CAST A SHADOW
- 1 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/11(日) 19:39
- 初めまして。前頭三枚目といいます。
1年くらいROMってましたが、自分でも書きたくなりました。
同じ題名やHNはないと思います。
案内板に目を通していますが、落ち度がありましたら指摘して下さい。
週に1〜2回の更新を目指します。
- 2 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/11(日) 19:40
- 8:35
HR開始
8:45
授業開始
「…という行動に出たのです。では、この話の筆者はどんな気持ちだったと
言えるでしょうか」
「では、この問題を…松浦さん」
「ハイ。この筆者は… …という気持ちであったと言えます。」
「ハイ。その通りです。さすがですね」
――――チッ。――
舌打ちが聞こえる。
- 3 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/11(日) 19:42
- 「…こういう数式を当てはめれば、こういった問題は8割方解けると言えます。」
「じゃあ、この例題を解けるものはいるか?………誰も手を挙げないなー。じゃあ、松浦!」
「ハイ。この問題は、まずこの数式に… …以上よりX=2となります。」
「ハイ。その通りです。さすがに理事長の娘さんですね。よく勉強しています。
皆さんも見習ってくださいね」
―――っせーよ――
――― 一人でやってろよ――
色々な声が聞こえる。
12:35
昼休み
皆各々机を寄せ合ったり外に食べに行ったりしている。
授業よりもこの時間が楽しみな生徒も多いこともあり、学校全体が
賑やかな雰囲気となっている。
- 4 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/11(日) 19:43
- その喧騒の中、一人で屋上へと向かう。
冬も終わりを告げて、日差しが暖かくなってきた最近では屋上で食べる人が多く、
中々に空いてるスペースがない。
しかし、ようやく屋上の隅のほうに場所を確保し一人で持ってきたお弁当を広げる。
周りはグループで食べているらしく、楽しそうな笑い声が聞こえる。
この雰囲気の中で食べると一層寂しさが強調される。
自分だけが孤立している気分に―――実際孤立しているが――なってしまい、
お弁当の箸も中々進まない。
そのうち聞こえてくる囁き声。
『ねえねえ、また一人で食べてるよ』
『友達いないんじゃない?』
『やっぱり嫌な人なんだよ』
『理事長の娘だし、なんか先生にも贔屓されているらしいよ』
『一人でいるのも、“あんた達とは違うのよ!”って思ってるからかもね』
- 5 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/11(日) 19:45
- 何度聞いても聞きなれない聞きたくない声がまたも聞こえてくる。
ろくに進んでいないお弁当を手早く包むと足早に屋上を立ち去る。
教室に戻ってもやることがないので仕方なく教科書を広げて次の授業の準備に
とりかかる。しかし、またも聞こえてくる囁き声
『見て、もう授業の準備してる』
『本当だ。何も昼休みにもこれ見よがしにやらなくてもね』
『うん。全く、先生に媚び売っちゃってさ』
どこに行ってもついてまわる悪意のある囁き声。
しかし、逃げ場はない。仕方なしに聞こえない振りをする。
- 6 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/11(日) 19:48
- 13:20
午後の授業開始
「じゃあ、ここを松浦!」
「ハイ。ここは…… …です。」
「よし、さすが松浦だな。」
再び繰り返される同じ光景。そして、そのたびに強くなる刺さるような視線。
15:10
「では、今日の授業はここまで。皆春休みの間にしっかり予習してこいよ」
授業も終わり、明日から春休みということもあり、教室の中は先ほどの
昼休みよりも騒々しい。
ここ、私立松浦学園は中高大一貫式の女子校であり、エスカレーター式と
なっていることから、受験とは無縁となっている。だから、松浦達は現在
中学3年だが、受験や卒業がないため普通に春休みがあって、普通に違う
校舎で新学期が始まる。従って、生徒達の頭にあるのは春休みをどうやって
過ごすかだけ。
- 7 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/11(日) 19:52
- その喧騒の中を誰にも声をかけずに教室を後にし、理事長室に向かう
人物が一人。全く迷いの無い足取りで進み、数回ドアをノックした
後に迷い無くドアを開ける。
「亜弥入ります。授業が終わったので帰ります。」
「おお、そうか、車で送らせようか?」
「いえ、大丈夫です。歩いて帰ります。」
「そうか?気をつけて帰るんだぞ。」
「はい。」
いつも通りの報告。いつも通りの会話。そしていつも通りの道を
通り帰宅。
とりあえず、明日からは春休みだから、しばらくはあの悪意に
囲まれずに済む。
- 8 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/11(日) 19:54
- いつからだろう。こんな風に悪意に囲まれるようになったのは。
いつからだろう。先生以外と会話しなくなったのは。
いつからだろう。友達が自分に話しかけてこなくなったのは。
いつからだろう。笑わなくなったのは。
いつからだかは、分からない。
でも、笑わなくなったのは、いつからだかは分かる。
3年前のあの日から。
- 9 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/11(日) 19:56
- その時の情景を思い出し、少し胸が痛む。
まだ、まだだめだ。自分の中にはぽっかり穴があいたまま。
そこからエネルギーが漏れている感じ。
その穴を少しでも埋めるため、
そのエネルギーを少しでも補いたくて、
その穴を広げてしまう、
そのエネルギーをますます奪う言葉を呟く。
「――…………―――。」
- 10 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/11(日) 19:56
-
- 11 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/11(日) 19:57
-
- 12 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/11(日) 19:59
- 春休みも終わり、今日から高校生として新たな一歩を踏み出す。
だが、エスカレーター式のため、顔ぶれは変わらない。
多少のクラス替えはあったものの、
選択科目によって決めるため、クラスの顔ぶれにほとんど変化はない。
しかし、高校生になったことから、どことなく落ち着かない雰囲気が
教室を支配している。
そして昼休みにもなると各部活から勧誘の人が押し寄せる。
ちょっとしたお祭りみたいな雰囲気となっている。
「皆でテニスに全てを懸けませんかー」
「ECCで世界を…」
「新聞部で新たな可能性を…」
各部共に所属人数で予算が決まってくるので、必然的に勧誘にも
熱が入ってくる。
そして女子高の特色として男っぽい人たちが集まりやすい
バスケやバレー部には人の目を引く人たちが勧誘にくる。
人気のある人による客寄せパンダだ。しかし確実に人は集まる。
- 13 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/11(日) 20:01
- 「バスケ部のキャプテンの市井さんって、かっこいいよねー」
「ほんと。凛々しくて爽やかな感じだよねー」
「そういえば、バレー部のキャプテンもかっこいいんだって」
「なんか聞いた話だと非公認だけどファンクラブが存在するらしいよ」
「本当!?」
教室内では各部活に関する様々な噂が飛び交っている。
お祭り気分を表すように皆の声はどこか浮かれている。
―――でも、自分には関係ない。どうせ帰宅部で今までと
同じ生活が場所を代えて繰り返されるだけ――
- 14 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/11(日) 20:01
- そして、お祭り騒ぎの昼休みも3日目になり松浦の
クラスにもやってきた
「どうも!バレー部です!みんなで全国を目指しませんかー?」
「今ならキャプテン直々に基本からお教えしまーす!」
「え!?マジ?」
「お願いしますよ、キャプテン!」
「聞いてない聞いてない」
「えー、今聞いたとおりキャプテンも自ら指導すると言ってまーす」
コント掛かったやりとりで確実に教室の注目を集めている。
「本当にかっこいいよねー」
「うん。クールな感じがするよねー」
「直々にって言ってるよ、どうする?」
「うーん、直々なら……少し興味あるよねー」
- 15 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/11(日) 20:03
- 周りから聞こえてくる声も好意的な捉え方となっており、
勧誘はこの時点では成功の部類に入る。
ここで、誰かに声をかけて、その好意的な感想を言ってもらえば、
このクラスでも5〜6人、うまくいけば10人くらい確保できる
かもしれない。この勧誘を毎日やっている部員達は目ざとく
教室の雰囲気を察知して、笑顔のまま、そんな計算をはじき出す。
しかし、部員達がそんな計算をしたたかにしている中、先ほどまで
同じように笑顔で勧誘に専念していたキャプテンがある生徒に
目をつけた。今の教室の状況を全く気にせずに次の授業の準備を
している生徒が一人。皆自分達に注目している教室の中、
その生徒――松浦――は明らかに別の意味で目立っていた。
- 16 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/11(日) 20:09
- 以上。本日の更新です。
まだ見づらいと思いますが、徐々に改善していきたいと思います。
最初に書き忘れましたが、学園もののアンリアルです。
今一生懸命ストックを作ってます。できるだけ早い更新を目指します。
- 17 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/01/11(日) 21:43
- おぉ、今日からですか。
一体これから松浦さんがどうなっていくのか・・・
藤本さんはでるの?(かくれファン
- 18 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/01/12(月) 02:02
- おもしろそうですね。
こんな感じの松浦さんはめずらしいので、楽しみです。
バレー部部長は、男祭りに出たどちらかでしょうか?
次の更新も楽しみにしてます。
- 19 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/12(月) 10:41
- 「…ねえ、あなたは入る部活決まってるの?」
一人無関心を装っていた松浦に思わずキャプテンが声をかける。
「え?決まってないです…け…ど…」
普通に返そうとした言葉がなぜか途中でつまる。
「じゃあ、バレー部に入ってみない?」
「…………」
松浦からの返答はない。
不思議に思って思わず、その顔を覗き込む。だが、その目の奥にある
ものを見てキャプテンも黙ってしまう。
- 20 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/12(月) 10:43
- 自分の中の何かが反応する。何かが自分の中を駆け巡る。
何時もは押さえつけている感情が頭を、身体を駆け巡る。
黙ってしまったキャプテンの顔を松浦は同じく黙ったまま
見ているため、傍目には見つめ合っているように映る。
しかし、松浦は黙っているが、頭の中には感情の嵐が吹き荒れていた。
自分が何時も思い出していた顔の面影が頭をよぎる。
クールな目つきや雰囲気。
3年前までは毎日見ていた顔がフラッシュバックしてくる。
そしてそれと同時に今まで殺していた感情が一気に押し寄せてくる。
その想いは松浦の瞳からあふれ出す。
「…ん、……う…、……う…う…」
そして、止まらない
- 21 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/12(月) 10:45
- 自分を見て突然泣き出した生徒を目の前にしてキャプテン
――吉澤ひとみ――は、なぐさめることも無く、慌てることもなく、
呆然としていた。
始めは驚いて、どうしたものかとオロオロしていたが、顔を
伏せることも無く自分を見たまま静かに泣いている生徒の顔に
忘れていた顔がフラッシュバックし始める。何年前かに泣く泣く
別れを告げた彼女の顔。何時も泣いていた顔が、松浦に重なる。
- 22 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/12(月) 10:48
- 周りでは、突然動かなくなった二人に気付いてざわめき出す。
しかし松浦が泣いていることに気付くと教室に静けさが襲ってくる。
教室で動いている者はいなくなり、教室内には松浦の鼻をすする
音だけが流れている。
――キーンコーンカーンコーン――
午後の授業の予鈴が静かな教室に鳴り響く。
その音をきっかけに教室に動きが戻る。
「キャプテン。行きますよ」
「あ…、う、うん。」
他の部員の声に促され泣いている松浦を振り返りつつも教室を
出て行く吉澤。そして松浦は俯いて鼻をすすっている。
- 23 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/12(月) 10:52
- バレー部員が皆出て行くと、今度は教室内は囁き声が広がり始める。
「何?今の?」
「本当。何泣いてるんだろう」
「気を引こうとしたんじゃないの?」
戸惑いと悪意の入り混じった声が教室を支配するが、その声は
いつも以上に松浦には届かない。自分でも混乱しているのが分かる。
泣き止もうとしても涙が全く止まらない。
たまらず教室を飛び出すが、どこに行くかはない。ただ、ひたすら、
一人になりたかった。そして、屋上にたどり着く。昼休みが終わりを
告げているため、屋上には人影が無かった。
- 24 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/12(月) 10:53
- 屋上の奥まで進み、手すりに捕まり再びすすり泣く。今まで抑えていた
ものが一気に噴出してくる。様々な想いが溢れ出して思考がまとまらず、
涙が全く止まらない。だが、口をついて出てきた言葉は一言だけ。
「……なん、で…?…」
この日松浦が教室に戻ることはなかった。
- 25 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/12(月) 10:55
- 以上、短いですが、区切りの関係からここまで更新しました。
今、話しは1/4程度出来てますのでサクサク更新できるかと。
レスありがとうございます。
>>17名無し飼育様
こういう松浦さんがちゃんと動いてくれるか心配です。
藤本さんの登場は(ry
>>18名無し飼育様
た、楽しみだなんて…も、もったいないお言葉です。
部長は前半から出ていた方でした(w
- 26 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/01/12(月) 22:08
- お、新作ですね。
もしやこれは、最近めっきり少なくなってしまった吉松でしょうか?
(実は好物なんですがw)
二人の過去が謎めいていて、惹かれました。
次回も楽しみにしてます。
- 27 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/12(月) 23:20
- 「…であるからして、この解から公式が導きだれるわけです。」
嫌いな数学な授業など端から聞く気など無い吉澤はいつも通り、窓の外の体育の風景を
見ることに専念していた。体を動かすことが好きなことから、体育は見ているだけでも
楽しかった。こういう時つくづく窓際でよかったと思う。
ボーっと見ている校庭では1年生が体力測定をやっていた。
お、あの子早いな。お、あの子今あそこまで飛んだぞ。
一人で1年生を観察していると、見覚えある姿が目に映った。
『あ、あの子……確かこの間泣いていた…』
- 28 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/12(月) 23:22
- 体育で皆思い思いに過ごしている中、松浦は一人で佇み他の人の測定を眺めていた。
『クラスで浮いているのかな?この間も一人教室で予習していたし…』
あの昼休みでの一件は学園中の噂となっており、バレー部のキャプテンを見ただけで
1年生が感極まって泣いてしまったという風に捻じ曲がって伝わっていた。しかし、
あながち間違いではないのかもしれない。あの光景だけ見ていれば、突然泣き出したのだし、
自分を見たのがきっかけだったのだ。しかし、明らかに自分達の間にそんな雰囲気は
なかった。そして自分もあの時は、違うことを考えていた。泣いている顔に過去の顔が重なっていた。
- 29 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/12(月) 23:23
- 違うのに。あの子は彼女ではないのに。
でも泣いている顔が、雰囲気が、しぐさが彼女だった。
そのことは自分に勝手な期待を抱かせてしまう。
あの子は彼女の代わりになるのではないか?自分の穴のあいた心を埋めてくれる
のではないか?そんなことはないことは分かっているが別の期待をしてしまう。
――自分と彼女では出来なかったことが、あの子となら――……
それは、縋りつくような、祈るような想いなのかもしれない。
しかし、一度浮かんだその想いはあまりに甘美な誘惑だった。
―――彼女となら―――………。
- 30 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/12(月) 23:24
- ほとんど測定も終わり、やることも無くなった松浦は校庭でクラスメート達の測定を
ボーっと眺めていた。クラスメートと話をすることなく黙々と測定をこなしていた松浦は
誰よりも早く測定を終えてしまい、残りの時間を持て余していた。
『あのバレー部の人、困っていただろうなー』
何の前触れもなく泣き出してしまったのだ。困って歪んだ顔が思い出される。
『まずったなー』
自分でもまさか泣き出すとは思っていなかった。ただ単に話し掛けられたから返事をして
顔を見ただけなのに。
『でも、似て…ううん、そっくりだった。あの目元と雰囲気。そしてバレー……』
見ただけで想いが溢れるほどに…。
『次に会う機会があったら、謝っておこう。』
- 31 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/12(月) 23:26
-
- 32 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/12(月) 23:27
- 「なんだかよく分からないけど、ごめんなさい。」
「い、いえ、こちらこそすいませんでした。突然泣き出してしまって」
会う機会は早かった。
次に会う機会なんて考えたその日の内に向こうから教室までやってきたのだ。
しかも会うなり謝られてしまった。全部勝手に泣き出したこちらが悪いのに。
- 33 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/12(月) 23:28
- 「何か嫌なことしちゃったかな?」
「あ、い、いえ、何でもないんです。その、全然関係ないこと考えていて…、たまたま、その、先輩に
話しかけられて。だから本当、先輩が気にすることでは…」
「そう?良かった。何か気に障ることでもしたのかと思っちゃった」
「す、すいません。その…先輩にわざわざ来ていただいて…」
「あ、そういえば自己紹介していないね。うちは吉澤ひとみ。バレー部キャプテンをやってるんだ」
「あ、松浦亜弥です。」
「松浦…?」
松浦の自己紹介に吉澤が反応する。そして、ビクッと思わず震える松浦の身体。
今まで学園理事長の娘というだけで、皆自分をちゃんと見てくれなかった。
松浦亜弥ではなく、理事長の娘としてしか。
- 34 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/12(月) 23:29
- 「もしかして、松浦って、理事長の…?」
「ハ、ハイ。理事長の娘です。」
「へー、かっけーなー」
かっけー?聞き覚えの無い言葉ではあったが、吉澤の態度から意味合いは想像できた。
彼女もまた、自分を学園理事長の娘として扱うのだろう。それを思い悲しくなる。
「それはともかく、バレー部には入らない?」
「へ?」
予想外の言葉が聞こえてきて思わず、口を開けた呆けた顔となる。
だが、気を取り直し、もう一度口にする。
- 35 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/12(月) 23:30
- 「あ、あたしが入っても何にも得しないですよ…?」
「いや!得をする!こんな可愛い子が入れば、うちのやる気が違う!」
拳を振り上げて力説しているが、松浦の考えていた、求めていない回答と全く異なっていた。
「や、やる気って…」
「入ってくれる?」
「え、えと、か、考えさせてください。」
「そう?じゃあ、明日もまた来るから、じっくり考えておいてね!」
「は、はい」
「じゃあ、うちはもう部活に行くから!待ってるよ!!」
- 36 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/12(月) 23:31
- そう言い残して彼女は走って教室を出て行く。皆の注目を集めて、まるで台風が通り過ぎて
いくかのように。考えさせてくれと言わなかったら、そのまま手を引っ張って強引に
体育館まで引きずられそうな勢いだった。
「バレー…か」
そう呟き、何時も通りに帰り支度をして教室を後にする。
理事長に挨拶を済ませて、何時もの帰宅路へ。
- 37 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/12(月) 23:32
- 自宅の門の前に着き、右の家を見る。
その家は3年前からずっと空家になっている。その家を見るのは、最早自分の癖となっている。
そしてそのまま、玄関のドアを開ける。
「ただいま」
反応はない。両親は二人とも学園に勤務しており、妹達も部活をしているため、家には誰もいない。
自分の部屋に戻り制服から私服に着替えて、机に向かう。
何時もの習慣。
- 38 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/12(月) 23:34
- しかし、今日に限って中々集中できない。先輩。吉澤ひとみっていう名前。
バレー部のキャプテンでクールな目元。バレー部に入らない?可愛い子…。
不意に顔が熱くなる。
もう何年も聞いてない自分に対する評価。昔は毎日聞いていた言葉。
「バレー部…か…」
- 39 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/12(月) 23:40
- 以上、更新しました。
更新できる時にしておこうかと、1日2回更新となりました。
文の区切りがうまく出来ない_| ̄|○
もっと努力します…
レスありがとうございます。
>>26名無し飼育様
ご期待に添えられるかは(ry
頑張って更新しますので生温かく見守っていてい下さい。
- 40 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/14(水) 20:09
- 次の日から吉澤の教室参りが始まった。
教室参りといっても拝むのは松浦の顔だけ。
放課後になると、先生が教室を出るよりも早く教室に入ってきて、松浦の席に歩み寄る。
『吉澤先輩。授業は?』
『ちゃんと出席してるよ』
明らかにちゃんと出席していない。大丈夫なのだろうか。
始めのうちは注意していた教師達も最近はもう何も言わなくなっている。
吉澤が教室に通い始めてから2週間が経過している。
何が何でも勧誘したいらしく、昼休みや場合によっては通常の休み時間にまで乗り込んでくる。
- 41 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/14(水) 20:10
- 「今日さー、授業中に寝てたら教師がチョーク投げてきやがって、もう頭にジャストミート。
クリティカルで別の眠りにつくところだったよー」
「駄目ですよ。ちゃんと聞いてないと。」
「だって数学嫌いなんだもん。呪文だよ呪文。」
「起きている授業あるんですか?」
「体育なら」
「………」
吉澤は教室には来るが、一切バレーの話をしない。その日にあったことや自分の思いついたことを
話して帰っていく。明らかに勧誘していない。その割には教室に入ってくるときは
『勧誘に来ましたー!』
といって入ってくる。これは新たな勧誘の仕方なのだろうか。
バレーの話を一切しないという…。
斬新だ…。
- 42 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/14(水) 20:11
-
- 43 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/14(水) 20:12
- 「3:05。そろそろ行くかなー」
「あれ、また1年のところ?最近よっすぃ熱心だね」
「うん。何が何でもバレー部に入れる」
「そんなに凄い選手なの?」
「うん。凄いよ。あの子が入れば、うちはもっとやる気が出る」
「へー。よっすぃがそこまで言うんなら相当凄い選手なんだね。レギュラーとられないようにネ」
「へへ、行って来ます」
「いったらっさーい」
荷物をまとめてさっさと教室を出て行く吉澤。それを誰も咎めない。
教師も。この学園は私立であり、バレーを筆頭に運動部で名を馳せている学校であるため、
運動部が多少授業をサボることは黙認されている。
「それにしても、よっすぃ嬉しそうだなー。ライバルができるのが、そんなに嬉しいのかな?」
クラスメートは疑問に思いつつも、一流の選手はそういうものかもしれないと考えて、
特に気にとめず残りの授業を有効に活用にするために机に突っ伏して眠りについた。
- 44 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/14(水) 20:13
- 吉澤の足取りは軽い。あっという間に目的の教室の前に着いたが、まだ授業中のようだ。
当然中に入るわけにも行かないので、しばし廊下で待つことにする。
『それにしても、松浦ともだいぶ打ち解けてきたな』
始めは戸惑っている様子だった松浦も毎日通うようになり、徐々に表情が柔らかくなってきた。
ほんの少し微笑む程度だが、確実に自分に心を開き始めているようだった。
バレー部に勧誘する気はさらさらなかった。入ってくれれば嬉しいのは確かだが、
それよりも二人きりで話をして、自分にだけ見せてくれる笑顔があればそれで良かった。
『でも、時々うちの顔を見ているのに他の人を見ている気がする。』
毎日話しているが、時々何か違和感を感じる時がある。自分を見ているのに違うものを
見ているような。そう、ちがうもの。いや、違う誰か………?
- 45 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/14(水) 20:13
- 「何してるんだ。吉澤。」
取り留めの無いことを考えていると、何時の間にか授業が終わっていたらしく、
目の前に教師が呆れた表情を浮かべて立っていた。
「あ、いやー、ちょっと考え事を」
「なんだ。また松浦の勧誘か?」
「まあ、そんなところです。」
「勧誘も良いが、程ほどにな。彼女は理事長の娘さんだから、下手なことすると簡単に退学になるぞ」
「はーい」
教師はそれだけを言うと階段を下りていった。
- 46 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/14(水) 20:17
- そう。教室に来るたびに感じる。松浦はクラスで孤立している。
いつも一人でいて誰とも話している光景を見たことが無い。多分理由はさっき教師が言っていたものだろう。
自分が松浦に謝りにきた時にも本人から同じことを言われた。
その後、話をするようになって、松浦がそのことを気にしていることに気付いた。
だから自分は一切その話に触れることはなかった。そして、彼女には悪いが自分にとっては好都合でもあった。
理事長の娘であることからクラスメートと壁を作っているということは、誰も彼女の心に入り込めないから。
自分に対して、徐々にではあるが、心を開き始めていることから、逆に彼女の笑顔を独占できる権利を得られる。
彼女は傷ついている。でも自分はそれを利用しようとしている。卑怯なことをしているのは分かっている。
でも、その罪悪感以上に彼女を独占できるという誘惑には勝てなかった。
「今日も勧誘に来たよー」
彼女が他の誰かを見ていても構わない。今確実にその人物はいないのだ。
ならば自分がその穴を埋めてしまえばいい。
- 47 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/14(水) 20:19
- 心の穴は、うちが埋めてやる。
求めているもの、欲しているものは、うちが全部あげる。
だから…
だから、うちだけを…見て欲しい。
うちの心の穴を埋めて欲しい。
求めているものが欲しい。全部欲しい。
瞳の奥に隠した想いを言葉に乗せて、今日も彼女の心をノックする。
- 48 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/14(水) 20:22
- 更新しました。
意外と早く更新していけそうです。
- 49 名前:26 投稿日:2004/01/14(水) 23:51
- おぉ、更新が早いですね。うれしいな。
何気にここのテイストが好きです。
松浦さんのキャラも新鮮だし全体的にすっきりしている感じがします。
吉澤さんのクラスメートはあの人なのかな〜とか勝手に想像しちゃいましたw
次回も楽しみにしています。
- 50 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/16(金) 19:57
- その日は珍しく顧問の先生が早くから部活に顔を出していた。
「よしざわー」
「ハイ」
来るなり吉澤を呼び出す。
「何ですか?」
「今日は来月の総体に向けて理事長に決意報告するから、一緒に理事長室に来い。」
「はい」
5月には毎年県内全高校が参加する高校生総体があり、バレー部はその中でも毎年優勝し、
学園の名を広めている。そのため、各運動部を代表し、バレー部が決意表明を理事長にすることが
通例となっている。といっても、顧問が理事長に決意表明して、キャプテンは隣で立っているだけだけど。
- 51 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/16(金) 19:59
- コンコン
顧問も少し緊張した面持ちでノックをする。
「どうぞ」
「失礼します」
「おお、わざわざ悪いね。君達バレー部の活躍には期待しているから、是非とも
君達自身の口から目標・決意を聞きたくて毎年呼び出してしまっているんだよ。」
理事長は笑顔で迎えてくれた。
『目とか眉毛はそっくりだなー』
いつも見ている松浦の顔の面影(この場合はむしろ逆ではあるかもしれないが)を探してしまう。
確かに親子だなー等と考えながらボーっとしていると、顧問と理事長の決意表明兼社交辞令も
終わったのか、話を振られる。
- 52 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/16(金) 20:00
- 「そういえば、吉澤君は今日も亜弥のところに勧誘に来たんだって?」
今日のことがもう理事長に伝わっていて少し驚く。
「え?もうご存知なんですか?」
「ああ。亜弥のことは教師達がすぐに教えてくれるからね。どうかな?
亜弥はバレー部には入りそうかい。」
「いやー、勧誘をしてはいるんですけど、中々OKしてくれなくて…」
嘘である。全く勧誘などしていない。でもここは話をあわせておくのが得策だろう。
「そうか。亜弥も部活でも始めれば気が紛れるだろうに…」
「気が紛れる?」
理事長の言葉に違和感を感じたので、思わず聞き返してしまった。
「ああ。最近亜弥は家では全く笑わなくなってね。何か部活でもやれば気が紛れる
と思ったんだが…」
- 53 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/16(金) 20:01
- 本当は気が紛れるという言葉の真意を知りたかったが、これ以上はさすがに詮索できない。
しかし自分の出した結論では、亜弥が笑わなくなったのは、理事長の娘として扱われて、
クラスで浮いているからだ。ほんの1〜2時間前の行動が全て理事長に筒抜けになっているくらいだから、
教師達がごますりも兼ねて理事長に報告しているのだろう。ということは、ごますりの一つとして、
松浦にもおべっかを使っている可能性がある。だとすると教室での孤立も辻褄が合ってくる―――
そう考えたうちは、今まで眠らせていた良心を起こし、松浦のため、あの笑顔をもっと見るために
理事長に意見をした。
「亜弥さんが笑わなくなったのは、教室で孤立しているからですよ。理事長の娘さん
というのもあると思いますけど…。本人はだいぶ気にしてました。」
うちの言葉に顧問は驚いて目を見開き、理事長は腕を組んで俯いてしまった。
「もう少し亜弥さんの環境について考えてあげるべきだと思います。」
理事長は何も言わずに立ち上がると、背中を向けて窓の外を眺めたまま、呟くように言葉を吐き出した。
「やはりそうか……。分かった。」
- 54 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/16(金) 20:02
- そして、うちの方へ振り向き
「ありがとう。よく考えて色々働きかけてみる。すまないね。気をもませて」
「(やはり?働きかける?)…いえ。う…私も亜弥さんのことが心配でしたから。
こちらこそ余計なことを言いました。」
「いや、ありがとう。では、今日はもういいよ。」
「はい。では、失礼します。」
理事長室を出ると、頭を軽くはたかれる。
「バカ野郎!心臓が縮んだぞ!もう少し考えて発言しろ。」
「すいませーん。」
「じゃあ、部活に戻るぞ。」
「はーい」
- 55 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/16(金) 20:03
- この時は気付いていなかった。
大きな勘違いをしていることにも。
大きなミスを犯したことにも。
この時は考えてもいなかった。
こんな事になるなんて。
- 56 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/16(金) 20:07
- 数日後のある日――――
「亜弥ちゃんは今度の休日は何して過ごすの?」
「え、本でも読もうかなと…」
「どこにも出かけないの?」
「はい。吉澤さんは出かけるんですか?」
「うちは、木曜日から学校休んで遠征。隣の県まで遠征。」
「そうですか。」
「お?うちの顔がしばらく見られなくて寂しいかい?」
「いえ、全然。」
「ぜ…って。うちは寂しいのに…しかも遠征は死ぬほどきついのに…」
「頑張ってくださいね。」
「うう…言葉だけじゃ…………そうだ!遠征が終わったら、でえとしよう!でえと!
そうすればつらい遠征も乗り越えられる!!ね、いいでしょ?亜弥ちゃん!」
松浦に余計な警戒をさせないために、わざとふざけて言う。
- 57 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/16(金) 20:08
- 「でえ…って…」
「約束だよ!じゃあ、うちは部活があるから!」
吉澤先輩が教室に通うようになってから1ヶ月が過ぎた。
何時の間にか呼び名が松浦さんから亜弥ちゃんになり、教室に入ってくる時に
勧誘という言葉を使わなくなっている。
『勧誘はどこにいったのだろう…それにでえとって』
吉澤先輩の考えていることが最近はイマイチ見えてこない。
最初は勧誘ということで自分の教室に来ることに納得していたが、最近は全く勧誘という言葉すら出さない。
- 58 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/16(金) 20:09
- ただ吉澤先輩の存在は自分にとっては多少ありがたかった。
最近では休み時間のたびに来るから退屈しない。
しかも休み時間のたびに来るものだから、クラスメートも何かを松浦に直接言う間もない。
だから自分の周りは賑やかだけど、穏やかに過ぎている。学校に来るのがさほど苦痛ではなくなってきた。
これは間違いなく吉澤先輩のおかげである。しかし……
『でえと?』
口ぶりはふざけていたが、目は真剣だった。あの様子では当日に無理矢理呼び出されるだろう。
自分の携帯は既に勧誘の名の元(?)交換済みである。ただ、不快であったり憂鬱ではない。
少なくとも先輩と話をしている間は気分が多少晴れる。
一時的ではあるが…。
- 59 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/16(金) 20:16
- 以上、更新しました。
まだ、多少ストックがありますので週末にまた更新しようかと思ってます。
>>49 26様
もったいないお言葉ありがとうございます。
更新の速さだけを取り得にしようかと…。
またのお越しを。
- 60 名前:26 投稿日:2004/01/17(土) 21:35
- 更新、お疲れ様でした。
吉澤さんが変なことをやらかさないか、ちょっとだけ心配ですw
次回も楽しみにしています。
- 61 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/18(日) 21:35
- 次の日曜日。朝早く亜弥は起きて服を選んでいた。
昨日の夜に予想通り吉澤先輩から電話があり、遠征で頑張ったから早くご褒美を出せと
半ば脅しのような誘いがあり、今日は待ち合わせて出かけることになったのだ。
それにしても何時の間にご褒美なんて扱いになったんだろう……?
「うー、遅れるー。」
どんなに早く起きても準備に時間がかかるため、待ち合わせ時間ぎりぎりとなってしまう。
なんとか用意をして玄関を出ると、外は五月晴れであり雲ひとつなかった。
そよ風も、息吹き始めた若葉の匂いを乗せて、穏やかに身体を包んできた。
何かが変わりそうな予感が胸に芽生え、松浦の足取りを軽くする。
等と変わり始めた季節を楽しみながら歩いていたら、見事に待ち合わせに遅れてしまった。
待ち合わせ場所には既に先輩の姿が。そしてやはりむくれている。
- 62 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/18(日) 21:36
- 「すいませーん。待ちました?」
「ああ、待ったね。しこたま待ったね。頭に雪が積もる程にね。足元にタバコの吸殻がたまる程にね。」
当然雪は積もってなく、タバコの吸殻もないが。
「ご、ごめんなさい。時間どおりに家を出たんですけど…」
思わず俯いてしまう松浦に慌てて取り繕う吉澤。
「う、嘘だよ。うちもさっき来たばかり。本当はちょっと遅れてたりして…」
すると少しホッとしたように、松浦も顔を上げる。
「そうですか。すいませんでした。」
安心そうな顔を見せる松浦に笑顔で返す吉澤。
「じゃあ、とりあえず、ご飯でも食べるか。」
- 63 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/18(日) 21:37
- 吉澤の提案でとりあえず腹ごしらえをすることになり、近くの店へ。
そして部活の遠征で疲れている吉澤のことを考えて、あまり歩いたり動いたり
しないで済む映画をみることになり、流行の映画を見たりして、ゆったりとした時間を過ごす。
「この映画おもしろかったね。」
「はい。」
「特に、クライマックスでの…」
「吉澤先輩の寝顔は…」
「うんう…え!?き、気付いてたの!?」
「気づきますよ。隣で、あれだけ気持ちよさそうに寝られたら」
「う、うん。ゴメン。実は昨日あまり寝てなかったりして…」
吉澤は昨日初めて二人で出かけるということで、緊張してあまり良く眠れていなかった。
しかも朝方にようやく眠れたために、起きるべき時間を過ぎてしまい、待ち合わせの時間に
少し遅れてしまったのだ。実際は松浦のほうも遅れたために、咎められることもなかったが。
- 64 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/18(日) 21:38
- 「そうなんですか?じゃあ、今日は早く帰って休んだほうがいいですよ。まだきっと遠征の疲れが
取れないんですよ。」
そう言って松浦は今日はお開き!といった雰囲気を出す。
今日を寝れない程、楽しみにしていた吉澤としては、慌てて撤回しようとする。
「い、いや、これくらいは慣れてるから大丈夫だよ。それに昨日は遠征から帰ってきて、
すぐにぐっすり寝たし。大丈夫だよ。」
「でも、目の下に隈が出来てます。」
「大丈夫!まだ若いし。1日くらいなんでもないよ!それより、次行こう、次!」
このままでは、まずいと思った吉澤は、松浦の手を強引に引いて歩き出す。
「そうだ。プリクラとろう!プリクラ。」
しかし、プリクラのある所まで来ると、順番待ちの列が出来ていた。
順番待ちが苦手な吉澤はキョロキョロと辺りを見回す。するとクレーンゲームが目に入る。
- 65 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/18(日) 21:40
- 「あれやろう!その間に、あの列もなくなるよ。」
そう言って手を離さないまま歩き出す。
クレーンの中は、動物のヌイグルミで溢れていた。
「うわー、色々あるなー。亜弥ちゃんは何か好きな動物とかある?」
「取ってくれるんですか?」
「お好みのものがあればね。」
「じゃあ、あのうさぎ!」
「あのピンクのやつね。」
「はい。」
- 66 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/18(日) 21:41
- 実はこういうゲームは得意だったりする。
「こういうのはコツがあるんだよー。まずは…隣のやつを取った後に…」
そう言ってウサギの隣にあるアザラシを取る。
「そして……ウサギ…と。」
見事にウサギも取り出し口から出てくる。
「すごい。」
「ま〜かせて。他には何か欲しいヌイグルミある?」
思わず松浦の口から漏れた一言に調子に乗って次の獲物を求める吉澤。
「じゃあ、あの羊が欲しいです。」
「あのスカイブルーのね。」
「はい。」
- 67 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/18(日) 21:43
- 手馴れた動作で楽々羊を獲得する。
松浦は三つのヌイグルミを抱えて本当に嬉しそうに微笑む。
「ありがとうございます。」
「どういたしまして。」
吉澤に礼を言うと、再びヌイグルミを眺める。
そして、ヌイグルミを眺めたまま、もう一度微笑む。
嬉しそうに、懐かしそうに、寂しそうに、切なそうに。
――ドキッ
その松浦の表情を見て、鼓動が高鳴る。
学校では見たこと無い表情。初めて見る表情。自分だけが見ている表情。
松浦は、そのまま何も言葉を発さずに、じっとヌイグルミを眺めている。
それを見ている内に、ある衝動に駆られる。
『抱きしめたい。』
- 68 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/18(日) 21:44
- 今目の前にいる松浦は確かに存在するのに、なぜか儚く見えた。まるで消えてしまいそうに。
今いることを確かめるために、この世から消えないように繋ぎとめておくために。
街中であるにも関わらず、自分の想いを抑えきれなかった吉澤が、その想いのままに抱きしめようと
松浦に向けて一歩踏み出す。
しかし、一歩で止まる。
―――松浦は………泣いていた。
その顔に微笑を浮かべたまま…。
頬の上を一粒だけ、伝っていく涙を吉澤は呆然と眺めていた。
- 69 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/18(日) 21:45
- 松浦は動きの止まった吉澤を不審に思い、声をかける。
「吉澤先輩?どうしたんですか?」
「え?あ、いや、亜弥ちゃんが泣いて……」
今度は松浦の動きが止まる。
「え?あたし泣いてなんか……」
そう言いながら自分の目じりに手をやると確かに濡れていた。
「あれ?あたし、何で泣いて……」
自分で確認したことが、きっかけだったのか、その瞳から涙が溢れ出す。
そして、呆然と一点を見つめたまま、顔に手をやると、幾筋もの涙が頬を伝ってきた。
- 70 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/18(日) 21:47
- 「あ、はは…何で泣いているんだろう。あはは…。」
そして微笑みも消える。
「……もう…いない…のに…、何……思い出して………」
明らかに様子がおかしくなってきている松浦を呆然と見ていたが、はっと気付き、先程とは
異なる理由で、先程と同じ行動をとる。
蹲ろうとする松浦を吉澤は力一杯抱きしめる。
「大丈夫。大丈夫だよ。」
何が大丈夫なのかは自分でも分からないが、少しでもその涙が止まるように繰り返す。
吉澤に支えられるように立っている松浦は、ひどく頼りなかった。
そして、初めて触れた松浦は、想像以上に小さかった。
吉澤に抱かれたまま、胸の中で震えている。
- 71 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/18(日) 21:47
- 周りの人たちは興味深そうに眺める人はいるが、ほとんどそのまま通り過ぎて行く。
しばらく抱かれたまま泣いていたが、最後に小さい声で何事か呟く。
「…う…限、界…だよ……き……ん…」
近くにいるにも関わらず、吉澤の耳にもほとんど聞き取れなかった。
その日は、松浦が落ち着くのを待ち、駅まで送っていった。
- 72 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/18(日) 21:48
- そして、考える。
うちは、松浦のことを何も知らないんじゃないのか。
今日見た松浦は、おそらく本当の松浦の極一部。
ヌイグルミを見ていたときの松浦の表情。
初めて見た。
初めて素顔を見た気がする。
いつも浮かべていた微笑が仮面に思えてくる。
どうすれば、あの仮面を外せるのか。
- 73 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/18(日) 21:51
- 松浦は電車に揺られながら、先程のことを思い出していた。
正直、吉澤先輩には申し訳ないと思っている。
自分でヌイグルミを取って欲しいと言っておきながら、そのヌイグルミを抱えたまま泣き出して
しまったのだから。
だが、抱えたヌイグルミに自分達を重ねてしまった。
昔、自分を含めた3人が、それぞれ好きだった動物。そのヌイグルミに。
今まで彼女達とのことを思い出さないように、幻を求めてしまわぬように、自宅から離れた、
行きたくもなかった今の学園に来たのに。
- 74 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/18(日) 21:51
- 自分の心が限界に来ていたことに今日まで気付かなかった。
自分のことなのに。
でも、今日気付いてしまった。
一度気付いた想いを忘れることはできない。
まるで風邪みたい―――気付いた途端に悪化するなんて。
「ふふ。」
声に出して笑う。
病気なのかもしれない。
うん、病気だ。もう治らないかもしれない。
でも、それでいい。
それがいい。
これがあたしなりの償いだから。
- 75 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/18(日) 21:59
- 更新しました。
文章力は…勉強中です。
そろそろ…(ry
>>60 26様
変なことは、しでかさなかったですが、変なことに…。
- 76 名前:26 投稿日:2004/01/20(火) 16:53
- 更新、お疲れ様でした。
噛み合ってなさそうで噛み合ってるようなふたりがイイです。
しかし松浦さんがせつない・・
吉澤さんは彼女を守ってあげられるのでしょうか。
次回も楽しみです。
- 77 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/21(水) 23:37
- あの日以来、松浦の様子がおかしい。
うちと話していてもどことなく上の空。
微笑みすら浮かべなくなってしまった。
何が彼女を戻してしまったのか。
何が彼女を縛っているのか。
うちはもしかして勘違いをしているのかもしれない。
彼女が笑わないのは、クラスで孤立しているからではなく、
別の理由があるのでは……?
考えてみれば、いくら学園長の娘だからといって、あそこまで孤立するだろうか。
話してみて分かったことは、口数は多くないが、素直な性格をしている。
気遣いも出来ているし。それでいて、顔も可愛い。
最後は余計かもしれないが、あれだけ性格のいい子が孤立するのは考えにくい。
孤立しがちだとしても一人も話し掛ける人がいないのは明らかに不自然だ。
そもそも普通は親が教師をやっている所に通うのは抵抗があるのでは?
もしかして、孤立しているのは環境ではなく、自分から…?
- 78 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/21(水) 23:38
- 「じゃあ、HRを始めるぞ!」
取り留めの無い考えから、一つの答えを導き出した時、教師の声が教室に響いた。
起立!礼!着席!
「えー、全員いるな?では、今日はHRを始める前に、皆に知らせることがある。この学年に
2人転校生が来ることになった。1人はうちのクラスでもう一人は隣の2組にだ。」
「へー、珍しいー。この時期に。」
「本当。だいぶ中途半端な時期だよね」
スポーツが盛んなこの学園では時たまスポーツ特待生をスカウトしてくる。
学園が大学まであるため、どの段階でも獲得してしまえば、学期の途中でも引き抜いてくる。
ただし、一応1学期や2学期等、学期が終了してからだ。だから、今回のように1学期が始まって
1ヶ月もしてからの転入は珍しい。
- 79 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/21(水) 23:39
- 「はい静かに!では、入ってください」
思わず静まり返る教室に転校生が入ってくる。
『お!顔立ちが整っているなー』
吉澤の第一印象は比較的良好なものだった。
転校生はそのまま、教卓の横まで進み軽く頭を下げる。
「後藤真希といいます。東京から来ました。実は3年前まで、こちらには住んでいました。
知っている人もいるかもしれませんが、よろしくお願いします。」
転校生が挨拶をした瞬間に、うちの頭に何かが繋がる。
- 80 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/21(水) 23:40
- 『――…き……ん…』
あの時、確かに松浦は誰かの名前を呟いていた。
そして、今見ただけだが、あの転校生は自分に何か似たものを感じる。
松浦が初めて、うちを見たときに突然泣き出したのも、時々話している最中に、うちではなく
うちを通して誰かをみているような目をしていたのは、あの転校生を見ていたんじゃないのか?
だとしたら――近づけては、駄目だ。まだ。松浦が完全にうちに心を開くまでは…。
「では、HRを終わりにします。」
担任が出て行くと、早速転校生の周りに話し掛ける人が出てくる。
「東京のどの辺に住んでたの?」
「どうして3年間だけ東京に行ってたの?」
「3年前はどこに住んでたの?」
- 81 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/21(水) 23:41
- 転校生が質問攻めに遭っている。普段であれば、その輪に加わることはないが、今回は別だ。
それに、さりげなく自分の聞きたいことを他のクラスメートが聞こうとしている。
さりげなさを装って、その輪に加わる。
「うちは、吉澤ひとみ。よっすぃとか呼ばれてる。よろしく。」
「こちらこそ。私はごっちんとか言われることがあるなー。」
自己紹介をして、さりげなく、その転校生の行動を制限しようと、誘いをかける。
「まだ、校舎の中の様子は分からないでしょ?昼休みに一緒にご飯食べよ。ついでに案内してあげるよ。」
「本当?よろしく。どこに何があるか全然分からないし。」
これで、昼休みに亜弥ちゃんのところに行けなくなってしまったけど、仕方ない。
まだ亜弥ちゃんに近づけるわけにはいかない。
- 82 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/21(水) 23:42
- その後も休み時間のたびに話し掛けて、トイレにも一緒に行って、一人で行動させないようにする。
そして、昼休み。一緒にお昼を食べようと誘ったところ、職員室に用があるとのことだったので、
一緒についていく。本当は松浦に会いにいくつもりかもしれない。
そう考えていたが、本当に用があるらしく、担任と何かしら話している。
その間、手持ち無沙汰に職員室の外で待っていると、バスケ部の顧問の先生がやってきた。
「何やっているんだ?吉澤。」
同じ体育館の部活であり、バレー部のキャプテンでもある吉澤は運動部系の顧問に顔が広い。
「いや、友達を待っているんですよ。」
「そうか。ところで1年の部員の………」
その先生は、そのまま話し始めてしまった。その時、用事が終わったらしい後藤が職員室から
出てくるのが見えたが、吉澤が先生に捕まっているのを見ると、ゼスチャーで待っていると
伝えてきた。
- 83 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/21(水) 23:43
- 5分ほど話に付き合った後、適当に断って、その場を離れる。
角を曲がったところで待っているはずの後藤に声をかけようと、急いで走っていくと、
待っているはずの後藤の姿は、その場になかった。
「……ごっちん?」
軽く呼びかけてみるが、物陰から誰かが出てくることはなかった。
ここはちょうど一般教室と特別教室の境目の廊下だ。間違えると特別教室のほうに迷い込んでしまう。
『よく分からなくて、迷い込んだかな?』
一般教室なら誰かに聞けば教室に帰れるが、特別教室のほうは、ほとんど人がいないから、迷ってしまう。
『全く、この学園は無駄にでかいんだから……。』
迷い込んだかもしれない転校生を探すため、声を掛けながら歩き出す。
「後藤さーん。いるのー?」
- 84 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/21(水) 23:43
- 普通に話す時はあだ名で呼んでいたが、さすがにまだ慣れないので大声で呼ぶ時は、さん付けで呼んでしまう。
そうやって叫びながら、しばらく歩いていると、反応がある。
「あれ?ごっちん、どこにいたの?」
「ゴメンゴメン迷っちゃって…よっすぃ。探してくれてたの?」
「あー、やっぱり迷ってたんだ。この校舎は無駄に広いからね。迂闊に歩いていると迷うよ?」
「うん。ちょっと困ってた。」
「もう用事は済んだの?」
「うん。もう大丈夫。」
「じゃあ、戻ろう。」
この特別教室にいたということは、亜弥ちゃんの教室に行ったんじゃないんだな。
一人でそっと胸を撫で下ろし、教室に戻った。
しばらく亜弥ちゃんのところには行けないかもしれないけど、仕方ない。
とりあえず、携帯があるし夜にでも電話しよう。
- 85 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/21(水) 23:44
-
――――十数分前に遡る。
- 86 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/21(水) 23:45
- 亜弥は教室に一人でいた。
今日はなぜか吉澤先輩が教室に乗り込んでこない。
高校生になってからの休み時間は、ほとんど吉澤先輩と過ごしていたので、久しぶりに
過ごす一人での昼休みは時間を持て余してしまう。
- 87 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/21(水) 23:46
- 時間があると最近は昔のことを思い出すことが多くなってきた。
あのヌイグルミたちが部屋にあるということもある。
そして、最大の理由は、やはり自分の心だろう。
先日気付いてしまった。もう限界だということに。
彼女達がいない生活には…もう耐えられないかもしれない。
落ち込む一方となる思考を止めるために、教科書を出し、次の授業の予習を始める。
すると、また周りの囁き声が聞こえてくる。
- 88 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/21(水) 23:46
- 「ねえ、今日は吉澤先輩来ていないみたいだよ。」
「本当。あんなにそっけない態度だったから、とうとう先輩に愛想つかされたんだよ。」
「いい気味だよね。」
「そうそう、吉澤先輩と言えば…」
聞き耳を立てているわけではないが、ここ最近何かと面倒を見てくれていた吉澤先輩の
名前が出てきたため、自然と意識が集中してしまう。
「何か、3年生に転校生が入ったらしいよ。しかも吉澤先輩並にかっこいい人!」
「本当!?」
「うん。しかも二人転校してきて、二人ともかっこいいらしいよ!」
「えー、見てみたい!」
「でしょ?」
- 89 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/21(水) 23:47
- 『なんだ。何時も通りの噂話か。』
そう思い、予習に専念しようとすると、俄かに廊下の方が騒がしくなってきた。
うるさいと思いつつ、特に気にせず予習をしていると、なぜか自分達の教室の中も騒がしくなってくる。
そして騒ぎの元が教室に入ってきたのか、更に周りが騒がしくなる。
予習に取り組んでいるため、下を向いている自分の机の前に騒ぎの元らしき者が立ったのが、気配でわかった。
不審に思って予習を中断し、上を見上げた松浦の目に映った人物に………思い出が、重なった。
- 90 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/22(木) 00:02
- 更新しました。
区切りが難しい……。
>>76 26様
毎回レスありがとうございます。
吉澤さんは何かと苦労が多いようで……。
- 91 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/01/22(木) 01:01
- 続きが気になるぅ〜〜〜
もう一人はもしかして…みきたん?!
かなり面白いです!
楽しみに待ってます!
- 92 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/23(金) 23:21
- うまく言葉が出てこない。
3年前までは、あんなに無駄でバカなことばかり話していたのに…。
「ちょっと来て」
彼女は、そんな亜弥の様子を面白そうに眺めたまま挨拶もなく、言葉を放つ。
しかし、亜弥は驚いた表情のまま全く動かない。
そんな亜弥に微笑みかけた後、周りを見回す。
廊下や教室内は野次馬の生徒で溢れていた。
『ここで久しぶりの空間を邪魔されたくない。』
そう判断し、教室に突然やってきた彼女は、呆けたままの亜弥の腕を掴み、
強引に立ち上がらせた。そして、来た時と同様に無言で教室を出て行く。
そしてそのまま、渡し通路を通り特別教室塔に入っていく。
- 93 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/23(金) 23:22
- 彼女が、何故校舎の中を知っているんだろう等という疑問も浮かばない。
うまく思考が繋がらず、ただ彼女の後ろをついていく。
そして彼女は塔の端に位置する、生徒があまり通らない場所までくると、突然立ち止まった。
そして亜弥の方を振り向き、先程浮かべていた微笑を浮かべたまま話し掛ける。
「久しぶり。亜弥ちゃん。元気?」
ようやく我に返ったように亜弥は、必死に話し出す。
「ま、真希、ちゃ…ん。…な、…ど…」
なかなか言葉が出て来ない亜弥の意を汲み、自ら彼女――後藤真希――は話す。
- 94 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/23(金) 23:23
- 「ふふ。混乱しているみたいな亜弥ちゃんに分かりやすく、2つだけ話をするね。」
「う、うん。」
「1つは、私の目。角膜提供者が現れて、今は両目共、問題なく見えるようになったんだ。」
亜弥の目が大きく見開かれる。
「ほ、本当!?」
「うん。といっても、まだ外ではサングラスが必要だけどね。」
「見えるようになったんだ……。良かった……。」
「ふふ。今はもう、可愛い亜弥ちゃんの顔もはっきり見えるよ。」
「か、かわ…」
「あれ、どうしたの?赤くなっちゃって。前は毎日言ってあげてたのに。誰かさんの命令で。」
「………」
- 95 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/23(金) 23:24
- 赤くなって俯いてしまった亜弥。
それを面白そうに見る真希の目には、優しさといじわるな光が同居していた。
しばらくそのまま二人共黙っていたが、不意に真希を呼ぶ声が聞こえてくる。
『よっすぃ?』
『吉澤先輩……?』
- 96 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/23(金) 23:25
- 職員室の近くで吉澤を待っていたはずなのに、突然姿を消した真希を探す声だった。
「それと、もう一つ」
見つかる前に伝えておこうと、真希が話を続ける。
亜弥も、もう一つあったことを思い出し、顔を真希に戻す。
そして亜弥が自分のほうを向くのを確認してから、二つ目を口にする。
「これで“ごまっとう”が揃ったね。」
- 97 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/23(金) 23:40
- 更新しました。
非常に短くて申し訳ありませんm(__)m
区切り下手で……。
週末にまた更新したいなぁ…。
レスありがとうございます。
>>91 名無し飼育様
面白いだなんて言って頂けるとは(感涙
そのお言葉を糧に生きていこうかと。
- 98 名前:26 投稿日:2004/01/24(土) 02:50
- おぉ〜、そう来ましたか・・意外な展開です。
(そう言えばそのメンツならそうだった!)
松浦さんの過去がぼんやりと見えて来ましたが、彼女にとって辛い思い出が
隠されていそうですね。
やっぱり吉澤さんに救ってあげて欲しいなぁ・・
次回も楽しみです。
- 99 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/26(月) 22:36
- 授業が終わると同時に急いで荷物をまとめる。
教師がまだ教室から出る前に教室を一番に飛び出す。
教師を含めて教室内の生徒全員が亜弥の出て行ったドアを見ている。
どんな形であれ、こんな活動的な亜弥を見たのは初めてだからだ。
今、亜弥の頭の中には後藤真希との間にあった会話のみだった。
- 100 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/26(月) 22:36
-
『ごまっとうが揃ったね』
その言葉の意味することを読み取り、呆然として再び固まってしまった亜弥に、してやったり
といった表情をした真希が言葉を続けた。
「今日の放課後、屋上で待ってるってさ。私も終わったら行くよ。……おーい、大丈夫?」
亜弥の目の前で手を振ってみるが、反応がない。
「うーん、固まっちゃったね。とりあえず、クラスメートが迎えに来ているみたいだから
私は先に戻ってるね。ちゃんと教室に戻るんだよ?」
そして真希は自分を呼ぶ声がするほうへ戻っていった。
『あれ?ごっちん、どこにいたの?』『ゴメンゴメン迷っちゃって…』
- 101 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/26(月) 22:38
-
だから周囲の視線など気にせずに、亜弥は屋上を目指す。
授業が終わり教室から出てくる他の生徒を紙一重でかわしつつ、階段へたどり着き一気に駆け上がる。
そして、とうとう屋上のドアまでたどり着く。
そこで一度呼吸を整える。
そして呼吸が落ち着いたのを見計らって、ドアを目の前にして、目を瞑る。
不思議と気持ちは落ち着いてくるのに、心臓だけが徐々に鳴り響き始める。
このドアを開けることの意味を身体は如実に感じているらしい。
しかし、あえてその事を考えずに、ゆっくりと目を開けてドアノブを握る。
『行くよ、亜弥。』
そしてゆっくりとドアを開けて屋上に入る。そしてゆっくりと見渡す。
そこには―――
- 102 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/26(月) 22:41
- 誰もいなかった。
………えー…と……?
気合を入れて、呼吸まで整えて来たのに屋上には誰もいなかった。
ちょっとしたショックを味わった亜弥はそのまま固まってしまう。
そして立ち直る暇をもらえないまま、亜弥に声がかけられる。
「あれ?一番乗りだと思ったのになー。早いね、亜弥ちゃん。」
後ろから掛けられた声に、
今度こそ、
亜弥の思考が、
動きが、
呼吸が、
止まる。
- 103 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/26(月) 22:42
-
頭の中が、
視界が、
白い光に包まれる。
「久しぶりだね。亜弥ちゃん、背伸びたねー。でも美貴も伸びたんだよ。……あれ?
でも美貴と同じくらいだね。くそー、びっくりしてもらおうと思ってたのになー。」
話かける声は、動かない亜弥に気づかないように一人で続けている。
「それにしても、この学園って本当に大きいよね〜。1学年千人以上いるんでしょ?
美貴のいたところは4百人くらいしかいなかったよ。まあ、田舎だったしね。」
- 104 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/26(月) 22:44
- 『……ほ…』
のん気な声とは対象的に、しばらく固まっていた亜弥の身体が少しずつ震えだす。
『…ほんもの…?』
「なんかこの辺も変わったよねー。前までは、あんな建物なんて…………亜弥ちゃん?」
のん気に続けられていた声が、不意に途切れる。
しかし、亜弥はそのまま振り向かない。
「……どうしたの?」
相変わらず背を向けたままの亜弥に話し掛ける。
- 105 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/26(月) 22:45
- 「……ふりむい…ても…」
「え?」
「…振り向いても……いなく……ならない?消えたり……しない?」
亜弥の声は震えていた。
「いなくならないよ。」
亜弥の震える声に気付き、掛ける声の質を変える。
その声を聞き、亜弥は俯いたままゆっくりと振り返る。
「…また、……また……」
言葉が続かない。
「なに?」
続かない言葉に、出来る限り優しく続きを促す。
- 106 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/26(月) 22:46
- 「……また……」
それでも続かない言葉を聞き、微笑を浮かべる。
そして、ゆっくりと両手を広げる。
「亜弥ちゃん」
ビクッと身体を振るわせた後、怯えたように俯いたまま視線だけ上げる。
「おいで?」
その目には限りない労わりの色が浮かんでいる。
まだ躊躇する亜弥に一歩を踏み出す。
そして次の瞬間、亜弥の身体は優しい腕に包まれていた。
「…また……また、一緒にいようね。亜弥ちゃん」
- 107 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/26(月) 22:48
-
入学以来、初めて、亜弥の感情を宿した声が屋上に響き渡った。
- 108 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/26(月) 22:51
-
- 109 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/26(月) 22:52
- 「ただいま、亜弥ちゃん。ごめんね。長い間一人にして。」
それを聞き、首を必死に振りながら、
「あ、あた…しが………あ…たし…の、せい…で…」
美貴――藤本美貴――に抱きついたまま、泣いている亜弥は必死に言葉を紡ごうとしている。
「み…きたん…も、ま、まき…ちゃ、ん…んも…」
不意に美貴が人差し指を亜弥の口に優しく押し当てる。
「あれは、亜弥ちゃんのせいじゃないよ。美貴たちが勝手にやったことだし。それに、美貴も
真希も、もう元に戻ってるんだから。」
優しく諭すように、亜弥に話し掛ける。
しかし、亜弥の脳裏に3年前の美貴が思い浮かぶ。
- 110 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/26(月) 22:53
- 「で、でも、美貴たんは、あのせいでバレーがもう…」
美貴の優しさを振り払うように、尚も続けようとする。しかし美貴は、その表情を崩さずに
亜弥の頭を優しく撫でながら、亜弥の言葉を遮る。
「だから、亜弥ちゃんが気にすることじゃないよ。もう美貴は大丈夫だよ。」
「でも、あの時、あたしが…」
「本人が気にするなって言ってるんだから、気にしなくていいんじゃない?」
二人の後ろから声が掛けられる
「真希ちゃん…」
そこに美貴が言葉をかぶせる。
「当事者の二人がこう言ってるんだから、問題ないでしょう?」
まるで子供をあやすような口調で、亜弥に話し掛ける。
- 111 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/26(月) 22:56
- 「でも…」
中々納得しない亜弥に、美貴と真希は困ったように顔を見合わせる。
そして、美貴が何かを思いついたように話始める。
「そうだ!じゃあ、亜弥ちゃんには、お詫びに美貴たち二人のお願い事を
叶えてもらうっていうのはどう?」
「お願い?」
「そう。お願い。」
そう言うと美貴は真希に向かってウィンクをした。それだけで、美貴の
考えていることが分かったらしく、
「そうだね。このお願い事は絶対に守ってもらうってことで。」
真希も笑顔で続ける。
- 112 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/26(月) 22:58
- 「うん。絶対守るよ。どんなことでも。プールに飛び込めって言われれば、飛び込むし」
必死に言う亜弥の頭を撫でたまま、猫のように目を細める美貴。
「あはは。まだプールは早いよ?そんなことは言わないよ。もっと単純なこと。」
「単純なこと?」
「そう、単純なこと。」
そう言って亜弥の目を覗き込む。
「それは、いつも笑顔でいること。私達は亜弥ちゃんの笑顔を見るために
来たんだから。そして泣く時は美貴か真希の前でだけで、他の人の前で
泣いちゃ駄目。分かりやすいでしょ?」
「笑う…泣く…?」
「そう。亜弥ちゃんは最近笑わないっていう話だし。私達は亜弥ちゃんの
笑顔を守るために今まで頑張ってきたっていうと言いすぎかな?」
- 113 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/26(月) 22:59
- そう言いながら、美貴が真希を見上げると、真希は美貴の言葉を受けて、続ける。
「でも、今日会ってみたら亜弥ちゃんは無表情か泣いているだけ。まあ、泣かしたのは
誰かさんだけど。私は3年前みたいに、いつも笑顔でいる亜弥ちゃんが好きだな。」
2人の言葉を聞き、亜弥が何かに気付く。
「…もしかして……2人とも…私の、ために…戻ってきて…くれたの?」
亜弥の瞳は嬉しいような申し訳ないような複雑な色をしていた。
「ふふ。私達の可愛い妹分がピンチとあらばね。亜弥ちゃんを守るのは美貴たちの役目だしね。」
亜弥が一瞬沈黙し、その瞳が複雑に揺れる。そして亜弥が口を開きかけた所に真希が声を掛ける。
「ところでいつまで抱き合ってるの?」
「え?」
- 114 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/26(月) 23:02
- そう言われて亜弥は自分の体勢を改めて見てみると、見事に美貴の背中に手を回して、
ガッチリと抱きついていた。
「ああああああの、ごめんなさい。」
「あれ、離れちゃうの?」
真っ赤になって離れる亜弥と、少し残念そうな美貴。
「昔は、よく抱きついてきてたのに。」
「む、昔は…その…」
「ふふ。亜弥ちゃんも大人になったんだよ。美貴、拗ねないの。」
「べ、別に拗ねてなんか…」
赤くなって俯く亜弥と、拗ねている美貴と、からかっている真希。
3人の間に流れている空気は、穏やかで温かかった。
- 115 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/26(月) 23:13
-
更新しました。
失敗個所が、ちらほら…。
現在ストックとの追いかけっこをしてます。
抜かれないように…。
>>98 26様
毎度ありがとうございます
吉澤さんの今後は……見守ってやって下さい。
- 116 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/01/26(月) 23:15
- いいですねー!
3人の過去が気になります!
作者さん、がんばってください!
楽しみに待ってます!
- 117 名前:名無し読者 投稿日:2004/01/27(火) 01:23
- 良いですね〜。
何が本当あったんでしょう?
そしてやっぱり、あやみきはいい!(w
- 118 名前:あず 投稿日:2004/01/27(火) 17:05
- なんか自分的にはまる話です。
作者さん続き期待しています。
がんばってください
- 119 名前:ゆな 投稿日:2004/01/27(火) 17:09
- なんか、きになるんだよ、このスレが。なぜだろう。
- 120 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/01/28(水) 10:03
- あやみきになりますように・・・・・
- 121 名前:26 投稿日:2004/01/28(水) 14:34
- 更新、お疲れ様です。
おぉ〜、一気に動き始めた感じがしますね。
ふたりが戻って来た理由がまだ少し謎ですが・・
次回も期待しております。
- 122 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/29(木) 21:30
- 「ふう〜、やっと抜け出せたー。」
「美貴たん、大丈夫?」
「うん、なんとかね。」
「真希ちゃんは?」
「まだ捕まってる。亜弥ちゃんのパパさんが離さないみたい。」
美貴たちが久しぶりに帰ってきたということで、今1階の居間では宴会が開かれている。
3人の家は家族ぐるみでの付き合いとなっているため、再開を祝して宴会をしているのだが、
既に亜弥の両親と後藤の両親が酔っ払いと化しているため、美貴は真希を生贄に差し出して
亜弥の部屋に逃げ出してきたのだ。
「なんか久しぶり〜亜弥ちゃんの部屋。」
そう言って、美貴は部屋の中を見回す。
- 123 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/29(木) 21:31
- 「3年ぶりだもんね。」
「前は毎日来てたのになー。でも部屋の中、全然変わっちゃったね。」
「そう?3年前の部屋はもう思い出せないよ。」
そう言って首を傾げる亜弥を寂しげに見ながら続ける。
「うん。全然違ってる。前は、もっと女の子らしい部屋だったよ。」
返事はない。
答えない亜弥をじっと見つめる。
「…そんなにショックだった?美貴たちが…いなくなったこと。」
亜弥は黙って俯いている。
その沈黙を肯定と受け取る。
- 124 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/29(木) 21:32
- 「…あの時は…色々なことが、あっという間だった。言い訳じゃないけど、気が付いたら
北海道にいた。」
俯いたまま、美貴とは視線を合わせようとしない。
「あの時はバレーを…大事なものを一つだけ無くしたけど、もう一つの大事なものは
守れたと思ってた。……でも、もう一つの大事なものも無くしていたんだね。」
亜弥がゆっくりと顔を上げると、悲しげな美貴の視線にぶつかる。
「亜弥ちゃん……笑わなくなっちゃったね……。」
亜弥の瞳が大きく見開かれる。
- 125 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/29(木) 21:39
- 「今日会ってから、亜弥ちゃんの笑顔を見てない。愛想笑いじゃない、本当の笑顔。
……美貴たちが守ろうとした、大事な……。」
そう、美貴が今日の亜弥の表情で思い出せるのは、泣いている顔だけ。
他には家族といる時の愛想笑いの顔だけ。
「美貴たちがいなくなったから?それとも……違う理由?」
そう言ったきり黙りこむ美貴。
そして亜弥も再び俯いたまま黙っている。
カチコチカチコチ。
部屋の中には時計の音が鳴り響き、時々下の居間から宴会の騒ぎ声が漏れてくる。
2人共動かないまま十数分が過ぎる。
- 126 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/29(木) 21:40
-
「ショックだった…」
亜弥が掠れた声で話し始める。
「美貴たんが…バレーをすることがもう出来ないって聞かされたとき。それから、その話を聞いた時の
美貴たんの顔を見たとき。あたしのせいだ。あたしのせいで美貴たんはバレーボールの夢を無くして
しまった。」
「だから、それは……」
思わず反論しようとした美貴を視線で制する。
「それで、その後、美貴たんは何も言わないまま、北海道に行ってしまって…。真希ちゃんも
もう視力が回復しないかもしれないって言われてて…結局意識がほとんど戻らないまま東京に
移されて…」
亜弥の声は小さく、ともすれば聞き逃してしまいそうになるが、必死に耳を澄ませて聞き取る。
独白は続く。
- 127 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/29(木) 21:41
-
「美貴たん達がいなくなって……何をやっても2人のことが頭に浮かんで……違う場所に行けば
気も紛れるからって…親に言われるままに学園に入って…でも、誰とも話す気力もなくて……
気が付いたら、もう誰も話し掛けてこなくなっていて……でも、それでも良いって……………」
亜弥の声は、ますます掠れてきて、僅かに震えていた。
だが、それでも想いを搾り出すかのように続ける。
「美貴たん達以外に友達を作るのは、二人に対する裏切りみたいな気がして……一人でいることが
二人への、あたしなりの誠意だって…償いだって……思って……でも寂しくて…感情を……
抑えようって、殺してしまえばって……気を…紛らわ、せるために、べんきょ…う…にぼっ…
とう、して……、わ…」
「もういいから!」
とうとう泣き出してしまった亜弥の声を制して、たまらず抱きしめる。
泣き止まない亜弥を切なく思い、強く抱きしめる。
亜弥も顔を覆っていた手を背中に回し、美貴の胸に顔をうずめる。
部屋には亜弥のすすり泣く声と、時計の音だけが響いている。
- 128 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/29(木) 21:42
-
美貴は何も話さず、亜弥を抱きしめたまま、その頭を撫でている。
しばらくそのままの体勢でいた後、視線を窓の外に向け、独り言のように話し出す。
「正直、バレーが出来なくなったのはショックだったんだ。」
亜弥の身体がビクッと震えるが構わずに続ける。
「しばらく北海道の病院で何もする気が起きなくてボケ―ッと毎日過ごしてた。
とりあえず、亜弥ちゃんだけでも無事で良かったなーなんてことだけ考えながら。」
頭を撫でてると、なんか自分が落ち着くな等と場違いなことを考えていたが、
おくびにも出さずに話を続ける。
- 129 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/29(木) 21:43
-
「そんな風にボケ―ッと入院していたら、美貴についている看護士さんに怒られた。
あ、看護士って言っても女の人だよ?で、その人が『バレーが出来なくなったくらいで
何、死にそうな顔してんの!ここは皆生死を掛けて戦っている人ばかりなのよ!
そんな人達に対して失礼でしょ!』って。」
その時の顔が浮かんでいるのか、苦笑いしながら続ける。
「その時は『何言ってんだ、あたしにとってバレーは、もの凄く大事なんだ。あんたに
何が分かるんだ!』なんて言っちゃって、大喧嘩。その後も顔を合わせるたびに
喧嘩してた。しかも派手にやり合うから、注目浴びちゃって。そのうちわざわざ
見に来る患者さんまで出てきちゃって。」
懐かしそうに目を細める。
何時の間にか亜弥の涙は止まっていて、美貴の話に耳を傾けている。
「でも、そんな日を過ごしている間にも、バレーが出来ない事で段々ふさぎ込んできちゃって。
出されたご飯も食べないようになった。その看護士さんとも段々喧嘩しなくなってきて。
そしたら、ある食事の時間に、その看護士さんに頬を叩かれた。」
- 130 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/29(木) 21:44
- 亜弥の頭を撫でていた手を自分の頬に当てる。
まるで今、殴られたみたいに。
「看護士さんは、何も言わなかった。ただ、美貴よりも殴った看護士さんのほうが、つらい顔をしてた。
その日から、その人は美貴の担当から外れた。」
美貴から笑顔が消えて、無表情になる。
「その後、美貴が退院する時まで顔を会わせることはなかった。でも最後に退院して、病院から
出て行くときに、その喧嘩していた看護士さんが見送りに来てくれたんだ。それで……」
一度言葉を区切り、かみ締めるように吐き出す。
- 131 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/29(木) 21:45
-
「負けるなよって。」
「負けるな?」
「そう。」
―――現実に―――
「……………」
亜弥は黙り込み、その意味をかみ締めてみる。
その味は苦かった。
だから、美貴の顔をそっと盗み見たが、何も分からなかった。
だから、美貴の言葉を待つ。
- 132 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/29(木) 21:47
-
「その時は言葉の意味をよく分かってなかった。でも、家に帰ってから自分の姿を見てみた。
……酷かった…。」
美貴は眉を寄せて、僅かに顔をしかめる。
鏡で見た自分の姿が目に浮かぶ。
退院したてとはいえ、生気がなかった。みすぼらしかった。そして、何より目が。
目が死んでいた。
軽く苦笑して、その映像を振り切るように明るい声を出す。
「美貴って、負けず嫌いなんだ。だから、バレーが出来ないことは…吹っ切った。
そんなことには、負けない。負けてやらない。」
そこまで話して、美貴は亜弥の身体をそっと離す。
そして亜弥の顔を覗き込み、笑う。
「今、新しい美貴を作ってるところ。できれば亜弥ちゃんが自慢できるような人になりたいな。」
- 133 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/29(木) 21:48
- 美貴の目はもう死んでいなかった。
決意が感じられる力強さがあった。
そして、その笑顔には、生命力が溢れていた。
その笑顔につられて、亜弥も少しだけ、はにかんだような笑顔を見せる。
「お!やっと笑ったね。その顔が見たかったんだ。美貴の…って自慢できる亜弥ちゃん。」
『美貴の…』
知らず顔が赤くなる
「あれ?もしかして、亜弥ちゃん…照れてる?」
その言葉を受けてますます顔が熱くなってくる。
「そ、そんなこと…!」
「ふふ。隠さなくてもいいのに。……じゃあ、美貴が亜弥ちゃんに笑顔が戻るように、自信を
取り戻せるように、おまじないをかけてあげる。」
- 134 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/29(木) 21:49
- 「み、美貴たん!?」
亜弥の動揺など全く気にせずに美貴は亜弥を抱きしめ、呪文を呟く。
「亜弥ちゃんは可愛い。誰よりも可愛い。亜弥ちゃんの笑顔が美貴は大好き。」
そして、亜弥の額に軽いキスをする。
「何があっても美貴は、亜弥ちゃんの味方だよ。……だから……、笑って……?」
亜弥は一瞬、目を大きく見開き、
そして………泣き出した。
「あ、亜弥ちゃん!?」
さすがに泣き出してしまうとは予想していなかったのか、美貴は慌てて亜弥の顔を覗き込む。
すると亜弥は首を必死に左右に振っている。
- 135 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/29(木) 21:50
-
「い、嫌だったの?」
すると先程よりも更に激しく左右に首を振る。
「ち、ちがうの…うれしいの……ありがとう……」
そして亜弥は、まだ目に涙を浮かべたまま、笑顔を作る。
「へへ…」
「ふふ…」
2人共照れくさくて、言葉が出ない。
だけれども、お互いの気持ちは繋がっているという確信があった。
そして、その想いが、3年間空いたままだった、亜弥の心の穴を埋めていく。
だから、広がっていた心の穴を埋めるため、漏れつづけたエネルギーをもらうため、
同じ言葉を、同じ呪文を呟く。
- 136 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/29(木) 21:51
-
「美貴たん。」
「うん?」
「みーきたん。」
「だから、なに?」
「へへ、何でもなーい。」
「?変な亜弥ちゃん。」
そして、聞こえないように続ける。
『ずっと傍にいてね。美貴たん。』
「ん?何かいった?」
「なにも言ってないよ。」
「そう?」
「うん。それより、そろそろ真希ちゃんを救出しに行かない?」
「そうだね。なんか下も静かになってきたみたいだし。」
そう言って、部屋を出て階段を下りていく。
- 137 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/29(木) 21:52
-
部屋のドアが閉まり、誰もいなくなる。
そして誰もいなくなった部屋に携帯の着信音が鳴り響く。
だが、その日その携帯が役割を果たすことはなかった。
- 138 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/29(木) 21:54
-
更新しました。
自分の表現力の無さに_| ̄|○
精進していきたいと思います。
たくさんのレスありがとうございます。
>>116 名無飼育様
ありがたい言葉ありがとうございます。
こんな作品で良ければ楽しんでいってください。
>>117 名無し読者様
今回、過去の一部分を出させていただきました。
詳細は徐々に明らかになっていくと思います。
- 139 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/01/29(木) 21:55
- >>118 あず様
ご期待いただきありがとうございます。
拙い文章ですが、よろしくお付き合いください。
>>119 ゆな様
それは、恋の始まりです(w
>>120 名無飼育様
今回の更新は如何だったでしょうか。
>>121 26様
毎度ありがとうございます。
吉澤さんは小休止中です。今回は、ちょい役でした。
- 140 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/02/01(日) 16:27
- チュンチュン、チチチ
スズメの鳴き声が目覚ましとなり、自然に目が覚める。
布団の中で伸びをした後、部屋の中の違和感に気付く。
そこには二つ並んだ布団があり、それぞれに住人がいるようだ。
それを見て、懐かしい気持ちがよみがえる。
何年か前までは、こうやって、よくお泊りしてたなー。
昨日宴会から真希を助け出した後、亜弥の部屋で3人で寝ることになったのだ。
明日の朝になって、2人がまだいてくれるか不安だから、帰らないで一緒に
寝てほしいと亜弥がねだったのだ。
亜弥の瞳から、甘えてるのではなく2人がいなくなることから来る不安が根強く
残っていると考えた美貴達は一緒に寝ることにしたのだ。
- 141 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/02/01(日) 16:28
-
「ふふ、2人とも可愛い寝顔…」
声に出して言ってみるが、2人は起きる気配がない。
『昔と変わってないなー。寝ぼすけな所は…。』
まさしく爆睡しているらしい2人を懐かしい気持ちで眺める。
すると慣れない布団だったからか、亜弥の気配に気付いたのか、美貴が目を覚ます。
「ん……ん?」
「おはよう、美貴たん。」
寝覚めで状況が飲み込めていない美貴に声を掛ける。
「…ん?おはよう。亜弥ちゃん…そっか、亜弥ちゃんの部屋で寝たんだっけ。」
そう言いながら、軽く伸びをする。
- 142 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/02/01(日) 16:29
-
「やっぱり美貴たんだった。」
「え?」
「起きる順番。」
「ああ、そうだね。っていうか真希は強引に起こさないと、ずっと寝てるからね。」
美貴の隣の真希は全く起きる気配が見られない。
「今日からだね。」
「うん?」
突然亜弥が話し出す。
「今日から美貴たん達との約束通り、笑顔で頑張るよ。」
「ああ、屋上でのね。」
「あ、ひどーい。美貴たん自分で言っておいて、今忘れてた。」
「え、い、いや、寝起きだからだよ。当然覚えてるよ。」
慌てて取り繕う美貴だったが、亜弥はそれに気付いていないかのように
表情を曇らせていた。
- 143 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/02/01(日) 16:30
-
「あ、あれ?亜弥ちゃん、怒った?」
美貴がすぐに気付き話し掛ける。
すると亜弥は首を振る。
「ううん、そうじゃないの……ただ、大丈夫かなって…」
「え?何が?」
「あたし、うまく笑えるかなって…クラスの皆は返事をしてくれるかなって…」
「亜弥ちゃん…」
美貴は少なからずショックだった。
少なくとも3年前までの亜弥であれば絶対に言わないセリフだ。
自分達がいない3年間で亜弥は変わってしまっていた。
亜弥から自信という最大の武器を奪ってしまっていた。
亜弥の自信を奪ってしまったのは、恐らく自分達だ。
だったら、責任を持って、亜弥の自信を回復させなければならない。
何よりも自信満々の亜弥が好きなのだ。だから……
- 144 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/02/01(日) 16:31
- 「じゃあ、亜弥ちゃん、またおまじないをしてあげる。」
俯いてしまっていた亜弥に声をかける。
「え?」
そして昨日と同じように抱きしめて、唱える。
「亜弥ちゃんは可愛い。誰よりも可愛い。亜弥ちゃんの笑顔が美貴は大好き。」
そして、亜弥の額に軽いキスをする。
「何があっても美貴は、亜弥ちゃんの味方だよ。」
「私も亜弥ちゃんの味方だよ。」
「「え?」」
布団の中から、ニヤニヤしながら真希が覗いていた。
慌てて亜弥から離れる。
- 145 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/02/01(日) 16:31
-
「ま、真希!起きてたの!?」
「何か話し声がするから目が覚めたんだけど、まさか―――ねえ…」
「な、何が『ねえ…』よ!いいじゃん、亜弥ちゃんは可愛い妹なんだから!」
亜弥はその言葉を聞き、今まで赤くなって俯かせていた顔を上げる。
「妹ねえ……ずいぶんとシスコン気味のおねえさんですね〜。」
「こ、これは亜弥ちゃんが元気ないみたいだから…」
「昨日もやってあげたと……」
「な、なんでそのことを…」
「あれ?本当にやってたんだ。」
「な…!は、図ったの!?」
「別に図ってないよ。ただ、さっき“おまじない”やる前に、“また”って
言ってたから。」
「そんな前から聞いてたの?」
久しぶりにあったはずなのに、二人の言い合いは自然で、延々と途切れることなく続く。
- 146 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/02/01(日) 16:32
-
「ふふふ。」
それを見て、亜弥が笑う。
「亜弥ちゃん。」
美貴が言い合いを突然止めて話し掛ける。
「笑えるじゃん」
真希も続ける。
「可愛いよ」
二人の言葉を聞き、ますます笑顔になる。
朗らかな。
魅力的な。
- 147 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/02/01(日) 16:33
- 「ああ、美貴のセリフ取った!」
「何で美貴のセリフなの?私も言いたいもん。」
「ダメ!話の流れからしたら、美貴が言うべきでしょ!」
「そんなの聞いてない。」
「さっき聞いてたって言ったじゃん!」
「寝てたもん。」
いつまでも続きそうな言い合いを諌めるため、笑顔のまま声をかける
「二人共、早くしないと学校に遅れるよ?」
二人のおかげで、戦う準備は出来た。
さあ、行こう。
- 148 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/02/01(日) 16:34
-
- 149 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/02/01(日) 16:35
- サイフ良し。
カバン良し。
小物入れ良し。
ケア用品良し。
定期良し。
制服よし。
最後に玄関にある鏡を見る。
髪型良し。
そして顔も「可愛いよ」
――え?あれ?今、声に出したかな?
首を捻っていると、声の主が姿を見せる。
- 150 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/02/01(日) 16:36
-
「そんなに自分の姿を改めて確認しなくても、しっかり可愛いよ。」
「真希ちゃん。」
「だから、早く行こうよ。遅刻しちゃうよ。」
「うん。」
そして玄関を出て、門の所で待っている美貴と合流する。
「もう、亜弥ちゃん、用意に時間かけすぎ。」
「ごめんなさ〜い。」
「そんなに自分が可愛かった?」
「え、そ、そういうわけじゃ…。」
「心配しなくても亜弥ちゃんは可愛いから。私と美貴が保証するよ。」
「う、うん…。」
可愛いを連発する真希と、まだ信じきれてない亜弥。
そして…
「美貴ぃ〜、まだ拗ねてるの?」
「別に拗ねてないもん。」
朝の件を散々真希にからかわれた美貴は拗ねてしまっていた。
- 151 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/02/01(日) 16:37
-
「全く、すぐ拗ねるところは全然変わってないね。」
「いいも〜ん。どうせ美貴は末っ子だも〜ん。大人な真希とは違うもん。」
「そういう所がガキっぽいんだよね。おっと、本人には言わないでね。」
「美貴は本人だよ!」
「あ、そうだったね。気付かなかったよ。本人に謝っといて。」
「だから本人だよ!」
「ふふ。」
仲が良いのか悪いのか分からないやり取り。
何も変わってない。変わってしまったのは亜弥自身だ。
2人は自分をリラックスさせようとしていてくれるのかもしれない。
どちらでも良かった。
2人がいてくれるだけで、心が落ち着く。
駅に着き、電車で2駅。そこから徒歩20分で学園に着く。
3人は、そのまま門を通って中に入ろうとするが、亜弥が思わず立ち止まる。
- 152 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/02/01(日) 16:38
-
「亜弥ちゃん?」
「どうしたの?」
不審に思った2人が声を掛ける。
亜弥の顔は緊張していた。
『せっかく2人がリラックスさせてくれたのに…。』
2人は亜弥の顔から、心境を察知する。
だが、何も言わない。
ただ、微笑んで亜弥を見ている。
亜弥は、その笑顔を見ると、決心したかのように一歩前へ踏み出す。
そして2人の横を通り過ぎる。
10メートル程歩いた後、後ろを振り返る。
- 153 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/02/01(日) 16:39
- 2人が頷くのが見えた。
それを確認し、また前を見て歩き出す。
―――ここからは、自分一人の戦いだ。――――
―――でも、振り返れば2人が見ていてくれている。―――
- 154 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/02/01(日) 16:40
-
『負けるなよ』
教室のドアを開ける前に、昨日の美貴の話を思い出して、思わず微笑む。
負けないよ、あたしも。
自然な笑顔なまま、ドアを開ける。
教室のいくつかの視線がこちらを向く。
時間がゆっくりと感じられる。
全員がこちらを見ている気がする。
『負けるな、亜弥。負けるな負けるな負けるな……』
繰り返す。
「お、おはよう。」
返事は、ない。
亜弥はそのまま自分の席に座る。
- 155 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/02/01(日) 16:41
-
周囲の視線が刺さる。
でも、それに気付いていないかのように、道具をしまって準備する。
周りは亜弥が挨拶をしたことに驚いたのか、いつもの囁き声も聞こえない。
入学以来、亜弥から話し掛けたことなど、ほとんどないのだから、驚くのも
当たり前である。
席に着いて、道具の準備も終わると、落ち着いたのか、先程の挨拶を冷静に
思い出す。
周りからの返事がないのは当たり前。入学以来、自分から話し掛けたことなど、
自分でも覚えていない。だから、周りが驚くのも当たり前。
とにかく今は自分から挨拶できたことを自分で褒めてあげよう。
戦いは……始まったばかりだ。
- 156 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/02/01(日) 16:45
- 更新しました。
書いては消して、書いては消して……。
大丈夫かな?自分……。
- 157 名前:22歳の私 投稿日:2004/02/01(日) 19:36
- 自分がイジメられてた時を思い出してしまうくらい、
松浦さんの心理が描けていてすごいなぁと思います。
大丈夫ですよ、読みやすい文です!面白いです!続き楽しみにしてます!
- 158 名前:あず 投稿日:2004/02/02(月) 17:24
- この物語すごくはまります。
前頭三枚目さん大変でしょうが、
続き期待しています。
- 159 名前:名無し飼育さん 投稿日:2004/02/02(月) 23:03
- 一気に読みました。丁寧な描写と急ぎすぎない物語運びで、読んでいて心地よいです。
ごっちんと藤本さんの掛け合いや、松浦さんと藤本さんの関係、三人の空気感がとっ
てもいいです。初書きとは正直思えないくらい。
続きを楽しみにしています。
- 160 名前:26 投稿日:2004/02/03(火) 17:44
- 更新、お疲れ様でした。
思わず、松浦さんに「負けるな!」と声援を送ってしまいそうな自分がいますw
ごまっとうがイイ感じですね。
姫とナイトふたりって様相を呈して来たような・・
次回もお待ちしてます。
- 161 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/02/04(水) 22:33
- キーンコーンカーンコーン。
午前の授業が終わり、昼休みになる。
「ごっちん、授業終わったよ。」
「……んあ?」
「んあ?じゃないよ、もう。午前中ずっと寝てたでしょ。」
授業をよくサボっている吉澤が呆れるほど、真希は良く寝ていた。
「ふぅあ〜ぁ…、よく寝た…。さ、昼ご飯食べよう。」
「ずっと寝てても、腹は減るんだね。」
「当たり前だよ。さ、よっすぃも食べようよ。」
「そうだね。」
真希が転校してきて2日目だが、もうずっと一緒にいる。
吉澤としては、昼休みは前と同じように松浦のところに行きたいのだが、松浦の
涙の原因と思われる転校生を、2人を会わせたくないため、仕方なく一緒にいるのだ。
「そういえば、ごっちん、部活どうするの?」
「え?部活?」
「そう。この学園は必ず部活に入らなくちゃダメなんだ。」
「そうなの?まるで中学生だね。」
「私立のつらいところでね。」
- 162 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/02/04(水) 22:34
-
そう、まさしく私立のつらい所。
この学園はスポーツクラスと進学クラスが分かれており、各々全国的に有名なのだが、
世間から、それぞれスポーツや勉強しかさせないという批判を浴びていて、それを
払拭するために――世間的なポーズのため、建前的に――進学クラスも含めて全員
部活に入ることを義務付けられている。
「幽霊でもいいから、入っておかないとなんだよ。」
「そうか〜、どうするかな〜。まあ、ゆっくりと考えてみるよ。」
「そうだね。」
この転校生を縛るために、バレー部に入れてしまおうかどうしようか迷っていた。
- 163 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/02/04(水) 22:35
-
「ダメだよ、亜弥ちゃん。皆と食べないと。」
一人木陰で弁当を食べていた亜弥に声が掛けられる。
「美貴たん…どうしてここに?」
「どうしてじゃないよ。昼休みはクラスメートと打ち解けるチャンスじゃん。」
「だって…。やっぱり怖くて…。」
そう言って俯く亜弥をため息まじりで見つめる。
「まったく…午後からまた頑張るんだよ?」
「う、うん。」
本当は叱るべきなのかもしれない。
でも、昔からだ。美貴は亜弥ちゃんに対して甘い。
自分でも分かっているが、どうしても甘やかしてしまう。
- 164 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/02/04(水) 22:36
-
「午後は何の授業があるの?」
頭を切り替えて、午後の授業の確認をする。
「午後は…体育と世界史。」
「体育は何をするの?」
「多分、来月にあるバレーボール大会の練習。」
「バレーボール?」
「……うん…。」
亜弥が思わず、上目遣いになる。
「チャンスじゃん!」
「え?」
「亜弥ちゃん、自分が中心になって試合に勝てば、もうヒーロー、いや
ヒロイン…やっぱりヒーローかな…?」
「そんな都合よく…」
「いけるよ!他のスポーツならともかく、バレーなら!」
「でも…」
- 165 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/02/04(水) 22:38
-
3年前と違い、自分に自信がもてない亜弥はいまいち乗り気がしない。
だが、美貴は強引に薦める。
「大丈夫だよ!亜弥ちゃんなら。」
「う、うん…」
「なにせ、美貴と真希の愛弟子なんだから。」
「!」
その言葉を聞き、亜弥の表情が変わる。
それを確認し、美貴はもう一度言い聞かせるかのように繰り返す。
「だから……大丈夫だよ。」
- 166 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/02/04(水) 22:39
-
キーンコーンカーン……
予鈴が鳴った。
「ほら、亜弥ちゃん、次体育なんでしょ?急がないと。」
「うん。」
亜弥は走って、教室に戻っていく。
迷いない足取りで。
その後ろ姿に呟く。
「頑張れー…亜弥ちゃん。」
- 167 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/02/04(水) 22:40
-
「では、クラスごとに分かれて、選手を決めてください。」
体育は通常2クラスがまとめて行われており、今回は大会のために
クラス対抗で試合をすることになった。
「誰を選手にする?」
「とりあえず、運動部で固めてみる?」
まだ正式に選手を決めてないので、今回の体育の時間の選手は適当に決めようとしている。
しかし、適当に決めている理由はもう一つある。それは、隣のクラスには現役のバレー部が
4人いるためだ。大会は6人制バレーであり、現役のバレー部も参加OKなため、どうしても
バレー部員が多いクラスが優勝候補となる。
「えー、私やだなー。だって、隣のクラスの高橋さんて1年生なのにレギュラーになっている程
うまいんでしょ?スパイクとか痛そう。」
「そうそう、もの凄く打点も高いって言うし。」
隣のクラスのバレー部員の中に、高橋愛という選手がいるが、スカウトでこの学園に来たほどの
選手であり、1年生にして、全国大会常連校であるバレー部のレギュラーだった。
「じゃあ、どうする?運動部じゃないと、多分試合にもならないよ?」
- 168 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/02/04(水) 22:41
-
周囲が黙りこむ中、一人名乗りを挙げる。
「あたし、出たい。」
亜弥である。
「……………。」
予想していなかった人物が名乗りを挙げたため、皆驚いて沈黙してしまっていた。
「……ま、松浦さん…大丈夫なの?」
その中、いち早く気を持ち直したクラスの委員長が確認をする。
「うん。大丈夫だよ。昔かじってたし。」
隣町から、この学園に来ている生徒は少ないため、亜弥の言葉の信憑性は誰にも
分からなかった。しかも、ほぼ全員、亜弥とほとんど会話をしたことがないのだ。
- 169 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/02/04(水) 22:42
-
「と、とりあえず、本人が良いって言ってるんだし、松浦さんでいいんじゃない?」
「そうだね。」
皆おずおずと賛成していく。
その後、渋る運動部系の人達が選手となり、試合が始まる。
ピー。8組。
ピー。8組。
ピー。8組。
しかし、予想通り全く相手にならない。
亜弥たちの7組はろくにボールに触れることもできない。
そして、8組では高橋愛が前衛に、7組では亜弥が後衛のポジションとなる。
「ピー、アウト!」
8組のスパイクが僅かにコートから逸れ、7組にサーブ権がくる。
亜弥はボールを受け取り、相手コートを見据える。
『行くよ、亜弥。』
- 170 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/02/04(水) 22:43
-
持っていたボールを片手で上に放る。
そして、バネを利かせてジャンプし、右手に力を集中させる。
亜弥のジャンプサーブ。
バシッ!
ヒュン!
ズダン!
もの凄いサーブが8組のコートに突き刺さる。
コートにいる選手、いや見物している生徒も審判をしている教師も、皆動かない。
体育館の中の時間が止まる。
ポンポンポン……
壁に当たって跳ね返ってきたボールが転がる音のみが体育館に響く。
ピー、7組。
ようやく自分の立場を思い出した教師が笛を吹く。
- 171 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/02/04(水) 22:44
- そして亜弥にボールが戻される。
ボールを受け取った亜弥が再びサーブの構えに入る。
そこで、8組の高橋が叫ぶ。
「あの子は素人じゃないんだ!集中!」
高橋の声に自分を取り戻す8組の選手。元々、ほとんどがバレーボール部員である。
更には、まだ高橋以外はレギュラーではないものの、それぞれが出身地では
名を馳せていた選手達、いわばエリート集団なのだ。立ち直りも早い。
威力があると分かっていれば、それなりの対応はできる。
コート上に緊張が走る。
緊迫した空気の中、亜弥は一人口元に笑みを浮かべる。
『久しぶりに感じる空気だ……』
- 172 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/02/04(水) 22:45
-
だが、すぐに口元を引き締めて、ボールを上に放る。
再び亜弥のジャンプサーブ。
バシッ!
ヒュン!
もの凄い威力のサーブが8組のコート目指して飛ぶ。
しかし、後衛で構えた選手の真正面だった。
――取れる――
そう判断した選手が身構えた瞬間、ボールが落ちる。
ドライブ!
頭で考える前に身体が動く。
バシッ!
かろうじて拾う。
トン!
トスが高橋の前に上げられる。
少しだけ、助走ラインから外れている。
しかし、うまく修正し合わせる。
- 173 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/02/04(水) 22:46
-
バシッ!
先程の亜弥のサーブに劣らない威力を持ったスパイクが打たれる。
しかし―――
ポン!
まるで休み時間にやる、お遊びのバレーのような軽い音を立てて、亜弥に
レシーブされる。
『きれい…』
スパイクをした本人である高橋が思わず見とれる、レシーブのフォーム。
体全体を使ったレシーブ。あまりに完璧に威力を殺されてしまったため、
音にも迫力がない。しかも上がったボールは前衛の真中にいるセッターの上。
様々なバリエーションの攻撃を繰り出すのに最適な上がり方。だが――
見とれてしまった自分を打破するように、高橋が再び叫ぶ。
- 174 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/02/04(水) 22:47
-
「集中して!バックアタックが来るよ!」
8組の選手が、一瞬にして身構える。
そして7組コートでも、ボールの真下にいるセッター役の生徒に声が掛かる。
「こっち!」
慌てて、声がしたほうにトスを上げる。
ダンッ!
声を掛けた亜弥が思いっきり踏み込み、飛ぶ。
しかしトスのボールはまだ落ちてこない。タイミングがずれている。
ミスか?一瞬誰もが思う。
しかし、ボールは落下をしているが、亜弥が落ちてこない。
長い滞空時間。
相手の待つタイミングがコンマ数秒ずれる。
ズバンッ!
ビュン!
バネを利かせ、思いっきりジャンプして打ったバックアタック。
まさしくうなりを上げて相手コートに飛ぶ。
- 175 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/02/04(水) 22:48
- だが、そのボールはまたも選手の正面
『取れる!』
選手は構えてボールを受ける。
バシッ!
「痛っ…」
ボールはコートの外に飛んでいく。
あまりの威力に、押さえきれなかったのだ。
ピー!7組。
- 176 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/02/04(水) 22:49
-
体育館に笛が鳴り響く。
しかし、誰も声を発さない。
皆、亜弥を見て固まっている。
今までスポーツをしている姿すら、ほとんど見かけることがなかった亜弥を。
そして、亜弥自身も感じる。
皆が見てる。
美貴の言葉が頭の中をよぎる。
だから―――――
「さあ!もう一本!集中していこう!」
亜弥の顔には力強い笑顔が浮かんでいた。
- 177 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/02/04(水) 22:50
-
「ハイ、では、今日の体育はこれまで。皆大会まで頑張って練習してください。」
体育の授業が終わり、各々体育館を出て行く。
結局亜弥たちのクラスは3本ともセットが取れずに負けてしまった。
だが、亜弥自身のプレーや指示により、簡単に点を取られなくなり、
点差は縮まらなかったものの、ラリーが続くようになっていた。
そう。明らかに、かじった程度ではない、亜弥の活躍によって。
「松浦さん、すごかったね。」
「え?」
体育の帰りに亜弥に初めて話し掛ける生徒がいた。
「昔、やってたの?」
その言葉を聞き、一瞬亜弥の動きが鈍くなるが、すぐに元に戻る。
「ほんの少しだけね。」
- 178 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/02/04(水) 22:51
-
会話はそれだけだった。だがとにかく、作戦は成功した。
初めて、亜弥に話し掛ける生徒が出てきたのだ。
つまりそれ程までに亜弥のプレーは凄まじかった。
そして、嬉しそうに話している7組の生徒達の後ろで、その亜弥の姿を見つめる影があった。
高橋愛である。何も言わずに、何かを恐れるかのように亜弥を見つめている。
「…ごまっとう…か……」
一言だけ呟き、下を向く。
3年前の光景が脳裏に甦る。
「…バレー部、辞めなくちゃならなくなるのかも…。」
高橋の目は暗く、虚ろだった。
- 179 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/02/04(水) 22:52
-
更新しました。
バレーについての知識は……。
今回も4〜5回書き直していたりします。
更新速度が落ちそうで怖いです。
レスありがとうございます。
>>157 22歳の私様
ありがたいお言葉ありがとうございます。
このシーンは当初から浮かんでいたシーンなので、
そう言っていただけると嬉しいかぎりです。
>>158 あず様
はまっていただいてありがとうございます。
引き続き読んでもらえるように頑張ります。
- 180 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/02/04(水) 22:53
- >>159 名無し飼育様
お褒めの言葉ありがとうございます。
ダラダラしていないか不安だったのですが、そう言ってもらえて
安心しました。2人の掛け合いは作者も気楽に書けるシーンです。
>>160 26様
毎度のお越しありがとうございます。
実は作者は書きながら心の中で声援を送っていました(苦笑
こんな痛い作者ですが、引き続きよろしくお願いします。
- 181 名前:22歳の私 投稿日:2004/02/05(木) 20:02
- なんか、とけこもうとするキッカケが同じで
ビックリです。あ、体育の授業ってだけですが…。
少しずつ、少しずつ、松浦さん頑張れ!ペースが落ちても大丈夫ですよ。
次回じっくり待ってます。
- 182 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/08(日) 20:03
- 午後の授業が終わると、すぐに荷物をまとめる。
そして、そのまま急いで教室を出て、理事長室に向かう。
コンコン
ドアをノックし、返事を待たずに中に入る。
「亜弥入りました。授業終わったので帰ります。歩いて。」
「あ?え?あ、ああ。そうか。」
まさしく形ばかりの挨拶を済ませて出て行こうとする亜弥を、唖然と見送る理事長。
しかし、そのまま出て行こうとしていた亜弥は、ふと何かを思い出したように突然
ドアの前で立ち止まった。そして背中を向けたまま話し掛ける。
「パパが呼んでくれたの?」
「ん?何をだ?」
質問に質問で返したが、明らかに質問の意味が分かっている表情だった。
「あの…2人を呼んでくれたのは……。」
亜弥はそこで言葉を区切るが、それでも充分と考えたのか、今度は素直に質問に応じる。
- 183 名前:CAST 投稿日:2004/02/08(日) 20:05
- 「元々、ほとぼりが冷めるまでの約束だったからな。」
亜弥は目を瞑る。
振り返らなくても、相手がどんな顔をしているのかが、どんな思いでいるかが分かる。
心配をかけている。だから、今の自分を見せる。
振り返り、笑顔を作る。
「ありがとう。パパ。」
それを見て、理事長から父親の顔に変わり、無言で頷く。
亜弥はそれを見て、今度こそドアから出て行く。
「気をつけてな。」
本人には届いていないのを承知で、呟く。
理事長の頭の中で、先程の亜弥の笑顔と小さく幼い頃の亜弥の顔が重なる。
そして、そのことに満足して、パイプに火を点けた。
- 184 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/08(日) 20:06
-
理事長室を出た亜弥は、そのまま玄関を通り、駅に向かって走っていく。
もしかして、帰り道を走るのは入学して以来初めてかもしれない。
スピードを緩めることなく、駅に向かい、改札口を目指す。
そして、そこに見覚えるのある人影を見つけて、ようやくスピードを落とす。
「美貴たん!真希ちゃん!」
「亜弥ちゃん、遅い!」
そこには笑顔で手を振る真希と、座り込んでいる美貴がいた。
「ごめんなさ〜い。」
「もう、別に学校で待ち合わせにしても良かったじゃない。」
「本当。そうすれば、亜弥ちゃんも走らなくて済んだのに。」
そう言って不思議そうな顔をしている美貴と真希の服の袖を引っ張るものがある。
下を見てみると、亜弥が2人の制服の袖を握っていた。
「だって…学校にいると皆が寄って来るんだもん。」
2人は顔を見合わせる。
- 185 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/08(日) 20:07
- そして言葉の意味を正確に理解して、そっと微笑む。
「ふふ。そんなに心配しなくても、大丈夫だよ。」
「そうそう。亜弥ちゃんだけの美貴と真希だよ。」
その言葉を聞き、亜弥が俯いていた顔を上げる。
「あはは、そういう所は変わってないね。」
「ホントホント」
そう言って、2人は亜弥の手を握る。
「さ、行きましょか?」
「お姫様?」
笑顔で話し掛ける2人。
少し照れたような顔の亜弥。
それは、亜弥が3年間ずっと描いていた空想。
でも今は目の前にある光景。
- 186 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/08(日) 20:09
-
―――ずっと続きますように―――
亜弥の切なる願い……。
- 187 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/08(日) 20:10
-
- 188 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/08(日) 20:10
-
- 189 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/08(日) 20:11
- トントントントン。
リズミカルな包丁の音が台所に鳴り響く。
コトコトコト。
味噌汁の入った鍋が煮立ち始めている。
料理している母親の後ろでは、父が新聞を読んでいる。
慌しくも平和な朝の風景。
そこに現れる人物。
「おはようございまーす。」
「あら、亜弥ちゃん。おはよう。早いのね。」
「はい。真希ちゃんと美貴たんは寝ているんですか?」
「そうなのよ。2人とも起こすまで寝てるのよ。」
「そうですか。ちょっと部屋に上がって良いですか?」
「ええ、出来たらそのままたたき起こしてくれると助かるけど。」
「はい。お邪魔します。」
ここは、後藤の家だが、幼馴染であるため、親とも面識があり家の構造も知っている。
階段を上って真希の部屋のドアを開ける。そこに2段ベッドがあり、下には真希
上には美貴が眠っていた。
- 190 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/08(日) 20:12
- 美貴の家は松浦の家の隣にあるのだが、急に美貴だけ戻ってきたため、家の掃除も出来てなく、
また、不在勝ちな亜弥の家で美貴の面倒を見るのもなんだからということで、真希の家に
一時的に世話になっているのだ。
亜弥は起こしても起きることが稀な真希を放っておいて、美貴の寝る上のベットに上る。
「美貴たん。朝だよ〜みーきたん。」
「…ん?…あ…やちゃん?」
「おはよう。美貴たん。」
亜弥が声を掛けると美貴はすぐに目を覚ました。真希であれば、まずこの程度では起きない。
「おはよう…どうしたの?こんな朝早く。」
「うん、今日からバレーボール大会に向けて、クラスで朝練をすることになったの。」
先日の体育の時間に亜弥の活躍により、優勝候補である隣のクラスとラリーを続けることが
出来たことが自信に繋がったらしく、朝錬で特訓をすることになったのだ。
当然美貴はその日の内に亜弥の活躍については、本人から嫌というほど聞かされていた。
- 191 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/08(日) 20:15
-
「そうなんだ。じゃあ、これでもっと打ち解けられるかもね。」
「うん。チャンスだと思うから、参加するつもりなの。でね……。」
亜弥がそこで言葉を区切る。
「何?どうしたの?」
「で…でね?」
「だから、何?」
亜弥は顔を赤くしたまま、中々話せないでいる。
美貴は寝起きで頭が働かないこともあり、不思議そうに亜弥を見つめている。
「ぉ、ぉ…ぃしてほしいの……」
「え?なんて…?」
「だ、だから、おまじないを……して、ほしいの…。」
亜弥は真っ赤になって顔を逸らしている。
美貴は少しだけ驚いたが、すぐに軽く微笑むと亜弥を抱き寄せる。
- 192 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/08(日) 20:16
- 「亜弥ちゃんは可愛い。誰よりも可愛い。亜弥ちゃんの笑顔が美貴は大好き。」
そして、亜弥の額に軽いキスをする。
「何があっても美貴は、亜弥ちゃんの味方だよ。」
「へへへへ。」
亜弥は額を押さえて嬉しそうに微笑む。
「ふふ。しょうがないね。亜弥ちゃんが復活するまで、毎日してあげるよ。」
「本当?」
「うん。だから、頑張ってね。」
「うん。じゃあ、行ってきます。」
「はい、行ってらっしゃい。」
亜弥は嬉しくてたまらないといった風に部屋を出て行く。
美貴もその姿を嬉しそうに見送る。そして、
「さて、美貴はもう一眠り…」
アクビをして、布団に再び入ってしまう。
結局後藤の母親が呆れ顔で起こしにくるまで2人が目を覚ますことはなかった。
- 193 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/08(日) 20:17
-
亜弥は後藤の家を出ると、電車に乗り、学校へ一直線。
エネルギー満タンで教室に乗り込む。
一気に教室のドアを開ける。
昨日は重く感じた、ドアが、空気が、今日は軽い。
教室には既に数人の生徒がいた。
「おはよう!」
「お、おはよう…」
入り口にいた生徒が勢いに押されて、思わず返事を返す。
それほどに、今日の亜弥には勢いがあった。
亜弥はそのまま、道具を自分の席に置いて体操服に着替え始める。
そして、そこで初めて気付く。
『あれ?今日は返事があったな…』
美貴のおまじないが嬉しくて、そのままの勢いで教室に入ってきたため、気付かなかったのだ。
そして、それは幸運なタイミングだった。
- 194 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/08(日) 20:18
-
クラスメート達は昨日の亜弥の活躍により、亜弥に対するイメージを少し変えていた。
そこに加えて亜弥は満面の笑みで――亜弥自身は気付いていなかったが――教室に入ってきた。
更に、勢いに押されて生徒の一人が返事をしていた。その結果………
「そろそろ行こう。」
生徒の一人が声を掛けて、教室を出て行く。
亜弥一人に声を掛けたのではない。全員に声を掛けた様子だった。
だが、その全員に少しだけ、亜弥が混ざっている感じだった。
微妙な感じ。だが、勝手に解釈する。自分も少しだけ含まれていると。
だから、今日最初の勇気を出す。
おまじないが頭の中に響く。
「あたし達も行こう?」
亜弥は残っている生徒に、出来る限り明るい声で話し掛けて出て行く。
- 195 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/08(日) 20:20
-
返事は、あえて聞かない。
今は答えが大事なんじゃない。
自分から話し掛けることが大事なんだ。
集合場所へ向かう亜弥の足取りは軽かった。
- 196 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/02/08(日) 20:29
-
更新しました。
自分で区切っておいて、今回はなんだか区切りかたに
納得していなかったりします(汗
レスありがとうございます。
>>181 22歳の私様
作者は根性なしなので、そのような温かい言葉をもらうと、怠(ry
この更新速度は維持していきたいと思います。
- 197 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/10(火) 07:55
- あやみきもいいけど影の薄くなった吉澤さんに期待してます。
- 198 名前:川VvV从 投稿日:川VvV从
- 川VvV从
- 199 名前:ゆうぴ 投稿日:2004/02/10(火) 19:56
- 間違えて、投稿してしまいました。
2月10日19:45に削除依頼をさせていただいています。
ご迷惑をおかけして、申し訳ありません。
- 200 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/11(水) 22:33
- 転校生が来てから約2週間。
亜弥ちゃんと接触するのかと思えば、この転校生――後藤真希――は、休み時間に寝てばかりいる。
「ごっち〜ん、昼ご飯食べないの?」
「んー、昨日徹夜して眠いから…寝かせて…」
全く起きる気はないらしい。
それならば。
「ごっちん、ちょっと他の所行ってるから。」
「行ってらっしゃーい。」
寝ている真希をそのままに吉澤は教室を出る。目指すは松浦のクラス。
『久しぶりだな〜。なんか緊張するなー。今日から、また亜弥ちゃんの教室参りだ。』
少ししか経っていないはずなのに、なぜか新鮮に感じる1年生の教室。
目的のクラスに到着すると早速亜弥の姿を探す。しかし――、
- 201 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/11(水) 22:34
- 「いないなー。どこ行ったんだろう。」
亜弥の姿を探して教室の入り口でキョロキョロしていると、それに気付いた生徒が
話し掛けてくる。
「吉澤先輩久しぶりですね。松浦さんのところですか?」
「え?あ、ああ、うん。松浦はどこに行ったのかな?」
全く覚えのない顔だが、亜弥の行方を知っているかもしれないので、そのまま話してみる。
「最近いつも松浦さんは昼休みはいないんですよ。でも、多分もうすぐ帰ってきますよ。」
「そうなんだ…。」
なんだろう…。
何か違和感を感じる。
何かが違う。
「どうしたんですか?」
教室の中を見たまま、ボーっとしている吉澤を不審に思い、その生徒が声を掛ける。
- 202 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/11(水) 22:35
- 「い、いや、なんでもない。ありがとう。教えてくれて。」
「いいえ、どういたしまして。」
その生徒はもっと吉澤と話したいのか、そのまま側にいるが、気付かずに考え込む。
なんだろう…、この違和感は…。
教室に来て…、亜弥ちゃんがいなくて…、クラスメートに聞いて……。
引っかかる。
クラスメートに聞いて?
おかしい。亜弥ちゃんは確か孤立していた。だからクラスメートの口から亜弥ちゃんの
話が出てきたことはなかった。なのに今日は聞いてもいないのに向こうから…。
もう一度教室内を見回す。
何も変わっているようには見えない。
雰囲気も。顔ぶれも。
『何も変わっていない……はず。』
教室を隈なく見ていると、後ろから声が掛けられる。
- 203 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/11(水) 22:36
-
「吉澤先輩?どうしたんですか?入り口に立ち尽くして。」
「え?」
どこか聞き覚えのある声に振り向くと、そこには探していたはずの亜弥がいた。
「亜弥ちゃん?」
「なんか久しぶりですね。教室に来るの。」
「そうだね。」
亜弥の声であり、亜弥の声ではなかった。
少なくとも自分が聞いていた声とは違う。
2週間かそこらでは忘れるわけがない。
自分が聞いていた声はもう少しだけ低い声だった。
だが――――
「今日も勧誘ですか?」
「え?いや、勧誘というわけでは…」
「そうですか。すいません。次の授業、移動なんでもう行かないとなんです。」
「そ、そう?じゃあ、またね。」
「ハイ。すいません。」
- 204 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/11(水) 22:37
- 亜弥はにっこり笑うと自分の席に戻っていった。
吉澤はその様子を呆然と見ていた。
―――笑ってる――――
今まで自分が話したことに対して、相槌代わりに微笑んでいることはあったが、
自ら、会話の中で笑っているのは初めて見た。
本当の笑顔じゃないのは分かる。2人で出かけた時に見た笑顔とは明らかに違う。
あの笑顔は作り物だ。
でも、もう一つ分かることがある。
表情、話し方、雰囲気。
全て変わった。いや、変わり始めている。変わろうとしている。
今はあの表情は演技だが、近いうちに本物になる。
何があったのか。何が彼女を変えたのか。
今の彼女には、かつて感じた儚さがなくなりつつある気がする。
吉澤に挨拶した後、亜弥は席について、次の授業の道具を揃えている。
その亜弥に話し掛ける生徒は見当たらない。これは以前から見ていた風景。
- 205 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/11(水) 22:38
-
でも、感じる。
亜弥を覆っている雰囲気。
教室の雰囲気。
まだぎこちなさのようなものが感じられるが、以前のようにお互いを
拒絶している雰囲気がなくなっている。
自分が会わなくなってから、2週間前後くらいだ。そう簡単に人は変わらない。
ここ2週間前後で思いつく変化といえば、やはりあの転校生――後藤真希――だ。
今まで、地雷を踏まないように彼女の私的なことを聞いたりしなかった。
だが………。
もう、迷っている場合ではない。
クラスメートと笑顔で会話している亜弥を視界に入れつつ自分の教室へ戻っていった。
寝こけている転校生と話をするために。
- 206 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/11(水) 22:40
-
吉澤が教室に戻っても、真希はまだ寝ていた。
決心を固めた吉澤はもう、躊躇しない。
「ごっちん、ごっちん。そろそろ起きなよ。」
「ん…あ…?」
「もう、寝すぎだよ。」
「ふぁ〜あ〜」
大きく伸びをして、目をこする。
「ごっち…」
「そう言えばさー、よっすぃの部活って何人くらい部員いるの?」
真希が目を覚ましたのを確認して話し掛けようとしたら、逆に聞かれてしまった。
「え…?そ、そうだね1年から3年まで全部で130人くらいかな?」
「そっか〜、やっぱり結構いるねー。」
「何?ごっちんバレー部に入る?」
- 207 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/11(水) 22:41
-
真希が自ら話題を振ってくれた。過去の話を聞くにはちょうどいい話題だ。
「ううん、私は入らないけど、知っている子が入るつもりらしいから。」
「本当?誰?」
「うん、私と一緒の時期に転校してきたからまだ入ってなくて。隣のクラスなんだけど。」
忘れてた。転校生は2人いたんだった。
まさか……。
「そ、その転校生と知り合いなの?」
「うん。その子も前はこっちに住んでたし。幼馴染っていえるかな?」
「そ、その子はバレーをやってたの?」
「うん、それなりに出来たよ。隣のクラスだから今から行ってみる?
ちょっと時間ないけど。」
「う、うん。」
真希の提案で隣のクラスを覗きに行く。
教室の前のドアから覗いてみる。
「どこにいるの?」
「うーん、真ん中らへんの一番後ろなんだけど、いないね。」
- 208 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/11(水) 22:42
-
しばらくキョロキョロしていたが、見当たらない様子だ。
そこでクラスの子を捕まえて聞いてみる。
「ねえ、あそこの席の子知らない?」
「え?さあ?最近は、いつも昼休みは姿が見えないけど…。」
「そう、ありがとう。」
そして、吉澤のほうを振り向く。
「いないみたい。しょうがない。多分自分から行くと思うし、いいか…」
「うん…」
嫌な予感だけが徐々にしてくる。
真希と一緒にきた転校生。
真希と同じく前はこっちに住んでいた。
バレーもしていた。
昼休みにいなくなる亜弥。
昼休みにいなくなる転校生。
そして変わり始めた亜弥。
- 209 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/11(水) 22:43
-
当たってほしくない。
外れてほしい自分の想像。
胸騒ぎだけが大きくなる。
- 210 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/11(水) 22:44
-
次の日の昼休みに、こっそりと隣のクラスを覗いてみる。
『あ、あの子だ。』
昨日真希が指差していた席に、目つきの鋭い子が座っている。
クラスメート数人に囲まれて楽しそうに話をしている。
転校してきて数日で完全に打ち解けている様子だ。
すると、突然その輪を抜け出して、一人教室を出て行き、階段を降りていく。
『行き先は多分………。それにしても……』
顔立ちは整っている――どころか自分よりも上かもしれない。
問題はそこではなく、その転校生の顔にどこか見覚えがあったのだ。
しかし、吉澤は高校1年時に、この学園に入ってきており、当然面識などない。
首を傾げながらも転校生の後をつけていく。
しかし、転校生は1年の教室には向かわずに、職員室に入っていく。
そして、そのまま出て来ない。
- 211 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/11(水) 22:45
-
『うちの考えすぎかな…。』
全く職員室から出て来ない様子から、亜弥と会っているのではないかという懸念が
多少払拭される。
『ん?そうだ。』
転校生は出て来ないし、真希は相変わらず昼休みに寝ているのだから…。
吉澤は踵を返して、職員室を離れて1年生のクラスに向かう。
そして、教室の中を覗き込むと――――いた。
「亜弥ちゃーん。」
「あ、吉澤先輩。なんか教室の中で会うの久しぶりですね。」
亜弥の表情には笑顔が見える。
「亜弥ちゃん、バレー部に入らない?」
「ええ!?なんか久しぶりに勧誘されましたね。」
「そうかな?」
「そうですよ〜。何時も関係ない話をして帰っていってましたから…。」
- 212 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/11(水) 22:46
-
会話が…いや、空気が軽い。
「それは、亜弥ちゃんが可愛いから、亜弥ちゃんの顔を見てると、つい勧誘を忘れちゃうんだよ。」
「またまた」
「本当だよ〜。」
亜弥の顔が少し赤くなるのを見て、少しホッとする。
まだ、自分の言葉は彼女に届く。
だが―――
「吉澤先輩、なんか久しぶりですねー。」
「私達も混ぜてくださいよー。」
今までにはなかったこと。
2人の会話にクラスメートが加わってくる。
「最近吉澤先輩が来ないから松浦さんと心配していたんですよー。」
「本当。いつも松浦さん目当てで来てたのにー。」
「うん、ちょっと色々と忙しくてね。」
- 213 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/11(水) 22:47
-
不思議でしょうがない。
亜弥は、ほんの少し前まではクラスで孤立していたのに。
まだ、亜弥とクラスメートとの間には、遠慮が感じられる。
だが、明らかにお互いのエリアに入り込んでいる。
それが不思議だった。
それが分からなかった。
だからイライラした。
なんで?亜弥ちゃん。
目の前に亜弥がいるのに、頭の中の幻影の亜弥に話し掛ける。
自分の前で泣いていた、以前の亜弥に。
- 214 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/11(水) 22:48
-
キーンコーンカーンコーン。
予鈴が鳴る。
「あっと、もう行かなくちゃ。」
「えー、もう?」
「もう、吉澤先輩、また来てくださいね。」
「うん、また来るよ。」
亜弥はニコニコして話を聞いているだけ。
彼女達の会話は交わらない。
うちは早々に教室を出る。
そして、自分の教室へ向かう途中に隣のクラスを覗いてみる。
転校生は既に戻っているようだ。
違和感と疎外感が胸に去来する。
自分の知らないところで何かが動いている気がする。
- 215 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/02/11(水) 22:59
- 更新しました。
話の雰囲気が安定してなくて申し訳ないっす。
流れは大筋決まっているのですが、そこに行くまでの
エピソードで少し煮詰まっていたりします。(泣
レスありがとうございます。
>>197 名無し飼育様
今回はどうでしたか?一応今回の吉澤さんの出番は決まっていたので、
ちょうどレスにお答えする形となりました。引き続きよろしくお願いします。
- 216 名前:26 投稿日:2004/02/12(木) 00:13
- 更新、お疲れ様でした。
吉澤さんが久しぶりの登場でしたね。ホッとひと安心w
すっかりごまっとうに流れていたところで、またちょっと緊張感が出て来たような
気がします。
松浦さんが変わり始めて来たのが手に取るように分かって、吉澤さんはこれからどう
動くのか・・この人も過去に何かありそうで謎なんですが・・
次回も楽しみです。
- 217 名前:名無し読者 投稿日:2004/02/16(月) 02:26
- 作者さまおつかれさまです。何だか色々なことが起こりそうな
予感に胸を躍らせつつ、マッタリと更新待ってます!
頑張って下さい!
- 218 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/20(金) 23:32
- 「ごちそうさまでした〜」
「お粗末さまでした。」
ここは後藤の家であるが、食卓には亜弥、美貴、真希の3人が並んでいる。
帰りが遅い亜弥の家の代わりに後藤の家が夕飯を作ってくれているのだ。
そして、食べ終わると当然のように3人とも真希の部屋に行く。
「真希ちゃんの部屋もだいぶ片付いたね。」
「うん。いい加減綺麗にしないとだし。美貴の荷物も運び出したし。」
「そう言えば、美貴たんの家族は何時頃こっちに戻ってくるの?」
「う〜ん、分からない。転勤願いは出しているみたいだけど。何時になるか…。」
「それまでは真希ちゃんの家に住むの?」
「ううん。さすがにずっとお世話になるわけにはいかないから、来週からは自分の家に
一人で住むつもり。」
「ええ!?一人で?物騒だよ…。」
「うん…分かってはいるんだけど、来週からは部活で遅くなったりするし。」
「でもますます危な……え?部活?」
それまで壁に寄りかかって話していた亜弥が思わず身を乗り出す。
- 219 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/20(金) 23:34
-
「うん。明日入部してこようかと思ってる。」
「何に入るの?」
亜弥が当然の疑問を口にする。
しかし、美貴は亜弥の足元を見たまま口をつぐんでいる。
「真希ちゃん?」
何か聞いてないかと、真希に質問の矛先を変える。
すると真希が美貴に声をかける。
「美貴が自分で決めたことなんでしょ?だったら良いじゃない。」
真希は既に知っているようで、話すように促す。
「美貴たん?」
亜弥がもう一度促す。
それを聞き、美貴が亜弥の目を見据える。
- 220 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/20(金) 23:36
-
「美貴ね………バレー部に入ることにしたの。」
「……………」
亜弥は驚きのあまり声が出ない。
だって、美貴たんもうバレーが出来ないのに。出来ないことが分かってあんな顔をしてたのに。
あたしのせいで夢を無くしたのに。新しいことを探すっていってたのに。
亜弥の頭の中に様々な思いが駆け巡る。
亜弥の顔から表情が消える。
本人が何と言おうと、美貴からバレーの夢を奪ってしまったことは亜弥の心に暗い影を落としていた。
「亜弥ちゃん、違うの。そうじゃないの。選手として入るんじゃないの。」
亜弥の表情から、何を考えているか読み取った美貴が慌てて否定する。
「え?」
選手以外に何があるのだろうか。まさかマネジャーとして?
- 221 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/20(金) 23:38
-
「美貴はね、トレーナーを目指そうと思うの。」
「トレーナー?あの…コーチみたいな人?」
「うん、まあ、そんなもの。選手のコンディションのケアをしたりするの。」
「コンディションのケア……。」
「そう。トレーニングのメニューを組んだり。」
亜弥の表情からトレーナーについて大雑把に把握したらしいことを確認し、話を続ける。
「美貴も色々考えてた。退院した後に。選手としてはもう駄目だけど、美貴は
やっぱりバレーが好きだから。新しいことを始めようとも考えた。でも美貴は
バレーに関われなくなることに納得が出来なかった。ただの観客じゃ嫌だった。
だから違う方法でバレーに関わろうと思ったの。………ほら、選手としてプロを
目指しても狭き門だし。プロになれたとしても、美貴ん家はあまりお金ないから
プロスポーツ選手みたいな不安定な職業じゃ引退した後不安だし。それに親も
許してくれないかもしれないし。だけどトレーナーとしてなら、年を取っても
現役でいられるしね。一生大好きなバレーに関わっていけるし。」
美貴は一気に話をし、曖昧な笑顔を浮かべた。
- 222 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/20(金) 23:39
-
亜弥は暗い気持ちで聞いている。本当にバレーが好きな、美貴の道を断ったのは自分だ。
本当は選手として頑張っていきたかったに違いない。
顔が自然と下を向いてしまう。しかし、その亜弥の膝に手が乗せられる。
真希である。そして亜弥に話し掛ける。
「亜弥ちゃん。美貴は本当に選手としてバレーが出来ないことは気にしてないよ。美貴は
きっともう、そんなに弱くないよ。逆に亜弥ちゃんに感謝しているんだよ。」
「感謝?」
真希の言葉の真意が分からずに、真希と美貴の顔を交互に見る。
「確かに選手として出来なくなってしまったのは、残念かもしれない。でも美貴は違う道を
見つけたんだ。亜弥ちゃんのおかげで。」
「……あたしの…おかげ…?」
亜弥は目で全然分からないと真希に訴える。
- 223 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/20(金) 23:41
-
「そう。昔、亜弥ちゃんがバレーを始めた時に、根気良く教えてくれたのは美貴でしょう?」
「……うん…。」
「あの時ね、美貴は私にだけ話してくれていたの。亜弥ちゃんに教えるのは楽しいって。
自分がうまくなっていくことより、教えた人がうまくなっていくことが本当に嬉しいって。」
真希が亜弥の手を両手で包み込む。
「美貴は亜弥ちゃんに気付かせてもらったんだよ。自分は人に教えることができるって。人に
教えて、その人が育っていくことが楽しいって。あのことがあったから……選手として
出来なくなったからこそ、目指せる道。自分の好きなことが仕事になるんだ。」
真希と美貴の視線が交差する。それは、何も言わなくても通じるアイコンタクト。
自分の考えを一部の隙もなく理解してくれる。親友という枠では、括りたくない関係。
だから、足りない言葉を満たしてくれた真希に感謝して、美貴が引き受ける。
「美貴は執念深いんだ。選手としてはバレーに振られちゃったけど、違う方法でなら、また
バレーを同じ思いで好きでいられる。それに、美貴の新たな才能を見つけちゃったしね。」
- 224 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/20(金) 23:42
-
亜弥は美貴の目を見る。
そして、安心する。
その目には一点の曇りもなかった。
そして、感謝する。
真希に。
美貴だけの言葉では自分はきっと暗い気分で聞いて、そのまま後悔だけしていただろう。
真希がいれば……いや、3人でいれば間違えない。自分達はきっと道を間違えない。
もう2度と。
- 225 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/20(金) 23:43
-
- 226 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/20(金) 23:44
-
「なーんか、のど渇いちゃったな。」
美貴は自分が熱い話をしてしまって、照れくさくなったのか、わざとらしく喉を
押さえて話す。
「ちょっと下でなんか飲んでくる。」
そう言って美貴は部屋から出て行った。
部屋には亜弥と真希が残される。
しかし、なぜか会話がない。
いつもは微笑みを浮かべている真希が、珍しく僅かに眉を寄せて、険しい顔をしている。
- 227 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/20(金) 23:45
-
何故真希がそんな顔をしているのか分からない亜弥は黙って様子を伺っている。
すると真希が詰問するような口調で話し出す。
「亜弥ちゃん。私達が気にするなって言ったのに、美貴がバレー出来なくなったことを
気にしていたでしょ。」
「え?」
心の中を言い当てられて、うろたえる亜弥。
そんな亜弥を見てため息をつく。
「亜弥ちゃん、気にするなって言うのは、無理なのかもしれないけど、美貴はもう
新しい道を見つけて歩き始めたんだよ?それなのに亜弥ちゃんの方が引きずる
のは、変だよ。」
「…………」
分かってる。
分かってはいるんだけど、どうしても病院で呆然としていた美貴の顔が思い出されてしまう。
- 228 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/20(金) 23:45
-
「納得していないみたいだね。……まあ、亜弥ちゃんも、美貴が部活に入ったら一度
見に行ってみれば?美貴がどんな表情で部活しているか。そうすれば納得すると
思うよ。」
それを聞き、亜弥が頷く。
自分の目で見れば、美貴が本当に望んでやっているか分かる。
先程の美貴の目が本物であったかが分かる。
- 229 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/20(金) 23:46
-
ようやく一応の結論を出したところで、亜弥の雰囲気が明るくなる。
「そう言えば、真希ちゃんは何の部活に入るか決めたの?」
「うん。」
真希も亜弥に先程までの暗い雰囲気がなくなったことに安心して、何時もの表情に
戻って答える。
「何?文化部?」
「ううん。実はもう入部しちゃったんだけど…。」
「うんうん。」
「少林寺拳法部に。」
「ハイ?」
「いや、だから少林寺……。」
「……は?」
再び固まる亜弥。
まあ、当然だろう。
- 230 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/20(金) 23:47
-
「え、え〜と、あの、アチョ―とか、坊主頭の…?」
「え?うーん、少しだけ当たってる。でも坊主頭とか、テレビでやってるやつとは違うよ?」
「そ、そうなの?」
「うん。まあ、簡単に言うと空手と合気道を足した感じ。ちょっと違うけど。」
「へ〜、ってちがう!」
「え?」
突然叫びだす亜弥に、戸惑う真希。
当然だ。
「何それ!?…じゃなかった、なんで?なんでそんな何とか拳法なの?」
「いや、何とかじゃなくて少林寺拳法…」
「名前なんてどうでもいいの!」
「ハイ…。」
珍しく亜弥が真希を叱り付ける。
- 231 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/20(金) 23:48
-
「なんで?真希ちゃんは女の子なんだよ……なんで格闘技みたいなやつをやるの!?
やっぱりあたしのせい?あの時のことのせいなの?」
亜弥の声に悲痛なものが混じる。
だが、真希は予想していたのか慌てる様子はなく、寧ろ予想通りといった雰囲気だ。
「ふふ、多分亜弥ちゃんはそう言うと思った。でもね、違うよ。始めはそうだったかも
しれないけど。純粋に今はやりたくてしょうがないんだ。」
「…………」
話が見えないため、亜弥は黙っている。
真希は亜弥の手を取り、落ち着かせるように自分の手で包み込む。
「私の目……角膜提供者が現れて見えるようになったってのは、前に話したよね?」
亜弥は黙って頷く。
「それでね、目が見えるようになるまで、なるべく外に出ないように、身体も動かさないように
してたんだ。1年くらい。そしたらね………。」
- 232 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/20(金) 23:49
-
一瞬亜弥をチラッと見る。
亜弥も思わず身を乗り出す。
「太っちゃってね〜、いやー、まいったまいった。」
「は?」
真希はまいったまいったを繰り返しながら自分の額をピシャピシャと叩いている。
あまりの展開についていけていない亜弥。
「それでね、ダイエットとリハビリ代わりに、ボクササイズ始めたんだ。痩せると思って。
そしたら、はまっちゃってね。しかも才能があったらしくてね、ライセンスを持ってる人と
戦りあえるくらいになっちゃって。」
「はあ…。」
亜弥がため息とも相槌とも取れる返事をする。
- 233 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/20(金) 23:50
-
「それでね、俄然格闘技に興味が湧いちゃって。ボクシングだと、女と男で如実に違うから、
それが悔しくてね。他に対等にできるやつが無いかなって思って。空手も同じだし。
合気道は実戦で使えるレベルになるには時間がかかるし。なら、両方できる少林寺憲法
かなって思って。」
「かなって……それでもう入っちゃったの?」
「うん。だって東京にいる時に既に初段取っちゃったし。」
「は?」
「だから今度は2段を目指そうと思って。」
「…………。」
「あ、亜弥ちゃん、今呆れてたでしょ!女の子なのにって…。」
真希が冗談めかして軽く睨んでくるが、亜弥はそれを少しだけ見た後に大きくため息をつく。
真希を見ると、今度はニコニコして亜弥を見ている。ただ、目は笑っていない。
亜弥はもう一度ため息をつく。今度は真希には気付かれないように。
- 234 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/20(金) 23:51
-
男相手でも…実戦でも…
真希の言葉の裏に隠れていることを正確に理解する。
色々な言葉が浮かんでは消え、消えては浮かんで。
だが、真希の笑わない目が亜弥にその言葉を発することを許さない。
だから、自分達だけに分かる質問で、真希に答える。
「素手なんだ。」
一言だけで質問する。
他の人には、分からない。
当事者である亜弥達3人にのみ通じる言葉。
そして、この質問により亜弥は真希に対して、美貴に対してしたような質問を
浴びせることはしないという意思表示をする。
「道具は重たいからね。」
真希も一言で答える
2人とも言葉が足りなすぎるくらい簡潔なやりとり。
その簡潔すぎる言葉の裏に、その数倍の量の会話を潜ませる。
- 235 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/20(金) 23:52
-
2人とも俯いたまま、会話はない。
だが、2人の頭には同じ言葉が浮かぶ。
謝罪の言葉が。
亜弥は思う―――申し訳ないと。
真希は思う―――また、亜弥を追い詰めてしまうと。
だが、2人とも分かっている。
それは違うと。
謝罪の言葉は、この場には必要ない…いや、寧ろ在ってはならない。
そうでないと自分達は過去に囚われたまま動けなくなる。
- 236 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/20(金) 23:52
-
2人の目が合う。
動かない。
動けない。
だから、言葉を発さずに、この空気を壊さないように。
微笑む。
3年前には存在しなかったもの。
3年の間に生まれてしまったもの。
亜弥の悲しい笑顔。
- 237 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/20(金) 23:53
-
それは真希の望んでいなかった笑顔。
亜弥にこんな顔をさせないために。
亜弥の明るい笑顔を守るために始めたのに。
自分は間違っているのだろうか。
自分の想いは独り善がりなものなのだろうか。
亜弥を傷つけているだけなのだろうか。
真希も何も言葉を発さない。
亜弥の目が少しだけ潤んでくる。
だが、真希は動けない。亜弥の涙を止めるために戻ってきたはずなのに。
亜弥の目から一粒の涙が零れ落ちる。
真希は、頬を伝うそれを指でふき取り、そのまま亜弥の頬に手をあてる。
どう言えば自分の考えが伝わるのか。
どうすれば自分の思いは分かってもらえるのか。
答えを求めるように真希の身体が亜弥に寄せられる。
亜弥の顔が真希の胸に包まれる。
- 238 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/20(金) 23:55
-
「ま…きちゃん…?」
真希は答えずにそのまま黙って抱きしめつづける。
そのまま2人とも動かない。
ドアが音もなく開く。
「え?」
先程下に飲み物を飲みに行った美貴が戻ってきたのだ。
真希が慌てて、離れる。
――やましいことはないのに…。
いつもの光景のはずなのに……。
気のせいか真希の鼓動のリズムが早くなっている気がする。
『美貴の亜弥ちゃんに何してるの〜?』
いつもであれば速攻で飛んでくる言葉が何故か聞こえてこない。
部屋には何時もと違う空気が流れる。
気まずいような、重苦しい空気が。
- 239 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/20(金) 23:55
-
そして気付く。昔は、いつも亜弥から抱きついてきていたのだ。
美貴や真希から抱き寄せることはなかった。だから、美貴の反応も違うのだ。
ならば……
「もう、美貴はー、私も亜弥を甘やかす役をやりたかったのに…良い所で
邪魔しに来るんだもんなー。」
『これでいいんでしょ?美貴?』
軽い笑いを浮かべて話し掛ける。
「あ、当たり前でしょー、それは美貴の役目だよ。」
美貴にもようやく笑顔が戻る。
一瞬2人の視線が交錯する。
「美貴の役が無くなっちゃうよ〜。」
「あはは、ごめんごめん。」
部屋の空気も元通り軽くなる。
- 240 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/20(金) 23:56
-
「じゃあ、亜弥ちゃんのことは美貴に任せて、私はお風呂に入ってくるね。」
「うん、行ってらっしゃーい。」
美貴の能天気な声が部屋に響く。
真希は階段を降りて風呂場へ向かう。勢い良く服を脱ぎバスタブに浸かる。
真希は物憂げに湯船の水面を見つめる。
何時まで過去に囚われているのだろう。
亜弥は…そして自分は。
時間は確実に流れている。
自分達の関係も少しずつ変わり始めているように感じる。
いつまで3人でいられるのだろう……。
そして、何時自分達は開放されるのだろう。
- 241 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/21(土) 00:08
- 更新しました。
突然更新が滞ってしまって自分でもビックリです。
やはりストックを全部消してしまったのが……。
うーん、消す前のほうが全然良かっ(ry
レスありがとうございます。
>>216 26様
吉澤さんはメインの一人……のつもりです。
今回全く出てきていませんが(苦笑
なぜか緊張感を出すのに吉澤さんは便利だったり。
>>217 名無し読者様
嵐の前の……まあ、今回も少し木枯らしくらいはきてますが(笑
えー、今週来週は週1回の更新となりそうです。
早く元のペースに戻せるようにします。
- 242 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/02/21(土) 00:10
- 名前欄間違えた_| ̄|○
- 243 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/21(土) 15:43
- 更新お疲れ様です。
ちょっとあやごまっぽくてよかったなぁ〜
- 244 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/28(土) 00:01
- 丁寧に指にテーピングを巻いていく。
いつもの作業。
吉澤は手馴れた仕草で部活の準備をしている。周囲では練習を始めるために
道具の準備などをしていて、活気に満ち溢れていた。そんな中、一人でゆっくり
準備をしながら、自分の世界に入っていた。
先日会った亜弥は変わりつつあった。
恐らくは自分の知らないところで何かがあったのだろう。
だが、あせらないことにした。
確かに自分よりも亜弥に近しい人物が――恐らくはあの転校生だろうが――いるのは確実だ。
でも、それでも構わない。
その人物が亜弥とどの程度の関係かは分からない。その人に言われれば亜弥は全て無条件に
受け入れてしまうかもしれない。亜弥はその人以外に心を許さないかもしれない。
それでも構わない。それでも超えられないラインというものがある。
- 245 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/28(土) 00:02
- 半分は理屈として、そして半分は…体験して知っている。
自分が同性を好きになったからと言って相手も同じである可能性は低い。
自分とあの子がそうであったように。
幼馴染で、相手の一番の理解者で、お互いが心の支えであったのに。
だから焦らない。あの時のことを無駄にしないためにも。
とにかく、亜弥に何かあった時に、自分が側にいるようにしたい。
卑怯だと言われようが、その心の隙間に入り込めるように。
最初からスマートに彼女が手に入ると考えていない。
だから……その時を待つ。
焦らない。
焦っちゃ駄目だ。
絶対に。
自分に言い聞かせる。
- 246 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/28(土) 00:03
- 「……焦っちゃ…駄目だ。」
最後は自分に暗示をかけるかのように声に出して呟く。
そして靴の紐を結び、準備を終える。
軽くストレッチをしてアップを始める。
心地よい汗をかき、アップが完了した頃になり、顧問が顔を出した。
「吉澤、全員集合させろ。」
「ハイ。しゅうごーう。」
吉澤の声に部員全員が集まる。
「よし、集まったか?今日は新しく部員が追加になった。まあ、部員といっても
マネージャー兼トレーナーだけどな。」
「マネージャー兼トレーナー…?」
部員が首を傾げる。
当然である。マネージャーはもう充分いる。しかも、兼トレーナーというのが分からない。
全国区であるこの学園のバレー部には、当然専用のトレーナーがいる。その道の
プロであるトレーナーが。雑用ばかりのマネージャーを兼ねる?
わざわざ…?
- 247 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/28(土) 00:04
- 部員達がざわめき出すと、顧問が声を掛ける。
「おーい、藤本!入ってくれ!」
藤本?吉澤が疑問に思っていると、側に控えていたのか、一人の生徒が入ってくる。
ごっちんの言っていた子だ。以前に昼休みに見に行っていたから、すぐに分かった。
そしてやはりどこかで見たことがあるという印象を持つ。
「藤本美貴といいます。頑張りますのでよろしくお願いします。」
顧問の横に立った藤本は少し緊張している様子ではあったものの、きっちりと
挨拶をしてお辞儀をする。そして顧問がそれを受けて話し出す。
「えー、藤本さんは膝を故障しているため、バレーをすることはできませんが、本人の
強い希望で、マネージャー兼トレーナーとして入ることになりました。」
それを聞き、部員の一人が質問をする。
「えっと、何でトレーナーなんですか?一応このチームには、プロのトレーナーも
いますけど。」
- 248 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/28(土) 00:06
- 皆、同じ疑問を持っていたのか、数人が頷く。
顧問はその質問を予想していたかのように、すぐに話し出す。
「確かに皆が疑問に思うのは最もだ。藤本はトレーナーの経験はない。だが、この藤本は
中学時代、全国中学生選抜のキャプテンをやっていたキャリアがある。当時日本で
一番うまい中学生と言われていた選手だ。同年代だし、プロの、大人のトレーナーでは
気付かない部分までフォローしてくれると思う。だから心配するな!」
顧問の言葉を聞き、周囲が騒然となる。
そんな中、吉澤は藤本をじっと凝視する。
吉澤の頭の中で昔の映像が甦る。
『見たことがある顔なんて、どうかしていた。』
身体が徐々に興奮に包まれる。
「どうした?吉澤?」
顧問が気付いて、吉澤に話し掛けるが、まるで聞こえていない様子だった。
- 249 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/28(土) 00:07
-
「ふ、藤本さん!!」
「は、はい?」
勢い良く目の前に飛び出してきた吉澤に、びっくりして声が少し裏返る。
「握手してください!」
「あ、握手?」
おずおずと手を出すと、その手を吉澤ががっちりと握り締める。
「う、うち、ずっとファンでした!一緒の部活になれて、嬉しいです!」
「は、はぁ…それは、どうも…。」
それを見て、顧問が声を掛ける。
「なんだ、吉澤知っていたのか?」
「知ってるも何も、うちは藤本さんのプレーを見てバレーをやってみたいって
思ったんですよ。今のうちがあるのも、藤本さんのプレーを見たからなんですよ!」
- 250 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/28(土) 00:10
- 記憶が繋がったことにより、次々と、その時の光景が頭の中でフラッシュバックしていく。
満員の体育館。
つんざくような歓声。
コートの中で存在感を誇示する選手達。
そして、その中で点が決まる度に弾けるような笑顔を見せる藤本。
その輝くような笑顔に憧れた。
自分も、あんなふうになりたい。
あの人に近づきたい。
- 251 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/28(土) 00:11
- 嬉しさのあまり、両手で藤本の手を握り締めて、ブンブンと振る。
「あ、でもすいません。美貴は、もうプレーが出来ないんですよ…。」
「あ、そ、そうでしたね。確か交通事故で、膝を痛めたんですよね。」
それを聞き、藤本の瞳が少し揺れる。
「え、あ、うん。雑誌に…出てたんだよね交通事故って。美貴は直接記事を見てないけど。」
美貴の脳裏に理事長――亜弥の父親――の顔が浮かぶ。
それを一瞬で振り払い笑顔を作る。
「まあ、大したことは出来ないかもしれないけど、よろしくお願いします。」
「いえ、こちらこそ、よろしくお願いします。」
- 252 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/02/28(土) 00:12
- それをきっかけに、拍手が起こる。
藤本の経歴が分かり、トレーナーに足る人物であることと、キャプテンである吉澤が
藤本をトレーナーとして認めたことにより、正式に部員達にも認められたのだ。
「よろしくお願いします!」
藤本はそう言って、もう一度深くお辞儀をした。
その顔には、満面の笑みがあった。
吉澤が憧れた笑みが。
そして部員達も皆、好意的な笑みを浮かべていた。
ある一人―――高橋愛―――を除いて。
- 253 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/02/28(土) 00:27
- 更新しました。
内容は関係ないですが、生誕記念にうpするつもりが間に合いませんでした。
一応、推しなのに……。
レスありがとうございます。
>>243 名無飼育様
自分の中では意外な発見なのですが、動かしやすかったです。この2人の組み合わせ。
他の作品のゴマ絡みをほとんど読まないもので。
- 254 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/02(火) 23:23
-
「じゃあね〜」
「サヨナラ」
亜弥は駅前でクラスメート達と別れて、一人ホームに向かった。
最近は、亜弥にも徐々に気軽に話を出来る人が出来てきていた。
ホームに滑り込んできた電車にそのまま乗り込む。
空いている席もあったが、そのままドアのところに立ち、外の景色を眺める。
空は梅雨の雲に覆われていて、今にも雨が降り出しそうな様相を呈している。
何時の間にか梅雨入りしていたんだなー。
空を眺めながらぼんやりと考える。
高校に入学してからは、なんかあっという間に色々なことが起きていたため、
季節を感じている余裕がなかった。
吉澤先輩にバレー部に誘われて、美貴たん達が戻ってきて、クラスメート達と
話ができるようになって。
- 255 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/02(火) 23:24
- でも今自分の周りには2人はいない。2人は部活に入っているため帰りが遅いのだ。
美貴は今真希の家を出て、一人で自分の家に住んでいる。美貴の家族は早くとも
夏休み明けにならないと、こちらに来られないとのことだ。
駅に着いた電車から降りた亜弥はそのまま駅前のスーパーに向かう。
今晩の夕食の材料を買うためだ。慣れた手つきで野菜や調味料を買い込んでいく。
亜弥の家はお手伝いさんが作っておいてくれるため、自分の為に買っているのではない。
隣の一軒家に住んでいる美貴のために買い込んでいるのだ。
今美貴は、たまに夕食を真希の家やコンビニ弁当で済ませているが、ほとんどは
先に帰っている亜弥が作っておいたものを食べている。
亜弥の家で食べればという提案を何故か頑なに断る美貴のために、亜弥が料理を
美貴の家で作るということで美貴を説得したのだ。
スーパーで大量の材料を買い込んだ亜弥はそのまま自分の家には帰らずに、そのまま
美貴の家に向かう。合鍵を取り出し玄関を開けて、材料を台所に運ぶ。そして一息つく間もなく
そのまま風呂場に向かい、積まれている洗濯物を洗濯機に放り込み始める。洗濯機に
あらかた放り込みスイッチを入れると今度は部屋の中に掃除機をかけ始める。
- 256 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/02(火) 23:25
-
「もう、美貴たんはずぼら過ぎる!」
そう言いつつも、テキパキと部屋を綺麗に片付けていく。
美貴は平日は夜遅くまで部活に出ていて、休日も毎週遠征に出かけているために
ほとんど自分で家事が出来ない状態であり、亜弥がいなければ凄まじい状態に
なっている所だ。
肉が大好きな美貴のために生姜焼きを作ろうと、豚肉を取り出す。
美貴が帰ってくるのは9時過ぎなので、あまりコッテリしたものを夜遅くに
食べさせるのは良くないのかもしれないが、美貴の嬉しそうな顔を見てしまうと
ついつい肉系の料理を作ってしまうのだ。
- 257 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/02(火) 23:26
-
「ただいま〜」
亜弥が美貴の家に入って数時間後、美貴が帰ってくる。
「お帰り〜」
わざわざ玄関まで迎えに出て行く。
「美貴たん、お風呂沸いてるよ。先に入る?」
「ううん。亜弥ちゃんもどうせ食べてないんでしょ?先にご飯食べちゃう。」
「そう?じゃあ、うがいして手を洗ってきてね。」
「はーい。」
こういう時のやり取りは、どちらが年上だか分からない。
長女である亜弥と末っ子である美貴の間では、いつも立場が逆転してしまう。
「うわ!おいしそ〜う。」
「でしょでしょ。さ、早く食べよう。」
「いっただきまーす。」
美貴がバレー部に入って約1ヶ月。
一緒にご飯を食べることによって、亜弥と美貴は必ず一日の報告をするようにしている。
- 258 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/02(火) 23:27
-
「どう、美貴たん。部活のほうは。」
「うん、なんとか慣れてきたよ。ようやく部員の顔と名前も一致してきたし。」
「そう、順調だね。」
「うん。皆素直だし、凄いやりやすいよ。」
美貴はそう言って、嬉しそうな表情を浮かべる。
「ねえ、美貴たん。」
「ん?」
「部活、見に行ってもいい?」
「え、どうしたの?急に。」
「うん。頑張ってる美貴たんを見てみたいの。部屋の掃除を全くしないほど
頑張っている美貴たんの姿を。」
痛いところを突かれる。
「う…、ま、まあいいじゃん。代わりに亜弥ちゃんがしてくれているわけだし。
とりあえず、明日辺り見に来る?ちゃんと特等席を用意しておくよ?」
「ふふ、ありがとう。でも特等席じゃなくて良いよ。勝手に見に行くから。」
「そう?」
「うん。」
- 259 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/02(火) 23:28
- 他愛のない会話かもしれないが、一日の最後を美貴との会話で締めくくれるというのは、
嬉しかった。夕食を食べ終わると、2人は揃って亜弥の家に行く。一人で住んでるのに
風呂を沸かしても仕方ないし、かといってシャワーでは疲れが取れないので、亜弥の家の
風呂を借りているのだ。
「ふぅ〜」
美貴は湯船で足を伸ばして、思い切り息を吐く。
そして、先程の会話を思い出す。亜弥が部活を見に来ると言っていた。
亜弥は恐らく体育以外ではバレーに触れようとしないだろう。
このままでは一生バレーをやらないかもしれない。
それは凄く悲しいことだ。自分が好きなものを亜弥が遠ざけていることが。
「よし!」
決意を声に出してみる。
自分が一生懸命やってみせることで、亜弥に示そう。
自分がこんなにもバレーが好きであるということを。
バレーを失っていないということを。
亜弥がバレーを遠ざける理由などないことを。
- 260 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/02(火) 23:29
-
―――――翌日。
吉澤は最近再び復活した亜弥参りをするために亜弥の教室を目指していた。
亜弥に自分より近しい人物――恐らくは藤本と思われる――がいるのは仕方が無い。
でも、何かあった時に頼ってもらえる程度の仲にはなっておく必要があった。
というか恐らく何かが起きたりするはずだ。
自分の直感と体験から心得ている吉澤は、1番手ではなくとも2番手くらいには亜弥には
近しい存在となれるように、以前と同じように毎日昼休みや放課後に亜弥の教室を訪れていた。
ただ、昼休みには亜弥はいない確立が高かったが……。
「亜弥ちゃん、調子はどうだい?そろそろバレーをやってみたくなったんじゃないの?」
今日も吉澤が元気に話し掛ける。
ニコニコとしながら亜弥の席の前を陣取る。
いつもであれば適当に勧誘の言葉をかわしてしまうのだが、今日は少し違う。
- 261 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/02(火) 23:30
-
「うーん、入るわけじゃないんですけど、ちょっと見学してみたいです。」
「え!?マジで!?」
「はい。見学だけですけどね。」
「全っ然構わないよ!何時でもOK!なんなら今から行くかい?」
「いや、今からはちょっと……昼休みですし。」
「おおっと、そうだった。まあ、でもいいや。何時でも大歓迎だから。じゃあ、今日は
放課後に迎えに来るよ。教室で待っててね!」
「いえ、いいですよ。見学だけだし、一人でも行けますよ。」
「何言ってるの。うちがバレーの面白さをたっぷりと教えてあげるよ!」
吉澤のあまりの浮かれっぷりに、最近は会話に参加してきていたクラスメート達も
遠巻きにして2人を見ている。
「はあ、それはありがとうございます。」
「今、うちは絶好調だから、格好いい所を見せてあげるよ。」
「?絶好調なんですか?」
「うん。そりゃあ、もう。なんてったって、うちの憧れだった藤も…。」
危うく口を滑らしそうになり、手で口元を抑える。
- 262 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/02(火) 23:31
-
「…?どうしたんですか?」
「い、いや、なんでもない。」
亜弥に近しい存在がいるのは仕方が無い。
だが、せめて自分といる時は意識を自分に向けて欲しい。
だから出来る限り藤本と後藤の話はしないようにしていた。
「と、とにかく、うちは絶好調だから、見ててよ。」
「はい。」
強引に話を繋げる。
そんなことを話しているうちに、予鈴が鳴る。
「じゃあ、放課後にね。」
「はい。お願いします。」
吉澤は流れを感じていた。
第6感とも言える。
恐らくこれからは亜弥との距離を縮められる。
- 263 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/02(火) 23:32
-
―――放課後
通常通りの練習風景。
バレー部専用の第2体育館。
コートは4面あり、1軍から4軍までがそれぞれ練習している。
1軍2軍には専属トレーナー及びコーチが、付きっきりで指導をしている。
そして3、4軍は各自が基礎練習をしている。1、2軍は3年生が中心。3、4軍は
1、2年生が中心の構成となっている。
体育館は2階部分から見学できるようになっているが、恒例の風景として、
一般の生徒が毎日20人〜30人ほど見学をしている。それは、友達の姿を
見に来るものであったり、憧れの人の姿を見に来るものであったり。
そして、その中に亜弥の姿もあった。
ただ、他の人達からは離れており、逆に目立った位置となってはいたが。
しかし、亜弥のことに気付いているのは、ほんの2〜3人だった。
そして亜弥のほうも周囲の目など全く気にしていなかった。
亜弥の目的はバレー部の見学ではなく、美貴が言葉通りにトレーナーに
打ち込めているかどうかの確認をするために来たのだから。
- 264 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/02(火) 23:33
-
今美貴の周りには3軍の選手達が集まっている。
亜弥の座っているところからでも分かる美貴の真剣な眼差し。
どんな指示があったのかは分からないが、美貴の周囲に集まっていた
選手達が少し離れてトレーニングを始める。そして美貴はその選手達の
様子を一人一人じっくり見て回っている。
美貴がたまに声をかけてトレーニングを修正したりしている。
その度に選手は素直に応じて、微妙に動きが変わったりしている。
美貴と選手達の関係は良好なものに見えた。
そして、美貴の表情にも気合が入っている様子が分かる。
良い意味で緊迫感が練習場を支配しているのが分かる。
時間が6時を回り、一旦休憩となったようだ。
見学の生徒も少しだけ数が減っている。
6時以降はフォーメーションを絡めた練習となるらしく、何人かで
固まってフォーメーションの確認らしきことをしている。
美貴が指導に当たっている3、4軍は完全に休憩しているらしく、皆
思い思いに過ごしているようだ。
- 265 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/02(火) 23:35
- 美貴は数人の生徒に囲まれて楽しそうに話をしている。
『良かった。完全に皆とも打ち解けてるみたい。』
ホッと安心して他を再び全体に目をやってみるとなんだか、休憩時間だというのに
走っている人がいる。しかもどこかで見たことがある。
『あれ?吉澤…先輩?』
吉澤は、なぜか観客席にあたる自分達と同じところにいて、見学していた生徒達に
言い寄られて逃げ回っている。恐らく最初は自分の所に来ようとしていたのだろう。
まあ、見学に来ている生徒の半分程度は吉澤目当てなのだから仕方の無いことだ。
苦笑しながら、コートに目を戻すと、短い休憩も終了になるらしく、少しずつ皆体を
動かし始めている。その中、美貴もコートに戻ろうとしている。
しかし、その後ろから後輩が追いかけてきて美貴の右腕をとる。そして左側の腕も
別の生徒がとり、2人に連行される形で歩いている。
『…よかった。かんぜんにみんなともうちとけてるみたい。』
膝の上に置かれていた手は、いつの間にか握りこぶし。
ついでに全身を細かく振るわせる。
目にも力を込めてみる。
- 266 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/02(火) 23:36
-
吉澤は何とか観客の生徒から開放されたらしく、コートに戻っている。
休憩が終わりフォーメーションの練習が始まる。一つずつ確認し、コーチが流れの
細かい指導などをしている。亜弥も高校ではバレーをやっていないため興味深く
練習を見つめる。この学園がどの程度のレベルかは知らないが、皆うまい。
ボールタッチ。
ボディコントロール。
コンビネーションの流れのタイミング。
練習している選手が皆一定以上のセンスを持っているのが一目で分かる。
しかし、吉澤はその中でも一際目立つ存在だった。今の練習風景を見れば、
なぜ吉澤に人気があるのかが分かる。
練習だというのに、その姿に華がある。
動きが躍動感に溢れている。
そして、自信を持って動いているその姿には、一種のオーラのようなものを感じる。
何時も教室でふざけた顔をした吉澤しか見ていなかった亜弥としては、彼女の
意外な一面を見たような気がした。
- 267 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/02(火) 23:36
-
「ありがとうございました!」
練習が終了したのは、もう辺りは完全に夜となった午後7時30分。
全体での練習はここで終了し、後は各自帰るなり、自主練するなり自由となる。
美貴は選手のトレーナーとして、残って自主練している選手に付き合って残っている。
美貴の周囲には5〜6人の選手が集まっている。
美貴と一緒に帰るつもりである亜弥としては、美貴が終わるまで待つつもりであるため、
他に見学の生徒がいなくなったにも関わらず、一人座ってその光景をなんとなく眺めていた。
すると隣に人の気配がする。
不思議に思って隣を見てみると、吉澤がジャージ姿のまま座っていた。
「亜弥ちゃん、まだ残っていたんだ。どうだった?見学してみて。」
「はい。皆うまいですね。練習だけ見ていても凄いのが分かります。」
「そう?でも最初はみんな初心者だからね、亜弥ちゃんも少しでも面白いと思ったら、
やってみなよ。慣れてくると、かなり楽しいよ。うちは4軍まであるし自分のレベルに
合わせてやっていけると思うよ。」
「そうですね。考えてみます。」
- 268 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/02(火) 23:37
-
亜弥は相槌を打ちつつ、コートに目を戻す。
するとそこには先程の休憩時間と同じ風景が広がっていた。
しかも休憩時間の時に引っ付いていた選手と違う選手だった。
美貴も特に引き剥がそうとすることなく笑顔で話している。
亜弥が笑顔で吉澤のほうを向く。
なぜか少し身を引く吉澤。
なぜかもの凄い眼力を発揮する亜弥。
「……吉澤先輩。」
「は、はい。」
「私、バレー部に仮ですけど、入部してみたいんですけど。」
「は、はい。喜んで…。」
吉澤の返事を聞き、笑顔で頷くとそのままコートに目を戻す。
目が全く笑っていないどころか据わっている。
『え、えーと、良かった…のかな?』
亜弥を入部させようとした吉澤の計画は思わぬ形で実現したようだ。
- 269 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/03/02(火) 23:42
- こっそり更新しましたw
前回と今回は駄文さ加減に磨きがかかっているため恥ずかしいので
sage更新です。
駄文しか書けないくせにスランプに陥っているので、浮かんだらすぐに
更新していこうかと思ってます。
- 270 名前:名無し飼育さん 投稿日:2004/03/05(金) 21:59
- 松浦さんに火がついたみたいですねw
大好きなあの人をとられないように頑張れ〜!
- 271 名前:名無し飼育さん 投稿日:2004/03/07(日) 17:51
- 駄文だなんて全然思わないですけど、
更新してくれるのは凄く嬉しいんで続き楽しみにしてます。
嫉妬する松浦さんキャワイイ〜。
- 272 名前:sage 投稿日:2004/03/07(日) 20:50
- すごく引き込まれる作品でとても気に入ってます。
がんばってください!
- 273 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/07(日) 22:10
- なんか亜弥ちゃんの機嫌が悪い。
最早恒例となった朝のおまじないをしてる時も少し頬を膨らませている。
美貴何かしたかな?
今日もつつがなく授業を終えた美貴は、普段と同じように部活の道具が入った
バッグを肩に担いで体育館に向かう。部活が始まる前に見てあげなきゃいけない
選手とかもいるので、大抵一番乗りで部室に入る。しかし今日に限って他に人がいる。
「あれ?よっすぃ?」
「ああ、みきてぃ早いね。」
「何言ってるの。美貴はいつもこの時間だよ。よっすぃこそどうしたの?いつも
ギリギリにならないと来ないじゃない。」
「え?うん。なんとなくね。」
この1ヶ月で吉澤とも随分仲良くなった。なんか昔から自分のファンであった彼女は
最初は遠慮して藤本さんなんて呼んでいたけど、いつの間にかお互いあだ名で呼び合う
ようになっていた。恐らく彼女が持つ嫌味のない明るさのおかげと、真希とも仲が良い
ためだろう。
- 274 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/07(日) 22:11
- 吉澤は珍しく早く来たためか落ち着き無く部室の中をうろうろしている。
部活の準備は出来ているらしいが、一向にアップを始める様子もない。
「よっすぃどうしたの?アップしないの?」
不思議に思った美貴が声を掛けるが、うんと答えたきり相変わらずうろうろしている。
とりあえずまだ準備が済んでいないため、挙動不審な吉澤のことは放っておいて自分の
準備を始めることにした。
「こんにちは〜。」
そうこうしているうちに次々と部員達がやってくる。次第に部室の中も体育館の中も
活気に溢れてくる。
「藤本先輩、柔軟の相手やってください。」
後輩が柔軟の相手をするようにお願いしてくる。
しかもなぜか一人一人。なぜ頼んでくる人同士でやらないのか。
でも選手の体調やコンディション管理をしている美貴としては、こういうことも
管理の一つと考えているので、快く引き受ける。
- 275 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/07(日) 22:12
-
後輩の背中を押していると、なぜか背中にもの凄く強い視線を感じる。振り返らなくても
自分が見られているのが分かるくらいに。なんだか怖くて振り向けない。
とりあえず気付かない振りをして、そのまま柔軟を続ける。そうしていると、いつの間にか
その視線はなくなっていた。振り向いて見ても特に目立った人はいなかった。
不思議に思いながらも柔軟は終わり後輩達に今日のメニューの説明をする。
ふと見ると1、2軍が集められている。顧問が来たらしい。
しかし少し様子がおかしい。
メニューを話しているのかと思えば、なぜか「おお〜」という声や拍手が聞こえてくる。
またもや不思議に思ったが、もし自分が知らなくてはならないことなら、誰かが教えて
くれるだろうと思い、気にせず続ける。すると1、2軍が散開して練習を始めた。
- 276 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/07(日) 22:14
-
と、そこに見慣れた後ろ姿を見つける。
「あれは……亜弥ちゃん!?」
思わず声が大きくなってしまい、周りの選手達が振り向く。
そして、その気配を感じたのか1、2軍の人たちもこちらを見る。
そして亜弥も。
「なんで…。」
美貴が呆然としていると、亜弥はこちらにまっすぐに歩いてくる。
「今日からバレー部に入りました。松浦亜弥です。よろしくお願いします。」
- 277 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/07(日) 22:15
-
にっこり笑ってお辞儀をする。
3軍の選手達も亜弥に気付く。
学園長の娘である亜弥を知らない人はいない。そして亜弥が文化部の幽霊部員
であり、活動的でないことも有名だ。
「あ、あの松浦さん…バレー部に入ったんですか?」
固まっている美貴の代わりに近くにいた選手が話しかける。
「はい。今日から入りました。一応2軍ていう扱いだそうですけど。」
その答えを聞き、選手も驚く。
当たり前である。このバレー部は毎年全国に名を連ねる強豪である。
その1軍となれば最早エリート集団となっている。そのバレー部に今まで
文化部だった亜弥が入っていきなり2軍という扱いなのだから。
- 278 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/07(日) 22:16
-
すると話していることに気が付いたのか、顧問がやってくる。
「ああ、藤本。今日から松浦さんが入ることになったんでよろしくな。」
「先生、なんで松浦さんは2軍からスタートなんですか?」
亜弥が2軍から始まることに納得がいかなかったのか、先程の選手が顧問に疑問をぶつける。
「やっぱり理事長の娘さんだからですか?」
ストレートに質問をする。
この選手に悪意があるわけではない。逆に、このくらいの強豪チームに所属するからには
その程度の我の強さと自分の意見を持っていないと上には上がれない。
顧問は特に気にもせずに笑顔で答える。
「ああ、松浦さんの経歴を知らないと、そう捉えてしまうかもしれないな。」
「経歴ってなんですか?さっきも気になったんですけど。」
いつの間にか吉澤が顧問の隣に立っていて質問をしている。
- 279 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/07(日) 22:17
-
「うん。松浦さんはな、バレーは始めてではないし。中学時代は、藤本と一緒に全国選抜に
選ばれたことがあるんだ。マスコミも注目するくらい有名でな、当時はもう一人と合わせて
“ごまっとう”とか“3M”とか言われて騒がれていたんだ。藤本の影に隠れ勝ちだったが、
その才能は10年に一人とか言われていた逸材だったんだ。」
その話を皆驚きの表情で聞いている。
地味で無口な理事長の娘が、まさかそんな実力の持ち主だったなんて。
実際亜弥は3年前にバレーを辞めており、活躍していたのは中学に入ってから1年間
だけだったので、そうとう中学バレーに精通していない限り記憶には残らない。
「かじっただけだって聞いてたのに…。」
吉澤が呆然とした表情を浮かべ呟く。
それを耳にした亜弥が吉澤のほうをバツが悪そうな表情で振り向く。
「だって、自分で自分のこと有名だったなんて言うの恥ずかしいじゃないですか。
それに本当に有名だったのは、私じゃなかったですから。」
- 280 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/07(日) 22:18
- そう言って美貴のほうに視線を送る。
それに伴い、皆の注目が亜弥から美貴に変わる。だが、美貴はいまだに驚きから抜け出せずに
固まっている。そして、亜弥はその美貴を視線で捉えたまま、挨拶をする。
「えーと、ブランクが長いので最初は足を引っ張ってしまうかもしれないですけど、
トレーナーさん達とうまく調整して早く取り戻せるように頑張りたいと思います。」
トレーナーの部分に力を込めている。そして、その一言で美貴がようやく動き出す。
「あ、亜弥ちゃん…何で…今朝は何も言ってなかったのに…。」
独り言を呟く。
しかし先程の顧問のごまっとうの話のため、皆沈黙しており美貴の独り言は予想外に
亜弥の元まで届く。
「うん。ビックリさせようと思って。入部も昨日決めたんだけどね。」
「昨日?」
「うん、昨日。」
- 281 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/07(日) 22:19
-
昨日といえば確か自分の部活の姿を見学しに来た日だ。
そして亜弥は今日は朝から機嫌が悪かった。もしかして昨日何かしたかな?
昨日…昨日……
美貴は昨日自分が何をしてたか思い出す。
朝、学校に行く時はまだ機嫌良かったな。…ん?そう言えば昨日の夜にはもう機嫌が
悪かったような気がしたなー。夕飯に嫌いなネギが出てきたし。ということは学校でか。
確か普通に部活に出て、亜弥ちゃんが見学にきてるのを確認して、いつも通りに3、4軍に
指導をして……ん?いつも通り…?
そこで思い至る。いつも通りということは、休憩時間に下級生達が自分の両脇の座を巡って
静かな戦いをしているところを見られたということ。昔から自分以上に美貴や真希と仲良く
する人がいると、必ず亜弥は機嫌が悪くなっていた。
- 282 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/07(日) 22:21
-
バレーをまた始めてほしいとは思ってたけど…まさかこんな形でまた始めるとは…。
美貴の表情から部活に入った理由を思いついたことを読み取った亜弥がにっこりと笑う。
「よろしくね。美貴たん。」
周囲の皆に届くほどのしっかりとした大きな声。
自分達の親密さをアピールする亜弥の直球ストレートな牽制球。
どうやら美貴には選手のコンディション以外にもケアするものができたようだ。
- 283 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/03/07(日) 22:34
- 更新しました。
区切りの関係で今回は短いです。
書きにくいところを抜けたのと、祭りがあったのでストックが順調です。
しばらくは以前と同じように更新していけそうです。
レスありがとうございます。
>>270 名無し飼育様
うちの松浦さんも最近は元気になってきたのでw
冬眠から覚めたかのように活発になってきました。
>>271 名無し飼育様
ありがたいお言葉ありがとうございます・゚・(ノД`)・゚・。
登場人物は出来るだけかわいくしたいんですが…。
>>272 sage様?でよろしいんでしょうか?
ありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。
念のため、sageはメール欄に入れていただければと言ってみたり…。
- 284 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/07(日) 23:47
- なんかいきなりあやみきワールドでどうしよう。
後藤さんはどこ行ったのかな(w
- 285 名前:名無し飼育さん 投稿日:2004/03/08(月) 14:18
- ネギw
- 286 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/09(火) 09:27
- 更新お疲れ様です。
まっつーは、美貴×他人だけじゃなく
真希×他人にも嫉妬?するんですねw
後藤さん絡みも好きな私としては、ちょっとした喜びが・・・
- 287 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/11(木) 22:54
- 昼休み。
そろそろ日差しが強くなってきた空の下、吉澤は教室の窓際で日向ぼっこをしていた。
以前であれば昼休みは亜弥のクラスに行ったりしていたのだが、昼休みに亜弥のクラスに
行っても亜弥が教室にいることは滅多になかった。だから、最近は諦めて教室で大人しく
しているのだ。ついでに夏の大会が始まっており、神経が少し高ぶっているため休み時間
くらいリラックスしていないと体がもたない。
そして日向ぼっこしている吉澤の後ろでは、真希がいつも通りというか最早寝床と化した
自分の席で相変わらず熟睡している。
この時期は運動部系は皆、休み時間に自主トレをしているか、吉澤のように休息をとっている。
また、文化部の人たちも期末テストが近づいていることから勉強している人や早くも夏の
計画を立てるため雑誌と睨めっこしているため、教室の中は比較的静かな雰囲気であった。
自分を邪魔するものがいないことを教室の中を見て確認した吉澤は、太陽が雲間に隠れたのを
幸いに、再び眠りにつくため目を閉じる。
「失礼します。」
- 288 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/11(木) 22:56
-
小さな声がする。普段であれば窓際にいる吉澤の元へは届かない程度の声の大きさであったが、
その比較的静かであった教室のため、吉澤の耳に安息の時間を妨げる声がするのを聞きとめてしまう。
聞き覚えのある声に仕方なしに頭を起こすと、そこにはバレー部の後輩が立っていた。
「どうしたの、高橋?3年の教室に来るなんて。」
「ハイ。お話がありまして。」
「話?」
「ハイ。」
わざわざ上級生の教室に来て真面目な顔をして話し掛けてくるのだから、大事な話なのだろう。
「じゃあ、ちょっと場所を変える?ここじゃ、他の人もいるし。」
「ハイ。」
吉澤は高橋をつれて特別校舎のほうへ移動する。普段人が来ない分、聞かれたくない話をするには
うってつけの場所だ。
「で?話って?」
「ハイ…。」
話があるといった割には高橋は歯切れ悪く返答する。
- 289 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/11(木) 22:56
-
『もしかして、またかな?』
バレー部キャプテンであり、見た目も綺麗な顔立ちをしている吉澤は、その人懐っこい
キャラクターも相まって、時々後輩や同級生から告白めいたものを言われることがある。
皆例外なく自分を呼び出しておいて歯切れが悪くなっていた。そして、当然告白者リストの
中にはバレー部の後輩も混ざっていた。
「あの…話しにくいことだったら、無理に話さなくていいよ。」
自分の答えはNOであることは間違いない。そして高橋はバレー部のレギュラーでもある。
大事な大会中にコンディションを崩されても困るので、あまり波風は立てたくなかった。
しかし、高橋の言葉は吉澤の想像を越えるものであった。
「あの、私、部活辞めたいんですけど。」
「……はい?」
「ですから、今日いっぱいで部活を辞めるつもりです。」
- 290 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/11(木) 22:58
-
思いもよらないことを何て言うんだっけ?
唐突にそんなことが頭に浮かぶ。
吉澤の頭は思考を強制停止させたようだった。
……そうそう、飼い犬に…なんかされるんだよな。
正解だが、微妙になんか違うような気がする。
「えーと……なんで?」
とりあえず、頭に浮かんだことをそのまま言葉にする。
しかしその疑問は当然である。皆この学園のレギュラーになりたくて全国から
集まってきているのだ。そして高橋はその中でも数少ない1年生からのレギュラー。
大事な戦力だ。その選手が大会中に突然辞めると言い出したのだ。納得いく
理由が欲しい。
「…………。」
しかし高橋は物憂げな表情を浮かべたまま、何も答えない。
- 291 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/11(木) 23:02
-
「何か悩みでもあるの?……それとも、誰かにいじめられているとか?」
高橋は黙って首を振る。
「じゃあ、家庭の事情?」
再び首を振る。
こうなると吉澤には予想がつかない。
悩みがなく、環境でもなく家庭の事情でもない。
最早高橋の口から聞かないと分からない。
「事情がわからないと顧問にも話ができないよ。」
吉澤は出来る限り優しい声色で話し掛ける。
高橋も理由を言わないと駄目だというのは理解しているらしく、口をひらく。
「辞めなくちゃならないんです。」
「だから何で?」
一瞬口をつぐみ、大きく息を吸う。
- 292 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/11(木) 23:03
-
「ごまっとうには近づくな。」
「え?」
ごまっとうって……亜弥ちゃんやミキティたちのことだよな…。
でも…なに…?ちかづくな…って、近寄るなってこと…?
高橋の言葉をゆっくりと理解した吉澤はもう一度確認する。
「ごまっとう?」
「はい。ごまっとうには近づくな。それが私が部活を辞める理由です。」
「何言ってるの?意味分かんないよ。」
「分からなくても良いんです。どうせ地元の人たちしか知らないし。
でも、とにかく理由は今言ったとおりです。」
高橋は用件は済んだとばかりに呆然としている吉澤をその場に残して歩き出す。
「あ、それから顧問にはもう私、自分で言いました。今までありがとうございました。」
- 293 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/11(木) 23:06
-
そう言って一度おじぎをするとそのまま1年の校舎に戻ってしまった。
だが、吉澤はその場から一歩も動けなかった。
ごまっとうには近づくな。確かに高橋はそう言った。あの3人には何があるのだろう。
今まであえて気にしないようにしてきた3人のことが頭に浮かぶ。
無口だった亜弥が美貴(もしくは真希)が来ただけで、今では普通に話すようになった。
そして、自分の憧れだった藤本美貴もおかしかった。あこがれていたから一挙手一投足を
見てしまうから分かる。バレーが出来なくなった原因は本当に交通事故なのか?
その話をした時、確かに美貴は目が泳いだ。それは、何かを隠しているかのように。
そして、真希も。彼女はなぜバレーを続けていないのか。転入当初は外ではサングラスを
かけていた。目の手術をしたためと言っていたが、なぜ手術が必要だったのか。
あの3人は何か府に落ちない。
『確か、昔の雑誌が取っておいてあったな。何か分かるかもしれない。』
藤本美貴に憧れていたため、彼女を取り上げた雑誌は全て保管してある。
ただ、昔の雑誌なので恐らく見つけ出すのはかなり難しいだろう。
『今度部活が休みの日に1日かけて探してみるか。』
- 294 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/11(木) 23:07
-
- 295 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/11(木) 23:10
-
「ごちそうさま」
「美貴たん、食べるの早いー。」
「亜弥ちゃんが遅いんだよ。」
「でもゆっくり食べないと体に良くないって言うし。」
「そう。だから亜弥ちゃんはゆっくり食べるんだよ。」
校舎の裏、木陰の下2人は昼食をとっていた。
ここは、校舎の裏であり木の陰であることからあまり周りからは見えない位置と
なっており人もあまり通らないという、落ち着いて食べるには絶好の場所だった。
最近は雨の日以外は毎日ここに来てお弁当を広げている。
「んー、いい天気。もうすぐ夏だね〜。」
先に食べ終わった美貴は軽く伸びをして深呼吸をする。
日差しに照らされて地面から少し湿り気のある熱気が伝わってくる。
軽く伸びをした美貴はそのまま横になる。
- 296 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/11(木) 23:11
-
「あー、美貴たん、食べてすぐ横になると体に良くないんだよー。」
「いいのいいの。親が死んでもってね。」
「美貴たん、例えが悪い。」
「はいはい、ごめんなさい。」
基本的に自由奔放に振舞う美貴。自分がしたいと思ったことはすぐに実行してしまう
直情型。2人の会話を聞くと年下のはずの亜弥のほうがしっかりして年上に思えてくる。
横になっている美貴の顔を、初夏の香りを乗せた風が撫でていく。
心地よい空気に美貴の瞼が重くなる。大会中で気が抜けないため、疲れがたまり始めている
美貴は、その体の欲求に逆らうことなく夢の世界に入り込み始める。
- 297 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/11(木) 23:12
-
ようやくご飯を食べ終えた亜弥は、そんな美貴を見て軽く苦笑して見せると、美貴の頭を
持ち上げる。
「……ん?」
「膝枕してあげる。」
そのまま崩して座っている自分の膝の上に頭を乗せてやる。
美貴も特に何も言うことなくそのまま眠りに落ちていく。
そんな美貴の頭を軽く撫でながら目を閉じる。
心穏やかな心地よい空間。
青草に囲まれ、初夏の風に吹かれる2人。
忙しい日常に囲まれる2人のつかの間の安息の時間。
- 298 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/03/11(木) 23:14
-
更新しました。
それぞれの昼下がりでした。
最近は作者も昼休みは、この話の展開を考えつつ昼寝をしてます。
レスありがとうございます。
>>284 名無飼育様
えー、後藤さんは爆睡中です(笑
一応理由があって寝てますので温かく見守っていてください。
>>285 名無し飼育様
ネギです。里芋でも可。
>>286 名無飼育様
松浦さんは独占欲が強いのです(w
前回今回と後藤さんの出番がわずかですいません。
次回はなんと!……出ません。というか後藤さんが出ると
話が動き出します(予定
- 299 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/12(金) 23:13
- こんな二人をずっと見てたいです。
嗚呼、あやみきって素晴らしい。
>>里芋でも可。
w
- 300 名前:名無し読者 投稿日:2004/03/12(金) 23:35
- まったりするあやみき。
私もずっと見ていたいです。
嗚呼、あやみきって癒される…。
- 301 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/14(日) 17:56
-
山道をバスが行く。
谷間を縫って数台のバスが上っていく。
バスの中からは大音量のカラオケが聞こえてくる。
そしてカラオケに紛れて笑い声も。
しかしこのバスは決して観光バスではない。
その証として乗っている人間は全員ジャージ姿であり、バスのフロントにも
バレー部ご一行様と書かれている。
そして、中に乗っている人たちもよく見てみると、楽しんでいる割には
目が少し血走っているようにも見える。
そう、まるでやけくそのような。
そしてデタラメな音量で歌っていた人物――吉澤―――が叫ぶ。
「あたしたちゃあ、あまさんぢゃないぞー!!」
- 302 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/14(日) 17:57
-
叫びたくなるの最もである。
大会期間中ということで、普段よりピリピリした雰囲気でやっている。
そして、今週はトーナメントの関係で1週試合が無い週なのに、顧問の
『試合に集中するために合宿で調整をする』というありがたくない
提案のため人里離れた、学園専用施設である合宿所に向かっているのである。
更なる禁欲生活。今週は息抜きをしようと考えていた部員達のボルテージは
一気に間違った方向に上がってしまったのである。
そのため皆多少血走った目で、無理やり楽しもうとしている。ある意味
酔っ払いより性質が悪い集団と化している。
しかしそんな喧騒の中、図太く寝ている人物もいる。美貴と亜弥である。
しっかりと美貴の隣を確保した亜弥は頭を美貴の肩の上に乗せて
ぐっすりと寝ている。美貴は時々亜弥の髪に頬を触れられるのが
くすぐったいのか口元を少し綻ばせて寝ている。
そして吉澤の不機嫌さも、この2人の幸せそうな寝顔を見ることにより更に
ヴォルテージが上がっていく。
なんとも喧しい集団は、静かな山間の合宿所に入っていった。
- 303 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/14(日) 17:58
-
「ありがとうございました。」
部員の声が響き渡る。
不満だらけの合宿の本日の練習が終わる。
「疲れた〜」
合宿所の割り当てられた部屋に戻って、足を伸ばす。
大会中であり練習で肉体的なきつさはないが、フォーメーション等同じ事を確認のため
何回もするため、精神的につらくなる。
「吉澤先輩、散歩でもしません?」
早速後輩が部屋に入ってきて吉澤を誘う。
今日は大会中ということもあり練習は早めに終了しており、夕食まで各自自由に過ごせる。
練習をしてもいいが、流石に皆疲れているのか、ほとんどの生徒が合宿所に戻ってきている。
「行きません。うちは疲れたので寝ます。」
後輩の誘いを無下に断る。
他にも誘いにくる生徒がいると思われるので顔にタオルを乗せて寝ていることをアピールする。
- 304 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/14(日) 17:59
-
『全く…うちは疲れているのに…なんで後輩たちは放っておいてくれないんだろう。
皆元気がありすぎだよ。うちなんか練習でへとへとで動く気にもならないのに。
なんか疲れが取れることをしないとなー。ここは、亜弥ちゃんの顔でも…』
突然考えつく。
そうだ。自分も亜弥を誘えばいいじゃないか。
乗せていたタオルを払いのけて勢い良く起き上がる。
そして配られていた部屋割を見る。
『亜弥ちゃんは…45号室か。』
先程までの疲れきった顔ではなく、吉澤の顔にはエネルギーが漲っている。
足取りも軽く階段を上がり、目的の部屋を探し出し、中のドアを開ける。
数人の生徒がいたが、亜弥の姿がない。
「あれ?亜や…松浦さんは?」
「まだ戻ってきてないですよ。カバンそのままですし。もしかしたら、まだ体育館
かもしれないです。」
「そう。ありがとう。」
どうやらまだ残って練習をしているようだ。亜弥はまだ入ったばかりだし、試合にも
まだ出ないから疲れてもいないし、多少頑張って練習しても問題ないのだろう。
- 305 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/14(日) 17:59
-
体育館につくと、確かに中からボールの音がする。ドアを開けて中を覗いてみると、
数人が練習をしていた。亜弥はすぐに見つかった。
練習をしている人自体が少ない上に、亜弥は目立っていたからだ。
全部で生徒は5〜6人くらいしかいないが、皆はじっこのほうで練習している。
そして広い体育館の中心では、ネットが張られており、そこで亜弥と美貴が練習を
していた。
吉澤はその光景を苦々しく思いながら、中に入り練習を端から見学する。
そして、2人の表情に気付く。
『初めて…見る…。』
- 306 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/14(日) 18:00
-
2人とも周囲の光景など目に入っていない様子だ。集中している。
そして吉澤の目には、2人の周りに壁が出来ているように映った。
亜弥の表情は真剣なものだった。亜弥の真剣な表情を見る回数がまだ少ないため
亜弥だけ見てると、ただ真剣な表情だなという思いしか出て来ない。
だが。
美貴の真剣な表情はここ1ヶ月足らずで何回も見た。昔憧れていただけあって、
練習中に何回もその横顔を盗み見していたからだ。
その美貴の表情も……初めて見た。
いつも美貴はどんなに集中していても周囲に気配りを忘れない余裕を持っていた。
だが、今亜弥と2人で練習している美貴にはそれがない。発している雰囲気も
いつもと全く違う。何かピリピリとしていて、見ているだけなのに圧倒される。
ネットを挟んで亜弥が構えている。反対のコートには相手に見立てているのか
いくつかポールが置いてある。そして美貴は亜弥の横からボールを上に投げている。
美貴が投げたボールを亜弥がスパイクをしている。しかし……。
- 307 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/14(日) 18:02
-
「駄目!」
「ハイ!」
美貴がボールを投げる。
亜弥がスパイクを打つ。
「駄目!」
「ハイ!」
今まで聞いたことがないくらい容赦ない叱咤が発せられる。
亜弥はそれに対して、素直に返事をする。
2人だけの世界。
そこには他者が介在する余地がない。
美貴がボールを投げる。
亜弥がスパイクを打つ。
「よし!」
「ハイ!」
- 308 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/14(日) 18:04
-
2人の仲の良さは短期間だけど、見せ付けられてきた。
美貴はひたすら亜弥に頭が上がらずに、甘やかしているように見え、亜弥も我侭を
美貴に言って、言うことを聞く美貴を満足そうに見ているという図式を何度も見てきた。
だが、今目の前に広がっている光景は普段の2人の姿からは想像がつかないものだった。
「駄目!」
「ハイ!」
しかも、先程から美貴が言っている「駄目」と「よし」の違いが分からない。
吉澤の目には全く同じように見える。一応強豪校のキャプテンであり自分の実力には
ある程度の自信があるが、その違いが全く分からない。
亜弥のスパイクの高さ、スピード、角度、威力。どれを取っても申し分ないように映る。
そのうち、美貴の横に置いてあったボールが全部終わってしまい、一旦インターバルを
取り始めた。
そして2人の周りに感じていた壁もなくなる。
2人はボールを集めることなく壁に寄りかかり、休憩し始める。
- 309 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/14(日) 18:07
- 2人はいつもの雰囲気に戻り、イチャイチャ――吉澤の目にはそう映る――し始める。
「もぅ〜美貴たん厳しすぎ〜。」
「何言ってるのー。今までやってなかったんだから、取り戻すためにもビシビシ鍛えてくよ。」
「えー、じゃあ、美貴たんはトレーナーなんだから、練習終わったらマッサージしてよ〜。」
「いいよー。でも、マッサージが必要になるくらい疲れるには、まだ練習が足りないんじゃない?」
「えー、もうヘトヘトだよ〜支えてもらわないと倒れる〜。」
「わわ、抱きつかないでよ、美貴汗臭いんだから…。」
「大丈夫。あたしも汗だくだし。それに美貴たん、いい匂いだよ。」
「あ、匂わないでよ!」
「う〜ん、美貴たんのにほひ。」
いや、吉澤の目だけではなく誰が見てもいちゃついてるとしか見えないことをしている。
しかし吉澤は声をかけることができない。
2人の空気を壊してしまうようで割り込むことができないでいた。
しばらくすると、インターバルも終わったのか、亜弥がボールを集め始める。
その時に美貴が吉澤に気付く。
- 310 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/14(日) 18:08
-
「あれ?よっすぃいたの?」
「あ、え、うん…。」
「ちょうど良かったよ。もし良かったらブロック役やってくれない?
やっぱり実際に壁があったほうがいいし。」
「うん。いいけど…。」
「よし、決まり!じゃあ、亜弥ちゃん、今度はブロック付きで。」
「はーい。」
吉澤は亜弥とネットを挟んで逆のコートに立つ。
美貴がボールを投げる。
亜弥がジャンプする。
吉澤がブロックに飛ぶ。
タイミングはピタリ。だが―――
「ナイススパイク!亜弥ちゃん。」
「はい。」
なぜか決まる亜弥のスパイク。
- 311 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/14(日) 18:09
-
「も、もう一回!」
亜弥の練習に付き合ってるはずなのに、吉澤から声をかける。
再び投げられるボール。亜弥とタイミングを合わせて再びブロックに飛ぶ。
しかし―――
「OK!」
ブロックをくぐり抜けている。
そして、吉澤が気付く。
「もしかして…フェイント?」
「あれ、やっぱり気付いた?さすがよっすぃ。」
「やっぱりまだ甘いのかな〜」
「そうだね。まだまだだよ。美貴の目にはまっすぐ打っているように見えるよ。」
「美貴たんの基準は厳しすぎるよ〜。」
「何いってんの。美貴が気付くって事は、他の人も気付くよ。」
2人は何か言っているが、吉澤の耳は素通りしていた。
「時間差じゃなくて、フェイントの練習なんて……。」
吉澤が小さく呟く。
- 312 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/14(日) 18:10
- フェイントは体が向いている方向と逆の方向でやっている。
しかもそこに目のフェイントまで織り交ぜている。
吉澤は真っ向力勝負するタイプであり、フェイントの意識はほとんどない。
だからフェイントの練習をあんな感じに延々とやっていることに驚いた。
しかし吉澤の呟きが美貴の耳に届いたのか、亜弥の相手を止めて答えてくれる。
「うん。普通はあまりやらないよね。でも、あたし達には必要なんだ。昔、美貴も
亜弥ちゃんも天才だなんて騒がれていたことがあったけど、そんなことは
全然ないんだ。こうやって、一つ一つを人の何倍も練習してきただけ。」
なんでもないことのように美貴が言う。しかしとんでもないことを言っている。
はっきり言って、練習で他の人の数倍なんて練習はできない。強豪校であれば
あるほど、頑張って1.5倍から2倍というのが実情だ。それを知っていながら数倍と言う。
だからなのかもしれない。
3年前に見た美貴の笑顔が、自分を惹きつけて止まないのは。
圧倒的努力に裏打ちされたプレーから生み出される迫力に、皆魅せられていたのだろう。
うちは自惚れていた。全国屈指の強豪校のキャプテンでエースとなり、自分では
藤本の現役時代を超えていると思っていた。
だが、今気付いた。
越えているどころか、今でもまだ負けている。
魅せるプレーとしては、足元にも及ばない。
- 313 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/14(日) 18:11
-
「でも、今日はそろそろ終わりにしようか。お風呂の時間も近いし。」
「うん、そうだね。じゃあ、片付けるね。」
美貴たちは、そんな吉澤をよそに道具を片付け始める。
そして道具を片付け終わる頃には周りで練習していた他の選手達も引上げ始める。
- 314 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/14(日) 18:12
-
- 315 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/14(日) 18:13
-
とりあえず汗を風呂で流し、食事を取り、ミーティングをした後。
吉澤にとって一番疲れる時間が待っている。
「吉澤先輩、トランプしましょう?」
「吉澤先輩、近くに景色がいいところがあるって話が…。」
「吉澤先輩、マッサージしましょうか?」
就寝時間までまだ時間があるため、後輩達が皆集まってくるのだ。
そして最早これは合宿の恒例行事となっていた。
「だー、うちだけじゃなくて、ミキティにも頼めば良いだろう!」
最近は美貴が入部したため多少吉澤の負担が減っていたのだが、なぜか今日は皆
吉澤に集中している。
「だって、藤本先輩、姿が見えないんですよー。」
「なに〜!?…探せ!」
「ええ!?でも、どこにもいないですよ?」
ちくしょう、逃げられた。
- 316 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/14(日) 18:13
-
「松浦さんは?」
「あ、そう言えばいないかも。」
「何!?えーい、探して来い!2人とも日が浅いから道に迷ってるかもしれないし。」
「はい。」
先輩の権限を生かして後輩達に探させる。
しまった。合宿の夜、満点の星空の下。完璧じゃないか。
自分がやりたかったことを。
とりあえず吉澤からの一方的な先輩命令のため後輩は皆いなくなった。
自由に行動できるようになったので、自分でも探してみる。
すると、後輩の一人が走ってくる。
「見つけました。2人とも。」
「どこにいた?」
「それが…私達の部屋で寝てます。」
「そう。じゃあ、寝かせといてやりな。他の人にも言っておいて。」
「はい。」
- 317 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/14(日) 18:15
-
そう言って後輩はまた走り出す。
吉澤は先程の後輩の部屋に行ってみる。
部屋のドアをそっと開けると、中は電気が消えていて確かに寝ている様子だ。
この合宿所は一部屋10人程度と、合宿所としては小さめの部屋で出来ている。
他にも3〜4人寝ているようだ。部屋割りは決まってはいるが、守っている者は
少ない。大抵は気の合う者が部屋に集まってしまう。
吉澤は寝ている人たちを起こさないように、忍び足で歩いていく。
すると部屋の一番隅で美貴が寝ていた。
夏が近いとはいえ山の夜はまだ肌寒いため布団を肩までかけてこちらに背を向けて寝ている。
しかし、寝ているのは美貴だけであり、亜弥の姿がない。
隣を見てみると確かに人が寝ていた形跡はあるが、誰もいない。
後輩は2人とも寝ていたと言っていたのだから、恐らく隣同士で寝ていたのだろう。
『亜弥ちゃんはどこに行ったのかな?』
亜弥がいないことが分かり、どこかに行っている亜弥を探そうと踵を返そうとした時に
吉澤の目に不自然なものが映る。
ミキティ…何か抱えているのか?
よく見てみると美貴の布団は不自然に膨らんでいる。
不思議に思って回り込んでみると美貴の顎の付近に黒い影がある。
- 318 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/14(日) 18:15
-
暗くてよく見えないので美貴の布団を少しだけめくってみる。
…見なければ良かった。
吉澤は布団を元に戻して部屋を静かに出て行く。
吉澤が出て行った部屋には静けさが戻る。
そしてそこには静かに横を向いて眠る美貴と、その美貴に抱かれるようにして
幸せそうに眠る亜弥の姿があった。
部屋を出た吉澤は近くの壁を力いっぱい殴りつける。
大丈夫じゃあ、ない。
もう放っておけない。
2人に何かが起きるなんて期待をして待つことはもうできない。
これ以上は自分の心が耐えられない。
亜弥に近づくためには、待つだけじゃ、駄目だ。
- 319 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/03/14(日) 18:18
-
更新しました。
本当はこの合宿編は2〜3回に分けて載せるくらい長くなる予定だったのですが、
いい加減、話が進まなくなるので1話にまとめてしまいました。
従って今回の更新は少し展開に強引さが見られるので、脳内補完をお願いしまつ。
レスありがとうございます。
>>299 名無し飼育様
本当は好きなものを食べて欲しいのですが…。
今回も2人だけの世界を展開させていただきました。
>>300 名無し読者様
今回はあからさまにイチャイチャさせてみました。
たぶんこの話であからさまにイチャイチャが出てきたのは初めてだと思います。
- 320 名前:名無し読者 投稿日:2004/03/17(水) 00:48
-
作者様の文章は最高です!!微笑ましいあやみき最高です!!
続きが楽しみで仕方ありませんwこれからも頑張って下さい!
- 321 名前:(・∀・)イイ! 投稿日:2004/03/17(水) 19:16
- 一気に読みました
うーん、面白い
続きが非常に気になります
- 322 名前:名無し飼育 投稿日:2004/03/18(木) 01:32
- もっともっとイチャイチャあやみきが見たいです。
更新楽しみにしてます。
- 323 名前:名無し読者 投稿日:2004/03/18(木) 01:49
- 同じくイチャイチャ、甘々あやみきが激しく見たいです。
作者さんの書く藤本さん、しっかりしてて大好きです。
こんな美貴帝が見たかった。
- 324 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/18(木) 22:30
-
合宿から帰ってきた吉澤は荷物を部屋に放り投げると、家の裏の物置に向かう。
家で使わなくなったものは、裏にある大きな物置に放り込んであった。
ただ、片っ端から放り込んであるため、中は全く整理されてない。
普通に探せば半日は確実にかかる。
しかしそんな時間をかける体力もなく、気持ちに余裕もない。
そこで大胆な行動に出る。
中にあるものを全部出して放り投げていく。片付ける時のことなど考えない。
とにかく見つけたもの全てを放り投げていくうちに目的の物を見つけ出す。
「良かった、あったよ。」
吉澤が手に持っているものは3年前のバレーボール雑誌。
吉澤がバレーボールを始めようと思ったきっかけとなった美貴が乗っているものだ。
3年前、あの子のことを思い出しくじけそうになるたびに、この雑誌に載っている美貴の
笑顔を目標に頑張ってきた。
ただひたすら、自分もこんな笑顔を浮かべたいと。
しかし時が経ち、いつの間にか物置にしまわれていた。
- 325 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/18(木) 22:31
- 部屋に戻り雑誌を広げる。
3年前は毎日見ていた雑誌なので、すぐに目的のページを見つけ出す。
そこには満面の笑みを浮かべる3年前の美貴がいる。
「あれ?」
そこで気付く。
以前は美貴しか見ていなかったため気付かなかったが、よく見てみると美貴の
隣に真希と亜弥が写っている。
試しに他の雑誌も開いてみる。するとどの雑誌にも皆美貴の隣に真希と亜弥が
写りこんでいた。今より幼い感じがする顔が。
そして雑誌の小さい見出しも3人のことを書いている。
『バレーボール界に天才現る!』
『10年に1人の逸材!松浦亜弥』
『無敵!ごまっとう!』
『3M(真希、美貴、松浦)来襲!』
- 326 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/18(木) 22:32
- そして3人それぞれのインタビューも載っていた。
皆、それぞれ違っていて分かりやすかったけど、皆同じ事を言っていた。
バレーボールが好きだ。
3人でいつまでも一緒にいたい。
一緒に成長していきたい。
しかし……。
吉澤は自分が買った最後の雑誌を開ける。
そこには全く別の言葉並ぶ。
『藤本美貴、交通事故で選手生命絶望的。』
『ごまっとう解散!?』
『藤本なき大会、波乱必至。』
- 327 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/18(木) 22:33
-
そして雑誌の最後に小さく記事が載っている。
そこには亜弥達の学校が不祥事により出場停止になったことが。
当時は気にもとめなかった。
この学校に何があったかは分からない。
だがこの不祥事という言葉が引っかかる。
不祥事なんて、そうそうあるものじゃない。
吉澤は雑誌を閉じると部屋の隅に放り投げる。
とにかく、ヒントは手に入れた。
後はそれを頼りにつたっていこう。
- 328 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/18(木) 22:34
- 次の日吉澤は昔の雑誌をカバンに入れて学校へと向かった。
教室に入ると、すぐに雑誌を取り出し机の上で広げる。
昨日気になった部分。
学校での不祥事による出場停止。
何があったのか。
直接本人たちに聞く勇気はない。
だが、恐らく知っている人物がいる。
高橋愛
彼女は明らかにこの不祥事の中身を知っているはずだ。
『ごまっとうには近づくな』
そう言い放った彼女ならば。
吉澤は雑誌を片手に1年の教室に向かう。
そして高橋がいるクラスに入るとすぐに目的の人物を強引に連れ出す。
「なんですか吉澤先輩。私はもうバレー部には戻りませんよ。」
「違う。それは高橋の意志だからうちがどうこう言う権利はない。
でも、ひとつだけ教えて欲しいんだ。」
「なんですか?」
吉澤は雑誌の記事を見せる。
- 329 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/18(木) 22:35
- 「この不祥事。高橋は知っているよな。何があったんだ?」
「………。」
高橋は記事をじっと見詰めたまま黙り込む。
しかしおもむろに吉澤のほうを見て口を開く。
「吉澤先輩……質問が違うんじゃないですか?」
「え?」
言葉の意味が分からずに、間抜けな顔をしてしまう。
「先輩が聞きたいのは不祥事のことというよりも松浦さん達についてじゃないですか?」
「……。」
図星だった。
まさしくその通りだった。
もうごまかしても仕方ない。
「そう、その通り。頼む高橋、知っている範囲でいいから教えて。」
- 330 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/18(木) 22:37
- そう言って頭を下げる。
高橋はそんな吉澤をしばらく見ていたが、やがて口を開く。
「私はごまっとうに関わりたくないんです。だから彼女らについて話をするのも嫌です。
それに本人達に直接聞けば良いじゃないですか。」
「それが出来ないから聞いてるんだ。知っていることだけで良いから。」
吉澤は一向に頭を上げる気配が無い。
するとため息をつき、しぶしぶと言った気配で吉澤に話しかける。
「そんなに知りたいんでしたら、直接関わった人に聞いてください。ごまっとうの他、
唯一事情を知っている人に。」
「事情?そ、それは誰?」
「私達の地元の中学で、今バレー部のキャプテンをやっている子です。唯一ごまっとうが
心を許していた存在だと思います。」
心を許していた?
妙な表現に引っかかるが、とりあえず流す。
- 331 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/18(木) 22:38
- 「その子の名前は?」
「辻希美。たぶん彼女は事情を知っていると思います。最後まで教師達に抗議していたから。」
「抗議?」
「後はその子から聞いてください。では、失礼します。」
そう言って高橋は教室へ戻っていった。
辻希美。
亜弥達がいた中学の現バレー部キャプテン。
新たな情報を仕入れた吉澤は、そのまま学校を抜け出し、隣町へと向かう。
今の吉澤には学校のことや大会のことは頭に無い。
このことを知らないと大会に集中できないと、勝手に自己弁護して、目的地に向かう。
電車を乗り継ぎ、中学に着くが、あいにくまだ授業中だった。
よく考えればそうである。
自分は授業をサボってきているが、他の人は普通に授業を受けているのだ。
- 332 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/18(木) 22:39
- 吉澤は仕方なしに昼休みになるのを待つ。
そして昼休みになるとこっそり校舎に忍び込む。
そして3年生らしき生徒を捕まえて辻希美を連れてくるように頼む。
しばらくすると訝しげな表情を浮かべた女の子がやってきた。
髪をポニーテールにしていて、顔立ちもしっかりしている。
まだ中学生だけあって幼さも残っているが意志の強そうな目をしている。
「あの…辻のこと呼びました?」
少し舌足らずな話し方だが、彼女には合っている気がした。
「うん、ごめんね呼び出しちゃったりして。うちは吉澤ひとみって言います。
松浦学園のバレー部キャプテンをやってます。」
「え?あの松浦学園の?もしかして、ののをすかうとに来たんですか?」
驚いた表情を浮かべた辻は、より幼く見えた。
- 333 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/18(木) 22:40
- 「あ、ううん、ちがくて…実は聞きたいことがあってね…、ごまっとうの
ことなんだけど。」
「………。」
亜弥の名前を出した途端、辻の表情が一変する。
それまで幼い表情を浮かべていた顔に警戒感が生まれ、目にも力が入ってきている。
「い、いや、あのね…」
ピリリリ
慌てて事情を説明しようとすると携帯が鳴る。
誰だよこんな時に。
辻に目で謝りながら携帯に出る。
「もしもし?」
「あは、よっすぃ〜駄目だよ授業サボっちゃ。」
「ごっちん?」
「……っ!」
後藤の名前を聞き、辻がわずかに反応する。
しかし電話に集中している吉澤は気付かない。
- 334 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/18(木) 22:41
- 「とりあえず腹が痛くて帰りましたって言っておいたから、後で口裏合わせて
おくんだよ。」
「ありがとう。後でお礼させてもらうよ。」
「期待してるよ〜、じゃあね〜。」
電話を切ると、辻が相変わらずこちらを睨んでる。
吉澤が先程の説明の続きをしようとすると逆に辻から質問される。
「ごっちんと知り合いなんですか?」
「え?…うん。」
「なら、なんで本人に直接聞かないんですか?」
痛いところを付いてくる。
吉澤が返答に困ってると辻は踵を返してしまう。
「本人に直接聞けない程度の知り合いなら、辻から話すことは何もないです。
帰ってください。では、失礼します。」
- 335 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/18(木) 22:41
-
そう言って立ち去ろうとする辻の肩を思わず掴む。
「ま、待って…辻さんは当時のことを知ってるんでしょ?少しだけで良いから……。」
しかし、その手は無造作に払われる。
「話すことなんてないです。さあ、早く帰ってください。」
そう言って立ち去ってしまった。
しかし吉澤としてもせっかくここまで来て何も聞かずに帰るわけにもいかない。
しかも手がかりは今のところ辻から聞くしかない。
吉澤は放課後を待つことにした。
- 336 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/18(木) 22:43
- ◇◇◇◇◇
放課後、部活に向かう辻を捕まえる。
「お願いだから、話してよ。」
「まだいたんですか?いい加減先生に見つかりますよ?」
「見つかったら辻をスカウトに来たって言うからいい。」
それを聞き、ため息をつく。
「辻の考えは変わらないですよ。本人に聞いてください。」
とりつくしまもない。
吉澤も諦めない。が、つい口がすべる。
「亜弥ちゃんに何があったの?」
すると辻が初めて振り向く。
- 337 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/18(木) 22:43
- 「亜弥ちゃんに何しようとしてるんですか?」
辻が睨みつけてくる。
突然の豹変に吉澤も戸惑う。
「い、いや、何って…仲良くなろうかなーって…。」
「別に仲良くなるのに過去を知る必要はないでじゃないですか?何考えてるんですか?」
幼さの残る外見とは別に確信をついてくる。
「亜弥ちゃんを悲しませるようなことは止めて下さい。」
辻は今度こそ静止を振り切っていってしまう。
しかし吉澤は逆に確信した。
亜弥の名前を出した途端態度が豹変した。
それはつまり亜弥の身に起きたことを知っているということ。
そしてそこまで豹変したということは、やはり何かあったのだということ。
全く諦めていない吉澤は辻の部活が終わるまで待つことにした。
- 338 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/18(木) 22:45
- 体育館をこっそりと覗いてみる。
辻の姿はすぐに分かった。
しばらく練習を見ていると、突然肩を叩かれる。
驚いて振り向くと、そこには真希の姿があった。
「ごっちん?何してるの?」
「何言ってるの、それはこっちのセリフだよ。辻から電話があって……。まさか
本当にいるなんて。さ、あまり辻に迷惑をかけるわけにはいかないから、帰ろう?」
恐らく辻から自分がここに来た理由をすでに聞いているだろう。
こうなったら仕方ないが本人達にきいてしまおう。
「……ごっちん、うちがここにきた理由は辻さんから聞いてるんでしょう?」
「………。」
後藤は答えなかったが、それを肯定と受け取り言葉を続ける。
- 339 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/18(木) 22:47
- 「ねえ、教えて。何があったの?亜弥ちゃん…それにごっちん達に。」
「さ、帰ろう。あまりうろうろしてると先生に見つかるよ。」
真希はあからさまに話題を変えた。
だが、吉澤の覚悟はもう決まっている。
「なんて教えてくれないの?うちには言えないことなの?」
真希は、そのまま後ろを向き歩き出す。
「さ、帰ろう。」
「ごっちん!」
吉澤が真希の肩を掴んで止める。
すると先程の辻と同じように手を払われる。
「よっすぃが知ることじゃない。これは私達の問題。」
- 340 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/18(木) 22:48
-
転校してきて以来はじめて見る真希の表情。
無表情に見えるが、眼光の鋭さがその感情を表している。
それは、怒り。
「中途半端な……興味本位で私達の間に首をつっこまないで。」
それは拒絶。
知り合ってから初めての真希の感情の発露。
ここ幾月かで築き上げてきた真希との関係が崩れた瞬間。
だが、吉澤はすでに覚悟を決めていた。
そのまま吉澤を残して歩き出している真希の肩を再び掴む。
「興味本位なんかじゃ…ない。うちは真剣だ。」
その言葉に真希が振り向く。先程よりも更に眼光に鋭さが増している。
「真剣に…何さ。何が真剣なのさ?」
- 341 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/18(木) 22:49
-
すでに詰問となっていた。
吉澤に過去の光景が甦る。
自分の気持ちをあの子に伝えた時の、拒絶の眼差し。
同性を想う自分の想いを拒絶された。
しかし、もう覚悟を決めたのだ。
もう迷わない。
「うちは…亜弥ちゃんが好きなんだ。きっと、亜弥ちゃんとなら……だから、
亜弥ちゃんを手に入れたい。」
そう言った瞬間、吉澤の鳩尾に強烈な痛みが走る。
思わず腹を押さえて膝をつく。
真希の拳が鳩尾に入ったのだ。
- 342 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/18(木) 22:51
- 「“きっと”?“となら”?亜弥ちゃんを誰かの代わりにしようとしているの?
亜弥ちゃんは、亜弥ちゃんでしかない。代わりなんかじゃない。私に…私達にとって
亜弥ちゃんは一人しかいない。亜弥ちゃんは…亜弥はもう充分傷ついてるの。
軽い気持ちであの子に近づかないで。」
真希はそう言い捨てるとそのまま歩いていってしまった。
その場に残された吉澤は痛む腹を抱えて蹲る。
真希の答えは、吉澤の想いの拒絶ではなかった。
吉澤の考え方、想い方の拒絶だった。
そのこと自体には、ほっとしたが、逆に言うと事態はもっと悪かった。
真希に見透かされた。
確かに最初は、亜弥にあの子の姿を重ねていた。
でも、今は違う。
亜弥自身が、欲しい。
知れば知るほど、亜弥に惹かれていく。
だが、それと同時に知れば知るほど亜弥が分からなくなってくる。
亜弥を少しでも知るために自分はここに来たんだ。
もう、覚悟を決めたのだ。
痛みに負ける自分じゃない。
吉澤は腹を押さえながら立ち上がると、ふらふらした足取りで真希の後を追っていった。
- 343 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/03/18(木) 22:52
- 更新しました。
本当は昨日更新するはずだったのですが、自分のスレの中身を確認するために最初から
読んでいたら、更新する時間がなくなってしまった間抜けな作者でございます。
今回は後藤さんが久しぶりに起きて話をしています。
レスありがとうございます。
最近はレスを読むことが数少ない楽しみになってたり…。
- 344 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/03/18(木) 22:53
- >>320 名無し読者様
ありがたいお言葉本当にありがとうございます。
微笑ましいあやみきは作者も大好物でございます。
>>321 (・∀・)イイ!様
一気に読みますと作者と同じように時間がなくなりますよ(w
引き続きご愛顧を。
>>322 名無し飼育様
イチャイチャは気に入っていただけましたか。
実は合宿編で大幅に削ったのが2人のイチャイチャだったりします。
泣く泣く削りました。
>>323 名無し読者様
ヘタレな藤本さんも好きなのですが、この話での藤本さんは
しっかりしているはずです。
多分。
- 345 名前:名無し読者 投稿日:2004/03/18(木) 23:55
- いつも更新楽しみにしています。
ただ、この作品が好きだからこそ、あえて言わせて頂きたいのですが
ちょっと展開が早いような?
例えば帰りのバスの中での登場人物の様子が知りたかったり、
イチャイチャあやみきが見たかったり…。
生意気言ってスレ汚してごめんなさい。
- 346 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/19(金) 00:17
- なんだそりゃ??
- 347 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/20(土) 03:58
- 今一気に読みました。
なんか久しぶりにこういう感覚の小説に出会えました。
うまくは言えないんだけどw
続きを楽しみにしています。
- 348 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/21(日) 17:12
- 痛む腹を押さえながら、自分の10メートル程前を歩く真希の後を必死についていく。
すると家に着いたのか、真希が立ち止まる。
「言っておくけど、私は何も話す気はないから。」
真希は再び拒絶の意思表示をする。
「なんで?亜弥ちゃんが傷つくってどういうこと?やっぱり何かあったんでしょう?」
「亜弥に何があったかすら知らない人に話すことじゃないから。」
とりつくしまもない。
しかし吉澤は諦めない。
「うちも力になりたいから…、興味本位なんかじゃない。少しでも力になりたいから。」
「だから……っ」
「あれ?吉澤先輩じゃないですか?」
- 349 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/21(日) 17:13
- 真希が言葉を発しようとしたときに後ろから声が掛かる。
吉澤が振り向くと、そこには亜弥と美貴の姿があった。
「どうしたんですか?こんなところで。真希ちゃんの家に遊びに来たんですか?」
「あ、い、いや…。」
「あはっ、よっすぃは忘れ物を届けにきてくれたんだよ。もう帰るところだったけどね。」
意外にも真希からフォローが入る。
真希の顔も先程までの鋭い眼光ではなく、穏やかに微笑んでいるいつもの顔つきに戻っていた。
そしていつも通りの雰囲気で美貴達に話しかける。
「それより美貴達も早いね、よっすぃもだけど、部活は?」
「うん、昨日まで合宿してたから、今日は休み。久しぶりにゆっくりできそうだよ。そう言う
真希こそ部活は?」
「うん、今日はさぼり。たまには休まないとね。」
「そうだね、真希は……休まないとね。」
真希と美貴の視線が交錯する。
そしてその視線により、美貴には自分のしていることが知られていることを悟る。
真希は少しだけバツの悪そうな顔を美貴に向けると、苦笑いしてみせる。
- 350 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/21(日) 17:14
- 「無理はしてないよ。」
無茶はしてるけど。
美貴にだけ分かるように言外に含ませる。
美貴は少しだけため息をつくと、動き出す。
「じゃあ、帰るから。よっすぃも気をつけて帰るんだよ。」
そう言って美貴は歩き出す。
「じゃあ、真希ちゃん、またね。吉澤先輩、失礼します。」
亜弥は挨拶をするとすぐに美貴についていく。
「美貴たん、今日は夕飯何にする?」
「肉。」
「いや、昨日も肉だったから。」
「肉。」
「美貴たん、肉だけじゃ分からない。」
「焼肉。」
「…美貴たん…。」
- 351 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/21(日) 17:15
- 亜弥達の声が次第に遠ざかっていく。
吉澤は隣にいる真希の様子をそっと伺う。
真希はいつもと変わらない表情を浮かべていた。
だが、その目には寂しさが窺い知れた。
真希は一度下を向き、拳を固く握り締めると、そのまま家に入っていく。
「ごっちん!」
「…帰って。」
真希は振り向くことなく家に入ってしまった。
吉澤は何も言えなかった。真希の寂しそうな背中が言葉を拒絶していた。
視線を左に向けると、そこにはだいぶ小さい姿となった2人の背中が見える。
真希は2人と距離が出来始めているのかな?
そんな疑問が頭に浮かぶが、それも少し違う気がした。
先程美貴と真希の会話には2人にしか通じない何かがあるような気配がした。
それに真希から感じた寂しさには、単純なものではなく何か違うものも感じた。
それが何かは分からなかったが。
とりあえずこのままいても仕方が無い。しかも自分は諦める気は無い。
- 352 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/21(日) 17:15
-
吉澤は携帯を取り出し、メモリーから真希の番号を呼び出して電話をかけてみる。
しかし、数コール呼び出しがかかった後に留守電に切り替わってしまった。
メールも入れてみる。しかし何分待っても返事はない。
ため息をつきつつ上を見上げると、2階の窓からこちらを見ている真希と目が合う。
そのまま2人とも見詰め合っていたが、真希はカーテンを閉めてしまう。
諦めて帰ろうとも思ったが、自分の感情が納得していない。
昨日、そして先程も。
亜弥のあの姿を見た自分がこのままおとなしくしていられるはずが無い。
こうなりゃ持久戦だ。
吉澤は、そのまま家の前で真希が折れるのを待つことにした。
- 353 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/21(日) 17:16
- ―――数時間後。
『う、うちのこと、忘れてないよね……。』
既に真夜中にさしかかる時間になったが相変わらず吉澤は家の前に立っていた。
真希は全く出て来ない。
近所迷惑になるからとかいいながら真希がそのうち出てくると考えていた吉澤の
思惑は完全にあてが外れる。
夏も近いため夜はそれほど寒くは無いがさすがに数時間も同じところに立っているのはつらい。
もう一度メールを入れて家の前にいることをアピールしようと携帯を開くと、真希の家のドアが開き、
中からジャージ姿の真希が出てきた。
『よし、ようやく出てきてくれた。』
ようやく立ち番から開放されると心の中で喜んでいると、真希はそのまま吉澤の前を通り過ぎて走り出す。
「あれ?」
立ち止まる気配もない。
慌ててその後を追いかける。
- 354 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/21(日) 17:17
- 『なんつースピードだよ…。』
吉澤も体育会系の部活に所属しており、体力に自信があるが、それにしても真希のスピードは
尋常ではなかった。
必死に着いていくと、真希の足は繁華街へと向かう。
この時間にジョギングをすることも変だが、わざわざ繁華街のほうへ走っていくのもなんか変だ。
すると繁華街に入った途端、真希は歩き出す。
怪訝に思いながらも吉澤も歩いて10メートル程後ろからついていく。
夜の街は、普段とは別の様相を呈しており、あちこちに酔っ払いが見受けられ、道端には
素行のよろしくなさそうな人たちが固まっている。
『危ないところを歩くな〜。』
そう考えていると、前を歩いていた真希がタイミング良くというか予想通りというか、
集団に囲まれて絡まれている。
- 355 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/21(日) 17:18
-
「ねえねえ、どこ行くの〜?一人?」
「かわいいねー、良かったらおごるから飲みに行かない?」
「ジャージもかわいいねー。」
5〜6人に囲まれていて、真希の姿も影に隠れてよく見えなくなる。
「結構です。行きません。邪魔なんでどいて下さい。」
「そんなこと言わないでさー、ちょっとだけだよ。」
「そうそう、少しだけ付き合ってくれればいいからさー。」
真希も気丈に対応しているが、周りの男達は全く諦める様子は無い。
吉澤は誰か助けを呼ばなくてはと考えて周囲を見渡すが、周囲にも似たような光景が
広がっており、むしろ目の前の行為は普通の風景といった感じになっている。
「もう一度だけ言います。邪魔なんでどいて下さい。私は一緒に行きません。」
真希の声が再び聞こえる。今度は少し大きめの声だった。
- 356 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/21(日) 17:19
-
『……慣れている?』
真希の声は少し大きくなっていたが、その声は毅然としており少しも震えていない。
と、そう考えた頭を振り考えを正す。
いくら慣れていても、この状況ではそれがなんの役に立つだろう?
自分が助けるしかない。喧嘩など全くなれていないが、一人よりはましだろう。
そう考えて吉澤が真希の元へ向かい、その集団の一番後ろにいる人物の肩に手を
かけようとした瞬間、真希の低い声が聞こえる。
「……私は、2回も断ったからね…?」
吉澤がその言葉の意味を理解する前に、突然集団の内2人が吹き飛ぶ。
皆何が起きたか分かっていなかったが、真希が右斜め後ろにいる人物に蹴りを
いれた時点で、ようやく状況を把握する。
真希はその場から逃げ出すどころか、構えをとる。
「手加減してあげたんだから、ダメージはないでしょ?さっさとかかってきな。」
- 357 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/21(日) 17:20
-
明らかな挑発の言葉を投げつける。
すると真希の言ったとおり、ほとんどダメージはないのか吹き飛ばされた男達が
すぐに立ち上がり真希に掴みかかってくる。
真希は冷静にまず後ろにいる人間の膝に蹴りを入れると、前を向き右側の男の
パンチをかわしてカウンターを叩き込む。
そして左側から殴りかかってきた男の拳をかわして、その腕を脇に抱えて肘関節を決める。
そしてその男を腰に乗せて変形の一本背負いのような形で投げる。
真希は再び構えを取り、男達から距離を取る。しかし逃げ出す気配はない。
目の前にいる真希は、男に絡まれている、か弱い女の子の姿ではない。
男達の動きを冷静に見切り対応している。そして逃げる気配もない。
男達は、また一人とその数を減らしていく。
5分もたつ頃には真希の前に立つ男達はもういなくなっていた。
- 358 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/21(日) 17:21
- 真希は肩で軽く息をしていたが、呼吸が整うとまた歩き出す。
そして人が多そうな道を選ぶ。
そして繰り返される同じ光景。
吉澤はただ後ろから見ているだけ。
真希の動きには余裕すら感じられる。
そして理解する。
トレーニング。
真希がやっていることはまさにそれだった。
結局真希が家路についたのは、人通りがほとんどなくなる午前3時過ぎだった。
吉澤は、終始真希の後をつけていた。
いくら真希がトレーニングのつもりでも何が起こるか分からないからだ。
真希は吉澤が付いてきていることに気付いているようだったが、特に何か言ってくる気配は
無かった。そしてそのまま吉澤を置いて家に入っていこうとする。
「ごっちん、何であんなことをするの?」
吉澤がたまらず話しかける。
- 359 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/21(日) 17:22
-
「……興味本位で首を突っ込むのは止めてって言ったでしょ?」
真希は振り向かずに吉澤の言葉に応じる。
「興味本位なんかじゃ…。」
「別に吉澤さんに理解されようと思ってやっているんじゃない。」
にべも無い。
そしてあだ名で呼ばれなくなっている。
完全なる拒絶。
真希は振り返ることなく家に入っていった。
この時間に電車があるわけでもなく、そのまま家の前でしばらく待つ。
そして登校のため出てきた真希を後ろから追っていく。
来た時と同じように10メートル程後ろから一緒に登校する。
真希は学校に着くといつも通り席に着くやいなや眠りの体勢にはいる。
あの時間まで起きていたのだから眠くなるのも当たり前である。
吉澤も自分の席につきながら真希のほうをそっと伺う。
早くも熟睡し始めているようだ。
- 360 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/21(日) 17:22
-
『もしかして、ごっちんは、毎日こんな生活を送っているのか?』
昨日の真希の行動には迷いや違和感がなかった。それは昨日のことに慣れてしまっている
ということ。つまり毎日繰り返されている可能性が高い。
そういえば転校してきてから数日で教室では寝ている姿しか見かけなくなった。
真希の寝息は既に深いものとなっている。その姿はつかの間の休息を貪っている姿に映る。
なぜだろう。
真希の背中に一時期の亜弥が重なる。
知り合ったばかりの時の亜弥と同じ危うさが。
まるで亜弥から移ったように。
張り詰めたような。
壊れそうなような。
亜弥の、3人の過去を知ろうとして起こした行動。
しかし出てきたのは更なる謎と友達の危うい姿だけだった。
- 361 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/21(日) 17:23
-
もしかして、自分は触れてはいけないものに触れようとしているのかもしれない。
導火線に火をつけるような。
吉澤の頭に一瞬だけ不安がよぎった。
- 362 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/03/21(日) 17:24
-
更新しました。
後藤さんだけでなく作者の文も危ういです。
ご指摘にあった通り、確かにここ2〜3回更新分は展開を急ぎました。
その結果抜けている部分も出てきていることも事実なので今回は元に戻しました。
ストーリの大筋は変わらないですが、多少展開に修正を加えてあります。
うまく表現しきれるかな…?
- 363 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/03/21(日) 17:25
- レスありがとうございます。
>>345-346
貴重なご意見ありがとうございます。
ストーリー等で気付いた点やご意見は歓迎しております。
直せる所は可能な限り直していきたいと思います。
リクは作者に才能がないので受け付けられないのですが。
ちなみに合宿編で削ったのは、練習後から就寝前までと、翌朝のエピソードです。
行きのバスの中の様子は単なる作者の趣味で、ストーリーとは特に関係ないです。(多分)
>>347 名無し飼育様
ありがとうございます。
えーと、感覚は作者にもうまく言えないです(作者なのに…。
とりあえず雰囲気だけは保っていきたいです。
- 364 名前:名無し読者 投稿日:2004/03/22(月) 02:05
-
更新おつかれ様です。いつも楽しませて頂いております。
色々な読者の方がいると思います。たくさんの人に愛されている
から尚の事だと思います。自分に言えることは、作者さんの
ペースで頑張って下さいってことだけです。密かに応援しております。
- 365 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/24(水) 22:44
-
『うー、眠い。』
今日の授業はほとんど寝て過ごしてしまった。
普段もあまり聞いていないが、さすがに全授業をねてしまったことはなかった。
昨日は真希と同じように一晩中起きていたため、吉澤は見事な寝不足だった。
真希がいつも教室で寝ている理由が分かった。
身体が持たない。
しかし、今日の放課後は吉澤も何時通り部活に出る。
真希が自分の部活にいってしまったことと、自分も大会中の身分であることから、
そうそうは休めない。
眠気を払うためにいつもより少し気合を入れて荷物を背負う。
ふらふらとした足取りで体育館に行くと中は既に活気に溢れており、皆アップを始めている。
吉澤もなんとか着替えを済ませてコートに足を踏み入れる。
- 366 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/24(水) 22:45
- ふと傍らに目をやると亜弥が柔軟をやっている。
周囲には1軍の選手達がいる。
以前の周囲を拒絶する雰囲気を発しなくなった亜弥は、既に部活に溶け込んでいる。
むしろ亜弥の周囲には人が集まるようになっている。
そしてその顔には終始笑顔が見受けられる。
そしてその笑顔の近くには必ず……。
吉澤が目を少し右にずらすと、コーチ達と今日のメニューの打ち合わせをしている
美貴の姿がある。
2人は特に話をしていないが、その空間には確かな繋がりが見える。
お互いに別々の方向を見ているのに、その意識は向かいあっているように感じる。
自分はあの間に入っていくことはできるのか……?
- 367 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/24(水) 22:46
- 弱気になりそうになる自分の考えを首を振って拒絶する。
いや、入っていかなくては駄目だ。まだ2人の間には必ず入り込める隙間があるはずだ。
真希のあの姿を見て、その考えはより強くなった。
奇妙なつながりが見える、ごまっとうの3人。
真希のあの危うい背中は、そのまま今の3人の関係を映し出しているように感じた。
必ずチャンスはあるはずだ。
- 368 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/24(水) 22:47
-
部活が終わると一目散に真希の家に向かう。
亜弥達も同じ方向のはずなので見つからないように、そそくさと帰っていく。
そして家の前で待っていると真希が帰ってくる。
しかし吉澤には何も言わずに家の中に入っていく。
数時間後再び昨日と同様に真希はジャージ姿で走り始め、吉澤も後をつける。
そして明け方ボロボロになり戻ってきた真希が家に入るのを見届ける。
朝は一緒に登校。
そんな生活が1週間続く。
大会中である吉澤にはさすがに堪えてきたのか、目のしたに隈ができ始める。
しかし、決してやめるつもりはなかった。
- 369 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/24(水) 22:53
-
そろそろ真希の家も見慣れたものとなってきたある日、いつも通り家の前に
立っていると、聞いたことのある声が聞こえてくる。
「最近、亜弥ちゃん反応が良くなってきたね。」
「えへへ〜、トレーナーが優秀だから、上達も早いんだよ。」
「ふふ、美貴は大したことはやってないよ。亜弥ちゃんが頑張ってるからだよ。」
亜弥と美貴である。
見つかるわけにはいかない吉澤は慌てて真希の家の植え込みの中に身を隠す。
2人は吉澤には気付かずに目の前を通り過ぎ、真希の家のチャイムを鳴らす。
するとすぐに真希が出てくる。
「あれ?どうしたの2人揃って。」
「何言ってるの真希。カバンを忘れるうっかりものの誰かさんのために
わざわざ疲れた体をおして届けに来たのに。少しは感謝してよ。」
そう言って胸をはる美貴。
しかしその発言に周りが黙っていない。
- 370 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/24(水) 22:54
-
「もう、何言ってるの美貴たん。美貴たんなんてしょっちゅう忘れてるじゃん。」
「そうだよ。美貴は、たまにカバンを学校に持っていくの忘れてるくせに。
何しに行ってるのさ。」
2人から思わぬ反論をくらった美貴は、拗ね始める。
「な、なんだよ〜2人して…。いいじゃん、少しくらい忘れ物したほうが可愛げがあるでしょ。」
「美貴たんの場合は少しくらいじゃないよ。」
「そうそう。だいたい自分で可愛げがあるなんていってる時点で可愛くないから。」
2人から同時に切って捨てられた美貴は、更にいじけてしまう。
そんな美貴を笑いながら見ていた真希だが、いたずらっぽい表情を浮かべる。
「亜弥ちゃんが言うなら可愛いけどね〜。」
「え、え?」
突然言われた亜弥は、顔を赤くして真希を見る。
真希は特に何も言わずに亜弥を見つめ返す。
その視線に耐えられなくなったのか亜弥は手にもっていたカバンを真希に押し付ける。
- 371 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/24(水) 22:58
-
「じゃ、じゃあ、カバンは渡したよ?今度はもう忘れちゃ駄目だからね。」
「うん、ありがとう。美貴、ちゃんと亜弥ちゃんを送っていくんだよ。」
「うん、分かってる。じゃね。」
一瞬、先程までのおちゃらけた雰囲気が一掃されて、真希と美貴の真剣な眼差しが交差する。
そして2人は、寄り添うようにして帰っていく。
2人の家はここから近いと言うのに…。
吉澤は2人のかわした言葉に疑問を残しつつも、真希の様子をそっと伺う。
そこには先程までの穏やかな表情は浮かんでいなかった。
寂しいような、心配しているような。
そんな表情を浮かべていた。
そして2人の姿が見えなくなるまで、真希が視線をそらすことはなかった。
- 372 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/24(水) 22:59
-
「ごっちん…。」
「………。」
植え込みの影から声をかけると、真希は一瞬だけ吉澤を見るがそのまま家に入っていってしまう。
そして2時間後、再びジャージ姿の真希が玄関から出てきていつも通りに走り去っていった。
だが、この日の真希の姿はいつもより更に危うく見えた。
いつもより動きや表情に余裕がなかった。
しかし何とか無事に家にたどり着く。
この日も家に帰ってきた時間は3時過ぎだった。
そしていつも通り家に入ろうとする真希に声をかける。
- 373 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/24(水) 23:00
-
「やっぱり危ないよ。」
しかし真希の表情に変化は無い。
「何回も言ってるでしょ。興味本位で首を突っ込まないで。」
「興味本位なんかじゃない。心配なんだよ。」
「別に負けやしないよ。」
「そんなことを言ってるんじゃない!」
吉澤の声が大きくなる。
時間は既に深夜から早朝にさしかかっており、物音がほとんどしないため、声は周囲に響き渡る。
2人の間を沈黙が支配する。
吉澤は先程思わず漏れそうになった感情を少しだけ抑えて、慎重に息を整える。
そしてゆっくりと吐き出す。
「そんなに何を張り詰めてるの?今のごっちんは、何かに…追われてるみたい。」
「………。」
- 374 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/24(水) 23:01
- 真希は答えない。
もう一度言葉を紡ぐ。
「何をそんなに……怯えているの?」
「うるさい!」
怯えているという言葉を聞いた途端に、思わず反応したのか真希の平手が吉澤に飛ぶ。
「……っ!」
「あ…。」
真希も意識してやったことではないらしく、自分の手と吉澤を交互に見る。
「そんなに…怯えないで…。」
「!…う、うるさいな!さっさと帰んな!」
真希は乱暴にドアを閉めて家の中に入っていった。
- 375 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/24(水) 23:03
- 吉澤はその場に立ち尽くしていた。
しかしその顔には、何故か少し余裕が伺える。
吉澤にしてみれば、大きな成果が初めて感じられた。
初めて真希の心の一部に触れたことを実感した。
そして、初めてごまっとうに触れることが出来たような気がした。
だから吉澤の顔には、真希のことを心配しなければいけないのに、何故か軽い笑みが浮かぶ。
『うちって、薄情者だなー。』
吉澤は成果を得たことに満足しつつ、真希の登校を待とうと、座って待てる場所を
確保するために足を踏み出す。
すると、その足がふらつく。
『ちょっと疲れたかな?』
真希を待つ間、少しだけ休むことにした。
- 376 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/24(水) 23:03
-
3時間後、真希が登校するために家を出る。
玄関を出ると同時に軽いため息をつく。
いつも吉澤は門の前で座って自分を待っている。
玄関から姿は見えないが、また今日も門の前で座って待っているだろう。
今まで本人に何か言ったことはなかったが、結構近所の目が気になる。
しかし吉澤は恐らくそれを狙っているのだろう。だから何も言わないできた。
真希は軽いため息を再びつくと一歩踏み出す。
そして門のところで吉澤の姿を見つける。
しかし――――
「よっすぃ!?」
吉澤は座って待っているのではなく、座った体勢から崩れ落ちる格好で倒れていた。
真希が声をかけるが反応がない。
慌てて吉澤の額に手をあてると燃えるように熱かった。
真希はとりあえず助けを呼ぶために家に戻っていった。
- 377 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/03/24(水) 23:13
-
更新しました。
えーと…今回は短いです。今までの中で最短かも…。
どうしてもいい区切りが見つからなくて…。
>>364 名無し読者様
ありがとうございます。
そう言っていただけると本当に励みになります。
作者も密かに感謝しております。
これからも楽しんでいただければ幸いです。
- 378 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/28(日) 20:55
- 額に手をあてる。
『だいぶ熱も下がったかな。』
すっかり温まったタオルを取り替える。
冷えたタオルが気持ちいいのか吉澤の表情が和らぐ。
その顔を確認した真希は水を替えるために部屋を出る。
吉澤の携帯から自宅の電話番号を探し出して自宅に電話。
すぐに学園にも電話。学園長が亜弥の父親であり、真希が亜弥と仲がいいこともあり、
看病のために休むことは快諾された。そして医者を呼んで容態を見てもらった。
注射を打ってもらったため、薬がきいたのか、吉澤は気持ち良さそうに寝ている。
結局、一日中吉澤の看病に費やしてしまった。
その甲斐あってか玄関先で倒れていた吉澤の病状も良くなってきたようだ。
『全く世話の焼ける…。』
水を取り替えて再び部屋に戻る。
吉澤は未だ目を覚まさないようだ。
水を置き、ベットの脇に座る。
- 379 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/28(日) 20:56
-
『でも……この……お節介が…。』
亜弥のことを知りたいくせに、何故か真希の心配をしていた。
そして理由はどうであれ、真希や美貴がいない亜弥を元気付けようとしていたと聞いていた。
真希の吉澤に対する印象は、この数日で多少良好なものになってきていた。
- 380 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/28(日) 20:57
- しばらく吉澤の顔を見たまま、物思いに耽っていたが、ふと気が付くと、吉澤の眉が少し顰められる。
「よっ……」
「……かな…で…。」
「え?」
「い…ないで…。」
「よっすぃ?」
起きている気配はしない。
うなされているようだ。
閉じられた瞳から涙が一筋流れる。
「…そばに……。」
吉澤は寝ているのにも関わらず、悲しみに溢れた顔をしている。
そして、繰り返す言葉。
『私達の過去を知りたいと言ってたけど…。本当は自分も何か抱えているんじゃ…。』
よく考えたら、自分のほうも吉澤の過去を知らない。
自然に出てくる中学時代の話を一切したことが無い。自分のほうには事情があるものの、
吉澤も全く中学時代の話をしたがらない。よく考えればお互いに過去を全く知らないのは
不自然な関係だと思う。
- 381 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/28(日) 20:58
-
しばらくすると吉澤の寝息も元に戻る。
それを見て真希もホッとする。
コンコン
するとタイミングを計ったかのようにドアがノックされる。
時計を見る。もうこんな時間か。
「はい。」
真希が返事をすると亜弥と美貴が入ってくる。
「どう?吉澤先輩の様子。」
「うん。うなされていたみたいだけど、ようやく落ち着いてきた感じ。」
入ってきた亜弥は手に果物を持っていた。
「一応今日は部活もあったけど、顧問には休むって言っておいた。そんでもって美貴達は
部員代表でお見舞い。よっすぃは、これでもチームのエースだからね。顧問が様子を
見てこいって。そんでこれが今日授業で使ったもの。」
「ありがとう。」
美貴は真希達のクラスの配布物を持ってきてくれたようだった。
- 382 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/28(日) 20:59
-
「でも何で真希の家にいるの?よっすぃの家は方角が全然違わない?」
「え?」
言われてみれば、確かにおかしいかもしれない。
だが、吉澤がここにいる理由を教えるためには、自分がやっていることを
話さなければならないため、素直に話すわけにはいかない。
特に亜弥の前では。
「え、えーと…、よっすぃは昨日泊まりに来てたんだ。それで朝、突然熱を出して…。」
「ふーん。」
何とかごまかそうとする。
しかしそこに美貴の視線が突き刺さる。
真希はその視線をさりげなく逸らす。
すると美貴が亜弥に声をかける。
「亜弥ちゃん、下にいって水を替えてきてくれない?ついでに美貴達の飲み物
もらってきて。」
「えー、なんであたしが。美貴たん行ってきてよ〜。」
「美貴はもらってきたプリントを真希に説明しているから。」
「う〜、分かった。」
- 383 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/28(日) 21:00
- よくスラスラ適当な理由が出てくるものだと真希は感心する。
もらってきたプリントは真希達のクラスのものであって美貴のクラスのものではないのに。
しかし亜弥は素直に言うことに従い、水の入った洗面器をもって下に降りていく。
2人きりになってから、美貴は先程より鋭い視線を真希に向ける。
「よっすぃは何で真希の家にいたの?見た限りでは泊まりに来るほどの仲には
見えなかったけど?」
「………。」
さすがに鋭いところをついてくる。
真希は簡単に人に心を開くタイプではないため、仲良くなる人間は非常に限られている。
特に3年前に比べて更に心を開かなくなっているように見える。
美貴と亜弥以外の人間とは深く関わろうとしていない様子は顕著だった。
「う…ん…。」
「よっすぃ?」
吉澤の声が聞こえたため、起きたのかとベットのほうを見てみたが、気のせいだったようだ。
瞳が開いていないことを確認すると、再び答えを促す。
- 384 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/28(日) 21:02
-
「真希?」
「……よっすぃは…私の家に通っていたんだ。私の様子を見るために。」
「……真希のトレーニングに気付いたから?」
「…………!!」
真希の身体が少しだけ硬直する。
「やっぱり知ってたんだ……。」
「……最初は夜中に走りに行ってるんだと思ってた。でもその後に街中でジャージ姿の
真希を見かけたんだ。……あれはトレーニングなんでしょ…?」
「………。」
沈黙を肯定と解する。
「それも男とばかり。…以前みたいに負けないために……亜弥ちゃんを守れるように…?」
「………。」
2人の間に沈黙が流れる。
と、唐突に真希が口を開く。
- 385 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/28(日) 21:04
-
「そうだよ。もうあんな思いはしたくない。目の前で大事な人が傷つけられるのを
見ているなんてしたくない!」
真希が吐き出すように言葉を叩きつける。
だが、美貴は動じない。
「じゃあ、それで真希が傷ついて亜弥ちゃんは喜ぶと思うの?」
「……!!」
はじかれたように美貴を見る。
「あの子は、また目の前で大事な人が自分のために傷つくのを見ていなくちゃならないの?
もう次は……亜弥ちゃんは耐えられないかもしれないよ…。」
「………。」
再び2人の間に沈黙が走る。
今度は2人とも口を開こうとしない。
物音がしない部屋の外から足音が聞こえてきて、ドアが開く。
- 386 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/28(日) 21:05
-
「持ってきたよ〜2人とも烏龍茶でいい?」
「あ、ありがとう亜弥ちゃん。」
動かなかった2人に亜弥が言葉によって息吹を与える。
そしてそれによって部屋の中の時間が一気に動き出す。
亜弥は持ってきたコップに烏龍茶を注いでいる。
「いいよ亜弥ちゃん、私お風呂に入ってくるから、よっすぃの様子を見ててね。」
真希はそう言いながら部屋を出て行こうとする。
そして美貴とすれ違いざま呟くようにささやく。
「美貴には分からないよ。私の気持ちなんて。」
美貴が驚いて振り向くが、真希はそのまま部屋を出て行ってしまう。
「美貴たん、はい。」
「あ、…ありがとう…。」
美貴は亜弥からコップを受け取り一口飲む。
- 387 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/28(日) 21:06
-
「どうしたの?美貴たん。なんか驚いたみたいだけど。あたし何かした?」
「え?ううん、なんでもないよ…。真希が帰ってくるまで代わりに見てなくちゃね。」
「うん、でも暇だよね。」
「うん、そうだね。」
先程の真希の発言はどういう意味なんだろうか。
真希のことは美貴が一番よく理解しているつもりだった。
だが、“美貴には分からない”と言った真希の気持ちが分からなかった。
いつの間にか自分達は、すれ違ってしまっていたのだろうか。
- 388 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/28(日) 21:07
-
美貴が物思いに耽っていると、亜弥がチラチラと美貴のほうを伺い始める。
そして亜弥の目が何か企むような色を帯びる。
「ねえ、美貴たん。」
呼びかけられ考え事を中断された美貴は亜弥のほうを見る。
そして亜弥の目を見て、嫌な予感が走る。
「な、何?」
「美貴たんはトレーナーだよね。」
「うん、まぁね。」
「じゃあさ、選手の体調管理はしっかりしないとだよね?」
「う、うん。」
凄まじく嫌な予感がしてくる美貴。
- 389 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/28(日) 21:08
-
「あたし疲れが溜まってるんだよね〜。マッサージして。」
『や、やっぱり…。』
「マッサージして。」
美貴の腕を掴んで甘えてくる。
「や、亜弥ちゃん今日は練習してなくて疲れて無いじゃん。」
「だから疲れが溜まってきてるんだって。」
「寝れば疲れなんて取れるよ。」
「あー、美貴たんトレーナーなのに仕事しなーい。」
「いつも練習が終わった後してあげてるじゃん。」
吉澤の眉毛がピクリとつりあがったが、2人共気付かない。
「でも今日もして欲しいの!駄目ぇ?」
亜弥は美貴の腕を掴み、上目遣いで少し目を潤ませている。
美貴はため息をつく。
こうなったら自分の負けだ。
「分かったよ。じゃあ、下でタオルとか借りてくるからちょっと待ってて。」
「あ、あたしも行くよ。」
2人は連れ立って部屋を出て行く。
- 390 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/28(日) 21:09
- 部屋にはベットで寝ている吉澤だけが残された。
そしてその吉澤は、ゆっくりと目を開く。
軽くため息をつく。
「病人の前でいちゃつくなよなー…。」
呟いてみる。
そして思い出す。
先程の美貴と真希の会話。
自分が想像していたよりも事態は重苦しい雰囲気を持っているようだ。
もしかしたら、過去の事実は知らないほうがいいのかもしれない。
知らないほうが、やりやすいこともある。
自分の中に葛藤が生まれる。
知るべきか。
知らないでいるべきか。
少し考えてみるがすぐには答えは出なかった。
体調も良くなってきたし、これ以上真希に迷惑をかけるわけにはいかない。
それに、これ以上目の前でいちゃつかれたら堪らない。
吉澤はゆっくりと上体を起こすと帰りの準備を始めた。
- 391 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/28(日) 21:10
-
- 392 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/28(日) 21:11
- まだ休んでいったほうがいいという真希達の意見を振り切って家に帰ることにした。
しかし心配だからということで真希が途中まで送っていくことになった。
2人の間に会話はなく、黙々と歩いている。
お互いをちらりと見ては、また違う方向を見る。
話すタイミングを計っているが、2人ともきっかけが掴めないでいた。
結局、特に会話はないまま駅に着いてしまう。
「あ、あの、ありがとう。看病してくれて。」
「別に気にしないで。」
真希はそれだけ言うと背を向けて歩き出す。
吉澤としては面倒を見てもらったこともあり、礼儀としてお礼を言っておく必要があった。
しかし駅に着くまで言い出せなかったのは、真希からもう家の前をうろうろするなとでも
いわれた場合、言うことを聞かざるを得ない。世話になってしまったのだから。
だが、真希は特に何も言わずに帰っていった。これは、真希が少しだけ自分の行動を許して
くれていると考えてもいいだろう。
少しだけ真希に近づけたことを実感できて、嬉しかった。
- 393 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/03/28(日) 21:14
- 更新しました。
今回はageなくても、あまり下に落ちそうにないのでsage更新です。
えーと、更新してすぐに次回の更新の話ですが、次回更新は少し文の趣向を変えた、
自分にとっては実験的な文を載せようと思ってます。
実験的といっても、ただ単に自分が初めて書くためということだけで、Seekでは
よくある(全体の1/4?くらいで使われている)手法です。
次回更新分のみの使用予定ですので、1回だけお付き合いください。
- 394 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/03/28(日) 21:16
- 名前欄……またやってしまった_| ̄|○
- 395 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/28(日) 23:37
- ほほう。なにやら興味深い…実験的?
次回更新、楽しみにしています。
- 396 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/30(火) 12:54
- 謎は深まるばかりです。
次回更新も楽しみにしてます。
- 397 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/04/09(金) 22:11
- えーと、実験的なものを載せると大見得をきった作者でしたが、作者の力量不足で
雰囲気が変わってしまいそうなため、元の文章で現在再作成中です。
近々更新しますので、もう少々お待ちください。
- 398 名前:名無し読者 投稿日:2004/04/09(金) 23:57
-
待ちます!少々でもいくらでも待ちます!
好きなんです。本当にこの作品好きなんです。
作者さんのペースでどうぞゆるりと更新下さい。
- 399 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/11(日) 20:10
- 期末テストも終わり、後は夏休みを待つのみとなった7月。
後は夏休みを待つのみとなった生徒達の間には浮かれた雰囲気が漂っている。
普通の成績を取っていれば自動的に大学に進学できるこの学園では3年生も、受験勉強を
する必要が無いためギリギリまで部活に精を出している。
バレー部も体調を回復させた吉澤が戻り、今週には県大会決勝戦があることから、全員が
一丸となって練習に取り組んでいる。緊張感と活気が漲っている体育館。
そんな中、吉澤は少し暗めの表情で準備をしている。
先日、風邪をひいて真希の家にお世話になったことを知った親に散々しぼられた上に
外出禁止令を出されたのだ。部活が終わったらすぐに帰らないと夕飯にもありつけない状況だった。
従って、あの日以来、真希の家に行ってない。おかげで教室ではほとんど寝ている真希とは全く会話が
ない。折角真希に少し近づけたのに。
- 400 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/11(日) 20:12
-
だが、今は今週末に決勝戦を控えた身であることから、あまり無茶は出来ない。外出禁止令がなくとも
今週は家で体調を整えなければならない。
無理矢理自分を納得させてコートに向かう。するとコートの隅に人だかりが出来ている。
そこにはレギュラーメンバーと亜弥がいる。最近はいつもこんな感じだ。
基本的に素直な性格をしており、実力も相当なものである。それでいて、でしゃばらない亜弥は
先輩達にかなり気に入られているようだ。
亜弥は笑顔で話に応じている。本当はそこに割って入って自分が独占したいが、さすがに大人気ない。
それに、あの寡黙だった頃の亜弥を知っているため、今の笑顔を絶やさない亜弥を見られるのは少し
嬉しかった。それが自分ではない他の人の影響だとしても。
とりあえず今週末は大事な試合が控えている。今だけは集中しないと。
チームのキャプテンである吉澤が戻ったことにより練習はいつもより更に熱のこもったものとなった。
インターバルの間も皆各自に休むことなく練習の復習をしている。
吉澤も同じく1人で先程の練習内容を反復練習していたが、その練習の間も無意識に亜弥と美貴の
姿を探してしまう。亜弥のほうは単純に今何をしているか気になるのだが、美貴のほうは今の自分が
美貴の目にどう映っているかが気になってしまう。それほどバレーに関して、美貴は憧れの存在だった。
- 401 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/11(日) 20:13
-
亜弥の姿をいつも通り確認した後、美貴を探してみると、その姿が見当たらない。
何かを取りに裏のほうにでも行ったのかと思っていると、体育館の影になっているのほうへ、後輩に
手を引かれていく姿を見つけた。そして影に入り30秒程度で出てきた。不思議には思ったが特に気にしなかった。
「じゃあ、練習はじめるぞー。」
顧問の声でインターバルが終わり、再び練習が始まる。吉澤も集中して練習をする。そして通常の練習が終わる。
普段であれば特に居残りもせずにすぐ帰り支度に入っていたが、今は別だ。
真希の家に通っていて練習に身が入ってなかった分を取り戻すのと、もう一つ理由があった。
亜弥の教室や部活で頑張っている姿を見て、
美貴のトレーナーとして頑張っている姿を見て、
真希のあのボロボロになっている姿を見て、考えた。
今の中途半端な自分では、あの3人に近づく資格がないのでは。
自分を奮い立たせて、必死で頑張っているあの3人の側にいられるのは、同じように頑張っている
人間じゃないと駄目なのではないか。
だから今の自分にできる精一杯の努力をしよう。
例え3人の努力に及ばなくても、胸をはれるくらいの努力をしよう。
そのためには他の人と同じ練習では駄目だ。
- 402 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/11(日) 20:14
-
本当は他の人と同じ練習で、今の実力を発揮できている吉澤の能力は充分凄いものだが、
得てして本人はそのことに気付かないものだ。とにかく今まで以上に練習をすることにしているため、
居残りで練習をする準備を始める。そしてふと傍らを見ると亜弥がいつも通り先輩達に捕まっていた。
「松浦さん、柔軟手伝ってあげるよ。」
「あ、はい、お願いします。」
「松浦さん、上着もってきたよ。」
「すいません。ありがとうございます。」
「松浦さん、何か飲む?ジュース買ってきたけど。」
「だ、大丈夫です。まだ少しやっていきますし。」
「ああ、じゃあ、私も残って一緒にやろうか?」
「大丈夫ですよ。ほとんど一人でやる練習ですから。」
まったく、練習をしないなら早く亜弥ちゃんを解放してやりなよ。
正当な理由で自分の苛立つ気持ちを隠して毒づく。
しかし周囲にいる選手達は、一向に帰ろうとしない。
「あ〜、松浦さん、可愛い!」
囲んでいた選手の1人が後ろから亜弥を抱きしめる。
- 403 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/11(日) 20:15
-
『うちですら、ほとんどしたことないのに!』
さすがに我慢できなくなり、離すように言おうと歩き出すと、吉澤の他に集団に近づく影がある。
「あの、すいません、そろそろ練習を始めたいんですけど。」
そう言うと亜弥をさりげなく抱きしめている選手から引き剥がし自分のもとに引き寄せる姿があった。
「あ、美貴たん。」
「ほら、練習やるんでしょ?だったら早くしなよ。」
「うん。」
「じゃあ、お疲れ様でした。」
集団に挨拶をしてさっさと歩いていってしまう。
あまりの手際のよさと、さりげない美貴の強い視線に集団は固まってしまっている。
その姿は自然なものに見えた。他者の介在を許さないような。
吉澤の中に生まれる疎外感。それは自分が勝手に抱いている疎外感だということは良く分かっている。
自分のイメージが作り出している疎外感だということは。
だから、それを払拭するために。自分を奮い立たせるくらいの自信が欲しくて。
吉澤は亜弥達と並んで居残り練習に取り掛かった。
- 404 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/11(日) 20:16
-
◇◇◇◇◇
- 405 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/11(日) 20:17
- 居残りでの練習にも区切りをつけて道具を片付け始める。
ふと横を見ると亜弥達も片付けを始めていた。
「あれ?亜弥ちゃん達も終わり?」
「はい。吉澤先輩も上がるんですか?」
「うん。もういい加減疲れたしね。一緒に帰る?」
「はい。」
この会話だけだとまるで2人だけで帰るみたいだけど、当然として美貴も一緒。
そんなことはあえて確認するまでも無い。吉澤はすぐに道具を片付けると着替えを手早く済ませて
体育館の入り口に立つ。すると亜弥もすぐにやってくる。
「すいません、美貴たん、まだ着替えていて…。」
「全く、ミキティ何やってんだか。」
そんなことをやっていると美貴が着替えもそこそこに走ってくる。
「美貴たん、遅い。吉澤先輩も待ってるのに。」
「そうだよミキティ、早く帰ろう。」
吉澤も部活が終われば、美貴に対しても普通に接することができるようだ。
- 406 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/11(日) 20:18
-
「あ〜、ゴメン。もうちょっと待っていてくれる?美貴、ちょっと寄るところがあるから。」
「え〜そうなの?じゃあ、あたしも一緒に行くよ。」
「あ、だ、大丈夫だよ。すぐに済むから。ここで待ってて!」
そう言うと美貴は慌てて走っていってしまう。
吉澤が亜弥の顔を何気なく見ると、その顔は明らさまな訝しがる顔。
確かに、先程の美貴は吉澤にもはっきりと分かるほど挙動不審だった。いつも一緒にいる亜弥が
気付かないわけが無い。そしてこういう時の亜弥は―――――
「吉澤先輩!」
「は、はい。」
「あたしも用事が出来たんで、ちょっと待っていていください!」
こうなるのだ。さすがに最近は亜弥の行動パターンが読めてきた。
「……あたしも付き合うよ…。どうせミキティの後をつけるんでしょ?」
「…なんで分かったんですか?」
亜弥は驚いているが、吉澤からすればもう見え見えだった。
- 407 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/11(日) 20:18
-
「まあ、そんなことはいいから早く後をつけよう。見失っちゃうよ?」
「あ、はい。」
吉澤の言葉に慌てて美貴の後を追いかける。
すると体育館の裏のほうに歩いていく後姿を見つける。すぐに後をつけて見つからないように覗き込む。
体育館の裏は光が所々にしかなく、姿が確認しづらかったが、目が慣れてくると美貴と、もう1人が
向かい合って立っているのが確認できた。吉澤達は見つからないように声が聞こえそうな距離まで
近寄り、こっそりと聞き耳をたてる。
「すいません、藤本先輩。呼び出したりしてしまって…。」
相手の声に聞き覚えがある。確か後輩の……そう、そう言えば今日の練習のインターバル中に
美貴の手を引いて裏に入っていった子だ。
「うん、いいよ。で、話って何?」
美貴が促すが、その呼び出した子は中々切り出すことが出来ない様子だった。
だが、吉澤には分かる。何度も体験した。だが、他の人の場面に遭遇したのは初めてだった。
恐らくこの後に出てくる言葉も想像つく。
- 408 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/11(日) 20:19
-
いつも自分が味わっている。
傷つけない言葉を考える煩わしさ。
どこかで感じる罪悪感。
疼くトラウマ。
そして開く傷口。
こういう場面は何度迎えても慣れない。
- 409 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/11(日) 20:20
-
ひそかに眉をしかめる吉澤とは対象的に、亜弥の表情に変化は無い。唯一あるとすれば、
その表情が全く消えてしまっているところ。だが、本人はおろか隣にいる吉澤も気付かない。
「……あの、私、藤本先輩に憧れてたんです。迷惑かもしれないですけど……。でも、
どうしても…この気持ちが抑えられなくて……。もし良ければ、その……」
亜弥は固まり、吉澤は安堵の息をもらし、美貴はため息をついた。
「ありがとう。でも美貴、そういうの興味ないんだ。だから、ごめんね。」
“そういうの”
何を指しているのだろう。
女の子に告白されること?
恋愛に対して?
それとも部活以外のことにはってこと?
……それとも何かを指すものではなくて、相手が、いるからって意味………?
- 410 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/11(日) 20:21
- 何を指して言っているのか全く予想がつかない。美貴がどういう考えを持っているか
確認する良い機会だと思って覗きに来たのに、これではさっぱり分からない。
「そうですか……。」
「うん、ごめんね。……美貴、人を待たせてるから、帰るね。」
美貴が後輩に背中を向けて歩き出す。つまり吉澤達が隠れている方向に。
それを見て慌てて離れようとするが、亜弥が動かない。
「亜弥ちゃん、見つかっちゃうよ。……亜弥ちゃん?」
亜弥は美貴の方を見たまま、全く動く気配がない。顔を覗き込んでも微動だにしない。
その間にも美貴はドンドン近づいてくる。亜弥は一向に動く気配がしない。仕方なしに吉澤は
怒られる覚悟を決めて、立ち上がろうとする。しかし先程の後輩の言葉が届く。
「あ、あの!それは…松浦さんがいるからですか?」
「え?」
- 411 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/11(日) 20:22
-
美貴が再び後輩のほうへ振り返る。
そして吉澤も思わず声のした方向を見る。自分が最も聞きたいことを質問してくれたから。
だから気付かなかった。その後輩の言葉によって、亜弥が弾かれるように顔を上げたことに。
「藤本さんは、松浦さんがいるからですか?」
「な、なんで亜弥ちゃんが……。」
それまでクールな対応であった美貴が、動揺を見せ始める。
そして亜弥も。全く動かなかった先程とは違い、なんだか挙動不審になり始めている。
だが吉澤は気付かずに美貴の答えに耳を澄ませていた。
「いつも一緒にいますよね。藤本先輩、松浦さんには特別優しいし。」
美貴は答えない。そのままその場に立ち尽くしている。後輩も動かない。美貴の答えを待っている。
この場に4人の人間が存在するが、誰もが息を潜めている。
「…亜弥ちゃんとは、そんなんじゃないよ。」
- 412 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/11(日) 20:23
-
吉澤達からでは美貴の表情は全く分からない。
だが、その声は今日発せられた言葉の中で最も小さい声だった。
吉澤は、その声の中味を探ろうと思った。単純な声には聞こえなかったから。
何かを思わせるような声だったから。だが、思いをめぐらせる前に腕を掴まれる。
「吉澤先輩、見つからないうちに帰りましょう?」
そういった亜弥の表情は逆光で、よく見えなかった。
見つからないようにその場を離れて、体育館に着くとすぐに美貴も戻ってくる。
「お待たせ!さ、帰ろう?」
「うん。」
美貴の表情には全くかげりが無かった。そして亜弥にも。
2人は何事もなかったかのような表情で歩き始める。
吉澤は1人で戸惑った表情を浮かべている。
その頭の中には嫌な想像が膨らむ。
この2人にはいつものことなのかもしれない。こういう場面に何度も遭遇し、それでも2人は
いつも一緒にこうしているのではないのか。そういう絆の元にいるのではないか……。
そこまで考えて、自分の暗い発想に思わず苦笑する。
- 413 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/11(日) 20:24
-
――誰かさんじゃあるまいし――
一瞬、ある顔が頭の中を過ぎ去るが、無理矢理振り払う。
何思い出してるんだ。
1人ごちる。
そしてそんなことをしているうちに駅に着く。ここからは吉澤と亜弥達は別々の電車となる。
吉澤に別れを告げて2人は滑り込んできた電車に乗り込む。そして地元の駅に着き、電車を降り、
並んで歩いて家に向かう。もう遅い時間であるため、同じ帰り道を歩いている人はまばらだった。
その道を先程とは打って変わって、黙って歩いていく。時間帯的には夕飯の時間も過ぎているため
周囲の雑踏も静まり始めている。それが余計に2人の間にある沈黙を強調していた。
- 414 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/04/11(日) 20:29
-
更新しました。
結局以前と同じ形の文章となりました。大見得切ったのにすいませんでした。
あと、今回更新は中途半端なところで切れていたりします。
当初予定より話の展開のスピードが遅かったりするので、このままでは1スレ内に収まらないかも。
自分の考えている通りに展開すればですが…。
レスありがとうございます。
>>395 名無飼育様
すいません。実験は大失敗でした。今後はおとなしくしてようかと…。
>>396 名無飼育様
当初の予定では、そろそろ過去の出来事とかが明かされる予定だったのですが。
過去編は、それだけで中編くらいは書けそうです。
>>398 名無し読者様
そこまで言っていただけると、作者としては嬉しい限りです。
これからも楽しんでもらえるように精進します。
- 415 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/15(木) 22:15
-
沈黙が支配する駅からの帰り道。
いつもと同じ時間に、いつもと同じ2人で、いつもと同じ道を、いつもと同じように
部活からの帰り道なのに…いつもと雰囲気が違う。
『亜弥ちゃん…なんか今日は静か…。』
いつもは一人でペラペラと、こちらが呆れるくらいしゃべっているのに、何故か今日は
黙って歩いている。
『なんかあったのかな?』
美貴が心配になって話し掛けようか迷っていると、亜弥から話し掛けてくる。
「ねぇ、美貴たん。」
「ん?」
「トレーナーの仕事は楽しい?」
「?うん、楽しいよ。」
「そっか。」
「……?」
- 416 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/15(木) 22:16
-
それっきり黙ってしまう。
先程、吉澤が一緒だった時からこんな感じだった。話が途切れる。
何だろう。何かしたかな?なんだか前にもこんなことがあった。
確かあの時は、亜弥ちゃんが部活を見に来て、後輩と仲良くやっているのを見られて…。
『ま、まさかね…、気付かれないように体育館の裏に行ったんだし…、まさか…ね。』
亜弥の表情をこっそり伺ってみると、機嫌が悪いというわけではなさそうだ。
しかし何か考え込んでいる様子だった。
そしてその美貴が亜弥の表情に見たものは当たっていた。まさしく亜弥は考え込んでいた。
先程吉澤と2人で美貴が告白されている場面を覗き見て以来、何か釈然としない想いが胸に浮かんでいる。
- 417 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/15(木) 22:17
-
実は、初めて見たのだ。
美貴が告白されている場面を。
真希も美貴も昔から男女問わずモテた。
だが、2人が告白をされたところをみたことがなかった。しかも2人とも必ず自分の側にいたので
そんなことを想像したこともなかった。自分が不機嫌になれば2人は何を差し置いても側に来て
機嫌を取ろうと必死になってくれた。だから考えもしなかった。2人が自分以外の誰かを優先させる
ことなんて。
別に今のところ2人が亜弥以外の人を優先させたことはなかったが、今後そうなる可能性もあるのだ。
先程の告白は、それを意味していた。だから亜弥の胸中には複雑なものが浮かんでいた。
自分が大事にしていたものを汚されてしまうような気がするのだ。
それが幼い独占欲からのものなのかは分からない。だが、2人の存在を疑いもしなかった亜弥にとっては、
生まれて初めて受ける衝撃だった。そしてその初めて受けた衝撃を持て余していた。
だからいつものようにはいかなかった。いつもみたいに美貴に他愛も無い話をするわけには。
そしてそのことが2人の間に沈黙を作っていた。
- 418 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/15(木) 22:18
-
◇◇◇
- 419 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/15(木) 22:19
-
結局、話があまり続かないまま家が近くとなる。
自分達の家に着く前に真希の家の前を通るのだが、なぜか今日は真希の家の前に人がいる。
なんだろうと思って見ていると、その集団はこちらに向かって移動をし始める。
そしてその集団の真中に、囲まれるようにして真希の姿が見えた。
驚いて固まっている2人に真希は、囲んでいる人たちに気付かれないようにウィンクを送る。
その集団はそのまま近くの公園に入っていく。明らかに友好的な雰囲気ではなかった。
「…ちょっと見てくる。」
「あ、あたしも…。」
「駄目。亜弥ちゃんはここにいて。危ないから。」
「やだ。それにこんな所で1人で待たされているほうが怖い。」
そう言って腕にしがみつく。
その様子が本当に怖がっているようで、一瞬だけ逡巡する。
「…分かった。でも危なそうだったら、すぐに逃げるんだからね?」
「うん。」
- 420 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/15(木) 22:20
- 亜弥が頷くのを確認すると、自分たちも公園に入る。
真希達は公園のほぼ中央にいた。気付かれないように、様子がよく見える所まで近づく。
すると目ざとく真希が2人に気が付く。
驚いたような表情を見せるが、美貴の目を見て一瞬で何があったか察して軽く睨む。
美貴はゴメンと口を動かす。
「どこ見ているんだよ!」
集団のリーダー格らしき人物が声を荒げる。
「別に…で、何?わざわざうちまで訪ねてくるなんて。」
真希は全く動じずに応じる。
見たところ集団は全部で6人。
皆どの顔つきも一様に眼光が鋭く光っていて、風貌からどのような類の人間か窺い知れる。
「用件は一つだ。お前、最近街で随分と楽しいことをしてるそうじゃねーか。」
「別に好きでやってるわけじゃないよ。向こうが絡んできただけ。」
「は?何言ってくれてんの。同じ時間帯に同じ方法で皆やられてんだよ。しらばっくれてんじゃねーよ。」
真希はそれを聞き、鼻で笑う。
- 421 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/15(木) 22:21
-
「ふん、女1人にやられたのを自分から言って回ってるんだ?情けない。」
明らかな侮蔑に囲んでいる集団の雰囲気が変わる。
目に殺気が溢れ始める。
「だから今日は俺達が街での歩き方を教えてやりに来たんだよ。家の場所も分かってるんだ。
何回でも来てやるぜ。」
その言葉を機に集団は腰を落として臨戦体制に入る。
「わざわざ私の家を調べて、道まで覚えてもらったところ悪いんだけど、多分もう必要ないよ。」
「ああ?」
「二度と来る気をなくすと思うから。」
その言葉と同時に真希が正面にいる人間に蹴りを入れる。
そしてそれが合図となり1対6の戦いが始まる。
- 422 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/15(木) 22:22
-
「み、美貴たん、警察呼ぼう?」
亜弥が悲鳴のような声をあげる。
だが美貴は真希達を見たまま動かない。
「美貴たん!?」
「し!静かに!」
指を亜弥の口元に当てて、黙らせる。
亜弥が困惑して美貴を見る。
しかし美貴は何も言わずに首を横に振るだけ。
亜弥は口を閉じると再び真希達のほうに目を向ける。
7人が入り混じっているため、よく真希の様子が見えないが、なぜか焦っているのは
圧倒的に優位にいるはずの男達のほうだった。そして真希のほうは……。
- 423 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/15(木) 22:23
-
『真希ちゃん…?』
今まで見たことがない。
囲まれているにも関わらず、真希の表情には余裕がある。が、しかしそこではない。
冷静に相手の攻撃を捌いている真希の目は……恐ろしく無表情だった。
今まで真希が怒っている姿は見たことがあったが、あんな無表情な目は見たことが無い。
その目からは何も読み取れず、あの目が普段は優しさに満ちていることすら忘れさせられる程に。
亜弥の戸惑いとは関係なく、真希は着実に相手を無力化していく。
実戦を豊富に経験している有段者ほど恐ろしいものはない。しかも真希は一部の間では
立ち技最強とまで言われている、ボクシングをも身に付けているのだ。
相手は恐らく街でもトップレベルの強さを持っているはずである。それにも関わらず
1人、また1人と倒れていき、10分も経つ頃には相手で立っているのは2人だけだった。
その2人も、やっと立っている状態だった。
その段階になって、ようやく真希は声をかける。
「ねぇ、もういいでしょう?ここらに転がっている連中、邪魔だから片付けてくれない?」
- 424 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/15(木) 22:24
-
この声も亜弥は聞いたことがなかった。恐ろしく感情のこもっていない声。
もしあえてこの声に感情と言う名前をつけるなら―――苛立ち――
ゴミが邪魔だから捨てて来いと言っているようにも聞こえる。
残った2人の男達は、その声に慌てて倒れている4人を引きずるようにして公園を後にする。
そして公園には、軽く肩で息をしている真希と、茂みから様子を伺っている美貴達だけが残された。
美貴が誰もいなくなったのを見計らって、立ち上がりゆっくりと真希に近づく。
亜弥も美貴の後ろから隠れるように真希に近づく。
「真希…大丈夫?」
真希がゆっくりと美貴のほうを見る。その目には、まだ表情はない。
「真希…ちゃん…?」
美貴の後ろから覗き込むようにして見ている亜弥が、恐る恐る話しかける。
その言葉に反応し、真希の目に色が戻る。
「亜弥ちゃん……。」
- 425 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/15(木) 22:25
- 真希が反応してくれたのが嬉しいのか、亜弥のこわばった顔に少しだけ笑みが戻る。
そしてその笑顔を見た真希が安心したかのように身体から力を抜く。
しかし逆に美貴の表情は固くなる。
「やっぱり止めなよ。また、こんなことになるよ。」
目を真っ直ぐに見てくる。
『あたしに無くて、美貴にあるもの……この真っ直ぐな目…かな?』
真希は下を向いて苦笑いをする。
その意味が分からずに美貴と亜弥は、その様子を黙って見守る。
「美貴には分からないよ…。」
以前にも部屋で真希が美貴に言っていた言葉。
「なんで?なんで分からないの?」
- 426 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/15(木) 22:27
- 真っ直ぐな眼差し。
その目をさりげなくかわす。
「私は真希ちゃんで、美貴は美貴たん。」
「何…言ってんの?」
「だから、美貴には分からない。」
それだけ言うと2人の側を通り抜けて歩き出す。
「真希!?」
美貴が肩越しに呼び止める。
その声に立ち止まるが、振り向かない。
「私は、…剣だから……こんなことしかできない。」
その言葉を聞き、美貴が固まる。
傍らには亜弥がいたが、亜弥には2人の言っていることが全く分からない。
「何を…何を言ってるの?真希ちゃん。」
- 427 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/15(木) 22:28
- その声を聞き、真希は肩越しに亜弥に笑顔を送る。
寂しげな笑顔を。
だが、その目に確固たる決意を浮かべて。
そして美貴はその目を見て息を飲む。
真希は―――本気だ。
だったら……自分には止められない。
あれは…あの約束は――亜弥は覚えていないみたいだが――美貴と真希にとっては、
守らなければならない約束だから。
そして、あの約束があったから、今自分達はこうして亜弥の側に立っていることが出来る。
「じゃ、気をつけて帰りなよ。」
全く動かない美貴と、困惑の表情を浮かべている亜弥をその場に残して真希は公園を出て行った。
そして公園には2人だけが残される。しかし亜弥の表情は変わらない。亜弥には分からなかった。
真希が言っていた言葉が。しかし、その言葉は美貴には通じているようだった。
- 428 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/15(木) 22:29
-
「美貴たん…剣…って?」
「………。」
だが、美貴は黙して語らない。
「美貴たん?」
「ん…帰ろうか…暗くなると危ないし。さっきの連中が戻ってくるかもしれないし。」
美貴の言葉に先程の男達の眼光を思い浮かべて、急に怖くなってきた亜弥は、急かされるように
美貴の腕を掴んで公園を後にした。
公園を出てから、家に着くまでの道のり。
腕に怯えたようにしがみついてくる亜弥の頭を軽く撫でながら、先程の真希の言葉を思い出す。
『剣にしかなれない』
それは昔、真希と美貴が交わした約束。
亜弥もその場にいたが、亜弥は冗談だと思っていたため、恐らく覚えていまい。
だが、自分達にとって、それは決して破ってはいけない約束だった。
そしてそれはこの3年間の自分達の支えであり、その約束を果たすためにこの場にいる。
美貴の頭の中に過去の映像が浮かぶ。
- 429 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/15(木) 22:30
-
〜〜〜〜
怯え始めていた亜弥。
その亜弥を必死に勇気付ける美貴と真希。
『大丈夫だよ、亜弥ちゃん。美貴と真希が守ってあげるから。』
『本当?』
『本当だよ。亜弥ちゃんに本当のナイトが現れるまで、私と美貴が守ってあげる。』
『真希ちゃんと美貴たんがナイトになってくれるの?』
『本当のナイトが現れるまでの間だけどね。』
『じゃあ、私はナイトの剣役。そんで美貴はナイトの盾役。』
『2人で1人のナイトなの?』
『うん、一応女の子だから2人で1人。』
『ふふふ、ありがとう、美貴たん、真希ちゃん。』
〜〜〜〜
- 430 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/15(木) 22:32
-
あの時の約束は忘れていない。
美貴は腕にしがみついた亜弥をそのままに歩き、真希の家の前で立ち止まる。
道から見上げると真希の部屋に明かりがついているのが分かる。
『私は真希ちゃんで、美貴は美貴たん。』
そう言っていた真希は寂しそうな目をしていた。
自分と同じ思いを抱いていると考えていた。だけど、あの一言が意味していることが分からない
分からないということは、その思いに違いが生まれてしまっているのか。
だが、真希を動かしている根本は美貴と変わらないはずだ。
あの約束があったから、美貴は頑張ることが出来た。
もしあの約束がなかったら、美貴は恐らく未だに病院に通っていて、バレーのトレーナーなど
出来なかっただろう。
そして真希も約束を覚えていた。そして、それを実現しようとしていた。ならば自分には真希を
止めることは出来ない。恐らく真希も自分と同じだから。
「美貴たん…?」
亜弥が不思議そうに美貴の顔を覗き込んでくる。美貴はその顔を見て微笑むと、亜弥の手を握る。
包み込むように―――強く。
決意を込めて―――強く。
- 431 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/15(木) 22:33
-
「さあ、帰ろう?お腹空いちゃった。」
「うん!」
真希の家に背中を向けて歩き出す。しっかりと足を踏みしめて。
そしてそんな2人を真希は部屋から見つめる。
「私には、これしか…出来ないから。」
呟く言葉を拾うものはいない。
2人の姿が完全に見えなくなってから、窓を開ける。
生温かい風が部屋の中に吹き込み、頬を撫でる。
湿った匂いが部屋の中を支配する。
暗くなった空を見上げると、雲行きが怪しくなってきていた。
雨が降り始める。
温かい雨は夏の到来を告げていた。
- 432 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/04/15(木) 22:34
- 更新しました。
全体の話の流れとしてちょうど良いので、次回更新で一旦区切ります。
ストックもちょうどカラになりますので。
- 433 名前:春雷 投稿日:2004/04/18(日) 22:21
- うわぁ、せっつなぁ。
いきなりすみません。
今日はじめて読んだのですが、吉澤も、後藤も藤本も、すごくせつないですね。
じかいを、楽しみにしてます。
- 434 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/22(木) 23:33
- 吉澤が風邪から完全に体調を戻した1週間後。
とうとう県大会決勝戦を向かえる。
相手は、この県で松浦学園と並ぶ強豪と評される学校。
今まで練習試合では互角の戦績を残してきている。
文字通り県内最強決定戦となる。
試合開始は11時からだが、すでに会場は1時間以上前から満員だ。
今まで決勝戦を何回も経験している松浦学園のバレー部ではあったが、今回の
雰囲気は少し違っていた。いつもは、他の高校の生徒や、父兄達が多い観客席。
しかし今日はその構成している人たちが違う。明らかに中学生くらいにしか見えない
生徒や、普段はいないはずのスポーツ雑誌の記者達。地元のケーブルテレビ。そして
極めつけは観客席の半分程を占めている黒い集団、男子高生。
- 435 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/22(木) 23:34
-
「うわ〜すっげ、バレーの試合に男がこんなに来ているの初めて見た。」
「本当、すごいね、どうしたんだろう。」
「でも、どこかでこんな光景を見たような…?」
「え?吉澤さん、知っている人がいたんですか?」
「ん〜、そうじゃなくて、こういう風になっている会場をどこかで見たような
気がするんだけど。」
「そうですか?私はあまり見たこと無いですけど。」
早めにアップを始めた吉澤が会場の雰囲気にビックリして近くの選手達と話をしている。
しかし、吉澤にはこの会場にデジャヴを感じるらしく、しきりに首をかしげている。
そうしている間にも選手達は続々とコートの中でアップを開始する。
そしてその流れに乗って、コートに入ると突然歓声があがる。
「亜弥ちゃ〜ん、ガンバレー!」
「あ、ののちゃん!」
亜弥が応援席に駆け寄る。
そしてそこには女の子なのに何故か学ランを身にまとった辻の姿があった。
- 436 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/22(木) 23:35
-
「亜弥ちゃん、今日は出るの?また亜弥ちゃんのプレーが見られると思って、
皆と一緒に応援に来たんだよ。もう、会場の半分以上亜弥ちゃんの応援だよ。」
「ありがとう、でも今日は出番ないかも。みなさん上手いから。」
「そうかー。でも、いいんだ。亜弥ちゃんがまたバレーをしているのが見られれば。
ののだけじゃなくて、ここに来てる皆がそう思ってるよ。」
「うん、心配かけてたみたいだね。でも大丈夫だよ。美貴たんも真希ちゃんもいてくれるし。」
「亜弥ちゃん、良かったね。」
「うん。」
亜弥は嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。そこには一片の翳りもなかった。
そしてその笑顔を見て、辻も安心して笑う。
すると、突然観客席の黒い集団が騒然とし始める。
「あ、あれ、あややじゃないか?」
「あ、本当だ!あややー!」
辻と話をしている亜弥を発見した黒い集団が一斉に亜弥に声援を送り始める。
亜弥は手馴れたしぐさで、その声援に応える。
騒然とした雰囲気の中、両校のアップが始まる。そして試合開始時間が迫り、
一旦ベンチに引上げる。この時、亜弥に気付いた吉澤が話し掛ける。
- 437 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/22(木) 23:36
-
「亜弥ちゃん、あの連中は知っている人たち?」
「はい。中学の時に、あたしとか美貴たん達を応援してくれていた人たちです。」
「そうなの?半分以上男だね。女の子もいるけど。」
「はい、みんな昔から仲良くしてくれてます。」
吉澤は単純に困惑していた。この会場の雰囲気に。しかし、それはこの場にいる
全ての選手が同じ思いだった。この雰囲気の中、平然としているのは亜弥と美貴だけ。
経験豊富なはずの選手達も、あまり見たことの無い光景に呑まれている。そして、
試合が始まる。ベンチに座っている選手の応援が最も多いという不思議な試合が。
- 438 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/22(木) 23:37
-
◇◇◇◇◇
- 439 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/22(木) 23:38
-
試合会場の雰囲気とは別に、試合内容は一進一退の展開となった。
1セットを取られると、すぐに取り返す展開が続き、亜弥は第1セットから
ベンチで懸命に声援を送っていた。そして決着がつかないまま、最終セットまで
もつれ込む。そして亜弥は最終セットも同じようにベンチから声援を送りつづける。
しかし、最終セットになり松浦学園の選手達の集中が途切れる。立て続けに得点を
決められて、スコアは3−10。選手達の表情には疲れと困惑の色が浮かぶ。
「まずいな。」
ベンチで見守っていた美貴が呟く。試合をしていると分かる。今コートにいる選手達の
間には漠然とした敗北感が漂い始めている。この空気が流れ始めると、コートの中にいる
選手達にはどうしようもなくなってくる。雰囲気に飲まれてしまう。こういう流れは
テクニカルタイムを取ったとしても変わらない。きっかけが欲しい。チームがガラッと
変わるような。
コートの中にいる吉澤も焦っていた。この流れが断ち切れない。チームのキャプテンであり
ムードメーカーである吉澤が必死に盛り立てようとするが、どうしてもチーム内に勢いが
生まれない。選手としてコートの中に立っているのにどうしようもないやるせなさ。
吉澤自身の心も敗北感に蝕まれ始める。
- 440 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/22(木) 23:38
-
ズバン!
歓声があがる。
相手にまたもや得点が入る。
このままでは手遅れになる。最早限界点だ。ここでどうにかしないとあっさり決まってしまう。
美貴が歯がゆい思いをしていると、観客席のほうから、今までの応援の声とは別の声が混ざり
始める。そしてその声は次第に大きくなる。
その声はベンチにいる松浦を呼ぶ声だった。
美貴は亜弥の表情をそっと盗み見る。その表情に変化は無い。しかし逆に美貴にはその顔に
亜弥の自信を見出した。
「監督。」
「なんだ藤本?」
「松浦さんを出してください。」
本来であればトレーナーでしかない美貴に選手を出場させるための発言権は無い。
しかし、監督はその意見を投げやらずにベンチに座っている亜弥を見る。
- 441 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/22(木) 23:39
-
「…松浦。」
「はい。」
「この声に応えることは出来るか?」
「はい。」
「よし、準備しろ。」
「はい!」
亜弥が立ち上がってジャージを脱ぐ。
それを見た観客から歓声があがる。
亜弥はゆっくりと屈伸をする。
そしてベンチ脇にいる美貴のほうを見る。
美貴は何も言わずに、一度だけ頷く。
それを見た亜弥は、自分の頬を両手で叩き、気合を入れる。
選手交代が告げられ、亜弥がコートに入る。
閉塞感が漂っているチームの選手達が、虚ろな目で亜弥を見る。
亜弥はその視線を意に介さず、言い放つ。
「さあ、ここから逆転ですよ!主役はピンチの後、土壇場で逆転するんです!」
- 442 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/22(木) 23:41
-
緊迫感と鬱蒼とした雰囲気が広がるコート内で力強い笑顔と共に、お気楽なセリフ。
あまりにも場違いな言葉に一瞬選手達は、呆ける。
その選手達の心の空白地帯に亜弥の言葉が飛び込む。
「さあ!逆転です!」
コート内に漂っていた雰囲気が一瞬、払拭される。
相手のサーブ。凄まじい勢いのサーブが交代したばかりの亜弥を狙って打ち込まれる。
雰囲気を変えるために入った亜弥を止めて、一気に勝負を決めようとする相手の戦術。
そしてまだ試合に慣れていないだろうという憶測も加わっていた。しかし――
ポン。
亜弥はいとも簡単にレシーブをする。
いつかの体育の時間と同様に、思わず拍子抜けするかのような軽い音を立ててボールが
セッターの真上に上がる。
「戻して!」
「は、はい。」
亜弥の声に思わず亜弥へボールを返す。それを見て全身のバネを使ってジャンプする。
- 443 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/22(木) 23:42
-
バックアタック。
意表を突かれた相手は拾いきれない。
湧き上がる歓声と呆然とする両チームの選手達、そしてコート内を転がっているボール。
以前の体育の時間と何ら変わらない光景。
だから亜弥は再び繰り返す。
力強い笑顔。
そしてコート内にいる選手達に染み渡るようにゆっくりと大きな声で告げる。
「さあ、大逆転の始まりですよ。」
吉澤の目の前で選手達が、自分の心が昂揚していくのが分かる。
自分には出来なかったこと。だが、亜弥はコートに出てきてあっさりと雰囲気を変えてしまった。
目の錯覚ではない。きっと自分以外の人たちにも見えているはず。ピンチの時でも実力を
発揮する、その場をガラリと変えてしまうほどの絶対的なもの。亜弥の身体のまわりには
オーラと呼べるものが漂っていた。
- 444 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/22(木) 23:43
-
亜弥1人が試合に入っただけで、試合の雰囲気と会場の雰囲気が劇的に変化した。
相手チームにも変化が生まれる。明らかに慌しくなってくる。
松浦学園のサーブが面白いように決まり始める。
返ってきても先程までの勢いは無く、やっと返してきている状態。
だからこちらは攻撃にも簡単に移れて面白いように得点が積み重なる。
そして得点が決まる度に湧き上がる観客を煽る亜弥。
得点を決めた選手に抱きつく亜弥。
今、会場は亜弥が支配していた。
この光景を美貴は安心して見ていた。
『美貴達3人の中で、本当の天才は亜弥ちゃんだけだったね。』
美貴達がごまっとうとして騒がれていた頃、美貴は天才だと言われていたが、
本人としては、本当に天才なのは亜弥だと思っていた。
亜弥は自分達よりも遅れてバレー部に入部したにも関わらず、わずかな時間で
同じレベルにまで達していた。だから今の亜弥の姿にも驚かない。
そして美貴は、亜弥が天才たる所以は、その創造力――想像力――である考えていた。
- 445 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/22(木) 23:45
-
その考えに間違えはなかった。亜弥が、運動能力の中で最も優れていたのは
イメージ通りに身体を動かすことができたところだった。それも常人の
レベルではなくて、頭でイメージができれば必ずその通りに動かすことが
出来るというものだった。そしてその能力こそが3年間もバレーから
離れていたにも関わらず、数ヶ月の練習でトップレベルのプレーを可能にしていた。
亜弥は中学で辞めて以来、バレーには一切関わっていなかった。それは美貴達の
夢を断ち、亜弥と美貴達を引き離したバレーに触れたくなかったから。
だが、その心とは裏腹に毎晩のように夢を見ていた。毎晩見る練習風景。
その練習には、亜弥と美貴と真希しか存在しない。
3人を引き離したのがバレーなら、3人の絆を強くしたのもバレーだから。
だから夢に見てしまう。
そして夢ならば誰も邪魔しない。
だから亜弥はいつまでも夢の中で練習をしていた。
当時全国トップレベルであった美貴たちと。
これが亜弥のバレーの能力を保ち続けていた理由だった。
- 446 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/22(木) 23:46
-
イメージトレーニングの重要性は近年注目されており、トレーニング次第に
よっては実際に練習するよりも成果が得られる。亜弥がやっていたのは
まさしくそれであり、もの凄く高度なレベルでのトレーニングが可能であった。
本人にその意識はなかったが。
なぜなら夢で会えている間は自分の孤独さを味わわずに済むから。
美貴達と引き離された亜弥が自分を守るために見ていた夢。
そしてイメージが出来ればその通りに身体を動かすことが出来る亜弥。
それはまさしく孤独が生み出した天才だった。
- 447 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/22(木) 23:47
-
ピ――!
次々と決まる得点。
スコアは15―14。マッチポイント。最後の1点のため、松浦学園が
サーブを放つ。構える選手達。湧き上がる観客席。
吉澤は選手にも関わらず、その光景を傍観者として眺めていた。
自分が出来なかったことを亜弥がやっていることにショックを受けている
のではなく、その光景を呆然と見ていた。
- 448 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/22(木) 23:48
-
この光景は3年前に確かに見た光景。
あの時、自分は観客席にいて、コートの中には美貴を中心としたチームが試合を
していた。吉澤は身体を震わせながら試合を観ていた。
湧き上がる会場。
圧倒的な試合展開。
弾けるような選手達の笑顔。
中心で光り輝いていた美貴。
この試合が始まる前に感じたデジャヴは、勘違いではなかった。
見ていたのだ自分は。
3年前に。
この光景を。
吉澤は悔やんだ。
この光景を目に焼き付けたはずなのに忘れてしまっていたことを。
だから吉澤は気付かなかった。
あれほど知りたがっていた亜弥達に隠された過去の出来事。
その発端ともいえることがこの光景に隠されていたことに。
そのヒントがこの光景に隠されていたことに。
- 449 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/22(木) 23:50
-
しかし吉澤の思いとは別に試合は進む。
相手がやっと返したボールをレシーブし、セッターにあがる。
前衛にまわった亜弥のほうへキレイなトスがあがる。
亜弥がバネを使いジャンプする。なぜかタイミングがずれて壁を作る。
亜弥の一人時間差。さらに密かに仕掛けるフェイント。亜弥のスパイクは
誰にも邪魔されること無く相手コートに突き刺さる。
一瞬後に湧き上がる歓声。
ベンチを飛び出す選手、コーチ、監督。
抱き合う選手達。
その選手を囲むレンズ。
会場は興奮の坩堝と化していた。
亜弥は試合が決まると、真っ先に駆け出した。
そして同じようにこちらに走ってくる美貴に思いきり抱きつく。
「美貴たん、やった!やったよ!」
「うん!やったよ!」
2人ともそれ以上言葉にならない。
またこの喜びが味わえるとは思ってなかった。
もう二度と味わえないと思っていた。
だから、だからこそ、2人には2人しか見えなかった。
そしてだからこそ、すぐに気付いた。その気配に。
- 450 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/22(木) 23:51
-
2人はゆっくりと離れると、当然のように同時に体育館の隅を見る。
そこには何時の間に現れたのか、真希の姿がある。
2人は静かに微笑む。
真希は少し驚いた表情を浮かべたが、僅かに口元を綻ばせる。
すれ違い始めていた3人が久しぶりにひとつになった瞬間だった。
そして観客からコールが始まる。
あやや、あやや、あやや、あやや、あやや。
その声を聞き、美貴が亜弥の肩を押す。
「さ、亜弥ちゃん、行ってきな。」
「うん!」
亜弥は駆け出し、観客席に手を振る。
美貴がふと観客席の最前列を見ると、学ラン姿の辻が豪快に泣いていた。
周りの知り合いらしき観客達が必死に宥めている。
亜弥がその姿に気付いて、辻に向かって手を振ると、それを見た辻は涙を拭きもせずに
身体全部を使って手を振り返している。
そして手を振る亜弥の周りでは雑誌やケーブルテレビのカメラが、亜弥を捉えていた。
それに笑顔で応える亜弥。
満面の笑顔で。
- 451 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/04/22(木) 23:52
-
孤立していた、寡黙な、影のような存在だった亜弥は、もうそこにはいなかった。
2人のナイトに支えられ、多くの人に見守られ。
2人のナイトを勇気付け、多くの人を魅了する。
亜弥が必死の思いで勝ち取った笑顔は、光り輝いていた。
そしてこの日から、新たな一歩を踏み出すことになった。
- 452 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/04/22(木) 23:53
-
更新しました。
今回で一旦区切らせていただきます。完結まではまだ道のりが長いですが。
一応ここから本編に関係あるものを短編形式で3〜4話くらい載せていきたいと思ってます。
本編はその後に再開させるつもりです。短編は、あくまで予定です。言い切ってまた失敗すると
格好悪いので、目標ということで。
レスありがとうございます。
>>433 春雷様
切ないものが好きなんです。多分この後の本編は更に……。
とは言っても現在ストックが完全にカラなのでどうなるか作者にも(ry
- 453 名前:春雷 投稿日:2004/04/23(金) 00:18
- 更新お疲れ様です。
今回の吉澤の立場は、少し前の自分を思い出してしまいました。
吉澤が一番切ない役どころですね。
でも、三人の絆はすごいですねぇ。
- 454 名前:名無し読者 投稿日:2004/05/05(水) 22:50
- もし良かったらあやみき短編なぞ…
更新待ってます。
- 455 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/05/09(日) 14:11
- CAST A SHADOWの番外編第1段です。
今回は本編中の>>429部分の補足となる話です。
今後に影響するくせに流れを重視したため端折った部分です。
折角なので付け加えて短編風味にしちゃいました。
- 456 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/05/09(日) 14:12
-
〜〜約束〜〜The promise of the setting sun
- 457 名前:〜〜約束〜〜 投稿日:2004/05/09(日) 14:13
-
まだ世の中のことなんて知らなくて
周りの人たちは皆親切で
世の中は光に溢れていると信じていた、あの頃―――。
- 458 名前:〜〜約束〜〜 投稿日:2004/05/09(日) 14:15
-
「美貴たーん、真希ちゃーん!」
大きな声に周囲の人たちが皆振り向く。
ボスッ!
並んで歩いていた2人に後ろから抱きつく女の子。
「亜弥ちゃん、早かったね。今週は週番じゃなかったっけ?」
「えへへへ。なんかね、一緒の週番の男の子に早く部活に行きたいって
言ったら代わりにやってくれるって。だから先に帰ってきちゃった。」
「駄目だよ?ちゃんと決められたことは守らないと。」
「まあまあ、真希もそんな固いこと言わないで。いいじゃん、多分向こうの子も
亜弥ちゃんのお願いを聞いてあげたかったんだと思うよ。」
「にゃははは。あたしは可愛いからね〜、みんなのアイドルだもん。」
「可愛いことと決まりごとを守るのは、別だよ。」
「ま、真希ちゃんは、あたしが可愛くないって思ってるんだー。」
- 459 名前:〜〜約束〜〜 投稿日:2004/05/09(日) 14:16
- 泣きまねをする亜弥。
「そ、そんなことないよ。亜弥ちゃんは可愛いよ!」
冗談でやっているということが分かっているのに慌てる真希。
「ふふ、やっぱり?そうだよね〜。」
「あ、あれ!?」
亜弥はあっさりと泣きまねを止めて、嬉しそうにクルクルと回り始める。
嬉しい時は全身を使って、それを表現しようとする亜弥の姿は本当に嬉しそうだ。
「…真希も無駄な抵抗は止めて素直に可愛いって言ってあげれば良いのに。」
「私は亜弥ちゃんのことを思って言ってるんだよ。美貴は亜弥ちゃんの言うことを
聞きすぎ!ちゃんと注意してあげないと亜弥ちゃんのためにならないよ。」
「亜弥ちゃんは可愛いから良いの。皆から好かれてるのは良いことだし。このまま
素直で可愛いままの亜弥ちゃんが一番だよ。」
- 460 名前:〜〜約束〜〜 投稿日:2004/05/09(日) 14:17
-
2人共、亜弥のことを思っての発言だが、全く正反対の意見を持っているようだ。
しかし大事に思っているからこその発言であり、その様はまるで父親と母親だ。
一方話題の中心であるはずの亜弥は自分のことで2人が言い合いしていることを
気にもとめずに、楽しそうに笑っている。そんな亜弥を見て、思わず2人に笑みが浮かぶ。
まだ入学間もない亜弥の制服は少し大きめに作られており、袖なども少し余っている。
しかしそれは逆に亜弥の愛らしさを強調しており、余計に2人の顔に笑顔を浮かばせた。
いつもの風景。
亜弥の顔には笑顔が浮かんでおり、その亜弥を微笑んで見つめる美貴と真希。
亜弥が歩いていれば必ずその側には2人の姿があった。
「美貴たん、真希ちゃん早く部活に行こう?」
亜弥のことで言い合いをしていた2人を全く気にすることなく、無邪気に声をかける。
2人は思わず顔を見合わせて苦笑するが、すぐに亜弥を追いかけて歩き出す。
考え方は違えど2人にとって亜弥の言葉は、いつでも当然に叶えられるべきものなのだから。
- 461 名前:〜〜約束〜〜 投稿日:2004/05/09(日) 14:18
-
この話は、3人が離れ離れになる前の話
3人の間には何も隔てるものがなく、
疑いもなく、
ずっと一緒にいることができると信じていた、
あの頃。
- 462 名前:〜〜約束〜〜 投稿日:2004/05/09(日) 14:19
-
- 463 名前:〜〜約束〜〜 投稿日:2004/05/09(日) 14:20
-
「こんにちはー!」
3人が体育館に入ると、周囲から挨拶の声がかかる。
自分達も挨拶を返しながら、早速準備に取り掛かる。
手早くジャージに着替えると、コートの中に入りアップを開始する。
体育館の中は、男子と女子のバレー部が半分に分けて使用している。
日によって使用出来る部活が違い、今日はバレー部と卓球部。
明日はバスケ部と体操部が使用することになっている。だから今日はコートを使っての
フォーメーション等の練習がメインとなる。
「じゃあ、各自並んでー!」
キャプテンである美貴が声をかけ、選手達はポジションごとに分かれる。
ミスをしたら交代し、次の選手が入る。チーム全体にフォーメーションを浸透させるのだ。
選手達は練習に集中しているが、隣で同じように練習していた男子のバレーが休憩に入る。
平日の練習時間は短いため、普通の部活であれば休憩など無い。
だが、この学校の男子バレー部は、他の部活とは少し違うのだ。どう違うかというと――
「お!今の見た?松浦亜弥ちゃんのスパイク。いいよね〜。」
「本当、真剣な表情も可愛いよなー。」
「うわ、藤本に睨まれたよー、こえー。」
「え?何、お前睨まれたの?いいなー、俺のほうも見て欲しいー。」
- 464 名前:〜〜約束〜〜 投稿日:2004/05/09(日) 14:21
-
そう、この男子バレー部は、練習がメインではなく、女子バレー部を見学することが
メインの活動なのだ。ほとんどの人間が、亜弥達3人のファンであり、合法的?に練習を
見学するために隣で練習が出来るバレー部に入ったのだ。もはや男子バレー部ではなく
非公認ファンクラブと名乗ったほうが良い。そしてその人数ももの凄い。幽霊も含めると
学校全体の男子の3分の2が所属するほどだ。その中にはいわゆる不良にカテゴライズ
される人たちも数多くいたが、全員が共有している思いがあるため、逆に生徒達は
皆一様に仲が良かった。同士という考え方なのだろう。
そして、美貴たちもそれを知っていたが、特に何も言わなかった。それは諦めているから
というのもあったが、さすがに全男子生徒の半分以上もそんな状態だと、その状態自体が
普通なので咎めることが、逆に悪いことをしているような気にもなってしまうためだ。
それに今のところ不都合はなかった。何も言わずにこちらのことを勝手に察してくれるし。
しかし――――
- 465 名前:〜〜約束〜〜 投稿日:2004/05/09(日) 14:22
-
ビュン!
ボールが音を立てて見学している男子達めがけて飛んでいく。
慌てて避ける男子達。寸でのところでかわしてホッとしていると、真希の鋭い視線と
言葉が飛んでくる。
「ヤラシイ目で見んな!」
もはや動物的勘と言ってもいいかもしれない。
真剣に練習しているくせに何かを感じ取るらしい。
亜弥のことを話していると美貴には睨まれて、真希からは直接的に制裁を食らわされる。
最初は体育館内での亜弥に関する話は禁止されていたが、最近では逆に2人のファンの
間でわざと話をして2人に睨まれたいという、中学生らしからぬ趣味を持つものが現れ
始めている。
そんなやり取りがあっても練習は、ほぼ滞りなく進んでいく。
中学生であるため練習も遅くまではやらず5時を過ぎると片付けに入る。
1年生である亜弥が道具を片付けている間、美貴たちは着替えを済ませておき、亜弥を待つ。
そして亜弥が着替え終わると3人揃って下校する。普通は同級生同士で帰ることが
多いが、この3人は別である。必ずこの3人で帰る。他の人たちも誘うことはない。
この学校では3人が3人だけでいることが自然なのだから。
- 466 名前:〜〜約束〜〜 投稿日:2004/05/09(日) 14:24
-
そしていつも通り3人で並んで帰ろうとすると、校門のところに人がいるのが分かる。
『誰か待っているのだろう』
そう思う亜弥は気にも止めないが、逆に美貴と真希の口数は少しだけ少なくなる。
3人がそのまま、その生徒の脇を通り抜けようとすると声がかかる。
「あの……。」
その瞬間、美貴と真希の目が、その生徒の目を見る。そしてその目が自分達3人の
真中を歩いている亜弥に据えられているのを素早く確認すると、真希が間に入る。
「あ、ゴメンね。私達もう帰るからさ。また今度ね。」
まるで真希の知り合いであるかのように、当然の仕草で断る。
その間、美貴はさりげなく亜弥からその生徒が見えないように死角を作り、
その生徒を真希の肩越しに睨みつける。
当然2人から睨まれた生徒は、その2人の壁を突破する勇気もなく。
「あ、はい。また今度…。」
- 467 名前:〜〜約束〜〜 投稿日:2004/05/09(日) 14:25
- 今度はない。
2人の鋭い眼光を正面から見てしまったあとに再び前に立とうとする勇気あるものは
なかなかいない。ましてや親衛隊までいるという2人の前に再び立とうとするものは。
「真希ちゃん、知り合い?」
「ん?うん、なんかいつも下らないこと言ってくるからね。今日は早く帰りたいから。」
「そうそう、亜弥ちゃん、今日は夕飯何かねー?」
そして美貴は強引に亜弥の興味を他へ移す。
亜弥は疑いもせずにその話にのる。
「そうだねー、あの子達、最近は揚げ物に凝ってるからトンカツかなー?」
「えー、また?たまには他のもの食べたいよねー。」
「本当。さすがに毎日はちょっとね。」
亜弥達3人は、げんなりした顔をする。
毎日油ものを食べさせられるのはさすがにつらいらしい。
- 468 名前:〜〜約束〜〜 投稿日:2004/05/09(日) 14:27
- 亜弥達3人は必ず夕飯は一緒に食べている。それは小さいころからの習慣。
3人の両親は皆、共働きであり帰りも遅い。そこで両親達が話合って、子供達だけで
料理を作り、子供達だけで食べることを決めたのだ。それぞれ兄弟がいるため
全員あつまるとかなり騒がしいが、それだけいるといくら子供とはいえ、何とか
料理くらい出来るものだ。今は亜弥達が部活をやっているためそれぞれ弟や妹達が
料理をしている。
この頃はまだ亜弥の家にも家政婦はいなかった。必要がなかったから。
小さい頃から亜弥のことは美貴たちが面倒を見てきた。従って、美貴たちは亜弥にとって
姉でもあり、両親でもあった。
「でも一生懸命作ってるから、嫌だとは言えないしね…。」
「そうだね。今日は食べる前に胃薬飲んでおくか…。」
「私、家から取ってくるよ……。」
3人揃って亜弥の家に入る。
一番大きな亜弥の家に揃うのが決まりとなっていた。
ドアを開けると、騒々しい声が聞こえてくる。
「あ〜、知らないよ〜、怒られるよ!」
「うわ〜ん」
- 469 名前:〜〜約束〜〜 投稿日:2004/05/09(日) 14:28
- 毎度のこと。
台所に向かうと、泣いている妹とぶちまけられた食材。
そして非難しているもう1人の妹。
亜弥達は顔を見合わせて苦笑する。
少し前までの自分達の姿がここにある。
皆それぞれ昔自分が担っていた役割へ散らばる。
よく泣いていた亜弥は、泣いている妹へ。
半泣きで非難している妹を諭しに美貴が別の部屋に連れ込む。
真希は落ち着いて部屋の中の掃除をし始める。
そしてそれぞれ事態を収拾すると、台所に立つ。
ある意味これもいつもの光景。
結局亜弥達が作る。
台所に立つ3人の間には流れるような共同作業と絶え間ない笑顔が。
そしてその光景を羨望の眼差しで見つめる妹達。
同じ学校に通って、同じものを食べて、同じものを見て、同じものを目指す。
3人にとっては、賑やかなのに穏やかな、自然で当然な生活。
- 470 名前:〜〜約束〜〜 投稿日:2004/05/09(日) 14:29
- ◇◇◇
「じゃあ、今日はここまで。」
教師の声で授業が終わる。
途端に騒がしくなる教室内。
亜弥もクラスメート達と会話をしながら、部活に向かうために帰り支度を始める。
そんな教室の入り口から入ってくる姿があった。
「あの…松浦さん…、ちょっといいですか?」
「はい?あのー…?」
「ちょっとだけでいいんで。」
「は、はい…。」
全く知らない男子生徒に連れられて、校舎の影に歩いていく。
「あの…す、好きな人とかいますか?」
「?いるけど?」
『美貴たんとか真希ちゃんとか』
「そ、そうですか…。じゃあ、俺はこれで…。」
「は、はあ…。」
- 471 名前:〜〜約束〜〜 投稿日:2004/05/09(日) 14:30
- 亜弥は訳がわからないという顔をしながら教室に戻る。
そしていつも通り部活に向かう。そしていつも通りに部活に出る。
だが、いつもは何でも美貴たちに報告する亜弥であったが、今日告白されたことは
話さなかった。それはさすがに悪いと思ったから。しかし、事態は亜弥の知らないところで
進んでいた。
翌日学校に行くと、昨日の亜弥が振った話は、ほぼ全員に知れ渡っていた。
しかも話には多少尾ひれがついていて、亜弥には誰か両想いの人がいることになっていた。
当然その話は美貴たちの耳にも入ってくる。
「亜弥ちゃん、なんか噂話が流れてるんだけど、本当?」
「は?何が?」
まさか噂話が3年生にまで流れているとは思わなかった。
亜弥は自分は只の一生徒でしかないと思っていたから。だが、実際には全校で噂になっており、
美貴と真希の耳にまで届いていた。
「なんか両想いの人がいるって。美貴達初耳だったから。」
「うん、初めて聞いたからビックリしてさ。」
亜弥は何故か少し頭にきた。
- 472 名前:〜〜約束〜〜 投稿日:2004/05/09(日) 14:31
-
「そんな人いないよ!いたらすぐに美貴たん達に言ってるもん!」
「ご、ごめんごめん、ちょっと気になっただけだよ。亜弥ちゃんは何でも隠し事しないで
話してくれるし。美貴達もいきなり聞かされてビックリしただけだから…。」
不機嫌になる亜弥に、慌ててご機嫌をとる。
「本当、あたしが言ったこと以外は信じないでよ〜。」
「ゴメンて。」
亜弥のご機嫌をとるのはいつものこと。
そして亜弥が許してくれるのもいつものこと。
だからあまり深く気にしなかった。
しかし、後からこの頃を思い返してみると、はっきりと分かる。
多分、この頃からだ。
次第に自分達を巡る環境がおかしくなり始めたのは。
- 473 名前:〜〜約束〜〜 投稿日:2004/05/09(日) 14:32
- ◇◇◇
「ごめんなさい。」
「そうですか…。」
拒絶の言葉を聞くと、相手の男の子は肩を落として帰っていく。
その姿を見て密かにため息をつく。そして同時に少しイライラする。
なんで自分を放っておいてくれないんだろう。
放課後になり、部活に行く前のほんの少しの時間。
最近では恒例行事となっている、亜弥への告白タイム。
亜弥は毎日同じ時間帯に同じ場所にいる。
この学校の告白スポット。亜弥は毎日呼び出されては告白を断るということを
繰り返していた。
『両想いの人がいる。』
以前のこの噂話が、どう解釈されたのかは知らないが、亜弥が恥ずかしがって
相手にまだ告白していないということになっているらしい。そしてその相手が
自分であるとみんな思い込んでしまっている。恐らくと言うか間違いなく
勘違いなのだが。亜弥からしてみれば皆進んで勘違いをしているようにも見える。
そして毎日呼び出されるために部活に行く時間も少し遅れてしまう。
それが亜弥をイライラさせた。学年が違う美貴や真希と同じ時間を過ごせる
貴重な時間が削られてしまう。亜弥にとっては、あの2人といることのほうが
遥かに重要だった。
- 474 名前:〜〜約束〜〜 投稿日:2004/05/09(日) 14:33
-
「こんにちはー」
体育館に入ると、皆もう準備を終えていて練習前に遊びがてらゲームをしていた。
亜弥を見つけた真希が寄ってくる。
「何、亜弥ちゃん、また呼びだされたの?」
「うん…早く部活に行きたいのに…。なんで皆あの噂信じてるんだろう?
最近は、3年生の人たちまで来る。」
「3年生?」
真希が思わず眉をひそめる。
「うん。なんか少し怖い感じの人とか。昨日もなんか金髪の人とかいたし…。」
「それって、もしかしてちょっとにやけ面の人とか?」
ジェスチャー付きで顔を尋ねてくる真希に頷く。
「うん、そんな感じの人もいた。断ったら、腕掴まれて怖かった。」
「………あいつ…!」
その時のことを思い出したのか、腕をさする。
そして心当たりがあるのか、真希の表情が険しくなる。
- 475 名前:〜〜約束〜〜 投稿日:2004/05/09(日) 14:36
- 「亜弥ちゃん、もう呼び出されてもついて行くの止めなさい。何されるか分からないし。
それかどうしても行かなくちゃいけないときは、私か美貴を呼びなさい。」
「うん。」
こういう時の真希の口調は、なぜか親が子供を諭すような言い方となる。
だが、逆に真希がそういう口調になるときは、心の底から心配している時であるから、
亜弥は必ず従うようにしている。
そして亜弥はこの日から呼び出されてもついて行かないようにした。
しかし、それにより告白できない人が増え始め、亜弥の周囲をウロウロするようになった。
それは登下校時であったり、昼休みであったり、部活の合間であったり。
最初は気にしなかった亜弥達だが、流石に常時亜弥の周囲を誰かがうろつくような事態に
なり始めると、さすがに放っておくことは出来なくなってきた。
「亜弥ちゃん、大丈夫?」
亜弥は最近は徐々に顔に疲れが見え始めていた。
家の周囲にも人がうろつき始めたからだ。
その表情には怯えにも似たものが混ざり始めていた。
「うん、なんとか…。」
- 476 名前:〜〜約束〜〜 投稿日:2004/05/09(日) 14:37
- 最近は亜弥も強がりをあまり言わなくなってきていた。
それが余計に事態の深刻さを実感させた。
「私達の知り合いに頼んでなるべく近寄らせないようにするからさ。」
「うん…。」
真希達の知り合い――正確にいうと知り合いというより、大げさにいうと部下に近い。
それは、真希と美貴を心酔している男子生徒達。古臭い言葉でいるところの親衛隊。
砕けた言い方をするとファンクラブ。芸能人でもないのにというのがあるかもしれないが、
バレーで全国的に名前が売れていた美貴と真希は有名人であり、ルックスも相まって
地元ではちょっとした芸能人やアイドル並の扱いだった。
有名になってからしばらく経っているので慣れてきていたが、最近は明らかに
周囲に怪しい人影がうろつき始めた。
だから真希の言葉でも、亜弥の表情は晴れない。その顔は不安に満ちている。
美貴と真希は顔を見合わせて困った顔をする。
部活帰りである3人の周囲は夕焼けで赤く染め上げられている。
周囲では帰宅を急ぐ人たちが足早にすれ違っていく。
そしてそんな黄昏の光景が3人の間の沈黙を重くする。
亜弥は下を向いて黙って歩いている。普段はうるさいくらいおしゃべりで、こちらの
都合はお構いなしの亜弥が元気なく歩いている姿に胸を締め付けられる。
- 477 名前:〜〜約束〜〜 投稿日:2004/05/09(日) 14:38
-
―――こんな亜弥は、見たくない―――
- 478 名前:〜〜約束〜〜 投稿日:2004/05/09(日) 14:39
- 2人も必死だったのかもしれない。亜弥の笑顔が見たくて、明るい亜弥を取り戻したくて。
「大丈夫だよ、亜弥ちゃん。美貴と真希が守ってあげるから。」
俯いていた亜弥が顔を上げる。
「…本当に?」
亜弥の瞳が不安に揺れる。
「本当だよ。亜弥ちゃんに本物のナイトが現れるまで、私と美貴が守ってあげる。」
真希が言い聞かせるように、丁寧に言葉を紡ぐ。
「真希ちゃんと美貴たんがナイトになってくれるの?」
亜弥が言葉を確認するかのように繰り返す。
「本物のナイトが現れるまでの間だけどね。」
- 479 名前:〜〜約束〜〜 投稿日:2004/05/09(日) 14:42
- 美貴が少し寂しそうに付け足す。
そしてこの言葉に3人の瞳に同じものが浮かぶ。
だが、誰もその意味をまだちゃんと理解していなかった。
この言葉を言った美貴でさえも、そのことが本当に意味していることを。
「じゃあ、私はナイトの剣役ね。そんで美貴はナイトの盾役。」
亜弥を守るカッコいいナイトのはずなのに…2人がかりかい!
美貴が目で突っ込みを入れる。
「2人で1人のナイトなの?」
亜弥も不思議に思ったらしく、少し口元を綻ばせて突っ込みを入れる。
「うん、一応女の子だから2人で1人ね。」
真希が軽い口調で応える。
徐々に軽くなる空気。
- 480 名前:〜〜約束〜〜 投稿日:2004/05/09(日) 14:42
- 「じゃあ、真希が犠牲になってる間に、美貴は亜弥ちゃんと逃げるね。
真希の死は無駄にはしないよ。」
「真希ちゃんは生贄なの?」
「ちょ、ちょっと2人とも、逃げる満々なわけ?」
珍しく真希がやり込められている。
「やっぱりお姫様は大事に守らないとだからね。ほら、武士道は死ぬこととってね。」
「いや、騎士だから、武士道関係ないし、勝手に殺さないで。」
これまた珍しい真希のつっこみ。
「でも亜弥ちゃんは必ず守るよ?」
笑顔を引っ込めた美貴が、決意を込めた目に優しさをのせて、亜弥を見詰める。
「いつでも亜弥ちゃんの味方だから。」
先程までの困惑した顔を引っ込めた真希が、短い言葉に意思をのせて亜弥に届ける。
2人の表情は夕闇に紛れ始めていたが、2人の目だけは何故かはっきりと捕らえることが出来た。
- 481 名前:〜〜約束〜〜 投稿日:2004/05/09(日) 14:44
-
思わず驚きの表情で固まる。
ただ、驚いて。
だが、次第に2人の想いが伝わってくる。
その想いが全身を覆うように自分を満たしていくことが感じ取れる。
そして収まりきらない2人の想いが胸を熱くし、亜弥の目から一筋流れ出す。
ただ、嬉しくて。
この想いを口に出来なくて、口にしたくなくて、この空気を味わいたくて。
亜弥はただ、微笑んだ。
美貴と真希も、言葉が欲しいわけではなかった。
ただ、亜弥の笑顔が見たくて。
しばらくそのまま佇んでいた3人だが、突然亜弥が嬉しそうな顔をしながら、
走り出す。そんな亜弥を見て、2人は一瞬顔を見合わせた後、同じように笑顔を
浮かべながら2人が追いかける。
夕日を背に繰り広げる追いかけっこ。
周囲の人たちは、微笑ましい光景の一つとして彼女らを見ている。
そして本人達も、単なる日常の一こまだと思っていた。
だから、このときは想像もしなかった。
- 482 名前:〜〜約束〜〜 投稿日:2004/05/09(日) 14:45
-
この日の約束が、自分達を繋ぐ大事な絆となることを。
この日の約束が、自分達の関係を断ち切るものとなることを。
だが、だからこそ、全てはこの日から始まったと言えるのかもしれない。
- 483 名前:〜〜約束〜〜 投稿日:2004/05/09(日) 14:46
-
夕日は全てを緩やかに闇に変えていく。
亜弥の気持ちも、美貴達の想いも、周囲の人の眼差しも
不意に訪れる別れも、涙の再開も全ての未来を包み込み。
夕陽は全てを覆い隠していく。
- 484 名前:〜〜約束〜〜 投稿日:2004/05/09(日) 14:55
-
- 485 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/05/09(日) 14:56
-
更新しました。
書き直すたびにましになる気がして、中々うpできませんでした。
次の短編は、まさしく超短編になってますので近いうちにお目にかかれると思います。
- 486 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/05/09(日) 14:57
-
レスありがとうございます。
>>453 春雷様
設定とかはともかく感覚や感情等はリアルを目指してますので、
そう言っていただけると嬉しいです。
>>454 名無し読者様
あやみきオンリーというわけにはいかなかったですが、
楽しんでいただければ、嬉しいです。
- 487 名前:dutch 投稿日:2004/05/14(金) 19:03
- 更新お疲れです!!
もしよろしかったら、後藤さんの相手は、
石川さんでお願いしますぅ・・(´д`)/
- 488 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/14(金) 23:42
- >>487
阿呆か
- 489 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/05/16(日) 22:09
-
CAST A SHADOW番外編第2弾です。
今回はかなり短いです。
- 490 名前:The moment of despair 投稿日:2004/05/16(日) 22:11
-
大切なものを、大切な時間を、大切な空間を無くしてしまった私達に、
何が残されているのだろう。
私達は、何を頼りに生きていけばいいのだろう。
- 491 名前:The moment of despair 投稿日:2004/05/16(日) 22:13
-
◇◇◇
たとえ大事なものを失っても、いつも通り朝はくる。
ご飯だって食べるし、学校にも行く。
近所の風景だってモノクロじゃなくて、ちゃんとカラーで見える。
でも――
食事は只の作業。
学校は単なる習慣で、余計なことを考える時間をなくすため。
風景はカラーで見えてるが、2次元で映る。
ただ、それだけ。
ただ、そうなっただけ。
- 492 名前:The moment of despair 投稿日:2004/05/16(日) 22:14
-
だって、ほら強く唇をかみ締めれば、ちゃんと痛いし、血も出る。
血は赤いし、しっかりと流れ落ちる。
ちゃんと生きてるから、力も出るよ。
ほら、こんな簡単にガラスも割れるよ。
「止めてください、亜弥さん。」
後ろから不意に羽交い絞めにされる。
振り向くと、最近家で雇った家政婦さんがいた。
年齢は、そんなに離れていない。
先の事件でほとんど友達がいなくなってしまった亜弥と妹達のために
話相手にもなるように比較的若い家政婦を雇ったのだ。
だが、亜弥は未だに名前を覚えてもいない。
「怪我はないですか?さ、こっちへ。」
慎重に亜弥を窓から離し、部屋に連れて行く。
- 493 名前:The moment of despair 投稿日:2004/05/16(日) 22:16
-
パタン
ドアが閉められて、亜弥は再び1人になる。
今度は窓に近寄ることもなく、そのまま所在無げに部屋の中を虚ろな目で見回す。
そして机の上に詰まれているものに目を止める。
ゆっくりと立ち上がり机まで歩き、その山積みされたものを手に取る。
―― 藤本美貴様 ――
一つを取った拍子に、他のものが崩れて床に散らばる。
―― 後藤真希様 ――
それは山になるほど返されてしまった、2人宛の手紙。
返事を待つまでもなく、返送されてきてしまった手紙たち。
もう2人の意識は戻っているというのに。
1人は自力で読み書きができる状態だというのに。
開封もされずに返ってくる。
- 494 名前:The moment of despair 投稿日:2004/05/16(日) 22:18
-
手紙の山にシズクが落ちる。
「――……。」
言葉にならずに
「――っ…。」
嗚咽だけが部屋に響く。
『あたしを――守ってよ…。』
その想いに応えるべきものは、ここにはいなかった。
- 495 名前:The moment of despair 投稿日:2004/05/16(日) 22:19
-
◇◇◇
- 496 名前:The moment of despair 投稿日:2004/05/16(日) 22:21
-
長い眠りから覚めたような気がした。
ずっと夢を見ていたような。
「せんせい!先生!来てください!真希が…。」
「どうしました?」
「真希の意識が戻ったみたいなんです。」
うるさい…。
こっちは寝起きなんだよ?
大げさに耳元で騒がないでよ。
「真希さん、分かるかい?何か分かったら手を握ってくれ!」
そういえば手を誰かに握られている感触がある。
勝手に触らないでよね…。
でもそんなこと言ってる雰囲気じゃないみたいね。
- 497 名前:The moment of despair 投稿日:2004/05/16(日) 22:22
-
「真希さん、分かるんだね?どこか違和感を感じるかい?」
手を握るとそんなことを聞いてくる。
「気持ち悪い…。」
寝すぎかな?
頭が割れるように痛くて、吐き気もする。
「そうか…鎮静剤用意!」
こんな暗闇で?
なんでさっきからこの医者らしき人は電気も点けずにこんなことしてるんだろう?
それに鎮静剤って注射でしょ?暗くちゃ見えないよ。
ドジな看護婦は映画の中だけで充分だよ。
「それより、電気を点けないんですか?危ないですよ?」
- 498 名前:The moment of despair 投稿日:2004/05/16(日) 22:24
-
余裕を見せたつもりだった。
自分は平気ですよって。
日常を気にすることができるくらい大丈夫ですよって。
「真希、何言ってるの?」
だからお母さんも、そんな声出さないでよ。
ちょっと暗闇が不安なだけだよ。
「真希さん、何か見えますか?」
顔の手前に何か熱をもったものを感じる。
なにかあるのだろうけど、暗闇が深くて見えない。
「暗くてよく見えません。」
「そうですか。じゃあ、目を瞑っていてください。ちょっと目にばい菌が入っているみたいなんで。」
「…?ハイ。」
そのまま目にも包帯を巻かれる。
素直にされるがままにしていたが、お腹がすいていることに気が付く。
- 499 名前:The moment of despair 投稿日:2004/05/16(日) 22:26
-
「お腹すいたんですけど…。」
「検査が終わるまでは、ちょっと我慢してくださいね。」
そういえばお母さんの声がさっきから聞こえない。
「お母さん、なんか無性にプリンが食べたい。あとで食べていい?」
返事はない。いないのだろうか?
「お母さん?」
「う、うん…そうね、いっぱい買おうね…。」
すぐ側にいた。
その声が震えている。
私は勘が鈍いほうじゃない。
いや、むしろ鋭いほうだと自負している。
でも、この時は察することが出来なかった。
自分のことだったのに。
理解していなかった。
自分の目が見えてないということを。
- 500 名前:The moment of despair 投稿日:2004/05/16(日) 22:27
-
◇◇◇
- 501 名前:The moment of despair 投稿日:2004/05/16(日) 22:29
-
ただ単純に分からなかった。
いつの間にか自分は病院にいて。
いつの間にか体の一部の自由が利かなくなり。
いつの間にか遠い土地まで来ていて。
ここは嫌だ。
亜弥の笑顔が見られないから。
真希の声が聞こえないから。
だから1人震えていた。
麻痺した足を両手で抱えて。
自分の自信も麻痺していたから。
自分を支えるものがないから。
頼みの綱は、今はないから。
夜は震えて過ごした。
- 502 名前:The moment of despair 投稿日:2004/05/16(日) 22:30
-
両親が表情を消したまま病室に入ってくる。
「で、検査結果は出たの?」
変化球も牽制球もない。
直球勝負。
包み隠さず教えて欲しい。
今までもそうしてきたのだから。
「聞いてきたんでしょ?」
だが、尋ねる声には自然に力が篭もる。
表情に変化がない両親が怖かったから。
嫌な予感だけが膨らんでいくから。
「実はね…。」
母親が重い口を開く。
静かな病室に母親の無慈悲な言葉が響き渡る。
- 503 名前:The moment of despair 投稿日:2004/05/16(日) 22:32
- 人間も危険なことは本能で気付くって誰かが言ってたな。
動かない足。遠く離れた病院。青白い表情の両親。
本能で知るまでも無いか……。
こういうのは観察とか洞察だよね。
――イノチガナクナルワケデハナイ――
理性的な言葉が頭の中を通り過ぎる。
けれども、そんな道徳的な言葉は紙切れになって飛んでいった。
今まで生きていた中で培ってきたものが大きな喪失感に押し流されていく。
――ミキノアシハポンコツダ――
言葉が頭を埋め尽くす。
感情が頭の中に敷き詰められていく。
――絶望が、舞い降りる。
- 504 名前:The moment of despair 投稿日:2004/05/16(日) 22:34
-
いつでも3人一緒だった。
いつまでも3人一緒にいられると信じていた。
もう声を聞けない。
姿が見えない。
言葉が交わせない。
永久に続くとさえ思えた日常は、あっさりと崩れ去った。
孤独な戦いが始まる。
それぞれの命運を賭けて。
- 505 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/05/16(日) 22:36
- 更新しました。
ブツ切れで少し分かりにくい内容かもしれないですね。
短編は、あと1つだけUPします。
少し短編に嵌まりつつあるので、ここらで止めておかないと
短編スレを持ってしまいそうなので……。
- 506 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/05/16(日) 22:37
- レスありがとうございます。
>>487 dutch様
えーと、返答に少し困ってしまうのですが、
どうなっていくかは続きを読んでいただければ…。
- 507 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/19(水) 22:01
- 何やら痛い内容ですね・・・気になる。
- 508 名前:名無し 投稿日:2004/05/22(土) 08:30
- 吉澤さんの過去はまだまだでそうにないですね。
- 509 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/05/27(木) 22:33
- CAST A SHADOW番外編第3弾です。
過去編は今回でとりあえず最後です。
- 510 名前:Recollection 投稿日:2004/05/27(木) 22:35
- 窓を開けると、爽やかな風が入り込んでくる。
ずっと病室の中にいたから、余計に新鮮なものに感じられる。
幾日ぶりだろう。風を直接身体に浴びたのは。
経過は順調で、来週には目の包帯を取ることが出来るらしい。
今のところ拒絶反応もない。
「後藤さん、あまり日向には寄らないで下さい。」
「あ、すいません…。」
真希に代わって母親が応える。
真希には何も見えていないので、母親に手を引いてもらっている。
窓を閉めて、大人しくベットに戻る。
- 511 名前:Recollection 投稿日:2004/05/27(木) 22:36
-
「何か欲しいものある?飲み物とか。」
「うん、アップル系のジュースが飲みたい。」
「じゃあ、買ってくるね。」
「うん、お願い。」
母親がいなくなると、目が見えないため実質何も出来なくなる。
所在なく呆けていると隣のベットから小さい女の子の声が聞こえてくる。
大部屋だが、この部屋には真希の他には老人が2人しかいない。
恐らくそのうちの1人のところに孫がお見舞いに来ているだろう。
しきりに幼稚園であったことを話しているようだった。
そして思い出す。
そう言えば、私達が出会ったのもこのくらいの頃だったな…。
最近はやることがないので良く昔のことを思い出している。
でも構わないよね。時間はあるのだし。
- 512 名前:Recollection 投稿日:2004/05/27(木) 22:37
-
〜〜〜〜
- 513 名前:Recollection 投稿日:2004/05/27(木) 22:38
-
「みきのおなまえは、みきっていうの!よろしくね!」
初めて見たときから思った。
お人形さんみたいだって。
大きな、真っ直ぐな瞳を持ったお人形さん。
初めて会ったときから今でも変わらない真っ直ぐな眼差し。
まだ皆小さくて。
私もまだ言葉を知らなくて。
多分あの時はこう思ったのだろう。
「可愛い」って。
ただ、その言葉を知らなかっただけ。
それくらい小さな頃から続く記憶。
- 514 名前:Recollection 投稿日:2004/05/27(木) 22:39
-
初めて会ってから、ずっと一緒だった。
家も近所で、親同士も仲が良く、同い年ということもあって良く一緒に遊んでいた。
一緒の幼稚園にも通い始めた。
一日の多くの時間を一緒に過ごしていたのに、私と美貴は全然違っていた。
私が1人でいることを好むのに対して、人見知りしない美貴の周囲は常に人がいた。
この頃から人を惹きつける魅力を持ち合わせていたみたいだった。
美貴は幼稚園の中で中心的存在だった。まるで美貴を中心に動いているような。
私はいつも目で美貴を追っていた。
それはひまわりが太陽の方を向いて花を咲かせるように。
1人でいた私をいつも連れ出してくれたから。
私にもその太陽のような笑顔を分けてくれたから。
だから、私の目は常に美貴を見つめていた。
そんな日々。
- 515 名前:Recollection 投稿日:2004/05/27(木) 22:40
- そして私達が幼稚園に通い始めて1年後。
美貴の家の隣の子が同じ幼稚園に入ってきた。
ようやく日常会話が成り立つ位の子。
皆最初は同じだけど、その子は特にひどかった。
人見知りをするのは良くある話かもしれないけど、その子の場合は、周囲の人が
怖くて一日中泣いていた。毎日毎日。誰が宥めても泣き止まない。
私達も例外ではなかった。とにかく誰がやっても泣き止まなかった。皆困り果てていたし、
幼稚園の先生も両親と相談しながら色々と手を尽くそうとしていたみたいだった。
でもなかなかうまくいかない。そもそもその子の両親は、忙しいが故に幼稚園に
預けていたのだから、普段は中々連絡すらつかない状況だった。
だからようするに皆打つ手なしって感じだった。
でもそんな中、1人だけ諦めない子がいた。
それが、美貴だった。
- 516 名前:Recollection 投稿日:2004/05/27(木) 22:41
-
その子が朝から泣きながら蹲っていると、側でずっと話し掛けている。
泣き疲れて、呆けているとその子の隣でシャボン玉を吹いている。
その子がたまに泣かないでお花とかを見てると、隣でお花の歌を歌ったり。
帰る時は必ず手を引いて家の玄関まで連れて行く。
とにかく付きっきりになっていた。
そうしている内に、その子も徐々に泣かなくなってきて。
段々と笑顔を見せるようになってきて。
でも一時も美貴の側を離れなくて。
その代わりに美貴は私の側を離れていって。
だから私は寂しくなって美貴に話し掛けた。
- 517 名前:Recollection 投稿日:2004/05/27(木) 22:42
-
「ねえねえ、美貴ちゃん、その子はもう泣かないの?」
「うん!泣かないよ!美貴と約束したから。…ね?」
美貴と手を繋ぎながら私達が話しているのを不思議そうな顔をしながら聞いていた
その子は、話し掛けられたのが嬉しかったのか、満面の笑みを浮かべて頷いた。
その笑顔を見て。
あの時、私は言葉を知らなかったから、その時思ったことを言葉に出来なかった。
でも頭の中には満開のお花が浮かんできた。その頃はお花の歌はチューリップの歌しか
知らなかったから。
だから未だにチューリップの花を見るとその子――亜弥――の笑顔を思い出す。
これは私だけの秘密。
- 518 名前:Recollection 投稿日:2004/05/27(木) 22:43
- この時から私達は何時でも3人一緒になった。
3人とも両親が忙しくて、幼稚園が終わっても誰かの家に行って遊んでいた。
まだ1人では何も出来なかったけど、自分達以上に何も出来ない亜弥がいたから、
私達はとにかく亜弥の面倒を見なければならなかった。
寒くなったり、喉が渇いたり、お腹が空いたり、眠くなったり。
その度に美貴は右往左往して、とにかく必死になった。
だから私も必死になった。
少しでも満たされないと泣き出してしまう。その姿はまさにお姫様。
この頃から亜弥ちゃんを中心に世界は回っていた。
少なくとも私達3人の間では絶対だった。
そしてそのおかげで私達3人の関係は曖昧なものだった。
お互いがお姉さんで妹で。
母親で娘で。
その時にくるくると役割は代わって。
でも一つだけ変わらなかったものがあった。
それは何時でも3人は一緒にいること。
それは小学校に入っても変わらなかった。
いつでも3人は一緒で。
これだけは変わらなかった。
変わらないと思っていた。
- 519 名前:Recollection 投稿日:2004/05/27(木) 22:44
- でも私達も成長する。
みんなの世界が徐々に広がって。
小学校4年の時に私と美貴は一緒にバレー部に入った。
そのバレー部は地元でも強豪チームだったから休日も練習があって。
だから亜弥ちゃんと一緒にいられない時間も出てきて。
亜弥ちゃんはもちろん不満そうで、だけどどうしようもなくて。
別に友達が少ないわけじゃないと思う。なぜなら亜弥ちゃんはとにかくいつでも
話題の中心にいるような子だったから。でも休日は友達じゃなくて必ず私達と
一緒にいた。私達も友達と遊ぶのではなく、3人で遊ぶのが当たり前になっていた。
それで亜弥ちゃんは部活に入れないのに、いつも練習を見ていた。
熱心に。
そんなある日にビックリすることが起きた。
部員の間でインフルエンザが流行って半分以上が欠席してゲームが出来なくなった時、
見学していた亜弥ちゃんを人数合わせのためにチームに入れたとき。
ただ立っているだけでいいからと加えたとき。
- 520 名前:Recollection 投稿日:2004/05/27(木) 22:45
- 亜弥ちゃんはただ立っているどころか、チーム内で全く違和感がなかった。
サーブ、レシーブ、トス、全てソツなくこなす。
それどころかチームのレギュラーより上手かったりした。
これには私も美貴も驚いた。いつも一緒にいる私達にはわかる。
亜弥ちゃんは練習はおろかバレーボールをやったことがないはずだった。
だからその才能を知ったときは本当に驚いた。
当然バレー部の皆は、まだ部活に入れる学年ではないにも関わらず亜弥ちゃんに部活に
参加するように言った。でも亜弥ちゃんは、頑なに断った。いつも練習にはついてくるのに。
でも、私と美貴には分かっていた。亜弥ちゃんが入部しないことを。
それは、弟妹達のこと。亜弥ちゃんまで部活に入ってしまうと面倒を見る人がいなくなって
しまう。だから亜弥ちゃんは部活に入るわけにはいかなかった。
亜弥ちゃんは少しだけ寂しそうに笑って、断っていた。
本当は私達とバレーをやりたいだろうに。
優しいから。
家族を大事にしているから。
だから自分を抑えて。
そんな寂しそうに微笑む亜弥ちゃんの姿を見て、思った。
せめて私達だけは我侭を聞いてあげたいと。
だから私達はますます甘やかした。
そして亜弥ちゃんもそれを喜んで受け入れていた。
- 521 名前:Recollection 投稿日:2004/05/27(木) 22:46
- やがて私達も大きくなって小学校を卒業して中学生になって、亜弥ちゃんと違う学校に
行くことになった。亜弥ちゃんは、少しでも私達と一緒の時間を過ごせるように早起きして
私達についてきた。学校は途中まで方角が一緒だったのだけど、必ず中学校の門まで
ついてきて、それから小学校に行った。学校が変わり、更には部活に所属して帰りも遅くなる
美貴達と少しでも同じ時間を過ごせるように考えた結果らしい。
でも、それでも。
中学に入ってからは、一時期私達と亜弥の間に距離が出来た。
それは誰しも経験するものであり、本来であれば私達の関係もここで多少薄れたものに
なるはずだった。だけど、私達の場合は違った。確かに一時期距離が出来たものの、すぐに
修復された。
私達と離れて学校に通うようになって、亜弥ちゃんの周辺に色々な人たちが群がるように
なってきた。今までは私と美貴が睨みを利かせていたから。でも邪魔者がいなくなって、
元々人気があった亜弥ちゃん目当ての人が近づきやすくなったんだ。それに徐々にみんな
好きな人とかが出来始める年齢だったから。
だから亜弥ちゃんと別れてからの数ヶ月は大変だった。
―――――美貴が。
- 522 名前:Recollection 投稿日:2004/05/27(木) 22:47
- まず朝、中学校の門の前で別れる時は、亜弥の姿が見えなくなるまで見送っていたし、
その後の授業中にも小学校が見える方向を眺めたまま呆けていた。部活にも集中力が
なくなって、プレーにも翳りが見え始めていた(とは言っても全国大会には行ってる
けどね)。部活が終わって家に帰ると先に帰っている亜弥ちゃんから今日あったことを
根掘り葉掘り聞いていた。まあ、亜弥ちゃんも喜んで話してたけどね。
亜弥が心配なのは私も一緒だったけど、美貴の場合は明らかに異様なくらいの過保護。
心配でご飯も喉を通らなくなっていき、どんどん痩せ始めた。
それでもって、亜弥と別々の学校に通い始めて3ヶ月後。
美貴はとうとう病気になってしまった。
「しょうがないなー。あたしがいないと駄目なんだね。」
亜弥はそんなことを言いながらも美貴を嬉しそうに看病していた。
そういえば、この頃からかもしれない。
私が真希ちゃんで、美貴が美貴たんになったのも。
呼び方はその時々で変わっていたから気にしてなかったけど、確かにこの頃からだと思う。
- 523 名前:Recollection 投稿日:2004/05/27(木) 22:48
- それから美貴の病気が治った後、美貴は1人の子を私のもとに連れてきた。
なんでも、以前接骨医に通っている時に、同じくたまたま医者に通っていた子らしい。
その子は亜弥ちゃんの一つ下の学年で、バレー部に所属してるらしかった。
私達とは学年が3つ離れているから直接面識はなかったけど、亜弥のことはよく知ってる
ということだった。
その子は私の前に来ると、少し舌足らずなしゃべり方で話始めた。
ほわんとした笑い方をする子で、笑うとその場の空気も変えてしまうような子だった。
裏表のなさそうな、この子を亜弥も気に入っているらしくて、頭を撫でたりしてニコニコ
していた。美貴はこの子に亜弥の面倒を見てもらうと言っていた。
面倒を見てもらうだなんて、しかも亜弥より年下に。美貴は亜弥のことをどう見ているの
だろうか。どうせならまだ亜弥ちゃんと同じ学校に通っている私の弟のユウキにでも頼めば
いいのに。あんなんでも男だから少しは役に立つかもしれないし……って、あんなんでも
男だから頼まなかったのかな?まあ、とにかく私は少し呆れて見ていたけど、この子も
嬉しそうに亜弥に抱きついていた。
「ののも、可愛いお姉ちゃんが欲しかったんです。」
確か、この子にはお姉さんがいると言っていたような気が……まあ色々あるのだろう。
それからこの子は私達の周囲をウロウロするようになった。最初は人見知りの激しい私は
心良く思ってなかったけど、まさか私達が気を許せる数少ない友人になるとはね。
- 524 名前:Recollection 投稿日:2004/05/27(木) 22:49
- とりあえずそれ以降は美貴も少し落ち着いたようで、時々こっそり亜弥の様子を見に行く
という以外は、普通に学校生活を送っていた。ただし、今度はお泊り会が増えた。
小さい頃からお互いの家に泊まったりしていたんだけど、美貴の病気が治った後は
その回数が極端に増えた。それはもう、ほぼ毎日といってもいいくらい。
私はそこまでする気はなかったけど、美貴の縋るような目を見てしまうと断れなかった。
大抵は広い亜弥ちゃんの家に集まって皆で布団を並べてた。それで亜弥ちゃんが飽きるまで
布団の中でしゃべっていた。
まあ、ほとんど亜弥ちゃんと美貴がしゃべっていて私は聞いているか寝ているかの
どちらかだった。でも一番最初に起きるのは亜弥で私はいつも最後まで寝ていた。
たまに私が一番最初に起きると、結構な確率で亜弥の布団の中に、主人の姿はなく、
美貴の布団がこんもりと2人分膨らんでいた。夏などは暑くないのかなと少し感心して
しまった。まあ正直な話、感心してないと自分の中の嫌な部分を見てしまいそうな気が
したから、意識的に感心するようにしていたんだけどね。
- 525 名前:Recollection 投稿日:2004/05/27(木) 22:50
- そんな日々を送って2年。
ようやく亜弥ちゃんが中学に入学する時がきた。
美貴はもう自分のことのように喜んじゃって、まだ春休みのうちから亜弥ちゃんに無理矢理
中学の制服を着せて写真とか撮っていた。まるで母親みたいだった。でも亜弥ちゃんも
満更ではないみたいで。この光景を見ていたとき、私の胸がチクリとしたけど、何故だかは
分からなかった。何を見てそう思ったのか。その理由に気付くのは数年後のことだった。
とにもかくにも亜弥ちゃんの波乱に富んだ中学校生活は、そんな雰囲気の中、幕を開けたんだ。
そして亜弥ちゃんは、中学に入学すると同時にバレー部に入った。
もう弟や妹達は小学校高学年になっていて自分達で何とかできるようになっているから
亜弥ちゃんが面倒みなくても大丈夫になっていた。
もう、それは嬉しそうに春休みのうちからバレー部で混じって練習をしていた。
そしてそんな亜弥ちゃんを見て、美貴は嬉しそうに基本的なことから高度なプレーまで
教えていった。この頃にはすでに私も美貴も県内ではかなり有名な存在になっていて、
3年生になる今年はその活躍が注目の的になるほどだったのに、美貴は自分の練習を放って
亜弥ちゃんの面倒を見ていた。それはそれは嬉しそうに。まるで今まで溜まっていた分を
満たそうとするかのように。朝練から始まって、昼休み、練習終了後と、とにかく時間が
あれば2人で練習していた。私も時々一緒に教えていたけど、ほとんど美貴がメインで
教えいていた。あれだけ嬉しそうな顔をされたら私は手出しが出来ない。
- 526 名前:Recollection 投稿日:2004/05/27(木) 22:51
- そして元々才能があったらしい亜弥ちゃんも、メキメキと力を発揮し始めた。
まるで私や美貴が乗り移ったかのようなプレー。私達が出来ることは全て亜弥ちゃんも
出来た。そして驚いたことに僅か1ヶ月でバレー部のレギュラーになっていた。
多分、私は初めて天才というものを目の当たりにしたのだと思う。
とにかく、亜弥ちゃんは人の注目を集める子だった。
この頃から県内のバレー関係者の中では私達3人は注目されていたみたい。
登下校の時とかに写真を撮っていく人とかも出てきて。
学校内でも私達のファンクラブが出来て、校内の男子の多くが入るっていう馬鹿みたいな
現象が起きていた。ファンクラブに入っていなかったのは既に彼女がいる奴か、私達の
身内くらいのものだった。最初は非公認だったんだけど、実は途中から公認になったんだ。
あまりに亜弥ちゃんに言い寄る奴が増えたから、頭に来た美貴が護衛をつけるために
公認にしてルールを作ったんだ。傍目には美貴は何かのチームのリーダーにも見えたかもね。
しっかり組織化しちゃったんだから。弟のユウキなんて組織のまとめ役なんてやらされて
泣きそうになってたな。
でもこの頃は、何も不安はなかった。とにかく毎日が楽しかった。
だから学校に行くのも楽しかった。真面目には授業は聞いてなかったけどね。
でも美貴と亜弥がいたから。私にはそれだけで充分だったから。
- 527 名前:Recollection 投稿日:2004/05/27(木) 22:52
-
〜〜〜
- 528 名前:Recollection 投稿日:2004/05/27(木) 22:53
- 「ほら真希、買ってきたよ。」
昔のことを思い出している間に、母親がジュースを売店で買ってきたみたいだ。
「ありがとう」
お礼を言って手を差し出すと手に冷たい缶が乗せられる。
プルタブを引いて缶を開けると一気に半分程あおる。
冷たい炭酸が喉越しに心地良く流し込まれていく。
ジュースを置くと、母親が席を立つ音がする。
「じゃあ、今日は帰るね。また明日来るから。」
「うん、気を付けてね。」
母親が帰ると話相手もいなくなり手持ち無沙汰になる。
仕方なしにベットに横たわる。そうしていると、少し眠くなってくる。
昨夜遅くまでラジオを聞いていたため、睡眠不足気味なのだ。
目が見えないためラジオは結構重宝する。
部屋の中は快適な温度で保たれていて、周囲の雑音も今は子守唄に聞こえる。
だから徐々に眠りの世界に引き込まれていく。
薄れていく意識の中、何故かマブタの裏に幼い女の子の姿が映る。
ああ、懐かしいな。
口元に微笑みを浮かべながら、真希は意識を手放した。
- 529 名前:Recollection 投稿日:2004/05/27(木) 22:54
-
◇
- 530 名前:Recollection 投稿日:2004/05/27(木) 22:55
- 気が付くと私は学校の帰り道を歩いていた。
どうやら地元の中学の近くみたいだった。
周りを見回すと、辺りは夕暮れの日差しに包まれて茜色に染まっていた。
この光景は――――よく覚えている。
私達の行動を決定付けた“約束”をしたときの光景。
ああ、私は今夢を見ている。
自覚をしてしまうと、次にくる展開が読めてくる。
後ろを振り向けば…ほら、少し俯き加減の亜弥がいる。
普段は無駄にはしゃいでいるのに、ここにいる亜弥は尾をたらしている子犬のよう。
いつもの亜弥を知っている分、その姿が余計に痛々しく映る。
隣の美貴を見ると、亜弥の姿を見て、もっと痛々しい表情をしている。
私は居たたまれなくなった。
- 531 名前:Recollection 投稿日:2004/05/27(木) 22:56
-
―――こんな亜弥は、見たくない―――
この時浮かんだ思いは今でも時折思い出すほど強い想いだった。
そしてそれまで俯いて歩いていた美貴も何かを決意するかのように顔を上げた。
「大丈夫だよ、亜弥ちゃん。美貴と真希が守ってあげるから。」
俯いていた亜弥が顔を上げる。
「…本当に?」
そう言った亜弥の目は少し潤んでいたが、それが喜びからなのか、不安からなのかは
分からなかった。だからとにかく安心させたくて。
「本当だよ。亜弥ちゃんに本物のナイトが現れるまで、私と美貴が守ってあげる。」
真希が言い聞かせるように、丁寧に言葉を紡ぐ。
- 532 名前:Recollection 投稿日:2004/05/27(木) 22:57
- 「真希ちゃんと美貴たんがナイトになってくれるの?」
不安なのか言葉を確認するかのように繰り返す。
「本物のナイトが現れるまでの間だけどね。」
美貴が少し寂しそうに付け足した。
それを聞いた時、なぜか胸が痛んだ。
でもその意味を考えることが何故か怖くて、無理矢理、頭の中から排除しようとした。
「じゃあ、私はナイトの剣役ね。そんで美貴はナイトの盾役。」
わざとおちゃらけて美貴を焚きつける。
でも、いつもはすぐにこういう話には食いついてくる美貴は、私を睨んだだけだった。
その目は非難しているようにも見えたし、私の言葉に反論しているようにも見えた。
「2人で1人のナイトなの?」
でも、亜弥は言葉をそのまま受けとったみたいだった。
「うん、一応女の子だから2人で1人ね。」
亜弥の質問に軽い口調で応える。
目に見えて軽くなる空気。
どうやら成功したみたい。
- 533 名前:Recollection 投稿日:2004/05/27(木) 23:00
- もともと亜弥を元気付けるためだけに言っただけだしね。
美貴の雰囲気も柔らかくなる。
「じゃあ、真希が犠牲になってる間に、美貴は亜弥ちゃんと逃げるね。
真希の死は無駄にはしないよ。」
「真希ちゃんは生贄なの?」
「ちょ、ちょっと2人とも、逃げる満々なわけ?」
珍しく美貴が頭を使って反撃してきた。
別に美貴を馬鹿にしているわけではないけど、いつもは私にやり込められてるから意外。
「やっぱりお姫様は大事に守らないとだからね。ほら、武士道は死ぬこととってね。」
「いや、騎士だから、武士道関係ないし、勝手に殺さないで。」
全く、放っておいたら何を言い出すのやら。
「でも亜弥ちゃんは必ず守るよ?」
私が呆れていたら、美貴がさっきまでの馬鹿げた笑い顔を引っ込めて亜弥に宣言する。
亜弥を勇気付ける言葉を紡ぎだす。
- 534 名前:Recollection 投稿日:2004/05/27(木) 23:01
- 美貴の目は驚くほど澄んでいて、そして―――真っ直ぐだった。
ずっと一緒に育ってきた私が羨むほど…いや、私にはきっとない目の輝きを持って。
私が憧れているもの。それを美貴は溢れるほど持っていた。
美貴ほどの真っ直ぐさはないけど、少しでも近づきたい。
動機は不純なものだった。
「いつでも亜弥ちゃんの味方だから。」
出来るだけ亜弥の目を見て言う。
たとえ言葉だけでも違うから。
だから贈る。
亜弥を勇気付けるための言葉。
ただ、美貴に近づきたくて、亜弥を想っての言葉じゃなかった。
- 535 名前:Recollection 投稿日:2004/05/27(木) 23:02
- 亜弥はその約束を聞いて何も言わなかった。
何かをかみ締めているようにも見えた。
そして数瞬後、美貴にそして真希に向かって、ただ微笑んだ。
その瞬間、真希は時間が止まったように感じた。
その微笑はまるで、先程の言葉の本質を見抜いているようで。
私自身気付いていなかった私の中の真実を亜弥に見抜かれているようで。
だから、見抜かれていることを真実にしたくなくて。
だから次の瞬間、真希にとってこの言葉は不破のものとなった。
亜弥の微笑により意味を持った。
この言葉は亜弥によって生命を吹き込まれ、そして真希にとって誓いとなった。
私はこの言葉を決して破らない。
真実を隠すために。
- 536 名前:Recollection 投稿日:2004/05/27(木) 23:03
-
◇
- 537 名前:春雷 投稿日:2004/05/27(木) 23:11
- いいのかな?
なんとも言えないほどせつないです。
それと、ちょっと勘違いしてたようです。
てっきり、後藤さんの好きなひとは、あの人だとおもってました。
- 538 名前:Recollection 投稿日:2004/05/27(木) 23:11
- 誰かが身体に布団をかけてくれた気配に気付き、ゆっくりと夢から浮上してくる。
『また見ちゃったな…。』
入院して以来、毎日のように見るようになった夢。
見るのは2つのパターンしかない。
今日見た夢と、私達を切り裂いた時の光景の夢。
それは約束を果たせなかったからなのか、単純に2人から引き離されたからなのか。
それともあの事実から逃れるためなのか。
どちらにしろ約束すら守れていない今の現状では、あの時の約束の光景も、苦痛な
ものでしかない。周囲は静かになっているようなので、多分今は夜中なのだろう。
私は布団を改めて自分の身体にかけ直して、再び寝る体勢に入る。
再び悪夢を見るために。
これは私なりの贖罪、だから。
- 539 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/05/27(木) 23:16
- 更新しました。
短編はこれでラストで、次回からは本編の時間軸に戻ります。
最後の部分は短編第1弾〜約束〜の後藤さん視点でした。
多少食い違っている個所は都合よく脳内補完をお願いします。
何だか娘。周辺で騒がしいのか騒がしくないのか分からない事態が起きていますけど、
とりあえず、ことミックと萌えマナとM-SEEKとハロモニがあれば生きていけそうな作者です。
- 540 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/05/27(木) 23:18
- レスありがとうございます。
>>507 名無飼育様
短編の第2弾は意識して痛くしてみましたけど、本当はあまり痛くはしたくないんです。
>>508 名無し様
もう少々お待ちください。
一応、登場人物には皆かなりしっかりとした設定をしてあるのですが…。
都合で省くことも(ry
- 541 名前:春雷 投稿日:2004/05/27(木) 23:21
- 申し訳ないです。
いつも更新終了されたら、レスをされるのをすっかり忘れて書き込んでしまいました。
今後、このようなことは、しないように気をつけます。
ほんとうに申し訳ありません。
- 542 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/04(金) 22:19
- 全国大会出場を決めた翌日。
休みなく試合と練習をこなしていたのと、県大会優勝のご褒美も含めて部活は休みだった。
しかも学校は夏休みに入っているため一日中自由に行動できる。
皆、疲れを取るため多くの場合は家でゴロゴロしていた。だが、一部の人たちはまだまだ
余力があるらしく、街に遊びに出ていた。
「亜弥ちゃーん、美貴もう疲れたよ〜。」
「えー、まだお昼だよー、美貴たんだらしないな〜。」
「そんなこと言ったって…昨日の祝勝会で体力使い果たしちゃったよ〜。」
「ふんだ!美貴たんが悪いんだよ!残されたあたしがどれだけ寂しかったことか…。」
軽く泣き真似まで入れている。
「別に美貴を待って無くても良かったのに。真希の家にでも遊びに行けば良かったんだよ。
っていうか亜弥ちゃんも祝勝会に出れば良かったのに。昨日の主役だったんだから。」
「あたしは、美貴たんと……。」
途中で勢いが止まる。
「美貴と…何?」
「な、なんでもない!昨日は疲れてたの!だから出なかったの!」
- 543 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/04(金) 22:20
- 美貴は反論するのを諦める。理不尽な言動は亜弥の専売特許だ。
それよりもますます機嫌の悪くなった亜弥を宥めるほうが先決だ。
「分かったよ、でもそろそろお昼にしない?美貴、お腹空いちゃったよ。」
そう言われてみればお腹が空いている。
朝寝ている美貴を無理矢理たたき起こして、朝食もろくに食べずに街に出てきたのだ。
周囲を見ると、徐々に人も増え始めていて、飲食店の周囲にも人が溢れ始めていた。
早く適当なところに入らないとイライラするほど待たされることになりそうだ。
「じゃあ、どこかに入る?美貴たん何にする?」
密かに胸を撫で下ろす。うまいこと注意を逸らせたみたいだ。
「そうだね〜。」
店を探しながら亜弥の手を握り、引っ張るような形で店を探し始める。
意外かもしれないけど、こういう食べ物の店を決めるのは美貴の役目。
ただ、それは美貴がおいしいところを知っているとか、グルメだからとかではなくて、
単純に好き嫌いが多いから。亜弥が決めたものでも我慢して食べるのだが、亜弥としては、
美貴が我慢していること自体が許せないらしい。せっかくならしっかり楽しみたいという
考えなのだ。だから店選びは美貴の役目。
「あ、あそこなんていいんじゃない?」
10m程行ったところにあるアジアンテイストの店を指している。焼肉が好きな美貴は
辛いものも平気で食べる。おかげで亜弥もある程度なら辛いものも食べられる。
「うん、いいんじゃない。行こう?」
「うん。」
楽しい休日は、まだ始まったばかり。
- 544 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/04(金) 22:21
-
◇
- 545 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/04(金) 22:22
- 「あ〜食べた食べた。」
「本当、おいしかったね。」
店の雰囲気だけでなく味のほうも充分合格点を出していた店を後にする。
お腹一杯食べられて、美貴は先程までの不満そうな顔はどこに行ったのかというくらい
満足そうな顔。そしてそれを見る亜弥の表情も柔らかい。
「午後はどうする?亜弥ちゃんは何がしたい?」
「う〜ん、そうだな〜。」
考え込んでると、ふと目に付くゲーセン。
『あ…あれは…。』
「ねえ、美貴たん、あそこのゲームセンター行かない?」
「ん?あそこ?」
「うん。」
そう言うと美貴を引っ張って歩き始める。何のことも無いゲームセンター。
中にはクレーン系のゲームが数多くあるだけ。特に目につくものはない。
だが、亜弥は妙に目を輝かせて中を覗きこんでいる。そしてある機械の前に行くと
立ち止まる。
- 546 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/04(金) 22:23
- 「あった、あった。まだあったんだ。」
「何?何があったの?」
不思議に思って中を覗きこんでみる。でも中にはヌイグルミがあるだけ。
「何もないじゃ…あ、あれ?」
「ふふ、分かった?」
「もしかして、このヌイグルミって…。」
やっと分かった?とでも言いたげに亜弥は美貴の目を覗き込んでくる。
「昔、美貴達が持っていたヌイグルミに似てるんだ…色なんかそのままだ。」
「うん、美貴たん、いつも抱いて寝てたもんね。」
「う…あ、亜弥ちゃんだって抱いて寝てたでしょ〜、しかも小さい頃は美貴の布団に
入ってくるときに枕じゃなくてヌイグルミを持ってきてたでしょー。」
「あたしはいいの!それが可愛いんだから。」
伝家の宝刀を出してくる。亜弥が自分のことを可愛いと言ったときは、美貴は絶対に
否定できない。だからこれを出されると美貴は全面降伏するしかない。
反論することなくしばらくヌイグルミを眺めていたが、さすがに見ているだけだと
飽きてしまうので、このゲームをやろうか亜弥に聞いてみようと、注意を亜弥に向けてみる。
だが、亜弥は機械を覗き込んで止まっている。突然動きがなくなった亜弥を不思議に思う。
- 547 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/04(金) 22:24
-
「亜弥ちゃん?」
呼びかけると僅かに身体を振るわせた。そしてその声に振り向いた亜弥の顔は何かを
堪えているかのようだった。
「あのね…、前にここに来た時は、美貴たん達がいない時だったんだ。」
先程まで明るく笑っていたのに、突然沈んだ声を出す。
「あの頃は、美貴たん達がいないのを必死に我慢してた。毎日毎日、勉強して気を
紛らわせて。でもね……ここのヌイグルミを見たときに、自分でも気付かない間に
泣いちゃって……それで気付いたんだ。もう美貴たん達がいないことを我慢するのは
限界だなって。」
少し視線を落として、その時のことを思い出しているのか、亜弥の目には光るものが
見えた。その表情から、その時の亜弥の気持ちが垣間見えて、美貴は反射的に手を伸ばす。
「美貴はここにいるよ。もう、離れないからね。」
抱きしめて言い聞かせるように囁く。
美貴は能天気な自分を責めた。亜弥の中では、3年間1人でいたことはしっかりと
心の傷となっていたのだ。昨日の姿を見て、すっかり大丈夫だなんて勝手に思い込んで。
実際は亜弥は、恐れているのだ。また美貴たちがいなくなってしまうことを。
でなければ、いくら思い出したからといって、ここまで脆い姿を見せないはずだ。
だから想いを込めて抱きしめた。亜弥の不安が少しでも消えるように。
- 548 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/04(金) 22:25
- しばらく亜弥の頭を撫でながら抱きしめてると、亜弥の身体から徐々に固さが抜けてくる。
そしてしばらくすると亜弥はようやく顔を上げて美貴と目を合わせる。
「…さっきのこと…本当?」
身体から固さは抜けたものの、未だに目に不安を湛えたまま見上げてくる。
だから不安を取り除くためにはっきりと応える。
「うん、本当。ずっと一緒。」
「…絶対?」
「うん、絶対。」
「…約束?」
「うん、約束。」
問いに全て即答する。
力強く。
そしてそれを聞くたびに亜弥の身体から固さが抜けていく。
「……ねえ、美貴たん…。」
「…ん?なあに?」
亜弥が少し目を伏せる。
- 549 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/04(金) 22:26
- 「…真希、ちゃんも…一緒…だよね?」
「……。」
一瞬、美貴の身体が硬直する。
だが思い直して聞いてみる。
「…亜弥ちゃん…不安?」
「…うん…、最近あたしの家に来てくれなくなった…。」
「…」
「一緒に帰ってくれなくなった。」
「…」
「目を見て話してくれなくなった。」
「…」
「…真希ちゃん…どっかに、行っちゃいそう…。」
「…」
亜弥の声は震えていた。
人は失うことを恐怖する。
それが大事なものであればあるほど。
そして真希は何者にも代えがたい存在。
亜弥にとっても、美貴にとっても。
- 550 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/04(金) 22:27
- 「大丈夫。どこにも行かないよ、美貴も真希も。」
「本当?」
「うん、美貴には分かる。」
あの時
真希の部屋で
公園で
見た真希の目は
感じた真希の気配は
間違いないはずだ。
すれ違ってきていても、美貴と真希の想いは同じはずだから。
あの時の約束は、誓いは、偽りないはずだから。
だから、後は信じるだけ。
亜弥は自分を信じてくれているから。
同じように自分も真希を信じる。
人を信じない人間は、決して信用されないから。
- 551 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/04(金) 22:27
- 「だから亜弥ちゃんは心配しなくていいんだよ?」
そう言って亜弥に微笑みかける。
するとようやく安心したかのように、美貴の肩に額をつけて凭れ掛かってくる。
その姿を見て、美貴もようやく表情を和らげる。
しばらくすると、亜弥は美貴の肩に自分の匂いをつけるように頬を擦りつけ始めた。
「何?」
「えへへー、匂い付け匂い付け。美貴たんはあたしのものだからね。」
こういうことを言っている時の亜弥は、大抵何も考えてない。
だから美貴も何も考えずに応える。
「ふふふ、何なりとお申し付けください、お姫様。」
「えへへへ。」
美貴と亜弥の距離はいつも変わらない。
他の人から見ると、近すぎるように見える距離も、2人の中ではしっかりとある程度の
距離がある。ただその距離が他の人の数倍近いだけ。限りなく“0”に近いだけ。
でも“0”じゃない。それは2人にとっては大きなものだった。それでも今までは、
それで充分だった。
- 552 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/04(金) 22:28
- ひとしきり肩に額を擦りつけると満足したのか、ようやく美貴から離れる。
「さ、次行こう?」
「うん。」
どちらからともなく手を取り歩き出す。
ゲームセンターを出て真っ直ぐ歩いていると、駅の近くに出てくる。
「どうする美貴たん?疲れた?」
朝からぼやいている美貴に聞いてみる。
「う〜ん、ちょっと喉が乾いたから、ジュース買ってくる。それ飲んだら帰ろう?
本当に疲れちゃったよ。美貴がジュース買ってくるから。」
「うん、じゃあ、帰ろう。あ、あたし烏龍茶が飲みたい。」
「うん、じゃあ、ちょっと待ってて。すぐ買ってくるから。」
そう言って美貴は自販機のあるほうへと歩いていった。
その姿を見送ってから亜弥は近くのベンチに腰掛けた。強い日差しが降り注いで
いたが、ここから動くと美貴が戻ってきた時に分からなくなってしまうため、我慢して
待つことにした。
- 553 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/04(金) 22:29
-
◇
- 554 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/04(金) 22:29
- 抜けるような青空。
東の空に小さな入道雲が浮かぶが、まだ空の片隅に申し訳程度にしか育っていない。
街には太陽の日差しが何ものにも遮られることなく降り注いでいる。
夏の風物詩の1つである南風も、そよ風程度にしか吹いていないため、歩いている人には
ほとんど分からない程度のものだった。
梅雨が明けた後の気候は、初夏の頃とは異なり、ジメッとした肌に纏わりつくような空気が
明らかに自分達に牙を剥いてきている。
要するに、
「だ〜!あっちぃー」
思わず叫ぶ。
せっかくの休みだから街に出てきたのは良いが、目的もなく出てきたのが
いけなかった。夏本番に差し掛かり始めた日差しは容赦なく身体から汗を噴きださせる。
しかしハンカチなど持ち歩かない吉澤は、手で乱暴に額の汗を拭う。
- 555 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/04(金) 22:30
- 今日は久しぶりに1人で街を歩いてみようと、誰にも連絡を取らずに街に出てきたのだ。
普段は後輩やらがしつこく誘うのを断りきれずにいるため、滅多に1人では歩けなかった。
だが、さすがに今日は誰かに付き合う気にはなれずに携帯の電源を切ってある。
そして1人で電車に乗り、街まで出てきた。自分の部屋で使うカップでも買おうと思って
街に探しに来たのだ。しかし適当にカップを買ってしまうと、他に特にやることを
決めていなかったためお昼を食べるとやることがなくなってしまった。
そして、今の叫びに至る。
「だー、もう!暇だ!やっぱり駄目元で亜弥ちゃんに電話でもするかな?」
どうせ周囲には誰も知っている人はいまいと、頭で考えていることを口に出している。
しかし今日は携帯を家に置いてきてしまっているので誰とも連絡が取れない。
諦めて、家に帰ろうと駅に向かう。途中信号待ちで立ち止まる。どうせ暇なので気にしない。
ぼーっと信号待ちをしていると、見慣れた顔が目に止まる。
「あ、亜弥ちゃん?」
- 556 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/04(金) 22:31
- それは駅前のベンチで3人の男に絡まれている亜弥の姿だった。周囲には亜弥のほかには
誰も知っている姿は見当たらない。
『ミキティはどうしてるんだ?いつも一緒じゃないのか?』
だがそれらしき人影は相変わらず周囲には見当たらない。
とにかく助けに行こうと、信号を渡ろうとするが、車の通りが多くて渡れない。
中々変わらない信号をイライラして待つ。その間にも男達は強引になってきていて
亜弥の腕を取り強引に連れて行こうとしている。
やっと信号が変わる。
手に持っている買ったばかりのカップを握りなおし、急いで亜弥の元へ走り出す。
もうすぐ声が届く距離になる。やめさせるために息を吸い込み、叫ぼうとした瞬間。
その息は声になることなく、肺の中に留められた。
そして吉澤の足も思わず止まる。
目の前で先程まで亜弥を強引に連れ出そうとしていた男が、腕を捻上げられている
姿があった。
「こんな所でナンパなんかしてんじゃねーよ。」
捻り上げているのは、髪を茶色に染めた男だった。年齢は恐らく自分達と大して変わらない
くらい。15〜16歳くらいだろう。見たことがない顔だったが、その男の目鼻立ちはしっかりと
していて、奇麗な整った顔をしていた。そしてその目と眉毛からは意志の強さが読み取れた。
そして誰かにも似ているような気がしたが、記憶を呼び起こしてみても、目の前の奴と一致する
ような知り合いは思い出せなかった。
- 557 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/04(金) 22:32
- 気が付くとナンパしていた男達は5〜6人の男に囲まれていた。
「わ、悪かったよ…、やめるから離せよ。」
ナンパしていた男は形勢不利と見たのか、精一杯の強がりを見せてその場を離れていった。
とりあえずナンパ野郎はいなくなったが、状況はあまり良くないみたいだ。
亜弥は依然5〜6人の男に囲まれているのだから。
『とにかく亜弥ちゃんを助けないと。』
勇気を振り絞って、その集団に近づく。
男達の身体の影から亜弥の顔が見える。
先程の怯えた顔をそのままに固まってしまっている。
すると先程ナンパ野郎の手を捻り上げた男が亜弥に手を伸ばすのが見えた。
まずい…。
注意を引くために声をかけようとする。
「お…」
- 558 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/04(金) 22:33
- 声は再びそこで飲み込まれる。
男は伸ばした手で亜弥の頭を撫でている。
「危なかったな。何で1人でいるんだよ?」
耳に届いたその声は限りなく優しかった。
亜弥は手の影から男の顔を覗き見ている。
そして破顔したかと思うと、そのまま力の限り――――その男に抱きついた。
「来るのが遅い…。」
泣いているのか分からないが、その声は震えていた。
男は亜弥の背中に手を回して、子供をあやすように軽く叩いている。
「ゴメン。気付くのが遅れた。」
男の顔を見ると、亜弥を見つめるその目は優しく細められていた。
一瞬放心し、身体の力が抜ける。
足元で何かが壊れる音がした。
先程まで手にもっていたものが落ち、派手な音をたてていた。
足元にはバラバラに砕けたカップが散っていた。
- 559 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/04(金) 22:33
-
- 560 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/04(金) 22:33
-
- 561 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/04(金) 22:34
-
- 562 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/06/04(金) 22:35
- 更新しました。
今回から本編に戻りました。
こんな引っ張ってるような区切り方は嫌だったんですが…、
次回の区切りを考えると、ここしか無かったんです!(逆切れ
今後あまり使いませんので、今回だけ見逃してくださいm( _ _ )m
レスありがとうございます。
>>541 春雷様
まさか更新を見られていたとは…。
これに懲りずに(!?)レスをいただけると作者は喜びます。
- 563 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/05(土) 00:06
- 男?!ミキティは??
- 564 名前:名無し読者 投稿日:2004/06/05(土) 01:37
-
↑ まぁモチツケw
作者さま更新お疲れ様です。これからの展開もますます
目が離せません。頑張って下さい。
- 565 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/05(土) 12:44
- 吉澤もめっきり出番が減って、登場したかと思ったらこんなんばっかだなw
- 566 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/06(日) 01:29
- いやぁこれからが楽しみだなぁ。
作者さん頑張って下さい。
- 567 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/13(日) 17:38
- 吉澤は呆然とその光景を見ていた。
自分が知らない亜弥の姿をここ数ヶ月で次々と見せ付けられてきたが、この光景は
その中でもかなり衝撃的だった。なにしろ今までとは違い、男に抱きついているのだから。
自分達の年齢になると男と触れる機会はかなり限られてくる。余程親しくなければ触れたり
することはなくなる。それなのに、目の前で亜弥は男に抱きついている。
どうしていいか分からなくなっている吉澤は立ち尽くしていたが、ふと脇を見ると見慣れた
顔があった。彼女はこの光景を見たら何て言うのだろうか?というかどこにいたんだ?
- 568 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/13(日) 17:39
-
「ミキティ!」
そう声をかけるが、全く吉澤のほうを見ることなく一気に駆け寄ってきた彼女は
徐に振りかぶった。
『何だろう…振りかぶったりして…手には缶を……缶!?』
美貴は手に持った缶を思い切り投げてきた。
そしてその缶は見事に男の額にめり込む。
ゴリュ!
あまりよろしくない音が額からする。
男は堪らず手で抑えてしゃがみこむ。
「何、亜弥ちゃんを抱きしめてるんだよ!100年早い!」
「あ!美貴たん!」
美貴が宣言すると、亜弥が気付いて一目散に駆け寄り、抱きつく。
「美貴たん、怖かったよ〜。」
「ゴメンね、1人にしちゃって。」
美貴は腕の中の亜弥を力一杯抱きしめた後に、覗き込む。
「ううん、いいの、助けてくれたから。」
「当たり前だよ、いつでも助けるよ。」
- 569 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/13(日) 17:40
- 2人だけの空間が展開されている側で、男がようやく額を抑えたまま立ち上がる。
「何言ってるんだよ、助けたのは俺だよ?美貴はいなかっ…ごふ!」
言い終わる前に美貴の蹴りが入る。
「美貴に無断で亜弥ちゃんに触れんな!やっちゃって良いよ!」
美貴がそう言うと周囲にいた男達が、美貴に蹴られて再び蹲っている男に蹴りを
入れ始める。
「テメー、何自分だけ良い思いしてんだよ!」
「俺達も一緒に助けただろうが!」
「弟だからってやって良いことと悪いことがあるぞ!」
口々に何か言いながら皆で蹴りを入れている。
しかも何やらヒートアップしており、手加減など一切ないようだ。
だが、吉澤はそのうちの1人が言った言葉が引っかかった。
『弟?……誰の…?』
- 570 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/13(日) 17:42
- 先程の弟という言葉をキーワードに再び自分の頭の中で検索をかけてみる。
最初に見たときに、どこかで見たことあるような気がしたから。
しばらくその顔を眺めていると、ふとある顔が浮かぶ。
『…ごっちん…?』
確かに似ている。真希を男にすれば恐らくこんな顔になるといった感じの顔だ。
そして恐らく真希の弟であれば、確かにあまり人を寄せ付けない美貴達と
親しそうなのも納得がいく。というかそういう風に納得したかった。
その美貴は男がボロボロになったのを見て満足したのか、亜弥の顔に笑顔が
戻ったことに安心したのか、とりあえず特に気にもかけずに歩き出そうとする。
「じゃあ、美貴達は行くから…って、あれ?よっすぃ、いたの?」
振り向いてこちらを見て驚いている。
どうやら今、初めて吉澤の存在に気付いたようだ。
「なんだよミキティ、うちに全然気付いてなかったの?」
「うん、亜弥ちゃんしか見えて無かったよ。何してるの?」
「あ、うん、買い物して……あー!割れてる!!」
自分の足元に転がる元カップを見つけて驚く。
つい先程買ったばかりのカップは、最早原型を留めていなかった。
- 571 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/13(日) 17:43
-
「ちくしょ〜また買いに行くか…。」
「そう?美貴達は疲れたからもう帰るね。」
「あ、うん。またね。」
そう言うと、2人は駅に歩いて行ってしまった。
何となくその姿を見送ってると、先程美貴に足蹴にされ、仲間にまでボコボコに
されていた男がようやく立ち上がり吉澤の近くに立つ。
「ぃって〜、お前ら、少しは手加減しろよな〜?」
「ねぇ、あんたごっちんの弟?」
「え?あ、ああ。そうだよ。ユウキって言うんだ。何?姉貴の知り合い?」
「うん、まあ…ね。吉澤って言うんだ……そうか、弟だったんだ。うちは、てっきり
亜弥ちゃんが抱きついてるから……。」
後半部分の言葉を濁して相手の発言を待つ。
「え?彼氏だと思った?」
「うん。」
吉澤の返事を聞くと、困ったように顔を歪めて、口元を少し吊り上げる。
- 572 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/13(日) 17:45
-
「全然違うよ。俺はお守り役。亜弥は今でも気を許している人には抱きつく癖が
あるから。」
そういうと少し顔を赤らめて、指で鼻の頭を掻いている。
その表情に少し腹が立つが、そこは抑えた。一応、ごっちんの弟だし。
「全く、こっちの気も知らないでさ。もうガキじゃないんだから、少しは行動も
大人っぽくしろよな…。美貴の前であんな無邪気に抱きつかれてたら、こっちの
身がもたないよ…。」
小さな呟きだったので吉澤には届かなかった。
「で、その周りの人たちは?何なの?」
呟きは聞こえてなかったが、何かむかつくので話題を変えるべく、先程から
気になっていたことを聞く。多分仲間なんだろうけど、先程ユウキに蹴りを
入れていたときに一切の手加減がないように見えていたことが気になった
のと、美貴も知っているようだったから。というか、美貴の言うことを最優先に
しているような節があったから。
- 573 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/13(日) 17:46
-
「え?あ、ああ、この街のゴミ掃除部隊。皆優秀だよ。」
「ゴミ掃除?」
「そう。まあ、元ごまっとうファンクラブと言ってもいいかもしれないけどね。
皆中学時代からの、姉貴達のファンだよ。かなり筋金入りだね。でもまあ、
最近じゃ元ファンクラブだった人間よりも新参者の方が増えてるんだけどね。」
「ごまっとうファンクラブって…もしかして、あの3人の?っていうか実の姉
でしょ?自分の姉貴のファンクラブなんてやってるの?」
当然の質問をすると、ユウキは何故かため息をつく。
「まあ、別にシスコンじゃないから。話すと長くなるから止めとくけど、俺も好きで
やってるわけじゃないんだよ。最初は中学の時、美貴のやつに無理矢理ね…。」
「ミキティに…?でも、じゃあ、なんで今でもこんなことやってるの?“元”って
いうことは、今はファンクラブはないんでしょう?」
何となく中学の時にミキティに押し切られてやったのかなということは納得が
いったのだが、どうして今でもこんなことをやってるのか、というが不思議だった。
さっき街のゴミ掃除なんて言っていたけど、最早それはファンクラブの活動では
ないと思ったから。
「昔、ちょっとした事件があってね。それ以来、こんなことをやってる。」
「え?」
- 574 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/13(日) 17:47
- その声が突然沈んだものになったから、ずっと顔を見て話していたのに、改めて
その顔を見てしまった。そしてその目を見て、何となくデジャヴを感じる。いや、
デジャヴではない。見たことがあるものだった。今のユウキの顔は、真希が浮かべる
表情と同じだった。
自嘲しているような。
憎しみを込めているような。
そしてその負の感情の隙間から垣間見える、助けを求めている表情。
「もう二度とあんなことを繰り返さないために。」
ユウキの決意を込めた表情を見て、唐突に何かが頭の中で繋がる。
姉である真希と同じ表情を浮かべた表情を見て。
真希の表情、ユウキの表情、ファンクラブのメンバーによるゴミ掃除と称されるもの、
真希と美貴の間の謎の言葉、異様なまでの美貴の過保護ぶり、真希の深夜のトレーニング
亜弥の過去を知ろうとした時の真希と辻の異様なまでの拒絶反応
- 575 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/13(日) 17:50
- そこから出てきた結論は、想像したくないものだった。
身体が知らずに震えてくる。
助けを求めるように視線を泳がせるとユウキと目が合う。
思わず息を呑む。
その目の昏さに。
「俺達は、そのためにいるんだ。俺達が守るんだ。」
言葉で聞かなくても分かる。
この顔は覚悟を決めた者にしか浮かべられない表情だ。
そして自分にはまだ浮かべられない表情だ。
それは自分と、ごまっとうの3人の間にある決定的な壁の正体。
そんなことを考えていると、身体の震えが止まってくる。
まだ自分には足りないことばかりだが、せめて現実を受け止める力くらいは
身につけたい。それが彼女らと関わる最低条件だろうから。
そしてそれと共に浮かんでくる思いがある。
“何が起きたのか、直接聞いてみたい。”
だけどこのことに関しては真希や辻、そして高橋の反応を見ても分かるように、
誰も応えてくれない。だから、一番聞きたいことではなくて2番目に聞きたい
ことを聞いてみる。
- 576 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/13(日) 17:52
-
「でも、なんでそんな大事な話をうちにしてくれるの?今日が初対面でしょ?」
自分の決意を初対面の吉澤に何で話したかが不思議だった。
確かに真希の知り合いではあるし、美貴や亜弥とは今や部員同士だ。
だけど、このユウキとは初対面のはずだ。
それなのにユウキの声は、何故か好意的な雰囲気を含んでいる。
「…まあ、そっちから見れば初対面かもね。」
「…え?どこかで会ってた?」
「いや、そうじゃないよ。俺達のほうから一方的に見ていただけ。」
「見ていた…?」
「ああ…考えてもみろよ。あんたも、亜弥に何が起きたかは、うすうす気付いて
いるんだろう?それなのにファンクラブである俺達がそのまま亜弥を1人で
放っておくと思うかい?」
当然といえば、当然の結論にたどり着く。
そしてその結論が正解かを確かめる。
「じ、じゃあ、もしかして、ずっと亜弥ちゃんを守ってたの?……影から見守って
いたの?」
- 577 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/13(日) 17:53
- 「まあね。姉貴も美貴もいなかったからね。それに、俺にも責任の一端はあったし。
だから俺は姉貴には付いて行かないで、こっちに1人で残ったんだ。いつも一緒
だった姉貴達がいなくなって、亜弥を守る人がいなくなってしまったから。だから
俺たちは交代で亜弥の周囲に変なやつが近づかないように見張っていた。そして
亜弥もそれに気付いていた。だから亜弥は車じゃなくて、あんなことがあった後でも
1人で電車で通ってたんだ。普通なら当然、心配している学園長が車で送り迎えを
させるのに。俺達に影から護衛をさせることで俺達の罪滅ぼしに付き合ってくれて
たんだ。本当は自分の方がつらかったくせに。」
「じ、じゃあ、うちが亜弥ちゃんと2人で出かけたことも知ってるんでしょ?
大丈夫だったの?そっち的には…?」
「俺達は亜弥に害を及ぼす奴だけを排除してるんだ。あんたが敵か味方かは、目を
見れば分かるよ。だからさっきは初対面みたいな聞き方をしたけど、あんたが
吉澤ひとみだっていうことには実は気付いていたよ。いつも亜弥の様子を遠くから
見ていたからね。」
そう言うと、表情を緩める。
その顔は驚くほど真希に似ていた。
- 578 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/13(日) 17:54
- 「あと、姉貴から話は聞いているよ。あの姉貴が人を信用するなんて珍しいこと
だからね。」
「え?ごっちんから、うちのことを?」
「ああ。でも今日確認したよ。姉貴の言っていた意味。さっき、俺達が助けに入らな
ければ、あんたが助けに入ってくれてたんだろう?すごい形相だったし。」
「き、気付いてたの?」
「他にも仲間がいないか周囲に目を配らせるのは基本だからね。でもあんな形相
されたら皆、その顔を見ただけで逃げていくよ。」
くくっと楽しそうに笑って吉澤の肩を叩く。
吉澤としては必死な表情を見られていたので、なんとなく居心地が悪い。
顔を赤らめながら、少し話題を変える。
「ご、ごっちんからは、うちのことはどんな風に聞いてたの?」
「あんたのこと?そうだなー。」
そう言うと、何を言っていたのか思い出すためか、少し考え込んでいる仕草をする。
だが、何故かその表情は楽しそうだ。
「そうだなー、確か…おせっかいで、世間知らずで、馬鹿みたいに真っ直ぐで、脳みそが
筋肉で出来ていて、馬鹿なのに風邪を引く器用な人で…」
途中から明らかに褒め言葉ではないものが混ざり始める。
- 579 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/13(日) 17:55
- 「おいおいおい、段々悪口になってないかい?」
吉澤は苦笑して思わずユウキの言葉を遮る。
しかしユウキは全く気に止めることもなく続ける。
「でも、温かい子だって…信用できる人間だからって言ってた。滅多に人を信用しない
あの姉貴が。」
そう言うと、目を細める。
一方の吉澤はその意外な言葉をかみ締めていた。
その喜びの感情と共に。
なぜなら、実は吉澤には信頼できるほどの友達が、中学以来いなかったから。
周囲には知り合いはたくさんいる。だが、友達と呼べる人はほとんどいなかった。
もちろん、吉澤が孤立しているわけでも嫌われているわけでもない。
ただ、吉澤のほうが他人を信用できなかっただけだ。
決して人には話せない出来事を経験してから。
その抱え込んだ思いの重さを分かってくれる人がいなかったから。
でも、だからこそ、そんな吉澤だからこそ、真希は信用してくれたのかもしれない。
吉澤も感じていたから。真希からは自分と同じ匂いがしていることに。
自分と同じように人には話せない、理解してもらえない重りを抱えていることを
真希から感じ取っていたから。
- 580 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/13(日) 17:59
-
「そう、ごっちんがそんな風に言っていてくれてたんだ。…1つ、聞いていいかな?
ユウキ…くんは、ごっちんが夜中にやってることは知ってるの?」
すると、ユウキの顔に少し変化が見える。
「知ってるも何も、姉貴があんなことしてるから、俺はこんな立場に
なっちゃったの。」
「は?それってどういう…」
吉澤が詳しく聞こうとすると、ユウキの携帯が鳴る。
「え?カラオケボックスの方で1人見かけた?分かった、とりあえず見張って
いてくれ。すぐに行くから。」
携帯を切ると、周囲にいた仲間達に目配せをする。
仲間はそれを見て一気に走り出す。
「じゃあ、吉澤さん、野暮用が出来ちゃったから今日はこれで。あ、誤解のないよう
に言っておくけど、俺と亜弥は兄弟みたいなものなんだ。だから変な詮索とかは
止めてくれよ。じゃあ、また!」
- 581 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/13(日) 17:59
- ユウキは一気にまくし立てると、そのまま仲間を追って走り出した。
何だか殺気立っていたような気がしたが、風のように去ってしまったので、何も
聞けなかった。1人残された吉澤は、仕方なく足元の割れたカップをかき集める。
今日はカップを買いに街に出てきたのに、結局カップは手に入らなかった。だが、
意外なことを知ることができた。割れたカップの欠片を入れた袋をガシャガシャ
いわせながら、駅に向かう。
吉澤は少し浮かれていた。
自分と真希との新たな関係の予感に。
ごまっとうに近づいたという思いを抱いて。
だからその足取りは軽かった。
先程から自分を見つめている、数人の視線に気付かぬままに。
- 582 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/06/13(日) 18:01
- 更新しました。
久しぶりに新キャラ登場です。ハロプロではないですが…。
主役ではないので、ご勘弁ください。
レスありがとうございます。
>>563 名無飼育様
ミキティはこんな再登場です。油断大敵というやつです。
>>564 名無読者様
これからは、今までとは少し違う、新展開の予定です。あくまで予定ですが。
>>565 名無飼育様
この人こんなんばっかりです。いつまでもこんなんばっかりでは、かわいそうなので、
何とかしたいところです。
>>566 名無飼育様
これからも楽しんでいただけるように頑張りますので、よろしくお願いします。
- 583 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/20(日) 13:38
- まさかこの人が出てくるとは・・・想像してなかったです。
- 584 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/20(日) 22:54
- 夏の朝は早い。
ラジオ体操に子供達が集合するころには、昼間に向けて夏の醍醐味を提供するべく太陽が
東の空に輝いている。蒸し暑い日本独特の夏であっても、早朝はまだ人々が過ごすには
涼しいため、皆昨夜の寝苦しさによる睡眠不足を解消するために眠りを貪っている。
しかし、子供達のラジオ体操が終わる頃には気の早いセミがフライング気味に鳴き始め、
人々の目覚めを誘う。
松浦家の隣にある家の1部屋でも、貪るように眠っている1人の人物がいたが、そこにも
セミに代わり目覚めを誘う…もとい強制的に覚醒へ導く使者が訪れていた。
部屋の中はカーテンにより太陽の光が遮断されており、部屋の住人が未だ夢の世界にいる
ことを教えてくれる。気付かれないようにドアをそっと閉めた侵入者は、ベットまで足音を
忍ばせて慎重に歩いていく。そしてベットの中を覗きこんでみると、そこには幸せそうな
顔で眠っている姿がある。10分程その寝顔を眺めていたが、手元の時計を見てみると
そろそろ起こさないと部活に間に合わない時間になっていた。あまりに幸せそうな寝顔
なので起こすのは忍びないが、このままでは確実に遅刻してしまう。
- 585 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/20(日) 22:55
- 意を決して起こすことにする。ただし、普通には起こす気はないので、ベットの上に静かに
馬乗りになる。自分の全体重を乗せているにも関わらず全く起きる様子のないのを良い事に、
今度はそっと顔を近づける。その視線は唇に注がれている。軽く開いた唇は柔らかい表情で
誘惑してくる。そのまま導かれるように唇を、寝ている人物の唇に落とそうとして止まる。
そのままの体勢のまましばらく固まっていたが、唐突に顔を赤らめると、上半身を起こし、
誰もいないにも関わらず辺りを見回した。そして誰も見ていないのを確認すると、自分の
唇を抑えて慌ててベットから降りようと……するところで寝ていると思っていた人物の
目が唐突に開く。目が合ってしまい、お互い固まっている。
「お、おはよう、美貴たん…。」
「…おはよう……。」
とりあえず挨拶。
「……何やってるの?」
「え、えーと、美貴たん……お、起きてたの?」
「いや、さすがに馬乗りになられると目が覚めるよ。」
「そ、そうだよね〜。あ、その、時間だから起こそうと…。」
「うん、ありがとう。…ていうか、このままだと起きられない。」
「あ、う、うん。」
- 586 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/20(日) 22:56
- ベットから素直に降りると、美貴はまるで何もなかったかのように、軽く伸びをしてから
パジャマを脱ぎ始める。それを見た亜弥は慌てて部屋のドアのほうへ歩いていく。
「じゃ、じゃあ、美貴たん、朝ご飯作っておくね。顔洗ったら台所に来てね。」
振り向かずに早口でそう告げると、一目散に出て行った。
そして美貴はそんな亜弥を不思議そうな顔で見送っていた。
『なんか亜弥ちゃん、最近変だよな…。なんかあったのかな?』
なんとなく最近の亜弥の様子が挙動不審なのが気になったが、何かあれば自分に
話してくれるだろうし、悩んでいる様子でもないので、あえて直接尋ねるようなことは、
していなかった。とりあえず、急いで支度をすると部屋を出て台所へ向かった。
一方、台所では亜弥が朝食の準備をしていた。とは言ってもパンにサラダを挟んだだけの
ものに、目玉焼きに牛乳という簡単な内容ではあった。2人分のサラダを用意するべく
野菜を切っている間に、先程のことを思い出す。
『あのまま、美貴たんが目を覚まさなければ…』
自分が何をしようとしていたのか思い出し、ほんの少し頬を赤らめた時に美貴が台所に
入ってきた。
- 587 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/20(日) 22:56
- 「ありがとう亜弥ちゃん、朝ご飯できた?」
「え!?…っつぅ!」
「ちょ、亜弥ちゃん大丈夫!?」
突然美貴に声をかけられた亜弥は、先程のイメージと相まって、サラダを切っていた
包丁で指を切ってしまった。
「う、うん、大丈夫、ちょっと切っちゃっただけだよ。」
「ちょっと見せて。」
美貴は切ってしまった指の傷口を、慎重に確認する。
「うん、そんなには深くないみたいだね。バンソウコウでも貼っておけば大丈夫だね。」
「うん、大丈夫だよ。」
「でも、その前に消毒。」
そう言って美貴は唐突に亜弥の指を口に含んだ。
亜弥はそのまま固まってしまう。
台所で流れる水道の音だけが響く。
頬を赤く染めた亜弥が、自分の指をなめる美貴を見つめる。
美貴はそんな亜弥には気付かずに指をなめる。
- 588 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/20(日) 22:57
- 「じゃあ、とりあえず亜弥ちゃんは、バンソウコウを貼ってきな。あとは美貴がやるから。」
「う、うん。」
しばらく指を眺めた後に、救急箱をとりに隣の部屋に行く。美貴の家ではあるが、美貴の
身辺の世話をしている亜弥はどこに何があるのかは熟知していた。救急箱を取り出して
バンソウコウを貼る。そして貼った指をじっと眺める。先程の光景が頭の中で甦る。
指をなめる美貴。それを眺めている自分。なぜか身体が熱くなるのを感じた。
今までとは違うものが胸の中に去来していた。この熱さは何を意味しているのか。
以前とは全く違う、この胸につかえるものは。
「亜弥ちゃーん、もう大丈夫ー?朝ご飯の準備が出来たよー。」
美貴の呼ぶ声が聞こえてくる。一度大きく深呼吸をする。なんとなく自分の気分が元に
戻ったのを確認すると、台所に向かう。
「準備出来たよ。さ、食べよう。」
「うん、いただきます。」
「いただきます。」
- 589 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/20(日) 22:58
- 亜弥が部活に入って忙しくなっても、美貴のご飯は亜弥が作っていた。
一度は断ったのだが、亜弥が譲ろうとせず、結局美貴が折れて、今まで通り亜弥がご飯を
作っているのだ。亜弥にしてみれば、部活で忙しくなってしまったお互いがゆっくりと
過ごせる唯一の時間だから、どれだけ大変であろうと、自分の手でご飯を作って
あげたかったのだ。
そして夏休みになると、朝ご飯も亜弥が作るようになった。亜弥にしてみれば一石二鳥
だからだ。朝も美貴と一緒にいられるし、もうひとつのことも必ずしてもらえるから。
「ごちそうさま〜。」
「ごちそうさま〜。」
今日は2人で作ったので、2人共ごちそうさま。
起こしにきた亜弥は準備が整っているので、美貴が必死こいて準備しているのを
のんびりと後片づけをしながら眺めている。そしてゆっくりとした後片付けが
終わる頃に美貴の準備も済む。それを確認すると亜弥は嬉しそうに美貴に近づく。
そして美貴の前に立つと目を瞑る。いつものものをしてもらうために。
- 590 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/20(日) 22:59
-
美貴は亜弥の頬に手をあてる。
「亜弥ちゃんの笑顔は、誰よりも可愛い。」
「美貴はいつでも亜弥ちゃんの味方。」
美貴が戻ってきて以来、言葉は変わっても、額にキスをしなくなっても、形を変えながらも
このおまじないは続いていた。そしておまじないが終わり、開いた亜弥の目が変わる。
自信に満ち溢れた、強い光を持ったものへと変貌する。美貴は密かにこの瞬間が好きだった。
自分の言葉により亜弥に命が吹き込まれるようで。
「今日も頑張ろう?」
「うん。」
いつまでも続きますように――――。
今日のこの日が変わらぬ日常へと変わるように、照りつける夏の太陽に強く祈った。
- 591 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/20(日) 22:59
-
◇
- 592 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/20(日) 23:00
- 電車を降りて改札口をくぐる。
出勤ラッシュを味わわなくてすむ夏休みは、朝の駅も何となく清々しいものに感じる。
学校までの道のりを足取り軽く進んでいくと、最近では見慣れたものとなった背中が
目に入ってくる。
「おいっす!」
「あ、よっすぃおはよう。」
「吉澤先輩、おはようございます。」
2人がいつも一緒にいるのは、もう見慣れた。そして、それに伴う胸の痛みにも慣れた。
いや、正確にいうと少し違う。並んでいる2人を見ていると胸が痛むのは確かなのだが、
その痛みが少し変わってきたような気がする。それが何かは分からないが。
「よっすぃ、昨日はカップ買えた?」
「うん、でも結局気に入ったのは同じ種類のやつだったよ。2人はあのまま、真っ直ぐ
帰ったの?」
「そうなんですよ〜、美貴たんが疲れた疲れた煩くて!」
「なんだよ〜元はといえば、亜弥ちゃんが寝ている美貴を叩き起こしたからじゃない。」
「なによ、美貴たん、あたしに起こされたのが不満だっての!?」
「あ、いや、そうじゃなくてね…。」
- 593 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/20(日) 23:01
- 2人はそのまま言い合いを始めてしまった。
その様子をため息をつきつつ眺めていたが、ふと昨日のユウキの言葉を思い出す。
そして、そっと周囲を伺ってみる。だが、特に目につくような人は見当たらなかった。
やっぱりいないじゃんと思って、何気なく後ろのほうを見てみると、自分達が歩いて
いる30m程後ろに帽子をかぶった男――恐らく自分達と同じ年程度――がいた。
見たことはなかったが、その男の意識がなんなとなくこちらに向けられているように
感じた。
後ろにいるのはユウキの言っていた、見守っている人の1人に違いない。
そして、よくよく注意してみると、そこかしこに気配を感じた。自販機でジュースを
飲んでいる人やコンビニの前で座り込んでいる人。他にも要所要所には人がいた。
皆、こちらに意識が向いているのを感じる。そしてよく見ると皆、首元に光るものが
ある。ネックレスのようだが、さすがにどんなものかまでは良く分からない。ただ、
皆同じようなものみたいだ。
結局、学校に着くまであちらこちらで人影が認められた。
そして2人は何事もなかったかのように体育館に入っていく。先程まで言い合いを
していたのもキレイに忘れて仲良く入っていった。
- 594 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/20(日) 23:01
- 練習は休み明けということもあり軽いものだった。
近いうちにまた全国大会に向けて、調子を上げていかなければならない。
とりあえず汗を流す程度の練習で今日の練習は終了した。
「亜弥ちゃん、早くしないと間に合わないよ!」
「あ、うん、ちょっと待って!」
美貴と亜弥が練習が終わると、すぐさま片付け始める。他の一部の部員達は、まだ
自主練習を続けるようだ。こういうときは、後片付けは残って練習している人たちが
責任を持ってやるので1年の亜弥が早く帰っても問題は無い。だが、いつもは最後まで
残っているのに珍しい光景だ。
「あれ、ミキティ達は今日は練習していかないの?」
「あ、うん、今日は後輩の試合があってね、見に行く約束しているんだ。」
「後輩?」
「うん、美貴達の小・中学校時代の後輩。今県大会のベスト8をかけてやってるみたい。
だから亜弥ちゃんと見に行こうって。ほら、覚えてる?一昨日のうちらの試合の時に
女の子なのにガクラン姿で応援していた子。」
「ガクラン姿……?もしかして、試合が終わった時に号泣していた子?」
「あはは、そうそう、結局ずっと泣いていたけど。だから今日はお礼も含めて、今度は
美貴達が応援してあげるの。よっすぃも来る?」
- 595 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/20(日) 23:02
- 実は今日は残って練習しようと思っていたのだ。先日自分に誓ったように。少しでも
自分という人間を磨くために。でも、確かにこの間の試合を応援してくれたお礼として
行くのは構わないだろう。それに恐らく美貴が言っているのは、あの辻希美のこと
だろう。以前に迷惑をかけたこともあるし。
「うん、お邪魔じゃなければ、うちも行っていい?」
「うん、もちろん。応援は多いほうがいいしね。」
「じゃあ、うちもすぐに着替えるよ。」
「もう試合が始まる頃だから、急いでね。」
「了解。」
結局美貴達は3人で、試合会場に向かった。聞いてみると会場には真希もいるらしい。
それを聞いて吉澤は少し緊張した。昨日ユウキから自分に対して、意外と高い評価を
してもらっていることを知ってしまったから。
だが、実は美貴達も少し気にかけていた。それは美貴達も公園での一件以来、まともな
会話を交わしていないからだ。今回のこともメールで連絡を取っていたのだ。だから
どんな顔で会えばいいのか、ちょっと分からなかった。だが、長い付き合いの自分達の
ことだ。いざとなれば仮面をかぶるだろう。幼馴染という仮面を。
- 596 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/06/20(日) 23:04
- 更新しました。
これくらい下のほうでやっているほうが性に合っていそうです。
あと最近知ったのですが、この話の舞台になっている私立の松浦学園って
本当に存在しているんですね。ググってみてびっくりしました。
しかも強いバレー部もあるらしくて、県大会で優勝するほどの強豪チーム
みたいです(男子ですが…)。当然ですが、全く関係ありません。
レスありがとうございます。
>>583 名無飼育様
短編に名前が出てきただけで、突然の登場なので予想外になってしまったかも
しれません。出落ちではないので今後も登場してくる予定です。
- 597 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/21(月) 23:54
- 純情な乙女心のぁゃゃかわええっす(*´Д`)
- 598 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/27(日) 14:46
- 美貴たちは、三者三様の思いを胸に試合会場に着く。
体育館の中からは、大きな歓声が聞こえてくる。
「やばい、もう始まってるよ!早く行こう!」
美貴の声に3人とも走り出す。急いで体育館の中に入ると、試合は3セット目に入っていた。
スコアを確認する。2セット先取しているチームがある。辻のチームはどっちだ?
隣の美貴の表情を確認する。その顔に落胆の色が浮かぶ。負けてる。このセットのスコアは?
6−8。接戦だが、このセットもリードを許している。そしてこうしている間にも試合は
進んでいく。
「ののー!まだ逆転できるよ!」
隣で亜弥が声援を送っている。亜弥の声は独特な声色だ。だからなのか、辻がこちらに気付く。
そして、その気合の入った顔に少しだけ笑みを浮かべる。しかしすぐにコート内に視線を戻す。
会場内は応援の生徒というよりも同じように勝ち抜いている学校の関係者がほとんどみたいで
自分達みたいな純粋な応援者は少ないみたいだ。だからすぐに気付いた。こちらに向かって
歩いてきている真希の姿に。
- 599 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/27(日) 14:47
-
「3人で来たんだ?」
真希は何事もなかったかのように3人に話し掛けた。
亜弥はすぐに言葉を発することが出来ずにうろたえている。
吉澤は先日のユウキの言葉を思い出し、どんな態度で接しようか迷っている。
そんな思惑が飛び交う中、自然な雰囲気で美貴が応える。
「うん、よっすぃも連れてきちゃった。多分一昨日の試合の時に一度だけ見かけた
程度なんだろうけど、応援する人は多いほど良いと思って。」
「そうなんだ。最後の試合になるかもしれないから、見届けてあげないとね。」
その会話には不自然な個所はなかった。美貴と真希は、お互いの仮面が外れていない
ことを確認する。まだ、大丈夫。自分達は幼馴染の仮面をかぶっていられる。
10年以上、この距離を保ってきたのだ。そう簡単には崩れないはずだ。
そっと胸を撫で下ろす。
一方、吉澤も今の会話で自分の中で、真希への接し方を決めることが出来た。
吉澤が辻と直接面識があることを知っているのは、自分の他には真希だけだが、
さすがに真希はそのことは内緒にしてくれるつもりらしい。まあ、そのことを話すと
自分がやっていることも話さなければならないから内緒にしているのだろう。
辻とのことを隠した真希の態度から、そのことに関することには、とりあえず
触れないでいたほうが良いだろうと思った。だから、以前のようなクラスメートの
立場のまま接することに決めた。
- 600 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/27(日) 14:47
- 真希と美貴と吉澤の3人の間に、何となく調和した空気が流れ始める一方、亜弥は
手持ち無沙汰にしている。美貴と真希は普通に会話しているが、美貴の隣から亜弥が
話しかけたさそうに、口を開いたり閉じたりしている。すると、そんな亜弥に気付いた
真希が口元を緩めながら話かける。
「どうしたの、亜弥ちゃん?金魚のマネ?」
「…!ち、ちがうもん!」
少し顔を赤らめた亜弥が反論する。それを見て真希も軽く微笑む。
『目を見てしゃべってくれる。』
亜弥はその笑顔を見て安心したかのように、肩の力を抜いた。
『美貴たんの言ったとおりだ…大丈夫。私達はきっと大丈夫。』
心の中で大丈夫と繰り返すと、美貴を見る。美貴は亜弥にだけ分かるようにウィンクを
してみせた。自分の心境を美貴がタイミング良く察してくれたことに、心が満たされる
想いをかみ締める。それから漸く、ここに来た本来の目的を思い出し、試合に注目する。
- 601 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/27(日) 14:48
- 試合のほうは、真希の言葉とおりに劣勢が続いているようだ。
辻はキャプテンらしく必死に選手を鼓舞しているが、残念ながら1人で空回りして
いるようだ。明らかにコートの中で1人浮いている。決して辻の選手としてのレベルは
低くない。というよりも、1人ずば抜けている。チームメイトが足を引っ張っているため
実力を出し切れていないのが、上から見ていると良く分かる。本来であれば辻はこんな
予選大会で消えるような選手ではない。だが、チームの実力が辻についていっていない。
そして点差がつくにつれて辻の顔が歪んでいく。
吉澤はその光景を胸を痛めつつも、黙って見ている。今の辻の表情は自分も先日経験
したものだから。しかし自分達の場合は亜弥がいた。辻達にはいない。自分と辻との
差はそれだけ。だが、埋まることの無い絶対的な差であり致命的な差である。
吉澤の心の中にも辻と同様の絶望感が広がり始める。応援しているチームと心境が
同調してしまうのは良くあることだった。しかし、同調しない強さを持つものもいる。
- 602 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/27(日) 14:49
- 「辻希美!」
試合に見入っていた吉澤のすぐ隣から鋭い声が飛ぶ。
周囲の意識とコートの中の数人の視線が吉澤の隣に集中する。
しかし声を上げた本人はまるで気にしていない。
「美貴たん…?」
逆隣にいる亜弥が声をかけるが、微動だにしない。
それどころか、その目には辻しか映していない。
そして辻がこちらに視線を向ける。
「美貴は、そんな情けない顔を教えた覚えはないよ!」
辻の目が見開かれる。
辻だけではない。コート内の全ての選手がこちらを見ている。
「今、何をすればいいの?何が出来るの?」
試合会場が、何故かその場の雰囲気に飲まれている。
吉澤も飲まれていた。たった1人に。
- 603 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/27(日) 14:50
-
「何のために、そこにいるの?」
美貴の問いかけだけが、こだまする。
静かな会場に静かに響く声。
『これが…藤本美貴…。』
会場中の人たちが注目する中、美貴はしっかりと背筋を伸ばして辻だけを見つめている。
吉澤の瞳には、雑誌の中の存在でしかなかった3年前の美貴の姿が重なる。
数年前にコートの中に見た藤本美貴が、今この場所に変わらずにいる。
少なくとも吉澤には変わっていないように見えた。
それは容姿とかではなく、美貴の発する雰囲気や、人を惹きつける“なにか”がである。
試合という緊張した中でも、自分の空間を作り出す能力。
それは吉澤が憧れた、目標とした3年前の藤本美貴そのままの姿であった。
- 604 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/27(日) 14:51
-
コートの中では、美貴が口を閉じたことにより、ようやく今が試合中であるという
ことを思い出したようで、試合が再開された。スコアは、8−13でありほぼ体勢は
決している様子であるが、コートの中は先程までの雰囲気とはガラリと変わっている。
辻の表情には先程までの打ちのめされたものが消えていた。その代わりに浮かぶものは
活力、意思といった強い光。全てを受け止めて、受け入れ、そして前へ進む力。
そしてその表情を見た美貴は、安心したかのように近くの椅子に座る。
そんな美貴に真希が声をかける。
「相変わらずだね。周りの人が皆見ていたよ?」
「うん、べつに他の人に変な目で見られてもいいんだ。あの子にだけ伝われば。あの子が
後悔のないようにプレーしてくれれば。」
確かに辻の表情からは迷いが消えている。恐らくあと少しで負けが確定するだろう。
でも、恐らく辻は胸を張って試合を終えるだろう。吉澤にはその光景が容易に想像できた。
美貴が伝えたかったものは全て伝わっているのだろう。
- 605 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/27(日) 14:52
-
◇
- 606 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/27(日) 14:52
- そして試合は終了した。
結果は3セット目も11―15で負けてしまい、ストレート負けだった。明らかな力負け。
だが、吉澤が想像した通り、辻は胸を張って最後の挨拶を終えた。ベンチに戻っても
泣き崩れる選手たちを励まして廻っている。彼女の顔には笑顔まで浮かんでいる。
選手一人一人にかけている言葉までは聞こえないが、その言葉にどの選手たちも一生懸命
頷いているのが分かる。
――果たして自分に、あの役目ができるだろうか――
同じキャプテンの立場である吉澤は、この辻の姿を自分に重ねて見ていた。
1人抜きん出た能力を持っていた辻は、試合中、誰よりも歯がゆい思いをしただろう。
だが、一番悔しい思いをしているはずの彼女が、笑顔まで浮かべてチームメイトを
励ましている。
- 607 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/27(日) 14:53
- 自分の横を見てみる。隣には美貴、亜弥、真希が並んで座っている。
皆一様に押し黙り、ベンチの様子を見ている。3人とも無表情であり、その顔からは
感情が読み取れない。ただ、亜弥だけはその目に光るものが見えた。しかし、その瞳に
湛えられた光るものは零れ落ちない。ただひたすら辻の姿を追っている。その姿を
焼き付けるかのように。
「そろそろ、限界かな…?」
「そうみたいだね。……行く?」
「うん。」
3人は突然に言葉を交わすとベンチを立ち上がり、試合会場を出る。
吉澤は何も言わずにその後を追う。3人は試合会場の外に出るとトイレの近くの木陰で
立ち止まる。
「よっすぃ、悪いけどちょっと隠れていてくれないかな?」
「?うん。」
美貴に言われて、少し離れた木の側に佇む。
そしてしばらくすると、選手たちが試合会場から出てきた。
その中には辻の姿もある。
- 608 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/27(日) 14:54
- 「悔しかったね〜、全然歯が立たなかった。」
「うん、ストレート負けだもんねー。」
「これで引退かー、次は受験だねー。」
選手たちが話をしながら通り過ぎていく。
「あ、忘れ物しちゃった!ちょっと取ってくるから、先に行っていて!」
そんな中、辻が忘れ物をしたらしく、集団を抜け出してくる。
しかし忘れ物をしたにも関わらず、会場には戻らずにこちらのトイレのあるほうへ
やってきた。そしてそんな辻に声が掛かる。
「忘れ物したんじゃなかったの?」
「あ、美貴ちゃん…。」
木陰から出てきたのは美貴たちだった。
だが、4人の間には、会話が出て来ない。
美貴達は黙って辻を見つめている。
「…へへ、…負けちゃった…。」
- 609 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/27(日) 14:55
- 辻が頭を掻きながら笑顔で言う。
だが美貴は、その笑顔に応えることなく無言で辻に近づく。
「…辻も頑張ったんだよ?…でも、まだまだだね…歯がたたなか」
「もういいんだよ。」
辻の言葉を遮り、美貴が辻を抱きしめる。
「もういいんだよ?我慢しなくて…よく頑張ったね。」
美貴が諭すような声で、話し掛ける。
そしてその言葉を聞いて、それまで笑顔だった辻の笑顔が崩れ始める。
「…美貴は見てたよ?ちゃんとキャプテンをやっていたね。でも、もういいんだよ、
我慢しなくても。誰も見ていないから…。」
「み、きちゃ…ん…。」
辻の腕が美貴の背中に回される。そして力いっぱい美貴の服を握り締める。
声は出さない。でもその震える手が、辻が泣いていることを伝えている。
会場の近くであるため、様々な声が周囲から聞こえてくる。体育館の中では次の
試合が始まっているらしく、歓声と悲鳴が聞こえてくる。そしてこの歓声と悲鳴が
自分が最早蚊帳の外になってしまったことを実感させるのか、辻の手に益々力を
加えさせる。
- 610 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/27(日) 14:55
- 10分程そうしていただろうか。
次第に辻の手の震えも収まってきた。
それを見計らって美貴が声をかける。
「落ち着いた?」
その言葉を聞いて辻かすかに頷く。
そして辛うじて聞こえるくらいの声で言う。
「の…のの、ね…亜弥ちゃんみたいに、出来なかった……。」
「うん。」
「美貴ちゃんになれなかった……。」
「うん…。」
その言葉だけ言うと、再び美貴の胸に顔を埋めてしまう。
美貴は、そんな辻の背中を軽くあやすように叩いてやる。
そして辻の言葉を聞いた吉澤は、1人頷いていた。
自分も全く同じように考えていたから。そして引っかかっていたから。
- 611 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/27(日) 14:56
- 亜弥と同じようなプレーが出来るようになりたい。試合をガラリと変えてしまうような。
彼女のプレースタイルや運動能力は、スポーツをやっている者には憧れだった。
美貴のようになりたい。その存在感だけで注目を浴びるような、誰にも負けない精神力を
持った、力強い人間性を身に付けたい。決して諦めない、その強い光を湛えた瞳に憧れた。
吉澤もそう思っていたから、辻の発言の真意を正確に汲み取っていた。だが、吉澤は
今は当事者ではないから。自分が第三者だからこそ気付いたことがある。
ごまっとうの3人は皆、違う個性を持っていた。それは、幼い頃から一緒にいた3人の
間にはそれぞれの役割があるからだろう。だとしたら、真希の役目は何なのだろうか…?
真希もごまっとうの1人として注目を集めていたが、彼女の魅力は何なのだろうか?
真希を見てみるが、彼女は相変わらず無表情であり、何を考えているかは分からなかった。
無表情の中に少しだけ見える感情は、美貴と辻に向けられているように見えた。
だが、どんな感情を宿しているかまでは伝わってこない。しばらくすると辻は、ようやく
落ち着いたのか、美貴から身体を離していた。
「もう大丈夫?」
「うん、ありがとう。……ゴメンね、亜弥ちゃん、美貴ちゃん借りちゃった。」
美貴の肩越しに亜弥に声をかける。
- 612 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/27(日) 14:58
- 「え?いいよいいよ、ののちゃんならしょうがないよ。」
「本当?じゃあ、もらっちゃって良い?」
「え!?そ、それはちょっと…いくらののちゃんでも…。」
「あはは、冗談だよ〜亜弥ちゃん、顔が怖すぎ!」
「え!?え!?」
美貴の肩越しに亜弥をからかっている。その顔は泣きはらして目が少し腫れていたが、
先程までの鬱々としたものを吹き飛ばすような笑顔が浮かんでいた。からかわれた
亜弥は、自分がからかわれたことにも気付かずに、しきりに自分の顔をチェックして
どの辺が怖くなっているのかを確認している。その光景が楽しくて、吉澤も口元を
緩ませる。そして、それまでその光景を傍観していた真希が唐突に参戦する。
「辻も冗談の割には美貴から離れないね。」
「え!?」
真希の言葉に亜弥が反応して、改めて美貴と辻を見る。
「あ〜真希ちゃん、言っちゃ駄目だよ〜気付いてなかったのに…。」
「あー!ののちゃん、もういいでしょう!?だいたい、美貴たんも美貴たんだよ!
いつまで抱きしめているの!?」
「ん?いや〜辻ちゃんの抱き心地がね…成長して……いないんだなーと思ってね。」
「あ!美貴ちゃん、どこ触ってるの!?そういうのは2人きりの時に…。」
「や、やっぱりののちゃん、その気だったんだ!!」
「じょ、冗談だってば!」
- 613 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/27(日) 14:58
- 美貴だけではなく、辻まで一緒になって亜弥をからかっているので、なんだか収集が
つかない状態になってきた。しかも、騒がしくしているからか、周囲の注目を集め
始めている。
「ねえ、あの人って、さっきの人じゃない?」
「あ、あそこにいるのって、この前、高校の県大会で新聞に出ていた松浦さんじゃない?」
さすがバレー部に所属しているだけあり、周囲の人間がざわめき始める。特に亜弥に
注目が集まり始める。先日の試合の様子がテレビで流されたことや、新聞・雑誌で
大きく取り上げられたことから急速に名前と顔が知れ渡り始めていた。
「ねえ、とりあえず場所を変えようよ。なんか周囲が煩くなってきてるし、辻も
疲れているでしょう?」
周囲の様子に気付いた真希が事態をとりあえず収める。
試合会場を後にすると、駅に向かって歩き出す。
亜弥はさり気なく美貴の隣に陣取り服の端を申し訳程度に掴んでいる。先程の辻に
触発されたのだろう。以前であれば特に気にしていなかった。いつものことだから。
しかし最近、美貴は少し違和感を感じるようになった。多少の違和感なのであまり
気にしてはいないのだが。
- 614 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/27(日) 14:59
- 「あれ?この人…。」
美貴がそんなことを考えていると、辻が突然声を上げる。
そちらを見てみると、吉澤を指差して驚いている。
「どうしたの?ののちゃん?」
亜弥が聞いてみるが、吉澤を睨んだまま何も言わない。
吉澤としてみると、少し困惑していた。以前に知り合っているが、知り合っている理由は
亜弥や美貴には知られたくない。それと同時に浮かぶ思いもある。
『今ごろ気づいたんかい!』
とりあえずそんな思いは置いておいて、この場を切り抜けなければ。
すると真希が再び口を開く。
「よっすぃは、亜弥と美貴と同じ部活のキャプテンなんだ。結構有名なんだよ?それから
私と同じクラスなの。今日は、この間の試合を応援してくれたお礼に来てくれたの。」
- 615 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/27(日) 15:00
- 真希はそう言って辻にウィンクをする。
辻はそのウィンクで、事情ありと読み取ったようだ。辻はまだ中学生でしゃべり方も
幼さを残しているが、場の空気を読むのが本能的にうまい。それに3年前の事件に
関わって以来、亜弥達に関わることに対して、非常に勘が鋭くなった。それは自分の
大切なものを守ろうとする必死の思いから身に付けた力だったのかもしれない。
「そ、そうなんだよ、これからよろしくね。」
吉澤は真希に感謝しつつ、辻に手を差し出す。辻はしぶしぶながらも手を差し出し、握手を
交わす。しかし、辻はその手を力強く握り締めた。
「よろしくね、よ・っ・す・ぃ?」
『いって〜!』
辻の握力は凄まじく、手が握りつぶされるかと思うほどだった。しかし、表面上は吉澤も
笑顔を浮かべているため、傍目には仲良く挨拶をしているように見える。
「ところで辻、どうする?残念会する?」
真希はタイミング良く別の話題を提供する。実際真希は、辻の握手にどのくらいの力が
込められているかに気付いているため、吉澤を助ける意味で質問したのだが。
とにかく自分に話題が振られたからには、いつまでも吉澤をいじめているわけにも
いかないので、握っていた手を離す。
- 616 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/27(日) 15:01
-
『助かった〜』
吉澤はさり気なく辻の側を逃げ出す。
辻は先程の真希の質問で少し考え込んでいる様子だ。
「うん、久しぶりに亜弥ちゃんたちにも会えたし、また会えたことも合わせて、
残念会やろう?」
「じゃあ、どうする?広いし亜弥ちゃんの家でやる?」
こういうお祭りごとは大好きな美貴が俄然乗ってくる。
「うん、でもうちのお母さんも亜弥ちゃん達に会いたがってるし、うちでやらない?」
「そう?じゃあ、ののちゃんの家でやるか。いつにする?」
「えーと、明日は部活内でお別れ会兼部長襲名をやるし…明後日はお母さんが
都合悪いし。」
「どうする?美貴たちも来週からは全国大会でいなくなっちゃうけど。」
「そうなの?じゃあ…日曜日にやる?その日なら大丈夫?」
「うん、出発の前だから練習もないし、大丈夫だよ。じゃあ、それでいいかな?」
「うん。お母さんに言っておくよ。」
- 617 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/27(日) 15:01
- ようやく話がまとまったようだ。だが吉澤が浮かない表情を浮かべている。それに
気付いた美貴が話し掛ける。
「よっすぃ、どうしたの?一緒にやらない?」
「うん…、うちも是非参加したいんだけど、その日は駄目なんだ。」
「あ、辻ちゃんのお母さんとかのことだったら気にしなくていいんだよ?気さくな
お母さんだし。」
「美貴、それは辻のセリフじゃないの?」
真希から的確な突っ込みが入るが無視する。
一方、吉澤は静かに首を振る。
「ううん、そうじゃなくて、うちはキャプテンだから、大会予選の抽選会に出なくちゃなんだ。
それで、うちと監督だけは2日前に会場入りするんだ。だからゴメン、行けないや。」
「そうなんだ…。じゃあ、全国大会が終わったらまたやろうね。」
美貴は残念そうな顔をしている。しかし、密かに真希・亜弥・辻はホッとした表情をしている。
美貴はともかくとして、3人としては、久しぶりに昔に戻って過ごせる機会――空間――を
楽しみにしているのだ。亜弥や真希は吉澤のことを嫌ってはいないが、とりあえず今回は
自分達だけで過ごしたかったのだ。
- 618 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/06/27(日) 15:02
-
「じゃあ、駅に着いたし、うちはそろそろ行くね。」
「え?」
そう言われて初めて、自分達が駅に着いていることに気付いた。そして亜弥達4人は
近所であるため電車も一緒だ。一方吉澤は逆方向の電車に乗らなくてはならない。
「じゃあ、またね!」
「うん、また明日!」
改札口で最後の挨拶を交わすと、二手に分かれて歩き出した。
吉澤は階段を上りかけたところで、そっと後ろを振り向いてみる。
20メートルほど先を4人が楽しそうに歩いている。そして注意を払ってよく見てみると、
その後ろから2人の男が亜弥達の集団を見つめながら後についていった。恐らくユウキの
仲間だろう。
それは城を守る門番のように思えた。亜弥を中心としたごまっとうというお城。そして
そのお城を守ろうとする様々な人たち。強い絆で結ばれているようにも見えるこの関係。
しかし、それと同時に全くイメージの違う映像も思い浮かぶ。
それは、暗闇を恐れ、隅のほうで肩を寄せ合って震えている、小さく、か弱い存在達。
彼女達の本当の姿はどちらなのだろうか。
- 619 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/06/27(日) 15:03
- 更新しました。
暑いと思考が停止するので、ペースが多少落ちるかもしれません。
既に少し落ちてますが…。
レスありがとうございます。
>>597 名無飼育様
今まで可愛いさを出せるところがあまり出てこなかったので、少しずつでも
出していこうと思ってます。
- 620 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/28(月) 00:24
- 吉澤は、蚊帳の外でどうやっても、その中にははいれないんですね。
- 621 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/30(水) 03:55
- 何だかここの松浦さんは色んな意味で凄いですねぇ(w
彼女は人を惹きつける何かを持ってるんでしょうね。
- 622 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/07/04(日) 22:52
- 焼けるほどの日差しも柔らかくなり、刺すような暑さはなりを潜めているが、茹だる
ような暑さは相変わらず残っており、辻の家に向かう道中も執拗に体力を奪おうと
試みてくる。特に最近は北海道で過ごしていた美貴には堪えるらしく、背中も丸まって
少し俯き加減に歩いている。
「美貴たん、大丈夫?」
「…うん…なんとかね…。」
「全く、情けないな〜、美貴もトレーナーとはいえ一緒に全国に行くんでしょ?なんで
行く前から体調崩してんの?」
「美貴は選手じゃないから良いの…。」
言い返す言葉にも力がまるでない。それを見て亜弥が心配そうな眼差しを向ける。
「本当に美貴たん大丈夫?最近なんかお疲れ気味だよ…。」
「本当、なんか美貴元気ないよ?頭だけじゃなくて元気も足りないよ。」
「頭は余計だよ!…ふぅ、なんか突っ込むのも疲れる…。辻ちゃんの家って
どこだっけ…久しぶりだからイマイチ思い出せない。」
「美貴は覚えてないだけでしょ。あと少しだっけ?」
「うん、なんかののちゃんのお母さんがご馳走を作ってくれてるらしいよ。」
- 623 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/07/04(日) 22:53
- するとそれまで気だるそうな雰囲気を醸し出していた美貴が、目をキラキラさせて
亜弥の言葉に反応する。
「ご馳走!?や、やきにく!!」
「み、美貴たん!?」
「ちょ、ちょっと美貴!亜弥は焼肉じゃないよ!?」
訂正。
目をギラギラさせて、顔つきもまるで肉食動物のように…。
「さ、亜弥ちゃん!真希!何してるの!?やきにく…じゃない、辻ちゃんが待ってるよ!」
先程まで体調を心配されるほどダルそうだった美貴とは別人のような表情となり、
2人の手を引っ張って歩き出す。ここまで変貌されると、もはや清々しい。2人は呆れた
という顔よりも仕方ないといった表情で引っ張られていく。
そして元気が回復した美貴に引っ張られること10分で辻の家までたどり着く。
玄関のチャイムを押すと中から辻が出てくる。
- 624 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/07/04(日) 22:54
- 「いらっしゃーい!準備出来てるよ!」
「辻ちゃん、来たよ〜、焼きに…じゃあなくて、お母さんは?」
「美貴ちゃん、焼き肉のことしか頭にないでしょ。」
「そ、そんなことないよ〜、美貴は辻ちゃんとは違うんだから〜。」
「美貴ちゃん目が泳いでるよ…。」
「ちょっと、美貴たん、入り口で止まらないでよー、中に入れないよ。」
「亜弥ちゃんと真希ちゃんも中に入ってよ。準備出来てるよ。」
「お邪魔しまーす」
「お邪魔しまーす」
家の中に入ると、テーブルの上は既に食べ物で一杯になっている。
焼き肉、餃子、ケーキ、カレーうどん、寿司、肉じゃが、焼きソバ等々……。
見ていて胸焼けがしてくるようなメニューが所狭しと並んでいる。これは明らかに
今回の残念会の主役の好みが色濃く反映している。焼き肉と寿司とカレーうどんでは
味が分からなくなってしまう気がするが……。
「うわー、たくさんあるー!」
「焼き肉焼き肉」
しかし逆にここまでたくさんあると、その量に圧倒されてしまって食い合わせとか
いうものは吹っ飛んでしまうらしい。中に入った3人は喜んで席についた。
- 625 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/07/04(日) 22:55
- 「いらっしゃーい!久しぶりだね〜3人とも。きれいになったね。」
「あ、お久しぶりです。やっぱりそう思います?おばさん!」
小学生の時からの3人を知っている辻の母親は、懐かしそうな目で3人を見る。
そして美貴達も辻の母親は大好きだった。細かいことは気にしない性格の人で、いつも
ニコニコしているから、辻の母親と話す時は、こちらもニコニコしてしまう。
「希美!なんでもっと早く3人を呼んでこなかったんだい!せっかくこんな
可愛くなったのに、お母さんは今初めて見たよ!」
辻の母親はそう言いながら娘の頭をバシバシ叩いている。
「仕方ないでしょー、美貴ちゃん達も忙しかったし、ののもこの間まで部活だったんだから。」
辻は叩かれているのに、全く平気な顔をして話している。なるほど、この子はこうやって
丈夫に育ったんだなという現場が繰り広げられている。美貴たちも見慣れたもので親子の
会話をニコニコしながら聞いている。初めてこの光景を見たときは、ビックリして声も
出なかったが。
- 626 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/07/04(日) 22:56
- 「3人とも、色々あったけど、こうして元気でいてくれて良かったよ。さあ、今日はドンドン
食べてね。お代わりはたくさんあるからね。」
辻の母親は笑顔で言うと、次の料理のためにキッチンに戻っていった。彼女は3年前の
事件の事実を知る数少ない人間なので、娘の辻と同様に心底心配していたのだ。
「いただきまーす。」
「いただきまーす。」
そして元気な辻と美貴の声を合図に食事が開始された。
テーブルの上に所狭しと並ぶ料理の数々。それが驚異的なスピードで片付けられていく。
ほとんどの料理は辻と真希によって片付けられていく。亜弥は色々な料理を少しずつ
つまみぐいしていく。そして美貴は―――。
「あ!亜弥ちゃん、タンの前にカルビは焼いちゃ駄目だよ!」
「え、違う場所だからいいんじゃない?」
「駄目!カルビの油がタンにまで流れちゃう…あ、これ焼きすぎだよ、早く食べないと!」
焼き肉奉行と化していた。
- 627 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/07/04(日) 22:57
- 辻は奉行様の隙をついて見つからないように一切れずつちょろまかしていた。
真希は焼き肉を食べることを初っ端から諦めている。結局、亜弥がお奉行様の餌食になって
いた。しかし亜弥もかまって欲しいのか、懲りずに焼き肉に手を出しては美貴にお説教を
くらっている。そして1時間もすると、あれだけ大量にあった料理が全て片付けられていた。
「ふぅ〜食べた食べた。」
「本当。こんなに食べたの久しぶり。」
「うん、やっぱり焼き肉はいいね。」
「美貴たん、焼き肉しか食べてなかったじゃん。」
しゃべるのもしんどくなるほど食べたのか、口数少なく椅子に座っており、皆あらぬ方向を
見たまま呆けている。辻の母親は4人によって食べ尽くされてしまった食材を補給するために
買出しに出ている。5分ほどそうしていると、唐突に玄関のチャイムが鳴る。母親が出かけて
いるために、代わりに応対にでなくてはならないのだが、辻は本当に食べ過ぎたのか、動くことを
放棄している。その様子を見た美貴は、仕方なしに立ち上がり代わりに玄関に向かう。
「はーい、どちらさまですか?」
「あ、家庭教師の石川です。」
やけに高い声の返事が聞こえてくる。ドアの窓を覗いてみると、同世代くらいの女の子が
ドアの前に立っている。白い麦藁帽子に、薄いブルーのワンピースと、女の子らしい格好をしている。
とりあえず怪しい人ではなさそうなのでドアを開ける。
- 628 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/07/04(日) 22:58
- 「こんにちは…あ、あれ?ここ、辻さんちですよね…?」
「あ、そうですよ、今代わりに出てきたんで。えーと、希美さんの家庭教師ですか?」
「あ、そうです。いますか?」
「はい、今倒れてますよ。」
「倒れて?」
とりあえず中に入ってもらい、辻のいる部屋まで連れて行く。
「辻ちゃーん、家庭教師してもらっているの?」
「え?あ!ゴメン、梨華ちゃんのこと、忘れて全部食べちゃった!」
「ええー、のの全部食べちゃったの?太るよ?」
「太る太る言うんじゃねー!」
「こら、辻!言葉使いが悪いよ!」
それまで黙って成り行きを見ていた真希が言葉使いを注意する。素直にごめんなさいと
謝る辻。昔から真希は皆の躾を正す役割だ。精神年齢が実年齢に追いついていない人が
周囲に多いせいか、どうしてもまとめ役の少し引いた立場となってしまう。
- 629 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/07/04(日) 23:01
- 「ところで、ののちゃん、家庭教師なんてやってもらっていたの?」
「うん、部活が終わったら勉強するってお母さんと約束していたの。ののは頭が
あまり良くなくて、このままじゃ高校生になれないから。」
「そうなんだ。もうずっと?」
「ううん、3年生になってから。」
亜弥と辻が話している間に、立ちっぱなしだった家庭教師に美貴が椅子を勧める。
「どうぞ、座ってください。」
「あ、すいません。」
「初めまして、辻ちゃんの中学の先輩の藤本美貴です。」
「あ、ご丁寧にどうも。石川梨華といいます、HP高校に通っています。」
「え!?高校生なんですか?」
「は、はい。今高校3年生です。」
「じゃあ、美貴たちと同じ年ですね、受験はいいんですか?」
「同い年なんですか。あ、私は推薦で受験予定なんで、今の成績を維持するだけで良いんです。」
「へ〜すごいですねー。美貴たちと大違い…。」
「そうでもないですよ、高校では部活に入ってなくて、勉強しかすることがなかったんですよ。」
家庭教師の石川と美貴は同い年ということが分かったせいか、仲良くおしゃべりを始めている。
そしてその様子を先程まで亜弥と喋っていた辻が面白そうに見ている。なぜなら真希と亜弥の
様子が露骨で面白いからだ。
- 630 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/07/04(日) 23:02
- 亜弥は知らない人と仲良く話す美貴を見て、誰にでも分かりやすいくらいに膨れている。
真希は口元を吊り上げて、笑っているポーズだけをアピールして、まるで話そうとしない。
そして、そんな人見知りの激しいごまっとうで外交担当となっている美貴は、2人の様子に
気付かずに石川と楽しげにお喋りを続けている。3年前とまるで変っていない3人の行動に
懐かしさがこみ上げてきた辻はしばらく声もかけずに三者三様の有り様を眺めていた。
「そういえば、石川さんは…って、同い年なんだし敬語は止めませんか?」
「そうですね。私は友達に名前で梨華とか、梨華ちゃんとか呼ばれているんで名前で
呼んでもらえたほうが違和感がないです。」
「そう?じゃあ、美貴は…まあ、色々なんで好きに読んでもらっていいよ。みんな本当に
好き勝手に呼んでいるから。美貴は梨華ちゃんって呼ばせてもらうね。」
「じゃあ、私は同じような感じで、美貴ちゃんでいいかな?」
「うん、よろしくね。」
「よろしく。ところでさあ…。」
お互いの呼び名も決まって更にお喋りを続けようとする2人に、さすがに亜弥が痺れを切らす。
「美貴たん、石川さんはののちゃんの家庭教師でいらっしゃったんでしょう?
あまり長居してちゃ悪いんじゃない?」
「えー、辻ちゃん、別に大丈夫でしょう?」
「うん、いいよ、今あまり勉強したくない気分だし。」
あっさり応じる辻に、再び3人の監視役から“待った”が掛かる。
- 631 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/07/04(日) 23:02
- 「駄目だよ、辻!ちゃんと勉強しないと。高校生になりたいんでしょ?」
真希の言葉により辻は渋々立ち上がる。
「はーい…、じゃあ、みんなはゆっくりしていってね…。」
あからさまにがっかりして部屋に向かう辻と、美貴に手を振りながら辻の後についていく
石川。自然な流れのために誰も疑問には思わないが、亜弥はさりげなく真希と視線を交錯
させる。こういう時の呼吸は亜弥と真希だけが分かる間合いだ。自分達の外交担当である
美貴は、時々亜弥達の存在を忘れているんじゃないかと思ってしまうくらい初対面の人と
仲良くなってしまうことがある。そんな美貴を見たくない亜弥は今までも、今回と同じように
真希と協力してタイミングを図り相手を追いやってきた。特に打ち合わせをしたわけでは
ないが、何故か真希と思惑が一致しているため、2人で協力している。
「はぁ〜、すごいねー。美貴達と同い年なのにしっかりしているっていうか…。」
しかし、美貴は石川がいなくなっても1人で感心している。そんな美貴に亜弥の視線が
鋭くなる。
- 632 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/07/04(日) 23:03
- 「それにしても頭いいんだなー。美貴も勉強を教えてもらおうかなー、今年受験だし…。」
「!」
最後の美貴の言葉に亜弥と真希が反応する。
「美貴たん!?」
「ん?どしたの、亜弥ちゃん?」
「美貴たん、受験するの?この学園の大学には進まないの?」
「そうだよ、私は初耳だよ!?」
「え!?ど、どうしたの、2人共?」
突然、自分に食いついてきた2人にびっくりした美貴は思わず2人の顔を交互に見やる。
「どうしたのじゃないでしょ!?この学園の大学に進むなら、受験勉強なんて必要ない
じゃん!なんで!?どうして?」
「そうだよ!私と亜弥のこと守ってやるって言ったのは誰!?」
亜弥と真希が叫ぶ。
- 633 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/07/04(日) 23:04
- 「ちょ、ちょっと待ってよ。」
立ち上がって掴みかからんばかりの勢いの2人を何とか抑えつけると、近くの椅子に
座らせる。
「別に美貴は、この学園の大学に進まないとは言ってないよ?」
「じゃあ…!」
「ただいま〜!」
更に問い詰めようとした亜弥の声にかぶさるように、辻の母親の声が重なる。3人の視線も
自然とそちらに向く。
「あらあら、みんなもう食べ終わっちゃったの?じゃあ、もう片付けないとね。…あら?
希美はどこに行ったのかしら…。」
「あ、ののちゃんだったら、部屋に行きました。家庭教師の方が来たので。」
「あ、そうなの?もう、恥ずかしいけど、あの子ったら…」
この後、辻の母親の愚痴が始まってしまい、その話に1時間近く付き合わされた亜弥達は
なんだか良く分からない状態のまま、残念会をお開きにした。帰り道も何だか頭の中に
辻の母親の愚痴がエンドレスでループしており、口数少ないまま帰りの途に着いた。
結局、美貴の発言の真意については、うやむやの内に流されてしまった。
- 634 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/07/04(日) 23:08
- 更新しました。
今週はなんとか更新しましたが、次回は確実に遅くなりそうです。
あと、赤板の作者フリー6集目に「お天気占い」という訳の分からないものを
載せました。もしよろしければ、ご賞味ください。
レスありがとうございます。
>>620 名無飼育様
最後の文は吉澤さんが持っているイメージです。
実際の彼女が何処にいるかとは別です。
>>621 名無飼育様
ここの松浦さんは、実はまだ本領を発揮していなかったりします。
今後の彼女は更に凄くなる!かも…だったらいいな…。
- 635 名前:名無し読者 投稿日:2004/07/05(月) 01:44
-
作者たん。作者フリー6集目は赤じゃなくて緑だったよ作者たん
必死に探しちゃったよ(涙)
「お天気占い」良かったですw 相手は勿論・・・・
- 636 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/05(月) 01:50
- 更新お疲れ様です。
もしかして今回出てきたあの方は、今回出てこなかった人と何か…。
目が離せないのでこれからも楽しみにしてます。
- 637 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/07/26(月) 22:42
- 「着替えと…ユニフォームと…あ、洗面道具っと……うーん、タオルは何枚持って
いこうかなー…もし勝ち残っちゃったら10日以上いるしなー…よし、少し余裕を
もって持っていくかな。あれ?鏡がないなー…どこいったんだろう。」
部屋の空間を使いきって、ユニフォームやらジャージやら私服やらを広げている。
よくよく見てみると、半分くらいは持っていかなくてもなんとかなりそうなもの
ばかりだ。しかも恐らくこの重たい荷物を持つのは本人ではなく、先ほどから
ベットの上で飽きれた顔で眺めている美貴が持っていくことになるのは今までの
パターンからして必然な流れだろう。
「ねえ、亜弥ちゃん、そんなにもっていっても本当に使うの?服だってどうせ向こうに
行ってから洗ったりするよ?それに足りないものは誰かに借りれば良いんじゃない?」
「そんなことない!もし他の人も同じ考えだったら誰も持っていかないことになるし、
あまり他の人を当てにするのも気が引けるし。だから自分で用意できるものはして
いきたいの!」
後で必ずやってくる苦痛の時間を少しでも楽にするために、荷物を少なくするように
提案してみるが、あっけなく却下される。どうせ言っても耳を貸さないだろう。
『まったく…こういう頑固なところだけは、3人の共通した性格なんだよなー。』
- 638 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/07/26(月) 22:44
- 自分が頑固者だという自覚を持つ美貴は、亜弥の頑固さに文句を言うことができない。
頑固さに文句をつけることは、自分に文句をつけているのと同じことだからだ。
『それにしても…亜弥ちゃん、全国大会って試合をしに行くことだって
分かっているのかな?』
美貴の視線の先にはトランプやらUNOやら人生ゲームやらが入っている。しかも
それらのおもちゃにより、確実に荷物が増えている。
「亜弥ちゃん、そんなにゲームを持っていってどうするの?試合とミーティングで
自由時間なんてそんなにないんじゃない?」
「ええ?いいじゃん、時間が出来るかもしれないし。もし時間が空いたときに、
やることがなかったらつまんないもん。」
口を尖らせて主張する亜弥に、思わずため息をつく。
しかし、亜弥はここは美貴の言うとおりに持っていかないほうが賢明だったのかもしれない。
何故なら、結果的には持っていった本人はゲームをしている暇など、できなかったのだから。
だが、この時点ではそんなことになるなど夢にも思っていなかったので、美貴の言葉にも
耳を貸さずにカバンの中に詰め込む。
- 639 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/07/26(月) 22:45
- 2時間ほどそんな不毛なやり取りが繰り返し行われていたが、深夜になってようやく
亜弥の準備が終わる。
「ふう〜やっと準備できた〜。もう日付が明日だよ〜。」
「お疲れ様…っていうか、どうしてそんなに時間がかかるの?美貴なんて10分で
準備できたよ?」
「美貴たんは、準備しなさすぎ!ちゃんと忘れ物はないか確認したの?」
長女である亜弥のお姉さん気質が顔を出したらしい。
「大丈夫だよ〜いざとなれば借りたりすればいいんだし。なんなら買っちゃっても良いし。」
末っ子である美貴の大雑把な性格が顔を出したらしい。
いつもは亜弥が美貴に甘えているが、普段の生活の中では、亜弥のほうが主導権を
握っている。何かと面倒くさがり屋の美貴を何とか焚きつけている。はっきり言って、
放っておくとおそらく美貴は何もしない。まるで一昔前の中年親父だ。そもそも亜弥に
言われて準備をし直している背中には何故か哀愁が漂っていたりする。どこでそんな
哀愁と持つ背中を身に付けてきたのか……。
とりあえず、2人ともが何とか準備を終える頃には夜中の1時を回っていた。
いくら明日はバスでの移動だけとはいえ、さすがにそろそろ寝ておかないとまずい。
- 640 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/07/26(月) 22:45
- 「さ、亜弥ちゃん、そろそろ寝ないと明日がつらいよ。美貴も家に戻るよ。」
「え〜、美貴たん一緒に寝ようよ〜。」
あくびをしながら家に戻るために立ち上がる美貴を引き止める。
「えー、暑いから嫌。」
「大丈夫、今日は美貴たんの布団もちゃんと用意してあるから。」
「亜弥ちゃん、その布団を準備する時間を、明日の準備のために使えば良いのに…。」
「うん、だからこれも明日の準備。」
「別に明日からも泊まるホテルは一緒じゃん。」
「だからなの!…他のみんなもいるから、明日からは2人だけじゃなくなっちゃうから…。」
どうしても首を振らない美貴に、亜弥は少しうつむき加減になり、声も小さくなってくる。
こんな亜弥の姿に美貴は弱い。
「……ふぅ。分かったよ、じゃあ、ここで寝るよ。」
「本当?えへへ、やっぱり美貴たん優しいね。」
「あーいや、ほ、ほら早く電気を消して!明日も早いんだよ!」
「うん、おやすみなさい。」
- 641 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/07/26(月) 22:47
- 電気を消すと大人しく布団に入る。
亜弥はベットで、美貴は床に敷いた布団で。
部屋の中は冷房も消して風通しを良くするために部屋中の窓を開けておく。
ベランダへと通じる窓からは夜の涼しい風が舞い込んでくる。そして窓の
外からは虫の鳴き声が聞こえてくる。部屋の中には時計の音だけが響いている。
他に物音はしないため、お互いの息遣いまで伝わってくる。その聞こえてくる
息遣いは寝ているときの深い呼吸ではなく、規則正しいが浅いものだ。
どうやら眠らずに起きているらしい。
「…亜弥ちゃん、寝ないの?」
「……美貴たんこそ…。」
目を瞑っているせいだろうか。2人で会話をしていても時計の針の音が耳から離れない。
時折、窓の外からは車のブレーキ音やクラクションが聞こえてくる。普段日常で聞きなれて
いるはずの音が、まるきり静かな環境で聞こえてくることにより、逆に今自分たちのいる
空間を、日常から切り離したものへと変えていくように思えてくる。
- 642 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/07/26(月) 22:47
- 「いよいよ明日だね…。全国大会…また行けたね。」
「…うん、亜弥ちゃんのおかげだよ。」
「あたしだけの力じゃないよ…あたしはラッキーなタイミングで試合に出られただけ。」
「それも実力がなくちゃ出来ないよ。あの試合を決めたのは亜弥ちゃんだよ。」
「…もしそうだとしても、それは美貴たんのおかげだよ…。」
「…美貴…の?」
「うん。」
亜弥は目を開けてベットから起き上がり、布団に寝ている美貴を覗き込む。電気も消して
暗闇なのに、美貴は目を瞑っていたのに、なぜか亜弥が美貴のほうを見ているだろうと
いうことが分かる。美貴が目を開けてみると、感じた視線そのままに、亜弥はこちらを
見ていた。
「美貴たんが、あたしのことを見ていてくれるから……。あたしのことを信じて
くれるから、あたしも自分を信じることが出来る。だから頑張れる。」
亜弥の目が美貴の瞳を捕らえて離さない。
暗闇でも捕らえられてしまうほどの強い眼差し。
その眼差しをそのまま受け止めて応える。
- 643 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/07/26(月) 22:48
- 「美貴は、いつでも見ているよ、亜弥ちゃんのこと。他の誰もが信じなくても美貴は
信じているよ。他の誰よりも信じているよ。」
「美貴たん…。」
「だから、亜弥ちゃんは、迷わないで、前だけを見ていて?明日のことだけを考えていて。
美貴はずっと見ているから。」
「……うん。」
空気が揺れる。
柔らかい、包まれているような空気が流れる。
亜弥の強い視線が変わる。
込められるものが変わったから。
「さ、もう寝よう?明日も早いんだし。」
「うん、おやすみ、美貴たん。」
「おやすみ。」
亜弥も再びベットに身体を戻す。
しばらくすると、布団のほうからは穏やかな寝息が聞こえてくる。
相変わらず美貴の寝つきは早い。
亜弥はベットの上で静かに目を瞑る。
穏やかな寝息を子守唄に、ゆっくりと眠りについた。
- 644 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/07/26(月) 22:49
-
◇
- 645 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/07/26(月) 22:50
- まだ早朝といえる時間帯。
道を歩いていると、小学生が自分たちを追い抜いていく。
近所の広場にラジオ体操をしに行くのだろう。朝から元気良く走っていく。
早起きなセミが林から、今日の暑さを予告するような鳴き声を響かせている。
空を見上げると雲はほとんどなく、これから暑さのテンションを上げていく準備を
している。
「美貴たん、お、重いよー、ちょっと持って…。」
「だから言ったでしょう…それに持つのは無理だよ…美貴もいっぱいいっぱい…。」
珍しく亜弥の願いを断っているが、手はさり気なく亜弥の荷物を支えている。
少し軽くなったことに気付いたのか、亜弥がお礼の代わりに美貴に笑顔を向ける。
そしてそれに気付いた美貴は、目でお礼を受け取る。うかつにしゃべると体力が
なくなってしまうからだ。そして荷物を担いだ2人は真希の家の前に着く。
亜弥が荷物を降ろして玄関のチャイムを鳴らす。その間、美貴はさりげなく2階の
部屋を見る。するとカーテンがすっと閉められる。それを見て美貴は、そっと口元を
綻ばせる。
- 646 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/07/26(月) 22:51
- 亜弥がチャイムを鳴らしてしばらくすると、中から母親が出てきたので、真希を
呼ぶようにお願いする。すると間もなく真希が中から出てくる。
「なに〜?どうしたの、2人とも早いね〜まだ寝てたのに〜。」
「うん、今日これから出発するんだ。」
「ああ、今日から全国大会で現地入りするんだったっけ?」
「そうだよ、真希ちゃんも時間があったら応援に来てね。」
「うん、考えとく。」
亜弥はそれだけ言うと、再び荷物を持って背を向ける。そして入れ違うように
美貴が真希の正面に立つ。
「真希。」
「…なに?」
「待ってるよ、応援に来てね。」
「気が向いたらね。」
「そう、じゃあ気を向かせてね。」
「だから気が向いたら…。」
真希の言葉を最後まで聞かずに背中を向ける美貴。
気を削がれて、思わず言いかけた言葉を飲み込んでしまう。
美貴は一歩踏み出したところで、思い出したかのように立ち止まる。
そして真希に背中を向けたまま話かける。
- 647 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/07/26(月) 22:52
- 「あ、そうそう……真希?」
「…何?」
「今度から、寝ていたとか嘘は無しね。」
「え?な…」
「窓から覗いていたのが丸見え。素直に気にしているほうが可愛げがあるよ?」
「み、美貴…。」
自分の行動がばれていた恥ずかしさから顔を赤くするが、美貴は背中を向けていたため、
真希の表情は分からない。恐らく美貴はあえて背中を向けたまま言ってくれたんだろう。
こういう美貴のさり気ない優しさは、未だ自分には身につかないものだ。
「じゃあ、行ってきます!」
「…いってらっしゃい!」
再び荷物を持った亜弥は美貴と協力し合って歩いていく。
最近の自分であれば、その後ろ姿に言いようのない気持ちを膨らませたが、今日は…
今だけは、その後ろ姿を素直に見送れる。美貴の変わらぬ優しさに触れた今この時だけは。
2人の姿が見えなくなるまで見送ると、静かに家の中に戻っていく。そして2階に上がると
自分の部屋の隣のドアを開ける。
- 648 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/07/26(月) 22:53
- 「ユウキ。」
「ん?お見送りは済んだの?」
「みんなを集めな。残りの3人は美貴たちがいない今週中に片付けるよ。」
「分かった、集まらせておくよ。でも、いいの?試合を観に行くんでしょ?」
「…当然、観に行くよ。でも大丈夫。私が観に行くまで負けないよ。あの子達は、
そういう子達だから。」
それだけ言うと、ユウキの部屋を出て行く。そして自分の部屋に戻る。鏡を見ると自分の
顔が映っている。そこには冷たい目をした自分がいる。そんな自分を見たくなくて鏡を
裏返す。机の横に目を移すと、写真が数枚あり、その中には美貴や亜弥と一緒に写した
写真も貼ってある。その中の1枚にそっと手をそえる。亜弥を中心に両サイドを真希と
美貴で固めている。3年ほど前に撮ったもので、3人とも満面の笑みを浮かべている。
「待っててね…亜弥…。」
口元が吊り上る。
指先が美貴の笑顔をなぞる。
「もうすぐ…もうすぐだからね…美貴…。」
写真の中で満面の笑みを浮かべた3人の写真に笑いかける。
それは、写真の中とは対照的な昏い笑顔だった。
堪えきれないような笑いが喉の奥から湧き上がる。
もうすぐ、もうすぐ自分たちは何の心配もなくなるのだ。
美貴たちがいない今。
自分を止めるものは、もはや存在しないのだ。
- 649 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/07/26(月) 22:53
-
◇
- 650 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/07/26(月) 22:54
- 「梨華ちゃん、早く〜。」
「の、のの、待ってよ〜私はののと違って、普段運動していないから、そんなに
早く走れないよ〜。」
「もう〜だらしないな〜梨華ちゃんは……勉強ばかりしてないで、少しは身体を
動かしたら?」
「そんなこと言ったって…私には向いていないんだよ〜。」
「とにかく、早く行かないと間に合わないよ!」
朝から騒がしく言い合いを繰り広げているのは、辻と石川。2人は夏休みにも
関わらず、学校を目指して全速力で走っている。しかも行き先は2人が通っている
学校ではない松浦学園。なぜなら、2人の目的は見送りだから。強豪校である
松浦学園には、各部活ごとにバスを数台所有している。今日は、その部で所有して
いるバスを利用して、バレー部が全国大会の会場へ向けて出発する日。
辻たちは出発する日を確認して見送りに向かおうとしているのだ。
「わ、わたしは早く来たのに…の、ののが…寝ていたから…こん、こんなことに
なるんだよ!」
「あー、うるさいなー。だから悪いと思って、こうやって梨華ちゃんのペースに
合わせて走ってあげているんじゃん!」
- 651 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/07/26(月) 22:55
- 梨華の言葉が所々つまっているのは、息が切れていて話をするのもきつい状態だから。
一方、寝坊したことを完全に開き直っている辻は、まだ表情に余裕がある。まあ、
先日まで部活をやっていたのだから、当たり前といえば、当たり前だが。
とりあえず足を動かしていると、ようやく集合場所らしきところにたどり着く。
既にバスはエンジンを入れており、荷物を積み込んでいる段階のようだ。
「間に合った〜。」
ほとんど息の切れていない辻が安堵の声をもらす。そしてその後ろから息も絶え絶えに
なった石川が、頼りない足取りでついてきている。
「あれ?亜弥ちゃんたちいないな〜。」
周囲を見回したが、亜弥と美貴の姿が見当たらない。2人を見送るために走ってきたのに、
肝心の2人がいないのでは、まさしく話にならない。
「ど、どうしたの?」
自分の体力回復で手一杯な石川が背後から尋ねてくる。
- 652 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/07/26(月) 22:56
- 「まだ来ていないみたい。」
「え?大丈夫なの?なんかもう出発しそうな雰囲気だけど。」
「うん、多分美貴ちゃんが、寝ているんだと思う。寝起きはいいんだけど、
なかなか起きないんだ。」
「それって、寝起きがいいことになるの?」
「起きればね。」
「……。」
そんなことを言っている間にも時間は過ぎていき、周囲の選手たちもバスに乗り込み始めた。
さすがにまだ来ていないのはまずいのではないかと思い始めたときに、こちらに向かって
走ってくる姿を見つける。
「亜弥ちゃん!美貴ちゃん!」
「あ!ののちゃん!?来てくれたのー?」
「うん、ダメだよ遅刻しちゃあ。また美貴ちゃん?」
「そう!あたしは準備万端だったのに、美貴たんがね。」
「何言ってるの、美貴は出発したかったのに、亜弥ちゃんがおまじな…もがもが」
「さ、美貴たん、早く荷物を運ばないとねー。」
美貴の口を押さえて、バスへと引きずっていく。何かを言おうとした美貴をひと睨みして
黙らせる。こんなところは、すっかり逞しくなっているようだ。
- 653 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/07/26(月) 22:57
- 「あ、亜弥ちゃん、せっかく辻ちゃんたちが見送りに来てくれたんだから、少しは話を
していこうよ。」
「あ、そうだったね、せっかく来てくれたんだし。ありがとうね、朝早くから。」
「ううん、それより、全国大会頑張ってね。」
「うん、ありがとう。」
「あの〜。」
石川が恐る恐るといった様相で口を挟む。
「うん?どうしたの梨華ちゃん?」
「もしかして、美貴ちゃんたちの部活って、バレー部なの?」
「ええ?梨華ちゃん、知らなかったの?ののもバレー部なのに。」
「だって、美貴ちゃんとは1回しか会ってないし、ののは自分の話だけしかしないし、
今日だって朝から走りっぱなしだから、聞く機会がなかったんだよ…。」
石川は申し訳なさそうに話す。しかし考えてみれば、辻もちゃんとした説明もせずに
朝から石川を引っ張り出しているのだ。石川は、ある意味被害者かもしれない。
- 654 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/07/26(月) 22:57
- 「じゃあ、もしかして、美貴ちゃんって、あの…藤本美貴…なの?」
「え?梨華ちゃん、美貴ちゃんのこと知ってたの?」
「え?う、うん…前に雑誌で少しだけ見たことあるの…。」
「そうだったんだ。」
「あ、美貴たん、出発するみたいだよ。」
バスのほうから呼ばれたのか、亜弥が声をかける。見てみると荷物は全部積み込まれており、
美貴たち以外は全員バスに乗り込んでいる。
「あ、もう行かなくちゃだね。ありがとう、見送りに来てくれて。」
「うん、亜弥ちゃんも美貴ちゃんも頑張ってね。」
亜弥と美貴は辻たちに手を振ると、バスに乗り込んでいった。
バスの中に入ると、皆の視線が2人に集中する。
「すいませーん。」
「すいませんでしたー。」
亜弥と美貴以外は全員乗っており、空いている席はほとんどないようだった。
とりあえず2人は遅れたことを謝りながら席を探す。
するとそれぞれに声がかかる。
- 655 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/07/26(月) 22:58
- 「あ、松浦さん、ここ空いてるよ。ここに座りな。」
声がしたほうを見てみると、3年生の部員が手招きをして自分の隣の席を指していた。
そこに座ると、美貴と離れ離れに座ることになりそうなので躊躇していると、美貴の
ほうにも声がかかる。
「藤本先輩、ここ空いていますよ。」
声がしたほうを見てみると、1年生部員が自分の隣の席を指していた。
普通であれば、それぞれ同級生同士から声がかかるはずなのだが、逆に違う学年から
声がかかる。これは同級生と仲が悪いわけではなく、むしろ好かれている結果だ。
普段は常に一緒にいる2人なので、堂々と話しかけられるチャンスの今は仲良くなる
絶好の機会だった。それに同学年であれば、授業中とかに接触の機会はあるが、
学年が異なると部活の時くらいしか接する機会はない。だからこそ今は、それぞれ
違う学年から声がかかっているのだ。
「じゃあ、失礼します…。」
「はい、どうぞどうぞ。」
亜弥が大人しく上級生の隣に座る。
- 656 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/07/26(月) 22:59
- 「席ありがとうね。」
「いえ、とんでもないです。」
美貴も下級生の隣の席に座る。
「藤本先輩、遅かったですね。寝坊ですか?」
「え?ううん、なんだかんだで用意していたら遅くなっちゃってね。」
「やっぱり松浦さんですか?」
「え?」
「あ、なんでもないです。それより、お菓子食べます?」
「ん?いいよ、ご飯食べたばっかりだし。」
「遠慮しないでください。いっぱい持ってきたんですよ?」
「あ、ありがとう。」
美貴の隣の部員は積極的に話しかけてくる。そしてその様子を亜弥は凝視するかのように
じっと見つめている。上級生たちは後ろの席に座っていたので、亜弥の席からは美貴たちの
様子がよく見えた。いつもであれば、美貴と仲良くするのを邪魔しにいくのだが、今は
席に座っているのと、自分にも先輩が色々話しかけてくるので、席を離れることが
出来なかった。
- 657 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/07/26(月) 22:59
- 「松浦さん、どうしたの?」
「あ、いいえ、なんでもないです。」
「そう?あ、窓側のほうが良かった?」
「え、いえ、大丈夫です。」
結局、大人しく席に座っていることにしたが、美貴の席のほうが気になって仕方がない
亜弥は終始落ち着きがなかった。
スタートが肝心という言葉があるが。
物事には流れというものがあり、一度流れ出すとなかなか止まらない。
これから過ごす数日間…出だしは、あまり芳しくないものだった。
- 658 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/07/26(月) 23:04
- 更新しました。
次回から舞台が移ります。ようやくここまでこぎつけた感じです。
話の中は季節的にはちょうどピッタリです。ある意味リアルタイム。
レスありがとうございます。
>635 名無し読者様
すすすすいませんでしたm(_ _)m
相手はもちろん(ry
今後も載せた時はこちらで報告させていただきます。
>636 名無飼育様
石川さんは、当初から出演は決まっていたのですが、
なかなか話が進まなくて、ようやく出せました。
これからも楽しんでいただけるようがんばります。
- 659 名前:(‘‘) 投稿日:2004/07/30(金) 02:14
- 続きが早く読みたい
嵌りますねぇ、この作品は
- 660 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/31(土) 20:50
- ごっちんが剣として動いてる。。。
両刃でなければいいんですが。。。
- 661 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/08(日) 21:05
- 1台のバスがホテルの前に付けられる。
そしてバスの止められた場所には出迎えの従業員たちが並んでいた。
バスが止められ、運転手が荷物を入れている扉を開くと、手際良く運び出す。
その間に中に乗っていた選手たちはバスを降りて建物の中に入っていく。
「すごーい!こんなところに泊まるんだ!」
「本当、どこかの民宿みたいなところに泊まるのかと思ってた。」
「やっぱり私立はお金があるね〜。」
他の選手たちが何も感想を言わずに建物に入っていく中、美貴と亜弥だけが
ホテルの豪華さに驚いている。他の選手たちは何回も経験しているため慣れているが、
この学園の生徒として大きな大会に参加するのは初めてなので、驚きの連続だ。
驚きながらも2人が建物に入ろうとすると、流れに逆らって出てくる人がいた。
「何してんの2人とも?」
「あ、よっすぃ、早いね。」
「ミキティ、何をボケてるの?うちは抽選があるから二日前に現地入りするって
言ったじゃん。」
「いや、だから、今日はよく寝坊しなかったなと思って。」
「……ごっちんやミキティと一緒にしないで。」
「へへ、ごめんごめん。」
- 662 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/08(日) 21:07
- 軽く言葉を交わして3人連れ立って中に入っていく。
すると入り口に歓迎の文字が躍っていた。
「うわ、松浦学園バレー部ご一行様だって。」
「なんかどこかの会社の温泉ツアーみたいだよね。」
「温泉ツアー?」
「うん、なんかイメージ的に。もしくはどこかの田舎の老人会って感じ。」
「吉澤先輩、どんなイメージを持ってるんですか…まあ、でも確かにそんな
イメージはありますけど…。」
亜弥と吉澤が生産性のない話をしている横で、美貴は黙って歓迎の看板を眺めている。
そしてそれに気づいた吉澤が話しかける。
「どうしたの?ミキティ。」
「え?う、うん…。」
亜弥が美貴の見ていた先の文字に気づく。
「あ。あたしたちの他にも泊まってる学校がある。えーと……花畑高校…と、
UFA高校…?んー、どこかで聞いたことあるような…。」
考え込んでいる亜弥に後ろから吉澤が飽きれたような表情で話しかける。
- 663 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/08(日) 21:07
- 「何言ってるの、亜弥ちゃん…。2校とも、うちの学園の姉妹校じゃん。学園長の
娘なのに、そんなことも知らないの?」
「ええ?そうなの?」
「そうだよ、もともとバレーが強かったのは、東京にあるUFA高校だったんだけど、
そこのコーチをうちの学園とか、北海道にある花畑学園に派遣して強化したんだよ。
だから、みんな強いチームが出来たんだ。3校とも全国大会常連だよ。」
「そうなんだー。」
亜弥は感心して、目の前の空間を何度も叩いている。へぇーとかいう声が聞こえてきそうだ。
いつもであれば、今更へえボタンかよ!みたいなツッコミが入るはずだが、何故か隣にいる
美貴は何も言わない。不思議に思いながらも話を振ってみた。
「あたし全然知らなかったよ〜美貴たん知ってた?」
「……うん、知ってたよ。」
美貴は視線を看板に固定したまま応える。
- 664 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/08(日) 21:08
- 「あ、そういえば美貴たん3年間北海道にいたんだもんね、地元でも有名だったの?」
「え?有名だったよ。ていうか、美貴が通ってたのが花畑高校だったから。まあ、
松浦学園ほど大きくなかったから、そんなに人数はいなかったけどね。」
「じゃあ、ミキティ、もしかしたら知っている人とかいたりするの?」
「うん、もしかしたらね。」
「じゃあ、久しぶりに会えるかもね。そっか〜ミキティは花畑高校から来たのか。
だから変な時期に転向してきたんだね。」
「うん、一応姉妹校だから融通が少しは利くみたい。」
美貴や真希が転校してきたのは、1学期が始まってからという、中地半端な時期だったので
吉澤は転校生の話を聞いたときからおかしな印象を受けていたが、これで納得がいったようだ。
そして中途半端な時期の転校の理由にも、今では想像がついている。吉澤のすぐ横にその答えは
あるのだから。亜弥の横顔を見ながらそんなことを考える。
しばらくそのまま3人で入り口で話していると顧問から声がかかる。
「ほらー!お前ら、集合だぞ!」
「はーい。」
「すいませーん。」
中に入ると既にみんな集合していた。
- 665 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/08(日) 21:09
- 「よし、全員揃ったな。じゃあ、部屋に荷物を置いたらロビーに集合。近くの高校の
体育館を借りているからそこに行くぞ。他の高校もいるから挨拶を忘れるなよ!」
顧問の声を合図に、みな各部屋に向かう。
部屋割りはツインの部屋を3人から4人で使う。
単純にお金の問題もあるが、2人ではなくて3、4人ごとにしたほうがスムーズに
ことが運びやすいという理由もある。今回のようなケースは、出来る限りレギュラー
選手2人と控え選手1人で組ませる。レギュラーが試合に専念できるように、控えの
選手は付き人感覚で付けている。また、2人きりだと間が持たない組み合わせもある
という配慮もあってのグループ分けだった。選手たちのメンタルケアも、勝ち上がる
ためには必要不可欠な要素だった。
「うちは…ミキティと一緒だね。」
「あ、本当だ。…亜弥ちゃんは?」
「あ、あたしは…隣の部屋だ。」
「じゃあ、一緒に行こうか。」
どことなく不満そうな亜弥を後ろに連れて部屋に向かう。
とりあえず荷物を置いて、練習着に着替えると揃ってロビーに向かう。
そして向かう途中で亜弥が不満を美貴にぶつけてくる。
- 666 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/08(日) 21:11
- 「なんであたしだけ別の部屋なの〜?」
「しょうがないじゃん、よっすぃを下手に他の部屋に放り込むと、試合前にチームが
大変なことになっちゃいそうだし。美貴なら大丈夫だろうって。」
「え〜、だったら、あたしでもいいじゃん。吉澤先輩に何かしたりしないよ?」
「ダメ。亜弥ちゃんは全国大会からレギュラーになった新米さんなんだから、他の
レギュラーの人と仲良くならなくちゃ。よっすぃや皆の足を引っ張らないように
チームワークを高められるようにコミュニケーションをとらないと。」
まだ不満そうな亜弥を鋭い目つきで黙らせる。バレーに関する時の美貴は決して譲らない。
そして亜弥も自分勝手なことを押し通そうとはしない。それをしてしまうと大事な時に
大事なものを失ってしまうことを2人は知っているから。勝手が通るほど甘くはない。
なんとか亜弥を諌めているうちにロビーに着く。すでに皆集合しており、すぐに出発と
なる。バスで20分ほど移動すると学校が見えてくる。バスを降りて体育館に向かうと
遠目から見ても立派な体育館が視界に入ってくる。こちらの練習場を提供してくれた
学校も私立高校であり、設備は充実しているようだ。中に入ると、すでに先に着いている
花畑高校が練習を開始している。通常手の内をさらけ出すのを避けるため練習場は別々に
確保するが、年に4〜5回練習試合をしていて、更にチームの根幹を同じコーチが手がけて
いるためお互い手の内を知り尽くしているため、今更隠しても仕方がないというのがある。
付け加えると通常は、この姉妹高校同士でなくとも、競合校同士は年に何回も練習試合や
大会で顔を合わせるため、ある程度はお互いに面識がありチーム戦術も知れ渡っているものだ。
- 667 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/08(日) 21:12
-
そして良くある風景として―――
「よっすぃ〜、久しぶり!」
「あ、まいちん!元気〜?」
「当たり前だよ〜今回はうちは負けないよ!」
「お!強気だねーまた泣かしてあげるよ。」
「へへん、今回はうちは強いよ?なんせ勝利の女神がついているから。」
「勝利の女神?誰が?」
「秘密。それは見てからのお楽しみ。」
花畑高校の副キャプテン里田まいは、同じキャプテンとして吉澤とは仲が良いらしい。
練習を抜けて吉澤に挨拶に来る。お互いの肩などを叩き合っているが、雰囲気からして
かなりの親密さが伺える。一通りの挨拶が済んだところで里田が周囲を見回す。
「今回も順調そうだね、松浦学園。地区予選の決勝戦で逆転優勝したんだって?」
それを聞いて、吉澤が胸を張る。
- 668 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/08(日) 21:13
- 「そ、うちにも勝利の女神がいるからね。」
「勝利の女神?またよっすぃは負けず嫌いだから、対抗してそんな事言っちゃって。」
「嘘じゃないよ。うちはあの子がいなかったら負けていたんだから。」
「あれ、負けず嫌いなよっすぃがそこまで言うってことは本物?」
「そうだよ、っていうか月バレにも載ったし。まいちん見てないの?」
「見てるけど…今月号はまだ見てないかな。」
「じゃあ、見てみなよ。しっかり載ってるよ。」
「うん、っていうか今いないの?その子。」
「いるよ……ほら、あの子。」
「どの子?」
「ほら、今コーチと話をしている子。」
「…えーと……ん?」
探し当てた里田がおかしな顔をする。
「どうしたの、分からない?」
「いや、そうじゃなくて…どこかで見たことあるような気が…。」
「やっぱりそう思う?あの子昔ね〜…。」
「いや、そうじゃなくて、最近…。」
「最近?雑誌じゃなくて?」
「うん…誰だろ……ねえ、よっすぃ、あの子の名前は何て言うの?」
「あの子?あの子はね…」
- 669 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/08(日) 21:14
- 吉澤が名前を言おうとした時に声がかかる。
「よっすぃ、集合だって!」
「分かった!今行くよ!」
声をかけてくれた美貴に返事をする。
「じゃあ、うちは」
「ミッキー?」
「え?」
「今のミッキーでしょ?」
「え?まいちん知ってるの?」
「知ってるも何も、4月までクラスメートだったよ。」
「ええ?」
吉澤が驚いている間にも里田は美貴に呼びかける。
「ミッキー!久しぶり!」
すると声に気づいた美貴がこちらを振り向いて、驚いた顔をする。
そして急いでこちらに走ってくる。
- 670 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/08(日) 21:14
- 「まいちん!来てたの?」
「うん、そうだよ〜薄情だなー、私に気づかなかったの?」
「当たり前だよー、だってまだ今日来たばっかりだよ?やること多くてさ。」
「それもそうだよね。それよりも本当に意外だよ。またバレー部に入っているなんて。
てっきり違う部活に入っているか帰宅部かと思ってたよ。」
「うん、色々考えてね。やっぱりこの道に進むことにしたんだ。」
「ありゃ〜、じゃあ、うちの女神も喜ぶなこりゃ……ん?もしかして、どこかで
見たことあるなと思ってたら、よっすぃのチームの女神様って、松浦亜弥ちゃん?」
普通に話していた里田が、急に思いついたかのように話題を変える。
少し離れたところでこちらの様子を伺っていた亜弥がその声を聞きつけてこちらに
歩いてくる。そして吉澤も自分が教える前に里田の口から亜弥の名前が出てきたことに
驚いて里田に聞いてみる。
「え?まいちん、なんで亜弥ちゃんのこと知ってるの?」
「だって、ミッキーがいつも持ち歩いている写真で見たことあったんだもん。」
「え?持ち歩いている?」
「うん、ミッキーが大事そうに持ってたから見せてもらったんだよ…ね?まあ、そこには
他にも、もう1人きれいな子が写っていたけど。」
美貴は少し顔を赤らめていて、照れくさいのか黙っている。すると亜弥がその輪に混ざる。
- 671 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/08(日) 21:15
- 「あの?あたしのこと何か言ってましたか?」
「あ、ごめんね。ちょっと驚いて声が大きくなちゃった。私は里田まいです。花畑高校の
副キャプテンやっていて、ミッキーとは北海道でクラスメートだったの。それで、その頃に
松浦さんの写真を見せてもらってたから…本物を見て、思い出したの。」
「里田まいさん…ですか。」
「そう、よろしくね。あ、もしかして、ミッキーがバレー部にまた入ったのって、
この子のため?」
「え?あ、いや…。」
どもっている美貴を見て里田がいじわるそうに笑う。
「あちゃ〜こりゃ、うちの勝利の女神様は複雑かもね…なんて言おうかな…。」
「え?女神様…?」
美貴は話が見えないようで、不思議そうな表情を浮かべている。
するとそんな美貴たちの背後から声がかかる。
「おーい、お前ら!集合だぞ!」
「あ、やば!集合かかってたんだった。じゃあ、また後でね、まいちん!」
「うん、後でね。」
- 672 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/08(日) 21:16
-
美貴を先頭に3人が呼ばれたコーチのほうに戻っていく。
そして里田も自分の練習に戻っていく。
その里田の表情は微妙に曇っている。
この場にはいない花畑高校の勝利の女神の顔が思い浮かぶ。
軽くため息をつく。
もしかしたら勝利の女神がご機嫌を損ねてしまうかもしれない。
彼女と美貴の間には、おそらく他の人からは伺い知れないことがあるようだった。
そして彼女が一度ご機嫌を損ねると、機嫌を直すために、財布を提供しなければ
ならない。正確に言うと、やけ食いに付き合わなければならない。
勝利の女神は維持費がかかる厄介な女神でもあった。
「うちの女神は威力は抜群だけど、マイナス方向の威力も抜群なんだよね…。」
里田は一度だけ振り返り、恨みがましい目でコーチに叱られている美貴を見ると、
チームに戻っていった。そしてその頭の中では今月買うはずだった新しい服が手を
振って去っていく姿が浮かんでいた。
- 673 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/08/08(日) 21:18
- 更新しました。
もはや登場人物の年齢設定バラバラ…おまけに呼び名も主役級以外は…。
徐々に人が増えてきたけど、うまく動かせますように…。
レスありがとうございます。
>>659 (‘‘)さま
引き続き嵌ってもらえるように頑張ります。
この時期は少し更新遅くなっていて申し訳ないっす。
>>660 名無飼育様
後藤さんの動きも、そろそろはっきりしてくると思います。
今後に注目してくださいませ…。
- 674 名前:(‘‘) 投稿日:2004/08/13(金) 00:40
- 更新の遅さは気にしないでください
マターリ待ってます
- 675 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/13(金) 11:07
- 初日は会場入りと練習のみで終了。
軽く最終調整を終えると、皆ホテルへ戻る。
松浦学園は大会2日目の第1試合のため、明日の大会初日は開会式に参加するだけだ。
そして同じホテルに宿泊している花畑高校やUFAもそれぞれ2日目、3日目だった。
練習を終えた3校はそれぞれホテル内でミーティングを行っている。
しばらくすると、夕食の時間になったのか、徐々に大部屋から出てきて食堂に集まり始める。
このホテルは広いので松浦学園だけはなく、他の高校も同じように食事の時間となる。
「あ、おいしそう〜、やっぱりホテルはちがうね。」
「本当、おなかペコペコ〜。」
みな食事を見て歓声をあげている。そしてテーブルの上を眺めながらも素早く席に着く。
こういうところは体育会系ならではだ。すぐに食事が始まる。
- 676 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/13(金) 11:08
- 「あー、美貴、これダメ。亜弥ちゃん食べて。」
「ダメだよ美貴たん、ちゃんと食べないと。」
「えー、無理。」
「無理じゃなくて食べるの!」
いつも通りの光景。
「あのー、藤本先輩、私が食べましょうか?」
いつもと違う声。
崩れる調和。
「本当?じゃあこれあげるよ!」
早速嫌いなものを渡そうとする。
「ダメ!それなら、あたしが食べるよ。」
「なんで?亜弥ちゃん、ダメだって言ったじゃん。」
「でも他人に迷惑かけるわけにはいかないでしょ!」
- 677 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/13(金) 11:09
- そう言って美貴の皿を取り上げる。
向かいに座っている吉澤はハラハラしながら見ている。
亜弥が“他人”の部分を強調したように感じられたから。
しかし声をかけた子は亜弥をチラリと見ただけで、特に何も言わなかった。
吉澤がホッと胸を撫で下ろしている横で、美貴は複雑そうな表情をしている。
最近の亜弥はなんだか、少し以前と違うような気がする。例えば、今のように。
以前から亜弥は美貴や真希を独占したがるような節はあったが、最近の態度には
違和感を感じる。なんだか、棘を感じるというか、同じ排他的にしても独占したい
というより、排除のほうに強い意思を感じるというか。今までの亜弥には無かった
敵意のようなものを感じる。
その後は何となく静かに食事は進み、ほぼ全員が食べ終わったところで、解散となる。
今日は、移動があったことと、まだ明日1日余裕があることからこれ以上のミーティングは
行わずに自由時間となった。
食事の最後に自由時間が告げられたことから、みな嬉しそうに食堂を後にする。
美貴たちもこれからどうしようかと話をしながら食堂を出て行く。そして亜弥が
ゲームを持ってきたから、それで遊ぼうと提案したところで、後ろから声をかけられる。
- 678 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/13(金) 11:09
- 「ねえ、ミッキー。」
振り向いてみると、そこには昼間に会った、花畑高校の里田が立っていた。
花畑高校も同じように自由時間となったらしい。
「これから自由時間でしょ?」
「うん、そうだよ。」
「じゃあさ、ちょっとうちのほうの部屋に来ない?久しぶりに会えたし。
ミッキー携帯持ってないから、普段連絡とかなかなか取れないし。」
「うん、いいよ。」
「あ、まいちん、うちも行って良い?」
突然吉澤が口を挟む。
「うん、いいよ。あ、それなら松浦さんも一緒に来る?さっき話せなかったし。」
「あ、はい。」
結局3人とも里田の部屋に行くこととなった。
学校がちがうため、泊まっている階は異なっていたが、部屋の中に入ってみると、
部屋の作りは同じようだった。
- 679 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/13(金) 11:10
- 「じゃあ、適当に座ってよ。」
「まいちん、この部屋相部屋になった人は?」
部屋にはベットが2つしかなく、美貴たちのようにツインの部屋に3〜4人泊まっている
のとは様子が違うようだった。
「ああ、後輩が同じ部屋なんだけど、今ちょっとお願いしていることがあっていないんだ。」
そう言いながら人数分のジュースを用意する。
「なんか地元の期待が凄くてさ。寄付とかいっぱいもらっちゃったからお金が
余っているみたい。このジュースも差し入れなんだ。もう捨てるほどあるよ。」
手近な椅子を引き寄せて、跨ぐようにして座る。
美貴たちもベットや適当な椅子に腰掛ける。
「それにしても、まさかこんなところで再開するとはね。普通ないよ。」
ペットボトルを飲みながら里田が切り出す。
「本当、美貴もビックリした。大会直前で転校しちゃったから、どうなったかな
とは思ってたんだけど…こんなところで会えるなんてね。」
- 680 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/13(金) 11:11
- 美貴も久しぶりに会えたのが嬉しいのか、笑顔で応える。
「それによっすぃとも仲が良かったなんてね。」
「うん、うちらの学校は定期的に遠征を組んでたから、練習とか試合で何回も顔を
合わせてたし。それにやっぱり同じような立場だから、何となく苦労とかも
分かるし。でもまさかミキティと知り合いだと思わなかったよ。うちもミキティが
どこの高校から転校してきたか気にしてなかったから。」
「美貴も言わなかったしね。」
すると里田が急に眉をしかめる。
「そうだよ、ミッキーは私にもどこの高校に転校するか教えてくれなかったし。
聞いても約束を守りに行くだけだって言うだけだし。しかもミッキーは携帯
持たないから連絡もほとんど取れないし。」
「約束?」
里田の言葉を吉澤がオウム返しに聞き返す。
「そう、何の約束だかは知らないけど、それしか言わないから……。」
- 681 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/13(金) 11:12
- 美貴を見てみると、少し気まずそうな顔をしている。
亜弥を見てみると、美貴をじっと見つめていた。その瞳には、今まで見たことの
ある見たくないものが浮かんでいた。しかし、何故かそのことに動揺していない
自分がいた。なんでだろう…。自分の心に聞いてみるが答えは当然に返ってこない。
吉澤がその理由に気づくのはもう少し後のこと。
「まいちん、北海道でもミキティはバレー部だったの?」
「え?ううん、一応バレー部に所属はしていなかったよ。いつもいたけど。」
「え?なにそれ?」
「……うん。」
里田は応えずに美貴を見る。
美貴もその目を見つめ返す。
「ミッキーを初めて見たのは教室でだったんだ。」
2人の間に合意が成ったのか、里田が口を開く。
「同じクラスだったんだっけ?」
「そう、初めて見たときはね、大丈夫かなこの子?って思った。なんかその時の
ミッキーはやつれてた感じだったから。まあ、後から聞いたら退院間もないっていう
ことだったんだけどね。そんなことは知らなかったから、なんか影がある子だなって
思った。なんか笑顔で話しているんだけど、どことなくラインを引いているっていうか
…それでいて、人を見るときは真っ直ぐに目を見るの。その目が印象的だったんだ。」
- 682 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/13(金) 11:13
- 美貴は初めて聞いたのか、少し苦笑しながらも何も口を挟むことなく聞き入っているようだ
「明るいのにどことなく影を感じるからか、すぐに注目を浴びるようになってね。
ミッキーはどこにいてもすぐに分かった。いつも人に囲まれていたから。」
こういうところは、どこに行っても同じらしい。その光景を見ていなくても容易に
想像がつく。というより、今の松浦学園での状況と何も変わっていないと言える。
「でもね。」
断ち切るように言葉を区切る。
「私にはミッキーの笑顔が、どことなく仮面に思えたんだ。本心を見せていない
ような…何か大事なものを隠しているような…そんな印象を持ってたんだ。」
完全に初耳だったのか、美貴は思わず里田のほうを見る。そして里田も視線を
逸らさない。2人が動かなくなってしまったため、部屋の中には沈黙が広がる。
吉澤は里田の言っていることの意味していることが分かった。亜弥のほうを見る。
少し前の亜弥も同じだったから。そして里田もちらりと亜弥のほうを見ると、
再び視線を美貴に戻し、口を開く。
- 683 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/13(金) 11:14
- 「その大事なものって…そこにいる松浦さんなんでしょ?…大事な約束って……
松浦さんとの約束なんでしょ…?」
里田は瞳を逸らさない。
美貴は口を開かない。
「教えてほしいの。ミッキーがいなくなって…私も…あの子も……色々と、
苦しんだんだ。」
里田はそこで言葉を区切って、美貴を見つめる。
美貴は里田の言葉に動揺して目を逸らしてしまう。
すると突然その時、里田の携帯が鳴る。
ごめんねと謝って携帯に出る。
「そう、着いたの?じゃあ連れてきて。部屋にいるから。」
携帯を切ると再び美貴に視線を戻す。
- 684 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/13(金) 11:14
- 「あの子は、今うちのチームの勝利の女神って呼ばれているの。みんなあの子の
笑顔が見たくて勝ち続けたから。負けられなかったから……でも、あの子は
きっと勝利の女神なんてなりたくもないし、呼ばれたくもないと思う。ただ、
ミッキーと一緒に頑張っていきたかったんだと思うの。だから、せめて教えて
ほしいの。」
この部屋には何人もいるが、まるでこの場には里田と美貴しかいないかのように、
美貴の瞳を正面から見据える。そして里田の言葉にようやく美貴が口を開く。
「…うん…そうだよ……美貴は約束を守るために戻ったんだよ、亜弥ちゃんと、
真希との約束を守るために…。美貴にとっては…あの、約束が…。」
途中で言葉を区切ったが、その言葉には確かな強い意味が込められていた。
そして意思のこもった強い光を瞳に宿して亜弥を見つめる。
「あの日、亜弥ちゃんのパパさん…学園長から連絡をもらって…戻ってきて
ほしいって言われて……美貴は即答したの。亜弥ちゃんが別人のようになって
しまったって聞いて。」
「…じゃあ、あの子とのことは…大事じゃなかったんだ…そんなふうに即答
できちゃうんだから…。」
「ちがう!」
- 685 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/13(金) 11:15
- 美貴が立ち上がり、里田に言葉を叩きつける。
「大事だったよ…あの頃の美貴の支えでもあったんだから。でも、ちがうの。」
「何がちがうの?あの子も美貴を必要としていたことには変わりないでしょ?」
里田は立ち上がっている美貴に対しても顔色1つ変えずに言葉を発する。
それに対して、美貴は静かに首を振る。
「ちがうの…亜弥ちゃんは、1人だから…こっちには、あの子には、まいちんとか
他にも支えてくれる人がいたから……でも亜弥ちゃんには…いないから…苦しめる
ものしかなかったから…。美貴が傍に行ってあげなくちゃ駄目だと思ったから。」
美貴の最後の言葉はつぶやくようなものだった。だが、部屋の中にはなぜか大きく響いた。
「美貴たんは……義務感から、あたしといてくれたんだ…ただ、それだけなんだ……。」
この部屋に入ってから、初めて亜弥が口を開く。
その声は弱々しい。
「ちがうよ!そんなことない!」
「…じゃあ…なんなの?」
- 686 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/13(金) 11:16
- 再び部屋を沈黙が襲う。
美貴がゆっくりと口を開く。
「……美貴は…ただ、亜弥ちゃんと」
コンコン
部屋のドアがノックされ、美貴の言葉が遮られる。
みな、ハッとしたようにドアのほうを見る。
「はい?」
部屋の主である里田が応える。
「あの、連れてきたんですけど…。」
部屋の外から声が聞こえる。
「あ、ああそう、ありがとう、今開けるね。」
- 687 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/13(金) 11:17
- 里田が立ち上がりドアへと歩いていく。
タイミングを逸してしまった美貴はなんとなくそのまま立ち尽くしている。
亜弥はそんな美貴をぼんやりと眺めている。そして吉澤は、話の展開について
いけずに、ただぼんやりとそんな3人の様子を目で追っている。
チェーンが外されて、部屋のドアが開けられる。
「遅くなりました、すいません。」
そんな声が聞こえてくる。
その声に反応して、美貴の目が大きく見開かれる。里田は入ってきた子を招き入れると、
ドアを閉めた。そして里田の後ろから隠れるように歩いて部屋の中に入ってくると、
呆然と立ち尽くしている美貴の前に立つ。
- 688 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/13(金) 11:18
- 肩にかかるくらいの髪には軽いウェーブがかかっており、まさしく天然なパーマとなって
いる。膨らんだ頬っぺたと少し垂れた大きな瞳は、穏やかな雰囲気を醸し出している。
そしてその子は静かに口を開く。その穏やかなイメージそのままの声で。
「お久しぶりです……美貴ちゃん…。」
「紺ちゃん…。」
亜弥は、そっと美貴の袖を掴んだ。
- 689 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/08/13(金) 11:21
- 更新しました。
お盆休み突入記念更新です。この時期にストックが増やせれば…。
二人ごと早く決定しないかなー。
レスありがとうございます。
>>674 (‘‘)さま
そう言っていただけるとありがたいです。
このお盆でストックが出来れば、今後の更新も多少は…。
- 690 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/13(金) 15:14
- 更新待ってました!!
う〜ん、、続きが気になる…。
- 691 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/13(金) 15:53
- う〜〜〜っ!!
いいところで!!!
続きを至急求む!
- 692 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/15(日) 00:09
- 勝利の女神が彼女だったとは、想像だにしませんでしたが、
なんだかまた、波乱がありそうですね。。。
- 693 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/16(月) 16:29
- 続きが気になって眠れにゃい…。
た、たすけて。。
- 694 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/25(水) 22:05
- 再開を喜ぶ言葉が交わされることもなければ、笑顔もない。
お互い発言のタイミングを計りかねているような、何とも言えない空気が漂う。そんな
2人の感覚が伝染したのか、部屋の中には音を発するものがなく、2人を中心に空気が
流れているように感じる。沈黙が部屋を支配する。空気が重い。
美貴は、何かを言おうとして顔を上げるが、何も言えずに再び口を閉じて俯いてしまう。
何度も顔を上げたり、下げたりしている。
そんな美貴を見て、その子はくすりと笑ったあと、口を開く。
「お元気そうですね。膝の調子はいかがですか?」
「え?う、うん…今は調子いいよ…。」
「私は頑張ってます。美貴ちゃんも頑張っていますか?」
「う、うん、が、頑張っているよ。」
あまりに普通に話しかけてくるので、美貴は面食らって、そのままオウム返しに返事を
返す。すると、その子――紺野あさ美――は、それを聞いて笑顔になる。
「そうですか、良かったです。私も頑張ってます。今は離れているけど、美貴ちゃんも
今頃は頑張っているんだって思って自分を励ましていたんです。だから、約束通りに
頑張っていてくれて、嬉しいです。」
「紺ちゃん…。」
- 695 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/25(水) 22:07
- 笑顔を浮かべて話す紺野。しかし、そんな紺野を見ても美貴の表情に笑顔が浮かぶことはなく、
逆に複雑な表情を浮かべている。そして苦しそうな表情のまま吐き出す。
「美貴は…美貴は苦しい時の紺ちゃんを放って行っちゃったんだよ?…だから、美貴には
紺ちゃんに話しかけてもらえる資格なんてないよ…。」
美貴は俯きながら何とか言葉にする。
心情を吐露するかのような声色。
そんな美貴の袖を亜弥が不安そうに握り締める。
美貴の姿がなぜか小さく感じられたから。
しかし紺野は、美貴の言葉に対して首を振る。
「もうあの時すでに、私は美貴ちゃんからたくさんの勇気をもらっていました。それに
あの時の美貴ちゃんがこういう選択をすることが一番良いって考えたんですから、
それについて私が何か言うことはないですよ?」
そう言って穏やかに微笑む。
だが紺野の言葉を聞いて、美貴は逆に何も言えなくなってしまう。
そのかみ締めた唇から、美貴が紺野の言葉を素直に受け止めていないことは明白だった。
そんな美貴のことを見て、少し残念そうな表情を浮かべた紺野は、ふと目を隣に移す。
そこには美貴の袖を掴んでいる亜弥がいる。刹那2人の目が合う。
- 696 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/25(水) 22:08
-
一瞬だけ揺れる瞳。
それは誰も気づかないほど、ほんの一瞬の揺らぎ。
だが、正面から見据える形となった亜弥だけが、気付く。
無意識のうちに、美貴の袖を握る手に力がこもる。
それに気付いた紺野は、一瞬目を丸くして驚くが、すぐに表情を抑える。
そして亜弥を見据えて、しっかりと宣言するように言う。
「……私は…負けませんよ?」
そう言うと、にっこりと微笑んだ。
果たしてこの部屋にいる何人が紺野の発言の真意に気付いたのか。
だが、少なくとも、最も伝えなくてはならない人物には伝わっているようだった。
なぜなら亜弥は、睨みつけるように紺野を見ていたから。
だが実際は亜弥にとっては初めてのことであり、どうしたらいいのか分からない
というのが本音だった。それは今まで、正面きって亜弥の前に立ちはだかるような
人はいなかったし、自分の感情自体に気付いたのも最近だったからだ。だから、
亜弥は睨みつけてはいたが、どうしたらいいのか全く分からなかった。
- 697 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/25(水) 22:08
- 複雑に絡み合いあうような空気が部屋の中に漂っていた。
刺すような、包み込むような、鬱蒼としたような、困惑したような。
それはこの部屋にいる人たち各々が発している空気。誰も同じ気持ちではないから。
交わらない空気が不調和を奏でる。不穏な空気。そしてそんな中、吉澤も少しだけ違う
雰囲気を漂わせていた。
「…まいちん…。」
「え?なに?」
吉澤の目が里田の瞳を捕らえる。
「…なにが、あったの?…良かったら教えてくれないかな?」
「……よっすぃ…。」
里田は少し驚きの表情を浮かべた。なぜなら今まで、試合中ですら、吉澤のこんな
必死な目を見たことはなかった。それが余計に吉澤の心情をその瞳が語っているように
思えた。だが、とにかく吉澤は必死だった。
もう、これ以上、蚊帳の外には置かれたくない。いつでも物語は自分の預かり知らない
ところで進行していて、自分はただの傍観者でしかない。もう、そんな役回りは嫌だった。
それは吉澤の必死な思いの表れだった。
- 698 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/25(水) 22:09
-
「話しても…いい?」
里田は当事者である紺野に聞いてみる。
本当は本人の口から話すのが一番いいのだから。
だが――――
突然、吉澤の携帯が鳴る。あまりに場違いな着信メロディーに皆の目が吉澤に向けられる。
慌てて携帯を取り出して、出てみるとその電話は松浦学園のコーチからだった。
「え?ミキティですか?一緒にいますけど……はい、はい、分かりました。」
携帯を切ると美貴に告げる。
「ミキティ、コーチがちょっと来てくれだってさ。なんか紹介したいからとか
言っているけど。」
「え?美貴?」
「うん、すぐにロビーに来てくれだって。」
「…なんだろう?まあ、いいか。」
部屋にいる、全員から変な空気が感じられる今の状況から抜け出したかったのか、
美貴は訝しがりながらも、部屋を出ようとする。そして袖を掴んでいた亜弥の手は
やんわりと外された。亜弥の視線が、瞬間的に美貴に送られる。外された手がまるで
美貴の今の気持ちであるように感じられたから。だが、美貴の目が亜弥に向けられる
ことはなかった。
- 699 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/25(水) 22:11
- そんな亜弥たちの横で、紺野もドアへ足を向ける。
「あ、じゃあ、私もちょっと監督に挨拶に行ってきます。さっき着いたばっかりで、
いきなりこちらに連れて来られてしまいましたので。」
紺野は里田の指示でホテルに着くなり後輩にこの部屋に連れてこられてしまったため、
荷物すらまだ部屋に運んでいなかった。
「そう?ごめんね、無理矢理この部屋に連れて来ちゃって。」
里田はそう言って、軽く謝る。紺野は首を振ってそれに応えると、部屋を出て行った
美貴の後を追うように歩き出す。そんな2人に里田が後ろから声をかける。
「私から話しちゃっても…いい?」
その言葉を聞いて美貴と紺野はドアの前で振り向く。
美貴は一瞬、亜弥を見た後に紺野に視線を向ける。
そんな美貴の視線を感じた紺野は、美貴のほうを向き、軽く微笑んでから里田に応えた。
「いいですよ。もう誰かに知られても私は大丈夫ですし。それに部員のかたがたや
里田さん、美貴ちゃんはもうすでにご存知ですから。知られて困るようなかたは
もういらっしゃいません。」
そういうと紺野は背を向けてドアへ向かった。
「ミッキーも…いい?」
「…。」
美貴はすぐには応えずに亜弥を見つめる。その瞳からは何も読み取れない。だが、何かを
訴えるような表情をしているように見えた。亜弥は、ただそんな美貴を見つめ返すしか
なかった。
「…いいよ、話しても…。」
- 700 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/25(水) 22:12
- 美貴はそれだけを言うと、踵を返して部屋を出て行った。そして部屋には3人が残された。
亜弥はどこか気が抜けたような顔をしてドアのほうを見たまま動かなくなっている。
「まいちん、教えてくれる?」
吉澤は2人が部屋から出たことを確認すると里田に話しかける。
その言葉を聞き、亜弥の視線も里田に移る。
「うん…どこから話せばいいかな?…うーんと…そうそう…、もともと紺ちゃんは、
ここにいるけどチームの選手じゃないんだ。」
「そうなんだ。勝利の女神なんて言い方していたから、選手なのかと思ってた。」
「ううん、紺ちゃんは今は試合には出られないんだ。いえ、正確に言うと、もう試合は
出来ないの。」
「試合が出来ない?」
思わぬことに吉澤の声が少し大きくなる。しかし、すぐに気づいて自分の口を押さえる。
そして目で里田に続けるように促す。
「そう、部活の帰り道に交通事故に遭って、足の膝に十数針の怪我をして……。
もう激しい運動は出来ないの。」
「でも、さっきは普通に歩いている感じだったけど…。」
「うん。リハビリで何とか普通に歩くことだけは出来るようになったみたい。でも、
もう激しいスポーツとかは出来ないみたい。膝みたいな関節は一度壊しちゃうと
元には戻らないから…。」
- 701 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/25(水) 22:12
- よく耳にする話。打ち込めば打ち込むほど関節等に負担をかけるため、トップレベルにいる
選手の多くは身体に爆弾を抱え込んでいる。だからそういった類の情報には常に触れることが
出来るようになっている。そして事あるごとにコーチやトレーナーたちから怪我に関する知識に
ついて教えられている。従って、膝関節を壊してしまうことの意味をよく理解している吉澤は、
事態の深刻さが分かるため、黙りこんでしまう。
「美貴たんと一緒だ…。」
「え?」
黙りこんでしまった吉澤とは反対に、それまで黙って耳を傾けていた亜弥がポツリと洩らす。
「美貴たんも、膝を怪我してバレーが出来なくなったの……普通に生活するには
苦労しない程度には回復したみたいだけど…。」
亜弥は俯いたまま話している。そして唇をかみ締めて話している表情からは、
あふれ出る感情を抑えている様子が伺えた。どうして膝を怪我したかまで話して
くれるのか待っていたが、それ以上は話す気はないらしく、再びその口は閉じられた。
「そう。だから2人は同じ病院で逢ったの。」
そんな亜弥の言葉を受けて、里田が頃合いを見計らって再び口を開く。
- 702 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/25(水) 22:13
- 「そこの病院は関節の治療に関して、日本有数の名外科医がいる病院みたいなの。
それで2人は同じ病院だったみたいなんだ。いくら名医とは言っても、ミッキーが
なんでわざわざ北海道の病院まで入院しに来たのかは分からないけど、年齢も近くて
2人ともバレーをやっていたから、すぐに仲良くなったみたい。怪我した箇所も一緒
だったしね。」
一旦そこで息をきる。
手に持っているペットボトルのふたを開けて一口だけ口に含む。ほとんど1人で話して
いるため喉が無性に渇く。話の中身が重たいものであることも余計に喉を渇かせている
ようだった。そしてふたを閉めると再び話を続ける。
「それで退院したあとにね、学校で再会したみたいなんだけど…あの子…紺野ちゃんね
暗くなっちゃって、教室でも一言も話さなくなっちゃったんだ。バレーが出来なく
なったのがショックだったみたいで。それで、その話を聞いた美貴が紺野ちゃんの
面倒を見るようになったの。それから2人の間に何があったのかは知らないけど、
紺野ちゃんも喋るようになって…それで、紺野ちゃんはまたバレー部に戻ったの。」
「運動が出来ないのに?」
そこで吉澤が口を挟む。
そんな吉澤に頷いてみせる。
「うちのチームのマネージャーとしてね……まだ松葉杖が手放せなかったのに。
でもそれがミッキーとの約束だからって。」
「約束?」
「そう。ミッキーも頑張るから紺野ちゃんも頑張れっていう2人の間の約束だって
言ってた。」
- 703 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/25(水) 22:13
- 里田の言葉を聞き、亜弥が唇をかみ締める。
自分が知らないところでの知らない関係。
あの紺野って子は、美貴がつらいときに傍にいたのだ。
そしてあの子のことを美貴は支えてあげていたのだ。
自分以外の子を。
「でも…さっき言っていた…苦しんだ…って?」
吉澤が遠慮がちに質問する。
そしてその言葉に亜弥も思い出す。
- 704 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/25(水) 22:14
-
――『教えてほしいの。ミッキーがいなくなって…
私も…あの子も……色々と、苦しんだんだ。』――
――『美貴は…美貴は苦しい時の紺ちゃんを放って行っちゃったんだよ?
…だから、美貴には紺ちゃんに話しかけてもらえる資格なんてないよ…。』――
- 705 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/25(水) 22:15
- 亜弥も同じように里田に聞く。
「…なにか…あったんですか?」
だが、里田は話すことに戸惑いがあるのか、話さないまま立ち上がる。
そしてそのまま窓のほうに歩いて行く。亜弥と吉澤はその様子を何となく眺めている。
里田は窓までたどり着くと、窓枠に腰掛け、2人のほうを向いた。
「…あまり他人の家庭の問題を口にするべきじゃないのかもしれないけど…。」
気が進まないのか、先ほどまでと異なり口が重い。
「紺野ちゃんのご両親がね、離婚するっていうので揉めていた時期があったの。去年の
今頃くらいかな?まあ、それで家に帰るのがつらくなって、紺野ちゃんはあちこち
泊まり歩いていたの。バレー部の人たちの家を順番に。もちろんミッキーの家にも。」
亜弥の瞳が揺れる。
「それで…ミッキーの家に泊まった次の日。久しぶりに家に帰ることになったの。
まあ、着替えとかを取りに一時的に。それで、なんとなく帰りづらいっていうから、
私とミッキーが一緒について行くことになったの。それでね、紺野ちゃんの家の
玄関で着替えを取ってくるのを待っていたの。そしたら、中から悲鳴が聞こえて…。」
里田は目を閉じた。今でもその時の光景が思い浮かぶ。
- 706 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/25(水) 22:17
-
聞こえてきた悲鳴
慌てて中に入る美貴と里田
座り込んでいる紺野
床の上に倒れている父親
――そして包丁を握り締めている母親
吉澤が思わず息を飲む
亜弥の目が見開かれる。
里田はゆっくりと息を吐き出した。
- 707 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/25(水) 22:17
-
◇
- 708 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/25(水) 22:18
- ホテルの廊下を静かに並んで歩いている2人。
階の真ん中にあるエレベーターの前に来ると、下のボタンを押してエレベーターが
上がってくるのを待つ。皆それぞれの部屋でくつろいでいるのか、自分たちの他には
姿が見えない。そしてエレベーターを使っている人間はいないらしく、1階から
上がってくる。
「美貴ちゃんは、いつこちらに着いたんですか?」
「え?み、美貴?えーとね、今日の昼過ぎかな。」
「そうですか。」
先ほどから美貴は所在無さげに周囲をキョロキョロしたり、隣を歩いている紺野の様子を
伺ったり、腕を掻いてみたり。そして話しかけられたことにより、その落ち着かなさが
口調にも現れていた。そんな美貴を見て、紺野はくすりと笑った。
「私といると居心地悪いですか?」
「え?いや、そ、そんなことはないよ!」
大げさに首と手を振って否定する。
紺野は視線をエレベーターの表示へと移す。
エレベーターが着いたことを示すランプが点灯する。
目の前の扉が開く。中には人は乗っていないようだ。
しかし2人ともすぐに乗り込まない。
開いたままの扉を目の前にして会話を続ける。
- 709 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/25(水) 22:19
- 「先ほども言いましたけど、私は美貴ちゃんが変わらずに頑張っていてくれていれば
それだけで嬉しいんです。私との約束を守ってくれているということですから。
それに、転校する前の美貴ちゃんから、もう色々ともらっていましたから。だから、
私はここで改めて言うことが出来るんです。」
そう言って紺野は、美貴のほうに身体を向ける。
そして深々と頭を下げる。
「ありがとうございました。美貴ちゃんがいたから、頑張れました。」
「紺ちゃん…。」
頭を上げた紺野は晴々とした表情をしていた。
「これが言いたかったんです。」
そう言って笑った、紺野のその表情は透き通るような綺麗なものだった。
そしてそんな紺野を見た美貴は何故か泣きたくなった。
だが、それを堪える。上を見上げて涙を飲み込む。
「美貴のほうこそありがとう。紺ちゃんがいなかったら、美貴はきっとあの病院で
ダメになっていたと思う。」
溢れそうになった涙を隠すために、早口で言うとエレベーターに乗り込む。
「相変わらず照れ屋なんですね。」
そう言って紺野も後に続く。
照れていたわけじゃない。ただ、この気持ちを説明することは難しかったらから。
自分でも理解できない、よく分からない、この今の気持ちを。
- 710 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/25(水) 22:20
- 紺野が勘違いしてくれたことに感謝しつつエレベーターのボタンを押す。
エレベーターは滑り出すように動き出す。階数の表示がカウントダウンを始める。
「そういえば、病院で思い出したんですけど、姉も会いたがっていましたし、
全国大会が終わったら一度北海道に来ませんか?」
何となく静かになったエレベーター内で、紺野が思い出したかのように話し出す。
「お姉さんが?」
「はい。もし会ったら連絡をよこすようにと言っていました。」
「…そう…。分かった。とりあえずそのうち電話でも入れてみるよ。」
「ありがとうございます。そうしていただけると姉も喜ぶと思います。」
「ううん、美貴のほうこそ、お世話になった人に連絡もしないで、ごめんなさい。」
紺野の言葉で美貴の頭の中に満面の笑顔を浮かべた、紺野の姉の姿が思い浮かぶ。
見方によっては、着ている制服も相まって、まさしく天使と呼ぶにふさわしい
笑顔を持った彼女の姿が。
そしてそんな姿を思い出し、美貴の顔にも笑顔が浮かぶ。
なごやかな雰囲気がエレベーター内を包み込む。先ほどまでの、どことなくぎこちない
雰囲気は完全に消え去っていった。それは、この会わなかった半年間を埋め立てて
しまったかのように。
紺野が美貴の笑顔に応えるかのように頬を緩めたときに、エレベーターがゆっくりと
止まる。どうやら1階に着いたらしい。美貴がボタンを押しながら紺野を促す。
美貴も続いてエレベーターを降りる。どうやらロビーに面しているエレベーターでは
なかったらしく、目の前にはまたもや廊下が続いている。ロビーに出るためには、
少し歩く必要があるらしい。
- 711 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/25(水) 22:21
- 仕方なくロビーの矢印に従って、廊下を歩く。しばらくすると、正面に広い空間が
見えてくる。どうやらロビーに出るらしい。そこまで来て紺野が立ち止まる。
不思議に思った美貴が、振り返るかたちで話しかける。
「どうしたの、紺ちゃん?」
少し逡巡していたようだったが、紺野はおずおずといった感じに答える。
「あの、さっきいた…美貴ちゃんの隣にいた人が、そうですよね?たしか…松浦…
松浦亜弥さん…でしたっけ?あの…いつも美貴ちゃんが持ち歩いていた写真の…。」
「え?亜弥ちゃん?うん、そうだよ、よく覚えていたね。ちょっと人見知りするけど
すっごい、いい子だよ。」
そう言って美貴は口元を緩める。少しだけ誇らしげな、優しげな表情。恐らく本人は
気づいていないのかもしれないが、自然で偽りのない表情。美貴のそんな様子を見て、
紺野の表情は固い。
- 712 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/25(水) 22:21
- 「では、松浦さんですね?約束のお相手は。」
思わず息を飲む。
だが、紺野の表情からは何も読み取れない。
美貴ではなく、何もない正面を見たまま視線を動かさない。
「あ、あの紺ちゃ」「負けませんから!」
美貴の言葉を遮る。
じっと正面を見据えて、手をギュッと握り締めて。
「私、松浦さんには負けませんから。」
紺野はそう言うと美貴の横を通りすぎて歩き出す。
慌てて振り向いて、追いかけようとする。
「ま、待って紺ちゃん!何を…」
「おーい、藤本!何やっているんだ、早く来い!」
遠くからコーチの呼ぶ声が聞こえてくる。
紺野はそのまま自分たちを呼んだコーチたちのほうへ歩いて行く。
美貴は軽くため息をつくと、仕方なく歩き始めた。
- 713 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/25(水) 22:22
-
◇
- 714 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/25(水) 22:23
- 先ほどの里田の発言により、部屋の中はまさしく水をうったかのような静けさを
保っていた。全ての音が吸い込まれてしまうような、そんな静けさ。唾を飲み込む
自分の咽の音が部屋中に響き渡っているような気さえしていた。そんな自ら作り出した
空気を打ち破るかのように里田が続ける。
「実際には、刺し傷は全然大したことなかったみたいで、2週間くらいで完治して
しまったみたいなんだけどね。やっぱりそういうのってどこからか洩れるみたいで、
近所や学校で噂になってね。それが余計に紺野ちゃんを傷つけて。だから私とミッキーで
紺野ちゃんを守ってあげていたの。紺野ちゃんに好奇の目が向けられないように、
いつも一緒にいるようにして。」
里田はそこまで話すと窓の外に目をやる。窓の外には、明るいビルの間から僅かに星が
垣間見えた。その星の明かりは小さくて、今にもビルの明かりにかき消されてしまい
そうだった。その僅かに見えている星から目を離さないまま口を開く。
「でも、紺野ちゃんの顔からは笑顔が減っていったの。でも…バレー部のマネージャー
だけは続けてくれていて……試合に勝ったときだけは笑顔を見せてくれたの。でも、
そんな時だったの。」
- 715 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/25(水) 22:24
- 里田の視線が星から離れ、亜弥に固定される。
その視線は刺すような鋭さを持っていた。
「ミッキーが転校していったのは。」
亜弥は目を逸らさない。
そして里田も目を逸らさない。
「ミッキー……美貴は…ただ、大事な約束があるからって…それだけを言って…。」
部屋に重い沈黙が訪れる。
2人とも目を逸らさない。
里田が拳を握り締める。
「そして、紺野ちゃんからは笑顔が完全に消えちゃったの。」
- 716 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/25(水) 22:24
- 里田は納得がいかなかった。
――紺野とも約束していたはずなのに――
――きっと美貴は天秤にかけたに違いない――
――亜弥と紺野を――
――そして…――
だから里田は拳を握り締めた。
歯をかみ締めた。
- 717 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/25(水) 22:25
- 「それからの紺野ちゃんが、唯一笑顔を見せてくれたのは、マネージャーとして
試合に勝ったときに私たちを出迎えてくれる時だけだった。だから!」
里田が搾り出すように言葉を発する。
そして、その瞳から一粒だけ、気持ちが零れ落ちた。
「だから私たちは、負けられなくなった。勝たなくちゃいけなくなった。あの子の、
…紺野のために。」
里田の頬を伝うものを吉澤は目で追っていた。
それは悲壮な決意が込められたものだった。
そして里田は先ほどの言葉を最後に完全に俯いてしまった。
吉澤も同じように下を向く。
何も言えない。
頑張れ、負けるな、大変だったね。
色々な言葉が虚しく駆け巡る。
何が言えようか。
自分は里田にかけてあげるべき言葉を持ち合わせない。
- 718 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/25(水) 22:26
- 部屋の中には言葉を発するものがいなくなる。
そんな中、亜弥が沈黙を破る。
「里田さん…。」
亜弥に話しかけられ、ようやく里田が顔を上げる。
「…なに?」
「北海道で、美貴たんは…紺野ちゃんを支えてあげていたんですよね?…一緒に
頑張っていたんですよね…?」
「…なにが言いたいの?」
「いえ…あの…。」
「言いたいことがあるならはっきり言って!」
里田の声が部屋の中を切り裂く。
その言葉に押し出されるように亜弥が切り出す。
「あの!…美貴たんは、北海道で元気にやっていましたか?」
「は?…ミッキーから聞いているんじゃないの?仲が良いんだから。」
里田の言葉に棘を感じる。先ほどの里田の話からすれば、亜弥は里田や紺野から
美貴を奪い去った人物と見られているはずだ。現に里田の言葉は亜弥の胸を抉るかの
ような敵意をはっきりと表している。
- 719 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/25(水) 22:26
- 「…いいえ、聞いてません。…怖くて…。」
「何が怖いの?あなたなら、ミッキーに何でも聞けるんじゃないの?ミッキーの
大事な大事な松浦さんなら。」
里田の再三にわたる挑発的な言葉にも反応することなく、亜弥はゆっくりと首を振る。
「美貴たんが…北海道に行ったのは、あたしのせいだから。美貴たんの足の怪我は…
あたしを庇ったからなの。あたしがいなければ、美貴たんはバレーを辞めることも
なかったの!」
その言葉は、まるで何かを吐き出すようだった。里田は思わず亜弥を見る。そして
吉澤も思わず亜弥を見る。こんな亜弥を見たのは初めてだったから。
「だから、あたしは美貴たんに聞けないの。北海道でどうしていたかなんて。だって
あたしが美貴たんからバレーを奪って、北海道まで追いやったんだから。そんな
あたしが聞けるわけ無い。」
そう言って亜弥は力なく笑う。だが、顔の表情は笑っているが、亜弥の胸のうちの
気持ちが全く正反対であることは、誰の目から見ても明らかだった。そしてその
亜弥を正面から見据えていた里田は、亜弥の目の奥にある感情のうねりを見て取った。
- 720 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/25(水) 22:27
- 「…ごめんなさい。」
そんな亜弥を見て、里田が頭を下げる。
「私の勝手な想像で、あなたに嫌なイメージを持って…ごめんなさい。あなたにも
事情があるんだよね。ミッキーから少しは聞いてたのに…つい…くやしくて。
私も紺野ちゃんもミッキーに捨てられたような気がしてね。」
「…いえ、気にしないでください。あたしもつい大きな声を出してすいませんでした。
それにあたしも立場が逆でしたら同じことを思ってしまっていると思いますから。」
亜弥は里田の謝罪を素直に受け入れているが、その表情は暗い。里田はその表情を
見て、再び頭を下げる。
「本当にごめんなさい!あなたには何の関係もないのに、勝手なこと言ってあなたを
責めるようなことをして。」
そう言った里田はまるで土下座でもしかねない勢いだ。そして2人の様子を黙って
見ていた吉澤が口を挟む。
「まいちんも、ああ言っていることだし、許してくれるかな、亜弥ちゃん?もともと
裏表の無い、いいやつだから、今のもちょっと勢いがつきすぎちゃっただけだと
思うし。」
「あ、あたしは、もういいです。大丈夫ですよ?」
亜弥が慌てて答える。
「じゃあ、まいちんも、もういいんじゃない?亜弥ちゃんもこう言っているし、
それ以上、無駄に謝っても仕方ないでしょう?」
吉澤のその言葉を聞いて、里田はようやく頭を上げる。そして苦笑いをしながら
吉澤に話しかける。
- 721 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/25(水) 22:28
- 「さすがキャプテンをやっているだけあって、まとめるのがうまいね。」
「へへ、伊達にやってないよ。たまには役に立たないとね。」
そう言って吉澤は相好を崩した。吉澤によって、部屋の中の空気も、亜弥と里田の
間の空気も軽くなる。
なんとなく雰囲気が落ち着いたところで里田が口を開く。
「ふふ、ミッキーの言っていたこと、少しは分かるかもね…。」
「え?なんですか?美貴たんが、どうかしましたか?」
「何でもないよ。松浦さんはいい子だね。」
「え?」
「ミッキーが言ってたの。亜弥ちゃんは、可愛くていい子だよ〜って。なんか少し
分かったような気がする。」
「美貴たん、そんなこと言っていたんですか?」
少し顔を赤らめる亜弥。しかしそんな亜弥を見て珍しいものをみるかのような里田の表情。
「あれ?松浦さん、赤くなっちゃってどうしたの?ミッキーが言うには自分が可愛いって
みんなに無理矢理言わせていたっていう話だけど。」
「え?無理矢理なんて言ってました?ひどいな〜、みんな自主的に言ってくれてたんですよ?」
そう言うと亜弥は、いたずらっぽい笑顔を浮かべる。そんな亜弥を見て、里田も同じように
笑顔を浮かべる。そこには先ほどまでの重い空気は全くなく、どこかほっとするような空気が
流れていた。しばらくその空気を味わっていた亜弥だったが、不意に視線を里田に向けると
口を開く。
- 722 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/25(水) 22:28
- 「あたしは負けませんから。」
「え?」
「里田さんたちに負けられない理由があることも分かりました。………その…
紺野さんや里田さんが、つらい思いをしていたというのも……知りました。」
手をギュッと握り
背筋を伸ばし
正面から見据える。
「でもあたしにも…、あたしにも負けられない理由がありますから。譲れませんから。
……バレーも、美貴たんも。」
そう言うと、亜弥は微笑んだ。
綺麗な笑顔。
『ああ、亜弥ちゃんは、こんな笑顔が出来るようになったんだ。』
吉澤には分かる。この笑顔を手に入れるために、亜弥がやってきたこと。
頑張ってきたことが。
「うん、ありがとう。思いの強さでそのまま試合が決着するわけじゃないけど、
でも私たちにも譲ることの出来ないものだから。だから私たちも負けない。
…ま、ミッキーどうのこうのは分からないけど。」
そう言うと里田も微笑んだ。
迷いのない笑顔。
- 723 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/25(水) 22:29
-
そんな2人を見て、吉澤も微笑む。
それは、2人とは全く異なる種類の笑顔。
なんて、なんて凄いんだろう。
美貴も亜弥も真希も里田も、そして恐らくあの紺野って子も。
みんな形は違えど、真っ直ぐだ。確固たる信念を持って、全力で生きている。
自分はどうだろう?自分は全力を出せているのか?
頑張ってはいる。でも、もっともっと頑張ろう。頑なに頑張っていたあの頃と
同じように。藤本美貴に憧れてバレーを始めたころのように、がむしゃらに
頑張っていこう。
- 724 名前:CAST A SHADOW 投稿日:2004/08/25(水) 22:29
-
誰にでも平等に訪れる夏。
いつもと同じようにやってきた夏。
しかし今年の夏は、吉澤にとって決して忘れることの出来ない夏となりそうだった。
- 725 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/08/25(水) 22:31
- 更新しました。
まさか1スレ内に納まらないとは…。
不覚でございます。
レスありがとうございます。
>>690 名無飼育様
お待たせしていたみたいで申し訳ないです。
今月は3回しか…。
>>691 名無飼育様
いいところで切ると作者も気になって早く更新したくなるのですが、
やっぱり遅くなってしまいました。
>>692 名無飼育様
実は紺野さん登場のタイミングは、かなり迷いました。
良い意味で予想を裏切れていればいいのですが。
>>693 名無飼育様
!!寝不足はお肌の大敵です。
今日からぐっすりとお休みくださいませ。
- 726 名前:693 投稿日:2004/08/26(木) 02:17
- ・・・また、眠れません。。。
う〜ん、亜弥ちゃんの今後の出方はいかに!??
- 727 名前:あず 投稿日:2004/08/26(木) 19:10
- なんかすごいです!!ジーンときちゃいます。
そしてすごく続きが気になります。
楽しみに待ってます!!
- 728 名前:アポロ 投稿日:2004/09/07(火) 20:46
- みんな辛いんですね。
- 729 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/10(金) 21:15
- 毎日訪れてしまう・・・。
それほどこの小説にはまってるっちゅーことです、はい。
作者さん、待ってます。がんばれ!!!
- 730 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/09/12(日) 10:26
- レスありがとうございます。
>>726 693様
今度こそ眠れるかもですね。
松浦さんも徐々に…。
>>727 あず様
今後も期待に添えられるように頑張ります。
楽しみに待っててね〜(ドラえ●●風
>>728 アポロ様
この作品の根底に流れているもののひとつです。
うまく乗り越えて行ってくれればいいのですが(遠い目
>>729 名無飼育様
励ましのお言葉ありがとうございます。
うまく進められなくて凹んでいたので嬉しいです。
あまり更新が早くないですが、今後もよろしくお願いします。
- 731 名前:前頭三枚目 投稿日:2004/09/12(日) 10:27
- さて、容量がだいぶ少なくなってきましたので、次スレに移りたいと思います。
新スレでも、よろしくお付き合いくださいませ。
次スレ『CAST A SHADOW 2nd stage』
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