ダイヤモンドを探せ!!
- 1 名前:せりな 投稿日:2004/01/16(金) 19:16
- こんにちは。小説は大好きなので、私も書こうと思いました。
どうぞよろしくお願いします。
感想・リクエスト待ってます。
- 2 名前:プロローグ 投稿日:2004/01/16(金) 19:21
- バサッ
羽音がした。
これは、悪魔城のドラゴン・ブラックという鳥の羽音だ。
世界の端に、ひっそりとたたずんでいる、恐怖の城。
ドラゴン・ブラックの上には、宝のダイヤモンドを戴きに
やってきた、悪魔の女王の召使、レベッカだった。
- 3 名前:1:悪魔城 投稿日:2004/01/17(土) 17:17
- レベッカは、短いスカートをヒラヒラさせながら、そらを
飛んでいた。
まるで、コウモリのような真っ黒なスカートだった。
コウモリの羽もついている。
悪魔城からは、魔法のようなにおいがしていた。
悪魔の匂いだ。
悪魔城は、黒い霧に包まれている。
とんでもなく気味の悪い城だった。しかし、そんな中にも、
レベッカからダイヤモンドをとりかえし、
城をつぶそう、という探検隊がいた。
- 4 名前:2:娘。探検隊参上 投稿日:2004/01/17(土) 17:22
- 娘。探検隊だ。
モーニング娘。というグループから選抜された、
勇気ある4人だ。
まず、飯田圭織。
そして、亀井絵里。
あとは、高橋愛、矢口真里だった。
リーダーの飯田は、まとめるのが得意。
副リーダーの矢口は、ケンカが強く、
気が短い。
亀井は、怖がりだが、一応ついてきた。
そんな亀井をフォローするのが、高橋の役だ。
- 5 名前:3:第一章・あゆみとの出会い 投稿日:2004/01/17(土) 19:56
- 「いやだぁ。気味悪ぅい!・・・・・ふぇ〜〜・・・・ん・・・」
亀井は、そういって泣き出してしまった。
高橋が、亀井の頭をやさしく撫でながら、
こういった。
「亀井、ついてくるって言ったのは亀井でしょ。
言ったなら、ちゃんとしてよ。
亀井は、この世を救う気ないの。」
亀井は、泣きながら、前へ進んだ。
すると、前方に女の子がいた。
目がちょっと小さめ、でもクリッとしている。
鼻は小さく、微妙に光っている。
髪は長めのショートカットで、
どこかで見たことあるような女の子だ。
身長は低く、3年生に見える。
口がポカンと開いていてかわいい。
「あれ・・・・君・・・・」
「わっ!!」
少女は驚いて後ずさりした。
「君・・・・名前は?」
「岩村あゆみです。」
彼女ははっきりと答えた。
- 6 名前:第二章:火山へ 投稿日:2004/01/18(日) 19:15
- 「君・・・・何年生?」
飯田は、三年生だと本気で思い込んでいた。
「あ、小学5年生です。」
それをきいた飯田は、驚いて目を丸くした。
「で、君は何してんの?」
「あそこの、火山に入ります。」
「えっ??君、もしかして・・・・」
「いろんなとこ探して、ダイヤモンドを取り返します。」
「あぶないよ!一緒にいくよ!」
それを聞いたあゆみは、ほっとした。
「ココが入り口です。」
あゆみは、やや高いかわいらしい声で、火山の案内をした。
- 7 名前:第三章:謎の宝箱 投稿日:2004/01/19(月) 15:40
- 火山の中へ入ると、蒸し暑く、まるで電子レンジの中に入ったようだ。
汗をぬぐいながら疲れ切っている娘。探検隊とは違い、あゆみは、
どんどん前へすすんっで行った。
「あゆみちゃ〜ん・・・まって・・・よぉ・・・・・・」
飯田は、それだけ言うのが精一杯だった。
あゆみは、飯田の言葉には気がつかなかったようだ。
どんどん、速度を速めていく。
飯田は、必死で追いかけた。
気がつくと、あゆみの姿は消えていた。
「あゆみちゃ〜〜ん!!」
呼んでも、返事はなかった。
「だ、だめか・・・・・・・」
そのあと、飯田は何回もあゆみを呼んだ。
しかし、返事はなかった。
返ってくるのは、やまびこだけだ。
しばらく歩くと、目の前にピンク色の箱が落ちていた。
木の箱で、真ん中に「宝」と書いてある。
亀井が駆け寄って、その箱を開けようとした。
いそいで、高橋が止めた。
「まてっ!亀井、このはこは・・・・・」
しかし、亀井はきこうとせず、箱のふたに手を乗せた。
その箱はかたく、亀井がどんなにふんばっても、箱のふたは閉じたままだ。
亀井は怒って、箱を殴った。すると、どこかで聞いたことのある声が、一気に流れ出した。
「アハハハハ、アハハハハハ!!あたしこそが悪魔城の女王、
・・・・・・・アユミ・ロリータよ!」
「アユミ?今、アユミっていったよね・・・・・・??」
一瞬、あゆみがあらわれたような気がした。
確かにそれは、あゆみの声だったのだ。
「あゆみ・・ちゃん?」
飯田たちは、ガクっとその場に座り込んだ。
- 8 名前:第四章:あゆみはここに 投稿日:2004/01/21(水) 15:40
- すると、前方から声がした。
「キャハハハハハ!!」
「ん??」
飯田は、聞き覚えのある声に、ハッと顔を上げた。
見ると、あの、岩村あゆみがたっているではないか。
「あ!よくもウソつきやがって!あんた、悪魔の女王なんでしょ!」
「え」
あゆみは、そのことをまったく知らないようだ。
「あたしが・・・・・悪魔の女王?」
「そうよ!」
矢口も口を出した。
「あゆみちゃん!!」
みんな、あゆみへの信頼をなくしていた。
「なんで?」
「なんでじゃないわよ!この箱が言ったのよ!」
「は?」
あゆみは、そんなこと知らないようだ。
「えーーーーーっ?岩村あゆみ、って言ったの??」
その発言を聞いたとき、飯田はハッとした。
そういえば、あゆみ、とはいったけど、岩村あゆみとはいってないわねぇ・・・
- 9 名前:せりな 投稿日:2004/01/24(土) 15:30
- とりあえず、ここまで書きました。
感想よろしくお願いします。
ochi、sage、ageは自由です。
- 10 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/01/24(土) 19:08
- とあるところでお名前を見て、気になったので読ませてもらいました。
人にとやかく言えるほどのレベルじゃないよ。
他人の作品に色々言う前に、自分の作品を充実させてなさい。
- 11 名前:せりな 投稿日:2004/01/27(火) 17:08
- しばらくの期間放置します。でも、書き込みは続けますよ。
- 12 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/01/28(水) 23:15
- ochi
- 13 名前:舞 投稿日:2004/01/31(土) 18:07
- age
- 14 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/01(日) 00:02
- ochi
- 15 名前:第5章:美保子とあゆみ 投稿日:2004/02/08(日) 21:51
- 「あゆみちゃんだよね?」
「あ、美保子」
あゆみが指差した先を見ると、あゆみとそっくりなショートカットの女の子が立っていた。
髪が少し茶色い。
見るからにおとなしそうなイメージの女の子だ。
あゆみよりも背が高い。
「二人は・・・・・・・姉妹?それとも・・・・・・双子?」
「ただの友達ですよ。」
「親友でしょ!!」
「は?」
「え?」
「お?」
「なに?」
「ん〜?」
飯田は、二人のやり取りがおかしくて、笑い転げてしまった。
- 16 名前:せりな 投稿日:2004/02/17(火) 20:43
- あゆみも一緒に笑うと、美保子という少女が話し始めた。
「あの、話聞いたんですけど、ダイヤモンドは山頂にあるって。
でも、おそろしい悪魔女王がいるらしいですから、怖くて下山してきたんです。」
「そう・・・・でもみんなならできるよね?」
飯田は、矢口の肩に手を置いた。
「うん、たぶんできるよ。おいらにかおりん、亀井ちゃんに高橋、あゆみちゃんに美保子ちゃん。この6人なら、なんとかできるよ。ね、亀井。」
「怖いですう」
亀井が悪魔女王の顔を想像して、ブルブル震えていた。
「大丈夫だよ。さ、行こう。」
「うん。」
そして元気よく、山頂へ向かったのだ。
- 17 名前:せりな 投稿日:2004/02/17(火) 20:44
- とりあえず更新ここまでです。
なんか時間がなくて超短編小説になってしまいそうなんです。
リクエストどんどんください。
- 18 名前:美依 投稿日:2004/02/17(火) 20:45
- みゅん!
- 19 名前:名無し 投稿日:2004/02/18(水) 01:36
- リクエストしても時間がないのでは?
- 20 名前:せりな 投稿日:2004/02/18(水) 15:44
- ところが、山頂の手前の穴がふさがっていて、山頂まで行くことができない。
「どうする?美保子」
「どうするって、そんなこといわれても・・・・・・・・」
「まぁ、とりあえず押してみよう。」
その時、あゆみの携帯電話が鳴った。
「あっ、メールだ。どれどれ・・・・・・うへっ、悪魔女王からだって!
なんでアドレス知ってるの〜?」
「悪魔女王は、この世のすべてを知っているのよ。」
「ま、この岩押してみよ。」
そして、矢口が一人で岩を押してみた。当然びくともしない。
こんどは、力のある飯田が加わった。やっぱりだめ。
今度は全員で押してみた、やっぱりだめ。
「もう、いや〜」
みんな疲れきってその場に座り込んだ。
そのとき、
「あゆみーーーーー!!」
誰かがあゆみを呼んだ。
「美保子も、娘。探検隊から離れなさい!」
その声は、新垣とそっくりな、かわいらしい声。
「あっ_______________」
後ろに立っていたのは________
- 21 名前:せりな 投稿日:2004/02/18(水) 15:45
- 誰もいなかった。
「だれ?あゆみのこと呼んだの、誰?」
- 22 名前:ジュノ 投稿日:2004/02/21(土) 09:15
- いいかもです。
- 23 名前:せりな 投稿日:2004/02/23(月) 21:20
- しばらく修行(ROM)ので、少し放棄します。
っていうか、前にもROMってたんですけど、まだ足りないなあって思って。
続きを待っていてください。
- 24 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/23(月) 22:19
- だったらageないでよ・・・
- 25 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/25(水) 12:50
- ochi
- 26 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/26(木) 12:53
- もう少し構想練ってストックも用意してからスレ立ててください。
- 27 名前:せりな 投稿日:2004/03/14(日) 20:25
- なんと「魔女」だった。
魔女は3回転すると、一瞬にして姿を消した。
そして、そこにあったのは___________
ダイヤモンドだ。間違いなくダイヤモンドだ。
あの世界の宝・ダイヤモンドが返ってきたのだ。
「わ、すごーい!ほっし〜い!」
「ダメでしょあゆみ」
「よかったね〜!」
高橋は涙を流して喜んでいる。外を見ていると、黒い霧も晴れ、美しい青空が広がっていた。
「やったーーー!」
全員で抱き合ったり握手したりして喜んだ。
そして、火山を降りていった。
世界には平和が戻ってきた。
___________________完__________
- 28 名前:せりな 投稿日:2004/03/14(日) 20:26
- ごめんなさい!忙しいのでもう完結させました!本当にすみません!
- 29 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/14(日) 21:05
-
- 30 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/18(木) 21:55
- 予約
- 31 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/20(土) 23:22
- 男が出ます。
男が出ます。
男が出ます。
- 32 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/20(土) 23:25
-
1
もう随分長いことここにいる。
昼休みが終わるまであと何分だろう。
終わらないでほしいな――校庭でサッカーをしている男の子たちを見下ろしながら、
亀井絵里はそんなことを考えていた。
隣には、道重さゆみが同じように校庭を見下ろしている。
絵里は、静かにさゆみに視線をうつす。
彼女と絵里は幼馴染だ。
さゆみが山口から絵里の住む東京のマンションに引っ越してきたのは幼稚園の頃だった。
それからずっと仲良しのお隣さん。
絵里が私立の朝比奈学園小等部に合格した時には、
まるで自分が合格でもしたかのように喜んでくれて、
その時のパーティーで「私も一緒の学校行く」と真面目な顔で宣言した。
翌年、さゆみは本当に絵里と同じ学校の生徒になった。
2人の付き合いはそれからずっと続いている。
おそらくこれからもずっと変わらずに続いていくのだと――
絵里は、なんの根拠もなく思っていた。
- 33 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/20(土) 23:26
-
「ねぇ、絵里」
校庭に視線を止めたままさゆみが口を開いた。
じっと見ていたことに気づかれたかと思って絵里は慌てて視線を外しながら返事を返す。
「あの人って絵里のクラスの人だよね?」
さゆみは、絵里の動揺に気づいた風もなく校庭の男子生徒を指差した。
キーパーをしている男子生徒。確かに絵里のクラスだ。
「うん。それがどうかしたの?」
この時――絵里がさゆみの変化に気づいていればこんな質問はしなかっただろう。
だが、絵里は変に思われないようにさゆみから視線を外し、
彼女が指を指した男子生徒の方を見ていたので気づかずにいた。
「実はね――」
さゆみの頬が桃色に染まっていることなど――
- 34 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/20(土) 23:26
-
「私、あの人のこと好きみたい」
- 35 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/20(土) 23:27
-
「・・・え?」
聞き間違いだと思った。
否。
思いたかった。
さゆみはよく言い間違いをするのでそれだとも思いたかった。
絵里は、一瞬遅れでさゆみを見る。
そして、先程耳に入ってきたことが聞き間違いでも言い間違いでもなかったことを悟った。
- 36 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/20(土) 23:27
-
- 37 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/20(土) 23:28
-
彼は剣道部だ。
ツンツンに逆立てた髪は今時珍しく黒い。
優しげな目元をしている。
身長は、他の男子に比べて高いわけでもなくかといって低くもない。
おそらく平均的な高さ。体重も同様に痩せているわけでも太っているわけでもなく
程よく筋肉がついている。
成績はどれくらいか知らない。友達は多い。男子も女子も。
そして、彼は――
絵里は、観察をやめ目を伏せた。
さゆみの好きな人だ。
- 38 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/20(土) 23:28
-
- 39 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/20(土) 23:29
-
「好きみたいって・・・どうして?」
「剣道してるとこがかっこいいよ」
さゆみがメーンと竹刀を振るう振りをする。
「・・・それだけ?」
それだけなら、ただ一過性の好きならまだなんとかなるかもしれない。
卑怯な手段かもしれないが彼の悪口を彼女に伝えるとか。
絵里は、祈るような思いでさゆみを見つめる。
「ううん」
さゆみは首を振った。
「あの人、優しいんよ」
そういって、彼女は今まで見たこともないような可愛らしい笑みを浮かべた。
恋する乙女はキレイになる。まさにその体現だった。
ショックで目の前が暗くなっていく。
- 40 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/20(土) 23:30
-
どうして?どうして?
意味のない疑問が浮かんで――いや、違った。意味はあった。
この疑問の意味。
どうして私じゃないの?
言葉が氾濫しそうになって絵里はぐっとそれを飲み込んだ。
そんな絵里に気づかずにさゆみは話を続けている。彼との出会いの話を。
さゆみが彼を街で見かけたのは、丁度、絵里と一緒に帰れなかった日だったらしい。
それ以降の話は絵里の耳にはまったく入ってこない。
サイレント映画のように無音の世界。
絵里は、動くさゆみの口だけをただ見つめていた。
そこにある事実はさゆみが彼を好きだということだけ。
そして、自分は彼女と彼を引き合わせるキューピッドにならなければならないということだった。
- 41 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/20(土) 23:30
-
- 42 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/20(土) 23:30
-
伏せていた瞳をあげてもう一度彼を見る。
瞬間、バチリと目があった。
丁度、誰かに呼ばれて彼が振り返ったからである。
絵里は慌てて視線を逸らすと、俯くように机を見た。
その姿を見て、彼が笑みを零したことなど絵里は知らない。
- 43 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/20(土) 23:31
-
- 44 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/21(日) 23:29
-
晴れていた空が急に曇り出す。
黒と灰が入り交じったような色を放ちながら空は刻々と変化していく。
その様子をぼんやり眺めていた道重さゆみは
傘を持ってきていた自分のことを心の中で褒めていた。
雨の予報なんてなかったのにさすがさゆみん。
それから、今教室で自分を待っていてくれている亀井絵里のことを考える。
昼休みに彼女に秘密を打ち明けたことを思い出す。
ずっと一緒に成長してきたけれど恋の話をしたのはさゆみの記憶が確かならはじめてのはずだ。
だからだろう。絵里は、ひどく驚いていた。
あんまり彼女が驚くものだからさゆみはおかしくなって笑ってしまった。
絵里も自分に釣られたのか少しだけ微笑んで協力してあげるね、といってくれた。
自分の恋は前途悠々だ。
さゆみは、窓に定めていた視線を机の上に戻す。
そこには白紙状態の答案。
自分の追試は前途多難だ、さゆみは頭を抱えた。
- 45 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/21(日) 23:30
-
- 46 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/21(日) 23:31
-
空は容赦なくどす黒い色を帯びていく。
まるで自分の気持ちを表しているみたいだ。
絵里は、昏い溜め息を吐き教室の時計を見上げる。
新学期早々のテストで赤点をとったさゆみを待つこと45分。
もうそろそろ終わる頃だろう。もうすぐさゆみが来る。一緒に帰る。
いつもは楽しいはずの下校時間がこれほどまで憂鬱に感じるのははじめてだ。
なぜだろう。
答えが分かっているはずの質問を自身に投げかける。
ずっと認めたくなかった気持ち。認めてはいけない気持ち。隠さなければならない気持ち。
それがさゆみの告白を聞いて溢れだしそうになっていた。
これから、どうしよう。
考えて絵里は首を振った。考えても意味がない。
自分の彼女に対する思いは間違っていて、彼女の彼に対する思いは正しいのだから。
取るべき道は一つしかない。絵里は、唇を噛締める。
こらえなければ泣いてしまいそうだった。
その時、教室のドアが開かれる。
- 47 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/21(日) 23:31
-
「絵里!ごめんね」
走ってきたのか頬を上気させたさゆみが飛び込んできた。
その様はかわいい。
「大丈夫だよ」
絵里はカバンを手に取りさゆみの元に駆け寄る。
「それより、追試どうだった?」
廊下を並んで歩きながらなにげなく問いかける。いつものことだ。
おかしなところはないだろう。さゆみは、んーと首をかしげ
「まぁまぁかな」
微笑む。
- 48 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/21(日) 23:32
-
「名前、間違えてない?」
「ちゃんと確認したよ」
「じゃ、大丈夫だね」
うん、とさゆみが頷く。
こんなやり取りができるのはいつまでだろう。
無論、さゆみの恋が上手くいったからといって自分たちの友情が消えてしまうわけではないけれど――
「絵里、傘もってきてないでしょ」
「え、うん」
絵里が頷くと、さゆみは誇らしげに
「じゃーん」とカバンの中から可愛らしいピンクの折り畳み傘を取り出した。
なにも考えてないんだろうな。
絵里は、気づかれないように嘆息してさゆみに微笑んだ。
- 49 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/21(日) 23:32
-
- 50 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/21(日) 23:33
-
宿題をするために机に向かってから数十分。
開かれたノートにはまだ一文字も手に持っているシャーペンを走らせていない。
カチカチとシャーペンの芯を出しては押し込み、絵里は頬杖をついた。
「2人っていつも一緒におるよね」
そういったのはさゆみと同じクラスの子だ。
クスクスとからかうように言われてさゆみは頬を膨らませていたけれど、
絵里には他人から認められたようで少しだけ嬉しかった。
確かに絵里とさゆみは必要以上に一緒にいる。
学年も違うのに、幼馴染みというだけで登下校から昼休みまでベッタリ
というのは他の人からすれば不思議な光景らしい。
ただ小さい時からいつもベッタリだった2人にはさほど不思議ではなく、
今の関係を崩す気すらなかったのだが。
- 51 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/21(日) 23:33
-
絵里は、ふと窓の外を見やる。
降り始めた雨が静かに音を奏でていた。
その音に呼応するかのように胸が痛む。
「・・・なんだろ」
絵里は、呟いた。
さゆみが好きな人ができたのなら素直に応援してあげたいのに――
「・・・・・・なんだろ」
もう一度、呟いて絵里は机に突っ伏した。
- 52 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/21(日) 23:33
-
- 53 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/22(月) 01:29
- 面白そうなのハケーン
- 54 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/22(月) 22:55
-
2
「・・・あの、ちょっといいですか?」
声をかけられた彼は驚いたような顔で振り返ったが、
絵里の顔を見ると柔らかく微笑み「なに?」と首を傾げた。
ここは教室だ。二人を好奇の目で見ているクラスメートたちに気づく。
絵里は、あまり自分から男子に声をかけるタイプではないから仕方がないのかもしれない。
しかし、こうも見られているのはどうにもやりづらい。
別に自分が告白するわけでもないのに絵里の顔は自然と赤くなってしまう。
「あの・・・ここじゃなんなので」
「あ、うん」
行儀悪く机に座っていた彼は立ち上がって教室の外に出て行く。
絵里もそのあとに続く。
- 55 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/22(月) 22:55
-
「・・・で、どうしたの?」
「あのですね・・・・・・」
そこまで口を開いて絵里はどう話を切り出せばいいのか迷った。
さすがに幼馴染の女の子があなたのことが好きみたいなので
付き合ってあげてくださいではストレートすぎるしなにより急すぎる。
ん?と彼は絵里の言葉を促す。
「あの・・・・・・つ、つ、付き合っている人とかいますか?」
「へ?いや、いないよ」
彼は、なにを慌てているのかぶんぶんと首を振る。
彼に恋人がいればよかったのに――
心の中で舌打ちしてから性格悪いな、私――絵里は自嘲気味に思った。
思いながらなおも
「じゃぁ、好きな人は?」
尋ねる。
彼は、驚いたように小さく口を開けた。
- 56 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/22(月) 22:56
-
「・・・・・・いるよ」
ややあって照れくさそうに言う。
思わず、ガッツポーズをしそうになって絵里はそれをこらえる。
本当に性格悪い。少しの自己嫌悪。しかし、それに勝る安堵。
絵里の顔は自然とほころんでくる。
「好きな人、いるんですね?」
念のため、確認。彼は、頷き
「目の前に」
言った。
目の前?
絵里は、なんのことか分からずキョロキョロと辺りを見回す。
廊下に出ているのは他にも何人かいる。
しかし、彼の目の前にいるのは――自分1人だ。
- 57 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/22(月) 22:56
-
「まさか両思いだとは思わなかったよ」
彼は軽い口調で口にして照れたように短い髪を掻く。
「はい?」
「あれ?」
目を丸くした絵里を見て彼は不思議そうな声を発した。
そして、まずいことを言ったという風に口を押さえる。
「あの・・・・・・」
「亀井さん」
「はい?」
「もしかして、告白とかじゃなかった?」
恐る恐るという風に彼は言う。
あぁ、そういうことか。絵里は、ようやく彼の勘違いに気づいた。
確かに自分の態度はそう思われても仕方なかったかもしれない。
それにしてもだ、冗談でも言っていいことと悪いことがある。
そんなに簡単に両思いだとかなんだとか。
- 58 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/22(月) 22:57
-
「告白、とかじゃないです」
絵里は少し憤慨しながら彼を睨む。
「ガーン」
彼は、アニメのような擬音で頭を押さえふらふらと壁に体をあずけた。
「あの・・・」
「だよね〜。亀井さんが、そんなわけないよな」
はぁ、とがっかりしたようなため息をつき彼は小さく笑う。
絵里は、ついごめんなさいと謝罪の言葉を口にしていた。
「いやいや、勝手にそう思っただけだし・・・・・・」
彼はかぶりをふり「でも、なんでそんなこと聞くの?」と首を捻った。
「それは・・・・・・友達が、その・・・」
「友達って、あの1ッコ下の子?」
彼の言葉に絵里は驚いた。
「なんで知ってるんですか?」
「そりゃ・・・・・・」
一瞬、彼は口ごもり上手い言い訳を見つけたように
「仲いいって有名だし、2人。道重さんだっけ?」続けた。
そこまで有名なのかな、絵里は不思議に思ったがそれを口にはしなかった。
- 59 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/22(月) 22:58
-
「そう、さゆ・・・道重さゆみっていうんですけど。あなたと、その」
言いながら、絵里は苦しくなった。
「そういうことか」
直接的なことは口にしていないのに理解したのか彼が納得したように呟く。
これで役割は終わったかな、絵里は思う。
というよりも、終わってほしかった。
彼がさゆみのことを知って気にするようになれば、
自分がこれ以上辛いことを続けなくてもいいだろう。
予鈴がなる。
「そういうことです」
絵里はいって教室に戻ろうとした。その腕を彼が掴む。
驚いて振り返ると彼はすぐにゴメンと手を引っ込め
「今日のお昼一緒に食べよう」
言った。
本鈴。
「さゆに伝えときます」
早口で返す。
「じゃなくて、亀井さんも一緒に」
「え?」
彼も絵里と同じく早口で返すと絵里の疑問の声にこたえることなく教室に戻っていった。
ポカンと立ち尽くす絵里の視界に教師の姿がうつる。
絵里は、慌てて教室に駆け込んだ。
- 60 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/23(火) 23:18
-
- 61 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/23(火) 23:18
-
食堂のテラス。居心地の悪い空間。
丸テーブルを3人で囲む。
絵里とさゆみと彼。
さゆみは彼を見て私って可愛いですよ光線を発しながらにっこにっこ上機嫌。
彼は、さゆみの光線を浴びながらなんともいえない複雑そうな表情。
絵里は、そんな2人を見ていられなくて黙々と箸をすすめている。
耳に聞こえてくるのは明らかにループしているさゆみの話と少しひいている彼の声。
「・・・それでー、先輩が助けてるところみて優しいなって」
「あぁ、そういえばそんなことしたっけ」
「自覚なしでできるところが優しいなって」
「あ、はは・・・・・・と、ところで二人って仲いいけど付き合い長いの?」
彼が、助けを乞うように絵里に声をかけた。
- 62 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/23(火) 23:19
-
「長いですよ。幼稚園から一緒だもんね」
先にさゆみが答え同意を求めるように絵里に首を傾ける。
「え、うん」
答えながら、なにやってるんだろうなと思う。
あとは若いお2人で、なんて見合いの席のおばちゃん臭いことをいって逃げ出したい。
絵里は、定食についている桜漬けをポリポリと噛む。
「あ、私のもあげる」
さゆみが、絵里の皿に自分の桜漬けを入れてくる。
絵里は、ギョッとしてさゆみを見る。さゆみは不思議そうに首を傾げた。
確かに、絵里の好物である桜漬けをさゆみがくれるのはいつものことだ。
いつものことだけれど――
- 63 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/23(火) 23:20
-
「亀井さん、このピンクの好きなの?」
今日は、いつもとは違う人間がいるのだ。
絵里に向けられた問いに
「昔っから大好きなんですよ」
さゆみが答える。
「変なの」
彼が笑う。
別に変じゃない。絵里の中で桜漬けは漬物最高傑作だ。
それを変と言うなんて最低。心の中で毒づく。
もちろん、本当に漬物のことだけで自分がそう思ったわけではないことは自覚している。
ただ、彼のことを悪く言える口実があればよかっただけだ。
さゆみが嬉しそうなのにそんなことを思ってしまう自分は醜い。
顔にはでてないだろうか。不意に心配になって絵里は頬をさすった。
そして、なんとかこの時間を平静を装ってやり過ごす覚悟を決めた。
- 64 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/23(火) 23:20
-
- 65 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/23(火) 23:21
-
「さゆー、どうやった?」
5限の予鈴と同時に教室に戻った道重さゆみに
クラスメイトの田中レイナがそう声をかけてきた。
レイナは、絵里以外でさゆみの恋を知っている唯一の人物だ。
「にゃーお」
「なん?」
さゆみの答えにレイナは顔をしかめて疑問の声を上げる。
「絵里の様子が変やった」
とっくの昔に標準語で話せるようにはなっていたが、
福岡から転入してきたばかりのレイナと話すときは山口の言葉が顔を覗かせる。
そんなところもカワイイさゆみん、心の中で呟きつつも顔は至極真面目。
- 66 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/23(火) 23:22
-
「絵里の話とか聞いとらんし。先輩とはどうやったと?」
お昼休みの食事。
絵里が先輩を連れてきてくれた。それは嬉しい。嬉しかった。
しかし――
「絵里なんかあったんかねぇ?」
いつもにこにこたまに毒舌の絵里がいなかった。
絵里は笑ってたけど笑っていなかった。
先輩には分からなくても、昔から一緒にいた自分にはそれぐらい分かる。
いったい、なにがあったんだろう。なにかあったなら相談してくれればいいのに――
「にゃーお」
ぶつぶつ言いながらさゆみは自分の席につくとため息をついた。
その様子をレイナはまたかといった呆れ半分諦め半分の眼差しで見送り肩をすくめた。
- 67 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/24(水) 22:39
-
- 68 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/24(水) 22:40
-
絵里はぼんやりとチョークが黒板を叩く音を聞いていた。
もうすぐで放課後になる。どんなことを話せばいいんだろう。
今まで考えたこともない疑問が浮かぶ。
理由は簡単だ。
さゆみが彼のことについて話すと思うから。
それについて自分はどう対応すればいいのか。
考えただけで憂鬱になってくる。
授業は嫌いだったが今だけは永遠に授業が終わらなければいいのにと
絵里はクラスメイトが聞いていたら非難されそうな祈りをしていた。
しかし、そんな祈りが叶えられるはずもなく――
絵里の耳には容赦なく授業の終わりを告げるチャイムが聞こえてきた。
- 69 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/24(水) 22:41
-
ざわざわと一斉に動き出す空気。
それをかきわけて視界に入ってくる影。一番見たくない人物。
気がつかないフリをして鞄を手に立ち上がる。瞬間
「亀井さん」
声をかけられた。
絵里は、がっくりと項垂れながら振り返る。
「なんですか?」
「えっと、道重さんのことなんだけど」
彼は、言いづらそうに切り出した
「さゆのこと?」
「そう。あのさ、俺はどうしたらいいのかと思って」
「え?」
「つまり、その・・・」
彼がそういいかけた時だった。
- 70 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/24(水) 22:42
-
「絵里―!!」
教室のドアからさゆみが顔を覗かせた。
絵里は、ビクリとそちらを振り返りさゆみの視線の先にいる人物に顔を戻した。
彼はため息に似た吐息を漏らし
「やっぱ今日はいいや」
と弱弱しく笑んだ。
彼は、そのままさゆみのいる教室前方のドアではなく
後ろのドアを使って教室から出て行った。
さゆみが彼の方に顔を動かし嬉しそうに手を振る。
好きな人だけに見せる特別な顔。
絵里にはおそらく永遠に向けられない顔。そう考えるとこの場所から消えたくなった。
絵里は、視線を床に落とし肩にかかっている鞄紐をギュッと握るとさゆみの元へ向かった。
- 71 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/24(水) 22:42
-
- 72 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/24(水) 22:43
-
「絵里、なにかあった?」
同じ制服を着た人々が吸い込まれていく校門を抜けるまで
さゆみはなぜか一言も口を開かなかった。
それは絵里にとってかなり救いになったが、同時に妙な緊張を覚えるものだった。
いったい、さゆみはなにを考えているんだろう。
彼のことなのか全然関係のないことなのか。おそらくは前者。
チラチラとこちらを窺うような視線。
彼のことをたずねられても平静に答えられるように絵里は身を硬くして
さゆみの口から言葉が紡がれるのを待っていた。
その第一声がこれだ。
不意打ち、それも予想外の言葉に絵里は対応できずに
疑問符つきの表情をさゆみに向けた。
- 73 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/24(水) 22:43
-
「今日、様子がおかしかったの」
「私の?」
さゆみはうんと頷く。
「ず―――っと変」
「さゆに言われたくないよ」
ずっとの部分にありえないくらい力を込めて言うさゆみに絵里は苦笑しながら返す。
しかし内心ではドキリとしていた。
完璧に隠し通せたと思っていたことを彼女に気づかれていたことに。
幼馴染というのはこれだから恐ろしい。
- 74 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/24(水) 22:44
-
「なにかあったの?」
さゆみがもう一度、今度はしっかりとそう口にした。
なにか――
そのなにかの存在をさゆみは知らない。
彼女はなにも知らない。知らなくていいことだから。だから
「なにもないよ。たださゆの邪魔しないように大人しくしてただけ」
嘘をつく。
何度も何度も悟られないように自分は笑って嘘をつき続けるしかないんだ。
それは、絵里の決意であり覚悟であった。
「ホントに?」
「うん。いっぱい喋れたでしょ」
絵里のからかいにも似た問いかけにさゆみが恥ずかしそうに笑う。
これでいい。このままの関係がいい。
絵里も同じように笑った。
- 75 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/29(月) 23:19
-
- 76 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/29(月) 23:20
-
3
静かに秘めた思いは静かに静かに形を変えていく。
いや、もしかしたら気づかないフリをしていただけで
それは最初からなにも変わっていないのかもしれない。
気づかずにいられたらこれほどまでに苦しまずにずっと彼女の傍にいられた。
- 77 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/29(月) 23:21
-
その日の昼休み、絵里は同じクラスの新垣里沙と一緒に会議室にいた。
中学に上がってから三年連続同じクラスの彼女は担任の雑用係と呼ばれる学級委員をしている。
今、二人は休み時間を削って資料の整理をすすめていた。
もともとは里沙1人が頼まれたのだが絵里が手伝うよと途方に暮れていた彼女に声をかけたのだ。
資料整理をはじめて数十分。
「いいの?亀井ちゃん」
里沙は、本日三度目になる質問をしていた。
絵里は、困ったように笑いながら「いいんだって」と答える。
それならいいんだけど、と里沙はまだ気にしているような素振りを見せながら呟く。
彼女の言いたいことは分かる。
昼休みに絵里がさゆみ以外の人間といることは今まで数えるほどしかない。
それほど2人はいつも一緒にいた。
他のクラスメイトからも一緒にいないほうがおかしいと思われるくらいだ。
里沙が気にするのは無理もないだろう。
絵里は、小さく嘆息し目の前の資料をホッチキスでパチリと止めた。
- 78 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/29(月) 23:22
-
「・・・もしかして、道重ちゃんと喧嘩した?」
遠慮がちに問われて絵里は顔を上げる。
「あぁっとそんなわけないか。ないよね〜」
まだなにも答えていないのにいやに大げさに里沙はないないと首を振った。
そして、チラリと窺うように絵里を見る。
絵里は力なく笑い
「喧嘩はしてないよ」
しかし、その言い方がまずかったのか里沙は心配そうに眉を顰めた。
「・・・ホントに喧嘩じゃないんだって、朝も一緒に来たし」
絵里は弁解するように早口で言う。
「じゃぁ、なんで元気ないの?」
「え?」
「元気ないよぉ、最近。道重ちゃんほどじゃないけど一応私だってさぁ、
亀ちゃんと付き合い長いんだから気づくって」
絵里の曖昧な態度に業を煮やしたのか、
先程の遠慮はどこへやら彼女はいやにきっぱりと言い切った。
芯の強い視線に絵里は思わず彼女から目をそらす。
里沙の困ったようなため息が聞こえた。
- 79 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/29(月) 23:23
-
「別にさ怒ってるわけじゃないんだよ。
ただやっぱり・・・なんかあったのかなって思うでしょ」
「うん、ゴメンね」
里沙が心配してくれていることは分かる。
「でもホントになんでもないの。
ただ、さゆとばっかりは一緒にいられないかなって」
「なんで?」
間髪言わず問われて絵里は息をつく。
「だって、いつまでも一緒になんていられないもん。
もしかしたら、いきなり私が転校することになっちゃうかもしれないし」
そして、誤魔化すように明るい口調で里沙に言った。
- 80 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/29(月) 23:23
-
「転校するの?」
「例えばの話だよ」
いっそそうなってくれればいいのに。
絵里が微かに笑むと里沙は決まり悪そうに視線を資料に落とし
「まぁ、亀ちゃんがそれでいいならいいけどさ」と呟いた。
絵里はこの友達のさっぱりした部分に少し感謝しながら、
止めていた手を再び動かし始めた。
- 81 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/29(月) 23:24
-
- 82 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/30(火) 22:51
-
昼休みがはじまってすぐに絵里からメールが届いた。
内容は、先生に用事を頼まれたから今日は一緒にご飯は食べられないというものだった。
絵里が傍にいない昼休み。1年に数度、あるかないかのこと。
時計の針は同じように時を刻んでいるはずなのになぜかとてつもなく遅く感じられる。
さゆみは、ぼんやりとトレイの上に乗った明太子スパゲッティを
食べるでもなくフォークでいじる。
「さゆ?一人やん、どうしたと?」
後ろからぽんと肩を叩かれた。れいなだ。
さゆみはちょっと肩をすくめて
「にゃーお」
レイナはそんなさゆみの様子を見て眉を潜めると
「これよろしく」
空になったトレイを一緒にいた友人に押し付け空いていたさゆみの隣の席に座った。
- 83 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/30(火) 22:52
-
「絵里は?」
「先生に用事頼まれたって」
「ふ〜ん、珍しいね」
「うん」
「それで一人でご飯食べよったん?」
「そう」
元気なく頷くさゆみにレイナは困ったように頭をかく。
大げさだ、とは思うものの、いつも一緒にいる2人がいないのは
レイナにとってもなんだか落ち着かない。
さゆみがため息をつくのを横目にレイナがどうしようか考えていると
「あれ?道重さん、今日一人なんだ」
向かい側からそんな声がかけられた。
見ると、さゆみの好きな先輩だ。
渡りに船とはこのこと。れいなは勢いよく立ち上がる。
- 84 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/30(火) 22:53
-
「先輩、さゆ元気ないんで話聞いてあげてくださいよ」
「え?」
彼が疑問の声を上げる。
さゆみは立ち上がったれいなを驚きのまなざしで見上げる。
れいなはさゆみに向かってウィンクをして
「じゃ、よろしくお願いしまーす」
一方的にそういうとさゆみの肩を二、三度叩きいってしまった。
残された二人は顔を見合わせる。
一方は困ったように、もう一方はどこか嬉しそうに。
- 85 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/30(火) 22:53
-
「・・・・・えっと、元気ないってどうかしたの?」
彼は躊躇いがちにさゆみの向かいに座るとそう尋ねてきた。
「・・・・・・元気ですよ」
「そ、そう」
「ただ・・・絵里がいないから」
「亀井さん?」
さゆみは頷く。
「いつも一緒にいるもんな」
彼は納得したようにいってさゆみを見る。
さゆみは、視線を下に向けたまま「んー」と唸っている。
まったく彼の声は聞こえていないようだ。
- 86 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/30(火) 22:54
-
「ねぇ、先輩」
彼が困ってため息をつくのとさゆみが口を開くのは同時だった。
「ん?」
「最近、絵里おかしくないですか?」
「は?」
「おかしいんです」
さゆみは、難しい顔で断言する。
そういわれても、ついこの間まともに会話をしたばかりの彼女の様子が
おかしいかどうかなど彼にはわからない。
「おかしいって、どうおかしいの?」
たずねるとさゆみは「んー」と首を傾げた。
どうおかしいのか、言葉で説明がつくようなものではない。そう感じるだけだ。
考え込んでしまったさゆみに彼はポリポリと頬をかき
「次の授業の前に道重さんが心配してたって伝えとこうか」
彼の言葉にさゆみは顔をあげようやく笑顔を見せた。
- 87 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/30(火) 22:54
-
- 88 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/31(水) 22:51
-
「じゃぁ、先に教室入ってるね」
教室の前で絵里を待っていた彼に気づいた里沙が
気を利かせたようにそういった。顔にはかなりの好奇心。
「え、ちょっと・・・・・・」
絵里の声に里紗は眉毛を盛大に動かして応え
教室に飛び込むとガラガラとドアをしめた。
- 89 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/31(水) 22:52
-
「亀井さん」
彼が気まずそうに近づいてくる。
まともに彼の顔を見たくなくて絵里は視線を足元に落とした。
「・・・はい」
「昼休み、道重さんに会ったんだけど」
さゆみの名前が彼の口から出てきたことに絵里は一瞬顔を上げる。
彼は、少し驚いたように目を瞬かせた。
「・・・あ、なんか亀井さんのこと心配してたよ」
「私のこと?」
「最近、様子がおかしいって」
さゆみが自分のことを。
彼と一緒にいる時に自分のことを?
どうして。さゆみは馬鹿だ。
「元気なかったよ」
「・・・そうですか。わざわざありがとう、ございます」
絵里は頭を下げ教室のドアに手をかける。
- 90 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/31(水) 22:53
-
「ねぇ」
彼が呼び止めた。
3分の一ほどあいたドアの前で絵里は彼を振り返る。
「はい?」
「なんか悩んでるならいくらでも相談に乗るよ」
「え?」
「話してすっきりすることあるじゃん」
彼はにっこりと笑った。
「・・・・・・あっても貴方には言いません」
言葉の端々に棘を含ませて。
「絶対に」
対抗するように絵里は口元に無理矢理笑みをつくってみせた。
彼が呆気に取られている間に教室に戻って席に着く。
心臓が早鐘のように脈打っていた。
絵里は、目を閉じ顔の前で祈るように腕を組んだまま深呼吸する。
- 91 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/31(水) 22:53
-
誰にも言わない。
数十秒後、彼が教室に入ってくる。
伺うような視線を感じて絵里は目を開ける。彼がこちらを見ていた。
誰にも言わない。
絵里は、もう一度繰り返す。
誰にも
特に彼なんかには絶対に――
- 92 名前:彼女の恋 投稿日:2004/03/31(水) 22:54
-
- 93 名前:せりな 投稿日:2004/04/01(木) 12:11
- 完結させましたよ!
- 94 名前:せりな 投稿日:2004/04/01(木) 12:12
- 倉庫送ってもいいです。
- 95 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/01(木) 12:21
- >>93-94氏んでね
- 96 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/01(木) 23:35
-
- 97 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/01(木) 23:36
-
4
ここのところ学校にいる間はどうにか心の均衡を保つ努力をしている。
さゆみが自分の様子がおかしいと心配していたと聞いてから、
今までどおりに振舞って一緒の登下校、一緒の昼食、一緒の――
時たま、彼も交えて笑ってみたり――そんな風に自分の心を誤魔化して
神経をすり減らすものだから、一日が終わるころには心底ぐったりとなってしまう日々を送っていた。
学校が休みの日はホッとする。最近頓にそう思う。
こうして寝ていればさゆみに会わずにすむし、さゆみの好きな彼とも話さなくてすむ。
さゆみと彼が話す姿を見なくてすむ。
絵里は、ベッドの中で何度目かの寝返りを打った。
- 98 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/01(木) 23:37
-
眠っているうちにどんどん体が小さくなって胎児にまで戻ってしまえば楽だろうな。
それで、今度はさゆみと出会っても仲良くしなければいいんだ。
そんなことを考えていると
「・・・あら、さゆちゃん」
玄関先から母の声が聞こえた。
ドクン。心臓が音を立てる。
「絵里、まだ寝てるのよ〜。起こしちゃっていいからね」
幼い頃からさゆみはよく絵里の家に遊びに来ていたから、
母は当たり前のように余計なことをしてくれる。
「はーい」
さゆみの返事。
パタパタという足音。近づいてくる。
絵里はドアに背を向けバッと布団を頭から被る。
それだけでは足りないので寝たふりまでしてみせた。
喧嘩をしているわけでもないのに、こんなことをしている自分がひどくマヌケだった。
ガチャリとドアが開けられる。
- 99 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/01(木) 23:37
-
「絵里!朝だよ、起きて」
布団の上から揺さぶられる。
絵里はなるべく自然に見えるように布団を抱きかかえて身を縮める。
「絵里ってばぁ!」
そんな声と同時にばっと掛け布団をはがされる。
急激な冷気。
絵里は、渋々と――なるべく機嫌が悪いように見えるよう――さゆみの方に顔を向けた。
「おはよう」
さゆみは、気にした風もなくにこりと笑いかけてくる。
その格好は、休日だっていうのに制服である。
絵里は、訝しげに眉を寄せる。
- 100 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/01(木) 23:38
-
「……制服来てどうしたの?」
「試合見に行こ」
「え?試合って」
「先輩の試合。今日あるの、お昼から」
嬉しそうに頬を赤らめて言うさゆみとは逆に絵里は顔を曇らせた。
「一人で行けば」
「恥ずかしいもん。絵里もついてきてよ、ね?」
「なんで私が…?」
「お願い」
チョコンと小首を傾げられてお願いされて。
まるで、これ以上の拒否を認めないように。ぐっと喉が詰まった。
- 101 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/01(木) 23:39
-
「・・・何時から?」
「お昼。すぐ出たら間に合う」
待ってるから早く準備してね、と言い残すとさゆみは部屋を出て行った。
絵里はのろのろと体を起こす。
パジャマを脱ぎ捨てクローゼットから制服を取り出す。
ブラウスに袖を通しながら絵里はなだらかに膨らんだ双つの丘を見つめる。
男になりたいわけじゃない。そんなこと思ったこともない。今でも。
だけど、もし自分が男だったら――
考えかけ、絵里は自らの思考を打ち消すように首を振った。
この世界にIfなんてない。あるのは現実。そして、自分と彼女は女同士だ。
スカートのジッパーを上げ、ブレザーを羽織ると絵里は部屋を飛び出した。
- 102 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/01(木) 23:39
-
- 103 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/03(土) 21:38
-
武道場。
乾いた音が聞こえてくる。
試合が終わったらしい防具姿の男子生徒。
これから試合なのか面を持って武道場に入っていく生徒。
それぞれが出たり入ったり。
空気は動くのに空気は静かだ。凛としている。
絵里とさゆみは、窓から道場内を見る。
道場内には関係者しかいない。
人気がある部活のように応援に来ている生徒は皆無だった。
とてもじゃないが中に入れるような雰囲気ではない。
- 104 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/03(土) 21:39
-
「どうする?」
「ここで見てる」
絵里の問いかけに心ここに在らずといった風にさゆみが答える。
その視線の先にいるのはこれから試合をするらしい彼の姿だった。
絵里は、小さく嘆息する。
彼が立ち上がり礼をする。肘になにか感じて絵里はそこに視線をやった。
さゆみがぎゅっと掴んでいたのだ。
別に殺し合いがはじまるわけでもないのに大げさな。絵里は、視線を戻す。
試合は始まっていた。
出方を見ているのかお互い開始線から一歩踏み出したところで剣先を重ねたまま動かない。
一瞬、切先が揺れた。相手が猛然と仕掛けてくる。
乾いた竹刀の音。はじける。右小手から面へ。彼は交わし胴へ。
相手も上手く身を交わす。攻守はくるくると入れ替わる。
そして、動きが止まった。
- 105 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/03(土) 21:40
-
掴まれた肘が痛い。物理的にではなく。痛くてたまらない。
絵里は、口をかみ締める。
早く終われ。早く――
絵里の願いが届いたのか、膠着状態になっていた試合が再び動きだした。
刹那の瞬間。
気持ちのいい音が道場に響いた。
少し遅れて試合終了の合図。
隣で息を吐き出す音。息吐く暇がないとはよくいったものだ。
「先輩、負けちゃった」
さゆみが放心したように呟く。
絵里は、道場の隅で正座をして面を取る彼を見つめていた。
不意に彼がこちらに気づいた。
情けないところを見られたと思っているのか汗で濡れた髪に手をやり苦笑を浮かべる。
絵里は眉を寄せさゆみの腕を取った。
- 106 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/03(土) 21:41
-
「さゆ、帰ろ」
「え?でも、先輩こっち見てる」
「負けたあとは、人と会いたくないと思うよ」
「……そうかなぁ」
「別にさゆが帰らないなら私一人で帰るけど」
絵里は、さゆみを置いて歩き出す。
なんだか腹が立った。
なぜかは分からないけど。
「絵里、待ってよ」
後ろからパタパタと足音が聞こえた。
- 107 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/03(土) 21:41
-
- 108 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/04(日) 22:56
-
試合の観戦に付き合ってくれたお礼になにか奢るとさゆみが言い張るので
丁度帰り道にある喫茶店に二人は立ち寄った。
「絵里、最近隠し事してるよね」
注文したチョコレートパフェが席につくなりさゆみが声を少し潜めて言った。
内心、どきりとしながらも冷静を装う。
「してないよ」
「嘘。最近変だもん。なに隠してるの?」
さゆみが頬を膨らませる。
「変かなぁ」
絵里はわざと首を傾げてとぼけてみせた。
しかし、今のさゆみにそれは通じない。
- 109 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/04(日) 22:56
-
「じゃぁ、私が言っていい?」
「なにを?」
「絵里が隠してること」
その言葉に絵里の心臓は跳ね上がった。
ばれた?
この気持ちが――ありえない。
ばれるはずがない。
絵里は、息を呑みさゆみを上目で窺った。
瞬間、じっと見つめてくる真っ直ぐな瞳にぶつかる。
全て見透かされてしまいそうで絵里は思わず視線をはずした。
「…隠し事なんてないよ」
引きつる顔を意識しながら言った。
さゆみの嘆息が耳に届く。
- 110 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/04(日) 22:57
-
「絵里、好きな人できたでしょ?」
ストレートなさゆみの問いかけに鼓動が早鐘のように鳴り続く。
どくんどくん。さゆみにも聞こえそうなくらいに激しく。
まるで全身が心臓になったようだ。
「な、なんで?ないよ、そんなの」
慌てて誤魔化すが誰が見ても絵里が嘘をついているのは明らかだった。
さゆみは、そんな絵里を溜息混じりに眺めながら
「やっぱり……」漏らした。
「もしかして、その人って」
そこまで言ってさゆみは言おうか言うまいか迷っているかのように言葉を止めた。
無言で絵里を見つめてくる。
まるで責められているかのようで、絵里は思わず下を向いた。
彼女は気づいている?気づいていない?
いったい、どっちなんだろう。
永遠とも思える沈黙。実際には1分もあるかないか。
さゆみが意を決したように息を吸う音がした。
- 111 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/04(日) 22:57
-
「絵里の好きな人って…」
絵里は目を瞑った。
「先輩なの?」
さゆみの言葉に絵里はポカンと口を開けて顔を上げる。
「先輩…?」
彼女の言葉を反芻する。
先輩って。さゆみがこんな場面で先輩と呼ぶ人は一人しかいない。
絵里は噴出した。
「な、なんで笑うの?」
「だって…ありえないよ、そんなの」
張り詰めていた緊張が一気にほぐれてしまい、
さゆみが口を尖らせていても絵里の笑いはしばらく止まらなかった。
- 112 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/04(日) 22:58
-
「じゃぁ、誰なの?好きな人はいるんでしょ?」
笑いが止まるのを見計らうかのようにさゆみが少し強めの口調で問いかけてきた。
「えっと……」
絵里は口ごもる。
そして
「さゆには関係ないよ」
言った。
「なんで?絵里は私に隠し事するん?」
さゆみが悲しげに眉を寄せた。
絵里は唇をかみ締める。言えるものならとっくに言っている。
だけど、言えないから
「……さゆが知らない人だし」
嘘をついた。
「学校の人じゃないの?」
「塾の春期講習で一緒だった人」
口を開ければポンポンと嘘が出てくる。
これから先、何度彼女にこうした嘘をつくんだろう。そう思うと、息苦しくなった。
- 113 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/04(日) 22:59
-
「そっかぁ。じゃぁ応援するね」
「…いいよ」
「私が応援すると恋は実るって噂だよ」
「はじめて聞くよ」
「今、作ったもん」
そういって、さゆみは笑った。
絵里も一緒に笑ったけれど、本当は『応援する』といった彼女の言葉に無性に腹が立っていて、
同時に悲しくもなっていた。自覚させられてしまった。
自分が、彼女のことをどれだけ好きかという事に。
だけど、この想いは有罪だ。許されない。
ごめんね、さゆ。
嘘でも何でもこの異常な気持ちを隠すためならなんでもするよ。
だから、さゆはこの気持ちにずっと気付かないままで居て。
笑いながら絵里は心の中で目の前の彼女にそう謝っていた。
- 114 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/04(日) 22:59
-
- 115 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/05(月) 22:37
-
5
今日の絵里にとって最悪だったのは彼と掃除場所が同じ所になってしまったことだろう。
2Fの渡り廊下。さゆの付き添いで試合を見に行って以来、
彼のことは避けて避けて避けまくっていたというのに――
そんな絵里の気も知らず彼は話しかけてくる。
「亀井さんってさ、俺のこと嫌いだったりする?」
「…え?」
「避けてるし、俺がいると機嫌悪い」
彼は言う。彼は、おそらく正直な人間なんだろう。
気持ちを隠そうとしない。
その顔は笑ってこそいるが無理しているのがありありと窺えた。
- 116 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/05(月) 22:37
-
絵里は、目を伏せ首を振る。
「そんなことない、です」
「そう?」
「ただ…さゆと仲良くしてほしいだけです」
彼は何も言わない。
どうしてだろう、絵里は上目で彼を窺う。
彼は、口を引き締めて難しい顔をしていた。
なにか言うのを迷っているような、そんな顔。今までの笑みはそこにはない。
そのかわりように絵里はぎょっとする。
その顔は悲しそうでも、悔しそうでもあったから。
- 117 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/05(月) 22:38
-
「前も言ったけど…俺、好きな人がいるんだよね」
やがて、彼はポツリとそう洩らした。
「道重さんの気持ちは嬉しいけど、応えることはできないよ」
「…それなら!」
声を荒げかけて絵里は口を噤んだ。
一度気を落ち着かせるように息を吐き彼を見る。
睨みつけるようになってしまうのは仕方ない。
さゆみの好きな人。
均衡を狂わせた存在。
そして、彼はさゆみを傷つけるのだ。
絵里が望んでも手に入らない彼女を彼はいらないという。
- 118 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/05(月) 22:40
-
「それなら…本人に直接そういってください。私に言うことじゃない」
「そうだね。その通りだ」
彼は予想どおりという顔をした。絵里のにらみにも平然としていて。
それが余計癇に障る。
「だいたい、好きな人がいるならさゆに変な期待もたせないで
さっさとその人に告白しちゃえばいいのに」
彼がそうしてくれていたら、さゆみは彼の事で傷つくこともなかったはずだ。
「そうできたらいいんだけどね」
なにがおかしいのか彼は苦笑する。
「絶対に上手くいきそうにないから」
「…」
「そういえば、亀井さんも好きな人いるんだって?」
「え?」
絵里は一瞬彼の言っていることがわからなかった。
というよりも、理解するのを拒否した。バレタのかと思ったのだ。
絵里は震える瞳で彼を見る。
- 119 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/05(月) 22:41
-
「いや、道重さんが亀井さんの悩みは恋の悩みだったって教えてくれたから」
彼は絵里の驚愕の意味を履き違えたのか慌てた口ぶりでいった。
なんだ、そういうことか。
そういえば、さゆみは彼に自分の様子がおかしいと相談をしていたらしい。
その原因が――嘘だけれど――分かったら彼に報告してもおかしくはないだろう。
とりあえずは、ばれているワケではないことに絵里はホッとして胸を撫で下ろす。
しかし――
彼はやけに真剣な眼差しをこちらに向け
「その好きな人ってさ」
言い辛そうに口を開く。
それは、なにかに勘付いているかのようにも見えた。
- 120 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/05(月) 22:41
-
「…なに?」
絵里はあまり感情を出さないように聞きかえす。
しかしそれはうまくはいかなかった。どうしてか声が上擦った。
絵里は、大丈夫だと自分に言い聞かせる。自分はばれないようにやってきた。
誰にもばれていないはずだ。
そうだ、彼だって同じ。なにも気づいていないに決まっている。
きっとそうに決まっている――思いこもうとはしているのに、
頭の中がグワングワンと音を立てて鳴り響く。
震える手足、急速に早まる鼓動。天と地がひっくり返る感覚。
たった一人で暖め続けていた想い。誰にも打ち明けられなかった想い。
誰にも触らせたことのなかった想い。
それが今、崩れ去ろうとしているように絵里には思えた。
ともかくなにも考えられなくて、口がからからに渇くのを感じる。
立っているのも辛いほど頭がぐらついた。
- 121 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/05(月) 22:42
-
「もしかして…」
彼が重い口を開きかけた瞬間だった。
「絵里!」
さゆの声が聞こえた。
絵里は、はじかれたように振り替える。彼の溜息が背後で聞こえた。
「…じゃぁ、俺戻るよ。亀井さん、それ貸して。直しとくから」
絵里の使っていた箒を手に取って彼は反対側へと行ってしまった。
さゆみは、あ〜ぁと残念そうな声を洩らす。
「追いかければ?」
「…んーん、いい」
絵里が声をかけるとさゆみはふるふると首を振り絵里の腕を取った。
彼女の体温が腕から全身へと伝わって体が一体化したような気分。
いっそのこと一つに溶けあえたらいい。
- 122 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/05(月) 22:42
-
- 123 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/05(月) 22:43
-
学校から帰ると絵里はベッドに体を投げ出した。
考えるのは、今日の掃除時間のことだ。
あの時、彼は一体なにを言おうとしているのだろう。
あの場はさゆみが来たおかげで最後まで聞かずにすんだけれど、徐々に気になってくる。
あの時の雰囲気。
あれはどう考えても尋常じゃなかった。自分の動揺も。
彼がまだなに一つ言葉にしていない状態で――そう、バレたと思ったのだ。
気持ちが。さゆみへのこの気持ちが。
恐らく絵里のその勘は外れていないはずだ。
誰にもばれていないと思っていただけにショックだった。
そして不思議だった。なぜ、彼が気づいてしまったのだろう、と。
上手く隠していたのに。誰にも気づかれないように。
そこまで考えてあることに思い当たる。
彼も絶対に叶わない恋をしているのかもしれない。
もしかしたら、同じなのかもしれない。
自分と彼は同じ想いを背負い、生きているのかもしれない。
誰にもいえない想い。知られてはいけない想い。
同じだからこそ、彼は絵里のさゆみへの気持ちに気づいたのかもしれない。
- 124 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/05(月) 22:43
-
絵里は苦笑した。
それでも、彼の恋は自分ほど絶望的ではないだろう。
悲劇のヒロインぶるつもりはさらさらないけど、そう思う。
だって――絵里は、部屋の外から漏れてくる声に耳を澄ます。
さゆみと母が喋っている。おそらく。絵里は、体を起こす。
「絵里、起きてる?」
ノックの音。さゆみの声。
ドアが開く。さゆみが笑っている。
だって、やっぱりここまで近くにいられるのは辛い。
- 125 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/05(月) 22:44
-
決して言葉にしてはいけない想いの矛先。
できるならこんなに辛いことを知りたくはなかった。
もっと普通の恋がしたかった。
もっと笑顔でいられる恋がしたかった。
人の思いは移ろいやすいと言うけれど、絵里もそれを知っているし、
理解もしていたけれど――この恋のせいで、分かってしまった。
消してしまおうとどんなに努力しても譲れない想いもあるのだと。
「…ただ、傷つくだけなのに」
口の中でつぶやく。
そう、ただ傷つくだけなのだ。
- 126 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/05(月) 22:44
-
「なんか言った?」
「ううん。で、さゆは何しに来たの?」
「おすそわけー」
手に持ったお菓子をさゆみはひらひらと見せる。
「宿題でしょ、本当は」
「ばれた?」
「当たり前だよ。何年さゆと一緒にいると思ってるの」
「そうだね」
さゆみがぺロッと舌を出し丸テーブルに持ってきたノートを置いて座る。
絵里は、ベッドからおりて彼女と向き合うように座った。
- 127 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/05(月) 22:45
-
この思いは茨だ。
茨のように手足に絡みつきけして自分を逃さない。
傷つけられても抱きしめたくなる危険な思い。
捨ててしまえば楽になるのに――
- 128 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/05(月) 22:45
-
- 129 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/06(火) 22:40
-
6
昼休み。
ハンバーグセットのさゆみとカレーライスのれいな。
向かい合って食堂で昼食をとっていた。
「今日も絵里はお仕事…」
「最近、多いね」
「避けられてる気がする」
さゆみが、プレートの上のハンバーグをプスッとフォークに突き刺しながら呟いた。
「喧嘩したん?」
「してないけど」
「じゃぁ、なんで避けられるん」
「さぁ?」
さゆみが肩をすくめ、れいなは嘆息する。
- 130 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/06(火) 22:40
-
喧嘩もしてないのに絵里がさゆみを避ける理由はないだろう。
そもそも、喧嘩してもなぜか傍にいるような二人だ。
二人が喧嘩した時の様子をれいなは何度か見かけた事がある。
お互い顔はそっぽを向いて一言も交わさないのになぜか一緒に並んで歩いている。
それは傍から見てかなり奇妙な光景だった。
まぁ、つまりは絵里がさゆみを避けることなど、
よっぽどの事情があってもないに等しいことなのだ。
その絵里がさゆみにそう思わせるということは
「そろそろさゆばなれする時期なんかねぇ」
れいなは、カレーを口に運びながら言う。
「なにそれ?」
さゆみが聞き捨てならないという風に眉を寄せた。
その声の響きに拙い事を言ってしまったなとれいなは慌てて彼女から視線を外す。
- 131 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/06(火) 22:41
-
「なんで絵里がさゆから離れると?」
「いや、その…」
「なに?」
言い方自体は怖くないだけに怖いという矛盾のあるさゆみの追求。
れいなはしどろもどろになってしまう。
絵里のことになると本当に人が変わるからうかつなことはいえない。
知っていたはずだったのに――
「道重さん」
さて、どうやってこの場を切り抜けよう。
とレイナがカ考えあぐねているとそんな声が聞こえた。思わず顔を上げる。
さゆみに話しかけてきた人物を見てれいなはホッと安堵の息を洩らす。
助かった、と思った。
- 132 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/06(火) 22:42
-
「先輩!」
さゆみの視線が彼を捉えてぱっと明るくなる。
声をかけてきたのはさゆみが思いを寄せている一学年上の先輩だった。
れいなから見た彼はいつも柔和な微笑を称えているイメージがある。
しかし、今日はなんだか緊張したような面持ちだ。ピン、ときた。
さゆみの猛アタックが功を奏したのではないだろうか。
「ちょっと話があるんだけどいいかな」
「え?」
彼に問われてさゆみが窺うようにこちらを見る。
嬉しそうな顔だ。そんな顔されたら行くなとは言えない。言う気もないけれど。
「れいなのことは気にせんで行ってき」
さゆみから尋ねられる前にそう言うと、彼女はうんと女の子らしく頷き立ち上がった。
それから、彼と一緒に歩き出す。一瞬、彼と目があった。
彼は、やはりどこか固い表情。というよりは、浮かない顔にも思えた。
隣の彼女とは対照的だ。そのことが少しだけ引っかかった。
- 133 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/06(火) 22:43
-
彼女の恋は、まさに直感的。
話を聞いた時にそんな理由で?と呆れた。
軽い熱病みたいにすぐにその気持ちは冷めてしまうのかとも思った。
しかし、意外に本気だったらしい。いや、かなり。
彼の話をするときの彼女はいつだって幸せそうだ。
付き合っていないのにこうならもし彼と付き合うことになったら
それはもう熱くてやりきれないだろうとれいなは考えたこともある。
それでも、自分にとっての親友の恋が――
もしかしたら、初恋かもしれない――上手くいってほしいと応援していた。
だから、先ほどの彼を見て期待したのだし、去り際の彼を見て不安を覚えるのだ。
「…頑張れ、さゆ」
れいなは、食堂を出て行く後姿にそうエールを送った。
あるいは、さゆみが頑張った所でどうにもならないことかもしれないのだが――
- 134 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/06(火) 22:43
-
- 135 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/06(火) 22:44
-
「最悪…」
絵里は、口の中で文句を零しながら教室への廊下を歩いていた。
両手には次の授業で使う資料の類。
本来ならばこれらを用意するのは学級委員である里紗の仕事だ。
だが、ここしばらくさゆみを避ける手段に里紗の手伝いをしていたために
担任に頼まれてしまったのだ。
里紗は、嬉々として絵里の腕に資料を載せていくし絵里が最悪と呟きたくなっても仕方なかった。
「…た」
不意にたったいま通り過ぎた会議室から声が聞こえて絵里は思わず立ち止まる。
話し声。それも聞き覚えのある。
自分が間違えるはずのない彼女の声。
僅かに開いたドアの向こう。
留まるつもりは無かったが、その声色が泣き出しそうな事に気が付いて絵里は動けなくなった。
- 136 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/06(火) 22:45
-
「知ってました。先輩に好きな人いるの」
「…ごめん」
今にも泣いてしまいそうな程震えた彼女の声と、気まずそうに答える男の声。
男のほうは言うまでもなく彼だ。
「ねぇ、先輩…最後に一つだけ聞いていいですか?」
消え入りそうな声。
きっと泣いてしまったんだろう。自分のせいだ。絵里は思う。
あんなことを彼に言ったから――
今、さゆみが傷ついているのは自分のせいだ。
口がからからに渇くのを感じる。
立っているのも辛いほど視界がぐらつきはじめた矢先
「先輩の好きな人って……絵里ですか?」
さゆみの口から信じられない言葉が発せられた。
どさっ。
絵里は、手に持っていた資料を全て落としてしまう。
その音に気づいたのか中にいた二人が出てきた。
- 137 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/06(火) 22:45
-
慌ててその場を離れようとした瞬間
「絵里……」
呼ばれて、絵里は固まる。
さゆみは困ったような驚いたような顔をして「立ち聞き?」首をかしげた。
その後ろにいる彼も同じような顔をしていた。
気まずくて俯いていた顔を上げて絵里は必死に首を振る。
「冗談、だよ」
さゆみが呆れたように苦笑しながら言う。
その目がうさぎのように真っ赤になっていることに気づいて
絵里は彼女に悟られないようにまた少しだけ俯く。
泣かせたくなんてなかったのに。
「……ゴメン」
震える声でようやくそれだけを搾り出すと
何か言いたそうにしているさゆみに背を向けて絵里はその場から逃げるように駆け出した。
廊下に響く自分の足音を、何処か遠くで聞きながら、
それでも、振り返る事は出来なかった。
- 138 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/06(火) 22:45
-
- 139 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/08(木) 09:56
-
昼休みの終了を告げるチャイムの音色。
教室に戻らなくちゃとか、資料置きっぱなしにしてきたとか、
色んな事を考えながら、それでも引き戻す事が出来ず走って走って
どうしてか武道場にきてしまった。誰も追いかけてきていないことを確認してから
絵里は立ち止まる。よりにもよってどうしてここに来てしまったのだろう。
絵里は、武道場をぐるりと見回し思う。考えなくとも頭では分かっていた。
部活動以外では滅多に使われないその場所は学校の喧騒さえ届かない。
つまり、誰も来ないからだ。ただ、ここは彼の場所でもある。それが、絵里には嫌だった。
かといって、授業が始まってしまった今廊下をうろうろするわけにもいかない。
絵里は深く嘆息し、冷たい壁に全体重を寄りかからせそのままずるずると床座り込んだ。
人がいないからか先日来たときよりもさらに静かに感じられる。
聞こえるのは自分の荒い息遣いと心音。
絵里は、無意識に自身の体を掻き抱いた。全身が震えているような気がした。
そのまま体を丸め膝の上の腕に額を押し付けるようにしてうずくまる。
しばらく胎児のようにそうしていると幾分か呼吸が落ち着いてきた。
- 140 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/08(木) 09:57
-
「なにやってんだろ」
吐息だけで洩らす。別に逃げ出すことはなかったのだ。
確かに気まずい状況だったけれど――
逃げるよりももっとマシな方法はあっただろうに。
さゆみの顔を思い出す。涙の溜まった赤い眼差し。
見た瞬間、こっちも泣いてしまいそうになった。
気が付いたら足が動きだしていた。なにも考えられなかった。
いろいろなことが頭の中で廻っていた状況で、
彼女のあんな顔を見たらもうなにも考えられるわけがない。
なによりも、彼の好きな人が絵里なのだとさゆみが思っていた事が一番ショックだった。
さゆみが悪いわけではない。どこをどう勘違いしたのか分からないけれど、
彼が自分の事をそういった対象として見ていると彼女は思っただけだ。
それは、少しも悪いことではない。
だけど、その言葉は絵里がさゆみにとって女でしかないということを暗に語っていたから――
性別のない世界にいた自分たちが彼女の恋によって性別を認識させられた――
それがもっとも辛かったのだ。
- 141 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/08(木) 09:57
-
「っ」
喉が鳴った。視界がぼやけて、世界が震える。
自分が泣いているのだと気づくのに少し時間を要した。
胸にある思いも全て流してくれればどれだけ楽になるだろう。
絵里は涙を拭う。拭っても拭ってもそれは溢れてきて、胸が押しつぶされそうな錯覚を覚えた。
その時、不意に視界が少し暗くなった。
もともと薄暗い照明を遮るように絵里の前に誰かが立っている。
驚いて顔を上げると、そこには情けない顔をした彼がいた。
絵里は、乱暴に目元を拭って眉を寄せる。
どうして?
声にならない疑問。
- 142 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/08(木) 09:58
-
「道重さんも探してるんだよ」
彼が口を開く。
「よくここにいるって分かりましたね」
少し声が尖る。
さゆみではなく、彼が先に自分の居場所を見つけられたことがなんとなく癪だった。
彼は、苦笑し
「ホントは道重さんが教えてくれたんだ」
「…そう、ですか」
「そうなんです。すごいね、道重さんって」
「……」
「隣座っていい?」
遠慮がちに彼が聞くので絵里は小さく頷く。
それにホッとしたように彼の表情が少し弛緩する。
- 143 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/08(木) 09:59
-
「で、なんで道重さんが来なくて俺が来たのかっていう理由なんだけど」
隣に座ると彼は聞いてもいないのにそう口を開いた。
「亀井さんに話があるからで」
彼は、とにかくえらく落ち着きなく視線をさまよわせ、
手を落ち着きなくを上げたり下げたりの挙動を繰り返す。
しかし、なかなか次の言葉を続けようとはしない。
「…なんですか?」
絵里は訝しげに彼のほうへ視線を向ける。
「つまり、その…俺、亀井さんが好きなんだよね」
彼は顔を真っ赤にしながら早口で言った。
亀井さんが、好き?
一瞬、理解できずに絵里の思考回路は停止する。
そんな絵里に気づかずに彼は怒ったようなぶっきらぼうな口調で、
しかし、今度は絵里のほうにしっかりと真剣な顔を向けて
「…ずっと好きだったんだよ」
ようやく自分は告白というものをされたのだと気づく。
絵里が唖然としている間にも彼は言葉を続けている。
- 144 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/08(木) 10:00
-
「だから・・・だから、もし世界中の人が亀井さんの敵になっても
俺は見方でいられる自信がある」
大げさな人だ。
場違いなまでに冷静にそう思ってしまう自分に絵里はなんだかおかしくなった。
「ふふ」
「笑うなよ。こっちは真剣に言ってんだから」
「…ごめんなさい」
絵里が、頭を下げると、彼は「はぁ」と溜息を洩らして掻き揚げる必要もない短い髪に手をやった。
それから、少し視線を床に落とす。
なにかを考えているかのような横顔に絵里は居心地の悪さを感じた。
「亀井さんの好きな人ってさ、塾で一緒のヤツとかじゃないだろ」
ややあって、彼が顔を上げた。
その言葉が意味しているもの。この間の話の続きだ。
そして、彼はきっと知っている。
絵里は、唐突に今までの彼の言葉の意味を悟った。
彼が味方だと口にしたのは、おそらくはそうなのだろう。
- 145 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/08(木) 10:00
-
「亀井さんの好きな人って」
静かな口調。
絵里は、観念したような息を洩らし彼に向けた微笑を浮かべた。
彼はそれに少しだけ戸惑ったようだが口を閉じる。
「・・・なんで分かったの?」
あれだけ隠していたのに。
問うと、彼は言葉なく肩をすくめると苦笑した。
「私、あなたが羨ましかった」
「俺は、道重さんが羨ましかったけど」
彼が明るく言う。
あえてそうしてくれているのだろう。
「そうなんですか」
「そうなんです」
言って、彼は視線を上に上げる。
- 146 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/08(木) 10:01
-
「初恋は実らないってホントだな」
ぼんやりとした口調で洩らす。
「・・・・・・本当だね」
絵里は頷く。
自身の恋はきっと叶えられそうにない。
さゆみの恋も今日終わった。
そして、彼の恋には応えることはできない。
誰が言ったかは知らないけれど、本当に初恋は実らないのかもしれない。
「あ、そういえば、道重さん、屋上で待ってるってよ」
しばらくの沈黙のあと、彼が思い出したように言った。
さゆみが待っている。絵里の胸が緊張に震えた。
さゆみと二人で会う。
自分は上手く傷心の彼女を慰める事が出来るだろうか。
自分が傷ついても明るい彼のように――
- 147 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/08(木) 10:01
-
「…」
「行けないんならそう言ってきてあげようか」
絵里は、彼の申し出に首をふる。そこまで頼るわけには行かない。
「大丈夫」
「そっか。じゃ、頑張れ」
「…なにを?」
絵里は意味が分からず眉を寄せる。と、彼は笑った。
「分からないけど頑張れ、な?」
「変な人」
絵里の言葉に彼は歯を見せる。その顔は明るいものだった。
絵里は、ふと彼の事を好きになっていたらよかったのに、と思った。
けれど、好きになったのは彼女であり彼ではない。
選んだのは自分だ。絵里は立ち上がってチラリと彼を見る。
まだここにいる気なのか微動だにしない彼にさよならを告げると絵里はさゆみの待つ屋上に向かって歩き出す。
「亀井さん!!!」
突然、大声で呼びとめられた。絵里は、飛び上がって驚く。
振り返ると彼が立ち上がって手を振っていた。
絵里は、苦笑しながら3回手を振りかえして歩きだした。
- 148 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/08(木) 10:02
-
- 149 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/08(木) 22:31
-
鉄製の重たい扉を押し開けるとすぐに彼女の姿が目に飛び込んできた。
ぼんやりと校庭を見下ろしている背中。
絵里は、日なたに足を踏み出す。背後で鈍い音とともにドアが閉まる。
その音に気づいて彼女が振り返った。微笑み、すぐに視線を校庭へと戻す。
絵里は無言で彼女の隣にたった。
フェンスに腕を置いてその上に顎を乗せる。
校庭ではハードル走のタイムを計っている生徒達の姿。
それを見て、そういえば授業中だったのだということを今さらながら思い出した。
「先輩やっぱり絵里の事が好きだったんだね」
さゆみが、呟く。
「絵里の好きな人が先輩だったらよかったね」
少し置いて、さゆみは顔をこちらに向けながら言った。
その顔からは今彼女がどんな気持ちなのかをうかがい知る要素がどこにも見当たらない。
悲しんでいるのか、妬まれているのか――絵里は、戸惑う。
- 150 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/08(木) 22:32
-
「どうして?そうなったらさゆの好きな人と私がつきあっちゃうことになっちゃうよ。
それでもいいの?」
「ん、多分ちょっと悲しいと思う」
彼女は、頷いて眉を下げる。
「でしょ。だったら」
そういうこと軽々しく言わない、そう続けようとしたところで
さゆみが口を挟んだ。
「けど」
「けど?」
「絵里だったらいいの」
いやにはっきりとさゆみはいった。
絵里はポカンと彼女を見つめ
「・・・なんで?」
「だって、絵里だもん」
「なにそれ」
「わかんないけどそう思うから」
そういって彼女は少し恥ずかしそうに笑った。
それは、絵里が夢にまで描いた笑顔。自分には永遠に向けられないだろうと諦めていた笑顔。
絵里は、息を呑む。彼女の心が自分だけに向けられた瞬間。
なんだ、こんな簡単に手に入るんだ。
たとえ、それが恋愛のソレではなくても。今、向けられているのは本物だ。
- 151 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/08(木) 22:33
-
嬉しさと悲しさと愛しさと切なさと様々な感情が胸中をよぎって息が詰まりそうになる。
きっと今この瞬間に自分の初恋は完璧に確実に終わったのだ。
伝えずに届かせずにただただ静かに積み重ねてきた大きすぎる気持ちは
すっと煙のように消えてしまうわけじゃないけれど。
こんなにも胸が心が体が細胞が、自分を構成する一つ一つが今もなお苦しくて痛がっている。
そんなに簡単にこの痛みはなくならない。
だけど、終わってしまったのは確かだ。
曖昧で不確かな自分の初恋はたった今終わってしまった。
- 152 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/08(木) 22:33
-
さゆみはまだ微笑んでいる。
幸せと言えば幸せ、不幸と言えば不幸。
好きな人からこんな笑顔をもらえるのにでも言えない。
『あなたが好きなんです』なんて。
――私は、さゆが好きだよ。大好きだよ。
そう口にするのは簡単だと思う。
言うだけならそう思う。だけど、言ってはいけないと思うのだ。
- 153 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/08(木) 22:34
-
この先、きっと彼女はまた恋をするだろう。
他の誰かと恋をして、今度は上手くいくかもしれない。
また上手くいかないかもしれない。
もしかしたら、その前に自分が彼女以外の誰かをすきになるかもしれない。
今の自分には彼女以上の人はいないけれどその可能性は0ではないから。
いつか、いつになるかは分からないけどそうなればいいと思う。
だけど、それまではもう少しもう少しだけ彼女の傍にいさせてください。
祈りながら絵里はさゆみの手を握る。
さゆみは、一瞬キョトンとしたが絵里を見てきゅっと握り返してくれた。
それだけでいいと思えた。
「授業さぼっちゃたね」
「ね」
手を繋いだまま歩き出す。
風が優しく全身を撫でていった。
- 154 名前:彼女の恋 投稿日:2004/04/08(木) 22:34
-
Fine
- 155 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/08(木) 22:35
-
- 156 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/09(金) 23:19
- 月?で乗っ取り失敗した没小説
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- 157 名前:past days 投稿日:2004/04/09(金) 23:20
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1.
先日、綺麗な夕焼けを見ていて美貴ちゃんの事を思い出した。
美貴ちゃんと夕焼けとはまったく縁がないのに変な話なのだけれど。
私が美貴ちゃんに出会ったのは14歳の秋、美貴ちゃんは変な子だった。
そして、彼女は私よりも大人だった。
- 158 名前:past days 投稿日:2004/04/09(金) 23:20
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深夜のコンビニ。
入り口のすぐ傍でぺたりと地面に座り込んでいた彼女の足に
私は気付かずつまづいてしまった。
私は、おにぎりとお茶とお菓子と――
ともかく夜食のために買った食糧が入った袋を片手にぶらさげ、
ぼんやり歩いていたので前後左右、ましてや上下なんて気にもしていなかったのだ。
「痛!」
私が声をあげるよりも先に足をさすりながら抗議の声をあげる人がいた。
彼女は、黒のコートを羽織っていて、そこから覗いて見える足は細く長く綺麗だった。
「ご、ごめんなさい」
どうして私が謝らなきゃいけないんだろうと思ったけれど
起き上がりながら私はつい謝罪の言葉を彼女に述べていた。
彼女がにやりと笑って足をさする。嫌な予感がした。
- 159 名前:past days 投稿日:2004/04/09(金) 23:20
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「あーマジ痛い。死ぬかも」 「そんな大げさな」 「責任とってよねー、セキニン。」
そう言って、彼女は私を鋭くにらむ。私の嫌な予感は当たるのだ。
まずい人種に絡まれてしまったのかもしれない。私は泣きたくなった。
「そのおにぎり頂戴」 「おにぎり?」
言われて私は反射的にコンビニ袋に入っているおにぎりと彼女とを交互に見た。
「責任?」
彼女は、にっこり笑って頷く。
私は、袋の中からおにぎりをごそりと取りだして彼女の目の前に差し出す。
「ありがとー」
彼女は笑みを深めておにぎりを受け取るとすぐさまパクパクと食べ始める。
おにぎりのラベルを見ると少し奮発してかった焼肉カルビだった。
確かめてからわたせばよかったなとすごく後悔した。
- 160 名前:past days 投稿日:2004/04/09(金) 23:21
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それから、私はなんとなくこのまま帰ってしまうこともできずに、彼女の隣にぼーっと立っていた。
「あんたも食べれば?」
彼女が私の手の中の袋を指して言う。
「あ、はい」
いきなり声をかけられて私は焦った。
彼女はそんな私がおかしかったのか「ふはっ」と笑った。
私は、釈然としないものを感じながらも彼女の隣に座って袋からおにぎりを取り出した。
「ねぇ」
おにぎりを食べ終わった彼女が私を呼ぶ。
「はい?」 「お茶頂戴」
「……どうぞ」
図々しいなと思いながらも私はどうしてか断れずに500mlのペットボトルを彼女に渡す。
「ありがとー」
やっぱり彼女は笑顔で言った。
それ以降、彼女は特に喋ることもなくぼんやりと街を眺めていた。
私も何となく帰りそびれておにぎりを食べ終わっても彼女の隣でぼんやりしていた。
その時彼女がなにを見ていたのか当時の私はまったく分からなかった。
- 161 名前:past days 投稿日:2004/04/09(金) 23:21
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しばらくすると、私とはあまり縁のないような種類の人たちが彼女に軽く声をかけはじめた。
「おはよーミキティ」 「ってか、今からホテルいかね?」 「美貴ちゃんさん、今度マジで焼肉行こー」
「らんこーパーチー」 「カラオケいくけど来ない?」
男も女もともかく色々。
ただの遊びの誘いだったり直接的なあれの誘いだったり――
彼女はその呼びかけに、いちいち無邪気な笑顔で応えた。
誰にも平等な特別ということのない軽い笑み。
それだけたくさんの人から誘われた彼女は結局最後まで立ち上がることはなかった。
- 162 名前:past days 投稿日:2004/04/09(金) 23:21
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時計を見るともう深夜も深夜、今まで一番遅い時間帯になっていて私は不味いなと思った。
「…あの」 「……ん?」 「わ、私、そろそろ帰ります」
「バイバイ」
当たり前だけど、彼女は私を引き止めなかった。
なぜか少しだけがっかりした。
歩き出してふと気になって振り返ると彼女はまだぼんやりと街を眺めていた。
- 163 名前:past days 投稿日:2004/04/09(金) 23:22
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- 164 名前:past days 投稿日:2004/04/10(土) 22:49
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2.
あの頃の私はよく父と喧嘩をしていた。喧嘩をして家を飛び出す。
級友達にいわせると私はおとなしそうに見えたらしいからそんな話をすると信じられないと驚かれた。
驚く級友達の中で私は少しだけ窮屈さを感じていた。
家を飛び出すといっても別に大したことをしていたわけではないのだ。
バイトもしていなかったのだからそんなにお金があるわけじゃない。
私がしていたことといえば、親が寝静まる頃までファミレスの100円ドリンクで粘るか(大抵はこれだった)、
本当になにも持たないときはコンビニで延々立ち読みをするくらいの可愛らしいものだったのだ。
だが、私は彼女とあった日からは父親と喧嘩をするとファミレスには行かず
コンビニへ出かけるようになった。なんとなく、彼女にもう一度会いたかったのだ。
しばらくの間、私はなんの根拠もなくコンビニへ行き彼女を待ち続けた。
けれど、いくら待っても彼女は現れず2ヶ月が経つ頃には
私はもう半分以上彼女に会う事を諦めかけていた。
- 165 名前:past days 投稿日:2004/04/10(土) 22:49
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そんなある日のことだった。
息をすれば目の前が白く染まるほど寒くなりはじめた夕暮れ時に
私は思いがけなく彼女を見かけた。
彼女は、制服姿の女の子と一緒に歩いていた。
その時の彼女の笑顔は妙に優しくて私は理由もなく腹が立った。
もしかしたら、私は彼女の誰にでも平等なあの顔が好きだったのかもしれない。
- 166 名前:past days 投稿日:2004/04/10(土) 22:50
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声をかけられず少し離れてあとを追いかけてみると彼女と女の子は駅で別れた。
彼女は女の子に名残惜しそうに手を振ったものの、
女の子の姿が改札口に吸い込まれるとあっさりと体を反転させてこちらに向かって歩き出した。
打って変わった無表情だった。
私は、彼女にばれないように人込みに紛れるようにして初めてあったあのコンビニまで急いだ。
どうしてか、その時彼女がコンビニに来るだろうと思ったのだ。
- 167 名前:past days 投稿日:2004/04/10(土) 22:50
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「おにぎり頂戴」
ふわりとした声が私の耳に届いた。
目の前に、黒いコートをはおった彼女が立っている。
彼女が本当にコンビニへきたので私は嬉しくなった。
- 168 名前:past days 投稿日:2004/04/10(土) 22:50
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「あの…美貴ちゃんさん?」 「なにそれ?」
おにぎりを食べながら、彼女は不思議そうに眉を寄せた。
馴れ馴れしすぎたかと思って私は焦った。
「ま、前に友達っぽい人にそう呼ばれてたから」
しどろもどろに答えると「ふぅん」彼女は興味なさげに相槌を打つ。
怒っているわけではなさそうだ。
「なんて呼んだらいいですか?」 「なんでもいいよ」
「じゃぁ、美貴ちゃんで」 「いいんじゃない」
彼女は本当に興味がないらしく私の言葉に適当に返し、
私の買ったお茶を飲み干すと「ご馳走様」と手を合わせた。
彼女はまた街を眺める。
私は彼女と同じように街を眺めながら、
その日見た女の子のことを聞こうかどうか逡巡していた。
- 169 名前:past days 投稿日:2004/04/10(土) 22:51
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「寒いね」
唐突に彼女が口を開いた。
「え?」
「寒いの嫌だね」
はぁっと手に息を吹きかけながら彼女は言う。
それでも寒いのか彼女は手をコートのポケットに少し乱暴に突っ込むとすっと立ち上がった。
「ど、どこに行くの?」 「どっか」
彼女は歩き出す。
「どっかてどこ?」 「どっかはどっか」
私は慌てて立ち上がる。
足下にあったコーヒーの空き缶がカツンと音をたてて転がった。
「ねぇ、美貴ちゃんって」
私の呼びかけに彼女はぴたりと立ち止まる。
「ついてくる?」
彼女は言った。
ついていく。彼女に。
私は一瞬躊躇した。
彼女についていくことを。
それは、当時の私にしてみればまったく未開の地へと旅立つようなものだった。
私の世界は狭かったのだ。
私の躊躇いが伝わったのか彼女はふっと唇の端だけの意地悪な笑みを浮かべると再び歩き出した。
私は、その後姿をただ見つめることしか出来なかった。
- 170 名前:past days 投稿日:2004/04/10(土) 22:51
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- 171 名前:past days 投稿日:2004/04/11(日) 23:18
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3
「美貴ちゃんさん、待ってるの?」
- 172 名前:past days 投稿日:2004/04/11(日) 23:18
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コンビニの前、おにぎりとお茶の入った袋を持って座っている私に
そう声をかけてきたのは一番最初に美貴ちゃんと会った時、
焼肉に行こうと彼女を誘っていた人だった。
その人は、よっすぃ〜と名乗った。
髪はオールバックにしていて明るい金色。耳にはたくさんのピアス。
服装はだぼっとしたトレーナー。でも、顔立ちは綺麗で男なのか女なのかぱっと見よく分からなかった。
こういう人を中性的な、というんだろう。
よっすぃ〜さんは、私の隣にどかっと座ると「食べていい?」とコンビニ袋を指差した。
私が頷くと「せんきゅ〜」とネイティブな発音で言った。
- 173 名前:past days 投稿日:2004/04/11(日) 23:19
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よっすぃ〜さんはよく喋る人だった。美貴ちゃんとは一番古い仲間らしい。
小学生の頃、一緒に地域バレーをしていたそうだ。
ということは、よっすぃ〜さんは女の人なんだろうなと私はぼんやり思った。
それにしても、美貴ちゃんが地域バレーなんてとても似合わない。
彼女からは自由な匂いがするからだ。
「あんたってさ美貴ちゃんさんとどういう知り合い?」
しばらく自分語りをしてからよっすぃ〜さんは言った。
「どうって……」
私は答えに窮した。私が美貴ちゃんとあったのは2回だ。
それも一度だって大した話をしたことがない。
私と彼女の繋がりなんておにぎりとお茶だけだ。
「あ、美貴ちゃんさん!!」
答えあぐねているとよっすぃ〜さんが突然立ち上がった。
驚いて顔を上げるとそこには、私とよっすぃ〜さんを見比べて、
なにやってんの?と不思議そうに且つどこか呆れたような顔をした美貴ちゃんが立っていた。
- 174 名前:past days 投稿日:2004/04/11(日) 23:19
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「信じらんない」
美貴ちゃんは、私の隣に座ると不機嫌そうに洩らした。
不機嫌の原因は空のコンビニ袋。
よっすぃ〜さんが全部食べてしまったのだ。
「あの、おにぎり買ってきます」 「いいよ。よっちゃんさん買ってきてよ」
立ち上がりかけた私の腕を掴んで座らせると彼女はよっすぃ〜さんのほうにひょいっと顔を向けた。
「え?マジで?」 「食べたのよっちゃんさんでしょ」
「そうだけど……行ってきます」
よっすぃ〜さんは何か言いたげだったけど、
美貴ちゃんが睨むとすごすご引き下がってコンビニの中へと入っていった。
- 175 名前:past days 投稿日:2004/04/11(日) 23:19
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「名前なんていうんだっけ?」
コンビニに入っていったよっすぃ〜さんを見ながら彼女が言った。
「名前って?」 「あんたの名前」
彼女は、私を指差した。
「あ、こ、こんこん紺野です」
はじめて彼女の興味対象として視界にはいったことに私は動揺して吃ってしまう。
「コンコンコンノ?」
彼女は噴出した。
「ちが」 「コンちゃんって呼んだげる」
私の否定よりも先に彼女がきっぱりと言ったので私はコクコクと頷いた。
- 176 名前:past days 投稿日:2004/04/11(日) 23:20
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「お待たせぃ!!」
うぃーんと自動ドアが開いてよっすぃ〜さんがたくさんの食料片手に戻ってくる。
「コンちゃんだって」
美貴ちゃんが私を指差してよっすぃ〜さんに言った。
よっすぃ〜さんは一瞬意味が分からなかったのかキョトンとして、
それが私の名前だと気づくと「コンちゃん?うちはよっすぃ〜だよぉ!!なぁいすとぅみーちゅぅー」
握手を求めてきた。
「さっき聞きましたよ」 「馬鹿じゃん、よっちゃんさん」
美貴ちゃんは、ごそごそと袋を漁りおにぎりを二つ取り出すと
そのうちの一つを私にくれた。
「ありがとうございます」 「お礼はよっちゃんさんだよね。美貴は食べるだけだし」
にひひっと、美貴ちゃんが意地悪く笑う。
そのあと、よっすい〜さんはくだらない馬鹿みたいな話をはじめて、
彼女が笑って、私も笑った。
3人で寒空の下、本当にどうでもいいような話で笑った。
その日から、私は頻繁にコンビニの前で美貴ちゃんと会うようになった。
- 177 名前:past days 投稿日:2004/04/11(日) 23:20
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- 178 名前:past days 投稿日:2004/04/11(日) 23:20
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4
美貴ちゃんは優しくて私がいる時はコンビニの前から動かなかった。
美貴ちゃんがそうしてぼんやり座っているといつも色んな人が集まってきた。
背がすごく低いギャルっぽい人や、色の黒いぶりっ子、
金髪で真っ赤な口紅のお水の世界な人、本当にたくさん。もちろんよっすぃ〜さんも。
よっすぃ〜さんは来る時、一人か、そうじゃなかったら髪が長くていつも眠たそうな顔をした人と一緒だった。
とりあえず、集まると皆なにをするでもなく馬鹿みたいに騒いで笑って明け方には帰っていく。
そんな生活だった。私の中でただの喧嘩の避難場所だったコンビニは一変した。
私よりも年上の皆は私に優しかった。だけど、私はやっぱり美貴ちゃんと二人でいるときが一番好きだった。
- 179 名前:past days 投稿日:2004/04/11(日) 23:20
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いつだったか、唐突に美貴ちゃんが言った。
「コンちゃん、嫌いな食べ物ある?」
本当になんの脈絡もなく彼女がそんなことを言ったので、
私は「はあ?」と間抜けな返事をしてしまう。
「嫌いな食べ物」 「あ、苺とか嫌いですね」
慌てて答える。
「美貴も嫌い、苺」 「そうなんですか」
「だってさぁ、見た目甘そうなのに食べると酸っぱいじゃん、裏切られた気分になるよね」
美貴ちゃんは、自分の言葉に納得しているようにうんうんと自分で頷いている。
私は、苺を食べて裏切られた気分にはなったことがないので曖昧に頷いた。
- 180 名前:past days 投稿日:2004/04/11(日) 23:21
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またある時、美貴ちゃんは鮭トバ片手にコンビニにやってきた。
これから皆で宴会でもするのかと驚いたけれど、
彼女はただただ鮭トバを黙々と口にし
「やっぱり世界三大珍味にいれたほうがいいよね」
と言って私に同意を求めてきた。
彼女のいうことには全肯定派の私だけれどさすがにそれはどうかと思ったりした。
- 181 名前:past days 投稿日:2004/04/11(日) 23:21
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その頃になると私はあることが気にかかるようになっていた。
以前、駅で美貴ちゃんと一緒にいた女の子のことだ。
夜になると集まってくる美貴ちゃんの仲間たち。
その中にその女の子がいたことは一度もなかった。
一体、どういう子なんだろう。
美貴ちゃんにあんな優しい顔をさせる彼女に私はひどく興味を引かれた。
美貴ちゃんは、私にも笑いかけてくれていたけれど、
あの女の子に対してみせるような笑顔は結局最後まで見せてくれなかったのだ。
- 182 名前:past days 投稿日:2004/04/11(日) 23:21
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- 183 名前:past days 投稿日:2004/04/12(月) 23:18
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女の子のことは意外な人から知る事ができた。
ゴトウさん。
美貴ちゃんの仲間の一人。
コンビニの前に来ることは少なくて、来る時は絶対によっすぃ〜と一緒だ。
そして、来るなり眠ってしまう、そんな人。
だから、私はあんまり彼女と喋った事がなかった。
- 184 名前:past days 投稿日:2004/04/12(月) 23:19
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その日も、いつものように私はコンビニ前で座り込んでいた。
だいたい、美貴ちゃんが来る時間帯は把握していたので
私は本を読みながら彼女が来るのをのんびり待っていた。
「美貴ちゃん、今日来ないよ」
頭の上から降ってきた声に顔を上げるとゴトウさんが立っていた。
珍しく一人で。
「美貴ちゃん、まっつーと電車乗ってたから」
私の顔が疑問符に満ちていたのだろうか、
ゴトウさんは美貴ちゃんが来ない理由を教えてくれた。
だけど、私はその中の単語にさらに疑問を覚えた。
ゴトウさんはそれには気づかず「んじゃね」とてろてろ歩き出す。
- 185 名前:past days 投稿日:2004/04/12(月) 23:20
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「あの」 「んぁ?」
「まっつーってなんですか?」
私が問うとゴトウさんは呆けたような顔の後、あはっと笑った。
そうすると意外なことにけっこう幼い感じになった。
「なんですかって人だよ。美貴ちゃんから聞いたことない?」
「まっつーさん?……美貴ちゃんの友達ですか?」
「友達っていうか…美貴ちゃんのなんか」 「なんかってなんですか?」
「さぁ?なんかはなんかだよ」
ゴトウさんは、肩をすくめる。
- 186 名前:past days 投稿日:2004/04/12(月) 23:20
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「当分、帰って来ないと思うよ」 「そうなんですか?」
「まっつーと一緒だから、多分」
「まっつーさんって美貴ちゃんの」 「なんか」 「なんか……」
私はすこし、ほんのすこしだけ、胸のおくがちくんとした。
それは失恋した時の痛みに似ていた。
そんなに経験した事があるわけじゃないけど、多分似ていたのだろう。
私がぼんやりしているといつのまにかゴトウさんはいなくなっていた。
- 187 名前:past days 投稿日:2004/04/12(月) 23:20
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次の日から、私は風邪を引いて1週間家で寝込んだ。
コンビニに出かけられるようになったのはさらに3日後のことだ。
- 188 名前:past days 投稿日:2004/04/12(月) 23:20
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- 189 名前:past days 投稿日:2004/04/12(月) 23:20
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6
「久しぶりじゃん」
私がコンビニにつくと、美貴ちゃんが寒そうな顔で座っていた。
「風邪引いてたんです」
私の言葉に美貴ちゃんはパチパチと手を叩き
「さすがコンちゃん」 「なにがですか?」
「馬鹿は風邪引かないっていうじゃん、コンちゃんは馬鹿じゃないってことだよ」
美貴ちゃんは、よほど自分の言った事が楽しかったのかなんなのかニコニコしている。
単に機嫌がいいだけかもしれない。私は嘆息していつものように彼女の隣に座った。
- 190 名前:past days 投稿日:2004/04/12(月) 23:21
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「美貴ちゃんは、どこ行ってたの?」 「どこって?」
とぼけているつもりなのか私の問いかけに彼女は首をかしげる。
「まっつーさんって人とどっか行ってたんでしょ」
私が言うと、美貴ちゃんはああと頷き
「ごっちんが言ったんだ」となんだか照れたようにぶっきらぼうな口調で言った。
「まっつーさんって美貴ちゃんのなんかだ」
そう言うと、美貴ちゃんは苦笑した。
「なんかってなにさ?」 「さぁ?ゴトウさんが言ってたから。ホントはなんなの?」
私が問うと、彼女は、んーと唸って
「なんだろうね、分かんない」そう洩らした。
だけど、言葉の端には大切ななんかだってことが見え隠れしていて、
私はなんだかもやもやとした複雑な気分を覚えた。
- 191 名前:past days 投稿日:2004/04/12(月) 23:21
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それから私はたびたび美貴ちゃんに「まっつーさん」のことを聴いた。
美貴ちゃんは、まっつーさんのことを亜弥ちゃんと呼んでいることとか。
その彼女は、怖いビデオ見ると泣いて抱きついてくるとか。
なにもなくても抱きついてくるとか。一緒にお風呂に入るとか。
彼女はとんでもなく自分の事が大好きだとか。
歌がとても上手くてプロになりたいんだとか。
特になにも喋らなくてもなんとなくお互いに考えてる事が分かるとか。
彼女の目は、すごく薄い茶色で見ているとどこか異国の地にいるようだとか。
- 192 名前:past days 投稿日:2004/04/12(月) 23:21
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聞くたびに照れながらも美貴ちゃんは語ってくれた。
そんなときの美貴ちゃんはたいていあの優しい表情を浮かべていて、
それが確実に私に向けられているものではないのが分かっていたので心が痛んだけれど、
でも私はそんな彼女を見ているのが好きだった。
そして、いつしか美貴ちゃんにそんな顔をさせる彼女に会ってみたい。
そう思うようになっていた。
それは結局叶うことはなかったのだけれど。
- 193 名前:past days 投稿日:2004/04/12(月) 23:21
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- 194 名前:past days 投稿日:2004/04/13(火) 23:12
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美貴ちゃんがいなくなった。
コンビニで顔を合わせたよっすぃ〜さんが教えてくれた。
だけど、私は美貴ちゃんのことだからまた何ごともなかったかのように
姿を現すのだろうとそう気にしなかった。
美貴ちゃん、いなくなったんだって?
ゴトウさんが聞いてきた。そういえば、その時も珍しく彼女は一人だった。
私は頷きながら「でも、美貴ちゃんだから」笑った。ゴトウさんも、そうだねと言った。
- 195 名前:past days 投稿日:2004/04/13(火) 23:12
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ミキティ、見ないね、すごく小さいヤグチさんが言った。
美貴ちゃん、心配だね、と色の黒いイシカワさんが言った。
何人もの人が、彼女がいなくなったことを私に聞いてきた。
私に分かるわけがないのに。
美貴ちゃんがいなくなって一週間後、私はコンビニに行かなくなった。
丁度、その頃、両親に怒られたのだ。毎日毎日、どこに行ってるのと。
結構な放任主義だった両親だけど――
受験を前にして私の成績ががた落ちだったことを知ったからか、
それとも誰かから私が街のどうしようもない子たちと仲良く話していたと聞いたからか――
それはとんでもない怒りだった。
結局、私は受験が終わるまで深夜に出かける事を禁止された。
- 196 名前:past days 投稿日:2004/04/13(火) 23:13
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そうして数ヶ月が経った頃、バイクにもたれかかるようにして座っているよっすぃ〜さんの姿を私は学校帰りに見つけた。
私の事を待っていたのだろう。よっすぃ〜さんは私を見て片手をあげた。
少し他の子たちの視線が気になったけれど私も手を上げて駆け寄った。
「美貴ちゃんさん、街出るんだってよ」
よっすぃ〜さんは開口一番そう言った。
「え?」
私はその言葉をすぐには理解できなかった。
耳に入っただけの雑音。そんな感じだった。
- 197 名前:past days 投稿日:2004/04/13(火) 23:14
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「ずっといなかったじゃん。で、この間いきなりうちんち来てさ、
今までなにしてたのか聞いたら、亜弥ちゃんと街出ることになったから資金溜めてたんだって。
今日、出発するらしいけど一応コンコンには教えないとって思ってさ、
学校終わるの待ってたんだ」
「今日?」
私の声は震えた。
「そ、今からかっ飛ばしたら間に合うかなってくらいだけどどうする?」
よっすぃ〜さんはバイクのキーを人差し指に引っ掛けてくるくると回す。
私は無意識のうちに頷いていた。
よっすぃ〜さんは、まだなにか言っていたようだけどそのあとの言葉を
聞くような心境にはならなかった。
美貴ちゃんが街を出て行く。あの子と一緒に。
それだけが頭の中でわんわんと鳴いていた。
- 198 名前:past days 投稿日:2004/04/13(火) 23:15
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- 199 名前:past days 投稿日:2004/04/15(木) 23:27
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8
よっすぃ〜さんは頑張ってバイクを飛ばしてくれたけど、
私たちが駅に着いた時電車はもう来ていた。私は、切符も買わずに改札を通り抜け
(まだ自動改札ではなかったのだ)プラットフォームに駆け込んだ。
安っぽい発射のベルが鳴り響き、汽車のドアがぷしゅーっと音をたてて閉まった、
その時、私は二人をようやく見つけた。ドアを叩けば美貴ちゃんは気づいてくれただろう。
だけど、私がいることに気づいていない美貴ちゃんが
彼女の髪を撫ぜるのを見て私はそうできなくなった。
彼女は、なにするのというふうに邪険にその手を払い、美貴ちゃんは悪戯を叱られた子供のような顔で笑う。
それから、二人は見詰め合って微笑むのだ。まるで世界には二人だけしかいないように。
数秒のことだったのに私の目にそれは永遠にうつった。
- 200 名前:past days 投稿日:2004/04/15(木) 23:27
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汽車がゆっくりと動き出す。私は動けなかった。
まるで宇宙に独りでほっぽり出されたみたいな気持ちだった。
地面もない、どちらが上か下か、前か後ろか分からない、そんな空間へ飛んでしまったようだった。
私は、間抜けな観客だった。
そして、汽車が全て行ってしまってから私は泣いた。
ぶわっと体から哀しみがあふれだして止まらなかった。
さよなら。さようなら、美貴ちゃん。祈りのように、心のなかで何度もくりかえした。
ポロポロこぼれる冷たい水は私の頬から地面へ落ちて一瞬だけ染みになっては消えた。
まるで彼女の存在のように。
- 201 名前:past days 投稿日:2004/04/15(木) 23:28
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戻ってきた私を見たよっすぃ〜さんは無言だった。
私はよっすぃ〜さんに連れてきてくれたお礼と家までは歩いて帰るということを伝えた。
よっすぃ〜さんはやっぱり無言で肩をすくめ私の頭をぽんぽんと叩くと
バイクに跨っていってしまった。
私は乱暴に歩いた、日が暮れかけて中途半端に夕焼けに染まった街を。
- 202 名前:past days 投稿日:2004/04/15(木) 23:28
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- 203 名前:past days 投稿日:2004/04/15(木) 23:29
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子供でいられる時間は短いんだよ。
いつだったか彼女はこんなことを口にしていた。
確かよっすぃ〜さんか誰かが、このままずっと遊んでられたらいいねとかそういうことを言って――
それに対して彼女はそう言ったのだ。いつものように街を眺めながら。
そう言う彼女が一番子供っぽいと私は思っていたので、
時間が立てば彼女でも大人になってしまうんだろうかと疑問だった。
だけど、本当はとっくの昔から彼女は大人だったのだ。彼女は大人だった。
彼女からしてみればあの頃の私のほうがただの幼い子供だったのかもしれない。
- 204 名前:past days 投稿日:2004/04/15(木) 23:30
-
今、考えると美貴ちゃんと私の間にはいつも少しだけ距離があったようにも思う。
あの頃気づかなかっただけで、認めたくなかっただけで、きっと。
彼女はあのコンビニの前、街ではないどこか遠くをその目に映していたはずだ。
私が来る前からずっと。遠くだけを。
だけど、彼女から話し掛けてくれたし、笑ってくれたし、それは嘘ではない。
そして、あの時私が彼女に対して抱いていた淡い気持ちも決して嘘ではないと思う。
思春期特有のなんて知ったかぶった顔をしていう人は嫌いだけど、
もしかしたらそうだったのかもしれないけど。
そういったある種の憧憬だけじゃなく――おそらく私は彼女に惹かれていたのだ。
私は、彼女が好きだったのだ。
なにもいわずにどこかに旅立ってしまった自分勝手な大人の美貴ちゃんの事がただ純粋に大好きだったのだ。
- 205 名前:past days 投稿日:2004/04/15(木) 23:31
-
けれど、私はもう二度とあのような気持ちになるようなことはないのだと思う。
私はあの時の私じゃないし、あの一瞬の時間はもう永遠に戻ってこないのだから。
子供でいられる時間は本当に短いのだ。
それでも彼女の事を思い出すときまって「おにぎり頂戴」という
あの図々しい声が聞こえるような気がするんだ。
fine
- 206 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/15(木) 23:31
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- 207 名前:飛行船と草原と太陽 投稿日:2004/04/16(金) 23:35
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気がつくと私は、どくんどくんと脈打つなにかの上に立っていた。
どくんどくん。その動きに合わせるように口の中で呟く。
そして、それがなにか気づいた。心臓だ。大きな大きな心臓。
気持ち悪いとは思わなかった。
ここはどこなんだろう?
辺りは真っ暗。誰かがいる気配はない。
「ここは、どこ?」
暗闇に問いかけた。足元の心臓が返事をするように波打った。
だけど、それが私の足元をぐらつかせることはない。
「ここは、どこなの?」 「ここはあたしの心だよ」
背後から唐突に聞こえた声に、私はビックリしてを振り返った。
ひっそりと暗闇に紛れるようにぼんやりと一人の少女が立っていた。
- 208 名前:飛行船と草原と太陽 投稿日:2004/04/16(金) 23:35
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「いつからそこに居たの?」
そう訊ねながら私は必死で目の前の少女の姿を目でなぞる。
いくら目を凝らしても――はっきりと見えているはずなのに――
彼女の輪郭はどうしてかはっきりしなかった。
黒目勝ちの瞳。もっちりとした白い肌。桃色の唇。
ひとつひとつのパーツはくっきりとしているのに、表情や感情までは読みとれない、妙な視覚だった。
「ずっと居たよ。あんたと会おうと思ったのが今ってだけ」
私の問いに返ってきたのはそんなおかしな答えだった。
- 209 名前:飛行船と草原と太陽 投稿日:2004/04/16(金) 23:36
-
「…私がなんでこんなへんてこなところに居るのか分かる?」
辺りを見渡しながら、私は訊いた。
「いま、あんたの心が、あたしの心にかぎりなく近くにいるからでしょ」
そう答える彼女を見ると、彼女の足は私の乗っている心臓から中途半端に離れているように見えた。
つまり浮いているように見えた。けど、定かではない。
しっかり確認しようとするとやはりどうにもぼやけるのだ。
彼女はまだ少し遠い。私は、ずっと彼女から視線を外さない。
外したらぼんやりとした彼女はそのまま消えてしまいそうな気がしたからだ。
- 210 名前:飛行船と草原と太陽 投稿日:2004/04/16(金) 23:37
-
「私、あなたを知らない」
視覚だけに神経を注いでいるので、自分の意志から切り離したみたいな口調で私は言葉を続けた。
「あたしだって」
「じゃあなんで、私とあなたの心が近いんだって分かるの?」
「なんとなく」
「あなた、変だよ」
「あんたも変だよ」
私たちは、繋がっているのか繋がっていないのかちぐはぐな会話をしていた。
- 211 名前:飛行船と草原と太陽 投稿日:2004/04/17(土) 23:45
-
「もういいよ」
彼女との会話に限界を感じてふと上を見上げると真っ青な空が広がっていた。
外だったんだと驚いて彼女に視線を戻した時、
そこには綺麗な草原が広がっていて私はさらに驚いてしまった。
いつの間にか私は少女と並んで草原に座っていたのだ。私は、思わず口を開けた。
「なんで?」 「なにが?」
私が興奮して問うと、彼女はあっさりそう返事した。
「景色が変わってる」 「ふぅん。あたしんは変わったようには見えない」
つまらなさそうに言う彼女の柔らかそうな髪がさわやかな風に浚われる。
新緑の香りがする気持ちのいい風だ。
- 212 名前:飛行船と草原と太陽 投稿日:2004/04/17(土) 23:46
-
「ずっとどう見えてるの?」
私は、手元にある草を無造作にプチプチと千切る彼女を見ながら疑問に思った。
「それを教えちゃうとあんたにも同じものが見えちゃうから教えない」
「なんで?」 「同じもの見るなんて面白くないでしょ」
結局、彼女は意地悪くそう言って教えてくれなかった。
仕方なく、私は彼女の真似をして草を千切り始める。
- 213 名前:飛行船と草原と太陽 投稿日:2004/04/17(土) 23:46
-
「でもなんで急に変わったんだろ」 「あんたの感じ方が変わったからだよ」
独り言に近い問いかけに彼女が短く答える。
その時、少し強い風が吹いて私と彼女の手によって千切られた草がさらさらと流れていった。
私は反射的に遠い空に目をやった。
草たちは、糸のように細くなり、そして視界からかき消えた。
- 214 名前:飛行船と草原と太陽 投稿日:2004/04/17(土) 23:48
-
「……感じ方なんてそんな簡単に変わるものかな?」
「あんたの心だからあたしには分かるわけがないでしょ」
彼女がクッと子馬鹿にしたような声を洩らす。私は、顔をしかめた。
そんなもの、私にだってわかるわけがない。
全てを知っている癖に、知識を小出しししているかのような彼女の物言いに、
私は段々苛々してきていた。だいたい、彼女は、いったいなに様なんだろう。
まるで、私が困るのを楽しんでいるみたいだ。
私にはなにも分からないに決まってる。
だって、ここはあなたの心なんだもん。なら、あなたに聞いたっていいでしょ。
意地悪しないでよ。
私は彼女にそんなことを言いたかったのだけれど、口に出すまでには至らなかった。
- 215 名前:飛行船と草原と太陽 投稿日:2004/04/17(土) 23:48
-
私の胸中を知ってか知らずか、彼女は草原に寝転がり
ぼんやりと空を見上げていた。文句を言うタイミングをすっかり逃してしまって、
私は所在なく、彼女と同じように寝転がる。
さわさわと風に揺れる草。優しく吹く風。
形を変えながらゆったりと流れる雲。
それらを眺めているうちに、段々と胸にあったぐるぐるした気持ちが薄れていった。
- 216 名前:飛行船と草原と太陽 投稿日:2004/04/19(月) 12:09
-
「どうかした?」
ふと彼女が言った。
私はなんのことか意味が分からずなにが?と聞き返した。
「なんか空気が変わった。さっきまですこし重かったけど軽くなった」
答えを聞いて、私は拍子抜けした。
彼女が特別すべてを知っているというわけでも、
それで勿体ぶっているわけでもないことに気づいたからだ。
彼女は、ただ思いついたままに話しているだけだったのだ。
なんてややこしいんだろう。裏がありそうで、裏がないなんて。
「あなたって、変」
思わず吹き出しながらそう言うと、「あんたは失礼だね」
彼女も笑ってそう言い返した。
- 217 名前:飛行船と草原と太陽 投稿日:2004/04/19(月) 12:09
-
私たちは笑った。クスクスクスクス。
笑い声はなんだかくすぐったくて嬉しい、そんな感じ。
そこに急にばららららと変な音が雑じってきた。
空を大きな飛行物体が横切ったのだ。
見たこともない形の、アニメとかで出てくるような飛行船。
私は思わず自分の目を疑ったけれど、隣で彼女が小さく「あ」と漏らしたのを聞いて
幻覚ではないと思った。
「今の見えた?」 「見えた」
彼女は目で飛行船を追ったまま何度も頷く。
大きな飛行船は、ゆったりと空を泳いでいる。
- 218 名前:飛行船と草原と太陽 投稿日:2004/04/19(月) 12:10
-
「すごいね」
「すごい」
「誰が運転してるのかな?」
「無人君」
「ウソだぁ」
「そうだったら面白いでしょ」
「そ、そうかなぁ」
「そうだよ」
- 219 名前:飛行船と草原と太陽 投稿日:2004/04/19(月) 12:11
-
だんだん論点がずれてきている。
そんな私たちのことは気にせずに、飛行船はふよふよと暢気に浮かんでいた。
見ているうちにふと私は居心地の悪い違和感を感じた。
空をずっと見ていて、飛行船の影になる草たちを見て、
すっかり気付かなかったあることを思い出してしまった。
太陽がない。
空はまっ青で、雲はもくもくと白くて、とてもいい天気。
なのに、いい天気には必要不可欠肝心要のの太陽はどこにもなかった。
- 220 名前:飛行船と草原と太陽 投稿日:2004/04/19(月) 12:11
-
この光はどこから来るんだろう。
私はどうしてか不安になって体を起こす。
「どうかしたの?」
彼女が不思議そうに体を起こした。
「太陽がない」
私は口に出して言った。そうすると少しだけ不安が減った。
「ほんと?」
彼女は、試しているのかと思ってしまうほど普通にそう答えた。
きょとん、とした顔をしている、はずだ。
- 221 名前:飛行船と草原と太陽 投稿日:2004/04/19(月) 12:12
-
「あなたには見えるの?」
「見えないけど、あたしはそれが当然だから。でも、本当に太陽がないの?」
「ないよ。見えないもん。なのに、すごく明るい」
「確かに気持ちがいいほど明るいね」
「気温もちょうどいいし、風も気持ちいい」
「今日は超いい日だよ」
「草だってこんなに青々としてる」
手に触れる草にそっと触れる。手が離れると葉はピンッと跳ね上がる。
健康的な葉。太陽の光を浴びずに、こんなに元気であるはずがない。
- 222 名前:飛行船と草原と太陽 投稿日:2004/04/20(火) 21:58
-
「変だよね、太陽がないのって」 「変なの、太陽がないのって?」
聞き返されて、私は言葉に詰まった。
「私の世界では太陽がないのは変だよ」
「でも、ここはあたしの世界だから」
「・・・そうだけど。じゃぁ、なんであなたの世界で私はあなたと一緒にあれを見ることができるの?」
私は、まだふよふよと彷徨っている飛行船を指差した。
途端、彼女が目を見開く。
「あぁ、ホントだ。そうだよ。なんであんたが?あたしと同じもの見てるの?…信じらんない」
彼女は一気にまくし立て頭をがしがしと掻いた。
- 223 名前:飛行船と草原と太陽 投稿日:2004/04/20(火) 21:59
-
「そこまで驚かなくても」 「だって、ここはあたしの世界なんだよ?」
彼女は、本当に珍しそうに私を見据える。
そして、「あ!」と難解な問題をようやく解いた時のような笑顔を浮かべた。
「あの飛行船だよ!あれが太陽だ!
それがあたしの夢に出てきたんだ。そうだったんだ」
彼女は、一人で納得したように頷く。
私にはなにがなんだかさっぱり理解できなかった。
- 224 名前:飛行船と草原と太陽 投稿日:2004/04/20(火) 22:00
-
「何の話?」
「だから、いつのまにかあんたの心があたしの心に入ってきたんだよ」
「え?」 「にしても、飛行船が太陽なんてあんたどっか遠くに行きたいの?変だよ」
まさか彼女に変だと言われるとは思わなかったけど、別にいやな気分じゃなかった。
飛行船が太陽。遠くに行きたい私。
実際に今ワケの分からない遠くに来てしまった私。
飛行船は私を迎えに来てくれたのかもしれない。
面倒見のいい無人君だ。考えると、なんとなくおもしろくなってわたしは笑った。
彼女が首を捻る。
「なんで笑ってるの?」
「なんか面白くなって……ねぇ、私の太陽があれなら、あなたのはなんなの?」
笑いながら、私は訊いた。
- 225 名前:飛行船と草原と太陽 投稿日:2004/04/20(火) 22:00
-
「あたしの太陽はあたしに決まってる」
ごく当然、というふうに彼女は口にした。
自意識過剰とかでなく彼女にとってそれは当たり前なのだろう。
彼女は続ける。
「だって、あたしの世界はあたしから始まってあたしで終わるでしょ。
それ以外は考えられない。もし、違うんだったらあたしはあたしじゃないことになるもんね」
それを聞いて私はなるほどと感心した。
- 226 名前:飛行船と草原と太陽 投稿日:2004/04/20(火) 22:01
-
つまり、彼女自身が存在しているから彼女は彼女自身の世界を感じられるのだ。
だから、太陽は彼女の世界に存在していることになる。
太陽がなくなる時は彼女が存在を失った時に他ならない。
奇妙な考えだとも思ったけれど、私には彼女の言うことがよく分かった。
そうなると、私の太陽であるはずの飛行船は妙におかしなもののような気がした。
それで、私はまた思い出し笑いみたいに笑った。
- 227 名前:飛行船と草原と太陽 投稿日:2004/04/20(火) 22:01
-
「あんたは、変な笑い方するね」
彼女はそう言って、でも笑った。
それから、よっという掛け声とともに立ち上がる。
「もうそろそろ行かないと」
雲がもくもく流れる空をながめながら、彼女がぽつんと言った。
「どこに?」と、私は訊いた。
「あんたも、もう行かなきゃいけないんでしょ」
答えになってない答えが返ってきて、だけど、私はなぜか
「そうだ、私ももう行かないと」と頭の端で気づいた。
- 228 名前:飛行船と草原と太陽 投稿日:2004/04/20(火) 22:02
-
彼女がてくてくと歩き出す。世界が急速に暗くなっていく。
それはまるで映画が始まる前のようだった。
「ところで」
ぴたりと立ち止まって彼女がこちらを振り返る。
「あたしはあんたの知ってる人だったりするの?」 「え?」
彼女は、ニッと笑って再び歩き出した。
ウェーブがかかった長い髪は彼女が歩くとまるで生きているかのようにふわふわと揺れた。
- 229 名前:飛行船と草原と太陽 投稿日:2004/04/20(火) 22:02
-
- 230 名前:飛行船と草原と太陽 投稿日:2004/04/20(火) 22:03
-
ちちち、と小鳥の鳴く声がして目がさめた。枕元にある時計を見る。
5時29分。目覚ましの鳴る1分前。
重たい瞼を擦りながら部屋を見渡す。いつもの私の部屋だ。
けれど、見ていた夢のせいかいまいち現実味がない。
「あれ?」
どんな夢を見てたんだっけ?
なんとなく楽しくて不思議な夢だったような気がするけれど、はっきりとは思い出せなかった。
ジリリリリ…目覚ましが起きろと言いはじめた。
「もう起きてるよ」
私は目覚ましにそう答えて体を起こしベッドに座りなおす。
カーテンから差し込む光。朝だ。
今日は7時に事務所に集合してメンバー全員で移動。
「よし」
気合入れに小さく呟いて私は立ち上がった。
- 231 名前:飛行船と草原と太陽 投稿日:2004/04/20(火) 22:04
-
集合場所にはもう何人かの姿があった。
朝なのに、皆はやっぱり元気だ。仲良くおしゃべりをしている。
その中の一人の後姿に私は思わず「あ」と声を洩らした。
彼女だったんだ。思った。そして、笑ってしまった。
「え?いきなりなに笑ってんの?」
誰かが私に気づいて言った。皆が振り返る。
彼女が振り返る。
「やっぱり髪下ろしてるほうがいいですよ」
私は言った。
fine
- 232 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/20(火) 22:04
-
- 233 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/21(水) 22:48
-
クタクタの身体を引きずって、仕事から帰ってきたと同時に
タイミングを見計らったかのように携帯電話が鳴った。
あたしは、テレビをつけながら電話に出る。相手はわかっている。
「もしもし?」
受話器の向こうは静かだ。
「もしもし?」
『……助けて』
「は?」
唐突に発せられた言葉はあたしの思考回路と直結するよりも先に掻き消える。
あたしの後ろではTVがぺちゃくちゃ。
笑い声、叫び声、誰かを呼ぶ声、誰かの怒鳴る声。
全てがあたしの知らない言葉で構成されていてなにを伝えたいのか全く分からない。
彼女はなにも言わない。あたしはテレビを消す。途端に部屋は静寂のなか。
- 234 名前:0 投稿日:2004/04/21(水) 22:49
-
『ねえ』
彼女があたしを呼ぶ。
『ねえ』
もう一度。
それがなぜかあたしを疲弊させる。
「……助けてってどういうこと?」
『来てよ』
「家に来て欲しいの?」とあたしは訊ねる。
すると彼女はこずるそうに笑って
『それがあなたの役目でしょ』
と言った。
- 235 名前:1 投稿日:2004/04/21(水) 22:49
-
- 236 名前:1 投稿日:2004/04/21(水) 22:49
-
目の前に広がるのは死体。
赤。黒。赤。黒。赤。黒――
世界は血と炎と煙に包まれて、空は低く暗く淀んでいる。
その僅かな隙間から幾つかの輝く物体が見えた。
――敵襲だ。
地上の人々がそう悟った時には既に遅かった。
閃光と爆音。
土が大きく抉られ巻きこまれた者はその肉片を辺り一面に飛び散らせた。
追い討ちをかけるように行われる機銃掃射が死に行く人々に最後の舞を舞わせる。
そして、生き延びようと散り散りに駆け惑う人々の先には
必ず爆撃が待ち構えており巨大な火柱があがった時には
少なくとも二、三人は消し飛ぶのだった。
- 237 名前:1 投稿日:2004/04/21(水) 22:50
-
パイロットたちは地上の人々の行動を完全に見切っていた。
戦闘に備えて常時訓練を欠かさない彼らにとって
こういう場面で混乱した民衆がどう行動するかを想定するのは容易なことだからだ。
爆撃と死体。死体。死体。
徐々にこの地獄からは逃げられないと悟った民衆の間から様々な叫び声があがりはじめる。
恐怖。絶望。諦め。怒り。悲しみ。
多くの負の感情が辺りかしこに飛びかい、やがて地上にまた別の恐慌が訪れる。
自らの舌を噛み切って自害する者。手の中にある銃で撃ち合いを始める者。
バタフライナイフで狂ったように刺しあう者。死ぬために自ずから飛行機に合図を送る者。
無駄に知恵を持ってしまった人々はなるべく苦しみが少ない死を探した。
- 238 名前:1 投稿日:2004/04/21(水) 22:51
-
パイロットたちは、ただ黙々と機械のように作業をこなした。
死体の山を積み上げる。死体の山を積み上げる。
家屋に火の雨を降らせ、二度と使い物にならないようにする。
彼らはそのことだけを考える。その間、彼らは一言も話さない。
この爆撃は彼らの意思ではないからだ。
死体の山を積み上げ、家屋を破壊する。
それは彼らの意思ではないのだ。
- 239 名前:1 投稿日:2004/04/21(水) 22:51
-
- 240 名前:1 投稿日:2004/04/21(水) 22:52
-
―――――――――――――――――
「まただ…」と誰かが苛立たしげに洩らす。
「くそっ」
―――――――――――――――――
- 241 名前:1 投稿日:2004/04/21(水) 22:52
-
- 242 名前:1 投稿日:2004/04/21(水) 22:53
-
次第に、辺りは黄色のベールに覆われ始める。
執拗に爆撃を続ければ土煙が空へ巻き上げられこうなるのは必然のことだった。
そうなってくると、いくら熟練のパイロットでも人々の動きを把握するのは容易ではなくなる。
そして、そういう状況を利用してうまいこと逃げ延びる連中というのが必ず何人かはでてくるのだ。
そういう輩は、なにをしても自分だけは生き延びようとするのだから、
その生命力に免じて少しぐらい見逃してやるのも満更ではないのだが
そうするとパイロットたちはまた人々を殺戮しに飛びたたなければならなくなる。
憂鬱で無意味な破壊活動をするために。それは、彼らにとって苦痛でしかなかった。
だから、彼らはいつもぎりぎりまで粘るのだ。
- 243 名前:1 投稿日:2004/04/21(水) 22:54
-
赤々と燃え上がる世界で煙幕に姿を隠しながら一人の少女が銃撃を縫うように駆けていた。
短く栗色に染められた髪。白く美しい陶器のような肌。
彼女は、出口を探している。
だが、それがどこにあるのか皆目見当も付かず、おまけに当てもなく彷徨っていると、
決まって重たい轟音をあげながら頭上を爆撃機が飛び交いはじめるのだ。
まるで彼女が出口を見つけるのを阻止したいかのように――いや、きっとその通りなんだろう。
時折、強い視線を彼女は感じていた。
どうにかして自分を殺そうとする幾千幾万の狂気の視線だ。
しかし、彼女はそれらを呪ったり恨んだりはしなかった。
この世界がそういうものなのだと彼女は知っていたからだ。
そして、その視線の中に唯一彼女を助け出そうとする視線があることを知っていたからだ。
- 244 名前:1 投稿日:2004/04/21(水) 22:54
-
彼女はその視線の主を知っている。
だから、なおのこと彼女は死ぬわけにはいかなかった。
もう一度その人と会うために、彼女は生き延びなければならない。
出口を見つける前に命を落とすことはできないのだ。
命を落としてしまう――それは、彼女が理不尽な複数の力の前に、
崇高な個人の魂というものの屈服を認めることになってしまうことと同意だからだ。
彼女はこの世界で生き延びるためのあらゆるケースを想定した。
この世界で必要なことは考えることだ、と彼女は自分に言い聞かせていたし
この世界で不必要なのは祈ることだとも思っていた。
祈ることで何かが解決することなどない。信心深い人間は単なるオプティミストだと彼女は思う。
そういう人間は、いざと言うときに結局なにも出来ずにのたれ死ぬのだ。
彼女はペシミストではないが、先のことはきっちり考えて行動する。
考えた上で未来を、行く末を決めるのだ。それが彼女の自然だった。
- 245 名前:1 投稿日:2004/04/21(水) 22:55
-
彼女は煙の空から闇雲に放たれる銃弾の方向を見極めながら走った。
硬い葉を持つ草木に皮膚を切られ、爆風に抉られ凹んだ穴に何度も足を取られながら
彼女は生き延びるために必死で走り続けた。
たとえ行く先々で爆撃を呼び寄せたのだとしても、
辺り一面にゴミ山のように積上げられた死体を目にしても、彼女は気勢をそがれることはなかった。
出口に向かう、ただそれだけの強い意思が彼女を突き動かしていたのだ。
爆撃が行われるたびに、行く手を阻む巨大な赤黒いあの炎の壁の向こうに出口があるのだと彼女は思った。
そして、それは確かに間違いではなかった。
事実、その壁の向こう側にはあらゆるものがあったのだから。
- 246 名前:1 投稿日:2004/04/21(水) 22:55
-
近づいてくる飛行機のエンジン音を耳にして彼女は上空を見上げた。
土煙の幕が薄くなってきていた。
取り急ぎ隠れられるところをみつけなくては彼らに見つかってしまうかもしれない。
彼女は丈の長い草に覆われるようにしながら身を縮め進んだ。
もう少しで森が見えてくるはずだった。
荒野がずっと続いている中に唯一存在する深く緑に燃えあがった奇跡の森。
その中に街があるとどこかで聞いたのだ。
彼女のように戦火から逃げてきた人々が最後に行きつく森林の街だ。
そこに彼女の求めるものがあるわけではないが、彼女はしばらくそこに滞在しようと考えていた。
この付近は、あまりに綿密に編まれた炎のカーテンに囲まれていてしばらく身を隠す必要があったのだ。
- 247 名前:1 投稿日:2004/04/21(水) 22:56
-
- 248 名前:1 投稿日:2004/04/21(水) 22:56
-
―――――――――――――――――
「ダメだ」と誰かは舌打ちする。
「……確かに分かんない」
―――――――――――――――――
- 249 名前:1 投稿日:2004/04/21(水) 22:56
-
- 250 名前:1 投稿日:2004/04/21(水) 22:57
-
ある程度土煙が薄れ、パイロット達は、地上に動く人影がないのを認めると、
ゆっくりと機体を旋回させながら自国へと帰還していった。もう夜になっていた。
今回は誰一人として失われなかった。
本来ならば、一人も欠くことなく自国に帰れることは喜ぶべきだろうが、
帰ってもまたそこは戦場なのだ。
今日、自分たちがやってきたことと同じだけのことがそこでも行われている。
もう自分の家はないかもしれない、妻や子供が犯され殺されているかもしれない。
そう思うと帰るのが嫌になり彼らは思い思いの溜め息をついた。
実際彼らの国も他国から何度となく襲撃を受けていた。
同じように死体の山が積み上げられ、家屋が破壊されている。
パイロット達は考える。
いったいどこまで飛んで行けば良いのか。
どれだけの爆弾を撒けば良いのか。いつまでこんなことをすれば良いのか。
当然答えは出なかった。
考えるべき事象が多すぎて、彼らの頭はすぐにこんがらがってしまい、
終いには意味もなく泣き出したり、笑ったりした。
――そして、事実、国に帰ってみれば彼らの家は爆破されていたり、
家族が無惨に撃ち殺されていたりして、彼らは「ああ!」と地面に膝をつき、
誰にともなく嘆きと非難の叫びをあげた。
- 251 名前:1 投稿日:2004/04/21(水) 22:58
-
しかし、彼らはいくつかの間違いを犯している。
彼らの絶望の一端はその間違いからきているのだ。
この世界には、彼らの思うような時間や距離や数という尺度はない。
それを彼らは見誤っている。
時間や距離や数とは、彼らの住んでいる世界とは別の世界の尺度である。
彼らは、無時間と、無距離との中で、無限の殺戮を行い、無限に殺戮され続けて行く存在でしかないのだ。
- 252 名前:1 投稿日:2004/04/21(水) 22:58
-
- 253 名前:2 投稿日:2004/04/22(木) 23:06
-
――夢を見た。
私は、箱の中にいる。
質感を欠いた広大な空間。どこかで見たことのある場所だ。
だけど、思い出せない。
ただ分かるのは、私は出口を探しているということだけ。
誰か私に出口を示して。私を見つけ出して。
あたしは古びた手帳を閉じる。
安物の黒いペンで書かれた彼女の言葉。
手帳は、ページを開くごとに文字で埋め尽くされていく。
ページの最後のほうになるともうワケがわからない。
精神異常者が書いたかのような文面になっているのだ。
- 254 名前:2 投稿日:2004/04/22(木) 23:06
-
あたしの前から彼女が消えたのは本当に突然だった。
まるでそこにいたことこそが夢だったかのように、彼女は忽然と消えた。
残されたのは彼女の日記とも取れるこの手帳だけだった。
最後に彼女の姿を見たのは何時だったか、あたしははっきりとは思い出せない。
彼女は「わかんないんだよね」とよく洩らしていた。
それは誰かから貰ったPCのゲームの話で、彼女はやけにはまっていた。
あたしが彼女の部屋に行くといつもゲームに熱中している彼女の後姿を見たものだ。
だから、彼女の最後の姿もあたしの記憶の中では後姿だけ。
それすらも今ではぼやけている。
彼女は、そのゲームがどうしてもクリアできないと言っていた。
- 255 名前:2 投稿日:2004/04/22(木) 23:07
-
ビープ音が鳴る。あたしの目の前にある彼女の物であったパソコンのスピーカーからだ。
モニターは真っ赤な血と炎の色で染められ、チカチカと点滅しながら、
四方に逃げ惑うディフォルメされた人々の姿を映し出している。
人々は我先にと走り回り、パニックになって、声にならない叫び声をあげ、
地面に転んだ者が後から来る者に踏みつけられて血を吐き出す。
「確かに・・・分かんないな」
人々の逃げようとする先に、上空を舞う飛行機は集中的に爆弾を撒き続ける。
至るところで大小の火柱があがり、肉感のないドット絵の人々は爆風に体を吹き飛ばされる。
そして、最後には
「核が降ってくる」
あたしは、モニターから視線を外し痙攣する瞼を指で押さえる。
ヒュウン……といやにリアルな――といっても現実には聞いた事がないけれど――
音がして、次の瞬間には大きな爆発音が聞こえた。
目を開けてモニターに目をやれば巨大なキノコ雲。
ブラックアウト、黒い穴のようになった画面の上にドクロのマークが出てきて。
――『THE END』。
- 256 名前:2 投稿日:2004/04/22(木) 23:08
-
思いつく限りのことはやった。散々手を尽くした。
それでも、最終的には敵は核爆弾を使ってこちらは全滅。
つまり、ジ・エンドということだ。
先手を打って核爆弾の発明者を殺しても無駄だった。
時代は、発明者を次々に生み出すからだ。
窓から零れ落ちてきた光にあたしは目を細めた。
また徹夜をしてしまった。空腹を感じてあたしはリビングに向かう。
彼女がいなくなってからあたしはどうにかして彼女を探し出そうと躍起になった。
だけど、彼女はいない。見つからない。
仕事でトラぶったワケでもなく、喧嘩をしたワケでもなく、
いなくなる前日まで彼女とあたしは笑っていたのに、彼女は本当にあたしの前からいなくなったのだ。
いなくなったのではなく、もしかしたら彼女は最初から存在しなかったのではないだろうか。
あたしは、混乱する頭でそんなことすら考えたりもした。
勿論、そんな筈はなく――あたしは、残された手帳を何度も読みかえした。
読むうちにあることに気づいて、それ以来あたしは彼女がしていたゲームをやり続けている。
彼女の夢は、このゲームの世界と酷似していた。
- 257 名前:2 投稿日:2004/04/22(木) 23:09
-
昨夜からつけっぱなしのテレビから絶望の声を垂れ流している。
××国××地方でテロによる電車事故。死者数百名。重軽傷者数十名の大惨事。
過激派の仕業が云々。リポーターはアジテーションでもしているように声を張り上げる。
この国はどこにあっただろうか、ここよりも北だっただろうか、南だっただろうか。
暑い場所だっただろうか、寒い場所だっただろうか。
画面に、列車が横転し、死んだ百足のように冷えて固まっているところが映し出される。
あたしは暖まったフライパンに卵を落とし、コーヒーをカップに注ぐ。
焼きあがったトーストにフライパンから目玉焼きを移して乗せる。
有毒な化学薬品が工場から漏れ、人々の飲み水になっている河川に注いでいるのだとテレビが言う。
だから、どうした。簡単に食事を済ませると身支度を済ませるため部屋を移動する。
インナ−は適当。アウターには茶色のジャケットを羽織る。どうせあとで着替えるのだ。
付けっぱなしのテレビはまだ様々なニュースを伝えている。
大物俳優の緊急入院。ロック歌手の交通事故。幼児虐待。
首に有刺鉄線を巻かれた犬の衰弱死した。海に流れ着いたアザラシが消えた。
コンビニに強盗が入った。だから、どうした。あたしは居間に戻ってテレビを消す。
「じゃぁ、行ってきます」
無人の彼女の部屋にそう声をかけマンションを出る。
歩き出して、一瞬、いったいどこに向かえばいいのかわからなくなる。
世界が朝の光で真っ白にみえた。
- 258 名前:2 投稿日:2004/04/22(木) 23:09
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- 259 名前:3 投稿日:2004/04/24(土) 22:42
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崩壊。そして、反復。
それがこの世界の全て。崩壊、そして、反復。
あらゆるものは崩されまた形成される。
いや、崩壊した時にはすでにまた形成されているのだ。
崩壊。反復。その内容は1ミリたりとも変わることはない。
なぜなら崩壊した事実は反復される時点で常に忘れ去られているからだ。
崩壊。反復。
それは自らの尻尾を噛んだ蛇の形であり、メビウスの輪の形である。
崩壊、そして、反復。ただ延々と無限に繰り返される。
忘れ去られることを運命づけられた者たちの引き伸ばされた叫び、
誹謗に満ちた眼差し、生の最後に僅かに残された悦び、
それらも壊されてはまた作られるのだ。
- 260 名前:3 投稿日:2004/04/24(土) 22:43
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彼女は森の中をただ黙々と進んでいた。
鼻をつく、植物が繁茂している時の濃い匂い。彼女が歩いている森の中は暗い。
ましてや空は曇っているから、月や星の明かりもほとんど届かない。
だが、歩くのにはそれほど苦心しなかった。
足元はせいぜい滑り易い苔とか草などが生えているくらいで、基本的に道はなだらかだったし
獣道ほどの細さだが人の手が加えられているらしく、
大きな岩が脇にどけられていたり、低木が切り払われたりしていたからだ。
それよりも彼女の不安を駆り立てるのはあの付き纏う視線たちだった。
ずっと頭から振り払ってきたことだったが、
こういった暗い道を一人で歩いていると無視できないほどに強く感じられた。
距離や時間を超えたどこかにいる、彼女のことを助けてくれるはずの誰かの視線以外の視線。
無数の視線。彼女を殺そうとする意志が込められた視線。
その視線から感じるのは恐怖以外の何物でもない。
長時間それを受け止めていると、もしかしたら自分も反復される彼らと
なにも変わらないのではないかと錯覚してしまいそうになるのだ。
自律して動いている自分の肉体を、別の次元から観察している他人がそこにいる。
そう思うと彼女はいつも叫びだしたくなった。
「早く助けて!私をここから助け出して!!」と。
- 261 名前:3 投稿日:2004/04/24(土) 22:43
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彼女が不安に身を震えさせていると、随分先のほうで金属を打つような音が聞こえた。
彼女は顔を上げて少し歩みを早める。だからといって慌てることはない。
鳥たちが大群で眠っている大木の近くを歩く時には、
彼らの眠りを妨げて怒りをかってしまわないように、そっと気配を殺して歩いた。
歩いている時、右手の肘が痒くなったので見てみると、
大きな蟻が這いずり回っていたので、左手で取り払った。
あれだけ虫が苦手だったというのに――彼女はこちらに来てからというもの、急速に生存の方法に馴れていった。
少しでもトラブルの気配を感じると、徹底的にその原因とその回避方法について考慮した。
そうすることが彼女のやり方だった。
そうした考察によって培われてきた知識は、どのようなケースにおいても確かな道筋を彼女に示した。
彼女は神に祈ったりはしない、考える。
彼女は人が祈りを捧げている、その間に、一歩でも先へ歩こうとする。
確かなのは自分だけだからだ。信じられるのは自分だけだからだ。
どの世界でも彼女はそうやって生きてきた。生き延びてきたのだ。
- 262 名前:3 投稿日:2004/04/24(土) 22:45
-
音を頼りにしばらく歩いていると森の奥の方がぼんやりと光っているのが見えた。
はじめ、彼女はそれを幻覚か、あるいは虫や発光性の植物などが密集しているのだと思った。
だがそれは違った。
平らにならされた地面に植えられた色とりどりの花々を、
いくつもの街灯が煌々と照らしていたのだ。
人々が笑いたわむれ、耳に馴染みのある言葉を話していた。
そこは街だった。
本当にあったんだ、と、彼女は街が見える位置でしばらく茫然と立ち竦みその光景を見ていた。
そこには電気があり、小さいながらも数々の家が建っていた。
やがてひとりの少女が街の入り口に立っている彼女をみつけ、にこやかに彼女のほうにやってきた。
「よく来たね。もう安全だよ」
少女は明るい声で言うと、彼女を自分の家まで案内し水と食料を分けてくれた。
少女の家には井戸があった。古びた冷蔵庫とラジオがあった。
ふかふかのタオルと石鹸と包帯があった。
- 263 名前:3 投稿日:2004/04/24(土) 22:46
-
「どこから来たの?」
ようやく人心地ついた彼女に少女が訊ねた。
彼女は首を横に振り「分かんない」と答えた。
それは嘘ではなかった。
彼女はこの世界に入り込んだ瞬間に全ての記憶を失ったのだから。
出口を求めるのは残された本能でしかない。
「そっか・・・・・・あたしと一緒だね」
少女が言う。
「え?」
「でも、まぁここにいれば安心だよ」
安心させるように少女が微笑む。
「でも、私はすぐにここを出ます」
彼女ははっきりと言った。
「すぐに行かなきゃいけないの」
それを聞くと少女は大袈裟に肩をすくめて首を振った。
こんなにバカバカしいことはないといった具合だった。
- 264 名前:3 投稿日:2004/04/24(土) 22:47
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「行くって、いったいどこに?
森の外には爆弾を積んだ飛行機が待ってるのに、死にたいの」
「でも私は生き延びてきたよ」
彼女は言った。少女が苦笑する。
「私を探してくれている人がいるの。だから、私は早く出口を見つけなきゃいけない。
じゃないと、あの人は私を見つけられないかもしれないもの」
彼女の言葉に少女は首をそびやかしたまま溜息をついた。
「……探してくれている人、か。その存在を感じるの?」
「うん。大勢の中からあの人の視線を感じる」
答えると少女は腕を組んで何ごとかを思案し始める。
それから「どうやら君はあたしたちとはどっか違うみたいだ」
少女はどこか羨望の雑じった口調でそう言うと彼女の腕を掴んで歩き始めた。
あまりにきつくつかまれたので彼女は顔をしかめたが少女はそんなこと構いもしないようだった。
「ねぇ、どこに行くの?」
「神様の所」
「神様?」
「きっと君を助けてくれるよ」
いくら聞いても少女はそれ以上のことは教えてくれなかった。
だから、彼女は不安ながらも少女についていくことにした。
- 265 名前:3 投稿日:2004/04/24(土) 22:47
-
少女が連れてきてくれたのは小さな鐘楼がある建物だった。
そこには多くの人々が集っており、その多くは笑い、楽しそうに銘々の隣にいる人間と談笑していた。
それは彼女がこの世界に来てはじめて目にする光景だった。
それまで彼女の周りには脅威が満ち溢れていたのだ。
怒号と叫びと、炸裂音。それだけが彼女が見てきたこの世界の全てだった。
だが、ここには笑い声がある。舌足らずだが優しい、暖かな会話がある。
彼女は自分の内までもその暖かさで満たされるような気持ちになった。
しかし、その反面胸のうちの不安はなぜだか強くなっていた。
それは、ずっと感じている不安と同種のもので彼女はひどく戸惑った。
- 266 名前:3 投稿日:2004/04/24(土) 22:48
-
「おいで」
少女が彼女の手を離し建物の扉を開く。
彼女は少女のあとについて建物の中に入った。
その男はそこにいた。
ゆったりとロッキングチェアに体を沈め、無表情でドアから見える人々をみつめていた。
神と呼ばれる男はあらゆる諦観を持って世界を誹謗していた。
男の目に映るその景色は、色彩をまるっきり失ったものに間違いないだろう。
彼女は入り口に立ちつくしたまま彼のことを凝視した。
男は、すぐに彼女の視線に気がつき驚愕に戦くように目を見開いた。
そして「ああ!」と建物じゅうに響き渡る声で叫ぶと、にわかに立ち上がった。
そのまま、背後にある出口に向かって慌てた様子で歩きだす。
「待ってください、彼女と話をしてください」
少女が慌てて駆け寄って彼の肩を掴む。
彼はその手をバシッと乱暴に払うと忌々しげに彼女のほうを振り返った。
「…あなたは……私の事を知ってるんですね」
彼女は男に向けて言った。
男のことをはっきりと覚えているわけではないが確かに知っていると思った。
彼はくっとどこか邪悪な笑顔を浮かべるとそのままきびすを返して出口から出て行った。
- 267 名前:3 投稿日:2004/04/24(土) 22:48
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- 268 名前:4 投稿日:2004/04/25(日) 23:17
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あたしは、歩く。
彼女を求めて。どうしようもないことぐらい頭で分かっている。
現実に、この世界に彼女はもういないのだから。
彼女はどこか遠くに旅立った。いなくなった人たちと同様に。
そう、世界から消えたのは彼女だけではない。
皆、彼女同様失踪したのは突然だった。そして、やはり彼女同様例のゲームをしていたのだ。
- 269 名前:4 投稿日:2004/04/25(日) 23:18
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いつだったか、メンバーのうちの誰かが言った。
面白いゲームがあるんだ、と。
誰だったかは覚えていない。もしかしたら、夢の中の出来事だったのかもしれない。
でも、あたしの部屋にはその誰かから貰ったゲームのディスクがあった。
だから、それは現実にあったことなんだろう。
- 270 名前:4 投稿日:2004/04/25(日) 23:19
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戦略シュミレーション。
自国を全滅させずに敵国を全滅させればクリアらしい。
どこが面白いのかまったくあたしにはちっとも理解できなくて一回プレイしただけですぐにやめた。
ディスクはそのままどこかにいってしまった。
そのゲームが仕事仲間の間で流行っていると知ったのはそれから少し経ってからだ。
ご多分に漏れずゲームにはまっていた彼女は
消える数日前では、あたしが部屋にいても構わずにモニタに向かうようになっていた。
自国と敵国。自国が敵国を責めて帰ってくると、同じように自国は敵国から責められていて
彼女は苛立ったように乱暴にマウスをクリックしていた。
赤いモニタ。肉感のない人が爆撃で吹き飛んでいく。赤。黒。
海の向こうの現実で起こっていたとしても平和な国のあたしたちには見る事ができない光景。
リアルじゃなくアンリアルな世界。その中で人を殺す。
ストレス発散にでもなるんだろうか。
彼女を見ているととてもそうは思えなかった。
- 271 名前:4 投稿日:2004/04/25(日) 23:20
-
「ホントにクリアできるの、それ?」
あたしは彼女に聞いたような気がする。
確か、彼女がどうしてもクリアできないとぼやいていたときだ。
彼女がなんと答えたのか思い出せない。
その頃、あたしにゲームをくれた誰かかそれ以外の誰かはもうこの世界からいなくなっていた。
ともかく、そのおかげであたしたちはほとぼりが冷めるまでの
僅かな休養を貰う事が出来た。
休養中、彼女はますますゲームに没頭し、あたしは彼女の部屋に入り浸り。
なのに以前のようにじゃれ合ったりすることはできなかった。
彼女が消えたのはそれからすぐあとのことだった。
- 272 名前:4 投稿日:2004/04/25(日) 23:21
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彼女の失踪は次の日から大々的なニュースとして取り上げられたけれど、
それは簡単に人々の記憶から消えた。
あたしは、どうしてそんなに簡単に忘れられるんだろうと憤慨した。
そして、そのときはじめて気づいたのだ。自分の記憶の欠落に。
あたしは、彼女以外に、自分の周囲から一体何人の人間が消えたのかを覚えていなかった。
消えた人間の顔も、名前も。
かろうじて、思い出せるのは消えた人間が仕事仲間だったということだけ。
これでもよく覚えているほうなのかもしれない。
消えなかった人たちは休養のあとTVで変わらない笑顔を振り撒いている。
まるで初めからこの人数だったとでも言うように。
誰もなにも言わない。誰も不思議に思わない。
あたしは怖くなった。
時間が経つにつれて消えた人間は消えたのではなく最初からいなかったことになるんじゃないかと、そんな気がしたのだ。
彼女がいた事実をあたしはいつしか忘れてしまうのだろうか――
それだけは絶対御免だった。
だから、あたしは彼女を探すことにした。この世界にはもういない彼女を探す。
- 273 名前:4 投稿日:2004/04/25(日) 23:22
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あたしはもう彼女の名前を思い出せない。
- 274 名前:4 投稿日:2004/04/25(日) 23:22
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- 275 名前:5 投稿日:2004/04/26(月) 22:37
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飛ぶ鳥が上空から全てを見渡すことができるように、
彼らはこの世界の全てを見ることができるだろう。
- 276 名前:5 投稿日:2004/04/26(月) 22:38
-
彼女は、神と呼ばれる男を追って建物を飛び出した。
なぜ急に男の後を追ったのか彼女は自分自身よくわからなかったが、
彼ならこの世界とどこかを繋ぐなにかについて知っているのではないか、後からそう思った。
「待ってください」
彼女は男を呼び止めようとした。
しかし、男は彼女の呼びかけを無視して逃げる。
だから、彼女は足を速めて男の肩をつかんだ。
「やめろ!」
彼女のその態度に狼狽し男は大声をあげて彼女の手を振り払った。
「俺はなんも知らん!!」
やがて彼女をここまで連れてきた少女がやってきた。
少女は、二人の動向を窺うように見ていた。
「嘘ばっかり!知ってるから私から逃げるんでしょ!!」
構わずに彼女は男を怒鳴る。男が口篭もりやがて顔を伏せた。
彼女は自分の言ったことに効果があったことに気づくと、
やはりこの男はなにか知ってるのだという確信を持った。
同時に怒りが少しずつ湧きあがり始めた。何に対しての怒りなのかはわからなかった。
この男はどちらかといえば被害者なのだろう。そんな気がする。
彼女はこの世界で男がしてきたことのほとんどを知らないが、
彼がどこかでこの世界に影響を及ぼしたことは知っている。
しかし、彼はおそらく利用されただけだ。哀れみこそすれ、彼女が怒りを向ける道理などない。
それなのに、彼女は自分でも驚くほど怒り狂っていた。
彼がもう一度誤魔化そうとしたら引っ叩く準備さえしていた。
だが、男は下を向きなにかに怯えたように震えているばかりだった。肩が小刻みに揺れている。
- 277 名前:5 投稿日:2004/04/26(月) 22:39
-
「やめなよ、怯えてる」
少女が男のただならぬ様子を見てここはどちらを擁護するのか決めたのか
非難するように彼女に言った。
彼女は、少女を一瞥し、男に視線を戻すと怒りを呼吸で放出させた。
「私は、教えて欲しいだけ」
彼女はゆっくりと言った。
「あなたは知っているんでしょ?どうやったら戻れるの?」
言って、男の言葉を待った。彼は相変わらず震えうつむいていた。
彼女は苛立って男の肩をつかみ揺すった。
「あなたは本当のことを知ってる。戻り方も知ってるんでしょ」
「本当のこと……」
男が呟く。
「本当のことか…俺は、結局なにも知らんかった」
男は喉になにかが張り付いたような奇妙な笑い声を上げた。
何も知らない、それが男の知る本当のことだった。
- 278 名前:5 投稿日:2004/04/26(月) 22:39
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- 279 名前:5 投稿日:2004/04/26(月) 22:40
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「待てよ……」彼女は誰にともなく漏らす。
「違う…なにかが足りないんだ、もう少しなのに」
- 280 名前:5 投稿日:2004/04/26(月) 22:40
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- 281 名前:5 投稿日:2004/04/26(月) 22:40
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「…青い空に祈ることだろうな」
ひとしきり笑うと男は彼女にそう伝えた。
彼女は、男が何を言っているのかちっともわからなかった。
この世界には青い空など存在しないからだ。男は彼女の狼狽など厭わずに続けた。
「もしお前を探している人間がまだいるなら、お前は越える事ができるのかもしれない」
「でも、青い空って……」
彼女は視線をあげながら尋ねた。広がるのは灰色。
男は、ふん、と鼻で笑い「その時が来るまで待てばいいだけだ」と言った。
「青い空が見えるか見えないか、それは同時にお前を探す人間がいるかいないかだからな」
「いるよ、絶対」
彼女は男を睨みつける。
「皆、そう思っていただろう。そいつもな」
男は顎で少女を指す。
少女は、不快そうに眉を寄せたが特に反論もしなかった。
「…だが、長い長い時間の中で忘れてしまうんだ。
そして、ここが自分のいるべき世界だと思う。お前の希望が絶望に変わらない事を祈ってるよ」
それだけ言うと男はふらふらと酩酊したような足取りで歩き出す。
彼女はもう男を追いかけようとはしなかった。
- 282 名前:5 投稿日:2004/04/26(月) 22:42
-
彼女は少女の配慮で共同住宅の一室に住まうことになった。
「まったく」と少女はあとで彼女に向かって冗談混じりに言った。
「とんだ暴れん坊を拾ったもんだ」
彼女は少女に素直に謝った。
それから少しだけ話をし、何か必要なものがあるかと尋ねられたので
「なにか気を紛らわせられるものがあれば嬉しい」と答えた。
今は然程感じられないが例の視線が怖かったのだ。
少女は少し思案し彼女にラジオを持ってきてくれた。
「根気良くチャンネルを合わたら、なにか聞こえるから。
音楽とかニュースとかたまに変な祈りも聞こえてくるけど、ま、気は紛れるでしょ」
少女はにっこりと笑った。
- 283 名前:5 投稿日:2004/04/26(月) 22:43
-
すぐに夜はやってきた。
彼女は疲弊しきった体をベッドに横たえ、眠気の到来を待ったが
溜め息がでるばかりで一向にそれが訪れる気配はなかった。
徐々に全身に不安が染み込んでいく。
仕方なく彼女は部屋の電気を灯し、少女から借りたラジオの受信に挑戦することにした。
それはかなり古いラジオなのか、目盛りが壊れて動かなくなっていた。
彼女は、慎重につまみをひねり流れてくるノイズに気を集中する。
しばらくそうしていると、ノイズの中に何かの音が混じって聞こえる瞬間があった。
気を離すとすぐに音はノイズに戻ってしまうが、それは確かに人の声だったり、
ピアノで奏でられたメロディだったりした。
声や音が聞こえると、彼女はうきうきとした気分になった。
そのうちに、つまみを微妙に押しながら回したり、震わせたりすると受信状況が良くなることに気がついた。
また、アンテナの位置もじっくりと探して、一番受信状況がいい場所を窓際にみつけると
そこに移動して根気良くチャンネルを合わせはじめた。
何しろ夜は長いのだから、どれだけ時間がかかっても構わなかった。
彼女は、まるでバラバラに壊れたプラモデルをどうにか再構成しようとしている気分になっていた。
- 284 名前:5 投稿日:2004/04/26(月) 22:44
-
「そうだ」
彼女は、先ほど音楽が聞こえたところを探ろうと思いつき、
さらにゆっくりとつまみを回しはじめた。間、急にノイズが晴れ
「……もう少しなのに」と、誰かの熱っぽい声がラジオから聞こえた。
同時に、彼女は今までで一番強い視線を背中に感じた。
憎しみや殺意ではなく、暖かく懐かしい視線。
誰かの視線だ。
彼女は両手で体をかき抱く。やっぱり探してくれているんだ。
彼女はもう一度声が聞こえないか慌ててラジオの摘みを回した。
しかし、何度やってみてもノイズ以外の音は聞こえなかった。
- 285 名前:5 投稿日:2004/04/26(月) 22:44
-
- 286 名前:6 投稿日:2004/04/27(火) 22:19
-
仕事は、あたしと現実を繋ぎとめる鎖の役割を果たしている。
一日中忙しく動き回っている仕事に皆は疲れを口にするが
あたしは、今ではこの仕事をしていて本当に良かったと思っている。
仕事はあたしに考える暇を与えない。
だから、仕事中に彼女のことを考えて孤独に陥ってしまうことはない。
赤いランプの灯ったカメラに向かって笑顔だけを振り撒く。
もともと集中すると他のことが頭に入らなくなる性質だし、
仕事をしている間はたくさんの人と話すので余計なことは考える暇がない――
だからあたしは救われたのだ。
途方もない孤独に溶かし込まれようとしていて
それを避けることができたのは、この仕事をやっていたからに違いないだろう。
だけど、家に帰ると結局あたしは孤独を思い知らされるのだ。
- 287 名前:6 投稿日:2004/04/27(火) 22:20
-
多くの仲間たちと共に、彼女が行方不明になってしばらくの間、
残った仲間もマネージャーさんも気にかけてくれて、あたしの心配をしてくれた。
「まだ見つからないの?心配だね」
特に梨華ちゃんは毎日のようにあたしにそう声をかけてくれた。
それまで積極的に話をするようなことはなかったのにだ。
それはきっと、梨華ちゃんの会話相手だった誰かがいなくなってしまったからに違いないのだけれど
彼女はそのことを覚えていないし、あたしも思い出せないので話題にもならなかった。
今ではもう皆、仲間の失踪以前の関係に戻っている。あたしは声を失うほど驚いた。
あれほど心配そうにしてくれていた梨華ちゃんでさえ彼女のことを忘却してしまったのだ。
そのことに気づいた時、驚きのあまりあたしは仲間たちの前でしばらく口を開けなかった。
すると皆あたしの沈黙の原因に関して全く見当はずれなことを喋り始めたのだ。
おかげで、あたしはひどく場違いな理由で、勝手に孤独を気取っているのではないかと
自分で思ってしまったほどだ。それほど、他の仲間たちはなにも覚えていなかった。
- 288 名前:6 投稿日:2004/04/27(火) 22:21
-
あたしが、消えてしまった人たちのことを忘れていくことにどれだけの心境的な変化を見せたとしても、
他の人たちは一瞬でそれに馴染んでしまうのだ。
消え去った人たちは、まるで過ぎ去った夢のようにしか扱われなかった。
起きたら内容を覚えていない夢だ。
あたしは、表で見せる華々しい姿とは裏腹に次第に孤立していった。
時々、幾人かがあたし「なにがあったのか知らないけどそんなふうに自分を追い詰めるのはやめなよ」と言った。
あたしはここでもまた驚いて声が出なかった。
なにがあったか知らないが、とはどういうことだ。
とても大事なことがあったはずだ。
あたしたちの前から誰かが突然消えた。
あたしの前からある日突然彼女が消えた。
ある日家から爪切りが見当たらなくなるような手管で、彼女たちはふっといなくなってしまった。
それは、あたしの毎日に色濃く消せない影を落とし続けていた。
- 289 名前:6 投稿日:2004/04/27(火) 22:22
-
あたしはどうしても信じられなかった。
みんながそれを当然のように忘れていることが。
ある人間にとって重く変え難い事実を、すぐ傍の仲間たちも世間も軽視し、歪曲し、忘却した。
あたしはその時、対岸の火事を眺める時のメンタリティとは、
その態度が楽観的であろうと悲観的であろうと、本質にはいかなる差もないことを知った。
- 290 名前:6 投稿日:2004/04/27(火) 22:23
-
帰りのタクシーに乗って、あたしは心の中でまた呟く。
今日も彼女は帰って来ない、と。
何度そのセリフをこのようにして吐いただろうか、もう忘れてしまった。
窓の外を流れる景色は、夜のくたびれた顔を晒し始めている。
点在する光を見ていると眠るまでには至らないがある浅い陶酔に襲われる。
浮遊感。車内の振動、ラジオのノイズ。全てが一体になりあたしは空に漂う。
そうして我に返る頃にはタクシーはもうあたしのマンション近くに付いている。
いつもそうだ。彼女がいなくなってから、少しも変わることなくあたしの目の前に差し出される日常。
あたしはそれに従って毎日を変わりばえなく生きている。
五年後も、十年後も。あたしは錆色の輪の上を回り続ける。彼女が戻ってこない限りきっと。
だが、今日は少しだけ違った。
マンションの前に誰かが座っていた。
あたしを待っているように、あたしの知らない誰かが。
- 291 名前:6 投稿日:2004/04/27(火) 22:23
-
明らかに不審な人影だ。
あたしは、行ってしまったタクシーのほうを振り返る。
テールランプが遠くに見えた。すぐに助けを求められるようにあたしは携帯を取り出す。
「…心配しなくてもなにもしませんよ」
不意に誰かが言った。
その声はあたしに得も知らない不安を覚えさせる。
「あなたに聞きたいことがあるだけです」
「…聞きたいこと」
「あなたは誰かを探している。ここにはいない誰かを探している。そうですよね?」
誰かはくすくす笑ってそう言った。
あたしは、驚きを抱くと同時に奇妙な恐ろしさを抱いた。
この人物はもしかしたら忘れ去られた彼女のことを知っているのではないかと思った。
私は誰かに無理矢理に浮かべた歪んだ笑顔を向けながら
「それはどういうことですか?」と尋ねてみた。
誰かは細かく肩を揺らしながら笑い続けていた。
- 292 名前:6 投稿日:2004/04/27(火) 22:24
-
「私は思うんですがね、どうやっても青い空なんて見つからないんですよ」
「は?」
「クリアはクリアにはならない。あのゲームには元々クリアなんてないんです。
これは、困った。一体、どうしたらいいんでしょうね。
あの曇りきった世界を晴れやかにさせるためにあなたはなにをしたらいいんでしょうね」
「なにが言いたいんですか?」
あたしは誰かを睨みつける。
誰かはまた笑う。
- 293 名前:6 投稿日:2004/04/27(火) 22:25
-
「現実とはなにかあなたは分かりますか?いや、あなたがいるこの世界は現実なんでしょうか?
消えてしまった誰かは無理矢理連れていかれたのではなく自ら旅立ったんですよ。
誰かにとってはその世界こそが現実になるでしょう。つまり、この世界が夢になる。
あなたは感じませんか、闇からの無数の視線を」
誰かの手があたしの肩に伸びる。
あたしはその瞬間に誰かを突き飛ばす。
走った。逃げるように走った。
背後で誰かの笑い声が木霊して聞こえた。
- 294 名前:6 投稿日:2004/04/27(火) 22:25
-
- 295 名前:7 投稿日:2004/04/28(水) 18:55
-
彼女は長い時間を過ごしていた。
なにもすることがなくて暇を持て余してしまうので、
彼女は、しょっちゅう散歩に出ては街に住む様々な人に話しかけ仲良くなった。
そのおかげでいろいろなことを知ったが、誰も、いつ、なんのためにこの戦争が始まったのかは知らなかった。
皆、敵国がいったいどの辺りにあるのか見当もつかなかったし、興味もないようだった。
「あなたも戦争のことはしらないの?」
彼女は、念のために朝食の時間に少女にも聞いてみた。
少女は肩をすくめて答えた。
「考えたこともないね」
「どうして?戦争から逃げてきたのに、考えないのはおかしいと思わないの?」
「考えても無駄じゃない?戦争は永遠に終わらないんだし」
少女はつまらなさそうに言いながら食器を持って立ち上がる。
- 296 名前:7 投稿日:2004/04/28(水) 18:56
-
「……あの人が言ってた青い空っていうのはどういう意味なんだろう」
「君は、まだ感じてるの?」
彼女の呟きが届いたのか少女が言った。
彼女は、頷く。
「なら、待ってればいずれ分かるんじゃない」
「え?」
「青い空はこの世界には存在しないものだ。
存在しないものにこっちから訴えかけても答えてはくれないでしょ。
誰かが訴えかけてくれるまでは忘れておいたほうがいいのかもしれないよ」
分かりそうでよく分からない。
彼女が首を傾げると少女は笑った。
「うちは世界を受け入れたけど、君は違うみたいだし
いつかきっと青い空を見ることが出来るよ」
最後にそう言うと少女は部屋を出て行った。
- 297 名前:7 投稿日:2004/04/28(水) 18:57
-
それから、彼女はさらになにもない時間を過ごした。
しばらくそんな日を過ごしているうちに、他の住民と同じように記憶の区別がつかなくなってきた。
いったいここに来てからどのくらいの時間が経ったのだろう、と彼女はたまに思い巡らせたが、
まだ十日も経っていないような気もしたし、もう十年くらい経っていてもおかしくない気もして
確実な答えは出なかった。
これがこの世界にいるということなのだろう、と彼女は思った。
そして、彼女は少女の言葉どおり青い空のことは忘れることに決めた。
なにもかんがえずに待っていればそれは自ずとやってくるのだろう。
自分を探してくれる人がまだどこかにいるのなら。
それは突然思いがけない時に来るはずだ。
他の人たちのように全てを忘れてしまう前にそれは来てくれるのだろうか。
そのことが多少不安だったが、いつかラジオから聞こえたあの声を彼女は信じることにした。
- 298 名前:7 投稿日:2004/04/28(水) 18:57
-
- 299 名前:8 投稿日:2004/04/29(木) 22:43
-
クリ
ア はクリアに
はならない。
あの
曇りきっ
た世界
を
晴れやかに
させる
た
めには
現実とはな
にか
あなた は分か
りますか?
あな
たがいるこの世界
は現実なんでしょうか?
誰か
にとってはその
世界こそが
現実でしょう。つまり、
この世界が
夢になる。
- 300 名前:8 投稿日:2004/04/29(木) 22:44
-
断続的に誰かの声が頭の中を駆ける。
モニタの画面は赤一色。
もしかしたら、あたしの視界にだけそう映っているのかもしれない。
誰かにとってこの画面は白一色なのかもしれない。
そんなことを考えていると頭が痛んだ。
赤熱に震える鉛色のボールがあたしの頭の中で周辺の肉をじりじりと焦がしている様を
あたしは想像する。だから、こんなにも頭が痛むのだ。
全て焼ききれてしまったらこの痛みはなくなるのだろうか。
あたしは耐え切れなくなってふらふらと椅子から立ち上がり、そのままフロアに寝転がった。
立ち上がるのも困難な状態で別の部屋にあるベッドまで辿り付けるとは到底思えなかった。
- 301 名前:8 投稿日:2004/04/29(木) 22:46
-
この慢性的な頭痛は彼女がいなくなってから起こりだしたことだ。
医者にかかる気にはならないけれど、
このように歩くのも困難になるほど痛むこともしばしばあった。
あたしは彼女を忘れないように必死で頭を使いすぎるので、
脳のどこか一部分が擦り切れ始めているのかもしれない。
たとえば何度も何度も繰り返し再生されて伸び切ってしまったテープのように。
あたしは、気休めに市販の頭痛薬を常用しているけれど
その薬が効いた例なんて一度もない。
もはや、あたしの頭は絶望的に疲弊し切っていて
たとえ薬を飲んだとしても、末期の癌に侵された患者にモルヒネを打つようなもので
なんの意味も為さないのだろう。
ぞっとするほど広がり、そして今もなお範囲を増し続けている砂漠を想像すれば分りやすい。
その広大な砂の世界に1メートル数百円で買えるゴムホースで放水をするようなものなのだ。
なにをしても無駄で――この頭痛はきっと彼女が帰ってこない限り治らない。
あたしは目を閉じる。
誰かの言葉が打ち込まれた文字のように瞼の裏側に浮かんできた
- 302 名前:8 投稿日:2004/04/29(木) 22:46
-
クリアはクリアにならない
誰かにとってはその世界こそが現実でしょう
- 303 名前:8 投稿日:2004/04/29(木) 22:46
-
「つまり……この世界が夢になる」
あたしは起き上がってそのまま外へと飛び出した。
仕事があるんだ。
- 304 名前:8 投稿日:2004/04/29(木) 22:47
-
- 305 名前:9 投稿日:2004/04/30(金) 22:17
-
潮が満ちるようにゆっくりと死の匂いを運ぶ者は森の中にやってきた。
彼の全身のあちこちからは血が流れ落ちている。
先ほど彼は土煙の中を低空飛行している時、
大きな音とともに自分の飛行機の右翼が突然消え去るのを見た。
目測を誤ってうっかり大木にひっかけてしまったのだ。後は一瞬だった。
機体は浮力を失い、地面を這う格好でしばらく滑った後、三度、四度と回転し、
森の近くで止まった。幸い爆発はしなかったが、
いっそ爆発してくれたほうが一息で死ぬことが出来て楽だっただろうに、と彼は思った。
どのみちこんな場所に助けは来ない。
あの濃い煙幕の中では一人くらいいなくなっても誰も気づくはずがないからだ。
自分に待っているのは死だけだ。彼は悟った。
しかしながら彼は、死を導いた自らの迂闊さを恨みながらも
同時に、これでようやくあの忌々しい作業から降りることができるのだという
安堵の気持ちに満たされていた。
まさか敵地で死ぬことになるとは思いもしなかったが、そんなものなんだろう――彼は自嘲的に笑った。
上手く笑えているかどうかは分からないが顔の筋肉を動かしたつもりだった。
- 306 名前:9 投稿日:2004/04/30(金) 22:17
-
彼は痺れきって感覚のなくなった左足を引き摺りながら森の中を歩き続けた。
死ぬ前に少しでいいから渇ききった喉を潤したかった。
子供の頃から何一つ達成できたことなどなかったが、
もし死ぬ前に水を見つけることができれば、最後くらい自分を褒めてやれる。
植物が繁茂する匂いが立ち込めるこの自然の中ならどこかに水が流れていてもおかしくはないはずだ。
泥水でもいい。水ならなんでいい。
霞む視界と混濁する意識の中で彼はそのことだけを思いながら足を進めた。
それが死の匂いを運んでいるとは知らずに。
- 307 名前:9 投稿日:2004/04/30(金) 22:18
-
彼が歩いてきた道程に点々と残された血の痕は、この奇跡の森の匿名性を消し去ろうとしていた。
森の獣たちは久しぶりに嗅ぐ血の匂いに眠っていた本能を擽られ
その生来の暴力性を思い出しはじめていた。闇の中を鳥たちが一斉に羽ばたく。
不穏な空気の粒子は風に乗って範囲を押し広げ、やがて、森一面に漂っていくだろう。
我知らず、死を運んできた彼は街のすぐ傍まで足を引き摺りながら歩き、
そのすぐ手前で水溜りをみつけ顔を突っ込むように倒れこんだ。
彼はそのまま、体中を満たす達成感の中で息絶えた。
しかし、それは水溜りではなく獣の糞だったのだ。
- 308 名前:9 投稿日:2004/04/30(金) 22:18
-
- 309 名前:10 投稿日:2004/05/01(土) 21:34
-
窓から見る朝の景色はとても美しく、その厳粛な光景はあたしの心をとらえた。
空気中で水が輝いているように瑞々しく感じる。こんな綺麗な朝は久しぶりだ。
だけど、あたしの頭には相変わらず靄がかかっていた。
すぐ背後で複数の話し声がしている。
でも、誰一人としてあたしに話しかけるものはいない。
挨拶もせずに部屋に入ったから機嫌が悪いとでも思われているのかもしれない。
頭が痛いのでかえって好都合だった。
不意に誰かが甲高く笑った。ふと、誰の声だろうという疑問が浮かぶ。
あぁ、おかしいな。覚えているはずなのに分らない。
あたしは、ゆっくり声がした塊を振り返る。見慣れた顔たちがそこに並んでいた。
あぁ、おかしいな。あたしはまた思う。
彼女たちの名前が上手く出てこない。
あたしは不穏な疑問符を貼り付けられ、頭を悩ませる。
頭痛はさらにひどくなり、吐き気までしてきた。
あたしは、口を押さえトイレへ向かおうと立ち上がった。
「…ちゃん、大丈夫」
誰かがあたしを呼んだ。
あたしが分らない言葉であたしの名前を呼ばれても分らない。
あたしは手を上げてそれに答えると部屋を出た。
- 310 名前:10 投稿日:2004/05/01(土) 21:35
-
トイレにつくと吐き気はすっとおさまり
特に出すものもなかったのであたしは洗面台の前にぼけっと立ち尽くした。
もっと悲惨な顔をしているかと思っていたけれど、そう酷くもなかったので安心する。
水で顔を洗えば頭もすっきりするかもしれない。ふと思いついてあたしは冷水に手を浸し頬を叩く。
顔を上げると、さっきまでなにもなかった鏡に血のように赤いペンキで文字が書かれていた。
――はかいしこうちくすせかい
一体どういう意味なんだろう。
あたしは、突然表れた文字に対する疑問よりも文字そのものの意味を考えた。
まるで呪文のような言葉だ。頭の中で言葉を変換してみる。
墓石高地区す世界。
ハカイシコウチクスセカイ。世界。
分からない。世界は世界であっていると思うが
はかいしこうちくす世界――
「破壊し 構築す 世界」
不意に誰かの声が文字になって背後から聞こえた。
鏡に映っている黒い影。あたしは、鏡越しに誰かを睨む。
「破壊し、構築す、世界?」
「そうです」
誰かが頷いた。
- 311 名前:10 投稿日:2004/05/01(土) 21:37
-
破壊し 構築す 世界
誰かの声で文字が意味を持つ響きを得る。
どういう意味なのか分らないが、あたしはなにをすべきか知った気がした。
車がギアチェンジをするように少し鎮まっていたはずの頭痛がまたひどくなってきた。
あたしは手で頭を押さえ顔をしかめる。視線を戻すとそこには誰もいない。
なにもない。先ほどのは幻覚だったのだろうか。
幻覚は夢だ。夢はこの世界だ。そして、この世界は現実だ。
「破壊し、構築す、世界」
あたしは、夢の世界の言葉を呟く。または現実の世界の言葉を呟く。
破壊し、構築す、世界。
何度も何度も頭の中で繰り返す。
クリアはクリアにならない。破壊し、構築す、世界。
破壊 構築 世界。クリア。青い空。灰色の空。
文字が文字としてあたしの視界を漂い始める。
そして、あたしは全てを理解した。
- 312 名前:10 投稿日:2004/05/01(土) 21:38
-
トイレからでると、嘘のように頭がクリアになっていた。
あたしはそのまま皆が待っている場所には戻らず外に出る。
外は知らぬ間に豪雨が降り始めていた。あたしは、玄関口に止められていたタクシーに乗り込む。
行き先も告げていないのにあたしが乗り込むなりタクシーは静かに走り出した。
バックミラーにうつった運転手の目を見てあたしは笑った。
運転手の誰かも笑った。
- 313 名前:10 投稿日:2004/05/01(土) 21:40
-
「ようやく分かったようですね」誰かが言う。
「そうだね」
あたしは頷く。窓の外は薄暗い。
「ずいぶんと時間がかかったようですが、クリアは目前ですね」
「ずるいやり方だったよ」
「だから、ヒントを差し上げたじゃありませんか」
「まぁね……ねぇ、クリアしたらみんなの記憶はどうなるの?
他の消えた人たちのことは思い出すの」
「…思い出すべきことなどどこにもありませんよ。
記憶はいつだって形式的に後方に置き去りにされているものです。
記憶というものは、実際にはあなたがたが見ている何とも結びつかないんですから」
「意味分んない」
「あなたには分らなくていいことですからね。
まあ、あなたがクリアすれば彼女のことだけは皆思い出すでしょう」
「そう、ならいいや」
「つまり、あなたは他の人を助けることはできないということです」
「……そうだね、それは仕方ないよ。戻る意志がない人を助けることはできないし
受けとったのは彼女の気持ちだけだから」
- 314 名前:10 投稿日:2004/05/01(土) 21:41
-
あたしは思う。
たしが彼女の事を忘れなかったのはきっと彼女があたしのことを忘れなかったからだろう。
他の消えた人があたしからも周囲からも忘れられたのは、
彼らがこちらの世界を忘れてしまったからだろう。
「…あなたも危なかったんですよ、実際。
一人で誰も覚えていない事を記憶しようとしたために
目の前の事を忘れかけ、そして目の前の事にも忘れ去られようとしていた」
それであたしはあの人たちの名前が思い出せなかったのか。
ったく、誰のせいだと思っているんだ。あたしは笑い出す。もうたくさんだった。
「しかし、あなたはもう」
「破壊し 構築す 世界、でしょ」
「そういうことです」
誰かが言った。そしてあたしは車の床に拳銃が落ちているのをみつける。
手を伸ばし床から丁寧に拳銃を拾い手の平に馴染ませた。
黒く、ごつごつとしていて、丸みを帯びている。
車がキィッと音をたてて止まる。誰かが振り返る。
見えているのに認識できない顔だ。
- 315 名前:10 投稿日:2004/05/01(土) 21:42
-
「最後にひとつだけ聞いていい?」
あたしは言いながら、拳銃をゆっくりと誰かに向ける。
「あんたは なんでしょ?」
「それはあなた自身が良く知っていることでしょう」
誰かは不敵に笑った。
「それもそうだね」
あたしも苦笑する。まったくおかしな話しだ。
全てが夢なら全ては現実だ。
「じゃあ、バイバイ 」
あたしは、誰かに向けてぴったりと照準を合わせ、撃つ。
二発。三発。四発。五発。
誰かは体のそこここに穴を開け、しばらくすると呼吸ができなくなったのかヒュウヒュウと喉を鳴らした。
それを見てあたしは声をあげ、爆発的に笑った――
こんなにおかしいのは久しぶりだった。
ひとしきり笑い尽くすとあたしは部屋に向かった。
もうゲームも終わりだ。
- 316 名前:10 投稿日:2004/05/01(土) 21:42
-
- 317 名前:11 投稿日:2004/05/02(日) 22:04
-
誰にでもそれとわかるくらい明確な兆しが街に到来した。
獣の糞に顔を突っ込んで死んだ兵隊によって運ばれてきた不穏な空気が、
風に乗って森中を駆け巡りついに街に辿りついたのだ。
一発の銃声が全ての平穏を切り裂いた。
かつて聞きなれていたそれを、ここで再び耳にした街の住民たちは、
ついにここにも戦争の手が伸びてきたのだ、と崩れ落ちた。
もうどこにも逃げるところはない、
住民たちは他の戦争で死んだ者たち同様にどうしたら苦しまずに逝けるのかを考え始めた。
だが彼女だけは別だった。迎えが来たのだと、そう思ったのだ。
- 318 名前:11 投稿日:2004/05/02(日) 22:05
-
彼女は急いで部屋を飛び出した。部屋の前に少女がうずくまっていた。
危うく蹴飛ばしてしまいそうになって彼女は慌てて体にブレーキをかける。
「なにしてるの?」
彼女はうずくまる少女に声をかけた。少女がゆっくり顔を上げる。
泣いているのか笑っているのかよく分からない表情をしていた。
「君を待ってたんだ」
「え?」
「さぁ、行こう」
少女が立ち上がって彼女の手を握った。
驚くほど冷たい掌だった。
- 319 名前:11 投稿日:2004/05/02(日) 22:06
-
- 320 名前:11 投稿日:2004/05/02(日) 22:06
-
「破壊し 構築す 世界」
- 321 名前:11 投稿日:2004/05/02(日) 22:06
-
- 322 名前:11 投稿日:2004/05/02(日) 22:07
-
少女は神と呼ばれる男の家に向かおうとしているようだった。
他に行く場所はないだろう、彼女は思った。
街の入り口の方には兵隊がもう来ているだろうし、
かといって下手なところからこの密接に入り組んだ森に入れば、
外に辿り着く前に迷ってしまうはずだ。
二人が鐘楼のついた建物に着く頃には街のあちこちから火の手があがっていた。
彼女は立ち止まり後ろを振り返ろうとした。それを少女が制して建物の扉を開ける。
「早く入って」
乱暴に促され中に入ると、神と呼ばれる男はゆったりとしたロッキングチェアに座り、
呆けた表情で虚空を見ながら、やはりあらゆる諦観を持って世界を誹謗していた。
- 323 名前:11 投稿日:2004/05/02(日) 22:09
-
男は彼女がやってきたことに気づくと「ああ、お前か」と疲れたように言った。
そのどこか他人事のような言い方にカチンときて、
彼女は男に掴みかかるような勢いで尋ねた。
「ねえ、どこかに逃げ場はないの?どうしたらいいの?
このままじゃ、皆死んじゃう!」
「逃げ場?」と男は呆けたままの表情で呟いた。
「そんなものあったらとっくにみんなそっちにいっとる。
どこに行っても戦争だ」
彼女は男の言葉に力をなくし、その場にへたり込んだ。
銃声はまだ遠かったが、兵隊がこちらにやって来るのは時間の問題のように思えた。
兵隊たちの足音がすぐ耳元で聞こえた気がした。
- 324 名前:11 投稿日:2004/05/02(日) 22:10
-
「…だけど、君は青い空を見る」
背後に立っていた少女が不意に優しい声で言った。
「……え?」
「多分ね」
少女は薄く笑むと彼女から目を離し男を見る。
男は少女と目があうと肩をすくめた。
「無に帰すだけや。終わるんやなくなくなるんでもない、
この一瞬の夢の上に、目覚めがやってくる。全てはなかったことになる。最初から、全て」
彼女はその瞬間に視線を感じた。
たった一つだけの視線。今までで一番強く。
思わず、その部分に視線を動かす。裂け目が見えた。
裂け目の向こうは――
「……青い空」
バンと乱暴な音と共に街の住民が雪崩れ込んできた。
兵隊たちから逃げるうちに皆ここにたどり着いてしまったらしい。
- 325 名前:11 投稿日:2004/05/02(日) 22:10
-
「お前はもう行け」
男が混乱状態の住民たちをやはり諦めた眼差しで見ながら
彼女の背中を押した。
「でも」
「…早く行きなよ」
少女が言う。
「あなたは?みんなは?」
彼女は住民全員を見回す。
「あたしたちには待ってる人がいないんだよ」
銃声が近づいてくる。足音。ざっざっざ。誰かの悲鳴。
「ほら、早く行くんだ!!」
少女が彼女を一喝すると同時に兵隊たちが雪崩れ込んできた。
彼女はウサギのように走り出す。
一度だけ、後ろを振り返ると少女は優しく笑っていた。
- 326 名前:11 投稿日:2004/05/02(日) 22:10
-
- 327 名前:12 投稿日:2004/05/03(月) 23:37
-
あたしは部屋に飛び込む。
どうしてこう簡単なことに誰一人気づかなかったんだろう。
気づく前に忘れたということだろうか。鳥じゃあるまいし、思うと笑いがこみ上げてくる。
TVをつける。音のない空間は嫌いだ。軽快なコマーシャルが流れはじめる。
映像を垂れ流しにさせたままあたしは奥の部屋に向かう。
パソコンの電源を入れ、いつものようにゲームを起動させる。
「クリアはクリアにはならない」
だから、なにをしたってクリアは出来ない。
言葉どおりの意味だ。
- 328 名前:12 投稿日:2004/05/03(月) 23:38
-
死体は作り上げられ
炎は燃え広がる
ただ延々と飽きもせずに破壊と構築が繰り返され
モニターは赤と黒に染まる
破壊し 構築す 世界
それが真実
どれだけそこで破壊を繰り返しても同じことだ
全てを終わらせるには――
- 329 名前:12 投稿日:2004/05/03(月) 23:38
-
「破壊し 構築す 世界」
あたしは、パソコン本体を手に取った。
重さは不思議と感じない。こんなものだったのか。
喉の奥から嗚咽ともとれる奇妙な笑い声が漏れた。自分でもどちらなのか分らない。
「帰ってきてよっ!!!早くっ!!!!」
あたしは、あらん限りの声で叫び
そのままありったけの力を込めてパソコンをフロアに叩き付けた。
電気がショートするときの焦げた匂いと、白い薄煙が部屋の中に満ちる。
発生源は足元で無残に破壊されているパソコンモニター。
モニターの赤は、やがてブラックアウト。
そして、黒い穴のようになった画面の上にドクロのマークが出てきて。
- 330 名前:12 投稿日:2004/05/03(月) 23:38
-
――『THE END』。
- 331 名前:12 投稿日:2004/05/03(月) 23:39
-
- 332 名前:13 投稿日:2004/05/05(水) 08:53
-
山のように積みあがった死体を横目に彼女は走っていた。
見知った顔ばかりの死体を見るたびに彼女は吐き気を覚えた。
それでも、彼女は足を止めなかった。
兵隊たちに見つからないよう注意を払いながら
街の中に生き残っている人間がいないかを探してまわり、
そこに生きているのが自分一人だと気付くと彼女はすぐさま入り口に向かった。
入り口からなら森の中に入っても道は分かる。その通路には馴れていた。
少女に連れられてキノコなどの食料を取りに行ったり、
木々に印をつけたりしていたからだ。
もしかしたら、少女はこんな時が来る事を想定していたのかもしれない。
- 333 名前:13 投稿日:2004/05/05(水) 08:53
-
彼女はあっというまに森から抜け出て、広い荒野にでた。
どこまで行けば良いのか、彼女は一瞬考えすぐに答えを出した。
どこまでもだ。どこまでも――
この世界の裏側にだって、走って行ってやる。
息が出来なくなっても、この両足が粉々に砕け散っても、
走ることだけはやめてやるもんか。
彼女はその決意を胸にただひたすら走った。
- 334 名前:13 投稿日:2004/05/05(水) 08:53
-
荒野を抜け、砂漠に入り、湿地帯を通り過ぎ、雪に閉ざされた山を登った。
深い雪に腰まで埋まりながらも、手で雪を掻き、体をただ前へと進めた。
雪山を越えると、また荒野が広がっていた。広い広い、なにひとつない赤い荒野。
彼女はそこを走りながら、不意に自分の体が異常に軽くなって来ていることに気がついていた。
まるで空中に浮かび上がりそうなほどにふわふわとしていた。
赤い荒野を越えると、また荒野が広がっていた。今度は黒い荒野だ。
彼女は、もはや宙を滑っているようにそこを駆け抜けた。
廃滅された街に敷かれた線路に沿っていき、燃え盛る草原を飛び越えた。
彼女はそうした色や音の変化を視界ではなく体中の皮膚で感じながら走っていった。
風を感じ、虫や鳥の声を感じ、太陽の光を感じ、
その光が湖や大地や木々や空気や宇宙に反射しているのを感じた。
この世界にあるはずのないそれらと一体になり彼女はさらに速度を増した。
彼女はこの世界を何周も駆け回った。
- 335 名前:13 投稿日:2004/05/05(水) 08:54
-
八周目に入りかけた頃には、彼女はもう形を為していなかった。
空気に溶け込み、太陽の光を取り込みながらキラキラと光る魂となっていた。
もう終わりが近い。光になった彼女は空を飛んでいた。
分厚い雲の中を音と同じ速さで突き進み――もうすぐだ、と思った。
巨大な雲の塊の中を突き抜けるとさらに高く高く彼女は飛び上がる。
「もう少しだ」と彼女は思った。
「もう少し、もう少しで辿り着く」
彼女はふと天から全てを見渡した。
赤と黒の2色で塗り固められた無機質な世界が彼女の遥か下にあった。
- 336 名前:13 投稿日:2004/05/05(水) 08:54
-
- 337 名前:13 投稿日:2004/05/05(水) 08:54
-
「帰ってきてよ、早く!!」
- 338 名前:13 投稿日:2004/05/05(水) 08:54
-
- 339 名前:13 投稿日:2004/05/05(水) 08:54
-
誰かの切なる叫びがどこかから耳に届いた。
――その瞬間、彼女の世界は弾け飛んだ。
世界が爆発したのだ。
彼女は爆発の光に包まれながら瞬間的にあらゆる記憶を見た。
全ての記憶が奔流のように彼女に向かって押し寄せてくる。
その中には街の人々の記憶があり少女も男もいた。
そして見慣れない、だけど懐かしい人たちの姿も見た。
全く見知らぬ人たちもいた。恐らくどこかで通り過がっただけの人たちだろう。
意味がある記憶、意味のない記憶。
それら全てが数珠のように一つに繋がれ、そして、その環の中に彼女もはめこまれていく。
その膨大な記憶たちはとても言葉で語れるレベルのものではなかった。
それらは記憶そのものだとしか言いようがないものだった。
- 340 名前:13 投稿日:2004/05/05(水) 08:56
-
一瞬のうちに溢れかえった記憶を彼女は内に留めることは出来なかった。
記憶の奔流が収まると彼女は青い裂け目から差し伸べられる誰かの手を見つけた。
これが青い空だ、と彼女は思った。救いの青い空。
彼女はそれに向かって手を伸ばした。
温かい、彼女のよく知る誰かの手だった。だが、それが誰の手であるかまではわからなかった。
彼女はその時既に今見た全ての記憶を忘れた後だったからだ。
それでも、暖かいその手は彼女を強く引き寄せ、
彼女はどこまでも途方もなく延びた道へと引っ張りあげられた。
やっと帰れるのだ、と彼女は息を洩らした。
もう今となっては、どこに帰るのかもわからないが、
それでもあるべき場所に戻ることができるのだ。なんの誤謬もない、確かな場所。
そう思うと彼女はとても満ち足りた、幸せな気持ちになった。
それ以外に欲するべき何があろう。
彼女は、自分に向かって伸ばされた手をしっかりと両手で掴み、目を瞑った。
次に目覚めた時、自分はあるべき場所に戻っている。
とても暖かくて冷たくて、満ち足りていて何もかもが足りない、とんでもなく不完全な場所へ。
それこそがあるべき場所なのだ。
- 341 名前:13 投稿日:2004/05/05(水) 08:56
-
- 342 名前:0 投稿日:2004/05/05(水) 22:04
-
ずっと曇りの日が続いていたけれど、今日は少しだけ晴れていて暖かい。
木々が雨露に輝き、地面の上に曖昧な影を投げかけている。
あたしは、周囲を見回す。ここはとても清潔な場所だ。
ゴミひとつ落ちていないし、もしツバを吐き捨てても、
すぐに清掃員がやってきてその痕を二秒で消し去ってしまうことだろう。
春になれば丁寧に整えられた芝生で患者たちが寝転がり、笑い合う風景も見られるだろう。
彼女の笑顔ももうすぐ見られるのだろうか。
期待と不安を織り交ぜながら院内に入ると様々な視線に晒された。
あたしはそれらを撥ね退け、
受付の看護婦に声をかけると連絡をくれた医師を呼び出してもらった。
- 343 名前:0 投稿日:2004/05/05(水) 22:05
-
聞いたこともない名前の病院から連絡がきたのは
冬の寒さが訪れかかったある日のことだった。
仕事を途中で抜け出したことによって、
あたしはしばらく病気療養という名の謹慎を受けており
そのためすぐにその病院に向かうことが出来たのだ。
- 344 名前:0 投稿日:2004/05/05(水) 22:07
-
「意識はしっかりしてるんですよね」
医師に連れられ彼女がいる病室に向かう途中であたしはそう尋ねた。
あたしの言葉に、医師はにっこりとうそ臭い笑顔を作る。
「ええ、ただ…記憶のほうがはっきりしてないようで」
「それは聞きました」
電話で聞いた話によると彼女は病院に運ばれてきてからしばらく昏睡状態が続いたらしい。
彼女は、意識を取戻すなりあたしの連絡先を書いたという。
だが、医師たちが誰の連絡先かを訪ねてもはっきりと答えはしなかったらしい。
「記憶は戻るんでしょうか?」
「…それは、まだ。あなたを見て彼女はなにか反応を示すかもしれませんし」
「そうですね」
医師が立ち止まり、「ここが病室になります」とあたしに告げた。
あたしは医師を見る。
「なにかあったらナースコールで呼んでもらえればすぐに参ります」
医師はあたしの視線の意味を汲み取ってくれたのかそう言って廊下を行ってくれた。
- 345 名前:0 投稿日:2004/05/05(水) 22:07
-
ここに彼女がいる。
実の所を言うと、あたしはまだ彼女の名前を思い出せていなかった。
まあ、今はどうでもいいことなのだけれど。
あたしは深呼吸してやけに冷たいノブをつかむと扉を引き開けた。
途端に風が病室から吹き込んでくる。
この奥には、空っぽになってしまった彼女が横たわっているのだろうか。
あたしは一瞬目をつむり、それからまた開いた。
様々な光が一挙に私の目の中に溢れ出して、あたしは気を失ってしまいそうになる。
その光の中心に彼女はいた。
枕を背凭れ代わりにしてゆったりと座っている。
- 346 名前:0 投稿日:2004/05/05(水) 22:09
-
「 ちゃん」
声が馬鹿みたいに掠れた。泣きそうになった。
あたしの呼びかけに彼女が視線を動かす。
真っ直ぐに視線が合わされる。
彼女は、子供のような笑顔を浮かべてあたしの名前を読んだ。
あたしはようやく自分の名前も思い出した。
fine
- 347 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/05(水) 22:09
-
しまった。これ娘。小説になってない
- 348 名前:透きとおる赤 0 投稿日:2004/05/08(土) 22:15
-
どこまでも透き通るような赤を目の当たりにしたことはあるだろうか?
あたしは見た。本当に綺麗な赤を。
すうっと通る切り口から、柔らかく流れ落ちるそれは、
彼女の白磁のような肌にいっそう映えた。
あたしは何度か彼女に質問したことがある。
「なんでそんなことするの?」と。返ってくる答えはいつも同じだった。
「体の中に汚いものが溜まるとそれを出すのは自然でしょ」
こんなにきれいな赤なのに?
そう思ったけれど、あたしはそのことを最後まで言い出せなかった。
そう感じていたのはあたしだけなのだ。
あんなにも、あんなにも――彼女の赤が突き刺すように透きとおって見えるのは
きっとあたしだけなのだ。
- 349 名前:透きとおる赤 0 投稿日:2004/05/08(土) 22:15
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- 350 名前:透きとおる赤 1 投稿日:2004/05/09(日) 20:52
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彼女と初めてあったとき、あたしはきっとそう仲良くはなれないだろうと思っていた。
同い年だし、なんとなく人を寄せ付けないようなオーラがあったから。
だけど、予想に反してあたしと彼女はとても仲良くなった。
それこそ、目で合図すれば次に相手がなにをしたいか分かってしまうぐらいに。
あの時のあたしたちは傍から見たら異常なほど近くにいたのかもしれない。
いつだったか事務所の人に言われたことがある。
彼女以外の新メンバーの話もしろと。
今思えば、あたしは口を開けばそれほど彼女の話をしていたのだ。
- 351 名前:透きとおる赤 1 投稿日:2004/05/09(日) 20:53
-
彼女は会話をするときまっすぐに相手の目を見る。
話しかける時も話しかけられた時も、切ないほどに相手をまっすぐ見つめる。
彼女の大きくて綺麗な瞳はまるですべてを、見透かすかのようで、
それがまたあたしは好きだった。
だから、嘘ばかりのこの世界で彼女だけは信じてもいいような気になったのだ。
- 352 名前:透きとおる赤 1 投稿日:2004/05/09(日) 20:53
-
- 353 名前:透きとおる赤 2 投稿日:2004/05/10(月) 22:36
-
ほどなくあたしと彼女は同じユニットになり、彼女はあたしの家に泊まりに来るようにもなった。
そして、彼女が泊まりに来るようになって何度目かの夜。
あたしは、信じられないものを見ることになった。
午前2時ごろ、ふと目覚めたあたしが変な音を聞きつけて洗面所へ行くと彼女がいた。
彼女は右手に真新しい剃刀を持たせていた。
そして左の腕は、紅く染まっている。
大抵の人間にとって、その時のあたしの感想は神経を疑ってしまうようなものだろう。
そのことに対して否定はしない。でも、あたしはその時、心から思ったのだ。
それはどんなものにも侵しがたく、美しいと。
当の彼女も、「大抵の人間」と同じであるように、不可解な目をあたしに向けた。
「驚かないの?止めないの?」
「……綺麗だから」
あまりの赤の美しさに、あたしはそう言うのが精一杯だった。ほんとうに。
- 354 名前:透きとおる赤 2 投稿日:2004/05/10(月) 22:37
-
彼女は、宿泊先のホテルでも何度か他人の目を気にしながらその行為を行っていたらしい。
ツアーになるたびにあたしは彼女の部屋に行ってその行為を見守るようになった。
しばらくするとあたしに見られることに慣れたのか、
それとも気を遣ってくれたのかは分からないけれど、
とにかく彼女も堂々とあたしの前でそれをしてくれるようになった。
そして、あたしは麻薬のように、その赤に溺れていったのだ。
- 355 名前:透きとおる赤 2 投稿日:2004/05/10(月) 22:37
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- 356 名前:透きとおる赤 3 投稿日:2004/05/11(火) 22:04
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「ごっちんは見るのが好きなの?」
ある日、いつもの儀式のあと、彼女が言った。
「そういうわけじゃないと思うけど」
彼女の赤をふき取り、傷口を手当てしながら、あたしは答えた。
不思議と、こういう時の赤は普通の血にしか見えない。
「思うけどって、ずいぶんあやふやだねぇ」
興味を引かれたらしく、彼女は楽しそうに言った。
- 357 名前:透きとおる赤 3 投稿日:2004/05/11(火) 22:05
-
「はっきり分かんないし。よっすぃ〜はどう思う?
あたしは見るのが好きなんだと思う?」
「ん〜、好きってのとは少し違う気はするけどね。
安心感とか、充実感のほうが近いんじゃない?」
「んぁ、うまい表現だね。やっぱよっすぃ〜は、あたしよりあたしのこと分かってるよ」
本当に、ドキリとするくらい核心をついた言葉だった。
あたしは、彼女の赤を見るたびに安らぎを得ている。
- 358 名前:透きとおる赤 3 投稿日:2004/05/11(火) 22:06
-
「うちはごっちんの半身なのかもね。
だから、ごっちんがなに考えてんのか分かるんだよ、多分」
「そうかもね〜あは」
彼女の言葉にあたしはなんとなく嬉しくなった。
「ごっちんは?してみたいと思ったことないの?
自分の腕から流れる血を見てみたいとは思わない?」
「よっすぃ〜のじゃないと意味ないよ」
そう答えると、彼女は少しさみしそうな顔をした。
彼女の目が「ごっちんはうちの半身じゃないんだね」
そう責めている気がした。
- 359 名前:透きとおる赤 3 投稿日:2004/05/11(火) 22:06
-
- 360 名前:透きとおる赤 4 投稿日:2004/05/12(水) 21:26
-
あたしたちの終わりは突然やってきた。
グループからの卒業が決まり、あたしが一人で仕事をするようになったからだ。
あたしと彼女はスケジュールが滅多に合わなくなり、次第に会う回数も減っていった。
案外、すんなりとそのことに慣れている自分自身にあたしは少し驚いた。
多分――会えば彼女はあたしにそれを見せてくれると思い込んでいた故の安心だったのかもしれない。
だけど、それはあたしの勝手な思い込みでしかなかった。
そのことに薄々気づきはじめたのはいつだったのか、今では思い出せない。
ただ、確信は彼女と共にもたらされた。
- 361 名前:透きとおる赤 4 投稿日:2004/05/12(水) 21:27
-
久しぶりにスケジュールが合ったあたしと彼女は一緒に遊んだ。
休憩に立ち寄った騒がしいファーストフードの店であたしはなんとなく彼女の手首を見つめていた。
黒のリストバンドをしている。
その下には――
「もうしてないよ」
彼女はあたしの視線に気づいたのかどこか冷たくそういった。
虚をつかれたあたしが驚いて彼女を見ると、やはりあの真っ直ぐな視線とぶつかった。
「なんで?」
あたしはバカみたいに震える声で聞いた。
すると彼女は苦笑して「さぁ?」肩をすくめた。
「多分、する必要がなくなったんじゃないかな」
「必要がなくなったって?」
そのときのあたしの心境は、ちょっと言葉にしづらい。
よかったとも、裏切られたとも、言えやしない。
こんなことになるなら彼女から離れなければよかったという後悔と自分自身への苛立ち。
そして、喪失感。様々な感情がぐるぐると廻っていた。
- 362 名前:透きとおる赤 4 投稿日:2004/05/12(水) 21:27
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- 363 名前:透きとおる赤 5 投稿日:2004/05/13(木) 21:52
-
「ごっちん」
あの日から仕事が一緒になってもあまり話しをしなくなった彼女があたしを呼んだ。
あたしたちが話をしなくなったのは必然のことで
別に話をしたくないとかそういう子供みたいな理由からじゃないと思う。
ただ、話さないほうがいいのだと思ったのだ。
話してしまえば、あたしはきっと我慢ができなくなることが分かっていたし、
それがあたしにとって苦しいことだと彼女は知っていたはずだ。
だから、例え、話さなければならない事態がきても
あたしたちは必要以上に事務的に振舞っていた。
それなのに――彼女に呼びかけられてあたしは柄にもなく緊張した。
- 364 名前:透きとおる赤 5 投稿日:2004/05/13(木) 21:53
-
フットサルの練習終わり、更衣室にはあたしと彼女の二人しかいない。
空気が重くのしかかってくる。
「この間の答え言おうか」
彼女が言った。
「え?」
あたしは聞き返す。
この間の答え?なんのことか見当がつかなかった。
「これやめた理由」
彼女は自身の手首を指す。あたしは肩をすくめた。
「…必要なくなったからでしょ」
「あれは…嘘」
「え?」
「本当は辛くなったから」
「なにが?あたしに見られること?」
あたしの言葉に彼女は首を振る。
「ごっちんといる時は本当に楽だった。じゃなきゃあんなことしないよ。
汚らしい嫌なものを見るような目や、あからさまに同情した目で見られることには慣れてたけど、
ごっちんは、なんか大切な宝物を見るような目で見てくれてさ、あたしはそれが嬉しかったよ」
「じゃぁ、なにが辛くなったの?」
「…それが日常になったことがだよ」
彼女はきっぱりと言った。
- 365 名前:透きとおる赤 5 投稿日:2004/05/13(木) 21:54
-
「・・・どういう意味?」
「自分のためにやってんのか、ごっちんのためにやってんのか分からなくなっちゃったんだ。
自分の中の汚いものを出すために、あの行為をしていたのに、
うちの血を眺めるごっちんはまるでダイヤでも見るみたいでわからなくなった。
うちは、なんのためにこんなことしてるんだろうって。だけどやめられなくて、
ごっちんの目と自分の内にあるなにか、両方に押しつぶされそうになって。それが辛かった」
彼女はあたしからわざと視線を外しているみたいになにもない場所を見つめている。
彼女はいつも相手の目を見て話すから、視線を外すのは嘘をつくときだけだ。
だから、この言葉は嘘だとあたしは思った。
なんのためかよく分からないけど彼女はきっと嘘をついている。
- 366 名前:透きとおる赤 5 投稿日:2004/05/13(木) 21:55
-
「誰にそう言えっていわれたの?」
「え?」
「よっすぃ〜、嘘ついてる。隠してもあたしには分かる」
あたしの口が勝手に動く。彼女は眉を寄せた。
それから、深く嘆息し「嘘じゃないよ」あたしの目をまっすぐに見つめながら小さく言った。
どうしてあたしがそんなことを言ったのか分かっているように真っ直ぐに。
「嘘じゃないんだ」
もう一度。
「あのまま一緒にいたら二人とも駄目になってた」
「もうなってるよ」
あたしは間髪いれずに叫んだ。
そう――もう駄目になってるんだ、きっと。
- 367 名前:透きとおる赤 5 投稿日:2004/05/13(木) 21:55
-
彼女はなにも言わなかった。
なにか言ったかもしれないけどあたしには聞こえなかった。
ただ更衣室をでる彼女があたしに「ありがとう」と言ったことだけは不思議と覚えている。
それこそが決定的な別れの言葉だったからだろう。
彼女は、あたしがいない間に彼女の半身を見つけてしまったのかもしれない。
そして、彼女はあたしのもとへはもう戻らないのだ。
あたしは、半身を失ってしまった。永遠に。
- 368 名前:透きとおる赤 5 投稿日:2004/05/13(木) 21:57
-
それから何かが変わったのかといえばそうでもない。
あたしは自分の仕事で精一杯。彼女も彼女の仕事を頑張っているようだ。
仕事で会うことは滅多にない。そして、プライベートでは完全に会うことはない。
このまま忘れることもできるかもしれない、そんな風に考える余裕さえでてきた。
ただ、時折彼女の手首から流れ落ちるあの赤を見たくてたまらない衝動に駆られる時がある。
そんな時、あたしはどうしようもなくなって
いっそのこと自分のもので代替しようかと剃刀を手首に宛がってみたりするのだ。
けれど、結局あたしはそれを実行できない。
怖いとかそんな陳腐な理由じゃなくて、あたしの中から流れ出るそれは
全く別物の赤でしかないことが分かっているからだ。
代えようがない唯一のものだからあれほど美しくあたしの目に映ったのだろう。
fine
- 369 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/13(木) 21:57
-
- 370 名前:かまいたちの昼(・∀・)ウソウソ 投稿日:2004/05/20(木) 23:02
-
一体自分がなにをしたというのだろう?
コンクリートの階段に積もった雪を除きながら吉澤ひとみは大きくため息をついた。
『交通費全額支給、三食宿付き、休憩時間のスキー、スノーボード用品無料貸与』
その求人広告を見た時、吉澤は心からなんておいしいアルバイトなんだと思った。
リゾート地のペンションで、ただでウィンタースポーツができてその上稼げる。
バイト先のラーメン屋が潰れて、貧乏暇だらけな冬休みを過ごすことになりそうだった吉澤には、
その求人広告がまさに神の恩恵のようにさえ思えたものだ。
――だが、まさかそこが毎年連続殺人事件の舞台になっている
曰くつきのペンションだったなんて知らなかった。
「……帰りたい」
吉澤は小さく洩らす。
だがこっそり逃げ出そうにも
到着早々、言葉巧みに財布と携帯をオーナーに預けてしまっためどうすることもできない。
- 371 名前:かまいたちの昼(・∀・)ウソウソ 投稿日:2004/05/20(木) 23:03
-
「バイトの逃亡防止」だなんて、まるで大昔の紡績工場のようだ。
そういえば、昔の人は言っていた。吉澤はふと思い出す。
「旨い話には裏があるから気をつけろ」と。
まったくその通りだ。昔の人は偉大だ。好条件に釣られた自分の軽率さが悔やまれる。
溜息と共にスコップを動かしていると、建物の中からバイトの先輩である矢口真里が姿を見せた。
昨日の今日で先輩と呼ぶのもおかしな話だが
どうやら彼女は毎年この時期にこのバイトに来ている物好きらしいから、
初めてここに来た吉澤よりは遥かに先輩であるのは間違いないのだ。
「どう、はかどってる?」
「あ、あとちょっとで終わります」
「手伝うよ」
そう言うと彼女は裏の物置からスコップを取り出し、吉澤に並んで雪かきを始めた。
さすがに毎年来ているだけあって手際が良い。
彼女は、吉澤がさんざん手間取っていた氷の塊もなんなく外してしまった。
小さな体のどこにそんなパワーがあるのだろう。吉澤は首を捻る。
どう考えても力では自分のほうが勝っていると思うので、なにかしらのコツがあるのかもしれない。
- 372 名前:かまいたちの昼(・∀・)ウソウソ 投稿日:2004/05/20(木) 23:04
-
「この辺って超大変でしょ。踏み固められちゃってるからさぁ、もうコッチコチで」
「そうですね〜。あんまり慣れてないし…時間かかっちゃってすみません」
「最初は誰だってそんなもんだよ」
「矢口さんも?」
「そりゃね。じゃ、こっちはおいらがするからよっすぃ〜は下のほうからやりなよ」
「あ、はい」
矢口の指示に従って吉澤はまだ手付かずだった下の段に移動する。
いかにも適当に寄せられた雪の塊を除けていくとふと段の端が大きく抉られているのが目に入った。
吉澤は訝しげに眉を寄せる。
車にでも当てられたんだろうか。いや――それにしては形がおかしい。
何かがぶつかったのならば普通は凹むはずだ。
この形だとなにか鋭いものが突き刺さったように見える。
もしかしたら、誰かが大工仕事でもしている時につけてしまったものかもしれないが、
なんにせよあまり見栄えのいい代物ではなかった。
吉澤は少しだけ考え、除けたばかりの雪をその奇妙な部分に薄くかぶせ直した。
- 373 名前:かまいたちの昼(・∀・)ウソウソ 投稿日:2004/05/20(木) 23:05
-
「そういえばさぁ」
段上から矢口が声をかけてくる。
「はい?」
「虎の巻は覚えた?」
「虎の巻って……?」
「ここ来た日に渡したじゃん。バイト君のためのマニュアル本。
あれ、ちゃんと読んどかないとダメだよ。大事なことだからね」
いわれて吉澤は来たその日に渡されたマニュアル本の存在を思い出す。
開いてすぐにその細かさに挫折しページを閉じたので少しも頭に入っていないが、
大体、接客なんてどこの場所でも同じだろうと考えていた。
「読むよりも暗記したほうがいいんだけどね、ホントは」
「え?」
吉澤は驚きの声をあげる。
読み終えるだけで何時間もかかりそうなあの分厚い本を暗記だなんて絶対に無理だ。
同時に、本当に彼女はマニュアルを読むはおろか暗記しているのだろうかという疑問が沸いてきた。
どう見ても彼女があんなマニュアルを読むようなタイプには見えない。
- 374 名前:かまいたちの昼(・∀・)ウソウソ 投稿日:2004/05/20(木) 23:07
-
「矢口さんは覚えてるんですか?」
「あったり前じゃん」
吉澤の問いに矢口はさも当然のように頷き
「従業員心得その1、必要以上に目立たないこと
その2、お客にはあたり触りない会話を心がけ、無闇な詮索はしないこと
その3、何かとんでもないものを見たとしても、慌てず騒がず冷静に……」
心得を暗誦し始めた。吉澤は唖然として目を丸くする。
本当に暗記していたのだという驚きとまさか最後まで暗誦するつもりだろうかという不安。
矢口の暗誦は続く。吉澤は腕時計を見やる。
気温が下がる頃までには終わるだろうか。否、終わらない。
吉澤が諦めかけたその時――
「矢口さん、よっちゃんさーん」
タイミング良くペンションの窓から一人の少女が顔をのぞかせた。
オーナーの親戚の藤本美貴だ。
「安倍さんがミーティングするから戻っておいでって」
「あいよー」
まさに天の助けとはこのことだろう。
「矢口さん、それうちが片付けますから先に行っててください」
「そう?悪いね」
吉澤はいそいそと矢口の分のスコップを受け取り物置に片付けると
一足遅れでペンションの中へ向かった。
- 375 名前:かまいたちの昼(・∀・)ウソウソ 投稿日:2004/05/21(金) 21:35
-
※
事情さえ知らなければこのペンションは確かにいいところだ。
それは認めよう。吉澤は辺りを見回し頷く。
木の風合いを生かした内装はなかなかどうしてセンスがいいし、
エアコンディションも悪くはない。
それに料理上手なオーナーのお蔭で食事も美味しいときている。
料金もさほど高くはないようだから毎年結構な数の予約があるのも納得がいく。
もっとも、今日はまだ一人の客も見えないのだが――
それは、別に営業前だからというわけではない。
このペンションはどういうわけかある一日だけはまとめて客がやってくるというジンクスがあるらしいのだ。
そして今年の「その日」は明日なのだという。
それまでは開店休業状態でそれこそ掃除と雪かき以外の仕事は無い。
つまり、その気になれば半日スキー三昧で過ごすこともできるわけだ。
そう考えると、やはりいいアルバイトといえなくもない。吉澤は小さく嘆息する。
- 376 名前:かまいたちの昼(・∀・)ウソウソ 投稿日:2004/05/21(金) 21:36
-
玄関先でダウンについた雪を払い食堂に入ると
「よっちゃんさんは初めてなんだから特によく目通しといてね」
藤本が大判のプリントを手渡してきた。
意味も分からずそれを受け取り、視線を落とす。
どうやらこのペンションの詳細な見取り図だった。
植木鉢の位置までしっかり入っているそれには
色違いのマーカーでいくつもの丸が書き込まれている。
吉澤は首を傾げて藤本を見やり
「なに、このマーク」
「え?あぁ、それは……」
「ありゃー、また今年も増えちゃったね」
藤本の言葉を遮るように食堂の戸が開くと、
オーナーの安倍なつみと矢口が一緒に入ってきた。
手には同じプリントを持っている。
- 377 名前:かまいたちの昼(・∀・)ウソウソ 投稿日:2004/05/21(金) 21:36
-
「あ、去年の分は緑にしたんだ?」
安部の問いかけに藤本がうなづく。
去年の分?
吉澤には意味が分からない。目で先ほどの疑問を問うと藤本が
「これね、いわゆる遺体発見現場ってやつ」
「へ?」
「ちなみに青が2年前、赤が3年前、黒が4年前、
それで紫が5年前。とりあえずそれ以前のものは省略してるから気にしないで」
あっけらかんと説明する藤本に吉澤はゴクリと息を呑み見取り図にもう一度視線を落とす。
紫が5年前。それ以前が省略――
一体、何年前からここでは殺人事件がおきているんだろう。
気にするなといわれてもかなり気になる。だが、それを聞くのは躊躇われた。
それを知ってしまうと、なんだか果てしなく落ち込みそうな気がしたのだ。
- 378 名前:かまいたちの昼(・∀・)ウソウソ 投稿日:2004/05/21(金) 21:37
-
「でさ、見れば分かると思うんだけど……この二階の廊下の奥の掃除用具入れ、
ここ要注意ポイント。毎年、気が付いたら誰かが押し込まれちゃってるんだよね。
だから、明日以降は絶対に独りでは近づかないようにして」
二階の掃除用具入れの部分は確かに色違いの丸が重なり合っている。
そういえば――吉澤はふと思い出す。
今朝掃除した時、あの物入れの奥に妙な染みがあったような気がする。
そうか、あれはそういうことだったか。納得と同時に背筋に悪寒が走った。
もう二度とあそこに近寄るのはやめよう。そう固く心に誓う。
「あと、トイレも危ないかも。去年、一昨年と2年連続で現場になってるから。
今度からここも皆勤賞になりそうだね。特に夜は必ず誰かと一緒に行くこと」
殺害現場の皆勤賞なんて勘弁して欲しい。
話だけでは漠然としていただけの恐怖がこの詳細な情報と共に
リアルな感覚を伴ったものとして徐々に湧き上がってくる。
- 379 名前:かまいたちの昼(・∀・)ウソウソ 投稿日:2004/05/21(金) 21:38
-
「でも、今年はちゃーんと対策を練ってるから安心してもいいべ」
あまりにも顔色が悪くなっていたのか
安倍がこちらの様子を気にするような素振りを見せながらおっとりとだが、そう口を挟んだ。
その言葉に吉澤はパッと顔を明るくして彼女に尋ねる。
「対策ってなんすか?」
「予想危険ポイントには監視カメラと防犯ブザーをセットしたの。
非常時には遠慮なく鳴らしていいかんね」
ナイス対策。
思わず、安倍に喜びの拍手を送ろうとしたその時
「……なっちには悪いけど多分意味ないよね」
矢口が、安倍に聞こえない、しかし、吉澤には聞こえる
――お前計算してるだろといいたくなるような――微妙な声量で
藤本に話しかける声が耳に入ってきた。
- 380 名前:かまいたちの昼(・∀・)ウソウソ 投稿日:2004/05/21(金) 21:38
-
「賭けてもいいね。カメラもブザーも、
真っ先に壊されて使い物にならなくなる。マチギャイニャイ」
「美貴もそう言ったんですけどね…機械は嘘つかないんだべってムキになって言い張っちゃって」
藤本も、そう言って肩をすくめる。
なんて嫌な事を言う二人組だ。
折角、晴れかけた吉澤の表情はげんなりしてくる。
「あ、でもね、よっちゃんさん。もし」
「へ?」
突然、話を振られて吉澤は声をあげる。
それが届いたのかまだなにかの説明をしたらしい安倍が
「よっちゃん、集中して」厳しい声を投げてきた。
藤本と矢口のほうを見ると素知らぬ顔で安倍のほうを見ている。
なんて嫌な二人組だ。
吉澤は、安倍に謝罪の言葉を述べて嘆息する。
安倍は分かればよろしい、と満足げに頷くと再び話を始めた。
- 381 名前:かまいたちの昼(・∀・)ウソウソ 投稿日:2004/05/21(金) 21:39
-
それを確認してから吉澤は先程藤本が言いかけた言葉の続きを求め彼女のほうに目をやった。
藤本は少しだけ吉澤の傍に来ると
「あのね、もしカメラやブザーが壊されてても絶対修理しようとしちゃダメだから」
「な、なんで?」
嫌なものを感じながら吉澤が問うと、
藤本はわざとらしく不敵な笑みを浮かべ
「間違いなく背後から殴られて
そのままゲームオーバーさよならよっちゃんさんバッドエンド4
になっちゃうからね……分かった?」
吉澤はコクコクと頷き、慌ててプリントの隅にその旨をメモった。
いわれてみれば、虎の巻にも書いてあったような気がする。
「時計、電話、テレビ、ラジオなどの機器を修理しないこと」
どんなに不便でも我慢しなくてはならない。
それも大事な『処世術』ということだ。
- 382 名前:かまいたちの昼(・∀・)ウソウソ 投稿日:2004/05/21(金) 21:42
-
防犯カメラやブザーの他にも、安倍はあちこちに細かい工夫を凝らして
対策を練っているようだが、矢口たちの表情を見るとあまり当てになるものでもないことが窺えた。
吉澤はもう傍観の思いでぼんやりと窓を眺めた。
また雪がちらつき始めている。
これではせっかくした雪かきも水の泡だ。
少しばかり落胆しながら視線を戻すと丁度安倍が一通りの説明を終えた後だった。
「さて、じゃあ、いよいよお楽しみの今年のお客さましょうかーい!!」
「待ってました!」
矢口が急にテンション高く手を叩く。
「今年はイケメン多いの?」
「んー、去年よりは少ないべ」
「あらら」
おおげさに落ち込んでみせる矢口を藤本がものすごい目つきでにらみつけていた。
おそらく本人に睨んでいるという自覚はないのだろうが――吉澤はぶるっと体を震わせる。
- 383 名前:かまいたちの昼(・∀・)ウソウソ 投稿日:2004/05/21(金) 21:45
-
「イケメン少ないからって手抜かないようにね。
今回来るのはOLさん2人と、カップル一組。中年夫婦。
大学生の男の子二人の全部で7名だべ」
「イケメン二人だといいけどね〜」
矢口はまだそんな事を言っている。
藤本は興味なさそうに矢口を見ている。その目はやはり怖い。
本当は彼女が殺人鬼なんじゃないだろうか、そんな気にさえなってくる。
しかし、そういう疑いを持つと絶対にバッドエンディングになるのがこういうゲームの常だ。
吉澤は頭を振って浮かんできた疑念を飛ばす。
「で、部屋割りはこんな感じになる予定だべ」
そう言って安倍はマーカーが付いていない見取り図を取り出した。
そこには、几帳面な字で客の名前が書き込まれている。
「今回も満室にだべ。ちょっと忙くなると思うけど頑張ってこーね、皆」
「満室?」
安倍の言葉に吉澤は疑問の声をあげた。
そんなはずはない。このペンションの部屋は7部屋あるのだ。
書き込みによればOL二人組と中年夫婦が相部屋、
どういうわけかカップルは別々の部屋で、男二人もそれぞれに部屋を取っている。
それでも1部屋は余る筈だ。
不思議に思いながら見取り図に目をやると一部屋だけ空白の部屋があった。
- 384 名前:かまいたちの昼(・∀・)ウソウソ 投稿日:2004/05/21(金) 21:45
-
「あの、この部屋は……」
吉澤はその部屋を指差しながら安倍に尋ねた。
「ここ?ここは予備の部屋だべ。
なんでか分かんないけど、
毎年必ず、雪道で迷ったとかで急に泊めてほしいってお客さんが来るから」
うわぁ、と吉澤は思う。
なんというかいかにも胡散臭い話だ。
「その飛び入りが探偵さんだったりすることがあるんだよ」
矢口が言う。
「犯人の確率も高いんだけどね」
藤本があっけらかんと笑いながら言う。
探偵ならいいが犯人が来るなんて笑い事ではない。
吉澤は落ち着きなく体を揺する。
- 385 名前:かまいたちの昼(・∀・)ウソウソ 投稿日:2004/05/21(金) 21:46
-
「でも、きちんと頼みに来る人はまだましっしょ。
去年なんか、いつの間にか外の物置に入り込まれたからビックリしたべ」
「そうそう、ツルハシ持ち出されちゃってあれは大変だったね。
肝心の探偵さんもパニクっちゃってもうてんやわんや」
――ツルハシ。
その単語に、玄関先の抉れた階段が頭をよぎる。
あれはツルハシの跡だったのか。吉澤は納得する。
しかし、謎は解けてもちっとも嬉しくない。
「あの、そのツルハシって今どこにあるんですか?」
「証拠物件として警察が持ってって今年は無いから安心だべ」
それならば、今年持ち出されるとしたら雪掻きの時に使ったスコップあたりだろうか。
思わず遠い目をしていると力強く肩を叩かれた。
顔を向けるとやけに凛々しく顔を作った安倍がいる。
- 386 名前:かまいたちの昼(・∀・)ウソウソ 投稿日:2004/05/21(金) 21:47
-
「大丈夫だべ!虎の巻さえきちんと守ってればなんの心配もないから。
なにせあれはこのペンションに生まれついて22年、経営初めて4年
幾多の事件から華麗に生還を果たしてるなっちの経験をまとめたものだかんね。
あれさえ読んでおけば『密室』から『見立て』まで、
ここで起こりうるあらゆるケースに対応可能だべさ!!」
安倍はえっへんと胸をそらす。吉澤がその勢いに呑まれていると
彼女はさらにひときわ大きな声で気勢を上げた。
「さあ、みんな。今年も頑張って生き残るよー!」
「おー」
「従業員虎の巻其の一、目立たないこと!」
「目立たないことぉっ!」
鉄の掟よろしく、虎の巻が復唱される。なんて阿呆らしい光景だろう。
だが、そう思いつつもつい調子を合わせてしまう己の性が恨めしい。
吉澤は、いつしかやけくそのようにこぶしを振り上げていた。
- 387 名前:かまいたちの昼(・∀・)ウソウソ 投稿日:2004/05/22(土) 15:03
-
復唱が半分ばかり終わった頃、突然外から誰かの声がした。
続いて窓が激しく叩かれる。しかし、盛り上がっている三人はまったく気づいていない。
仕方なく輪から抜け出し吉澤は窓に近寄る。そして、ギョッとした。
「ど、どなたですか?」
震える声で問う。外には痩せた男が切羽詰った表情で立っていたのだ。
しかも、妙なことにこの吹雪の中、男はしわだらけのワイシャツとスーツだけで、
コートも羽織っていない。その上、足元も革靴のまま。明らかにこんな雪山には不似合いだ。
交通事故でも起こして、動転しているのだろうか。
あからさまに怪しい男を前にどうしたものか迷っているとようやくこちらに気づいた
矢口が後ろからひょこっと顔を出した。
「もし良かったらお入りになりませんか?玄関は回ってあちらですから」
慣れた様に男に声をかける。
しかし男は首を振り
「頼みがあるんだ」
低い声で言うと、辺りを気にしながらポケットから小さな金属片を取り出した。
- 388 名前:かまいたちの昼(・∀・)ウソウソ 投稿日:2004/05/22(土) 15:04
-
「これを預かってほしい。絶対に……絶対に誰にも渡さないでくれ」
男は吉澤の手をぐっと掴み、その金属片を無理やりに手の中に押し込んでくる。
勢いに押されてつい受け取ってしまってから、吉澤は驚いた。
掌に収まるほど小さく薄い金属片だというのに、それはまるで鉄の塊のように重く、
しかもほんのりと熱を持っていた。
「あの…なんなんですか、これ?」
上擦った声で問いかけるが、男はなにも答えず
ただ「頼んだ」とだけ言い残すとそのまま窓から離れて一目散に走り去ってしまった。
「ちょっと待ちなよ」
矢口が窓から外に飛び出した。
「ミキちゃんさん、これお願い!」
一瞬、呆気に取られていた吉澤は金属片を藤本に任せるとすぐに矢口の後に続いた。
- 389 名前:かまいたちの昼(・∀・)ウソウソ 投稿日:2004/05/22(土) 15:05
-
玄関を出ると、白く霞始めた景色の向こうに先ほどの男の影が小さく見える。
もうずいぶん遠くまで行ってしまっている。あんな靴でたいした速さだ。
感心していると
「矢口、よっちゃん、こっち!」
ガレージの方からエンジン音が聞こえた。
どうやら安倍が車を出してくれたらしい。
後部座席に二人が飛び乗るとエンジンが温まるのも待たずに車は発進した。
「あのパターンで渡されるのはろくでもないものしかないからね」
ハンドルを握りながら安倍が苦々しげに口にする。
「お客さんより先に警察が来るような事態だけは避けないと」
助手席で矢口も深く頷いている。
場慣れしているためか二人とも冷静そのものだ。
一人うろたえてしまった自分がなんだか恥ずかしくなってくる。
吉澤はそれを誤魔化すように窓から顔を出し男の姿を目で追った。
いくら俊足といえども所詮は人の足、小さかった後姿は次第に大きくなってくる。
だが――あと少しで追いつくという所で大きな反動と共に車が急停止してしまった。
- 390 名前:かまいたちの昼(・∀・)ウソウソ 投稿日:2004/05/22(土) 15:06
-
「どうしたんすか?」
運転席を覗き込むと安倍も突然のことに驚いているようだった。
ガチャガチャとギアを切り替え何度もアクセルを踏み込んでいるが
エンジンが空回りするばかりで一向に車は前に進んではくれない。
「キーはずしてもう一回してみれば」
矢口の言葉に従い安倍がキーを一旦外し入れなおす。
しかし、そうすると今度はエンジンさえかからなくなってしまった。
「おかしいべ、さっきまでなんともなかったのに」
見れば、時計も止まってしまっている。
「ちょっと外見てきます」
仕方なく外に出ようと吉澤がドアに手をかけたその時、突然辺りが暗くなった。
反射的に空を見上げて吉澤は絶句した。
視界一杯に、銀色の飛行物体が飛び込んできたからだ。
ゆっくりと回転しながら平行移動するそれはどう見ても飛行機の類には見えない。
それはどう見ても
「UFO!?」
二人のうちのどちらかが素っ頓狂な声で叫んだ。
- 391 名前:かまいたちの昼(・∀・)ウソウソ 投稿日:2004/05/22(土) 15:06
-
※
吉澤たちは車を降り、なすすべもなく立ち尽くした。
UFOは車の上空を飛び越え逃げる男の方へと向かってゆく。
その様子は男の方からも見えているのだろう。
彼は、あわてて道を外れ雪に覆われた原生林へ逃げ込もうとしていた。
だがそれも空しく、UFOは男の上に覆いかぶさるように静止した。
「やめろー!」
UFOの下部から発射された光が絶叫する男を捕らえる。
するとどうしたことだろう。
男の体がまるで見えない糸に絡め取られてでもいるように
中に浮かびあがりUFOの方へ吸い上げられていくではないか。
「頼む、助けてくれ!」
空中でもがく男の悲痛な声がこちらに届く。
「ど、どうしましょう」
思わず車を振り返るが、頼みの綱の安倍と矢口は目と口を大きく開いたまま動かない。
何度か呼びかけてみるが、まともに返事さえできない様子だ。
- 392 名前:かまいたちの昼(・∀・)ウソウソ 投稿日:2004/05/22(土) 15:07
-
「安倍さんってば」
そうこうするうちに男の叫び声は途絶えてしまった。
視線を戻すとUFOは影も形も消えていた。むろんあの男も。
ただ、彼が吸い上げられていたあたりの雪面が、
型にでもはめたかのようにドーナツ状に綺麗に抉り取られていた。
「まさか、今年は違うミステリーなの……?」
一面の白の中に浮かび上がる奇妙な文様を眺めながら矢口が呆然と呟く。
「ち、違うミステリーって……」
「なっちの人生をかけて作った虎の巻が通用しないってことか……
久しぶりに面白くなってきたべ」
安倍がにやりと笑う。笑い事じゃない。
男から貰った金属片はあのペンションにある。
UFOの目的がそれなら――吉澤は泣きそうになって空を見上げた。
空からはただ白い雪が舞い落ちてくるばかりだった。
おしまい
- 393 名前:Frontier 投稿日:2004/05/25(火) 23:06
-
満開のサクラはとても華やか
空は春色
一人ぼっちの貴女
- 394 名前:第一章 投稿日:2004/05/25(火) 23:06
-
- 395 名前:第一章 投稿日:2004/05/25(火) 23:07
-
体育館から聞こえてくる校歌に耳を傾けながら高橋愛は空を仰いだ。
水をたっぷり加えすぎた水彩絵の具のようにぼやけた空の中に白い雲がぷかぷかと浮いている。
眼下には桜色の海が広がり、校庭を風が吹き抜けるたびに淡い薄紅色の花びらが風に舞った。
愛は屋上の柵から軽く身を乗り出した。遙か下界を目指して腕を伸ばす。
桜の花びらを捕まえようと、限界まで腕と指先を伸ばす。
けれども、当然のことながら下界の花びらを捕らえられるはずもなくその手はむなしく宙を切った。
- 396 名前:第一章 投稿日:2004/05/25(火) 23:07
-
「あ、やっといたぁっ!!!」
突如、背後から聞こえてきた声に愛はびくりと振り返った。
「学校中探し回ったんだよー」
屋上の出入り口で息を切らせながら抗議の声を上げる少女を愛は目を丸くして見つめる。
そして、静かに彼女の名前を呼んだ。
「紺野さん」
紺野あさ美。愛のクラスの委員長だ。
「全校集会出ないと単位危ないって先生言ってたでしょ」
さすが委員長だ。
教室に鞄があるのに姿の見えない愛を探して学校内を走り回ってくれたのだろう。
近づいてきたあさ美の頬は紅く上気していた。
彼女は額に張りついた前髪を無造作に手で払いながら
「体育館行こ」
愛の腕をとった。
- 397 名前:第一章 投稿日:2004/05/25(火) 23:09
-
※
「私、高橋さんに嫌われてるのかなぁ」
お弁当のハンバーグを見つめながらあさ美はポツリと呟いた。
集会が終わった後の二年三組の教室。
一時間半も体育館で大人しく座っていた反動か、教室内は騒々しかった。
クラスメイトたちは数人でグループを作り、机を囲んでお弁当をつっついている。
そのどのグループの中にも、高橋愛の姿は見えなかった。
「何で?」
ウーロン茶のパックにストローをさしながら、
あさ美の目の前に座っっている小川麻琴が不思議そうに聞き返した。
あさ美はハンバーグを箸で二つに割りながら
「なんか私のこと避けてるっぽいんだよね」
「高橋さんは誰にでもそうじゃん」
気にすることないよ、と麻琴は続けた。
- 398 名前:第一章 投稿日:2004/05/25(火) 23:09
-
「そう、だけど……」
確かに、高橋愛はクラスでも変わり者として有名で大抵の場合一人でいる。
非協力的で学校行事にもほとんど参加していない。
今日の集会と同じように、授業だって平気でさぼってしまうのだ。
そんな彼女を、クラスメイトたちは腫れ物にでも触るかのように遠巻きに接している。
それは、彼女が本当は一つ年上だということも関係しているのかもしれない。
あさ美は学級委員になった時に彼女が個人的な理由で一年休学していた事を担任から聞いている。
くれぐれも口外しないようにとのことだったが
そういう話は表立って話されなくても誰が言いふらしてしまうのかすぐに広まってしまうものだ。
それも無駄な尾鰭をつけられて。
- 399 名前:第一章 投稿日:2004/05/25(火) 23:10
-
しかし、彼女はそのことで避けられることにまったく関心がないようだった。
むしろそれを望んでいるような節さえある。
かといって、決して彼女から積極的に人を避けるように行動しているわけではない。
避けているのはクラスメイトたちのほうで、彼女はそれを甘受しているだけだ。
では、なぜ彼女は自分に対してだけは違うのだろう。あさ美は思う。
自分だけは彼女から避けられている。時折、そう感じるのだ。
例えば、先程屋上に迎えに行った時なんかそうだ。
あさ美が腕を取った途端、彼女は僅かだが身を引いた。
それもなにかに怯えるように。
勿論、あさ美には彼女から避けられる理由も怯えられる理由もまったく思い当たらない。
「高橋さんのことを考えたって埒あかないよ」
ハンバーグを箸に突き刺したまま、考え込んでしまったあさ美を案じるかのように、
麻琴が穏やかな口調で言った。
- 400 名前:第一章 投稿日:2004/05/25(火) 23:12
-
※
図書室の窓から外を眺めながら愛は髪の毛を弄んでいた。
昼食はいつも図書室奥の司書室で食べている。
図書委員ではなかったが、司書の飯田圭織と愛は中等部の頃から仲が良かったので、
昼休みの間だけいつもお邪魔させてもらっているのだ。
昼食を食べ終わると、窓際のこの席で本を読んでいるか外を眺めているかのどちらかをしている。
愛は、指に髪の毛をくるくると巻き付けた。
さらさらとした髪の毛が指先にからみついては流れる。
図書室の窓からは屋上から眺めた桜並木が近く見えた。
ひらり、ひらりと、雪のように桜が舞っている。
窓を開け手を伸ばせば今度は本当に桜の花びらが掴めそうだ。
スピーカーから軽快な音楽が流れはじめた。掃除の時間になったのだ。
愛は立ち上がる。この学校の掃除は当番制ではなく校長の方針で全校生徒参加になっている。
サボることもよくあるが、今月の掃除場所はちょうど桜並木の下だから
参加することに決めていた。
教室に戻る前に、愛は一度だけ窓を振り返った。
相変わらず、桜がひらひらと降りしきっている。
掃除が大変そうだな、と愛はぼんやり思った。
- 401 名前:第一章 投稿日:2004/05/26(水) 20:55
-
※
あさ美は教室の窓にガラス拭き用洗剤を吹きかけた。
シュッと霧吹きの音とともに白い泡が窓に貼り付く。
その洗剤が垂れる前に、素早く拭き取った。
美化委員の方から支給された白い布で、窓を隅々まで磨く。
「あさ美ちゃん」
「ん〜?」
あさ美はくるりと振り向いた。麻琴が箒を片手に立っている。
掃除中、プリーツスカートがくしゃくしゃになるのは嫌だからと、
下だけジャージに着替える生徒が何人かいるが彼女もその一人で
上はブレザー、下はジャージ、という何ともへんてこな格好をしている。
それがなぜか似合ってるんだよねぇ、とあさ美は密かに思った。
「んーと、教室の窓ガラスはいいから、ベランダ側の窓お願いしていい?」
そう言えば、彼女は掃除の班長だったな、と思いだしあさ美はいいよと頷いた。
確かに、見ると教室側の窓拭きはあさ美以外に二人いるがベランダ側には一人しかいなかった。
あさ美は洗剤と窓拭き用の布を持つとベランダに出た。
- 402 名前:第一章 投稿日:2004/05/26(水) 20:56
-
「うわ〜」
ベランダに出たあさ美は思わず感嘆の声を洩らす。
ベランダからは綺麗な桜並木が見おろせたのだ。
あさ美は洗剤を床に置き、ベランダの柵から軽く身を乗り出した。
下では、降ってくる桜の花びらに悪戦苦闘している生徒たちの姿が見える。
集めても集めても桜の花びらは風に飛ばされ、新たにどんどん降ってくるのだから、
大変だろうな、とあさ美は苦笑した。今月は確かあさ美のクラスの担当だったはずだ。
竹箒で悪戦苦闘しているのは見知った顔ばかりである。その中に、彼女の姿を見つけた。
クラスメイトたちの集団から少し離れ、黙々と竹箒を動かしている。
高橋さん――あさ美は、口の中で小さく呟いた。
淡い栗色の髪が風に踊った。彼女はそれを鬱陶しそうに指で払う。
その姿は一年前の彼女をあさ美に思い起こさせた。
- 403 名前:第一章 投稿日:2004/05/26(水) 21:00
-
彼女とあさ身が出会ったのは、丁度一年前の同じ季節だ。
その時の彼女はクラスメイトではなく先輩だったはずだ。
※
中等部の卒業式の日、あさ美は一時間も早く学校に着いてしまっていた。
卒業といってもあさ美は隣にある高等部に持ち上がるだけなので
門出の日というわけでもないのに、やけに張り切った母親に早く起こされたのだ。
両親は共働きで、今日の卒業式に出席することはできない。
それを母親は心苦しく思っているらしく、せめて大事な式にだけは遅刻はさせまい、
と心に決めたのか、彼女があさ美をたたき起こしたが朝の六時。
あさ美がセットした目覚ましの時間よりも一時間早い時間だ。
あさ美の家から朝比奈学園までは徒歩で十五分程度の距離。
七時に起きて、八時に家を出ても、充分間に合うのである。
母親に起こされた時点で二度寝を決め込み、布団の奥深くへと潜り込んだが、
布団をはがされてしまい、あさ美は二度寝を渋々諦めた。
家にいてもすることがないため、早すぎるとわかっていながらも学校に来てはみたものの、
当然のことながら学校に着いてもなにもすることがない。
正門前には生徒の姿はなくがらんとしていた。仕方なくあさ美は中庭に足を向けた。
- 404 名前:第一章 投稿日:2004/05/26(水) 21:01
-
中庭は中等部と高等部の間にある、赤レンガに似た石畳が敷き詰められたレトロな場所で
そこにはちょっとした花壇とベンチがあり生徒たちの憩いの場となっている。
そこに行くまでには、桜並木がありこの季節は特に綺麗なのだ。
あさ美は、桜並木の中で一度立ち止まり空を仰いだ。
小春日和の柔らかな陽光に目を細める。
その時、悪戯な春一番が吹いた。桜の花びらが狂ったように風に踊る。
「きゃっ」
視界が桜色に覆われた中で一瞬だけ誰かの声があさ美の耳に届いた。
風が収まるとあさ美は髪についた花びらを払い先ほどの声の主を探した。
「あ」
あさ美は端的な声を洩らす。
桜の木の下、花びらに包まれるようにして人が立っていた。
先ほどは上ばかり見ていたので気づかなかったようだ。
その人は、あさ美の声が届いていたのかこちらを振り返った。視線が合う。
大きくて綺麗な瞳が印象的な人だった。
- 405 名前:第一章 投稿日:2004/05/26(水) 21:02
-
「綺麗だね」
ぼんやりと見とれているとその人が静かに口を開いた。
あさ美は、はっと我に返る。
その人の『綺麗』がいまだひらひら舞う花びらを指していることに気づいて
あさ美は慌てて頷いた。あさ美の動きがおかしかったのかその人はわずかに瞼を伏せながら小さく微笑んだ。
天使はこのように微笑むのではないかと、
その笑顔に見とれながらあさ美は頭の片隅でぼんやりと思った。
- 406 名前:第一章 投稿日:2004/05/26(水) 21:02
-
それから一年後――教室で彼女に会ったときは本気で驚いた。
クラスの自己紹介の時に、彼女が高橋愛という名前であることを知った。
そして、『変わり者の高橋さん』と陰で呼ばれていることも。
※
「あさ美ちゃん」
「え?」
あさ美は慌てて振り返る。
麻琴が、困ったような笑顔で立っていた。
「ぼんやりしてると掃除、終わらないからぁ」
「あ。ごめん」
あさ美は、苦笑混じりに謝り、床に置いた洗剤を手に取る。
麻琴は肩をすくめまた他の作業に戻っていった。
窓に向き直る前にあさ美はもう一度だけ後ろを振り返った。
相変わらず、桜の花びらが淡雪のようにひらひらと舞っている。
桜の花びらに悪戦苦闘しているはずの愛の姿はその位置からは見ることができなかった
- 407 名前:Frontier 投稿日:2004/05/26(水) 21:03
-
- 408 名前:第二章 投稿日:2004/05/27(木) 21:21
-
人を好きになることがどういうことなのか
もう少しだけ知っていればなにかが変わったのかな
ただ、なにより辛かったのは
貴女にこの気持ちの存在まで否定されたこと
- 409 名前:第二章 投稿日:2004/05/27(木) 21:21
-
- 410 名前:第二章 投稿日:2004/05/27(木) 21:22
-
※
「誰も来ない……」
500mlペットボトルの緑茶を片手にあさ美はぼそりと呟いた。
季節は夏。桜の花びらはとうの昔に散り、青々と茂った葉が風に揺れている。
窓は閉め切ってある筈だが、
波うつようなセミの鳴き声は教室の中まで流れ込んでいる。
窓の外では熟れた柿のような太陽がじりじりと地表を照らしつけていた。
クーラーを全開にした涼しい教室で外は暑そうだなとあさ美は思った。
こういう時、私立の学校はいいものだと心底感じる。
なんと言ったって、全教室冷暖房完備
汗水たらして授業を受けるなんてことはないのだから。
- 411 名前:第二章 投稿日:2004/05/27(木) 21:23
-
「みんな、忘れてんのかなぁ」
ちらりと、教室の時計に目をやると丁度、二時半を回ったところだった。
約束の時間は、二時。三十分を過ぎて誰も来ないということはやはりそういうことなのだろう。
「夏休みだし…忘れててもしょうがないけど」
そう、一人ごちる。
朝比奈学園では、文化祭の準備を夏休みのうちから始める。
あさ美たちのクラスは、教室で喫茶店を行う予定だった。
材料をどこで仕入れ、どんなメニューを作るかは二学期に決めるとして、
生徒会の方に提出しなければいけないポスターと、
机に掛けるテーブルクロスだけは夏休み中に作ってしまおうと終業式後のHRで決めていた。
そのために八月に二回ほどクラスの有志が集まり準備を進めることになり
今日がその一回目のはずなのだが……
「来る気配はなし……」
さすがに委員長が欠席するのはまずいだろうと、部活を抜け出してまで来たというのに
これでは先が思いやられる――あさ美は深々と溜め息をついた。
- 412 名前:第二章 投稿日:2004/05/27(木) 21:24
-
あさ美の目の前には、担任が用意したポスター用の画用紙と、
テーブルクロス用の布が置いてある。
あさ美は、再び溜息をつく。
ここまで来てなにもせず部活に戻るのもなんとなく癪だった。
あさ美は、画用紙とテーブルクロス用の布を交互に見比べる。
どうせならどちらか一方ぐらいは手を付けておこうと考えたのだ。
しばしの逡巡の末、あさ美はテーブルクロス用の布を手に取った。
絵が苦手というわけではないが
ポスターに最適なポップな絵柄となると麻琴のほうが得意だろう。
逆にテーブルクロスなら適当な大きさに切って縫えばいいだけだから誰が作ってもそう変わらない筈だ。
あさ美は、家から持参してきた裁縫セットを開き裁ちばさみを手に取る。
- 413 名前:第二章 投稿日:2004/05/27(木) 21:25
-
「……大きい」
きちんと畳まれた布を机の上に広げてあさ美は口を開けた。
広げた布は、会議室用長机サイズのテーブルクロスが、
二、三枚は作れそうなほど大きかったのだ。
一体何を考えているんだろう、あの担任は。
あさ美は、人の良さそうな顔をした担任の顔を思い浮かべる。
いくら男で、裁縫のことが分からないにしてもこの大きさはあまりにも考えがない。
これでは切るのが大変だ。
やれやれと首を振りあさ美は裁ちばさみで布を切り始める。
面倒なのでサイズは適当。
要はテーブルの上を覆えさえすればいいのだから――
家庭科の教師が聞いたら眉をひそめそうなことを考えながらあさ美は布を裁ち切っていく。
その時、なんの前触れもなくガラガラッと教室の扉が開いた。
あさ美は、反射的に顔をあげ軽く目を見開く。
- 414 名前:第二章 投稿日:2004/05/28(金) 21:34
-
「高橋さん…」
そこにいたのは高橋愛だった。
走ってきたのか少し息が上がっている。
「飯田さんの手伝いしてたら遅くなって……遅れてごめんなさい」
飯田さんというのは図書室の先生のことだろう。
あさ美がポカンとしている間に愛は扉を閉め教室の中に足を踏み入れた。
いつものように髪を垂らしておらず、ポニーテールにしている。
彼女のそんな髪型は初めて見る。元気な印象だ。
「もう終わったの?」
愛が教室を見回しながら不思議そうに首を傾げ、あさ美にそう訊ねた。
「あ、えーと、みんな忘れちゃってるみたいで」
戸惑いながらあさ美は答える。
まさか、彼女が来るなんて思いもよらなかった。
こういう時、真っ先にさぼるのはいつだって彼女だったのだから。
- 415 名前:第二章 投稿日:2004/05/28(金) 21:34
-
「夏休みだもんね……で、これは?」
戸惑うあさ美をよそに愛は机の上に置かれた白い布を興味深そうに指した。
「あ……それは、テーブルクロス用の布なんだけど」
愛は、ふーんと相槌を返しながらそれを手に取り両手で広げた。
広げられたそれを見てあさ美は「あ」と小さく零した。
適当に切っていたせいか、切り口はギザギザでさらに何とも微妙な台形型に仕上がっていたのだ。
無言になって、じっと布を凝視しする愛相手にあさ美はしどろもどろになりながら言葉を紡ぐ。
「あ……あれ、おかしいなぁ?ちゃんと切ったつもりだったんだけどね…ハハハ」
言い訳にもなっていない。笑って誤魔化そうとすると
くすくすと、まるで葉ずれの音のような小さな笑い声がした。
見ると、愛が布を両手に持ったまま声を立てて笑っている。
あさ美は、唖然とした。
愛が笑った姿を見るのはこれで二度目だ。一度目は、初めて会った時。
桜の花びらが降りしきる中、彼女はわずかに瞼を伏せてまるで天使のように微笑んだ。
その時は、ただ綺麗だと思った。どこか神聖で、透明な笑みだと。
だけど、これは──この笑顔は可愛い。
何というか、年相応というのか非常に可愛らしいものだった。
- 416 名前:第二章 投稿日:2004/05/28(金) 21:35
-
愛はひとしきりくすくすと笑った後、
あさ美の裁縫セットの中から裁ちばさみを取りだした。
「これ、借りていい?」
「あ、うん」
あさ美が頷くやいなや愛は布を切り始める。
ギザギザでいびつだった切り口が彼女の手によってどんどん滑らかになっていった。
「この布大きいからあと二枚は作れそうだね」
「先生、なんにも考えてないから」
「男の人だからね」
暑苦しいセミの鳴き声が、教室に響く。
愛は黙々と布を切り、あさ美はそれを黙って眺めている。
二人の間に会話はないがそれを息苦しいと感じなかった。
いや、むしろ心地いいとさえ思った。
沈黙が苦になる相手と、苦にならない相手がいるが、
どうやら愛は後者のようだ。あさ美は頬杖を付き、愛の横顔を見つめる。
- 417 名前:第二章 投稿日:2004/05/28(金) 21:36
-
「今日、いつもと髪型違うね」
あさ美の言葉に、愛が手を止めて顔を上げた。
そして、小首を傾げながら、
「暑かったから」
「そっか」
あまりに淡白で単純な答えにあさ美は苦笑混じりに頷く。
「なに?」
あさ美の苦笑いに気づいたのか愛が怪訝そうにこちらを見ている。
「ん。高橋さんも普通なんだなぁって思って」
「なにそれ」
困ったように愛は笑った。あさ美も笑う。
『変わり者の高橋さん』から避けられているかもしれないと思ったのは
あさ美の勝手な思い込みで――いや、もしかしたら無意識のうちに
自分の方が彼女を避けていたのかもしれない。
本当はこんなにも彼女の態度は普通なのに。
- 418 名前:第二章 投稿日:2004/05/28(金) 21:37
-
「私、ずっと高橋さんに嫌われていると思ってたんだよね」
その言葉に、ぴくり、と愛の体がわずかに反応を示したのだが
あさ美は気がつかなかった。
「どうして?」
「んー。なんでだろう。
よくわかんないけど…高橋さんに避けられてるって思ってたの」
今なら、それは単なる自意識過剰で単なる思い過ごし。そう断言できる。
現に、彼女は普通に自分と会話を交わしているのだから。
「嫌いじゃないよ」
「え?」
愛の呟きを耳にとめ思わずあさ美は聞き返そうとした。
しかし――瞬間、頭に鈍い痛みを感じあさ美は声を失った。
目の前が暗くなる。それが、自分を見下ろしている人の影だと気づくのに、数秒かかった。
何が、起こったのか咄嗟に理解できない。
- 419 名前:第二章 投稿日:2004/05/28(金) 21:38
-
「た、高橋さん……?」
あさ美は、自分を見下ろす愛の顔を見上げ呆然と呟いた。
愛は、能面をかぶったかのように無表情だ。
その時、ようやくあさ美は自分が愛に両手首を掴まれ、
机の上に押し倒されていることを悟った。
「あなたのことは好きだよ」
淡々とした口調で愛が言った。感情の丸きり見えない声だった。
背筋に冷たいものを感じた。本能的な恐怖だ。
けれども、あさ美はその恐怖を追い払おうと必死で笑顔を作った。
怖いと感じるなどあるはずがない。
彼女は自分と同じ普通の女の子なのだ。怖がるなんておかしい。
- 420 名前:第二章 投稿日:2004/05/28(金) 21:39
-
必死でそう言い聞かせる。
「わ……私も高橋さんのこと好きだよ?」
声が上擦った。無理矢理浮かべている笑顔もきっと引きつっていることだろう。
その必死な笑顔と声が、ますます愛を傷つけるということまでは、
その時のあさ美には分からなかった。ただ自分のことで精一杯だったのだ。
あさ美の言葉にふっと愛が笑みを浮かべた。
それは、初めて見たような神聖さを感じる微笑でもなく、
女の子たちが浮かべる普通の笑顔でもない、どこか昏い自嘲的な笑みだった。
「私の『好き』はきっとあなたの『好き』とは違う種類だよ。
私の『好き』はとても……異常だから」
愛の目と目があった。
色素の薄い茶色の瞳が今にも泣き出しそうにゆらゆらと揺れている。
なぜ、彼女はこんなにも悲しい目をしているのだろう。
こんなにも、寂しい──
ふと、両手首が軽くなった。愛が手首を離したのだ。
- 421 名前:第二章 投稿日:2004/05/28(金) 21:40
-
あさ美の瞳から、愛はふぃっと目をそらし制服のプリーツを整えながら、
何事もなかったかのように言った。
「なんて冗談だよ」
冗談?
とてもそんな風には見えなかった。
あさ美は、呆然としたまま体を起こす。
と、布を持ってさっさと教室を出て行こうとする愛の後姿が目に入る。
「ど……どこ行くの?」
ためらいがちに声を掛けると愛は振り返らずに
「家庭科室。あとミシンで縫っちゃったら完成するから」
答えた。
私も一緒に行くよ、そう声を掛けようとして口を開き
――しかし、あさ美は口をつぐんだ。
拒絶されていた。愛の背中は、何者をも寄せ付けない凛とした気を放ち
あさ美を拒んでいたのだ。勘違いではなく、確実に。
- 422 名前:第二章 投稿日:2004/05/28(金) 21:41
-
「紺野さんは、もう帰った方がいいよ。一雨、来そうだし」
突き放されるように言われ、あさ美は思わず背後の窓を振り返った。
憎らしいほど晴れ渡っていた青空にはいつの間にか重い雲が垂れ込めていた。
背後で静かに閉められた扉の音を聞きながら、
今にも泣きだしそうな空だと、あさ美は思った。
- 423 名前:第二章 投稿日:2004/05/29(土) 22:22
-
※
あの日も、今日と同じような日だった。
家庭科室の椅子に座りながら、愛はぼんやりとした思考で思う。
家庭科室には、愛以外誰もいない。
つい先ほどまでは一年生らしき少女たちが四人いたのだが、
バスに乗り遅れるからと帰ってしまった。
彼女たちから預かった家庭科室の鍵は愛の手の平の中にある。
愛は拳をぎゅっと握った。鍵が手の平に強く食い込む
なぜ、あんなことをしてしまったのだろう。
なぜ、あんなことを。
自分も、彼女も傷つけるような真似を。なぜ。
今まで、ずっと堪えてきたのに。どうして。
- 424 名前:第二章 投稿日:2004/05/29(土) 22:23
-
湧き上がる後悔の念に耐えるようにぎりぎりと唇を噛み締めていると
不意に激しい雨の音が耳に飛び込んできた。愛はのろのろと窓に目を向ける。
煉瓦色の石畳の上を、雨が激しく打ちつけているのが見えた。
まさにバケツをひっくり返したような雨だった。
先ほどの一年生たちはバスに間に合ったんだろうか。
そして、彼女は雨が降る前に帰れただろうか。彼女は徒歩通学のはずだ。
あの後、すぐに教室を出ていれば雨に濡れずに帰れただろうが――
いや、自分が心配しても仕方のないことだ。
愛は緩慢な動作で立ち上がるとミシンの準備を始めた。
- 425 名前:第二章 投稿日:2004/05/29(土) 22:24
-
※
朝比奈学園は、幼稚舎から大学までの一貫教育が受けられるので
当然、エスカレータ式で中等部に上がった生徒たちの方が、
外部受験をして入学してきた生徒たちよりも多くなる。
そのため、外部生にとっては緊張する入学式だとしても
すでに教室内は仲良しグループがいくつかできあがっているのだ。
そして、その中に外部生が入っていくのは時間がかかるとされている。
人見知りをする愛は当時どこのグループに上手く属することができずいつも独りでいた。
そんな愛に声を掛けてきたのが高等部の先輩にあたる石川梨華だった。
自分も中等部のときは外部受験組だったからなかなか馴染めなかったんだよ
と彼女は笑っていた。話をするうちに梨華の家が自分の家とそう遠くない事を知った。
それからいつも一緒にいるようになって
梨華の取計らいで高等部の方に何人か親しく話せる人が出来た。
いつからか愛は梨華のことが好きになっていた。
梨華も、愛のことを好きだと言ってくれた。
抱きつけば、梨華はいつも優しく抱き返してくれる。
いつまでもそんな関係は続いていくのだと愛は信じていた。
- 426 名前:第二章 投稿日:2004/05/29(土) 22:25
-
「梨華ちゃんと高橋は仲いいね」
そう言ったのは、梨華のクラスメイトだった気がする。
名前は覚えていない。当時の愛は、梨華以外の人に興味なんてなかったから。
そのあきれたような、それでいてどこかうらやましそうな言葉の響きに、
愛は小学生のように得意になったのを覚えている。
梨華のことが本当に好きだった。
当時の愛にとって、梨華は世界のすべてだった。
彼女がいなければ死んでしまうと、本気で思っていた。
梨華もそうだと、彼女も愛がいなければ死んでしまうだろうと、思い込んでいた。
梨華の『好き』と愛の『好き』は、無条件で同じ種類に属する『好き』だと、
無邪気なまでに信じていた。
- 427 名前:第二章 投稿日:2004/05/29(土) 22:26
-
愛が中等部の3年にあがったある日のことだ。
文化祭の準備があって愛は夏休みだというのに学校にいた。
夕方になるとあらかたの準備が終わり愛は帰路についた。
愛の家は、バスと徒歩で約三十分の所にある。
二十分バスに揺られ、後は徒歩だ。
そして、全ての終わりを告げる出来事はその徒歩の途中で起こった。
梨華が見たことのない男性と楽しそうにこちらに向かって歩いてきていたのだ。
思わず、梨華に気づかれないように隠れ愛は二人の後姿を目で追った。
男性は先程愛が降りたバス停からバスに乗ってどこかへ出かけるようだった。
梨華が手を振って見送っている。
ぽつりと、頭皮に雨を感じ顔を上げると青く澄み切っていた夏空はどんよりと曇っていた。
夕立が来る、と愛は頭の片隅でぼんやりと思った。
- 428 名前:第二章 投稿日:2004/05/29(土) 22:27
-
「あれ?高橋?」
遠ざかるバスのエンジン音とその声に我に返ると
梨華が立ちすくむ愛を見て驚いたように口を押さえていた。
雨がポツリとポツリと降り始める。
「石川先輩!」
愛は、本能的に幼い子供が母親にするように梨華に縋りついたた。
梨華は一瞬なにか言いかけたようだが、
そのままいつものように優しく愛を抱き返してくれた。彼女の腕の中は温かかった。
「どうしたの?」
梨華の優しい声が耳に届く。
愛はただ首を振った。聞ける筈がなかった。
さっきの人は誰なの?とは――
様子のおかしい愛を案じるかのように背中に回された力が強くなる。
愛は大人しくその腕に身を任せた。
- 429 名前:第二章 投稿日:2004/05/29(土) 22:27
-
大好きな梨華。
でも、彼女は――汚されてしまったのかもしれない。
どうしてそのような考えに至ったのか愛は自分でもよく分からなかった。
確かめなければならない。確かめなければならない。
その焦燥にも似た思いが愛を突き動かし
そして、愛は無意識のうちに梨華にキスをしていた。
梨華の柔らかな唇を確かめながら、愛は安堵の気持ちを抱いた。
けれど。
- 430 名前:第二章 投稿日:2004/05/29(土) 22:28
-
「やだっ!!」
愛は、梨華に突き飛ばされた。
尻餅をついたはずみにバシャッと水がはねる。
呆然と、愛は梨華を見あげた。拒絶された。梨華に。
いつも一緒だったあの梨華に。
自分の事を好きだといってくれた梨華に。
何かに殴られたような衝撃が、愛の中を駆けめぐってワケが分からなくなった。
雨の音がやけに遠く聞こえる。
梨華は怯えた視線で愛を見つめ、そのまま雨の中を逃げるように駆けていった。
激しい雨は容赦なく愛の体を濡らしていく。
アスファルトは愛の気持ちを表すかのように真っ黒に染まっていた。
その時初めて愛は、梨華と自分の『好き」が全く別の種類のものだったことに気づいたのだ。
- 431 名前:第二章 投稿日:2004/05/29(土) 22:29
-
※
愛はミシンから顔を上げ窓を見やる。
どんよりと暗い空からはあの日と同じ激しい雨が
石畳をうちつけており当分止みそうになかった。
- 432 名前:Frontier 投稿日:2004/05/29(土) 22:29
-
- 433 名前:第三章 投稿日:2004/06/01(火) 21:12
-
私の手は
温度を求めてしまうから
あなたに触れる事も叶わない
- 434 名前:第三章 投稿日:2004/06/01(火) 21:12
-
- 435 名前:第三章 投稿日:2004/06/01(火) 21:13
-
大好きな梨華が、愛の手から離れてしまった後、
あの時初めて、愛は自分が彼女に抱いていた感情が『恋愛感情』であることを知った。
梨華に触れたいと思う。抱きしめてみたいと思う。
だが、そんな風に彼女を愛おしく思う気持ちは罪だったのだ。少なくとも梨華の中では。
もし。もし、愛がそのことを知っていれば、梨華にあんなことをしなかっただろう。
そうすれば、梨華はずっと隣にいてくれたのかもしれない。
けれども、と愛は思う。
遅かれ早かれ、梨華は自分の元を離れていっただろう。
お互い、勘違いをしていたことに気づいて。
- 436 名前:第三章 投稿日:2004/06/01(火) 21:14
-
愛の『好き』は梨華の『好き』とは違う『好き』で、
梨華の『好き』は愛の『好き』と違う『好き』だった。
たったそれだけの――けれども、とてつもなく大きなすれ違い。
きっと気づくのが遅すぎたのだ。
いずれ梨華が離れていくことに変わりはなかっただろうが、
もう少し気づいていたら、お互いこれほどまで傷つかなかっただろう。
最悪とも言える形で、二人はお互いの気持ちが自分のものと違うことに気づいてしまった。
- 437 名前:第三章 投稿日:2004/06/01(火) 21:14
-
それからの一年は大変だった。
愛は学校に行くことが出来なくなった。
もしも、梨華に会ったらと思うとどうしても学校に足が動かなかったのだ。
愛がそうしている間に梨華は卒業していき今では東京の大学に通っているらしい。
自分のことなどもう覚えていないだろう。だが、それでよかったのだ。今ではそう思う。
自分は女なのだから同性に恋心を抱くのはおかしいと。狂っていると。
あれからずっとそう――思ってきたはずなのに。
それは人を傷つける罪なのだと、自分を戒めてきたはずなのに。
- 438 名前:第三章 投稿日:2004/06/01(火) 21:15
-
※
二学期になってから愛は図書室で過ごす時間が多くなった。
昼休みに加え、授業中も図書室で過ごすようになったのだ。
教室にいる時間のほうが少ないだろう。
授業にあまり出なくなった愛を学校側は黙認していた。
以前と違って学校には来ているのだから、それでいいとしてくれているのかもしれない。
愛は、本を読む手を止め窓の外に視線を投げた。
図書室の窓から見える桜並木の葉の緑には褐色が雑じり始め迫る冬の姿を見せはじめている。
窓の外を眺めながら、愛は指先にくるくると髪の毛を巻き付けた。
読みかけの本のページがどこからか吹いてくる風でぱらぱらとめくれる。
どこまで読んだのかわからなくなってしまったが、然して気にしなかった。
本の活字を目で追ってはいたものの、内容は全く頭に入っていなかったからだ。
- 439 名前:第三章 投稿日:2004/06/01(火) 21:16
-
愛は、巻き付けていた髪を指から離した。
大して意味のなかった髪を伸ばすという行為が意味を持ち始めたのはいつだっただろう。
指先に、再び髪を巻き付ける。巻き付けては離す。
その行動を何度も繰り返す。繰り返して確認する。
自分の髪の長さを。自分が女であることを。
馬鹿馬鹿しいと思わないでもないが
『女の子はこうあるべき』という古典的な考えを持つ母親に
幼い頃からズボンは履かせてもらえず、スカートで一年中を過ごし、
『女の子なんだから勉強はしなくていい。家事をやりなさい』と、
口を酸っぱく言われてきた愛にとって、この長い髪は女らしさの象徴だったのだ。
- 440 名前:第三章 投稿日:2004/06/02(水) 20:40
-
※
「高橋」
担任の事務的な出席確認に答える声はない。
あさ美は、そっと廊下側の一番後ろの席を顧みた。
机の横に鞄すら掛けられていないその席は高橋愛の席だ。
一学期までは、その席に座り無感動な表情で授業を受けていた彼女は、
ここしばらく教室に姿を見せていない。
教室どころか――夏休みのあの日以来、彼女は一度もあさ美の目の前に現れていない。
夏休み中に開かれた二度目の文化祭下準備の日にも、
他のクラスメイトは来たが、愛は姿を見せなかった。
結局、彼女はそのまま文化祭にも出てこなかった。
時たま、通常授業には出ているが愛とあさ美の席は離れており
彼女は授業が終わるとさっさと教室から出て行ってしまうので、
会話はおろか、二人の視線が交わることさえない。
今度こそ、あさ美は愛に避けられていると確信していた。
理由は分からない。思い当たる節もない。
いや――心当たりはある。一つだけ。
あの、夏の日。
二人っきりで文化祭の準備を進めていた、夏休みのあの日。
あさ美は、愛に押し倒された。
それからだ。
愛が本格的にあさ美を拒絶し始めたのは。
- 441 名前:第三章 投稿日:2004/06/02(水) 20:41
-
あさ美は今でも覚えている。
教室を冷やしていたクーラーの音も、憎らしいほど晴れ上がった空も、
いつの間にか垂れこめていた重い雲も、濡れたアスファルトの匂いも、
背中の固い机の感触も、押し倒されて感じた恐怖も。
細部に至るまで、しっかりあさ美は覚えていた。
そして。
彼女の小さな背中があさ美をはっきりと拒んでいたことも。
何故、彼女が自分を押し倒すような真似をしたのかはわからない。
あの時は気が動転していて愛が何を考えていたのか、
何を思ってあのような行動をとったのか、冷静に判断することが出来なかったのだ。
ただ自分が彼女を傷つけた、という自覚はすぐにやってきた。
あさ美を見下ろしていた愛の瞳が揺れていたことや、
直後に拒絶されたことを考えれば、それくらい容易に想像がつく。
けれども、自分の何が彼女を傷つけ、拒絶される原因になったのかは見当もつかなかった。
あさ美は基本的に素直な性格である。
自分が愛を傷つけたのなら、その原因を知りたいし謝りたいと思う。
- 442 名前:第三章 投稿日:2004/06/02(水) 20:41
-
「あさ美ちゃん」
不意に名前を呼ばれ、あさ美ははっと我に返った。
気がつけば、麻琴が訝しげにあさ美の顔をのぞき込んでいる。
「授業、終わったけど?」
「え?」
辺りを見回せば、教室内は騒々しく、クラスメイトたちはみんなお弁当を広げている。
日直が黒板に書かれた漢文をせっせと消していた。
どうやら、考え事をしているうちに授業が終わっていたようだ。
「お弁当、食べないの?」
「あ、食べるけど」
さっさとお弁当の包みを開き始めた麻琴に、あさ美は慌てて頷く。
学校指定の補助鞄からお弁当を取り出そうとして、あさ美は小さな声を上げた。
「どうしたん?」
「今日、お弁当じゃなくてパンだった」
「あ〜ぁ」
「パン買ってくる。先に食べてて」
「じゃぁ、ついでにパックの烏龍茶も」
「はいはい」
あさ美は鞄の中から財布を取り出すと、麻琴の見送りを受けて教室を後にした。
- 443 名前:第三章 投稿日:2004/06/02(水) 20:43
-
急ぐ必要はない。
急いだところでもう購買は混んでしまっているだろうし、
かといって、早々パンは売り切れたりしない。
あさ美はのんびりと廊下を歩く。
でも、近道だけはしていこうと考えていた。
近道と言っても、東階段を降りて図書室を通り抜けるだけで、
購買までの距離自体は中央階段を使った時とさほど変わらない。気分的なものだ。
ただ、もしかしたら図書室で愛に会えるかもしれないとあさ美は少しだけ期待していた。
会えたら、久しぶりに話すことも出来るかもしれない。
そこまで考えて、これではまるで彼女に恋をしているようだと、思わず苦笑いを零した。
勿論、あさ美は愛のことが好きだ。
好きか嫌いか、と聞かれれば即答で『好き』と答える。
けれどもそれは決して恋愛感情の『好き』ではない。
たぶん、この思いは限りなく憧憬に近い『好き』なのだと思う。
桜の花びらに包まれていた愛を綺麗だと思った。
くすくすと楽しそうに笑った愛を可愛いと思った。惹かれた、と言ってもいい。
けれどもそれは、異性に対して抱くような、胸が焦がれる『好き』ではないと断言できるものなのだ。
なかなかややこしい感情だと自分でも思う。
- 444 名前:第三章 投稿日:2004/06/02(水) 20:43
-
あさ美は真鍮のドアノブを回し、木製の扉を開いた。
カウンターの図書委員と目があったので、軽く会釈をしてその前を早足で通り過ぎる。
整然と並んだ書架の合間に視線を走らせて愛の姿を探す。
しかし、彼女はどこにも見当たらない。
司書室で昼食を取っているのかもしれないな、あさ美は思う。
彼女が司書室で昼食をとるのは有名な話だ。ちょうど昼休みだしその可能性が一番高い。
あさ美は、カウンターに視線を投げる。
わざわざ図書委員の生徒に頼んで愛を呼んでもらうほどのことでもないし、
今日のところは出直したほうがよさそうだ。
あさ美は視線を戻すと保健室よりの扉を開いた。
図書室は、本館一階の東側の隅にあり、出入り口は全部で三つある。
一つは、先ほど入ってきた東階段前の出入り口。
二つ目は、正門から直接図書室に来ることが出来るようになっている、小さな昇降口。
そして、最後の三つ目が保健室側のこの扉だ。
図書室を通り抜けて東階段、あるいは中央階段方面に行こうと思った場合、
使うのはこの扉と東階段前の扉である。
- 445 名前:第三章 投稿日:2004/06/02(水) 20:44
-
そして、保健室側の扉を出て、すぐ左斜めにあるのは、保健室の出入り口だ。
そこで――あさ美はばったり出会ってしまった。
ちょうど保健室から出てきたばかりの、愛と。
あまりの不意打ちにあさ美は咄嗟に声が出なかった。
それは向こうも同じだったらしく、驚きに目を見開き、声もなく立ちつくしている。
しかし――愛のほうが早かった。
彼女は素早くあさ美の脇をすり抜けるようにして図書室の中へ飛び込んでしまったのだ。
「高橋さん!」
無情にも、図書室の扉が閉まる。
あさ美は、閉められた扉の前で立ち尽くす。
強引に追いかけることも出来た。
けれど、あさ美は愛を追いかけることが出来なかった。
閉まった扉が、あの夏の日と同じように自分を拒絶していると、分かったから。
だから、扉を開けて追いかけることは出来なかった。
- 446 名前:第三章 投稿日:2004/06/03(木) 21:14
-
※
あれから、どのようにして家まで帰ってきたのだろう。
気がつけば、自室の床にへたりと座り込んでいた。
壁にかかった時計を見上げれば二時近く。
保健室で最後に時刻を確認した時は一時だった。
あさ美から逃げるように学校を飛び出してから
家に帰ってきて三十分近くはぼんやりしていた計算にある。
元々、体中がだるく、養護教諭からは早退の許可を貰っていたので問題はないが。
家の中はしんとしており、正確に時を刻む時計の音だけが響く。
両親は仕事で二人とも家にいない。正真正銘、家の中は愛一人だった。
「……着替えなきゃ」
愛はのろのろと立ち上がった。
三十分も無造作に座り込んでいたせいで
制服のスカートはしわだらけになり、プリーツはとれかかっている。
後で、アイロンをかけなければ母親に文句を言われるだろう。
皺になった制服は、彼女が嫌うものの一つだ。
- 447 名前:第三章 投稿日:2004/06/03(木) 21:15
-
クローゼットからハンガーを取り出して愛は脱いだブレザーをかける。
下着姿になった所で、ふと壁に立てかけた鏡に映る自分の姿が視界に入った。
全身の映る大きな鏡。
愛はふらりと吸い寄せられるように鏡の前に立った。
手入れを怠ったことのないサラサラの髪。丸い肩。ふくらんだ胸。
筋肉のついていない細い足。
愛の身体を、そっくりそのまま鏡は映し出していた。
それを見ているうちに愛は突然鏡を叩き割りたい衝動に駆られた。
忌々しかった。
丸みを帯びた肩も、ふくらんだ胸も、筋肉のついていない足も、
長い髪も、それを映し出す鏡も、なにもかも。
鏡に映った自分の身体は、すべて女のそれだ。
忌々しいそれらは、自分を戒める鎖であると同時に、愛が苦しむ原因でもあった。
- 448 名前:第三章 投稿日:2004/06/03(木) 21:16
-
女でなければ。
女でなく男であったならば、こんなにも苦しむことはなかったのに。
異性を愛するという行為には、何の問題もないのだから。
けれども、同性愛は認めてもらえない。
キリスト教では罪に当たるとも聞いたことがある。
アダムとイヴの犯した罪は原罪、個人の犯した罪を自罪というらしい。
ならば、人を愛するという行為は原罪なのか自罪なのか。
もし。もし、この感情が原罪ならば。
アダムとイヴが知恵の実を食べていなければ、こんな感情を抱かずにすんだかもしれない。
いや、違う。愛は首を振った。そもそも自分はキリスト教徒ではない。
だから、気にする必要も、罪に苛まれる必要もないのだ。
これは、一種の責任転嫁でしかないだろう。
神や、アダムとイヴといった、責めるに責められないもののせいにすることで、
愛は楽になりたかっただけだ。自分一人で抱え込むにはあまりにも重すぎるのだ。
この感情は。苦しすぎたのだ。
- 449 名前:第三章 投稿日:2004/06/03(木) 21:17
-
耳の奥で、見ず知らずの女子高生たちの言葉が甦る。
梨華に対する自分の気持ちに気付いた、中三の秋。
愛の手から梨華が離れていってしまった後のことだった。
愛は心身共に落ち込んでいた。
それに、追い打ちを掛けるような書店での出来事。
これがきっかけで、愛は元から苦手だった人付き合いを一切しなくなった。
その時、どうして書店のそのスペースにいたのかは、思い出せない。
普段なら、意図して避けるスペースのはずだったのに。
最近はどの書店に行っても、必ずと言っていいほど
所狭しとボーイズ・ラブの小説が置かれている。
知識として、それらの小説が少年同士の恋愛を扱ったものであることは知っていたが、
実際、手にとって小説を読んだことは一度もなかった。
いかにも、な雰囲気の表紙だけで愛は気恥ずかしくて、
書店でもそれらの小説が置いてあるスペースだけは避けていたのだ。
- 450 名前:第三章 投稿日:2004/06/03(木) 21:17
-
だが、その時に限って愛はそのスペースにいた。
梨華に対する気持ちに気付いて、それらの小説に親近感を抱いたからかもしれない。
当時の自分がその時何を思ってそのスペースにいたのか、
今となってはそう推測することしか出来なかった。
そこで突然耳に入ってきた見知らぬ女子高生たちの会話。
彼女たちはそれらの小説を嫌悪の眼差しで見つめ、蔑みのこもった声でこう言ったのだ。
『ホモ小説ってありえないよね』
『マジ勘弁でしょ』
『てゆーか、超キモイし』
『だよねー』
『実際ホモとかレズとか周りにいたら超怖いんだけど』
- 451 名前:第三章 投稿日:2004/06/03(木) 21:18
-
その後のことは、覚えていない。
気がつけば、自室のベッドで声を上げて泣いていた。
やはり、自分はおかしいのだ。やはり、自分は狂っているのだ。
だから。
だから梨華は離れてしまったのだ。
自分の梨華への思いが、世間一般的に見て『おかしい』と思い知ったその時から、
愛は次第に心を閉ざすようになった。
クラスメイトから『気持ち悪い』と言われるのが怖かった。
蔑みの目で見られるのが怖かった。
それ以上に、もうこんな苦しい思いをするのは嫌だった。
だから、心を閉ざした。もう二度と、同性を好きにならないように。
それなのに。
愛は鏡の上に右手を置いた。指先に、力を込める。
当然の如く、それだけで鏡が割れるはずはなく
愛はそのままの体勢で声を押し殺して泣いた。
- 452 名前:Frontier 投稿日:2004/06/04(金) 22:03
-
- 453 名前:第四章 投稿日:2004/06/04(金) 22:03
-
やさしい人よ ありがとう
声をあげて泣くことなんて
もうずっと 忘れていたのに
- 454 名前:第四章 投稿日:2004/06/04(金) 22:04
-
- 455 名前:第四章 投稿日:2004/06/04(金) 22:05
-
※
愛が彼女を初めて意識したのは春先に催された体育祭の時だ。
学年別、学級対抗リレー。
学級対抗リレーは体育祭で一番盛り上がる種目である。
行われるのは体育祭のラスト。
そのためか、点数配分も他の種目と比べて高い。
この時、三組は一組にわずか五点差で負け、二位だった。
学級対抗リレーで一位を取れば、例え一組が二位だったとしても逆転して
三組が優勝することができる。
優勝を狙うクラスは一丸となって選手の応援に力を入れた。
愛は白熱するクラスメイトたちとは一線を画し、リレーを眺めていた。
応援をするわけでもなく、ただぼんやりと眺めていた。
クラスメイトたちのどこか悲鳴にも似た応援を聞きながら。
クラスの勝ち負けにまったく関心がなかったのだ。
- 456 名前:第四章 投稿日:2004/06/04(金) 22:07
-
リレーの序盤、三組は六組中四位だった。
第三走あたりから徐々に順位を上げていき、アンカーにバトンが渡ったときには、
二位まで追い上げていた。そのアンカーが、彼女だった。
陸上部だというのは知っていた。
けれども、彼女の走りを見るのは初めてだった。
体育の授業では意識していないせいか、彼女の走りを見たという記憶がなかったのだ。
綺麗なフォームだな――グラウンドを走る彼女を眺めながら、愛はそんなことを思った。
クラスメイトたちの応援は彼女の力走にますます白熱してきている。
他の走者たちはグラウンド半周だが、アンカーだけは一周する。
二年三組の応援席は、ちょうどグラウンドの半周を過ぎたところだった。
現在一位の二組の走者が半周の地点を過ぎる。
続いて、二位の三組の走者も。両者の間はどんどん縮まり、
ちょうど三組の応援席の前で、彼女は二組の走者を抜いた。
歓声が沸き上がる。ライバルの一組は五位だ。
三組の優勝は決まったも同然。その時、誰もがそう思ったに違いない。
優勝に興味はなかった愛でさえそう思ったのだ。
しかし――
一瞬後、彼女に何が起こったのか。一位を抜かして、安堵したのか。
それとも、クラスメイトたちの前だということで緊張したのか。
誰もが三組の優勝を確信したその一瞬後、彼女は転倒した。
二組の走者を抜かしてすぐ、三組の目の前で。
- 457 名前:第四章 投稿日:2004/06/04(金) 22:08
-
一瞬、白熱していた三組の席が静まりかえった。
もう優勝は無理だという落胆、まさかという思い、
転んだ彼女への気まずさ、それでも応援しなければ――
そう言った様々な感情が一瞬のうちに三組の席を駆けめぐり、
その後、思い出したようにクラスメイトたちは転んだ彼女へ声援を送りはじめた。
愛はそれを、とても冷めた感情で眺めていた。
転んだ彼女はさぞかし気まずい思いをしているだろうな、と思いながら。
彼女が立ち上がる。
土で汚れた体操服やハーフパンツを払おうともせずに彼女はキッと前を向いた。
その横顔を見た瞬間、愛は彼女に目を奪われた。
凛とした横顔。
前を見据える瞳は黒く澄みきっている。戦う者の瞳だった。
おそらく、彼女の耳にはクラスメイトの声援など入っていないだろう。
クラスメイトが必死になって応援している姿も視界にはうつっていないに違いない。
彼女に聞こえているのはおそらく自分の鼓動だけだ。
彼女に見えているのはその先にあるゴールとライバルだけだ。
- 458 名前:第四章 投稿日:2004/06/04(金) 22:10
-
彼女が走り出す。この時には二組はすでにゴールしており、
大分差が開いていたはずの三位以下の走者にも抜かされていた。
もう優勝は無理だ。まともな点がもらえるのは、五位まで。
六位以下は、すべて一点しかもらえない。優勝はどう考えても無理だった。
けれども、彼女は決して手を抜こうとはしなかった。
転倒前と何ら変わりない綺麗なフォームで、スピードで、彼女は走った。
目が離せなかった。離すことができなかった。
愛は、食い入るように彼女を見つめていた。
彼女は、ゴール直前で一人抜かして五位に食い込んだ。
ゴールテープを切り、他の選手に支えられた彼女を見て、
愛は初めて彼女の膝から血が流れていることに気がついた。
どうして今まで気がつかなかったのだろう。
膝がむき出しの状態でグラウンドに転んだのだ。擦り剥いていたっておかしくはないのに。
しかし、無理はない。
愛が傷に気づかないほど、彼女は身軽に走っていたのだ。
彼女はそのまま救護テントへ向かった。誰の手も借りることなく、一人で。
- 459 名前:第四章 投稿日:2004/06/04(金) 22:10
-
体育祭のあったその日。
誰にも関わらないようにしていた愛の心に、たった一人のクラスメイトの名前が刻まれた。
紺野あさ美。
これが、愛を惹きつけた彼女の名前。
- 460 名前:第四章 投稿日:2004/06/05(土) 21:09
-
※
十二月。街はすでにクリスマスモード一色である。
浮き足立つ街とは裏腹に、あさ美の心にはどんよりとした重い雲が立ちこめていた。
木製の扉を見つめる。この扉を開けばすぐに図書室だ。
図書室には図書室登校を続ける愛がいる。
愛とは、十月に拒絶されたっきり相変わらずの状態が続いていた。
顔を合わせれば逃げるようにどこかへ行ってしまう。
どうしても必要な時だけは事務的な会話を交わすけれど、
絶対にあさ美とは目を合わせようとしない。
否応なしに避けられているという事実が目の前に突きつけられる。
避けられているどころか、徹底的に嫌われたのではないか、
そんな考えが何度もあさ美の頭をよぎった。
嫌われたくないのに。傷つけたのなら謝りたいのに。
それすらも、彼女は許してくれないのだ。
あさ美は小さな溜め息をついて、ドアノブを回した。
図書室のカウンターには、図書委員の生徒ではなく司書の飯田が書類をめくっていた。
愛の姿はない。掃除も終わっているからもう既に帰ってしまったのかもしれない。
- 461 名前:第四章 投稿日:2004/06/05(土) 21:10
-
「あの」
あさ美が声をかけると飯田は顔を上げた。
「先生に頼まれて期末テストの範囲表を持ってきたんですけど、
高橋さんは……」
「高橋なら、記念館へ行ったけど」
記念館……あさ美は小さな声で反芻した。
どうやら帰ったわけではないようだ。
「それじゃあ、この範囲表渡しといてもらえますか」
あさ美は範囲表を飯田に差し出した。
愛には避けられているし、自分が記念館まで届けに行くよりも、
飯田から渡してもらった方がいいと思ったのだ。
だが、飯田は範囲表を受け取ろうとしない。
「今日から試験週間でしょ?高橋、鞄持って行ったからこっちには戻ってこないだろうし。
今日中に範囲表を渡した方が良いんじゃないの?」
しごくもっともな意見である。あさ美は差し出した手を引っ込めた。
拒絶されると分かっていてわざわざ出向くのは正直あまり気が進まない。
けれど、このままでは何も変わらないことも分かっていた。
あさ美は飯田に軽く頭を下げると記念館へ足を向けた。
- 462 名前:第四章 投稿日:2004/06/05(土) 21:11
-
※
愛は、ふと顔を上げた。赤レンガのチャペル風の建物。
一クラス分の人間が入れば一杯になってしまうこの学園の記念館だ。
ここには色々な史料が展示されているが、滅多に生徒が来ることはない。
例に漏れず、今も愛一人しかいない。
中等部の頃からこの記念館にはよく来ていた。
梨華と二人で、堅い木の椅子に並んで座り会話もせずにぼんやりと過ごした。
心地よかった。梨華と過ごす時間はとても心地よかった。
けれども。
進む時計の針を戻すことはできない。
失われた時間を元に戻すことはできない。
愛の隣には誰もいない。この事実が、今の愛のすべてだ。
- 463 名前:第四章 投稿日:2004/06/05(土) 21:12
-
「……高橋、さん?」
不意に躊躇いがちな声が背後から聞こえた。
その声に、愛は弾かれたように振り返る。
記念館の入り口。入口をふさぐようにして立っていたのは──。
「紺野さん…」
紺野あさ美だった。
愛は反射的に長椅子から立ち上がり彼女から逃げようとする。
しかし、たった一つの出入り口はあさ美自身がふさいでしまっている。
愛は咄嗟に奥にあるステンドグラスのところまで逃げようとした。
「逃げないで」
凛とした声。
「お願い。逃げないで」
愛は立ち止まった。
けれども振り返らない。振り返るのが、怖かった。
コツコツと、固い足音が響く。あさ美が愛の近くまで来ようとしているのだ。
- 464 名前:第四章 投稿日:2004/06/05(土) 21:13
-
「高橋さんが、私のことを嫌っているのは知ってるから…」
柔らかな、けれどもどこか悲しそうな声音。
愛は軽く目を見開いた。
違う。
嫌ってなんかいない。
「だから、会うのは嫌かもしれないけど」
違う。
愛は、心の中で叫ぶ。
「どうしても、試験の範囲表は今日中に渡した方が良いと思って……」
足音が止まった。
「ごめんね」
どうして
どうして、好きになった人をいつも傷つけてしまうんだろう。
愛の身体は、張りつめていた糸が切れたように床へ崩れ落ちた。
「高橋さん!?」
あさ美の、驚いたような声。
- 465 名前:第四章 投稿日:2004/06/05(土) 21:13
-
違う。
違う。
違う。
愛は口元を抑える。
嫌いじゃない。
嫌いなら、彼女を避けたりなんかしない。
好きなのだ。
だからこそ――
- 466 名前:第四章 投稿日:2004/06/05(土) 21:14
-
気づかなければ良かった。
知らない振りをしていれば良かった。
自分を守るために殻の中に閉じこもったのに、
気がつけば『紺野あさ美』という存在が愛の中にひっそりと存在していた。
初めは、彼女の持つ強さに惹かれた。
逃げずに戦うことのできる彼女が羨ましかった。
自分はいつだって、逃げて逃げて逃げて。
だから、彼女に憧れた。
その憧憬が、恋愛感情に変わるまでさほど時間はかからなかった。
だけど、自分は女で、彼女もまた女だった。
瞳に映っていたステンドグラスの絵が滲んだ。
頬を温かい水が滑り落ちた。
- 467 名前:第四章 投稿日:2004/06/05(土) 21:15
-
「高橋さん…?」
戸惑いの含まれたあさ美の声。
崩れ落ちた愛に駆け寄っていいものなのか、考えあぐねているようだった。
愛は流れる涙を拭おうともせず、緩慢な動作で振り返った。
口元に淡い笑みを浮かべて。
「好き、です」
あさ美が息を呑む音が聞こえた。
見上げた彼女の顔は涙に滲んでよく見えない。
愛はもう一度呟いた。
「あなたが、好きなんです」
けれども、愛は知っている。
この思いが、受け入れられないことを。
一般的に否定される感情だということを。
痛いほどに理解している。
きっとあさ美からも気持ち悪いと思われるだろう。
あさ美は自分のことを嫌うに違いなかった。
わかっている。わかっているけれど、言わずにはいられなかった。
自分が彼女を嫌っていると間違われるのは嫌だった。
- 468 名前:第四章 投稿日:2004/06/06(日) 16:37
-
※
振り返った愛は泣いていた。
淡く、哀しげで、それでいてどこか透明な笑みを浮かべて。
あさ美は驚いた。と同時に戸惑った。
彼女が何故泣いているのかわからなかった。
何故あんな哀しい笑みを浮かべているのかわからなかった。
そして、彼女が呟いた言葉を聞いた瞬間、あさ美はさらに驚いた。
「好き、です」
哀しさと、愛おしさが入り交じった、硝子細工のような繊細な声。
あさ美は思わず息を呑んでしまった。好き、と愛は言った。
おそらくそれは、あさ美が彼女に思うような『好き』ではなく、
もっと愛おしく、もっと狂おしく、切ないほどの胸の痛みを伴う『好き』なのだと、
あさ美は瞬時に悟った。そして、その感情は間違いなく自分に向けられていると。
- 469 名前:第四章 投稿日:2004/06/06(日) 16:38
-
戸惑った。あさ美は、愛に対してそのような激しい感情を抱いたことがなかったから、
どうしたらいいのかわからなかった。突き放すことは簡単だろう。
冗談でしょ、と笑って無かったことにすることも同じく。
だが、それでは彼女を傷つけてしまう。
ただでさえ、傷ついている彼女をさらに傷つけることなどあさ美にはできなかった。
かと言って、その気もないのに無条件に優しくすることが適当だとは思わなかった。
それはさらに彼女を傷つけてしまう筈だ。
「あなたが、好きなんです」
もう一度、愛が呟いた。
哀しい笑顔と透明な涙を伴って。
その瞬間。あさ美は無意識のうちに愛を抱きしめていた。
繊細な硝子細工を抱きしめるように、そっと優しく。
- 470 名前:第四章 投稿日:2004/06/06(日) 16:38
-
※
愛には、何が起こったのかわからなかった。
突然、自分を包み込んだ優しいぬくもり。
抱きしめられたと分かるまでに数秒かかった。
そして、自分を抱きしめる温かな腕に気づいたとき、愛は小さな嗚咽を上げた。
- 471 名前:第四章 投稿日:2004/06/06(日) 16:39
-
この思いが、許されるなんて思っていません。
受け入れられるなんて思いません。
ただ、否定しないで欲しいだけなんです。
彼女へのこの思いを。彼女のことが好きだから。
だから、否定しないでください。
否定しないで。無かったことにしないで。
私の望みはただそれだけだから。
許されることも、彼女に受け入れられることも、私は望まない。
私の願いは、望みはただ一つ。
この思いをもう誰も否定しないで下さい。
- 472 名前:第四章 投稿日:2004/06/06(日) 16:40
-
温かな細い腕は、まるで幼子を抱きしめる母親のようだと愛は思った。
その腕に、それ以上の意味はない。
傷ついた小鳥を休める、木の枝と同じ。
愛を抱きしめる腕は、この思いを受け入れることはできないだろう。
けれども、いつかの本屋の女子高生たちのように否定もしない、
梨華のように拒絶もしない。
愛の感情を受け止めあさ美は抱きしめてくれている。
それだけで、充分だった。それ以上他に望むことはなかった。
※
幼子のように、自分にすがりついて泣き声をあげる愛を、
抱きしめる腕にあさ美はそっと力を込めた。
泣き声が、一際大きくなった。
愛が泣き止むまであさ美は泣き続ける彼女を癒やすように抱きしめ続けた。
それが、あさ美にできる唯一のことだった。
- 473 名前:第四章 投稿日:2004/06/06(日) 16:40
-
※
ありがとう、というと彼女は困ったように笑った。
愛も笑った。それから、無言で校門まで歩きそこで別れた。
彼女が先に歩き出したので、愛はその背中にもう一度ありがとうと呟いた。
そして、前を見つめ背筋をピンと伸ばして歩き始めた。
凛とした戦う人の目をして――
fine
- 474 名前:人生変えちゃう夏かもね 投稿日:2004/06/08(火) 22:35
-
夏という季節はなにかしら特有の魔力を持っているようで
若者の体も心も開放的になるらしい。
ちなみに、少年少女が絡む犯罪も一年を通して夏休みという期間に集中するらしい。
だから、私もその波に乗っかって羽目をはずしてみよう。
傍から見れば一見なんの変哲もない夏の一場面の他愛ない遊戯でも
私個人にとっては人間が持つ三大欲の一つを最大限に満たしてくれる行為なのだ。
準備はもう万端だ。
木の棒。スイカ。レンタカー。同伴する人物。
一つ不満をあげるとすれば、私が誘った人物にくっついて
邪魔者が一人同行することになったことぐらいだけれど、それは目を瞑るしかないだろう。
海開きと同時に私たちは海へ行く。
- 475 名前:人生変えちゃう夏かもね 投稿日:2004/06/08(火) 22:37
-
※
暦の上ではまだ初夏のはずのこの日の太陽は
空間が歪むほどの暑さを比喩ではなく現実に、
それも強制的に私たちに供給しつづけていた。
美貴ちゃんの運転するレンタカーに装備されたエアコンは、
もう本来の仕事を放棄していて、形だけの存在と成り下がっている。
- 476 名前:人生変えちゃう夏かもね 投稿日:2004/06/08(火) 22:37
-
「だから、もっと高いのかりたらよかったのにー」
「この暑さが夏って感じじゃん」
笑い雑じりに返されるその声に
本来、私が座るはずだった助手席に座っている亜弥ちゃんが口を尖らせ
「でも暑すぎだよねぇ、愛ちゃん」
私に同意を求めてきた。
私は、美貴ちゃんのことも考え曖昧に頷き、
窓の外の景色に目を向けた。
- 477 名前:人生変えちゃう夏かもね 投稿日:2004/06/08(火) 22:43
-
※
平日だからか渋滞に巻き込まれることもなく、
スムーズに目的地である太平洋の海岸へと私たちの乗った車は辿りついた。
砂浜は、お世辞にも綺麗とはいえないものの人影が疎らなのは実に好ましい。
車が止まるなり、亜弥ちゃんが嬌声をあげ
快晴の空の下、煌く青い海に吸い寄せられるように駆けていった。
「切り替えはやっ」
美貴ちゃんが、苦笑しながら亜弥ちゃんの背中を見つめている。
その視線は穏やかだ。だから、亜弥ちゃんと一緒なのは嫌だったんだ。
これでは私の望む彼女を見ることが出来ないじゃないか。
私は、苦々しく思いながら彼女と同じように亜弥ちゃんに視線を向けた。
- 478 名前:人生変えちゃう夏かもね 投稿日:2004/06/08(火) 22:44
-
「たーんっ!早くー!!」
波打ち際で亜弥ちゃんが振り返って手招きをする。
美貴ちゃんが彼女に手を振りかえし、私のほうに顔を向けた。
「じゃ、美貴たちも行こっか」
「あ、いぇー。私ちょっと砂遊びしたいから」
「はぁ?なにそれ?」
「いいから、いいから、先に行ってて」
何回かの押し問答の末、美貴ちゃんはようやく
「じゃぁ、すぐ来なよ」と言うと海の方へ行ってくれた。
少し不自然に思われてしまったけれど仕方がない。
私の目的はくだらない海水浴などではなく、
妄想を現実のものとし、その結果から得られる欲望の成就なんだから。
- 479 名前:人生変えちゃう夏かもね 投稿日:2004/06/08(火) 22:46
-
なんだかんだ言っていたものの、美貴ちゃんは海岸のほうに行くと
私のことなどそっちのけで亜弥ちゃんと一緒にビーチボールや海水と戯れていた。
ともすれば、このまま二人の様子を観察していたくなったけれど、
計画を実行するためには事前に準備が必要なのだ。
自分を奮起させ、私は持参していたスコップを車のトランクから取り出し
海辺ではしゃぐ二人を尻目に砂浜に穴を掘りはじめた。
ザック。ザック。ザック。
- 480 名前:人生変えちゃう夏かもね 投稿日:2004/06/09(水) 20:55
-
泳ぎ疲れ遊び疲れた二人がようやく私の方へ戻ってきた。
亜弥ちゃんが濡れた髪をタオルで拭きながら言う。
「ベタベタして気持ち悪ーい。たん、シャワー浴びに行かない?」
「えー、っていうか、まだお昼すぎたばっかだよ。
美貴、もうちょっと遊びたいんだけど」
美貴ちゃんが、一瞬視線を私に向けながら言った。
もしかしたら、海辺に来なかった私を気遣ってくれているんだろうか。
亜弥ちゃんもそのことに気づいたのか、少しムッとしたように頬を膨らませ
「じゃぁ、一人で行ってくる」
そう言うと自分の荷物だけを手に今日泊まる予定の民宿の方へと行ってしまった。
美貴ちゃんはやれやれという風に濡れた髪に手をやり私に肩をすくめる。
私にとってこれは願ってもないチャンスだった。
邪魔な亜弥ちゃんがいなくなり、目当ての美貴ちゃんと二人きりになれたのだから。
- 481 名前:人生変えちゃう夏かもね 投稿日:2004/06/09(水) 20:56
-
「ねぇ、さっきなんで来なかったの?」
美貴ちゃんが唐突に言った。
「え?」
「海にさぁ、泳がないの?」
「あぁ、えっと…私、昔から海に入って泳ぐよりも砂浜で遊んでるほうが好きで。
砂山造ったり、スイカ割りしたりして」
我ながら自然な話題運びだ。
しかし、これからが肝心要なので油断は出来ない。
「へぇ〜。それで砂遊びしてたんだ」
美貴ちゃんが笑う。
「なんか勿体無い気しない?折角海に来たのに。
あ、でもスイカ割りは楽しそうだね。美貴、一度もやったことないから」
おぉっ!?
私は思わず喜びの声をあげそうになって慌ててそれを飲み込んだ。
なんだか順調にことが運びそうな展開だ。それも彼女の言葉で。
やっぱり彼女は私の運命の人なんだろう。
- 482 名前:人生変えちゃう夏かもね 投稿日:2004/06/09(水) 20:57
-
「じゃあ、してみる?私、実はスイカと棒は用意してきてて」
「マジで?愛ちゃん、用意良すぎだから」
用意周到なのは当然だ。
これこそ私にとってのメインイベントなんだから。
この小道具は絶対に欠かせない。
「でね、スイカ割りの達人的には面白いこと考えたんだけど」
「ふはっ、達人なんだ。で、面白いことってなに?」
「うん、普通にスイカ割りするんじゃ面白味に欠けるかなって思って穴掘ったんよ」
私は、先程、自分が掘った穴を指差す。
美貴ちゃんが私の指したほうに目をやり穴を覗き込んだ。
- 483 名前:人生変えちゃう夏かもね 投稿日:2004/06/09(水) 20:58
-
「うわー。けっこう深いね。人が入れそう」
「うん、多分、人が立った状態で入れる深さになってるよ」
「泳がないでこんな穴掘ってたの?一人で?」
そう言った美貴ちゃんは呆れたような笑みを浮かべる。
私は、彼女のこの人を見下したような笑みが大好きだ。
「それで――この穴をどうすんの?」
「説明すると、この穴の横にスイカを置くの。で、この穴に私が入る。
そしたら、美貴ちゃんが砂をかけて隙間を埋めて
つまり、私はまったく身動きができない状態になるの」
私はそこまで話して彼女の顔色を窺った。目的が悟られないかどうか。
- 484 名前:人生変えちゃう夏かもね 投稿日:2004/06/09(水) 20:59
-
美貴ちゃんは、少し考えるように小首をかしげ
「ああ、そういうことか。要するにスイカ割りの的が二つになるってこと?
スイカと、愛ちゃんの頭」
「そうそう、そういうこと。ただスイカ割りをするより、
このほうが緊張感があって面白いと思うやろ?」
「あはは…いやぁ、でも、間違えてホントに愛ちゃんの頭叩いちゃったら怖いし」
「そこは、私のナビと美貴ちゃんの腕次第ってこと。
私の頭叩いちゃったらあとでジュース奢ってくれればオッケーだから」
「おっ、それならいいよ。やろやろ!!」
なんだかんだで彼女はやる気満々だったようだ。
私が用意した木の棒を剣道の竹刀みたいに振り上げている。
- 485 名前:人生変えちゃう夏かもね 投稿日:2004/06/09(水) 21:01
-
ちなみにこの木の棒、人間の頭を叩いたとしても死ぬようなことはない材質のものを選んでいる。
というより、ある種の――
私のようなタイプの人間にとって絶妙の痛みを感じられるであろう代物なのだ。
衝撃がありすぎずなさすぎず、SMクラブの女王様が使用する鞭のようなものだと言ったらわかりやすい。
これからするスイカ割りが成功すれば
この棒にさらなる細工を施す予定だけれど今はまだ我慢の時。
物事には段階というものがある。
それにしても――順調だ。実に順風満帆。
亜弥ちゃんがついてくると聞いた時はどうなるかと思ったけれど
計画通りにことは進んでいる。
- 486 名前:人生変えちゃう夏かもね 投稿日:2004/06/10(木) 19:27
-
私は穴に入った。
計算通り、首から下がすっぽり穴に隠れる深さだった。
「じゃあ、砂かけて」
「あいよ」
美貴ちゃんは、どこか楽しそうに砂を穴に落し始めた。
砂が体を流れ落ちていく。変な感覚、妙な気分。
何かに似ている。そんなことを考えているうちに
次第に身動きがとれなくなり、ついには頭だけを残して私は完全に地中に没した。
そうだ。なにかに似ていると思ったら、この感覚はあの感覚に非常に似ている。
縄。縄で縛られた時の拘束感。体が自由にならないことへの被征服感。
そして少しの屈辱感。部分的な絞め付けと全体的な拘束感との違いはあるものの実に近い。
そして、目の前には彼女が私を見下ろして立っている。
意識していないのだろうがこの視線。
私の背筋から肩にかけて何とも言えぬ快感が繰り返し駆け抜け、
その度に心臓の筋肉がゾクゾク奮えた。
- 487 名前:人生変えちゃう夏かもね 投稿日:2004/06/10(木) 19:28
-
「大丈夫?苦しくない?」
「うん、全然大丈夫」
彼女の問いかけに恍惚に震える声を必死で隠しながら答える。
ここで変な様子を見せては全てが水の泡になってしまう。
「よーし、じゃやるよーっ!」
美貴ちゃんは私から大分離れた位置まで移動すると木の棒を天に振り上げた。
目隠しを付け棒を支点にして廻り始める。
よろよろとおぼつかない足取りで。
「ヤバい、もう限界かも」
「じゃぁ、私の指示に従ってスイカ目指すんやよ」
私が言うと、美貴ちゃんは「うん」とふらつきながら返事をする。
彼女は、私とスイカとは正反対の方――海を向いていた。
- 488 名前:人生変えちゃう夏かもね 投稿日:2004/06/10(木) 19:29
-
「えっと、まずは、まわれ右して」
「回れ右?右ってどっちだよ」
美貴ちゃんは言いながらも、百八十度回転し上手い具合にこちら側を向いた。
両手でしっかりと棒を握り締めている。
「どう?いい感じ?」
「うん、方向は大体オッケー。そのまま前にゆっくり進んで」
体を左右に揺らしながら彼女がゆっくりと、だが徐々に私に迫ってくる。
視線の高さが地平というのは奇妙で新鮮な感覚だけれど、なんとも言えぬ不安感も伴う。
そのうえ、首しか動かすことが出来ないので、
まさにまな板の上の鯉になったような気分だ。それがまた堪らないんだけれど。
- 489 名前:人生変えちゃう夏かもね 投稿日:2004/06/10(木) 19:30
-
「ストップ!そこからすこし左に移動して」
「左ぃっ?これくらい」
彼女は摺り足で一歩半移動した。
足の甲が肌色の砂に埋もれた。
「オッケー。バッチリ」
今、彼女は私の誘導によってすぐ目の前に立っている。
つまり、スイカとは一歩半外れた位置。
今ここで彼女が棒を振り下ろせば、スイカではなく私の脳天を叩くことになる。
そう、これこそが私の崇高なる計画の顛末だ。
見上げてみるとそれは極めて美麗な眺めであった。
すらりと伸びた肢体。踏みつけてほしくなる。私の女王様。
目隠しのせいであの鋭く尖った瞳が見れないのが実に惜しくてならない。
- 490 名前:人生変えちゃう夏かもね 投稿日:2004/06/10(木) 19:31
-
「それじゃあ、叩いて!」
彼女は私のかけ声に反応して棒を軽く振りかぶると勢いよく振り下ろした。
「とぉっ!」
ポッカーン。
間抜けな音だったが、私の指令によって振り下ろされた棒は、
それは見事に、頭蓋骨の頭頂部に痛みを与えてくれた。
快感が全身を駆け巡る。
「うぁっ、なんか変な感触。ねぇ、スイカ割れた?」
「ううん、割れてない。もう何回かしないと割れないかも」
私は答える。
「マジでぇ?スイカの癖に生意気なっ!!」
彼女は、いま自分が叩いたのはスイカなどではなく、
私の頭だということに気がつかなったようだ。いいことだ。
パコーン。
彼女は、さっきよりも力をこめて私の頭を叩く。
二度目の衝撃が快感へと変換されて脳天からつま先まで駆け抜け体の芯が痺れる。
私は、甘い息を洩らす。
- 491 名前:人生変えちゃう夏かもね 投稿日:2004/06/10(木) 19:31
-
「もうちょっと」
「うりゃーっ!!」
バコーン。
叩く。
バチコーン。
叩く。
ボコーン。
叩かれる度に、下半身が熱を帯びるのが分かる。
- 492 名前:人生変えちゃう夏かもね 投稿日:2004/06/10(木) 19:32
-
「これでトドメだー!!」
彼女が数センチ飛び上がった。砂が舞い上がる。
これは、くる。私は期待の眼差しで落ちてくる棒を見つめた。
ボコボコーン。
会心の一撃が私の頭ヒットした。たしかな衝撃と快感の渦。
大海の真中に隕石が落ちて、そこから津波が広がるように、
体の隅々まで快感の波が行き渡った。全身がビクンと震えた。
頭の中が真っ白になる。天にも昇る感覚とはこういうことをいうのだろう。
私は砂の中で彼女の手によって初めてのオルガズムを迎えていた。
- 493 名前:人生変えちゃう夏かもね 投稿日:2004/06/10(木) 19:32
-
「割れた?」
彼女の声が遠くくぐもって聞こえる。
まるで、神父が罪人の懺悔を告解室で聞いているような感じ。
聞いたことないけど。
多分、神経が快感の余波に集中し、聴覚の働きが疎かになっているんだろう。
「あ……いまので…スイカ…転がっちゃった…」
自分の声が聞こえる。
鼓膜に降ろされた緞帳が徐々に上がっていく。
「そこからちょっと…左だから」
「スイカってけっこう硬いだね。ミキ、マジ疲れてきた」
彼女はやる気がなくなったのか力ない声を出した。
そして、左方向に若干体を傾けると投げやりに棒を振り下ろした。
それは見事本物のスイカにヒットし、
スイカは綺麗に真っ二つに割れると赤い内臓を晒した。
私は、その紅い内臓に再び微かな興奮を覚えた。
- 494 名前:人生変えちゃう夏かもね 投稿日:2004/06/10(木) 19:33
-
※
割れたスイカを海岸で食べ終え民宿に戻ると
一人待っていた亜弥ちゃんが部屋で不貞腐れていた。
これはヤバいと感じたのか美貴ちゃんは部屋に入るなり
私なんかそっちのけで彼女のご機嫌取りをはじめ
「たん、お風呂」という亜弥ちゃんの言葉にこくこくと頷くと、
二人でそのまま露天風呂に行ってしまった。
が、そんなこと今の私にはどうでもいいことだった。
一人のほうが先ほどの余韻を楽しめる。
延々と繰り返されるのは棒を振り下ろす美貴ちゃんの姿。
再生。スロー。巻き戻し。
再生。コマ送り。巻き戻し。
再生。巻き戻し。再生…。
思い返すだけでも体が火照ってくる。
初めて会った時からピンときた。彼女は、私を満足させてくれる人物だと。
どうやらその直感は間違っていなかったようだ。
彼女なら、私の最終目的も上手く実行してくれるだろう。
私は、こみ上げてくる笑顔を押さえずにスイカ割りに使った棒を手に取った。
- 495 名前:人生変えちゃう夏かもね 投稿日:2004/06/11(金) 20:56
-
※
今日は昨日とは違う曇天模様の空。
太陽光は雲という遮光カーテンに遮られ、海岸の照度はだいぶ低い。
そんな天候のせいもあってか人手は昨日よりもさらに少なかった。
これまた好都合。
「ミキちゃん、またスイカ割りしよっか」
「え?別にいいけど…好きだね〜」
「じゃぁ、私、穴はいるから」
有無も言わせず、私は穴に収まる。
ほぼ同じ大きさのスイカが美貴ちゃんの手によって私の横に並べられる。
亜弥ちゃんが不思議そうに眺めている。
- 496 名前:人生変えちゃう夏かもね 投稿日:2004/06/11(金) 20:57
-
「そうだ、亜弥ちゃんもしようよ」
美貴ちゃんが突然ひどい言葉を口にした。
私は、信じられない思い出彼女を見上げる。これも一種のプレイなんだろうか。
これで亜弥ちゃんが頷いたりなんかしたらどうしようもなくなるというのに。
しかし、そんな私の不安は杞憂だったらしく
「やだよ、手が痛くなりそう」
亜弥ちゃんは興味がなさそうにそう言った。
ホッとすると同時に体がゾクリとする。
「楽しいのに」
いいながら、美貴ちゃんが砂を落しはじめたのだ。
私の体は昨日と同じように自由を奪われていく。
「目隠ししてるミキたん見てる方が楽しそう」
「キョドってるからかよ」
美貴ちゃんが苦笑した。
その間にも砂は落とされ続け、私は頭だけを残して完全に埋められた。
まさに砂の堅牢の完成だ。この拘束感。至福。
- 497 名前:人生変えちゃう夏かもね 投稿日:2004/06/11(金) 20:58
-
「今日は一発で仕留めるよっ!」
美貴ちゃんが昨日同じ離れた場所から張り切った声を出す。
目隠しをして回転をはじめる。
昨日のシーンとデ・ジャヴュしたが、どちらも現実だ。
だが、昨日とはひとつだけ違うことがある。
それは彼女がいま握っている木の棒。昨日はただの棒だった。
けれど、いまは違う。
刃厚のあるナイフの柄だけを外したものを棒の先端部分に埋め込んであるのだ。
刃はスプレーで棒と同色に塗り、僅かに出ている程度なので、
気づかれることはまずないだろう。美貴ちゃんは目隠しをしているし。
- 498 名前:人生変えちゃう夏かもね 投稿日:2004/06/11(金) 20:59
-
「いっきまーす!!」
美貴ちゃんが凶器へと変貌を遂げた棒を頭上にかかげ出立。
その姿はまるで女神。
雲の切れ目から零れた陽の光りが彼女を後光のように背後から射す。
いつの間にか雲は流れ、夏は本来の姿をとりもどしていたようだ。
まるで私たちの未来を暗示しているかのように。
その時、退屈そうに美貴ちゃんの後ろに体育座りをしていた亜弥ちゃんが立ち上がった。
- 499 名前:人生変えちゃう夏かもね 投稿日:2004/06/11(金) 21:00
-
「あ、たん、ちょっと待った。やっぱり私にやらせて」
美貴ちゃんが立ち止まり、片手で目隠しを外す。
不思議そうに亜弥ちゃんを振り返りながら
「はぁ?急にどうしたの?」
「よく考えたら、堂々と人の頭殴れるチャンスなんて滅多にないからね」
少し離れたところで行われている会話に耳を傾けていた私は口を開けた。
なにをいきなり言い出すんだ。拙い、この展開は非常に拙い。
だって、美貴ちゃんは亜弥ちゃんに頼まれると――
「ったく、我侭だねぇ。いいよ、ほい」
美貴ちゃんが亜弥ちゃんに棒を渡す。
ダメだ、ダメだ、ダメだ。なにを勝手な事を。
私は、思わず止めようとした。
勿論、首から下は砂の鎖に繋がれて身動きはできない。
- 500 名前:人生変えちゃう夏かもね 投稿日:2004/06/11(金) 21:01
-
「愛ちゃん、やっぱり面白そうだから私がするねー、いいでしょー」
いうと、私の返事も聞かずに亜弥ちゃんは目隠しをしてぐるぐるまわりだす。
呆気にとられて言葉が出ない。
「手加減しないからね!!」
冗談じゃない。 私と美貴ちゃんの神聖な儀式が、こんな――
待て。焦っちゃダメだ。焦るな、私。
やめればいいだけだ。今日は中止。仕方がないけど諦めるしかない。
「や、やっぱり危ないからやめない?」
「いまさら何言ってんの、愛ちゃん。昨日、美貴としたじゃん」
美貴ちゃんの笑い声。
その言葉には、どこか棘があるように私の耳には聞こえた。
まさか、これが私に対する彼女の答えなんだろうか。
いや、それでも嫌なものは嫌だ。
私の人生最大の喜びが亜弥ちゃんの手で行われるなんて絶対嫌だ。
どうしたらいいんだろう。
――待てよ。普通にスイカを割らせればいいだけじゃないの?
- 501 名前:人生変えちゃう夏かもね 投稿日:2004/06/11(金) 21:01
-
私は、絶望の視線をあげる。
しめたことに、亜弥ちゃんの歩行ラインは私の埋まっている位置からはずれている。
このまま真っ直ぐ行けばスイカのほうが近い。よしよし。神様は私の味方みたいだ。
「オッケ、オッケ。亜弥ちゃんそのままだよ」
「違う違う!!もっと右行って右」
ええっ!?私の声援をかき消すかのように美貴ちゃんが声をあげた。
グルなの、この二人。
思わず美貴ちゃんを見ると、彼女は指を一本だけ立てた。
一回だけ、そういうことが言いたいんだろうか?
あぁ、そうだ。美貴ちゃんは私の理想の女王様なのだ。
人が頭を叩かれる所を見たくなったのかもしれない。彼女ならありえる。
ありえるけどありえない。
亜弥ちゃんが美貴ちゃんの声にしたがって私のほうへと体をずらす。
もうだめだ。例えるなら蜘蛛の巣にかかった蝶。
羽である手足は砂という粘液に絡めとられ、二匹の蜘蛛の前になす術はない。
最悪だ。人生で一番最悪な展開だ。
- 502 名前:人生変えちゃう夏かもね 投稿日:2004/06/12(土) 21:52
-
「亜弥ちゃん、そこでストップ」
美貴ちゃんの声にはっと我に返るともう眼前に黒い人影が来ていた。
あぁ……見上げても快感もなにもわいてこない。
あるのは絶望のみ。
不意に、聳え立つ彼女の口元にどこか加虐的な笑みが浮かんだ。
「愛ちゃん、この棒にナイフ仕込んでるでしょ」
彼女は、私にしか聞こえないくらいの小声で
私が予想だにしていなかったセリフを吐いた。一瞬、思考が止まる。
それでも、私は震える声で聞き返していた。
「な‥んで…?」
「さっき、たんが棒構えた時に太陽の光が反射したんだよね。
バレバレ。あ、でも、たんは目隠ししてたから気がついてないみたいだけどね」
返す言葉が出なかった。
彼女は、後方にいる美貴ちゃんにはわかりにくいような動きで目隠しをずらした。
そこから覗く瞳が私を冷たく見下ろしている。
- 503 名前:人生変えちゃう夏かもね 投稿日:2004/06/12(土) 21:53
-
「どうしたの、そんなに青い顔しちゃって。
こんなことするってことは死にたかったんでしょ?私がしてあげるよ」
「ダメ。ダメなんよ……亜弥ちゃんじゃダメ」
「あれ?私に殺されるのは嫌なんだ。たんのほうが良かった?」
私は頷こうとした。
しかし、それよりも早く
「でも、ダーメ」
彼女がとても可愛らしく冷たい笑みを浮かべて言った。
私は息を呑む。
「愛ちゃんって、すっごいMでしょ?
わかるんだよね、匂いで。同じ穴の狢だからかなぁ。
私ってすっごいSなんだよ。
だから、悪いけどたんじゃなくて私が愛ちゃんを殺しちゃいまーす」
そう宣言すると、亜弥ちゃんはキュッと目を細めた。
- 504 名前:人生変えちゃう夏かもね 投稿日:2004/06/12(土) 21:53
-
「そ、そんなことしたら、亜弥ちゃんだってただじゃすま」
「そうかな〜。私が罪に問われることはきっとないと思うよ。
だって、誰がこんな公然の場で殺人を企むと思う?
それにこの棒って愛ちゃんの自前でしょ。
こんな馬鹿げたスイカ割りをやろうって切り出したのも愛ちゃん。
すべての証人はミキたんがしてくれるだろうし。
それに、警察が調べたら色々わかるじゃないかなぁ。
この棒に仕込んだナイフのこととか…
結局、他者の手を借りた自殺ってところで処理されるのがオチだよ」
亜弥ちゃんは早口で続ける。
- 505 名前:人生変えちゃう夏かもね 投稿日:2004/06/12(土) 21:54
-
「計画通りじゃん。
殺すのが、たんじゃなくて私になった点を除いてね」
「お願い、やめてよ……美貴ちゃんと代わって」
「変態は変態同士、持ちつ持たれつでいこうよ。
あ、でも私のほうが変態なのかな?愛ちゃんみたいに自殺願望は持ち合わせてないけど。
私、たんのことが好きなんだよね。誰にも渡したくないくらい…
ううん、誰かの手に渡るならいっそのこと殺しちゃうかもってくらいね」
彼女の声は低く、その言葉は忌まわしい。
確かに彼女が美貴ちゃんの事を好きだというのは見ていれば分かるが――
その独占欲は私の想像以上のものだった。
私はもうただ魚のように口をパクパクさせるしか出来ない。
- 506 名前:人生変えちゃう夏かもね 投稿日:2004/06/12(土) 21:55
-
「まぁ、そんなわけで、たんにはこんなくだらないことで傷ついて欲しくないの」
彼女は木の棒を――その実は凶器なのだが――上段に構えたまま言葉を続ける。
「たんは私のものだからね。あの子を傷つけていいのは私だけ。
アーユーアンダスタンド?」
もはや彼女の言葉など耳に入ってなかった。
必死でもがいてもやっぱり体は動かない。
「亜弥ちゃん、なにやってんのー!!そこでオッケーだってばー!!」
遠くから聞こえる美貴ちゃんの無邪気な声は、
相変わらず私の女王様のようで、死刑を宣告する裁判官のようでもあった。
知らないということはなんと幸福で、なんと罪深いことなんだろう――
こんな変態に愛されてしまった美貴ちゃんは可哀想だ。
私は、自分の事を棚においてそんなことを思った。
- 507 名前:人生変えちゃう夏かもね 投稿日:2004/06/12(土) 21:55
-
「じゃ、そろそろいくね。スイカ割りならぬ人間割り。
でも、こんな刃先で上手に割れるのかなあ。微妙にずれちゃったらすっごい苦しそう」
そう言った彼女の唇の端が僅かに上がった。
こんな時に笑いを噛み殺しているのだ。
すっごいサディストというのは嘘ではないらしい。
今の気分はウキウキな夏、楽しくて楽しくて仕方がないといったところなんだろう。
亜弥ちゃんが、両手で構えた棒を後ろに大きく振りかぶる。
彼女の全身に力が入るのがわかった。
そして、スタート。
唸りをあげながら振り下ろされたそれは、私の脳天めがけて走り出す。
その太刀筋は一直線で迷いなし。ビデオの映像を見ているようにコマ送り。
生死を目前にした人間の集中力の為せる技だろう。
生命を脅かされた脳はその回避のために脅威的な働きをみせるらしい。
- 508 名前:人生変えちゃう夏かもね 投稿日:2004/06/12(土) 21:56
-
時間の流れる速度は、スロースロースロー。
しかし、火事場のなんとやらも
物理的な大壁の前には諸手を上げて降参。
身動き取れない今、私が願うは悪魔の退散。
いつまで経っても、死の走馬灯など上映されない。
見えているのは痛いくらいの事実。執拗なまでの現実。そして、ついに到達。
肉厚の刃が、私の頭蓋骨をみしみしと砕き始めるのを感じながら、
自分の頭が昨日のスイカみたいに真っ二つに割れ脳髄がぱっくり顔を出す光景を想像した。
それはなんとも優美で、グロテスクで、人工的で、卑猥で、神がかり的で、
滑稽な、オブジェの完成。そのうちとうとう目の前停電。私はたぶんそれで永眠。
- 509 名前:人生変えちゃう夏かもね 投稿日:2004/06/12(土) 21:56
- おしまい
- 510 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/12(土) 21:57
- 中間点なのでボツ理由
1.男が出てるでしょ
2.意味不明でしょ
3.誰やねんって話でしょ
4.もはや娘。小説じゃないでしょ
5.タブーでしょ
6.続きそうで続かないでしょ
7.嘘つきまくりでしょ
8.いきなりラップに走ったでしょ
1000まで埋め立て鈍行乗って出発
- 511 名前:GAME 投稿日:2004/06/15(火) 22:30
-
Day 1 AM 00:23
送信者:高橋
件名:
本文:
これはゲームです。
このゲームに残された数値は、あと 72です。
この数値は、一時間が経過するごとに 1 ずつ減っていきます。
また、このメールが誰かの手に渡ったときには 3 減ります。
この数値が 3 を下回ってしまった場合、
このメールを転送することはできなくなります。
最後に手元にメールが残っていた人の負けです。
勝負に負けた人は、罰ゲームを受けなければいけません。
――
送信者:高橋
件名:λ
本文:
λλλλλ
- 512 名前:Chapter 1 藤本美貴 投稿日:2004/06/15(火) 22:32
-
AM 08:42
新着メールがあることを告げるマークがディスプレイの右端に点灯していた。
それは二通あった。一通はチェンメ、残りの一通はただの記号の羅列だ。
「またぁ?」
相変わらず内容のない高橋からのメールに藤本はついそう洩らす。
彼女からくるメールはいつもこれだ。
呆れながらもとりあえず内容に目を通す。
「……ゲーム?」
チェンメのほうは娘。内で流行っているものとは少し違っている
今まで見たことのないタイプのものだった。
ゲームは時限式のものであること、一定の条件でゲームの終わりが早まること、
ゲームが終わった時点でメールが手元に残ってしまった場合、
罰ゲームを受けなければならないこと、と、大体そのようなことが書いてあった。
「何これ?転送して遊ぶゲームってこと?」
以外に作り込まれたメールだ。
広告業者が考え出した新しい類のメールだろうか。
どちらにしてもあまり気分のいいものではなかった。
- 513 名前:Chapter 1 藤本美貴 投稿日:2004/06/15(火) 22:32
-
「で、もう一通が」
もう一通のメールには、記号だけ。
藤本は嘆息する。
「どうせ覚えてないんだろうなぁ、これ」
本人に送り返してやろうか、とそんな考えが浮かぶ。
携帯のボタンに指を動かしかけた時、時刻が目に入った。
もう出なければいけない時間だ。
「やばっ」
遅刻してまで付き合うような遊びじゃないし、そう心の中でつぶやく。
とりあえず、集合場所についてから送り返しても遅くはないだろう。
藤本は手早く帽子を被ると部屋を飛び出した。
受信メールの画面に浮かんだメッセージの数値は 64を示していた。
しか、この数値がメール到着時よりも少なくなっていることなど
彼女が気付くはずもなかった。
- 514 名前:Chapter 1 藤本美貴 投稿日:2004/06/15(火) 22:35
-
AM 10:40
「おはよーございまーす」
楽屋を開けて藤本は思わずそう声をあげた。
楽屋には五期と六期のメンバーと吉澤ひとみしかいない。
集合時間の二十分前。
夏に卒業の決まっている辻希美と加護亜依の二人は
今日から明日の午前中まで地方でプロモーション活動があるらしく
別行動になっているからいないのが当然だして、
年上のメンバーたちが一人もいないのはおかしい。
一体どうしたのだろう?珍しいこともあるもんだ。藤本は思う。
「……ミキちゃんさん、ちょっと」
慌てたように立ち上がった吉澤が藤本の肘を掴んで楽屋の外へと引っ張る。
他のメンバーは不思議そうな顔でそんな二人を見ていた。
- 515 名前:Chapter 1 藤本美貴 投稿日:2004/06/15(火) 22:36
-
「ちょっとなんなの?」
一番近いトイレまで引きずられた藤本は不機嫌を露にしながら吉澤に問うた。
「…高橋、今日休みなんだって」
「はぁ?」
やけにあっさりと告げられた言葉に藤本は口を開ける。
「だから、飯田さんたち今マネージャーさんとこいってて」
「病気とか?」
「うん、そうみたい。とりあえず、五、六期の子たちにはまだ言ってないから
美貴ちゃん来たらこっそり教えるように言われててさ、うちだけ楽屋に残ってたわけ」
藤本は、吉澤を見つめる。その瞳は真剣なものだった。
自分を騙そうとしているワケではないらしい。
だとしたら――藤本は、ふと今朝方見つけたメールの事を思い出す。
確かあのメールの送信時刻は日付が変わった頃のものだった。
あれから、急に具合が悪くなったということだろうか?
- 516 名前:Chapter 1 藤本美貴 投稿日:2004/06/15(火) 22:36
-
「よっちゃんさん」
「なに?」
「美貴、今日愛ちゃんからメール貰ったんだけど」
藤本は、尻ポケットに入れていた携帯を取り出して今朝のメールを吉澤に見せる。
吉澤は怪訝そうな顔をしたままその画面に視線を落とした。
「なにこれ?ただのチェンメじゃん」
「まぁ、そうなんだけど……この時、携帯使ってるから、
具合悪くなったとしたらこの後でしょ」
「まさか、ミキちゃんさんに怒られるのが怖いので休みますだったりして」
吉澤が少し笑いながら言う。
それだったら、愛ちゃんしょっちゅう休むことになるよ。
藤本は、心の中でそういいながら「ま、関係ないか」
呟き、携帯の画面に目をやった。そして凍りついた。
残りの数字は62になっていた。
その時、二人を探す声が廊下から聞こえ
「ミキちゃんさん、戻らなきゃ」
藤本は奇妙なものを感じながらも携帯を閉じると慌てて吉澤と一緒に楽屋に戻った。
- 517 名前:Chapter 1 藤本美貴 投稿日:2004/06/16(水) 20:27
-
PM 19:13
収録が終わるなり着替えもそこそこに藤本は携帯を取り出した。
あれから八時間はたっている。ということは――
数字は54になっていた。藤本は、ごくりと湧き出る唾液を飲み込む。
不意に何かが体中をなでまわしていった気がした。
跳ね除けるように振り向くと
「どうしたんですか?」
不思議そうな顔をした新垣里沙がいた。
「いや、なんでもないよ」
藤本は、無理矢理な笑みを作ると再び携帯に視線を落とす。
あと54。
見間違いじゃない。普通じゃない。数字は確かに減っているのだ。
一体、どういう仕組みかは分からないが――
藤本は、しばらく携帯と睨めっこをし
それから覚悟を決めたように携帯のボタンに指を動かした。
- 518 名前:Chapter 1 藤本美貴 投稿日:2004/06/16(水) 20:29
-
PM 19:30
送信者:美貴ちゃん
件名:
本文:
これはゲームです。
このゲームに残された数値は、あと51です。
この数値は、一時間が経過するごとに 1 ずつ減っていきます。
また、このメールが誰かの手に渡ったときには 3 減ります。
この数値が 3 を下回ってしまった場合、
このメールを転送することはできなくなります。
最後に手元にメールが残っていた人の負けです。
勝負に負けた人は、罰ゲームを受けなければいけません。
――
送信者:美貴ちゃん
件名: ごめん
本文:
ごめんね。どうしても気持ち悪くて……
ただのチェンメだと思ってたんだけどなんか変なんだ
だから、ごっちんもこのメールはすぐにどこかに転送して。
とりあえず、今わかってることだけ書いとく
数値は1時間で確実に減っている
転送されても減るらしい
今確認したんだけど転送すると手元にメールは残らないみたい
ごっちんのところに転送したあと、美貴の手元にメールはなくなってた
(受信ボックスにも送信履歴にも残ってなかった)
身勝手な話で本当にごめん<(_ _)>
- 519 名前:Chapter 2 後藤真希 投稿日:2004/06/17(木) 21:55
-
Day 1, PM 21:12
「んぁ」
メールフォルダに藤本美貴からの名前が二つ並んでいた。
一通には件名がない。
「なんだろ?」
メールを開いて、彼女は眉を寄せた。
本文には、中学生が携帯電話のメール機能を使って遊ぶような、
そんなくだらないことが書いてあった。
自分が娘。に在籍した頃にも流行っていたチェーンメールだ。
少なくとも彼女にとってはその程度のものに見えた。
それにしても藤本らしくない。二通目を見て後藤は思う。
いつもの藤本ならチェンメがきても誰にも送らずそこで終わらせてしまうだろうに――
わざわざ謝罪まで加えて詳細を送ってきている。
なにかの罰ゲームで送らざるを得なかったんだろうか。
どちらにせよ、くだらないことに代わりはない
「まったく……」
後藤は、藤本からのメールを選択すると削除ボタンを押す。
「あれ?」
しかし、メッセージは削除されずにエラーが表示された。
- 520 名前:Chapter 2 後藤真希 投稿日:2004/06/17(木) 21:55
-
これはゲームです。
最後に手元にメールが残っていた人の負けです。
勝負に負けた人は、罰ゲームを受けなければいけません。
表示されたメッセージは、メール本文に書き記されたものの一部だった。
ふう、とため息をついてつぶやく。
「なんだこれ?」
数値か何かが足らなくなっても削除できないようになっているのだろうか?
手が込んだ悪質なメールだ。
「ま、いっか」
後藤は、肩をすくめながら携帯を机の上の充電器にかける。
そしてそのままベッドに倒れ込んだ。
明日は早くから移動して地方でライブがあるのだ。
- 521 名前:Chapter 2 後藤真希 投稿日:2004/06/17(木) 21:57
-
Day 2, AM 5:50
部屋を目覚まし時計が鳴り響く。
もそもそと布団の中から手を伸ばし後藤はその不快な音を止める。
次いで、携帯の目覚し機能が正確にメロディを奏ではじめた。
「んぁ……ぁ」
観念したように後藤は体を起こす。
しかしながらその動作は緩慢だ。のろのろとベッドから降り立ち上がる。
「…起きたってば」
机の上で軽快なメロディを流す携帯に向かってぼやく。
ピッとボタンを押すと部屋は静かになる。ふとディスプレイに写された
時刻が目に入った。5時50分。
「50分か……50?」
そう口にしてなぜかその50という数字に引っかかるものを感じた。
「あ、昨日の数字か…割とインパクトあるね〜」
一人ごちながら、昨日何時に見たんだっけと後藤は何の気なしに
携帯のメールフォルダを開いていく。
既読で最も新しいメールが画面に表示される。
それは昨夜読んだメールだった。
- 522 名前:Chapter 2 後藤真希 投稿日:2004/06/17(木) 21:58
-
「これはゲームです、ってね……」
それとなく目で追っているうちに、彼女は数値の変化に気付いた。
「41……?昨日は確か50だったはずなのに」
ゲームを勝手に止めてはいけない。
このメールは転送しなければいけない。
すぐ耳元で誰かがそう囁いたような気がした。
「……くだらない」
友人のちょっとした悪戯のはずだ。
「くだらない…」
そう思おうとするものの、やはり気持ちが悪いことに代わりはなかった。
- 523 名前:Chapter 2 後藤真希 投稿日:2004/06/17(木) 21:59
-
AM 05:58
送信者:ごっちん
件名:
本文:
これはゲームです。
このゲームに残された数値は、あと38です。
この数値は、一時間が経過するごとに 1 ずつ減っていきます。
また、このメールが誰かの手に渡ったときには 3 減ります。
この数値が 3 を下回ってしまった場合、
このメールを転送することはできなくなります。
最後に手元にメールが残っていた人の負けです。
勝負に負けた人は、罰ゲームを受けなければいけません。
――
送信者:ごっちん
件名:なんか
本文:
これ美貴ちゃんから送られてきたんだけど
美貴ちゃんの後始末はまっつーに任せるよ。悪いけど、後藤には無理。
とりあえず、分かってること↓
数値は1時間で確実に減っている
転送されても減るらしい
転送すると手元にメールは残らないみたい
このメールはどうやっても削除できない
- 524 名前:Chapter 3 松浦亜弥 投稿日:2004/06/18(金) 21:25
-
AM 10:48
「なんでやねん」
久しぶりのオフ。いい気持ちで目覚めた松浦亜弥は
メールをチェックするなり虚空にツッコミを入れた。
ただでさえこういうのは怖いから嫌いだというのに――
携帯画面を凝視しながら松浦は口を尖らせる。
残された数字は34。
一時間に1ずつ減るなら、残された時間は34時間。約一日半。
まだ余裕はあるが、数字が減るのをこの目で確認したら
すぐに誰かに送ろうと松浦は決めていた。
ハロプロメンバーでアドレスを知っているメンバーをずらりと表にしてみる。
一番上に指を置き
「どちらにしようかな、天の神様の言うとおり。げげげのアブラムシ、団子虫」
小さく口ずさみながら下に動かしていった。
「お、あいぼんだ」
松浦は少しホッとする。
彼女なら、メールを転送してもそう怒らないだろう。
そうこうするうちに時刻は11時を廻ろうとしていた。
松浦はすぐにメールフォルダを開いて確認する。数字は一つ減って33になっていた。
- 525 名前:Chapter 3 松浦亜弥 投稿日:2004/06/18(金) 21:26
-
AM 11:25
送信者:あやや
件名:
本文:
これはゲームです。
このゲームに残された数値は、あと30です。
この数値は、一時間が経過するごとに 1 ずつ減っていきます。
また、このメールが誰かの手に渡ったときには 3 減ります。
この数値が 3 を下回ってしまった場合、
このメールを転送することはできなくなります。
最後に手元にメールが残っていた人の負けです。
勝負に負けた人は、罰ゲームを受けなければいけません。
- 526 名前:Chapter 3 松浦亜弥 投稿日:2004/06/18(金) 21:26
-
送信者:あやや
件名:ごめんね〜<m(__)m>
本文:
本当に数字減っちゃったから怖くなっちゃった((+_+))
あいぼんもすぐに誰かに転送したほうがいいよ。よろしくぅ(^_-)-☆
今のところ分かってること♪
数値は1時間で確実に減っている
転送されても減るらしい
転送すると手元にメールは残らないみたい
このメールはどうやっても削除できない
- 527 名前:Chapter 4 加護亜依 投稿日:2004/06/19(土) 21:54
-
PM 16:38
どうしよう?
揺れる車内で加護は流れる風景を見ながら思った。
そのメールは昨日から行われていたWのプロモーション活動の最後のコメント撮り
の前に松浦から届いていた。あれから、約四時間。
東京に向かう車に乗り込んですぐ確認すると数字は容赦なく4つ減っていた。
誰かに転送しようにも一体誰に転送したらいいのだろう?
誰に送っても気になってしまう。
どうしよう?
加護は再び思った。
- 528 名前:Chapter 4 加護亜依 投稿日:2004/06/19(土) 21:54
-
「あいぼん、なんか顔色悪いよ、大丈夫?」
「あ、うん。大丈夫」
「夏になったら二人きりなんだからさ、調子悪い時はののに遠慮せず言いなよ」
隣に座る辻の優しい言葉は何の力にもならなくて、
ただ右から左へとまっすぐに突き抜けて、不安でいっぱいになった心を逆撫でしていくようだった。
もうすぐ、車はメンバーたちがいる専用のダンススタジオにつく。
- 529 名前:Chapter 4 加護亜依 投稿日:2004/06/19(土) 21:56
-
PM 18:30
ダンスレッスンの休憩中、ジュースを買いにスタジオを出て行った小さな後姿を追いかける。
「やぐ、やぐ、やぐやぐ矢口さん」
「やぐやぐってなんだよ、お前」
呼び止められた彼女――
矢口真里はけらけら笑いながら振り向いた。
「なに?ジュース奢って欲しいの?仕方ないなー今日だけだよ」
「いや、違いますよ」
「じゃ、なに?」
「ちょっと相談がありまして」
加護は、ゴクリと息を呑む。
あと残された時間は24時間。どうにかして解決策を見つけられるだろうか?
「相談って何?」
深刻な加護の様子に矢口が顔から笑みを消す。
加護は周囲に人がいないのを確認しそれまでよりも小さな声で言った。
「ゲームの…ことなんです」
その言葉に矢口の目つきが鋭くなる。
一瞬、加護は、自分は選択を誤ったのかもしれないとそんな気になった。
- 530 名前:Chapter 4 加護亜依 投稿日:2004/06/19(土) 21:56
-
PM 18:40
「なるほどねぇ」
加護の携帯に届いたメールを読むと矢口はぼそりと呟いた。
ふぅ、と息をつき頭に手をやる。
少しだけ涙目になっている加護を見ながら
「消去できないね、マジで」
矢口は肩をすくめる。
加護はさらに泣きそうな顔になっていく。
それを見かねて矢口はわざと明るい調子で言葉を続けた。
- 531 名前:Chapter 4 加護亜依 投稿日:2004/06/19(土) 21:57
-
「でも、別に死ぬってワケじゃないだろうしさ。PCのウィルスみたいなもんでしょ、結局は。
最悪、携帯が壊れちゃうぐらいだよ」
「…ホントに?」
「それに、ほら転送しちゃえば消えるって書いてるし」
「でも、送った相手があたしにまた返信してきたら?無駄に数字減っちゃう」
「…それはそうだけど」
生放送で大きなミスをやらかした時のように否定的になっていく加護を見ながら
矢口はゲームの行く末と結末を想像していた。
加護からこのメールを見せてもらった時、
矢口はどこかで聞いたメールに関する都市伝説を思い出していた。
それは、絶対にゲームに関わるな、なんてものだった。
矢口は、携帯のディスプレイ画面を見つめながら思案する。
- 532 名前:Chapter 4 加護亜依 投稿日:2004/06/19(土) 21:58
-
ゲーム、敗者、罰ゲーム。
最後にこのメールを持っているのが敗者がいるなら、勝者は誰になる?
ゲームに参加した敗者以外の全員?
それではあまりにもつまらない。
罰ゲームは内容はともかく「勝って得られるもの」のためのリスクなのだろうから――
そして、リスクを背負ってまで掴んだ勝利とはなんなのか。
次々と疑問がわいてくる。
少なくとも、部外者が勝者になることは絶対にないだろう。
「加護」
うつむいて静かになっていた加護が、さっきよりも赤くなった涙目で矢口を見る。
その涙目に映ったのは、恐らくこのメッセージの中身に魅入られ、
携帯をじっと見つめる矢口の横顔だった。
「いい考えが浮かんだよ」
- 533 名前:Chapter 4 加護亜依 投稿日:2004/06/19(土) 21:58
-
PM 19:00
送信者:加護ちゃん
件名:
本文:
これはゲームです。
このゲームに残された数値は、あと21です。
この数値は、一時間が経過するごとに 1 ずつ減っていきます。
また、このメールが誰かの手に渡ったときには 3 減ります。
この数値が 3 を下回ってしまった場合、
このメールを転送することはできなくなります。
最後に手元にメールが残っていた人の負けです。
勝負に負けた人は、罰ゲームを受けなければいけません。
――
送信者:加護ちゃん
件名:
本文:
本当に大丈夫なん?
どうなっても知らんよ(T_T)
- 534 名前:Chapter 5 矢口真里 投稿日:2004/06/20(日) 20:44
-
--------------------------------------------------------------------------------
矢口真里(本物)だけど
--------------------------------------------------------------------------------
1 名前:名無し矢口 :04/04/28 23:35
(〜^◇^)<矢口だけど
最近流行ってる時限式のチェンメについて詳しく教えろ
引き篭もりの癖に博識なおまいらなら分かるだろ?頼んだよ
2 名前:名無し募集中。。。 :04/04/28 23:45
知氏ね
3 名前:大の大人が名無しだなんて :04/04/28 23:46
3なら顔晒す
4 名前:名無し募集中 :04/04/28 23:50
>>3
5 名前:名無し募集中。。。 :04/04/28 23:58
ヤグたんハァ━━━━━━ ;´Д` ━━━━━━ン!!!!
- 535 名前:Chapter 5 矢口真里 投稿日:2004/06/20(日) 20:45
-
-------------------------------------------------------------------------------
39 名前:名無し矢口 :04/04/29 00:20
(〜^◇^)<マジ死ぬかどうかの瀬戸際だから早く教えろよ
40 名前:名無し募集中。。。 :04/04/29 00:25
知氏ね
41 名前:名無し募集中 :04/04/29 00:28
>>39
だから、どういうのかくあしく言えよ
優しく教えてやるよ(*゚∀゚)=3ハァハァ
42 名前:名無し募集中 :04/04/29 00:36
おい、知
お前なんで愛ちゃん苛めるの
43 名前:名無し矢口 :04/04/29 00:42
>>41
(〜^◇^)<イケメンキタ━━━━( ゚∀゚ )━━━━!!!!!!
なんかね〜、一時間ごとに数字が減ってくんだよ
>>42
苛めてないよ
44 名前:名無し募集中。。。 :04/04/29 00:57
狼で情報収集とか( ´,_ゝ`)プッ
- 536 名前:Chapter 5 矢口真里 投稿日:2004/06/20(日) 20:45
-
------------------------------------------------------------------------------
790 名前:名無し募集中。。。 :04/04/29 04:10
いい加減、寝ろよ矢口
791 名前:名無し募集中。。。 :04/04/29 04:11
>>788
やっぱ最終的に敗者に手を下すヤツが勝者なんじゃねーの
792 名前:名無し矢口 :04/04/29 04:28
>>790
(〜^◇^)<言われなくてももう寝るよ
>791
(〜^◇^)<マジレスthx
それじゃ、おやすみー
-----------------------------------------------------------------------------
- 537 名前:Chapter 5 矢口真里 投稿日:2004/06/20(日) 20:46
-
矢口は、PCのディスプレイに表示されている専用ブラウザを閉じる。
不幸の手紙からチェーンメール。
これから先、時代がどれだけ変わってもこういうものは手を変え品を変え存在していくのだろう。
どうしてなくならないかといえば
結局、口ではいろいろ言いながらも楽しんでいる人間たちがいるからに違いない。
そういう人間たちは勝敗よりもスリルを求めているのが大多数だ。
スリルを味わうだけならそこに勝敗はない。
つまり、勝負には勝者と敗者とその他大勢が存在することになる。
だからこそ、勝者には勝つための条件、リスクが設けられる。
その他大勢になるなんて御免だ。矢口は、PCの電源を消す。
「このゲームの勝者は一番のリスクを背負ったもの。
だからそれは……」
矢口は、携帯を手にとる。
数字は12になっていた。
- 538 名前:Chapter 5 矢口真里 投稿日:2004/06/21(月) 21:27
-
Day 3 AM 10:23
「矢口さん」
ライブのリハを終えて楽屋に向かっているとふいに誰かが背後から呼びかけた。
少しの空き時間。はしゃぐメンバーたちの声が飛び交い、
神妙な顔つきで交わす二人の会話もその中へ溶け込んでいた。
「何?」
声をかけてきた加護は心配そうな眼差しを矢口に投げかけている。
「誰かに転送したん?」
「ああ、そのことね」
わかっていながら今気付いたように返して矢口は笑う。。
- 539 名前:Chapter 5 矢口真里 投稿日:2004/06/21(月) 21:28
-
「まだ、おいらの手元」
「転送してないの?」
「もうちょっと待ってみる」
「なんで?」
「勝ちたいからね」
「でも危ないか…」
そこまで口にしたが、自分の発言が何一つ根拠のないことに気付いたのか
加護は言葉の途中で口を閉じる。
確かに気味の悪いものであっても、数字が0にならなければ
罰ゲームを受けることはないのだし、そもそも罰ゲームが何なのかすらわからない状況だ。
あるいは全てただの愉快犯の仕業だとしたら、罰ゲームなんてものも存在しないのかもしれない。
- 540 名前:Chapter 5 矢口真里 投稿日:2004/06/21(月) 21:28
-
「数字が減る仕組みはわかったの?」
「全然」
「じゃ、やっぱり中身が何なのかわかんないんじゃん。
絶対危ないって」
「扱い方を間違えない限り、爆弾も地雷も勝手に爆発したりしないでしょ
これも同じだって」
「そんな保障ないやん」
「そりゃないよ」
移動のために荷物を詰め込んだ鞄を取りに楽屋に向かって歩き出す。
加護が後ろからついてくる。
- 541 名前:Chapter 5 矢口真里 投稿日:2004/06/21(月) 21:29
-
「心配しなくても、簡単な解決法があるから大丈夫。
ルール違反かも知れないけどね」
「解決法?メール転送することが解決法でしょ?」
「全部終わったら教えてあげるって。どうせあと三十分くらいだから」
不安げな加護に歯を見せたあと
矢口は、聞こえるか聞こえないか、くらいの小さな声で呟いた。
「参加してスリルを味わうだけでもいいけど、
ちょっと賭けに出てみたい気分なんだよね」
- 542 名前:Chapter 5 矢口真里 投稿日:2004/06/21(月) 21:29
-
AM 11:00
送信者:矢口
件名:
本文:
これはゲームです。
このゲームに残された数値は、あと 2 です。
この数値は、一時間が経過するごとに 1 ずつ減っていきます。
また、このメールが誰かの手に渡ったときには 3 減ります。
この数値が 3 を下回ってしまった場合、
このメールを転送することはできなくなります。
最後に手元にメールが残っていた人の負けです。
勝負に負けた人は、罰ゲームを受けなければいけません。
- 543 名前:Chapter 5 矢口真里 投稿日:2004/06/21(月) 21:30
-
送信者:矢口
件名:
本文:
(〜^◇^)<おしまい
- 544 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/22(火) 23:24
-
人間世界と同じ場所でひっそりと怪物たちは存在している。
そして、怪物ばかりが暮らしている小さな村が世界のあちらこちらにあるのだ。
その一つ。
ゴーストタウンと呼ばれ人間から見放されたこの村にも様々な怪物たちが暮らしている。
村は、人間たちが滅多に近寄らないので住民たちは広々と土地を活用しており、
そのため、家と家の間隔は自然とかなり広くなった。
だから、ご近所付き合いというのは極稀だ。
- 545 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/22(火) 23:25
-
狼女のゴトウは昼食を終えるとてくてくと家までの道を歩いていた。
ふとエンジン音が耳に届く。ゴトウの聴覚は発達しているのだ。
音のした方に目をやると遥か向こうから一台の車が走ってくるのが見えた。
ゴトウは、不審そうに眉を寄せる。車に乗る者なんて人間しかいないからだ。
どこに行くのか見届けようとその場で立ちすくんで見ていると
車は、ゴトウの家とは反対の方に向かう道を曲がって行ってしまった。
その方角にあるのは、吸血鬼のミキが住む館だ。
一体、どういうことなんだろう。
まさか太陽が苦手なミキがこんな時間から活動しているはずがないし
それに蝙蝠に変身して空を飛べる彼女が車になんか乗るはずがないだろう。
ゴトウは、首を傾げる。しかし、すぐに――
「ま、いっか……」
気を取り直すと家へと向かって再び歩き出した。
その謎の車に乗っていたのが誰だったかを
ゴトウが知ったのはその日の夜だった。
- 546 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/23(水) 20:47
-
※
夜の空にぽっかりお月様が浮かぶ頃――
満月だというのに既に寝ている狼女、ゴトウは電話の音で起こされた。
「…んぁ?」
『もしかして寝てた?』
「もしかしなくても寝てた」
電話は同族の幼なじみ、よっすぃ〜からだった。
ゴトウは大欠伸をしながらも半身を起こす。
寝起きがいいのがゴトウの取り柄だ。
- 547 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/23(水) 20:48
-
「なんか用?」
『ごっちんの隣の家ってミキちゃんさんでしょ?』
「ミキちゃん?うん、いちお〜隣だけど。隣ってもけっこ〜離れてるよ」
『それは、知ってるけど……最近、ミキちゃんさんと喋った?』
「んー、一番最近だと半年前かな?」
少しだけ考えてゴトウはそう答えた。
いくらご近所付き合いが極稀とはいえ、これはあまりに希薄すぎるだろう。
しかし、ミキとゴトウの仲は悪いというわけではない。
これにはある理由があるのだ。生活習慣とでも言うのだろうか、
ゴトウは村の者たちが一番活動的になっている時間帯にかなりの確率で眠っている。
さらに言うなれば、一応のお隣さんであるミキは吸血鬼――
ゴトウが起きている時間帯には滅多に出て来ない。
たまに夜空に紛れて飛んでいる姿を見かけはするが、相手が空にいてはどうにも話しかけようがない。
それが今の現状を生み出していた。
- 548 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/23(水) 20:48
-
ゴトウにとってミキは出現率が低いレアキャラなので、
彼女を見た日には何かいいことが起こると勝手に思いこんでいる。
ぼさぼさの髪に手をやりながらゴトウはもう一度欠伸する。
「なに?ミキちゃんがどうかした?」
『今度から人間の女の子と一緒に暮らすんだって』
ゴトウは、よっすぃ〜の奇妙な話に深く深く顔をしかめた。
記憶の中のミキの顔がぼんやりと思い出される。
あの冷たく人を射るような視線。
怪物たちも恐れるあの視線を視線をまともに見られる人間なんているわけがない。
「ミキちゃんが人間の女の子と一緒に暮らすなんてありえないじゃん。
頭大丈夫、よっすぃ〜」
そもそも、吸血鬼と人間の女の子が
――血を吸って、然るべき処置をして仲間にしたなら別だが――
なにもせずに一緒に暮らすこと自体がありえないのだ。
そんな話今まで聞いたことがない。
- 549 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/23(水) 20:49
-
『マジなんだって。教会で結婚するとか言ってるし』
「あはっ、教会は無理でしょ。ミキちゃん死んじゃう」
『でも、マジなんだよ』
ゴトウは笑おうかと思ったがよっすぃ〜の声が至って真面目なものなので逆に首を傾げてしまう。
そこで、不意に思い出した。
昼間に見たあの車。
もしかしたら、あれにその人間が乗っていたのかもしれない。
しかしそうは思うものの、
やはりミキと人間の女の子が結婚となるとどうにもイメージが沸かなくなってくる。
「そりゃミキちゃんもイイ歳……かもしれないけどさぁ
人間の女の子と結婚ってありえないよね、普通……ロリコンなのかな」
『…完璧ロリコンでしょ。
見た目が一緒くらいでも、ああ見えてミキちゃんさん年食ってるからね』
よっすぃ〜も同意する。
この場に本人がいたらどうなることだろう。想像してゴトウはぶるっと体を震わせた。
- 550 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/23(水) 20:49
-
「と、ところで、それがわざわざあたしをたたき起こした理由なの?」
自らの想像を誤魔化すため早口でそう訊ねる。
『うん、それと関係ある』
「なに?」
ゴトウは疑問を述べる。
よっすぃ〜の小さな嘆息が聞こえ
『…今、その人間の子が皆のところ回って』
彼女が最後まで言い切らないうちにゴトウの家のチャイムが鳴った。
狼女二匹は回線越しに黙り込む。
もう一度チャイムが鳴った。ゴトウは何も言わずに電話を切る。
そして古びた安アパートのドアを開けて――彼女は、嫌というほど口をあんぐり開けた。
- 551 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/23(水) 20:50
-
ここの者らしくない小奇麗な服を着た少女。ゴトウは鼻をひくひくさせる。
明らかに違う匂いがする。違う場所から来た者だ。それがどこかは言うまでない。
茶色がかった可愛らしい目が見上げるようにこちらを見ていた。
「はじめまして〜。今度からお隣に住むことになりました松浦亜弥です。
よろしくお願いしまーす」
吸血鬼、ミキの彼女というか奥さんというか――
ゴトウにはよく分からないその人間はそんな感じでぺこりと頭を下げたのだった。
- 552 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/24(木) 20:20
-
※
「マジでびくった!!」
掛け直した電話が繋がると開口一番、ゴトウは叫んだ。
亜弥と話していた間の微妙な態度を振り捨てて、真の気持ちを友にぶつける。
「『結婚式にも来てください』だって!!
あの人間、マジでミキちゃんと結婚すんの!?ってか、なんで?
いや、それよりも絶対修羅場になるでしょ」
ゴトウの言葉に受話器の向こうの友、よっすい〜はただただ深く頷いている様子。
深夜の単独行動が多くて、目つきが恐ろしいミキだが
なぜか村ではなかなかの人気を誇っているのだ。
特にミキと同属のサーユのミキ好きは村でもトップ。
彼女がこのことを知ったら修羅場どころでは済まされないはずだ。
なぜなら、サーユは、元来プライドの高い吸血鬼の中でも
一、二を争うほどプライドが高いのだ。
人間如きにミキを取られたとあれば、それこそ怒り来るってなにをしでかすか予想もつかない。
長らく平穏な村の危機だ。
- 553 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/24(木) 20:21
-
「マジでどうすんの?」
『どうするもなにも……ミキちゃんさんが決めたことだしね〜』
よっすぃ〜が諦め雑じりの口調でそう洩らす。
確かにその通りで、自分にはどうしようもないのだが――
ゴトウは嘆息する。よっすぃ〜も受話器の向こうで嘆息していた。
「……なんでよりによってうちの隣で新婚生活なんだろ」
もし、本当にサーユを筆頭に村中大騒動なんてことになったら
一番被害にあうのは自分の家だろう。
アバウトな土地勘を持った馬鹿何人かがミキの家と間違えて
ゴトウの家に突入してくるはずだ。
- 554 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/24(木) 20:22
-
「だいたい、あの館で新婚生活なんて…想像しろって方が無理だし想像したくないし。
ミキちゃんがイチャついてにやつくなんてありえないし。
しかも、あの人間、ミキちゃんのことミキたんって呼んでた!!たんだよ、たん」
まじでありえない、ゴトウは言い切ってがしがしと頭を掻いた。
ふと、机の上の薄ピンクのカードに目が留まる。
先ほど貰ったものだ。
中にはどこかつたない文字で、こんなことが記されている。
フジモットー・ミキ&松浦亜弥
私たちこれから一緒に暮らすことになりました。
つきましては明晩、親睦を深めるパーティを行います。
よろしければ二十四時に我が家までお越しください。
お料理各種ご用意してお待ちしております。
これこそまさしく最後の晩餐というのだろう。ゴトウは思う。
- 555 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/24(木) 20:22
-
「マジで親睦ってなんなの?人間がうちらと親睦って……
ホントなに考えてんだろ。冗談にしては笑えないんだけど」
げんなりとしながら言う。
『明らかに本気でしょ』
よっすぃ〜もどこか疲れた口調で言った。
『カードよく見なよ』
「え?」
言われてゴトウは机に置いたカードを取ってまじまじと見直した。
そして、口を開ける。拙い文字。それでもきちんと読むことができる。
それに気づいた時、ゴトウはさらに口を大きく開ける。
- 556 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/24(木) 20:23
-
「……あの人間、全部“こっちの言葉”で喋ってた」
あまりにも流暢すぎて、あまりにも違和感がなくて、
ごく普通に彼女が自分と喋っていたのでうっかりしていた。
カードの文字には気づいていた電話の相手もそれには気づいてなかったのか
『あ!』と大きな声を上げて、その後はただ絶句。
ゴトウたちが使う言語はテレビの砂嵐のような発音。
人間の使うそれとは全く違う、獣にもゾンビにも使いこなせる濁った音程だ。
そして、あの人間はその複雑な言語の文字を一枚一枚丁寧に書き綴り、
手書きのカードを怪物たちに配り歩いていたのだ。どおりで拙いはずだ。
「マジで……」
ゴトウは呟いた。
薄いカードを見つめつつ、引きつった顔で言う。
「どうする、よっすぃ〜」
『…どうもこうも』
「だよね〜」
二匹は思いっきり深く嘆息した。
- 557 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/25(金) 21:38
-
2
どんなことがあっても生きていれば腹は減る。
例え翌日気まずい行事が入っていても、それについて皆がうるさく騒いでいても。
その日、ゴトウは村唯一の食堂でよっすぃ〜と一緒に食事をとっていた。
「どうするか決めた、ごっちん」
「まだ。でも、なんか皆すごい盛り上がってるね」
ゴトウは肩肘を突いて他のテーブルを眺める。
店内の様子と言ったら、まるで今から魔王が来るんですかといった具合だ。
大小各色様々な形の生き物たちが、同じ話題を繰り返している。
もちろんそれは例のほのぼのとした人間についてのことばかり。
並びに明日のパーティに出席するか否かなども。
「あたし、ちょっとあっち行ってくるね」
よっすぃ〜が席を離れ、一番盛り上がっているテーブルへ移動する。
ゴトウはひらひらと手をふり、視線を目の前の皿に戻した。
皆がどうするのか気にならないわけではないが、
よっすぃ〜みたいにわざわざあの中に入ろうという気にもなれない。
話はここにいても十分聞こえるのだ。
ゴトウは、聞き耳を立てながら食事の手を動かし始める。
- 558 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/25(金) 21:39
-
「あの人間、マジでなに考えてるんだろ」
いつも明るい蛇女のヤグチが笑い声雑じりで言う。
「でも、かなりかわいかったよ、カオのタイプ」
雪女のカオリは自らがとろけてしまいそうな熱っぽい声でそう洩らす。
兎角、彼女は可愛い子が大好きなのだ。
「かわいいとか問題じゃなくて……下賎な人間と食事なんて私には考えられませんね」
血の気のない真っ白な顔色とは裏腹に、熱くそう口にしたのはサーユだ。
案の定だ。ゴトウは思う。
横目で窺うと彼女は今までにない不機嫌な表情を浮かべていた。
- 559 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/25(金) 21:40
-
「サーユは、ミキ姐大好きっこやけにゃー」
猫娘のレイナがからかうようにサーユをつつく。
サーユは、そんなレイナを無視して主張する。
「第一!『お料理各種ご用意』ってなんなの!?
まさか私に自分の血を飲ませるつもりじゃないでしょうね。
バカにするにも程があるよ」
「いいじゃない。羨ましいなー」
やけに人間の女の子が気に入っている雪女カオリがじと目でサーユを見る。
サーユは、その視線に気おされたように言葉を止めた。
- 560 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/25(金) 21:40
-
「そういや、おいらたちは人間の食べ物大丈夫だけど……そっちはどうなの?」
「大丈夫っすよ。ねぇ、ごっちん」
よっすぃ〜がにこにこしながらこちらに顔を向ける。
なんだかんだで彼女は行く気になっているみたいだ。
ゴトウは複雑な気持ちで頷く。
「肉が出るなら大丈夫だよ」
「肉は肉でもごっちんは生肉じゃないの」
ヤグチの声。
「焼いてあっても食べれる」
「狼さんたちよりも、私の食事ですよ。どうなるんですかー」
空気も読まずに割り込んできたのはスフィンクスのリカ。
彼女の主食はなんだったか、ゴトウは覚えていない。
とりあえず、変なものであるのは確かだろう。
- 561 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/25(金) 21:41
-
「食事よりカオは二人の新婚生活がどんなのか気になるよ」
リカの言葉は案の定全員からスルーされた。
「なんで私だけ無視するんですかぁ」
「新婚生活ねぇ、おいらには想像つかないな」
会話は全く成立していない。
「リカさんはこっち来て喋りましょうよ。
ほら、サーユもブスッとせんでそっちずれて」
無視されているリカをレイナが呼ぶ。
と、彼女は嬉々としてその輪の中に入っていった。
- 562 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/25(金) 21:42
-
「私は、あんな人間の血なんて絶対飲まないもん」
「あんな体で私の好きな蠍ちゃんが取れるのかしら」
「そうですねー。レイナは結構雑食やけど、こっちの世界の味付けって人間には合わんし。
かといって、人間のご飯だってレイナには合わんし。
前、ちょっとつまんでみたら、そりゃもう不味かったのなんの」
「うわっ…人間食ばっかだったらどうしよう。
やだなー、二十四時って一番お腹空いてる時なのに」
猫と吸血鬼とスフィンクスは口々に不安を語る。
胃薬を持っていこうか、いやいやそれよりタッパーだ。
など、どこか主婦じみた提案ばかりが浮かんでは消え、
食べかけの昼食は進まないまま冷えていく。
- 563 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/25(金) 21:42
-
「意外とミキが尻にしかれてそうだよね」
「えー、そんなミキちゃんさん見たくないっすよー!!」
「だってさぁ、こんなとこにお嫁に来る様な人間だよ?
よっぽど強くなきゃ無理だって。もしかして、あっちの方もミキが」
「受け!?ありえねーっ!!」
雪女と蛇と狼は下世話な話題で盛り上がっている。
カタン。
独り黙々生肉盛りを食べ終わるとゴトウはフォークを皿に置き席を立つ。
そのまま、誰にも話し掛けることなく代金を置いて店を出る。
大きなドアの小さなベルが音を立てたが、
店主の山姥も明日の話に夢中のままで、愛想一つ返さなかった。
- 564 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/25(金) 21:43
-
「結局、みんな行くんだろうなぁ」
そんな小さな呟きは誰に聞かれることもなく空に消える。
口ではどう言おうと、皆イベント事が大好きなのだから。
ましてや吸血鬼と人間のカップル、のほほんとしたあいさつ回りに親睦会。
そんな今までにない大きな祭りを逃したら悔しかろう。
「ま、どうでもいっか」
ゴトウは面倒そうに大きな大きなあくびをする。
お隣がどうなろうがどうでもいい。
パーティだろうが祭りだろうが、珍しかろうが興味はない……
とはっきり言い切ることは出来ないが、わざわざ出向いて
輪の中に混ざるなんてまっぴらゴメンだ。別に出席を強要されているわけでもないのだし。
それに、サーユの暴走で我が家が壊されるかどうかの瀬戸際だという時に
のほほんとしている場合でもないだろう。うんうん、ゴトウは頷き家に向かって歩き出す。
その時、ふと細く暗い道の先にぽつんと小さな白い光が見えた。
- 565 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/25(金) 21:44
-
「…あ」
思わず口から声が出た。あれは、人間世界の懐中電灯とかいう灯りだ。
そして濃く漂ってくる人の匂い。
「…なんだっけ?えっと、松…なんとか」
ミキが連れてきた人間は、大きなカゴをぶら下げてでこぼこ道を呑気に歩く。
ゴトウは顔をしかめた。
あの一本道の先にあるのは鬱蒼とした魔女の森。ヤス婆の暮らす森だ。
そこが何故魔女の森と呼ばれるのかは明快で、
ヤス婆が、更地に妙な木々を手当たり次第に植付けまくり、
とんでもない森にしてしまったから。
- 566 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/25(金) 21:45
-
その植物は例外なく一貫して狂暴で、
この村の者でさえ今まで何人も被害にあっているのだが当の婆は知らぬ存ぜぬ。
たとえすぐ傍で悲鳴が聞こえようが助けにもきやしない。
ともかく、そんな危険な森なのだ。そこにあの弱そうな人間が一人きりで。
ミキは、一体どこでなにをしているんだろう。
ゴトウはキョロキョロと前後左右上下まで見回して
ミキの姿を探すが、どこにも見当たらない。ゴトウは意味もなく焦り始める。
「…大丈夫かなぁ」
灯りはどんどんゴトウから遠ざかり小さくなって今にも消えてしまいそうだ。
匂いも遠くなっていく。
松なんとかさんは確実に森の中へと入り込んでいる。
ふっ、と灯りが闇に消えた。瞬間、ゴトウは、思わず駆け出していた。
- 567 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/26(土) 23:06
-
3
月明かりと土の精気を養分に不気味に育った木々たち。
ゴトウはそんな奴らに幾度も行く手を阻まれ噛み付かれ、
腹が立って逆に何度も食い千切りつつ奥へと向かっていた。
荒れた道は獣道よりほんの少しマシな程度。
オマケにどうぞ襲われてくださいと言わんばかりに、
森の中をぐるりと周るフルコース。かといって、道を逸れて近道しようものなら
たちまち迷って出られなくなるのだから、最悪なコースでも通らなければ仕方ないのだ。
「なんであたしが……」
ゴトウのぼやきに反応したのか、ヒュッとトゲ付きのツルが鼻先を掠めた。
まったく油断も隙もあったもんじゃない。
- 568 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/26(土) 23:07
-
ゴトウは、警戒しながらも鼻を引くつかせ人間の匂いを探す。
しかし、どうにも解せないのは自分でさえこれほど苦戦するのに、
ただの人間がこんな中をどうやって進んだのかということだ。
そろそろどこからか悲鳴が上がりはしないか。不安は拭えない。
そこまで考え疑問は自分自身に向かう。
なんであの子の事を心配しなきゃいけないのだろう。
自分にはなんら関係がないはずなのに――
村の注目の的だというだけで
ただの人間なんかをどうしてここまで心配しているのだろう。
だが、ただの人間なんかと思えど気持ちは確かに不安な雲に覆われて、
もやもやと胸元が煩わしい。
- 569 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/26(土) 23:07
-
ゴトウの鼻がぴくりと動く。微かに匂う人の残り香。
顔を上げると黒い木々に埋もれるようにして今にも壊れそうな家があった。
太い幹が甘えるように寄り添って、建物自体がひしゃげかけ、
屋根のくすんだ赤色だけが森の中にぼんやり浮かんでいる。
異常に近寄りがたい家だ。
ヤス婆の家の前、ゴトウは無言のまま立ち尽くす。
仄かに残る人の匂いは一旦この中に入った後、また道の奥へと戻っているようだ。
意を決して遠慮がちにノックすると、すぐに返事が返ってきた。
「誰じゃーぃ」
滅多に聞けない魔女の声。
ゴトウは逡巡し、取りあえず簡潔に尋ねてみる。
「ゴトウだけど、さっきここに人間が来なかった?」
「きたぞー。ちょっと入るかぇ?」
ゴトウはノブを眺め、
そっけなく「おじゃまします」と言い捨てながらそれをまわした。
- 570 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/26(土) 23:08
-
ドアを開けて、ゴトウは目を丸くする。
「おーう、ひさしぶりじゃのー」
いつも深くしかめられていたはずのヤス婆の顔はほろほろと緩んでいた。
細い眉目をへの字に下げて、弛緩した満足そうな表情で、
大きな机にどっかと突っ伏している。
剥き出しになった背中には、一面の白い湿布。
剥がしたあとの透明なビニールや、開封済みの空箱がそこら中に散乱している。
ゴトウは異様な光景にゴクリと息を呑む。
「……ヤス婆」
「いやー、きもちいい。あの人間はええ子じゃのー」
魔女がこんな言葉を口にするのは今までにないことで
ゴトウはとにかく開いた口が塞がらない。
ゴトウが立ち尽くしているとヤス婆はゆっくりと体を起こし、
作りかけの紙細工をこちらに向けた。
- 571 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/26(土) 23:09
-
「ほれ、最近の人間はええもんを持っとるわぃ。
これさえあれば材料集めも楽勝じゃ」
平たく長い紙製の家。中は粘着シート、中央部には小さな袋。
開かれている入り口には紙切れが貼られている。まるで玄関マットのように。
「これを部屋の隅に置いとくとなー、ゴキブリが取れるんじゃとー。
ほれ、こっちなんかネズミもとれるんじゃ」
ヤス婆は自慢げに言う。
ゴトウは脱力しつつ、疲れたように尋ねかけた。
「……それあの子が?」
「そうじゃぁ。最初はどうやって追い出そうかと思ったんじゃけど気に入ってしもうたわ。
ええ子じゃな……まぁ、交換条件だったのかもしれんがのぅ」
「交換って、何と?」
聞くとヤス婆は気分よさ気にのんびり言った。
「秘術じゃよ。ひ・じゅ・つ。どこから聞いたのかしらんが、
魔女に伝わる極秘の配合をチョロッとな。今、うちの庭に材料を取りに行っとるわい」
うちの庭=魔女の森。
そんなところにある材料なんて毒草ばかりだ。
ぞわりと背筋の産毛が逆立つ。
- 572 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/26(土) 23:11
-
「ひ、秘術って…毒薬の造り方とかじゃないよね、あは」
ワザと冗談混じりに言ってみたが、ヤス婆はどこか意味深な笑みを浮かべ、
低い低い声で言った。
「さぁてのぅ……ま、わしには関係ないことじゃ。
わしはぱーちーなんぞ行かんからな」
どうやら、その秘術とやらは例のパーティーで使うものらしい。
ゴトウの頭の中を嫌な予想が駆け巡る。
「何教えたの?」
「知らんなぁ。女同士の秘密じゃからの」
けけけ、とヤス婆は嫌らしげに笑う。本当に憎たらしい。
ゴトウは舌打ちし、踵を返して外に向かう。
「どうしても知りたきゃ、本人に聞けばいい。少し行けば材料を摘んどるわい」
「言われなくてもそうするよ!」
ヤス婆の声を背に受けつつ外に飛び出る。
腐りかけの古びたドアを乱暴に閉めた。
薄れた人の匂いを探るが、答えは既に明らかだ。
道はたった一本きり。森の奥へ続くだけ。
ゴトウは怪しく動く木々たちに躊躇いながらも奥へ向かって駆け出した。
- 573 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/27(日) 21:38
-
「何企んでんの、あの女」
苛立ちと憤りが正直に声に出る。
ゴトウの気持ちを煽るように、触手のような黒い枝が、
伸びてきて視界を塞ごうとする。無理矢理、噛み切ると硬い繊維が口内でもぞっと躍る。
気持ち悪さに吐き出しつつ、倒れ掛かる幹を避け足を狙う根の波を飛び越えて、
ようやく木々がまばらな景色になってきた頃。
人の匂いが強く鼻をくすぐった。木々の開けた場所が見える。
そこにミキの彼女がしゃがみ込んで薬草を摘んでいる姿があった。
無防備な薄い服一枚きりで、小柄な体でのんびりと微笑みながら。
しかし、外傷も血の匂いも見つからない。
ゴトウは思わずその場に立ち尽くし、ぼんやりとそこを眺めた。
狂暴な木々たちがまるで彼女を護るように大幅に身を引いている。
確認する余裕もなかった下草たちが広く見え、ようやく緑が目に映えた。
地面が何故かぼんやり明るい。草たちが僅かな光を帯びて浮かび上がる。
側にいる彼女も。
呆然としていたのだろうか、それとも見とれていたのだろうか。
現実から切り離された幻のような光景は、唐突に闇に消えた。
- 574 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/27(日) 21:38
-
「!!」
無数の枝のざわめきが触感として顔を覆い、強い力で背後に引かれる。
獣の悲鳴を上げた頃には既に体は浮いていた。
油断が大きく災いし、全くの不意をつかれて太い幹にビタンっと叩きつけられる。
ぐえ、と喉から音が漏れた。枝が体にぎしぎし絡みつく。
首を締め付けられて、意識を落としてしまいそうになったその時。
白い光が目に広がった。途端に首を締め付ける枝が萎れるように力を失い、
ゴトウは無様に地面に落とされる。湿った土の匂いにまみれ、
ゲホゲホと咳き込みながら、とにかく顔を上げてみるとそこに立っていたのは例の彼女。
「大丈夫!?」
左手には草の飛び出た大きなカゴ。
そして右手に構えているのは、白く眩しい光を放つ大きな大きな懐中電灯。
彼女は心配そうに屈み込み、ゴトウの体の土を掃った。
- 575 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/27(日) 21:39
-
「危なかったね〜。お隣の……えーっと、ごっちんだよね」
その手つきはとても優しい。
ゴトウは彼女の手が毛皮の上を撫でるたび、複雑な表情で手元と顔を交互に見る。
ふと思い出し、電灯に目をやった。彼女は明かりをカチカチ付けたり消したりしてみせる。
その度に、光が眩しく点滅した。
「ミキたんから聞いてたの。ここの植物は狂暴だけど、強い光に弱いって」
「じゃあ、無傷なのも」
「うん、これのおかげ。あなたは大丈夫?」
傷というほどの物もないのでゴトウは頷く。
「よかったね」
白い光にぼんやりと照らされながら、彼女にこにこと笑っている。
ここは危険な場所なのに、ただそれだけで平和な場所に変わってしまったような気がした。
- 576 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/27(日) 21:40
-
「……ありがとう。えっと……松…あんたのおかげ」
「松浦亜弥。覚えてよね」
「ごめん」
素直に謝りながらゴトウは亜弥の持つ大きなカゴを覗き込んだ。
飛び出す草はさっき取った薬草だろう。だが中身はそれ以外も豊富にあった。
丸々太った森鼠、生き人参に蠍。
その傍らになにやらびっしりと書き込まれた小さなメモ。
ゴトウはひょいとそれを取り上げた。「あっ」と亜弥が声を上げる。
そのメモには村にいる者たちの種族名がもれなく書き込まれていた。
続くのはそれぞれが好む料理名に調理法、そして材料リスト。
大量の材料名の頭には、一つ一つチェックが入っている。
- 577 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/27(日) 21:41
-
「これ、全部集めたの?」
チェックマークはずらりと並んでおり、空きはもうあと三つほどしかない。
亜弥は顔を赤らめそれを取り返そうと手を伸ばす。
ゴトウがさせまいとメモを高く掲げると、彼女は爪先立ちで懸命に後を追った。
ゴトウは、思わず吹きだしてしまう。
「ガキ」
「もう!恥ずかしいから返してよ」
はいはい、とゴトウが手を下ろすと彼女はすぐにメモを回収する。
「っていうか、何が恥ずかしいの。すごいじゃん、こんなに集めるなんてさ」
ゴトウは素直な気持ちを口にする。
「だってまだ全部集めきってないから。調理だって残ってるし」
ふとカードの言葉を思い出した。
お料理各種ご用意してお待ちしております。
あれも本気だったのだ。改めてカゴの中身を覗く。
これだけ集めるには一体何日かかったのだろう。
貴重な蜜や危険な場所の生物など、人間には慣れない物を村人の数分集めて調理。
並大抵のことではない。
ましてや人間にとって、気持ち悪いであろう物も大量に。
普通にすごい。人は見かけによらないな、ゴトウは感心する。
- 578 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/28(月) 21:51
-
「ねぇ、ヤス婆から聞き出した秘術って何なの?」
なんとなく訊ねてみると、亜弥は困ったように少し口を尖らせた。
窺うように聞いてくる。
「誰にも言わない?」
「内容次第だけど。毒薬とかじゃないなら誰にも言わないよ」
「じゃあ」
彼女は表情をほっと緩めた。
いたずらを告白する子供のような顔をして耳を貸すよう仕草で示す。
ゴトウは少し屈み、獣の耳を彼女に向けた。
口が近づき熱に触れくすぐったい。
「あのね……人工的な人の生き血の作り方」
囁き声が静かに響く。ゴトウは顔を上げる。
彼女は気まずそうに複雑な笑みを浮かべていた。
「そんなの、別に隠さなくてもいいんじゃん。でも、それって何のため……あ!」
亜弥が頷いた。ゴトウは声を落とす。
「吸血鬼のための料理ってことかぁ……ミキちゃんにもそうしてんの?」
問うと、彼女はぶんぶんと首を振った。
- 579 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/28(月) 21:51
-
「ミキたんには私をあげてるよ、ちゃんと……でも、ほら、吸血鬼の子ってもう一人いるんでしょ。
その子の分。本当は、私のあげられたらいいんだろうけど」
「ミキちゃん以外にあげたくないんだ」
「それもあるけど……二人にあげちゃうと、いくら私が頑丈でも貧血で倒れちゃうから。
ね、秘密だよ?だって本人にバレちゃったら」
「こっぴどく嫌味の嵐、だろうね。味なんかお構いなしに」
それはもう水を得た魚のように生き生きとけなすだろう。
ミキを取られた恨みも一緒にそこで晴らすだろう。簡単にその光景が想像できる。
「うん。だからミキたんも秘密にしてろって」
「へぇ」
あのミキがそこまで気を回せるのか。と非常に不思議な気がしたが、
そもそも二人はもうすぐ新婚さんになる熱々カップルなのだ。
ゴトウは二人の詳細な暮らしぶりを想像しかけ、思わず首を大きく振った。
- 580 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/28(月) 21:52
-
「ごっちん?」
「いや、なんでもないよ。でもまぁそういうことなら、大丈夫、黙っとく」
「ありがとう」
彼女が笑顔でそういったのと同時に唐突に光が消え闇が訪れた。
二人は同時に消えてしまった電灯を見る。
亜弥が慌てたようにカチカチと何度もスイッチを動かすが、
光は戻らず音だけがその場に虚しく響く。
森の中を照らすのは、ひっそりとした月明かりだけ。
「……電池、切れちゃったみたい」
亜弥の呟きを聞きつけたように辺りの木々が大きく広がった気がした。
いや、気のせいではない。
苦手な光がなくなって木々たちはいつもの元気を取り戻しているのだ。
逆襲を企むようにその枝を広げはじめている。
瞬間、四方からトゲ付きのツルが飛んできた。
- 581 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/28(月) 21:53
-
「乗って!」
ゴトウはそれら全てを食いちぎりつつ、完全な狼の姿になると
四足歩行の低い姿勢で亜弥を顧みた。
「早く!この格好長く持たないから!!」
今日は月が欠けて力を上手く保持できそうになかった。
ゴトウの必死な声が伝わったのか、亜弥が素早くゴトウの大きな背に飛び乗る。
籠を抱えて首を抱く。ゴトウは身を低くして
「行くよ!」
そう声をかけると強く地を蹴った。背中で小さな悲鳴が上がる。
だからといってスピードを緩めるわけにはいかない。
木々の網を潜りぬけ、亜弥をどこかにぶつけてしまわないように
最新の注意を払いながら道を駆ける。
鬱蒼とした森の中に響くのは、木のざわめきと土を掻く自身の爪音。
そしてどこかのんびりとした背中の上の人物の感想だった。
「はやぁ〜い。すごーい」
返事を返す余裕は今のゴトウにはなかった。
少しでも亜弥を安全に脱出させようと必死になっているのだが、
緊迫感は当の彼女の呑気な言葉に崩される。
「狼って大きいんだね。でも触り心地がうちのアンちゃんにちょっとだけ似てるかも」
犬かよ。と言いたくても言えないままに、
マイペースな彼女を乗せ、ゴトウは黒い森を抜け出した。
- 582 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/28(月) 21:53
-
※
森から大きく離れた場所まで来てようやくゴトウは足を止めた。
亜弥がよっと背中から降りる。
カゴの中身を確認する亜弥を見ながらゴトウはゆっくり二足歩行の姿に戻る。
亜弥がその様子にふと気付き、こちらをじっと見つめてきた。
「な、なに?」
なんとなく気恥ずかしくなってゴトウはぶっきらぼうに聞いた。
「すごいなと思って。私もそんな力欲しかったなぁ」
「……あんたは、そんなのなくても十分凄いって、全く」
亜弥の答えにゴトウは疲れ混じりのため息をつき、ぞんざいに頭を掻く。
亜弥は嬉しそうににっこり笑った。
- 583 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/28(月) 21:54
-
「ありがと。あ、そうだ。ごっちんって、ステーキは骨付きとそうじゃないのどっちが好き?」
ゴトウは首を傾げ少し悩んだものの素直に答える。
「骨付きかな」
「そう。それじゃ明日はとびっきりの生肉を用意するね。お楽しみに〜」
「んぁ、明日?」
ふふ、と楽しそうな笑みをもらし、彼女は家とは別の方へ向かう。
ゴトウは慌てて彼女を目で追うが返って来たのはぶんぶんと振られる手。
「また明日ね!今日はほんとありがと〜!」
亜弥はゴトウの返事も聞かずどこかへ去っていってしまった。
ゴトウは複雑そうに開け放しになっていた口を噤む。
だがその端は、少しずつ緩んでいった。
「んぁ……しょーがないよね〜」
自宅に向かって歩きながら、誰に言うでもなく呟く。
言葉とは裏腹に、どこか明るい声だった。
- 584 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/29(火) 21:40
-
4
翌日の二十四時少し前、フジモットー伯爵邸。
広い応接間は歴史を感じさせながら小奇麗に整えられており、
適度に汚れた客人好みの食器たちがずらりと並んでいた。
ゴトウはテーブルの上を見て、思わず感心の息を洩らす。
一つ一つの椅子は、背の高いものから低いもの、幅が広いものと細いもの。
木製からプラスチック製のものまで何一つ同じではない。
そして、それらの席には全て客人の名前が書かれた小さなカードが添えられている。
- 585 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/29(火) 21:41
-
「おー、涼しい」
雪女が嬉しそうにとろけつつ透明な椅子に座る。
どうやら温度調節ができるものらしく彼女好みのひんやり感となっているらしい。
テーブル上には冷たい料理が冷気を発しながら並んでいる。
ドラキュラと猫娘には可愛らしい椅子を。
蛇女にはやけに豪奢な造りの、スフィンクスにはしっかりとしたものを用意している。
リサーチの結果はなかなか上出来のようだ。
ゴトウの席はミキと亜弥の席の近く。よっすぃ〜はゴトウの向かい側の席だ。
なるほど、一番五月蝿い集団とは少し離してある。
聴覚がすぐれている二人にこれは有難い。
喧騒から離れた席に無言で座ると、ゴトウは目の前にある旨そうな骨付き肉を気にしながらも
部屋の中を落ち着きなく動きまわっている亜弥をぼんやり眺めた。
忙しいのが嬉しいのか、それとも何でも楽しく感じてしまうのだろうか。
小さな彼女は、くるくると踊るようにあちこちの準備を進めている。
二十四時、五分前。
ギィ、と古びた音がして、部屋の奥の扉が開いた。
集まった客人たちが一斉にそちらに目を向ける。
- 586 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/29(火) 21:43
-
「ようこそ」
人間を家に迎えたここの主、ミキがゆっくりと現れた。
黒のマントに下は紫のドレスだ。吸血鬼の正装なのだろう。不気味な美しさを放っている。
客人たちはそれぞれに挨拶をはじめる。
もっとも、わざわざ席を立つ者はいないが
礼儀やマナーはあまり重んじられない村だから誰もそんなことは気にしないのだ。
大時計が二十四時ちょうどを指した。
亜弥がミキの隣にちょこんと座り、ぐるりと全体を見回した。
それから、嬉しそうに表情をほころばせると顔と同じく嬉しそうな明るい声で、
改めて挨拶をした。
「皆さん、本日はわざわざご足労頂きましてありがとうございます。
お料理は、これからどんどんお持ちしますので、どうぞごゆっくりお楽しみ下さい!」
銘々の拍手がわっと咲いた。
- 587 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/29(火) 21:43
-
客人たちはそれぞれに、賑やかな食事を始める。
ゴトウも待ちに待った料理を早速口に運んだ。舌も胃も喜んで受け入れる。
ちゃんとこちらの世界の調理法、更に言えばゴトウの好みの味付けだ。
亜弥は流暢にこちらの言葉を操りながら、
酒を注ぎ水を足し、料理の腕をあちらこちらで誉められていた。
にこにことした彼女の笑顔にほんの少し赤が差しいつも以上に華やいで見える。
このパーティーは成功だろうな。そう思いながらゴトウがミキのほうに目をやると
ミキはどうしてかむすっとした顔で静かに酒を呑んでいた。
なにが不満なんだろうと不思議に思って見ているうちに
ミキのグラスの中の血の色のワインが消える。
すると何処からか亜弥が飛んできて慣れた手つきでワインをミキのグラスに注ぎ足した。
注ぎ足しながらも彼女はミキになにか話しかけている。
- 588 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/29(火) 21:44
-
「たん、なに怒ってんの?」
「亜弥ちゃんさぁ……ちょっと他のヤツラと喋りすぎじゃないの?」
「ヤキモチだ」
「ちがっ」
「おーおー、照れちゃって可愛いなぁ、ミキたんはよしよし」
席が近いせいもあるが、他の種族よりも耳が効くためゴトウにはその会話はまる聞こえだ。
なんというか、聞いているこちらが恥ずかしくなってくる。
対面の幼馴染をなんとはなしに窺うと、彼女も聞き耳を立てていたらしい。
なんとも複雑な表情でミキと亜弥の二人を見ていた。
それから、溜息と共に視線をずらす。目が合った。
同時に苦笑交じりの笑顔になる。今の会話が聞こえていたのは自分と彼女だけだろう。
- 589 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/29(火) 21:45
-
「飯田さんの言ったとおりだね」
「うん」
にやりと笑う。
確かにあの調子ではミキのほうが尻に敷かれていそうだ。
「ミキちゃんさんのイメージがガラガラっと崩れたよ」
「んぁ〜、ま、仲いいことは美しきかなって言うじゃん」
「まあね。なんだかんだ思ってたけど来てよかったね」
「だね」
それはきっと全員が思っているに違いない。
皆、まさか人間がここまでやるとは思ってなかっただろうから。
ゴトウは確認の意味を込めて会場を見回した。ふとその目が怪訝に歪められる。
テーブルの中央あたり、自分からは遠い位置で、
吸血鬼のサーユが子供みたいに口を尖らしている。
今にも貧乏揺すりなどを始めかねない嫌な気配。青筋がこめかみで密かに脈打つ。
可愛さを誇る彼女の席には可愛らしいなシーツに食器たちに料理。
側には一輪、血のように赤いバラが飾られている。
彼女を招くには完璧なはずだが彼女の纏う空気と共に、そこだけどこか異空間。
- 590 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/30(水) 21:08
-
吸血鬼は遠くにいる亜弥に、冷たい口調で鋭く言った。
「馬鹿にしてるんですか」
辺りの会話が途端に消える。
広い部屋は唐突に静まった。全員がサーユに目を向ける。
サーユはそれを逆に活力にするように、どこか生き生き輝く目で亜弥を睨みつけた。
「大変結構な料理ですけど、いくら凝っていても所詮私にとってただの前菜でしかありませんね。
ミキ様と暮らすつもりならそれくらい知ってる筈でしょう」
サーユは僅かに笑みを見せた。
伝わるのは弱者をいたぶる愉しみに心酔わせているであろうこと。
客人たちは口々に非難の言葉を囁き始める。
サーユはそれすら愉悦に加えるように、高らかに声を上げた。
「知っていて無視してるなら著しい冒涜ですね。
私だけメインの食事が用意されないなんて!ミキ様もこんな気のつかない人間と暮らすなんてやめ」
言葉の途中で、ジリリリリ、と場違いな音がした。
亜弥が「あ」と嬉しそうな声をもらす。
- 591 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/30(水) 21:08
-
「良かった〜。ちょっと待ってくださいね、メインの食事今お持ちしますから」
その言葉に全員がぽかんと彼女を見た。
亜弥は、場の空気から遠く離れたままぱたぱたと台所へと駆けていく。
その後姿を見送りながら、ゴトウはほっと安堵の息をついた。
どうやら秘術で作る生き血は完成待ちだったらしい。
言葉を途中で遮られたサーユは憤りを感じる以前に、
事態の急展開に付いていけないのか皆と同じくぽかんとしている。
皆が言葉を忘れた中でミキだけが余裕綽々で静かに酒を口に運んでいる。
どこかシュールな景色の中に亜弥が戻ってきた。
水差しを両手で抱えサーユの元へ。スリッパが静かな部屋にパタパタと音を撒く。
「ごめんなさい遅くなって。はい、どうぞ」
「……はあ」
完全に意気を呑まれ、サーユは勧められるままにグラスを手に取る。
よく冷えているのだろう、亜弥は水滴が零れないよう底をタオルで押さえつつ、
水差しを傾ける。透明なワイングラスにどろりと赤い血が落ちた。
それは、音もなく容器を満たす。
サーユは赤黒い血と彼女を複雑な顔で見比べている。
- 592 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/30(水) 21:09
-
「どうぞ」
亜弥がにっこり微笑んだ。
その時――
「亜弥ちゃん」
不意に黙っていたミキがなにかに気づいたように立ち上がった。
つかつかと二人がいる場所に近づくとサーユの手からグラスを奪いとる。
「な、なんですか?」
「ちょっとこっち来て、亜弥ちゃん」
サーユの疑問の声を無視してミキは亜弥の腕を取りキッチンに引っ張っていく。
場はますますポカーンとしたものとなった。
ゴトウは彼女たちの消えていったドアを見つめる。
「…から………だよ」
微かに声が聞こえてくる。
ゴトウは聞き耳を立ててみた。
- 593 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/30(水) 21:09
-
「あー、そういうことかぁ」
「そういうこと。気をつけてね」
「ありがと、ミキたん。ンチュー」
「うわっ」
聞こえてきたのはやはり恥ずかしくなる会話だった。
ゴトウは少し頬を赤くする。
しかし、一体なんだったのだろう。
亜弥はなにかに納得していたようだったが――肝心の部分は聞けずじまいだ。
- 594 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/30(水) 21:10
-
「よっすぃ〜、聞こえた?」
「ん?ううん」
頼りの幼馴染は、場の空気も読まず生肉を食っていたらしい。
全く役に立たない。ゴトウは呆れる。
そこへ、ミキが静かに戻ってきた。
彼女は、先ほどの会話の名残を億尾も見せずに席に着席する。
そして咳払いを一つ。
「ここに来てる人たちに一つ言っておくけど……」
全員の顔を見回しながら口を開いた。
その顔は――言葉ではとてもじゃないが言い表せないほど恐ろしいものだった。
さすがの怪物たちも顔を青くする。
「亜弥ちゃんになにかしたら絶対に許さないからね」
低く、だが腹の底まで響くような声でミキは言った。
「特に」
ミキがギロリとサーユを睨みつける。
サーユの前にあった食器が音もなく真っ二つに割れた。
サーユは息を呑んで言葉もなく刻々と頷く。
そこへ「お待たせしましたー」
遅れて水差しを持った亜弥が部屋に戻ってきた。
途端、ミキの顔がいつものものに変わる。
それを見て凍り付いていた全員がホッと安堵の息を洩らした。
- 595 名前:人間奥さん 投稿日:2004/06/30(水) 21:11
-
「お待たせしちゃってすみません」
亜弥は、奇妙に静かな空気を気にすることなくとことことサーユの傍に行くと、
新しいグラスに水差しから血を注ぐ。
サーユはどこか怯えた顔でそれを見て、今にも泣き出しそうな顔でカップを受け取った。
そして、一気に飲みほす。呷り込んだ形のままで、彼女はしばらく静止した。
みんなが静かに息を呑み、サーユの反応を待つ。
彼女はどこか呆けたような顔で亜弥をまっすぐ見つめた。
その頬に珍しく赤みが差す。
「美味しい……です」
その言葉に亜弥は嬉しそうに、サーユ以上に頬を赤らめ極上の笑顔を見せた。
「あー、よかった〜」
亜弥は立ち上がり、疲れた顔の客人たちをのんびりと見回して、
いつものようにくしゃっと微笑んだ。
「じゃあ、そろそろお開きにしましょうか」
みんな揃って力強く頷いた。
- 596 名前:人間奥さん 投稿日:2004/07/01(木) 22:08
-
5
「あ、ごっちん」
親睦が嫌というほど深まった翌日。
ゴトウは家の近くで亜弥と鉢合わせた。
彼女は小柄な体に大きな荷物を抱えていて歩きにくそうだったので、
ゴトウは何となく半分以上の荷物を持ってあげることにした。
「ありがとう」
「何が入ってんの。またパーティでもやるつもり」
亜弥はにこにこと笑いながら違うよ、とのんびり言った。
「引越しの荷物、ちょこちょこ送ってもらってるの」
「……へぇー」
こんな村に宅配便が来るのか。
なんだか変な感じだ。ゴトウは、微笑する。
それからふと昨日の事を思い出す。
- 597 名前:人間奥さん 投稿日:2004/07/01(木) 22:09
-
「そういえばさぁ」
「なに?」
「昨日、サーユのグラスに血を注いだ後、なんでミキちゃんに一回止められたの?」
聞くと、亜弥は照れたように笑い
「ほら、生き血って温かいでしょ。冷やしたら不味くなっちゃうんだって。
でも、私、ジュースと同じ感覚で冷やしちゃってたから…ミキたんがそれに気づいてくれて」
「んぁ〜、そういうことか〜」
ゴトウはそう納得しながらも、
しかし、本当は亜弥をあの場から離れさせて
彼女に危害を加えないようあの場にいた全員に釘をさすことが
ミキの目的だったような気もしていた。
怒ったミキはそれほど怖かったのだ。思い出すだけで少し顔が引き攣る。
あのミキを見て亜弥になにかしようと考える者は絶対にいないだろう。
- 598 名前:人間奥さん 投稿日:2004/07/01(木) 22:09
-
「ごめんね。
ミキたん、普段は優しいんだけど、私のことになるといつもああだから」
亜弥が苦笑しながら言った。
「まぁ……え?」
「あ、ここでいいよ。荷物持ってくれてありがと、今度何かお礼するね」
亜弥はにこにこと笑いながら荷物を受け取った。
そしていつかと同じように、手を振りながらマイペースに去っていく。二人の新居へ。
ゴトウは隣家に消える後姿を見送りながら、誰に言うでもなく呟いた。
「知ってたんだ」
闇夜の空の下、ゴトウは独り佇みながら僅かに顔を引きつらせた。
おしまい
- 599 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/03(土) 23:28
-
- 600 名前:K.4.U. 投稿日:2004/07/03(土) 23:29
-
「ねぇ、コンちゃん。
よく少女漫画とかでファーストキスはレモンとかイチゴの味とか言うよねえ。
あれってどうしてだろうね?」
「酸だから」
唐突な質問だったにも関わらず彼女は即答した。
けど、それはあたしの理解を見事に超えていた……いつものことだけど。
彼女の投げるボールは常に変化球なので、素人にはなかなか受けとめられない。
だから、コンちゃんと上手に会話のキャッチボールをすることは至難の業なのだ。
- 601 名前:K.4.U. 投稿日:2004/07/03(土) 23:29
-
「ん〜と、どゆこと?」
あたしは素直に聞き返した。
解説、お願いします。紺野先生、と目で訴える。
「理科でなかったっけ?」
梨華ちゃん?なわけないか。理科でキスの実験なんてしてないよ。
あたしが、理解していないのが判っているようで、
だからね、と彼女は続けた。
「酸性のものはすっぱくて、アルカリ性だと苦いっていう実験、なかったっけ?」
「そう言われたら、やったかも……で?」
「だから、酸性」
「……っていうか、意味わかんないんだけど」
苛々するあたしに彼女は困ったような顔をしていた。
それを見てなんだか申し訳なく思うと同時に少しだけ嬉しくなる。
コンちゃんは頭がいい。そして偏ってるけど物知りだ。
けど、その知識をふりかざして無知なあたしを馬鹿にしたり笑ったりしたことは一度もない。
だから、この顔は単純にどう言ったらあたしが理解できるかを悩んでいるだけなのだ。
あたしも一応の努力を試みる。
- 602 名前:K.4.U. 投稿日:2004/07/03(土) 23:30
-
「酸性のものがすっぱいのは分かった」
「うん、レモンもイチゴは私嫌いだけど、酸っぱいでしょ」
「イチゴは甘いほうが好きだけど、そうだね」
「だから、そういうこと」
「だから……どういうこと?」
「う…」
あ、少し泣きそうになっちゃった。
でも、そういうことって言われても分からない。
論理が飛躍していると思うのはあたしだけ?あたしが馬鹿なだけ?
あたしが馬鹿女じゃなかったらコンちゃんの言いたいことが理解できたのかな。
- 603 名前:K.4.U. 投稿日:2004/07/03(土) 23:30
-
「だからぁ…唾液は酸性だから酸っぱいんだよ」
「……えぇ!?」
「驚く所じゃないよ」
「うそ!?」
「嘘じゃないよ」
「え、だって、ツバだよ?酸性なの?酸性ってよくないんじゃないの?」
確か歯医者さんが言ってた気がする。
唾液が酸性になると虫歯の原因になるとかどうとか。
コンちゃんはあっさりとあたしの言葉を肯定した。
- 604 名前:K.4.U. 投稿日:2004/07/03(土) 23:31
-
「うーんと、酸性に傾きすぎるとよくないみたい。
正確には、弱酸性。ビオレかな」
「……ビオレなんだ」
「そう」
「……それで──すっぱい、の?」
「たぶん」
コンちゃんは頷き、
イチゴとレモンになってるのは、それだけメジャーな果物だからじゃないかな、と付け足す。
「な……なるほど……」
ものすごく説得力のある答えだったので、とりあえず納得はした。
したけれど──訊かなきゃ良かった、かも。
コンちゃんはちらりとあたしを見て小さく笑う。
- 605 名前:K.4.U. 投稿日:2004/07/03(土) 23:32
-
「変な顔してるけど…まだ分かんない?」
「変顔はこうだよ」
あたしは、顔面を崩してみせる。
と、彼女はまた小さく笑う。のってる場合じゃないけど。
咳払いをして顔を戻してあたしは口にする。
「分かったけど──ちょっと後悔した」
「なんで?」
「だって……」
別に、本当にレモンやイチゴの味がするものだと信じてたわけじゃないけど。
それを期待していたわけじゃないけど。
でもなんかあまりにも現実的過ぎて
ロマンとかそういうものが失われた気がしたんだもん。
- 606 名前:K.4.U. 投稿日:2004/07/03(土) 23:33
-
「のんは甘ちゃんで子供だから、キスはすっぱいんじゃなくて、
イチゴの味なんだと信じたいんですよ、紺野さん」
のん、イチゴ好きだし、と付け加えたら、なんでかコンちゃんは吹き出した。
そしてあたしに背を向けしゃがみこんでしばらく肩を震わせていた。
「……のん、なんか変なこと言った?」
「ううん、おもしろかった」
この場合の変とおもしろいの違いを五十字以内で述べよ。
憮然としていたら、彼女は笑いの余韻を残したままあたしにキスをした。
あたしからするのはよくあるけれど、コンちゃんからするのは滅多にないことで。
「……はぁっ!?」
唇が離れてちょっと名残惜しく思いながらも彼女の意図が掴めずにあたしは首を傾げる。
コンちゃんは笑うだけで解説はしてくれなかった。
ま、いっか、とあたしは追求するのをやめた。
だって、あたしは甘ちゃんで子供だから。
明確な行動理由を説明されるより、キスをしてもらう方が断然うれしいのだ。
おしまい
- 607 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/04(日) 22:24
-
- 608 名前:娘。とのバトルをイメ(ry 投稿日:2004/07/04(日) 22:26
-
不意に背中全体を強い衝撃が襲った。。
それを自覚しても時既に遅く、私の足は床から離れていた。
油断していた。視界が一気に流れていく。もう駄目かもしれない。
そう思った瞬間、今までのことが妙にゆっくりと思い出された。
これが人が死ぬ間際に見るという噂の走馬灯だろうか。
- 609 名前:娘。とのバトルをイメ(ry 投稿日:2004/07/04(日) 22:27
-
四月 戦争勃発。
初心者の無知で、なんの防御もせずに圧死未遂。
五月 初級技「肘撃ち」をマスター。
(領域を侵した敵の腹・背などに肘を打ち込むことにより、自分のテリトリーを主張)
やればやるほど自らもやり返される諸刃の剣。
六月 敵の奇襲攻撃。卑怯にも靴の中に傘(しかも濡れている)を挿し込まれ身動き不可。
それを察知した変態部隊に囲まれる。肘うちでなんとか撃退。
七月 汗の匂いと香水をブレンドした毒ガス攻撃に呼吸困難に陥る。
中級技「一瞥」をマスター。
(背後から攻撃してきた相手を一瞥して謝らせる。断じて睨んだりとかしてるわけではない)
怖い顔をした人を睨みつけると後々面倒なことになる諸刃の剣。
八月 戦線離脱。
つかの間の休息。
- 610 名前:娘。とのバトルをイメ(ry 投稿日:2004/07/04(日) 22:29
-
九月 戦線復帰。直後に膝かっくん。
あわやで大怪我未遂のところを持ち前の筋肉で回避。
十月 斜め後方より爆弾投下。
当たる筈がないと高をくくっていると、多くの人の誘導によって
見事に私の頭へ。避けきれず頭蓋直撃。
暗記していたことを忘れる。試験の出来が悪くなったのはそのせいだ。
十一月 いつの間にかキャバクラ嬢になっていたらしい。
ダンディーなおじさまの膝の上に乗る貴重な体験。
とりあえずお互い笑ってやり過ごす。
十二月 高等テクニック「圧し掛かり」をマスター。
(背後にいる相手にあくまでさりげなさを装いながら全体重をのせ体力を回復する)
相手の回避作戦に気づかないとそのまま地面へ落下する諸刃の剣。
一月 敵の攻撃に限界を感じて手を離した瞬間、
誤って小学生の頭に肘撃ちをかます。所謂、誤爆というやつだ。
怪我がなくてお互いによかった。(そばに親がいなかったこともよかった)
- 611 名前:娘。とのバトルをイメ(ry 投稿日:2004/07/04(日) 22:30
-
バトルの記憶ばかりでその他のことはまったく思い出せない。
我ながら、嫌な走馬灯だ。うんざりしてくる。
だが、それは脳内の話で実際の私はいまだに吹っ飛んでいる。
吹っ飛ぶ私を皆、修行僧のように素早く避けていく。
私も技を磨いたはずだが、こううまく避けられる自信はない。
彼らの熟練技に天晴れと拍手を送る。しかし、一つだけ言いたい。
そんなスペースあったのかよ。
- 612 名前:娘。とのバトルをイメ(ry 投稿日:2004/07/04(日) 22:32
-
「うりゃっ!!」
このまま負けるのも悔しいのでどうにか体を止めようとしてみる。
幸運にも長年培ったカンが上手く機能したらしい。
私は、ガラスに手をついて体を支えることに成功する。
が、そのまま皆の体重がかかり――所謂圧し掛かり複数ver.。
状況は未だに厳しい。筋肉の限界を感じて
「ぶるぶるぶるぶるいつもより多めに震えておりまーす」
と冗談を呟いてみたりもしたが、誰一人無反応。
とても虚しくなる。
くだらない冗談を言ったおかげで体力も気力も使い果たしてしまい
あわや、おじさまの頭(バーコード)に接吻か!?
という時、ようやく休戦を知らせるアナウンスが入った。
- 613 名前:娘。とのバトルをイメ(ry 投稿日:2004/07/04(日) 22:33
-
「新宿、終点新宿でございます。ご利用ありがとうございました。
本日も混雑をして、大変御迷惑をかけたことをお詫び申し上げます。
お忘れ物のないよう、前の方に続いて順序よくお降り下さい。」
やはり満員電車は大嫌いだ。
こんな私には、満員電車が好きな誰かさんの思考回路は
一生かかっても理解できないだろう。
おしまい
- 614 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/08(木) 21:30
-
- 615 名前:鬱陶しい物思い 投稿日:2004/07/08(木) 21:36
-
「藤本、また肉のこと考えてたんでしょ」
「え?あ、分かります?」
「やっぱりね。ほんと肉好きだよね」
「いや、矢口さんに言われたくないんですけど」
「そりゃそうだ」
5月 日(月)
死ぬことを考えているとあたしはどうやら「肉が食いたい」顔をするらしい。
どんな顔なんだか。
ふとガラス越しに見えた青いお空には真っ白な雲が流れてて
スタジオに閉じ込められたあたしは
ガラスをパリンと突き破って外に飛び出したくなる。
そして、空を眺めながらコンクリートに叩きつけられるのだ。
出来れば後頭部から、壊れたい。最後まで空が見たいから。
よくTVとかであるじゃん。両手広げて背中から落っこちる所。逆タイタニックって感じ。
バラバラになる意識と、飛び散る肉塊。グロテスクなオブジェの完成ってね。
- 616 名前:鬱陶しい物思い 投稿日:2004/07/08(木) 21:36
-
「ねむ」
「ミキ、たえるのよ!今寝ると死ぬよ!」
「飯田さん、ミキはもう…ああ、先立つ不幸をお許しください……」
「ミキの馬鹿ぁっ!!!」
「うわっ、マジで叩かないでくださいよ」
「リアリティの追求」
「そんなとこにリアルはいりませんから」
5月 日(火)
たまには馬鹿な寸劇にも付き合ってあげないと。
くだんない。リアルなんて糞喰らえっていうか。
雨振るのかな、明日。鼻がむずむずする。
あたしの鼻は天気予報よりも正確。明日は雨だ。間違いない。
- 617 名前:鬱陶しい物思い 投稿日:2004/07/08(木) 21:37
-
「いたたた」
「どうしたの、ミキちゃん」
「腰痛い」
「年じゃん」
「タメじゃん」
5月 日(水)
ほら雨じゃん、正解。
さすが鼻炎持ちみたいな。
死ぬほどだるい。踊りたくねー。
身内番組だから手抜いていっか。
あー、だるいだるい。
- 618 名前:鬱陶しい物思い 投稿日:2004/07/08(木) 21:38
-
「で、そのハンニバルってのがカニバリズムな人でうわぁって」
「カニバリズムって?」
「それは神戸港で見られるという伝説のカニのダンス……って見たことないよ!」
「のりツッコミなのかな、それ」
「勿論、姫路ののりツッコミ王のこのわた」
「はいはいはいはい。話戻して、カニがなんなの?」
「ヤダ、それなんかやだ。もっと私のツッコミ技を…まあ、いいや。
それでね、カニバリズムって人の肉食べちゃうことみたいで、もうほんと怖かった」
「へぇー。おいしいのかな、人間の肉って」
「美味しくないらしいよ」
「亜弥ちゃんのここはおいしそうだね」
「あんた、エロ目」
5月 日(木)
カニバリズム。カニのリズム。
ズンドコズンドコピッピッピピーピーサンバ!!みたいなイメージ。
これじゃ、姫路ののりツッコミ王の影響受けてるみたいだ。やれやれ。
サンバサンバ。祭り行きたい。日本のはダルイから外国の陽気なカーニバルとか。
情熱の国とかいい感じかも。
カップルがあちらこちらで熱烈キスしてたりしてうわー。
ここでカニバリズムさん登場。
絡めあった舌をかじりあって血だらけでもー止まらない。ケロッグコーンフレーク。
コロシアムでは、ナイフとフォークで戦士たち。
負けたらさよなら、胃の中へ。
生贄の乙女は巨大なお皿に乗って祭壇へ。
食べられることが嬉しかったり、マゾ要素も入れてスパイシーエッセンス。
踊る、カニバリズム体操。進め、カニバリズム行進。
意味不明。あたしの脳食べたらハッピーになれるな。多分。
- 619 名前:鬱陶しい物思い 投稿日:2004/07/08(木) 21:38
-
「今度二人で遊ぼうよ」
「いいよ」
「携番教えて」
「いいよ」
「あいつには内緒ね」
「どいつ?」
「あ、そんな感じでとぼけとけばオッケー。じゃーね」
「バイバーイ」
5月 日(金)
歌番組。生放送。時間掛かりすぎ、暇すぎる。
誰かの彼氏から声かけられた。っていうか、誰だよ、お前。
とぼけるもなにもマジで知らねーよ。
あんたがあたしに突っ込む前に、あんたの番号を拒否設定に突っ込むよ。
バーカ、死んじまえ。
で、誰の彼氏だっけ?
- 620 名前:鬱陶しい物思い 投稿日:2004/07/08(木) 21:39
-
「あれ、ごっちん、どこ行くの?」
「バイト」
「バイトなんかしてないじゃん」
「あはっ、なつかすぃ〜」
「狙ってたでしょ」
「あはっ」
「で、どこ行くの?」
「この格好で分かるじゃん」
「分かんないし」
「自分の出てる番組みなよ……」
5月 日(土)
深夜00時きっかり、ってことはもう日曜じゃん。
細かいことはいっか。とりあえず、ベランダでぼんやり。
蒸し暑い。虫がいる。ムシムシしてるうえに虫がいるけど無視してみる。
息吸うと肋が痛い。マジ年だ。そういや、明日か、放送日。
ごっちんがあんなお姫様の格好コントでやってるとこ見たことないし、
あたしの知らないコーナーがあるのかな。覚えてたら見てみよう。
多分忘れるけど。見る気ないし。明日も仕事だし。
- 621 名前:鬱陶しい物思い 投稿日:2004/07/08(木) 21:40
-
「おはよー」
「おはよー」
「おはよー」
「おはよー」
「おはよー」
「おはよー」
「おはよー」
「おはよー」
「おはよー」
「おはよー」
「おはよー」
「おはよー」
「おはよー」
5月 日(日)
何人いるか分かんないってば。
自分入れて14だっけ?どうでもいいけど。
朝でも昼でも夜でもいつでもおはよー
いつでも爽やかな朝気分。んなわけあるか!!
- 622 名前:鬱陶しい物思い 投稿日:2004/07/08(木) 21:40
-
「藤本…ちょっと」
「はい?」
「……ってことで、あいつとは別れた」
「はぁ」
「まぁ、そういうこと」
6月 日(月)
梅雨の季節到来。
こんなじめじめした季節なのに
ジューンブライドって言葉、ありえないよね。
花嫁の気持ちになってみろ。
絶対暑い。っていうか、蒸し風呂に入ってる感じでしょ。
あたしは6月には結婚しないよ、絶対。
- 623 名前:鬱陶しい物思い 投稿日:2004/07/08(木) 21:41
-
※
彼女が、空を見ていた。物欲しそうな表情で。
物欲しそう?
んー?違うかも。矢口さん曰く肉欲しそうな顔らしいけど
私にはそう見えないし、よく分からない。
普段は結構、というよりかなり分かりやすい人なんだけど、
たまに他人には分からない何かを感じているのかなあ、とか思う。
誰だってそうだけど。分かりやすい人なのに分かりにくいってのが気になる。
分かりにくくて分かりにくいんだったら全然気にならないのにね。
楽屋では、とりあえず寝てるか、本読んでるか。
たまに興味がある話題をしてる輪の中に混じって話してる時もあるけど
基本、彼女は一人でボーっとしてることが多い。
私もボーっとしてるしあんまり人のこといえないか。
ただ、彼女がボーっとしてると顔が怖いんだよね、もう慣れたけど。
最初なんて怒ってるを通り越して、殴りかかってくるのかと思ったくらいだもん。
もしくは、殺がつくよからぬ犯罪を考えているとか。ありえないのにね。
- 624 名前:鬱陶しい物思い 投稿日:2004/07/09(金) 21:16
-
1
亜弥ちゃんと仕事が一緒の時って滅多にないんだけど
本当にたまに一緒になる時がある。
それで、まあそういう日って、こう空き時間とかになると
なぜかあたしは亜弥ちゃんの楽屋に行くわけ。
メンバーの皆がそれを快く思ってないことは、びしばし感じるわけだけど、
なんていうの?生活習慣、みたいな。だってデビューした時から、そういう感じだし。
大所帯入りしたからって行かなくなるのもどうかと思うしね、自然現象。トイレに行く感じ。
まぁ、そんなワケであたしは今も亜弥ちゃんの楽屋にいたりする。
亜弥ちゃんはこの間カニがどうとかいうDVDを一人で見たらしい。
人を食べるんだとさ。
これが愛し合う者同士だったらロマンチックな話だね、うん。
愛してるなら私を食べてーみたいな。ちょっと違うか?
そんなことを考えながらあたしは、亜弥ちゃんの胸をつつく。
- 625 名前:鬱陶しい物思い 投稿日:2004/07/09(金) 21:17
-
「亜弥ちゃんのここはおいしそうだね」
「あんた、エロ目」
そう返すあんたの目がエロイよ。
っていうか、自覚ないんでしょうけど亜弥ちゃんは誘い受けだよ。
誰にでもピーチピーチ振り撒いて誘ってる。男も女もキャモーン、the美学。
でも、この人は欲しいものを手に入れたら
あっさり興味失うタイプだからあたしは誘いにのって彼女のものになる気はさらさらない。
「たん、ほらもうちょっとこっち来て」
「はいはい」
くっつくけど溶け合わない距離、それが一番心地いい。
だから、たまに大嫌いなんだよ。バーカ。
- 626 名前:鬱陶しい物思い 投稿日:2004/07/09(金) 21:17
-
※
楽屋に戻ってきた美貴ちゃんは幸福と不幸のレールを往復してきた電車状態。
ううん、どっちかっていうと不幸の方が長かったみたい。
まぁた怖い顔してる。
松浦さんとなにかあったのかな。私が考えても意味はないけど、
あの状態でスタジオ入りしたら不味いと思う。
- 627 名前:鬱陶しい物思い 投稿日:2004/07/09(金) 21:18
-
「ミキティ、顔」
スタジオに移動する時に案の定矢口さんが美貴ちゃんを注意した。
少し離れたところにはマネージャーさんと一緒の松浦さん。
ミキティっていう音が聞こえたのかこっちを見ている。
美貴ちゃんはチラッと松浦さんの方を見て――これは私の気のせいかもしれないけど――
「ほぐしてください」
矢口さんに顔を突き出した。
「なに言ってんだよ」
矢口さんはギョッとしたような、それでいて照れたような顔で
美貴ちゃんの頭を押し返した。
「ちょっとドキッとしました?」
「かなりドキドキだよ……って、そうじゃなくて!
スタジオ入ったらにこやかにしときなよ」
「はーい」
間延びした返事を美貴ちゃんは返す。
やれやれといった風に矢口さんが笑い歩き出す。
私も歩く。チラリと後ろを窺うと松浦さんはまだこちらを見ていた。
やっぱりなにかあったんだろうな。私が知ってもホントに意味はないけど。
- 628 名前:鬱陶しい物思い 投稿日:2004/07/10(土) 20:52
-
2
生放送というのはなにがいいのか理解できない。
リアルタイムだからなに?
同じ時間を共有してるんだとか思っちゃう人いないでしょ?
生なんて慌しいことこの上ない。ちょっと段取りミスったら時間おしちゃうし。
そうならないように、朝から打ち合わせ、スタジオ入り。
でもって、空き時間が長すぎる。
楽屋でメンバーと話すことに飽きたあたしは一人でプラプラ。
廊下で、同じ番組に出る男性グループの一人とすれ違う。
「あ、ねえ、ミキちゃん」
呼び止められて振り返る。
馴れ馴れしいなぁ、と思いながらあたしは彼の顔を見た。
確か、メンバーの誰かの彼氏だ。誰の彼氏か思い出せないけど会ったことがある。
馴れ馴れしいわけだと納得。
- 629 名前:鬱陶しい物思い 投稿日:2004/07/10(土) 20:53
-
「今度二人で遊ぼうよ」
彼が言う。
「いいよ」
あたしは頷く。
「携番教えて」
彼が言う。
「いいよ」
あたしは頷く。
「あいつには内緒ね」
彼が心なし声を潜めた。
「どいつ?」
あたしは眉を寄せる。
「あ、そんな感じでとぼけとけばオッケー。じゃーね」
彼が笑って歩き出す。
「バイバーイ」
あたしも手を振って歩き出す。
なんだかなぁ……顔だけ男って感じだ。
なよっとして弱っちそうな彼はあたしの好みじゃない。
- 630 名前:鬱陶しい物思い 投稿日:2004/07/10(土) 20:53
-
※
「やばくない?あれって矢口さんの彼氏だよ」
「……美貴ちゃん、なに話してたんだろ」
たまたま麻琴と一緒にジュースを買いに廊下に出た私は
とんでもない現場に遭遇してしまった。
あの美貴ちゃんがまさか略奪愛なんてないと思うけど、
矢口さんに知られたら大変なことになりそうだ。
私は、美貴ちゃんの背中を目で追っている麻琴を見る。
言わないよね?
麻琴のことだからついうっかり口を滑らしそうで怖い。
「ねぇ、どうしよう?」
「え?どうしようって……言っちゃダメだよ」
「でもさぁ」
「話してただけでしょ。大したことないって」
私も苦しいこと言ってる。
携帯出してたから番号交換したのかメアド交換したのか。
美貴ちゃん、なに考えてるんだろう。気になるけどこんなこと聞けないなぁ。
- 631 名前:鬱陶しい物思い 投稿日:2004/07/11(日) 22:55
-
3
雨が降っている。六月になった途端、降ることもないじゃん。
じめじめしているし、テンションがあがらない。
それでも、いつもと変わらず仕事はある。いつもと変わらずメンバーと一緒。
いつもと違っていたのは矢口さんの様子。
一体どうしたのか。いつもムダに元気な矢口さんのテンションは
今日の天気と同じ雨降りみたいだ。
飯田さんや梨華ちゃんもそのことに気づいているみたいで、
さっきからしきりに矢口さんに話しかけている。二人に任せておけば大丈夫だろう、
そう思っていたあたしの前に突如影が落ちる。矢口さんだ。
「藤本、ちょっといい?」
「はい?」
なんだろう。不思議に思いながらも矢口さんの後をついていく。
どうやらあまり人に聞かれたくない話らしい、
矢口さんはてくてくと人気のない廊下を進んでいく。
- 632 名前:鬱陶しい物思い 投稿日:2004/07/11(日) 22:56
-
ある程度、人がいなくなったところで矢口さんはあたしの方を振り返った。
「ちょっと前にさ、おいらの彼氏紹介したじゃん」
矢口さんは切り出した。あたしは、それでようやく思い出す。
この間、あたしに携番を聞いた男は矢口さんの彼氏だ。
果てしなく嫌な予感。っていうか、もう確信に近い。
そういうのじゃないのに。やだなぁ、面倒くさい。
そう思うあたしは性格が悪いんだろう。
人の男に手出すなよ。って、出してないし。
一人ボケ一人ツッコミ、笑えない。
矢口さんの口はなんか動いてるけど、あたしは音をシャットアウトする。
「……ってことで、あいつとは別れた」
矢口さんは最後に言った。
それは、あたしのせいなんだろうか?
- 633 名前:鬱陶しい物思い 投稿日:2004/07/11(日) 22:57
-
「まぁ、そういうこと。別にミキティのせいじゃないから」
あたしの心を読んだかのように矢口さんが言う。
どうしたものかと顔を上げたらいつもの笑顔が待っていた。
「今度、合コン一緒にやるぞ」
「え?」
「いいメンツ揃えとくからね」
呆気に取られるあたしを他所に矢口さんは踵を返して楽屋に戻って行く。
言いたいことだけ言って話も聞かないで行っちゃうってどうよ?
勝手。勝手。自分勝手。あー、でも一番自分勝手なのはあたしか。
耳元で誰かが「どうせあの二人は長く無かったよ」と囁くけれど、
時期を早めたのは確実にあたしの気紛れだろう。
彼と矢口さんの間にどんな話があったか知らないけど、あの時無視しときゃよかったんだ。
面倒だったんだよね、いちいち言葉作るのが。
でも、そんなあたしの不精な行動が矢口さんを傷つけた。
なんてことしたんだろう。やばい、なんか泣きたくなってきた。
泣いた所でどうしようもないよ、愚か者。
- 634 名前:鬱陶しい物思い 投稿日:2004/07/11(日) 22:58
-
※
矢口さんと美貴ちゃんが楽屋を出ていった後も楽屋は変わらず騒がしかった。
その中で飯田さんと石川さんがなにやら話している。
私は、少し離れた所でそっと聞き耳をたててみた。
どうやら矢口さんは付き合っていた人に振られたらしい。
私の脳裏に携帯を手に男の人と話す美貴ちゃんの姿が浮かぶ。
あれ、やっぱりそういうことだったのかな。
思って、少しだけ私は美貴ちゃんの事を軽蔑した。
飯田さんたちの話は続く。
慰め合コンを開こうとか、男は当分いいんじゃないとか
結局、人間と言うのは自分のことじゃなければ全て他人事なんだ。
しばらくすると矢口さんが一人で戻ってきて、飯田さんたちは話をやめた。
白々しく元気だしなよ、なんか言っちゃってる。
美貴ちゃんはどうしたんだろう、と楽屋のドアを見ているとガチャリ。
遅れて美貴ちゃんが戻ってくる。
なぜだか、矢口さんよりも彼女のほうが泣きそうな顔をしていた。
- 635 名前:鬱陶しい物思い 投稿日:2004/07/11(日) 22:58
-
※
仕事が終わって家に帰り着いてもあたしの気分は晴れない。
静寂が嫌でテレビをつけると、くだらないラブコメディの再放送が流れていた。
お決まりの展開にギャグ。そして、事件。
ちょっとしたすれ違い。ああ、突っ走る勘違い。
そこから始まる二人の悲劇。
いつの間にかあたしは笑っていた。
だけど、もしあたしがこの番組の登場人物だったら、
このヒロインのようにずたぼろになるんだろうと思った。
ドラマが終わってすることがなくなったあたしは
時間も気にせずアイスを食べて肉を食べた。ダイエットなんて糞喰らえ。
こういう時、一人暮らしっていうのはとても気楽だ。
- 636 名前:鬱陶しい物思い 投稿日:2004/07/11(日) 22:59
-
深夜3時、ようやくあたしはそろそろ寝ないといけないなと思い始める。
それでも、お風呂に入らないで寝るのは気持ちが悪いのでお風呂場に向かった。
湯船にお湯をためながらぼんやりと脱衣所の壁にもたれかかる。
ふと視線を感じて洗面台の方に目をやると、鏡の中のあたしと目があった。
ぐったりと陰を背負っているくせに、眼だけはらんらんと負の炎に燃えて。
あたしってこんな顔してるのか。なんとなく思う。
我ながら最高に性格悪そうだ。世界中を見下しているこの顔。
……醜い醜い。
明日からどんな顔していけばいいのか分からなくなる。
- 637 名前:鬱陶しい物思い 投稿日:2004/07/12(月) 22:56
-
4
今日は新曲のダンスレッスン。一日スタジオ。
やってらんない。休憩時間、居場所がない。
メンバーの皆が矢口さんの彼氏を誑かしたあたしを責めている気がした。
これが被害妄想ってやつだろうね。思いながら、あたしは階段を上る。
このスタジオは屋上立ち入り禁止。唯一のドアには鍵がかかってる。
しかしながら、その横には窓が在ったりなんかして。
あたしは、窓の鍵を開けてよじ登る。
篭りっきりっていうのはよくないんだよ、ブラザー。
今日は梅雨晴れで気持ちのいいお日様が出ているから外に出ないと。
- 638 名前:鬱陶しい物思い 投稿日:2004/07/12(月) 22:56
-
誰も来ないはずなのに屋上は一面緑のフェンスに囲まれていた。
誰が思いついたんだろう、こんなおバカな光景。
勢いをつけてフェンスによじ登った。よじ登ってばっかだ、あたし。
遠くにビルの群れがミニチュアみたいに並んでいる。都会だね、まったく。
バランスを取りながら薄いフェンスの上に座り込む。涼しい風が吹いた。
時間までこうしていよう。あたしはしばし日向ぼっこに勤しむことにした。
- 639 名前:鬱陶しい物思い 投稿日:2004/07/12(月) 22:58
-
※
休憩時間になって少し経った頃、私は美貴ちゃんの姿が消えていることに気づいた。
時間になれば戻ってくるだろう美貴ちゃんを探すこともないのだけれど
今日の彼女は様子がおかしかった気がするので心配だ。
「ねぇ、美貴ちゃんは?」
「さぁ?」
亀井ちゃんに聞いてみると彼女は首をかしげた。
他のメンバーも同じような反応。なんとなく嫌な予感がして私はスタジオの外に出る。
廊下の先には吉澤さんと麻琴が話込んでいる。
邪魔するのもなんなので私は反対方向に歩いた。すぐに階段にたどり着く。
もしかしたら、上にいるのかもしれないな。
そう考えて、階段を駆け上がるとそこはやけに明るかった。
ドアの横の窓が全開に開いていてそこから日差しが差し込んでいるようだ。
そっか、今日、晴れてたんだ。
私は、窓に足をかけて外へ出た。そして、美貴ちゃんを見つけた。
緑色のフェンスの上。
一歩間違えば反対側にまっさかさまの場所。私は慌てる。
「美貴ちゃん!」
私の声に美貴ちゃんがゆっくりと振り返った。
- 640 名前:鬱陶しい物思い 投稿日:2004/07/12(月) 22:59
-
「おー、コンちゃん、どうしたの?もう時間だっけ?」
「ち、違うけど……危ないよ、そこ」
「うん、危ないね、ここ」
美貴ちゃんは全く気持ちの篭ってない声を返してくる。
私が来なかったら彼女は飛び降りていたんじゃないだろうかなんて思ってしまう。
私は、おずおずとフェンスに近づく。美貴ちゃんに近づく。
「もしかして、美貴が自殺しようとしてたとか思ってる?」
美貴ちゃんが笑いながら言った。
図星。
黙っていると美貴ちゃんは笑みを深める。
「ここから落ちても死なないよ、多分」
「……そういう問題じゃ」
「ないけどね。でも、気持ちよさそうじゃん、飛んでる瞬間」
「でも、つぶれちゃうよ」
我ながら間抜けなコメントだ。
でも、間違ってはいない。いくら飛んでる瞬間が気持ちよくても
地上うんメートルからアスファルトへ直行はいただけない。
- 641 名前:鬱陶しい物思い 投稿日:2004/07/12(月) 23:01
-
「飛び降りたら、死んじゃうんだよ」
私が、言うと美貴ちゃんは噴出した。
「そうだよねー、潰れて死ぬね。でも、この高さじゃマジで死ぬ確率低いから」
「だから、そういう問題じゃなくて」
「分かってるよ。潰れて死んだら死体も汚くなるしね。
どうせ死ぬなら綺麗に死にたいもんなぁ。なにがいいんだろ?」
ぼやいた美貴ちゃんに私は言葉を失う。
本当に彼女は死にたいんだろうか。
だろうか、じゃなくてこの様子からして絶対そうだ。
でもなんで?
私には分からない。彼女の悩みなんてさっぱり分からない。
とりあえず、こういう場合私はナニを言えばいいんだろう?
意外だね、とか?らしくないよ、とか?
いや、それは駄目だ。ダメだと思う。
「アンタらしくない」と言われてキレかけた経験が私にはあった。
つまり、逆効果ってやつだ。
じゃあええと「私もそう思う」とか?
嘘つけ、バカ。あー、あー、頭の中ぐるぐるしてきた。
- 642 名前:鬱陶しい物思い 投稿日:2004/07/12(月) 23:02
-
「首吊りは穴と言う穴から色々出ちゃうから汚くなるよ。
手首切っても、なかなか死ぬほど深く切れないらしいし、傷が残るだけでいいことないよね。
排ガスは死体ピンクになるから気持ち悪いし、ミキちゃんピンク嫌いでしょ、却下。
溺死もポインター模様になって格好悪いし、
睡眠薬なんて死ぬ確率低くて病院に運び込まれちゃったらゲロゲロ」
って、なに言ってるんだ、私!
紺野あさ美は混乱している、みたいな感じだよ、これじゃ。
感じだよじゃなくて混乱してるんだけど。
美貴ちゃんが目を丸くしてる。当たり前だ。
「じゃぁ、どういう死に方が綺麗なのかな?」
「知らないよ、そんなの。それよりそこから降りてきて?」
「コンちゃんはぁ、死にたくなる時ってない?」
私の呼びかけを無視して美貴ちゃんが聞いてくる。
こんな時に、もう。
そりゃ、ないって言ったら嘘になるけど……
- 643 名前:鬱陶しい物思い 投稿日:2004/07/12(月) 23:15
-
「…本気で死にたいとかは考えたことないかなぁ。
朝ご飯食べたら昼ご飯、昼ご飯食べたらおやつ、おやつ食べたら夜ご飯でしょ?
そっちの方が死ぬよりも幸せな気がするし。
だから、自分からその幸せなくしちゃうことはしたくないし。
でも、それは、私が生きてきた環境の中で生まれた考えであって、
美貴ちゃんの人生を生きて、同じ結論がでるかは分からないけど……」
素でいる、本能のままでいる、そんな美貴ちゃんは多分、多分だけど
外にみせる自分を作っている人たちよりずっと面倒くさい人生を、
ずっと誠実に生きているんじゃないかと、そう思った。だから――
「だから、私は、美貴ちゃんが思ってることを間違ってるとか
否定する権利ないし……でも、今は私がいるからダメ。降りてきて」
意味不明もここに極まれり。私は言った。
美貴ちゃんは上から私を見下ろしながら「ふむ」と唸った。
そして、スタッとフェンスの上から飛び降りる。私のほうへ。
あまりにその行動が唐突だったのでそれを望んでいたにも関わらず私は
「どうして?」と訊ねていた。
- 644 名前:鬱陶しい物思い 投稿日:2004/07/12(月) 23:15
-
「美貴の帰りを待つコンちゃんを残して死ねないよ」
美貴ちゃんは冗談めかした口調で答えた。
別に帰りを待った覚えはないから。
けど、後半部分は素直に嬉しかった。私を残して死ねないっていいなぁ。
コレを異性に言われたら、少しその気になっちゃうかもしれない。
「さて、と、そろそろ時間だね」
「え?あ、ホントだ」
いわれて、腕時計を見るとそろそろレッスン再開の時間になっていた。
私たちは入ってきた窓の方へ歩き出す。
「美貴は幸せ者だね」
「え?」
「ありがとさん」
照れ隠しなのかなんなのか美貴ちゃんは言いながら窓をよじ登った。
私は少しポカンとして、それから笑った。
分かりやすいけど分かりにくい。
人間ってそういうもので、美貴ちゃんはきっと分かりやすすぎるからひどく分かりにくいのだろう。
とりあえず、この一件でほんの少し、
塵ほどだけど美貴ちゃんの分からない所が見つかった。
- 645 名前:鬱陶しい物思い 投稿日:2004/07/12(月) 23:22
-
※
6月 日(火)
なんていうか、本当に死ぬ気じゃなかったわけだけど
そりゃ、まぁ、死にたいなぁってのは何度か思ったことあるけどさ
本当に飛び降りようなんて考えてなかった。
っていうか、あそこまで熱心に止められると逆にダイブしたくなったり。
なんてこと言ったらコンちゃんはもっと声を高くして止めたんだろう。
なんかあのコンちゃんはよかったな。
説得されている間、あたしはそんなことを思っていた。
少し遅れた青春って感じ。夕日に向かって馬鹿ヤローみたいな。
小っ恥ずかしいから実際には絶対しようとは思わないことだけど。なんかそんな感じだった。
きっとこれからもあたしは一杯凹んだりムカついたりするんだろうけど
今日の必死なコンちゃんを思い出せばちょっと乗り越えられるかもしれない。
というわけで、今日はいい日。
おしまい
- 646 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/14(水) 23:02
-
- 647 名前:君なき世界 投稿日:2004/07/14(水) 23:11
-
何がどう気に入ったのか、気に入られたのかわからない。
あたしとカオリさんは、気づけばいつでも一緒だった。
- 648 名前:君なき世界 投稿日:2004/07/14(水) 23:12
-
1
夕下がり、バイト帰りのあたしはわき目もふらずカオリさんの部屋に向かう。
彼女は都心のど真ん中にある、とても古い木造アパートの三階に住んでいる。
勿論、エレベーターなんかあるわけがなく、
あたしはそっけないコンクリの階段をえっちらおっちら三階まで上らなければいけない。
上れば上ったで、それからフロアの最奥まで歩かされる。
毎日繰り返せば適度な運動になって健康にいいはずだ。なんて思わなきゃ続かない。
部屋の前に到着するとチャイムなんて鳴らさずにあたしはドアを開ける。
鳴らさないというよりは鳴らせない。いつも壊れているからだ。
修理しなよ、といってもよっすぃ〜以外に来る人いないからいいの、と口を尖らせる。
気を利かせてノックをすると五月蝿いと怒られる。
とにかくあたしは何をしても怒られる。
結局、鍵を開け放しにするのはあたしがここに来る時間帯だけらしいので
彼女の勝手にさせることにした。
- 649 名前:君なき世界 投稿日:2004/07/14(水) 23:12
-
ドアの先はすぐ彼女の居住区が広がっている。
彼女はベッドに転がって訳のない映画を見ていた。
英語が分かるようになりたいと言っていたからあれで勉強しているつもりなんだろうけど
単語さえよく知らずに台詞を聞くだけで英語が分かるようになるとは到底思えない。
これでふざけているワケじゃなく大真面目なのでそんなこと言わないけど。
玄関先にいるあたしに気づいたカオリさんが細い腕で手招きする。
あたしが近づくと、カオリさんは自分のすぐ傍を二度叩いた。まるで犬扱いだ。
彼女は、ここに来てとはっきり言わない。
昼間の彼女はそれさえ面倒くさがる。夜行性だから。
あたしが隣に腰を下ろすとはカオリさんは体を起こし
あたしの腿にころんと頭を置いてまた横たわる。
これになんの意味があるのか分からない。
人一人分の頭が乗っかると足が痺れるんだけど、
彼女の長く艶やかな髪を撫でていればそんなことどうでもよくなってくるのだから困ったものだ。
- 650 名前:君なき世界 投稿日:2004/07/15(木) 21:42
-
2
「カオリさんってなんであたしと付き合ってるんすかねぇ?」
二人でベッドに寝そべりながらいつだったかそんなことを聞いてみたことがある。
純粋な疑問だった。
彼女は伏せ目がちに俯き、しばらくしてからこう言った。
「ぺディキュア、左側が綺麗に塗れないから」
よっすぃ〜は塗るの好きでしょ。
そう言いながら、カオリさんは細く白い左足とベース、マニキュア、
トップコートの三点セットを差し出した。
あたしは請われるままそれを受け取るしかない。そうでなければいけなかった。
- 651 名前:君なき世界 投稿日:2004/07/15(木) 21:43
-
あたしは、彼女が好きだった。
彼女があたしをどう思っていたかは定かではないけれど、
少なくともあたしを求めてはくれていたと思う。
あたしたちはきっと、お互いがお互いを本能と打算の合いの子みたいな複雑さでもって、
だけど、だからこそどこまでも純粋な感情で求めていたんだ。
けど、どちらかと言えばあたしの方が重症だったに違いない。
彼女がただ傍にいてくれさえすれば、
何をしなくても何をされてもあたしは満たされた。
彼女がいなければ、あたしの夜は明けない。朝も来ない。
- 652 名前:君なき世界 投稿日:2004/07/15(木) 21:46
-
※
「ねぇ、よっすぃ〜。自分が存在する理由って考えたことある?」
カオリさんは、夕食のメニューを聞くかのような軽快さで唐突に言った。
そのあまりに唐突過ぎる難解な質問に、あたしは暫し考え込む。
「…理由なんているの?」
「いるよ」
「なんで?」
「生きていても許されるために」
そう言った彼女の表情はいつものそれと変わらない。
淡々として、美しい。
- 653 名前:君なき世界 投稿日:2004/07/15(木) 21:46
-
あたしが生きていて許される理由。
それはカオリさんだ。つまり、あたしは
「カオリさんと一緒にいるために存在してるんだよ」
言いながら、あたしは彼女を抱きしめる。
あたしの腕の中で彼女が「よっすぃ〜は、お気楽だね」と呆れたように呟いた。
そりゃ、お気楽にもなるよ。
彼女を抱きしめながら口元を緩ませる。
カオリさんごちゃごちゃと色んな事を二人分考えるから
あたしは二人分お気楽にお気楽に生きていくことにしたんだ。
いつ切れてもおかしくないくらいピンと張った
あなたを和ませなければいけないからね。
- 654 名前:君なき世界 投稿日:2004/07/15(木) 21:48
-
「もちろん、カオリさんの存在理由はあたしでしょ?」
そんなわけがないとわかっていながらも訊ねるあたしはお気楽というよりはお馬鹿。
だけど。
それでもポジティブな答えを期待してたりする。
そんな筈がないのに、意外とあたしはマゾなのかもしれないなんて。
あたしは少し祈りながら彼女の答えを待つ。
カオリさんが怪訝そうにあたしの顔を見る。あたしも彼女の顔を見つめ返した。
分かりすぎるほど分かっているあたしたち。
カオリさんがカオリさんである限り、あたしがそんな答えを求められるわけがない―――
- 655 名前:君なき世界 投稿日:2004/07/15(木) 21:50
-
「違うよ。カオリの存在理由は生まれちゃったから」
よくわからなかったけど、
嘘ではないということだけが北極星のように確かな答えだ。
それはそれで傷つく。
あたしは、本能の赴くままに彼女にキスをした。
カオリさんは目を閉じない。あたしも閉じない。
お互いの瞳に映る自分を見ながら、あたしたちは二次元のキスをする。
あたしたちは不完全な1セットだ。
- 656 名前:君なき世界 投稿日:2004/07/15(木) 21:51
-
「カオリが死んだら、よっすぃ〜はどうなるのかな」
あたしが唇を離すのを待っていたかのようなタイミングでカオリさんは首を傾げた。
「さぁ、どうなるんでしょうね?」
そう答えると彼女は常にない、完全な透明度で笑い、
後追いはしないでねときつく抱きついてきた。
縋るような彼女の腕は、真夏の陽炎のように儚かく、幼く感じられた。
その瞬間、彼女だけが絶対的且つ唯一無二の存在だと思えた。
禁忌に触れるように、あたしたちは触れ合った。
彼女がいれば何も怖くなかった、何物をも愛せた。
「カオリさんが死んだら、夜が明けなくなっちゃうよ」
慕情が、あたしの胸を軋ませる。
涙が出そうで、愛しているとは言えなかった。
その代わりに、あたしは10の「好き」を口にする。
それに対して、カオリさんは「しつこいよ」と小さく笑った。
カオリさんが死んだのは、それから一ヵ月後のことだった。
- 657 名前:君なき世界 投稿日:2004/07/16(金) 21:34
-
3
実家に帰省していたあたしは予定よりも三日遅れで東京に帰還した。
いつだってすぐに行ける距離なんだけど、
あたしが滅多に家に顔をみせないので、両親の引止めが凄かったのだ。
駅から、直接、カオリさんの部屋に向かう。
いつものように何の予告もなくドアを開けると、ふと鼻を翳めたのはいつもはない、
純和様の匂いだった。夏休み。祖父母の家を覆う、余所行きの緊張を促す薫り。
「どちらさま?」
「あ……」
そこにはカオリさんではない女性がいた。
彼女のものではない声で、彼女ではない姿をして目の前に立っている。
呆然として、反応が遅れた。
不可解な予感にかなり動揺しているのを感じる。
- 658 名前:君なき世界 投稿日:2004/07/16(金) 21:34
-
「あ、あの……あなたは?」
「カオリの母親です」
身動きもせず、彼女は言った。
「あ…あたしは、カオリさんのその…友達で吉澤と言います」
自分がカオリさんの恋人だと言うのは憚られた。当たり前だ。
その答えに満足したのか、カオリさんの母親はそうですか、と言ってあたしを部屋の奥に通した。
何か、変な気分だった。
ここはカオリさんの部屋なのに、違う人がいて
ここはカオリさんの部屋なのに、違う人に中に通されて
ここはカオリさんの部屋なのに、カオリさんはいなくて――
- 659 名前:君なき世界 投稿日:2004/07/16(金) 21:35
-
「あの子、三日前に死にました」
あたしの視線に気づいたのか彼女の母親が言った。
淡々と言葉を紡ぐ姿にカオリさんのそれが重なる。
そうか、この人が母親なんだ、と当たり前のことを今更のように思った。
だからだろう。
内容の割りに淡々としすぎていたその言葉に、一寸意味を掴めなかった。
「しん、だ?」
「随分前に付き合っていた男にここ三ヶ月ほど付きまとわれていたらしくて……ご存知では?」
ストーカーって言うんですよね。
慣れない言葉を口にする拙さで彼女の母親が言った。
それに曖昧に頷きながら、
あたしは、自分の足元がまるで何かぬかるんだ泥地にでも変化してゆくような、
とても頼りない心持ちに晒されていた。
- 660 名前:君なき世界 投稿日:2004/07/16(金) 21:36
-
知らなかった、何も。
カオリさんはそんなこと一言も言わなくて、ましてやそんな素振りさえ見せたことがなかった。
淡々と、彼女はあたしの傍にいただけだ。
「ドアの鍵も掛けずにいたのも悪かったって、警察が言っていましたね」
彼女の母親が部屋の隅に目を遣った。
線香の煙が立ち上っている。
簡素で、淡々として、彼女らしい佇まいの写真と線香立てだった。
- 661 名前:君なき世界 投稿日:2004/07/16(金) 21:36
-
死んだ。
彼女が、死んだ。
鍵を掛けていなかったから―――
三日前、あたしが東京に戻ってくる予定だったから?
あたしがカオリさんに会いに来るはずだったから?
ドアチャイムも鳴らさず、ノックもしないあたしが来るはずだったから?
だから、掛けられなかったんだ、鍵を。
あたし以外、カオリさんの部屋には誰も来ないから
あたしが来るときにだけカオリさんは鍵を開けていた。
そのせいで――
殺された。
- 662 名前:君なき世界 投稿日:2004/07/16(金) 21:36
-
「苦しんで?」
改めて「死んだ」とは言えなかった。
だけど、彼女の母親には正確に伝わったようで「いいえ」と首を振った。
そして足りない言葉を補うように続けた。
「安らかだったそうですよ。変わった子、本当に、最後まで、変わった子……」
まるで独白のような響きだった。
だけど、あたしには、その響きが泣き声などより余程物悲しく聞こえた。
- 663 名前:君なき世界 投稿日:2004/07/16(金) 21:37
-
彼女の母親は、ついに一度として泣かなかった。
彼女は、カオリさんが死んでからまだ一度も泣いてないんじゃないだろうか。
そんな気がした。あたしも、泣かなかった。
何故だろう。膨大な喪失感で胸は張り裂けんばかりに痛んでいるというのに、泣けない。
映画でも、小説でも、漫画でも。あたしの知っているあらゆるメディアの中では
愛する人の喪失に泣き、或いは叫び、アグレッシブに悲しみを表現するものだというのに。
泣かなくてはいけない理由はない。けれど、あたしは心底泣きたかった。
それが出来ないあたしはとても虚しかった。
それから、泣けないあたしは泣かない彼女の母親と一緒に無言でお茶を飲んだ。
このツーショットは変だ。
カオリさんが見ればなんと言うだろう。
彼女の、あの時折みせる透明な笑顔が恋しかった。
- 664 名前:君なき世界 投稿日:2004/07/16(金) 21:38
-
※
部屋を出る頃には、既に夕闇に月が浮かんでいた。
靴を履くあたしの背中に、彼女の母親は小さく「さようなら」と言った。
そのとき初めて、言葉のイントネーションの違いに気づいたけれど、
今更どうでもいいことだった。
彼女の部屋は、もう彼女の部屋の表情を失っていた。
怖かった。あたしは、部屋を振り向きもせず立ち上がり「また来ます」と言って別れた。
もう行くはずはないと知りながら、そんな小さな嘘をついた。
- 665 名前:君なき世界 投稿日:2004/07/16(金) 21:39
-
外はひんやりとしていた。
昼の蒸し暑さは夜の間、どこへいってしまうのだろう。
そっと隠れて、一時の涼に安堵する人間を見てほくそ笑んでいるのかもしれない。
そんなどうでもいいことに思考を回しながら階段を下りる。
カオリさんのアパートからしばらく歩くと賑やかな通りに出る。
わざと繁華な通りを選び、あたしはわざとゆっくり歩いた。
周りは迷惑そうにあたしという障害物を避けて行く。
まだ八時も半分経つか経たないかと言う頃合に関わらず、
酒に呑まれた一団が愉快な様子であたしの傍らを通り過ぎてゆく。
眉間に皺を刻み早足で歩くサラリーマン、やる気のない風俗の呼び込み、
通路に腰を下ろしてがなり立てる女子高生たち。
いつもの、猥雑な町の風景。何も変わらない。
- 666 名前:君なき世界 投稿日:2004/07/16(金) 21:39
-
カオリさんが死んだところで、この町は少しも変わらない。
彼女の死は世界を落胆させも、絶望させもしないのだ。
なんて哀しい事実なんだろう。
だったら、あたしだけは変化していてやる。
彼女の死があたしという存在に影響を与えているのだと、
クソッタレの世界に示してみせたかった。彼女はあたしの世界を丸ごと動かした、
あたしの世界に色を与えてくれた救世主なのだと、そう声高に叫んで抗っていたかった。
あたしはもっとゆっくり歩いた。
せかせかと流れてゆく人の波に逆らって、
泣けないあたしは彼女を想ってゆっくりと進んだ。
何も変わらない町で、あたしだけが、彼女のための変化に身を委ねていた。
終
- 667 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/17(土) 22:04
-
- 668 名前:t.4.u 投稿日:2004/07/17(土) 22:05
-
「まだぁ?」
「……今考えてるから」
「遅いっ!遅いっ!遅いっっ!!ホント鳥膚が立つほど遅い!」
「そんな事言われると、余計に答えが遅くなるよ」
あたしたちは、歩きながらそんな言い合いなんかをしていた。
「洋食でも和食でもなんでもいいじゃん」
「パスタも候補に入れて」
「そういう問題じゃなくてさ……」
- 669 名前:t.4.u 投稿日:2004/07/17(土) 22:06
-
仕事の帰りに映画に行くことになって、で
ついでに夜ご飯も食べることになって
それから、三十分。あたしたちは渋谷の街をぐるぐる回っている。
コンちゃんが、和食か洋食か決めかねているからだ。
さっき、パスタも候補に+されたけど。
食べられればなんでもいいよ。とあたしは思ってしまう。
どの店もきっと美味しいんだし。
しかし、食に五月蝿いコンちゃんだ。そういう安易な考えは頂けないらしい。
- 670 名前:t.4.u 投稿日:2004/07/17(土) 22:06
-
「コンちゃんには、即答っていう技を覚えてほしいね…」
あたしがぼやくとコンちゃんは
なにが言いたいのか分からないと言うように首をかしげた。
「つまりさー、洋食!とか和食!!とか、こう、てきぱきとした受け答えって言うの?
それがコンちゃんにはないんだよ。キレがないっていうかさ」
「じゃぁ、のんつぁんはどうなの?」
ムッとしたようにコンちゃんが反撃に出る。
- 671 名前:t.4.u 投稿日:2004/07/17(土) 22:07
-
「洋食と和食、パスタ、どれ?」
「……どれでもいいの、のんは」
「は?」
「のんは、なんでもいいから、コンちゃんに聞いてるんだよ」
あたしの答えにコンちゃんの顔から不機嫌が消える。
逆に浮かんできたのは呆れ。
- 672 名前:t.4.u 投稿日:2004/07/17(土) 22:08
-
「はぁ?…それってつまり自分で決められない事を私に聞いて、
で、その返事が遅いからって私に怒ってる訳?」
「……そうだよ」
そうだけど。
それは、コンちゃんが食事に拘るの知ってるから決めさせてあげようと。
っていっても、それであたしが怒ってたらコンちゃんも面白くないか……反省する。
「ゆっくり決めていいよ…」
あたしは、西武の裏階段に腰掛ける。
溜息交じりにコンちゃんもその隣に座った。
座るなり彼女は口を開く。
- 673 名前:t.4.u 投稿日:2004/07/17(土) 22:08
-
「のんつぁんの速さが4だね」
「は?」
また、突然訳の分からないことを。
「で、私の速さが24かな」
4と24?
意味が分からない。そんなことより、夜ご飯はどうなったんだ?
チラリとコンちゃんを窺う。あぁ、もう思考は別の所だ。
あたしは、4と24の関係について考えなきゃいけないわけだね…
- 674 名前:t.4.u 投稿日:2004/07/17(土) 22:09
-
「私が24でようやく答えを出したときに
のんつぁんは4だから3往復もしてるってことだよ」
何が?
だから、なに?
コンちゃんの話を聞きながら、あたしはくるくると思考をめぐらす。
「で、24で二人はピッタリになったってこと」
コンちゃんはにっこりと笑った。
数学は嫌いじゃないので、いつもよりはそう時間も掛からず
あたしは、なんとなくコンちゃんが言いたかったことを悟る。
- 675 名前:t.4.u 投稿日:2004/07/17(土) 22:09
-
「……つまり、速さは違うけど、4と24だから
公倍数が一緒の時があるって事?」
「まぁ、そういうこと」
コンちゃんは得意げに笑った。
速さの同じ二人なんているはずがない。
二人いたら、絶対に速いほうと遅いほうが出てくるはずで。
早い方が4で遅い方が24。つまり、あたしとコンちゃんになる。
それで、怒ったり喧嘩になったりするんだけど、でも私たちは傍に居る。
そこがポイント。そこに真実がある。
コンちゃんの言い方を借りれば、まぁそういうこと。
- 676 名前:t.4.u 投稿日:2004/07/17(土) 22:10
-
「それで、決めてくれた?」
「…何を?」
「だからぁ、和食か洋食かパスタか…」
「あぁ、忘れてた」
ここで、また揉めて。
私たちは、こうして続くのだ。
おしまい
- 677 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/18(日) 22:12
-
- 678 名前:英雄 投稿日:2004/07/18(日) 22:14
-
楽屋に入ると飯田さんが交信していた。他のメンバーはまだ来ていない。
声をかけるのも躊躇われたので私は静かに着席した。すると、唐突に飯田さんが口を開いた。
「とある英雄達の話だよ。ほら、村の裏手に山が見えるでしょ?」
ほら、といわれてもここは楽屋だ。けれど、飯田さんの視線が異世界を見ていたので私は頷いた。
飯田さんは機嫌をよくしたのか口元だけに笑みを浮かべ、だけど目は交信したままで続ける。
- 679 名前:英雄 投稿日:2004/07/18(日) 22:14
-
「あそこには昔から怪物がよく住み着いてね。その度に村人達は恐怖にさらされていたの。
だけどね、村に怪物が現れると必ず英雄も現れて、怪物を倒してくれるんだよ」
飯田さんが時折おかしなことを言い出すのはモーニング娘。に入る前に見ていた
歌番組なんかで知っていたけれど、私がモーニング娘。のメンバーになってから
ここまでのパラノイア・ダイアリー現象を直に見るのは始めてだった。
少し感動しながら、私は聞き続ける。
- 680 名前:英雄 投稿日:2004/07/18(日) 22:14
-
「でも、この英雄達は怪物を倒すと皆何処へともなくいなくなってしまうの。
そうして、村の皆は彼らを尊敬し皆自分こそが次の英雄になろうと
日々充実した暮らしを送る。見て、コレが今の英雄たちだよ」
そういって、飯田さんが私に差し出したのは
私も集めているモーニング娘。のトレーディングカードだった。
意味が掴めずに飯田さんを見ると飯田さんはどこか寂しそうな顔をしていた。
- 681 名前:英雄 投稿日:2004/07/18(日) 22:15
-
「コレが代々の英雄たち」
次いで、飯田さんが出したのは昔のトレーディングカードだった。
これも私は持っている。ますます意味不明だ。
- 682 名前:英雄 投稿日:2004/07/18(日) 22:15
-
「どうして、村に怪物が出ると英雄が出てくると思う?」
「…え?」
「発想が逆だったんだよ。英雄が怪物になるから村を追い出されるの……
カオリが怪物になっちゃったらよろしくね、ガキさん」
飯田さんは私の肩をぽんと叩いて楽屋から出て行った。
最後の英雄に向かって
任せてくださいと私が胸を張って言えるようになるのはいつなんだろうか。
おしまい
- 683 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/20(火) 22:55
-
- 684 名前:二人ごと 投稿日:2004/07/20(火) 22:56
-
なにか軽く食べようかと私と梨華ちゃんはパスタ屋に入った。
年頃の女の子二人だけで食事なんて少し切ない。
けれど、それも仕方がないといえば仕方がない
「おタバコはお吸いになられますか?」
ウェイトレスさんがありえない敬語で私たちに声をかけてくる。
一瞬、おタバコは汚水に流れますか?と聞こえて、
そりゃ、流そうと思えば流れるでしょ、と返しそうになった。
だけど、私が心の中でそんなことを思っている間に
梨華ちゃんが「吸いません」と返事をしていた。
「ご注文がお決まりになりましたら、そちらのボタンでお呼びください」
私達にメニューを渡すと、丁寧に一礼して彼女は去って行った。
- 685 名前:二人ごと 投稿日:2004/07/20(火) 22:56
-
「なんにしようかなぁ?」
「なんにしようかなぁ?」
「柴ちゃんはいっつも決まってるじゃん」
「まぁね。あ、ドリンクバーつけよっと」
「あたしも」
「デザートは、このケーキにしよっかな」
「あたしも」
「……」
「……」
「梨華ちゃん、頼んで」
「ヤダ」
こういうときだけ、まったく。
私は、ボタンを押して店員を呼ぶ。
- 686 名前:二人ごと 投稿日:2004/07/20(火) 22:58
-
「ご注文を繰り返させていただきます………以上でよろしかったでしょうか?」
「よろしかったです」
必要以上に敬語をくっつけると馬鹿にしているとしか思えないような会話が成立するものだ。
それからしばらく、梨華ちゃんの話を聞くことに集中していると
注文した料理が運ばれてきた。私達はもそもそと食べ始める。
「いらっしゃいませー」
ドアベルの音に続いて元気な店員の声が響いた。
私達は口の中に入っているパスタを噛みながら、たった今入ってきた客に視線を投げた。
男の二人連れ。結構、イケてる。 因みにこっちも二人連れ。イケてる。
私達の斜め横の席に案内された彼らが着席する。
不躾なほどの視線を向けていた私たちは彼らから目を外しお互いを見やった。
- 687 名前:二人ごと 投稿日:2004/07/20(火) 22:58
-
「手前かな」
「あたしも」
「梨華ちゃん、奥のでいいじゃん」
「やだよ、あたしも手前の人がいい」
「年上を敬おうよ」
「年下に譲ろうよ」
「……」
「……」
そんな会話をしたところで自分達の物にはならない、ということは百も承知である。
暫くすると、彼らの席から声が漏れ聞こえてきた。
- 688 名前:二人ごと 投稿日:2004/07/20(火) 22:59
-
「この前、多香子と歩いてただろ?」
奥の男が低く抑えた声で言う。
一番人気の手前の男は無言でタバコに火をつけた。
「何か言えよ。何でお前が多香子と歩いてんだよ、それも手つないで!」
わぁお、痴情の縺れってやつですか。
私と梨華ちゃんは顔を見合わせる。
「私が推察するに、多香子はあのモンキー君の彼女だね」
「それか好きな人だね」
「あのイケメン君、見かけ通りだね」
「意外と本気の恋かもよ」
耳がダンボ、とはこのことだけど、
実際、耳がダンボそのものだったら嫌だ。
- 689 名前:二人ごと 投稿日:2004/07/20(火) 22:59
-
「信じらんねぇよ…お前、本気なのかよ?」
悔しそうに拳を握り締めて俯くモンキー君(結構可愛い)。
「信用ねぇな」
お、声もイケメン風だね、イケメン君。
「ふざけんな!あんなとこ見せられて信用なんかできるかよ!」
キッと睨み付けるモンキー君。
「やー、盛り上がってきたね」
「どうなるのかな?」
食事の手はさっきから止まりっぱなし。
私たちは、ただひたすらに彼らの席に神経を注ぎ込む。
- 690 名前:二人ごと 投稿日:2004/07/20(火) 23:00
-
「多香子とは友達だけど、それ以上の感情もったことねぇよ」
言い切ったな、イケメン。
「それじゃ…何で!!!」
モンキーは掴みかかりそうな勢いだ。
っていうか、泣きそうな顔してるじゃん。
「梨華ちゃん梨華ちゃん、モンキー君、泣きそう」
「あ、ホントだ。ウルってる」
「イケメン君、酷いなぁ」
「でも、イケメンだしね」
「友情も愛情の前では無力だね」
「あたしは柴ちゃんを取るよ」
「いやいや、いいから」
苦笑して視線を動かす。
ガタン。モンキー君が立ち上がった。
- 691 名前:二人ごと 投稿日:2004/07/20(火) 23:00
-
「お、おい。落ち着けって」
さすがのイケメン君もちょっと狼狽気味だ。
「よく…わかった…」
モンキー君の拳が震えている。
殴るのかな。
3…
2……
1………
「俺とのことは遊びだったんだな!!!」
『ホモかよ!!』
思わず立ち上がりそうになって
私は浮きかけた腰をなんとか椅子に戻す。
- 692 名前:二人ごと 投稿日:2004/07/20(火) 23:01
-
「まさか、こんなオチとは思わなかった」
「…ねぇ」
「まぁ、でも、三十人に一人は同性愛者って言うしね。そう珍しくないのかもね」
「あたしも柴ちゃん誰かに取られないように気をつけないと」
「はぁ?何それ?」
「だからぁ、また遊ぼうね」
「ねぇ、ホントなにそれ?意味分かんない」
「……お客様…」
気がつけば私達のテーブルの横に、
さっきのウェイトレスさんが立っていた。
- 693 名前:二人ごと 投稿日:2004/07/20(火) 23:01
-
「はい?」
「デザートの方、お持ちしてもよろしかったでしょうか…?」
「「よろしかったです!!!」」
おしまい
- 694 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/22(木) 23:17
-
- 695 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/07/22(木) 23:19
-
1
静かに深く沈んでいく青い感動。
魚の群像。ゆるゆると、生きた宝石。
溶け込むことの出来ない――異物。
「エリ」
その声に幻はぷつりと途切れた。
真っ白な部屋に、エリはたった今夢から醒めたばかりの顔つきで立っていた。
背後の扉から、顔見知りの研究員が入ってきてエリに笑いかける。
「毎日、よく飽きないね」
「好きだから」
もう何千年も昔の実際に見ることの出来ない環境ホログラムをエリは頻繁に鑑賞する。
実際の地上は有害な酸性雨に紫外線、放射能が三者仲良く渦巻いていて
人類はもう外に出ることすら出来ない。
そうして安全なこの地下シェルターの中で、同じ営みを繰り返していくだけだ。
外の生活を知るものなんてもうどこにもいない。
- 696 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/07/22(木) 23:19
-
「イイダさんが呼んでたよ。ラボで待ってるって」
「そうですか、ありがとう」
ホログラフィルームの外は、計算され尽くしたライトが落とす淡い青に染まっている。
今見ていた海の底よりも鮮やかで綺麗なブルー。
毎日、微妙に色を変えるそれは、
ここで暮らす者の疲労回復と精神安定のためのものらしい。
しかし、エリには全く効果がない。正直、うんざりだと思ってしまう。
もちろん、そう思うのは自分だけだということぐらいエリ自身も知っているから
誰にも言ったことはない。
- 697 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/07/22(木) 23:20
-
※
「失礼します」
イイダのラボは植物で溢れかえっている。
僅かな照明だけでも光合成できるように遺伝子操作された植物たち。
エリはこの部屋が大嫌いだった。
いくら、実際に触れる事ができても
ホログラムで見る植物と、なんら変わりはないとしてもこの部屋の植物たちは偽者だ。
こんな偽者で埋め尽くされた部屋にいるだけでどうしようもない嫌悪感が湧き上がってくる。
「なんの御用ですか?」
用件は分かっていたが礼儀的にそう訊ねる。
イイダは、その問いには答えずに一つの鉢植えを指した。
予想通りだ。内心、溜息をつく。
エリが反しているシェルター内の規則。
セイシンノアンテイノタメ、ショクブツヲソダテナサイ。
- 698 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/07/22(木) 23:21
-
「綺麗でしょ」
「……」
「何が元になってるか分かる?」
黙っているとイイダが試すようにエリを見つめながら問う。
エリはうんざりした気持ちで答えた。
「薔薇ですよね」
「そう、よく分かったね。このコには苦労したのよ。
バラ科の植物ならなんとかなるんだけど、薔薇自体は難しいの。
どう?このコ育ててみない?」
「あの…前も言いましたけど、私、植物苦手なんです」
視線をイイダの胸元に下げエリは肩をすくめる。
そこに視線を定めておけば、失礼にはならないだろう。
- 699 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/07/22(木) 23:22
-
「でも、ホログラムではよく見てるじゃない?
環境ホログラム、あなたが一番使ってるみたいだけど…
ああ、そっか。それでこれが薔薇だと分かったんだね」
「それは…」
エリは、言いかけて口を噤む。
言ったところで誰にも理解してもらえない。
たとえ、触れる事ができなくても、
その植物はここの植物とは違って本物だからなどと。
それになにが違うのかエリ自身もよく分かっていないのだ。
ただ、なにか別の次元で根本的に違うと感じている。
自分の部屋にそんなものを置くことを考えただけで寒気がする。
- 700 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/07/22(木) 23:22
-
「まあいいや。今日はその事じゃなくてね、他に聞きたい事があったの」
「なんですか?」
「フォレストを聞いてるかなぁって」
夜になると流れる川のせせらぎ音と小鳥の囀り音。
ここに住む人々は、それを聞きながら眠るように義務付けられている。
これもまた、疲労回復と精神の安定の為らしい。
そして、エリにはやはりうんざりするものだ。
疲労回復どころか、ザラザラと耳障りな合成音を聞いていると逆に疲れが溜まってくる。
だから、エリは極力それを聞かないようにしていた。
かといって、疲れが溜まるような事はなかった。一体、なんの為の規則なのか。
- 701 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/07/22(木) 23:23
-
「聞いてますけど、どうしてですか?」
一々、正直に答える必要もないのでエリは嘘をついた。
「ん?なんか疲れてるみたいだから」
「そんな事ありませんよ」
「ならいいんだけど」
イイダはまだなにか言いたげだ。
面倒くさい。
「用がそれだけならもう失礼させていただきます」
エリは浅めに礼をすると踵を返す。
ドアノブに手を掛けたところでイイダが呼び止めた。
「あ、待って。そういえば、ヤグチがなにか知らせがあるって言ってたから
ヤグチのラボに寄っていって」
「…分かりました」
- 702 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/07/23(金) 22:54
-
ヤグチのラボに彼女の姿はなかった。
機械の前で淡々と作業をしている所員に訊ねると、少し席を外しているだけなので
すぐに戻ってくるという返事が返ってきた。
仕方なく、エリは空いている椅子に腰掛けてヤグチを待つことにした。
クローン培養用のカプセルが並ぶヤグチのラボはイイダの部屋と並んでエリが嫌いな場所だった。
並んだカプセルの中で、眠ったまま大きくなる動物達。
そうやって造り上げられた動物達がどこに行くのか、エリは知らない。
造っている所員の大半も知らないという。
そんなことに興味を持つものはいないからだ。
ただ与えられた仕事をこなすだけの毎日。シェルターに住む人間は皆そうだ。
何ごとにも興味を持つことがない。きっと偽者だからだ。エリは思う。
ここで暮らしている人間の大半が、培養槽から生まれたのだとエリが知ったのは、
つい最近の事だ。それを知った時、エリはひどくショックを受けた。
しかし、すぐにそれは納得という形に変わった。
偽者だから、これほどまで本物に憧れるのだ。
偽者だから、これほどまで偽者を拒否するのだ。
所謂、同族嫌悪というヤツだろう。少なくともエリはそう思った。
- 703 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/07/23(金) 22:55
-
けれども、動植物とは違って人間を造りだすのはなかなか難しいらしい。
水槽の中で、一歳の誕生日を迎えることができる子供たちは10%に満たないという。
上手く一歳を迎えても水槽から出た途端に死んでしまう子供もいるらしい。
無事に育つ子供が少ないのは、遺伝子に手を加えていないだろうか。
それだけが救いだと、エリは思っている。
しかし、それもいつどうなるかは分からないが。エリはカプセルから視線を外す。
見ているだけで気が滅入ってくる。ヤグチはまだだろうか。
いい加減、部屋に戻りたくなったその時
「おぅ、来てたんだ」
タイミングよくヤグチが戻ってきた。
その後ろには見覚えのない女の子が付いている。エリは立ち上がる。
- 704 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/07/23(金) 22:56
-
「あの、なにか用事があるって」
「うん、いや部屋割の変更があってさ、あんたはこの子と二人部屋になったから。
7743号ね。移動は今日中に済ませといて」
有無を言わせない早口はヤグチの癖なんだろうか。
それとも単に忙しいだけか。別に逆らう気はなかった。
ここでは肩書きが上の人間に逆らう事は許されていない。
「分かりました」
どのみち、移動に何日もかかるような荷物はない。
個人用の、小型コンピューターが一台のみ。
着る物も食べる物も、各部屋で用意される。
二人部屋といっても、実質は一人部屋とたいして変わりはない。
共同の居間があり、ボタン一つで出てくる味気ない食事を一緒に食べるくらいの違いだ。
- 705 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/07/23(金) 22:57
-
「ミチシゲ、挨拶しろよ」
ヤグチが後ろにいた少女をエリの前に押し出す。
押し出された少女にエリは不思議な印象を受ける。
それは、植物に受けるものと同じ、エリ自身分からないなにか決定的な違和感だった。
「ミチシゲサユミです。よろしくお願いします」
「え、あ…カメイエリです」
ペコリと頭を下げたサユミにエリも釣られて慌てて頭を下げる。
「じゃ、ミチシゲのことよろしくな」
ヤグチはポンとエリの方を叩き、せかせかとラボの奥へと行ってしまった。
少し、その後姿を見送りサユミに視線を戻す。
- 706 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/07/23(金) 22:57
-
「部屋戻ろっか」
「はい」
エリの呼びかけにサユミがにっこりと頷く。
連れだって歩き出す。
サユミは、先程ヤグチに対してしていたように無言でエリの後ろを付いて歩く。
どうにもその沈黙が居心地悪くエリは顔をサユミに向けながら口を開く。
「部屋割り変更って珍しいよね」
「…ご迷惑ですよね、すみません。急にラボの移動があって」
サユミの言葉を聞いて、エリは困惑してしまった。
一度、決定したラボを移動するなんて今まで聞いた事がない。
そんなことあってはならないはずだ。
「なにかあったの?」
エリの問いに、しかしながら、サユミは微かに微笑みを返すだけだった。
- 707 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/07/26(月) 23:51
-
※
耳触りな川のせせらぎ音が、
カプセルベッドの中に巧妙に隠されたスピーカーから流れ始める。
以前、エリはあまりの雑音にスピーカーを壊してやろうと思いたち、
どこからそれが聞こえているのかを探った事があった。
そして、それがエアーコンディショナーの送風口からしていたと分かった時は、
心底驚いたものだ。地下にあるこのシェルターで温度と酸素を綺麗に保つ為には、
エアーコンディショナーは必要不可欠だ。カプセルベッドなら尚更。
個人的な呼び出しなどは端末を介して行われるので、
スピーカーの役割はフォレストを流す事に限定される。
フォレストとエアコンが同程度の重要性を持つということなのだろうが、
それが何故なのかはエリにはどうしても理解できなかった。
分かったのはスピーカーを壊すことは出来ないということだけ。
結局、エリは音をどうにかすることは諦め、今ではポータブルCDで音楽を聞いている。
ポータブルCDは勿論、聴いているCDも、今では旧世界の遺物だ。
どこか懐かしいゆったりとしたピアノ曲。
- 708 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/07/26(月) 23:52
-
『だから、なっちはこの部屋が好きなんだよ』
『エリも好き。ねぇ、またここで会える?』
『うん。約束』
うとうとしていると、どこか遠くから微かな声。
繋いだ指はもう途切れている。
彼女は、来なかった。エリを初めて理解してくれた同じ気持ちを持つ人。
約束したのに――ホログラフィルームでまた会うと。
幼い頃の記憶は、鮮明に、おぼろげに――
本来なら会えるはずがない年上の友達。
一緒に、過去の地上のことを夢中で話した。風や空や海の事を。
雨や太陽や大地の事を。いつか見てみたい。この手で触れてみたい。
そう言って笑った顔もこんなにもはっきりと覚えているのに。
幼いエリは泣いている。
オネエチャンハドコ?
ドコニイッタノドコニイッタノドコニイッタノドコニ……
- 709 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/07/26(月) 23:52
-
「あの、カメイさん」
突然、上から降ってきた聞きなれない声に驚いて目を開けると、
カプセルベッドの蓋が少しだけ開いていて
そこから申し訳なさそうにサユミが顔を出していた。
「魘されてたみたいですけど…大丈夫ですか?」」
「……あ、うん。大丈夫。ちょっと夢見ただけ」
エリは我に返り、イヤホンをはずした。
「なにを聞いてたんです?」
こちらを覗き込んだままサユミが不思議そうな顔で言う。
珍しいのだろう。就寝時に、フォレストを聞かないものなど。
「えっと…CD、ピアノの曲」
答えながらも、エリの思考回路は、
寝起きだというのに高速回転を強いられていた。
フォレストを聞かずに眠っている言い訳をどうにか搾り出さなければいけない。
規則違反だ。誰にも知られるわけにはいかなかった。
- 710 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/07/26(月) 23:53
-
「フォレストは聞かないんですか?」
「今日は、たまたま。ちょっと、うん」
予想通りの質問だと言うのに、エリの頭はパニックを起こし、いつの間にか、
言い訳にもならない台詞をさらりと答えていた。
「そう。それじゃ、おやすみなさい」
しかし、サユミはそれ以上問い詰めようとはせず、
そう挨拶をするとカプセルから身を引いた。
プシュッと音がして蓋が閉まる。
「おやすみ」
聞こえたかどうかは分からないが一応エリはそう返した。
周囲は静寂に沈む。
小鳥の囀り、川のせせらぎ。
うつろに響いてくるそれにエリは何ヶ月かぶりに耳を傾けてみた。
- 711 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/07/26(月) 23:54
-
シェルターにいる誰もがこの音を心地いいという。
不快感を感じるのなんて自分だけだろう。
どうしても我慢できないのは何故なんだろうか。
エリは右手を額に当てる。
自分たちは――人間はなにがしたいのだろう。
失った地上を取り戻せるわけでもないのに
こんな風に惰性のように生き続けて。
カガクノシンポ、ジンルイノシンカ。
待っているものはただ滅びだけだというのに。
こんなことを考えるのもまた異端なんだろうか。
エリは再びイヤホンをつけて眠りに付いた。
今度はもう夢を見なかった。
- 712 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/07/27(火) 21:42
-
2
「おはようございます」
「おはよう」
日の出などここにはない。
爽やかな朝の目覚めなどどこにもあるわけがなく
ここにあるのは昼も夜も変わらない照明ばかりで、
通路のブルーライトが、昨日と今日は違うのだということを示している。
「ねぇ、敬語じゃなくていいよ。私も使ってないし」
「…あ、そうですね。なかなか慣れなくて」
エリがいうとサユミははにかんだ笑みを浮かべた。
なにに慣れないというのか、よく分からないがとりあえずエリは曖昧に頷く。
「そういえば、どこのラボに所属する事になったの?」
「えっと、所属はヤグチさんのところ」
「ああ、それで昨日一緒だったんだね」
「あ、はい」
「だから、敬語じゃなくていいのに」
エリは笑う。
サユミもにっこりと笑った。
- 713 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/07/27(火) 21:42
-
朝食を終えると、二人はラボに向かうため部屋を出る。
今日の廊下は、新緑にも見える青の光で満たされている。
一回使った色は二度と使わないようになっているのか
エリは今まで完全に同じ色を見たことはない。多分、ないと思う。
ここを造った人々は、なんの意図でこんな照明を取りいれたのだろうか。
「それじゃ、私はこっちだから」
十字に分かれた通路でサユミに別れを告げる。
その足でエリは、ホログラフィルームに向かった。
- 714 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/07/27(火) 21:43
-
※
もうすっかり顔なじみのホログラフィルームの係員は、
エリを見ると苦笑を浮かべながらも何も言わずに部屋に通してくれる。
今のラボに配属されてから、エリはまともに務めに出たことがない。
一度決まったラボは変わる事もやめる事も出来ないのだから、
どんなにさぼったところでたいした影響はないのだ。
そんなわけで、一日の大半をこの部屋で過ごすエリのホログラム好きは、
かなりの広範囲に知れ渡っているようだった。
- 715 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/07/27(火) 21:44
-
部屋に入るとすぐに映像が流れ始める。
環境関係のホログラムを流してくれる所はさすがというべきか。
風が、吹いている。体感することの出来ない本物の風。
しゃらしゃらと草原を渡る、その音も確かに聞こえるのに。
鳥の声、日の光、波打つ草原、花と木々。同じ世界に在ったはずの景色。
もう二度と、触れることのかなわない景色。
ホログラムを見ていると自分が異物だと感じてしまう。
本物にはなれない。かといって偽者にもなりきれない。
どうしたらいいのか分からなくなる。
- 716 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/07/27(火) 21:45
-
「あっ」
何かにぶつかって、エリは小さく声を上げた。
何もないはずのところにある何か。冷たい感触の見えない壁。
動けば壁にぶつかるのは当たり前だ。ここは部屋の中なのだから。
続いていく景色。どこまでも続く、草原と森。
しかし、エリがその向こうに足を踏み出す事は決して出来ない。
決して、出来はしないのだ。
「…あの」
不意に背後から遠慮がちに掛けられた声でエリは我に返った。
目の前に現れたのは白い壁。
エリがうわの空だったので、係員が映像を切ったのだろう。
続いていた草原は跡形もなく掻き消えている。
ドアの傍に立っていたのはサユミだった。
- 717 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/07/27(火) 21:45
-
「ごめんなさい。ここだって聞いたから」
「ううん。なぁに?」
「あたしも……一緒に見ていい?」
「…いいけど、仕事は大丈夫?今日からでしょ」
「あ、ヤグチさんに許可はもらったから」
「ヤグチさんに?」
エリは思わず聞き返す。
あの人が、さぼりの許可を与えたというのだろうか。
ありえないはずのラボの移動といい、どうもサユミには不思議なところが多すぎる。
- 718 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/07/27(火) 21:46
-
「いつも立って見てるの?」
エリの問いかけには答えずサユミが尋ねる。
彼女は、ルームの中央にある白いソファに座っていた。
「…ううん、座ってるよ」
エリは、その隣に腰を下ろす。
それを見計らったかのように
ヴォン、と微かな機械音がして、先程と同じ草原が浮かび上がってきた。
どこまでも高く、青い空。湖と森。色とりどりの花。
- 719 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/07/27(火) 21:46
-
「綺麗‥…」
サユミがどこかうっとりした声を洩らす。
エリは一瞬耳を疑った。
幼い頃、同じような感想を洩らしたあの人とサユミが重なって見えた。
「本当に昔はこんな景色があったのかなぁ」
「……見てみたい、と思う?」
エリは、サユミを見つめた。
「本物があるのなら」
サユミが答えた。エリは、驚きに目を開く。
本物。彼女も自分と同じ?
偽者に囲まれたこのシェルターにうんざりしているのだろうか。
なにか他にもたずねたかったが上手い言葉が見当たらない。
気づくと、サユミはまるで風を感じているかのように瞳を閉じていた。
- 720 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/07/29(木) 21:11
-
※
それから、エリとサユミは七つのライトを一緒に過ごした。
その間に、サユミとホログラフを見たのは三回。色々な事を話した。
あの人がいなくなってからずっと心の内にしまっていたものでも
彼女は分かってくれる。それがエリには嬉しかった。
サユミがラボに行かずにホログラフィルームに来てくれる日は
ライト以外単調に繰り返す毎日の中でエリにとっては変化の日だった。
- 721 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/07/29(木) 21:11
-
「サユ?いないの」
エリは居間の照明がついていない事を意外に思った。
サユミがラボに行っている日は帰りがバラバラになるのはいつものことだが
いつもならばエリがホログラフィルームから戻る頃には、
彼女はもうとっくに部屋に戻ってきていて
コンピューターに映し出される文字を追っている。
しかし、今日に限ってサユミの姿はどこにも見当たらなかった。
ただ、ついさっきまで部屋にいたかのように
彼女の端末のスイッチは入ったままになっていた。
- 722 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/07/29(木) 21:13
-
「どこ行っちゃったんだろ」
何気なくその画面を見やって、エリは目を見張った。
そこにある内容にはなぜか暗号が使われていて読み取れないが
冒頭にある数字だけは読み取れる。それはエリの認識番号だった。
自分に関係のあることなら見過ごすわけにはいかない。
エリは自分の端末を開き、全文を写し取っていく。
間違いがないかチェックしていると、微かな作動音がしてメールが届いた。
これもまた暗号が使われている。しかし、最後の数字に見覚えがあった。
ヤグチの認識番号だ。
「……なんで、サユのとこにヤグチさんから」
不穏なものを感じてエリは暗号の解読をしてみる。
暗号は単純な置き換えだけで簡単に解く事が出来た。
ただその内容を信じる事は難しかった。
- 723 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/07/29(木) 21:14
-
『19881223(カメイエリ)に関する報告
CD音源によるフォレストの拒否。
所属ラボ出所拒否。
一日の大半をホログラフィルームで過ごす。
過去への憧憬が強く、環境に強い関心を示していますが、
プロジェクトラビリンスに関しては協力者になる確率は低いと思われます』
『引き続き監視を続けるよう。
抹消の是非はもうしばらく保留。報告を怠らないように。
19830109』
- 724 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/07/29(木) 21:14
-
信じられるかどうかは別にして
少なくとも、これから分かることは三つ。
サユミがエリを監視するために送り込まれてきたということ。
ヤグチがその件に深く関わっているということ。
一般には知らされていないプロジェクトがあるということ。
よくよく思い返せばサユミは初めからおかしかった。
ラボの移動のこともヤグチと親しげなのも、これで説明が付くといえば付く。
エリは、このことをサユミに問いただすべきかどうか迷った。
尋ねたからといって「はいそうです」とは答えてくれないだろう。
無機質な部屋の中で呆然とする意外、エリに方法はなかった。
- 725 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/07/30(金) 23:01
-
3
結局、事情を聞くことが出来ないまま、数日が過ぎた。
サユミの無邪気な笑顔はそれからも変わらず、
エリがあの暗号を見たとは思ってもいないようだった。
そうして同じように、同じような毎日が流れていく。
少なくとも表面上だけは、何もなかったかのように。
- 726 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/07/30(金) 23:02
-
それから、少しだけ変化があった。最近、サユミは体の調子が悪いようだ。
透けてしまいそうな白い肌をして、
疲れたようにソファに沈み込んでいるのを度々見かけるようになった。
動くのが億劫なのか、ラボにもホログラフィルームにも顔を出さない時もあった。
サユミの具合は日を追うごとに悪くなって来ている。
そのせいもあって、エリは何も聞けないでいた。
真実はすぐ傍にあるのに、決して届かない。まるでホログラムのようだ。
変わらない毎日だけが、目まぐるしいライトの色と共に流れて行く。
サユミはもう長くないのかもしれない。漠然と、そう感じた。
- 727 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/07/30(金) 23:03
-
※
「エリ」
朝、いつものようにホログラフィルームに行こうとしたところで
サユミに呼び止められた。
「私も一緒に行く」
それは、エリがあの文章を読んでから
丁度ライトが三十回変わった日のことだった。
- 728 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/07/30(金) 23:03
-
ホログラムは、夕焼けを映し出す。
空というキャンバスが、紅や橙色や青紫に染まる様は
とても綺麗でいて、切なくもなる。
そういえば、今日の廊下のライトは夕焼け色だった。エリはそんな事を思う。
隣にはサユミが座っているけれど、今日はなにも話すことがない。
なにを話したらいいのか。だから、エリは夕焼け空に集中していた。
- 729 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/07/30(金) 23:04
-
「エリ」
不意にサユミがエリを呼んだ。
「ん?」
「私のこと怒ってる?」
「…え?」
唐突なその問いかけに反応が少し遅れる。
見ると、サユミは真っ青な顔をして肩を抱きしめるようにして小刻みに震えていた。
呼吸が浅い。思わず、人を呼ぼうと立ち上がりかけたエリを
「大丈夫だから」
サユミが震える声で制止した。
「でも…」
「本当に大丈夫。ちょっと調整薬飲むの忘れてただけ」
「…調整薬って?」
エリが問うと、さゆみは、大きく深呼吸をして顔を上げた。
ほんの少しだけだが顔色は良くなった気がする。
- 730 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/07/30(金) 23:04
-
「私は無菌室で育ったようなものだから、薬無しでは生きていけないの」
「無菌室?」
儚げな笑みと共に発せられた言葉は、エリを驚愕させるのに十分だった。
「報告書、読んだでしょ?」
まるで初めから知っていたような口調が、エリを混乱させた。
まだ何も聞けていないのに。エリの動揺を儚げなまま見つめながらサユミは続ける。
「ワザとエリに気づかれるように置いたんだもん。
本当はシェルターの全図も引き出せるようにしたかったんだけど」
「……なんで、そんなこと」
呆然としてエリが言うと、サユミは困ったように微笑んだ。
泣き出しそうにも見える、哀しげな瞳。
- 731 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/07/30(金) 23:05
-
「なんで、かなぁ。きっと私、狂ってるの。だけど」
そこまで言って、サユミは辛そうに眉根を寄せた。
まだ自力で呼吸が出来るか確かめるように何度も何度も
大きく息を吸っては吐いてを繰り返す。
もういいから、とは言えなかった。
なによりもエリが知りたかった真実が、すぐそこにある。
「だけど、エリも狂ってるよ。
フォレストを受けつけない存在なんて、ここではあってはならないのに」
フォレスト――夜になると流れる雑音。
- 732 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/07/30(金) 23:07
-
「どうして?フォレストってなんなの?」
「…心理操作。与えられた仕事だけを確実にこなすように。
従順な労働力として、そのためだけの。
自由に考える権利すら、あなた達には与えられていないの」
「それは…projectラビリンスの…為なの?」
エリの問いかけにサユミは頷いた。
つまり、自分たちはprojectラビリンスに必要な労働力ということか。
遺伝子操作も、廊下のライトも、
このシェルターにある何もかも、すべてが、
その為にあったというのなら、それは。
「サユは…一体、なんなの?」
エリが問うと、サユミの瞳の奥が揺れた。悲しげに。
「実験体。エデンの園に入る資格のない失敗作」
「エデンの…園?」
呆然としたままのエリの前で、サユミは首から下げていたペンダントを外した。
血のような色の石が不思議な光沢を放っている。
- 733 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/07/30(金) 23:08
-
「私と一緒に見に行く?」
「……」
答えはなかった。
「案内できるから、ラビリンスに」
「…でも、サユはどうなるの?」
「私は…大丈夫だよ」
サユミが立ち上がる。よろめく。
エリは咄嗟に彼女の体を支えた。冷たかった。まるで陶器のように。
目が合うと、サユミはエリを安心させるかのように笑った。
- 734 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/07/31(土) 22:21
-
4
「これがラビリンスの鍵」
動かないはずのオートロードがサユミの持っていたペンダントに反応し音を立てはじめる。
行き止まりのはずの壁をすり抜けてエリをどこかへ運ぶ。
たどり着くのは迷宮か。
シュン、と軽い音が響いて、誰もいない白い通路が現れる。
気の違ったかのようなライトの氾濫は、ここにはない。
並んだドアは微動だにせず、
滅びを迎えたかのように通路はシンと静まり返っている。
本来、人間に訪れるはずだったのはこの静寂ではないだろうか。
エリは思った。
一つのドアの前でオートロードがゆっくりと止まる。
- 735 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/07/31(土) 22:22
-
「エリ」
サユミが振り返った。
「…ここから先は私は行けないの」
「……」
ラボの存在意義。
滅びゆく種族にとって、遺伝子操作が何の意味を持つのか。
クローン培養された動物たちはどこに連れて行かれるのか。
その全ての答えはここにあるのだろう。
エリは、無言で突き当たりのドアに手を触れた。ゆっくりと扉が開く。
目がくらまんばかりの強い光。トン、と背中を押された。
扉の向こうに足を踏み入れる。
「バイバイ、エリ」
サユミの声が聞こえて、扉が閉まった。
- 736 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/07/31(土) 22:23
-
※
砂浜と、海と、広大な森。照りつける太陽と風。
扉の向こうには、いつもホログラムで見ていた鮮やかな景色が広がっていた。
エリは息を飲んで立ち尽くす。
風が、潮の匂いを乗せて髪を揺らした。
実際に感じられた。
打ち寄せる波の音。海鳥の鳴き声。青い空と、熱い砂と空気と。
「サユ」
思わず振り向いた先に扉はなかった。
海と砂浜と森が続いていくだけで、それでも扉のあった場所に指を伸ばすと、
そこにはちゃんと壁があった。ホログラムだ。
そこから入ってきたのだと知らなければおそらく気づかないほどにリアルな。
- 737 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/07/31(土) 22:23
-
エリは踵を返して波打ち際を歩き始めた。
波は繰り返し繰り返し寄せては返し、エリの足元を濡らす。
風は浮かびかけた汗を拭い、砂は間違いなく足跡を刻む。
夢のような景色だった。
触れることなど、叶わなかったはずの。本物の世界。
これがエデンの園。
エリは、空を見上げる。白い入道雲がぽっかりと浮かんでいる。
雲があるなら、ここには雨も降るだろう。
- 738 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/07/31(土) 22:24
-
エリは悟る。
無数に有るラボの意味。
それは選ばれた者のみが住まうこのエデンのため。
何も知らされずに子供たちはこの楽園に放たれ、やがて何も知らずに子供を生む。
数十年もたてば、真実は闇に埋もれるだろう。
シェルターの向こうに滅びが来ても、残された機械が全てを維持して
楽園の住人たちは同じ日々を繰り返す。
そうして永遠に、人類は生き続ける。
滅びる運命ではなかったのだろうか。
世界を壊したその時に、人類の未来は確定したはずなのに。
一度もぐりこめば二度と抜け出せない迷宮のように、永遠に続く――
真実を知るものがいなくなっても、ずっと。
- 739 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/07/31(土) 22:25
-
「ここは…エデンなんかじゃないよ」
ポツリとこぼれる。本物じゃない。
エリはしゃがみ込み、海水を手で掬う。人工太陽に温められた
海水は心なし温さを持っている。箱庭にしては上出来だ。
この箱庭のような世界を自分に見せて
サユミはなにを望んでいたのだろうか。
- 740 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/08/01(日) 23:19
-
「カメイ」
背後から声がした。足音。
エリは、瞳を閉じる。
「……イイダさん」
「やっぱり、ナッチと同じね、あなたは」
イイダは頭を振った。
ナッチ。イイダの口からその名前が出てきてエリは心底驚いた。
「知らなかっただろうけど、
あの日からあなたはずっと危険分子とされてたのよ」
淡々とつむがれる言葉。
あの日から――
あの人がエリの前から姿を消したその日から、ということだろうか。
- 741 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/08/01(日) 23:20
-
「でも、サユが裏切るのは予想外だった。失敗作はダメだね、やっぱり」
「……サユは失敗作なんかじゃない」
エリはイイダを睨みつける。
イイダは、苦笑してエリに背を向けた。扉が開く。
「ラビリンスに協力する気はないようね」
扉から、数名の男たちが姿を現す。
エリは彼らに引っ立てられるように白い廊下へと連れ出された。
廊下にはヤグチとサユミがいた。
ヤグチは、男たちに腕を掴まれているエリのほうなど
見向きもせずイイダに問いかけた。
- 742 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/08/01(日) 23:21
-
「どうだった、カオリ」
「ダメね。処分するしかないみたい」
イイダは、肩をすくめる。
サユミがその言葉に息を呑んだ。
処分――ぼんやりとした思考でエリはその言葉の意味を捉える。
自分は殺されるのか。
イイダが歩き出す。
ヤグチがあとに続き、エリは男たちに引き摺られながら歩く。
少し遅れてサユミもついてくる。
しばらく歩くと、ハッチの付いた扉の前にたどり着いた。
「ここを出ればあなたが望む本物の地上よ。憧れてたんでしょう」
シューッと音がして扉が開く。
そのまま男たちの手でエリは扉の外に放り出された。
- 743 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/08/01(日) 23:22
-
赤茶けた地面に転がる。
危険分子の烙印を押されたものは、皆こうやって始末されたのだろう。
閉ざされた隔壁の前には、いくつもの白骨死体がころがっていた。
エリは悲しげに眉を寄せる。
結局は皆、シェルター内の人間でしかなかったのだ。
ここに転がっている死体すべて、結局。
憧れていた地上で、シェルターの前を離れることすら出来ずに。
自分もいずれはこうなるのだろうか。考えると、動く気力も沸いてこない。
その時――
「エリ!」
サユミが扉の向こうから飛び出してきた。
「ミチシゲ」
ヤグチの制止の声。サユミがビクリと足を止める。
だが、彼女は戻らなかった。ゆっくりとヤグチたちの方を振り返り
「…私もエリと一緒に行く」
エリは、驚いて彼女を見上げる。
それに気づいたのかサユミがエリに視線を下げた。頷く。
ああ――エリは笑った。サユミがいる。
- 744 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/08/01(日) 23:23
-
「……勝手にしろよ」
ヤグチが吐き捨てるようにいうと、同時に音を立てて扉が閉まった。
ふぅ、と緊張が解けたのか息を吐きサユミがエリの前にしゃがみ込む。
「これからどうしよっか?」
問われて、エリは辺りを見回した。
赤茶けた土の色と灰色の景色。
暦の上では夏のはずでも、ここにはもう四季はない。
ただ、いつも寒いばかりで。
冷たく湿った空気に。くすんだ、単調な景色。
生き物の影さえない。おそらく青空など見られないだろう。
ホログラムで見た緑あふれる景色は、もう望むべくもない。
けれど、頬をポツリと濡らすものにエリは視線を上げる。
- 745 名前:箱庭の楽園 投稿日:2004/08/01(日) 23:24
-
――けれど、地上には雨が降っていた。
川だってまだあるだろう。海もまた。
よどんだ空気を震わせる、微かな潮騒。風だって感じられる。
エリは立ち上がる。サユミが不思議そうに首をかしげた。
この先にあるのは白い壁なのかもしれない。
ここもまた失敗したエデンの跡地かもしれない。
知る術などどこにもありはしない。それでも。
エリは、ため息と共に微笑んでサユミに手を伸ばす。
「海に行こ」
エリの言葉にサユミが微笑みゆっくりとその手を握った。
fine
- 746 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/03(火) 22:07
-
- 747 名前:shitと呼ばれる子 投稿日:2004/08/03(火) 22:10
-
愛ちゃんがまこっちゃんと喋っている。私は聞き耳を立ててみる。
「やから、まこっちゃんはキモイんよー」 「え〜、キモクないよ〜」 「キモイてキモイ」
「でもさぁ、愛ちゃんは――」 「あ、あ゛ーっ!虫虫きたで虫」
「遠いじゃん」 「いややって、なんか痒くなる」 「な〜んで痒くなるのぉ」
「まことは#$4△」
愛ちゃんがべらべらと喋り始めた。まこっちゃんは彼女に聞こえないように舌打ち一つ。
コンコンに助けを求める。
- 748 名前:shitと呼ばれる子 投稿日:2004/08/03(火) 22:11
-
「愛ちゃん愛ちゃん」
颯爽とコンコンが助け舟。私はさらに聞き耳を立ててみる。
「なんよ?」 「えーっと」
あーあ。なんにも考えずに話しかけるから困っちゃってる。
「なんよ!?」 「あっ!こ、これ食べる?」 「あ〜、美味しそ〜」 「でしょ?愛ちゃんも、ほら」
「いらん」 「へ?」 「なんで〜、美味しいよぉ?」
「いらんて。大体、マコトはそんなん食べるから太るんやろ」 「「!!」」
「二人とも自覚が足らんがし」 「……」
愛ちゃんに聞こえないように舌打ち二つ。
さて、どうやら私の出番みたいだ。
- 749 名前:shitと呼ばれる子 投稿日:2004/08/03(火) 22:13
-
毎度毎度こうしてタイミングを見計らって、
メンバーの精神汚染が進まないように愛ちゃんを止める。
本当にいつから私がこういう役回りになったのか甚だ疑問だ。shit!
私は重い腰を上げ、すぐ傍で固まってしまった二人には気づかず
全くぶっ飛んで光源氏の話を始めてしまった愛ちゃんの元に近づく。
- 750 名前:shitと呼ばれる子 投稿日:2004/08/03(火) 22:13
-
「愛ちゃん」 「…ほんでな、光源氏は確かに格好いいんやけど奥さんがいすぎだね」
「愛ちゃん」 「中大兄皇子と一緒なんよ。だから、あっしは中臣鎌足が」 「愛ちゃんってば」
「好きな……おぉっ、ガキさん、なんよ?今な、マコトとコンコンにな」
「うん、分かってるからちょっと聞いて」 「ん?ん?ん?」
「矢口さんがまこっちゃんとコンコン呼んでるからね」 「そうなん?」
「そうそう。だから、二人とも早く行ってきなよ」
- 751 名前:shitと呼ばれる子 投稿日:2004/08/03(火) 22:14
-
私が凍りついている二人に声をかけると
彼女たちはビヨヨンとばねのように勢いよく立ち上がり
私に目でお礼をいうと楽屋から出て行った。
出て行く際に、shit!という舌打ちの音が聞こえたのは
決して気のせいではないだろう。
- 752 名前:shitと呼ばれる子 投稿日:2004/08/03(火) 22:15
-
「まぁ、ガキさんでもええわ」 「がきさんでもって…ひど」 「なんでよ。ガキさんが邪魔しとるんやろ」
「いやいや…それ違うからね」 「ちがくないって!」 「……っていうか、話微妙にずれてるよね」
「そう?それよりな、考えたんやけど」 「ん?うん」 「やっぱりチークは緑でも」
「それもう話したじゃん。納得してたじゃん」 「だから、考えたって言ってるでしょ。話聞いてる?」
「…聞いてるって」 「嘘や!ガキさんは#$4△」
延々と続く言葉に私はいつものようにニヒルに微笑みながら耳を傾けた。
「ガキッ!!」 shit!!
おしまい
- 753 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/05(木) 22:59
-
- 754 名前:P.4.U 投稿日:2004/08/05(木) 23:00
-
「のんつぁん、世の中で最も悪いことってなんだと思う?」
唐突、とうとつ、いつも唐突。
今日も今日とていきなりの質問に、あたしはスプーンをくわえたまま呆けてしまった。
最も悪いことねぇ。
食べていた豆乳プリンをごくんと飲み込みながらあたしは首をひねった。
「殺人じゃないの?」
「時効は15年なんだよね」
「……まさか、誰か殺したの!?」
「なんでそうなるかなぁ」
コンちゃんが呆れたように眉を寄せる。
「だって、珍しく反応が早かったから」
「失礼な」
- 755 名前:P.4.U 投稿日:2004/08/05(木) 23:01
-
ごめんごめん、と笑いながらあたしは内心、胸をなで下ろした。
コンちゃんが本当に殺人を犯していたら、今すぐ荷造りして貯金下ろして、
置手紙を書いて、一緒に逃げるための準備をしなきゃならない。
ゆっくりプリンを食べる暇もなく逃避行。
せっかくこんなにおいしいのにそんな勿体ないことはしたくない。
どうせなら全部食べてから……って、そういう問題じゃないか。
「他には?」
「他ぁー?」
なんだろう。あたしは眉を寄せた。
- 756 名前:P.4.U 投稿日:2004/08/05(木) 23:03
-
「……誘拐して殺すのとか」
「場合によっては死刑だね」
「まさか、誰か攫ってきたの!?」
「なんでそうなるかなぁ」
コンちゃんが呆れたようにまた眉を寄せる。
「ご、ごめん」
だって、なんか心配になってきた。
なんでコンちゃんがそんなこと訊くのかマジで分かんないし。
「じゃあー……えーっと、銀行強盗は?」
「あれ成功率低いんだよね」
「まさか、したいの!?」
「……のんつぁん、わざと言ってるよね」
今度は呆れではなく疲れたように息を吐きながら。
「ばれた?」
ごまかし笑いを浮かべながらも、また外れたのかとちょっと落胆。
考えながら、手元を見下ろすとプリンはもうなくなっていた。
おいしいけど、いまいち量が少ないな、このプリン。
- 757 名前:P.4.U 投稿日:2004/08/05(木) 23:03
-
「うー。わかりません、紺野先生」
「じゃぁ、のんつぁんがされて一番嫌なことを考えてみましょう」
「のんがされて一番嫌なこと……?」
反芻しながらどんどん眉根が寄っていくのが自分でも判った。
嫌なこと。嫌なこと。嫌なこと。
別に壁にも天井にも答えは書いていないのに
あたしの目は答えを求めてうろうろと空中を彷徨う。
突然、ぷ、とコンちゃんが吹き出した。あたしの視線が彼女に戻る。
「何がおかしいの?」
「眉毛が見事にハの字になってたから、ふたすじみたいだなって」
あんなに八の字になるか!
こっちは真面目に考えているのに、失礼な。
- 758 名前:P.4.U 投稿日:2004/08/05(木) 23:04
-
「あったよ、のんがされて嫌なこと」
「何?」
「真面目に考えてる時に笑われること」
「……ごめんごめん」
申し訳なさそうにコンちゃんは謝ったけれど、その顔には笑いの余韻が残っている。
反省が足りない。
「あとは?」
「んーと、殴られたり叩かれたりするのは嫌だね。痛いし。怒られるのも嫌かな」
「それは誰でもそうだね。他には?」
「嘘つかれるのも嫌」
「うんうん」
- 759 名前:P.4.U 投稿日:2004/08/05(木) 23:04
-
「あと、知らない人にえっちなことされたりとかさ」
「……え?」
相づちを打っていたコンちゃんの声が微妙に低くなった。
おっと、とあたしは慌てて手で口元を押さえた。しかし、時すでに遅しってやつ?
コンちゃんは険しい顔。
「されたの?」
「えっと…」
「いつ?」
「ええっと……」
「いつの話?」
こっそりとコンちゃんの目を覗く。真剣だ。
どうやら言い逃れはできないらしい。
- 760 名前:P.4.U 投稿日:2004/08/05(木) 23:05
-
「……中学校の時、電車に乗ってたら足触られただけなんだけどね…はは」
気まずい思いをしながらあたしが正直に告白した瞬間、
コンちゃんは舌打ちと共に信じられない言葉を吐いた。
ものすごく独創性に富んだ悪口だった。
うん、難しい言葉でよく意味は分からなかったけど多分悪口だったんだと思う。
こんな早口で喋れるんだ、と目を丸くするのと同時にあたしは感心した。
「それで?」
「それが……あのね、あの…」
「……何?」
口ごもるあたしに向けた視線が鋭くなる。
「言わなきゃ、だめ?」
「だめ」
うう……
ますます気まずくなりながら、ため息混じりにぼそりとあたしは答えた。
- 761 名前:P.4.U 投稿日:2004/08/05(木) 23:06
-
「その時は、チカンだと思わなくて」
「思わなくて?」
「…ものすっごくくすぐったくて、爆笑しちゃった」
「…………」
「…………」
あたしが言い切ると、コンちゃんは黙ってあたしに背を向けた。
その肩はプルプルと震えている。
だから言いたくなかったんだ。あたしは、嘆息する。
「──笑ってないよ」
一頻り肩を揺らした後、振り返ったコンちゃんはそう言った。
よく言うよ。思いっきり笑ってたくせに。
- 762 名前:P.4.U 投稿日:2004/08/05(木) 23:07
-
「いいよ、別に」
「で、その後どうなったの?」
「え?うん、のんが大笑いしたせいで、
犯人だったらしいそのおっさんは、それはそれは驚いて腰を抜かし」
コンちゃんが、ぶっと吹き出し慌てて謝りながら先を促す。
あたしは遠い目をして生温い笑みを浮かべた。
「むしろチカンとして捕まった方がマシだったかもね、
って思っちゃうくらいの恥をかいたってわけ」
「当然の報いだね」
「あはは、そうだね」
顔を見合わせて笑う。
しかし、コンちゃんの顔からはすぐに笑顔が消え
「それじゃ、話戻すけど……他にされて嫌なことは思いつかない?」
またこの話。
- 763 名前:P.4.U 投稿日:2004/08/05(木) 23:08
-
「まだ探すの?」
「もちろん」
きっぱりと頷くコンちゃん。
その顔を見つめながら、あたしは改めて怪訝に思った。
何でそんなにこだわってるんだろう?
チカン話でずれにずれた話題をわざわざ軌道修正するくらい
この話題は彼女にとって重要なんだろうか。
いつもならもう答えを教えてくれてもいい頃合なのに今日はなかなか教えてくれない。
――ってことは、なんだ?
答えを、あたしにどうしても言わせたいってことかな?
でも、なにを?
あたしは、どこかにヒントが転がっていないか今までのコンちゃんの言葉を思い起こし
できるだけ忠実に頭の中で再現する。
- 764 名前:P.4.U 投稿日:2004/08/05(木) 23:09
-
最初は、世の中で最も悪いことってなんだと思う、だった。
それが、あたしがされたら嫌なことになって。
──自分がされたら、嫌なこと?
あたしはふとコンちゃんの側のテーブルに目をやった。
オレンジジュースと使われていないスプーン。
でも、その前にあるマンゴープリンには手をつけていない。
続けて、自分の側のテーブルと見比べる。
同じオレンジジュースと、プリンが入っていた陶器の入れ物、そしてスプーン。
もちろんスプーンは使用済み。豆乳プリンは超おいしかった。
そう、マジで最高な味……
- 765 名前:P.4.U 投稿日:2004/08/05(木) 23:10
-
「……あ」
「どうかした?」
コンちゃんの表情にはさほどの変化はなかった。
でも今のあたしには、その瞳があることを求めている時のそれだと分かっていた。
ようやく──ようやく、あたしは彼女の言わんとすることを理解した。
というか、思い出した。
豆乳プリンはこの3ヶ月連続でコンちゃんの大好物デザート、
ナンバー1の座に君臨しているということに……。
- 766 名前:P.4.U 投稿日:2004/08/05(木) 23:10
-
「ご、ごめん」
迷わずあたしは頭を下げた。
「何が?」
冷静なコンちゃんの問いかけがあたしの胸にぐさりと突き刺さる。
これなら怒ってもらった方がいいって、もう。
あたしはますます小さくなった。
「明日、とーにゅーぷりん買ってくるね?」
「ありがとう」
目が怖いから。
「ごめんね」
「おいしかった?」
「非常においしかったでございます」
言うと、コンちゃんの目がきらりと光った。
だから、怖いって。
- 767 名前:P.4.U 投稿日:2004/08/05(木) 23:11
-
「ホントごめん」
「いいよもう」
両手を顔の前にあわせさらに頭を下げたあたしの頭頂部を
コンちゃんがパフパフと優しく撫でる。
ようやく許しがきたかと顔を上げると――
「明日、絶対買ってきてね」
厳しいお言葉が。
ははー、お代官様。
「必ず買って参ります」
あたしは、あげた頭をまたまた下げた。
おしまい
- 768 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/14(土) 23:04
-
- 769 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/14(土) 23:05
-
――黒い画面に浮き出るデジタル文字。
私は今、見てはならないデータに手を着けようとしている。
今までに数あまたの人間を飲み込んだとされる計画の全貌が記されたデータだ。
人間として、使命感からか好奇心からか
それはわからないが、放ってはおけなかった。
親友までもが消されたと言うのに黙っていられるはずがなかった。
私は、息を詰めながらキーを押した。
[password 登録済]
Lording...
- 770 名前:CACE.1 投稿日:2004/08/14(土) 23:05
-
加護亜依
性別:女 年齢:16歳 血液型:AB
八月五日に第八区内で身柄を保護。
同月八日に当研究所に輸送。
- 771 名前:CACE.1 投稿日:2004/08/14(土) 23:06
-
※
「お前もキメるか?いい気持ちになるぜ」
「うちはやらん」
亜依はきっぱりと首を振った。
目の前でドラッグに溺れ、光を失った友人を見ると、とてもそんな気にはなれなかった。
「今さらいい子ぶってんなよ」
「そういうんやない、アホ」
そう返す亜依の瞳にもまた光はない。
人生を見透かす、暗く傷ついた瞳。それが彼女の姿だった。
- 772 名前:CACE.1 投稿日:2004/08/14(土) 23:06
-
亜依が、家から逃げ出したのは丁度一年前の夏だった。
家では毎日大した理由もなく殴られ、生きているのが辛かった。
殴るのはアルコール中毒の養父。母親はそれを黙認していた。
いや、母親も加担していた。亜依が色目を使っているなどと言いがかりをつけて。
あの冷たい四つの眼を亜依は忘れた事はない。
あのまま家にいたら死んでいたであろうことを彼女は疑わない。
ストリート・キッズになったことにも後悔はない。
古い服、垢の浮いた体、たかり窃盗は日常茶飯事。
だが、それでも、亜依は一つだけこだわりを持っていた。
ドラッグはやらない。
何故なら、亜依はドラッグにおぼれた本当の父親の姿を見ているから。
自分を失って虚ろな生活を送るなんて自殺行為と同じに見えた。
- 773 名前:CACE.1 投稿日:2004/08/14(土) 23:07
-
「亜依ねーちゃん!」
「あそぼー」
「おぉ、亜依、来とったか」
子供たちの声に老人が姿を現す。
亜依の汚れてすすけた髪をわしゃわしゃと撫でる、しわくちゃの手。
見上げてくれる、たくさんの円らな瞳。亜依は、目を細める。
「ばっちゃん、ご飯食べさせて」
老人は孤児院を切り盛りしている。
ストリート・キッズ達は妙な所でプライドを持っているので
なるべく彼女とは付き合わないようにしているらしいが、亜依は例外だった。
以前、仲間の一人にどうしてあの老人と付き合うのかを問われ
「ばっちゃんは、うちを見下さんからな」
古びたフランスパンをかじりながら亜依はそう答えたのだった。
- 774 名前:CACE.1 投稿日:2004/08/14(土) 23:08
-
「亜依、お前も気を付けた方がええぞ」
食事の席で、珍しく心配そうな顔で言う老人に亜依は怪訝そうな顔つきになった。
「いきなりなに?」
「…」
「なんなん?」
老人は子供達が遊ぶのを不安げに見ながら口を開く。
「最近な、この辺で誘拐が増えとるんやて。
それもストリート・キッズ達ばかり狙われとるらしい」
亜依は食事の手を止め、眉を寄せる。
「どっかに売り飛ばす気かな?」
「わしにもわからん。けどな、警察に通報する奴もおらんし、
犯人からの連絡もない。目的がなんなのかもまったく分からん。
気がつくと子供が消えとる。ただ、子供達だけが消えてくんや」
老人のシワガレタ声と、話の内容にほんの少し寒気がする。
- 775 名前:CACE.1 投稿日:2004/08/14(土) 23:09
- 「……けど、うちらはヤバいのなんて慣れっこやし、
そう簡単に捕まったりせんやろ」
「お前だけでも気を付けや。わしはお前の身が心配や」
自分を心から心配してくれる視線。
ずっと見たことの無かったもの。
「大丈夫。うちは絶対に誰にも捕まらん」
亜依は老人を安心させるために笑ってみせた。
- 776 名前:CACE.1 投稿日:2004/08/14(土) 23:10
-
一ヵ月後、亜依は同じストリートキッズの一人から話を持ちかけられた。
「おい、今度ドラッグストア襲うの手伝わねぇか?」
いつもは誘ってこない年上グループからのその誘いに亜依は眉を顰めた。
「なんでうちなん?囮にでもする気?」
「そう警戒すんなよ。手ぇ組んでた奴が消えちまってさ」
消える、という言葉に、亜依はひっかかるものを感じた。
「他の奴に頼めば。よその溜まり場にも知り合いおるやろ」
「行ったよ。じゃねーと、お前なんかに声をかけたりしねえよ」
「断られたん?」
「いや、そうじゃなくて……」
彼の顔が気味悪そうに曇った。
- 777 名前:CACE.1 投稿日:2004/08/14(土) 23:11
-
「……いなくなってたんだよ、皆……そりゃ、何人かは残ってたけどよ
そいつらみんなヤク中のひどい奴らばっかでさ、使えそうなのは消えてたんだよ」
亜依は思わず眼を瞠った。
老人の話を思い出した。気が付くと子供たちが消えている。
理由もなく突然。
彼は怯えを隠しているのか引き攣った笑いを浮かべている。
「声かけるの、お前で何人めかな?いくら話を成立させてもよ、
次の日には消えてんだぜ。お前は……消えんなよ、頼むぜ」
ポンと亜依の肩を叩き去っていく背中を見て、
亜依は動けない自分に気付いていた。
手のひらがじんわりと汗ばんでいるのがわかった。
- 778 名前:CACE.1 投稿日:2004/08/14(土) 23:12
-
その夜、待ち合わせ場所には誰も来なかった。
少し遅れているのかと亜依はしばらく待っていたのに、誰も来なかった。
計画の中止を伝えに来る者もいなかった。
仲間を待ちながら周りを眺めて、亜依は段々怖くなってきた。
あまりに静かすぎる。
いつもならストリート・キッズ達の時間帯の夜だというのに
いるはずの彼らは姿を消していた。
――ただ、消えていく
老人の言葉が頭をよぎる。
街から消えた子供達。誰が、いつ、どこで、何のために。
人を信じないストリートキッズ達をどうやって消していったのか、全く分からない。
それどころか誘拐があったという事すら人々は気付いていない。
そして、たとえ自分が消えたとしても――気付く者は、きっといない。
心配する者など、助けてくれる者など、どこにもいない。
- 779 名前:CACE.1 投稿日:2004/08/14(土) 23:13
-
足首を闇に掴まれそうになる感覚を覚えて亜依は夢中で駆け出していた。
止まったらこのまま闇に呑まれそうな気がした。
足は追われるように孤児院の方へと向かっていた。
閉じられている孤児院の門。
亜依はたどり着くなりその門をばんばんと叩き老人を呼んだ。
「ばっちゃん、うちや!!開けて!ばっちゃん!!」
しかし孤児院の門は開かない。
それでも尚亜依が叫び続けていると、横から何かの光が彼女を照らしだした。
「そこで何をしている?」
どきりとして亜依が光の向こうを見ると、そこには大きな図体をした警官がいた。
亜依は、反射的に逃げ出しそうになった。
だが――警察なら、身の安全だけは確保できるかも知れない。
- 780 名前:CACE.1 投稿日:2004/08/14(土) 23:14
-
「おっさん、うちの話聞いてや!助けてや」
警官は無表情で亜依を見ている。
彼からしたら亜依のようなストリート・キッズは天敵だろう。
聞いてくれないのは当たり前かもしれない。
しかし、ここは彼の良心に賭けるしかなかった。
亜依は真剣なまなざしで彼を見上げた。
「誰かがうちの仲間達をさらってったんや!
みんな、みんな消えて……うちを警察署で保護してや。どうなるか分からんのや!」
薄汚れた子供の、嘘臭い話。
警官はしばらく黙っていたが、やがて頷いてくれた。
「わかった。こっちへ来い」
その言葉に亜依はほっとして警官の方へ歩み寄った。
警官は亜依が側に来ると同じように無表情で亜依の耳に囁いた。
とても小さな囁きを。
亜依はその意味を掴むことすら出来なかった。
- 781 名前:CACE.1 投稿日:2004/08/14(土) 23:14
-
「お前は消された」
- 782 名前:CACE.1 投稿日:2004/08/14(土) 23:15
-
亜依は警官の後ろ手を疑うべきだった。
あっというまに布が亜依の口元を覆い、
クロロホルムの甘さが彼女の脳を痺れさせる。
こうしてまた一人、街からストリート・キッズが消えた。
- 783 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/14(土) 23:23
- リアルで見てました。
いつもひそかに観察させてもらってます。
ここは何か引き込まれてしまうものがあって
続きが楽しみです。
次回も楽しみにしてます。
- 784 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/15(日) 23:13
-
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- 785 名前:CASE.2 投稿日:2004/08/15(日) 23:14
-
Mika Taressa Todd ミカ・タレッサ・トッド
性別:女 年齢:19歳 血液型:A型
九月十五日、特区4エリアで身柄を拘束され、
同月十七日に当研究所に輸送。
- 786 名前:CASE.2 投稿日:2004/08/15(日) 23:14
-
フリーで活動している記者ミカ・タレッサ・トッドは
違法実験を行っていると噂されている中央研究所に来ていた。
研究所に入り、受付に身分証明書を見せる。
「博士に面会をお願いしたいのですが」
受付は胡散臭そうな目でミカの身分証明書に視線を落とし
しばらく待つようにと指示した。
門前払い覚悟での訪問だったミカにとってその対応は意外なものだった。
- 787 名前:CASE.2 投稿日:2004/08/15(日) 23:15
-
「貴女はわからない事に対して徹底的ですな」
「記者ですからね」
あっさりと疑惑の中心にいる博士との面会を果たした
ミカは彼から受け取った研究資料を抱えて席を立った。
「ご協力ありがとうございました」
「いえいえ、これで我が研究所の疑惑が晴れることですし」
好意的な博士の声。一礼して、ミカは廊下に出た。
白く塗られた壁に、滑るか滑らないか位に磨かれた床。
足音がコツコツと響き渡り、廊下の突き当たりが見える。
そこの左を曲がって彼女はなんとはなしにもらった資料に視線を落とす。
少し歩調を緩めながら歩いていると
「助けて!」
唐突に少女の悲痛な叫びが聞こえた。
- 788 名前:CASE.2 投稿日:2004/08/15(日) 23:16
-
ミカは驚いて今来た突き当たりの向こうを振り返る。
少女が走って来るのを見た。白い病院患者用の服に、こびりついた血が鮮やかだった。
少女は裸足で、死に物狂いでミカの前まで走ってきた。
充血した瞳。どこかで見たことのある表情だ。
「助けて!死にたない!」
――あぁ、そうだ。
ミカは思い出す。
一年前、取材で戦場に赴いた時に見た。あれは戦場にいる人間の顔だ。
つまり、殺人者が側にいる?
たくさんの足音が聞こえてきた。どんどん近づいている。
「こっち入って」
ミカは咄嗟にすぐ横にあったドアを開けて、少女を中へ押し込んだ。
素早くドアを閉め、廊下に視線を戻す。
足音が大きくなったかと思うと、すぐに数人の科学者達がミカの視界に現れた。
- 789 名前:CASE.2 投稿日:2004/08/15(日) 23:17
-
「誰か見かけませんでしたか?」
「え?そういえば、誰かがあっちの方へ走ってったようだけど……」
ミカが右の方の通路を指差すと、
研究者達は礼も言わず猛スピードで走り去っていった。
ミカは嘆息し、辺りに誰もいなくなったのを確かめてから、
こっそり少女を押し込めた部屋に入る。中は無人だったらしく薄暗かった。
「……追っ手は撒いたよ。もう大丈夫」
少女はデスクの裏でがたがた震えていた。
ライトをつけてやると彼女はいくらか落ち着いたようにミカを見上げる。
「ちゃんと説明を聞きたいところだけど、先にここから出た方がいいみたいね」
ミカは少女に手を伸ばす。
少女はおずおずとミカの手を握り立ち上がった。
- 790 名前:CASE.2 投稿日:2004/08/15(日) 23:17
-
どうにか駐車場まで研究員たちに見つからず抜け出したミカは
少女を後部座席に乗せるとすぐさま車を発進させた。
「…さ、どういうことなのか教えてちょうだい」
運転しながらミカは少女に問う。
「……うちは一度死んだんや」
ミカは少女の言葉に首を傾げた。
「どういう事?」
バックミラーに移る少女は青ざめた顔を呼吸と共に震わせている。
「うちは……一度死んで、生き返ったんや。
でも、あの人達はうちをまた殺そうとした」
一体どういうことなのか分からない。
ただ、ミカの直感が少女の言葉は真実だと告げていた。
- 791 名前:CASE.2 投稿日:2004/08/15(日) 23:18
-
「……実験が失敗した……とか、言うとった。うちは消されたって言われて……
注射器に、なんか滴ってるのを見たらものすごく怖なって……逃げたんや」
少女の顔はますます青ざめていく。
いや、むしろ紫と言ってもいいくらいだ。最早、恐怖のせいという域を超えている。
「ねぇ、大丈夫?」
ミカは慌てて路肩に車を止める。
運転席から降り、後部座席のドアを開く。
「……背中が…痛…」
少女が席から転げ落ちた。
エビのように丸まり、反り返り、もがく。
- 792 名前:CASE.2 投稿日:2004/08/15(日) 23:18
-
「ちょっと、どうしたの?大丈夫!?」
ミカは狂ったように暴れる少女の体を押さえ込む。
しかし、少女の力は強い。ミカは、苦悶の表情で少女を抑える。
疑問が増殖する。それは徐々に恐怖へと変貌していく。
どうして、さっきから骨の軋む音がするの?
どうして背中にこんなに大きな肩甲骨ができているの?
どうしてこうも急速に体が腫れ上がっていくの?
どうしてどうしてどうして
ミカの恐怖が最高潮に達したその時、少女が言葉にならない叫びをあげた。
ミカは少女から目を逸らした。
- 793 名前:CASE.2 投稿日:2004/08/15(日) 23:19
-
おぞましい瞬間。爆発し弾け散る身体の一部。
頬に飛び散ったのは脂肪か何かだろうか?
なんの抵抗も感じなくなってミカは少女の体を押さえつけていた腕の力を緩めた。
全力を使っていた自身の腕は弛緩してもその名残を残しぶるぶると震えている。
体の下からどす黒い匂いが漂いはじめる。
ミカは、血のような冷や汗を垂らしながら視線を少女に移した。
亡骸の状態とは対照的に。
少女は血に濡れた衣を纏い、なぜか苦しみの抜けた表情で
人間から別の何かになってしまっていた。
- 794 名前:CASE.2 投稿日:2004/08/15(日) 23:20
-
そして、少女の体を突き破って生えてきた透明な羽だけが
少女の肉体が死んでもなお広がり続けていた。
羽である。翼ではなく――血を吸って背中から美しく広がる羽。
人間から化け物への羽化とでも言うべきか。
ミカはこの事態に呆然としていた。これは一体なんなんだ。
分からない。理解不能の事態だ。
唯一つ、あの研究所は噂どおりなにかよからぬ研究を行っている。
事実を暴かなければならない。
「…私が」
深呼吸してミカは後部座席から降りた。
現実が冷たい光で彼女を祝福した。
ミカの胸で調査への使命感ができあがっていた。
- 795 名前:CASE.2 投稿日:2004/08/15(日) 23:21
-
しかし、ミカは調査をすることができなかった。
「ミカ・タレッサ・トッド。あなたの身柄を拘束させていただきます」
翌日、懇意にしている雑誌社の前で数名の男たちの手によってミカは拘束された。
「どういうこと!?私がなにをしたんですか」
「あなたが麻薬を密売しているとの情報を得まして」
麻薬?
ミカには全く見覚えのないことだ。
誰がそんな嘘を。
「そんな事調べればすぐに嘘だって……」
「調べたから来たんです」
男はまるで機械のような無表情で口にした。
その時、ミカの頭に身の毛もよだつような仮説が浮かんだ。
もし、事実さえも歪められてしまうとしたら?
ミカは愕然とした。無駄と知りながらも、必死に叫ぶ。
「違う!私はそんなこと知らない!!あなたたち、あの研究所の」
男がミカの腹を殴打した。
「…け…て」
救いの手はなかった。
- 796 名前:CASE.2 投稿日:2004/08/15(日) 23:21
-
目を覚ますとミカは真っ白な部屋にいた。
腕と足は拘束されているらしくピクリとも動かない。磔のような状態だ。
ふと誰かに見られている気配を感じてミカは口を開いた。
「私が何をしたっていうんです?解いて下さい!」
「君は個人として真実を知ろうとした」
ややあって、返事が返ってきた。
それが自分の罪だというのか。
知る権利はどこにいったんだ?表現の自由は?
黒い疑問はとめどなく浮かぶ。
全ての原因はあの化け物だということくらい誰でも分かる。
あれが事実を歪めたんだ。ミカは、震える唇を噛み締める。
不意にどこからか人が現れた。
- 797 名前:CASE.2 投稿日:2004/08/15(日) 23:21
-
「君は消されたのだよ」
- 798 名前:CASE.2 投稿日:2004/08/15(日) 23:22
-
研究所の博士が黒光りする銃を片手にミカを見下ろしていた。
懐かしい銃声。
懐かしい衝撃。
もう、思い出したくもなかったのに。
戦場から帰って来た時、誓ったはずなのに。
正しい事をしてベッドの上で死ぬんだ、と。
ミカの思考はそこで停止した。
- 799 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/16(月) 22:46
-
[password 登録済]
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- 800 名前:CASE.3 投稿日:2004/08/16(月) 22:46
-
山田彩(旧姓:石黒)
性別:女 年齢:25歳 血液型:A
10月16日に羽田国際空港で身柄を拘束、
同月18日に当研究所に輸送。
- 801 名前:CASE.3 投稿日:2004/08/16(月) 22:47
-
最高国家機密を盗み出す事。
彩と家族が生き残る道はそれ以外に無かった。
例えそれがどんなに困難でも。
ある日、かかってきた謎の電話。
「娘を殺されたくなければ言う通りにしろ」
当然、その時彩はそれを悪戯電話だと思ってすぐに切った。
そして、翌日になるまで思い出すこともなかった。
それが悪戯ではないと知ったのは遊びに出ていた娘が泣いて帰ってきたことからだった。
「クマちゃんが急にぱぁんって……!」
そういって、見せられた娘のクマのぬいぐるみのお腹は破れ綿がはみ出ていた。
その傷口から硝煙の臭いがした。その晩、また電話が来た。
「お前のすべき事を伝える。誰にも言うな」
彩には逆らう事ができなかった。
- 802 名前:CASE.3 投稿日:2004/08/16(月) 22:48
-
※
「山田君、残業かい?」
「ええ、少し……」
「そうか。子供も小さいんだから早く帰ってやれよ」
情報管理局局長の声に彩は曖昧に頷きながら仕事を続けた。
オフィスのドアが閉まる。誰も……機械以外に、誰もいなくなる。
彩の手は、黙々とあるデータを探していた。
――「軍事部門のファイルだ。パスワードは……」
どうして電話の主はそんな事までも知っていたのだろう。
全く得体の知れない影が、今もどこかで自分を監視している。
それは、とてつもない恐怖を彩に与えていた。
彼女はどうにか平常心を繕いながら、震える手でパスワードを打ち込む。
- 803 名前:CASE.3 投稿日:2004/08/16(月) 22:49
-
[passward:*************]
Lording...
- 804 名前:CASE.3 投稿日:2004/08/16(月) 22:49
-
現れたメッセージに思わず鳥肌が立った。
湧き上がる唾液を呑み込む。
[機密レベルAAA]
最高国家機密。
自分は今、大犯罪に手を着けようとしているのだ。
だが、それは引き下がれない事情のため。
家族を守るためだ。彩は何度も口の中でそう言い聞かせ
パスワードを入力し、データをコピーし始めた。
- 805 名前:CASE.3 投稿日:2004/08/16(月) 22:50
-
「2枚のディスクをチップに変えろ」
彩が無事データのコピーを果たすなり、次の指示が伝えられた。
「どうしたらいいのか分からないわ」
彩の手には2枚のディスクが握られている。
自宅のパソコンでさらにコピーしたのが一枚。
たった一枚コピーするのに恐ろしく時間がかかった。
「今からある人物の住所を教える。ディスクを2枚共郵送しろ。
お前にはチップが一つ返って来るはずだ」
彼女は言われるがまま住所をメモに写した。
- 806 名前:CASE.3 投稿日:2004/08/16(月) 22:50
-
「お前は送り返されたチップを持って日本を出ろ。チケットは後日送る」
「ちょ、ちょっと待って!」
彩は何の配慮もない脅迫相手に向かってわめいた。
「今の生活を捨てろって言うの?」
夫と我が子と。
それはあんまりではないか。
しかし、彩の気持ちなど脅迫相手には全く関係ないらしい
「お前に反抗する権利はない。嫌なら家族と死ぬか?」
電話はそこで切れた。
彼女は断線した音を聞きながら失意に暮れた。
「……どうして私だけが、こんな目に遭わなきゃいけないの……?」
メモの字が虚しく残っている。
彩は、ぼんやりとメモを眺めおもむろにそれを握り潰した。
- 807 名前:CASE.3 投稿日:2004/08/16(月) 22:51
-
数日後、彩のもとに二通の手紙が届いた。二通とも差出人は不明で
一方には十月十六日付けのイギリス行きのチケットが一枚。
もう一方には――黒い小さなチップが一つ入っていた。
そして、彩がそれを読んだことを知っているかのようなタイミングでまた電話がかかってきた。
「イギリスに着いたら空港の1943番のコインロッカーに
チップを入れろ。鍵を持って待合所に行け。そこで
会った人間に鍵を渡せばお前の仕事は終わりだ」
「それで私たちは助かるのね?」
「そうだ、必ず遂行しろ」
そこで電話は切れた。
- 808 名前:CASE.3 投稿日:2004/08/16(月) 22:52
-
※
十月十六日、彩は出張と偽って羽田国際空港に来ていた。
「山田様……ですか?」
内心びくびくしながら搭乗手続きをしたが、特に怪しまれた様子はなかった。
彩は搭乗手続きを済ませると、すぐに、出国手続きを受けた。
審査官が心なし自分の顔をじろじろ見ているような気がした。
なにか疑われているのだろうか。パスポートを持つ手が緊張で強張る。
周囲にいる人間全てが自分にとって敵のように彩には感じられた。
「どうぞ」
そう言われるまでが長かった。
彼女は審査官から逃げ出すように早歩きでその場から立ち去った。
- 809 名前:CASE.3 投稿日:2004/08/16(月) 22:53
-
飛行機の座席に着いて、、すっかり身体の力が抜けるのを感じる。
今になって自分がどれだけ気を張りつめていたか、ようやく思い知らされた。
彩は窓の外を眺める。離陸準備が始まったらしい。
離れていく車が今までの不幸を連れていってくれるのを彩は安堵の眼差しで見送った。
この飛行機が陸を離れてさえしまえば、自分も家族も
安住の暮らしを手に入れたも同然だ。これで楽になれる。
乗務員のアナウンスが入る。
もう大丈夫。もう怯えなくていい……さぁ、早く離陸して。
「山田さん」
「誰か」の手が肩に置かれた。
――血の気が引いて、視界が狭くなった。通路に「誰か」がいた。
「……申し訳ありませんが、こちらへご同行願います」
低く、落ち着いた悪魔の呼び声。
彩は、機械人形のような緩慢さで首を動かした。
何かが脆く崩れ落ちていった。
- 810 名前:CASE.3 投稿日:2004/08/16(月) 22:55
-
白い無機質な壁と、今座っているパイプ製のイスと、二人の黒服の男達。
それ以外に、何も無い部屋だった。
男たちはいとも簡単に彩が隠していたチップを見つけ出した。
「どこに雇われた?」
男の一人が無表情な声で言う。
どこに?彩は彼を見上げた。
そんなことこっちが知りたいくらいだ。
「……わからない」
どうしてこんな仕事をさせられたのかも分からない。
そう、きっと誰にもわかりはしないのだ。
この苦しみも。
- 811 名前:CASE.3 投稿日:2004/08/16(月) 22:56
-
「そうか。じゃあ、いい……来てもらおう」
彩の手は手錠の冷たさに縛られた。
心の中に鍵がかかった。
「……私を…どうするの?」
「あの情報に関わった以上は…」
不意に、横から銃が突き付けられた。
彩は目を見張る。冷や汗が、したたった。
「山田彩という人間は利用され、売られ……今消され」
小さな銃声。
「た」の発音は聞こえなかった。
- 812 名前:CASE.3 投稿日:2004/08/16(月) 22:56
-
どさり。
- 813 名前:CASE.3 投稿日:2004/08/16(月) 22:57
-
自分が床に倒れる音がする。
肺に血が満ちてきて、息ができない。
「……どうして…………こんなめに?」
耳が熱い。答えが聞こえない。
「……どう、し、て?」
答えは無かった。
- 814 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/17(火) 22:50
-
[password 登録済]
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- 815 名前:CASE.4 投稿日:2004/08/17(火) 22:51
-
紺野あさ美
性別:女 年齢:17歳 血液型:B
被験者は11月23日に1区内の自宅で事故に遭遇し、
同月25日に当研究所に輸送。
- 816 名前:CASE.4 投稿日:2004/08/17(火) 22:53
-
あさ美は平凡な高校生の仮面を被っている。
彼女の評価は全てにおいて平凡そのものだ。
勉強にしても、運動にしても際立って目立つことはない。
だから、だれも彼女に構うことはない。
そして、彼女の自宅に入った者はいない。
機械の塊の中であさ美は生きていた。
改造し過ぎて原型をとどめていないパソコン、血管のごとく部屋を巡るコードの山。
ベッドの上にまで積んである怪しいソフトやキーボード。
ソフトはどれも無造作にワープロで打たれたシールが貼ってあるだけで、
あさ美はこれで生計を立てていると言っても過言ではない。
一仕事終えるたびに入る破格の収入は、ほとんど生活費と改造費に回っている。
様々なデータの防衛プログラムを非合法的に取り除き、
暗号化されたデータを解読する仕事。あさ美はその手のプロフェッショナルだった。
依頼主達は彼女をこんなコードネームで呼ぶ。
「優秀な騎士」――「Ace・knight」と。
- 817 名前:CASE.4 投稿日:2004/08/17(火) 22:53
-
あさ美は今時珍しいとされる人種で、携帯電話を持っていない。
自宅の電気器具の電磁波が強すぎて使えないのだ。
だから、彼女の家にある電話は古くて頑丈なボタン式の有線電話ただ一つだった。
ワイン色の古めかしい電話は、けたたましい音を立てて
電脳屋敷の主人を呼んでくれる。
あさ美は仕事を止めて受話器を取った。
「もしもし」
「仕事だ、”A・K”」
唐突な言葉にあさ美のの目つきが俄かに変わった。
- 818 名前:CASE.4 投稿日:2004/08/17(火) 22:54
-
※
喫茶店のある一席で、あさ美はコーヒーをすする。
その前で、豊かな髭を蓄えた老人が紅茶をすすっている。
「どんなに難しい仕事でもやるそうだな」
「ええ」
「政府の機密事項でも?」
喫茶店の中にはいつもの空気が漂っている。
幸せそうなカップルや、笑い話にふける若者達。
そこでするにはなかなかふさわしくない話題だ。
あさ美は、少しおかしく思う。
「……やりますよ、条件次第ですけど」
「条件?金ならいくらでもあるが?」
「それは当たり前のことです。わざわざ話す必要はありません。条件は他のことですよ」
あさ美はいつも依頼人の瞳を見て仕事を請けるかどうか決める。
老人の瞳は紳士的で、冷静である。
あさ美は、この相手を自分にふさわしいと見てとった。
- 819 名前:CASE.4 投稿日:2004/08/17(火) 22:54
-
喫茶店のある一席で、あさ美はコーヒーをすする。
その前で、豊かな髭を蓄えた老人が紅茶をすすっている。
「どんなに難しい仕事でもやるそうだな」
「ええ」
「政府の機密事項でも?」
喫茶店の中にはいつもの空気が漂っている。
幸せそうなカップルや、笑い話にふける若者達。
そこでするにはなかなかふさわしくない話題だ。
あさ美は、少しおかしく思う。
「……やりますよ、条件次第ですけど」
「条件?金ならいくらでもあるが?」
「それは当たり前のことです。わざわざ話す必要はありません。条件は他の子とです」
あさ美はいつも依頼人の瞳を見て仕事を請けるかどうか決める。
老人の瞳は紳士的で、冷静である。
あさ美は、この相手を自分にふさわしいと見てとった。
- 820 名前:CASE.4 投稿日:2004/08/17(火) 22:59
-
「……目的を教えて欲しいんです。それが私の主義ですから」
殺気が飛んできた。
しかし、老人がそれを制御しているのが分かる。
さぁ、どうでる?
あさ美と老人はしばし見詰め合う。
ややあって、老人は髭を指で撫ぜながら口を開いた。
「よかろう。我々が知りたいのはただ一つ」
テーブルの上に無名データが置かれた。
あさ美は、一瞬その仕事をありふれた依頼と感じた。
しかし、続いた老人の言葉に彼女は凍りついた。
「国家の犯罪だ」
- 821 名前:CASE.4 投稿日:2004/08/17(火) 23:01
-
※
「エラー発生、分析不能」
数十回目の機械的な報告を見て、あさ美はとうとう席を立った。
舌打ちとともに乱暴にドアを開け、台所のカーテンを全部開けて、
出しっぱなしの菓子パンをむさぼる。
高校は無断欠席、徹夜、買い物にも行かない。
彼女は髪も整えずに連日画面に向かっていた。
目が痛い。色覚がおかしくなりそうだ。
「仕事はどうだ?」
送られてくるあたりさわりのない電子メール。
「舐められたもんだ」
あさ美はベッドに倒れ込むと、引っ込みのつかない気持ちのまま強めに閉じた目を揉みほぐした。
- 822 名前:CASE.4 投稿日:2004/08/17(火) 23:01
-
ここまで仕事がはかどらないのは久しぶりのことだった。
今までの仕事は大体同じパターンの偽造プログラムかそれらの
組み合わせで解けるパズルのようなものだったが、
同じ言い方で言うならこのディスクは恐ろしく複雑な組み方の
プログラムか、もしくは未知のパズルだった。そしておそらくはその両方の要素が合わさっている。
「もっと報酬もらうべきだった……」
思わずぼやく。
だが「優秀な騎士」の真骨頂はここからが本番のはずだ。
まだ頭が戦いたがっている。まだ負けたわけではない。
「ふぅ…」
あさ美は一つ息をつくと、画面に向かって新たなプログラムを作り始めた。
- 823 名前:CASE.4 投稿日:2004/08/17(火) 23:02
-
「一部分析終了。73%のデータが未完成」
その一文が出たとき、あさ美は両腕を宙へ突き出した。
僅かではあるが、一歩前進だ。
ところが、リターンキーを押して彼女は驚愕した。
「機密レベルAAA。資格無き者の立ち入りを禁ず。パスワードを入力せよ」
――化けの皮が剥がれたと思ったら、またえらい物が出てきた。
それがあさ美の素直な感想だった。
「ここまでして、何を隠してるの?」
あさ美はパソコンに使い込まれたコネクタを差し込むと、
繋がれたキーボードに疲れの濃い指で何か入力した。
画面を流れる数字の山。一桁ずつ消えていく文字。そして……
「パスワード登録済。第二次防衛プログラム解除。
68%のデータが未完成」
5%のデータがあさ美の前に姿を現した。
- 824 名前:CASE.4 投稿日:2004/08/17(火) 23:03
-
[(1) passward 登録済]
Lording...
- 825 名前:CASE.4 投稿日:2004/08/17(火) 23:04
-
[S計画報告書の作成について]
聞いたこともない計画である。
「本計画は、国家の繁栄及びその安泰のために必要な物であり、
機密の絶対保持が要求される。この計画を実行し、報告書を作成
するにあたっては、重大な責任をもって臨むように。
報告書を閲覧する際には、新たにパスワードを入力せよ」
あさ美はパスワードを後回しにしてその先を読み進めた。
言葉は無表情で語る。
「計画に関する概略 兵器レベルB 強化人間に近い能力を持ち、
よりローコストでの改良が可能。また、実験段階において対象の
生死を問わない点が大いに評価できる」
「……兵器?」
彼女はさらに文を進めた。
「被験者は主に国家にとって有害な人物を対象としており、
実験を行う際に被験者は全ての記録を抹消される」
※
紺野あさ美がそれ以上先を読んだかどうかは定かではない。
なぜなら、これ以降の記録は抹消されているからである。
- 826 名前:CASE.4 投稿日:2004/08/17(火) 23:04
-
※
十一月二十三日、深夜。
二人の男がチャイムを押すと、中からやつれ果てたあさ美が顔を出した。
「調子にのりすぎたな”Ace・knight”」
男達が小さな銃を突き出し、彼女は両手を挙げながらつぶやく。
「そうやってあなた方はどれだけの真実を隠してきたんですか?」
男達は何も言わずにあさ美を車に押し込んで、きえた。
その後のあさ美の消息は誰も知らない。
- 827 名前:CASE.4 投稿日:2004/08/17(火) 23:05
-
主を失ったパソコンは、中身をコンピューターウイルスに
食い荒らされて、今はただ雑音をまき散らすばかり。
十一月二十五日、深夜。
一通のメールに入っていたウイルスがあさ美にこう言った。
「お前は消された」
紺野あさ美はパソコンのデータもろとも痕跡を抹消され、戻って来る事はなかった。
- 828 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/19(木) 22:48
-
[password 登録済]
Lording...
- 829 名前:CASE.5 投稿日:2004/08/19(木) 22:49
-
矢口真里
性別:女 年齢:21歳 血液型:A
被験者は12月24日に当研究所で身柄を拘束。
- 830 名前:CASE.5 投稿日:2004/08/19(木) 22:50
-
娼婦が立っている。人は彼女を哀れみ、軽蔑する。
本人も自身の事を軽蔑している。
いつから自分はこんなに堕ちてしまったのか。真里は思う。
夢を見て故郷を飛び出した。それがいけなかったのだろうか。
何も知らない子供だった真里は気が付けば夢をかなえるどころか
こうしてクリスマスも間際の街で、身体を売るために立つ身空に成り下がっていた。
真里は、夜毎数人の男達に身をゆだねる。
一日一人だなんて贅沢は言ってられない。二人や三人、
この時期は五人六人に身体を売る必要がある。
客引きをしながら眺める通りには、自分と同じ年の女の子達が
楽しそうにおしゃべりをして通っている。
年齢相応の輝きなど最早他人の中にしか見えなかった。
- 831 名前:CASE.5 投稿日:2004/08/19(木) 22:51
-
その日の真里の三人目の客は女だった。
極稀にそういうこともある。
どちらにしろやることは同じだ。もう痛覚は麻痺している。
情事が終わると女は真里の横で軽い寝息を立て始めた。
真里はのそのそとベッドから身体を起こして壁に手をやった。
モーテルの壁を埋め尽くす蝶の模様。
真里の虫嫌いは相当のものだが、蝶だけは別だった。
- 832 名前:CASE.5 投稿日:2004/08/19(木) 22:51
-
「……何見とるん?」
不意にまどろんでいた筈の女が、ぼんやり壁を見つめている真里に不思議そうに問いかけた。
「すみません、起こしちゃいまいました?」
「いや、ええんやけど……あぁ、蝶好きなん?」
髪を掻き揚げながら半身を起こした女は真里の視線を辿ると言った。
真里は、頷く。そして、なんとはなしに尋ねていた。
「あなたは?」
「そうやな、あたしもそういう仕事しとるから蝶は嫌いやないな」
真里は、少し嬉しくなった。
女がなにを職業としているかなんてどうでもいいが
この気持ちをほんの少しでもわかってくれるなら。
- 833 名前:CASE.5 投稿日:2004/08/19(木) 22:52
-
「ずっと子供の頃から思ってたんです…あんな風な綺麗な羽を
はばたかせて自由に飛んでいけたら、きっと幸せだろうなって」
女の視線の先で真里は素顔を曝け出していた。
安っぽい化粧は、すっかり剥げ落ちてしまっていた。
真里を見ていた女はおや、と思った。
この娼婦、自分が抱いていたときは笑わなかったのに、今ほんの少し微笑んだ。
それはなかなかに魅力的な笑顔だった。
- 834 名前:CASE.5 投稿日:2004/08/19(木) 22:53
-
その次の夜、女は再び真里の前に現れた。
「また、ええか?」
「ええ。行きましょう」
互いに相手の名前は知らない。たいして喋ることもない。
ただ、二人でいると不思議と何も考えずにいられた。
女はいつしか真里の常連になっていた。
- 835 名前:CASE.5 投稿日:2004/08/19(木) 22:56
-
※
「それ、あげる」
ある日、女は真里に小さな包みをくれた。
「……何ですか?」
「ええから開けてみて」
女はどこか子供のような微笑を浮かべている。
自分の前でこんなにわくわくしてる――真里はそのことに戸惑いながらも
おずおずと包みを開けた。そのまま、中身を見て、瞬きする。
それからまん丸な目のまま女を見やった。
「仕事中暇やったからな作ってみたんや。いつか蝶が好きって言うてたやろ?
あんたが持ってた方が蝶も喜ぶ」
女は少し照れくさそうにぶっきらに言った。
- 836 名前:CASE.5 投稿日:2004/08/19(木) 22:57
-
女が真里にくれたのは、たった一匹の蝶の標本だった。
標本には「ウスバシロチョウ」という小さなラベルがついている。
半透明の飾り気のない白い羽は壊れ物のような美しさを持っている。
別に何か祝う日でもない。けれど、下心と言うにはそれはあまりにも質素で、
きっと他の娼婦なら捨ててしまうような安っぽい贈り物だった。
真里は、ただただ驚いていた。
一々、娼婦との話の内容など覚えてくれる客はそういない。
自分が蝶を好きな事を覚えていてくれたなんて――
そう思うと、女の微笑みがこたえた。真里は、俯く。
- 837 名前:CASE.5 投稿日:2004/08/19(木) 22:57
-
「どうしたん?いらんかったら捨ててええよ」
「ううん……そうじゃないんです」
標本の上に説明できない涙がこぼれた。
うんと嬉しいのかうんと辛くなったのかも真里にはわからなかった。
ただ涙がこぼれて、化粧がまた剥がれてしまう。
「ごめんなさい、行かなきゃいけないのに」
二人はモーテルに向かっている途中だった。
「いや、今日はそのつもりやなかったんよ」
「え?」
思いがけない女の言葉に真里は目をぱちくりさせた。
- 838 名前:CASE.5 投稿日:2004/08/19(木) 22:59
-
「24日は暇?」
「…えっと」
「よかったら、研究所に遊びに来てくれへんかなぁって」
唐突な誘いに真里はますます戸惑ってしまう。
女は、ポケットから名刺を取り出すと後ろになにか書いて真里に差し出してきた。
「一応渡しとく。何かあったら電話してくれて構わんから。
裏が携帯の番号やからな」
真里は名刺を受け取ると女の顔を見た。
――H研究所研究員、中澤裕子。
「中澤さん?」
「裕子でええよ。あんたは?」
「……真里。矢口真里」
自分と普通に接してくれる人。
顔には出ないが、それだけで嬉しすぎるほどだった。
- 839 名前:CASE.5 投稿日:2004/08/19(木) 23:00
-
「研究所、この近くにあるからあんたも知っとるやろ。入れるようにしとくから」
真里は名刺を手にしたまま頷く。
「でも、いいんですか?私なんかと……」
「あんな、「なんか」とか言うたらあかんよ。
それに、あたしは一人でいるよりあんたと一緒にいたいんやから」
こんな台詞には慣れているはずなのに。
この人はあっけらかんと正直に言ってのけるから怖い。
それから、中澤は真里の住む安アパートまで送ると手を振って帰っていた。
彼女は、本当にそれだけを伝えるためにわざわざ真里に会いに来たらしかった。
- 840 名前:CASE.5 投稿日:2004/08/20(金) 22:57
-
十二月二十四日。クリスマス・イブ。
その夜、真里は研究所の前に立っていた。
お金を切り詰めて買った新しい洋服と、中澤へのプレゼントのマフラーを片手に。
Merry X'mas――
味気ない研究所の入り口に吊られたイルミネーション。
そのまま中に色とりどりのランプが続いている。
粗末にも思えるほど小さくて疎らな光の道。
真里はゆっくりと進んでいく。中澤がいる場所は前日に電話して聞いていた。
その時はまだ行くかはっきり彼女に告げていなかった。
あ、来てくれたんや――そう言って彼女が笑ってくれるのを真里は楽しみにしていた。
期待で心が洗われて、夢が膨らんだ。
ランプはある扉の中へ入ってそこで切れている。
このドアノブをひねって一晩の夢に浸る。
そしたら、もうなにがあっても構わない。
- 841 名前:CASE.5 投稿日:2004/08/20(金) 22:58
-
真里はそっとドアを開けた。
会議室らしき、大きな部屋。大きなテーブル。
その片隅に、小さなケーキと紅茶のポットが置かれている。
そして、中澤が居眠りをして待っていた。
テーブルに突っ伏したまま、手に何か握り締めている。
どこか愛らしい寝顔だった。
「待ちくたびれちゃったのかな」
真里は中澤を起こさないようにそっとドアを閉め、
笑いながら彼女のすぐ前まで歩み寄った。
- 842 名前:CASE.5 投稿日:2004/08/20(金) 22:58
-
「中澤さん…裕ちゃん、起きて下さい」
中澤は死んだようによく眠っていた。
とてもいい夢を見ている子供の肩を揺すっているようだ。
しかも相当によくできた夢らしい。
「もう。起きてよ。一緒にお祝い……」
揺すり続けていると、テーブルの上に置かれていた手がだらりと下に落ちた。
中澤の手の中で銀の光が床に垂れた。それでも、彼女は起きない。
真里はもう異変に気づいていた。
「裕……ちゃん?」
突然、ドアが開いて、人が駆け寄って来る。
驚いて振り返った真里の口元に布が当てられる。
- 843 名前:CASE.5 投稿日:2004/08/20(金) 22:59
-
どうしてこんな事になったのだろう。
どうして二人の夢に知らない人が現れて、私に薬を嗅がせる?
意識が失われていく中で見た銀の光。
ペンダントのチェーン。
その先には小さな小さな蝶が絡みついていた。
- 844 名前:CASE.5 投稿日:2004/08/20(金) 22:59
-
- 845 名前:CASE.5 投稿日:2004/08/20(金) 23:00
-
※
気が付くと、真っ暗な部屋の中だった。
どうしてこんなところにいるのか。記憶がない。
背中に透き通った羽が生えている。
これでいいような、悪いような、不思議な気分だった。
どうして手足が四本しかないのだろう。
六本ではなかっただろうか?
なんだか、不気味な身体だ。肌色でぶよぶよしている。
こんな身体ではなかったはずだ。私は、もっと黒くて固くて
つやつやした強い生き物だったはずだ。私は、私は――わたしは、なんだ?
本能の記憶が空腹を告げた。
目の前に、紫の羽を持ったなにかが倒れている。
こんな時はどうしていたっけ?どうするのが正しいんだっけ?
(食べる)(食べる)(食べる
そうだ、食べるんだ。さっそくいただくとしよう。
うん、おいしい。
やっぱりこれは食べていいものだったんだ。
- 846 名前:CASE.5 投稿日:2004/08/20(金) 23:01
-
夢中になって食べ続けていると、固い物が歯に当たった。
吐き出してみると、それは小さなきらきら光る石のようだった。
こんな物を大切そうに握って、
この蝶は一体何をしようとしてたんだろう?
蝶?
そう、これは蝶という虫だ。
でも、どうして私がそんな事を知っている?
頭が痛んだ。記憶が、弾ける。視界が揺らぐ。
「……蝶の、ペンダント?……私は、私は!?」
私は虫じゃなかったか、いや人間だった様な気もする、
どっちが本当だかわからない、両方本物の記憶だ。それは間違いない。
でも――でも、この蝶は。違う。違う。違う。これは違う。
- 847 名前:CASE.5 投稿日:2004/08/20(金) 23:02
-
「嫌、嫌、嫌ぁあああ!」
私が食べたのは誰?
「私はなに!?虫?人間?誰か、教えてよ!!私が食べたのは誰!?」
人間が注射器を持って入ってくる。
記憶の片隅にある言葉で、私を押さえつける。
- 848 名前:CASE.5 投稿日:2004/08/20(金) 23:02
-
「矢口真里、お前は消された」
- 849 名前:CASE.5 投稿日:2004/08/20(金) 23:02
-
真里と呼ばれた生き物は毒物を注射され、
羽をばたつかせたかと思うと虫けらのようにあっけなく殺された。
- 850 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/21(土) 22:44
-
- 851 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/21(土) 22:45
-
※
――私は声も出なかった。
彼女たちを結びつける物はただ一つ。
これ以上先を読んではならないのかもしれない。見るのが恐ろしい。
自身の保身を考えるならば、今すぐデータを消して立ち去るべきである。
それを見たと言う痕跡も全てなにもかも消すべきである。
そうすれば私は100%安全だ。
デジタル文字は最後の選択を私に強いてきた。
『最重要事項。最高責任者もしくはそれと同等の権利なき者の
閲覧を禁ず。第四次防衛プログラム作動中。
閲覧を希望する者は新たにパスワードを入力せよ』
人生最大のチャンスか、破滅への罠か。
- 852 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/21(土) 22:45
-
『パスワードを入力せよ』
『password Schmetterling』
私は好奇心に勝つ事ができなかった。
Lording...
- 853 名前:最終的な見解 投稿日:2004/08/21(土) 22:47
-
『死亡もしくは仮死状態の脳に昆虫の脳を移植し、
特殊な措置を行って組成させた結果、新たに誕生した生物の95%は
本来の記憶を失い、変わりに特殊能力を見につける。特に身体に多くの変化有り。
羽の発生、食嗜好の極端な変化。変体に耐え切れず死亡するケースも多々ある。
実験回数3217回 成功確率11% 生存者353名 死亡者2864名。
数値的に見てもまだまだ改良を加える必要があることが分かる。
ただし、生物兵器としては強化人間に近い能力を持ち、よりローコストで改良が可能。
特に、兵器化するにあたって死体にも適用できる点が大いに評価でき、
実用化にこぎつければ軍兵士の死亡率は大幅に下がる物と思われる。本計画の続行を……』
そこまで目を通した所で――ガチャ。
不意に私の後頭部に固い何かがあてられる。
- 854 名前:最終的な見解 投稿日:2004/08/21(土) 22:47
-
「……平家君、大いに残念だ」
嘲笑を含んだ上司の声。
私の指は震えて、キーが押せなくなった。
「中澤君といい、君といい、どうして君たちは
良心に犯されこうも愚かな真似をするのかね?」
「博士、あなたは……いつからこんな事をなさるようになったんですか?
被験者をこのようにして集めていたなんて聞いていません」
喉が動かない。
声は自分のものとは思えないほど掠れていた。
- 855 名前:最終的な見解 投稿日:2004/08/21(土) 22:48
-
「君が知る必要はないことだ」
「今すぐこんな計画は中止すべきです」
「君のような人間に何がわかるのかね?」
かちり、と音がした。
「君みたいに優秀な人材を失うのは惜しい。
だが、例外はない」
黒い画面に浮き出るデジタル文字。
「君は消された」
熱い衝撃。何かが頭を貫いた。
デジタル文字に ひびが 入った。
- 856 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/21(土) 22:48
-
[password 登録済]
Lording...
- 857 名前:CASE.6 投稿日:2004/08/21(土) 22:50
-
平家みちよ
性別:女 年齢:26歳 血液型:A
被験者は三月六日に当研究所で違法行為を行い、抹消。
当研究所はこれまでに二名の研究員を失っており、
これからはより一層の警戒を要するものと思われる。
計画は以後も続行する予定であり、中止命令は発せられていない。
このまま続行する際に研究内容はさらに追求され、より大量のデータが必要になると予想される。
当研究所としてはさらなる被験者の輸送を希望したい。
なお、さらに興味深いケースについて閲覧したい者は
Disk2をインストールし、パスワードを入力せよ。
ただし、被験者に志願したいのであればだが。
END
- 858 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/21(土) 22:50
-
- 859 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/21(土) 22:50
-
ボツ理由
9.計算がありえないくらい怪しいので
10.色々あったので
11.微妙なので
12.最早娘。小説じゃ(ry
13.なんじゃこりゃなんじゃこりゃ
14.同上
15.11に同じ
16.( ・e・)ノ
17.なんとなく
18.りんね投げまくりなので
19.乗り遅れたので
20.卒業したので
21.ミス連発したので
容量があれであれなので1000逝く前におしまい(´・ω・`)ノシ
- 860 名前:名無し読者 投稿日:2004/10/01(金) 10:50
- 面白かったですよ
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