
自分にも聞きたいことや言いたいことはたくさんあるんだろうけれど、
それをひとかけらも表に出そうとはしない。
ひとりで考えて、ひとりで悩んで、その先に続く道を探し当てようとしている。
強くなった。
本当に。

大丈夫。
きっと、大丈夫。

この子なら、きっと大丈夫だ。
どんなに時間がかかっても、どんなに遠回りをしたとしても。
その手を離すことなく、ふたりで歩いていってくれる。
自分にはできなかったことを、きっとやってくれる。

そう思った。
670 名前:『絶対値』 投稿日:2004/04/04(日) 18:27

「先輩、松浦そろそろ帰ります」
「んぁ、ごとーはもうちょっといるよ」
「それじゃ」
亜弥はにっこり微笑んで、そこから立ち去っていく。

「まっつー」
ドアに手をかけたところで、真希は亜弥を呼び止めていた。
くるりと亜弥が振り返る。

呼び止めておいてなんだけど、どう言葉をかけていいのかわからなかった。
亜弥が気づいているのかどうかはわからないが、今亜弥を悩ませている
原因のひとつは、たぶん、自分だから。
それでも、何か言いたくて。
ふっと肩から力を抜いたら、言葉がこぼれた。

「がんばれ」

ふにゃりと、今日初めて亜弥の相貌が崩れた。
一瞬、泣きそうな顔になって、でもすぐに満面の笑顔になる。
それから、大きくうなずいて行ってしまった。

――がんばれ。

空を見上げて、誰に言うとでもなく、真希はもう一度心の中でつぶやいた。
671 名前: 投稿日:2004/04/04(日) 18:35
更新しました。
次回、ごっちん編ラストです。

なんとかラストが見えて、ほっと一安心です。
672 名前: 投稿日:2004/04/04(日) 18:41
レス、ありがとうございます。

>>651
苦悩しつつ、がんばってます。
見守ってくださいませ。

>>652
ごっちんの思いはこうなりました。
続きはいかがでしょうか?
かなり、切な系になってますが…。

>>653
さりげに、最近いろんなとこで絡み(?)が多かったようなw
はまってるのに、切なくてすんません。
673 名前:名無し読者 投稿日:2004/04/05(月) 01:05
裕ちゃん倒れちゃったんですか?後藤編終わったら・・・あやゆう編あるのかな?

ごっちんせつないな〜。でもごまゆー二人の絆は永遠に切れる事はないので・・・大丈夫(w
674 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/06(火) 00:46
あややが傍にいるし姐さんの方は大丈夫…かな。
でも、ごっちんは大丈夫なのかな……
675 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/07(水) 20:46
後藤さん、お見事でした。鮮やか。
だけどせつない。後藤さんにこそ頑張れといってあげたいよ…
676 名前:『絶対値』 投稿日:2004/04/10(土) 21:29
授業が終わり、帰り支度をしていたら携帯が短く鳴った。
見ると、美貴からメールが来ている。

『まだ学校いるよね? 一緒帰ろうよ。昇降口で待ってるから』

たぶん、自分のクツがまだあるのを知っているんだろう。
返事は返さずに、カバンを持つとそのまま昇降口へと向かう。
そこには、寒そうに体を縮めた美貴が待っていた。
マフラーに半分顔がうずまっている。

「おいっす」
「ういっす」

適当にあいさつを交わして、学校を出る。
何か用事があるのかと思ったら、そうではなかった。
テスト勉強に煮詰まったから気分転換に付き合え、ということだった。

適当にお茶して、ショップをのぞいて、たわいもない話をした。
それでも、いろいろなことでちょっと疲れ始めていた真希にも、いい気分転換になった。
ほんの少しだけ、胸の痛みがひいていく。
677 名前:『絶対値』 投稿日:2004/04/10(土) 21:30

「さーむーいー」
抑揚のつかない平坦な口調で美貴がぼやく。
「んぁ……」
相槌を打つ。

帰り道。
真希と美貴は駅への道をせっせと歩いていた。
駅までだったらバスもあるのだが、歩いても20分くらいだ。
バス停を当たり前のように通り過ぎ、マフラーをギュッと巻きなおして、
真希と美貴はトコトコと歩き続ける。

「さーむーいー」
「んぁ……」
また美貴がぼやく。
また相槌を打つ。

ふと気がつくと、美貴が隣にいなかった。
どこにいるのかと思ったら、少し後ろ、自動販売機の前に立っていた。
何かを買ったのだろう、身をかがめて缶を取り出すと、小走りに戻ってくる。
678 名前:『絶対値』 投稿日:2004/04/10(土) 21:30

「ミキティさ」
美貴が戻ってきて、もう一度歩き出してから、真希は言った。
視線は前を向けたままで。
「ん?」
「今日は、寒いよね?」
「寒いね、かなり寒い。もう、イヤガラセじゃないかってくらい、寒いね」
美貴がはーっと息を吐くと、目の前が一瞬白くなってすぐ消えた。
「ホントマジ、冗談じゃないかってくらい寒いよ」
「だよね」
「だよ」

「ミキティが手に持ってるのは?」
「ん? ソフトクリームだけど」
つと顔を向けると、美貴はぺろりとそいつをなめたところだった。
「ミキティがさっき自販で買ったのは?」
「ん? オレンジジュースだけど」
ポケットに突っ込んでしまった缶をつめで弾いたのだろう。
カン、という小さな音がした。
679 名前:『絶対値』 投稿日:2004/04/10(土) 21:31

「今日は、寒いよね?」
もう一度、さっきと同じ質問を繰り返す。
「寒いね、マジ寒い。もう、このまま凍っちゃうんじゃないかってくらい、寒いね」
真希は横目で美貴を見た。
またソフトクリームを食べている。
この寒いのに。

「こんな寒いのに、なんでミキティは冷たいものばっかり買ってるわけ?」
「んー?」
美貴はすぐにはその問いに答えなかった。
無言になったかと思うと、一心不乱にソフトクリームを食べ始める。
680 名前:『絶対値』 投稿日:2004/04/10(土) 21:31

「食べたかったから……って言いたいとこだけど」
しっかり食べ終えてから、ポツリと美貴がつぶやいた。
とてもそうは思えない。
顔が青を通り越してなんだか白くなっているように見える。
唇も少し青い。
小刻みに体が震えているような気がする。
間違いなく、今、寒いはずだ。

「こうしたら、わかんなくなるんじゃないかと思って」
「……何が?」

不意に、腕をつかまれた。
グイッと、コートのポケットに突っ込んでいた手を引っ張り出される。
あっけに取られている間に、その手を握られた。
ひんやりとした冷たい感覚と、小刻みな震えが伝わってくる。

「この手が、美貴の手だって」
681 名前:『絶対値』 投稿日:2004/04/10(土) 21:32
なぜか、一瞬にして美貴の言いたいことがわかってしまった。

あの人の手は、いつもどこか冷たくて。
冷たさこそが、あの人の手である証のようなものだった。
その手の本当の温もりとやさしさを知っていたから、あの手に触れるのが好きだった。

美貴は今この瞬間だけ、あの人のあの手の代わりになろうというつもりなのだ。
682 名前:『絶対値』 投稿日:2004/04/10(土) 21:32
なんで気づいたのか。
なんで知っているのか。
疑問はいくらもあったけれど、それを知りたいとは思わなかった。

そして、気づいた。
どうして、亜弥がひとりでいたのかにも。

誰が悪いわけでもない。
強いてあげれば、悪いのは言ってしまった自分なのに。
美貴は、ぶつけようのない感情を持っているんだ。

告白を受け入れられなかった裕子と。
そのことを知らずにいる亜弥に。
真希が持ってしまっても仕方がない感情を、代弁するみたいに、美貴が持っている。
そしてそれが理不尽だとわかっているから、亜弥と距離を置いているんだ。

なんとなく、真希は笑った。
悲しくて、切なくて、うれしかった。
そんな不器用な美貴の気持ちが。
683 名前:『絶対値』 投稿日:2004/04/10(土) 21:32
美貴は真希を見ない。
真希は美貴を見ない。
ただふたり、道をまっすぐに歩いていく。

真希は、ふと裕子がいつもそうしていたように、指を絡めてみた。
冷たい指は、それに応えるように軽く絡め返してくる。

まぶたを落として目を伏せる。
3歩先だけが見えるように、薄く開けたままで。

美貴は何も言わない。
真希も何も言わない。
つないだ指が、少しずつ温かくなっていくのを感じる。

その手が、美貴の温もりを取り戻したら。
それが、新しいスタートラインになるんだろうか。
684 名前:『絶対値』 投稿日:2004/04/10(土) 21:33

変わらない。
変わりはしない。

ずっと裕子のことは好きだし、笑顔でいてほしい。
できることなら、今でも守りたいと思っている。
叶わぬ恋だからといって、その思いが形を変えるとは思わない。
悲しくないわけでも、切なくないわけでもないけれど。

『裕ちゃんには幸せでいてほしい』

そう思う気持ちに、何ひとつ変わりはない。
プラスでもマイナスでもなく、いつまでも変わらずにここにある。

絶対の値として。
685 名前:『絶対値』 投稿日:2004/04/10(土) 21:33

「ごっちん」
美貴の声が静かに響く。
「ガマンは体に毒だからね」
「そうだね」
「気分転換は必要だからね」
「そうだね」
「充分がんばってるとは思うんだけどさ」
「……どうかな」
絡められていた美貴の指に力が入った。
冷たさはもう、ほとんど残っていない。

「がんばろうね」
「……そうだね」

美貴の言葉に思わず笑った。
がんばるな、と言わない美貴。
がんばれ、と言わない美貴。
がんばろう、と言う美貴。

それは、自分のほしい言葉とは違う気がしたけれど。
自分がどんな言葉を欲しているのかもわからなかったし。
イヤじゃなかったから、それでいいんだろう。
686 名前:『絶対値』 投稿日:2004/04/10(土) 21:33
真希はそっと指を解いて手を離した。
そして、まだ冬の色が残る空を見上げる。
ふーっと息を吐くと、目の前が白く曇って消えた。

風はやんでいる。
空は晴れている。
足音が聞こえる。
笑い声が聞こえる。
携帯が鳴っている。
車が走っている。

隣には美貴がいる。

自分は、ここにいる。

真希は目を閉じた。
そして、思いをはせた。
687 名前:『絶対値』 投稿日:2004/04/10(土) 21:36


美貴のやさしさに。


亜弥の強さに。


裕子の笑顔に。


自分の思いに。


涙4つ分だけ、泣いた。





           END
688 名前: 投稿日:2004/04/10(土) 21:40
更新しました。
以上で、『絶対値』は終了でございます。

こんなに長くなると自分でも意外で……(汗)
689 名前: 投稿日:2004/04/10(土) 21:47

このごっちん編は本編に練りこもうとして失敗しw
書き上げる前に一度挫折した話でもありました。

実はお蔵入りにしようかなぁと思ってもいたんです。
なんでって、メインより目立(ry

とかいって、実はミキティがおいしいとこどりしてる気もしますがw
なんとかかっこいいミキティを書きたかったんですが……。
かっこいいかなぁと自問自答w
690 名前: 投稿日:2004/04/10(土) 21:57

レス、ありがとうございます。

>>673
ふたりの絆はもちろん永遠です!w
ええ、ずっと同じ距離で続いていきますとも。

>>674
ごっちんのそばにいたのはこの人でした。
いや、この人しかいないかなと。
このふたりのこの距離感はやっぱり書いてて楽しく、ラクでしたw

>>675
ぜひ、がんばれと言ってあげてくださいw
せつなくても、がんばれるのがごっちんだと勝手に思ってます。



で、ごっちん編との相互補完も兼ねて、あやゆう編が続きます。
こちらはそれほど長くはならない予定ですが、
よろしければお付き合いください。
今度はちゃんと絡めるかなぁ(をい
691 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/12(月) 01:29
切ないけどスッキリとした終り方ですね。
すげぇ面白かったです!
次回のあやゆう編楽しみに待ってます。
692 名前:『解の公式』 投稿日:2004/04/17(土) 17:57

 ジリリリリリ

裕子の部屋のドアを開けると、中からけたたましい音が聞こえてきて、
亜弥はあわてて耳をふさいだ。
一瞬、火災報知器の音かと思ったが、聞こえてくるのは部屋の中からだけで、
外はいたって静か。
つまり、音源は部屋の中ということだ。
急いで体をドアの隙間に滑り込ませると、しっかりとドアを閉めてカギをかける。

「……ゆぅちゃん?」

 ジリリリリリ

音は止まることなく鳴り続け、亜弥の声をかき消してしまう。
部屋の中から誰かが出てくることもなかった。

「……お、お邪魔します、よー」

部屋のカギを裕子にもらってから、何度も裕子の部屋を訪れた。
だけど、部屋に来るときはいつも裕子が一緒だから、カギを開けるのは裕子の役目。
だから、こうして自分でカギを使ったのは初めてで、ヘンに緊張してしまう。
もう見慣れた部屋なのに、なんだか初めてきた場所のようだった。

 ジリリリリリ

部屋の中に上がってからも、けたたましい音は一向にやむ様子を見せない。
その音が、緊張しきっていた亜弥の心に隠れていた不安をかき立てる。
693 名前:『解の公式』 投稿日:2004/04/17(土) 17:57
今日は、久々のデートの日だった。
めずらしく、本当にめずらしく裕子から誘ってくれて、ずっと見たいと思っていた
映画に連れて行ってもらうはずだった。
だけど。
約束の時間を30分過ぎても、裕子はやってこなかった。
携帯を鳴らしても、コールはするものの反応はなし。
自宅の電話にかけても、留守電になったきり返事はない。
もちろん、メールも送ってみたけど、音沙汰はなかった。

でもまぁ、30分くらいの遅刻はいつものことだからと思っていたのだが。
それから1時間たっても裕子は現れなかった。
予定していた映画はもうはじまる時間だ。
さすがに今までもここまで待たされたことはない。
遅れるときはちゃんと連絡をくれていたのに。

ただ1本の連絡もないことが、亜弥を不安にさせた。

それであわてて家までやってきたら……この有様。

 ジリリリリリ

けたたましく鳴り響く、何かの音。
それ以外の音が聞こえてこない、人のいないリビング。
少なくとも、今日、ここに誰かがいた気配はない。
694 名前:『解の公式』 投稿日:2004/04/17(土) 17:58

「……ゆぅちゃん! どこ?」

いなければ返事のしようもないのに、亜弥は音に負けないように大声で叫んだ。
けれど、やっぱり返事はない。

どうしよう。
どうしよう。
いったい、どうしたんだろう。

わけもわからず泣き出しそうになっていると、鳴り響いていた音が一瞬消えた。
誰もいない空間が、一気に静まり返る。
はっと詰めていた息を吐いたら、それに応えるようにまた音が鳴り出した。

ビクッと肩が跳ねる。
けれどその一瞬が亜弥を冷静にしてくれた。
695 名前:『解の公式』 投稿日:2004/04/17(土) 17:58
その音は、寝室から聞こえてきている。
そうだ。
まだ、部屋の全部を探してない。
だったら、寝室とかトイレとかお風呂とか、どこかにいるかもしれない。

考えるのとほぼ同時に、足は寝室へと向かっていた。
ジリジリとしつこいくらいに鳴り続ける音に顔をしかめながら寝室へのドアを
開けると、音は亜弥に襲い掛かるかのようにいっそう音を大きくする。
反射的に耳をふさぎながら、亜弥は部屋の様子をうかがった。

――あ。

不安に思っていた時間がもったいないと思ってしまうくらいあっさりと、
亜弥は目的の人を見つけた。

ベッドから半分落ちそうになって。
布団から半分体をのぞかせて。
うつぶせになって顔は見えないけれど。
あの、赤茶色の頭は間違いなく裕子のもの。
696 名前:『解の公式』 投稿日:2004/04/17(土) 17:58

「ゆぅちゃん!」
叫んで近づく。
けれど、裕子はピクリとも動かない。
「ゆぅちゃん!?」
肩をつかんでゆさぶっても、裕子が動く気配はない。
その間にも、ジリジリと激しく鳴り響く音が、亜弥を追い詰めていく。

どうしよう。
どうしよう。

どうしたらいいのかわからなくて、亜弥は裕子の肩に手をかけたまま、
強引にごろんと表を向かせた。
裕子はしっかりと目を閉じたまま、それでもやはり動こうとしない。

「ゆぅちゃん、ってばぁ……」
裕子はとても穏やかな顔をしているのに。
あまりにも反応がなくて、亜弥の不安は心からあふれ出すほど膨らんでしまった。
じわりと目の端が熱くなって、気がつけば頬を熱いものが伝って落ちていった。
697 名前:『解の公式』 投稿日:2004/04/17(土) 17:59

「ん、ん〜……?」
不意に、くぐもった声が聞こえた。
ゆっくりと声のしたほうに視線を向けると、半目を開けている裕子と目があった。
「……ぁゃ?」
かすれた声がした。
半目がゆっくりと見開かれ、二三度瞬きをしたかと思うと、いつも以上に大きくなった。
裕子はガバッと起き上がると、涙をこぼしている亜弥の肩にそっと手を置く。
「……どした?」
「ど、した、じゃ、ないよぉ!」
亜弥は目の前の裕子の胸倉をつかんだ。
ギョッとして、裕子が身を引く。

「ゆぅちゃんの、アホォ……」
「ん〜? なんやって?」
「アホォ……アホォ……」
「あぁ、もう。うっさいなぁ」
めんどくさそうに言うと、裕子はひょいっと亜弥の後ろに手を伸ばした。
亜弥が振り返ると、そこに見えたのはちょっと古びた目覚まし時計。
裕子は無造作にそれをつかむと、ポイッと壁に投げつける。
反射的に、ギュッと亜弥は目を閉じていた。
ガチャンと鈍い音がしたと思ったら、耳障りな音がやみ、部屋に静寂が戻ってきた。
698 名前:『解の公式』 投稿日:2004/04/17(土) 17:59

「で、何?」
少しけだるそうな眼差しを向けてくる。
「何、て……。時間になってもきてくれないし、なんかあったのかと、思って」
しゃくりあげないように呼吸を意識しながら、ゆっくりと告げる。
裕子は眉根を寄せて首を傾げ、それから枕元にあった別の時計を見た。
「あ〜〜〜〜〜〜っ!?」

突然の叫び声に、今度は亜弥のほうが目を丸くした。
「え、と。今……3時、過ぎとる、よなぁ」
「ぅん」
「約束は……1時やったよなぁ」
「ぅん」
「あ〜……」
裕子がガシガシと頭をかいた。
その顔には苦々しい表情が浮かんでいる。

その顔を見て、亜弥の心を荒立たせていた波は、静かに凪いでいった。
そういえば、裕子の様子はおかしかった。
あんなにけたたましく目覚ましがなっても目を覚まさなかったし。
あんなに起こしても、ぴくりともしないなんて。
699 名前:『解の公式』 投稿日:2004/04/17(土) 17:59

「最近忙しくて、寝不足気味やったからな……」
そんな亜弥の視線に気づいたのか、裕子は苦笑しながら話しはじめた。
「寝坊せんようにって、その目覚ましかけといたんやけど」
視線の先にあるのは、さっきの目覚まし時計。
中に入っていた電池が外に飛び出している。

その目覚ましは、もうだいぶ前から壊れていて。
一度鳴りはじめたら電池を抜くまで鳴り続けるんだそうだ。
だから。
どうしても遅れたくない予定があるときは、必ずその目覚ましをかけるように
していたんだそうだが……。

「……ごめんな」
頬に手を当てられ、涙をぬぐわれる。
その、困ったような微笑に、亜弥は小さく首を振った。
そんな亜弥を裕子はしばし見つめていたが、何を思ったのか、ベッドを降りて
リビングへとつながるドアを抜ける。
亜弥はあわててその後を追った。
700 名前:『解の公式』 投稿日:2004/04/17(土) 18:00
リビングに行くと、裕子が何かの雑誌を手に取っているところだった。
パラパラとページをめくっていたかと思うと、ふと手を止める。
「ゆぅちゃん?」
「映画」
「え?」
「今からやったら、まだ間に合うから」
渡された雑誌には、今日見る予定だった映画のタイムテーブルが書かれていた。
確かに、まだ間に合う回もある。
「目ぇ覚ましてくるから、ちょっと待ってて」
「あ、あの……」
亜弥の返事も聞かずに、裕子はバスルームへと姿を消した。
仕方なく、亜弥はソファに身を沈める。

ソファ前のテーブルには、いくつかの雑誌が無造作に置かれていた。
それは、ほとんどが情報誌。
映画やお芝居のものだったり、おいしいお店の特集だったり、テーマパークのものだったり。
そのどれもを、亜弥は付き合い始めた頃からずっと、見たことがなかった。
見かけるようになったのは、あの、別れる別れないの騒動を乗り越えてから。

その変化は、少しでも自分のことを気にかけてくれるようになったからだろうと思っていた。
だから、すごくうれしかったんだけど。
701 名前:『解の公式』 投稿日:2004/04/17(土) 18:00
超特急でシャワーを浴びたのだろう、裕子がすぐにバスルームから出てきた。
バスタオルを体に巻きつけ、軽く髪をタオルで拭きながら、またすぐに寝室へと
引っ込もうとする。
「ゆぅちゃん!」
強めの声で呼び止めると、裕子は立ち止まって振り返った。
「あの、ね。映画、また今度でもいいよ?」
「ん?」
「ムリ、してほしくない」
言うと、裕子はやさしく笑った。
「ムリなんてしてへんよ。アンタは気にせんでええって」
「でも……」
「怒っとるんか?」
「そ、そうじゃないよぉ!」
ならええやん、という言葉を残して裕子は寝室へと消えてしまった。

いいんだけどさ。
前はどっちかっていうと自分の状況優先っぽいとこあったから、こうやって
気にしてくれるのはうれしいんだけどさ。
702 名前:『解の公式』 投稿日:2004/04/17(土) 18:00
なんだか、微妙な違和感が亜弥にはあった。
たぶんそれは、ほかの人が聞いたら「のろけ」に聞こえるのかもしれないけれど。
幸せがゆえの不安なんだって言われるのかもしれないけれど。
それだけではない、何かを感じる。

「お待たせ」
悶々としていると、寝室のドアが開いて裕子が出てきた。
ジーンズにシャツ、ジャケットのカジュアルな姿。
「……ぅん」
「行こうや」
ポスン、と頭を軽く叩かれる。

しょうがない。
今考えてもしょうがない。

そう言い聞かせて、亜弥は裕子の後を追いかけて行った。
703 名前:『解の公式』 投稿日:2004/04/17(土) 18:01

 ◇ ◇ ◇
704 名前:『解の公式』 投稿日:2004/04/17(土) 18:01

「楽しかったか?」
映画を見て、ごはんを食べて、家に送ってもらう途中の車の中で、裕子が静かに
聞いてきた。
「うん」
チラッと横目で裕子を見て、軽くうなずく。
「ごめんな、今日は」
「しょーがないよ、そういうこともあるよ」

今日一日、裕子は惨憺たる結果を残してくれた。

出足ですでに大コケをかましていたのだが、映画も結局最後までもたずに、
途中で眠ってしまっていた。
食事だけはかろうじて平穏に乗り切ったのだが、渋滞にはまる前に帰る予定だったはずが、
出足の大コケはここまで尾を引いて、完全に渋滞にはまってしまった。
このままだとたぶん、家にたどり着くのは深夜だろう。

亜弥としては、一緒にいられる時間が長いのはうれしいのだが、裕子は遅くまで
自分を引っ張りまわしてしまっているのは気になるらしい。
それは、裕子なりの線引きなのかもしれない。
705 名前:『解の公式』 投稿日:2004/04/17(土) 18:01

「ゆぅちゃんは? 楽しかった?」
「うーん……」
「なんで悩むの」
裕子は前を見つめたまま、少し苦笑いをした。
「や、アンタといられんのは、すっごい楽しいけど。今日はちょっと、申し訳なさのほうが
強くてな……」
「もういいってば」
「うん……」

裕子はやっぱり微妙に納得がいかないようだ。
あんまり気にされると、こっちも気になるんだけど。
なんで、そんなに忙しいのか。

「ゆぅちゃん、そんなに学校大変?」
「ん?」
「保健の先生の仕事って、あんま大変そうに見えないんだけど」
「あんなぁ……。なんにしても仕事は大変なんやって。細々した作業も多いし、
もうすぐ新年度やんか。そしたら、身体測定やらなんやら、ごたごたと、な」
「……ゆぅちゃんって、なんで先生になったの?」
ふと、疑問に思って聞いてみた。
「……ん?」
706 名前:『解の公式』 投稿日:2004/04/17(土) 18:02
微妙な、間があった。

その間に。
いつもなら気づかないはずの間に、なぜか気づいてしまった。

なんだろう、やっぱりおかしいよ。
ねぇ、ゆぅちゃん、いったい何を、考えてるの?

「やっぱいいや」
「はぁ?」
「だって、ゆぅちゃんのことだもん。どうせ、保健室はベッドがあって寝られるから
とか言うんでしょ?」
「ばれたか」
にやっと裕子が笑う。
にひひと亜弥も笑ってみせる。
だけど、それは表面だけのこと。
浮かんできた疑問は、亜弥の心を少しずつ少しずつ侵食していって、家の近くに車を
つけてもらった頃には、もうそのことしか考えられなくなっていた。
707 名前:『解の公式』 投稿日:2004/04/17(土) 18:02

「遅くなってごめんな」
「……もういいってば」

顔を上げられない。
疑問を口にしたいのに。
きっと、言ったって適当にはぐらかされるだけだ。

「亜弥? どした?」
「……ゆぅちゃん」
キュッと口を結んで、顔を上げると裕子を見た。
裕子はきょとんとした顔で自分を見つめている。

その顔は、少し疲れてはいるようにも見えるけれど、いつもと全然変わりなくて。
やさしくて、穏やかな、大人の顔。

「キス、して」
708 名前:『解の公式』 投稿日:2004/04/17(土) 18:02
言葉とともに、体中から空気が消えたような気がした。
熱くて、息苦しい。
顔が赤くなっていくのがわかる。
だけど、裕子からは目をそらさずに、まっすぐまっすぐに裕子を見つめる。

一瞬何か言いたげに裕子は口を開きかけたが、何も言葉にしはしなかった。
ただ、ふっと口元にやさしい笑みを浮かべた。
それから、亜弥のシートの肩口に手を置いて、ひょいっと体を動かしてくる。

間近まで裕子の顔が迫ったところで目を閉じた。
そっと、やわらかい感覚が唇に触れる。
そして、ほんの数秒で離れる。

「……それじゃ。今日はありがと」
キスのことには何も触れずに、亜弥は笑顔を浮かべた。
車を降りると、振り返らずに家まで戻る。
家族はもう寝ているのか、家の中は暗く静まり返っていた。
部屋まで上がると、電気をつけて窓から外をのぞく。
ちょうど、ゆるゆるとしたスピードで走ってくる裕子の車が見えた。
そして、家の前まで来ると、運転席からひょいっと顔をのぞかせた。
そんな裕子に軽く手を振ると、裕子はにっこりと微笑んで、そのまま車を走らせていった。
709 名前:『解の公式』 投稿日:2004/04/17(土) 18:03
いつもと変わりない。
裕子はいつも、自分が部屋に入って電気をつけるまで見送ってくれる。
その笑顔も、行動も、いつもと変わりないのに。

ただひとつ、違っていたのは。

普段の裕子は、人目につくところでは絶対にキスしたりはしない。
するのは基本的に裕子の家にいるときだけだ。
教師と生徒の関係だから、それはしょうがないと思っていた。
だから、今日のお願いは単なるワガママ。
そして――テスト。

いつもみたいに、アホなこといいなやって笑ってくれればよかった。
ペシッとおでこをひっぱたいて、ちょっと怒ってくれてもよかった。

なのに、あんなにためらいもなく、してくれるなんて。
710 名前:『解の公式』 投稿日:2004/04/17(土) 18:03

後悔が押し寄せて、亜弥はうずくまってひざを抱えた。

試すようなこと、しなければよかった。
ただ不安がものすごい勢いで増えただけ。
何ひとつ、役になんて立ってない。
自分の愚かしさを理解するのと同時に、罪悪感までもついてきてしまった。

どうしよう。
どうしよう。

迷子になった子供のように、亜弥はただ同じ言葉だけを繰り返し繰り返し
考え続けていた。
711 名前:『解の公式』 投稿日:2004/04/17(土) 18:03

 ◇ ◇ ◇
712 名前: 投稿日:2004/04/17(土) 18:06
更新しました。
久々のふたりの絡み……なのに、なんか相変わらずです(汗


レス、ありがとうございます。

>>691
楽しんでいただけてよかったです。
ありがとうございます。
あやゆう編はじまりましたので、こちらも楽しんでいただけたらいいなぁと思います。
713 名前:691 投稿日:2004/04/19(月) 02:29
あやゆう編キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
更新乙です!
また何かありそうな雲行・・・(ハラハラ
続き期待してますー。
714 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/19(月) 18:03
この微妙な裕ちゃんの変化はやっぱり…。
あやや頑張れ…。
715 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/20(火) 19:25
続ききましたですね。
というかしまったゆうごま編区切りついてた…後藤さんの凛々しさが爽やかでした。
後藤さんのインパクト強かったからなあ。松浦さん、超えるのは並大抵のことではないですよ。がんばれ。
716 名前:『解の公式』 投稿日:2004/04/25(日) 00:17
週があけて、月曜日の昼休み。
亜弥は久しぶりに保健室へと向かっていた。

受験やテスト期間を抜けて、やっと普通に保健室に出入りできる。
テスト中だって、保健室は職員室ほど出入りにうるさくはない。
だけど、あまり入り浸っているのは感心されないし、裕子のことも考えて、
テスト期間中はできるだけ出入りしないようにしようと、真希や美貴と約束したのだ。

保健室の入口が見えるところまできて、誰かがドアを開けているのが見えた。
どうやら先客のようだ。
なんとなく歩き方がおかしいところを見ると、ケガでもしたんだろうか。
だったら、治療が終わるまで待っていたほうがいいかもしれない。

そんなことを考えて、亜弥は入口から少し離れたところに立っていた。

保健室の中からは、なにやら話し声が聞こえてくる。
くわしい話の内容まではわからなかったけれど、目を閉じれば、どちらが
裕子の声なのかはすぐにわかる。
保健室にいるときは、いつもより少し高く、でも落ち着いた声でしゃべるから。
その声を聞くと、なんだか安心する。
717 名前:『解の公式』 投稿日:2004/04/25(日) 00:18
と、突然、ガシャン! という音が響いてきた。
保健室の中からあわてたふうな声が聞こえてきて、亜弥はほとんど無意識のうちに
保健室へと飛び込んでいた。

「――っ!?」

目を疑った。

保健室に飛び込んだ亜弥の目に一番最初に飛び込んできたのは、茶色い床に
突っ伏している茶色の頭と白衣。
それだけで、裕子だとわかる、その人。

「ゆ……」
「あ、あの……」

危うく名前を呼びかけて、引き止められた。
声の主は、たぶん、さっきの先客。
ひどく動揺した顔で、亜弥と床に倒れている裕子を見比べている。
718 名前:『解の公式』 投稿日:2004/04/25(日) 00:18
口にしかけた名前はごくんと飲み込んで、それから裕子に駆け寄る。
「センセイ……?」
肩に手をかけて、そっと声をかける。
「ん……」
いつぞやとは違って、裕子はあっさりと反応してくれた。
ほんの少し身をよじって、ガシッと手をついて起き上がろうとする。
「セ、センセイ、急に起きたら……」
「……大丈夫や。ちょっと立ちくらみしただけやし」
裕子はなんとか体を起こし、座ったままあっけにとられている先客を見上げる。
亜弥からは後ろ姿しか見えなくて、今どんな顔をしているのかがわからない。
支えたくて、触れたくて、でもギリギリそれをガマンする。

「ごめんごめん、びっくりさせて」
もう治療は終わっていたのだろうか、先客の子のひざに白い包帯が巻かれているのが見えた。
裕子は側頭部を軽くなでながら、その子を見上げた。
「とりあえず、様子見とき。明日になっても腫れがひかんようやったら、
病院行って見てもらい」
「はい……ありがとうございました。先生、大丈夫ですか?」
「ん、平気やから。アンタも気をつけてな」
「はい」

その子は丁寧にお辞儀をして、保健室から出て行った。
カラカラとドアが閉まるのを確認して、亜弥は裕子の背中に手を伸ばす。
719 名前:『解の公式』 投稿日:2004/04/25(日) 00:18

「松浦」
その手が背中に触れるより先に、名前を呼ばれた。
「カギ、かけてきてくれへん? ボードも留守にして」
少し、声が重い気がしたが、亜弥は言われたとおりに一度保健室から出て、
ドアの前にかけられたボードをくるりと裏返す。

いつも、裕子が部屋にいるときは、このボードは「在室中」になっている。
出かけているときは「留守」にしてあるのだ。
留守になったのをきちんと確認して、中に戻るとカギをかける。
これで、保健室は中からでないと開かないことになる。

「センセイ、かけましたけど」
「ん……」
そこで裕子を見て、初めてその目の焦点が合っていないことに気づいた。
うつろな瞳で微笑んで、それからスローモーションのようにその場に崩れ落ちる。
「センセイ!」
あわてて駆け寄ると、ぺたりと床に座り込んで、裕子の顔をのぞきこむ。
顔色は極端に悪くはない、と思う。
ただ少し、やつれたように見える。
720 名前:『解の公式』 投稿日:2004/04/25(日) 00:18
硬い床が痛そうに見えて、そっとそっと手を伸ばすと、裕子の頭をひざの上に乗せる。
「ん〜……」
ふっと、裕子が目を開けた。
「大、丈夫?」
「……大丈夫や」
ささやくな声がしたと思うと、急に裕子が亜弥の体に顔を押し付けてきた。
「セ、センセイ?」
裕子の顔を隠してしまった髪を払いのけようと手を伸ばしかけて、その手を
ぐっと握られた。
どこからそんな力が出るのかと思うほど、強い力で。
あわてる亜弥にはかまわず、裕子はますます顔を押し付けてくるので、
表情は全然わからなくなってしまった。
ただ、規則的な呼吸の音だけが聞こえてくる。

「誰か……呼ぶ?」
「いや……」
「でも、頭打ったんでしょ?」
「……大丈夫、やって」
握られていた手の力がふっと緩む。
「センセイ?」
「……このまま、おって? ちょっと……1時間でええから、このまま……」
ふっと握られていた手が軽くなった。
「センセイ……?」
声をかけても返事はない。
息を詰めると、すーすーという寝息が聞こえてきた。
721 名前:『解の公式』 投稿日:2004/04/25(日) 00:19
今度こそ、髪を軽く払って、その横顔をのぞき込む。
穏やかに眠るその横顔を見つめていたら、じわりと涙があふれそうになって、
ごしごしと手の甲でそれをぬぐった。

ずっと、確信できなかった。
怖くて目をそらしていたのかもしれないけれど、今日の出来事ではっきりした。

裕子はまた、何かを隠している。

いつから、裕子の様子が変わったのか、はっきりとは覚えていない。
ただ、違和感のある行動を取るようになったのは……覚えている限り、あの
真希と美貴と4人で遊園地に行った日からだ。
あの日、真希と美貴と別れて、めずらしく裕子から手をつないできてくれた。
かなりうれしかったからよく覚えている。

そして、観覧車の中でキスされた。
元々、人目のあるところではあまりベタベタしたがらないから、裕子から
そうしてくれたのはやっぱりうれしかった。
息を詰めて真っ赤になって、そこから先、外の景色がどんなだったかなんて
覚えてもいないけれど、そのことだけは絶対に忘れられないだろうと思った。

だけど、今思えば、やっぱりあの行動は普段の裕子を思うとおかしいのだ。
722 名前:『解の公式』 投稿日:2004/04/25(日) 00:19
離れてしまった手を、もう一度、今度は自分から握る。
その温もりに、また泣きそうになる。

泣いたってしょうがない。
そんなことわかってる。
だけど、裕子のやさしさが、今はつらい。
いったい何を隠してるんだろう。
ひとりで何を苦しんでるんだろう。

置き去りにされた感覚は、あのときと同じ。
いや、一度近づいてしまったから、あのときよりも遠く感じる。
一方的に触れることしかできなかった手に触れられなくなることより、
握り返してくれた手を離されるほうがよっぽどつらい。

じわじわと涙が目の端にあふれてきて、きゅーっとのどから声がこぼれ落ちた。
723 名前:『解の公式』 投稿日:2004/04/25(日) 00:19

泣いちゃダメだ。
泣いたって何も変わらない。
このまま泣きながらひざをかかえて待ってるだけじゃ、あのときの自分とおんなじだ。
何も成長してないじゃないか。

それでも涙は止まらない。
目の端から頬を伝って床へと落ちていこうとする。

「ゆぅ……ちゃぁん……」

迷子になっているのは自分なのか、それとも裕子なのか。
どちらにしても、自分は泣きながら裕子の姿を探し続けている。
裕子は自分を探してくれるんだろうか。
いったい、今どこにいるんだろう。

一度こぼれ落ちた涙は、止まることを知らずに流れ続けた。
724 名前:『解の公式』 投稿日:2004/04/25(日) 00:20

 ◇ ◇ ◇
725 名前:『解の公式』 投稿日:2004/04/25(日) 00:20

「ん……」
小さな唸り声とともに、裕子が目を開けた。
一瞬何が起こったのかわからないようで顔をしかめ、それからゆっくりと体を起こす。
「亜弥……?」

ねぼけてる。
学校で名前を呼ぶなんて。

そう思ったけれど、何も言わず、亜弥は立ち上がった。
顔を、今は見られたくない。

「……教室、戻る。センセイ、具合悪いなら、病院行ってね? 頭打ってるんだし」
事務的な口調。
できるだけ感情を隠したかった。

くるりと背中を向けて、そのままドアへと向かう。
726 名前:『解の公式』 投稿日:2004/04/25(日) 00:20

「あ……松浦! アンタ、泣いて……?」
その声にせきたてられるように、亜弥はカギへと手を伸ばす。けれど、気持ちばかりが
急いてしまって、うまくカギを外せない。
その隙に、あっという間に距離をつめられた。
背後に気配を感じて、ますますあせる。
ガチャガチャとカギと格闘している間に、背中からふわりと抱きしめられた。そのまま、
ほんの少し後ろに引かれ、ドアが手の届かない距離に遠ざかる。

「なんか、あったんか」
やさしい声が耳のそばで響く。

言ってしまえればよかった。
ゆぅちゃんが、隠し事してるからだって。
ゆぅちゃんが、ひとりで苦しんでるからだって。
だけど、言えなかった。
言えることならもっと早くに言ってくれているだろう。
それを言わずにいるということは、言えないことか、言いたくないことなのだ。
だったら、聞いても困らせるだけ。なら聞けない、それだけのこと。

本当なら、それを黙って見守れればいいんだろうけど、亜弥にはまだそれができなかった。
心配だし、不安だし、不安定だ。
727 名前:『解の公式』 投稿日:2004/04/25(日) 00:20

「アタシには、言えんことか」
その言葉に、亜弥は小さくうなずいた。
「今は、言えない。センセイだけじゃない、ほかの、誰にも」
そっか、と裕子のつぶやく声が聞こえてきた。
言葉に出すことで、少し気持ちが落ち着いた。

ギュッと抱きしめられている手に力がこもった。
けれど、それはほんの少しの間だけで、すぐに手が解かれる。
自分が泣いている理由に気づいているのかいないのかわからないが、裕子は
それ以上問い詰めてこようとはしなかったし、何か話そうともしなかった。
だから、亜弥も何も言わずに、ドアのカギに手をかけた。
今度は時間もかからずにすんなりカギははずれた。

「センセイ」
ドアに手をかけたまま、振り返らずに声をかける。
「具合、悪くなったら病院行ってね」
「……わかった」
扉を開けて外に出ると、そのまま閉める。

泣きすぎて痛む頭を抱えたまま、亜弥はその場を後にした。
728 名前:『解の公式』 投稿日:2004/04/25(日) 00:27
更新しました。
ええっと…全然進んでません(汗
なんでだろう(殴

レス、ありがとうございます。

>>713 691さん
やってきました!w
何かありそうなまま何かありそうでとまってますね…。
この話、展開するのかな…(殴

>>714
ねーさんの変化の理由は…
いずれ、明らかにできるといいなぁと。
どうも、自分の書くねーさんは考えすぎる傾向が強いので…。
どこまで書けるかわかりませんが、がんばります。


>>715
ごっちん編への感想もありがとうございます。
そうなんです、インパクト強すぎて困(ry
あややががんばるのか、ねーさんががんばるのか、微妙ですが…w
729 名前:691 投稿日:2004/04/26(月) 03:10
更新乙です!
前作に続いて干渉させないし、干渉し過ぎない
大人な中澤さんに当方ヤキモキしておりますw
次回更新楽しみに待ってます!
730 名前:名無し読者 投稿日:2004/04/29(木) 23:31
あやゆう編キタ〜!!
抱え込む姐さんツボです。
731 名前:『解の公式』 投稿日:2004/04/30(金) 20:56
亜弥はぼんやりと、流れる雲を見つめていた。
3月とはいえ屋上はまだまだ寒かったけれど、それでもかまわなかった。
ただ、静かに思いをはせる時間と場所がほしくて、それにはここが
うってつけだった。

保健室での一悶着のあと、少しの間裕子と離れて様子をうかがった。
様子をうかがいながら考えた。
今、自分の周りで何が起こっているのかを。
732 名前:『解の公式』 投稿日:2004/04/30(金) 20:56
きちんと筋道を立てて整理してみれば、それはさほど難しいことではなかった。
裕子の様子がおかしくて。
そんな裕子のことで、生徒の間でウワサが立った。
そのウワサは、「裕子と真希がケンカをしたのだろう」という結論に達した。
その理由は、裕子と真希が距離を置いていたから。
そして、真希がそのウワサに何ひとつ弁解をしなかったから。

もしかしたら、それは真実なのかもしれない。
けれど、それを真実と思えない理由が亜弥にはあった。

それが、美貴だ。
いつからだったかはっきりとは覚えていないが、たぶん、裕子の様子がおかしくなったのと
時はほぼ変わらない頃に、美貴の様子もおかしくなった。
なんだかイライラしているようで、些細なことで怒りだすようになった。
かと思えば、すぐに罪悪感たっぷりの顔であやまってくる。
とても、不安定に見えた。

ふたりの行動の変化は、普通に考えたら独立したものなんだろう。
ただ、美貴の様子がおかしくなったことで、亜弥の中でパズルが完成した。

裕子の様子と美貴の様子がおかしくなった理由に、真希と自分が関わっているんだと。
733 名前:『解の公式』 投稿日:2004/04/30(金) 20:57
美貴は、自分に対して負の感情を持っている。
そして、それが理不尽なものであることもわかっている。
なぜそんな感情を持つのか。
それはきっと――自分が何も気づいてないから。
何も考えてないから。

そして、美貴をそんな感情に走らせる原因になるのは、真希しかいない。

そして、美貴をそうさせるほど真希を変えるのは、裕子しかいない。

そこまで思い至って、もうひとつ考えなければならないことができた。
裕子と真希の間に何かがあったとして。
それを、自分は知らなくてはいけないのかどうか。
734 名前:『解の公式』 投稿日:2004/04/30(金) 20:57

「まっつー」
不意に呼びかけられて顔を上げると、屋上の入口、ドアの前に真希が立っていた。
いつもと変わらぬ、飄々としたたたずまい。
その姿に、ケンカをしたというのはやっぱりウソなんだろうと思う。
「あ、先輩、こんにちは」
「ひとり? ミキティは?」
ぺこりと頭を下げると、そんな声が聞こえた。
思わず、苦笑いがもれる。

美貴とちゃんと話したのはいつだろう。
最近は美貴のほうがあまり寄ってこなくなった。
亜弥としてはさびしいし、悲しい気持ちもあるけれど、自分も考えることで
いっぱいいっぱいだったから、うまく感情をさばくことができなくて。
裕子とも美貴とも、ヘンな距離ができてしまっていた。
そういえば、真希とこうして話すのも久しぶりな気がする。

「隣、座ってもいい?」
「どうぞぉ」
人ひとり分の空間を開けて、真希が座った。視線を空に向ける。
735 名前:『解の公式』 投稿日:2004/04/30(金) 20:58

「ケンカでもした? ミキティと」
「してないですよ?」

怒ったほうがいいんだろうかとも思った。
問い詰めたほうがいいんだろうかとも思った。
だけど、よくわからないけど、このことは全部自分で考えたほうがいいような気がして。
自分ひとりで考えなきゃいけない気がして。
結局距離をとったままだ。
それが、ケンカしてるように見えるんだろう。

ふっと空に視線を戻す。
出会いは最悪で。
いろいろ痛いことも言われたのに。
今は一緒にいないとケンカしてるみたいに見られるなんて。
おもしろいなぁと思う。
736 名前:『解の公式』 投稿日:2004/04/30(金) 20:58

「どうかした? なんか、元気ないみたいだけど」
問いかけられて亜弥はゆっくりと、真希に視線を戻した。
目が合って、小さく笑う。
「元気ですよ?」
「そう?」
その言葉に、亜弥は顔を伏せた。
体は元気だ。すこぶる快調だ。
気持ちだって、決してブルーなわけじゃない。
「元気ですけど……ちょっといろいろあって」
ふうっと息を吐く。
ブルーじゃないけど、重たい何かが心に落ちているのは事実だったから。

「いろいろ考えてたら、頭痛くなってきちゃいました」
知恵熱出ちゃうかもしれないですねぇと、笑った。
真希は、その言葉に何も返してこなかった。
何気なく顔を見ると、少し難しい表情になっている。

何を、考えているんだろう。
737 名前:『解の公式』 投稿日:2004/04/30(金) 20:59

「先輩?」
「んぁ、ごめん」
声をかけると、はっと我に返ったように真希は笑った。
それにつられて亜弥も笑顔になる。

「で、その『いろいろ』はなんとかなりそうなの?」
不意に問われて、うーんとうなる。

なんとかなりそうか。
それは、正直よくわからない。
だけど、なんともならない、というわけにはいかない。
もしそうなってしまったら、また手を離さなきゃいけなくなる。
もう、あんなつらい思いはさせたくないし、したくない。

泣きそうになるのをこらえて、ぺたぺたと頬を叩く。
それから小さく深呼吸をして、にっこりと笑って見せた。

なんとかなるか、じゃないんだ。
しなきゃいけないことは、ひとつ。
738 名前:『解の公式』 投稿日:2004/04/30(金) 21:00

「なんとかします」

そうだ、するんだ。
どこまでできるかわからないけど、できないなんてあきらめたりしない。
なんとかするんだ。

「絶対に」

それは、決意と覚悟。
どうしてそうするかなんて、問われてもうまく答えられないけれど。
理由は、たったひとつだ。

「私が、そうしたいから」

真希の目が大きく見開かれるのが見えた。

うん、そうだ。
そうしたいから。
だから、そうするんだ。
739 名前:『解の公式』 投稿日:2004/04/30(金) 21:01
その言葉は、自分の口からこぼれ落ちたのに、奇妙なほど勇気と自信をくれた。
それに背中を押されるように、亜弥は立ち上がる。
「先輩、松浦そろそろ帰ります」
「んぁ、ごとーはもうちょっといるよ」
「それじゃ」
亜弥はにっこり微笑んで、そこから立ち去っていく。

「まっつー」
ドアに手をかけたところで、呼び止められた。
振り返ると、一瞬真希が口ごもったように見えた。
けれど、すぐに笑顔になる。
「がんばれ」
740 名前:『解の公式』 投稿日:2004/04/30(金) 21:01

泣きそうになった。
全部、ぶちまけてしまいたかった。
だけどダメなんだ。
それじゃ、あの頃と同じなんだ。

強くなりたい。
強くなりたい。

裕子と自分と、ふたりまとめて守れる強さがほしい。
できるなら。
真希も美貴も、悲しい思いをしなくてすむそんな強さがほしい。

だから、亜弥は笑った。
大きくうなずいて、真希を振り返らずにその場から立ち去った。
741 名前: 投稿日:2004/04/30(金) 21:09
少しですが、更新しました。
ごっちん編とリンクさせてみました。

GW中にもう一回くらい更新できればと思っておりますが…。


レス、ありがとうございます。

>>729
大人というか、かっこつけたがりな感じになっちゃいますw
今回はねーさん登場してませんが(汗
次回は登場します。ちょっと今までとは違う雰囲気…かも?

>>730
ギリギリまで抱え込むイメージがついてまわって。
ツボにはまっていただけて、よかったですw
742 名前: 投稿日:2004/04/30(金) 21:26
追伸。

ええと、質問スレで質問されてた方がいらしたようなので。
あれ? と思いながらこのスレ読み返し、告知してないことに今気づき_| ̄|○
向こう側にも告知してないことに気づき…。
答えてくださった方もいらっしゃいましたが(ありがとうございます)、一応ご連絡を。

雪板で「勿忘草」っちゅー別作品を書いております。
一部登場人物がかぶっており、かつ別CPなのでこちらのふたりのCP好きな方には
あまりおすすめできないかもしれません。

双方ちょこちょこ書いていくつもりなので、今後ともよろしくお願いできればと思います。
743 名前:名無し読者 投稿日:2004/05/03(月) 07:51
先が気になる今日この頃(w
744 名前:『解の公式』 投稿日:2004/05/04(火) 16:02

夢を見た。

深いブルーの夢を見た。

夢だとわかっているのに、リアルだった。

リアルだと感じているのに、夢だとわかっている、不思議な空間。

ゆらゆらと揺れる不確定な視界の中に、白い光が映りこむ。

海に沈んでいるんだと、そう思った。

ゆらゆらと変わることなく揺れる視界。

白い光が少しずつ遠ざかっていく。

何かに包まれているような、すべてから解放されているような不安定。

けれど、不安はなかった。

不思議と心地のいい空間だった。
745 名前:『解の公式』 投稿日:2004/05/04(火) 16:03

このまま目を閉じて身をまかせたらどうなるだろう。

このまま落ちていけたなら、何もかもから自由になれるだろうか。

うっすらと開かれていた目を伏せようとして、ふっと白い光が一瞬消えた。



   ……ちゃ……



その一瞬、声が空間に響いた。

その声が自分のすべてを呼び起こした。

昔、ここにいたことも。

そのまま落ちていったことも。

そのあとどうなったかも。

すべて、思い出した。
746 名前:『解の公式』 投稿日:2004/05/04(火) 16:03

手を伸ばしていた。

白い光をつかむように。

この揺れる空間から、少しでも上に行けるように。

もがいて、もがいて、みっともなくてもいい。

ただ、ここから逃れたかった。

あの声をもう一度聞きたかった。
747 名前:『解の公式』 投稿日:2004/05/04(火) 16:04

 ◇ ◇ ◇
748 名前:『解の公式』 投稿日:2004/05/04(火) 16:04
ふっと視界が白い光に包まれた。
まぶしくて目を細めると、少しずつ目が慣れていく。
一度目を閉じてもう一度開くと、そこは見慣れた自分の部屋だった。
「あ、起きた?」
聞き慣れた声がした。
声のしたほうに顔を向けると、そこには心配そうな顔をした亜弥がいた。
「……ぁ…?」
「起きなくっていいよ、まだ熱あるみたいだし」
言われて体が熱くだるく、節々が痛むことに気づいた。

そうだった。
昨日の夜からひどく体調が悪くて、今朝になってそれは動くのも面倒なくらいに
なってしまっていた。
なんとか学校には休みの連絡を入れて……そこから先の記憶がない。

だるい。
体が重い。
何とか動こうとしても、それは許されず。
ゆるやかな何かに体をからめとられているようだった。
まるで、あの夢の海の中に今でも沈んでいるようで、思わず身震いする。

あのままあの空間に身をゆだねたらどうなっていただろう。
いつかのように、自分自身を傷つける闇へと落ちていっていたかもしれない。
そうしたらきっと、きっと――。
749 名前:『解の公式』 投稿日:2004/05/04(火) 16:05

「寒い?」
小刻みに震え始めたのに気づいたのか、亜弥が声をかけてきた。
はぁっと息を吐くと、少しだけ体が軽くなる気がした。
「……だぃ、じょぶや」
声を出すのもめんどくさい。
そんな様子に気づいたのか、亜弥がベッドに腰をかけた。
そっと額に手を伸ばしてくる。
ひやりとした感覚が気持ちいい。

「まだ熱いね」
すっと手が離れ、すぐに冷たい何かがピタリと額にくっついてくる。
「なんか、飲み物とかいる?」
確かにのどは渇いていたし、何かを体の中に入れたい気はした。
だけど、それよりも、今はほしいものがあった。
750 名前:『解の公式』 投稿日:2004/05/04(火) 16:05
顔をしかめながら体を動かそうとすると、亜弥が肩を押さえた。
その手にあっさりと押し戻される。
「ダメだよ、寝てなきゃ」
それでも強引に腕だけ動かして、肩を押さえている亜弥の腕をつかんだ。
「どしたの?」

きょとんとした顔で亜弥が首を傾げる。
そして、目が合うと小さく笑った。
その笑顔を見つめたまま、つかんだ手が離れていかないように、少しだけ力を入れる。
亜弥が怪訝そうにまた首を傾げる。

「だいじょぶだよ。ここにいるから」

――この子は。

体から力が抜けた。
亜弥の腕をつかんでいた手から、温もりが消える。
「ゆぅちゃん?」
今度は亜弥のほうから手を握ってきた。
そして、空いている手でそっと髪をなでられる。
751 名前:『解の公式』 投稿日:2004/05/04(火) 16:06

「もうちょっと寝て? 起きたら薬飲も?」

やさしい声。

――この子はどうして、アタシを思ってくれるんやろう。

こんなに、臆病で弱くて自分勝手なアタシを。
散々アンタを傷つけてきた、無神経なアタシを。
またアンタを傷つけようとした自己中なアタシを。

涙がこぼれそうになる。

亜弥の様子が変わったことには気づいていた。
その原因が自分にあることもわかっていた。
だけど、どうすることもできなかった。

その償いだったんだろうか。
亜弥の言うワガママは、すべて聞いてあげたかった。
亜弥には誰よりも、自分によりもやさしくありたかった。
それは、今までの自分にはほとんど見えなかった感情。
だから、うまく表現できなくて、亜弥を困らせ、不安にさせた。
752 名前:『解の公式』 投稿日:2004/05/04(火) 16:07

――違う、のかも知れん。

ずっとずっと、時に前を、時に後ろを、けれど違うことなく同じ道を歩き続けていた
と思っていたあの子が。
いつの間にか、違う場所から自分を見ていたことが。
それに気づかなかった自分が、ショックだったのかもしれない。
いや、最初から同じ道なんて歩いていたはずもない。
あの子と自分の歩く道は違う。
ただ隣を並んで歩いていた時間が長かったから、錯覚したのだ、同じ道なんだと。
それに気づいたから、だから急に不安になったのか。
ひとり、取り残されたような気持ちになってしまったのか。

なんて、なんてワガママな。

愚かしい自分を心の中で罵倒する。

だから、自分はそばにいる亜弥が離れていかないか不安なのか。
不安だから、やさしくしようとしているのか。
ひとり取り残されないために、ただ自分のためだけに、亜弥をつなぎとめるために、
ワガママを聞こうとしているのか。

亜弥は、誰の代わりであるはずもないのに。
753 名前:『解の公式』 投稿日:2004/05/04(火) 16:08

「ゆぅちゃん?」
名前を呼ばれて目を閉じた。
それは、あの海の中で一番求めていたもの。
自分を呼び戻してくれたもの。

髪をなでる手の感覚と、その温もりに意識が落ちる。

だけど。
どんなに愚かしいことを考えていたとしても。
それでも、アタシはアンタが愛しい。
その笑顔も、その声も、いつまでもこの腕の中に抱いていたい。
それが誰かを傷つけなければ手に入れられないものだとしても。
自分すらも切り裂かなくてはいけないものだとしても。
それしか、アンタを手に入れる術がないのなら。
アタシは甘んじてそれを受け入れよう。

息を吐くと、ふと誰かの影が頭の中をよぎった。
754 名前:『解の公式』 投稿日:2004/05/04(火) 16:08

――……ごめんな。

そのやさしい子の影に小さく告げる。

言えなかった言葉。
言わせてもらえなかった言葉。

わかっていたから。
あの子の気持ちは痛いほど伝わってきたから。
だから、言わなかった。

――もう、手放したりせんから。

あの子を傷つけてまで手に入れたもの。
傷つけてでもほしいと思ったもの。
危うく手放しかけたけれど、もう大丈夫。
ずっとずっと、守っていける。

それは、根拠はないけれど、裕子には絶対の確証だった。
いつだったか、亜弥の言っていた言葉を思い出す。
755 名前:『解の公式』 投稿日:2004/05/04(火) 16:09

『私が好きになった人だよ? 絶対間違いなんてあるわけないもん』

それでいいんだろう。
あの子が絶対に大丈夫だと言うんやったら。
アタシが惚れたあの子の言うことや。
間違うはずも、ない。

そして。
今までと変わらず、これからもあの子を愛しいと思うだろう。
けれど、それはあの子の求めているものとは違うから。
だからせめて、アンタは言われたくないんやろうけど。

――ごめんな。

それが、ケジメだった。
756 名前: 投稿日:2004/05/04(火) 16:11
更新しました。
答えを見出した人が約1名。
ラストまであと一息でございます。


レス、ありがとうございます。

>>743
先を気にしていただき、ありがとうございます。
ぼちぼちラストに向かってまったり突っ走りますので、
もうしばしお付き合いいただけますとうれしいです。
757 名前:名無し読者 投稿日:2004/05/05(水) 04:02
いつまでもついて行きます!!!(w
758 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/05(水) 23:43
松浦さんが強くなったなあ。強いから優しくなれる、というか。かっこいい。
しっかり主役の貫禄で安心しました。
中澤さんが悩みつつ受け止めて、さらにかっこいい。いい二人だ。

それにしても気がつけばこのスレ、500KBまであとちょっとなんですね。
ラストを期待します。
759 名前:『解の公式』 投稿日:2004/05/09(日) 20:05
あれからもう一度起きてきた裕子に薬を飲ませようと、おかゆを差し出したら拒否された。
仕方がないので、ホットミルクを少しだけ飲ませて、それから薬を飲ませた。
裕子はそのあとすぐに眠りに落ちてしまい、また部屋には静寂が戻る。
さっきよりもほんの少し規則的になってきた裕子の呼吸を聞きながら、亜弥はぼんやりと
裕子の顔を見つめていた。
少し苦しそうに顔をしかめてはいるけれど、起きてくる様子はない。

裕子が学校を休んだことは、担任がHRのときに教えてくれた。
亜弥が高校に入学してから、裕子が学校を休んだのは、出張を除けばこれが初めてだった。
デートの日に調子が悪くなったことは何度かあったけれど、そのときは前もって
連絡をくれていたので、さほど心配はしなかった。
それが、今回は何の前触れもなく休んでしまって、それが気になった。
気になり始めたら、ほってはおけない。
そんな理由で早退したりしたら怒られるかもしれないとは思ったけれど、それでもやっぱり
胸騒ぎは止まらなくて、結局2時間目の授業を受けたところで、亜弥は早退した。
760 名前:『解の公式』 投稿日:2004/05/09(日) 20:06
裕子の部屋に行くと、裕子は寝室のベッドで眠っていた。
その手には、しっかりと携帯電話を握り締めて。
その体に触れるまでもなく、荒い呼吸で裕子の具合が悪いのはわかった。
かなりパニくってたとは思うけれど、それでもなんとか冷えピタやら飲み物やら薬やらを
買い込んで様子をうかがった。

呼吸は苦しそうだったけれど、ほかに痛がったりうめいたりする様子も見えなかったので、
とにかく目が覚めるまで待とう、落ち着くまで待とうと、そのままずっとここにいたのだ。

その苦しそうな寝顔を見つめながら、その髪に、その頬に、その額に触れながら、
亜弥は自分の気持ちともう一度向き合っていた。
761 名前:『解の公式』 投稿日:2004/05/09(日) 20:07
裕子と真希の間に何があったのか、結局正確に知ることはなかった。
なんとなく、裕子と真希、それに美貴の様子を見ながら、薄々は感づいた。
そして、それがおそらく8割がた正解であろうこともわかっていた。

けれど、それを問い詰めて何になるんだろう。
そのことに関する結論は、たぶんもう出ている。
自分の知らないところではじまったそれは、知らないところで終わってしまっている。
いまさら手を出しても、何も変わらない。
手を出すことを、誰も望んではいない。

ただ、どんなことがあっても、目の前で眠るその人の、その手を離すことなんてできない。
黙って見守ることが彼女を手に入れるために必要ならば、自分を傷つけてでもそれに従おう。
彼女がそれを望むのならば、その想いに応えてみせよう。
気になることは山ほどあるけどもう聞かない。
いつかきっと、話してくれる。
それを待ってみせる。

きっと、こんなふうに決意したところで、気持ちは揺れ動くだろう。
心配するし不安になるし、不安定になるだろう。

だけどそれでも。

アナタを失いたくない。
762 名前:『解の公式』 投稿日:2004/05/09(日) 20:07

「……ん」
うなり声にハッとして顔を上げた。
どうやら眠ってしまっていたようで、部屋の中は真っ暗だ。
暗がりの中で時計を見ると、もうすでに深夜さえも過ぎ去っている時間だった。

あまりにも裕子が苦しそうだったので、家には友達のところに泊まると連絡を入れて
おいたけれど、きっとこれが裕子に知れたら、怒られるだろうなぁと思う。
だけどそれでも、そばにいたかった。

「ぅ……?」
裕子のうめき声にそっと顔をのぞきこむと、ゆっくりとそのまぶたが開かれる。
小さく瞬きをしたかと思うと、それからいつもの大きさになる。
その瞳は、さっき起きたときよりは少しだけ、色を増して見えた。
「起きた?」
声をかけると裕子はふわりと笑った。
その笑顔があまりにも穏やかで、ドキリと胸が鳴る。
「何か、飲む?」
軽い動揺を抑え込みながら声をかけると、小さくうなずくのが見えた。
763 名前:『解の公式』 投稿日:2004/05/09(日) 20:08
コップにスポーツドリンクを入れて寝室に戻ると、裕子はベッドの上に起き上がっていた。
壁にもたれかかって、ぼんやりとした視線を亜弥のほうに向けている。
「起きて平気?」
「……ん」

ベッドの端に腰を下ろして、コップを渡す。
裕子はスローモーションかとも思えるほどのゆっくりとした動作でスポーツドリンクを飲み干した。
ふーっと息をつくのが聞こえる。

コップを受け取って化粧台の上に置くと、亜弥はその位置から裕子を振り返った。
裕子は穏やかな笑みを浮かべたまま、亜弥を見つめている。
「……そっち、行ってもい?」
「……ええよ」
裕子がうなずくのを確認してから、ベッドに上がると裕子の隣に腰を下ろす。
腕が触れるか触れないかのギリギリの距離なのに、それだけでも裕子の体が熱を持っているのが
わかった。
隣に座ったのはいいが、裕子がちゃんと覚醒していて、自分もちゃんとしている状態で
こんなにそばにいるのは久々な気がして、なんとなく居心地が悪い。

と、不意に肩に重みを感じた。
そちらを向こうとして、裕子の髪が頬に触れる。
「ゆ、ゆぅ、ちゃん?」
764 名前:『解の公式』 投稿日:2004/05/09(日) 20:09
キュッと手を握られて、亜弥はますます目を丸くした。
弱気なのは、病気のせいだろうか。
それとも、いろいろあったからなんだろうか。

ねぇ、大丈夫だよ。
ここにいるから。
ずっといるから。

その思いは声にならなかった。
言葉は確かに、気持ちを伝える有効な手段かもしれない。
だけど、言葉では裕子の不安定な気持ちを消すことはできない。
だったら。
だったら。

「ゆぅちゃん」
呼びかけて、少しだけ腕を動かすと肩の重みが消えた。
裕子を見ると、笑みは消さず、不思議そうな表情を浮かべている。
握った手はそのままに、一瞬目を閉じて息を吐く。
それから、空いている手を裕子の頬に伸ばした。
そっと触れると、やはり熱い。
手の冷たさが心地いいのか、裕子が目を閉じる。

軽くその頬をなでて、そのまま裕子へと体を寄せる。
そして、裕子が目を開くよりも先に、そっと唇を重ねた。
765 名前:『解の公式』 投稿日:2004/05/09(日) 20:09
たぶん、それはほんの数秒で。
いつも、裕子がしてくれる時間の何分の一かにしかならない時間。
だけど、こうやって亜弥が自分から裕子にするのは、これが初めてだったから。
予想通り、離れてから裕子を見ると、目をまん丸にしていた。

待ってるのは性にあわないから、いつだって行動するのは自分から。
だけど、これだけはどうしても自分からできなかった。
したくないわけじゃない。
したいと思ったことは、何度だってあった。そのチャンスもあったけど。
急にそんなことしたら嫌われるんじゃないかって、そんなことばかり考えていた。

でも、そんなこと考えることなかった。
好きなんだから当たり前なんだ。
ねぇ、ゆぅちゃん。
ちゃんと、好きなんだよ、私だって。
これが答えになるなんて思ってないけど、でもね。
アナタを離すことなんて、もう、できない。
766 名前:『解の公式』 投稿日:2004/05/09(日) 20:10

「…………」
何か言ってくるかと思ったのに、裕子は何も言わなかった。
かなりいつもの様子を取り戻しているように見えるのに、なんだかヘンだ。
「な、なんか、言ってよ。恥ずかしいじゃん」
亜弥の言葉に答えずに、今度は裕子が亜弥の頬に手を伸ばしてきた。
熱を持ったその手が頬に触れる。
「……そんな顔せんといてや」
少しかすれた声。
目の前の裕子は、なんだか笑いたそうな泣きそうな、そんな顔をしている。
だけど、続けて出た言葉は、そんな微妙なものとはまったく違ったものだった。

「襲いたくなるやん」

ベシッ!

思わず思いっきり殴りつけていた。
「何すんねん、病人に」
「病人なら病人らしく、おとなしくしてて」
「その病人を襲ったんは誰やねん」
「お、お、襲ったなんて……」
どもっていると、ふはっという笑い声が聞こえてきた。
見ると、裕子が楽しそうに笑っている。
「ゆぅちゃん!」
「や、ごめ……やって、アンタ、おかしすぎや」
767 名前:『解の公式』 投稿日:2004/05/09(日) 20:11
ふてくされる亜弥をよそに、ひとしきり笑ってから、裕子はころりとベッドに横になった。
「うー」
ますますふてくされていると、腕を思いっきり引っ張られた。
予想外の出来事に抵抗もできずに、裕子に覆いかぶさるように倒れ込む。
穏やかな裕子の笑顔が目の前にあった。
その、あまりの近さに反射的に顔をそむけて裕子から離れようとして、背中から抱きしめられた。
少し熱い体に引き寄せられる。
その吐息が、首元をくすぐる。

ものすごい勢いで鼓動が早まる。
口から心臓が飛び出そうになるって言うのが、比喩じゃないんだって初めて知った。
体中のすべてが、外に飛び出していきそうだった。

「……よ」
「ん?」
「……いいよ、ゆぅちゃん、に、だったら」
768 名前:『解の公式』 投稿日:2004/05/09(日) 20:12
ふはっと笑い声がして、息がまた首元をくすぐった。
「な、なぁんで笑うの!」
「や、やって、なんか、あんまり必死っぽいから……」
「ほ、ほ、本気だもん!」
突然、首元にやわらかくて熱をもった何かが触れた。
「やっ!」
「……今、『ヤ』って言わんかったか?」
「こ、こ、心の準備がいるの!」
「いいって言うたんは、アンタやのに」
そう言われると、ぐうの音も出ない。

確かにいいとは言ったけど。
いつかは、そういう関係になるだろうとは思っていたけど。
やっぱり、コワイ。

でも、もしかしたら、今までだってガマンしてくれてたのかもしれないし。
もっとずっと前からそう思ってくれてたのかもしれないし。
だったら、これ以上待たせるのは酷かもしれないし。

自分を抱きしめている腕をギュッと抱え込んで目を閉じた。

裕子がそれを望むなら――。
769 名前:『解の公式』 投稿日:2004/05/09(日) 20:13

「……いい、よ」
声は自分のものじゃないような気がした。
言い終えてしまうと、それは静かな空間に音もなく消えてしまって、
聞こえてくるのは裕子の吐息と自分の心臓の音だけ。
裕子の腕が触れている部分が、ひどく熱い。
それは、裕子の熱のせいなのか、自分の熱のせいなのかもわからない。
このままふたりで溶けてしまうんじゃないかと、そんなことを思う。

と、ふっと軽い息が漏れ聞こえて、自分を抱きしめている手に力がこもった。
「ごめん、アタシが悪かった」
「ふぇ?」
こつんと後頭部に固いものがあたる。たぶん、裕子のおでこだろう。
こうされては、振り向くに振り向けない。
亜弥はそのままの姿勢で裕子の言葉を待った。

「そんなに……急いで大人になろうとせんといて」
やわらかい口調に混じる、ほんの少しの切なさ。
それに気づいて、亜弥は裕子の腕をちょっとだけ持ち上げて、くるりと体を回転させた。
間近に裕子の顔が迫る。
770 名前:『解の公式』 投稿日:2004/05/09(日) 20:15
その表情はとても穏やかで、大人の余裕を感じさせた。
だから、逆に亜弥の心に火をつけた。
これ以上、子供扱いされたくない。
そう思うこと自体がまだ子供である証拠なのに、亜弥はそれには気づかない。

「もう、子供じゃないもん。平気だもん。さっきのはちょっと驚いただけだもん」

裕子が苦笑するのが見えた。
そこにすら大人の余裕を感じて、亜弥の中で火の勢いがますます強くなる。
裕子の頬に手を伸ばして、その唇を奪おうとして、強引に止められた。

「な、何すんの!」
「それは、こっちのセリフ。ええ加減にせんと、アタシも怒るで?」
「言い出したのはゆぅちゃんでしょ」
「……そらそうやけど」
「だったら、したいようにすればいいじゃん」
困ったように、裕子が顔をゆがめる。
「はー、また熱あがりそうや」
771 名前:『解の公式』 投稿日:2004/05/09(日) 20:16
その顔を見て、火が音を立てて消えた。
だけど、今さら引っ込みがつかなくて、黙って裕子の言葉を待つ。
さっきまでの勢いはどこへやら、短い時間に自分が言った言葉、した行動に、
今度は顔から火が出そうになる。
そんな亜弥の様子に気づいたのか、裕子は亜弥の頭に手を伸ばし、やさしく髪をなでた。

「子供扱いされてると思ってるやろ」
「え……」
「しゃーないやん、実際、アンタ子供やねんから」
「こ、子供じゃない!」
「……ええやん、子供やって」

裕子の口から出た予想外の言葉に亜弥は目を丸くした。
「アタシはそんなアンタも好きやし」
「り、理由になってない!」
「ったく、ワガママやなぁ」
どう言ったら納得してくれんねん、ぼやきながら裕子が額にキスしてくる。
「そんなら、アタシのワガママ、聞いてぇや」
意味がわからなくて首を傾げる。
裕子はふにゃりと笑顔を浮かべて、今度は頬にキスしてきた。
「ほっといたってすぐに大人になるんやで? 子供の時間なんて、ホント短いんやし。
せっかく子供のアンタと出会えたんやから」
裕子の笑顔がすーっとひいて、瞳に真剣な色が帯びる。
薄い茶色の瞳の奥に、自分の姿が見て取れた。
「もうちょっと、子供のアンタのこと、好きでいさせて」
772 名前:『解の公式』 投稿日:2004/05/09(日) 20:17

――ずるい。
そんな顔でそんなこと言うなんて。
もう、さっきまでの怒りも恥ずかしさもなくなって。
ただ、うれしい。
私を、今の私を好きでいてくれるこの人が愛しくてしょうがない。

でも、それを素直に表現するのはなんだか悔しくて。
ついつい口を尖らせてしまう。

「じゃあ、ゆぅちゃんは大人になったら私のことなんて好きじゃなくなるんだ」
「……そういう意味やないって」
裕子の顔はあくまで真剣で、声も真剣なまま。
何を、考えているんだろう。
「やって……」
そのあとの言葉は紡がないまま、裕子の手が頬に伸びてくる。
さっきキスしたところをなぞるように指で触れられ、そのまま耳たぶをつままれる。
今までにない感覚に亜弥がきょとんとしていると、裕子はいたずらっ子のような笑みを
一瞬だけ浮かべた。
「アンタを大人にすんの、アタシやもん」
773 名前:『解の公式』 投稿日:2004/05/09(日) 20:18
その意味がすぐにはわからずに、少し悩んで思い至って、亜弥は赤くなる。
一気に体中が熱くなって、顔がボンッと爆発したような気がした。
だけど、ちゃんと裕子の顔は見えてるし、耳たぶをふにふにといじっている指の動きもわかる。
頭はちゃんとまだついている。

拳を握って目の前の薄い胸元を殴りつけると、ドスッという鈍い音がした。
「えっちぃ……」
「痛いわ」
言いながらも、怒っている様子はない。
奇妙なほどに穏やかな空間。
それは、たぶん亜弥がずっと望んでいたもので。
きっと、裕子も望んでいてくれたものだと思う。

頬をなでていた手が髪に触れる。
そのまま髪をすくように手は後頭部へと流れ、頭をなでる。
裕子と目があうと、その瞳がやわらかい色を帯びた。
キスされるんだとわかって、亜弥は目を閉じる。
裕子の唇が触れるのを感じる。

けれど。
それはいつものキスとは違っていた。
いつもの触れるだけのやさしいキスではなく、より深く甘いキス。
背筋がざわっとざわめいて、胸元も同じようにざわめいていく。
774 名前:『解の公式』 投稿日:2004/05/09(日) 20:18
少し離れてまた口づけられて。
頭の中がだんだん白くなっていく。
ざわめきは消えて、ふわふわとした体が浮き上がっていく。
まるで真新しいタオルケットに包まれているような、やさしい温もり。
眠る直前のような、目覚めてまだ夢うつつのような、幸せな感覚。

と、その感覚が不意に奪われた。
その代わり、きつく抱きしめられた。
力の入らなくなったまぶたを強引に押し上げて裕子をうかがう。

「亜弥」

固い声が響いた。
裕子の瞳は、やわらかな色を残したまま、ますます真剣さを増していて。
半覚醒状態だった意識が一気に目覚める。
目が覚めたことを確認したのだろう、裕子は一度ふわりと笑って見せた。

「愛してるで」
775 名前: 投稿日:2004/05/09(日) 20:28
更新しました。
やっとこここまでこれました。

次回、ちょっとエピローグ的なところを書こうと思っており、
それでホントのホントにラストになります。


レス、ありがとうございます。

>>757
ありがとうございます!
あと1回になりますが、ぜひぜひついてきてくださいませw

>>758
やっとこふたりの絆が描けたような気が…w
お褒めいただきありがとうございます。

そうなんです、あと少しで500KBなんです。
ここまでこれてほっと一安心しております。
あと少しですが、お付き合いくださるとうれしいです。
776 名前:『解の公式』 投稿日:2004/05/15(土) 17:49
ふわふわとした感覚を抱きしめながら、亜弥は学校への道を歩く。
結局あのあと裕子の風邪は見事にぶり返して、週末の休みが吹っ飛んでしまった。
なし崩し的に裕子の家に泊まったことは怒られなかったけれど、そのあとは泊まってでも
看病するという言葉は見事に却下され、結局通って看病するだけになった。

病気のときくらい頼ってくれてもいいのに。

ちょっとした不満が亜弥の心をちくちくさせたりもしたけれど。
それでも、それは本当に少しの間だけで、すぐに裕子が言ってくれた言葉の
ひとつひとつが亜弥の心を埋め尽くした。
幸せで幸せでたまらない。
叫び出したいほど幸せな気持ちになることを、亜弥は初めて知った。
777 名前:『解の公式』 投稿日:2004/05/15(土) 17:49

「まっつー」
背後から声をかけられて振り返ると、真希と美貴が並んで歩く姿が見えた。
「あ、おはようございます」
「おはよ」
「……ぁよ」
元気な真希の声に、だるそうな美貴の声がかき消される。

「みきたん、具合でも悪いの?」
うつろな表情が気になって聞いてみたら、いきなりゴツと肩に額をぶつけられた。
「み、みきたん?」
「……眠い」
「は?」
「ねーむーいー」
ぐりぐりと額を押し付けられる。
「ちょっと、くすぐったいってば」
頭を押さえて強引に突き放すと、美貴はすねたような顔をして今度は真希に
ぶつかっていこうとした。
けれど、それもあっさりとかわされて、危うく転倒しそうになる。
778 名前:『解の公式』 投稿日:2004/05/15(土) 17:50

「……ふたりとも冷たい」
「ミキティ、ウザイ」
真希に冷たくはねつけられて、美貴は仕方なさそうに肩をすくめた。
とぼとぼと捨てられた子犬のように、歩き始める。

なんとなく、その仕草に亜弥はほっとしていた。
いろいろあったせいで、微妙なぎくしゃく感はぬぐえなかったのに、
ふたりは今までのように接してくれようとする。
本当の意味で昔のようには戻れないことは知っているけれど。
今までどおりでいてくれようとする美貴と真希の態度がうれしかった。
779 名前:『解の公式』 投稿日:2004/05/15(土) 17:50

「……まっつー」
美貴の後を追いかけるように歩きだすと、真希にひょいっと顔をのぞきこまれた。
「はい?」
「なんかあった?」
「はいぃ?」
思わず声が裏返りそうになった。
そんな態度に気づいたのか、真希がにやっと笑みを浮かべる。
「めっちゃ幸せそう」
「え、あ、はぁ?」
亜弥は自分の頬を押さえた。
そんな、見てわかるほどふにゃふにゃになってるんだろうか。
ヤバイ……かなぁ。

「あったんだ?」
「え、や、どうでしょう?」
別に人に言えないほど恥ずかしいことをされたわけでもしたわけでもないけれど、
なんだか恥ずかしい。
あわてて視線をそらすと、制服の波の中、ずっと前のほうに見慣れた茶色い頭が見えた。
右に左にバランス悪く揺れている。
780 名前:『解の公式』 投稿日:2004/05/15(土) 17:50

「ぁ……」
「……あ、ゆーちゃーん!」
その声を聞きとめたわけでもないだろうに、隣にいた真希が突然大声を上げた。
亜弥はビックリして耳をふさぎ、前を歩いていた美貴も振り返って目を丸くしている。
前を歩いていたかなりの数の生徒が振り返ったが、声を上げたのが真希だとわかると、
特別気にするふうでもなく、すぐに元通りに前を向いて歩いてく。
まぁ、いつものこと、というところだ。

真希の声を聞きつけたのだろう、ゆらゆらと揺れていた頭がピタリと止まり、
ゆるゆるとした速度で振り返る。

そのままその場で立ち止まっている裕子の元へと近づく。
裕子はめずらしくメガネをかけていて、その奥で不機嫌そうに眉根を寄せていた。

まだ具合は完璧ではないらしい。
普段なら車で来るのに歩いてきているということは、薬を飲んだか何かしているんだろう。
781 名前:『解の公式』 投稿日:2004/05/15(土) 17:51

「何、まだ具合悪いの?」
裕子の不満げな顔に気づいたのか、真希が聞いた。
その様子は、本当にいつもどおりで。
一時期距離を置いていたのがウソのようだった。
「んー、熱は下がったんやけど、だるくてな」
「だったら休めばよかったのに」
「そうそう休んでもおられへんねん。おとなしくしといたらなんとかなるやろ」
だるそうに息を吐くのも気になって、亜弥はそっと裕子の腕に触れた。
それに気づいたのか、裕子が穏やかな視線を向けてくる。

「おー、なんだかラブラブじゃーん?」
突然声がしたかと思ったら、ぐわしっと首を締め上げられそうになった。
「ぐぇ」
首に巻きついてきた真希の腕が危うくいいところに入りそうになって、
亜弥はあわててその腕を握ってとめた。
「朝から見せつけてくれちゃって〜」
ぐいぐいと首に腕を巻きつけられたまま体を振られて、ぐらんぐらんと視界が揺れる。
目が回りそうになっていたら、頭の上でゴツッという音がした。
「こーら」
それを追いかけるように、低音の裕子の声が響く。
782 名前:『解の公式』 投稿日:2004/05/15(土) 17:51
裕子の腕が頭の上に乗っている感覚がある。
その先にあるのは、位置的に自分より背の高い真希の頭のはずなわけで。
つまり、さっきの音は真希が殴られた音、というわけだ。

「いったー」
するりと自分を絡め取っていた腕が離れる。
真希のほうを見やると、殴られたらしい側頭部をなでているのが見えた。
と、不意に逆方向から腕が伸びてきて、自分の意思とは関係なくぐいっと真希から体が離れた。
ポスンと背中に触れるのは、さっきの位置から考えて当然裕子の体。
そして、今自分を絡め取っているのは裕子の腕だ。

や、ややや、ちょっと待ってください?
今って、めちゃくちゃ通学路ですよね?
すっごい目立つと思うんですけど、やばくないですか?

あわてる亜弥をよそに、裕子が息を吐く音が聞こえた。



「人の彼女に手ぇ出さない」



783 名前:『解の公式』 投稿日:2004/05/15(土) 17:51
その言葉に、亜弥の思考回路は完全に停止した。
ヒューッと口笛を吹く音が聞こえる。
視界に映りこむ美貴はきょとんと目を丸くして、真希はにやっと笑っていた。

「なるほどね、そーゆーことか」
ひとりで勝手に納得して、真希はうんうんとうなずく。
「な、な、何がですかぁ!」
「まーまー、照れない照れない」
ポスンと、真希の手が亜弥の頭の上に乗る。
むぎゅうと口をつぐみながら真希を見ると、にやっと笑いを消して、ふわりと
微笑んでいた。

「よかったね」

言葉をなくした。
何を言ったらいいのかわからない。
真希はなんだか微妙に勘違いをしているような気もするんだけど。
真希の笑顔は本物で、いつも自分を見ていてくれた穏やかなもの。
裕子と真希の間に何があったかはっきりとは知らなくて、それでもぼんやりとは知っていて。
だから、だから――。

「……ありがとう、ございます」
784 名前:『解の公式』 投稿日:2004/05/15(土) 17:52
こぼれ落ちた言葉に、真希は満足そうに微笑むとわしわしと頭をなでてきた。
美貴が微妙な笑みを浮かべて、それを見ている。
と、何かを思い出したように、真希が立ち止まる。
「あー!」
「え、え、え?」
「ごとー、1時間目体育だった! ごめん、先行くね!」
「あ、え、は……」
「しっかり勉強せぇよ」
「んじゃねー」
真希はカバンを肩にかけなおすと、走り出した。
途中まで行きかけて、ふと何に気づいたのか、少し戻ってくる。

「うら、ミキティも行く!」
「え、美貴体育じゃないけど。ってか、ごっちんとはクラスどころか学年違うけど」
「ひとりで走ってたら恥ずかしいじゃん。付き合え!」
「え、うっそ!」
がしっと真希に腕を取られて、半ば引きずられながら美貴が足を動かす。
ふたりはあっという間に遠ざかって行ってしまった。
785 名前:『解の公式』 投稿日:2004/05/15(土) 17:52

「なんやぁ、朝から元気やな……ムダに」
あきれたような感心したような半々な声が響いて、亜弥の首に絡まっていた
腕がするりと離された。
そこでやっと、亜弥は我に返った。
「ぼーっとしてると遅刻するで?」
「あ、うん、はい」

右に左に、相変わらず微妙にバランス悪く歩く裕子の隣を並んで歩く。
「どした?」
不意に問われて顔を上げると、メガネの向こうから心配そうな瞳がのぞく。
「元気なくなっとるけど」
「え、や、あの」
その瞳があったかくて、でもなんとなく気恥ずかしくて、亜弥は目を伏せた。

「ん?」
「……いいのかなぁって」
「何が」
「幸せすぎて」
「は?」

あっけに取られたような声がした。
と思ったら、ふはっと笑い声が漏れてきて、わしわしと頭をなでられた。
786 名前:『解の公式』 投稿日:2004/05/15(土) 17:53

「アホ」
「あ、アホじゃないもん!」
顔を上げると、笑顔の裕子と目があった。
「まだまだこんなん序の口やで?」
「ふぇ?」
肩に手がかけられた。
と思ったら、そのままふわっと顔を寄せられて頬に軽くキスされた。
「ゆ……せ、センセイ!」

思わずキョロキョロと周りを見回してたけれど、誰もそれにかまっている様子はない。
気づいていないのか、そんなことには興味がないのか、元々裕子がこういうキャラなのか、
それとも見て見ぬフリをしてくれているのかはわからない。
何はともあれ、気にされていないのであれば、とほっと息をつく。

「もっともっと、幸せにしたるから」

やわらかい口調に、足が止まる。
気がつけば、昇降口へ続く道へとたどり着いていた。
教職員用の出入り口とはここから道がわかれてしまう。
787 名前:『解の公式』 投稿日:2004/05/15(土) 17:53
そっと見上げると、裕子は笑顔のまま。

胸の奥がじんわりと熱くなってくる。
うれしくてうれしくて。
間違えようのない幸せを噛み締める。

「やから、アンタもしてな?」
満面の笑みを浮かべる裕子。
それは、いつもの大人の顔でも、弱気なときに見せる子供っぽい顔でもない。
まだ、亜弥も数えるほどしか見たことがない、中澤裕子という人の、本当の顔。
「アタシのこと、めいっぱい幸せに」

一瞬、あっけにとられて、それから亜弥は大きくうなずいた。
そして、大きく笑った。
788 名前:『解の公式』 投稿日:2004/05/15(土) 17:53

きっとこれからも、いろんなことがあるだろう。
不安になったり心配になったり、不安定にもなるだろう。
泣いたり怒ったりケンカしたり、きっと安定することなんてないんだろう。

だけど、もう。
どんなことがあったって、この手はもう離さない。
ふたり一緒なら、きっと乗り越えられる。
不可能なんて、きっとないから。



だから、ね、一緒に。



ふたりで一緒に、幸せになろうね。

789 名前:『解の公式』 投稿日:2004/05/15(土) 17:54

    END
790 名前: 投稿日:2004/05/15(土) 17:58
更新しました。
以上で、『解の公式』は終了です。

これをもちまして、『式と証明』も完結になります。
791 名前: 投稿日:2004/05/15(土) 18:07

今まで読んでくださった方、レスをくださった方、
こんな超ド級マイナーCPwにお付き合いくださいまして、
本当にありがとうございます。

今は別板で別CPを書いていたりもしますが(浮気者)、
このふたりの組み合わせは今でも変わらず大好きです。
スレ容量がいっぱいなのでここの更新はもうないと思いますが、
またどこかでふたりをメインにして書けたらいいなと思っております。


それでは。

本当にありがとうございました。
792 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/15(土) 22:37
今まで、お疲れ様でした。
このスレがたってからずっと追いかけてました。
この四人の関係がすごく好きでした。
終わってしまったのがすこし寂しいですけど、ほんわかした終わり方でよかったです。


別板のも、楽しみにしています。
793 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/16(日) 15:59
イヤー終わっちゃいましたか。ちょと残念。
二人はもちろん好きですけど(この組み合せはここで始めて読みました)やっぱ四人かなぁ、面白かったです。
ありがとうございました。
794 名前:名無し読者 投稿日:2004/05/16(日) 22:48
ありがとうございました。
私もこの4人皆大好きです。
別板も楽しませていただいてます。
又、もう一つ新しいスレ作って・・・4人の小説&数少ないマイナーCPごまゆうも書いて下さいね〜。
ぜひお願いします。
795 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/16(日) 23:36
中澤さんが別人のように積極的になってw
幸せそうな終わり方でよかったです。
ちょっと意外な組み合わせで、でもすごい面白かったです。
完結お疲れ様&ありがとうございました。
796 名前: 投稿日:2004/06/19(土) 22:01
こちらではご無沙汰でございます。

>>792
最初から読んでくださったんですね。
長々お付き合いくださいまして、ありがとうございます。

>>793
このふたりをCPにしようなんて考えるのは、
自分くらいなんでしょうかw
楽しんでいただけてよかったです。

>>794
自分も4人とも大好きです。
喜んでいただけてよかったです。

>>795
ねーさんにはヘタレなイメージがあるので、
あんまり積極的に動かないんですが、
やるときはやるんです、たぶんw
797 名前: 投稿日:2004/06/19(土) 22:05

新しくスレッド立てましたので、そのご報告を。
こちらでは、また超ド級マイナーCPwをメインに書いていきたいと思います。

白板:Adularescence

http://m-seek.net/cgi-bin/test/read.cgi/white/1087648155/

スレタイと中身は直接関係はありません。
ふたりとも6月生まれなので、
6月の誕生石絡み、ということで。

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