さよならから始まる恋
- 1 名前:3rdcl 投稿日:2004/01/03(土) 05:24
- 青板で書いている3rdclと申します。
同じ板の「作者フリー 短編用スレ 5集目」に
このシリーズを書いていましたが今回書いた作品が思いの他
長くなりましたのでここで発表させていただければとスレを
立てさせていただきます。
- 2 名前:3rdcl 投稿日:2004/01/03(土) 05:35
-
さよならから始まる恋@
http://m-seek.net/cgi-bin/test/read.cgi/blue/1059546339/256-284
さよならから始まる恋A 曇り時々雨模様
http://m-seek.net/cgi-bin/test/read.cgi/blue/1059546339/373-406
さよならから始まる恋B 精一杯の意地
http://m-seek.net/cgi-bin/test/read.cgi/blue/1059546339/472-484
- 3 名前:さよならから始まる恋C あなたのように 投稿日:2004/01/03(土) 05:37
- 今日は珍しくどしゃぶりの雨が降っている。
こんな日はどこへも行きたくない。
ましてや、こなしたくもない予定が入っているとなおさらだ。
目覚まし時計は午前六時を指していた。
予定の時刻は午後の三時で一時間も前に家を出れば余裕で間に合う。
(やっぱ、緊張してるんだ。昔の仲間に会いに行くだけなのに・・・)
体は正直だ。頭ではいくら否定しても正直に反応してしまう。
五日前、事務所を辞めたときは引退した私を見て
今のモーニング娘の子達はどんな反応するかなと楽しむ余裕もあったけど
中途半端な時間が私の心から根拠のない自信を少しずつ奪っていった。
- 4 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 05:38
-
私の住む1DKのマンションの窓の外から見える空も薄暗く、
太陽が昇りきる時刻になっても明るくなりそうもなかった。
(こりゃいいわ。私の心の中と一緒だ。
これでカラッと晴れてた日には余計鬱な気持ちになるところだった。)
私は人生の中で初めて、悪天候に感謝する。
(ただ、昔いたグループのメンバーに会ってさよならするだけなのに
どうしてこんなに気が重いんだろう。
向こうは何とも思ってないはずなのに・・・・・)
私が在籍していた当時のメンバーを指で数える。
一期つまり、オリメンのなっちこと安倍なつみ、飯田佳織、そして同期の矢口真里、
いまいる十五人のメンバーのうち私と活動した人は三人しか残っていない。
もしかしたら(さよなら)をすることで、私が彼女たちと別の世界の人間になってしまい
もう二度と同じ目線で立つことができないことが恐いのかもしれない。
- 5 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 05:40
- 少なくとも私の三年間のソロ活動は希望だけはあった。
どんなに結果が出なくてもいつか
モーニング娘のなかの一人のメンバーとしての市井沙耶香ではなく、
一流のシンガーソングライターとしての市井沙耶香を世間に認めさせる。
そのためになら
日を昇る勢いの国民的アイドルグループの一員という名声を捨てることに
私は何のためらいもなかった。
その気持ちがあったから私は『クビ』になるまでの
時間を精一杯やってこれたのだと思う。
私が怖いのはその望みが完璧に途絶えてしまうことなんだと思う。
- 6 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 05:41
- ライブハウスで歌えればまだいいほうで、
ひどいときはマネージャーと私と音響関係のスタッフが一人きりで
ちょっと大きなスーパーで、青空カラオケとほぼ変わらない状態で歌を歌ったときも
私は目標があったから、強がりではなく本当に充実していた。
「何やっているんだろう?」という興味本位で観ていて、
演歌しか聞かないんだろうなと思われるような
おじさん、おばさんから慣れない歌詞やメロディーラインで理解できてもいないのに
暖かい声援や拍手をもらって
名前も聞いたことのない売れない歌手に対する同情かなという気持ちもあったけど
それでもあの人たちの気持ちは本当に嬉かった。
でもそういう心構えでいられたのは私に目標があったわけで
その目標から私が近づくどころか遥か遠くへ離れてしまうと思うと正直つらい。
- 7 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 05:46
- (本当に別のグループになっちゃったんだね。)
今さらながら私は考える。
私は復帰してからの三年間毎日必死で、
昔在籍していたグループのことなど振り向きもしなかった。
つまり自分のことに精一杯で周りを見渡す余裕などもなかったわけだ。
(私なりに頑張ったんだけどな。)
私は一人苦笑いを浮かべて、ベットから出て照明をつける。
まだ寝たりない気持ちがあったけど一度目が覚めてしまったものはしょうがない。
部屋の中はこの五日間、部屋から一歩も出ずに見た
娘時代のDVDやビデオテープが散乱している。
呼吸をすることも忘れるぐらい夢中になって、
当時の出来事や気持ちが最近のことように思い出された。
今までは過去を振り返るなんて、自分の未来を諦めるものだと決め付けて
一切それらを見なかった。
彼女達に会うという予定がなければ今回もそれらを見ようとも思わなかった。
たぶん五日間という中途半端な待機時間が、私の気持ちの何かを狂わしたのだろう。
- 8 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 05:47
- 少し苦めのコーヒーを入れてトーストを焼く。
テレビをつけようとも思ったがそれもかったるくなり、テーブルの上に置いてある写真立てを眺める。
そこには、弾けるような笑顔のなっちと私と真理が写っていた。
他の写真は私の目の届かないところに片付けたけど、これだけは私の側に置いておきたかった。
この写真を片付けることができないのは、
それが私の人生の中でもっとも充実していて楽しかった頃の記憶を表しているからだと思う。
過去の栄光?にすがる気はさらさらないが、
自分達が築きあげてきたものを否定する気もない。
(嫌だな。思考の迷路に入っていてなんか暗いや。)
写真一枚からいろいろ瞑想に入ってしまった私は自分を軽く戒める。
そうでもしないと記憶の海に溺れて私はいつまでも抜け出せないだろう。
自分でも今の精神状態が普通ではないことは理解していた。
そしてその原因らしきものも推測できていた。
- 9 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 05:48
- それは自分の娘時代の記録をみることによって、
ものすごくエネルギーを使って疲れたからだと思う。
自分がいた頃の娘はテレビ番組の力もあって昇っていく一方だった。
そして、人よりちょっと可愛いだけが取り柄だった私達がその時代の波に追いつこうと
不器用ながらも必死だったときだ。
何をやっても上手くいったし、三日ぐらい寝る時間が無くてもつらいとは一度も思わなかった。
それは私だけでなく他のメンバーも一緒だったと思う。
その時のあまりにも輝いていて眩しいくらいの記憶が
半分抜け殻のようになった私の心に大きな衝撃を与えたのだろう。
体が元気なときは劇薬というのは大きな効果をもたらすらしいが、
体が弱っているときにはかえって毒になるらしい。
そして残念ながら私の今の状態は後者だった。
- 10 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 05:48
- 何もせずにいても時間はゆっくりと確実に流れていく。
私はふと携帯のスイッチをずっと切りっぱなしだったのを思い出した。
(まだ、スイッチを入れられない。)
こんな私にでもメールや電話をしてくれる人は何人もいる。
でも、今はメッセージを読みたくなかったし声も聞きたくなかった。
窓の外は私の予想通り暗いままで、今日は太陽が顔を見せることはないと思う。
通学時間のせいか、道行く制服たちが今の私にまぶしく映る。
(あの子たちとそんなに年かわらないのにね。)
我ながら老けてしまったような考え方がおかしかった。
その学生服の集団の横を通勤中らしいOLやサラリーマンが急ぎ足で追い越していく。
私もいつまでも引きこもっているわけにはいかない。
また目標を見つけて走り出さなければ(市井沙耶香)という人間の存在価値は無い。
そのスタートラインをきるためにも昔の仲間に会ってこなければいけない。
- 11 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 05:49
- 私は二日ぶりにシャワーを浴びると、
事務所を辞めた帰りに寄った店でコーディネートした服を着て
軽く化粧をする。
見栄を張る気は無いが、
国民的アイドルグループのメンバーに会いに行くんだから
それななりの格好でいかなくては行けない。
ましてや元芸能人としては尚更だ。
久しぶりに鏡の前で格闘しながら、
あの子達に何をお土産に買っていこうか考える。
十五人もいるんだから結構な量をもっていかなくてはいけない。
(どこかおいしいお菓子屋さんあったかな?)
そこそこ日持ちがして、若い子に喜ばれるものを持っていきたい。
家を出るまで時間があると思ったが、そういう物の手配などを考えると
そうでもないのかもしれない。
私は久しぶりに頭と体を起動させて、昔の仲間に会いにいくための準備を始めた。
- 12 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 05:50
- 「大きいな。」
私が娘時代良く出入りしていたテレビ局のビルを見上げた。
その当時は地下の関係者出入り口からしか、
出入りしなかったのでこうやってまともに正面から見たことが無かった。
いや、正確には何度も目にしたことはあったのだけど
娘時代の私の瞳にはこの建物がそれほど強大に映らなかったのだろう。
私は大きく息を吸うと正面の入り口から入って、入館手続きをとる。
ボーイッシュな格好に丸い色のついたサングラス、
両手には洋菓子店の袋がぶら下がっていて、どう考えてもこの場にいるのが似つかわしくなかった。
- 13 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 05:50
- 受付の警備員もそんな私がもの珍しいのか、
出入記録台帳に記入している私をじろじろ見つめる。
「すいません。人と会う約束しているんで内線貸してもらえますか?」
「どこにかけますか?」
警備員が聞いてくるので
私はいまモーニング娘が待機している部屋の番号を告げると男の顔色が変わる。
「すいません。そこは緊急時以外かけれないんですよ。」
考えて見れば当然だろう。
芸能人、しかもトップアイドルの待機室に
『一般人』からの電話をとりついたら大目玉ものだろう。
しかも、私の今の格好はサングラスのせいか、
どう見てもカッコいい中性的な男にしか見えない。
- 14 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 05:51
- 「まいったな。」
実はあまり困ってないのに私は何となくつぶやくと
目の前の警備員は本当に困った表情を浮かべていた。
もしかしたら、頭のおかしいアイドルの追っかけだと思い込んだのかもしれない。
こんなことなら、今の娘のスタッフの電話番号聞いておくんだったと後悔した。
(まだ、芸能人根性が抜けてないな。)
こういうことをマネージャーがしっかりやっていてくれたおかげで
自分で調べるという概念が抜けてしまっていた。
(しょうがない、真理にでも迎えに来てもらおうかな。)
あまり気乗りはしないけれども、中に入るにはそれしかない。
(本当に雲の上の人になっちゃってんだね。)
自分がかつてその一員だったことが夢のようで、
私はため息をかるくつく。
- 15 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 05:51
- あれ?市井じゃないか。』
振り向くとかつて私達のマネージャーだった男が立っていた。
「お久しぶりです。和田さん。」
確率は0でないにしろ、こんなに広い建物の中で同じ時間に逢うとは思わなかった。
『どうした、こんなところで。』
私は手に持った荷物を上にあげて見せた。
『そっか。最後の挨拶廻りか。』
その意味を和田さんが素早く察っする。
企画力はあるが強引で自己中なこの男をあまり好きではないが
頭の回転の速さは相変わらずみたいだ。
- 16 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 05:52
- 「ええ、それできたんですけど
なかなか中に入れなくて。」
私が苦笑いを浮かべる。
『こんなんじゃあの子らのとこまで着けんぞ。ガードが固いからな。
しょうがない。俺が案内してやるよ』
和田さんが警備員のほうをみると彼は黙って入館のバッチを差し出した。
こういう時に顔が利くというか、コネというものの強さを思い知る。
私は警備員に軽く会釈すると、彼は軽く表情を崩し敬礼してみせた。
根は気持ちのいい男なのだろう。
『市井、行くぞ』
和田さんの大声になにか懐かしいものを感じながら「ハイ」と私は答えた。
- 17 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 05:53
-
『市井、ずいぶんかっこいいな。
男性向けモデルで通用するぞ。まあ身長が足らんけどな。』
広い廊下を歩きながら、目的のエレベーターまで歩く。
ただでさえ広いのに、中は入りくんでいて迷路のように思える。
何でもクーデターやテロ行為がおこったときに簡単に占拠されないためらしい。
「和田さん、今日は何の用で?」
『営業だよ。』
ぶっきらぼうに和田さんはつぶやく。
別に悪気があるわけでなくこういうしゃべりかたをする男だった。
- 18 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 05:53
- 「えーと、確かいま・・・・・・・」
私は彼が担当しているタレントの顔を思い浮かべる。
『結構力入れてるんだけどな鳴かず飛ばずやな。
お前らの時みたいに上手くいかんは』
和田さんがどこか懐かしむような声で言う。
彼にとっても私たちが昇っていた時代は遠い夏の太陽みたいなものなのだろう。
一生忘れることができないほど強烈に、
記憶に残っているけどもう二度と戻れない。
娘を自分から辞めた私、
くだらない派閥争いに敗れて私たちの担当を外された和田さん、
娘から離れた事情は違っても、それに対する気持ちは似たようなものなのかもしれない。
- 19 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 05:56
- 『ところでお前もスッキリしただろ。』
<クビ>になった人間に対する言い草とは思えない彼らしい言い方に
私は首をすくめてみせる。
「和田さんは、こうなると思ってました?」
私は思い切って聞いてみる。
この男のいいところは世間の評価と関係なくいいものはいい、悪いものは駄目とはっきり言えるところだ
『娘抜けた時点で終わったと俺は思ってたよ。
いい曲もらえたら生き残れるかもとは思ったけどな
なかなかそんな曲はまわってこんしな。』
自分の担当のタレントのことを思ったのか、この男にしては珍しくため息をつく。
「私に何が足りなかったでしょうか?」
『俺にそれを言わせんのか?
お前が一番良くわかってるだろ。元担当マネージャーだぞ俺は』
私たちの担当時代はデリカシーの欠片もない男だと思っていたけど
自分の担当した人間の欠点は言いたくないらしい。
和田さんは軽く笑い飛ばしてみせると、
ちょうど目の前のエレベーターのドアが開いたので、中に入って目的のフロアの番号を押す。
- 20 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 05:57
- 私達はエレベーターの中で終始無言だった。
別に話すネタがないわけでなく、他の人がたくさん乗ってきたからだ。
目的のフロアにつくと和田さんは何人かのスタッフに話を通す。
私が現役のころとは違いスタッフも入れ替わってしまっていた。
『市井、話通しといたから。一番奥の部屋な。』
和田さんはそれだけ言うとエレベーターに乗り込もうとする。
「和田さんは会っていかないんですか?」
『俺は嫌われているからな。・・・・・・・・・
それにいまの担当がいい気持ちせんだろ。』
ポツリと最後に言った一言が彼の本音だろ。
- 21 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 05:58
- 「わざわざ、ありがとうございました。」
私を送るためだけに時間を割いてくれた彼に感謝する。
『ああ、しばらく会うことないかもしれんが元気でな。』
私に背を向けて軽く手をあげる。彼なりに照れているのかもしれない。
『和田さん、なんか元気ないですね。』
「ん?こんなもんだろ。
娘の担当時代はお前らから気合をもらってたからな。」
振り向きもせずに言うとエレベータに乗り込んだ彼の姿は見えなくなった。
- 22 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 05:59
- 私が通りすがるスタッフに会釈をしながら奥の部屋に進むと
中から楽しそうな笑い声が漏れてくる。
その扉を軽くノックして開ける。
突然の来訪者に驚いたのか一斉に視線が私の方に集まる。
私が顔を覚えているのは入れ違いだったら四期までで、
半分以上は知らないことになるし、向こうも当然私の顔を知らないだろう。
『沙耶香!』
同期の矢口真理がいち早く気付いて、私のほうに駆け寄る。
「真理、久しぶり。」
真理と私とここにはいないもう一人の保田圭は、
最初の追加メンバーでいわゆる二期メンというやつだっった。
今でこそ娘は追加があって当たり前となっているが、
その当時はそんな雰囲気はなく
半年ほど早くデビューしただけの初期のメンバーの何人からと
それを神聖視する一部のファンからの冷たい態度や心無い言葉にずいぶん傷つけられた。
真理はそんな時代を共に励ましあって過ごした私の大切な仲間だった。
- 23 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 06:00
- 『何やってたのよ。電話してもつながんないしさ!』
真理は膨れっ面をしてみせながらも、私が両手にぶら下げてる大きな袋が気になったのか目をそちらに向ける。
「あ・・・・・これお土産。
何となく手ぶらっていうのも格好つかないしさ。」
『何もこんなに買ってくることないでしょ。』
真理があきれたように言う。
確かにお店の人に「配達しましょうか?」と聞かれるほどの量だった。
「いや、人数がいっぱい増えちゃったし
みんな若いからお腹空いてるかなと思って。」
『そう。でもその格好に全然似合ってないけどな。ありがとう。』
素直に自分の気持ちを伝えるときに
照れ隠しのせいか軽く嫌味を言う真理の言葉が変わってなくて嬉しかった。
- 24 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 06:01
- 「沙耶香、残念だったね。」
そう言ってきたのはオリメンの飯田香織だった。
こうやって生で見るとスタイルがよくて顔も整っているのに、
なぜかテレビに映ると魅力がなくなる不思議な人だ。
私の周りに人が徐々に集まってくるが
みんなどう接したらいいか困っているようだ。
(それは困るわね。部活で言えば名前だけ知ってる面識の無い先輩がいきなり来たようなもんだからね。)
『あ、みんな紹介しとくね。
4期の子までは顔合わせたことあると思うけど、
私の同期で市井沙耶香。』
真理が気を利かして素早く皆に私を紹介する。
「こんにちは、昔在籍していた市井です。
今日はちょっと挨拶にきました。」
私は挨拶にきた理由までを言わなかったが、
この娘たちはみんな知っているらしい。
- 25 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 06:01
- 特に若干面識のある4期のメンバー達が複雑な表情を浮かべている。
「みんな、挨拶したら好きなことしてていいから。」
香織が素早くこの場を仕切る。
こうでもしなくては十五人もいるメンバーをまとめることができないのだろう。
私は一人一人のメンバーと会釈する。
そのうちのほとんどの人間とはもう会うこともないのに馬鹿らしいとも思うが
社会人としての常識ではそういったものも必要だ。
私は最後の一人と挨拶をし終ると、誰にも気づかれないようにため息をついた。
- 26 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 06:02
- 『沙耶香お疲れさま。』
そんな私の心境をお見通しなのか、笑って声をかけてくれる。
『お土産、『イル・ピノーロ』のアップルパイだったんだ。』
「うん。後藤が好きだったからね。」
何を買っていくのか迷ったあげく、
私が教育係なるものをしていた後藤真希の顔が浮かんで
彼女がいないのはわかっていたが、つい買ってきてしまった。
「あの、市井さんどうぞ」
「えーと、石川さんありがとう。」
気を利かして、4期の石川理華ちゃんがお茶を入れてくれた。
最初見たときは神経質そうな子で大丈夫かなと思っていけど、
無事娘のエース候補として成長しているようだ。
- 27 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 06:04
- 「あの子色っぽくなったね。」
自分の記憶に残っている自信無げな少女と、今の彼女を比べてその変貌に驚く。
『そうでしょ。女ばかりでいるせいか私もたまにドキッてしちゃうのよね。』
真理が理華ちゃんの背中をちらりと見ながら答える。
その表情は見守るような優しいもので
私がいた時代には見せる必要がないものだった。
「そういえば、なっちは?」
『収録中。もう少しで終わると思うんだけど。』
「あっそう、でもそろそろ帰ろうかな。」
真理とはもう少し話をしていたかったが、
この場所は私が居る場所ではない。
それに私は、なっちに会いたい気持ちより会いたくない気持ちのほうが強かった。
- 28 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 06:06
- 『ダメー、まだまだ帰さないぞ。』
真理がふざけて私に抱きつく。
彼女は私が娘を辞めた本当の理由を知っているただ一人の人間だ。
私がその原因となった人間はむこうがどう思っているか知らないけど、
私にとっては愛すべき友人であって、真理にとってはたった一人の親友になる。
『逃げちゃだめだよ。つらいのはわかるけど。
なっちに会わなきゃ何も終わらないし何も始まらないよ。』
真理が私にだけ聞こえる声でささやく。
私が「そうだったね。」と返事をしようとしたとき、ちょうど入り口のドアが開いて
額に軽く汗を流した、なっちが入ってきた。
私が在籍していた当時よりも細くなって、だいぶ綺麗になったと思うけど
やっかみではなく、その頃のなっちとは何かが違っていて私の目には昔のなっちのほうが魅力的に映った。
- 29 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 06:07
- 『沙耶香・・・・・・・・』
なっちは私を見て口元を緩ませる。
こうやって面と向き合うのは随分久しぶりだ。
「・・・・久しぶり」
私はやっとのことでそれだけ言った。
口から出したい言葉はたくさんあるはずなのにそれが声にならない。
『沙耶香、『クビ』になったんだって。』
いきなり、なっちの声は大きくないけど楽屋中に十分聞こえる響きを持っていた。
その瞬間、これ以上望むまでもないほどぴったしに急に音が無くなり
何事かと他の娘たちの視線が私たちに集まるのを感じる。
『シンガーソングライターだっけ?
それともアーティストだっけ、そんなのになるんじゃなかったの?』
なっちが意地悪く微笑む。
さすがの私も驚いてしばらく思考が停止してしまった。
毒を吐く癖は経験上十分承知していたけど、まさかこの場でやってくるとは思わなかった。
- 30 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 06:09
- 「うん。そうだったけど駄目みたい。」
私が無理に笑みを浮かべてそれだけ言うと、なっちの表情が少し変わった。
やっかいなことに、私が好きななっちの表情はテレビで映っているときのような笑顔ではなく
彼女がたまに浮かべるムキになって怒る表情や、今まで一度しか見たことのない蔑むような冷たい目だった。
『あ、そうなんだ。なっちのバックダンサーにしてあげようか?』
あまりの言い草に私よりも、周りのメンバーが動揺する。
普段なら誰かが止めに入るのだろうけど、あまりにも発言の内容がすざましいので誰も動けない。
「うん。お願いしようかな?」
私がそれも悪くないかと思い言いかけると、そのセリフが終わる前に乾いた音が部屋中に響いた。
あまりに急なので自分の頬が熱を持つまで何が起きたか分からなかった。
驚いてなっちの顔を見ようと思うと第二発が飛んできて、
私はよけることもできず、見事に音を立てた。
- 31 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 06:09
- 『じゃあ、私まだ収録が残っているから。』
呆然とする私たちを尻目になっちは、何事もなかったように部屋を出ていく。
私のほうを一度も振り返らずに。
ドアが閉まる音で呪文が解けたように、石川理華ちゃんが追いかけようとするのを真理が止める。
「でも・・・・・・」
理華ちゃんはなっちのことが心配なのか泣きそうな顔で真理に訴える。
『大丈夫だからね。』
理華ちゃんの背中を抱きながら、言い聞かせる。
『沙耶香、責任とって追いかけて』
真理は私のほうを見て笑いかける。
- 32 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 06:11
- 「冗談でしょ?
来るなりいきなり嫌味を言われて、その上二発も殴られて二発だよ?
普通二回も叩く?
その私がなんでなっちを追いかけなきゃいけないのよ!
普通なら挫折した私を優しくなぐさめるべきでしょ。
立場がまるっきり反対じゃん。
しかもなっちのほうが二つも年上なんだよ。」
納得がいかず真理に講義する。
『なんで叩かれたか分かってるでしょ?
なっちあれでも沙耶香のこと心配してたんだよ。
ヤケになって変なことするんじゃないか、下手したら自殺しちゃうかもって。
電話しても?がんないし、あんたに会いに行きたくても私たち缶詰状態だし・・・・・』
「それは私が悪かったけど、ヤケとか自殺とかね。
どうしてそういう結論になるかな。
私だって子供じゃないんだから。」
- 33 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 06:12
- 私がなっちの大げさな考えに多少呆れながらも、
自分のことをそこまで心配してくれている人間がいたことに
嬉しいような申し訳ないような気持ちになる。
『まあ、相手がなっちだからね。
それでなっちの嫌味に対するあの反応でしょ?
ヤケになってると勘違いされて頭にきちゃったんだと思う。』
真理がなっちの気持ちを私に分かりやすく解説する。
私もなっちの思いを薄々わかっていたけど、
真理が言葉にするとその形がくっきり浮かびあがってくる。
「なっちって素直じゃないね。」
彼女の小学生のような屈折した愛情表現に私は呆れてため息をつく。
- 34 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 06:13
- 『沙耶香ほどじゃないよ。
あんたあそこで怒ってなっちに言い返せば良かったのよ。
そうすればなっちも安心したのに』
真理がこともなげに言い返す。
確かに言ってることは間違ってない。
なっちは私を怒らせて気持ちを知りたかったんだと思う。
「うん。なっちのとこ行ってくるよ。
あ・・・・でも今収録中だっけ?」
(そうか、なっちにはきっちり謝っとかないと、
今度いつ会えるか分からないし)
悔いだけ残したくないので、なっちの顔をもう一度見たいと思ったが
彼女が収録中だと言っていたので、しばらくここで待たせてもらわなければいけないかもしれない。
- 35 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 06:14
- 「あっ、それ嘘だから。
あの子今日はもうフリー。」
今まで黙っていた香織がポツリとつぶやく。
昔の香織は私たち二期メンとも折り合いが悪く、なっちとの仲も険悪だった。
それは彼女が悪いのではなく、
二期メンに対しては後から入ってきた連中に負けれないという気持ち
なっちに対しては、彼女ばかり娘の顔としてクローズアップされることに対する嫉妬だったと思う。
「例の場所にいると思うからさ、行ってあげてくれる。
あと風邪を引かれると嫌だから」
そう言ってとてもなっちには似合いそうも無い毛皮のコートを私に差し出す。
「これ、香織の?」
「そうだよ。汚さないようにいっといてね。
あの娘すぐなんでもこぼすから」
それなら貸さなきゃいいという言葉を途中で飲み込む。
彼女なりのなっちに対する愛情表現で自分でも素直に認めたくないんだろう。
(モーニング娘って変わり者の集まりかな。)
今はいない昔のメンバーの顔を思い浮かべて私はクビを振った。
- 36 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 06:15
- 「あの、安倍さんが失礼なこと言ってすいませんでした。
でも市井さんの、引退を聞いた日からずっと心ここにあらずで
時間が空くと何度も何度も携帯の番号押してたんです。」
理華ちゃんが私にペコリと頭を下げる。
(えーっとなっちより四つ下だけ、彼女のほうがずーっとしっかりしてるわ。)
今の理華ちゃんと同じ年齢だった頃のなっちを思い出すとつい笑ってしまう。
その頃はなっちを初めとする私と真理の通称三馬鹿トリオで、
いつもはしゃぎまわって些細ないたずらをし
その度に、いつもマネージャーや事務所のスタッフに怒られていた。
普段裕ちゃんが私たちを怒るくせにそういう時にかばってくれたのは嬉しかった。
その頃のなっちと理華ちゃんが同じ年になる。
娘の平均年齢がかなり低くなったせいで、
私たちの頃のように甘えるわけにもいかないのだろうと思うと少しかわいそうにもなる。
- 37 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 06:16
- 「なんで、石川さんが謝るのかな?」
私は意地の悪い気持ちになって彼女に聞き返すと、耳まで赤く染めて答えられないでいる。
(なっちは相変わらずもてるよな。)
私は彼女の初々しい態度をみて、ため息を一つ吐く。
「あっ、沙耶香屋上寒いと思うからコーヒーでも買っていってあげて。」
今度は真理が口を挟む。
香織といい理華ちゃんといいここまで、
思われているいるなっちが娘を卒業するのはいいことかどうか分からない。
- 38 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 06:17
- 「真理、念のため聞いとくけどこのままほっといたらなっちどうなるかな?」
私はドアに手をかけて体を半分出しながら、頭にふと浮かんだ疑問を問いかける。
『意地でも降りてこないだろうね。
少なくとも誰か呼びにいくまでは。』
「そんなの分かっているでしょ」という表情で真理が答える。
そういうところは私が知っているなっちと変わってなくてなんとなく嬉しかった。
真理の「頼んだからね。」という声と理華ちゃんの「安倍さんのことよろしくお願いします。」
という言葉を背に私はこの建物の屋上に向かう。
- 39 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 06:17
- 腕に真理から貸してもらったスタッフ章をつけているおかげで
誰からも咎められる事がなく屋上まで出れた。
建物が高いせいで風が強く、ただでさえ寒い季節なのに余計寒く感じる。
おまけに天気が悪く太陽が出てないのでなおさらだ。
天気が良ければポツリポツリと見える人影も、
今日はどこにもない。
(こんなところに、コートも着ないで一時間もいれば本当に風邪を引くね。)
私をコートのポケットに手を突っ込みながら、
屋上の一番先のフェンスに前倒れになって寄りかかっている小さな背中に近づく。
「なっち、こんなとこにいたら風邪引いちゃうぞ。」
私が声をかけるが、なっちは怒っているのか完全に私の声を無視してピクリとも動かない。
- 40 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 06:18
- (子供じゃないんだからさ。)
あまりにも幼稚な行動に私は呆れたけど、逆にこれがなっちなんだと変な部分で納得してしまう。
(しょうがないか。)
私はここに来る途中で買った、缶コーヒーをなっちの柔らかそうな頬に思いっきり寄せてみた。
『何すんのさ!』
なっちがびっくりして私に食って掛かったあと、しまったというように口に手をあてる。
「なっち、香織と真理からの伝語、
風邪引かれてみんなにうつされると嫌だから早く降りてきなだって。」
私はそう言って、香織から預かったコートをなっちに掛ける。
『ねー。これあったかいよ。すごい毛皮かな?』
強がっていたけど、やっぱし寒かったらしくコートがよほど嬉しかったみたいで
さっきまで、怒っていたのを忘れたのか無邪気にはしゃいでいる。
- 41 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 06:22
-
「なっち、ごめんね。そのいろいろ心配掛けてさ。」
私はなっちの分の缶のふたを開けて彼女に手渡す。
『なんで謝んのさ。
沙耶香のことなんてこれっぽっちも気にしてないし
さっきもひどいこと言って、頬も叩いたでしょ』
なっちはそう言って私の両方の頬に冷たくなった手をあてる。
熱くなっていた頬にその手の温度はちょうど良くて心地良かった。
「なっちやることが、くさいんだよね。
さっきだってわざと私を怒らせようとしてたんでしょ。」
『そんなことするわけないじゃん。』
なっちは頬を膨らませて横を向いたがその仕草が私の言葉が事実だということを肯定している。
- 42 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 06:23
- 『それはね、少しは心配したさ。』
ずっと黙ったままなっちの瞳を覗き込んでいる私に我慢しきれなくなったのかなっちが口を開き始めた。
『携帯に何度電話しても?がんないし、
いきなり来たかと思えばどこかのホストみたいな格好してるし
私が挑発してもヘラヘラ笑ってるから頭に来るわよ!』
話していて怒りが再発したのか、私の頬をかなりの強さで引っ張る。
「なっち痛いよ。」
珍しく情けない声を出した私に満足したのか、手の力を緩めて
『少しは反省した?』
と言ってなっちは三年前と変わらない顔で微笑んだ。
「うん。」
私はなっちの前で久しぶりに素直な自分に戻ってうなずいた。
彼女の前でこんな態度をとるのは随分久しぶりのような気がする。
少なくとも後藤が入るより前の事になると思う。
- 43 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 06:24
- 『沙耶香、残念だったね。』
なっちは缶コーヒーをすすりながら遠くを見る。
私となっちの共通の思い出は三年以上前でないと存在しない。
たかが三年だけど、私たちにとってその時間はなっちが今見ている方向と
同じくらい遠いものに思えた。
『これから、なにかやりたいことあるの?』
なっちは私が距離を置こうとしてもごく自然にその距離を縮めてくる。
普段は子供ぽっいのにこういうときは、近所の頼れる優しいお姉さんになって
例えば自分の母親にも話せないことでも上手に聞き出してくれる。
「前のマネージャーさんには、
『また戻ってきます。』なんてタンカ切っちゃったんだけどね。
正直迷ってんだ。これからどうしようって。」
私は始めて他人に自分の持っている不安を口に出した。
そうしてみて初めて私は自分に大丈夫だと思い込ませていただけで
実はその根拠のない自信は薄いメッキでその中身は敗北感と将来への不安で
いっぱいだったということに気づいた。
- 44 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 06:25
- 『なっちね、沙耶香になんて声かけようかってずっと悩んでた。
大丈夫だよとか、またチャンスはあるよとか言うのは簡単なんだけどね。』
なっちが自分の指に私の髪を絡ませる。
『結局、最後の答えは自分で決めるしかないんだから
思いっきり悩みな。
話だけならいくらでも聞くからさ。』
なっちはいきなり私のコートのポケットを探って、電源が切ってある私の携帯を取り上げる。
『これからは電源切らないでね。
こんなおもちゃみたいなものでも、
今のなっちと沙耶香を繋ぐのはこれしかないんだから。』
「分かった。約束する。」
私がそう言うとなっちは電源を入れて私の携帯を返してくれた。
- 45 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 06:26
- 「なっちさ、私のこと恨んでない?」
私は今までずっと胸に溜めていたことを口に出す。
『どうしたのさ。急に。』
なっちはそんな事を忘れているかのように私に笑いかける。
「なっちは、こんな私のこと心から心配してくれて優しく包んでくれる。
でも私はなっちがピンチの時に何もしてあげられなかった。」
『しょうがないでしょ。なっちお姉ちゃんだからさ。』
なっちは強引に私の顔を自分の胸に引き寄せる。
『随分前のことなのに沙耶香ずっと覚えていたんだ。』
なっちの体の香りが暑い夏を思い出させる。
- 46 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 06:30
- その頃の私たちは昇りに昇っていたけど
どうしても、もう一段高い場所に行けずにいた。
その苛立ち。そして娘の顔として常にスポットライトを浴びるなっちへの嫉妬。
それは私だけでなく、他のメンバー全員が感じていたものだった。
なっちはなっちで娘の顔としてのプレッシャーと、仲間からの嫉妬。
内からも外からも攻められていて、精神状態はぼろぼろだったと思う。
私はなっちのことが好きだったけどそれ以上に前に立ちたかった。
彼女のバックダンサーになるために娘に入ったわけではない。
その思いは娘の誰もが同じで、なっちは徐々に孤立せざるを得なくなっていった。
なっちは少しずつおかしくなっていって、
異常に太ったり、ある若手俳優と密会の場を撮られたりと
アイドルとしては致命的な失敗を犯していった。
私はその時にまだなっちを助けることができたはずなのに何もしなかった。
きっとまともに太刀打ちしては叶わないなっちが自分から崩壊していくのを
心の奥底で望んでいたんだと思う。
- 47 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 06:34
- 「忘れられないよ。
人間てどこまでも残酷になれるんだなって、
これでもなっちのこと結構好きだったのにね」
『それで娘辞めたんだ。』
なっちは突然何もかもが納得いったという感じでつぶやいた。
普段は鈍いくせにこういうときの直感はすごい。
「・・・・・・私なっちになりたかった。
みんなに愛されて、みんなを夢中にさせる、
そして誰にも優しいあなたのように・・・・・・
娘にいたらなっちを超えることは絶対に無理だと分かったの。
だから、ほんの少しの可能性を賭けて外に出た。」
私は自分でも分からなかった娘を本当に出た理由。
お金が欲しいわけでも一流のシンガーソングライターになって名声が欲しいわけでもなかった。
なっちに嫉妬してくだらない態度をとり続けている自分がとてつもなく嫌で
その存在を消してしまいたかった。
私はただ彼女のようになりたかった。
眩しくてただ背中をみつめることしかできなかった彼女の横に立ちたい。
そして彼女に私をライバルとして認めて欲しい。
それが本当の私の望みだった。
- 48 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 06:37
- 『矢口がね、なっちのこと馬鹿だ、馬鹿だって言うんだけど、
もっと馬鹿がここにいたね。』
なっちが私の背中に優しく手をかける。
『沙耶香泣いちゃ駄目だよ。
香織のコート汚したらなっちが怒られちゃうからさ。』
この人らしい気の使い方で私を笑わせようとしてくれる。
「子供じゃないんだからさ、泣くわけないじゃん。」
私は自分でも泣いているのか、泣いていないのかよく分からなかった。
『なっちはそんなかっこいい人間じゃないよ。
遅刻はするし、歌の歌詞は忘れるし、七つも年下の子と一緒にはしゃいで香織に怒られるしね。
もっと普段の安倍なつみをみてなきゃ駄目だぞ』
なっちは私に背中を向けると両手を広げて大きく呼吸をする。
- 49 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 06:38
- 『この場所でね。
なっちのこと好きだっていってくれた子がいたの。
自分から言ったことは何回かあったんだけど、
真剣に人から言ってもらったのは初めてですごく嬉しかった。
その子のことはなっちもずーっと気になっていたけど、
近くにいるけどなかなか一緒になる機会がなくて
三年間何もできなくて、あきらめてたの。
でもなっちがその子をずっと見てたように、その子もなっちのことずっと見ててくれて
その時分かったんだ。
望みは全て叶うわけじゃないけど
強く思っているだけでも届くこともあるんだなって。』
「それただのノロケじゃん。」
私はなっちが何を伝えたいかよくわかったけど
素直に認めるのが悔しいので茶化して返す。
- 50 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 06:40
- 『あんた、普通そういうこと言う?なっちせっかくいいこと言ったのに。』
なっちは怒ったように頬を膨らませて見せたがその目は優しく笑っていた。
『まあ、悔しかったら告白の一つでもされてみることだね。
でも今の沙耶香はなっちよりブスだから無理か。』
「ブスって・・・・・なっちがそうしたんじゃない!」
私はなっちに叩かれて赤く腫れた両頬を引っ張ってアピールする。
『なっちに心配かけたんだから、それくらい当たり前でしょ!
今度同じまねしたらもっと強く叩くからね。』
なっちはさも当然のように言い張る。
「わかったわよ。もうなっちに心配かけるようなことしないから。」
私はなっちにありがとうと何度も言いたかったけど
さすがにそれは気恥ずかしいので何も言えず先ほどなっちが見ていた海のほうを見る。
なっちは何を考えて東京湾の先にある水平線を眺めていたんだろうと思う。
- 51 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 06:41
- なっちは何も言わず私の横に立って、自分の体重を軽く預ける。
その感覚は三年前とは違って軽く私の体がしっかりしてきたのか、
彼女が軽くなったのかは分からない。
「なっちにさ、お願いがあるんだ。」
なっちはなにも言わず真直ぐな瞳で私を見上げる。
「後藤のことなんだけどね。
今さら私が言うのもなんなんだけど助けてあげてね。
あの子少しずつおかしくなってるみたいだからさあ。」
自分でもいきなり何を言い出すのかというような話の切り出し方だけど
なっちは私の言うことに心あたりがあるのか、神妙な顔をして聞いている。
- 52 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 06:42
- 『沙耶香が自分でごっつぁんと話したほうがいいんじゃない。』
なっちはしばらくの沈黙の後、後藤の<教育係>だった私に気を使ってかそんなセリフを口にする。
「私じゃ駄目なんだな。悲しいけど。」
私はこの短い言葉に「それ以上言わせないでね。」という意味を込める。
『そう。なっちでいいのね?
私は沙耶香の領分だと思ってずっと何も言わずに我慢してたんだよ。』
なっちがすごく小さな声で言った言葉は痛いほどに私の胸に刻み込まれた。
私は彼女にとって真希がどれくらい大切な存在であるかを知っていた。
- 53 名前:月影 投稿日:2004/01/03(土) 11:17
-
なちりかに加え、いちなちまで・・・・凄く良いです。(感激
さよならから始まる恋シリーズがとても好きなので、これから楽しみです。
応援してます。
- 54 名前:名無し読者 投稿日:2004/01/03(土) 13:24
- おお、ついにスレ立てましたか。めでたいめでたい。このシリーズは丁寧で愛があってとても好きです。
今回、安倍の市井への態度がとても迫力ありましたね。だからその後の二人のやりとりが胸に迫りました。
今後も頑張ってください。
ところで、
×沙耶香→○紗耶香
×香織→○圭織
×真理→○真里
×理華→○梨華
です。せっかくいい感じなので…。
- 55 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 19:51
- なっちにとって真希は、
モーニング娘でできた初めてのライバルであり、そして妹だった。
彼女の存在が崩壊寸前だったなっちの心をどれだけ救ったかは想像できない。
私たちがなっちと距離を置くなか、
あの娘だけは無邪気になっちに近づいて甘えていった。
自分の最大の壁になる先輩にそんな態度をとれるだから
たいしたものだと思ったけど、
あの娘は直感でなっちの本質を見抜いていたのだと思う。
そしてそんな真希をなっちも可愛がっていった。
なっちは自分から近づくことはなかなかできないけど
他人が近づいてくることをけして拒みはしない。
後藤は後藤で私たちの
「自分の立場が追いやられる」という負の感情を本能的に察して
そんな気持ちに無縁であるなっちに懐いたのかもしれない。
- 56 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 19:52
- 「入ってきた頃は「なにこの子」ていう感情はあったけど
私だって、後藤が可愛いんだよ。
できれば自分の手でどうにかしたいよ。」
私は映画でよく外人がやるお手上げのポーズをとってみせた。
今の私にはあの娘に何も言う資格もないし、
例え口から言葉を出してもそれは何の重みも持たない。
悔しいけどそれが私の現状だ。
『でもさ、もたまには電話してあげてね。
あの娘「市井ちゃんと電話つながんない」ってぼやいていたから。』
なっちはそう言うとこの話はもうお終いと言うように
くるりと方向転換して出口に向かい始めた。
『何やってんのさ!』
ボーっとしていた私をなっちが大声で呼び起こす。
「あ、ごめん。」
私は急いでなっちと肩を並べる。
- 57 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 19:52
- (そういえば怒って出ていったなっちを呼び戻しにきたんだったけ。)
私はようやくここにきた当初の目的を思い出す。
それが今ではなっちに急き立てられるようにここを出るのは
おかしいような少し頭にくるような複雑な気分になる。
『紗耶香、今日はこの後空いているんでしょ?』
なっちは自分の携帯を取り出してなにやならメールを打っている。
「うん、私はプーだから平気だけどなっちは大丈夫なの?」
『明日の午後までフリーなんだ。
裕ちゃんと圭ちゃんに連絡しとくからさ、
久しぶりにみんなと一緒にご飯食べよ。』
なっちが階段の冗談からひざを曲げてを私の瞳を覗き込みながら誘ってくれる。
まるで施設で一人だけなじめない少年に対するお姉さんのようだ。
私は自分のかたくなな心が、なっちにそこまでさせていることに急に恥ずかしくなる。
- 58 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 19:53
- (そういえば「北風と太陽」って話あったよね。)
私は幼稚園の頃、保母さんに読んでもらった童話を思い出した。
どんなに力まかせでも他人を動かすことができない。
大切なのは本人をその気にさせることだ。
なっちは文字通りの太陽で、私の心に知らず知らず差し込んだ影を消ししていく。
『紗耶香、そう言えばさ両手いっぱいに持ってたお土産何?』
急に思い出したかのようになっちが尋ねる。
「なっち、そんなこと気にしてたの?」
『だって、お腹減ってたんだもん』
なっちがふてくされたように言う。
これがさっきまで私を包みこんでいてくれた人間と同一人物だと思うと顔を覆いたくなる。
- 59 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 19:53
- 「買ってきたのは『イル・ピノーロ』のアップルパイ」
『ラッキー。それなっちの大好物なんだ。
やばい! 早くしないとなくなっちゃう。』
なっちが私の腕をとって急かす。
「なっちも見たでしょ。あれだけ買ってきたんだから平気よ。」
私が彼女の子供じみた行動に笑いながら言うと、
『紗耶香、甘い。
あの娘たちはよく食べるんだから。
マネージャーがいつも頭を抱えるくらい。』
なっちが真剣な表情で答える。
確かに育ちざかりだし、娘として活動してれば普通の子よりお腹が空くだろう。
そういえば私が在籍していたときもそうだった。
都合よく自分の時のことは忘れてしまっていたらしい。
本当に人間の記憶って上手くできている。
- 60 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 19:53
- 「じゃあ急ごうか、エレベーター使わないで」
『うん。』
昔みたいに階段を駆け下りる。
すれ違った人が何事かと振り返るがそんな視線は全然気にならない。
まるで、なっちと真理と私の三人で三馬鹿と呼ばれていた頃の気持ちが蘇る。
いつまでも、そのままじゃいけないけど今日くらいはいいだろう。
私たちは息を切らして控え室の前の扉に立った。
久しぶりに走ったのが災いして思ってた以上に息が上がっている。
なっちも同じらしく、さすがにこの状態で部屋に飛び込むのは気がひけるのか息を整えている。
「なっち、」
私は頭が空っぽに近い状態の今なら言えると思って彼女によびかける。
- 61 名前:さよならから始まる恋C あなたのように・・・ 投稿日:2004/01/03(土) 19:55
- 『なに?』
「・・・・・・ありがとう。」
私がやっとのことでそれだけを言うと、
なっちの顔が軽い驚きから、真夏のひまわりのような笑顔になる。
『随分素直になったね。じゃあご褒美ね。』
なっちはそう言うと背伸びをして私の頬に口付けをした。
あまりの出来事に私は呼吸が一瞬止まった後、
なぜだか、体中の血液が頭に集中するのを感じた。
なっちに叩かれた痛みとなっちのキスのせいで私の頬はかつてないほど熱を持つ。
(やっぱ、なっちには叶わない。)
私は今日の出来事で嫌というほどそれを思い知らされた。
でもそれは悔しいという気持ちでなく、なんだか不思議な爽快感を私にもたらしていた。
私は自分の進む道がどこにあるかも、
どこへ行きたいのかもまだはっきり決めることはできない。
ただ私の目標はすぐ目の前にいて、それはこれからもずっと変わることはないと思う。
そう、あなたのように・・・・・・・・・
- 62 名前:後書き 投稿日:2004/01/03(土) 20:33
- 最後はかなり息切れしてしまいましたが
完成できて良かったです。
>53 月影様 さっそくのレスありがとうございました。
風板の『王子様とお姫様たち 』の連載頑張ってください。
>54 名無し読者様
ご指摘ありがとうございます。
普通四人分も間違えるかと一人突っ込みを入れてしまいました。( ̄□||||!!
ではまた気が向いたら書かせていただきますので
気がついたら目を通していただければ嬉しいです。<(_ _)>
- 63 名前:名無し読者 投稿日:2004/01/12(月) 14:31
- わざと名前間違えてると思ったら素だったのか作者!(さん)
でも笑ったから良し。続き待ってます。
- 64 名前:さよならから始まる恋D ふたり 投稿日:2004/01/19(月) 04:13
- (ごっつぁんか・・・・・)
なつみは、紗耶香と別れて以来何度となくその名前を胸に繰り返している。
(後藤のこと頼むって・・・・・
あの娘は私よりずっと強い。
なっちがしてあげられることなんて何もないんだよ。)
なつみは何十回も繰り返した自問の末にまたいつもとおなじ答えを導き出す。
『なっち、何ボーっとしているの?
早く食べないと時間無くなっちゃうよ。』
真里が箸を持ったままずっと固まっているなつみを心配して声をかける。
気がつくと真里だけでなく他のメンバーの視線も自分に集まっている。
- 65 名前:さよならから始まる恋D ふたり 投稿日:2004/01/19(月) 04:13
- 「えっ?」
『えっ?じゃなくてさ。次の公演まであと三十分しかないよ。』
真里があきれたようため息をつく。
「ごめん。」
『ごめんってどうしたの?』
真里はなつみが何か言い訳してくることを期待していたらしく、
予想外に素直に謝った彼女に拍子抜けしたようだ。
「それどういう意味さ?
なっちが悪いと思ったから、ちゃんと謝ったんでしょう。」
なつみのいつも通りの言い草にメンバーの間からホッとした空気が流れる。
『うん。なっちは悪くないよ。
それより早くしないと本当に間に合わなくなるからね。』
真里は何か腑に落ちない表情をしながらも、その場を離れた。
- 66 名前:さよならから始まる恋D ふたり 投稿日:2004/01/19(月) 04:14
- 『なっち、ちょっといい?』
二度目の公演が終わった後、真里がなつみに声をかける。
「うん。いいよ。」
そう言って微笑むなつみは一見いつもと変わらないようにみえる。
(私の思い過ごしだといいんだけど、ここのところのなっち何かが違うんだよね。
卒業控えてるせいだとは思えないんだけど・・・・)
『ごめんね。
本当は休憩取りたいんだろうけど
おいら今日最後の公演のあとラジオの収録があるからさ。』
「矢口どうしたのさ?
なっちにそんな気使って・・・らしくないぞ!」
ポンっとなつみが真里の頭を軽くはたく。
- 67 名前:さよならから始まる恋D ふたり 投稿日:2004/01/19(月) 04:14
- 『はっきり言うね。なっち、最近悩んでない?
何かおかしいよ。最近ボーっとしてるというか
その場に存在していないみたいになっちゃってさ、
今日の食事のときもそうだし。
ほら、そういうのって下の子も気にすると思うんだよね。』
真里は自分でも何を言っているのかよく分からなかった。
ただ自分が感じたことを素直に口に出しているだけだ。
それでもなつみに伝わること分かっている。
彼女と過ごした時間はそんな浅いものではない。
「ここのところの一日三公演で疲れてるんじゃないかな。」
なつみは笑ってごまかそうとするが、真里がその瞳を覗き込むとつい逸らしてしまう。
- 68 名前:さよならから始まる恋D ふたり 投稿日:2004/01/19(月) 04:15
- 「矢口には嘘つけないね。」
なつみがあきらめたようにため息を軽くつく。
『よし、ちゃんと矢口さんに話す気になったみたいだね。
偉いぞなっち。』
真里がそう言って後ろに隠し持っていたコカコーラの紙コップを差し出す。
「なっちは子供かい!」
なつみはそう苦笑しながらも、真里から受け取るといっきに喉を鳴らして飲み干す。
コーラの炭酸が疲れた体に心地良い。
(矢口は偉いよな。
小さな体でなっちより疲れてるはずなのに、人のことまで気にしてくれて。)
なつみはそんな真里を愛おしく思うことがある。
六年もずっと一緒にいて娘の中では一番側にいることが多かった。
真里がどう思っていようがなつみにとって彼女は、かけがえの無い存在だった。
- 69 名前:さよならから始まる恋D ふたり 投稿日:2004/01/19(月) 04:15
- 『矢口は答えを出してあげることは出来ないけどさ、
話を聞くことぐらいできるから。』
真里がなつみの手から飲み終わった紙コップを「かして」と受け取とると、ゴミ箱へポーンと投げる。
紙コップは綺麗な弧を描き見事おさまる。
「なんか照れるね。矢口に悩み聞いてもらうなんて。」
なつみは、顔を少し赤くして天井を見上げる。
『何言ってんのよ。おいらは何度もなっちの相談にのってるぞ!』
「いや、そうなんだけど
いつもは二人で馬鹿やってることのほうが多いからさ。」
『おいらもそっちのほうが好きだけね。』
なつみと真里は顔を見合わせて笑う。
- 70 名前:さよならから始まる恋D ふたり 投稿日:2004/01/19(月) 04:16
- 「ここのところ、なっちの周りでいろんなことが起きてね。
その変化に自分がついていけるのかなって?
いろいろ考えこんじゃってさ。」
なつみがぽつりと切り出す。
『それって例えばあの娘のこと?』
真里の視線の先には、メンバーにタオルを配っている梨華の姿があった。
「うん。梨華ちゃんのこともあるかな。」
なつみが曖昧に答えていると
「安部さん、矢口さん、タオル投げるから受け取ってくださいね。」
梨華の高いアニメ声が響いたあと、タオルが二つ飛んでくる。
『梨華ちゃん、ナイス!』
真里が、軽くジャンプして二人分のタオルをキャッチすると
そのひとつをなつみに手渡す。
- 71 名前:さよならから始まる恋D ふたり 投稿日:2004/01/19(月) 04:16
- 『いい娘だね。梨華ちゃん。』
「矢口が人のこと褒めるなんて珍しいじゃん。」
なつみが真里をからかう。
『それっておいらがまるで自分のことだけが可愛くて、他人をめったに認めないってこと?』
「そうじゃないの。」
なつみが意地悪く言って笑う。
真里が抗議の意味を込めてなつみの腕に軽く噛み付く。
「こら何すんのさ!バカ矢口!」
『何だよ!バカなつみ!』
真里も負けじと言い返す。
「またやってるよ。」というメンバーの視線が一瞬集まるが
いつものことなので誰もそれ以上感心を持たない。
(矢口といるといつもこうなっちゃうんだよね。
本当にウマが合うって言うのかな?)
なつみはじゃれあいながらも、こんなに楽しい気持ちになれることに感謝する。
こんな些細な幸せが、あたりまえのことだと思うにはいろんな経験を重ねすぎた。
- 72 名前:さよならから始まる恋D ふたり 投稿日:2004/01/19(月) 04:17
- 『また余計な体力使っちゃったね。』
真里がハーハー言いながら懸命に呼吸を整える。
「だね。」
そんな真里の背中をさすって、落ち着かせようとする。
なつみは彼女が元気者だけど、体が丈夫でないことは十分知っていた。
『でも、梨華ちゃん本当にいい娘だよ。
いつも一生懸命だし、優しくて気が利くしね。』
真里は落ち着いたのか、梨華から受け取ったタオルを首に引っ掛ける。
「うん、分かってる。」
『なっち、大丈夫だと思うけど梨華ちゃん悲しませるようなことしないでね。
最近の嬉しそうなあの娘の表情が曇るの見たくないから。』
真里の声が心無しか震えている。
彼女はなつみが意図的にそんなことをする人間でないのは誰よりも知っている。
それでも、なにか変な不安があった。
- 73 名前:さよならから始まる恋D ふたり 投稿日:2004/01/19(月) 04:17
- 「どうしたの矢口?
何か言ってることおかしいよ。
もしかしたら、なっちがもうすぐいなくなるから
不安になっちゃってる?」
そんな真里の気持ちを知ってか知らずか、なつみはむじゃきな笑顔を浮かべる。
『そんなことあるわけないじゃん!
なっちがいなくなればチャンスがまわって来るからね。
早く卒業してよ。』
口では精一杯の強がりを言いながらも、
実はなつみの「卒業」に誰よりも危機感を持っているのは真里だった。
「矢口、ごめんね。」
なつみは真里の背中に自分の背中を合わせると軽く体をあずける。
お互いに顔を合わせづらくて、でも一緒にいたいときにこうするのが二人の習慣だった。
- 74 名前:さよならから始まる恋D ふたり 投稿日:2004/01/19(月) 04:18
- 『喧嘩して仲直りするときによくこうやったよね。』
真里がその姿勢のまま自分の両腕をなつみの両腕に絡ませる。
「よく喧嘩したね。」
周りではスタッフが次の公演の準備を始めている。
なつみたちがいる場所はちょうど陰になっていて、めったに人は来ない。
『ほとんどなっちが原因だったけどね。』
「あー、そういうこと言う!」
なつみは、軽く抗議しながらも心あたりがあるのかその勢いはすぐに弱くなる。
『でも笑っていることのほうがずっと多かったね。』
少しの間のあと真里がぽつりとささやく。
なつみの体の鼓動とうっすらとかいた汗が背中越しに伝わる。
- 75 名前:さよならから始まる恋D ふたり 投稿日:2004/01/19(月) 04:19
- 「矢口、楽しかったよ。」
なつみがそう言うと勢いをつけて真里から離れる。
『何か今日で最後みたいだね。』
「馬鹿!いつ言えるかわからないでしょ?
言えるときにいっとくの。」
なつみは少し寂しそうに微笑むと近くの壁に寄りかかって天井の照明を見上げる。
この照明の下で輝くことを望む人間がたくさんいるのを知っている。
そしてその望みが叶うのは、ほんの一握りだということも。
望みが叶って輝いた人間もほとんどは、ほんの一瞬で消えていく。
六年もトップアイドルとしての地位を確保できて、
『脱退』後も道が約束されているなつみはすごく恵まれていることを自覚していた。
- 76 名前:さよならから始まる恋D ふたり 投稿日:2004/01/19(月) 04:19
- 『そうだね。後悔だけはしたくないもんね。』
真里の視線が真っ直ぐになつみを捕らえる。
あまりの瞳の力の強さになつみは動けなくなる。
(久しぶりに矢口がこんな表情するの見た。)
いつから、彼女の目から純粋に強い力を感じなくなったのだろう。
綺麗だと感じさせると同時に怖くもなるような瞳。
気を抜くと自分が呑みこまれるのではと錯覚さえ覚える。
『どうしたのなっち?』
ずっと黙ったまま、固まっているなつみを真里の声が現実に引き戻す。
- 77 名前:さよならから始まる恋D ふたり 投稿日:2004/01/19(月) 04:20
- 「何年も前にね。矢口や紗耶香がよくそういう表情してたなって。」
なつみは当時を思い出そうとするかのように目を閉じる。
『センターを取れる最後のチャンスだと思ったからね。』
「そっか、あの頃か。」
真里がポツリと言った一言になつみの胸をホロ苦い思い出がかけ巡る。
『あの頃、周りからのプレッシャーと
おいしいとこばかり持ってくなっちへの嫉妬すごかったもんね。』
真里が当時を懐かしそうに語り出す。
- 78 名前:さよならから始まる恋D ふたり 投稿日:2004/01/19(月) 04:20
- 「そうだね。なっちがやること全部裏目に出て。
それで太っちゃったし、スキャンダルは起こすしめちゃくちゃだったな。」
なつみは真里が言いにくいであろうことを自分の口からだす。
なつみ自信はその頃のことをメンバーが口にするのを別に嫌ではなかったが
真里が口に出すのをはばかるぐらい大変な時期だったのは確かだ。
『そうでしょ。それでみんなチャンスだと思ったんだよね。
自分がトップに立てるって。
なっち以外のメンバーは今みたいに推されてる娘が決まってなかったからね。
裕ちゃんも、圭織も、圭ちゃんも、紗耶香も分かってたんだ。
これが最後のチャンスだって。
この機会を逃せばずっとメインに立てないって。』
真里は追い越しの対象となった張本人が目の前にいるとは思えないほど
あからっさまに話を続ける。
『結局、ごっつぁんが入ってきてなっちも復活して
その機会はなくなっちゃったけどね。』
真里は自嘲気味に肩をすぼめてみせる。
- 79 名前:さよならから始まる恋D ふたり 投稿日:2004/01/19(月) 04:21
- 『でも良かったと思ってるよ。
精一杯できることはしたし、負けて納得いく相手だったからね。』
(強がりに聞こえるかもしれないけどね。)真里は心の底でそっと付け加えるが
これが本音だった。なつみや真希と同じ場所に立とうとして始めて彼女たちの凄さが分かった。
(今の娘たちは可哀想だね。そういうチャンスもないもんな。)
一度もセンターを取ることがなかった真里は、
なつみや真希を超えられず与えられた役目をこなしているメンバーを見て複雑なものを覚える。
表に立つメンバーはどういう都合か知らないが競う間もなく、「大人」の都合で決められる。
おもしろくはないが、それを顔に出すほど子供ではない。
自分の替りなど文字通り掃いて捨てるほどたくさんいることを知っている。
- 80 名前:さよならから始まる恋D ふたり 投稿日:2004/01/19(月) 04:22
- 「嫌だね。思い出話ばかりで。」
なつみは、疲れた笑いを一つ浮かべると時計を覗き込む。
まだ次の開演まで一時間ほどある。
最近ではこれほど時間が空くのも珍しい。
『ずっと一緒にいたんだからさ。最後くらいはいいでしょ。』
真里が明るい笑いを浮かべる。
彼女なりにずっと胸に貯めていたものを吐き出してすっきりしたのだろう。
『あっそうだ!なっちの悩み聞くとか言ってて
ずっとおいらが話しっぱなしだった!』
(せっかく最後くらいはお姉さんっぽく、なっちの相談にのろうと思ったのに・・・・)
真里は自分に呆れて大きく天井を仰ぐ。
- 81 名前:さよならから始まる恋D ふたり 投稿日:2004/01/19(月) 04:23
-
「そんなことないよ。」
なつみが歌うようにささやく。
「過去を振り向くのは好きじゃないけど、
矢口と話してて大事なこと思い出したんだ。
なっちあんまりお利口さんじゃないからずっと忘れてた。」
なつみがつんと自分の頭に人指し指を突き立てる。
そんな仕草が子供っぽくて、真里にとって二つも年上の人間なのにとても可愛らしく目に映る。
『そう良かった。矢口との会話が役に立ったんだね。
相談にのるとか大口叩いちゃったから心配しちゃった。』
何とかカッコついたかなと、真里はホッと胸をなでおろす。
「うん。六十点ぐらいだけどな。」
なつみは真里の頭の上にポンと手をのせる。
『なっちの学生時代のテストの点数よりは全然上じゃん。』
真里の鋭い切り返しにお互い顔を見合わせて笑い合う。
私たちは本当にいいコンビだと。
- 82 名前:名無し作者 投稿日:2004/02/01(日) 21:10
- 『なっちが悩んでいるのって、ごっつぁんのこと?』
笑い終わって一息ついた後、真里はそれとなく尋ねる。
なつみの様子をみるともう答えは出ているみたいで
わざわざ聞くこともないのかもしれないけど、
真里にとっても真希はいい妹分で、それだけに最近の様子が気にかかっていた。
「紗耶香に聞いたの?」
『うん。それとなくだけど。』
紗耶香はあれから少しずつだけど、メールを送るようになり電話も出るようになった。
そのなかで、時々出るのが真希の名前だった。
はっきりと口に出して言わないかったけど、彼女のことを気にしているのはみえみえだった。
「そうか、矢口にちゃんと連絡よこしているんだ。」
なつみが安心したように笑みを浮かべる。
『何か気になることがあるみたいで
でもおいらがその話しようとすると強引に話題切り替えるんだよね。』
真里はなぜ紗耶香がその話題をはっきりと口にしないか何となく分かっていたけど
それを口に出さなかった。
そしてその理由をなつみもしっかりと知っていることも分かっていた。
- 83 名前:さよならから始まる恋D ふたり 投稿日:2004/02/01(日) 21:14
- 「ごっつぁんとはずいぶん距離ができちゃったね。」
なつみが少し寂しげにつぶやく。
娘に在籍していたときは真希のことは何でも知っていたのに
彼女が卒業した後、忙しさを理由にして疎遠にしてしまったことを後悔しているようだった。
『うん。うちらも忙しいし、ごっつぁんはもっと忙しくて
これ以外あの娘とつながるものないもんね。』
真里は自分の携帯をポケットから取り出すと、一度軽く上に放り投げてキャッチする。
『でもどうするなっち?
自分がもうすぐ卒業で、その後も新しい仕事たくさんあって人のことなんて
かまってる余裕ないでしょ。』
「そうなんだよ。忙しいのはいいんだけどね。」
なつみが頭を抱えて困った仕草をしたが
実はあまり困ってないことを真里は知っていた。
- 84 名前:さよならから始まる恋D ふたり 投稿日:2004/02/01(日) 21:16
- そんななつみの性格を羨ましく思う反面、
あまりにマイペースな彼女に自分が側にいなくて大丈夫かと心配になってくる。
(なっちのお母さんじゃないんだから。)
そんな自分に呆れながらも、なつみと一緒にいたいという気持ちをあらためて認識させられる。
「まあ、やれるだけやってみる。
正直、ごっつぁんと昔みたいに話せるか不安だけど
少しでも時間を取り戻したいなって。」
なつみは自分で願望を口にしながらもそれはずうずうしいのかもしれないと思う。
(売れっ子アイドルで、お金もあって、親友がいて、自分を好きになってくれる人がいて・・
私が小さな頃、夢見たことは全てかなっているのに
その上、私は時間を取り戻したいと望んでいる。)
世の中は自分の願いが全てかなうほど甘くない。
きっとかなったものの分だけ何かを犠牲にしているのかもしれない。
『なっち、頑張って!
協力できることあったら喜んでするから。』
真里はそんななつみの憂いを吹き飛ばすような明るさで元気づける。
- 85 名前:さよならから始まる恋D ふたり 投稿日:2004/02/01(日) 21:17
- 「矢口、いつもありがと」
突然、漏らしたなつみの一言に真里の体が固まって、
『びっくりさせないでよ。なつみらしくないぞ。』
と言った後、わざとらしく咳き込んでみせる。
(矢口がいつも側にいてこうやって、励ましていてくれてたんだ。
ごっつぁんの時も、そうだったけど当たり前すぎて気が付かなかった。)
ソロになるというのは嬉しい話だけど、
こうやって自分を助けてくれていた仲間と離れるのは正直つらい。
まして真里とは六年近く一緒にいたことになる。
一年一年が、娘に入る前に自分が過ごしてきた年数で換算できないほど
充実していて、その一年のうち昼も夜も大半を一緒に過ごしてきた。
彼女たちが側にいない生活が想像できないのも当然かもしれない。
- 86 名前:さよならから始まる恋D ふたり 投稿日:2004/02/01(日) 21:19
- 「なっち、本当にせっかちだね。
卒業まで、まだ何日もあるじゃん。
まあ、半年も前に発表するほうもどうかと思うけどね。」
真里らしい皮肉をかましたあと、ケラケラと笑っている。
「私たちどうなるんだろうね。」
そんな矢口を尻目になつみが独り言のようにつぶやく。
『なっち、自分でさっき言ってたでしょ?
なるようになるって。
それで、離れてしまうような関係だったらそれまでじゃないの。』
さっきまで笑い転げていた真里が、すっとなつみの横に立つ。
『それより、まだ時間あるけど次の公演の準備しておこう。』
「うん。」
なつみが返事をして二人並んで楽屋へ歩き出すと
真里が自分の腕を彼女の腕にしっかりと絡ませる。
- 87 名前:さよならから始まる恋D ふたり 投稿日:2004/02/01(日) 22:20
- 「矢口、いいのかい?変な噂たてられるよ。」
なつみは余裕の笑みを浮かべているが、
実際通りすがったスタッフがびっくりしたようにこっちを見る。
『なっちこそいいの?梨華ちゃん見たらショックで次の公演できなくなるよ。』
「大丈夫。梨華ちゃんはそんなに弱い娘じゃないから。」
(あらー、なっち女の子なのに全然分かってない。
これじゃ梨華ちゃん大変だ。)
真里は梨華の前途を思って少し同情してか
自分からなつみの腕を解く。
『なっち、あのね。』
真里がなつみの前にまわり込むと、覗き込むように彼女を見上げる。
- 88 名前:さよならから始まる恋D ふたり 投稿日:2004/02/01(日) 22:20
- 『今、オイラなっちの腕は解いたけど、
なっちの気持ちはずーっと離さないからね。絶対。』
真里がその言葉を発すると
大勢の人間が周りで忙しいそうに動いているのに
まるでこの場に二人だけしかいないような感覚におそわれる。
周りの雑踏が何も聞こえず真里の言葉だけがなつみの中に吸い込まれていく。
「ありがと。でもなっちの気持ちはどう変わるか分かんないな。」
なつみは真里の視線を真っすぐと見返したまま、少年のように歯をみせて悪戯っぽく笑う。
(なっち余裕あるね。
普通ここまで言わせといて、「どう変わるか分かんない」はないよ。
おいらは結構必死だったんだぞ。
なっちの気持ちは分かってるつもりだけど
おいらだって口に出して言って欲しいこともあるんだよ。
おいらがなっちにとって一番になれないのは分かってるけど。)
- 89 名前:さよならから始まる恋D ふたり 投稿日:2004/02/01(日) 22:22
- 「いいよ。なっちの気持ちなんて
最初からあてにしてないし、期待もしてないもん。
ただ、矢口さんがせっかく『告白』したんだからさ。
楽屋までの短い間少しはおいらのこと考えといてよ。
じゃあ先行くね。」
真里は冗談めかして言うと、なつみの横を通りすぎる。
すれ違いざまになつみの指が真里の髪にそっと絡まり
なつみの汗と、お気に入りの香水の香りが真里の鼻に残る
(なっちは本当にたち悪いよな。自分がもてるの知ってるからね。・・・・・
まあいいか。爆弾の種蒔いてきたし。
恋愛は障害があったほうが燃えるからね。
なっちがどう対処するかお手並み拝見といきますか。)
真里はニヤリと笑って自分の頭を一度こつりと叩くと
楽屋に向かって歩き出した。
- 90 名前:さよならから始まる恋D ふたり 投稿日:2004/02/01(日) 22:36
- (バカ矢口!冗談だか本気だか分かんないじゃないの。
もう少しはっきりさせてよね。
そうしたらなっちだってどんな答え出すか自分でも分からないのに。)
見かけによらずシャイな真里に対してなつみは苦笑いと同時にため息が出る。
これだけ、大きい声で叫ばれたので周りのスタッフはおろか
娘のメンバーの幾人かには聞かれてしまっただろう。
(困ったな。梨華ちゃんの耳に確実に入るな。
早いうちに誤解の種をつんどかないと、
梨華ちゃん怒ると話聞いてくれないからね。)
なつみは思わぬハプニングに頭を抱えたが
何故か悪い気はせず、むしろ心の奥ではめったにない状況を楽しんでいる。
- 91 名前:さよならから始まる恋D ふたり 投稿日:2004/02/01(日) 23:03
- (さてと私も早くいかないと。)
なつみは真里が歩いていった方向に視線を向ける。
人の顔が何とか判別できるほどの暗闇に照明の光が幻想的に浮かび上がっている。
(あと何回あの娘達と、この中を通るのだろう。)
なつみは歩きながら卒業までの日数を数えてみる。
もう片手の指で数えられるほどしか残っていない。
(半年は長いと思ったんだけどね。)
時の過ぎる速さを思い知らされる。
- 92 名前:さよならから始まる恋D ふたり 投稿日:2004/02/01(日) 23:11
- (もうすぐお別れか。
卒業してもちょくちょく顔合わせると思うんだけどね
何かが狂ってしまうのかな。)
なつみはかつて自分が『卒業』を見送っていったメンバーとの
間に生じてしまった距離を考える。
そしてあえて、それを修復しないのが大人の世界なのかもしれない。
初期メンバーで一番年下で一番早く辞めた明日香が冗談めかして言った言葉を思い出す。
- 93 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/01(日) 23:39
- 知ーーー!!
- 94 名前:さよならから始まる恋D ふたり 投稿日:2004/02/01(日) 23:42
-
「ねえ、なっち大人と子供の違いって分かる?
大人はねえ、自分と利害関係のある人としか付き合えないんだよ。
それは仲の良い友人がいるかもしれないけど、
下手したら一年に数回会うのがせいぜいでしょう。
でも大人はどんな嫌な奴でも利害が絡むと毎日でも顔を合わせるんだよ。」
その言葉を聞いたのは、ツアー中のホテルの部屋で彼女がいなくなる二ヶ月ぐらい前だと思う。
当時は毎日が肉体的にも精神的にもいっぱいいっぱいで
言葉の意味がよく分からなかったし、分かろうともしなかったけど
皮肉なことに彼女がいない年数を重ねるほどに
その言葉と彼女の存在が、なつみの中にしっかりと焼きついていく。
- 95 名前:さよならから始まる恋D ふたり 投稿日:2004/02/01(日) 23:51
- (明日香、あなたの言葉は間違ってないよ。
でも100%正しいわけじゃないと思うの。)
なつみはもうずい分と顔を見ていないかつての
仲間に心の中で声をかける。
彼女の存在はもうなつみの中で思い出と化してしまっている。
それがすごく寂しかった。
(離れてもお互いの気持ちしだいだもんね。
矢口や梨華ちゃんとも、私がいつもあの娘達のことを忘れなければ
今と変わらない関係でいられるかもしれない。)
なつみは相手に望むより
まず自分が実践することが大切だということを真里や梨華に教えられている。
きっと真希のことも、自分の素直な気持ちをぶつければ上手く行くかもしれない。
- 96 名前:さよならから始まる恋D ふたり 投稿日:2004/02/01(日) 23:59
- なつみは考え事をしているうちにいつのまにか楽屋の前に立っていた。
扉を開ける前に大きく深呼吸して頭の中身を整理する。
(えーっと最初にすることは、矢口を連れて梨華ちゃんのところに行って
事情を話して誤解を解くと・・・・・・)
なつみは自分がすることを確認しながら、
梨華のすねた態度を想像するとつい笑みが浮かんでしまう。
そういうときの彼女は本当に女の子らしい可愛さで、思わずぎゅっと抱きしめたくなる。
そしてこんな些細なことで喜びを感じてしまう自分は本当に幸せなんだと思う。
(卒業してもこんな日々が続くけばいいんだけど。それは欲張りすぎかな?)
なつみは軽く苦笑いを浮かべると、
十代の少女たちの会話で賑やかな楽屋の扉にゆっくりと手をかけた。
- 97 名前:さよならから始まる恋D ふたり 投稿日:2004/02/02(月) 00:19
- 相変わらず終わらせかたが難しいです。
文章力と言葉をいかに使いこなせるかですね。
好きな小説でも写し書きすればいいんでしょうけど・・・・・
そういえば「空飛び猫」さんのサイトが閉鎖されたようで
あの方の文章すごく好きで何度も作品読ませて頂いているだけに
閉鎖理由は分かりませんが残念でなりません。
次回はなちごまになりそうですが
いつ書き終わるか分かりません。(^^;)
では失礼します。m(_ _"m)
- 98 名前:月影 投稿日:2004/02/02(月) 01:17
- 見させて頂きました。
やはり3rdclさんの文章はいいですね。ホレボレします。
矢口さん可愛過ぎです。なっちもですけど。
それでは、次の更新期待して待ってま〜す。
- 99 名前:さよならから始まる恋E Remember day 投稿日:2004/02/26(木) 01:40
- 「へー、ごっつぁんこんなところにいるんだ。」
なつみは真希のマネージャからもらった地図を頼りに、
都内の有名人御用達というスポーツクラブの前に立っていた。
夜中の二時だというのに明かりが迷惑ではない程度についていて営業中だということが分かる。
建物全部をこのクラブで使っているらしく、
道路に面している部分はそれほど広くないが奥行きはかなりありそうだ。
(何してるんだろうな、私)
なつみは白い息を一つ吐き出すと、星空を眺める。
都会の空気のせいか、それとも街中にあふれている街灯のせいか
あまり星も見えてこない。
本当は夜中にこんなところで立っている場合ではなかった。
モーニング娘を卒業した後のなつみにはこれまで以上に多忙の日が待っていて、
アルバムのレコーディングや稽古する日数もほとんどなく、
突入したミュージカルの公演などで体にも精神的にも疲れていた。
もっともなつみにとっては、
傍らに誰もいない寂しさを紛らわすにはそのほうが都合が良かった。
- 100 名前:さよならから始まる恋E Remember 投稿日:2004/02/26(木) 01:42
- 本来ならこんな時間に出歩いている場合ではなく、
なつみもそのことは十分承知している。
でもこの機会を逃すと自分も真希も地方へ巡業に出てしまうので
顔を合わせるのはとうぶん先になると思う。
今になって考えてみれば、忙しいなかでも真希と一緒に娘の中で過ごせた時間は貴重で
スケジュールの隙を見つけては真里と三人で遊びにいったり
ツアー先のホテルの部屋で何時間も話せたことが夢のように思える。
なつみは自分でも何を期待してこんな時間になってまで
真希の姿を見たいのかよく分からなかった。
分かっているのは、たぶんほとんど寝ることなく
今日の公演をこなさなければいけないだろうということだけだった。
(まだ若いから、一日、二日大丈夫かな。)
プロとして無様な仕事は出来ない。
なつみは自分の体のことをまるで他人事のように計算する。
自分のことは自分が一番分かっている。
- 101 名前:さよならから始まる恋E Remember 投稿日:2004/02/26(木) 01:44
- なつみはずっと不安だった。
真希と離れてから二年間少しずつ変わっていく彼女をできるだけ見ない振りをしていた。
それは、一人立ちした彼女に余計なことを言って惑わしたくない、
ソロとして活動している教育係だった紗耶香の領分だと逃げ道を作っていた。
(どうして後藤のこと見ない振りしてたのかな。)
自分でも悔やんでも悔やみきれない。
メールや電話でやりとりすることがあっても、
昔のように心を通わすことはなかった。
真希のどこが変わったのかと言われても言葉にするのは難しい。
例えば外観上のことを言ってもそれは年を重ねているから当たり前だと片付けられてしまうだろう。
ただ、なつみには真希を見るたびに感じる違和感のようなものを拭いされなかった。
なつみ自身も自分のこんな気持ちに気づいたのは
紗耶香に真希のことを頼まれてからだった。
- 102 名前:さよならから始まる恋E Remember 投稿日:2004/02/26(木) 01:45
- それまでは無意識のうちにどこかで逃げていて
難しいこと煩わしいことをを考えなくなっていた。
昔の自分はそうではなかった。
変わったのは真希がソロ活動の準備をし始めて娘から脱退したころからだと思う。
真希が隣にいないことによる娘としての活動の限界、
無意味な増員と強引な世代交代で自分の居場所を奪われていくことによる虚脱感、
自分の愛したグループがいいようにいじくりまわされて崩れていく、
そしてその現状に対して自分は何もすることはできない。
そんな無力感がなつみの心を少しずつ蝕んでいった。
(でも紗耶香の瞳が私に力をくれた。)
あの日、この世界から去っていく彼女の最後の願いをはく言葉は
なつみの心に覆い被さっていたものを心地よいほどにきれいに消してしまった。
紗耶香のために、
そして真希を思い出にしたくないという自分の願いをかなえるためにも
なつみは自分にできることは精一杯してみようと決意していた。
- 103 名前:さよならから始まる恋E Remember 投稿日:2004/02/26(木) 01:47
- なつみはゆっくりと階段を上ってスポーツクラブの入り口のドアに手をかける。
真希のマネージャーに居場所を教えてもらったときに
フロントで自分の事務所の名前を言えば入れるように手続きをしてもらっている。
人気のないロビーには受付の女の人が一人座っている。
二十四時間営業といってもこの時間利用する人は少ないのかもしれない。
なつみが事務所の名前を言うと女の人は真希がいる場所へ案内してくれた。
誰ともすれ違うことなく、ピカピカに磨かれた廊下を進んでいく。
さすがに業界人の紹介がなければ入れないクラブだけあって中の造りは豪華で
そういうものに詳しくないなつみでも少し見ただけで、
自分が普段触れているものと違うことが分かる。
- 104 名前:さよならから始まる恋E Remember 投稿日:2004/02/26(木) 01:48
- なつみが案内されたのは、
屋内のプールで何でも貸切にしてあって今はこの中に真希しかいないらしい。
なつみは案内してくれた女性に礼を述べるとゆっくりと中に入る。
更衣室を抜けて中に入るとプールは薄暗く、ただ一コースのみに照明が照らされていた。
その中を一人の少女がゆっくりと泳いでいた。
それは紛れもなく真希の姿でアクアブルーの水着と、
周りが静かで暗いせいかまるで幻のようになつみの目に映る。
なつみはプールサイドから動くことが出来ずにただ真希を見つめている。
(これだけ後藤のことをしっかり見たのは久しぶりだな。)
入ってきたなつみに気づかずにずっと泳ぎ続ける真希から目を離せない。
- 105 名前:さよならから始まる恋E Remember 投稿日:2004/02/26(木) 01:51
- まわりの暗さと真希の泳いでいるコースだけを照らす光のせいか
真希の卒業コンサートを思い出す。
あのときのなつみには真希しか目に映らなかった。
ファンの歓声も耳に入らずただ彼女を抱きしめていた。
真希の汗や、体の感触が今も残っている。
大興奮の渦の中、二人の間だけ別次元で周りに誰も存在してなかっった。
あの時、マイクを切って真希だけに聞こえるように何かを囁いたはずだが
不思議なことに覚えていない。
いや囁いたことだけでなく、あの時間のことはまるで意識が飛んでいたようで
自分体も言葉も思考力さえも何者かに奪われたようで何一つ自由にならなかった。
後にも先にもなつみがそんな経験をしたのはその時だけで、
そして、なつみのなかの時間はある意味ではそれから止まってしまったのかもしれない。
その時のことがまるで今ここで起こっているように鮮明に頭に浮かんできて
自分の頬に涙がつたわっていることさえも気づかない。
- 106 名前:さよならから始まる恋E Remember 投稿日:2004/02/26(木) 01:52
- (そうか。私、ごっつぁんとずっと一緒に歌っていたかったんだ。)
なつみは二年以上も経ってやっと自分の本当の気持ちに気が付いた。
あの時は本当に気がつかなかった。
彼女のためを思えばこそ、
すでに陰りが見えていた本体にいるより、
ソロとして才能を十分開花させることがいいと考えていた。
そして自分の気持ちを偽っていた。
(後藤とずっと一緒にいたかったんだ。
でもそれは適わないと分かっていた。
だから彼女のことを忘れようとしてた。
そんなことに今頃気づくなんて、なっちバカだね。)
そのことをたとえ冗談でも真希にきっちりと伝えることが
できていたなら、今これほど彼女のことが気にかからなかったかもしれない。
- 107 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/26(木) 22:57
- 描写が丁寧で、すごく引き込まれます。
続き、楽しみに待ってます!
- 108 名前:さよならから始まる恋E Remember day 投稿日:2004/03/02(火) 01:39
- なつみはただ薄暗いプールサイドでずっと真希をみつめている。
この時間独特の静けさで広いプールコートは、時々真希がターンするときに水を切る音が響くだけだ。
ふと顔をあげると天井のガラスから見える夜の濃さにまだ真夜中だと気づかせられる。
闇の力は強く、ガラスを押し破ってこの空間を飲み込むかのような錯覚さえある。
(このまま朝が来ないのかな。)
なつみはふと自分の中に浮かんだ考えに、
何を子供じみたことをと否定したくなるが、
太陽の光と人のエネルギーがあふれる時間に言えば
冗談だと大笑いされることでも、今この瞬間はそのことのほうが真実だと思える。
「何が正しくて、何が間違っているのか、」
なつみは無意識に口から漏らす。
自分が今までとってきた行動が全て正しいと思わないし、
あのときこうしておけば良かったと思うこともある。
今こうして真希の側に来ていることも、間違っているのかもしれない。
彼女には彼女のペースができていて、
それを過去から出てきた自分が少しでも関わるのは筋違いだろう。
- 109 名前:さよならから始まる恋E Remember 投稿日:2004/03/02(火) 01:41
- (でも、それが過ちだとしても私は後悔しない。)
あの頃とは悪いように変わっていくとしか思えない真希に対して
見ない振りをすることはもうしたくなかった。
確かに今になって先輩面して彼女の前に立つのは都合のいい話だと思う。
真希にはもっと前から誰かの助けが必要なのは
なつみも心の奥底では気が付いていた。
(もう遅いだろうけどね。)
なつみにとって真希の存在が心に占めるものが大きいが、
彼女にとってなつみは何でもないのかもしれない。
今こうして、真希を見ているも自己満足でしかなく
はたから見れば何をしているんだという目で見られるだろう。
でもなつみにはこれしか方法が浮かばなかった。
そして、真希の泳いでいる姿を見て何故かホッとしている。
そして娘を出て初めて真希と同じ立場になった自分に・・・・・・・・
- 110 名前:さよならから始まる恋E Remember 投稿日:2004/03/02(火) 02:52
-
真希はここ一年ほどずっとこのスポーツクラブのプールに通っている。
いつも来るのは夜中で貸切にしてある。
真夜中に泳いでいる一番の理由は
普通の時間では忙しくそんな暇はないということが表向きだけど、
この時間帯のほうが人も少なく、貸切料金も安いので都合が良かった。
事務所もこんな時間にと最初は文句を言ってきたが、
きちんと過密なスケジュールをこなしている真希を見て何も言わなくなった。
真希は自分でもなぜ急に泳ぎを始めたのか分からない。
気が付いたらここに通っていたという感じだ。
歌っているときと、泳いでいるときは何も余計なことを考えずにすむのでいい。
そのときだけは、頭の中が真っ白になり夢中になっている自分がいる。
- 111 名前:さよならから始まる恋E Remember 投稿日:2004/03/02(火) 02:54
-
だれもいない水面を一人で泳ぐのは気持ちが良かった。
もともと体を動かすのは嫌いではないし、
水の冷たさが真希の体から出る汗をすぐに拭い去ってくれる。
かなりの運動量で一回に4キロ以上は泳いでいるはずだけど
そのほうが短い時間でもよく眠れる。
というよりそれぐらいしないと、
自分の中にある言葉に言い表せないもの、
苛立ち、焦り、怒り、そんなネガティブな感情とは
また少し違う何かを一時的にでも取り去ることはできない。
(なんで私幸せだと思えないのかな?)
今日のミュージカルの公演にしたってそうだ。
私にはスポットライトが浴びるけど、
その後ろには多分一生私と同じ場所に立てない人達がいる。
どんなに演じることが好きで、例え私の十倍努力しても可能性はコンマの正解だろう。
同情することはしないけど、世の中って結構不合理にできているなと思う。
- 112 名前:Remember day 投稿日:2004/03/02(火) 03:00
-
私は多くの人が望んでも適わないものを
まだ10代のうちからたくさん手に入れている。
容姿、お金、トップアイドルとしての地位、
人からみれば私ほど恵まれた人間は少ないだろう。
現に私と同じモーニング娘を卒業したメンバー達でさえも
仕事は少なく細々とやっている。
それでもこの頭痛、吐き気のようなものが胸のなかに存在するのはなぜだろうか?
家庭の問題、私を取り巻く人間達の醜い欲望、妬み、孤独、
仲間達と一緒にいるときになかったものが私の身に降りかかる。
自分でも時々おかしいのかなと思うことがある。
例えば、人間にしたって悪い人間ばかりでなくむしろいい人のほうが多いはずだ。
何の見返りも求めずに親切にしてくれる人だっている。
だけど私の心は、世の中の汚れたものに敏感になっていて
それ以外のものを感じることに鈍くなっている。
- 113 名前:Remember day 投稿日:2004/03/02(火) 03:14
-
(このまま倒れてしまえば楽になるのかな。)
真希は時々考える。もうどうでもいいと思うこともある。
自分の中身を見せずに皆が望んでいる後藤真希を演じる自分。
いくら仕事とはいえそんな自分にすら吐き気をおぼえることがある。
でも彼女はある人と約束していた。
自分の選んだ道をくじけず歩み続けると。
(ごめんね。あんま約束守れてない。
でも逃げ出すことだけはしないから。)
真希は時々思い出したかのように心の中で話しかける。
もう想いでになりかけている大切な人に。
- 114 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/02(火) 23:06
- なちごまの絆、信じたい..。
- 115 名前:Remember day 投稿日:2004/03/15(月) 02:18
- 今日はこれくらいにしとくかな。)
何十回もターンを繰り返すとさすがに疲れてくる。
これくらい体をいじめれば余計なことを考えずに眠れるだろう。
真希は自分でも若い体の体力に呆れる。
あれだけのスケジュールをこなしてなおかつ
夜中にこれだけ泳げるだからどうかしていると思う。
真希はこれで最後だと思いっきりターンをして水を掻く。
ほとんど息継ぎをする必要もなく泳ぎ切ると勢いよくプールからあがる。
- 116 名前:Remember day 投稿日:2004/03/15(月) 02:19
- (今、何時かな?)
真希はなぜかいつもと違う胸の鼓動を感じながら
照明が薄暗いためよく見えない時計を目を凝らしてみる。
(あれ、おかしいな?誰かいるみたい。)
真希は目に映っている人影が信じられずに自分の頭を疑う。
今までここに通っていてこんなことは一度もない。
(クスリとかやってるわけじゃないのに幻覚まで見るようになっちゃったのかな?)
真希は珍しくパニックになりかけているうちに、
その影がこちらに近づいてくる。。
(嘘でしょ!)
その姿がはっきりするにつれ真希は驚いて息を止めてしまう。
一番会いたくて、一番ここにいるはずのない人が
そっと彼女の頬に手を充てる。
その手の冷たさから、眼の前にあるものが幻でもなく
事実であるとやっと認識する。
- 117 名前:Remember day 投稿日:2004/03/15(月) 02:20
-
『なっち・・・・・・・』
心のなかでは数え切れない程呼んだ名前でも
口に出して言うのはもう随分久しぶりのような気がする。
「ごっつぁん、泳ぐの上手ね。」
なつみが微かに微笑む。
挨拶もなくいきなりそんな風に会話を切り出すのが
彼女らしいと真希は懐かしい気持ちになる。
(今日は「ごっつぁん」て呼ぶんだ。)
いつも、なつみが真希を呼ぶときの名前は安定しない。
「ごっちん」だったり、「後藤」と呼んでみたりで彼女なりの気分で使い分けているみたいだ。
- 118 名前:Remember day 投稿日:2004/03/15(月) 02:20
-
『ねえなっち、何しにきたの』
やっとのことで搾り出した声は自分でも驚くほど無機質で冷たかった。
なつみがここにいることは、とても嬉しいはずなのにそっけない態度をとってしまう。
「何なんだろうね。」
なつみはそんな真希の声にも動じずに、一箇所だけついている照明に目を向ける。
『先帰るね。』
真希はそれだけいうと、
なつみが差し出してくれたタオルを受け取らずにシャワールームに向かう。
「うん。風邪・・・・・・・引かないようにね。」
なつみの小さいな声が真希の耳にしっかりと届いた。
- 119 名前:Remember day 投稿日:2004/03/15(月) 02:22
- (なっち、どうしてここに来たのかな。)
真希は赤いレバーではなく青いレバーをひねって体にその水を受け止める。
彼女はなつみをみたときに、自分の心がどよめいたのが分かった。
そしてなつにの声を聞いたときに自分の中の抑えきれない感情が沸きあがってくるのを感じた。
それは怒りとか悲しみとか喜びでなく、なぜだか、せつなく、とても寂しいものだった。
(やっぱり、なっちは特別なんだ。・・・・
何であんな態度とちゃったのかな。)
冷たい水をずっと体に浴びせ続ける。
そうでもしないと、胸が苦しく気が変になりそうだ。
少しでも意識を逸らすにはこのほうが都合が良かった。
(気持ちいいや、しばらくこうしていよ。)
勢いよく流れる冷たい水が、
真希の体から思考能力も体力も奪っていく。
その力の抜けていく虚脱感が今の真希には心地良かった。
- 120 名前:Remember day 投稿日:2004/03/15(月) 02:23
- 「後藤、あんた何してるの!」
(あれ、何でなっちの声が聞こえるのかな。)
最初は今の状況がよくわからなかった。
それどころか、真希が好きだったなつみの感情表現が
豊かな声にまだ自分が娘にいると勘違いしたほどだった。
ただ頭がもうろうとしていてシャワーを浴び始めてからの記憶が完全にとんでいる。
「意識はあるみたいね。」
真希はなつみが自分の濡れた体を抱き起こすと
顔を近づけて反応があることを確認していることがわかったが
今度は安心したせいか、また目の前が白くなっていく。
(あれ、またなっちの声が遠くなる。)
辛うじてその一言を聞き取ったあと真希はまた気を失った。
- 121 名前:Remember day 投稿日:2004/03/17(水) 01:35
- 真希が気がつくとベンチの上に横にされてタオルケットに包まれていた。
(そうか、私シャワー浴びてて気を失って・・・・・)
少しずつ、自分の記憶を取り戻す。
倒れる前はあれほど不快な頭痛と吐き気があったのに
今はここ最近ではないくらい気持ちがいい。
(たぶんなっちが後藤を運んでくれたんだよね。
今、何時だろ?それになっちまだいるのかな。)
まだ目をはっきり開けるのがなんとなく怖い。
それになつみにどんな顔をして合わせたらいいのかわからない。
「後藤、もう起きてるんでしょ?
早くしな、朝から予定入ってるんでしょ。」
まだ真希が好きだった頃の姉の暖かさを連想させるなつみの声が彼女を現実世界へ呼び戻す。
- 122 名前:Remember day 投稿日:2004/03/17(水) 01:36
-
真希が眼を開けるとそこには期待した通り
なつみの少し心配そうで怒ったような表情をした顔があった。
なぜだか、彼女も薄着で大きなバスタオルを羽織っていて、
その姿は今の自分よりも幼く見えた。
『なによ・・・』
真希は本当はもっと別の科白を言いたいのに
照れがあるため、ついこんな言葉を使ってしまう。
「なによじゃない!
あんたがいくら馬鹿だからっていったって
あんなことしてたら体壊すに決まってんでしょ!」
『うん。』
なつみの迫力に真希は力無げに頷きながら
彼女に叱ってもらえることで
心の奥底で嬉しい気持ちになるくらい自分が孤独だったことに気がつく。
- 123 名前:Remember day 投稿日:2004/03/17(水) 01:37
-
「後藤、体軽くなったね。」
小言を続けていたなつみが急にぽつりと呟いた。
さっきまで怒ってた顔は今にも泣き出しそうで
真希はそんな彼女をみるのが初めてだった。
『なっち、あのね』
真希は今までの本当の自分の気持ちをなつみに話したかったけど
それを完全に表現するにはどんな単語を組み立ててでも不可能に近かった。
そんな真希をみて、分かってるからというように頷くと
なつみは自分の胸に真希の頭を抱き寄せる。
「真希、よく頑張ったね。」
なつみの息が真希の耳にかかる。
こんなに近くで接したのはあの時以来になる。
- 124 名前:Remember day 投稿日:2004/03/19(金) 02:13
- 『後藤、なっちとの約束守れてた?』
あの時も今と同じような姿勢で抱き合っていた。
ただ違うのはあの時は真希の卒業コンサートでその場が異常なボルテージで包まれていたことで
今回はその場になつみと真希しかいなく二人とも裸に近い状態だということだった。
「うん。だからなっちは後藤のこと「頑張ったね」って言ったんだよ。
聞こえなかった?」
なつみが柔らかく微笑む。
真希がまだ娘に在籍していて
親友でたまに姉のように接してくれた頃のような表情だった。。
『だけど・・・・・』
「大丈夫。
後藤は一人でよくやってる。
周りに足を引っ張られて倒れそうになりながらも絶対逃げなかった。
エライと思うよ。」
なつみの耳にも真希をとりまく好ましくない状況は良く耳に入っていた。
家族のこと、彼女を取り巻く一部のファンの振る舞い、事務所のエゴ、
そんなものをまだ十代のうちから背負っていて普通ならとっくに気が変になっている。
- 125 名前:Remember day 投稿日:2004/03/19(金) 02:14
- 真希が強くなつみを抱きしめる。
まだプール独特の匂いが真希の髪からしたが
なつみにはそれすらも愛おしく感じる。
真希がこんなふうに自分に接してくれるのは
本当に久しぶりでもう二度とないものと諦めていた。
『後藤本当は、
ずっと娘にいた頃のようにしかったの。
でも、なっちとの約束守るにはそれじゃいけない。
一人で頑張らなきゃと思って・・・・・』
涙を流しながら訴える真希は普段の同姓からもカッコイイといわれる
面影がかけらもない。
「後藤は要領良さそうにみえるけど変なところ不器用だね。」
なつみは真希の頭を撫でながら、少し複雑な表情を浮かべる。
「なっちね、後藤に言わなきゃいけないことがあるんだ。」
なつみは言おうか言うまいか悩んでいたようだが
やがて決意して口を開く。
- 126 名前:Remember day 投稿日:2004/03/19(金) 02:15
-
「あのね、約束のことだけどなっちずっと忘れてたんだ。」
なつみが申し訳なさそうに小さな声で言う。
「正確に言うとね、
あの時後藤になにか言ったのは覚えているんだけど
その内容はさっきまでずっと忘れてた。
というよりは記憶から抜けてたのかな。」
なつみは真希の気分を害したくなかったが
昔のような関係に戻るための一種の賭けだと思った。
あの頃はお互いに言いたいことは何でも言ったし、
二人の間で隠し事はひとつもなかった。
中途半端な大人の関係になってしまうぐらいなら
いっそう壊れてしまったほうがすっきりする。
- 127 名前:Remember day 投稿日:2004/03/19(金) 02:16
- 『なっち、普通そういうこと口に出して言う?』
真希はしばらくの沈黙のあとくすくすと笑い出す。
さっきまで泣いていた少女とはとても思えない。
「後藤、怒んないの?」
『怒っていいの?』
真希が悪戯っぽく微笑む。
それはいつもなつみと真里の三人で何が起きてもおかしいと
笑い続けていた頃の表情だった。
「うん。今回はなっちが悪いから。」
『なっちと付き合うのにそれくらいのことで怒ってたら
幾つ堪忍袋あっても足りないよ。
それより何で忘れたか教えて?
普通あれだけ感動的な場面でのできごと絶対忘れるわけないと思うんだけど。』
真希はなつみの顔を下から興味深げにのぞき込む。
- 128 名前:Remember day 投稿日:2004/03/19(金) 21:41
- 「何かあの時に頭がポワーってしてね、
自分の体が自分のものじゃないみたいになって
その時のことほとんど記憶がぬけちゃって・・・・・」
なつみは身振り手振りでその時の衝撃を伝える。
ああいうのを白昼夢というのだろうか。
とても大事なことなのになぜ覚えていなかったか不思議だった。
『実は後藤もねあの時のことはほとんど記憶から抜けていて
ただなっちと約束したことだけ覚えていたんだ。』
(ただ、なっちと違うのは私は記憶に残っていない理由を知っている。)
真希は心の中でそっとつぶやく。
「そう、後藤もよく覚えてなかったんだ。
なっちがおかしいのかと思って心配しちゃった。」
なつみは真希が知っている頃より少し大人っぽい笑みを浮かべると
自分にもたれかかっている彼女の体をそっと起こそうとする。
- 129 名前:Remember day 投稿日:2004/03/19(金) 21:43
- 『このままがいい。』
真希が嫌がる素振りをみせてなつみに甘える。
(二年間我慢してたんだからね。今ぐらいはいいでしょ。)
真希はさらに深くなつみの胸に自分の顔をうずめる。
もしかしたらこういう機会はもうないかもしれない。
この時間は神様が真希にプレゼントしてくれたもので
日が昇る頃には全てが嘘のように消えてしまっても何の不思議はない。
「後藤、ずいぶん今までとは態度違うんじゃないの?」
なつみはからかうように笑うと、
真希の耳にかかっている髪をかきあげる。
- 130 名前:Remember day 投稿日:2004/03/19(金) 21:50
- 『だって、こっちが一生懸命約束守ろうとしてるのに
肝心のなっちはいつも娘のメンバー達と楽しそうにしていて
面白くないに決まってるでしょ!』
真希が少し恨めしげになつみに訴える。
特に最近入った六期のメンバーたちとさえ
違和感なくじゃれついているのをみて正直かなりショックを受けた。
「そうだったんだ。
後藤もなっちの側にくれば良かったのに。
機会はいくらでもあったでしょ。
こっちはあんたがなっちにだけ怖い顔して無愛想に振舞うもうんだから
てっきり嫌われちゃったと思ってずっと悩んでたんだからね!」
なつみはふくれっ面をつくると真希の両方の頬を左右同時に引っ張る。
かなり強く引っ張られていて、なつみが結構本気で怒っているのがわかる。
「だって、なっちが後藤に変な約束させるから」
真希は痛みのあまり涙を浮かべ、不明瞭な発音ながらも
何とか自分の言い分を通そうとする。
- 131 名前:Remember day 投稿日:2004/03/26(金) 01:23
- 『あんた勝手に約束の内容解釈して
なっちを困らせたあげく、矢口みたいに屁理屈こねて人のせいにするのかい。』
「だって、なっちがあのとき「これから一人になるけど逃げちゃ駄目だよ。」って言うから
自分の力だけで頑張ろうと思ったんじゃない!
「何かあればなっちに電話しな。」とか言ってくれたら
こんなふうにならなかったんだからね。」
真希は口を尖がらせて抗議する。
なつみに心配をかけたのは悪いと思うけど
こっちも今までずっと寂しい思いをしてきたのだから
これくらいは言わせてもらっていいと思う。
外見だけ見るとなつみより真希のほうが大人っぽい顔をしているし
背も高くてスタイルもいい。
ダンスや歌も上手だし、
普段の行動も自分の妹より若いメンバーと一緒にはしゃぐなつみより
真希のほうがしっかり者に見える。
そんな彼女が小さな子供のようにむきになる姿は
とても可愛く感じられる。
- 132 名前:Remember day 投稿日:2004/03/26(金) 01:27
-
『じゃあ言ってあげる。
これからは何でもなっちに隠さず話すこと。
一日の出来事や、後藤が思ったこと、
どんなことでもいいから。』
「何か後藤が娘にいた頃みたいだね。」
なつみがピシャリと言い切ると真希が嬉しそうに微笑む。
真希が娘にいたころはツアー先のホテルで同室になるのは、
いつもなつみとベットに寝転びながら、
夜遅くまで仕事のことから友達のこと、将来の夢、何でも話していた。
『そうだね。これから少しずつあの頃のような二人にかえろう。』
なつみが少し照れながら真希の目を見ると彼女はなつみに強く抱きついた。
- 133 名前:Remember day 投稿日:2004/03/29(月) 23:44
- 「後藤もう少し力抜いてくれる?」
しばらくそのままでいたあと、なつみが少し苦しげな表情を浮かべる。
『ごめん、なっち』
なつみの言葉が嬉しくてつい夢中になって抱きしめていた真希は
慌てて腕の力を緩める。
「細いのによくそんな力あるね。」
なつみは痩せ過ぎている真希の見かけからは想像できない力に感心したように声をあげる。
『そうかな?』
真希は柔らかく笑うと自分の二の腕を眺める。
確かになつみの言うよう娘にいた頃よりもだいぶ細くなっている。
(少しお肉つけないとね。)
アイドルなので、一般人の標準体重より少なくて当たり前なのだが、
いかにせん痩せ過ぎた気がする。
ブラウン管を通すとそうでもないが実際に改めて見てみると
もう少しで気持ち悪いのレベルにいくだろう。
- 134 名前:Remember day 投稿日:2004/03/29(月) 23:49
- 『あっそうだ、今何時?』
(いけない。朝から打ち合わせの予定入っていたんだ。)
真希は自分の置かれている立場を思い出す。
「うんとね。六時。」
なつみが腕時計をちらりとみて答える。
『良かった。八時の打ち合わせには間に合いそう。』
遅刻しないで済むのは嬉しいが
なつみと過ごせる時間があと少しかと思うと少し寂しかった。
『あっ、でもここの時間とっくに過ぎちゃってる!』
真希は貸切にしてあった時間をとっくに過ぎていることを思い出す。
延長料金を払うのはかまわないが他に使う予定の人がいたらまずい。
「大丈夫、ちゃんとフロントに電話してあるから。」
急に慌てだした真希の様子をみてなつみが笑いながら言う。
- 135 名前:Remember day 投稿日:2004/03/29(月) 23:50
-
『なっちあのね、後藤やっと頭がハッキリしてきたんだけどいろいろ聞いていい?』
真希は貸切時間のことを思い出すと同時に
自分がしてしまったことの重大さに思い当たる。
(シャワー浴びてて急に倒れて、そこになっちがいて・・・・・)
なつみの雰囲気があまりにも自然なので気がつかなかったが
もし他の人が知ったら大変な騒ぎになっていたはずだ。
「どうしたの急に?」
なつみは真希の気持ちを知ってか知らずか、
いつ準備したのか温かい缶を差し出す。
真希はその缶を反射的に受け取ったあと、
すぐ飲むべきか、いま頭をよぎっている不安をなつみに話すべきかを悩む。
- 136 名前:Remember day 投稿日:2004/03/29(月) 23:52
- 「とりあえず、飲もう。」
なつみは自分の分も取り出すと缶のフタを開けて口をつける。
(相変わらず、「なっつぁん」のペースだよね。)
真希はじたばたしてもしょうがないと、
なつみにならって缶を開けると少し甘くて柔らかい香りが鼻をくすぶる。
『あっ、ミルクティーだ!』
真希は自分の好物をなつみが覚えていてくれたのが嬉しくて
思わず声をあげたあと、自分のあまりにも幼い反応に顔を赤らめる。
「良かった、まだ好きで。」
なつみは安心したよう微笑むと、
自分のバックからごそごそと何かを取り出す。
- 137 名前:Remember day 投稿日:2004/03/29(月) 23:58
- 「これ、差し入れの残りなんだ。
なんかカマンベールチーズケーキって言うんだって」
なつみは袋に入っている菓子を取り出すと、
半分に割って真希のほうに差し出した。
『なんか小さい頃みたい。』
真希は半分に割られた菓子を嬉しそうに受け取ると
ゆっくりと口に運ぶ。
乳製品独特の香りが広まり、クリームがとろけるところに
ミルクティーを流し込むと何ともいえない幸せな気分になる。。
(おいしい。)
仕事柄、いつも美味しい物は口に入りやすい環境にあるのに
何かを食べて喜びを感じるのは久しぶりだった。
- 138 名前:Remember day 投稿日:2004/04/01(木) 00:05
- ふとなつみのほうをみると小さな口をゆっくり動かして噛んでいる。
(なっち、可愛いな。)
ただ、菓子を食べているだけなのに幸せそうな表情や幼い仕草をみると
つい見とれてしまう。
「後藤、何だっけ聞きたいことって。」
なつみが食べ終わって大きく一呼吸つくと真希のほうに目をやる。
『あっ、そのことなんだけど全然状況理解してなくて
倒れてからのこと説明してほしいの。
なんかすごい迷惑かけて騒ぎになってるかなって心配で・・・』
「なんだ、そんなこと。
もっと深刻なことかと思って心配してわざと間あけたんだぞ。」
なつみは笑いながらひとさし指で真希のおでこを軽くつく。
- 139 名前:Remember day 投稿日:2004/04/01(木) 00:05
- 「後藤がね。なっちに親の仇のような態度とって更衣室に向かったあと、
しばらくそのショックで動けなかったんだ。」
なつみが少し冗談交じりに話を切り出す。
(なっち全然気にしてなさそうだったのに、表情に出さなかっただけなんだ。)
そのことを思うとなつみに申し訳なくて顔を思わず伏せてしまう。
そんな真希を悪戯っぽい表情でながめたあとなつみが続ける。
「それで、しばらくたって帰ろうかなと思って
シャワールームの前通ったら水の音がしたから
誰もいないはずなのにって覗き込んだら倒れてたわけ。
そのあとは近くのベンチまで運んで
フロントでタオルを借りてきて
後藤の顔見ながらうつらうつらしてただけ。」
『もしかしてこのこと誰も知らないの?』
真希が一番心配していたことを聞く。
- 140 名前:Remember day 投稿日:2004/04/01(木) 00:15
-
「うん。誰にも言ってないしね。」
『じゃあ、なっちが後藤を一人で運んだの?』
「うん。ちょっと大変だったけどいいもの見れたからね。」
『いいものって・・・・・・・・あっ』
なつみのからかうよう調子に
真希は自分の生まれたままの姿をモロに彼女に見られたことを自覚する。
胸ぐらいはメンバーにみられたことはあるが
まさかこの年になって裸の姿を他人に見られるとは思わなかった。
「正直かなり嫉妬したぞ。
なっちも努力してるんだけどね。
後藤の見たときこりゃかなわないってへこんだ。」
なつみが自分の腰に手をあて、軽くためいきをつく。
- 141 名前:Remember day 投稿日:2004/04/01(木) 00:17
- 「そのあとプールの延長の申し込みと
濡れた服をクリーニングサービスに出して、
それからさっき後藤のマネージャに電話して
朝の打ち合わせなくしてもらったから、
少しはゆっくりできるよ。」
なつみは口では何でもないことのように言っているが
実際はかなり骨をおってくれたこをは真希にもわかった。
普通、シャワールームで倒れたら誰かに連絡するものだが
彼女は冷静に判断してあえてそれをしなかった。
そして騒ぎにならないようにいろいろと手を打ってくれたらしい。
『ごめんなさい。』
真希はなつみの説明を聞いているうちに
やっと自分がおこしたことの重大さがわかってくる。
第三者に知られたらかなりの騒ぎになっていたはずだ。
でも真希にとってはそんなことよりも
なつみが自分のことを考えて行動してくれことのほうが嬉しかった。
- 142 名前:Remember day 投稿日:2004/04/04(日) 18:12
- 「なっちは別に謝ってほしくて
今までの経過を話したわけじゃないんだけどな。」
真希の予想外の反応に驚いたのか
なつみは少し困ったように鼻に手をあてる。
「それよりもうそろそろ頼んどいた服が
乾いて戻ってくるからね。
そしたらどこかのホテルでちょっと豪華な朝ご飯にしよ。」
なつみが話しているうちにドアがノックされて
ビニールに包まれたなつみたちの服が運ばれる。
なつみは持ってきた受付の人と軽く談笑しながら
伝票にサインをしている。
「早いね。四時間も経ってないのに。」
なつみは受け取った伝票を丁寧に財布にしまいこむと
真希の分の服を投げて渡す。
「濡れたのはなっちの分だけだったんだけどね。
後藤の分もついでにやってもらっちゃった。」
なつみは自分の服に包まれたビニールを破きながら着替え始める。
- 143 名前:Remember day 投稿日:2004/04/04(日) 18:13
- 『あのね、なっち
別に朝の打ち合わせ出ても十分に間に合いそうだから
マネージャーに電話するね。』
真希に背を向けて着替えをしているなつみの姿に
懐かしいものを感じながら真希が話しかける。
「どうして?
せっかくいいって言ってくれてんだから素直に甘えよ。」
『うん、でも・・・・・』
こういうことはあまり前例はない。
事務所のたてたスケージュールは絶対で、
それを自分の都合でキャンセルするなんて考えたこともなかった。
「ちゃんと言ってあるよ。
『後藤とデートしたいから午前中空けてもらえたら嬉しいんですけど。』
って、そしたら一分ぐらい考えてたかな?
OKって返事が出たのは」
なつみはなにがそんなに心配なのかと不思議そうに真希を見つめている。
(よくそんなこと言えるよな。)
真希はなつみの神経の太さを羨ましく思う。
彼女のスケジュールも狂ったはずで、
もしかしたら今やっているミュージカルの
リハーサルの一回分ぐらいとばしてるかもしれない。
- 144 名前:Remember day 投稿日:2004/04/04(日) 18:14
- 「後藤、少しは周りに甘えろ。
マネージャーさんも心配してたよ。
『このところずっと様子がおかしいから
後藤のことお願いしますって。』」
『えっ!』
ミスを犯さないようにと、
いつも神経質になっている人が
自分のことをそんなふうに見ていてくれたとは思いもしなかった。
ソロ活動してからずっと担当してくれてるが
自分の目からみれば小うるさくて便利な機械みたいなもので
彼にとっても自分は道具の一つだと思っていた。
「たぶん、後藤のマネージャさん、エラク怒られるだろうね。
打ち合わせ当日ドタキャンだもんね。」
なつみは自分がそう仕組んだにも関わらず、
少し同情するように呟く。
(なっち何が言いたいのかな?)
真希は今から出れば間に合うという言葉を呑みこむ。
なつみは別にやけになっているわけでもなく
自分達がとる行動が周りにどれだけ影響を与えるのかも知っている。
それでもあえてその選択肢をとる意味を考える。
- 145 名前:Remember 投稿日:2004/04/04(日) 18:17
- 「後藤、早く着替えな。
なっちも手伝ってあげるから。」
なつみの声が真希の思考を遮る。
あとはコートを羽織るだけで外出できる格好になった彼女は
真希の正面に立って、着ている途中のシャツのボタンをはめ出す。
『なっちいいよ、子供じゃないんだから』
「大人はさっきみたいなバカなことしない!」
笑いながらいう真希に、容赦のない一言を言い放つ。
(確かに私が悪かったけど・・・・・・
そこまでストレートに言わなくても・・・・
それに後藤けっこう反省してるし・・・・・)
何か言い返したいけどついさっきのことなのと、
なつみにかなり迷惑をかけている。
この状況で言い返せるほど真希も面の皮が厚くない。
(やぐっつぁんなら何か言えるんだろうけどな。)
この場に居ない、娘のムードメーカーで
なつみをもってしても口が減らないと言わしめる
照れ屋で面倒見のいい仲間の顔が脳裏に浮かんでくる。
- 146 名前:Remember day 投稿日:2004/04/04(日) 18:23
- 「よしよし。」
なつみは大人しくなった、
真希に満足そうに頷くと服を着せにかかる。
「はい、後藤ばんざいして。」
自分より大きい真希に服を着せるのを苦戦しながらも
充分楽しんでいるようにみえる。
(まあ、誰も見てないからいいか。)
そう思いながらも今年で自分が幾つになったのかを計算すると
少しため息がでる。
(私って、年を重ねるごとに幼稚っぽくなってるのかな。)
なつみにかまってもらって嬉しい気持ちを押し隠せない真希は
恥ずかしくて彼女の顔を見れない。
もしかしたらなつみにとっては
自分も、彼女がときに幼稚園の保母さんのような態度で接する
辻希美もたいして違ってみえないのかも知れない。
そんな真希の気持ちなどはおかまいなしに、
なつみはご機嫌になっている。
- 147 名前:Remember day 投稿日:2004/04/04(日) 18:25
- 「うーん。
やっぱ、後藤ファッションセンスいいわ。
育った場所の違いかな。」
着替え終わった真希を、
どこかのスタイリストみたいにあごに手をあてて
一通り眺めた後、なつみは少し悔しそうにため息をつく。
『なっち、それ聞いたら圭織や美貴ちゃんが怒るよ。』
ころころと変わるなつみ表情が面白くて、
さっきのお返しとばかり真希が北海道出身のメンバーの名前をあげる。
「なにさ、それなっちのセンスが悪いってことかい?」
なつみがムッとしながらも、心当たりがあるのか声にそれほど力がない。
『あまり、いいとは言えないかも・・・・・』
真希はなつみの少ししょげた様子に、遠慮がちにいう。
- 148 名前:Remember day 投稿日:2004/04/04(日) 18:26
- (なっつぁんて、何か人とずれてるんだよな。)
本人は充分お洒落のつもりらしいが
真希の目からみるとどうみてもそう思えないときがある。
(そこが愛嬌の一つなんだけどね。)
なつみのそんなところまで好きと思えることに
自分がかなり惹かれていることを自覚する。
『でも、なっちって元がいいからなに着ても似合うよ。
ほら後藤なんか、顔が大人っぽいから着る物選ばないと違和感あるけど
なっちは中学生の制服着てても全然違和感ないもん。』
冷静に聞いてみると誉めているのか
バカにしているのかわからないセリフだけど
真希の気持ちが伝わったのか、なつみはありがとうと微笑んだ。
- 149 名前:Remember day 投稿日:2004/04/04(日) 18:26
- 少し雲のかかった太陽の光が路面を照らし
冷たいながらも春の訪れを告げる風のが街路樹の枝を揺らすなか
真希はなつみと並んでジムを出る。
いつもは深夜に来て真夜中に帰ってしまうので
この景色をみるのは初めてだった。
少し状況が違うだけで周りのものが全然違って見えるのことに
真希は驚きを覚える。
「タクシー拾う?」
問いかけるなつみに真希はゆっくりと首を振る。
本当に久しぶりの二人だけの時間、
一緒に街を歩くという行為でさえも大切にしたかった。
「そうだね。」
なつみは真希よりほんの少し前に立って
ゆっくりと歩き出す。
- 150 名前:Remember day 投稿日:2004/04/04(日) 18:27
- 『なっちとデートってなんかすごいね。』
真希はなつみと肩を並べるとお互いに顔をみつめる。
まだサラリーマンの始業時刻までだいぶ時間があるので
お洒落な街並みをゆっくりと歩くことができる。
「本当だぞ。他の娘聞いたら怒るよ。」
『普通自分で言う?』
真希はこの人らしいと思いながらもわざと嫌味たらしく言う。
「だって本当のことだもん。」
なつみが少女のように口をとんがらす。
(これで私よりも四つ上だもんな。)
真希はビルの谷間から見え隠れしている太陽に目を向ける。
- 151 名前:Remember day 投稿日:2004/04/04(日) 18:28
- 『なっち、あのさ・・・』
しばらく二人とも無言で、
少しずつ活気づいてくる街の息遣いを楽しみながら歩いたが
赤になった信号をきっかけに真希が口を開く。
『何で後藤のところに来てくれたの?』
「なっちは後藤のこと好きだからってことじゃ駄目かい?」
『なんか、納得いかないし「好き」って言葉
そんな簡単に使って欲しくない。』
あまりにいい加減に聞こえるその返答に真希は抗議の声をあげる
真希のそんな様子になつみは目を細めると
しばらく考えた後、少し遠くをみるように視線を向ける。
- 152 名前:Remember day 投稿日:2004/04/04(日) 18:29
- 「なっちはね、たくさん持ってるけど
本当に大切なものっていうのは数えるくらいしかないんだよ。
そして、今までにそういうものを幾つも失ってきたんだ。」
なつみはそれ以上言葉にせず真希の髪にそっと指をもぐらせる。
真希はそれ以上聞かずともなつみの気持ちが痛いほど伝わってきた。
なつみも真希も一般の人に比べて得ているものが遥かに大きい。
だけど世間はそういう面だけをクローズアップし
失ったものについてかけらの興味も示さない。
例えば友人、変わってしまった家族、世間の妬み、
ほとんどのことが明らかになってしまうプライベート。
ただ、なつみが失ったものは彼女にとっては
それらのものよりずっと大切だったことを真希は知っていた。
- 153 名前:Remember day 投稿日:2004/04/04(日) 18:30
- 『後藤は「福田さん」にかなわないんだね。』
真希は一度しか顔を合わせたことのない、
モーニング娘のオリジナルメンバーの名前をあげる。
なつみは真希に明日香の話をしたことはなかったが
周りの話や本人の態度でどれだけ、
なつみが明日香のことを好きだったかを知っていた。
「後藤でも嫉妬するんだ。」
なつみは変なところに感心する。
「正直ね。
明日香にはあの頃のような焦がれるような
強い想いは無くてね。
ただあの娘が幸せになってくれでばいいなって・・・・
ただ悔しいのはそうやって大切なものを思い出にしてしまった自分かな。」
なつみはそっと手帳をとりだすと、
最初の一ページを見開いて懐かしそうに眺める。
- 154 名前:Remember day 投稿日:2004/04/04(日) 18:32
- 『じゃあ、なっちにとって後藤の存在はどれくらい?』
真希は自分でも何を聞いているのかと呆れてしまう。
つまりなつみに順位づけをさせようとしているのだ。
昔ならそんなことは馬鹿らしいと笑えたのに、
ずいぶん自分は弱くなったと自嘲する。
「答えなきゃ駄目かな?」
なつみが困ったように笑う。
『別に答えなくていい。なっちの中で後藤が一番になるようするから。
そしてなっちが後藤のこと好きで好きでたまらなくなっても
つきあってあげないんだ。』
(そうだ。これが本当の私なんだ。)
真希はそう言いながら、娘時代の昇っていく頃の感覚を思い出す。
あの頃は本当に何でもできる気がして自信にあふれていた。
- 155 名前:Remember day 投稿日:2004/04/04(日) 18:34
- 「ライバルは手強いよ。」
なつみはそう言いながら青になった信号を見上げると
渡ろうと目で合図を送る。
『うん。いろいろ聞いてる。
梨華ちゃんといい感じなんでしょ?』
年が近いせいか、娘のなかでも親しかったメンバーの名前を出す。
「うん。梨華ちゃんはね
なっちのこと初めて好きって言ってくれたんだ。」
なつみが照れたような表情を浮かべる。
真希は誰かに好きと言ってもらえることが
嬉しいことだということを、娘を卒業するまで知らなかった。
- 156 名前:Remember day 投稿日:2004/04/04(日) 18:36
- 『後藤や、やぐっつぁんだって言ったことあるじゃん。』
真希が記憶の糸をたどって反論する。
「あんたらのは、日頃の行いが悪いから信憑性がないの。」
(確かにね。後藤もやぐっつぁんも
きちんと言ったことはなかったんだよね。
悪ふざけの最中とか、アルコールが入っているときとかで・・・・
こんなに鈍いなっちが告白されたって理解したくらいなんだから
かなり大胆にやったんだろうな。)
真希は梨華の思いもよらぬ行動力に感心する。
- 157 名前:Remember day 投稿日:2004/04/04(日) 18:37
- (梨華ちゃん、ずっとなっちのこと好きだったんだね。)
三年間その想いを貯めていたのはすごいと思うが
正直、なつみに対する「好き」は
梨華がよせる「好き」とは少し異なるかもしれない。
真希にとって、
なつみは親友でライバルでときに姉で、
そういった感情もないわけではないが、どちらかというと仲間意識のほうが強い。
(まあ、この先どうなるか分からないけどね。)
真希はなつみの体にもたれると、腕を組む。
こんな時間に女の子二人連れが珍しいのか通りかかる人が
ちらりちらりとこちらを見る。
「ねえ、後藤」
『なっち、恥ずかしい?』
「馬鹿!
あんたのほうが大きいから私が女の子役」
そう言ってなつみが強引に腕を組みなおして
真希の肩に自分の頬を寄せる。
ちょうど世間のカップル並みに身長差があるので
同姓だという点を除けばそれほど違和感は無い。
- 158 名前:Remember day 投稿日:2004/04/04(日) 18:38
- なつみは、真希の体にもたれながら
今自分が幸せなんだなと思う。
後悔しないで人生を送ることはできないけど
少なくとも何もしないで悔やむことはしたくない。
自分が真希を必要とするのと同じくらい彼女も自分を求めていてくれた。
そのことが分かったときは嬉しかった。
ほんの些細なきっかけで、後の運命は大きく変わる。
なつみが真希に逢いに行かなければ、
彼女がシャワールームで倒れなければ、
今こうしている自分はいなかっただろう。
このことで、二人とも午前中のスケジュールを空けてしまったけど
今、大切なのは真希とこうして過ごす時間で
その分は、陰口を叩かれないためにも必死でやるしかない。
その辺は、話の分からない大人達ではないので自分達次第でどうにもなる。
- 159 名前:Remember day 投稿日:2004/04/04(日) 18:39
- 真希もそのあたりのことは分かっているらしく、思いっ切り楽しんでいる。
嫌なことはこちらが頼まなくてもむこうから来てしまうけど
楽しいイベントは自分でつくるしかない。
(朝ごはん何にしようかな?)
できるだけ太りにくくて美味しいメニューを考える。
こうやって、ホテルのレストランまで歩けばその分いい運動になる。
まして真希との久しぶりの食事で楽しくないわけはない。
(そうだ、矢口も呼ぼう!)
なつみは真希にちょっと用事があるからとことわって、
電話をかける。
- 160 名前:Remember day 投稿日:2004/04/04(日) 18:40
- 「あっ、矢口、なっちだけど今時間空いてる?」
「えっ?ラジオの収録終わって午前中空いてるんだ。
良かった。今ごっつぁんとご飯食べよて話してたとこ。
矢口もくるでしょ。場所はね・・・・」
なつみが電話を切ると、真希が嬉しそうな表情をしてメールを打ち込んでいた。
『あ、なっちごめん。
後藤もやぐっつぁんにメールしといたんだ。
何年ぶりだろうね。
三人で一緒にご飯食べるの』
「うん、本当に久しぶりだね。」
(また、楽しかったあの頃に戻れるんだ。)
もちろん、当時とは違ってそれぞれの立場も抱えている問題も違っている。
それでも自分達の気持ちはあの頃と同じだと思いたい。
- 161 名前:Remember day 投稿日:2004/04/04(日) 18:41
- 『後藤ね、卒業してから分かったことが一つだけあるんだ。』
真希は自分の頬をなつみの頭にすり寄せながら話し出す。
「後藤くすぐったい!」
なつみは口ではそう抗議しながらも
顔は嬉しそうに笑っている。
『なっちがいないとやっぱ駄目ってこと。』
真希のなつみに絡ませた腕の力が心なしか強くなる。
気軽に言ってるようだけど本人はかなり緊張しているんだろう。
「そんなあたりまえのこと分かんなかったの?
後藤は本当にバカだね。」
なつみは自分もだよ。と言おうと思ったが
(朝っぱらから、さすがにそんなこと言えないしね。
こういうのは簡単に言ってもありがたみないし、
今日のところはお預けかな?)
と自分らしいセリフを口にする。
- 162 名前:Remember day 投稿日:2004/04/04(日) 18:41
- 『なっち、今日後藤のこと何回バカって言った?
同じことばかり言って少しボケてるんじゃない!』
「だって、しょうがないでしょ!
本当に馬鹿なんだから。
あんたみたいなバカな娘他に知らないん。」
『なっち、またバカって言った!』
真希は少し涙目を浮かべながら抗議しつつも
悪い気はしなかった。
これがなつみなりの精一杯の愛情表現だということを知っていた。
(やぐっつぁんと一緒だね。
梨華ちゃんも可哀相に。
こんな不器用で照れ屋の人好きになっちゃんたんだから。)
真希は頭に思い浮かぶ限りのなつみの欠点を言葉にしようと
思うが、その一つ一つが彼女の美点に思えて口にすることができない。
- 163 名前:Remember day 投稿日:2004/04/04(日) 18:42
- (あばたも何とかってやつか。
後藤もなっちの魅力にはまっちゃったかな?)
誰にも遠慮なくもの言うリーダーの裕子がなつみにだけは
異常に甘かったのは思い出す。
人の好き嫌いははっきりしていたが、メンバーに対しての扱いは公平だった。
なつみを除いては・・・・・・・
一度真里と二人で裕子に文句を言ったときの
彼女の顔は傑作だった。
「堪忍して、うちなっちにだけは弱いねん。」
今まで見たこともないような困った表情で
自覚していたのか珍しく真希たちに拝むポーズをみせた。
- 164 名前:Remember day 投稿日:2004/04/04(日) 18:44
- (やっぱこの人、とくだよね。)
真希はなつみのよく動く口を見ながら考え込む。。
急に黙った真希になつみは自分がさすがに大人気なかったかと
少しばつの悪そうな表情を浮かべた後。
顔を横に向けたまま
「でも、なっちは馬鹿な後藤が好き。」
と小さな声で呟いた。
真希はなつみのその一言で自分の耳が赤くなり
胸の鼓動が少しづつ大きくなってくるのを自覚する。
『なっちって本当子供だよね。
見かけもだけどさ。
そういうことははっきり言ってくれなきゃ伝わんないよ!』
たった一言で自分をこんな状態にされたのが悔しくて
真希がここぞとばかり憎まれ口を叩く。
- 165 名前:Remember day 投稿日:2004/04/04(日) 18:45
- 「バカで駄目なら頭悪いでいい?」
なつみは怒ったように少し大きな声で言い返す。
『あれ?さっきと言ってること違う!
それに赤点大王のなっちに頭悪いって言われたくない。』
真希がムキになって言い返すと、
そんな彼女の様子がが可笑しかったのか
今まで笑いたいのを我慢してたなつみが声をあげてふきだす。
それと同時になつみの目には涙が浮かんでいた。
『なっち、泣いてるの?』
笑いがおさまっても、涙がやまないなつみに真希はそっと声をかける。
- 166 名前:Remember day 投稿日:2004/04/04(日) 19:23
- 「後藤がおかしいから笑いすぎて涙が出ちゃったじゃない!」
なつみが顔を赤らめて文句を言うと真希を置いて先に歩き出す。
真希はそんななつみの後姿を見失なわないように黙って付いていく。
本人は置いてこうとう急いで歩いているつもりらしいが
その気持ちに反して歩くスピードは一般的で真希がついていくのに
苦ではなかった。
『ねえ、彼女可愛いじゃんお茶しようよ。』
真希は速度を緩めたなつみに近づくと耳打ちをする。
さすがにこんな前世代的な言葉を公衆の面前で口に出す度胸はなかった。
「なに言ってんのよ。」
なつみはそれだけで機嫌が直ったのか
今度は置いていくような真似はしなかった。
「後藤、今のずいぶん芋っぽいセリフだよね。
他の娘に聞かせたかったな。」
なつみが笑顔でさらりと言う。
昔テレビでなつみのことを芋と言ったことをまだ根に持っているらしい。
- 167 名前:Remember 投稿日:2004/04/04(日) 19:27
- 『もう許してよ。
なっちをどう引きとめようか必死だったんだからさ。』
真希が全面降伏の意を表すと、なつみがニコッと歯を見せる。
「よし、これで今日のことはチャラにしてあげる。
じゃホテルまでなっちのことエスコートして。
後藤はルックスだけはいいからね。
ほら女の子だって振り向いてくよ。」
真希が差し出した腕になつみが腕を絡めて歩き出す。
(本当、コロコロ表情変わるよな。
泣いていたかと思えば怒って、今度は笑って。)
半ばあきれ、半ば感心するが
表情が豊かなのがなつみの魅力の一つだというこは認めざるを得ない。
- 168 名前:Remember day 投稿日:2004/04/04(日) 19:29
- (もうすぐ春だね。)
久しぶりに外で歩くことで季節の移り目をしみじみと感じる。
(そして夏が来て、秋が来て、また冬になって・・・・
年齢を重ねていくのか。)
その頃の私にはなにが残っているだろうかとふと自問してみる。
もしかしたら、今持っているものは全部嘘で
幻のように無くなっているかもしれない。
(でもなっちが後藤と一緒に過ごした時を覚えていてくれれば、それでいいか。)
失う物がたくさんあったとして
一番大切なものが残ればそれでいい。
真希はなにかふっきれたような気持ちになる。
いつのまにか自分の体と心に常駐していたノイズは消えている。
「後藤、今までほっといてごめんね。今日からまた始めよう。」
なつみが自分の腕に口をあてて言う言葉は白い息となって漏れる。
(そういうことはハッキリ言ってくれたほうが嬉しいんだけどな。)
真希は今日何度目かのため息を空に向かって吐きだした。
- 169 名前:長い後書き 投稿日:2004/04/04(日) 19:44
- 何とか書き終えることができました。
なっちと後藤の娘時代を知らないというか、
そのあたりのことを書いた他の作者様の作品を読まないと
今回の作品は分かりにくいかも知れません。
(相変わらず文章もわかりにくいですがヾ(_ _。)ハンセイ…)
>>98 月影様
ご自分のスレのほうの更新量すごいですね。
精力的な活動に見習わなければと・・・・・
>>107、>>114
たぶん同じ方ですね?
下げたままなのに目を通していただいてありがたいです。
なにしろ更新量が少ないのでなかなかあげることができません。
書きたいことはたくさんあるのですが
青版の作品が倉庫行きの危機なので
しばらくそっちに専念したいと思います。
では、またスレがあがってることがありましたら
お目通しのほうよろしくお願いします。 3rdcl
- 170 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/30(金) 03:11
- 遅レスもいいところですが、完結お疲れ様。
素朴に爽やかで好きな作品でした。
人物たちみんなが等身大で共感できて。そして前向きなのが気持ちよかったですよ。
次作も期待してます。
- 171 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/28(金) 00:21
- なっちとごっちのキズナを感じました。
あの二人だからこそ、わかることがあるんだと思います。
これからも、お待ちしております。
- 172 名前:さよならからはじまる恋F 『彼女の憂鬱』 投稿日:2004/06/02(水) 00:39
-
「ふー。」
テレビ番組の4週分まとめての収録で
やっと自分の出演部分を取り終わった私は
誰も見てないのを確認してから一度ため息をつくと
楽屋のドアノブに手をかける。
ドア越しから漏れてくるメンバー達の楽しそうな笑い声さえ今の私を苛立たせる。
ゆっくりドアを開けると一瞬楽屋は静かになる。
無理に笑顔をつくりお疲れ様と声をかけると
それを合図にするかのようにまた少し騒がしくなり始めるが
先ほどに比べると明らかに静かでむしろ不自然にならないために
わざと声をたてているようにしか思えなかった。
- 173 名前:さよならからはじまる恋F 『彼女の憂鬱』 投稿日:2004/06/02(水) 00:40
- 私は楽屋の隅の自分の居場所に移ると何気なしにファッション雑誌を手に取る。
別に興味があって見ているわけでなく、何となく手持ち無沙汰なだけだ。
時々他の娘達の視線を感じるけど、わざと気がつかないフリをする。
(あーあ、そんなに腫れ物を扱うような目で見ないでよね。)
そんな私を見て、同期の吉澤ひとみことヨッシィーは馬鹿にしたかのように口をゆがめ、
私より幼い他の同期メンバーは非難の混じった目を向けている。
(そんなに私が悪いのかな?)
私はふと近くにいるはずのリーダーこと飯田さんの横顔を盗み見る。
彼女はそんな険悪な雰囲気にお構いなしに、何かの本を読むのに夢中になっている。
- 174 名前:さよならからはじまる恋F 『彼女の憂鬱』 投稿日:2004/06/02(水) 00:41
- 安倍さんが卒業してから二ヶ月が過ぎて、
少しずつ何かが狂ってきている。
いやもうだいぶ前からおかしくなっているはずだけど
あの人の持つ不思議な雰囲気がそれを感じさせなかっただけの話かもしれない。
そんな中、私は安倍さんが抜けた分まで頑張ろうとして
空回りしすぎたようだ。
同期のメンバーと仕事上で衝突することもあったし、
後輩のメンバー達にも注意することが何度もあった。
良かれと思ってしたことだったけど、
冷静になって考えてみると少し感情的になりすぎるきらいがあったと思う。
そしてその結果がこの様子だ。
- 175 名前:さよならからはじまる恋F 『彼女の憂鬱』 投稿日:2004/06/02(水) 00:42
- (この人はいいな。)
我、関せずの態度をつら抜いている飯田さんにさえ腹が立つ。
あなたがしっかりしてくれないから、私が嫌われ者になってしまうんじゃないですかと・・・・・
同期には大人に媚を売っていい子ぶっていると思われ、
後輩達には怖い先輩だと思われて、
たぶん二人しかいない先輩たちには売れてるから
いい気になっていると思われているのかもしれない。
- 176 名前:さよならからはじまる恋F 『彼女の憂鬱』 投稿日:2004/06/02(水) 00:44
- 私はその場に居たたまれなくなって外へ出る。
そんな私を見てホッとしたかのような空気が流れたのを感じた。
(どうしようかな?)
あまり人が来なくて、落ち着けそうな場所を考える。
広いテレビ局だけどそんな都合のいい場所はなかなか思いつかない。
「どうした、梨華ちゃん?心ここにあらずだよ。」
ふと正面に目を向けると収録帰りらしい矢口さんが立っていた。
『別に何でもないんですけど。』
私はつい条件反射で言ってしまう。
『そんなわけないじゃん、
いつも可愛くない顔が今日は一段と磨きかかっているもん。』
矢口さんが笑いながら持っていた手鏡を私に向ける。
確かに我ながら、可愛げのない曇った表情だと思う。
- 177 名前:さよならからはじまる恋F 『彼女の憂鬱』 投稿日:2004/06/02(水) 00:45
- 「 本当ですね。」
私が力無げに答えると、
予想外の反応に驚いたのか矢口さんは慌てて私の肩を抱いてロビーの隅へ誘導していく。
『どうしたの?』
今度は下から私の顔を覗きこみながら、さっきと同じ言葉を繰り返す。
「なんでもありません。」
なぜだかムキになって私も同じ言葉を繰り返す。
『フー。』
矢口さんはこれは駄目だと言う様に首を振ると、
『わかった! 梨華ちゃんお腹空いてるんだね。
ダイエットのしすぎか、
しょうがない、矢口さんがすーごく美味しい物奢ってあげるからおいで。』
わざと見当違いのことを言って私を強引に引っ張る。
- 178 名前:さよならからはじまる恋F 『彼女の憂鬱』 投稿日:2004/06/02(水) 00:46
- (やっぱ、矢口さん人の扱い方が上手だな。)
私は彼女のペースに巻き込まれつつ心の中で感謝する。
考えてみれば今の娘の中で私が何か相談できるのはこの人ぐらいしかいない。
おしゃべりでかなり意地悪で、けっこう嫉妬深いところもあるけど、
たぶん彼女は私の話を聞いて率直な意見を言ってくれるはずだ。
今の私の周りにはそんな人さえいない。
- 179 名前:さよならからはじまる恋F 『彼女の憂鬱』 投稿日:2004/06/02(水) 00:47
- 『梨華ちゃん、ちょっとごめんね。』
エレベータホールの前まで来たときに
鳴り出した携帯電話を矢口さんが取り出す。
『あれ、なっち!』
矢口さんが私のほうをちらりと見る。
『うん。こっちは相変わらずでね。みんな元気にしてるよ。』
『えっ、梨華ちゃん?
元気も元気、なっちいなくなってから張り切っちゃってさ、
やっと私の時代がきたって感じでね。』
私が電話を代わって貰おうか悩んでいるうちに、
矢口さんがとんでもないことを言い出している。
- 180 名前:さよならからはじまる恋F 『彼女の憂鬱』 投稿日:2004/06/02(水) 00:48
- 『えっ?今から食事?
矢口は大丈夫だけど、梨華ちゃんはここのところ忙しくてそれどこじゃないよ。
またにしたほうがいいと思うけど。』
盗み聞きしているわけでないのに、
矢口さんはわざと私の耳に届く音量で話をすすめる。
しかもあることないことを、ごく自然に口にしている。
『あっそう、じゃあまた電話するね。バイバイ。』
私が割り込む隙もなく、彼女は何事もなかったかのように電話を切る。
「あの、矢口さん、全部話の内容聞こえてたんですけど!」
私が怒りをなんとか抑えて、彼女の反応をみる。
感情的になってはとてもじゃないけどこの人には敵わない。
- 181 名前:さよならからはじまる恋F 『彼女の憂鬱』 投稿日:2004/06/02(水) 00:49
- 『うん。だって聞こえるように話したもん。
別に聞かれちゃまずいことないんだけど。』
彼女は無邪気に微笑む。
あきらかに私の反応を楽しんでいる。
(はぁ-。ちょっと優しくしてくれたと思ったらすぐこれだもんな。)
私は思いっきり泣きたい気持ちになる。
いっそのこと本当に泣いてしまえばこの人も困るだろうと思うけど
さすがにそこまでの醜態をさらす度胸はない。
「何でそうやって嘘ばっかつくんですか?」
『どこが?
梨華ちゃんここのとこ特に頑張ってるし、
今から矢口がご飯食べさせてあげるから予定空いてないでしょ?』
私は彼女の答えを聞いて、
沈んでいた気持ちがさらに落ち込む。
この人と口げんかしても勝てる気がしないしそんな元気もない。
- 182 名前:さよならからはじまる恋F 『彼女の憂鬱』 投稿日:2004/06/02(水) 00:50
- 『それに、そんなあんたをなっちに見せるわけいかないでしょ。』
しばらくの沈黙のあと、聞こえるか聞こえないくらいの小さな声でつぶやく。
「えっ?」
私が思わず聞き返すと、楽屋に行って荷物取っておいでと急かされる。
『矢口の分も、持ってきてよね。』
さも当然のようにいうと小さな体を精一杯伸ばして近くのソファーに腰かける。
(また、楽屋に入るの嫌だな。)
私が入ったときの空気を思い出しまたまた気が重くなる。
矢口さんはそんな私をちらりと見ると
『しょうがないな、今回だけだからね。』
少し怒ったような声で言った後、楽屋へ向かいだす。
(あーあ、本当私駄目だな。)
一つ歯車が狂いだすと全てが崩れていく。
私の場合は今までが奇跡的に順調だっただけで
今の状態が本当なのかもしれない。
- 183 名前:さよならからはじまる恋F 『彼女の憂鬱』 投稿日:2004/06/02(水) 00:50
- 『はい、梨華ちゃんこれ取って、
それとも先輩にずっと荷物持ちさせる気?』
矢口さんが私のバックを片手で軽く振り回す。
「すいませんでした。」
私が頭を下げるのを無視して彼女は先に進みだす。
『梨華ちゃん早くおいで。』
気がつくと矢口さんと私の距離は離れてしまっていて
慌てて彼女の背中を追いかけた。
- 184 名前:さよならからはじまる恋F 『彼女の憂鬱』 投稿日:2004/06/02(水) 00:52
- 『今日は一杯食べていいからね。
一人暮らしだから家の人には電話しなくていいよね。』
エレベーターで1階まで降りた後、タクシーがいつも止まっている場所まで
歩きながら矢口さんが話しかける。
「はい。平気です。」
『梨華ちゃん、お腹すいてる?』
「今日、朝からほとんど食べてないんで」
矢口さんの問いにようやく自分がかなり空腹なことに気づく。
『よかった。それじゃ何食べても美味しいね。』
矢口さんがやっと裏表のない自然な笑顔を浮かべる。
仲間の前ではけして私に見せてくれることはない表情だ。
「でも、私太りやすいんであんまり食べないようにしないと・・・・・」
いくらか気持ちが楽になって私が答えると
『余計なこと心配しなくていいの!
全部矢口さんに任せたとけば問題ないから!』
そう言って私のお尻を思いっきり叩いた。
- 185 名前:さよならからはじまる恋F 『彼女の憂鬱』 投稿日:2004/06/02(水) 00:52
- 矢口さんに連れられて入ったお店はタクシーで20分ほどの場所で
私の暮らしているマンションからもそれほど遠くない。
こじんまりとしたニ階建ての店で、時間が早いせいか他にお客さんもいない。
お店の女の人と一言、二言、言葉を交わしたあと二階の個室に案内される。
部屋自体は四人ゆったり座れるほどで、天上が高いせいか開放感がある。
『やっぱし座敷がいいでしょ?』
矢口さんはなぜだか上機嫌だ。
「何回かきたことあるんですか?」
よくこんなお店知っていたなと感心して質問すると、
『ううん。今日が始めて。
雑誌で紹介されてるの見て、なっちと一緒に来ようと思ってたんだけど
なかなか機会がなくてね。』
矢口さんはメニューを興味深げに眺めながら答える。
- 186 名前:さよならからはじまる恋F 『彼女の憂鬱』 投稿日:2004/06/02(水) 00:53
- 「そうだったんですか?少しショックです。
てっきり私のためにとっておきのお店を紹介してくれたんだと思ってました。」
私は冗談交じりに自分の本音を話す。
『矢口が梨華ちゃんのためにそこまでしてあげると思った?』
彼女が茶目っ気たっぷりに私に問いかける。
「いいえ全然期待してません。」
私がわざとつまらなそうな表情で顔をそむけると
矢口さんが楽しそうに声をあげて笑う。
それにつられて私も表情を崩してしまう。
『梨華ちゃん、可愛い表情できるじゃん。』
彼女の言葉に私は自分がリラックスしているのがわかった。
ここのところは、ずっと緊張感といらいらに包まれていて
こんな楽な気持ちになるのは久しぶりだった。
- 187 名前:さよならからはじまる恋F 『彼女の憂鬱』 投稿日:2004/06/02(水) 00:54
- 「そうやって煽てて谷底に突き落とすのやめてくださいよね。
けっこう傷つくんですから。」
私はいい機会なので思い切って言いたい事を言う。
そうでもしないとこの人はいつまで経っても私の気持ちに気づくことはないだろう。
『うーん、そんなつもりは欠片もないんだけどな。』
彼女は本当に心あたりが無さそうに首をひねる。
自覚症状がないならかなりたちが悪い。
『それより矢口が勝手に注文するからきたもの食べてね。
それで足りなかったら追加していいからさ』
「かなり強引ですね。」
私はどちらにしろ何を頼んでいいかわからなかったので異存はなかった。
『前から一度やってみたかったんだ。
ほら男の子が勝手に注文したりするのって何となくカッコいいでしょう?』
彼女は店員を呼んでメニューを指差して何か話している。
こういうときのコミュニケーション能力は見習わなければといつも思う。
- 188 名前:さよならからはじまる恋F 『彼女の憂鬱』 投稿日:2004/06/02(水) 00:54
- 『結局、おすすめコースにしてもらっちゃった。
和食が中心みたいだって。』
「私は、太らなければ何でもいいです。」
『まあ、こればかりは体質だからね。
梨華ちゃんは努力してるんだ。』
娘に入ってから太りだしたメンバーの顔が浮かんだのか
彼女は首を振りながら軽くため息をつく。
『今頼んだコースで700カロリーもないから、
それに飲み物入れても平気でしょう?』
矢口さんなりに心配していてくれたらしく
食べ物の組み合わせや、
一緒に飲むものによって栄養の吸収が違ってくることなどを
細かにいろいろと説明してくれる。
「矢口さん親切なんですね。」
私は思いもよらない彼女の気遣いに感謝すると同時に
もう少し他のメンバーの前でも優しくしてくれてもいいのにと思う。
- 189 名前:さよならからはじまる恋F 『彼女の憂鬱』 投稿日:2004/06/02(水) 00:55
- 『せっかく連れてきたのに不安げな顔で食事されたら
こっちだって楽しくないでしょ?』
矢口さんが笑いながら食前酒に口をつける。
彼女はああ見えても二十歳を超えているので合法的に飲むことができる。
『梨華ちゃんのはアンズと炭酸を割ったやつだけど、感覚的には近いと思うよ?』
先ほど店の人と話していたのはそのためだったらしく
メニューに無いものを用意してくれたらしい。
「いただきます。」
私は用意してくれたアンズ酒もどきに口をつける。
確かに普段飲んでいるジュースとは全然違ってそれなりの雰囲気が出ている。
- 190 名前:さよならからはじまる恋F 『彼女の憂鬱』 投稿日:2004/06/02(水) 00:56
- 『あ、料理がきたよ!』
矢口さんは早くも二杯目のお酒を注文しながら料理の入ったお皿を並べる。
思ったよりも品数が多く、彩りも鮮やかで少し感動する。
『どんどん食べちゃっていいからね。』
彼女は上機嫌で料理に箸をつける。
「なんか、これ変わってますね?」
山芋に鳥のささ身を軽く蒸したもので巻いてあるものを口に運ぶ。
『珍しくて美味しいね。少し味薄いけど。』
矢口さんも本当に気に入ったらしく、
次々に料理を空にしていく。
私はゆっくりと楽しみながら食べる。
いくら太りにくい料理とはいえ量を抑えるにこしたことは無い。
それでも料理も、飲み物も美味しいので思った以上に食が進んでしまう。
- 191 名前:さよならからはじまる恋F 『彼女の憂鬱』 投稿日:2004/06/02(水) 00:56
- 『うーん、梨華ちゃんの幸せそうな顔いいね。』
いつの間にか矢口さんは肘をついて私が食べる様子を眺めていた。
「普段、そんなつまらなそうな表情してます?」
照れ隠しに私は、冗談交じりに切り返す。
『うん。つまらなそうとは違うけどね。
楽しんではいないね。怒った表情も多いし、疲れてる顔も多い。
テレビの前やお客さんの前では出してないからいいけどね。』
矢口さんはそういい終わると、またお酒を注文している。
「ごめんなさい。」
私は普段現場で言われたら反発しそうなことも
この場では素直に受け入れられた。
『いや、謝ることじゃないんだけど
下の娘たちは少し近寄りがたいかもね。
私はそんな梨華ちゃん嫌いじゃないけど』
彼女は珍しくフォローを入れる。
(お酒飲んだほうが性格よくなる人いるんだ。)
普段の矢口さんを知っているだけに少しとまどいを覚える、
- 192 名前:さよならからはじまる恋F 『彼女の憂鬱』 投稿日:2004/06/02(水) 00:57
- 『本当はおいらか圭織が嫌われることもしなきゃいけないし
プレッシャーでイラつくほど頑張んなきゃいけないんだけど・・・・・』
彼女はまたグイっとサワーをあおる。
もうこれで四杯目になる。
止めたほうがいいのかと思うけど、いつもより優しいところと
真剣な話をする以外はかわりもないので躊躇してしまう。
『二人ともそこまで熱くなれないんだよね。
そういう時期もあったんだけど長く居すぎたのかな?
まあ、梨華ちゃんも大変だ。
同期には一人目立ってと疎まれるし、
下の娘達には追い越しの対象だしね。
なっちぐらい実績と年齢が離れてたらまた別なんだけど・・・・・・』
矢口さんが同情するように私を見つめる。
正直ほかの人からそう思われるのは嫌だったけど、
いつも私の近くにいて、
自分の思ったことしか言わない人の言葉だから少し嬉しい。
- 193 名前:さよならからはじまる恋F 『彼女の憂鬱』 投稿日:2004/06/02(水) 00:58
- 「矢口さんてお酒入るといい人になっちゃうんですね。
今度から、毎回飲んできてくださいよ。」
私は自分の感情を隠すための照れ隠しと
半分は本気で彼女に明るく提案してみる。
『なに馬鹿なこと言ってんの?
矢口は普段から優しいでしょ?』
「そんなことないですよ。
私、矢口さんの意地悪で
泣きそうになったこと何度もあるんですからね!」
- 194 名前:さよならからはじまる恋F 『彼女の憂鬱』 投稿日:2004/06/02(水) 00:58
- あまりにも、普段の言動に自覚症状のない彼女に対して
私は始めて強めに抗議する。
言い過ぎたかと思って彼女を見つめると、
何でもないように空になったグラスの底を眺めている。
私の視線に気づくと
『うーん、オイラは後輩思いのいい先輩なんだけど・・・・・・・・
下の娘達の反応みたって分かると思うんですけどね。
いつも怖い顔をしている石川先輩!』
矢口さんがいつもの彼女らしく憎らしいぐらいの態度で
私のほんの些細な抵抗を何倍にもして返してくる。
しかも言ってることがなまじ正しいだけに私に与えるダメージは相当なものになる。
『それとも、もっと口で言わないと分かんないのかな。』
矢口さんがさらりと怖いことを言った後、またお酒を注文する。
これだけ飲んで普段とほぼ変わらないというところもすごいけど
これでこの人が酔っ払ったらどうなるかと想像するとかなり恐ろしい
- 195 名前:さよならからはじまる恋F 『彼女の憂鬱』 投稿日:2004/06/02(水) 00:59
- 「そんなの私だって分かってますよ。
でもしょうがないじゃないですか!」
さっきは似たような会話で素直に謝れたのに
今度はそういう気分にならない。
その原因はたぶん矢口さんで、上手に私を挑発しているからだ。
そういうことに関しては天才的で、
当然私と違って下の娘達にたいする扱いも段違いに上手い。
『ふーん、反省する気持ち全然ないんだ?』
矢口さんの口から、普段の彼女と一番縁のない言葉が出てくる。
当然抗議したいことはたくさんあるけど、
三倍返しが怖くてなにも言えない。
『こんなんじゃこれからも問題解決しないね。』
いつのまに頼んだのか、追加の料理と飲み物を私のほうに差し出す。
私はそれどころでなく、小さくなってうなだれている。
そのまま五分ほど過ぎると彼女が大きくため息をついて
頭をテーブルにつける。
- 196 名前:さよならからはじまる恋F 『彼女の憂鬱』 投稿日:2004/06/02(水) 01:00
- 『何だよ!これじゃオイラが梨華ちゃんいじめてるみたいじゃんかよ。
せっかく、美味しいもの食べて元気付けようと思ったのに!』
矢口さんは、しばらく頭を抱えていた後起き上がると同時に
グラスの中身を空にする。
『ごめんね。意地悪な先輩で。』
彼女は苦笑いを浮かべながら、私の目を覗き込む。
「いえ、あの矢口さんだけですから、私のことそこまでかまってくれるの。
もう少し優しくしてほしいですけど・・・・・・・」
私は自分の感謝の気持ちのほんの何十分の一かを言葉に表す。
今の彼女の言葉で今までの疑問が一瞬の内に解けた。
私の思い上がりでなければ、
たぶん彼女は私のことを娘で一番可愛い後輩として見てくれていたんだと思う。
不器用な態度は愛情の裏返しで、
考えてみればいつもピンチのときにフォローしてくれるのは彼女だった。
本当は私もとっくに気がついていたはずなのに、
普段が普段だけに素直に認めるのはしゃくだったのかもしれない。
- 197 名前:さよならからはじまる恋F 『彼女の憂鬱』 投稿日:2004/06/02(水) 01:00
- 「私、安倍さんのことも好きですけど矢口さんのことも・・・・・・・
嫌いじゃないですから。」
『嫌いじゃないか・・・・・・
素直に好きって言えばいいのに。』
矢口さんが一瞬柔らかい笑顔を浮かべる。
「もし、そんなこと言ったら
後で何言われるかわかったものじゃないですか!
だから絶対に言いません!」
私が力を込めて言うと、
『梨華ちゃん頑固だね。』
矢口さんはケラケラ笑いながらにグラスの中身をまた空にする。
- 198 名前:さよならからはじまる恋F 『彼女の憂鬱』 投稿日:2004/06/02(水) 01:01
- 「矢口さん、飲みすぎじゃないんですか?
明日も仕事ありますし・・・・・・」
『うーん、じゃあもうそろそろ止めとこうかな?』
彼女は珍しく素直に私の意見を聞くと、
ちらりと時計を眺め、それから真顔になり
『梨華ちゃん、大丈夫?』
と短い一言を私に向ける。
私はその一言にいろいろな意味と矢口さんの気持ちが込められていることが
分かっているのでとっさに答えることができない。
確かに「娘」のためにも自分のためにもこのままではいけないことは分かっている。
でも何をどうしたらいいのか分からない。
「駄目みたいです。
ここのところかなりイライラしてましたし・・・」
思い切ってこの人に自分の心情をありのままに話してみることにする。
手厳しい意見が返ってくるのは覚悟の上だけど、
自分のなかにとじこめておくよりはよほどまともに思えた。
- 199 名前:さよならからはじまる恋F 『彼女の憂鬱』 投稿日:2004/06/02(水) 01:02
- 『一番の原因はなっちか・・・・』
彼女は大きくため息をつく。
安倍さんがいなくなって寂しい思いをしているのは
私だけでなく、彼女も一緒だった。
「そうですね。
安倍さんがいなくなったからその分も頑張ろうとか
そういう気持ちだったら格好いいんですけどね。
本当は私はこんなに寂しい思いしているのに
あの人は娘にいたとき以上に楽しそうで輝いて
それがすごく悔しいんですよ。」
『本当、それすごい頭にくるよね。
この前も後藤と二人でいちゃついちゃってさ、
今まで一緒にいたオイラの立場どうなるんだよって・・・・』
矢口さんも私と同感だったらしく少し声を高くしてまくし立てる。
- 200 名前:さよならからはじまる恋F 『彼女の憂鬱』 投稿日:2004/06/02(水) 01:02
- 「何かどんどん置いていかれるみたいで、
その焦りをみんなにぶつけていました。」
私は彼女と話しているうちに
やっと自分の本当の気持ちに気がつく。
それと同時に苛立ちは消えていて、
今はみんなに早く謝りたいという気持ちすら出てきていた。
『梨華ちゃん、反省するのはいいけど
なっちにはちゃんと自分の気持ち伝えといたほうがいいよ。
あの人本当に鈍感だからね。』
「無理ですよ。そんなこと言えません。」
私が慌てて言うと、
『大丈夫、今の話ちゃんと録音しといたから。』
矢口さんが自慢げに携帯電話をひけらかす。
私が慌てて取り上げても余裕の笑みを浮かべている。
- 201 名前:さよならからはじまる恋F 『彼女の憂鬱』 投稿日:2004/06/02(水) 01:03
- 『そのデータもう自宅のパソコンに送ってあるから、
後で編集してみんなに送っとこ。』
矢口さんの目は仕事をしているときの何倍も輝いていて、
本当にこういう嫌がらせが好きでたまらないことがわかる。
「ひどいじゃないですか!」
私は火に油を注ぐものだと承知しながらも文句を言うと
『オイラのギャラでしょ。
悩める後輩の相談にのって、ご飯まで食べさせてあげたんだから。』
と彼女はさも当然のように言い放った。
『さてと目標は達成したし、本腰入れて飲むかな。』
矢口さんは、まだ飲むつもりらしく注文を始める。
「じゃあ、私帰ります。」
私にできる精一杯の抵抗を彼女にしてみせる。
手のままに踊らされて、そのままでいるほど私はお人よしではない。
- 202 名前:さよならからはじまる恋F 『彼女の憂鬱』 投稿日:2004/06/02(水) 01:03
- 『あっそう、オイラは別にいいけど「梨華ちゃん」は本当にいいの?』
矢口さんはにやりと笑う。
こういう言い方をするときの彼女の恐ろしさは私が一番身にしみて知っている。
たぶん今私がここで彼女を置いて帰ることで得る爽快感の
何倍もの嫌がらせを受けるのは目に見えている。
こういうことには天才的に頭が回る人だ。
「いや、冗談ですよ。
大好きな矢口先輩にそんな態度取るわけないじゃないですか。」
私は引きつった顔を無理に笑顔にかえる。
『そうなの、別に無理しなくいいんだけど』
矢口さんは私の気持ちをお見通しなのか
憎らしいほど涼しげな表情を浮かべている。
- 203 名前:さよならからはじまる恋F 『彼女の憂鬱』 投稿日:2004/06/02(水) 01:04
- 「ここの料理美味しくて、石川もう少し食べたいなと思ってたんですよ。」
露骨に彼女をおだてても気づかれてしまうので
料理のことを誉めることにする。
『そうでしょ。おいらが選んだお店なんだからね。
よし梨華ちゃんの分も注文しちゃうから。』
気分が良くなったのか矢口さんはそれから
5杯ほどサワーを飲み目の前の料理を全てたいらげた。
私もカロリーの計算をしながら、
久しぶりに美味しいものをお腹いっぱい食べて大満足だった。
- 204 名前:さよならからはじまる恋F 『彼女の憂鬱』 投稿日:2004/06/02(水) 01:04
- 『じゃあ、行こうか?』
矢口さんがそう切り出したのは午後の十一時を回ったころだった。
「ええ。」
ちゃんと歩けるのかなと思ったけど、
彼女はしっかりとした足取りで階段を降りて会計を済ませている。
『梨華ちゃん、今車呼んでもらってるからね。』
そう言う矢口さんの顔は少し寂しげに映った。
楽しい時間が終わり、一人暮らしのマンションに帰るときの感覚が
彼女にも例外なく襲っているんだと思う。
「矢口さんの家、ここから少し遠いですよね?」
『うん、一時間ぐらいだけど』
気持ち良さそうに鼻歌を歌っていた彼女はその合間に答える。
- 205 名前:さよならからはじまる恋F 『彼女の憂鬱』 投稿日:2004/06/02(水) 01:05
- 「よければ石川の家に泊まりにきてくれませんか?
何か誰もいない部屋に帰るの寂しくて。」
『そこまで面倒見させる気なの。』
予想していた通りの言葉だったけど、
表情はその反対で、アルコールが入っている分いつもより感情が分かり易い。
「「毒食わば皿まで」って言葉あるじゃないですか。お願いしますよ。」
私がおどけて言うと、彼女はぶつぶつ言いながらもOKサインを出す。
表情を盗み見るとはっきり分かるほど先ほどより明るい。
(矢口さんも、寂しいのかな?)
- 206 名前:さよならからはじまる恋F 『彼女の憂鬱』 投稿日:2004/06/02(水) 01:05
- 自分より友人も多くて、仲間からの信頼も厚い彼女の心の中は分からない。
だけどこの人と一緒にいると、
ものすごく寂しがり屋で孤独なのではと思わされるときがある。
そんな影を私の前でだけみせてくれる。
少なくとも仲間達の前でいる矢口真里とは少し異なる。
そして、それは私も変わらない。
ただ矢口さんにも私にも安倍さんという存在がいて、
彼女が優しく私たちの孤独な闇を包んでくれる。
(なっちに会いたいな。二人きりじゃなくてもいいから。)
私は東京の曇った空を見上げる。
ここでまぶしいほどの星空が出ていたら素敵な場面なんだろうけど
生憎なことにそんなものは欠片も見えない。
それどころか、ネオンの光と車のヘッドライトがうるさいぐらいに
自己主張をしている。
- 207 名前:さよならからはじまる恋F 『彼女の憂鬱』 投稿日:2004/06/02(水) 01:06
- 「矢口さん、車きたみたいですよ。」
さすがに飲みすぎたのか、
眠たそうな顔をしている彼女に声をかける。
『うん。』
彼女は幼い少女に頷くと、私に引っ張られるようにタクシーに乗り込む。
「眠いんですか?」
私の質問が聞こえないのか、彼女は窓越しに通りすがる景色を楽しんでいる。
その表情があまりにも私の知っているものとは違うので思わずハッとなる。
『梨華ちゃん、今日はありがと』
矢口さんはそのままの状態で急に呟くように言った。
私は何か言わなければと思ったけど、
言葉にすれば全てが嘘になるように思えて
ただ彼女の手の平にそっと自分の手を重ねた。
- 208 名前:さよならからはじまる恋F 『彼女の憂鬱』 投稿日:2004/06/02(水) 01:07
- タクシーは夜の街を上手くクグリ抜け三十分ほどで
私のマンションに着く。
矢口さんは完全に眠ってしまっていて、
運転手の人が運ぶの手伝おうかと申し出てくれるほどだったけど
私は軽いから大丈夫ですと笑いながら言うと
彼も気分を害した様子も無く、
私にもたれかかって寝ている矢口さんをあらためて見て
お嬢ちゃんでも大丈夫だと笑ってくれた。
- 209 名前:さよならからはじまる恋F 『彼女の憂鬱』 投稿日:2004/06/02(水) 01:08
- いつもは一人の部屋に今日は珍しく人がいる。
彼女は私が背負って運んでいる間も気持ち良さそうに眠っている。
そして、部屋に着いてから三十分経った今も
目が覚める様子は欠片もない。
(黙って寝てたら可愛いんだけどね。)
起きているときとのあまりのギャップの大きさを
感じながらしばらく彼女を眺める。
(このままだとまずいし。パジャマぐらい着せてあげないと・・・・・・
女の子同士だから脱がせてもいいよね。)
私は彼女のためのパジャマがあるか記憶を辿っている内に
ある名案を思いつく。
- 210 名前:さよならからはじまる恋F 『彼女の憂鬱』 投稿日:2004/06/02(水) 01:09
- (確か実家じゃなくて、こっちに持ってきていたと思うんだけど・・・・)
クローゼットの奥を探すと目的のものが見つかる。
それはあまりにも少女趣味のパジャマで
薄いピンクにイチゴのプリントがしてあり
白いフリルが首の周りと袖の部分に付いている。
あまりの可愛さに衝動買いしてしまったけど、
だれも見てないとはいえ、さすがに着る勇気がなくずっとお蔵入りしていた物だ。
それを矢口さんに着せ、
髪の毛をきれいにまとめて緑と白のチェックのリボンをつける。
そしておまけにクマの大きなぬいぐるみを引っ張り出し彼女に抱え込ませる。
(うーん、私より似合っているのはショック・・・・)
予想外に可愛くて違和感のない自分より年上の彼女に衝撃を受けながらも
携帯電話を取り出すと、ついているカメラで容赦なくその姿をとる。
そしてその中で一番きれいに取れたものに
今までごめんねということと、これからもよろしくといった内容の文章を添付して仲間達に送る。
普段の強引でお姉さんぶった姿とのギャップにお腹を抱えて笑いこむだろう。
- 211 名前:さよならからはじまる恋F 『彼女の憂鬱』 投稿日:2004/06/02(水) 01:10
- (普段やられっぱなしだから、これくらいいいよね。)
私は一人ほくそ笑む。
明日みんなが矢口さんの顔を見たときの反応が楽しみだ。
たぶん堂々と笑えず顔をうつむけたままだろう。
そしてその原因を知ったときの彼女の表情を想像するとそれだけでわくわくする。
(こんなこと思いつくなんて私もなっちの影響受けているんだ。)
今までの私なら発想もしなかったことを実行に移した自分に
軽い驚きを覚えると同時に
しばらく会っていない彼女を愛おしく思う。
- 212 名前:さよならからはじまる恋F 『彼女の憂鬱』 投稿日:2004/06/02(水) 01:11
- 「なっちは超鈍感だからね。しかも自分がもてるの知ってるからたち悪いよ。」
幸せそうに寝息をたてている矢口さんのぼやきを思い出す。
(しょうがないか。いい意味でも悪い意味でも魅力的だからね。
でも石川はこれだけは誰にも譲りません。)
手強くて愛すべき友人達の顔が頭によぎる。
(明日の夜なっちに今日あったことを全部話そう。)
彼女はいつも楽しそうに話を聞いてくれたし、
忙しいときも後からかけ直してくれないことはなかった。
ただ私が遠慮してしまいなかなか電話できずにいた。
それは彼女に嫌われるのを怖がっていて少しビクビクしていたのかもしれない。
裏返して考えてみると彼女のことをそれだけ信じていなかったことになる。
でも今日矢口さんと一緒に過ごして彼女が
少し迷惑な示し方だけど私に愛情を持って接していることを確信できた。
そしてその彼女が愛するなっちのことを
知らないうちに信じられずにいた自分を恥じる。
- 213 名前:さよならからはじまる恋F 『彼女の憂鬱』 投稿日:2004/06/02(水) 01:12
- 本当に私って駄目ね。)
泣きたくなるような自己嫌悪におちいることもあるけど
そんな自分を包んでくれる人もいる。
その示し方は様々で、なっちのように抱きしめてくれる人もいれば
今、ぬいぐるみと一緒に寝ている人のように
少し?きつめの愛情の示し方しかできない人もいる。
(なっちのこともあるけど、とりあえずこの人から変えていかないとね。)
矢口さんの肩にそっと布団をかける。
(この人が私に惚れちゃったら面白いだろうな。
でも今でもその傾向あるし頑張てみるかな。)
私は久しぶりに明るい気持ちで布団に入る。
(不安なのは誰でも一緒。でも楽しまないとね。)
娘に入りたての頃、緊張していた私を励ましてくれたなっちの言葉を思い出す。
あの人の輝きはあの頃からずっと薄れていない。
(悩んでばかりいないで少しでもあの人に追いつこう。)
私は隣で眠る矢口さんの表情を眺めながらゆっくりと眠りに落ちた。
- 214 名前:後書き 投稿日:2004/06/02(水) 01:30
-
久しぶりの更新でした。
少し矢口さんの性格表現がくどかったかもしれないと
反省しつつもそこが自分の限界なのかもと感じました。
>170様、>171様
目を通していただいたうえ、レスのほうまでありがとうございます。
自作を期待といわれますとすごく嬉しいです。
でもワンパターンかしつつあるので久しぶりに
他の作者様の作品を読ませていただいて参考にしなければと・・・・・
ではまたしばらくご無沙汰になりそうですが
機会があれば読んでやってください。<(_ _)>
3rdcl
- 215 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/12(木) 01:16
- おうっと更新があったんですね(2ヶ月も前に)
石川さん矢口さんの繋がりがいいですね
二人のそれぞれの思いやりとそれぞれのいたずらと、微笑ましかったです
それにしてもどうなるんだろう…待ちます
- 216 名前:さよならから始まる恋-8 『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/08/26(木) 01:12
-
午前九時の勢いのある太陽の光とレースごしに吹き込んでくる柔らかな風に
真里はめずらしくすっきりと目を覚ました。
(あれ、オイラどうしたんだろう?)
あまりにも見慣れない部屋のレイアウトと自分が寝ているものより
ずっとふわふわの寝具に少し戸惑いを覚える。
ベットの脇をみると、かなり大きなクマのぬいぐるみが仰向けに転がっている。
部屋の中をあらためて見回すとドラマか何かに出てきそうな女の子の部屋という感じで
雑誌や着替えがところせましところがっている自分の部屋とはかなり対照的だ。
- 217 名前:さよならから始まる恋-8 『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/08/26(木) 01:14
- 真里は少し痛む頭を振って昨日の記憶をたどろうかと思うが
あまりに今の環境が心地よいのでそんな気もなくなってしまう。
(午後から仕事だったね。)
窓の外を見渡すと、この時間はちょうどみんな出かけているのか
人の姿は少なく鳥のさえずる音が少しうるさいなと思えるほど静かで
昔、住んでいた集合住宅とはえらい違いだ。
(どっちがいいんだろうね?)
子供の遊ぶ声であふれていた昔住んでいた場所とここをついくらべてしまう。
当時はただやかましいと思っただけだったが、
十年以上経つと考え方が変わるのか、思い出がきれいに塗り替えられているのか、
ずいぶん懐かしく感じてしまう。
- 218 名前:『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/08/26(木) 01:16
- ふとベットサイドをみると、ちいさなテーブルに薄いグリーンのガラスでできた水差しと
それとよくマッチしたコップに、
ホコリが入らないようするためか薄いコースターのようなものが置いてある。
(そっか、梨華ちゃんと一緒にご飯食べたんだった。)
渇きを覚えた喉で、一瞬のうちに昨日の記憶を取り戻す。
(ちょっと迷惑だったかな?
悪気はかけらもなかったんだけどね。)
自分の発言と今の状況をかえりみて、
少し自己嫌悪におちいりそうなほど反省してしまう。
ただ、普段の彼女を見ているのがもどかしくて
ついああいう行動に出てしまったんだと思う。
(でもあれじゃどう贔屓目にみても意地の悪い先輩がいじめてるようにしか見えないか。)
真里は苦笑を浮かべると
うっすらと汗をかいている水差しから、水をコップに注ぎ込む。
水かと思ったその液体は、薄い色がついていてその独特の香りから
ジャスミンティーだと気がつく。
- 219 名前:『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/08/26(木) 01:17
- (あらー、あの娘気を利かしちゃって、
矢口さんこういうの苦手なんだよね。)
一瞬口のなかに入れることを躊躇するが、
喉がすごく渇いていたのと、梨華の気持ちを無駄にしないためにも
一杯だけ口につける。
(やっぱ、駄目だな。)
世間の人や友人は落ち着くとか頭がすっきりすると言うが
真里にとっては頭の中に何かが入り込むような感触が少し気になる。
- 220 名前:『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/08/26(木) 01:18
- (うーん・・・・・)
真里はまだ水差しに残っている液体を見て軽くため息をつく。
彼女が自分のためにわざわお茶をいれてくれた。
しかも、強い香りとその冷たさから入れたてのものを
わざわざたくさんの氷を使って冷やしてくれたこともわかる。
しかもいつも自分の母親が用意してくれるものとは
水自体が違うことも一口でわかってしまった。
(梨華ちゃん、何でこんなにはりきるんだろう。)
真里は天井を軽く仰ぐ。
そこまでしてくれたものを残してしまうわけにはいかない。
多分、この器をカラにしなければなにがいけなかったかと
彼女は自問自答するにちがいない。
- 221 名前:『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/08/26(木) 01:19
-
そして、悲しい表情をあらわさまいとする痛々しい笑顔を浮かべるだろう。
今の真里にとってはそれがなによりもこたえる。
逆に全部きれいに飲みほせば、
「おいしかった。」、「ありがとう」という単語を並べなくても
心から喜んでくれることは容易に想像がつく。
(何がそんなに嬉しいんだかね。)
真里は、そのときの梨華の顔を思い浮かべて口元を緩めた自分に照れてしまい
心のなかで皮肉っぽいセリフを浮かべる。
(とにかく早くカラにしないと・・・・・・・)
バルコニーの溝に流し込みたい衝動と闘いながら、
必死にお茶を飲みほす。
(これなら同じ量のアルコール飲むほうが楽でいいんだけど・・・・・)
頭と鼻にまわってくる香りに苦しみながら、濃いコーヒーがものすごく恋しかった。
- 222 名前:『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/08/26(木) 01:24
- ジャスミンティーの影響から開放されつつあった真里はやっと安堵のため息をつく。
(でも、遅くまでつき合わせて家にまで泊まっちゃったし
おまけにベットまで使わせてもらっちゃったな。)
落ち着いたせいか、今度は自分がしたことが頭の中をグルグルと駆け巡る。
(梨華ちゃんは気にしてないんだろうけど、
やっぱしオイラとしてはどう接すればいいか困るわけで・・・・・・・
なんだか気が重いや)
真里はふと気楽に笑うなつみの顔を思い浮かべる。
(なっちと二人なら、何があっても困ることなんかないのにね。)
- 223 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/30(月) 00:36
- お茶飲み干した矢口えらい
なんだかんだで後輩思いの先輩、先輩思いの後輩
といったところですね
どうなるんでしょうか
- 224 名前:『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/09/06(月) 01:56
- 思わず「なっち」という単語を頭にかすめた自分に真里は軽い失望を覚えた。
(また「なっち」か・・・・・・
矢口さんもずいぶん弱くなったもんだ。)
なつみが娘のメンバーから抜けて数ヶ月しか経ってないのに気がつくとすぐこれだ。
彼女がいるころは自分が心の底でこれほどその存在を頼りにしているとは思わず、
どちらかといえば、自分が側にいてあげないという気持ちが強く、
『卒業』したあとのなつみのことが心配でしょうがなかった。
何がそんなに真里の心に気がかかったのかを上手く言葉に表すことは難しい。
ただ彼女は仲間のなかにいなければ駄目になるように思えた。
例えば自分が今こうしたいと感じたら彼女はその願望の通り行動するし、
言わなければいけないと思ったら周りの人間を敵にまわしても自分の意見を貫く。
娘にいたころもその傾向はあったが仲間にも迷惑がかかると自制していたことと
周りのメンバーもなつみをフォローしていてちょうどバランスがとれていた。
- 225 名前:『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/09/06(月) 01:57
- 今、一人になってなつみには守るべきものはない。
彼女にはときどき自分の保身にたいしてすごく投げやりでいい加減にり、
自分の存在さえもどうでもいいのではないかということを感じさせられることがある。
それは芸能人としては致命的だということを真里はこの世界に身をおいてから
嫌というほど思い知らされた。
それに、なつみは周りが思っているほど心が強くなく
常に誰かが側にいてあげなくてはいけないと思わせる一面がある。
彼女よりずっと年下の娘たちと、
一緒になってはしゃいでいる姿や
メンバーの辻希美をはたからみると異常に思えるほど可愛がるのは
自分の心に境界線を引く反面、すごく人間が好きで寂しがりやなんだろう。
- 226 名前:『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/09/06(月) 01:57
- そんなふうになつみをみていたので、
ソロとしていきいきと活動している彼女をみるたびに
ほっと安心する気持ちと、置いていかれるなとあせる気持ち、
それとそこまでなつみのことを心配してあれこれ考えてしまった自分が
ものすごく恥ずかしくなってしまう。
そしてなつみの太陽のような笑顔や、
「みんな頑張ろう!」と周りを引っぱる熱血なところ、
少し強引で口が悪く、ピントのずれたファッションセンス、
彼女のことが自分で思っていた以上に好きだったことが分かってなぜか嬉しかった。
- 227 名前:『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/09/06(月) 01:59
-
(でもなっちはなっちの人生があって、おいらはおいらで頑張らないといけないわけで
いつまでも人を頼りにしてはいけないわけだ。)
真里にしては珍しく長い思考の迷路から抜け出すが、
(なのにこのザマじゃねー。)
自分の着ているかなり少女趣味っぽいパジャマをみて大きくため息をつく。
どう頭の中をほじくりまわしても自分で着替えた記憶は欠片もでてこない。
つまり梨華に着替えさせてもらったと考えるしかないだろう。
- 228 名前:『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/09/06(月) 02:00
-
(本当に尻にひかれっぱなしというか・・・・・・・・・
梨華ちゃん絶対いい奥さんになる。
オイラが年下で男の子だったら絶対意地悪なっちより梨華ちゃんなんだけどな)
あれこれしてもらった気恥ずかしさを他の方向にもっていこうとするが、
最後にはまたため息がでてしまう。
(梨華ちゃんの前では頼りになるかっこいい先輩でいたかったのに・・・・・・・
これじゃどう見てもドジでお調子者にしか見えないよー)
無意識のうちに自分の腕の部分のパジャマの裾にかみつき、
なぜだか恨めしげにカーテン越しの太陽を見つめる。
真里の気持ちとは裏腹に空はどこまでも晴れていて、太陽はさらに輝きを増していく。
- 229 名前:『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/09/06(月) 02:00
- (いつまでもこうしているわけいかないんだよね。
午後から仕事だし、シャワーも浴びたいし、お腹もすいたし)
真里の無限とも思えるような思考のループがドアをノックする音で中断される。
「矢口、あんたいつまで寝てるの!
もう入るからね!」
その声を聞いたとたん真里の気持ちはさらにどん底に突き落とされる。
泣きっ面に蜂という言葉があるがそんな甘っちょろいものではいい表せない。
(さっきまでこれ以上の不幸はないと思っていたけど・・・・・・・
甘かった・・・・・・・・・・・・・・・・・
オイラ、すごーーーーーーーい馬鹿、そして最悪。)
真里の沈んだ気持ちとは裏腹にドアは勢いよく開けられて、
声の主が遠慮なく突入する。
- 230 名前:『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/09/07(火) 01:36
- 『矢口・・・・・・・・・・・・朝っぱらからいい身分だね。
それともなっちがいなくなったからって弛んでるのかい?』
例え声が聞こえなくても、その独特の言い回しを紙に書いてもらえば
主語が無くても100%誰だか分かるだろう。
そしてその相手はいま一番会いたくないダントツのナンバーワンだった。
真里はドアが開かれるの同時に、布団を頭からかぶり固まってしまう。
こうするとことで事態が好転するともおもえないが反射行動だからしょうがない。
「何でなっちがここにいるんだよ!」
真里は魂の叫びをやっとのことで搾り出す。
- 231 名前:『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/09/07(火) 01:37
-
『へー、久しぶりだっていうのにずいぶんのご挨拶だ・・・・・・・・』
なつみのいつにも増して皮肉っぽい声が聞こえる。
真里は恐ろしくて顔をまともに合わせることができない。
ふだんは陽気な人だけど、怒らせたらすごい。
娘のメンバーに誰が一番怖いかアンケートをとったらダントツの一位確定だろう。
そのときの表情がすごく好きと言ったマゾッ気のあるとしか思えないメンバーもいたが
不幸?なことに真里にその気は全くない。
- 232 名前:『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/09/07(火) 01:38
- 『何で布団かぶってるのかな?
なっちや梨華ちゃんよりずっと可愛いって自分で言ってた顔見せてほしいんだけど。
それともなっちに顔合わせられないようなことしたのかい?』
なつみの容赦のない攻撃は一言ひとこと真里の胸に容赦なくつきささり、
近づいてくる足音はとてつもなく大きく感じる。
「あれー、矢口さんどうしたんですか?」
この場にそぐわない明るい調子の声に、その場の空気は一変する。
『梨華ちゃん、もうシャワー浴び終わったんだ?』
百八十度変わった人あたりが良くて聞きやすい声がなつみの口から漏れる。
さっきまでの口調とは偉い違いでとても同じ人間から出ているものとは思えない。
- 233 名前:『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/09/07(火) 01:39
- 「ええ、あがったら食事の用意も安倍さんがしてくれてたんで
一応お茶だけ入れて呼びに来たんですけど・・・・・・・・・」
そう言いながら梨華は頭から布団をかぶってまるまっている真里を、
不思議そうに見つめる。
どうやら彼女にはこの場の状況がつかめていないらしい。
『矢口ねー、なっちに怒られるんじゃないかってビクビクしてただけ。
本当に口だけで小心者なんだから!』
なつみは梨華に悪戯っぽい視線を向けて楽しそうに笑い声をたてる。
「えーーーーー。
矢口さん、安倍さんに怒られるようなことしたんですか?」
梨華は全く心あたりがないのか、心配そうな顔でなぜか周りをキョロキョロ見渡す。
- 234 名前:『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/09/07(火) 01:41
- 『矢口、梨華ちゃん全然気にしてないって・・・・・・
なっちもこれくらいで勘弁してあげるから、いい加減に出ておいで』
なつみはベットに近づくと容赦なく布団を剥ぎ取る。
そこにはとても二十歳を超えていると思えない格好の真里が
顔にまだ涙の後を残していた。
『ははは、矢口なにその格好?それに泣いてたんだ。
そんなに怖かった?』
なつみがさらに傷口をえぐる。
いくらなんでも言いすぎかと思うが、今の真里にはグーの音も出ない。
「なっち!事情はよく知らないけどちょっと言い過ぎ!
矢口さん可哀想です。」
梨華がむきになるあまりか言葉遣いまで無意識のうちに変わって真里のフォローにまわる。
『ごめん。さすがにやりすぎたか・・・・・・・・
なっちもいい年なんだけど。昔から全然なおらないね。』
「私にじゃなくて、矢口さんに謝ってください!」
(梨華ちゃん、こういうとこ可愛いよな。)
珍しく頬を膨らませて怒りの表現をする梨華に、
なつみはつい場違いな感想を浮かべてしまう。
- 235 名前:『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/09/13(月) 02:57
- 『矢口そういうことだから。
まだアルコールのにおい消えてないんだから早くシャワー浴びてきな。』
なつみは、梨華の言葉が聞こえなかったかのように
真里の頬を一度つねると口笛を吹きながら出てゆく。
「あっ、なっち!」
梨華は、出て行くなつみとその場に放心状態でいる真里を見比べたが
結局その場に残ることにする。
なつみがそれほど怒っていたように思えないし、
何よりあとはよろしくということで、この場を外したように思えたからだ。
- 236 名前:『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/09/13(月) 02:57
-
「あの・・・・・矢口さん?」
まだ心ここにあらずといった感じの真里に恐る恐る声をかける。
もしかしたらまた出すぎたかもしれないという苦い感情が梨華の胸に湧き上がる。
(なんだか分かんないけど、なっちと矢口さんの問題だったんだから口はさんだのは余計だったかな?
これだから私娘のメンバーに嫌われちゃうんだよな・・・・・・)
「私が守ってあげないと」と妹のように面倒をみようとして
けっきょく嫌われてしまった年下の同期の顔が浮かんできて朝なのに余計気が沈んでくる。
顔をまともにあげることもできずにいると
ベットサイドのティーポットが目に映る。
(あっ・・・・・全部飲んでくれたんだ。良かった。
お酒飲んだあとは喉が乾くっていうから、この前雑誌で見た通りにいれてみたんだけど
おいしかったのかな?ちょっと香りが強すぎたかもしれないけど・・・)
梨華は慣れない作業で入れたジャスミンティーが空になっているのを確認すると
自分の気持ちが無駄にならなくてよかったとそれだけでかなり気分が軽くなる。
- 237 名前:『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/09/13(月) 02:58
- 「あっ、梨華ちゃんごめんね。」
梨華の問いかけにたっぷり数分置いてから真里は申し訳なさそう顔を彼女にむける。
「なっちにたっぷり脅かされて、震えていたところに梨華ちゃんが助けてくれたから
ほっとしたら力が抜けちゃって・・・・・・・・・・」
真里はもう大丈夫というように立ち上がってカーテンのレースを引くと両手をぶんぶんと振り回してみせた。
『安倍さんがそんなに怖いんですか?』
梨華は理解に苦しんで首をかしげる。
彼女とは何年も一緒に過ごしてきたがそんな記憶は欠片もない。
- 238 名前:『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/09/13(月) 02:58
- 「怒らせたらね。
梨華ちゃん以外みんな経験あるんじゃないかな?
あのごっちんや、ヨッシィーも口答え出来ずに小さくなってたんだから・・・・・
とにかく迫力あるし、ひとつひとつ傷口をえぐるようにくるでしょ?
この人に見捨てられたらどうしようって怖くなるんだよね。」
なつみの冷たい表情と軽蔑を込めた口調を思い出す。
その何よりも逆らいがたい独特の空気は誰にも出せるものではなく、
彼女だけの空間だった。
『でも矢口さんは怒られるようなことしてません!』
梨華が思わず力を込めていうと
「昨日のこと怒ってないの?」
と彼女の意外な反応に驚きながら小さくたずねる。
もちろん真里としては、彼女を励まそうとして昨日の行動に出たわけだが
結果として十分誤解をまねく余地があったことを自分でも自覚していた。
- 239 名前:『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/09/13(月) 02:59
- 『何で怒るんですか?
みんな石川のこと無視していくなか矢口さんだけが
真剣に心配してくれて声かけてくれたんじゃないですか。
嬉しいとは思いましたけど、どうしてそんな結論になるか分かりません。
なっちにはちゃんと謝ってもらいます!』
真里が知っている梨華とはあまりにも違う強気な態度に驚きを覚える。
そして、今まで「安倍さん」としか呼んでなかったなつみに対して
興奮したときのみという限定条件ながら「なっち」と呼べることになったことに気が付く。
「梨華ちゃん・・・・・・・・
気持ちはすごく嬉しいけど今回だけはオイラも悪いところがあったから・・・・・・
なっちには後で自分から謝る。」
真里はそれだけ言うと自分でも驚くほど頭の中がすっきりして
先ほどまで胸にのしかっかっていた見えない何かが嘘のようになくなっていた。
- 240 名前:『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/09/15(水) 01:05
- (あーあ、バカだね。
一人で勝手に気にして、悩み苦しんで、何やってたんだろう?
私の気持ちがきちんと伝わってたんだ。
梨華ちゃんにかなり迷惑かけたけど、
そんなことで気分を害する娘じゃないのは、
もうずっと前から分かってたのに。)
真里は彼女に伝えたい自分の感情があったけどそれを素直に出すことができない。
(他の娘相手だったら抱きしめたりキスしたりして
今の気持ちを表すことができるのに・・・・・・・
なんでだろう?ものすごく照れちゃうんだよね。
嫌いじゃないのに!)
梨華はそんな真里の気持ちを知ってか知らずかほんの少し首を傾げる。
- 241 名前:『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/09/15(水) 01:05
- 『良かったら、シャワーどうぞ。
下着は安倍さんが買ってきてくれましたから・・・・・
あと着替えも準備してくれたみたいですよ!
合わなかったら石川の貸しますし、』
「そう、ちょうどすっきりしたいし、
ここまできたらとことん甘えちゃうぞ。」
真里がベットから立ち上がるとパジャマの裾が引っ掛かるので
思いっきりまくってみせる。
そんな背中に、今年にしては珍しく湿度の少ない風がそっと後押しする。
- 242 名前:『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/09/15(水) 01:07
- 「ところで梨華ちゃん、いつからなっちのことを『なっち』って呼べるようになったの?」
『まだみんなの前では呼べないんですよ。
二人きりのときにそう言えるようになったのはつい最近です。』
真里の悪戯っぽい問いに、梨華は本当に嬉しそうな顔を浮かべた。
控えめながらもそこには少し自信のようなものが感じられ、
入ったころのおどおどした感じや、無理に明るく振舞う様子は欠片もない。
(なっちが梨華ちゃんを変えたのかな?)
真里はそう思うとかなり悔しい気がする。
少なくともなつみよりは
ずっと長い時間彼女と関わる機会が多かったし、
それなりに気にかけていた。
- 243 名前:『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/09/15(水) 01:07
- (なっちはいつもずるい!
面倒見がいいわけでも、性格がいいわけでも、優しいわけでもなくて
ほんの少し調子がいいだけなのに!
いつも優しいお姉さんぶって、口うるさい役は祐ちゃんかオイラ、
冗談じゃないわよ!)
自分の梨華に対する感情を隠すために無意識に心のなかでなつみをせめる。
『矢口さん、ここに着替えがおいてあってあそこにシャンプーがあって・・・・・
あっ・・・・バスタオルは思いっきり大きいのにしときますね。』
梨華の甘い声に真里はやっと我にかえる。
彼女のほうをあらためてみると黒いノンスリーブのシャツから
体のラインが見え隠れしていてつい目が奪われてしまう。
- 244 名前:『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/09/15(水) 01:12
- 「梨華ちゃんはシャワー浴びたの?」
心の動揺を隠すためつい間抜けなことを聞いてしまう。
艶のある髪や、しっとりとした肌、ほどよい香水の香りで
入ったばかりだと分かりきっているはずなのに。
『ええ、なっちと一緒に』
梨華がうっとりとした表情でこたえると
「ええっー!」
と真里は大きな声をあげて思わずその場に座り込む。
(嘘だ!おいらのなっちが・・・・・・梨華ちゃんが・・・・・
好きな人が二人同時にオイラの手から・・・・
やっぱり今日は最悪の日だ・・・・・・・)
こぶしを握り締めて、額を地面につける真里に対して、
くすりと笑いながら
『冗談です。』
と短く言うと逃げるようにその場を離れていった。
- 245 名前:名無し読者 投稿日:2004/09/15(水) 02:56
- 矢口かわいいなぁ
- 246 名前::『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/09/21(火) 21:44
- (やられた!)
さすがに物事を楽観しする傾向がある真里も
梨華が自分を試すためにあんな冗談を言ったことを理解できた。
(梨華ちゃんに薄々気づかれてたんだ!
オイラなんて間抜けなんだろう。
ちょっと待て・・・・・・
なっちが梨華ちゃんとお風呂に入ったこと・・・だけにショックを受けたことにすれば
梨華ちゃんがなっちと入ってたこと・・・にショックを受けたことにならないよね。)
なんとか訳の分からない理屈を並べて自分を納得させようとする。
(とにかく、これからは絶対にそういう素振りをみせないようにしないと。
第一梨華ちゃんは好きな人がいるんだし、
考えてみれば色黒とか『ブス』って言ったことがある『かも』しれない・・・・)
真里は必死で自分の記憶をごまかすために『かも』という言葉を使ったが
それは無駄な努力になりそうなくらい、きっちりと頭に焼き付いていた。
- 247 名前:『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/09/21(火) 21:46
- (とりあえず、シャワー浴びよう。
下着はなっちが新しいの買ってきてくれたし、
着替えは梨華ちゃんも用意してくれたみたいだから・・・)
真里はいつになくしおらしい気持ちになると、
梨華が着せてくれた少女趣味のパジャマをきちんとたたむ。
(クリーニングして返すのがスジだけど、
かえって気を使わせちゃいそうだし・・・・・・・
そうだ!こんどお気に入りのショップに連れて行って
何か買ってあげよう。
梨華ちゃんもなっちほどじゃないけどセンスいいって言えないからね。)
真里は梨華を連れだす口実ができて少し気持ちが軽くなると
熱めに調整したシャワーからお湯と共に出る蒸気が浴室を包み始めた。
- 248 名前:『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/09/21(火) 21:47
- 『矢口のお守りご苦労さま!』
なつみは戻ってきた梨華のために
席を立つと紅茶を入れるためにお湯を沸かし始める。
「なっち、座ってて。
お客さんに働かせたらお母さんに怒られちゃう。」
梨華が笑いながらキッチンのなつみと肩を並べる口実をつくる。
『まあ、いいから。
どうせ沸騰するの待つだけだし・・・・・・・・』
なつみがそう言って振り返ると、
いつの間にか梨華の体が近くに来ていてなつみの体に触れる。
『何だかねー』
なつみは照れた笑いを梨華に向ける。
「「何だかねー」はないじゃないですか?」
『うん。でも『何だかねー』なんだよね。』
なつみは今の自分の気持ちを表現する言葉見つからず
梨華の肩に一度勢いよく頬をぶつける。
- 249 名前:『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/09/21(火) 21:47
- 「真希ちゃんなら平気?」
梨華は何気なしに年齢が近い仲間の名前をあげる。
『うん、照れたりする仲じゃないからね』
「ちょっと羨ましいかも」
真希のことを思い出したのか、
可愛くてしょうがないというように顔の緩んだなつみの横顔を
ため息まじりで眺める。
『でもごっちんは梨華ちゃんのことが羨ましいかもよ。』
なつみは沸騰直前お湯の火を止めると、
丸型の透明のポットに一度さっと湯を通したあと
素早く紅茶の葉を入れてお湯を注ぎ込む。
- 250 名前:『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/09/21(火) 21:48
- お茶の葉がおもしろいように浮き沈みを繰り返す。
その様子をなつみと梨華は頬を寄せて一緒に覗き込む。
『なかなか沈み込まないね?』
「このまえ見たテレビだと三分ぐらいだって・・・・」
『うーん。三分って長いねー。』
(私にとっては短すぎるくらいなんですけど・・・)
梨華はそっと心の中で反論する。
ポットの中では茶葉が元気に舞っていて
まだしばらくこの時間は続きそうだ。
- 251 名前:『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/09/21(火) 21:49
- 「矢口さんて、可愛いですね。」
梨華は昨日からの一連の出来事を思い浮かべて笑いながら言う。
『うん。すごい馬鹿だけどね。』
なつみはポットから目を離さずに答える。
『本当にどうしょもないしょ。
今朝もアルコールの匂いがしてるし、
梨華ちゃんのベットは占領するし・・・・』
「私は本当に気にしてないから、
矢口さんにそんなこと言わないで。
あれで結構気にするところがあると思うんですよ。
そしたらいつもの矢口さんじゃなくなっちゃうから」
梨華は真里の気持ちを思うと何だか可哀そうで、
声もつい悲しげになってしまう。
- 252 名前:『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/09/21(火) 21:52
- 『あの娘がそんなこと気にするわけないでしょ。
ものすごく図々しくできているんだから・・・・・』
なつみ口ではそう言いながらも梨華の発言を肯定するように
彼女の頭を優しくなでる。
『まあ梨華ちゃんに免じて昨日のことは無かった事にしてあげる。
でも今度同じことしたら、
そのときはきつーくいくからね。』
「なっちって怖いんですね。石川全然気づきませんでした。」
『娘の中にどうしようもないのがごく少数いたからね。
なっちが脅かさなきゃしょうがないでしょ。』
なつみの脳裏にそのメンバー達の顔が浮かんできたのか
疲れたようにため息を大きくついた。
- 253 名前:『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/09/23(木) 23:26
- (怒られるのは嫌だけどちょっと羨ましいかな。
そこまで真剣にかまってもらえるんだから。
私といるときのなっちは、
のらりくらりで余裕があって何か振り回されてるって感じで。
それに『好き』て言葉も言ってくれないし・・・・・・)
なつみは難しい顔をして考え事をする梨華がおかしいのか
彼女に気づかれないようにクスリと笑うと
紅茶の入ったカップをそっと置く。
「あっ、安、安倍さんありがとうございます!」
いれたての葉の香りで、我にかえった梨華がなぜか立ち上がり
慌てて礼を言う。
自分でも分からないうちに思考の迷宮に入り込んでいたのだろう。
- 254 名前:『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/09/23(木) 23:27
- 『うーん、そこまでされるようなことしてないんだけど・・・・』
なつみは苦笑いを浮かべると、
自分の分の紅茶をいれて梨華の向かいのイスに腰掛ける。
「すいません。ちょっと考え事で・・・・・・」
『別にいいんだけどさ、なんか不安なことでもあるのかい?
今の仲間に相談しにくいことがあるんだったら・・・・・・・
あっ何度も言うけど遠慮しなくていいからね、
っていうかあんまり距離置かれちゃうと寂しくなっちゃうからさ、
頼りがいはないかもしれないけど、もう少し甘えておいで。』
なつみは梨華が何で悩んでいるか、
全く心当たりがないらしく100%善意の笑みを彼女に向ける。
- 255 名前:『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/09/23(木) 23:30
-
「はい。」
少し間をおいて梨華は返事をする。
まさか、自分ともっとスキンシップをとって
他の娘とベタベタするを控えてほしいとは言えるわけもない。
(私、独占欲強いのかな。
あの「なっち」がここまで気にかけてくれてるのに・・・・・・・)
最初は声をかけてもらえるだけで幸せだったのが
心の奥底でもっと別のことを望むようになってきている
自分に戸惑いを覚える。
彼女を束縛できるわけないだろうし、
束縛したところで何にもならないのは分かりきっている。
- 256 名前:『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/09/23(木) 23:31
- この人は驚くほど自由で、
自分の感情に逆らうことはしない。
だから私のことを好きだと言ってくれても、
真希ちゃんであろうと、男の人であろうと、
他の人を好きになったらその気持ちを否定することはしないと思う。
(石川かなり悩んでます。
これが恋なんだ・・・・・・・・・)
味わったことのない種類の痛みで
なつみの顔を見るのがつらく自然と顔が下に向いてしまう。
なつみはそんな梨華の気持ちを知ってか知らずか、
ゆっくりと紅茶の香りを楽しみながら、彼女に優しい目を向ける。
- 257 名前:『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/09/23(木) 23:35
-
「はーい、お待たせ!」
静かな空気を突き破るように、
かなり大きめで薄いグリーンのチェック柄のシャツに、
デニムのパンツをはいた真里が陽気に登場する。
『誰も待ってないんだけど・・・・・』
なつみは努力して冷めた声を出す。
「ごめん、なっちに言ってないんだけど。
梨華ちゃん、チャオ!」
真里はなつみのほうには目もくれずに梨華に挨拶する。
「チャオ!」
珍しくブスっとしているなつみと、
楽しそうな真里に誘われて梨華も元気よく返事をする。
「あれ!紅茶?
オイラはコーヒーが飲みたいんだけど、
あとお腹も減っちゃった。」
真里は自分の願望だけ言うとドカッとイスに座り込んで、
テーブルの上のクッキーをつまみ出す。
- 258 名前:『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/09/23(木) 23:36
- 『招からず客とはこのことだね。
あ・・・・・梨華ちゃん座っててなっちがやるから。』
なつみが冷蔵庫の中から、
カットしていたフルーツとグラスに入ったヨーグルトのデザートらしきものを取り出す。
『これは後だからね。
今冷たすぎるくらいだから、食後にはちょうどいい具合になっているでしょ』
グラスに手をつけようとした真里の手を音がしっかり鳴るほどの強さで
はたくと再びキッチンへむかう。
「あの、手伝わせてください。」
『あっ、本当にいいから』
なつみがソーセージと野菜を炒めながら、顔だけを梨華のほうへ向ける。
- 259 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/24(金) 10:50
- お二人さんなかなか進展しませんね〜。
ここの安倍さんちょっと怖っ強い。
石川さんガンバ。作者さん更新頑張って。
- 260 名前:『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/09/27(月) 01:42
- (はぁー。)
梨華は心の奥で大きくため息をつく。
なつみの隣で一緒に調理したいのに彼女は全然気づかないらしい。
(でもあの笑顔で言われちゃうと、それ以上何もね・・・・)
一人で鼻歌を歌いながらフライパンを振り回すなつみの背中を
恨めしそうにながめた。
真里はなつみが「余っている」からと
強引に渡された紅茶を飲みながら梨華の様子を観察する。
彼女は本当に分かりやすく、
その表情や仕草から言葉以上のものが伝わってくる。
(なっち・・・・いい加減気づいてあげなよ。
鈍感にもほどがあるぞ!)
なつみも梨華も失いたくなくてホッとしている気持ちと
あまりにも不憫な後輩の姿をみて痛める相反する心を抱えて
珍しく迷いが生じる。
- 261 名前:『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/09/27(月) 01:42
- (このまま、なっちと梨華ちゃんがくっつかなければ
オイラの心の汚い部分が生まれることはないんだろうけど・・・・・
バカなっちはともかく、
梨華ちゃんはいい娘で優しくしてくれるし・・・・・・・)
「なっち、梨華ちゃんがね、一緒に料理したいって!」
真里はしばらく躊躇したあと、
大きな声でなつみの背中に多少のやっかみを除いた声をぶつける。
『えー、料理っていっても材料を切って炒めてるだけなんだけど』
なつみは返事を返しながらも
なぜ真里がそんなことを言うのか考え込んでいる。
彼女との付き合いは誰よりも長い。
彼女はおしゃべりのようだけど本当に余計なことは言わない。
- 262 名前:『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/09/27(月) 01:43
- (バカなっちめ、やっと気づいたかな?)
なつみが首を傾げて、
右腕で頭の後頭部を掻き始めたのをみて真里は少し安心する。
(さてとこれでいいかな。)
少しいいことしたという自己満足の気分で、
紅茶に砂糖をいれたそうとするとまだ梨華が動けないのでいるのが目に入る。
(梨華ちゃん、何やってるの。
これ以上矢口さんは助け舟出してあげないからね。)
真里は知らん振りでテレビのボリュームをあげ
テーブルの上のクッキーを手につけるが
どうしても視覚と聴覚が彼女に奪われてしまう。
梨華は手をぎゅっと握り締めて立ち上がりかけながら何度も座り直す。
- 263 名前:『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/09/27(月) 01:43
- 「梨華ちゃん、
なっちだけでちゃんと出来るわけないから手伝ってあげて。
少しはマシなもの食べたいからさ」
「はい!」
その言葉に突き動かされるかのように梨華が動き出すのと、
『矢口、ご飯抜きだからね!』
というなつみのとても冗談に聞こえない調子の声が響いた。
(本当、オイラ梨華ちゃんに甘いよな。)
真里は心の中で梨華以上に大きなため息をつく。
- 264 名前:『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/09/27(月) 01:44
- しばらくするとキッチンから、
なつみと梨華の楽しそうな声が流れてくる。
真里はテレビの画面をみることなく、
照れくさそうななつみと、
嬉しくてたまらないといった表情の梨華に目が奪われる。
他人のしあわせをみると
自分がしわせになると言ったどこかの偉い人がいたが
本当に馬鹿だと思う。
そんなわけないじゃん。
真里は必死に面白く無そうな表情をつくろうと努力するが、
どうしても緩くなってしまう。
ふと真里のほうを振り返ったなつみが梨華に聞こえないように
「サンキュー」と口の形をつくった。
真里も聞こえないように
「バカ」と口を動かしたら、なつみが極上の笑顔を向けてくれた。
- 265 名前:『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/09/27(月) 01:45
- (あ-あ、なっちも、梨華ちゃんも本当たちが悪いね。
どこかに格好良くて、性格も良くて、おまけにお金持ちの男いないかな。
そもそも女の子の仕草にドキッとするほうに問題があるんだけど・・・・・)
真里はそうぼやきながらも、
彼女たちのひとつひとつの仕草に自分が心を奪われていくのを自覚する。
(オイラは蚊帳の外か、ある程度いいとこまでは行くんだけどね。
『娘』のポジションと同じだ。)
自嘲気味に笑いながらも、
これだけは自分の気持ちに素直にいこうと明るい気持ちで心に誓う。
- 266 名前:『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/09/27(月) 01:46
- 「おまたせしました。」
『矢口、いっぱい食べて大きくなるんだよ。』
梨華となつみがそれぞれのセリフを言いながら、
テーブルに料理を並べる。
本人たちは簡単だと言っていたけど、とても朝食だとは思えないほど豪華だ。
梨華がもう一度キッチンに向かうと、、
いつのまにいれてくれたのか、なつみが湯気のたったコーヒーカップを真里に差し出す。
『矢口、ありがとう!たまにいい奴だね。』
「気まぐれだけどね。もうちょっとあの娘の気持ち考えて。」
真里は珍しく他人の仲に口を挟むとなつみは困ったような表情を浮かべた後
「うん。」と小さくうなずいた。
- 267 名前:『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/09/27(月) 01:47
- なつみがキッチンに向かうと入れ替わりに梨華が真里の横にくる。
「矢口さん、あの・・・・・たぶん好きです。」
そう言って真里を背中越しに抱きしめる。
「残念でした。オイラはその気がないんだよね。」
そう言いながらも、これから先味わうことのないかもしれない感触を十分に楽しむ。
『こらこら、食事前に騒がない。』
なつみが梨華の頭をポンと叩くと、彼女は嬉しそうに舌を出した。
- 268 名前:『遅く起きた朝に・・』 投稿日:2004/09/27(月) 01:55
- 真里は昨日の夜から今までの一連の出来事を頭の中で振り返る。
こんな短時間によくこれだけいろいろ考えて、
悩んだり、後悔したり、嫉妬したり、少し幸せな気持ちになったりと
感情が変化したことに感心し、
そして自分が今幸せなんだと思える時間があることに感謝する。
これからもこんなふうに毎日がとまではいかないが、
半年に一度くらいはあればいいと思う。
外は相変わらず静かで、
心なしか自然の風も少し温かくなってきた。
これで湿度が加わればエアコンの出番になるだろう。
(今年は暑くなるのかな。)
あまり、気温とは関係のない仕事なのにふとそんなことを考える。
(たまには遅く起きた朝も悪くないね。)
真里はなつみが『いただきます』の号令をかける声が
少し遠い出来事で、
今この瞬間が思い出になりそうな錯覚を振り払うかのように首を振ると、
ゆっくりと苦めのコーヒーを口に運んだ。
- 269 名前:後書き 投稿日:2004/09/29(水) 02:58
- 久々に一話仕上げました。
(内容は相変わらず駆け足ですが(^▽^;) )
口で人に分かりやすく物事を伝えるのもできないのに
文章でそうするとなると・・・・・・・・・・
レスくれた方、目を通してくれた方ありがとうございます。
また書き終わったらageさせてもらいますので
よろしくお願いします。
- 270 名前:さよならから始まる恋-9 『〜Dear なちこさん〜』 投稿日:2004/10/18(月) 23:42
- 『よっちゃん、元気?』
「いや相変わらずです。先輩は調子良さそうですね。」
テレビの収録で久しぶりに一緒になった安倍さんがいきなり後ろから背中をはたく。
控え室で帰りの準備をしていた私は
思いもよらぬ訪問者に内心驚きながら何事もないかのように切り返す。
いやここに来ること自体は不思議ではなかったけど、
私に、しかも一番最初に声をかけることは初めてかもしれない。
『先輩っていうのはね・・・・・』
安倍さんがちょっと困ったような表情を浮かべる。
彼女がそんな表情を浮かべることはめったにないだけにそれは非常に新鮮だった。
「だって他に呼びようがないじゃないですか?
『なっち』って呼ぶほど親しくないですし、
『安倍さん』って呼ぶほど他人じゃないですし・・・・・・・・・・・・」
私が口ごもっていると、
安倍さんがきたのが嬉しいのか他の娘達が彼女の周りを取り囲み、
あれこれと話しかけている。
彼女はその輪の中心で人を魅了してやまないあの笑顔を仲間たちに向けていた。
- 271 名前: 『〜Dear なちこさん〜』 投稿日:2004/10/18(月) 23:43
-
ガッカリしたような、ほっとしたような気分になって大きく息をすると
『よっしぃー。』
と同期の梨華ちゃんが私の心を見透かしたかのように
いたずらっぽい視線を向けて抱きついてくる。
「何だよ。」
私は胸の動揺を隠すため笑顔をつくると、軽く彼女をほどきにかかる。
『あなたって本当に分かりやすいのね。』
ちょうど恋人同士が向かい合うようなポジショニングであきれたように息をはいた。
梨華ちゃんがこういう年上めいた口調で接してくることは珍しく
普段はどちらかといえば甘えてくるような状況が多くて
私のほうがいつも年上という感じだった。
こういう状況になるのは私のことを彼女なりに気遣ってくれているときだと
気づいたのはつい最近だ。
- 272 名前: 『〜Dear なちこさん〜』 投稿日:2004/10/18(月) 23:44
-
『いいわ。気がつかなかったことにしてあげる。
でもあの人超鈍感だからね。
そうやって格好つけてるといつまで経っても気づいてもらえないよ。』
「梨華ちゃん、安倍さんと付き合ってるんじゃなかったけ?」
珍しく余裕のある態度の彼女が面白くないのか
私にしてはかなり毒を含めた口調で切り返す。
『そのはずなんだけど、なかなかね・・・・・・・・・』
梨華ちゃんは一瞬寂しげな笑みを表情を浮かべる。
私が知っている彼女の表情より大人びたもので、
なんだか娘に入ったころとは違うんだなということは
まざまざと感じさせられすこし寂しいというか置いていかれる気持ちになってしまう。
そんな憂いををおびた表情より
分かりやすいくらいに感情を顔に出す彼女のほうが好きだけど
そんなことは口が裂けても言えない。
- 273 名前: 『〜Dear なちこさん〜』 投稿日:2004/10/18(月) 23:45
-
彼女のその一瞬の仕草で私の感情だけで放った一言が
意図した以上に深く突き刺さったのが分かって
ほろ苦い罪悪感が私の胸を駆け巡る。
彼女が安倍さんに対して私より近くにいるからとかそういう優越感で
アドバイスしてくれたことではないのは百も承知だ。
この場においてはただ私のことだけを見て
私のことだけを気遣っていてくれた。
最低だ。私はやはりあの人を心の中で思う資格すらないのかもしれない。
- 274 名前: 『〜Dear なちこさん〜』 投稿日:2004/10/18(月) 23:45
-
「梨華ちゃん、あの・・・・・・・」
私が言いかけるより先に彼女が優しくてそして少し疲れたような表情で指を静かにというようにそっと口にやる。
その動作で私の声が自分で思っていた以上に大きくなっていたことに気がつく。
「おいっそこのバカップル!
小さい娘もいるんだし、いちゃつくんならプライベートにしてくれない?」
矢口さんがわざとまわりに聞こえる声でわめきたてる。
みんなの視線が興味深々で私たちのほうに向いているのが分かる。
とくに宝塚好きの高橋愛ちゃんの目は心なしか色っぽくうっとりとしている。
そのなかで気になる相手に一瞬注意を払うと
『よっちゃんは相変わらずだねー』という声が聞こえた。
「小さい娘って矢口さんより小さい人いませんよ?
自分がもてないからって私にあたるのやめてくださいよ。」
私がおどけながら言うと、
矢口さん以外の人は最初は遠慮してクスクス笑っていたけど
年長組みが笑い出したのをみて安心したのか下の娘達もお腹を抱えて笑い出す。
- 275 名前: 『〜Dear なちこさん〜』 投稿日:2004/10/18(月) 23:46
-
私は嘘をついていた。
安倍さんにはちゃんと呼び方がある。
「なちこさん」という私が考えに考え抜いた愛称だ。
なぜ「なちこさん」なのか・・・・・・
一番呼びやすいのは、あまりにも有名な「なっち」という愛称で
実際ごっちんとかはすぐそう呼べるようになったらしいけど
娘がほぼ完成してから入った私たちには
そう簡単に呼ぶには、かなり心理的負担がかかってしまう。
ある程度敬意?を払えて、それでいて呼びやすい愛称・・・・・・・
先輩だからやっぱし「さん」づけじゃないとまずいけど
「なっちさん」じゃ語感が悪い。
年の近い仲間たちが私のことを「よしこ」と呼ぶときがあるので
それを応用して愛称+こ+敬称で「なちこさん」となった訳だ。
私はこのネーミングを非常に気に入っていて
飯田さんが松浦亜弥ちゃんにつけた「あやや」にはかなわないと
思うけどかなり気に入っていた。
まだその単語を口外にしたことは一度もなかったけど・・・・・・・・・
- 276 名前: 『〜Dear なちこさん〜』 投稿日:2004/10/18(月) 23:47
-
どうして彼女のことをそこまで気にするのか?
それは一緒に過ごした人ではないと分かりにくいと思う。
人のことを我関せずでめったに「人物論」を口にのぼらせることのないリーダーこと
飯田さんが一度だけプライベートのとき私に言ったことがある。
「なっちは特別なんだよ。
いるだけでいいっていうのかな?
歌が上手いわけでもルックスやスタイルが飛び抜けていいわけでもないんだよね。
性格だってあのとおりでしょ。あっかおりん別に嫌ってるわけじゃないからね。
それは時々頭にくることはあるけどね・・・・・・・
あっ・・・・・・疑ってるでしょ・・・・・・
これ本当なんだよ。
ただカヲリはなっちの何倍努力してもあの娘にかなわないのは分かってるの。
かなわないっていうよりいい意味でも悪い意味でも次元が違うのかな?
だから面白くないって感情はあるけど、心のそこではなっちのこと好きよ。」
私は人や自分の奥底に眠る感情がそれほど綺麗ではないことを知っていたけど
飯田さんの言葉の響きは驚くほど自然で美しかった。
- 277 名前: 『〜Dear なちこさん〜』 投稿日:2004/10/18(月) 23:48
-
シンプル・イズ・ベストな言い方をすると
人の心を惹く何かがあるというわけで
私は見事にそれにはまってしまったわけだ。
もっともそれにはそれなりのきっかけはあった。
- 278 名前: 『〜Dear なちこさん〜』 投稿日:2004/10/18(月) 23:49
-
五期の娘達が入って半年以上経ってからだと思う。
その頃の私は自分のやってることが何だかとても馬鹿らしく、
くだらないことに思えて毎日がとてもうんざりしていた。
でもそのへんは要領がいいのでそんな感情はおくびもださず、
毎日楽しげに振舞っていた。
もっとも天才的美少女といわれた面影はなくなってきていて
娘の中でも存在感が薄れてきていたので気楽といえば気楽だったけど・・・・・
- 279 名前: 『〜Dear なちこさん〜』 投稿日:2004/10/18(月) 23:50
-
そのきっかけが起きたのはちょうど
大きな都市でのコンサート前で
しかもその会場の初回公演いわゆるこけらおとしというやつで
みんなぴりぴりしているなかの出来事だった。
『よっしぃー。話があるんだけど』
有無を言わさぬ様子で彼女が話しかけてきた。
控え室の中は公演前の慌しさでざわついているのに
彼女の声は驚くほどはっきり私の耳に届いた。
「先輩なんすか?今そんなときじゃないすよ。
あと十分でコンサート始まっちゃうんですから。」
珍しく話しかけてきた彼女に
私は何だろう?と不信感を覚えつつ、
みんなの受けがいい男言葉で切り返した。
- 280 名前: 『〜Dear なちこさん〜』 投稿日:2004/10/18(月) 23:52
-
『いいからおいで。』
安倍さんの手がしっかりと私の腕をつかんだ。
ほどこうと思えばほどけたはずなのに、
私はあがらうことができず、
自分よりも15センチ近く背の低い彼女にひきづられるように出て行った。
マネージャーの「安倍!」と叫ぶ声が聞こえたけど
彼女の歩調は緩まることはなかった。
「先輩、ヤキでも入れるんですか?」
連れてこられた倉庫室の雰囲気と、
突然の出来事でパニックになりかけている自分を落ち着かせるために
冗談っぽく話しかける。
- 281 名前: 『〜Dear なちこさん〜』 投稿日:2004/10/18(月) 23:53
-
そんな私の言葉を無視して
ブラウン管の彼女からは想像もできないような
冷たい目で私のてっぺんから足元を一瞥する。
よく考えてみれば安倍さんと二人きりになったのは
初めてだったわけだけど
その時の私はそんなことを思う余裕がなく
何か言わなければと思っても
体が萎縮してしまい言葉を発するどころか、
瞬きすることすらできなかった。
こんなことはオーディションや初めてのコンサートのときにもなかったことで、
迫りくる開演時間と彼女の無言の圧力に挟まれて
ものすごい冷や汗を背中からかいていた。
- 282 名前: 『〜Dear なちこさん〜』 投稿日:2004/10/18(月) 23:54
-
『吉澤、もう辞めたら。』
彼女の口から出てきた言葉はたったそれだけで
言葉の重みに反して軽い口調・・・
「例えば明日雨かな?」「うーんどうだろうね?」
といったそんな感じで危うく言葉の内容を理解損ねるところだった。
「こんなときに話すことじゃないですよね?」
私は何をこの人は言っているんだという怒りを抑えて皮肉を込めて切り返す。
『こんなときじゃないと、吉澤の耳には入んないでしょ』
どうしようもなく、汚いものを見るような目。
口をきくのも嫌だという言葉の音階が否応もなく伝わってくる。
今まで体験しことのないような状況に、
胸の鼓動が悪い意味で高鳴っているのが嫌でも分かる。
- 283 名前: 『〜Dear なちこさん〜』 投稿日:2004/10/18(月) 23:54
-
「先輩は・・・・・・・私のことが嫌いですか?」
恐る恐る私は彼女にお伺いをたてた。
こういう時は下手に出るに限る。
こんな卑屈な気持ちになったのは生まれて初めてだった。
『別に・・・・ただ一緒にいるのは嫌。』
彼女の目は私を捉えたまま離さない。
「それは『娘』としてですか?」
『それ以前』
彼女はきっぱりと言い切ると、私との距離を一歩つめた。
- 284 名前: 『〜Dear なちこさん〜』 投稿日:2004/10/18(月) 23:55
-
「何もかもお見通しですか?」
私は上手く隠せていたと思った自分の心情が
読み取られていたのをさとった。
『うん。
誰も気づいてないのか、気づいていないふりをしてるのか知らないけど、
私は分かっちゃったんだ。』
「ほっとけばいいんですよ。
みんなの足は引っ張るつもりないですし、
安倍さんのポジションだって安全じゃないですか・・・・」
『何だ、勝てる気でいたんんだ。』
思わずついて出た私の心の奥底の感情に、
冷たい言葉の刃を突き刺した。
そのときの彼女は
普段の陽気な姿が偽者でこれが本当なんだと思わされるほど
無慈悲で残酷に映り、私は世の中に『絶対』というものがあることを思い知らされた。
- 285 名前: 『〜Dear なちこさん〜』 投稿日:2004/10/18(月) 23:56
-
私は一言も口がきけず、
時計がとっくに開演時間を過ぎていることさえも気にならなかった。
コンサート前の外の喧騒が聞こえてくるのを
まるでどこか遠い世界の出来事のように感じていた。
- 286 名前: 『〜Dear なちこさん〜』 投稿日:2004/10/18(月) 23:57
-
『もしかして怯えてた?』
どれだけ時間が経ったか分からず意識しないうちに床に崩れていた。
ただ彼女の笑い声だけが頭に響いてくる。
何か言わなければと思うのだけど、
体の神経が麻痺しているのか私の思うとおりに動いてくれない。
『ちょっと、脅かしただけなんだけどね?』
彼女は、他の娘達に悪戯をしかけるときと
全く変わらない無邪気な笑みを浮かべている。
その表情をみているとさっきまでのことが、
悪い夢でも見ていたのではないかと思いたくたる。
『まあ、ほどほどにしときなさいということ。
それから頑張ってる娘をバカにするな。』
安倍さんはそれだけ言うと、
小さな体を一杯に両手を高く伸ばす。
『さてと、お仕事、お仕事』
だいぶ開演時間に遅れてしまったことを全く気にする様子もなく
テンションをあげていく。
- 287 名前: 『〜Dear なちこさん〜』 投稿日:2004/10/18(月) 23:58
-
「安倍!」
出て行こうとする安倍さんと
彼女を必死になって探していたマネージャーが正面衝突する。
『いたい。』
「痛いじゃないだろ!どういうことだ!」
ぶつかって倒れこんだ彼女に、
マネージャーが鬼の形相でせまる。
それはそうだろう。こんなことがあったらたまったものではない。
『えっ、よっしぃーが気分悪いって』
安倍さんはしれっとした顔で嘘をつく。
第一彼女が私を連れ出すところもきっちりと目撃されている。
- 288 名前: 『〜Dear なちこさん〜』 投稿日:2004/10/18(月) 23:59
-
「フー」
まだまだ怒鳴りたかったのだろうけど、
彼女の笑顔に気をそがれたのと今はそれどころではないということで
彼は怒りをおさめる。
「頼むよ。俺も立場そんな強くないんだからさ。」
彼女に対しては強気に出るより下手に出たほうが効果的だと
分かっているのかさっきまで勢いが嘘のように今度は泣きついてみせる。
『私はわがままですからね。
おまけに代わりはいくらでもいるんでしょ?』
よせばいいのになにかの拍子に言われたであろうことを、
完璧におまえごとき相手ではないという毒を込めて切り返す。
- 289 名前: 『〜Dear なちこさん〜』 投稿日:2004/10/18(月) 23:59
-
「悪かった。」
彼は意外と素直に頭を下げる。
その姿からは私たちの前で虚勢を張っている欠片もみあたらない
『別に私は喧嘩をしたいわけでも
あなたに意地悪したいわけでもないですけど
今度、私たちをコケにするようなことを言ったら許しません。』
安倍さんはそれだけ言ってかっこ良く出て行ったけど、
急に私のことを思い出したのか慌てて戻ってくる。
『よっしぃー、何してんの。みんな待ってるよ!』
彼女の変わりようと
あまりにも勝手な言い草に安倍さんに
きめられて呆然としていたマネージャは声を上げて笑い出す。
- 290 名前: 『〜Dear なちこさん〜』 投稿日:2004/10/19(火) 00:00
-
「すいません、ぼけっとしちゃって」
起き上がろうとする私に、彼女の手がからみつく。
たぶんこれが最初で最後のことかもしれない。
久しぶりに私の胸で何かが音をたてて動き出している。
『よっしぃー、重いよね』
安倍さんはさらりと嫌味を言ってのけると、私の手を取って走り出した。
彼女と私が一番深く接したのはこのときが最初で最後で
それ以降幸運?なことに彼女との接点はほとんどない。
仲のいい娘も違ったし仕事上でも全くといっていいほど
一緒になることはなかった。
- 291 名前: 『〜Dear なちこさん〜』 投稿日:2004/10/19(火) 00:01
- 『梨華ちゃん、よっちゃんにいじめられてない?』
ようやくメンバーの波から開放された安倍さんが
私たちにお土産らしいお菓子を差し出す。
「うーん。泣く寸前までよくいじめられます。」
梨華ちゃんが冗談っぽく彼女に笑いかける。
『いつでも、なっちに言うんだよ。すぐやっつけてあげるからね。』
なちこさんの悪戯っぽい目が私の姿を映しこむ。
きっと彼女は私の複雑な気持ちも気がつかずに
毎日を飛ばして生きていて、彼女のなかでの私の存在は無に等しいのかもしれない。
- 292 名前: 『〜Dear なちこさん〜』 投稿日:2004/10/19(火) 00:01
-
私は横で笑っている梨華ちゃんの姿をちらりと盗み見る。
『娘』としてもかなり差をつけられてしまったけど
それ以前に彼女の性格的な成長に深い嫉妬を覚える。
(よくなちこさんに自分の気持ち伝えられたよな。)
本人は気づかれてないつもりでも狭い世界なのでこういうことはすぐに伝わる。
(あの梨華ちゃんがね・・・・・・)
もちろん私は安倍さんがものすごく好きだとか
恋愛感情をもっていたわけではないけど
そのことを聞いたときは二重の意味で深い敗北感を味わった。
- 293 名前: 『〜Dear なちこさん〜』 投稿日:2004/10/19(火) 00:02
-
『じゃあ、よっちゃんまたね。』
梨華ちゃんと談笑していた安倍さんは、
時間に追われるようにその場を離れていく。
彼女がいなくなると、
ほんの少し寂しくてものすごくほっとしている自分がいる。
『よっしぃーて、何か本当だめだね。』
梨華ちゃんのなぜだかがっかりしたような声に
あんたにだけは言われたくないと言い返す気持ちが押さえ込まれてう。
「梨華ちゃん、なに勘違いしてんの?
あんな性格悪い人好きになるわけないじゃん。」
『私、そんなこと一言も言ってないけど?』
「うっ・・・・・・・・・・」
今日は梨華ちゃんのお姉ちゃんモードが長く
またも私は手玉にとられてしまう。
- 294 名前:◆ULENaccI 投稿日:2004/10/19(火) 01:03
- 裏なっち((;゚Д゚)ガクガクブルブル
- 295 名前: 『〜Dear なちこさん〜』 投稿日:2004/11/23(火) 21:32
- 『まあ、私も人のこと言えないんだけどね。』
珍しく固まってしまった私に、
梨華ちゃんは彼女らしい優しさでフォローを入れてくれる。
ここがなちこさんとの決定的な差で、
彼女の場合は気にすることもないというかサバサバしているのか
見かけに相反して男っぽいところがある。
『駄目というか、空回りかな・・・・・』
少し寂しげに微笑むとゆっくりと私の顔を自分の胸に引き寄せる。
いつもなら、冗談っぽく抵抗して絶対そんなことさせないのに
今日に限っていえばそんな元気が欠片もない。
(まあ、いいか。誰も見てないし・・・・・)
ほのかに甘い香水の香りがして、
そのことが私たちが出会ってからの年月を感じさせるようで
何となく悲しかった。
- 296 名前: 『〜Dear なちこさん〜』 投稿日:2004/11/23(火) 21:33
-
「はぁ〜」
突然大きなため息が私たち以外誰もいないはずの部屋に響き渡る。
驚いて梨華ちゃんを見上げると彼女も予想外だったらしく、
珍しく口をボカンとあけている。
見渡すと部屋に置いてあった機材の影に、
高橋愛ちゃんが携帯ではないカメラを握りしめたままガックリと肩を落としている。
『ちょっと、愛ちゃん!』
梨華ちゃんが怒って彼女に詰め寄る。
彼女はそんなことには気にもせず自分の世界に入り込んで
大げさな嘆きの表現を体いっぱい使って表している。
『何で、そんなことしてるの!』
テレ隠しのためかいつもより高い声で梨華ちゃんが愛ちゃんの肩に手をかける。
- 297 名前: 『〜Dear なちこさん〜』 投稿日:2004/11/23(火) 21:34
-
「吉澤さん!」
突然、こちらの世界に戻ってきたのか彼女は梨華ちゃんの手が体に触れているのに
気づかず何故か恨めしげな表情で私を睨みつける。
「何かな・・・・・」
本来なら盗み見された私が怒りたかったが、
彼女の語彙に圧倒されて、つい無難な対応をしてしまう。
「どうして・・・・・・・・・
どうして・・・・
どうしてそんなにカッコ悪くなっちゃったんですか!」
勝手に盗撮されたあげく、あまりにもストレートな言いように私は体が固まってしまう。
(愛ちゃん・・・・・・人には触れてはいけないことがあるんだよ。・・・・・)
怒りよりも先に驚きのほうが先走る。
まあそれで怒るような気力があれば今の私の立場はもう少し変わっていたはずだけど
- 298 名前: 『〜Dear なちこさん〜』 投稿日:2004/11/23(火) 21:35
-
「後藤さんや吉澤さんに憧れて娘に入ったのに・・・・
後藤さんはすぐ卒業!
吉澤さんは変な方向に大きくなるし・・・・・・
大好きな安倍さんも卒業しちゃったし・・・・・」
愛ちゃんはそれだけ言うと、
私を睨みつけながら泣き出してしまう。
(これ状況から言うと、私が悪いのかな?
でも何でここまで言われなきゃいけないんだ・・・・)
梨華ちゃんのフォローを期待して彼女のほうを見ると
『愛ちゃん・・・・・可哀想・・・』
いつのまにかしっかりと愛ちゃんを抱きしめて、
ハンカチで涙を拭いていた。
(どっちが可哀想なんだよ!)
私は大声で叫びたい気分だったが多少自覚症状があるので
大人しくうなだれている。
- 299 名前: 『〜Dear なちこさん〜』 投稿日:2004/11/23(火) 21:36
-
『そうね。みんな黙ってたけど・・・
性格もあんまりカッコ良くないし・・・・』
梨華ちゃんはわざとかどうかは知らないけど、さらに追い討ちをかける。
「はい。娘の中で「一番可愛い」石川さんが写せるのに側にいる吉澤さんときたら・・・・・・・」
愛ちゃんが涙交じりに、梨華ちゃんをヨイショする。
(はー、愛ちゃんもけっこうしたたかだ。
単純な梨華ちゃんはきづかないだろうな・・・・・)
私はもう何もかも諦めて天を仰ぐ。
『愛ちゃん、よっしぃーはよっしぃーで気にして頑張ってる「かも」しれないでしょ?
本当のことでも口に出しちゃだめよ。
ちゃんと謝んなさい。』
ところどころに毒を含めながら、思いっきり甘く愛ちゃんを諭す。
一番可愛いと言われて嬉しいのか、傍から見ても分かるぐらい上機嫌でるんるんしている。
(もう、おもいっきし本人の口から聞いちゃったんですけど・・・・・)
言葉を出す気力もなく心のなかで口を挟む。
- 300 名前: 『〜Dear なちこさん〜』 投稿日:2004/11/23(火) 21:37
-
「あの、吉澤さん・・・・・・
本・・・・・・・えーっと失礼なこと言ってすいませんでした。」
私は何か釈然としないものを感じながらも、
いつも自然な彼女に好感を覚えていたので曖昧に笑ってごまかす。
『愛ちゃん、泣いてお腹減ったでしょ?
甘いもの食べにいこうか。
まだ誰にも教えてなくて
最初になっちに教えてあげる予定だったお店連れて行ってあげる。』
私の愛ちゃんに対する返事を待たずに梨華ちゃんが彼女を連れ出す。
『あっそうだ!』
置いてきぼりにされると思うと何となく面白くない気分でいた私に
梨華ちゃんが一度だけ振り向いて声をかける。
『部屋の電気きちんと消しといてね。』
それだけ言うと愛ちゃんと肩を寄せ合って楽しげに話しながら
私の視界から徐々に消えていく。
- 301 名前: 『〜Dear なちこさん〜』 投稿日:2004/11/23(火) 21:38
-
Dear〜なちこ様〜
人に手紙を書きたくなる気持ちがあるものですね。
電話でもメールでもなく紙に・・・・・・・・
相手に自分の気持ちを伝えるだけのことなのにどうしてでしょうね?
私が思うには声やメールはすぐに消えてしまうけど
手紙というものは形になって残って私がおばあちゃんになって
この世から消えても存在するからかもしれません。
私はみんなが思うよりもっとカッコ悪くて、駄目な人間なのかもしれません。
でも、私の目から見ると残酷なほど輝いて見えるあなたに
ほんの少しだけでも近づきたい。
それが今私が存在する理由なのかもしれません。
あなたに私の気持ちは届かないでしょうけど、
もう少しだけ頑張ってみます。
- 302 名前: 『〜Dear なちこさん〜』 投稿日:2004/11/23(火) 21:39
- 私は今の複雑な思いをボールペンで手帳に書き込む。
手紙というよりは「不思議ちゃん」の落書きみたいなものだけど
今、この瞬間の私の気持ちを何かに残したかった。
ふと手帳に挟んである一枚の写真が床に落ちる。
その中にはいつのまにか娘から卒業していた、
加護亜衣と辻希美、そして私となちこさんが一緒に写っている。
その中で一番はしゃいでいて、楽しそうなのは彼女だった。
(本当イモっぽいよな。)
私の友人が彼女のこを評するときに深い愛情をこめていった言葉をポツリと呟いた。
- 303 名前:後書き 投稿日:2004/11/23(火) 21:47
-
時間がかかりましたが書き終わりました。
いつも悩むのは終わらせ方と、後書きです。
まあ、せっかく書き終わったんで少しぐらい気の利くことを・・・・
と思うんですがなかなか(;´Д`)
では、また機会がありましたら目を通してやってください。
- 304 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/11/24(水) 23:09
- 更新キタ━━━(´∀`)━━━!!!!!
青板の方も期待してまふ
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