リバーシブル
- 1 名前:名無しさん 投稿日:2004/03/04(木) 15:07
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◇ ◇ ◇
望むモノは、いつだって手に入らない
◇ ◇ ◇
- 2 名前:Opening 投稿日:2004/03/04(木) 15:08
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- 3 名前:Opening 投稿日:2004/03/04(木) 21:50
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◇ ◇ ◇
冷たい風が世界を吹きすぎていく。
風に散らされて霞状の雲の隙間から奇妙に歪んだ月が、まるで傷跡のようにささやかな光を地上に落としていた。
その光に照らし出されたビルの屋上には一人の少女が夜景を眺めるようにして立っている。
そこから見渡せる夜景は、平凡で殊更の感動を与えるものではない。
しかし、少女にとって景色の平凡さなどはさしたる問題ではなかった。
今、こうして景色を眺めることができる、少女にとってはそれがなによりも重要なことだったのだ。
正面に見える大時計の針が既に零時を回っている――
昨日という長い一日が終わったことが。
「…もう大丈夫ですよね」
ふり返らずに少女は呟く。
それが『彼女』に向けた言葉だったのか、
それとも自分自身言葉に出して安心したいだけだったのか、それは言葉を発した本人にも判断がつかなかった。
都会の喧騒から少し離れた場所にあるこの街は死んだように静かで
まるで外の世界から孤立してしまったかのように感じられる。
不意にビルの屋上を真冬の北風が吹き抜けた。
茶色く染めた髪が掬われて横に流れる。
遥か下の街路樹をさざめかせ、雲が同様に流される。
そして、その風が通り過ぎた時――
そこにはもう誰の姿も残っていなかった。
- 4 名前:Opening 投稿日:2004/03/04(木) 21:51
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(2月25日、午後23時58分50秒)
- 5 名前:Opening 投稿日:2004/03/04(木) 21:52
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藤本美貴はビルの屋上から飛び降りて死んだ。
誰もいない世界。誰もいない夜。誰もいない町。
誰もいない屋上。そして、誰もいない歩道へと。
激しく地面に叩きつけられた彼女の体は拉げた果物のようで、
手足はありえない方向へねじ曲がり、まるで癇癪を起こした子供から容赦なく床に叩きつけられてしまった人形のようだった。
夜の静寂を突き破って谺した彼女の最後の音。
その瞬間は、形容し難い程凄まじい音がしたらしい。
近所の住人たちは語るのも拒むように揃って口を閉ざした。
時計の鐘が鳴る。
厳かに、彼女の死を悼むように――
結局、彼女が見ていた大時計は三分だけ早かった。それが全てだった。
果たして偶然だったのか、それとも彼女を殺そうとした『なにか』の意思だったのか、
今となってはもう誰にも確かめる術はない。
ともかく彼女は時計を信用し、日付けが変わったことに安堵した。
それこそが彼女を殺したのだ。
- 6 名前:Opening 投稿日:2004/03/04(木) 21:53
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◇ ◇ ◇
そして、これは物語の一つの結末でしかない。
数ある選択肢から彼女が選んでたどり着いた一つのエンディング。
2月25日から始まり、そして二度目の2月25日に終わったその事件。
彼女を巡るいくつもの物語のうち、これは確かにその一つの結末だったのだ。
- 7 名前:Opening 投稿日:2004/03/04(木) 22:00
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- 8 名前:Scene1.2月18日 投稿日:2004/03/05(金) 19:24
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(午前10時25分)
平日午前中のABCシアターズはすいていた。
辻希美は学校をさぼって一人でそこにいた。
さぼるのは初めてというわけではないけれど一人というのはさすがに心細い。
自然、顔が緊張で強張ってしまうのを希美は抑えられずにいた。
あと五分ほどすれば受付が始まる。中に入ってしまえば少しは安心できる。
今しがた買ったばかりのチケットを握り締め希美は時計を凝視した。
そもそも希美が学校をさぼって映画を見に来たのには理由がある。
昨日、立ち読みしたタウン誌の週間映画ランキング。
その10位に載っていたこの映画を希美はどうしても見に行きたくなってしまって――
なのに、この街にある映画館では今日の午前中で上映終了になってしまうというのだ。
だから、学校をサボっても仕方ないのだと希美は自己の行動を正当化した。
これだから、都会とも田舎ともいえない中途半端なこの街は嫌になる。
希美は、ふぅっと嘆息し映画の予告ポスターに目を向ける。
『運命を変える。君を守るために――』
映画のキャッチコピーだ。
- 9 名前:Scene1.2月18日 投稿日:2004/03/05(金) 19:30
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ストーリーの大元は、死んでしまう運命にある少女を助けようと地上にあがる人魚の少年だ。
少年は、海底からずっと少女を見守っていた彼女の守護天使でもある。
彼は、自分でも気づかないうちに少女に対して仄かな恋心を覚えるのだが、
住む世界が違うのだからそれをどうこうしようとは少しも考えていなかった。
だが、彼はある日少女の死期を知ってしまう。
生命を司る母なる海にいれば人の寿命が自然と分かってしまうのだ。
少年の親も兄弟も同僚の友達も運命だから仕方がないことだと落ち込む少年を慰めるが――
彼は、死んでしまう運命にある少女をどうにかして助けたかった。
そのためには海底の奥底に住む忌み嫌われし『魔法使い』の力を借りなければらならない。
それは全てを捨て去るということだ。
最後の最後まで少年は悩み、しかし彼は結局決断する。
どんな罰を受けてもいい。少女を――助けようと。
そうして、彼は地上に向かうのだ。
- 10 名前:Scene1.2月18日 投稿日:2004/03/05(金) 19:32
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◇ ◇ ◇
席はがらがらにすいていた。
もう上映も終わるのだし今日くらいは人が来ているのかと考えていたが、
やはり平日だからだろう、二百人くらい座れそうな客席には十人かそこらしか座っていない。
上映時間は二時間弱。
映画の方は、海から上がってきた主人公の少年とヒロインの少女が
初めて会話を交わすシーンに差し掛かっていた。時間にして中盤頃。
そろそろ観客がだれてきてもおかしくない時間帯だが、この映画は脚本が上手かった。
少年と少女の会話のテンポからなにから。観客を飽きさせないものになっている。
希美はそこまで深く考えているわけではないが、素直に面白いと感じていた。
- 11 名前:Scene1.2月18日 投稿日:2004/03/05(金) 19:34
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不意に劇場のどこかで携帯の着信音が響く。
希美は、反射的に音のしたほうに目をやった。
と、冴えない中年の男が慌てて携帯を取り出している姿が見える。
マナーモードにぐらいしておけ、希美は心の中で男に文句を言いながら視線を戻す。
そのとき、彼女はふと気付いた。
前の席。
希美が座っていたところから見て左斜め前。
頭が見える。女の人の頭。
確かに誰かいる。希美は首を傾げる。
さっきまでその席に座っている人間はいなかった気がする。
すいているのだからと、前の列にほとんど人がいない座席を選んだのだ。
それなのに、彼女は座っている。おそらく大学生ぐらい。
一体、いつの間に来たのだろう?
さっき視線を動かしたその一瞬だろうか。
だけど、人が入って来ればさすがに気付くはずだ。
希美は、少し不思議に思いながらもスクリーンに視線を戻した。
目を離していた隙に、映画はもう次のシーンに映っていてヒロインの少女の部屋にうつっていた。
セリフは、字幕を見ないと分からない。
結局、少年と少女の会話の続きがどうなったのかよく分からなくなってしまい
希美は、吹き替え版のほうにすればよかったと少し後悔をした。
- 12 名前:Scene1.2月18日 投稿日:2004/03/05(金) 19:37
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◇ ◇ ◇
本編が終わりエンディングロールが流れはじめても希美はスクリーンに釘付けになっていた。
余韻に浸っていたのだ。とてもいい映画だった。特にラストが良かった。すごく。
海に帰る少年に少女は言うのだ。
『あたしのことは忘れていいからね。代わりにあたしがあなたを覚えておくわ。
何十年後かあたしはきっと海に還ってあなたを驚かせてあげる。
そのときまで、お互い幸せになってるって約束しよ』
半分涙に掠れた声で微笑みを浮かべる彼女はとても綺麗だった。
斜め前の席の女も同じ気持ちなのか席を立たずにスクリーンを凝視している。
エンディング曲は聞いたことがない女性ボーカルのバラード。
洋楽はあんまり聞かないけれどとてもいい曲だった。
映画の雰囲気にぴったりだと希美は思う。
やがて全ての上映が終わり、スクリーンに幕が引かれて明かりがついた。
- 13 名前:Scene1.2月18日 投稿日:2004/03/05(金) 19:38
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希美はふぅっと息をつき立ち上がる。
同時に前の席に座っていた女の人も立ち上がった。
不意に目が合う。希美は微かに口を開けた。
凄く美人だった。芸能人にいてもおかしくないような。
男の子が彼女とすれ違ったら思わず振り返ってしまうだろう。
そんな人が一人で映画なんて見るんだ、希美は思った。
彼女から視線が外せずに立ち尽くしていると、彼女は不審そうに眉根を寄せた。
そうすると、一転してひどく怖い表情になる。
彼女は、その顔のまま通路を抜けて希美に近づいてきた。
そうして開口一番
「あんた、もしかして美貴のこと見えてたりする?」
「え?」
「言葉、聞こえてるよね?」
彼女がなにを言っているのか分からず、目を白黒させてその場に固まってしまう希美。
- 14 名前:Scene1.2月18日 投稿日:2004/03/05(金) 19:40
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「ちょっと何か言ってよ!」
言葉を出せずにいる希美に彼女は苛立ったように声を大きくした。
希美はびくりと肩を震わせる。
自分は彼女に何か悪いことをしたのだろうか、考えるがまったく身に覚えがない。
「…あ、ごめん」
怯える希美に気づいたのか彼女はそういって軽く頭を下げた。
「怪しいヤツじゃないから安心してほしいんだけど…
うん、別にあんたのこと取って喰おうってワケじゃないし。
美貴さぁ、気づいたらどうしようもない状況になってて、
どうせだからこの状況利用してタダで映画見ようと思って……でも、よかった。
美貴のこと見える人がいて。マジで助かった」
彼女は、整った顔を上気させてやはり一気にまくし立てる。
希美にはなにがなにやらさっぱり分からないことだ。
- 15 名前:Scene1.2月18日 投稿日:2004/03/05(金) 19:40
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「あのさ、驚かないでって言っても絶対無理だと思うけど一応言っとくね。
驚かないで聞いて。なんか知んないけど、美貴……」
言いながら、彼女はひょいと片手を伸ばして希美の肩に手をかけ――
「死んじゃってるみたいなんだ」
その手は、ものの見事に希美の体をすり抜けた。
希美はこれ以上開かないというほど目を見開いて固まり――
その二秒後、脱兎のごとく上映室から逃げ出した。
- 16 名前:Scene1.2月18日 投稿日:2004/03/05(金) 19:42
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◇ ◇ ◇
上映室を飛び出してそのまま映画館から出ようとしたその時、
希美はとんでもないことに気付いて足を止めた。
「…バッグ」
忘れ物と落とし物の数が高校になってもクラスでトップ驀進中の希美。
間違いなく座席に置きっぱなしにしてきた。
中には、財布から携帯から、すべて入っている。絶対に無くすわけにはいかないものばかりだ。
だが、取りに戻るのは気が引ける。
あの幽霊にもう一度会うことを考えただけでも寒気がするのだ。
この際、幽霊に会ったなんてなかったことにして、
このまま家に帰って布団をかぶって眠りたいくらいだ。
だけど、そうすると同時に鞄まで文字通りなかったことになってしまう。
希美は、頭を抱えた。取りに戻りたいけど取りに行けない。
出入り口のあたりで固まってしまった希美を、チケット売りの販売員が胡散臭そうな目で見ていた。
それに気づいてますます希美は焦燥に駆られる。
どうしよう。こんな時カオリンだったらどうするだろ?
希美は、実の姉よりも自分の姉らしい従姉妹のことを思いだす。
彼女なら絶対に自分のために鞄を取りにいってくれるはずだ。
今、そんなことを考えても意味がないけれど。
どうしよう。希美は再び思う。バッグは取りに行くべきだ、絶対。
- 17 名前:Scene1.2月18日 投稿日:2004/03/05(金) 19:43
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よく考えると、幽霊が同じ場所にとどまっているとも限らない。
もしいたとしても、とって食われることはない、と思う。
さっきの幽霊本人も言っていたけれど、幽霊が人間を取って食べるのは物理的に不可能だ。
希美は、自分の体を空気のようにすり抜けてしまった手を思い出して小さく頷く。
人間に危害を加えられるのは人間だけ。
体がない幽霊が生きている人間に何か出来るわけない。
だから、怖くない。絶対、怖くない。大丈夫。
かなり強引に結論づけて希美は何とか自分を納得させる。
「よし」
希美は、小さく気合をいれ後ろをふり返った。
しかしそこには
「忘れ物だよ」
希美がこちらを振り向くのを待っていたかのようににこやかに先ほどの幽霊が立っていた。
確かに、希美が考えたとおり同じ場所に幽霊は留まっていなかったが
「ひゃぁああああああああああああああ!!」
希美は、これでもかというくらいの悲鳴を上げた。
なんだなんだ、と受付の人が駆けつけてくるのも関わらずに、
再び希美は駆け出した。
- 18 名前:Scene1.2月18日 投稿日:2004/03/06(土) 17:14
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◇ ◇ ◇
(午後13時23分)
幽霊は怖い。誰もいない夜の校舎の音楽室とかトイレとか。
修学旅行で全体写真を撮ったら誰かの肩にぼんやりとあるはずのない手が乗っかっていたりとか。
足が消えていたりとか。肝だめしで人数を確認したら一人多かったとか少なかったとか。
どちらかというと少なかった方が大問題だが、それは今はどうでもいい。
なぜ幽霊が怖いのか、考える。
希美は、元来本能で行動するタイプなので深く考えることはすごく疲れるが
事態はそんなことをいっていられるものではない。
怖い幽霊。
一時期話題になった映画みたいに井戸から這い上がってくるような、
恨みつらみが重なってでてくるような存在。これは問答無用で怖い。
だが――希美は思う。
今日見た映画の少年だって見方によれば――幽霊とまではいかないけど
人間とは違うのだから――化け物ということにもなる。でも、それは怖くない。
どちらかというと会ってみたいくらいだ。
- 19 名前:Scene1.2月18日 投稿日:2004/03/06(土) 17:16
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怖い幽霊と怖くない幽霊。危険な幽霊と安全な幽霊。
人間の味方になる幽霊と敵になる幽霊。幽霊には様々な種類がある。
要するに個体差があるんだろう。人間と同じように。
だから、平日の真っ昼間に平然と人間に声をかけて来るような幽霊は怖くない――
とでも思わなければ仕方なかった。
なぜなら、短距離走なら負けなしの希美が家まで全速力で逃げ帰ったというのに、
玄関をあけると当たり前のような顔をしてその幽霊が待っていたのだから。
「足早いよね。っていうか、明日筋肉痛になってたら殴るよ」
彼女は、幽霊のくせにそんな理不尽なことをいってこちらを睨んだ。
悪い夢ならいい加減覚めてほしい。
いい加減、酸欠もいい感じになってきた希美はふらふらと壁に寄りかかる。
こんな時に、どうして両親は二人とも仕事でいないのだろう。
所詮、人間なんて一人なのよね。
カオリンの言うとおりだった。
それを聞いたときは納得いかなかったが、今ようやく希美はその言葉の意味を理解していた。
いざと言うときに頼れるのは自分しかいない。気をしっかり持たないと、そう言い聞かせる。
- 20 名前:Scene1.2月18日 投稿日:2004/03/06(土) 17:16
-
「…あなた、誰なんですか?」
ようやくそれだけを搾り出す。
もしかしたら、間の抜けた問いかけだったかもしれない。
だけどこの際他に言える言葉が見つからなかったのだ。
『あぁ、自己紹介してなかったっけ?藤本美貴』
「藤本…美貴さん」
『うん。ミッキー以外ならどんな呼び方でも許すよ』
美貴と名乗った彼女は偉そうに胸を張った。
「…あの、藤本さんは人になにか悪いことしますか?」
希美は逃げ出す準備をしながらおずおずと尋ねる。
途端、彼女は憮然とした表情になった。
『しないよ。やり方分かんないし』
「…そうなんですか?」
『うん』
- 21 名前:Scene1.2月18日 投稿日:2004/03/06(土) 17:18
-
それでは、なぜ彼女は自分についてくるんだろう。
というか、どうしてこの家が分かったのだろう。
思いついてその事を尋ねると彼女はスッと希美に手を差し出して言った。
『忘れ物は全てを語るってね。届けに来てあげた』
それは、希美が映画館に忘れたバッグだった。
財布の中に容れっぱなしになっているカード類には住所を書いてあるものある。
どうやらそれを見て住所を知ったらしい。
希美は呆気に取られつつもバッグを受け取る。
しかし、どうにも解せないことがあった。
彼女の手は自分の体をすり抜けるのに――
「なんで物には触れるんですか?」
『…さぁ?』
彼女は本当によく分からないのか軽く肩を竦めた。
変な話だ。生きていないもの同士だからだろうか。
希美はバッグを握り締めながら思う。
とりあえず、バッグを届けに来てくれたなんて意外にいい幽霊だとも思った。
- 22 名前:Scene1.2月18日 投稿日:2004/03/06(土) 17:19
-
「…どうも、ありがとうございます」
少し遅れて礼を言うと彼女は首を振った。
『いやいや、美貴のこと見える貴重な人には優しくしないと』
「え?」
『なんか他の人とかは、こっちが話しかけても集団無視状態で。
この歳で苛めかよとか思ったんだけどさ、殴ったり蹴ったりしてみてもすり抜けちゃうし、
あれおっかしいなぁって気づいて。で、どうしようもないから映画のただ見でもしちゃえって』
「そしたら、のんがいた……」
『そゆこと。もう、マジで目が合った時ビックリした。でも、王道だよね。
こういうのが見えるのは子供だけっていうの』
いつも実年齢よりも幼く見られがちなのを気にしている希美は子供という単語に少しムッとする。
しかし、彼女は気にした風もなく言葉を続ける。
- 23 名前:Scene1.2月18日 投稿日:2004/03/06(土) 17:20
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『それでさ、突然なんだけど助けてほしいんだよね』
不意に言葉の端から軽さが消えた。
「助けるって?」
『うん、なんか…自分が今どういう状態なのかってことはうっすら分かってるんだけど……
どうしてこうなったのかがさっぱり分かんないんだよね。
記憶のところどころにぽっかり穴が開いちゃってるみたいな?
だけど…それを早く思い出さないといけないような気がしてさ』
見つめてくる真剣な瞳に希美はたじろぐ。
『早く思い出さないと、手遅れになっちゃう気がすんの。
美貴、かなり切羽詰まってるっぽくて。なんでかは分かんないんだけど、
急がないといけないんだってことだけはなんとなく分かってて』
「その割りには…映画とか暢気に見てたじゃん」
口の中で小さく希美は呟く。
それを聞きつけたのか、それは違うんだって、と彼女は手を振った。
- 24 名前:Scene1.2月18日 投稿日:2004/03/06(土) 17:20
-
『ぶっちゃけ、タダ見したかったってのもあるけど。
なんかあの場所通ったら見なきゃいけないような気がしたんだよ。
よく分かんないけど見ておかなきゃ駄目な気がしたから…」
気がするとか気がしたとかなんとかっぽいとかそうだと思うとか。
彼女の話は全てそれだ。直感的というよりも、ここまでくると何もかも思いこみでしかないだろう。
「なにを急がないといけないんでしょうね」
希美は、少し呆れながらも話をあわせる。
『それが分っかんないんだよねぇ』
はあ、と大きな溜め息をつく『美貴』。
『でも、なに調べるにしても思い出すにしても…
一人じゃどうにもならないじゃん。だから手伝って』
こちらにとってははた迷惑以外の何者でもない。
だが、あっけらかんとそう言った彼女の目は完璧に完全に本気だった。
希美は、困って一歩後ろに下がる。
- 25 名前:Scene1.2月18日 投稿日:2004/03/06(土) 17:22
-
『ところで、名前なんていうの?』
「辻希美……です」
問われてつい答えてしまう。
これでは協力することを自ずから認めてしまったようなものだ。
希美は、そんな自分を恨めしく思う。
『辻ちゃんね。それじゃ、これからよろしく』
彼女はすっと手を差し出し『あ、触れないんだった』と苦笑してすぐに引っ込めた。
希美は、内心どうしたらいいのかほとほと困り果てていた。
この変な幽霊の彼女に対する恐怖心はもうそれ程でもない。
ただ、警戒心はいまだに残っているわけで。
だけど、もし彼女が言っていることが妄想なんかではなく本当のことなら
自分が手助けしてあげるのが一番いいのだと思う。
彼女が何者にせよ、今、手助けができるのは彼女の事が見える自分しかいないのだから。
――かといって、いったい何をしてあげればいいのか。
幽霊が何を望んでいるのかなんて霊能力でもない限り分からない。
もちろん、希美は霊能力者ではないわけで。できることは少ないだろう。
幽霊を成仏させる方法。
生きてた頃の心残りの解消を手伝ってあげるとか、
そういうのが彼女の言葉を借りるなら王道にあたるのだろう――
だけど、希美は首を傾げる。
この人、自分が何をしたいのかすら分からないみたいだし。
- 26 名前:Scene1.2月18日 投稿日:2004/03/06(土) 17:23
-
「一番の問題は、美貴ちゃんが何をしたらいいのか分かってないことだね」
協力するなら敬語はいらない。名前も呼びやすく。
希美は、そういうところの割り切りは早い。
とりあえず、早速ぶつかった問題点を挙げてみる。
「これをしたいとか具体的なことってないの?」
『んー、美貴が思うに、一番問題なのはこんなことになる前に何があったのかっていうのが、
自分ではっきりしてないってことだと思うんだ。
それに、こんなことになってるのに美貴はまったく滅入っても悲しくも感じてないし。
変な話だけど、これはどうにかなることなんだって気がするんだよね』
「…は?」
希美は端的な声を洩らす。
死ぬ、ということはもうどうにもならないということではないのだろうか。
どうにかなるというのは一体どういう意味なのだろう?
昔あったドラマのように何かをこなせば死なないとか、
なにかをこなせば生き返るとか。そんなわけに現実はいかない。
しかし、確かに希美の目から見ても彼女には悲壮感の欠片も漂っていないのだ。
- 27 名前:Scene1.2月18日 投稿日:2004/03/06(土) 17:25
-
『どうにかなることだから、なにかを急がなきゃいけないんだろうね、美貴は』
「でも、それがなにか分からないんでしょ?
じゃぁ、それをまず思い出さなきゃいけないんだ」
希美の言葉に『美貴』が頷く。
『それともう一個…』
「…もう一個?」
『うん、会いたい人がいるんだ』
彼女はふと、懐かしいものを思い出すような顔をする。
その様子から、希美はふと尋ねる。
「…彼氏?」
『違う違う。友達』
『美貴』は、笑って首を振った。
友達。その人に会えばなにか思い出すのかもしれない。
希美は一瞬そう考え、しかしすぐにそれを諦める。
「どうせその人が誰かってのも覚えてないんでしょ?」
希美が期待せずに問いかけると、予想に反して『美貴』はにっと笑みを浮かべる。
そして、嬉しそうにその名を口にした。
- 28 名前:川VvV从 投稿日:川VvV从
- 川VvV从
- 29 名前:Scene1.2月18日 投稿日:2004/03/06(土) 17:25
-
『なっちさん……なつみだったかな、確か』
- 30 名前:更新終了 投稿日:2004/03/06(土) 17:28
- Scene1→Scene2
- 31 名前:28 投稿日:2004/03/07(日) 00:40
- うわっ。すいません、削除依頼出してきます。
- 32 名前:Scene2 2月20日 投稿日:2004/03/07(日) 20:26
-
(午前2時26分)
バイト上がり、くたくたになってマンションに帰ってきた彼女は
自分の部屋の前にある黒い物体に気づいてぴたりと足を止めた。
彼女がその状況で一番に考えたのは、
強風のせいで飛ばされてきた何かがドアの前に居座ってしまったとかそういう類のことだった。
彼女は欠伸をしながらその物体がはっきり見える程近くまで歩き
「…は?」
端的な声を漏らすと、
アニメだったらかくんとあごが外れるようなそんな表情でその場に固まった。
- 33 名前:Scene2 2月20日 投稿日:2004/03/07(日) 20:28
-
◇ ◇ ◇
矢口真里。
市内の大学に在籍する文学部英文科の4年生。
成績は可もなく不可もなく。まぁ、普通。
一見、遊んでいる風だが講義はそこそこ真面目にこなし、レポートの提出期限には一度も遅れたことがない。
約束の時間や期限を守るのは、彼女の長所の一つでもある。
要するに彼女は生真面目なのだ。かといって、決して固い性格だというわけでもない。
バイトは週3日、居酒屋で接客をしている。
バイトがない日は友人と遊んだり、自分の時間を過ごしたり。
至って、普通の学生生活を送っている。少なくとも彼女は自分の生活が普通だと思っている。
彼女がなぜ普通ということにこだわるのかといえば面倒な物事や事態に巻き込まれたくないからだ。
そういったことは、普通じゃない者達の元で起こるものだと彼女は考えている。
喧嘩好きの人間のところで喧嘩が起こるのと一緒、
つまり普通に日々を暮らしていればそれ程ややこしい事態に巻き込まれるわけがない――
昔から、根拠もなく漠然と彼女はそう考えていた。
結論だけをいうとその考えは間違っていた。
人生とはそんなに簡単なものではないからだ。
- 34 名前:Scene2 2月20日 投稿日:2004/03/07(日) 20:29
-
◇ ◇ ◇
ドアの前に落ちていたのは人間だった。
人間を落ちていたというのは変だ。転がっていたというほうが正しいだろう。
軽く混乱しかけた頭で冷静に自分に対するツッコミをいれる。
ともかく人間だ。見たところ自分とそう背は変わらない、高校生くらいの少女。
ただ――その少女はぴくりとも動かなかった。
真里は、湧き上がってくる唾液を飲み込み
「ちょ、ちょっと…大丈夫?」
少女の肩を恐る恐る揺すってみる。
「ん…」
かすかに少女が声を洩らした。
とりあえずは、生きているらしい。真里は、安堵の息を洩らしながら立ち上がる。
「救急車、今呼ぶから」
「…救急車?なんで?」
今度は、何故かさっきよりはっきりした声が返ってきた。
- 35 名前:Scene2 2月20日 投稿日:2004/03/07(日) 20:30
-
「なんでって、あんたねぇ」
人が倒れてたら救急車を呼ぶのは当たり前だろう。疑問でもなんでもない。
真里は不信に思い少女のほうへ顔を向け――そして、眉をひそめた。
少女が目を擦ってゆっくり体を起こしていたのだ。
少なくともそこに苦しそうな様子は見当たらない。
ということは、これはひょっとして、まさかとは思うが――
「えっと…今何時?2時って…うわぁ、こんな時間までなにしてたのさ、矢口。
帰ってこないから待ちくたびれて寝ちゃったっしょ」
やっぱり寝てたんかい。
心の中で突っ込みつつ、真里は少女の言葉に違和感を覚えた。
「なんであたしの名前知ってんの?」
ドアの表札には名前は書いていない。
少女の話し振りから自分を訪ねてきたことが窺えるが、
唐突に来てドアの前で寝てしまうようなそんな野性的な友達を持った覚えはなかった。
- 36 名前:Scene2 2月20日 投稿日:2004/03/07(日) 20:31
-
「…なんでって、ほら覚えてないかい?なっちのこと」
よいしょ、と身を起こす少女。
正面からその顔を見たとき、真里はふと懐かしい感覚に襲われた。
「なっち……」
口で反芻して
「なっちってあのなっち!?」
真里は大きな声を出した。
少女は、しーっと言う風に口の前で指を立てる。
時刻はまだ深夜。真里は慌てて口を押さえ少女をまじまじと見やった。
転勤族の父を持った真里は中学の3年間を北海道の片田舎で暮らしたことがある。
なっちというのはその時に出来た親友安倍なつみの愛称だった。
なつみは心臓を患っていてあまり学校に来ていなかったが、
真里はほぼ毎日のように彼女のお見舞いに病院を訪れていた。
中3になると矢口一家は再び引っ越すことになり、それ以来なつみとは会えずじまいになっていたのだが――
- 37 名前:Scene2 2月20日 投稿日:2004/03/07(日) 20:31
-
「……どうしたの?っていうか、なんで?」
動揺を隠さず問うとなつみは肩を揺らして笑った。
「んー、ちょっといろいろあってね。しばらく泊めて欲しいかなって」
「…なにがあったの?」
「家出してきたのさ。だけど、普通に友達の家に行ってもすぐ見つかっちゃうっしょ。だから矢口のとこに逃げてきた」
あっけらかんと、彼女は言う。
真里は、どうリアクションをしたらいいのか分からなかった。
確かに昔からこういう突拍子もなく無計画に動くタイプだったけれど。
一体、自分の住所をどこで知ったのか。いろいろと疑問も沸いてくる。
しかし、一番に聞いておくべきことがあった。
「…泊めるのはいいけど、心臓大丈夫なの?」
真里のその問いに、なつみは相変わらず屈託なく笑いながら口を開いた。
「矢口待ってる間に軽く発作起こして倒れたら、いつのまにか寝ちゃってたのさ」
- 38 名前:Scene2 2月20日 投稿日:2004/03/07(日) 20:33
-
◇ ◇ ◇
あのまま外で話していると苦情がくる。そう考えた真里はとりあえずなつみを部屋に招きいれた。
しかし、まだ彼女をここに置いてもいいかどうかといわれれば微妙なところだ。
家出、そのうえ重い病気持ち。
軽く発作起こして、なんて本人は冗談のように言っていたが真里からしたら冗談ではない。
「あのねぇ、なっち。頼って来てくれたのは嬉しいんだけど……
家出なんて家族が心配するし、それに病気のことだってあるじゃん。だから」
「家族はもういないよ」
なつみがさえぎる。
「え?」
「なっちの看病に疲れちゃって家族はバラバラになってね」
「……嘘」
「うん、嘘」
ケタケタと笑いながら頷くなつみ。
ガクッと力が抜ける。
「ふざけてる場合じゃないでしょ」
「そうだね、ごめん」
そう言って、素直になつみが頭を下げるたので文句を続けようとしていた真里はうっと口篭った。
「ねぇ、矢口」
なつみは下げていた頭をあげ、真里をじっと見詰めてくる。
- 39 名前:Scene2 2月20日 投稿日:2004/03/07(日) 20:34
-
「お願い、矢口。ほんの何日かでいいの。
生活費は払うし、掃除洗濯なんでもござれだから。お願い」
口調は相変わらず軽かったが真摯な眼差しだった。
ここで断られたら今すぐにでも路頭に迷う、そう告げているような。
真里は、心底困ってしまった。常識で考えるなら無理だ。断るべきだと思う。
家出のことはおいておくにしても、病気のことだけは無視できない。
いつ倒れられるかもしれないのだ。
もし、自分が出かけている間に倒れられたらそれこそ取り返しのつかない事態になってしまう。
「あたしは、なっちを泊めるのが嫌ってワケじゃないんだよ。
ただ、なんかあったらあたし責任持てないからさ。
なっちにどんな事情があるのかは分かんないけど…」
「そこをなんとかお願い!」
パンと拝むように両手を顔の前で合わせるなつみ。
なにかがおかしい。現実に考えて普通じゃない。
重病人が家出してきて、それでもってしばらく家に泊めてほしいだなんて
そんな話、現実にはありえない。あるならドラマの中だけだ。
- 40 名前:Scene2 2月20日 投稿日:2004/03/07(日) 20:35
-
「お願いって言われても……なっち、本当に大丈夫なの?」
「大丈夫。絶対、死なない。それはない。なっちの名にかけて保証するっしょ」
「いや、そんな物騒なこと保証されても怖いだけなんだけど」
「なんかあってもなっちの責任ってことでいいから。お願いします!」
マジでありえない。
その無茶苦茶な理屈とこのまま話していたら土下座までしそうな彼女の勢いに、真里はそう思った。
だが、なつみの顔はこれ以上ないというほど真剣で
「やばくなったらすぐに病院行く?」
気づくと真里はそう口にしていた。
その言葉に彼女の顔はぱっと明るくなる。
「行く行く行く」
「いまいち信用できないなぁ」
ぼやきながら真里は苦笑した。
――この日から、矢口真里と安倍なつみの共同生活が始まった。
それは、真里自身気づかないうちに普通ではないややこしい事態に巻き込まれてしまったという始まりの日でもあった。
- 41 名前:Scene2 2月20日 投稿日:2004/03/08(月) 21:56
-
(午後16時02分)
『今日は辻ちゃんもさぼっちゃえ』
ホームルームが終わるなり『美貴』が希美の周りの女生徒たちを見やりながら言った。
◇ ◇ ◇
昨日のことだ。掃除当番の順番が希美のいる班に回ってきた。
部活がはじまる前の数十分が掃除に割り当てられている。
希美たちの班の掃除区域は音楽室。
希美は、モップ片手に音楽室を見回した。
この場にいるのは希美とそして呆れたような眼差しの『美貴』。
他には誰もいない。
『もしかしてさぁ、辻ちゃんって苛められてんの?』
ピアノの椅子に座っている『美貴』が心持ち慰めるような口調で言った。
希美と同じ班の女子が「あたし塾あるから」とか「これからデート」とか
なんだかんだくだらない理由をつけて希美に掃除を押し付けて帰って行ったのは、
ホームルームが終わってすぐ。おかげで希美一人で音楽室の掃除をする羽目になってしまった。
『美貴』にそう思われても仕方がない。
- 42 名前:Scene2 2月20日 投稿日:2004/03/08(月) 21:58
-
「違うよ」
モップで床を磨きながらそう答えると『美貴』はあっさりと
『なら、いいけど』と頷きピアノに向き直った。
クラスの女子の四分の三はいい人だ。
ただ、なぜかそりの合わない残り四分の一と同じ班になってしまっただけで。
こればかりは、来学期まで辛抱するしかない。
それにこれぐらいのこと苛めのうちには入らないだろう。
ニュースとかで流れている苛めはもっと凄惨だ。希美は、モップを握る手に力をこめる。
突如、大騒音が音楽室中に響き渡った。
希美は、驚いてモップを落としそうになる。
何が起こったのか、希美が事態を把握するのには数秒かかった。
その天井を突き破りそうな大音響がピアノの音だと気付くには。
『美貴』が弾いているのだ。
彼女がピアノの前に座っていた時点で嫌な予感はしていたが、
なにを考えてこんなに大きな音を出すのだろう。
あまりにも自分の状況について無自覚な彼女に希美は顔をしかめる。
- 43 名前:Scene2 2月20日 投稿日:2004/03/08(月) 21:59
-
『これさぁ、誰かが見たら超怖いよね』
適当に鍵盤を叩きながら『美貴』が顔だけをこちらに向ける。
分かっているなら止めてほしい。
その誰かが本当に来たらどう誤魔化せばいいのだろう。
そのことを考えると希美はこのまま彼女を置いて逃げだしたくなった。
騒音はいつのまにか意味不明な音の羅列じゃなく人を小馬鹿にしたような
「猫踏んじゃった」のメロディに変わっている。
楽しそうな『美貴』を見て希美は深く嘆息した。
もう掃除は終わろう。『美貴』の音楽を聞いているとそんな気になってくる。
希美はモップをしまい黒板を消して窓の外で黒板消しをはたく。
「美貴ちゃん、帰ろ」
声をかけるとピアノの音はぷつっとやみ
『じゃ、捜索開始だね!』
『美貴』は嬉しそうに言った。
- 44 名前:Scene2 2月20日 投稿日:2004/03/08(月) 21:59
-
◇ ◇ ◇
そんなことがあって時間をロスしたため昨日はいまいち『なつみ』なる人物の捜索がはかどらなかったのだ。
『美貴』がそういうのもわかる。勿論、希美も今日は掃除をさぼる心積もりでいた。
「辻さん、今日もよろしくー」
軽い言葉とともに同じ班の女生徒たちが昨日と同じく掃除を押し付けて帰ろうとしたので、
今度はそうはいくかと希美ははっきりと断りの言葉を口にした。
「ごめん、私も今日忙しいから」
帰ろうとする彼女たちにそう言うと「えぇー、困るよ。辻さんがしてくれないと」などと
彼女たちは露骨なことを言いだす始末。あまりの勝手さに希美が文句を言おうと口を開こうとした矢先
『美貴』がスッと彼女たちの前に立った。いったい、なにをするつもりだ。
希美は目を見張った。
- 45 名前:Scene2 2月20日 投稿日:2004/03/08(月) 22:00
-
『そんなに帰りたいなら』
『美貴』が口を開く。
希美は「あ」と小さく声を洩らすがそれは静止には至らない。
『美貴』の動きは早かった。
彼女たちの鞄をポイッと窓から投げ捨てたのだ。
彼女たちはもちろん、希美も違う意味で真っ青になった。
慌てふためく彼女たちを置いて教室を飛び出すと
『いや、つい手がこう勝手に動いちゃったっていう』
何も言っていないのに『美貴』が弁解めいた言葉を口にした。
「…まぁ、あんまり目立たないようにね」
なんというか少しだけスッとしたのも事実だったので希美はあまり『美貴』を責める気にはならなかった。
- 46 名前:Scene2 2月20日 投稿日:2004/03/08(月) 22:02
-
◇ ◇ ◇
(午後17時30分)
一人暮らしを始めると料理が上手になると誰かが言っていたが、
一人暮らし早3年になっても真里の料理の腕前はそれ程上達していなかった。
それは、コンビニの弁当で済ませたりバイトの賄いだったり、
なんだかんだで自炊の必要があまりなかったのもあるが、
生来、それほど家事の類が好きではないことも関係していたのだろう。
一度、手を抜き始めてしまえばそれまで。そう簡単に、手を抜く前の生活には戻れないというわけだ。
ただ、今日からはそうも言っていられなくなった。
居候とはいえ客は客。それも病人。滅多なものを食べさせるわけにもいかない。
そう考えて、久々に近場のスーパーで買い物袋二つ分の食材を買い込んで帰宅すると、
真里は台所に立った。本日のメニューは誰でもお手軽に出来るカレー。
真里が、唯一レシピがなくてもできる料理だ。
- 47 名前:Scene2 2月20日 投稿日:2004/03/08(月) 22:03
-
玉葱を切り始めて
「くぅーっ!!」
真里は顔をしかめた。目にきた。
「左斜めに体をずらしたらいいんだべ」
いつの間にいたのかなつみが後ろから手元を覗き込んでいた。
「左斜め?」
「そう。したら、玉葱の汁が飛んでこなくて目が痛くなんないの」
そんなこと初耳だ。
あからさまに怪しい豆知識を自信たっぷりに披露した彼女は
「ちょっと貸して」と真里の手からひょいと包丁を手に取った。
「あとは、なっちがやるっしょ。花嫁修業だべ」
いいながらとんとんと玉葱をスライスし始める。余裕のある手つきだ。
真里は、その手際のよさに感心しつつ、自分ももう少し料理を勉強しようと密かに決意した。
- 48 名前:Scene2 2月20日 投稿日:2004/03/08(月) 22:04
-
それから、45分。
丸テーブルの上には見事な夕食が並んでいた。
カレーライスとゆで卵、海草サラダ。付け合せのスープ。
真里が考えていた一品にしっかりとおかずまでつけられている。
それだけではない。
なつみは、料理の合間にキッチンの片付けから食器棚の整頓までしてしまった。
ちょくちょく様子を窺っていた真里はそのあまりの手際のよさに心底驚いた。
「凄いね、なっちって」
「なに言ってんのさ、照れるじゃないかい」
なつみは、どこぞのおばさんのように手を拱いた。
「いや、マジでびっくりだよ」
真里は笑いながら久々に家で食べるまともな夕食に舌鼓を打った。
- 49 名前:28 投稿日:2004/03/08(月) 23:52
- うわぁ……面白い。続きがとても楽しみです
- 50 名前:Scene2 2月20日 投稿日:2004/03/09(火) 22:59
-
◇ ◇ ◇
フィクションの世界でよく当てもなく人探しをするシーンがあるけれどあんなのは嘘だ。
手がかりや情報なんてそんなに都合よく手に入るものではなく、
探し人は簡単に見つからないのが現実である。
なつみ。
分かっているのはそれだけ。
性格、明るくてすごく親しみやすい。ちょっと抜けててツッコミどころ満載の人。
年齢は『美貴』と同じくらい、らしい。顔は少し『美貴』と似ている、らしい。
らしいらしいらしい。まったく役に立たない。
捜索の第一段階。
まずパターンとして、二人が行ったことがあるという店やデパートなどを
しらみつぶしに歩きたいところだった。だが、『美貴』は彼女の家も知らないし、
電話番号も知らないし、学校も知らないと首を振った。それどころか、どうやって知り合ったのかもよく覚えていないというのだ。
希美としてはどうしようもなくなってしまう。
それでも映画館の前を通った時なにかを感じたように、街を歩いていればまたなにか感じるかもしれないと『美貴』が言うので、
希美は昨日も歩き回った街中を今日も同じように歩いている次第だ。
しかし、こんな感じではいつまでたっても見つかりそうにない。
真っ暗な部屋の中から手探りで落とした硬貨を拾うよりもきっと難しいだろう。
「…お腹すいたなぁ」
希美は、隣でふんふんと上機嫌に鼻歌なんて口ずさんでいる『美貴』を恨めしげに睨む。
幽霊はずるい。お腹は減らないしどれだけ歩いても疲れないし。
挙句の果てにいきなりいなくなるし。希美は今日だけでもう3回ほどなつみという人物ではなく、
ふらふら勝手に歩いてしまう『美貴』を探す羽目にもなっていたのだ。
- 51 名前:Scene2 2月20日 投稿日:2004/03/09(火) 23:02
-
そして、4回目。
紀伊国屋に立寄ってすぐ『美貴』の姿が消えた。
希美は嘆息して辺りを見渡す。
ランキングコーナーには、流行の本たちが順に並んでいる。
本といえばファッション雑誌程度しか読まないのでまったく知らないものばかりだ。
そんなことを思いながら店内を歩き回っていると、話題の新書コーナーの前で
腕を組んでいる『美貴』の姿が目に飛び込んできた。
「勝手に動かないでよ」
希美は傍まで行くと小声で文句を言う。
『うん、ごめんごめん』
『美貴』の視線はある一冊に定められたままはこちらを見向きもしない。
『ねぇ、これって古くない?』
ふと『美貴』が呟いた。
「え?」
言われて希美は、『美貴』が見つめていた本を見る。
帯欄には著者の顔写真。若い女性作家だ。希美は、そこで思い出す。
確か、つい最近、最年少でなんとか賞を取って話題になった作品だ。
- 52 名前:Scene2 2月20日 投稿日:2004/03/09(火) 23:02
-
「古くないよ。今日、発売みたいだし」
希美は答えながら積み重なる本の傍に立てられた本日発売の札を指差す。
『本当だね。もう発売してた気がしたんだけど』
『美貴』は、不思議そうに首を傾げた。
「気のせいじゃないの」
『・・・そうかもね』
「そんなことより、なんか思い出した?」
『ううん。見つかるかどうか、かなり心配になってきた』
彼女は小さく首を振り、珍しく弱音を吐いた。
ちなみに傍から見れば希美が一人で虚空に向かって話しかけているようにしか見えないわけで、
それがどれだけ妙かということはさすがに自分自身で分かっている。
実際、それで昨日から何回も変な目で見られていた。
だから、出来るだけ小声で話しているのだ。
- 53 名前:Scene2 2月20日 投稿日:2004/03/09(火) 23:03
-
「ねぇ、友達とか学校とかって手がかりないの?」
『なかった。さすがにその辺のことは覚えてたから、
今日辻ちゃんが学校行ってる間にちょっくら行ってみたんだけど。
やっぱり誰も美貴のこと見えないし』
どおりで授業中姿が見えないと思った。
本当に勝手な人だ。まぁ、いいけれど。
「…誰も美貴ちゃんのこと心配してないの?」
希美の言葉に『美貴』は頷き
『世知辛い世の中だよね』
およよ、と涙を拭うまねをした。
「…でも、それっておかしくない?」
ふとそう思った。幽霊、ということは死んでいるということだ。
大学がどういう仕組みか詳しくは分からないけれど、
親しい友人が死んでしまったら普通誰か一人くらい騒ぐものなのではないだろうか。
- 54 名前:Scene2 2月20日 投稿日:2004/03/09(火) 23:04
-
「美貴ちゃんって友達いなかったの?」
『いるよ!失礼な』
「その人たちの様子も普段どおり?」
『…うん』
やっぱりおかしい。おかしいと思う。
「明日、のんも行ってみる。直に聞いたらなんか分かるかもしれないし」
『うん、そうしてもらえると助かるよ』
『美貴』は、あーあと大きな伸びをして
『なっちさん、どこにいるのかなー』
呟いた。
- 55 名前:Scene2 2月20日 投稿日:2004/03/09(火) 23:04
-
◇ ◇ ◇
ニュースは天気予報をやっていた。
明日の天気は曇り時々晴れ降水確率三十パーセント。
なんというか、どちらにも転びそうな予報である。
晴れても曇っても雨が降ってもどこにも文句が言えない。
『お天気キャスター』のお約束の解説を軽く聞き流しながら、真里はふと口を開いた。
「そういえばさぁ」
「ん?」
「なっちはなんで家出したの?お母さんと喧嘩でもした?」
なつみの箸がぴたりと止まる。
しかし、すぐに
「違うよ。なっちとお母さんの通信状態はいつでも良好だべさ」
にこやかに左の手首を指差しにっこりと笑った。
- 56 名前:Scene2 2月20日 投稿日:2004/03/09(火) 23:05
-
一瞬、左手首になにかあるのかと真里はマジマジと見やり――
そういえば、と昔自分がなつみをからかった時のことを思い出した。
彼女はからかわれるといつも『お母さんに言うかんね』と左手首に向かって
真里の文句を言っていたのだ。
それが母親に通じて返信も返ってくるとかどうとか。
そんなことを心底真顔で言うものだから、当時中学生だったにも関わらず
真里はなつみと母親のことをエスパーだと信じてしまった。
さすがにこの年になってまで信じるわけはないけれど、懐かしさに笑んでしまう。
なつみも自身の左手をなで「へへ」っと笑った。
- 57 名前:Scene2 2月20日 投稿日:2004/03/09(火) 23:05
-
「喧嘩じゃないならなんで?」
「ちょっと会いたい人がいてね」
「会いたいって…彼氏とか?」
「ぶーっ!」
なつみは、手でばってんを作る。
真里は子供じみたその行動に苦笑する。
「じゃぁ、誰?」
「矢口は知らない人だべ」
「知らないなら、なおさら教えてくれたって構わないじゃん」
「んー……まぁ、そう言われるとそうだよね」
なつみは、腕を組んで頷いた。
- 58 名前:Scene2 2月20日 投稿日:2004/03/09(火) 23:07
-
「どうせ、なっちもどこにその人がいるのか知らないんでしょ?
だったら、あたしも探すの手伝ってあげるよ?大学の友達とかバイト仲間とか
いろいろ声かけたら、なっち一人で動き回るよりかなりましだと思うんだけど」
なつみは最初にしばらく泊めてほしいと言った。
それは、ここを拠点にしてその会いたい人とやらを探すつもりなのではないかと、
真里はその時ふと思ったのだ。もちろんなんの根拠もないので、
真里としては鎌をかけたようなものだったのだが、なつみは図星だったのか口を開けている。
その態度で自分の考えが的中していた事が簡単に分かった。
本当に彼女は、この街の中にいる誰かをたった一人で探すつもりだったらしい。
いくら小さな街とはいえ無謀すぎる考え。まったく世間知らずもいいところだ。
真里は思わず苦笑した。
- 59 名前:Scene2 2月20日 投稿日:2004/03/09(火) 23:08
-
「あたしとしては、一旦なっちをここに泊めるって決めた以上は責任取りたいし。
なっちは、その人のこと見つけるまでは帰る気ないんでしょ」
「えーと…まあ、うん、そうだね」
「じゃぁ、あたしを頼ってよ」
しばし、なつみは黙っていた。
それは考えあぐねてという風ではなく、予想もしていなかったことを言われて
どう対処したらいいのか分からない、そんな顔だった。
「でも、なっちは矢口に迷惑かけたくないんだよ」
しばらくしてそう口を開くなつみ。
「いや、もうすでにかけてるから」
すかさずツッコミを入れるとなつみは「そうだったね」とはにかんだ笑みを浮かべた。
「……じゃぁ、頼っちゃおっかな」
「うん、頼ってよ」
「でも、名前しか知らないんだ」
それはまた難儀な話だ。
真里は、そう思ったが口には出さずになつみの言葉を待つ。
- 60 名前:Scene2 2月20日 投稿日:2004/03/09(火) 23:08
-
「藤本…美貴って言うんだけど」
「藤本、美貴?」
真里は、その名前を繰り返して大きく口を開けた。
それから、少し遅れて「藤本ってあの藤本のこと!?」と驚きの声を上げた。
「な、なんだべさ?」
真里の過剰な反応になつみは、面食らった顔をする。
「だって、藤本ってあの目つき悪くて姿勢悪くて胸がなくての藤本美貴でしょ?」
「いや、知らないけど。目つきは…うん、確かに悪かったかも」
真里の剣幕に推されながらなつみがしどろもどろに応える。
「それ、絶対あたしの後輩の藤本だって」
「後輩?」
「そう、大学の後輩。超生意気な」
なんて偶然だ。
こんなにあっさりとなつみが探している人が見つかるなんて奇跡としか言いようがない。
真里のテンションは上がりに上がる。
- 61 名前:Scene2 2月20日 投稿日:2004/03/09(火) 23:09
-
「よし。とりあえず、明日あいつ呼び出そう」
「でも、本当にその人か分かんないっしょ」
「大丈夫だって。単に遊ぼうって呼び出すだけだから。
なっちはあたしの友達ってことで紹介すればいいし。人懐っこいやつだから、
もし違ってても普通に遊べばいいじゃん」
「…そっか。そだね」
まだなにか言いたげだったが真里と目が合うと彼女は柔らかな微笑を浮かべて頷いた。
「なっち、カラオケ行ってみたいな」
それから、口調も変えずにさらりとそう口にする。
「カラオケ?」
「そう、行ったことないんだよね」
今時、カラオケに行ったことのない人間がいるなど真里からすれば考えられないことだ。
だが――目の前にいるなつみを見て真里は少し納得する。
- 62 名前:Scene2 2月20日 投稿日:2004/03/09(火) 23:10
-
彼女は、確か自分よりも年齢が一つ上だから22歳になっているはずだ。
しかし、実際その実年齢よりも遥かに若く見える。
まるで成長が止まっているかのように、頼りなく華奢な印象。
中学時代に病院で会っていた時とそれは変わらない。
ずっと会っていなかったにもかかわらず、あまり違和感を感じないのはきっとそのせいなんだろう。
もしかしたら、つい最近まで入院をしていたのかもしれない。
そして、それが正しいのならなつみが一度もカラオケに行ったことがないというのは
当たり前のことだ。
「……じゃぁ、カラオケ行こっか」
「うん」
「言っとくけど、あたし超歌うまいよ」
「楽しみだべ」
なつみは、朗らかに肩を揺らした。
- 63 名前:更新終了 投稿日:2004/03/09(火) 23:11
- Scene2→Scene3
- 64 名前:名無しさん 投稿日:2004/03/09(火) 23:24
- ものすごく重大なミスに気づきました
Scene1が2月19日、Scene2が2月21日です。
日付が全部一日ずれてるなんて_| ̄|○
マジで氏にたい放棄したい
- 65 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/10(水) 00:01
- いや、かなり面白いんで放棄は勘弁
- 66 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/12(金) 21:34
-
(午前8時22分)
その日、遅刻すれすれで希美が教室に飛び込むと
ざわめいていたクラスメイトたちが一斉に静まり返った。
それどころか、希美が視線を合わせようとしてもそそくさと逸らす始末。
いったい、なにがあったのか。不安に思いながらもともかく鞄を置こうとして、
希美は、ようやくクラスメイトたちが余所余所しい理由を悟った。
高校生にもなってこんなことされるとは思ってもみなかった。希美の机がなくなっていたのだ。
見ると、同じ班の女子たちがニヤニヤしている。希美は、唖然とした。
いくら自分のことが嫌いだからといっても、一度掃除を断っただけでこんな風に仕返しされるとは考えてもいなかったのだ。
それだけに、なんの対処法も見つからず、希美は段々と惨めな気持ちになってきた。
『どうしたの?さては忘れ物したなぁ?』
立ち尽くしていると、遅れて教室に入ってきたらしい『美貴』が
からかうように希美の顔を覗き込みながら言った。希美は、答えられずに首を振る。
この歳でこんな幼稚な虐めを受けるなんて恥ずかしすぎる。
それに、今、口を開けたら泣いてしまいそうだった。
希美の表情からただ事ではないなにかを感じ取ったのか『美貴』の顔からすっと笑顔が消える。
彼女は、ぐるりと教室を見回し、ぽっかりと不自然にあいたスペースに視線を止めた。
- 67 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/12(金) 21:34
-
『…っだらない』
彼女のその呟きを聞きつけたものは、少なくともこの時一人としていなかった。
希美も涙をこらえるのに必死で気づかなかったのだ。
刹那。
パーンッ!
甲高い、音。
それは全く突然のことだった。
一瞬のざわめき、クラス中の目が教室の前の教卓に集中する。
そこにあった筈の花瓶が、床に叩きつけられたように粉々になっていた。
- 68 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/12(金) 21:35
-
「…美貴ちゃん?」
その場にいた人間で何が起こっているのかを理解できたのは希美一人だった。
『美貴』のことが見えるのは希美しかいない。
つまり彼女のほか、この場にいたクラスメイトたちには当然花瓶が突然割れたようにしか見えないのだ。
本当は、『美貴』が床めがけて力いっぱいにたたきつけたのだが。
『あんたらマジで陰険すぎんだよっ!!』
そして、『美貴』のこんな怒声を聞きつけたのも勿論希美だけ。
希美は、あんぐりと口を開けて固まった。その間にも『美貴』は怒りを露にしていく。
ガシャーン!ガシャーン!
続けざまに、窓ガラスが割れた。
突然の出来事に驚いてざわめき始める教室。
- 69 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/12(金) 21:36
-
「み、美貴ちゃん、ちょっと!」
希美の制止の声も、人目を気にしてかあるいはそれ意外の理由からか、今一つ高さがない。
当然、今の『美貴』にそんな声が届くはずもなく、
さらに窓ガラスが割られる。誰も分かるはずがない。
今のは、窓に歩み寄っていった『美貴』が力任せに窓を叩き割った結果だということが。
体を持つ人間ならこのような真似は出来ないだろう。
自分が怪我をしてしまうのが関の山だ。
しかし、今の彼女なら。ガラスは割れる。
しかも、その破片で怪我をすることなどないのだ。
何が起こったか分からずに、それでも悲鳴を上げて逃げ出す窓側のクラスメイト。
破片は上手い具合に窓の外側に飛んだから――
あるいは『美貴』が計算しているのか――幸い怪我をしている者は一人もいないようだ。
それだけがこの状況下では救いだった。
- 70 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/12(金) 21:38
-
「美貴ちゃん!!」
希美はどうにか止めようと彼女の名を叫んだ。
『美貴』は気づかないのか無視しているのか、今度は昨日鞄を投げ捨てた彼女の机を蹴り飛ばした。
彼女は悲鳴を上げる。
『美貴、こういうの一番嫌いなんだよね!こそこそとしてさぁ!!
止めないあんたらも同罪だよ!!』
この声が聞こえるのも希美だけ。教室は既に騒然となっていた。
何が起こっているのか。誰が窓ガラスを割ったのか、それから誰が花瓶を壊したのか。
そうした騒ぎの中、『美貴』が再び手を上げる。
「美貴ちゃん、もういいってば!!」
希美の金切り声は思いのほか良く響いたらしい。
『美貴』にではなく、クラスメイトたちに。
そして、彼らから見て――希美が見ていたガラスが割れた。
希美が視線を移すと、次のガラスが割れる。
確かに、希美が見ていた一点に何かが起こるのだ。
それがどう言う意味なのか。
いつからか、教室は静まり返っていた。皆、なにか化け物でも見るように希美を見ていた。
そのことに気付いていないのは『美貴』を目で追いかけるのに夢中になっている希美当人だけだろう。
彼女が視線を向ければ、物が落ちる。壊れる。
やがてその視線がすっと真横に向けられた。つまり、『美貴』が希美の隣に来たのだ。
- 71 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/12(金) 21:39
-
「…目立ちすぎ」
希美は小さい声で、そう言った。二人だけに聞こえるような、それくらいの声で。
そして、僅かに間を置いて続ける。
「…でも、結構すっとしたかも」
そして、また一瞬の間を置いて苦笑する。
『美貴』は憮然としたまま何も言わなかった。
「今から捜索しに行こっか」
希美は『美貴』に向かって微笑むと、さきほど手から落とした鞄を拾ってドアに向かう。
その背中に
「…ば、化け物!!」
震える声が投げつけられた。
それを皮切りに次々と希美にぶつけられる言葉。
『…あいつらっ』
『美貴』が怒り交じりに振り返ろうとする。
「いいって、もう」
それを制しながら希美は教室を出た。本当にどうでもよかったのだ。
なんだかあまりにもくだらなすぎてどうでもよくなってしまった。
- 72 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/13(土) 22:19
-
◇ ◇ ◇
(午後14時35分)
自転車をかっ飛ばして約20分。それが真里の通学にかかる時間である。
その20分は人通りの多い表通りを使えば25分になってしまうのだが、
途中にある公園を突っ切れば5分短縮できるのだ。
さすがに夜は通らないが午後の講義が休講になったりして
バイトまで時間に余裕がある日にはそこを突っ切って一旦家に戻ることにしている。
もともと今日は午後の講義がない日で、真里はいつものように自転車を漕いでいた。
美貴との約束の時間は夜の7時。まだまだたっぷり時間はある。
家に戻ったら、なつみと一緒に少し辺りを歩いてみるのもいい。
そんなことを思いながら真里は自転車のハンドルを右にきって公園内に入った。
そのとき、彼女は反対側の入り口から歩いて来た一人の少女に気付いた。
- 73 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/13(土) 22:21
-
中学生、いや高校生だ。
ずいぶんと幼く見えるが制服は真里が3年間通った朝比奈高校のものに間違いなかった。
高校生が下校する時間にしては早い気がする。まだ試験期間でもないはずだ。
覚えていないだけでこの時期なにか行事があったのかもしれないが、
なんにせよ真里が気にとめることではなかった。
少女は、誰かに顔を見られたくないとでもいうように俯きながら歩いてくる。
もしかしたら、泣いているのかもしれない。
彼氏に振られたとか友達と喧嘩したとかはたまた具合が悪いのか。
少し気になった。しかし、かといってまったく見ず知らずの少女に声をかけるまでにはいたらない。
普通ならここで二人は何事もなかったようにすれ違っていただろう。
しかし、生憎ことはそのようには運ばなかった。
すれ違いざま、少女のポケットから携帯がぽとりと落ちたのだ。
少女はそれに気付かなかったらしく、そのまま歩いていこうとする。
真里は、慌ててブレーキをかけ自転車を立てると、少女の携帯を拾った。
携帯がないと生きていけない彼女からしたらこれを落として気づかないなんてありえないことだ。
- 74 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/13(土) 22:22
-
「落としたよ」
真里は少女を呼び止める。
少女はビクリとしたように振り向き、俯きながら小声で短く礼を言った。
小声、というのは、少女がそうしようと意識した結果ではないだろう。
おそらくそうしないと嗚咽の方が喉の奥から出て来てしまって、まともに礼が言えない。そんな感じだった。
そう、少女は真里が思ったとおりに泣いていたのだ。
しかも、かなり本格的な泣き顔だ。何分、あるいは何十分と泣き続けたような、そんな顔。
よく見ると少女の頬の辺りにはうっすらとした切り傷がある。手にも。真里は、それが無性に気になった。
「痛くない?」
自らの頬を指差して訊ねる。
「…大丈夫、です」
「喧嘩でもしたの?」
ここで――真里は自分の性格を呪った。
そんなことを聞いても自分はこの少女になにもしてあげることはできないのだ。
それならば、聞かないほうがいいに決まっているのに。
真里の内心の後悔を他所に少女は首を横に振った。
- 75 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/13(土) 22:23
-
「喧嘩じゃありません。そんなんじゃないですから」
激しく否定する。
否定しながら一旦引っ込んでいた少女の涙がまた溢れはじめた。
少女はそれを真里に見せないように
「…これ、ありがとうございました」
バッと頭をさげ今度は携帯を通学鞄に入れるとくるりと真里に背を向けて駆け出した。
あまりの素早さに呆然と見ていた真里だったがふとあるものに気付く。
少女が鞄に押し込んだ携帯。駆け出した拍子にまた鞄から転がり落ちて足下に転がっていた。
真里は、嘆息する。これ以上関わるのもどうかと思うが――チラリと腕時計に視線をやる。
まだ余裕はたくさんある。
「こういうのも何かの縁っていうのかなぁ」
真里はぼやきながら少女の携帯を拾い上げると、自転車に飛び乗って少女のあとを追いかけた。
- 76 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/13(土) 22:25
-
◇ ◇ ◇
自転車と足。
当然、速さは段違いなわけで真里はすぐに少女に追いつくことができた。
後ろからちりんちりんとベルを鳴らす。少女が怪訝そうに振り返った。
「また、落としたよ」
真里は苦笑しながら携帯を翳す。
少女は羞恥のためかそれ以外の理由か真っ赤になって俯いてしまった。
顔を上げずに真里の手から携帯を受け取ると、
鞄をあけて中に放り込みジッパーをしっかりと閉める。
その光景を見ながら――落ちることはなくなりそうだけど、
着信があってもなかなか気づかないだろうな――真里は、そんなことを思った。
- 77 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/13(土) 22:25
-
「もう落とさないようにね」
「…あの」
少女はふと顔を上げ真里の顔を正面から見据えた。
「なに?」
「の…私、気持ち悪いですか?」
一瞬、真里は何を言われたのか分からなかった。
少女の口から漏れた言葉をもう一度頭の中で反芻し、
それが聞き間違えでなかったことを確認してから、彼女は彼女なりに事情を悟る。
恐らく誰かから気持ち悪いとかそういった類の言葉を投げつけられたのだ。なんてひどい話だ。
「全然。むしろ、超可愛い」
真里はきっぱり答える。これは、嘘ではない。
泣きすぎたせいか少し目が腫れているけれど、
一般的に見て目の前の少女はレベルの高い部類に入る。
八重歯はご愛嬌といったところだし。
- 78 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/13(土) 22:26
-
「あ、そういう意味じゃなくて」
少女がぷるぷると首を振った。
「へ?」
「やっぱいいです。ありがとうございました」
「ちょっとまってよ、なにそれ」
意味が分からず真里は少女の腕を取った。
少女は驚いたように振り返り、それからなぜか誰もいない虚空を見て
「え?」と小さく声を漏らした。
- 79 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/13(土) 22:26
-
* *
- 80 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/13(土) 22:28
-
矢口へ
なんか手紙とか書いてみました。お母さんもあみも矢口に書けってうるさいし。
電話のほうが楽だし一杯話せるからなっち的にはそっちがいいんだけどね。
そういえば、最近電話もしてないかな。
ひょっとしたら、もうなっちが死んでるとか思ってない?
これがまた、ちゃーんと生きてるかんね。驚きっしょ?
高校はどう?
矢口のことだからきっと楽しんでるんだろうな〜。
こっちはあんまり変わったことはないかな。高校もたまにしか行けないから本当に中学の時と変わんない。
あ、でも検査入院した時にお見舞いに来てくれる人がいなくなったから少し寂しいよ。
なっち、しょっちゅう入院しちゃうから、皆、段々と来なくなるんだよね。
毎回毎回、飽きないで来てくれたのって矢口だけだし。
でも、ま、とりあえず当分死ぬ予定はないから安心してて。
まだ死にたくないしね。
大学はなっちも矢口と同じ大学狙ってみるべさ。
シティーガールになって矢口の前に颯爽と登場するのも悪くなさそう。
それじゃ、その時をお楽しみに。
返事はいいから、また電話してね。
P.S
この手紙ってもしなっちが死んだら形見になるから大事にするべし
安倍なつみ
- 81 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/13(土) 22:28
-
* *
- 82 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/13(土) 22:29
-
「あの…」
少女は、困ったような顔で再びそう切り出した。
時折、先程見ていた虚空に視線を投げながら。
「藤本美貴さんって知ってますか?」
つい最近、いや昨日だ。なつみにも同じような事を聞かれた。
一体全体、自分の後輩である彼女はなにをしでかしたんだ。
真里は、眉を寄せる。
「なにされたの、あいつに?脅された?」
少女はぶんぶんと首を振る。
「今、藤本さんどこにいるか知ってます?」
「どこって……多分、まだ大学にいると思うけど。
あ、そういや夕方、美容院行くとかどうとか言ってたから、
時間つぶしにテニスコートにいるかも」
美貴の受講している授業が夕方まであるから夜の7時に待ち合わせになったわけではなく、
彼女が夕方に美容院の予約をいれていたからそうなったのだ。
真里は、それを思い出しながら答える。
- 83 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/13(土) 22:31
-
「そうですか。ありがとうございます」
少女は再び頭を下げると今度は真里が腕を掴む間もなく走って行ってしまった。
真里は唖然と少女の後姿を見送り、なんだったんだ、と思った。
苛められて泣いていたのかとこっちが心配していたのに、急にケロリとして。
心配して損した。真里は嘆息する。
まぁ、あの少女にとって自分はただの通りすがりというだけの話だ。
もう会う事もないから気にすることもないのだろう。
しかし、そう思う傍ら、真里の中には何となく妙な予感があった。
あの少女とはどこかでまた会う事になるような、それはとても奇妙な感覚だった。
- 84 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/14(日) 20:04
-
◇ ◇ ◇
(午後15時15分)
誰もいないテニスコートに今日も無数のボールが転がった。
石川梨華はそれを見て――またか、と諦めたような溜息をつく。
梨華の視線の先にいるのは彼女の友人と薄汚れた子犬。
子犬はボールに喜びコート中を駆け回っている。
そして、友人も楽しそうに子犬と遊んでいる。いつもの光景。
梨華は、呆れながら彼女の動きを目で追いかける。
彼女、藤本美貴はこの大学では梨華の一番の親友にして悪友だった。
「あのねぇ、美貴ちゃん…前も言ったんだけど」
梨華は、できるだけ何事もない口調を装いながらそう切り出した。
「んー?」
美貴が、子犬の口からボールを奪い取りながら気のない返事をする。
- 85 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/14(日) 20:05
-
「ボールを全部使う必要はないんじゃない?」
そう、子犬と遊ぶだけなら籠の中からボールを一つ取り出せばいいではないか。
それで事足りるはずだ。それなのに美貴ときたら、毎回毎回来るたびに
わざわざ籠をひっくり返してコート中にボールをぶちまけるのだ。おかげでこの有様。
いくらこのサークルに来る人間が梨華一人だといってもこれはやりすぎだ。サービス練習さえもできない。
「こんなにあるのに使わなかったらボールが可哀想じゃん」
へらへらと笑いながら美貴が言う。
嘘だ、と思う。そんなこと微塵も思っていないくせに。
「練習できないんだけど」
「練習ねぇ。でもさ、一人でコート使うのって勿体無いじゃん。そっちの壁で壁うちでもしたらどう?」
自分が正しいかのように飄々と言い放つ美貴に梨華は反論しようとして
「……そうだね」
しかしながら、頷いてしまう。
梨華の負けだった。この時点で彼女を改心させることを断念する。
毎度毎度変わらないといえばこのやり取りもそうなのだ。
それでも繰り返してしまうのは慣習になっているからなのかもしれない。
馬鹿だ、私――梨華は、コンと軽く頭を叩いた。
- 86 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/14(日) 20:07
-
石川梨華と藤本美貴。
この二人の関係は傍からみれば不思議にうつるものだろう。
彼女たちには、別にこれといった接点――高校が同じだったとか家が近いとか――
がある訳でもなし、受ける授業もそう被っているわけではない。
それなのに、なぜか大学内で一番親しい。
そのことを一番不思議に思っているのは他ならぬ梨華自身だ。
何しろ完璧に正反対なのだから。
ピンク色が好きでくだらない小物が好きでまさに女の子といった梨華。
そんな梨華に対して美貴はというと、寝癖でピンピンに髪が跳ねているにも構わず
学校に来る始末。生真面目を地で行く梨華と、自由奔放な美貴。
ここまで両極端だと却って清清しささえ感じてしまう。
正反対な二人が友人に、などという話は漫画やドラマでこそよくある話だが現実にはそうありえない。
やはり女子というものは自分と似たようなタイプの相手とつるむものだ。
会話が続く相手、気の合う相手を選んでいけば必然的にそういうことになるのだろう。
実際、美貴といて会話が弾みに弾んで、なんていう経験はない。
だけど、初対面が最悪なものだったからいまさらそんなことを気にかけることもなかった。
- 87 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/14(日) 20:07
-
「そうだ、美貴ちゃんもテニスの練習してみない?」
梨華が、テニスサークルに入っていることを知ってからというもの
飽きもせずここに来ているのだから、少しぐらいテニスに興味を持っているのかもしれない。
現に子犬がこの場所に居つく前までは梨華の練習を見ながら
このラケットを持って素振りをしていたこともあったのだ。
ふとそんなことを思いだして、ベンチの上にある古いテニスラケットを美貴に見せながら口にしてみる。
「めんどいよ」
「あー…そうだよね」
面倒くさいの一言で片付けられてはどうしようもない。
言うだけ無駄だった。梨華は、手にしたラケットを残念そうにベンチに置く。
- 88 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/14(日) 20:08
-
「っていうか、一人でテニスって楽しい?」
「楽しいよ」
「ふぅーん。あ、見て見て!まめおがボール蹴った」
「だから?」
つい言葉が尖ってしまう。
あ、と思って梨華が美貴を見ると
「梨華ちゃんが冷たいよー。まめおー、どうする?」
彼女はまったく気にした様子もなく子犬に話しかけていた。
まぁ、彼女がこんなことを気にするわけがないのだけれど。少し心配して損した。
梨華は、足元のボールを手にとってとぼとぼと壁のある場所へ向かう。
そのときだった。コート備え付けのスピーカーがガリガリと古びた音をたて、
次いでピンポンパンポンという間の抜けた放送音が響いた。
こういった放送は大学では珍しいことだ。
- 89 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/14(日) 20:10
-
『学籍番号922152英文科藤本美貴さん、
至急教務課まで来るようにお願いします。繰り返します…』
なんとなく耳を傾けているとそんな放送が流れてくる。
「美貴ちゃん、何やったの?」
梨華はびっくりして美貴を見やる。
が、美貴は子犬と遊ぶのに夢中で今の放送をまったく聞いていなかったらしい。
梨華の声に「へ?」間抜けな声をあげた。
「うぇ、なんだろ?追試かな?留年かな?それとも、この間のレポートが…」
先程の放送内容を伝えると美貴はぶつぶつといろいろなことを自白しながら頭を抱えた。
そんなに心当たりがあるのか。梨華は、そのことに呆れ驚きながら
「ともかく早めに行ってきなよ」
美貴を促した。
美貴は力なく頷き、ふらふらとした足取りでコートを出ていく。
子犬も親分を慕う子分のように美貴についてコートから出て行く。
投げ散らかしたボールはそのままに。
今のうちに片づけちゃえ、梨華はコートにしゃがみこんでボールを拾い始めた。
ボールを籠に半分ほど入れて梨華はふぅっと額を拭う。
そこで、気づいた。
コートの入り口に一人の小さな人影が立っていることに。
- 90 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/14(日) 20:12
-
◇ ◇ ◇
中学生?いや、高校生だ。
濃紺のブレザーにカラーブラウス、チェックのスカート、紺のハイソックス。
その制服に見覚えがあった。というか、自分が通っていた高校だ。
にも関わらず一瞬中学生だと思ってしまったのは、
高校生にしてはその少女が少し幼い感じがしたからだ。
髪は束ねて一つにポニーテールにしている。下校帰りというには、少し早い時間帯。
少女はどうしたらいいのか決め兼ねているらしく、緊張した面持ちでコートの入り口に立ち尽くしている。
いったい、いつからそうしていたのだろう。梨華は首をかしげながら
「どうか、したの?誰かと待ち合わせ?」
話し掛ける。少女ははっと姿勢をただし首を横に振った。
それから深呼吸一つ、きっと真正面から梨華を見据えてくる。
その妙に真剣な面持ちに梨華は少したじろいだ。
- 91 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/14(日) 20:13
-
「私は朝比奈学園2年の辻希美と申します」
ぺこっと弾かれたように頭を下げる。
唐突に自己紹介されても梨華には返す言葉がない。
「今日は、藤本美貴さんの、ことについて、うか、伺おうと思って」
まるで考えてきた台詞を思い出しながら喋っているかのように
少女の言葉はつっかえつっかえだ。
しかし、その言葉で彼女がなにをしにきたのかは分かる。
美貴に用ということはまたいつものあれなんだろう。
本当に誤解されやすいんだから、梨華は思う。
- 92 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/14(日) 20:14
-
「美貴ちゃん、目つき悪いけどガンつけてたとかそういうのじゃないよ。
お金とかとられなかったでしょ。だから」
「そんなんじゃありません」
少女は、早合点した梨華の言葉をさえぎる。
その視線が一瞬なにもない横にうつされた。
梨華も少女の目線の場所につい目を向けるがやはりそこにはなにもない。
変な女の子だと思いながら
「…それじゃなんなの?」
「聞き…伺いたいことがあって」
先程も同じことを聞いた。
しかし、美貴の知り合いにこんな子がいるなんて聞いたこともない。
もちろん美貴の友人全て把握しているワケではないけれど。
わざわざ大学まで訊ねてくるぐらいだから余程重大な用事でもあるのだろう。
梨華は、テニスコートの入り口を見やる。まだ美貴が戻ってくる気配はない。
- 93 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/14(日) 20:15
-
「そっか。でも、美貴ちゃん今ちょっと…」
「あの」
梨華に言葉の続きを言わせず、やたら真剣な面持ちでじっとこちらを窺う少女。
「藤本美貴さんっていつ亡くなったんですか?」
なくなる?
少女の言葉を頭の中で変換していく。
なくなる。
無くなる。
亡くなる。
亡くなる?
――この意味だろうか?
- 94 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/14(日) 20:15
-
「…は?」
梨華はそれしか言えない。
「だから、その…亡くなったって聞いたから」
少女は、自信なさげに続けた。
なんてことを言い出すんだろう、この子は。
梨華は訝しげに眉を寄せる。
「1つ聞くけど……その藤本さんって、殺しやみたいな目つきの、
胸がちょっと引っ込み思案な感じで、小顔な…」
梨華の言葉に少女は慌てた素振りでまたなにもない所に視線を投げ、
それから困ったように
「多分、その藤本さんです」
「…誰から聞いたの、そんなこと?」
人の生き死には冗談で交わすようなものではない。
少し非難めいた口調になってしまうのは仕方が無かった。
そんな梨華の反応に驚いたように「え?」と少女は顔を上げる。
- 95 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/14(日) 20:16
-
「だって…亡くなってなんかないよ、美貴ちゃんは」
呆気にとられる少女の顔こそ見物だった。
もっとも、自分もはたから見れば似たり寄ったりの顔をしていたのだろうが。
「今ちょっといないけど、もう少ししたらここに戻ってくるから待ってたら?
何でそういう噂?がでてるのか分かんないけど」
少女は、なにやらひどく驚いたような様子だった。
しかし、勧められるままテニスコートの中に入ってきてベンチにぺたんと腰を下ろす。
梨華もラケットを立てかけその隣に座る。
- 96 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/14(日) 20:18
-
「でも、ちょっと意外。辻さんだっけ?美貴ちゃんとどこで知り合ったの?
ひょっとして、幼馴染とか?」
「…映画館」
少女は半分心ここにあらずという感じだったが一応答えは返してきた。
なにか他の考え事に没頭しているらしい。
なにか訊ねれば答えは返してくれるのだろうだが、あまり邪魔をしないほうがよさそうな雰囲気だ。
梨華は仕方なく話しかけるのは諦めて自身の膝の上に頬杖をつき、
少女を横目で観察する。見ていてどうにも頼りない感じのする子だ。
話言葉も口調も舌足らずだし噛みまくっているし。基本的にどうにも頼りなかった。
なにかあればすぐに泣き出してしまいそうな感じもする。
一体、そんな子が美貴になんの用なんだろう?
あんな悪質な冗談まで口にして、一人でわざわざ。
と、そのときふと少女が梨華の方を向いた。
「あの、もう一つお聞きしたいんですけど、なつ…」
しかし、彼女がその台詞を最後まで言い終わらないうちに
「学籍証落としてただけだったよ。っていうか、マジで焦ったぁ!」
ガシャンとフェンスのドアを開け放つ派手な音がコートに響く。
- 97 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/14(日) 20:18
-
「あ、美貴ちゃん」
梨華は立ち上がる。
とりあえずはいいタイミングである。
「良かった、今ね」
梨華は少女、希美のことを美貴に言おうとして
「誰?友達?」
美貴のこの台詞に、言いかけた言葉を止めた。
少女と美貴を交互に見て
「…美貴ちゃんの知り合いじゃないの?」
「知らないよ、梨華ちゃんの友達じゃないの?」
美貴は、ワケが分からないという風に首を傾げる。
気まずい沈黙、数秒。
- 98 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/14(日) 20:19
-
「知らないって…なんで?忘れてるんじゃないの?
駅でカツアゲしたとか裏道でぶつかってきたから、いてこましたとか」
なぜか梨華は焦りにも似た気持ちを覚えて口早に言う。
美貴がわざとらしく嘆息交じりに首を振り
「梨華ちゃん、まだ美貴のことそういうイメージで見てんの?超ショックだよ」
言った。
「そ、そういうわけじゃないけど・・・」
「そういうわけじゃん。で、なんなのこの子は?」
「なんなのって言われても・・・」
二人の視線が示し合わせたように希美の方に向けられる。
彼女は、何か思いつめたような固い表情でまっすぐに美貴を見返していた。
まるでなんらかの覚悟を決めたように。
それはどこか美貴が自分のことを知らないと言うだろうと予想していたようにも見えた。
無言で美貴を見つめる気丈な瞳。さっきまでの頼りなさは欠片もない。
- 99 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/14(日) 20:20
-
「今日、美容院の予約いれてるんですよね」
静かな声で彼女は言った。
「…なんでそんなこと知ってんの?」
問われた美貴は不気味なものを見たかのように顔をしかめた。
確かに見ず知らずの高校生からそんなことを尋ねられるのは気持ち悪い。
「やっぱり…」
希美は、誰にでもなくつぶやく。
何か考え込むように、眉間にきゅっとしわを寄せてあらぬどこかに視線をやる。
「まだ、髪を切っていない」
「え?」
「つまり・・・」
「あんた、何言って」
すっと希美に視線を合わせられて美貴は言葉に詰まった。
梨華も同様、彼女のただならぬ雰囲気になにも言葉を発することができなくなっていた。
希美は、なにかに納得するかのように僅かに頷き――小さな声で呟いた。
おそらくそれは美貴の耳には届いていないだろう。
しかし、隣にいた梨華には聞こえていた。
「未来からきたんだ…」
- 100 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/14(日) 20:21
-
希美はきゅっと唇を噛むと挨拶もそこそこにテニスコートを飛び出す。
コートの入り口をくぐって、そこれはじめて思い出したかのように
こちらを振り返りペコリと頭を下げるとそのまま走り去ってしまった。
足音がみるみるうちに遠ざかる。
「なにいまの?」
「……さぁ」
取り残された二人はただ呆然とその場に佇んでいた。
- 101 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/15(月) 21:50
-
◇ ◇ ◇
(午後17時30分)
「ん?」
バイト先の喫茶店でエプロンのポケットから振動を感じた飯田圭織は手にしたばかりのトレイを置いた。
「どうしたん?」
店長の中澤裕子が不思議そうに声をかけてくる。
「電話」
彼女はポケットの中からマナーモードにしていた携帯を取り出す。
「切っとけや、仕事中やろ」
中澤の声は、携帯の表示画面を見ている圭織には届かなかった。
そして、中澤も彼女の表情がぱっと喜色を帯びたのを見てまたかという風に嘆息し
置かれたトレイを手に取り自らフロアへと向かう。
- 102 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/15(月) 21:54
-
「もしもし、のんちゃん?」
後ろで圭織の声。
のんちゃん、とは彼女が大学に入る前まで同じ家で暮らしていた従姉妹のことだ。
中澤は、耳にタコが出来るくらい彼女からその従姉妹の話を聞いていたものだから
会った事もないのに覚えてしまったのだ。
客にコーヒーを出しながら通話している圭織の横顔をチラリと窺うと、
その顔はもうバイト中であることすら忘れてしまっているのが分かるほどに蕩けている。
従姉妹から電話がかかってくるといつもこんな調子になってしまうが
圭織は決して仕事への態度が悪いというわけではない。
愛想笑いが苦手でたまに笑顔が引き攣っている時もあるが
それを引いてもバイトとしてはいい部類に入るだろう。
ぼんやりしている割に大学院での成績も悪くはないらしい。
以前、なにかの話の流れで圭織の総合評価を聞いた時、彼女はこう答えた
『可もなく不可もなくって感じ』
これは良くも悪くもないという意味ではなく、本当にその言葉どおり、
優良可不可の成績判定で可と不可がなくて優と良だけだったと言うことだったのだから
中澤は苦笑するしかなかったのだが。
- 103 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/15(月) 21:55
-
コーヒーを出したついでに、他の席の空いた食器をトレイに戻して厨房へ戻る。
圭織はまだ電話をしていた。
しかし、その顔は先ほどのようなものではなくいやに真剣なものに変わっている。
なにかあったのだろうか。少しの心配と興味本位で聞き耳を立てていると
「分かった。今から直ぐそっちに行くからね!」
彼女は聞き捨てならない台詞を言った。
思わず持っていたカップを落としそうになる。
「え?大丈夫だよ。バイト?もう終わった終わった」
ちょう待てや、終わってへんやろ!!
中澤はそういいたいのをグッとこらえる。
というよりも、むしろあまりの話に声が出ない。
「それじゃ、すぐ行くから待っててね」
彼女は携帯を切るとエプロンを脱ぎ始めた。
「ちょっと、カオリ!?」
中澤は、慌てて食って掛かる。
- 104 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/15(月) 21:55
-
「ごめん。裕ちゃん、急用が出来ちゃったの」
「急用ってアホか!そんなんでサボれると思ったらやな」
「じゃぁ、首にしていいよ」
圭織は、てきぱきとエプロンを畳んで裏口へと向かっている
「はぁっ!?」
「ごめんね!!首になってなかったら来週ただ働きするから」
最後にそう言うと、彼女は風のように飛び出して行ってしまった。
中澤は呆然と裏口のドアが閉まるのを見つめる。そして
「……なんやねん、マジで」
呟いた。
飯田圭織 大学院生、文系。サークルは無所属。
今入れているバイトはカフェのウェイトレス。制服が着てみたかったというのが志望理由だ。
彼女には、実の妹よりも大事にしている従姉妹がいる。
辻希美、高校2年生。
――圭織が事件に関わったのは無論彼女を通じてのことだった。
- 105 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/15(月) 21:58
-
◇ ◇ ◇
(午後18時40分)
『美貴』は希美のベッドの上に腰かけて足を組んでいる。
そしてなにか思い出したようにふっと笑った。
希美が何ごとかと不審げに目を向けると
『いや、生きてる時にさ、こういう座り方するとO脚になるって聞いたから
ずっとやめてたんだよね。けど、今だったら別に関係ないなぁって思って』
この能天気さ。
幽霊らしさの欠片ぐらいだしてほしいものだ。
希美は気付かれないように溜め息をつきその足に目をやる。
O脚も何も並のタレントが羨ましがるような綺麗な足をしている。
そこまで神経質になる必要はないんではなかろうか。
いや、それともそれだけ気を遣っていたからこそのものなんだろうか?
その辺りは今の状況とはまるっきり関係ないのだけれど、少し羨ましく思った。
その時、階下でカチャリと音がして間を置かずに玄関の戸が開く音が聞こえた。
- 106 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/15(月) 21:59
-
「あ、帰ってきた」
『マジで?なんか父親にあうみたいで緊張してきた』
まったく緊張感のない声を発しながら『美貴』が立ち上がる。
玄関の戸に鍵をかける音。
「のんちゃん?」
希美を探しているのだろう。そんな声と共に居間のドアを開けて閉める音。
『美貴』がくっくっと声を押し殺して笑っている。
希美は『美貴』を睨み頬を膨らませる。
階下からぱたぱたと階段を上がってくる音。
「ただいまー、のんちゃん!!」
物凄い勢いでドアを開け部屋に飛び込んでくるなり彼女は希美に抱きついた。
飯田圭織。希美の少し年の離れた従姉妹。
大学院生、隣の市の大学院に通うため今はそちらで独り暮らし中。
そうなる前はどこに行くにも希美と一緒。
希美に近づくものはすべて排除するというたまに怖い一面のある、希美にとっては姉代わりの人間だ。
希美には実際に姉がいるが彼女よりもその絆は深い。
- 107 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/15(月) 21:59
-
「早かったね」
抱きしめられたまま希美は苦しそうに声を発する。
「まぁね、ちょっと電車飛ばしてもらったから」
『いや、不可能でしょそれは』
『美貴』が呆れながらツッコミを入れる。
と、圭織は希美を抱きしめる腕を緩めベッドの方向に視線を向けた。
そして、不可思議そうに首を捻る。
「今、のんちゃん何か言った?」
圭織の言葉に希美は驚いた。確かに今、誰かがなにかを言ったけれど。
そう、『美貴』が言ったのだけれど。
見えるのだろうか、今までは自分以外誰も見ることが出来なかった美貴のことが。
「見えるの!?」
「え?ううん。なんか声が聞こえただけ」
圭織は、希美の反応に戸惑いながら首を振る。
声だけ。そんなこともあるのか。
しかし、『美貴』の存在を何も感じられないよりは格段に話しがしやすくなる。
希美は少しホッとした。
彼女だったら絶対に自分の言うことを信用してくれると思っていたが、
実際にその存在を感じられるか感じられないかでは、話の信憑性も説明にかかる時間も大違いだろう。
- 108 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/15(月) 22:00
-
「で、何なの?困ったことって?」
早速、本題に切り込んでくる圭織。
「学校でなんかあった?それとも、変なおじさんに付き纏われた?
あとはあとは…お菓子がなくなったの?遠慮なく言ってよ。
事と次第によってはカオが抹殺するからね」
「あ、違う。そういうことじゃなくて」
まったく物騒な事をさらりと言ってくれる。
これが言葉だけでなく本気だということを希美は長年の経験から学んでいるので
彼女の前では迂闊なことはいえないのだ。
『あれは、いいの?言わなくて』
いつのまにか隣に座っていた『美貴』が小声で聞いてきた。
圭織が自分の声を聞くことができると分かったための小声。
あれ、とは間違いなく今日の学校での出来事だろう。
「いいの」
希美も、小さく返す。
今はそんなことよりも『美貴』の話のほうが断然大事だった。
『美貴』が根拠もなく口にしていた急がなければならない理由。
『美貴』が根拠もなく切羽詰っていた理由。
おそらくこの奇妙な出来事は、一人の人間のこれからの生死が関わってくるはずなのだ。
- 109 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/15(月) 22:03
-
◇ ◇ ◇
希美が妙な違和感を覚えた事の発端は、
美貴の大学で彼女の友達だという石川梨華に話を聞きにいった時だった。
『美貴』は、幽霊だから当然死んでいる。それを前提にして希美は彼女に尋ねたのだ。
「藤本美貴さん、いつお亡くなりになったんですか?」と。
しかし、梨華の返答はとんでもなくずれていた。
――亡くなってなんかないよ、美貴ちゃんは。
希美は戸惑った。
これは人違いをしてしまったのだろうか、と。
しかし、人違いなら隣にいる『美貴』が一番にそう言ってくれたはずだろう。
何かがおかしい。これが第一の違和感。
- 110 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/15(月) 22:04
-
そして、希美が考えをまとめる暇もないままにテニスコートに姿を現したのは――
間違いなく確かに生きている藤本美貴だったのだ。
ここでさらにもう一つの違和感を希美は感じる。
それは、髪の長さと色。
生きている美貴は希美と一緒にいる『美貴』よりも少し髪が長く色も僅かに
根元のほうが地毛の色になっていた。その時、不意に希美はあることを思い出す。
紀伊国屋で『美貴』が言った言葉。
ねぇ、これって古くない?
発売したばかりの本に対して彼女はそう言ったのだ。
その時は、ただの勘違いだろうと気にもとめなかったけれど。
もしかしたら――
ある一つの仮説が希美の中で芽生えはじめていた。
不意に、全てのからくりが氷解したような気がしたのだ。
- 111 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/15(月) 22:06
-
とても信じられないようなこと。あるいはただの思いこみかもしれない。
そんなことが現実に起こる筈がないと頭では分かっている。
しかし、起こり得ないというなら幽霊の美貴の存在自体が
そもそも十分起こり得ない事態なのだし、もう一つ二つくらいわけの分からないことが重なってもおかしくはない。
そう思って、希美は生きている美貴に聞いてみたのだ。
今日、美容院の予約いれてるんですよね、と。
『美貴』の先輩だという人物に聞いたことを。
答えはイエス。
その時点で希美がたてた仮説はかなり有力なものになった。
つまり、幽霊の方の『美貴』の時間は現実より何日分か進んでいる。
この時差がどこから来たものかなのか。
答えは、おそらく一つ。
幽霊の『美貴』は、今は確かにこの時間にいるけれども――
おそらくは、未来から来た、言い換えれば未来で死んだ幽霊だということなのだ。
- 112 名前:名無し娘。 投稿日:2004/03/16(火) 21:18
- タイトルの意味がついに! 楽しみ
- 113 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/16(火) 23:01
-
◇ ◇ ◇
論より証拠、昔の人はよく言ったものだと思う。
『美貴』の姿が見えなくても声が聞こえるのだからそれは存在の証拠に成り得た。
それでもなお驚きを隠せない圭織に、希美が今までの事態をかいつまんで説明する。
途中、『美貴』のツッコミも冴え渡る。
「…成程ねぇ」
すべての事情を聴き終えるまで、十数分。
圭織はさすがに呆然としていたが、それでも目の前の証拠と希美の説明を疑うことはなかった。
そもそも、彼女は希美のことを今まで一度も疑ったことがないのだ。
「カオもよく交信するけど、こんなにはっきり声が聞こえるのははじめて。ビックリだね」
『よく交信って……そっちのほうがビックリですよ』
圭織の言葉にすかさず『美貴』のツッコミが入る。
希美も『美貴』の言葉に同意なのかニ、三頷いている。
圭織は、多少ムッとしたがそれを嘆息で逃し
「けど、その話が確かなら、かなり切羽詰まってることになるんだよね」
言った。
- 114 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/16(火) 23:03
-
「やっぱりそう思う?」
「だって、要するに藤本さんは…まだ、死んでないってことなんでしょ」
そうなのだ。
今、現在、この時間軸の間での美貴は――
今日、彼女の大学で希美が見たとおり生きていることになる。
「で、これから何日かのうちに彼女は死んじゃう。そして、死んだ後の藤本さんがなぜか今ここにいる」
「…うん」
『あ〜、そういうことになるんだ』
『美貴』は、いまだに事態がよく飲み込めていなかったのかどこか感心したような声を発した。
希美は、そんな彼女を見て呆れる。本当にどうしてこうも緊張感がないんだろう、と。
幽霊になってしまうと生きていた時となにか感じ方が変わってくるのだろうか。
- 115 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/16(火) 23:04
-
「ってことは・・・カオリたちがすることは二つあるわけだね」
圭織はVサインをするように指を立てた。
「一つは、幽霊の藤本さんの手助けをすること」
言って、指を一本曲げる。
「もう一つは」
圭織は、真剣な顔つきになる。
希美がとても良く知っている顔つき。
友人の前ではあまり見せないようだが、
小さい頃から希美が泣いている時にはよくこの表情で助けに来てくれた。
『もう一つは?』
『美貴』に促されて圭織は残った指を曲げる。
そして、言った。
「生きている藤本さんを死なせないようにすること」
- 116 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/16(火) 23:06
-
◇ ◇ ◇
(午後19時00分)
石川家の夕食の時間はきっかり19時。
仕事で帰りがまちまちになる姉と父を除いて、いつも母と妹と3人で夕食を囲む。
この話をすると大学の友人たちはありえないと笑う。
確かに大学生になって19時に家に帰っているのはおかしいのだが、
身についている習慣はそうそう変わらないのだ。もちろん、用事があるときなどはそちらを優先するようにしている。
「そう言えば、あんたさぁ辻希美って知ってる?」
ふと、梨華は箸を止めて妹に話しかけた。
妹は、市内にある高校に通っている。
梨華と違って社交的な彼女は他所の高校にもたくさん友達なり顔見知りなりがいる。
もし今日大学に来たあの少女が本当に高校生なら
知っている可能性もあるのではないかと梨華は考えた。
それは、かなり可能性の低い話だということは分かっている。
だから、梨華も本当になんとなく聞いてみただけだったのだが
「辻希美ってあの辻希美?」
意外にも妹は彼女の事を知っていたらしい。
ぐいっと身を乗り出すようにして聞き返してきた。
- 117 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/16(火) 23:07
-
「あのってどの?」
「朝比奈のでしょ?ウッソ、あの話大学まできてんの?」
どこか興奮したように口を押さえる妹。
あの話?といわれてもなんのことか分からない。梨華は首を捻る。
「あの話ってなに?」
「なんか超能力で教室のガラス全部割ったんだって」
「超能力?」
「そ。私、見にいったけどマジで割れてたもん。最悪だよね、この時期窓なしだよ」
「ちょっと、あんたなにしに朝比奈学園に行ったの?」
妹の話に母が口を挟んだ。
彼女は、当たり前のように口にしていたが母がそう横槍を入れるのももっともなことだ。
彼女の通っている高校は朝比奈ではないのだから。
「いや、あの…ちょっと友達と」
「いい加減にしなさいよ。ふらふらサボってるんじゃないでしょうね」
「さぼってないって」
自分が聞いたことによって思いもかけない口論をはじめてしまった二人を他所に
梨華の頭は辻希美のことを考えはじめていた。
- 118 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/16(火) 23:09
-
あの少女は、美貴を訪ねてきた。
だから、自分とは関係ないといえば関係のないことだろう。
ただ、彼女が最後に発した一言が梨華には気になっていたのだ。
未来から来たんだ、という一言。
それは彼女本人が未来からきたというわけではなく、
なにかが未来から来たということをあの時はじめて確信したような口ぶりだった。
それと美貴が関係どう関係しているのか。
たった今聞いた超能力。そのことも関係あるのだろうか。
しかし――梨華は自他共に認めるが現実的な思考の持ち主だ。
どうしても超能力なんて想像できない。
むしろ、ありえないと言ったほうがいい。
ガラスが割れたのだって、誰かが石を投げつけたとかそういった類の悪質な悪戯のほうがよっぽど考えられる。
じゃぁ、辻希美の言葉と彼女が起こした事件が関係ないのかといえば、
また曖昧なものでなんともいえなくなってしまうのだが。
どうしてかあの一言に妙な予感を感じずにいられなかった。
このままでは終わらない、それはそんな理由のない勘だった。
梨華はいまだ口論を続けている二人の間でマイペースに魚をつつきながら、ふう、と溜息をついた。
数日後、この勘は図らずも的中する。
それも彼女が全く予想もしていなかった形で――
- 119 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/16(火) 23:10
-
◇ ◇ ◇
(午後22時25分)
美貴に会ってからのなつみはいつもよりも5割増し上機嫌。
所謂ハイテンションというやつだ。普段からテンションが高いが今日は本当に高い。
お酒も飲んでいないというのによくここまでテンションをあげられるなと感心する。
「なっちの会いたい人ってあいつであってたの?」
真里は半分呆れながら聞いてみる。
カラオケで盛り上がって一緒に帰ってきたはいいが、まだそこのところは確認していなかった。
「あってた!こんなに簡単に見つかるとは思ってなかったべ。矢口のおかげ」
返事はこうだった。
「あ、やっぱり?」
ほんの少し、心の片隅で同姓同名だったらどうしようと考えていただけに、
真里はなつみの言葉に嬉しくなる。しかし、本当にすごい偶然だ。
- 120 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/16(火) 23:11
-
「超あっさりだったけど見つかってよかったね」
「やっぱり姉妹の血が騒いだんだべ」
「は?」
さらっとなつみが言った言葉を真里は耳ざとく聞き咎めた。
なつみの妹は真里も昔会った事がある。
彼女をきつくしたような感じの顔で、もちろんそれは美貴ではない。
「姉妹ってなに言ってんの?」
聞くと、なつみはふとどこか遠くを見るような目つきになった。
演技臭い仕草。それは、彼女が嘘をつくときに見せるものだ。
昔からなつみの事を知っている真里にはそれぐらいすぐ分かる。
「実は、美貴ちゃんとなっちは生き別れの姉妹なのさ。
まだこーんなに小さい時に一回会っただけだから美貴ちゃんはなっちの事なんて全然覚えてないと思うけどね。いやぁ、懐かしい懐かしい」
ほら、もうぼろが出た。
真里は吹き出しそうになるのを堪える。
- 121 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/16(火) 23:12
-
「でも今日会ってびびっ!て来たっしょ。思わず『お姉ちゃんだべ!』って抱きつきたくなったもん。
でも、それじゃめっちゃ怪しい人になるから」
「だから?」
「我慢してボケに徹したべ」
ここで、真里はずっこけそうになった。
確かにつっこみ体質の美貴はボケ体質の人間がいると生き生きとするけれど。
なつみはボケに徹しなくても最初からボケだ。
「美貴ちゃんが愚れずに育ってくれてたから、なっちの感慨も一塩ってもんだべ。
目つき悪いのは生まれつきみたいだったし」
「はい、ストップ」
真里は苦笑いしながらなつみの言葉をさえぎる。
「なっちさー、生き別れの姉妹っていうのは離婚して両親にばらばらに引き取られたときじゃないとなんないでしょ。
なっちの両親一緒に住んでたじゃん。なっちの下にはあさみちゃんだっているし。
藤本がなっちの妹なら一体誰に育てられたんだよって話になるんだけど」
真里の言葉になつみはしばし固まり、ぽんっ、と手を打った。
- 122 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/16(火) 23:13
-
「間違えた…そうだ、生き別れじゃないんだ」
「なっちは嘘つくときエロ目になるから分かりやすいね」
真里は笑い飛ばす。
「エロ目ってひどいっしょ」
「いやいや、マジでエロ目になるから」
そういって、真里はふと部屋の時計に目をやった。
もう11時だ。
「やばっ、明日までのレポートあるんだった」
真里は、部屋の隅に置いたバッグからバインダーを取り出す。
「先寝ていいよ。今日、疲れたでしょ」
「うん。これ読みながら寝る」
なつみは引きっぱなしになっている布団に寝ころがりながら枕もとの雑誌を開く。
チラリと覗いてみると、どうやらそれは真里がなにかの時に時間つぶしで買ったタウン誌だった。
なつみは映画の特集ページを見ているらしい。
見開きに金髪の女性の写真が乗っている。少し前に友達と見にいった映画だ。
なんとかいう有名な女優が主役をしていた。
そんなことは今はどうでもいいことだが――真里は、軽く欠伸をしながらレポートに取り掛かった。
- 123 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/17(水) 22:05
-
◇ ◇ ◇
(午後22時38分)
携帯が鳴った時、梨華は机に向かって明日提出のレポートを必死で作成していた。
画面を見るまでもなくその着メロから相手は美貴だと分かる。
『おっはー、何やってた?』
通話のボタンを押すと、妙にはしゃいだ美貴の声。
この様子なら向こうはレポートのことなんて忘れているのかもしれない。
「明日提出のレポートだよ」
梨華は溜息混じりに答える。
恐らく次に続く美貴の台詞は『やばい、忘れてた』もしくは
『えー、そんなのあったっけ?』ぐらいだろう。梨華はそう予想していたのだが、
『明日ってなんの授業だっけ?』
向こうのほうが一枚上手だった。梨華は呆れて苦笑する。
「…まぁどうでもいいけど。どうかしたの?」
『どうしたと思う?』
「さぁ」
即答。
まあ、なんだか楽しくて浮かれていることくらいは分かるけれど――
- 124 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/17(水) 22:06
-
『じゃ、ヒント!梨華ちゃんには少ないもの』
「…友達?」
『おっ!鋭ーい、さすが友達のいない石川さん!!』
失礼なことを明るい口調で言う美貴に梨華はムッとなる。
そんな梨華の気も知らずに美貴ははしゃいだ声で話を続ける。
『っても、今日知り合ったばっかなんだけどね。矢口さんいるじゃん』
「矢口さん?あぁ、うん」
矢口真里。梨華たちの二つ上の先輩だ。
真里は美貴と以前から仲がよく、その関係もあっていつのまにか梨華も彼女と仲良くなったのだ。
一見、ギャルっぽくて怖そうな印象だったから、美貴と仲良くなっていなければ
自分には一生縁のない人だったかもしれない。
意外にも彼女は話してみると真面目で優しく、まさに人は見かけによらないということを体現してくれた。
- 125 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/17(水) 22:06
-
『さっきまで矢口さんとカラオケ行ってたんだけど、その時に矢口さんが連れてきた子でさぁ。
美貴とタメかちょっと下ぐらいで見てると超うけるんだよね。梨華ちゃんよりもツッコミどころ満載なワケ』
「ふーん」
『今度、梨華ちゃんも一緒に遊ぼうね』
「うん」
『話終わり』
「これだけ?」
あまりの内容のなさについ聞き返す。
美貴の電話はいつもこんなものばかりだが――
このテンションの高さは少し飲んでいるのかもしれないな。梨華は思った。
『そう、それだけ。んじゃね』
「バイバイ」
携帯を切る。
所要時間3分弱。女の子のお喋りとしては驚異的な短さといっていいだろう。
けれども、自分たちにはこの位の無駄話が丁度いいのかもしれない。
「よし」
梨華は、頭を切り替え再びレポートに取り掛かった
- 126 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/17(水) 22:07
-
* *
- 127 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/17(水) 22:08
-
そもそも、美貴との出会いはろくでもなかった。
思い出すとあまり笑えない。
美貴はたまに思い出して笑うことがあるらしいが。
事の発端は、高校の後輩松浦亜弥が美貴から金を巻き上げられていたという
とんでもない噂話を聞いたことからだった。
梨華は直接その現場を目撃したわけでもなければ
金を巻き上げられたという亜弥に話を聞いたわけでもない。
だが、曲がったことの大嫌いな本来の性格から
同じ学部に在籍している人間の悪行を無視することはできなかったのだ。
よくいえばおせっかい、悪く言えば余計なお世話。
あの頃は若かった、と今になって梨華は思う。
ともかく梨華はすぐさま美貴を探しはじめた。
当時から美貴は大学内でも色々な意味で目立っていたから――
大学で目立つなんてなかなかできることではない――梨華はすぐに彼女を見つけることができた。
- 128 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/17(水) 22:09
-
「藤本さん、だよね」
久しぶりに朝から講義に出ていた美貴の隣に座るなり梨華はそう訊ねた。
美貴は大きなあくびをしながら梨華を一瞥すると
「ん…と、石山さんだっけ?」
「い、石川です!!」
「そうだった。山と川って似てるよね」
美貴は大して悪びれもせずそういって笑った。
少しも似てないし面白くもない。梨華は顔を引き締めたまま彼女を睨む。
彼女は、眠そうに目をこすりながら
「で、なんか用?」
「あなた、最低です!」
梨華ははっきり言い放った。
「へ?」
美貴は、いきなりの言いがかりに目を白黒させなにがなんだか分からないといった風に首を傾げる。
- 129 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/17(水) 22:09
-
「とぼけないでください!あなた、この間朝比奈の子からお金巻き上げたんでしょ!犯罪ですよ」
「朝比奈?」
心当たりがあるのかないのか美貴は眉を寄せ腕を組みなにかを考えはじめた。
そして、思い当たる節があったのかポンと手を叩く。
「あー、あれか」
「あれか、じゃないですよ!私がついていってあげますから今日お金返しに行きましょう」
その梨華の言葉に美貴は一瞬目を丸くし、次の瞬間には思いっきり噴出してお腹を抱えて笑い出した。
講義が始まっても構いもせず涙を流して笑い続ける。
笑い上戸なのか、その笑いは止まらず美貴はその時の教授から、
以来、ずっと嫌われてしまった。ついでに梨華も巻き込んで。
- 130 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/17(水) 22:10
-
あとで聞いたことだが、彼女と松浦亜弥は幼稚園来からの幼馴染らしい。
おそらく噂の原因になった場面は、美貴が亜弥に貸していたお金を返してもらっていた時だろう、
と彼女は笑いながら言った。
つまり、美貴がお金を巻き上げていたというのは本当に根も葉もない噂話だったのだ。
真相を聞いた梨華は本当に申し訳ない気持ちになった。
美貴はよくあることだと対して気にしていなかったようだが、
ただ謝るだけでは梨華の気がすまなかった。
お詫びになにかしたいと口にすると彼女は子供のように瞳をキラキラさせて
「じゃぁ、焼肉で!!」と言った。
その時の値段は目がひっくり返りそうになるもので、
梨華はもう二度と美貴には関わらないと誓ったのだ。
それなのにどこをどう間違えたの今ではご覧の通り二人は仲良くなっている。
梨華はこのことを思い出すたびに
人間の出会いというのはよく分からないものだと認識するのだった。
- 131 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/17(水) 22:11
-
* *
- 132 名前:Scene3 2月22日 投稿日:2004/03/17(水) 22:12
-
レポートを書き終えた頃には深夜1時をとうに回っていた。
梨華は凝りに凝った体をうーんと伸ばす。
「…寝よ」
一人ごちるとそのままベッドに横になった。
そこでふと先程の電話のことを思い出す。新しい友達ができたと言っていた。
ぱっと見目つきが悪いので怖そうに見られるらしい彼女だが――
事実、梨華もそう思っていた――実のところ全然そんなことはない。
性格なんて、竹を割ったようなというのだろうか、気持ちがいいくらいさっぱりとしている。
裏表がないようでいて裏表がある、という性格の人間はよくいる。
けれど『裏表があるようでいて実は全く裏表がない』なんて美貴くらいのものだろう。
それでいて情にも篤いものだから彼女は少し話せば誰とでもすぐに仲良くなれるし、
おそらく友達は多いほうだろう。
そんな彼女があれだけ嬉しそうに報告してきたのだ。
よほど、その新しくできた友達のことが気に入ったに違いない。
一体、どんな人なのか会うのを少し楽しみにしながら梨華はその日眠りについた。
しかし彼女はその人物に最後まで会うことはなかった。
この日から3日後。
全ての始まりで終わりであるその日になっても
彼女はけっきょく最後の最後までその人物に直接関わることはできなかったのだ。
- 133 名前:更新終了 投稿日:2004/03/17(水) 22:13
- Scene3→Scene4
- 134 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/19(金) 23:34
-
「ねぇ、矢口」
不意に眠っていると思っていたなつみが口を開いた。
「ん?」
レポートの手を休め真里はなつみの方を振り返る。
なつみは、妙に真面目な顔をしていた。
「大学は楽しい?」
唐突に聞かれて真里は戸惑った。
楽しいか楽しくないか、どちらか選べといえば楽しい。
だが、明確にやりたいことがあって入った大学というわけでもない。
時々、自分にはもっと他にすることがあるのじゃないかと考えたりもする。
つっかえつっかえにそう答えるとなつみは真面目な顔のまま言った。
「そういう風に出来てるのかもね」
「何が?」
真里は聞く。
- 135 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/19(金) 23:36
-
「…生きてるってことがさ、
当たり前のことを忘れて抽象的なものを欲しがるように出来てるのかなって…分かる?」
思わず眉を寄せてしまった真里に気づいてなつみは苦笑を浮かべている。
分かるわけがない。彼女は何が言いたいのだろう。
真里は疑問の色を隠さず正直に首を振る。
なつみは、さらに苦笑を深めて「説明するとねぇ」口を開いた。
「なっちって体弱いっしょ。だから、もともと毎日ってそんなに楽しいものだと思ってないの。
で、その中で何に価値を置いてるかって言うと、一日健康で過ごせたこととか
明日も無事でいられますようにとか…そういうことで。本当はそれが当たり前なんじゃないのかな?
夢とか希望とか刺激的な毎日とか自由とか。あとは…生きがいとか自分らしさとか。
そうゆうのってなっちからしたらなんか嘘っぽいの」
真里は、何も言わない。
否。
言えない。
- 136 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/19(金) 23:37
-
「んー。上手くまとまんないなぁ。どうしよ。
要するに、そういうことって、ないものねだりなことに価値を置いてるだけじゃないのかな。
きっと皆は当たり前のことが当たり前にあるから、他になにかないかって
物足りなさを感じてるんだよ」
「…なんか難しすぎなんだけど」
真里は苦笑する。いや、苦笑を作ったと言った方が正しい。
このときはじめて、なつみが真里の知っている彼女と違って見えた。
まるで夢見がちな子供を説教する親みたいのようだ。
たった一つしか歳は違わない彼女が自分が考えもしないような事を
言ってのけるようになってしまった背景を想像するのは難しくなかった。
- 137 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/19(金) 23:38
-
「なっちが思うにね、全てが楽しくなんて絶対無理だから…
当たり前のことを当たり前にしていくために馬鹿みたいに足掻くのが本当は正しいんだべ」
なつみは、真里にというよりも自分自身に言い聞かせているようだった。
一応、視線はこちらに向けられているけれど、見ているものはまったく違う。
どこか遠い。そんな気がした。
- 138 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/19(金) 23:39
-
「なっち……」
「あ、ごめんね。レポート書いてたのに邪魔して」
なつみは、真里の言葉をさえぎるように早口でそういうと
「おやすみ」と布団にもぐりこんでしまった。
いったい、その時の彼女がどういう気持ちだったのか真里には分からない。
ただこの日、夕方を過ぎて日が暮れてしまっても
この幼馴染の居候は帰ってこなかった。
- 139 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/20(土) 21:23
- すごい!一気に読ませてもらいました。おもしろいです!続きが気になってしかたない!まってまーす!
- 140 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/20(土) 23:11
-
◇ ◇ ◇
(午後14時34分)
昼時の住宅街は人通りがまばらだ。
最近の空き巣は夜よりも主婦が買い物に出る日中の留守を狙うというが、
それはあながち嘘ではないのかもしれない。
実際、彼女たちは昼間に忍び込もうとしているのだから。
「見つかったらやばくない?」
希美はここに来て少々躊躇っている。というか、怯えていた。
無理もない。まさか空き巣まがいのことをする羽目になるとは思ってもいなかったのだ。
「じゃぁのんちゃんはここで待ってたらいいよ」
怯えた表情の希美の頭を優しく撫でながら圭織が言う。
「それはヤダ」
希美は首を振って答えた。
ここまで関わっておいて置いてけぼりは御免だった。
それに――チラリと視線を横にずらす。
『美貴』がにやにやとからかうような表情でこちらを見ている。
どうせ甘えん坊だとでも言いたいんだろう。誰のために動いていると思っているんだ。
希美は無言で『美貴』を睨む。それから
「行こっ」
圭織の手をギュッと握った。
- 141 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/20(土) 23:12
-
藤本美貴の家。希美の家から電車で駅一つの距離。
住宅街の中に佇む、古くも新しくもないごく普通の一軒家だった。
圭織は、道路に面した所に並べられているプランターの一つを持ち上げ、
その下から鍵を取り出す。
「これ?」
『あ、はい。それです』
家の鍵だ。
僅かについている汚れを指で擦り圭織は辺りを見回す。
上手い具合に人通りはない。
もしも、見つかったとしても遊びに来た親戚だとか何とか
適当なことを言ってごまかせばいいだけだ。
なにせここには『美貴』がいるのだから、色々情報を貰えばアドリブでごまかせないこともない。
とはいえ、家の中に『美貴』の家族がいればそういうわけにはいかないのだが。
中に人がいないか確かめるために圭織はドアチャイムを鳴らしてみる。
- 142 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/20(土) 23:12
-
『大丈夫ですよ、うちの親仕事だし夜まで帰ってこないから。
美貴もこの時間滅多に家にいないし。まぁいても美貴ならなんとかなりますよね』
「ならないよ」
珍しく希美が『美貴』に冷たく言いはなつ。
言われた『美貴』がどんな表情をしたのか圭織には分からないが、
とりあえず念のためにもう一度チャイムを押してから柵を開けて玄関に入る。
「いないみたいだね」
くっつくようにしてついてくる希美に笑いかけ圭織は鍵を使う。
カチャリ。
鈍い音を立てて、鍵が開いた。
- 143 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/20(土) 23:13
-
「お邪魔します」
圭織は素早く家の中に体を滑り込ませる。
希美もそれに続いた。
『ただいまー、みたいな』
後ろで『美貴』が馬鹿な事を言っている。
「おかえり、みたいな」
希美が呆れ声ながら答える。
『おっ、なんかそうやって返されると新鮮』
そのはしゃいだ声に――
こんな状態なのに、暢気な子だと圭織は思った。
- 144 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/20(土) 23:14
-
◇ ◇ ◇
昨晩。
希美と『美貴』の話を聞いて事態が只事ではないということはよく分かった。
分かったのだが、具体的になにから手をつけたらいいのかが分からない。
なにせ分かっていることが少な過ぎるのだ。
生きている美貴を死なせないとは言ったものの――
何故、彼女が死ぬことになったのか、いつ、どこで、どうやって――
それが分からなければ助けようもない。
しかし、『美貴』の話によると自分が死ぬ直前一週間くらいの記憶があやふやなのだという。
何故かは分からないが、一部飛んでいたりぼやけていたり、
本人曰くあてにならないらしい。圭織は、それをあっけらかんと告げる『美貴』に
脱力しながらもなんとか頭を働かせた。
- 145 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/20(土) 23:16
-
生きている美貴を死なせないために考えられる一番マシな方法。
確実なのは、今生きている美貴本人に四六時中張りついての身辺警護。
だが、彼女にとって見ず知らずの自分たちがそこまでするのは
かなりのリスクを背負うことになるだろう。下手をすれば不審人物だ。
そこまでするのだから、当然、失敗も許されなくなる。
そう考えると、やはりこれから先なにが彼女の身に起こるのかもっと具体的な情報が必要だった。
ちなみに圭織が考えた手段はもう一つあった。
今、生きている方の美貴に
「あなたは近々死ぬから、気をつけた方が言い」と直接忠告すること。
だが、それは絶対聞かないだろうという『本人』の意見によって却下された。
まぁ、確かに『美貴』を見ていれば聞きそうにないことは分かる。
それに、いきなり知らない人間にそんなことを言われたら自分でも疑うに決まっている。
圭織は、あっさり納得した。
- 146 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/20(土) 23:17
-
他にもしなければいけないことはある。
彼女が死ぬ少し前に知り合ったというなっち、なつみという人物の捜索だ。
これもまた分かっているのは名前だけという情報のなさ。
希美はここ数日彼女の事を探して街を歩いていたようだが
結局なんの手がかりもなかったらしい。
『美貴』の記憶が曖昧だというのなら本当に実在しているのかも疑わしくなってくる。
しかし、それでも探さなければならないのだと彼女はいう。
『美貴』曰く、絶対に探さないといけない気がするらしい。
そう言った『美貴』は彼女にしては珍しく真剣な面持ちだった。
その時、圭織はふとその人物が『美貴』の死に関わっているのではないかと思った。
ただの直感と言われればそうかもしれない、だが、それだけではないと思う。
- 147 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/20(土) 23:18
-
話し振りから『美貴』が少なからず彼女に好意を持っているように見受けられたから、
面と向かってそうとは言わなかったが最悪のケースも考えられる。
『美貴』の話によると彼女はこの事態が起こる直前に現れたという、
こちらにとっては得体の知れない不審人物だ。
彼女が自分の死と関係しているから、だからこそ探さなければならない気がしている。
そういう解釈も成り立つのだ。
つまり――
彼女こそ『美貴』が死んだ原因なのかもしれない、と。
だが、どちらにせよ手がかりがなければそれはただの仮定でしかない。
圭織は頭を抱えた。いくら狭い街とはいえ人一人を探し出すのは不可能だ。
写真か何かがあれば別だが――
そう考えて、圭織はふとあることを思いついた。
急になにかを思いつくのは昔からよくあることで、
今までの経験上たいていそれらは自分を助けてくれるのだ。
- 148 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/20(土) 23:19
-
「ねぇ、美貴さぁ…そのなつみさん?って人の写真とか持ってないの?」
思いついた事を聞いてみる。
最近の若い子はよく友達と写真を撮ったりするらしい。
どこでも撮れるように使い捨てカメラがバッグの中に入っているのだとかなんとか。
写真がないにしても、プリクラを撮っている可能性もある。
もしも、そのようなものをなつみと撮っているのならばこれは確かな手掛かりになる。
『写真は…ないと思いますね』
「プリクラも?」
『んー、撮ったような撮ってないような不思議な気分』
「どっちよ」
『覚えてないんですよ…でも、あるとしたら手帳に貼ってるかも』
『美貴』は自信なさげに言う。
- 149 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/20(土) 23:21
-
「手帳?」
これはもしかしたらさらなる手掛かりかもしれない。
手帳にはたいていスケジュールが書き込まれているものだ。
『美貴』が忘れている何かが書き込まれているかもしれない。
過去のものだけではなくこれからの予定も。
それが分かればどうすべきか考えやすくなる。
「美貴ちゃん、そんなの持ちそうにないのに」
希美が、斜め前辺りのほうに視線を定めて笑う。
そこから『失礼な』という『美貴』の声が聞こえた。
『美貴ぐらいもてると手帳がないと生きていけないんだよ』
「はいはい」
『うわ、むかつく、このガキ』
『美貴』の声。
「ねぇ、美貴」
圭織は、『美貴』と会話をしている希美の視線の先を追う。
そこに『美貴』がいるのだろうと見当をつけて。
「手帳見たいんだけど、どうにかできないかな」
『えぇー、恥ずかしいですね』
「でも、手掛かりにはなると思うの」
『まぁ、確かになるかもしれませんけど。でも、家に行かないと見れませんよ』
「え?」
『美貴、手帳って家に置いてるんですよね』
それは手帳の意味がないんじゃないかな、『美貴』の言葉に圭織はそんなことを思った。
- 150 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/21(日) 19:41
- 家においてある手帳!
うけたー。なっちとのつながりとは?全然想像つきません・・
気になってしょうがありません・・・
更新まってまーす!
- 151 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/21(日) 23:07
-
◇ ◇ ◇
そんなわけで、今に至る。
『美貴』の案内で彼女の部屋のドアを開ける。
開けるなり飯田は言葉を失った。
汚い部屋だった。いや、汚いというよりも散らかっているというべきか。
部屋中に散乱したファッション雑誌、漫画本、CDに化粧品、等々。
食べ物の類がないのが唯一の救いである。
圭織は、雑然とした部屋におずおずと足を踏み入れる。
「…すご…汚い・・・・・・・あいたっ!」
後ろで呟いていた希美の言葉が途中で変な悲鳴に変わった。
振り向くと、希美の頭をペシンと叩いているノートが空中に浮かんでいる。
絵に書いたような心霊現象。事情を知らなければ腰を抜かすところだが。
「ちょっと!のんちゃんになにすんの!!」
圭織は、『美貴』のいるであろう場所に鋭い声を投げる。
『いや、つい』
ノートが慌てたように横に振られる。
おそらく手を振って自分が悪くない事を主張しようとしているのだろう。
大事な希美を叩いておいてなんというふてぶてしさ。
「ついじゃないでしょ!ついで人叩かないの!!」
『だってさぁ』
「だってもなにもない!」
- 152 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/21(日) 23:08
-
「カオリン、もういいって。それより手帳探そうよ」
口論を始めかけた――というか圭織が一方的に戦闘体制にはいっていたのだが、
希美の呆れたような声で我に返る。希美にそう言われては怒りを収めるしかない。
圭織は憮然としながらも
「で、どこにあるの?」
『机の引き出し。一番大きいとこ』
圭織は、散らかっているもろもろを踏まないように気をつけながら移動する。
窓のすぐ傍に置かれた勉強机。
ただしその上にはネイルケアのセットやら鏡などがあるだけで――そこが勉強に使われた形跡は全くない。
その一番大きい引き出し。
引き出してみれば、ノートや手紙の便箋やらなにやらが意外にも整然と詰め込まれている。
雑然とした部屋とはえらい違いだ。
人の目につくところを綺麗にするのなら分かるがこれでは逆だ。
圭織はそのことを不可解に思いながらも引き出しの中を探る。
手帳は簡単に見つかった。
- 153 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/21(日) 23:09
-
「これ?」
圭織は、チェックの背表紙の手帳を手に取り振り替える。
『あ、それです』
「よし」
『美貴』の返事を聞いて圭織は意気込んでそのページをめくる。
そして、固まった。
「どうかしたの?」
固まった圭織を不思議に思ったのか希美が背伸びして手元を覗き込んでくる。
開いたページ二月のページ。だが、そこはまっさらだった。
期待していたような予定もなにも書き込まれていない。
いや、一つだけ。
二十六日。『美貴のたんじょーび』と、今はどうでもいい情報が、
色気もなにもない殺風景な黒ペンで書かれてあるだけだ。
念のため前月前々月分も見てみる。まったく同じ状態。
二人は、『美貴』を――といっても圭織は希美の視線の方向――じろっと睨む。
- 154 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/21(日) 23:11
-
『あれ?』
『美貴』の声からこんなはずじゃなかったのにという焦りの色が窺えた。
「美貴ちゃんが手帳なんて使ってるわけないと思った」
希美が冷たく言う。
ぱん。
手を叩く音。
希美は頭の後ろで両手を組んでいるから、発したのは『美貴』か。
圭織は、冷静にそんなことを思いながら音のしたほうに目をやる。
『思い出した、この間手帳なくして買い換えたばっかなんだよ』
「うそ臭いなぁ」
希美がそうぼやいたその時、
ヴゥ…ン、と何やら妙な響きを持った音が部屋中に響き渡った。
状況を思い出してびくりと身を震わせる3人。
慌てて辺りを見回し、
「…携帯」
圭織は机の端に放り出された携帯電話が振動しているのを見つける。
どうやらマナーモードになっていたらしい。
- 155 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/21(日) 23:12
-
「びっくりしたぁ。なんで携帯おきっぱなしなの」
圭織は携帯を覗き込む。
『よく忘れるんですよ』
「…美貴ちゃん、忘れ物多すぎ」
希美が自分の事を棚に上げてあきれ返ったように言う。
『誰からですか?』
不意に体の横の空気が動いたような気がした。
『美貴』が隣に来て携帯を覗き込んでいるのかもしれない。
「公衆電話みたいだよ」
『公衆電話・・・だれだろ?』
「でればいいじゃん」
いつのまにか隣に来ていた希美が圭織を見上げている。
「出ていいの?」
『どうぞ』
圭織は、念のため『美貴』に断ってから通話ボタンを押した。
- 156 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/21(日) 23:12
-
『もしもし美貴ちゃん、なっちだけど』
- 157 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/21(日) 23:13
-
こちらが返事をするよりも先に聞こえてきた言葉。
思わず、携帯を落としそうになる。希美が不思議そうな顔で自分を見上げた。
圭織は手を伸ばし机の上からノートとペンを取ると素早く文字を書き付け、
そのノートを希美に向かって見せる。
――『なっちから』と。
希美が驚いたように口を押さえた。
- 158 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/21(日) 23:15
-
『さっきの話…本当だから。なっちは美貴ちゃんを幸せにするために来たんだべ』
無言のままでいると、相手は勝手に話し出した。
電話を切られてしまっては元も子も無い。
圭織は出来るだけ怪しまれないようにするにはどう説明したものか、考える。
『美貴ちゃん、聞いてる?』
相手が不安そうな声を出す。
このまま黙っているわけにもいかないだろう。
「あの、もしもし」
圭織が声を出すと、案の定、電話の向こうが沈黙する。
聞き覚えのない声に不審がっているのだろう。
- 159 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/21(日) 23:16
-
「あの切らないでね。今ちょっと美貴ちゃん出られなくて……」
『…あなた、誰?』
電話の向こうから聞こえて来たのは、警戒心が露になった硬い声だった。
「私は、美貴ちゃんの友達っていうかちょっといろいろあって……
ねぇ、貴方、なつみさんだよね」
『……もし美貴ちゃんに危害加えようとしてる人だったら、なっちが許さないから』
少しの沈黙のあと、低い声でそういうと一方的に通話は切られた。
圭織は、嘆息して携帯から耳を離す。
- 160 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/21(日) 23:17
-
「どうだった?」
「……どうって」
期待の込められた希美の眼差しに圭織は答えあぐねる。
なつみの最後のセリフ――あれは、明らかになにかを知っている。
美貴は、生きているときに何者かに狙われでもしていたのだろうか。
そうとも取れるものだった。圭織は、希美から視線を外し
「ねぇ、美貴」
『美貴』を呼ぶ。
『はい?』
「あなた、ストーカーとかいた?」
『はぁっ!?いませんよ、そんなの』
『美貴』が噴出す。
一番に考えられるのはそういう線だと思ったが――
それでは『なっち』という彼女の言っていた危害とはなんなのだろう。
- 161 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/21(日) 23:18
-
「でも、なっちって人があなたに危害を加える人がいたら許さないって」
『なっちさんが?』
『美貴』は考え込んでいるのかそれっきりなにも言わない。
希美がチラリと視線を宙に動かし、それから圭織の肘を掴む。
「ねぇ、他には何か言ってなかったの?」
「他は……そういえば、さっきの話本当だとか」
「さっきって、つまりそれって美貴ちゃんとなっちさ・・・なつみさんがさっき会ってたこと?」
確かにそうなるだろう。希美の言葉に圭織は頷く。
ついさっきまで生きている美貴は大学をさぼって彼女と会っていたのかもしれない。
- 162 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/21(日) 23:19
-
『あっ!!』
不意に黙っていた『美貴』が声を上げた。
二人は、ビクリっと肩をすくませる。
「いきなりなに?」
『なっちさんとはじめて会ったのって昨日かも』
「昨日?」
『多分。美貴、矢口さんからカラオケ誘われてその前に美容院行くことにしたんですよ。
で、昨日辻ちゃんと大学行ったときに見た美貴ってまだ髪切ってなくて、
これから行くみたいな話だったから――そのあとにカラオケいってそこで紹介された気がする』
矢口さん?
はじめて聞く名前に圭織は眉を寄せる。
「矢口さんって誰?」
圭織は先ほどと同じ所に視線を定めて問う。
『大学の先輩です。辻ちゃんは会ったことあるよね』
『美貴』に声をかけられた希美がそちらを振り向く。
どうやら思っていたところには既に『美貴』はいなかったらしい。
そのことに気づいて圭織は少し恥ずかしくなった。
- 163 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/21(日) 23:21
-
「え?いつ?」
希美が怪訝そうに返す。
『ほら、泣いてた時にさ追いかけてくれたちっちゃい人いたでしょ』
「泣いてたってなんでのんちゃん泣いてたの?」
圭織は目をむいて間に割って入った。
希美が泣いていたとは――聞き捨てならない。
「いや、目、目にゴミが入っただけだよ」
『美貴』をとがめるようにじろりと睨みつけ希美は慌てて誤魔化す。
まさか、苛められて悔しくて泣いていたとは、この従姉妹の前では言えない。
いったら、どうなることやら。希美にはそちらのほうが恐ろしかったのだ。
- 164 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/21(日) 23:22
-
「それより、あの人が矢口さんっていうんだ」
圭織がなにか言う前に希美はわざとらしく話を元に戻す。
『そうそう』
「そしたら、矢口さんのところに行けばなにか分かるんじゃない?
だって、なっちさんって矢口さんの紹介で知り合ったんでしょ」
まだ希美が泣いていたということは頭の中にあったが、それをどうにか抑えて圭織はニ、三頷く。
希美の言うとおりだ。これで一気になっち――なつみとの距離が詰まったような気がする。
そうと決まればぼやぼやしている時間はない。
できるだけ早くなつみという人物を捕まえたい。
今のところ手掛かりは彼女だけなのだから。
美貴の未来の死に彼女が関わっているのは確かな事実だろうから。
- 165 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/21(日) 23:23
-
「それじゃぁ、矢口さんの家に行ってみよっか。家知ってるんでしょ」
『あ、はい』
「じゃあ、行こ」
希美がようやく見つかったなつみへの手がかりに笑顔を見せる。
『でも、突然、押しかけていいのかなぁ・・・』
『美貴』のぼやき。
圭織は、んと足を止める。
確かにそう言われてみればそうかもしれない。
矢口という彼女にしてみればこちらは全く見知らぬ相手になる。
「じゃぁ、電話しておこっか」
電話をしても相手にとってのこちらの認識は変わらないが、そうも言っていられない状況だ。
突然、押しかけるよりは連絡ぐらいしておいたほうが幾分かマシだろう。
- 166 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/21(日) 23:24
-
『メモリに番号はいってますよ』
『美貴』の言葉に先ほど机に置いた彼女の携帯を手に取る。
ボタンを押して登録されている番号の中からその名前を探す。
「矢口…矢口真里?」
『あ、そうです』
圭織はディスプレイに映し出された番号に電話をしてみる。
何十回目かのコール音の後に、留守番電話サービスにつなげられてしまった。
「いないみたい」
『授業中かなぁ』
そういわれて学生が講義を受けていてもおかしくない時間帯だということを思い出した。
自分がさぼっただけで今日は休日ではないのだ。
大学が終わる頃にもう一度電話することにして――いい加減この家は出たほうがいいだろう。
忍び込んで長居する物ではない。
- 167 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/21(日) 23:25
-
「うん」
ガチャッと扉が開く。『美貴』が開けたのだろう。希美もそのあとに続く。
圭織は溜め息一つ、部屋の中がそれほど来る前と変わっていないのを確認してから廊下に出た。
このとき、3人のうちの誰かがドアにかかっているカレンダーを見ていれば
美貴と探しているなつみという彼女のプリクラを見つけられたのだが――
そう上手くはいかなかった。
「…そういえば、美貴の写真とかってないの?」
玄関へ向かいながらふと圭織は気づいた、自分は美貴の顔を知らないのだと。
もし、これから先――最悪の事態として彼女を探して走り回ることになったとしたら、
顔が分からなければどうしようもなくなる。
「プリクラがあるよ」
希美が、美貴の携帯の裏に張られてあるプリクラを目ざとく見つける。
だが、それは落書きだらけでいまいち顔がよく分からないものだった。
「…出来たら写真がいいかな。聞き込みするにも便利だし」
『アルバムならお母さんの部屋にありますよ』
『美貴』の声から少しして廊下の奥のドアが開かれた。
- 168 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/21(日) 23:27
- >>167は無視してください(´・ω・`)
「とりあえず、矢口さんの家に向かいながら後々のことは決めよう」
『そうですね』
「うん」
ガチャッと扉が開く。『美貴』が開けたのだろう。希美もそのあとに続く。
圭織は溜め息一つ、部屋の中がそれほど来る前と変わっていないのを確認してから廊下に出た。
このとき、3人のうちの誰かがドアにかかっているカレンダーを見ていれば
美貴と探しているなっちという彼女のプリクラを見つけられたのだが――
そう上手くはいかなかった。
「…そういえば、美貴の写真とかってないの?」
玄関へ向かいながらふと圭織は気づいた、自分は美貴の顔を知らないのだと。
もし、これから先――最悪の事態として彼女を探して走り回ることになったとしたら、
顔が分からなければどうしようもなくなる。
「プリクラがあるよ」
希美が、美貴の携帯の裏に張られてあるプリクラを目ざとく見つける。
だが、それは落書きだらけでいまいち顔がよく分からなかった。
「…出来たら写真がいいかな。聞き込みするにも便利だし」
『アルバムならお母さんの部屋にありますよ』
『美貴』の声から少しして廊下の奥のドアが開かれた。
- 169 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/22(月) 19:56
- 更新乙です!
更新速くてとてもうれしいです!
次回あたりでなっちとの繋がりがどんなものかわかるんですかね?
飯田もとてもイイ味だしてて、おもしろいです。
次回も期待して待ってまーす!
- 170 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/22(月) 22:39
-
彼女が開けたドアの先の部屋、母親の寝室だというがあまり使われている様子はない。
生活感が薄くほとんどが過去のものの収納スペースになっているように見えた。
立派な造りの本棚には料理雑誌、医学書や辞書、等。
それらに混じって、装丁のしっかりしたアルバムが十冊程一番下の檀に並べられている。
こんなにたくさんあるとどれを取っていいのか分からない。
「最近のはどれなの?」
『さぁ?適当に管理してるから分かりませんねぇ』
彼女の適当さはどうやら血筋らしい。
- 171 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/22(月) 22:40
-
「カオならのんちゃん0歳からしっかり写真を並べるのに」
圭織はぼやきながら、背表紙にでかでかと『美貴』と書かれた一冊を抜き出す。
そこそこの厚さがあって、古さからいうと昔の写真が入っていてもおかしくない。
後ろの方のページを開くと、写っているのは高校の制服を着た茶髪の少女。
胸ポケットのあたりに花がついている。卒業式だろうか。
背景にあるのは高校のようだった。
「これ?」
「あ、それ今とあんまり変わんないよ」
希美が写真を覗きこんで答える。
「じゃ、これにしよう」
『えぇっ!もっとかわいいのないですか?』
『美貴』が不満の声を上げる。
この期に及んで写真写りなんてどうでもいい。原型がはっきりしているなら関係ない。
圭織が口を開きかけたその時、手の中にあるアルバムからはらはらと一枚の写真が滑り落ちた。
- 172 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/22(月) 22:41
-
「あ」
希美がいち早く気づいて圭織の足下にかがみ込み、落ちた写真を拾い上げる。
そして、その写真を見て不思議そうに首を傾げた。
「ねぇ」
希美は立ち上がりながら圭織に写真を見せる。
『なにそれ?』
「ん?落ちたの」
希美が拾ったものを見て圭織はここに挟めばいいという風にアルバムを少し開く。
が、希美が怪訝な顔をしているのを見て首を傾げた。
「どうしたの?」
「これ見て」
言われて希美の手にある写真を受け取る。それは、古い写真だった。
女の子の赤ん坊と、その子の隣で笑っている幼女。どこもおかしなところはない。
しかし、その裏を見て圭織は息を呑んだ。
写真の裏には、こうあったのだ。
- 173 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/22(月) 22:41
-
――『美貴1歳・なつみ4歳』
- 174 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/22(月) 22:43
-
◇ ◇ ◇
(午後16時38分)
さっきポツポツと降りだした雨は今ではとんでもない勢いになっている。
こんな雨は滅多にない。まるで、スコールのようだ。
あの後、結局全ての予定を変え3人は――矢口真里の家には行かず――希美の家に直帰した。
無論、話し合いをするためだ。テーマは、希美が見つけたあの写真について。
家宅侵入で見つけたアルバムに挟まっていた一枚の古い写真。
それには姉妹と思われる二人の子供が写っていた。
そして、その裏には子供たちの名前がはっきりと記してあった。
一人は、美貴。
そしてもう一人。
なつみ。
- 175 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/22(月) 22:44
-
『やっぱりなっちさんに・・・似てる』
写真をマジマジと見たのか『美貴』が小さく呟く。
それを聞いて圭織よりも早く希美が口を開いた。
「じゃあ、この人がそうなの?」
『分かんない…けど、面影はある気がする』
「じゃぁ…二人は小さい頃から知りあいだったってこと?
一緒に写真に写ってるくらいだし、幼馴染とか…」
「ちょっと待って、それだとおかしくない?」
圭織は、勢い込んで話す希美にストップをかける。
「今の彼女って美貴とタメ年くらいなんでしょ?この写真だと3つは年離れてることになるけど」
写真の中では女の子が赤ん坊だった美貴の頬をつついて笑っている。
- 176 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/22(月) 22:45
-
「…究極の童顔なのかも」
「それにしても限度があるでしょ?」
圭織は大学のクラスメイトの顔を思い浮かべてみる。
自分は考えるまでもなく無理だが、確かに制服でも着せたら高校生で通りそうな面子はいないこともない。
しかし、それでも3つも年齢差があればどう頑張ってもバレそうなものだ。
『なっちさんかどうかは分かんないけど』
不意に『美貴』が躊躇いながら口を開く。
『多分、この人美貴のお姉ちゃん』
続いた言葉に圭織も希美も目を丸くして固まった。
- 177 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/22(月) 22:45
-
* *
- 178 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/22(月) 22:47
-
美貴の父親は物心つく頃からいなかった。
それが当たり前だと思っていたしあまり気にすることもなかった。
だが、ある日、母親から自分にだけ会わせたい人がいると北海道に連れていかれたことがある。
母親と二人で泊まったホテルに男の人が訪ねてきた。
その男の人は、髭をたくわえていて精悍そうな顔つきの男の人だった。
彼は、一緒に女の子を連れてきていた。彼女は、美貴より少しだけ年が上のようだった。
一緒に食事をしたあと男の人と母が話をする間、美貴と彼女は一緒に遊んでくるように言われた。
追いかけっこをしたのに彼女はすぐにへたって座り込んでしまった。
美貴はつまんないと彼女に対する文句を口にした。
彼女は怒りもせずただごめんねと曖昧な笑みを見せた。
それは、年齢にそぐわない奇妙な笑顔だった。
美貴は、彼女の隣に座って母と男の人の話が終わるのを待つことにした。
十分ほどして母と男の人が二人を迎えにやってきた。
そうして、男の人と彼女は帰って行った。
- 179 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/22(月) 22:47
-
その男の人が自分の実の父親で一緒に遊んだ彼女が
半分血の繋がった姉だと美貴は成長するにつれておぼろげながら理解した。
どうして、一緒に暮らせないのか。結婚をしないのか。
不思議だったが――おそらく、父親には他に家庭があったのだろう。
二人とは、結局それっきり会っていない。
だから、美貴は顔もろくに覚えていないし、記憶もあまりない。
高校に上がってすぐの頃、北海道にいた彼らが引っ越してきたから会いたければ行ってきなさいと
母親に住所を教えてもらった。だけど、それ程会いたいと思ったことも多分ない、ことにする。
- 180 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/22(月) 22:48
-
* *
- 181 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/22(月) 22:48
-
全てを語り終えて『美貴』は小さく息をついた。
『だから、よく知らないんだけどね』
「だけど、似てるんでしょ…名前も一緒だし、偶然にしちゃ出来過ぎてるよね」
写真の中の幼女は、心なしか線が細い。
この年頃の子供なら誰でも持っている生命力。
そのようなものがどこか希薄で、ひどく華奢だった。
不思議な笑顔を浮かべている。
カメラのレンズを真っ直ぐに見つめ、はにかんだような――
天真爛漫、とは決して言えないどこか陰のある控えめな笑顔。
『美貴』がいった奇妙な笑顔とはこれのことだろう。
- 182 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/22(月) 22:50
-
「…ちょっと美貴ちゃんに似てるね」
希美が、写真と傍らの空間を見比べるなが口にした。
そこに『美貴』がいるのだろう。
圭織はアルバムから抜き取ってきたもう一枚の、
今現在の美貴の写真と例の「なつみ」が写っている写真とを見比べる。
顔立ちは二人とも良い。希美が言うとおり目鼻立ちがどこか似ている。
この写真の幼女は、今なら多分自分と同じくらいの年になっているだろう。
生き別れになっていた姉が大人になってなんらかの理由があり
正体を隠したまま妹に会いに来る。成程、筋は通っている。
しかし――その姉の外見が妹と同じ、むしろ下に見えるというのはどういうことだろう。
「…やっぱり究極の童顔なのかなぁ」
圭織は、先ほど自分が否定した希美の意見を漏らす。
写真のなつみと今自分たちが探しているなつみという彼女は、
どう考えても同一人物としか思えないのだ。
- 183 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/22(月) 22:51
-
「…行ってみよっか」
「え?」
圭織は写真を電灯にかざし眺める。
「明日、美貴のお父さん家に行ってみよ。そしたら、この写真のなつみさんと
今、探してるなつみさんが同一人物かどうか確かめられし。住所は分かるんでしょ?」
希美が複雑な表情で傍らの空間と圭織の顔を見比べた。
『美貴』は沈黙したままだ。どんな表情をしているのか窺うことができない
圭織には彼女が今どういう気持ちでいるのか分からない。
圭織は希美の視線を追う。視線を合わせずに話すことが嫌だった。
「不躾だってのはカオも分かってるよ。美貴にとってもう関わりたくないことかもしれないし…
だけど、嫌とか触れたくないとか言って、情報選り好みしてる場合じゃないでしょ。
カオ達に分かってることは本当に少ないし、少しでも可能性があるものには
片っ端から当たるしかないんだよ」
圭織は、静かな声で言った。しばらくの間、『美貴』は沈黙を続けた。
圭織は真っ直ぐにその空間を見つめる。
そして、どれくらい経ったか。
間というには長過ぎる時間が経ってから机の上のペンがゆっくり動き出す。
そして、動き出したペンは一度もつまづくことなく一息にその住所を書いていた。
- 184 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/23(火) 23:07
-
◇ ◇ ◇
(午後21時36分)
真里は、狭い部屋を落ち着きなく行ったり来たりしていた。
午前中で講義が終了したので速攻で帰ったのだがなつみの姿はなかった。
彼女が今日どこかに出かけるなんて一言も聞いていない。
妙に嫌な予感してすぐに外に探しに出たのだが近場にはいないようだった。
その時は、心配しすぎなのかもしれないと思いなおして――
携帯も家に置き忘れていたし――家へと引き上げたのだが
なつみは日が暮れても帰ってこなかった。
間の悪いことに、外は昼過ぎから振り出した雨がどしゃ降りになって、えらいことになっている。
傘くらいなんとかするだろうとは思うが、まがりなりにも彼女は病人だ。
何にしても放っておけるはずがない。
真里は、いつなつみが連絡してきてもいいように携帯片手に再び外に飛び出した。
バケツをひっくり返したような大雨の中を駆け回る。
これでは傘なんてまったく意味をなさない。
びしょ濡れになりながら大通りまででてもなつみの姿はどこにも見当たらなかった。
- 185 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/23(火) 23:09
-
「…ったく、どこ行ってんだよ」
顔にかかった雨を手で拭いながら呟く。
その時、道路を挟んだアーケード街の入り口に立っている女子高校生の集団が目にうつった。
同じ制服の少女たち。その中の一人に真里は目を奪われた。
その少女が今探しているなつみに見えたのだ。
「…なっち?」
真里は、点滅している信号を慌てて突っ切る。
右折しかけていた車のクラクションを無視して
「ちょっと、待って!!」
大声で呼び止めると、少女たちが怪訝そうに振り返った。
一番最後に振り返った少女は真里を見て目を丸くした。
- 186 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/23(火) 23:09
-
「…矢口、さん?」
呼ばれて真里はポカンと口を開けた。
「……麻美ちゃん?」
真里がなつみだと思った女子高生は彼女の妹だった。
なつみのお見舞いに行っていた時、病院でしょっちゅう会っていたから忘れるはずがない。
しかし、北海道にいるはずの彼女がなぜこの街にいるんだろう。
「なんでこんなとこにいるの?」
「え?…あ、知らないんですか?なち姉の治療の関係で
3年ぐらい前からこっちで暮らしてるんです」
そんなのなつみは一言も教えてくれなかった。
まあ、今はそんなことどうでもいい。
とりあえず、彼女にもなつみを探すのを手伝ってもらおう。
- 187 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/23(火) 23:10
-
「あのさぁ、なっち預かっといてなんだけど…
今日、まだ帰ってきてないんだ?雨すごいし心配だからさ、ちょっと一緒に探してくれないかな?」
「え?」
真里の言葉に麻美は不可解そうにそう漏らしたっきり沈黙してしまった。
家族の問題なのになにを迷っているのだろう。真里は苛々する。
こうしている間にもなつみがどこかで倒れているかも分からないのだ。
「用事あるのは分かるけど、なにかあったら遅いじゃん」
「……あの、なんの話してるんですか?」
麻美が眉を寄せた。とぼけている感じではない。
真里が、なにを言っているのか全く理解できない、そんな口調だった。
なつみは妹にまで秘密で家出をしてきたのかと真里は呆れる。
- 188 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/23(火) 23:11
-
「なっちのことだよ。家出してきて、あたしんちにいたんだけど……」
そこまで言って真里は言葉を止めた。
麻美が強張った表情で自分を睨みつけていたのだ。
「…冗談はやめてください」
「冗談って……」
そして、今度は真里の表情が強張る番だった。
「なち姉、こっちきてすぐに……」
ざぁざぁという雨の音と車の行きかう音の中
麻美の声は真里の耳にしっかりと届いていた。
- 189 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/23(火) 23:12
-
◇ ◇ ◇
真里は、呆然としたまま家に向かっていた。
考えれば考えるほど頭の中がぐるぐるしてまとまらない。
一緒に暮らしていたなつみは真里の知っている彼女と別人だったのだろうか?
とてもそうだとは考えられない。
記憶の中のなつみと彼女はまったく同じ顔だった。
得体の知れない何者かが整形でもしてなつみと同じ顔になった?
そんなことをしてなにになる。なんのメリットもない。
だったら――
自分の家にいたなつみは一体何者なんだ?
- 190 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/23(火) 23:13
-
「矢口…」
アパートの階段に足をかけたところで上から聞き覚えのある声が降ってきた。
真里は、ゆっくり顔をあげる。
彼女に対して言いたいことは色々あったはずなのに、
そこに立っている彼女の有様を見ただけでそれらは一緒くたに飛んでいってしまった。
どうやら傘を買わなかったらしい。
この大雨の中、傘もささずに歩いたらどうなるか。
真里も今、身をもって体験している。
例えるなら舟幽霊。服を着たままプールにび込んだような濡れ方だった。
- 191 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/23(火) 23:14
-
「……なっち」
なつみの顔色は紙のように真っ白で、歯はガチガチと音を立てている。
口の色も紫になっていた。余程、冷えてしまっているらしい。
「なにやってたの?」
真里はなつみに駆け寄る。なつみは、なにも応えない。
ただ悲しげな眼差しを揺らす。真里は諦めるように嘆息し
部屋の鍵を空けるとなつみの手を取って無理やり中に連れ込んだ。
1DKのマンション。玄関を入ってすぐ横は風呂場だ。
引き出しからバスタオルを2枚とって一枚は自分、もう一枚をなつみに押し付ける。
「話はあとでいいから、それで体拭いて」
荒く声をかけながら風呂桶にお湯を溜める。
コンロにかかっていたヤカンに火をかける。
それから、部屋の暖房を強に設定した。
真里がそれだけ動いているというのに、なつみは入ってきた時そのままの様子で、
中に上がろうとする素振りも見せずに玄関先でぼんやりと佇んでいる。
- 192 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/23(火) 23:15
-
「…なっち?」
真里は、訝しげに声をかける。なつみは、反応すら見せない。
様子がおかしい。まるで、今にも消えてしまいそうだった。
「なっち?」
「…ね…いた」
うつむいたままなつみが口を開いた。
良く聞きとれない。真里は、眉を寄せる。
「ごめ…ね…なっち…嘘、ついた」
今度は先程よりは聞こえた。
- 193 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/23(火) 23:16
-
嘘?
真里は、なつみを見つめる。
――なち姉、こっちきてすぐに…
麻美の言葉が響いた。
急に真里は焦りにも似た思いを覚える。
確かめなければいけない。
どういうことなのか、聞かなければいけない。
しかし、真里が質問を口にする前になつみがふらりとバランスを崩した。
- 194 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/23(火) 23:16
-
「なっち!」
アパートが狭かったのが幸いして、真里はなつみが倒れる前に何とか彼女を抱きとめる。
「なっち!なっち!大丈夫?!」
顔を覗き込み、真里はそこではじめて気付いた。
彼女が泣いていたことに。静かにただはらはらと涙を零していたのだ。
「ごめんね、矢口…なっち、嘘ついたんだ」
「…うん」
「だけど…なっちさ…手紙に書いた、こと……本当にしたかった、んだよ」
そのとき不意に。
雷に打たれたように瞬間的に。
真里はおそらく全てを理解したのだ。
- 195 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/23(火) 23:17
-
――なち姉、こっちきてすぐに死んだんです
- 196 名前:名無し娘。 投稿日:2004/03/24(水) 16:01
- 衝撃の展開! 続き楽しみ
- 197 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/24(水) 22:32
-
◇ ◇ ◇
雨音はますます強くなったような気がする。当分、止む気配は見えない。
真里はどう切り出していいのか分からず黙っていた。
いや、本当はなつみの方から何かを言い出してくれることを期待していた。
ひょっとしたら、彼女に口火を切らせるのは酷なことかもしれないと思いながら、それでも。
- 198 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/24(水) 22:33
-
「…すっごいいい天気だったの」
どれくらい経っただろう。
両手に持った湯飲みの中をぼんやりと見詰めながらふとなつみが口を開いた。
「それだけが救いかなぁ…他のことは良く覚えてないんだぁ」
「……ごめん」
「何で矢口が謝るのさ?」
なつみが微笑む。
何故と言われても謝るしかない。
知らなかったの一言で済ませられる問題ではなかった。
なつみが『死んでしまったということ』を今の今までまったく知らなかったのだから、
薄情というレベルではない。真里は、どうしようもない自己嫌悪に陥っていた。
- 199 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/24(水) 22:34
-
「だって…あたし、知らなかったから」
「そりゃ、お母さんもいちいち娘が死にましたなんて矢口に連絡しないだろうし、
なっちもそろそろ死にそうですなんて連絡しなかったし、矢口が知らなくて当たり前のことだべ」
「だけど」
「それに、なっちが死んだ時って矢口は丁度受験生だったっしょ。
そんな余裕ないって」
なつみは本当に気にしていない様子である。
「…まぁ、矢口がなっちのことまるっきり忘れてたらショックだったけどさ。
覚えててくれてたっしょ」
けらけらと笑うなつみ。
どうして笑えるのか真里の理解の範疇外だった。
真里は、ただ呆然となつみを見つめる。
- 200 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/24(水) 22:35
-
「…なんかなっちって幽霊になっても明るいね」
思い出せば。なつみは昔からそうだったのかもしれない。
勉強も運動も彼女はあまりできるほうではなかった。
だけど、誰よりも活動的で生き急ぐように精一杯何もかもにぶつかっていた。
今思えば、終わりがあることを知っていたからなのだろうか。
他の誰よりも早く自分に終わりが来てしまうことを彼女は知っていたから。
それを知りながら笑って生きていた昔のなつみを今になって真里は凄いと思った。
そして、今こうして目の前で笑っている彼女のことも。
- 201 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/24(水) 22:35
-
「精神年齢が止まってるんだべ、多分」
なつみは、苦笑を浮かべた。
「おしまいの日までに一杯なんか持っていけるようにしたかったからね。
ほら、子供のほうがいろいろ新しいこと発見できるしなんでも楽しめるっていうっしょ」
その言葉に真里は曖昧に肩を竦めた。
精神年齢が止まっていると彼女は言ったが――確かに彼女はやること為すこと子供だけど、
それでも芯にある考え方は自分より余程大人だから。口には出さないまでも――それはないと思ったのだ。
- 202 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/24(水) 22:36
-
「…何か幽霊のイメージ変わっちゃうね」
「矢口、幽霊超嫌いなのにね」
なつみはそう言ってまた笑った。
正直、なつみに聞きたいことはまだ山程あった。
むしろ、聞きたいことだらけといっても過言ではない。
だが、自分でも不思議なことに真里はその疑問を何一つ口に出す気にならなかった。
いや、できなかったのだ。
多分、どこかで気づいていた。
聞いてしまえば、絶対に避けられない場所に話が及んでしまうことを。
だから、聞きたくない。聞こうとしない。
自分をとてもずるい人間だと思う。だけど、仕方がなかった。
なつみが死んでいるということを理解した、その瞬間から本能的に分かってしまったから。
- 203 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/24(水) 22:37
-
なつみは言った。
おしまいの日、と。
彼女には、一度それが訪れていて、
そして今の状況は普通ではありえないイレギュラーな事態だ。
それを正すためにきっともう一度彼女にはその日が訪れる。
それがいつになるのかは分からないけれど――
聞きたくないというこの気持ちが何かの前兆なのだとしたら――
その日はきっとそう遠くはないのだろう。
- 204 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/24(水) 22:38
-
◇ ◇ ◇
次の日の朝、なつみの姿はなかった。
2月24日、朝八時ジャスト。彼女は真里の前から姿を消した。
何もかもいたという痕跡さえ一切残さずに。
立つ鳥跡を濁さず、まさにそれを実行して。
あるいはこの日が彼女にとって二度目の『おしまいの日』だったのかもしれない。
しかし、真里がなつみに別れを告げたのはこの日ではない。
2月25日、全ての破片が交わった日。
真里はその日に、全てのことの顛末を知ったのだ。
- 205 名前:Scene4 2月23日 投稿日:2004/03/24(水) 22:38
-
Scene4→Scene5
- 206 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/27(土) 08:05
- うわぁん。気になる!すごい展開!まさかまさかの展開に驚きっぱなしです。
- 207 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/03/29(月) 01:05
- どうなっていくのか・・・
先がまったく読めません・・・
気になる
- 208 名前:Scene5 2月24日 投稿日:2004/03/29(月) 23:06
-
(午前9時17分)
電車から地下鉄に乗り換えて3駅目の住宅地。
そこに目指す家はある。このやり方で正しいのかは分からない。
本当なら全員で今日一日生きている方の美貴に接触を図るなりする方がいいのかもしれない。
しかし、どうしても放っておくわけにはいかなかった。
だが、これ以上の時間のロスが出来ないのも分かっていたので、
今日は二手に分かれることにしたのだ。
- 209 名前:Scene5 2月24日 投稿日:2004/03/29(月) 23:08
-
希美と、幽霊の美貴。
この二人でまず矢口真里の家に行き「なっち」の話を聞きだし、
それから『生きているほうの美貴』を尾行する、ないしは接触する。
そして圭織は――
本当なら、こちらの方に幽霊のほうの美貴が回ったほうがよかったのかもしれない。
だが、いざ矢口真里と接触してこの突拍子も無い事態を納得させるには
希美一人では荷が重過ぎるだろう。だから、『美貴』に一緒に行ってもらったのだが――
それは後付けの言い訳でしかない。
昨日、希美が眠りについたあと、『美貴』が圭織にだけ話してくれたこと。
本当は自分も一緒に行って知りたいことが沢山ある。
けど、正直な気持ち行きたくはない。
もしも、一人で手が足りなかったらその時に改めて言ってほしい。
今度はついて行くことにするから、と。
- 210 名前:Scene5 2月24日 投稿日:2004/03/29(月) 23:08
-
彼女がそう言いたくなる気持ちは分からなくもない。
今までずっと会おうとも連絡を取ろうともしなかったのだ。
その家に住んでいるのは誰なのか、それを考えれば無理もないことだと思う。
今、圭織が向かっている家の家主。
『安倍昇蔵』
藤本美貴の、実の父親である。
- 211 名前:Scene5 2月24日 投稿日:2004/03/29(月) 23:10
-
◇ ◇ ◇
「1の…っと、ここかぁ」
住宅地の一角に佇む、ごく普通の二階建ての白い家。
古くも新しくもなく、広くも狭くもない。
一言で言ってしまうなら普通。そうとしか言いようのない平坦な佇まいだった。
住所は、確かにここで合っている。そして表札には、
「安倍…」
間違いない。
ここに美貴の父親とそして恐らくはあの写真の「なつみ」が住んでいるのだ。
父親は、今、仕事で家にはいないかもしれないが、
ともかく「なつみ」に会えば全ての疑問が解けるような気がする。
『美貴』の探しているなつみと彼女が同一人物なのかどうか。
もし、そうだとしたら年齢の計算が合わないのは一体どういうことなのか。
やはり単に見かけが幼いというだけの話なのか。
そして、そんなことより何よりもこれからやってくる美貴の死。未来の死。
それに彼女が関わっているのか、何か知っているのか。
何としてもそれだけは絶対に聞き出さなければならない。
- 212 名前:Scene5 2月24日 投稿日:2004/03/29(月) 23:11
-
圭織は門の中に入り玄関のチャイムに手を伸ばす。
もし、ほかの家族がでてきたら正直に全部を話すわけにいかない。
「なつみ」がいなかったら久し振りに尋ねてきた昔の友達の振りをして居場所を聞き出す。
いたら直で聞く。あとは即興。
頭の中で簡単なシュミレーションをしてみるものの、結局は当たって砕けろということである。
「よし」
小さく気合の言葉を呟き指でチャイムのボタンを押そうとしたその時、
唐突にドアが内側から開いた。
「うわ!」
圭織は危うくドアと正面衝突しそうになり反射的にのけぞる。
- 213 名前:Scene5 2月24日 投稿日:2004/03/29(月) 23:17
-
「え?あ、ごめんなさい。すみません」
中から聞こえてきたのは、若い女の声だった。
いきなりビンゴ?
圭織は中から慌てて出てきたその少女の顔を見る。
「ぶつかりませんでしたか?」
違う。
一目見てそう分かった。
あの写真は十五年以上前のものだが、それでも分かる。
残念ながら、人違いだ。
遊んでそうな派手な外見――の割には謝罪の仕方は礼儀正しい。
驚くほど身長が低いけれど年齢的には同じくらいだろう。
ということは、彼女が安倍なつみだという可能性がないわけでもない。
「あの、大丈夫でした?ぶつかってません?」
圭織がマジマジと見つめていると、少女は不安そうな表情を浮かべはじめた。
やはり写真の中の人物とは違うような気がするが、
直感だけで違うと決め付けるのもよくないかもしれない。
そう思いなおして念の為確認してみることにした。
「……あの、もしかしてあなたって『安倍なつみ』さん?」
その名前を聞いた瞬間、その少女の顔色が変わった。
- 214 名前:Scene5 2月24日 投稿日:2004/03/29(月) 23:18
-
「なっちのこと、何か知ってんの!?」
急に態度を変えてそう詰め寄られ、圭織は一瞬言葉を失う。
詰め寄られる、といっても怒り任せに責められている雰囲気ではなく、
なんというか――彼女は必死だったのだ。
戸惑う圭織の様子に気付いたのか、彼女ははっとしたように慌てて頭を下げた。
「もし何か知ってたら教えて欲しいんです。
あたしはなっちの幼馴染で矢口真里と言います」
「…あなたが、矢口さん?」
圭織は、目を見開いて彼女を見る。
希美と『美貴』が会いに行っているはずの彼女がどうして『安倍なつみ』の家からでてきたのだろう。
なんて偶然だ。
- 215 名前:Scene5 2月24日 投稿日:2004/03/30(火) 22:36
-
◇ ◇ ◇
なにから話しだせばいいものか、正直分からない。
あの後、矢口真里に半ば強引に引きずられるように圭織はあの家を離れた。
どのみち安倍なつみは家にいないようだし、真里に話を聞いたほうが早いと判断したのだ。
しばらくすると大通りに出る。二人は人の流れに乗って歩き出す。
安倍なつみの名前を出した時、確かに真里は動揺した。
やはり彼女が美貴に紹介した「なっち」と「安倍なつみ」は同一人物なんだろうか。
それどころじゃなく、真里自身も今回のことについてなにか関わっているのかもしれない。
- 216 名前:Scene5 2月24日 投稿日:2004/03/30(火) 22:37
-
「…あの矢口さん」
圭織はとりあえず、話を催促しようと口をひらく。
が、彼女は何やら難しそうな表情で
「一つ聞きたいんですけど…あなた、なっちに会ったんですか?」
「……ううん、会おうと思って探してるんだけど」
「そうですか」
圭織の返答に彼女は訝しげな表情をする。
半分は落胆、そしてもう半分は興味、そんな感じだった。
「ところで、敬語やめない?歳そんな変わらないよね」
同年代に敬語を使われるというのがどうも性に合わない。
自分があまり敬語を使えないので、へんに畏まって使われるとなんだか鳥肌が立ってしまうのだ。
それに彼女、矢口真里もあまり敬語が得意そうには見えなかった。
圭織は続ける。
- 217 名前:Scene5 2月24日 投稿日:2004/03/30(火) 22:40
-
「カオリがその安倍さんって人を探してるのは…
まあ色々あったんだけど。あ、そうだ。後輩に藤本美貴っているでしょ」
「え?藤本?なんで知ってるんですか?」
突然、出てきた名前に真里が大げさなほど目を丸くする。
「その藤本さんがちょっと危ないことになってて、安倍さんがそれに関係してるっていうか」
言いながら、圭織は内心頭を抱えた。
美貴が安倍なつみの妹だということを彼女に言うべきか否か。
矢口真里が自分たちにとって敵なのか味方なのかもまだ分かっていないのに、
話してしまってもいいのだろうか。
しかし、話さずに上手い説明ができるほど事態は簡単ではない。
大元の事態がこれでもかというほどわけが分からない。
それに加えて圭織は普段から嘘を重ねるのが苦手なほうだ。
即興でぺらぺらと話を作って人を煙に巻くのなんて、言うまでもなく――
「要するに……」
結局、逡巡したものの圭織は事実を包み隠さず話すことにした。
- 218 名前:Scene5 2月24日 投稿日:2004/03/30(火) 22:41
-
「正直に話すと、藤本さんは安倍さんの妹で…」
「はぁ?」
圭織の言葉を遮って真里がなにか言いたげに口を開いた。
それを手で制し、
「…・・・信じてもらえないかもしれないけど本当なの。
で、彼女がなっちさんって人を探してる。
今日、カオがあそこに行ったのは安倍なつみとそのなっちさんが同一人物なのか確かめたかったからなんだけど・・・」
そこまで言って圭織は真里を見る。
とりあえず、ここまでの話は信じてくれているのだろうか。
真里は、無意識のような動きで小さく頷き「そうだよ。なっちの本名は安倍なつみ」と口にした。
- 219 名前:Scene5 2月24日 投稿日:2004/03/30(火) 22:41
-
「でも・・・あの話、本当だったんだ」
続けてそう漏らす。
圭織は小首を傾げる。
「あの話って?」
「なっち、藤本と会ったあとに言ってたんだ。生き別れの姉妹だって。
その時は、信じなかったんだけど……」
「会った後って?二人はいつあったの?」
「一昨日。一緒にカラオケに行ったの」
一昨日。
『美貴』がもしかしたらその日に会ったかもしれないと言っていた日だ。
- 220 名前:Scene5 2月24日 投稿日:2004/03/30(火) 22:43
-
「ねぇ、今その安倍さんはどこにいるの?」
「……それはあたしも知りたい」
真里が苦笑しながら言った。
それから続ける。
「こっちだって結構半端じゃない事態に巻き込まれてたっていうか」
「え?」
「今のなっち……幽霊なんだ」
少し迷う素振りを見せながらも真里がそう口を開いた。
圭織は、その場に足を止める。
彼女は今、幽霊と言ったか?
聞き間違いでなければそう言ったはずだ。
だが――
幽霊は美貴のほうだ。
- 221 名前:Scene5 2月24日 投稿日:2004/03/30(火) 22:44
-
沈黙。
不自然な程の間があった。それから
「ちょっと待って、死んでるのって美貴のほうだよね」
圭織は言う。それに真里が目を白黒させた。
彼女は、自分が今聞いたことが幻聴でも聞き違いでもなかったことを確認するかのようにこめかみを押さえ――
- 222 名前:Scene5 2月24日 投稿日:2004/03/30(火) 22:44
-
「死んでるのはなっちなんだけど…」
「幽霊なのは美貴の方だよ…」
- 223 名前:Scene5 2月24日 投稿日:2004/03/30(火) 22:45
-
今度は二人同時に口を開いた。
互いが互いの言葉に驚いて見詰め合ったまま固まってしまう。
再び沈黙。
これは一体どういうことだ。
お互い同じ事を思っているのは間違いなかった。
やがて、先に口を開いたのは圭織のほうだった。
「…ちょっと詳しく話聞かせてくれる?」
圭織の言葉に真里は固い表情で頷いた。
- 224 名前:Scene5 2月24日 投稿日:2004/03/30(火) 22:47
-
考えた事がなかった、といえば嘘になる。
思いつく限りの全ての可能性を考えるのが圭織の性分なのだ。
しかし、『それ』だけはなるべく考えないようにしていた。
圭織は朧げながら思っていた。
なつみの正体がそうだったとしたなら、目的がもしそうだったとするのなら説明がつく。
すべての点と線は一つに繋がる。
あの写真の二人の年齢差、
そして『美貴』が口にした現在のなつみの外見上の年齢。
だが、出来ることならこの考えは間違いであってほしかった。
だから、気付かなかった振りをした。
なつみの目的が『それ』だったとしたらすべての成り行きに説明がついてしまうから。
それでは余りにも悲しすぎるから――
- 225 名前:Scene5 2月24日 投稿日:2004/03/31(水) 22:35
-
* *
- 226 名前:Scene5 2月24日 投稿日:2004/03/31(水) 22:36
-
矢口真里と安倍なつみは中学校時代の友人だという。
真里のアパートになつみが転がり込んできたのは数日前。
真里よりも一つ年上の彼女だが見た目は今でも十代で通るほど幼かったらしい。
もともと、彼女は童顔だったので、その時点では真里はなんの疑いももたなかったという。
なつみは家に泊めてほしいと真里に言った。家出してきたのだと。
勿論、最初は抵抗があった。彼女は、病気で体が弱っていたからだ。
しかし、彼女の必死な懇願に負けて結局真里はしばらくの滞在を許したらしい。
- 227 名前:Scene5 2月24日 投稿日:2004/03/31(水) 22:38
-
なつみには、どこか不思議なところがあったようだ。
年の割には落ち着きがなくて妙に幼かったり、かと思えばどこか悟りきったような
老成した雰囲気を持っていたり、時折ひどく遠い表情を浮かべることもあったという。
会いたい人がいるのだと言っていた。
詳しく話を聞くとそれがたまたま真里の後輩の藤本美貴だということが分かった。
それで、真里は二人を引き合わせたのだ。
美貴と会った後、彼女は美貴の事を『生き別れの妹』などと言っていたが、
真里は当然単なる冗談なのだろうと思って信じてはいなかった。
――次の日。
なにも言わずにどこかに出かけたっきり帰ってこないなつみを心配して真里は外を駆け回った。
そこで彼女の妹に――美貴ではない――ばったり出くわし、あることを知らされたのだ。
なつみは3年前に既に死んでいるのだと。
- 228 名前:Scene5 2月24日 投稿日:2004/03/31(水) 22:38
-
* *
- 229 名前:Scene5 2月24日 投稿日:2004/03/31(水) 22:38
-
「…本当にあたしその時まで知らなかったんだ。
なっちの病気が悪化してたとか、北海道から治療のためにこっちに出て来てたとかなんにもさ……」
二人は、歩道橋を上る。
そして
「なっちが幽霊だって分かった次の日になっちはいなくなった。
それで…なんか納得いかないっていうか気持ち悪いから色々確かめようと思って。
今日はなっちの家を訪ねてみたんだ」
真里は足を止めた。
手すりに凭れ、下を行き交う車の波に視線を落とす。
その後姿はひどく小さく見えた。
- 230 名前:Scene5 2月24日 投稿日:2004/03/31(水) 22:39
-
圭織は、声をかけられず反対側の手すりに背中を凭れかけさせる。
「間違いなくなっちは大学に上がる前…18歳で死んでたよ」
それは。
多分間違いなく本当の話なのだろう。
真里の話にも、嘘偽りはないと思う。
幽霊と暮らしていたなんて――自分が、今こういう事態に巻き込まれていなければ
ただの寝言としか思えないような話ではある。
しかし、現実に起こっている事態に照らし合わせて考えればすべてのつじつまが合う。
- 231 名前:Scene5 2月24日 投稿日:2004/03/31(水) 22:40
-
「要するになっちは間違いなく幽霊。まあ、信じられないだろうけど。
ともかく、あたしが知ってるのはこれだけだよ。
だけど…藤本まで死んでるってどういうことなの?なんか関係あるの?」
真里が、不安げな眼差しで振り返った。
彼女は、本当になつみのことを心配しているのだろう。それが話の端々から窺えた。
親友というのは、長さとかではなく深さだ。
彼女たちはきっと心からの親友だったのだろう。
それだけに、圭織は自分の推論を言うのはあまり気が進まなかった。
「…正確には、これからそうなる可能性がある、ってことかもしれないけど」
「どういうこと?」
「つまり……」
圭織は、真里から目を逸らす。
まともに彼女を見ながらいえそうになかった。
- 232 名前:Scene5 2月24日 投稿日:2004/03/31(水) 22:40
-
「つまり…美貴が安倍さんに連れていかれる可能性があるってこと」
- 233 名前:Scene5 2月24日 投稿日:2004/03/31(水) 22:44
-
◇ ◇ ◇
例えば――ある姉妹がいる。
彼女たちは、事情があって幼少の頃に別々のところで育てられるのだが
姉は病気で早くに死んでしまい、妹はそれを知らずに健康に成長していく。
やがて彼女は顔も知らない死んだ姉の歳を追い越して大人になる。
そうして、妹は姉が決して手にすることの叶わなかった沢山の幸せを手にするだろう。
生きていた頃、ベッドに縛りつけられて一生を終えた姉にとって、
それはひょっとしたら既にこれ以上はないというほど不平等なのかもしれない。
妹だけではなく同世代の者達と比べても。
- 234 名前:Scene5 2月24日 投稿日:2004/03/31(水) 22:45
-
同世代の者達が当然のものとして享受している日々の楽しみ。
彼らは知らない、気づかない。
彼らが当たり前のように送っているその毎日の贅沢さなんて。
自由にどこにでも行ける健康な身体。
いつ壊れていくか分からない自分の体。
どうして自分だけこうでなければならなかったのだろう。
みんなが口にするつまらない苦労だってたくさんしてみたかった。
ウザいことばかりの毎日で不満だらけでもいい。楽しくなくたって構わない。
一度でいいから、ただ元気になりたい。
そう思って、思い続けて。
それでも叶わずに短い生涯を終えた姉にとって、これは不平等ではないのだろうか?
いや、あるいは彼女はそんなこと微塵も思っていなかったかもしれない。
妹が自分と違って、健康に育って本当に良かったと思っていたのかもしれない。
けれど、例えそうであっても。
一人で死を迎えて・・・
- 235 名前:Scene5 2月24日 投稿日:2004/03/31(水) 22:47
-
◇ ◇ ◇
「圭織は、安倍さんって人を直接知らないけど、
明るくて親しみやすい人だって美貴が言ってた。
でも、本当は心の奥では一人がキツいと思ってたかもしれない。
それで、自分が早くに死んだってことを知りもしないで脳天気に生きてる美貴を見て、
一緒に連れていこうって思ったのかも」
ふと希美の顔が過った。
もしも今自分が死んだら――自分だったら、きっと希美を見守ろうとするだろう。
それこそ全身全霊で。心霊写真として希美の背後にぼんやり載ってしまうぐらい真剣に。
その自信はあるし間違いなくそうするだろう。彼女に不幸の一つも起こらないように。
けれども、そうして希美が大人になった時。
嬉しい反面、同じくらいさびしいと思うかもしれない。きっと。
彼女に忘れられていくのが、追い抜かれてしまうことが。
希美が大人になって――
自分がもう彼女を見守るべき存在ではなくなってしまうことが。
- 236 名前:Scene5 2月24日 投稿日:2004/03/31(水) 22:48
-
安部なつみは、自分が死んだ時の年齢まで育った妹を捜しに現世に下りて来た。
そしてその妹は、その数日後に命を落とす。
一度死んで過去に戻って来た妹は言う。
なつみを探さなければいけない、と。
これは、絶対にただの偶然ではない。
――未来、美貴を連れていったのは…安倍なつみ本人なのではないだろうか。
- 237 名前:更新終了 投稿日:2004/03/31(水) 22:49
-
Scene5→Interval
- 238 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/01(木) 14:36
- 大量更新乙です。いよいよ佳境ですね!楽しみに待ってます!
- 239 名前:――――――― 投稿日:2004/04/01(木) 23:19
-
- 240 名前:――――――― 投稿日:2004/04/01(木) 23:20
-
最期は寂しかった。
眩しい朝の光が段々とぼやけていって、
傍には看護婦さんとお医者さんしかいなくて、一人ぼっちなんだなぁって実感した。
でも、今はそんなことはどうでもよくて。
それよりもずっと大事なことがあって。
そのために、ここにいる。
彼女を守りたい。
今は、ただそれだけしかない。
- 241 名前:――――――― 投稿日:2004/04/01(木) 23:22
-
Interval 藤本美貴・安倍なつみ
- 242 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/01(木) 23:26
-
◇ ◇ ◇
多分、一番はじめは海だった。海の中を漂う夢を見た。
その夢を見るようになっていつも見ていた悪夢を見なくなった。
浅瀬を漂っているうちに海底の奥底から時折私を呼ぶ声が聞こえた。
その声が聞こえる方へと行けば色々なところに辿りつくことができた。
声は、私を様々な楽しい場所に案内してくれた。
そうして、徐々に声は実体を持つ白い影になり目にも見えるようになった。
はじめは、ぼんやり浮かび上がる影が見えるだけだったのに。
次第にはっきりと――
その後を私はやはり追いかけて。追いかけて。追いかけて。
まるで迷路のなかにいるような感覚を味わっていた。
気がつくと、海面に顔を出していた時もあった。
朝焼けの海岸は暗い水の中にいた私には眩しかった。
日を追うごとに影の現れる場所は私から近くなり
最初の頃のように私を置いていこうとはせずに
少し遅れると立ち止まって私が追いつくのを待ってくれるようになった。
- 243 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/01(木) 23:30
-
影の形は、夢の中のことだからはっきりとは覚えていない。
ただ、なんとなく小さい頃に見た影絵の魔法使いと似ていたので、
私はひそかにその影のことを『魔法使い』と呼ぶようになった。
海の中の魔法使い。ぱっと思い浮かんだのは人魚姫だ。
声と引き換えに人間の足を与えてくれた魔法使い。
自分の場合はなにを引き換えにしなければならないのだろう。
命だろうか。
魔法使いは、ひょっとしたら死神なのかもしれない。
死神が日を追うごとに近づいてくる、と言うのはあまりぞっとしない話だけど――
同時に、あれは希望なんだろうかとも思った。
私がしようと思ってもできないこと、行きたいと思っても行けない場所、
たやすくその全てを叶えてくれる。
- 244 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/01(木) 23:31
-
夢の中、『魔法使い』に連れられて――
私は学校に行った。街にも出た。旅行にも行った。
大人になって仕事をして、仕事帰りに昔の友人とばったり会って、
食事にも行った。それから、誰か気の合う人と結婚をして
(顔は逆光になって見えなかったのが少し損した気分だった)日曜日には家族皆で遊びに行く。
なんだか照れくさかった。でも、楽しかった。
色々な人といろいろな話をして。これが、人生って奴なんだろう。
そんなことを思った。
- 245 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/01(木) 23:32
-
――そして、それら沢山の夢の中で覚えている限りの最後の夢。
- 246 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/03(土) 21:24
-
◇ ◇ ◇
暗い暗い深海の底の底。しかし、辺りは真っ赤だった。
彼女を視線を上げる。頭上には、見えるはずのない雲が幾重にも重なり、
連なり、色を変えながらゆっくりと流れていた。
全てが赤々と炎のように燃え揺れている。
それはなんという赤だろう。
赤、ワインレッド、クリムゾン、その他ありとあらゆる赤をキャンバスにベタベタに塗りたくって、
その上から白や黄色を流して――捕らえようによっては、黒、青、紫、緑、
その他、この世界にある色と言う色を内包した恐ろしい赤。
それでいて、透き通るように透明な赤だった。
全てを真っ赤に染めて、遠くに広がって。それはどこか彼女の不安をかきたてる。
しかし、一度目にしてしまえば目を離すことすら出来ない鮮烈な赤。
彼女は、たどり着いたその場所の恐ろしく奇妙な空を見上げたまま呆然と立ち尽くす。
- 247 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/03(土) 21:25
-
『あと1ヶ月になっちゃったね』
その声はすぐ背後から聞こえてきた。
振り向けば、そこに立っていたのはあの『魔法使い』。
それがここまで彼女の近くに来ることは初めてのことだった。
「…1ヶ月ってなんのこと?」
恐る恐る彼女が口を開くと一瞬で場面が変わった。
そこは屋上だった。
普通の夕焼けの赤に染まった洗い立てのシーツが風になびきばたばたとはためいている。
病院の屋上。彼女には見なれた光景。
『分かってるでしょ。夢を辿って辿ってあんたはこんな遠くまで来てしまった。
残された時間はもうほんの僅かだよ。他に見たいところはある?』
「遠くって…ここ、病院だべ」
不可解そうな彼女の言葉に『魔法使い』は嘲る様に笑う。
『それが遠くだっていうの。あんたは、もうじきここから旅立つんだから』
『魔法使い』はろくでもないことをさらっと言った。
彼女は息を呑む。大体のことがよめてしまった。
要するに、あと1ヶ月程で自分はこの病院で死ぬ、『魔法使い』はそう言いたいのだろう。
- 248 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/03(土) 21:26
-
「あなたって…やっぱり死神だったんだ」
夢の中だからなのか、余命を宣告されても妙に現実感がなかった。
彼女はどこか冷静になって尋ねる。
『魔法使い』が気障ったらしく指を一本立てた、ような気がした。
『さあ、どうだろう。なんなんだろうね、一体。
最後の最後まであんたにはきっと分からないんじゃないかな。
ま、死神じゃないかもしれないけど人の死には結構詳しいんだよ。
そうだ、ついでにいいこと教えてあげよっか。あんたの大事な人たちがいつ頃あんたのところに来てくれるか』
表情など見えない。のっぺらぼうの煙のような影。
しかしその表情が見えたなら、きっと笑っているのだ。
ひどく薄暗い嫌悪感を催すような笑顔を。彼女はそう直感する。
- 249 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/03(土) 21:27
-
『まず、あんたの母親。残念ながらこれは結構長生き。
大きな病気もなく死ぬ時も苦しまない。よっぽど前世からの行いがいいんだろうね、お見事』
『魔法使い』はパンパンと楽しげに手を叩く。
『父親も長生きだけど、こいつは悲惨だね。ボケちゃうんだよ。
で、施設に入れられる。あんたと一緒で死ぬ時は一人みたい。あぁ、可哀想』
「……」
『でもって、お姉さんと妹…』
淡々と話して行く『魔法使い』。
このとき、彼女はふと気付いた。
周りのもの全てが夕焼けの赤に染まっている中で、
この影だけが唯一何にも染まっていないことに。
『魔法使い』は、世界から隔てられた異質な存在だ。
それに気づいて彼女は怖くなってきた。
一歩後ずさる。同時に、『魔法使い』が彼女に一歩、歩み寄った。
- 250 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/03(土) 21:28
-
『でもって。ここからが本題で取引になるんだけど。分かるかなぁ。
今まで敢えてこの子の事を私が黙っていたことぐらい気付いているよね。
――そう、あんたのもう一人の妹。美貴ちゃんのことだ』
彼女――なつみは、その名前にびくりと顔を上げる。
美貴、幼い頃に会ったきりの彼女の腹違いの妹。
今はどうしているか知る由もないが、忘れたことは一度もない。
いつか自分たちが大人になって、両親のしがらみから解き放たれたら、
会いに行ってみたいと彼女は常々思っていたのだ。
余命1ヶ月なら、それは叶わずに終わってしまいそうだが。
- 251 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/03(土) 21:29
-
「美貴ちゃんがなに?」
震える声で『魔法使い』に尋ねる。『魔法使い』がまた笑う。
『運命だね。あんたとまったく同じ歳で死ぬの、これが』
空気が凍りついた、そんな気がした。
勿論そんなことは気のせいで――
あるいは夢の中なのだから本当にそうだったのかもしれないが。
少しの沈黙の後、なつみはようやく口を開く。
「…冗談でしょ」
『私は冗談なんか言わないよ。それにね、美貴ちゃんは偶然死ぬわけじゃないの。
そういう力がどこかで働いてそのせいで死ぬんだよ。
美貴ちゃんを死へと引きずり込もうとする悪い力っていうのがね。
それがなんだか分かる?ちなみにこの力、私が何者なのかって謎を
あんたが解くことができたら一発で分かるんだけど……ま、無理だろうね』
- 252 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/03(土) 21:29
-
「・・・嘘ばっかり、そんなの信じない」
なつみは、『魔法使い』を睨みつける。影が揺れた。
肩を揺らして笑っている。
『信じないなら証拠見せてあげるよ』
『魔法使い』はすぅっと滑るように歩き出した。
そして、なつみの目の前でその姿はゆらりと煙のように掻き消え――
次の瞬間、目の前に現れた。
驚く間もなく『魔法使い』はなつみにぶつかってくる。
体の内側を何かに押さえつけられたような――いや、まるで何かが通りすぎたような、そんな感覚を覚える。
そして、その瞬間、脳裏にある光景が閃いた。
- 253 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/03(土) 21:31
-
見知らぬ少女が、夜の屋上に佇んでいる。
手すりの向こうの町の明かりを見ている。
その視線の向こうにあるのは、大時計。
知らない町、知らない場所、知らない――いや、知っている。
この景色は知っている。見た事がある。
時計の針が、零時を回る。
ほんの少し、進んだ時計。
(2月25日、午後23時58分50秒)
屋上を吹きぬける強い風。
そして、
そこにはもう誰もいない。
- 254 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/03(土) 21:32
-
「今…の」
なつみは、呆然としたまま口を開く。
『そういうこと。それじゃ取引について話そう』
「取…引?」
『ルールはとても簡単。大体3日ちょっとで一日買えるって思ってくれていいよ。
どうする?買う?』
「…買うって何を…?」
『一週間だよ。あ、あんたの持ち時間1ヶ月ちょっとあるから十日ぐらいになるけど。
その時間を使って、あんたは美貴ちゃんに定められた未来を変えられるか!?
ほら、何となくわくわくしてこない?まるで映画みたい。
例えるなら、あんたはお姫様を助けに行く勇者様。勿論、あんたにその1ヶ月を使って切符を買う勇気があればの話だけど』
- 255 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/03(土) 21:33
-
「…それって、つまり」
なつみは、眉を寄せたまま呟く。
『呑み込みが早いのはいいことだよ』
『魔法使い』が、再び笑う。
笑い声はひどくしわがれたものだった。
『さあどうする?あんたに残された1ヶ月、
どれほどの金を積まれても何を引き換えに譲れと言われても、
はいそうですかと簡単にあげられるわけないよね。
ましてや、美貴ちゃんはあんたと半分しか血が繋がってないんだし。別にあんたが助けることもない』
「…あなた、一体」
『ま、ゆっくり考えたほうがいいよ。考えすぎて持ち時間がなくなっちゃったら意味ないけど。
買い方は簡単、あんたが決意をすればそれでいい』
- 256 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/03(土) 21:34
-
パチンと指の鳴る音。再び景色が変わる。
またあの赤。赤い空が頭上で円を描く。ぐるぐると。
眩暈がしてくる。吸いこまれてしまいそうに遠い空。
『ねぇ、足元を見てみなよ』
唐突に声をかけられて反射的になつみは足元に視線を落とす。
そこにあったのは渦だった。
赤く染まった空が写る渦。どこか禍々しい。
『覗きこんでごらん、なにか見えない?』
『魔法使い』は静かに、しかしどこか高揚した口調で呟く。
- 257 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/03(土) 21:35
-
『そこに、私がいるんだよ――
深淵をのぞきこむとき、深淵もまたこちらを見つめている。
知ってる?一昔前の偉い哲学者の言葉。
その意味が分かれば…あんたの妹を引いていこうとする力の正体もなにもかもが分かるんだ。
きっと最後の最後でそれがあんたを助けるから覚えておいて、
深淵はそこにある。その中にね……』
『魔法使い』の声がぼやけ。
そして、世界が白くなり。白く白く。
あっという間に光の中へ体が。
『魔法使い』を引きとめる間もなく夢の終わりはやって来た。
- 258 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/03(土) 21:36
-
――今思えば、
それが、最後の夢だったのだ。
- 259 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/04(日) 22:47
-
◇ ◇ ◇
(2月22日・午後18時12分)
意外に時間がかかったなぁ。
商店街を歩きながら、藤本美貴はそんなことを考える。
美容院は予約していたにも関わらず、飛び込みの客が何人かいて
何分か待たなければいけなかったのだ。
それでも、先輩である矢口真里との約束の時間には間に合いそうなので美貴はホッとした。
あまり、人を待たせるのは好きではない。
自分が待たされるのが嫌いだから待っている間の気持ちを考えると相手を待たせたくはないと思ってしまう。
おかげで大抵の友達には待たされる羽目になるのだが。結構、損な性分だ。
美貴は、歩く足を少し速める。
このペースだと待ち合わせの喫茶店には時間前に着くだろう。
真里からカラオケに行こうと誘いの電話があったのは昨日の夕方過ぎだ。
遊ぶ約束にしては唐突だったが、まぁ、予定は入ってなかったので
美貴は特になにも考えずにその誘いを了解した。
- 260 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/04(日) 22:48
-
「おっせーよ」
10分前に喫茶店に到着した時真里はもう既にきていた。
美貴は彼女のいる席に向かう。と、彼女の隣に見知らぬ人間が座っていた。
「時間通りなんですけど……っていうか、誰です?紹介してくださいよ」
わざとらしく文句を言う真里を相手にせずその隣に座っている彼女を見ながら言う。
「なっち。あたしの幼馴染ってやつなんだけど、一緒にいいでしょ?」
「構いませんけど…あ、藤本美貴です」
美貴は、ペコリと頭を下げる。
顔を上げると彼女と目があった。彼女は、どこか嬉しそうに目を細め
「なっちです。よろしくね、美貴ちゃん」
言った。
- 261 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/04(日) 22:49
-
◇ ◇ ◇
(2月22日午後21時36分)
「ちょっとトイレ行ってくる」
退室時間になり会計へと向かう際、真里がそう言って慌しくトイレに行ってしまい、
その間美貴となつみは二人っきりになった。
もちろん、その時にはかなり打ち解けていて――
というか、旧知からの知り合いだったかのようにお互いのことが分かるようになっていた。
それを美貴は不思議に思わなかった。
なぜだか分からないけれど、そうなるのが必然のような気がしたのだ。
- 262 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/04(日) 22:50
-
「美貴ちゃん、美貴ちゃん」
なつみが子供のように服の袖を引っ張ってくる。
「え?なんですか?」
「あれなに?」
そういって彼女が指差したのはプリクラ機だった。
美貴は最初からかわれているのかと思った。
今時、プリクラを知らない若者はいないだろう。
しかし、なつみの目はかなりといっていいほど真剣だった。
からかっている様子は全く見受けられない。
「したことないんですか?」
「なにを?」
「だからぁ……」
美貴は、説明しようとして思い立った。
説明するより実際にしたほうが早い。なつみの手をひいて機械に近づく。
中が見えないようにと掛けられているビニール製のカーテンを押しやって二人で中に入った。
なつみは、なになに?と子供のように無邪気に質問を繰り返す。
美貴は苦笑する。
- 263 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/04(日) 22:50
-
「あそこのカメラ見て笑ってください」
コインを入れながら小型カメラを指差すとなつみは素直に頷く。
横目で彼女の表情を見てシャッターボタンを押す。
可愛らしい機械声とシャッター音。
「おぉっ!!」
画面に映し出された自分たちを見てなつみが驚きの声を上げる。
「で、これがシールになっちゃうんですよ」
「へぇ〜」
心底から感嘆しているなつみに美貴は笑う。
本当にはじめてだったようだ。
- 264 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/04(日) 22:51
-
「なっちさんって変な人ですよね」
取り出し口から今しがた撮ったものが出てくるのを待っている間に美貴は言う。
「どこがさ?」
「だって、プリクラ知らないとかありえないし」
「そうなの?なっち、遅れてる?」
「リレーで言うと周回遅れって感じ」
「うわぁっ、ひどい」
二人がそんな会話を交わしているとカタンと音がしてシートがでてくる。
美貴はそれを取り上げなつみにほらと見せる。
「すっごいねぇ、最近の機械って」
なつみは、ぱぁっと顔を明るくして笑った。
その素直な笑顔に美貴もなんだか嬉しくなった。
- 265 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/04(日) 22:52
-
「明日も会えないかなぁ?」
別れの間際、真里に聞こえないよう意図しているのかなつみが窺うような小声で言った。
その言葉に美貴は驚きを隠せなかった。
ちょうど同じ事を思っていたから。
もちろん、美貴が頷いたのは言うまでもない。
- 266 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/04(日) 22:52
-
* *
- 267 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/04(日) 22:53
-
誰だったか、昔の人が残した言葉。
人生は全て次の二つから成り立っている。
したいけど、できない。できるけど、したくない。
まったくその通りだ。
たくさんしたいことがあって、だけど自分は何一つできなかった。
たくさんできることがあるのに何一つしない人はずるいと思った。
今、目の前でレポートを書いている彼女は果たしてどちらなのだろう。
おそらくは後者に違いない。
だって、人間はできることは後回しにしたくなる生き物だから
よく考えたらそれは仕方のないことなのかも知れない。
- 268 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/04(日) 22:53
-
* *
- 269 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/05(月) 22:29
-
◇ ◇ ◇
(2月23日午前9時52分)
その映画は、美貴が住んでいる街ではもう上映していない。
年明けからの上映だから結構長く上映していたことになるけれど、
さすがに客足も遠のいてきたのだろう。今月の19日が最後の上映日だったらしい。
けれども、電車で三十分。隣町まで足を伸ばせばまだ上映しているのだ。
それで、見に行くことにした。なつみと二人で。
何故と言われても少し困る。
なんとなく見たくなってしまったから、というより他にない。
昨日、カラオケに行く前に立ち寄った喫茶店で真里が
その映画がよかったと言っていたのを聞いたからかもしれない。
それを受けてなつみが小さく見たいなぁと零したからかもしれない。
帰ってすぐ新聞で日程を確認すると、隣町ならまだ上映していると言うことが分かった。
そこまでして自分が見たいのかと言われるとこれまた困る。
主演女優のファンと言うわけでもないし、ストーリー自体にとくに感じるものがあるわけでもない。
第一そうだったら、市内の上映が打ち切りになる前に見にいっている。
だから、やはりただ思いついたから、と言ったほうが正しい。
- 270 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/05(月) 22:31
-
客はほとんどいなかった。
映画館はほとんど貸しきり状態で、回りの雑音も何も気にせずにゆっくり映画を楽しむことができた。
ストーリーはといえば、とかくありきたりなものだった。
所謂、天使と少女の切ないラブストーリーとでもいうのだろうか。
斬新だったのは、天国が空ではなく海の底にあること。
ヒロインを守る天使は人魚だということだ。
人魚の少年が、好きになってしまった人間の少女を
『死の運命』から守るために地上に上がってくるところからストーリーは動き出す。
地上の世界は彼にとってとても汚れていてまるで毒の海に漂っているようで――
彼の体は少しずつ弱っていくのだ。そのまま地上にいたら泡になり消えてしまうというのに
それでも彼は少女のために諦めようとしない。
脚本は割といいらしい。雑誌や新聞の批評でも、大抵そう言うことになっていた。
そしてこの映画の目玉は主演女優なんだろう。
美貴は、それ程映画に長けているわけではないがアメリカで今人気の若手俳優。
半年ほど前に出演した映画が大ヒットし、今や押しも押されぬ大人気だとか。
確かに、上手いと思うし美人である。
けれど、美貴は競演している――というよりも、役柄的にはこちらが主役である――
人魚役の俳優のほうが気に入った。
- 271 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/05(月) 22:32
-
パンフレットや新聞広告を見たときにはそれ程いいと思わなかったのに、
不思議なことに映像で見るとすごく映えた。
演技だけで比べると少々見劣りするのは否めない。
けれど、存在感や役柄との一体感とでもいうのだろうか、
画面に彼が出てくると不思議と注目してしまうのだ。
優しげで儚げで――どこかで見たような、誰かに似ているような。
美貴はふと横を見る。見て、吹き出しそうになった。
「どうしたの?」
小声で聞いてくる、隣の席の彼女。
何だか、似ていたのだ。画面の中の『少年』に。
そういえばどちらも世間ずれしていて妙にマイペースでもある。
「いや、なんか似てるなって」
画面を指差す。
彼女、なつみは一瞬きょとんとした顔をして、
それから首を傾げて考え込む。
「…そうかなぁ?」
「なんとなくですけどね」
- 272 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/05(月) 22:33
-
ストーリーは進む。
ヒロインの少女は、地上に上がってきた彼と出会う。
やること成すこと素っ頓狂な彼に呆れながらも、少しずつ惹かれていく少女。
彼女は少しずつ彼に心を開いていく。
しかし、後半に行くに連れて彼女を取り巻く状況は次第に過酷になっていく。
そして、その日。
彼は、その日のうちに彼女が海に還る『予定』になっていることを知っている。
だからその日は一日中、彼女の側にいて守るつもりだった。
しかし、事件は起こる。
彼女の母親が仕事先で倒れたのだ。
何も知らない彼女は彼との約束を破り、家を飛び出す。
そして――
- 273 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/05(月) 22:33
-
◇ ◇ ◇
「ちょっと他人事じゃなかったなぁ」
通りを駅に向かって歩きながら、なつみがふと、呟いた。
「…何が?」
「色々とね」
彼女は誤魔化すように微笑した。
わざわざ自分に言うことではないと思ったのかもしれない。
やはり、知り合って間もないのだし。そう考えて美貴は気にしないことにした。
「ねぇ、美貴ちゃん」
「はい?」
「覚えてないかもしれないけど…映画の途中の、本当にちょっとした台詞をね」
「え?」
「あとで…色々終わったら思い出してほしいんだ」
また色々という言葉を口にする。
美貴は、肩をすくめ苦笑する。
- 274 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/05(月) 22:34
-
「…色々、って?」
「それは言えないけど」
「その台詞ってどれなんですか?」
「そのときになったらきっと分かると思う。忘れてたら、どうにかしてでも思い出して」
「無茶苦茶だなぁ」
白黒はっきりしないと気が済まない性分である。
この一点だけは、何かにつけて正反対の梨華と唯一共通する性格だ。
美貴は、がしがしと頭をかく。
なつみが余計な事を言っちゃったなぁというように苦笑する。
- 275 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/05(月) 22:35
-
「今ははっきり言えないんだべ、ごめんね」
「そういわれるとめっちゃ気になるんですけど……」
そこまで言ってから彼女を見やり美貴は眉を寄せた。
彼女の顔色。元からあまり血色のいい感じではなかったがなんだか青白くなっている。
どこか気分でも悪くなったのだろうか。
「なっちさん・・・?」
訝しげに美貴が声をかけるのと彼女が唐突にその場にしゃがみこむのはほぼ同時だった。
「・・・だ、大丈夫ですか?」
美貴もしゃがんで彼女の顔を覗き込む。
「平気平気。ちょっとクラっとしただけ」
「……クラッとって」
「少し休んだらすぐ治るから」
青白い顔した彼女は、そう言って気弱な笑みを浮かべた。
- 276 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/06(火) 22:32
-
◇ ◇ ◇
目の前で貧血など起こされてしまってどうしたらいいのかと焦ったが、
どうやら彼女にとってそれは日常茶飯事のことだったらしい。
休んでいればすぐ治る、という言葉通り今は何事もなかったようにけろりとした顔をしている。
だが、やはり心配だったので今日はこのまま帰ることにした。
帰りの電車を待つ間、彼女はよく喋った。
幸せについてとか。美貴が幸せになるのを手伝いにきたとか。
ちょうど、今しがた見たばかりのあの映画の天使のような事を。
- 277 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/06(火) 22:33
-
(2月23日午後13時12分)
「ねぇ、美貴ちゃん」
地元の駅に着くとなつみが美貴を呼んだ。
「はい?」
「美貴ちゃんがあの映画の女の子と同じ立場だったとしたらさ」
まただ。美貴は眉を寄せる。
本当にどうして彼女の話はこう唐突なんだろう。
「…現実って厳しいから映画みたいにクライマックスでタイミング良くなんていかないと思うの。
そう考えると、凄く怖いっしょ?だから、美貴ちゃんはもっとちゃんと
天使のことを信じなきゃいけない」
「はぁ」
少しは慣れたと思う彼女の難解な話。
しかし、今度ばかりはまったくなにを言いたいのか意味が分からない。
まるで映画と現実を混同しているかのような話し振りだ。
- 278 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/06(火) 22:34
-
「お願いだから、その日は何があってもどこにも行かないでほしいんだべ」
「……その日って」
「嘘っぽいけど運命って本当にあって、それは簡単に変えられるものじゃないし、
頑張ればなんとかなるほど優しくもないの。運命は誰かに決められたものじゃなくて
過去そのものだから。今まで無数にあった選択肢からその人が選んできたものが
積上げられてきて、それが未来を決めるんだよ。
そういう意味で運命って過去そのものってことになるっしょ。
つまりさ、運命はその人個人が作ってきたものだから、その人自身も、
ましてや他人がどうこうしようとするのはとても難しい」
なつみはどこか熱に浮かされたように焦点の定まらない眼差しをしていた。
美貴は何も言えずただ黙って次の言葉を待つ。
不意になつみが視線を地面にさげ、美貴の服の袖を掴んだ。
ぎゅっと握られた彼女の拳は震えていた。
- 279 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/06(火) 22:34
-
「…25日はどこにも行かないで」
「え?」
彼女は、顔をあげた。泣きそうなほど真剣な顔だった。
美貴をからかっているのでも、煙に巻こうとしているのでもない。
それは本当に、真剣な目だった。
「なっちが絶対に守るから」
- 280 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/06(火) 22:35
-
◇ ◇ ◇
(2月23日・午後15時48分)
雨が、やまない。
数年前だったら――いや、まだ『生きて』いた頃だったら、
雨に当たるような真似は絶対にしなかった。できなかった。
そう遠くない死を予感しながらも自棄になることは出来なかった。
家族が、優しかったから。姉も妹も母も――父も。
それなのに。
家族は最後のそのときに間に合わなかった。
本当に一番傍にいて欲しい時に。
病院は家からそれ程近くなかったが、私がなんの兆しも見せずに
突如急変しあっさりと逝ってしまったから誰一人間に合わなかったのだ。
- 281 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/06(火) 22:36
-
本当ならもう少し生きられたはずだから、そちらを選んでいれば
家族に別れを言えたのかもしれない。だけど、そうしなかった。
残り少ない余命を全く別のことに使うことにした。
この決断は決して間違いではないと今でも信じている。
あのまま、毎日沢山薬をのまされてベッドの上で死ぬまで動けない生活を送る。
そのことに意味がないとは思わないけれど――
ひょっとしたら、そうやって生き続けることこそが人としては正解だったのかもしれないけど、
けどそれは選べなかった。私は、選ばなかった。
- 282 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/06(火) 22:37
-
「そうでしょ……」
歩道橋から下を見下ろす。車が行き交う。
道行く人は、この雨の中佇んでいる彼女を不審な面持ちでうかがって、
しかし所詮は他人だ。声をかけることもなく通りすぎる。
彼女は、眼下に見える泡のような影に視線を定めたまま口を開く。
「そうでしょ…魔法使いさん」
- 283 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/06(火) 22:38
-
◇ ◇ ◇
(2月24日・午前1時27分)
なかなか寝付けない。理由は言うまでもなく彼女だ。
ベッドの上でごろごろと転がりながら、美貴は思い出す。
あのとき、完全に目が本気だった。
引いている美貴に対して、明日も同じ場所で待ってるからとそう告げて。
多分、美貴が疑っているのが分かったからだろう――そのまま逃げるように走り去ってしまった。
美貴は寝転がったまま枕に顔を突っ伏せる。
「頭おかしいのかな」
最初会った時から、玄関開けたらキリンがいたとか、おかしなことばかり言っていたけれど。
かなり無知な人だったけれど。映画と現実を一緒くたにするまでとは思わなかった。
もしかしたら、これ以上係わり合いにならないほうがいいのかもしれない。そんなことを思う。
全部なかったことにして忘れてしまえば、彼女はこっちに連絡する術はない。
携帯の番号は知っていたとしても、あちらからかかってきたら無視すればいいだけだ。
まさか大学までやってくることはないだろう。けれど
「そうできたら、悩まないっつーの」
- 284 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/06(火) 22:39
-
美貴の手は無意識のうちに携帯に伸びる。
真里にかけようかと考えたのだ。
が、この時間彼女はバイト中だったかもしれないと思いなおし携帯を投げる。
電話で悩み相談、実行する前に挫折である。
「うー」
唸ったところでなにもでてこない。
そもそも自分はそれ程頭が良くないのだ。考えても切りがない。
美貴は、がばっと勢いよく体を起こす。
「のど渇いた……」
誰に言うでもなく呟くと、美貴はベッドからぴょんと飛び降り階下に向かった。
- 285 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/08(木) 22:18
-
◇ ◇ ◇
コーヒーはインスタントに限る。
単にまともに作るのが面倒なだけだが、美貴はそういうことにしている。
家族は皆、寝てしまっている。
静かに台所の明かりをつけると、棚の上にある金魚鉢の中の三匹の金魚が眠そうに動き出した。
以前、美貴が縁日で掬ってきた六匹の中で生き残った連中である。
何だか最近やけに大きくなって金魚らしくない。母親がしょっちゅう餌をやりすぎて太ったせいだ。
淹れたコーヒーは相変わらず不味かった。
椅子に座る。頬杖をついて、考えるのはやはり彼女のことだ。
自分は彼女に拘っている。その点を認めないわけにはいかないだろう。
このままなかったことにしてしまうのをなにより自分自身が拒んでいるのだ。
それは何故か?
もしかして、彼女の事を好きになってしまったのだろうか。
「・・・ありえないって」
美貴は、一人ごち手で虚空にツッコミを入れた。
- 286 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/08(木) 22:20
-
美貴には今特定で付き合っている人はいないが、それはタイミングの問題であり、
同性に大して恋愛感情を抱いたことは今まで一度もない。
なにより、彼女といてそういう意味でどきどきと胸が高鳴ったりすることは決してなかった。
だとしたら、これは何なのだろう。
数いる友人のうちの一人。
そこに彼女を位置づけるのは適切ではない気がする。
親友とも違う。
上手く言えないが、一緒にいるのがごく自然という感じがするのだ。
まるで空気みたいに、お互いの存在が全く邪魔にならない感じ。
それでいて、いなかったら困る、というか寂しい。
なんだか他人と一緒にいる感覚が薄い。他の人と比べて、大分薄いと思う。
気の置けない友達と一緒にいる時だって無意識のうちにどこかに気を使っているものだ。
無意識のうちに警戒心が働いてしまうというのはどうしてもある。
だが、彼女にはそれが恐ろしく希薄で――かといって、どうでもいい存在というわけではない。決して。
- 287 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/08(木) 22:22
-
だから、とても不思議だった。
そして、さらに不思議なのは、些細な喧嘩で駄目になってしまうような関係ではなくて、
きっと最後の最後になっても彼女からは嫌われることがないような気がしていることだ。
これは、敢えていうなら『家族』に対して持つ感情だ。
どんなしがらみがあっても、何があっても、最後の最後に信じられるもの。
例えば口煩い母親なんて、普段はぶつかりあってばかりだけど嫌っているわけじゃない。
そして、同時に。
これが一番不思議なことだが――おそらく自分も彼女を嫌わないということ。
最後の最後になってもきっと自分は彼女を信じてしまう――
そう思ってしまうから、きっとこんなにも困っているのだ。
会って二日、三日。
他人をここまで信じる期間にしてはあまりにも短すぎる。
美貴は、ゴクリとコーヒーを飲み干し、二杯目を注ごうと立ち上がった。
その時
「なにしてんの!」
台所のドアがなんの前触れもなく開いた。
「うあ!」
驚いたため、僅かに残っていたコーヒーがカップからこぼれてしまった。
- 288 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/08(木) 22:23
-
「ちょっと脅かさないでよ!」
「驚いたのはこっちだよ、アホ。帰ってきたら電気ついてるし、泥棒かと思ったじゃん」
そこに立っていたのは、姉だった。
こんな時間まで遊んでいてたった今帰ってきたらしい。
また面倒なときに出てきてくれたものだ。美貴は姉を見て小さく嘆息し
こぼしたコーヒーを布巾でふき取る。
「で、何やってんのあんた」
「なにって見りゃわかるじゃん。コーヒータイム」
「こんな時間に飲むと寝れなくなるよ」
「大丈夫だよ。煩いな」
「うわっ!生意気なヤツ。ま、いいや。お姉さまにも一杯淹れてよ」
椅子を引いて、机に向かう姉。
美貴は、肩をすくめ彼女専用のコーヒーカップを食器棚から取り出しコーヒーを注ぐ。
- 289 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/08(木) 22:24
-
「それで、こんな時間にコーヒータイムのワケは?
まさかあんたがテスト勉強とか言わないでしょ」
「別にどうでもいいじゃん」
「お姉さまに相談しろ!」
「…頼りになんないし」
「ホント生意気だよね。どうせ、あれでしょ、彼氏が欲しいとかでしょ。
なんなら私が紹介してあげよっか?」
「そんなんじゃないから」
「じゃぁ、あれだ。借金を返せる自信がなくなってきたとか」
姉はポンと手を叩く。
一体、自分の事をどういう目で見ているのだろう。
これが実の姉か、美貴はじろっと彼女を睨みつける。
- 290 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/08(木) 22:25
-
「さては、出来ちゃったとか?」
「うっさいなー!!友達のことだよ!」
あまりといえばあんまりな姉の言葉についそう言ってしまって、
美貴はしまったと舌打ちする。
姉はしてやったりという風ににやついている。まんまと彼女の挑発に乗せられてしまった。
「友達と喧嘩したの?寝られなくなるくらい悩むならさっさと謝っちゃえばいいじゃん」
「そんな簡単なことじゃないよ」
「なに?」
「言動が変なの」
「は?」
美貴の言葉に姉は口を微かに開ける。
- 291 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/08(木) 22:26
-
「だけど…嘘じゃないかもしれないし。
なんかわかんないんだけど、信用できる気もするから、困ってる」
「どういうこと言ってんの、その人?」
「はっきりしないんだけど…今日、一緒に映画を見に行ったんだ。
死ぬことが決まってる女の子を助けようとする人魚の少年って話なんだけど。
で、見終わったら、自分がそれだから美貴のこと守る、とか言い出して」
「あいたー」
姉はおでこをペシッと叩く。
確かに美貴も逆の立場ならそういう反応をしてしまうだろう。
自分で言っていてもこの話は痛すぎる。
「…ホンモノかなあ」
この場合、ホンモノの意味が二通りくらい考えられるのだが。
普通の人は『人魚』の意味での本物とは思わずに、もう一つの意味での本物を考えるだろう。
実際、美貴もそう思っているしさっきので姉がそう思ったのもすぐに分かった。
- 292 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/08(木) 22:27
-
「もう会わないようにしなよ。ヤバいヤツじゃん、それって」
「それがそうもいかないっていうか」
「なんで?」
「…なんかよく分かんないんだけど…その人、全然他人じゃないような気がするから」
姉が眉を寄せる。
「その人の名前は?」
「なつみ」
それを聞くと姉はさらにきつく眉を寄せた。
そして、複雑な面持ちで問いかけてくる。
「歳は?」
「タメかなぁ、若く見えるけど」
何故そんなことを聞くのか。意図がわからず、それでも答える。
美貴の答えに姉は奇妙な顔になる。当てが外れたようなそんな顔。
- 293 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/08(木) 22:28
-
「…どんな人?」
「変な人。見た目は可愛いけど――
って、何?お姉ちゃんなんか心当たりとかあったりするわけ?もしかして」
美貴はジト目で姉を睨みつける。
「お姉ちゃんの子供とか」
言うなり頭をバシッとはたかれる。美貴は、顔をしかめ頭をさする。
不意に浮かんできた、本当に思っていた言葉は口にできなかった。
だから、ありえない事をいって誤魔化したのだ。そのおかげでただでさえ悪い頭を叩かれてしまったけれど。
- 294 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/08(木) 22:28
-
「あたしに、あんたぐらいの子供がいたら怖いでしょうが」
「ちょっとした冗談じゃん。んなことより、なんか知ってんの?」
「あ、いや、全然知らないけど…」
姉は、美貴が入れたコーヒーをぐいっと一息に飲み干した。
つくづくと猫舌の対極である。神経通ってないのだろうか。
呆れて見ていると、姉は話を打ち切るように立ちあがった。
「とりあえずさぁ、考えてもろくなことにはなんないんじゃない。
あんた、馬鹿だし。どっちがいいかわかんないんだったらやりたいようにしなよ。
その方が、失敗しても後味はマシでしょ」
それだけ言うと、姉は踵を返して台所を出て行った。
- 295 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/08(木) 22:29
-
閉まったドアを見やりながら
「……たまにはいいこと言うじゃん」
呟く。冷めてしまったコーヒーカップを手で弄びながら美貴は苦笑した。
どうするのか。自分は、どうしたいのか。
考え――いや、考えずに、思い、美貴はコーヒーカップを机の上にかたんと置いた。
どうやら、答えははじめから出ていたらしい。
2月25日に何が起こるのかは分からない。
彼女が結局何者なのか、それも知らない。
けれども――信じられるものは、信じられるのだから仕方ないのだ。
- 296 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/09(金) 23:09
-
◇ ◇ ◇
(2月24日・午後15時22分)
どれほどそこに立っていたのか。聞くことはしなかった。
彼女はずっとそこにいたのだと――何故かは分からないが、
その長さも気持ちも全て手に取るように分かる気がした。
「なっちさん」
呼んだ。
彼女が弾かれたように振り向く。
「来てくれたんだ!良かった」
青白く冷え切った頬に、さっと赤みがさす。
それほどに、彼女は待っていたのだろう。この寒さの中ずっと。
時間は指定されていなかったけれど、悪いことしたなと少し胸が痛んだ。
- 297 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/09(金) 23:10
-
「…寒くない、ですか?」
「ちょっとね」
「中で待ってたら…よかったのに」
「んー、外のほうがいいかと思って…ま、済んだことだし」
「美貴が来るって思ってました?」
「来たらいいな、って思ってたよ。すごく」
なつみの言葉に美貴は少しためらったようだった。
何か言いたいことがあるらしい。それを敏感に察し、なつみは口を噤む。
そう、敏感に。普通の人なら気付かずに見過ごしてしまうような僅かな仕草や口調から、
彼女は全て読み取ってしまう。
- 298 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/09(金) 23:11
-
「あの…一つだけ聞きたいことがあるんですけど。
別に美貴が珍しくボケようとかじゃなくて真剣になんですけど……」
「うん。言ってみそ」
なつみが促すと、美貴の緊張が少しほぐれたらしい。
意を決したように、彼女は口を開いた。
「なっちさんって、美貴と血が繋がってたりします?」
美貴は真っ直ぐに、なつみの目を見据えている。
なつみがなにか言おうとしても、絶対にYesかNoかを問いただす心積もりだろう。
なつみは僅かに驚いた顔をして、笑った。
この間、きっちり十秒。
- 299 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/09(金) 23:12
-
「そう。良く分かったね」
「……は?」
美貴は面食らう。
まさか、とは思っていたが――
少なくともこんなにあっさりイエスといわれるとは思っていなかったのだ。
「あの、ですね……美貴、からかって…るんじゃなくて。
さっきも言いましたけど」
「だから、なっちがお姉ちゃんだべ」
「……あっそ」
何だか馬鹿らしくなってしまって美貴はにこにこしているなつみから目をそらす。
- 300 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/09(金) 23:12
-
「妹じゃないんですね」
「どう見てもなっちのほうが年上っしょ」
「ま、どっちでもいいですけど」
「どっちでも良くないって!」
ムキになってほおを膨らませるなつみに美貴は苦笑する。
「美貴ちゃんが呼びたかったらお姉ちゃんって呼んでもいいんだべ」
まんざらでもない、そんな表情だった。
- 301 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/09(金) 23:13
-
ふと、ここで本当に『お姉ちゃん』などと言ったら彼女は喜ぶのではないだろうか。
なんの根拠もないが、美貴はそんなことを思った。もちろんそうはしないが。
美貴は、傘の柄をくるっと一回りさせる。
滴がはねて、足元にぱたぱたと音を立てて落ちた。
「ま、ありえないか。変なこと聞いてすみません」
「ううん。美貴ちゃんがなっちのことお姉ちゃんだと思ってくれただけで嬉しいべ」
なつみは、首を振って笑顔を見せた。
それは不思議と曇りのない、しかしどこか翳りのある笑顔。
透明な、泣いているような、いつか見たことのある奇妙な笑顔だった。
- 302 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/09(金) 23:14
-
* *
- 303 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/09(金) 23:15
-
神様。
生きている間、
あの頃私の願いなんて何一つ叶えてはくれなかった神様。
もしいるのなら、私の邪魔をしないでください。
もしあなたが生きている人の心が紡ぎ出す儚い偶像だとしても同じです。
今の私にはそんなあやふやな存在の助けなんて要らないのです。
今の私にはあなたはもう必要ないのです。
- 304 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/09(金) 23:16
-
『魔法使い』がくれた一週間という時間。
終わりが近づいている、その時間。
この時間にいる、今の私には。そんなもの要らない。
矢口に会えた。
美貴ちゃんに会えた。
そして、その日。
やがてやってくるその日に彼女を守ることが出来たなら本当に何もいらない。
残された時間と引き換えにして手に入れた、この一週間。
全てそのために使うと決めたのだ。
例え最期の時が一人きりだったとしても。
それは悔やむことじゃない。恨むことじゃない。
今このとき、この目的のために自から選んだことなのだから。
――自分の、意志で。
- 305 名前:Interval 藤本美貴・安倍なつみ 投稿日:2004/04/09(金) 23:16
-
* *
- 306 名前:更新終了 投稿日:2004/04/09(金) 23:18
-
Interval→last Scene
- 307 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/10(土) 22:44
-
(午前3時50分)
とんでもない時間に目覚しが鳴った。彼女は無意識のうちに枕元の目覚しに手を伸ばす。
しかし、何故か目覚しは止まらずに無機質な電子音は繰り返しメロディを奏で続けている。
「……ん」
眠い目をこすりながら彼女はベッドの上に身を起こした。
そして、この段階でようやく気付く。鳴り続けていたそれは、携帯の着信メロディだということに。
寝惚けていたためか、寝ているときに鳴るのは目覚しだと思いこんでいたためかすっかり勘違いしていたのだ。
彼女は思わず時間を確認する。4時前。もちろん、朝のだ。
いったい、誰だろう。
このとき、頭がはっきりしていたなら着信メロディで誰かは分かったのだろうが、
彼女はそう寝起きがいいほうではない。ぼんやりした頭で携帯を手に取る。
「……もう、誰よ?」
こんな朝っぱらから。
言外に含ませ彼女はディスプレイの表示を見る。
途端に、彼女の表情は険悪になっていった。大きく嘆息し通話ボタンを押す。
- 308 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/10(土) 22:45
-
「何?」
寝起きの上に不機嫌この上ないから、傍で聞いても怖い声だろう。
しかし、電話の向こうの相手はそのようなことなど一切気にしないということ、
彼女にはそれが分かっていた。何せ受話器の向こうにいるのは、
常識が通用しないことと言ったら幼稚園児より始末が悪い人物。
「念の為に聞くけど…今何時か知ってる?」
ディスプレイに表示された文字、『美貴ちゃん』
突拍子もない行動には慣れたつもりだったけれど、
まさかこういう時間帯にこういうことをしてくるとは。
寝起きだったこともあるがさすがに彼女――石川梨華も美貴にたいして軽い怒りを覚えていた。
- 309 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/10(土) 22:45
-
『やっぱ寝てた?』
「…寝てるに決まってるじゃん」
『だよねー、美貴もそうだと思った』
向こうの声は全然眠そうではない。
今、起きたばかりというわけではなさそうだ。
こっちの安眠を妨害しておいて。ますます腹が立つ。
「……だったら、かけてこないでよ」
『まぁまぁ怒んないでよ。ちょっと梨華ちゃんに大事なお話しとこうと思ってさ』
「大事な話?それ、学校で……」
できないの、そう言いかけて思い出す。
美貴は――彼女にしたらあまり珍しいことでもないのだが、
とりあえずここ数日大学に顔を出していないのだ。
この間、友達ができたとはしゃいだ電話をしてきた時以来、ずっと。
講義への出席自体は本人の勝手だとも思うが、友人として一応、一言言っておいてしかるべきだろう。
「っていうか、美貴ちゃん出席足りるの?留年してもしらないよ」
『留年したら梨華ちゃんも道連れにするから』
美貴はこともなげに物騒な事を口にして笑った。
呆れて言葉も出ない。
- 310 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/10(土) 22:46
-
『それよりさ、マジで大事な話していい?』
「…あ、うん」
ふと、電話の向こうの美貴の口調が変わった。
そんな気がして梨華は反射的に頷く。
『美貴さぁ、もしかしたら今日死ぬかもしれないんだ』
「……は?」
あまりと言えばあまりに唐突で思わずそんな声が漏れる。
一瞬、聞き間違いなのかと思った。
だが、どう思い出しても今、美貴が言ったのは『死ぬかもしれない』というもので
「なんの冗談?」
梨華は不審に思いながら聞き返す。
『冗談じゃなくて超マジ』
美貴は続ける。
『笑うセールスマンにいきなりドーンって指差された感じで、
なんかいまいち現実感ないから美貴も困ってるんだけどね。
まぁ、守ってくれる人もいるから案外だいじょーぶかもしんない』
冗談ともとれる話し振りだ。
だが、いくら彼女に常識がないとはいえこんな時間に
わざわざくだらない冗談を言うためだけに電話をしてくるほどではないだろう。
それにどこか強がっているようにも聞こえる。
- 311 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/10(土) 22:47
-
「ね、ねぇ。本当になに言ってるの?全然話が見えないんだけど」
『だよね。美貴にもよく分かんないから。とりあえず、万一のこと考えて挨拶しとこうと思っただけ。今日が無事に終わって明日ガッコーで会えるのをお楽しみに。んじゃね』
――ツッ。
唐突に切れる通話。
呆然と口を開けている梨華を置いてけぼりにして、彼女は勝手に電話を切ってしまったらしい。
「もしもし!?美貴ちゃん?」
ドラマやなんかで切れた電話口に向かって呼びかける役者を見ながら、
こんなことする人いないよねと笑っていたが、実際に自分がするはめになると笑えない。
もちろん、呼びかけても返事は返ってこない。
- 312 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/10(土) 22:48
-
「…なんなの、今の話」
梨華は僅かに口を開け携帯を見つめる。
それからリダイヤルをすればいいのだと思いつきすぐさま通話ボタンを押した。
しかし、どうやら美貴は梨華がそうしてくるだろうと予測していたのか
電源を切ってしまったらしく、例の『おかけになった電話番号は…』の無情なアナウンスが流れてくる。
梨華は、諦めて電話を切る。それから、髪を掻き揚げた。
一体、どういうことだ。
死ぬかもしれない、とは一体。
半分眠っていた頭が少しずつ回転を始める。
- 313 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/10(土) 22:48
-
「……まさか」
自分の考えに、携帯を握る手に力がこもった。
「美貴ちゃん…ふらふら遊びまわってて、ヤクザとトラブっちゃったとか?
けじめつけろとか言われて拉致られてるとかなの」
――とりあえず、そういうとんでもない結論に達したらしい。
やはりまだ頭の回転数は上がりきっていなかったのだ。
しかし、梨華は動き始める。
今すぐ美貴の家に向かうつもりだった。
梨華は手早く着替えると携帯片手に部屋を飛び出した。
- 314 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/11(日) 17:51
- うわぁー気になるトコで!おもしろすぎ!ずっとROMってましたが、初カキコさせていただきます。展開が全く読めません、ドキドキ
- 315 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/11(日) 23:07
- >>313
梨華は手早く着替えると携帯片手に部屋を飛び出した。×
↓
手早く着替えると彼女は携帯片手に部屋を飛び出した。○
- 316 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/11(日) 23:08
-
◇ ◇ ◇
「…寒いね」
今は2月。ただでさえ寒いうえに、明け方はかなり冷え込む。
彼女――辻希美はコートのポケットに手袋をつけている手を突っ込む。
「眠くない?」
隣に立っていた彼女の従姉妹が、そう問いかけてくる。
言外に、家に帰って寝ていても構わないよと、そう言っているのだ。
「大丈夫」
それを受けて希美も言外に主張する。
ここまで関わってしまったのだから、最後の最後においていかれるのは嫌だ、と。
「ならいいけど」
彼女、飯田圭織はそう言って苦笑した。
- 317 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/11(日) 23:09
-
「でもさぁ、のん達、カンペキに怪しいよね」
希美は、鼻をすすりながら言う。
この状態、誰かに通報されても文句は言えないものだ。
この時間帯――明け方の四時前という、早起きにしては多少早い時間帯に
道端に突っ立って、人の家をじっと観察している二人組の不審人物。
しかも、正直に白状すれば二人はこれを深夜零時から続けているのだ。
希美は親に圭織の家に泊まりにいくとことわっている。
そうして、人目を気にしながら時折場所をかえて見張りを続けていたのだ。
「けど、今日だしね」
「…今日だね」
二人は神妙に顔を見合わせる。
正確には、そのあたりにいるはずの『美貴』も。
「けど…本当に、そんなことあるのかな」
希美はぽつりと呟く。
信じられない、というよりも信じたくない、と言ったほうがいいだろうか。
そんな響きが篭められていた。
- 318 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/11(日) 23:11
-
間違いないと確信したのは、昨日。
理由は二つある。
まず一つは『美貴』。
生きているほうの彼女ではない。希美の側にいる、気楽な浮遊霊の『美貴』の記憶。
彼女の記憶について、最初に気付いたのは圭織だった。
会ったばかりの頃、彼女は自分が死んだあたりの記憶がほとんど抜け落ちていた。
断片的に覚えてはいるものの、かなりぼやけていると本人も確かに言っていた。
しかし、彼女は時間がたつに連れ段々と色々な事を思い出していた。
その仕組みを逆さまに考えていけば、なんのことはない、単純なことだったのだ。
彼女が死んだのが未来の何日かはわからない。
だがとりあえず、彼女が普通に生きて死んだ日までの記憶を『一周目』と呼ぶことにすると、
死んだ後に過去に戻ってきた現状は『二周目』になる。
そうして、はじまった『二周目』のたとえば22日。
このとき、彼女は『一周目』の22日までのことしか思い出せないようになっているのだ。
- 319 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/11(日) 23:12
-
つまり彼女が『22日の10時に、こういうことがあった』と思い出すのは、
二周目の22日の10時を回った後のこと。
詳しい仕組みなど勿論分からないが、今まで対応が後手に回ってしまったのはこのせいだ。
彼女があったことを思い出した時、現実にはその出来事は既に起こってしまっていたのだから、
追いつけようがなかったのだ。
そして。
23日の夜になって、彼女はあることを思い出した。
なっち――安倍なつみと大事な約束を取り交わしたことを。
25日はずっと彼女のそばにいるということ。
何故なら美貴の身に危険が迫るのが25日だから、ということを。
- 320 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/11(日) 23:13
-
「でも、矢口さんに会えて良かったね…びっくりしたけど」
希美と『美貴』が真里の家に行った日、彼女はどこかに出かけていて
結局二人は真里とは会えなかった。
だから、安倍なつみの家に行っていたはずの圭織が真里を連れてきたとき
希美は本当にびっくりした。
しかし、まさか公園で会ったあの人が「安倍なつみ」の友達だったとは。
こんなことなら、あのときに「安倍さんって言う人知りませんか?」と聞いてさえいれば、
話はずっと簡単だったはずだろう。
もちろんその時点では、美貴がまだ安倍なつみに会っていなかったから
どうしようもなかったのだけれど。
世の中と言うのは、考えてみると奇妙な偶然で成り立っているのかもしれない。
- 321 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/11(日) 23:14
-
「…誕生日、か」
矢口真里がなつみの母親から聞いたこと。
彼女の享年――誕生日を迎えた美貴が彼女を追い越してしまう歳――18歳。
それを聞いたとき、圭織は考えた。
なつみが『決行』する日は、25日だろう、と。
そしてそれは、『美貴』の思い出した『25日の約束』の話を聞いた時点で確信に変わる。
「妹に歳を越されるのが寂しいのかな」
だからといって何もそんなことをしなくても、と言ってしまうのは容易い。
しかし、人生これからというまさにその時期に死を迎えてしまった人間の気持ちなど、
そうなってしまった者以外には分からないのだ。
- 322 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/11(日) 23:14
-
「…かおりんならどうする?」
希美の問いかけに――まさにたった今考えていたことだったので、圭織は驚いて顔を上げる。
「そーだね。カオだったら、まず守護霊っていうの?
あれになって、のんちゃんに変な虫とかついたら速攻とり殺すし、
とりあえずカオの歳追い越すくらいまではあの世から今までどおり保護者するね」
「…うーん…」
何やら考え込む希美。
「あ、うざいって思った?」
「ううん、そうじゃなくて」
彼女は再び口を開く。
「のん、かおりんだったら連れていかれても恨まないかもしんない」
この返答。圭織は目を丸くして、それから心の中でこっそり感動する。
これだから、可愛いくて仕方がないのだ。
しかし、希美のほうはそれ以上この話題に拘ろうとせず、ふと横を向いた。
恐らく、『美貴』がなにかしているんだろう。
- 323 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/11(日) 23:15
-
「どうかしたの?」
『美貴』が言葉を発さない限りこちらにはなんなのか分からない。
圭織は、希美が見ているほうに視線を合わせて尋ねる。
『……誰か来た』
「え?」
希美が道の向こうを指差した。
「あれ…」
二人の顔つきが、俄かに緊張する。
道の向こうから走ってきた人影は、明らかにこの辺り――美貴の家の側に向かっている。
そして、見たところそれは同世代のように見えた。
もしかしたら、なつみだろうか?
二人は同時にそう思った。実際この状況では他に考えようがない。
曲がり角の影に体を滑りこませそっと様子をうかがう。
その人影は、二人には気付いた様子もなく美貴の家の前で立ち止まった。
- 324 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/11(日) 23:16
-
「…安倍なつみ?」
『違う……梨華ちゃんだ』
「梨華ちゃん?」
圭織にとってははじめて聞く名前。
しかし、希美は彼女の事を知っていた。
美貴の大学で、希美は彼女に会っていたのだから。
「カオリンはそこで待ってて。美貴ちゃん、ついてきて」
希美は圭織にそういい残すと唐突に身を潜めていた角から出ていってその人影に近づいていった。
そして、声をかけた。
「こんなとこで何やってるんですか?」
自分のことは完璧に棚に上げて希美は言った。
話しかけられた相手のほうは余程びっくりしたらしく息を飲んでその場に立ちすくんでいる。
「石川さんですよね」
- 325 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/12(月) 23:02
-
石川梨華。
藤本美貴の大学の同級生。
およそ美貴とは気の合う余地もないと思うが、何故か一番の友人であるらしい。
いや、気が合っているというよりは腐れ縁が続いている、と言ったほうがいいのかもしれない。
当の彼女は、呼びかけられたその瞬間こそ怯えていたが、
すぐに表情を厳しくして希美を強く睨みつける。
「あなた、確かこのあいだの……辻さんだっけ」
「はい。あの…ひょっとして美貴ちゃんからなにか聞いてきたんですか?」
梨華は警戒しているのか慎重に一歩下がり手にしていた鞄をぎゅっと握り締めた。
どうしてこんなに警戒されているのか分からず希美は眉を寄せる。
- 326 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/12(月) 23:04
-
「…の、私は別に怪しいものじゃないですよ」
言ってから、まるきり説得力がないことに気づいた。
「怪しいよ!あなた、こんなところでなにしてるの?」
「あ、怪しくないんですって」
「誤魔化しても無駄だから!さっき美貴ちゃんから聞いたんだよ。
危ない目に遭いそうだって…もしかして、あなたが一枚かんでるの!?」
静かな早朝の路上に、梨華の遠慮ない大声が響く。
ここで騒ぎになってしまっては今までの苦労が全て水の泡になってしまう。
希美は、焦った。
しかし、美貴が『危ない目に遭いそうだ』と言っていた――という彼女の台詞も気になった。
生きている美貴は、気付いているということなのだろうか?
今日、自分の身に起こることを。
「だからぁ…・・・」
テニスコートで会った時は、あんなに気弱そうで優しそうな人だったのに
この剣幕はなんなんだ。まるっきり別人だ。
希美は、泣きそうな顔で後ろを振り返った。
- 327 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/12(月) 23:04
-
梨華も希美につられて視線をずらすがそこにはなにもない。
訝しげに思いながら「なんなの、なによ?」と声をかける。
しかし、後ろを振り返ったままの希美は
「え?ピンクが大好き石川梨華美って言えって?なにそれ?」
まるで誰かと話しているようにみえた。
そして、聞こえてきた言葉の断片は彼女が知っているはずのないことで。
梨華は顔を強張らせる。
- 328 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/12(月) 23:09
-
「あのぅ」
希美がようやく顔を梨華のほうに戻してどこか言い辛そうに口を開く。
「色が黒いこと気にしてて本当の肌の色より白いファンデーション買ったはいいけど、
首に塗るの忘れて即バレして一日凹んで美貴ちゃんの肌を羨ましげに触りまくってたって……
あと、えっとぉ・・・家にポジティブって書いた達磨が置いてある。
他は、部屋中ピンクで落ち着かない」
たどたどしく紡がれる言葉に梨華は目を見開く。
希美は『美貴』から聞いたことをそのまま口にしているだけなのだが、
どうやら圭織と違って『美貴』の声が聞こえない彼女には
どうして希美がそんなことまで知っているのか不思議でたまらないようだ。
いや、不思議というよりも見ず知らずの人間にそこまで知られていたら怖いはずだろう。
梨華は、まるで狐にでもつままれたような顔で希美を見つめていた。
やがて、おそるおそる彼女は口を開く。
- 329 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/12(月) 23:10
-
「…なんなの?あなた」
「えっと…」
ここで、希美は隣の空間に向かって目配せをする。
と、希美が被っていたニット帽が宙に浮いた。
彼女が横にずれても――まるで誰かが持っているかのようにニット帽だけが
ふわりと宙に静止しているのだ。
「…ここに美貴ちゃんがいるんです」
希美は、宙に浮いているニット帽を指差す。
梨華はしばらくの間、口も聞けずにその場に固まっていた。
しかし、その時間は希美が予想していたよりも大分短かった。
数秒の沈黙の後、彼女は希美の目の前までつかつかと歩みを進め、
希美の帽子にぽんと手をかける。
- 330 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/12(月) 23:11
-
「まさか私に電話かけてから今までの間に死んでるとは思わなかった」
意外に適応力があるらしい。
ある意味、美貴と仲良くするにはこれぐらいじゃないと厳しいのかもしれないが。
「…正確にはまだ死んでないんですけど。話、聞いてもらえますか?」
ニット帽を受け取り、かぶりなおしなながら言う希美に梨華は頷いた。
何がどうなっているのか今一つよくわからないが、
どうやら自分が予想していたのとは大分違う路線で妙なことに美貴は巻きこまれているようだ。
最早何を聞かされても動じない心構えで、梨華は目の前の少女を見返した。
- 331 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/12(月) 23:15
-
◇ ◇ ◇
(午前4時22分)
例えなつみの選んだ決断がどちらだったとしても、このまま黙って見過ごすわけにはいかなかった。
見過ごしたくなかった、と言った方がいい。
彼女が何も言わずに出ていったことを考えれば、真里に関わる権利などないのかもしれないが、
そんなことは知ったことではない。自分がそうしたいからするのだ。
なつみは妹を連れていくような人間ではない、そう思う。
圭織の話を聞いてもなお信じられない。
そして、さらに信じがたいことではあったのだが、そうして『死んだ』後の妹の声が
彼女の従姉妹だったか妹だったかに聞こえている、と言うのなら、
きっとそう考えるのが自然なのだろう。なつみは妹を連れに来たのだ、と。
地上に降り、妹を探し、妹の誕生日の前日を『決行日』とする。
仮にそう考えれば全てのつじつまがあうのだとしても、やはりなにかが違うような気がしてたまらない。
なにかが引っかかるのだ。
その正体は分からないものの、放っておくことなどできずに真里は今ここにいる。
彼女の妹の家の前――つまり、藤本美貴の家の前。
ただし、圭織たちがいる場所とは反対側の裏口。
なつみが、来るのかどうかそれは分からない。
ただ真里には妙な確信があった。
もし、彼女が来るとしたら多分こちら側からだと。
- 332 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/12(月) 23:16
-
そうして、真里が深夜零時から立ち続け、いい加減体も冷えきった頃だった。
表の通りから、何やら人の言い争う声が聞こえてきたのは。
はじめは通行人同士の喧嘩だと思ったが、どうやらそうではない。
片方の声は聞き覚えのある甲高い声。
美貴の親友――といったら、美貴は顔をしかめるが――の石川梨華の声だった。
どうして彼女がこんな時間にこんなところにいるのだろう?
もしかして、彼女もなにか関係しているのだろうか。
そう思い、真里はその場を離れ表玄関のほうに回ろうと歩き出した。
その時――背筋にひやりとしたものを感じて真里は思わず足を止めた。
理屈ではない。勘というよりも気配。
なんと形容したらいいのか分からない。
しかし、背中に水をぶっかけられたような冷たい感覚が止まらなかった。
気のせいだと思うにしてはあまりにもリアルな感覚。
足が凍りついてしまったかのように動かなくなる。真里は恐々振り返った。
街灯が、まだ暗い道端に光の輪を作っている。
二つ向こうの明かりがちかちかと点滅して、光がそこだけ動いていて。
そこには勿論誰もいない。人影も、気配も。
- 333 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/12(月) 23:17
-
「・・・はぁ」
真里は詰めていた息を吐き出す。
なにもなかったことにほっとして胸を撫で下ろし、それ以上拘ろうとはせずに
彼女は今度こそその場から駆け出した。
しかし、彼女は知らない。
真里が走り去り、角の向こうに消えたその直後、点滅する街灯の真下の光が揺れたことを。
不安定に明滅を繰り返す白色の中で、陽炎のように揺らめくその光は――奇妙な形をしていた。
- 334 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/13(火) 08:09
- きになるぅ!もうドキドキで!待ってます!
- 335 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/13(火) 22:59
-
◇ ◇ ◇
梨華に電話をかけてからどれくらい経った頃だろうか。
美貴は連絡を待っていた。相手は――なつみ。
勿論、彼女の言葉を頭から信じたわけではない。
映画のように自分の身に避け難い危険が迫っていて、
彼女がその危険から自分を守るためにやってきた、など、とてもじゃないが信じられるわけがなかった。
けれども、正直なところどちらでもいい、と思っていたのだ。
無論、これは本当に自分が死ぬほどの危険な目にあっても、いいという意味ではない。
なつみが嘘をついていようと、ただの冗談だろうと、
あるいはそれからもう一歩進んで本気でそう信じこんでいる多少頭のおかしなひとだったとしても。
なんにせよ、今日一日、彼女に付き合うことを拒まないほどには美貴は
なつみのことを信用することにしたのだ。
信じてしまった以上は、嘘でも本気でも、どちらでもいい。
そういう意味での『どちらでもいい』である。
- 336 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/13(火) 23:00
-
死ぬ、ということがどういうことか、美貴はふと考えてみる。
死――
時折考えてみることがあるとしても、それは自分にとって随分遠い話だった。
美貴は、実際に病気があるわけではないし、生まれてこの方入院すらしたことがない。
嫌なことが積み重なったときなどに「もし今死んだら…」などと
空想することは誰でも経験のあることだろうが、それはやはり実感を伴った現実の死ではない。
むしろ物語の中にあるような、遠い世界のものだった。
それは美貴が今まで本当に幸せに生きてこられたという証明だ。
病気も怪我もせず、事故にも遭わず、本気で死を思うこともなく――
そんな自分に対して『今日、あなたは死ぬかもしれないから守る』と言われても、
まるっきりピンと来ないのも仕方がないことだろう。
空想の、物語の中での死のノリでとしか美貴には捉えようがなかった。
- 337 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/13(火) 23:02
-
ただ、今日一体自分の身に何が起こるというのか。半信半疑とは言え、興味もある。
あの映画では、主人公は火事で死ぬことになっていた。
それがわかっていたから火の周り避けるのだ。
けれど、物語の最後で主人公は水難に巻き込まれる。
火が水に変わっただけで。死が定められた人間は、必ず死ぬのだ。
それは変えることができない運命であり何者にも干渉することができない。
確かそういう理屈だったと、ぼんやり思いだす。
それでも結局、物語は物語だから最後の最後助けに来た少年に彼女は守られ死を免れるのだ。
なんにしても、映画の話だ。
まさか自分の身にそのような事故が迫り来るなんてありえない。
だが、もし、現実的になにかあるとしたら交通事故に巻き込まれるとか
そういう感じになるのだろうか。それだったらなつみはどうするつもりなんだろう。
車と人間。
守りようがないような気がする。
これもまたドラマみたいに自分を突き飛ばして彼女が代わりに、なんてことをするつもりだろうか。
それは絶対に嫌だけど。
いっそのこと今日一日家にいたほうが安全じゃないかという気にもなってくる。
そんなことをあれこれ考えているうちに、時計の針は四時を大きく回っていた。
- 338 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/13(火) 23:04
-
四時二十五分。
確かこの時計は二分か三分ほど進んでいたから、実際はもう少し前だろう。
ふと窓の外からなにか人の声が聞こえた気がして美貴は少しカーテンを開け隙間から通りを窺う。
人影が見えた。美貴の部屋は二階、庭木に視界をさえぎられはっきりとは見えないが、
通りに数人の人影。そして、聞こえてくる声は特徴のあるあの声。
先ほど、美貴が電話をかけた石川梨華だ。
なんでこんなとこに?
そう思い――ここで美貴は自らの失敗を悟る。
考えてみれば、あの梨華があんな電話を受けて黙っているはずがない。
折り返しかけてくるくらいは予想がついたから携帯の電源は切っておいたが、
彼女の性格を考えれば家に押しかけてくることくらい予想の範疇だったはずだ。
うっかりしていた。なにせ、相手はあの梨華なのである。
彼女とあまり親しくない人間は彼女の事をか弱い守られるべき女の子としか
見ていないのだろうが、ああ見えて彼女の肝っ玉は相当なものだ。
それに加えて相当のお節介。
無論、気が合わない他人に世話を焼くほどのお人好しではないが、
頼られたり親しかったりすれば放っては置けないという義侠心が彼女にはある。
ウザイと口では言いながらもそういうところが気に入っていた。
だが、今回ばかりは裏目に出たようだ。
黙っていたほうがよかったらしい。
せいぜい明日にでも、『あれはじょーだん』の一言で済ませておけばいいと考えていたのに――
今更気づいても後の祭りではあるが。
- 339 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/13(火) 23:05
-
「…まいったなぁ」
話の内容は聞こえない。誰と言い争っているのかも分からない。
どうしたものか、カーテンを引いて美貴が考え込んでいたそのとき――
コンコン、と甲高い音が、響いた。今、カーテンを閉めたその窓から。
ガラスをノックしたような、いや、まさにそのとおりの音。
時間帯が時間帯である。
咄嗟に美貴は警戒して後ずさったが、その後、窓の向こうから聞こえてきた声は、
彼女が待っていた人物のものだった。
『準備、できてる?』
「…なっちさん?」
美貴は慌てて、カーテンを開いた。
見ると、窓の向こう、屋根の上に立っていたのは紛れもなくなつみである。
まさかこういう現れ方をするとは思っていなかったため、美貴は少しの間呆気に取られた。
- 340 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/13(火) 23:06
-
『行こっ』
「…なんでそんなとこから。っていうか、どっから出てきたんですか」
『だって、玄関から入るわけに行かないっしょ。
外から大声でみーきちゃん遊ぼーって時間帯でもないし……
ね、それより外にいるのって知り合い?』
「だと思うけど……で、美貴はこれからどうしたらいいんですか?」
美貴は、音を立てないように気を付けながら窓をゆっくり開ける。
「とりあえず、正面から出ていったら外の人とかち合っちゃうっしょ。
だから、裏口からこっそり出てきて」
「こっそり?」
「家族に見つかると説明が厄介でしょ。
美貴ちゃんが、家族の人に納得いく説明できる自信あるなら堂々と出てきてもいいけど」
「…ないですよ。ていうか、美貴自身よく分かってないのに説明できるわけないし」
「あやふやな話でごめんね。でも、危ないのは確かに今日だから仕方ないんだべ」
「あの、今日一日家にいるってわけにはいかないんですか?
下手に出歩くより安全な気がするんだけど」
理屈では、そうだろう。
しかし、なつみは首を横に振る。
- 341 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/13(火) 23:07
-
「確かに美貴ちゃんがそう思っても不思議はないんだけど…
それだと、すぐ捕まっちゃうべ」
「…捕まるって?」
「美貴ちゃんを捕まえようとしてるものに。
今日一日で…美貴ちゃんを終わらせようとしてる怪物に」
その言い方に、美貴は背筋に寒いものを感じた。
まさかとは思っていても、口に出して言われるとどこか不気味だ。
「…だったら、今だって危ないんじゃないですか?」
「まだ大丈夫。ここにはまだ来てないから。
危なくなるのはきっと午後すぎてからだと思う。
時間が経つにつれてどんどん危なくなってくるはずだから。でも、早く出発しないと捕まっちゃう」
「やだ、やめてくださいよ、そういうの」
脅かしているのか。美貴は笑って誤魔化そうとする。
しかし、美貴を見つめるなつみの表情は完全に本気だった。
その表情を見ていると、美貴はつい信じかけてしまうのだ。
今まで半信半疑、というよりも半分以上疑っていた彼女の言葉を。
少しずつ捕われていく自分を感じる。まさかと思いながらも何かが怖くなってくる。
- 342 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/13(火) 23:09
-
「それから…」
言いかけ、なつみはその先の台詞を口の中で呟いた。
「え?何ですか?」
「あ…ううん、なんでもない。とにかく、裏口から出てきて。
なっちもすぐ降りるから」
「はいはい、りょーかい。こーなったらとことん付き合いますよ」
美貴は挨拶とも敬礼ともつかない角度で片手を挙げてみせ、窓とカーテンを閉める。
彼女には、なつみの言葉は聞こえなかった。
もしかしたら、喋った本人であるなつみの耳にすら届かなかったかもしれない。
それ程にそれは小さな呟きだったのだ。
それから――
なっちがここにこうしていられるのも、多分、あとほんの少しだから…
- 343 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/15(木) 19:07
- 気になるよお(T_T)
- 344 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/15(木) 23:16
-
◇ ◇ ◇
(午前9時25分)
「…講義さぼるのははじめて」
梨華は思いも寄らないことの成り行きに、ついため息交じりにそうこぼす。
それを聞きつけたのか圭織が驚いた顔をした。
「超真面目だね」
「性格です」
からかうような言葉を軽くいなし、梨華はぱさついた照り焼きバーガーを口に運んだ。
あの後、希美と話している梨華の声を聞きつけて駆けつけてきた人物――
矢口真里を追いかけて、この飯田圭織も結局梨華の前に姿を見せた。
事情はいまいちわからなかったが、どうやら皆一様に美貴を見張っていたようだ。
安倍なつみ、という人物が彼女を迎えに来る、それを止めるために。
- 345 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/15(木) 23:17
-
しかし、真里が梨華の声を聞きつけ思わず駆けつけた。
結果から言って、これがまずかったのだ。
彼女が裏口に戻ったときには、裏口近くの自転車置き場から自転車が消えていて
何者かが通った気配があった。要するに――まんまと2人に逃げられたのだ。
レンタカーで来ていた圭織が、慌てて辺り一帯を走りまわってみても
二人の姿を見つけることはできなかった。
それからは、大変だった。手がかりが何一つない捜索。
手分けをして手当たり次第に街中を探し回るしか方法がなくなったのだ。
その組み合わせはこうだ。
希美と『美貴』――
梨華は、いまだに信じがたいのだがいるらしい。そういうものが――。
これは『美貴』本人の記憶をあてに探そうという組み合わせ。
圭織と梨華。
これは美貴の行く先に詳しいだろう梨華と足のある圭織の組み合わせ。
そして、真里。
この中で唯一、なつみと関わりのある人物。
- 346 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/15(木) 23:18
-
探し始めて数時間、しかし収穫なしのまま九時を回る。
時間は惜しいが、今日一日飲まず食わずというわけにもいかない。
そんなわけで、二人は通りのファーストフード店で少し遅めの朝食を取っていた。
かなり大雑把な説明だけしか聞いていない梨華にとっては詳しい話を聞けるいい機会でもある。
「で、結局その安倍さんって人が美貴ちゃんのお姉さんで、
美貴ちゃんを地獄とか天国とかそういうとこに引っ張っていこうとしてるってことですか?」
なんとも信じがたい話だ。ほとんどオカルト映画の世界。
一笑にふしてもおかしくはない。
けれども――梨華はなにも支えになるようなものがないのに宙に浮かび上がった
希美のニット帽を思い出す。目の前であんな怪奇現象を見せ付けられてしまえば
信じるより他ないだろう。それでもまだピンとこないのだが。
「ま、そういうことだね」
「でも…それだとなんかおかしくないですか。
変なことが沢山あるような気がするんですけど」
大体のことは把握して、そこから浮かび上がってくる疑問。
アイスティーの氷をストローの先でつつきながら、梨華は考え込む。
- 347 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/15(木) 23:19
-
「やっぱり?…カオも、自分で言い出しといてなんだけど、
ちょっと色々ひっかかってたりする」
「引っかかってるなら、もう少し考えてくださいよ」
この性格。本人に悪気はないのだろう。
考え込んでいて言い回しにまで気が回らないだけで。
しかし、彼女という人間を知らないものからするとカチンときても仕方がない。
案の定、圭織の口元がひきつる。
「安倍さんのことなら美貴ちゃんから電話で聞いたことがあるんです。
かなり懐いてるみたいでしたよ。多分、その日初めて会ったはずなのに。
ここで、第1の疑問なんですけど、安倍さんが美貴ちゃんを憑り殺すつもりなら
いくら美貴ちゃんでも気付くと思うんですよ。勘の鋭さは動物並ですからね。
それに、辻さんと一緒にいる……その、幽霊のほうの話だと、
安倍さんは美貴ちゃんのことを『守る』って言ったんですよね。
矢口さんの話もちょっと聞いただけですけど、安倍さんがそういうことするような人には思えないんです」
- 348 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/15(木) 23:20
-
『美貴』――紛らわしいが、希美と行動を共にしている、未来の『美貴』。
彼女の記憶は、24日に起こった事のあたりまでは蘇りつつある。
その彼女の話によると、25日に何かあるから自分が守る、となつみに言われ、
25日はずっと一緒にいる約束を交わしたという。
「本気で殺すつもりならそんなこと言うでしょうか。
きっと黙ってた方が、美貴ちゃんも警戒しないから楽だろうし」
「確かにそうだけど…それは矛盾って程の矛盾でもないんじゃない。
犯行予告みたいなものでさ、単に黙ってられなかったとか」
「そうかもしれませんけど……まぁ、確かに辻褄から考えれば
美貴ちゃんを殺すのは安倍さんなんだと思います。
自分が死んでしまった歳を美貴ちゃんが追い越す前日。
同い年のまま連れていく。筋は通ってます。でも、何か引っかかるんですよね」
梨華は眉間に皺を寄せて考え込む。
自分がなにに引っかかっているのかいまいちわからない。
とりあえず、それは置いておくことにして次の疑問にうつることにした。
- 349 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/15(木) 23:23
-
「あともう一つ、これは純粋な疑問なんですけど。
美貴ちゃんが言うには、安倍さんは映画の中の台詞の
どれか一つが大事だから覚えていてって言ってたんですよね?
もしかしたら、美貴ちゃんが辻さんと会った時にその映画を見てたのは、
そのことが無意識に気にかかってたのかも」
希美が幽霊の『美貴』と出会ったのは、映画館だった。
二人はその映画を見ていて会ったのだ。
「その時点で、彼女の言葉を思い出してなくても。
映画を見なきゃ、ってことだけ覚えてて。で、その映画に何があるのかなぁって」
梨華は、その映画がどんなものなのかあまり知らない。
結構いい話だと人伝に聞いたことがあるが、
好みのジャンルではなかったため見ようとは思わなかった。
映像もTVCMで流れる一部分を見たぐらいだ。
- 350 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/15(木) 23:24
-
「その映画なら知ってる」
「見に行ったんですか?」
聞くと圭織は首をふった。
「原作を読んだの。映画の原作とかノベライズって結構出版されてるでしょ。
別に趣味じゃなかったんだけど、バイトの休憩中に暇だったからつい手に取っちゃったの。
けど、意外によかったから新聞の映画紹介も読んじゃった」
「へぇ…」
「なんか実写化する時に原作の一部をカットして映像栄えするようにしたんだって。
それなのに、カットした部分に通じる台詞を映画に残したから全体にまとまりがつかなくなったらしいよ。
なにごとも中途半端はよくないね」
「どういう台詞なんですか?」
- 351 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/15(木) 23:25
-
「ニーチェだったっけ?怪物と闘うものは、自分も怪物になることがないように気をつけろ。
深淵をのぞきこむとき、その深淵もこちらを見つめている。とかいう感じの」
圭織が言うと、アイスティーをかき混ぜていた梨華の手が止まった。
圭織は訝しげに梨華を見つめる。
「どうかしたの?」
「・・・それってどういう部分に通じる台詞なんですか?」
梨華は顔を上げると勢いこんで訪ねる。
「どういう…って」
「気になるんです…さっきからずっと。
なにか、私たち根本的なことを見落としてるんじゃないかってそんな気がして」
安倍なつみは、美貴を守るといった。
迫りくる死から。
それは、美貴にとって恐怖であり――言い換えれば怪物だ。
じゃぁ――
怪物の正体はいったいなんなのだろう?
- 352 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/16(金) 08:05
- あぁーいいとこで!更新乙です!先が読めない、読めないよー
- 353 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/16(金) 23:22
-
「……たしか、地上に向かおうとする少年に魔法使いが声をかけたんだったっけ。
映画だとそのシーンはカットされてうやむやになってるんだけど、
原作でヒロインを殺そうとする運命ってのが本当は…」
そこまで口にして。
圭織の顔色が変わった。彼女は決して鈍くない。
気づいてしまったのだ。
- 354 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/16(金) 23:22
-
「本当は、何ですか?」
- 355 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/16(金) 23:24
-
――店内には、遅い朝食を取ろうという客たちがまばらにかけている。
かかっている音楽は有線のものだろう。聞き覚えのある曲。
ささやかな喧騒。そして。
「…それって」
梨華は、ストローから手を離す。
「そういう、結末だったんですね」
それ以上、いうべきことはない。
顔を見ていれば互いが悟ったものが同じであることは目に見えた。
死から美貴を守ると言ったなつみ。
それとも、妹を連れていこうとする早逝した姉。
本当の彼女の姿はどちらなのか。
梨華が引っかかっていたのはこれだったのだ。
- 356 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/16(金) 23:24
-
一人の少女を守ろうとして海からきた守護者の少年、
少女を殺そうとしていた運命の正体。
深淵。怪物。
覗きこめば自分も怪物になる、その本当の意味。
過去に戻ってきた美貴の心。
- 357 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/16(金) 23:26
-
「安倍さんは…自分で気付いているんでしょうか」
声が、震えた。
感じていた違和感が消え、しっかりとした筋道が通ってしまった。
それを望んでいたはずなのに分かってしまうととてつもなく怖い。
「気付いてたら…今日、美貴を連れ出して傍にいるわけがないよ、ね。
もしかして、気付いて…ないの?」
圭織の声も心なし震えているような気がした。
気づいていないのかもしれない。けれど、もし気付いていてそれでも一緒にいるのだとしたら――
その可能性も高いのだ。何故なら、彼女は美貴に映画の中の台詞が大事だと言ったのだ。
それは、薄々自分の『正体』に感付いているということではないのだろうか?
気付いていて、それでも美貴と一緒にいるのだとしたら――
真里から聞いていたなつみの優しさも、人懐っこい性格も、
全てがどこまでが本当でどこまでが嘘なのか分からなくなってしまう。
- 358 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/16(金) 23:28
-
いや、嘘の方がまだましだ。
なつみが、あえて美貴も、真里も、騙していたというのならばまだ。
しかし、本当だったなら?
自分の正体を理解していながら、その上で美貴と共にいて。
さらにその優しさの全てが本当だったなら。
守ろうとする気持ちさえも本当だったなら。
それは、恐らく正気の人間のすることではないだろう。
「早く見つけないと!」
梨華は、慌てて席を立つ。
まだ食べかけだが、のんびりこんな場所で食べている暇はない。
ハンバーガーの残り五分の一ほどを無理矢理口にくわえ、
包みをくずかごに放りこむと梨華は呼び止める圭織の声も無視して店の外に飛び出した。
- 359 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/16(金) 23:28
-
怪物と闘うものは――
そう、きっと『彼女』は闘っていたのだろう。
一人、孤独に。『怪物』と。
でも、違う。
この言葉は間違っている。
怪物と闘えるものは――
きっとそれもまた怪物でしかないのだ。
それ以外の何者が、怪物と闘えるというのだろう。
そう――
彼女は、はじめから『怪物』だったのだ。
- 360 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/16(金) 23:29
-
* *
- 361 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/16(金) 23:29
-
映画の終わりは美しい物語。
ヒロインを死の運命から守り抜いた少年は力を使い果たして海に帰っていく。
けれど、ヒロインに忍び寄っていた運命の正体がなんなのか、そのことは結局言及されず、
何となくそれは彼女に定められた『寿命』のようなものだったのだと、観客は納得する。
少なくとも、映画しか知らない観客は。
しかし、原作に書かれていた、彼女の死の運命の本当の理由。
それは、意志だった。
彼女と共にありたいと、海底で強く願ったものがいたから。
それは――
言うまでもなく主人公の少年だ。
- 362 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/16(金) 23:31
-
彼は少女を助けたいと思う反面、こんなことも思ってしまったのだ。
もしも、少女がこちら側に来てくれたら?と。
それはとてもずるい考えなのかもしれないが――
少年と少女のすんでいる世界はあまりにも違っているから。
もし、少女を助けたら、彼女はそのまま大人になって誰かと恋をして幸せな家庭を築くことだろう。
少年は、その様を変わらずただ見守るしか出来ない。一生、触れることも話すことも出来ない。
今まではそれでいいと思っていたはずなのに、少女がこちらに来るかもしれないと考えると――
それは、少年にとってとても甘美な誘惑だった。
少女を守った少年。
けれど、少女を殺そうとしたのも、また彼だったのだ。
怪物にならないように気をつけるんだね、と忠告した魔法使いは
そのことを知っていたから――だから、その言葉を彼に言ったのだ。
- 363 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/16(金) 23:31
-
この物語はつまり
ひとがひとを想う時には二つの相反する力が存在する。
ひとを幸せにできる力と悲しみを呼ぶ力。優しさと残酷さは同じ所にある。
――そういう物語だったのだ。
- 364 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/16(金) 23:31
-
* *
- 365 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/17(土) 00:51
- すごい・・すごいよ!まさかまさかの・・
- 366 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/17(土) 23:34
-
◇ ◇ ◇
(午前11時20分)
これからしなければいけないことは一つ、美貴を見つけ出してなつみから引き離す。
それだけ。そうして今日を乗り切って明日がくればきっと何もかもが上手くいくことになる。
けれど、希美には一つだけどうしても気になっていることがあった。
『なにぼーっとしてんの?』
『美貴』の声に、ふと希美は我に返る。
「なんでもないよ」
彼女は小声で返す。
道の真ん中で、誰もいない空間に向かって話しかけていてはまるきり変な人だ。
こちらの『美貴』と行動を共にするようになってから、
希美はそのことで随分心外な目にもあってきた。
- 367 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/17(土) 23:35
-
「それより、何か思い出さない?どこに行ったとか、何をしたとか…」
『思い出そうとしてるんだけどねぇ』
『美貴』が嘆息交じりに言う。
「ダメかぁ。とりあえず、頑張ろうね」
全く、人を一人探すということは随分と大変ものだ。
これが自分だったら簡単にわかるはずなのに、希美は思う。
それ程行動半径が広くないから、大体三つくらいのよく行く店や公園を回れば
きっと見つけることができるだろう。しかし、探しているのは自分ではなく美貴だ。
そして、彼女は毎日のようにあちこち出歩いて、
行動半径がほとんど街中全てというから見つけようにも骨が折れる。
それでも、美貴一人ならどうにかなったのかもしれない。
だが、今日の場合はなつみが一緒だ。
美貴の行動半径に彼女の行動半径がプラスされる。
彼女の唯一の知り合いの矢口真里もそれがどのあたりなのか実は把握していないらしい。
- 368 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/17(土) 23:36
-
『よく写真持って聞きこみとか言うけどさぁ、探偵って考えてみたら凄いよね』
「頼めば良かったね」
『…なんて言って?』
「さぁ」
『駄目じゃん』
『美貴』と会ってから、数日が経つ。
その間ずっとつかず離れずしているうちに、次第に気心が知れてきた。
はじめは――幽霊だと言うこともあったしその上にこの破天荒な性格――
どうにもやりにくい相手だったのだが、いつのまにか彼女が隣にいることが
希美の中では自然になりつつある。だから、なおさら気になってきたのだ。
今日一日を乗り切ったあとの彼女がどうなってしまうのか。
- 369 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/17(土) 23:38
-
今日一日を乗り切る。
それは大仰に言ってしまえば、彼女を取り巻いていた運命が変わったということに他ならない。
つまり、藤本美貴が死ぬという未来がなくなるのだ。
その時、実際に死んで未来から下りて来たこの『美貴』はどうなるのか。
希望的な観測を言えば、美貴は美貴なのだから、例えば一人に戻って生きていく。
だとしたら、すべて丸く収まる。
けれども、もう一つの可能性。
『またぼーっとしてる。飯田さんみたいだよ』
『美貴』が希美の頭を小突く仕草をする。
不思議なことに、彼女はノートや鉛筆と言ったものに触ることは出来るのだが、
人間に触れることは出来ない。何故かは分からないけれども、
触れようとしてもすりぬけてしまうらしいのだ。
「ちゃんと探してるからいいでしょ」
道行く人達、それから、ウィンドウの中に見える人達。
まだこの街にいるのだろうか、それすら怪しい。
自転車で出ていったのだから、今ごろどこか別の街に行ってしまっているかもしれない。
- 370 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/17(土) 23:40
-
『あのさぁ』
「ん?まだなんかあるの?」
『うん。一個だけ言っておきたいことがあったりする』
『美貴』は、ここで何故か口ごもる。
言いにくいというよりは、どこか照れているようでもあった。
「なに?」
『いや、なんかありがとーみたいな。色々、巻きこんじゃったからさ』
「……まだ早いよ、これからじゃん」
『まぁ、そうなんだけどね。辻ちゃんが美貴を見ることできる人だったってのはラッキーだったよ。
なんていうか妹ができたみたいな感じだったし。結構、こういう状況だったけど楽しかった』
普段はどうだか知らないが、今の状況なら手間がかかる妹のようだったのは彼女のほうだ。
そう思ったが、けれども希美は大人しく頷く。
- 371 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/17(土) 23:40
-
『全部終わったらさぁ、このこと覚えてるのかな、美貴って』
言われて、希美はどきりとする。
そう。
もう一つの可能性。
いなく、なる?
ふたりは、いらないから。
一つの世界に、ふたりの同じ人間なんていらないから。
だから、彼女がいなくなる。
今生きているほうの美貴を救ったところで、
ここに――希美の隣にいる彼女を本当に救えるかは分からないのだ。
- 372 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/17(土) 23:42
-
「覚えてるよ。っていうか、忘れられたら美貴ちゃんを助けてきた
心優しいのんが報われないじゃん。忘れちゃってたら無理やり思い出させてやるから」
冗談めかしてそう言いながら、希美は考えないようにしていた。
その悪い可能性を。
悪いことを考えてはいけない。それは悪いことを呼んでしまうから。
そう思って頑張ったのに、次の『美貴』の言葉に希美は凍りつく。
『そのとき美貴がいたらだけどね』
「…な、なにいってんの」
『ずーっと考えてたんだ、こう見えてもね。
もしも安倍さんがお姉ちゃんで美貴を連れにきたなら……ほら、美貴はもう死んじゃってるわけじゃん。
だから、ひょっとしたら美貴が安倍さんと一緒に行って、今生きてるほうの美貴が残ったら全部上手く行くのかなって』
「違うよ!」
思わず怒鳴ってしまってから希美は慌てて口を噤む。
道行く人達が、何事かと彼女を見ている。しかし、恥ずかしがっていたのはこの一瞬だけだった。
どう思われようと構うものか。
- 373 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/17(土) 23:43
-
「悪いこと考えたら、悪いことが来るんだって。かおりんが言ってた。
だから、いいこと、考えよう?そんな風になったら、のんは悲しいもん」
『美貴』は僅かに驚いたような顔をして、それから笑った。
『そっか。分かった。じゃぁ、いいことでも考えますか。
辻ちゃんがさくっと美貴たち発見とか』
あっさりとさっきまでの雰囲気を変えてへらへら言う『美貴』。
無頓着。
悪い言葉で言うなら――彼女にはその言葉があっている。
はじめて『美貴』と出会ってから希美はずっと感じていた。
おかしいなと思いつづけていた。
もし自分が彼女の立場にあったとすれば、もっとずっと、足掻くと思う。
死んでしまった人間は、生きたいと願うものではないのだろうか。
それなのに『美貴』は、どこか自分の生き死にを他人事のように見ている。
自分のことには然程執着せず。
自分の生き死によりも、むしろ安倍なつみの正体やそちらのほうに興味があるかのようだった。
- 374 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/17(土) 23:43
-
彼女がそんな調子なので、まるで他人である希美たちの方が
躍起になっているだけのような気がする。
希美は、その言葉を知らないが、今彼女がうすうす感じている考えを表す言葉が一つある。
『不可逆』
元には戻らないということ。
何をしても、元の状態には戻れないことがある。
死者は死へ。
- 375 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/17(土) 23:44
-
今生きている美貴を救ったとしても、既に終わっている方の彼女は?
ひょっとしたら、なにをしてもとりかえしがつかないのではないだろうか。
希美は乱暴に首を振り浮かんできた悪い考えを頭から追い出す。
こんなことを考えてる場合じゃない。
それに、考えたってどうなるものでもない。今はともかく探さないと。
そう思って顔を上げたその時――彼女は視界の片隅に見なれた後姿を見た気がした。
通りの向こう側、二人連れで歩いている。先ほど、『美貴』が言ったその通り。
「美貴ちゃん!!」
希美は駆け出した。
- 376 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/18(日) 20:23
- どうなっちゃうんだろ・・・・
- 377 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/19(月) 11:57
-
◇ ◇ ◇
「あの…どこに行くんですか?」
平日の昼間、しかも昼食時。
バスはがらがらにすいていて、二人の他には主婦らしい女性が二人、
初老の男性が一人。乗客はそれだけだった。
「どこって…とりあえず逃げられるところ」
「逃げるって言われてもなー」
やはり今一つぴんと来ない。
「えーと…なっちさんには分かるんですか?
その・・・何が危ないとか、どっちに行っちゃいけないとかそういうの」
「大体はね」
「どうやって?」
「それは、ま、企業秘密だべ」
適当にはぐらかしてウインクするなつみ。
- 378 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/19(月) 12:01
-
「でも、このバスもずっと乗ってたらまずいかな。
事故ったりするかもしれないし」
その台詞に、近くにいた女性がぎょっとして顔を上げる。
美貴もぎょっとした。言葉の内容によって声の大きさぐらい変えて欲しいものだ。
運転手から遠かったのが幸いである。
「じゃ、午前中ずーっと動き回ってたのも、そういうのを避けてたってことなんですか?」
「うん、一応」
真顔で頷くなつみに美貴は軽い頭痛を覚えてこめかみを抑える。
「・・・今さらといえば今さらなんですけど…正気ですよね?」
「正気だよ、当たり前っしょ」
やはり彼女は真顔で言う。こっちは思わず苦笑いになってしまう。
大体、半分の割合で彼女のことを信用して、
半分の割合で頭のおかしい人だと思っているわけだが、
こういう台詞を聞くと後者の可能性が高く感じられてしまう。
美貴がそう思っていることにうすうす感づいたのかなつみが口をたこのように尖らせた。
- 379 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/19(月) 12:03
-
「全然、根拠がないわけじゃないべ。辺り見てて。
『魔法使い』が出てきたら場所、変えるようにしてるんだから…」
「…魔法使いって?」
美貴は眉をひそめる。
「ずっといるの。影みたいな感じでね。
それが危ないって言うから、なっちたちは逃げてんのさ。
美貴ちゃんの家から離れた時には電柱の辺りにいたんだよ。
……でも、ひょっとしたらそれがやばいやつなのかもしんない。
そもそも美貴ちゃんが危ないって聞いたのも魔法使いからだし…
もしかしたら、死神なのかもね」
言葉だけを聞いていれば、危ないのはむしろ彼女である。
美貴はただ呆れて苦笑いするしかない。
- 380 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/19(月) 12:04
-
「どうしてそんなのが見えるんですか、なっちさんは」
「そりゃ、なっちがもう少ししたら死ぬからじゃないの」
さらりと返されたその台詞に美貴は言葉を失う。
その様子に、なつみは慌てて表情を変えて見せた。
「冗談だべ」
「…ですよね。なんか今冗談に聞こえませんでしたよ」
美貴は、引き攣った笑みで返す。
この間、貧血を起こしたのも合間って、今のは本当にどきりとした。
「あ!…見て。今、窓の外にいるべ。次で降りなきゃ」
彼女の声が聞こえる範囲にいた先ほどの女性と初老の男性が
思いきり不審な顔をして窓の外を見やり、それからこちらを振り返る。
無理もないと思う。美貴は、半信半疑で窓の外を見る。
- 381 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/19(月) 12:05
-
「誰もいませんよ」
「いるって」
彼女は断言する。
その目の光は美貴には――妙な言いかただが――完全に正気に見えた。
窓の外を見つめ、表情を厳しくして。
美貴は、もう一度窓の外を見やる。
窓ガラスの向こう、街並みにも景色にもおかしいところは何もない。
少なくとも、美貴には何もないように見えた。
ごく普通の街並み、風景、窓ガラス。
昼間だからそれ程はっきりとではないが、光を反射してなつみの顔も薄く映っていた。
「…?」
そのとき、何故そんなことを思ったかは分からない。
けれども美貴はふと思ったのだ。
――なつみは、まるでガラスに映った自分の顔を睨みつけているようだと。
- 382 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/19(月) 12:07
-
◇ ◇ ◇
(午前11時45分)
希美は呆然と走り去ってしまったバスを見送る。
まさかバスに乗って逃げられるとは思っていなかった。
向こうには逃げているという意識などないのだろうけど、
追っているこちらからすると一足違いでバスに乗り込まれ、
行き先が分からなくなってしまった以上逃げられたも同然である。
「…どうしよう、どうやって追いかけたらいいと思う?」
それでも希美は滅入ることもなく次の手を考える。
この数日で彼女も随分と打たれ強くなった。
- 383 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/19(月) 12:08
-
『どうしようって……どうしようもないよねぇ』
「自分のことでしょ。少しは考えなよ」
『美貴』の暢気な声に希美は憤慨した。
もう人目など気にしていない。
『とりあえず飯田さんに電話したらいいんじゃない』
「あ、そっか」
希美はポケットから携帯を取り出す。
圭織たちは車だしバスの路線なら分かっている。
少なくとも自分たちが追いかけるよりは早い。
ともかく、美貴たちがまだこの街にいることが分かった。
そして、まだ美貴が無事でいることが分かった。
何とかして見つけ出さなければならない。
- 384 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/20(火) 21:47
-
◇ ◇ ◇
(午後12時30分)
車の流れがスムーズなのは幸いだ。
時間帯によってはこのあたりは渋滞してしまい、身動きが取れなくなる。
希美からの電話を受け、二人は希美と『美貴』を拾ってからバスの路線を車で追っていた。
圭織はバックミラーにチラリと視線をやる。
余程、疲れていたのか希美は車に乗るなり眠ってしまった。
希美が寝ると『美貴』がどこにいるのかわからなくなってしまう。
彼女が、一言も発さないので車にいるのかいないのかさえもだ。
「にしても…なんでこうも捕まらないのかなぁ」
ふと、圭織はぼやく。
考えてみれば紙一重の所で逃げられてばかりいる。希美にしてもそうだ。
一足先にバスで逃げられてしまったらしい。
余程こちらの運が悪いのか、それとも――あまり考えたくはないが――
よく言われるところの運命は変えられないということなんだろうか。
- 385 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/20(火) 21:48
-
「…安倍さんが逃がしてるのかも」
助手席で梨華が呟く。
「どういうこと?」
圭織はハンドルを切りながら尋ねる。
確か次の通りでバスの路線に合流できたはずだ。
「本人が自覚してるのかどうかは分からないけど、
無意識に美貴ちゃんを殺そうとしてるんですよ。
もし、私たちと接触されたらすべて台無しになっちゃいますよね」
「でも、安倍さんはカオ達の事は知らないはずでしょ」
言うと梨華は思い出すように僅かに眉を寄せ
「21日だったかなぁ。辻さんが私たちの大学に来たんですよ。
私に美貴ちゃんが死んだのは何時なのか聞きに。
その時に美貴ちゃんとも会ってるし。もし、それを美貴ちゃんが安倍さんにしゃべってたら…
彼女が辻さんのことを『敵』になるって薄々悟ってもおかしくないと思いますよ」
頼りなく見えるが、かなりしっかりしている。
圭織は、横目で梨華をみやりそんな事を思う。
- 386 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/20(火) 21:50
-
「ここからは本当にただの推論なんですけど」
梨華はそう前置きして言葉を続けた。
「安倍さん、意識の上では美貴ちゃんを守ろうとして、無意識に殺そうとして、
っていうのが私達の仮説の一つですよね。
意識の上では、美貴ちゃんを死から逃がそうとして連れまわしているつもりでも…
無意識では安全に美貴ちゃんを殺せるように移動してる。
つまり、『敵』――私たちの存在を感じとっていて、ここ数日巧妙に連れまわしてるってことはないでしょうか?」
あるいは――
彼女が逃げ回っているのは、自身から。
美貴に危害を加えようとする自身の影から。
またあるいは、生きている美貴を守ろうとする自分達から。
ひょっとしたらその全てから。
もしそうなら、その錯綜した心の内が梨華にはどこか哀れに思える。
しかし、だからといってこのまま友人を殺させるわけにはいかない。
止めなければならないのだ。
- 387 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/20(火) 21:50
-
「……ないとは言えないけど」
圭織は、口ごもりバッグミラーで後部座席を窺う。
ここまで話を聞いても『美貴』がなにも口を挟んでこないのはおかしい。
先ほど梨華と二人で出した結論を『美貴』ははじめて聞くはずだ。
この会話のはじまりから『美貴』が口を挟まないことをおかしいと思わなければいけなかった。
「美貴?」
圭織の呼びかけに梨華も『美貴』の存在を思い出したのか
顔を後部座席に向ける。少し待っても返事はない。
やはり、いないのだろうか。
とすると、彼女はどこに行ったのか。一人で――
- 388 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/20(火) 21:51
-
「いないんですか?」
姿も声も聞こえない梨華が顔をこちらにむけ尋ねてくる。
「……そうみたいだね。まさか寝てるわけないだろうし」
「なにか思い出したのかな」
「……さぁ」
心なし、自分の顔が強張るのを感じて圭織はアクセルを踏んだ。
――まだ、窓の外にバスは見えない。
- 389 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/20(火) 21:55
-
◇ ◇ ◇
(午後13時20分)
もう午後になってしまった。
『怪物』は、今日中に美貴を連れていこうとしているのだから、
時間が経つに連れて危険は増していくはずだ。
今日一日、美貴を連れて逃げ切らなければいけないという使命。
彼女を連れていこうとする『怪物』を振りきって、無事に。
それが望みであり、こうしてここに下りて来た意味だ。
なつみは、濡れた手でパシッと頬を叩く。
視線を上げれば、鏡があった。
洗面所なのだから当然なのだが、そこには、自分の顔がうつっている。
下りて来た当初はそのことが随分と不思議に思えたが今になってようやく慣れてきた。
慣れてきたと思ったら、もうタイムリミットなのだから上手く行かないものである。小さく嘆息する。
- 390 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/20(火) 21:56
-
『怪物』は今きっと血眼になって自分たちを探しているところだろう。
『怪物』が出てくる頃になるとあの『魔法使い』が姿を現す。
まるで合図を送ってくれているかのように。
しかし、もしかしたらそうではないのかもしれない。
『魔法使い』そのものが『怪物』だという可能性もある。
味方なのか敵なのか――正直、今となってはなつみにはもう分からなくなっていた。
けれど、どちらでもいい。
どちらにせよ、『魔法使い』の存在を目印にして逃げればいいだけだ。
- 391 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/20(火) 21:56
-
「急がなきゃ…」
呟いて、なつみは自分の思考にふと腑に落ちないものを感じた。
……急ぐ?
何を急ぐというのだろう。
しかし、そんな疑問はすぐに吹き飛んでしまう。
険しい顔でなつみは鏡の中を睨んだ。いつのまにか、あの『魔法使い』がうつっていたのだ。
鏡の中からこちらを見返している。
笑っているようにも見える。睨んでいるようにも見える。
しばらくこのあたりで休むことが出来るだろう、と考えていたが、そう簡単にはいかせてくれないようだ。
『魔法使い』がいる。つまり、すぐそこに追ってくるものがある。
だから――逃げるのだ。
下らないことを考えている暇はない。
自分しか、彼女を守れるものはいないのだから。
- 392 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/21(水) 22:38
-
◇ ◇ ◇
(午後15時02分)
「あの…」
美貴は怪訝そうな顔で窓の外の景色を眺める。
「気のせいかもしれないけど、思いっきし街出てませんか?」
「あ、ばれた?ちなみにもう一個、隣の町まで行くかんね」
なつみはいつも通り、脳天気そのものと言った口調でさらりと答える。
ばれたもなにも、道路標識を見ていれば、あるいは辺りの看板を見ていれば大体見当がつく。
美貴は頬杖をつく。
「ついに街を出ての逃亡劇になっちゃいましたね。最後には日本大脱出、外国へ高飛びですか」
「この世からの大脱出、っていうよりはマシだと思うけど」
「……どーしてそーゆーこと言うかなぁ」
美貴は深い溜息をつく。
- 393 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/21(水) 22:39
-
「どうかした?」
「別に…なっちさんが変なこというから」
「違う。それ以外に理由あるっしょ。こっちに来ちゃまずいことが」
なつみが、じっと探るような目を向けた。
鋭い。彼女はいつもぼけているようで肝心なところは見逃してくれないのだ。
適当に誤魔化せばそれ以上追求してはこないだろうということは分かっている。
けれども、美貴は正直に言った。
バスのほかの乗客には聞こえないような小声で。
「もう一個隣って美貴の本当の父親が住んでる街なんですよ」
「…そうなんだ。ごめん」
「いえ、言ってなかったと思うし」
「でも……この街で終わるから、たぶん」
少しの沈黙の後、なつみがぽつりとそう呟く。
その意味を測り兼ね、しかし美貴は問いただすことをしなかった。
終わる、という言葉はこの状況下で聞くと何となく薄気味悪い。
この逃亡劇だか茶番劇だかが終わりになるということなのか。
それとももっと別の意味なのか。どちらともとれるからだ。
そのとき、美貴はふとなつみにあることを聞いてみたくなった。
- 394 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/21(水) 22:40
-
「あの…」
「ん?」
「結局なっちさんって美貴の何なんですか?」
何者なのか、ということは色々考えてみた。
けれども、そのどれも違う、そんな気がする。
なつみは唐突な質問に驚いたような顔をしていたが、すぐに笑ってみせた。
「美貴ちゃんと血の繋がったお姉ちゃんってことじゃなかったっけ」
「ああ、そうでした。そーでしたね」
真面目に聞いたのにまた冗談で交わすのか。
美貴はげんなりと、頭を垂れた。
「どうして真面目にとってくれないかな、美貴ちゃんは」
なつみは、座席の背もたれに全体重をかけるように体を沈ませ横目で美貴を見ながら言う。
「真面目にって…そっちがふざけてるんじゃないですか。
そりゃ、始めにそう言ったの美貴ですけど」
「ホントなんだけどな〜、なっちが美貴ちゃんのお姉さまってのは」
どうあっても彼女はそれで押し通すらしい。
美貴は、うんざりしながらなつみを見て
「…妹にしか見えないし。ていうか、思えないし」
「それ、普通に傷つくよ」
頭に手をやって苦笑するなつみ。
- 395 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/21(水) 22:41
-
「じゃぁ、映画の守護天使ってことにしよ。なっち天使」
「…胡散臭すぎですって」
「本当だべ。嘘だと思うなら証拠見せようか」
「証拠って?」
美貴の問いかけになつみがにこっと笑う。
どこか暗い笑みだった。
「例えば、次の曲がり角を曲がってその次くらいに男の子と女の子が歩いてる。
その子たちが信号無視して右折してきた車とぶつかりそうになる…
でも、車がギリギリで止まってくれるから大丈夫なんだけどね」
そのとき――
美貴はその話を冗談半分で聞いていた。
今までの話の流れから、ただの冗談だと思ったのだ。さして気にもしなかった。
けれども、話のノリで美貴は言った。
- 396 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/21(水) 22:42
-
「じゃぁ、なんか賭けますか?」
「ホントのことだからなっちが勝っちゃうよ」
殆ど本気にせずにそれでも美貴は窓の外を見る。
バスは交差点を右に曲がり、そしてその次の交差点で信号に捕まる。
彼女は、辺りを見まわす。親子連れなんてどこにもない。
「ほら、何もないじゃないですか」
してやったり。勝利宣言する美貴。
しかし、なつみはそれに答えるでもなく、前方の信号を静かに見つめていた。
そのときだった。
本当に幼い2人組みが点滅している信号も構わずに道路を渡ろうと走ってきたのだ。
そして、右側、青信号の通りのオレンジの軽自動車が右折している。
そして――
キィイイイイッ――
交差点に、耳を塞ぎたくなるようなブレーキ音がこだました。
俄かに騒然となる、交差点。
バスの乗客も身を乗り出し、なにごとかと交差点を見下ろしている。
美貴は声もなく、道路を見た。どうやら轢かれるのは免れたらしい。
2人の子供は余程怖かったのか泣き喚いてている。
あの子供たちが信号を無視することは今後二度とないだろう。
- 397 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/21(水) 22:43
-
「…ね」
なつみが美貴のほうを振り返って片目を細めた。
美貴は、あまりのことにしばし何も言えずにいた。
先ほどなつみが口にしたその通りに事故はおきた。偶然ではない。
彼女の言った通りだった。そのことを頭で認識したとき。
美貴は――あることに思い当たり、背筋に冷水でも浴びせられたような、そんな寒気に襲われた。
死だ。
今、美貴ははじめてそれを意識したのだ。
もしも、何もかも彼女の冗談でも茶番でも妄想でもなく、『本当』のことだったとしたら?
今まで、話半分に聞いていたそのことが急に現実味を持って迫ってきた。
彼女が何者なのかは分からない。
ただ人間としては信じられる部類だと思っていた。
だが、その言葉自体も信じられるものならば。
つまり、それは――今日一日のこれは。
- 398 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/21(水) 22:43
-
乗客のざわめきがすっと遠ざかる。
心底、怖いと思った。
この状況と、それから、隣に座っている得体の知れない彼女の事を。
温かく、懐かしく、けれどもその一方でどこか恐ろしい。
けれど――だとしたら尚更、傍にいるべきかもしれない。
今の美貴には、彼女を信じるしかないのだから――。
- 399 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/21(水) 22:45
-
◇ ◇ ◇
(午後15時20分)
「ここか…」
メモを片手に、彼女はその建物を見上げた。間違えるはずもない、
というか、建物にも門構えにもしっかりとその病院の名前が書いてある。
彼女――矢口真里は、その敷地に一歩を踏み入れる。
その病院は真里の、そして美貴や希美達の住んでいる街にはない。
隣街のさらに隣にある大きな大学病院だった。
なつみの母親からこの場所のことを聞いたときはさすがにどうしようか迷った。
もしも自分の見当が外れていたら、無駄足もいいところになるからだ。
そして、この状況下でそんな無駄足を踏んでいる暇などなかった。
今朝、自分のミスで二人を見失ってしまった以上、もうミスは許されない。
真里は、ごくりと唾を飲み込む。
- 400 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/21(水) 22:46
-
――ここで、待つ。
それは勘だった。勘というより他にない。
けれども、なつみが最後に選ぶ場所は彼女が最期を迎えた場所なのではないかと、そんな気がした。
街中の捜索は圭織や梨華、希美に任せておけば問題はないだろう。
だが、もし彼女が街の外に出る可能性があるとすれば
それはやはりここしかないのではないかと。
真里は、他の3人とは違って直になつみを知っている。
もしかしたら、その分冷静な判断が出来なくなっているのかも知れないが、
それでもあの奇妙な同居生活の中で感じていたなつみの温かい性格は
嘘ではないと今でも信じていた。
もしも思いつめて圭織達の言う通り、彼女が自分の妹を連れていこうとしているのだとしても、
そんなことができる性格ではないと思う。きっと何かわけがあるはずだと思う。
そして、なつみを止められることができるとしたら――
思いあがりなのかもしれないが自分しかいないと思った。
自分の力だけでは足りないとは思う。力不足なのは間違いない。
けれども、自分にしか出来ない何かもあるはずだ。
圭織にはさっき携帯で連絡をとっておいたから、真里がここにいることは知っているはずだ。
- 401 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/21(水) 22:46
-
真里はふと、上を見上げる。
空が曇ってきていた。まだ日が落ちるには早いが天気が変わるのだろうか。
何かの影がはためいているのが見える。屋上でシーツか何かを干しているのだろう。
あと数時間で、日が落ちる。
- 402 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/22(木) 22:56
-
◇ ◇ ◇
- 403 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/22(木) 22:57
-
もしも幸運と言うものがあったとするならば、この事件に関わった人間の中に
人並み以上の洞察力を持った人間が一人、行動力のある従姉妹同士、
そして誰よりも当事者である安倍なつみのことを理解している人間が一人、いたことだろう。
石川梨華。辻希美。飯田圭織。矢口真里。
後になって考えると、誰が欠けていてもあのような結末にはならなかったはずだ。
そもそも希美が映画館で『美貴』と出会わなければ
『二周目』の結末は『一周目』となんら変わりがないものになっただろうし、
圭織がいなければ安倍なつみの素性も目的もわからなかったはずだ。
梨華は、大分後になってことの次第を知ったが、彼女の推理が一番真実に近かったのかもしれない。
ただし、真実は全てが終わった後でも結局謎のままなのだけれど。
そして、矢口真里。
彼女こそ、この中でただ一人、美貴よりも安倍なつみのことを考えて行動した人間だった。
彼女がいなかったら、様々な意味で傷が残った人間が少なくとも二人はいたはずになる。
- 404 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/22(木) 22:58
-
時間を逆に辿っていく。
結果から言うと、最後の最後まで二人は四人から逃げきったことになる。
安倍なつみと藤本美貴が、安倍なつみが最期を迎えた街についたとき
矢口真里も同じくその街にいた。だが、その日彼女たちはかちあわなかった。
安倍なつみは、病院を訪れはしなかったのだ。
彼女は、病室の窓から見えた景色を訪ね歩いていたのだからその場所へは現れなかった。
結局、真里は彼女たちを見つけられずに終わる。
一方、真里から少し送れてその街にたどり着いた圭織たち。
しかし、彼女たちもまたその日、なつみと美貴には会えなかった。
二人は彼女たちとは最後の最後になるまで会わなかったのだ。
- 405 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/22(木) 22:59
-
丁度、『一周目』の2月25日と同じように。
二人は最後まで二人っきりのままその時間を終わらせることに成功した。
後でそのことに思い当たり運命は変えられないという
月並みな文句の恐ろしさに寒気がしたのは梨華である。
そして、そのときは来る。
2月25日の終わり。
この奇妙な数日間の事件の全てに、幕が降りるときが――
- 406 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/22(木) 22:59
-
- 407 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/22(木) 23:01
-
◇ ◇ ◇
(午後23時56分)
冷たい風が世界を吹きすぎていく。
風に散らされて霞状の雲の隙間から奇妙に歪んだ月が、まるで傷跡のようにささやかな光を地上に落としていた。
その光に照らし出されたビルの屋上には一人の少女が夜景を眺めるようにして立っている。
そこから見渡せる夜景は、平凡で殊更の感動を与えるものではない。
しかし、少女にとって景色の平凡さなどはさしたる問題ではなかった。
今、こうして景色を眺めることができる、少女にとってはそれがなによりも重要なことだったのだ。
正面に見える大時計の針が既に零時を回っている――
昨日という長い一日が終わったことが。
「…もう大丈夫ですよね」
ふり返らずに少女は呟く。
それが『彼女』に向けた言葉だったのか、
それとも自分自身言葉に出して安心したいだけだったのか、それは言葉を発した本人にも判断がつかなかった。
都会の喧騒から少し離れた場所にあるこの街は死んだように静かで
まるで外の世界から孤立してしまったかのように感じられる。
- 408 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/22(木) 23:02
-
そのビルからは、時計が見えた。
向かいの建物の壁にかかった大時計の針はもうじき零時を回ろうとしている。
自分の腕時計と比べて少し早いような気もしたが、まあそのくらいはどうでもいい。
きっとこっちの時計が遅れているのだろう。彼女はそう思った。
なつみは、やや離れて彼女の様子を見ていた。
そして、静かに一歩を踏み出す。
「今だからぶっちゃけると、美貴、最初なっちさんの言ってること信じてなかったんです。
半信半疑って、結局信用してないってのと同じことですよね。
だから、あの時はちょっとびっくりしたっていうか、かなりびっくりしました。
マジなんじゃんって。今じゃかなり信じてますよ、なっちさんの話……今日は守ってくれてありがとうございます」
視線は手すりの向こうに向けたままで。
背後にいるだろうその人物に向かって彼女は話しつづける。
なつみは無言のまま再び一歩を踏み出した。
- 409 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/22(木) 23:04
-
「でも、なっちさんって変な人ですよね…
今更なんですけど、最初会った時からなんか他人だって感じしなかったんですよ。
もしかして、以前どこかで会ったことあったのかな。
で、美貴はそのこと忘れてるけど、なっちさんは忘れてるって感じじゃないですよね。
忘れてるのは美貴だけで、なっちさんは美貴のことを覚えててなんか隠してる、っていうそんな感じ」
大時計の針が静かに十二時を回る。
その時――
屋上には月明かり以外の照明などないのに、なつみの影が彼女のそれと重なった。
そんな気がした。
「それで…」
彼女は気にせず更に言葉を続けようとした。
その刹那。
不意にビルの屋上を真冬の北風が吹き抜けた。
茶色く染めた髪が掬われて横に流れる。
遥か下の街路樹をさざめかせ、雲が同様に流される。
そして、その風が吹き抜けた時――
そこにはもう誰の姿もなかった。
- 410 名前:サクラ 投稿日:2004/04/24(土) 17:29
- この話すっげぇ〜〜〜〜
マジで超虜になりましたよ
- 411 名前:名無し飼育さん 投稿日:2004/04/24(土) 19:02
-
- 412 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/24(土) 22:29
-
◇ ◇ ◇
暗い暗い深海の底の底。しかし、辺りは真っ赤だった。
彼女を視線を上げる。頭上には、見えるはずのない雲が幾重にも重なり、
連なり、色を変えながらゆっくりと流れていた。全てが赤々と炎のように燃え揺れている。
それはなんという赤だろう。
赤、ワインレッド、クリムゾン、その他ありとあらゆる赤をキャンバスにベタベタに塗りたくって、
その上から白や黄色を流して――捕らえようによっては、黒、青、紫、緑、
その他、この世界にある色と言う色を内包した恐ろしい赤。
それでいて、透き通るように透明な赤だった。
全てを真っ赤に染めて、遠くに広がって。それはどこか彼女の不安をかきたてる。
しかし、一度目にしてしまえば目を離すことすら出来ない鮮烈な赤。
彼女は、たどり着いたその場所の恐ろしく奇妙な空を見上げたまま呆然と立ち尽くす。
それは、最後に見たあの夢と何一つとして、変わってはいなかった。
- 413 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/24(土) 22:30
-
「…そういうことだったんですね」
顔を上げれば、そこには見なれた少女が立っていた。
彼女と向かい合って、目をそらさずに真っ直ぐにこちらを見つめている。
藤本美貴。彼女の妹。
「美貴ちゃん・・・」
「『美貴』、やっぱりあのときなっちさんに突き落とされたんだ」
『美貴』は、笑う。
空の赤色が『美貴』の笑みに不気味な影を落として、
それは痛々しくなるほど哀しげに見えた。
- 414 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/24(土) 22:31
-
「あのあと、あなたは『美貴』を自分がいなくなった時まで引き戻そうとした。
そうじゃないと、一緒には行けないから……やすらかなところに行けないから。
『美貴』はあなたに連れられて一緒に時を遡ってた。だけど、そこから逃げたんですよね。
割と早い段階で変だって気づいてあなたの手を振りきって逃げたんだ」
そして、気がついた時にはあの映画館にいたのだ。
彼女と一緒に見たはずのあの映画を一人でぼんやりと見ていた。
そこで希美と出会った。
『美貴』の時は、わずか数日巻き戻されただけだったらしい。
彼女――なつみはいたたまれずに『美貴』から視線をはずす。
すぐ足元にあの渦があった。
真っ赤な空、水、風で波紋。渦が揺れている。
- 415 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/24(土) 22:32
-
「…深淵」
なつみは、何気なく『魔法使い』の言葉を思い出す。
「それは、なっちさんですよ」
『美貴』が、さらりとそう言ってのけた。
「あなたをそそのかした魔法使いは――」
「…美貴ちゃん?」
- 416 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/24(土) 22:35
-
不思議だった。彼女に『魔法使い』のことを詳しく教えたことはない。
けれど、彼女は明らかにあの夢の中の『魔法使い』のことを知っている。
なつみの動揺とは逆に足元の渦の波紋がおさまる。
そこにはまたあの光景が広がっていた。
渦中に映っているのは、夕焼け空。頭上を回る、雲。赤色。
あのとき、『魔法使い』はなんと言っただろう。
この渦の中に全ての答えがある、そう言っていたはずだ。
深淵を覗きこむとき、自分自身も怪物にならないよう注意しなければならない。
そして、その怪物の正体はこの渦の中にある。
渦、深淵、覗きこむと覗き返すもの。
- 417 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/24(土) 22:35
-
「『魔法使い』は、あなたの中の何かだったんですよ」
- 418 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/24(土) 22:36
-
その言葉にビクリとなつみは顔を上げる。
そこに『美貴』の姿はもうなかった。
「美貴ちゃんを突き落としたのは……」
呟いて、なつみは口を噤んだ。
そんな馬鹿なことがあるわけがない。自分は、守るために彼女のそばにいたのだ。
さっきのはきっと本当の彼女じゃない。
『魔法使い』が自分を混乱させようとしているのだ。
- 419 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/24(土) 22:37
-
そう、あの大時計は進んでいたのだから。
本当の2月25日の終わりはあと一分ほど先のはすだ。
まだ彼女のそばにいて守ってやらなければいけない。
なのに――なつみは、おずおずと辺りを見まわす。
どうして、自分はこんなところにいるのだろう。
ここは病院の屋上だ。
こんなところでのんびりしている場合じゃないのに。
それとも――考えて、ぞっとする。
まさか、もうタイムリミットになってしまったのだろうか。
彼女を守りきって、そして最後に彼女に言いたいことがあったのに――
- 420 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/24(土) 22:38
-
『まだそんなこと、言ってるの?』
そのとき。耳に、その声が届いた。
「『魔法使い』?」
なつみは再び、辺りを見まわす。
しかし、そこにあの影は見当たらない。なつみは、眉を寄せる。
『そんなとこ探しても無駄だよ。言ったでしょ、私は深淵の中にいるんだって』
その言葉に、反射的に――渦の中を覗きこむ。
そこに映っている光景は、何一つ変わりがない赤い空。
そして、渦の中では不思議そうな顔をしてこちらを『見つめ返して』いる、
自身の姿が、映っていた。
そして。
不意にその『自分自身の姿』が笑った。
- 421 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/24(土) 22:39
-
『怪物と闘うものは』
『彼女』は、口を開く。
悠然と。聞き覚えのある声。
『その過程で自分自身も怪物になることがないよう、気をつけなければならない。
深淵をのぞきこむとき、その深淵もこちらを見つめているのだ』
それは、自身の声だった。
なつみ自身の声だった。
それに気付いて彼女は愕然とする。膝ががくがくと震えだす。
それでも渦の中の『彼女』は変わりなくこちらに向かって語りつづける。
- 422 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/24(土) 22:39
-
――渦を覗きこむとき、空の他にも見えるものなら、あった。
その都度、覗きこむたび。
こちらを見つめている視線を感じていた。
それは、渦に浮かんだ自分自身の姿だった。
あれほど、恐れていた『怪物』の姿だったのだ。
『美貴ちゃんのこと――憎いと思ってる?』
悪意に満ちた表情で。
あるいはこれ以上はないというほどの慈愛に満ちた表情で。
『怪物』は――安倍なつみは渦の中から語りかけてくる。
- 423 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/24(土) 22:41
-
「なっちは…」
『憎むことと愛することは紙一重だよね。――死は、絶対なのにこの二つは曖昧すぎる。
美貴ちゃんはまだ理解できる歳じゃなかったから仕方がないのにそうは思えなかったんでしょ。
なっちはあの時、健康な彼女を見て死ぬほど焦がれた。そして、それからずっと
なにも知らない彼女を見つめていた。海底からずっとね。得られなかった未来への憎悪と羨望。
全てを抱えて一人で眠りにつくには私たちはあまりに若すぎたんだよ』
『なつみ』は、すっと目を細める。
『…どっちみちそろそろタイムリミットになる。美貴ちゃんを迎えに行こう。
邪魔されないように今度はしっかり手を握ってね』
- 424 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/25(日) 10:16
- またいいとこで・・・・
- 425 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/25(日) 23:05
-
◇ ◇ ◇
(午後23時58分)
「でも、なっちさんって変な人ですよね…
今更なんだけど最初会った時からなんか他人だって感じしなかったんですよ。
もしかして以前どこかで会ったことあったのかな。
で、美貴はそのこと忘れてるけど、なっちさんは忘れてるって感じじゃないですよね。
忘れてるのは美貴だけで、なっちさんは美貴のことを覚えててなんか隠してる、っていうそんな感じ」
大時計の針が静かに十二時を回る。
その時――
屋上には月明かり以外の照明などないのに、なつみの影が自分の影に重なった。
そんな気がした。
「それで…」
気にせずに言葉を続けようとした、その刹那。
不意にビルの屋上を真冬の北風が吹き抜けた。
茶色く染めた髪が掬われて横に流れる。
遥か下の街路樹をさざめかせ、雲が同様に流される。
ビルの屋上を真冬の北風が吹き抜ける。
美貴はふと、背後に人の気配を感じ振り向く。
そこには、『彼女』がいた。
「…なっちさん?」
どうしたのだろう、怖い顔をして。そう思った、瞬間だった。
彼女は――安倍なつみは、渾身の力をこめて美貴を屋上から突き落とした。
- 426 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/25(日) 23:06
-
2月25日、午後23時58分56秒
- 427 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/25(日) 23:07
-
大時計の針は、遅れていた。
2月25日はまだあと一分、残っていた。
美貴の身体は古びた手すりを乗り越え、宙に投げ出される。
全ては一瞬だった。
夜景と星空が回った。
何が起こったのか分からないままに、それでも彼女は必死に虚空へ手を伸ばす。
突き落とされた。
そう理解する余裕などなかった。
しかし、その瞬間頭の中に過ったのは、どうして――という、疑問。
何が『どうして?』なのかは分からない。
けれども、ただそれだけを思った。
- 428 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/25(日) 23:09
-
落ちる。
そう思った時、反射的に 美貴は屋上の縁を掴もうと虚空に手を伸ばした。
しかし、間に合わない。そして、一度失敗してしまったらそれで終わりだ。
終わりなのだ。あとは、ただ落ちるだけ。終ってしまうだけ。
本当はそんなことを考える余裕などなかった。
それはほんの一瞬のことで、しかし彼女はその一瞬のうちに、悟る。
死――
数秒と経たないうちに身体がアスファルトにたたきつけられる。
怪我ですむはずがない。ジ・エンド、終わりだ。
美貴は、諦めて目を閉じる。
しかし――いつまで経ってもその衝撃は訪れない。
不審に思って彼女は恐る恐る目を開けた。
はじめのうちは、何がどうなっているのか分からなかった。
ひょっとしたらとっくに地面に落ちてしまったのかとも思った。
だが、違った。
美貴の目には灰色の壁が飛び込んできた。
それがビルの壁であるということはすぐに理解できた。そして、その次に。
彼女はようやく理解する。
自分はまだ落ちていなくて――それは、自分の右腕を掴んで引き上げようとしている、
誰かの手があったからだということを。
- 429 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/25(日) 23:11
-
◇ ◇ ◇
希美が屋上の二人に気付いたのは、偶然ではなかった。
まるで、誰かに呼ばれているような気がしたのだ。
はじめのうちは気のせいだと思っていた。
しかし、その感覚は希美が反対の方角に向かおうとすると、強烈な違和感になって襲ってきた。
理屈ではない、誰がそれを教えてくれているのかが希美には分かった。『美貴』だ。
車のなかで目を覚ました時、もういなくなっていてどこに行ったのか分からなくなっていた彼女が――
今、このときに希美を呼んでいたのだ。
希美に自分が殺された場所を教えてくれていたのだ。
そして、その感覚に呼ばれるまま辿りついた大通りで、
希美はふと見上げたビルの屋上の上に見なれた人影を見つける。
そこから先は夢中だった。もう表の入り口は閉まっていたから、
ビルの外付けの非常階段を駆け上がった。何階建てなのかは数えていないが、
全力疾走でビルを駆け上がるのは相当の運動だ。
これまでこれほど速く走ったことがないだろうという速度でようやく屋上に辿りついたとき、
希美は美貴の後姿に歩み寄る人影を見た。
それが、安倍なつみだと、理解すると同時に彼女の心の中に危険信号が灯る。
危ない、そう警告しようとしたそのとき。
その人影は、美貴の背中を思いきり突き飛ばした。
- 430 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/25(日) 23:11
-
希美は、無我夢中で飛び出す。
美貴の身体は手すりを乗り越え、宙に投げ出される。
希美は全力疾走で手すりにかけより、その隙間から必死で手を伸ばす。
掴めた!そう思ったと同時に、その手はずるりと滑る。
希美は慌ててもう片方の手も使い、美貴の左腕をしっかりと掴む。
身体ががくんと引っ張られ、希美の両腕に、肩が抜けそうな程の重みがかかった。
いくら美貴が細くても人間一人の体の重みを支えるには希美は非力過ぎた。
必死で引っ張り上げようとするが、手を離さないようにするだけで限界だった。
このままでは数十秒も持たないだろう。
「くっ!」
やっと、ここまで来たのだ。
二人のあとを辿って、『美貴』を助けるために。美貴を助けるために。
それだけのために。
- 431 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/25(日) 23:13
-
美貴が、恐る恐る顔を上げた。
希美の姿を認め、一瞬信じられない、とでもいうような表情を浮かべるが、
自分の置かれている状況に気付いたらしく彼女は必死で希美の腕を掴む。
そして、もう片方の手を伸ばして彼女はなんとか手がかりを掴もうとするが、
空中の無理な態勢ではそれもままならない。汗で、手が滑る。
美貴の体が、再びがくんと落ちかかる。声を出すことも出来ない。呼吸さえも。
希美は、ただ必死でその腕を握り締める。
美貴の着けている腕時計のおかげでなんとかぎりぎりのところで持ちこたえている状態だった。
肩が外れそうに重い。けれども、どうなろうと、ここでこの手を離すわけにはいかない。
希美は、歯を食いしばる。美貴が、もう一度手を伸ばした。
その手が壁の手がかりを掴もうとしたそのとき。腕時計のバンドがちぎれ、希美の手が滑る。
二人の手が離れかけた、もう駄目だと思った。
そのとき。
希美の背後から伸ばされた力強い腕が、美貴の腕をぐっと掴んだ。
さらにもう一本の腕が伸びてくる。
驚く暇もなく希美は慌てて美貴の腕を捕まえなおす。
- 432 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/25(日) 23:13
-
「もう少し上!掴まるところがあるから、右手伸ばして!!」
「ちゃんと持ってるから早く」
頭の上から聞こえてきたその声が、希美には本当に、天の声のように聞こえた。
三人の力で美貴を上に引っ張り上げていく。美貴の右手が、屋上の縁にかかった。
すかさず、横合いから伸びた少し黒い腕がその手をぐっと引っ張り上げ、
美貴に手すりを掴ませる。
「――間に合ったぁ」
息を切らしながら、その声の主――石川梨華は、屋上へ上ってくる美貴の手助けをする。
美貴がようやく手すりを乗り越え、屋上に引き上げられたとき、
しばらくの間、誰一人口が利けなかった。全員が全員、放心したようにコンクリートの屋上にへたり込み、
荒い息をついている。無事を喜ぶ気力も残っていない。そんな感じだった。
- 433 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/25(日) 23:15
-
しかしそうしているうちに――
これで、終わったのだ、美貴は助かったのだと、希美の心の奥に小さな安堵が生まれる。
この数日――怖かった。本当はとても、怖かった。
勿論、一人ではなかったし、きっと上手く行くと信じていたけれども。
それでも。
彼女は顔を上げる。その頭に優しい手が載せられた。
「頑張ったね、のんちゃん」
圭織の言葉に、希美は首を傾げて瞬きし――
それから圭織に抱き着いて、泣き出した。
怖かった、駄目かと思った、けれども、良かった。そんな全ての感情が押寄せてきて。
圭織は微笑みながら、ぐしゃぐしゃになった希美の髪をなでる。
本当に、彼女はよく頑張ったと思った。
彼女がいなければ美貴は助からなかっただろうし、
それ以前に何がおこっているのか気付くものはいなかっただろうから。
そんな二人の様子を面映いような、そんな微妙な笑顔で眺めていた梨華だったが、
ふと我に返る。
- 434 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/25(日) 23:16
-
「美貴ちゃん、安倍さんはどこ行ったの?」
「え…と、そういや、なんで梨華ちゃんこんなとこにいるの…」
「そんなこと、どうでもいいから!安倍さんはどこ?」
梨華のその言葉に、顔を上げる圭織と希美。
そういえば、あまりといえばあまりの事態にそこまで気が回らなかった。
屋上にはもう自分たち以外に人影はない。
「…そうだ、美貴…」
なつみに、突き落とされた。
そのことを思いだしたのか美貴が口を押さえる。
「なんで…?」
「気をつけないと、ひょっとしたらまだその辺にいて美貴ちゃんのこと狙ってるかもしれないよ」
あたりを見まわす梨華。
しかし、圭織が口を開く。
「それはないよ…もう、美貴は19歳になったから」
圭織は腕時計を梨華に見せる。
時刻は、午前零時を既に二分ほど回っていた。
- 435 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/26(月) 22:31
-
「安倍なつみが死んだ歳を越えた。
安倍さんは美貴を連れていくのに失敗した、そういうことでしょ」
「死んだ・・・歳って?」
美貴が怪訝な顔をする。
いったいなにを言っているのだ。なつみは生きているではないか。
圭織は、美貴の疑問を察したらしい。
「安倍さん…なっちさんはもう亡くなってるんだよ」
「…は?」
「4年前に亡くなったの。18歳のときに」
「なに言って…」
美貴は、ふらりと立ちあがる。
- 436 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/26(月) 22:32
-
「変なこと言わないでくださいよ!!ってか、あなた誰なんですか!
意味分かんない!!」
苛立たしげに美貴が言う。
圭織は、傷ましげに眉を寄せ首を振った。
「なっち…安倍なつみはあなたのお姉さんなんだよ。
彼女はあなたがが自分の死んだ歳を越えてしまう前に連れて行こうとしたの」
「……そんな非現実的な……大体、なっちさんは…!」
反論、しようとする。しようとした。
しかし。思い出す。
なつみの言っていたこと、不可思議な行動、言葉の一つ一つ。
- 437 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/26(月) 22:32
-
『そうだよ』
彼女は言ってはいなかったか?
『なっちがお姉ちゃん』
「だって…あれは冗談で!それに…」
なつみは。病気だった。
詳しく聞かなかったけれど見ていればそれくらい分かった。
- 438 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/26(月) 22:33
-
『なっちは美貴ちゃんを幸せにするために来たんだべ』
『嘘っぽいけど運命って本当にあって、それは簡単に変えられるものじゃないし、
頑張ればなんとかなるほど優しくもないの』
『美貴ちゃんはもっとちゃんと 天使のことを信じなきゃいけない』
『なっちが絶対に守るから』
『なっち天使』
母親が家を出て行ったことがあると聞いたのはいつだったか。
帰ってきた時、母親はもう美貴を身篭っていたという。
父の名前は「安倍ショウゾウ」といった。
なっち。
なつみ。
安倍、なつみ。
- 439 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/26(月) 22:34
-
『本当にお姉ちゃんなのになぁ』
- 440 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/26(月) 22:34
-
「…そんなの…って」
「美貴ちゃんを殺せなかったから、もういなくなったみたい」
「違う!」
美貴は、強い口調で梨華の言葉を遮る。
「だって、美貴のこと守るって言ってた、それは嘘じゃなかった」
「突き落とされたくせにまだかばうの?」
「違うんだって!嘘じゃないって分かるもん。嘘じゃなかった・・・」
理屈ではないのだ。
嘘じゃない。あの言葉は嘘じゃなかった。
なつみが美貴を守ると言ってくれた、あの言葉は断じて嘘などではないと言える。
たとえ、彼女の本当の目的がなんだったとしても。
分かる。違う。絶対に、それだけじゃなくて。嘘だけじゃなくて。
本当のこともあった。きっとあった。信じている。
何故かは分からないけれど、美貴には信じられる。
もう一度、会わなければ行けないと、そう強く思う。
会って、話をしなければならない。
- 441 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/26(月) 22:35
-
「…病院…」
その時――
希美がぽつりと呟くいた。
「え?」
「美貴、病院行って!まだ、安倍さんいるから。間に合うからって!!」
希美の言葉を圭織が続ける。
「…もう一人の美貴ちゃんが言ってる」
美貴は一瞬、ぽかんとした顔で見知らぬ二人を見る。
その言葉の意味は分からない。
けれども
けれども、彼女はすぐに頷いて駆け出した。
- 442 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/27(火) 00:39
- ハラハラ!あぁ!どんな結末が・・
- 443 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/27(火) 22:08
-
◇ ◇ ◇
最後のときはやっぱり一人ぼっちだ。
それが寂しくて仕方がなかったから…だから、こんなことになってしまったんだろうか。
寂しかった。
何故、大人になることが出来ないのだろうと。本当は、大人になりたかった。
信じられないほど幸福な毎日を送っている人々をを白い病室の中からずっと見つめながら、
ただ生きてみたかった。つまらないとか意味がないとかそういった全てのことに触れてみたかった。
どうして自分でなければいけないのだと、そう思っていた。
寂しい。
死にたくない。
痛くて、孤独で、取り残されて。
寂しさは、『怪物』だ。
- 444 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/27(火) 22:09
-
たった一度、小さい頃会っただけの妹。
彼女は、自分の家族と違ってなにも知らないで生きていた。
それは決して言ってはいけないことだったから、自分と彼女が二度と交わることはないと思っていた。
けれど、あの日彼女が死ぬ事を知って――美貴が死ぬ事を知って。
どんな風に育ち、どんな人間になったかも知らない、
それも半分しか血の繋がらない妹なのに――守りたいと思った。
自分が出来なかった毎日を送っていた妹。
守りたかった。
それは、本心だった。そう思っていた。
けれども、それは憎しみだったらしい。
妬みや恨みだったらしい。
連れていこうと思っていたのだ。
守りたいと思った気持ちは嘘ではないのに。
- 445 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/27(火) 22:10
-
――本当は、どっちだったのだろう。
あの映画の少年のように、美貴を守りに来たのは自分。
けれども、彼女を殺しに来たのも自分。
どっちだったのだろう。
- 446 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/27(火) 22:10
-
「…なんもしないで…いなくなったほうが…良かったのかなぁ」
- 447 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/27(火) 22:12
-
彼女は屋上に寝転がる。
このまま目を閉じて大人しくしていれば全てが終わるのが分かっていた。
それでいい。自分が美貴に何をしたか――考えたくなかった。
考えてしまったら、それこそどうしようもなくなってしまうのが分かったから。
何も考えずに消えよう。
とりとめのない思いの流れの中で彼女はふと気になることがあってもう一度目を開いた。
視界にうつったのは、星空だった。
あのおどろおどろしい血のような赤い空はどこにもなかった。
ホッとして彼女は再び目を閉じた。
――そのとき、どこか遠くで、扉を開ける音がした。
誰かに呼ばれたような、そんな気がした。
- 448 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/27(火) 22:12
-
「なっち!!」
声が、近づく。足音。夢ではなく、現実に。
彼女は、目を開ける。景色が、俄かに焦点を結んだ。
顔を覗きこんでいたのは――
「…矢口?」
息を切らし、自分を睨みつけて、どこか泣きそうな顔をして。
それは、間違いなく。矢口真里、その人だった。
幻覚かと思ったのは一瞬のことで、彼女は確かにそこにいた。
なつみは、しばらくの間無表情にその人物を見つめていた。
そして――やがて、ふっと笑みを浮かべる。
それは、彼女がずっと美貴に向けつづけていた、あの笑み。
優しくて、何もかも分かっていて、そしてどこか、ほんの少しだけ痛みがある、そんな奇妙な笑顔だった。
- 449 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/27(火) 22:13
-
真里は、すぐ傍にかがみこむなり
「あんたねー、人がどれだけ探しまわったのか分かってんのっ!
まあ、あたしは天才だからなっちが最後にここに来るって推理してたけどさぁ。
それにしたってだよ、この時間にここに潜り込むのって大変だったんだからね。
救急車で運ばれてきたどっかのおばあちゃんの孫の振りしてさぁ…ばれたらまじやばいんだけど」
マシンガンのようにまくし立てる。
「それから!さっき連絡あったけど。藤本無事だって」
藤本――
美貴が無事だった。
その言葉が浸透するには、僅かに時間を要した。
- 450 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/27(火) 22:15
-
「――っていうか、いきなり出て行くし、マジで心配したんだから。
いくら幽霊だからって、そうちょくちょく消えたり消えなかったりされたらこっちもいい迷惑だよ」
とんでもない速さで文句を口にする真里のペースに危うく飲み込まれかけ、
なつみは慌てて真里の口元に手をやった。真里が驚いたように顔を引き言葉を止める。
「…ごめんね、矢口。なっちは天使になるべ」
口元が、震える。ちゃんと笑顔になっているだろうか。
そう思った途端に涙が零れそうになってしまうから、頑張って笑った。
「だから…なっちのこと忘れないでね」
真里は、一瞬、なつみの姿を見失う。その場に誰もいないように見えた。
まるで、はじめから何もなかったかのように。
彼女は慌てて目をこする。次の瞬間にはちゃんとなつみの姿があった。
けれど――
- 451 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/27(火) 22:17
-
「もう一回カラオケ行きたかったな。なっちが一番上手いってはっきりさせたいし」
「なっち、一番点数低かったじゃん」
「あれは、みんながインチキしたからだべ。普通に歌ったらなっちが一番」
「よく言うよ。まぁ、いいや。また行けばいいじゃん」
まだ、いられるんでしょ?
そう聞きたかった。
しかし、なつみは困ったような顔をして曖昧に微笑む。
「あと…美貴ちゃんに謝っといて…」
声が、遠くなる。
なつみの姿越しに、屋上のざらざらした地面が見える。
そのときがもうすぐそこまで来ているのが分かった。
「嫌だ!自分で謝りなよ。そんな…すぐ行くことなんてないじゃん」
引きとめることなどできないということも分かる。
だが、まだ行かせることなどできない。そう思う。
- 452 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/28(水) 18:35
-
「あのね、なっ…」
矢口が口を開きかけたその時、不意になつみの前に
奇妙な光に包まれているなにかが現れるのを真里は見た。
なつみの瞳孔が驚きに開かれる。
「……美貴、ちゃん?」
なつみが震える声でそう呟く。それは、藤本美貴だった。
こちらに向かっているはずの彼女がどこからともなく姿を現したのだ。
いったいどうやって?屋上にはドアは一つしかないのに。
ドアが開いた気配なんてしなかった。真里は、言葉を失う。
『美貴』は、真里には目もくれずそっとなつみを抱きかかえた。
- 453 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/28(水) 18:35
-
『映画の台詞、ホントは覚えてたんですよ』
「え?」
『……っていうか、ラストの台詞かと思ってたのに』
『美貴』は、片方の眉をあげる。
あの映画の終わり。
最後の別れが訪れる時。
ヒロインが少年に語った言葉。
- 454 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/28(水) 18:36
-
あたしのことは忘れていいからね。
ありがとうは言わない。さよならもね。
『だから…美貴も言いません』
あなたは私にとって確かに天使だった
『なっちさんが美貴のこと忘れても』
代わりにあたしがあなたを覚えておくわ。
『美貴が覚えてるから』
何十年後かあたしはきっと海に還ってあなたを驚かせてあげる。
その時まで、お互い幸せになってるって約束しよ。
- 455 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/28(水) 18:38
-
『…なっちさんがしたこと、誰に文句言われたって。
神様にだって文句、言わせませんから。
美貴がいつかそっちに行った時、文句言ったやつはみんなぶん殴ってあげます!
あと……全然、怒ってませんからね、美貴は』
その言葉は。静かな屋上に良く響いた。
なつみが、笑う。
笑い続けようとする。泣かないように。
――その時。
バタンと扉が開く音がした。
「なっちさん!!!」
真里は、その声にはじかれるように振り返る。
そこにいたのも藤本美貴だった。
そして、今までいた『美貴』の姿はなくなっていた。
美貴は、真里がいることに一瞬驚いたようだったが、
すぐになつみに駆け寄ると先ほどと同じように彼女を抱きかかえた。
なつみの姿は哀しいほどに透き通っていた。
- 456 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/28(水) 18:40
-
「…美貴ちゃん」
なつみが美貴に手を伸ばす。
美貴はその手を握った。その背後に佇む人影がぼんやりと見える。
それは、先ほどまでいたもう一人の『美貴』の姿だった。
辻希美に何が起こっているのかを訴え、最後には全てを覆してしまった
もう一人の、本当ならそうなってしまっていたはずの藤本美貴の姿。
今となっては、可能性の一つに過ぎない。
打ち消された選択肢。
彼女は、いずれ帰るのだろう。彼女の帰るべきところに。
覆された未来のこれからを生きていく藤本美貴その人に。
彼女は、なつみと同じ笑顔で微笑んでいる。
- 457 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/28(水) 18:40
-
「美貴、なっちさんに言いたかったことがあるんです。呼んで、いいですか?」
- 458 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/28(水) 18:42
-
美貴は一つ静かに深呼吸する。
そして、彼女は――なつみの耳元に口を寄せ
その呼び名を
今まで一度も口に出したことのなかった呼び名を
静かに、しかしきっぱりと囁いた。
(2月26日、午前24時15分)
――それが
全てのおしまいの日だった。
- 459 名前:last Scene 『2月25日』 投稿日:2004/04/28(水) 18:43
-
last Scene→Ending
- 460 名前:Ending 投稿日:2004/04/28(水) 18:44
-
- 461 名前:Ending 投稿日:2004/04/28(水) 18:45
-
『美貴』がやらかした『超能力』については、
誰も真相を知ることはなく希美が教師から咎められることはなかった。
時折、クラスメイトから奇妙な目で見られるものの、
でも、まあ……構わないかなとそんな風に思うようになったのは、そう後のことでもなかった。
あの日の事は、罪悪感なのかなんなのか知らないが必死に謝ってくる子たちもいた。
一体どうやって知ったのか希美の携帯に『これからもよかったら友達でいてね』などと
メールを送ってくるものもいた。これには相手のアドレスに見覚えがない分
どう反応したらいいのか色々な意味で希美は悩んでしまった。
自分は少し変わったと思う。
何がきっかけかと考えるまでもなく答えは明らかだ。
自分の中に何が残されたのかは分からない。何も残されなかったのかもしれない。
けれど、少なくとも希美はあの2月25日――いや、26日だ。
彼女にとっての『美貴』が帰ってしまった時の事をずっと忘れないだろうと思う。
- 462 名前:Ending 投稿日:2004/04/28(水) 18:46
-
美貴から一足送れて病院に辿りついた時、時間が時間だけに中に入ることは出来なかった。
どうしたらいいのかおろおろしているうちに希美はふと背後に人の気配を感じた。
それはとてもよく知っている、その数日間ずっと身近に感じていたはずの気配だった。
しかし、振りかえった時、希美はそこに誰の姿も見つけられなかった。
そして――
とん……と、背中を叩かれたようなそんな気がして。
次の瞬間。
希美は見たような気がした。
丁度、病院から出てきたもう一人の美貴、彼女の姿に溶け込むように白い光が揺らめいたのを。
- 463 名前:Ending 投稿日:2004/04/28(水) 18:47
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それは、ほんの一瞬だけの出来事。
目の錯覚ではないかと、そう思われるほどに。
希美のほかに気付いているものはいなかった。当の美貴ですら。
――なくなったのだ、存在が。
藤本美貴は結果的に死ななかった。
だから、死亡した『美貴』などという存在はもうこの世にあるはずがなくて。
それはただ、そうなるかもしれなかったという、藤本美貴の可能性の一つでしかない。
だから本来の彼女のところに『美貴』は帰った。
きっとそういうことなのだろう。
- 464 名前:Ending 投稿日:2004/04/28(水) 18:47
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希美が漠然とそんなことを感じるようになったのは、
少なくとも1週間かかったのだけれど。
その時。
背中を押された時、希美は言われたような気がしたのだ。
――ありがと、と。
大仰な別れの言葉もなければ、それほど不思議な現象も起こらずに。
至極あっさりと呆気なく。
彼女らしいといえば、これ以上彼女らしいことはなかっただろう。
- 465 名前:Ending 投稿日:2004/04/28(水) 18:48
-
あれだけのことがあって。
普通なら一生出会うことがないような経験の後で。
それほど変わらなかった日常。
希美だけではなく、圭織も。
相変わらず大学で、授業にサークルにバイトに、それなりに忙しく頑張っているらしい。
あれ以来会うことはないけれども、矢口真里も、
そして恐らくは藤本美貴や石川梨華にしても同じことだろう。
変わらずに――少しずつ時間が動く。普通の日常だ。
希美は、ぼんやりと窓からの景色を見やる。
グラウンドにはそろそろ冬から春へと変化していく木々たちが風にさわさわと揺られていた。
- 466 名前:Ending 投稿日:2004/04/28(水) 18:48
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* *
- 467 名前:Ending 投稿日:2004/04/28(水) 18:49
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残ったのは、一枚のプリクラだけだった。それだけは、消えなかった。
二人でポーズを撮って笑っている。最初で最後の一枚。
墓参りにでも行ってお墓に貼ってこようか。なんてことをを思わなかったといえば嘘になる。
そして、思いついた途端、違和感がありすぎて吹き出さなかったと言えばそれも嘘になる。
この世でただ一つの、けれども過去の代物だ。
なつみはもういないし、美貴は今もこうして生きている。
- 468 名前:Ending 投稿日:2004/04/28(水) 18:50
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彼女が――安倍なつみが、いなくなってから。
全く変わらないペースで、少しずつ日常が進む。
梨華は相変わらず、女の子だし、口煩いし、お節介だ。
彼女から見た自分もそれ程変わっていないだろう。
変わらないまま日常が進んでいく。
それは、一日ごとに別れを刻んでいくということだ。
なつみを、置いていくということだ。
誕生日がきて、美貴は――なつみの歳を追い越し、やがては大人になる。
- 469 名前:Ending 投稿日:2004/04/28(水) 18:51
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プリクラにうつった懐かしい笑顔を見る。
今でもなつみの笑顔は鮮やかに思い出せる。
そして、いつまでもそれが鮮やかであって欲しいと思う。
例え、無理だったとしても。
窓を開けると、だいぶ暖かくなった風が吹き込んでくる。
カーテンとともに窓の外の景色も風に吹かれてさざめいた。
空の色が、とても深い。
- 470 名前:Ending 投稿日:2004/04/28(水) 18:52
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プリクラに写った二人は今も笑っている。
- 471 名前:Ending 投稿日:2004/04/28(水) 18:52
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Fine
- 472 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/28(水) 18:53
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- 473 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/28(水) 18:53
-
安倍さんをはじめてまともに動かせました。
なっちありがとう(●´−`●)
飼育ありがとう川VvV从
読んでくれた人ありがとう( ´D`)
以上でリバーシブルはお終い
- 474 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/28(水) 19:15
- 完結おめでとうございます。そしてお疲れさまです
読後のサッパリ感もまた藤本らしいなあって感じで、しばらくはこの世界に浸っていたく思います
- 475 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/28(水) 23:32
- お疲れさま。とても読みやすい文章でテンポよく楽しめました。更新もほぼ毎日だったし。
自分のなかでは今年の最高作品。本当にいいもの読ませてもらったよ。
ありがとう。
- 476 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/28(水) 23:35
- 完結!ご苦労さまでした、ほんとに素晴らしいお話ありがとうございました。更新の度にハラハラドキドキさせてもらいました!毎朝、晩、このスレを見るのが日課になっていたので、とても淋しいですが、今は満足感でいっぱいです。できればまた作者様の書く物語を読んでみたいので、このスレでまたなにか書いてくださるとうれしいです。とにかく!素晴らしい物語をありがとう!最高です!
- 477 名前:ななしのよっすぃ〜 投稿日:2004/04/28(水) 23:51
- 作者さま
はじめまして。
今日、はじめて知って、面白くて一気に読んでしまいました。
完結、お疲れ様までした。次回作も期待して待ってます!
PS:娘。小説の保存もさせていただいているのですが、もしよろしければ保存させてください。
よろしくお願いします。できればですので…。
当方のHPは[http://kuni0416.hp.infoseek.co.jp/text/index.html]です。
- 478 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/29(木) 06:54
- 完結乙カレー。
毎日毎日このスレを覗くのが楽しみでした。
面白かったよ。ありがとう。
- 479 名前:ななしのよっすぃ〜 投稿日:2004/05/03(月) 21:15
- 作者さま
申し訳ありません。余計な文字まで入ってリンクが切れていました。
当方のHPは[ http://kuni0416.hp.infoseek.co.jp/text/index.html ]です。
よろしくお願いいたします。
- 480 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/05/16(日) 18:14
- 面白かったです。
ミキティーもミキティーっぽかったし、賢い石川や、いいらさんやののたんも光ってました。なっちは天使。
一つ気になったんですが、午前午後という言葉は、12時間系の時間体系でしか使わないと思います。
なんで、午前3:45はありだけど、午後17:23はなしかなー、なんて。
まぁ、小説の内容に比べたら微々たる話ですけど。
- 481 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/06/27(日) 04:49
- 今頃になって一気に全部読みました
スゲーってカンジ 次回作も期待してます
- 482 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/07/23(金) 00:27
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- 483 名前:メカ沢β 投稿日:2004/08/09(月) 13:09
- 完結お疲れ様でした。
スゲー話ですね、世界観の広さに脱帽です。
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