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藤本美貴の憂鬱

1 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/22(日) 22:25

    
          /  ノノ_,ハ,_ヽ   ヽ     
          |::ヽ 川'o')  ヽ ヽ.  
          |.::::ヽ(∩  へ ,,,,,,, ヽ ヽ. 
          ヽ:::::::i'''''i (_)   i'''''i 
            ヽ::::i_i (_)___i_i 
2 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/22(日) 22:26
美術室にて
3 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/22(日) 22:27
 いったい何年くらい、ほったらかしにしていたのだろう。赤い錆がついた鉄の棒にさわるのをためらった。できることならこのまま回れ右して帰りたいのだが、それは許されないことだとはわかっている。踏んばりながら右手で扉を押した。ぎぃぎぃといやらしい音を立てて、それは私の目の前に道を開いた。
 空からピンク色が落ちてきた。顔をあげると太陽が目に入り、視界が白くなった。手をかざして陽光を受け止めると、指のすきまから桜の花びらが侵入してきた。
 どこへ行ったらいいのものか。今日は日曜日だから、校長室や職員室に行っても教師たちがいるとは限らない。先日、運送会社に頼んだ荷物が届いているはずだ。きょろきょろと辺りを見回した。右に見えるのが校庭で、その奥にあるのが校舎だろう。すると、左にある小さなコンクリートの建屋が寮に違いない。
4 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/22(日) 22:27
 中に入り、靴を脱いだ。スリッパの入ったボール箱が見えた。きっと来客用のだろう。無造作に二つ選んだ。微妙に種類が違うのかもしれないが、気にすることはないと思った。廊下を進もうとすると、ドアの開く音がした。振り向くと、わずかに化粧をほどこしたおばさんが手招きしていた。
「あなたがフジモトさんね? 荷物届いてるわよ」
 この寮の管理人のようだ。適当にあいさつした。おばさんの後をついて二階に上がった。一番奥の右手がそこだった。その部屋の鍵と、寮に住むための心得が書かれた紙をもらった。
「そうそう、手紙が届いてるわ。部屋の机の上に置いてあるからね」
 荷物とはいっても、たいしたものは持ってこなかった。とりあえず布団と着替えだけ出した。事前に教えられていたとおり、この部屋にはあらかじめ机と椅子、ベッド、空調機がついていた。これだけ揃っていれば十分だ。硬い木の椅子に座り、明るい色の封筒を開いた。
5 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/22(日) 22:28
Dear 美貴たん

 とつぜんいなくなっちゃったからびっくりしちゃったよ。
 でもミキたんが選んだ道だもんね。応援してるよ。
 ……
6 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/22(日) 22:28
「あ、ゴミ箱買わないと……クッションも」
 とりあえず、空いたボール箱で即席のゴミ箱を作ると、その中に手紙を放り投げた。
7 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/22(日) 22:30
「転校生を紹介する。フジモトミキ君だ」
「よろしくお願いします」
 少々ざわつくが、すぐに止む。この辺がお嬢様学校と言われるゆえんなんだろう。どんなことを頭に描いたのか、大体のところは想像つく。この女子高は競争倍率がやけに高い。毎年何千人も受験して、わずかな人数のみ入学が許される狭き門だ。そういう学校にこんな中途半端な時期に転校生なんて、どんな事情があるのだろうかと。そして何より、年齢の違いを。
 言われた席に座った。都合のいいことに一番後ろだった。右を向くと、その子と目があった。ニヤっと笑ってきたので、一応微笑み返した。左を向くと、その子は反対側の窓のほうを見ていた。
「ごめんなさい。教科書見せてくれる?」
 左の子はやめにして、右の子のほうに声をかけた。その子(カメイちゃんと言うらしい)は机を寄せて、教科書を広げた。英語だったので、多分自分のを持っていても満足に読めなかっただろう。
8 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/22(日) 22:31
 休み時間になると、何人かの子がやってきて、話をきいてきた。満足な回答を与えるはずもなく、あいまいなままに済ませた。どうせ、いろんな事情はどこかからか流れてくるに決まってる。自分から話すことでもない。逆にカメイちゃんに尋ねた。
「あの子は、名前何て言うの?」
「彼女はサユ……ミチシゲサユミって言います」
 相変わらず、彼女は窓の外を見ていた。と思っていたのだが、微妙に間違っていた。やがて彼女は鞄の中から大きな鏡を出して眺め始めた。今まで窓の外を見ていたのではなく、窓に映った自分を見ていたのだろう。可愛らしいが、変わった人間のようだ。
「あの……」
「何?」
「サユとあたしとどっちが……何でもないです」
9 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/22(日) 22:31
 昼休みになり、食堂でさっさと食事を済ませると、校舎のあちこちを歩き回った。新しい環境が物珍しかったわけではない。逆に、どこか落ち着ける場所がほしかった。来たくもない学校に押し込まれて、三年も過ごさなければならない。苦痛を和らげてくれるどこかを見つけなければ。
 高い所。天井の無い、青い空が見渡せる所。普通、どこの学校にも屋上があるはずだ。そこには何人かの──いわゆる不良グループがいるかもしれない。新参がその場を乱すことを嫌がるかもしれないが、それは知ったことではない。
 一階の廊下を歩いていると、窓から別の校舎が見えた。この建物と二階の渡り廊下でつながっているようだ。早速その校舎(新館と呼ぶらしい)に向かった。理科室や家庭科室など、特殊な教室が多いようだ。階段を上がり、四階に出た。そこで階段は終わっている。屋上への道を探して廊下をさまよった。
10 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/22(日) 22:32
 ようやくその、ほこりっぽい階段を見つけた時、油っぽいにおいが鼻をついた。どうやら美術室の前にいるらしい。突如、美術室への興味が屋上のそれを上回った。これまで絵に興味を持ったことはない。これからもないだろう。ただ美術室そのものに関心を持った。
「入り口は、と」
 一番手前のドアノブを回そうとしたが、途中でひっかかってしまった。内側から鍵がかかっている。よく見ると、そこは美術教師用の教員室だった。奥のつきあたりのドアノブを回したら、今度はしっかり回った。ドアを押すと、あのにおいが襲ってきた。もしかしたら、この部屋はこの鬱陶しさを紛らわせてくれるかもしれないと思った。
11 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/22(日) 22:32
 中にはあのカメイちゃんともう一人、生徒がいた。カメイちゃんは椅子から立ち上がって手を振ってきた。二人は美術部の部員で、昼休みや放課後にここで絵を書いているのだと、その女性(イイダさんと言うらしい)は説明した。
 木のテーブルの上に白い皿。その上にリンゴとグレープフルーツ。カメイちゃんの目の前のカンバスにも、同じものらしきものが描かれていた。
「上手だね」
「そんなことないですよぉ」
12 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/22(日) 22:34
 お世辞を真面目に受け取った。絵の良し悪しはわからない。多分美術部員なのだから、一般の高校生よりは上手なんだろう。ただそう思って言っただけだった。遠近感があって、本物そっくりの奥行きのある絵を描こうとしているのはわかった。
「あなたも描いてみる?」
「いや、いいで……」
「そうですよ、ぜひ描いてみて」
 画用紙と水彩絵具を渡された。もしかしたら、部員数が足りなくて、廃部にならないように勧誘しているのかもしれない。別に部員になろうと思ってこの部屋に入ったわけではない。どこかいい場所はないか探していただけだ。彼女らには用はない。しかし、この場を収めるために、適当に描いてしまえばてっとり早いかもしれないと思った。
13 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/22(日) 22:34
「どう描けばいいの?」
「自分の目で、見たまま、感じたまま描けばいいのよ」
 描くって、何を描けばいいのだ。左目を閉じた。そうか、目に映ったものを描けばいいわけだ。白い画用紙に黒い円を描いた。そのまま円の外側を黒々と塗りつぶした。絵筆をバケツにつっこみ、別の筆を取る。円内の左下に肌色を塗り、真ん中に茶色で横棒を引き、その上に赤い丸と黄色い丸を描いた。二人は画用紙を覗き込んできた。
「これは?」
「見たままに描いたよ」
「……そうね、確かにこう見えるわね」
14 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/22(日) 22:35
 イイダさんはカメイに説明を始めた。黒い円は目に見える範囲。画用紙が四角だからといって、目は四角くない。光の入ってこない部分は黒く見える。肌色は自分の鼻だ。世界を忠実に描き写すとしたら、こう描くしかない。これが世界だから。ただ、細部をきれいに描く才能は自分にはない。
「あ、カメイ。あたしこれから展覧会に行かないといけないから、今日の部活は無しね。授業が終わったらフジモトさんと一緒に遊んできたら」
 聞いているのかいないのか、カメイちゃんはじっと画用紙を見つめていた。彼女を残して、イイダさんに続き自分も美術室を出た。
15 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/22(日) 22:35
 午後三時。今日の授業が終り、何人かを残して教室はまたたく間に空っぽになった。残った数名が集まって歓迎会をやろうという話になった。誰だったのだろう、名前を覚えるのは苦手だが、確かマコっちゃん、アサミちゃん、タナカちゃん、ミチシゲちゃんがその場にいたと思う。
「あれ、エリは?」
「カメイちゃんいないね?」
 きっと美術室にいるのだろう、とみんなは判断した。誰か一人呼びに行けばいいと思うのだが、そこは女子高生のことだ。全員で呼びに行こうということになるのだろう。そしてそのとおりとなった。
16 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/22(日) 22:35
「ほら、サユも」
 それまでぼうっと座っていたミチシゲちゃんは、みんなと一緒に美術室についてきた。みんなの後ろを歩きながら、ミチシゲちゃんに尋ねた。
「カメイちゃんってどんな子?」
「エリは、とっても変な子なんです。狭い所にいるのが大好きで、満員電車とか、ロッカーの隙間とか」
 カメイちゃんがこの言葉を聞いたら、どんな感想をもらすだろうか。渡り廊下を進み、階段を上った。マコっちゃんがあのドアノブを回そうとして、手を引っ込めた。
「どうした?」
「開かないよ、ここ」
「エリ、いない?」
17 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/22(日) 22:36
 ドアにはガラスの窓がはまっている。ここから中を覗いたが、確かに誰もいなかった。それなら、ここにはカメイちゃんはいないのだろう。担任の先生に呼ばれて、職員室にでも行っているのかもしれない。ここにいるというのは、勝手な推測だ。今頃教室に戻っているのかもしれない。
 引き返そうとした時、タナカちゃんの声が廊下に響いた。
「あれ、あの光ってるの何?」
「太陽が反射して──」
 部屋に侵入した赤い太陽の光を跳ね返していた。割れた鏡がいくつもの欠片となって、板張りの床に飛び散っていた。
「あれ、もしかして、サユの?」
「黒い枠が見えるから、そうかも」
18 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/22(日) 22:37
 心なしかミチシゲちゃんの顔が青ざめているかのように見えた。マコっちゃんは何回もドアをがちゃがちゃ言わせたが、びくともしなかった。教員室のほうも開かなかった。美術教師は今日休んでいるらしい。アサミちゃんが階段を下りていった。数分後、美術室の鍵を持って戻ってきた。
 目に入ったのは、あのカンバス、テーブル、リンゴとグレープフルーツ。その下に、粉々になった鏡があった。ミチシゲちゃんはその欠片の一つを拾い上げた。小さくなった鏡に映っている自分を見ようとしたのだろうか。
「手で触っちゃ危ないよ、サユ」
「掃除しようよ」
 マコっちゃんがロッカーに手を伸ばした。それをじっと見つめた。ロッカーの中に誰かがいることを期待したのだろうか。マコっちゃんの手には箒と塵取りが握られていた。中から人間は誰も出てこなかった。
19 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/22(日) 22:37
 教員室に通じるドアを見つけた。やはりこちら側からは入れなかった。同じようにガラス窓からのぞいてみたが、真っ暗で中の様子はよくわからなかった。暖かい日差しを注ぎ込む窓に近寄る。窓にはすべてクレセント錠がかかっていた。他に出入り口はない。
「みんな、何してるの?」
 カメイちゃんの声だった。用務員らしきおじいさんと一緒だった。
「こらこら。危ないから、後は私に任せなさい」
「これ、サユの?」
 多分、とタナカちゃんが応えた。アサミちゃんもカメイちゃんのそばに寄っていく。マコっちゃんはおじいさんに箒と鍵を渡した。四人はおじいさんに挨拶して美術室を出て行った。ここを出る前に確認しなければならない。
20 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/22(日) 22:38
「この部屋の鍵ってこれだけですか?」
「いいや。美術の先生が持っているよ。だからこれと合わせて二つだ」
「こっちの鍵はおじさんが管理してるんですよね。今日最後にこの鍵を返してきたのは誰ですか?」
「カメイさんだよ」
「それは、何時頃です?」
「昼休みにここで絵を描いてたんだろうね。午後一時前に返しに来たよ。転校生と遊びに行くから、放課後の部活はやらないって言ってたなあ」
 バケツの中に破片が転がっていく。おじいさんの手を制して、その一つを制服のポケットに忍び込ませた。
21 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/22(日) 22:39
 四人が教室に戻る前に追いついた。三人に何を言われても、ミチシゲちゃんは鏡の欠片を離さなかった。
「ねえサユ、もう一度確認してみたら? 似たような鏡なんていっぱいあるでしょ?」
 黙って頷いたミチシゲちゃんは、鞄を開いてみた。やはりそこには彼女の鏡はなかった。
「誰がやったのか知らないけど、買い直せばいいじゃない。あんなおっきな卓上用のじゃなくて、もっとかわいい手鏡を、ね?」
 タナカちゃんの言葉に、ようやくミチシゲちゃんは笑顔を見せた。
22 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/22(日) 22:39
 確か、彼女は五時限目と六時限目の授業の間の休み時間も、あの黒い縁の鏡を眺めていた。これは間違いない。およそ二時頃。六時限目は音楽の授業で、この教室には誰もいなかった。その間にミチシゲちゃんの鏡をこっそり盗むことは可能だっただろう。
 そして美術室に行き、理由はわからないが鏡を床に叩きつけて壊した。しかし、どうやって美術室を出たのだろうか。窓から外に出ることはできないし、だいいち四階だ。教員室にも入ることは出来ないし、美術教師は休んでいる。鍵は一時頃カメイちゃんが返してから、ずっと用務員が持っていた。
 壊された場所が美術室だったので、カメイちゃんがやったのではないかかと、十分な理由もなく漠然と感じていた。もしかしたらロッカーの中に隠れているのかもと。しかしそこには誰もいなかった。カメイちゃんは用務員とやってきた。そもそも、六時限目の音楽の授業はカメイちゃんもちゃんと受けていた。鏡を盗む時間などない。
23 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/22(日) 22:40
「ねえ、それじゃあカラオケ行こっか」
「今すぐ行けばタイムサービスやってるよ。ほら、早く」
 四人は帰り支度を始めた。左目を閉じる。世界を見たままに把握すること。余計な先入観を排除すること。そうして見えてきた世界を忠実に記述すること……。
「ほら、フジモトさんも。今日はフジモトさんの歓迎会だよ」
「そうそう、今日はオゴリだから」
 目の前にある、チャックが半分開いたセカンドバッグだけが視界にあった。
24 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/22(日) 22:40
「ロマンティック、恋の花咲く……」
「フジモトさん、うまーい」
 カラオケは嫌いではない。そういえば昔、彼女とよくカラオケしたっけ。気持ちよく歌いきると、ふかふかの椅子にどすんと座った。マイクをアサミちゃんとマコっちゃんが奪いあった。タナカちゃんとミチシゲちゃんは新譜リストをじっと見入っている。いったいどんな歌をうたう子たちなんだろう。
「カメイちゃん?」
「ちょっとトイレ」
25 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/22(日) 22:41
 カメイちゃんはバッグを持ってカラオケルームを出て行った。やがてアサミちゃんがマイク奪取に成功し、その歌声を披露し始めた。この歌は四分弱。歌い終わるまで待つことにしよう。思い浮かぶ最悪の事態が起こったとしても、そのくらいの時間があれば大丈夫だろう。近くには病院もあったはずだ。
 アサミちゃんの歌が終り、マコっちゃんがマイクを握った。タナカちゃんとミチシゲちゃんはまだリストを眺めている。
「フジモトさん?」
「あたしもトイレ」
 店員に場所を聞いて、トイレに向かう。この五分間、彼女は何をしていたのだろうか。鏡に映る自分がどのように映っているのだろうか。
26 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/22(日) 22:42
 鏡が割れているのを見つけたのは三時過ぎ。その時間、鍵のかかっている美術室を抜け出すことは不可能だし、美術室のどこかに誰も隠れていなかった。一方、ミチシゲちゃんの鏡が盗まれたのは二時から三時の間。音楽の授業を抜け出して鏡を盗むことは不可能だ。
 しかし、不可能というのは、この二つの出来事を結びつけた上でのことだ。二つの出来事に共通する物、それがあの鏡だ。ミチシゲちゃんの鏡であるという事実の把握が不可能性をもたらした。結びつけてしまえば、後は時間軸に乗せるだけだ。二時から三時の間に鏡が盗まれ、それから美術室で壊されたというストーリーができあがった。
27 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/22(日) 22:43
 そんなストーリーなど壊してしまえ。あの鏡はミチシゲちゃんの物だという前提を壊してしまえ。あれはただの鏡だ。
 鏡を割られたのが一時前だったら、鍵はカメイちゃんが持っているのだから美術室を出て外から鍵をかけることができる。鏡が盗まれたのが──二時頃には確かにミチシゲちゃんが持っていたから──三時過ぎだったら可能だ。美術室に向かった時、教室は空っぽだった。そして、その両方の行為が可能なのは、美術室の鍵を持っていて、三時頃どこかに行っていたカメイちゃんだけだ。
 では一時頃カメイちゃんが割った鏡は誰の物か。ミチシゲちゃんの物ではありえない。それならばカメイちゃん自身の物だろう。
28 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/22(日) 22:44
 カメイちゃんはミチシゲちゃんの物と同じ鏡を割り、それからミチシゲちゃんの鏡を盗んだ。なぜそんなことをしたのだろうか。ここからは純粋な推測、想像の世界となるが……。
 ミチシゲちゃんは四六時中、鏡や窓に映った自分を眺めているのが好きなナルシストだ。カメイちゃんはミチシゲちゃんと同種の人間か、あるいは何かしらのコンプレックスを持っていたのか、妙な対抗心を持っていたのかもしれない。
 それに加え、彼女の背中を押した人間がいる。自分だ。藤本美貴がトンと背中を押した、のだろう。自分の描いた絵は、世界そのものを把握できるという遠近感の手法とは全く無縁のやり方だった。確かに、奥行きのある世界が目に映っているように見える。だが、目にはそんな機能はついていない。勝手にそう思い込んでいるだけだ。実際は、目は丸いから円形にしか光は入ってこないし、鼻がじゃまして全ての世界が目に入ってこない。立体感のない、薄っぺらい二次元の世界しか目には映らないのだ。
29 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/22(日) 22:44
 彼女はそれに気づいた。さらにその世界こそが彼女の望んでいた世界でもあったのだろう。狭い、ぎゅっと圧縮された世界が彼女の好みだから。その世界に入りたい。彼女は自分の鏡を覗き込む。鏡が平面である以上、そこに映る自分の世界も二次元の世界だ。彼女は見つけたのだ。
 その鏡を、その世界をなぜ彼女は壊したのか。そこまではよくわからないのだが、うっかり落として割ってしまったのかもしれない。そして彼女は慌てた。カメイちゃんは今までミチシゲちゃんへのコンプレックスを隠してきた。それは今までどおり隠しとおさなければならない。その鏡が、自分の物だと知られてはならない。
 だから彼女はミチシゲちゃんの鏡を盗み、それが割られたのだと思い込ませるよう偽装工作した。こんなところだろう。
30 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/22(日) 22:45
 カラオケボックスに向かう途中、バケツの中から拾った破片を、カメイちゃんのバッグの中に滑り込ませた。チャックが少し開いていた。入れたとき、微かに硬い金属音がした。破片がミチシゲちゃんの鏡とぶつかった音だと思う。バッグの中に隠されているのではないか。
 トイレの中で、その欠片をカメイちゃんは見つけたはずだ。さあ、彼女はどんな行動を、どんな表情をしたのだろう。全てがばれたと思って手首でも切っただろうか。まさかそこまではやるまいとは思うが、万が一ということもある。救急車を呼べるように携帯電話を手にした。
「カメイちゃん?」
31 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/22(日) 22:45
 トイレに入った。彼女は化粧台の前にいた。あの黒枠の鏡を右手に、破片を左手に持っていた。目線はあちこちをさまよっている。正面の大きな鏡、右手の鏡、左手の鏡。どこに目をやっても彼女がいた。彼女の求めていた世界があった。
 トイレのドアを閉めた。カラオケルームに戻るとしよう。ここに自分がいてはいけない。
「さて、次は何を歌おうかな」
 今日は歓迎会だ。思う存分歓迎されてこよう。
32 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/22(日) 22:47
……
33 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/22(日) 22:47
……
34 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/02/22(日) 22:47
……
35 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/06(土) 21:15
理科室にて
36 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/06(土) 21:15
(Now)

 今日最後の授業(家庭科)がつまらなかった。なので隙を見て教室を抜け出し、校舎をどこかをさまよい歩いた。
 そもそも、ここはいてはいけないところだ。自ら望んで入った高校じゃない。昔は漠然と、だけどもなぜだか無性にこの学校に入りたくて、試験を受けた。白塗りの掲示板に番号はなかった。柄にもなくショックを受け、家に一年ほど引きこもった。何をしていたのかは覚えていない。
 たぶん家にいるのも飽きたのだろう。近所のフリースクールに顔を出すようになった。けっこう楽しく過ごしたように思う。とつぜん、親戚のおじさんが、この学校に転入を勧めた。無試験で入れるという。理由はわからない。突然ここに放り込まれた。迷惑な話だったが、拒否権はなかった。
37 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/06(土) 21:16
 そんなことはどうでもいい。ここはどこだ。
 理科室のドアを通りすぎた先は、行き止まりだった。今は、と言い換えたほうがいいのかもしれない。目の前の壁にはドアがついているが、開きそうにない。窓から外をうかがう。開かずのドアの先は空間が広がり、その下には自転車置き場のトタン屋根だ。昔は、この先に渡り廊下でどこかとつながっていたのかもしれない。今は完全なデッドスペースだ。
 こんなところにいても気は晴れない。どこか別のところを探そう。振り向いて一歩進むと何かを蹴飛ばした。ワックスで磨かれた廊下を、それは気持ちよくすべっていった。やがて摩擦で止まる。何か光っていた。
38 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/06(土) 21:16
 拾い上げようと、腰を屈めて伸ばした右手が止まった。世の中にありふれた物に違いないが、これ単独で廊下に落ちている確率は少ないだろう。長さ約六センチ、表面は白っぽいが、切断面は禍々しく赤黒い。先端には硬いカルシウムの板がくっついている。
「人の指?」
 映画や劇で使うイミテーションだろうか。見たことはないが。思えば本物の指だって、これほどまじまじと観察したことはない。爪にはうっすらとマニキュアがついていた。反対側には指輪が食い込んでいる。銀製かと思ったが、指で弾いてみるとアルミニウムだとわかった。
 それをグロテスクな棒から引き抜こうとしたが、肉に深く食い込んでいて果たせなかった。まあいいかと、ポケットに突っ込んだ。
39 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/06(土) 21:16
 一歩一歩、ゆっくりと、地面を噛む様に廊下を進む。ふと窓の外に目を向けると、グラウンドの片隅でボールをぽんぽんとついている一団がいた。上級生が体育の授業でバレーボールをしていた。きゃっきゃっという嬌声がここまで聞こえてきそうだ。
 窓を開け、両腕を外に投げ出した。上級生の何人かは名前と顔だけ覚えている。確かヨシザワさん──ヨッチャンさんと、イシカワさん、カゴさんだ。ツジさんの姿が見えないが、休んでいるか保健室にいるのだろう。最近体調が悪いとのうわさを聞いていた。
40 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/06(土) 21:17
(Past)

「ヨシザワ先輩ってかっこいいよね」
「去年、チョコを六個もらったんだって」
「男の子に?」
「バカ。ここは女子高よ」
 この会話を聞いたとき、頭がくらくらするのを覚えた。周りの人間だけでなく、そのことを本人も自慢に思っているふしがあるようだ。バカみたいな話だ。バレーボールが得意かと思いきや、本人は部活の勧誘を断って、フットサル同好会を結成した。ポスターを見たことがある。
41 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/06(土) 21:17
「キミも平山クンのようにオリンピックをめざそう!」
 フットサルが五輪競技にあるのかどうか、興味がわかなかった。女の子がサッカーまがいの競技をやるのに向いているのかどうか知らないが、それでも何人かの仲間が入会した。放課後、壁に向かってボールを蹴飛ばしている。市内の大会にも出るという。
42 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/06(土) 21:17
「えーと、ミキティだっけ?」
 初対面でいきなり勝手なあだ名で呼ばれたのは初めてだった。とりあえず、何ですか、ヨシザワさんと応えた。彼女はちっちっと指を振る。
「ヨッスィ~って呼んでよ」
 あいにく、他人に指図される言われはない。いくらかの押し問答の末、お互い妥協して「ヨッチャンさん」と呼ぶことになった。
43 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/06(土) 21:17
「ミキティもフットサルやらない?」
 疲れることは一切やる気がなかった。断る理由はそれだけで十分だ。ポンと右肩に手を乗せてきた。中指がキラリと光っていたのを覚えている。いえ、いいですと繰り返した。今度はあっさりと身を引いた。
「無理強いするつもりはないよ。興味があったら、放課後体育館の裏に来てよね」
 生意気だからリンチするというのではない。そこが彼女たちの練習場だった。
44 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/06(土) 21:18
(Now)

 なぜだか風を冷たく感じた。窓を閉め、錠を回した。理科室か。授業が行われている様子はない。引戸に鍵はかかっていなかった。そろそろと中に侵入する。
 理科の授業で覚えたことは数少ない。実験は好きだった。誰にもはばかることなく火を扱えたからだ。戸棚は無用心にもあっさりと開いた。アルコールランプのキャップを取り、白い芯をそっとつかんだ。指にアルコールが移り、ひんやりとした。引き出しから、街中ではあまり見かけない徳用マッチ箱を取り出し、火を着けた。
 ハートを逆さまにしたような、オレンジ色の光がともった。
45 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/06(土) 21:18
(Past)

「マコっちゃんはどこ行ったの?」
「あたし知らない」
「きっと2-Cの教室じゃない?」
 オガワマコトという人物について、名前と顔しか知らない。表面に浮かび上がるものしか知りようがない。どんな性格で、どんな内面であるかなんて、後付けで決めつけているにすぎない。いや、顔かたちだってどうなるものかわからない。その人の全ては名前に表れる。名前でしかその人をとらえることができない。
 マコっちゃんは、一つ上のクラスにいるヨッチャンさんに会いにいっているのだろう。会いにいくのに理由が必要なのかどうかは、保留しておこう。
46 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/06(土) 21:18
(Now)

 左目を閉じ、じっと炎を見つめる。右下に見えるのは鼻だ。余計なものだが、そこにあるのだから目に入ってくるのはしかたない。
「あるかな?」
 薬品が並んだ戸棚を見つけた。鍵がかかっている。隣の準備室に向かった。教師の机の脇に金属板がくっついていた。少しいじくると、パネルが開いた。いくつか鍵を選んで、元の場所に戻る。いくつか試していると、ようやく戸棚は開いた。
47 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/06(土) 21:18
 茶色のびんがいろいろ並んでいる。その中から「重曹」を選ぶ。化学式が書いているけれども、その意味がわからない。この記号は自分に向けられたものではないようだ。試験管の中に何さじかこぼし、それをアルコールランプの火にあてた。白い粉の中から水がふつふつと湧きだしてきた。
 試験管の口を鼻で嗅いでみた。ことさら変な臭いはしなかったが、吸い込むと肺を刺激した。まるで炭酸水を飲み込んだかのよう。やがて水は出なくなった。
48 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/06(土) 21:19
(Past)

「ヨシザワ先輩、ひどいですよぉ」
「そうかな?」
 二人が何か押し問答をしているのを見かけたことがある。放課後、体育館の裏でのことだ。フットサル同好会の面々に見られながらだ。
「フジモトさんだよね? あなたも同好会に入るの?」
「ごめんなさい。ちょっと通りかかっただけです」
 イシカワさんに話しかけられたが、あっさり身をかわした。寮に戻ってもやることがないから、校舎をぶらぶらしていただけだ。新館の屋上には鍵がかけられていて出ることができなかった。しょうがない、どこかいい場所はないだろうかと探して歩いている途中だった。
49 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/06(土) 21:19
「あの二人、何してるんですか?」
「なんかね、お揃いの指輪がどうとかでケンカしてるみたい」
 その言葉が何を意味しているのかわからなかった。指輪がしたければ、一人で買って指にはめればいい。なぜ他人のことが関係するのだろう。
「変な話ですね」
「ねえ」
50 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/06(土) 21:19
(Now)

 水をビーカーに半分ほど入れた。三脚の上に石綿金網を乗せ、火をつけたアルコールランプをその下に設置。上のビーカーにあの指輪付き指らしき物をぽとんと落とした。
 やがて水は沸騰し、無数の気泡を発し始めた。「指」は気泡の動きに合わせるかのように上下運動を繰り返す。頃合よしと見えたので、ランプにキャップをかぶせた。ビーカーの中のお湯を捨て、再び水を入れて冷やす。
 ピンセットで慎重に「指」をつまむと、ガーゼの上に置いた。思ったとおり、皮膚がふやけてぶよぶよになり始めている。ピンセットで数分間格闘したのち、なんとか目当ての指輪が外れてくれた。ただし「指」のつけねのほうは無惨な姿となってしまったが、それが代償というものだ。
 指輪をていねいに水洗いした。変な臭いがしないのを確認すると、制服の右ポケットに入れた。しばらく考えた後、ガーゼで「指」をくるみ、こぼれ落ちないように両端を糸で縛ってから、左ポケットに入れた。
51 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/06(土) 21:19
(Past)

 どうしても理解できないことがあった時。自分にはわからないが、他人にはわかっているらしい時。そんな時、自分で考えることはあっさり放棄し、その他人に聞いてしまうのが手っ取り早い。余計な労力を使わないのが賢明だろう。
「マコっちゃんとヨッチャ……ヨシザワ先輩って、どんな関係なの?」
 アサミちゃんはきょとんとした。辛抱強く質問を繰り返した。ようやく合点がいった彼女は、こほんと咳払いしてから重々しく答えた。
52 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/06(土) 21:20
「ヨシザワ先輩は憧れの人。ヨシザワ先輩は格好の手本。ヨシザワ先輩は全て。マコっちゃんにとって」
「どういうこと? よくわからないんだけど」
「だから、マコっちゃんはヨシザワ先輩みたいになりたいの。だから、マコっちゃんはヨシザワ先輩と同じことをするの。だから、マコっちゃんはヨシザワ先輩と同化したいの」
 なにそれ。
53 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/06(土) 21:20
(Now)

 別のびんをあけると、黄色っぽい粉が見えた。果たしてこれはどのような反応を見せてくれるのだろうか。さっきと同じように、試験管に入れて熱してみたが、何もおこらなかった。
「つまんないの」
 残ったびんには透明の液体が入っていた。塩酸と書いてある。これをかけると何か気体が発生するのだということを習ったことがある。ビーカーに少量そそぎ、水を加えた。そこに、スプーンを使ってさっきの黄色い粉をぱらぱらと落とした。そのままゆっくりとかき混ぜる。
 気泡がいくつも浮かび、底に黒っぽい物がたまり始めた。じっとその様子を眺めた。ぷくぷくと、球形の気体が液体の中に形作る。やがて液体と空気の境目ではじけ飛ぶ。
54 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/06(土) 21:20
 全く異なるものをぶつけ合わせ、それまでなかった何かが突然生まれる。そういうこともあるだろう。だけど、何も生まれなかったら。元々あった二つのものまでも台無しになってしまう。失敗したと思ったらやり直せばいい。だが、粉々にされてしまったほうはどうしたらいいのだろう。
 ふと、臭気に気づいた。頭がくらくらする。ビーカーは、相変わらずぼこぼこと気体を発し続けていた。とっさに目と鼻を手で覆い、窓に向かった。暗幕を開き、窓枠に手をかけた。鍵がかかっている。早く、窓を開けないと、クレセント錠を回して、新鮮な空気を、……。
55 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/06(土) 21:20
(Past)

「家庭科の準備してきた?」
「え、なんだっけ?」
「ほら、ミシン使って小物入れ作るって、先生言ってたじゃない」
 すっかり忘れていた。サボってもいいが、授業の始めに出席を取るから、少なくともそれまではおとなしくしていることにしよう。
 みんなの後ろにくっついて、家庭科室に向かった。向うから、体操服姿の一団がやってきた。アサミちゃんたちは慌てたように頭を下げた。首を傾げながら見ると、二年生たちだった。ヨッチャンさんやイシカワさんの姿も見えた。
56 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/06(土) 21:21
「こんにちはー」
「こんにちは」
 すれ違った後、肩をぽんと叩かれた。
「ミキティ、フットサル同好会に入る気になった?」
「ごめんなさい。その、ヨッ……ヨシザワ先輩」
 ヨッチャンさんは首を振った。ヨッチャンさんだろ、と軽く手を振り、走り去っていった。白い、きれいな手をしていた。何の飾り気もない、素の、生まれたままの手。
57 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/06(土) 21:21
(Now)

 ばたばたという、暗幕が風に揺れる音に気づいた。硬い床は頬を冷やしていた。頭を振った。なんとか大丈夫なようだ。ビーカーの液体は、それまでの激しい運動をやめていた。
 チャイムが鳴り響いた。誰かが来る前に、片づけないといけない。実験器具と薬品類を戸棚にしまった。鍵も元の場所にしまった。
 理科室の中から廊下をうかがう。誰もいないことを確認して、体を廊下に出した。そっと扉を閉める。ひどい目にあった気がする。
 ふと、左のポケットに左手を、右のほうに右手をつっこんだ。確かめたい。だけど、それにどんな意味があるんだろう。完全無比の部外者だ。自分にはまったく関係ないことだ。とはいえ、どうなっているのか、わくわくしていることも事実だった。
58 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/06(土) 21:21
 体育館の裏、ヨッチャンさんやイシカワさんたちがボールを蹴っていた。ヨッチャンさんは、壁に白く書かれた枠に(どうやらゴールに見立てているらしい)派手に蹴りこむと、こっちに寄ってきた。
「ミキティ、やる気になった」
 あいまいに首を振ると、右ポケットから指輪を出した。
「これ、見覚えある?」
 ヨッチャンさんは親指と人差し指で軽くつまんで、じっくりとなめ回すように観察した。そして、いいや、と答えた。なるほど、なるほど。
「それだけ。じゃあね」
「ちょっと、これ……」
「それはヨッチャンさんにあげるよ」
 その場を逃げるように走り去った。後ろからやったぁとか、サンキューとか、そんな声が聞こえてきた。能天気な人らしい。
59 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/06(土) 21:22
 校舎の陰になっているところをあちこちうろついた。やがてたどり着いた自転車置き場には、ほとんどの自転車はなくなっていた。その横の壁、新館の前でリフティングしている子がいた。彼女が蹴りそこねたボールが転がってきた。
「はい、練習熱心だね」
「……フジモトさん」
 ボールを両手で渡した。彼女も受け取る。右手には白い手袋。
60 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/06(土) 21:22
(Inner)

 マコっちゃんはヨッチャンさん。この逆はありえないのだろう。ヨッチャンさんはマコっちゃんにはならない。だけど、マコっちゃんはヨッチャンさんにならなければならない。それが彼女の論理だ。
 記憶が確かならば、二人は同じような指輪をしていた。どちらが言い出したのかは知らないけれど、ヨッチャンさんが指輪をしなければマコっちゃんもそれをしなかったことは想像がつく。そしなければならないからだ。
 そして、今日、ヨッチャンさんはその指輪をしていなかった。ならば、彼女も指輪を外さなければならない。だが、指に食い込んで外れなかったらどうするか。彼女はヨッチャンさんと同じでなければならない。指輪はもはや同化の対象ではない。指から外れないのなら、指ごと取ってしまうしかない。右ポケットの中のガーゼを軽く握った。
61 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/06(土) 21:22
「ねえ、マコっちゃん」
「はい?」
 マコっちゃんはボールを地面に落とし、右足でこね始めた。どう言おうか。握手してくれと言うべきか、それとも手袋を外してくれと言うべきか。それとも直接的にこの「指輪なしの指」を見せてあげるべきか。
「ごめん、なんでもない。じゃあね」
 馬鹿らしくなった。いや、それを確かめると、自分まで彼女の論理に取り込まれてしまうかもしれない。そんなのはごめんだ。
62 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/06(土) 21:22
(Outer)

 寮に帰る途中、またまたヨッチャンさんたちとばったりあった。マコっちゃんもいつのまにか混じっていた。運動してお腹が空いたので、同好会のみんなで外にご飯を食べに行くのだという。形式どおり誘われたが、当然断った。
 別れ際、ヨッチャンさんが小声で耳にささやいてきた。息が少しくすぐったい。
「ねえ、ミキティ」
「何?」
「わたしは彼女になれないし、彼女はわたしになれない。だけど彼女はいつもそれを追い求め続けてきた。そろそろ終りにしようと思ってね。うまくいったのかな?」
63 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/06(土) 21:23
 立ち止まったが、ヨッチャンさんは先に歩み進んでいた仲間たちのところに走っていった。あのデッドスペースに「指」が落ちていた。なぜ、そんなところに、という問いを無視していた。誰かが掃除するまで、あんなところに立ち入らない。授業をさぼってぶらぶらしている暇人が現れるまで。
 まだ、あの変な化学反応を起こした気体が体に残っているのだろうか。頭がくらくらする。もう考えるのはやめにして、寮の味気ないご飯を食べに行こう。お風呂に入って、さっさと寝てしまおう。
 左ポケットからガーゼの包みを取り出し、道のくずかごに投げ捨てた。ゴミはゴミ箱に。
64 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/06(土) 21:23
……
65 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/06(土) 21:23
……
66 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/06(土) 21:23
……
67 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/07(日) 17:53
そりゃ憂鬱にもなるわ。面白い
68 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/09(火) 01:14
ずいぶんシリアスな感じで、じっくり読ませていただきました。
おもしろいです。
69 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/09(金) 22:06
>>67-68

   ZZZzzz C⌒ヽ
       __⊂二二⊃_______
     /(( ̄ρ ̄川(() /
    / ̄⌒⌒⌒⌒⌒ ̄,)
  / ※※※※※ /
 (________,,ノ

しばらくお休み……
70 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/13(火) 21:34
        。 ◇◎。o.:O★οo.
       。:゜ ☆::O∋oノハヽo∈。★:o
       /。●。∂ (0^~^) O◇。☆
     /  ◇| ̄ ̄ ̄∪ ̄∪ ゚̄ ̄ ̄|:◎:
    /    ○。|.HappyBirthdayHitomi |★
  ▼      。☆..io.。◇.:☆_____| 。.:
∠▲―――――◎。o.:★ ゜◎∂:..

71 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/13(火) 21:35
(0^~^)<19歳だYO

記念に短編を書こう
72 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/13(火) 21:35
誰が子雀を殺したの?
73 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/13(火) 21:36
 陽気のいい昼下り、チュンチュンと雀たちのさえずりがかしましい。人気の少ない住宅街を一望できる小さな山があり、目にもまぶしい木々が一面を占めている。その中の一本に、彼女たちの棲みかがあった。

「誰がコマドリを殺したの?
 私よ、とスズメが言った
 私の弓矢で
 コマドリを殺したの」
74 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/13(火) 21:36
「こら、あいチュン! そんな不道徳な歌うたわないの!」
 買い物かごを腕にぶらさげたゴマキスズメが、その娘に殴る素振りを見せた。どうせ手をあげることなんかできないんだ、とあいチュンはツンと顔をそむけた。
「いったい誰にそんな歌教わったのかしら」

「誰が牧師をする?
 私が、とカラスが言った
 私の祈祷書を使って
 牧師をしましょう」

 色白の顔にサングラスをかけた黒いカラスが、鼻歌まじりに現れた。
75 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/13(火) 21:36
「よっ」
 ひとみカラスはサングラスを取って簡単なあいさつをした。
「おまえか! あいチュンに変な歌教えないでよ」
「歌をうたうのは楽しいぞ?」
「チュン!」
 横で頬をふくらませて怒っているゴマキスズメを尻目に、ひとみカラスはあいチュンのほうに近づいていった。
「あいチュンはいい子だから、これをあげよう」
「チュン!」
「ちょっと、スズメにチキンナゲット与えないでよ」
「固いこと言うなよ。○○農産生まれのレアもんだぞ」
「この、バカガラス!」
76 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/13(火) 21:37
 ゴマキスズメは鶏肉を奪うと遠くに投げ捨てた。
「食べ物を粗末にするとバチが当たるの、知らないのか?」
「チュン?」
「もう、バカガラスとはつきあってられません。あいチュン、お母さんはお買い物に行くから、おとなしくお留守番してるのよ?」
 ひとみカラスは右手で胸を叩いた。
「おう! 留守番はまかせとけ。ちゃーんとあいチュンを守っててやるぞ」
「あのね。あんたはあたしについてきなさい」
「へ?」
77 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/13(火) 21:37
「あんたを放っておくと、あいチュンにとんでもないこと教えちゃうからね。あいチュン、一人でじっとして待ってるのよ?」
「チュン」
 ゴマキスズメは、ひとみカラスの右腕を強引に引っぱり始めた。カラスはバランスを崩して危うく転びそうになった。
「おいおい。デートなら初めからそう言ってくれよ」
「バカ」
 スズメとカラスは手を取り合って羽ばたいた。小さなスズメは手を振ってそれを見送った。
78 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/13(火) 21:37
 大根やらゴボウやらを抱えさせられ、ふらつきながらひとみカラスはゴマキスズメのあとをついていった。ゴマキスズメはふんふん言いながらわが家へと翼を早める。
「おーい、もうちょっとゆっくり飛んでくれよ」
「文句言わないの」
「大根の葉っぱで前が見えないんだよ」
 棲みかにたどりついた二人が目にしたのは、散らばった羽とところどこに残る赤い点だった。
「あいチュン? どこなの? 返事しなさい!」
「こりゃあれだ。どっかのカラスにでも喰われたな」
79 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/13(火) 21:38
 ひとみカラスのチンにゴマキスズメのアッパーカットがヒットした。
「あんたでしょ! あんたがアイちゅんに何かしたんでしょ!」
「おいおい、言いがかりはやめてくれよ。いっしょに買い物行ってたじゃないか」
 そう、最も怪しいひとみカラスにはアリバイがある。ゴマキスズメはしぶしぶその事実を認め、速やかに警察に届け出た。
 動物界の警察は人間界のそれとは違い、迅速に動いた。さっそくゴマキスズメの棲みかの辺りをうろちょろしていた不審な生き物を二つ捕まえた。みきツグミとりかトンビだった。
 それぞれ自分の無罪を主張し、相手の有罪を訴えた。お互いの言い分はまっこうから対決し、法廷で決着がつけられることとなった。
80 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/13(火) 21:38
 裁判長であるかおりカモメが木槌を叩いた。
「それぞれの話は矛盾がある。そこで、証人を呼ぼうと思います」
 まず最初に公の忠実なしもべたるなっちヅルが、調査報告を行った。それによると、どうやってそのことを証明したのかはわからないのだが、犯人はみきツグミかりかトンビのどちらかであり、両者の共犯ではないことが明らかとなった。
 それからゴマキスズメの隣人であるやぐちフクロウが証言した。
「みきツグミはあいチュンを殺してなんかないよ」
 続いて出入りのクリーニング業者ニイガキバエの証言。
「でもみきツグミさんは以前に鳥を殺したことがあります」
81 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/13(火) 21:38
 次々と証人たちが陳述していった。
「りかトンビさんはその昔鳥を殺したことがありますよ」とコンノカブトムシ。
「そういうコンノカブトムシだって鳥を殺したことあるでしょ」とはまことサカナ。
「ニイガキバエさんとコンノカブトムシさんのいうとおりです」とれいなハト。
「ニイガキバエさんとまことサカナさんの証言は正しいです」とエリツバメ。
「コンノカブトムシさんとまことサカナさんはどちらか間違ってるかもしれません。両方間違っているかもしれません」とさゆみウソ。
「れいなハトとエリツバメの証言はどちらか正しいね。両方正しいかもね」とヤスダミソサザイ。
「ニイガキバエとさゆみウソの証言は信じていいよ」とユウコムネアカヒワ。
「ヤスダミソサザイさんは嘘をついていません。でも、ユウコムネアカヒワさんの証言はあてになりません」とあややヒバリ。
82 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/13(火) 21:39
 たちまち法廷は大混乱に陥った。誰が何を証言したのか誰も理解できなくなってしまった。傍聴人席でゴマキスズメは固唾をのんで裁判の行方を見守った。
 かおりカモメは苛立ったように木槌を乱打した。
「めいめいが勝手なことを証言して、これじゃまったく裁判になりません。役に立たない証人たち!」
 ここで、ゴマキスズメが顔をあげた。隣に座っていたひとみカラスが翼を上げて立ち上がったのだ。
「裁判長。まったく役に立たないなんてことはないよ。ヤグチフクロウさんとあややヒバリが言ったことはまったく正しい。いや、違う。二人とも正しいか、正しくないかのどっちかだ」
83 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/13(火) 21:39
「なんでそんなことがわかるの?」
 ゴマキスズメがカラスの翼をひっぱった。
「それはわたしがカラスだからだ」
 もちろんこのあとひとみカラスは警察の取調べを受けた。綿密な調査の結果、どうやって調べたのか、ひとみカラスはまったく正しいことが判明した。
84 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/13(火) 21:39
 この取調べの間、裁判は中断されていた。ようやくかんばしい結果とともに傍聴人席に帰ってきたひとみカラスに、ゴマキスズメが尋ねた。
「どうだったの? あいチュンを殺した犯人、わかったの?」
「結論ははっきりしてるさ」
 かおりカモメがドンドンと木槌を叩いた。法廷が静寂に包まれる。かおりカモメは周囲をなめるようににらみつけ、コホンコホンと何度も咳払いをくりかえした。
「判決を申し渡す」
85 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/13(火) 21:40
 ここで証人たち、傍聴人たちの緊張感がクライマックスに達した。怒号がそこかしこから鳴り響き、なっちヅルの戒める声も届かなかった。
「……れたのであるならば、あいチュンを殺害した犯人は、みきツグミである」
 歓声がさらにボリュームを増した。誰もが正気を失っていた。容疑者の一方、みきツグミはがっくり肩を落とし、もう一方のりかトンビはガッツポーズをくりかえした。
「ねえねえ、バカガラス」
 ゴマキスズメが割れんばかりの歓声に耳をおさえながら、隣のヒトミカラスに声をかけた。
「なんだい、失礼なスズメさん」
「どういう理屈でみきツグミが犯人なの?」
「みんなの証言とわたしの証言で明らかだろ。ちょっとは頭をつかえよ」
86 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/13(火) 21:40
 ゴマキスズメは頭をひねったが、ちっともその理屈がわからなかった。鳥だから仕方がないことだ。
「それじゃあさ、さっきかおり裁判長は最初に何て言ってたの? ぜんぜん聞こえなかった」
「ああ、そのこと?」
 ひとみカラスは席を立ち、羽ばたく準備をした。
「もしあいチュンが殺されたのであるならば、って言ったのさ」
 カーカーという鳴き声と、いくつかの黒い羽がゴマキスズメの顔に落ちてきた。
87 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/13(火) 21:41
 ゴマキスズメの棲みかでは、おいしそうに焼きあがったチキンと格闘する子雀の姿があった。
「ひとみカラスさん推薦の○○農産のニワトリさんやよ。首絞めてもなかなかくたばらんかったけど、なんとかなるもんやの」
 あいチュンは冷蔵庫から出してきたソース類を吟味した。
「チキンにケチャップかけて合うんかな?」
88 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/13(火) 21:41
……
89 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/13(火) 21:41
……
90 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/13(火) 21:41
……
91 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:44

ミキティ弁護に立つ

Mikity for the Defence

92 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:44

   遠い、どこかのお伽噺


     〃ノハヽ   
      川'v')<異議あり!
      と) <V>(つ 
       ん、,=_,ゝ   
      (__ヽ__)               
93 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:45
1.拘置所(1)

 雨は間断なく降り続いていた。タイヤがくぼみの水たまりを弾き飛ばし、黒塗りのタクシーは無表情で雨に打たれている所員の前に止まった。松浦亜弥が声をかけた。
「あたしも一緒についていったほうがいい?」
「子供じゃないんだから……三十分くらいしたら戻るよ」
 藤本美貴は所員に所定の用紙をかざした。所員はそれを見たのか見なかったのか、ちらりとも視線をよこさず、藤本をあっさり通した。
94 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:45
 すでに連絡が届いていたらしく、ほとんど待たされることなく藤本は目的の女性と面会することができた。
「久しぶり」
 やあ、とその女性は右手をあげたが、目に見えて元気がないのが藤本にはなかった。目の下のくまは明らかだった。その原因が、慣れない拘置所生活にあることではないことを、藤本は痛感した。
「調子はどう?」
 あまり適切な発言ではないなとは思いつつも、藤本には他にかけるべき言葉が思いつかなかった。
「まあまあかな」
「何か不足してるものはない? あとで差し入れするから」
「今のところ何もないよ。MDとか持ち込めないし」
95 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:45
 すぐに会話が途切れた。気まずい雰囲気に藤本は押しつぶされ、たまらなくなったように本題に入った。
「梨華ちゃん、事件のことなんだけど」
 石川梨華は花屋の店員で、殺人容疑で収監されていた。もうすぐその裁判が始まる予定だった。
「私が犯人だ、って思ってるの?」
 藤本はすぐに返事ができなかった。石川が不利な状況にあることは藤本が一番よく知っていた。そして裁判に勝ち目がなく、誰も弁護を引き受けようと名乗り出る者は誰もいなかった。
「質問に答えてくれる?」
 石川は黙ってうなずいた。
「その日の夜、どこに行ってたの?」
「海に行ってた」
「海に?」
「そう、一人で、海に」
96 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:46
 石川にアリバイがないことは、藤本も承知していることだった。藤本は、自分がとっくに知っていることについての質問をくりかえした。何か新しい事実が発見できないか、と思わなかったわけでもないが、それ以上に会話を通じて彼女が犯人であるかどうか、直感できる何かがほしかったのだ。
 被害者の話に入ると、石川の表情が一変した。涙をがまんしている様子がありありと出てきた。
「よっちゃんさ……吉澤ひとみさんのことなんだけど」
 藤本は、プライベートよりも職業的義務に従った。
「殺してない……んだね?」
 石川はゆっくりとうなずいた。藤本は立ち上がった。
97 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:46
「梨華ちゃん……石川梨華さん、あなたの弁護は私が引き受けます。私に全て任せてください」
「ミキティは、私の無実を信じてくれるの?」
 藤本は力強くうなずいた。無実の信に耐える材料は揃っていなかったが、それでも藤本は無実を信じた。信じた以上、彼女を無罪放免に導くのが藤本の使命だった。
 時間が来て、面会所を出ようとする藤本に石川が声をかけた。
「ミキティは……よっすぃ~のこと、どう思ってるの?」
「大事な友達だったよ」
98 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:47
 微動だにしない所員の前を通り過ぎて、藤本はタクシーに乗り込んだ。
「どうだった? 引き受けたの?」
「うん」
 藤本は松浦のほうを見ずに答えた。
「大丈夫なの? 有利な証拠なんてこれっぽっちもないんでしょ?」
「私は藤本美貴だよ。美貴がしくじったことある?」
 松浦はにんまりと微笑んだ。
「ないよね」
99 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:47
2.病院(1)

 そこは外見からは病院とは判断できなかった。閑静な住宅街にひっそりとたたずむ平屋の古い家に、藤本は旧知の刑事に呼び出しを受けていた。
「ここ、ですか」
 普段は冷静な藤本の顔はこわばっていた。しかし、取り乱したい気持を抑え、藤本は職業倫理に黙って従った。
「ガイシャは吉澤ひとみ……知ってるよね」
「知らないどころじゃないですよ」
100 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:48
 保田は肩をすくめた。そういう保田にとっても、吉澤は確か大学の後輩じゃなかったのかと、藤本は思った。
 吉澤と藤本は、町内のフットサルクラブの一員だった。週に二回の練習の他にも、二人はプライベートで遊びあう仲間だった。
「しかし、吉澤がモグリの医者だったことは知らなかっただろ?」
 藤本はしぶしぶうなずいた。この一軒家の中に入ったことは何度かある。しかし、奥の部屋に通されたことは一度もなかった。保田に案内されて、そこが手術室にあたることがようやくわかった。
「無免許医でマークされていたことはあたしも知らされていたけど、なかなか手を出せなかった」
101 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:48
「後輩だったから?」
 保田は鼻で笑った。
「そんなの理由にならないわよ。お偉いさん方に吉澤のシンパがいて、上から止められていただけ。被害届けも出てなかったしね」
「じゃあ、それが動機に?」
「それは調べないとわからない」
 吉澤ひとみが夜半に刺殺されたのは手術室ではなかった。現場である書斎は、彼女の血痕で汚されていた。死体がすでにこの場になかったことを、藤本は心の中で感謝した。
102 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:48
「死因は出血多量。いくら医者でも自分を治すことはできなかったみたいね」
 その物言いに藤本は少しカチンときたが、ここは我慢することにした。ここに捜査資格のない自分が呼ばれた理由がつかめなかったからだ。もしかしたら容疑をかけられているかもしれない。なので下手な言動を慎むべきだと藤本は冷静に考えた。
「凶器は?」
「大振りのナイフよ。死体の脇に落ちていた」
「出所はわかりそう?」
「持ち手のところにきれいな装飾が施されていたから、ある程度はわかるんじゃないかと思う」
 しかし、激情による犯行ならともかく、用意周到な犯人ならそんな足のつくようなものを使うだろうか、と藤本は思った。
103 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:49
「それで、私を呼び出した理由はなんです?」
「協力してほしいのよ」
 保田はドアを閉め、ドアノブについているつまみを回して鍵をかけ、また元に戻した。
「吉澤の死体が発見されたのは今朝早く。毎日出入りしている吉澤の雇ったお手伝いさんが、吉澤がこの部屋から出てこないのを不審に思った。ドアはこんなふうに鍵がかかっていて部屋に入れない。庭に回って窓から覗くと、カーテンの隙間から倒れている吉澤の姿が見えた」
 そのお手伝いは隣家に飛び込み、警察に一報を入れた。ドアをこじ開けた警官は、腹部を真っ赤に染めた吉澤の亡骸を発見した。
「じゃあ、この部屋の鍵を持っている人が犯人ということになりますね」
「この部屋は外から鍵で開けることはできない。つまり……」
 密室なんだ、と保田は力なく言った。藤本には苦笑しているようにも見えた。
104 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:49
「こんな事件は初めてよ」
 多くの殺人事件は、実にあっさりしたものだ。カッとなって頭を殴りつけたら打ちどころが悪かったとか、頭がまっ白になっていつのまにか包丁を腹に突きたてていたとか、実に単純明快なものばかりで、このような凝りに凝った事件など、万に一つも起こらない。
 警察には、このような事件に対するノウハウがなかった。そこで、ワラにもすがる思いで、在野の藤本にこの密室のからくりを解いてもらおうと図ったのだった。
「密室ね……」
105 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:49
 藤本は部屋を見回した。窓際には机と書棚、左手の壁には暖炉とボンボン時計があった。ずいぶん古くさい趣味をしてたんだな、と藤本は思った。右手の和式箪笥を開くと、吉澤の普段着でいっぱいだった。
 暖炉の中を覗くと、灰がいっぱいだった。
「これは?」
「昨日、何かがそこで燃やされたらしい跡があった。大きい物は暑の鑑識にかけている」
 暖炉の煉瓦にも、吉澤の血が転々としていた。机にもだった。
「ナイフを抜いたときに、ここまで飛び散ったか……」
 藤本の目が古い時計に注がれた。天井にまで届きそうな大きな物で、文字盤はぜんぜん手が届きそうにない。藤本は左手首を見た。
「ずいぶん狂ってますね」
「そうみたいね」
106 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:49
 それでは、実験してみましょう、と藤本は宣言した。保田に頼んで、この家にあったしっかりした糸と脚立を持ってきてもらった。糸の両端にそれぞれ輪を結ぶと、その一端をドアノブのつまみに、もう一端を時計の長針に軽くかけた。
「時間がありませんので、指で回しますね」
 藤本は脚立に乗ったまま、古時計の長針を右の人差し指で回し始めた。けっこう力を入れなければならなっかた。
 長針が十二時を通り過ぎた時、糸に引っぱられてドアノブのつまみがかちゃりと回った。さらに力を入れて回し続けると、垂直に立ったつまみから糸が外れ、長針が三時を通り過ぎると、こちらのほうの糸も針から離れ、藤本の指に移動した。
 藤本は保田のほうを向いて胸をはった。
「どうです?」
107 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:50
3.裁判所(1)

 藤本の気持がいくぶん憂鬱なまま、裁判が始まった。藤本の対面に立った飯田検事は、逆に自身に満ちあふれていた。藤本が解き明かした密室の謎を、さも自分の手柄のように保田は飯田に吹き込んだにちがいない。
 この裁判において、もっとも頭をかしげる唯一の事実がこの密室状態であり、それが謎でなくなってしまった今、石川の有罪を妨げる障壁はなくなっていた。陪審員や傍聴人の興味は、弁護士の藤本がいかに情状酌量を勝ち取るかに傾いていた。
108 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:50
 まず事実関係を述べる声が、無味乾燥に法廷に響いた。証拠品が並べられ、いくつかは安倍裁判長の吟味にあった。この退屈が時間が過ぎる間、陰鬱な様子の石川に気をかけることもなく、藤本は物思いにふけっていた。
「……このようにして、被告人は細工を施しました。もちろん、我が国の優秀なる警察組織にかかれば謎でも何でもなくなったのですが」
 まさか、自分がこの事件の弁護を手がけるとは、藤本は夢にも思っていなかった。知っていたならば、密室を解き明かしたりしなかった。検察に自ら明確な証拠を与えてしまったことを、後悔しても足りなかった。
109 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:51
「暖炉に燃やされていたのは、被害者の有していたアルバム、写真の類でした。被告が被害者とたいへん親密な関係にあり、そのことを隠蔽しようと画策したのです」
「それはどういう意味ですか?」
「これは、痴情のもつれがその動機であることを雄弁に語っております」
 安倍裁判長は納得したかのように深くうなずいた。
 そして、検察側の証人として、吉澤の隣人である柴田あゆみが入廷した。
「犯行の夜、あなたはどこにいましたか?」
「仕事から帰ってきて、吉澤さんの家の前を通って自宅に入りました」
110 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:51
「吉澤宅のあたりに、誰かを見かけましたか?」
「いいえ、誰もいなかったと思います。私が気づかなかっただけかもしれませんが」
「吉澤宅から言い争う声は聞こえてきましたか?」
「いえ、何も耳にしませんでした」
 これは、物盗りの類ではなく、争いもないから顔見知りの犯行だということを示唆していた。ますます石川にとっては不利な状況になった。
111 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:51
 検察側の被告人尋問が始まった。みるみるうちに石川は、不利な証言を自ら吐露していった。
「その日はフットサルの練習に参加したのですか?」
「いいえ」
「それはなぜですか?」
「気分がすぐれなかったのです」
「被害者に顔を合わせたくなかったのではないですか? その夜手にかけようと考えていたのですから、会いづらかったのでは?」
 ここで藤本が透き通る声をあげた。
「異議あり! 検察官は誘導尋問を行っています」
「異議を認めます。検察官は注意するように」
 しかし、これはささやかな抵抗に過ぎなかった。
112 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:51
「犯行の日の二日前、吉澤宅でパーティを開きましたね?」
「はい、そのとおりです」
「そのとき、いろいろな飾り付けを手伝ったと、証言を得たのですが?」
「はい、確かに手伝いました」
 確か、フットサル仲間で吉澤の誕生パーティを開いたことを藤本は思い出した。残念ながら、藤本は裁判があって出席できなかったのだが、石川や柴田、後藤、松浦といった面々が揃って参加していた。
「そのとき、紙テープを画鋲で柱に貼ったりしたそうですね」
「はい」
「そのとき、脚立を使いましたか?」
「はい。納戸にあることを吉澤さんに教えてもらって、それを使いました」
113 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:52
 見事にひっかかっているのを見て、藤本は小さくため息をついた。時計に糸をひっかけるためには脚立が必要であり、その場所を知っていたと自白したようなものだ。
 飯田検事は満足して席についた。今度は藤本の出番となった。藤本からの証人はなく、まず証拠品について担当刑事への質問が始まった。
「まず、密室を形成するために必要な、糸というのはあるのですか?」
「書斎からは見つかりませんでしたが、おそらく暖炉に落ちて燃えてしまった可能性が大であります」
 保田は直立不動で答えた。何もそ知らぬふうをしているのが、これまた藤本のしゃくにさわった。これも藤本が保田に述べた意見そのままだったのだ。
114 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:52
「ナイフで刺されたということですが、女性のか弱い力では無理があるのではないですか?」
「いいえ、ナイフはたいへん研ぎすまされていて、子供の力でも致命傷を与えることは可能です」
 藤本はあきらめてここで尋問をストップした。弁護士がまっこうから検察の主張に抗しようとしていることに気づいた傍聴人席から、ざわめきがこぼれていた。 やり手との噂の藤本弁護士は、情状酌量を狙っていないと。
 弁護側からの被告人尋問となった。
「あなたは……」
「私は……」
115 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:52
 藤本は自分の尋問すら上の空だった。普通の事件と違うのは、藤本自身がこの事件と無関係ではないことだった。被告も、被害者も、検察も、裁判官も、みな藤本の知らない顔ではなかった。ならば、検察の知らない事実を藤本自身が知っているはずだ、と彼女は確信していた。
 あの日、フットサルの練習後、藤本や吉澤たちは、メンバーの里田が勤めているレストランで昼食を取った。その時、何かがあったはずだ……。
「そうそう」
 藤本はネクタイを直した。
116 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:53
「その日、あなたはフットサルの練習に参加しなかったのですね?」
 これはすでに飯田が質問していたことで、石川は同じく肯定した。
「これで尋問を終ります」
 ここで安倍が判決に入るための休憩を取ろうとしたところ、藤本がさえぎった。
「裁判長。最後に検察側の証人に尋問を行ってよろしいですか?」
 安倍はそれを許した。柴田が、おどおどしながら再入廷した。
「柴田さん、あなたのお仕事はどのようなものですか?」
「OLをやっています」
「その日は朝から出勤していたのですか?」
「いいえ。午前中はお休みをいただいて、フットサルの練習に参加していました」
 当然、フットサルのメンバーである藤本はそのことを初めから知っていた。
117 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:53
「昼食はメンバーたちといっしょに取ったのですね?」
「はい。私と、吉澤さん、後藤さん、藤本さん、松浦さん、里田さんで、里田さんのお店に行きました」
「被告人はいなかったわけですね」
「はい」
 ここで、藤本はたたみかけた。証人に質問の意味を悟らせないためだった。
「その日の吉澤さんの予定はご存知でしたか?」
「え……あ、その昼食の時に吉澤さんが午後からの予定を後藤さんに話していました」
「あなたにも聞こえたのですね?」
「はい」
 藤本にも聞こえていた。その日、吉澤は午後からの旅行を天候のため取りやめ、家にこもることを告げていた。一方、誕生パーティの時に旅行の計画を吹聴していたことを、藤本は松浦から聞いていたし、柴田もそう証言した。
118 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:53
 この証言が、飯田検事も傍聴人も、どのような意味を持つのかわからないようだった。ただ、保田刑事がしかめ面を隠さなかった。
「裁判長、証人の話のとおり、被害者は旅行を急遽取りやめて、自宅にいるところを襲われました。しかし、フットサルの練習に参加しなかった被告人はそのこと、つまり旅行を中止したことを知ることができません。被害者が家にいないと思っていた人間が、殺意を抱いて訪れることがあるのでしょうか?」
119 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:53
4.拘置所(2)

 再び、藤本は拘置所を訪れた。石川が荷物をまとめて所を出るのを見送ると、そのまま所内に入り込んだ。
 新しい面会人も、石川の時と同じように憔悴していた。いや、拘置所に入れられる前からそうだったことを藤本は思い出した。今回の事件は吉澤とかかわりのあった全ての人間にとって、重大なショックを与えていたのだった。
120 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:54
「あなたが私の弁護士?」
「そうなるかもね」
 看護婦をしている後藤真希はかすかに微笑んだ。
 先日の裁判で、藤本は石川が犯行をなしえないことを指摘した。裁判所内は多少の混乱を見せたものの、休憩後に安倍裁判長が下した判決は無罪だった。
 検察は控訴をあきらめた。そのかわり、別の人物を訴追した。石川は吉澤の新しいスケジュールを知らなかった。ならばと、そのことを知っている後藤が犯人である、との証拠を固めたのだった。
 後藤が逮捕され、告訴されたのは、藤本の弁論に一因がある。そう認めた藤本が一種の義務感から弁護を名乗り出たのだった。
121 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:54
「ま、ミキティならうまくやってくれると思うけど……」
「何?」
「ミキティはさ、よっすぃ~のことさ、何も知らないよね」
 そんなことはない、との言葉を藤本は飲み込んだ。被告の身となってしまった後藤は取り乱してしまっているのだろうと思ったのだ。
 しかし、それでも後藤の言葉は藤本を突き刺した。確かに藤本は石川や後藤と比べて吉澤とのつきあいは短い。藤本は吉澤を知ると、彼女にだんだん惹かれていった。ともに遊ぶときは、仕事のことを忘れさせてくれた。休日では、パートナーの松浦よりも吉澤とともに過ごす時間の方が多くなったほどだった。
122 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:54
 フットサルの練習は、吉澤がいなくなり、石川が拘置されていた間も続けられていた。パスを受けるたびに、吉澤の繰り出すパスの重い感触を藤本は思い出した。
「みんなそうだったよ。フットサルを続けたのは、よっすぃ~が喜んでくれるだろうってみんな思ったからだよ」
「うん。みんなよっちゃんさんのこと大好きだった」
「でもね、ミキティだけじゃない。私も梨華ちゃんも、みんなホントのよっすぃ~のこと知らなかったんだ」
 それは、恐らく吉澤がモグリの医者だったことを指しているのではないのだろうと、藤本は思った。そのような表面的なことではない、もっと奥深い何かを意味しているのだろう、と。
123 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:54
「ミキティはどうして私や梨華ちゃんの弁護を引き受けたの?」
「だって、二人ともよっちゃんさんを殺すわけないから」
「でも、それだけじゃ……」
 後藤は黙り込んでしまった。藤本は後藤の話の意味がわからないまま、拘置所を後にした。
124 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:55
5.裁判所(2)

 法に則り、裁判は進んでいった。
 検察の主張は、後藤が吉澤の行動を把握していたこと、やはりアリバイが存在しないこと、動機が石川の場合と同じであることだった。後藤もおとなしくハイハイと返事をくりかえしたので、さすがの藤本でも今回ばかりは敗れるだろうというのが、傍聴人席の空気だった。
「被告人は、犯行当夜、被害社宅まで足を運んだことを認めますね。証人もいますよ」
「認めます。でも会わずに帰りました」
125 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:55
 さらに、書斎の古時計が後藤が吉澤に贈ったプレゼントであったことも明らかにされた。例のトリックをするために贈ったのだ、と検察は主張していた。
 藤本にとって、吉澤のスケジュールについて、自らが言い出したことなので扱いにくいことこの上なかった。藤本は突破口を見つけようと悪戦苦闘しつつも、頭の中は後藤の言葉で占められていた。
 藤本はあの日の昼食のことを思い出した。里田がウェイターを勤めるそのレストランは、あまり流行っていなかった。客は彼女たちだけだった。しかし、会話ははずんだ。後藤や里田がおもに吉澤に話しかけ、藤本は松浦の話を聞いていた。藤本は、確かに自分は吉澤のことをくわしく知らなかったことを認めた。吉澤がどんな行動をとってきたか、藤本はつぶさに観察していた。しかし、吉澤が何を考えているかはわかっていなかった。
126 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:56
 その時、藤本は執拗なくらいに吉澤に話しかけた。それで何かがつかめるかと思ったのかもしれなかった。松浦がつまらなさそうな顔をして席を外したのを、藤本は覚えていた。
「弁護人は、証人への尋問を」
「……それでは、取調べにあたった警察官を」
 藤本の尋問は精彩を欠いていた。しかし、風向きが変わったのは、凶器についてのやりとりが始まってからだった。
「凶器となったナイフはどこで作られた物ですか?」
「スペインの職人が作った物です」
127 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:56
「と言うことは、輸入品ですね。どのくらい出回っているものですか?」
「数は限られているようですが、数年前輸入商社が倒産しているため、詳細は調べがついていません」
「とすると、たいへん珍しいナイフなんですね」
「この飾りの部分が手作りで、二つと同じ物はないでしょうね」
 藤本はここで少し考え込んだ。安倍裁判長に促がされて、藤本は口を開いた。
「犯人は、なぜこのようなナイフで犯行を行ったと考えているのですか?」
「犯人の内面までは私にはわかりかねます。手近にあったものを使ったのでしょう」
「しかし、こんなに珍しい凶器を現場に放置して帰ったのだとしたら、あまりにも考えたらずではありませんか?」
「気が動転していたのでしょう。よくあることですよ」
128 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:56
「それでは、被告がこのナイフを入手した経路はつかめたのですか?」
 保田刑事は言葉につまった。藤本が後藤に顔を向けると、後藤は首を左右に振った。
「被害者のスケジュール変更は犯行当日に明らかになったのですから、確かに犯人は手元にあったナイフを使うでしょう。もっと手近な包丁とか、被告人は看護婦だからメスとか、別の刃物があるでしょう。なぜそれを使わなかったのか。どうやってそのナイフを入手したのか。検察はそれを明らかにする責務があると思います」
129 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:56
 安倍裁判長は、証拠不十分で無罪の判決を下した。もともと状況証拠しかなく、決定的な証拠がなければ自白していない事件の立証は困難なのは、最初から明らかだった。
 やがて、検察は、今度はウェイターの里田を逮捕した。例のナイフが、里田の勤めるレストランで使われていたことが明らかになった。里田ならあのナイフを入手するのは容易かった。
 藤本はただちに里田の弁護を引き受けた。藤本の弁護方針は簡単だった。里田は吉澤の誕生パーティに出席していなかった。なので、彼女は納戸にあった脚立の存在をしるべくもないことを主張すると、飯田検事のみならず、安倍裁判長も妙な顔をした。
130 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:56
 石川は、脚立の存在を知っていたが故に起訴され、吉澤のスケジュール変更を知らなかった故に無罪となった。後藤は、吉澤のスケジュール変更を知っていたが、ナイフを入手しようがなかった。里田は、ナイフを入手しえたが、脚立の存在を知らなかった。じゃんけんのような三すくみの関係になり、それが成立したのは藤本の弁護のせいだった。
 二重処罰の禁止、一事不再理の原則から、検察は三人のいずれもこれ以上告訴することは不可能になった。
131 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:57
6.事務所

 裁判の翌日、藤本はこの世界の重鎮である中澤元最高裁裁判官の訪問を受けた。藤本がぜひと呼び出したのだった。
「弁護士を辞めたい?」
「ええ」
132 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:57
 この事件の裁判について、藤本は三様の抗弁を試みた。そうすることが被告人の利益だと判断したからだが、その結果、関係者を混乱の渦に巻き込んだ。
「弁護士の使命は依頼人に少しでも有利な判決を引き出すことです」
「それなら、うまいことできたんやないか」
「しかし、事件の真相に迫ることを手助けすることも、使命の一つだと思うのです。検察側のあせりもあったとは思うのですが、検察は三人を訴追することができなくなってしまいました。裁判が続けられないのでは、犯人をつきとめ、相応の罰を与えることができません。それでは、よ……吉澤さんが浮かばれません」
133 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:57
 中澤は杖でこつこつと床を突いた。
「それじゃ、藤本はあの三人の誰かが犯人やと思ってるんか?」
 三人の誰かが犯人であるかどうか、藤本には確証がなかった。その心うちなど知るすべもない。
「三人の依頼人はみな自分が犯人やないと言ってたんやろ。なら、弁護士はそれを信じて弁護活動するべきであって、藤本はなんも間違ったことはしとらん。それが弁護士の持つべき倫理や」
 辞めるなんて二度と言うな、との言葉を残して中澤は事務所を立ち去った。
134 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:57
 入れ替わりに松浦が入ってきた。
「美貴たん、辞めちゃうの?」
「……いや」
「よかった。亜弥は美貴たんといっしょに仕事していきたいんだからね」
 ようやく藤本は笑顔を見せた。
「そうだ、亜弥ちゃん。よっちゃんさんさ、どんな人となりだったか覚えてる?」
「美貴たんもよく知ってるでしょ」
「亜弥ちゃんの目から見たらどうなのか知りたいんだ」
「そうね……あまり明るい性格じゃなかったかな?」
135 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:57
 藤本はこの意見を意外に思った。吉澤といえば、フットサルクラブの中でも底抜けに明るい人間であると、藤本は考えていたからだ。
「みんなといる時はそうだったのかもしれないけど、一人でボールを蹴っている時とかあったよ。何か考えごとでもしてたのかもしれないけど、悩みとかそういうのを内にこめちゃう人間なんだなと思った」
 そうだったかもしれない、と藤本は思い始めた。
136 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:58
7.病院(2)

 犯行現場に三人が立っていた。藤本が二人を呼び出したのだった。
「ここで何をしようというわけ?」
 飯田検事がぶっきらぼうに言った。安倍裁判長は無言のままだった。
「飯田さんが執拗なまでに公判をくりかえした気持ちはよくわかります。そうすることが、吉澤さんの鎮魂になると考えたのでしょう」
「勝手な想像しないでよ」
 飯田を無視して藤本は話を続けた。
137 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:58
「私も思いは同じです。しかし、もう裁判を続けるわけにはいかない。そこで、お二人にこの場で事件の真相をお話したいと思います」
「やはり、あの三人の中に犯人がいるわけ?」
 藤本は首を振った。安倍はけげんな顔をした。
「三人が容疑を受けたのは、この部屋の密室にかかわったと思われる証拠があったからです。そして、この密室は古時計を使って構成されたと考えられていました」
「あなたがそう推理したそうね」
 保田刑事は、飯田には正直に報告したようだった。
138 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:58
「それが誤りの元だったのです。糸と時計の針で、確かに密室を作ることはできました。しかし、密室を積極的に作り上げる理由が誰にも存在しないのです」
「捜査を撹乱するためじゃないの?」
「撹乱にも何にもなっていません。かえって不利な証拠を残す羽目になっています。つまり……」
「つまり?」
「この密室は犯人が作り上げたものではないということです」
 藤本の推論に飯田は不満げだった。
139 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:59
「じゃあ誰がそんなことしたわけ? 犯人がよっすぃを刺殺した後、見も知らずの人間がわざわざ密室を作ったと言うの?」
「飯田さんや保田刑事は、このような密室事件を扱ったことがありませんでした。私も結局それに引きずられてしまったわけですが。この場合、被害者の吉澤さんが自ら鍵をかけたのです」
「何のために?」
「犯人に刺された被害者が自室に逃げ込んで、犯人から身を守るために中から鍵をかけることは、それほど珍しいことではありません。しかし……」
 藤本は言葉を切った。飯田と安倍は話の続きをせがんだ。
「この場合、吉澤さんが自分を刺したんです」
 吉澤は三人との関係に疲れていたのか、それとも別の理由があったのか、自殺することを選んだ。松浦の観察がそれを裏付けていた。邪魔が入らないよう部屋の鍵をかけたのだろうと藤本は話した。
140 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:59
「アルバム類が燃やされていたのは、それが動機であることを示していたのかもしれないね」
「ちょっと待って。あのナイフはどこで手に入れたの?」
 安倍の疑問に藤本は答えた。
「里田さんの勤めるレストランですよ。ちょいと席を外して厨房に入れば、人気の少ないレストランですから、盗み出すのは簡単でしょう」
 二人は藤本の話に納得した。自殺ならば事件性がなく、検察がこれ以上手を煩わせる必要はなかった。飯田と安倍の役目は終った。
141 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:59
8.墓所

 藤本は吉澤の墓の前にいた。花を添え、手を合わせた。
「よっちゃんさん……これで良かったのかな……」
 藤本の独り言が辺りに響いた。
142 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:59
「よっちゃんさんは、あの子をかばおうとしたんだね。お腹から流れ出る血をおさえながら、アルバムを暖炉で燃やして、検察を混乱させようとしたんだ」
 吉澤は自殺したのではなかった。その日旅行に行こうと計画してた人間が、はたして自殺するだろうか。藤本はそれに気づいたが、飯田や安倍にそのことを告げる気持になれなかった。吉澤の自殺ということで二人に納得してもらった。
 吉澤は腹部を刺され、自室に駆け込んだ。助からない傷だと判断すると、鍵をかけた。室内の工作は犯人が行ったものではない。
143 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 20:59
「その子は周到に準備していた。里田さんの店からナイフを手にいれ、脚立のありかを知っていて、容疑が他人に向かうよう工作した。スケジュールの変更も知っていた。検察も私もそれにひっかかって、遠回りしちゃった」
 検察官と弁護人は空回りし、三人の容疑者を巡って裁判は紛糾した。その結果、一事不再理の原則で三人には手出しできなくなったのだが、三人のうちの誰かが犯人だという印象を世間に与えた。
 吉澤が犯人を助けるような工作をした理由を、藤本はなんとなく理解した。それは藤本を思ってのことだった。吉澤は、藤本のことを大切な友人だと思っていたことに、藤本は深く感謝した。
144 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 21:00
「全部藤本のせいだったんだね。私は何も見ていなかった。誰のことも理解しようとしなかった。そのせいであの子はよっちゃんさんを殺した。よっちゃんさんは死んじゃった」
 犯人は、吉澤のスケジュール変更を知っていて、脚立のありかを知っていて、レストランに入っていた人間。それは一人しか存在しなかった。動機は嫉妬。藤本はあまりにも彼女を無視し、吉澤にかかわりすぎた。
 藤本は立ち上がった。
「私、これからどうしたらいいんだろ? よっちゃんさん、教えてよ」
145 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 21:00
 藤本が墓を背にして去ろうとすると、彼女がそこにいた。藤本は、力なくその名を呼んだ。
「亜弥ちゃん……よっちゃんさんを殺した、私の大切な人」
146 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 21:00
おしまい
147 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 21:00
……
148 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 21:00
……
149 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 21:00
……
150 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/25(火) 21:36
うーつまらん
151 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/27(木) 18:41
いいね。ここ好きだな。
152 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/28(金) 21:00
この作品はフィクションであり、登場する人物および団体はすべて架空のものであります。(と書かねばならぬ苦衷を察せよ)
153 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/28(金) 21:01
ミッション・インポシブル

 Mission : Impossible
154 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/28(金) 21:01
Mission 1: あの子を訛らせるな!
155 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/28(金) 21:01
 四月のとある日、私は矢口さんの住むマンションに向かっていた。何やらたいへん大事な相談事があるという。矢口さんの部屋に案内されると、そこにはよっちゃんさんもいた。
「二人に来てもらったのは他でもない。実は──」
「飯田さんと梨華ちゃんのことでしょ?」
 いきなり出鼻をくじかれ、矢口さんは口を尖らせた。
「何だ、知ってたのか」
「ええ、梨華ちゃんから聞きましたよ」
「藤本も?」
「田中から情報が流れていました」
 田中侮るべからず、と矢口さんはメモすると、あらためて話を切り出した。
156 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/28(金) 21:02
「みんなも知ってのとおり、カオリと梨華ちゃんが娘。から卒業する。いろいろ言いたいこともあるが、それはひとまず置いとこう。実は、カオリから娘。のリーダーの地位を引き継ぐことになったんだ」
「そりゃ、そうでしょうよ」
「矢口さんが一番古株になるんですからね」
「そしてよっすぃ~がサブリーダーだ」
 このこともみんな承知していた。矢口さんはそのことが気に入らないようだった。
「それでだ。ミキティもお姉さんチームなんだから、この三人で娘。を引っぱっていくことになると思う」
157 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/28(金) 21:02
 よっちゃんさんが紺野ら5期、私が田中ら6期をまとめ、矢口さんがそれを調整し、マネージャーとの掛け橋になるという体制を考えているという。
「いくらなんでも早すぎませんか? 飯田さんの卒業は来年ですよ」
「いや、どうせ7期が入ってくるだろうし、そうなるとそっちのお守りに時間を取られる。手を打つのなら早いほうがいいと思うんだ。だけど……」
「だけど?」
「問題はあの子だ」
 矢口さんは、まるで梅干でも口に含んだかのような渋い顔をした。どの子のことか、だいたい想像がついた。
「あの子をどうにかできないか」
「一度テンパったら手がつけられませんからね」
158 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/28(金) 21:02
「よっすぃ~、やってみてよ」
「ダメっすよ。MUISXのロケで無視して先歩いたりしちゃいましたから」
「ミキティはどう?」
「この間、ダウンタウンの浜田さんといっしょに睨んだばっかりですけど」
「そういう矢口さんはどうなんですか」
「お前、オイラはあの子の誕生日忘れてたこと、ラジオでばらしてるんだぞ」
 結局、あの子への指導は私たち三人の共同作業で行うことと決まった。
159 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/28(金) 21:03
 その日はミュージック・ステーションの収録があった。矢口さんは、私とよっちゃんさんをトイレの個室に招いた。
「台本読んだろ? いつものことだが、高橋は前列タモリさん側に近いところに座る。オイラがその隣。よっすぃ~とミキティはタモリさんの右後ろ前だ」
「つまり、高橋のトークがあるということですね」
「そうだ。ということはだ。どうせいつもの訛りネタが来るはずだ」
 モーニング娘。の中心メンバーが、三年間同じネタをくり返すのはおおいに問題がある、と矢口さんは断じ、便器をこぶしで叩いた。
160 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/28(金) 21:03
「そこでだ。今日は決して高橋には訛らせない。それが今回の使命だ」
「どうやったらそんなことできるんです?」
「さっき、高橋にはよーく話して聞かせておいた。一睨みしたらわかったのか、わかってないのか、とりあえずうなずいていた」
 そんなことであの子の訛りが取れるなら、苦労はしないのではないだろうか。ひとたびテンパったら、そんな注意ごとなど頭から消し去ってしまうのが彼女なのだ。
161 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/28(金) 21:03
 私のつっこみに対し、矢口さんはある小さな細い物を取り出した。
「マチ針ですか?」
「訛りそうになったら、後からこれで刺してやれ。本人も了承済みだ」
 さて、収録が始まった。辻加護卒業話、ミニモニ休止の話となり、タモリさんはあの子に話を振った。
「はい、あの……」
 この時点で、すでに訛りが出かかっていた。私がちゅうちょしていると、よっちゃんさんがためらわず右腕を伸ばした。
162 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/28(金) 21:03
「イチィー」
 小さな奇声が聞こえた。生放送ではないから、後で編集してくれるだろう。正気に戻った彼女は、いわゆる標準語で受け答えを始めた。
 しかし、そこは彼女のことである。あっという間に頭に血が上るのが、手に取るようにわかった。よっちゃんさんに負けじとマチ針を繰り出した。イヒーとかウヒーとかの奇声とともに、彼女の口調が元に戻る。
 わずか三分のトークの間に、私たちは競うようにマチ針で彼女を突っついた。彼女の二の腕の裏が赤い斑点で埋まっていく様は、なかなか壮観だった。
163 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/28(金) 21:04
「それじゃ、歌のほう、ヨロシク」
 あの子はホッとした顔になった。ステージに向かう途中、矢口さんは親指を上に向け、ウインクをした。私たちの作戦は成功した……かに見えた。
 私たちの新曲のイントロが流れ始めた。よっちゃんさんが前に出て「Hey! Let's Have a Dance, My Dear」とかっこよく決めた。そして次はあの子の番。
「You Know?」
 次は私の番だったが、危うくワンテンポ遅れるところだった。あの子のセリフ、わずか二語だが、危険な徴候が表れていた。「やよー?」と聞こえたのは錯覚だったのだろうか。
164 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/28(金) 21:04
 矢口さんもよっちゃんさんも、目を丸くしてこっちのほうを見ていた。しかしいくらなんでも、歌の最中にマチ針は出せない。
「Don't cry」
「儚い初恋は……」
 私たちの願いはむなしいものとなった。
「かなわんほうがええ」
 ホッとして、気が緩んだのだろう。彼女の歌う歌詞が福井弁にまみれ、誰も止めようがなかった。「My Dear Boy」すら方言が混じっているように聞こえた。
165 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/28(金) 21:04
 曲が終わりCMに入ると、矢口さんはがっくりと床に四つん這いになった。その横を、歌いきって満足げな彼女が通りすぎて行った。
 次の歌番組から、私たちの生歌が流れることはなかった。
166 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/28(金) 21:05
Mission 1 : おしまい
167 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/28(金) 21:05
……
168 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/28(金) 21:05
……
169 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/28(金) 21:05
……
170 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/28(金) 21:56

なんじゃこりゃー!おもれー♪
171 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/28(金) 22:04
んなこたーない。
172 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/29(土) 08:59
171>↑なら読むなよ・・・・・・
173 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/29(土) 17:49
    ノノノ从ヽ
   川'o') <マターリ
   ノ つ ⊂)
  ( (0^~^) 
  ∪( ∪ ∪
    と__)__)
174 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/29(土) 21:52
ミッション・インポシブル

Mission : Impossible



Mission 2: あの子を笑わせるな!
175 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/29(土) 21:52
 次期リーダーとなる予定の矢口さんは、迅速な行動力が売り物だった。私たちは早急に、非常階段の下に集められた。
 飯田さんと梨華ちゃんの卒業が発表された。一年後には、矢口さんを中心によっちゃんさんや私がモーニング娘。を引っぱっていかなければならない。そこで今から内部の統率をはかろうとしているのだが、いちばん大きな障壁があの子の存在だった。
 別に彼女がジャマになったとかそういうわけではない。あの子はひとたびテンパってしまうと周りが見えなくなり、どのような恐るべき結果を生み出すか予測不可能になってしまうのだった。
176 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/29(土) 21:52
「とにかく、あの子を何とか一人前に仕立てないと、カオリだって心残りに思うはずだ。カオリが卒業する一月までになんとかしなきゃ」
「で、次はどうするんです?」
 矢口さんは薄い写真週刊誌を取り出した。
「これを見てほしい」
 サルに似ている芸能人という、まったくくだらないページに私の写真があった。心のうちに炎を燃やしていると、よっちゃんさんのため息が聞こえてきた。よく見ると、高橋の写真もあった。
「こりゃ、あれですね……」
177 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/29(土) 21:53
「次は、この映像も見てほしい」
 矢口さんはノートPCを取り出して、私たちに動画を見せた。とある部分でポーズすると、画面いっぱいにまで拡大した。
「この前放映されたハロモニだ」
「笑うと、あれですね……」
「今や一般家庭のテレビ画面は32型、36型は当たり前。狭い部屋で家族四人がぎゅうぎゅうになりながら、プロジェクターで100インチの大きさでテレビを見る酔狂者もいるんだ。この笑顔が100インチで大写しにされたら、見る者は計り知れないショックを受けるだろ?」
 矢口さんはそばの鉄柱を殴りつけた。上から赤錆がぱらぱらと降ってきた。
178 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/29(土) 21:53
「高橋は、すました顔していればかわいいと思うんですけどね」
「だけど、アイドルが笑わないでいられるわけないんじゃない?」
「そこだよ、ミキティ。この前テレビガイド誌の表紙の撮影でさ、よっすぃ~笑わなかったじゃん。ああゆうのもありだ」
「ありですか」
179 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/29(土) 21:53
 というわけで、あの子をテレビカメラの前で笑わせないという作戦が私たちに課せられた。あの子はカメラに抜かれることが多いので、これはインパール作戦よりも困難な代物のように私には思えた。
「この作戦がうまくいったら、ミキティが素の顔にならないよう……」
「何ですか、矢口さん?」
「そ、それじゃ作戦開始!」
 私の素の顔を見た矢口さんは、走って逃げていった。
180 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/29(土) 21:53
 楽屋に戻ると、矢口さんはあの子に耳打ちしていた。この前と同じように、収録中は顔が崩れるまで笑うな、と命じているのだろう。とはいえどこまで有効性があるのかわからない。
 戻ってきた矢口さんが小声でささやいてきた。
「こういうのはどうかな? 楽屋で思う存分笑わせておけば、本番中くらいはおとなしくならないかな」
「どうやって笑わせるんです?」
 矢口さんはあの子のほうに振り返った。あの子は5期、6期と離れたすみっこで、本の中に顔をうずめていた。
181 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/29(土) 21:54
「おーい、小川。高橋んとこ行って遊んで……」
「吉澤さーん」
 小川さんはさかりのついた犬のように、よっちゃんさんに飛びついていった。こっちのほうもなんとかしなければいけないのではないか、と私は思った。
「矢口さん、なんとかしてくださいよ」
「あんな暗い内容の本で、どうやって笑わせりゃいいんだよ」
 矢口さんの案は計画倒れに終わった。
182 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/29(土) 21:54
 楽屋の半分は騒がしく、半分は静かだった。私たちは静かなほうのエリアに侵入し、それを刺激させないよう慎重に行動した。
「矢口さん。さっきの映像見せてください」
 よっちゃんさんには何か考えがあるらしい。問題の場面の少し前の部分から、再生速度を半分した。よっちゃんさんがマウスをクリックした。
「これです。ここを見てください」
 13.1インチの液晶画面には、顔の半分を口腔とさせているあの子が画面を占拠していた。
「笑顔になるというか、口を大きく広げるからこんなふうに口周りの皮膚が大移動を引き起こしてるんですよ」
「そ、そうみたいだな」
183 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/29(土) 21:55
「どうしたらいいの、よっちゃんさん?」
「口を開けさせなきゃいい、ってこと」
 よっちゃんさんは、楽屋の騒がしい部分にそろそろと歩いていった。みんなが和気藹々としているところに入っていき、辻ちゃんの持っていたお菓子の袋を奪い取った。
「のの、全部もらっていい?」
「いいよ、よっすぃ~。ほとんど残ってないから」
 戻ってきたよっちゃんさんは、袋の中から丸い包みをいくつか取り出した。
184 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/29(土) 21:55
「これでどうです?」
「……そっか。うまくやれそうだな」
 矢口さんは包みを開けて、アメ玉を取り出した。五つほどつかむと、あの子のほうに向かっていった。
「口を開けて」
 矢口さんは五つ全部を口の中に放り込んだ。これで、彼女は口を開けたくてもできなくなり、その結果見るものを驚愕させる笑顔を披露することもできなくなったわけだ。
185 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/29(土) 21:55
 その歌番組では、司会者もそれとなく察してくれたのだろう。あの子に話が振られることはなかった。頬を膨らませて口を結んでいるのだからしゃべることはできない。みんなの受け答えをだまって聞いていて、時折にこっと微笑んでいた。
「大成功のようですね」
「このまま何事もなく終わりそうだね」
 そして歌の収録となった。前回の事件で、私たちに生歌を歌わせてくれる番組はなくなっていた。これは逆に好都合な話で、あの子が声を出して歌えなくても何も問題はないのだ、と矢口さんは考えていた。どうせCD音源が流されるのだから。
186 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/29(土) 21:56
 その微妙な変化に気づいたのはよっちゃんさんだった。サビの部分で右手で手刀を切るみたいに動かす部分で、よっちゃんさんの目はあの子のほうに注がれていた。
「あ、さっきより頬のふくらみがしぼんでいる……」
 アメが全部溶けてしまった時、あの子をしばりつけていた鎖はなくなってしまった。その開放感から彼女からその歓びが顔いっぱいに表現されたとき、テレビカメラはそれを逃すことなく拾っていた。
187 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/29(土) 21:56
 後日放送を確かめたところ、画面に流れたCM提供企業のテロップは、残念ながらあの子の満面の笑顔を隠し切れていなかった。
188 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/29(土) 21:56
Mission 2 : おしまい
189 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/29(土) 21:56
……
190 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/29(土) 21:57
……
191 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/29(土) 21:57
……
192 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/31(月) 21:48
ミッション・インポシブル

Mission : Impossible



Mission 3 : あの子に蹴らせるな!
193 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/31(月) 21:49
 ハロモニの収録で楽屋に入ると、みんなしてサッカーボールを蹴り散らしていたので、少々驚いた。
「またフットサルの大会があるの?」
 リフティングしているよっちゃんさんのところに駆け寄った。
「台本見てない?」
「台本?
194 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/31(月) 21:49
 PKを全員決めたらご褒美がもらえる場面があるという。今までのゲームとは違い、練習でなんとかなるものなので、こうしてみんな必死になって練習しているのだった。
 いきなりボールが私めがけて飛んできた。体を半身にずらしてよけると、ボールは狭い楽屋のあちらこちらを跳ね返りながら、最後は矢口さんの顔に当たって止まった。
「誰だー」
「すんません」
 あの子がボールを受け取ると、ひょいとお辞儀して去っていった。
195 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/31(月) 21:50
「ちょっと。よっすぃ~とミキティ、こっちに来て」
 テレビ局の業務用エレベーターの中に集まった。矢口さんは適当にボタンを押すと、エレベーターが動き始めた。
「知ってのとおり、今日のゲームの山場はPK合戦だ。全員決めないとうまい物にありつけない」
「うまい物って何ですか?」
「焼肉やお寿司だ」
 焼肉と聞いて、私のやる気が増した。今回の使命は、全員成功させるよう、サッカーが苦手なメンバーに手取り足取り教え込むことだった。
「フットサルのメンバーは、そうじゃない者に徹底的に叩き込むんだ」
196 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/31(月) 21:50
「矢口さんは?」
「家で練習して、なんとかまっすぐ蹴れるようになった。ミキティは梨華ちゃんと協力して、新垣や6期メンバーを頼む。カオリにはオイラが当たる。加護は辻や紺野がなんとかしてくれるはずだ」
「……わたしは?」
 よっちゃんさんは何も悪くない。ただ、ちょっと不幸な星の下に生まれただけなのだ。
「よっすぃ~は高橋をマンツーマンで指導してくれ。今回のゲームの全てはよっすぃ~にかかってるんだ」
 こんな情けない顔をしたよっちゃんさんを見たのは初めてだった。
197 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/31(月) 21:50
 楽屋に戻って、早速みんなで取りかかった。左足の位置、右足の角度、蹴る強さの三つが揃わないと、まっすぐボールは飛んでくれない。
 あの子は、ものの見事に三つ全てがバラバラだった。左足はボールから遠く、必然的に体のバランスが崩れて右足の角度があさっての方向を向き、強く蹴りすぎてボールは再び矢口さんの頭を直撃した。
 よっちゃんさんは辛抱強く教えていた。インサイドキックは距離が短いパスをするときには有効だが、ボールが浮きやすい。今回のPK合戦用のゴールは高さがないので、飛び越えてしまう可能性がある。初心者は強く蹴れないのでボールが浮くことはまれなのだが、力任せに蹴ってしまうあの子ではその可能性が強かった。
198 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/31(月) 21:51
 そこでよっちゃんさんは足の甲で蹴るインステップキックを教えることにした。普通、インステップキックはシュートや長い距離のパスを出す時に使うのだが、助走をつけさせないで足だけ動かすようにすれば、ボールはころころとまっすぐ転がるはずだった。
 数時間の汗と涙の苦闘の末、あの子の蹴ったボールはまっすぐ転がるようになった。私たちは拍手をして二人を讃えた。
199 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/31(月) 21:51
 さて、本番が始まった。このPK合戦が成功すれば、私たちは焼肉にありつける。あの子の次に不安視された辻ちゃんや加護ちゃんも目の色を変えた。こういう時の彼女たちは安心できた。
 まずはフットサル体験者から蹴ることになった。トップは当然よっちゃんさんである。よっちゃんさんは、それでも念を入れることを忘れなかった。あの子が基礎を忘れないようにくり返したのだった。
「簡単ですよ。こうまっすぐ足を上げて……」
 ひざの下だけを動かす単純なフォームは、誰にも間違えようがないものだった。
 私、梨華ちゃん、小川さんが決めたところで、私は矢口さんに目配せした。フットサル体験者の順なら、次は辻ちゃんか紺ちゃんのはずなのだが、そうすると残りのメンバーにいらぬプレッシャーをかけてしまう。特にあの子だ。
200 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/31(月) 21:51
 そこで次はあの子が蹴ることになった。しかし、後になってこれは間違いだったことがわかった。よっちゃんさんはインステップキックで決めた。その後の三人は、慣れ親しんでいたインサイドキックを使った。この間に、あの子の頭からよっちゃんさんのお手本は抜け落ち、私たちのキックのみが脳裏に焼きついた。インサイドキックのほうがプロみたいでかっこいいと思ったのだろう。
 インサイドキックの練習はしていない。私たちの静止は間に合わず、ボールは枠を大きく外れた。
「今のナシ、ナシ!」
201 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/31(月) 21:52
 矢口さんが大声でわめいたのはファインプレーだった。一回ならやり直しも許されるだろう。よっちゃんさんが声を出して指示するが、あの子の耳には届いていなかった。あとは天に祈るのみ。
 慌しく蹴られた二回目も、蹴った瞬間外れることがわかるような方向に進んだ。その時、黒い影がゴール前を横切った。
「カーットォ!」
 よっちゃんさんのスライディングクリアが決まった。ボールは小川さんの頬をかなり激しく叩いた。これがめちゃイケのPK合戦での極楽とんぼの山本さんの真似だと気づいた私たちは、彼女の機転に手を叩いて喜んだ。
「さあ、仕切り直しね」
202 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/31(月) 21:52
 次のボールも変なところに飛んだのを、今度は私がボレーで決めた。ボールはやはり小川さんの顔をヒットした。それでは、と、みんなも次々ゴールの枠を外したボールを蹴りに行った。辻ちゃんなどはあの子が蹴る前にクリアしたりした。そしてことごとく小川さんのふくよかな頬に向かっていったのだった。
 結局、あの子がゴールを決めることもなく、私たちのほうが先にまいってしまった。私たちは焼肉をゲットできず、ささやかなお漬物だけが与えられた。その後いろいろひと悶着あったのだが、それは記すべきではないだろう。
 この騒動のせいで小川さんの顔の腫れが未だ治っていない、ということになっている。
203 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/31(月) 21:52
Mission 3 : おしまい
204 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/31(月) 21:52
……
205 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/31(月) 21:52
……
206 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/31(月) 21:52
……
207 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/05(土) 22:18
串刺しヤグチ
208 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/05(土) 22:19
いい夕陽だね。
オレンジ色の光が全てを照らしているよ。

そうね。
この矢口さんもきれいに光っているわ。

そうそう、これはいったいどうしたことなの?
何もない荒地に、矢口さんがこんな姿をさらしているなんて。

そう、お腹を串刺しにされて。
209 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/05(土) 22:19
この鉄の棒はどこかで見たことがある。
ブロック塀を積み上げる時に中に通すやつ。

きっとそうね。

棒は垂直に地面に突き刺さっている。
矢口さんは地面に平行に浮いている。

きれいにね。

ほんとにね。
問題はどうしてこんなところに矢口さんが死んでいるのかということ。
梨華ちゃんは心当たりあるの?

ぜんぜんわからないわ。
210 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/05(土) 22:19
そう。そうよね。
この底なしの地に矢口さんは何の用があったのかな。

底なしの地?

ここはもともと底なし沼を埋め立てたところ。
開発予定があったみたいだけど、少しビルを建てただけ。
地面を均した跡や足跡がいっぱい残ってる。

あのビルがそうね。
あそこに見えるわ。

いくつかはもう取り壊されたみたいだけどね。
あっちの方のビルは無造作に壊されてる。
考えてみよう。
この鉄の棒が空から落ちてきたのかな?
211 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/05(土) 22:19
空から?
どうして?

見てよ。
かなり深くまで突き刺さってる。
相当の力でお腹を貫いたのかもしれない。

重力のしわざってわけね。
でも、誰がどうやって空から落としたの?

飛行機が落としちゃったとか。

無理な話ね。
212 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/05(土) 22:20
そう。
じゃあ、地面から棒がにょきにょき生えてきたってのはどう?

いっそう無理があるわ。
第一、矢口さんが横になってないとだめね。
矢口さんは横になってこんなところに倒れていたのかしら?
倒れていたとしたら、こんなふうに浮かないんじゃない?

棒のほうが止まっている矢口さんを突き刺すのはだめってことね。
じゃあ、矢口さんのほうを動かしてみよう。
矢口さんが空から落ちてきたってのはどう?
それなら横になって突き刺さっちゃうでしょ?

どこから落ちてきたの?
飛行機?
矢口さんが飛び降りたの?
213 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/05(土) 22:20
じゃあ、地面に埋まってた矢口さんがにょきにょきと。

ファンタジーね。
ミキティは空想が好きなのね。

だめかなあ。
じゃあ、矢口さんはどこかの別のところですでに串刺しになってて、
どこかから飛んできてここに突き刺さった。
うん、これなら大丈夫そう。

だからどこから飛んできたの?
また飛行機?

あのビルからってのはどう?
あそこからクレーンか何かで振り子みたいに勢いつけて。

クレーンなんか見えないわよ。

見えないね。
214 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/05(土) 22:20
だめよ。
あたしたちじゃわからないことなのよ。
何が起こって、それからどうなるなんて、わかりっこないの。

そんなことない。
あたしたちは知らなきゃいけない。
あたしたちに何が起こって、これからどうなるのか。

そんなこと知ってもどうしようもないの。
ただ流れにまかせているだけ。

そんなんじゃだめだよ。
自分の力でなんとかしなきゃ。

ミキティはそうかもしれないけど。
215 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/05(土) 22:21
こんな荒地の真ん中に鉄の棒があるのがおかしいよ。
どこからか飛んできたんだ。
ほら、あの崩れたビル、うまく崩れてない。
壊すのにうまくいかなくて、あそこから棒が飛んできたんだ。

また空想?

で、ここに立ってた矢口さんのお腹に刺さった。
貫通しなかったんだよ。

そんな偶然あるかしら?
すごく確率低くない?
216 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/05(土) 22:21
偶然だろうけど。
そうだ。何人もここにいたとしたら、当たる確率増えるよ。
みんなでここにいたんだ。

みんな?

そう。みんな。
壊され、崩れ落ちるビルをみんなで思い思いに眺めてたんだ。
粉々に砕け散る様を見た者。
このあと再生されるビルを夢見た者。
自分たちに重ね合わせて見ていた。

空想を通り越して妄想になってるよ。
217 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/05(土) 22:21
そこに棒が飛んできて矢口さんを襲った。
それを見たみんなは、死んだ矢口さんをそのままにしなかった。
矢口さんの死体ごと地面に棒を突き刺したんだね。

そんなに簡単に突き刺さるものなの?
なんでそんなことを?

ここは元々沼地だから、地面の下は柔らかいよ。
なんでって、それは梨華ちゃんが知ってることでしょ。
きれいだったから?
私たちにふさわしいオブジェだったから?
218 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/05(土) 22:21
あたし、もう帰るね。
警察にでもどこにでも通報していいから。

どうしてかな?
私はここにいなかった。
みんなに呼ばれなかった。
私にはその光景を見せてくれなかった。
私がモーニング娘。になれる日は来るのかな。
すべてがなくなってしまう前に。
219 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/05(土) 22:22
おしまい
220 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/05(土) 22:22
……
221 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/05(土) 22:22
……
222 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/05(土) 22:22
……
223 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/07(月) 02:28
萌えた
224 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/11(金) 22:09

白百合つぼみの冒険

The Adventures of TSUBOMI SHIRAYURI



  ∋oノハヽo∈
   从'v')<つぼみはお金持ちのお嬢様なの
    (っ⌒/⌒o 
    ((⌒)_つ ,,゚l゚,,
 """"""""""""`````"""""""""


225 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/11(金) 22:10

第1話 ブブカの醜聞

A Scandal in BUBKA
226 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/11(金) 22:10
 海外から帰ってきた私は、すぐさま両親によってちっぽけな幼稚園に放り込まれた。初登園の日、幼稚園の制服を身にまとい小さな鉄の扉を開こうとしたとき、黒いリムジンがブレーキ跡をつけながらそばに止まった。
 誰だろうと身構えていると、一人の園児が降りてきた。私と違い、制服ではなく純白のワンピースを着ていた。その子はきょろきょろ辺りを見回し、私に気づくと走りよってきた。
 同じ幼稚園に通う身、あいさつくらいはするべきだろうと、私は名乗った。
「はじめまして。私の名前は紺野あさ美です」
 その子は私をしげしげとなめるように眺めていた。目を細め、鋭い眼光に私は不覚にもびびってしまった。
「はじめまして」
227 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/11(金) 22:10
 西洋流に握手を交わすと、その子は不意にこう言ってきた。
「アフガニスタンに行ってたね?」
 このとき私が受けた衝撃は筆舌に尽くしがたかった。アフガニスタンにてマスード将軍の指揮下、ソ連軍の戦車部隊を険しい峡谷で襲い続けた日々が私の脳裏によみがえってきた。
 なぜこの園児は私の秘密を知っているのだろう。
「そっか。私のこの右人差し指にわずかに残っている焼夷弾の跡。制服の右ポケットから覗いている将軍の写真。かすかに残るアフガン訛り。これらの痕跡から瞬時に私の行跡を見抜いたのね!」
228 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/11(金) 22:10
「いや、ただそう言ってみたかっただけなんだけど……」
 彼女は右手に文庫本を握っていた。「シャーロック・ホームズの冒険」というタイトルが私の目に焼きついた。
「まるで不世出の名探偵、シャーロック・ホームズみたい!」
 私は感動した。人類が持ちうる最高の頭脳、それを持っている人物が目の前にいるのだ。
「あの、お名前は……」
「白百合つぼみ。お金持ちのお嬢様よ」
229 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/11(金) 22:11
 私はつぼみちゃんを懸命に説いた。この明晰な頭脳をいたずらに埋もれさせておくべきではない。それは公共の社会にとって大いなる不利益だった。
 数時間の説得の末、ようやく彼女は首を縦に振った。莫大な寄付金を背景に、彼女はなつみ先生から幼稚園の使われていない一室を借り受けた。私はその扉に「白百合つぼみ探偵事務所」と書いた画用紙を画鋲でとめた。つぼみちゃんが探偵で、私はその助手となった。
 依頼はしばらく来なかった。しかし私たちはそんなことを気にすることもなかった。かの名探偵も駆け出しの頃は髀肉の嘆をかこっていたのだから。
230 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/11(金) 22:11
 やがて、記念とすべき最初の事件が私たちに訪れた。ただ、私自身が依頼人第一号になるとは夢にも思っていなかった。
 私は、ふかふかのアームチェアーに座り足を組むつぼみちゃんの前に、力なく立っていた。こんなみじめな気分になったのは、マスード将軍の遺骸にすがったとき以来だった。
「つぼみちゃん……依頼、受けてくれる?」
「何があったの?」
 ここハロモニ市には小さな週刊の新聞社がある。当初は市議会の様子や町の刑事事件を報道するにとどまっていたのだが、市井の人情を紙面に載せ始めてから人気を博するようになっていった。それは次第にエスカレートし、市民の暴露話にまで発展した。
 他人のスキャンダルを覗き見ることは、市民にとって極上の愉しみとなった。すました顔をしたあの子が、裏ではこんな人には言えないことをやっている。
231 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/11(金) 22:11
『もしもし、「ブブカ」新聞ですが、来週あなたのことを記事に書きますので。いえいえ、報道の自由ってご存知ですね』
 いきなりこんな電話をかけられたとき、人はどんな態度をとればいいのだろうか。
「どんなネタなの?」
 私はつぼみちゃんに一冊のプリクラ帳を開いて渡した。男の子が、女の子の頬にキスしていた。
「ほうほう」
 つぼみちゃんは私を見てニヤニヤした。私は顔をそらした。
「これが来週の『ブブカ』新聞に載るのね」
「うん。それで、そのプリクラを取り返してきてほしいの」
 自分が依頼人になってしまったこと。世界最高の頭脳に泥棒まがいのことを依頼したこと。情けなくて涙が出そうだった。
「わかった。任せて」
232 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/11(金) 22:12
 幼稚園が終って、私たちは市役所方面に歩いていった。そばに「ブブカ」新聞社のビルがある。わずか二階建ての小さなビルだった。
「どうやって忍び込むの?」
「夜になって誰もいなくなるといいんだけど」
 日が落ちても、ビルの明かりは消えなかった。往来も、アフターファイブを楽しむ男女でいっぱいだった。
233 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/11(金) 22:12
「しょうがないね」
 つぼみちゃんは私の手を取ると、路地に入ってビルの後に回った。つぼみちゃんはワラを取り出した。
「新聞社に火をつけるの?」
「バカ。いい? 私と声を合わせて叫ぶのよ」
 つぼみちゃんはワラの山にライターで火をつけた。山の下に赤い光がともり、上から煙が吐き出されてきた。私たちはうちわで懸命に扇いだ。開いていた窓からけむりがビルの中に入っていった。
「今よ!」
234 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/11(金) 22:12
「火事だーっ!」
 私とつぼみちゃんはあらんかぎりの声を振り絞った。煙を見て火事だと錯覚した社員たちが慌ててビルを逃げ出し、無人のビルから私たちが例のプリクラを探し出す予定だった。あにはからんや、煙の勢いが弱すぎたのか、誰一人中から飛び出してこなかった。
「火事だーっ!」
 子供が何か叫んでるぜ、という声がかすかに聞こえてきた。つぼみちゃんは憤怒の表情を隠さなかった。
「バカ!」
235 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/11(金) 22:13
 つぼみちゃんは右足をぶんと回した。火のついたワラが宙に舞い、いくつかが窓を通って中に入っていった。消せ、消火器はどこだ、逃げろ、と慌てる声が聞こえた。
 私たちが物陰に隠れていると、非常口から社員たちが転がり出てきた。窓から中を覗くと火柱が見えた。
「行こう。全部燃えてるよ」
236 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/11(金) 22:13
 こうしてつぼみちゃんのおかげで、私の秘密は守られた。私はつぼみちゃんに感謝しても感謝しきれず、報酬代わりにときどき彼女の馬になるようになった。
237 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/11(金) 22:13
おしまい
238 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/11(金) 22:13
……
239 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/11(金) 22:13
……
240 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/11(金) 22:13
……
241 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/12(土) 22:00

白百合つぼみの冒険

The Adventures of TSUBOMI SHIRAYURI


第2話 ハゲ連盟

The Dead-headed League
242 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/12(土) 22:01
お金持ちのお嬢様であり、明晰な頭脳の持ち主である白百合つぼみちゃんであったが、開いた探偵事務所は千客万来とはいかなかった。事務所はハロモニ幼稚園の一室にあり、人生経験の乏しい園児たちにとって人生を揺るがす大事件が起こるはずもなく、他の一般人も入りづらい。
 そこでつぼみちゃんは、寄付金とひきかえに、事務所に通じる廊下と出入り口を一般人が入りやすいように開放させた。電飾付きの看板は夜になると美しく光った。
243 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/12(土) 22:01
 そんなある日、黒い僧服をまとった異国の人が訪ねてきた。待ちに待った依頼人である。
「私、フランシスコ・マキエル言います」
 たどたどしい日本語よりも気になることがあった。つぼみちゃんと私の目はマキエルさんの頭に注がれた。
「オー、これはハゲではありません。元から生えてこなかったんです」
「そうですか」
「どのようなご用件で?」
 マキエルさんは伝道に燃える宣教師だった。鹿児島上陸後、陸を伝って都をめざし、ハロモニ市にたどりついたところで路銀が尽きた。お腹がすいてよろよろと道を歩いていると、電柱に貼られた張り紙が目に付いた。
244 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/12(土) 22:01
「アルバイト募集の張り紙だったんです」
「アルバイト?」
「はい。一日四時間で一万円もらえるバイトです」
 ただし、そのアルバイトには条件がついていた。ハゲであることが、そのアルバイトを申し込める唯一の条件だったという。
「ハゲ?」
「ええ。私はハゲではありませんが、背に腹は変えられません」
 私の目は、いつのまにかつぼみちゃんのおでこに注がれていた。つぼみちゃんはひと睨みすると、手で前髪を整えた
245 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/12(土) 22:01
「貼り紙にあった住所に行くと、ビルの前は人でいっぱいでした」
「そんなにいっぱい応募者がいたんだ」
「すごくいっぱいいました」
 私は街中を埋め尽くすハゲの集団を想像して吐き気がしてきた。
「しばらくするとドアが開きました。出てきた人はサングラスにカラスの着ぐるみしてました。きょろきょろすると、私を指差して『そこに君、こっち来なさい』と、呼ばれました」
 中に通されると、カラスの着ぐるみはハゲの集団に「もう決定したので帰りなさい」とドアを閉じた。髪の毛の不自由な人々の怒号が通りに轟いた。
「いやあ、あなたは実に運がいい」
「どうして私が選ばれたんですか?」
 カラスの着ぐるみはマキエルさんの頭をなでまわした。
246 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/12(土) 22:01
「このハゲ具合、すばらしい。あなたのような人こそ、ハゲ連盟にふさわしい人なのですよ」
 ハゲ連盟とは、そういう人たちの互助会だという。とあるハゲの大金持ちが相続者のいないまま死の床につくと、遺産を基金として運用し、儲けた利子で髪の毛に不自由な人の援助するよう遺言した。
「何をすればいいのです?」
「簡単なことですよ。毎日四時間、この事務室で書き物をするだけです」
 どっさりと色紙の束と名簿を渡された。マキエルさんは毎日きっかり四時間、名簿の名前を色紙に書き続けた。毎日数百枚は書いたという。週の終わり、カラスの着ぐるみはお給金を渡しに来るだけだった。そんな日々が三ヶ月続いた。
「けっこうなお仕事じゃないですか」
「それがですね」
 つぼみちゃんと私はどきどきしてきた。クライマックスは近い。
247 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/12(土) 22:02
「今日、その事務所に行ったら、鍵がかかっていてあかないのです。よく見るとドアに貼り紙がテープで止めてありました」
 マキエルさんはつぼみちゃんにその貼り紙を渡した。
『ハゲ連盟は本日をもって解散しました』
 つぼみちゃんの肩がふるえていた。私も横を向いてぷっと空気を吐き出した。
「どうです。ひどい話でしょう」
「確かにとんでもない話です。それで、そのふざけたカラスの着ぐるみが誰かつきとめればいいわけですね?」
「いや、あいつが誰かはわかっています。悪魔です」
 つぼみちゃんは首をかしげた。
「アクマ? なるほど、悪魔のような奴ってことですね」
248 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/12(土) 22:03
「悪魔の居場所をぜひ突き止めてほしいのです。悪魔は不倶戴天の敵。私はそいつを退治するために日本に来たのです」
 マキエルさんは、蛇のおもちゃと昔の悪魔の写真と聖水を置いて帰った。悪魔退治に使う道具だということだった。
「どう思う? あさ美ちゃん」
「どうって。あれでしょ?」
「そう、あれ」
249 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/12(土) 22:04
 つぼみちゃんは早速探偵活動を開始した。まず例の事務室のあるビルを訪れ、外観だけ確認すると、すぐにマキエルさんが住んでいる教会に向かった。そこの一室を間借りしているという。
「ほら、あれを見て」
 通りを挟んで教会の向かい側に、ハロモニ銀行三丁目支店があった。私は地面を蹴ってみた。
「何も変な音はしないよ」
「コンクリートだしね」
 つぼみちゃんと私は、銀行のトイレに入ると夜を待った。銀行員がみんな帰ったのを見計らって、私たちは奥の金庫室に向かった。
250 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/12(土) 22:04
「マキエルさんをだました奴は、マキエルさんが教会から離れている間、そこから銀行に通じるトンネルを掘ってたんだ」
「トンネルができあがったら、もうマキエルさんは用済みになったんだね」
 すぐにでも犯行に映るだろう。つぼみちゃんは鞭を、私はアフガニスタンから持ち帰った軍用拳銃を持ってきていた。
「金庫室にどうやって入るの?」
「暗証番号は調べてあるよ」
251 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/12(土) 22:04
 大金持ちのお嬢様に不可能はないのだろう。大金庫に通じるドアは、無用心にも開けっ放しだった。
「あれ、つぼみちゃん。金庫の扉が開いてる」
「え? ここから逃げなくてもトンネルから逃げられるのに……」
 中を覗くと、ハゲたおじさんが札束を一心不乱に袋に詰め込んでいた。つぼみちゃんはすばやく動いた。鞭のしなる音がして、おじさんはうーんとうなって倒れた。ハゲ頭にみみず腫れができていた。
252 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/12(土) 22:05
 翌日の朝刊には間に合わなかったが、夕刊に「銀行頭取逮捕 幼稚園児お手柄」の見出しが躍っていた。私は得意げにつぼみちゃんの前で読み上げた。
「株式運用に失敗し破産寸前だった頭取は、銀行預金の横領を企み……」
 普通なら私たちは警察に怒られるところなのだろうが、つぼみちゃんは普通の園児ではない。お金持ちのお嬢様なのである。白百合伯爵の威光には官憲も通じないのだ。
「あれ? トンネルやマキエルさんのことが書いてないよ」
「それはね。マキエルさんがお金返さなくてもいいよにとの配慮だよ、きっと」
253 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/12(土) 22:06
「そっかそっか。……あ、つぼみちゃん。悪い奴って多いんだね。隣の記事は詐欺事件のことが書いてある」
「詐欺?」
「うん。アイドルのサイン色紙の贋物が大量に出回ってるんだって」
 つぼみちゃんはアームチェアーから立ち上がった。
「それはすごく卑劣で許せない悪質な事件だね。アイドルを大切にするファンの心を踏みにじるなんて、とんでもない犯罪だよ。どう、あさ美ちゃん? 警察も手をこまねいているようだから、一つお手伝いしてあげよっか」
「うん!」
 私は新聞をゴミ箱に放り棄てると、つぼみちゃんの後をついて探偵事務所のドアを出て行った。
254 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/12(土) 22:06
おしまい
255 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/12(土) 22:06
……
256 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/12(土) 22:06
……
257 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/12(土) 22:06
……
258 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/13(日) 20:45

白百合つぼみの冒険

The Adventures of TSUBOMI SHIRAYURI


第3話 消えた花婿

A Case of Identity
259 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/13(日) 20:45
 白百合つぼみちゃんは知る人ぞ知る存在になっていった。もともとハロモニ市随一の大富豪、白百合伯爵家の令嬢であり、一般市民にもその名は膾炙していたのだが、警察関係者の間では名探偵ぶりのほうで有名になっていった。
 アームチェアーに深く座っているつぼみちゃんに、オレンジジュースを渡した。
「依頼人も来るようになってきたね」
「でも、なかなか面白い事件ってのは少ないよね。この間のハゲエルさんの事件は興味深いものがあったけど。おや? あさ美ちゃん、あれ」
 窓の外から、こちらの様子をうかがっている人が見えた。派手な毛皮のボアをかけた三十路らしい女性が、往来を行ったり来たりしながら、やがて猛然と幼稚園の中に侵入していった。
「依頼人かな?」
「きっとそうだね。間違いなく恋愛問題を抱えてるよ」
260 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/13(日) 20:46
 ドアが開いて、女性がハイヒールの音高く入ってきた。
「あなたが白百合つぼみさん?」
 つぼみちゃんは椅子から立ち上がった。
「ええ。お金持ちのお嬢様よ」
 女性はハロモニ女子学園の中澤先生だった。駅前交番に勤める知り合いからここを紹介されたという。
「ではここにお座りください」
 わたしが用意した園児用の椅子に、中澤先生は窮屈そうに座った。
「どのようなご用件です?」
「私の婚約者が消えてしまったんです」
261 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/13(日) 20:46
 中澤先生は十数回のお見合いの果て、ようやく男をゲットした。相手は外国人で、なんでもラッパーという職についているという。二人はお見合いのあと毎日のごとくデートを重ね、結婚の約束もとりつけた。
 ところが、昨日ラッパーの住んでいるアパートを訪れたところ、もぬけの空だったという。アパートの管理人も知らないことだったらしい。
「結婚式の費用もあの人に渡して、来週には式をあげる予定だったんです」
「どんな人だったんですか?」
「ラッパーですから、それほど収入があるようではありませんが、素敵な人でした」
262 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/13(日) 20:46
「つかぬことをおうかがいしますが、あなたの今のお父さんは義理のお父さんですか?」
「いいえ」
「それじゃあ、お母さんが莫大な遺産をあなたに残していますか?」
「両親は健在です」
 私はつぼみちゃんとひそひそとささやきあった。どうも私たちが知っているような展開にはならないようだ。
263 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/13(日) 20:46
 私たちはそのラッパーの足取りをたどるべく、街中にくりだした。魚屋のおじさんによると、外国の妙な歌をうたう一団が駅前交番辺りをうろついていたという。
「その人たちの仲間なのかな?」
「とりあえず調べてみよう」
 鼻の高い外国人の女の子が、アメリカの国旗を振りながら歩いているのを見つけた。 
「はーい」
「ハーイ」
 女の子はルーシー後藤という留学生だった。
264 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/13(日) 20:46
「ラップ好き?」
「オー、大好キデスヨ」
 あたしはあなたにぞっこーん、と彼女は歌い始めた。これは脈ありと、つぼみちゃんは質問を重ねた。
「ラッパー知らない?」
「知ッテルヨ」
「ルーシーのお友達?」
「ウン。トモダチトモダチィ!」
「その人、今どこにいるか知ってる?」
「アタシノ部屋ニイルヨ」
 つぼみちゃんは慎重だった。ルーシーの友達が、例の失踪したラッパーであるとは限らないのだ。私たちはルーシーに案内され、そのラッパー吉澤と対面した。ラッパー吉澤は中澤先生とのお見合い、婚約を言下に否定した。その様子を見てルーシーはほっとしたようだった。
 ルーシーの部屋を後にした。つぼみちゃんは「寄るところがある」と言って、私と別れた。
265 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/13(日) 20:47
 翌日、つぼみちゃんはアームチェアーに座ってヘッドフォンで音楽を聴いていた。かなりご機嫌のようだった。
「どうだった?」
「うん? カツラじゃなくてヘアコンタクトのほうがいいよ」
「そうじゃなくて。中澤先生の依頼はどうなったの?」
 つぼみちゃんはヘッドフォンを外してテーブルに置いた。
「あ、それなら大丈夫だよ」
266 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/13(日) 20:47
 コンコンとノックの音がして、女性がおずおずと入ってきた。
「あのお……」
「どうぞお入りください。石川先生」
 石川先生は中澤さんの同僚だという。つぼみちゃんがなぜこの先生を呼び出したのか、私には皆目見当がつかなかった。
「石川先生は中澤先生にお見合いの相手を紹介したんですよね」
「ええ……」
 つぼみちゃんは石川先生を無視して窓のカーテンを大きく開いた。
「その男はラッパーだった。カツラをかぶってサングラスすれば素顔は誰にもわからない」
「え?」
267 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/13(日) 20:47
「そこの石川先生が、中澤先生のお見合い相手だったのよ」
 ちょっと待ってください、という石川先生を制して、私はつぼみちゃんの推理をうながした。
「ハロモニ学園では、中澤先生を『三十路、三十路』とからかうのが一種の行事として行われているの。ところが知ってのとおり中澤先生は結婚願望が多い。それで石川先生は計略をしかけた」
 お見合いをさせて、婚約まで決まったところで相手を失踪させる。相手にぞっこんの中澤先生は一生その相手を思い続けて、ずっと独身でい続けるだろう。そこで石川先生がその相手役を演じたのだ。
「四十路、五十路と中澤先生はずっとひとり。ハロモニ学園はその間繁栄を保てると考えたのよ」
「あの、なんでそんなバカみたいな……」
「これは一人の女性の心を踏みにじった卑怯な犯罪。お仕置きしないとね」
268 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/13(日) 20:48
 つぼみちゃんが愛用の鞭をびゅんと一振りすると、石川先生は「人間って悲しいね」と叫びながら部屋を飛び出していった。
「ほっとくの?」
「中澤先生は情熱的な女性だから、真実を聞いても認めようとしないだろうからね。ま、いずれしばらくしたら別の相手を求めるなじゃない?」
 その日の夕方、ルーシー後藤から私たちに手紙が届いた。ルーシーとラッパー吉澤はこの国でお金をもうけたので、本国に帰って結婚する、と書いてあった。
「それはたいへんおめでたいことね。二人が幸せな生活をおくれることを!」
269 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/13(日) 20:48
おしまい
270 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/13(日) 20:48
……
271 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/13(日) 20:48
……
272 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/13(日) 20:48
……
273 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/14(月) 22:32

白百合つぼみの冒険

The Adventures of TSUBOMI SHIRAYURI


第4話 ハロモニ谷の惨劇

The Hellomoni Valley Mystery
274 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/14(月) 22:32
 朝幼稚園に行くと、つぼみちゃんのリムジンが止まっていた。車のウインドウが開いて、つぼみちゃんが顔を出して手を振った。
「今からハロモニ谷に行くから、早く乗って」
「えっ、幼稚園はどうするの?」
「一日くらい平気平気。なつみ先生には話がついてるから」
 また寄付金の話をちらつかせたのだろう。幼稚園の退屈きわまりない生活に飽き飽きしていた私に異論はなかった。
275 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/14(月) 22:33
 リムジンの中には広大な空間が広がっていた。つぼみちゃんが冷蔵庫をあけて、オレンジジュースを私にくれた。
「実はね。ハロモニ谷で事件が起こって、私に依頼が来たの」
「どんな事件なの?」
「新聞見てきたんだけど、たいしたことは書いてなくてよくわからないんだ。一見すると簡単に見えて、実はおそろしく難しい事件みたい」
「簡単で難しい?」
「そう。平凡に見える事件ほど犯人を見つけ出すのは難しいものなの。実地を見てみないとわからないけどね。着くのにちょっと時間かかるから、それまでカラオケしてようよ」
 つぼみちゃんのソロコンサートが始まった。
276 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/14(月) 22:33
ハロモニ谷はハロモニ市南方20キロ、さわやかな渓流が流れるリゾート地である。
「つぼみのおうちの別荘があるから、まずそこに行こう」
 つぼみちゃんの別荘にて、事件の検討が始まった。ハロモニ谷の駐在から詳細な資料が届けられていた。
 被害者は綾小路悪麿という、つぼみちゃんと同じくらいお金持ちの高校生だった。ハロモニ谷の山中に小さな沼があるのだが、そのほとりで頭から血を流して倒れていたという。
「死んだの?」
「いや、生きてる。残念だけど」
277 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/14(月) 22:33
 この悪麿という人はハロモニ市きっての不良で、素行の悪さで評判だったが、綾小路の一族ということで腫れ物に触るような扱いだった。
「誰か恨みのある人間が襲ったんじゃないの?」
「そんなところだろうね。ただ、恨みに思ってる人間は半端じゃなさそうだけど」
「悪麿さんは今?」
「病院に行ってるけど、今は面会謝絶だって」
 悪麿さんは、兄弟の文麿、そのガールフレンドの石川梨華さんとこの地に遊びに来ていた。つぼみちゃんちと同じように別荘があるという。
278 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/14(月) 22:33
「悪麿さんは一人でその沼に行ってたみたい」
「文麿さんか梨華さんといっしょに?」
「いや、その二人は別行動だった。呼び出されたらしいよ」
 つぼみちゃんはその調書を私に渡した。調書には写真が貼ってあり、泥でかなり汚れた紙に「111ね」という文字が見えた。
「『111』って何?」
「それは犯人を示す何か重要な示唆に違いないよ。それじゃあ、文麿さんと梨華さんに会いに行こう」
279 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/14(月) 22:34
 文麿さんは肩に小鳥を乗せているような変人だった。私たちに会うと、胸に刺していた一輪のバラを放り投げた。
「悪麿は私の双子の兄です」
「事件の起こった昨晩、あなたはどこにいましたか?」
「この別荘にいましたよ」
「石川さんといっしょにですか?」
「……ええ、そうですよ」
280 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/14(月) 22:34
 次に川べりにいて石を投げていた石川さんに会えた。
「人間って、悲しいね」
「そんなことはどうでもいいんですが、昨晩あなたはどこにいましたか?」
「……ここにいましたよ」
「文麿さんといっしょに?」
「……ええ」
281 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/14(月) 22:34
 別荘に戻ったつぼみちゃんはあらんかぎりの悪態をついた。二人の証言は互いに矛盾し、どちらがより正しいことを話したかどうか確証が得られなかった。
「とりあえず、二人があやしいね」
「うん。どちらかが必ずやったはずだ」
「それと『111』という数字」
「……そう。そうだ、あさ美ちゃん。ちょっと一人になりたいから、その辺を散策してきてくれない?」
282 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/14(月) 22:35
 つぼみちゃんが一人にさせてくれと言ったときは、彼女の頭脳が高回転で働きだしたことを意味する。私はぶらぶら川沿いに散歩していると、文麿さんと石川さんが手をつないで歩いているのを見つけた。
 二人は何かをぽつりぽつりと話し合っている。その仲むつましい様子を見て、この二人が犯人であるはずがないと私は確信した。
 つぼみちゃんの別荘に戻ると、つぼみちゃんはお気に入りのアームチェアーに座って背を伸ばしていた。どうやら彼女には真相がわかったようだ。
「あんな人気のない沼だし、誰でも簡単に忍び込んで茂みに隠れることができる。犯行可能なのは二人とは限らないの」
「それじゃあ、文麿さんや石川さんが犯人じゃないんだね」
283 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/14(月) 22:36
 つぼみちゃんは立ち上がって、テーブル上のノートパソコンを指差した。
「そう。唯一の手がかりは、『111ね』という謎の文字しかないんだ。これ、なんて読む?」
「『ひゃくじゅういち』? それとも『いちいちいち』?」
「これはね、『トリプルワン』って読むべきなの。そこでインターネットで検索すると……」
 つぼみちゃんがパチンとエンターキーを押した。すると、証券会社のホームページが現れた。
「これは証券会社のホームページ。トリプルワンというのはその会社のサービス名で、パソコンを使って株の売買ができるの」
284 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/14(月) 22:36
「じゃあ、これが動機?」
「悪麿さんは、株の売買でトラブルに巻き込まれたに違いない。犯人はそこの会社の社員あたりとしか思えない」
「二人の食い違った証言は?」
「涙ぐましいことに、それぞれお互いが犯人だと思い込んで、庇いあってたんだよ。ここまでわかれば、あとは警察のほうが調査力があるから、そっちに任せるべきだろうね」
285 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/14(月) 22:36
 駐在に向かうと、本署のほうから派遣された刑事たちが合議をしていた。するすると近寄って耳をそばてて話の内容をうかがった。
「どうする? 綾小路家から表沙汰にしないよう要請が来てる」
「俺たち下っ端が逆らえるわけないだろ。この事件は『事故』だ。これで終わりだ」
「ま、それならそれでいいさ。余計な仕事を抱え込まなくてすむし」
286 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/14(月) 22:37
「でよ。例の紙、泥を取っ払ってみたら、『って、悲しいね』って女の文字で書いてあったんだが、いったいどういう意味なんだ?」
「知るかよ。さ、帰るぞ」
 駐在を出てこの話をつぼみちゃんに話すと、深いため息をもらした。
「『111ね』を『しいね』に読み間違えるなんて、警察は無能すぎるね。ま、事故として扱うって決まったんだから、わざわざ私たちが教える必要もないよ。それじゃあ、リムジンでカラオケ大会の続きね」
287 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/14(月) 22:37
おしまい
288 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/14(月) 22:37
……
289 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/14(月) 22:37
……
290 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/14(月) 22:37
……
291 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/15(火) 21:43

白百合つぼみの冒険

The Adventures of TSUBOMI SHIRAYURI


第5話 サクランボの種五つ

The Five Cherry Pips
292 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/15(火) 21:43
 幼稚園のかったるい授業は私たちの精神をいたく傷つけた。アフガン帰りの私やお金持ちのお嬢様であるつぼみちゃんには、この世界は温すぎた。
「さーみんなー。お庭に出て運動の時間ですよー」
 当然私たちはそんな言いつけを守る気はなく、つぼみちゃんの探偵事務所に逃げた。
「早く大きくなって幼稚園卒園したいなあ」
「でも、こうやって私たちがお友達になれたのもこのハロモニ幼稚園があったからなんだよね」
 お友達、のくだりでつぼみちゃんは実に微妙な顔をした。
293 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/15(火) 21:43
「ま、こうしていっしょにいるのは偶然か、必然か、どっちだと思う?」
 偶然でしょ、と答えると、つぼみちゃんはニヤリと笑った。
「そこがお金持ちのお嬢様と一般人の違いなの」
「じゃあつぼみちゃんは必然だって言うの?」
「そう単純なことじゃないよ。初めは偶然かもしれないけど、それを必然にしなくちゃいけないの」
 こうしてつぼみちゃんの昔話が始まった。
294 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/15(火) 21:43
 つぼみちゃんのお父さんは、北海道の辺ぴな町でくらしていた。その頃は伯爵などではなく、町中のダンボールを集めて売るという、環境に優しい商売をしていた。
 転機はいきなり訪れた。私がアフガンに行く直前らしいのだが、この国を大恐慌が襲ったのだった。みるみるうちに物価は上昇し、紙幣は紙切れになった。お金の価値がなくなると、物を持つ者が強くなる。
 さらに、北海道のパルプ工場群で大火災が発生した。日本の紙資源が尽きてしまうと、つぼみちゃんのお父さんが集めていたダンボール類は宝の山となった。つぼみちゃんのお父さんはダンボールを売り払った資金で古紙業界の供給業者をまとめあげ、あっというまにお金持ちになった。今では白百合伯爵様である。
295 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/15(火) 21:44
「ダンボールが大切な価値を持つようになったのは偶然よ。でもそれをどう利用するかで、それは偶然のままで終るか、全ての始まりとなる必然になるか、変わってくるの」
「じゃあ私たちの出会いは?」
「このあと仲良くなくなってしまうと、それはただの偶然。でも、そうしたくない、よね?」
 私は笑顔で「うん」と返した。
296 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/15(火) 21:44
 つぼみちゃんが偶然と必然の関係を語ったのは、いわゆる前振りだった。つぼみちゃんはテーブルの上にあった封筒を私に見せた。
「実は手紙の依頼が来てたの。偶然とは何かを考えるのに絶好な材料だよ」
 手紙の主は高橋愛さんといった。どこかで聞いたことがあると思ったら、ちょっと有名な四人組みのアイドルグループの一人だった。このグループでは一人交替で入ってきた、五人目のメンバーだった。
297 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/15(火) 21:44
「数年前らしいけど、高橋さんが交替で入ることが決まった時くらいのこと。そのグループのリーダーに一通の封書が届いたの」
 中味はサクランボの種が五つだった。それを見たリーダーの顔は蒼ざめ、慌てるかのようにそのグループから脱退した。数日後、彼女はマンションから転落死した。警察は事故であると判断した。
 ところが、グループの一員でアメリカ人がこの知らせを聞いて、かなり狼狽したという。グループこそ辞めなかったものの、住まいを転々と変えた。まるで誰かの追跡からのがれるかのようだった。
「その子もね。結局心労からかニューヨークに行くと言ってグループ辞めたんだけど、その飛行機に乗る途中、電車に轢かれちゃったわけ。駅のホームから落ちちゃったの」
 遺品のバッグから、サクランボの種が入った封筒が見つかったという。
298 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/15(火) 21:44
「それで、その高橋さんはどうしたいわけ? 両方とも事故だったんでしょ?」
 私は、我ながら冷たい口調になった。
「そう。これは偶然だね。ところで話にはまだ続きがあるんだけど、それは本人の口から聞いてみようよ」
 コンコンとノックの音がして、若い女性が入ってきた。高橋愛だと名乗った。
「手紙であらましはお伝えできたと思うんやけど、あっしんとこにもこんなの来たんやって」
 つぼみちゃんが封筒を開けると、サクランボの種が三つ出てきた。一つずつ数が減っているらしい。
「なんや気味悪いんやけど」
「そりゃそうでしょうけど」
299 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/15(火) 21:45
 つぼみちゃんは封筒を陽にすかしていた。封筒をはさみで広げると、小さい紙が出てきた。紙には鉛筆で「VV」と書いてあった。
「Vが二つ……」
「心当たりありますか?」
 高橋さんは首を振った。そして、最近自分の住んでいる部屋を見張られているような気がすると、心配を述べた。
「そうですね。とりあえず調べておきますが、とりあえず引越しを考えたほうがいいかもしれませんね。近日中に調査の結果を報告しますよ」
 高橋さんは不安を隠せないまま帰っていった。
300 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/15(火) 21:45
「さて、あさ美ちゃんはどう考える?」
「どうって、何かの偶然でしょ?」
 つぼみちゃんは不適に笑うと、アームチェアーにどっさりと腰を下ろした。
「じゃあ、こう考えてみようよ。鍵は『VV』の二文字にある。このグループはアメリカ人もいたんでしょ? となると、『VV』と言ったら、『ヴィンセント・ヴェルダー』のことを指すとしか思えないね」
301 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/15(火) 21:45
 ヴィンセント・ヴェルダーは、アメリカ中西部で列車強盗を繰り返した指名手配犯として、世界中にその名を知られていた。
「列車強盗はだいたい四、五人でやるんだ。となると、事故死した彼女たちはその仲間だった可能性が強い。だけど、そのうちの何人かは仲間を裏切って、分け前を奪って日本に逃げてきた。ヴェルダーはどうする? 裏切り者に復讐するでしょ?」
「それで、サクランボの種は……」
「一種の警告だね。それを知っていた彼女たちは大いに慌てた。外国に逃げようとしたりしたようだけど、事故に見せかけて殺されたわけ」
302 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/15(火) 21:45
 私は、がまんできなくなって、クスクスと吹き出し始めた。つられてつぼみちゃんも笑ったのだが、口元に手を当てたのはさすがお金持ちのお嬢様だった。
「なんてね。無理やり説明つけようとするとこうなるんだけど、必然じゃないよね。つまり、あさ美ちゃんの言うとおり偶然なんだ」
「高橋さんは?」
「どうだろう。万一彼女が列車強盗の仲間だったとしたら、悪党同士の殺し合いに私が邪魔だてすることは考えられない。仲間じゃないとしたら、狙われる理由もないし、私の出る幕じゃないよ。第一、偶然だしね」
 サクランボの種は、彼女たちアイドルグループのファンのいたずらでしょう、との結論が出た。
303 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/15(火) 21:46
 数日後、新聞の社会面にアイドルが死亡記事が載った。
「つぼみちゃん、高橋さんが自動車事故で死んじゃったんだって」
「偶然というのは重なるものだしね」
 記事には、残された二人が「ダブル・ユー」というユニットで故人の遺志をついでいきたいと語った、というコメントが書かれていた。こうなっては、元のアイドルグループは休止状態になるのもやむをえないのだろう。
 不慮の事故で三人を失った二人の心中を思い、その新しいグループを密かに応援しようという気持が、私の中に生じていた。
304 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/15(火) 21:46
おしまい
305 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/15(火) 21:46
……
306 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/15(火) 21:46
……
307 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/15(火) 21:46
……
308 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/16(水) 22:12

白百合つぼみの冒険

The Adventures of TSUBOMI SHIRAYURI


第6話 性格のねじれた女

The Woman with the Twisted Character
309 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/16(水) 22:13
「また雨が降ってきたよ」
「うっとおしいね。天気も授業も」
 なつみ先生のくだらない授業がえんえんと続いていた。つぼみちゃんと私はどこかで抜け出すチャンスをうかがっていた。
 ところが、先を越されてしまった。
「こら! 真里ちゃん! どこ行くの?」
「バーカ、バーカ!」
310 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/16(水) 22:13
 可能な限り舌を出して赤目を見せると、真里ちゃんは教室を飛び出していった。
「なつみ先生! 呼び戻しに行ってきます!」
「あ、あたしも」
 つぼみちゃんと私はこれ幸いと教室を出て、彼女を追いかけた。
311 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/16(水) 22:13
 矢口真里ちゃんは、白百合つぼみちゃんの天敵だった。つぼみちゃんは白百合伯爵家のお嬢様であり、すなわちこれはお金持ちであることを意味する。お金の力はいつ何時でも強大であり、ハロモニ幼稚園どころかこの界隈の支配者だった。
 そんな彼女に叛旗を翻したのが真里ちゃんだった。彼女は支配されることにがまんができなかったらしい。つぼみちゃんの財力と策略により、次第に彼女は孤立していったのだが、それでも彼女はへこたれず、逆に闘志を燃やしていった。
 なかなか真里ちゃんがなびかないので、つぼみちゃんは「彼女は性格がひねくれてるのよ」と、いささか身勝手な診断を下していた。
 一方、なつみ先生は、もはや白百合伯爵家の忠実な奴隷と化していた。その様子も真里ちゃんの気に入らないところだったらしい。ことあるごとに真里ちゃんはなつみ先生に反抗をくり返した。今日の逃亡劇もその一つだった。
312 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/16(水) 22:13
「どうする? 探偵事務所に行くの?」
「いいや。真里ちゃんを捕まえに行くよ。言わばなつみ先生の依頼みたいなものだし」
 殊勝な物言いに聞こえるが、その実、ここで真里ちゃんにガツンと一撃食らわしてやろうと思ってるはずだった。目つきがそれを語っている。
 真里ちゃんは玄関から外に出て行ったようだった。私たちも靴を履いて出ようとしたら、大粒の滝のような雨がそれを阻んだ。小さな傘では役に立ちそうもなかった。
「どうする? 追いかける?」
「……今日はやめよ」
 雨はつぼみちゃんの邪悪な心を洗い流したようだった。私たちは事務所に戻ってくつろぐことにした。
313 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/16(水) 22:14
 なつみ先生の大声が聞こえてきたのは、もうすぐお昼の時間になろうかというときだった。つぼみちゃんに促されて様子を見に行くと、なつみ先生は廊下で小さな女の子の腕をつかんでいた。
「どこから入ってきたの? 名前は?」
 私の知らない、ずぶ濡れの女の子だった。顔はのっぺりとしていて、目は少し小さく、少しそばかすがあった。口を尖らせて不満そうだったが、一言も口を聞かなかった。
「うちの幼稚園の子じゃないでしょ。なのになんでこんな制服着てるの?」
314 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/16(水) 22:14
 年の頃は私たちと同じくらいだが、もしかしたら少し発達が遅れているのかもしれない。心配しなくても、小学生になればみんなと変わりなく成長することはよくあることだ。
 他の園児たちも騒ぎを聞きつけて、ドアから顔をのぞかせていた。相変わらず雨の屋根を打つ音が間断なく響いていた。そこに聞きなれた声が聞こえてきた。
「お腹すいた……お弁当の時間じゃなくて?」
「あ、つぼみちゃん」
 私はことのあらましを簡単に伝えた。真里ちゃんの失踪、そしてあまりかわいいとは言えない顔立ちの女の子。私はもしや、という気持ちになっていた。
315 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/16(水) 22:14
「あなた、これ真里ちゃんの制服じゃないの。どこで盗ってきたの?」
 ハロモニ幼稚園にですら、誰とは言わないが手癖が悪い兄弟もいる。幼稚園に通えない貧しい家の子供ならなおさらだ、というなつみ先生の偏見が混じっていた。
「まあまあ、なつみ先生。とりあえずお昼ご飯にしましょうよ。その子のことは午後にゆっくり考えましょう」
 つぼみちゃんにそう言われて逆らえるなつみ先生ではない。かわいそうにその子は縄で先生の椅子に縛られ、それから私たちは教室に戻ってお弁当の時間を楽しむことになった。
316 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/16(水) 22:14
 さっさとお弁当を食べ終えると、私たちは椅子ごと彼女を探偵事務所に引っぱっていった。
「さて、どうしようか」
「これってあれじゃないの?」
 つぼみちゃんはニヤリとした。私は水に浸したスポンジをつぼみちゃんに渡した。定石ならここでメイクが落ちて素顔が現れるはずだったが、顔形は全然変わらなかった。
「あれ、変装してるんじゃないの?」
317 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/16(水) 22:14
 昔々のこと。立派な風体の新聞記者が失踪し、彼の服を着ていた乞食が殺人の疑いで逮捕された。実は、この乞食こそが新聞記者の別の姿であり、それを見破った慧眼の探偵はスポンジで顔を洗って真実を明るみにしたのだった。
 ところが、どうやら勝手が違うようだった。いくらこすっても、この子の真実の顔が出てこない。
「真里ちゃんが変装して先生をからかってるんだと思ったのになあ」
 つぼみちゃんはがっくりと肩を落とした。つぼみちゃんのこのようなみじめな敗北を見たのは初めてだった。
318 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/16(水) 22:15
「じゃあこの子は?」
「多分、その辺に住んでる子だよ。もしかしたら真里ちゃんがしかけたいたずらだったのかもしれない。制服をあげて幼稚園に侵入させて、案の定大騒ぎ。おまけにつぼみの推理も外れるし」
 私たちは彼女の縄をといて、ハロモニ幼稚園から解放した。そのとき、その子の哀れな様子につぼみちゃんは施しをあげようとしたら、その子はつぼみちゃんの手のひらから札束を打ち落とした。
「なかなか、見上げた根性を持ってる子ね。こういう気概のある子、つぼみは大好きだよ」
 私たちは、その子が門を出るところまで見送った。ほとんど姿が見えなくなったところで、遠くから「バーカ、バーカ!」という声が聞こえた。
319 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/16(水) 22:15
 翌朝、つぼみちゃんと落ち合っていっしょに歩いて幼稚園に向かっていると、途中で真里ちゃんに出くわした。いつもながら、子供に似合わない大人びたというか派手な顔だちをしていた。
「おはよう」
「おはよ」
 今日もいつもと変わらず、つぼみちゃんと真里ちゃんのスリリングな対決が見られそうだった。
320 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/16(水) 22:15
おしまい
321 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/16(水) 22:15
……
322 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/16(水) 22:15
……
323 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/16(水) 22:15
……
324 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/17(木) 21:35

白百合つぼみの冒険

The Adventures of TSUBOMI SHIRAYURI


第7話 青いガーネット

The Blue Carbuncle
325 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/17(木) 21:36
 雪こそ降らなかったものの、身を切るような寒風は私にアフガニスタンの峡谷の冬を思い出させた。冬の深雪はソ連の戦車部隊から機動力を奪い、私たちの砲撃の絶好の的になったものだった。
 日本はアフガンと違い、平和だった。今日はクリスマス・イブで、ハロモニ幼稚園でクリスマス・パーティがあった。そこでプレゼント交換というイベントがあり、私たちは幼稚園児にふさわしい他愛もない物を用意していった。
 そんな中、一般庶民とは違うものを用意したのが白百合つぼみちゃんと太眉毛豆子ちゃんだった。二人とも自他ともに認めるお金持ちのお嬢様であり、二人は競うように豪華なプレゼントを持参してきた。
326 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/17(木) 21:36
「私のプレゼントはディズニーランド一日入場無料権よ」
 つぼみちゃんのこれは単なる入場券ではなく、あのディズニーランドが一日貸切になるのである。アメリカ資本主義の体現とも言えるディズニーキャラクターは日本の園児たちの無垢な心を支配していた。
 一方、豆子ちゃんのプレゼントはガーネットという宝石だった。豆粒ほどのガーネットがついたアクセサリーなら数千円で手に入るのだが、豆子ちゃんのものはそんなちんけなものではなかった。まずミカンくらいの大きさがあることだけでも驚きなのに、その宝石は青く輝いていた。ガーネットは本来赤い宝石なのであり、これは世界に二つとない珍品だった。
「けっ、なーにがプレゼントだ」
「クリスマスの、ばっきゃろー」
327 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/17(木) 21:36
 世の中、お金持ちがいるのならその数倍の貧乏人もいる。頑固一筋、二筋兄弟は赤貧の家に生まれた。自分たちの生活もままならないのに、他人にくれてやるものなどあるはずがなかった。
「一筋くん、二筋くん。そんな悪い言葉使っちゃいけません」
「そうよ。プレゼント持ってこなきゃ、パーティに参加しちゃいけないよ」
「第一、この幼稚園の授業料払ってるの?」
 なつみ先生の叱責は、私には酷なようにも思えたのだが、それに輪をかけてつぼみちゃんと豆子ちゃんの嘲弄はあまりなものに思えた。果たして、頑固兄弟は激昂した。
328 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/17(木) 21:36
「プレゼントないなら分けてあげようか?」
 つぼみちゃんの悪魔のささやきに、二筋くんは膝を屈しそうになるのを、一筋くんが一喝した。
「二筋! そんなみっともない真似するな!」
「だって兄ちゃん。クリスマスプレゼントだよぉ。俺、見たことも触ったこともないんだよぉ」
「二筋、行くぞ」
「こら、一筋くん、二筋くん。プレゼントなら先生が、ほら、幼稚園のニワトリあげるって言ったでしょ。おうちに持って帰ってお父さんとお母さんに渡しなさいって」
329 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/17(木) 21:37
 なつみ先生の制止を無視して一筋くんが教室を出て行った。未練たっぷりに二筋くんもついていった。
「先生、早くクリスマスパーティを始めましょう」
「そ、そうね」
 私の気分は複雑だった。アフガンには頑固兄弟のような貧しい子供たちでいっぱいだった。一方、私はこうして日本において経済的繁栄の恩恵をこうむっている。これも運命というものなのだろう。
 貧乏兄弟なしでクリスマスパーティが開始した。クラッカーの音と歓声が教室内に響いた。
330 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/17(木) 21:37
 異変に気づいたのは、プレゼント交換のときだった。まず初めにみんなが番号札をひき、その番号に該当するプレゼントが与えられる手はずになっていた。一般園児はみな、高価なプレゼントが当たることを祈っていた。
 つぼみちゃんのプレゼントを高橋さんが、豆子ちゃんのを真里ちゃんが引き当てた。ところが、プレゼントを渡す段になって、豆子ちゃんの持ってきた宝石箱の中が空っぽになっていることが明らかになった。
「えー、なにこれー。ちょーさいあくー」
331 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/17(木) 21:37
 もちろん青いガーネットが勝手に消えてしまうわけがない。誰かが盗んだことになる。そこに頑固一筋くんと二筋くんが戻ってきたのだから、疑いの目が二人に注がれたのは当然のことだった。
「なんだよ。俺たち何にも悪いことしちゃいねーよ」
「コケーコココッ」
 一筋くんは事実を否定し、二筋くんはなぜかニワトリの物まねを始めた。一筋くんは舌打ちして二筋くんの頭を殴った。
332 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/17(木) 21:38
 先生は二人を捕まえて身体検査した。しかし、どこを探しても宝石は見つからなかった。
「先生、もし二人が犯人だとしたら、どこかに隠すのが自然だと思います」
 つぼみちゃんの指摘はもっともだった。お金持ちのお嬢様であり、英国の名探偵並みの頭脳を持つつぼみちゃんは、隠された宝石を捜す権限をなつみ先生から委託された。
 つぼみちゃんと私は園庭に出た。
333 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/17(木) 21:38
「独創的な犯罪なんて、そうあるものじゃないの。だいたいはこれまでに起こった事件と類似したものばかりなんだ」
「じゃあこの事件もそうなの?」
「そう。盗んだ物をいつまでも手元に持っている窃盗犯なんていない。するとどこかに隠してあるはずなんだけど、その隠し場所も決まっているはず」
 ニワトリ小屋の前に出た。網の中に五羽のニワトリが首を動かしながら歩いている。
「見て」
 つぼみちゃんが小屋の入り口を指さした。
334 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/17(木) 21:38
「鍵がかかってないし、地面にはあの二人のものらしき足跡がついてる。ってことは、二人はこの小屋の中に隠したのよ」
「どこに? ワラの下くらいしかないけど」
「違うよ。そんなところに隠しても、あとで取りに来るとき目立つもん。二人があまりに貧乏なので、なつみ先生はこのニワトリのうち一羽を持ち帰って食べてもいいと、約束してたでしょ」
 なるほど、と私は合点した。ニワトリに宝石を飲ませておけば、それを持って歩いていても、誰も宝石を持っているのだなとは思わない。ニワトリの一羽は頑固兄弟の物なのだから。二筋くんが問い詰められて、思わずニワトリの真似をしてしまったのが運の尽きだった。
335 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/17(木) 21:38
 私たちは一羽一羽ニワトリの首を絞めて回った。
「あれ、つぼみちゃん」
 何度首を絞めても、どのニワトリも青い宝石を吐き出さなかった。
「そっか。ミカンのように大きい宝石なのに、ニワトリが飲み込めるわけないよね」
336 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/17(木) 21:39
 落胆を隠さないまま、つぼみちゃんは結果をなつみ先生に報告した。疑いの晴れた頑固兄弟は解放された。いちばん不平を言っていたのは、ガーネットをもらえるはずだった真里ちゃんだったが、その代わりにつぼみちゃんがつけていたダイヤの指輪を与えられて静かになった。
「それじゃ、パーティの続きを始めましょう」
「一筋くんと二筋くんはプレゼントないけどね」
337 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/17(木) 21:39
 つぼみちゃんの憎まれ口にも、今度は二人とも平気そうだった。一筋くんは息も絶え絶えのニワトリを腕に抱えていた。どうせ頑固兄弟が家に帰るまでの命なのだが。
「これを先生にもらったから、俺はいいよ。なあ二筋?」
「コケ、コココ」
 二筋くんは何か喉につまらせているかのように、苦しそうにニワトリの物まねをくり返した。
338 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/17(木) 21:39
おしまい
339 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/17(木) 21:39
……
340 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/17(木) 21:39
……
341 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/17(木) 21:39
……
342 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/18(金) 22:09

白百合つぼみの冒険

The Adventures of TSUBOMI SHIRAYURI


第8話 淫らな紐

The Indecent Band
343 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/18(金) 22:10
 白百合つぼみちゃんの名声はついに市井の一般人にもとどろくようになっていった。つぼみちゃんはお金持ちのお嬢様であり、そしてハロモニ市随一の名探偵でもあった。
 今日も幼稚園内の探偵事務所でくつろいでいると、ドアが乱暴に開けられ、依頼人とおぼしき人物が入ってきた。
「あなたが探偵ですか」
 全身がすっぽりとおさまるような黒いマントを着込んだその人は、私に強引に握手を求めてきた。金髪だから外国人かと思ったが、日本語は流暢だった。
344 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/18(金) 22:10
「いいえ、そちらが白百合つぼみちゃんです」
 つぼみちゃんは少々不機嫌そうに立ち上がった。依頼人は馴れ馴れしくつぼみちゃんの肩を抱いて握手した。するとどういうわけか、つぼみちゃんの顔から険が消えていった。
「実はお願いしたいことがあるのです」
 その依頼人は、Y.デビルと名乗った。日本にはとある会合に出席するためにやってきたのだという。デビルさんは市内の安ホテルに泊まったところ、そこで旧知の人物と出会った。
「その方はC.エンジェルさんというのですね」
「はい。わたしと同じ会合に出るためでした。わたしたちは別件でお互い話し合わなければならないことがあったので、そのホテルの部屋で何度か会いました」
345 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/18(金) 22:10
 デビルさんは202号室、エンジェルさんは204号室で、部屋が近いため夜中でもお互いの部屋を行ったり来たりできたという。
 昨晩、デビルさんは夜中の十二時を過ぎたころ、ベッドに入って就寝した。隣の部屋から何かごそごそと物音がしてなかなか寝つけなかった。ときどきヒューヒューと口笛を吹く音も聞こえてきた。ようやくうつらうつらとし始めたとき、ノックの音がした。
 誰だろうと、ドアをあけると、蒼白な顔をしたエンジェルさんが立っていた。デビルさんの目でも、何かの恐怖にとらわれているのがわかったという。
『どうしたんだい。何があったの?』
『み……』
『み?』
『み、淫らな紐が……』
346 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/18(金) 22:11
 こうつぶやくとエンジェルさんはその場に倒れてしまった。ホテルのフロントが医者を呼んだが、すでに手遅れだった。医者の見立てでは、心臓麻痺だった。
「ちょっと待って。『淫らな紐』って言ったの?」
「ええ、確かに」
「それが何のことを意味するかご存知ですか?」
 デビルさんは首を振り、「どのような意味を持つのかわからない」と答えた。デビルさんによると、エンジェルさんは喉の調子がおかしい以外はいたって健康だったので、意味もなく心臓麻痺で昇天してしまうわけがない。何か重大な出来事が起こったはずだから調査してほしい、というのが依頼の内容だった。
347 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/18(金) 22:11
 この摩訶不思議な出来事を聞いて、つぼみちゃんの目は輝いていた。即座に依頼を引き受けると、早速私たちは調査に乗り出した。
「『淫らな紐』ってなんだろうね?」
「きっとそれが被害者の死因だよ。何か邪悪な意思を感じるね」
 まず、死亡診断書を書いたホテル付きの医者を訪ねた。医者は、確かに不審死ではあるが、体のどこにも外傷はなく、自然に心臓麻痺が起こったとしか考えられないとの所見を述べた。
「首の周りにも、何か紐で絞められたような跡はなかったんですか?」
「きれいな首でしたよ。これをごらんなさい」
348 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/18(金) 22:11
 医者は数枚の写真をつぼみちゃんに渡した。首より上が写っている写真を見ると、確かに何の跡もなかった。
 つぼみちゃんは他の写真も丹念に調べた。ノートパソコンとスキャナーを取り出すと、一枚一枚スキャンしてパソコンの中に取り込んだ。
 それからホテルの二階にあがり、デビルさんの部屋の前に立った。デビルさんは大事な用事があると言って、この部屋にはいなかった。ドアは木製だががっちりしていて、床とは紙切れが一枚通るかどうかという隙間しかなかった。
 フロントから借りた鍵を使って、エンジェルさんの泊まっていた部屋に入った。エンジェルさんの同僚が取りにくるまで、荷物の類はそのままにしておくという。つぼみちゃんは部屋の様子を観察すると、天井に近いところの壁を指さした。
「ほら、あさ美ちゃん。通風孔があるよ」
「網がかかってるね」
349 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/18(金) 22:11
 私たちが202号室を出て、203号室の前を通りかかったとき、つぼみちゃんは不意に立ち止まってドアに耳をつけた。私も屈んで、つぼみちゃんの顔の真下のところで耳をつけた。
 やがて、私たちは耳を離すとホテルを出た。
「あさ美ちゃん、聞こえた?」
「うん。はっきりとは聞こえなかったけど、『悪魔め』とか『退治する』って言ってたと思う」
「それとね、口笛の音も聞こえてたよ」
 探偵事務所に戻ると、つぼみちゃんはノートパソコンを起動した。医者から入手した写真を拡大しながらあやしいところがないか、目を皿のようにして見つめていた。
「これを見て」
350 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/18(金) 22:12
 被害者であるエンジェルさんの全身が写っていた。デビルさんの知り合いらしいが、こちらは全身白づくめだった。
「どこか変なところあるの?」
「よく見てよ。白い服に細長いシワがついてるでしょ」
「そう見えるけど?」
 鈍いやつ、とつぼみちゃんはつぶやくと、携帯電話でデビルさんの連絡先にかけた。
「今夜もあの部屋に泊まるんだって。私たちも行こ」
351 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/18(金) 22:12
 つぼみちゃんはホテルに向かうリムジンの中で、その推理の一部を披露した。
「犯人は今晩にもデビルさんを狙うよ」
「やっぱり隣に泊まってる人が?」
「そう。本当は最初からデビルさんを狙ってたんだけど、間違えて反対側の部屋にいたエンジェルさんを殺しちゃったんだよ」
「でもさ、どうやって? あんなに頑丈なホテルの部屋にどうやって出入りするの?」
 昼間に見た様子では、各部屋は通風孔でつながっている。けれども、孔はわずかな大きさで人間が入ることはできないように思えた。
「見ればすぐにわかるよ」
352 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/18(金) 22:12
 私たちはデビルさんを部屋から追い出した。万に一つ、私たちが失敗してデビルさんの身に危険が及ぶことがあってはならないからだ。
 十二時を過ぎた頃、つぼみちゃんは部屋の明かりを消した。電気スタンドの明かりだけが頼りとなった。
「つぼみちゃん」
「しっ!」
 どこからか口笛の音が聞こえてきた。つぼみちゃんは愛用の鞭をバッグから取り出しすと、通風孔の下に立って見上げた。私が息を飲んで見守っていると、通風孔の網の隙間から太い紐のようなものが頭を出した。それはつぼみちゃんに気づくと、口を開けて牙を見せた。
 つぼみちゃんが右腕をしならせると、パシンという音がした。つぼみちゃんの鞭は狙いを外さなかったのだろう、それは網の向こう側に頭を向け、消えてしまった。隣の部屋から「ギャッ」という悲鳴が聞こえた。呆然としていると、やがて部屋の明かりがついた。
「あさ美ちゃん。これが『淫らな紐』の正体だよ」
353 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/18(金) 22:12
「あの気味の悪い口笛で、犯人は蛇を自在に操ることができたんだ」
 果たして蛇に耳がついていたかどうか、私は動物学者じゃないので判断できなかった。しかし、つぼみちゃんがそういうのだから間違いはないのだろう。
「蛇の毒で殺そうとしてたの?」
「ううん。そうじゃないよ。この蛇はインド産の沼毒蛇って言うんだけど、人が即死するような毒は持ってない」
 つぼみちゃんはアームチェアーに座って、オレンジジュースをすすった。
「だけど、こんな気持ち悪い蛇に襲われたら、すごくびっくりするよね。夜中だし、言いようもない恐怖にとらわれて心臓麻痺を起こしてもおかしくはない。ショック死させようとしてたんだ」
354 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/18(金) 22:13
「『淫ら』っていうのは?」
「蛇はエンジェルさんの胸元に飛びついて巻きついたんだよ。女の子の胸をまさぐっているようなものだから、エンジェルさんは何かいやらしいことをされてると思ったんだろうね」
 蛇をやっつけると、つぼみちゃんと私はすぐに隣の部屋に蹴破って入った。犯人は、すでに失敗したことを悟っていた。窓が開いていて、夜風がカーテンを揺らしていた。犯人の残したものはだだ一つ、部屋の真ん中でとぐろを巻いている土色の蛇だけだった。
「『悪魔』とか『退治』とかっていう言葉から、おそらく犯人は、どこかのオカルト秘密結社に所属している可能性が強い。その線で調べるように、ハロモニ署の担当刑事にパパを通して伝えたから、じきに犯人は捕まると思うよ」
 デビルさんがやってきて、つぼみちゃんにお礼を言った。このまますぐに日本を発つという。
「それがいいですね。残念ながら、あなたを蛇のようにつけ狙うやつらがまだいるかもしれませんから」
「そう、蛇が大の苦手なんですよ。……エルのやつめ」
355 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/18(金) 22:13
「キャッ」
 去り際に、デビルさんは私のおしりをなでていった。それはあまりの早業で、私の正拳突きがくり出される前にデビルさんは事務所から消えていた。
 この不思議な事件のことは、もうすっかりつぼみちゃんの頭から消えてしまったようだった。つぼみちゃんは解決した事件にはすぐに興味をなくし、新しい事件を追い求めるのだった。
「あさ美ちゃん。マキエルさんって覚えてる?」
「あの頭がはげてる宣教師でしょ?」
「その人がね、虫か何かに噛まれて入院したって、婆やに連絡がきたらしいの。知らない仲でもないし、お見舞いに行こうよ」
356 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/18(金) 22:13
おしまい
357 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/18(金) 22:13
……
358 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/18(金) 22:13
……
359 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/18(金) 22:13
……
360 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/19(土) 22:35

白百合つぼみの冒険

The Adventures of TSUBOMI SHIRAYURI


第9話 辻の親指

The Tsuji's Thumb
361 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/19(土) 22:35
 どこの幼稚園にも、手のつけられないならず者が何人かいる。ジョニー加護くんとトニー辻くんの二人組みがその典型で、隣町の幼稚園で問題を起こしてそこにいられなくなり、このハロモニ幼稚園にやってきたときは、みな戦々恐々としたものだった。
 つぼみちゃんなどは逆に面白がって、ジョニー加護くんに「言うこときいたら、今度公園でデートしてあげる」などとからかっていた。
 それなりにおとなしくしていた二人だったが、ここ最近雲行きがあやしくなってきた。ジョニー加護くんがつぼみちゃんに相談を持ちかけてきたのである。
362 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/19(土) 22:35
「どうしたの? 加護くん」
「実はトニーのことなんだけど」
 昨日の夕方、幼稚園が終わると二人は愛用の三輪車をぶっ飛ばしていた。すると、いきなりトニー辻くんの三輪車が自動販売機の前で止まった。
『何やってんだよ。公園通りを爆走するんだろ』
『ちょっと待ってよ』
 トニー辻くんはがま口の財布を取り出すと、硬貨を自動販売機に投入した。しばらく迷ったあげく、少し大人ぶってブラックの缶コーヒーのボタンを押した。平気なふりして一気に飲み干したが、やはり苦そうな顔をしたという。
『ジョニーもどうだい。おごるぜ』
『えっ。いいのかよ』
 トニー辻くんは親指を上に指した。
363 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/19(土) 22:35
 ジョニー加護くんは素直にオレンジジュースを選んで、おいしくいただいのだが、ここで疑念が湧いてきた。トニー辻くんの家はそれほど裕福な家ではないし、裕福な家だとしても幼稚園児にお金を持たせる家などほとんどないだろう。白百合家などは別格として。
 トニー辻くんは、どうやってそのお金を手に入れたのだろうか。もしかして何か悪いことをしたのではないだろうか、と不良ぶってるくせにやけに道徳的なことをジョニー加護くんは心配しているのだった。
「そのお金の出所を調べればいいのね」
「悪いけど、頼む」
364 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/19(土) 22:35
 幼稚園が終わると、私たちは上機嫌で三輪車をこいで走るトニー辻くんのあとをつけた。ハロモニ公園を抜けて、だんだん町外れに近くなってきた。トニー辻くんはきょろきょろ辺りを見回し、人影がないのを確認すると、三輪車から降りて空き地に入っていった。
 この空き地は、マンションの建設予定地だったのが、資金がなくなったのか基礎工事すら行われないまま放置されているものだった。雑草が深く繁り、土管や建築資材が散らばっていた。
 トニー辻くんは太い棒を拾うと、それを使って地面にめりこんでいる鉄板を開けようともがいていた。苦労が実り、開いた穴の中に顔をつっこんだ。
「あさ美ちゃん、行くよ」
「うん」
 私たちはトニー辻くんの身柄を難なく確保した。トニー辻くんはしばらく暴れていたが、つぼみちゃんの鞭の空打ちを見ておとなしくなった。
「中に何が入ってる?」
「ちょっと待って」
365 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/19(土) 22:36
 私は穴の中にあったダンボール箱をひっぱりあげた。中を開くと、トニー辻くん愛用のおもちゃ類にまじって、封の切っていない百円玉や十円玉の束がいくつもあった。
「どこで盗んできたの?」
「盗んだんじゃないよ。拾ったんだよ」
 トニー辻くんは観念してすべてを白状した。
 先日のある日、トニー辻くんはこの近辺で暴走行為を楽しんでいた。一台の自家用車が止まっており、そのトランクの鍵がかかっていないのを見つけると、そこに潜り込んだ。いたずら盛りの子供がよくやることである。
 すぐに出るつもりだったのだが、車の持ち主が現れたので、叱られるのを恐れて出られなくなってしまった。
366 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/19(土) 22:36
『連れてきたか』
『ああ。ちょいとてこずったがな』
 どうやら三人の大人らしい。うなるだけで声にならない声が聞こえてきたので、一人は猿ぐつわをされているようだった。
『こいつで大丈夫か?』
『一応、評判の腕利きらしいぜ。圧搾機の専門家だ』
『おい、おとなしくしてれば、すぐに解放してやる。わかったな?』
 車が動き出した。その間、トニー辻くんは音を立てないようにトランクの中でじっとしていた。何かやばいことに巻き込まれたことを本能的に悟ったのだ。
367 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/19(土) 22:36
 車はそれほど揺れなかったらしい。トニー辻くんは車の振動が心地よく、あやうく寝てしまうところだった。
 車が止まると、三人は降りたようだった。
『すぐに取りかかれるな?』
『道具は揃ってる。あとはこいつの腕次第だ。それ、目隠しを外してやれ』
 三人の立ち去る足音がしなくなってから、トニー辻くんはトランクから抜け出した。どこかの敷地内で、逃げようにもどこに向かったらいいのかわからなかった。
 勘を頼りに忍び足で進んでいくと、小さな小屋を見つけた。そこは倉庫になっているようで、中に入るとこの百円玉、十円玉の束の山が積んであったという。トニー辻くんは、知らず知らず、そのいくつかをそこにあった紙袋に入れて小屋を出た。
368 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/19(土) 22:36
 結局トニー辻くんは脱出をあきらめ、車のところに戻った。トランクに隠れて、あの男たちが外に出る機会をうかがうことにしたのだった。トニー辻くんの勘は当たった。やがて車が動き出して、一時間後、トニー辻くんが無事脱出できた。そこは元の場所だった。
 トニー辻くんは紙袋の中身の処置に困った。とりあえず、なじみの空き地に三輪車で向かい、この穴の中に隠した。ほとぼりがさめたと思ったトニー辻くんは、こうして豪遊する日々を迎えることができたのだった。
 話を聞いて、トニー辻くんの無謀な冒険に私はあきれてしまったのだが、つぼみちゃんは別の興味を持ったようだった。
「あさ美ちゃん、今朝の新聞読んだ?」
「いや、よく読んでないけど」
「地方記事のところに、飛び降り死体が見つかったってあったでしょ。それと社会面の贋金の記事」
369 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/19(土) 22:40
 この近所で飛び降り事件があったらしく、昨晩その死体が発見されていた。警察は自殺と事故の両方の可能性があると見て捜査中らしい。そして、巷に出回っている偽硬貨の問題。粗悪な五百円玉や百円玉なのだが、人の目を介さない自動販売機で使えてしまうという。
 つぼみちゃんはこの二つの新聞記事とトニー辻くんの奇妙な体験を結びつけた。そこが名探偵たる所以である。
「辻くん。その車が泊まってたところに連れてって」
 そこは空き地から二百メートルほど離れたところにあった。トニー辻くんにはもう用がないとばかりに、つぼみちゃんは彼を放逐した。もうそろそろ夜が更けようとしていた。
「飛び降りた人というのが、辻くんの言ってた圧搾機の専門家なの。あとの二人が贋金作りの犯人で、道具を揃えたのはいいけど、自分たちでは作れない。そこで専門家を誘拐してきて無理やり贋金を作らせて、口封じに殺してしまったのよ」
370 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/19(土) 22:40
「どうする? 警察に知らせる?」
 予想どおり、つぼみちゃんは言下に否定した。
「辻くんの証言だけじゃ警察は動かない。少なくとも贋金作りの場所を押さえないといけないと思う」
「どこかもう見当はついたの? 車で一時間のところだから40キロはあるよ。北のほうかな?」
「辻くんによると、車はそんなに揺れなかったって言ってるでしょ。ここから40キロの場所に行くには、東西南北、どちらに向かっても舗装されてない道を通らないといけない」
 そう言って、つぼみちゃんは地面を指さした。
「だからここ。車に乗せたときは技術者を生かしておくつもりだったと思う。だから現場をその人に悟られないように、目隠しして、付近を一時間ほどうろうろしてたというわけ」
371 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/19(土) 22:41
 それからつぼみちゃんは白い小さな工場のような建物を指さした。
「つぼみの推理が間違ってなかったら、あれが贋金工場よ」
 さらに確たる証拠をつかむべく、私たちはその工場敷地に侵入した。トニー辻くんの目撃から数日、犯人たちの生産規模は日ごとに増していったらしい。機械がいくつもうなる音が聞こえてきた。
 つぼみちゃんはすぐに方針を変更した。
「こんなに大掛かりになってるなんて思わなかった。犯人たちに捕まるとたいへんだから、ここは官憲の手を借りることにしよ」
「でも、私たちじゃ警察は取り合ってくれないよ」
「嫌でも公権力が介入できるようにするの」
372 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/19(土) 22:41
 つぼみちゃんは木造の小屋を見つけた。これがいい、と、つぼみちゃんはそばに積んであった紙の束をいくつか引き抜く、ライターで火をつけると小屋の中に放り込んだ。小屋の中に油が保管してあったらしく、あっという間に炎につつまれた。
 私たちは敷地内を脱出した。つぼみちゃんが携帯電話で消防署に知らせるまでもなく、サイレンの音が町じゅうに響き渡った。
「これで悪人たちの秘密工場も白日の下に晒されるよ」
373 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/19(土) 22:41
 翌朝私たちは、トニー辻くんから差し入れされたオレンジジュースを口に含みながら、最近つぼみちゃんの大脳を刺激する事件が起こらないことを嘆じ合っていた。
「これを見てよ、つぼみちゃん」
「ハロモニ市内の造幣局にて大火災……」
「放火の疑いもあるんだって。痛ましい事件だね」
「どうするの? つぼみちゃんの出番じゃない?」
 つぼみちゃんは私をにらんだ。
「こんなつまらない事件なんて、警察に任せて十分よ。あーあ、何かおもしろい事件でも起こらないかな」
374 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/19(土) 22:41
おしまい
375 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/19(土) 22:41
……
376 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/19(土) 22:41
……
377 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/19(土) 22:41
……
378 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/20(日) 20:54

白百合つぼみの冒険

The Adventures of TSUBOMI SHIRAYURI


第10話 涜神貴族

The Noble Profaner
379 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/20(日) 20:54
 ハロモニ幼稚園はミッション系、すなわちキリスト教の団体が設立したものである。施設はカトリック系の教会敷地内にあった。頑固兄弟がほとんどお金を払わず通えるのも、キリスト教の持つ博愛精神によるものであるらしい。
 その幼稚園や教会の最大のスポンサーが、白百合つぼみちゃんのお父さんである白百合伯爵だった。デフレと紙不足に乗じて一代にして財をなし、爵位を買い取った人物である。
 その白百合伯爵とつぼみちゃんの仲があまりよろしくないということが、鈍感な私にも薄々感じ取れてきた。お金がいくらあっても幸せを買うことはできないのだなあと、しみじみ思った。
380 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/20(日) 20:55
 つぼみちゃんが家族と喧嘩したときは、不機嫌な顔をして幼稚園に来るからすぐにわかる。頑固兄弟のように暴れたりはしないのだが、見つめられた者は石になってしまうかのようなあの目つきをしてくるのだからうかつに近寄れもしない。
「つぼみちゃん、おあよ」
「……」
 唯一いつもどおりに話しかけるのが高橋さんだった。誰とでも同じように接するいい子、なのだろうが、これはあまりいい意味ではない。
「つぼみちゃん、今度の日曜に宝塚に行かん?」
「……」
381 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/20(日) 20:55
 あまりにもしつこく誘っていると、とうとう切れたつぼみちゃんが「そんなに宝塚がいいのなら、宝塚幼稚園に行けばいいじゃない」と禁句を言ってしまった。宝塚幼稚園の入園資格は厳しく、高橋さんは身長ではねられてしまったのだ。このように、つぼみちゃんが高橋さんにやつあたり気味に突っ込むのはほとんど日常の出来事となっていた。今日も高橋さんはしょんぼりした様子で離れていった。
 とうとう不機嫌のまま、幼稚園の授業が終ってしまった。一日中あの目つきをしていたのである。
 探偵事務所に入ると、アームチェアーに深々と座って一点を凝視しているつぼみちゃんに声をかけた。
「カラオケに行かない?」
 つぼみちゃんは、一人で歌をうたわせていれば次第にご機嫌になるのである。ところがつぼみちゃんは私の意見を一蹴した。
382 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/20(日) 20:55
「この記事を読んでよ」
 つぼみちゃんは私に「ハロモニこども新聞」を手渡した。この新聞はハロモニ市内の小学校に配られているもので、記事の大半が平仮名だった。
「朝顔観察日記がどうしたの?」
「違うよ。一番下の記事だよ」
 そこには、いかにも小学生が喜びそうな怪談記事があった。しかもその舞台はこのハロモニ幼稚園に隣接するハロモニ教会だった。
383 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/20(日) 20:56
 記事によると、ハロモニ教会にはお化けが出るという。この都会にいるわけがないカブトムシを捕りに、教会内の林を夜中にうろついていたとある小学生がいた。そこで、彼はまっ白なものが教会のほうに進んでいるのを見かけた。
 小学生は内心おびえながら、それでも好奇心のほうが勝った。意を決してあとを追うと、そのお化けは教会の物陰に消えた。小学生がその消えた場所にたどりつくと、お化けがいきなり小学生の方を向いた。そのお化けの恐ろしい容貌にびっくりして小学生は失神し、朝方、教会の人にケヤキの根本に倒れているところを発見されたという。
「よくある作り話じゃないの?」
「それがね、その小学生が嘘をついているとは思えないの」
 私たちはその現場に戻った。不可思議な事件にありついたつぼみちゃんは、いつの間にか機嫌を直して目を輝かせていた。
384 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/20(日) 20:56
「この林から教会の建物が見えるよね」
「こっちからあっちにお化けが歩いていったんだ」
 私たちはお化けの足取りをたどっていった。教会の正面のドアのところで右に曲がった。
「たぶんこっちのほうの建物の壁沿いに進んでいったのよ。林の方向からだとここで見えなくなるし」
「あの記事は辻褄があってるわけね」
 曲がった先には一本の大きなケヤキがあった。つぼみちゃんはケヤキを太い幹を観察し始めた。そして木の根本に這いつくばった。
385 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/20(日) 20:56
 なるほど、なるほど、と、つぼみちゃんは顎に手を当てると、今度は教会の裏手に回った。そこは道路に面していて、教会や幼稚園から出るゴミの集積場があった。
「もしかしてゴミをあさるの?」
「まさか。あさ美ちゃんがやりたいって言うのなら、止めはしないけど」
 つぼみちゃんが向かったのは、ゴミ集積場に隣接して置いてある焼却装置だった。下のほうについている鉄のふたをあけ、火かき棒で中味を引っぱり出した。その中にお目当ての物があったのか、つぼみちゃんは手袋をすると、ワラの燃えカスをいじっていた。
「それ何?」
「ワラ人形」
386 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/20(日) 20:56
 夜も更け、私たちは家に帰らずそのまま探偵事務所に戻った。
「お化けじゃなかったんだね」
「そんなものいるわけないじゃない。白い着物を着た人間だったのよ」
 つぼみちゃんの推理を聞いてみたら、なーんだと思うようなことだった。ただ、その何てことのない真実を明らかにするためには、つぼみちゃんの持つ観察力と明晰な頭脳が必要なのだ。
「いわゆる丑の刻参りね。白い着物を着て、髪を乱し、顔を白く塗って、口紅を濃くつける。頭にロウソクをつけるとなお良いみたいだね。それでワラ人形を持って五寸釘で打ち込むと、相手が呪いにかけられるというわけ」
387 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/20(日) 20:57
 つぼみちゃんが見つけた事実とは、白い着物という小学生の証言、ケヤキの幹に開けられたいくつかの穴、木の根元に落ちていた釘、焼却施設で燃やされたワラだった。これらの事実を総合すると、つぼみちゃんの組み立てた推理になるというわけだ。
「どうして焼却場に?」
「もちろん教会の人が始末したのよ。丑の刻参りってもともと神社でやるべきものでしょ。それがキリスト教の教会で行われたなんて、教会にとったらいい迷惑じゃない」
 そうなると誰がそんな呪術行為を行ったかが問題になるのだったが、つぼみちゃんの推理にぬかりはなかった。
「私のパパかママよ」
 さすがにこの犯人像には私も仰天してしまった。
388 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/20(日) 20:57
「ワラの中に私の髪の毛が入ってたの。毛根がちょっと弱そうなのと、脱色の仕方からすぐに私のだってわかった。パパとママはね、私が言うことをきかないのがいやなのよ。それでこういうとんでもないやり方にまですがるようになっちゃったの」
「いくらなんでも、そんな証拠ないでしょ? つぼみちゃんの髪の毛だったら、お父さんやお母さんだけじゃなくても手に入るじゃない」
「うちの使用人とか幼稚園の人とかも入手できると思うよ。でもね、あさ美ちゃんは重要な事実を忘れてるよ。あの小学生はね、お化けの顔を見て失神しちゃったのよ。人を気絶させることのできる顔を持つ人間って、限られてるでしょ」
 私は、特に白百合公爵夫人の顔を思い出し、失礼とは思うが納得してしまった。
389 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/20(日) 20:57
 さて、と、つぼみちゃんは立ち上がった。
「もうそろそろおうちに帰ろうか」
 そのときのつぼみちゃんの顔は一生忘れられない。きっと、つぼみちゃんはこの事件を両親にほのめかすか何かして、白百合家の実権を掌中におさめようとするのではないだろうか。
 つぼみちゃんは名探偵である。しかし、名探偵の能力は、犯罪王となる素質と重なっているのではないだろうか。つぼみちゃんには権力を自在に操る力をすでに持っているのだ。
390 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/20(日) 20:57
 翌朝、私はつぼみちゃんにそれとなく家の様子を尋ねた。思ったとおり、白百合家の実権はつぼみちゃんに移りつつある。伯爵と伯爵夫人は、自分の娘を呪ったことを形の上では否定したが、つぼみちゃんの迫力に押されて、つぼみちゃんのある程度の自由を認めたという。
 つぼみちゃんの自由が、このハロモニ幼稚園に及ぼす影響はどのくらいだろうか。私が悄然としているところに、高橋さんがやってきた。いつものごとく空気の読めないようなことを言ってきた。
「ねえ、つぼみちゃん。なんともないの?」
「え? つぼみはいつもどおり、お金持ちのお嬢様よ」
 高橋さんは、一瞬ではあるがなんとも描写しがたい顔をした。そして「おかしいなあ」「効き目ないんやろか」と首をひねりながら、私たちから離れていった。
391 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/20(日) 20:57
おしまい
392 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/20(日) 20:58
……
393 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/20(日) 20:58
……
394 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/20(日) 20:58
……
395 名前:名無し読者 投稿日:2004/06/21(月) 12:32
つぼみちゃん、いちいち的が外れている辺りが素敵
396 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/21(月) 22:00
>>395

川'v')y-~~ <何? れすとれーど君?
397 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/21(月) 22:00

白百合つぼみの冒険

The Adventures of TSUBOMI SHIRAYURI


第11話 エメラルドの王冠

The Beryl Coronet
398 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/21(月) 22:00
 白百合つぼみちゃんは名探偵である。だから依頼人がいっぱいやってくる。依頼人は一般の庶民から王侯貴族まで様々であるが、つぼみちゃんは分け隔てなく誰とでも同じように接する。
 依頼人の中には、諸々の都合で顔や身分を明かしたくないという人もいた。そういう場合は、つぼみちゃんはハロモニ幼稚園に隣接するハロモニ教会の告解室で、くもりガラス越しで話を聞くようにしている。希望者には音声も変換するオプションもついている。もちろん依頼料は5割増しとなる。
 今回の依頼もその類のものだった。事前に手紙を受け取っていたつぼみちゃんは、私を連れて教会に向かった。
399 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/21(月) 22:01
「今回の人は名前も顔も明かしたくないみたい」
「どんな事件なのかな」
「身分が高いっていっても、どうせ色恋沙汰かお金の問題だよ」
 すでに依頼料金がつぼみちゃんの口座に振り込まれていたので、恋愛問題かと思われていたが、つぼみちゃんの予想は外れた。依頼人は相当資産のある人物らしい。ガラスでぼやけているものの、なんだか高そうで時代錯誤な着物を着ているのがわかった。
「実はですな、私はたいへん極まりない危機に陥っておる」
「どのような?」
400 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/21(月) 22:02
 F眉毛さんはハロモニ市随一の銀行家でもある。先日、F眉毛さんのところにちょいと年を食った婦人が現れた。しばらくの間、用立てを行いたいという。その婦人はお金持ちのはずであるが、何か人に言えない事情がありそうだったという。銀行であるから、担保さえあれば融資する。その人はエメラルドの宝石が40個もついた王冠を取り出した。
『これは担保の価値として不十分ですか?』
『これはこれは。こんな立派な王冠なら、いくらでもお貸ししましょう』
401 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/21(月) 22:03
 F眉毛さんは預かった王冠を自宅に持ち帰ることにした。自分の近くに置いておくほうが安全だと思ったからである。家族に注意しておくことも忘れなかった。F眉毛さんには妻のG次子と娘のM子がいる。
 事件はその数日後に起こった。F眉毛さんは自室の書棚に王冠があることを確認すると、寝室に向かった。うつらうつらしていると、ドアがバタンとしまる大きな音がした。何事かと書斎に向かうと、王冠を持って呆然と立っているM子がいた。
『M子、何をやっとるんだ』
『お父様、これは……』
402 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/21(月) 22:03
 F眉毛さんは娘。から王冠をひったくった。王冠の一部がひしゃげ、王冠についていた宝石が3個なくなっていた。
『M子、お前は何ということをしてくれたんだ』
『お父様、私じゃありません』
『じゃあ誰がやったというんだ』
 ここでM子は口を開きかけ、すぐに閉じたという。
403 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/21(月) 22:04
「その娘さんはそんな悪いことをするような子なんですか?」
「厳しくしつけておる。しつけてはおるが、最近は悪い仲間と遊んでいたようじゃ。ほら、ジョニー加護とかトニー辻とかいう不良がおるじゃろ。あいつらにそそのかされたに違いない」
 私とつぼみちゃんは顔を合わせた。いくらなんでも幼稚園児が宝石泥棒なんて、と思ったのだが、最近の子供は何をしですかわかったものじゃないのも事実だった。
「ぜひとも盗まれた宝石を取り返してほしい。それも内密にじゃ。この王冠は国宝級もので、世間に知れ渡ったらわしの信用問題につながりかねん」
404 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/21(月) 22:04
 その日、私はつぼみちゃんの家に招待された。つぼみちゃんのお父さんが最近買ったというヘリコプターに乗せてくれるというのだ。
「どう、乗り心地は?」
「これほんとに凄い。GPSは当然としても、ロングボウ・レーダーがついてるなんて」
「自動火器管制システムはもはや必須よ」
「暗視装置も完璧だね」
 30ミリのチェーン・ガンを試射してみて、これだけのヘリをマスード将軍が持っていたら、と思いは遠く西へ馳せていた。
405 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/21(月) 22:05
 その後、夕食をご馳走になったのだが、これが苦痛の時間となってしまった。つぼみちゃんのお父さんとお母さん、そして飼い犬のチャールズとともにしたのだが、家族らしい会話は何もなかった。すぐに私は食事を終え、つぼみちゃんの部屋で待つことにした。
 やがて戻ってきたつぼみちゃんは憂鬱そうな顔をしていた。
「またお父さんやお母さんと喧嘩したの?」
「そういうわけじゃないけど……」
406 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/21(月) 22:05
 私は彼女の機嫌を直そうと、F眉毛さんの事件のことを聞いてみた。
「やっぱりM子ちゃんが犯人なの? 宝石をM子ちゃんは持ってなかったんだよね? あのふさふさした眉毛の中に隠してたとか?」
「そんなわけあるわけない……M子ちゃんはすごくいい子だよ」
 最後の言葉の意味がわからず、いづらくなった私は白百合家を辞去した。
407 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/21(月) 22:05
 翌日、教会の告解室にて、私たちは再びF眉毛さんと対面した。
「どうですか。宝石は無事見つかりましたか」
「ええ。こちらに」
 つぼもちゃんはガラスの穴を通して、3個のエメラルドをF眉毛さんに渡した。
「おお、さすが名探偵との誉れ高い人だ! これは、やはりM子が?」
「いいえ、M子ちゃんは犯人ではありません。逆に盗賊から王冠を守ろうとしていたのです。だから彼女への誤解を解いてください」
408 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/21(月) 22:06
「事件の真相を話しては下さらないか?」
「……あなたがこのように自分のことをお隠しになるのと同様、私もこの事件の内幕について隠さないといけないことがありますから」
 F眉毛さんは、最初に内密に調べるよう依頼していた。だからこれ以上追及することなく、宝石を持って帰っていった。
「つぼみちゃん。私にも話せないこと?」
「いや、あさ美ちゃんには真相を話しておくよ。身内の恥を晒すことになるけどね」
409 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/21(月) 22:07
 エメラルドの王冠を担保にお金を借りたのは白百合伯爵夫人、つまりつぼみちゃんのお母さんだった。そして伯爵夫人は自らF眉毛家に忍び込んで王冠を盗もうとしたのだという。3個の宝石はチャールズの犬小屋の中に隠されていた。
「お母さんはちょくちょくF眉毛さんの家におじゃましてたから、屋敷の間取りは把握していた。もしかしたら合鍵も持っていたかもしれない」
「どうしてつぼみちゃんのお母さんってわかったの?」
「王冠のことを聞いて、もしかしたらうちにあるやつじゃないかって思ってたの。昨日、あさ美ちゃんが私の部屋で待っている間に、物置を探しても見つからなかった」
410 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/21(月) 22:08
 M子ちゃんは偶然、伯爵夫人の窃盗現場に出くわした。二人はもみあいになり、王冠は床に落ちた。そのはずみで取れた宝石を拾うと、伯爵夫人はとっとと逃げた。
「M子ちゃんは、もちろん泥棒が私のお母さんだってことに気づいていた。だから、F眉毛さんに問い詰められても逆に何も言えなかったのよ」
「どうして、自分で預けて自分で盗もうなんて……」
 私はぎょっとした。つぼみちゃんは悲しそうな顔をしてうつむいていた。こんなしおらしいつぼみちゃんを見るのは初めてだった。
411 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/21(月) 22:08
「……お母さんはね、昔F眉毛さんとつきあってたの。結局二人は離れ離れになって、それぞれ家庭を持つことになったんだけど、お母さんは今でもF眉毛さんに執着してるの。それで、F眉毛さんを困った立場に置いて、それを助ければ自分のものになると思ったのよ」
 白百合家にとって、エメラルドの40個くらいどうってことのないガラクタだった。
 つぼみちゃんはとぼとぼと教会の前の小道を歩き、リムジンに乗り込んだ。私は「さようなら」のあいさつもかけ損なった。
412 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/21(月) 22:09
 M子ちゃんも、伯爵夫人とF眉毛さんの微妙な関係を知っていたのだろう。だから二人をかばう意味で、泥棒の正体を明かせなかったのだ。もちろん、F眉毛G次子さん、つまりM子ちゃんのお母さんのこともおもんばかって。
 私はM子ちゃんのお母さんの顔を思い出した。眉毛が太いことをのぞけば、つぼみちゃんにそっくりであることに気づいたが、もちろんそれは何かの偶然だろう。私は自分の空想にあきれ、すぐに忘れることにした。
413 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/21(月) 22:09
おしまい
414 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/21(月) 22:09
……
415 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/21(月) 22:09
……
416 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/21(月) 22:09
……
417 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/22(火) 21:54

白百合つぼみの冒険

The Adventures of TSUBOMI SHIRAYURI


第12話 ブナ屋敷

The Copper Beeches
418 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/22(火) 21:54
 お金持ちのお嬢様であり、名探偵でもある白百合つぼみちゃんの事務所には、大人から子供まで幅広い依頼人がやってくる。気になる依頼料であるが、如才ないつぼみちゃんは相手を見て判断する。小金を持っていそうな大人ならふっかけるし、お小遣いも乏しそうな未成年からは一文も受け取らない。何より、依頼人の持ち込んだ事件がつぼみちゃんにとって魅惑的なものであれば、つぼみちゃんはお金のことなど忘れてしまうのだ。
 この日の依頼人はハロモニ学園中等部の生徒だった。小川さんという、実にふくよかな体の持ち主だった。口のしまりが悪いのか、始終口をぽかんと開けていた。
419 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/22(火) 21:54
「どのようなご依頼ですか?」
「あのね、なんだか気持悪い人がいるの」
 小川さんのしゃべり方のほうがよっぽど気持悪かったのであるが、依頼人の性癖などはつぼみちゃんの眼中にはない。
 小川さんはお小遣いが足らなかった。どのくらいあれば「足りる」というのか、そこは人それぞれであるのだろうが、ともかく小川さんには現状が不満だった。しかし小川さんの親もない袖は振れない。そこで小川さんはアルバイトを始めることにした。
420 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/22(火) 21:55
 中学生にできるアルバイトは限られるし、実入りも小さい。それが資本主義の世の中だ。小川さんが資本主義を憎むようになる前に、一件のアルバイト情報が入ってきた。電柱の貼り紙である。
『家庭教師募集中。5歳の男の子。13才~18才の女性求む』
 小川さんは、実はこの募集の話は以前から友人から聞いていた。面接に行った子の話によると、時給3千円、仕事内容は家庭教師というか子供のお守りだった。かなりの好待遇なのに、これまで採用された人はいなかった。
 だめもとのつもりで、小川さんはその家に行ってみた。なかなか大きいお屋敷で、庭には大きなブナの木がぽつんと植えてあった。呼び鈴を押すと上品そうな婦人が出てきた。
421 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/22(火) 21:55
『あの、アルバイトの募集を聞いて来たんですけど……』
 婦人はしげしげと小川さんを眺め、やがて破顔して小川さんを迎え入れた。
『あの……』
『これはこれは、ちょうどいい人が見つかりました。採用、採用です、あなた』
 仕事は毎日、2時間。午後4時から6時までの間、この婦人(中澤さんという)の長男をあやしたり、絵本を読んであげたりするという内容だった。早速明日から来てくれという。
 子供もたいして手がかからず、楽な仕事だった。
422 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/22(火) 21:55
「それが、何だか変なんですよぉ」
 小川さんは右手をくねくねと振った。一挙手一投足、この人の動作のほうが変だった。
「変とはどういうことです?」
「まずですね、お守りをするのは庭に面したリビングなんですけど、中澤さんはいつも近くにいるんですよ」
「その二時間ずっと?」
「そうなんですよぉ。中澤さんが家にいるんなら、お守りなんていらないですよねぇ」
 それだけではなかった。どんなに陽気のいい日でも、白いレースのカーテンは半分閉じているし、小川さんが窓際に近寄る事を中澤さんは嫌がった。この家を覗き込むあやしげな人物がいるから、注意しろというのだった。
423 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/22(火) 21:55
「なんですか、それ。ストーカーか何か?」
「最初冗談だと思ったんですけど、本当にいたんですよぉ」
 横目で窓の外を見ると、帽子を深くかぶった中年の男が小川さんのほうを見ていたという。ニ、三日に一度の割合で、およそ午後5時頃やってきた。
「それじゃあ、その人の正体を知りたいのですね」
「それだけじゃないんですよぉ」
 その屋敷は二階建てなのだが、ときおり獣の咆哮や、ガリガリという音が天井のほうから聞こえてくるという。婦人は二階に犬を飼っているのだと言っていた。
「二階に犬を飼うわけないですよねぇ」
「なるほど。高額なバイト代、怪しげな人物、それに二階の不審な猛獣ね……」
「なんだか気味悪くなっちゃって、でも警察に知らせるほどのものでもないしぃ」
 そこでつぼみちゃんの出番ということになるのだった。
424 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/22(火) 21:55
 そのまま小川さんはバイト先に向かった。私たちも時をおいてその問題の屋敷に向かった。いっしょについていくと、雇い主に悪い印象を持たれて依頼人がクビになるかもしれなかったからだ。
「この事件どう思うの、つぼみちゃん?」
「これだけじゃなんとも言えないけどね。確かあの屋敷は数ヶ月くらい前まで空き家だったはず。そこに中澤一家が入って来たんだね」
 私たちは生垣の隙間から中をうかがった。ブナの大木の奥に、リビングがかろうじて見えた。小川さんはずっと背中を向けていた。
「小川さんって遠目でもはっきりわかるね……」
「あ」
425 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/22(火) 21:56
 つぼみちゃんと私は生垣から体を出すと、横に帽子をかぶったおじさんが立っていた。メガネをかけて、分厚いかばんを提げていた。なかなか貫禄があった。
「おじさん、このおうちに用があるの?」
「ん、いや、もう今日は済んだよ。おじょうちゃん、もうすぐ暗くなるからおうちに帰りなさい」
 おじさんは悠然と去っていった。とてもストーカーには見えなかった。
「つぼみちゃん。二階のほう見える?」
「雨戸がしまっててわかんない」
 とりあえずその日はそのまま家に帰ることにした。
426 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/22(火) 21:56
 翌日、探偵事務所に行くと、つぼみちゃんはアームチェアーに座ってオレンジジュースを満喫していた。これは、もう事件の真相をつぼみちゃんがつかんだことを意味していた。
「どんな事情があったの?」
「それは夕方になればわかるよ」
 幼稚園の、つまらない歌の時間やお遊戯の時間を無難に終わらせると、私たちはお屋敷に向かった。小川さんが椅子に座って絵本を読んで聞かせている後姿が見えた。
「えっとね。このお屋敷では犯罪行為が二つ行われているの」
「えっ、犯罪? それじゃあ早く警察に知らせないと」
「それが、ちょっと気の毒なところもあるから……」
427 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/22(火) 21:56
 そこにあのおじさんがやってきた。つぼみちゃんがぺこりと礼儀正しくお辞儀した。
「やあ、おじょうちゃんたち。人のおうちを勝手にのぞいたりしちゃいけないよ」
 じゃあ、おじさんは一体どうなのだと反論したかったのだが、つぼみちゃんが話しかけたので気勢を削がれた。
「おじさん、いや、笛吹弁護士さん」
「おや、私のことを知っているのかい?」
「この家で起こってる出来事を早く知ったほうがいいと思うの。だから行きましょ」
 つぼみちゃんは、おじさんの手をひっぱって門のところに行くと、呼び鈴を押した。
「これこれ、おじょうちゃん。いたずらはいけないよ」
「でも、このまま放っておくのはいけないと思うもん」
428 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/22(火) 21:56
 ドアが開いてちょっと年をとった婦人が現れた。露骨に厭そうな顔をしたが、すぐに笑顔に戻った。
「まあ、笛吹さんじゃありませんか」
「はっはっは、ちょっと近くに寄ったもので」
 大人の会話をかわす二人を尻目に、つぼみちゃんはずかずかと屋敷内に侵入した。
「何、あなた。勝手な……」
「おじさん、早く。ヒトミさんに会いましょう」
 中澤さんの顔色が変わるのが私にもわかった。おじさんも真剣な表情になり、止めようとする中澤さんを押しのけて入っていった。私もどさくさに紛れた。
 つぼみちゃんの姿が消えてしまったので、私はおじさんのあとを追った。おじさんはリビングのドアを開けた。
「ふにゃあ?」
 小川さんがいつものように、ぽかんと口を開けていた。
「なんだ、これは。いったいどういうことだ?」
「あの、笛吹さん。これは事情が……」
429 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/22(火) 21:56
 今度はドンドンとドアを叩くような音が聞こえてきた。
「二階?」
 階段を昇ると、つぼみちゃんが洋室につながっているドアを両こぶしで叩いていた。
「つぼみちゃん?」
「あさ美ちゃん。あさ美ちゃんならドア開けられるよね?」
 私は右足をドアに向かってくり出した。ドアがふっとぶと、中から女性が出てきた。金髪だが、どうやら日本人ではあるようだった。
「ハ~イ。世界のジョーク、聞きたい?」
430 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/22(火) 21:57
「つまりね、詐欺行為と監禁行為が行われていたわけ」
 アームチェアーに深々と座ったつぼみちゃんが、真相を話し始めた。
 ヒトミ・ヨシザワさんはいわゆる帰国子女で、数ヶ月前日本に帰ってきた。両親は海外暮らしであり、ヒトミさんには生活費としてまとまった財産が与えられた。その後見役が中澤さんだった。
「中澤さんはシロガネーゼと呼ばれる小金持ちなんだけど、旦那さんが株で破産してにっちもさっちもいかなくなっちゃったの。そこでヒトミさんの財産を横領しようと企んだわけ」
「それじゃあ、監禁していずれ殺そうとしたの?」
「監禁したのは殺すためじゃないよ」
431 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/22(火) 21:57
 ヒトミさんの両親は慎重なたちらしい。後見人が財産を不法に使っていないかどうか、弁護士に監視させていた。それが笛吹弁護士である。笛吹さんは週に何度か様子を見にお屋敷に来ていたのだった。
「ところがね、ヒトミさんが学校に来なくなっちゃったの。学校のほうでは変わり者だからってことで放っておいたみたい」
「どうしてそんなこと知ってるの?」
「かおるお姉ちゃんがヒトミさんのお知り合いだったの」
 もともと中澤さんは、ヒトミさんを監禁するつもりはなかった。ところが、帰国したときはふっくらしていたヒトミさんが、どういうわけか数ヶ月でみるみる痩せてしまったのだ。痩せたヒトミさんを見た笛吹弁護士は、何を勘違いしたのか「ヒトミお嬢さんはどこにいるのだ」とクレームをつけてきたのだという。
 かなり容貌が変わってしまったので、弁護士にうまく説明できない。そう判断した中澤さんは、ふっくらした女の子を捜して身代わりにしたてようとしたのだ。この目論見は成功しかかった。中澤さんの盲点は、白百合つぼみちゃんという名探偵がいることだった。
432 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/22(火) 21:57
「かおるお姉ちゃんからヒトミさんのことはいろいろ聞いてたの。世界各地で覚えたジョークを話すとか、授業中に奇声を上げるとか、携帯電話の厚みが気に入らなくて壁で削るとか」
 つぼみちゃんは、あの屋敷がヒトミさんの両親が持ち主だということをつきとめた。あとは全てのピースが自動的に収まっていった。
「中澤さんは捕まっちゃうの?」
「まだ横領してなかったし、後見役をクビになるだけだろうね。小川さんにはちょっと気の毒だけど、そんな割りのいいバイトなんてあるわけないよ」
 つぼみちゃんはちゃっかり小川さんから依頼料を受け取ったらしい。その後、ときどきヒトミ・ヨシザワさんが探偵事務所にやってきて、世界のジョークを披露することに私たちは苦しめられるようになった。
433 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/22(火) 21:57
おしまい
434 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/22(火) 21:59

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    〃ノノハ    ノノノハヽ  
    川川o・)   川川 ')
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白百合つぼみの冒険

The Adventures of TSUBOMI SHIRAYURI


The End
435 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/22(火) 21:59
……
436 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/22(火) 21:59
……
437 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/22(火) 21:59
……
438 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/22(火) 21:59
……
439 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/27(日) 22:01
『ガラスの向こう側』
440 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/27(日) 22:02
 ふと、おそらく心地よいだろう風を浴びようと思い立ち、私は窓辺に立った。ぼんやりと窓の外を眺めると、月が黄色くただよっているのが見えた。しばし見とれていると、窓ガラスに見知らぬ人の姿が映った。
 はっとして振り向くと、その人は右手を前に出して私を制した。
「いやいやいや。あんたが何を言いたいかよぉーくわかってる。お前は誰だ、そう聞きたいんやろ?」
「そうよ。あなたは誰? さっさと出て行って。じゃないと人を呼ぶわよ」
441 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/27(日) 22:02
 その人は、顎に手をあて部屋をうろうろと歩き始めた。
「その質問はちょっと答えづらい、そう思わん? あんたは自分が誰かわかっているのか? なかなかその問いに答えることはかなわんやろ」
 私は藤本美貴だ。そう答えようとしたのだが、喉がカラカラに渇き声が出なかった。
「問題は自分が何者であるか、ではなく、何者でありうるか、や。自分がしたいこと、いや、したことで自分が何者であるか決まるもんやろ」
「それじゃあ、あなたは何をするの? 何してもあなたの勝手だけど、私には関係ないことよ」
「いやいやいや。因果は巡り、いずれはその結果に導かれるのはごく普通のこと。世界の真理はあんたには覆せんよ」
442 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/27(日) 22:02
 私は、今度はあきれ果てて声が出なかった。こんな人の駄弁につきあう義理はない。ただ、私の部屋にあつかましくいられることが我慢できなかった。私は警察に電話するために携帯電話を握ろうとした。
「あんたは今は何者か、いや、何者かではあるんやが、果たしてそれが真実の自分であるかわからないでいるんやろ? それを教えるために、あたしは来たんや」
「あんたに決められたくないわ」
「もちろん、あたしが決めるんやないよ。決めるのはあんたや」
 意見が一致した。それは私が決めることだ。お引取り願おうとドアを開けようとすると、その人はおもむろに窓を指した。
443 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/27(日) 22:03
「その窓ガラスを見てみ。ほら、早く」
 私は操り人形のように、その指示に従った。ガラスは私の陰鬱な顔を忠実に映し出した。
「何が見える?」
「私が映ってる」
 その人は大げさに驚く素振りを見せた。
「なんと、あんたは自分が見えるんか! その両の目に、あんたは恐れを知らず己の姿を写し取ることができるんか!」
「ガラスに映ってるんだから当たり前じゃない」
「ふん、当たり前か」
444 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/27(日) 22:03
 その人は私の横に立ち、再び窓を指した。
「ならば、もう一度見てみ」
 私は言われるがままにガラスを覗いた。そのとき、私は背中を突き飛ばされた。
 私はバランスを崩し窓に顔から突っ込んだ。顔を守ろうと、右手を窓にかけようとしたところ、右手に感触がなかった。私はそのままガラスをくぐり抜けた。
 窓の外は庭の芝生のはずだったが、私が転がったのはほこりだらけの石畳だった。何が起こったのか頭を整理しようと努めたが、その声に邪魔をされた。
「あなたがこっちに来るとは思わなかったわ」
「……保田さん?」
445 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/27(日) 22:03
 私は服についたホコリを払いのけて立ち上がった。
「どうしてここに?」
「それはこちらのセリフ……と言いたいところだけど、そうね。それもありえることだったわね」
 保田さんは私が通り抜けた窓ガラスの前に立った。
「それじゃあ、私はこれで」
「ちょっと、保田さん」
「私はあなたのことがうらやましいか、気の毒なのか、ちょっとわかりかねるわね」
 保田さんはそっと窓に触れた。ガラスはそれを遮ることをしなかった。右腕、頭、体、足がガラスに溶け込んでいった。
446 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/27(日) 22:03
「……私も、戻らなきゃ」
 私は窓ガラスに向かった。私の体がぶつかる瞬間、ガラスは何も映してはいなかった。私の体に衝撃が加わり、それは粉々に砕け散った。窓の向こう側には何もなかった。
 呆然とその場に立ちつくしていると、複数の声が聞こえてきた。
「おーい、ミキティ!」
「こっちに来たの、美貴だったんだ」
「早くこっちにおいでよ。みんな待ってたんだよ」
 私はよろけるように声のするほうに歩いていった。それしか私にできることはなかった。
447 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/27(日) 22:04
   ☆  ☆  ☆

 一人の少女が窓から月明かりを浴びていた。月に向かって独りつぶやく。
「美貴たんは何やってるのかな? あのお月様を、美貴たんも見えてるのかな?」
448 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/27(日) 22:04
おしまい
449 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/27(日) 22:04
……
450 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/27(日) 22:04
……
451 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/27(日) 22:04
……
452 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/10(土) 22:44
わかんない
453 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/11(日) 12:51
もうソロには戻れないって話かな。たぶんだけど。
454 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/19(月) 21:28
『熱っちい地球を冷ますんだっ』
455 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/19(月) 21:28
日本の活断層シンポジウム(東江戸川大学院理工学部主催)


「それでは、先生、地震の起きるメカニズムを」
「簡単に説明すると、地球の表面にはプレートと呼ばれる岩の板が何枚も敷き詰められています。この岩の板の下は動いてます」
「動くんですか」
「動くんです。それぞれの岩の下には流れるような動きがあるので、当然上の岩の板も動きます。その板ごとに流れる方向と速度が異なります」
「異なるんですか」
「異なるんです。すると岩と岩の接しているところでは、ぶつかりあったりずれができたりします。この歪みが少しずつ溜まっていくわけです」
「溜まるんですか」
「溜まります。その歪みに岩の板は耐えます」
456 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/19(月) 21:29
「耐えるんですか」
「耐えるんです。それも限界がありますけどね。限界を超えると岩石が壊れたりして歪みを元に戻そうとする運動が起きます。それがいわゆる地震です」
「日本で地震が多いのはその岩の板のせいですか」
「その通りです。北海道と東本州、西本州と四国九州にわけられます」
「その二つの岩の板があるんですか」
「いやいや。この二つの岩の下に太平洋の方面から二つの岩が沈み込むようにぶつかっています。これが大きな地震を引き起こすわけです」
「新しい観測結果が得られたそうですが」
「えぇえぇ。この岩の動きは宇宙から観測できます。アメリカ方面から動いてくる岩の板は年に10センチほど日本の下に沈んでいきます。やがてハワイが日本の領土になります」
457 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/19(月) 21:29
「これがその板の断面図ですね」
「今度は海洋調査にてようやくわかった、というか、そうではないか、といった感じの観測にすぎないんですがね。岩の板ってのは一様の厚さではありません。あちこちでこぼこしています。だいたい厚さ100メートルですが」
「この部分ですね」
「そこです。そこがね、ちょっと薄いんですよ。いや、薄いっていっても数10メートルはちゃんとありますがね。この部分、今ちょうど日本の東半分の板と接していると思われるんですわ。いやいや、ご心配なく。ちょっとやそっとのことじゃ岩の板は壊れませんよ」
「壊れたらどうなります」
「板がまん中で折れます。すると下の流動体がぶわっと噴き出してきますわなあ。いやいや、万に一つもそんなことは起こりませんよ」
 
 
458 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/19(月) 21:29
三の獣菩薩の道を行ず(今昔物語集巻第5、滝川異本)


 今は昔、天竺に兎、狐、猿、三の獣ありて、

 共に誠の心を発ち起こして菩薩の道を行ひけり。

 各思はく、「我等前世に罪障深重にして賤しき獣と生まれたり。

 これ、前世に、生有る者を哀ばず、財物を人に与えず。

 かくの如くの罪深くして、地獄に堕ちて苦を久しく受けて

 残りの報いをかく生れたる也。然ればこの度、この身を捨てむ」。
 
459 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/19(月) 21:30
 (略) 天帝釈、これを見給ひて、「これら、獣の身也と云へども、

 有り難き心也。人の身を受けたりと云へども、或る者は生きたる

 者を殺し、或は人の財を奪ひ、或は父母を殺し、或は兄弟を

 讐敵の如く思ひ、或は花咲く内にも悪しき思ひ有り、

 或は恋たる形にもいかれる心深し。いづくんや、かくの如き獣は、

 実の心深く思ひ難し。しかれば試さむ」と思ひて、たちまちに

 老たる翁の無力にしてつかれ無術気なる形に変じて、

 この三の獣のある所に至り給ひて宣はく、
 
460 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/19(月) 21:30
 (略) 猿は木に登りて、栗柿梨子棗柑子橘椿栗山女等を

 取って持来て、狐は人の祭り置きたる粢炊交鮑鰹種々の魚類を

 取って持来て、思ひに随て食べせしむるに、翁既に飽満しぬ。

 (略) 兎、「我れ、食物を求て持来るに力無し。しかれば、

 只我が身を焼て食給ふべし」と云て、火の中に踊り入りて焼死ぬ。

 狐、猿、「我が身をも食給ふべし」と云て、共に焼死ぬ。

 天帝釈、本形に復して、あまねく一切の衆生に見しめむが為めに、

 火柱、月に届くが如く発ち昇り、漸く地を覆い全てが旧に復す。
 
 
461 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/19(月) 21:30
文化祭2004(於幕張メッセ)


 藤本美貴がその心情に達したことは、謂わば必然だった。それは若者が一度は辿りつく一個の結論であり、やがて世情に通ずるようになれば霧消する類の結論である。
 しかし、全ての人間がそのように一個の結論を捨て日常の生活に戻るとは限らない。その異様な命題が人を放して解かぬことは、これまたよくあることである。藤本は世の人が考えている以上に観念的な人間だった。恐らくそれはソロ活動を断念し、集団活動に身を任せるようになってからの変化だろう。
 彼女を呪縛している一個の結論、それはこの環境を考えるイベント「熱っちい地球を冷ますんだっ」に関わることで一層肥大していった。
462 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/19(月) 21:30
「人間の存在こそが地球にとって悪である」
 この倒錯した観念──人間でなければこのような観念に辿りつくことはありえない、そのことに藤本は気づかなかった。人間であるが故に人間を憎悪する心情は、ある者には魅力的であり、ある者には愁眉を極めるものであろう。
 ここに一個の亜流ジャイナ教徒が誕生した。そのこと自体の是非はここでは問わぬにしても、問題はそれを体現するための行動である。人間には思想信条の自由があり、心を支配されることは何があっても許されぬ、という一種の虚構がこの世界には認められている。問題は行動に移った場合、それが世間に承認されるかどうかだった。
463 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/19(月) 21:31
 藤本美貴はアイドルである。アイドルには熱狂的なファンが付き物だが、彼らは彼女の主張に共感しているのではない。容姿、歌声、ダンス等外観に惹かれているだけである。残念ながら彼らは彼女の手足の如く活動することは望めなかった。
 もし彼女が軍司令官だったら、いや、そこまで出世しなくても、核ミサイルの管理官だったら、ボタンを人差し指で押すだけで、彼女の結論がもたらされることだったろう。あるいは風土病の研究者だったら、知られざる伝染病の病原菌を大都会にばらまいただろう。
 しかし彼女は無力だった。藤本にそのような力がなかったことは僥倖だった。
 
464 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/19(月) 21:31
 環境保護を訴える。限りある資源を大切に使わなければならない。そのために、テレビの主電源を切ることにしよう。携帯電話の充電器は切っておこう。それを世の中に訴えるために、幕張メッセで大々的なイベントを開いて、電気を大量に消費しよう。
 妄執が藤本を再び捕らえたのは、幕張メッセの一ブースにて、二人の女の子が歌っている時だった。石川梨華と道重さゆみが、「エコモニ」という即席ユニットを作ってその歌声を披露していた。
 他のメンバーは裏で二人の様子をうかがっていた。まともに歌い上げることができるのかどうか、皆胸の鼓動を抑えることができなかった。ことに紺野あさ美は複雑な表情で二人を見上げていた。
465 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/19(月) 21:31
 藤本は、祖母に教えられた御伽噺を思い出した。三匹の獣がいる。それぞれ前世の報いを受けて、このような生き物に転生してしまったのだ。ところが殊勝な様子になってきたので天の神様がテストしてみる。よぼよぼの老人の姿で物を乞うた。猿は木の実を取ってきた。狐は魚を取ってきた。何も与えるものがなかった兎は、その身を焼いて差し出した。
 藤本の祖母は、細かい注釈を幼い彼女に話して聞かせた。曰く、猿は梨を取ってきたのだ。曰く、狐が取ってきた魚は墓場に供えられていた物で、白湯で身を洗ったものだ。曰く、兎を焼いた火の紺色の煙は月の表面に焼きついて、それが月の兎となったのだと。
 藤本の妄想は、二人の不協和音のような歌声に増幅されていった。すでに彼女の精神は彼岸にあった。猿とは梨、梨華だ。狐とは白湯、さゆみだ。じゃあ、兎は紺色、紺野だ。三匹の獣が共に同じ火に焼かれたその時、地を火柱が覆うのだ。
466 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/19(月) 21:31
「あさ美ちゃん」
 藤本は紺野にささやかな嘘をついた。実はエコモニは石川、道重、紺野の三人なのだ。報道発表は前者二人だけだったが、つんくがびっくりさせようと仕組んだのだ。紺野は歌詞を覚えているはずだ。この場で飛び入りで参加しなさい。ほら、早く。
 藤本に背中を押されて、紺野は舞台に飛び出した。何が起ころうとも、それが当然の出来事であったかのように振る舞わなければならない。当惑しながらも、三人は声を合わせた。
 藤本の淡い期待は実った。
 
 
467 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/19(月) 21:31
IC2177星系シーガル観測船よりの報告


※ 三つの純音波が合成され、我が星域で呼ぶところのコンヒュ・ウェイブの発生が確認された。

※ コンヒュ・ウェイブは乱反射を繰り返し、観測地点地下深くにて一点に集中した。

※ その結果、当該惑星のプレートの一部が損壊、上部マントルからマグマが噴出した。

※ その後コンヒュ・ウェイブは消滅するまでに地殻の320,587箇所を破壊した。

※ 当該惑星は全表面を高温の溶岩に包まれ、全種の生物が死滅した。

※ 観測理由が消滅したため、当船は本星に帰還する予定。
 
 
468 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/19(月) 21:32
おしまい
469 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/19(月) 21:32
……
470 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/19(月) 21:32
……
471 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/19(月) 21:32
……
472 名前:ななしどくしゃ 投稿日:2004/07/19(月) 22:44
すばらしい!
人間、年一回くらいは自らの精神を追い詰めて鍛錬すべきだね
473 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/29(日) 19:36
美貴帝今昔物語(改訂版)
474 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/29(日) 19:39
・鈴鹿家旧蔵版を定本とした
・本朝編より美貴帝(藤本ノ美貴)の活躍する話を抜粋した
475 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/29(日) 19:40
『寝ている侍を板が圧し殺す話』
476 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/29(日) 19:40
「ミキティの強情にも参ったなあ」
 ナツミ(安倍ノ那津巳──あだ名してなっちと言う)は深々と嘆じた。
 ナツミは、当代随一の陰陽師であり、陰陽寮の頭を勤めていた。一方、ミキティとはミキ(藤本ノ美貴)のことで、先の天皇の皇子であった。しかし外戚が有力者ではなかったため皇太子となれず臣籍降下していたのだが、仲の良い友人たちがからかって「美貴帝(ミキティ)」と呼んでいたのである。
「強情なのはなっちのほうだよ。鬼神の類なんかいるわけないじゃない」
477 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/29(日) 19:41
 先ほどから二人が言い争いをしていたのは、鬼神、つまり魑魅魍魎がほんとうに存在するかどうかという問題だった。ナツミのほうではお家芸に直結する問題であるから、躍起になって反論していた。
 陰陽師とは、吉凶を占う呪い師のことだが、同時にお祓い師も兼ねていた。当時は万事を占いに頼っていたのだから、腕の良い陰陽師は人気の職業であった。
 それをミキは直截に否定した。このような性格だから今の関白に嫌われたのではないか、と噂する者も少なくなかった。臣籍降下後、しばらくは参議として政治にかかわっていたのだが政変に巻き込まれ、嫌気がさして左京の邸宅に引きこもっていた。
478 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/29(日) 19:41
「何を騒いでいる?」
「あ、ヒーちゃん。いいところに来た。この分からず屋に言ってやってよ」
 この者は名をヒトミ(吉澤の人見)といい、検非違使庁の次官を勤めていた。検非違使とは今で言う警察官のことで、「非違(ひい)」の役についているので「ヒーちゃん」とあだ名されているわけである。
「鬼神ねえ」
「ミキティは物の怪の恐ろしさを知らないから、そんなことが言えるんだ。ちゃんと物忌みしないと祟られちゃうんだぞ」
479 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/29(日) 19:41
 ヒトミは苦笑いを浮かべながらナツミをなだめた。
「まあまあ。ミキティがこういう性格だってのは子供の時分からわかってたことじゃない」
「ヒーちゃんもなっちの味方するの?」
「それがね。今朝役所で奇妙な話を聞いたんだ」
 
480 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/29(日) 19:42
 前の越前の国(現在の福井県)の国司を勤めた藤原某が、領地の年貢徴収のため、京の都を発って美濃(現在の岐阜県)にある荘園に向かった。そのため四人の侍が留守宅を預かることになった。物騒な世の中のため、四人はそれぞれ持ち場を決めて、夜も警護に当たった。高橋某が主人の隣の客室、小川某と紺野某が南面の詰め所、新垣某が門をそれぞれ受け持つことになった。
 詰め所の二人は太刀をかたわらに置き、弓矢を準備していた。一方、高橋某のほうは太刀も置かずにそのまま寝入ってしまった。
481 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/29(日) 19:42
 しだいに夜が更けていくと、二人は東の屋根の上に妙な物があることに気づいた。
「何あれ?」
「板?」
 一枚の板がにょきにょきと伸びてきた。二人が呆然として眺めていると、板が空をひらひらと飛んで、二人のほうに向かってきた。さては鬼神の類かと、二人は太刀を構えた。そばに寄ったら切って捨ててやろうと待ち受けていたら、板は方角を変えて客室のある格子の隙間から入っていった。
482 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/29(日) 19:42
 二人が固唾を飲んでいると、高橋某のうめき声が聞こえてきた。ニ三度声がしたが、それっきり静まり返った。二人は門にいた新垣某に子細を伝え、灯をともして恐る恐る客室に近づいた。中を覗くと、高橋某が平べったく圧し潰されて死んでいるのが見えた。板は中に入ったきり出てきた様子もなく、部屋を見回してもどこにもなかった。
 二人の侍は太刀をそばにおいて用心していたから助かったのだ。この話を聞いた検非違使庁の侍たちも太刀の備えを怠らないよう戒めあったという。
 
483 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/29(日) 19:43
「ほら、ミキティ。これは紛れなく鬼神の仕業だよ。だってそうでなきゃ説明つかないでしょ」
 ナツミは得意な顔をしてミキティを見た。ミキはどこ吹く風でこれをさらりと流した。
「夜で月明かりもじゅうぶんでないのなら、何かを見間違えることなんていくらでもあること」
「しかし、それじゃどうやってその侍は圧し潰されたのかな」
「それは見てみないとわからない」
 そこで三人連れ立って、前の越前国の国司の屋敷に向かうことになった。
484 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/29(日) 19:43
 残されていた下人に聞くと、三人は主人にこの奇怪な事件を報告するために、早々と美濃の荘園に旅立ったという。
「葬式もせずに発ったというのか」
 ナツミは信じられないと首を振ったが、不浄な死体を人々が嫌うのは仕方がないことだった。なので例の客室には平べったくなった死体が置き去りにされていた。
 ヒトミは仕事柄死体には見慣れているし、ナツミも陰陽師であるからどうということはなかった。ただ、ミキはもともとやんごとなき身分の者であったから、このようなことは忌むべきものであったのだが、本人は気にするふうもなかった。
485 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/29(日) 19:44
 ヒトミとナツミは客室に入り、死体をあらためた。あばらが折れて肺に突き刺さったのだろう、口から血を流していた。
「どう?」
「板のようなものに押し潰されたとしか考えられない。着物までもぺしゃんこになってるし」
「だがこの体を覆うような板はどこにもないか……」
「相当な力がないと」
486 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/29(日) 19:44
 二人が調べている間、ミキは物怖じしたのか中に入らずぼんやりと部屋の様子を眺めていた。これに気づいたナツミはここぞとばかりにミキを囃し立てた。
「鬼神などいないと言い張るミキティでも、死体がそんなに恐ろしいの?」
「そんなんじゃないよ」
 ミキはようやく中に足を踏み入れた。そして天井を指差した。
「これ……」
「天井に何かあるの?」
「何もないね。きれいな天井だよ」
「そう。きれいなんだけど、それがおかしい」
487 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/29(日) 19:45
 ミキはそそくさと客室を出た。廊下をつつと進むと、壁に手を当てた。二人もミキのあとをついて、その様子を見守った。ミキは、床から天井に伸びる紐を見つけると二人に振り向いた。
「死体を庭に出して」
 二人は訳もわからず言われたとおりにした。それを見て、ミキは壁際の紐を小刀で切った。すると客室の天井がみしみし音を立てながら床にまで落ちてきた。
 
488 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/29(日) 19:45
「鬼神の仕業じゃなかったんだね」
 ヒトミの言葉にミキは静かに頷いた。ナツミは心なしか不機嫌な様子であったが無理もないことである。
「初めから言ってたじゃない。そんな物いるわけないって」
 天井は、普段は掃除しないのだから多少は汚れていて然るべきものであるのだが、不自然なほどにきれいであったことにミキは疑いを持ったのである。侍が天井に押し潰された後、元に戻した下手人が血肉を拭き取ったのだとミキは言った。
「犯人は生き残っている三人だね」
「作り話でみんなを騙そうとしたわけ」
489 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/29(日) 19:46
 三人は落ちてきた天井を見た。その恐るべき天井の上には、写真集と呼ばれる冊子が山のように積まれてあった。ヒトミが検非違使庁の部下に調べさせたところによると、これらの冊子は売れ残ったため本屋から返されたものだということである。三人がこれらの冊子をそのまま残して天井を戻したのは、捨ててしまう時間がなかったからだろうとヒトミは推測した。
 おそらくこの冊子をめぐって、死んだ侍と三人の間で諍いが起こったのだろう。とても浅ましい出来事である。逃げた三人の侍の行方はとうとうつかめずじまいとなった。この話は京の都で噂となり、聞いた人々はミキの知恵を評判しあったということである。

(第廿七巻第十八話・本朝附霊気)
490 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/29(日) 19:46
……
491 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/29(日) 19:46
……
492 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/29(日) 19:46
……
493 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/30(月) 21:59
『近江の国の生霊が京に来る話』
494 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/30(月) 21:59
 元々は先の天皇の皇子であり、今は臣籍降下していたミキは、陰陽博士であるナツミとともに、その邸宅で検非違使庁の役人であるヒトミの話を聞いていた。
 話を聞いたミキが「そんなことあるわけない」と言い、ナツミが「そういうことはたびたびあることだね」と言ったのは、仕方がないことだった。ナツミは占いをよくする者であり、ミキは鬼神の類を少しも信じていない者だったからである。ヒトミは対照的な二人に苦笑していた。
495 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/30(月) 22:00
 ヒトミの話とはこうである。
 京から美濃(現在の岐阜県)、尾張(現在の愛知県)の方へ下ろうとする商人がいた。京で作られた織物を売り、その地で原料となる繭を仕入れるためだった。
 朝に出発するつもりだったが、気持があせっていたのか、風呂敷に織物を包むと夜が明ける前に京を出た。すると、途中の四辻で青い着物を着た女が立っているのが見えた。こんな時間に何をしているのかと男が思っていると、女のほうから声をかけてきた。
496 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/30(月) 22:00
「もし、そこのお方、どちらのほうへおいででしょうか」
「これから美濃のほうへ商売に参ります」
「実はお願いしたいことがあるのです」
 男は何事かと立ち止まった。
「この近くに某という人の家があるのですが、道に迷ってしまいました。どうかそこへお連れください」
497 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/30(月) 22:00
 これから旅立とうという男に何を頼むのだと男はひそかに憤ったのだが、女の容貌があまりにも恐ろしかったので、気の弱いこの商人はしぶしぶ案内することにした。女──おケイと名乗った──とぼそぼそと話をかわしながら道を歩むのだが、なんとはなく気味悪く男は思った。
「私は近江の国(現在の滋賀県)の、これこれという村の娘です。お近くを通りのときはぜひお寄りください」
 男は、その村を何度か通り抜けたことがあった。
498 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/30(月) 22:00
「これはいかが?」
 女が差し出した握り飯を、男はほとんど噛みもせず飲み込んだ。とっとと用事を済ませてしまおうと思うのだが、気ばかり急いて思うように歩めない。いかばかり歩いたのだろうか、ようやくくだんの屋敷に辿り着いた。
「わざわざ案内してくださり、まことにありがとうございました」
 ケタケタという笑い声とともにそう言い残すと、女はふっと消えてしまった。
499 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/30(月) 22:01
 屋敷の門は閉じたままなので、どこにも入りようがない。男はびっくりして、何事が起こったのだろうと、恐ろしさに髪の毛を逆立てているうちと、中から騒ぐ声が聞こえてきた。心を決めて中に入ると、下人が腰を抜かして倒れていた。
「近江の国にいらっしゃる奥方様の生霊が……」
 下人の指差した戸を開けると、布団に寝ていた殿様の上に、先ほどの女が覆いかぶさるように立っていた。すると、女の両手が殿様の首にかかり、これを絞め殺してしまった。
 商人は慌てて屋敷を飛び出し、逃げるように京の町を走っていった。やがて夜が明け、気がつくと近江の国のこれこれという村に入っていた。男は女がこの村にいると言っていたことを思い出した。一つ確かめてみるか、と男は言われていた家を探し当てた。
500 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/30(月) 22:01
 その家の者にこれこれの者だと案内を頼むと、覚えのあることだと中に入れられた。先ほどの女が現れたので再び男は恐れおののいた。女は顔をあわせても口を閉じたままなので、男のほうから京の町での出来事を話した。それを聞いたおケイは、
「あの人はこの国で私を妻としたのですが、いつしか私を捨てて京に逃げていたのです。あなたのおかげで思いを遂げることができました」
 と、これまたケタケタ笑ったので、男は恐怖のあまり荷物を投げ捨てて京に逃げ帰った。
501 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/30(月) 22:02
「昨日、その男が検非違使庁に飛び込んできてね」
 ヒトミは苦笑した。物の怪は検非違使庁の手に負うものではなかったからだ。
「生霊は人を殺すことはあるの?」
「目にも見えることがあるし、人にとりついて殺してしまうこともあるよ」
「するとこれはわたしじゃなくて、なっちの役目だね」
「もう手遅れだし、これ以上その女の生霊が現れることもなさそうだから、放っておくしかない」
502 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/30(月) 22:02
 これまで黙っていたミキがようやく口を開いた。
「生霊が人を殺すなんて、そんなことあるわけないじゃない」
「だけど見たっていう人がいるんだよ」
 これが生き霊の仕業だとナツミが述べるのは職業上の都合だからだけではなかった。女が殿様を絞め殺した後、すぐに商人は京を飛び出しているので、この女が男を追い越して近江の国の村に戻る足はなかったと思われたからだ。
 ヒトミが二人の言い争いに割って入った。いくら物の怪の仕業とはいえ、人が一人死んでいるので検非違使庁でも知らぬ顔をするわけにもいかない。そこでヒトミは部下に調べさせたのだが、くだんの屋敷が見つからないのだという。
503 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/30(月) 22:02
 ほら見ろ、という顔のミキに対し、それこそ物の怪のかかわっている証拠だと、ナツミも譲らなかった。
「近江の国のこれこれという村のほうはどうなの?」
「検非違使庁と言えども近江は管轄外だから、別当(長官)に頼んで向こうの検非違使に頼んである。今晩にも戻ってくると思うけど」
 ミキはまだぶつぶつと声にならない声を出して文句を言っていた。先ほどのヒトミの話を反すうするうちに、何事かに気づいたのか目を輝かせた。
「どうもおかしいと思ったんだ」
504 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/30(月) 22:02
 ミキによると、近江の国の村での女は、男から話を聞くまで反応がなかったのがおかしいというのだった。
「それは何故か。男が京でどのような体験をしたかその女は知らなかったから」
「それならやっぱり生き霊の仕業だよ。当の本人が生き霊が何をしでかしたか覚えていないこともあるから」
「それだと、『覚えのあること』といって男を通した理由がつかないよ。その男が何かを見たであろうということまでは、そのおケイさんは知ってたんだ」
 そんなことがあるのかい、とヒトミが訊くと、ミキは一冊の書類を取り出してきた。
「これは薬草の種類について山(比叡山)の僧都からいただいたものなんだけど、ここにほら、食べると幻覚を見るキノコが載ってるでしょ。男の食べた握り飯にこれが入ってたんだ」
505 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/30(月) 22:03
 比叡山もその村もともに近江の国にある。キノコを食べてみないとどのような幻覚を見たかわからないのだから、女は話を聞くまで黙っていたのである。毒キノコを食わせるとすぐに女は村に戻ったことは言うまでもない。
「殿様に生き霊がとりついて絞め殺したなんて幻だから、検非違使がいくら調べたって死体なんか出てこないはずだよ」
「しかし一体なんのために?」
「商人が風呂敷に包んでいた織物を狙ってたんだよ。無知な市井の人は鬼神がいるなんて迷信を本気で信じているから、ちょっと脅かしてやれば荷物を放り出して逃げるとふんで、こんな真似をしたんだろうね。調べれば多分何人も同じ目にあってるにちがいないよ」
506 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/30(月) 22:03
 ナツミの渋い顔を横目に、ヒトミは邸宅を辞して役所に戻った。別当の許可を得て、早速近江の国の例の村に向かった。瀬田の橋で部下とばったり出会ったので、子細を話した。
「確かにおケイという女が村にいました。私が会って話を聞いたかぎりではあやしげな様子はなかったのでこうして戻ってきましたが、そういう事情なら引き返してもう一度取り調べてみましょう」
 ヒトミと部下は村に入ったが、おケイという女の家は人一人いなかった。恐らく事が露見したと思って逃げたのだろうとヒトミは判断した。
507 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/30(月) 22:03
 このように、知らない人からもらったものをみだりに口に入れてはならない。どのようなひどいに目に会うかわからないからである。それにしても、ミキという人はなんと理に適った考えをするのだろうと、京の人々が誉めたということである。

(第廿七巻第二十話・本朝附霊気)
508 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/30(月) 22:03
……
509 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/30(月) 22:04
……
510 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/30(月) 22:04
……
511 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/31(火) 15:47
新作キテター。
余裕があるときにじっくり読むと、とてもおもしろい。
512 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/31(火) 21:57
>>511 原典も読むといいかも
513 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/31(火) 21:57
『死んだ妻とただの一夜逢う話』
514 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/31(火) 21:58
 相変わらず、ミキとナツミは鬼神のことで諍いを起こしていた。
 ミキはもともとやんごとなき身分でありながら、今は表舞台から遠ざかり、このような侘しい邸宅に隠遁していた。そこで古今東西の知恵知識を漁る毎日を暮らしていた。
 ナツミは陰陽博士で、陰陽寮の頭でもあった。つまりこれは陰陽師の頭領である。陰陽師は占いのみならず、鬼神を操る者として恐れられていた。
 このように対極的な立場にある二人であったが、仲の良い友人でもあるのだから不可思議なこともあるものである。
515 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/31(火) 21:58
 どちらの論に優劣がつけられるか、はなはだ曖昧模糊となったところに、二人の友人である検非違使のヒトミが訪れてきた。ヒトミは検非違使庁の次官であるからなかなかの家柄の出なのだが、関白から忌避されているミキにも昔と変わりなく親しくしていた。
「二人とも飽きもせず、物の怪話をよくしてられるね」
「いない物をいる、ってなっちが言い張るから」
「いるのを素直に認めないミキがさあ」
 やれやれ、とヒトミはため息を漏らすと、これは縁者のことだけど、と断りを入れて昔話を始めた。
516 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/31(火) 21:58
 ヒトム(吉澤ノ人夢)はそれなりの身分の者であったのだが、長い間貧乏暮らしをしていた。頼る縁者もいなくてほとほと困っていたのだが、知り合いのマリ(矢口ノ鞠)という人が東国のほうで国司(現在でいう県知事)に任命されることになった。マリはヒトムのことを昔から目にかけていたので、ヒトムは早速挨拶に行った。
「今までは何もしてあげられなかったが、これからは何かと融通がききそうだ。私といっしょに行かない?」
 ヒトムは喜んで承諾した。
517 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/31(火) 21:58
 ヒトムには長年通い慣れた妻がいて、この女房をおマキと言った。年齢も若く、姿形が優れていたので、二人は貧乏ながらも長い間愛し合っていた。ところが、ヒトムは魔が差したのか、この妻を置いて東国へと旅立ってしまった。
 ヒトムは東国で新しい妻を二人ほど見つけた。ともに大商人の娘で、ヒトムは何不自由なく暮らすことができた。月日が経って、不意にヒトムは昔の妻のことを思い出した。いったん思い出すと恋しくてたまらなくなったのだが、国司であるマリの手前なかなか京に戻ることができなかった。
 そうしているうちに、マリの任期が切れたので、ヒトムも一緒に京に帰った。ヒトムは、京に帰ったらおマキの元に戻っていっしょに暮らそうと決心していたので、現在の二人の妻はとりあえず実家に帰らせ、すぐにおマキの家へと走った。
518 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/31(火) 21:59
 門が開いたままなので中に入ると、すっかり荒れ果てていた。人の住んでいる様子もなく、ヒトムは心細い気持になった。空には月が薄暗く光っている。
 見慣れた部屋に入ると、おマキがぽつんと座っていた。
「お帰りなさい」
 なんとなく弱々しいが、それでもおマキは恨み言一つ言わず、笑顔でヒトムを迎え入れた。ヒトムは東国で思いつめていた気持をおマキに吐露した。
519 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/31(火) 21:59
「これからは一生いっしょに暮らそう。国司がよくしてくれたので、それなりの財産もできたから、楽な生活ができるよ」
 おマキも嬉しそうな顔をし、昔の思い出話を語らった。夜も更けたので二人は寝所に入り、抱き合って横になった。
「他に人はいないの?」
「ええ。みんな出ていっちゃった」
 長い間話し込んでいたが、やがて二人とも眠った。
520 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/31(火) 21:59
 夜が明け、日が昇った。日よけの戸もおろさないで寝ていたので、日の光がこうこうと差し込んでいた。ヒトムが跳ね起きて横を見るとハッとした。ヒトムが抱いていたのは、骨と皮ばかりになった死人だった。
 これはどうしたことかとヒトムは隣家に転がり込んで、まるで他人のような振りをして尋ねた。
「お隣の女はどちらかに行かれたのでしょうか」
「その人は、長年通っていた男が東国に行ってしまったので、思いつめて嘆いているうちに病気になって死んでしまったんですよ。誰も縁者がいないので、不吉なことではあるのですが、遺骸を葬ってやる人がいないのです。そのまま放ってあるので、皆気味悪がって空家のままです」
 ヒトムは空恐ろしくなって、すごすごと立ち去った。
521 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/31(火) 22:00
 しばし三人は無言となった。やがてナツミがこの昔話に結論を与えるかのように小声で言った。
「その女の魂が死体に残っていて、最後に夫と話をすることができたんだね。よっぽどその夫を恋い慕っていたんだろうなあ」
 ミキはこの言い分に反論を試みようと頭をひねっていたが、とうとう言葉が出てこなかった。ヒトミはうっすらと笑みを浮かべて二人を見守っている。やがて、ナツミは、
「その女のために祈祷してくる」
 と言ってミキの邸宅を出て行った。残された二人は所在なく、ただまんじりとしていたが、どうにも我慢できなくなってミキがヒトミに語りかけた。
522 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/31(火) 22:00
「その人、ヒトムって言ったっけ」
「うん」
「多分ね。これは自分の推測なんだけど、ヒトムが夜更けに家に入ったときには、もう遺骸を見つけていたと思うんだ。それを見て事情を知ったヒトムは自分を呪い、妻を愛しく思い、その死体を抱いて寝たんじゃないかな。骨と皮ばかりになった腐った死体を」
 ヒトミは返事をしなかった。ただただ微笑んでいた。
523 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/31(火) 22:00
「その人の遺骸は?」
「……わたしがねんごろに葬ったよ」
 そうなんだ、とつぶやくと、ミキも無言に戻った。

(第廿七巻第廿四話・本朝附霊気)
524 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/31(火) 22:00
……
525 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/31(火) 22:01
……
526 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/08/31(火) 22:01
……
527 名前:511 投稿日:2004/09/01(水) 01:34
アマゾンで検索したら、結構な数あったので
今度本屋さん行っていろいろみてみますね。
更新乙です。
528 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/02(木) 23:28
『オタの者が関白の侍従に恋をする話』
529 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/02(木) 23:28
 今日も例の如く、ミキとナツミは鬼神の存在のことで論争を繰り広げていた。
 折りしも東西の武士どもの反乱がようやく平定されたばかりで、身分の上下を問わず京の人々が恐れおののいていたところであるから、討ち取られた武士供の祟りをなんとか鎮めようと躍起になっていた。反乱の首謀者である平ノ将門の生首が洛中を飛び回ったとの噂も流れ、陰陽博士であるナツミはあちこちを飛び回るほどの忙しさであったのを、ミキが馬鹿にして笑ったのが今日の口論の始まりだった。
「そのような愚かな話があるわけないじゃない」
「それほど恨みが深かったのだから、大いにありうる話だよ」
530 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/02(木) 23:28
 そこに、まだやってるのか、と半ば呆れた顔をしたヒトミが入ってきた。ヒトミは検非違使庁の次官であり、反乱を起こした将門は、身分はヒトミのほうが上ではあるものの、一応ヒトミの先輩であったことがあったので、二人はさすがに気を利かせて話を打ち切った。
「実は二人に頼み事があるんだけど」
 ヒトミが二人に頼るのは珍しいことだった。二人ともこの年下の友人をいたくかわいがっていたので、話を聞くことになった。
531 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/02(木) 23:29
「今日の夕方、関白様のお屋敷で人死にがあった」
 ヒトミの部下である若い検非違使が所用で関白の屋敷を訪れたところ、局(屋敷で働く女房供の部屋)のほうで悲鳴が聞こえた。検非違使がそれを聞きつけて局に向かうと、その近くの小部屋で一人の男が胸を押さえて倒れていた。
「心臓の発作?」
「部下の見立てではそうらしい。それならば何ら問題は起こらないんだけど、木の箱を抱えていたんだ」
「もしかしてそれって」
「ウンコ?」
「そう、ウンコ」
532 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/02(木) 23:29
 ウンコだ、ウンコだ、と、美しい顔立ちをしているミキたち三人はその単語をくり返した。この時代、現代でいうトイレという物がなく、身分の高い家の者は不浄の物を箱の中にして、下女に捨てさせていたのである。
「どういう訳でその男はウンコの入った箱を抱えていたの?」
「当人が死んでしまっているから問いただすこともできなかったんだけど、その者を知る人間たちによるとこういう事情らしい」
 
533 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/02(木) 23:29
 今の関白に仕える者で、平ノ何某という者がいた。度々関白の屋敷に参上し、その命令を聞いていたところ、その屋敷で関白の娘について働いていた若い侍従に対して恋心を抱くようになった。
 この侍従は名をリカ(石川ノ梨華)といい、身分の低い者であったが関白が我が娘のようにかわいがっていた。彼女は類まれなる美貌を供えていたので、関白に仕える者だけではなく、多くの者が彼女に惚れ込んでいた。
 関白に仕える者たちは、越前の国(現在の福井県)の織田ノ庄(おたノしょう)に縁のある者が多く、京の人々は彼らを「おたの者」「おた供」と呼んでいた。何某もこのおたの者である。彼らは皆リカを狙っていたのだが、誰一人として近づくことすらできなかった。彼らは額を寄せ集めては、リカの噂話を絶やさなかった。
534 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/02(木) 23:30
 リカの近辺に近づくことができないのであるから、彼らは想像を逞しくするばかりだった。そして「彼女は果たしてウンコをするのかしないのか」という大問題に突き当たり、大激論を交わすようになった。
 何某は穏健だったので「人並みにするよ」派だったのだが、意外な事にもこれは少数派で、多数は「しないよ」派であった。その中でもさらに議論は分かれ、「肛門がないよ」派、「肛門からは何もないよ」派、はては「幻想と呼ばれる物をするよ」派なる者までいた。
 何某自身はその立場から伺えるように、この問題についてはさほど関心を示さなかった。それよりも、どうにかしてリカに直に会いたいと思い、どうしたらそれが叶えられるかを考えていた。
535 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/02(木) 23:30
 まず手始めに、恋文を何通も送ったのだが、一つとして返事が返ってこない。何某は嘆いて、
「せめて『この手紙を見ました』というのでもけっこうですから、ぜひ御返事ください」
 と恥も外聞もない手紙を書いて送った。
 すると思いがいけなく使いの者が返事を持ち帰ってきたので、大喜びしながら開いてみると、『この手紙を見ました』とこの何某が書いた部分が破られて送り返されたものであった。何某はがっくりして肩を落とした。
536 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/02(木) 23:30
 それでもあきらめることができず、彼は次の手立てを考えた。夜中こっそりと彼女の寝ている部屋に忍び込めば、無下に追い出すこともしないだろう(※夜這いの習慣があった時代である)。仲間のおた供に話すと嫉妬して邪魔をするにちがいない、と考えた彼は、屋敷の外で暗くなるまで隠れていた。
 夜になって何某は侍従のお供をしている童女を呼び寄せ、取り次ぎを頼んだ。童女はすぐに戻ってきて、
「今は殿様(関白)がお休みになられていませんから、下がるわけにはいきません。しばらくお待ちください」
 との返事を貰ってきたので、彼は小躍りしそうになるくらいに喜んだ。
537 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/02(木) 23:30
 二時間ほど待っていると、そっと遣戸が開く音がした。何某は体を震わせながら中に入ると、臥所(寝室)と思われる場所を手探りで探し当てた。暗闇なのでよくは見えないのだが、確かに女が横になっていると思われた。
 どうしようかと男が固まっていると、
「あら、障子の掛け金をかけるのを忘れていました」
 とリカの声がして、隣の部屋に入っていった。何某はただそれを見つめるばかりだったが、いずれ戻ってくるだろうとその場に座ってかしこまっていた。ところが、掛け金の音が鳴った後、しんと静まったままでいっこうに戻ってくる様子がない。男が騙されたと気づいたが、どうにもすることができない。夜が明けてこの姿を女房供に見られるのもきまり悪いので、彼はすごすごと屋敷を出るよりほかなかった。
538 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/02(木) 23:31
 ここまで馬鹿にされてしまったのでは、男の立つ瀬がない。きっぱり諦めようとも思ったのだが、思いはますます募るばかりだった。そこで何某はこう考えた。いくら美貌の女だといっても、「する」のだ。何某は「人並みにするよ」派である。出てきた物は自分が出す物と変わりあるはずがない。そこで木の箱に入ったリカが「した」物を奪い取って見てやれば、自分の恋心も冷めるだろうと。浅ましい考えであるが、それほど彼は思い詰めていたのである。
 その日は、関白の子息である大納言が郎党を率いて清水寺に参拝する日だった。屋敷には関白とわずかな家人を除いては、ほとんど出払っていた。これは良い機会だと、男はそ知らぬ振りをして局の前で立っていると、年の若い小奇麗な童女が薄絹で包んだ箱を持ちながら局から出てきた。これだと男は見当をつけると、誰も見ていないところで彼は童女から箱を奪った。童女が取り戻そうとするのを突き飛ばし、誰もいない小部屋に入った。内から錠を差したので、童女はどうすることもできず泣きながら人を呼びに行った。
539 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/02(木) 23:31
 箱を見ると漆塗りの立派な物である。中を開けて幻滅するのも残念だと思いながらも、いつまでもこうしているわけにもいかないので、何某は恐る恐る箱の蓋を取った。とたんに香しい匂いが立ち上った。こんな匂いがするものかと、中を覗いてみると、薄黄色い水が半分ほど入っており、その中に親指ほどの黄黒い棒のようなものがニ、三個沈んでいる。
 とにかく良い匂いがするものだから、その場にあった木の切れ端で取り出して、鼻に当ててかいでみた。これはもう人間の物とは思われない。これは、「幻想と呼ばれる物をするよ」派が正しかったのかと考えながらしげしげ眺めているうちに、これを自分の物にしたいとの気持がふつふつと湧いてきた。箱を近づけて少しすすると、その香りにむせ返るばかりである。木に刺して少しかじると、苦いようで甘く、これまたすこぶる香ばしい。
540 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/02(木) 23:31
 ここでようやく何某は気づいた。黄色い水は尿と見せかけて、丁子(香辛料)を煮て作った汁である。黄黒い棒は山芋と香木を練り合わせて作った物である。リカは普段からこうした用心をしたのであろう。彼は女の知恵に舌を巻き、いっそう思い悩むようになったあげく、心臓の発作を起こしてしまったのだという。
 
541 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/02(木) 23:31
 ヒトミが事情を話し終わっても、ミキとなつみは、ウンコだウンコだと騒いでいた。
「いつまで笑ってるんだよ」
「ごめんごめん」
「や、そこまで調べがついてるのなら、何を頼むことがあるの?」
 ヒトミはさらに説明を加えた。この箱は、リカからお付きの童女に渡り、そこで匂いを消すためのお香を入れた後、別の童女がこれを始末する。これら二人以外のお付きの童女がいて、その子に話を聞くと、侍従、つまりリカは確かに「した」のだと言う。
542 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/02(木) 23:32
「その子はリカ殿が『した』ところを見たって言うの?」
「さすがに現場は見ていないんだけど、箱には確かにウンコが入ってたんだって」
 それがいつの間にか、偽物のウンコにすりかわっていたというのだから不思議なことである。正直なところ、ヒトミはこれ以上この事件に関わりたくはなかった。ところが、この一件が関白の耳に入り、いたく関心を持った。関白は密かに「しないよ」派に組していたのである。そこで関白直々に、ヒトミに真相究明の命令が下ったのである。
543 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/02(木) 23:32
「なんてあきれ果てた方だ」
「直接リカ殿に聞けばいいんじゃないの?」
「それじゃ面白くないんだってさ」
 余裕があればヒトミが調査をしてもよかったのだが、東西の反乱以来、世相が乱れてきている。検非違使庁は余計な事に人手を取られる余裕がなかった。そこでミキとナツミに代わりを頼みに来たのだった。
 
544 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/02(木) 23:32
 ヒトミが役所に戻るため辞去すると、さっそく二人は相談を始めた。
「これは鬼神の仕業だね」
 ミキはいつものように軽蔑の眼差しをナツミに送った。
「ウンコのような不浄の物を、おいそれと手で触る人間がいると思う?」
「そうかなあ」
「ミキティだったら触れるの?」
 さすがにミキは首を振った。気がおかしくなった者以外、そんなことをする者はいないだろう。
545 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/02(木) 23:33
「僧侶が馬に化身させられたという話もあるし、物を変化させる鬼神がいることは間違いないよ」
「それって、リカ殿が鬼神だっていうわけ?」
「その可能性もあるよ」
 そしてナツミは別の説を打ち立てた。とある寺の小僧が黄金を生んだ話がある。リカ殿がふだん「していた」物は香木そのものだったのだというわけである。
「童女は普段からその香木をウンコだと思っていたんだよ。だから初めの童女はそれを『ウンコ』と言い、別の者は『香木』だと言っていたのだとしたら、何も矛盾しない」
546 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/02(木) 23:33
 一見理に適っているようだが、その前段がおかしくないかと、ミキは反論した。
「香木が出てくるわけない」
「いやいや。リカ殿ならありうる」
 もしかして、ナツミは「しないよ」派かもしれない、とミキは疑い始めた。関白は「しないよ」派であり、これに対し今の帝は消極的ながらも「するよ」派であるとミキは聞いていた。もしかしたら近々きな臭い出来事があるかもしれない、とミキは不安に思った。
547 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/02(木) 23:33
 それはそれとして、ミキは反対の論を述べた。すなわち、誰かが何か詐術を使って入れ替えたというわけである。それぞれの証言を信じるならば、箱の中味を始末する童女が局から出る前に、入れ替えは行われたはずである。
「となると、リカ殿はその何某の策略を見抜いていたわけじゃなくなるの?」
「そういうことになるね。その男は巡り合わせが悪かったんだ」
 そうなると、今度は入れ替えた者がどういう理由でそのようなことをしたのかが疑問となってくる。ミキとナツミは、それぞれの自説を裏付けるための証拠を集めることにした。
 
548 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/02(木) 23:33
 ミキは関白の屋敷を訪れた。関白とは折り合いが悪かったので、その留守を狙った。まずは箱を受け取った童女、エリカに話を聞いた。
「中味は確かにウンコだったんだね?」
 ミキは遠慮せずにはっきりと発音したので、エリカは少々途惑ってしまった。
「はい、ええ、その、あれはまさしく……」
「まさしく?」
「……ウンコでした……」
549 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/02(木) 23:33
 か細く泣きそうな声ながらもはっきりと聞き取ったミキは、それで満足したのかエリカを放し、次は箱を運んでいた童女、ユイに話を聞いた。
「箱の中は香木に変わってたの?」
「はい、そのように聞きました」
「とすると、中味をあなたが見たわけじゃないんだ」
「検非違使のお侍さんが、『これは重要な物だから検非違使庁が預かります』と。私もあのような恐ろしい物には関わりたくなかったものですから、お侍さんに任せました」
 ウンコが香木に変わったとはっきり証言できるのは、その検非違使の役人だけということになる。お付きの童女は他にもいたのだが、ミキはここで屋敷を去った。
550 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/02(木) 23:34
 ミキは次に検非違使庁に入った。大内裏の近衛の北にある。ミキは永らく公の場に出ていなかったので、ミキの姿を見た者は一様に驚いて挨拶してきた。
 ヒトミは別当(長官)に呼ばれたらしく不在だった。今の別当は参議が兼任しているので、内裏のほうに行っているのだろう。ミキは香木を処理したという検非違使に話を聞いた。
「箱の中身は香木だったの?」
「はい。中の水はさすがに捨ててしまいましたが、香木のほうは保管してあります」
 ミキは、綿の布につつまれた香木を見せられた。良い匂いが今でも漂っている。
551 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/02(木) 23:34
「その平ノ何某の有り様を聞きたいんだけど」
 その検非違使が言うには、箱を運んでいた童女が泣きながら廊下を走っていた。それを捕まえて事情を聞くと、侍は何某が立てこもっている部屋に向かった。中からはうめき声が聞こえてきた。錠がかかっていたので、侍は戸を蹴破って中に入ると、男は絶命しかけていたという。
「それで童女を呼び寄せ、家人に知らせました」
「何某の浅ましい企みはご存知で?」
「あの男、屋敷に来る前に独り言を大声で話していたんですよ。『リカ殿のウンコを食べてしまおう』云々と。周囲のおた供が聞いておりました」
552 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/02(木) 23:34
 その後の騒ぎを詳しく記すまでもない。家人はすぐに死体を近くの寺に運び葬ったという。哀れなことである。
 邸宅に戻ってからも、ミキの頭の中は「ウンコ」でいっぱいだった。
 
553 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/02(木) 23:34
 月が雲に隠れ、すっかり闇となってしまった頃、ナツミは六条河原にいた。いつも見せている笑顔は消え、眉間にシワを寄せている。
 やがて、不思議なことに青く光る鬼火がいくつもぽつぽつと川の上に現れた。鼠の鳴くような声がしきりに響き、気味の悪い笑い声も聞こえてきた。ナツミはたじろぎもせず、その様子を見守っていた。
 やがてナツミは背負っていた弓に矢をかけると、川のずっと上のほうに射た。矢は空の一点で止まり、真ん中で折れて水中に落ちた。
554 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/02(木) 23:35
「陰陽師か、そなた」
 地に響くような声がした。血の気のない武者の生首がゆらゆらと空中に浮かんでいた。
「将門。昨今の京の怪しげな気は、やはりあんただったんだね」
 平ノ将門は東国で新皇と称し、反乱を起こした上、藤原ノ秀郷に討伐された。その首は京に送られて晒されていたのだが、いつのまにか消えてなくなっていた。
「例えこの身が冥界に堕ちようとも、七代末まで帝と関白の一族を呪い続けようぞ」
555 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/02(木) 23:35
 生首は口を大きく開いて、いくつもの鬼火とともにナツミを襲った。ナツミは手に隠し持っていた何枚かのお札を投げた。お札は式神に変化し、鬼火に絡まると、鬼火はそれ以上動くことができなくなった。
「天地自然、穢気分散、洞中玄虚、晃朗太元、八方威神、使我自然……」
 小さいがしっかりした声で、ナツミの呪文が響いた。将門の首は苦悶の表情に満ち、呪詛を吐き散らしながら粉々に砕け散った。
 
556 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/02(木) 23:35
 翌日、ミキとナツミは別の件で論争していた。これまたヒトミが役所から持ち帰ってきた噂話であるのだが、死人を食らう鬼が出たということである。
 つい昨晩のこと、関白の屋敷からほど近いところにある墓地の横を、東国からやってきたばかりの商人が通った。夜も更けてなんだか恐ろしいので、商人は宿へ急いでいたのだが、墓地から土を掘る音が聞こえてくる。こんな夜更けに葬式でもあるまいと墓石の陰からそっと覗いた。
557 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/02(木) 23:35
 見ると、何者かが墓石をどけ、中から死体を取り出そうとしている。商人は足が震えて動けなくなってしまったのだが、その者が突如商人のほうをギロっと睨んだ。その目つきのあまりの恐ろしさに、商人は何もかも捨てて逃げ去ったという。
「鬼は死人どころか生きている人間も食べちゃうからね。それはきっと鬼だよ」
「そうかなあ」
 今度の話では、ミキはそれほど手厳しい反論を加えなかった。
558 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/02(木) 23:36
 そうしているうちに時間が来たので、ミキはヒトミを伴って関白の屋敷を訪れた。関白はミキのことをあまり買っていなかったので、この訪問を訝しげに思った。
「実は、例の香木のことで」
 これで合点のいった関白は、ミキの話を聞くことにした。
「それでじゃ。おリカはウンコを『する』のか? それとも『しない』のか?」
 眉の尻を下げてニタニタ笑いながらそう問うのだから、関白といえども実に浅ましいことである。ミキはその様子を見てニヤリと笑った。
「リカ殿が『した』物を持って参りました」
 ミキは包みから木の箱を取り出した。
559 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/02(木) 23:36
「おお。我等と同じ物をするのか、それとも幻想を紡ぐのか。どれどれ」
 関白は胸を躍らせながら蓋を取った。目を大きく見開いていたのだが、それが小さくなり、眉をひそめた。
「何じゃ、これは」
 関白が右手に握って取り出したのは、刃に血のついた短刀だった。
「馬鹿にしておるのか」
「いえ、とんでもない。それこそが、リカ殿が『した』物なんですよ」
 ミキの話によると、リカはこの短刀を香木とともに箱に入れると、童女にあることを命じて運ばせた。
「あることって何?」
「そこにいらっしゃる関白殿を刺し殺すことだよ」
 ヒトミの質問にミキがこう答えたので、関白とミキは仰天した。
560 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/02(木) 23:36
 リカはウンコが入った箱と短刀の入った箱をこっそりと入れ替えた。実際に「した」のはお付きの童女であろう。わざわざそのようなことをしたのは、リカの味方ではない別の童女たちの目を眩ますためである。その日は関白の息子が清水寺に出かけているので、人はほとんどいない。童女でも油断の隙をつけば関白を刺し殺すことができただろう。
 ところがとんだ邪魔が入った。リカに横恋慕していた平ノ何某が、短刀の入った箱をウンコの入った箱と勘違いして奪い取ってしまったのである。ウンコを盗もうとする男がいるなどと、誰が思うだろうか。
561 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/02(木) 23:37
「その何某は箱を持って小部屋に入りました。ところが中から出てきたのは一振りの短刀ですから、さぞや驚いたことでしょう。そこへあの検非違使が飛び込んできたのです」
 検非違使は何某が短刀をつかんでいるのを見て、さてはこの男は関白を殺しに来たのだなと早合点した。揉み合ううちに、短刀が何某の心臓を深々と貫いた。
 さて、落ち着いて下を見ると、女がウンコを入れるための箱が転がっている。検非違使は賢かったので、詳しい事情はわからないが、とんでもないことに巻き込まれたと感づいた。
「それで、箱に尿とウンコが入っていたと嘘の話をしたわけなんだね」
「そう。童女だってまさか短刀が入っていたなんて言えないから、検非違使に話を合わせたんだよ」
562 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/02(木) 23:37
 検非違使は証拠の箱を持ち帰って、別に用意した香木を入れてそ知らぬ振りをした。関白の家人どもは慌てて何某の遺体を短刀ごと埋葬した。ははあ、昨夜の鬼が墓を荒していたのはミキの仕業だったのだと、ヒトミは合点がいった。何某の本当の死因を探り当て、凶器を回収するためにである。ミキに睨まれれば鬼も逃げ出すだろう。
「なるほど、からくりはわかった。じゃが、おリカは何故に私を殺そうとしたのだ。いつも大切に扱っていたから、感謝されこそすれ、恨みを買う覚えはないぞ」
「実はリカ殿は興世王の縁者だったのです」
563 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/02(木) 23:37
 興世王とは、平ノ将門の反乱に組みした武蔵の国(現在の東京都、埼玉県)の権守である。将門が討たれて直ぐ、興世王も上総の国(現在の千葉県)で捕えられ殺された。
「うむ……そうであったか」
 この後、関白は近年の争乱で命を失った全ての者のために、大規模な祈祷会を開いた。リカは、彼女に味方した童女であるエリカとユイとともに、奈良の興福寺近くにある微憂殿(びゆうでん)で謹慎することになった。恐ろしい罪を犯したとはいえ、関白は殺すのに忍びなかったのだろう。かの検非違使は役目を罷免され、西国に下ったという。
564 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/02(木) 23:37
 ミキの邸宅では、三人が今回の出来事について語り合った。
「しかし、いくら興世王の縁者とはいえ、関白も知らなかったくらい遠縁の者だったのに、敵討ちなど考えるものなのかな」
「それは当人でなければわからないよ。何か思うところでもあったんじゃない」
 この事に関しては、ナツミは黙して語らなかった。もしかして、悪霊となった将門の瘴気がリカに悪企みを起こさせたのではないかなどとは、ミキは頑なに信じないだろうとわかっていたからである。

(第三十巻第一話・本朝附人情)
565 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/02(木) 23:37
……
566 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/02(木) 23:38
……
567 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/02(木) 23:38
……
568 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/10(金) 06:43
(・∀・)ウンコー
569 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/15(水) 22:42

  ,/⌒⌒ヽ
 と(_(^)_(^)_⌒ヽ、

        ムクッ
  ノハヽo∈
  川'v') <おっきしたのだ。
  /,/⌒⌒ヽ
  と(_(^)_(^)_⌒ヽ、
570 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/15(水) 22:42
音楽室にて
571 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/15(水) 22:43
 退屈な夏休みが明け、二学期が始まったばかりの土曜日。普段からいらいらしている私だが、学校の隣にあるビルの補修工事のやかましさはそれをいっそう助長させた。夏休み中に終わる予定だったのが、ずさんな計画だったのだろうが、ちっともそんな様子がなく、朝からガンガン騒音を撒き散らしていた。
 そんな訳もあり、朝から授業をさぼりたかったのだが、二学期早々から教師の心象を悪くさせることもあるまいと思い直した。三時限目の授業は、週に一度しかない音楽だった。私は教科書と縦笛を持って急造の音楽室に向かった。
572 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/15(水) 22:43
 ずさんな工事は隣のビルだけでなく、この学校もそうだった。理科室や美術室、音楽室がかたまっている校舎は、改築が遅れていた。そのため、使っていない奥の教室を臨時の音楽室に仕立て上げていたのである。
「フジモトさん。早くいかないとヒスがうるさいよ」
「ん。わかってる」
 彼女たちは音楽教師を「ヒス」と呼んでいる。ヒステリーのようにキーキーうるさいからだ。
 
573 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/15(水) 22:43
「どうしてこんな曲も満足にできないの!?」
 教師の声がうるさい。音楽室とは名ばかりで、普通の教室に、教壇を取っ払ってピアノを運んだだけだった。なので、音響はちっとも考慮されていないところが、この音楽教師のプライドを傷つけているのかもしれなかった。そのやつあたりは生徒にくるのもごく普通のことなんだろう。
 今日の生贄はタカハシさんだった。赤いハンドタオルで縦笛の口を拭いたままびっくりしたような顔をしている。彼女のことはよく知らない。もっとも他の生徒のこともよく知らないのだが。彼女については、休み時間に本ばかり読んでいる印象がある。
574 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/15(水) 22:43
 相変わらず工事の音がうるさい。私たちの教室とは違い、隣のビルの工事の他に、校舎の工事の音も重なって響いていた。これも音楽教師の神経に障るのだろう。
「タカハシさん! 五時に再テストするから、それまで練習してなさい! フジモトさんも!」
 バタンと教室の扉を閉じて、そのまま出て行ってしまった。これもいつもよくあることなので、誰も気にするふうでもなかった。私もである。土曜の午後に小テストなど、正気の沙汰ではない。私は受けるつもりなどさらさらなかったが、タカハシさんはどうだろうか。
575 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/15(水) 22:44
「タカハシさん、気にすることないよ」
 ニイガキさんやタナカちゃんが慰めている横を私は通り過ぎた。他の生徒は、一応授業の終わりを告げるチャイムが鳴るまでここに残っているつもりのようだが、私はお腹がすいたので音楽教師と同じように教室を出て行った。
 
576 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/15(水) 22:44
 一度寮に戻りカバンをベッドに投げると、制服のまますぐに食堂に向かった。変わり映えしないメニューだが、食べないわけにはいかない。食堂のおばさんも心得ていて、苦笑しながら食事を出してくれた。食べ終わると十二時になっていた。
 外で遊ぼうにも先立つものがない。そんな時はいつも学校の敷地内をぶらぶらと散歩することにしている。まだ夏の陽射しが厳しいが、台風の影響か今日は風が強く吹いていたのでそれほど蒸し暑くはなかった。
577 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/15(水) 22:44
 学校の裏門の方向に向かった。裏門を利用するする生徒はほとんどいないので、人通りはまったくなかった。裏門近くに旧館と呼ばれる古い建物がある。大昔は校舎だったのだが、今は文科系クラブの部室に利用されている。
 入り口のドアは取っ払われているので、床は砂ぼこりが積っていた。クラブの人間がたまに掃除する程度らしい。土足で出入りできる。入ってすぐに出口がある。出口からグラウンドが見えた。今日はソフトボール部が使っているらしい。グラウンドの隅っこでボールを蹴っているヨッチャンさんたちの姿が見えた。
 出口を横目に左に進むと、階段がある。二階も部室に使われている。階段を昇り、また左に進んだ。階段は更に上に続いているのだが、屋上には出ることができない。
578 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/15(水) 22:44
 進む途中、かつては教室だった部室の窓の木枠を引っぱってみる。鍵はかかっていないが、誰も金目の物があるなどとは思っていない。ワープロや何かの全集が置いてあるのが見えた。多分文芸部なんだろう。
 このように、ときどき勝手に部室の中を覗いて回るのが習慣のようになっていた。文科系クラブは土日にほとんど活動していなかった。おそらくみんな予備校や塾に行ってるのだろう。私は、土日はこのようにぶらぶらうろつくか、寝ているかのどちらかだった。一刻も早くこんなところから抜け出したいのだが、時間はちっとも進んでくれなかった。退屈だとは思わなかったが、何をしているのだろうという思いはあった。
579 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/15(水) 22:45
 二階の廊下の突き当たりの部室の窓を開くと、女の子が見えたので少々びっくりした。向こうもこっちに気づいてにこっと笑ってきた。
「こんにちは」
「あ、ごめんなさい」
 その子はドアを開けて廊下に出てきた。
「あなたは……フジモトさんね」
 こっちは相手の名前が出てこなかったので、多少気まずい感じになったのだが、向こうから自己紹介してきたので助かった。
「私はイシカワって言うの。よろしくね」
580 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/15(水) 22:45
「ここは……」
 部室の中にはテーブルとパイプ椅子が並び、奥の窓側に畳が何枚か重なっていた。
「オチケン。落語研究会よ。あたしの落語聞いてみる?」
 私は丁重にお断りした。きっとオチがないに違いない。そんな気がする。
 廊下の突き当たりに私の注意が向いた。箒や何に使うのかわからないバットが立てかけられているのだが、ドアらしきものが見えた。
「あのドアは……」
「あれ? 危ないから触っちゃだめよ。釘で打ちつけあるから開かないけどね」
581 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/15(水) 22:45
 この建物が校舎だったころ、私たちが今使っている校舎と渡り廊下でつながっていたのだという。
「じゃあ向こう側にもドアがあるんだ」
「そういうこと。そっちも開かないようにしてあるけど」
 しばらくイシカワさんとどうでもいい話をした後、彼女は家に帰るというので私も旧館を出た。階段を降り、例の出口から出てぐるっと回った。外側から二階のあのドアを見ようとしたが、枯れかかった木の枝が邪魔してよくわからなかった。
 
582 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/15(水) 22:46
 時計を見ると、まだ二時だった。グラウンドの端をうろうろしながら、ソフトボールの練習を見ていると、ヨッチャンさんに声をかけられた。
「やっ、ミキティ」
「フットサルの練習?」
 ヨシザワさん──ヨッチャンさんと私は、年齢は同じくらいだが、学年は私のほうが下である。
「来週市内の大会があるんだ。この前の大会は負けちゃったけど、今度は優勝するから」
583 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/15(水) 22:46
 ヨッチャンさんはフットサル同好会のキャプテンだった。同好会だから学校からの補助はない。正式なクラブとして認められるためには、学校と生徒会の承認が必要だったが、実績のない同好会がおいそれと認められるわけもない。だから、ヨッチャンさんは是が非でも今度の大会に勝ちたいと願っていた。
「ミキティもフットサルやらない?」
「いや、私は興味ないから」
「ミキティの性格に合うと思うんだけどな」
 ヨッチャンさんは、不意に私に向かってボールを投げてきた。私はとっさに足を出して受けた。ボールはくるぶしに当たって変な方向に跳んでいった。
「惜しい惜しい」
584 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/15(水) 22:46
 私はいつのまにかヨッチャンさんのペースに乗せられていた。うまくトラップができるまで何回もくり返した。なんとか形になると、今度はヨッチャンさんにゴロのパスを渡そうと蹴ってみた。まっすぐボールが進まないのに腹が立って、むきになってボールを蹴り続けた。
 どうやらコツをつかんだらしく、止まったボールをパスすることができるようになった。
「やるじゃん、ミキティ」
 こうして、いつのまにか私はフットサル同好会のメンバーになってしまった。
 
585 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/15(水) 22:46
 六時過ぎ、日が暮れてお開きとなった。いつのまにかビルや校舎の工事は終わっていた。練習に夢中で気がつかなかった。
 数少ないボールの一つをヨッチャンさんから貰った。
「毎日蹴ってると、もっとうまくなるから」
 私は素直に受け取った。
586 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/15(水) 22:47
 ソフトボール部はとっくに練習を終えて帰っていた。他の同好会員は体育館の方向に走っていった。体育館にあるロッカーを借りて着替えるらしい。ヨッチャンさんと私は、ボールを蹴りながら寮のほうに向かった。
 蹴り損ねたボールは、ころころと旧館のほうに転がっていった。まだドリブルがうまくできない。旧館と新館(今の校舎だ)の間にある通路の奥に消えていった。
「ああ、もう!」
 ボールを追いかけた。ボールは何かにぶつかってようやく止まった。見ると、人の形をしたものが倒れていた。
587 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/15(水) 22:47
「ミキティ?」
「ヨッチャンさん。これ」
 倒れていたのは音楽教師だった。
 ヨッチャンさんはすぐに学校の事務員を呼びに行った。救急車を呼びにいかないところが、この学校の生徒である。つまり、これが学校の不祥事につながることを恐れているのだ。
 私は教師の体を調べてみた。気を失っているだけで、息はあった。スカートから伸びた足が変な方向に曲がっている。私は上を見上げた。例のドア──大昔、旧館とつながっていたドアの名残りが、校舎の外壁にあった。
588 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/15(水) 22:47
 事務員が何人か来て、教師を運んでいった。おそらく病院に連れて行くのだろう。
「何があったのかな」
「さあ……明日も練習あるから、ミキティ」
 
589 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/15(水) 22:47
 月曜日、この日も朝からビルの工事がやかましかった。おかげでちっとも授業を聞く気がしない。もともとない。
 音楽教師の事件はまたたく間に全校生徒に広がっていった。こういうことは、どこからともなく漏れてしまうものである。
「ヒスのこと知ってる?」
「聞いた聞いた。屋上から落ちたんでしょ」
「まさか飛び降り自殺?」
「そんなことするわけないじゃん。あやまって落ちたらしいよ」
「屋上のフェンス、ちょっと低いしね」
「でもなんでそんな所にいたわけ?」
「日曜にさ、ピアノの発表会があったんだって。それですごくナーバスになってたのよ」
「あらら。それで足の骨折ってるんじゃ、発表会どころじゃないじゃん」
590 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/15(水) 22:48
 音楽教師はしばらく入院するらしい。私には関係ないことである。日曜日には、警察官がやってきてひととおり調べていったらしい。警察も事故と判断したようだ。いくら嫌味な音楽教師だからといって、屋上から突き落とす人間もいるまい。
 口さがない生徒たちの関心は、最後に音楽教師と会ったと目されるタカハシさんに移った。
「そういえば、タカハシさん、あの日再テスト受けさせられていたんだよね」
「……うん」
 タカハシさんは律儀にも縦笛の再テストを受けに行っていたらしい。音楽教師は五時きっかりに現れると、すぐにわめき散らしていたという。正気の沙汰ではない。
591 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/15(水) 22:48
「どうだった? いつもどおりだった?」
「うまく吹けなくて、また怒られた」
「それで、キーッって叫んで教室飛び出してったんでしょ?」
 うん、とタカハシさんがうなずいたので、周りのみんなは大声を出して笑った。
「タカハシさんさあ、警察の人に話聞かれた?」
「ううん」
 警察のほうも、学校から何かしら言い含められたのか、あまりやる気を見せなかったようだ。生徒たちの興味は、不幸な事故にあった音楽教師からテレビで宣伝されていた化粧品のほうに移った。
 
592 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/15(水) 22:48
 さぼることなく全ての授業を受けると、私はボールを持ってグラウンドに向かった。ヨッチャンさんたちいつものメンバーのほかに、イシカワさんの姿も見えた。ヨッチャンさんに熱心に誘われていたという。
「これで、メンバーも揃ってきたね」
「今まで交替のメンバーいなくて、試合するのも辛かったからね」
 ヨッチャンさんの指示のもと、みんなで練習をこなしていった。私はピヴォという、攻撃する選手に選ばれた。点を取る役目だというので、キーパーのアサミちゃんを相手にシュート練習をくり返した。
 なかなか思った方向に蹴ることができなかったが、うまくボールにミートすると、想像以上のスピードでゴールに吸い込まれていくのが気持ちよかった。
593 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/15(水) 22:48
「ねえ、ヨッチャンさん。試合って今度の土日だよね?」
「うん、そうだよ」
「試合、大丈夫なの?」
 フットサルのことはよくわからないのだが、みんなの技術は私とそれほど変わりがないように見えた。私はボールにさわり始めて三日目である。
「大丈夫だって。ミキティもすごくうまいしさ、リカちゃんも入ってくれたし」
 今日来たばかりの人にまで期待しているので、いっそう不安がつのった。なのに、ヨッチャンさんは堂々と胸をはっているので、なんだかおかしくて仕方なかった。
 
594 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/15(水) 22:49
 練習が終わり、みんなと別れて寮に戻ることにした。このグラウンドはどうなっているのか、私がドリブルするとボールは旧館の方に勝手に転がっていってしまう。けして私の技術不足のせいではないはずだ。
 ボールは、音楽教師が落ちていた場所にまでたどりついた。ふと目を見上げると、枯れ木に引っかかっている布切れが見えた。無性に気になって、幹を揺らして地面に落とした。なんだか見覚えのある、赤いハンドタオルだった。
「ふーん」
 早く寮に戻ってシャワーを浴び、夕食を取りたかったのだが、それらを後回しにすることにした。
595 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/15(水) 22:49
 私は校舎の玄関に回り、上履きに履き替えた。事務室から光がもれていた。事務員はまだいるようだったが、生徒の姿はもう見えなかった。ボールを軽く蹴り転がしながら、廊下を進んだ。階段では踊り場までボールを蹴ろうとして、階段の二段目にぶつかってしまった。まだボールをうまく浮かせることができなかった。
 それでも手をつかわずに、なんとかボールを二階まで運ぶことができた。かなり時間がかかってしまったが。二階の廊下をドリブルし、例の音楽室に着いた。
596 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/15(水) 22:49
 ドアを開けると、すぐそばにピアノがあった。気に食わないことがあったら、音楽教師がすぐに教室を飛び出すことができる。薄暗いので灯りをつけた。机はなく、椅子がいくつも重なって教室の隅に片付けられていた。掃除をするためにだろう。
 ボールを転がしながらぐるぐると教室を回った。うつむきながら、右足だけでなく、苦手な左足も使ってボールをコントロールした。あちこちにある床のひっかき傷が気になった。窓の外を見ると、古ぼけた旧館が見えた。
「これがそうかな」
 教室の奥、窓側の壁にドアがあった。色あせているが、一応今でも使えそうな感じがした。ただし、ドアノブのあたりに釘が打ちつけてあって開けることはできなかった。
597 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/15(水) 22:49
 足音がしたので、振り向くとタカハシさんがいた。少し驚いたが、ない話ではない。
「どうしたの、タカハシさん?」
 タカハシさんはびっくりしたような顔をして、一言も発しなかった。私は両腕を組んで、ボールを転がしながらタカハシさんに近づいた。
「あ、そうそう」
 私は、ジャージのポケットに入れてあったハンドタオルをタカハシさんに渡した。タカハシさんはさらにびっくりした顔になった。
「これを探しに来たんでしょ? じゃ、私はもう帰るから」
 バイバイ、と声をかけて私は音楽室を出た。
 
598 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/15(水) 22:50
 ボールをわきに抱えて、急いで校舎を出た。グラウンドに戻り、フットサル用のゴールを探した。もうすっかり暗くなっていたが、電柱の灯りで練習はできると思った。
 ゴールから数メートルのところにボールを置いて、シュートした。ボールはポストに当たって横に転がっていった。
「くそっ」
 ボールを置きなおして、何度も蹴り続けた。無心で蹴るんだよ、というヨッチャンさんのアドバイスを受けたのだが、頭の中は余計な考えで渦巻いていた。
599 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/15(水) 22:50
 四階から落ちて、足の骨折だけですむのだろうか。もっと低い階、二階の音楽室から落ちたのだ。窓からか。工事の音がうるさくて窓は閉め切っていた。風も強かったし、わざわざ開けることもしなかっただろう。すると、あの使われていないドアしかない。
 ドアには釘が打ってあったが、そんなものはいつでも取ることができる。問題は、わざわざ音楽教師がそんなドアをどうして開けたのか。そんなことをする性格とも思えない。
600 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/15(水) 22:50
 いや、あの教師の性格を逆に利用すればよい。音楽教師は頭に血が上ると、席を蹴ってドアから出て行ってしまう。土曜の授業もそうだったし、午後の再テストの時もそうだったのだろう。
 そうだとすると、教師は普通の出入り口から出ていったはずではないのか。ピアノのそばにある、あのドアから。なぜ、わざわざ教室の奥にあるドアから出たのだろうか。ピアノが教室の奥に置いてあれば、どこにも通じていないあのドアから出てしまうだろう。
 誰かがピアノの位置を変えていたのだ。床にその跡が残っていた。それが起こることを期待して。
601 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/15(水) 22:52
 ゴール右上にいい感じに決まった。息が切れて、その場にへたりこんだ。風は相変わらず強く、私の髪がなびいた。
 釘抜きか何かでドアの釘を外し、ピアノをそのそばに移動させる。使い慣れたいつもの音楽室じゃないから、音楽教師はそれに気がつかなかったのかもしれない。
 タカハシさんは、音楽教師が落ちていくところを見ていたはずだ。ドアが開いたとき、彼女の赤いタオルが風に飛ばされた。だから旧館沿いの枯れ木にひっかかっていたのだ。
602 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/15(水) 22:53
 もし──もし、タカハシさんがこの「事故」に関わっていたとしても、一人でピアノを動かせることはできまい。何人かでやったはずだ。昼から午後五時までの間だから、時間はたっぷりある。大きな音がたっても、工事の音で紛れただろう。ことが終わったあと、元に戻すのにも人手がいる。
 あの日、午後に再テストがあることを知っていたのは、私たちのクラスの誰かだ。クラスメイトでも、フットサル同好会員は練習していたから無理だろう。タカハシさんはどうか。積極的に加担したのか、それともいやいや従ったのか。ピアノの位置が変わっていれば、正気を失っている教師ならともかく、タカハシさんは気づいていただろう。そして──。
 
603 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/15(水) 22:53
 やめた。私にはどうでもいいことだった。
 音楽教師がヒステリーを起こしたこと、席を立ってわき目もふらずドアを開けて飛び出したこと、この二つはともに偶然である。たとえ悪意があったにしろ、犯罪にはならない。警察が「事故」と判断したのもそのあたりの理由があるのかもしれない。「事故」はよくあることだ。
 私はゴールの中からボールを拾った。ドリブルしながら、今度こそ寮に向かった。熱いシャワーを浴びて、いつもの味気ない夕食をとろう。明日の午後は、授業をさぼって練習しよう。大会に優勝して、クラブを学校に認めてもらうために。
 
604 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/15(水) 22:53
……
605 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/15(水) 22:53
……
606 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/15(水) 22:53
……
607 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/16(木) 01:08
(゚Д゚)モットー
608 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/28(火) 18:04
ここの藤本シュールでちょっとブラックで良いね
学園物が一番好きっす
ぜひシリーズとして続けてほしい
応援してます
609 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/01(金) 23:59
容量がもういっぱいだ
最後に藤本美貴があんなんなってこんなんなってしまう予定だったのだが
いやーまったく残念

てことで、おしまい
610 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/22(火) 11:43
あげ

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