ホワイト・スクランブル・フィルムズ
- 1 名前: 投稿日:2003/12/16(火) 23:01
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さあ あなたから メリークリスマス 私から メリークリスマス
サンタクロース イズ カミン トゥ タウン
ね 聞こえてくるでしょう 鈴の音が すぐそこに
サンタクロース イズ カミン トゥ タウン
待ちきれないで おやすみした子に きっとすばらしい プレゼントもって
さあ あなたから メリークリスマス 私から メリークリスマス
サンタクロース イズ カミン トゥ タウン
『サンタが街にやってくる』 より──
- 2 名前: 投稿日:2003/12/16(火) 23:03
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ホワイト・スクランブル・フィルムズ
- 3 名前:オープニング 投稿日:2003/12/16(火) 23:05
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できあがったばかりのタワーから見下ろせば、
その街がどんな姿をしているか、簡単に把握することができるだろう。
南へと流れる川の左岸、定規で引いたように線路がまっすぐ東西に走っている。
そして市街地のちょうど中心の位置に、快速は止まるけど特急は止まらない駅。
ホームの数は4つ。
- 4 名前:オープニング 投稿日:2003/12/16(火) 23:07
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駅裏の公園。ひとりの少女が手持ち無沙汰に入り口の柱に寄りかかっている。
腕時計に目をやる。さっき見てから、まだ3分も経っていない。
空を仰いでため息をひとつ。
ぼうっと白いもやもやが、背景の分厚い雲へと溶け込んでいく。
「なっち、ごめんごめん」
近づいてくる丸っこい姿を目にして、
なっちと呼ばれた少女──安倍なつみは相好を崩す。
「おそいよ、明日香ぁ」
身長差はほとんどない。しかし無邪気な安倍とは対照的に、
大人びた微笑を福田明日香は返す。
「これ、頼まれてたヤツ」
そして福田は安倍に紙袋を渡した。覗き込んで中身を確かめると、安倍はうなずく。
「それじゃ、私はバイトがあるから」
素っ気なく歩き出す福田に、人懐っこい笑顔で安倍は声をかけた。
「うん、また夜にね」
「はいはい、わかってますよ」
そう言って手を振り、福田はその場を去った。
残された安倍は紙袋を胸に抱き締めると、福田とは反対の方向に歩き出す。
- 5 名前:オープニング 投稿日:2003/12/16(火) 23:10
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ふたりの少女が出会った公園があるのは、駅の南口のすぐ横。
近所の商店街から喧騒が届いている。
線路に分断された南側には、昔からの繁華街が広がる。
決して清潔とは言えないが、活気にあふれている。
そのさらに南には、雑然とした住宅街。
入り組んだ長屋の存在が土地の歴史を物語っている。
- 6 名前:オープニング 投稿日:2003/12/16(火) 23:13
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家に戻った安倍は、まっすぐに自分の部屋へと向かう。
ドアを閉めると、抱えていた紙袋の中身をそっと取り出した。
赤いカタマリ。広げると、白い飾りが目に入る。
服を脱いで、それに着替える。鏡に、自分の姿を、映してみる。
「おっ、これはなかなか似合ってるんでないかい?」
ちっちゃなサンタクロースに、思わず、笑みと一緒に言葉がこぼれ出した。
- 7 名前:オープニング 投稿日:2003/12/16(火) 23:16
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サンタの人形、トナカイのぬいぐるみ、星、長靴、雪。
クリスマスの飾りつけがいっぱいにされた街並み。
北口は、ついこのあいだ再開発が終わったばかりのエリア。
大規模な商業施設とマンションが建ち並ぶ。
駅から北に向けて一直線に走るメインストリート、そしてそれに沿って植えられたケヤキ。
葉はすっかり落ちてしまっているものの、代わりにイルミネーションが取りつけられている。
そうして並木は、自分たちが輝くことのできる夜を、じっと待っている。
- 8 名前:オープニング 投稿日:2003/12/16(火) 23:19
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突然、ベルが鳴った。安倍は慌てて階段を下りると、電話の受話器を取る。
「──もしもし?」
そっとささやくように答えると、耳を澄ます。
聞こえてくる声。安倍の表情は、真剣なものへと変わる。
「…わかった」
うなずくと、受話器を静かに置いて、玄関に向かう。
そのまま、靴を履いて、家を飛び出した。
- 9 名前:オープニング 投稿日:2003/12/16(火) 23:20
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真っ赤な服に、ふわふわとした白い飾り。
安倍はサンタクロースの恰好のまま、街を駆け抜ける。
孤児院の脇。モノクロームの空に突き出た教会の十字架。走りながら、流し見る。
その隣に、いつも通っている学校。冬休みに入って閑散としている。
向かいに、コンビニ。福田はまだ支度を整えているのか、外から彼女の姿は見えない。
少し広い道にぶつかった。左に曲がり、商店街の人ごみを抜けて、駅前に出る。
ずいぶん小ぢんまりとした、駅の南口。
階段を駆け上がり、ガラス張りの自由通路で北口へ向かう。
ふと途中で立ち止まって、周囲をぐるっと見回してみる。360度、目の前に広がるパノラマ。
これが、自分の暮らしている街。この街で、物語が、いま、はじまる──
- 10 名前: 投稿日:2003/12/16(火) 23:31
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ホワイト・スクランブル・フィルムズ
オープニング >>3-9
- 11 名前:第1話「いちーちゃん故郷に帰る」 投稿日:2003/12/16(火) 23:32
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温度差でガラスに付着した水滴を右手で乱雑に拭った瞬間、
乾いた時に掃除が大変なんだろうなと後藤真希は思った。
空に隙間なく敷き詰められた灰色の雲は、まるで自分の心模様を映し出している。
どんよりとしていて、地面を押し潰してしまうかのように重たい。
けれど、今にも雪が降ってきそうで、きっと子供たちはわくわくしながら空を見上げているだろう。
- 12 名前:第1話 投稿日:2003/12/16(火) 23:33
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窓の外から視線を戻すと、そっと鏡台の上に置かれている封書を見た。
さっきまでベッドの上に座って、じっと見つめていたものだ。
既に封は切ってある。中の便箋を傷つけないよう、ハサミで丁寧に開封したことが
つい数分前のことのように感じる。
「今日、いちーちゃんが帰ってくるんだ……」
雲が動く。
はやる気持ちと億劫な気持ちが交差する。
頭は時を遡り、思い出が断片的なシーンとなって甦る。
後藤のカラダは自然と震えていた。
寒かったわけじゃない。もちろん、怖かったわけでも。
- 13 名前:第1話 投稿日:2003/12/16(火) 23:34
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すっかり冷えてしまった珈琲を飲み干すと、真っ白なハーフコートを羽織る。
いつ飲んでも、後藤にとってそれは懐かしい味だった。
「無理して苦いの炒れるから、またこれだよ」
そんなことを思いながらボタンをゆっくり留め終ると、
煌びやかな星模様が散りばめられた緑色のマフラーに顔を埋めた。
無頓着でいつも何を考えているか分からない後藤だったが、今日は違っていた。
何処かは分からないがそわそわする部分があるし、未知の感情が内で弾けて広がる。
それはクリスマスを前にして浮き足立つ子供に似ていた。
「よし」
飛び出すきっかけを見つけると、部屋の扉を勢いよく開く。
階段を早足で駆け下りる様は、離陸寸前のジェット機のようだ。
ジェット機はそのスピードで何もかもを振り切る。
そして、大空へ。
- 14 名前:第1話 投稿日:2003/12/16(火) 23:34
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「お母さん、行ってきまーす」
「真希ぃ?どこ行くの?」
「───!!」
◇ ◇ ◇
- 15 名前:第1話 投稿日:2003/12/16(火) 23:35
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太いタイヤで地面を蹴り、独特の排気音が雑踏から現れる。
キキッという耳障りな金属音と共にバスが到着すると、矢口真里の姿は隠れてしまった。
メールを一時中断して、箱から降りてくる人の群れから待ち人を探す。
「よっ。えぇーっと、これじゃ…ないよね…」
背伸びで車内の様子を覗うが、待ち人は見当たらない。
停車駅を乗り過ごそうとしているわけではなさそうだ。
「ママー、ボクおっきなサンタさんがのったケーキがいいな」
「はいはい、それじゃイチゴも大きいのを買いましょうね」
「やったぁ」
ふと、手を繋ぎながら楽しそうにバスを降りてきた親子に視線を奪われる。
自然と口許が緩み、表情がほころびた。
あの子にとって、きっと今日は忘れられない大切な日になるのだろう。
「メリー、クリスマス…」
言葉に混じって僅かに洩れた息は白く濁り、粉雪が空に昇っていくみたいだった。
バスの排気音も親子の姿も遠くへ消え、矢口は再び携帯の画面に視線を落した。
続きを一文字も打てずに、それはまた中断してしまうのだけど。
- 16 名前:第1話 投稿日:2003/12/16(火) 23:36
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「はぁはぁ、うわぁ、ひょっとしてなっち遅かった!?」
「まだだよ」
「ふぅぅ、良かった。バスが目の前を走っていったからさ、てっきりそれかと思って」
「ざーんねん。サヤカはまーだ」
髪を乱しながら必死に走ってきた安倍なつみを見て、矢口はさっきとは違った表情で笑った。
ぷくっと頬を膨らませた安倍が可愛らしくて、また、それを知っていて意地悪をしてみたくなる。
それを一通り楽しんだところで、一際目を惹く安倍の服装について触れた。
打ちかけだったメールは途中で止め、無造作にポケットに放り込んだ。
- 17 名前:第1話 投稿日:2003/12/16(火) 23:36
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「てゆうかさ、何?そのカッコ?」
さっきの子供がいたならば、大喜びで安倍に駆け寄るだろう。
改めて、矢口は安倍の全身を捕らえた。
ほとんどが赤であり、縁と白で彩られているそれは、まさにサンタクロースだった。
これで看板を手に持っていたら、街頭でクリスマスケーキを販売する売り子さんである。
「試着してたんだけど、サヤカが来るっていうから、そのまま」
「へぇ、それ着てくるんだ」
矢口が全身を嘗めるように瞳を動かすと、安倍は少し照れたような仕種を見せた。
ここにきてやっと今の自分の恰好を冷静に考えたようだ。
「いよいよ今夜だね」
「うんうん、クリスマス会だよー。楽しみだねー」
けれど、それも普通のことのように時や空気と一体化してしまう。
人も物も街もイヴは特別な日である。
「ボランティアで慣れてるはずなのに、なんか緊張しちゃうよ」
「だねぇ」
クリスマス一色に染まった街の片隅で、ちょこんと佇む小さな女の子と小さなサンタさん。
二人並んで、空を見上げて。
- 18 名前:第1話 投稿日:2003/12/16(火) 23:36
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「そういえばアレ、見つかった?」
「いやー、まだなのさ」
二人は前を通る道の方を向き、言葉を交わす時にだけ軽く互いを見る。
次のバスの到着時刻まで、まだ少し時間があった。
ちょっとだけ考えた素振りを見せて矢口が出した答えは、意外と的を外していない。
「よっすぃーなんかどう?」
「あ、いいかも!…あれ」
「ん?なに?」
「やぐち、髪切った?」
冬の街並みに途切れることなく転がる言葉たち。
必死に抑えようとしている興奮は抑えきれず、張り切って変えた髪型に触れてもらうと、
途端、ぱっと矢口の表情が華やぐ。
「ふふ、わかる? さっきラブマで彩っぺにやったもらったんだ」
「今夜に向けておめかしってかー」
「まーねー。サヤカにも会うわけだしー」
矢口は得意気にくるりと回って見せる。
安倍は小さく拍手を添えて、矢口を彩った。
- 19 名前:第1話 投稿日:2003/12/16(火) 23:37
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矢口にとって市井の存在は別格だった。
それは特別な人という意味ではなくて、例えばクラスメイトがアイドルデビューしたとか、
そんな雲の上の人のような尊敬の念を抱いている。
矢口が市井と再会するということ。
その事実に気合いが入らない理由は見つからない。
「サヤカ…、1年ぶりかあ」
「すごいよねぇ、なんか、いいよねぇ」
「うん?」
「だってさ、学校辞めてアーティスト目指すって言うんだよ?
聞いたときはびっくりしたけど、サヤカのそういう度胸にはちょっとあこがれてるんだ」
「そっか、そうだね。アーティスト…芸術だもんねー」
- 20 名前:第1話 投稿日:2003/12/16(火) 23:37
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市井の上京は突然だった。
生活やこれからのこと、どうにかしたくてもその多くを一人ではどうすることもできない歳で、
その壁を乗り越えようとしたのである。
矢口は怖れを知らない市井の勇気と踏ん切りに、少しだけ自分を重ね合わせながら話を続けた。
「ギターひとつ持って上京だもん。オイラだって歌手目指してるけど、そこまではできないからさ」
「勇気…だね」
「うん。サヤカ、どんな感じになってるかなあ…」
仲良く手を繋いだ親子が通り過ぎ、また一台のバスが幸せを運ぶトナカイのように、
寒空の下を通過していく。市井紗耶香はまだ来ない。
◇ ◇ ◇
- 21 名前:第1話 投稿日:2003/12/16(火) 23:38
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前から吹き荒ぶ木枯しにマフラーが踊る。
それが何だか楽しくて、後藤は少しにやけ顔になった。
冬の匂いが運ぶクリスマスの思い出は懐かしいけれども、後藤にとっては少し悲しい。
けれど、それも“良い思い出化”できるようになった。
今はマフラーが靡く先に、そんな笑顔を乗せて。
ポケットに手を入れると、こつんとした感触に触れる。
透き通ったセロファンに包まれたミントキャンディは誰にもらったんだったか。
面倒なことは考えず、それを口に放り込んだ。
- 22 名前:第1話 投稿日:2003/12/16(火) 23:38
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「ご〜っちん!!」
「ん゙みゅ…」
突然、ズシリという重みが後から圧しかかった。
毛糸の柔らかい感触が背中越しに伝わり、ふわりと揺れた髪の毛からは石鹸の香りが鼻に届く。
咄嗟に首へ下ろされたヘッドフォンからは、シャカシャカと歯切れの良いリズムが飛んできた。
「よっすぃ、か」
それに動じることもなく後藤はゆっくり振り返ると、吉澤に手で挨拶を作って見せた。
吉澤は同じポーズでそれを返すと、どちらから切り出すでもなく並んで歩き始める。
少し高い吉澤の背丈に収まって隠れる後藤の頭。
彼氏彼女のような良い感じのシルエットだ。
「ごっちん、今夜のクリスマス会、どうする?」
頭の後で手を回し、横目で後藤に言う。
そしてまた、すぐに空を見上げた。
「んー、わかんない」
- 23 名前:第1話 投稿日:2003/12/16(火) 23:39
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「クリスマスなのに、なんか暗いね」
「そう? …まあね、切ない思い出になっちゃってるからかねえ」
後藤の行く先は知らない。
ただ、歩調を合わせて吉澤は歩いているだけだ。
「食べる?」と言って貰ったミントキャンディで口の中も冷たい。
二人は肩が触れ合うか否かの距離で、互いに温もりを求めた。
「サンタさんね、来なくなっちゃったんだ。お父さんが死んじゃった年のクリスマスからさ」
「あっ…」
思わずその場に立ち止まってしまった吉澤を背に、後藤はそのまま木枯しを受けて歩く。
くるっと向きを変えるとお尻のあたりで手を組み、後ろ歩きをした。
「なになに、ん?ああ、まずいこと聞いたとか思ったでしょ?全然。気にしなくていいよ」
わりとあっけらかんとした態度で話す後藤だったが、それが余計に吉澤には引っ掛かる。
しばらくして後藤も歩くの止めた。
ポケットに深く手を突っ込んで前のめりになると、少し大きな声を出して叫んだ。
「約束があるから、行くね」
- 24 名前:第1話 投稿日:2003/12/16(火) 23:39
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また吉澤に背中を向け「バイバイ」と、そのまま右手を空に翳す。
吉澤はポケットから手を出すことなく、その後ろ姿を見送った。
「ったく、強がってさ…」
その場から動かず、ずっとその背中を眺める。
「そんな顔で強がりされちゃあ、捕まえてみたくなるじゃん?」
すっかり葉を枯らした街路樹にもたれかかり、薄雲で煙った淡い太陽を指差す。
「夜になったら空飛んでたりして」
そのまま指で銃の形を作り、バーンと撃ち落す仕種をした。
「この吉澤が銀河から撃ち落して、ごっちんに“サンタクロース”とやらをプレゼントしてあげるよ」
西部劇を真似て指の銃口にふっと息を吹きかけると、背中の力だけでもたれるのをやめ、
後藤とは正反対の道を歩き始めた。
雲の隙間が広がり、太陽は半分くらい顔を覗かせた。
「この前追っかけて捕まえた野良猫より、難しいかなぁ」
- 25 名前:第1話 投稿日:2003/12/16(火) 23:39
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◇ ◇ ◇
店内にはクリスマスを歌うJ-POPが軽快に流れ、外壁の一部であるガラスには白いスプレーで
雲の上を走るサンタクロースが描かれていた。
大手コンビニエンスストア『フククス』も例外なくクリスマスカラーに染められ、街に混じる。
- 26 名前:第1話 投稿日:2003/12/16(火) 23:40
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「新垣財閥のお嬢様がこんなお菓子も買えないのぉ?」
「なっ、ナメてもらっちゃ困りますよ!」
そうやってまた一つ、カゴの中に放り込まれたチョコレート。
涼しい顔をして挑発に乗る新垣里沙だが、そろそろその重さに限界がきていた。
ニヤリと口許を緩める加護亜依はコンビニをところ狭しと駆け回り、次はガムを漁ろうと
レジの方を迂回した。
「新垣財閥はですね、今や財界を牛耳るとまで言われてですね…」
新垣の無視もいいところで、レジでは福田明日香が腕組みをしながらやれやれと二人のやりとりを
見守っている。
「あっ、やっぱガムはいいや。それだけでお願いー」
「財界の著名人はみんな我が新垣財閥に…」
- 27 名前:第1話 投稿日:2003/12/16(火) 23:41
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語り口調のままレジに向かう新垣は何故か得意げだ。
そのまま語り続け、合間に「よっこらしょ」と言わんばかりの重たいカゴをカウンターに置く。
もちろん、加護はそんなことはお構いなしで、雑誌の立ち読みに走ったところだった。
同時に自動ドアが開き、暖房で少し暑くなった店内に心地良い冷気が流れ込んだ。
「いらっしゃ───」
- 28 名前:第1話 投稿日:2003/12/16(火) 23:42
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ぽんっと加護の頭に手を乗せ嗜めるのは、吉澤と別れたばかりの後藤だった。
「うおぉ、ごっちーん!」
「こらこら、あんまり買ってもらってばっかじゃいけないよ」
「うふふ、うん」
後藤を見るなり加護の態度は一転して素直になり、ベタベタと後藤にまとわりつく。
後藤もそれはそれで、満更ではないようだ。
「ごっちん、これ見てー」
「はいはい、なーに」
加護は後藤の手をとって雑誌のコーナーへ連れていく。
「このお洋服かわいいでしょ?加護、サンタさんにこのお洋服お願いしたんだー」
「へぇ、可愛いねぇ。サンタさん、プレゼントしてくれるといいね」
「うんっ!」
語り続ける新垣を余所目に、二人は本当の姉妹のようにジャレ合う。
外で腕を組む若いカップルは互いに距離を寄せる。
空を浮かぶ雲は動き続ける。 今という時間でさえ気がつけば過去になっている。
だけど、遠い昔のように感じる記憶は、今日という時間をかけて、少しずつ、そして鮮明に。
- 29 名前:第1話 投稿日:2003/12/16(火) 23:43
-
◇
「ばいばぁーい」
「バイバイ、気をつけなよー」
コンビニの前に渡される小さな横断歩道を渡ってもなお、加護はこっちに手を振り続けていた。
何かデジャブのような、そんなものが後藤の頭を過ぎる。
- 30 名前:第1話 投稿日:2003/12/16(火) 23:43
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「すっかりお姉さんだねえ」
一部始終を見ていた福田がタイミングを見計らって声をかけた。
店内に客がいないことを確認し、エプロンを整えながらカウンターの外へ。
遠くへ消え行く加護と新垣の背中を一緒に見送る。
「ま、ご近所さんだからねえ」
「昔はサヤカにべったりだったじゃん、まるでそっくり」
また、だ。
その名前が後藤の中に入ってくる度に、何かがチクリと痛む。
「そのいちーちゃんだけど…、今日来るんだ」
「そう」
昨夜は眠れないほどドキドキしていたのに、対極するようにもう一人の後藤は離れていくようだ。
まるで、再会を望まないかのように。
福田は二人のことをよく知っている。
そうして後藤の様子を察した福田は、なんとも曖昧な返事しか返せなかった。
- 31 名前:第1話 投稿日:2003/12/16(火) 23:44
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「私、行くね」
「あ、これ持ってきな。私のオゴリ」
そう言うと福田はカウンターの上の保温機からミルクコーヒーの缶を取り出し、
後藤に軽い力で投げた。
「ありがと」
体で包み込むようにそれを受け止めると、後藤は約束の場所へ向かうのだった。
◇ ◇ ◇
- 32 名前:第1話 投稿日:2003/12/16(火) 23:45
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何台のバスが通り過ぎたか。
冷え切ったはずの二人の体が温まったのは、あれからそう遠くはない時間だ。
こげ茶色で皮張りの大きなギターケースがゆっくりと揺れた。
バスのドアにネックの部分が引っ掛からないように気をつけて降りる。
両足で着地し、一度二度、その場でアスファルトを踏み締めた。
“場所”を確認するために。
バスは数人を吐き出し、再び発車する。
下を向いて、また目でもしっかりとそれを確認した。
艶のある黒のベリーショート。面影はあった。
「よっ」
「サヤカ!!」
小さな体を使って精一杯の表現をする矢口は、市井を見るなり飛びつく。
安倍は微笑んで、その様子を後から懐かしそうに見ていた。
- 33 名前:第1話 投稿日:2003/12/16(火) 23:46
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「サヤカ、東京はどんな感じ?」
「ぼちぼちだね」
腕に絡みつくように、矢口が市井を請う。
しかし、東京でそれを覚えたのか、市井の答えは適当なものだった。
「今夜、クリスマス会でオイラ歌うからさ、サヤカも来てよ」
「それまでいられるかわかんない。まあ考えとくよ」
じっくり話を聞きたい矢口だが、市井の心は何処か違うところに行っているようだ。
やがて矢口の口数も少なくなり、傍を離れた。
何だか寂しげな表情を浮かべ、安倍の横に並ぶ。
- 34 名前:第1話 投稿日:2003/12/16(火) 23:46
-
「ほかに用事があるから」
再会の挨拶も程々に市井はそう告げると、早々とその場を立ち去ろうとする。
「またあとで連絡するよ」
ゆさゆさと上下するギターケースに手が触れたとき、その冷たさが伝わってきた。
東京はそういうところだったのか。
肩透かしを食らった二人は互いに見つめ合い、同時に「どうする?」と一言。
「じゃ、なっちはよっちゃんを探すね」
「…ゲーセンでも行くか。サンタの服着たぬいぐるみのUFOキャッチャーもすぐに終わりがくるし」
二人もそれぞれ違う方向へ、緩くカーブを描いた道を歩き出した。
そしてバスターミナルは、また次の人を待つ。
- 35 名前:第1話 投稿日:2003/12/16(火) 23:47
-
◇
瞳をきょろきょろとさせ、帰ってきた“場所”を懐かしそうに見て歩く。
景色も、空気も、バスターミナルで確かめたように。
でも何か違っていた。
景色も、空気も、自分がいた頃の街とは少し違うように感じる。
あの子も変わってしまっただろうか。
小さな途惑いも、もうすぐ確かめられるのだけど、やはり今は途惑にしかならない。
そんなことを考えながら足を進めると、この変わってしまった街で変わらないものを見つけた。
「よっ、明日香」
「あ、紗耶香」
- 36 名前:第1話 投稿日:2003/12/16(火) 23:47
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福田が客を送り出すのを見届けると、市井はゆっくりレジに近づいた。
「少し見ない間に街も変わったね。北口の区画整理、終わったんだ。見違えたよ」
「スクランブル交差点とかすごいよ。渡った?」
「ううん、まだ着いたばっかだから」
「そっか。もうね、すっかり大都市だよ。大きなタワーは存在感あるし、あっそうだ、
メインストリートの街路樹なんか今夜は綺麗なイルミネーション一色じゃないかな」
会話は何かしら表面的なものだ。
互いに一歩引いて、様子を覗って。
そんな二人は何処か似ている。
「ふーん」といった感じで店内から外を眺める市井に、福田が中に入る。
有線から流れる音楽は丁度静かな曲だった。
- 37 名前:第1話 投稿日:2003/12/16(火) 23:48
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「後藤に会いに来たんでしょ」
「…知ってんの?」
一瞬、市井の表情は強張ったが、気づかれないように一呼吸を置くと、また薄い仮面を被った。
福田はそれに気がついたが、気づいていないフリをする。
「さっき後藤が来て、そう言ってた」
「そう」
「街でも案内してもらえば?」
「そうだね。そうしてもらえるとありがたいね」
会話の終りで有線は途切れ、時間が止まったように思えた。
次曲で流行りのアイドルが歌うクリスマスソングが流れ出したのは、
市井がコンビニを後にしてからすぐのことだった。
◇ ◇ ◇
- 38 名前:第1話 投稿日:2003/12/16(火) 23:48
-
足を投げ出して空を眺めている。
散かった薄雲が風に大きく流されるのがよく分かった。
どんよりとしていた雲は、もうその面影さえなくなっている。
同じ形の雲はない。
形を変えた雲は、元には戻らない。
あの頃にも───
時折、轟々と聞こえる風の音。
今はそれしか聞こえないのだけど、そこに割って入る異音を、さっきからずっと待っている。
一回、二回。
一歩、二歩。
その音に導かれるように、後藤はゆっくりと振り向いた。
- 39 名前:第1話 投稿日:2003/12/16(火) 23:49
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「あのときとは逆だね」
足音は止まり、また風が唸りを上げた。
そのまま足音を重ねたとしても、きっと耳には届かないのだろう。
名前も知らない鳥が鳴いていたけども、奥まで通る前にか細く消えゆく。
「自分で切ったの?裾が揃ってないよ」
「ほっとけ」
再会の挨拶は交わさなかった。
互いに一度だけ浅く頷いただけだ。
「あたしがここでギターを弾いてたら、いきなり黒いパンツが空からおおいかぶさってきたんだ」
そう言って階段の屋根の部分を見上げる市井。
「気持ちよく昼寝してたのにさ、ヘタなギターがジャマしてきたんだよね」
後藤は笑みを浮かべながら、いじわるな言い方をする。
やや挑発めいた態度と口調、そして、尖ったもの。
市井はその棘をしっかりと拾った。
「ヘタ」という言葉に表情がわずかに硬くなった市井を、後藤は見逃さない。
- 40 名前:第1話 投稿日:2003/12/16(火) 23:49
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剥がれかけた屋上のコンクリートが、冬の空と一緒になってトーンを沈める。
割れたタイルの欠片を明後日の方向へ蹴飛ばして、後藤は二人の過去を辿った。
「それからは毎日、ここで会ったね。はじめはなんとなく気になって来てただけかもしれないけど、
そのうち、はっきりと好きなんだってわかった。いちーちゃんもそうだよね」
授業をサボって、ずっと寝転んでいたこと。
弁当を忘れて分け合ったこと。
くだらないことでケンカしたこと。
雨の日、傘を差してグレイに染まる景色を眺めていたこと。
季節の移り変わり、二人の全て。
屋上は何でも知っている。
市井は無言のまま、じっと後藤を見つめていた。
「好きなんだってわかったら、もう遠慮はいらなかった」
後藤は頭上に広がる冬の空を仰いで言う。
風ですっかり雲は流されて、柔らかい陽射しからは光の粒が弾け飛んだ。
- 41 名前:第1話 投稿日:2003/12/16(火) 23:50
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「ファーストキスは、空の味がした───」
灰色のコンクリートが光で息吹く。
空の青が侵食し、二人を吸い込もうする。
お尻を叩いて、後藤は立ち上がった。
「後藤はね、いちーちゃんの夢のジャマにはなりたくなかったんだ。
だから、いちーちゃんがギターの勉強をしたいって言い出したとき、止めなかった」
後藤は市井の目をしっかりと見据えていた。
両手をきゅっと握って、目の前にいる市井と瞳の中で距離を置く。
- 42 名前:第1話 投稿日:2003/12/16(火) 23:50
-
「いちーちゃん、逃げてきたんじゃないよね?」
「なっ、なにを…」
後藤は市井の動揺を見逃さなかった。
チクリとした痛みは、次第に大きくなっていく。
凛とした空気がカラダの中に入ってきて、真ん中の温かい部分がきしきしと歪んだ。
「いちーちゃんがこの街を出るって決めたのは、後藤から逃げたかったから」
「ちがう!」
「こわくなったんでしょ。後藤のことを好きになるたび、後藤に好かれるたび、
傷つけあうことがこわくなる」
「ギターの勉強なんてしてるはずないよね。ただの口実だったんだから」
「いちーちゃんはぜんぶをリセットしたつもりでも、残された市井はどうなるの?」
止まらなかった。
こんなことを言うために、再会したはずじゃない。
今朝は勢いよく飛び出したのに。
楽しみで。嬉しくて。
会えたことで外れたストッパーは、実に本音の部分を垂れ流した。
- 43 名前:第1話 投稿日:2003/12/16(火) 23:51
-
「…ああそうだよ! あたしはダメだよ!」
空気が凍る。
市井は市井で一番触られたくない部分を思いきり握られ、心の傷みに打ち震えた。
瞳に薄っすらと浮かんだものは───
「なにもかも後藤の言うとおりだよ! 今日だって後藤に甘えるために来たんだ」
開かれることのなかったギターケースを担いで背を向ける。
怒り混じりに宙を舞う哀愁は、酷く痛々しい。
後藤の傷痕が疼く。
「帰るよ。これ以上、イヤな自分を見られたくないから」
「待ってよ、また逃げるの?」
「…。バイバイ」
- 44 名前:第1話 投稿日:2003/12/16(火) 23:51
-
ファスナーの先に付けられた銀色の十字架が、後藤の瞳に残像として焼き付く。
タイルと砂利が擦れる音が遠退いて、あの日とまったく同じシーンが頭を過ぎった。
ただぼーっと、その姿を見送ることしかできない。
また一歩、市井との距離が離れる度に、瞳がセピアに色付いた。
もやもやと蠢いていたものは、再会できる嬉しさじゃなかったのか。
どういう顔をして会えばいいとか、照れからくるそういった不安ではなかったのか。
心の中は妙にすっきりしていた。
空っぽになったという気もしたが。
- 45 名前:第1話 投稿日:2003/12/16(火) 23:52
-
「もう、会えないのかな…」
屋上はまた、二人の場面を刻んだ。
季節は過ぎ、廻って行く。
今日も、また。
悲しささえ、感じる暇もなく。
- 46 名前: 投稿日:2003/12/16(火) 23:52
- ホワイト・スクランブル・フィルムズ
第1話「いちーちゃん故郷に帰る」 >>11-45
- 47 名前:◆Xmas/DoM 投稿日:2003/12/16(火) 23:53
- 毎日更新。全9話の物語です。
- 48 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/17(水) 00:07
- 一つの街での人生模様、て感じで出だしから引き込まれました。
これから毎日が楽しみです。
- 49 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/17(水) 13:21
- クリスマスに完結か。
考えてあるなぁ。
すごいワクワクする。
- 50 名前:第2話「マンションの鍵貸します」 投稿日:2003/12/17(水) 23:17
-
鏡に映った自分の姿。なんだか、てるてる坊主に似ている。
「ほら見て見て彩っぺ。ハートだよ、ハート」
唇をくにっと曲げて、ハートのカタチにしてみせる。
声をかけられて石黒彩は振り向き、鏡越しに矢口の顔を眺める。
「あんた昔っからそれ得意だよね。金髪にしたり厚底履いたりしてもさ、
オネエ系を目指してみてもさ、それ見てると変わんないなーって思うわ」
「まあねー、おいらはおいらだからね。…あ、ヒサビサだからサヤカにもコレ、
見せてあげるとすっか」
石黒は懐かしい名前を耳にして、すぐに反応する。
「へぇ、サヤカ来るんだ」
「そ」
- 51 名前:第2話 投稿日:2003/12/17(水) 23:18
-
矢口はくりくりとした目をせわしなく動かして、時計を探す。
壁に掛けられたそれを見つけると、約束の時刻までの残り時間を素早く計算する。
「あと…40分か。バスターミナルで会う約束してんだよね」
プレゼントを待つ子どものように、そわそわと落ち着かない口調。
石黒は腰に提げた革製のシザーズケースからハサミを抜き取ると、
矢口の髪の長さを確かめながら、言う。
「こっからだとけっこう時間かかるんじゃない?
せっかくおめかししても走ってスタイリング乱されちゃヤダからさ、
ちょっとペース上げてくか」
「たのむぜ、彩っぺ」
うなずくと、石黒はいつもよりも速いスピードでカットをはじめる。
音もなく金色の髪が矢口の胸元に、床に、散っていく。
- 52 名前:第2話 投稿日:2003/12/17(水) 23:18
-
「サヤカさ、どれくらいぶり?」
尋ねられ、矢口は宙を眺めて考えてみる。
市井が中退してからもちょくちょく連絡は取りあっていたが、
実際に会うとなるとけっこう久しぶりだ。
「えーっと…1年…うわ、1年ぶりだよ!
そんなに会ってなかったなんて、なんかちょっと意外だなー」
「教えてあるの? 今夜のこと」
「んー、チラッとね。恥ずかしいからあんま詳しくは言ってないけどさ」
「え、なんで?」
矢口は鏡越しに石黒を見つめる。鮮やかな手つき。
きびきびして、それでいて優雅な、少しのムダもない動作。
矢口の髪はどんどん軽くなっていく。
その腕に思わず見とれてしまうが、すぐに我に返り、答える。
「だってさ、向こうはプロ目指しちゃってるワケだしさ、こっちはまだシュミの段階だし。
…なんか、負けてるってカンジすっから」
「そーゆーもんかねえ?」
「そーゆーもんなの。おいらさ、まだそんな度胸ないからさ、うらやましくって」
「ふーん」
- 53 名前:第2話 投稿日:2003/12/17(水) 23:19
-
会話している間も、石黒は鋭い視線を矢口の髪から少しも動かさない。
その目つきを見ているうちに、ふと思い出した。
「そうだ! 彩っぺさあ、UFOキャッチャー、やってくんない?」
「ダメダメ、今日はイヴだもん、予約がいっぱいで行ってるヒマないって。
たまには自力で取りなさい」
「えー、おいらホントはヘタだもん。ほら、クリスマスプレゼントってことでさ、
取ってくんない?」
「孤児院に持ってくんでしょ、ぬいぐるみ。それならなおさら、
自力で取った方が喜ばれるわよ」
「ちぇっ」
唇を突き出し、むくれてみせる。
そんな矢口を見て、石黒は手を動かしたままで頬を緩める。
- 54 名前:第2話 投稿日:2003/12/17(水) 23:19
-
「裕ちゃんはさ、知ってんの?」
「サヤカが来ること?」
「ちがうわよ、今夜のクリスマス会の話」
「知らせてない」
「どうして?」
「だって…どうせまたやぐちやぐちぃーって騒ぐに決まってるもん。
恥かくの、おいらなんだから」
「裕ちゃんはそんなにコドモじゃないよ」
「コドモだよ。あほゆーこ」
もう一度唇を尖らせる矢口の言葉を聞き、石黒はクスリと笑みを漏らす。
「それじゃ、私と裕ちゃんのとっておきの話をしてあげよう!」
「え? なになに? なにそれ?」
さっきまでの表情はどこへやら、真っ白な歯を見せて、ぐっと顔を寄せてきた。
「こらこら、動かないの」
「あ、ゴメン」
石黒は両手で矢口の頭を押さえてまっすぐ鏡に向けると、
わずかに照れ笑いを浮かべながら話しはじめる。
- 55 名前:第2話 投稿日:2003/12/17(水) 23:20
-
「まだ裕ちゃんが新米教師だった頃の話。
ほら、裕ちゃんって今じゃだいぶくだけてるけどさ、もともとすごく緊張しぃでさ、
3年でちょっとやんちゃしてた私なんかとはあんまりウマが合わなかったわけ」
「え、なんか意外」
「ふふ、でね、ある日進路指導室に呼び出し食らってさ、
『ウチのこと、気に入らんのか』って」
「おおー、なんだかアツいね」
「それでうなずいたら『ついて来い』って、そのままどこへ行くかと思ったら、
川原まで歩いてくの。ずーっと無言で」
「まさか、青春ドラマのお約束?」
矢口は好奇心をいっぱいにたたえた目で、鏡の向こうの石黒を見る。
石黒はやっぱり手を動かしたままで、答える。
- 56 名前:第2話 投稿日:2003/12/17(水) 23:21
-
「そう、そのまさか。最初は私が一方的にひっぱたいてたんだけど、
そのうち裕ちゃんキレちゃって。結局取っ組み合い」
「あはは、ナニそれマジで? 超ウケるんだけど、それ」
カットされているため派手なリアクションこそしないが、
矢口はいつもと同じように大きな声をあげて笑う。
「そりゃもう安いドラマみたいな話だけどさ、それ以来、
学校で顔合わすたびに思い出し笑い。
もうケンカなんて雰囲気じゃなくなっちゃってね」
「あー、おかしー。なんか涙出てきた」
「そんなに笑うことないじゃん。…まあともかく、
今じゃ『裕ちゃん』『彩っぺ』って呼びあう仲になりましたとさ」
「うわー初めて聞いた。今度あほゆーこに会ったら言ってやるよ、そのこと」
「ほどほどにしといてね。恥ずかしいのは私も一緒なんだから」
「へいへい」
◇
- 57 名前:第2話 投稿日:2003/12/17(水) 23:21
-
「はっ…はっ……くしゅっ!」
大きなくしゃみをひとつ。
中澤裕子はティッシュを1枚取って鼻をかむと、丸めてゴミ箱に投げ込んだ。
「また誰かウチのことウワサしとるな。どうせ矢口か紺野なんやろな、きっと」
そうつぶやくと、さっき受信したばかりのFAXに目を通す。
「なんや、おかんからか。『たまには帰ってきて元気な顔を見せなさい』
──見合いさせるんやろ、どーせ」
さっきのティッシュと同じように丸めようとするが、思い直してテーブルに置いた。
そのまま、着替えの支度をはじめる。
「早よせんと遅れてまうからな…」
鏡の前に立つと、まず、足袋を履く。それから肌着と襦袢を身につけ、
真っ赤な着物を羽織る。衿を合わせると、慣れた手つきで帯を締めた。
型が崩れてないか、確かめる。鏡の向こうの自分の姿を見て、思わず言葉が漏れた。
「…見合いみたいやん、コレって」
それから雑念を払うように首を振ると、巾着袋を持って玄関に向かう。
草履を履いて通路に出て、ドアに鍵をかける。
- 58 名前:第2話 投稿日:2003/12/17(水) 23:22
-
ガラスの自動ドアを抜けて、エレベーターホールに着く。
ボタンを押すと、4機のうち1機のランプが点灯した。
程なくして、音もなく扉が開いた。中澤は静かに乗り込むと回れ右して
ズラリと並んだボタンの中から1階を押す。
扉が閉じて、エレベーターはなめらかに加速する。
ベルの音がして、すぐに再び扉が開く。
エレベーターを降りた中澤は管理人に会釈をして、マンションから出る。
中澤の暮らすマンションは、駅から歩いて5分とかからない位置にある。
背筋をピンと伸ばし、摺り足で進んでいく中澤。
自由通路で南口に出ると、商店街を抜けて学校へと向かう。
◇ ◇ ◇
- 59 名前:第2話 投稿日:2003/12/17(水) 23:22
-
校門から昇降口に入ると、中澤はスリッパに履き替える。
和室へ行く途中、食堂の前を通ったときだった。
「おっす、裕ちゃん。そのカッコは部活?」
割烹着に三角巾姿の保田圭が声をかけてきた。
「なんや? 圭坊、今は冬休みやろ。なんでおんの?」
「今日は特別。イヴでひとりぼっちの裕ちゃんのために営業すんのよ」
「ウソやろ」
即座に返す中澤に、保田は苦笑を浮かべて答える。
「まあね。本当はね、クリスマスケーキ、頼まれてんのよ。
孤児院でクリスマス会をやるんだって」
「へぇ、そんなんやるんか」
- 60 名前:第2話 投稿日:2003/12/17(水) 23:23
-
中澤は目を丸くする。その反応に、思わず疑問が保田の口を突いて出た。
「あれ? 矢口から聞かなかったの?」
「え、教えてもらってへんけど。やぐち、どうかしたん?」
「出し物でいろいろ歌うって聞いたわよぉ」
「ふーん…」
頬に手を当てて考え込む中澤。
ふだん人前ではめったに出すことのない不安げなその仕草を目にして、
いたずらっぽく保田が声をかける。
「淋しい?」
「…べつに」
「ま、矢口にフられてヤケ酒ならいくらでも付き合うからさ。
茶道部、もうそろそろでしょ?」
言われて、部活があることを思い出した。
「ん、そやね。ありがとな、圭坊」
中澤はそれだけ口にすると、和室へと歩き出す。
◇
- 61 名前:第2話 投稿日:2003/12/17(水) 23:23
-
「へぁっくしょんっ!」
くしゃみをしたはずみで手元が狂い、
せっかく引っかけたプーさんのぬいぐるみがアームからポロリとこぼれた。
「あっ! ああ〜〜」
声をあげてみても、もう遅い。
矢口はUFOキャッチャーの筐体の前で、がっくりと肩を落とす。
「ムカツクぅ〜! ヒサビサだってのにサヤカは素っ気なかったし、
人形はゼンゼン取れないし、イヴだってのに厄日だよ、今日は。
…はぁ。ツイてないなー、マジで」
ぼやきながらゲーセンの壁に寄りかかり、ケータイを取り出す。
が、ディスプレイに表示された時刻を目にして、矢口はそのまま跳ね起きた。
「やべっ! メンテの約束だった!」
慌ててケータイをしまうと、店から通りに飛び出す。
そのまま、学校に向かって一目散に走り出した。
◇
- 62 名前:第2話 投稿日:2003/12/17(水) 23:24
-
同時刻。その学校では──
虫取り網を持ってぐるぐると歩き回る影。
サンタを狩るんだ!と鼻息荒い吉澤が、大股で廊下を進んでいく。
校門前で石川と二手に分かれてから校舎の中でエモノを探している、今はその真っ最中である。
「この教室にもいない…」
学校には人がいっぱいいるからサンタも見つかるかも、と思っていたのだが、
すでに冬休みに入っていることを計算していなかった。
教室の中はどこも閑散としていて、シンとした空気の底に机が並んでいるだけ。
まるで時間が止まってしまっているかのような錯覚をおぼえる。
「梨華ちゃんはもう見つけたかなあ…」
ふうっ、とため息をついて壁に寄りかかる。
これ以上学校にいてもしょうがないのかな、と吉澤が思ったそのときだった。
- 63 名前:第2話 投稿日:2003/12/17(水) 23:24
-
「──シンニュウシャハッケン! セイタイハンノウ、1ケン!
M-16542852、タダチニカクニンニムカイマス!」
階段の方から怪しげな声が聞こえた次の瞬間、
ピーポーピーポーとサイレンの音が廊下じゅうにこだました。
「シンニュウシャハッケン! シンニュウシャハッケン!」
合成音声で叫びながら吉澤のすぐ脇を猛スピードで走り抜けたのは、飯田カオリ先生だった。
ものすごいドップラー効果が鼓膜を揺さぶる。
カオリ先生は廊下の一番向こうまで行くと、キキキキッと急停止する。
床にしっかりとついたブレーキ痕から、焦げ臭い煙がゆらゆらのぼっている。
- 64 名前:第2話 投稿日:2003/12/17(水) 23:25
-
余韻の中で壁と向かい合ったまましばらく突っ立っていたカオリ先生だったが、
首だけ180度回転させると、そのまま吉澤の前まで素早く戻ってくる。
勢いよく迫ってくる姿に、思わず口走っていた。
「ひいっ、キモチワルっ!」
「ちょっと! 先生に向かって『キモチワルっ!』って、失礼でしょ!」
いわゆるエクソシスト状態のまま、長い首を折り曲げるように吉澤の顔に近づけて、
カオリ先生は叱りつける。
「い、いいから早く元に戻ってくださいっ!」
吉澤の必死の訴えに「なによー、もう」とつぶやきながら、
カオリ先生は胴体の方をくるりと回転させて、元の姿に戻った。
「なに休みの学校をウロチョロしてんのよ。
てっきり不審人物かと思ってセーフモードを起動しちゃったじゃない」
ウィーン、とハードディスクのドライブ音をさせながら、カオリ先生はぼやく。
- 65 名前:第2話 投稿日:2003/12/17(水) 23:25
-
「すいません、サンタクロースを探してたんです。…そうだ!
カオリ先生はロボットだから、サンタがどこにいるのかカンタンに調べられますよね!」
吉澤は大きな目でカオリ先生を見つめる。
カオリ先生も大きな目でじっと吉澤を見つめ返し、言った。
「あのね、カオリはロボットじゃないよ。女性教師型──」
「ア・ン・ド・ロ・イ・ド!」
ふたりの声がハモる。が、吉澤はすぐにぶっきらぼうな口調で言い放つ。
「どっちでもいいっスよ、そんなの」
「よくないよ! カオリをつくるために文部省と科学技術庁は合体したんだよ!
シャキーンって!」
「あー、じゃあもうそれでいいです。で、サンタはどこにいるか早く教えてくださいよ」
マトモに相手をしてくれない吉澤の態度に「なによー、もう」とつぶやきながらも、
カオリ先生は電波を飛ばし、パケット通信でインターネットに接続する。
- 66 名前:第2話 投稿日:2003/12/17(水) 23:26
-
「んー、んー」
「まだっスか?」
「んー、んー」
「まだっスか?」
「んー、んー」
「まだっスか?」
「うるさいなあ。カオリはスレンダーボディだからナローバンドなの。ジャマしないでよ」
「チェッ、旧式」
「今、なンて言った?」
ギンッ、と目をいっぱいに見開いて吉澤を睨みつけるカオリ先生。
核を載んでる、というウワサもあるわけで、ヘタに怒らせると何をされるかわかったもんじゃない。
「なんでもないっス! それより、結果を教えてください!」
「結果? …えっとね、サンタクロースはフィンランドに生息してるんだって」
「フィンランド…?」
「そ。ヨーロッパの北のほう。サンタの本場で、サンタ組合もサンタ事務所もあるみたい。
だから日本には輸入モノはあっても、ホンモノのサンタクロースはいないんじゃないかな」
「えー…」
- 67 名前:第2話 投稿日:2003/12/17(水) 23:26
-
困ったことになってきた。
吉澤は後藤のためにも絶対にサンタを捕まえなくてはいけないのだ。
そのフィンランドとやらへ行くために今から貯金をはじめたとしても、
来年のクリスマスに間に合うかどうかさえ微妙だ。
吉澤が腕組みして考え込んでいると、元気づけるようにカオリ先生は明るい声で言った。
「だいじょうぶだよ。サンタクロースはね、いい子にしてると来てくれるらしいよ」
「それはOK牧場です! ヨシザワ、いい子ですから!」
「あとね、枕もとに靴下をぶら下げておくと、そこにプレゼントを入れてくれるんだって」
「靴下……それだあっ!」
突然叫ぶと、吉澤はカオリ先生の脚めがけてタックルする。
不意打ちにカオリ先生はバランスを崩して後ろへと倒れ込んでしまう。
その衝撃で、学校全体がガタンと大きく揺れた。
「きゃー! なになに? なんなの?」
「いただきっ!」
- 68 名前:第2話 投稿日:2003/12/17(水) 23:26
-
吉澤は素早くカオリ先生の脚を持ち上げると、
そのままするりとストッキングを剥ぎ取ってしまった。
「あーれー」
両手で顔を隠しながら、でも指の間からしっかりと吉澤のことを見つめながら、
カオリ先生はいやいや、と身体をくねらせる。
「よし、このアイテムさえあればサンタはこっちのもんだ!」
叫んで吉澤はその場から走り去る。残されたカオリ先生はなおも身体をくねらせていたが、
いくら待っても吉澤が戻ってこないので、あきらめて半身を起こす。
そして頬を赤く染めてうつむくと、
「もう、よっすぃーったら、どうして素直に『カオタンのことがスキ』って言えないのかなぁ…」
そのままスタンバイモードに入ってしまった。
- 69 名前:第2話 投稿日:2003/12/17(水) 23:27
-
◇
──ガタンッ!
何かが倒れたのだろうか、派手な音が学校全体に響き渡った。
和室でお茶を点てていた中澤は、眉間とおでこにシワを寄せる。
「先生、茶の心は和敬静寂、ですよね」
すかさず茶道部員の紺野あさ美が声をかける。中澤は感心したようにうなずくと、
「そのとおりや。どうせまたカオリが騒いどるんやろな。
大切なのは動じないこと、平常心やで」
そう言って茶釜の前に正座し直そうとする。そのときだった。
(──やぐちぃっ!?)
- 70 名前:第2話 投稿日:2003/12/17(水) 23:27
-
中澤の“やぐちセンサー”が反応する。
和室の窓をチラッとかすめた金髪は、まちがいなく矢口のものだ。
理屈じゃない、それは何よりも確かなオンナの勘。
「…どうしたんですか、中澤先生?」
訝しげな視線を紺野が送ってくる。
中澤はわざとらしく咳払いをひとつすると、音もなくスッと立ち上がる。
「スマンな、ちょっと用事を思い出した。テキトーに続けといてくれるか」
それだけ言い残すと、そそくさと和室を後にする。
どこか落ち着かないその背中を見て、紺野はボソッとつぶやいた。
「大切なのは、平常心です」
◇
- 71 名前:第2話 投稿日:2003/12/17(水) 23:28
-
校舎から飛び出した吉澤は、そのまま裏手に回って乱れた呼吸を整える。
と、中に半透明の白いゴミ袋をかぶせてある、特大のポリバケツが目に入った。
紙くずなどの燃えるゴミを拾って入れるようにと、美化委員会が設置したものだ。
「ふむ…」
そこから、清掃用具が入っている木造の古びた倉庫へと視線を移す。
瞬間、あるアイデアが閃いた。
吉澤はツカツカと倉庫に歩み寄ると、かかっている鍵をはずそうと試みる。
力任せに引っ張ったら、扉についている金具の方が取れてしまった。
「……んー、OK牧場!」
いちおう周囲を見回して誰もいないのを確かめると、ゴミ袋をはずしたポリバケツを手にして、
吉澤は素早く倉庫の中へと入り込んだ。
◇
- 72 名前:第2話 投稿日:2003/12/17(水) 23:28
-
「えーと、やぐちやぐち…」
周囲を見回すが、誰もいない。
中澤はなんとなく人の気配を感じて校舎裏手の倉庫の方に来てみたのだが、
勘ははずれてしまったようだ。
「…ん?」
ふと、ゴミ箱として使っているはずのポリバケツがなくなっていることに気がついた。
半透明の白いゴミ袋だけを残して、忽然と消えてしまっている。
不審に思って中澤がゴミ袋を手に取った、まさにそのとき。
「おーい、カオリー」
校舎2階の廊下の窓から声が聞こえてきた。聞きまちがえるはずなどない。
それは確かに、矢口の声。
◇
- 73 名前:第2話 投稿日:2003/12/17(水) 23:29
-
「カオリぃー、どこ行ったのー? メンテの約束、忘れてんのー?」
いつもならしっかり準備を整えてすぐに現れるのに、今日に限っては一向に来る気配がない。
矢口は大きくふうっと息を吐くと、気を取り直してさらに大きな声で名前を呼ぶ。
「っかしーなー。…カオリー! カオリー?」
すると、パタパタとスリッパの軽やかな足音が、階段をのぼって近づいてくるのが聞こえた。
「カオリ?」
矢口は音のする方に寄っていき、そっと覗き込んでみる。
「よっ、やぐちぃ。カオリのメンテか?」
足音の主がはんなりとした関西弁で話しかけてくる。
矢口は少しムッとした表情に変わる。
「なんだよ、あほゆーこ。ジャマしに来たの?」
「なんや、トゲのある言い方やなあ」
中澤は苦笑いを浮かべる。が、構わず矢口は荒っぽい口調で続ける。
「おいら忙しいんだよ。用があるんなら後にしてくんない?」
「そっか。そんなら仕方ないな──」
苦笑いの中に別のものが混じった、そう矢口が気づいたときには、もう遅かった。
◇
- 74 名前:第2話 投稿日:2003/12/17(水) 23:29
-
体育館へと通じる渡り廊下、吉澤は作業を終えるとよじのぼっていた柱から飛び降りる。
「これでぜんぶおしまい、っと!」
手についたホコリをパンパンと叩いて落とす。そして、満面の笑みで天井を見上げる。
渡り廊下の屋根の裏側、特大のポリバケツが逆さまの状態で吊り下げられている。
ポリバケツには倉庫から無断で持ち出したロープが結ばれていて、
それは柱をつたって地面まで下りてきている。
バケツのちょうど真下には、さっきまでカオリ先生が身につけていたストッキング。
これを拾い上げようとすると、そのはずみで上からバケツが落ちてくる、そんな仕組みだ。
「カオリ先生のエロエロストッキング、この極上の逸品に靴下好きのサンタが
手を出さないはずがない! これでごっちんも喜んでくれるよね!」
自分の仕掛けたワナのできばえに、吉澤はウットリと目を細める。
「さて、と。それじゃ街の方でも見て回ろっかな」
虫取り網を手にすると、吉澤は正面玄関へと歩いていく。
◇
- 75 名前:第2話 投稿日:2003/12/17(水) 23:30
-
中庭を抜けた辺りで、妙な物音に気がついた。
ドタドタと走り回る足音。そして、叫んでいるのは聞き慣れた声。
「──やめろよ、あほっ!」
「──うっさい、おとなしくせえ! 往生際が悪いぞ!」
吉澤は足を速める。争う声はいよいよはっきり聞こえてくる。
校舎の陰からそーっと覗き込むと、目の前で繰り広げられている光景に、
思わず息を飲んだ。
「いーかげんにしろよ、あほゆーこ!」
「ええやんかやぐちぃ、おとなしく、さみしいウチのプレゼントになれっ!」
真っ赤な和服姿の中澤が、半透明の白いゴミ袋に矢口をムリヤリ詰め込もうとしている。
ミニマムな矢口の身体は、もう半分以上袋の中に入ってしまっている状態だ。
- 76 名前:第2話 投稿日:2003/12/17(水) 23:30
-
「見合いなんてもうたくさんや! このまま持ち帰って既成事実をつくったる!」
「やめろよゆーこ、おいらこれから用事があるんだってば!」
「そんなん、ウチは教えてもらってへんのやから知らんのと同じや!」
「いやだぁー! だれかー! だれか助けてー!」
矢口は必死に騒ぎ立てるが、その声は校舎の壁に虚しくはね返される。
そうこうしている間にも、矢口の身体はゴミ袋の中にすっぽりと入れられてしまう。
首から上が外に出ているだけ、という状態。中澤は袋ごと矢口を背負う。
「おっし、これで今年のイヴはバラ色やー!」
「中澤先生!」
突然物陰から目の前に現れた吉澤に、中澤は驚いて二、三歩後ずさる。
「な…なんやの、よっさん」
「よっすぃー、ちょうどいいところに来た! 助けてよ! おいらを助けてよ!」
矢口は必死の声をあげる。が、吉澤はそれを無視して中澤に話しかける。
- 77 名前:第2話 投稿日:2003/12/17(水) 23:31
-
「中澤先生! 先生がサンタさんだったんですね!」
「は? いきなりなにワケのわからんこと言い出すんや。ジャマせんといてくれるか?」
「赤い服! 白い袋! プレゼント! ああ、もうカンペキにサンタさんだ!」
吉澤は背中に虫取り網を隠して、ゆっくり、ゆっくり、間合いを詰めていく。
そして、あと5mのところまで近づいた瞬間、
「うりゃあああっ!」
叫ぶと同時に、網を中澤の頭めがけてかぶせた。
「な、なにすんねん、コラッ!」
「チャンス!」
吉澤の攻撃に中澤がひるみ、一瞬のスキが生まれた。
矢口は素早くゴミ袋から脱出すると、そのまま勢いよく走り出す。
「サンキュー、よっすぃー!」
「ああっ、やぐちぃ〜! コラ、吉澤、ええかげんにせんかぁっ!」
「くそっ、なかなか手ごわいな。でも負けない! 負けたくないっ!」
- 78 名前:第2話 投稿日:2003/12/17(水) 23:31
-
がっぷり四つに組み合うふたり。しかしその間にも、矢口の背中はどんどん遠くなっていく。
「ああ〜〜〜」
空気の抜けるような情けない声を漏らす中澤。
全身の力がゆるみ、吉澤が「しめた!」と思ったそのときだった。
「だー!」
キレた中澤が吉澤の網をつかんでぶん投げる。
そして、肩で息をしながら大声で吉澤に怒鳴った。
「ええかげんにせんと、いてまうどー!」
怒髪天をつく勢い。そのあまりの迫力に吉澤、思わず腰が引けた。
- 79 名前:第2話 投稿日:2003/12/17(水) 23:32
-
「ひえっ、鬼ババ!」
「うっさいわっ! いきなりなんやねん、ジャマしおって!」
「だって、中澤先生はサンタ…」
「アホ言うな! 和服着とるサンタがこの世のどこにおんねん!」
大声で中澤は言い放つ。そのあまりの剣幕に吉澤は、
「ててて、撤退っ!」
虫取り網を拾い上げると慌ててその場から走り去った。
「…まったく、逃げ足だけはいっちょまえやで」
ため息をつくと、中澤は地面に落としてしまった巾着袋を拾い上げる。
触れてみて、違和感をおぼえた。
中から化粧道具のコンパクトを取り出して開いてみると、鏡に亀裂が走っている。
ヒビで引き裂かれた自分の顔を眺めて、そっとつぶやいた。
「はぁ…。まるでウチの心を映しとるみたいやな」
- 80 名前:第2話 投稿日:2003/12/17(水) 23:32
-
◇ ◇ ◇
部活が終わってマンションに戻っても、中澤の心は晴れない。
着物を脱いでいる間も、口を突いて出るのは言葉にならないため息ばかり。
普段着に着替え終わって、紅茶を淹れる。
テーブルに置いたティーカップに注ごうとしたとき、つい手元を誤ってこぼしてしまった。
(──覆水、盆に返らず)
ふと頭の中に浮かんだ言葉。ふうっ、と鼻から乱暴に息を吐くと、
近くにある紙を手に取り、それで紅茶を拭き取ろうとする。
「あ…」
手にしていたのは、今朝母親から届いたFAXだった。
中澤はぶんぶんと頭を振って、流し台から布巾を持ってきて、無言のままテーブルを拭く。
- 81 名前:第2話 投稿日:2003/12/17(水) 23:33
-
「クゥーン」
甘えてくる鳴き声。脚にあたたかい感触がして、中澤はハッと気づき、それを抱き上げる。
「花ちゃ〜ん」
ほっぺたでスリスリと撫でてやる。“花”と呼ばれたそのチワワは、
気持ち良さそうにもう一度鳴き声をあげた。
「…そやな、部屋におっても気が滅入るだけやもんな。
よしよし花ちゃん、散歩行きましょーねー」
まるで赤ん坊をあやす口調で言うと、中澤はもう一度花にほっぺたをくっつける。
そして床に下ろすと、コートを羽織った。
◇ ◇ ◇
- 82 名前:第2話 投稿日:2003/12/17(水) 23:33
-
散歩コースは特に決めていない。そのときの花の気分しだいで、
南口の方にまで足を伸ばすことだってある。
今も行く先は花に任せて、駅から北へとまっすぐ伸びているメインストリートを中澤はのんびり歩く。
街にあふれるクリスマス。飾りもBGMも、今日のために準備されたものだ。
何時間か後にやってくる夜をピークに、まるで夢のようにはじけて消えてしまう。
「それでも地球は回る。それでも三十路は続くんよねー」
なんとなく、ぼやいてみる。それから足元に視線を移してみる。花がいない。
あれっ、と思って前を見ると、赤信号の交差点に向かって一直線に走っていく
花の小さな後ろ姿が目に入った。
「ちょっと…はなあっ!」
- 83 名前:第2話 投稿日:2003/12/17(水) 23:34
-
中澤は悲鳴とともに駆け出す。差は縮まらない。
あかんっ!──そう思った次の瞬間、花はぴたりと止まった。
そしてぴょんっとジャンプして、少女の手のひらにおさまった。
「──っ、はぁ〜〜」
お腹の底から空気を吐き出し、安堵のため息を思いっきりついた。
そんな中澤の姿を目にしてにっこりと笑いながら、花を胸に抱いた少女は近づいてくる。
「相変わらず、花ちゃん、元気だね」
「なっちかぁ…。花はなっちのこと、きちんと覚えとるんやなあ」
中澤は花の頭を優しく撫でながら声をかける。花は「クゥーン」と鳴いて目を閉じる。
「なっちは裕ちゃんが飼ってくれるとは思わなかったから、びっくりしたよー」
「だって…カワイイんやもん。花を拾ってウチに出会わせてくれたなっちには
感謝しとるんやで、ホンマ」
その言葉に安倍は顔を赤らめながら、
「いやー、そんなあらたまって言われたら照れるよー」と中澤の肩をぺちぺち叩いた。
- 84 名前:第2話 投稿日:2003/12/17(水) 23:34
-
「…ところでなっち、ひとつええか?」
「なぁに、裕ちゃん?」
「いったいなんやの、そのカッコ」
安倍の着ているトップスとミニスカートはどちらも真っ赤で、
白いふわふわとした飾りがついている。よくバラエティグッズ売り場で見かける、
女の子向けのサンタクロースの衣装に身を包んでいる。
「これはね、今夜のクリスマス会のために明日香に用意してもらったんだ」
「なんで今から着とんの?」
「いやー、いろいろあるのさ。…あ、それより裕ちゃん、よっちゃん見かけなかった?」
まっすぐな目で安倍が訊いてくる。中澤はわずかな間を挟んで、答える。
「よっさんなら…、さっき学校におったけど。でもいきなりウチを襲ってきたんで
怒鳴ってやったら、逃げてどっか行ったわ」
「おそった? にげた?」
「アイツの考えることはようわからんねん。ま、それも魅力といえば魅力なんやけどね」
「…そっか。ありがと」
そう言って安倍は再び笑みを浮かべる。そのまま見つめあうふたり。
どことなくぎこちない間が横たわる。
- 85 名前:第2話 投稿日:2003/12/17(水) 23:35
-
沈黙を破ったのは、安倍の問いだった。
「あのさ、裕ちゃん。クリスマス会、来ないの?」
中澤は想像してみる。矢口の歌う姿。歌を聴いて喜ぶ子どもたち。
もし自分が行くことで矢口に迷惑がかかるとしたら──。
「ひとりで行っても淋しいもん。今夜はさっさと寝ることにするわ」
それを聞いた安倍は、いたずらっぽい口調で返す。
「いっつも夜更かししてるクセに」
「ええもん。睡眠薬飲んででも、ムリヤリ寝たるもんね」
「いじっぱり」
安倍は抱いている花を中澤に渡す。
中澤は口元を曲げて笑みをつくって、花を受け取る。
「ほな、おやすみや〜」
手をひらひらと振って、中澤は安倍に背を向ける。
そしてそのまま振り返らずに、街の中へと消えていった。
- 86 名前:第2話 投稿日:2003/12/17(水) 23:35
-
「──いじっぱり」
もう一度つぶやいて、中澤と反対の方向に安倍は歩き出す。
早く吉澤を見つけないと、間に合わない。
しばらく早足でメインストリートを進んでいくと、行く先に見慣れた顔があるのに気がついた。
向こうもこっちに気づいたようで、お互いに驚いた表情で声をかけあう。
「あれぇ? 矢口、どうしたのさ?」
「いや、その…ヒマだったから、ちょっと孤児院にアイサツに行ってたんだけど」
「ふぅん」
すると今度は矢口が尋ねる。
「なっち、まだよっすぃー見つかんない?」
「うん。いま裕ちゃんに会ってね、さっきまで学校にいたけど逃げちゃった、
って聞いたんだけど」
「あほゆーこ…」
中澤の名前を聞いて、矢口は安倍の顔から視線を逸らす。
安倍はその仕草に、にわかに不安をおぼえる。
- 87 名前:第2話 投稿日:2003/12/17(水) 23:36
-
「…そういえばさっき、裕ちゃんの様子、ちょっとヘンだった」
「ヘン? どうせまたやぐちやぐちって騒いでたんでしょ」
安倍は矢口の言葉に、首を横に振る。
「裕ちゃん、睡眠薬飲んでムリヤリ寝ちゃうとかなんとか言ってた」
「スイミンヤクぅ?」
「おやすみや〜って、手をひらひらさせて、行っちゃった」
「…それって、まさか」
矢口の心は、一気にイヤな予感に支配される。
後ろで流れている何も考えていないような陽気なクリスマスソングのメロディが、
不安をさらにかき立てていく。
「あっ、矢口!」
いきなり走り出した矢口の背中に、安倍が声をかけた。
しかし矢口は少しも反応しないで、駅の方へと走り去る。
- 88 名前:第2話 投稿日:2003/12/17(水) 23:36
-
(冗談じゃない! 冗談じゃないよ!)
(ジャマだからってちょっと冷たくしたくらいで! ホントに忙しいだけだってのに!)
(弱虫! 弱虫ゆーこ!)
走っている間、血液と一緒に全身をぐるぐると巡る言葉。
少しでもスピードを緩めればそれだけ中澤が遠のいてしまう気がして、
必死で引き寄せようと足を動かす。
スクランブル交差点にさしかかる。いつも以上に多い人ごみ。
でも、そんなの気にしている余裕なんてない。
「ジャマだよ! どけよっ!」
大声で叫ぶと、少しだけ道が開いた。肩口をねじ込んで前に進む。
人よりちっちゃいカラダに、ちょっとだけ感謝した。
交差点を渡りきると、そのままの勢いでマンションの玄関に飛び込む。
管理人のおじさんがあんぐりと大きな口を開けて驚くが、
そんなの無視してエレベーターのボタンを押す。
だが、いくら待ってもエレベーターは降りてこない。
待ちきれなくなって、気づけば管理人に向かって叫んでいた。
「階段、どこっ!?」
- 89 名前:第2話 投稿日:2003/12/17(水) 23:36
-
声の迫力に圧倒されてか、管理人は目を丸くしたまま、おそるおそる右手奥を指差した。
見れば非常口のランプの下、まったく目立たない白い扉。
アルミの丸い取っ手に指をかけ、思いきり引くと中に踏み込んだ。
「おおおおおおおおお!」
雄叫びをあげ、2段抜かしで上にのぼっていく。速く、速く、エレベーターなんかよりも速く!
狭くて四角い螺旋の階段、階数表示のカウントダウンしか目に入らない。
「21」
ドアに体当たりを食らわせる。足がもつれて転がって倒れ込んだ先は、エレベーターホール。
通路へ出ようとして、愕然とする。ガラスの自動ドアが固く閉じ、行く手を阻んでいるのだ。
しかしすぐに気を取り直し、ドアの横についているボタンで中澤の部屋番号を押す。反応はない。
深呼吸をして心を落ち着かせて、もう一度押す。が、やはり反応はない。
- 90 名前:第2話 投稿日:2003/12/17(水) 23:37
-
視界がぼやけていく。全力疾走で酸欠になったせいじゃない。涙が出てきたんだ。
「ちくしょうっ!」
体当たりをする。ガラスはびくともしない。
「ちくしょう! ちくしょう!」
もっと力を込めて体当たりをする。何度も何度もぶつかる。でも、ガラスはびくともしない。
ポケットからケータイを取り出した。振りかぶって第一球、
アンテナの先がまっすぐ突き刺さるように、投げた。
──ガシャァンッ!
- 91 名前:第2話 投稿日:2003/12/17(水) 23:37
-
ガラスに穴が開いた。すかさず手を突っ込むと、反応してドアが開いた。
通路に飛び出すと、どこも同じようなデザインの中から「中澤」と書かれた表札を探す。
それはすぐに見つかった。
思いきりドアを叩く。ノブに手をかける。開かない。いくら揺すっても開かない。
もっと大きな力でドアを叩く。叫ぶ。声が枯れるほどの大声で叫ぶ。反応はない。
「ゆーこ! ゆーこぉ…」
声が掠れてきた。涙がこぼれる。急に力が抜けてしまって、足から崩れる。
ドアに寄りかかるように、倒れ込んだ。
「うっ…ぐっ…」
言葉なんて出てこない。何も考えることができない。
ただ涙を流すことしかできない。指一本動かす気すら起きない。
時間が止まっている。止まってほしい。永遠にこのまま、すべてが止まってしまえばいい。
- 92 名前:第2話 投稿日:2003/12/17(水) 23:38
-
「──なにしとんの?」
ふわりと羽根が舞い落ちるように、かけられた言葉。
あまりに軽い感触に、耳に引っかかった響きを何度も反芻して、ようやく気がついた。
矢口は慌てて、声のした頭上を見上げる。チワワのつぶらな瞳が目に入る。
そこからさらに上に視線を移す。チワワと同じように、
不思議そうにこちらを覗き込んでいる中澤。
「…あほっ! あほおっ!」
その胸元にヒザ立ちのまま飛び込んで、叫ぶ。
中澤は「なんやねん、いきなり」と困惑を隠さない。
が、矢口の背中をそっと撫でてやると、そのまま抱き起こして、部屋の中へと入れてやる。
◇ ◇ ◇
- 93 名前:第2話 投稿日:2003/12/17(水) 23:38
-
テーブルの上に置かれたティーカップからのぼる、白い湯気。
その向こうの矢口の顔は、泣き腫らして真っ赤になっている。
そのコントラストになんとなく安倍のサンタ姿を思い浮かべながら、口を開いた。
「つまりアレか、なっちの話を聞いてるうちに、
ウチがやぐちに逃げられたショックで自殺すると思った、と」
これまでの話をまとめた中澤の言葉に、矢口は無言でうなずく。
「思いっきり誤解やん。まったく、どこでどーなったらそんな解釈になるんだか」
「うるさいな…シンパイしたんだぞ」
恨みがましい目つきで矢口がボソッと漏らす。
それをかわすように中澤は立ち上がると、窓へと歩み寄る。
外を眺める。街を行き交う人々はゴマ粒のように小さくて、みんな忙しそうに歩いている。
「はっはっは、まるで人がゴミのようだ」
「ナニ言ってんだか」
「ええからやぐち、こっちに来て見てみ。おもしろいで」
矢口は唇を尖らせたまま腰を上げ、中澤の隣に立つ。
- 94 名前:第2話 投稿日:2003/12/17(水) 23:39
-
「あそこ、学校やで」
中澤が指差す。矢口はその先を目で追う。遠くて見づらいけど、確かにわかる。
「ウチがやぐちを捕まえようとした場所。ちっこいなあ。
…ウチ、こんなちっぽけなことに必死になっとったんやなあ」
「ゆーこ…?」
「結局やぐちは今、うちにおる。こうしてふたり並んで街を見下ろしとる。
…物事はすべてなりゆきやね」
そして中澤は回れ右すると、タンスの引き出しから小さな紙袋を取り出した。
お年玉が入っていそうなそれを、矢口に差し出す。
矢口は受け取ると、中身を手のひらの上にあけた。出てきたのは、鍵だった。
「うちの合鍵やねん。またガラスを割られるとイヤやからな、持っといて」
「も、もうしないよっ!」
- 95 名前:第2話 投稿日:2003/12/17(水) 23:39
-
顔を赤らめる矢口に、中澤は笑いながら言う。
「今夜、孤児院で歌うんやろ? 声、荒れたままやといかんから、ここでゆっくり休んどき。
夕方になるとメインストリートのイルミネーション、ホンマにキレイやで。
それを見てからでも十分間に合うやろ、な?」
矢口は手のひらの上にある鍵を見つめる。そして、ポケットにしまって、
中澤に聞こえるようにそっとつぶやいた。
「…ま、いっかな」
- 96 名前:第2話 投稿日:2003/12/17(水) 23:40
-
◇
──そしてそのとき、学校では。
全身ビショ濡れのカオリ先生が、ふらふらとした足取りで戻ってきた。
中庭を横切り、体育館の方へと向かう。
と、渡り廊下に何か黒いものが落ちているのに気がついた。
「?」
不思議に思って、近づいてみる。辺りを夕闇が包みはじめて、よく見えない。
さらに近づいてみる。
「あれ? コレって、カオリのストッキングじゃん」
愛しい吉澤が奪っていってしまった自分のストッキング。
しかし、今は無残に地べた放っておかれている。
「もう、よっすぃーったら…」
拾い上げる。その瞬間、仕掛けられたワナが動き出す。音もなく落ちてくるポリバケツ。
「あ。」
──バコン。
- 97 名前: 投稿日:2003/12/17(水) 23:41
-
ホワイト・スクランブル・フィルムズ
第2話「マンションの鍵貸します」 >>50-96
- 98 名前:◆Xmas/DoM 投稿日:2003/12/17(水) 23:41
- レス返しはまた後日に。
- 99 名前:49 投稿日:2003/12/18(木) 16:03
- 第二話もいい!
それぞれの行動が重なってくるのは、気分いいです。
恐らく、クリスマスの日に現実と
リアルタイムになるのを楽しみにしています。
- 100 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/18(木) 20:33
- いいっすね!
いきなりのハイテンションな展開。
笑いました。
- 101 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/18(木) 22:35
- なんつーか…こうなりますか
予想を裏切り期待は大満足
これからどうなるんだ
- 102 名前:第3話「そして辻は恋をする」 投稿日:2003/12/18(木) 23:17
-
中学生と高校生の根本的に違うところは何か。
そう聞かれたなら辻希美は、中学生は子供で高校生は大人だ、と答えるだろう。
辻ももう高校一年生になった。
大人なのだから、宿題は締め切りを待たずにさっさと終わらせなくてはならない。
思い立ったが吉日、辻はクリスマスだというのに、早速宿題に取り掛かった。
- 103 名前:第3話 投稿日:2003/12/18(木) 23:18
-
「全然わからん……」
ゆとり教育の波は未だに衰えないのか、イラストが書かれたプリントにはいくつもの英単語と、
括弧に縁取られた空欄がある。
問題、というよりは、クイズに近いように見えた。
それでも辻には相当難しいらしく、先ほどからうんうんと唸っている。
本棚の奥のほうにしまわれた辞書は泣いているように見えた。
「わからんものはわからん……」
わからんものはわからんので、辻は早速いつものように誰かに助けてもらうことにした。
最初に思い浮かんだのは加護亜依。
しかし加護もどちらかと言えば、辻と同じく誰かに答えを聞く側だ。
「じゃあ……あさ美ちゃん?」
そう呟いた後に、うーんと考えてみると、それはとても素晴らしい考えであるように思えた。
彼女はいつも学年で五本の指に入っているし、なんと言っても真面目だ。
もしかしたらさっさと宿題を終わらせているかもしれない。
このとき辻は、冬休みが始まって大して時間が経っていないことに気付きもしなかった。
- 104 名前:第3話 投稿日:2003/12/18(木) 23:18
-
紺野の家は意外に遠い。
街の北側にある辻の家から行くには、いったん駅を通って南側まで歩かなければいけない。
しかし、親友の加護と遊ぶ時もいつもそうやっていたので、歩くのにはなれていた。
何より彼女にはとても体力がある。
「あさ美ちゃん、ここわかんねー」
ドンドン、とドアを叩きながら、おはようございます、でなく、あさ美ちゃんいますか、
もなにも言わず、早速本題に入った。
恐らくいつものことなのだろう。
お母さんはくすくすと笑って辻を家の中に招き入れる。
おじゃましまーす、と元気な声を上げて、紺野の部屋に入った。
- 105 名前:第3話 投稿日:2003/12/18(木) 23:19
-
「あさ美ちゃん、ここわかんねー」
家の外で言ったのと全く同じ言葉を紺野にぶつける。
紺野はほっぺたをふくらませたまま、驚いたように辻を見た。
「え、どれどれ。……英語?」
英単語を見た瞬間、紺野は突然挙動不審に辺りをキョロキョロと見渡し始めた。
「うん、これ」
辻はそれに気がつかないふりで、いや、きっとただ単純に気が付かなかったのだろう。
問題のプリントで、紺野のふくよかなほっぺをぷすぷすと刺した。
「ええと、ええと……」
紺野は焦りながら、必死に頭をめぐらす。
その間も辻は、紺野のほっぺをぷすぷすと刺している。
焦る紺野。いらいらする辻。
無言の部屋にぷすぷすという音。
いつまでも続きそうな時間。
- 106 名前:第3話 投稿日:2003/12/18(木) 23:19
-
それをひきさくように、ふう、という大きな溜め息が聞こえた。
「なんだよ、わざわざ来たのにこんなのもわかんないのかよ」
辻は紺野を見下すように、立ち上がってそう言った。
元はといえば、辻がわからないから教えてもらいに来たはずなのに、
今はもうそんな経緯などどうでもいいらしい。
辻の目の光は、明らかに蔑みの色へと変わっていた。
紺野は泣きそうになりながら、相変わらず唸り声を上げている。
紺野の鞄に入った辞書は、ここでも泣いているようだった。
「あ、部活行かないと……。辻ちゃん、今度会った時に教えるから!」
「……」
辻は疑いの眼差しを向けたまま、仕方なく追い出されてやった。
紺野は、最後まで顔を上げなかった。
- 107 名前:第3話 投稿日:2003/12/18(木) 23:20
-
「まったく、ほんと肝心な時に使えねえ……」
帰り道をとぼとぼと愚痴りながら歩いていると、遥か先に見覚えのある顔があった。
向こうは辻とは正反対に、凄く嬉しそうな顔をしていた。
「おーいあいぼん。何やってんの」
辻がぴょんぴょんと飛び跳ねながら手を振ると、加護のほうでも気付いたようで、
同じように高く飛び跳ねて見せた。
そして、辻のもとまで走ってくる。
「いやー、ガキさんにちょっとお菓子を」
息を切らせながら、両手一杯にお菓子を持って言う。
それを見て、辻は嘆息した。
「あいぼんはいつまでたっても子供だなぁ。少しは辻を見習って大人になりなよ」
そう言って、加護の腕の中にあるお菓子を二、三個拝借する。
「わかってないなぁ」
それを聞いた加護が、チッチッと舌を鳴らす。
「何が?」
「うちらは子供でいることを期待されてるのですよ。ののもそこんとこわかっとかんと」
「ハァ?」
- 108 名前:第3話 投稿日:2003/12/18(木) 23:20
-
何がなんだかわからずに顔をしかめる辻を見て、加護はカッカと笑った。
「まあ、大人だったら今日一人でいるのは、おかしいと思うぞ」
「なんで?」
「クリスマスじゃん」
「ほー」
「いや、だから、藤本さんは……?」
「なんだよぉ、あいぼんー」
藤本という名前を出した途端、辻はくねくねと身をくねらす。
加護はキショ! と思わず叫びそうになったが、ぐっと堪えておいた。
こんなんでも一応親友なのだ。
「で、藤本さんがどうしたの?」
「クリスマスは好きな人と一緒に過ごしたいと思う…よな?」
「ん、なんで?」
「……」
藤本というのは二人の学校の先輩で、特に面識はなかったが、ツンと澄ましたその雰囲気が、
後輩の間で人気を呼んでいるのだった。
ミーハーな辻も、当然その話題に乗った。
加護は、そんな辻のやることなすことを、いつも苦笑いのような、微笑みのような、
とにかく優しい眼差しで見守っていた。
- 109 名前:第3話 投稿日:2003/12/18(木) 23:21
-
そんなくだらない話を延々と続けながら、特に行く当てもなくぶらぶらと歩いていると、
突然二人を強い衝撃が襲った。
「ヒィ!」
「ヒィィィ!!」
「べさっ!?」
横から飛んできた物体に突撃され、辻が悲鳴だけを残して横転する。
そしてその後何故か、加護も悲鳴を残して横転する。
張本人は顔から地面に突っ込んだ。
辻は無言のまま立ち上がり、体についた土を払いながら、地面に顔をうずめている少女の元へと近づく。
「なっちゃん!!」
その少女は、何故か赤い服を着てはいるが、何処からどう見ても間違えようもなく、安倍なつみだった。
辻はいつにもまして怒った口調で言う。
それもそのはず、辻の手には軽いかすり傷が出来ていた。
もっとも、張本人の安倍は、そんなものではすんでいなかったが。
- 110 名前:第3話 投稿日:2003/12/18(木) 23:21
-
「ごめん〜…!」
痛々しい姿のまま、安倍は平謝りをする。
「のの!」
そんな中、一人電信柱まで転がっていった加護が、大きな声を上げた。
「今、藤本さんがいた!」
「なんだってー!」
辻はすぐさま、加護の指差す方向へ向かって走り出し、少しだけ送れて、加護も走り出した。
道の真ん中に安倍だけが残る。
「……あれ?」
とりあえず、辻の怒りからは、逃れられたようだった。
- 111 名前:第3話 投稿日:2003/12/18(木) 23:21
-
辻たちは藤本が走っていったほう、つまり街の北側へと向かった。
北側にある主な建物は、デパート、ゲームセンター、病院、噂好きのお姉さんのいる美容院、
そして、クリスマスのイルミネーション沿いにそびえる、巨大なアップフロントタワー。
何処にいるか分からなかったが、とりあえず、二人はまだイルミネーションの光っていない、
アップフロントタワーに目標を定めた。
クリスマスのせいもあってか、北口は昼間だというのにいつもの何倍も賑わっていた。
こうやって見せ付けられると、さすがの辻もだんだんとクリスマスに感化されてくる。
アップフロントタワーに着く頃には、絶対に藤本を見つけてやるぞという心持ちになっていた。
- 112 名前:第3話 投稿日:2003/12/18(木) 23:22
-
そうこうして、入り口にたどり着き、さあ入るぞ、という段階になって、辻はとある少女に目をひきつけられた。
過去に見たことがある、とかそういうわけではなかった。
それなのに何故か、このベージュのピーコートの少女から、目が離せなくなってしまったのだった。
「のの、なにしてんの?」
「あ、ごめん、なんでもない」
辻はその少女に見惚れながらもタワーの中へと入った。
- 113 名前:第3話 投稿日:2003/12/18(木) 23:22
-
タワーに入り、二人は必死に走った。
汗を流し息を切らし、延々と続く階段をただただ上った。
途中の階に藤本がいるかもしれないのに、ただひたすら最上階を目指した。
こういうときは大概展望室で出会うものだ。
そんな楽天的な発想だけが辻の体力を支えていた。
だから、そんな発想をもてない加護は、既にグロッキーだった。
- 114 名前:第3話 投稿日:2003/12/18(木) 23:23
-
随分と時間が経った後、二人はようやく展望台がある階にたどり着いた。
その階にはお洒落な感じのレストランが設置されており、クリスマスの夜だけあって、かなりの賑わいを見せていた。
辻はずかずかとその中に入った。
ウエイトレスの「ご案内いたします」の声にも耳を貸さず、早速辺りを見渡し始めた。
加護も引きつった笑いを浮かべながらその後に続く。
途中でウエイトレスと目が合って、引きつった表情のまま会釈を返した。
しかし、そんな辻の努力と加護の忍耐も及ばず、その中に藤本は見当たらなかった。
「なあ、のの、早めに帰ろう……」
「えーでもまだ」
「いーから!」
加護に引かれるまま、ずるずると辻が運ばれていく。
加護は先程のウエイトレスさんにもう一度頭を下げると、逃げるようにその場を後にした。
- 115 名前:第3話 投稿日:2003/12/18(木) 23:23
-
最後の望みを託して踏み込んだ展望室にも、やはり藤本の姿は見当たらなかった。
がっくりと肩を落とす辻。
加護は疲れのせいかその場にへたりこんだ。
「カップルばっかりじゃん……」
息を切らせながら吐き出される加護の言葉に、辻は思わず顔を上げる。
確かに、加護の言う通りに、この場にはカップルが多く、
それぞれがそれぞれに、クリスマスを楽しんでいるようだった。
辻は彼らから視線を外すように窓の外を見た。
窓からは町全体が見渡せる。はるか遠くに山が見えた。
- 116 名前:第3話 投稿日:2003/12/18(木) 23:23
-
そんな辻の視界を遮るように一人の少女が窓際に姿を現した。
ひらり、とバーバリーのスカートが揺れる。
どこかで見たことがあるな、と思い巡らしてみると、ここに入る前に見た少女だったと気付いた。
両手を胸の前で合わせ、ぼんやりと外の景色に見入っている。
不意に、その少女が後ろを振り向き、辻と目が合った。
「あ……」
思わず声が漏れる。
辻は目を逸らすことも、話し掛けることも出来ずに、口をあけたまま、彼女の視線に絡みとられていた。
「のの、のの」
少女は少しだけ首をかしげた後、辻から視線を外した。
その瞬間に、全身の力が一気に抜けた。
気付けば、ずっと体は強張ったままだったらしい。
- 117 名前:第3話 投稿日:2003/12/18(木) 23:24
-
「のの、のの?」
「え、何?」
「それはうちの科白……。早くここ出よ」
加護は苦々しげにそう呟く。
カップルばかりだったのが気に食わなかったらしい。
「そうだね、ってエレベーターだ」
「エレベーターあんのかい……」
「……」
加護はがっくしと肩を落として、エレベーターに乗り込む。
辻も乗り込むと、さっさと「閉」のボタンを押す。
狭まっていく視界の先に、かすかに少女の後ろ姿が見えた。
- 118 名前:第3話 投稿日:2003/12/18(木) 23:24
-
外に出ると、吹きぬける風が二人の汗を優しく拭った。
いつまでもいつまでも優しく拭った。
「……のの、なんかすごく寒いんだが……」
「辻も寒い………」
冬の風は寒い。
二人はブルブルと震えながら、駅までの道を歩いた。
「なあ、そう言えばさ、石黒さんなら色々知ってるんじゃん?」
「ああ、そう言えば」
加護の言葉に、辻はポンと手を叩く。
スクランブル交差点の通りにある美容室「ラブマ」には、石黒さんと呼ばれる物知りのお姉さんがいた。
生徒たちはよく、髪を切る以外の目的でその場所に集まっていた。
二人は大きく頷きあい、「ラブマ」へと向かう。
- 119 名前:第3話 投稿日:2003/12/18(木) 23:25
-
徒歩で数十秒。視界の先に「ラブマ」が見えてきた。
どうやら随分込み合ったと見えて、休憩時間がずれ込んでいるようだった。
疲れきった石黒が、ソファーにもたれかかっている。
「石黒サーン」
加護が、辻に話し掛ける声とは全く違った猫なで声で石黒を呼ぶ。
雑誌を片手にうとうとしていた石黒は、弾かれるように目を覚ました。
「おはよ」
瞼をこすりながら、石黒が二人の前に歩いてくる。
「今お昼休みなんだけど…まあいいか。カット?」
まだ寝惚け眼のまま、石黒は準備を始める。
こんな風でも、いざ実際に切る頃には、しゃきりと目を覚ましているのが彼女なのだ。
「今日はカットじゃなくてぇ。加護たち、石黒さんに相談があってきたんですけど」
「相談しにきたー」
「ん、相談?」
相談、という言葉に、早くも目が覚めた様子の石黒は敏感に反応する。
- 120 名前:第3話 投稿日:2003/12/18(木) 23:25
-
「どんな相談? まさかお菓子が食べたいんですーなんて言わないわよね」
可笑しそうに笑いながら、石黒は棚の上から平べったい缶を取り出した。
「これ、この前お客さんから貰ったの。私たちだけじゃ食べきれないからよかったらどうぞ」
そう言って置かれたお菓子に、辻が早速飛びついた。
「で、相談って何?」
食べ物に気を取られた辻はほうっておいて、加護に向き直る。
加護はにっこりと笑い首をかしげて、石黒を見やった。
「あのですね。今日ずっと藤本さんを探してるんですよ」
「藤本さん……ああ、ああ」
一瞬だけ考えた石黒だったが、すぐに思いついたらしく大きく頷く。
「どこにいるか知りませんか?」
「んー、藤本さんねぇ……」
再び、石黒が深く溜め息をついた。
「うーん、ちょっと待っててね」
そう言うと、石黒は店の奥へと消えていく。
- 121 名前:第3話 投稿日:2003/12/18(木) 23:26
-
辻は相変わらずお菓子をドンドン胃の中へと葬っていく。
「なあ、のの。なんでうちが聞いてんの……?」
「あ、このお菓子の方がおいしいかも」
「……」
加護は今日何度目になるか、肩をがっくしと落とした。
今回はダメージが大きかったらしくしばらくがっくしとしていると、石黒がなにやらメモを片手に戻ってきた。
「藤本美貴。高校二年生。粗暴に見えて気配り屋。意外と協調性あり。
母親と姉妹のように仲がいい。これで間違いない?」
「は、はい……」
何処から持ってきたんだろう。
彼女は一体何者なんだろう。
そんな様々な疑問は全て飲み込んでしまってから、加護はコクリと頷いた。
- 122 名前:第3話 投稿日:2003/12/18(木) 23:26
-
「それでぇ…今何処にいるか、とかもわかっちゃうんですか……?」
「なんかねぇ、それが上手く分からないのよ」
「上手く?」
「なんかすごい勢いでいたるところを走り回ってるらしくて。上手く場所が特定できないのよねぇ」
ハァ、と深く溜め息をつく。
加護はそれを見ながら、動いていなければ簡単に特定できるんですか、と言いかけて言葉を飲み込んだ。
藤本、という名前を出してから今の情報を引き出すまで、わずか五分程度。
こういうのはなかったことにしてしまうのが一番いい。
「ごめんね?」
「ととととんでもないです」
慌てて首を振る加護。
辻はお気に入りのお菓子を見つけたのか、それだけを選ぶようにして食べている。
- 123 名前:第3話 投稿日:2003/12/18(木) 23:26
-
「あ、お詫びといってはなんだけど」
そう言って、もう一枚メモを取り出す。
それは、別な人物のプロフィールだった。
藤本のときと同じように、いくつかの特徴が書いてある。
「松浦……亜弥?」
「そう。どうやら、その子を探してるらしいのよね」
「……」
何故そんなことが分かるのですか。あなたは一体何者ですか。
そんなことは当然聞けるはずもなく、加護はただ黙っていることしか出来ない。
「後ね……申し訳ないことに、写真はちょっと今手元になくて……」
「写真、ですか……?」
「どうやらこの町の子じゃないらしくって。彼女のことはいまいち情報が不正確なのよね。
ほら、わざわざうちの美容室に他の町から来ないじゃない?」
「はぁ……」
「一時間くれたら、きっちり調べるけど、どうする?」
「い、いえ……。そこまでして頂かなくても……」
加護の態度は店に入ったときとはまるで違っていた。
辻もある意味違っていたが、それはどうやらお菓子のせいであるらしかった。
- 124 名前:第3話 投稿日:2003/12/18(木) 23:27
-
「のの、そろそろいくよぉ。あの、本当にありがとうございました」
加護は地面に額を擦り付けるように頭を下げた。
大人の世界では挨拶はとても大切なことだ。
「え、もう……? まだちょっと残ってる……」
「しばくで?」
「……ごめんなさい」
加護は萎縮した辻を抱えて、風のように入り口まで戻る。
「あ、そうだ」
「は、はいっ!?」
「これは不確かな情報なんだけど、藤本さんが松浦さんを追いかけてるわけ、何か命に関わることだとか……」
「命!?」
命、という言葉に辻が大声で反応する。
モノマネでもやるのかと、加護はドキドキしながらも準備万端だったのだが、
どうやら辻が反応したのはそのせいではなかったようだ。
- 125 名前:第3話 投稿日:2003/12/18(木) 23:27
-
「松浦さんを早く見つけないと命に関わるの!?」
「ん……まあ、曖昧すぎてどこまで本当かわからない情報だけど……」
辻の剣幕の多少戸惑いながらも、石黒が言葉を返す。
「あいぼん、探しに行こう」
「え? え? 藤本さんは?」
「そんなの後回しでいいよ!」
そう叫ぶと、辻は店を飛び出した。
加護も、もう一度深々と頭を下げて辻の後に続く。
「さて、そろそろ準備するか」
二人の後ろ姿を見送った石黒は、しばらくそのままの場所に立ち尽くしながら、優しい目で微笑んだ。
- 126 名前:第3話 投稿日:2003/12/18(木) 23:28
-
店を出ると、またあの少女が辻の目に映った。
向こうも辻を覚えていたらしく、にっこりと笑う。
「のの、どした?」
追いついてきた加護が、立ち止まっている辻の顔を伺う。
「あの人がなんかしたの?」
「ん、なんでもない」
辻は少女から視線を切り、再び走り出す。
加護も慌てて後を追いかける。
街をぐるぐると何処までも走って、加護の頭の中は真っ白になって、そんな中で、彼女は少しだけ驚いていた。
辻が今必死になって走っているということ。
藤本のためにではなく、会ったこともない松浦のために走っているということ。
そう考えると、何故か加護も足を止めて休もうという気は起きなかった。
それでも、体力には限界があって、辺りが薄暗くなる頃には、二人とももう足が動かなくなっていた。
- 127 名前:第3話 投稿日:2003/12/18(木) 23:28
-
「のの、顔も知らないのに見つからんて……」
「……わかってるよ!」
辻はそう叫んで俯く。
加護も辻の気持ちは痛いほどにわかった。
しかし、このままではいつまで経っても見つからない可能性がほとんどで、
しかも、既に藤本が見つけているかもしれないのだ。
加護は、必死に考える。
辻は動かない足を、必死にさすって、いつでも走り出せるような準備をしていた。
おそらく、このまま加護がごねていたなら、一人でも探しに行くだろう。
その時、加護の頭に石黒の言葉が浮かんだ。
「そうだ…のの、松浦さん他の町って言ってた!」
「……うん?」
「この街を出るには、電車かバスしかない。てことは、駅に行けば……!」
「ああ!」
二人は、同時に笑顔になると、何も言葉をかわさずに走り出した。
不思議と足は軽かった。
風にでも乗ったかのように、あっという間に駅前にたどり着く。
- 128 名前:第3話 投稿日:2003/12/18(木) 23:29
-
「のの、あれ藤本さんじゃない!?」
加護が叫ぶ。辻も大きく頷いた。
藤本は走り出したバスを追いかけ、二人から遠ざかっていく。
あそこに松浦が乗っている。
二人は、そう確信した。
「やばい、のの、どうする? あのペースじゃ藤本さんでも追いつけない」
「……あのバスは、確かスクランブル交差点に戻ってくるよね」
「え? ……ああ!」
「きっと先回りできるよ!」
その言葉と同時に、辻が走り出す。
加護もその後に続いた。
「でも、どうやって止めるの!」
走りながら加護が叫ぶ。
辻はしばらく何も答えなかったが、突然方向転換して、加護の前から姿を消した。
- 129 名前:第3話 投稿日:2003/12/18(木) 23:29
-
次に姿を現したとき、辻は何故かホースを持っていた。
「な、何する気……」
「この水でばすをすべらす!」
「むりむりむり。無理だって!」
「じゃあ、バスを壊す!」
「やめー!」
辻の持ったホースから水が飛び出す。
それに驚いた人垣が割れて、加護は辻を止めようと飛びかかった。
二人はもんどりうって倒れて、そのままごろごろと転がっていく。
- 130 名前:第3話 投稿日:2003/12/18(木) 23:30
-
そして、しばらくした後バスのことをすっかりと忘れていることに気付いた。
辻が慌てて顔を上げると、そこには「ガガガ」とおかしな声を発している飯田先生と、
横転したバスによって引き起こされた交通渋滞があった。
横転したバスからは、人が一人、また一人と助け出されている。
ベージュのピーコートを着た少女、腰の曲がったおばあさん、ギターケースを抱えた少女……。
「のの、逃げるぞ!」
「ええ、待って!?」
顔も知らないのに一人一人確認している辻を、加護が慌てた様子で連れ出す。
加護は最後の力を振り絞って駆けた。
よくわからないが、なんとなく自分たちのせいでこんな大事故になってしまった気がする。
そう思うと、ここにずっといるわけにはいかなかった。
- 131 名前:第3話 投稿日:2003/12/18(木) 23:30
-
そのまま南口まで駆け抜けると、ようやく加護は辻の手を離し、地面に腰を着いた。
辻も、ぜえぜえと肩で大きく息をしている。
「楽しかったな」
加護は無邪気に笑いながら、そう言った。
こうやって落ち着いてみると、何故だか腹の底から笑いが込み上げてきた。
「大丈夫かなぁ、松浦さん」
辻はぼんやりとした表情のまま、北口を見やった。
「大丈夫だって。後は藤本さんが何とかしてくれるよ」
「うん、そうだよね」
辻は首を傾げ、柔らかく微笑む。
加護は、こんな風に笑う辻を見るのは初めてだな、と思った。
- 132 名前:第3話 投稿日:2003/12/18(木) 23:30
-
「それにしても、大変なことになっちゃったね……」
「だいじょうぶ、ばれんって。ほらほら食い物おごってやるから、ガキさんのとこいこ」
加護が辻の方をポンポンと叩く。
辻も微笑みを絶やさないまま、コクリと頷いた。
「それにしても、松浦さんってどんな人だったんだろ」
そんな辻を見ながら、加護がぼんやりと呟いた。
「きっときれいな人だよ。目がくりっとしてて、ちっちゃくて、笑顔が印象的で。
それで、街の人がみぃんな、辻とかもみぃんな見惚れちゃうんだよ」
「なんかあの人みたいだなぁ」
「あの人?」
「ほら、さっきののが立ち止まってた時に見てた人。バーバリーのスカートはいた」
「あ、そうかも。」
そう言うと、辻は少し照れくさそうに笑う。
- 133 名前:第3話 投稿日:2003/12/18(木) 23:31
-
「もしかしてのの、あの人のこと……」
いたずらっ子のような表情で、加護が辻に耳打ちをする。
辻は寒さに赤くなった頬をさらに赤くさせる。
「ちょっとあいぼん、何言ってるのさ!」
「冗談冗談」
捕まえようとした辻の手をさらっと交わし、とてとてと二、三歩歩く。
辻はよろける加護を見てクスクスと微笑んだ。
「よーっし、腹ごしらえして、藤本さんをまた探すぞー!」
「ちょっと、のの、早いって! 走んな!」
辻は加護を置いて、勢いよく走っていく。
「まてってー!」
加護には何故か、遠ざかっていく辻の背中がいつもよりも大きく見えた。
それでも何となく、加護にはその理由がわかるような気がしていた。
加護は、そんな辻の背中を掴むように、前へ手を伸ばした。
ずっとずっと先を走っている辻の背中には、ちっとも届きそうではなかった。
加護は誰にも見えないようにクスリと笑うと、追いかける足を速めた。
- 134 名前: 投稿日:2003/12/18(木) 23:31
-
ホワイト・スクランブル・フィルムズ
第3話「そして辻は恋をする」 >>102-133
- 135 名前:◆Xmas/DoM 投稿日:2003/12/18(木) 23:32
- ではまた明日。
- 136 名前:第4話「探偵的な彼女」 投稿日:2003/12/19(金) 23:17
-
木枯らしが吹きぬける通学路を、紺野はてくてくと歩いていた。
毛糸の帽子をすっぽりかぶって、まあるい頬がほのかに赤く染まっている。
クリスマスだというのに茶道部の部室に向かうこの少女。
クラスメイトは、一人で過ごすのがさみしいだ彼氏と会えねえだなんだかんだわめく中、
静かに茶を点てようというのだ。
真面目なんだか浮世ばなれしてるんだか。
紺野はただ一人茶道部に所属しているのだが、昔は空手をやっていた。
空手はきついけど楽しいし、強くなっていく自分を感じるのは気分がいい。
が、そろそろ恋の1つもしてみたい年頃。
自分の女らしさに不安を覚えた、乙女紺野あさ美。
空手着を脱ぎ捨てて、着物に着替えたというわけだ。
茶道は、おもてなしの心。立ち振る舞いも綺麗になる。
茶道部に入って一年になるが、そろそろ女らしさが身についてきたかなと思う。
- 137 名前:第4話 投稿日:2003/12/19(金) 23:17
-
そんな茶道にいそしむ紺野あさ美に、
実はもう1つ裏の顔があることを皆さんは御存知だろうか。
人呼んで、座敷わらし探偵。
茶道部部室に悠然と佇むその姿は、拝むだけで二階級特進するとかしないとか。
探偵、などと呼ばれ始めたのは、茶道部内での『黄金の茶釜紛失事件』を、
見事誰の血も流すことなく解決してからである。
噂は茶道部から、全校生徒、教職員、学校の事務や清掃人にまで広がり、
今では、落し物探しや家族内トラブル、仕事の悩みや恋愛相談まで、
大小さまざまな依頼がもちこまれる。
そろそろ金とってもいいんじゃねーかなー、とか頭にボーっと浮かんでは、
いかんいかんと頭を振る、真面目な女の子。
- 138 名前:第4話 投稿日:2003/12/19(金) 23:18
-
中高一貫のため大作りな学校が見えてきて、足を速める。
校門横の詰所のおじさんに挨拶し、紺野は校門からまっすぐ校舎へと続く道をゆく。
グラウンドでフットサル部が、寒い中練習しているのを横目に見ながら、
紺野は校舎へと入っていった。
◇ ◇ ◇
- 139 名前:第4話 投稿日:2003/12/19(金) 23:18
-
学期中より生徒の少ない校舎は静まりかえっていて、どこかに霊でもいるんじゃないか、
などと考えてしまう。紺野は霊感ゼロなので、おびえる心配ないんだけども。
茶道部部室に入り、紺野は帽子を取りコートを脱いで、着物に着替える。
着物の着付が自分で出来る高校一年生なんてそういないねフフフ、
と自分を誉めてあげた。
奥の茶室に入ると、茶道具を取りだし、慣れた手つきで配置する。
炉に火を入れた。そんなふうに茶を点てる準備をしていると、茶室の引き戸がすっと開いた。
そこには、赤い着物に身をつつんだ、三十路の女。
「中澤先生」
「おーう、こんちわ」
「今日はまた随分とケバ……あでやかですね」
「なんや聞こえたけど?」
「歳の、いえ、耳のせいですよ」
じとーっと紺野を睨む中澤先生。
- 140 名前:第4話 投稿日:2003/12/19(金) 23:19
-
「あ、そういえば今日クリスマスなんですね」
「せやからこの色やねん」
「風流なのはいいですが、デートの予定とかないんですか?」
「……あったらこんなとこ来てへんわ」
中澤は肩を落とすと、正座を崩した。
「紺野こそないんかいな」
「ありません」
「へえー」
「なんですかその驚きは」
「最近な、あんたみたいな、しもぶくれ顔がはやってるらしいで」
紺野はそばに置いていた茶杓( 川o・-・)<長細いスプーンみたいなのですね )を素早く取り、投げつける。
中澤はそれを、赤い振袖で華麗にはじき落とした。紺野はフッと笑う。
「やりますね先生」
「まだまだやな紺野」
「……というか、投げたこと叱ってくださいよ」
「まあまあ、ええやん。茶の道にカタイことは言いっこなしや」
- 141 名前:第4話 投稿日:2003/12/19(金) 23:19
-
そのとき、ガタン! と何かが倒れた音がした。中澤は、おでこにシワを寄せる。
「先生、茶の心は和敬静寂、ですよね」
紺野はそう言って、静かに笑う。中澤は感心したようにうなずいて、
「そのとおりや。どうせまたカオリが騒いどるんやろな。大切なのは動じないこと、平常心やで」
と、裾と襟を整え、正座をしなおす。そのときだった。
(──やぐちぃっ!?)
中澤の“やぐちセンサー”が突然反応し、茶室の窓から外をうかがう。チラッと見えた金髪、まちがいなく矢口だ。
「…どうしたんですか、中澤先生?」
訝しげな視線を紺野が送ってくる。中澤はわざとらしく咳払いすると、立ち上がった。
「スマンな、ちょっと用事を思い出した。テキトーに続けといてくれるか」
それだけ言い残すと、そそくさと茶室を後にする。
そわそわした様子の中澤が去ったあと、紺野は凛とした姿勢のまま、つぶやいた。
「大切なのは、平常心です」
- 142 名前:第4話 投稿日:2003/12/19(金) 23:20
-
紺野は茶を点て終わり、落ち着いた気分になった。
このゆっくりとした時間の流れに身をまかせるのが極上の時間だ、と紺野は思う。
穏かな心のまま、ゆっくり片付けをはじめた。
畳をほうきで掃きつつ、ふと窓の外を見ると、
そこにはミョーな姿勢で悲しそうに歩く石川梨華がいた。
どうしたんだろう石川さん? と紺野が思うもつかの間、
石川の背後に疾風のように迫った高橋愛が、そいやー! と掌から繰り出した波動で石川を跳ね上げた。
「ええっ!」
唖然とする紺野の眼前、石川は校舎3階の高さまで上がって、顔から地面に落下。
変な姿勢で倒れこむ石川に高橋がのしかかり、
マウントポジションを取って両肩をつかんでいる。
- 143 名前:第4話 投稿日:2003/12/19(金) 23:20
-
紺野探偵、事件はほおっておけない性分。
高橋を止めに飛び出そうと窓に足をかけるが、石川は高橋を両手で跳ねのけると、
茶室まで聞こえる大声で泣きながら、逃げていってしまった。
「石川さん、今の落ち方……だいじょうぶですか」
石川を見送りながら、紺野はそうつぶやいた。
気がつくと、高橋の姿もそこにはなかった。またも疾風のように去っていったのか。
さっきの高橋の、格闘ゲームのような光景が頭をかすめる。
「愛ちゃん……いや、見間違いだよねアハハはははははは」
さすがの紺野探偵も、現状が把握できずに笑うのみ、だった。
◇ ◇ ◇
- 144 名前:第4話 投稿日:2003/12/19(金) 23:21
-
疑問を抱えつつ部室を後にした紺野は、小腹が空いていることに気付いた。
――学食でなんか食べよう。
しっかり三食とる食習慣が、紺野のふっくらほっぺたの維持につながっている。
といっても、本人は健康に気を使っているだけで、ほっぺを意識してはないのだが。
たとえ砂漠に迷い込んでも、このほっぺたで一週間は生きられるという噂も。
……そんなことは横にのけといて。
学食へ紺野が行くと、カウンター内に保田がいた。
保田は調理台の上でケーキを作っているようだ。
紺野はおどかさないように静かに、話しかけた。
「保田さん」
「お、名探偵コノン」
「……紺野です」
- 145 名前:第4話 投稿日:2003/12/19(金) 23:21
-
紺野はカウンターから身を乗り出した。
「ケーキですか」
「うん。孤児院にね。……おし、完成っと」
保田は首をこきっ、こきっと鳴らすと、業務用のでっかい冷蔵庫の一番下に、
今作り上げたケーキを大切そうにしまった。
「保田さん。私お腹空いちゃって」
「きょうC定食しかないよ」
「ええ!」
「冬休みだし、生徒もいないしさ、一番手間いらないCだけ」
「ええー」
「そんなふくれた顔しないの」
「……元々です」
- 146 名前:第4話 投稿日:2003/12/19(金) 23:22
-
保田は、あ、と気付いたようにいった。
「ラーメンなら作れるけど」
「そーですか。じゃラーメンで」
「おっけー」
紺野はカウンターを離れ、テーブルに向かう。
と、そこには一足お先にラーメンをすする高橋の姿が。
紺野は先ほどの格ゲー映像がフラッシュバックし、軽いめまい。
高橋が紺野に気付いた。
「あさ美ちゃんでねの」
「あ、愛ちゃん」
二の句が次げない紺野は、高橋の正面に腰掛けた。
紺野はラーメンになんとなく目をやる。
「え? これって、チキンラーメンじゃ」
「ラーメン頼んだら、これ出てきたやよー」
「マジカヨ」
あてが外れた紺野は、テーブルに突っ伏して横を向いた。
床から天井まで続く大きなガラス窓、というかガラスの壁から中庭の様子が見える。
紺野はそのまま視界を中庭に預けていた。
- 147 名前:第4話 投稿日:2003/12/19(金) 23:22
-
と、視界の端から端へ、もんのすげースピードで何かが走り抜けた。
「ええっ!」
紺野はガバッと立ち上がり、ガラス窓に走り寄って、先を見る。
高橋もラーメンの丼を持ったまま、隣にきた。
「なにかおった?」
「あれ、飯田先生……」
「女性教師型アンドロイドの?」
「うん。長い髪がちらっと見えた」
紺野は飯田が行ってしまったほうを指さす。
高橋は気がなさそうに、ほほー、と言うと、麺をすすった。
紺野は飯田の先を見つづけていたが、
遠くに小さく、サンタ姿の安倍なつみを発見。
あったかそーな赤い服に白い大袋、きょろきょろしながら走っている。
安倍さんあんなの着てなにしてんだろ、と紺野が考えてる間に、
安倍もどこかへ行ってしまった。
- 148 名前:第4話 投稿日:2003/12/19(金) 23:23
-
「できたよー」
と保田に呼ばれた。紺野は振りかえり、カウンターへ小走り。
受けとったラーメンを一瞥して一言。
「やっぱチキンラーメンか」
「卵サービスしといたよ」
「ワーイ、豪華……」
残念そうな顔をしながら、ふたたび椅子に座った高橋の近くにラーメンを運ぶ。
腰掛けると、紺野はさっきのことを高橋に聞いてみたかったが、
あまりに非現実な光景だったため、まず幻覚を疑い、
現実の光景だったとしても、高橋が恐るべき力を持っていることになり、
恐るべき兵器か、魔術の類か、などと妄想がふくらみ恐ろしくなり、
話を切り出せなかった。
一人紺野がビビッている間に、高橋はラーメンを食べ終わると、
「ほいじゃ用事あるで、あっしは行くやよ」
と、さっさか学食を出て行ってしまった。
用事、という単語が紺野の頭に引っ掛かる。
用事=石川を追跡 じゃないだろうかガクガクブルブル。
早くラーメン食べてあったまろう、と紺野は、ずるずるもぐもぐ食った。
- 149 名前:第4話 投稿日:2003/12/19(金) 23:23
-
食い終わってある程度腹がふくれると、温茶を持ってきてすする。
「ふいー」
湯船に使ったときような声を出して、ゆのみを両手で持って手も温める。
熱いお茶を少しずつ少しずつ飲み、空いたらまた温茶を注いで。
そんなことを何回か繰り返して、まったり。気分もゆったり。
茶室で点てるお茶もいいが、学食で椅子に座ってのんびりと楽しむお茶もいいものだ。
極上の時間はゆったりと過ぎる。
――少し眠くなってきたかな。
- 150 名前:第4話 投稿日:2003/12/19(金) 23:24
-
まどろみかけている紺野の耳に、突然、
窓の方から、ピッシーン! と眠気をかき消すような音が。
反射的に紺野は窓の外を見るが、いつもと変わらぬ中庭の風景があるだけで、
特に異常は……あった。
その変わらぬ風景に、縦に亀裂が入っていた。窓ガラスに大きなヒビが入っていたのだ。
さっとテーブルを立ち遠ざかる紺野の後ろで、ピシシシシシシシシ、と連続した亀裂音。
逃げながら紺野は後ろを振り帰る。
あっという間に擦りガラスへと変貌していく窓ガラス。
「な、なんだなんだなんだああああ」
無意識に口をつく言葉。窓とは反対側の壁まで避難すると、壁に背中を押しつけて窓の方を見た。
一面擦りガラスとなった窓が、今度はなんとザザーッと崩れ落ちた。
- 151 名前:第4話 投稿日:2003/12/19(金) 23:24
-
あまりの不思議な光景に、言葉を忘れる紺野。
一瞬の間に、学食と中庭を隔てていたガラスの壁はなくなった。
外の冷たい空気が、足もとまで流れてきている。
「なんじゃこりゃ」
保田の姿を厨房内に探したが、すでにいない。
紺野は勇気を振り絞って、ガラスのなくなった壁に近づいた。
ガラスの壁があったところの床には、砂のようになったガラスが、均等に山となって積もっていたのだ。
紺野は持ち歩いている手袋をし、これも持ち歩いているビニール袋にガラスの砂を入れた。
「事件の匂い。っつーか既に大事件」
紺野は学食から中庭へとおりぬける紺野。
紺野探偵の名にかけて、この事件を調べることを固く決意していた。
◇ ◇ ◇
- 152 名前:第4話 投稿日:2003/12/19(金) 23:25
-
学校を出た紺野は、とりあえず飯田が走り去ったとみられるほうへ、
自分も歩いていってみようと思った。
いくらアンドロイドとはいえ、あんな法定速度100キロオーバーのスピードで走るようには設定されていないはずだ。
本気出すと、というかリミットを越えると、あそこまで人外なパワーが出せることに驚きもした。
――飯田先生の異常事態が、どうもくさい。
紺野は腕組をし、街の様子を眺めながらテクテク歩く。
視界の左に大手コンビニエンスストアの『フククス』が見えた。
横目にとおりすぎようとして、紺野は重大な事実にはっとする。
フククスのガラスが、ないのだ。
「まさかここもなんて……」
紺野はフククスの壁際に近づき、学食と同じようにガラス砂の山が出来ているのを確認する。
ふたたび手袋をはめ、別のビニール袋に砂を採取すると、そのままガラスのない入り口をとおって店内に入った。
- 153 名前:第4話 投稿日:2003/12/19(金) 23:25
-
小川麻琴がフククスのエプロンをつけ普通にバイトしている、いつもの光景がそこにはあった。
「あ、あさ美ちゃん。いらっしゃーい」
「いらっしゃいじゃなくてさ、ガラスガラス」
紺野は表に顔を向ける。
「あー。さっき急に崩れちゃって。ぼろいガラスだよねー欠陥住宅かなあはは」
「欠陥っていうか、天変地異だよ……」
「まーまー。風入って来てちょっと寒いけど、大丈夫」
「福田さんは?」
「奥で本部に電話してる。ガラスのことで」
とそこに、福田が不思議そうな顔で現れた。
「あ、いらっしゃーい」
「こんにちわー。本部に電話ですか」
「そうそう。ここいらのフククス10数店のガラスが、一斉に崩れ落ちたみたいで」
「時刻は?」
「えーと、15分ぐらい前だね」
――学食のガラスが崩れたのと同時刻だ。
「不思議ですね」
「怖いね。テロだったらやだな」
「その可能性も否定し切れないですけど、今回は多分、飯田カオリ先生だと思います」
「ふーむ」
- 154 名前:第4話 投稿日:2003/12/19(金) 23:26
-
孤児院の3人、亀井絵里・田中れいな・道重さゆみが、不思議そうな顔してフククスに入ってきた。
「いらっしゃい」
福田の応対は親しげだった。
「あれー、どうしてガラスないんですかー」
間の抜けたように亀井がいった。
「ちょっとね」
と、説明も面倒くさい福田は、笑顔でかわす。
その時掃除をしていた小川が、孤児院の3人に気付くと、すごいスピードでレジにまわりこみ、髪をととのえエプロンを正し、
「いらっしゃいませ!」
と必要以上に元気な声で挨拶をかました。
急な元気アピールに、孤児院の3人はおろか、福田紺野までも面食らうが、
場の空気が変わったことは爽やかに無視して、紺野は、
「……じゃ、あたし調査の続きあるんで」
と、フククスを出た。
フククスを出た紺野はコンビニの裏へまわりこみ、
トイレのガラス窓のガラスは割れていないことに気がつく。
――そういえば学校も、学食以外のガラスは無事だったな。
- 155 名前:第4話 投稿日:2003/12/19(金) 23:26
-
コンビニの裏の搬入口近くに背中をもたせかけて、紺野は腕組みする。
――学食のガラスとフククスのガラスが割れたのが同時刻で、
同一原因によるものとみてよさそうだ。
この異常事態の原因たりえそうなものは、
飯田カオリ先生の異変と、安倍さんのサンタ姿だが、
安倍さんが時々変なのはわりとよく見られる光景だから、
後者は切っていいだろう。となると。
「飯田先生で、事件追ってみるか」
紺野はそうつぶやき、さらに情報を手に入れようと動き出した。
- 156 名前:第4話 投稿日:2003/12/19(金) 23:27
-
おおっと、紺野は偶然フククス前で、新垣と会った。
「あれ里沙ちゃん」
「あさ美ちゃん」
この二人はクラスメイトでよく顔合わせる仲だが、今は冬休みのため会ってないのだ。
「見てよあれ」
と、紺野はフククスの方に顔を向けた。
「え、別に変わったことないけど」
「よく見てよ、よく」
「んー?」
と言いながら、新垣はフククスに近づく。
「あれ、ガラスがない?」
「そう」
「取替えでもしたのかな」
「いや、なんかね割れた、っつうか崩れたらしいよ」
「崩れた、ってガラスが?!」
「うん。でね、さっき学校の学食のガラスもこんな感じで崩れたんだ」
「学校もお?!」
- 157 名前:第4話 投稿日:2003/12/19(金) 23:27
-
あ、と紺野は会話しながら、忘れていた事実をピーン、と思い出した。
「学食のガラスって、こないだ吉澤さんが突っ込んで割って全とっかえしたよね?」
「そうだっけ?」
新垣家の持ち物のような学校なのに、新垣よりも紺野の方が知っている。
さすが学校の座敷わらし探偵。
「忘れてた。噂で聞いたんだけど、防弾強化ガラスにしたんじゃなかった?」
「そうなの?」
新垣は他人事のように返す。
「うん。研究所で新開発されたガラスらしくて、
値は張ったらしいけど、税金対策もあってそれにしたとか」
「そうなんだー」
「新垣グループのことなのに……」
「あ、あたし家のことあんまり知らないから!」
新垣はごまかす。
- 158 名前:第4話 投稿日:2003/12/19(金) 23:28
-
「フククスのガラスも、同じに割れてるんだよね」
――なにか関連性があると推測されるんだけどなあ。
考える紺野に、あ、という新垣。
「フククスがどうたらって、じいが言ってたような」
「え!」
「フククスが新垣でどーたらこーたら、って」
「思い出して!」
「なんだったっけ……」
「あーもう。家に電話して!」
紺野の剣幕に押されてケイタイを取りだした新垣は、家に電話した。
「里沙だけど。じい出して。
……あ、じい? ちょっと聞きたい事あるんだけど。友達とかわるね」
「はじめまして。里沙ちゃんのクラスメイトの紺野といいます。
突然ですけど、コンビニのフククスについて聞きたい事がありまして。
はい。はい。え、秋から新垣グループの傘下?!
名前だけそのままで、実質新垣グループに。
あー、どうりで最近、お弁当が美味しくなったわけだー。
いえいえ、ほんとに。あははは。
そうだったんですか。ありがとうございました。失礼しますー」
- 159 名前:第4話 投稿日:2003/12/19(金) 23:28
-
電話を切った紺野は、
「見えてきた見えてきた」
とほくそえむと、新垣に挨拶もせず一目散に駆け出した。
◇ ◇ ◇
- 160 名前:第4話 投稿日:2003/12/19(金) 23:29
-
駆け出した紺野が到達したは橋の上。
紺野が本格的に推理を巡らせるのはこの場所が一番なのだ。
橋の欄干に腰掛け、冬の川の流れを眺めたり、空を見たりしながら、
思考をめぐらす。
――学食のガラスとフククスのガラスが同じに割れた。
飯田カオリ先生は研究所で造られた。
学食のガラスは研究所で開発された防弾強化ガラス。
フククスは秋から新垣グループの傘下。
学校は新垣家の持ち物。
これらから導き出される1つの事実を、紺野はつかもうとしていた。
脚をぷらぷらさせたり、口をぱくぱくさせたりしながら、
考えを詰めていく。
- 161 名前:第4話 投稿日:2003/12/19(金) 23:29
-
と、そこに、遠くからボロボロになった一人の少女が走ってきた。
梳かしきれてなくてハネてる髪の毛と、
あるもの着てきましたって感じのラフな服装。
そして顔の小ささとスタイルのよさ。二年生の藤本美貴だ。
「藤本さん、なにしてるんですか?」
「女神を、探してる」
「は?」
紺野は、藤本さんってこんなイタイ人だったっけ……と不安になった。
藤本が大事そうに抱えているピンクの紙袋が目に入る。
「その袋、なんですか?」
「女神の小袋。これがないと天女は空にお帰りになれない」
「それって羽衣ですよね……」
「お帰りになれないどころじゃないんだよ! 女神が死んじゃう!」
どうも藤本の疲れはピークに達しているようで、
自らの発言に突っ込むほどに、日本語の精細を欠いている。
- 162 名前:第4話 投稿日:2003/12/19(金) 23:30
-
紺野が藤本の身を案じていると、藤本は紺野の胸ポケットにいきなり手を突っ込んだ。
「な、なにするんですか!」
顔を赤らめあたふたする紺野を気にせず一通りまさぐり終えた藤本は、
返事もせずに次に腰のとこにあるポケットをまさぐる。目がイってます。危ないです。
「ケイタイは?」
と藤本は、ボソッと言った。ドスの利いた声に、紺野はすっかりびびって、
背負っていたカバンから、急いでケイタイを取り出す。
と、藤本はそのケイタイをバシッと奪い取り、ぴぽぽぽぽぽっと超速でプッシュ。
発信。すぐ切ると、紺野にケイタイを返した。
「発歴にあたしの番号残しといたから、松浦さん見かけたらすぐ電話して。だから女神だよ女神。マフラーと手袋が赤、ベージュのコートにスカートにロングブーツね。そんな格好のやつ多いかもしんないけど、松浦さんは破壊的に可愛いからすぐわかるよ。だよね? 背は美貴とおんなじぐらいだからよろしくね!」
息もつかずに喋り切ると、藤本はまたも駆けていった。
◇ ◇ ◇
- 163 名前:第4話 投稿日:2003/12/19(金) 23:30
-
藤本にセクハラされ呆然と立ち尽くす紺野は、しばらくして自分を取り戻す。
探偵業の事務所的な場所になり始めている茶道部部室へ戻る前に、
一度図書館へ寄ってみることにした。採取したガラスを調べるためだ。
バロックだがバイエルンだかベルナベウだかわからないが、
なんかヨーロッパっぽい造りの古い建築物が、この市立図書館だ。
本好きな紺野はここが好きで、よく訪れる。
また、探偵仕事の調べものでも重宝している。
- 164 名前:第4話 投稿日:2003/12/19(金) 23:31
-
自然科学系の書籍がある本棚へ行き、
フォーナインズのプラスティックフレームE−39(クリスタルレッド)のメガネをかけた。
紺野はこの細身で優しい印象のメガネがお気に入りだ。
メガネとは顔の一部になるものであり、
身につけるもののなかで一番重要である、と紺野は考える。
ガラス関連の本を取り、ぱらぱらと捲る。それらしいものはない。
――工業新聞をみたほうがいいかもしれない。
紺野は本を閉じ、もとあった棚にしまい、新聞のあるコーナーへいこうと身を翻す。
- 165 名前:第4話 投稿日:2003/12/19(金) 23:31
-
どんっ!
後ろを確認してなかった紺野は、自分の後ろで本を探していた男性にぶつかってしまった。
自分の不注意で衝突してしまった紺野は、小声で平謝る。
「ご、ごめんなさい」
男性は20代ぐらいだろうか。開いていた本から顔を上げ、優しく紺野のほうを見ると、
「いえいえ」
と言ってフッと笑った。
- 166 名前:第4話 投稿日:2003/12/19(金) 23:31
-
この日の紺野の日記には、図書館でのことをこのように記してある。
< こういう時の第一印象というのは鮮烈に残るもので、
脳の長期記憶領域に否応無しに刻まれるというか、
自分の動揺した瞬間に見た笑顔だったということも考え合わせると、
一種のストックホルム症候群のような効果があったことが容易に予測でき、
少々難しい言葉を並べてみたが、
結論として、私はあの男性に惹かれたということだ。
キタ━━川o・-・)━━ノリ川o・)━━(川川)━━(・oノ川━━(・∀・o川━━!!!>
もっともその出来事を即座に分析するほどの冷静さは、
若輩者の紺野にはまだ備えられていない。
- 167 名前:第4話 投稿日:2003/12/19(金) 23:32
-
新聞コーナーで工業新聞を手にして過去1ヶ月分の記事をざざっと読んだ紺野は、
関連のありそうな記事を見つけることはできず、
一度部室に戻って例の奥の手を使おう、と図書館を後にした。
図書館から学校の茶道部部室に戻るまでの間、
紺野は微熱に浮かされたような気分を味わいながら、
自分で自分の変化をまだ把握出来ないまま、
冷たい風吹く中、頬をほのかに染めながら歩いていた。
- 168 名前:第4話 投稿日:2003/12/19(金) 23:32
-
学校の茶道部部室に帰りつき、和服に着替えると、
紺野は茶室の中央に、なんの茶道具も用意せず座ると、
右手に印を結んで額の上にかかげた。
右手から藍色の風がらせん状に広がり、茶室を包みこむ。
風がおさまった茶室の掛軸のそばに、紺野三本刀が隊長『マサカド』が現れた。
そのいでたちは、さながら忍者。
片膝をついた状態でかしこまる。
「紺野様、お呼びで」
「これ、調べてもらえるかな」
紺野は着物の袂から取り出したビニール袋二つを、優雅にわたす。
音もなくそれらを受け取ったマサカドは、一礼すると、風を巻き起こして消えた。
- 169 名前:第4話 投稿日:2003/12/19(金) 23:33
-
紺野は目を閉じ黙想をする。三本刀に任せておけば大丈夫だが、
これはあくまで禁じ手。緊急時専用だ。
いつからだろうか。紺野の手に余る事件を、
この茶室の不思議な存在が解決するようになった。
紺野の何かしらの能力なのか、はたまた霊なのか、それはわからない。
能力だとした場合、使うことでどのような副作用があるのか。
霊だとした場合、引き換えになにか失っているのかいないのか、
いるとしたらそれはなんだろうか。
これらのようなことは、紺野の推測の域を脱することは出来ない。
- 170 名前:第4話 投稿日:2003/12/19(金) 23:33
-
黙想から数十分後、茶室にふたたびつむじ風。
紺野三本刀の今度は別の一人が、片膝をついて佇んでいる。
「どうぞ」
と低い声でいい、紺野に一巻の巻物を渡した。
紺野は恭しくそれを受け取り、くるくると開き、中を読む。
紺野は顔を上げて、言った。
「……やはり、飯田カオリ先生ですね」
◇ ◇ ◇
- 171 名前:第4話 投稿日:2003/12/19(金) 23:34
-
報告の巻物からも確証を得、ついに真理に到達した紺野あさ美。
久しぶりの難事件の、ウキウキ気分。
あの巻物には、かなり詳しいところまで書かれていた。
飯田カオリの機構上の問題点や、予想される故障のパターン、
といった過去のデータからのものや、
現在の飯田カオリの故障による被害と、その規模までも。
- 172 名前:第4話 投稿日:2003/12/19(金) 23:34
-
巻物報告によると、街のスクランブル交差店でバス事故が起きたらしい。
その原因は、飯田カオリのエマージェンシー3の『電波暴走』。
それにより、信号がオールブルーになったことが原因だったようだ。
エマージェンシー3は、水が原因で引き起こされるものであり、
なんらかの原因でコア部分に浸水してしまったと考えられる、と。
ちなみに、ガラスが崩れさったのは、
エマージェンシー7の、発声機構部タービンのずれによるものらしいが、
これは仕様である可能性が高い、と巻物は示唆していた。
要するに、はじめから音声兵器としてのシステムが組みこまれていた、と。
それがなんらかの原因でスイッチが入った。
ガラス崩壊は、共振の一種である『ストラグー共振』を、
利用しているものと思われる、と。
研究所での、破壊対象の固有振動数設定の際に、
間違って、防弾強化ガラスの振動数をインプットしてしまい、
そのガラスが学食につけられ、おそらく同様のガラスが、
新垣グループに入ったことでフククスにもつけられたのだろう、と。
さすがの紺野にも難しいところがあったので、
そういうとこはさらーっと読み飛ばした。
- 173 名前:第4話 投稿日:2003/12/19(金) 23:35
-
紺野が学校を出ると、そこに辻と加護がとおりかかる。
顔見知りの3人は、ようよう元気? と挨拶をしあった。
さっきさあ、と言うと加護はウシシと笑い、
「のの、バス止めたんだよ」
と辻をつついた。
「言わなきゃばれねー、っていったそばからバラしかよ!」
どこかの芸人のような直接的な突っ込みが、辻から加護にビシっと入った。
二人のやりとりを見ながら、考える紺野。
――バス事故の原因は飯田先生なんだよな。ということは。
紺野はフッと笑い、辻に言った。
「水かなんか、まいた?」
「へ? そんなことも知ってんの?」
「なるほど」
紺野は辻には答えず一人納得すると、急に話題を変えた。
「あのね、あの宿題の答えだけど」
「うん」
「 『犯人はお前だ』 」
「あ、そうかー。ありがと」
「そんでね、実はもう一つ。バス止めた犯人はお前だああああ!!」
ビシっと辻を指さす紺野探偵。たじろぐ辻。
- 174 名前:第4話 投稿日:2003/12/19(金) 23:35
-
「そんなのわかってるよ!」
「でもお前じゃない!」
「……あさ美ちゃん。ふぐ調理師召喚するぞ」
「まあ話聞いて」
かくかくしかじか。
「じゃ、辻はー、飯田さんぶっ壊したけど、バスを直で止めたわけじゃない?」
「そのとおり」
「なーんだ」
ほっと胸をなでおろす辻。
――直接止めたんじゃないにしろ、大もとの原因は辻ちゃんなんだけどな。
まあ最初の暴走もあるし、元々飯田先生の調子は悪かったから、
よしとしよう。
などの考えを0.5秒ほどでまとめた紺野。
考えは内に秘めることを決定し、一言。
「でもね。飯田さんを治すのに、ものすっげー金請求されるとみた」
「なにーーーーー!!」
「声でかいよ……」
「辻んち、お金ない」
- 175 名前:第4話 投稿日:2003/12/19(金) 23:36
-
後ろで聞いてた加護が、しれっといった。
「ちょうどいいや。それも新垣にたかっとこう」
「いっとく?」
「大丈夫。あいつだったら三億ぐらいは動かせる」
- 176 名前: 投稿日:2003/12/19(金) 23:36
-
ホワイト・スクランブル・フィルムズ
第4話「探偵的な彼女」 >>136-175
- 177 名前:◆Xmas/DoM 投稿日:2003/12/19(金) 23:37
- また明日。
- 178 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/20(土) 00:26
- なんかおもしれぇ。
期待してます。
- 179 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/20(土) 15:21
- めちゃくちゃだな(w
ストーリーはよくわからないけど、笑える。
雰囲気の統一性もなくて飽きずに読めます。
でも終着点が勝手に心配になっちゃう。
- 180 名前:第5話「マユノリティ・リポート」 投稿日:2003/12/20(土) 23:17
-
わたしの名前は新垣里沙。
世界のお金持ちには負けるし、日本でトップってわけでもないけど、
そこそこ金のある家の娘だ。
自分でいうのもどうかなーと思うんだけど、
ホントにお金持ってるんだから仕方ないよね。
うちがなんの仕事してるかとか、いくらぐらい稼いでるのかとか、
そういうことはよくわかんない。わたしが使えるお金が多ければそれでいいや。
まあ家がお金持ってるっていっても、
召使いは20人ぐらいしかいないし、家の広さもマイケルジャクソンに余裕で負けてる。
自分のことお金持ちって思ってても実際は中ぐらいの豊さっていうけど、
わたしもそうなんだろうなー。
お小遣いだって、月に100万だし……。
ちょっと友達と遊んだらすぐなくなっちゃう。
さわれる貯金は5億ぐらいあるけど、なにかのとき以外使っちゃダメっていわれてるし、
いい子なわたしは、無駄使いせずに生活してる。
ホントは競走馬を買ったり、小さな企業を買ったりしてみたいんだけど、
お前にはまだ早い、って両親にはいわれてる。
- 181 名前:第5話 投稿日:2003/12/20(土) 23:18
-
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
同級生の辻ちゃんと加護ちゃんが、またわたしにおごってほしいと泣きついてきた。
お金もっている人が持ってない人を助けるのは当然のこと。
なにより気分がいいしフフフ。
駅ビルの百貨店で、どうしても欲しいものがあるっていうから、
送迎車でかけつけたってわけ。
……ったく、わたしんちから駅まで直通の地下シャトルつける話はどうなってるんだろう。
父さんの部下が今度の市長選に出るらしいから、
そこんとこしっかり言っておかないとな。
- 182 名前:第5話 投稿日:2003/12/20(土) 23:18
-
車から降りて駅ビルに着くと、入り口で辻ちゃんと加護ちゃんが待っていた。
「新垣さんきたー」
と加護ちゃんが嬉しそうにいう。辻ちゃんも振り向いた。
人から頼りにされるのはうれしいものだ。
加護ちゃんも辻ちゃんも天使のような笑顔でわたしに寄ってくる。
加護ちゃんはときどき、わるーい目をしてるような気がするが、
それはきっとわたしの思い過ごしだろう、うん。
- 183 名前:第5話 投稿日:2003/12/20(土) 23:19
-
加護ちゃんは、『アブ・ソルートリー』とかいう、
よく深夜のテレビでやっている、運動マシンが欲しいらしい。
アブ・ソルートリーは、購入した時すでに明らかに、
ほかのアブとは違うものを感じるらしい。
毎日15分の運動をするだけで明らかにダイエット効果があるそうだ。
辻ちゃんは、『よろず菓子箱』とかいう、
食べても食べても減らないお菓子箱が欲しいという。
一万いくらもするし、変に豪華な箱だし、
付けるだけでモテモテになる石と同じようなニオイがするけど、
辻ちゃんが欲しいんだから、まあいいか。
- 184 名前:第5話 投稿日:2003/12/20(土) 23:20
-
アブ・ソルートリーは駅ビルの東館に売ってあるらしく、
よろず菓子箱は駅ビルの西館に売ってあるらしい。
加護ちゃんはわたしの右手を掴み東館へ、
辻ちゃんはわたしの左手を掴み西館へ引っ張っていこうとする。
「のの、離せ。こっちが先」
「ここは譲れねーのれす」
わたしは左右から引っ張られて、駅のターミナルあたりで大の字の格好。
昔話かなんかで、一人の子供を二人の女が引っ張って、
痛がる子供の手を先に離した方が本当の親じゃ、みたいなのあったなーって、
ギシギシ両腕を引っ張られながら思った。
こいつらまったく離しやがらねえどころか、腕引っこ抜かんばかりの力で、
さらに粘る。温厚なわたしも、我慢の限界が近い。
- 185 名前:第5話 投稿日:2003/12/20(土) 23:20
-
「せいっ」
と、加護ちゃんが腕だけでなくわたしのツインテールの片方も持って引っ張った。
「あ、あたたたたた!」
とわたしは世紀末救世主伝説みたいな声を出してしまった、頭が右に傾く。
わたし新垣里沙のこだわり、ファッションの要、富の象徴であるツインテールを、
ぞんざいに扱うことは許せない! って加護ちゃんに抵抗していると、
「させねーのれす」
と、今度は辻ちゃんがツインテールのもう片方を掴んで引っ張る。
「あ、あらららららら!」
2倍の痛みからか、今度はよくわからない言葉が口をついてしまった。
両腕とツインテールを左右に引っ張られるわたし。
駅ビルの鏡ばりの壁に映ったわたしの姿は大の字でなく天の字だった。
間抜けな姿に怒りがふつふつと湧いてくる。
- 186 名前:第5話 投稿日:2003/12/20(土) 23:21
-
「てめえら、いい加減にしないと」
低い声でそういうと、両脇の辻ちゃん加護ちゃんが少しおびえたのがわかった。
「まー、ゆー、げー……」
わたしが気をため、新垣家一子相伝の必殺技を繰り出そうとすると、
さすがに二人も、さっと手を離した。そろって青い顔をしている。
「里沙ちゃん。それはタンマ」
「死人が出るのれす……」
二人にさとされて新垣家秘奥義を引っ込めたわたしは、
とりあえず二人に、順番決めのジャンケンぴょんをさせた。
加護ちゃんが勝ち、わたしは先に東館でアブ・ソルートリーを買ってあげ、
それから西館でよろず菓子箱を買ってあげた。
どっちもたかだか数万円。安いもんだ。
二人はわたしが買ってあげたものを大事そうに抱えると、
二人そろって、用事あるから、とどこかへ急いでいった。怪我すんなよー。
- 187 名前:第5話 投稿日:2003/12/20(土) 23:21
-
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
辻ちゃんと加護ちゃんに軽くおごってあげたあと、
わたしは送迎車を先に帰らせて、街をぷらぷらと歩いた。
たまには自分の足で街並を歩くのもいいもんだ。
歩いたり走ったりはスポーツジムでばかりだからなあ……。
久しぶりに家に戻ってみようと思った。
いつもは孤児院の一室で寝泊りしてて、用事のあるとき以外は家に行かない。
孤児院からの方が学校も近いし、家にずっといても召使に気を使うので、
孤児院の方が好きだ。
- 188 名前:第5話 投稿日:2003/12/20(土) 23:22
-
家のそばにある公園にも久しぶりに寄ってみた。
サッカー場をまるっと作れそうな広さ。くつろいでる人もいる。
この公園は、昔うちの土地だったものを市に寄贈したらしい。
公園の端っこには、うちのひいひいひいおじいさんの銅像が立ってる。
なんとなく、自分の敷地のような気持ちで、公園を歩く。
と、公園の落ち葉をテキパキと掃いてる人がいた。
あれ、あれって小川のまこっちゃんじゃないのかな、と思ったら、やっぱりそうだった。
- 189 名前:第5話 投稿日:2003/12/20(土) 23:22
-
「まこっちゃーん」
「あれ、里沙ちゃん。ちーっす。どうしたの?」
「ヒサブリに、家に顔出そうと思って」
「そっかー」
じゃーね、とわたしは家へ向かう。まこっちゃんバイト頑張ってるなあ、と思った。
わたしはバイトなどしたことがないし、おそらくこれからもないだろう。
働くといってもうちの系列のところを手伝うとかだし、でなければボランティアだ。
わたしには出来ないだろうことを頑張るまこっちゃんを、ちょっと羨ましく思ったけど、
それはきっと、違うんだろうなと思い直した。
- 190 名前:第5話 投稿日:2003/12/20(土) 23:23
-
久しぶりに家の正門に立つと、前はたしか指紋識別式だった鍵が、
今度はさらに指紋のほかに目の虹彩も識別に必要らしいシステムになっていた。
指紋をかざしただけでは開かなかった。目の虹彩はまだ登録されてないからか、
識別カメラらしいところを覗きこんでも、鍵は開かなかった。
インターホンから家につなげる。召使が出た。
「あー? 里沙だけど。うん、久しぶり」
と言いながら、わたしは防犯カメラに向かって可愛く手を振る。
「鍵がさあ、2重ロックになってて開かないんだけど、うん。はーい。お願い」
インターホンを切ると、門が金属の擦れる音をさせながら、ゆっくりと開いた。
広すぎる庭を歩くと、うちの庭師がパシンパシン枝を切ってた。
はさみを止めて、わたしに挨拶する。別にいいのに。
- 191 名前:第5話 投稿日:2003/12/20(土) 23:23
-
家の大広間に入ると、ちょうど掃除をしてた召使いがわたしに気付いた。
「お嬢様!」
「ひさしぶりー。じいは?」
「業者と、麻呂の間でお話中のようです」
「そっか。父さんは」
とわたしが聞くと、召使は言葉を濁す。
「……えっと、たしかアフリカの方に」
「だよね。いるわけないか」
召使は黙る。別にいいのに。
わたしはとくに用事もなかったし、それはいつものことだけど、
じいも忙しそうだったので、早々と家から出ていくことにした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
- 192 名前:第5話 投稿日:2003/12/20(土) 23:24
-
やっぱり育った家よりも、今生活してるのはこっちの孤児院だから、
こっちの方が落ちつく。同じぐらいの年の子もいるし。
孤児院には、0歳の子から、上は中学生までいる。
資金繰りは苦しくない。うちの財団が運営してるところだから。
わたしは孤児院の管理みたいなことをやっている。
家のことにはあんまり興味ないけど、人の面倒を見るのは好きなので、
けっこう自分から進んでやってるかな。
- 193 名前:第5話 投稿日:2003/12/20(土) 23:24
-
宅配便がきたのでサインして受け取っていると、
孤児院の中学生組3人、亀井、田中、道重が裏庭の方から来た。
またなにか3人で悪戯でもしかけてきたんじゃないかなあ。
先月も3人で孤児院の屋根をすべてピンク色に塗りかえる、
というおかしな事件おこしたし……。
3人は誰か一人の意見に他2人がのっかって、いろいろやらかすんだよな。
ピンク色に塗り替える、のを言い出したのはたぶん道重。
あの子ピンク好きだし。
「裏で変なことしてない?」
「してないですよー」
と言った亀井がくすぐったそうに笑った。田中と道重も一緒に笑う。
なにかされていても、うちの金で直せばいいことだし、
この3人楽しそうだし、別にいいかな。
- 194 名前:第5話 投稿日:2003/12/20(土) 23:25
-
そんなようなこと考えていたら、いつのまにか目の前に矢口さんがきていた。
背が小さいせいもあってか気付かなかったぞ。
「おっはー!」
矢口さんはいつも元気だ。ミョーに高い声も、聞きなれたら悪くない。
矢口さんは孤児院によく来てくれて、優しいので、
小さい子達からも人気がある。
矢口さんに気がついた、小さい子達が、
あ、やぐちだー。やぐちゃんだー。とか言いながら走ってくる。
つぎつぎ走ってきては矢口さんの背中にしがみついたり、
脚にもたれかかったりしている。
3人も、あ矢口さんこんにちはー、とか、挨拶してる。
亀井が不思議そうな顔して矢口さんの隣に、見えないなにかを探してる。
「吉澤さんは?」
って亀井は聞いた。
そう、確かに吉澤さんがいない。
あのアホの子……じゃなくて天真爛漫な人がいないと、
何か足りない気がする。
- 195 名前:第5話 投稿日:2003/12/20(土) 23:25
-
矢口さんは呆れ顔になると、
「あー、よっすぃーね、サンタ捕まえるとかいってんだよねー」
と、やれやれだぜ、って感じでため息をついた。
「サンタですか?」
そういった田中の言葉は、嬉しそうな響きじゃなかった。
なんとなくわかる。田中は孤児院の中じゃお姉さんだから、
クリスマスにはサンタを待つほうじゃなくて、サンタになるほうだ。
そのことが関係あるのかもしれないな。
田中が少しブルーになってるみたいだったから、
わたしは場をなんとかしようと話題を変えた。
- 196 名前:第5話 投稿日:2003/12/20(土) 23:26
-
「吉澤さん相変わらずわけわかりませんねー。
あ、そういえば吉澤さんこないだ、亀井にの肩抱いてませんでしたー?」
「そうなんですよー」
亀井がすぐに答えた。グッドッ!
「あんときなんか言われてたよね?」
「えーと、亀井ちゃーん俺の女になんねえ? とかって」
それを聞いた矢口さんが笑い出した。
「あはははは! マジでかあいつ。さすがだよさすが!」
ひとりでお腹を抱えて苦しそうにしてる。
この人お酒入ったら絶対笑い上戸だな、って思った。
- 197 名前:第5話 投稿日:2003/12/20(土) 23:27
-
と、道重が、
「フククス行こー」
って亀井と田中に言った。2人とも別に用事ないみたいで、
ダメとか言わずに道重と一緒に行くみたいだ。
3人は一緒に孤児院を出てった。
わたしはしばらく、クリスマス会の準備をしてたんだけど、
そのうちはっと気付いちゃった。
亀井田中道重の3人に、クリスマスプレゼントでも買ってあげないと。
あの子たち、お姉さんとしてよくやってくれてるからなあ。
いたずらが多いのも確かだけど、やるときはやってくれるし。
まだ中学生だし、孤児院のほかの子へのこともあるから、
安いものしかダメだけど、せめてフククスでなにかおごってあげなきゃ。
わたしは急いで後を追った。
- 198 名前:第5話 投稿日:2003/12/20(土) 23:27
-
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
フククスへ行ってみると、店の前には紺野あさ美ちゃんがいた。
で、なぜかガラスがびっしー割れてたんだ。
というかすっきり無くなってて、わたしは驚いてしまった。
ガラスがないってことは、入り口とその横の壁がまったくないわけで、
車庫みたいになっちゃってる。
あさ美ちゃんは得意の難しい推理をすると、
うちのじいに電話するように催促してきた。
こういう時のあさ美ちゃんはマジモードだ。
じいに電話して、あさ美ちゃんに代わると、
あさ美ちゃんはまたもや何か難しい話をして、
んで納得すると、どこかへ走っていってしまった。
- 199 名前:第5話 投稿日:2003/12/20(土) 23:28
-
フククスの中を見ると、亀井と田中と道重は立ち読みをしていた。
袋も持ってないし、買い物はまだのようだ。ほっ。
わたしも店へ入って声をかけた。
「よっ」
わたしに気付いた3人は、あ、とか目線くれるだけとか、無反応とか、
いろいろな態度。むー、ここは一発。
「好きなものおごってあげる」
「え、やったー」
3人はめいめいに籠を取って、好きなものをどかどか詰め込んでいく。
この辺の遠慮のなさは……うん、逆に気持ちがいい。
どうせコンビニで買い物したって、そう高くはならないし。
『 GEJI 』カードも使えるし。
GEJIカードは最近フククスで使えるようになったカードで、
わたしのところにも、無限度のが送られてきていた。
一度も使ったことがないから、いい機会かな。
- 200 名前:第5話 投稿日:2003/12/20(土) 23:28
-
3人がいろいろ選んでいる間に、
レジにいるまこっちゃんに話しかけた。
「おーす」
「……」
あれ? 反応がない。
「まこっちゃん!?」
「お、あ、おう。いらっしゃいませー」
まこっちゃんはわたしに目線合わせずに、ボケーっとしてる。
さっき公園の仕事もしてたし、疲れてんのかなあ。
ってまこっちゃんの目線の先には、田中。
- 201 名前:第5話 投稿日:2003/12/20(土) 23:29
-
「ね」
「うん?」
「あの真ん中の子みてる?」
「み、見てない見てないっす! はいピーピーピーピーピーマコ小川です!!」
「ね」
「う、うん」
「ひょっとして好きだったり?」
「なななーにいってんの里沙ちゃん! そんなわけねだろー!
はいピーピーピーピーピーマコ小川です!!」
まこっちゃんのおおげさな動作と大きな声に、3人は反応しない。
気にもしてないんだろう。小川麻琴ドンマイ……。
- 202 名前:第5話 投稿日:2003/12/20(土) 23:29
-
そんなようなことしてる間に、買いたいものが決まった様子の3人。
わたしは亀井にGEJIカードを渡すと、一人立ち読みをはじめた。
うちの系列の広告載ってないかなーとか探したりして時間潰した。
やがて買い物をすませた3人が肩をつつくので、一緒にフククスを出た。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
- 203 名前:第5話 投稿日:2003/12/20(土) 23:30
-
フククスから学校の校庭に向かってわたしは歩く。
「あの」
と亀井が何かいいたそうにしてたけど、わたしはかまわずついて来るように言った。
- 204 名前:第5話 投稿日:2003/12/20(土) 23:31
-
ここは学校の校庭のどまん中、鍛えこまれた奥義、
眉毛ビームを見せようとすると、
「眉毛ビーム、いい加減飽きてきたんですけど」
と田中が言う。おいおいそれはなしだろ。
「違うんだって! 今度のはハイパー眉毛ビーム、っていってね――」
「前も」
それだけ言って、黙ったのは道重。
「なんだよ」
「前もスーパー眉毛ビームとかいって、前転してから、なだけだったじゃないですか」
「ぐ」
「正直、見てるの辛いですよー」
亀井もにこやかな顔でいう。
- 205 名前:第5話 投稿日:2003/12/20(土) 23:31
-
なんだよ三人とも……。
これをめぐって血を血で洗う争いが繰り広げられたという、
数世紀も脈々と受け継がれてきた秘奥義、
眉毛ビームを見たくないのか……。
あ、なんか悲しくなってきた。あれ? これって涙?
わたしは、気がつくと涙ぐんでいた。
- 206 名前:第5話 投稿日:2003/12/20(土) 23:31
-
「お前等みてろよおおおおお!」
と、わたしは叫んで校庭を走り去った。
後ろなど振り返らない。
必ずや、眉毛ビームを進化させて、あの3人の度肝を抜いてやる!
山だ。山へ行こう。あそこの山には、うちの裏研究施設があったはずだ。
今まで一子相伝の技を科学で汚したくなくて、利用を拒んできたけど、
こうなったらしかたない。
新垣家の財産のすべてを尽くしてでも、眉毛ビームを進化させてやる!
- 207 名前: 投稿日:2003/12/20(土) 23:32
-
ホワイト・スクランブル・フィルムズ
第5話「マユノリティ・リポート」 >>180-206
- 208 名前:◆Xmas/DoM 投稿日:2003/12/20(土) 23:34
- 折り返し地点。あともう半分。
- 209 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/21(日) 16:21
- 話が色々絡んでいて面白い。
あと4話楽しみにしてます。
- 210 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/21(日) 16:25
- 折り返せてると思えない八方破れさで…
どう収拾がつくのか、ラストが楽しみ。
- 211 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/21(日) 20:53
- 一体全体。1話目の雰囲気は何処に……
- 212 名前:第6話「キャッチ・ミー Eve ユー・キャン」 投稿日:2003/12/21(日) 23:18
-
……クリスマス。ああクリスマス、クリスマス。
正確にはクリスマスイブなんだけど。
イブってなんだろう。
どうしてクリスマスよりもイブの方が盛り上がるのかな。
そもそもなんでイブなんてあるんだろう。
お正月の前の日にも大晦日があるけど、あれは年末と新年だからどっちも大切ーって感じだし。
- 213 名前:第6話 投稿日:2003/12/21(日) 23:19
-
クリスマス。
眠れぬ夜に迎えた朝に、胸は高鳴り、意中の人と待ち合わせ。
恋いに恋する乙女のど真ん中を行く今時ちょっと珍しい女子校生、
石川梨華の頭の中は服装同様、桃色一色でした。
「あー、あのさ、もしかして彼氏と待ち合わせとか?」
喫茶店でたまたま出くわして同席したクラスメイトにも、
浮かれてついついそんな話題を振ってしまいます。
「いや、普通の友達」
相手はどちらかというとコワモテで、普段ほとんど話さない人。
石川のおポンチ気分に乗っかる義理などないとばかりに、態度はクールで素っ気ないのでした。
「そうなんだ」
「そっちは?」
「・・・まあ、いちおう、その、恋人、かな?」
クラスメイトが無音の舌打ちをしたことに、もちろん石川は気がつかない。
ただ不穏な空気だけはなんとか察し、なのに桃色頭が振る話題といったら
恋バナばかりと言った始末。
- 214 名前:第6話 投稿日:2003/12/21(日) 23:19
-
その店では別の知り合いとも顔を合わせ、ワイのワイのと女同士のかしましい時間を過ごし終えると、
知り合い達はじゃあねと去っていき、
さては石川、一人残って存分に心を思い人へと馳せさせます。
- 215 名前:第6話 投稿日:2003/12/21(日) 23:20
-
……クリスマス。クリスマスって言ったらぜったいに恋人たちの季節だもの。
今日はあの人と過ごすクリスマス。一週間かけて考えた計画。
アクション好きのあの人とホラー好きの私だから、
選んだ映画は今一番の話題作。『メタルのはらわた』。
毎秒五千発の鉛玉と七百頭の羊の内臓が飛び散る結婚式のシーンで感動した後は、
屋根も壁もみんなピンク一色の外装がかわいいお洒落なカフェでランチを取るの。
- 216 名前:第6話 投稿日:2003/12/21(日) 23:20
-
喫茶店のテーブルで一人、うっとり虚空をながめる石川を現実に引き戻したのは
サンタの鈴の音でも教会のウェディングベルでもありません。
待ち人からの携帯着信音でした。
なんと酔狂なことに、その着メロは結婚行進曲です。
それもタタタターン、タタタターン、と階段を駆け上がるように音階が流れる、
ドラマティックなメンデルスゾーン作曲の方ではありません。
ぱんぱかぱーん、ぱんぱかぱーん、と、荘厳と言えば聞こえはいいものの、
どこか間伸びたマイペースさを感じるワーグナー作曲の方です。
まぁ、どちらにせよ思い人からのコール音なわけですから、
石川にとってまさにお目出たい曲、幸福のファンファーレに聞こえたでしょう。
- 217 名前:第6話 投稿日:2003/12/21(日) 23:21
-
「まぁ!よっすぃ!キャー!」
石川はわざわざ声を上げて思い人の名を呼んで携帯を取り出しまして、
「もしもし、もぉ、おっそいじゃなぁい」
耳近くの髪の毛をくるくる指で回しながら甘い声で話しかけます。
「ごめん梨華ちゃん、そっちにはいけなくなっちゃったんだ」
「え?」
まずは般若、そして泣き女のお面をかぶせたかのように
一瞬にして石川の顔が変わります。
「え、?なんでなんでどうしてだって約束だよクリスマスだよ愛の賛歌は?」
などとよくわからないことを口走る石川に、電話の向こうはこう返しました。
「今学校に向かってるとこなの。これからサンタを狩るんだ!」
- 218 名前:第6話 投稿日:2003/12/21(日) 23:21
-
電話のこっちもこっちですが、向こう側も向こう側。
割れ鍋にとじ蓋の似たもの夫婦は何を話してもぬかに釘。
とんと要領が得られません。
さては石川、これはアカンとテニス部仕込みの瞬発力を発揮して、
喫茶店を飛び出しましては学校に駆け向かいました。
会話の基本はアイ・ツゥー・アイ。
目と目で通じ合うという奴です。
実際これまでだって石川と思い人の間では、
まともな会話は滅多に成立していなかったのでした。
ふたりで買い物に行ったところで、
「ねぇ、よっすぃ、このピンクの小物ってステキよね?」
「あのブリキのクラシックミニカーすげーカッケー」
「クマのぬいぐるみさんがこっち見てる!」
「欲しいのあったらこの駕籠に入れて。あとでまとめて買っちゃうから」
なんてぐあいでして、
石川は買った物をプレゼントされたつもりでも、
相手はただ単に金を請求し忘れてるだけ、みたいな関係が募り募って
迎えたクリスマスなのです。
- 219 名前:第6話 投稿日:2003/12/21(日) 23:22
-
「ああん、もうセットが乱れちゃう!」
ピンクのローカットブーツを履いた石川は、
両手を顎の脇に置き、脇をきっちり締めたファイティングポーズで
くねくねと走りました。
師走といっても、閑静な街の早朝をこんな風に走っているのは石川だけです。
見た目とは裏腹の猛スピードで、曲がり角をすぎようとしたところ
「石川センパイ!!」
「あうっ!曲がり角でぶつかってくるなんて誰?!
パンが主食の転校生?あこがれの人?よっすぃ?」
石川はごろごろごろと転がりながら叫びました。
壁にぶつかり止まりまして、見てみるとそこにいるのは後輩の高橋。
「あいさぁー!石川センパイ奇遇やよー。
こんな日に、こんなところで会えるなんて高橋感涙の極みがし」
「会うっていうか高橋、あんた今背中の方からタックルしてきたような……」
- 220 名前:第6話 投稿日:2003/12/21(日) 23:22
-
石川は涙目になって高橋を非難しましたが、一方の高橋はまったく聞いていません。
会話の基本である所の目と目を合わせることすらせず、
「あーあー、センパイ荷物まき散らしちゃって。このタカハシが拾ってあげるやよー」
高橋は女の子座りをして腰をさすっている石川をしり目に、
ぽーんと遠くに吹っ飛んでしまった石川のハンドバックを拾いに行きました。
「石川センパイのもちもん、みんなピンクでめちゃラブリーやのー」
バックから飛び出していた石川のピンクラメ入りの折りたたみ携帯をうっとりと掴むと、それを開きます。
待ち受け画面には石川の思い人が写ってました。
「……ヤヨ」
高橋は手際よく待ち受け画像を削除した後、
携帯の電源を落としてバックに戻しました。
「はい、センパイ。バック」
「ありがとうタカハシなんか目つきが怖いけどどうして?」
「……気のせいだがしあるいは生まれつきやよ」
「いっけない!早く行かなきゃ!」
高橋は駆け去る石川の後ろ姿を見送って首をかしげました。
「……石川センパイ、アレのどこがいいんやろなぁ」
- 221 名前:第6話 投稿日:2003/12/21(日) 23:23
-
その石川の思い人、吉澤は二人の通う高校の校門前に仁王立ちで待っていました。
「遅い!遅いぞムサシ!」
「待たせてゴメンねよっすぃ!でも先に約束破ったのよっすぃの方だし、
おあいこって言うかむしろまだ私の方が痛いよね!」
吉澤のボケをノータッチで受け、石川は思い人の出で立ちをマジマジと眺めました。
「ねぇよっすぃ、なんでお休みなのに制服来ているの?」
「これは服を選ぶのが面倒だからハンガーのを着てみたんだよ」
「ねぇよっすぃ、その虫取り網は何?」
「これはサンタを狩るための網だよ」
「ねぇよっすぃ、なんで約束の場所じゃなくてこんな所にいるの?」
「きまってるじゃないか梨華ちゃん!今日はクリスマスだよ!」
吉澤の目には青い炎が燃えていました。
両手を後ろで組むと、斜め四十五度上方に向かって背を反り返らせて吠えました。
「サンタを、狩りに行くんだぁーーーー!」
- 222 名前:第6話 投稿日:2003/12/21(日) 23:23
-
石川の欲目、ピンクの色眼鏡を抜きにしても、
吉澤は眉目秀麗で心優しい学校の人気者です。
ただ惜しいことに、ほんの少ーしばかりおつむが弱い。
「……ここで?学校で?」
「そう、学校で。学校って人が多くいるじゃん」
「でも、学校にサンタは多くいないと思うの」
「何言ってるの梨華ちゃん、サンタは沢山いるよ!
デパートやテレビで見たことないの?」
「……うーん」
さすがの石川も話の突拍子のなさ、噛みあわなさに顎に手を当てて唸ります。
- 223 名前:第6話 投稿日:2003/12/21(日) 23:24
-
「梨華ちゃんも協力してくれる?」
「サンタ狩り?」
「サンタ狩り」
吉澤に大きな目で見られてしまっては、他の全てはシャボン玉です。
石川は予め立てていたクリスマス計画も忘れて、はにかみながら頷きました。
「ありがとう、やっぱ梨華ちゃんはサイコーに優しいね」
と、吉澤は石川の手を取りました。
「え……」
ぽ、と頬を赤らめてしなを作る石川に、
吉澤は致命的な笑顔でとどめを刺しました。
「じゃ、効率を考えて梨華ちゃんはあっち、あたしはこっちから調べよう!」
「何でソーナルノ!」
石川が大泣きしながらトリプルアクセルを決めた後には、
すでに吉澤は目前から消え去ってしまっていました。
- 224 名前:第6話 投稿日:2003/12/21(日) 23:24
-
クリスマス。
ホーリーナイトなラストクリスマスは恋人がサンタクロース。
なのにキリスト様。
私のサンタさんは虫取り網をかついで学校のどこかを駆け回っているのです。
……なんで?
- 225 名前:第6話 投稿日:2003/12/21(日) 23:25
-
それから石川はなで肩をがっくり落として学校を彷徨きました。
「ああ、よっすぃ、あなたはどうしてよっすぃなの……どうしてどうしてソーナルノ」
譫言を呟きながらバターン、バターンと前傾姿勢で歩を進めていくと、
突然後方から巻き起こった突風に飛ばされて石川は宙を舞いました。
- 226 名前:第6話 投稿日:2003/12/21(日) 23:25
-
「石川せんぱーい!わざわざ学校まで着て休日登校の高橋に会いにきてくれてがし?
愛にアイアイ?感激やよー」
衝撃波の源、高橋は手足を生け花の様に八方に曲げ顔面着地を遂げた石川を
正しい仰向け姿勢に整えると、よっこいしょとへその上に跨りました。
「センパイ。アレはやめとくがし。
空気よめんで、あちこち弱いもんにお触りしまくるへっぽこぴーやよ?
泣くのは先輩がし。
このたかーし、月、花、星、雪、宙に誓って先輩に悪いことは言わないヤヨー」
頬を上気させながら高橋は石川の肩を掴んでガクガク揺さぶりました。
「うあぁぁぁん!よっすぃ!」
首を左九十度傾けた石川は両目を手の甲で覆って泣きわめきました。
「いぢめるのー!学校のみんながいぢめるのー!」
頭を打ったショックでキモいキショいと言われ過ごした
幼いネガ時代をリメンバーしてしまい、
石川はびえーと大泣きしながら逃げ出しました。
- 227 名前:第6話 投稿日:2003/12/21(日) 23:26
-
クリスマス。
クリスマスといえばサンタクロース。
思い出すのは五歳の頃。
衣装を手に入れられなかったのか、買うのが面倒くさかったのか、
父さんは母さんの赤いコートを頭からかぶって、風呂敷包みを背中にくくって、
二階の子ども部屋の窓から侵入した。
あたしはそいつを泥棒と勘違いした。
弟を守ろうと思って、窓辺に片足をかけたそれの胸ぐらめがけて、
ライダーキックを食らわせた。
結果、風呂敷に入ってたおもちゃのガソリンスタンドは壊れて。
あたしを抱えて二階から落ちた父さんは足を骨折して。
なのに父さんはあたしをぎゅっと抱きしめて、
庭に転がって痛がりながら大笑いしていた。
新しいおもちゃを買い直して貰ったけど、
壊れたガソリンスタンドは「あくのはいきょのひみつきち」になって、
正義の人形ごっこをするときに大活躍をした。
あたしが五歳の頃、サンタから貰ったもの。
壊れたって遊べる。怪我したって笑える。
世の中にはそういったものが結構あるってこと。
- 228 名前:第6話 投稿日:2003/12/21(日) 23:26
-
今あたしは、そういった季節の超スペシャルヒーローを探している。
クラスで「笑わん姫」なんてあだ名を付けられるような、
見た目はクールなごっちんをニッコリさせる宝物を探している。
やっぱクリスマスって特別楽しい日。
みんなに笑っていてほしいから。
- 229 名前:第6話 投稿日:2003/12/21(日) 23:27
-
「あ、ごっちん。おーい、ごっちん!おーいおーい」
学校に見切りをつけて街をぶらついていました吉澤は、
商店街の端で後藤を見かけました。
「や゛」
と、後藤は鼻にかかった声を出しました。
眉は山の端に下がっていて、口は兎みたいにピクつき、目尻は雫で一杯でした。
「……どしたの!ごっちん!?」
勢いよく迫る吉澤に、後藤は鼻をすんすんさせて脱力笑いをして見せました。
「んでぼだい。がふんじょだも゛」
「花粉症?」
「ん゛……ごめ。帰ってネ゛ル」
吉澤を弱々しく押しのけてスタスタ早足で歩く後藤の背を、
吉澤はいつまでも見つめていました。
花粉症は春先の病気と言うことは、吉澤も知っていました。
「さびしんぼー」
吉澤は吉澤は商店街の街灯に飾り付けられたプラスチックのオーナメントを見上げて呟きました。
「サンタ……見つけなきゃ」
吉澤は白く丸く吐いた息で、冷え切った手を暖めて歩き出しました。
- 230 名前:第6話 投稿日:2003/12/21(日) 23:27
-
「しかしかかし今年はサンタ不足なのかにー。全然みあたんねーし」
歩き出しながら、ぼやきます。
「あたしが子どもの頃は、幼稚園に一体、子供会に一体、家に二体……
あっちこっちにサンタがいたような気がするんだけどなぁ。
飯田先生も北の国にはサンタの組合と事務所があるって言ってたのに、
これもニッポンの環境問題かなぁ」
幸せな幼児時代を過ごした吉澤は、幸せな脳みそのままでスクスク大きくなりました。
迷惑なぐらい健全な心身は、よそ様の心を和らげるものでして、
そのせいで吉澤はたくさんの知り合いがいます。
- 231 名前:第6話 投稿日:2003/12/21(日) 23:28
-
「吉澤センパーイ」
「何してるんすかー」
「……すかー」
吉澤の姿を見かけた三人の少女がトコトコと駆け寄ってきました。
おすまし、気丈、おっとりと、タイプを違えた雰囲気のトリオに向かって
吉澤は両手を広げて迎えました。
「やぁコーハイズの諸君!良いところに来てくれた!」
「……えり、さゆ、帰ろ」
トリオの中央に位置する気丈そうな子が両側の子の肩を掴んで引き留めました。
「なんだよ田中その態度。後輩のくせにナマイキだぞ」
「今日のセンパイ、まるきりジャイアンくさいっちゃ」
「そんなことないないなーい。
ただチョットばかり一緒に遊んでくれないかなーなんて」
吉澤が問いかけると気丈な田中はあからさまに警戒の顔つきになりました。
- 232 名前:第6話 投稿日:2003/12/21(日) 23:28
-
「あの、私たちに何させる気ですか?」
田中に代って、おすましが話しかけてきます。
「させる気って亀井。お人聞きの悪い」
「だって、嫌ってわけじゃないけど、詳しい話聞かないと──」
「遊ぶだけだよ。あたしと一緒に少年探偵団ごっこしようぜー」
吉澤の言葉に難色を示した気丈とおすましでしたが、ただ一人、
「あ、おもしろそー」
とおっとりした子が両手を合わせました。
「少年探偵団の任務はなんですか?」
「よくぞ聞いた道重団員」
吉澤はおっとりした子の肩を叩いて神妙な顔で告げました。
「今日の任務はサンタ狩りです」
「さ、さゆ帰ろ」
「うん、帰ろうさゆ」
「えー、ちょっと待って話聞こうよ?サンタだよ?すごくない?」
「重さん団員はいい子だなー。お前らも一緒に話聞けー」
吉澤は道重の肩を抱きながら頭を撫でました。
道重を捕獲することで、残り二人の逃げ足をも止めてしまう作戦でした。
- 233 名前:第6話 投稿日:2003/12/21(日) 23:29
-
クリスマス。
みんなはこの日を一緒に過ごせる大切な人を探してる。
私はもう大切な人に出会っていると思う。
出会ってずっと、後ろから追いかけてきた。
今はもうあの人の一番近くまで近づけている。
そう信じてるから、後はこの手で捕まえるだけ。
- 234 名前:第6話 投稿日:2003/12/21(日) 23:29
-
「……見つけた」
吉澤と別れてから、石川は迫り来る高橋を泣き叫びながら千切っては投げ、
千切っては投げて校内を逃げ回っていました。
すでに吉澤が校内から出たという情報を得て街を探すこと幾時か。
ようやく商店街の片隅で後輩たちと会話をしている吉澤の姿を
捕らえることが出来たのです。
石川は胸を押さえて深呼吸をし、
明るい二人のクリスマスに第一歩を踏み出そうとしたとき、
横から自転車に引かれて吹っ飛びました。
石川が墜落します。ワンテンポ遅れてラーメンの中身と丼が降ってきて、
さらにワンテンポ遅れて石川の頭にすっぽり被さるようにおかもちが降ってきました。
- 235 名前:第6話 投稿日:2003/12/21(日) 23:30
-
「……たかはしぃいいい!!アンタいい加減にしないとねぇぇぇ!!」
「ひぇ!ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
おかもちの外から聞こえたのは別人の声でした。
おかもちを外して外界を見ると、赤いバンダナを頭に巻いた後輩の小川が
土下座をして、ぺこぺこと米つきバッタのように頭を下げていました。
「お、お代は結構ですから……すみませんすみません」
「ラーメン頼んだの私じゃないし!
お代じゃなくてクリーニング代欲しいぐらいだよ!」
「うひょう!ごめんなさいごめんなさい!
手持ちは少ないんですけどこの辺で勘弁してください」
小川は財布を取り出して、土下座の姿勢で石川に差し出しました。
学校の皆が知っていることですが、小川の家はとても貧乏です。
この年末もラーメン屋以外の様々なバイトをして過ごしているのでしょう。
そう思うと石川はこれ以上怒れなくなってしまいました。
- 236 名前:第6話 投稿日:2003/12/21(日) 23:30
-
「……もういいよ。なんかこのラーメンぬるくてやけどしなかったし……」
すると小川はおずおずと顔を上げて、おずおずと笑いました。
「うちの大将ラーメンは、安全設計なんで……」
「そうなんだ……すごいね時代を先取りだね……」
石川はもう突っ込む気力も失ってしまいました。
こんな林家ぺーのようなちぢれ麺のカツラをかぶり、
全身にトンコツダシのきいた状態では
思い人の前になんてとてもとても姿を現せません。
石川は電信柱の陰に隠れて、そっと吉澤の様子を伺いました。
- 237 名前:第6話 投稿日:2003/12/21(日) 23:31
-
「あの……何してるんですかね?」
「黙って」
電信柱の柱から柱へ。石川は素早く身を動かして吉澤に近寄っていきます。
小川も素軽い身のこなしで石川のそばをぴったりついてきました。
「……なんでついてくんのよ」
「……いえ、あたしがこんなんにしちゃったし、一応見守るべきかなと」
「別にいいから」
「あの、こっち風上ですし。あんまし近寄るとニンニクの臭いでバレますよ?」
小川の警告に従って、石川は電信柱一本分の距離で踏みとどまりました。
この場所でも十分に吉澤と後輩達の会話を聞き取ることが出来ます。
様子を見る限り、どうやら吉澤は後輩たちにも
サンタ狩りを手伝わせようとしているらしい様子でした。
「私だからってわけじゃないんだ……」
「へ?」
「ううん。なんでもない」
ここ最近の話ですが、遊ぶときも勉強するときも、
吉澤が最初に誘いをかけるのは石川でした。
石川はそれを努力の成果だと受け取り、告白の自信に変えていたのです。
石川は胸の前で手を組んで、一心に吉澤の言葉に耳を傾けました。
- 238 名前:第6話 投稿日:2003/12/21(日) 23:31
-
クリスマス。
北も南の東も西も、全世界のみんなでハッピーになりたい。
「本当はクリスマスってさ、すんごい楽しい日なのにさ。
大事な人が笑ってくれないと切ないじゃん?
ごっちんはあたしのこと一番よくわかってくれる大切な人だから」
クリスマス。
好きな人と一緒に過ごしたいだけなのに。
石川は息を飲みました。
「そんなのって」
- 239 名前:第6話 投稿日:2003/12/21(日) 23:31
-
「哀しすぎる!!」
- 240 名前:第6話 投稿日:2003/12/21(日) 23:32
-
甲高い悲鳴が商店街を切り裂きました。
吉澤が音源に目を向けると、なにやら全身をしっとり湿らせて凄惨な風貌を漂わせた石川が佇んでます。
「り、梨華ちゃん?何それ?どしたのそれ?」
「よっすぃのバカバカババカバカバカバカバーーーーー!」
石川はヒステリックにバッグやドンブリやオカモチや自転車や小川を
吉澤に投げつけると、大声で泣き叫びながら逃げ去っていきました。
- 241 名前:第6話 投稿日:2003/12/21(日) 23:32
-
「カバだって」
「どっちかってと、クマだよね」
「パンダじゃないかな?」
後輩達がささやく中、吉澤は小川を受け止めたままぽかんと立ちすくんでいました。
その間に後輩達が散乱した投擲物を拾い集めます。
「うわ、石川先輩やっぱりピンクの携帯だったんだ」
「なにこれ、電源切れてるじゃん」
「ぽちっとなー」
道重が携帯に電源を入れた途端、でんでろでんでろでんでろでんでろでん、と不吉な着信曲が流れ始めました。
「よ、吉澤先輩?パスです」
道重はうつろな目をした吉澤に、無理矢理に携帯を押しつけました。
呆然としていた吉澤は機械的に小川を放り捨てて、会話ボタンを押します。
- 242 名前:第6話 投稿日:2003/12/21(日) 23:33
-
「やっと出たなコノヤロー!!」
威勢のいい罵声が吉澤の鼓膜を突き抜けました。
吉澤は目をぱちぱちさせて、しばし考えた後に大きく深呼吸をして応じました。
「なんだ!!誰だ!!テメーは!」
「ハァ?……ってかそっちこそ誰よ!石川さんは?」
「かけてきた方が名乗るもんだろ!」
「ってかなんで石川さんの携帯に他人出るの?訳わかんないし!」
「こっちだって訳わかんないよ!!」
「石川さんどこ?代われよバカ!」
「んなもんあたしが知りたいよバカ!梨華ちゃんがなんだよ!どこにいるんだよ!」
「って!アンタ、なんかゼンゼンわっかんない!
あのさ、石川さんとか松浦さんとかの居場所知らないの?今どこにいるわけ?」
「松浦?梨華ちゃんの友達の隣町の?なんでここにいるの?」
「あー、もう訳わかんない超ウザイ死ね!バカ!」
ぶちっと一方的に電話は切れました。
- 243 名前:第6話 投稿日:2003/12/21(日) 23:33
-
唖然として携帯を眺めていた吉澤は、
その待ち受け画面にいつ取られたとも知れない自分の顔写真が使われているのに
気がつきました。
画面の中の自分はすました顔でベーグルを口にくわえていました。
目線はどことも知れない方へ向いていて、カメラをまったく見ていません。
そっぽを向いている自分を見ているうちに、吉澤はなぜだか心がちくちくしてきて
携帯の電源を消しました。
「う゛ーぁ゛ーだぁーーーーー」
突然、吉澤は前屈みになって頭をがしがし掻きむしります。
その背後で、亀井と田中は道重を強制連行してこっそり逃げ出そうとしていました。
- 244 名前:第6話 投稿日:2003/12/21(日) 23:34
-
「後輩ズ!」
「はいっ!!」
吉澤の号令に、三人の逃げ足がぴたっと止まります。
「お前らにサンタ狩り部隊本隊の全権限を委ねる!
何が何でもサンタ的な物を狩って期日までに提出するように!!」
吉澤の言葉に二三歩よろめいて交代した後輩ズでしたが、
ただ一人、道重だけはその場で直立浮動したまま挙手しました。
「団長ー!」
「なんだね!重さん隊長!」
「……隊長っと?!」
「うわ、さゆが隊長って……」
「団長は、任務にいそしまないのですか?」
道重の問いに、吉澤は苦悶の表情を浮かべてその場をぐるぐる歩き回りました。
「なんつーか、なんつーか、なんつーかね……
わっかんないけど、とにかくあたしは梨華ちゃん狩ってくる!」
- 245 名前:第6話 投稿日:2003/12/21(日) 23:34
-
走る。
走る。
吉澤は全力で走りました。
石川が消え去った方向へ。
ぶち当たった分岐路は本能の赴くままに進みました。
こういった暴走に関して、石川の本能と吉澤の本能は驚くほどに通っていました。
石川が吉澤の生活圏を追い過ごし続けたことによって、
吉澤の行動範囲を習得していたとも言えるでしょう。
通い慣れたファーストフードのある方向へ。
共通の友人宅のある方へ。
あの遊んだ場所へ。よく立ち話を交わした場所へ。
思い出の場所へと無意識の選択を続けるうちに、
吉澤は石川の背中を捕らえました。
「梨華ちゃぁぁぁぁん!!」
見つけた途端に叫びます。
「止まれぇぇ!梨華ちゃん止まれぇぇ!」
呪いをかけるように叫ぶと、石川も叫び返してきました。
「やぁぁ!よっすぃ来ないでぇぇ!!」
「なんで!あたし梨華ちゃんになんかしたぁ!?」
「違うっ!哀しい!哀しいのぉ!こんなんで会いたくない!」
「わっけ、わかんねぇぇぇえー!」
- 246 名前:第6話 投稿日:2003/12/21(日) 23:35
-
一体相手の何をわかっていたのだろう。
二人は互いに思いました。
今まではただ、そばにいて心地よかったというだけでした。
こうして数メートルの距離を置いて追いかけっこをしている相手が
何を考えているのかサッパリわからないのです。
- 247 名前:第6話 投稿日:2003/12/21(日) 23:35
-
「どうせ私はよっすぃのこと一番にわかってないし!」
「あああ?」
「もういい!みんな嫌い!よっすぃもクリスマスもサンタもみんなだいっきらい!」
「それは──」
吉澤は一段と加速しました。
もはや石川の体力は速度を保ち続けるための一線を越えていて、
追いつくのは時間の問題でした。
けれど吉澤はよりいっそうの加速を加えて、ぐんと石川に接近しました。
手を伸ばして、指先が肩先をかすめて、
「よくないよ梨華ちゃん!」
吉澤は地面を蹴飛ばして全身を前に投げ出しました。
──結果、石川は背中から突き飛ばされ、吉澤と一緒に宙を舞いました。
前方一回転して、ごろごろ横転して、
二人は歩道に行き倒れたまま息を整えました。
- 248 名前:第6話 投稿日:2003/12/21(日) 23:36
-
「クリスマスは楽しくないとよくないんだ」
吉澤は空に向かって呟きました。
地面に転がる二人から遠く離れるように歩いていたサラリーマン風の青年が
ちらりと吉澤の方を見下ろしましたが、すぐに彼自身の経路に戻っていきます。
見られていても、接されることはない。
この場所は開放されていながらも二人きりでした。
「梨華ちゃんまでそんな風に言うの、やだ」
吉澤の言葉に石川は押し黙っていました。
- 249 名前:第6話 投稿日:2003/12/21(日) 23:36
-
しばらくして、石川は体を起こし、
車道側のガードレールの柱にもたれるように座ります。
その様子を見て危ないな、と思った吉澤は、
立ち上がると石川に手を差し出して移動を促しました。
石川はぷいっとそっぽをむいて、
「……楽しくなくしたのはよっすぃじゃない」
「え?」
「クリスマス。楽しみだったのに。よっすぃのせいで楽しくない」
なんだかわからないまま石川に拒絶された吉澤は、
しょんぼりとうつむきました。
「……ごめん」
ここで石川が強い態度を取りつづけられるようでしたら、
二人の関係はとうの昔に違った形になっていたでしょう。
石川は意気消沈した吉澤を長く見てはいられないのでした。
- 250 名前:第6話 投稿日:2003/12/21(日) 23:37
-
「顔上げて」
石川が言うと、吉澤は人形のように従います。
「こっち見て」
吉澤のつぶらな瞳でまっすぐに見つめられて、石川は赤面しました。
「……やっぱ見ないで」
「なんで」
「私、さっきラーメンかぶっちゃったから」
吉澤はラーメンをかぶるという奇怪な行動には触れず、ただ微笑みました。
「大丈夫。あたしラーメンも好きだから」
「そういう問題じゃ……」
言いかけて気がついて、石川は吉澤を見返しました。
「も?」
「うん、餃子も好き」
「……そっちなんだ」
落胆する石川に吉澤は慌てました。
「いやでも今日はクリスマスだからローストチキンとケーキだよね?!」
「もう……」
あんまりの的外れさに石川が苦笑すると、
吉澤はほっと胸をなで下ろしました。
「よかった。なんか梨華ちゃんが笑ってくれると一番安心する」
- 251 名前:第6話 投稿日:2003/12/21(日) 23:37
-
その言葉を聞いて石川、思いついたように尋ねます。
「よっすぃは、一番の物が多いんだ」
「え?」
「ううん、なんでもない」
石川はちょっとだけ吉澤のことがわかった気がしました。
そして、吉澤の大切な物を自分も大事にしてあげようという気持ちになりました。
そうすることで、きっともっと吉澤を理解できると思ったからです。
「まずおうちに帰って、お風呂入って、着替えて──
それから、一緒にサンタさん探し手伝わせてくれる?」
石川が手を差し出すと、吉澤は嬉しそうにその手を握りました。
- 252 名前:第6話 投稿日:2003/12/21(日) 23:37
-
そしてクリスマス。
すっかり日が落ちた町中を、二人はサンタを捜して歩いていました。
すると石川の携帯がでんでろでんでろと不気味な着信曲を奏でました。
聞き覚えがある曲に、吉澤は首をかしげました。
「……誰?」
「うん。友達からのメール」
石川はイタズラっぽく吉澤を見て、
「向こうは向こうのサンタさん捕まえられたみたい」
「え?マジ?」
目を丸くする吉澤に石川はクスクス笑いました。
- 253 名前: 投稿日:2003/12/21(日) 23:38
-
ホワイト・スクランブル・フィルムズ
第6話「キャッチ・ミー Eve ユー・キャン」 >>212-252
- 254 名前:◆Xmas/DoM 投稿日:2003/12/21(日) 23:39
- では、また明日。
- 255 名前:第7話「サンタがくれた時間」 投稿日:2003/12/22(月) 23:26
-
クリスマスの街に吹き抜けるは師走の風。
去って行く先輩の後ろ姿を見つめながら、三人は呆然と立ちすくんでいた。
道重だけは何故か笑みを浮かべていたが。
- 256 名前:第7話 投稿日:2003/12/22(月) 23:26
-
「じゃあ、あたし帰るから」
「えー、サンタはぁ?」
道重の呼びかけに、田中は数歩歩いてから立ち止まった。
「サンタなんて街探したっていない。だってあたしがサンタだ」
そう言うと田中はすごくくだらなさそうに歩き出した。
慌てて二人も後を追いかける。
「あー早くクリスマス会の準備しなきゃ」
れいなの頭の中にあるのは既に孤児院でのこと。
孤児院の中で年長さんな田中は、毎年クリスマスにはサンタさんの役をする。
今晩に迫ったクリスマス会のために、孤児院に帰った後は準備があるのだ。
ちなみに今は、大人たちがせっせと準備を進めているはずだ。
- 257 名前:第7話 投稿日:2003/12/22(月) 23:27
-
「わーいれいなサンター!」
道重はさっきまでサンタ探しにこだわっていたのに、いつのまにかはしゃいで田中の後を追いかけている。
亀井は、はぁ、と深く溜め息をついて、二人を呼び止めた。
「吉澤さんに怒られちゃうよぉ……」
すると、田中の足がぱたりと止まる。
それを見た道重が「れいなぁ?」と不審そうな声をあげた。
「えり……」
田中が、ポツリと声を出す。
「サンタ、探そっか……」
「うん!」
田中の言葉に、亀井は何故か嬉しそうにくすぐったそうに微笑んだ。
終わるはずだった空白の時間が、ゆっくり動き出す。
- 258 名前:第7話 投稿日:2003/12/22(月) 23:28
-
三人は行く当てもなく街をぶらぶら歩いた。
通りを眺めるとクリスマス名物のいちゃついたカップルが、歩道全体を占拠している。
走り抜ける車も、今日はどこか忙しない。
「あーあ、今ごろは家でゆっくりしてるはずだったのになぁ……」
さっきまでと言ってることは違ったが、さっきまでと同じようにふて腐れて田中が言った。
「まあまあ」
亀井は何故か相変わらずに嬉しそう。
すれ違うカップルを羨ましそうに目を細めて見送った。
- 259 名前:第7話 投稿日:2003/12/22(月) 23:29
-
そんな中、道重だけは何を考えてるのかわからない行動を繰り返していた。
いきなり走り出したり、店の中に入ったり、自動販売機の下を覗いたり……。
二人ともうずうずしながら、お前が聞けよ、えやだよあんたが聞きなよ、などと目配せをしていたのだが、
ついに亀井が折れてしぼり出すような声音で言った。
「何してるの……?」
すると前を走っていた道重の足がぱたりと止まり、にっこりと笑いながら振り向いた。
「楽しいね。かくれんぼみたい」
その言葉に、田中と亀井は無言のまま視線を交し合う。
「えっと……さゆ?」
次に言葉を発したのも、やはり田中ではなく亀井だった。
「別にサンタは隠れてるわけじゃなくって」
「だからあたしがサンタだって」
これまたもはや、条件反射のように田中が言う。
しかし道重は変わらずににこにこしたまま、
「れいなだってサンタになれるんだし、もっとすごいサンタがこの街にいるんだよ」
と言った。そして、通りを駆け出す。
- 260 名前:第7話 投稿日:2003/12/22(月) 23:29
-
「すごいって……」
亀井はぎこちなく笑って、れいなを振り返る。
「えり、さゆはほっとけ……」
田中は大きく溜め息をついて、走っていく道重を見送った。
亀井は少しの間おろおろと両方を交互に見ていたが、はたと思いついたように田中の手を握ると、
道重を追いかけて駆け出す。
「ほら、見失っちゃうよ!」
「いや、それならそれでいいっちゃけど……」
ままんに手を引かれる子供のように、田中はずるずるとクリスマスの街を走り抜けていく。
- 261 名前:第7話 投稿日:2003/12/22(月) 23:30
-
どこまで追いかけっこになるだろうと田中は思っていたのだが、意外にあっさり道重は立ち止まっていた。
見覚えのあるコンビニの前。フククス。
「さゆ、どうしたの?」
亀井が道重を覗き込むようにして言う。
田中は不意に嫌な予感がした。まさか、とは思ったが、ありえないとも言い切れない。でも、まさか……。
「あのねあのね」
道重はいつになくはしゃいだ調子で言葉を続ける。
「ここにサンタがいる気がするの!」
「いるわけなかとっ!!」
思わず田中は突っ込んでしまう。
そして、やっぱり、と思った。
「でも、ちょっと入ってみない?」
亀井がはにかみながら言う。
「ちょっと疲れたし、せっかくだからジュースでも買おうよ」
「ふむ」
- 262 名前:第7話 投稿日:2003/12/22(月) 23:31
-
田中はしばし思案する。
サンタなんていっこない。だってあたしがサンタだし。
しかし道重はサンタが見つかるまでサンタを探すだろう。
となると、ここで休憩しておくのはいいことなのかもしれない。
大好きなおねーさんもいることだし。
「よし、さゆ、中を調査して来い」
「おー!」
田中の言葉に返事をするや否や、道重はコンビニの中に突撃する。
二人も「寒いですなー」などといいながら、コンビニの中へ入る。
「あれ、さっき窓ガラス割れてなかったっけ」
田中は首を傾げながら、「そーだっけ?」と返す。
その間にも道重は着々と店内を物色していた。
うまい棒、酢だこさん、コアラのマーチ……。手当たり次第に買い物かごに入れていく。
「あ、おねーさんだー!」
どうやら入ってきたときから三人の存在に気付いていたらしく、店員は道重の声にびくっと顔を強張らせた。
「また来たの……?」
しかしすぐにいつものポーカーフェイスになり、呆れ顔でそう呟く。
田中もペットボトルのなっちゃんを手にとり、道重の後ろへ並んだ。
- 263 名前:第7話 投稿日:2003/12/22(月) 23:31
-
すると、小川、と名札の着いた店員が、隣りのレジに入った。
「よろしければこちらのレジもどうぞ!」
やけにオトコマエにしゃべった彼女のあごは、とても凛々しかった。
しかし、田中は彼女には目もくれず、亀井は気の毒そうな視線を小川に送った。
「福田さーん、これおごってー!」
「アホか!」
田中はにこにこしながら福田をからかい、福田も冗談だと知りつつ、つい突っ込んでしまう。
それを見ながら、小川はだらだらと滝のような涙を流していた。
「オゴルヨー。オゴルヨー」
しかしそんな言葉も田中には届かず、田中は「けちー」と笑顔で悪態をつきながら、福田にお金を支払った。
結局何も買わなかった亀井に、道重がそっと耳打ちする。
「ねえ、あの店員さん泣いてるよ」
「色々あるんだよ……」
亀井はそう苦笑いで返すと、田中が戻ってくるのを待ってフククスを出た。
- 264 名前:第7話 投稿日:2003/12/22(月) 23:32
-
その後も三人は街を駆け回った。
駅の北にある美容室「ラブマ」まで走った後、はしゃぎ続ける道重に付き合わされ、
再び駅を渡って、市民会館近くの公園まで戻った。
この公園は、この街の名士が作ったもので、新垣公園と呼ばれていた。
その頃にはさすがの道重も疲れていて、ぜえぜえと息を切らせながら、ベンチに腰を下ろした。
- 265 名前:第7話 投稿日:2003/12/22(月) 23:33
-
「サンタいないなぁ」
二人は何を今さら、と思っていたのだが、道重が本気でがっかりとしていたので何も言わないでおいた。
「サンタどこにいるのかなぁ」
「だからあたしが」
「それっぽいものっていうか、吉澤先輩が満足するもの持っていかないと……」
「もうカーネルのおっさんでいいって。赤い服着せときゃばれないから」
収拾のつかない中、道重が突然、ぽん、と手を叩いた。
「れいなをサンタにしてー」
「やだ」
「……」
ばっさりと切られた道重が落ち込んで、田中はそっぽを向いている。
亀井は二人の間に座りおろおろしていたが、しばらくして目の前を赤いものが通り過ぎた。
サンタが目の前を駆け抜けていく。
一瞬だけ見えた中の人は、ショートカットの少女のようだった。
「サンタきたー!」
田中が大声で叫ぶ。 それに気付いたサンタはびくりとして顔を隠し、今三人が辿ってきた方、
つまり駅の北側へと走って逃げていった。
「えり、追いかけるっちゃよ!」
「まかせて!」
「サンタだー!」
- 266 名前:第7話 投稿日:2003/12/22(月) 23:34
-
駅には運良く電車がきていて、サンタは踏み切りで立ち往生していた。
しかし、後少し、というところで踏み切りが開いてしまう。
「あー!」
三人の足も自然と速まる。
どんどんどんどん加速していく。
そしてこけた。
「いたぁい!」
「さゆ!?」
道重は半べそで打ち付けた足を擦っている。
「仕方ないなぁ……」
そう言うと、田中はそっと手を差し出した。
「ほら捕まりな」
「……れいな」
「ほら、早く」
「……うん」
道重は照れくさそうに、その手を握る。
「あーあ、もうちょいやったのに」
れいなもそれにつられてか、照れくさそうに笑って言った。
「れいなが足遅いからー」
「何いっとー! さゆが遅いからやろが!」
「何いっちょー! れいなの方が」
「もう、わかったから……」
亀井が疲れたように呟き、それでも顔は心なしか微笑んでいるように見えた。
- 267 名前:第7話 投稿日:2003/12/22(月) 23:34
-
辺りは既に闇に覆われている。
三人にも門限というものはあって、こんなに遅くまで外にいることはほとんどなかった。
時刻は既に、門限の時間を越えている。
「もうこんな時間だし、そろそろ帰ろ」
「……そうだね」
田中の言葉に、亀井は少しだけ残念そうに答えた。
そして、ほうっと溜め息をついた。
「でもさ……」
田中がぽつりと呟く。
「こんな時間まで外にいたの、結構久しぶりかも」
「久しぶりー」
そう言って、三人そろって伸びをする。
冬の凛とした空気が、三人の頬をぴりっと引き締める。
そして、彼女たちの目が、同時に街の景色に向けられた。
視界一杯のイルミネーション。
「あー今年もやってたんだぁ」
田中は満面の笑みを浮かべて、幻想的な光の世界に見入る。
二人も田中につられるようにして、光の中に身を浸した。
- 268 名前:第7話 投稿日:2003/12/22(月) 23:35
-
「あれ、ガキさんとこの子じゃない?」
ぼうっと見惚れている三人の下に、こちらもまた同じく三人の少女がやってきた。
田中はどこかで見たことがあるなあとしばらく考え、新垣の友達だったということを思い出した。
視界の隅の方には、ショートカットの少女が頭から湯気を出しているのが見える。
「あのーりさちゃん何処に行ったか知ってますかね」
ふぐっつらの少女が不安そうな表情で話し掛ける。
どうやら田中が怖いらしい。
「山です」
田中はぶすっとしたままだったが、亀井がニコニコと愛想よく答えた。
「「山!?」」
先輩三人はそろって声を上げ、後輩三人はその声を聞いてくすくすと笑った。
- 269 名前:第7話 投稿日:2003/12/22(月) 23:36
-
三人は新垣を探していたらしく、疲れた顔を一層疲れさせて、夜の街に消えていった。
再び、三人だけになる。
三人は思い出したように空を見上げ、空を覆うように輝く光の海に見入った。
それに引き寄せられるように、道重がふらふらと歩いていく。
田中もその場にとどまったまま、視線を動かしはしなかった。
- 270 名前:第7話 投稿日:2003/12/22(月) 23:37
-
亀井が視線をおろし、チラリと目線を田中に向ける。
そして、鞄から綺麗に包装された包みを取り出す。
「はいこれ」
「……え?」
その包みは田中に手渡された。
田中は何度も、亀井とその包みを見返す。
「毎年れいなあげる側だから。いつもお疲れさま」
そう言って、亀井ははにかむようににっこりと笑った。
田中の頬は寒さのせいか、ほんのりと赤らむ。
「二人きりになれてよかった」
ぼそりと呟く。
「え?」
その言葉に田中が顔を上げる。
「さっきのサンタさんのおかげだね」
今度こそ、寒さではない赤さが田中の表情を彩り、亀井もまた同じく、頬を朱色に染めた。
照れくさそうに微笑む亀井の目は潤んでいて、田中は思わず、からからの喉につばを流し込んだ。
田中が、一歩、亀井に近づく。
亀井は、もう一度笑って、ゆっくり瞳を閉じた。
- 271 名前:第7話 投稿日:2003/12/22(月) 23:38
-
「あーー!!」
遠くから道重の声。
ビクリとする田中をよそ目に、亀井は目を開け、ちろりと舌を出す。
「なにしちょー!」
遠くでぴょんぴょん飛び跳ねながら、道重は必死に叫んでいた。
それを見ていると、慌てていた田中の口元にもうっすらと笑みが浮かぶ。
「さゆのとこにいこっか」
「だねー」
「あーあ、やっぱりサンタさんはみんなに平等なんだね」
亀井は両手を腰に当て、伸びをする。
田中はそんな亀井をチラリと見て、その手を取った。
「そこまで、一緒にいこ」
亀井は一瞬だけ黙った後、にっこりと微笑む。
「……うん!」
二人が道重のもとにたどり着くまでの数十秒、その手はずっと握られていた。
- 272 名前:第7話 投稿日:2003/12/22(月) 23:38
-
「もう、ほんとにえりは油断ならん」
道重はぷんすかしながら、二人を引き連れて夜の街を歩く。
二人はその姿を見てクスクスと笑う。
イルミネーションの灯かりが三人の影を伸ばした。
- 273 名前:第7話 投稿日:2003/12/22(月) 23:38
-
「そうだ、わたし、れいなにプレゼントあるんだ」
「さゆが? あたしに?」
「うん」
そう言って、道重は背中から大きな手持ち鏡を取り出した。
鏡には巨大な道重の写真。
「ほら、これで毎朝わたしが見れる」
「それって鏡の意味ないんじゃ……」
亀井はそんな二人のやり取りを見て思わず吹き出す。
もしかしたら自分は急ぎすぎていたのかもしれない。
そんなことを思いながら空を見上げると、星がとても綺麗に見えた。
- 274 名前: 投稿日:2003/12/22(月) 23:39
-
ホワイト・スクランブル・フィルムズ
第7話「サンタがくれた時間」 >>255-273
- 275 名前:◆Xmas/DoM 投稿日:2003/12/22(月) 23:40
- 残り2話。
- 276 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/23(火) 00:02
- 心なしか雰囲気が…。
あと2話、楽しみに待ってます。
- 277 名前:第8話「スチームガール」 投稿日:2003/12/23(火) 23:17
-
カランカラン。
乾いてよく通る鐘の音。
まさかこれが始まりの合図だったなんて、この時の藤本美貴は知る由もなかっただろう。
- 278 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:17
-
12月24日。朝。
ませた表情を作って、藤本は喫茶店の扉を引いた。
店内はいつものように若い女性客しかいない。
内装もそうだが、この店はメニューから雰囲気、音楽まで全てが女性向けに作られている。
客は誰かとの待ち合わせ、約束の時間までの時間潰し、
大方そういった目的でここを利用していて、
いくつかあるテーブルにはそれぞれ手持ち無沙汰の女性が腰かけていた。
藤本も、友人との待ち合わせの為にここにやってきていた。
体のラインがくっきりと浮かぶ、タイトなデザインの赤いロングコートの襟を正して
藤本は店員の応対を待つ。傍から見てカッコイイ女に映るのだろう、ちらちらと視線を感じる。
やがて案内されるまま店員が導く席に腰かけようとした時だった。
反対側のテーブルから不意に声をかけられた。
甲高く、アニメの声優さながらのウザイ声。藤本には聞き覚えがあった。
- 279 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:18
-
「藤本さん?」
「・・・石川・・さん?」
お互いが首をかしげた。
高校のクラスメイトである石川と藤本は仲がいいわけではなかった。
石川のグループと藤本の価値観とはまったく持って合わず、クラス内でも
お互いが不干渉のまま今に至っている。
だって、全身がピンク色でも平気な顔をしている奴だ。
どう考えたって合うはずが無い。
とにかく、休みの日に会いたくはない相手だった。
「奇遇だね。おはよう」
「そうだね。おはよう」
社交辞令のような挨拶を交わして藤本は前に向き直ろうとするが、石川がそれを制す。
すると藤本は、一瞬だけだが、不快そうに眉を寄せた。
正直すぎる性格は悪いわけではないのだが、笑顔だった石川はすっかり強張ってしまったようで。
- 280 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:18
-
「ま、待ち合わせ?」
「そうだけど・・・何?」
「あ、いや、私もそうだから、待ち合わせの時間まで何もすることないんだったら、ここ座らない?」
「ヤダ」
と、藤本は言えなかった。
とりあえず、断る理由がない。
まあ、仲良くはないけど嫌いってわけでもない。気持ち悪かったが。
そういう曖昧な関係だったし、もしかしたらこれを機会に仲良くなれるかもしれない。
これは数少なかった友達を増やすチャンスだ。クリスマスに神様がくれたプレゼントなんだ。
なんて可愛らしいことを考えるほど藤本は可愛らしい思考回路を備えていなかった。
あくまでとりあえず、オーケーする。
「別にいいけど」
- 281 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:19
-
四人掛けのテーブルに向かい合って座る。
藤本は石川とは目を合わせようとせず、紅茶を注文するとそのまま肘を付いて
窓外の景色を見るわけでもなく見ていた。
何となく漂う気まずい空気。会話はない。
こういうのに慣れっこだった藤本は別段、気にしてはいないのだが、
石川には耐えられなかったらしい。
「あー、あのさ、もしかして彼氏と待ち合わせとか?」
とりあえず話題が欲しくて、石川はご機嫌をとるような話し方をする。
「いや、普通の友達」
「そうなんだ」
「そっちは?」
「・・・まあ、いちおう、その、恋人、かな?」
かな?
って何でこっちに訊いてくるんだよ。惚気るんなら他でやれ。
なんてえげつないことを心中でぼやきつつ藤本は、そうなんだ、と素っ気無い返事をする。
確かに石川は、服装はさて置き、容貌は間違いなくかわいいし、クリスマスなんだから当然か。
そんなことを藤本は自分に言い聞かせ、何となく自分を納得させる。
すると、なんで納得させないといけないんだよ、と心中でツッコミを入れた。
藤本には生まれつきツッコミ癖があった。
- 282 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:19
-
「藤本さんだったらすぐに恋人作れると思うけどなー。美人だし、スタイルいいし」
「あんまり興味ないんだ。別に困ってないし」
そう興味無さげに言った時だった。
カランカラン。
誰かが入店してきて、藤本はふと視線を遣る。藤本の位置からは入り口が正面にあった。
そしてその入店してきた人物を見た瞬間、口につけていたカップを落としそうになった。
目を見開く。
ベージュのピーコートにバーバリーのスカート。
こげ茶色のロングブーツに、マフラーと手袋は赤で合わせていた。
片手にピンク色の小さな紙袋を持っている、それはいかにも女の子って感じだ。
そう、女の子なのに、どうしてこんなに胸が高鳴ってるんだ、と藤本はまた自分にツッコム。
そのままジッと見てると、目の前の石川が怪訝そうに首をかしげた。
- 283 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:20
-
「どうしたの?」
「あ、アチ、・・・・いや何でもない」
放心して、唇を思わず火傷しそうになった。
それにしても世の中にはあれほど整った顔をしている女もいるものなんだ。
へんてこな理由で妙に感心している自分をツッコミつつ、その少女の動向をさり気なく窺う。
少女は店員に笑顔で応えると、こちらの方に向かってきた。隣の席は幸い空いている。
もしそこに座るんだったら、嬉しいかもしれない。
何で嬉しいんだよ、と藤本は心中で自分をツッコミまくる。
そして少女はこのテーブルを横切ろうとしたところで、止まった。
- 284 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:20
-
「あれ?もしかして石川先輩ですか?」
声で石川は振り向く。
「亜弥ちゃん!」
と、石川が甲高い声で呼んだのはテニス界で10年に一人の逸材との呼び声高い、
天才、松浦亜弥だった。
石川とは中学の時の先輩後輩の関係で、今では石川なんぞでは相手にならないほどの
実力を持ち、一年生ながら隣町にある強豪校のエースとして活躍していた。
テニスでは差がつきまくっているのだが、仲がいい関係はそのままで、
いまだに二人は頻繁に顔を合わせている。
- 285 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:21
-
「こんな所でおはようございます」
「誰かと待ち合わせ?」
「いや、病院にちょっと用があって。まだ早いからここで時間潰そうかと」
「それだったらここ座らない?別にいいよね、藤本さん?」
と、藤本に返事を求める石川。
松浦も、藤本に視線を向けた。目が合う。藤本の胸は弾んだ。
「じゃんじゃん座っちゃって!」
という心の声は表には出なかった。
「じゃあ美貴は出るよ。なんか二人知り合いみたいだし」
きっと幼少の頃の何らかの体験が藤本をこんな素直じゃない子に
育て上げてしまったのだろう、藤本はコートを手に取るとさっさと席を立とうとする。
一気に冷める場。空気が読めない人というより、ワザと嫌がらせをしている感じだ。
- 286 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:21
-
「ああ、待って待って。なんだか悪いよ・・・私が誘ったんだし」
「悪くない悪くない。美貴も用事あるし」
「でも、ここで待ち合わせしてるんじゃないの?」
不安そうに眉根を八の字にしている石川に痛いところを付かれて
藤本は必死に言い訳を考える。が、
「・・・・・・」
立ち上がったまま、固まってしまう。頭が回らない。
ただここで、じゃあまだいるね、何て言ってしまったら完敗じゃないか、と
藤本は意味不明な理由で引き下がる訳にはいかなくなっていた。
そのくせ、何に負けるんだよ、とすぐに心中でツッコムところ、もう救いようが無い。
- 287 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:22
-
「あの・・・私が原因だったら、私、席移りますけど・・・」
立ち上がったまま固まっていた藤本を不憫に思ったのか、松浦がか細い声をかけた。
それで藤本のナニカが解放されたらしい。自分の意思に反して勝手に言葉が出る。
「ダメ」
「え?」
「美貴はやっぱりここにいなければいけない気がしてきたから、ええと・・・名前なんだっけ?」
「・・・ま、松浦ですけど」
「その、松浦さんもここに座ろう」
「・・・いいんですか?」
「当然。石川さんもいいよね?」
何を言ってんだこの人は、と思ったのは藤本を含めここにいる全員だった。 しかし、まだ藤本と親しくなかった石川はただ頷くことしか出来ない。
「うん・・・いいと思う」
そんなこんなで松浦はやっと石川の隣に腰かけた。
その後自己紹介を何とかこなし、藤本は顔に出さず、ホッと一息つく。
- 288 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:22
-
最初、石川松浦はともに藤本のとんでもないキャラクターに辟易していて
口数が少なかったのだが、だんだん藤本が目に入らなくなってきたらしい、
二人はテニスの話題で盛り上がり始めた。
「最近、サーブのフォームが安定しないんですよ」
「そういうのは早いうちになおした方がいいよー。癖になったらずっと響くし」
「次の大会は春だし、それまでになおればいいんですけど」
「春かぁ。もう今年も終わりなんだよねー」
「そうですね。もしかして今日は吉澤さんと会うんですか?」
「ふふふ・・・わかる?」
「だって、服装めっちゃ気合入ってますから」
- 289 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:23
-
あはは、あはは、と笑い合う二人。
蚊帳の外に放り出された藤本は肩肘ついて手に顎を乗せ、窓外の方ばかり見ていた。
ちくしょー、二人で盛り上がりやがって、と、心中でぼやく。
ぼやいた所で、暗号のような会話を交わしているのでどうにもついていくことが出来ないし、
会話に無理やり入っていくような積極さも大胆さも藤本には無かった。
とりあえず、紅茶のおかわりを頼む。
藤本には紅茶を頼まなければいけない、確固とした理由があった。
藤本は紅茶のカップを置いたり取ったりする度に、松浦の顔をチラリと見ていた。
ジッと見ているのは不自然だし、外に顔を向けている状態を続けていたし、
松浦の顔を見るにはこうするしか手が無かったのだ。
普通に見ればいいじゃないか、と藤本は自分にツッコムが、意味不明のプライドが
許さなかったらしい。
- 290 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:23
-
そしてかれこれ四杯目を口にしていた時、松浦とばったり目が合った。
お互い目が合ったまま、逸らさない。
心臓が爆発してしまいそうなくらい高鳴ってきた藤本はそのまま固まってしまう。
自分自身がこれほどまで『うぶ』だったことに今更気付いたようだった。
「あ、あの、藤本さんは今日、これから待ち合わせなんですよね?」
このまま何も声をかけなかったら妙だと思ったのだろう、松浦は無難な話題を振る。
「そうだけど」
素っ気無い言葉で突き放す藤本。ある意味カッコイイ。
「・・・あの、何か嫌なことあったんですか?」
松浦がそう訊ねるのは当然だった。藤本は不機嫌そうに外ばかり見ていたからだ。
しかし当の本人には思い当たる節が見つからなかった。
むしろ、松浦と知り合いになれて胸が躍るような気分だった。
- 291 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:24
-
「・・・嫌なこと・・・」
真剣に考え始める藤本。
何なんだこの人は、と松浦と石川は思う。
そこで、タイムリミットがやってきた。
「あっと・・・私、そろそろ行きます。今日はどうもありがとうございました」
さっさと立ち上がって、丁寧にペコリと頭を下げる松浦。
可愛らしすぎる、と藤本は感動しつつ、
「お疲れ」
冷たい一言。
この瞬間、藤本は一種の自己嫌悪に陥った。
冷たい声色で、お疲れ、と言ったのに、松浦が笑顔で、はい、と答えたからだ。
その健気さが藤本の良心っぽい部分を揺さぶったらしい。
こんなことなら最初から優しく接すればよかった、と思う自分を更に嫌悪する。
対照的に、石川は明るい声を松浦にかけた。
「亜弥ちゃん、また連絡するから。今日は付き合ってくれてありがとうね」
「はい。それじゃ失礼します」
「チャオ〜」
「もう、それやめてくださいよ」
あはは、あはは、と笑い合って去る松浦。
石川のおかげで後味は悪くならなかった。
それでも藤本の罪悪感は募るばかりで留まらない。
後悔先に立たずとはよく言ったもので、藤本はそれを今身にしみて感じていた。
- 292 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:24
-
そして、また二人になった。沈黙が場を支配する。
藤本は松浦のことをもっと知りたくて、石川にどうやって上手い具合に
そういう話題に持っていこうか必死に考えるが、どんなタイミングで仕掛けても
不自然な気がして、結局踏み込めない。
それからポツポツと短命な言葉を交しつつ、20分経った。
「・・・藤本さんゴメンね。なんだか二人で盛り上がっちゃって」
「そうだね」
「・・・」
また沈黙か、と石川が半ば絶望しかけた時、藤本は勇気を振り絞った。
「ところでさ、さっきの子、松浦?さんだっけ?」
白々しく名前を忘れたふりをする藤本。
「うん。一個下の松浦亜弥ちゃん。すっごいテニス上手なんだ。私なんて足元にも及ばないくらい」
「そう言えばさぁ、病院行くとか言ってなかった?」
それがどうしても気にかかった。クリスマスに病院。よっぽど訳アリに違いない。
- 293 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:25
-
「あー言ってた。理由きかなかったね」
「どっか悪いのかな・・・」
「心配?」
「そ、そんなんじゃなくてさ。クリスマスなのにかわいそうだなーって」
「うん・・・あれ?」
と、テーブルの下に、何やら小さな紙袋が置いてあるのに石川が気付いた。
手にとって、テーブルの上に置く。
「これ、亜弥ちゃんのかな・・・」
「そうだ。入ってきた時持ってたし」
「うわぁ、どうしよう届けなきゃ」
石川はあたふたと携帯を出して松浦にコールする。
しかし、繋がらない。
通知によると電波が届かないところにいるか、電源を切っているらしい。
- 294 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:25
-
「病院って携帯使ったらダメじゃなかったっけ?」
「ああ、そうなのかな・・・どうしよう。私、行ってくるよ」
「恋人は?」
藤本は間髪いれずに問う。
行かせてたまるか、と、藤本の頭は冴えまくった。
「・・・」
「はぁ・・・ったく。あたし、行こうか?」
「ええ!?」
「美貴が待ち合わせしてんのは昼過ぎだし。時間はあるし。別にいいよ」
藤本は、しゃあないな、というオーラを出しつつ、内心では松浦とまた会えるチャンスが
出来たことが嬉しくてたまらない。
「本当に!?」
「そのかわりちゃあ、何だけど、紅茶代払っといて」
「うん!それくらいだったら全然いいよ!」
この時、藤本が五杯も飲んでいたことに石川は気付いていなかった。
- 295 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:26
-
「じゃあ、届けたら電話するよ。番号教えてくれる?」
「もちろん!」
そうして実に半年振りに番号交換なんてことをして、藤本はコートを羽織る。
迷いは無かった。自分は、松浦に一目惚れしてしまったのだ。
この時ばかり、藤本は自分をツッコマなかった。それは真実だった。
石川にそっけないバイバイをすると藤本は顎を上げて、颯爽と店を後にする。
外に出た途端、空っ風が吹いてマフラーを深く巻いた。
どこからかクリスマスソングが聞こえてきて、今日という日の意味を再認識する。
クリスマスにパシリか。と、悲観的に考えてみるが、ただのパシリとはわけが違う。
仕事が完遂できた暁には最高のプレゼントが待っているのだ。藤本は意気込む。
- 296 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:26
-
病院はここからすぐの所にあって、街の東西通りの北側に位置している。
時間にして15分といったとこだろう。
思い切り走れば、5分もかからないかもしれない。
藤本は可愛らしいピンクの紙袋を眼前まで持っていき、フウ、と溜息を一つつく。
早く会いたくてたまらなかった。
生まれてこの方これほどまで人を恋しいと思ったことはない。
最後に見せた松浦のあの笑顔は偽りだ。謝りたい。謝って番号交換したい。ついでに住所とか。
そんなことを考えていたら自然と体が動き出していた。
最初は早足でスタスタ歩いていたのだが、だんだん体にエンジンがかかってくる。
衝動を抑え切れなくなって、足を前に突き出し、大きく地面を蹴った。
走る。駆けた。気付けば全力疾走に近い速度を出していた。
その原動力は松浦という名のガソリンである。
- 297 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:27
-
いくつかの細かい路地を抜け、東西通りに抜ければ後は一本道だ。
藤本はとりあえず、少しでも早く松浦と再会する為に休むことなく走り続けた。
人ゴミを縫い、ときおり誰かにぶつかったりしてそれでも藤本は止まらなかった。
そんな藤本に擦れ違う人は決まって不可解な視線を向けてくる。
―――どうしてこんなおめでたい日にあの人は突っ走らなければいけないんだろう、
きっとふられたんだね、かわいそう、ひもじいね。
そんな表情を、藤本に気付いたクリスマスの街を楽しんでいる人達は一様に浮べていた。
しかし藤本はそんな視線など全く気にしない様子で突っ走った。
すると不思議なもので、体は疲労を感じることはなく、
なにやら味わったことがない気持ちよさに包まれた。
マラソンランナーが感じるナントカってヤツだろうか。とりあえず気分がいい。
クラブ活動には参加してなかったし、運動会やら体力測定なんかは決まって
適当をかましていたから藤本自身、こんなに体力があるなんて思ってもみなかった。
- 298 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:27
-
そんなこんなで時間にして5分ほどで病院についた。
さすがに門のところで一旦落ち着き、走ったせいで乱れた身なりを整える。
その最中だった。急な運動の疲れが一気に藤本に襲いかかった。
息が苦しくなって、膝に手をついて、藤本は思わず腰を曲げた。
それから口を目一杯開けて、大きく呼吸を繰り返す。
病院から出てきた人やら入っていく人はそんな藤本を見て、気の毒そうに表情を曇らせていた。
一段落したところで藤本は病院に入った。
受付を通り過ぎ、待合室で松浦を探してみるがいない。
ちょうど今診てもらってるのか、と思って藤本は空いていた革の椅子に腰掛けて松浦を待つ。
待ってる間、リノリウムの床を思い切り踏みつけたり、爪先でトントンと蹴ったりして
気持ちを落ち着けようとするが、落ち着かない。
松浦に早く会いたいが、会ったところで喫茶店のような冷たい自分が出てこないか心配だった。
そして10分、15分と経ったが一向に松浦が現れる気配はしない。
診察室はすでに二人ほどが入れ替わっている。
- 299 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:27
-
もしかしたら、とっとと診断が終わって帰ったのかもしれない。
そう思った藤本は病院を出て石川に電話をかけてみる。
松浦は忘れ物に気付いて戻ってきてるかもしれないし、石川なら松浦の電話番号を知っているから、
もし松浦の居場所がわからなくても電話してもらえばすぐに落ち合えるはずだった。
しかし。
「トゥルルルルルルル・・・・ブツ・・・ツーツー」
ワンコールした後、突然ぶち切られた。
「ハア?」
思わず携帯にガンを飛ばす。
ガンつけたところで石川が出てくるわけもなく、
もう一度リダイヤルをして石川のウザイ声を待つが・・・
「オカケニナッタ電話番号ハ現在・・・」
「ちょっと待ってよ・・・何ブチってんだよ!あの地黒!」
携帯に向かって怒鳴りつける。
そのドスの利いたよく通った声に、病院の周辺にいた人々は何事かと不審な視線を向けてきた。
――あんな子がねえ。重い病気なんだよきっと。おかあさんーあの人何ー?見ちゃダメ!
- 300 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:28
-
藤本は眉を寄せて途方にくれる。苛立ちよりも脱力感が勝った。
まさかこんなメンドクサイ事態になるとは思わなかった。
石川には何か償ってもらうとして、この状況で松浦とどうすれば会えるのか。
「戻るか・・・」
とりあえず喫茶店に戻るしか思い浮かばない。
もしかしたら松浦は忘れ物に気付いて店に戻っているかもしれない。
もし、石川がまだ店にいるんだったら、好都合だ。ガツンと言ってやる。
とにもかくにも道は一つしかなかった。戻る。それがやたらと億劫に感じた。
行きとは違い、藤本はトボトボとめんどくさそうにゆっくり歩いた。
熱くなって走ったのがバカみたいだ。一人で興奮して、まるでサルじゃん。
サルって言うか、ピエロだねピエロ。つーかどっちでもいいって。
ブツブツと自分をツッコミつつ、藤本は歩く。
もし、行きと同じように走っていれば、この話は間もなく終わっていたのに。
―――
- 301 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:28
-
「ああ、あのお客さんならもう帰られましたけど・・・」
「やっぱり・・・何時ぐらいに出てったか覚えてますか?」
「20分くらい前でしょうか。血相変えてなんだか慌ててたみたいですけど」
きっと恋人と何かあったんだろうな、と思いつつ藤本は続ける。
「じゃあ、あの、その前に最初三人いたの覚えてます?」
「はい。そう言えば、最初に出て行った子はつい5分ほど前に見られましたけ・・・」
「詳しく聞かせてください」
店員さんが言い終わる前に、ぐいっと顔を近づけて眉間に皺を寄せる藤本。
その藤本の気合の入りように店員さんは思わず尻込みしてしまう。
「な、なんか忘れ物されていったみたいで、席の付近調べてたみたいでした・・」
「どんな様子でした?」
「かなり慌ててるようでしたけど・・・大切なものだったんでしょうか・・・」
「慌ててた・・・きっかり5分前ですか?来たのって」
「はい、5分です。正確には6分かも・・・」
「ありがとうございます。色々と迷惑かけました」
- 302 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:29
-
そう言って深く頭を下げると、藤本は慌ただしく店を後にし、そのまま宛も無く駆け出した。
5分。それくらいなら松浦はまだこの近辺にいる違いない。
どこかにいるとして、どこだ。推理したって街は広すぎて巡り会う確率なんて皆無に等しいだろう。
それでも藤本は必死に頭を回転させてその僅かな可能性に賭けた。
もし、松浦と同じ立場だったらどうする?
そう思った時、藤本は持っていた紙袋の中身が気になった。足を止める。
「これの価値にもよるか」
もし、しょーもない物ならさっさと諦めて帰るかもしれない。
しかし、もしこれがどうしても今日必要な物だったら、出来る限り探すに違いない。
「ごめん・・・見ちゃう」
一応、袋に謝って中を覗いてみる。
入っていたのは袋の半分くらいの大きさのプラスチック製の箱が一つと、二つのカプセルだった。
そして藤本が気になったのはカプセルの方だった。
「これ、薬?」
- 303 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:29
-
その瞬間、藤本は稲妻にうたれたような衝撃を覚え、悟った。
脳内で妄想が核分裂もびっくりなスピードで膨らんで行く。
クリスマスに病院に行くほど松浦は重い病気にやられている。
店員さんによると松浦は慌てていた。そこから導き出される答えは一つ。
つまり、一定時間内にこの薬を処方しなければとんでもない事態になってしまうのだ!
藤本は焦った。松浦の命に関る問題じゃないか。探さなくては。
だが、この藤本の焦りのせいで事態は勝手にとんでもない方向に行ってしまうことになる。
普通に考えてみて、もし松浦にその薬が必要だとして、それなら病院に行けば済むことだ。
病院で用を済ませたなら松浦はいずれは家に帰るだろう。
それならバスターミナルで待てばいい。隣町へ行きたいならバスが一番効率的だからだ。
- 304 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:30
-
しかしパニクった藤本は宛も無く走り出し、走りながらアホ丸出しな推理を展開した。
とりあえず松浦は石川がこの紙袋を持っていると思ってるだろう。
だからきっとこの街のどこかにいるはずの石川を探すに違いない。
石川。地黒。アニメ声。そんなことはどうでもいい。
店員さんによると、石川は恋人と待ち合わせしてたのに20分ほど前に血相変えて出て行った。
ブチられたのか、会う場所が変わったのか、
普通に考えてクリスマスに約束破る恋人なんていないだろう。
高校二年。石川のような典型的な女の子が好む、恋人同士でムードがあって、定番な場所。
映画館か、どこかのカフェか、まさかカラオケはないか。
いろいろな選択肢の中から藤本が選んだのは、
「タワー!」
街の北口にあるスクランブル交差点、その北西の位置しているアップフロントタワーは
この街の名所でもあった。いかにも典型的だ。クリスマスに街の景観を望みながら
愛を確かめ合う。すげー石川っぽいじゃん!藤本は走った。
周りには何も映らない。目指すはこの場所からでも十分視界に入る、タワーそれだけだった。
――
- 305 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:30
-
思い切り突っ走った結果、タワーへは7分程度で着いた。
着いた途端、ゼぇゼぇと息を整える。藤本には進歩が無い。
周りにいたカップル達は藤本に気付くと不憫そうに目を逸らす。
―――こんな所に一人で・・・息切れているよ。きっとこれから展望台に行って自殺するんだ。
しかし藤本はそんな雑音を気にしない。
呼吸がある程度まで正常に近づくと、すぐに中に入ってエレベーターに乗った。
展望台がある階には洒落たレストランもある。いる可能性は高いはずだ。
- 306 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:31
-
展望台にはイチャイチャと気持ち悪いほどベタベタしているカップルが量産されていた。
その中で松浦は一人なのだからすぐわかるはずだ。
石川がいるとして、確か恰好は全身ピンクだった。見つけるのは容易い。
しかし二人はいなかった。トイレやらレストランの中やら、隅々までくまなく探すがいない。
外れた。時間はもう20分は経った。これで松浦との距離は相当開いただろう。
「ちくしょ・・・」
藤本は思い立って、ポケットから携帯を取り出した。
時間もかれこれ30分ほど経ったし、石川に繋がるかもしれない。
そしてリコールしてみたら呆気なく繋がったので、藤本は安堵よりも先に憤りを感じた。
ここまで一生懸命に走ったのがバカみたいだ。待ってれば通じたのに。
そんなことより、どうしてさっきブチったのか、その理由を問い詰めてやる。
- 307 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:31
-
「やっと出たなコノヤロー!!」
と、通話になって早々、勢い余ってコノヤローなんてはしたないことを口走ってしまった。
すぐに訂正しようと藤本は何か言い訳を考えるが、予想だにしない事態が起こった。
「なんだ!!誰だ!!テメーは!」
実際よくある話だ。
面と向かって話さない時だけ、やたらと調子のいい奴ってのは多い。
石川もそういう類いの人間なんだろうな、と藤本が確信しかけた時、
何かが引っ掛かった。と言うか、電話の向こう側にいるのは石川じゃない。
声がまるっきり違う。
「ハァ?・・・・・ってかそっちこそ誰よ!石川さんは?」
語尾を落ち着いた口調にして、お互い冷静になろうと藤本は示唆する。
が、向こう側の江戸っ子はどうも空気が読めないらしい。
- 308 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:32
-
「かけてきた方が名乗るもんだろ!」
「ってかなんで石川さんの携帯に他人出るの?訳わかんないし!」
「こっちだって訳わかんないよ!!」
「石川さんどこ?代われよバカ!」
「んなもんあたしが知りたいよバカ!梨華ちゃんがなんだよ!どこにいるんだよ!」
「って!アンタ、なんかゼンゼンわっかんない!
あのさ、石川さんとか松浦さんとかの居場所知らないの?今どこにいるわけ?」
再度、藤本は語尾の語調をおさえる。
とりあえず、松浦だ。もしかしたら、電話の向こうにいるのは本当は石川かもしれない。
奇しくも藤本は昨日の晩、「ジキルとハイド」を読み終えたばかりだった。
実際、マンガとか映画を見てすぐに影響受ける奴は多い。藤本がそれだった。
藤本にとっては、相手が石川だろうが江戸っ子だろうが、石川の第二の人格だろうが、
松浦がいる場所さえ知ってりゃそれでいいのだ。
- 309 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:32
-
「松浦?梨華ちゃんの友達の隣町の?なんでここにいるの?」
もうダメだ。
藤本のこめかみの血管が弾けた。
「あー、もう訳わかんない超ウザイ死ね!バカ!」
衝動で電話を切る。
バカはどっちだ。
電話を切ってすぐに冷静になる藤本。
もっと冷静に対応してれば石川を引き出せたかもしれないのに。
かけ直す、なんてのは普段の藤本だったらプライドが許さないから絶対しない。
しかし今はプライド云々で意固地になってる場合じゃなかった。
「まずは、落ち着いて話し合おう、これだ」
藤本は深呼吸してから、もう一度ゆっくりとリダイヤルする。
が。
「オカケニナッタ電話番号ハ現在・・・・」
「死ね!!」
携帯に向かって女の子らしからぬ暴言をかます藤本。
周りにいた人達から軽蔑の視線を注がれる。
もう全てがどうでもよく思えてきた。
藤本は現実逃避するようにふと、壁にかけられていた時計を見る。
友人との約束の時間まで、あと30分を切っていた。
- 310 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:33
-
「もう、あきらめようかな・・・」
落胆の溜息をついて、藤本はもう一度携帯を取り出した。
器用に操作し、友人の苗字の頭文字がある『カ』行で止めて、コールする。
コールされている間、藤本の頭は揺れ、そして逡巡した。
松浦。
藤本は喫茶店で初めて松浦と会った時の衝撃を思い出す。
松浦。
あきらめ切れなかった。
「あ、もしもし?今日さあ、悪いけど、用事できちゃったり・・・」
「!!」
向こうから叫び声がやってきても藤本は屈しない。全ては松浦のためだ。
これは千載一遇のチャンスかもしれない。もし、今日松浦に会えなかったら、
二度と会えないかもしれないじゃないか。この薬はなんとしても届けなければいけない。
人の命がかかってるんだ。本当はただ会いたいだけだ。それがなんだ。
とにかく、喫茶店での無礼を謝るんだ。そんで番号交換とか、ついでに住所とか・・・
「ごめん!美貴のためを思って許して!」
叫んで電話を切った。
切ったところで、どうやって松浦と会えばいいのだろう。
その時、あ、そうだ。と一つ名案が浮かんだ。
- 311 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:33
-
ヤケクソ。
藤本は切羽詰った人間が、最後の最後にどうしても選んでしまう典型的な道を選択してしまった。
走ってりゃどっかで擦れ違うよ。
藤本はかるーく自分に言い聞かせ、タワーを後にすると駆け出す。
街を網羅しようと本気で考え、本当に実践してしまうのだ。
これがきっかけで藤本は陸上部に入部し、
バカみたいに色々な賞を総なめするほどのアスリートになるのだが、それはもう少し先の話だ。
- 312 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:33
-
藤本はクリスマスの街を駆ける。
四方八方を満遍なく見遣り、思うがまま街を東奔西走する。
街には幸せな音楽が響き、オブジェやショーウィンドウには星、白と赤の飾りが施してあり、
そして様々な所でデコレーションされたツリーが置かれていた。
何故かサンタクロースが消費者金融のティッシュを配っていたりもしている。
藤本はそんな街を走り続けた。めぼしい店があれば窓から中を覗き、コンビニがあれば中に入って
水分を補給したりして走る続ける。何度かこけたり、思い切り誰かにぶつかったりした。
こけたせいでスタイリッシュだったコートは所々が汚れ、破れ、解れ、散々な様相を呈していた。
手や膝に擦り傷、マフラーは邪魔だから投げ捨てた。
何が藤本をここまでさせる?松浦という名の宝石だ。
――
- 313 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:34
-
街の南口、その南西にはある橋があった。ここは街の境界線でもあり、
橋の半分から向こう側は隣町になっている。そこで藤本は初めて足を止めた。
「ハァハァ・・・さすがにここまでは来てないか・・・」
そう呟いた所で背後に視線を感じた。藤本は振り返る。
そこにはどこかで見たことがある顔があった。あのおめでたい餅のような頬っぺた。
学校にいたような気がするが、そんなことはどうでもいい。
もうどれくらい時間が経っただろうか、空の遠くの方では暗がりが出来ていて、不安になる。
- 314 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:34
-
「藤本さん、なにしてるんですか?」
藤本のことを知っていたのだろうか、餅頬っぺたが話しかけて来た。
藤本はこんな性格をしているが、校内では屈指の美人だと評判が高くて、知らない生徒はいなかった。
まあ、本人は一切自覚していなかったが。
そして餅頬っぺたからの質問、何しているんですか、って決まっている。
「女神を、探してる」
名前も知らない後輩に、何を言ったところで知れている。
正直、ここらで発散したい気持ちだった。
「は?」
例えば憧れの先輩なんかがドブに嵌って、おまけに足が抜けなくなったりしてたら
何だかとても悲しくなる。
餅頬っぺたは藤本の発言を聞いてそんな顔をし、目を逸らした。
藤本にとってはどうでもいいことだった。
- 315 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:35
-
「その袋、なんですか?」
餅頬っぺたが視線を逸らした先には、松浦が忘れていった紙袋があった。
言葉に窮していた餅頬っぺたは、話のネタを見つけたようだった。
「女神の小袋。これがないと天女は空にお帰りになれない」
藤本はこの時、一種のトランス状態だったのだろう、真顔でそんなことを言う。
思った言葉がろ過されずにスラスラと流れ出てきた。
冷静になった時に思い出したら赤面するのは必至だ。
すると、
「それって羽衣ですよね……」
十八番だったツッコミをまさか後輩にかまされた。
藤本は頭に血が上った。
「お帰りになれないどころじゃないんだよ! 女神が死んじゃう!」
- 316 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:35
-
何故か対抗して、自分の言ったことに対してツッコミをかました。
餅頬っぺたは固まってしまって、すごくその場から逃げたそうにそわそわしだした。
逃がすか。藤本の目が鈍色に光った。
ある一点を目掛け、藤本は手を伸ばす。
「な、なにするんですか!」
餅頬っぺたの胸ポケットの中に手を突っ込み、ゴソリゴソリと探る。
携帯をどこかに持っていると思っていたのだが、胸ポケットじゃないらしい。
それにしても、この餅頬っぺたは結構いい胸をしている、もしかしたら自分よりも・・・
悲しくなって藤本は考えるのをやめた。
- 317 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:36
-
「ケイタイは?」
藤本は手を引っ込めると、すこし、威圧するように言ってみる。
そうすればすぐに出すだろうと思った。何しろ時間が無い。
こんなところで油を売ってる場合じゃないのだ。
素直な餅頬っぺたは、慌てて背負っていたリュックから携帯を取り出した。
あんなところに入れてたんじゃかかってきた時すぐに取れないだろう、と藤本は心中でツッコム。
両手で添えるようにして、餅頬っぺたは携帯を差し出してきた。
なかなか素直だな、と藤本は好感を持ちつつ、携帯を拝借する。
そして素早く自分の携帯の番号を押して、ワンコールした。
「発歴にあたしの番号残しといたから、松浦さん見かけたらすぐ電話して。 だから女神だよ女神。マフラーと手袋が赤、ベージュのコートにスカートにロングブーツね。 そんな格好のやつ多いかもしんないけど、松浦さんは破壊的に可愛いからすぐわかるよ。 だよね?背は美貴とおんなじぐらいだからよろしくね!」
藤本は、鬱憤を晴らすように言い放つと返事も待たずにまた、駆け出した。
―――――
- 318 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:36
-
街の中央には駅のターミナルがあった。
構内にはいろいろな店舗が連なっているから、どこかに松浦がいるかもしれない。
そんな曖昧な希望で藤本はターミナル内を駆ける。
その荒みきった全身は構内の隅で新聞紙被って寝ている人と大差ない。
おまけに汗はだらだらで、息は上がりきっている。
藤本に気付いた人々は何事かと不可解な目を向けてきた。
―――ねえ、何であんなにあの子汗だくなの?追われてるの?シッ、見るなよ。
藤本はもう慣れてしまった。軽蔑したければすればいい。
バカらしいと笑えばいい。どんな目にあったって、この薬を届けるまであきらめるか。
そんな藤本の思いも虚しく、結局ターミナル内に松浦の姿はなかった。
- 319 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:37
-
ターミナルを出るとその付近の建物に手当たり次第入った。
ファミレス、雑貨屋、ラーメン屋にも入り、はたまた雀荘にすら入ってみた。
「チー」
「ツモ、メンタンピンドラ三、あーハネ満止まりかぁ・・あと何か役ないかなぁ」
「おいおい俺らクリスマスにマージャンかよ」
中には当然のように可哀想な人しかいない。
こんな所にいるわけないか、と思ってさっさと後にしようとした時だった。
おやっと、藤本はある人物に気付いた。
- 320 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:37
-
∬´◇` )<代打ちはいりまーす
- 321 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:37
-
「うわ、小川さんが入るの?勘弁してよー。この前も飛ばされたしさぁ」
「うるせーお前散々勝ってんだから痛い目合えよ!ね?小川さん?」
藤本はどこかで見たことがあった。
きっと学校の後輩だと思うが、こんな所で何やってるんだ。
と、そんなことを考えてる場合じゃなかった。松浦を探すのだ。
- 322 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:38
-
外に出ると一旦頭を冷やして、冷静に考えてみる。
松浦は確か隣町の高校に通っていると石川は言っていた。
隣町へ行くにはバスが一番都合がいい。そうだとすればバス停で待っていれば会えるかもしれない。
余りにも遅すぎる藤本の推理。それでも本人は名案だと思って
どこにそんな体力があるのか、駆け出した。
汗が体をしたたり、三枚着ていたインナーを通り越してニットにまで滲む。
口の中は鉄錆のような匂いで満たされていた。
――
- 323 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:38
-
街の北口、バスターミナル。
どうしてもっと早くここにこなかったのかと、藤本は後悔した。
時刻はもう夕方に差しかかろうとしている。
隣町行きのバス停はどこだろうと、近くを歩いていたお婆さんに訊ねたら、
お婆さんはお化けでも見るような顔して、後退りしながら遠くを指差した。
距離にして100メートルくらいだろうか。そこに隣町へ向かうバス停があった。
あそこで待っていようと思って藤本はゆっくりとそこに向かおうとした。時だった。
- 324 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:39
-
ベージュのピーコートにバーバリーのスカート。
こげ茶色のロングブーツに、マフラーと手袋は赤で合わせている。
そして忘れるはずもない、あの後姿。間違いない。松浦だ。
やっと見つけたその感慨に耽るのを我慢し、藤本はませた顔を作って身なりを正す。
藤本の苦労がようやく実ろうとしていた。のだが。
松浦らしいその少女は今にもバスに乗り込もうとしていた。距離、100メートル。
あれ、ヤバイ。藤本は全力疾走した。行かせてたまるか。
もはや藤本の体力については説明がつかないがとにかく藤本は駆けた。
おーい、なんて声なんかも出してみるが松浦は気付いてくれない。
そして距離、50メートルのところでバスが発車した。
冗談じゃない、と藤本は引き止めるべく更に足に力をこめて走った。
- 325 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:39
-
いくら藤本が手を振ってバスを引きとめようとしてもバスは止まらない。
あの運転手の血はきっと青色なんだ、とか心中で難癖つけながら藤本は走った。
スクランブル交差点まで何とか見失わずに追走する。
そこで今日初めて幸運が藤本に微笑んだ。バスが信号待ちで止まったのだ。
もらった、と藤本は思ったが、藤本が追いつく寸前で信号は青へと変わり、
予想だにしなかった最悪の事態が起こってしまった。
交差点、バスが迂回しようとした時に、まさかの横転したのだ。
「ありえねー!!」
現実を直視しているのにもかかわらず、全否定のツッコミをかます藤本。
キャーとかうわーとか救急車ーとか、そんな悲惨な類いの声がところどころから上がる。
藤本はへなへなとその場で膝をつき、呆然とうな垂れた。
ああ、もし今日、あの喫茶店で松浦と出会わなければこんな事態にはならなかったんだ。
会っていなければ忘れ物もしなかっただろうし、薬も飲めただろうし、こんな
事故にだって遭わなかったに違いない。全ては自分のせいだ。
- 326 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:39
-
最高の罪悪感に苛まれる藤本。泣きそうになった。
自慢じゃないが藤本、生まれてこの方、人前で涙を流したことがなかった。
そんな藤本の瞳がうるうると潤んでいく。口が徐々にへの字に曲り始め、
最初の一滴が落ちようとした時。
「待てよ」
まだ松浦だと決まった訳じゃない。
後姿しか見てなかったし、あのような恰好の人ならさほど珍しくもない。
顔を確かめようと思って、藤本はバスまで駆けた。
だがあの後姿、間違いなく松浦に見えた。
- 327 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:40
-
横転したバスの周りには既に人垣ができていて、騒然としている。
そんな人の合間を縫って藤本は先頭に出ると、中から救助されていく人の顔をしっかり見遣った。
それほど速度が出ていなかったから大惨事とはいかなかったものの、
クリスマスにこんな経験をしてしまったなら一生トラウマになるだろうな、
なんてことを藤本は考える。
救助されていく人々はみな大きな怪我を負っていなかったようで何となくホッとする。
が、松浦らしき少女が救助された時、藤本は全身の血の気が引く感じを覚えた。
少女の腕からは血が滴り落ち、足には図太い切り傷が刻まれていた。
しかし、顔を伏せていたからまだ松浦と決まったわけじゃない。
藤本はそんな一縷の望みにかけ、少女の元へ歩み寄った。
少女を救助した男性から、友達?と声をかけられると藤本は毅然とした表情で、はい、と答えた。
- 328 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:40
-
「大丈夫?ごめん。もう何て言ったらわからない。美貴と出会ってなかったらこんなことには
なんなかったんだよね?ごめん。恨んでいいからすぐ病院行こ」
少女の肩を抱いて、藤本は耳元で囁く。
「痛い・・・」
泣き声で、苦しそうにそう言った少女。そう、松浦とは明らかに違う声色で。
「およ?」
「痛いよ・・・」
「待って、顔見せて」
そう言うと藤本は俯いていた少女の顔を下から覗き込んだ。
「あーーー人違いじゃん!」
ものすごく嬉々とした声で叫ぶ藤本。
その後おまけに、よかったー、と大声で安堵の溜息をついた。
瞬間、冷たい視線を全身に感じる。
―――いくら人違いだったからって何てヤツだ。ひどいな。ねえあの人何?見ちゃダメ!
もう慣れてしまった罵詈雑言。慣れちゃダメだろと嬉しそうに自分にツッコミつつ
藤本はその場をさっさと後にした。
- 329 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:41
-
ともあれ。
これでまた振り出しに戻ってしまった。
今頃松浦はどこで何をしているのだろう。
とっくに家に帰ってゆっくりとみかんでも食べてるかもしれない。
はたまた、どこかで恋人とデートを楽しんでるのかもしれない。
最悪、この薬が飲めなかったせいで大変なことになってるのかもしれない。
時間はもう夕方。冬は日が短い。白い息はその濃さを増し、そして絶望感を促す。
もういいや。
きっと松浦は今どこかで何かを楽しんでる。
藤本はそう結論付けた。そして紙袋を眼前まで持ってきて、ハハハ、と力無い笑みを浮べた。
赤色のボロ雑巾をまとい、肩をガックリと落としてトボトボ歩く女子高生が一人。
最低のクリスマスだ。クリスマスなんか氏ね。サンタクロース上等。
サンタクロースがもしいるんだとしたらその鼻をトナカイよりも赤く染めてやる、
とか恐ろしいことをブツブツ呟きながら歩く藤本。行く宛も何もなかった。
夕食はいらないと言って家を出た。友達には無理やり約束を断った。石川は電話に出ない。
- 330 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:41
-
藤本は踏切を渡り、駅の南口のすぐ近くにあった公園に何となく入った。
園内は予想通り恋人で溢れかえっていたが、今更気にもならなかった。
そして藤本が空いていたベンチにどっかり腰かけると、隣に座っていたカップルが
気まずそうに慌ただしく立ち去った。酷いヤツらだ。
疫病神ですか、なるほどその通りだ、なんて心中でぼやき、うな垂れる。
「はーあ」
もう辺りは夕暮れを通り越して暗くなっていた。
空にはチラチラと星が煌めき始め、星の知識など皆無だった藤本にもオリオン座の存在に気付いた。
にわかに空っ風が吹き、藤本はヨレヨレになってしまったコートの襟を立てて、
申し訳程度の防寒をする。
マフラーを捨ててしまったことを激しく後悔した。
一人、その場で所在なさげに座っていると、藤本は子供の頃母親に言われたことを不意に思い出した。
- 331 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:42
-
「美貴、サンタさんはね、良い子にしてないとプレゼントを持ってきてくれないのよ」
「良い子のきじゅんはー?」
「人に優しくして、困っている人がいたら助けてあげて、好き嫌いをしない」
「じゃあみきはそのきじゅんみたしてるねー」
「うん。美貴はとってもいい子だからサンタさんはプレゼント持ってきてくれるよ」
サンタクロースは小学校六年生までプレゼントを持ってきてくれた。
けれどそれっきり、サンタクロースは姿を現さなくなった。
確かにその頃にはサンタの正体が親だってことも実際にはいないってこともわかっていた。
それでもクリスマスの夜、目を閉じると今でも少し、期待している自分がいる。
目を覚ました時、枕もとにはプレゼントが置いてあるんじゃないか―――
きっと自分はもう良い子じゃなくなったんだろうな、と藤本は思った。
思った途端、涙が溢れた。理由はわからない。藤本は理由のない悲嘆にくれた。
- 332 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:42
-
「あれ?藤本?」
と、突然上から声をかけられた。
ヤバイ、と思いながらさり気なく涙を拭って顔を上げる。
辺りは暗いから目の腫れには気付かないだろう、とそんなことを藤本は危惧する。
「え、安倍さん?」
「何やってんのこんなところで?」
そう言う安倍の恰好を見て藤本はプッ、と笑った。
安倍と懇意になったのは、いつかの掃除当番で校門を一緒に掃除したことがきっかけだった。
どこか抜けていて、先輩とは思えない天然ぶりが印象的で、あまり人付き合いが
上手ではなかった藤本ともすぐに親しくなった。藤本は一見、とっつきにくい印象を
人に与えるせいで人に避けられガチだったのだが、安倍はそんなことはお構いなし、
といった風に初対面の時から藤本に積極的に声をかけた。
安倍は誰に対してもそうなのかもしれないが、藤本にとってそれはとても新鮮で嬉しかった。
その安倍の恰好。
- 333 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:43
-
「それなんですか?ははは、似合ってますけどね」
「ああ、笑ったなぁ。サンタやってんの。見てわかるっしょ?」
安倍はどういうわけか、サンタクロースの恰好をしている。
「そりゃわかりますけど」
「藤本こそさぁ、いったいどうしたの?その恰好」
「ちょっとこけたんです」
ちょっとでこんなボロボロになるわけないだろ、と藤本は自分で言っといてツッコム。
が、安倍は全く疑わずに信じているようだった。藤本は安倍のこういうところが好きだった。
「ふーん」
「あ、そうだ。安倍さんサンタでしょ?」
「そだよ。見てのとおり」
「じゃあプレゼントくれません?」
「えー、サンタは良い子にしかプレゼント上げちゃダメだからねー」
「そうですよね」
笑って納得する藤本。サンタクロースの概念はどこも一緒らしい。
- 334 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:43
-
「まあ、藤本は良い子だから上げてやらないこともないね。何がほしいの?」
「美貴、良い子ですか?」
「うん。なっち、じゃなくてサンタはそう判断したようで」
「やったぁ、ええとですね。松浦って子が欲しいんですけど」
「人間のプレゼント・・・」
「やっぱムリ?」
「あれだね、その、病院?とかにいるんじゃないかなぁ?ハハハ」
「病院ですか」
すくっと立ち上がって藤本は屈伸を始めた。
「え?え?」
「じゃあちょっと行ってきます」
「あ、あの」
「それじゃー」
- 335 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:43
-
藤本は後ろをむいたまま安倍にバイバイをすると駆け出した。
夜の街、ここから病院までは相当距離がある。走っても一時間はかかるだろう。
だが、そんなことはどうでもよかった。
どうせ行く宛もない、時間だって十分にある。
藤本は走る。クリスマスの夜、息を切らし、汗を流し、根拠のない希望の為に。
擦れ違う人の視線は冷たい。もう慣れてしまった。
松浦のことはもう、あきらめたはずだったのにどうしてまだこんなに期待をしているのだろう、
自問してみても答えが出るはずもない。
いろいろなことを藤本は考えた。
石川に会ったらガツンと言う。松浦に会ったら何からどう説明しよう。
忘れ物のことから話して、それで喫茶店のことを謝って、それで電話番号聞いて、ついでに住所・・・
安倍は自分のことを良い子だと言ってくれた!
それで十分だ。何が十分なんだよ、藤本は自分にツッコンで、頬を綻ばし、そして走る。
- 336 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:44
-
病院。 静まり返ったそこにはもう誰もいない。
「ハァハァ・・・いるわけないか」
それでも藤本は何やら清々しい気持ちがした。
これで完璧にあきらめが付いたのだろう、ゆっくり家に帰って風呂にでも浸かろうと思った。
片手には走ったせいでところどころ形を崩し、不細工になった紙袋が一つ。
これがある限り、松浦と永遠に会えないことは無いじゃないか。
薬だってよくよく考えれば病院に行けばもらえる。バカだ。
藤本は今日何度目かの自己嫌悪をする。
息を切らして汗をたらしている自分自身がどうしようもなく滑稽に感じた。
はぁ、と落胆の溜息をつくと藤本は踵を返し、トボトボと帰路に着いた。
――
- 337 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:44
-
東西通りに出た時だった。
すっかり暗くなって、その存在が疎かになっていた街路樹が突然光り輝いた。
直線に延びる東西通りの街路樹全てにイルミネーションが煌めく。
クリスマス、そう言えばニュースで言っていた気がする。
18時からメインストリートとその一帯をイルミネーションで彩ると。
なかなかロマンチックなことをするな、と思いつつ藤本は俯いて歩く。
ボロボロの身なりが恥ずかしい。ポツポツと見受けられる人達はみんな
恋人と手を組んでいる。そこに一人。が、藤本の他にもう一人いた。
イルミネーションが煌めいているおかげでその全身がはっきりとわかる。
藤本は口を開け、目を見開いた。
ベージュのピーコートにバーバリーのスカート。
こげ茶色のロングブーツに、マフラーと手袋は赤で合わせている。
- 338 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:45
-
今度こそ間違いない。
だってほら、横顔が見える。
藤本は身なりを整え、呼吸を整え、汗を拭って、ませた表情を作って松浦に歩み、寄らなかった。
松浦の姿を見つけるや否や絶対見失うものか、と最後の力を振り絞って駆けた。
そしてようやく捕まえた松浦の肩はふにゃりと柔らかくて、何だか藤本は拍子抜けした。
「え?」
「見っけ」
「あれ?藤本・・・さん?」
「これ、忘れ物」
息を切らしながら紙袋を差し出す。
松浦は、あー、と大きな声を出した。
- 339 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:45
-
「これ、わざわざ渡すために探してくれたんですか?」
「そうだよ。悪い?じゃあ、なくて」
こういう態度は止めようと決めていたのを藤本は思い出す。
「大切なものでしょ?」
「いや、全然」
「え?」
「だってこれ、ただの酔い止めの薬とタオルですよ」
はははっと軽く笑う松浦は可愛いのだが、さすがの藤本でも卒倒したい思いだった。
「あー、あたし、やっぱりバカだ」
「その恰好どうしたんです?」
「ねえ」
「はい?」
「時間ある?」
「これから、ですか?」
松浦は何やら含んだ物の言い方をした。
さすがに朝少しだけ会った人間とノコノコ付き合うほどお人好しじゃないか、と藤本は思った。
- 340 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:45
-
「用事あるんだったらいいんだけどさ」
「いいですよ」
「本当?」
「だって私のために探し回ってくれたんですよね?」
「いや、ちょっと近く歩いてて、偶然見つけたから」
「藤本さん・・・頭から湯気出てますよ?」
ははは、と楽しそうに笑う松浦。
汗を拭い、それなりに身なりを整えても頭からの蒸気は隠せなかった。
「・・・」
藤本は顔を真っ赤にして沈黙する。
「石川さんから朝メールもらったんですよ。藤本さんが忘れ物届けに病院向かってるって」
「・・・電話つながった?」
「いや、そのメールに気付いて電話してみたんですけど繋がらなくて、
仕方ないから私も藤本さん探してたんですよ 」
「あー。じゃ、あたしらお互いが探し合ってたのかー」
「何か今まで擦れ違ってたみたいですね」
「全部石川さんが悪いんだね・・・あの黒ピンク・・・」
藤本は舌打ちをしてブツブツと石川の文句を呟く。
- 341 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:46
-
「え?」
「何でもない」
「でも藤本さん、今まで探しててくれたんですよね」
「そっちもでしょ。帰ればよかったのにさ。せっかくのクリスマスだし」
「じゃあ何で藤本さんは探してくれたんですか?」
「・・・」
「きっと同じ理由ですよ」
「え?何それ?」
「何でもないです」
松浦は上目遣いで悪戯っぽく笑う。
「そう言えば、病院に何の用事だったの?」
「あー今お母さんが入院してるんです。三日前に盲腸で、それで換えのタオル頼まれたんです」
「そうだったんだ・・・」
とんでもなく間抜けな落ちだ。でも藤本はホッとした。
- 342 名前:第8話 投稿日:2003/12/23(火) 23:46
-
「でも、会えてよかった」
「はい」
「何か食べない?でもこの服装だったらどこも入れてくれないかもね・・・」
「ほんと、どうしたんですか?ボロボロじゃないですか・・・」
「いろいろあったんだよ、いろいろとね」
夜空を見上げて藤本は今日を振り返る。
いろいろとありすぎたクリスマスの夜。
何はともあれ藤本にとって、今日は最低の日から最高の日になった。
夜はまだ始まったばかり、街からはどこからともなくクリスマスソングが響き、
デコレーションされた店のショーウィンドウや街路に点されたイルミネーションが煌めく。
何となくぎこちない二人の関係も今のうちだけだろうし、藤本は今を存分に楽しもうと思った。
- 343 名前: 投稿日:2003/12/23(火) 23:47
-
ホワイト・スクランブル・フィルムズ
第8話「スチームガール」 >>277-342
- 344 名前:◆Xmas/DoM 投稿日:2003/12/23(火) 23:48
- 次回、大団円…?
- 345 名前:第9話「街をかける少女」 投稿日:2003/12/24(水) 23:18
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とりあえずブラックのまま一口飲んでみたが、やっぱり苦い。
あきらめて、ミルクと砂糖をブレンドの中に落とす。
いったん底に沈んだミルクは小さな塊になって表面に浮かんでくる。
スプーンでかき混ぜると複雑なマーブルの模様をつくって、明るいブラウンの中へと溶けた。
もう十分均等に混じりあっているのだが、市井はぼんやりとその表面を見つめながら、
なおも手を動かし続ける。
そして、ため息を漏らす。
「ついてないなあ…」
東京に帰ろうと思って乗ったバスがいきなり事故に遭って足止め。
復旧の見通しがなかなか立たず、こうして喫茶店で時間をつぶす羽目になってしまった。
一刻も早くこの街を離れようと思ったのに、まるで何か大きなチカラがそれをジャマしているみたいだ。
…それが何かはわからないけど。
- 346 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:19
-
もう一度ため息を漏らすと、窓の外を眺める。
もうすぐ日が暮れようとしている。すでにメインストリートではイルミネーションが輝きだしていて、
人々はその光を浴びながら街を行き交っている。
コーヒーを一口すする。椅子に深く背をもたれかけると、大きく息を吐く。
何か文庫本でも買っておいた方がよかったかなあ、と考えてみる。
が、家の本棚に読み止しのまま何冊も並んでいるのを思い出して、やっぱいいやと首を振る。
そんな具合に頬杖をついて物思いにふけっていると、
通りの反対側で真っ赤なものが動いているのに気がついた。
なんだろ、と焦点を合わせると、今朝会ったときのサンタクロースの恰好で安倍が走っている。
もともと運動が得意じゃないからそんなに速くはないが、
首を斜めに傾けているのは本人なりに全速力を出している証拠だ。
- 347 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:19
-
「あれ? …あ、そっか。そういえばクリスマス会やるって言ってたっけな」
矢口が言ってたことを思い出す。こうして復旧を待っていても暇なだけだし、
顔を出してみるのも面白いかも、と考えてみる。
あんまり遅くなったら矢口のところに泊めてもらってもいいし、それくらいはどうにでもなる。
「んー、でもなあ…」
もしかしたら、後藤と顔を合わせることになるかもしれない。
午前中に屋上であったことを思い返して、市井は深くため息をついた。
クリスマス会ってことはつまり、親しい連中はほとんど来るわけで、
そんなみんなの前で思いっきり気まずいところを見せつけるのは、やっぱりちょっと気がひける。
ここはやめておいた方が賢明かもしれない。
- 348 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:19
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「だけど、後藤が行くとは限んないわけだし…」
バスターミナルでのやりとりで、矢口と安倍に対して少し素っ気なかったなあ、と思う気持ちもある。
クリスマス会に行けばその分喜んでくれるかな、なんて想像をしてみる。
「でもやっぱり、後藤も誘われてるはずだよなあ…」
ああ見えて後藤は仲間とワイワイ騒ぐのが好きなタイプだから、
なんだかんだいって誘われれば行く確率は高い。
「だけど後藤は遅刻するって可能性もあるわけだし…」
ウジウジと悩み続ける市井。結論が出ないまま、時間だけが過ぎていく。
◇
- 349 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:20
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「はぁっ、はぁっ」
フトモモに冷たい空気がぶつかる痛みは、とっくに感じなくなっていた。
ようやく見つけた吉澤は、石川と楽しそうに談笑しながら歩いていた。
名前を呼んでみたのだが、話に夢中なようでまったく気づいてくれない。
それで安倍は走って追いかけて、後ろから吉澤に声をかけようとする。
「よっちゃ──あっ!」
気持ちだけが先走って身体がついていかず、足がもつれる。
安倍はもう少しで吉澤の肩に触れる、その紙一重のところで空をつかんで、勢いあまって転んでしまった。
そのままゴロゴロと1回転、2回転して、歩道の柵に頭を思いっきりぶつけた。
「…っつ〜〜〜〜」
一瞬、目の前が真っ白になって、それから激痛に襲われる。安倍は身体を丸めて必死に耐える。
しばらくガマンしているとようやく痛みが退いてきた。そっとぶつけた場所に触れてみる。
- 350 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:20
-
「いたっ!」
大きなこぶができあがっていて、あまりの痛さに思わず飛び上がってしまう。
周りにいた人々が心配そうにこっちを見ているのに気がついて、
「あ、大丈夫です。ご心配をおかけしました」と涙目のまま頭を下げた。
落ち着いたところでこぶの様子を見てみようと、近くのビルに寄ってみる。
壁面がつるつるのガラス張りになっていて、そこに映せばどんな具合かわかるだろう。
「…え!?」
映った自分の姿を目にして、安倍は素っ頓狂な声をあげてしまう。
「なっち、なんでこんなカッコしてんのぉ!?」
襟とミニスカートの裾に白いファー、胸元にも白い綿毛のような飾り。そしてそれ以外はすべて真っ赤。
女の子向けのサンタクロースの衣装に身を包んでいる自分に驚く。
- 351 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:21
-
「え? え?」
なんとか冷静になって考えてみる。いくらなんでもプライベートでこんな服を着るはずがない。
となると、何か用事があってこういう恰好をしているはずだ。
「…あれ? なっち、何してたんだっけ?」
──思い出せない。ついさっきまで自分が何をしていたのか、まったく思い出せない。
「コレって、ヤバいかも…」
“間に合わない”という気持ちだけが心の中にせり上がってくる。胸騒ぎ、イヤな予感がする。
焦る心、動かない身体。安倍は眉間にシワを寄せ、その場に茫然と立ち尽くす。
◇
- 352 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:21
-
「おっす!」
孤児院に矢口の元気な声が響き渡る。
隣の中澤も機嫌が良さそうで、矢口を見つめて微笑んでいる。
「矢口さん、今日はよろしくお願いします!」
中庭でクリスマス会の準備をしていた亀井・田中・道重の3人は、声をハモらせて挨拶する。
矢口は白い歯を見せてそれを受け止めると、3人に尋ねる。
「ほかに誰か来てる?」
「いえ、矢口さんと中澤先生が一番乗りです」
田中が答える。それを聞いて「なんだよ、みんなだらしないなあ」と漏らす矢口。
中澤のマンションでかなりのんびり過ごしていたので少々急いで来たのだが、
どうやらもうちょっと余裕を持ってもよかったようだ。
- 353 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:21
-
「ほれ、ウチらも手伝おうや」
そう言って中澤はコートを脱ぐと、3人と一緒に飾りつけをはじめる。
「そだね」と矢口も上着を脱いだときだった。
「わっ!」
お尻を撫でる感触。慌てて振り向くと、顔をほころばせている辻と加護がいた。
「やぐちさん、あいかわらずいいケツしてますねぇ」
その言葉を聞いて、中澤が身を乗り出す。
「ちょっとちょっと! やぐちのケツはウチのもんやで!」
「なっ、なに言ってんだよ、あほゆーこ!」
辻・加護と一緒に孤児院にやってきた紺野は、騒ぎ出す4人を後ろから見つめながら肩をすくめる。
「大切なのは、平常心です」
- 354 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:22
-
そしてその紺野の後ろからも、話し声が聞こえてきた。
「──うわー、あのねーちゃん、いいケツしてんなあ」
「──ちょっとよっすぃー、どこ見てんのよっ! ほら、もう、ちゃんとわたしだけを見て…」
「あれ? 梨華ちゃんどこー? 暗くて黒くてよく見えないや」
「なによー、もう! そこまで黒くないわよう!」
「冗談だってのに。すぐ本気にするんだから」
「…しないよ。よっすぃー、大好きぃ」
バカップルの登場に、愛ちゃん、ダメだったかあ…と紺野はそっとため息をつく。
「こんちわー」
「こんばんはー」
孤児院に入るなり陽気に挨拶する吉澤と石川。
よほどいいことでもあったのか吉澤の顔は緩みきっていて、
頬を赤らめた石川がその隣にぴたりと寄り添っている。
このふたりの全身からは幸せオーラが漂っている。
「はっ!」
ふと、それと正反対のどす黒い視線を感じて紺野は振り返る。
柱の陰から唇を噛んでふたりの姿をじっと見つめる高橋がいた。
紺野は近寄ると、優しく声をかける。
「愛ちゃん…元気出しなよ」
「あさ美ちゃん…ぐすっ」
高橋は紺野の胸元に飛び込むと、そのまま泣き出してしまった。
紺野はその背中を、そっと抱き締める。
- 355 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:22
-
そんなふたりをよそに、石川は明るい口調で辻に話しかける。
「のの、美貴ちゃんは無事に亜弥ちゃんに会えたって。メールが届いたよ」
「そう」
うなずいて、辻は華やかに笑う。
すると隣でその表情を見た加護が、辻の手を握って不安そうにささやいた。
「のの、あんまり遠くに行かないでね」
「え? 遠く?」
「いや、その、なんでもない…」
まっすぐ見つめてくる辻に、加護は言葉を濁す。辻は元気な声で言った。
「だいじょうぶだよ、あいぼん。のんはずっとあいぼんのそばにいるから」
「うん」
加護は辻の手をもう一度握る。
すると辻はさらに強い力で握り返してきて、手が少し痛かったことを加護は素直に喜んだ。
- 356 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:23
-
「ところで後輩ズの諸君! サンタをきちんと狩ってきたかね?」
亀井・田中・道重。順に吉澤に見つめられて、ごくりと唾を飲み込む。
「あのー、ショートカットの女の人がサンタさんの恰好をしてて…、
それで追いかけたんですけど、逃げられちゃいました」
ここは正直なことを言って素直に怒られよう、と亀井が年長さんらしいところを見せる。
「けど、いちおー念のためにサンタ的な物を持ってきたから、これでカンベンしてください」
そう言って田中は道重に目配せする。
道重はうなずくと、「これです…」と孤児院の物置から白くて大きな物をずるずると引きずってきた。
「──なるほど。確かにサンタ的ではあるな。だが、着ている服が白いから、まあ40点ってとこだな」
吉澤は自分の目の前で「やあ、いらっしゃい!」と両手を広げているカーネル・サンダース人形を、
ポンと叩いて言う。
- 357 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:23
-
「いやあっ!」
その瞬間、甲高い悲鳴。この周波数が出せるのは石川だけだ。
見ると、両手を頬に当ててムンクの絵のような格好で叫んでいた。
この世の終わり、とでもいった表情に、吉澤は思わず尋ねる。
「…どしたの、梨華ちゃん」
「カーネルおじさんにはね、呪いがかかってるの! 勝手に持ち帰って粗末に扱うと、
呪われちゃうのよ! 18年間も優勝できなくなるのよ!」
「ちょっと、落ち着いてよ」
「落ち着けないわよ! 今年だって結局日本一になれなかったんだから! 星野カントクは勇退しちゃうし!
あなたたち、早くカーネルおじさまを元に戻してらっしゃい!」
キエーとわめき散らす石川。こうなるともう誰も手がつけられない。
亀井・田中・道重の3人はしぶしぶカーネル人形を連れて孤児院から外へ出る。
「なにトロトロしてんの! ダッシュ!」
石川の声がこだまする。あまりの迫力に問答無用で走り出す3人。
「かわいそーに…」
その背中を見て、吉澤がボソッとつぶやいた。
- 358 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:24
-
そしてその3人と入れ替わるようにして、今度は保田・福田・石黒が孤児院に現れた。
「ケーキできたよー」
「待ってました!」
それぞれバイトと店が終わった福田と石黒は、
学校に寄って保田のクリスマスケーキを一緒に届けに来たのだ。
いつも学食で腕をふるっている保田がつくる特製ケーキは、このクリスマス会の大きな目玉のひとつだ。
「飾りつけもだいたい終わって、ケーキも届いて…もうほとんど準備完了じゃない」
福田が黙々と作業に集中している矢口に話しかける。しかし、手を止めた矢口の表情は冴えない。
「…どうしたの?」
「なっちが、まだなんだ」
「え…なっち? あれ、そういえば、いない」
「サンタ役のなっちがいないと、クリスマス会、はじめらんないよ。困ったなあ…どうしよう…」
◇
- 359 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:24
-
(──なっちは、何をしてたんだろう?)
(なんだろ、すごく大事なことを忘れちゃってる気がする)
(急がなくっちゃ、間に合わない…)
さっきからずっと、何かにせかされ続けている。
でもどこに行けばいいのか、何をすればいいのか、まったく思い出せない。
安倍はフラフラと歩きながら周囲を見回してヒントになるものを必死に探すが、
手掛かりはいっこうに見つからない。
それどころかクリスマス一色の街並みに、かえって追い立てられているような気がしてきて、
じわりと汗が出てくる。呼吸が荒くなってくる。
- 360 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:24
-
「安倍さん! 安倍さん!」
いきなり、名前を呼ばれた。
声のした方を見ると、エプロン姿の小川が目を細めて、ふにゃふにゃしたいつもの笑顔で立っていた。
安倍が振り向いたのを見て、小川は手招きする。
その仕草に、なんだかこっちまでほんわかとした気分になる。
近づいてみると、立て看板が目に入った。
「はやい! ヤスい! うまい! 赤猫堂のX'masケーキ」と大きな文字が躍っている。
よく見れば、小川はサンプルが並べられた店頭のガラスケースの後ろに立っていた。
- 361 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:25
-
安倍はにこやかに話しかける。
「ケーキ売ってるんだ」
「そぉなんですよぉ。保田さんが時給とは別にケーキもくれるって言うから。
お腹空かせてる弟たちも喜ぶと思って」
「え? 圭ちゃん? 圭ちゃんが時給をくれるの?」
「あれぇ? 安倍さん、知らないんですかぁ? 保田さんがこの店を経営してるんですよぉ。
ヤスダグループのCEOですよぉ。セレブですよぉ」
おばちゃんが「あらやっだぁ」とよくやる、軽く叩くような仕草を織り交ぜて小川が言う。
「そうなんだ…なんか、ちょっと意外」
「あっ、でも今、保田さんは用事で学校にいるみたいですよ」
「食堂? 冬休みなのに、ヘンなの」
「んー、そうですねぇ…ヘンですねぇ」
ニコニコしながら小川は安倍を見つめている。
小川と話すといつもそうだが、なんだか妙な間が空いてしまう。
- 362 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:25
-
「あー、店員さん、ケーキをいただきたいんだが…」
「はいっ?」
横から声をかけられて、慌てて振り向く。会社帰りのサラリーマン、中間管理職風の男。
男は安倍が自分の方を向いたので、さらに続ける。
「こちらのサイズをひとつ」
「あ、はい」
言われて安倍は小川に「お願い」と声をかける。
小川はうなずいて店の奥に入ると、注文されたケーキを持って戻ってきた。
「えっと…3000円になります」
「はい、どうも」
「あ…、ありがとうございましたー」
ふたり並んで礼をする。顔を上げると互いに見つめあう。
「なっち、ここでバイトしてたんだっけ?」
「はぁ…?」
再び、妙な間。
- 363 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:26
-
すると今度は小さな男の子と女の子の兄妹が、安倍のもとに寄ってきた。
「サンタさんだぁ〜」と言いながらとてとて小走りで寄ってくる様子がかわいくて、
安倍はしゃがみこむとふたりの頭を撫でてあげる。
「あら、ケーキ売ってるのね」
子どもに追いついた母親が、ガラスケースに視線を落とす。
それから少し考えた後、「これ、ください」と小川に言い、そして安倍に微笑みかけて頭を下げた。
安倍も笑って礼を返す。
「こちらになります。はい、どうぞ」
ケーキの箱を受け取ると、母親は「ほら、行くわよ」と子どもに声をかけ、
安倍にもう一度小さく礼をしてから、去っていった。
「ありがとうございましたー」
その背中を見送ると、安倍と小川は再び向きあう。
「安倍さん、すごいっすねぇ。もう2個も売れちゃいましたよ」
「そだね。よく売れるね」
「そのサンタの恰好、すごく似合ってますよぉ。
みんな安倍さんにクラクラっとなって、ケーキが欲しくなっちゃうんですよぉ、きっと」
ヒジで安倍を突っつきながら、とろけるような笑顔で小川が言う。
- 364 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:26
-
「いやー、なんだか照れるなぁ。じゃあなっち、ちょっと呼びこみしてくるね」
「お願いしますぅ」
がんばってー、と小川は手を振る。
安倍は歩道の真ん中に立つと、大きく息を吸い込んで声を出す。
「クリスマスケーキはいかがですか〜! 大きなイチゴとたっぷりふわふわ生クリームケーキっ!」
街を行く人々の足取りが、心なしかゆっくりになる。安倍は笑顔で続ける。
「あちらの方で販売してまーす! おいしいですよぉ〜!」
ぽつぽつと立ち止まる人が現れた。
そしてちらっと安倍を見てから、思い出したように小川の方へと動き出す。
「クリスマスケーキはいかがですか〜!
大きなイチゴとたっぷりふわふわ生クリームケーキ、ロウソクつきですよ〜!」
やがて人の流れが変わり出す。赤猫堂の前に、行列ができはじめた。
「うわぁ〜、てぇーへんだてぇーへんだぁ〜」
おおわらわになりながら、小川は客の応対をする。
安倍が呼び込みの声をあげるたびに、ケーキは飛ぶようにどんどん売れていく。
◇ ◇ ◇
- 365 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:27
-
チッチッチッ、と時計の秒針の音。
静かな部屋の中で、後藤は目を開けた。天井の模様が視界に飛び込んでくる。
「…寝てた。」
つぶやくと、ベッドから身を起こす。
そしてぶんぶんと頭を振ると、「んぁぁ」と大きなあくびをして、床に足を下ろす。
- 366 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:27
-
後藤は自分が何をしていたのか、思い返す。
──市井に会うために学校へ行った。だが、市井は前と少しも変わっていなかった。
そのまま別れて、泣きながら帰ってきて、泣き疲れて眠っていたのだ。
時計を見てみる。そろそろ、晩ご飯の支度に取りかからないといけない時間だ。
「…あ、そだ。買い物に行かなきゃ」
冷蔵庫の中身がだいぶ心もとなくなってきているのを思い出した。
後藤はハンガーにかかっている真っ白なハーフコートと緑の星のマフラーを手に取ると、
部屋を出て階段を降り、洗面台の前に立つ。
冷たい水で顔を洗って、泣き跡を落とす。寝グセを直す。
「よしっ」
小さくつぶやくと、コートを着てマフラーを巻いて、家を出た。
- 367 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:28
-
いつもなら面倒くさいので南口の商店街で買い物を済ませてしまうのだが、
せっかくのクリスマスイヴにそれはちょっと淋しい気がして、北口の方まで足を伸ばしてみる。
やっぱりまだ心のどこかで市井のことを引きずっていて、
それを少しでも和らげてくれる華やかさがほしかった。
自由通路で北口に向かう途中、駅前が騒がしい雰囲気なのに気がついた。
パトカーやら消防車やらの赤いランプがいくつも光っている。
「なんだろ?」
北口のロータリーは人でごった返している。
ヤジ馬、無線連絡の声が飛び交う。何か事件が起きているようだ。
後藤はさらに歩を進めてみる。なんだか少し気になって、前へ前へと行ってみる。
- 368 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:28
-
「うわぁ…」
警察が張った立入禁止の黄色いテープのところまで来て、後藤は思わず声をあげた。
バスが1台、横転している。道端の消火栓にぶつかってしまったようで、
赤く塗られた鉄製のポンプがひしゃげて辺り一面びしょ濡れになっている。
「すごいねー」
スクランブル交差点はこの事故のせいで完全に通行止めになっている。
イヴとはいえ妙に人であふれかえっているのは、どうやらこれが原因のようだ。
遅々として進まない現場検証と復旧作業。
ヤジ馬たちはそれをまるでマグロの解体ショーでも見るかのように、固唾を飲んで見守っている。
「あ、そだ。買い物だ」
マグロの解体ショーで思い出した。晩ご飯の買い出しの途中だったのだ。
後藤は人ごみの中をくぐり抜けて歩道へと戻る。
そしてなにごともなかったように、スーパーへと向かった。
◇
- 369 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:29
-
買い物を済ませた後藤だが、このまままっすぐ帰るのもなんか淋しいなあと思い、
北口のメインストリートをもうちょっとだけブラつくことにした。
街並みはクリスマス一色で、それはどこか現実離れした光景に見えた。
自分の買い物袋からぴょこんとネギが1束飛び出しているのが妙に所帯じみていて、
後藤はそのコントラストに小さく苦笑いをこぼした。
フラワーショップの前を通って、後藤の足はぴたりと止まった。
クリスマスリースがいくつも壁に掛けられているのが目に入る。
ベルやリボンで飾り立てられた、エヴァーグリーンの小さな輪。
後藤は吸い寄せられるようにそれらの前に立つと、その中のひとつを手に取る。
「いい匂い…」
そのリースはいくつもの花が飾りつけられていて、とても懐かしい香りがした。
クリスマスイヴに似つかわしい香りだと思った。
- 370 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:29
-
「メリークリスマス、だね」
そっとつぶやいて、後藤は手にしたリースをレジへと持っていく。
お金を払うと輪の中に腕を通して、買い物袋をさげて、店を出る。
「んあ…」
全身を光が包み込む。ケヤキ並木を飾るイルミネーションの輝きに目が眩んで、
一瞬、自分が今どこにいるのかわからなくなった。
現実離れしたクリスマスの街。
不思議の国に迷い込んでしまったアリスもこんな感じだったのかな、なんて想像をしてみる。
そしたら、急いでるウサギが出てきて、不思議の国のもっと奥深くへ一緒に連れて行ってもらって──
「…なんてね」
おどけてつぶやいてみる。ふっと白い息がイルミネーションをかすめて、光を散らして、消えた。
そして後藤は一歩一歩夢から覚めていくのを惜しむように、ゆっくりとした足取りで帰り道を踏みしめる。
◇
- 371 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:30
-
──ヴイーン。
赤猫堂の自動ドアが開く。
赤いブーツと白いスニーカーが「いらっしゃいませ」と書かれたマットの上に立つ。
そして自動ドアは静かに閉まる。
4本の足はしばらくそこに立ち止まったままだったが、やがて歩道の方へと動き出す。
「安倍さん、すごいっすねえ」
見ているこっちまでにやけてくるほどの満面の笑みで、小川が声をかけてくる。
「完売ですよ、完売! こんなに早くぜんぶ売っちゃったんですよぉ!」
かなり興奮して小川が言う。
しかし安倍はどこか浮かない表情で、さっき店で渡された封筒を見つめている。
「…安倍さん?」
「このお金、どうしようかなあ?」
安倍は封筒をイルミネーションの明かりにかざして、ぽつりと漏らす。
- 372 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:30
-
(──ちがう。なっちがしなくちゃいけないのは、お金とは関係ないんだ)
(ケーキを売ることじゃなくって、もっとタンジュンなこと)
(急がなくっちゃ、間に合わない)
何かにせかされているのは、さっきとまったく変わらない。いや、さっきよりもずっと強くなってきている。
どうすればいいんだろう。どこに行けばいいのか、何をすればいいのか、まったく思い出せない。
焦る気持ちはぎゅっと煮つめられたように熱くなって、濃度を増して、さらに全身へと広がっていく。
- 373 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:31
-
「ありゃ。なっちと小川だ」
聞き慣れた声が、高まる焦燥にばしゃっと水をかぶせた。振り向いたそこにいたのは、後藤真希。
「ごとーさぁ〜ん、買い物帰りですかぁ?」
間延びしたのん気な口調で、小川が尋ねる。
「うん。ふたりは何して…って、なっち、サンタさんなんだね」
後藤は安倍の恰好をまじまじと見つめると、笑みを浮かべた。
「どうせまたいろんなところにちょっかい出してるんでしょ。なっち、おせっかいだもんね」
安倍は慌てて首を振る。
「そんな、なっちはいろんなことに鼻つっこんだりしてないよー」
「それ、鼻じゃなくて首だから」
「あ…」
後藤のツッコミに顔を真っ赤にする安倍。
「あはっ」と笑う後藤、にこにことふたりの様子を眺めている小川。
- 374 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:31
-
と、突然安倍が眉をしかめた。そして、後藤の身体に顔を寄せる。
「わっ、ちょっと、なんなの?」
驚く後藤をよそに、安倍はクンクンと鼻を鳴らして匂いを嗅ぎ出す。
そして考え込み、また匂いを嗅いで、さらに考え込む。
「なっち、どうしたの?」
「いや、なんか、いい匂いがするから…」
「あ〜、それかあ」
ポンと手を打つと、後藤は腕に通していたリースを安倍の目の前に差し出す。
「これ。さっきそこの花屋さんで買ったんだけど、ラベンダーの花が飾ってあるんだ。
これの匂いだよ」
「ラベンダー…」
安倍は茫然と宙を見つめる。それからそっと目を閉じて、まるで彫像のように動きを止めた。
- 375 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:32
-
「なっち?」
不思議に思って後藤が声をかける。
イルミネーションの光をいっぱいに浴びた安倍は、微かに唇を動かす。
──ラベンダーの香り。
そしておずおずと目をあけると、ぽつりとつぶやいた。
「思い出した…」
「え?」
首を傾げる後藤。にこにこ笑っている小川。安倍はふたりの方を向くと、白い歯を見せる。
後藤は安倍が微笑んだので、ほっと一安心する。と、安倍が小川に話しかけた。
「ねぇ、まこちゃん。いいバイトがあるんだけどさ、やってみない?」
「ほぃ?」
◇
- 376 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:32
-
時間的にはもうクリスマス会をはじめてもいい頃だ。
準備もほとんど終わり、人もだいぶ集まってきて、雑談をしながら開会宣言を待っている状態。
でも、肝心の人がまだ来ていない。
サンタクロースに扮した安倍がいないと、プレゼントの贈呈ができないのだ。
「おっそいなあ…」
矢口は安倍の身に何かあったのではないかと、気が気でない。
バスの事故には巻き込まれていないみたいだけど、
もしかしたら別の事故が…なんてことがあるかもしれない──
縁起でもない、おいら何考えてんだ、と矢口はぶんぶん首を横に振る。
- 377 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:33
-
「あっ!」
正門の方で声がした。安倍が来たのかと慌てて振り返る矢口。
カーネルおじさんの人形を店に戻してきた亀井・田中・道重の3人組が、
地面に転がっている奇妙な物体に目を丸くしていた。
ボロ雑巾のようなそれに、そっと近づいてみる。
よく見るとそれは雑巾ではなく、ボロボロになった柔道着姿の新垣だった。
「ガキさん…?」
おそるおそる声をかけると、ゆっくりとした動作で起き上がる。
「山から…下りてきたぜ…。シャバの空気は…ウマいなあ…」
太い眉毛を「ハ」の字に曲げて宙を見つめ、うわごとのようにつぶやく。
3人組がその身体を支えようとすると、手で制した。
「亀井、田中、道重…。あんたたちに見せたいものがあるの」
そう言うと新垣は立ち上がり、両足を踏みしめて構える。
- 378 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:33
-
「3人とも、よぉ〜くわたしの目を見て」
新垣の言葉に、3人は素直にうなずいてその目を凝視する。
30秒ほどじーっと見つめあっていたが、突然、新垣が叫んだ。
「まゆげスマァーッシュ!」
何やら妙なエコーがかかった声。横から見ていた矢口は「なんだ?」と首を傾げる。
と、その瞬間。
「きゃあっ! 目が! 新垣先輩の目が光った!」
「なんね、ふっとばされるばい!」
「くらくらしちゃいます…」
3人はバランスを崩し、その場に尻もちをついた。自慢げに自分の眉毛を撫でる新垣。
みんな何が起きたのかわからず呆気に取られているのを見て、新垣は胸を張って言う。
「みなさんどうです、わたしの新奥義・“まゆげスマッシュ!”は。すごい威力でしょう」
「……」
まだ目を回して倒れたままの3人を見て、みんな唖然としている。
- 379 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:34
-
と、矢口が新垣の顔をジロジロと眺める。
「…? どうかしました、矢口さん?」
「あのさ、ガキさん。眉毛、なんかいつもより太くなってない?」
「ギクッ!」
図星だったようで、矢口の指摘に新垣の顔は青くなる。
これはアヤシイ、と確信した矢口は新垣の眉毛に手を伸ばす。
「な…なんにもないですよ! 怪しい機械なんてなんにもないですよ!」
「なおさらアヤシイ。よっすぃー、捕まえて」
「わっかりましたー」
吉澤が後ろから新垣を押さえ込む。身動きの取れなくなった新垣は、悲痛な叫び声をあげる。
「やめてー!」
「うっさい、見せろ!」
矢口の指先が新垣の眉毛に触れる。と、ポロリと片方の眉毛がこぼれ落ちた。
「わっ、取れたぁ!?」
見ていた全員が驚いて声をあげる。
- 380 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:34
-
高橋はガニ股で近づくと、落ちた眉毛をそーっと拾い上げる。そしてじっと観察して、言った。
「…これ、スピーカーやよー」
「スピーカー?」
それを聞いてひらめいた紺野は、新垣の柔道着の襟を探る。
「ちょっ、やめて、あさ美ちゃん」
「…あった」
紺野の右手に握られていたのは、超小型のピンマイク。
「証拠はこれでぜんぶですね」
座敷わらし探偵の鋭い目が光った。新垣は思わず「ひっ」と声を漏らす。
「“まゆげスマッシュ!”を出す前に、里沙ちゃんは『3人とも、よぉ〜くわたしの目を見て』と言いました。
そしてその3人だけが、目を回して倒れました。たぶん、催眠術か何かを使ったんでしょう」
「どういうこと? 詳しくおしえて」
矢口の言葉にうなずくと、紺野は推理を披露する。
「こないだ街を歩いてて気づいたんですけど、新垣家では防犯体制を強化して、
今月から眼球の虹彩を識別するシステムを正門につけたんです。それがヒントになったんでしょう」
「ヒント?」
- 381 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:35
-
紺野はピンマイクとスピーカーを手に取り、続ける。
「これは音声の周波数を微調整できる仕組みなんです。
それで、里沙ちゃんの目をじっと見つめたときだけ、めまいが起きるように設定していたんです。
…ちがいますか?」
そこまで言うと、紺野はキッと新垣を見やる。
「……ニィ」
がっくりとうなだれる新垣。こうしてまたひとつ、謎が解決された。
「あさ美ちゃんすごいね!」
辻が笑顔で紺野に抱きつく。「えー、そんなことないよー」と照れる紺野。
そのスキに加護はちゃっかり“まゆげスマッシュ!”セットを手にしていた。
クリスマス会はまだはじまっていないというのに、どっと疲れてしまった気がする。
矢口は大きくため息をついて、ぼそっとつぶやいた。
「はあ…。なっちはどこにいるんだろ…」
◇
- 382 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:35
-
「急がなくっちゃ、間に合わない!」
北口のメインストリートを、安倍は力の限りの速さで走り抜ける。
イルミネーションが風に溶けて、流星群のように現れては消えていく。
「急がなくっちゃ、間に合わない!」
安倍の右手。後藤の左手が、固く握り締められている。
安倍は後藤の手を引いて、人ごみの中を流れるように進んでいく。
後藤の右手にはリースと買い物袋が揺れている。
サンタクロースの恰好をした女の子が買い物帰りの女の子の手を引いて、フルスピードで走っていく。
傍目から見れば、おかしな光景だろう。
だが、そんな疑問よりも速く、速く、ふたりは街を駆け抜けていく。
「んあー」
後藤の叫びの尾を引いて、彗星のようにふたりは街を駆けていく。
◇ ◇ ◇
- 383 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:36
-
倒れ込むようにして、安倍と後藤は孤児院の裏手にたどり着いた。そのまま、呼吸を整える。
やがて安倍が立ち上がり、ゆっくりと前へ歩を進めていく。
足を崩した正座の格好で、後藤はその様子をじっと見つめている。
「ありがとね、ごっちん。おかげで、ぜんぶ思い出したよ」
そう言って近づいていく先には、温室がある。
「ここの孤児院、一年中いろんな花を育ててたよね。
なっち、ラベンダーで孤児院のクリスマス会のこと、思い出したんだ」
後藤は立ち上がると、安倍の背中を追いかける。
安倍は振り向いて後藤に微笑みかけると、温室の扉をゆっくりと開けた。
入口のすぐ横にあるスイッチで明かりをつける。
温室の中は赤・白・黄、さまざまな色の花が床一面を埋め尽くしていた。
- 384 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:36
-
安倍はその花々をかき分けるように進んでいく。後藤もその後ろについていく。
「あった!」
声をあげる。見ると、紫色の花をつけたラベンダーが並んでいる。
「ごめんね」
安倍は小さくささやいてから、その中の一本を摘んだ。そして胸元に引き寄せて、そっと匂いを嗅ぐ。
後藤も顔を近づけ、目を閉じて嗅いでみる。
「うん。ラベンダーの香り」
──カオリ?
- 385 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:37
-
孤児院の庭、隅っこにあるマンホールのフタが、ガタガタと大きな音を立てて揺れ出した。
その場にいた全員が、驚いて振り向く。
「地震…じゃないよね…」
目を覚ました亀井・田中・道重はおびえきって、ひとかたまりになってマンホールの方を見つめる。
石川はチャンスとばかりに吉澤の胸元に抱きつく。
マンホールのフタが揺れる音はさらに大きくなり、孤児院の敷地中に響き渡る。
加護が辻の手を握る。辻はしっかりと音のする方向を見つめながらも、その手を握り返す。
やがて騒音は最高潮に達し、全員が身を固くしたそのとき。
- 386 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:37
-
──ガッターン!
マンホールのフタを突き破って、中から何かが飛び出した。高く高くジャンプ。
月明かりを浴びたその姿に、みんな目を丸くした。
特大サイズの青いポリバケツが、空を飛んでいる。
全員あんぐりと大きな口を開いて見つめていると、空中でポリバケツにヒビが入る。
そしてバリッ!という音とともに中から現れたのは──
「…カオリ先生っ!?」
長い髪を振り乱して着地すると、カオリ先生は四つんばいの格好になる。
いわゆる女豹のポーズのまま、じっと全員の方を睨みつける。
みんな茫然としてその姿を眺める。緊張感がいっぱいに張りつめた静寂が、辺りを一気に包み込む。
すると、カオリ先生の方から妙な音がするのに気づいた矢口が言った。
「…なに? 時計の音?」
チッチッチッチッ。時計の秒針の音が、カオリ先生の身体から聞こえてくる。
しかし、カオリ先生はじっとこちらを見つめたまま微動だにしない。
- 387 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:38
-
「カオリ先生、どうしたんやろ…」
高橋がつぶやく。
「今日はずっと調子が良くなかったみたいですね。事故もありましたし」
妙に落ち着いた口調で紺野が答える。と、矢口が叫んだ。
「あーっ! おいら、メンテの約束をしてたんだ!」
その声に、全員が一斉に矢口を見る。視線を浴びた矢口は、バツが悪そうに小さく漏らす。
「だって…あほゆーこにつかまって…メンテできなかったんだよう…。不可抗力だよう…」
「あの…まさか、自爆装置とかついてないですよねえ?」
石川の一言に、その場にいる全員が凍りつく。
「ジバクぅ!?」
- 388 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:38
-
そしてそのまま、蜂の巣を突っついたような大騒ぎになる。
みんな走り回って逃げ場を探すが、カオリ先生はその動きに反応して大きな目をぐるっと動かす。
その鋭い視線から逃れようと別の方向へ必死に走っても、今度はそっちの方に目の焦点を合わせる。
まるでドッジボールで敵の攻撃から逃げるように、あっちへこっちへ集団移動。
「おーい!」
声がした。安倍が手を振って中庭へと走ってくる。その後ろから後藤も小走りで姿を現す。
「なっち、ごっちん、来ちゃだめぇー!」
「え、なになに? どしたの?」
ぐいんっ。カオリ先生が首を回転させる。そして安倍と後藤に照準を合わせる。
チッチッチッチッ…音はいよいよ大きくなる。
「だめだー! バクハツするー!」
全員その場にしゃがみ込んで、頭を押さえて、目を閉じる。
- 389 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:39
-
ピッ、
ピッ、
ピッ、
ポーン。
- 390 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:39
-
時報の音が響き渡る。と同時に、パーン!と乾いた破裂音がした。
「メリークリスマース!」
おそるおそる目を開けると、カオリ先生のボディが真っ二つに割れて、
背中から紙テープや金銀の紙吹雪が飛び出し、舞っている。
「あれ…?」
みんな呆気にとられていると、カオリ先生の上半身が不満そうに口を開いた。
「ちょっとー、なんでみんなちゃんと見てくれなかったのー? カオリ、せっかく準備したのにぃー」
「え…?」
「カオリのカラダを張ったクラッカー、矢口がメンテしてくれないから
自分ひとりでぜんぶやったんだよ?」
自分の身体から飛び出している紙テープを片付けながらカオリ先生は言う。
見ようによっては自力で内臓を元に戻している、スプラッタな光景と言えなくもない。
- 391 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:40
-
「よいしょっと」
ガコン、と分かれていたボディをはめ込んで、カオリ先生はいつもどおりのナイスバディに戻る。
と、スススッとカオリ先生に近寄ってくる影。
「カオリ先生…わたし、感動しました!」 「どしたの、石川」
目をキラキラさせて、手を胸の前で組んで、石川はカオリ先生にしゃべりかける。
「だって今よっすぃーと一緒に、映画なんかよりももっとスゴい、
本物の『メタルのはらわた』見ることができたんだもんっ!」
その言葉を聞いて矢口は「やっぱコイツわかんねー」と苦笑いして肩をすくめる。
- 392 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:40
-
「よかったね、梨華ちゃん」
安倍は笑顔でみんなのいる方へと寄っていく。と、その姿を目にした吉澤が叫ぶ。
「サ、サ、サンタさんだっ! サンタさんだよぉっ!」
「あれぇ、よっちゃん!」
安倍も吉澤を指差して声をあげる。
「ずっと探してたんだよー。どこに行っても見つからないんだもん」
「こっちこそサンタさんを探してたんスよ!
そうか、安倍さんがサンタだったのか…。気づかなかった…」
吉澤は悔しそうにつぶやくと、ハッと顔を上げる。
「そうだ、ごっちん! ごっちんにサンタをあげないと!って、あれ…?」
安倍の後ろで、後藤が微笑んでいた。
吉澤はそれを見て大きな口を開け、頭上に大きなクエスチョンマークを浮かべる。
「あはっ、ありがと、よっすぃ。よっすぃの探してたサンタクロース、
ちゃんとごとーのところに来てくれたよ」
そう言って吉澤の前に立つ。
そしてふにゃあっ、と柔らかい笑顔。吉澤の心は、それだけでいっぱいになる。
- 393 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:41
-
「あ、そうそうよっちゃん。お願いがあるんだけど、頼まれてくれるかな?」
横から安倍が訊いてきた。
「いいスけど…なんスか?」
訊き返してきた吉澤に、安倍は「ちょっと待ってね」と言い残して、孤児院の建物の中へと消える。
そしてしばらくしてから、白い大きな袋を抱えて戻ってきた。
「コレ、着てくんない?」
差し出された物を見て、吉澤は首を傾げる。
手に取って広げてみると、それはトナカイの着ぐるみだった。
「わー、あったかそー! ふわふわだー!」
「サンタがいるならトナカイもいた方がいいかなって。
よっちゃんなら着てくれると思ってずっと探してたんだけど、
ぜんぜん見つかんなくって渡せなかったんだよ」
「これを着るんですね? よっしゃー!」
- 394 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:41
-
叫ぶと同時に吉澤はその場で上着を脱ぎ出す。
そしてTシャツ1枚になると、トナカイの着ぐるみを着込む。
「シゲさん! 鏡貸して、鏡!」
「あ…ハイ」
道重はいつも持ち歩いている手鏡を吉澤に渡す。
思いっきり手を伸ばして全身を映せるだけ映すと、吉澤は満足そうに言う。
「かっけー! トナカイかっけー!」
そして素早く安倍を肩車すると、ヒヒーンヒヒーンと言いながら孤児院の中庭を走り回る。
「シカなのにウマ…。ウマとシカ…」
「それでいいのかなあ、よっすぃー…」
加護と辻がぼそっとつぶやいてツッコむ。
- 395 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:42
-
「えっと、じゃあそろそろはじめちゃおっか!」
安倍が来たことで準備はすべて整った。矢口の声に、全員拍手でこたえる。
すうっと大きく深呼吸。開会宣言を、みんな固唾を飲んで見守りながら待つ。
「……」
しかし矢口はピタリと止まったままで、少しも動こうとしない。
その様子を見て首をひねったり、互いに顔を見合わせてみたりと、
そわそわした落ち着かない雰囲気が辺りに漂いはじめる。
と、次の瞬間、矢口の口から飛び出した名前。
「──サヤカっ!」
えっ?とみんな一斉に矢口の視線の先を追う。
孤児院の門柱に身体を半分隠すようにして、彼女は立っていた。
- 396 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:42
-
「来てくれたんだね、サヤカ!」
矢口は走り出し、市井の前に立つ。
市井はうつむき加減のまま、わずかに口元を緩めて、「ま、まあね」と答える。
やがて、ぞろぞろとみんなもふたりの方へとやってきた。
懐かしい顔が並んでいる。見慣れない顔も混じっている。
みんな、どこかまぶしそうな表情で市井のことを見つめている。
(──やめて。そんな目で見ないで)
思わず市井はぎゅっと目をつぶる。何も見えない。真っ暗。見ないで。あたしを。
突然身を固くして目を閉じた市井に、矢口はたじろぐ。
「あれ? おいらなんかヘンなコトしたかなあ?」と思っていると、
スッと影が自分のすぐ横を通り抜けて、反射的に矢口は見上げる。
そこには、まっすぐに背筋を伸ばした後藤がいた。曇りのない瞳で一点を見つめ、口を開く。
「ごとーはいちーちゃんのギター、聴きたいな」
- 397 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:43
-
後藤の声が孤児院に響いた。市井にはその声が、
すべてを締め出したはずの視界に飛び込んでくる、ひとすじの光のように感じられた。
市井はそっと目を開けてみる。後藤が毅然と、目の前に立ちはだかっていた。
その強い視線に全身が貫かれた気がして、市井は思わず後ずさる。
「逃げないで!」
後藤が叫んだ。ビクリと大きく震えて、市井の動きは止まる。
孤児院の建物にはね返った後藤の声が、ジン、と余韻を残した。
「聴かせて。今のいちーちゃんを、ごとーに、みんなに、聴かせて」
穏やかな口調で、後藤はもう一度言った。
みんなはその様子を黙って見つめている。
重苦しい空気はゆっくりと降り積もって沈殿して、さらに身動きをとりづらくする。
- 398 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:43
-
「…弾くよ。弾けばいいんだろ。弾いてやるよ」
あきらめ。あるいは、開き直り。市井の声が無造作に沈黙を割る。
しかし、それを聞いた後藤は大きくえくぼをつくってみせた。
「えっと…じゃあさ、サヤカがギターで矢口の歌に伴奏するの。どう?」
安倍が柔らかい口調で提案する。市井は固い表情のままで、うなずいた。
意外なゲストの飛び入り参加が決まって、場は一気に盛り上がる。
クリスマス特有のワクワクした昂揚感が戻ってきて、それまでの緊迫感はウソのように消え去った。
そして歌とギターを聴くべく、みんな雑談をしながら元いた位置へと移動をはじめる。
- 399 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:44
-
(──はは、なんか、処刑台に向かうのってこんなカンジなのかな)
市井がぼんやりとそんなことを考えていると、ふと、手に温かな感触。
驚いて横を見ると、後藤がすました表情で並んで歩いている。
そしてまっすぐ前を向いたまま、目を合わせることなく、市井に声をかける。
「手。冷えちゃうといけないから」
「後藤…」
つぶやく市井に、やはり前を向いたままで後藤は言う。
「いちーちゃんが弱虫だってこと、みんなわかってるよ。ありのままのいちーちゃんを見せてよ。
みんな安心するよ、東京行ってもいちーちゃん変わってないんだ、って」
「でも、あたしは…」
「だいじょうぶ。ギターが上手く弾けないからって、みんないちーちゃんのことキライになると思う?」
後藤の言葉に、市井は黙り込む。言い返せない。
- 400 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:44
-
「そんな薄っぺらいユージョーじゃないでしょ? みんなを、信じてあげて。自分も、信じてあげて」
そこまで言うと、後藤は市井から手を離した。
そして背を向けると小走りで、「ごっちん、こっち!」と手招きしている吉澤トナカイの隣におさまる。
残ったぬくもりをぎゅっと握り締め、市井は矢口の横に立った。
そしてギターケースから、ギターを取り出す。
すると、福田が椅子を1脚持ってきた。
「がんばって」
一言ささやくと、なにごともなかったように聴衆の方へと去っていった。
- 401 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:45
-
市井はその椅子にそっと腰掛けると、空を仰いでふっと息を吐く。
(──あ、晴れてる)
輝いている月と星が目に入る。
朝に空を覆っていた雲は、もうどこかに消え去って跡形もなくなっていた。
ふわりと軽い口調で、市井は矢口に話しかける。
「矢口、明日ってさ、天気、晴れるかなあ?」
「え…? 晴れる…んじゃないの? 星、キレイだし」
「そっか。じゃあ、明日、後藤に街を案内してもらうことにするよ」
「うん。いいんじゃない?」
どしたの急にと、きょとんとした表情の矢口。しかし市井は気にせず、ひそかに気合を入れる。
と、今度は矢口が市井に訊いてきた。
「サヤカ、『サンタが街にやってくる』、弾ける?」
「いいよ。弾く」
「うん。じゃあ、お願い」
──すうっ。深呼吸。
- 402 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:45
-
4拍、ギターの胴を叩いてリズムをとる。そして、サビを模したイントロ。
「さあ あなたから メリークリスマス 私から メリークリスマス
サンタクロース イズ カミン トゥ タウン」
(──あっ!)
しまった、と思ったときにはもう遅かった。
押さえるフレットをまちがえて、別の音を出してしまった。
まだ歌ははじまったばかりだというのに、いきなりミスをしてしまい、冷や汗が吹き出る。
「ね 聞こえてくるでしょう 鈴の音が すぐそこに
サンタクロース イズ カミン トゥ タウン」
しかし矢口はまったく気にせずに歌い続ける。
市井と目が合うと、「ドンマイ」とウィンクしてみせた。気を取り直して、市井も演奏を続ける。
「待ちきれないで おやすみした子に きっとすばらしい プレゼントもって」
矢口の歌、市井のギター。それぞれに一生懸命だが、どこかカタさの取れないパフォーマンス。
「さあ あなたから メリークリスマス 私から メリークリスマス
サンタクロース イズ カミン トゥ タウン」
- 403 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:46
-
1番が終わって、市井はふと後藤に目をやる。
サンタの安倍とトナカイの吉澤に挟まれた後藤は、じっと真剣な眼差しをこちらに送っていた。
──逃げないで!
さっきの声が、頭の中をよぎる。
(そうだった。後藤には明日、街案内をしてもらわないとね。…よしっ)
「さあ あなたから メリークリスマス 私から メリークリスマス
サンタクロース イズ カミン トゥ タウン」
2番に入り、聴いていたみんなが「あれ?」と目を丸くした。
歌っている矢口も気づいて、市井をチラッと見やる。
ギターのリズムが、微妙に変わった。少しつんのめったような、不安定なリズム。
「ね 聞こえてくるでしょう 鈴の音が すぐそこに
サンタクロース イズ カミン トゥ タウン」
しかし市井はひるまない。矢口の透き通った声に耳を傾け、目を閉じる。
もうすぐだ。もうすぐ。もうすぐ…
- 404 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:46
-
「クリスマスイヴを 指おり数えた 幼い思い出もこよいなつかしい」
その瞬間、後藤は光を見た。本当に光が射したのではない。
だが、耳から全身を駆け抜けていくようなまぶしさを、確かに感じた。
聴いていたみんなも、それは同じだった。
ハネるリズムに合わせて、自然と手拍子が起きる。それは、中庭の隅々にまで響いていく。
(ありのままの自分の心をさらけ出して、
あたしと矢口で、そしてみんなで、ひとつの音楽にとけあうんだ──)
「さあ あなたから メリークリスマス 私から メリークリスマス
サンタクロース イズ カミン トゥ タウン
サンタクロース イズ カミン トゥ タウン」
伸びのある矢口の声が夜空に突き抜けていく。
オーロラのように柔らかく広がって、そして、余韻を残して歌は終わる。
市井は弦から指を離す。シンとした空気の中を、キュッ、と小さく音が響いた。
- 405 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:47
-
そして市井はおそるおそる、目を開ける。
真っ先に視界に飛び込んできたもの。それは、後藤の笑顔だった。
──ゆるしたげる
唇が、そう動いた。 ほうっ。大きく息を吐き出す。
飛び出した白いカタマリが、スッと冷たい空気の中に溶けていった。
と、矢口が右手を差し出しているのに気がついた。「なんだあ?」と茫然と眺めていると、
「サヤカ!」
白い歯を見せて矢口は名前を呼ぶ。
「トチっただろー」といたずらっぽい視線を送ってきたが、すぐに満面の笑みになって言う。
「ステキなギターをありがと! おいら、ぜったい歌手になるって決めたよ。もう迷わない」
強い芯の通った声。市井はその手を取ると、答える。
「あたしも、吹っ切れたよ。矢口のステキな歌のおかげだね」
すると矢口は頬を赤らめて照れる。はにかんだ仕草が、なんだかとてもかわいらしい。
- 406 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:47
-
「それとあと──」
そして市井はもう一度後藤に視線を移す。と、後藤が声をあげた。
「いちーちゃん!」
目と目が合う。まっすぐに見つめあうと、後藤は言った。
「今夜さ、うちに泊まっていってよ! いっしょにクリスマスのお祝いしようよ!」
あのときと同じ、無邪気な笑み。
変わらないもの。変わってしまったもの。そして、新しく生まれるもの。
「そうだね」
市井が答える。すべてを乗り越えての笑顔を返して。
後藤は市井の胸元めがけて飛び込んだ。ギターを脇に抱えたままで、それを受け止める。
- 407 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:48
-
「──ねえ、雪だよ!」
「ホントだ! 雪だ!」
辻と加護の声がした。見上げると、空に散らばる星が降るように、雪が舞い降りてきている。
「ホワイトクリスマスだ!」
みんなで、庭の真ん中へと駆け出す。
ひらひらと舞う雪が、月の光を浴びてきらめく。
まるで流れ星の中にいるかのように、無数の光の粒が、周囲を包み込む。
「メリークリスマス!」
「メリークリスマス!」
口々に叫んで、笑いあう。あふれる笑顔が、さらに大きな笑顔を呼んで。
「いちーちゃん、行こう!」
「うん」
後藤が市井の手を引いて走り出す。市井も、それに合わせて走る。
と、その瞬間、市井の頭の中をひとつの疑問がよぎった。
(──あれ? 今って、雲ひとつなく晴れてるはずだよなあ。なんで雪が…?)
- 408 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:48
-
「安倍さーん、これでよかったですかー?」
突然、頭上から、孤児院いっぱいに響く声がした。
全員一斉に振り向いて見上げると、教会の屋根、十字架のところに人影。
「言われたとおりに撒きましたよー」
「こら! シッ! シーッ!」
唇に人差し指を当てて、その人影に向かって安倍が言う。
「もう、せっかく感動的なシーンなんだから、ジャマしちゃダメだよっ!」
「うひょう、すいません! バイト代もらえると思ったら、うれしくって、つい…」
聞き覚えのある声。みんな互いの顔を見合わせる。
「え…」
「じゃあ、これって本物の雪じゃなくって…」
みんなで安倍の方を見る。視線を浴びて、ごめんね、と申し訳なさそうに手を合わせる安倍。
「──ってコトは」
- 409 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:49
-
もう一度、十字架を見上げる。
ぽかんと口を開けて、タレ目でエヘヘエと笑いながらこっちを眺め返している姿が目に入る。
「…なんだよ、小川かよっ!」
孤児院じゅうにこだまする矢口のツッコミ。
「まこちゃん、もういいからさ、下りてきなよ」
「えへぇ、すいませんねぇ」
安倍に言われて屋根から中庭へと下りてくる小川。
市井と矢口はお互いに目を合わせると、肩をすくめる。
「そんじゃ、気を取り直して2曲目いこっか」
「オーケー。後藤、しっかり聴いててよ」
「うんっ」
- 410 名前:第9話 投稿日:2003/12/24(水) 23:49
-
年に一度の特別な夜は、まだはじまったばかり。
輝いている今、この一瞬一瞬を、ずっと忘れないように胸に刻んでおくんだ──。
鳴り出すギターの音、そして重なる歌声。
満天の星空の下、この街じゅうに響き渡るように。
- 411 名前: 投稿日:2003/12/24(水) 23:50
-
ホワイト・スクランブル・フィルムズ
第9話「街をかける少女」 >>345-410
- 412 名前: 投稿日:2003/12/24(水) 23:51
-
ホワイト・スクランブル・フィルムズ
オープニング >>3-9
第1話「いちーちゃん故郷に帰る」 >>11-45
第2話「マンションの鍵貸します」 >>50-96
第3話「そして辻は恋をする」 >>102-133
第4話「探偵的な彼女」 >>136-175
第5話「マユノリティ・リポート」 >>180-206
第6話「キャッチ・ミー Eve ユー・キャン」 >>212-252
第7話「サンタがくれた時間」 >>255-273
第8話「スチームガール」 >>277-342
第9話「街をかける少女」 >>345-410
- 413 名前:◆Xmas/DoM 投稿日:2003/12/24(水) 23:51
- ∩___∩
| ノ ヽ
| ● ● | 終わりですが何か?・・・
| ( _●_) ミ
|:: 丿
|:: " /
|:: /|::. |
|:: / |:: |
/:: / |::. |
/: _/ |:: |
i::_ノ i:_.j
- 414 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/25(木) 11:23
- 全員良かったんですけど、小川のキャラクターが特にツボでした。
構成とか色々大変だっただろう事が想像できて、
それを上回るであろう作者さんのサービス精神に気持ちが暖かになりました。
クリスマスプレゼント、どうもありがとうございました。
- 415 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/25(木) 17:52
- 素敵です。
ナイスなクリスマスプレゼントです。
- 416 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/27(土) 14:21
- おもしろかったー
- 417 名前:名無し読者 投稿日:2003/12/27(土) 18:51
- 小川ワロタw
素敵なプレレントありがとん。
- 418 名前:◆Xmas/DoM 投稿日:2004/01/07(水) 01:18
- | |/ (・e・) \|
| | (∩∩) |
|  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∬´◇`∬ ガンバッテルモン・・・
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レス下さった方もがんばりました。読んでくださった方もがんばりました。皆さんありがとうございました。また来年のクリスマスにお会いしましょう。
- 419 名前:◆Xmas/DoM 投稿日:2004/02/23(月) 00:20
- http://santa-nacci.hp.infoseek.co.jp/top.htm
- 420 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/02(火) 03:17
- なんだ、また内輪小説かよ
読んでないけど
- 421 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/02(火) 07:18
- ochi
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