明日を落としても
- 1 名前: 投稿日:2004/01/12(月) 09:27
- アンリアルです。
- 2 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/01/12(月) 09:29
- 風に揺られて灰色の煙が流されていく。自らの手から出ているその煙の流れを、ぼんやり
と眺めている少女の茶色な髪も肩先で揺れていた。
静寂に包まれている屋上に一人佇んでいる彼女を咎める者はいない。階段の途中に貼られ
てある立ち入り禁止というプレートを無視して、この屋上に上ってくるような人間はこの学
校には極僅かしかおらず、昼下がりで授業真っ只中なこの時間は普段から閑散としている。
だから、少女――後藤真希は遠慮なく、煙草を吸っていた。教室に戻る気もない。
手すりに身を預けて、ぐったりとうな垂れる。手すりは自殺予防の柵というものではなく、
後藤の胸辺りまでしか高さがない陳腐なものだった。
こんな状態でよく自殺者が出ないものだ、と後藤は常々思う。それだけ、この学校が平和
なのか。それとも、生徒が優等生揃いなのか。いや、きっと臆病者の集まりだからだろうな、
と後藤は結論付けた。
女子高という環境は共学の学校よりも、団体意識が強くなりやすく、少しでも輪から逸れ
ると、その人間は途端に浮いた存在になってしまい、元に戻ることが難しくなる。だから、
それを避ける為に誰もが身を寄せ合い、性格の合わない相手に対しても上辺だけの付き合い
だ、と心の中で割り切る。学年が変わって新しい環境になっても、それを繰り返す。女性特
有のこのシステムが後藤の性には合わず、自ら浮いた存在になっていた。
「ふぁあ……」
後藤は空を仰ぎ、手で口元を隠すことなく、無防備な状態で大きく欠伸をした。最近の天
気は崩れてばかりいたが、今日は晴れ渡っている。青色に染まった筆洗いのバケツの中に数
滴ほど白い絵の具を入れてかき混ぜたような、はっきりとした雲の形が見えない空だった。
- 3 名前: 投稿日:2004/01/12(月) 09:30
- 柔らかい陽射しを背中に受けて瞼を閉じていると、直ぐに睡魔がやってきた。眠い、だる
い、暇――などという言葉が頭の中でぐるぐると回る。まさしく後藤は今、暇を持て余して
いた。少し前までなら、服が汚れることも気にせず、ここで昼寝をしていたものだが、冬に
近づいてきているこの季節では、少し躊躇われる。陽射しは暖かくても、気温は低い。
背後に何かの気配を感じ、後藤はゆっくりと振り返った。しかし、何も見えない。この屋
上には貯水タンクと校舎の中へ戻る扉、後は四方を囲む手すりくらいしか、存在していなか
った。見通しの良いこの屋上に、人が隠れるスペースなどない。
気の所為か、と肩をすくめ、後藤は手すりに背をつけて溜息をついた。スカートのポケッ
トから携帯用の灰皿を取り出し、手にしていた煙草を揉み消していると、後方から突風が吹
いた。髪を洗った後にドライヤーで後頭部を乾かす時のように、髪の毛が全部前に持ってい
かれ、視界が遮断される。
鬱陶しく思いながら、手で髪を整えようとして、手から携帯灰皿が落ちた。円型の灰皿が
コロコロと扉の方まで転がっていく。灰皿がピタリと動きを止めると、タイミングを見計ら
っていたかのように、風も止まった。
舌打ちをして、ボサボサに乱れてしまった髪を整えてから灰皿を拾いに行き、後藤は足を
止めた。また何かが聞えた。今度は近い。
階段の扉を囲う壁の背後に何かがいる。
後藤は灰皿をスカートに戻して、音が聞えた場所へ近づき、目を見開いた。髪の長い女性
が倒れている。しかも、着ている白いシャツのあちこちが血で染まっている。
先ほどから聞えてきていた音は彼女の口から出た声だった。うめき声に似たものを不規則
に出している。
- 4 名前: 投稿日:2004/01/12(月) 09:32
- 「あのー……、ちょっと」
躊躇いながら後藤が声をかけても、女性は答えない。寒いのか、自分の身体を抱き締める
ようにして、時には眉間にしわを寄せてうめいている。こんな所で寝ている所為か、血に染
まった服はかなり薄汚れており、素肌が出ている腕や、顔、足も汚れていた。
制服を着ていないということから、この女性が部外者だということが判る。しかし、何を
してこれほどの大怪我をしたのだろう。何故、この学校の生徒でもない人間がここで倒れて
いるのだろう。色々な疑問が後藤の頭の中を通り過ぎていった。
「大丈夫?」
いくら声をかけても反応は返って来ない。どうしたら、よいものか、と後藤は腕を組んだ。
普段から他人に興味がなさそう、とクラスメートに言われる後藤だが、いくらなんでも、
この状態で見て見ぬ振りをするほどの薄情な人間ではない。しかし、人を呼ぶにしても、授
業中だというのに、どうしてここにいたのか、と自分が不審の念を抱かれてしまうだろう。
今は管理が杜撰でも、正直に事情を話せば、この屋上は完璧な管理がなされ、言葉通り、出
入り禁止にされてしまうはずだ。息が詰まるこの学校の中で、後藤にとって唯一安らげる憩
いの場所はここだけなので、それは非常に困る。
後藤がそんなことを考えていると、女性の瞼がピクピクと動いた。長いまつ毛をぼんやり
と見下ろしていると、産まれたての雛ように、ゆっくりとその瞼が開いた。焦点の合わない
瞳をしている。後藤が戸惑っている間にも、重そうに頭をフルフルと振りながら、上半身を
起こした。
「ここは……」
「学校だけど」
「え? あぁ……」
一瞬、キョトンとしていた女性は自分の身体を確認して、腑に落ちたような表情になった。
そして、少しだけ思案に暮れ、後藤の顔を見上げた。
- 5 名前: 投稿日:2004/01/12(月) 09:34
- 「携帯持ってる?」
「持ってるけど」
「ちょっと、貸してくんない?」
そう言いながら、女性は服の汚れていない場所を探して、血に染まっている手を拭い、そ
のまま、手を差し出した。怪我人相手に嫌だ、とは言えず、後藤は仕方がなく、携帯を取り
出した。
「有難う」
「見た目ほど怪我は酷くないみたいだけど、一応、病院行った方がいいんじゃない?」
「行かないよ。そんな必要ないもん」
「なんで?」
女性は手にある後藤の携帯を見つめて、口元に笑みを浮かべた。
「どこも怪我してないし」
「…………は?」
にっこりと笑っている女性を見下ろしたまま、後藤は固まってしまった。
- 6 名前: 投稿日:2004/01/12(月) 09:36
- 連続しているシャーペンで文字を書く音、紙を捲る音、誰かの咳払い。それくらいのしか
音が聞こえてこない空間に高橋愛はいた。テスト用紙が目の前にあるというのに彼女の手は
止まり、窓の外へ向けて時折、溜息をついていた。
問題が解けないからという理由で匙を投げているわけではない。日頃から授業を真面目に
受け、昨日の晩もテストの為に、しっかりと勉強をしているので、テスト用紙の解答欄を全
て埋める自信はあった。しかし、高橋の手は動かない。
高橋は昔から周りの期待に答えられない性格をしていた。テストを受ければ、ケアレスミ
スが多発する。何かの検定を受けようとすれば、前日に寝込む。スポーツテストがあれば、
もの凄い高確率で怪我をする。つまり、彼女は注意力が散漫な人間だった。注意深くしよう
とすればするほど、空回りしてしまうのでどうしようもない。
高橋自身、そのことには昔から気づいている。しかし、そんな自分を不安に思い、手を止
めているわけではなかった。テストに対して前向きになれない、それなりの理由があった。
過去に一度だけ奇跡的に実力を発揮して、テストでトップになったことがある。苦手な教
科も山勘が面白いほどよく当たり、笑いが止まらない状態だった。その時まで、彼女はクラ
スメートが自分を褒め称えてくれると思っていた。何故なら、このクラスの首席は常に紺野
あさ美であり、彼女を破ったものは存在していなかったからだ。しかし、高橋の想像通りに
事は進まなかった。
後ろの黒板に貼り出された順位票を見て、満面の笑みを浮かべ、一人でガッツポーズをし
ている高橋を、クラスメートは冷ややかな目で見ていた。頬を紅潮させていた高橋がその異
様な雰囲気に気づいたのは、しばらく経ってからだった。
黒板の目の前にいた高橋を囲むようにして、クラスメートが立っていた。その目には軽蔑
の色が浮かんでいた。
- 7 名前: 投稿日:2004/01/12(月) 09:37
- 「嬉しそうだね、愛ちゃん」
「だ、だって!」
喜んで何が悪い、と言い返そうとして、高橋は直ぐに黙り込んだ。前の方の席に座ってい
る紺野の背中が視界に入ったからだった。
順位票が貼り出されても見に行く気力などないのか、紺野は苦しそうな咳を繰り返してい
た。今日も熱があると言っていた誰かの言葉も耳にしていた。テスト期間に入る前に、彼女
が数日間休むほどの大きな風邪を引いていたことを高橋は思い出し、顔色をなくした。
クラスメートが責めるような視線を送ってきていた理由がようやく判った。病人の紺野が
本来の実力を出せずに、そして、今もまだ苦しんでいるというのに、自分のことしか考えず、
大喜びしている人間。軽蔑されても仕方がない状態だった。
その日以来、高橋の周りには人が近づかない。最初は、クラスメートの態度が前とは少し
違い、どことなくよそよそしく感じるという程度の変化しかなかった。しかし、最近では何
かのゲームのように、彼女達は高橋を空気以下の存在として扱い、その反応を見て楽しんで
いる。高橋が話し掛けようとしても、彼女達は視線を逸らして相手にしない。
きっかけは些細なことでも、一度標的にされると容易には逃れられない。高橋はここ数ヶ
月の間に、そのことを痛切に実感していた。
- 8 名前: 投稿日:2004/01/12(月) 09:39
- 黒板の横にある時計を見ると、いつの間にか後二十分になっていた。あの日以来、テスト
開始直後から手が動いたことはないが、その鬱憤を日々の勉強につぎ込むようになっていた。
休み時間も本と向き合っている。今の高橋が本気を出せば運は関係なく、実力で紺野を追い
越すことが出来るはずだった。
しかし、一度あることは二度あるかもしれない、という脅迫概念に高橋は囚われていた。
目立つことをすれば、また白い目で見られることになってしまう。はみ出し者のレッテルを
これ以上、貼られたくはない。
急激に成績が落ちてしまったことに対して、教師からは心配をされ、親からは激しく叱咤
されていた。塾に通わせるか、もしくは家庭教師でも雇うことにしようか、などと両親が夜
中に話し合っている姿を何度も見かけたが、言い訳をする気にもなれなかった。それは、教
師も親も、自分がイジメに近い状態に置かれていることに、全く気づいていないと判ってい
たからだった。
深く溜息をついて、高橋はシャーペンを握り直した。残り時間は僅かで、これから白紙に
近いテスト用紙に向かっても、全ての欄を埋めることなど不可能だった。しかし、高橋はそ
の状態に安堵していた。
- 9 名前: 投稿日:2004/01/12(月) 09:40
- 試験が終わり、下校時刻になった。高橋はノロノロと身支度を済ませ、教室を出た。すれ
違っても彼女に挨拶をする人間はいない。それでも高橋も落胆はしなかった。何かに期待す
る気力など、既に失われている。
テストが終わった開放感からか、全ての教室から一斉に生徒達が騒がしく出てくる。高橋
は図書館に向かう廊下を歩いていた。テスト期間中は図書館で勉強をする生徒もいるが、高
橋は違っていた。勉強する気など全くない。ただ、本を借りようと思っただけだ。冷暖房が
不必要なこの時期は勉強もそうだが、読書も家で十分はかどる。
まだテストの日程が続いているということで、部活は休みになっていた。ちなみに高橋は
合唱部に所属していた。
歌うことは大好きだが、同じクラスの人間が違うクラスの人間までもを巻き込み、無視す
るようになっているので、高橋にとってはかなり居心地が悪い。正直、日頃から部活に出る
のは気が進まなかった。今がテスト期間で良かった、とさえ思う。
普段から、真面目に部活に参加している人間は少なく、合唱の練習はコンクールが近くな
らないと始められない状態だった。そんなところへ行っても面白くはない。歌うことは好き
だが、彼女達と一緒に歌っていても楽しいとは思えなかった。
階段に辿り着き、高橋は足を止めた。ゾロゾロと降りてくる上級生に紛れて、一人の少女
が大きな鞄を肩にかけ、階段を上っている姿が見えたからだ。それは一学年上の後藤真希だ
った。
後藤は彼女を知らない人間はこの学校にはいない、と言われているほどの有名な人間で、
自由奔放という言葉が最も似合う存在だった。そんな彼女に教師達は頭を抱えている。
密かに高橋は後藤に憧れていた。同じはみ出し者の人間として、彼女の毅然とした態度が
羨ましく思える。うじうじしている自分とは正反対で、常に自信満々にピンと伸ばしている
背中。自分にはないものに、高橋は惹かれていた。
- 10 名前: 投稿日:2004/01/12(月) 09:45
- 後藤は肩から下げた大きな鞄を重そうに抱え、階段を上っている。すれ違う生徒は彼女の
突飛な行動にはもう慣れてしまっている為に、誰も気にしていない様子だった。
しかし、自然と高橋の足は動き、後藤の後を追いかけていた。足音を立てないように注意
して階段を上がる。下りの人間ばかりなので、その逆を進む高橋の姿は目立ち、時折、すれ
違う上級生が振り返っていた。
後藤が屋上へ向かっていることに、高橋が気づいたのは屋上への扉が見えてからだった。
そもそも、高橋は屋上へ上ったことがない。学校側が屋上への出入りを禁止しているので、
近寄ろうと思ったことすらなかった。それは他の生徒も同じことで、四階を過ぎた辺りから、
人の姿が見えなくなった。下の方からざわついた声が響いて聞えて来るだけで、電灯もつけ
られていない屋上付近は、暗くひっそりとした雰囲気になっている。
鉄の扉を重そうに押して後藤が姿を消すと、高橋はゴクリと喉を鳴らし、扉の前まで進ん
だ。階段の途中に貼られてあったプレートもそうだが、扉に貼り付けてある立ち入り禁止と
いう張り紙も無意味だった。自由に出入り出来る以前に、鍵さえかかっていない。教師達は
生徒が入り込まないと信じているのだろう。
高橋は外の様子を窺う為に、少しだけ扉を開いた。ゆっくり開いても軋む音が鳴る。ドキ
リとしながら気づかれませんように、と心の中で祈った。顔だけ出してみると前方に人の姿
は見えてこなかった。見えるはずの後藤の姿が見えない。
少し拍子抜けをして高橋は扉を全開にした。数歩進み、屋上を見渡してみたが、殺風景で
床しか見えない。普段使われていないというのに、この屋上は意外と綺麗だった。雨が埃を
全て洗い流してくれているのだろうか、と思いながら、高橋は一番奥の手すりまで歩いて行
った。
屋上から見える風景は新鮮だった。空が広く、そして近く感じる。学校の周辺を見下ろす
ことは教室の窓からでも出来るが、角度が違うと少し違ったもののように見える。色んな家
の屋根が見え、遠くには太陽の光に反射してキラキラと輝いている海も見えた。教室の窓か
らでは少しも海は見えない。
- 11 名前: 投稿日:2004/01/12(月) 09:46
- 自分の家の方向を見てみると、いつもはマンションなどで邪魔をされて隠れているはずの
赤い屋根が確認出来た。中学校からでも見えたことはあるが、その時はもっと綺麗に見えた
気がする。ここ数年で驚くほど古びてしまっていた。
あの頃に戻れるなら、どれほど幸せだろう、と高橋は心底思い、顔を歪めた。中学の頃の
方が気楽で友達に避けられることもなく、日々下らない世間話に花を咲かせながら、楽しく
過ごしていた。高校生活に憧れ、部活、バイトなど、色々なものに夢を膨らませていた。少
なくともこんなことになるかもしれない、などという想像すらしたこともなかった。
手すりを掴んでいた手にギュッと力を込めると、今ここから落ちたらどうなるだろう、と
いう考えが頭を過ぎった。誰か哀しんでくれるだろうか。葬式をしても人が集まってくれる
のだろうか。それとも何事もなかったかのように、誰もが今までと変わらない生活をおくる
のだろうか。そんなことを考えていると背筋がゾッとした。高橋はこれ以上、余計なことは
考えないように慌てて頭を振った。
「そっから飛ぶつもり?」
不意に声をかけられ、高橋は全身を強張らせた。ぎこちなく振り向いてみると、そこには
口元に不適な笑みを浮かべた後藤の姿があった。腕を組んで小首を傾げている。
後藤を追いかけてここへ来たというのに、高橋はすっかりその存在を忘れていた。今直ぐ
この場から逃げ出したかったが、出口はかなり遠い。
「っていうか、飛ぶんじゃなくて、落ちるだけか。見物してあげよっか?」
「い、いいです。そんなんやないです。ただ、気分転換で屋上に来てみただけなんで!」
高橋が早口でまくし立てると、後藤はしばらく無言で目を瞬かせていた。
- 12 名前: 投稿日:2004/01/12(月) 09:48
- 「……アンタ、早口で何言ってんのか判んないね。っていうか、私のあと、つけて来てたで
しょ? 何か用なわけ?」
「いえ、あの、別にそういうわけやなくて……、えっと、外の空気吸おうと思ってここに来
ただけでの! 今日だけやなくて、たまに来るし、別に後藤さんを追いかけて来たわけやな
いです!」
「早口な上に訛ってんね。どこ出身の人?」
「……福井です」
「ふーん」
後藤はどうでもよさそうに呟き、風で流される横髪を押さえていたが、膝上よりも更に短
いプリーツスカートがはためいていることには無頓着で、今にも下着が見せそうになってい
る。慌てて高橋は視線を逸らした。
「そんで、今まで来たことない屋上に来た感想はどう? 案外、綺麗だし、こっから見える
景色もいい感じでしょ」
急に後藤の口調が優しくなり、高橋は目を丸くしたが、直ぐに笑顔になって口を開いた。
「窓からだと、見えない自分の家の屋根まで見えてビックリしました!」
「ってことは、……やっぱり、初めてここに来たってわけだ」
後藤の言葉を聞いて高橋は、あっ、と声を漏らした。否定すべき問い掛けなのに、素直に
答えてしまった。後藤は、最初から高橋の嘘など見抜いていたよ、と言わんばかりの笑みを
浮かべている。
「大体さぁ、何で、私の名前知ってんの? こっちはアンタのことなんて知んないのに」
訝しそうな目をして後藤はおどおどしている高橋を睨んだ。高橋は少し怯んで俯き、心の
中では、やっぱり、と呟いていた。
- 13 名前: 投稿日:2004/01/12(月) 09:49
- この学校には千五百人ほどの生徒がいる。その中で全校生徒に名が知られている人間は
微々たるものだ。運動部で優秀な成績を修めている人間、才女として有名な人間、美貌を誇
る人間、そして、後藤のような問題児。高橋にはどれも該当しないので、後藤が知らないの
は当然のことなのだが、少し哀しくなった。
「……おーい、ごっちん。着替えたんだけど、見てくんない?」
どこからか後藤を呼ぶ声が聞えて、高橋は顔を上げた。聞いたことがない声。後藤は顔を
しかめて踵を返した。
助かった、と高橋は胸を撫で下ろして、今の声は誰の声だったのだろう、と首を傾げた。
この屋上に自分達以外の人がいるとは思ってもみなかった。
階段への扉を囲う壁の背後へ回った後藤を追いかけてみると、そこにはゴザ代わりに敷か
れてあるペチャンコのダンボールの上に、後藤よりも短い長さのプリーツスカートに真っ白
なVネックのセーターを着た女性が笑みを浮かべて立っていた。風で流される焦げ茶の長い
髪を抑えている。
「サイズはいいんだけど、安物のセーターはちょっと哀しいなぁ」
「文句言える立場じゃないでしょ。それに、セーターだけじゃなくて他にも色々買ってきた
ら、結構な金額になっちゃったよ。言っとくけど、後で請求すっからね」
「えー」
よく見れば女性が立っている傍の床には、階段を上る時に後藤が肩から下げていた鞄が転
がっており、中身が見えている。後藤が言った通り、服やタオルなどの日常用品が見え隠れ
していた。その隣にはコンビニ袋に入った飲み物とパンが見える。しかし、高橋は鞄の後方
にある包み紙に紛れた物体に目を奪われていた。
「えー、じゃないよ。なんで、私がタダで買い物しなきゃいけないわけ?」
「…………」
「都合が悪くなったら黙るっていう作戦は大人気ないよ」
呆れながら後藤が呟くと、女性は頬を膨らませた。
- 14 名前: 投稿日:2004/01/12(月) 09:50
- 「っていうか、どうせならブレザーも用意してよ。じゃないと目立つじゃん。寒いし」
ブツブツと愚痴を言っている女性を無視して、後藤は溜息をついている。
「あのね、今の時期だとセーター着てる子なんていくらでもいるし、それに、圭織と私とじ
ゃ、サイズが違うじゃんよ」
「えー、でも、スカートはちゃんとこの通り、はけたよ」
クルリと身を翻して、女性は満足そうにおどけて見せた。高橋の目には二人共スタイルが
良く見えるのでどうでもいいことだったが、身長差が十センチ近くあるというのにウエスト
のサイズには大きな誤差がないということを知って、後藤は少しむくれている。
「予備のブレザー持ってきたって、圭織が着たら七分袖になっちゃうよ。それでもいいなら
持ってくるけど」
「……ちぇ。スカートだけで我慢すっか」
そう言いながらも圭織と呼ばれた女性は、まだ不服そうにしていた。
「大体ね、制服着るにも無理があるって。なんか、イメクラみたいじゃん。ねぇ、そう思わ
ない? そこの福井っこ」
「…………え?」
突然、後藤に話を振られて、高橋は目を白黒とさせた。
「そうですね、くらい言えない? そういや、アンタの名前まだ聞いてなかったっけ。何て、
言うの?」
「……高橋愛です」
「学年は? 一緒じゃないよね」
「二年です。二年二組」
「あー、あの頭いいっていう、紺野がいるクラスだ」
「あさ美ちゃんのこと、知ってるんですか?」
「全然」
「……そうですか」
内心、ホッとしながら高橋は薄い笑みを浮かべた。憧れている後藤が自分のことは知らず
に、紺野のことは知っていたらショックだ。
自分の存在を放置されていた女性は、つまらなさそうに口を歪めていた。
- 15 名前: 投稿日:2004/01/12(月) 09:54
- 「あのさー、圭織の紹介はなしなの?」
「してもいいの? されていい身分なの?」
「そういう言い方は傷つく」
「あー、もう、面倒臭いなぁ。えーと……、アンタ、高橋だっけ? この人はここで倒れて
た飯田圭織っていう変な人。これでいい? 満足?」
最後の方は飯田に向かって喋っていた。もちろん、飯田は納得しておらず、深く溜息をつ
いている。確かに変だけれど、と高橋は思った。
「ごっちんってさぁ、何で、そう投げやりな言葉使いなの? もうちょっと優しく言えない
わけ? 何気ない言葉だとしても、場合によっては周りにいる人が傷ついちゃう、とか思わ
ないわけ?」
「あのね、圭織にだけは言われたくないよ、そんなの」
「ほら、またそういうこと言う」
「大体さー、自分が置かれてる今のこの状況をちゃんと把握してんの?」
「ちゃんとしてるよ」
「嘘だね。少しは有難く思ってもらいたいなぁ。こんなとこで寝てた部外者に、服買ってき
てあげる奇特な人なんて、私くらいだよ。普通だったら、みんな逃げ出すって」
「それは、確かにそうかも」
二人の漫才のようなやりとりを高橋はぼんやりと眺めていたが、それよりも今は包み紙に
紛れた物体が気になる。
「あのぉー……」
「何?」
飯田とのやり取りに苛つき始めていた後藤が、ギロリと睨んできたので、高橋は首をすく
めた。しかし、その場の空気を読まずに、そのまま問い掛けた。
「あの包み紙にあるものって何ですか?」
高橋が指差すと二人の動きが止まった。そして、お互いの顔を見合わせて、にやりと笑う。
それを見て高橋は何となく嫌な予感を抱いた。
- 16 名前: 投稿日:2004/01/12(月) 09:55
- 「よかったねぇ、圭織。味方がもう一人増えた」
「だねぇ。人が増えると心強いよね」
「こういうのって、棚からくず餅って言うんだっけ?」
「それを言うなら、棚から牡丹餅だよ」
「じゃあ、泣きっ面に蟻?」
「それは、泣きっ面に蜂でしょ。っていうか、意味が正反対。まぁ、高橋にとっては、合っ
てるかもしんないけど」
そう言って飯田はチラリと高橋に視線を送る。
「ってわけで、仲間入りおめでとう、高橋。ひょうたんから熊だよ。世の中、何が起こるか
判んないもんだねぇ」
「いい加減にしてよ、ごっちん。それは、ひょうたんから駒。っていうか、無理してことわ
ざ使わなくてもいいから」
間違えて覚えている後藤のことわざの数々に辟易して、飯田は溜息をついていた。
「あの……、まるっきし、意味が判んないんですけど。それに包み紙にあるものの説明がま
だ……」
「あぁ、これね」
そう言いながら、後藤は包み紙に包まれたものを拾い上げた。何かの包装紙に巻かれてい
た白い服の袖だけが後藤の手には収まりきらず、だらりと垂れ下がった。風に吹かれて、ヒ
ラヒラと、揺れている。
「どこからどう見ても普通の服だけど」
「それは見たら判ります。そこが問題なんじゃなくて、その色って、もしかして……」
眉をひそめていた高橋は、その後の言葉を続けることが出来なかった。
「圭織がどっかの誰かさんからあびてきた返り血の色」
後藤はひょうひょうとした態度で答えた。血に染まり、今では黒ずんでいる服を躊躇なく
手に取れるのは彼女くらいしかいないだろう。
- 17 名前: 投稿日:2004/01/12(月) 10:00
- 「……血って」
「血は血だよ。アンタの身体の中にも流れてるでしょ」
ねぇ、と後藤は飯田に相槌を求めた。飯田はニコニコと笑みを浮かべて、ゆっくりと頷い
き、口を開いた。
「目の前に、殺人犯がいるの」
「…………」
高橋は目を大きく開き、口をぽかんと開けていた。徐々に目の前が真っ白になっていく。
間違いなく、自分が見たものは本物の血で染まった服だった。何故なら、これほどまでに
本物に近い色をしている血のりを、ドラマなので見たことがないからだ。そして、明らかに
二十歳は過ぎているであろう人間が制服を着ている。何故、服を着替える必要があったのか。
それは、着替えないと困ることが起きているからだ。
定まらない視線をフラフラと動かしていると、床に転がっている品物を吟味している飯田
の後ろから、後藤が何か話し掛けている姿が目に入った。飯田が何かとぼけたことを口にし
て、後藤が軽く文句を言っている。
高橋は眩暈を起しかけていた。確かに、後藤に憧れてはいた。自由奔放な彼女の姿に憧れ
ていた。仲良くなり、彼女に影響されて今の自分が変われるのなら、どれほど素敵なことだ
ろう、と思い描いたこともある。しかし、今のこの状況は――。
「高橋って、アホそうだし。仲間には丁度いいよね」
相変わらず、驚き顔で固まっていた高橋を見て、後藤は楽しそうに笑った。
- 18 名前:名無し読者 投稿日:2004/01/12(月) 17:54
- レスしていいんでしょうか?
気になる展開ですね、楽しみです。
- 19 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/01/14(水) 01:50
- こういう雰囲気の小説は好きです
続きを期待して待ってます
- 20 名前: 投稿日:2004/01/16(金) 22:45
- 脅えていた高橋をあっさり解放した後、後藤と飯田は肩を並べて、ダンボールの上に座っ
ていた。今ではすっかり夕焼け雲が広がっている。冷たい風が何度も頬を撫でてくるので、
後藤は身をすくめた。
飯田は後藤が買ってきたパンを口にして、もぐもぐと動かしながら、ぼんやりと落ちてい
く夕日を見つめている。彼女が物思いに耽る姿を、初めて会った昨日にも数回ほど目にして
いた後藤はそれを横目に、風で消えないように手で風避けを作りながら煙草に火をつけた。
飯田から未成年が煙草を吸うのは良くない、と何度も注意されて渋々控えていたが、今なら
大丈夫だろう、と思い、大きく煙を吐いていたが、直ぐにクレームが聞えてきた。
「食事中の人がいるのに、煙草なんてマナー違反だよ」
「誰が買ってきたと思ってんの、それ」
「ごっちん」
「判ってるなら文句はなしね」
シラッとして後藤が呟くと、飯田はヤレヤレと首を振った。そして、手にしていたペット
ボトルのお茶を口にしようとして、何かを思い出したのか、ピタリと動きを止めた。それを
見ていた後藤は煙草をくわえたまま、小首を傾げる。
「どしたの?」
「……あの子、信じて大丈夫なのかな?」
「あの子?」
「高橋だっけ」
「ちょっと、何言ってんの。さっき、一緒になって仲間にしようね、って言ってたくせに」
「いや、今こうして冷静になって考えてみると、ちょっとヤバイのかなぁって」
歯切れの悪い飯田の呟きを聞いて、今頃になって不安になってきたのだろうか、と後藤は
呆れていた。
- 21 名前: 投稿日:2004/01/16(金) 22:47
- そうでなくても、飯田は少し警戒心が薄い。昨日、初めて会った時から自分の身の上話を
遠慮なく、ぺらぺらと喋っていたのだ。犯罪者なら犯罪者らしい行動をするべきなのに。自
分なら証拠隠滅くらいするかもしれないな、と後藤は思う。
「っていうかさ、最初に訊こうと思ってたんだけど、ごっちんは圭織のこと、怖くないの?」
不思議そうに見つめてくる飯田の視線を受けて、後藤は更に呆れていた。
「本当に、めっちゃ今更なこと訊くね」
「だって、訊くの忘れてたんだもん」
飯田はあっけらかんとした口調で答え、パンに噛みついた。
普通なら横にいる人間の口から自分は殺人犯だ、と言われて平然としていられる人間など
いないだろう。話を聞かされても、全く信じずに笑い飛ばすか、高橋のように驚きのあまり
固まってしまうかのどちらかの反応を見せるのが普通だ。しかし、後藤は普通ではなかった。
そもそも、会って間もない人間の言うことを、全て鵜呑みにするほど素直な人間ではない。
それに、信じる方が考えなしだ、とすら思う。それでも、後藤は自分が相手に持つ第一印象
を重視する人間だった。
後藤にとって飯田の存在は興味深いものだった。殺人犯と言いつつも、人を殺すような目
つきなどしているようには見えない。ニコニコとしながら躊躇せずに刃物で人を刺せる人間
なのかもしれないが、今のところそれも違うように思える。
何より、自分には無害な人間だ、という直感があった。昔から自分の、他人に抱く印象に
は自信がある。
- 22 名前: 投稿日:2004/01/16(金) 22:48
- 「それで、怖くないの?」
いつまで経っても喋ろうとしない後藤に、痺れを切らした飯田は再び問い掛けた。
「怖くないよ。だって、圭織は私には何もしないから」
「何を根拠にそんな自信満々に言えるの? もしかして、信じてないとか?」
「圭織の話を全部信じてないわけじゃないけど」
「今直ぐにでもごっちんを殺すかもしんないよ? 利用するだけ利用してグサリってね」
飯田は低く呟いた。彼女なりに迫力を出そうとしているようだが、後藤には無意味だった。
「凶器持ってないくせに、何言ってんの」
飯田が手ぶらなことは昨日のうちに知っていた。現場に残してきた、と本人が言っていた
くらいなのだから。それに、やろうと思えば別に凶器を持たなくても出来る話だ。
「っていうか、圭織はそんなことしないよ」
「だから、何で?」
「何となく、そう思うから」
そう言いながら後藤は、くあぁ、と手で口を隠さず、豪快に大欠伸をした。涙が浮かんだ
目を擦りながら隣を見てみると、飯田が腑に落ちない顔をしていたので、肩をすくめた。今
の説明だけでは納得していないようだ。
「殺す気があったら、もう私と高橋をヤっちゃってるでしょ」
「でも、これからするかもしんないじゃん」
「そりゃないねぇ。これからするっていうのがまず変。大体、今頃高橋が圭織のことを色ん
な人に喋ってるかもしんないって考えるじゃん、普通は」
「…………」
「私なら姿見られた時点で、口封じの為に速攻でヤっちゃうね。まぁ、リスクが大きくなる
けど、それはしょーがないし」
「……ちょっと待って」
飯田は額に手を当てて瞼を閉じた。そして、ゆっくりと顔を上げると、不安そうな眼差し
を後藤に送った。
- 23 名前: 投稿日:2004/01/16(金) 22:49
- 「高橋って、そんなに口軽いの?」
「知んない」
後藤がさらりと答えると、飯田はうな垂れた。
「まぁ、大丈夫だって。喋りそうにないから仲間にしたんだし」
「だから、どっからそんな自信が湧いてくるの?」
飯田は不思議そうにしている。後藤は煙草を揉み消して、もう一本新しいものに火をつけ
た。美味しそうに一口吸い、煙を全部吐き出してから、にやりと笑った。
「人を見る目には自信があるんだ。あの子、友達いないよ、絶対」
「どうして?」
「空気読まないから」
「…………」
「まぁ、私の言うことが信じられないんならさ、昨日みたいに携帯取り上げたら?」
「あー、そういえば、高橋から携帯奪うの忘れてた」
失敗した、と飯田は頭を抱えていたが、意味はないだろう、と後藤は心の中で呟いた。
出会った時に、飯田は怪我人を装い、保険と言いながら、後藤の携帯を取り上げている。
警察に連絡させない為と言っていたが、それもおかしい話だった。別に携帯を使わなくても、
公衆電話や家の電話がある。しかし、そのことに飯田は気づいていないようだった。
やはり、抜けている。隙が多すぎるのだ。まぁ、何とかなるだろう、と後藤は悠長に構え
ていた。それは高橋に対してもだった。
「まぁ、とりあえず、早めに手を打っとくか」
後藤は溜息をついて、短くなった煙草を灰皿に押しつけた。
- 24 名前: 投稿日:2004/01/16(金) 22:51
- 翌日、高橋はいつも以上に、憂鬱な気分でテストを受けていた。
あの後、素直に帰してくれたものの、屋上を出る時に引き止めることなく、笑顔で手を振
っていた二人の姿が、どうにも胡散臭く見え、その姿が目に焼きついて殆ど眠れなかったほ
どだ。その証拠に、高橋の目の下には隈が出来ている。
時折、生欠伸を噛み殺しながら、頬杖をついて窓の外の風景を眺めていた。今日は少し冷
え込んでいるので、窓は開いていない。曇った窓ガラス越しに見える景色は、やはり屋上か
らの風景とは全く違うものだった。
昨日の屋上での出来事は夢だと思いたい。現実だとしても、関わりたくはないが、今更、
慌てて逃げるわけにもいかない。面は割れてしまっている。それに二人の会話から、明らか
に自分を巻き込むつもりでいることは判りきっていた。
冗談じゃない、と高橋は頭の中で反論していた。ただでさえ、この学園生活は憂鬱なもの
だというのに、これでは更に悪化してしまう。引きこもった方が親に何を言われようとも、
まだいくらかマシだ。
テストが終わったら直ぐに家に帰ろう、と心に決めて、高橋は机の上に転がっていたシ
ャーペンを握り直し、適度に空欄を作る作業を何度か繰り返して、今日の予定を全て終えた。
後藤の読み通り、最初から警察に連絡をするという選択肢が、彼女の頭の中にはなかった。
一息ついて帰り支度をしていると、まだ誰も教室から出ていないのに勢いよく、扉が開い
た。それまで騒いでいた教室の中にいる生徒全員が、扉の方向へ顔を向け、一斉に息を飲ん
で黙り込んだ。
「たっかはしー。いるー?」
- 25 名前: 投稿日:2004/01/16(金) 22:52
- それまで、自分には無関係だろうと決め込み、黙々と鞄に教科書を詰め込んでいた高橋は
名指しで呼ばれ、ギョッとして顔を上げた。
両手で道を塞ぐようにして扉と壁を押さえ、後藤が笑みを浮かべてこちらを見ている。高
橋の姿を確認すると更に笑顔になり、迷いもなく、教室の中へと進入して呆然としているク
ラスメートを押し退けながら高橋の元へやって来た。
「……な、なな」
口をパクパクさせて固まっている高橋の肩に両手を置き、後藤は顔を近づけて、無邪気に
微笑んだ。
「テスト終わるまで待ってたんだよねぇ」
「……何でですか? っていうか、後藤さん……、三年もテスト期間やでの?」
「実力テストなんて面倒なもん、受けるわけないじゃん。実力ないの判ってるし」
「…………あの、ほんで、何か……、御用ですか?」
オロオロしながら問い掛けると、後藤はぽんぽんと軽く高橋の肩を叩いた。周りにいるク
ラスメートはまだ呆然と動きを止めて、二人の様子を静かに窺っている。
「迎えに来てあげたのに、その態度はつれないねぇ」
後藤が先回りをして来たことに高橋は気づいていなかった。それどころか、後藤が自分の
教室へやって来た理由すら、まだ判っていない。
「……む、迎えにって、どこに行くつもりですか」
「何言ってんの。昨日話したじゃん」
「話したって、何を……」
「またまたー」
昨日、屋上で会った時の会話を思い出そうとしたが、何もそれらしいことなど言っていな
かったはずだ、と高橋は思った。
- 26 名前: 投稿日:2004/01/16(金) 22:53
- 「やっぱり、何も聞いてませんよ」
高橋がきっぱりと答えると、後藤はがっくりと肩を落とした。
「ホント、全然空気読まない子だねぇ」
「…………へ?」
返事を待たずして後藤が高橋の鞄を勝手に手に取り、教室の外へ出て行くと、途端にその
場が騒然となった。二人の接点が想像すら出来ないクラスメート達は、しきりに不思議そう
に首を捻り、胡散臭そうな目で高橋の方へチラチラ視線を送る。それでも話し掛けては来な
かった。
少し離れた場所にいた紺野ですら、後藤が出て行った扉をぼんやりと眺めていた。
- 27 名前: 投稿日:2004/01/16(金) 22:54
- >>18
有難う御座います。
頑張ります。
>>19
有難う御座います。
マターリ続きます。
- 28 名前:あかり 投稿日:2004/01/19(月) 13:04
- 高橋さんと後藤さんと飯田さんのこの3人の
絡みって見たことないからすっげぇ楽しみです!
更新楽しみにまってますね☆
- 29 名前: 投稿日:2004/01/21(水) 22:53
- 鞄を返してもらう為に後藤を追いかけると、校内を散々歩かされた挙句、最後には屋上へ
辿りついてしまった。飯田は昨日と同じポジションに居座り、派手なくしゃみをして、ずる
ずると鼻をすすっている。
ダンボールの敷物に座っている彼女の周りには、沢山の丸められたティッシュがあちらこ
ちらに転がり、時折吹く冷たい風に乗って、コロコロと床で踊っている。毛布で身を包んだ
飯田はくしゃみを連続でしていた。
「これで身体、暖めなよ」
途中で買ってきた缶コーヒーを後藤が渡すと、飯田はそれを頬につけて、幸せそうに瞼を
閉じた。後藤はやれやれと肩をすくめて、飯田の隣に腰を下ろし、あぐらをかいた。スカー
トのすそが風で、ひらひらとはためいても気にしていないようだ。高橋は戸惑いながら、二
人を見下ろすことしか出来ない。
昨日は驚きで何も感じることが出来なかった。しかし、今日は目の前にいる人間は殺人犯
なのだ、という意識をはっきりと持つべきなのに、高橋は何も考えていなかった。
こうして飯田の傍にいても、どうにも現実味がなく、夢でも見ているような気分で恐怖を
感じることもなかった。関わりたくないという気持ちに変わりがなかったが。
「あの……、もしかして、昨日、ここで寝たんですか?」
信じられない想いで高橋が尋ねると、飯田は何でもないと言わんばかりに、すました顔を
して、こくりと頷いた。
「いやぁ、寒かったけど星が綺麗だったよ。久しく、夜空なんて意識して見てなかったから
心が洗われたって感じ」
そう言いながらも、飯田はまた派手なくしゃみをしている。煙草に火をつけながら、それ
を見ていた後藤は溜息をついた。
- 30 名前: 投稿日:2004/01/21(水) 22:56
- 「やっぱ、ここで暮らすのは無理があるね。これから、もっと寒くなるし」
「でも、ここが一番安全だしなぁ」
飯田は鼻をかみながら呟いた。寒さと何度も鼻をかんだ所為で、飯田の丸い鼻は真っ赤に
なっている。こんなところで寝ていたら風邪を引くのも当然だ、と高橋は思った。
「一つ質問していいですか?」
「さっきからしてんじゃん」
揚げ足を取って、後藤は美味しそうに吸っていた煙草の煙を、高橋の顔に吹きつけた。顔
をしかめて、手で煙を追い払いながら、高橋はまた口を開いた。
「まだ詳しい話を聞いてないんやけど。さっき、後藤さんが昨日話したって言ってたことも、
意味が判らんし」
「あんなの出任せに決まってんじゃん。ギャラリーが多いとこで殺人犯のとこへ行くよー、
なんて言えるわけないでしょ。っていうか、まだ判ってなかったの?」
呆れたように呟いた後藤の言葉で、そうだったのか、と今頃高橋は納得した。
「そういや、まだ何も言ってなかったっけ?」
「何も聞いてませんよ。二人が何をしたいのか、さっぱり判らんし」
「気になる?」
「そりゃ、まぁ……」
おどおどしながら高橋が頷くと、後藤は飯田と顔を見合わせて笑った。
後藤に手招きされ、高橋は大人しくそれに従うことにした。隣に腰を下ろしてみると、ダ
ンボールをひいていても、ひんやりと冷える。高橋は身震いをして、体育座りの格好を取った。
- 31 名前: 投稿日:2004/01/21(水) 23:01
- 「圭織がここに来るまでのことを簡単に説明すると……」
「……はぁ」
高橋が口にした気の抜けた相槌を無視して、飯田は話を続ける。
「昨日、圭織は自分のアパートで、ある人と出くわした。そこで、あの血のついていた服か
ら想像出来るようなことがあった。それで、誰にもバレないように逃げ出した。まだ捕まる
わけにはいかないから」
「……ある人って?」
「それは黙秘。それを言うほど、まだ高橋のこと、信用してないから」
何でもないような口調で飯田は言ったが、信用するも何も、知らない人間の名前を知った
ところで自分には関係ないのに、と高橋は口を尖らせた。
「ほやけど、なんで、この学校に潜り込んだんですか?」
「んーとねぇ……」
飯田は缶コーヒーで暖を取りながら、ゆっくりした口調で話し始めた。
飯田のアパートはこの学校近くにある。死体の姿をしっかりと拝んだ後、時間稼ぎの為に
鍵をかけて部屋の外へ出た。しかし、彼女が冷静でいられたのはそこまでだった。何せ、血
まみれの服を着たまま、外へ飛び出したのだ。誰かに姿を見られてしまうと何があったのか、
直ぐに勘付かれてしまう。
飯田は身を隠せる場所を探していた。死体と一緒に暮らすという変な趣味はないので、二
度と自分のアパートには戻れない。状況が状況だけに、誰かを頼るわけにもいかない。途方
に暮れたまま、行くあてもなく彷徨い歩いた。幸い、彼女のアパートから学校までの道のり
は、普段から人通りが少なく、誰にも姿を見られずに済んだ。
- 32 名前: 投稿日:2004/01/21(水) 23:03
- そして、たまたま学校の前を通りがかった。ひっそりと静まり返った校舎をぼんやりと見
上げていると、隠れ家に適しているのはここだ、と考えついた。人が少ないところに逃げる
よりも、人が多いところに紛れ込んだ方が誤魔化しが効く。それに、授業中に入り込めば、
このまま誰にも姿を見られず、自由に中へ入ることが出来る。しかも、今はテスト期間で運
が良かった。
そして、飯田は勝手に学校内へ入り込み、屋上へ辿りついた時には気疲れからか、眠りこ
けてしまい、その後に後藤と出会った。そして、話を聞いた後藤は目立たないようにと飯田
に制服を渡した。
話を聞いている最中、高橋がずっと気にして見ていたのは飯田ではなく、後藤だった。煙
草をふかしていた彼女は黙り込んで、喋り続けている飯田の顔をじっと見ている。仕草など
を注意深く監視しているような印象を受けた。
「私にしてくれた説明と内容は殆ど一緒だね」
煙草を灰皿に押し付け、後藤は頭の後ろで腕を組むなり、大きな欠伸をした。
「そりゃ、そうだよ。事実をそのまま話してるんだから」
「違う違う。そういう意味じゃなくて、相変わらず、無駄に話が長い」
「…………」
自分でも説明下手ということを思い知っている飯田は頬を膨らませた。
飯田の話が終わるまでに、後藤は煙草を二本も消費していた。それは簡単に説明すると言
っておきながら、飯田がかなりの時間をかけて、回りくどい説明をしていたからだった。
- 33 名前: 投稿日:2004/01/21(水) 23:05
- 「そんで、これからどうするつもりです? まさか、このままずっと隠れてるつもりやない
ですよ、ね?」
「隠れてるつもりだけど」
「ほんなの、無理やで。それに、人の命奪っておいて、罪悪感とかないんですか?」
高橋は自分で口にしておいて、何かの台本を読んでいるような気分になった。それくらい、
日常会話では絶対に使わない言葉を口にしている。飯田から説明を受けても、未だに現実味
が帯びてこない。
飯田は高橋の反応など気にならないようで、鼻をすすり、さらりと答えた。
「全くないかも」
言葉に偽りはなく、飯田はひょうひょうとしている。罪の意識に苛まれるようなことは全
くないようだ。動揺すら少しも見せていない。普通なら考えられないだろう。
本当に人を殺した人間が、何でもないように装うことなど可能なのだろうか、と高橋は訝
しんだ。
「ホンマは人殺しなんか、してないんやろ? 実はただの怪我で済んだとか……」
「それなら逃げないよ」
「ほやけど、確か、怪我でも捕まるはずやと……」
自信なさそうに高橋が呟くと、飯田は今頃、傷害罪という言葉を思い出した様子で、しきり
に頷いていた。隣にいた後藤は呆れ顔になっている。その顔を見て飯田はわざとらしく、空
咳をして、相変わらず、何でもないように答えていた。
「でも、本当に死んでたよ」
- 34 名前: 投稿日:2004/01/21(水) 23:09
- 嘘を貫き通しているのかもしれない、と高橋は疑っていた。しかし、初対面の人間に嘘を
つく必要などない。芝居をし、後で種明かしをして驚かせたり、馬鹿にしたいと思っている
のだとしても、風邪を引いてまでするようなことなのだろうか。そんなことをして何の意味
があるのだろう。
色々と考えてみたが、とりあえず、今のところは飯田が普通の神経を持っていないという
ことくらいしか判らない。それは、飯田の手伝いをしている後藤にも言えることだった。
「どうせ、逃げ切れるわけないんやから、自首した方がええと思うでの。罪が軽くなるやろし」
「ヤだよ。それに、圭織には会わなくちゃ、いけない人がいるし」
「会わなくちゃ、いけない人?」
高橋は首を傾げた。しかし、飯田はそれ以上、話そうとせずに視線を逸らしてティッシュ
を広げ、鼻をかんでいた。仕方なく、高橋は救いを求めるように後藤の方へと視線を送った
が、彼女は首を横に振った。
「私にも教えてくんないんだよねぇ。誰に会いたいのかってのを」
「後藤さんも知らないんですか?」
これほど飯田に協力的な姿勢を見せておいて、後藤が全ての事情を知っているわけではな
いということを知り、高橋は驚いた。
本当に何も知らないのだろうか。しかし、先ほど何かを探るような目で飯田のことを見て
いた後藤の視線の説明がこれでつく。何も知らないからこそ、様子を窺っていたのだ。
後藤に対して、本当に普通の人間ではない、と心底呆れながら、高橋は溜息をついた。
- 35 名前: 投稿日:2004/01/21(水) 23:12
- 「とりあえず、携帯貸してくんない?」
「……へ?」
後藤に言われて、わけも判らず高橋は素直に携帯を差し出した。
「ほい、保険。これで安心でしょ」
後藤はにやにやと笑い、手にした携帯を飯田に手渡した。飯田は日光に反射してキラキラ
と眩しい光を放っている携帯を見下ろして、満足そうな笑みをこぼしている。
飯田が携帯をスカートのポケットに押し込んでいる姿を、高橋は呆然と見守ることしか出
来なかった。
「あのぉー、あたしの携帯……」
「しばらく借りとく」
「おぇー! そんなん困ります。返してやよ」
「……おぇーって、何よ」
大きな目を更に大きくして驚いている高橋に対して、飯田はぼやいた。
「っていうかさぁ、圭織、ごっちんが言ってた言葉の意味がやっと判ったよ」
飯田がぼそりと呟くと、隣で後藤がまたにやにやと嫌らしい笑みを浮かべていた。高橋に
は何のことだか、さっぱり判らない。きょとんとしていると飯田は苦笑いを浮かべた。
「高橋って空気読めないね、って意味。直ぐに気づくでしょ、普通は」
「…………」
「これは人質ならぬ、物質ってやつ。仲間でいてもらう為には保険がないと。事情聞くだけ
聞いて、このまま、とんずらされても困るし」
「…………」
ぽかんと口を開けて高橋が立ち尽くしていると、馴れ馴れしく、後藤がその肩を叩いた。
「これから、よろしく。相棒」
- 36 名前: 投稿日:2004/01/21(水) 23:15
- 「携帯返してくれんなぁ……」
高橋は階段を上りながら、肩を落としてぶつぶつと愚痴っていた。
「携帯なんて使うの?」
「使うから持ってるんやないですか」
高橋は自分よりも先に階段を上っている後藤の背中に向かって吠えた。後藤は振り返りも
せずに、ふーん、と気のない返事をしている。
二人は今、旧校舎の階段を上っていた。
この学校の敷地内には数個ほど、大きな建物がある。北には今まで三人が利用していた校
舎があり、その周辺には特別教室棟や図書館が隣接されている。そして、東に体育館、西に
食堂があり、巨大な運動場を新校舎と挟むようにして建っているのが木造で、今ではぼろぼ
ろになっている旧校舎だった。
近々、取り壊され、新しい体育館を建てる計画があるので、利用されている教室は少なく、
文科系の吹奏楽部や美術部が利用しているくらいだった。もちろん、まだ水道や電気は生き
ており、新校舎の屋上に隠れ住むよりは安全な場所でもあった。
それでも、いい加減にシャワーを浴びたい、と駄々をこねだした飯田のリクエストに答え
るには、少し不便な場所だった。シャワー室は体育館の隣にある小さな建物の中にあり、運
動部の部室も並んでいる。テストが終わり、通常授業になってしまうと、夜遅くまで部活動
に励む運動部が出てきてしまう。生徒が全員帰った後の夜中に運動場を通って、こっそりシ
ャワーを使うしかない。
- 37 名前: 投稿日:2004/01/21(水) 23:16
- この案を出したのは高橋だった。後藤はすっかり旧校舎の存在など忘れていたらしく、飯
田から文句を言われていた。飯田はこの話を聞いて、シャワー使用の不便さを考慮しても、
十分いい隠れ場所になる、と上機嫌になっていた。しかし、それとは逆に、今ではすっかり
二人のペースに巻き込まれてしまった高橋は、途方に暮れていた。
今も飯田は屋上で待機している。今まで旧校舎に出入りしていなかった二人が、先に旧校
舎を偵察することにしたのだった。一度最上階まで上がり、上から順番に教室を見ていくこ
とにしていた。飯田が隠れ住むのに最も適している教室を探す為とはいえ、全ての教室を
隅々まで確認していく作業は、かなり時間がかかる。テスト期間中ということで、部活動を
行っている部活もなく、どの階もひっそりと静まり返っていた。
旧校舎は古いだけあって、床や階段のどの段に足を置いても、ぎしぎしと不快な音を立て
ていた。薄暗く、空気も埃っぽく感じる。心なしか、鼻の奥がむず痒い。高橋は手の甲で乱
暴に鼻を擦った。
「ほやけど、なんで、後藤さんは手伝おうと思ったんですか?」
「何が?」
「飯田さんのことですよ。あの人、普通やないでの」
「前から言おうと思ってたんだけど、中途半端に敬語使うのやめてくんないかな」
「そんなことより、なんでですか? だって、あの血とかどう見ても本物やし。飯田さんの
話が本当なら、ヤバイんやないかなぁ……」
「何言ってんの。ヤバイから面白いんじゃん」
「…………」
「だいじょーぶ。圭織は私達を殺すようなことはしないから」
物騒なことを能天気に呟いている後藤の背中に向かって、高橋は溜息をついた。
- 38 名前: 投稿日:2004/01/21(水) 23:17
- 何を根拠にそんなことを言っているのだろう、と高橋は思った。今はまだ大丈夫でも、飯
田がその日の気分次第で、自分達に危害を与えてくるかもしれないとは考えないのだろうか。
相手は自称だが一応、殺人犯なのだから、何が起きてもおかしくはないはずなのに。
それでも、高橋は自分には無関係な出来事だと、割り切っている自分自身の姿勢に気づい
ていた。危機感がまだ足りない。所詮は他人事だと思っていた。
高橋の胸の内などお構いなしに、後藤はのん気に鼻唄を歌っている。
「飯田さん、これからどうするつもりなんでしょうか……?」
「会いたい人に会うんでしょ」
「それは、判りましたけど、ほやけど、どうやって……」
「高橋さぁ、学校楽しい?」
「……え?」
突然、会話の内容が変化し、高橋は困惑していた。問い掛けた後藤は一度も振り向かず、
黙々と階段を上っている。
「迎えに行った時に思ったんだけど、友達いないでしょ?」
「…………」
「何があったのかは知んないけど、クラスからハミってるって感じ」
後藤はいつもの調子で、マイペースにのんびりした声を出していたが、その言葉は鋭い刃
のように、高橋の胸を貫いていた。堪らず足を止め、顔を歪めて後藤の背中を見上げた。
「まー、私も人のこと、言える立場なんかじゃないけどさ」
「……後藤さんは、なんで、一人でおるんですか?」
高橋の声色が変わってしまっていることに気づいた後藤は、立ち止まって振り返った。
- 39 名前: 投稿日:2004/01/21(水) 23:20
- 踊り場にある小さな窓から入り込んでいる夕暮れのぼんやりとした光を背中に浴び、後藤
の表情は見えない。肩先まである茶色の髪が光り輝いて見える。高橋は顔色すら、なくして
いた。
「なんでって、そりゃ、一人が好きだから」
「一人だと楽しいですか?」
「楽しいってか、楽だねぇ。気楽っていうか」
後藤は階段の手すりにもたれかかり、ようやく高橋にもその表情が見えた。無邪気に笑っ
ている。その態度が高橋の神経を逆なでした。
「後藤さんの言うことは矛盾してるでの。一人が気楽って言うんなら、飯田さんを助けする
必要なんざないですよ」
「だから、中途半端な敬語いらないって」
「そんなのどうでもええから、答えて下さい」
一本槍な高橋の態度に、後藤は肩をすくめた。
「誤解があるようだけど、別に私、友達がいないわけじゃないんですけど」
高橋はぐっと言葉に詰まった。
「ただ、群れるのが面倒なだけ。誰かに気を遣って、余計な神経なんて使いたくないわけよ」
後藤が気を遣うことなどあるのだろうか、と高橋は思ったが、さすがにこれは口に出来
なかった。後藤はスカートからライターを取り出し、カチカチと鳴らしている。
「あのね、私は楽しけりゃ、なんだっていいわけ。つまんねー、つまんねーって言ってたっ
て何も変わんないでしょ? だから、自分から動くの」
「ほやから、飯田さんの手助けをすることにしたって言うんですか?」
「だって、楽しそうじゃん? 何が起きてるのか、よく判んないし」
へらっと気の抜けた笑みを浮かべている後藤を見て、高橋は脱力していた。
- 40 名前: 投稿日:2004/01/21(水) 23:21
- 後藤本人が口にした通り、今後どうなるかということなど、彼女は深く考えていないのだ。
理由は判らないが、誰かと会う為に逃げてきた殺人犯を匿うことで、退屈な日々に刺激を与
えようとしている。身の危険や、損得などを全く頭に入れていない。
「後藤さんは強いですね。普通なら関わりたくないでの」
「強いっていうか、高橋より頭がフニャフニャなだけじゃない? あんたの場合、固過ぎだ
けど」
「……固い?」
「うん。カチンコチン。色々考え込んじゃうから、苦しむ羽目になるんだと思うよ」
何もかもお見通しだと言わんばかりに後藤は答える。それでも、高橋は納得のいかない気
持ちを味わっていた。
「後藤さんは、あたしのことなんて、何も知らないはずでしたよね?」
「今も知んないよ。だって、名前聞いて一日しか経ってないじゃん」
「それやのに、なんで、あたしの性格を勝手にぺらぺら喋ってるんですか?」
「人を見る目に自信あるから言ってるだけなんだけど、間違ってたら悪いね。でも、間違っ
てない自信あるけど。どうよ?」
後藤はにやにやと笑っている。その顔を見て、見栄を張って嘘をついても仕方がないと悟
った高橋はうな垂れた。
- 41 名前: 投稿日:2004/01/21(水) 23:23
- 「……間違って、ないです」
「でしょ。なら、問題ないじゃん。っていうか、圭織が待ちくたびれてるだろうから、早く行こ」
後藤は話を打ち切って、また階段を上り始めた。何となく、まだ腑に落ちないものを抱え
ながら、高橋はその後に続こうとして足を止めた。後藤が踊り場で足を止めて、こちらを見
ている。先ほどまで浮かべていた笑みはそこにはなく、高橋は息を飲んだ。
「釘刺すの忘れてたから言っとくけど、邪魔したらただじゃおかないからね」
「邪魔って……?」
「誰かにチクったり、警察に連絡したら、っていう意味」
「もし、それをしたら?」
尋ねながらも高橋は表情を変えずに、ただ細かく瞬きだけを繰り返していた。後藤はしば
らく、無表情でその顔を見つめ、やがて鋭い目つきになって口を開いた。
「私の楽しみを奪ったら、あんたをけちょんけちょんにしてやる」
- 42 名前: 投稿日:2004/01/21(水) 23:23
- >>28
有難う御座います。
頑張ります。
- 43 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/01/24(土) 14:19
- めっちゃおもしろいです。
後藤・飯田・高橋ってめずらしいですね。
応援してます。更新頑張ってください!
- 44 名前: 投稿日:2004/01/30(金) 18:28
- 三人は人の目を避けて、夕日が沈んでから移動した。高橋と後藤が旧校舎を見て回った結
果、隠れ住むのに適していると思われる場所は数箇所しかなかった。床が抜けていたり、雨
漏りの跡が見えるものばかりで、使えそうな場所は既に部活用に利用されていた。
飯田はベッドがあるから一階の保健室がいいと駄々をこねていたが、まだ部活で利用して
いる生徒がいる為に、人目につく可能性を考えて却下になった。代わりに後藤が薦めた化学
室はホルマリン漬けの標本や人体模型が気持ち悪いという理由から、これも却下になり、最
後に残った教室が調理室だった。
「調理台に身を隠してたら誰にも見られないね」
「でも、ここも寒いなぁ」
飯田は自分の腕を撫でながら、身を縮めていた。足元に冷えた空気が漂っている。後藤が
蛇口を捻ると水が勢いよく流れ始めた。しばらく使用されていなかった為に、錆を含んだ汚
れた水が出ていたが、のちに透き通った色に変わる。それを見て、後藤は満足そうに一度頷
いて、水を止めた。
「それにしても、埃っぽいね」
「そりゃ、全然使われてないからね」
しばらく、この教室に出入りした生徒がいないのは明らかで、床は埃の絨毯が出来ていた。
歩けば歩くほど、足跡がつく。後藤は無駄に部屋中を歩き回り、足跡を作っている。
「このままじゃ、病気になりそー」
くしゃみを一つして飯田は顔をしかめ、教室の隅に置いてあるロッカーから箒を取り出し
た。ロッカーは更に酷いことになっていたようで、大量の埃を吸い込んでしまい、激しくむ
せている。それでも、大掃除を始める気満々で、着ていた白いセーターを脱ぎ、汚さないよ
うに、持ってきた毛布の上へ乗せた。
- 45 名前: 投稿日:2004/01/30(金) 18:30
- 「うーん、ガスは止まってるなぁ。折角、何か作ろうと思ったのに、残念」
後藤はカチカチとコンロのスイッチを鳴らして、首を捻った。
「へー。ごっちんって、料理出来るんだ?」
「失礼だなぁ。めっちゃ、得意だよ」
ムスッとして呟いている後藤に感心しながら、飯田はブラウスの袖を捲る。透き通るよう
な白い腕は、その色に騙されそうだが、意外と力強そうだった。
「電気が使えないっつーのもあるけど、なんか、暗いなぁ。高橋、テンション上げて」
後藤は調理台から離れ、天上を見上げて溜息をついた。それまで、入り口付近でぼんやり
と立ち尽くしていた高橋は、我に返った。
「こんな状況で、上げろって言われても」
「親に隠れてペット飼ってるみたいなもんじゃん。ワクワクしない?」
「こんなデカイ人、ペットやなんて思えません」
頑なに高橋が拒むと、後藤は訝しげに首を捻った。
「なんで、急に強気になってるかなぁ」
「っていうか、勝手に圭織をペット扱いしないで」
空気の入れ替えをする為に窓を開けていた飯田が頬を膨らませていた。
「あ、そだ。家に寝袋あったんだ。取ってくるよ」
「じゃあ、食べ物とラジオも」
「オッケー」
そう言って、廊下へ出て行く後藤の背中を高橋はぼんやり眺めていた。どうして、ラジオ
が必要なのだろう。後藤は何故疑問を抱かなかったのだろう。そんなことを高橋は思ってい
た。
「さて、高橋も手伝ってね」
機嫌良く笑い、飯田は箒を差し出した。仕方なく、高橋は受け取ったが、直ぐに俯いた。
- 46 名前: 投稿日:2004/01/30(金) 18:33
- 飯田と二人っきりになるのはこれが初めてだった。恐怖を感じたことはないが、さすがに
こういう状況になってしまうと意識してしまい、身動きが取れなくなってしまう。何もしな
いと後藤は言っていたが本当に大丈夫なのだろうか、という不安で頭の中は埋め尽くされる。
高橋は負けず嫌いな性格をしているが、臆病でもあった。
自分の足元をジッと見つめたまま、動けない。視界に入っている飯田の足も何故か動いて
いない。時折、鼻をすする音が頭上から聞こえ、自分の首筋辺りにチクチクと視線を感じる
気がする。ゴクリと生唾を飲み込んで、高橋は顔を上げた。すると、ずっと自分を見ている
と思っていた飯田が、ぼんやりと遠い目をして、虚空を見つめていたことが判り、拍子抜け
した。
この人、やっぱり変だ、高橋は心底そう思った。
「あのぉ……。飯田さんはあたし達に何もせんって、後藤さんが言ってたんやけど、ホンマ
ですか?」
話し掛けても無意味かもしれない、と思いつつ、尋ねてみたが、きちんと高橋の声が耳に
届いていたようで、飯田はどこかへ行っていた目の焦点を合わせて、ゆっくりと小首を傾げ
ながら不思議そうな顔をした。
「何もせんって何が?」
「その、口封じとか」
「そんなこと、よくはっきり言えるねぇ。さすが、高橋」
「さすがって何がですか……」
高橋は口を歪めた。
「ご覧の通り、圭織は凶器とか持ち歩いてないし、っていうか、最初から手ぶらだし」
飯田はそう言って手をヒラヒラと振ってみせて、調理台の引出しを漁り始めた。通常の調
理台に配置されているはずの調理道具は何も置かれていない。全て撤去されている。
- 47 名前: 投稿日:2004/01/30(金) 18:35
- 「ほら、ここにも包丁とかないしさ。安心してよ」
「うーん……」
高橋は唸った。何となく、まだ納得が出来ない。
「っていうかさぁ、さっきの話に戻るんだけど、ごっちんこそ、犬みたいじゃない?」
「……へ?」
話題を変えられて高橋は戸惑っていた。しかし、飯田は雑巾を手にしてくるくると振り回
しながら、マイペースに話を続ける。
「何て言うか、懐いてて今は牙も見えないんだけど、油断してたら手をガブッて噛みそう。
何となく、鼻も効きそうじゃない? デカイし」
「それって信用してないってことですか?」
「違う違う。逆だよ。見た目より、頼りになりそうってこと」
飯田の目には後藤がどういう人間に見えているのだろう、と高橋はふと思った。
「野生の勘って、言うのかなぁ。ごっちんはそういうのがある気がすんだよね。まぁ、圭織
の第六感ってヤツがそう言ってるだけなんだけど」
「その二つって、何が違うんですか?」
「カッコ良さ」
さらりと飯田は答えた。どちらが格好良いのだろう、という疑問より、この人の言うこと
は真に受けてはいけないのかもしれない、という考えを高橋は持った。
高橋にとって後藤と飯田は似た者同士にしか見えない。人のことは言えないが、急に話の
内容を変えるところなど、そっくりだ。それに、犯罪者だという飯田に対して、全く恐れを
抱かない後藤も変だが、普通に接している飯田も変だろう。そもそも、出会って間もないと
いうのに、二人は昔からの友達のように、フランクな付き合いをしている辺り、普通ではな
い。この学校の生徒には余りいないタイプの人間だった。この二人から逃げ出さない高橋も
普通ではないのだが、本人は気づいていなかった
- 48 名前: 投稿日:2004/01/30(金) 18:36
- 高橋が今まで接してきた人間は優等生の面を被った偽善者だらけだった。中身はスカスカ
なくせに、自分はレベルの高い人間だと周りに思わせ、そして、そんな自分に酔いしれてい
る高飛車な人間の集まり。それなのに、自分が輪から外れることを極端に恐れる。
自信満々にしているクラスメートが、実は鎧がなければ戦えない人間だったということに
高橋が気づいたのは、自分がその輪から押し出され、外から輪を見れるようになってからだ
った。
彼女達は堅苦しいそんな自分達の生活の息抜きの為に、高橋を仲間外れにして遊んでいる。
それが判っていても、彼女達の視線や動向に脅えてしまう自分が一番弱い人間なのだろう、
と高橋自身、気づいていた。
後藤と飯田はクラスメートとは相反する人間だった。自分に害がないようであれば、この
まま二人と付き合うのも悪くはないような気がしていた。臆病な自分が変われるような気さ
えする。
それは、飯田が犯罪者らしい凶暴な面を全く見せないから、そう思えるのかもしれない。
油断してはいけないのかもしれないが、関わってしまったからには、どう足掻いても逃げら
れないだろう。今のこの状況が変わらないのならば、せめて前向きに考えるべきだ。単純な
高橋だからこそ、そう思えていた。
「さー、本気出して掃除するぞー」
飯田は雑巾を絞りながら、何かの唄を口ずさんでいた。
- 49 名前: 投稿日:2004/01/30(金) 18:37
- 埃だらけだった床や、汚れで曇っていた窓ガラスはピカピカに磨かれ、しばらく、窓を開
けて換気していた効果もあり、部屋の中の空気も濁ったものではなくなっている。A型らし
く、高橋もやり始めたら、とことん細かく隅々まで掃除をした。それだけ掃除には時間がか
かり、外は真っ暗になっていた。
電気をつけると外から自分達の存在が丸判りになってしまうので、月の明かりだけを頼り
に高橋は飯田と窓の傍の机を陣取り、掃除が終わるとどうでもいい世間話をしていた。
その間に飯田へのほんの僅かな恐怖心も薄れて、高橋は既にリラックスすることが出来て
いた。
「うはー、めっちゃ綺麗になったねぇ」
戻って来た後藤は部屋中を見るなり、驚いている。
「ごっちん、遅いよ。丁度、高橋と今、いつになったら戻ってくるんだろって、話してたん
だから」
「これ以上、風邪を悪化させないようにって、重い思いして色々持ってきたのに、そんなこ
と言っていいわけ?」
「重い思い、ねぇ。そのダジャレのレベル低くない? 圭織の方がもっと面白いの言えるっ
て」
「捨ててこよっか?」
「今のは聞かなかったことにして」
飯田が両手を合わせて頭を下げると、後藤は何も無かったように手にしていた荷物を磨か
れた調理台の上に乗せた。
ビニール袋の中には食料、大きな紙袋には新しく買って来た衣料品、背中にしょっていた
リュックからは寝袋が出てきた。飯田がリクエストしたラジオは家にあるものを持ってきた
らしく、ポケットサイズで少し使用感が漂っていた。
- 50 名前: 投稿日:2004/01/30(金) 18:39
- 「それ、何に使うんですか?」
高橋が不思議そうに尋ねると、後藤は呆れた顔を作った。
「何って、ニュース聞く為だよ。圭織のこと言ってるかもしんないでしょ」
「あー、そっか」
「ちょっとは考えてから喋りな。そういや、今ってさぁ、丁度、ニュースやってる時間じゃ
ない? 聞いてみようよ」
後藤は一度、高橋の頭を乱暴に撫でて、ラジオの電源を入れた。周波数が合っていないの
か、大きな雑音の中で、僅かながら人の声が聞える。後藤は外に音が漏れないように、ボリ
ュームを絞った。
適当にラジオを操作している後藤を飯田は少し強張った顔をして見つめている。さすがに
緊張している様子だった。しかし、高橋は一人だけその空気を読まず、後藤に撫でられた頭
を押さえて、二人の姿を眺めていた。後藤に頭を撫でられて、悪い気はしなかった。
固い口調のアナウンサーの喋りがクリアに聞えてきた。もしかしたら、今頃飯田の住んで
いるアパート周辺では騒然となっているかもしれないのだ。今頃になって人事ながら、高橋
も緊張してきた。
しかし、アナウンサーは政治関連や交通事故などの内容しか読み上げず、そのままニュー
スは終わってしまった。そして、番組は音楽関連のものになり、陽気なポップスが流れ始め
た。
「……まだ、バレてないっぽいですね」
「だね」
「良かったね。もしかしたら、今ニュースになってないだけで、既にバレてるかもしんない
けど」
安堵している飯田に後藤は不意打ちの言葉をぶつけ、素知らぬ顔をして持ってきた残りの
紙袋に手を入れていた。そして、中にあるものを次々と調理台の上に並べる。出てきたもの
はアルコールランプ、ビーカー、金網、三脚台などだった。
「下の化学室からパクってきた」
「何か実験でもすんの?」
飯田はビーカーを手に取り、目を寄せて眉を下げた。
「そうじゃなくて。これだけあれば、暖かい飲み物作れるでしょ」
後藤はインスタントコーヒーの瓶を鞄から出して、誉めろと言わんばかりに胸を張った。
- 51 名前: 投稿日:2004/01/30(金) 18:41
- 「さて、これからのことを話そうか」
試しにコーヒーを作ってみて満足した後藤は、飲み残したコーヒーが入っているビーカー
を暇そうに手の中で揺らしていた。砂糖もミルクも入っていない苦いコーヒーに苦戦してい
た高橋は首を捻る。飯田はまた鼻をかんでいた。そのうち、鼻の皮がむけそうだ。
三人は後藤が持ってきていた小さな電池式のランタンを調理台の上に乗せて、それを囲む
ようにして座っていた。この部屋にある光はランタンとアルコールランプだけ。何も知らず
にこの部屋に入った人がこの光景を見たら、三人が心霊話をしていると思うかもしれない。
ラジオから流れる陽気な音楽がなく、季節も夏ならばの話だが。
「とりあえず、圭織の餌は当番制ね」
「餌って何よ」
「当番制?」
飯田のぼやきを無視して、後藤は高橋へ視線をやった。
「私ばっか、買って来てるじゃん。高橋もちょっとは協力してよ。あんたも仲間なんだからさぁ」
「ほやけど、今月の小遣い全部使ってもた」
「……使えないねぇ」
後藤は舌打ちをして、しょーがないな、と呟く。今まで通り、自分が買い物担当になるし
かないと諦めたようだった。
「ごっちんって金持ちだよね。今までの買い物、全部立て替えてくれてるわけでしょ?」
「まーねー。うちの家って金持ちだし」
「うわ、嫌味」
「文句があるなら、もう買ってこないよ」
「今のも聞かなかったことにして」
後藤の機嫌を損なうと餓死してしまうことになると判っている飯田は、また両手を合わせ
て頭を下げた。高橋の目には飯田が心から謝罪しているようには見えない。案の定、彼女は
まだ懲りていなかった。
- 52 名前: 投稿日:2004/01/30(金) 18:42
- 「それにしても、安物買いの銭失いじゃない?」
後藤が買って来たものを見渡して、飯田は溜息をついた。確かに安いものばかりを沢山買
ってきている。飯田はわざと後藤をからかっているのだろうか、と高橋は首を捻った。後藤
はまたムスッとしている。
「まだ言うわけ? 本気でもう買ってこないよ」
「今、心にもないことを言いました」
「全然、懲りてないよね」
「そんなことないよ」
「あのー、漫才はもう止めてくれませんか」
永遠に終わりそうにない会話に高橋がツッコミを入れると、二人から睨まれた。妙に息が
合っている。どうして、自分が睨まれなくてはならないのだろう、と高橋は不服に思った。
後藤がスカートのポケットから煙草を取り出し、箱から一本取り出した。この人は一日に
一体何本煙草を吸っているのだろう。そんなことを思いながら、高橋は溜息をついて立ち上
がり、窓に向かって歩き出した。
「アンタも嫌味な奴だねぇ」
「空気は綺麗な方が身体にええから」
窓を開けながら高橋は答えた。冷えた空気が自分に押し寄せてきたので、これ以上、飯田
の風邪が酷くさせない為に、全開にするのを止めて、隙間を握り拳一個分くらいの幅にして
おいた。
「そりゃ、そうだろうけどさ」
後藤の呟きが背中越しに聞えたが、直ぐにライターの音も聞えてきた。
空を見上げると雲が出ていないのか、星空が広がっていた。欠けた月も見える。こんな時
間まで学校に残っているのは、文化祭の時くらいだ。
- 53 名前: 投稿日:2004/01/30(金) 18:46
- 「それで、会いたい人とやらとは、いつ会うわけ?」
後藤の声が聞えて高橋は振り返った。自分も気になっていたことだからだ。高橋は期待し
ながら、飯田の返答を静かに待った。
「しばらくは様子見」
済ました顔でコーヒーをすすっている飯田を見て、後藤は呆れている。高橋もがっくりと
肩を落とした。
「何をのん気に。死体が見つかったら、今みたいに自由に動けなくなるって判ってんの?」
「判ってるよ」
「じゃあ、なんで?」
「今、動くと逆に困る事情があるから」
「意味判んないなぁ」
「だろうね」
軽くウインクをして、飯田はまたコーヒーをすすった。後藤は何かを考え込むように腕組
みをして、煙草を吸っている。しばらく、二人は何も話さなかった。
二人の様子を見ることに飽きた高橋はまた窓の外に目を向けた。夜空を眺めていると、ふ
いに自分達の邪魔はするな、と言い放った後藤の姿を思い出した。彼女は何を考えているの
だろう。事情を何も知らない状態でそこまで本気になる理由は何なのか。楽しいから、とい
う理由だけでそこまでするのだろうか――。
高橋は軽く頭を振った。どうせ、後藤に尋ねても本当のことなど口にしないだろう。溜息
をついてから振り返り、二人を見つめた。
飯田なりに何か考えがあるようだが、本当に大丈夫なのだろうか、という不安が高橋の胸
の中にあった。それなりに協力するからには、警察に捕まって欲しくないような気がする。
しかし、渡された情報が余りにも少ないので、何をどう協力すればいいのかが判らない。
後藤は黙り込んで煙草を灰にしているだけで、何も尋ねようとはしない。飯田はまた鼻を
かんでいた。
- 54 名前: 投稿日:2004/01/30(金) 18:46
- >>43
有難う御座います。
頑張ります。
- 55 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2004/01/30(金) 23:30
- うぉ……とんでもないことになりそうだ。タイトルはシロップからかな
- 56 名前: 投稿日:2004/02/10(火) 06:36
- 朝、目覚めると高橋は布団を蹴飛ばし、自分の部屋から飛び出して慌しく階段を下りた。
既に朝食を先に終えて、リビングでのんびりとコーヒーを飲みながら、新聞を読んでいた父
親は、その音を耳にして目を丸くしていた。父親の姿を見た高橋も、その姿を見て驚く。そ
の顔は親子そっくりだった。
「……お父さん、なんで、まだおるの?」
「おはよう、くらい先に言えんのか」
「おはよう」
「おはよう」
二人の妙なやり取りを、奥のキッチンで見ていた母親はクスクスと笑っていた。
「今日は直行やでの。会社より取引先の場所が近いから時間に余裕があるんや」
「へぇ……」
高橋はそわそわして、視線を落ち着きなく、動かしていた。
用があるのは父親ではなく、彼が手にしている新聞だった。飯田のことを書いてあるかど
うかが気になって、余りよく眠れなかった。
いつまで経っても動こうとしない父親に痺れを切らして、高橋は先に洗面所に向うことに
した。用もないのに、ずっと父親の傍にいても仕方がない。怪しまれるだけだ。それに、登
校時間までには、まだ余裕があるものの、貴重な時間を無駄にしたくない。
高橋が洗面所から出ると父親は立ち上がり、ソファにかけていた背広を手に取って玄関へ
向かった。テーブルの上に置かれてある新聞を確認してから、父親の後姿に、いってらっし
ゃい、と声をかけた。
いつもならテレビ欄以外は用がないのだが、今日は新聞を手に取るなり、社会面を開いた。
隅から隅まで見落とさないように見てはみたものの、それらしい記事はどこにも載っていない。
高橋はふぅ、と息を吐いて天井を見上げた。
- 57 名前: 投稿日:2004/02/10(火) 06:38
- どうやら、まだ何も見つかっていないらしい。きっと、飯田の部屋には死体がそのまま、
放置されたままなのだろう。部屋の鍵をかけてきたと言っていたので、簡単には見つからな
いはずだ。しかし、見たこともない死体を想像しただけで、高橋は胃の辺りにむかつきを覚え
ていた。
「愛ー。早くご飯食べちゃいなさい」
キッチンから母親に声をかけられ、高橋は胃を撫でながら歩き出した。
「帰ってくるなり、晩御飯も食べないで寝てもうたでしょ。図書館で勉強するのもええけど、
風邪引いてまですることないのに」
心配そうに呟く母親に向かって、高橋は苦笑いを浮かべた。
昨日、高橋は母親が口にした言葉の通りの行動をして、直ぐに自分の部屋へ引きこもった。
しかし、図書館うんぬんから後半は嘘だった。どこで何をして誰と会っていたのか、と細か
く訊かれるのを避ける為に適当な嘘をついて、部屋へ逃げ込んだだけだ。
「心配せんで。風邪引いたと思ってたけど、もう大丈夫みたい」
「そんならええけど」
「あ、ほやけど、しばらく遅くなるかもしれんから」
「なんで? テストは昨日までやなかった?」
「部活でちょっとね……」
高橋は言葉を濁した。嘘をつくのは得意じゃない。母親は何も気に止めなかったようで、
ふーん、と気の抜けた返事をして、弁当箱の蓋を閉めていた。
「一応、栄養のあるもんばっかり入れといたから、残さず食べなさいね」
嘘を信じている母親に心配されると申し訳ないような気分になってしまい、高橋はぎこち
ない笑顔を作った。
- 58 名前: 投稿日:2004/02/10(火) 06:42
- 外へ出てみると快晴だった。大きく深呼吸をしてから歩き出す。一人でいる時は、今までと
何一つ変わりがないのにな、と高橋はしみじみ思った。
学校へ辿り着けば、話の内容はともかく、後藤や飯田と会話をすることが出来る。高橋にと
って、それは劇的な変化だった。ここ数ヶ月、一日中誰とも喋らない退屈な生活が続いていた
のだから。
テストが終わり、今日から通常授業になっているが、まだ登校時間には早い時間だった。
学校に着くと、高橋は自分の教室には向かわずに図書館へ向かった。これは、高橋の習慣みた
いなもので、日頃から朝出向くことにしている。放課後や昼休みは人が多いのでなるべくそれ
を避け、人が少ない朝に本を借りることにしていた。ただ、自分が読みたい本が返却されてい
ることも多いので、たまに放課後にも行くことにしている。
図書館へ入ってから、高橋はそういえば、と首を少し傾けた。暇をしているかもしれない
飯田の為に何かを借りておこうか、と思ったのだ。しかし、彼女の本の好みが判らない。ま
ぁ、いいか、と割り切って、適当に見繕うことにした。
旧校舎へ行くには運動場を通らなければならない。運動部が朝連をしているのを横目に高
橋はなるべく目立ちませんように、と心の中で祈りながら、俯き加減で歩いた。旧校舎を利
用している吹奏楽部達もいるのだから、別に気にすることはないのだが。
調理室に辿り着くと飯田が蓑虫のような姿で眠っていた。これほど寝袋が似合わない女性
もいないだろう。よほど寒かったのか、顎の辺りまできっちりファスナーを上げて、規則正
しい寝息を立てている。
「飯田さんー。もう朝ですよ。起きて下さいよ」
「うーん……」
悩ましい声を出して、飯田はゴロリと背中を向けて転がった。巨大な蓑虫の背中みたいだ、
と高橋は思った。
- 59 名前: 投稿日:2004/02/10(火) 06:44
- 「朝ですってば。脳味噌溶けますよ」
「うーん……」
返事はするものの、まだ、完全に目を覚ましていない。呆れて高橋は背中を蹴飛ばした。
「……今、蹴飛ばしたでしょ」
飯田は背中を向けたまま、眠そうな声を出した。高橋は首をプルプルと振った。
「そんな、年上の人の背中を蹴飛ばすやなんて」
「そう、圭織は今、確かに背中を蹴飛ばされて、痛みを感じてる」
ファスナーを降ろしながら、飯田はむくりと起き上がった。長い髪は寝癖がつき、ぼさぼ
さになって絡まっている。
「ほんで、風邪の方はどうですか?」
「……この声を聞いてどう思う?」
「昨日より鼻声になってるでの」
「つまり、そういうことなんだよ」
飯田はくしゃくしゃと長い髪をかき回しながら、ゆらりと立ち上がると、テーブルに置き
っぱなしになっているアルコールランプに、後藤が置いていったライターを使って、火をつけ
た。
よく見ると飯田の寝袋の周辺には丸まったティッシュが沢山転がっている。昨日、屋上で
見た時よりも遥かに量が多い。どうやら、風邪が治るどころか、更に悪化してしまったらし
い。飯田は、くあぁ、と大きな欠伸をして、ビーカーに水を入れていた。
「それにしても、朝から大荷物持ってるんだね」
高橋が手にしている膨れ上がったトートバックをちらりと見て、飯田は三脚台の上にビー
カーを置いた。そして、タオルを手に取り、今度は顔を洗い始めた。
「あぁ、ずっとここにいると暇かもしんないと思って、本を借りてきました」
「暇って、あんた……」
水道の蛇口を捻り、水滴を沢山つけたまま顔を上げた飯田は、何の為にここに隠れ住んで
るのか判っているのだろうか、というような表情を浮かべた。
- 60 名前: 投稿日:2004/02/10(火) 06:45
- 「まぁ、いいや。アリガト。暇なら読むよ。暇ならね」
「あと、風邪引いてるから栄養があるもんって思って、お弁当を……」
母親に心の中で詫びながら、高橋は自分の弁当箱を差し出した。タオルで顔を拭いていた飯
田は手を止めて、直ぐに困ったような表情を浮かべた。
「でも、それ高橋のお弁当でしょ? 圭織が食べたら拙いじゃん」
「あたしは食堂行けばええし」
「本当にいいの?」
「はい。気にせず、どーぞ」
にっこりと笑って高橋が答えると、
「高橋って実はいい子だったんだね。圭織、ちょっと感動しちゃったよ」
飯田はわざとらしく、片手を目元にやり、もう一方の手でビーカーにコーヒーの粉末を入
れていた。
「そういや、後藤さんはまだですか?」
「見ての通り、高橋が一番乗りだよ」
「朝弱そうですもんね、あの人」
高橋は苦笑いを浮かべた。
たまにだが、授業中に窓の外へ視線をやると、同じ学生とは思えないようなのんびりとし
た足取りで、登校している後藤の姿を見かけることがある。時間にルーズなのか、それとも、
彼女にとっては計算通りなのか、よく判らない。出席日数も足りているのかどうか怪しいも
のだ。
- 61 名前: 投稿日:2004/02/10(火) 06:47
- 「っていうか、圭織も弱いんだけど」
飯田は眠そうに瞼を擦りながら、弱々しく呟いた。
「見たら判ります」
「なら、起こさないでくれるかな。暇、なんだし」
「……すんません」
「もういいよ。起きちゃったし、コーヒー出来ちゃったし」
飯田はもう一度大きな欠伸をして、コーヒーを小さなビーカーに移した。丁度二人分出来
ている。
高橋は椅子に腰掛け、飯田に手渡されたコーヒーをハンカチで包み、火傷しないように気
をつけて飲んだ。心の中で今度は紅茶にしてもらおう、と思いつつ。
「そういえば、新聞見てきましたけど、記事は出てませんでした」
「そっか。まぁ、一日や二日ではバレないと思ってたけど。夏場だとこうはいかなかっただ
ろうけどね。腐るの早そうだから、異臭が外に漏れそうだし」
小説なんかでよくあるよね、とまるで他人事のように飯田は続けていた。高橋は気持ちが
悪くなって、顔をしかめた。
「なんで、そんなに余裕かましてるんですか? ずっと不思議だったんですけど」
高橋が首を傾げたまま、問い掛けると飯田はにっこりと微笑んだ。
「余裕だから」
その答えを聞いて高橋は絶句していた。
その後、いくら事情を訊き出そうとしても、飯田が一向に喋ろうとしないので、高橋は仕
方なく、黙り込んであまり好みではないコーヒーを口に運んでいた。飯田は鼻をぐすぐすと
鳴らしながら、高橋が借りてきた本をパラパラと捲り、何度も欠伸を噛み殺している。
今なら気が緩んで、何か口を滑らすかもしれない。高橋は手にしていたビーカーを戻し、
飯田の顔を見つめた。
- 62 名前: 投稿日:2004/02/10(火) 06:49
- 「飯田さんの会いたい人って、どういう人なんですか?」
「だから、それは黙秘だって言ってんじゃん」
高橋の思い通りにはいかず、飯田の口は堅かった。しかし、高橋としては気になるのだ。
誰かを殺して逃げている飯田が、自分の身を危険に晒してまでも、誰と会おうとしているのか、
その理由は一体何なのか。
「ほやけど、その人は飯田さんにとって、大切な人っちゅーわけやでの」
「まぁ、そうだね。高橋にはそういう人いる?」
何気ない質問をしたつもりでいた飯田は、直ぐに口を押さえた。拙いことを訊いてしまった、
といわんばかりに、顔をしかめる。しかし、高橋は全く気づかず、直ぐに口を開いた。
「……学校は違っちゃったけど、仲良しな子はいるでの」
「いたんだ」
飯田は高橋の返答を聞いて、ほっと胸を撫で下ろした。
飯田が自分の話をしようとしないと悟った高橋は質問を諦め、ぼんやりと窓の外を眺めて
いた。友達なんてものは、この学校にはいない。そんな自分が惨めなような気もする。
高橋はずきずきと痛む胸を制服の上からぎゅっと掴み、痛みに耐えるようにして顔を伏せた。
「沢山友達がいるより、数少なくても信頼出来る友達を持ってる人の方が幸せだと思うよ」
ぽつりと呟いた飯田の声を聞き、高橋は我に返った。自分の心を読んだような言葉にどきっ
とした。高橋が顔を戻すと、飯田は優しく微笑んでいた。
- 63 名前: 投稿日:2004/02/10(火) 06:50
- 後藤は豪快に欠伸をしながら、廊下を歩いていた。授業は既に始まっており、周りは静まり
返っている。磨かれた床を歩いていると、スニーカーの靴底がキュッと耳障りな音を立てる。
それでも、気にせずに歩いていたのだが、このまま教室に入るよりは、時間を潰して次の授業
から出た方がいいだろう、と途中で思いつき、踵を返そうとして動きを止めた。
視界に友人である藤本美貴の姿が入ったからだった。彼女も後藤の姿に気づき、苦笑いを
浮かべた。
「なんか、久し振りに美貴ちゃんの顔見た気がする」
後藤が声をかけると、藤本は顔をしかめた。
「そりゃ、そうだよ。生牡蠣食べたら当たっちゃってさ。ずっと家で苦しんでて、テスト受
けられる状態じゃなかったんだもん」
言われてみれば、普段から色白な顔色が青白く見える。
「別にいいんじゃない。美貴ちゃんも大学行かないんでしょ?」
「その前に卒業出来ないと意味ないじゃん」
「まぁ、そりゃ、そうだね」
後藤は壁に背をつけて、両手をブレザーのポケットへ収めながら、溜息をついている藤本
の顔をちらりと盗み見た。
隣のクラスにいる藤本は一年の頃、事故に遭い、一年間休学をしていた。その為に後藤よ
り歳は一つ上だが、同学年になっている。年上ではあるが藤本が持つ、持ち前の明るさから、
クラスメートも歳の差を気にせず、普通に接しているようだった。
どういう事故に遭ったのかは誰も知らないが、後藤も詳しい事情を訊こうと思ったことは
ない。藤本が受験をせずに卒業後はフリーターとして過ごす気でいる、という程度のことく
らいしか知らないが、それで十分だった。ある意味、自分と同じ匂いがするので、日頃から
後藤はクラスは違う藤本と仲良くしている。
後藤がまた欠伸をしていると、藤本は身を寄せて鼻を鳴らした。
- 64 名前: 投稿日:2004/02/10(火) 06:52
- 「ごっちん。煙草の匂いするよ」
「え、マジで」
腕を鼻に持っていき、後藤は匂いをかいだ。指摘されたように煙草臭いような気もするが、
常に人目につかないところで煙草を吸っているので、既に嗅覚が麻痺しており、自分ではよく
判らない。
「Banで消えるかな」
「いやいや。それ、使い方間違ってるし。そういや、ごっちんの携帯にメール送っても全く
返事が返ってこないんだけど」
「あー、あれねー」
携帯は飯田の手元にあるのだから、何度もメールを送られても後藤が知るわけがない。し
かし、事情を説明するわけにもいかないので、適当に言い訳をすることにした。
「ちょっと、携帯の調子が悪くてさー。元々、マメにレスするタイプでもないし」
「そういえば、そうだね」
藤本はにやにやと笑った。
あっさりと頷かれるのも少し情けないような気がしたが、後藤としてはそう思ってくれて
いた方が今は都合がいい。しばらくは携帯が使えないと判っているからだ。
普段から面倒臭がりな後藤は友達からメールが届いても、直ぐに返信を返す人間ではなか
った。電話はかかってきたら出る程度で用がない限り、自分からかけることもない。
教室の扉に手をかけている藤本を見て、後藤は小首を傾げた。
「今から入るの? チャイム鳴るまで待てば?」
「美貴はごっちんと違って、遅刻届け出してるんです」
「ちぇ」
笑いながら藤本が自分の教室の中へ姿を消すと、一人廊下に残された後藤は乱暴に頭を掻い
た。折角、時間潰しの良い相手を見つけたと思ったのに、逃げられてしまった。仕方がない。
一人で時間を潰すしかないだろう。時間を確認する為に、つい癖で鞄を探って携帯を取り出そ
うとしたが、飯田に奪われたままということに気づき、手を戻した。
後藤は天井を見上げて溜息をつき、旧校舎を目指して歩き出した。
- 65 名前: 投稿日:2004/02/10(火) 06:52
- >>55
有難う御座います。
タイトルはその通りです。
- 66 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/10(火) 21:08
- Banきたー!
そして軽ヤンもきたー!
続き楽しみ
- 67 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/10(火) 21:47
- 今一番楽しみにしてる小説です。
更新が嬉しくてしょーがない。
- 68 名前: 投稿日:2004/02/15(日) 08:19
- 放課後になると後藤が高橋のクラスまでやってきた。クラスメートはまた、ひそひそと何
かを話している。それでも、高橋は悪い気分がしなかった。後藤に憧れている人間がいるこ
とを知っていたので、自分が特別な存在になったような気分だ。もっといい出会い方をして
いれば、心の底から喜べただろう。高橋は鞄を手に、廊下へ出て行った後藤を追いかけた。
校舎を出て、そのまま校門へと歩き出した後藤の背中を見つめながら、高橋は首を傾げた。
てっきり、真っ直ぐ飯田がいる旧校舎を目指すものだと思っていたのだ。
「どこ行くんですか?」
「ちょっと寄り道してこーよ」
「はぁ」
また買い物かな、と高橋は思い、後藤の後を黙ってついていくことにした。部活もあるが、
予定されているコンクールなどは何もないので、しばらく休んでも大丈夫だ。
学校を出て、しばらく歩いていると街中に入った。二人と同じように学校帰りの学生の姿
がちらほら見える。同じ制服がすれ違う度に、高橋は振り返って彼女達の背中を眺めた。後
藤と一緒にいる自分はどういう風に見えているのだろう。そんなことを思っている内に、コ
ンビニを数件通り過ぎてしまった。声をかけようとしても、後藤が歩みを止めない為に、タイ
ミングが掴めない。
やがて、後藤が入ったのはコンビニではなく、ファーストフードの店内だった。
「たまにさー、無性にマックシェイク飲みたくなる時ってない?」
「あんま、ないです」
「だからー、嘘でもありますとか言えってば。まぁ、いいけどさ」
シェイクの中身が溶けていないのか、後藤は頬をへこませて一生懸命ストローを吸ってい
る。ついでに頼んでもらったハンバーガーに高橋はかぶりつき、ホットココアでそれを胃の
中に流し込んだ。後藤のように、寒い日に冷たいものを飲みたいとは思わない。
- 69 名前: 投稿日:2004/02/15(日) 08:21
- こうして後藤と一つのテーブルを囲んで食事をしている自分の姿など、数日前までは絶対
に想像することなどなかっただろうな、と高橋はしみじみ思った。年上であり、ある意味浮
いている後藤と普通に会話をすることなど、今までなら絶対に有り得ないと思っていたくらい
なのだ。それだけ後藤は自分にとって別世界の人間なのだと認識していた。
あの時、後藤の後をつけて屋上へ行っていなかったら、彼女が卒業するまで二人の関係は
変わらなかっただろう。人の縁とは不思議なものだ。
「そういえば、圭織にお弁当あげたんだってね。本人は喜んでたけど、別にそこまでしなく
たっていいのに」
「ほやけど、飯田さん、風邪引いてるから栄養のあるもんをって思ったから」
「まぁ、今日は遅刻したから私も助かったけど。絶対、遅い遅いって言われちゃってたよ」
うるさいペットだよねぇ、と後藤は迷惑そうに首を振った。
「なら、ええやないですか」
「でも、一応、こっちで弁当作ってきてるからさ。明日からはもういいよ」
「後藤さんがお弁当こさえるんですか?」
「そーだよ。これでも料理は得意だって言ったじゃん」
ふふん、と自慢そうに後藤は鼻を鳴らした。確かに、そんなことを昨日も言っていたが、
本当に料理が得意だとは思っていなかったので、高橋は素直に驚いていた。
「そういえば、後藤さんって全然受験勉強してるように見えませんけど、受験しないんですか?」
「やんないよ。卒業したらお母さんがやってる店で働くし」
テーブルの隅に置かれてある灰皿を、もの欲しそうに見つめている後藤を顔を眺めながら、
高橋は少し顔色を曇らせた。
- 70 名前: 投稿日:2004/02/15(日) 08:22
- まず、今後の進路について何も考えていないと思っていた後藤が、意外にもしっかりとした
意思を持っていることに驚いた。そして、来年受験生になる自分がまだ何も考えていないこ
とに焦りを感じた。
やりたいことも見つからず、テストさえまともに受けられる状態ではない自分。このまま、
何も考えず、流れに身を任せていたら、のちに自分の首を絞めてしまうことになるのは目に
見えている。
高橋が重い溜息をついている姿を後藤は見逃さなかった。
「高橋は頭悪そうだけど、大学行くの?」
「別に頭悪いわけやないけど……ただ、力抜いてるだけで……」
徐々に小さくなっていく高橋の声を聞いて、後藤は眉間にしわを寄せた。
「何それ? どういうこと?」
「それは……」
高橋は俯いて、ぼそぼそと後藤に自分の事情を話し始めた。
いつでも前向きな姿勢を崩さない後藤に話せば、何かいい助言をもらえるかもしれないが、
逆に馬鹿にされそうな気もしていた。そして、その予想は当たっていた。
高橋が全て話し終えると、後藤は呆れ顔で、ほどよく溶けかけているシェイクを手に取り、
音を立ててすすった。
「あんた、やっぱバカだねぇ」
「……ほやけど、しょうがないやないですか」
高橋が頬を膨らませると、後藤は背もたれにどっかりと身を預けて大きな欠伸を一つした。
「ほやけど、じゃないよ。バカじゃなくてアホだね」
「どっちも同じやないですか」
「あのさ、考えてもみなよ。高橋が手を抜いても抜かなくても、結果は同じなんだよ」
「同じって?」
「ハブられた人は自分から動かない限り、永遠にハブられるってわけ」
「…………」
どうしろというのだろう、と高橋は更に頬を膨らませた。自分から動けと言われても既に
八方塞で動きようがない。自分から声をかけてみても、無視されてしまうのだから。そのこと
を告げると後藤は腕を組んで顔をしかめた。
- 71 名前: 投稿日:2004/02/15(日) 08:23
- 「っていうかさぁ、こういう女特有の陰険さって気持ち悪いね。あー、やだやだ」
後藤は首をすくめてポテトを口に放り込み、また話を続けた。
「それじゃあさ、考え方を変えてみたらどう? 結果が同じならさ、真っ向からテスト受け
て、遠慮なく一位取ればいいんだよ。あんたのいうことが言うことがマジなら、いい成績取れ
るわけでしょ? こんなことで将来を棒に振るのはアホだよ。どうせ、あと一年そこそこなん
だし、それくらい耐えて、いい大学行けばいいじゃん」
「…………」
「それにさ、別にそんな奴らと仲良くする必要なんてないと思うけど。っていうか、他の友
達作りな。人は余るほどいるんだし」
「…………」
「高橋ってさぁ、喋る時は何も考えないで喋ってんのに、そうじゃない時は無駄に悩むね」
「……ほっといてください」
反抗してみたものの、後藤が口にした言葉で、高橋は胸のつかえが取れたような気分にな
っていた。
今まで高橋は後藤のような考え方をしたことがなかった。それどころか、今まで相談する
相手すらいなかったのだ。暗闇に包まれた狭い部屋の中で立ち往生しているような現状に、
少しだけ小さな光が見えたような、そんな希望が出てきた。それまで、周りの反応にいちい
ちビクついて、何も出来ずにいた弱い自分が滑稽に思えてきたくらいだった。
どうせ、嫌われるのなら、とことん嫌われてやろうじゃないか。こうなったら、完全に開
き直ってやる。約一年、誰とも仲良くなれなくても、大学に行けば新しい友達が出来るはず
だ。そう思うと今直ぐにでも家に帰って、勉強がしたくなった。
高橋は本当に単純だった。
「話聞いてくれて、有難うございました」
「何、もうテンション戻ったの? 本当に単純だね。勧誘とか気をつけなよ」
後藤は呆れたように呟いていたが、
「まぁ、いいや。時間潰しにもなったし」
「へ?」
思いがけない言葉に高橋は首を捻った。
- 72 名前: 投稿日:2004/02/15(日) 08:25
- 「そういえば、早く飯田さんのところへ行った方がええんやないですか? お腹空かせてる
かもしれんし」
「今はまだダメー」
「なんで?」
後藤が何を躊躇しているのかが、高橋にはよく判らない。確かに、日が沈んでからの方が、
生徒の数も減っているだろうし、安全なのかもしれないが、飯田を待たせるとまた文句を言
ってきそうだ。世話してもらっている側の態度が大きいというのも、問題があるとは思うが、
身動き出来ない状況なのだから仕方がない。
「高橋ってさぁ、早く死ぬ予定でもあるわけ? なんか、死に急いでるみたい」
「何ですか、それ」
「せっかちだっつってんの」
「飯田さんのことと、それは関係ないやないですか」
「マジで判んないかなぁ。周りよく見てみ?」
後藤は呆れ顔で、またストローに口をつけた。高橋は言われた通りに振り返ってみた。
店内は学校帰りの学生だらけだ。それに同じ制服姿も思ったよりも多く見える。その中に
は同じクラスの人間もいた。彼女達は高橋と目が合うと、慌てて顔を背けてしまった。
「じっと見ない」
後藤は両手を伸ばして、高橋の顔を自分の方へ無理やり向けた。高橋は表情を固めて、
瞬きを数回繰り返すことしか出来ない。
今まで彼女達の存在に全く気づいていなかった。あの様子だとずっとこちらを見ていたの
かもしれない。一体、何が気になるというのだろう。高橋はそわそわと落ち着きをなくして、
冷たくなっているココアを口に運んだ。
- 73 名前: 投稿日:2004/02/15(日) 08:26
- 「どーも、高橋のこと無視しときながら、気になるみたいだね。何考えてんだか」
「もしかして、追いかけてきたんですかね」
「もしかしなくても、そうだよ。ずっと学校から、つけてきてたもん」
「おぇー!」
「デッカイ声出さない。っていうか、やっぱ、気づいてなかったわけね」
溜息をついて、後藤は既に冷めて固くなっているポテトを口に放り込んだ。
後藤と自分の関係を不思議に思った彼女達は、気になって後をつけてきたのだろう。最初
から彼女達が自分達をつけていることに気づいていた後藤は、真っ直ぐ調理室へ向かうこと
を止めて、わざと寄り道をしていた。しばらく、ここで時間を稼いでいれば諦めて帰るだろ
う、と考えていたようだ。
何も気づけなかった高橋は、後藤の勘の良さにただただ感心していた。
「後藤さん、ホンマに犬みたいや」
「何それ?」
ストローをくわえたまま、後藤はきょとんとしていた。
「飯田さんが言うてた。後藤さんは犬みたいやって」
「私、犬に顔が似てるって言われたことなんてないよ」
「どちらかというと、人面魚ならぬ、魚面人やでの」
「アンタのその低い鼻を更に低くしてあげよっか?」
憮然とした表情をして、後藤が握りこぶしをテーブルの上に出しても、高橋は顔色を変え
ずに口を開いた。
「あぁ、そうや。鼻が利くから犬みたいって言うてたんや、飯田さん」
「……早く、あいつら帰んないかな」
後藤は頬杖をついて、高橋から顔を背け、遠い目をして呟いた。
- 74 名前: 投稿日:2004/02/15(日) 08:28
- しばらく、二人で時間を潰していると傍に誰かがやって来た。窓の外を眺めていた高橋は
その気配を感じ取り、顔を上げた。そして、相手の顔を見てどこかで見たことがある、と考
え、直ぐに顔色を変えた。目の前にいるのは藤本だった。後藤も少し意外そうな顔をしてい
る。
「あらら。美貴ちゃん、何してんの?」
「何って、お腹空いたから」
藤本は手にしているトレイを後藤の顔の前に近づけた。胃に優しくないものばかりが並ん
でいるのを見て、後藤は片眉を上げた。
「牡蠣食べてぶっ倒れてた人が、こんなもん直ぐ食べれるの?」
「じゃあ、残ったやつ、ごっちんが食べてよ」
そう言いながら、藤本は勝手に後藤の隣に腰を下ろし、高橋の顔を見て何度か瞬きを繰り
返した。
「あ、ゴメン。いたんだよね」
「はぁ……」
自分の存在を忘れられていたことに少し傷ついたりもしたが、高橋は平静を装った。
「藤本先輩ですよね。名前は知ってます」
「なんで、知ってんの?」
「え、いや、あの……」
高橋はオロオロしながら無意識に後藤へ助けを求めていた。しかし、後藤は知らん顔をし
ている。
高橋にとって藤本もある意味、有名な人物だった。後藤のように問題児というわけではな
いのだが、見た目が目立つ上に普段から目つきが鋭いので、怖がっている人間もいれば、憧
れを抱く奇特な人間もいた。高橋個人の印象としては、藤本から他人を寄せつけないオーラ
みたいなものを感じるので、自分とは性格的に合わない人だろう、と思っていた。それは、
学年が違うという理由もあるが、藤本が留年しているという噂も耳にしていたからだった。
- 75 名前: 投稿日:2004/02/15(日) 08:30
- 「この子はごっちんの友達?」
何も喋ろうとしない高橋に見切りをつけて、藤本は後藤に問い掛けた。
「まぁ、そうだね。二年の高橋愛ってーの」
「ごっちんが年下と付き合ってるっていうのも珍しいね」
ポテトを口に入れながら、藤本は高橋の顔を見た。その視線を感じて高橋は俯く。
物凄く居心地が悪かった。この三人には共通の話題があるわけでもない。元々、高橋は喋
り下手なので、積極的に何か面白いと思われる話を振る勇気もなかった。
高橋が俯いている間に、後藤と藤本は下らない世間話に花を咲かせていた。その輪には入
れないので、店内をグルリと見回してみると、客の数はかなり減っており、いつの間にか、
クラスメートの姿も見えなくなっていた。時間稼ぎには丁度良かったのかもしれない。高橋
がほっと胸を撫で下ろしていると、急に後藤に話を振られた。
「え? 今、何か言いました?」
「案の定、空気読まないね」
後藤は呆れ顔で溜息をついていた。しかし、同じ言葉を二度口にする気はないようで、黙
り込み、頬杖をついて近くの席で騒いでいるセーラー服の固まりに視線をやった。
「高橋さんって、何か部活に入ってんの?」
後藤が視線を外してしまった所為からか、今まで高橋に何の興味も持っていなかった藤本
が、その場を取り繕うようにして話題を振ってきた。
「合唱部ですけど」
「運動部じゃないんだ? ちょっと意外。運動出来そうな感じがしたから」
「藤本さんの方が出来そうですけど。そういえば、部活って何に入ってたんですか?」
尋ねた途端、高橋は自分の足に痛みを感じて顔をしかめた。テーブルの下で誰かに蹴飛ば
されたのだ。
高橋は痛む足を撫でながら、後藤を睨みつけた。蹴飛ばされた方向から考えると犯人は後
藤しか考えられないのだが、相変わらず、顔を背けて無関心を装っている。
文句を言おうとしたが、それより先に目の前にいた藤本が立ち上がったので、高橋は驚いた。
藤本の顔は誰の目から見ても明らかに不機嫌になっており、目も鋭くなっている。
- 76 名前: 投稿日:2004/02/15(日) 08:31
- 「悪いけど、帰る」
「うん。そだね」
後藤はあっさりと答えていたが、高橋は呆気に取られていた。藤本は高橋を一瞥して、トレ
イもそのままに外に出て行ってしまった。
「あっれー。美貴ちゃん、全部食ってるじゃん」
後藤は藤本が残していったトレイを見て、拍子抜けしたような顔をしていた。食べ残しを
危惧していたわりに、トレイには何も乗っていない。綺麗に片付いている。
「全然、胃の調子悪くないんじゃん。ねぇ、高橋もそう思わない?」
「……あの」
「何?」
「あたし、何か機嫌を損ねるようなこと言いました?」
「うん。言ってた」
「…………」
高橋の顔色が青ざめてしまったのを見て、後藤はぽりぽりと頬を掻いた。
「美貴ちゃんって留年してるんだけど、それは知ってる?」
「……はい。理由は知らないけど」
「事故に遭って、それが原因で左腕に後遺症が残ってるらしくてさ。利き腕じゃないから普通
に生活するには問題ないんだけど、バレー部にはいられなくなってね。結構、真面目に部
活やってたらしいから、ショックが大きかったらしくってさ」
「…………」
「だから、それ以来、そういう話はタブーになってんの」
早く言ってくれればいいのに、と高橋は恨めしい視線を送ったが、後藤は気づいていなか
った。悪気は全くなくても、心の傷に塩を塗るようなことを口にしてしまったのだ。藤本と
は一生仲良くなれないのだろうな、と高橋は肩を落とした。
- 77 名前: 投稿日:2004/02/15(日) 08:32
- 周りに同じ制服の人間が完全に見えなくなってから、二人はコンビニに寄り、飯田の夕食
を買い込んで学校へ戻った。既に運動場で汗を流していた運動部の人間の数も減り、周りは暗
闇に包まれている。
「今日は遅いじゃん」
飯田は二人の顔を見るなり、咳をしながら苦しそうに呟いた。その声は朝よりも鼻声にな
っており、寒気を感じるのか、毛布をぐるぐると身体中に巻きつけている。更に風邪が悪化
してしまったようだ。それでもラジオのイヤホンはしっかり耳にはめている。事件の経過が
気になるのだろう。飯田の様子が変わらないので、まだ何も見つかっていないということく
らいは高橋にも察することが出来た。
後藤は素知らぬ顔をして、コンビニで買ってきたあずきの棒アイスに噛りついていた。見
ているだけでも寒くなる。
「あ、そうそう。この小説面白かったよ。高橋とは本の好みが合いそう」
飯田はそう言って、調理台の上に置いてある今朝渡した本を指差した。早速、読んでくれ
たことと、自分が好きな小説を気に入ってくれたことが嬉しく思えて、高橋は笑みをこぼし
た。
「そういや、小川って人から電話あったみたいだよ」
「麻琴から? ……って、なんで、判るんですか?」
「ディスプレイに名前出てたから」
鼻をかんでいる飯田の顔をぎょっとして見つめ、そういえば、自分の携帯が奪われたまま
だった、ということに高橋は今頃思い出した。
「…………携帯返してやよ」
「まだ、ダメです」
飯田はさらりと答え、後藤に手渡されたミネラルウォーターで錠剤の薬を飲み込んだ。ど
うやら、昼に来た時に後藤が買ってきていたものらしい。何かを食べてから飲めばいいのに、
と高橋が思っていると、薬を飲み終えた飯田はまた毛布を引き寄せて口を開いた。
「あ、そうそう。二人にお願いしたいことがあったんだ」
- 78 名前: 投稿日:2004/02/15(日) 08:34
- >>66
有難う御座います。
レスを頂けると本当に嬉しいと思っています。
>>67
有難う御座います。
更新の速度を上げられるように今後は頑張ります。
- 79 名前:名無しどくしゃ 投稿日:2004/02/16(月) 16:31
- この三人というのが面白いですね。
マコは今後出て来るのでしょうかドキドキ
- 80 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/17(火) 03:46
- 面白い。続き期待。
更新楽しみにしてます。
- 81 名前:名無し太郎 投稿日:2004/02/18(水) 21:32
- 普通じゃない学園物って意外と珍しいんだよなぁ。
しかも突飛な組み合わせの登場人物。
飼育を覗きに来るのはほとんどこの作品目当てです。
- 82 名前: 投稿日:2004/02/21(土) 09:26
- 二人が校門を出る頃には日もすっかり沈み、暗くなっていた。周りには街灯らしきものが
等間隔にぽつんぽつんと配置されているだけで、他に道を照らす光はない。街頭も寿命が近
いのか、今直ぐにでも切れそうなくらい光が弱かった。空を見上げると雲に隠れている為に
月の姿が全く見えず、高橋は溜息をついた。
暗闇に近い道を進む後藤の歩調はのんびりとしている。その背中を見失わない程度の距離
を保ちながら、高橋は歩いていた。その足取りは重い。
「後藤さん、やっぱ、止めましょうよ」
「なんで?」
「絶対、ヤバイですって」
「そりゃ、そうだよ。ヤバイの承知で行くんだよ」
後藤は振り向きもせずに、鼻唄を歌っていた。こういう状態になってしまうと、何を言って
も無駄ということは既にもう判っている。それでも高橋は言わずにはいられない。
「現場に行くとこなんか、誰かに見られたら、あたし達が怪しまれるでの」
後藤からの返事はなかった。予想通りではあったが、高橋は心底落胆した。どうしても、行
かなくてはならないのだろうか、という後ろ向きな考えを抱いてしまう。それも仕方がないこ
とだった。誰だってそう思うはずだ。
死体がある部屋に行って欲しいと頼まれて、躊躇しない人間は、きっと後藤一人くらいだ
ろう。
飯田の頼み事は、家に行ってキャッシュカードを取ってきて欲しいというものだった。後
藤に散々買い物をさせておきながら、今頃になって金の心配をするというのもおかしい話だ
が、後藤は一つ返事で了解していた。高橋にとっては、その方が不思議だった。
- 83 名前: 投稿日:2004/02/21(土) 09:32
- まだ死体が発見されていない状態だとしても、のちに現場付近でうろついていた人物につ
いて警察が調べることになる。それくらい、高橋にも判る。もちろん、後藤も気づいている
だろう。それでも、彼女は行くと言うのだ。一体、何を考えているのだろう、と思わずには
いられない。飯田の話を全て狂言だと思っているのだろうか。
「っていうか、圭織もバカだねぇ」
白い息を吐きながら、後藤がぽつりと呟く。高橋は後ろで首を捻っていた。
「なんで?」
「だってさ、カードなんて使えるわけないじゃん。警察にバレた後でも前でも。履歴が残っち
ゃうんだから、金を引き出したら近くにいるってことがバレバレでしょ。それに遠い場所のA
TM使ったとしても、結局は防犯カメラに映っちゃうだろうし」
もっと、まともな嘘をつけばいいのに、と後藤は小馬鹿にしたような笑い声を出した。
言われるまで、何も気づかなかった高橋は自分の頭を軽く小突いた。しかし、何故飯田が
嘘をついてまで、二人を自分の部屋へ行かせているのか、その理由は判らない。
「ほやけど、なんで、嘘って判ってて行くんですか?」
「面白そうだから」
「また、それですか」
「うん」
後藤は当たり前だ、と言わんばかりに頷いた。このやり取りももう慣れてきた。自分には
何も判らないが、後藤には飯田の考えが判っているのかもしれない。何となく、高橋はそう
思った。
飯田に書いてもらった地図を頼りに後藤は先を歩いていたが、殆ど暗闇に近い状態だとい
うのに本当に見えているのだろうか、と高橋は不安になった。街頭の数も減っている。しか
し、そんな心配は無用だった。気がついた時には既にアパートらしき建物が横並びに並んで
いる路地に入っていた。
校門を出た時からこの路地に入るまでの間、誰一人ともすれ違うことなく、無事に辿り着く
ことが出来た。神様に感謝せずにはいられない。時間的に会社帰りに一杯ひっかけて、帰途に
つくサラリーマンくらいいそうなものだが。ここらにあるアパートには一体どういう人間が住
んでいるのだろうか、と不思議に思ってしまうくらいだ。
- 84 名前: 投稿日:2004/02/21(土) 09:34
- 「あ、ここだ」
後藤は立ち止まって建物を見上げた。それに倣って高橋も見上げた。真っ黒なコンクリー
トで造られたアパートというより、ビルみたいな大きな建物が目の前にある。まるで廃墟のよ
うな佇まいだった。この建物の中で生活している人がいるようには、とても見えない。
高橋は周りを見渡した。人の気配はしない。玄関口に灯りもないので自信はなかったが、
何となくホッとした。自分達も暗闇と一体化していると思えたからだ。
脇にあった階段を上り、廊下に出るとやはり人の姿は見えなかった。廊下の蛍光灯は壊れ
ているのか、ついたり消えたりを繰り返して、薄暗い。
突きあたりが飯田の部屋だった。鍵は飯田から手渡されている。後藤は躊躇いもせずに、
その鍵を使って扉を開けた。直ぐに入るのかと思いきや、後藤はくるりと振り返り、高橋に
向かってにっこりと笑った。薄暗いので、その笑みが気持ち悪く見える。何となく嫌な予感
がして高橋が表情を固めていると、後藤は自分の鞄からガムテープを取り出した。
「一応、念の為ってことでね」
後藤は小声でそう言いながら、手にしていたガムテープを数十センチ伸ばしてそのまま切
り取ると、固まっている高橋の口元にべったりと貼り付けた。文句を言おうとしても、もが
もがと言葉にならない。その状態を見て後藤は満足そうな笑顔を作った。
何を見ても悲鳴をあげないように、という後藤なりの気遣いだったのだが、高橋はそのこ
とに気づかず、むしろ不愉快に思い、眉を寄せた。
「くれぐれも指紋つけないようにね」
後藤は高橋にそう告げ、ズカズカと部屋の中に入っていった。後藤は登下校中に使用して
いる手袋をしているが、高橋は素手だった。全く無関係なのに、指紋を残して犯人に間違わ
れても困る。髪の毛とかが落ちた場合はどうしたらいいのだろう、と不安に思いながら、高橋
は顔を強張らせて、ポケットに両手を突っ込んで、ブレザー越しに扉を閉じた。
部屋の中は真っ暗だが、電気をつけるわけにもいかない。この状態では前に進むことも困難
だ。壁に手を触れつつ、高橋は目を凝らしながら、ゆっくり歩く。先に進んでいた後藤が立ち
止まっていることに気づいたのは、玄関の上がり口を数歩ほど進んでからだった。
- 85 名前: 投稿日:2004/02/21(土) 09:37
- 後藤はガサゴソと物音を立てながら、何かを鞄から取り出していた。その音は静まった部
屋の中ではよく目立つ。やがて、彼女が取り出したのは、旧校舎の職員室に転がっていた懐
中電灯だった。
カチリという硬質な音と共に、ぼんやりとした弱い光が部屋の中に広がる。ゆらりと動く
その光を頼りに後藤の背後から部屋の中を見てみると、家具らしいものがチラホラと見て取
れた。窓には分厚いカーテンがかかっているので、外に漏れる光は極僅か程度だろう、と高橋
は考えた。そうであって欲しいという希望だ。
そして、問題のものが視界に入った。
高橋は慌てて口を手で塞いだが、その前に小動物の鳴き声のような声を漏らしてしまった。
口にしていたガムテープの所為でその程度で済んだが、そうでなければ、大きな悲鳴をあげ
ていただろう。高橋は身体中から力が抜けて、へなへなとその場に座り込んでしまった。
ほんの少しだけ、まだ飯田のことを疑っていた。実は殺人犯などということは全くのデタラ
メで、こうして二人を自分の部屋に寄越したのも実は何もない、という種明かしをするつもり
なのだろう、と心のどこかで思っていた。それを高橋は望んでいた。
しかし、そうではなかった。事実だった。飯田の言っていたことは全て真実だった。
ガタガタと震えている高橋とは対照的に、後藤は全く顔色を変えず、光を頼りに注意深く足
元を確認して、しゃがみ込んでいた。
後藤の目の前で若い男性が倒れている。腹部周辺の絨毯はどす黒い血で染まっていた。数日
経っている為に、血はもう乾いているようだ。年恰好は高橋達と同じくらいのようにも見える
が、うつ伏せになっているので、その顔は見えない。
高橋はこれ以上、見たいとは思わなかった。近寄りたいとも思わない。口元を押さえて、胃
の痙攣に耐えることしか出来なかった。
- 86 名前: 投稿日:2004/02/21(土) 09:38
- 後藤は身を乗り出して、倒れている人間の顔をじっくりと見ていた。凶器は包丁で、刺さっ
たままの状態ではなく、一度引き抜かれて傍に転がっている。手に取ることはしなかったが、
後藤は光を当てて、包丁を見つめている。
気持ち悪く思わないのだろうか、と高橋は顔色を無くして、腰が抜けたままの放心状態で後
藤の背中を見つめていた。
「うーん、マジで死んでるねぇ」
さすがに死体には触れられないのか、後藤は唸りながら呟くと、直ぐに立ち上がって部屋
の捜索を始めた。彼女の興味は死体の観察から、飯田の頼まれ事に切り替わってしまったよ
うだ。嘘だと判っているものの、依頼されたものは持って帰るつもりらしい。
動けない高橋のことなど全く気にしていないようで、後藤はテキパキと部屋の中を隈なく
捜索して、飯田のカードを見つけた。しかし、その表情はどこか浮かない。部屋の中をまだ
きょろきょろと見渡し、時折、首を捻っている。最後には瞼を閉じて何か考え込んでいた。
しばらくすると、後藤は唸りながら、懐中電灯を手に玄関の方へ歩いて行った。そして、
ドアを開けて姿を消すと、部屋は暗闇に包まれてしまった。一人取り残されてしまった高橋
はようやく我に返り、自分の身体を抱きかかえるようにして脅えていた。
暗闇は昔から苦手だった。何の音もしないと自分の存在さえ不気味に思える。しかも、今は
死体と二人っきりだ。突然動き出したりしないだろうな、と怯えつつ、床に尻をついたままの
状態で、じりじりと玄関の方へ後退する。
やがて、後藤が消えた方向から水音が聞えてきた。それまで身体を震わせていた高橋は口
をあんぐりと開けた。こんな状況でトイレを利用することが出来る神経が信じられない。
「用は済んだし、帰ろうか」
洗面所から出てきた後藤はそう言い、未だに座り込んでいた高橋に向かって手を差し伸べ
た。何事にも動じない後藤の性格が心底羨ましいと思ったのは、この時が初めてだったかも
しれない。
トイレから聞えてくる水音が高橋の耳には、やけに目立って聞えた。
- 87 名前: 投稿日:2004/02/21(土) 09:40
- 学校には戻らずに後藤と別れ、高橋が顔色を無くしたままの状態で家に帰った。母親はその
顔を見るなり、頬に手を当てて心配そうな表情を浮かべた。
「朝より、調子悪くなってるやないの。今日は、はよ寝なさいね。ご飯は?」
「ゴメンね。今日もええわ」
「明日も続くようなら、お医者さんに診てもらわな」
「……あ、弁当箱忘れた」
「ほんなのはええから。もう寝なさい」
母親は高橋の背中を優しく押しながら、階段まで連れて行った。本当は飯田から弁当箱を
返してもらっていないだけなのだが、言い訳するわけにもいかず、黙り込むしかなかった。
自分の部屋に入るなり、鞄を机の上に放り出して、高橋はベッドへ寝転んだ。まだ胃の辺
りがムカムカする。眉を寄せて生唾を何度も飲み込んだ。
暗闇ではっきりとは見えなかったが、初めて死体を目にしたのだ。瞼を閉じるとその姿が
鮮明に蘇ってくる。暗くてまだ良かった方なのかもしれない。昼間にあんなものを見てしま
ったら、気絶していただろう。高橋は弱々しい溜息をついた。疲労は激しかったが、逆に目が
冴えて眠れそうにない。
気を紛らわせようと思い、ガラステーブルの上にある電話の子機を手に取り、動きを止め
た。しばらく、携帯に頼っていた為に、電話をかけようにも番号が判らない。重く感じる頭を
軽く振りながら、机の引出しに入れてある電話帳を探した。
電話がかかってきていたという小川麻琴に電話をかけると、直ぐに繋がった。
「あー、やっと電話かかってきた。何度かけても繋がんないし、メール送っても返ってこな
いからさぁ。ちょっと、心配してたんだよね」
小川の、のんびりとした口調を聞いていると落ち着く。高橋は苦笑いを浮かべた。
「……ごめんね」
「んにゃあ、別に大丈夫だよ。あ、でも、携帯の留守電の設定変えてくんないかなぁ。あん
なんじゃ、メッセージ残せないよ」
「え? なんで?」
「電話したらさぁ、女の人が出たんだよね」
「…………まさか」
高橋の強張った呟きには気づかず、小川は相変わらずのんびりとした口調で続けた。
- 88 名前: 投稿日:2004/02/21(土) 09:42
- 「えーと、確か……、おかけになった電話の持ち主は只今、電話に出ることが出来ません。
メッセージのある方は簡潔な言葉でよろしくーって。言われた通り、簡潔な言葉を探してたら、
あっという間に切れちゃったんだよね」
「…………」
「私の場合、あんなに短かったらさー、何度チャレンジしてもメッセージ残せないっつーの。
丁寧なようで、そうでもなかったし。一体、何なの、あれ」
高橋は呆然としていた。
一体、何を考えているのだろう。空気が読めないと人のことを言うわりには、飯田も十分
おかしな行動をしている。そんなことを思いながら、高橋は頭を力なく左右に振った。
飯田の家にさえ行かなければ、あんなものさえ見なければ、小川が携帯に向かって必死にな
っている姿を想像しては、それを馬鹿にしたりして、楽しく会話をすることが出来たのだろう
が、やはり、そんな気分にはなれない。
「……そんなことより、何か用だったの?」
「あぁ、そうそう。あさ美ちゃんから電話あってさぁ」
「へぇ……。今でも、まだ仲ええんやね」
三人共同じ中学の出身だった。高橋と紺野は中学の頃から、余り会話をしたことがない。
しかし、小川だけは違った。高橋もそうだが、紺野とも中学の頃から仲がよく、高校が別にな
った今でも付き合いがある。
「最近、愛ちゃんがヤンキーな先輩と付き合ってるとか言ってて、心配してたんだよ」
「ヤンキーな先輩?」
「そう言ってたけど、違うの?」
「ちゃうよ。あさ美ちゃんがそんなこと言うてたの?」
高橋は少し驚いて尋ね返した。
「いや、ちょっと変わった人と付き合ってるって言ってたかなぁ」
どうやら、小川の頭の中で勝手にヤンキーという言葉に変換されていたらしい。自信なさ
そうな声色に変わっていた。
高橋は子機を握る手を変えて、腰の辺りでゴシゴシと拭った。いつの間にか、うっすらと
湿っている。
わざわざ紺野が小川にそんな報告をしているとは思ってもみなかった。二人の会話の中で
自分の話題が出てくることすら、想像したことがない。何より驚いたのは、小川の方から口
にしたのならまだしも、紺野が自分の名を出していたということだった。
- 89 名前: 投稿日:2004/02/21(土) 09:44
- 紺野自らが進んで自分の話をする姿を、高橋が思い描くことは難しかった。それだけ、中
学の頃から二人の関係には、かなり分厚い壁があった。同じ仲の良いグループの一員でも、
全員が全員仲が良かったわけではない。気が合う子もいれば、そうでもない子もいる。高橋
にとって紺野は後者だった。
一対一で出かけることもなく、紺野の方から声をかけてくることも、数少なかった。高橋
も余り話し掛けたことがなかった。心に残る会話をした覚えもない。思い出もない。同じグ
ループにはいたが、自分達は決して親しい関係ではなかった。それは高校で同じクラスにな
っても同じことだった。
ある意味、高橋がクラスではみ出してしまった事件に関係している紺野だが、それ以前と
それ以後の態度は何も変わらない。最初から高橋対して興味を持っていないようにも見える。
彼女のことを多少知っているからこそ、根に持つだけ無駄だと割り切り、高橋も気にしないよ
うにしていた。
元々、紺野は独特の雰囲気を持っている人間で、何を考えているのかよく判らないところ
がある。そこが苦手で、高橋は紺野と距離を置いていた。自分と仲がよかろうが、そうでな
かろうが、苦手な人間というものは存在するものだ。きっと彼女も自分と同じような気持ち
を抱いているのだろう、と高橋は思っていた。
それなのに、どうして紺野が後藤とのことを口にするのだろう。気のするのだろう。考え
れば考えるほど、高橋は苛立ちを覚え、口を歪めた。
「愛ちゃん? ちょっと聞いてんの?」
黙りこんでしまった高橋の耳に、不安そうな小川の声が届いた。
「あ、うん。別に大丈夫だよ。先輩もええ人やし、心配するようなことないでの。あさ美ち
ゃんにもそう言うといて」
「何言ってんの。同じ学校なのはそっちなんだから、自分で言いなよ」
その後も楽しそうに喋る小川の話を聞きながら、高橋は適当に相槌を打っていた。胸の奥
では、まだ紺野への不愉快な想いを抱えたままで。
- 90 名前: 投稿日:2004/02/21(土) 09:46
- 翌朝、高橋は寝不足でぼんやりする頭を押さえながら、一階へ降りた。親に朝の挨拶をし
て洗面所へ行き、顔を洗って頭の中をはっきりさせようとしたが無駄だった。元々、色白だが、
鏡に映る自分の顔色がいつもより悪く見えて、高橋は深い溜息をついた。
「愛、どうしたの? そんな顔して」
洗面所から戻って来た高橋の顔を見て、母親は訝しげに尋ねてきた。それでも高橋は上の
空で、席に着いて箸を手にした。しかし、胃が食べ物を拒否している。高橋の様子を見てい
た母親と父親はお互いに顔を見合わせて首を捻っていたが、直ぐにテレビへと興味を移して
いた。
「あら、ここ愛の学校の近くやない?」
母親の言葉に反応して、それまで高橋の頭の中にあった霧が晴れた。
見たことのある風景がテレビ画面に映っている。間違いなく、昨日の晩に歩いた道だった。
やがて、画面はある建物に切り替わった。それは、朝でも黒ずんで見えるコンクリートの建
物、飯田のアパートだった。現場には野次馬が沢山わいて出てきている。その映像を見て高
橋の手から箸がぽろりと落ちた。
ついに見つかった。警察に見つかった。
気が遠くなりそうになっている自分の意識を強引に押し留めて、高橋はテレビから聞える
声に耳をすませた。ボリュームを上げたいところだが、両親に怪しまれてしまうので、我慢す
るしかない。テレビからは、この建物の二階に住む女性の部屋から、男性の死体が発見された、
という内容が報道されている。
胸部を刃物で刺された二十歳前後の男性の身元はまだ不明。そして、部屋に住んでいる女
性は現在、行方不明になっており、何らかの事件に巻き込まれた可能性が大きい、とレポー
ターが現場から伝えている。何度も噛むので聞き取り難い。死亡推定時刻などは、まだ警察で
調べている最中なのか、何も触れていなかった。
- 91 名前: 投稿日:2004/02/21(土) 09:48
- 高橋は顔色を真っ青にして、瞬きもせずにテレビに映し出されている建物を見つめていた。
のちにモザイクがかかった第一発見者の男性がのんびりとした口調で状況説明をしている映
像になった。
異変に気がついたのは、夜中に会社から帰宅した第一発見者としてテレビカメラに向かっ
て話をしている隣人だった。自分の部屋に戻ろうとしたところ、どこからか流れている水の
所為で廊下がビショビショに濡れていた為に、転倒してしまったらしい。モザイクがかかって
いない顎が赤くなっている。
女性の部屋から水が漏れていることに気づいた隣人は文句を言いながら、管理人に連絡し
た。話を聞いて不審に思った管理人が部屋の鍵を開けると、風呂場から大量の水が溢れ出し
ており、部屋中水浸しになっていた。その時に部屋の中で倒れていた男性を発見した、とい
うことだった。
「風呂の水を出しっぱなしにして、出かけてたっちゅんなら迷惑な話やでの。それにしても、
ここらへんも物騒になったもんやぁ」
そう言いながら、父は立ち上がり、荷物を持って玄関へ向かっていった。母親もそれを見
送る為に追いかけていった。まさか、自分の娘が犯人を知っているとは思いもしないだろう。
高橋はぴくりとも動けず、凍りついていた。
昨日、あの部屋に入った時は水など溢れていなかった。床に座り込んだ自分が濡れていな
いのだから、断言出来る。ということは、考えられることは一つ。後藤しかいない。帰り際
に洗面所に入った彼女がやったのだ。
一体、何の為に――。高橋は混乱していた。
飯田を追い詰めるようなことを何故後藤がしたのか。面白ければ何でもいいと考えている
彼女ならやりかねない。この際、飯田のことは考えず、死体が見つかった方が今よりももっ
と面白い状況になるだろうとでも考えて、彼女はわざとあんなことをしたのかもしれない。
今回のことはゲームみたいなものだ、と口にする後藤の姿は容易に想像出来る。
- 92 名前: 投稿日:2004/02/21(土) 09:50
- 一体、飯田のことを何だと思っているのだろう。ただのゲームの駒としか思っていないの
だろうか。しかも、全く無関係だったはずの自分には、選択権や考える時間を与えずに、問
答無用状態で巻き込んでいるのだ。後藤は自分さえ面白ければいいとでも思っているのだろう
か。他人のことなど全く考えないのだろうか。憎しみが頭をもたげてくる。
「……裏切り者」
高橋は怒りで顔を歪めた。
いてもたってもいられなくなってしまい、急いで自分の部屋へ戻ってから鞄を手にして玄
関へ向かった。父親を見送った母親がその形相に驚いていた。
戸惑っている母親の声を背に受けながら、高橋は全速力で学校へ向かった。
- 93 名前: 投稿日:2004/02/21(土) 09:51
- >>79
有難う御座います。
ちらっと出てきました。
>>80
有難う御座います。
更新速度が上がらず、申し訳ないです。
>>81
有難う御座います。
ご期待に答えられるよう頑張ります。
- 94 名前:名無し太郎 投稿日:2004/02/21(土) 23:54
- うぉ、そういう展開かぁ。
目の離せない展開に胸を高鳴らせつつ(笑)、大人しく次回更新待ち。
- 95 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/24(火) 21:53
- こんなに続きが待ち遠しい小説は初めて
- 96 名前: 投稿日:2004/02/28(土) 20:06
- 調理室へ辿り着くなり、高橋はのん気に寝ている蓑虫の背中を思いきり、蹴飛ばした。
普通なら、こういう状況で飯田にどんな顔をして会えばいいのだろうか、と戸惑うところ
だろう。協力者だったはずの後藤に裏切られたかもしれないのだ。そのことを知ったら飯田
はどういう反応を見せるだろう。逆上されて、自分が被害に遭うかもしれない。そんなこと
はしないと信じていても、彼女は何といっても殺人犯なのだ。今まで持っていた淡い希望―
―彼女が言っていたことは嘘なのかもしれない――は、昨日、彼女の家へ行き、そこで目
にしたものによって、全て崩壊している。それでも、高橋は何も考えていなかった。
今、彼女の頭の中は後藤への怒りの感情だけで埋め尽くされていた。
「……また蹴飛ばす」
蹴飛ばされた飯田はゴロンと寝返りを打ち、額に汗を浮かばせている高橋の顔を、まだ半
分も開いていない目で見上げた。
「のん気に寝てる場合やないでの! 見つかってしもたんやで!」
「何がぁ?」
飯田はまだ寝ぼけている。目を擦りながら、むくりと起き上がった。寝袋のファスナーは
きっちりと上まで上がったままだ。高橋は強張った表情で飯田を睨む。
「死体や、死体! テレビでやってたんや」
「あぁ……。見つかったんだ」
ふあぁ、と大きな欠伸をして、飯田はまた目を擦った。その表情からは焦りが全く見えな
い。高橋はギリリと強く歯軋りをした。死体が見つかった原因を知れば、彼女も顔色を変え
るはずなのに。
高橋の苛立ちが限界に達したところで、背後から間延びした声が聞えた。
「おはー」
後藤だった。コンビニ袋を提げ、朝から棒アイスを口にしている。高橋は口をパクパクと
させた。あまりの驚きに先ほどからずっと抱えていた怒りが一気に吹っ飛んだ。その顔を見て
後藤はプッと吹き出した。
- 97 名前: 投稿日:2004/02/28(土) 20:08
- 「なんて顔してんの、あんた」
「……や、あの」
どうして、何事もなかったかのようにここへ来られるのだろう。高橋には後藤という人間
が未だに理解出来ない。会ったら文句を言おうと思っていたはずなのに、頭の中が混乱して
しまい、口からは吐息だけで言葉が何も出てこない。
「ごっちん、見つかったらしいね」
ファスナーを下ろしながら、世間話をするような口調で飯田が呟いた。
「いやー、見事なくらい、ばっちりなタイミングだったでしょ? 一応、予想して蛇口捻っ
たからね。夜中くらいに見つかるかなーと思って」
後藤は満足そうな顔をして、コンビニ袋からパンやスナック菓子の袋を調理台の上にバラ
バラと降り落とすと、鞄からは弁当箱を出した。
悪びれずにあっさりと自白。一体、何を考えているのだろう。高橋が目を見開いて、後藤の
顔を凝視していた視線を移動させると、その視線を受けて飯田は口元を緩ませた。
「ごっちん。高橋がまた途方に暮れてるみたいだけど」
「もしかして、また判んないの?」
飯田と後藤は笑いながら、人形のように固まってしまっている高橋を見た。
「……何のことやら、さっぱり」
「やっぱりな。さすが、高橋」
「いや、それは、もうええですから」
今回ばかりはいくら考えても答えが出そうにない、と高橋は思っていた。考えられるとし
たら、二人は――。
たった今、思いついたことに高橋は驚愕して、また口をあんぐり開ける。その顔を見て、
後藤は更に、にやりと笑った。
「警察に見つけてもらう為に、昨日あそこへ行ったっていうのに」
- 98 名前: 投稿日:2004/02/28(土) 20:10
- つまり、この様子だと後藤は飯田を裏切っていたのではなく、最初から彼女の為に動いて
いたということだ。依頼したものの、カードが使えないという現状に、後藤なら直ぐに気づ
くと飯田も予想していたのだろう。
「圭織が早く見つけてもらいたそうだったから、私が細工したってわけ」
「いやぁ、ごっちんってやっぱり犬みたいだよね」
感心して何度も頷いている飯田を見て、後藤は人懐っこい顔で笑った。
「だから、言ったじゃん。人を見る目には自信があるって。あれだよ、アハンの呼吸ってやつ」
「アハンじゃなくて、あうん。それにちょっと意味が違うし」
「ちょ、ちょっと待って下さい。本当に飯田さんはそれでいいんですか? 警察が動き出し
たら、あっという間に捕まるんやで?」
「っていうかね、こうでもしないと、いつまで経っても動けないんだよね」
飯田が口にした意味深な言葉を聞いて、高橋の頭はショートしていた。
安堵と共に今まで抱えていた不安や怒り、その他もろもろ言葉に出来ない感情が一気に溢
れ出し、気がついた時には勝手に高橋の目から涙がぽろぽろと零れていた。
飯田は心配すらしていなかったというのに、後藤のことを疑ってしまっていた自分が情け
ない。
泣いている高橋を見て、さすがに飯田と後藤は驚いていた。
「うわ。ちょっと、なんで、泣くの?」
「ッ……酷いやないですかッ。後藤さん、裏切ったんやーって、ずっと心配したのに」
「あんたの方が酷いよ。勝手に裏切り者扱いしてるし」
後藤は口をへの字に歪めた。それまで座り込んでいた飯田は立ち上がり、泣いている高橋
の頭を優しく撫でる。その手は暖かかった。
- 99 名前: 投稿日:2004/02/28(土) 20:12
- 一息入れるために後藤が湯を沸かし始め、寝袋を仕舞い終えた飯田は大きく背伸びをして、
身体中からバキバキと奇妙な音を立てた。風邪はいくらかマシになったようで、元の声に戻
っている。
高橋はぐすぐすと鼻を鳴らしながら、調理台の蛇口を捻り、ハンカチを濡らした。感情が
爆発する度に、勝手に涙が出てくる自分の身体が嫌になる。飯田の向かい側にある椅子に腰
掛けていると、チャイムが鳴り始めた。
「あらら。もうSHR始まるんだ」
残念そうに呟き、後藤はちらりと視線を動かした。腫れて重く感じる瞼をハンカチで冷や
していた高橋はその視線に気づき、首を振った。
「別にええでの。サボっても」
「おぉー。優等生だったはずなのにね」
嫌味を言われ、高橋は言い返そうとしたが、口よりも先に胃がぐぅ、と反応した。朝食を
抜いている上に大泣きした所為で、無駄にエネルギーを消費してしまったようだ。高橋は赤
面してしまった頬をハンカチで隠して俯いた。
「遠慮なく、食べなよ」
高橋の目の前に、飯田が調理台一面に広がっているスナック菓子の袋を差し出すと、その手
を後藤がぺしゃりと叩いた。
「誰が買ってきたと思ってんの」
「ごっちん」
「そんなことより、いい加減に本当のことを教えて下さいよ」
高橋が恨めしそうに呟くと、飯田は肩をすくめた。
「そだね。もうそろそろ話そうと思ってたとこだし」
飯田は薄い笑みを作り、語り始めた。
- 100 名前: 投稿日:2004/02/28(土) 20:14
- 飯田は幼い頃に事故で家族を失い、一人だけ生き残ってしまった。そこで、幼い子供に大金
な保険金を渡すのはいかがなものだろう、大人になってから渡すべきではないだろうか、とい
う親戚達の勝手な判断で、金は大人に管理され、受け取り主であるはずの飯田は、親戚の家で
暮らすことになった。
幼く物事についての判断がまだ出来なかった飯田は、大人達の言うことは正しいのだろう、
と素直に了解した。その頃は家族を失ったことで哀しみに暮れていて、先の自分の生活につ
いて考える余裕などなかったということもある。
しかし、彼らの化けの皮は直ぐにはがれた。金の亡者というべきか、彼らは裏で勝手に飯
田の金を使っていた。他の親戚がそれに気づくと、今度は自分達が彼女を引き取ると言い出
した。そして、また同じことを繰り返すという、いたちごっこ状態になってしまい、結果的
に幼少時の飯田は彼女の意思は関係なく、親戚の家を転々とすることになってしまった。
おかげで学校のクラスメートと仲良くなっても、直ぐに転校を繰り返す羽目になってしま
い、友達を作る余裕もなかった。当時、まだ携帯などというものはなく、連絡を取るにして
も、電話か手紙くらいしかなかった。文通をしていた友達もいたが、徐々に手紙が来る間隔
は開き始め、最後には何も届かなくなってしまった。
そんな暮らしをしていた飯田でも唯一、友達と呼べる人間が一人だけいた。
友達というには少しおかしいかもしれない。その相手は親戚だからだ。一時ではあったが
一つ屋根の下で暮らし、金の亡者で保険金のおまけ程度にしか飯田のことを思わなかった親
戚の中でも、彼女だけが優しく、色々と助けてもらった。数年ほど前に飯田は独り立ちした
ので彼女とは別れてしまったが。
- 101 名前: 投稿日:2004/02/28(土) 20:16
- 「で、その人と会いたいわけね」
「そう」
話を聞きながらコーヒーを淹れていた後藤から紙コップを受け取り、飯田はコクリと頷い
た。自分の目の前に置かれた紙コップから立ち上っている湯気が鼻先をかすめ、高橋は首を
傾げた。中身を覗き込むと、ティーバッグが沈んでいる。驚いて顔を上げると、後藤が悪戯
っ子のような笑みを高橋に向けた。コーヒーが苦手なことなど、既にお見通しだったようだ。
「質問してええですか? あの死んでた男の人って、彼氏とか?」
「それは……、想像に任せようかな」
高橋にとっては何気ない質問だったのだが、答えた飯田の表情は曇っている。それは、鈍感
な高橋ですら気づく変化だった。
そもそも、何故飯田はあの男を殺したのだろう。痴話喧嘩か何かが原因なのだろうか。部外
者というのも考え難い。疑問は次から次へとわいて出てくる。しかし、尋ねても飯田ははぐら
かすだけで、本当のことなど話さないだろう。彼女の性格をある程度、理解することが出来る
ようになっていた高橋はそう思った。
高橋は視界の隅に入っている後藤の様子を窺った。後藤は何が可笑しいのか、にやにやと
口元に笑みを浮かべている。飯田はその顔を見て、不思議そうに首を捻っていた。お互いが
腹の探り合いをしているようにも見える。何となく、高橋は居心地が悪く感じてしまい、違
う話題をすることにした。
「ほやけど、ここに隠れてて友達に会えるんですか?」
不安げな面持ちで高橋が尋ねると、代わりに後藤が口を開いた。
「何言ってんの。圭織は自分の携帯持ってんだから、連絡取れるはずだよ」
その言葉を聞いて高橋は驚いた。どうして、そんなことが判るのだろう、と。向かい側にい
る飯田の顔を見てみたが、コーヒーを飲んでいる最中で表情が窺えない。後藤は子供のように
微笑みながら、ポケットから煙草を取り出した。
- 102 名前: 投稿日:2004/02/28(土) 20:21
- 「私が何もせずに、圭織の部屋から戻って来たと思う? 犬なら色々部屋の中探すって」
そう言えば、と高橋はあの時の後藤の行動を思い出していた。あの時の後藤はやたらと部屋
の中を徘徊していた。それを見ていた高橋は彼女が何を目的としてそのような行動を取ってい
るのかが全く理解出来ず、床に座り込んで、ただ困惑していただけだった。そして、今も何を
言おうとしているのかが、判らない。
煙草に火をつけて、一息ついてから後藤はまた喋り始めた。
「ずっと気になってたんだよね。圭織はどうやって、その相手の人と連絡取るのかなって。
今のままじゃ、絶対に無理じゃん」
「ほんで、飯田さんの部屋から見つかったんですか?」
「なかった」
「は?」
高橋は素っ頓狂な声を出した。
「なかったんだってば。普通の電話すらね」
「ほんなら、なんで……」
「ホント、判んない子だねぇ。部屋に電話がない場合、考えられるのは一つでしょ」
「そんなん言われても……」
高橋が困り果てていると、後藤はやれやれと頭を振りながら、慣れた手つきで携帯灰皿に
灰を落とした。
「携帯で全部済ませてんだよ。一人暮らしなんだし、それで足りるじゃん」
「あぁ……、なるほど」
「で、携帯も見つからなかった。そもそも、財布は忘れても、携帯くらいは持ち出しそうな
ものでしょ。ってことは、圭織は絶対に持ち歩いてんだろうなーって思ったわけ」
「ご名答」
おどけた口調で飯田はスカートのポケットから自分の携帯を取り出して、調理台の上に置
いた。
- 103 名前: 投稿日:2004/02/28(土) 20:23
- 「いやー、本当にごっちんには参るね。でも、死体が見つかったら、ちゃんと話そうと思っ
てたんだよ。相手がテレビとか新聞で圭織のこと知ったら、連絡くれるって思ってたから」
「ほんで、わざと自分から警察にバレるようにしたんですか?」
「危険なのは承知してるんだよ。でも、バレてないからってウロチョロしてたら、後で見か
けたって証言でもされても困るっしょ? だから、ジッとしてるしかなかったってわけ」
「ほやけど、バレる前に自分から連絡取った方が、安全やないですか?」
「それが困ったことに、彼女の今の携帯の番号知らないんだよね。圭織は番号変えてないか
ら大丈夫なんだけど」
全然、困っていないような顔をしている飯田を見て、高橋は溜息をついた。
結局、飯田は相手の連絡を待つしかない、ということになる。少しは焦りが出てもおかし
くないはずなのに、と高橋は思った。後藤は真剣に話を聞く気がないのか、煙草の煙で輪を
作っている。
高橋はすっかり冷めてしまった紅茶を一口だけ口に含んだ。ずっと、ティーバッグを入れ
っ放しにしていた所為で渋くなっている。思わず、顔をしかめて舌を出した。
「飯田さんにとって、その人は大事な人なんですね」
「まーね。捕まる前に言っておきたいことがあるし、圭織には友達って呼べる人が一人しか
いないし」
そこまでして会いたい友達がいるという飯田が高橋には少し羨ましく思えた。自分にはそ
んな存在が身近にいない。そう思うと少し胸がチクチクと痛んだ。
昨日、飯田が、数少なくても信頼出来る友達を持ってる人間の方が幸せだ、と言っていた
言葉を高橋は思い出した。飯田は一般論ではなく、自分の経験を口にしていたのだ。今なら
その気持ちが痛いほどよく判る。
しんみりとした空気を断ち切るように、後藤が能天気な声を出した。
- 104 名前: 投稿日:2004/02/28(土) 20:24
- 「ヤだなぁ。ダチなら、ここにいるじゃん?」
「へ?」
高橋と共に飯田もきょとんとしていた。後藤は手にしていた煙草を灰皿に押し付けながら
にやにやと笑っている。
「だってさー、会ってまだちょっとしか経ってないけど、そういうのって関係ないでしょ?
すっごい秘密持ってる仲間なんだし」
「そういうもんなのかな」
「それで十分じゃん」
何でもないように後藤がそう言うと、飯田は嬉しそうに頷いた。高橋も嬉しかった。ここ
数ヶ月、仲間と言う言葉には縁のない状態だったのだから、尚更だ。
後戻りはもう出来ない。無関係だった高橋も死体を見て見ぬ振りをしているのだから、無罪
にはならないだろう。咎められる立場という意味では犯罪に手を染めた飯田と近い存在になっ
てしまっている。それでも、悲壮感や絶望感が漂うのではなく、むしろ、三人の意思が通じ合
っているような心強い団結感を感じていた。だから、高橋は何も不安を抱かなかった。
自分達が見つめているのは前だけ。飯田が捕まるということではなく、彼女が自分の意志を
貫くこと。それを手助けして、見守ること。
それから三人はチャイムが鳴るまで、下らない世間話をして過ごした。帰り際に飯田は二
人に携帯を返そうとしたが、後藤はそれを拒否した。
「まだ必要でしょ」
「え?」
「相手さんからは、かかってきてないわけだし。まぁ、朝のニュースで流れたばっかだから、
しょうがないか。ってことで、いざという時の為に持っといた方がいいよ」
後藤はそう言い、
「連絡が来たら教えてよね。二人を会わせる為に、どうしたらいいか、とか考えないといけ
ないからさ」
自分の言いたいことだけを言って、廊下へ出て行ってしまった後藤を見送り、飯田は目を
細めて微笑んでいた。返してもらった自分の携帯を握ったまま、二人の様子を見ていた高橋
は、改めて後藤を疑ってしまったことを心の底から謝罪していた。
- 105 名前: 投稿日:2004/02/28(土) 20:26
- 飯田と別れた高橋は自分の教室へ向かって歩いていた。遅刻届けが置いてある職員室に出
向き、適当な理由を書いて担任の机に置いてきた。後藤とは違い、授業をサボることに慣れ
ていないので、必要以上に緊張してしまった。
廊下を歩いていると何となく違和感を感じて、高橋は周りを見渡した。休み時間だという
のに、廊下には余り人の姿が見えない。教室から聞えてくる声も雰囲気がいつもと違う。妙
に浮ついているような気がする。
事件のことについて騒いでいるのかもしれない。近くで殺人事件が起きているのだから、
当然だろう。もちろん、その輪に自分が加わることはないだろうが、高橋にはそれが逆に有
難いと思えた。誰よりも事件のことを知っている自分にそんな話を振られても、どう答えて
いいのか、返答に困る。下手をすれば、慌てふためいてぺろっと喋ってしまいそうだ。
「高橋ー」
教室の扉を開けようとしていた手を止めて、振り返ってみると、担任の安倍なつみがこちら
に向かって手を振っている姿が見えた。
彼女は普段から明るく、見た目も童顔なので教師には余り見えない。しかし、厳しいとこ
ろは厳しく、たまには優しさも見せるという、飴と鞭を使い分ける大人の女性だった。
「おはようございます」
「おはよー、じゃないよ。SHRの時いなかったでしょ?」
「遅刻届けなら、先生の机に置きましたけど」
「まだ見てない。遅刻の理由は何?」
「えっと、玄関の扉が壊れて、外に出られなかったんです」
おどおどとしながら高橋が答えると、安倍は眉を寄せた。その顔を見て高橋は、後藤なら、
もっと上手い嘘を考えつくのだろうな、と思い、溜息をついた。遅刻届けを後藤が一度も出
したことがないという事実を高橋は知らない。
- 106 名前: 投稿日:2004/02/28(土) 20:27
- 「そういえば、三年の後藤さんと付き合ってるそうだね」
安倍はさらりと呟いた。しかし、目の奥が光っている。その目を見て、告げ口されたのか
もしれない、と高橋は考えた。昨日、ファーストフードまでつけてきた人間もいるくらいな
のだから、教師に告げ口する人間くらいいるだろう。
「何か問題でもありますか?」
高橋は真面目な顔を作って、安倍に反抗した。
「問題っていうか、余り彼女には近づかない方がいいっていうか……」
歯切れ悪く、困ったように呟く安倍の顔を高橋は睨みつけた。教師達が後藤の扱いに困っ
ているということくらい噂で耳にしている。所詮、彼女のことを害虫くらいにしか思ってい
ないのだろう。
高橋は素直に安倍の言うことを聞くことが出来なかった。言うことを聞いたらクラスメー
トの思うツボになってしまう。彼女達は高橋から後藤を離して自分達のゲームを再開させた
いだけなのだ。それだけは嫌だった。
それに、自分のことを友達と言ってくれた後藤のことを悪く言われるのは腹が立つ。確か
に、素行や口は悪いかもしれないが、彼女は他人の気持ちに敏感で、気配りもきちんと出来
る人なのだから。
高橋が黙り込んでいる間にも、安倍の話は続いていた。
「それに高橋は最近成績がグンと下がりだしてるでしょ? 折角、二学期の最初にはトップ
だったのに。悩み事があるのなら聞いてあげるから、遠慮なく言いな」
安倍の作り笑いを眺めながら、言うわけないのに、と高橋は心の中で毒づいた。
今まで安倍に頼ろうと思ったことはない。頼っても無駄だと判っていたからだった。それ
に、そんなことをしても、クラスメートを喜ばせてしまうだけだ。
安倍は高橋がクラスで浮いていることすら気づいていない。それだけ、クラスメートのや
り方が上手かったというのもあるが、一番の原因は安倍本人が鈍いからだった。彼女はきっ
と、高橋が正直に話しても、自分のクラスにイジメが存在していることなど認めないだろう。
- 107 名前: 投稿日:2004/02/28(土) 20:29
- 「悩みなんてないですから」
「そう……。でも、後藤さんと付き合うのはもうやめなね」
安倍は真剣な顔をしてそう告げた。
結局、最初から言いたかったことはそれだけなのだ。高橋は俯いて拳を力の限り、握り締
めた。この調子だと殺人犯である飯田を見つけたら、安倍は発狂するだろう。あえて、その
姿を見てみたいような気がする。それくらい、高橋の頭には血が上っていた。
「先生って友達いますか?」
「え?」
前後の脈絡がない問い掛けに、安倍はうろたえていた。
「後藤さんはあたしにとって大事な友達なんです。だから、放っておいて下さい」
そう言って、高橋は軽く頭を下げて踵を返した。
どいつもこいつもうるさい。誰と付き合おうと自分の勝手だ。ムカムカする胸を必死に押
さえて、高橋は乱暴に教室の扉を開いた。その音に驚いたクラスメート達の視線を集めてし
まっても、素知らぬ顔をして自分の席についた。
鞄から教科書類を出して机の中へ無造作に押し込む。珍しく荒れている高橋を見て、クラス
メートの殆どは視線を逸らしてしまった。
頬杖をついて、チャイムが鳴るのを待っていると前の方の席にいる紺野が振り返ってこちら
を見ていることに気づいた。紺野はいつものように無表情ではあるが、視線が合っても逸らさ
ない。高橋は小川から聞いた話を思い出し、紺野を睨みつけた。
そして、誰がなんと言おうと、高橋は後藤達についていく覚悟を決めた。
- 108 名前: 投稿日:2004/02/28(土) 20:29
- >>94
有難う御座います。
毎度のことながら、のんびり更新です。
>>95
有難う御座います。
嬉しいです。
- 109 名前:名無し太郎 投稿日:2004/02/29(日) 02:01
- のんびり更新でも内容が濃い上に深いので問題ナッシングです。
キャラの強い年上二人相手に健闘している高橋さんを応援しています。
- 110 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/29(日) 17:47
- 高橋、危険な子だなー
- 111 名前:名無しどくしゃ 投稿日:2004/03/01(月) 21:33
- 愛さんのイライラが凄く伝わってきましたよほ。イイ!
- 112 名前:七誌 投稿日:2004/03/08(月) 01:18
- あー続きが待ち遠しいよ作者タン
- 113 名前: 投稿日:2004/03/10(水) 22:00
- 授業中、後藤は暇を持て余していた。コツコツとチョークが黒板に当たる音が止まったと
思えば、今度は子守唄にしか聞えない安倍の声が続く。その繰り返しだった。出席日数を考え
ると、いくらつまらない授業だと思っていても、受けないわけにはいかない。
席は一番後ろの窓際なので、寝れないこともないが、寝る体勢に入ろうとすると安倍が黒板
から離れ、本を読みながら教室中を歩き回り、目ざとく注意してくるので、後藤は頬杖をつい
て何度もあくびを噛み殺していた。
眠気で落ちそうになっている瞼を擦り、後藤は窓の外に視線をやった。今日は朝から空が
どんよりと雲っており、薄暗い。帰る頃には雨が降り出すかもしれない、そんな天気だった。
ロッカーに置き傘があったかなぁ、と後藤が首を捻っていると、安倍が隣にやって来た。
何か言いたそうな表情で見下ろされ、後藤は目を瞬かせた。周りはプリントに向かっている。
いつの間にか、自分の机の上に置かれていたプリントを後藤は見下ろした。どうやら、今は
プリントを解く時間になっているようだ。見てもさっぱり判らない。それより、いつまで経っ
ても安倍が立ち去る気配がないので、後藤は溜息をついた。
「何か用ですか?」
「……高橋のことだけど」
安倍は小声で言い難そうに呟いた。後藤はなるほど、と心の中で頷く。安倍は高橋の担任な
ので気になるのだろう。自分と高橋が最近仲良くなったという情報を、どこかで耳にしたよう
だ。安倍は後藤が一年の時の担任でもあった。
- 114 名前: 投稿日:2004/03/10(水) 22:02
- 「近づくなって、言いたいわけですか?」
「単刀直入に言えばそう」
「んはは。ハッキリ言うなぁ」
後藤は苦笑いをして、頭をがしがしと掻いた。教師に好かれていないことくらい知ってい
るので、扱いが悪いことも気にならない。安倍は一年の頃から、ため口を許してくれてはい
るが、心を開いてくれたことは一度もなかった。
「あんまし、仲良くしてもらいたくないんだよね」
「なんで?」
「あの子、単純だからさぁ……」
「単純っていうか、ただのアホっていうか」
後藤が笑いながら言うと、安倍はムッと頬を膨らませた。それを見て、冗談を言っていい状
況ではなかったようだ、と後藤は肩をすくめた。
安倍が周りの目を気にして言葉を選んでいる、ということくらい、後藤にも判っている。
つまり、彼女が言いたいのは悪影響を及ぼすかもしれないから、高橋には近づいて欲しくな
い、ということだ。ちらりと後藤が横目で周りの様子を窺ってみると、二人の会話は聞えて
いるはずなのに、余り興味を持っていないようだった。
「まぁ、そういうわけだから…」
そう言って、安倍は後藤の傍から離れた。安倍の背中を見つめながら、後藤は深々と溜息
をついた。
- 115 名前: 投稿日:2004/03/10(水) 22:04
- 病原菌みたいに扱われることには慣れているが、後藤としては自分にそんな力はないと思
っている。そこまで影響力を持つ人間ではない。
確かに高橋は単純な性格をしている。違う言い方をすれば頑固だ。強引に自分達の仲間にし
た時は年下ということもあり、強く発言出来なかっただろうが、今はきちんと反抗してくる。
自分がもし何かよからぬことを企んでいたとしても、影響を受けるような人間ではない。き
っと、今朝みたいに怒り狂うだけだろう。安倍は高橋のことをよく判っていないだけだ、と
後藤は思った。
周りはプリントに向かっていた。休み時間になれば、それなりに会話をするクラスメート
達ではあるが、授業中は人が変わったように真面目になってしまう。後藤一人だけが浮いて
いる。
後藤は机にあるプリントを見下ろし、悪戯っ子のような無邪気な笑みを浮かべた。いそい
そと机の上で両手を動かしていると、隣の席の生徒が後藤の手元に視線をやり、首を捻る。
そして、何かを思い出したような表情になった。
「あ、ごっちん、放課後になっても、ここにいてね」
「なんで?」
「いや、伝言なんだけどさ」
周りに聞えないように注意をして、小声で呟いている。話を聞いた後も、後藤はひたすら首
を傾げていた。
- 116 名前: 投稿日:2004/03/10(水) 22:09
- 丁度、同じ頃、高橋は自分の席に座ったまま、窓からの風景を眺めていた。窓は締め切ら
れている為に、カリカリと文字を書く音が余計に耳につく。
今は小テストをしていた。数日前まで中間テストをしていたというのに、またテスト。問
題を作る教師も大変だろうな、と妙に冷めた感想を高橋は持った。
今週は色んなことがありすぎて、かなり疲労を感じていた。頭の回転が鈍く、手を抜かな
くても、空欄を埋める作業はいつもよりもはかどらない。本来ならば、もう手を抜く必要もな
いのだが、落ち着いた生活を取り戻すまでは、調子を取り戻すことなど不可能だろう。
それでも充実している。飯田と後藤と出会ってから、自分なりに変化があったと思う。
しばらく、高橋がぼんやり窓の外を眺めていると、何かが上から下にゆらりと通り過ぎた。
焦点の合わない視界の中に入ってきたものの正体が一体何だったのか、直ぐには判らなかっ
た。瞬きを何度も繰り返して、瞼を擦っているとまた落ちてきた。
それは紙飛行機だった。
今度は直ぐに視界からは消えずに、高橋の視界の中でゆらゆらと浮遊していた。そして、
次々と同じサイズの紙飛行機が飛ばされていく。一斉に飛んでこないことを考えると飛ばし
ている人間は一人だろう。紙飛行機は直ぐに落ちたり、頑張って飛び続けたりと様々だった。
動きを止めてその様子を見ていた高橋は中学の頃、休み時間に男子生徒が紙飛行機の飛ば
し合いをしていたことを思い出した。高橋は小川と一緒にその群れに参加して、誰が一番遠
くに飛ばすことが出来るかを競ったことがある。大盛り上がり状態で結局、誰が勝者になっ
たのかは判らなかったが、教室の中が紙飛行機だらけになってしまい、授業が始まる前まで
に片付けなかったので、その惨状を見た担任にこっぴどく怒られた。中学生にしては、幼過ぎ
る行動ではあったが、楽しかった思い出の一つだ。
- 117 名前: 投稿日:2004/03/10(水) 22:12
- さすがに高校生にもなると、同じようなことをしようとは思わないが、久し振りに空中を
漂う紙飛行機を見ていると、当時のことを思い出して和む。高橋は途中まで空欄を埋めたテス
ト用紙を見下ろし、ゆるゆると少しだけ首を振った。やはり、今はもう出来ない。
高橋は周りを見回してみた。思った通り、誰一人として紙飛行機の存在に気づいていなかっ
た。誰もが目の前にあるテスト用紙と向き合っている。
ふとあることを思い出して、高橋は視線を窓の外から紺野の背中へと移動させた。彼女は真
面目にテスト用紙に向かっている。紙飛行機の飛ばし合いで周りが盛り上がっている時も、そ
うだった。その姿勢を決して崩さなかった。
高橋は一度大きく深呼吸をしてから視線を逸らした。
今も尚、紙飛行機は飛ばされ続けていた。手元の紙がなくなってきたのか、ミニチュアサイ
ズのものに変わっており、紙飛行機というよりは紙吹雪や粉雪のように見えた。中には雲に紛
れて見失うものもある。
上の階の誰かが飛ばしているのだろうが、今は授業中であるはずなのに、変わった人間もい
るものだ。後藤や飯田ならやりかねないだろうけど、と高橋は薄く笑った。
- 118 名前: 投稿日:2004/03/10(水) 22:17
- 放課後になり、高橋は大きく欠伸をしていた。眠い。明らかに睡眠不足だった。じっとし
ていると眠くなる。それでも、出入り口の扉が開かれているだけ、授業中よりはマシだった。
暖かい空気が室内に漂っている状態で、睡魔と闘うのは大変だからだ。
そして、今は迎えに来るはずの後藤が来ないので、高橋は途方に暮れていた。まだ教室に
残っていたクラスメートは、こそこそと何かを囁いている。意地悪そうな笑みを浮かべて、
高橋の顔を何度も見ていた。どうやら、彼女達もここ数日迎えて来ていた後藤が今日は一向に
姿を現さないので、気にかけているようだ。
何らかの理由で高橋に近づいたものの、後藤はもう興味を失ったのだろう、というような
会話が聞えてきた。誰も知らないだろうが、自分達は強い絆で結ばれているのだ、と自負して
いる高橋はムッと頬を膨らませた。
クラスメートの視線を鬱陶しく感じていた高橋は、いつまで経っても現れない後藤に痺れ
を切らし、自分から会いに行くことにした。廊下に出ると談笑している生徒と沢山すれ違う。
それを横目に高橋は進む。屋上へは上ったことがあるものの、三年の教室がある三階へ向かう
のはこれが初めてで、妙に緊張する。
高橋は胸を押さえつつ、顔を強張らせながら階段を上った。三階まで辿り着くと、階段の
傍の廊下で誰かと話しこんでいる後藤の姿が見えた。てっきり教室の中にいると思っていた高
橋は驚き、無意識に身体を隠して壁に背中を寄せる。後藤の相手は藤本だった。
後藤は廊下の窓に背をつけて、時折、首を捻っている。それに対して藤本は、機嫌が悪そ
うに肩をいからせていた。険悪というほどではないが、迂闊に話し掛けていい雰囲気でもな
さそうだった。
高橋は二人の会話が終わるまで、その場で待つことにした。前回会った時に藤本の機嫌を
損ねてしまっていることもあって、割り込もうとは思わなかった。耳をすませば、周りの喧
騒の中でも二人の会話が僅かに聞える。
- 119 名前: 投稿日:2004/03/10(水) 22:22
- 「だから、何度も言ってるじゃん」
「っていうかさ、なんで、そんなに機嫌悪いの?」
後藤が意外そうに呟くと、藤本は日頃から鋭く見える目に、更に力を入れていた。
「さっきから、ごっちんが真面目に話聞いてくれないからでしょ」
「ヤだなぁ。ちゃんと聞いてるじゃん」
うんざりした声を後藤は出している。
何かを察したのか、廊下を行き来している生徒達は、二人の傍には近づかないようにして
いるようだ。二人というより、藤本に対してそうしているようだが、高橋も怖い、と脅えていた。
「何かあったの? もしかして、また留年確定した?」
「ちょっと、縁起でもないこと、言わないでよ」
藤本は険しい顔をして、髪をがしがしと掻き乱した。あまり人のことを言えた立場ではない
が、本人を目の前にして後藤はよくこんなことが言えるものだ、と高橋は舌を巻く。それだけ、
二人は何でも言い合える仲なのだろう。
「まぁ、こっちも余裕かましてたら、ヤバイけどね」
「それにしても、ごっちんは計算して遅刻してるんだから、訳判んないよね。そういうこと出
来る頭持ってるんなら、真面目にすりゃいいのに」
「面倒だから、いいんだよ。って、そんなんはどうでもいいんだけど」
後藤はへらっと笑い、トートバッグを肩にかけ直し、
「これから用があるから、また明日ってことで」
そう言って、傍で隠れていた高橋の腕を強引に引いた。いきなり、腕を取られた高橋は目
をむいて、たたらを踏んだ。
冷や汗をかきながら高橋は恐る恐る顔を上げ、驚いている藤本とにやにやと笑っている後藤
の顔を交互に見た。立ち聞きするつもりではなかったのだが、そう思われても仕方がない状況
だ。怒られるのだろうか、と内心ビクビクしていた。
- 120 名前: 投稿日:2004/03/10(水) 22:22
- 「一緒に帰る約束してたんだよね」
藤本に背を向けている後藤は片目をパチパチとさせて、話を合わせろ、という合図をして
いたのだが、高橋はそのことに気づいていなかった。
「そんなんしてましたっけ?」
「……したよ」
深い溜息をつきながら、後藤は弱々しく呟いた。黙って二人を見ていた藤本は、訝しそう
な表情をしている。高橋を見る目は、初めて会った時よりも険しい。思った通り、いい印象
は持たれていないようだ、と高橋は心底落ち込んでいた。
「とりあえず、先約があるから。またね」
後藤は藤本に向かってそう言うなり、返事も聞かずに高橋の腕を取ってその場を離れた。
- 121 名前: 投稿日:2004/03/10(水) 22:26
- 昨日と同じように真っ直ぐには旧校舎へ向かわず、一度学校を離れて二人は時間稼ぎをする
ことにした。後藤に連れて行かれたのは、カラオケボックスだった。
狭いボックスに二人だけ。普段、高橋がカラオケへ行く相手は小川くらいしかいない。中
学時代はよく通ったものだが、高校が違ってからは、あまり来る機会がなかった。室内に染み
ついた独特な匂いを懐かしく思いながら、高橋は室内を見渡した。
入ってからしばらく経っていたが、二人はまだ一曲も歌っていなかった。外からは楽しそ
うな歌声が聴こえて来るというのに、この部屋ではBGMだけが虚しく流れ続けている。後
藤は本を手にして一言も喋らない。何となく、威圧感みたいなものまで感じる。高橋は注文
したアイスティーを口に含むことくらいしか出来ず、困惑していた。
豆乳を飲みながら、後藤は黙り込んで顔も上げずに本をパラパラと捲っている。しかし、
目は文字を追っていない。先ほどからずっとぼんやりとしている。
藤本と何かあったのだろうか。それとも、数時間の間に何か嫌なことでもあったのだろう
か。何があったのかは判らないが、触れない方がいいのかもしれない、と高橋は思った。
ふぅ、と静かに溜息をついて後藤は顔を上げた。視線が合い、高橋はうろたえた。
「何か歌えば?」
「……え、ほやけど」
「あんた、合唱部じゃなかったっけ? あ、でも、合唱曲はなしね」
後藤が自分の所属している部活を知っていることに驚き、高橋は目を丸くしていた。
「なんで、知ってるんですか?」
「なんでって、美貴ちゃんに言ってたじゃん」
高橋は今頃、そういえば、そんな会話もしていたな、と思い出していた。藤本を怒らせて
しまったことは覚えているが、そのきっかけの内容をすっかり忘れていた。
白けた視線を送っている後藤から目を逸らして、高橋は沈黙を誤魔化す為にマイクを手に
取り、適当に本を開いて歌えそうなものを選曲した。
- 122 名前: 投稿日:2004/03/10(水) 22:28
- 初めて来る人に自分の唄を聴かれるのは恥ずかしく思えたが、今は歌っている方が何も考
えずに済みそうな気がした。しかし、それまで部屋の中でずっと流れていたBGMが止まり、
自分が選んだ曲の前奏が流れ始めると、落ち着いた曲調のものを選んでしまったことに少し後
悔した。明るい曲調を選んだ方が誤魔化しが効いたような気がする。
歌うことは好きなので、今は唄に集中することにした。部活に行っていないので久し振り
だ。後藤がずっと俯いているので、視線を気にすることなく、高橋は真剣に歌った。
歌い終わると、意外にも後藤が拍手をしていた。本気なのか、手を抜いているのか、微妙
な拍手ではあったが、高橋には少し嬉しく思えた。
「高橋は唄好き?」
「好きですよ」
「でなきゃ、合唱部じゃないか。そりゃ、そうだね」
高橋はマイクをテーブルに置いて、アイスティーで喉を潤す。いつの間にか、緊張して喉
がカラカラになっていた。後藤は相変わらず、本をパラパラと捲っている。しかし、視線は
高橋の顔に向けられていた。
「暗い唄だね、今の曲。英語ばっかで何言ってんのか、さっぱり意味判んないけど、なんか、
淋しくなる感じ」
「ほやけど、前向きな曲やでの」
「前向き、ね……」
後藤は何かを考え込むような仕草をして、また見もしないのに本へ視線を落とした。
今日の後藤はおかしい。基本的にマイペースだということは既に理解していたが、様子が
おかしい。どことなく、見えない壁みたいなものを感じる。もしかして、自分は拒絶されて
いるのだろうか。いや、拒絶するくらいなら、藤本にあんな態度をとってまで、こんな所に
来ないだろう。自問自答を繰り返していた高橋は、自然と眉間にしわを寄せていた。
- 123 名前: 投稿日:2004/03/10(水) 22:29
- また、BGMだけが虚しく流れている。とりあえず、この沈黙をどうにかして欲しい。居
心地が悪くて仕方がないのだ。高橋は無理やり笑顔を作って、後藤に声をかけることにした。
自分から会話をしない限り、この沈黙がいつまでも続いてしまう。
「後藤さんも何か歌って下さいよ」
「ヤだね。タダで聴かせるもんか」
「何言うてるんやの。プロでもあるまいし」
「私のことはいいから、どんどん入れて歌いなよ」
後藤は顔を上げずに、素っ気なく答えた。これではどうしようもない。高橋は半ば自棄に
なって、自分が知っている曲全てを歌うことにした。
とりあえず、ここでは時間潰しが出来ればいいのだ。学校に残っている人間が少なくなっ
て飯田に会う頃には、きっと後藤の機嫌も直っているだろう。高橋はそう期待していた。し
かし、それまで何やら考え込んでいた後藤は、途中で気が変わったのか、本をソファに放り
投げて、リモコンを手に取るなり、直ぐに電源を落とした。一瞬だけ室内が静まり返り、ま
たBGMが流れ始める。歌っていた最中に曲を止められ、高橋はマイク片手に固まっていた。
「よし。決めた。高橋、行こう」
「行こうって、まだ時間あるんじゃ……」
来た時に受け付けカウンターの女性に向かって、後藤が利用時間を二時間とはっきり答え
ていたことを覚えていた高橋は困惑していた。まだ、一時間しか経っていない。
「んなの、どーでもいいんだよ」
そう言って、後藤は部屋の壁にセットされてあるライトの電源もかねてあった部屋の鍵を
引き抜いた。途端に室内が暗くなり、BGMも鳴り止んだ。
鍵とリモコンを持って後藤が部屋の外へ出てしまっても、高橋はマイクを手にしたまま、
固まってしまっていた。
- 124 名前: 投稿日:2004/03/10(水) 22:31
- カラオケボックスがある建物を出ると、空は薄暗くなっていた。日が沈みかけているとい
うのもあるが、この暗さの原因は鉛色の雲がどんよりと辺り一面広がっている所為だ。雨が
降る前に家へ帰ることが出来るだろうか。そんなことを思いながら、高橋は先行く後藤の背
中をぼんやりと眺めていた。
学校へ近づくにつれて人が少なくなってきた。後藤はずっと無言で歩いている。コンビニ
に入っても黙り込んで、棚に配列されている食べ物を無造作に籠へ入れている。まるで高橋
の存在を無視しているかのように、視線を合わせようとしない。空気同様の扱いに不満を抱
いた高橋は一度きゅっと唇を結んだ。
「……後藤さん、何考えてるんですか?」
「なーんも」
「嘘や。なんか、隠しとる」
「あらら。高橋にしては珍しく勘が鋭い?」
ようやく、後藤は面白そうに目を細め、高橋の方へ向いた。馬鹿にされた高橋はムッと頬
を膨らませて、顔を背けた。
「人ってさ、自分にないものに憧れたりするよね」
相変わらず、話の流れを無視した独り言を後藤は呟いた。一体何の話だろう、と高橋は首
を傾げる。
「だって、前向きって言葉、今の高橋にないものじゃない?」
カラオケで歌った唄のことを言っているのだと、高橋は気づいた。確かに、自分にないも
のに惹かれるから、あの曲が好きなのかもしれない。
- 125 名前: 投稿日:2004/03/10(水) 22:32
- 「でもまー、高橋の場合、なんとかなるんじゃないの?」
「え?」
「度胸ありそうだし、その気になりゃ、いつでも前に進めるでしょ」
「……後藤さんが誉めてくれたのって、初めてやないですか? もっと天気悪うなるでの」
意外そうに高橋が素直な感想を口にしても、後藤は怒らなかった。逆に気持ちが悪い。
「後藤さんも何かに憧れたりするんですか?」
「そりゃ、人間だもん」
後藤はへらへらと笑い、背を向けた。その背中を眺めながら、高橋はらしくない発言だと
思っていた。今までの後藤は、自分の心情を素直に吐露するようなことはなかった。
高橋は鎧で武装しているクラスメートを思い出した。彼女達と後藤は違う。時には誰かに
白い目で見られたり、揶揄されたり、そして、時には誰かに憧れて、可愛がられたりする。そ
んな色々な面を持っている後藤の場合は着ぐるみだ。
ある意味、マスコット的な存在。でも、その中の表情を誰も見ることが出来ない。今の彼
女は着ぐるみの頭の部分を外して、素顔をほんの一瞬だけ、垣間見せた。しかし、それは一
時の休憩みたいなもので、直ぐにまた被り直してしまったようだ。後藤は鼻唄を歌いながら、
買い物を続けている。
「ほんまに今日の後藤さん、変やわぁ。何を隠してるんですか?」
「まぁ、学校についたら言うよ」
後藤はそれだけ言って、カウンターへと向かった。
- 126 名前: 投稿日:2004/03/10(水) 22:34
- >>109
有難う御座います。
これからも、のんびり更新です。
>>110
有難う御座います。
現実でも思い込みが激しそうです。
>>111
有難う御座います。
現実でも短気そうです。
>>112
有難う御座います。
お待たせしてすみません。
- 127 名前:nanasi 投稿日:2004/03/11(木) 00:51
- 更新待ってました!
毎日のようにチェックしてます。主役3人の絡みがめちゃめちゃオモロイです。
- 128 名前:名無し太郎 投稿日:2004/03/13(土) 01:10
- 毎回更新の度に、面白いように翻弄されてる自分がいますw
高橋が何だか良いんですよね…純真で、真っ直ぐで。本当に続きが楽しみです。
- 129 名前: 投稿日:2004/03/19(金) 22:17
- いつの間にか、何かを予兆させる雨が降り始めていた。空はどんよりと薄暗い。
高橋達三人は調理台を囲んでいた。しかし、誰も口を開こうとしないので、外の悪天候に
勝るくらいの重苦しい空気がこの室内に漂っている。
高橋は居心地の悪さを感じながら、向かい側に座っている後藤を見た。腕を組んで瞼を閉
じ、また何やら考え込んでいる。台の上にある煙草は一度しか口をつけておらず、そのまま
の形を保ったまま、灰になってしまいそうだ。
溜息をついて後藤の隣に座っている飯田を見てみると、後藤の様子に戸惑っているのか、
視線を定めずにキョロキョロと黒目を動かしていた。そして、高橋の視線に気づき、飯田は
ぎこちない笑みを作った。
「えーと……、そういえば、風邪は治ったんですか?」
「うん。おかげさまで。声も戻ってるっしょ?」
「そうですね」
また部屋の中が静まり返る。完全に会話が止まってしまった。困り果てた高橋は俯き、膝
の上に乗せてある自分の手を見つめる。
明らかに、この場の雰囲気を重くしているのは後藤だった。
何か気を害するようなことでもしたのだろうか。カラオケボックスへ行った時に、何かし
てしまっただろうか。しかし、コンビニでは普通だった。となると、授業中に何か不機嫌に
なるようなことでもあったのかもしれない。
だが、果たして後藤がそんなに長く引きずるだろうか。腹が立つことがあったとしても、
直ぐに忘れそうな感じもする。基本的には気分屋な後藤に対して、心境の変化を問うのは
無意味なことかもしれない。高橋は自問自答しながら時折、首を傾げていた。
- 130 名前: 投稿日:2004/03/19(金) 22:19
- 「よし」
ずっと黙り込んでいた後藤が突然、口を開いたので、高橋は驚いて顔を上げた。飯田も黙
って瞬きを繰り返している。
「何が、よし、なの?」
「はっきり言おうと思って」
「だから、何が?」
勿体ぶった後藤の口調が気になったのか、飯田は眉を寄せている。その顔を見ても後藤は
無表情で、今度は高橋に視線を向けた。
「明日からもうここに来なくていいよ」
高橋の耳には自分に向かって放たれた言葉には聞えなかった。無関係な言葉にしか思えず、
きょとんとして首を横に倒す。むしろ、飯田の方が驚いていた。
「ごっちん……、いきなり、どうしたの?」
「いきなりってわけでもないんだけどね。ずっと考えてたことだよ」
「何がよ」
「実はさぁ、この校舎に幽霊が出るっていう噂があるんだよね」
「幽霊! マジで!」
怖がりなのか、飯田は顔色を変えて立ち上がり、自分の身体を抱いてオロオロとその場を
歩き始めた。その姿を無視して、後藤は灰皿で灰に変わってしまった煙草を摘むと、溜息を
ついて灰皿に戻した。そして、ゆっくりと人差し指を飯田の顔へ向けた。
「……何?」
「幽霊の正体」
「…………へ?」
飯田は目を見開き、そして徐々に顔を歪めていった。どうやら、意味が判ったらしい。
飯田の姿を見かけた人間が勘違いした所為で、この校舎に幽霊が出るという噂が出てしま
ったのだろう。高橋の目にも、制服で強引にカムフラージュしている飯田の姿はかなり無理
があるように見える。
- 131 名前: 投稿日:2004/03/19(金) 22:21
- 「でも、それがどうしたの?」
幽霊に間違えられたことが気に障ったようで、機嫌を損ねてしまった飯田は乱暴に腰を下
ろすと、プイッと顔を背けてしまった。後藤は肩をすくめている。
「ここの場所が見つかるのも時間の問題だってこと。だから、もう手を引く」
「手を引くって……」
ようやく、高橋は口を開き、身を乗り出した。噂の所為でこの旧校舎が人の注目を集めて
しまうということくらい判るが、いくらなんでも急過ぎる。ようやく一致団結したところだ
というのに、これでは気持ちの整理も出来ない。
「だって、よく考えたらさー、うちらにはもう何もすることがないと思わない? あとは会
いたい相手と圭織が会えばいいだけだし、それは携帯で十分でしょ。それに、これ以上はさ
すがに危険度が違うし」
「……飯田さんを見捨てるって言うんですか?」
「そうとも言うかも」
「後藤さん!」
「デッカイ声出さないでよ。誰かに聞えちゃうじゃん」
後藤は顔をしかめて耳を塞いだ。それでも高橋は後藤を睨みつけていた。
自分達の身が危険だからという理由で、あっさりと飯田を見捨てようとしている姿勢が気
に入らない。最初から危険だということは重々承知していたはずだ。それでも、三人で協力
していこうとは思わないのだろうか。
何より、高橋がショックを受けたのは、今まで表向きには素っ気ない態度を取っていたも
のの、飯田のことを考えて行動していた後藤が、掌を返したように冷たい態度を取っている
ことだ。
高橋の震える握り拳をちらりと見て、後藤は煙草に火をつけた。そして、一口吸うと高橋
の顔に向かって煙を思いきり吹きかけてきた。面食らって煙を吸ってしまった高橋は激しく
咳き込む。
- 132 名前: 投稿日:2004/03/19(金) 22:25
- 「……何するんですか!」
高橋が怒鳴りつけても、後藤の口元は笑っている。
「じゃあ、訊くけど。高橋は一人ででもまだ続けるってこと? よしなよ。あんたの場合、
間違いなく、足引っ張るだけだし」
「そ、そんなん……」
高橋が反論しようとしても、その言葉を押しのけるようにして後藤は喋り続ける。
「大体さー、自分の尾行に気づかないような人間に、何が出来るっていうの。身の程を知り
なって」
「……ッ」
何も言い返せず、悔しさのあまり高橋は唇を噛む。
「面白そうだから手伝ってただけで、共犯者にされるのはゴメンだし。引き際も時には肝心
って言うじゃん?」
「……飯田さんがどうなってもいいんですか?」
高橋は爆発しそうになっている感情を必死に抑えて、低く呟く。
「だから、うちらにはもうすることなんてないんだってば。しつこいなー」
「ほやけど、まだ飯田さん、目的果たしてないのに。もし……、その前に捕まってしもたら
どうするんですか!?」
「さぁ。それも運ってやつじゃないの?」
後藤は足を組んで、のん気な態度で煙草を吸っている。その態度がまた気に障り、高橋は
両手で思いきり調理台を叩いた。その音を聞いても、後藤は顔色を変えない。
「後藤さん!」
「うるさいなー。大体、さっきからゴチャゴチャ言ってるけど、最初は全然やる気なかった
くせに」
「最初は……、しょうがないやないですか……」
事情を知らずに最初からやる気満々だった後藤の方がおかしいじゃないか、と高橋は悪態
をつく。
「っていうかさぁ、高橋はただ圭織が誰と会うのか見たいだけじゃないの? そんなん無駄
だって。うちらは知らない人なんだしさぁ」
「…………」
図星を指されて、高橋はぐっと黙り込んだ。
- 133 名前: 投稿日:2004/03/19(金) 22:26
- 確かに、飯田が誰と会おうとしているのかは興味があった。それが例え、自分が知らない
人間だとしてもだ。しかし、高橋としてはそれだけの理由で飯田の手伝いをしているわけで
はない。飯田のことが心配だからだ。このまま勘違いされていては悔しい。高橋はギュッと
拳に力を入れた。
「あたしは飯田さんが心配だから手伝ってるんです」
「そんじゃ、圭織の為だと思って、もう関わるのをよそうとかって思わないわけ?」
「……どういう意味ですか?」
「ほんと、高橋って判んない奴だね」
後藤は心底呆れたような表情になって、短くなった煙草を灰皿に押し付けた。
「うちらがチョロチョロと動き回れば動き回る分、圭織の姿が誰かの目に触れやすくなるっ
てことに、早く気づきなよ」
「…………」
「これ以上、馬鹿なことを考えないように、はっきり言っとく。高橋がいると絶対に圭織は
見つかる」
「な、なんで」
ギョッとして高橋が目を見開くと、後藤は鼻で軽く笑った。
「最初から失敗してたんだよね。友達が少なそうな高橋なら、仲間にするのに丁度いいやっ
て思ったんだけど、蓋を開けてみたら意外と周りに注目されててさー。あんなに行動を細か
くチェックされてるとは思ってもなかったからなぁ」
誤算だった、と続けそうな口調だった。
高橋が動けば動くほど人目を集める。正確には、高橋と後藤が一緒にいる限り、高橋のク
ラスメートが二人の行動を気にしてしまう。今までは後藤が注意をして何とかしのいできた
が、それでも限界はある。こちらより向こうの方が人数は多いのだから仕方がない。
飯田に助けを求めようとして、高橋は言葉を失った。先ほどからずっと黙り込んでいた飯
田は、じっと床を睨みつけるようにして固まり、身動き一つしない。飯田の今後に関わる話
をしているというのに、その話を聞いてすらいないようにも見える。
- 134 名前: 投稿日:2004/03/19(金) 22:30
- 「高橋が傍にいる限り、圭織の身が危険だってこと」
後藤は更に駄目押しでこう呟いた。
これは足手まとい、という烙印を押されたようなものだ。勝手に巻き込んでおきながら、
後藤のこの酷い言い様に高橋は怒りを抑えられない。それに飯田もきちんと話を聞くべきだ。
無関心にも見えるこの態度はあまりにも酷い。必死になっている自分が馬鹿に思えて、高橋
はますます腹を立てていた。
後藤は自分が口にした言葉など忘れてしまったかのように、何でもないような表情でまた
新しい煙草をくわえている。何となく、肩の荷が下りたような表情にも見えた。
放課後から後藤の様子がおかしかった理由がようやく高橋にも判った。今までずっと考え
ていたのだろう。今まで通り、飯田に協力すれば良いのか、それとも見切った方が良いのか。
そして、後藤が出した結果が今の会話だ。もしかしたら、後藤自身はまだ協力する気なのか
もしれない。しかし、足を引っ張ることを予想された高橋は切り捨てた。つまりはそういう
ことだ。
「……判りました。もう二度とここには来ません」
高橋は表情をなくして立ち上がり、低く呟いた。二人を見下ろしたものの、反応を見ずに、
廊下へ出る。泣かないようにギリリと音を立てて、顎が疲れるくらい強く歯を食いしばった。
こんなことで泣いてたまるか。そんなことばかり心の中で何度も呟き、外へ出た。雨は来
た時よりも激しく振っている。傘など持ってきていなかった高橋は水溜りも気にせず、一歩
一歩地面を踏みしめるように、ゆっくりとした足取りで歩き続けた。
- 135 名前: 投稿日:2004/03/19(金) 22:31
- >>127
有難う御座います。
他ではあまり見かけないこの三人組を気に入ってもらえたら嬉しいです。
>>128
有難う御座います。
地味な主役を気に入ってもらえて本当に嬉しいです。
- 136 名前:名無し太郎 投稿日:2004/03/21(日) 23:11
- 何を考えてるんだろう後藤は…
この話をまんまドラマとかで見てみたいものです。設定とかもうかなりツボなんですが。
- 137 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/25(木) 01:57
- 後藤は策士っぽいですからねえ。
これからどう転んでいくのか楽しみ。
- 138 名前: 投稿日:2004/03/30(火) 22:21
- 調理室に一人残った飯田は、窓際でぼんやりと空を眺めていた。雨が激しくなっている。
窓にいくつもの筋が出来ていた。
飯田は溜息をついて、その場を離れた。調理台の上に置いてあったランタンを消すと、室
内は暗闇に包まれた。すっかり冷めてしまったコーヒーを手に取ると、ぐいっと一気に飲み
干し、また溜息をついた。
椅子に腰掛け、調理台の上に突っ伏して瞼を閉じた。ニュース番組はとうの昔に終わり、
ラジオからは最小にボリュームを絞ったBGMしか聴こえてこない。その音をかき消すくら
いの大きな音を立てて降っている雨音がやけに耳につく。
飯田は片手でこめかみの付近を軽く揉んだ。幼い頃から雨は苦手だったが、最近は更に苦
手になっていた。早く止んでくれないだろうか、と祈りたくなる。
考えなければならないことが沢山あった。しかし、今は何から手をつけたらよいのか、判
らず、さすがに飯田は焦りを感じていた。元々、自由に身動き出来る立場ではなかったが、
数日間ほど風邪を引いて寝込んでいたのは予定外なタイムロスに繋がっている。残された時
間は僅か。タイムリミットは近い。
これまでは後藤達の力を借りて順調に進んできたようにも見えていたが、まだ完全ではな
い。まだ終わらない。飯田にとっては何一つ進んでいないのも同然だった。
静まり返っている部屋の中で突然、騒音に近い音が響き、驚いた飯田は目を見開いて大き
く肩を揺らした。どうやら、調理台の上に置いてある携帯が鳴り始めたらしい。着信音は消
しているがバイブ設定がされていた為に、ブルブルと小刻みに台の上で動いている。その振
動音が部屋中に響いていた。
飯田は、ほっと胸を押さえた。すっかり油断していたので鼓動が激しくなっている。チカ
チカと点滅を繰り返している携帯は、暗闇に包まれている室内には良く目立つ。
大きく息を吸い込むと飯田は携帯を手に取り、ディスプレイに表示されてある名前をぼん
やりと見下ろした。
- 139 名前: 投稿日:2004/03/30(火) 22:24
- 次の日も雨は降り続いていた。勢いが激しく、一向に止みそうな気配はない。天気予報で
も一日中雨だと言われていた。
今日は土曜日なので学校は休みだった。正直、助かった、と高橋は思っていた。学校へ行
っても授業を受けるだけの気力はない。授業が休みでも部活はあるが、そんなことは気にも
止めていなかった。
用なしだと言われて何とも思わない人間などいないだろう。高橋はあまりにも腹が立った
ので、昨日あれから家に帰るなり、小川に電話して散々愚痴を言いまくり、怒りを発散させ、
今日も会う約束をしていた。しかし、今ではもうそんな元気もない。約束などしなければよ
かった、と後悔していた。
昨日は不機嫌だった高橋だが一日経てばすっかり怒りが冷めてしまい、逆に今度は妙に虚
しい気分を抱えていた。テレビをつけていても、耳に入ることなく空気中で消えていく。ベ
ッドに寝転んで、周りの音を遮断するように布団を頭から被る。涙は出ない。しかし、胃が
しくしくと痛む。
クラスメートに冷たくされるようになってからも、ここまで落ち込んだことはない。後藤
のことを信用していただけに、あの冷たい態度は相当堪えた。信じていたものに裏切られる
ことがこれほど哀しいものだったのだと初めて思い知った。
ノックの音が鳴ると、直ぐに続けて妙に明るい声が聞えてきた。
「愛ちゃーん。おっはよー」
小川だった。のっそりと高橋が上半身を起すと、小川は目をパチクリとさせた。
- 140 名前: 投稿日:2004/03/30(火) 22:26
- 「なんで、まだ着替えてないの? 約束って十時だったよね?」
しきりに首を傾げながら、小川は呟いた。約束の時間を間違えたのだろうかと不安になっ
たらしい。高橋は乱れた髪を手櫛で直しつつ、ベッドの上に座り直し、弱々しく笑った。
「間違ってないよ。ゴメン、ちょこっとぼんやりしててさ」
「ならいいんだけどさぁ。それよか、早く支度しなよ。映画間に合わなくなっちゃう」
一階で待ってるから、と言い残し、小川は部屋から出て行ってしまった。残された高橋は
大きな溜息をついて、がっくりとうな垂れた。
昨日、電話した時に、気晴らしに映画でも見に行こうと提案したのは小川だった。散々、
愚痴を口にしていた高橋に対して、何も文句を言わないのは小川くらいだろう。中学の時か
ら彼女はいつもひょうひょうとしていて、怒るという感情が欠落しているような人間だった。
何を言っても堪えず、全く気にしない。もしかしたら、そう見せているだけなのかもしれな
いが、高橋にはよく判らなかった。
高橋はそんな小川の性格を羨ましく思いながら、服を着替え、出かける用意を全て済ませ
ると、大きく深呼吸を一つして一階へ降りた。
雨の所為で湿気を感じる。今日は誰も家に残っておらず、ひっそりと静まり返っていた。
父親は仕事で、母親は近くにある親戚の家へと朝早くに出かけてしまっている。
小川は玄関の扉を開けっ放しにして、腰を下ろした状態で固まっていた。肌寒い風が吹き
つけてきているというのに、ぬいぐるみのようにピクリとも動かない。顔を覗き込んでみる
と口を開けたまま、外の風景を眺めている。高橋の視線を感じたのか、小川はハッと我に返
った。
- 141 名前: 投稿日:2004/03/30(火) 22:27
- 「もう用意出来たの?」
「うん。どうしたの? ぼんやりしてたみたいだけどの」
小川の隣に腰を下ろし、高橋はブーツの靴紐を結びながら問い掛けた。
「いやー、よく雨降るなぁ、と思ってさ」
「昨日の晩からずっと降ってるね。やんでくれんかなぁ」
「雨嫌いなの?」
「嫌いっちゅーわけやないけど。麻琴は好きなの?」
「雨音とか聴くの好きなんだよね。屋根でバラバラ鳴る音とかさぁ」
小川は嬉しそうにそう答えると、傘立てに入れていた自分の傘を手に取り、先に玄関を出
た。ポンッと軽い音を立てて、鮮やかな青色の傘が広がる。玄関の鍵をかけて高橋も自分の
傘を広げた。
二つの傘が仲良く並ぶ。自分が手にしている傘を見上げると、それまで何も気にならなか
った真っ白な傘が、雲の下にある偽物の雲にしか見えず、高橋は憂鬱になった。隣にいる小
川の傘を見上げると、青空のように見える。雲に雨は似合うが、青空には似合わない。そん
なことで卑屈になる必要などないはずなのに、高橋はギュッと傘の柄を握り締めて歩き出し
た。
頭上でバラバラと雨粒が跳ねている音が聞える。高橋の耳には心地よい音のようには聞え
ない。むしろ、耳障りだった。どこがいいのだろう、と思いながら、隣で調子外れの鼻唄を
歌っている小川に声をかけた。
「二人で映画見に行くのって、久し振りやない?」
「そうかもしんないね。最近、会ってなかったし」
小川はいつでも楽しそうに見える。きっと、学校生活も楽しいのだろう。自分とは大違い
だ、と高橋はまた落ち込んだ。
- 142 名前: 投稿日:2004/03/30(火) 22:28
- 俯き加減になって高橋が歩いていることなど気づいていない小川は、マイペースに自分の
話を進めていた。
「吉澤さんっていう変な先輩がいるんだけど、すっかり好かれちゃってさぁ」
「へぇ……」
「そんでさぁ、なんか、知んないけど、今ラーメン屋のハシゴに嵌ってるらしくて、私まで
付き合わされちゃってさぁ。おかげで財布はすっからかん。増えたのは体重だけ」
「へぇ……」
「そこで、そんなことないよ、とか言ってくんないかなぁ」
「へぇ……」
「ダメだ、こりゃ」
高橋が全く自分の話を聞いていないことが判り、小川は肩をすくめた。
目の前の信号が赤になり、二人は横断歩道の前で肩を並べた。傘が沢山集まってくる。周
りのカップルや親子連れは楽しそうに世間話をしていたが、二人だけが黙り込んでいる。そ
の沈黙に耐え切れなくなったのは小川の方だった。
「どったの? なんか、悩み事とかありそうだけど」
隣で頬を掻いている小川の視線を逃れるようにして、高橋は信号機の赤色を睨みつけた。
道路が広く数車線あるこの信号は、青になるまでにかなり時間がかかる。しばらくは信号待
ちが続くだろう。
高橋は顔をしかめると、信号機から視線を逸らし、足元を見つめた。横断歩道に近づくほ
ど、コンクリートが歪んでおり、二人の足元には大きな水溜りが出来ている。小川が履いて
いるスニーカーを見つめながら、高橋は仕方なく口を開いた。
「麻琴はさぁ、何の為に生きてるのかなぁ、って思う時ない?」
「おぉー、哲学的ー。っていうか、ずっと、そんなこと考えてたの?」
「いや、何となくね」
自分は何の為に生きているのだろう、とたまに高橋は思う。後藤に用なし扱いされ、更に
その思いは強くなっていた。
- 143 名前: 投稿日:2004/03/30(火) 22:30
- 「うーん。そんな小難しいことなんて、考えたこともない、というか、思いつかない」
「…………」
「だって、そんなの深く考えたって、答えなんか、判んないもん」
「やっぱり、そうだよねぇ」
溜息交じりで高橋は頷いた。意味のない質問だ、と心の中でぼやく。
「あ、そうだ。愛ちゃん、ちょっと息止めてみて」
「へ?」
「いいから、いいから」
にやにやと笑いながら小川は傘をクルクルと回した。顔を上げた高橋は不信そうに顔をし
かめ、とりあえず、言われた通りにしてみた。大きく息を吸い込んで、ピタリと止める。黙
り込むと、更に雨音や、目の前を通り過ぎていく車の音が目立って聞えた。
「長いなぁ。さすが、合唱部」
道端でこんなことをしている人間は自分くらいだろうな、と思いながら、小川の顔を見て
みると、相変わらず笑みを浮かべている。彼女の顔を見ていると吹き出しそうになってしま
うので、高橋は視線を逸らした。
「私だったら、とっくに終わってるだろうなぁ」
感心して余裕そうにしている小川とは正反対に、高橋は顔を真っ赤にして、顔をしわくち
ゃにしていた。もう限界だった。高橋が息を吐き出すのと信号機が青になったのは、ほぼ同
時だった。
「おぉ、頑張った」
「…………ほ、ほんで、何が言いたいの?」
息も絶え絶えに高橋は胸を押さえながら尋ねた。後ろで信号待ちしていた人間に、どんど
ん追い抜かれても気にならなかった。肩を上下させている高橋と、満面の笑みを浮かべてい
る小川だけが立ち止まっている。
- 144 名前: 投稿日:2004/03/30(火) 22:32
- 「今判ったことは、人は息を止める為に生きてるわけじゃないってことー」
小川が胸を張って嬉しそうに答えると、高橋はがっくりと肩を落とした。そんな当たり前
なことを言う為に、こんなことをさせていたのか、と心底呆れてしまう。もっと深い意味が
あるのかと思っていただけに落胆も大きい。
そんなことをしているうちに、信号が赤に変わっていた。映画の時間を気にしていたはず
の小川は、のんびりしている。膨れっ面をしている高橋の顔を見て、小川は申し訳なさそう
に微笑んでいた。
「なんていうのかなぁ。こういうのって、深く考えちゃダメなんだと思うんだよね。考えれ
ば考えるほど、何も見えなくなるっていうかさぁ。適当に自然の流れに身を任せて、毎日笑
ってる方が楽しいって、思わない?」
「ほやけど、麻琴は笑ってるっていうより、ぼんやりしてる時の方が多いよ」
「それを言っちゃいけないよ」
高橋の暴言も気にせず、小川は大笑いして、
「大きく息をぶはーっと吐いたら、ちょっとはすっきりしなかった?」
おどけた口調で言った。
小川の言う通り、今まで抱いていた胸の中のもやもやが少し消えた気がする。以前から、
短気で頑固な高橋のガス抜き担当が小川だった。二人が上手く付き合うことが出来るのも、
小川のこの大らかな性格のおかげだった。
「ちょこっとだけね」
高橋は笑う。やがて、信号が青になった。
- 145 名前: 投稿日:2004/03/30(火) 22:35
- 映画館に着くと、人だかりが出来ていた。高橋はそれを見ただけでげんなりした。話題作
ではないのに暇人が多い、と心の中で毒づく。
長蛇の列にも耐え、無事にチケットを買ってロビーに辿り着くまでに、すれ違う人々が持
つ傘に何度もぶつかった。その度に高橋は顔をしかめていたが、室内で傘の水切りをしてい
たマナーの悪い客の近くにいた小川は、水滴を首筋に飛ばされ、悲鳴に近い声をあげていた。
二人が席を確保する頃には、主に下半身がびしょ濡れになってしまってしまい、ジーンズ
をはいてきていた小川は、すっかり色が変わってしまった自分の足元を見て嘆いていた。
「もっと早くカバーつけてくれたらいいのに」
小川は情けない顔をしてハンカチを繰り返し、濡れたジーンズに擦りつけている。デパー
トの入り口などでよく見かけるビニールの傘カバーをかけてくれる装置が何故か、この映画
館では室内にあり、あまり意味をなしていなかった。高橋はミニスカートをはいていたので
被害が少なく済んでいた。濡れたところはハンカチで数回拭えば直ぐに乾く程度だ。
「飲み物、買うてくるね」
まだ足元を拭っていた小川を残し、高橋はロビーに出ると、ホッと一息ついた。狭く、
騒々しい場所に入ると眩暈がしてクラクラする。よく考えたら、ここ数日まともに寝れた日
がない。空気が薄い場所に行くと気分が悪くなり、立ち眩みしそうになってしまう。
新鮮な空気を吸う為に人ごみをすり抜け、入り口付近へ移動していると携帯が鳴り始めた。
マナーモードにしておくのを忘れていたようだ。
風通りの良い場所へ辿りついてから、高橋は二つ折りの携帯を開いた。ディスプレイに表
示されてある名前を見るなり、動悸が激しくなった。
- 146 名前: 投稿日:2004/03/30(火) 22:37
- ――後藤真希。
登録した記憶などないのに、何故この文字が携帯に表示されているのか。高橋にはそれが
理解出来ない。むしろ、頭の中が混乱していた。
留守番電話の設定をしていなかった携帯はしつこく鳴り続け、周囲の視線を集めていた。
やがて音が止んでも、高橋は呆然と立ち尽くしていた。
ロビーにいた客は慌しく、姿を消していく。その波に乗り残されている高橋は今頃苛立ち
始めていた。昨日あれだけ冷たい言葉を口にしておきながら、よく電話をかけてこれるもの
だ。また携帯が鳴り始めたが、無視をして電源を切った。どうせ、これから映画を見る為に
電源を落とすつもりだったのだから、別に問題はない。乱暴な手つきで携帯を鞄に戻した。
自動販売機でジュースを購入してから、高橋は小川が待っている自分の席に戻った。上映
時間間際になっており、周囲の席は全て埋まっている。小川は高橋の顔を見るなり、パッと
笑顔になった。
「遅かったね。そんなに混んでたの?」
「え、あ、ちょこっとトイレに……」
高橋は誤魔化して、腰を下ろした。小川も特に気にしていないようで、気のない返事をし
ていた。
上映開始の音と共に照明が落ちると、それまで落ち着きなく、ザワついていた周囲も静か
になった。コマーシャルが始まり、大きな音が鳴り響く。まだ本編が始まっていないので、
後ろの方でこそこそと会話をしているカップルがいた。いつもならムッとするところだが、
今の高橋の耳には入ってこない。そんなことよりも、先ほどの電話の方が気になって仕方が
なかった。
何の用件があって電話をして来たのかと考え、高橋はあっ、と声をあげそうになった。今、
後藤の携帯を持っているのは後藤本人ではなく、飯田であるということに気づいたのだ。
- 147 名前: 投稿日:2004/03/30(火) 22:50
- もしかして、何かがあったのだろうかと不安になりながら、高橋は鞄から携帯を取り出し
て電源を入れた。思ったよりも明るい光が手元を照らす。映画の本編が始まりそうになって
いるので、周りに迷惑にならないよう直ぐに膝の上に移動させると、設定をマナーモードに
変えた。
映画が始まり、映画館全体を振動させるくらいの重低音を身体で感じているはずなのに、
高橋は興奮しない。一人だけ表情をなくしていた。画面を見ていないのだから、当然だ。
自分はこんなところにいていいのだろうか。早く飯田のところへ行くべきなのではないだ
ろうか。彼女が助けを求めているのだとしたら――。
後藤はもうあてにならない。まだ協力する気があるのかもしれないが、本当に手を引いて
しまったという可能性もある。そうなると、飯田の味方は誰もいない。自分一人しか、彼女
の為に動ける人間はいない。高橋は落ち着きをなくして、身体をもぞもぞと動かした。
しかし、昨日絶縁状を叩きつけた人間が、ノコノコと姿を現すのもおかしい話だ。もしか
したら、ただの悪戯電話かもしれない。飯田の性格からすると、昨日のことなど忘れて、何
も起きていないのに、自分勝手な都合で電話をしてくるということも考えられる。あの時の
飯田は何も言っていないのだ。昨日の件で一方的に高橋が拒絶したとしても、飯田にとって
は意味がないだろう。気を遣うことなどしそうにもない。
高橋は携帯を見下ろした。あれから着信はない。一度、ロビーに出て、電話をかけてみる
べきだろうか。しかし、先ほどトイレを言い訳に使ってしまった。気分が悪くなったから、
というのもわざとらしい。折角、機嫌を損ねていた自分の為に、一緒に気分転換をしようと
誘ってくれた小川の気持ちを仇にして返すのも申し訳ない。
顔を上げずに、ジッと自分の携帯を睨むように見つめる。自分にはもう関係がない。何が
起きても知るものか。何度も何度も心の中で呟きながら、自分自身に言い聞かせる。
隣にいる小川が何度も様子を窺っていることなど気づかないほど夢中で、高橋は携帯を握
り締めていた。
- 148 名前: 投稿日:2004/03/30(火) 22:54
- >>136
有難う御座います。
心優しきレス、感謝しています。
>>137
有難う御座います。
策士の出番がありませんでした。
- 149 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/01(木) 22:23
- おおう!!!!どうなるんだろう!!
結構作者さんの描く高橋、ツボにはまったらしく、好きですよ
前のめりになって読んでます。更新楽しみに待ってます
- 150 名前:名無し読者やよー 投稿日:2004/04/06(火) 03:52
- 初めから一気に読まさせてもらいました。
高橋・後藤・飯田が主軸の物語は珍しくてとても新鮮です
特に高橋さん良いです♪高橋さん主役の物語は少ないので
自分としては嬉しい限りです。
更新頑張って下さい〜楽しみにしてます。
- 151 名前: 投稿日:2004/04/21(水) 22:46
- 土曜の学校周辺は、いつもより更に閑散としている。足元で水が跳ねる音がやけに目立っ
て聞えてくるような気がするほどに。
後藤はジャケットに両手を突っ込み、鼻唄を歌いながら校門をくぐった。校内でも人の姿
は数人程度しか見えない。ずぶ濡れになって準備体操をしているジャージ姿の群れを見て、
運動部は大変だなぁ、などと心にもないことを思いつつ、彼女達の隣を通り過ぎた。
今日は休みではあるが一応規則なので仕方なく、後藤も制服を着ていた。ただ、傘を差す
のが煩わしく、フード付きのジャケットを羽織っているので制服が隠れて見えない。パッと
見は部外者が迷い込んでいるようにも見える。
「あれ? 休みなのに、どうしているの?」
その声を耳にして、後藤は鼻唄と足を止めた。振り返ってみると、そこには不思議そうな
表情を浮かべている安倍の姿があった。まともに授業すら出ない後藤がこんなところにいる
のだから、彼女が驚くのも当然だった。
「なっちこそ、なんでいるの?」
「部活の顧問だから。教師に休みなんてもんはないに等しいし」
「うへ。絶対、センセーにはなりたくないなぁ」
後藤が大げさに顔をしかめると、安倍はケラケラと笑った。その弾みで手にしている薄紅
色の傘から、いくつものしずくが落ちる。
「それで、何か用なの?」
「いやー、ちょっと忘れ物しちゃって」
忘れて困るようなものなど学校には何も置いていないのだが、後藤は自然に聞えるよう呟
いた。安倍も素直に受け止めて、しきりに頷いている。
- 152 名前: 投稿日:2004/04/21(水) 22:48
- 「授業がある日も今日みたいにきちんと来たらいいのに。担任の先生が嘆いてたよ」
「嘘だぁ。嘆くどころか、もう諦めてるでしょ」
「誰がそうさせたんだっけ?」
「嫌味だなぁ」
後藤はわざとらしく、口を尖らせた。安倍の言う通りなので反論はしない。視線を逸らし
て、空を見上げた。
雨は依然として降り続いている。長々と振り続けるくらいなら、一気にバケツを引っくり
返すくらいの勢いで降って、からっとやめばいいのに、と後藤は思った。
顔を上げ過ぎていた為にポツポツと頬に雨粒が当たる。乱暴に顔を拭っていると、安倍が
言い難そうに口を開いた。
「あと、何度も言うようだけど……」
「あー、もう判ってるってば。高橋のことでしょ?」
後藤は口元を歪めて、虫を払うように手をヒラヒラと振ってみせた。顔をあわせる度に何
度も同じことを繰り返す安倍に呆れてしまう。
「安心してよ。もう関わらないから」
「本当に?」
安倍は後藤の言葉を信じていない。疑わしそうな目で見つめていた。
「マジマジ。どーせ、向こうからも、もう近づいて来ないよ」
「本当かなぁ。だって、ごっつぁんのこと、かなり信頼してたっぽいし」
「信頼? まさかー」
後藤は鼻で笑ったが、安倍は真剣な表情を保ったままだった。
- 153 名前: 投稿日:2004/04/21(水) 22:49
- 「初めて高橋に反抗されたんだよね、この前」
「へー、やるじゃん、あいつ」
感心しながらも、反抗なら自分は何度もされたけどなぁ、と後藤が思っていると、安倍が
傘で軽く頭を小突いてきた。頬を少し膨らませている。
「そんなので感心しないでよ。今までそんなことなかったんだから」
「でも、ちょっと待ってよ。それとこれとは話が別じゃないの?」
どうして自分の所為にされなくてはいけないのだろう、と後藤は頬を膨らませる。安倍が
知らないだけで、元々、高橋はそういう性格をしているのだから。
「だって、ごっつぁんと付き合うようになってから、態度が変わってきてるんだもん」
「付き合うようになってからって言っても、一週間くらいなもんだよ」
「たった一週間で変わっちゃったんだよ」
何とか自分とは無関係であることを訴えてみたが、安倍は首を縦に振ろうとしない。生徒
の言うことがそんなに信じられないのか、と不満に思いながら、後藤は視線を落とし、いじ
けた振りをして足元のぬかるんだ土を軽く掘っていた。
「どーしても、私の所為にしたいわけね」
「別にそんなんじゃないけど……」
顔を上げた後藤の顔を見て何かを察したのか、安倍は慌てて視線を逸らした。気まずい空
気がその場に漂う。それを感じ取った後藤は、わざとらしいくらいの明るい口調で呟いた。
「いやいや、それにしても、高橋がねぇ」
「付き合いは止めて欲しいけど、傷つけたりしないでよ?」
「だから、もう関係ないんだってば。それに、付き合いがなくなったら、傷つけることも出
来ないでしょ」
既に傷つけた後だけど、という言葉を後藤は飲み込む。
- 154 名前: 投稿日:2004/04/21(水) 22:50
- 二人が黙り込むと同時に雨脚が激しくなった。安倍はまだ何か言い足りなさそうな表情を
して少し俯いている。
いつものパターンならば、もう何も出てこないはずだ。彼女が口にするフレーズは既に出
てしまっている。しかし、このまま自分から立ち去るのも逃げ出すようで格好が悪い、と思
った後藤は、安倍が持つ傘の上で大きく跳ねている雨粒をぼんやり眺めていた。
「まぁ、何でもいいけど。とりあえず、よろしくね」
後藤の予想通り、このまま話していても無意味だと思ったのか、安倍は話を打ち切って踵
を返した。
小さくなっていく薄紅色の傘を眺めながら、後藤はぽりぽりと頬を掻いた。何だか、後味
の悪さが残る。結局、安倍は後藤が口にする言葉を真剣に聞こうとしていないのだ。これは
前からなので、気にしないことにしている。
角度を変えて考えてみると、それだけ安倍は高橋に期待しているのだろう。学校側は素直
な優等生を育てたがるものだ。
それに、後藤が気になっていたのは安倍の態度ではなく、話題に出て来た高橋の方だった。
「ちょっと悪いことしたかなぁ。ま、しょーがないか」
そう呟くことで、気持ちを切り替え、後藤は歩き出した。
- 155 名前: 投稿日:2004/04/21(水) 22:51
- 高橋は携帯を胸の前で抱き、狼狽して首をキョロキョロと動かす。しかし、誰にも助けを
求められない。手の中にある携帯が震えていた。
映画は結局、内容がよく判らない状態でエンドロールを迎えてしまった。ずっと飯田のこ
とが気になって集中出来なかったのだ。映画が終わるなり、小川はパンフレットを買いに行
ってしまい、高橋は一人先に外へ出ていた。外は土砂降りになっており、傘を持つ手もしっ
とりと湿っている。
相変わらず、手の中にある携帯が鳴っていた。映画館を出た途端、待ってましたと言わん
ばかりに鳴り出した携帯。名前は先ほどと同じで、後藤の名が表示されている。
高橋は一度瞼を閉じ、大きく深呼吸をしてから覚悟を決め、恐る恐る通話ボタンを押した。
「…………もしかして、飯田さんですか?」
「そだよ」
のほほんとした飯田の声を聞いて、高橋はがっくりと肩を落とした。
昨日の今日で、よくこんな態度が取れるものだ。始めは高橋自身の意思ではなかったにし
ても、飯田はもう関わらないと告げられた立場なのに、何とも思っていないのだろうか。そ
れにしても――。
「……もしかして、あたしの携帯、勝手に触りました?」
「うん。暇だから二つの携帯番号を入れ合いっこしたの。いやー、早速役に立つとはねぇ」
「…………」
高橋は思わず、勝手に何をしているのだろう、この人は、と呟きそうになった。飯田が相
手だと、どうも調子が狂ってしまう。
とにかく、この様子だと何もなくてよかったと思うべきなのかもしれない。しかし、一体
何の用で電話をかけてきたのだろう。高橋にはそれらしい理由が全く思い浮かばない。
- 156 名前: 投稿日:2004/04/21(水) 22:53
- 「あの……、どうしたんですか?」
「えーとね、ちょっと昨日のことでね」
さすがに飯田も言い難そうにしている。高橋も無意識に携帯を持つ手に力を入れて、顔を
強張らせた。
「……何でしょうか」
「うん、あのね、ごっちんのこと、怒らないでね」
「え?」
高橋は耳を疑った。やはり、後藤が手を引くといったのは狂言だったのだろうか。そう考
えない限り、飯田の行動が理解出来ない。
「後藤さんが手を引くって言うてたのは、嘘やったんですか?」
「さぁ? 昨日はあのまま帰っちゃったし」
飯田はのんびりとした口調で答えた。驚きのあまり、高橋は口を半開きにしていた。
飯田から手を引くと告げた後藤の言葉を、高橋はあまり信じていなかったので混乱してい
た。それに、裏切られた立場である飯田が裏切った人間である後藤を庇っている理由もよく
判らない。自分が飯田の立場なら、必ず責めるはずだ。フォローをしようとも思わない。
「ほんなら、なんで庇うんですか?」
「ごっちんって口が悪いっていうか、天邪鬼だからさ」
飯田の言葉と共に、雨が激しくなった。
「え? 今、何て?」
「だから……」
雨音にかき消されて声がきちんと聞えない。
高橋は背後にある映画館をちらりと見て、歩き出した。近くにある屋根のある店の前まで
辿り着いたものの、更にバラバラとうるさい雨音が耳につく。しかし、雨をしのぐことが出
来る。高橋は持っていた傘を畳むと肘に引っ掛け、方耳を手でふさいで受話器を耳にピタリ
と引っ付けた。
- 157 名前: 投稿日:2004/04/21(水) 22:54
- 「高橋ー? 聞いてんの?」
飯田の訝しげな声が耳に入ってきた。
「聞いてます」
「だからさ、あんまし怒らないで欲しいわけ。圭織とは違って、付き合いが長くなるかもし
んないんだしさ」
明らかに会話の途中だと思われる言葉を聞いて、高橋は眉根を寄せた。
「言ってる意味がよく判らんのですけど」
「友達は大切だよ。圭織が言うんだから間違いない」
飯田の立場を考えたら、これほど重く聞える言葉はない。しかし、それとこれとは話が別
だ。話し続ける飯田の声を聞きながら、高橋は険しい表情を保っていた。
「でも、圭織がわざわざこうして言わなくてもさ、ごっちんがどういう人かってことくらい、
高橋にも判ってるよね?」
「…………」
飯田の問いかけを高橋はあえて無視する。後藤の名を耳にするだけで腹立たしく思ってし
まう今のこの状態でそんな話をされても、という気分だった。
「……だから、怒るなって言ってるのに」
いつまでも高橋が黙り込んでいるので、飯田は溜息交じりに呟いた。しかし、それが高橋
の逆鱗に触れてしまった。
「ほやけど、勝手に巻き込んでおきながら、邪魔者扱いされたわけやでの! 怒らない方が
おかしいわ!」
「うわぁ……」
高橋のあまりの剣幕に、飯田は気の抜けたような声を出した。
路上で大声を出していた高橋の近くにいた通行人は、奇妙なものにでも遭遇したような顔
をして、チラチラと振り返っている。その視線を感じた高橋は恥ずかしさのあまり頬を染め
て、くるりと勢いよく背を向けて誤魔化した。飯田に怒鳴っても仕方がないのだ、と心の中
で自分に言い聞かせて、何とか気を静めようと試みる。
- 158 名前: 投稿日:2004/04/21(水) 22:55
- 冷静になって考えてみると、昨日の後藤はやはり様子がおかしかった。後藤らしくない素
振りを何度も見かけた。今までになく優しい言葉を口にしたり、何かを隠しているような、
そんな雰囲気も感じた。
何か、おかしい。何かが引っかかる。しかし、飯田に訊いても全ての事情を知っているよ
うにも思えない。それに、知っていたとしても答えてはくれないだろう。飯田はそういう人間だ。
後藤への猜疑心は徐々に薄まり始めていたが、何かを見落としているような気がしてなら
ない。高橋は口元に手を当てて、考え込んでいた。
「例え、裏切られても圭織は相手のことを嫌いになったりしないよ。だって、友達だもん」
「……そりゃ、他人事なら何とでも言えるやろうけど」
「あのさ……」
飯田は何かを言いかけて、息を飲んだ。
携帯の向こうから緊張した気配を感じた高橋は、耳から少し離れていた携帯を無意識に寄
せていた。しかし、周りの物音一つ耳に入ってこない。飯田も黙り込んでいる。これでは、
何が起きているのか、判断のしようがない。誰かが来たのだろうか。高橋は小声で呼びかけ
てみたが、無反応だった。
しばらくすると、一方的にプツリと電話が切れた。
高橋は携帯を耳に当てたまま、立ち尽くしていた。いつの間にか、掌がじっとりと汗ばん
でいる。ゴクリと喉を鳴らし、力なくぶらりと携帯を持つ手を下ろした。
一体、飯田はどうしてしまったのだろう。もしかして、第三者に姿を見られてしまったの
だろうか。幽霊の噂を耳にして、興味半分で旧校舎を探索する人間が現れてもおかしくはな
い。最悪の場合、警察が乗り込んで来たのかも――。そんなことを考えていると、不安にな
ってしまい、高橋はいてもたってもいられなくなってしまった。
- 159 名前: 投稿日:2004/04/21(水) 22:57
- 高橋が顔色を変えて、その場でオロオロとしていると、映画館の方からバシャバシャと派
手な水しぶきをあげながら、小川がやって来た。屋根の下に入り、高橋の隣に立つと手にし
ていた傘を畳み、少し疲れた表情で溜息をついた。
「ゴメン、ゴメン。待たせちゃって。いやぁ、パンフだけが欲しいのに、すんごい列が出来
ててさぁ。パンフだけのコーナー作ればいいのに、あの映画館」
「…………」
「おーい、愛ちゃん?」
我に返って、それまで俯き加減だった顔を高橋は慌てて上げた。首を傾げていた小川は視
線が合うと安心したように、にっこりと笑みを浮かべた。
「これからお茶でもしてこっか」
「うん……」
「近くに美味しいケーキ屋さん、あるんだよ」
小川は手にしていたパンフレットを鞄に捻じ込んで、傘をまた広げた。晴れ渡った空のよ
うな真っ青な傘。その傘を見上げ、高橋は思った。もし、彼女が自分と同じ立場になったら、
どういう行動に出るのだろう、と。
そんな高橋の思考を読み取ったかのように、小川は続けて口を開いた。
「それとも、今日はもう帰る?」
「……え?」
小川はあどけない笑みを浮かべている。高橋は目と口を開けっぱなしにしていた。
「なんか、大事な用があるんでしょ? 映画全く見てなかったし、顔見たら判るよ。愛ちゃ
んって、判り易いんだもん。長い付き合いだしさ」
屈託なく言う小川の顔を見て、高橋はようやく口を閉じた。昔から小川は自分とは違って
勘が鋭い。やっぱり、勝てないな、としみじみ思った。
- 160 名前: 投稿日:2004/04/21(水) 22:58
- 「私のことはいいからさ。行って来なよ」
「ほやけど」
「心配で死にそうな顔してるよ。悩みの原因もこれなんでしょ?」
「……うん」
「じゃあ、尚更、行かなくちゃ」
小川は高橋の両肩に手を置いて、励ますようにして軽く叩いた。その手は優しく、そして、
力強くも感じられた。
小川が自分の友達で良かった、と高橋は心底そう思った。気が緩んだのか、自然と口から
溜息が出てしまい、高橋は慌てて気合を入れ直した。
「ごめんね。今度ちゃんとお詫びするから」
「じゃあ、今度ケーキバイキング連れてって」
「……ケーキは止めとこうよ」
どちらかといえば、ぷっくりとしている小川の頬を眺めながら、高橋はぼやいた。それを
聞いて小川は笑い、わざとらしく人差し指で高橋の額を小突く。
「とりあえず、行ってきなよ」
「うん。アリガト」
高橋は礼を言って、小川に背中を押されながら歩き出した。
- 161 名前: 投稿日:2004/04/21(水) 23:00
- >>149
有難う御座います。
更新遅くなってすみません。
>>150
有難う御座います。
一気読み、お疲れ様です。
- 162 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/23(金) 10:25
- 毎日チェックしてました。更新されてて嬉しいです。
この話の中で普通に「良い人」な小川が、とても貴重に感じますた。
- 163 名前:名無し太郎 投稿日:2004/04/29(木) 23:20
- しばらく更新されてるのに気付きませんでしたw
この小説にハマってる自分はかなり後藤さんに振り回されてる気がしますが、一番謎なのはやっぱ飯田さんでしょうか…
次回の更新で少しでも謎が解けることを期待しつつ(?)、楽しみに待ってます!
- 164 名前:21212 投稿日:2004/05/16(日) 02:33
- うん、まあいいけどね。
小説書きの人って、明らかにこういう人が多いんだよなぁ。
わざとじゃないんだけど悪意があるっていうか。いや、わざとの場合もあるか。
- 165 名前:21212 投稿日:2004/05/16(日) 02:48
- ↑
あ、上のは、作品を褒めてるんで。
お間違えなく。
- 166 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/16(日) 22:21
- >>164-165
いちいち上げてることに悪意を感じるけど。
マジで更新待ってんだから期待させないでください…
- 167 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/01(火) 09:51
- 待ってまーす
- 168 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/10(木) 19:59
- 放置なのでしょうか?(⊃Д`;)
- 169 名前: 投稿日:2004/06/19(土) 22:44
- 飯田は携帯を切って調理室の入り口に視線を向けた。ドアにもたれて、にやにやと笑って
いる後藤の姿がそこある。窓から校舎の様子を窺っていたので、今日は学校が休みというこ
とくらい飯田にも判っていたが、制服姿の後藤に少し驚いていた。後藤の性格からすると、
いくら校則で定められていても私服で来そうなものだ。
「来ると思ってた」
「何が?」
「昨日、もう来ないとかって、言ってたくせに」
「話聞いてないのかと思ったよ」
「……その場にいたんだから、聞こえてたよ」
手にしていた携帯を調理台に置きながら、飯田は呟いた。後藤は大袈裟に肩をすくめると、
濡れたジャケットを脱いで使用していない調理台の流しに放り込んだ。
「それで、高橋を遠ざけた本当の理由は何だったの?」
「本当の理由って?」
飯田の問い掛けに後藤はわざとらしく、首を傾げた。
「とぼけないでよ。急にあんなこと言い出したら、誰だっておかしいと思うじゃん」
「高橋は思ってなかったみたいだけど?」
後藤はへらへらと笑い、飯田の傍に置いてあった椅子にどっかりと座って足を組んだ。
「高橋だって、もうそろそろ気づいてそうだよ。あの子、空気読めないけど、頭は悪くない
もん」
「それって、貶してるんだか、誉めてるんだか、よく判んないね」
「そうだね」
飯田は気のない返事をして、置きっぱなしになっていたビーカーを洗い始めた。後藤が買
ってきたコーヒーの瓶は中身が半分以上減っている。
- 170 名前: 投稿日:2004/06/19(土) 22:46
- 「まぁ、幽霊が出るっていう噂は、確かに嘘だよ」
「やっぱり……。酷いよ、ごっちん」
頬を膨らませて飯田が呟くと、後藤は頭を掻いた。しかし、それは心から謝罪をする気も
ないようで何度も注意しているのに全く懲りていないのか、すました表情で煙草に火をつけ
ていた。
「煙草は止めなって、言ってるのに」
「別にいいじゃん。あと二年で二十歳だし」
「そういう問題じゃないでしょ」
「まぁまぁ、それはいいとして」
後藤は携帯灰皿に灰を落とし、おどけた仕草で軽くウインクをした。しかし、両目とも瞑
ってしまっている。飯田はやれやれと首を振ると、冷えた手を擦り合わせて息を吹きかけた。
水しか使えないこの状況には、もう慣れたつもりだが辛いものは辛い。
「ただ、拙いっていうのはホント」
後藤は天井に向かって、煙を吐き出している。深刻そうに聞える言葉とは違い、その口調、
態度には緊張感の欠片もない。飯田も首を捻る程度にしか受け止めていなかった。
「拙いって何が?」
「圭織の家に高橋と二人で行ったじゃん? あの時にさ、見られてたらしいんだよね」
さすがに飯田は息を飲み、手にしていたビーカーを落としそうになった。それでも、後藤
はマイペースに話を続ける。
「知り合いに部屋に入るところまで見られてたらしくてさ。さすがにうちらが何をしに行っ
たのかは判らなかったらしいから、警察にチクるとかはしなかったみたいだけど。それで、
ちょっと注意されちゃってさ」
周りの目は十分気にしてたはずなんだけど、と少し悔しそうに後藤は呟いた。
- 171 名前: 投稿日:2004/06/19(土) 22:48
- 事件がどこで起きているのか、テレビなどの報道で誰もが知っている。後藤達が犯罪者で
はないにしても、普通ならば関係者として通報されていてもおかしくはない状況だ。発見者
は、知り合いだからという理由で黙ってくれているのだろう。
飯田は内心、安堵して表情には出さないように注意しながら、表情を固めてビーカーに水
を入れた。
「まぁ、そんで、危ないことはするなってことをグチグチと言われちゃってね。まぁ、私は
別に何とも思わなかったんだけど、高橋の場合はちょっとアレかなーと思って。こっちが強
引に引きずりこんじゃったわけだし、さすがにそこまで責任持てないもん」
「……なるほどね」
後藤なりに考えて出た結論が、高橋を外すということだったわけだ。予想していたことだ
ったので、別に飯田は驚きはしなかった。
どうせ、こんなことだろう、と思っていたのだ。だからこそ、高橋へのフォローもした。
後藤が急に態度を変えることになった原因に心当たりはなかったが、意味もなく高橋に冷た
くするわけがないと思ったのだ。後藤が口にしていた言い訳では、理由付けが弱いと感じて
いたというのもある。あの程度で、彼女が身を引くとは到底思えなかった。案の定、飯田の
勘は当たっていたということになる。
煙草を一本吸い終えた後藤は調理台にアゴを乗せ、ポコポコと音を立ててながら小さな気
泡を出しているビーカーを見つめていた。
「で、会いたい人と連絡は取れたの?」
後藤が言葉を発する度に頭がカクカクと上下に揺れる。
「まだ」
「ふーん。まだ連絡も来てないわけね」
「うん」
淡々とした会話を繰り返していても、後藤はずっと含み笑いをしている。飯田はコーヒー
の瓶を手に取ることで興味がないように見せて、後藤の様子を窺っていた。
- 172 名前: 投稿日:2004/06/19(土) 22:50
- 先ほど携帯を使用していた姿を間違いなく後藤は見ている。しかし、尋ねる気すらないよ
うだ。きっと、話相手の正体に気づいているのだろう。思った通り、後藤は視線をビーカー
に向けたままの状態で呟いた。
「折角、遠ざけたんだから、余計なことしないよーにね」
「余計なことなんてしてないよ」
「まー、どーでもいいけどさー」
後藤はへらへらと笑い、ブレザーのポケットから五百玉を取り出し、調理台の上に置いた。
そして、指で弾き、クルクルと回している。
「何やってんの?」
「暇潰し」
硬貨が動きを止める度に黙々と指で弾いている。その姿を眺めて、飯田は気づかれないよ
うにこっそり溜息をついた。
そうこうしているうちに昼が過ぎ、後藤が持ってきた食料で簡単な昼食を二人で取った。
食事が終わると、後藤は寝床へ戻る犬のように四足で進み、いつも飯田が使用している寝袋
に近づくと、そのまま中に入って眠りについてしまった。入るなり、直ぐに規則正しい寝息
が聞こえてきたので、飯田は驚いた。
ポカンと口を開けて寝ている後藤の顔は幼く見える。その寝顔を眺めて飯田は薄く笑い、
どこででも直ぐに眠れる体質が羨ましい、と思った。寝つきが悪い飯田の目の下には、常に
くまが存在している。
することがなくなってしまった飯田は、高橋が図書館から借りてきてくれた本を手に取ろ
うとして、ピタリと動きを止めた。その隣に置いてある携帯に目を奪われていた。調理台に
は携帯が二つ並んでいる。飯田の携帯と後藤の携帯。
- 173 名前: 投稿日:2004/06/19(土) 22:51
- もう直ぐ、この生活は終了するだろう。しかし、このままでもいいのではないだろうか、
とたまに飯田は思う。それくらい、今の生活は居心地がいい。もちろん、そんなことは無理
だという現実も知っている。大体、それでは自分が逃げている意味もなくなってしまう。
ずっと不思議に思っていたことが飯田にはある。それは何の為に、後藤は自分の傍にいる
のだろうか、ということだった。
殺人犯と関わることは危険なことだと最初から認識しているのに、それでも彼女は楽しそ
うだから、という能天気な考えしか口にしない。しかし、飯田は納得していなかった。いく
ら、頭が悪い人間だとしても、それだけの理由で危ない橋を一緒に渡ろうとするわけがない。
飯田としては自分を助けてくれる後藤や高橋の存在は有難いものだった。彼女達二人がい
なければ、今頃のたれ死んでいたかもしれない。そういう意味では心から感謝している。友
達が出来たことは、今までそういう存在に飢えていた飯田にとって本当に嬉しいことだった。
こんな出会い方をしていなければ――。
遊びでこんなことをしているわけではないのだ。今までの歩んできた自分の人生全てが、
崩れ去ってしまいそうなこの現状で、さすがに軽率な行動は取れない。高橋の目にはそうは
見えなかったようだが、これでも飯田なりに色々考えて自分の道を選んできた。
飯田は頬杖をついて、紙コップから出ている湯気を眺めていた。今後、どうするか。それ
が一番の問題だった。
もう好奇心旺盛な後藤を喜ばせるようなことなど起きない。飯田にはそれが判っていた。
だから、心苦しい。飯田は顔をしかめて、ぎゅっと唇を噛んだ。瞼を閉じて、こめかみを何
度も揉む。
- 174 名前: 投稿日:2004/06/19(土) 22:52
- 「ずっと雨降ってんねぇ」
いつの間にか目覚めていた後藤は上半身だけ起して、窓の外を見上げていた。雨は窓を叩
きつけるような激しい勢いで降っている。しかし、飯田の視線は後藤の横顔に向けられてい
た。鼻筋の通った、シャープな顔。眠そうな目つき。
「ごっちんは何の為に、圭織の傍にいるの?」
「んー?」
後藤は寝ぼけているのか、気の抜けた返答をして、
「何度も言ってんじゃん。楽しいからって」
「それだけじゃないでしょ?」
「何が?」
「だって、高橋に言ってたじゃん。もう、自分達の出番はないんだって」
飯田は口を結んで、後藤の横顔を見つめた。ゆっくりと後藤は振り向く。いつも浮かんで
いる余裕そうに見える笑みはそこにはない。いつになく、真顔だった。
「最後まで見届けたいだけだよ」
「圭織が警察に捕まる姿が見たいってわけ?」
自嘲気味に飯田が笑うと、後藤はゆっくりと首を横に振って否定した。
「とりあえず、真実をこの目で見極めたいっていうかねぇ」
「…………真実?」
飯田は眉を寄せる。しかし、後藤はこれ以上何も口にする気がないようで、ボサボサに肩
先で跳ねている髪を適当に手で撫でつけていた。
- 175 名前: 投稿日:2004/06/19(土) 22:54
- 先ほどまで真剣な表情を作っていたというのに、今ではもう表情を崩して大欠伸をしてい
る。どうやら、長時間真面目な表情を保つことが出来ないようだ。後藤は目に浮かんだ涙を
拭うと、次に首を捻ってコキコキと音を鳴らし始めた。もう一度同じことを尋ねようとして
いた飯田はそれを見て口を閉じた。
「まー、別にいいじゃん。気にしない、気にしない」
後藤はトイレに行って来る、と言い残し、廊下へ出て行ってしまった。
教室に一人残された飯田は、落ち着きをなくしていた。何を考えているのだろう。あの様
子だと、後藤は何か勘付いている。
飯田は頭の中を整理する為に、額に手を当ててブツブツと何やら呟く。そして、しばらく
考え込んだ結果、あることを決心した。
- 176 名前: 投稿日:2004/06/19(土) 22:56
- 後藤は洗面所の前に立ち、ジッとそこに映し出されている自分の顔を眺めていた。調理室
よりも更に暗いトイレでは顔色が悪く見える。鏡に顔を寄せても変わりなかった。寝癖で跳
ねている髪を水で濡らした手櫛で直そうとしても、なかなか元に戻らない。そうでなくても、
雨の日は特に髪が跳ねやすいので直ぐに諦めた。
「さて、どうすっかなぁ……」
ぽつりと呟いたその声は薄暗いトイレの中でよく響いた。
今、後藤の頭の中を占めているのは、今後、飯田がどういう行動を取るか、ということだ
った。自分の予想が当たっていれば、彼女はそろそろ動き出す。あれだけニュースで流れて
いるのだから、相手が気づかないわけがない。普通ならば、飯田の居場所が気になって連絡
くらいしてくるだろう。普通ならば――。
しかし、飯田はまだだ、と言っていた。それが気になる。警察に着信履歴を調べられたら
迷惑だと思い、相手は連絡をしてこないのだろうか。鏡の前で腕を組んで目を瞑っていた後
藤はゆっくりと首を横に倒した。うーん、と唸る。
それに後藤にはまだ気になることが、数点ほどあった。だから、先ほどわざと探りを入れ
てみたのだ。思った通り、飯田の反応は微妙だった。的外れな質問ならば、正直に答えそう
なものだ。
- 177 名前: 投稿日:2004/06/19(土) 22:57
- 残された時間はあと僅か。飯田本人にもそのことは十分に判っているだろう。彼女が行動
に出るのは土日。そして、夜のうちだ、と後藤は予想していた。
人の数が減っているこの日を逃すと、もうチャンスがないはずだ。警察もそこまで馬鹿で
はないだろう。今は身になる情報をまだ得ることが出来ていないようだが、時間が経てば経
つほど情報は集まる。侮ってはいけない。しかも、潜伏しているこの学校は飯田の家からあ
まり離れていない場所なのだ。目撃情報が全く出てこないとは言い切れない。飯田の家へ出
向いた後藤達の姿が目撃されてしまった時のように。
「やっぱ、ずっとここで見張っておくくらいしか思いつかないなぁ」
後藤は溜息交じりで呟いた。選択肢がないのだから、仕方がない。この方法が一番確実だ。
これまでの後藤ならば、面倒だと判った時点で関わることを避けていただろう。出会って
たかが一週間くらいの人間の為に自分の時間を割こうとも思わない。友達相手でも今までは
どんな事情があろうとも気分が乗らない限り、要領良くかわしてきた。しかし、今回は違う。
その理由は判っていた。
「高橋には悪いけど、私は最後まで楽しませてもらうよ」
無意識に緩んでいた頬を軽く撫でつつ、後藤は教室に戻ることにした。
- 178 名前: 投稿日:2004/06/19(土) 22:58
- 高橋が学校に着く頃には既に日が暮れていた。どんよりとした雲は相変わらずで、雨もま
だ降っていた。こういう時はしっかりと天気予報が当たるものなのだな、と忌々しく思った。
閉ざされた校門を見つめながら、胸を押さえて呼吸を整えた。急いで走って来た為に、息
が乱れている。仕方なく、疲労を感じる足を引きずるようにして、ぐるりと敷地の外を回り、
裏門へ行ってみた。ここもまた閉められている。
「やっぱり、閉まってるか……」
高橋は舌打ちをして、大きく肩を落とした。しかし、ここで諦めるわけにもいかない。手
にしていた傘を一度閉じ、鞄と共に門の向こうに放り投げた。そして、ビショ濡れになるの
を覚悟の上で、門をよじ登って中に入ることにした。
自分の背と同じくらいの高さがある鉄の門に向かって軽くジャンプして飛び乗り、足をか
けようとして、ずるりと滑った。鉄の門が派手な音を立てる。痛みを堪えながら、慌てて周
りを見渡したが、人の気配はない。
安堵して門から飛び降りると、今度は大きな水しぶきが上がり、身体中泥だらけになって
しまった。暗くて確認出来ていなかったが、足元に大きな水溜りがあったようだ。自分は泥
棒にはなれない、と高橋は心底思った。惨めな気分だ。
傍に転がっていた鞄を手に取り、高橋はそのまま傘も開きもせずに歩き始めた。今更、傘
を使っても無意味だ。白かったはずの傘もきっと土色になっているだろう。暗くて確認は出
来ないが、雨で全ての泥を洗い流してもらいたいくらいだった。
裏門から旧校舎までの距離は短く、あっという間に辿り着いた。門が閉まっていたので、
校内をうろついている生徒や教師などはいないと判っていたが、何となく不安になってしま
い、周りを注意深く見渡してみた。
- 179 名前: 投稿日:2004/06/19(土) 23:00
- どこも灯りはついておらず、雨音以外はひっそりと静まり返っているように思えたが、新
校舎のある教室の窓が開いていた。警報機の有無は判らないが、最低鍵はかけられているは
ずなのに、おかしいな、と高橋は首を捻った。見回りの教師が掛け忘れたのだろうか。
気にはなったものの、高橋は旧校舎の中に入った。こちらは最初から鍵などかけられてい
ない。普段から、取り壊し間近ということで、管理がいい加減だった。
階段を上っている間に高橋は緊張してきた。外からの雨音と、どこかで雨漏りしているの
か、一定の間隔で落ちる水音が妙に目立って聞える。
懐中電灯くらい持ってくればよかった、と今頃後悔しても後の祭りだ。高橋は壁沿いを歩
き、足元に注意しながら階段を上りきった。廊下も軽く壁に手を当てるような格好でゆっく
りと歩き、軋む音が鳴りやすい木目の廊下を慎重に進む。
調理室の傍まで行くと、自然と足が重くなった。飯田に何かあったのではないか、という
不安と、何もなかった場合の言い訳。二度と来ないと宣言して一日しか経っていないのだ。
それに、こんな場所でもし後藤にでも会ったりしたら、どんな反応すればよいのか。しかし、
そんな迷いは無用だった。高橋は足を止めて、息を飲んだ。
調理室の入り口で誰かが倒れている。
高橋は自分の目を疑った。ドロドロになっている自分の顔を、意味もなく袖でゆっくりと
何度も拭う。のちにその手が震え始めた。顔色も青くなっていく。
入り口に足を向けてた状態で、床に倒れている人間はうつ伏せになっており、廊下からで
は誰なのか判別つかない。雨夜ながらも窓から入る弱い明かりで、薄っすらと輪郭が確認出
来る程度だった。
- 180 名前: 投稿日:2004/06/19(土) 23:03
- 恐る恐る足を進めて横に立ってみると、肩くらいまでの髪で同じ制服を着ている人間であ
ることが判り、高橋は顔色を更になくした。力が抜けて電池が切れたロボットのように、カ
クンと床に膝をつく。震える自分の身体を力の限り抱き締めて、顔を引きつらせた。
「…………ご、後藤さん?」
身体が震えている所為か、声も震えてしまい、少し上ずっていた。喉の辺りがキュッと絞
まり、上手く声が出ない。
- 181 名前: 投稿日:2004/06/19(土) 23:04
- >>162
有難う御座います。
そういえば、普通な人がいません。
>>163
有難う御座います。
謎というほどのものでもないのですけど。
>>164-165
何だかよく判りませんが
更新は早くならないようです。
>>166
有難う御座います。
期待に応えられなくてすみません。
>>167
有難う御座います。
お待たせしました。
>>168
有難う御座います。
生きてます生きてます。
- 182 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/21(月) 12:07
- 更新ありがとうございます!
待ってたかいがありました・゚・(ノД`)・゚・。
- 183 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/21(月) 23:16
- 更新待ってましたっ。お疲れ様です。
続き…というか真相?が気になってたので
嬉しいです。
でもまたいいとこで切ってますね〜。
次回も楽しみに待ってますよ。
- 184 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/25(日) 11:05
- 待ってるよ
- 185 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/03(火) 03:46
- 最初から一気に読みました
まじで面白い!
しかもいいとこで終わってるし・・
次回更新またーりお待ちしております
- 186 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/11(水) 01:22
- 待ってますよー作者さん。
こんな骨太な作品が読めるのはここだけなので…
- 187 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/16(月) 17:06
- 最終更新日から三ヵ月経とうが待つぞ!
- 188 名前: 投稿日:2004/08/16(月) 19:58
- 生きてますので、しばしお待ちを…。
以上、生存報告でした。
- 189 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/20(金) 16:14
- 生存報告ありがとうございます
安心しました。頑張ってください
- 190 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/31(火) 05:50
- >>80-100
- 191 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/12(日) 01:06
- 待ちくたびれて吐血しそうですが、やっぱり待ってます。
- 192 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/21(火) 11:09
- 続きが見たい・・
- 193 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/03(日) 22:10
- 見たい…
- 194 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/03(日) 23:23
- 見たい・・
- 195 名前: 投稿日:2004/10/18(月) 21:50
- 後藤は眠るような表情で倒れている。血が流れているというわけでもなさそうだが、意識
がないのは明らかだった。
ガタガタと震えている手をゆっくりと伸ばして後藤の頬に触れてみると、ひんやりと冷た
く感じられた。高橋は短い悲鳴を上げながら手を素早く引っ込め、もう片方の手で自分の口
を塞いだ。ガチガチと鳴る歯の間に自分の指を突っ込む。力いっぱい噛むと、痛みをはっき
りと感じた。これは間違いなく、現実だ。
死体は一度見たことがあるが、あれは知らない人間だった。しかし、今回は違う。よく知
る人間だ。目の前で倒れている後藤が本当に死んでいるのだとしたら――。高橋の身体は一
層大きく震え始めた。
「嘘やろ……。嘘って言うてよ、後藤さん……」
弱々しい声を出して高橋はぽろぽろと泣き出した。憎たらしい言葉を何度も言われたが、
それでも沢山の助言をくれた。後藤は自分にとっていい先輩だった。こうなることを予想し
ていたから、自分を遠ざけたのかもしれない。そう思うと、高橋の涙は止まらなくなった。
しばらくして、高橋はぎこちなく顔を上げると部屋の中を見渡してみた。後藤をこんな目
に遭わせた犯人の気配は感じられない。誰もいないようだ。そういえば、飯田の姿も見えな
い、と気づいた瞬間、想像したくもない映像が頭を過ぎった。
高橋が絶望的な気分でいると、床に転がっている後藤がうめき声を上げた。
「ご、後藤さん!」
高橋は後藤の身体に被りつき、乱暴に揺らした。
「い、いててて……痛い痛い! 痛いって!」
後藤は悲鳴に近い声をあげて思いきり顔を歪めると、やがてゆっくりと瞼を開いた。それ
を見て高橋は全身の力を抜き、大きく息を吐いた。緊張が一気に解けると、安堵からか、一
時止まった涙がまたこぼれてきた。
- 196 名前: 投稿日:2004/10/18(月) 21:51
- 「ビックリさせんで下さいよ。死んでしもたのかと思った……」
「……勝手に殺さないでよ。っていうか、あぁ、痛い……」
何かを言いかけた後藤は後頭部を押さえて、うめいた。どうやら、頭を殴られて気絶して
いただけのようだ。
身体を起そうとした後藤に手を貸して傍にあった椅子に座らせると、高橋は涙を拭いなが
ら、水を入れたビーカーを手渡した。
「あー、もう、最悪。絶対にタンコブ出来てるよ、これ……」
頬を膨らませて不機嫌そうに後藤は呟いてから、水をぐいっと一気に飲み干した。その様
子を立ったまま、見ていた高橋は困惑していた。
「一体、何があったんですか? 飯田さんもいないし……」
「そうだよ! 圭織の奴……ッ」
悔しそうに拳を握り締めて、後藤はまた苦しそうに頭を押さえた。高橋は顔色を変えた。
先ほど頭の中を過ぎった映像が蘇る。
「……ま、まさか、飯田さんが?!」
「その、まさか、だよ。トイレ行って戻ってきたら、いきなりガツンと……。あぁ、思い出
しただけでも腹立つ!」
ギリリと歯軋りをして、後藤は掌をもう片方の手で思いきり殴った。その振動でまた頭が
痛んだのか、顔をしかめる。それでも、怒りを静めることが出来ないようだ。
後藤が怒っている姿を初めて見る高橋は、少し恐怖を感じていた。こういうタイプの人間
を怒らせると一番厄介なのだ。八つ当たりされてはたまらないと思い、高橋は少しだけ身を
引いた。しかし、今の後藤は他のことで頭がいっぱいだったようだ。
- 197 名前: 投稿日:2004/10/18(月) 21:52
- 「あぁ、こんなとこでのんびりしてる場合じゃないんだ。早く圭織を探さないと、今まで何
の為に協力してたのか判んなくなる」
「飯田さん、どこ行ったんですか?」
「そんなの、知るわけないじゃん」
吐き捨てるようにそう呟き、後藤は立ち上がった。しかし、まだ足元がふらついている。
慌てて高橋は身体を支えた。
「まだダメですよ。大人しくしてないと」
「大人しくしてる暇なんてないんだって」
「何がですか?」
「あー、もう。ちょっとは考えなよ。どうして、圭織が今ここにいないのかってことを」
後藤は苛立ちを隠さず、険しい表情になっていた。言わんとしていることにようやく気づ
いた高橋は、後藤を支えている手に力を入れた。
「もしかして、会いに行ったんですか?」
「それしか考えられないじゃん」
「ほやけど、なんで、後藤さんを殴ってまで……」
「相手を見られたくなかったからでしょ」
「なんで?」
「だから! 考えろって言ってんじゃん。どうして、判らないわけ? この学校にいる人間
だからとしか思えないじゃんか」
呆れながら呟いた後藤の言葉を聞いて、高橋はポカンと口を開けた。今まで考えたことも
ないことだった。高橋の手から離れると後藤は調理台にもたれて溜息をついた。
- 198 名前: 投稿日:2004/10/18(月) 21:54
- 「なんで、ここに身を隠してたのかってことを考えたら、そうとしか思えないよ。たまたま、
ここに迷い込んだとか何とか言ってたけど、この状況だとそれは嘘だったとしか思えないし」
「…………」
「制服を着てカムフラージュしてたけど、面が割れてるから素知らぬ顔して校内をうろつく
ことも出来なかったんだろうね。風邪引いて寝込んでたっていうのもあるし。でも、相手か
らの連絡さえ来れば、いつでも動ける場所を選んでたってことだよ」
後藤はまた大きく溜息をついた。
高橋の頭の中は混乱していた。飯田が後藤を、いや、自分達を裏切るとは、今まで思いつ
きもしなかった。こんなに温和な殺人者がいるのだろうか、と思っていたくらいだ。すっか
り騙されていた。
「あ、ジャケットがなくなってる」
ふらつく足取りで、後藤は隣の調理台にしがみついていた。
「ジャケット?」
「傘使うのが面倒だったから、フードついてるジャケット着てたら問題ないと思って……」
途中で何かに気づいたのか、後藤は口をつぐんだ。その顔は真剣になっている。
「どうしたんですか?」
「圭織……、外に出たんだ」
「え?」
「そうだ。絶対にそうだ。傘なんてないもん、ここに」
「ほやけど、外って言っても、どこに……」
「近くなのは間違いないんだよ」
後藤は眉間にしわを寄せて考え込んでいる。その隣で突っ立っていた高橋は、途方に暮れ
ていた。手掛かりが何もないので、探しに行くことも出来ない。
- 199 名前: 投稿日:2004/10/18(月) 21:56
- 窓の外はまだ雨が降り続いていた。雨と共に気温も下がっているのか、暖房がないこの教
室は酷く寒い。飯田はこんな場所で数回朝を迎えていたのだ。昨日までなら、不憫だと思っ
ただろう。しかし、今はそんなことを考えている場合ではない。早く手掛かりを探さなくて
はいけないのだ。焦りを感じながら、教室内をウロウロしていると、調理台の上に置かれて
ある飯田の携帯が視界に入った。
「あ、通話ボタン押しちゃ、ダメだからね」
「え?」
高橋は手にしている携帯を落としそうになった。
「警察にバレるじゃん、バカ」
「あ、そっか。ほやから、電源切ってるんや」
そういえば、電源が入ったままの状態だと飯田の携帯番号を調べた警察から連絡がきてい
たはずだ。しかし、本人からそんな話は聞いたこともない。
「ちょっと待って。電源って、どういうこと?」
高橋が納得して頷いていると、後藤は首を傾げた。全てを理解して電源を入れるな、と注
意していたわけではないのか、と高橋は少し意外に思った。
「推理小説で読んだことがあるんやけど、携帯やPHSって電源が入ってる状態だけでも、
電波を飛ばすらしくて、電話会社が調べたら持ち主がいる地域がある程度判るとか」
「ってことは、電源入れてるだけで、ここらへんにいるってことがバレるってこと?」
「多分、調べる時に電源が入ってたら……ってことだったような。本当に合ってるかどうか
判らんけど」
詳しいことまではきちんと覚えていなかったので、自信なく高橋が答えると後藤は頭を押
さえて唸り声をあげた。初めて知ったようだ。
「病院で注意書きされてるのもそれか。機械に影響出るってやつ」
「そやの」
今まで後藤は勘が鋭く、何でも出来る超人のような人間だと思っていたが、実はそうでも
ないということを知って高橋は少しホッとした。
- 200 名前: 投稿日:2004/10/18(月) 21:59
- 「じゃあ、圭織もそのことを知ってたってことだよね」
「電池切れじゃない限り、多分」
真っ黒なディスプレイをもう一度見下ろして高橋は頷いた。バッテリーが切れているという
可能性がないとは言い切れない。後藤は確認する為に高橋から携帯を引き取ると電源を入れて、
手早く切った。この携帯は生きている。しかし、使えないことには変わりがない。
「圭織はどうやって相手と連絡取ろうとしてたんだろ……」
納得がいかないといった表情を浮かべて、後藤は調理台に置かれてあった自分の携帯を手
に取った。こちらもバッテリーは切れていないようだ。アダプターも部屋の隅にある。
言われてみればおかしい、と高橋は腕を組んで悩んでいた。飯田は自分の携帯が使えない状
態でどうやって相手の連絡を取ろうとしていたのだろう。この場に逃げ込んだ時から電源を切
っていたのだとしたら、飯田の携帯は何の意味もなさない。
相手との連絡が取れない状態で、後藤を気絶させて姿を消した飯田。高橋には一体、何が
何だかよく判らない。飯田は何を考えているのだろう。
高橋はしばらく目を閉じて、うんうんと唸っていたが、後藤が黙り込んでしまっているこ
とに気づき、顔を上げた。後藤は人形のように固まっている。
「……後藤さん?」
声をかけても反応がない。自分の名前を呼ばれたことすら、気づいていないようだ。恐ら
く、また何か考え込んでいるのだろう。少しの間、その状態が続き、後藤は小さく溜息をつ
いた。
「高橋……」
「はい?」
「圭織は絶対この学校の中にいるよ。見つけに行こう」
「えぇ?」
淡々とした後藤の声色に、高橋は首を傾げた。
困惑している高橋を気にする余裕もないようで、後藤はフラフラと廊下に向かって歩き出
した。しかし、まだ足取りが危うく、途中で膝をついた。よほど、思いきり殴られたのか、
視界もまだはっきりとしていないようだった。何度も瞼を擦っている。
- 201 名前: 投稿日:2004/10/18(月) 22:00
- 「まだ、無理やでの」
傍に駆け寄って身体を起してやると、後藤は高橋の手を取り、力を入れた。思わず、顔を
しかめたが、後藤はおかまいなしで更に力を込めた。握られた手が白くなっていく。文句を
言うどころか、高橋は言葉を失った。後藤は今まで見たこともないような真剣な表情になっ
ている。
「先に行って、圭織を止めて」
「……止めるって何を?」
「圭織、人を殺すかもしんない」
「こ、殺すって……、会いたいって言ってた人を!?」
「理由は判んないけど、何となくそんな気がする……」
高橋の手を力いっぱいに掴んでいた後藤は、その手からゆっくりと力を抜いた。後藤の勘
は侮れない。彼女の言葉が真実のような気がしてきた高橋は、真っ白になっていた自分の手
を包み、徐々に朱色に戻っていく様をぼんやりと見つめて、やがてギュッと握り締めた。
「……行ってきます」
「動けるようになったら、追いかけるよ。あと、暗いだろうから、ランタン持って行きな」
「はい」
大きく頷いて、高橋は立ち上がり、調理台の上に置かれていたランタンと、泥だらけにな
っている自分の傘を手にして廊下に飛び出した。しかし、階段の踊り場まで辿り着いてから、
一度足を止めた。闇雲に校内を走り回っても時間の無駄だということに気づいたのだ。後藤
が動けない今、自分が止めなければならない。高橋は改めて気合を入れ直して、飯田が行き
そうな場所を考えてみることにした。
旧校舎にいる確率は低い。後藤が気絶している時間がどれくらいのものかということなど
飯田には予測出来ないからだ。直ぐに見つかる場所にはいないだろう。誰かと会うにしても、
なるべく離れた場所を利用するはずだ。それに、後藤のジャケットを奪っていたことを考え
ると、外に出たのは間違いない。
そこまで考えて高橋はあっ、と声をあげた。来る途中に見た新校舎の窓。間違いなく、開
いていた。あそこから入り込んだに違いない。
- 202 名前: 投稿日:2004/10/18(月) 22:02
- 高橋は駆け足で外に飛び出した。どしゃぶりの雨になっていたが、手にしている傘も開か
ずに、新校舎の方へ走った。旧校舎と新校舎の間にある運動場を通る間に泥が跳ね、足元が
真っ黒になってしまった。全身はずぶ濡れで、ブーツをはいていても冷たさで足先が痺れる。
息を乱しながら、新校舎の前で足を止めた。迷いはない。開いていた窓から、ひょっこり
と室内を覗き込み、誰もいないことを確認してから、裏門をよじ登った時と同じ要領で中に
進入した。足元をランタンで照らしてみると、足跡が残っている。間違いなく、飯田もここ
から入ったのだ。この足跡を辿れば、目的地に辿り着くことが出来るだろう。
まだ安堵出来る状態ではないというのに、高橋はのん気に胸を撫で下ろしていた。雨が降
っていなければ、こうも上手く事が進まなかったはずだ。運がいい、と高橋は思った。
部屋の中は煙草の匂いが残っており、長テーブルとパイプ椅子が数個並んでいる。自分達
が過ごしている教室とは全く違う印象を受けた。そう思う理由は、この部屋は教師達専用の
会議室で、一度も入ったことがないからかもしれない。
一応、後から追いかけると言っていた後藤の為に、目印として持っていた白い傘を窓のひ
さしに引っ掛けていくことにした。暗闇と同化してしまいがちな寒色ではないので、近くに
来ればきっと見つけてくれるだろう、と祈りながら廊下に出た。
身を低くしてランタンで足元を確認してみると、左に向かって足跡が続いている。高橋は
息を殺して、足跡を辿る。しばらく、進むと足跡が階段に繋がっていることに気づいた。こ
の階段を上りきれば、飯田と初めて出会った屋上に辿り着くことになる。
「ほやから、ジャケット着てったんや、飯田さん」
高橋はぽつりと呟いた。
一体、誰と会っているのだろう、と高橋は首を傾げた。後藤が言うには自分達が知ってい
る人間、この学校の人間だということだったが、飯田の親戚らしき人間に心当たりなどない。
少なくとも飯田という名字を耳にしたことがなかった。それに、名字が違っていては情報が
皆無に等しく、予想すら出来ない。高橋は直ぐに考えることを放棄した。どうせ、このまま、
進めば会える。
- 203 名前: 投稿日:2004/10/18(月) 22:03
- 足音を立てないように注意して階段を上る。木造でギシギシと軋む音を立てていた旧校舎
とは違って、ピカピカに磨かれている床なので、水気を含んだブーツではつるりと滑ってし
まいそうになる。注意しながら階段を上っていると携帯が鳴った。あまりの音の大きさに高
橋は驚き、慌てて鞄から取り出してボタンを押した。階段で反響していたが、誰にも聞えな
かっただろうか、とバクバクと鳴っている胸を押さえて、携帯を耳に押し付けた。
「もしもし……」
「なんで、そんなに小声なの? 今どこ?」
怪訝そうな後藤の声。飯田が勝手に自分の携帯を触り、高橋の番号を登録していたことな
ど全く気にしていないようだった。それどころではないというのもあるのだろう。
「足跡を追ってたんですけど……。今は新校舎の階段にいます」
「もしかして、屋上なの?」
まだ何も言っていないのに、飯田がいると思われる場所を直ぐに言い当てた後藤に、高橋
は驚いた。
後藤は鼻先で笑い、
「犬は鼻が利くらしいからね」
「ほやけど、飯田さんに気絶させられてたんやよね」
「うるさいなぁ。犬も歩けば棒に当たるっていうじゃん」
後藤は不機嫌そうな声を出した。耳をすましてみると、携帯ごしに雨音が聞える。
「後藤さん、外に出たんですか?」
「うん。まだ頭が痛いから、走れないけど」
「会議室の窓に目印になる傘置いておきましたから、そこから入って下さい」
「おぉ。珍しく気が利いてるねぇ」
感心している後藤の声を誇らしい気分で聞いているうちに、高橋は屋上の手前まで上って
いた。胸の鼓動が激しくなってきた。ごくりと生唾を飲み込んでも、緊張が解けない。
黙りこんでしまった高橋に、後藤が何度も声をかけていた。
- 204 名前: 投稿日:2004/10/18(月) 22:05
- 「あの、屋上に辿り着いてもた」
「……そう。じゃあ、切る」
「え? なんで?」
「自分の目で本当かどうかを確かめたいから。ネタバレされちゃったら嫌だもん」
後藤は素っ気ない口調で、一方的に携帯の電源を切った。高橋は呆気に取られて、携帯を
耳にあてたまま、立ち尽くしてしまった。こんな時にまで後藤はマイペースだ。
しばらくして、携帯を泥だらけになっている鞄の中に戻すと、屋上の扉を数段下から見上
げて、高橋は最後に後藤が口にした言葉を頭の中で何度も反芻させていた。
本当かどうか――。この言葉は何を意味しているのだろう。飯田と会っている相手が誰な
のか、後藤は気づいているということなのだろうか。どうして、判ったのだろう。自分には
まだ何も判らないというのに。まだ何か見落としているのだろうか、と高橋はきゅっと唇を
噛んだ。
こんなところで、ぐずぐずしている場合ではない。早く飯田を止めなければならないのだ。
高橋は決心して扉の目の前に立つと、手にしていたランタンの灯りを消し、床の隅に置いた。
そして、ぎこちない手つきでゆっくりと屋上の重い扉を開くと、途端に激しい雨音が聞え、
冷たい風が高橋の身体に向かって吹きつけてきた。身体を強張らせて何とか耐える。
屋上は灯りが何もない為に、暗闇に近い上に雨の所為で視界が悪い。目を凝らして、数セ
ンチ開いた扉の隙間から様子を窺うと、わりと近くで人影が見えた。二人いる。
フードを被った人間がこちらに背を向けていた。背格好からして飯田だろう。その向かい
側、こちらに身体を向けている人間は、飯田の大柄な身体が邪魔な上に、傘を差しているの
で顔がよく見えない。髪はあまり長くないようだ。
雨の勢いが少し弱くなったのか、二人の会話が少しだけ聞える。高橋は息を飲んで扉に身
体を密着させた。
- 205 名前: 投稿日:2004/10/18(月) 22:06
- 「だから、何度も言うけど、どうして警察に行かないの?」
苛立ちを隠せないのか、飯田と向かい合っている相手は大きな声を出している。どこかで
耳にしたことがある声だ、と高橋は思い、眉間にしわを寄せて必死に思い出そうとした。
「じゃあ、逆に訊くけど。どうして、圭織が行かないといけないの?」
「どうしてって、そんなの考えるまでもないことでしょ」
何を今更、と相手は呟いている。
「それに、どうして電話くれなかったの? ずっと待ってたのに」
「っていうか、詐欺だよ。まさか、ごっちんの携帯に飯田さんが出ると思わないじゃん」
「圭織が自分の携帯からかけてたら、ずっと無視するつもりだったの?」
「さぁ」
素っ気ない呟きを聞いて、飯田は高橋の耳にも十分に聞えるくらいの大きな溜息をついた。
冷たい風が吹いているというのに二人は微動だにしない。
「美貴って、昔からそうだよね」
飯田のこの言葉を聞いて、高橋はギョッとした。丁度、飯田の身体がズレて、相手の顔も
見えた。
美貴――。相手は藤本美貴だった。
藤本は口元に笑みを浮かべている。高橋は驚きのあまり、口をぽかんと開けていた。この
学校の生徒であることは後藤から聞いていたので、それだけなら気にならなかっただろうが、
自分が知っている人間が飯田の親戚だったという事実に驚愕していた。
- 206 名前: 投稿日:2004/10/18(月) 22:08
- 「圭織に優しくしてくれてたのは美貴だけだった。すっごく嬉しかった」
「それは、飯田さんが年上なのに頼りないから、っていうのもあるし」
顔を背けて藤本が呟くと、その言葉の手助けをするようにして飯田が続けた。
「して、利用しやすいとも思ってたし?」
この言葉に藤本はピクリと頬を動かし、ゆっくりと視線を戻して飯田を睨みつけた。背を
向けている飯田の表情を窺うことは出来ないが、口調が穏やかなことが逆に高橋には気にな
った。
「……何のことか判んないな」
「確かに圭織は美貴に借りがある。美貴を留年させちゃったのも圭織の所為だってこと、未
だに申し訳ないと思ってる」
「おかげで迷惑しましたよ。同級生は皆、先に卒業しちゃったし」
「それについては、本当に悪いと思ってる。謝っても謝りきれないくらいに」
「だったら、何も言わずに警察に行って下さいよ。気になって眠れないじゃないですか」
親戚同士の会話だというのに、どことなく熱が低い。第三者の目という立場からか、高橋
には親しさが全く感じられないのだ。藤本からは全体的に冷たく、飯田のことを拒んでいる
ような印象を受ける。そして、飯田も親しそうな言葉を口にしているものの、どことなく態
度がおかしい。
それに、二人の会話を真剣に聞いて内容を頭の中を整理しようとしても、全く理解出来な
いのだ。この二人は一体何の話をしているのだろう。高橋は頭を抱えていた。
「圭織はずっと罪悪感を持ってたから美貴の言うことを全部引き受けて来たんだよ。お金貸
して欲しいって言われたら貸したし、部屋を貸して欲しいって言われたら貸した。美貴の頼
み事は何でも聞いた。でも、圭織に出来るのはここまでだよ」
飯田の口調は柔らかなものから、固いものに変わっていく。その間、藤本はそっぽを向い
て、決して飯田と視線を合わせようとしない。
「何の説明もなしに、人殺しの身代わりまでは出来ない」
飯田が口にした言葉をはっきりと耳にして、高橋は呆然としていた。
- 207 名前: 投稿日:2004/10/18(月) 22:09
- >>182
有難う御座います。
待たせてゴメンナサイ。
>>183
有難う御座います。
変なところで切ってゴメンナサイ。
>>184
有難う御座います。
お待たせしました。
- 208 名前: 投稿日:2004/10/18(月) 22:09
- >>185
有難う御座います。
一気読みお疲れ様です。
>>186
有難う御座います。
骨太かどうかは判りませんけど…。
>>187
有難う御座います。
時の流れの早さに驚きました。
>>189
有難う御座います。
頑張ります。
- 209 名前: 投稿日:2004/10/18(月) 22:10
- >>191
有難う御座います。
吐血されませんように…。
>>192
有難う御座います。
本当にお待たせしました。
>>193
有難う御座います。
本当にお待たせしました。
>>194
有難う御座います。
本当にお待たせしました。
- 210 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/18(月) 22:46
- 更新お疲れ様です!待ってた甲斐がありました。
まだまだ謎が多くて先が読めません。
期待してるので頑張ってください。
- 211 名前:読み屋 投稿日:2004/10/19(火) 02:51
- 更新乙です
とにかく謎ですね!w
にしても、高橋・・・すごいですねぇ
それと、アンリアルなのに高橋がすっごいリアルw
意味分かりませんね
すんません^^;
- 212 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/19(火) 14:41
- 待ってましたー!そして意外な組み合わせにビクーリ
上手いこと感想が書けませんが、最後までついていきますので頑張ってください
- 213 名前:ROMの人 投稿日:2004/10/20(水) 01:42
- ずっと待ってました。更新乙です。高橋後藤飯田のトリオに惹かれて読んでましたが、あの人がくるとは…!
続きが待ち遠しくてたまりませぬが、あやとりでもしながら気長に待ち続けまつ。
- 214 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/22(金) 14:58
- 今回更新分の途中くらいからまさかあの人か?!と思いましたが本当にくるとはw
とにかく過去に何があるか現段階では謎ですが楽しみに待ってます!
- 215 名前:名無し読者 投稿日:2004/10/25(月) 00:34
- 推理とか何も考えずに読んでたんで、今回の展開にはポカーンな状態です
あきらめずにしつこく更新チェックしててよかった・・・
- 216 名前:ホットポーひとみ 投稿日:2004/11/30(火) 02:30
- すごいもの読んじまったがな・・・。
- 217 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/01(水) 12:44
- 保守しつつ更新待っとりやす
- 218 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/12/30(木) 00:01
- 続き待ってますー
- 219 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/04(火) 15:53
- 明けおめ保全。頻繁にチェックしてます、作者さんがんがってください
- 220 名前: 投稿日:2005/01/13(木) 22:39
- 藤本が本当の犯人――。
そんな馬鹿な、と高橋は思わず、呟きそうになり、後ろからスッと伸びてきた手に口を塞
がれた。身を固くして振り向くと口元に人差し指をあてている後藤の顔が見えた。雨に濡れ
た所為で、前髪が額に張り付いている。
「声出さないで」
小声で後藤は呟き、視線を屋上へと向けた。口を塞がれている高橋もそれに倣う。飯田と
藤本は高橋達の存在に気づいておらず、会話を続けている。
「圭織に罪をなすりつけようとしてたことくらい、最初っから判ってた。自分の部屋に行っ
て、倒れてるあの男の人を見た時からね」
飯田は淡々と呟き、
「でも、圭織は逃げた。もちろん、警察に行って全ての事情を話すっていうことを考えなか
ったわけじゃないけど、仮にあの男の人を強盗や強姦扱いにしたとしても、調べたら美貴の
彼氏だってことくらい、簡単にバレちゃうでしょ? でも、だからといって、罪を被る気に
もなれなかった」
あの男は藤本の彼氏だったのか、と高橋は心の中で呟く。未だに口を後藤に塞がれていた。
「……そこまでの借りはないってことか」
藤本は自嘲気味な口調で呟いた。しかし、飯田は被っているフードをぷるぷると横に振っ
て、しずくを飛ばした。
「そうじゃなくて、圭織は美貴に自首してもらいたかった。自分が悪いことしたんだって、
自覚してもらいたかった」
- 221 名前: 投稿日:2005/01/13(木) 22:40
- 「自覚? そんなのするわけないじゃん」
藤本は陽気に笑い、手にしていた傘をクルクルと回した。飯田の上半身にしずくが飛び散
っていたが、彼女は何も文句を言わなかった。
話している内容と藤本の態度には統一感がなく、高橋には自分が見ている光景が現実味の
ないものに思えた。何かの舞台を目の前で見ているような気分だ。
「別れるって言ったら、あいつが泣きついて来てさぁ。それでも、シカトしてたら、勝手に
包丁を持ち出して勝手に自分の胸に突きつけちゃって。相手するのも面倒だし、そのまま部
屋を出ようとしたら、慌てて追いかけようとしたんだよね。そしたら、転んであのザマ」
「そんな馬鹿な男いるの?」
「馬鹿なんだよ、あいつは」
藤本は吐き捨てるように言って、
「見た目がイケてたっていう理由だけで付き合ってたんだけど、切羽詰るとパニくって何す
るか判らないような奴だって判ったから愛想つかしたのに」
「そりゃ、不運だったね」
気のない相槌が気に障ったのか、藤本は鋭い目で飯田を睨みつけた。
「美貴はこれ以上、自分の人生を棒に振るわけにはいかないの」
何て勝手な言い分だ、と高橋はムカムカする胸を押さえて、後藤の様子を窺った。そして、
驚いた。意外にも後藤は動揺することなく、むしろ冷静に二人を見つめている。その目は真
剣で、二人の仕草、表情など、何もかもを見落とさないように注意深く観察しているように
も見えた。
「美貴の事情は判った。でも、圭織の意思も変わらないから」
「美貴が棒に振った一年を本当に償いたいって思ってんの? それくらいしてくれたってい
いじゃん。警察に行って、さっき言った事情を美貴の代わりに話してくれたらいいんだよ。
罪になるかどうかもよく判んないのに」
藤本の呟きを耳にして、ふと、高橋は違和感みたいなものを抱いた。
- 222 名前: 投稿日:2005/01/13(木) 22:42
- 今こうして説明聞いていなければ、飯田が代わりに警察に行ったとしても事情が異なって
いたのではないだろうか。果たして、最初から藤本は飯田に話す気があったのだろうか、と
考え、電話をくれなかった、と飯田が言っていた言葉を思い出した。ますます、はらわたが
煮えくり返る。飯田の声で高橋は我に返った。
「そういう問題じゃないと思う。さっきも言った通り、事情はどうあれ、人が一人死んでる
んだから、それなりに美貴が責任を持つべきだよ」
「これ以上、落ちぶれたっていう風に周りに見られるのが嫌なの! 大体、最初から美貴の
ことなんて、どうでもいいって正直に本音を言えばいいじゃん!」
怒りで顔を歪めていた藤本は八つ当たりするように、手にしていた傘を地面に投げつけた。
しかし、広がっている傘は地面に数回弾む程度で、その場でふらふらと漂うだけだった。
藤本は息を弾ませて傘を睨みつけている。その様子を飯田は無言で見ているようだった。
「美貴はずっと飯田さんって呼ぶんだよね」
「…………はぁ?」
藤本は声を裏返らせて、顔をしかめた。いきなり、話の内容が変わったのでついていけな
かったのだろう。それでも、飯田はマイペースに話を続ける。
「圭織は名前で呼んでくれるのを、小さい頃からずっと待ってた」
「……何言ってんのか判んない。っていうか、こんな時にどうでもいいじゃん」
不機嫌そうに藤本は呟いた。
「うん。どうでもいいことなんだけど……、なんか、淋しいよね、そういうのって」
飯田の口調は本当に淋しそうだった。見なくても高橋には彼女が口元に不器用な笑みを浮
かべている姿が想像出来た。
年の差もあるだろうが、飯田は藤本のことを美貴と呼び、藤本は飯田をさん付けで呼ぶ。
「想いの距離っていうか、何となく、そういうのが離れてるなぁってずっと感じてた」
飯田は藤本に向かって歩き出した。
「圭織はずっと美貴のことが好きだったよ」
目の前まで歩いても足を止めない。
「結局、信頼関係も一方的なものだったのかな」
飯田は藤本の隣を通り過ぎた。
- 223 名前: 投稿日:2005/01/13(木) 22:43
- 藤本は俯き加減で、銅像のようにピクリとも動かなくなってしまった。飯田もこれ以上は
何も話す事がないのか、一番距離が離れた柵に両肘をついて背を向けてしまっている。
雨は一向に止まず、勢いもまた強くなっていた。傘を拾おうとはせずに、ずぶ濡れになっ
ている藤本の姿を見ていた高橋の胸はズキズキと痛んだ。それは、藤本に対しての感情では
なく、飯田への感情だった。
飯田が会いたいと言っていた相手が、これほどまでに無様な姿になっている。決してこん
な姿を彼女は見たかったわけではないはずだ。
この一週間、寒い調理室で身を隠していた生活は一体何だったのだろう。何の意味があっ
たのだろう。自分のことではないのに、悔しさで目に涙が浮かぶ。高橋はギュッと瞼を閉じ
て耐えた。
やがて、藤本が重そうな足取りでゆっくりと歩き出した。地面に転がっている傘はそのま
ま風に乗って地面を彷徨っている。傘の存在すら忘れているのかもしれない。
既に高橋はこの場から逃げる気持ちが失せていた。むしろ、違う感情が湧き上がっている。
後ろにいる後藤も身動き一つしない。
軋む音を立てて扉を開けた藤本は、高橋と後藤の姿を見て息を呑み、目を見張った。それ
と同時に、小気味良い音が階段に響き渡る。
高橋の手は藤本の頬に飛んでいた。手加減なしで本気でぶった。
じんじんと痺れている右手をギュッと握り締めて、高橋はギリリと歯を食いしばる。そう
していなければ、悔し涙が今にもこぼれてしまいそうだった。今までの高橋にはとても出来
なかった行動だろう。しかし、今は何の恐れもなかった。何十倍の力でぶたれ返されても怖
くない。
- 224 名前: 投稿日:2005/01/13(木) 22:45
- 飯田の信頼を、飯田の人生を、ここまで踏みにじって滅茶苦茶にした目の前にいる人間が
心底憎い。真っ赤に染まった頬に手も当てず、ぶたれたままの状態で顔を背けている藤本を高
橋は睨み付けた。
藤本の目は先ほどまで浮かんでいた強い意思を含んだ光を取り戻すことなく、負け犬のよ
うな弱い光になっていた。無表情で目の焦点が合っていない。前髪が広い額に張り付き、全
身濡れている藤本の頬から涙の跡を見つけることは出来なかった。
目は少しだけ充血しているようにも見える。涙は雨と一緒に流されてしまったのか、もし
くは全く流していなかったのか。それはきっと本人にしか判らない。
藤本は手を出してきた高橋と視線すら合わさず、そのまま通り過ぎようとした。真っ赤に
なっている頬も蚊にさされた程度にしか感じていないのかもしれない。空気同然の扱いをさ
れた高橋はもう一発殴ってやろうか、と握りこぶしに力を入れた。
「美貴ちゃんは、嘘つきだね」
足を止めた藤本は目線だけを後藤に向けた。後藤は日常会話をするような、気安い態度で
藤本の顔を見ている。自分が手を出した時から、こんな表情をしていたのだろうか。それと
も急に表情を変えたのだろうか。何にせよ、こんな状況で平常心を保っている後藤に対して
高橋は驚愕していた。
やがて、藤本は薄笑いを浮かべた。返答はない。高橋には後藤が口にした言葉の意味が判
らなかったが、今はそれどころではなく、見詰め合っている二人に釘付けだった。
後藤は口元に笑みを作り、藤本の肩を軽く数回叩いた。その仕草が高橋の目には、励まし
ているように見えた。
階段を下りて行く小さな背中を、黙って見送っている後藤の横顔を高橋はぼんやりと眺め
ていた。彼女は今、何を考えているのだろう。飯田だけではなく、後藤もまた友達を失って
しまったのかもしれないのだ。そして、藤本も自分が大きなものを失ったことに気づいてい
るだろうか。
- 225 名前: 投稿日:2005/01/13(木) 22:46
- 藤本の姿が完全に見えなくなってから、後藤は手にしていた高橋の泥だらけの傘を持ち直
した。後藤の表情には何の感情も読み取れない。
自分の弱さを決して表には出さない。着ぐるみを脱ぐのは後藤自身の意志。そして、今は
脱ぐ時ではないと判っているのだ。
「行くよ」
後藤は手を取って歩き出そうとしたが、手を引かれても高橋の足は動かなかった。上半身
だけが動き、倒れそうになる。後藤は怪訝そうな表情になって首を傾げた。
高橋は力いっぱい瞼を閉じて、ぶるぶると顔を振る。今頃、緊張の糸が切れてしまい、そ
の反動が出たようだ。身体中から力が抜けていた。
「何、駄々こねてんの?」
「……い、行けないです」
「なんで?」
「ほ、ほやかって、こんな時どんな顔したらええのか……」
高橋の口から弱々しい声が出た。頭の中が混乱している。それでも、飯田に慰めの言葉を
容易く言うような無神経さは、さすがに今の高橋にはなかった。
「さっきはあんなに威勢良かったのに、何その変化?」
「…………」
「あのさー、また無駄に考え込んでるんでしょ? 何も考えずに笑ってたらいいだけだよ」
後藤はぽんっと高橋の頭を軽く叩き、
「こういう時こそ、あんたは空気読まなくていいんだから」
そう言って、後藤は傘を開くと高橋の手を引いて歩き出した。今度は素直に高橋の足も動
いた。
二人で使うには、少々小さな傘だったが、後藤は無意識なのか、高橋の方へ傾けていた。
自分の肩が濡れてしまっても嫌な顔一つしない。ここに来るまでに十分全身濡れてしまって
いるからだろう。そして、藤本が残していった傘まで辿り着くと、それまで持っていた傘を
高橋に返し、自分用にそれを手にした。内側がびっしょりと濡れている為に、ぽたぽたとし
ずくが後藤の身体に落ちる。それでも、平気な顔をしていた。
- 226 名前: 投稿日:2005/01/13(木) 22:48
- 手すりに持たれて外の風景をぼんやりと眺めていた飯田に近づくと二人の姿を見るなり、
被っているフードを少し上げて、くしゃっと弱々しい笑みを浮かべた。
高橋はぎこちない笑みを作るので必死だった。意識すればするほど醜い笑顔になっていく。
やはり、こういう時にどういう顔をしたらいいのか、判らなかった。
「折角、黙っておこうって思ったのに」
「痛い想いさせられたのに、何も知らないままっていうのは、一番納得出来ないよ」
おどけた口調で後藤は反論していた。わざとらしさは全くなく、自然な態度だった。
「……もう、ええんですか?」
不安そうにしている高橋の頭を軽く叩いて、飯田はにっこりと笑った。
そして、三人共黙り込んでしまった。先ほどまで土砂降りだった雨は小雨に変わり、冷た
い風が吹きつけてくる。高橋には気が遠くなるくらい長い時間が経ったように思えたが、腕
時計の針はさほど動いていなかった。寒さに身を縮めて、悴む手をコートのポケットに入れ
る。この状況が非常に居心地悪く感じられ、今直ぐにでもこの場から逃げ出したくなった。
見なければよかった。知らなければよかった。心底そう思っていた。しかし、気まずいと
思っていたのは高橋だけで、隣にいる後藤は相変わらず、煙草をぷかぷかとふかしていた。
飯田も無表情で小雨を顔に受けながら、空を見上げている。二人共、切り替えが早い。
自分が飯田の立場だったら、しばらくは落ち込み続けるだろう。誰とも喋りたくない心境
になっているはずだ、と高橋はしみじみ思った。
- 227 名前: 投稿日:2005/01/13(木) 22:49
- 「それにしてもさぁ、圭織も人が悪いよねぇ。何もしてないならしてないって、最初から言
ってくれたらいいのにさ」
吸っていた煙草を携帯灰皿に押し付けて、後藤が口火を切った。
「しょうがないじゃん。最初は誰も信用出来ない状態だったんだもん」
「そりゃ、そうだろうけどさぁ。後になって言ってくれてもよかったんじゃないの?」
「ほやの。後藤さんの言う通りや」
「二人して責めないでよ」
飯田は苦笑いを浮かべ、
「でも、ごっちんは疑ってたでしょ?」
「疑うって何をさ」
「とぼけないでよ。圭織のこと、最初から人殺しだなんて思ってなかったくせに」
「んはは」
後藤は低い笑い声をあげた。図星だったようだ。高橋だけが会話についていけない。二人
の顔を何度も見比べて、首を捻っていた。
「一体、どういうことなんですか?」
「んじゃ、私が推理してたことを教えてあげるよ」
後藤は高橋に向かって、にやりと笑った。
- 228 名前: 投稿日:2005/01/13(木) 22:50
- 飯田がこの学校に来て事件が明るみに出ても、テレビや新聞では彼女と男との接点が発表
されていなかった。それは現在もだ。被害者の素性は公開されており、同年代ではあったが
飯田の友達や彼氏ではない。未だに二人の接点が報道されていないのだ。そして、飯田自身
も以前高橋がした問い掛けに答えていなかった。代わりにテレビなどで伝えられていたのが強
盗説だった。しかし、それも後藤にはおかしく思えた。
仮に強盗だったとしても、飯田が住んでいたあの建物はかなり古く、金を持っている人間
が住んでいるようには見えない。そんな場所を普通狙うだろうか。それに、部屋の中を荒ら
した形跡が全くなかったのもおかしい。
正当防衛で殺してしまったとしても、何故逃げる必要があるのだろう。あと、飯田から罪
悪感らしきものの欠片さえ、全く見受けられなかったのも気になっていた。
そもそも、最初から飯田はおかしかったのだ。性格に問題がある、ということは、この際
別として、血だらけの服を着替えずに外へ出るという混乱ぶりを見せておきながら、家の鍵
は律儀にかけるという冷静さを持ち合わせていた。
更におかしいのは人殺しと言いつつも、状況を尋ねた時に、きちんとその時のことを説明
していなかったことだ。そして、後藤は説明しなかったのではなく、出来なかったのではな
いだろうか、と考えるようになった。
あと、もう一つ気にかかっていたことがあった。飯田がこの学校に逃げ込んで来たのは偶
然ではなく、それなりの理由があったのではないだろうか、ということだった。そして、前
に高橋にも話した通り、彼女が会おうとしている人間は、この学校の関係者なのではないか、
という疑惑を抱くようになっていった。
そこまで考えてみると、飯田が犯人ではないという可能性の方が大きく思えた。だが、何
もしていないのなら、素直に警察に協力していたはずだ。それを飯田はしなかった。では、
何故こんなことをしていたのか。答えは簡単だった。それは飯田が犯人を知っていたからだ。
そこで、後藤が出した結論は、飯田は無実であり、彼女が会いたいと言っている相手こそ
が犯人なのだ、ということだった。確証は何もない。全てただの勘でしかなかったが。
- 229 名前: 投稿日:2005/01/13(木) 22:52
- 「……なるほどね。やっぱ、ごっちんって犬だね」
後藤の話を聞き、納得して頷いている飯田の顔を見て、高橋は少し前に自分が抱いた疑問
を思い出した。
「ほやけど、なんで、後藤さんは相手が藤本さんって、判ってたんですか?」
「んなの、簡単だよ。携帯見たから」
後藤は何でもないようにそう呟き、自分の携帯を差し出した。
後藤の携帯のディスプレイに発信履歴が表示されている。藤本の名前が並んでおり、日付
は昨日から今日にかけてのものだった。明らかに飯田が所持していた時のものだ。着信履歴
も藤本の名前が多い。着信だけなら特におかしいこともないのだが、発信は妙だ。
「言っておくけど、勝手にアドレス帳を覗いてたわけじゃないからね」
「勝手に人の携帯登録しておいて、何言うてるんですか」
飯田が言い訳がましく呟いていたが、高橋は耳を貸さなかった。
「まぁ、それはいいとして。ずっと、ごっちんの携帯が鳴ってたんだよね。それで、誰だろ
うって思って名前見たら美貴だったってわけ。こっちから連絡取れない状態だったから、こ
れはラッキーだって思ってさぁ」
「そういや、圭織の携帯って電源切ってたけど最初はどうするつもりだったの? 私の携帯
がなかったら、上手く連絡つかなかったんじゃないの?」
後藤は納得がいかないと言わんばかりに、首を捻っている。確かに、使えない携帯しかな
い状態でどうするつもりだったのだろう、と高橋も同じように首を捻った。
「んーと、携帯を持ち出してたのはたまたまなんだよね。でも、電源入れとくのはヤバイっ
て聞いたことがあったから、直ぐに切ったんだけど。して、夜になったら学校抜け出して公
衆電話からかけようと思って……」
「ちょっと待って。番号知らないって言ってたのも嘘だったの?」
後藤が突っ込みを入れると、
「うん、ゴメン……」
飯田は申し訳なさそうに笑った。
- 230 名前: 投稿日:2005/01/13(木) 22:53
- いつもの高橋なら、嘘をつかれていたことに激怒していたかもしれない。しかし、今は別
のことが気にかかっていた。先ほどから飯田は極めて明るい口調で、いつになく饒舌になっ
ているのだ。何だか、逆に痛々しく見える。後藤も同じことを感じ取っているのだろうが、
新しい煙草に火をつけたりして、態度を全く変えていない。
「携帯に美貴の番号は登録してあるから、ちょっとの時間なら電源入れるのも大丈夫かなっ
て思ってたんだけど、圭織、風邪引いちゃったじゃん? 結局、身動き取れなくて……」
「計画性が全くないね」
「しょうがないじゃん。最初はさすがに冷静じゃなかったんだって」
「それにしても、よく美貴ちゃんが電話に出たね」
どう考えても、あの藤本が素直に飯田の電話を聞き入れるようには思えない。呼び出しに
応じたこと自体が奇跡みたいなものだ。
「本当に大変だったよ。ごっちんじゃなくて、圭織だって判ってからは、ずっと無視されて
てさぁ。もう本気で哀しくなっちゃったよ。まぁ、めげずにしつこくかけたんだけど」
飯田はへらへらと笑っている。
「そんで、ようやく今日来てくれたってわけ?」
「そう。今日なんか、そんじょそこらのイタ電よりもしつこくかけたからね。それで、堪忍
袋の尾が切れたみたいで、最初はめっちゃ怒ってたよ。美貴ってさぁ、昔から怒ると怖いん
だよね」
「あぁ、それは判るなぁ。たまに素の顔も怖いもん」
後藤はうんうんと頷いている。付き合いがあったからには、藤本の性格を全て把握してい
るのだろう。機嫌を損ねてしまったことがある高橋にもよく判る。
「っていうか、美貴ちゃんもそんなに嫌なら着信拒否すりゃいいのに、馬鹿だねぇ」
「そんなのされたら、圭織が困ってたよ」
「そりゃ、そうだけど」
「とりあえず、運が良かったーってことなのかな」
「……運がええって言うても、何も解決してないでの」
ボソリと余計なことを高橋が呟くと、後藤はわざとらしい笑顔を作り、手にしている傘で
乱暴に高橋の傘を何度も突付いた。
- 231 名前: 投稿日:2005/01/13(木) 22:54
- のん気そうにしている二人を見ていると、一日前と何ら変わりがないように思えた。全て
終わったというのに、緊張感がどこか足りない気がする。しかし、飯田の話はまだ終わって
いなかった。
「あとは、ごっちん推理の補足でもしようか」
「補足?」
途端に後藤は不服そうな表情になった。自分の考えは完璧だという自信を持っていたのだ
ろう。しかし、直ぐに気づいたようだ。
「あー、美貴ちゃんが圭織に罪をなすりつけようとしてた理由か」
「うん」
飯田は頷いて、薄く笑った。
三年前くらいに、免許取り立てだった飯田は藤本とドライブに出かけた。その頃はまだ藤
本の家に居候していて、車も藤本の家のものだった。藤本の両親は気乗りしない様子だった
が、折角なのだからどこかドライブに行こう、と持ちかけてきたのが娘である藤本で、文句
が言えなかったようだった。そして、飯田も免許を取ったからには運転をしてみたい、とい
う欲求を抑えることが出来ずに、二人で遠出することになった。そこで、事故にあった。
飯田の腕が悪かったわけではない。酔っ払い運転の車が、運悪く正面から突っ込んで来た
のだ。しかし、それが原因で助手席に座っていた藤本は大怪我を負い、留年することになっ
てしまった。
元々、一緒に暮らしていたものの、日々邪魔者扱いしていた藤本の両親から、このことが
原因で追い出され、慰謝料として大金を奪われた。それまで仲良くしていたはずの藤本とも
見えない壁が出来た。それほど藤本の心には、大きな傷が出来ていた。
今では少しの後遺症が残る程度で日常生活では余り困ることもないが、そうなるまでにか
なりの時間を要した。休学してリハビリをしている間に同級生は進級してしまい、自分は年
下の人間と一緒に卒業しなくてはならなくなった。一生懸命していた部活動も出来なくなっ
た。プライドが高い藤本には堪えたのだろう。
それ以来、藤本は飯田の部屋に彼氏を連れ込んだり、好き勝手するようになった。飯田も
自分に責任がないとは言えないので、言われるがままの状態になっていた。
- 232 名前: 投稿日:2005/01/13(木) 22:56
- そして、今回の事件が起きた。
服に血がついてしまったのは、部屋を貸していた状態で何も知らずに戻った飯田が見ず知
らずの死体を見て動転してしまい、血の海の中で転んでしまったからだった。男に心当たりは
なかったが、犯人には心当たりがあった。それは、その日、藤本に部屋を貸す約束をしていた
からだった。
「圭織ってさ、もしかして、耳悪かったりしない?」
話を聞き終えた後藤は何気ない口調で尋ねた。その脈絡のない問い掛けに、高橋は目を白
黒とさせた。飯田も少し驚いている。
「どうして判ったの?」
「何となく。たまにちゃんと人の話聞いてるのかなー? って思ったから」
人のことは言えないくせに、と高橋は思った。しかし、飯田は苦笑いを浮かべて軽く頷い
た。
「事故の後遺症で、耳の調子が悪くなったりするんだよね。天気が悪い時は特に」
「ほやから、あの時……」
後藤が自分を冷たくあしらった時のことを高橋は思い出した。あの時、飯田はずっと黙り
込んでいた。あれは話を聞いていなかったのではなく、聞こえていなかったのだ。
「ごめんね。きちんと聞こえてなかったから」
飯田は高橋に向かって平謝りした。高橋は慌ててブンブンと首を横に振った。
「飯田さんも被害者ってことやでの。それやのに……」
「圭織は、美貴を信じたかった」
飯田は少し淋しそうに呟いた。
藤本が自分に罪をなすりつけようとしていたことを、飯田は信じたくなかった。だから、
飯田は未来を失う覚悟で姿を消した。自分の姿を消すことで藤本が考えを改め、自ら警察へ
出向いてくれると願っていたのだろう。
しかし、期待通りに事は進まなかった。飯田が動かない限り、藤本も動かなかった。それ
でも、飯田はまだ望みを捨てていなかった。最悪の場合、自分にだけは正直に事実を全て話
してくれると信じていた。果たして藤本は正直に話したのだろうか。高橋にはよく判らなかった。
- 233 名前: 投稿日:2005/01/13(木) 22:57
- 「それで、飯田さんはこれからどうするつもりなんですか?」
「何が?」
「警察に行って、事情を全部話すんですか?」
高橋の質問に対して、飯田は唸っている。何も考えていなかったのだろうか、と高橋は呆
れていた。今後のことをきちんと考えて答えを出したから、藤本と会うことにしたのだと思
っていたのだ。この様子だと、行き当たりばったりな行動だったようにも見える。
「行く必要なんてないんじゃない?」
新しい煙草に火をつけていた後藤が、とぼけた声を出した。それを聞いて驚いたのは飯田
ではなく、高橋だった。
「後藤さんは飯田さんに、罪を被れって言うんですか?!」
「あんた、何言ってんの。圭織は何もしてないんだから、警察に行く必要なんてないって言
ってんだよ」
「ほやけど……、藤本さんは警察行かんかもしれんでの」
別れ際の藤本の態度を思い出しながら、高橋は呟いた。飯田の気持ちが届いたようには、
とても見えなかった。
藤本が事情を説明しない限り、今と同様に飯田が警察から追われる立場であることには変
わりがない。いつかは追い詰められ、結局は選択を迫られる。
「そりゃ、美貴ちゃんは……」
後藤は何かを言いかけ、飯田の顔を見て口をつぐんだ。何を言おうとしたのか、高橋が尋
ねる前に後藤は一度首を横に振り、また口を開いた。
「そん時はやっぱり、圭織が事情をゲロるしかないだろうね」
三人は黙り込んでしまった。
いつの間にか雨は止んでいた。高橋は手にしていた傘をたたみ、ふっと短い溜息をついた。
後藤はくしゃみをすると鼻をすすって、へらへらと笑った。
- 234 名前: 投稿日:2005/01/13(木) 23:00
- 「そういや、こんな時間になって、高橋の親怒らない?」
後藤に言われて、高橋は自分の腕時計を見てみた。休みの日だからといって、連絡も入れ
ずにこんな時間まで外にいると、間違いなく叱られるだろう。
「そろそろ帰らんとヤバイけど……」
ちらりと飯田の顔を見ると、手をひらひらとさせて笑みを浮かべている。
「帰ってもいいよ。もう終わったんだし」
「飯田さんは何も解決してないやないですか」
高橋が不安そうに呟いても、飯田は笑顔を崩さなかった。
「圭織は二人に会えて嬉しかったよ」
何だか別れの挨拶みたいだ、と高橋は思い、表情を曇らせた。どういう意味なのか、と尋
ねようとしたが、にこにこと笑顔を浮かべている後藤に遮られた。
「圭織はうちに来ればいいよ。うちの家族普通じゃないから喜んでくれると思うし」
「ほやから、娘もおかしいんやね」
「何か言った?」
「本当のことやし」
高橋がきっぱり言うと後藤は口を尖らせる。後藤がわざと流れを変えてたことに高橋は気
づいていなかった。飯田は少し考える素振りを見せて、やがてゆっくりと口を開いた。
「有難う。でも、今日一日ちょっと考えてみる」
「そっか。とりあえず、携帯渡しとく。何かあったら、高橋に連絡して」
後藤は強くは言わず、自分の携帯を飯田に握らせた。飯田は手にある携帯を黙って見下ろし
ている。
- 235 名前: 投稿日:2005/01/13(木) 23:01
- 高橋の頭の中は混乱していた。こういう時に何を言えばよいのだろう。慰めの言葉は飯田
も望んでいないような気がしていた。そして、後藤には馬鹿にされる気もする。それくらい
は高橋なりに学習していた。
「えっと……、連絡待ってます。メールでもええんで」
やっとのことで高橋が呟くと、飯田はにっこりと笑った。
「んじゃ、高橋、帰ろっか」
「……はい」
このままでいいのだろうか。まだ何か言い足りないような気がして、高橋は胸のつかえを
感じていた。階段を下りる前に振り返ってみると、飯田がこちらに向かって優しく微笑んで
いる姿が見えた。
「二人共、ごめんね! 有難う!」
空元気ともとれるくらい、明るい口調で飯田は声を張り上げた。今までこんな飯田の姿を
見たことがない。
「じゃあね。もう風邪引かないようにね」
後藤は笑いながら、飯田に手を振った。高橋は戸惑うことしか出来なかった。
飯田が口にした謝罪の意味が、後藤を気絶させてしまったことに対してのものなのか、迷
惑をかけてしまったことに対してなのか、屋上の扉が閉まっても高橋にはよく判らなかった。
- 236 名前: 投稿日:2005/01/13(木) 23:03
- >>210
お待たせして申し訳ありません。
謎というか何というか、本当にすみません。
>>211
高橋さんらしいと思ってもらえて本当に嬉しいです。
素敵だな、と思いました。
>>212
意外だと思ってもらえて本当に嬉しいです。
最後までお付き合いよろしくお願いします。
>>213
ずっと待たせて申し訳ありません。
このトリオに惹かれてもらえて個人的にとても嬉しいです。
>>214
驚くような過去ではなくて申し訳ないです。
ちなみに、あの人も大好きです。
- 237 名前: 投稿日:2005/01/13(木) 23:04
- >>215
推理小説だと思って読まれると落胆されると思いますが。
もうしばらく、更新チェックしていただけると嬉しいです。
>>216
有難うございます。
>>217
お待たせしました。
>>218
本当にお待たせしました。
>>219
遅くなりましたが、明けおめ更新しました。
- 238 名前: 投稿日:2005/01/13(木) 23:07
- あの人の卒業までに終了すると思います。
終わらせてみせます。
残りわずかですが、よろしくお願いします。
- 239 名前: 投稿日:2005/01/13(木) 23:08
- age忘れ、カコイイ……。
- 240 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/14(金) 01:56
- うひょー!更新きてた!
嬉しさのあり涙止まらないわ
- 241 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/24(月) 00:38
- 何回読み返しても面白い
- 242 名前:名無し読者やよー 投稿日:2005/01/24(月) 18:54
- 更新待ってましたよー
次回が最終話なのでしょうか?
気になります。
あの人が卒業するまであと6日
・・・頑張ってください。
- 243 名前: 投稿日:2005/01/30(日) 08:54
- 学校を出て、暗闇に包まれた道を二人は並んで歩いていた。足元には大きな水溜りが並ん
でいたが、暗くてよく見えず、高橋は何度もブーツで派手な水しぶきを作っていた。隣を歩
く後藤はわざと水溜りに足を入れている。彼女のスニーカーは中まで雨水が入り込み、気持
ちが悪いことになっているだろう。
高橋は泥だらけになっている自分の服や鞄を見下ろして、溜息をついた。家に帰ったらど
ういう言い訳をしようかと頭の中で色々と考えてみたが、疲労からかいつもより頭の回転が鈍
く、何も思いつかない。
「身体中ドロドロだね。そのまま、家帰ったら親が驚くんじゃない?」
「……後藤さん」
「んー?」
「飯田さん、馬鹿なこと考えてないでの?」
高橋が真剣な面持ちで尋ねると、後藤は足を止めて、大げさに肩をすくめた。高橋も足を
止めて、後藤と向き合う。
「馬鹿なことって?」
「ほやから、藤本さんが無関係やったって見せかける為に罪を被るとか……」
「あんたって、ほんとアホだよね」
後藤は心底呆れた、と冷めた目で高橋の顔を見つめた。高橋はムッと頬を膨らませる。最
初から飯田にはその気がなかったと判ってはいるが、それでも不安は減らない。
「ほんなら、飯田さんがどうするつもりでいるか、判るんですか?」
「さーね」
「こういう時こそ、勘を働かせて下さいよ」
「無茶言わないでよ。十分頑張ったじゃん。殴られてまでさ」
後藤は顔をしかめて後頭部を軽く撫でていた。止まっている時には何ともなかったように
見えていたが、歩くとその振動で痛み出すようになってしまったようだ。
- 244 名前: 投稿日:2005/01/30(日) 08:55
- 二人は黙ってまた歩き出した。しばらく進むと、ようやく眩しい光が見えてきた。鈍いモー
ター音を発している自動販売機だった。煙草のランプは全て真っ赤に染まっている。後藤は立
ち止まり、煙草の横に配置されてある飲み物の自動販売機に小銭を投入した。雨の所為で身体
がびしょ濡れになっている高橋も寒さに耐え切れず、暖かい飲み物を買うことにした。
「そんじゃ、高橋はさー、どうするのが一番いいと思う?」
プルトップを引きながら、後藤が尋ねてきた。高橋は何について訊かれているのか判らず、
首を傾げた。
「高橋が圭織の立場だったら、どうするってことだよ」
「あたしだったら……、警察に事情を話します」
手にある紅茶の缶を両手で包み、高橋は俯いた。
本当に同じ立場に自分が立ったら、そんなことが出来るだろうか。そんな勇気があるのだ
ろうか。そんな高橋の心情を見抜いていた後藤は小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「友達を売るんだ?」
「友達や言うても、藤本さんの方が酷いわぁ」
そう答えて高橋は直ぐに口をつぐんだ。後藤にとっても藤本は友達なのだ。しかし、後藤
は怒らず、缶コーヒーを黙って飲んでいる。こっそりと胸を撫で下ろし、高橋も黙って紅茶を
一口飲み、ふぅと一息ついた。
「ほやけど、藤本さんは警察行かんのやろか。事情説明くらいなら別に問題ないやろうに」
「っていうかさ、さっきからずっと話が噛み合ってない気がするんだけど。あんたさぁ、美
貴ちゃんの話信じてんの?」
「……へ?」
「あの説明だと、確かに美貴ちゃんは無実ってことになるんだろうけど」
相手が勝手に自分の胸を刺したというのだから、藤本自身が手を染めたわけではない。彼
女は加害者ではなく、男が死んだのも不慮の事故でしかないのだ。高橋がきょとんとしてい
ると、後藤は更に続けた。
「でも、それってさ、美貴ちゃんが本当のことを言ってるっていうのが前提だよね」
- 245 名前: 投稿日:2005/01/30(日) 08:59
- 高橋はもう一口飲もうとしていた缶を落とした。足元で紅茶がゴポゴポと流れ出ている音を
耳にしながら、無意識に口をぽかんと開けていた。その顔を見て後藤は、やれやれと首を振っ
て高橋が落とした缶を拾い上げた。
「だってさ、うちらは結果しか知らないわけじゃん。相手が死ぬ瞬間を見たわけじゃないで
しょ。知ってるのは、その場にいた美貴ちゃんだけなんだもん」
後藤は手にある汚れた缶を缶専用のゴミ箱に捨てた。
「包丁も一度引き抜かれてたみたいだし、血がどばーって出るのに、普通自分で刺した人が
抜くのかなぁ? まぁ、美貴ちゃんが刺したとしても抜くってのが意味不明なんだけど」
高橋の頭の中に自分の目で確かめた現場の様子が過ぎった。あの時、間違いなく包丁は死
体から抜けた状態で床に落ちていた。
混乱しやすい性格をしていたという被害者なら、無意識に包丁を抜く、という行動に出る
かもしれない。これは、そんな力がまだ残っていればの話だが。
藤本が衝動的に男を刺したと考えた場合は、後で包丁から指紋を拭き取る為に引き抜いた
と考えられなくもないが、男がうつ伏せだったということは、彼がその場に崩れ落ちる前に
引き抜いたのだろうか。これは一体どういう状況だったのだろう、と高橋は眉間にしわを寄
せて考え込む。どう考えても不自然だ。
今まで高橋は藤本が口にした言葉に偽りはないのだと思い込んでいたが、それが真実なの
か、もしくは全くの出鱈目だったのかどうかを確かめる術を持ってはいない。正当防衛ですら
ない状態で、何故藤本が飯田に罪をなすりつけようとしたのか。二人が話している時に、抱い
た違和感はこれだったのだ。高橋は頭が痛くなってきた。
そして、すっかり忘れていたが、別れ際に後藤が藤本に向かって嘘つきと言ったのはこのこ
とを指していたのだろう。あの時の、藤本の微妙な反応からは彼女の心情を察することなど出
来なかったが。
- 246 名前: 投稿日:2005/01/30(日) 09:02
- 「後藤さんなら、どうします?」
「私は多分、圭織と同じことをするかもしんないね」
「同じこと?」
「まぁ、明日になったら判るよ」
後藤なりにまた何か予想をしているらしい。明日、飯田が何らかの行動に出ると思ってい
るのだろう。
高橋の不安そうな眼差しから、後藤は逃れるようにして、コーヒーを一気に飲み干した。空
き缶をゴミ箱に入れようとしたが中身が満杯らしく、半分しか入らない。舌打ちをしてゴミ箱
を蹴飛ばし、強引に中へ捻じ込んだ。マナーがいいのか、悪いのかよく判らない人間だ。
「明日、学校休みやでの」
「気になんないなら、一日中寝てれば?」
後藤は素っ気なく言い、スタスタと先に歩いて行った。肩をすくめて高橋は天を仰いだ。
雨は止んだものの、雲に隠れて星も月も見えない。
今日も眠れそうにないな、と高橋は心から思った。
- 247 名前: 投稿日:2005/01/30(日) 09:05
- 翌日、高橋は朝早く学校に行くことにした。思った通り、余り眠れなかった。飯田と出会
ってからこの一週間、まともに眠れた日は一日もないような気がする。
休日なのに制服姿な娘を見て、両親は驚いていた。部活も日曜は休みが殆どで、滅多に日
曜に早起きしていることもないからだった。予定にもない大会が近いという理由を口にして、
高橋はそそくさと家を出た。
天気は快晴だったが、昨日一日雨だった為に道はぬかるんでいる。高橋は足元に跳ねる泥
も気にせず、学校まで全力疾走した。
学校に辿り着いても時間がまだ早い所為か、朝練をしている運動部の数は少なかった。ラ
ンニングをしている姿は片手で収まりそうだ。
高橋は迷わず、旧校舎に入り、調理室を目指した。気温は低いのにずっと走っている為に
身体が火照っている。息を乱し、着ているコートのボタンを外しながら、階段を駆け上った。
「おろろ。早いね」
こちらに背を向けて、調理台に座っていた後藤が、激しい足音を立ててやってきた高橋を
出迎えた。しかし、一人しかいない。高橋は走り過ぎて苦しい胸を押さえて、何とか息を整
えようとした。
「あ、あの……。飯田さんは?」
「いないよ」
「いないって……」
高橋の表情は固まる。汗が一筋たらりと頬を流れた。
「やっぱ、こうなると思ってたんだよね」
後藤はあっけらかんとした口調で呟いて、足をぶらぶらとさせた。置いてけぼりを喰らっ
た子供のような仕草に見える。高橋は身体中から力が抜けて、その場にしゃがみ込んだ。
- 248 名前: 投稿日:2005/01/30(日) 09:07
- 別れ際にごめんね、と呟いていた飯田の顔が頭を過ぎった。あの言葉はこういう意味だっ
たのだ。昨日から、何かを察しているような言動を口にしていた後藤は、最初から気づいて
いたのだろう。気づかなかったのは高橋一人だけだ。
「飯田さん、どうするんやろう……」
途方に暮れた高橋の呟きを聞いて、後藤は呆れ顔をした。
「高橋ってさぁ、圭織がいてもいなくても、同じことばっか言ってるよね」
言われてみれば、何度も同じフレーズを口にしているような気がして、高橋は口を歪めた。
しかし、この場合は言わせる方が悪いのだとしか思えない。
「ほやけど、今回は本気で知りたいんですけど」
「こっちだって、知りたいよ」
後藤は笑って答えた。後藤には意外な出来事ではないようで、むしろ清々しい表情を浮か
べている。
部屋の中をよく見てみると、飯田が使っていた寝袋はきちんと整えられ、後藤が色々と買
い込んだ物も一まとめにされている。昨日、屋上で二人と別れてから、一人で整理したのだ
ろう。調理室を最初に掃除した時のことを思い出して、飯田らしいな、と高橋は思った。そ
れくらい綺麗にされている。
この状態では本気で姿を消したと思っていいだろう。飯田はもうここには戻ってこない。
高橋にもそれがよく判った。
「とりあえず、部屋の中に持ち込んだものは処分しないとね。証拠は隠そう」
「証拠って」
「圭織が隠れてた場所だってことがバレてないうちに持って帰るんだよ」
「はぁ……」
高橋は気の抜けた返事しか出来なかった。
後藤は何とも思わないのだろうか。高橋は裏切られたような気分だった。姿を消すなら消
すで、何か言ってからでも良かったのではないだろうか。置き手紙くらい用意してくれてお
いてもいいのに。そう思わずにはいられない。
自分達に信頼関係などあったのだろうか、とまで思ってしまう。藤本が裏切ろうが、自分
は飯田のことを信じていたのだ。今頃、自分の気持ちに気づき、ますます腹立たしさが増し
た。高橋が頬を膨らませて、調理台の上にずっと置かれてあった即席のコーヒーメーカーを
片付けていると、それまで、へらへらと笑っていた後藤が調理台から飛び降りた。
- 249 名前: 投稿日:2005/01/30(日) 09:09
- 「人ってさ、自分にないものに憧れるっていう話したじゃん? 高橋の場合、前向きとか」
「前にそんなこと言うてましたね」
後藤の唐突な問い掛けにも慣れてきた高橋は自然に話を合わせる。
「私さぁ、圭織のことが羨ましかったのかもしんない」
「え?」
ビーカーを手にして高橋は動きを止めた。後藤を見てみると煙草を取り出し、一度は口に
くわえたものの、溜息をついて直ぐ箱に戻してしまった。
「だってさ、自分の人生棒に振ってまで、一人の人をあそこまで信じるなんてさ。絶対、普
通じゃないじゃん」
「それはそうやけど」
「私だったら、誰かの為に自分の未来を壊すことなんて出来ないよ」
後藤も十分普通ではないが、飯田の方が更に普通ではなかったということか、と高橋は納
得した。
「でも、自分だって、その気になりゃ、何でも出来るっていうか、そう思ってたんだよね」
「ほやから、飯田さんの手伝いをしてたんですか?」
「最初は面白そうだからって思っただけなんだけど。まぁ、後半はそうだね」
後藤はへらへらと笑いながら、荷物を片付け始めた。
飯田が藤本のことを信じていたように、後藤も飯田のことを信じたかったのだろう。それ
くらい飯田の純粋さに惹かれた。高橋もそうだ。しかし、今のこの状況は納得が出来ない。
このままだと、飯田は二度と元の生活には戻れないだろう。それは藤本の身代わりになっ
てしまっても、もしくは逃走したままでも。彼女の選択は正しいのだろうか。彼女が納得し
て選んだ未来がこれなのだろうか。
- 250 名前: 投稿日:2005/01/30(日) 09:10
- 「飯田さん、本当にこれで良かったんですかね……」
「圭織らしくて、いいんじゃない?」
後藤は嬉しそうに笑った。確かに、高橋にも飯田らしいと思えた。
自分の正しさしか飯田は信じていなかった。常識など無縁で、周りにどう思われようが、
関係ないのだ。だから、姿を消した。現れた時も突然で、消えるときも突然。何も言わずに
消えたのは本当に彼女らしいと言える
先ほどまで憤りを感じていたというのに、単純な高橋はすっかり機嫌を直していた。
「まぁ、普通の人なら圭織のこと、馬鹿だって思うだろうけどさ」
後藤が呟いた言葉が、高橋には可笑しく聞えた。自分達も馬鹿だ。高橋はそう思い、笑顔
になった。
- 251 名前: 投稿日:2005/01/30(日) 09:12
- 卒業式というものは、感動したりしなかったりと人様々なもので、高橋は後者だった。来年
自分が主役となる立場になっても、感動などしないと思っている。小中学校と卒業式は経験し
て来たが、表向きに感動したと涙腺を緩めてみても、心の中ではどこか白けたものを感じていた。
卒業式の会場になっている体育館に続く渡り廊下を、ぞろぞろとけだるそうに歩いている
数十人の生徒の中に、高橋の姿もあった。外はもう春の匂いがする。数日後には自分が受験
生になるという実感がまだ持てそうにもない。口元に手をあてて、中途半端な欠伸をしてい
ると、隣にいた少女もつられて欠伸をしていた。
「校長先生の話長いんだろうなぁ。途中で寝ちゃいそう」
「こっちは寝る気満々」
高橋は気の抜けた声を出して、もう一つ欠伸をした。
「愛ちゃんは余裕だね」
「余裕って何が?」
「これが終わったら、直ぐにテストだし、単語帳持ってきた」
「ズルイわぁ」
少女に向かって、高橋は頬を膨らませた。その顔を見て、少女――紺野あさ美は、くすく
すと笑った。
ずっと孤立していた高橋ではあったが、今では紺野と普通に日常会話をする程度の関係に
なっていた。特別仲が良くなったわけではない。ただの話し相手程度だ。しかし、高橋の周
りにいる人間にとっては驚くべき変化だった。
孤立するきっかけであった紺野が親しくしているのを見て、それまで高橋に対して冷たい
態度を取っていたクラスメートも、困惑してしまったようで、徐々にではあるが態度を改める
ようになった。高橋の周りを囲んでいた分厚く固い壁を作るきっかけを作ったのは紺野で、そ
の壁に亀裂を作ったのも紺野だった。そして、時間がその亀裂を大きくして、やがて壊したのだ。
- 252 名前: 投稿日:2005/01/30(日) 09:13
- 「それにしても、藤本さん、どうしちゃったんだろうね」
体育館に入って決められた席に腰を下ろすなり、紺野は思い出したように周りを気にして
小声で呟いた。高橋はプリーツスカートを整えていた手を止めた。
藤本はあの日以来、姿を消した。
短い期間で殺人、失踪という出来事が起きたので、ニュースでは特集が組まれた。藤本が
飯田の部屋で死んでいた男の恋人だったことも直ぐに調べられ、何らかの事件に巻き込まれ
たのではないだろうか、という推測もされていた。確かに、当事者なのだから巻き込まれた
という言い方に間違いはないだろうな、と高橋はテレビを見て思ったものだ。しかし、誰に
も真実を告げることはなかった。
藤本の家族は捜索願を出し、警察の人間が学校を出入りしていた。高橋も学校周辺で彼ら
が訊き込みしている姿を何度も見かけた。飯田の部屋から藤本の指紋が見つかったという噂
も流れていたので、藤本犯人説も出ていたが、結局、捜査は頓挫しているようだった。最近
では、藤本のことを口にする者もいなくなっている。
「今頃、何してるんやろうね」
「三年生だから藤本さんのことは、あまりよく知らないけど、無事だったらいいな……」
紺野はニュースの内容を信じているようで、心配そうな表情を浮かべている。真相を知っ
ている高橋は視線を泳がせることしか出来ず、前方で並んでいる椅子を視界に入れてようやく
動きを止めた。
パイプ椅子が綺麗に整頓されて並んでいる。式が始まれば、あの席は卒業生で埋まること
になるが、藤本の席は用意されていないのだろう。そう思うと、高橋は胸はずきりと痛んだ。
まだ式までに時間がある為に周りはざわついている。会場全体を包む緊張感と浮かれた空
気の中、高橋一人だけが全く違う感情を胸の内に隠していた。
紺野が何やらポツリと呟いた声を耳にして、高橋は我に返った。
- 253 名前: 投稿日:2005/01/30(日) 09:14
- 「何か、言うた?」
「愛ちゃんが巻き込まれなくてよかった、って」
紺野は手にある単語帳をパラパラとさせながら呟いた。高橋はぐっと黙り込んだ。
藤本が失踪したと騒がれていた頃、高橋は後藤から全てを打ち明けられた。一時的に、高
橋を遠ざけようとした理由を。それは、紺野に頼み込まれたからだった。
飯田の家に行く二人を塾帰りにたまたま見かけた紺野は、後を追いかけ、高橋が何かに巻
き込まれていることを察した。後日、紺野は後藤を呼び出し、危険なことに高橋を巻き込む
のは辞めて欲しい、と懇願した。後藤は、クラスのはみ出し者である高橋を気にする紺野の
気持ちが理解出来なかったらしいが、状況が状況だけに言われた通りの行動に出たのだった。
後藤からこの話を聞いた高橋は、紺野に直ぐに詰め寄った。高橋にもよく判らなかったの
だ。紺野が自分を庇うような行動に出る理由が思い当たらなかった。自分のことを嫌ってい
るとすら思っていたのだ。そのことを告げると、紺野は不思議そうな顔をして、さらりと答
えていた。
「誰が誰を嫌うの? 逆じゃないの?」
この言葉を聞いて、高橋はぽかんと口を開けた。確かに会話するにも食事をするにも、の
んびりとしている紺野とは中学の頃から付き合い難いと思ってはいたが、それでも嫌いだと思
ったことは一度もない。逆に紺野はテスト事件も含めて、自分のことを避けているように見え
ていた。
しかし、紺野からすると、高橋が自分のことを嫌っているように見えていた、と言うのだ。
テスト事件の時も風邪で苦しんでいた紺野は、高橋のことなど気にする余裕がなかった。だ
から、その後、高橋がクラスからはみ出している原因が判っていなかった。それでも、紺野
は後藤と付き合うようになった高橋が気に掛かっていた。今まで高橋に嫌われていると思っ
てあまり近寄らずにいたが、飯田の家に出向いていた二人の姿を見て、さすがに見て見ぬ振
りをすることが出来なくなった。それで、直接後藤に頼み込むことにしたのだ。
- 254 名前: 投稿日:2005/01/30(日) 09:15
- 結局、二人はすれ違っていただけだったのだと知り、拍子抜けしてしまった高橋は、文句
を言う気力もなくなってしまった。今回のことがなければ、卒業するまで自分の環境が変わ
らず、二人が和解することもなかっただろう。妙なことに巻き込まれたりもしたが、却って
良かったのかもしれない。それを証拠にその日以来、高橋ははみ出し者ではなくなった。
「後藤さんは、何もしてないよ」
しばらくして、高橋はぽつりと呟いた。しかし、その後の言葉が続かない。隣にいる紺野
が黙り込んでいたからだ。気になって見てみると紺野は単語帳を睨みつけ、時折ぶつぶつと
単語を繰り返している。明らかに話を聞いていなかったようだった。
「あさ美ちゃん、聞いてんの?」
「え? 何か、言った?」
パッと顔を上げた紺野を見て、高橋はため息をついた。
- 255 名前: 投稿日:2005/01/30(日) 09:16
- 四月から、予定されていた旧校舎の取り壊しが始まるらしい。部活動で旧校舎を利用して
いた生徒達が出入りをしている姿が見えた。自分達が持ち込んだものを、移動させているよ
うだ。
高橋は旧校舎の入り口近くに立ち、その様子をぼんやりと眺めていた。木造のおんぼろ校
舎。傍にある木々も荒れ果てている。かなり前から全く手入れがされていないので仕方がない。
取り壊しが始まるとこれらは全て伐採されるのだろう。
こうして建物を見上げていると、数ヶ月前にここであったことが自然と思い浮かんだ。た
った一週間の出来事だが、十七年間の自分の人生の中で最も濃い経験をしたような気がする。
高橋がそんなことを思っていると、ひらりと何かが視界を横切った。
足元に視線をやると紙飛行機が落ちていた。
地面に落ちている紙飛行機を手に取って紙を開いてみると「アホ」と書いてあった。眉を寄
せて顔を上げてみると、紙飛行機がこちらに向かって飛んでくるのが見えた。次々と飛ばされ
る紙飛行機。まるで操縦されている飛行機のように、正確に高橋を目掛けて襲ってくる。高橋
はギョッとした。そして、思い出した。
いつだったか、似たような光景を目にしたことがある。
こんなことをする人間は一人しか思いつかない。よく見てみると、調理室の窓枠に頬杖をつ
いて、悪戯っ子のような無邪気な笑みを浮かべている後藤の顔が紙飛行機の山に見え隠れして
いた。
- 256 名前: 投稿日:2005/01/30(日) 09:17
- 「ここがなくなると淋しくなるねぇ」
卒業証書が入っている筒で肩を叩きながら、旧校舎から出てきた後藤は高橋の顔を見るな
り、呟いた。
「無事、卒業おめでとうございます」
「無事とか言わなくていいから」
「ほやけど、卒業式に出てなかったやないですか」
体育館で後藤の姿を探してみたがいなかった。卒業生の名前を順に教師が読み上げていた
が、返事も聞えてこなかった。
「式なんかに出ても、眠くなるだけだもん。私にとって大事なのは、この卒業証書だけ」
後藤は手にしていた卒業証書が入っている筒を軽く振った。これを貰う為だけに、今日姿
を見せたようだ。後藤の胸には本来、卒業生がつける赤い花飾りがない。式に出席していな
いのだから当然だ。
「最後まで後藤さんらしいわぁ」
笑っている高橋の頭を、後藤は筒でコツンと殴った。
この学校の卒業式は代表者が一人だけステージに上がって、校長から卒業証書を貰うだけ
だった。他の者はその後、教室で担任の教師から手渡される形式になっている。眠くなるだ
けの式に後藤が出るわけがないと高橋も予想していたのだ。相変わらず、要領がいい。
「まぁ、これでなっちに怒られることもなくなるねぇ」
晴れ晴れとした顔で後藤は呟いた。顔を合わせるだけで、安倍に高橋と付き合うのを止め
ろと言われる、と以前、後藤が苦笑いしてボヤいていたことを思い出した。
「別に大丈夫やと思いますけど」
「なんでよ?」
「成績上がったから。この前はやっとトップ取れたし。成績さえ良けりゃ、安倍先生は文句
言わんやろ」
「うへぇー。マジであんた頭良かったの?」
後藤は大げさに驚いて、わざとらしく手にしていた筒を落としそうになっている。それを
見て高橋は頬を膨らませた。それでも後藤とのやり取りは楽しかった。
- 257 名前: 投稿日:2005/01/30(日) 09:18
- 後藤と会う機会は、これから今よりもグッと減るだろう。今まで色んなことを教えてもら
った。良いことも悪いことも、為になることもならないことも。卒業祝いとして、何かを用
意すればよかったな、と高橋は少し後悔していた。
「ここって何になるんだっけ?」
後藤は旧校舎を見上げていた。
「えーっと、新しい体育館だったと思いますけど」
「そっか。ちぇ、綺麗な体育館で一度はバスケやってみたかったなぁ」
そう言い、後藤は目を細めた。
新しい体育館が完成するのは一年後と言われている。だから、後藤の気持ちが高橋にも理
解することが出来た。卒業後に完成されても意味がない。
「最後に屋上行ってみよっかな。調理室へ行っても無駄だし」
「付き合いますよ」
「当然」
後藤は笑って、また筒で肩を叩きながら歩き出した。その背中を見つめて、制服姿の後藤
を見るのは今日で最後なのだな、と高橋は感慨深く思った。
屋上は今も自由解放状態だった。季節は春だというのに、吹く風はまだ冷たく感じる。二
人の髪が同じ方向に流されていく。鼻がむずむずして、高橋は乱暴に鼻をこすった。
後藤はポケットから風船ガムを取り出し、自分の口に一つ放り込むと、高橋にも勧めてき
た。パッケージを見てみると有名な猫型ロボットの絵が描かれている。煙草なんかよりも後藤
に似合っている気がして、高橋はくすっと笑った。そして、頭を軽く下げながら数枚取ろうと
して、後藤にぺしりと手をはたかれた。
- 258 名前: 投稿日:2005/01/30(日) 09:19
- 「藤本さんから連絡ありました?」
「んなもん、ないよ」
後藤は遠くを見つめて答えた。
友達である後藤にも連絡一つもせずに、藤本は今頃どこで何をしているのだろう。事件の
真相はもう気にならない。彼女が無事に生きてさえいてくれれば、ただそれだけでいい、と
高橋は思っている。
事件の犯人は未だに捕まっていなかった。飯田が住んでいたあのアパートは未だに空室に
なっているとのことだった。そして――。
「飯田さん、どこ行ったんやろう……」
「さぁね」
後藤は口にしていたガムを膨らませた。あの日以来、後藤は煙草を吸わなくなった。その
理由はあえて尋ねたことはない。高橋も貰ったガムを口に入れた。リンゴ味で香料の強いガ
ムだった。
あれから、年が明けて三年生が自由登校になっても、毎日のように後藤の姿を見かけてい
た。受験など無関係な彼女は、旧校舎の中にある調理室とこの屋上を何度も行ったり来たり
していた。高橋も暇があれば同じような行動をしていたので、お互いに何も言わなかった。
「後藤さんって、忠犬ハチ公みたい」
「はぁ? 何それ」
「ご主人様、待ってるみたいやもん」
「ヤだよ。あんな主人いらないって」
顔をしかめて、後藤は顔の前で手を振った。それでも、高橋は嫌そうには見えなかった。
- 259 名前: 投稿日:2005/01/30(日) 09:21
- 後藤はガムを何度も小さく膨らませては口の中に入れてパチンと音を立てて壊している。
膨らませることではなく、音を立てることを楽しんでいるようだ。高橋も大きく膨らまして
みた。この風船が空を飛んだら面白いだろうな、とどうでもいいことを思った。
「あ、そうだ。携帯の番号教えておくよ」
「へ?」
「最近、新しくしたんだよね。番号も変わったからさ」
後藤はそう言って、最新機種の携帯をブレザーのポケットから取り出した。
「そういえば、飯田さんに渡した携帯って繋がったことあります?」
「あー、あれね。一回通じたと思ったら、直ぐに切れた」
「……切れたんですか」
高橋は表情を曇らせて俯いた。
飯田は何も言わず姿を消したが、後藤が手渡した携帯は調理室に残さず、持ち去っていた。
後藤の携帯なので警察にもバレずに連絡が取り合えると一安心したいところだったが、何度
か電話をかけたり、メールを送ってみても、一度も連絡が取れたことがない。避けられる理
由がよく判らないものの、ここ最近は高橋も自分から連絡を取らなくなっていた。
「とりあえず、向こうは話す気がないのかもしんないなぁ。メールもシカトだし」
後藤は素っ気なく答えた。言われてみれば、飯田と連絡が取れる状態で、後藤がマメに学
校に出向く必要などない。
自分だけが避けられているというわけではないと判り、高橋は安堵していた。しかし、直
ぐに気持ちを切り替えることにした。そんなことよりも大事なのは、何故、飯田が自分達と
の連絡を拒否しているか、ということだ。
- 260 名前: 投稿日:2005/01/30(日) 09:22
- 「もしかしたら、携帯捨ててるっちゅーことはないでの?」
高橋が不安そうに呟くと、後藤は心底呆れた表情を浮かべた。
「捨てる気があったんなら、置いていった荷物と一緒に残していくでしょ」
「ほやけど、あの時は捨てる気がなくても、後で処分しようと思ったかもしれんでの」
「でも、請求書は来るから、携帯は生きてると思うよ」
「まさか……、後藤さんが毎月払ってるんですか?」
「だって、私名義の携帯だもん。しょうがないじゃん。まぁ、明細見たら使ったのは最初だ
けで、今は殆ど基本料金だけの請求になってるみたいだけど」
後藤は何でもないように呟いている。金持ちというのは嘘ではなかったようだ。
「ほやけど、それだけの理由やと、捨てられてないっちゅー証拠にはならんのやないですか?」
仮に飯田が道端に携帯を捨てたとして、誰かがそれを拾って利用している可能性が絶対に
ないとは言い切れない。しかし、後藤は全く顔色を変えない。
「そうでもないと思うけど」
「なんで?」
「圭織にはあの携帯が必要だから。他の携帯じゃ、意味がないんだよ」
そう言うなり、後藤はまたガムで風船を作っていた。今度こそ、自分で考えろと言われて
いる気がして、高橋は自分の頭をフル回転させて考え込んだ。
飯田が携帯を持っていった意味。そして、自分達と連絡を取ろうとしていない理由。携帯
は必要だが、自分達との連絡用に持っていったわけではないということだろう。となると、
考えられることは一つだ。
「……もしかして、まだ藤本さんからの連絡を待ってるとか?」
「ちょっとは成長したみたいだね」
- 261 名前: 投稿日:2005/01/30(日) 09:24
- 藤本の方は警察や家族から姿を消した時点で携帯を処分しているだろうが、飯田が持つ後藤
の携帯番号を知っているかもしれない。最初から藤本側に連絡を取る気があるのならば、不可
能なことではないと思われる。飯田は藤本専用の待ち受け携帯として、あの携帯を持っている
のだ。
飯田はまだ藤本のことを信じているのだろう。そして、連絡を待っている。自首するとい
う言葉を待っている。高橋や後藤からの呼び出しに全く応じないのは飯田なりのケジメだっ
たのかもしれない。
「あの人、馬鹿やわぁ」
高橋が苦笑していると、後藤も笑った。
「うちらも一緒じゃん」
「そうですね。ほやけど、藤本さんには勝てんのやろか」
「美貴ちゃんとはまた違うんじゃないかな、うちらの関係って。それに、これ以上迷惑かけた
くないとかって、思ってるんじゃない? 今更だけど」
「それ、ほんまに今更やでの」
「だって、今更な行動をするのが、圭織って人だもん」
後藤は小馬鹿にしたように、へらへらと笑っていた。
「まぁ、これからは高橋がハチ公になって」
「二代目ですか?」
「そんな感じ。そんで、今まで私が立て替えてたお金をちゃんと払ってもらって」
「……後藤さん、ケチ臭いで」
二人の笑い声は風に流されていく。
もう少し時期が遅ければ桜も咲いていただろうが、三月頭ではまだ花が咲いていない。四
月になってから紺野を屋上につれてこよう、と高橋は思った。その頃には桜の花が満開にな
り、ここから見える風景は素晴らしいことになっているはずだ。
高橋は手すりに捕まり、下を覗き見た。数ヶ月前はここから落ちてみたらどうなるか、な
どという下らないことを考えたりもしたが、二度とそんなことは思わない。哀しんでくれる人
は沢山いる。と思う。
後藤のくしゃみで、高橋は我に返った。後藤はぐすぐすと鼻を鳴らしている。
- 262 名前: 投稿日:2005/01/30(日) 09:25
- 「いい風吹いてるなぁ。こっから紙飛行機飛ばしたら、めっちゃいい記録が出そう」
そんなことを言いながら、後藤は手にしていた卒業証書に目を落とした。それを見て、高
橋は嫌な予感を抱き、顔色を変えた。
「ダ、ダメですよ、それは」
「えー」
「何考えてるんですか」
「冗談だってば」
後藤はおどけた口調で返答していたが、その顔は少し残念そうにも見えた。卒業証書を貰
うことだけを考えてここへ来たはずなのに、やっぱり、この人も変だ、と高橋は改めて思っ
た。
飯田も変だったが後藤も十分変だ。そして、そんな後藤に憧れていた自分。類は友を呼ぶ
という言葉は自分達に相応しい。高橋は笑いを堪えるのに必死だった。
「さぁ、帰ろっかな。寒くなってきちゃったし」
「あ、携帯の登録済むまで、待って下さいよ」
「まだだったの? 早くしなよ」
話に夢中で手が止まっていた。高橋は慌てて、携帯のメニュー画面を開いた。それを横目で
見ながら、後藤は肩をすくめている。
「それにしてもさー、こっから始まったんだよね」
「何がですか?」
「圭織とのこと」
「……そうですね」
高橋はしみじみと呟いた。
- 263 名前: 投稿日:2005/01/30(日) 09:26
- 血に染まった服のまま、学校に逃げ込んできた飯田。それを見つけた後藤。たまたま、後
藤を追いかけたことで二人と仲良くなった高橋。これら全ての偶然が重ならなければ、今の
自分はいなかった、と高橋は思う。
たった一週間しか一緒にいなかったのに、寝袋を蹴飛ばした感触、頭を撫でてくれた優し
い手、下らない冗談、不器用な微笑みは高橋の記憶の中にしっかりとある。そして、いつの
日にか新しい思い出も増えるだろう。高橋はそう信じている。
「また会えたらいいですね」
「そうね。っていうか、遅いなぁ。中年のサラリーマンだって、もっと早く操作出来るよ」
携帯を操作している高橋に見向きもせず、後藤は柵に両手をついて暇そうにしていた。
「急かさんといて下さいよ」
文句を言いつつも、後藤は新しいガムを口に入れ、風船を作り続けている。高橋の口の中
にあるガムはもう味がなくなっていた。自分も新しいものが欲しくなった高橋はそのことを
アピールする為に大きな風船を作ることにして、空を見上げた。
澄み渡った青。雲一つない空。この空の下のどこかに彼女達はいる。生きている限り、い
つかまた出会うことが出来るだろう。自分達はただ待つだけだ。
ぼんやりしたまま、ガムを膨らませていると、派手な音を立てて大きな風船が割れてしま
い、高橋の顔一面に張り付いた。
「…………」
「うあ、その顔最高に面白い」
高橋の顔を見て後藤は爆笑している。前髪にまで、べったりと引っ付いてしまったガムを
苦労して取っている高橋の顔に携帯を向けて後藤は楽しそうにパシャパシャと写真を撮り始めた。
- 264 名前: 投稿日:2005/01/30(日) 09:27
- 「こんなとこ撮ってどうするつもりですか……」
「えー、これで弱みを握れるじゃん」
高橋がげんなりしても、後藤はおかまいなしで写真を撮り続けている。高橋の目には、新
しくなった携帯が嬉しくてはしゃいでいるだけのようにしか見えない。
「いやー、それにしても、あんたと一緒にいると退屈しなくて済むよね」
後藤は満足そうに呟いた。
高橋は何となく嬉しくなって、くしゃりと笑った。
- 265 名前: 投稿日:2005/01/30(日) 09:28
- 終わり。
- 266 名前: 投稿日:2005/01/30(日) 09:29
- ||'-' 川<明日を落としたやよ。
- 267 名前: 投稿日:2005/01/30(日) 09:30
- >>240
有難うございます。
涙は止まりましたでしょうか。
>>241
有難うございます。
粗だらけで怖いです。
>>242
有難うございます。
今回で無事に終わりました。
- 268 名前: 投稿日:2005/01/30(日) 09:30
- 今日という記念日に無事終了出来てほっとしてます。
こんなに長くかかる予定ではなかったのですが
途中で色々と問題が発生してしまった為に約一年もかかってしまいました。
数名ほど扱いが酷かったりしますが大目に見てもらえると嬉しいです。
今まで有難うございました。
- 269 名前:名無し読者やよー 投稿日:2005/01/30(日) 10:12
- 待ってました。ギリセーフでしたね。
リアルタイムで読ませてもらいました。
やはりリアルではほとんど接点の無い3人で
ここまで物語が書けるのが凄いです。
特にアンリアルなのに高橋がリアル過ぎ
このリアルな高橋の口調がツボにハマったのが
読むキッカケです、私的な事で参考になりました。
扱いが酷い・・マコ(ry
多少謎のままでモヤモヤする部分もありますが
そこは脳内補完という方向で・・
一年以上の執筆お疲れ様でした。
そして飯田さんもお疲れ様でした。
- 270 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/30(日) 10:20
- 完結お疲れ様です。最後まで楽しめました。
横アリ終了後もう一度読み返してみたいと思います。
- 271 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/01/30(日) 20:37
- お疲れさまでした。
何というか上手い感想は書けそうもないのですが、完結まで見届けることが出来て本当に良かったです。
高橋、後藤、飯田さんの軽口を含めた掛け合いが大好きでした。素晴らしい作品、ありがとうございます!
- 272 名前:闇への光 投稿日:2005/02/02(水) 21:21
- 初めまして。
完結、お疲れ様です。
この物語を陰で読んでいました。
私も上手に感想は言えそうにはありません。
ただ良い作品だったことは確かだと思います。
失礼します。
- 273 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/30(土) 19:13
- 今更ながら、全て読ませて頂きました。
自分もうまく感想を述べられませんが、最初から惹き込まれました。
完結お疲れ様でした。
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